villain 〜その男、極悪につき〜 (桒田レオ)
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始動「悪という悪が集った都市」

 

 西暦20××年。科学が発展し、隆盛を極める現代社会。

 

 法の下、市民の命は守られていた。

 良く言えば平和な世界。悪く言えば、都合のいい世界。

 

 日本の首都、東京。

 世界経済の一端を担うこの都市で、昨今とある都市伝説が流行していた。

 

 曰く、この世界のどこかに世界政府から黙認されている犯罪都市がある。

 そこは麻薬・人身売買を始めとした違法売買で栄えており、法が存在せず、多数の犯罪組織によって統治されている。倫理感も道徳感も曖昧で、常日頃から死者が出る。金と暴力だけが頼りになる。

 あまりに悪徳であるため、妖怪や吸血鬼などの魔族が住み着いている。

 この都市が齎す巨万の富によって、現代社会は維持・継続できている。

 

 巨悪達が闊歩する魔界都市。狂気渦巻く人外魔境。

 その名は──デスシティ。

 都市伝説ではない。

 世界の果てに実在する、犯罪都市だ。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔界都市の路地裏で。

 不気味な瘴気が生温かさを伴って辺りを漂っていた。

 道端では合成獣の群れが腐りかけの死体を貪っている。

 骨を砕く音と共に、強烈な腐臭が辺りに撒き散らされていた。

 

 カランカランと、下駄の音が鳴り響く。

 腐肉では満足できない合成獣たちは音の主へ襲い掛かろうとする。

 しかし身の危険を感じたのだろう、情けない悲鳴を上げて逃走した。

 音の主は何事も無かったように歩き続ける。

 

 褐色肌の美丈夫だった。

 年齢は三十代ほどか。

 艶のある黒髪は後ろで丁寧に結われている。

 灰色の三白眼は鋭利で、ギザ歯は獰猛な肉食獣を連想させる。

 顔立ちは端正で、男らしくも非常に美しい。

 

 身長は二メートルを超えていた。

 驚くべき高身長だ。

 肉体は筋肉質でありながら細身。見せるための筋肉ではなく、戦うための筋肉のみで形成されている。 

 己が一流の戦士であることを、男は肉体のみで証明していた。

 

 漏れ出す色気は魔性のソレ。

 アイドルやモデルのような爽やかさはない。だが、強く艶やか。

 服装は白と黒の着物をダブル。肩から真紅のマントを羽織っている。

 腰には大太刀と脇差を差しており、鞘は黒塗り。つか巻きは赤。

 

 東洋の侍をイメージさせる格好だが、小麦色の肌と日本人離れした体格がそのイメージを崩す。

 しかし似合っていないわけではない。

 むしろ、異常なほど似合っていた。

 

 男は凶悪な色気と殺気を振りまきながら歩き続ける。

 その目に小さな屋台が入った。

 

 合金製の煙突からモクモクと白煙を上げている。

 屋台は木製で、客人を安心させる造りをしている。

 かけられた暖簾には「おでん屋・源ちゃん」と達筆で書かれていた。

 屋台の周辺には発光体が幾つも浮遊している。

 空気を洗浄するために品種改良された益虫だ。

 衛生上極めて有用であり、更に蛍のように輝くので、デスシティで飲食を営む者たちからは好まれている。 

 

 男は新鮮な空気と共に香ってきた豊潤なダシの匂いに、思わず頬を緩めた。

 かけられた暖簾を越すと、店主である厳つい壮年が満面の笑みで頭を下げる。

 

「らっしゃい旦那。ご注文は?」

上燗(加熱した酒)とおすすめの盛り合わせ」

「はいよ」

 

 店主はてきぱきと準備を始める。

 男──大和(やまと)は、いち早く出された熱いアルコールをゆっくりと嚥下した。

 店主はおでんの盛り合わせを出した後、上機嫌に話し始める。

 

「今日のはとっておきです。ミノタウロスの牛すじ、自信作ですよ」

「ミノタウロス? 牛頭のモンスターか?」

「へぃ、三日前に馬鹿な科学者がサンプルを数匹逃がしたらしくて。それがうちの前で暴れてたんですよ」

「一昨日の新聞に書かれてたな、そんな事が」

「うるせぇから細切れにしてやりましたよ」

 

 物騒なことを言う店主。

 しかしその肉体を見れば誰しも納得するだろう。

 まさしく筋肉の宮。

 二の腕には太い血管が脈打ち、筋肉は岩のように隆起している。

 その背後には人斬り包丁と魔改造済みの対物ライフルが立てかけられていた。

 

 只者ではない。

 間違いなく歴戦の戦士──

 彼はその厳つい顔面をほにゃっと崩してみせる。

 

「ミノタウロスは珍味として扱われることがあるって聞きまして。早速挑戦してみました」

「お前が皿として出すんだ。美味いんだろう?」

「勿論でさぁ! デスシティ製の超圧力鍋でじっくり煮込みやした。どうぞ!」

 

 店主に勧められ、大和は迷うこと無く牛すじを口に放り込む。

 数度咀嚼し、感触と肉汁を味わう。

 喉に通した後、余韻に浸るように微笑んでみせた。

 

「うめぇ……やっぱイイ腕してんなァ」

「光栄です」

 

 世辞抜きの賛辞に店主──源次郎(げんじろう)は照れくさそうに頭をかいた。

 

 ふと、暖簾が上がる。

 現れたのは二十代ほどの美女だった。

 肩辺りで綺麗に整えられた黒髪。丸みを帯びた温かい光をともす瞳。

 日本人なのだろう、目鼻の形が小綺麗である。

 漆黒の制服と帽子はバスの運転手をイメージさせた。

 制服の上からでもわかる豊満な乳房と括れた腰は、男たちの本能をダイレクトに刺激する。

 

 彼女は死織(しおり)

 デスシティの交通機関の一つ、闇バス・闇タクシーの運転手である。

 彼女は大和を見つけると表情を蕩けさせた。

 清楚な雰囲気が陰り、雌の顔が露わになる。

 

「捜しましたよ、大和……」

「依頼か?」

「いいえ」

 

 大和の隣に座る死織。

 源次郎は注文を聞こうとしたが、予め頭を横に振られたことで何となく察する。

 

 死織は熱のこもった声で言う。

 

「貴方を買いに来ました。大和」

「お生憎様、今夜は予約済みだ」

 

 大和が肩を竦めると、死織は唇を尖らせた。

 

「前もそう言って断られました。今夜は引きませんよ。予約と言っても口約束でしょう? 契約書はありますか?」

「ねぇよそんなもん」

「であれば、競り落とせますよね?」

 

 艶然と笑う死織に、大和は三白眼を妖しげに細める。 

 

「額は?」

「10万」

「話にならねぇな」

「50万」

「まだまだ」

「80万」

「惜しい」

「……本当ですか?」

 

 訝しげに眉をひそめる死織に、大和は苦笑いする。

 

「100万だ。俺のアレがどうしても忘れられねぇってさ。馬鹿な女だ。日を改めたらどうだ?」

 

 この場にいない女を嘲り笑う、その笑顔すらも美しい。

 否応無しに女を引き寄せる魔性の色香。

 彼が極上の雄であることを、女たちは本能で理解する。

 だから集まってくるのだ。まるで灯盗蛾の如く。

 大金を積んでまで、彼を求めるのだ。

 

 死織はブルリと肩を震わせた。

 どうしてもこの男が欲しい──

 だからこそ引かなかった。 

 

「私も我慢できないんですよ。貴方の笑顔を見ていると……疼く」

「勝手に疼いてろビッ○」

「うるさいですよヤ○チ○。いくらならいいんですか?」

「そうだなぁ」

 

 大和は鼻で笑い、首を傾げる。

 

「150万?」

「馬鹿ですか? 120万」

「なら140万」

「120万。譲りませんよ」

「……」

「……」

 

 両者睨み合う。

 しかし長くは続かなかった。

 大和が折れる。

 

「……まぁいいか、120万で。テメェは美人だから、愉しめそうだ」

「決まりですね」

 

 死織は蠱惑的に唇を歪める。

 大和は源次郎にお代を出した。

 

「ごっそうさん。美味かったぜ」

「おそまつ様です」

 

 暖簾をくぐる大和。

 その腕に死織が絡みついた。

 大和は溜息を吐きながら歩き始める。

 

「札束渡して男を買うなんざ、この都市の女はどうにかしてるぜ」

「それは男も一緒でしょう? それに──貴方には札束を渡す価値がある」

 

 死織は制服越しにでもわかる豊満な胸を押し付けた。

 

「ですが、これだけ大金を叩いたのです。一夜じゃ帰しませんよ? 三日は付き合ってもらいます」

「ハッ、上等だ」

 

 鼻で笑う大和。

 そう──この男こそ本作の主人公。

 デスシティで、いいや世界で一番腕の立つ殺し屋であり、世界最強の武術家でもある。

 

 

 



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序章「黒鬼伝」
一話「復讐依頼」


 

 

 夜。

 デスシティの中央区は活気に満ち溢れていた。

 往来を闊歩する刀剣を背負った人間、屈強なオーク、リザードマン、一つ目妖怪。

 彼等の気を引こうと色香を振りまくダークエルフ、狐娘、雪女、サキュバス。

 上空では烏天狗や妖精、アンドロイドが飛び交っている。

 

 堂々と聳え立つ高層ビルの群れ。

 その合間を謎のエネルギーで滑空する車やバスが通り抜けていく。

 長大に伸びた線路には高速モノレールが走っていた。

 

 星も見えない曇天の夜空。

 数多のサーチライトに照し出されたのは超科学の粋を凝らした飛行船と飛竜種、ワイバーン……

 

 幻想、科学、魔物、アンドロイド、魔法、超能力。

 何でもこざれな超犯罪都市、デスシティ。

 此処は今日も今日とてあらゆる種族と技術でごった返しになっていた。 

 中でも一番の活気を見せる中央区は、まさしくデスシティを象徴する場所である。

 そして、ここには有名な大衆酒場があった。

 

『ゲート』

 

 最悪の治安を誇るデスシティにおいて、数少ない「完全安全地帯」に認定されている場所である。

 西部開拓時代を彷彿とさせる店内には様々な種族が集い、酒を酌み交わしていた。

 

 店内では暴力沙汰厳禁。

 なので客人たちはゆっくりと羽を伸ばしている。

 

 ふと、ある犯罪組織の面々が得物を取り出した。

 商談が成立しなかったのだろう。

 しかし、店主である大男が鋭い眼光を向ければ両者共に生唾を呑み込んで得物をしまう。

 ゲートが何故「完全安全地帯」に認定されているのか──

 それは偏に店主の腕っぷしによるものだった。

 

 店主の名はネメア。

 年齢は三十代ほど。筋骨隆々の肉体、ツーブロックに刈り上げられた金髪。髪と同じ色の瞳。

 服装は白のシャツにジーパン。その上から焦げ茶色のエプロンという簡素なもの。

 

 実力はデスシティでも最強クラス。

「世界最強の傭兵」「傭兵王」の異名を持つこの男は、単身でデスシティに一勢力として君臨できる力を持っている。

 

 乾いた音と共にウェスタンドアが開かれた。

 現れたのは褐色肌の美丈夫、大和だった。

 瞬間、店内の空気がガラリと変わる。

 大和に向けられるのは羨望と恋慕、そして複雑な感情を伴った視線。

 中でも女たちの視線が釘付けになる。

 彼女たちは総じて瞳を潤ませ、うっとりと表情を蕩けさせていた。

 

 逆に男たちはその様子を「面白くない」と思っていた。

 特に自分の女の意識を奪われた者は殺意を込めて大和を睨みつける。

 しかし睨み返されると、わざとらしく視線を逸らした。

 一人の愛人が投げキッスを送ると、大和はウィンクで応じる。

 愛人は熱に浮かされたように天を仰いだ。

 

 歩くたびに女に口説かれながら、それを流し、大和はカウンター席に腰掛ける。

 

 ネメアはというと、半眼で頬杖をついていた。

 見慣れた光景に呆れているのだ。

 大和はニヤリと彼に笑いかける。

 

「よぅ、繁盛してっか?」

「大繁盛だ。お前のおかげで今日の売上は二割増しだな」

「そりゃよかった。奢ってくれてもいいぜ?」

「調子に乗るな。……で、今日は何の用だ?」

「何か依頼ねぇか? 暇でよぉ」

 

 欠伸を噛み殺す大和。

 そんな彼の傍に金髪碧眼のカウガールがやってきた。

 ネメアが雇っているウェイトレスだ。

 

 年齢は二十代前半ほど。

 ボンキュボンのナイスバディ。服装は裾結びのシャツにホットパンツというラフなもの。

 カウボーイハットから出ている癖のある金髪は腰までふわりと流れている。

 ザ・アメリカンな美女は、満面の笑みで大和からオーダーを聞く。

 

「ご注文は如何しますか~♪」

「じゃあ──お嬢ちゃんをお持ち帰りしようかなぁ」

 

 大和はウェイトレスを引き寄せ、甘ったるい声音で囁く。

 逞しい腕に抱かれて、ウェイトレスは顔を真っ赤にした。

 ネメアはすかさず読みかけの新聞紙を折り畳み、大和の頭を叩く。

 

「やめろ馬鹿」

「ケッ、いいじゃんよぅ。ケチくせぇ」

 

 唇を尖らせ、ウェイトレスを離す。

 ウェイトレスは足早に去っていった。

 ネメアは苦々しげに言う。

 

「お前、ウチのウェイトレスを何人駄目にした?」

「さぁな」

「十二人だ。誰かさんに孕まされて、そのまま一人前のシングルマザーだ」

 

 ネメアから向けられる非難の視線を、大和は軽く流す。

 

「知らねぇよ」

「女遊びをやめろ、とは言わん。だが子供を作ったからには最低限の責任を取るべきだ」

「ハッ、殺し屋が子育て? 馬鹿馬鹿しい。俺にできるのは命を奪うことだけだ」

「……」

 

 大和は肩を竦め、ぶっちゃける。

 

「まぁぶっちゃけ、子育て面倒くせぇし? そんな暇あったら新しい女と寝るほうが楽しいし?」

「女を何だと思ってるんだ」

「料理。お前は一種類の料理を食い続けることができるか?」

 

 大和は艶然と笑う。

 どうしようもないロクデナシの発言を、常識外れの色気で有耶無耶にしている。

 まるでご都合主義だ。

 ネメアは呆れて溜め息を吐いた。

 

「……いつか刺されるぞ。顔も知らない息子か娘に」

「華麗に避けて叩っ斬ってやらァ」

「……果てしなく屑だな。一回闇医者に精神改造してもらえ」

「誰がやるかバーカ」

 

 ネメアは鈍痛のする額を押さえる。

 

「ハァ……何で俺、こんな奴と親友なんだろう?」

「つれねぇこと言うなって、親友♪」

 

 ケラケラと笑うロクデナシに、ネメアは肩を竦める。

 彼は背後の棚から封筒を取り出し、大和に差し出した。

 

「ご指名だ。復讐してくれってよ」

「額は?」

「5000万」

「小遣い稼ぎにはちょーどいいな。で──誰を殺せばいい?」

 

 嗤う大和にネメアは淡々と告げる。 

 

「ただの暴力団だな。表世界で好き勝手暴れた挙句、この都市に来たらしい。滞在期間は一ヵ月。その割にはかなり順応してるみたいだ」

「何人」

「約30人」

「全員殺せってか?」

「封筒の中、見てみろ」

 

 ネメアに勧められ、大和は封筒を開ける。

 入っていたのは依頼の詳細と手紙だった。

 手紙には、愛娘を殺された両親の激情が綴られていた。

 大事な一人娘が強姦され、四肢を切断され、グチャグチャにされた後、ドブ川に捨てられたという──

 

 手紙を読み進める大和の唇が半月状に歪む。

 

「何て顔だよ」

 

 ネメアが思わず呟くと、大和はギザ歯を剥き出した。

 

「べっつに~♪ 必死だな~って思ってよ」

「追加の依頼は見たか?」

「要望だろう? 確認したぜ」

「受けてくれるか?」

「勿論」

 

 頷く大和を見て、ネメアは安心する。

 彼はあることを思い出して大和に聞いた。

 

「そういえば、この前引き受けた依頼はどうなった?」

「あ?」

「一週間前、魔女から直接依頼を受けていただろう?」

「んー?」

 

 大和は思い出せないのだろう、顎をさする。

 

「あー、アレか。浮気した魔術師の彼氏を殺してくれってやつ」

 

 内容を聞いたネメアは眉を顰める。

 

「そんなロクでもない内容だったのか……ちゃんと達成できたのか?」

「おうよ。浮気した魔術師と浮気相手の魔女、どっちも叩っ斬ってやったぜ」

「そうか」

「思い出した……」

 

 大和は灰色の三白眼を細める。

 

「依頼主の魔女、中々にイイ具合だった」

「…………」

「バカな女だったなぁ……寂しがり屋なのかビッ〇なのか知んねぇけどよぉ」

「聞かなきゃよかった」

「ハッハッハ」

 

 頭を押さえるネメアを見て大和はケラケラと笑う。

 彼は頬杖をついてネメアに聞いた。

 

「それよりもよぅネメア。お前、こういう依頼をどっから貰ってくるんだよ」

「秘密だ」

「親友だろ~?」

「ぶっ殺すぞ」

「へいへい」

 

 鋭い眼光で射貫かれ、大和は肩を竦める。

 そうして立ち上がった。

 瞬間、今まで聞き耳を立てていた客人たちが一斉に視線を逸らす。

 大和は鼻で笑った。

 

 ネメアは彼に言う。

 

「今回の依頼の報酬、いつも通りお前の口座に振り込んでおく。追加の依頼を達成すればその分も振り込む。いいな?」

「はいよ。じゃーな」

「ああ」

 

 大和は手を上げ、酒場を去っていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 酒場を離れる大和、その背に明るい声がかけられた。

 

「やまと~!!」

 

 名前を叫んで寄ってくる少女。可憐な美少女だ。

 年齢は十代前半ほど。綺麗な色の桃髪をツインテールで結んでおり、くりりと丸い双眸が愛くるしい。

 幼いながらも整った顔立ち。服装は今時のカジュアルなもの。

 将来とびきりの美人になりそうな──そんな女の子だ。

 

 しかし、不思議な点が一つある。

 ふよふよと空中を浮遊しているのだ。

 その膝から下は透けている。

 彼女は人間ではない──幽霊だ。

 

「よぅ!」

「よ」

 

 幽霊少女が拳を突き出すと、大和も拳を突き出す。

 コツンと拳を合わせると、幽霊少女はニパっと笑った。

 

「見てたぞ! 相変わらず女ったらしだなー!」

「うるせぇ」

「ハッ!? まさか私も狙われてるとか!? このロリコンめ!!」

「自惚れんな。テメェみてぇなクソガキには興味ねぇよ」

「何をぅ!?」

 

 ガルルと犬歯を剥き出す幽霊少女。

 怒っているつもりだろうが、傍から見れば愛くるしいだけだ。

 大和は肩を竦める。

 

「で、何の用だ幽香(ゆうか)

「ん? ああ、そうそう! 殺しの依頼受けたんだろう? 死体回収させてくれよ!」

 

 不気味な発言。

 しかし大和は嬉しそうに笑う。

 

「話が早くて助かるぜ。明日にでも頼もうと思ってたんだ」

「へへ♪」

 

 幽霊少女、幽香(ゆうか)は嬉しそうにはにかむ。

 彼女は有料で死体を回収する死体回収屋『ピクシー』のリーダーだった。

 大和は死体の詳細を告げる。

 

「数は28だ」

「種族は?」

「全員人間」

「暴力団か?」

「そうだ」

「肉体改造とか劇薬の使用は?」

「ネメアの情報じゃ半数はサイボーグ化してる。そこそこの戦力みてぇだな」

「おおー! サイボーグか! 事実なら相当買い取り価格上がるぞ!」

 

 幽香は嬉しそうに買い取り価格を計算する。

 デスシティの科学水準は表世界より遥かに高い。

 有能なマッドサイエンティストたちと唐突に現れる宇宙人のせいだ。

 幽香は計算しつつ、大和に言う。

 

「えーと、今人間の死体の買い取り価格が5万なんだよ」

「へぇ、羽振りいいな」

「最近、人肉愛好家が増えてるんだ」

「最高だな」

「最高だぜ」

 

 あくどい笑みを浮かべ合う。

 

「そんで? どれくらいになりそうだ?」

「5×28で140万。でもサイボーグだろう? パーツを見なきゃ何とも言えないなぁ。人肉の比率によって価格も変わるだろうし……」

「じゃあ後払いでいい」

「え? いいのか?」

「長い付き合いだしな」

「へへへ……♪」

 

 幽香は嬉しそうにはにかむ。

 その後、不思議そうに首を傾げた。

 

「でもさ? でもさ?」

「?」

「あんな堂々と依頼を引き受けて大丈夫なのか? 酒場の奴ら、み~んな聞き耳立ててたぞ?」

 

 その事かと、大和は鼻で笑う。

 

「かまわねぇよ。邪魔すんなら殺す、そんだけだ」

 

 その発言に、幽香はキラキラと瞳を輝かせた。

 

「おおー! さっすが! デスシティの三羽烏は言うことが違うな!」

「なんだ? ゴマすりか?」

「違うわっ! 私も一度はそんなこと言ってみたいなーって思っただけだ!」

「テメェじゃいつまで経っても無理だよ」

「何をぅ!!?」

「だから、あんま無理すんなよ」

 

 威嚇する幽香の頭を大和はポンポンと撫でる。

 幽香は「うみゅ」と声を漏らした後、気持ちよさそうに目を細めた。

 

「そんじゃ、明日、今ぐらいの時間には終わらせる。準備しておけよ」

「ん! わかった!」

「変更があったら電話する。じゃーな」

「じゃーなー!」

 

 摩天楼の中に消えていく大和に、幽香はぶんぶんと手を振った。

 

 



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二話「デスシティの三羽烏」

 

 時刻は昼過ぎ。

 大和は自室の窓から顔を出し、特大の欠伸をかいていた。

 空を見上げると暗い曇天が広がっている。

 陰る太陽は既に西に傾きつつあった。

 

 大和の住処は中央区にある質素なアパートだ。

 表世界でもよく見かけるタイプで、部屋もあまり広くない。

 

 一度の仕事で何千万も稼ぐ男の住処とはとても思えない。

 しかし、これには理由があった。

 

 大和は殺し屋という職業上、命を狙われやすい。

 暗殺者が部屋に侵入するなんてザラで、爆弾を仕掛けられて部屋ごと吹っ飛ばされたこともあった。

 故に、愛着を持てないのだ。

 

 大きく開けられた窓。

 そこから香水と女特有の甘ったるい匂いが抜けていく。

 

 大和の背後には何枚もの敷布団が敷かれており、その上に数名の美女が眠っていた。

 昨夜、大和が抱いた女たちだ。

 種族は全員人間。しかし出身が一人一人違う。

 

 日本人、アメリカ人、ロシア人、ドイツ人、タイ人、アフリカ人。

 それぞれ格別に美しい女たち。

 彼女たちは疲労で深い眠りについていた。

 

 彼女たちを一瞥し、大和は窓の外に視線を戻す。

 景色を眺めつつ、懐からラッキーストライクを取り出し火を付けた。

 

 中央区でも裏路地の治安は最悪だ。

 昼間なのにもかかわらず銃声と爆撃音、そして女の悲鳴が聞こえてくる。

 

 丁度、真下の道路で女連れの男がヤクザたちに殴殺されていた。

 彼女であろう女は泣き叫びながら助けを求めている。

 しかし、周囲の者たちは動かない。

 大和もだ。

 

 面倒事に巻き込まれたくない。

 金にもならない。

 だから、助ける必要がない。

 

 この都市の住民はどこまでも利己的だった。

 自分のためにしか動かない。

 

 欲情したヤクザたちが女を無理やり連れていく。

 その様子を眺め終わった大和は窓を閉じた。

 煙草の吸殻を灰皿に突っ込むと、部屋を出る準備を始める。

 

 着物を着て、帯を締め、真紅のマントを羽織り、腰に得物を差す。

 準備を終えた大和は寝ている女たちに素っ気なく告げた。

 

「起きたら出ていけよ」

「ん~」

「お~け~」

 

 女たちの気だるげな返事を聞き、大和は部屋を出る。

 階段を下りると、先ほどヤクザたちに殺された男が転がっていた。

 大和は無視して歩く。

 

 時刻は昼過ぎ。

 昨夜受けた依頼のタイムリミットが迫っている。

 大和は「流石に遊びすぎたか」とぼやきながら、標的のいる場所まで向かった。

 

 本日の天候は曇天。良好な部類だ。

 デスシティに快晴という概念はない。

 晴れていても曇り空。

 理由は度重なる科学実験で生じた有毒ガスと妖魔たちが醸す瘴気のせいだ。

 雨も降るし雪も降る。だが決して晴れることはない。

 

 道中、大和は甘い香りを嗅ぎとった。

 ほんのり酸味が利いた柑橘類の匂いだ。

 ここ一帯では珍しい香りだが、大和は何故か心当たりがあった。

 

 彼は唐突に後ろに振り返る。

 誰もいない。

 大和は顎をさすったが、それ以上のリアクションは見せなかった。

 

 暴力団の拠点は西区にある。

 大和の住処から近いので、そう時間はかからない。

 

 西区の様相は、一言で表せばスラム街だ。

 廃墟のような建物が幾つも点在し、壁にはスプレーを用いた落書きが走っている。

 剥き出しの電気ケーブルが散乱し、性別すらわからない死体が幾つも転がっている。

 住民たちはみすぼらしく、常に殺気立っている。

 

 この区の住民たちは力の弱い者や目立ちたくない者たちだ。

 なので、大和が現れればすぐに姿を消す。

 

 暫くして、大和は暴力団の拠点付近に到着した。

 遠目で二階建ての事務所を確認た大和は「さて、どうするか」と腰に手を当てる。

 

 うろうろと目を泳がせていると、乗用車を見つけた。

 表世界にもあるタイプで、重量は二トン近い。

 車内には誰も乗っていない。

 

「……クククッ」

 

 大和は喉を鳴らす。

 何かよからぬことでも思いついたのだろう。

 それはすぐに実践された。

 

「競技種目、車投げ。デスシティ代表・大和選手。いっきまーす♪」

 

 茶目っ気の利いた台詞と共に、大和は乗用車を片手で持ち上げる。

 規格外の怪力だ。

 大和は狙いを定めると、槍投げの要領で乗用車を投擲した。

 

 

 ◆◆

 

 

「デスシティの三羽烏?」

 

 乗用車が投擲される数分前。

 暴力団の事務所にて。

 

 葉巻を嗜んでいた組長は怪訝そうに首を傾げた。

 髪が薄く恰幅が良い、四十代ほどの男である。

 凝ったスーツを膨らますでっぷりとした脂肪は同性にすら嫌悪感を抱かせる。 

 

 組長の前には純白のスーツを着た大男が立っていた。

 年齢は三十代ほど。少し長めの黒髪をワックスでオールバックにしている。

 顔立ちは端正ながら傷だらけ。しかし品は損なっていない。カジュアルなサングラスがよく似合っていた。

 身長は二メートルほど。

 鍛えこまれた肉体はスーツの上からでも確認できる。

 その拳は度重なる鍛錬と実戦で変貌してしまったのだろう──岩石のように硬化していた。

 

 彼はデスシティでも腕利きと名高い用心棒だ。

 今回、組長の護衛を務めていた。

 

 彼は人懐っこい笑みで言う。

 

「旦那も聞いたことがあるでしょう? デスシティの三羽烏」

「ああ、腕利きの殺し屋たちだろう?」

「超犯罪都市で、腕利きの殺し屋たちです。──この意味、今の旦那なら理解できるでしょう?」

 

 用心棒は喋り方こそ軽いが、目が笑っていなかった。

 

 デスシティに拠点を置いて数ヵ月──組長はこの都市の恐ろしさをその身をもって体験していた。

 

 用心棒は言う。

 

「世界中から集まった悪党共がありとあらゆる悪事に勤しんでいる──それが此処、超犯罪都市デスシティです。ですが、この都市の本当の姿は「人類が手に負えなくなったバケモノや技術の溜まり場」だ。魔界都市と呼ばれることがあるが、そっちの方が核心を突いてる」

 

 用心棒は嗤う。

 その笑みは、魔界のバケモノの如く不気味だった。

 

「デスシティ全体で見れば、西区は比較的穏やかなほうです。表世界の常識が抜けなくても十分生きていける。旦那は頭が回るし、分を弁えてる。この都市の「ヤバイ奴ら」には関わろうとしない。だから、俺も安心しているんですよ」

 

 ですがね。

 そう言って、用心棒はサングラスの奥にある眼を細めた。

 

「三羽烏はその「ヤバイ奴ら」です。旦那には十分、注意していただきたい」

「……君でも」

「?」

「君でも、勝てないのか? その三羽烏には」

「……クハハッ」

 

 用心棒は笑った。

 乾いた笑い声だった。

 

「勝てませんよ。そもそも戦うって選択肢が間違ってる」

「ッ」

 

 用心棒は殺人空手の達人。デスシティでも名の知れた強者だ。

 そんな彼でも勝てない──組長は顔を真っ青にした。

 

「……関わりたくないな。絶対に」

「あ~……コレは残念な報告なんですがね?」

 

 用心棒は苦笑する。

 

「今、動いているんですよ。三羽烏の一羽が」

「……何だと?」

「三羽烏の一羽が動いています。それも一番ヤバイ奴が」

 

 用心棒の報告を聞いて、組長は目に見えて怯え出す。

 付きすぎた脂肪がブルブルと震えていた。

 

「儂を……儂を狙っているのか?」

「確証はありません。ですが、注意しておくべきでしょう」

「……ッ」

 

 組長は臆病者だった。

 しかし、臆病という性質はこの都市で最も必要なものだった。

 

 この都市で分を弁えない者は、次の日には死んでしまう。

 臆病であれば、命の危機を未然に回避することができる。

 

 組長には才能があった。

 彼は情報を欲していた。

 今動いている三羽烏の情報を。

 一つでも多く、一つでも有益な内容を──

 

 用心棒は察したのだろう、流暢に語り始める。

 その細かな気配りは、彼が腕利きの用心棒として信頼されている理由の一つだった。

 

「動いているのは大和ってヤツです。これがまた、台風みたいな野郎でね」

 

 用心棒は苦笑する。

 大和を語る様子は、まるで馬鹿な友達の話をしているかのようだった。

 

「曰く「人間核兵器」「暴力の天才」「物理最強」「神秘殺し」「虐殺者」。アイツは世界最強の殺し屋で世界一の武術家。超常の存在が跋扈するこの魔界都市でも、最強クラスの存在です」

 

 用心棒は人さし指を立てる。

 

「大和は三羽烏の中でも戦闘に特化してる。世界一の武術家の称号通り、あらゆる戦闘技術に精通しているんだ。特に白兵戦じゃ無敵。「暴力の天才」「物理最強」の二つ名は伊達じゃない」

 

 用心棒の話を組長は真面目に聞いていた。

 

 この都市の武術家は人智を逸脱したバケモノだ。

 弾丸を素手でキャッチするのなんて当たり前。

 装甲車を片手で引っくり返し、ジャンプでマンションを飛び越えてみせる。

 

 単体で国家戦力に比肩しうる──それが、デスシティの武術家だ。

 

 用心棒の話を聞いて、組長の大和に対する警戒度がグンと高まった。

 その様子を窺いながら、用心棒は丁寧な説明を続ける。 

 

「俺が十人居ても掠り傷一つ負わせられない。それくらいレベルが違う。でも、アイツの一番恐ろしいとことは強さじゃない。性格です」

「は? 性格……?」

「そうです、性格です」

 

 呆然とする組長に、用心棒は言う。

 

「そんだけの強さを誇りながら、アイツの思考回路はそこら辺のチンピラと変わらないんですよ。美女とお金が大好きで、暴力を振るうことに快感を覚えている。思考回路がかなり俗っぽい。……わかりますかね、この恐ろしさ」

「……手の付けられない強さを誇るチンピラか。確かに、この上無く厄介だな」

「ご理解頂けて何よりです。チンピラの理不尽を、強大な力で押し通す……本当に厄介な奴なんですよ」

 

 用心棒は溜息を吐く。

 彼は一気に話を進めた。

 

「で、肝心のソイツの動向なんですが……西区に向かっているらしいです」

「…………」

「旦那を狙っているとは限りませんよ? 西区を拠点にしている暴力団なんて星の数ほどある。旦那が狙われている確率はかなり低いでしょう」

「……一応、外に組員を配置しておくか」

 

 組長の提案に、用心棒は首を横に振るう。

 

「やめたほうがいいです。変に目ぇ付けられたらたまったもんじゃない。第一、俺に勝てない奴らじゃあ足止めにもならない」

「……わかった。取り敢えず、情報収集に徹するとしよう」

「信頼できる情報屋を何件か紹介しましょう」

「助かる」

 

 瞬間である──

 事務所に乗用車が投げ込まれたのは。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和の投擲した乗用車が事務所に直撃した。

 間を置かずに構成員が出てくる。

 その数、15名。

 

 彼らは一見すると普通の人間だが、骨肉にサイボーグ手術を施した強化人間だ。

 手術は簡易的だが、時速400kmの超特急の突進にも耐えられるだろう。

 武装は魔改造を施したPDW(個人防衛火器)、最新鋭のグレネードランチャー。

 他にも特殊繊維仕様のスーツ、各種魔除けのアミュレットなど──

 その気になれば表世界の軍事基地くらい壊滅できそうな装備をしている。

 

 しかし、この程度の装備はデスシティでは当たり前だった。

 大和にとって、彼らは一般人と同然だった。

 

 ──斬ッ

 

 いつの間にか、大和は15名の中間に佇んでいた。

 その手には赤柄巻の大太刀が握られている。

 焔の如き乱れ刃が煌けば、構成員全員の首から鮮血が迸った。

 

「さて……」

 

 血糊を払い、事務所を見上げる大和。

 二階建ての事務所には乗用車が刺さっている。

 

「大人しく待っとけよ。スパッと首を落としてやるから」

 

 嗤いながら事務所へと入っていく。

 ほどなくして組員達の断末魔の悲鳴が聞こえてきた。

 

「……」

 

 その様子を、離れた場所から見つめる第三者がいた。

 柑橘系の香りが仄かに漂う。

 フードを深く被った何者かは、大和に憎悪に満ちた視線を向けていた。

 

 



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三話「魔界都市の住民達」

 

 

「契約を解消させてもらいます」

 

 用心棒は笑顔で言った。

 拍子抜けするほど気軽な声音だった。

 

 組長は目を丸めた。

 用心棒の言葉の意味を理解できなかったからだ。

 

 この状況で、この緊急事態で、間違っても口にしていい言葉ではない。

 たとえ冗談だとしても、だ。

 

 組長は最初、愛想笑いを浮かべた。

 

「冗談にしては笑えないぞ?」

 

 しかし、用心棒は笑顔のまま。

 それが段々と不気味に見えてくる。

 

「冗談じゃありません。契約を解消させてもらいます。今すぐに」

 

 変わらぬ返答に組長の表情が歪んだ。

 脂の乗った顔が真っ赤に染まる。

 

「襲撃を受けた直後に……馬鹿かお前は?」

 

 こういう時のために彼を雇ったのだ。

 今こそ活躍して貰う時なのだ。

 

 しかし用心棒は両手を広げる。

 その口元に、微かな嘲笑を浮かべて──

 

「だって下にいるの大和ですよ? 無理ですって、勝てません。さっき説明したでしょう? 俺じゃ掠り傷一つ負わせられないって」

 

 バン!! と、組長は両手でデスクを叩いた。

 

「既に報酬は払ってるんだ! せめて時間を稼げ!」

「……ん~」

 

 用心棒は頬をかく。

 

「何か勘違いしてませんかね? 旦那」

「……?」

 

 用心棒はサングラスを指で上げる。

 その瞳を見て、組長は震えた。

 

 人間がしていい目ではなかった。

 

「アンタが俺を雇ったんじゃない。羽振りのいいアンタを、俺が選んだんだ」

「ッ」

「旦那ぁ。アンタあと五分くらいで死ぬんだから、こんな無駄話をしてる暇ないでしょう? 最期くらい可愛い女の子抱いたらどうです? なんなら俺が大和に話付けますよ?」

 

 気を遣っているのだ、用心棒は。

 しかし、それは組長の逆鱗を撫でるだけだった。

 

「ふざけるなッ!」

 

 組長の怒声が木霊する。

 同時に数名の構成員が入ってきた。

 外で待機していたのだ。

 

「あのね~」

 

 銃口を向けられ、用心棒はやれやれと肩を竦める。

 

「お気持ちは察しますよ? でも俺に銃口を向けてどうするんです? 向けるのは下にいる奴でしょう。それに──」

 

 今まで陽気だった用心棒の声が、途端に冷気を帯びた。

 その身から途轍もない殺意が溢れ出す。

 

「俺に銃口を向けるなって、契約書に書きましたよね? 阿呆共が──テメェら全員、俺の拳の射程圏内だ」

 

 刹那、用心棒の両腕がブレる。

 鋼鉄の拳は音を超え、光すら置き去りにした。

 

 室内は瞬く間に朱色に染め上げられた。

 

 

 ◆◆

 

 

 その頃。

 一階の構成員たちは血の海に沈んでいた。

 大和によって惨殺されたのだ。

 

 物言わぬ肉袋と成り果てたモノらを一瞥し、大和は二階に続く階段を目指す。

 下駄の足音が満たされた血によって不快な音に変わっていた。

 

「……」

 

 下段、上段で交差しているタイプの階段。

 上半分が見えない。

 

 大和は灰色の三白眼を細めた。

 

 一段目を上がろうとした瞬間、上段から幾つもの銃口が現れる。

 弾む銃声。吹き上がる火花。

 フルオートで弾薬がばらまかれる。

 

「……は?」

 

 間の抜けた声は、一人の構成員のものだった。

 彼だけが違和感に気付いた。

 僅かに見えた影。それを目で追い、恐る恐る天井を見上げると──

 

 褐色肌の鬼がいた。

 

「お前ら……!!」

 

 仲間たちに知らせようとするが、脇差を投擲され喉を貫かれる。

 周りが気付いた時には、既に遅い。

 

 大和は降りて瞬時に構成員たちを料理した。

 爪で頚動脈をカッ捌き、首をへし折り、指貫手で目ごと脳を貫く。

 途中で死体に刺さっていた脇差を抜き、付近に居た者たちを切り刻む。

 

 構成員たちは瞬く間に惨殺された。

 大和は彼らを鬱陶しそうに蹴り退け、二階へとやってくる。

 

 廊下を走って逃げている構成員が居た。

 大和は脇差を投げて仕留める。

 

 絶命した男から脇差を抜き取ると、組長がいる部屋の前までやってきた。

 

「……?」

 

 大和は首を傾げる。

 扉を開けると、全てが終わっていた。

 

 原型を留めていない構成員たちが床に散らばっている。

 最奥のソファーには、首だけの死体が寄りかかっていた。

 ブクブクに太った醜い肉体──おそらく組長のものだろう。

 首の断面を見るに、無理やり捻じ切られたようだ。

 

 この惨状を、いったい誰が作り上げたのか──

 

「おーう、ナイスタイミング」

 

 豪勢なソファーに座りながら首をクルクル指先で回している大男。

 白いスーツにサングラス、鍛え抜かれた肉体。

 その傷だらけの笑顔を見て、大和は眉を顰めた。

 

 そんな彼に対し、大男は陽気に問う。

 

「今の気分はどうだ?」

「そうだな、オ○ニーのfinishを邪魔された気分だ」

 

「ハッハッハ!! いいなソレ!! マジウケるッ!!」

 

 用心棒は大爆笑した後、首を放り投げて立ち上がった。

 大和は脇差をおさめ、拳を突き出す。

 

「よぅ親友」

「おうよ親友」

 

 コツンと拳を合わせる。

 大和はしみじみと呟いた。

 

「久々だな、右之助(うのすけ)

 

 用心棒──右之助はとびきりの笑顔を見せた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和と右之助は友人だった。

 よく酒を飲んだり娼館に行ったりする仲だ。

 

 大和は周囲を見渡し、頬をかく。

 

「アー……用心棒の仕事、邪魔しちまったか?」

「しゃあねぇよ。お前と殺し合いなんてしたくねぇし」

 

 右之助が肩を竦めると、大和は懐をまさぐる。

 

「慰謝料払うぜ。100万でいいか?」

「マジで? 欲しい欲しい」

 

 大和は膨れた財布を取り出す。

 札束を一つ取り出し、右之助に渡した。

 

 右之助は子供のように喜ぶ。

 

「サンキュー♪ やっぱ持つべきは強い友達だぜ♪」

「そーゆー正直なところ、嫌いじゃないぜ」

 

 笑う大和。

 彼は床に転がっている組長の首を見下ろした。

 

「右之助、その首……」

「ん? ソレがどうした?」

「借りるぜ」

「どーぞどーぞ」

 

 大和は組長の首を拾い、机に置く。

 次にスマホで写真撮影をした。

 最後に光度を調整したモノを右之助に見せる。

 

「どうよ?」

「いい感じじゃね? てか、こんなもん何に使うんだよ? ……まさか、今夜のお供とか?」

「おうコラ、叩っ斬るぞ」

「冗談だっての」

 

 肘で突かれ、右之助はおどけてみせる。

 大和は呆れ混じりに言った。

 

「依頼主からの要望だ。晒し首を撮ってくれってよ」

「へぇ、そりゃまた……」

 

 顎をさする右之助。

 大和は笑った。

 

「一人娘をサディズムの対象にされたんだと」

「ありきたりだな。新聞の記事にもなりゃしねぇ」

「全くだ」

 

 ありとあらゆる犯罪が横行する超犯罪都市デスシティ。

 此処ではレイプや復讐など日常茶飯事だった。

 故に、新聞にも取り上げられない。

 

 大和のスマホが鳴る。

 死体回収屋のリーダー、幽香からだった。

 

「もしもし」

『おーう大和ー! 終わったかー?』

「丁度終わったぜ、来れるか?」

『おうよ! 三分くらいで行くぜ!』

「はいよ、じゃーな」

 

 通話を終えると、大和は右之助と視線を合わせた。

 

「金目のもん蓄えてる場所、わかるか?」

「おう、山分けでどうだい?」

「いいねぇ」

 

 大和は嗤う。

 右之助も嗤った。

 

「コッチだ。行こうぜ」

「ああ」

 

 二人は歩き始めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 数分後、事務所の外で。

 二人は死体回収屋と合流した。

 死体回収屋『ピクシー』のメンバーはリーダーの幽香を含めて皆小学生くらいの幽霊たちだ。

 

 少年少女の幽霊たちは二人の周りをふよふよ浮遊している。

 

「大和だー!」

「右之助だー!」

「元気だったかー!」

「死体どこだー!?」

「毎度、ありがとうございます……」

「お久しぶりですぅ」

 

 幽霊たちは皆個性的だ。

 二人の頭に抱きついたり、丁寧にお辞儀したりしている。

 二人が幽霊たちの頭を撫でていると、リーダーである幽香が頬を膨らませた。

 

「お前らー!! 今は仕事だぞー!! 集中しろ! しゅうちゅー!」

 

 かけられた号令に、幽霊たちは『了解です!!』と可愛らしく敬礼すると、事務所の中へと入っていく。

 その背中を確認した幽香は綺麗な桃色の髪を揺らした。

 

「おっしゃ! 大和! 会計は死体を見た後にするから、少し待っててくれな!」

「おう」

 

 大和は頷く。

 幽香は何故かパンと、彼に両手を重ねた。

 

「大和! お願いがあるんだけどさ!」

「ん? ……ああ、残ってる家具とかか?」

「持って帰ってもいいか!?」

「いいぜ。右之助もいいよな」

「おう」

 

 返事を聞いた幽香は翡翠色の瞳を輝かせて大和に抱きついた。

 

「ひゃっほーい!! さっすが大和!! 大好きだぜー!!」

「オラ、さっさと子分たちを手伝いに行ってやんな」

「おう!! いつもありがとうなー!!」

 

 幽香は手を振って現場へと向かっていく。

 そのやり取りを見て、右之助はニヤニヤと笑っていた。

 

「優しいねぇ~」

「そうか? 家具は金になるが、持ち出しが面倒なんだよ」

「確かにな。でもま、魔除けのアミュレット程度なら拝借したぜ。高く売れるし」

 

 右之助はポケットから幾つかのアミュレットを取り出す。

 すると、大和も懐からアミュレットを取り出した。

 二人はあくどい笑みを浮かべる。

 

「やるじゃん」

「お前こそ」

 

 右之助はアミュレットをポッケにしまうと、大和に聞いた。

 

「なぁ大和、これから暇か?」

「あ? まぁな」

「久々に飲みに行こうぜ」

「いいぜ。コレを売ったら丁度いい小遣いになるだろう」

「だな」

 

 右之助は頷く。

 大和は形のいい顎をさすった。

 

「店はゲートでいいか?」

「おう。てか、あそこしかねぇだろ。気軽に飲める場所」

「そうだな。じゃ、今から行くか」

「オーケー」

 

 二人は歩きはじめる。

 しかし……

 

「!」

 

 柑橘系の香り。

 大和は灰色の三白眼を細めた。

 

「右之助」

「ん? どした?」

「野暮用だ。飲みは明日にする。この時間にゲートに集合だ」

「…………」

 

 唐突な予定変更だが、右之助は察して頷く。

 

「りょーかい。じゃ、明日な」

「おう」

 

 手を上げ、別れを告げる。

 右之助はふと振り返り、大和に言った。

 

「容赦すんなよ」

 

 その言葉を聞き、大和は振り返る。

 

「誰に言ってやがる」

 

 彼は不気味に口角を歪めていた。

 右之助は「いらない心配だったか」と肩を竦めた。

 

 



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四話「魔女VS殺し屋」

 

 

 超犯罪都市の日が暮れる。

 曇天に隠れたままの太陽は橙色の陽光を静かに撒き散らしていた。

 

 西区の古びたアパートの屋上にて。

 暗い夕日を背に大和は佇んでいた。

 小麦色の肌は濁った明かりを吸い込み一層深みを増している。

 真紅のマントが冷たい風によってバサバサと靡いていた。

 

「ふむ……」

 

 大和は顎をさする。

 その三白眼が捉えたのは、ローブを着込んだ得体の知れない存在だった。

 

 魔術師。

 

 雰囲気や佇まいで、おそらくそうであろうと推測する。

 着ているローブが魔術師の愛用するものだからだ。

 素性を隠すため、また魔術用の触媒を多数収納するための便利なアイテム。

 

 大和は嗤って両手を広げた。

 そして気軽に話しかける。

 

「お前、朝からずっと付けてただろう? 何だ、俺のファンか? それならサインの一つでもくれてやろうか?」

 

 瞬間、不可解な空気の圧力を感じて半身を反らした。

 背後にあった鉄格子がひしゃげてボロボロになる。

 

 大和は灰色の目を丸めた。

 

「こりゃまた……随分と派手な挨拶だな。最近の魔術師の間じゃあこういう命懸けの挨拶が流行ってんのか?」

 

 ふざけた調子を崩さない。

 しかし、今の一撃は容易く鋼鉄を粉砕できる威力だった。

 それを初対面の相手に放つとなると──

 

 最早話し合いは成立しない。

 

「何故だ」

 

 若い女の声だった。

 大和の唇が歪む。

 その笑みに込められた真意は、夕暮れの明りで誤魔化された。

 

 女は再度問う。

 

「何故、私の存在に気付けた? 気配は完全に遮断していたはずだが」

 

 女の問いに、大和は己の鼻を指す。

 

「匂い、柑橘系の甘酸っぱい香りだ。その香水を付けてる奴を前に抱いたことがある。お前……魔女だろ?」

「…………」

 

 女は答えない。

 大和は構わず続ける。

 

「ブラジルの南東部、ミナスジェライス州の片田舎にある魔術師の集落だったな……ハッ、表世界から遠路はるばる御苦労なこった」

 

 鼻で笑う大和。

 女──魔女は、ローブの奥から瑠璃色の双眸を覗かせた。

 その双眸には隠しきれない憎悪が宿っている。

 

「お前が殺した魔女の友だ。覚えているか? 私と同じ香水を付けた子を」

「ああ、覚えてるぜ」

「……ッ」

 

 魔女は唇を噛み締め、言葉を吐く。

 

「お前に依頼をした女は──私たちを裏切ったあの女は、もう殺した。後はお前だけだ……ッ」

「…………ふぅん」

 

 大和は改めて思い出す。

 以前受けた依頼の内容を──

 

 浮気をした魔術師を殺してくれ。

 ついでに浮気相手の魔女も殺してくれ。

 そう、若い魔女から依頼された。

 

 浮気相手の魔女は友だったが、嫉妬心が勝ったらしい。

 自分を裏切った男と、裏切りを誘発した友が、どうしても許せなかったとか。

 

 大和は大金を積まれてこの依頼を受けた。

 魔術師と魔女、両方惨殺して晒し首にしてやった。

 

 依頼主だった魔女は美しいが、陰のある少女だった。

 綺麗な顔立ちをしているのに何故か前髪で目元を覆っていて、素晴らしい肢体を誇っているのにわざと分厚いローブで隠していた。

 

 美少女だったが、ソレを卑下していた。

 

 だから抱きやすかった。

 慰めて、甘い言葉をかけてやればすぐに堕ちた。

 抱き心地も良かったので、大和は彼女を気に入っていた。

 

 しかし、既に殺されたらしい。

 大和は残念そうに目を細めた。

 

「なんだ、殺しちまったのかあの魔女。勿体ねぇ、抱き心地は良かったのに……」

「……下種が」

 

 魔女は吐き捨てた。

 大和のことを心底侮蔑していた。

 

 彼女は問う。

 

「何故あの子を殺した? あの子は言い寄られていただけだぞ」

「知るかよ、お前らの事情なんざ。殺せと依頼されたから殺した。それだけだ」

「な……ッ」

 

 魔女は目を見開いた。

 あまりに呆気なく、あまりに非情な答えだったから。

 

「そんな、そんな理由で! あの子は殺されたというのか!!」

「そうだ。十分過ぎる理由だろう?」

「ッ」

 

 絶句する魔女。

 暫くすると、震えながら呟いた。

 

「殺してやる……」

 

 凍えるような声と共に、魔女の全身から魔力が迸る。

 魔力──森羅万象に満ちる第五元素エーテルを万能エネルギーに変換したものだ。

 魔術師や魔女が扱う超常の力の源である。

 

 魔女は歯ぎしりが聞こえるほど奥歯を噛み締めていた。

 犬歯をむき出しにし、激情に任せて叫ぶ。

 

 

「殺してやるッッ!!!!」

 

 

 同時にその背後から重厚な何かが現れる。

 

 ゴーレム(魔造巨兵)だ。

 建造物と岩石で構成された巨人は、全高30メートルはある。

 

 大和は何故か、クツクツと喉を鳴らしていた。

 

「いいぜ、こいよ。お前には復讐する権利がある」

 

 

 ◆◆

 

 

 その頃。

 右之助と幽香たちは現場から離れていた。

 右之助は懐いてくる子供幽霊たちを肩車しながら、幽香に話しかける。

 

「結構な数だな。死体」

「おう! 大和も右之助も殺し方が上手いから、買取り価格が期待できるぜ!」

 

 幽香は死体が山積みになった荷車を引きながら嬉しそうに言う。

 右之助はサングラスを取って遊んでいる幽霊たちに肩を竦めながら、話を続けた。

 

「幽香、それに他の幽霊たちにも。言っておきたいことがある。これは忠告だ」

「ん? なんだ?」

 

「なんだなんだ?」

「ちゅーこく?」

「何でしょう?」

 

 幽香たちが首を傾げていると、右之助はいつもの笑みを消して真面目な顔で言う。

 

「あんまり、大和と関わるな。……アイツと付き合うにはそれなりに狡賢くなきゃいけねぇ。もしも敵対なんてしてみろ……殺されるぞ」

 

 右之助の忠告は、その傷だらけの面も相まって迫力があった。

 しかし幽香たちは「?」と首を傾げたままだった。

 

 代表して幽香が口を開く。

 

「なんでだ? 大和めちゃくちゃ優しいじゃん。時々おやつくれるし、仕事もよく回してくれるし」

 

「あい! 姉さんの言うとおり!」

「大和! ツンデレだけど優しい!」

「怖いけど! 女癖悪いけど!」

「敵対しなければ、とてもフレンドリーな方だと思います……」

「仲良くすれば問題なしです!」

 

 子分たちの意見を聞いて、幽香は満足そうに頷く。

 彼女は右之助に向かってグッと親指を立てた。

 

「大丈夫だぞ右之助! 私たちは大和が大好きだ! だから、だいじょうぶ!!」

「…………」

 

 右之助は目を丸めた。

 幽香の言葉にはなんの根拠もない。

 しかし何故だろう──どんな言葉よりも安心できた。

 

 右之助は口元を緩める。

 

「なるほど……確かに、大丈夫そうだ」

 

 右之助はサングラスを取っていた子供幽霊をぽんぽんと撫でる。

 幽香は「ニッ」と歯を出して笑った。

 

「さて……」

 

 右之助は振り返る。

 

「お前ら、死体は中央区で売るんだろう?」

「おう、そうだ!」

「ならダッシュだ。ほれ、後ろで大和が戦ってる」

 

 幽香たちも振り返る。

 すると、30メートルを超えるゴーレムがアパートに鉄拳を振り下ろしていた。

 

 幽香たちの反応は単純だった。

 

「でけぇ!! なんだありゃ!? ゴーレム!? でけぇ!!」

 

「でかい!!」

「ロボット! でも格好悪い!」

「ロボットじゃない、ゴーレム!! でもデカイ!!」

「あわわわわっ」

「大和さん、大丈夫でしょうか!?」

 

 最後の子供幽霊の発言に、右之助は大笑いする。

 

「大和が大丈夫かって? カッカッカ!!」

 

 笑っている最中に、ゴーレムの鉄拳がアパートに振り下ろされた。

 しかし次の瞬間──ゴーレムは空を飛んだ。

 

 比喩表現ではない。

 ゴーレムは本当に空を飛んだ。

 いいや、飛ばされたと言ったほうが正しいだろう。

 拳を叩き落とした瞬間、その力を全て「受け流された」ようにゴーレムは空を飛翔した。

 

 ゴーレムの全長は30メートルはある。

 ビルで言うところの10階建て。重さは600トンくらいだ。

 ソレが、幽香たちの頭上をゆうゆうと超えていく。

 

 暫くして、大地震かと思うほどの揺れが発生する。

 ゴーレムが落ちたであろう場所からは巨大な土煙が上がっており、同時に住民たちの悲鳴が聞こえてきた。

 

 未だ唖然としている幽香たちに、右之助は笑いながら告げる。

 

「アイツはデスシティで最強の一角に数えられる男だぞ! お前ら、今すぐ中央区に逃げろ! もしヤバそうだったらネメアの店で待機するように! 俺は逃げる! ダッシュ! 右之助ダッシュ!」

 

 右之助は走り出す。

 幽香たちは慌ててその背中を追いかけた。

 

「おいコラー!! 右之助ー! 置いていくなよー!!」

 

「薄情ものー!!」

「ばかー!!」

「まってー!!」

「あわわわわっ!!」

「ダッシュ!! 幽霊ダッシュです!!」

 

 子供幽霊たちも大慌てでその場を離れていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 アパートの上で。

 大和はゴーレムを投げ飛ばした右手を振るっていた。

 その表情は実に涼しげだ。

 

「軽い。俺を足止めしてぇなら、もっとデケぇの造ってこい」

 

 大和は文字通り、ゴーレムを投げ飛ばした。

 

 パンチの威力+ゴーレムの体重。

 そこから生まれる力量は凄まじく、だからこそゴーレムは宙を舞った。

 

 とんでもない──それこそ荒唐無稽な投げ技だ。

 だが、大和は魔術や異能を一切用いていない。

 純粋な肉体操作と武術でコレを成した。

 

『合気』

 中国では化勁(かけい)と呼ばれている。

 相手の力を利用、吸収する高等技術だ。

 

 この技術を極めた武術家はあらゆる物理攻撃を吸収し、受け流す。

 それどころか、力の向き(ベクトル)すらも操作してしまう。

 大和はこの技術を極めている。

 

 世界一の武術家の異名は伊達ではない。

 

「へぇ……逃げるタイミングは妥協点だな」

 

 大和は魔女がいた場所を睨んだ。

 転移魔術でどこかに跳んでいた。

 

 大和は不意に違和感を覚え、空を見上げる。

 

「ハッハッハッ、すげぇすげぇ。表世界の魔女にしちゃあよくやる」

 

 それは純粋な賛辞の言葉だった。

 曇天を割いて現れたのは──小惑星。

 上空の瘴気を溶かしながら堕ちてくる。

 炎の衣を纏いし、破壊の権化。

 

 巨大隕石。

 サイズは直径100メートルほどか。

 もしも地上に落ちれば、西区どころか魔界都市が消滅する。

 

 堕ちてくる巨大隕石を、大和は笑顔で見上げていた。

 その表情に焦りはない。

 

「ふふん♪」

 

 大和は下駄をカランと鳴らすと、膝を折る。

 

 

「うっし──蹴り飛ばすか」

 

 

 そうあっけらかんに言って、天高くに跳躍した。

 衝撃で足元のアパートが木っ端微塵に砕け散る。

 

 大和は隕石の手前までたどり着くと、赤熱化した表面を軽くタッチした。

 すると、隕石に不思議な赤いオーラが纏わり付く。

 大和は唐突に高速回転を始めた。

 

 腕、肩、腰──のみならず、筋肉繊維を一本一本捻り、絞り上げる。

 そうして生まれた螺旋力を、鍛えすぎて進化してしまった骨格と関節で吸収し、蓄える。

 結果、大和の体内に巨大隕石を超える莫大なエネルギーが誕生した。

 

 十分に力が溜まったことを知った大和は、回し蹴りでエネルギーを解放する。

 角度まで完璧に計算された、最高の回し蹴りだ。

 

 

「必殺! 大和シュート☆」

 

 

 これでもかと言うほどダサい技名だったが、威力は規格外。

 巨大隕石がまるでサッカーボールのように飛んでいく。

 曇天を裂き、大気圏をゆうゆう突破し、光速を超えた速度で宇宙の彼方へと消えていった。

 

 衝撃が魔界都市全土を震撼させる。

 

 暫くして。大和は道路に着地した。

 衝撃で巨大な地割れが発生する。

 大和は気にすることなく、ガッツポーズをとった。

 

「うっし、完璧♪」

 

 子供のような無邪気な笑顔。

 しかし、次には妖艶な笑みに変わった。

 その笑みは、獲物を狙う肉食獣のものだった。

 

「あの魔女はどこ行った? たっぷりお仕置きしてやる……」

 



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五話「世界最強の殺し屋」

 

 中央区の路地裏にて。

 魔女は数十キロメートルも離れた場所に転移していた。

 事前に数十回の転移を重ねて追跡されないようにしている。

 

 魔女はフードを取り、素顔を現す。

 小麦色の肌が眩しい南国特有の美女だった。

 滑らかな金髪が柔らかそうな頬に垂れ落ちる。

 意思の強そうな双眸は美麗な眉毛によって更に強調されていた。

 絶世とはいかないが、類稀な美女である。

 

 彼女は顔を青くしながらも、不敵な笑みを浮かべていた。

 

(バケモノめ。だがそれも今日で終わりだ)

 

 彼女は大和を殺すための必殺の呪術を完成させていた。

 

(バケモノとはいえ、呼吸し、食事をする生物。であれば、最上級の致死の呪いを避ける手立ては無い)

 

 致死の呪い。

 それは、魔女の故郷で禁忌とされている魔術であった。

 寿命の半分と数々の条件を満たしてようやく発動できる、必殺の呪い。

 

 ゴーレムを片手で投げ飛ばし、隕石を蹴り飛ばす理不尽の権化。

 理不尽には理不尽を。直接的な死を叩きつける他ない。

 

(奴が阿呆でよかった。おかげでとんとん拍子に条件を満たせたぞ)

 

 その条件とは、対象者と会話し、目を合わせ、自身を曝け出し、目の前で呪術を発動させるというものだ。

 

 とんでもない内容である。

 しかし、これは魔術の特性で、相応のリスクを満たせば相応の対価を得られる。

 

 今回の理不尽な条件。

 これを達成した報酬は問答無用、即死必殺の呪いだった。

 その威力は、十万単位の人間を一瞬で死滅させられるほどである。

 

 魔女の達成感は多大なものだった。

 

(あともうすぐだ。……我が寿命を削り完成した呪いは、貴様の命を滅する。悔いろ、我が友を殺したことを地獄の底で詫び続けろ)

 

 魔女は嗤っていた。

 彼女は今まで誰かを殺したことなど無い。

 なのに罪悪感の欠片すら抱いていない。

 

 怒りは理性を容易く溶かしてしまう。

 人というものは容易く畜生に堕ちてしまう。

 だからこそ罪があり、罰があるのだ。

 

 そんなことなど露知らず──

 魔女は不気味な笑い声を上げていた。

 

「フフフッ、ハハ、ハハハッ!」

 

 路地裏に木霊する笑い声。

 その声に反応したのは誰でもない、殺したい男だった。

 

「随分と嬉しそうだな。何か嬉しいことでもあったのか?」

 

 魔女は唇を噛みしめる。

 

 振り返れば、灰色の双眸が己を見つめていた。

 二メートルを超える巨体は背後の喧騒を容易く覆い隠している。

 ほのかに漂ってくる香水とシャンプーの香りは、女を駄目にする官能的な香りだ。

 

 薄汚く、背徳的なこの都市でも雄々しく輝く益荒男。

 

(もしも……アア、もしも)

 

 魔女は色気にあてられてしまったのだろう。

 頭の中で妄想を膨らませる。

 

(もしも復讐とか、そういう余計なものが無ければ……私は、この男を──)

 

 ハッと我に返り、緩んだ口元を引き締める。

「魔界都市の瘴気に当てられたか」と大きく舌打ちした。

 

 彼女は冷たい声音で大和に問う。

 

「よくここがわかったな。先ほどとは違い、匂いなども完全に消していたはずだが?」

「ン? いや、なんとなくここにいるかなーって思ってよぉ」

「……馬鹿な」

 

 出鱈目にも程がある。

 そう言おうとすると、大和は苦笑した。

 

「冗談だ。俺は魔術師でも超能力者でもねぇ。予想して、あとは経験則で導き出したのさ」

「……経験則? そんなもので」

 

 訝しむ魔女に、大和は丁寧に説明する。

 まるで、無知な子供を諭すように──

 

「お前の声音、呼吸の仕方、視線、意識、魔術の内容。その他、お前に関する情報を全て整えて思考を読んだ。……ま、一種の読心術だわな」

「……馬鹿なっ」

 

 絶句しかけている魔女に、大和は追い打ちをかける。

 

「今、お前は「俺を殺せるであろう魔術」の準備を整えてる。そうだろう?」

「ッ」

 

 リアルタイムで思考を先読みされる。

 次の一手さえ把握される。

 

 魔女は完全に追い詰められていた。

 動揺を隠しきれない彼女に対して、大和は何故かおどけてみせる。

 

「オイオイ、どうした? かかってこいよ」

 

 わざとらしく両手を広げる。

 

「俺を殺しに来たんだろう? 友人の仇を討ちに来たんだろう? 遠慮せずにかかってこい」

「…………」

 

 あまりの物言いに魔女は驚愕し、暫く放心していた。

 しかし次の瞬間、冷たい声で死を宣告する。

 

「なら、さっさと死ね」

 

 魔女はただ、目の前の男を殺したいと思った。

 誇りを踏み躙られたから? 見下されたから? 

 全て当てはまる。

 故に躊躇は無かった。

 即死の呪いを発動し、大和を殺そうとする。

 

 しかし、

 

「…………何故」

 

 魔女は驚愕と、それ以上の恐怖で声を震わせた。

 

「何故、死なない……ッ」

 

 確かに発動した。

 確かに寿命の半分を持っていかれた。

 確かに、大和の身に呪詛が注ぎ込まれた。

 

 しかし彼は死んでいない。

 平然と佇んでいる。

 

 ありえない。

 十万人の命を一瞬で死滅させるほどの呪いを直に注がれて、耐えられるはずなど──

 

「クククッ……ハハハっ」

 

 大和は笑った。

 彼は魔女を哀れんでいた。

 

「闘気っていう力がある。デスシティの武術家が必ず体得している力だ。お前ら魔術師で言うところの魔力だよ」

 

 大和は全身から真紅のオーラを発する。

 先ほど隕石に纏わせたものと同じ力だ。

 

「体内の生命エネルギー「気」を戦闘用に練り上げて造る。こいつは、肉体と五感の強化に関して魔力よりも優秀だが、それ以外はてんで駄目でな。後は武器に込められるくらいで魔力ほどの汎用性がねぇ」

 

 でもな──1つだけ、スゲェ能力があるんだよ。

 大和は嗤いながら告げる。

 

「異能、術式の無効化だ。魔術、超能力を含めた一切の「神秘的な力」を無効化する。己の体力を練り上げて完成したこの力は、己以外の全ての「力」を否定するんだよ。……まぁ、無効化できるのは同格以下に限るんだけどな」

 

 解説を終えた大和は両手を腰に当てる。

 

「どうだった? 大和センセーの「猿にでもわかる闘気講座」は。わかりやすかっただろう? お代はきっちりといただくぜ。……テメェの命だ」

「……ヒぃッ」

 

 引き攣った声を上げ、魔女は後ずさる。

 彼女には、大和が「異形のバケモノ」に見えていた。

 

 大和は魔女との距離を詰める。

 その顔には凶悪な笑みが貼り付いていた。

 

「安心しろ。極楽浄土の快楽を味あわせてやる」

「い、いやだ……来るなッ、来るな!!」

 

 魔女は後ろに下がり、尻餅をつく。

 

「いや……ッ」

 

 懸命に下がろうとするが、大和に肩を掴まれた。

 あまりの恐怖に絶叫する。

 

 

「いやァァァァァァァァッ!!!!!!!」

 

 

 魔女の目に映ったのは、人間の皮を被ったバケモノだった。

 その端正過ぎる顔立ちの裏には、凶悪な怪物が隠れていたのだ。

 

 魔女は後悔した。

 復讐を決行したことを。

 大和の事を、少しでもイイ男だと思ってしまったことを。

 

 この後、魔女の姿を見たものはいなかった。

 ミナスジェライス州にある故郷にも、二度と帰らなかった。

 

 超犯罪都市に夜が訪れる。

 数多の犠牲者を見届けた太陽は、最後の犠牲者を睥睨し地平線へと沈んでいった。

 

 

 ◆◆

 

 

 翌日。

 真夜中にもかかわらずデスシティは騒がしかった。

 闇の眷族が多く棲むこの都市は、夜にこそ真の姿を見せる。

 

 大衆酒場ゲートもまた、その影響を受けていた。

 物騒な客人たちが酒を飲み、飯を食らっている。

 ネメアが雇っているウェイターたちが目まぐるしく店内を走り回っていた。

 

 客人たちの様子を見ているだけでも面白い。

 全身真緑に染まった宇宙人がスパゲッティを頬張り、洗練されたフォルムのアンドロイドがビールをストローで飲み、鉈や大砲を背負った賞金稼ぎたちがテーブルを囲い大富豪で盛り上がっている。

 

 カウンター席に腰掛けている厳つい大男。

 純白のスーツを盛り上げている強靭な肉体。鉄塊を連想させる両の拳。

 顔中傷だらけなその容貌は、武闘派のヤクザのようだ。

 

 喧嘩空手の達人であり、デスシティきっての用心棒──右之助(うのすけ)

 彼はハイライトを咥えながら苦笑いしている。

 

 理由は、周囲に群がる女たちだ。

 

「ねぇ、右之助さぁん。今夜暇ぁ?」

「ちょっと、私が言おうとしたこと言わないでよ!」

「右之助さぁん。今夜こそいいでしょー?」

 

 人間の娼婦。狼や虎の獣人。妖精に魔物。

 皆絶世の美女で、右之助に熱烈なアタックを仕掛けている。

 当の右之助はと言うと、辟易していた。

 

「よしてくれ、俺よりもっといい男がカウンター越しにいるだろう?」

 

 そう言われ、女たちはカウンターの奥を見る。

 金髪の偉丈夫がいた。

 セブンスターを咥え、新聞を読んでいる。

 

 ツーブロックに刈られた金髪。右之助に勝るとも劣らない逞しい肉体。

 爽やかさと渋さを兼ね備えた美男──ネメア。

 

 彼は紫煙を吐き出した後、鬱陶しげに顔を上げた。

 

「俺のことを言ってるのか、右之助」

「当たり前だろう。たまには女と遊んでやったらどうだ?」

「ふざけるな。俺に女の話題を振るんじゃない」

 

 ネメアの台詞に、右之助はやれやれと肩を竦めた。

 

「あ~あ、毎回こうだもんなぁ」

 

 周囲の女たちもわかりきっているのだろう。

 右之助を口説きにかかる。

 

 右之助は溜息を吐いた。

 女たちをネメアに流そうと思ったら、案の定だったのだ。

 

 彼はふと良案を思い付き、女たちに告げる。

 

「そういやぁ、今日はアイツと飲む約束してんだ。口説くんならアイツにしてくれや」

「アイツぅ?」

「誰よ、右之助の知り合い?」

 

 怪訝そうに首を傾げる女たちに、右之助は言う。

 

「大和だよ、やまと。俺よりアイツのほうがいいだろう?」

 

 大和──その名を聞いた女たちの顔が一瞬で蕩ける。

 

 右之助は内心で「よっし」とガッツポーズを取りながらも、改めて大和の色気に引く。

 あらゆる種族の女を駄目にする魔性の色香。

「歩く18禁」の異名は伊達ではない。

 

 そんなことを考えていると、都合よく本人が現れた。

 女たちの黄色い悲鳴が響き渡る。

 

 真紅のマントが靡く。

 二メートルを超す筋骨隆々の肉体。

 純白のギザ歯は獰猛な肉食獣のようであり、灰色の三白眼は群がる牝たちを冷たく睥睨する。

 

 ある女は気を失い、ある女は小刻みに震えていた。

 悠々とカウンター席まで歩いてくる彼の前に二人組の少女? が立ち塞がる。

 

 金髪と黒髪の少女たち──いいや、少年たちだ。

 少女と見紛うばかりの可憐な容姿をしている。

 男娼だ。

 

 彼らは子うさぎのようにぷるぷる震えながら、大和に小さな紙を差し出していた。

 名刺である。

 裏には個人的なメールアドレスと携帯番号が書かれていた。

 

 大和は屈んで同じ目線になると、二人を引き寄せ甘ったるい声で囁く。

 

「連絡した時は時間をあけとけよ? いっぱい愛してやる」

 

 低く柔らかい声だった。

 少年たちは気を失いかける。

 彼らは大きく痙攣し、下着に大きなシミを作っていた。

 その表情は絶頂する女のソレだ。

 

 大和は立ち上がると、ネメアと右之助がいるカウンター席までやってくる。

 

 右之助が傷だらけの拳を差し出すと、大和も拳を作りコツンと合わせた。

 隣に座る彼に、右之助は茶化すように言う。

 

「男も抱けるのか? 意外だぜ。ノンケだと思ってたが」

「美少年は別だ」

 

 右之助はクツクツと喉を鳴らす。

 

「わかるわ。美少年ってのはもう一つの性別だよな」

「そうそう」

 

 大和は笑いながらネメアにいつものラムとつまみを頼む。

 

 すぐに出されたラムをグラスにとくとくと注ぎ、ストレートで一気に呷る。

 やんわりと頬を緩めている彼に、右之助は聞いた。

 

「今夜来れたってことは、昨日の野暮用は済んだのか?」

 

 大和はゆっくりと頷く。

 

「ああ。最近、依頼で魔女を殺してな。その友達が復讐に来たんだ」

「へぇ~」

 

 右之助は冷奴に箸を通す。

 そのまま続きを聞いた。

 

「で、どうしたんだよその魔女は。殺しちまったのか?」

「まさか、たっぷりお仕置きしてやってるぜ。飽きたら臓器売買んところに売り渡すつもりだ」

「うっはぁ、えげつなぁ」

 

 そう言いながらも、他人事のように笑う右之助。

 

「……」

 

 ネメアは複雑そうな表情をしていた。

 彼は読みかけの新聞を畳み、大和に言う。

 

「まだ生きているのか?」

「ああ」

「楽にしてやったらどうだ?」

「何で?」

 

 心底と言った風に首を傾げる大和に、ネメアは眉を顰める。

 

「人として、最低のことをしているとは思わないか?」

「そうだな」

「…………」

 

 無言の圧力を向けられ、大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「よそうぜ、ネメア。道徳的な話をするのは結構だが、話す相手を間違えてる」

「……そうだな。全く……」

 

 ネメアは呻いた。

 そう──話す相手が間違っている。

 大和に道徳的な話をするのは、馬の耳に念仏を唱えるようなものだ。

 

 ネメアは割り切った。

 先日の依頼の話を大和にする。

 

「サブ依頼の達成を確認できた。約束通り追加報酬を振り込んでおくぞ」

「おぅ、サンキュー」

「この手の依頼主は毎回感謝の手紙を送ってくるもんだが、どうする?」

 

 大和は笑い、指で何かを飛ばす仕草をした。

 

「紙飛行機にする」

「……ハァ」

 

 ネメアは堪えきれずに溜息を吐いた。

 大和はギザ歯を見せる。

 

「そーゆー奴らは俺を正義の味方と勘違いしてる。俺はただの殺し屋だ」

「…………」

 

 ネメアは頬杖を突き、知己を見つめた。

 ネメアには彼が鬼に見えた。

 きっと、彼に嬲られている魔女にもそう見えているだろう。

 それは正しい。

 この男の抱えている闇は、常人が理解できるものではない。

 

 ネメアは目を閉じた。

 そしてそっと、魔女の存在を忘れた。

 

 これから始まるのは、ロクデナシたちとロクデナシたちの棲む都市によって紡がれる物語。

 次の犠牲者は誰なのか──それは、邪神のみぞ知る。

 

 

《完》

 

 



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第一章「猟犬伝」
一話「ティンダロスの猟犬」


 

 

「時空間旅行」

 過去と未来を行き来できる、デスシティならではの旅行プランの一つだ。

 

 にわかに信じがたい内容だが、デスシティは科学と魔術が隆盛を極める魔界都市。

 時空間移動の方法は既に確立されている。

 その気になれば徳川幕府が統べる江戸時代へ。日本に限らず、様々な時代へと赴くことができる。

 

 しかし、旨い話には必ず裏がある。

 このプランにも欠点があった。

 客人たちの命に関わるほどの重大な欠点が──

 

 時空間を移動すると、「猟犬」に目を付けられてしまうのだ。

 

 不浄なる存在。角度を司る者。

 その名は──

 

 

 ◆◆

 

 

「ティンダロスの猟犬ねぇ」

 

 大衆酒場ゲートにて。

 ブラックラムが入ったグラスを揺らしながら、褐色肌の美丈夫──大和は囁いた。

 

 二メートルを超える体躯は人外用のカウンターに座っていてもよく目立つ。

 真紅のマントが靡けば、小麦色のうなじがチラリと顔を覗かせた。

 

 大和は酒気の混じった溜め息を吐く。

 

「時空間旅行をした結果、目を付けられたか……バカな奴もいたもんだ」

 

 嘲笑をこぼす彼に対して、新聞を読んでいた店主、ネメアが依頼の詳細を告げる。

 

「今回の依頼、報酬は2億だ」

 

 それを聞いた大和の表情が明るくなる。

 

「へぇ、弾むな。金持ちか?」

「ああ。某巨大財閥から直々の依頼だ」

「しかし、猟犬に狙われてるんだろう? となると……アレをするのか?」

 

 アレというあやふやな言い回しで通じるのだろう。

 ネメアは頷く。

 

「そうだ。アレをするんだ」

「ははぁん」

 

 大和は色気たっぷりの息を吐いて、頬杖をついた。 

 

「依頼主の概要、簡素に」

「17才の美少女。欧州ハーフのお嬢様、高飛車」

「最高じゃんよ」

 

 ニヤリと笑う。

 グラスに入ったラムを一気に呷る彼に、ネメアはメモ用紙を差し出した。

 

「近くの高級ホテルに泊まってる。部屋番号だ」

「サンキュー」

 

 大和はメモ用紙を受け取り、机に勘定を置く。

 ネメアは少し強めの語気で言った。

 

「加減しろよ。客人だ」

「わーってるって」

 

 大和は肩を竦め、踵を返す。

 

 歩くだけで客人たちが静まり返る。

 大和に対する畏怖と色欲の念が、店内に渦巻いていた。

 

 彼は世界最強の殺し屋であり世界一の武術家。

 妖魔、邪神たちを「物理的に」抹消する、デスシティが誇る理不尽の象徴である。

 

 今宵も始まろうとしている。

 世界最強の殺し屋による、エロスとバイオレンスの物語が──

 

 

 ◆◆

 

 

 同時刻。

 高級ホテルのスイートルームにて。

 

 ため息を吐く音がやけに大きく聞こえた。

 ソファーに座っている美少女のものだ。

 

 銀色のツインテールがふわりと揺れる。

 西洋人形のような可愛らしい顔立ち。

 凹凸のハッキリした肢体はグラビアアイドルも裸足て逃げ出すレベル。

 

 艶やかさと幼さを併せ持った美少女は、そのサファイアの双眸を困惑で揺らしていた。

 

 彼女が今回の依頼主──某巨大財閥のご令嬢様である。

 

「本当に、どうしてこうなったのかしら……」

 

 お嬢様は二度目の溜息を吐く。

 

 時空間旅行。

 金と時間を持て余していた彼女にとって、それは丁度良い暇潰しになるはずだった。

 当初は満足していた。

 本や映画とは違う、実際に「あった時代」を体験できたのだ。

 

 しかし、厄介な存在に見つかってしまった。

 

 ティンダロスの猟犬。

 時空間に生息している邪神の一種。

 正真正銘のバケモノである。

 

 彼らは基本的に不老不死、且つ大地を砕く怪力を持つ。

 故に、表世界の住民では歯が立たない。

 

 しかし、猟犬の恐ろしさは別にある。

 彼らは時空間に干渉した者を見つけると、その者を食らい殺すまで追走する。

 その執拗さもさることながら、追跡能力が尋常ではないのだ。

 

 万年先の未来であろうが、億年前の過去であろうが、時空間を用いて必ず現れる。

 また「角度」という概念を祖先にしているため、90度以下の鋭角があればどんな場所でも転移できる。

 

 ティンダロスの猟犬。

 彼らに目を付けられた時点で、死は確定する。

 そう、本来なら──

 

 お嬢様の目付け役であるメイドは言う。

 

「お嬢様を狙う存在──ティンダロスの猟犬を退ける方法は幾つかあります。部屋から角度を無くす、などです。しかしどれも現実的ではありません。今は気配遮断、知覚阻害の魔術で何とか誤魔化していますが、それも時間の問題でしょう」

 

 メイドはその美麗な眉を顰める。

 

「お嬢様がお転婆なのは存じ上げておりましたが──まさかこの都市に関わるほどとは。お父様は相当お怒りでしたよ。以後、気を付けてください」

「わかってるわよ……」

「貴女の軽率な行動で、数十名のボディーガードが亡くなったのです。彼らの死を無駄にはしないでください」

「……ッ」

 

 お嬢様は唇を尖らせた。

 しかし自分に否があるので何も言い返せない。

 

 お嬢様はこのメイドが嫌いだった。

 以前まで父の専属メイドだった彼女は、あらゆる分野で優秀な成績を収めているのだ。

 更には歴戦の傭兵を片手間にあしらってしまうほどの戦闘力を誇る。

 

 面白くない。

 矮小な嫉妬だった。

 

 加えて美しい。

 文句の付けようが無いほどに──

 濡羽色の長髪はポニーテイルに結われており、紫苑色の双眸は冷たい美貌を更に際立たせている。

 

 気に食わない。

 お嬢様はそう思いながらも、ふと疑問に思い、メイドに聞いた。

 

「貴女──その口振りからして、この都市に詳しいようだけど?」

「御主人様に仕える前は、この都市で活動していました」

「へぇ……っ」

 

 お嬢様は身を乗り出す。

 興味津々のようだ。

 

「お父様から聞いているわ。この都市は悪という悪が集った犯罪都市だって。なら貴女は──」

「私如きの詮索をするよりも──まずはご自身の心配をなさったほうがよろしいかと」

「……」

 

 お嬢様は唇をアヒルのように尖らせる。

 あまりにわかりやすい反応に、メイドは溜息を吐きかけた。

 

 しかし何とか堪える。

 

「……ティンダロスの猟犬は難敵です。なので、今回は凄腕の殺し屋を呼びました」

「へぇ、名前は?」

 

 メイドは表情を歪める。

 畏怖、嫌悪、羨望、情愛──

 あらゆる感情を込めて、彼女はその名を口にした。

 

「……大和。デスシティで最強の殺し屋──世界一の武術家です」

 

 



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二話「魔性の色香」

 

 

 大和が訪れる数分前。

 お嬢様はメイドから幾つかの忠告を受けていた。

 

「まず、今から来るのは殺し屋です。お嬢様は殺し屋について理解はありますか?」

「舐めないで頂戴。殺しを職業としている人たちのことでしょう?」

「では──お嬢様は金のために、誰かを殺すことができますか?」

「ッ」

「今からやってくるのはそういう存在です」

「……」

 

 お嬢様は険しい表情をする。

 改めて、殺し屋という存在について考えているのだ。

 

「その殺し屋──大和というのは、どういう男なのかしら?」

「難しいですね……」

「第一印象で構わないわ」

「……」

 

 メイドは暫く間を置くと、ポソリと呟いた。

 

「最強のロクデナシ、でしょうか」

「……??」

 

 お嬢様は首を傾げた。

 メイドの言葉の意味を理解できなかったからだ。

 メイドは補足する。

 

「性格はまごうことなき屑です。女と酒に溺れ、金さえ払えば嬉々として人を殺す。自分を邪魔する存在は誰であっても許さない。それがたとえ、血を分けた子供であったとしても」

「ッ」

 

 お嬢様は絶句した。

 そんな屑がここにやって来るのかと戦慄しているのだ。

 

 しかし、メイドは淡々と続ける。

 

「これぐらいの屑ならデスシティには山ほどいます。問題は強さです」

「……確か、この都市で一番の殺し屋だったわね。なるほど……性格は最悪でも実力は最高、ということかしら?」

「はい。あとは、もう一つあります」

「?」

 

 疑問符を浮かべるお嬢様。

 メイドは静かに、されど強い語気で言った。

 

「色気です」

「……は? 色気?」

「はい、あの男の色気は女を惑わす魔性のもの。故に、お嬢様には十分注意していただきたいのです」

「……貴女はッ」

 

 お嬢様の声が震える。

 

「貴女は、私が色気だけは立派な屑に靡くような女だと、そう思っているの?」

 

 その問いには明らかな怒りが含まれていた。

 仮にも主従の関係。

 今の言葉は無視できない。

 

 しかし、メイドは続ける。

 

「お嬢様は未だ成人しておりません。それに、男性経験が無いことも把握しております。交際すらもしたことがないと」

「なっ!?」

 

 お嬢様は羞恥で顔を真っ赤にした。

 

「それとこれは関係ないでしょう!!?」

「あります」

「~ッッ」

 

 お嬢様は羞恥以上の憤怒で銀髪を戦慄かせる。

 今にもツインテールを振り乱して怒鳴り散らしそうな勢いだ。

 

 そんな彼女に、メイドは深々と頭を下げた。

 

「無礼は重々承知しております。ですが、大和の色香はそれほど危険なものなのです」

「……」

「幾多の難敵を葬ってきた最強の威風。血と硝煙の入り混じった危険な香り。そして、生来の優れた容姿。それらが手の付けられない魅力と化しています。悪い男は魅力的に見えるといいますが、まさしくそれです。あの暴力的な色気に、皆惑わされてしまうのです」

 

 メイドの忠告は鬼気迫るものがあった。

 お嬢様は怒りを忘れて息を飲む。

 

「意中の異性がいない、もしくは奴に対して憎悪などの激しい感情を抱いていない。そういった女性は非常に危険です。私は、あの男に堕とされて破滅する女性を何人も見てきました」

「ッ」

「ただそこに在るだけで異性を惑わせる、故に魔性。……何卒、ご理解頂ければ」

「~ッ」

 

 お嬢様は不貞腐れた。

 メイドは嘘をついていない。そして、客観的に物事を見ている。

 だからこそ気に食わない。

 

 お嬢様は決意した。

 絶対に靡いたりしない、と。

 

 しかし、その決意は呆気なく崩れ去ることとなる。

 大和の色気は、お嬢様の予想を遥かに上回っていたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 一言、簡潔に。

 お嬢様は惚れてしまった。

 彼女の意思とは関係無く、その内に潜むメスがなびいたのだ。

 

 大和は完成された容姿を誇っていた。

 艶やかな黒髪。冷たい三白眼。獰猛なギザ歯。そして華のある顔立ち。

 鍛え抜かれた褐色の肉体は最早芸術品。

 

 暴力的な色気を振りまく、雄々しい益荒男。

 

 お嬢様は今更ながらメイドの忠告を理解した。

 が、次の瞬間には忘我の彼方を彷徨っていた。

 

「何だ、チョロいな」

 

 侮蔑の言葉すらも脳内で都合の良いように変換される。

 その低く甘い声は、魔性の色香と称される大和の最大の武器だった。

 

「好都合だ。手間が省ける」

 

 大和はお嬢様を引き寄せる。

 逞しい腕に抱かれ、お嬢様は改めて大和という男の「大きさ」を理解した。

 

 彼女は抗えなかった。

 ただただ、目の前の雄に夢中になっていた。

 

 大和は小さく嘲笑すると、隣に控えていたメイドに話しかける。

 

「よォ、久々じゃねぇか黒花(くろか)。しばらく見ねぇと思ってたら、表世界で働いてたのか」

「まぁね……ハァ」

 

 メイド──黒花は、その美しい濡羽色の髪を掻き上げた。

 そして大きなため息を吐く。

 

「貴方も大概だけど、それ以上に新しい御主人様の耐性の無さに絶望よ……まさか三秒も耐えられないなんて」

「いいじゃねぇか、金さえ貰えりゃ馬鹿でも」

「一理あるけど、あまりに馬鹿だと面倒を見るのが大変なのよ」

「お疲れさん」

 

 適当な慰めは、黒花を更に苛立たせた。

 

「全く……これじゃあお仕置きにならないじゃない。理性と本能の合間でもがき苦しんでほしかったのに」

「色々と事情があるみてぇだが、俺には関係ねぇな」

 

 大和は肩を竦めると、陶然としているお嬢様の頬を撫でる。

 彼女は愛おしそうに大きな手に頬ずりした。

 

 大和は言う。

 

「食っちまうぜ」

「いいわよ。でも任務の一環なのを忘れないで。あくまでお嬢様の香りを貴方の香りで上書きして、ティンダロスの猟犬を欺くことが目的なのだから」

「壊れない程度に可愛がってやるよ」

 

 大和はお嬢様を寝室まで連れて行く。

 ふと、黒花に振り返った。

 

「お前も一緒に楽しむか?」

「後でね」

「おう」

 

 大和は子供のように笑う。

 

 対象を自分の香りで上書きし、ティンダロスの猟犬を欺く。

 大和ならではの方法だ。

 初対面の異性すら問答無用で惚れさせる色香があるからこそできる出鱈目な方法である。

 

 お嬢様はベッドの上で純潔を散らし、その香りを上書きされた。

 誰でもない、お嬢様がそれを望んだのだ。

 

 その証拠に、幼くも恍惚とした喘ぎ声が部屋の外まで響き渡った。

 

 

 ◆◆

 

 

 早朝、大和は着物の袖を正していた。

 

 背後にある大きなベッドには小さく寝息を立てている銀髪の美少女と横になっている黒髪の美女がいる。

 

 美女は大和の背中をぼうと見つめていた。

 彼女──黒花は大和に聞く。

 

「休憩しなくていいの?」

「準備運動にはなったぜ」

 

 黒花は肩を竦めた。

 

「こっちは上手くやっておくわ。元々はお嬢様の自業自得だし」

「任せた」

「もう貴方の虜でしょうから、それをダシに色々やらせてもらうわ」

「ほどほどにな」

 

 大和は準備を整えると、黒花に振り返る。

 そして無邪気な笑みを向けた。

 

「メイド姿、結構似合ってたぜ」

「そう」

「そのまま表世界で上手くやっていけよ。お前、あんま強くねぇから」

「言ってくれるわね……」

「事実だろう?」

 

 小首を傾げる大和を、黒花は睨みつける。

 大和はやれやれと肩を竦めると、彼女に近寄り、その唇を奪った。

 

「あばよ。お前は個人的に気に入ってるから、いつでも相手してやるぜ」

 

 そう言って去っていく。

 黒花は陶然とした後、自嘲の笑みをこぼした。

 

「私も、駄目な女ね……」

 

 



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三話「這い寄るナイアちゃん」

 

 

 大和はホテルを出ると、指をパチンと鳴らす。

 すると目の前の空間が砕け散った。轟音と共に漆黒のハーレーが現れる。重厚なエンジン音を立てて大和の前に停車した。

 

 2000CCを誇る魔導式カスタムハーレー「スカアハ」。

 大和の愛車である。

 

『おはようございます、マスター』

「青宮霊園まで行くぞ」

『かしこまりました』

 

 大和はスカアハに跨ると、中央区の大通りに乱入する。

 

 矛盾の坩堝、魔界都市。

 その名に嘘偽り無し。

 

 所々で暴力団の縄張り争いが勃発し、あろうことか住民たちがそれを焚きつけている。

 魔改造が施された重火器が火を噴き、簡易的な魔術で建造物が吹っ飛ぶ。

 

 飛んできた瓦礫を大和は見事な重心移動で躱した。

 背後の車両たちが派手に砕け散るが、大和は振り返らない。

 

 ふと、その肩に皺だらけの手が添えられた。

 背後には枯れ木のような婆さんが佇んでいる。

 膝から下が透けているので幽霊だ。

 

「新聞、買っていかないかい?」

「朝刊か?」

「ああ」

「値段は?」

「100円ぽっきりさね」

「おらよ」

「ひっひっひ、毎度ありー」

 

 百円玉を貰った老婆は満足そうに消えていく。

 今の婆さんは新聞を買わないと転倒事故を起こす危険な幽霊だった。

 

 大和はスカアハに言う。

 

「運転任せた」

『かしこまりました』

 

 自動運転に切り替わったのを確認し、新聞を読み始める。

 ほどなくして青宮霊園に到着した。

 

 青宮霊園。緑豊かな自然公園だ。

 入り口で停車した大和はスカアハから降りると、彼女に礼を言う。

 

「サンキュー。用があったらまた呼ぶ」

『いつでもお呼びください』

 

 最後まで慇懃な口調を崩さずに、スカアハは異空間へと消えていった。

 大和は首をコキコキと鳴らす。

 

「ここなら人気も少ねぇから、丁度いいだろ」

 

 霊園に入ろうとする大和。彼は入り口付近で人影を見つけた。

 

 褐色肌の美女だった。

 暁のような真紅の瞳。ダークシルバーの長髪は腰まで伸びており、淡く輝いている。

 異様に長いアホ毛がよく目立つ。

 

 スタイルは抜群で、ボン・キュ・ボンのナイスバディ。

 漆黒のライダースーツが魅惑的なラインをハッキリと浮かび上がらせている。

 

「げぇ」

 

 大和は露骨に嫌そうな顔をした。

 まるで会いたくない存在に会ってしまったかのような──そんな反応だ。

 逆に美女のほうは満面の笑みで大和に近寄る。

 

「やぁ大和。久々だね♪」

「何してやがる。ニャルラト──」

 

 大和が名前を言おうとすると、美女は止めるように抱きついた。

 

「だ~め♪ 僕のことは親しみを込めて「ナイア」って呼んでよ♪」

「…………」

 

 大和は、それはもう酷い顔をしていた。

 

「何だよ、その苦虫を噛み潰したような顔は」

「的確な表現だな。さっさと失せろ」

「ひっど~い! わざわざ会いに来てあげたのにそんな反応はないんじゃないかな!」

「うぜぇ」

 

 プンプンと怒る美女──ナイア。

 彼女に対して大和は驚くほどドライだった。

 

「ねぇねぇ大和!」

「何だよ」

「僕のオモチャになって♪」

「断る」

「何で? 何不自由させないよ? 美女も美酒も黄金も、全部準備するよ?」

「断る。何度目だ」

「正確な数字を言ってあげようか? 14桁はいくよ?」

「面倒くせぇ。じゃあなクソッタレ」

 

 大和はナイアの横を通り過ぎる。

 ナイアは慌てて真紅のマントにしがみついた。

 

「ああ~んッ、お願い大和~ッ、僕の眷属になって~ッ、右腕になって懐刀になってずっと傍にいてぇ~ッッ」

「うるせぇぞ」

 

 大和はマントを翻し、ナイアを引き剥がす。

 そのまま霊園の奥へと消えていった。

 

「もう、いけず……」

 

 ナイアは大和の背に涙目を向ける。

 しかし、次には蕩けた笑みを浮かべた。

 

「でも、何者に媚びない、そんな君が世界で一番好き……ッ」

 

 

 ◆◆

 

 

「最悪の気分だ」

 

 大和は頭をかく。

 その眉間には深い皺が刻まれていた。

 

「この鬱憤は犬っころで晴らすしかねぇな」

 

 暫くして、青宮霊園の中心地に辿りつく。

 草原の広がる広場だ。

 

 大和は腕時計で現在時刻を確認する。

 

「時刻は丁度だな……」

 

 呟くと、辺りに腐臭が漂いはじめた。

 名状しがたい悪臭だ。

 同時に青みがかかった煙が発生する。

 ソレは不気味な四足歩行に凝り固まると、注射器のような舌を大和に向けた。

 

「可愛い子ちゃん以外からのキスはお断りだ」

 

 大和は射出された舌を掴み、引きちぎる。

 驚きと苦痛で暴れるバケモノを両手で掴み、引き裂いた。

 分解酵素を含まないバケモノは不死であるはずだが、今の一撃で絶命する。

 

 しかし、一匹だけではない。

 続々と現れる。

 大和は笑った。

 

「さぁ、遊ぼうぜ犬っころ。いいや、犬じゃなくて、犬みてぇなバケモンだったな」

 

 バケモノたちは仇敵を食い殺さんと牙を剥く。

 その矮小な体躯に万感の憎悪を抱いて──ティンダロスの猟犬は飛び上がった。

 

 大和は歪な笑みを浮かべて大太刀を引き抜いた。

 



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四話「天災襲来」

 

 

 大和が戦闘を始めた頃、青宮霊園に入った男がいた。

 白のスーツとお洒落なサングラスが似合う伊達男。

 

 右之助(うのすけ)である。

 彼はジャンクフードの入った紙袋を携え、付近のベンチに腰かけた。

 

「知ってる殺気だと思ったら……派手にやってんなー」

 

 右之助の眼前でティンダロスの猟犬が宙を舞う。

 大和に蹂躙されていた。

 まるでサッカーボールのように蹴り飛ばされている。

 

「猟犬共には少し同情するぜ。相手が悪すぎる」

「やぁやぁ、右之助くんじゃないか」

「……」

 

 右之助は目を丸めた。

 声をかけられるまで「彼女」の存在に気付けなかったからだ。

 

 褐色肌の美女。

 ダークシルバーの長髪に真紅の双眸。

 可愛らしい童顔に反して、ライダースーツを盛り上げる豊満な肉体は魅惑的だ。

 

 彼女から満面の笑みを向けられ、右之助は頬を引き攣らせた。

 

「心臓に悪いぜ。……ええーと、アンタ名前が多いから、なんて呼べばいい?」

「ニャルさんでいいよ」

「じゃあニャルさん。隣、座るかい?」

「いいの?」

「いいぜ」

「では遠慮なく」

 

 右之助の隣に座る褐色肌の美女、ニャル。

 右之助はやれやれと肩を竦めると、携えていた紙袋からジャンクフードを取り出した。

 ハンバーガーだ。

 しかし肉が異形のバケモノで、奇声を上げて触手をうねらせている。

 

 常人なら食欲が失せるソレを、右之助は美味そうに頬張りはじめた。

 その様子を、ニャルは面白そうに眺めている。

 

「それは何だい?」

「んぁ? これか? 最近人気のジャンクフードだ。美味いぜ?」

「口の中で暴れない?」

「それがいいんだよ」

「ふ~ん」

 

 断末魔の悲鳴を上げるタコを歯ですり潰す右之助。

 ニャルは何故か、つまらなそうに唇を尖らせた。

 

「全く、この都市の人間にはSAN値っていう概念が無いみたいだね。僕やティンダロスの猟犬を見ても発狂しないし」

「そりゃあ、全員正気じゃねぇし?」

「つまらないよ~っ」

「でも、アンタが本性を出したらヤバいだろうな」

「どうだろう? 案外大丈夫なんじゃない?」

 

 ニャルはそう言いながらチラチラとハンバーガーに視線を向ける。

 何となく察した右之助は紙袋を差し出した。

 

「もう一個あるから食うか?」

「本当に!? いやー! 右之助くんは優しいねー! 大和にも見習ってほしいよ!」

 

 ニャルは子供のようにはしゃぐ。

 右之助は苦笑いした。

 

 彼はニャルの正体を知っていた。

 禍々しくも冒涜的な素顔を──

 

 当のニャルはというと、美味しそうにハンバーガーを頬張っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は唐突に大太刀を放り投げる。

 

「つまんねぇぞ。本気で殺しにこい」

 

 そう言って両手を広げる。

 挑発しているのだ。

 

 猟犬たちは我先にと飛びかかる。

 大和はされるがままになった。

 鋭い牙で噛みつかれ、注射器のような舌を突き刺される。

 

 しかし、その肉体は傷付かない。

 度重なる鍛錬で変質し進化を遂げた肉体は、猟犬たちの攻撃を悉く無効化していた。

 

 大和はため息を吐く。

 

「馬鹿過ぎて殺意が湧くぜ」

 

 そう言って無造作に両腕を振り回す。

 それだけで巨大な竜巻(サイクロン)が発生し、猟犬たちは吹き飛ばされた。

 

 大和は先ほど放り投げた大太刀を手に取る。

 

「……飽きた。もうそろそろ終わらせるぜ」

 

 そう呟き、全身から真紅のオーラを迸らせる。

 

 闘気。

 生命エネルギー「気」を戦闘用に練り上げたものだ。

 

 猟犬たちは後ずさる。

 

 しかし、怖気づいた相手を(なぶ)り殺すのは大和の得意分野だった。

 切り裂き、抉り抜き、叩き割り、すり潰し──

 猟犬たちを皆殺しにする。

 

「こんなもんか……つまらねぇ。まぁいい。任務完了だ」

 

 納刀し、踵を返す。

 今回の依頼は何事もなく終わった。

 

 ──かに思えた。

 

「!!」

 

 凄まじい憎悪を背中に叩きつけられ、反射的に振り返る。

 背後の次元が──歪んでいた。

 

 割れた空間。

 その奥からおぞましい唸り声が聞こえてくる。

 青宮霊園に棲息している肉食カラスたちが一斉に羽ばたいた。

 

 大和の吐く息が白く染まる。

 周囲の環境が激変していた。

 それほどの存在が、割れた空間の奥からやってきていた。

 

「へぇ……王様の登場か」

 

 大和は嗤う。

 割れた空間から巨大な前足が出てきた。

 続いて出てきたのは──顔。

 ティンダロスの猟犬に酷似している。

 

 

 

『──────────────―!!!!!!!!!!!!!』

 

 

 

 咆哮。

 ただの咆哮だ。しかしそれだけで生物は理解してしまう。

 彼が「絶対捕食者」であることを。

 青宮霊園にいる殆どの生物が発狂した。

 

 ティンダロスの王。

 ティンダロスの猟犬を統べる強力無比な存在。

 最も忌避され、嫌悪される種族。邪神の一角だ。

 

 一ナノ秒に満たない刹那、大和の頭に前足が叩き落とされる。

 あまりの衝撃に地面が揺らめき、地殻が変動した。

 震度6を超える大地震がデスシティを襲う。

 

「お手はできるみてぇだな……しかし躾けが行きとどいてねぇ」

 

 飄々とした声が響き渡る。

 大和は王の前足を片手で受け止めていた。

 

『……』

 

 王は再度前足を振り下ろす。

 地殻が砕け、星の核にまで衝撃が行き届く。

 青宮霊園はたちまち崩壊し、超犯罪都市に深刻なダメージが刻まれた。

 

「へい、興奮するなよワンちゃん。お手ができるのはわかったからよ」

 

 いつの間にか、大和は王の背中に座っていた。

 王は暴れて引き剥がす。

 既に崩壊してしまった大地へと着地した大和は、楽しそうに振り返った。

 

「ただの小遣い稼ぎが、とんだサプライズだ。いいねぇ、丁度退屈してたところなんだよ」

 

 大和は大太刀を抜くと、空いた手でクイクイと手招きする。

 その顔には凶悪な笑みが貼り付いていた。

 

 

「しっかり躾けてやる。まずは服従ポーズからだ」

 

 

 ◆◆

 

 

 同時刻。

 デスシティ全域に緊急速報が行きわたっていた。

 

『中央区南側にある青宮公園でAランクの邪神が出現しました。付近にいる住民はただちに避難してください。繰り返します──』

 

 速報を耳にしながら、右之助は天高くに跳躍していた。

 ティンダロスの王を確認した瞬間、現場を離れたのだ。

 

 彼は住宅街を優々と飛び越え路上に着地する。

 コンクリートを砕き、更に跳躍した。

 

「いや~! 右之助くん助かるよ~! わざわざ運んでくれるなんて!」

 

 ニャルは右之助の腕に抱かれていた。

 右之助は顔を青くしながら言う。

 

「アンタが混ざるのはマズいからな。悪いが、俺と一緒に来てもらうぜ」

「かまわないよ。でも大和の戦いぶりが見たいから、見晴らしのいい場所へ連れていってくれるかい?」

「お安い御用で」

 

 右之助はビルを駆け上がる。

 ここら辺で一番高いビルの屋上へとやってきた彼は、ニャルを下ろしてほっとため息を吐いた。

 ニャルはというと、眼下に広がる阿鼻叫喚の景色に満足げな笑みを浮かべている。

 

「流石にティンダロスの王が出てくると、この都市の住民も慌てるみたいだね」

「まぁ、ティンダロスの王はその気になりゃあ地球も壊せるバケモンだ。そりゃあ慌てるだろうよ」

 

 ニャルは右之助を見つめる。

 

「君なら、ティンダロスの王に勝てるんじゃない?」

「ハッ……そりゃあお世辞が過ぎるぜ。ニャルさんよ」

「お世辞じゃないよ」

 

 ニャルの言葉に、右之助は苦笑した。

 

「足止めが限界だ。勝てはしねぇ」

「謙虚なんだね」

「どーも」

 

 ニャルはニコッと笑うと、遠くで激闘を繰り広げている大和を見つめる。

 

 顔付きが女のものに変わった。

 



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五話「デスシティの民間人」

 

 

 同時刻。

 突如起きた大地震により、デスシティの交通機関は大打撃を受けていた。

 特に中央区の大通りは大渋滞を引き起こしている。

 

「はい、はい……なるほど」

 

 漆黒色のバス、通称「闇バス」の運転席で。

 運転手の美女が本部と連絡を取り合っていた。

 黒の制服と帽子がよく似合っている。

 

 死織(しおり)

 闇バス、闇タクシーの運転手だ。

 

「Aランクの邪神ですか……ですが相手はデスシティの三羽烏。問題は無いでしょう。被害は拡大しそうですがね」

 

 死織はやれやれと肩を竦めると、乗客たちに振り返る。

 

 彼等は表世界の住民だ。

 大金を積んでまでこの都市を観光したいという物好きたちである。

 

 彼らは現状を理解できていなかった。

 死織は立ち上がり、彼らに頭を下げる。

 

「申し訳ありません。現在、未曽有の災害が発生しております。暫くの間停車いたしますが──」

 

 それ以上の言葉を、死織は紡げなかった。

 

 雨あられと降り注ぐ質問の嵐。

 本当に大丈夫なのか? 逃げなくていいのか? 身の安全は保障できるのか? 

 

 絶えずまくしたててくる乗客たちに、死織はたまらず顔を俯ける。

 

(全く、これだから表世界の住民は……慌てて覆る状況なら苦労しませんよ)

 

 心の中で文句を言った後、無理やり営業スマイルを作った。

 

「落ち着いてください。まず、このバスはお客様の安全を第一に考え設計されています。外よりも、バスの中のほうが遥かに安全です。外に出れば身の安全は一切保障できません。この都市は凶悪な化物どもの巣窟──私一人でお客様を守ることは不可能です」

 

 死織の言葉に乗客たちは口をつぐむ。

 安心させる言葉よりも恐怖をあおる言葉……死織は人の心をよくわかっていた。

 

 大人しくなった乗客たちに、死織は深く頭を下げる。

 

「ご協力、ありがとうございます」

 

 そのまま運転席に戻った。

 巨乳のせいでただでさえ凝る肩をグルグルと回す。

 

(さて、これで大丈夫でしょう……今は、本部から連絡を待つしかありませんね)

 

 死織は面倒臭そうにハンドルに頬杖をついた。

 

 その視界に巨大な瓦礫が映り込む。

 ソレは対向車線のトラックを弾き飛ばしていった。

 

 死織の眼前に死の暴風が迫っていた。

 先程の瓦礫は遥か前方にあった車両の残骸だ。

 

 地割れと共に一直線に迫ってくる衝撃波。

 

「ッッ」

 

 考えるよりも先に身体が動いた。

 死織は闇バスの自動ドアを渾身の蹴りで破壊し、外へ身を投げる。

 

 着地して振り返ると、阿呆な面をした乗客たちがバスごと暴風の中に消えていった。

 死織は近くにあった外灯を咄嗟に掴む。

 暴風が死織を吸い込もうとしていた。

 歯を食い縛って耐えていると、暴風は遠くへと消えていく。

 

 暫くして。

 嵐が過ぎ去ったことを確認した死織は、やれやれと肩を竦めた。

 

「恐ろしい。まさか戦闘の余波だけで闇バスが吹き飛ばされるとは……やはりAランクは洒落になりませんね」

 

 死織は手袋に付いた汚れをパンパンと払うと、帽子を被りなおす。

 

「さて、お客様はお星様になってしまいましたし……どうしましょう?」

 

 小首を傾げる。

 ふと、名状しがたい悪臭が鼻を突き抜けた。

 周囲を見渡すと、瓦礫から不気味な煙が吹きあがっている。

 

 煙はすぐに冒涜的なバケモノに姿を変えた。

 青いウミのような液体を纏った四足歩行は瞬く間に死織を囲う。

 

「なるほど……ティンダロスの猟犬ですか。では、Aランクの邪神はティンダロスの──」

 

 考えるのもほどほどに、死織は臨戦態勢に入る。

 異次元から日本刀タイプの高周波ブレードを取り出し、構えた。

 

 

「私をただの運転手だと思わないでくださいよ。民間人は民間人でも、デスシティの民間人です」

 

 

 ◆◆

 

 

 鋼鉄をバターのように切り裂ける高周波ブレードは、猟犬を容易く両断した。

 しかし、殺すことはできない。

 精々時間を稼げる程度だ。

 

 猟犬は不老不死。

 故にただの物理攻撃では殺せない。

 

 しかし、死織も負けていなかった。

 彼女は肉体に最新鋭のサイボーグ手術を施していた。

 体内にナノマシンを循環させ、主要臓器と肉体を強化している。

 

 死織は試しに5トントラックを片手でひっくり返した。

 下敷きになった猟犬たちだが、煙になってすり抜けてくる。

 

 彼らを殺すには特別な力が必要だ。

 魔族殺しのアイテム、または強力な魔術。

 それらがなければ、ダメージを与えることができない。

 

 死織は苦い顔をした。

 

「全く、クトゥルフ神話のバケモノはしぶとい……台所に出てくる黒いアレが可愛く見えますよ」

 

 死織は懐から小さな宝石を取り出す。

 

「かなり高価な品ですが……出し惜しみはできません」

 

 宝石を握り潰すと、特殊な力が付与される。

 襲いかかってくる猟犬を切り裂いた。

 それでもお構いなしに噛み付こうとした猟犬だが、あまりの激痛に悲鳴を上げてのたうち回る。

 

 死織は暗い笑みをこぼした。

 

「退魔の波動……効果があって何よりです」

 

 宝石を対価に発動する破邪の力。

 これによって、死織は猟犬と戦える力を得た。

 

(しかし、あまり長くは持ちません。早く打開策を見つけなければ……)

 

 脳をフル回転させる。

 すると、猟犬の一匹が木っ端微塵に砕け散った。

 続けて響き渡る発砲音はまるで大砲。

 

 死織は猟犬を仕留めた主を確認する。

 

 筋肉の宮ともいえる鍛え抜かれた肉体。

 荒々しく逆立った白髪に仁王像のような厳つい顔立ち。

 魔改造を施した対物ライフルとメートルを超える人斬り包丁を携えている。

 

 死織は嬉しそうに「彼」に背中を預けた。

 

「ありがたい──源次郎さん」

「礼はいいぜ。俺も一人じゃ厳しかったんだ。ここぁ手を組もうぜ──死織さん」

 

 源次郎。

 大和がよく通うおでん屋「源ちゃん」の店主だった。

 

 



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六話「民間人の底力」

 

 

 死織は何もない空間に手を突っ込んだ。

 異空間収納魔術──魔界都市の住民が愛用する便利な魔術だ。

 死織は魔改造が施されたウージーを取り出し、二丁両手持ちする。

 

 拡張マガジンに収まった弾丸は「対化物用12×25mm徹甲弾」。

 妖物の硬い甲殻を貫くために製造された殺傷力の高い弾丸だ。

 

 源次郎も異空間から武装を取り出した。

 魔改造済みのデザートイーグル。同じく二丁両手持ち。

 

「「……」」

 

 二人は互いに背中を預けると、四方八方に弾幕を張る。

 今にも喰いかかってきそうなティンダロスの猟犬たちをハチの巣にした。

 

 発砲音に次ぐ発砲音。

 猛々しい銃声と共に火花が散る。

 絶えず地に落ちる薬莢が硬質な音色を奏でた。

 

 両者とも銃の腕前は一級品。

 一発も外すことなく猟犬達を射殺していく。

 

 弾切れを確認した死織は異空間から弾倉を取り出し補填する。

 その際、源次郎の弾丸の効果に目を見張った。

 

「退魔弾ですか?」

「おう、予備に買ってるんだ。備えあれば憂い無しってやつだな」

「私、後で買っておきます」

「ハッハッハ! そうしとけ!」

 

 二人は間近まで迫っていた猟犬を射殺する。

 今のところは圧倒している。

 そう、今のところは──

 

 弾薬は有限だ。いつか無くなってしまう。

 それがわかっている二人は表情を曇らせた。

 

「なんつー数だ。減るどころか増えてるぜ」

「ゴッキーみたいですね」

「ゴキブリに失礼だぜ。アイツらは殺虫剤撒いたら死んでくれるんだからよぉ」

 

 そう言い、源次郎は提案する。

 

「逃げるか」

「ティンダロスの猟犬から逃げる、ですか。得策ではありませんね」

「大衆酒場ゲートはどうよ?」

「ああ、三羽烏のネメアさんですか」

 

 源次郎は頷く。

 

「あの人は大和の旦那と同格だ。客人として店に入りゃあ守ってくれる」

「良案ですね。しかし、目的地までおおよそ2キロ──移動手段はどうします?」

「徒歩──は流石につれぇよなぁ」

 

 源次郎は太いの眉を顰める。

 猟犬たちの包囲網を突破する「足」が無い。

 

 何か都合の良い乗り物でもあればよいのだが──

 

 すると、どこからともなく可愛らしい悲鳴が聞こえてきた。

 高層ビルの合間を駆け抜けていく子供幽霊たち。

 

 死体回収屋「ピクシー」の面々だ。

 

「おお!! 源次郎!! 死織っち!!」 

 

 荷車を引いていたリーダー、幽香は二人に大声で呼びかけた。

 

「今からゲートに逃げ込むんだけど、護衛を頼めないかー!!? 荷車に乗せてってやるからさー!!」

 

 二人は笑顔で頷いた。

 

 

「「ナイスタイミング!!」」

 

 

 ◆◆

 

 

 二人は驚異的な脚力で荷車に飛び乗った。

 すると、荷車を引っ張っていた幽香が悲鳴を上げる。

 

「ちょ!? 重い!! 源次郎お前重い!! ダイエットしろ!!」

「筋肉と脂肪は男の源だぜ!!」

「このガチムチめぇぇぇ!! 後でおでん奢れよコンチクショウ!!」

「おう!! 生還できたら特製おでんをたらふくご馳走してやるよ!!」

「私にも頼みますよ! 源次郎さん!」

 

 源次郎は背負っていた対物ライフルを、死織は魔改造済みのスカーを取り出して構える。

 そして荷車を追走してくる猟犬たちを迎え撃った。

 

 幽香の荷車には特別な魔術が施されている。

 時速50キロを超えるコレに乗っていれば数分でゲートに辿りつけるだろう。

 

 問題は、猟犬たちを振りきれるかどうか──

 死織と源次郎の役目は、ゲートに到着するまで猟犬たちを食い止めることだった。

 

 猟犬たちは今なお追走してきている。

 何匹かは空を駆け、もう何匹かは高層ビルの側面を走っていた。

 

「しつこいですね! いい加減諦めてくださいよ!」

「おい餓鬼共、耳ぃ塞いでな!!」

 

 死織と源次郎は猟犬たちを押さえ込む。

 命中はしている。

 しているが、猟犬たちはダメージを無視して追いかけてきていた。

 その執念深さは、なるほど猟犬と呼ばれるワケだ。

 

「幽香さん! もっとスピード上げられませんか!?」

「このままじゃ追い付かれるぜ!!」

「これでも全速力だっての!!」

 

 幽香たちは走り屋ではない。

 お世辞にも速いとは言えない。

 

 しかし、そこはデスシティの住民──柔軟性に富む。

 幽香は部下たちに呼びかけた。

 

「野郎どもー!! 足止めだー!! 頑張れー!!」 

「「「「「「あい!!」」」」」」

 

 子分たちは頷くと、両サイドに聳え立つ高層ビルに念力を放つ。

 

「えーい!」

「とーう!」

「おりゃー!」

「せやー!」

「やー!!」

「うー!!」

 

 可愛らしいかけ声だが、高層ビルを薙ぎ倒す霊力は中々のもの。

 

 猟犬たちはビルの下敷きになった。

 一帯を瓦解音と土煙が支配する。

 土煙の入道雲を、幽香たちの荷車が突っ切った。

 

 源次郎と死織は礼を言う。

 

「サンキュー餓鬼ども! マジで助かったぜ!」

「ナイスフォローです! ありがたい!」

 

 子供幽霊たちは笑顔で親指を立てた。

 しかし、完全に猟犬たちを撒けたわけではない。

 ビルの倒壊から逃れた数匹を先頭に、未だ追いかけてきている。

 

 死織と源次郎は足止めに徹した。

 隙を互いにフォローし合う。

 猟犬が間近まで迫ってくれば、火力を集中させて後退させる。

 

 幽香が大声で告げた。

 

「見えてきたぞー!!」

 

 死織と源次郎は応えない。

 応えられないのだ。

 目前まで猟犬たちが迫ってきていた。

 少しでも気を抜いたら追い付かれる。

 極限状態だった。

 

 幽香は渾身の力で荷車を引っ張る。

 スピードを上げた荷車は無事、ゲートへと辿り着いた。

 

「……」

 

 ゲートの前には金髪の偉丈夫が佇んでいた。

 白シャツを盛り上げる巌の如き肉体。

 歴戦の勇士たる精悍な顔立ち。

 

 大衆酒場ゲートの店主、ネメアだ。

 

 幽香はすれ違い様に告げる。

 

「ネメア! あとは頼んだ!」

「ああ、店の中でジュースでも飲んでろ」

 

 猟犬たちは立ち止まり全身を震わせて威嚇する。

 中でも獰猛な一匹が牙を剥いた。

 

 瞬間である。

 その一匹が消えたのは──

 

 ドシャっと、嫌な音が響いた。

 遥か遠くからである。

 800メートル離れた先にある超高層ビルに、その一匹は叩きつけられていた。

 青い体液を撒き散らしてぺしゃんこになっている。

 

 ネメアは何をしたのか? 

 ぶん殴ったのだ。

 規格外の腕力で──

 ただ、ぶん殴った。

 

「アイツらは今、俺の店の客人だ。手を出すなら、それなりの対応をさせてもらう」

 

 ネメアは白煙を上げる拳を掲げる。

 猟犬たちは垣間見た──彼我の実力差を。

 

 デスシティの三羽烏の一角にして、世界最強の傭兵。

 対人、対魔、対獣、対兵器、対要塞、対軍、対神──

 ありとあらゆる戦闘で無敵を誇る、通称『傭兵王』。

 

「失せろ」

 

 殺気が迸る。

 黄金の(たてがみ)を逆立てる百獣の王が、猟犬たちに牙を剥いた。

 

 格の違いを思い知らされた猟犬たちは悲鳴を上げて退散する。

 

「……ハァ」

 

 ネメアは殺気をおさめて溜息を吐く。

 そして遠くで戦っている友に告げた。

 

 

「さっさと終わらせろ、大和」

 

 



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七話「王VS鬼」

 

 

 ティンダロスの王の鼻っ柱に金剛石の塊がめり込む。

 否。金剛石の塊といえるほどの剛拳が、光速を優に超える速度で叩きつけられたのだ。

 

 王は堪えきずに吹き飛ばされる。

 中央区から西区まで、約数十キロメートルもの距離を飛ばされた。

 

『ッッ……』

 

 王は即座に体勢を立て直す。

 しかしその目に映ったのは、高層ビルという名の投擲槍だった。

 

『!!!!?』

 

 数千トンにも及ぶ純粋な質量弾。

 しかも一つでは無い。二つ、三つと重ねられる。

 王はあっという間に押し潰された。

 

『──────────────―!!!!!!!!!!!』

 

 しかし、空間ごと咆哮で吹き飛ばす。

 これにより西区はほぼ壊滅状態になった。

 

 物理法則を無視し続ける二名の怪物によって、デスシティの崩壊は加速する。

 

 王の咆哮が中断された。

 顎から脳天にかけて乱れ刃が貫通している。

 真下には──褐色肌の男。

 

 大和だ。

 

 彼は持っている大太刀をグリンと回し、王の脳髄をほじくり返す。

 そのまま腰を捻って斬撃を発動。王の顔面を十文字に断った。

 

 問答無用、疾風怒濤。

 武術の達人ですら視認できない超光速の斬撃の嵐が吹き荒ぶ。

 

 王の不老不死の権能は猟犬達の比ではない。

 大和の斬撃に対抗──否、上回る速度で再生している。

 しかし、威力まで抑えられない。

 

 王は剣圧で押さえ付けられ、動きを封じられていた。

 このままでは何もできずに殺されてしまう。

 大和の闘気がじわじわと肉体を蝕んでいた。 

 

 大和は遊んでいる。

 その証拠に、彼は嗤っていた。

 殺そうと思えば何時でも殺せるのに、あえて嬲っている。

 

 王は辛うじて前足を突き出した。

 しかしそれは悪手だった。

 大和は王の前足を抱え込み、背後に放り投げる。

 

『!!』

 

 背負い投げの要領で投げられた王は地面に叩きつけられた。

 衝撃で大地が豆腐のように砕け散る。

 

「オー、上手上手」

 

 意味深な言葉だった。

 王は仰向けの状態。腹を晒している形だった。

 

「わかるか? それが──服従のポーズだ」

 

 王は目を丸める。

 次に怒りが限界を突破した。

 渾身の力で暴れようとするも──動かない。

 抑えられている片腕を軸に、肉体を完璧に乗っ取られていた。

 

「武術家に腕を極められて、素人が抜け出せると思ってんのか?」

 

 大和は王の頭を踏み潰す。

 何度も、何度も。

 

 蹂躙される王。

 しかし恐怖はない。

 あるのは怒髪天を突く怒りだけだ。

 

 王は極められた片腕を捻じ切る勢いで身体を動かす。

 腹筋で下半身を持ち上げ、後ろ足で大和の顎を蹴り抜いた。

 大和は成す術無く天高く打ち上げられる。

 

 大和は大気圏直前で止まった。

 

 遥か上空で。

 大和は蹴られた掌を払う。

 

「足癖が悪いな……まぁ、俺が言えた義理じゃねぇか」

 

 肩を竦めると、異空間から得物を取り出す。

 見事な造りの月型十文字槍だ。

 

 大和はゆっくりとデスシティを睥睨する。

 標的を見つけ、投擲の構えを取った。

 

「そろそろ終わりにしようぜ」

 

 十文字槍に莫大なエネルギーを込めはじめる。

 高密度過ぎるエネルギーは天候に異常を齎した。

 

 赤き稲妻が轟音と共に宙を駆ける。

 積乱雲渦巻く中、大和は輝く十文字槍を投下した。

 

 真紅の雷霆が大気を裂き、空間を貫く。

 地上に着弾した十文字槍は前代未聞の大爆発を引き起こした。

 超圧縮された闘気は着弾と同時に膨張、一切合切を無に帰す破滅の光となる。

 

「闘気による純粋エネルギー攻撃だ。加減はしたぜ? 封印のせいで殆ど力を出せないテメェには十分な威力だろう? そのまま消滅して元いた世界に帰れや」

 

 大和は膨張する気に掌を向け、握り込む。

 

「圧縮──」

 

 破滅の業火が縮小し、次の瞬間には収まる。

 大和は己の闘気を完璧に使いこなしていた。

 

 ティンダロスの王は完全に消滅していた。

 元いた世界に強制的に返されたのだ。

 

「まぁまぁ楽しかったぜ王様……また遊ぼうや」

 

 大和は不気味に嗤う。

 そのまま重力に従い、デスシティへと落下していった。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和とティンダロスの王の戦いを見届けた右之助は、何とも言えない表情をしていた。

 

「余裕そうだったな……ったく」

 

 肩を竦め、隣にいるナイアを確認する。

 瞬間、鳥肌が立った。

 

「アア……大和ぉ、大和ォ……♡」

 

 恍惚と呟くナイア。

 真紅の瞳は潤み、頬は上気し、口の端からは涎が垂れている。

 

 右之助は耐え難い悪寒を覚えた。

 

 漏れ出している。

 彼女の内にある狂気が。

 冒涜的な存在、異世界の神としての本性が。

 

「……じゃ、俺はおいとまさせて貰うわ」

 

 右之助はそう言うと勢いよく跳躍する。

 

 しかし、ナイアは気付いていない。

 眼中にもない。

 今の彼女には大和しか映っていなかった。

 

「アア──大和ぉ♡ もっとかまってほしい。365日24時間、ずぅぅっとかまってほしいんだ。邪悪だけど誰よりも純粋な君に、僕は心の底から惚れてるんだ」

 

 ナイアは頬に手を当てる。

 そして暗く美しい笑みをこぼした。

 

 

「絶対に諦めないよ──君は僕のものだ♡」

 

 

 ナイア。

 本名をナイアルラトホテップ。

 またの名をニャルラトホテプ。

 

『這い寄る渾沌』

『無貌の神』

『闇をさまようもの』

『大いなる使者』

 

 邪神の中でも別格の力を誇る『外なる神』の一柱。

 最も著名で、最も慕われている邪神。

 クトゥルフ神話が誇る最強最悪のトリックスターである。

 

 大和は邪神から愛されていた。

 それも、格別に。

 

 

《完》

 



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第二章「武人伝」
一話「魔界都市たる所以」


 

 

 夜。

 デスシティ中央区にて。

 多種多様なネオンサイトが瞬き、濁った夜空を彩る。

 

「……」

 

 男はその眩さに耐え切れないとばかりに、ハンチング帽を被り直した。

 茶色の地味なコートを靡かせ、喧騒の間を縫い歩いていく。

 

 彼は表世界で凄腕と名高い殺し屋だ。

 中国の秘境で暗殺技術を極めた、暗器術の達人である。

 闘気術の心得もあり、人外の殺害経験もある。

 

 彼は依頼達成のために魔界都市を訪れていた。

 依頼内容は──『黒鬼』の異名を持つ殺し屋、大和の暗殺だ。

 

 とある政治家から依頼を受けたのだ。

 政治界での権威を高めるため、重鎮達のお抱えであるこの男を殺してくれと。

 

 大和──殺し屋を営んでいれば、その名は嫌でも耳にする。

 

 曰く、世界一の殺し屋。

 曰く、世界最強の武術家。

 

 その腕力は鬼神すら打ちのめすと謳われている。

 人間でありながら人外と対等に渡り合う──正真正銘の怪物。

 

 男は埒外の金額を詰まれ、この怪物を殺す決意をした。

 男は己の腕に絶対の自信を持っていた。

 今迄殺し損ねた対象はいない。

 同じ殺し屋であろうと例外ではなかった。

 

 相手が人間であれば──必ず殺せる。

 男はそう確信していた。

 

 しかし、その顔色は優れない。

 何故か? 

 今居る場所が、世界最悪の犯罪都市だからだ。

 

 超犯罪都市デスシティ。

 世界中の悪という悪が集った場所。

 人と人ならざる者が同居する、魔界都市。

 

 男がこの都市に来たのはこれで三度目。

 しかし、未だ順応できていなかった。

 

 治安、何よりも治安。

 最悪の一言なのだ。

 メキシコの犯罪都市、シウダーフアレスがのどかに見える。

 

 白昼にも関わらず各所で勃発する銃撃戦。

 民間人が当たり前の様に武装し、ただの喧嘩が殺し合いに発展する。

 

 道端で寝転がっているのは麻薬中毒者達。

 それをゴミのように処分していく暴力団員達。

 

 裏路地ではエルフの少女がオークの集団にレ〇プされていた。

 ベンチに座っているカップルは堂々と野外セッ〇スを楽しみ、カフェでは富豪が奴隷達にロシアンルーレットをさせている。

 

 今もそう──

 男に声をかけてくるのは注射跡を隠そうともしない娼婦と、如何にも妖しそうな邪教徒だ。

 

 その悉くを振り切り、男は大きく溜息を吐いた。

 暴力、麻薬、淫行、狂気──

 ありとあらゆる悪事が、この都市では日常化している。

 

 まるで、聖書に記されているソドムとゴモラの街だ。

 

 世界中の負の概念がこの都市に集約されていた。

 男が如何に凄腕の殺し屋であろうと、所詮は表世界の住民。

 この都市に長居していれば頭がおかしくなる。

 

 それを誰よりも理解している男は、いち早く依頼を終わらせようと、標的が出現する場所──大衆酒場ゲートへと歩を進めた。

 

「──ネェ」

 

 ツンツンと、肩を突かれた。

 男は振り返ると同時に、隠していた暗器に触れる。

 

「……ッッ」

 

 男は絶句し、頭上を見上げた。

 肩を突いたのは、三メートルを優に超えるバケモノだったのだ。

 

「オモテセカイ、カラ、キタノ? スゴク、イイニオイ、スル」

 

 落ち武者の様な髪型に、異様に膨れた太鼓腹。

 仏教における餓鬼の如きバケモノは、その醜悪な面を喜悦に歪ませた。

 

「オイシソウ、イタダキマス」

 

 男が暗器を取り出す前に、その首が食い千切られた。

 男だった肉袋は掴み上げられ、バケモノの口に収まる。

 怖気が走る咀嚼音が周囲に響き渡った。

 バケモノは最後に、皺だらけの両手をパチンと合わせる。

 

「ゴチソウサマ、デシタ」

 

 中央区の名物が一つ。「人食い三太夫」

 表世界の人間を好み食らうバケモノである。

 

 中央区はデスシティの中心地だが、非常に危険な事には変わりない。

 この世界は、表世界の住民が生きていけるような場所では無いのだ。

 

 



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二話「内閣総理大臣」

 

 

 北区はギャンブラーの楽園だ。

 大小様々なカジノが看板を掲げている。

 ネオンサイトの輝きは中心地より強く、大通りを闊歩する者達は活き活きとしていた。

 世界中のゲーム、賭博を楽しめるこの場所は、デスシティの住民からも愛されている。

 

 一日で動く金額の総量は中心地より上。

 理由は客人達の多くが表世界から来た大富豪だからだ。

 

 デスシティに「法律」という概念は存在しない。

 民間警察もいない。

 故に、何も気にせず娯楽に耽る事ができる。

 富豪達は表世界で溜まった鬱憤を此処で晴らしていた。

 

 カジノ以外の商いも富豪達のニーズに答えている。

 中でもカジノの次に人気なのが、奴隷市場だった。

 

 日夜、世界中から美女美少女が入荷される。

 彼女達は強固な魔術拘束を施され、人権も剥奪されている。

 競り落とした者は彼女等を苛め殺すも良し、犯して調教するも良し、部下達の慰め物にするも良し。

 

 富豪達にとって、彼女達は便利な道具であり良質な玩具だった。

 

 男性の奴隷も存在する。

 容姿種族まで、多種多様な奴隷達が日々市場に並べられる。

 

 デスシティ北区──

 ここは貧富の差が最も顕著に出る場所だった。

 

 とあるカジノにて。

 店内から褐色肌の美丈夫が出てきた。

 真紅のマントをはためかせ、灰色の三白眼を輝かせている。

 

 店の前に居たバニーガール達は一様に彼に見惚れた。

 

「あァ……ッ」

「大和様……ッ」

 

 恍惚とするバニーガール達。

 客引きの仕事も忘れている彼女達に対し美丈夫──大和はウィンクをし、去って行く。

 

 彼は歩きながら、凝り固まった首をグルグル回した。

 

「ふぅ、面白かったぜ。……金も稼げたし、やっぱり賭博は最高だな」

 

 酒、煙草、セッ〇ス、賭博──

 この男の趣味にまともなモノはない。

「人間の屑」「褐色肌の糞野郎」の二つ名は、この低俗な人間性から付いたものだった。

 

 大和のスマホが鳴る。

 彼は画面で名前を確認すると、迷う事なく応答した。

 

「もしもし」

『久しぶりだね。大和君』

「久々だな、努くん」

 

 大和は親しみを込めてその名を呼ぶ。

 電話の相手は大黒谷努(だいこくだに・つとむ)

 日本の首相──内閣総理大臣である。

 

 内閣府の代表その人だ。

 とんでもない権力者である。

 彼は野太い声でガラガラ笑った。

 

『君くらいだよ。私をくん付けで呼んでくれるのは』

「一緒に女漁りした仲じゃねぇの」

『嫌いじゃないよ。君のそういうフレンドリーなところは』

 

 電話越しに分厚い唇を歪める努。

 少し丸いが彫の深い顔立ち。太い眉に短い鼻。

 腹は出ているが、鍛えられた胸筋と腕筋は中々のもの。

 まるで歴戦の相撲取りだ。

 

 大和は彼に用件を聞く。

 

「で、何の用だ? まさか世間話をするために電話してきたんじゃあねぇだろう?」

『察しが良いね』

「依頼か? 誰を殺して欲しい」

『早まらないでくれ。今回は依頼じゃあ無い。伝えたい事があるんだ』

「何だ?」

『私の管轄下の人間が不穏な動きをしている。なんでも、君の命を狙っているらしい』

「表世界の殺し屋だったら楽なんだけどな。この都市に入った瞬間死んでくれる」

 

 クツクツと喉を鳴らす大和。

 努は忠告する。

 

『油断は禁物だよ。デスシティの殺し屋を雇う可能性だってある』

「何?」

『確証は無い。今部下に探らせているところだ。しかし、用心に越した事は無いだろう?』

「わざわざサンキューな」

『君は良きビジネスパートナーだ。当然だよ』

 

 努はそう言いながら、ベッドの上で腰を揺する。

 眼下で喘ぐ美女。

 尻を鷲掴まれ、いやらしい嬌声を一層高めた。

 大和は色々察し、肩を竦める。

 

「でもよォ努くん。こんな回りくどい真似せずに俺に頼んだらどうだ? 馬鹿な部下を殺してくれって。こちとら無法者だ、政治家だろうが殺せるぜ?」

『私達の問題だ、私達で解決するよ。この程度の問題を一々君に任せていてはキリが無いからね』

「おーけーおーけー」

 

 努の言い分もわかるので、鷹揚に頷く大和。

 そんな彼の視界に、とびきりの美女が映った。

 

 獣人族の女。

 頭の上から狼耳がひょっこり生えている。

 童顔ながらも可憐な顔立ち。

 ショートに整えられた黒髪はよく手入れされている。

 服装はTシャツにホットパンツというラフなスタイル。

 ボーイッシュな容姿だが、豊満な肉付きをしていた。

 

 彼女は満面の笑みで大和に駆け寄ると、その腕に抱きつく。

 ホットパンツから出ている尻尾がブンブン振られていた。

 

 大和は三白眼を丸めた後、スマホを離して彼女に聞く。

 

「え? お前誰?」

 

 美女は固まった。

 その後、頬をハムスターの様に膨らませ、大和の足を踏みつける。

 次に声を出そうとしたその唇に、大和は指を当てた。

 そして電話を指す。

 

 電話中だ。後にしろ。

 

 言外にそう告げていた。

 美女はもう一度頬を膨らませると、大和のすねを蹴る。

 大和は鬱陶しいとばかりに視線を逸らした。

 

「ああ、悪ぃな努くん。ちょっと絡まれてよぉ」

『君がかい? 珍しい事もあるものだ』

「まぁな」

 

 大和は狼女の頭を乱雑に撫でる。

 耳ごとモフモフされるも、彼女はまんざらでもない様子だった。

 その証拠に口元がニヤけている。

 

『話を戻そう。私達の問題は私達で解決する。もしも君にとばっちりが来た場合、悪いが君のほうで解決してくれないか?』

「本来なら慰謝料でも請求したいところだが……努くんは大事な顧客だ。いいぜ」

『ありがとう』

 

 大和は懸念している事を努に聞く。

 

「だが大丈夫か? 問題の発端はデスシティに関わってる可能性があるんだろう? 他にもデスシティの住民が絡んでる可能性が高いぜ」

『大丈夫さ。私も数十名ほど雇っている』

「さっすが」

『だが、やはりその都市で起こっている問題には関与できないんだ。何せ総理大臣だからね』

 

 努の言い草に、大和は吹き出す様に嘲笑した。

 

「それでも週一でここに遊びに来てるんだろう? ええ?」

『ハッハッハ。プライベートと仕事は別さ』

「いい建前だな」

『建前は重要だ。そして、こんな馬鹿みたいな建前を平気で呟ける今の環境を、私は何よりも愛している。だからこそだ。私は邪魔者に一切容赦しない。例え小さな芽であろうと、雑草であればすぐに摘む』

「金、女、権力。全て思いのままだもんな」

『んー、もう少しオブラートに包んで欲しいな』

 

 互いに笑い合う。

 不意に、大和は腹部に違和感を感じた。

 見下ろすと、狼女が己の衣服をはだけさせていた。

 

 彼女は舌なめずりしながら作業に没頭している。

 害は無さそうなので、大和は無視した。

 

 狼女の手は止まらない。

 大和の浴衣をどんどん崩してゆく。

 

 浴衣が緩み、大和の腹部が露わになった。

 狼女は表情を蕩けさせ、熱い熱い溜息を吐く。

 

 見事な腹筋だった。

 無駄な肉は筋肉すらも削ぎ落され、実用性のある肉のみが残っている。

 くっきり八つに割れた筋。体格の割に細いウエスト。

 

 機能美を極限まで追求した、筋肉のあるべき姿。

 あまりの美しさに、狼女は思わず涎を垂らした。

 

 そんな彼女を見て、大和は思わず苦笑する。

 

(アー思い出した。コイツ、筋肉フェチの傭兵狼女だ)

 

 過去に何度かセッ○スした仲だった。

 

『大和君?』

「ああ悪い、他の所に目がいっちまってよ」

『では、もうそろそろ通話を終えようか』

「おう。そっちは真っ最中なんだろう?」

『ああ、やっぱりわかるかい?』

「そりゃぁ、女の声がな」

『ハッハッハ』

 

 大和は笑いながら、再度下を覗く。

 狼女は脇腹にある刀傷に釘付けになっていた。

 

 大和の肉体には大小様々な傷跡が奔っている

 中でも脇腹の刀傷はクッキリと残っていた。

 

 狼女はソレを指でなぞる。

 耳がツンと立った。

 

 次にゆっくりと舌を這わせる。

 唾液のヌメリとした感覚に、大和は背筋を震わせた。

 

「……じゃあ努くん。また今度電話するわ」

『わかった。そうだ、今度一緒に女漁りをしないか? 今の愛人には飽きてしまってね』

「その内な」

『君も、その都市も、僕は大好きだよ。総理大臣としてでは無く個人的に、ね。では──』

 

 通話が切れる。

 大和は、刀傷にむしゃぶりつく狼女の頭を撫でた。

 狼女は驚くが、すぐに表情をだらしなくする。

 

「やけに積極的だな……発情期か?」

 

 間を置いて、コクリと頷く狼女。

 彼女は情欲に濡れた瞳で大和を見上げていた。

 大和は唇を歪める。

 

「……筋肉フェチの馬鹿女が。近くのホテルにいくぞ」

「!!」

「イイ声で喘がせてやる」

「~ッッ♡♡」

 

 狼女は嬉しさの余りジャンプして大和に抱きつく。

 大和は彼女をお姫様抱っこすると、近くのホテルへ足を向けた。

 

 

 



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三話「鎌鼬と毒蜘蛛」

 

 

 超犯罪都市、中央区。とあるモーテルの一室にて。

 薄暗い部屋の中、ソファーに座している男性が居た。

 ビジネススーツをしっかり着こなした日本人である。

 

 彼はとある政治家の代理人だった。

 大和の暗殺をデスシティの殺し屋に依頼しに来たのだ。

 依頼を託す殺し屋は、目の前にいる。

 

「……」

 

 美しいサムライだった。

 肩まで流した黒髪。女性と見紛うほど端正な顔立ち。

 細身ながらも鍛え抜かれた肉体。清涼感を醸す紺色の浴衣。

 傍らには大小二本の打刀が置かれている。

 

 重い空気の漂う中、代理人は何とか言葉を紡いだ。

 

「此度は面会に応じていただき、誠にありがとうございます。無礼を承知で、貴方が疾風(はやて)様で間違いありませんか?」

「はい。間違いありません」

 

 丁寧な返答。

 ほんの少し安心した代理人は、会話を進める。

 

「では率直に──貴方に殺して欲しい存在がいるのです」

「事前の話し合いで、其方(そちら)の素性は一切問わない約束です。私は殺しの対象を明確に示して貰い、報酬を貰えればそれで結構です」

「対象は──大和という男です」

「…………」

 

 疾風は驚愕したのか、その碧眼を見開く。

 

「……冗談の類、でしょうか?」

「冗談ではありません。本気です」

「……」

 

 疾風は顎を擦った後、代理人と視線を合わせる。

 無言の圧力に、代理人は生唾を飲み込んだ。

 

 暫くして、疾風は頷く。

 

「……わかりました。その依頼、引き受けましょう」

「本当ですか!」

「その反応……他の殺し屋には断られた様ですね」

「はい」

「口止めはしましたか?」

「大金で」

「安心しました、この都市の性質をよくわかっているようで……腕の良い用心棒も雇っているみたいですし」

 

 疾風は代理人の背後に視線を向ける。

 そこには、白いスーツとサングラスが似合う大男が佇んでいた。

 

 ベテランの用心棒、右之助である。

 彼は終始、苦い笑みを浮かべていた。

 

 代理人は会話を進める。

 

「それでは、報酬についてお話します」

「はい」

 

 その後、依頼を託した代理人は右之助を伴いモーテルを出て行った。

 最後に右之助は振り返り、疾風に首を横に振った。

 彼が何を伝えたいのか──疾風は概ね察していた。

 

 暫くして。

 疾風はしみじみと呟く。

 

「──遂に来たましたね。この時が」

 

 鎌鼬の疾風。

 巷でそう呼ばれている。

 まるで一陣の風の如く、対象を斬り殺す様から付いた二つ名だ。

 疾風は傍らに置いていた愛刀に触れる。

 

「強者と戦い、打ち勝つのは武人の誉れ。数多の屍を踏み越えた先にこそ、真の強さがある……」

 

 疾風は微笑む。

 その微笑には、武人特有の狂気が滲んでいた。

 笑みから零れる、強烈な死。

 武人と殺戮者が表裏一体である事を、彼は笑顔だけで表していた。

 

「……そう。大和に挑むのね」

 

 部屋に繋がる扉が開かれる。

 そこには、美し過ぎる女がいた。

 

 紫色を帯びた黒髪は腰まで流れ、奈落の底の如き瞳が潤む。

 青白い肌と泣きぼくろが彼女の端正過ぎる顔立ちを更に強調していた。

 服装は純白のドレス、黄金比を誇る女体が際立つ。

 ハイヒールによって元々高い身長が更に高くなっていた。

 

 彼女は心底残念そうに告げる。

 

「右之助の表情、見たでしょう? それでもやるの?」

「はい」

「なら、もう貴方と寝れなくなるわね。……結構気に入ってたのに、残念だわ」

 

 疾風の前を通り過ぎる美女。

 玄関へ続く扉に手をかけ、一度振り返った。

 

「ばいばい」

「……」

 

 疾風は何も言わなかった。

 美女もそれ以降振り返らなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 薄暗い路地裏を歩いていく美女。

 スマホが鳴ったので画面を確認し、応答する。

 

「はぁい、努ちゃん」

『ああ、久しぶりだねアラクネ君』

 

 美女──アラクネは妖艶に笑う。

 

「久しぶりねぇ。どうしたの? 私の身体が恋しくなっちゃった?」

『否定はしないが、今回は急用でね。今、大丈夫かな?』

「大丈夫よ、どうしたの?」

 

 電話の相手──総理大臣、大黒谷努は緊迫した声音で問う。

 

『君は──大和君の暗殺に関わっているかい?』

「これはまた……随分と突拍子な話題ねぇ」

 

 アラクネは先程の疾風の一件を思い出し、薄っすらと笑った。

 

『君とネメア君がどんな立場にいるのか、どうしても気になってね』

「……フフフ、大丈夫よ努ちゃん。少なくとも私は関わってないわ」

『本当かい?』

「ええ、ネメアも同じだと思うわ」

 

 努は安心したのか、大きく溜め息を吐く。

 

『安心したよ。三羽烏同士の殺し合いにならないようで』

「一応、ネメアにも確認をとっておいたほうがいいんじゃない?」

『そうするよ。悪いね、時間を取らせてしまって』

「大丈夫よ。でも、今度は仕事以外で電話してね? 努ちゃんは床上手だから、何時でも歓迎よ」

『ハッハッハ、なら今度お願いしようかな』

 

 互いに良い気分で通話を終える。

 アラクネはスマホをしまい、歩き始めた。

 

 妖物が数名、彼女の背後から迫っていた。

 その極上の女体を眼前にして、彼等は涎を滴らせている。

 

「下手糞ね……呆れちゃうわ」

 

 アラクネが嘆息すると同時に、妖物達が二つに分かれる。

 縦、あるいは横に両断された。

 妖物達は悲鳴を上げる事なく息絶える。

 

 アラクネは自身の周囲に「蜘蛛の巣」を纏わせていた。

 暫くすると、中央区の大通りに出る。

 彼女は暗い笑みを浮かべながら雑踏に紛れていった。

 

 アラクネ。通称「毒蜘蛛」

 鋼糸術と猛毒を中心に、あらゆる暗殺技術を極めた世界最強の暗殺者。

 デスシティの三羽烏の一角──つまり、大和とネメアと同格の存在である。

 

 世界最強の殺し屋、大和。

 世界最強の傭兵、ネメア。

 世界最強の暗殺者、アラクネ。

 

 デスシティの住民は多大な畏怖を込めて、彼等を「三羽烏」と呼ぶ。

 



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四話「師弟」

 

 

 大衆酒場ゲートにて。大和はゆっくりと寛いでいた。

 彼は何時ものカウンター席では無く、団体用のテーブル席に座っている。

 理由は両脇に侍る女達だ。

 

「大和ぉ……はやくホテルいかない?」

 

 猫なで声を上げて、金髪碧眼のエルフが大和にしなだれかかる。

 薄いシャツから豊満な乳房が零れそうだった。

 ウェーブのかかった金髪は生来のものであり煌びやか。

 陶磁器の如き白い肌は興奮で桃色に染まっている。

 

「むぅ、本当は私が大和と楽しむ予定だったんだ。図々しいぞ」

 

 反対方向で、銀髪赤目のダークエルフが頬を膨らませていた。

 エルフと同じく私服姿で、長いポニーテイルを揺らしている。

 豊満な乳房を窮屈そうに揺らしながら、女性特有の甘ったるい香りをふり撒いていた。

 

 剣呑な様子の彼女達に、大和は妖艶に笑いかける。

 

「喧嘩すんなよ。後でまとめて可愛がってやるから──」

 

 抱き寄せられ、低い声で囁かれる。

 それだけで女達は表情を蕩かせた。

 

 そんな三名の前に、ウェイトレスの美女がやって来た。

 金髪碧眼のカウガール。以前、大和が口説いた女性だ。

 彼女は一瞬複雑そうな表情をしたが、次には明るい笑顔を作る。

 

「いらっしゃいませー! ご注文伺いますよ~♪」

「ん? じゃあ──おすすめのラムを三本。後はドライフルーツの盛り合わせ」

「かしこまりました! 少々お待ちくださいねーっ」

 

 踵を返すウェイトレス。

 その背に大和は声をかげた。

 

「おい。追加の注文、いいか?」

「はい! 何でしょう?」

 

 ウェイトレスは振り返る。

 大和は懐から小紙を取り出し、ウェイトレスに差し出した。

 ウェイトレスは半信半疑で受け取る。

 

 小紙には──電話番号が記載されていた。

 大和の携帯番号だ。

 

「その気があったら何時でもかけてきな」

「あっ……えっと、そのっ」

 

 突然の申し出に戸惑うウェイトレス。

 驚き半分、嬉しさ半分と言ったところだろう。

 大和は甘い声音でささやいた。

 

「可愛がってやるからよぅ」

「……~っ♡」

 

 ウェイトレスは顔を真っ赤にする。

 彼女は両手で小紙を包み込み、嬉しそうに去って行った。

 その背に大和は柔らかい笑みを向けていたが──両脇の女達は唇を尖らせている。

 

「大和のばかっ」

「全く、節操が無いのは相変わらずだな」

「そう怒んなって……今夜はたっぷり相手してやる」

「……満足させてくれなきゃ、許さないからねっ」

「期待しているぞ」

 

 二名は大和に体重を預ける。

 そんな彼女達の頭を、大和はくしゃりと撫で上げた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方、カウンター席では純白のスーツを着た大男──右之助が、大和の様子を見ながらニヤニヤ笑っていた。

 彼は紫煙をくゆらせながら、店主に問いかける。

 

「へいへい店主さん、雇ってるウェイトレスが例の女っ垂らしに口説かれてますよ。注意しなくていいんですかぃ?」

 

 茶目っ気たっぷりの質問に、店主である金髪の偉丈夫──ネメアは眉を顰めた。

 彼は広げた新聞から視線を外さず、ぶっきら棒に返す。

 

「知らん。警告はしてる。アイツに関わるとロクな事にならんぞ──と。それでも関わるんなら、後は自己責任だ」

「カッカッカ、厳しいねぇ!」

 

 ネメアは大笑いする右之助にジト目を向けた。

 

「右之助、お前もアイツの事は言えないぞ。お前には四人駄目にされた」

「ありゃ? 俺を棚上げする? よせやい。寄ってきたのは女のほうだ」

「変わらんだろう。アイツと」

 

 ネメアは溜息を吐く。

 右之助は肩を竦めた。

 

「アレと一緒にすんなっての。見ろよ、女共がまるで花に寄ってたかる蝶みてぇだ」

「蝶とは、また随分綺麗な例えだな。砂糖に群がる蟻みたいなものだろう」

「うっは、心痛。……ネメア、お前女が嫌いなのか?」

 

 苦笑する右之助に、ネメアは鼻を鳴らす。

 

「好きではないな。特にこの世界の女は……誰にでも股を開く」

「その単純さがいいんじゃねぇか」

「……」

「ふむ……」

 

 ネメアの不機嫌そうな横顔を拝んだ右之助は、一つ質問する。

 

「なぁネメア」

「何だ」

「お前もしかして……ゲイか?」

「ぶっ殺すぞ」

「ありゃ、違った?」

「出禁にするぞ」

「すんません」

 

 鋭い眼光を伴った碧眼に射貫かれ、謝る右之助。

 平謝りだったが、ネメアはそれ以上追求しなかった。

 面倒臭いのだ。

 

「……ところで、右之助」

「あん?」

 

 ネメアは新聞を畳み、頬杖をつく。

 彼の雰囲気が変わったので、右之助は首を傾げた。

 

「最近、大和に殺し屋が雇われたらしい。……誰か心当たりはないか?」

「いやぁ、全然」

 

 素知らぬフリをする右之助。

 実は知っているのだが、彼もプロである。

 仕事に関わる情報は容易に出さない。

 

 対して、ネメアは残念そうに肩を竦めた。

 

「そうか、残念だ。最近、東区のみで製造されている幻の芋焼酎を手に入れたんだが……他の奴に振る舞うか」

「オイオイそりゃ無いぜ。ちょいタンマ。話し合おう」

「やっぱり知ってるんだな」

 

 右之助の狼狽ぶりを見て、ニヤリと笑みを浮かべるネメア。

 

「お前はそんじょそこらの情報屋より顔が広いからな」

「褒めてるつもりか? アア?」

「で、返事は?」

 

 しばしの沈黙の後、右之助はくぐもった声で言った。

 

「……ほんの一部の情報しか流せねぇ、こっちも商売だからな」

「十分だ」

「……後、その芋焼酎は全部俺が飲む。完全に予約したからな、誰にも渡すなよ。特に大和には!」

「はいはい」

 

 急に子供っぽくなった右之助にネメアは苦笑する。

 右之助は大きな溜息を吐くと、小声で喋り始めた。

 

「本当に、極一部の情報しか渡せねぇからな」

「構わん。俺としては、その殺し屋に理性があるか、無いか、それだけが知りたいんだ」

「……ハァ? 何でそんな事」

「店で殺し合いをされたら困る。理性の無い奴なら、暫く大和を出禁にする」

「成程」

 

 右之助は顎を擦った後、苦笑した。

 

「出禁にしたほうがいいかもな」

「ありがとう。助かった」

「芋焼酎は後でいいぜ。先に話付けてきな」

「ああ」

 

 ネメアは立ち上がり、大和の元へ向かう。

 しかし──少し遅かった。

 

 例の殺し屋は、既に店内に入って来ていた。

 

 紺色の浴衣が揺れる。

 細身ながらも鍛え抜かれた肉体。

 垂れ流された黒髪の合間から見えるのは、紺碧の双眸。

 

 鎌鼬の疾風(はやて)

 

 彼は大和の席の前で立ち止まる。

 周囲の客人達は何事かと振り返った。

 

 大和は侍る女達を立ち退かせる。

 そして、その灰色の三白眼を嫌悪によって細めた。

 

 疾風は丁寧に告げる。

 

「お久しぶりです。貴方を殺しに来ました──師匠」

「政治家に雇われた殺し屋、まさかテメェとはな……剣技を叩き込んだ恩義を忘れたか、クソ弟子」

 

 両者は睨み合う。

 膨れ上がる殺気は、酒場にいる客人達を心底恐れさせた。

 

 

 師弟同士の殺し合いが、始まろうとしている。



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五話「武人と殺し屋」

 

 

 

 酒場の空気が重くなる。

 鉛が纏わり付くかの様な感覚に、客人達は総じて眉を顰めた。

 

 殺気──

 

 静まり返る店内に、疾風の爽やかな声が響き渡る。

 

「真剣勝負を申し込みます。……受けてくださいますか?」

「やだ♪」

 

 場の空気が凍り付いた。

 大和はシッシと煩わしそうに手を振る。

 

「依頼をキャンセルしな。今なら見逃してやる」

「できませんね」

「……二度は言わねぇぞ?」

「私も、二度は言いません」

「…………ハァァ」

 

 大和は心底面倒臭そうに溜息を吐いた。

 その後、鬱屈げに言う。

 

「わーったよ……それでも、この場で殺し合いってのは止めようや。ネメアの奴がブチ切れる」

 

 大和の視線の先には──額に青筋を立てているネメアがいた。

 尋常じゃ無い怒気を放っている。

 あまりの圧力に、客人達が悲鳴を上げた。

 

 酒場の緊迫感が一層高まる。

 一色触発の空気の中、疾風は苦笑した。

 

「私の標的はあなた一人です。外に出ましょう、周囲の方達には迷惑をかけたくない」

「……」

 

 疾風からの提案。

 大和はネメアを見る。

 

 ネメアは強い眼差しで店外を指した。

 大和は肩を竦めると、手前に置いてあったラムを掲げる。

 

「一本くらい飲ませてくれや」

「殺し合いの前に酒を飲む? 冗談はやめてください、師匠」

「テメェ程度の雑魚、酔ってても殺せる」

「ッ」

 

 唇を噛み締める疾風。

 大和はケラケラと笑った。

 

「テメェも飲めよ、最後くらい師匠に気ぃ遣えや」

「…………」

 

 大和からグラスを投げ渡され、疾風は無表情でキャッチする。

 

「……では、水を一杯だけ」

「おう♪」

 

 大和は笑顔で頷くと、ラムを豪快にラッパ飲みした。

 疾風はグラスに冷水を注ぎ、口に含もうとする。

 しかし──

 

「…………」

 

 グラスに唇を付けず、手を止める。

 グラスの淵を指でなぞり、鼻を近付けた。

 疾風は呟く。

 

「……毒、ですね」

「ありゃ、バレちまったか」

 

 大和は舌を出す。

 開き直ったのだろう、疾風に対し毒を吐いた。

 

「アー面倒臭ェ、マジで面倒臭ェ。おとなしく死んどけよクソッタレ」

「~っ」

 

 師のあまりの言い様に、疾風の顔が歪んだ。

 

「貴方は……仮にも真剣勝負を挑んだ相手を、毒殺するんですかッ」

「殺しに真剣も糞もあるか、馬鹿が」

「……ッッ」

 

 同じ武術家でも、ここまで主張が違うものか──

 疾風は歯ぎしりした。

 

「やはり貴方は武人では無い。武術家では、無い」

 

 肩を震わせている疾風に、大和は嘲笑する。

 

「俺が武術家を名乗らねぇ理由はな、テメェみてぇな信念だけが一丁前の雑魚に絡まれたくねぇからだ」

「……」

「楽に金を稼げて、邪魔な奴を手っ取り早くぶっ殺せる「技術」。それが俺の武術だ」

「ッッ」

 

 一人の武術家として、今の言葉は看過できるものではなかった。

 疾風は思わず構えそうになる。

 

 それを手で制し、大和は立ち上がった。

 

「行こうぜ、外に」

「……」

 

 歩き始める大和。

 疾風は険しい表情のまま、その背に続いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 酒場を出ると、騒がしい夜景が二人の眼前に広がった。

 大和は立ち止まり、懐からラッキーストライク(煙草)を取り出す。

 火を点けると、背後にいる疾風に告げた。

 

「お前に武術の基礎を叩き込んだ後、俺ぁ言わなかったか? 何事も程々にしろって」

「……」

「殺しも、女も、酒も、博打も、ハマり過ぎると命を落す事になる。……この助言、俺なりに気を遣ったつもりなんだがなァ」

 

 振り返る大和。

 疾風は頭を下げた。

 

「武術の基礎を教えて頂いた御恩、忘れた事はありません。……ですが、お覚悟を」

 

 腰に帯びた太刀に手を伸ばす疾風。

 

「……ったく、真剣勝負なんざ挑まずに、とっとと殺しにくればよかったのによォ」

 

 大和は苦笑した。

 

「──だからテメェは馬鹿なんだ」

 

 その言葉を耳にした瞬間、疾風は地面に崩れ落ちる。

 思い通りに動かない肉体に、疾風自身が驚愕していた。

 

「何が、起こって……ゴフッッ」

 

 その口から溢れ出たのは、濁った血。

 疾風は血に混じるニオイを嗅ぎ分けると、その碧眼を見開いた。

 

「毒……ッ、何故……寸前で回避した筈ッ、それが、グボッッ」

 

 再度吐血する。

 胸を抑え激痛に耐える彼の前に、大和は屈んだ。

 

「お前、最近アラクネの奴と寝たろ?」

「!!」

「アイツぁ毒素の塊みてぇな女でな。普段は毒の分泌を抑えて、誰とでも楽しめるようにしてるんだ」

「ッ」

 

 大和は不気味に唇を歪める。

 

「でもな、アイツと交わると少なからず毒素を体内に宿す事になる。その毒素は普段無害なんだが──俺が開発した秘蔵の毒を使うと、反応して致死性の猛毒に変わる」

「!!?」

「匂いを嗅がせるだけでいいんだ。スゲェだろ?」

 

 自慢げに笑った大和は立ち上がり、紫煙を吐き出す。

 

「もって10秒ってところだ……あばよ馬鹿弟子。今度は地獄の鬼相手に「武術家ごっこ」を楽しんでこい」

 

「く、ァ……ああァッッッッ!!!!」

 

 疾風は最後の力を振り絞った。

 渾身の抜刀術を放つ。

 

 満身創痍。しかし全身全霊。

 あらん限りの闘気を込めた、渾身の斬撃。

 

 しかし、斬撃は虚しくも大和の横を掠めただけたった。

 背後の高層ビルが何棟も両断される。

 

 大和は微動だにしなかった。

 ただ、嗤っていた。

 

 

「さっさと死ね」

 

 

 嘲笑。

 それを最後に、疾風は絶命した。

 死に絶えた肉袋を一瞥し、大和は煙草を吸う。

 紫煙をくゆらせた後、スマホで「ある一団」に電話をかけた。

 

『ほいほい幽香だぜ! どうした大和……ってうおお!!? 目の前のビルが両断されたァ!!?』

「死体を一体買い取ってくれ。それなりに腕の立つ武術家だ。そのビルも、ソイツが斬り倒した」

『マジでか!! 状態は!?』

「毒素が回ってる。が、しっかり毒抜きすりゃあ問題無い。四肢欠損も無しだ」

『最高じゃんか!! 何処だ!? 今すぐ行く!!』

「ゲートの前だ。目印で俺の大太刀を突き立てて置く。早めに頼むぜ」

『おうさ! 買い取り手を探すから、報酬の受け渡しは後日改めてな!』

「はいよ。じゃーな」

 

 通話を止めると、大和は煙草をポイ捨てする。

 次に疾風の得物と財布を頂戴した。

 財布の中身を確認すれば、がっくり肩を落とす。

 

「しけてやがる……まぁ、コレ売ったらそれなりの額になるか」

 

 大和は疾風の得物を手の中で弄ぶ。

 その後、己の得物である大太刀を抜き放ち、死体の前に突き立てた。

 

 赤柄巻の大太刀は大和の主力武器として有名だ。

 コレを刺しておけば、余程の馬鹿じゃない限り横取りしようとはしない。

 

 現に、おこぼれを頂戴しようとしていた輩が舌打ち交じりに去って行く。

 大和は肩を竦めた。

 

「酔いも覚めちまった……飲み直しだな」

 

 踵を返す大和。

 感傷もなければ、後悔もない──

 大和は弟子を殺した事に対して、微塵の感慨も抱いていなかった。

 

 殺す必要があったから殺した。

 大和にとって、ソレは十分過ぎる理由だった。

 

 武人と殺し屋。

 

 殺すという事柄に於いて、殺し屋である大和のほうが何枚も上手だった。

 腕前も、心構えも──

 

「さっきの女達、まだいるかなぁ」

 

 下駄をカランカラン鳴らしながらゲートへ戻っていく大和。

 すると、店の前に金髪の偉丈夫が立っていた。

 ネメアである。

 彼は眉間にこれでもかというほど皺を寄せていた。

 

「話がある。店の中に来い」

「…………アー、ちょっと急用思い出したわ。帰る」

「逃がさん」

 

 回れ右をした大和の首根っこをネメアは掴み取る。

 そのまま店内へ引きずっていった。

 

「オイ、待てよネメア。何でそんなに怒ってんだ?」

「店内で毒を使っただろう」

「被害は出なかったじゃねぇの」

「そういう問題じゃない。いいから来い。今夜は説教だ」

「ちょ、待てって、オイ……なぁネメア、この引きずり方やめてくんね? なんかアホっぽい」

「丁度いいだろう、このド阿呆が」

 

 世界最強の殺し屋が問答無用で引きずられていく。

 その光景は中々にシュールだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 時間帯は深夜。

 東京都の某区、とある豪邸にて。

 彼岸花が舞い散る。

 その花びらは生臭く、至る所にこびり付いていた。

 

 此処はとある政治家の私有地。

 現在、襲撃を受けている。

 護衛、家族使用人、等しく皆殺しにされていた。

 

「……そんな、何故ッ、何故……ッッ」

 

 黒髪を綺麗に整えた壮年の男性。

 彼は顔面を蒼白に染め上げていた。

 逃げて、逃げて、最後に自分の私室にたどり着いた。

 その頬に付着した血が、彼の眼前で起こった惨劇を物語っている。

 

 男性は総身を抱きしめながら、何故この様な事が起こったのか──必死に考えていた。

 

 唐突に、スマホの着信音が鳴り響く。

 男性は飛び跳ねそうになりながらも、画面を確認した。

 映し出された名前を見るや否や──表情を歪ませる。

 悲哀と憤怒、両方の感情を込めて、男性は応答した。

 

「貴方ですか……貴方なのですか──大黒谷(だいこくだに)首相ッッ」

『ハッハッハ、まだ生きているとは……存外しぶといじゃないか。でも大丈夫だよ、もうすぐ死ねるから』

 

 歴戦の相撲取りの如き巨漢は、電話越しに分厚い唇を歪めた。

 内閣総理大臣、大黒谷努(だいこくだに・つとむ)

 彼の声音は明るく、しかし男性には酷く冷淡に聞こえた。

 

「何故ですか!! 何故、この様な惨い仕打ちをッ!!」

『君が喧嘩を売ってきたんだろう?』

「それでも妻子は、使用人達は、関係無かった……ッッ」

『君が選択した未来だ。君の配慮無き行動が、彼女達を殺したのだよ』

 

 無慈悲な言葉。

 男性は唇を噛み締め、血を滲ませる。

 

「大黒谷ィ……ッッ、お前は、お前という奴はッ!!!!」

『君は良き政治家だった。しかしね──良過ぎたのだよ』

「……何を、言って」

『この世界がどれだけの「闇」を抱えているか──君なら理解しているだろう?』

「ッ」

 

 男性は息を飲む。

 彼は、その「闇」を駆逐せんがために暗躍していた。

 自らの手を汚してまで、「闇」と戦おうとしていた。

 

 その結果、現在の惨状が在るのだ。

 まるで弱みを突かれたかように、男性は二の句を出せなかった。

 

『世界中のあらゆる「闇」が詰め込まれた場所、デスシティ。君は此処を嫌悪し、排除しようと目論んだ。……困るんだよ。あそこは世界にとって、必要不可欠な場所なんだ』

『あんなッ、悪という悪が集った場所が!! 世界にとって必要不可欠!!? 認めない!! 断じて!!」

 

 男性は正義感が強い。

 だからこそ認められなかった。

 国が、政府が、あのような都市を黙認している事実を──

 

 しかし、大黒谷は冷酷に告げる。

 

『現実から目を逸らさないで欲しい。考えてみてくれたまえ。何故、我々の世界が平穏無事なのかを』

「……」

『人外の過半数がデスシティに移住してくれたおかげで、人類は搾取される側ではなく、する側に立てている。何より、日夜齎される莫大な利潤が世界経済を支えているのだよ。このパイプが切れてしまえば、困るのは我々だけではない。文字通り、世界が傾く』

「貴方が!! よりによって貴方が!! 犯罪都市を肯定するのか!!? 何とも思わないのか!! あの矛盾の坩堝を!! 仮にも政治家だろうッ!!」

『……ふぅ』

 

 電話越しに、大黒谷の溜息が響き渡った。

 そのため息には、深い落胆が込められていた。

 

『もう時間が無い、この際はっきりと言っておこう。政治家は人間だ。そして、人間は綺麗であろうとしても獣の如き欲を隠し切れない。この欲を否定するのは、人間という種族を否定する事と同じだ』

「何が言いたい……ッ」

『人間の上に立っているのは、人間なのだよ。神でも英雄でも無い、ただの人間だ。……私は人間の善性も、悪性も、尊いものだと思っている』

 

 

 

 ────君は、あまりにも正し過ぎた。人間は、世界は、君の様に正しく無い。

 

 

 

 その言葉を最後に、男性の首が跳んだ。

 首を失った胴体。そこから間欠泉の様に鮮血が迸る。

 男性の首を刈ったのは、暗殺者だった。

 漆黒のマスクを被った不気味な存在。

 彼は床に落ちたスマホを手に取った。

 

「任務、完了致しました」

『御苦労。死体を処理した後、戻ってきなさい。後始末はこちらでする』

「かしこまりました」

 

 頷き、闇に消える暗殺者。

 総理大臣直轄の暗殺部隊は、全員デスシティの住民だ。

 表世界の住民が敵う道理は、万に一つもない。

 

 そして、そんな彼らの総力を以てしても努には傷一つ負わせられない。

 

 大黒谷努。真名を関太郎吉(せき・たろうきち)

 信濃国小県郡大石村出身の元・大相撲力士。

 四股名は「雷電爲右エ門(らいでんためえもん)」。

 

 史上最強と名高い相撲取りだ。

 

 彼は数十年前、世界最強の拳法家四名に与えられる「四大魔拳」の称号を返上し、日本の総理大臣になった。

 

 愛国者である彼は最強の称号よりも母国の安寧を優先したのだ。

 

 この後、強力な情報操作によってこの事件は闇に葬られた。

 まるで、何も無かったかのように……

 

 世界は何時だって不条理だ。

 正義の味方が勝つのはお伽噺の中だけ。

 都合の良い英雄など、何処にも存在しない。

 

 善悪のバランスは常に拮抗している。

 表世界が平和であればある程、デスシティの闇は濃く深くなる。

 

 森羅万象。陰陽の理。

 光と影のバランスは、常に保たれている。

 誰でも無い、表世界の権力者、その頂点に君臨する者達によって──

 

 

 世界は、どこまでも残酷だった。

 

 

《完》



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悪辣なる犯罪都市よ
胡乱な住民達 前編


 

 

 デスシティはやはり夜が一番活気づく。

 科学ガスと瘴気で曇った夜空も、七色のネオンサイトによって否応無しに明るくなる。

 

 道端では人間そっくりなアンドロイド達が道路の舗装作業を行っていた。

 補助をしているのは羽虫の様な小型ロボ。

 そして、無骨な巨大ロボが材料の運搬を行っている。

 

 巨大ロボ。「VS」──正式名称「バイタルスーツ」。

 重戦車に足を生やしたようなデザインが特徴だ。

 全高は五メートル。かなりの重量を誇るため、歩く度に地面を揺らしている。

 

 作業中のロボ達を護衛しているのは、ビームサーベルやレーザーライフルを装備したサイボーグ達だ。

 多機能的な容姿をした者が多い中、見目麗しい美少女もいる。

 計算された色合いの薄桃色の長髪。際どいデザインのボディアーマー。

 頭からひょっこりと生えているうさ耳は、どこか神秘的だった。

 

 近未来的な光景。

 しかし、すぐ横には妖精の代表格であるエルフやオークが歩いている。

 他にもダークエルフ、サキュバス、ドワーフ、デュラハン。

 獣人族や宇宙人、虫族、ぬりかべ、一反木綿など──

 

 科学と幻想。

 相反する要素が融合し、歪な均整を保っている。

 それがここ、超犯罪都市デスシティだ。

 

 超犯罪都市という二つ名は伊達では無い。

 文字通り最悪の治安を誇る。

 最悪、というより「治安」という概念が存在しない。

 

 実際に、外を散歩しているだけで暴力団の抗争に巻き込まれる。

 不気味な娼婦や邪教徒に騙され付いて行けば最後、明日の朝陽は拝めない。

 美女美少女であれば、オークの集団に輪姦される事もあった。

 

 この都市における「命」の価値は実に軽い。

 人間だろうが魔族だろうが邪神だろうが、命の重さは変わらない。

 たった一つの、ちっぽけな命だ。

 

 その命に「格」を付けるとするなら、それは「強さ」だ。

 弱肉強食。

 人間も神も、男も女も、関係ない。

 強者が幸福を手に入れ、弱者は死を突きつけられる。

 

 此処はとても残酷で、とても単純な世界──

 

「……」

 

 摩天楼の中を、不気味な路面電車が走行していた。

 磁力で浮遊している路面電車は、音も無く駅へと停車する。

 

 車内からとびきりの美人が降りてきた。

 年齢は二十代前半ほど。

 肩あたりで切り揃えられた黒髪。ブラウン色の瞳。

 東洋人特有の彫りの浅い顔立ち。

 着ている漆黒の制服と帽子が良く似合っている。

 その佇まいは、バスの運転手をイメージさせた。

 

 古き良き大和撫子だが、身に纏う雰囲気は何処か淫ら。

 内側から色気が漏れ出しているのだ。

 その最たる理由は、魅惑的な肢体だった。

 制服のボタンを弾き飛ばしそうなほど豊満な乳房。括れた腰、張りのある尻。

 歩くだけで男共の視線を釘付けにする。

 

 彼女の名は死織(しおり)

 デスシティの交通機関、闇バス・闇タクシーの運転手だ。

 

 その巨乳が揺れる度に細い腰が強調される。

 男達は一様に生唾を飲み込んだ。

 彼等は死織に話しかけようとするが、その前に彼女は大衆酒場に入ってしまう。

 

 大衆酒場ゲート。

 デスシティにおいて純粋に料理と酒を楽しむ事ができる貴重な場所だ。

 その理由は、偏に店主の腕っ節によるものだった。

 

 店主の名はネメア。

 世界最強の傭兵、通称「傭兵王」。

 デスシティの三羽烏の一角に名を連ねる、百戦錬磨の豪傑である。

 邪神すら葬り去るこの男は、名実共にデスシティの最強格だった。

 

 彼の経営する酒場は料理もうまいし酒もうまい。更に従業員は美男美女揃い。

 中心地でも一番人気の店である。

 

 店内に入った死織。

 西部開拓時代を連想させる粋な店内を見渡した後、ネメアに会釈した。

 カウンターの奥で新聞を読んでいたネメアは軽く手を上げる。

 

 彼の容姿は「ある男」のせいであまり目立たない。

 が、かなりのものだ。

 

 ツーブロックに刈られた金髪。瞳は髪と同じ黄金色。

 彫りは深いが決してクドくない顔立ち。

 体躯は筋骨隆々。身長は二メートルを超えている。

 服装はあまり拘っていないのだろう。

 白のシャツにジーンズ。エプロンは焦げ茶色と至って簡素だ。

 

 清潔だが派手さはない。

 しかし、その和やかな雰囲気は傍にいるだけで他者を安心させる。

 

 デスシティにおいて本当に珍しい温和な男。

 それがネメアだった。

 

「さて……」

 

 死織はどの席に座ろうかと店内を見渡す。

 すると、男性の陽気な声がかけられた。

 

「死織、こっちだこっち」

 

 カウンターから離れたテーブル席に、厳つい大男がいた。

 死織に手招きしている。

 

 白いスーツにサングラス。黒髪はワックスでオールバック。

 顔中に刻まれた傷跡は生々しいが、それがかえって魅力になっている。

 堂々たる体躯を誇り、スーツの上からでもわかる筋肉は凄まじいの一言。

 服装といい、まるで武闘派のヤクザだ。

 

 右之助(うのすけ)──腕利きの用心棒である。

 彼は死織に向かい破顔した。

 傷だらけの厳つい顔なのに、笑顔が妙に愛くるしい。

 

 死織も笑顔で彼の席へ向かった。

 

「よぅ、久々だな」

「お久しぶりです。右之助さん」

「隣空いてるんだ、どうだ?」

「では、お言葉に甘えて」

 

 一礼し、右之助の隣に座る死織。

 右之助は頬杖を付き、苦笑交じりに彼女に聞いた。

 

「最近どうよ?」

「んー、まぁまぁですかね。以前のティンダロスの王の時は死にかけましたが」

「ああアレな。大和の奴、派手に暴れたもんなぁ」

「ええ全く。ですが邪神相手にあの程度の被害で済んだのです。納得のしようもあります」

「ま、それもそうだな」

 

 右之助は頷きながらジョッキを呷る。

 死織はふと、思い出したように呟いた。

 

「そういえばあの時、著名な猛者達は出てきませんでしたね」

「興味がなかったのか、それとも自分達が出るほどの案件じゃなかったのか……まぁ、前者だろうな」

 

 アルコール交じりの溜息を吐く右之助。

 デスシティには大和に負けず劣らずのバケモノ共が沢山いる。

 対して死織は、何故かキランと瞳を輝かせた。

 

「大丈夫ですよ右之助さん。何かあったら此処に逃げ込めばいいんです」

「おう、そりゃ名案だぜ死織」

「此処に隠れていれば、その内大和かアラクネさんが解決してくれるでしょう」

「アイツ等に全部任せとけば大丈夫だな」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべる二人。

 かなり他人任せだが、これ位図太くなければこの都市では生きていけない。

 

 ふと、右之助は「ある二人」の気配を感じ取って振り返った。

 そしてケラリと笑う。

 

「噂をすれば、だ」

 

 ウェスタンドアが開かれる。

 酒場に入って来た者達を見て、死織は成る程と頷いた。

 

 デスシティの三羽烏。

 世界最強の殺し屋と世界最強の暗殺者。

『黒鬼』と『毒蜘蛛』

 

 大和とアラクネ、二人揃っての登場である。

 

 酒場の空気がガラリと変わった。

 

 

 ◆◆

 

 

 二名の美貌はあまりに強かった。

 強すぎた。

 故に、見えない引力と成っていた。

 

 酒場にいる全員の視線を無理やり吸い寄せる。

 会話すらも許しはしない。

 

 男の美貌は暴力的だった。

 滲み出る迫力と殺気がそのまま色気に変換されている。

 生来の優れすぎた容姿が拍車をかけていた。

 弱い女はすぐに理性を蕩かされてしまう。

 強い女も、自分より強い雄に疼きを抑えられなくなる。

 

 雄々しくも美しい佇まい。

 滑らかな黒髪は後ろで丁寧に結われている。

 鍛え抜かれた小麦色の肉体は優に二メートルを超えていた。

 自信たっぷりな笑顔は、今まで積み重ねてきた経験と努力に裏打ちされているのだろう。

 チラリと見えるギザ歯は凶悪だが、どこかキュート。

 しかし、灰色の三白眼は氷のように冷たい。

 彼が冷酷な殺戮者である事を暗に物語っていた。

 

 隣にいる女は実に妖しげだった。

 まるで毒蛾のような、危険でいながら他を寄せ付けない圧倒的美しさを誇っている。

 

 シミ一つない透き通った肌。

 90センチを優に超える豊満な乳房に、見事に引き締まった腰周り。

 尻は安産型で思わず揉みしだきたくなる。

 紫色を帯びた黒髪は腰までスラリと流れていた。

 顔立ちは端正を通り越して最早異端。

 どれほど才に恵まれた芸術家でも再現できないだろう。

「女性の美」、その極致を体現していた。

 しかし、その瞳は奈落の如き暗黒色で、彼女の底知れない『闇』を垣間見れる。

 

 静寂が酒場を支配していた。

 女達は大和に。

 男達はアラクネに。

 それぞれ、呼吸を忘れるほど魅入っている。

 

 デスシティを代表する男女。

 その二人が今、並び歩いていた。

 

 下駄とハイヒールの音がやけに大きく響く。

 ふと、死織と右之助を見つけた大和。

 二人に手を振られたので、片目を閉じて返す。

 

「……ぁぁ、やっぱりイイ」

 

 熱い溜息と共に頬杖をつく死織。

 その蕩けきった表情に、右之助は思わず苦笑した。

 

「ちょっと」

「ア?」

 

 アラクネが、大和を睨みつけていた。

 その表情は嫌悪に染まっている。

 それは大和も同じだった。

 

「あまり近寄らないで頂戴。血の臭いが移るから」

「テメェは元々血生臭ぇだろうが、腐れビッ○」

 

「……ハァ?」

「アア゛?」

 

 殺気が溢れ出る。

 瞬間、魅了されていた客人達が正気に戻った。

 次には顔を真っ青にする。

 

 大和とアラクネの仲の悪さは、デスシティでもかなり有名だった。

 会えば互いを激しく罵り合い、最悪殺し合いを始める。

 

 今にも得物を取り出しそうな二人に、同じ三羽烏であるネメアは溜息を吐いた。

 

 

 



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胡乱な住民達 後編

 

 

 大和とアラクネ。

 二人は互いに本気で殺意を抱いていた。

 

 ネメアは呆れ顔で二人に呼びかける。

 

「お前等、そんなところで喧嘩してないでこっちに来い」

「「……フンっ」」

 

 視線を外して歩き始める二人。

 そんな彼等に対し、客人達は意図せず一歩引いた。

 今の殺気で感じ取ってしまったのだ。

 

 下手に関わったら殺される──と。

 

 命の危機に対し、過剰に反応するのは超犯罪都市の住民の性だ。

 命の価値が極めて軽いこの都市において、住民達の生存本能は野生動物をも凌ぐ。

 

 デスシティに悪名轟かす三羽烏が互いに殺気を向けあったのだ。

 むしろ、当然の反応と言える。

 

 カウンターまでやって来た二人に対し、ネメアは溜息交じりに問うた。

 

「お前ら、どうしてそんなに仲が悪いんだ? 昔は恋人同士だったじゃないか」

 

 酒場の空気が凍てついた。

 今、一番聞いてはいけない内容だった。

 現に、大和とアラクネは苦虫を噛み潰したような表情をしている。

 

「ネメア……そりゃぁお前、言っちゃいけねぇ事だぜ」

「嫌な事思い出させないでよ。鳥肌が立ったじゃない……」

 

 二人は顔を真っ青にしていた。

 余程精神的ダメージを負ったのだろう。

 大和は最早白くなりつつある顔を手で押さえる。

 

「ハァ……最悪だぜ。過去にこんな淫乱女と付き合ってたなんて」

「それは私のセリフよ、万年発情期のゴリラ野郎。本来なら賠償金を請求してもいいくらいだわ」

 

「おう、表出ろや糞アマ。その無駄に綺麗な顔ボコボコにしてやる」

「そう、なら幽香ちゃんに予め電話しときなさい。自分は五分後に手頃なサイコロミートになってるって」

 

「……」

「……」

「ハッハッハ」

「うふふ」

 

 二人は何故か笑った後、強烈な殺気を込めて呟く。

 

「「殺してやるッ」」

 

 凶悪な形相に変貌した二人に、客人達は恐怖で悲鳴を上げた。

 ネメアはすかさず仲裁に入る。

 

「落ち着け。ここで殺し合いは御法度だ」

「……」

「……」

 

 それでも睨み合いを止めない二人。

 ネメアはその短く刈った金髪をかいて、溜息を吐いた。

 

「ハァ……どうしてお前らはそう、仲が悪いんだ?」

 

 ネメアの問いに、大和とアラクネは互いに人さし指を突きつける。

 

「この女は顔と身体は最高なんだが……」

「この男はモノとテクは最高なんだけど……」

 

「「性格が屑すぎる」」

 

 真顔で声まで合わせてくるので、ネメアは何とも言えない声を漏らした。

 

「いや……お前ら……どっちもどっちだぞ」

 

 至極最もな意見。

 客人達もうんうんと頷いた。

 

 大和とアラクネは非難の声を上げた。

 自分を援護するようネメアに呼びかける。

 

「ハァ!? 何言ってんだネメア! お前は俺の味方だよな!?」

「何言ってんの!? ネメアは私の味方に決まってるじゃない!」

「テメェは黙ってろスーパービッ○!」

「あーわかった、わかったわ。完全にプッツンきちゃったわよ私は……マジで細切れにしてあげる!」

「上等だ、ぶっ殺してやるよッ」

 

 臨戦態勢に入る二人。

 ネメアはその間に無理やり割って入った。

 

「そこまでだ。喧嘩なら外でやってくれ……と言いたいところだが。お前ら、自分が呼ばれた理由を思い出してみろ」

「「……」」

「俺の買い物に付き合ってくれるんだろう? 喧嘩なら後にしてくれ」

 

 二人の肩をポンポンと叩き、ネメアはエプロンを脱ぎ始める。

 二人は渋々臨戦態勢を解いた。

 

「ったく、ネメア。買い物なら俺だけ呼べよ。なんでコイツを呼ぶんだ」

「そうよネメア。私達が仲悪いのは知ってるでしょう?」

 

 二人の文句に、ネメアはきょとんと目を丸めた。

 次に悪戯っぽく笑う。

 まるで子供の様な笑顔だった。

 

「俺はお前達と仲が悪いわけじゃないからな」

「「……」」

 

 純粋無垢な言葉。

 二人は毒気を抜かれたようだった。

 

「……しゃあねぇなァ」

「仕方ないわね」

 

 三羽烏は、三人揃えば丁度いい塩梅になる。

 三人は元々チームだったのだ。

 

 過去、三人揃えば殺せぬ存在はいないと謳われた伝説の組み合わせ。

 邪神すら敵対する事を避けた殺戮のプロフェッショナル達。

 

 その団結力は未だ健在。

 現在は腐れ縁とも呼べる関係だった。

 

 ネメアはふと、思い出したように大和に言う。

 

「ああ、そうだ大和」

「なんだよ」

「この前弟子を毒殺した時、お仕置きの内容は後で考えておくって言ったよな?」

「ゲェ……覚えてやがったか。チャラにしてくれよ、反省してっから」

「口でならなんとでも言える。お前にはキッチリ反省してもらうつもりだ」

 

 この前の弟子を殺した案件──疾風(はやて)の事だ。

 大和は彼を酒場で毒殺しようとした。

 最終的に未遂で終わったものの、ネメアの怒りは激しかった。

 

 お仕置きの内容は既に決まっているようだ。

 ネメアは腰に手を当てる。

 

「買い物に行く間、この店を守る奴がいなくなる。だから、信頼できる奴を準備した」

「?」

 

 大和は首を傾げた。

 ネメアの意図が読めなかったのだ。

 

「それと俺のお仕置き、何の関係があるんだよ?」

「すぐにわかるさ────ニャル」

 

「待ってましたァァァァァ!!!!」

 

 名前を呼ばれ、颯爽登場した褐色肌の美女。

 異空間をぶち抜き現れた出鱈目さもさることながら、アラクネに勝るとも劣らぬその美貌。

 銀髪赤目。ライダースーツに包まれた肢体はまさしく極上の女体。

 童顔ながらも、その美貌は国を傾けられる。

 

 彼女は先端のアホ毛をフリフリ揺らしながら、格好よくポーズを決めた。

 

「這いよる混沌! ニャルさん、ただいま参上! ネメア! 約束は守ってくれるよね!?」

 

 褐色肌の美女、ニャルの問いにネメアは鷹揚に頷いた。

 

「ああ。俺がいない間、店番を頼む。そしたら三日間、大和を好きにしていい」

「やったぁ!! 大丈夫だよネメア! 僕がいれば百人力さ! 全身全霊でこの店を守ってあげるよ!」

 

 きゃっきゃと騒ぐニャル。

 ネメアはそんな彼女を指さし、大和に告げた。

 

「というわけだ。お仕置きはコレな」

 

 

「…………」

 

 

 大和は硬直した。

 その間、実に7秒。

 

 この間に客人達は我先にと店外へ逃走していた。

 右之助と死織も、血相を変えて飛び出していく。

 店内は阿鼻叫喚の大パニックになっていた。

 

 当たり前である。

 ニャルの素性を知っていれば逃げない筈はない。

 何せ彼女は、デスシティでも特に畏怖される種族──邪神。

 その代表格なのだから。

 

 ナイアルラトホテップ。

 またの名をニャルラトホテプ。

 

『這い寄る渾沌』

『無貌の神』

『闇をさまようもの』

『大いなる使者』

 

 邪神の中でも別格の力を誇る『外なる神』の一柱。

 中でも最も著名で、最も慕われている邪神。

 クトゥルフ神話が誇る最強最悪のトリックスターである。

 

「ハァァ!!!?」

 

 正気に戻った大和は大声を上げた。

 ニャルはというと、体をクネクネくねらせている。

 可愛いが、どちらかというと不気味だった。

 

「フフフっ、そう照れないでよ大和っ。大丈夫だよ。僕、大和の事なら何でも知ってるから。大和の望む事、全部してあげられるよッ」

 

 自分で言っていて恥ずかしかったのだろう。

 ニャルは最後に「きゃっ」と頬を朱に染めた。

 

 国も傾けられそうな超絶美女にここまで言われるとは、男冥利に尽きる。

 しかし彼女の正体を知っている大和にとって、男冥利も糞もなかった。

 

 彼はネメアに猛抗議する。

 

「ネメア! お仕置きの内容にしちゃキツすぎないか!?」

「キツくないとお仕置きにならないだろう?」

「ぬおおッ」

 

 真顔で告げるネメアに、大和は頭を抱える。

 相当嫌なようだ。

 

「……?」

 

 そんな彼の腹に、ニャルが抱きついた。

 彼女は瞳を潤ませながら大和を見上げている。

 

「ねぇ大和……僕のこと、そんなに嫌い?」

「……」

「構って貰えないのは別にいいんだけど……たまには、構って欲しいな……っ」

 

 何時ものハイテンションはどこへいったのか──

 自慢のアホ毛もしおれている。

 微かに震えるその肩を見て、大和は諦めたように三白眼を閉じた。

 

「……わーったよ」

 

 苦笑いし、ニャルの頭をくしゃりと撫でる。

 ニャルは徐々に笑顔を浮かべ、最後は満面の笑みで大和に抱きついた。

 

「やったー!! 大和ォ!! だいダイ大好き愛してる!! 全次元全位相で一番愛してる!! んちゅー♪」

 

 ニャルはジャンプして大和の頬にキスする。

 その後、勢いよくカウンター席に飛び移った。

 

「よっしゃー!! 元気百倍やる気千倍!! 今ならクトゥグアの奴にだって勝てるよ!! 安心してねネメア!! 今の僕はスーパーナイアちゃんレベル3だから!!」

 

 ハイテンションでポーズを決めるニャル。

 何時も通りの彼女だった。

 ネメアは苦笑しつつ頷く。

 

「ああ、任せた」

「なるべく早く帰ってきてね!! お酒とかおつまみなら出せるけど、流石に料理は出せないから!!」

 

 アホ毛をびっちんびっちん振っているニャル。

 アラクネがネメアに聞いた。

 

「ねぇ、大丈夫なの? お客さん全員逃げちゃったじゃない」

「別にいいさ。今日のノルマは達成してる」

 

 二人の会話に聞いていたニャルが、ハイハイと手を挙げる。

 

「大丈夫だよ! 友達呼ぶからさ! クトゥルフちゃんと深きものども、シュブ=ニグラスちゃん! あとは妹も!」

 

 想像を絶するメンバーを連ねてみせるニャル。

 ネメアは若干引きながらも頷いてみせた。

 

「ま、好きにしてくれ。うちはルールさえ守ってくれれば誰でも歓迎だ。だが……深きものどもの魚臭さだけは注意してくれ」

「わかった! 迷惑にならないようにしてって言っておく!」

「ありがとう。じゃ、頼んだ」

「うん!!」

 

 ネメアは踵を返す。

 その隣に面白可笑しそうに笑うアラクネと、何とも言えない表情の大和が続いた。

 

 ふと、大和はニャルに振り返る。

 盛大な投げキッスを送られた。

 大和は頭をかいた後、何時も通りの妖艶な笑みを返す。

 

「はぅぅッ!」

 

 ニャルの乙女心が打ち抜かれた。

 そのまま床へと崩れ落ちる。

 

「……でへへ~っ♪ 頑張らなきゃ~♪ そしたら大和と……でへへ~っ♡♡」

 

 緩みきった笑顔。

 アホ毛はハート型に変わっている。

 こうしていると、這い寄る渾沌も恋する乙女にしか見えなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 店外へ出た三人。

 デスシティの三羽烏が揃って歩くと、勝手に道ができあがる。

 

 大和は黒髪をかき上げつつ、煙草に火を点ける。

 そしてネメアに聞いた。

 

「で、何を買うんだよネメア。食材とかか?」

「いいや、今回は日用品や服を買いたい。店に飾れるモノがあれば尚いいな」

「ふぅん」

「お前らはセンスいいから、頼りにしてる」

 

 ネメアの発言に、アラクネは嬉しそうに笑う。

 

「任せなさいな。色々アドバイスしてあげるから、一緒に選びましょう♪」

 

 腕に絡みついてきたアラクネに、ネメアは苦笑する。

 大和は美味そうに煙草を吸っていた。

 

「……」

 

 唐突に、大和は立ち止まる。

 背後に振り返ると、雑踏の中から視線と殺意を感じとった。

 彼は二人に背を向けたまま告げる。

 

「お前ら、先に行っとけ。ちょいと野暮用ができた」

「「……」」

 

 ネメアもアラクネも察していた。

 ネメアは大和に聞く。

 

「手伝わなくて大丈夫か?」

「ああ」

「……そうか、なら俺たちは先に行くぞ」

 

 ネメアは歩き始める。

 対してアラクネは、大和に満面の笑みを向けた。

 中指を立てながら。

 

「そのまま死んじゃなさい、バーカ」

「テメェが死ね」

 

 互いに中指を立て合う。

 アラクネは「あっかんべー」と舌を出すと、ネメアの後を追って行った。

 二人はそのまま雑踏を割いていく。

 

 彼等がいなくなった頃には、大和は四方八方を囲まれていた。

 人間を中心にエルフ、オーク、虫人、幽霊、サイボーグ。

 種族は様々だが、その身に染み付いている血の臭いが彼等の職業を教えてくれる。

 大和は同業者達を一望した後、ギザ歯を剥きだした。

 

「テメェらも懲りねぇなぁ、いくら殺しても湧いてきやがる……誰に依頼されたんだ? 富豪か? 政治家か? それとも……ただの八つ当たりか?」

 

 殺し屋達は答えない。

 無言で得物を構える。

 大和も返答など期待していなかった。

 

「そうそう……」

 

 大和は顎をさする。

 

「今から買い物だってのに、手持ちの金が少なかったんだ。これくらいの人数なら、小遣い稼ぎに丁度いい」

 

 嗤い、得物である赤柄巻の大太刀に手を添える。

 

 殺し屋達は何も言わない。

 激情を押し殺し、大和に襲いかかる。

 

 大和は口の端を歪めて、大太刀を抜刀した。

 

 

 ──狂乱の都市、デスシティ。

 此処は冒涜的な神々すら受け入れる矛盾の坩堝。

 悪による悪のための、悪の世界。

 

 この中で、一際暗い輝きを放つ男が一人。

 

 大和。

 人間でありながら神を超える容姿と腕力を誇るイレギュラー。

 そして、その類稀なる才能を己のためだけに用いる俗物。

 

 血の臭いと雄の香りを撒き散らすこの男は、これから先多くの存在を殺めていくだろう。

 多くの女を虜にしていくだろう。

 

 

「楽しかっただろう? 死のダンスは」

 

 

 物言わぬ屍達に囲まれ、大和は結った黒髪をかき上げた。

 灰色の三白眼を細め、ギザ歯を覗かせる。

 

「俺は楽しかったぜ。殺しも、女も、酒も、博打も──楽しんだ者勝ちだ」

 

 大和は誰よりも人生を楽しんでいる。

 だからこそ、その笑みは魔界都市の住民を虜にしてやまない。

 かの這い寄る混沌も夢中になっていた。

 

 物語はまだ終わらない。

 大和に殺しの依頼が届く限り。

 魔界都市が在る限り。

 物語は永遠に続いていく。

 

 さぁ、堕ちよう──

 これは、暴力と淫蕩に酔い痴れる反英雄譚。

 

 

《完》

 



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外伝「天使伝」
一話「天使殺戮士」


 

 天使──

 この単語を聞いて、諸人は何を想像するだろう? 

 

 純粋無垢な存在。

 神の御使い。

 汚れを知らぬ者達。

 天界の住民。

 

 昨今、様々なイメージで語り継がれる神秘の代名詞。

 彼等の「真実」を知る者は、意外にも少ない。

 

 天使とは、「神」が創造した最古のプログラムである。

 

 超常の力を用いて製造された「高次元霊体」という名称のアンドロイド。

 世界の秩序を促進し、時に「天罰」という名の災害を齎す戦略兵器。

 それが、天使という存在──

 

 しかし現代において、彼等は絶滅している。

 当時の人間達によって一体残らず破壊されたのだ。

 

 しかし、天使は再臨を果たしていた。

 その方法とは、最新科学でも解明できない超々極小レベルの霊子型ナノマシンによって引き起こされる、生物災害(バイオハザード)である。

 

 天使病──そう呼ばれるこの奇病は、何度も世界を滅ぼしかけてきた。

 しかし、その度に「とある魔人達」が患者達を鏖殺していた。

 

 天使殺戮士。

 彼等はキリスト教の一派、プロテスタントが誇る最終兵器である。

 

 

 ◆◆

 

 

 超犯罪都市デスシティは今日も今日とて混沌であり、冒涜的であり、胡乱だった。

 世界の果てに存在する幻の魔界都市は、犯罪者の楽園。

 あらゆる犯罪を肯定し、あらゆる悪徳を容認する。

 

 人外達の隠れ蓑という側面を持つこの都は、様々な種族でごった煮状態になっていた。

 エルフ、ダークエルフ、ゴブリン、オーク、ドワーフ、ドラゴン。

 他にも悪魔、妖怪、魔獣、吸血鬼、アマゾネスなど──

 

 どんな存在でも受け入れる。だから、世界の理から外れた者達が集まってくる。

 

 此処は闇の世界。

 知られてはいけない、世界の負の側面そのもの。

 

 晴れる事の無い曇天の夜空には、数多のテールライトが浮かび上がっていた。

 中心地、花の大通りは凶悪な住民達で溢れ返っている。

 

 ヤクザ達が銃撃戦を繰り広げ、その頭上を蟲人達が飛んでいく。

 色気を振りまく娼婦が道端を彩り、ヘロ○ンで我を忘れている中毒者が笑顔で倒れている。

 エルフが自慢の強弓でアンドロイドを打ち抜けば、仕返しにとレーザーライフルが放たれた。

 

 怪しい魅力の中に、強烈な死を内包している。

 それが、超犯罪都市デスシティ。

 

 胡乱なるかな、魔界都市──

 そう感慨に耽りながら、中央区の様相を眺める一人の青年がいた。

 彼は黒鉄の長棒で、肩をとんとんと叩いている。

 

 その背に抱えているのは、身長を優に超える巨大な棺桶だった。

 人を収めるにはあまりに大き過ぎる。

 コレだけで、青年が魔界都市に相応しい来訪者である事がわかる。

 

 ふと、オークの集団がその異様な棺桶にぶつかった。

 余所見していたのだろう。

 

 オーク達は尻餅を付いた。

 まるで、電柱にでもぶつかったかのようなリアクションだった。

 

 何事かと瞠目するオーク達。

 鋼鉄製であろう黒鉄色の棺は、オーク達の醜い阿呆面を鏡写しにしていた。

 

 オークは屈強な種族である。

 身長2メートル、体重300キロを平均とする彼等に尻餅を付かせるなど、ただ事では無い。

 

「……こんのッ」

 

 オーク達の眉間に青筋が立った。

 彼等は自分達に恥をかかせた存在を許さなかった。

 余所見をしていた事など棚の上だ。

 

 しかし、彼等は一瞬にして怒気を失った。

 振り返った青年が、あまりに美しかったからだ。

 思わず見惚れてしまうほど、青年は完璧な容姿を誇っていた。

 

 まるで新雪のような白い肌。

 鼻梁は高すぎず低すぎず、絶妙なラインを描いている。

 瑞々しい唇は、思わず吸いつきたくなってしまいそうで──

 長めのまつ毛はえもいわれぬ色気を放っている。

 

 鋭利な双眸。

 長身痩躯の肉体が、改めて彼を「男」だと認識させる。

 赤茶色の髪はある程度の長さで整えられており、耳元のピアスが「若々しさ」を象徴していた。

 

 服装は黒色のレザーコートに皮のパンツ。

 短調であるが故に着る者を選ぶ服だが、青年は見事に着こなしている。

 

 絶世の美青年を前に、オーク達は放心していた。

 ただただ見惚れていた。

 

 当の青年は振り返ると、バツが悪そうにオーク達に手を差し伸べる。

 

「悪ぃ、余所見してた。大丈夫か?」

 

 手を差し伸べられたオークは数秒の間、思考を停止させていた。

 暫くして意識を覚醒させると、恐る恐る青年の手を握る。

 

 その様子は、まるでアイドルと握手するファンのようだった。

 

「あ、ああ……こっちもすまねぇ。余所見をしてた」

 

 青年の手を握りながら、ほんのり頬を染めるオーク。

 周囲の仲間達は、彼を羨ましそうに見つめていた。

 

 青年は屈託のない笑みを返す。

 

「そうか、怪我とかしてねぇか?」

「大丈夫だ、心配いらねぇ……」

「よかった。じゃ、俺はもういくから」

 

 青年は手を離す。

 オークは名残惜しそうにしていた。

 

 青年は歩みを再開しながら、棺桶式のトランクを「よいしょ」と背負う。

 周囲の女達が色めき立った。

 ダークエルフや悪魔の女の子達だ。

 彼女達は青年に熱い視線を送っていた。

 

 その視線に気づいた青年は彼女達に投げキッスを送る。

 

「あぅ……ッ♪」

「あぁ……かっこいぃ♪」

 

 骨抜きにされた少女達。

 彼女らを一瞥し、青年は歩き始める。

 

 間も無くして、中央区でも有名な大衆酒場に到着した。

 青年は細い顎をさする。

 

「なる程……ここが大衆酒場ゲートねぇ」

 

 そう呟き、青年は薄桃色の唇を歪めた。

 そうして、入口のウェスタンドアを開く。

 店内の喧騒がピタリと止むが、青年は気にせずブーツを踏み鳴らした。

 

 

 彼の名は斬魔(ざんま)──天使殺戮士である。

 天使殺戮士とは、唯一神教の一派、プロテスタントが誇る最高戦力八名。

 対天使病のプロフェッショナル達、人智を逸脱した魔人達だ。

 

 

 ──超犯罪都市に、大きな波乱が訪れようとしていた。

 



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二話「鬼と魔人」

 

 

「天使病?」

 

 斬魔が訪れる少し前──大衆酒場ゲートのカウンターにて。

 艶のある声が響き渡った。

 

 声の主は小首を傾げていた。

 緊張感がまるで無い。

 

 野性的で、しかし妖艶な美丈夫。

 大和(やまと)

 世界最強の殺し屋にして、世界最高の武術家である。

 

 その容姿は男としての理想の一つを体現していた。

 

 こんがりと焼けた小麦色の肌。

 二メートルを超える規格外の体躯には、実用性に特化した筋肉しか付けていない。

 

 結われた黒髪は後ろに流されており。

 完璧に配分された目、鼻、口元は超一流の芸術家でも再現できない。

 

 美しいが、それ以上に凶悪だった。

 

 灰色の三白眼は凍えるほど冷たく。

 大きな口に並ぶギザ歯は、彼の性質を端的に表している。

 

 何より、その身に纏う雰囲気。

 幾千幾万の「死」と「憎悪」を混ぜ合わせたかような、異様なオーラ。

 一体どれだけ殺せば、どれだけ恨まれれば、こんなオーラを纏うことができるのか──

 

 死と憎悪を手懐ける男、大和。

 彼は如何なる妖物、邪神をも殺戮する最強の武術家。

 そして、如何なる女をも堕としてしまう魔性の益荒男である。

 

 彼はグラスを満たしていたブラックラムを一気に呷った。

 そして、天使病なる話題を振ってきた店主と視線を合わせる。

 

「天使病って、アレか? 天使を形成するナノマシン的なもんが生き物に感染して、あーだこーだってやつ」

「適当だな、オイ」

 

 思わず肩を落とす店主。

 金髪をツーブロックに刈ったこの偉丈夫はネメア。

 大衆酒場ゲートを切り盛りする豪傑であり、世界最強の傭兵である。

 

 彼は友人の知識の無さに辟易しつつも、新聞を畳み、説明を始めた。

 

「天使病。かつて世界を滅ぼしかけた最古のアンドロイド「天使」の残滓である超々極小サイズのナノマシンによって引き起こされる、生物災害(バイオハザード)だ」

「あぁ、思い出した思い出した。確か「七罪」に引っかかる奴らが発症するんだったな。発症すれば異形の化物になるってやつ。俺も時々、依頼で叩っ斬るぜ」

「なら覚えておけよ……」

 

 溜め息を吐くネメアに対し、大和はケラケラと笑った。

 

「殺す奴の素性なんざどうでもいいし、興味ねぇ。俺は金さえ貰えば誰でも殺すスタンスだからな」

 

 大和はラッキーストライク(煙草)を取り出し、ジッポーで点火する。

 ネメアはそんな彼をジト目で睨んだ。

 

「そういえば、何でお前天使病にかからないんだ? 七罪コンプリートしてるだろう」

 

 七罪──通称「七つの大罪」

 唯一神教によって取り上げられる、人間の欲望の発露たる七つの項目である。

 

 傲慢

 嫉妬

 憤怒

 怠惰

 強欲

 暴食

 色欲

 

 天使の残滓──霊子型ナノマシンは、この七罪に反応する。

 そうして感染された人間は、天使でも人間でもない、酷くグロテスクな怪物に変貌してしまう。

 それが、天使病。

 

 一度この病気にかかってしまうと、もう二度と元には戻れない。

 更に周囲の生物を無差別に襲い始めるので、駆除するしかない。

 

 この天使病──実はデスシティでは比較的ポピュラーな病気だった。

 インフルエンザみたいなものだ。

 理由は、この都市の在り方に起因する。

 

 世界で最も濃い欲望が渦巻く魔界都市、デスシティ。

 この都市の住民達に対し、霊子型ナノマシンは過剰に反応するのだ。

 

 大和もまた、大きな欲望を抱えている。

 犯した罪も数知れない。

 天使病を発症する確率は高い筈なのだが──彼は大声を出して笑う。

 

「ハッハッハ! 七罪コンプリートねぇ! たしかにそうかもしれねぇな! だがこの俺が、ナノマシンなんぞに負ける筈ねぇだろ。魔法使いや邪神から何万と呪詛をかけられてる男だぜ? ンな柔じゃねぇ」

 

 自信満々に言う大和。

 

 彼は殺し屋という職業柄、あらゆる存在から恨みを買っている。

 その身には、黒魔術を始めとしたあらゆる呪詛がかけられていた。

 

 本来であればとっくに死んでいる筈──

 しかし、大和は「闘気」と呼ばれる力で全て無効化していた。

 

 闘気。

 中国武術で重んじられる身体エネルギー「気」を戦闘用に練り上げたもの。

 デスシティの武術家が好んで扱う、超高密度エネルギーである。

 

 闘気には「同格以下の存在による、あらゆる異能・術式を無効化する」という特性がある。

 この特性上、如何に強力な呪いであっても大和に影響を及ぼすことはできない。

 

 ナノマシンと言えど「霊子」と呼ばれる神秘が含まれている以上、大和を害することはできないのだ。

 

 大和は三白眼を細めながら言う。

 

「そうかぁ、天使かぁ。大昔にあらかたぶっ壊したんだけどなぁ。シブトい奴らだぜ」

 

 大和の発言に、ネメアは太めの眉を顰める。

 

「やめろ。自分の年齢を自覚して嫌な気分になる」

 

 苦い表情のネメアに、大和はニヤりと笑いかけた。

 

「いいじゃねぇの。俺もお前も、長く生きてる。そりゃ事実だ」

「……」

「ここまでくると、もう自分が人間なのかわからなくなっちまうよな」

 

 大和は感慨深そうに、空になったグラスにラムを足す。

 

「ま、年齢なんざこの都市じゃ何の役にも立たねぇ。偉くなるわけでもねぇし、強くなるわけでもねぇ。ただ重ねていくだけのもんだ」

「……ふっ」

 

 ネメアは思わず笑みをこぼした。

 

「まともな事を言うじゃないか、たまには」

「おいコラ。たまにはじゃねぇだろ、結構な頻度で言うだろ」

「口をあければ女の話題しか出ない奴が、よく言う」

 

 鼻で笑うネメア。

 大和は不機嫌そうな面で頬杖を付くと、話題を戻した。

 

「で、天使病の話だろう? どうしたんだよ。デスシティじゃ特段珍しいもんじゃねぇだろう」

「まぁな。今話題になっているのは、天使病が従来とは違う発症法をしている事だ」

「具体的には?」

「七罪を犯していない善良な一般市民が発症してる」

「……」

 

 大和は口を半開きにした。

 

「それ、ヤバくね?」

「ああ。かなり嫌な予感がする」

 

 二人して神妙な顔つきになる。

 ネメアは言った。

 

「今回の一件、やはりと言うべきか。真世界聖公教会が動き始めている」

「面倒くせぇ。だがまぁ、動くだろうなぁ。何せ、アレは天使病を対処するための組織だ」

 

 真世界聖公教会。

 教会を持たないキリスト教の一派、プロテスタントが持つ唯一の教会。

 天使病の患者を鏖殺する、ただそれだけの組織。

 

 ネメアはその逞しい両腕を組む。

 

「しかもとびっきりの奴らが動く。天使殺戮士だ」

「聞いたことあるぜ。「真世界聖公教会の最高戦力」「プロテスタントが誇る最終兵器」「エンジェル・ダスト」。めっぽう腕が立つんだろう?」

 

 大和はニヤリと笑う。

 興味があるのだろう。

 

 ネメアは意外だったのか、首を傾げた。

 

「何だ、面識がないのか? てっきりあると思っていたが」

「それがねぇんだよ。ちょくちょくこの都市に来て天使病の患者をぶっ殺してるらしいんだが……そん時に限って、俺が表の世界に行っちまってるんだよ」

「成程……まぁいい」

 

 ネメアは話を本題に移す。

 

「大和、お前に依頼が来てる。件の真世界聖公教会からだ」

「ハァ?」

 

 大和は頓狂な声を上げた。

 

「オイオイ、仮にも教会だろう? 殺し屋なんかに依頼していいのかよ」

 

 至極最もな疑問だった。

 教会と呼ばれる神聖な組織が殺し屋を雇うとは、一体どういう事だろうか? 

 

 大和の疑問に、ネメアが答える。

 

「今回の一件、デスシティ絡みの可能性が高いと判断したらしい。だからこそ、念のためにお前を雇ったという」

「へぇ……まぁいいか。で、報酬金は? 話はそれからだ」

 

 まずは報酬金から。

 大和はそういう男だ。

 

 ネメアはあっけらかんに言う。

 

「10億」

「……いいねぇ、ヤル気出てきた」

 

 モチベーションを上げる大和。

 彼は早速、依頼の詳細を聞いた。

 

「で、依頼の内容は? 俺は殺し屋だぜ? 殺し以外の任務は受け付けねぇ」

「この都市に来る天使殺戮士と同伴し、元凶を抹殺しろ──とのことだ」

「……ハァ?」

 

 一気に大和の機嫌が悪くなった。

 その美麗な眉に皺が寄る。

 

「やっぱキャンセルだ。雑魚のお守なんざ勘弁だぜ」

「いいのか? 十億だぞ? それに、雑魚とも限らんだろう」

「ハッ」

 

 大和は嘲るように鼻で笑った。

 

「巷で噂の天使殺戮士がどれだけ強いのか知んねぇけどよォ……所詮、表世界の住民だろう? たかが知れてる。まだこの都市の一般人のほうが使えそうだぜ」

 

 大和は鬱屈げに紫煙を吐き出した。

 しかし、ネメアは含み笑いを浮かべながら忠告する。

 

「そうとも限らんぞ。天使殺戮士の連中、中々やる」

「お世辞じゃあ、ねぇよな?」

「ああ。お前でも、油断していれば足元を掬われるぞ」

「…………」

 

 大和は灰色の双眸を丸めた。

 ネメアにそこまで言わせたのが意外だったのだろう。

 

「……お前にそこまで言わせるたぁな、少し興味が沸いたぜ」

 

 吸殻を灰皿に押し込め、嗤う大和。

 ネメアは頷いた。

 

「それは重畳。丁度、その天使殺戮士がこの店に来る頃だ」

 

 いきなりの発言に、大和は表情を歪めた。

 

「話が進み過ぎだろ、オイ」

「緊急の依頼なんだ、察しろ。それに、強要はしてないだろう? 依頼を受けるか受けないかは、お前が決めろ」

「へいへい。ったく、ネメアさんは人使いが荒いぜ」

 

 やれやれと肩を竦める大和。

 すると──ウェスタンドアが開かれた。

 

 現れたのは黒金の棺桶を背負った、全身黒ずくめの青年だった。

 

 酒場にいる客人達が全員動きを止める。

 エルフも、オークも、妖怪も幽霊も、サイボーグもアンドロイドも──

 皆一様に、青年に見惚れていた。

 

 整い過ぎた顔立ちは、最早例える言葉が見つからない。

 あらゆる賛美の言葉も不十分だった。

 

 薄っすらと開かれた双眸はそれだけで異性を発情させてしまい──

 薄桃色の唇は、同性でもよからぬ妄想を膨らませてしまう。

 

 赤茶色の髪と耳元のピアスは刺激的な「若さ」の象徴。

 故に、青年の埒外な美貌を寸前のところで留めている。

 

 若き美の化身。

 漆黒のロングコートをはためかせ、彼は店内を突き進んでいく。

 

 客人達は総じて、恍惚とした表情を浮かべていた。

 

「~♪」

 

 異様な空気が酒場を支配する中、呑気に口笛を鳴らす男が一人。

 大和だ。

 彼は青年に対し、美貌以上のナニカを感じ取っていた。

 

 当の青年は大和を見つけると、薄っすらと唇を緩める。

 それだけで、酒場にいた女達が熱に浮かされた。

 

 店内に情欲渦巻く中、謎の青年は大和の隣に腰かける。

 その際、黒金の棺を立てかけた。

 無造作に置かれた棺桶は「ゴンッ」と凄まじい音を立てる。

 

 青年はきめ細やかな指を立て、ネメアに注文した。

 

「隣の奴と同じ酒を頼む」

「はいよ」

 

 ネメアは周りの客人達の単純さに呆れつつ、準備を始める。

 その間、青年はジッと大和を見つめていた。

 

「……アンタが大和だろう? 一目見ただけでわかった」

 

 色っぽい笑みを向けられ、大和も吹き出すように笑った。

 

「テメェが天使殺戮士か……クククッ、予想以上だぜ。やるじゃねぇの」

「そりゃどうも」

 

 二人して妖しく微笑む。

 その色気に吸い寄せられたのか──周囲には女達が群がっていた。

 

 彼女達は堪らなそうに身体を捩らせていた。

 中には、しっとりと濡れた股に手を伸ばす者までいる。

 

 濃厚な雌の匂いで満たされる中、酒を持ってきたネメアは、あまりの状況に溜息を吐いた。

 そんな彼に、大和は告げる。

 

「ネメア。この依頼、受けるぜ。メチャクチャ面白そうだ」

 

 嗤う大和。

 ネメアは、こんなに楽しそうな大和の顔を見るのは久々だと思いながらも、何かロクでもない事が起こりそうな気がして──今日、何度目かわからない溜息を吐いた。

 

 

 

 



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三話「魔界都市・裏区」

 

 

 数分後。

 大和と斬魔は裏区に赴こうとしていた。

 

 裏区は中央区と対を成す真逆の世界である。

 悪逆、淫売、麻薬、汚染──

 デスシティの濃厚な(うみ)をかき集めた、文字通りの掃き溜め場。

 

 厳重なバリケード、有刺鉄線の壁を超え、大和達は裏区に続く小道を進んでいく。

 しかし、小道には既に裏側の空気が滲んでいた。

 

 怪しい屋台が両脇にズラリと並んでいる。

 経営しているのは薬剤師という名の麻薬売人達。

 薬品の内容は肉体強化薬、精神覚醒剤、媚薬、各種毒薬。

 他にも密輸&魔改造が施された銃器。スタンガン、応急キット、催眠スプレーなど──

 曰く付きには事欠かない。

 

 行き交う者達は厚化粧の情婦、刀剣を携えたヤクザ、妖物。

 

 何より、臭い。

 数多の劇薬と血、オイル、そして愛液が混じり合った──悪臭。

 慣れない者が嗅げば嘔吐してしまう。

 

 女の喘ぎ声と断末魔が、同時に聞こえてきた。

 

「ひでぇな。スラム街が天国に見える」

 

 囁く斬魔。

 彼は前を歩く褐色肌の美丈夫に聞いた。

 

「それで──大和、俺はこれからどうすればいい?」

「あ?」

 

 大和は振り返ると、斬魔の背負っている黒金の棺桶を見つめる。

 

「そうさな、まずはお前の背負ってる棺桶の中にいる奴を紹介して貰おうか」

「そうくるか」

 

 苦笑する斬魔。

 隠すつもりはないのだろう。

 

「オーケー、紹介する」

 

 斬魔は棺桶を地面に下ろす。

 ズドンと重厚な音を鳴らして直立する棺桶。

 その中から、白薔薇と一緒に類稀な美女が現れた。

 

「全く……ロクに休眠できなかったわ。相方もそうだけど、この都市は色々と酷いわね」

 

 苦言を漏らす美女。

 その肌は、舞い散る純白の花弁よりも白かった。

 瞳は水晶玉の様で、唇の色素は極端に薄い。

 

 服装は濃紺色のロングコートに漆黒のブーツ。

 首に巻かれた水色のスカーフが靡く。

 耳元で輝く逆十字のイヤリングは儚ささえ感じさせた。

 しかし、ロングコートの上からでもわかる肢体は妙に生々しい。

 

 周囲がざわめきだす。

 ただでさえ、大和と斬魔は悪目立ちするのだ。

 そこにもう一名、稀有な美女が加わったとなれば──

 

 魔界都市とは言え、ここまでの「美」を誇る者達が集うのは稀。

 故に、周囲は騒然としていた。

 

 当の美女は野次馬達を一瞥すると、大和に振り返る。

 そして、青白い唇を動かした。

 

「はじめまして。キミが今回、私達の補佐をしてくれる殺し屋ね?」

「~♪ こりゃまた、大層な別嬪さんだ」

 

 口笛を吹く大和に対し、美女は淡々と告げた。

 

「私の名前はえりあ。後ろの馬鹿の補佐役を務めているの。よろしくね」

 

 

 ◆◆

 

 

 野次馬達が集う中、大和は意味深な流し目をふり撒いた。

 途端に、野次馬達は蜘蛛の子を散らす様に逃げていく。

 

 大和は、別に威嚇したわけでは無い。

 この都市において、大和という存在はそれ程までに恐れられているのだ。

 

「さて、煩い奴等もいなくなったし……」

 

 大和は改めて、青き美女──えりあに向き直る。

 そして、そのきめ細やかな指を手に取った。

 

「どうだい? この任務が終わった後、俺と甘い一時を過ごすってのは……天国へ連れてってやるぜ?」

 

 美女であれば誰でも口説く。

 それが大和という男だ。

 

 タチが悪いことに、それを成せるだけの美貌を大和は持っている。

 何より、その言葉に嘘偽りが全く無い。

 

 実際に満足させているのだ。

 あらゆる種族の女を──

 大和に抱かれて不満を抱いた女は、今まで一人としていない。

 

 しかし、それは「抱かれれば」の話である。

 現に、斬魔がこれ見よがしに肩を竦めた。

 

「やめとけって大和。「俺」のパートナーだぜ。美貌だけで堕とせるような女じゃねぇ」

 

 斬魔の発言とほぼ同時──

 大和の頬に銃口が付きつけられた。

 

 淡く銀色に輝く自動拳銃。

 しかし、女の得物にしてはあまりに物騒だった。

 

 世界最大の拳銃、デザートイーグルより尚大きい。

 全長35センチ、重量12キロ、装弾数8発。

 

 対天使病拳銃「Danse Macabre」

 

 専用弾「祝福儀礼済み13mm劣化ウラン弾」は、デスシティの化物達を容易く仕留めてみせる。

 銃身を彩る薔薇のレリーフは、持ち主がどういう女であるかを暗に物語っていた。

 

 えりあは大和の頬に銃口を突きつけたまま言う。

 

「誘ってくれるのは素直に嬉しいけど、キミみたいなケダモノと寝るのは少しね……」

「口説いただけで銃口を突きつける女に、ケダモノたぁ言われたくねぇなァ」

 

 嗤う大和。

 えりあの表情は変わらない。

 

「言ってくれるじゃない。こうでもしなきゃ、キミはもっと先へ進もうとするでしょう?」

「一発だけでいいからよ」

「早く退きなさい。ほっぺに風穴開けられたいの?」

 

 声音に怒気がこもる。

 すると、大和は意外なほど早く身を引いた。

 

「参ったなコリャ。まるで薔薇……棘が鋭くて触れやしねぇ」

 

 両手を上げて降参のポーズをするも、大和は好奇で瞳を揺らめかせた。

 

「だが、男ってもんは袖に振られるほど滾るもんだ。えりあ、だったか? 覚悟しとけよ」

 

 子供のように無邪気でいて。

 それでいて、百戦錬磨の男娼の如き笑み。

 

 えりあは思わず溜息を吐いた。

 

「……全く、噂以上の女っ垂らしね。うちの馬鹿が影響を受けなければいいのだけれど」

 

 えりあは相棒──斬魔に向き直る。

 斬魔は神妙な顔付きで大和を見つめていた。

 

「なぁ、大和」

「あ?」

 

 首を傾げる大和に、斬魔は緊迫した声音で問う。

 

「おっぱいは、好きか?」

「当たり前だろ?」

 

「……」

「……」

 

「「HAHAHA!」」

 

 唐突にハイタッチを交わす二人。

 何か通じるものがあったのだろう。

 

 斬魔は快活な笑顔で言う。

 

「流石だぜ大和! やっぱ男は美女! 酒! 煙草だよな!」

「わかってるじゃねぇの」

「なぁ大和! 俺行きてぇ場所があるんだよ!」

 

 斬魔は懐から雑誌を取り出す。

 雑誌の表紙は際どいボンテージを着たサキュバスのお姉さんが飾っていた。

 

 タイトルは『今日は眠らせない!! デスシティま〇ま〇ガイド!!』

 

 斬魔は鼻息を荒げながらページをめくり、ある項目を指す。

 

「この「プッ〇ー・キャット」って高級娼館! 色々な種族の美女美少女が揃ってんだろう!?」

「そこならよく行くぜ、お勧めだ」

「マジか~ッ、なぁなぁ! この店にゃぁ、色気ムンムンのエルフ姉ちゃんとか、あざといケット・シーのお嬢ちゃんとかも居るのか!?」

「大概揃ってる。あの店は品揃えがいいからなァ……なんなら任務の後、一緒に行くか?」

「マジでか!?」

 

 斬魔は子供の様に目を輝かせる。

 

「行く行く! ぜってぇ行く! てか今行きてぇ!!」

「なら今から行くか。一日くらいいいだろ」

「いいねぇ! さすが大和!! ノリがいいねぇ!!」

「おうさ! 早速行こうぜ!」

「おう! デスシティで一夜のアバンチュール! 楽しませてもらうぜ!」

 

 ジャキン、と。

 大和と斬魔の顎に銃口が突き付けられた。

 二人の眼前には、えりあが佇んでいた。

 彼女は絶対零度の視線を二人に向けている。

 

「楽園に行きたいの? なら行かせてあげるわよ? 物理的に」

 

「……」

「……」

 

「任務中よ。真面目になさい」

「「……へーい」」

 

 有無を言わさない圧力に、大和と斬魔は引き気味に返事をした。

 

「……ふんっ」

 

 えりあは不機嫌そうに鼻を鳴らし、踵を返す。

 濃紺色のロングコートが翻り、腰辺りに二丁拳銃が収納された。

 その仕組みは大和を以てしてもわからない。

 

 ズカズカとブーツを踏み鳴らして先へと進んでいくえりあ。

 大和と斬魔は、揃って肩を竦めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 裏区。

 此処はデスシティの負の側面を端的に表している場所だ。

 

 ケバケバしいネオンが点滅を繰り返し。

 獣人族の中でも「ケモノ」と揶揄される半人半獣がたむろしている。

 カマキリの蟲人が得体の知れない肉に食らい付き、身体障害者が不自由な身体を引きずっていた。

 

 騒動が起こる場所では、数名のヤクザが麻薬売人達を公開処刑していた。

 彼等はここら一帯を治めるヤクザ、骸道会(むどうかい)の構成員。

 骸道会は裏区を長年縄張りにしている武闘派&極悪ヤクザだ。

 

 此処は最果ての最果て。

 力の弱い者が、更に力の弱い者を求めて訪れる掃きだめ場。

 

 瘴気と共に漂ってくるのは激烈な悪臭。

 麻薬と糞尿、そして廃棄物が、鼻が腐るほどの悪臭を生んでいるのだ。

 住民達は強烈な香水で誤魔化しているが、この腐乱臭は誤魔化せるものではない。

 

 糞にたかる魔虫「豚虫」が不気味に蠢いていた。

 が、途端に物陰に隠れる。

 この虫は臆病な事で有名だ。

 身の危険を感じ取ったのだろう。

 

 同時刻、三名の美魔人がこの地に降り立った。

 褐色肌の美丈夫。影すら美しい美男。そして、死人を連想させる美女。

 三名の美貌は、荒んだ住民達の心を好奇と欲情で慄かせた。

 

 三名の内、褐色肌の美丈夫が顔を歪めた。

 此処に足を踏み入れた直後だ。

 

 彼は鼻を摘みながら叫ぶ。

 

「くっせぇぇぇっ、マジでくせぇ。カーッ」

 

 嫌悪感を隠そうともしない。

 褐色肌の美丈夫──大和は盛大に咳き込んだ。

 

「ゴホゴホッ……! ア~クソッ、お前等、大丈夫か?」

 

 大和は振り返る。

 すると、青を纏った死美人が無愛想に告げた。

 

「ええ。大丈夫よこれ位」

 

 死美人──えりあは全く表情を変えない。

 彼女は淡々と大和に問う。

 

「で、どうして此処へ来たの? 理由はあるのかしら」

「あ?」

 

 大和は片眉を上げた。

 

「何だお前、棺桶の中で聞いてなかったのか?」

「眠っていたのよ。再度、説明願えないかしら」

「ハァ……」

 

 大和は面倒臭そうに溜息を吐きながらも、説明する。

 

「此処に天使病を研究してる奴がいる」

「天使病の研究?」

「患者から霊子型ナノマシンを抜き取って、人造天使を製造してるんだ」

「……」

 

 えりあの双眸が僅かに細くなった。

 彼女から嫌悪感を感じ取った大和は、念を押す。

 

「余計な真似はすんなよ」

「……しないわよ。私達の役目は天使病の患者の抹殺、そして根源の排除。ただそれだけ」

「そうか。安心した」

 

 大和は表情を和らげる。

 

「お前の相棒も同じ様な事を言ったからな。でも確認だけはさせて貰ったぜ」

「……そう」

 

 えりあは小さく相槌を打つ。

 彼女はふと、ロングコートの下から大きめの瓶を取り出した。

 

「一応サンプルを持参してきたのだけれど、役に立つかしら」

 

 瓶の中にはグロテスクな怪物が収められていた。

 赤子ほどのサイズで、蟲のような複眼を持ち、身体中から純白の翼を生やしている。

 頬から牙が幾つも突き出しており、手足の関節も異様に柔らかい。

 

 大和は顎を擦る。

 

「それが──」

「今回の特異な天使病の患者、その一部よ。分裂したから、その一匹を収めたの」

「カーっ」

 

 大和は瓶に収まるバケモノを気持ち悪そうに眺めていた。

 

「やっぱキメェな。天使病の患者は」

「全員そうよ」

 

 冷たく告げたえりあは瓶をコートの内側に戻す。

 先程の二丁拳銃といい、彼女のロングコートは異次元ポケットか何かなのか──

 気になった大和だが、追求はしなかった。

 

 彼は首を傾げる。

 

「そういやぁ、相棒はどこ行った? 後ろにいねぇぞ」

「……」

 

 えりあは振り返る。

 そこに居る筈の斬魔がいなかった。

 代わりに、調子に乗った笑い声が聞こえてくる。

 

「HAHAHA! おいおいベイビー達! そう擦り寄るなって! 俺の身体は一つしかねぇんだぞ!」

 

 少し離れた場所で。

 亜人の娼婦達に囲まれている斬魔がいた。

 彼は黄色い歓声をあげる牝達を両手で囲んでいる。

 

「…………大和。少し待ってて頂戴。すぐに戻るから」

「ん」

 

 大和は頷く。

 えりあはズカズカとブーツを踏み鳴らし、斬魔の元まで歩み寄った。

 

 斬魔は相棒の存在に気付いて、ヘラヘラと笑う。

 

「どうしたえりあ、今取り込み中なんだ。後にしてくれ」

「何をしているの?」

「可愛いベイビー達を囲んでんだ」

「質問を変えるわ。何をしようとしているの?」

 

 

「そりゃお前、この後ホテルで「ケツ出して並べ」的なことを……」

 

 

 ゴシャリと、鈍い音が立った。

 えりあの拳が斬魔の顔面にめり込んだのだ。

 慌てて逃げていく娼婦達。

 斬魔は倒れて痙攣している。

 

 えりあは無様な相棒を引きずって、大和の元まで戻って来た。

 

「お待たせ」

「面白れぇ奴だな。お守が大変そうだ」

「キミが言えることかしら?」

「だから俺は普段、単独行動なんだ」

「……」

 

 えりあは斬魔から手を離すと、右腕を指す。

 そこには真紅の、逆十字の紋章が入った腕章が巻かれていた。

 

「これは補佐の証。天使殺戮士は普段二人一組で行動するの。私の仕事は、この馬鹿の面倒を見ること」

「なんだ、恋人じゃねぇのか?」

「…………わかってて言ってるわよね?」

「冗談だ。んな不快そうな顔すんなって」

 

 眉間に大層な皺を寄せるえりあに対し、大和は仰々しく両手を広げる。

 すると、今まで倒れていた斬魔がよろけながら立ち上がった。

 

「ま、前が見えねぇ……ッッ」

 

 顔面が陥没していた。

 こうなれば自慢の美顔も形無しである。

 えりあは冷たい眼差しを大和に向け、忠告する。

 

「キミも、ふざけた真似したらこうするから。真面目に仕事をしてね」

「へいへーい」

「……はぁ」

 

 えりあは少し疲れたのか、小さく溜息を吐いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 暫く歩いていると、三名の視界に厳かな建造物が入ってきた。

 近未来を彷彿させるドーム状の建物は、まるで要塞。

 濃紺色に輝く表面は未知の金属で形成されているのか、圧倒的な質感を誇っている。

 

 高圧電流を常に循環させている有刺鉄線が侵入者を許さない。

 更に監視カメラを、ざっと千台弱。

 それも、不可視である筈の霊体までも察知する超高性能タイプだ。

 

 ふと、敷地内に偶然入った肉食性の(からす)が消滅した。

 敷地内に張り巡らされた不可視のレーザーの網。

 そして、各所に設置された50口径の全自動式レーザーライフル。

 それらを一身に受けた鴉は、悲鳴を上げる事もできずに蒸発したのだ。

 

「スゲェな。宇宙人でもいんのか?」

「宇宙人のほうがマシだぜ」

 

 斬魔の軽口に大和は鬱屈げに答える。

 今度はえりあが問うた。

 

「ここにいる人物が、天使病の研究をしているの?」

「まぁ、研究内容の一つに「天使病」が入ってるだけなんだけどな」

「どんな人物なの?」

「……」

 

 大和はえりあ達に振り返る。

 

華仙(かせん)。世界一の医者にして世界最高の科学者。その気になりゃあ表世界の文明を1000年進める事ができる、正真正銘の天才だ」

 

 大和は向き直り、歩みを再開する。

 

「まぁ、ここで立ち話をする必要もねぇだろ。事情を説明すりゃあ中に入れてくれるだろうし、さっさと行こうぜ」

 

 大和は数歩進む。

 しかし、返事が無かったことに違和感を感じて再度振り返った。

 

 斬魔とえりあは消えていた。

 隠れた訳ではない。その程度なら大和にもわかる。

 

「……アイツ等、どこ行ったんだ?」

 

 大和は思わず首を傾げた。

 

 

 ◆◆

 

 

 真紅の満月が、二名の頭上で不気味に輝いていた。

 デスシティに月は現れない。

 大気圏は瘴気と有毒ガスに覆われている筈だ。

 

「オイ、えりあ……」

「……」

 

 斬魔とえりあは現状を察する。

 先程とは、居る世界が違う。

 デスシティとは全く別の世界に「連れ込まれた」

 

 暁に照らし出されたのは西洋風の建物。

 地面は数多の白骨で埋め尽くされていた。

 

 何処からともなく笑い声が聞こえてくる。

 

「クククッ……」

「あの青い女は俺のもんだ」

「ならあの可愛い坊やは私のものよ」

「ほざくな。二人とも俺が頂く……」

 

「キヒヒッ……」

「美味しそう……っ」

 

 粘り付いた声。

 複数の嘲笑。

 おどろおどろしい欲望が狂気となって、斬魔とえりあに纏わりつく。

 

 濃密な血臭を嗅ぎ分け、斬魔は苦笑した。

 

「魔界都市たぁよく言ったもんだぜ。マジで魔界だな、ここぁ」

「減らず口を叩く前に、構えなさい。来るわよ」

 

 えりあは既に二丁拳銃を取り出していた。

 斬魔は黒金の長物で肩をトントンと叩く。

 

「殺すなよ。天使病の患者以外を殺すのは、俺達にとってタブーだ」

「殺さなかったらいいんでしょう? 半殺しならOKだわ」

 

 ドライな相棒に、斬魔は肩を竦めた。

 

「オーイお前等、逃げるなら今の内だぞー」

 

 斬魔の忠告は無意味だった。

 魔界都市の住民達が躍り出る。

 二人を凌辱し尽くさんと迫る。

 

 斬魔は溜息を吐いた。

 

「……忠告はしたぜ。後で泣きべそかいても知らねぇからな」

 

 斬魔とえりあは得物を構える。

 二人は超犯罪都市から洗礼を受ける事になった。

 

 この都市に要求されるものはたった一つ。

「力」だ。

 

 弱肉強食。

 弱者に生きる価値はない。

 

 正義を貫いても構わない。

 悪を謳うのも構わない。

 

 ただし、強くなければならないのだ。

 

 

 



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四話「ショータイム」

 

 

 大和はラッキーストライクを咥えながら、灰色の双眸を細めていた。

 

「……デスシティ流の歓迎会ってか? 律儀なこった。いいや、これがこの都市の日常か」

 

 紫煙を吐き出しながら、大和は斬魔とえりあが居た場所を見つめる。

 大和は、二人が別の世界に連れ去られた事を察していた。

 連れ去った者達の意図も自然と理解できる。

 

 この都市の住民であり、この都市の性質を熟知している大和は、だからこそ落ち着いていた。

 逆にこの機会を利用して、二人の実力を試そうとしていた。

 

 大和は不気味に唇を歪める。

 

「アイツ等は五体満足で帰ってこれなかったら、適当な理由で嬲り殺して俺一人で任務を遂行する。お荷物はいらねぇ」

 

 あくまで合理的に。

 どこまでも利己的に。

 

 邪魔な存在は敵味方関係無く葬り去る。

 

 大和の三白眼が、何時も以上に冷酷な輝きを灯していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 暁に睥睨されつつ、斬魔は周囲を見渡した。

 敵対者はざっと四十名。

 人間以外にもオーク、リザードマン、キメラ、獣人など──

 

 彼等は肉体や骨格にサイボーグ手術を施している。

 更には重戦車の様なバトルスーツ「VS」も稼働していた。

 

 幻想と科学が溶け合った異形の面々は、一様に濃厚な血臭を纏わり付かせていた。

 

 彼等は殺しを生業とする者達。

 彼女達は、殺しを日常とする者達。

 

 平和ボケした表世界の住民とは危険度が違う。

 飢えた猛獣が愛玩動物に見えるレベルだ。

 

 しかし、斬魔は薄ら笑みを浮かべていた。

 その笑みは、己の腕に対する絶対の自信から来るものだった。

 

 斬魔は辺りを一瞥しながら、ふと半身を逸らす。

 彼の眼前を、巨大な両刃斧が通り過ぎた。

 斧はそのまま斬魔の居た場所を綺麗に両断する。

 

 背後から音も無く、気配も無く、奇襲をかけられたのだ。

 

 奇襲をしかけてきた男は、見事な気配遮断からは想像できないほどの巨躯を誇っていた。

 しかし、地面に散らばった白骨ごと両断する腕力は本物。

 

 風圧で巻き上がった骨が音を立てて溶け落ちた。

 恐らく、猛毒を中心とした状態異常の魔術を重ねがけしているのだろう。

 極めて危険な得物だった。

 

 斬魔は手に持った黒金の長棒で両刃斧の柄をパシンと弾く。

 何気ない動作だったが、男は斧ごとパチンコ玉の様に吹き飛んでいった。

 

 唖然とする住民達を傍目に斬魔は動き始める。

 

 群がる猛者達の肩を足場にし、跳躍を重ねる。

 軽妙なる足捌き。

 足場にされた者達は、肩に何か乗ったと思った時点で既に距離を置かれていた。

 まるで壇ノ浦で源義経(みなもとのよしつね)が披露した八艘跳びだ。

 

 包囲網を敷かれる前に脱出した斬魔は、しかし遠方に目を光らせる。

 住民達が動き始めていた。

 魔改造の施された銃器──自動拳銃から突撃銃まで、様々な重火器が一斉に火を吹く。

 

 魔術刻印の施された弾丸は、銃口から放たれた時点で亜光速に達する。

 更に様々な呪詛を刻まれた弾頭は掠っただけで対象に致命傷を負わせる。

 まさしく必殺の魔弾。

 

 斬魔は魔弾が織り成す絨毯を、上体を地面スレスレまで反らす事で回避した。

 某SF映画を彷彿させる無茶苦茶な躱し方。

 驚異的な体幹を誇るからこそ出来る荒業だ。

 

 弾幕を回避した斬魔はそのままバク転、着地する。

 

「わぉ!」

 

 斬魔が驚愕の声を上げたのは、しかし当然の事だった。

 バク転で一瞬視界を失った間に、数名の殺し屋に距離を詰められていたのだ。

 隙を見逃さない経験、それを行動に移せる実力。

 

(マジでエグいな。この都市の住民は……)

 

 下手に殺せない分、天使病の患者より厄介だ。

 そう内心で愚痴りながら、斬魔は優々と肩を竦めた。

 

 凶刃は刻一刻と迫る。

 殺し屋達は斬魔が諦めたのだと誤解し、濡れた唇を歪めた。

 

 しかし──

 

 斬魔は目にも止まらぬ速度で彼等の足を「踏み潰した」

 そう、踏み潰したのだ。

 

 斬魔は絶え間なく殺し屋達の足を踏みつける。

 その威力は靴ごと地面にめり込ませる程であり、粉砕骨折は免れない。

 

 殺し屋達は断末魔の悲鳴を上げて倒れ込んだ。

 斬魔は両手を広げ、声高らかに宣言する。

 

「さぁ、ダンスパーティーだ! 楽しもうぜ!」

 

 快活な笑みを浮かべる斬魔に見惚れてしまった女性が、問答無用で蹴り飛ばされる。

 自分の身長ほどある鉄棒を自在に振り回し、斬魔は襲撃者達を薙ぎ払っていった。

 

 その動き、自由奔放。

 その強さ、一騎当千。

 

 百戦錬磨である筈の魔界都市の住民が成す術無く沈められていく。

 殺されてはいない。

 天使病の患者以外は殺さないという当初の発言は厳守されている。

 それでも、この有り様だ。

 

 斬魔は本気を出していない。

 それほど、彼我の実力差があるのだ。

 

 ある程度住民達を一掃した斬魔は鉄棒をクルクル回す。

 最後に、慌てている妖物の顔に「ゴシャリ」と鉄棒を振り下ろした。

 

「さて……」

 

 斬魔は振り返る。

 彼は重戦車の如きバトルスーツ、VS(バイタルスーツ)に見下ろされていた。

 全高4メートルはある巨大兵器を見上げ、斬魔は興味深そうに顎を擦る。

 

「スゲェな。魔術、妖物の次はロボットか……」

 

 その超重量を支える関節部位が軋みを上げる。

 鉄錆とオイルの臭いを撒き散らし、VSは携えていた長剣型のビームサーベルを振り被った。

 

 簡易魔術で小規模の電磁フィールドを確保。それを利用して高密度エネルギーを収束。

 結果、超高熱を伴う光の刀剣が完成する。

 

 電磁フィールド内に渦巻く熱量を察し、斬魔はVSの股をスライディングで通り抜けた。

 直後に振り下ろされたビームサーベルは大地をバターの如く両断、融解させる。

 

 とんでもない威力だ。

 

 しかし、まだ終わっていない。

 唐突に聞こえてくる花火の様な音。

 斬魔の右側からロケット弾が迫ってきていた。

 

 携帯式対戦車擲弾発射器、通称RPG。

 デスシティで魔改造されたRPGは、殺傷力がまるで違う。

 

 斬魔に迫っている砲弾は「対化物用融解炸裂弾」

 戦車砲の直撃でも掠り傷一つ負わないバケモノをドロドロに溶かしてしまう、凶悪な砲弾だ。

 

 斬魔は一直線に迫り来るソレを見据え、静かに呼吸を合わせる。

 そして直撃する瞬間、弾頭に足を付けた。

 そのまま宙で回転、乗りこなしてみせる。

 

「ハッハー!!」

 

 まるでサーフィンの如く宙を滑っていく斬魔。

 住民達はあまりの光景に唖然としていた。

 

 最終的に、斬魔は先ほどのVSめがけて突撃。

 接触する寸前で跳躍した。

 

「対化物用融解炸裂弾」が直撃したVSは大量の煙と共に融解、崩れ落ちる。 

 斬魔は着地すると、機嫌良さげに笑った。

 

「中々楽しかったぜ。空中サーフィンなんて中々できねぇからな」

 

 そう言いながら、まだ居る住民達に流し目を向ける。

 住民達は思わず後ずさった。

 

 魔界都市の住民が、怖気づいているのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 同時刻。

 西洋風の建物の屋上で。

 

 天使殺戮士のあまりの強さに下の者達と同様、戦慄している住民達。

 その中で一人、異様に落ち着いている男がいた。

 種族は人間だが、この場の誰よりも濃いオーラを纏っている。

 

 純白のスーツを盛り上げる巌の如き肉体。

 洒落たサングラスでも隠せない傷だらけの顔。

 岩石の様にゴツゴツとした拳を和らげ、男は大きく嘆息した。

 

「ありゃヤベェな。テメェ等、今の内に逃げた方がいいぜ。俺も逃げるからよ」

 

 そう言いながら、男はオールバックにした黒髪を掻き上げる。

 腕利きと名高い用心棒──右之助。

 彼は斬魔らを睥睨すると、背後にいる存在に話しかけた。

 

「お前はどうすんだよ? 俺は端からヤル気ねぇぜ。大和が関わってるからな」

 

 右之助の発言に、背後の存在はクスリと笑った。

 

「相変わらず臆病ね、右之助。大丈夫よ、アイツが現れないって事はあの二人はそこまで重要な存在じゃないって証拠。アイツも魔界都市の住民──様子を見てるのよ」

 

 声から滲み出る凄絶な色香。

 右之助の近くに居た者達が揃って陶酔した。

 

 右之助は渋い顔をする。

 

「大和が来ないって根拠はねぇだろ?」

「そうね」

「ハァ……んな適当な事言えんのはお前くらいだぜ──アラクネ」

 

 紫色を帯びた黒髪が揺れる。

 奈落の底の如き暗黒色の瞳を濡らして、絶世の美女は微笑んだ。

 

 アラクネ。

 世界最強の暗殺者──通称「毒蜘蛛」

 大和、ネメアと共に「デスシティの三羽烏」に数えられる、伝説の殺し屋である。

 

 その美貌は「男の大和、女のアラクネ」と讃えられるほど。

 彼女の冷たい肢体に溺れて破滅した男は数知れない。

 

 右之助は彼女に問う。

 

「行くのか?」

「ええ、最近退屈だったから──少し遊んで貰うわ」

 

 そう言って、アラクネは宙をふわりと舞った。

 まるで、見えない羽でも在るかの様に。

 

 彼女が得意とする鋼糸術によるものだ。

 1000分の1ミクロンまで細められた精神感応金属「ミスリル銀」の糸。

 コレをアラクネは自由自在に操る。

 切断、捕縛、結界、防御、傀儡、移動、追跡──何でもござれだ。

 

 そして、肉体に宿す数億種類の猛毒。

 大和と並び称される最凶の暗殺者が、その毒牙を天使殺戮士達に向けた。

 

「……まずは、あの子と一緒に遊ぼうかしら」

 

 アラクネの暗い双眸に、青き死美人、えりあが映った。

 



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五話「毒蜘蛛の戯れ」

 

 

 斬魔が住民と激闘を繰り広げる中──えりあは黙して佇んでいた。

 その立ち姿は冷たく、美しい。

 

 彼女の背後から下卑な笑みを浮かべた男が近寄っていた。

 彼はえりあの、青いロングコートの上からでもわかる肢体を堪能しようとしていた。

 

 男の唇に涎が滴る。

 さぁ抱きつこうとした瞬間──男の顔面に鉄塊がめり込んだ。

 

 鉄塊の正体はえりあの持つ巨大拳銃のスライドだった。

 えりあは見向きもせずに銃を振り上げ、男の顔面を叩き潰したのだ。

 

「~~~~ッッ!!!!」

 

 悶絶する男。

 顔面を介して伝わった衝撃は、まさしく鉄塊。

 

 えりあの専用拳銃「Danse Macabre」は重量12キロ。

 銃身は鋼鉄より硬い門外不出の特殊合金製。

 

 コレを叩き付ければ、人間の骨など容易く砕ける。

 ある意味、生半可な鈍器より凶悪な代物だった。

 

 予想外の反撃方法に警戒を強める住民逹。

 えりあは彼等に二丁拳銃の銃口を向けた。

 

 構える住民逹。

 彼等は犠牲を覚悟で、えりあの放つ弾丸の性質を見極めようとしていた。

 

 デスシティで流通している弾薬の様に魔術や呪術を付与したものなのか。

 それとも表世界の弾丸を補強しただけのものなのか──

 

 判別するため、銃口を注視する住民逹。

 すると、えりあは二丁拳銃を万歳の形で空に上げた。

 

「……?」

 

 住民逹は首を傾げた。

 あまりに不可解な行動だったからだ。

 

 しかし次の瞬間、えりあは消える。

 大砲の如き発砲音と、えりあが住民逹との距離を縮めたのは、ほぼ同時だった。

 

 瞬間移動。

 その秘密は巨大拳銃の反動にある。

 

 えりあは二丁拳銃を振り下ろし背後に発砲。

 秘蔵の火薬によって生み出される強力な反動で、自分を弾き飛ばしたのだ。

 

 住民逹の中で反応できた者は僅か数名。

 しかし対応できた者は皆無だった。

 

 誰も予想できなかった。

 まさか、銃を持っているのに距離を詰めてくるなど──誰も考えなかったのだ。

 

 えりあは跳躍の勢いを全て膝に乗せ、一名の鳩尾を潰す。

 骨肉が潰れる嫌な音が響き渡った。

 

 反撃に転じた住民は二名。

 えりあは彼等に的確な追撃を施す。

 

 一名の側頭部(テンプル)に銃口の下部分、フレームを叩き付け。

 もう一名の脳天に同じくフレームを落とす。

 

 不快な音と共に脳漿が迸る。

 えりあは表情を変えず、次に撃破すべき対象を見据えていた。

 住民は反撃に転じるが、彼女を捉える事はできない。

 

 えりあは舞っていた。

 側面を撃てば流れる様に肘鉄に繋げ。

 二丁同時に放てば高速回転、遠心力がたっぷり乗った回し蹴りを放つ。

 

 二丁拳銃による近接戦闘、バレットアーツの真髄がここにあった。

 

 しかし、魔界都市の住民は馬鹿では無い。

 

 えりあが未だ一人も殺していない事を鑑み、無理やり距離を詰めてきた。

 超至近距離で四方八方を囲む事によって、銃撃による瞬間移動も封じる。

 

 一見、最適に見えた。

 えりあのバレットアーツに先が無ければ、の話だが──

 

 えりあは二丁拳銃を逆手に持ち変えた。

 異様な構えだった。

 見方によっては、二丁拳銃が琉球の武具、トンファーに見える。

 

 住民の顔面に、拳銃のハンマーがめり込んだ。

 えりあがぶん殴ったのだ。

 

 彼女はトンファーの如く二丁拳銃を振り回す。

 手の中で遠心力を用いて回せば、12キロの鉄塊が真の脅威を見せた。

 

 至近距離でも駄目──

 早々に察した待機組は、迎撃組の全滅と共に重火器を構える。

 

 多様な銃器を向けられたえりあは、それでも眉一つ動かさない。

 彼女は住民達との距離を測ると、拳銃を通常の持ち方に戻した。

 そして、前方を薙ぎ払う様に発砲する。

 

 銃弾が曲線を描く。

 まるで、発砲される前の薙ぎ払いの影響を受けたが如く。

 

 曲射──銃の常識を覆す埒外の技術を、えりあは披露してみせた。

 

 劣化ウラン弾は住民達の持っていた銃器を横薙ぎに破壊した。

 指や手首を吹っ飛ばされた住民達は断末魔の悲鳴を上げて倒れ込む。

 

 えりあは周囲に目を凝らし、次の襲撃に備える。

 

 同時刻。

 えりあの位置から5キロメートル離れた場所で。

 狙撃手がえりあの隙を虎視眈々と伺っていた。

 四階建ての屋上で寝そべり、息を殺している。

 

 構えているのはサプレッサーを装着した特注の狙撃銃。

 弾薬は無論デスシティ製。

 

 狙撃手はスコープ越しにえりあを見据える。

 彼女が動きを止めたと同時に、トリガーに指を掛けた。

 

 瞬間、彼女と目が合う。

 5キロメートルも離れているのにもかかわらず、だ。

 

 狙撃手は命の危機を察し、スコープから視線を外す。

 ライフルからも距離を取った。

 

 刹那、狙撃銃の銃口に劣化ウラン弾が侵入する。

 狙撃銃は破裂し、大破した。

 間近で見ていた狙撃手は、恐怖のあまり顔面を蒼白にしていた。

 

 えりあは狙撃手の無効化を確認し、小さく息を吐く。

 死傷者は0。重傷者はいるが、天使殺戮士の規則的に何ら問題無い。

 

 えりあは相棒、斬魔と合流しようとする。

 しかし、唐突に前方から「死」を感じ取り、上体を後方に逸らした。

 

 反射的だったが、舞い上がった黒髪の毛先が両断された。

 えりあは体勢を戻し、二丁拳銃を構える。

 

「……さ、愉しみましょう」

 

 毒蜘蛛の微笑が、えりあの耳朶を打った。

 

 

 ◆◆

 

 

 えりあの眼前に絶世の美女が佇んでいた。

 紫色を帯びた黒髪、暗黒色の双眸。

 右目下にある泣きぼくろが彼女の妖艶さを更に際立たせている。

 

 純白のドレスは生地が極端に薄い。

 まるで、彼女の極上の肢体に吸い付いているかの様だった。

 

 えりあは二丁拳銃を下ろさない。

 無機質な瞳で彼女を睨み付けている。

 

 えりあは、彼女の名を呟いた。

 

「アラクネ──世界最強の暗殺者」

「あら、私を知っているの? 光栄ね」

 

 クスクスと笑う美女──アラクネ。

 えりあは淡々とした声音で問う。

 

「何の用かしら」

「何の用、ねぇ……」

「……!」

 

 えりあは瞠目した。

 目の前に、牙を剥く巨大な毒蜘蛛が居たのだ。

 天使病の患者など比ではない、正真正銘のバケモノが──

 

 えりあはトリガーにかかった指を寸前で抑える。

 危うく発砲するところだった。

 それ程までに、身の危険を感じたのだ。

 

 当のアラクネは嬉しそうに笑う。

 

「あら、よく訓練されてるのね。流石、プロテスタントの誇る天使殺戮士さん。……これは楽しめそうね」

 

 音も無ければ気配も無い。

 しかし、えりあは眼前に迫り来る「死の線」を察知していた。

 半身を逸らす事で躱すと、偶然背後に居たオークが縦半分に両断される。

 

「……は?」

 

 あまりの斬れ味に、オークは未だ生きていた。

 脳味噌から背骨まで綺麗に断たれた事を理解し、初めて絶命する。

 

 えりあは跳躍した。

 既に、毒蜘蛛の巣は張り巡らされていた。

 

 えりあの超視力を以てしても、アラクネの武器は確認できない。

 彼女はただ漠然と、「凄まじい斬れ味を誇るナニカが来る」事を感じ、身を翻す。

 

 避ける、避ける、避ける。

 銃の反動、肉体の捻り。

 あらゆる技術を用い、えりあは死の線から脱出する。

 

 傍目から見れば、えりあが一人で舞っている様に見えた。

 その舞いは美しいが、頬に伝う冷や汗が彼女の緊迫感を物語っている。

 

 周囲の住民達が次々と絶命する。

 上半身と下半身で分かれる者や、首を跳ばされる者が現れた。

 

 不可視の斬撃に住民達は恐れ戦き、逃走を始める。

 

 えりあに迫る斬撃が数を増す。

 全方位から織り成される立体的な斬撃は、剣士の比では無かった。

 

 アラクネは一歩も動いていない。

 頬に手を添え、悠然と微笑んでいる。

 

 地上に逃げ場を無くしたえりあはやむを得ず空中に跳躍した。

 斬撃はしつこく彼女を追走する。

 

 えりあは銃撃の反動で横に移動、西洋風の建物の側面に着地。

 更に跳躍して回転、地面へと着地した。

 

 先程までえりあの足場だった建物が一文字に両断された。

 えりあはアラクネの周囲を漂う極細の凶器を睨み、呟く。

 

「……糸ね」

「正解」

 

 アラクネは素直に頷いた。

 

「綺麗に避け続けているのは称賛に値するわ。でも、糸は斬る以外にも色々できるのよ」

「!」

 

 えりあは足元を見る。

 蜘蛛の巣が地面に張り巡らされていた。

 

 逃げようとするも、足首を縛られ上空へと打ち上げる。

 そのまま横の建造物に叩き付けられ、引き摺り回された。

 

 何棟もの建物が崩壊する。

 えりあは硬質な瓦礫と地面に問答無用で叩き付けられていた。

 

 人外であっても全身粉砕骨折は免れない猛攻。

 しかし、えりあは耐えていた。

 二丁拳銃をクロスさせ身を固めている。

 最小限のダメージで抑えていた。

 

 アラクネは両の指を使い、死の戯曲を奏で始める。

 振り下ろせば束ねられた鋼糸がえりあに向かい更なる衝撃を与える。

 振り上げれば、何重にも絡められた鋼糸がえりあを縦横無尽に振り回した。

 

 倒壊していく建物達。

 鉄筋と煉瓦の砕ける音が、死の戯曲を無骨に彩った。

 

 最終的に地面に叩き伏せられたえりあは、よろけながらも立ち上がる。

 アラクネは暗く微笑んだ。

 

「五体満足でいられるなんて……頑丈ね」

 

 えりあは冷徹な双眸でアラクネを睨む。

 一瞬躊躇したが、アラクネに向かい発砲する。

 

 しかし、劣化ウラン弾はアラクネの手前で静止した。

 鋼糸が弾丸に絡まり、運動エネルギーを殺しているのだ。

 

 切断、拘束、防御。

 その他、あらゆる万能性を発揮する暗器──鋼糸。

 

 扱いが極端に難しい筈のこの武具を、アラクネは身体の一部の如く使いこなしている。

 毒蜘蛛の二つ名の由来を、彼女は圧倒的実力で示していた。

 

「無駄よ。私に銃撃は通用しない」

 

 アラクネは甘い声音で告げる。

 

「私を殺す気で戦わないと……勝てないわよ?」

 

 迫り来る妖糸。

 えりあは唇を噛みしめ、回避に専念する。

 

 アラクネの言う通りだった。

 殺す気で戦わなければ勝てない。

 魔界都市の住民はそこまで甘くない。

 

 しかも彼女はこの世界で頂点の一角に君臨するバケモノだ。

 無力化するなど不可能。

 

 それでも、そうだとしても──

 えりあの意思は変わらなかった。

 例え死のうとも、彼女は自分の意思を曲げようとはしなかった。

 

 天使殺戮士は天使病の患者を殲滅する存在。

 殺し屋では無い。

 故に、天使病の患者以外は殺さない。

 

 しかし、その意思ごとアラクネは断ち切ろうとしていた。

 えりあの回避がどんどん間に合わなくなる。

 

 アラクネは残念そうに囁いた。

 

「本当に死んじゃうわよ?」

 

 上下左右360度、全方位を囲まれる。

 逃げ場はない。

 回避しようとすれば、鋼糸に絡め取られバラバラにされる。

 

 詰み。

 えりあはそっと目を閉じた。

 

(こんな時に……居てくれたら)

 

 鋼糸がえりあを覆う様に縮小していく。

 もう間も無くえりあは細切れにされる。

 

 刹那、銀光一閃。

 地を割り奔る斬撃はえりあに纏わり付く鋼糸を両断した。

 

「よぅ、待ったか」

 

 黒鞘から長刀を抜いた男。

 赤茶色の髪を靡かせ、ニヒルに笑っている。

 

 えりあは待ち望んでいた。

 彼の救援を。

 

 相棒──斬魔はチンと、長刀を納刀した。

 

 

 ◆◆

 

 

 斬魔はえりあを確認する。

 青いロングコートは擦り切れ、白い肌は土で汚れている。

 何時も無表情である筈の彼女の顔は、安堵で少し緩んでいた。

 

 苦笑する斬魔。

 仮にも彼女は天使殺戮士、プロテスタントの最高戦力だ。

 それをここまで追い詰めるとは──

 

「大丈夫かよ」

「……ええ、問題無いわ」

 

 えりあは無表情に戻る。

 斬魔は苦笑を続けながら、対峙すべき女に視線を移した。

 

 アラクネは紅を塗った唇を撫でる。

 

「あらあら、可愛い坊やね。普段だったらお持ち帰りしてるところだわ」

 

 流し目を向けられ、斬魔は嬉しそうに口笛を吹いた。

 

「~♪ こりゃまた大層な別嬪さんだ。しかも誘われてるときた。嬉しいねぇ」

「……」

 

 えりあの眉間に皺が寄る。

 斬魔はやれやれと肩を竦めた。

 

「冗談だっての。戦闘中だぜ? 真面目にやるさ」

「そうして頂戴」

 

 同時に構える二人。

 互いに背中を預けるその形は、言葉にできない信頼の証だった。

 

「……!」

 

 アラクネは彼等に自分の過去を重ねる。

 二人の構え方が、昔の自分と大和にそっくりだったのだ。

 

 アラクネは苦笑しつつ、両の指を上げる。

 

「……それじゃあ、戯曲の再開といこうかしら」

 

 アラクネは鋼糸を無数の投擲槍に変形させる。

 精神感応金属「ミスリル銀」は、使用者の精神命令に反応して形状を変化させる特殊金属だ。

 

 30本以上の槍が斬魔とえりあに迫る。

 しかし、斬魔は抜刀術で全ての槍を両断した。

 

 斬魔は既に収まりつつある長刀を鍔鳴りと共に納刀する。

 神速の抜刀術。

 これが斬魔の本来の戦闘スタイルだった。

 

 斬魔が作ったチャンスをえりあは見逃さない。

 銃撃による高速移動でアラクネとの距離を詰める。

 

 アラクネは事前に張り巡らせていたトラップを発動しようとする。

 が、指に感触が伝わらない。

 先程の斬魔の一閃がトラップも切断していたのだ。

 

 驚愕するアラクネ。

 その間にえりあは彼女の懐に入り込む。

 

 近接戦闘になればえりあに分がある。

 バレットアーツが炸裂し、アラクネは苦戦を強いられた。

 

 重く硬い一撃。

 アラクネは辛うじて受け流すが、数撃貰ってしまう。

 右腕が嫌な音と共に折れ曲がり、脇腹が臓物ごと抉られた。

 

 数撃、されど致命傷。

 アラクネは動きを止める。

 

 このチャンスを逃すまいと、えりあは拳銃を逆手に持ち替え、上半身を引き絞った。

 彼女はアラクネの顔面に渾身の右ストレートを叩き込もうとしていた。

 

「……フフフッ」

 

 しかし、アラクネは嗤っていた。

 口の端に血を滲ませて尚、嗤っていたのだ。

 

 えりあは途轍もない悪寒を覚える。

 が、絞った力は既に収集が付かない。

 彼女はそのまま、渾身の右ストレートを放つ。

 

 えりあの右手がアラクネの顔面を通り抜けた。

 えりあは目を見開く。

 

 この感触の無さは異常だった。

 

 次の攻撃に転じようとするも、既にアラクネは消えていた。

 えりあは二丁拳銃を持ち替え、周囲を警戒する。

 

「楽しかったわ……懐に入られるどころか、負傷させられるなんて。久々に燃えちゃった」

 

 いつの間にか、アラクネは建造物の屋上に佇んでいた。

 彼女は折れた右腕を振りながら、優雅に微笑んでいる。

 

「もっと遊びたいところだけど、これ以上やっちゃうと火が着いちゃいそうだから、やめておくわね」

 

 アラクネは完全に折れている筈の右腕を瞬く間に修復させる。

 脇腹も、伸びをすることで嫌な音を立てて治癒しているようだった。

 

 彼女は満足そうに笑う。

 

「また今度、遊びましょ♪ アイツには内緒でね」

 

 その言葉を最後に、アラクネは闇の中に消えていった。

 えりあは彼女を完璧に視界に収めていたのだが、最早気配すら追えない。

 

 周囲の者達も何時の間にか消えていた。

 えりあは眉を顰めつつ、二丁拳銃を収める。

 

「……本当に厄介ね、ここの住民は。上層部がわたし達を行かせた理由がわかった気がするわ」

 

 えりあの隣に来た相棒、斬魔は呑気に問う。

 

「結構ヤバかったな」

「ええ」

 

 えりあは表情を険しくする。

 

「彼女……アラクネは、最後まで毒を使わなかった。それに彼女の本質は暗殺者──キミも見たでしょう? あの尋常では無い気配遮断を。彼女が本気だったら、キミもわたしも只じゃ済まなかった」

「ふむ……」

 

 斬魔は神妙そうに顎を擦る。

 

「デスシティの三羽烏、ねぇ。厄介だな。今は一人味方に付いてるが、そう考えると頼もしいな」

「……そうね」

 

 えりあは考える。

 確かに頼もしいが、それ以上に危険かもしれないと。

 依頼であったとしても、あの男──大和をそこまで信頼してはいけないと。

 

 一方斬魔は、黒鞘でトントン肩を叩きながらにやけ始めた。

 

「しっかしアラクネかぁ、そうかぁ~」

「どうしたの?」

 

「いや、めっちゃタイプだったから、連絡先聞いておけばよかったって……」

 

「……」

「……」

 

「遺言は?」

「やべっ」

 

 暁の世界が消えてなくなる中、斬魔の断末魔の悲鳴が響き渡った。

 

 



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六話「華仙」

 

 

 

 崩壊した暁の戯曲場から脱出した二人は、次元の狭間から這い出る形で現実へと戻って来た。

 

 そんな二人を出迎えたのは、紫煙を吹かす褐色肌の美丈夫だった。

 彼は驚きと好奇で表情を緩める。

 

「帰ってこれたな。すげぇすげぇ」

 

 感心した風に拍手する美丈夫――大和。

 青き美女、えりあは殺意のこもった眼光を彼に向けた。

 

「彼等はキミの差し金?」

 

 銃を突き付けんばかりの気迫に、大和はおどけた調子で肩を竦めた。

 

「テメェ等に差し金を向ける理由がどこにある? むしろ、帰ってきてくれて安心してるくらいだ」

「……嘘偽りは無いわね?」

「テメェ等のところの神に誓ってやってもいい」

「…………」

 

 えりあは静かに怒気を収めた。

 彼女は大和に問いかけを重ねる。

 

「なら、アラクネもキミが差し向けたわけじゃないのね?」

 

 アラクネの名を聞き、大和の機嫌が一気に悪くなった。

 

「ハァ? なんであの糞アマの名前が出てくんだよ」

「襲われたのよ。辛くも退けられたけど」

「……へぇ」

 

 今度はえりあを興味深そうに眺め始める大和。

 

「アイツも本気じゃなかっただろうが……それでもスゲェな。いやマジで」

 

 彼は一人でクツクツと喉を鳴らす。

 

「こりゃ、予想以上に期待できそうだ」

「……一人で完結するのは構わないのだけれど、答えを聞かせて頂戴」

「アイツを差し向けたのが俺かって? 馬鹿言え。んな回りくどい真似すんなら俺が直接行ってらぁ」

 

 鼻で笑いつつ、大和はえりあが片手で引っ張っている美男へ視線を落とす。

 黒ずくめの美男、斬魔は何時ぞやの時と同じ様に顔を凹ませていた。

 

 大和は何故彼がこうなったのか――あらかた予想できるのだが、取り敢えず聞いてみる。

 

「で、相棒クンはアラクネ絡みで地が出ちまったって感じか?」

「ええ、その通りよ」

「ったく、懲りねぇ奴だなぁ」

「全く」

 

 大和は痙攣している斬魔を見下ろしつつ、踵を返す。

 真紅のマントを翻しながら、えりあに言った。

 

「じゃ、行こうぜ。今日中に華仙の奴に会っておきてぇ」

 

 華仙。

 二人の眼前に聳えるドーム状の施設に住まう世界最高の科学者。

 同時に世界最高の医者でもある。

 えりあの持つサンプルで今回の天使病の謎を解明できるであろう、貴重な存在だ。

 

 えりあは懐のサンプルを確認しつつ、改めて大和という男を観察する。

 先程のアラクネとの戦闘で、えりあは見極めなければならないと思ったのだ。

 大和という存在を――

 

「……!」

 

 えりあの超視力を以てして解明される、大和の強さの秘訣。

 それは単純であり、故に恐ろしいものだった。

 

 端的に言えば、究極の才能と極限の努力。

 

 大和の肉体は生まれながらに天性のものだった。

 骨格、筋肉密度、神経系、記憶能力に至るまで、全てが人類の枠を超えている。

 過去現在未来において、ここまで恵まれた体躯を持つ者は生まれてこないだろう。

 

 鍛錬をせずとも神を殺せる肉体。

 正真正銘、超常の器だった。

 

 それを鍛えに鍛え抜いている。

 筋肉繊維の本数、骨格・関節の密度、反射速度、あらゆる能力を想像を絶する鍛錬の果てに強化している。

 彼は世代を跨がず、単身で進化を遂げていた。

 

 世界最強の肉体を、世界最高の努力を以て更なる高みへと昇華させる。

 

 才能と努力――両方に於いて世界最高。

 大和の強さの秘訣は、本当に単純明快だった。

 

 天才が努力したから最強。

 

 実にわかりやすい。

 だからこそ恐ろしい。

 

 えりあは戦慄を覚えた。

 戦闘力のみなら先程のアラクネの比では無い。

 邪神をも葬ってしまうという逸話に嘘偽りは無かった。

 

 更に、えりあは彼の真骨頂を見出す。

 彼の真価は、並外れた戦闘センスと百戦錬磨の戦闘経験――

 

「おい」

 

 呼び掛けられ、えりあは我に返った。

 大和は首だけ振り返り、微笑していた。

 

「俺の背中をジッと見て……誘ってるのか?」

 

 含みのある笑み。

 大和はえりあの心情を見透かしていた。

 

 読心術。

 表情筋や視線の動きで相手の心を読んでしまう反則技。

 

 全てを察したえりあは、バツの悪そうな表情をする。

 大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「冗談だ。じゃ、施設の中に入るぜ」

「……ええ」

 

 えりあは頷き、大和の背に付いて行く。

 未だ痙攣中の斬魔を引き摺りながら――

 

 

 ◆◆

 

 

 濃紺色の施設内は真っ白な空間だった。

 扉の無い場所から入り口が現れたかと思えば、純白の廊下が続いていた。

 

 待機していたメイド達が大和達に深くお辞儀をする。

 彼女達は無機質な声音で告げた。

 

「用件は既にお伺いしております。未知の天使病の解明を頼みたい、と」

「おう、華仙はいるか?」

「いえ、そろそろ到着なされるかと――」

 

 淡々と答えるメイド達。

 何時の間にか立ち直った斬魔が、大和に聞いた。

 

「なぁ、この子達って……」

「アンドロイドだ。ま、殆ど人間と変わらねぇ。ただ感情が希薄なだけだ」

「へぇ……ッ」

 

 メイド達をマジマジと見つめる斬魔。

 好奇の視線に気付いたメイド達は、深々と頭を下げた。

 

 斬魔は顎を擦りながら言う。

 

「何人か欲しいかも……」

 

 ジャキンと、えりあの拳銃がその頬に突き付けられた。

 斬魔は顔を真っ青にして手を上げる。

 

「何でもありません……」

「……ハァ」

 

 重い溜息を吐くえりあ。

 

「クククッ」

 

 大和は二人の漫才?を面白そうに眺めていた。

 

 すると現れる。

 例の重要人物が――

 

「ごめんなさいね。遅くなって」

 

 ハイヒールの音がよく響く。

 黒のストッキングがその美脚をよく強調していた。

 薄緑のシャツはボタンが二個空けらており、豊満な乳房が窮屈だと自己主張している。

 白衣に身を包んだ姿は、まるで保険医の様だった。

 

 艶のある黒髪はゴムで結われ、肩に流されている。

 知的な美貌を讃える顔立ちは、あらゆる異性を虜にしてやまない。

 泣きぼくろと色眼鏡が、その美貌に更に拍車をかけていた。

 

 世にも稀な美女は、大和を見て薄く微笑む。

 

「久しぶりね、大和。たまには顔を見せて頂戴。寂しいから」

「ほざけ、研究ばっかで暇なんて無ぇだろ」

「貴方が来たなら時間くらい空けるわ」

 

 妖艶に唇を撫でる美女に、大和はやれやれと肩を竦める。

 彼女は大和の背後にいる斬魔とえりあに視線を向けた。

 

「……貴方達が天使殺戮士さんね。初めまして、華仙という者よ。医学に携わっているわ」

 

 そう、彼女こそ世界最高の医者にして科学者。

 表世界に最も大きな影響力を持つ、人類史の革命者である。

 

 



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七話「疑似天使病」

 

 

 えりあはシャワーを浴びていた。

 熱湯を浴びても尚、その青い肌に生気が帯びる事はない。

 90はあろう豊満なバストに、官能的に水滴が滴った。

 

 えりあは黒髪を掻き上げながら、降り注ぐ熱湯を浴びていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 貴賓室にて。

 研究者らしい質素な造りの室内に、大和と華仙は居た。

 

「天使病のサンプルは貰ったな?」

「ええ」

「なら、明日の朝までに解析してくれ」

 

 当たり前の様に言われ、華仙は肩を竦める。

 

「私も一応、忙しい身なんだけれど?」

「お前ならある程度見ただけでわかるだろう? そこまで時間はかからねぇ筈だ」

 

 大和の発言は、華仙を信頼しているからこそのものだ。

 現に、華仙であれば出来る。

 

 しかし、彼女は別の事に腹を立てていた。

 

「誠意が感じられないわ。いきなり来て解析を頼むなんて、都合が良すぎない?」

「……そりゃそうだな」

 

 そう言われればと、大和も納得し頷く。

 華仙は腰に手を当てた。

 

「結果を出せば報酬を貰う。この都市では当たり前の事でしょ?」

「なら何が欲しい? 金か? 新しい研究サンプルか?」

 

 大和は背後の壁に振り返る。

 

「壁に埋まってるアイツなんか、良いサンプルになると思うぜ。腕も中々だ」

 

 もう一人の天使殺戮士、斬魔は壁に上半身をめり込ませていた。

 ピクリとも動かない。

 

 華仙はやれやれと溜息を吐いた。

 

「あのエッチな坊や? やめておくわ。また襲われそうだもの」

「その度にさっきの回し蹴りを食らわせればいいじゃねぇの」

 

 クツクツと喉を鳴らす大和。

 えりあが部屋を出て行った瞬間、斬魔はルパンダイブ。

 華仙の巨乳に飛び込んで行ったのだ。

 

「その派手にあけられた第二ボタン……誘ってるとみたぜ!!!!」

 

 結果、斬魔は壁にめり込んだ。

 華仙はありとあらゆる中国拳法を「嗜み」で極めている。

 八極拳を始め、劈掛拳、心意六合拳、形意拳、八卦掌、太極拳など──

 

 彼女は研究者だが、その戦闘力は並の実力者よりも高い。

 斬魔は顔面に綺麗な回し蹴りを食らい、呆気なく無力化されてしまったのだ。

 

 華仙は埋まっている斬魔から大和に視線を移す。

 色眼鏡の奥にある紫苑色の瞳が、微かに潤んだ。

 

「私が欲しいものは既に決まってるのよ」

 

 華仙は大和の元まで近付くと、その逞しい胸板を指でなぞる。

 

「貴方を一日、私のものにしたい」

「……マジかよ」

 

 大和は眉を顰める。

 絶世の美女からの誘いに対し、この反応はかなり珍しかった。

 

「解剖とかしねぇよな?」

「貴方がいいと言うのなら、是非したいわね」

 

 マッドサイエンティストの本性がチラリと現れた瞬間だった。

 大和は溜息を吐きながら言う。

 

「なら解剖を含め、その他実験は無しだ。俺単体でお前を楽しませてやる。今回の依頼程度なら、それで充分だろう?」

「……まぁ、妥当かしら」

 

 片目を閉じる華仙。

 大和は安心したのか、頷き彼女に背を向ける。

 

「俺は外の宿に泊まる。コイツ等も好きにさせてくれ。明日の午前9時にここに集合だ」

「あら、泊まっていってもいいのよ?」

 

 華仙の提案に、大和は振り返り妖艶に微笑んでみせた。

 

「亜人の子達と楽しんでくる。息抜きってやつだ」

 

 本当に楽しそうに笑う大和に対し、華仙は頬を膨らました。

 

「気のある女性の前でそういう話をするのはよくないと思うわ」

「わりぃわりぃ、でも俺はそういう男なんだよ」

 

 そう言って、華仙に投げキッスを送る。

 華仙は表情を蕩けさせた。

 彼女は乳房の溝を撫でながら、甘ったるい声で言う。

 

「報酬に関しては、空いた日に連絡を入れるから……絶対に来てね?」

 

 色っぽく唇を撫でる華仙に対し、大和は振り返らず手を上げて応じた。

 そうして、彼は部屋を出て行った。

 

 

 ◆◆

 

 

 シャワーを浴びて帰って来たえりあは、斬魔の暴挙を知らされた。

 彼女は無言のラッシュを斬魔の顔に浴びせた後、華仙に謝罪した。

 

「シャワーを貸して貰って、服も洗って貰ったのに、申し訳ないわ……」

 

 えりあの意思を汲み取り、華仙は微笑む。

 

「いいのよ、若い男の子は性欲に忠実なものだから」

 

 当の罪人、斬魔は床に正座させられていた。

 膝の上に特殊合金製の重石を五つほど乗せられている。

 100キロ×5の超重量に、斬魔は悲鳴を上げていた。

 

「NOOOOOOOOOO!!!! せめて!! せめて床に座布団を敷いて!! お願い!!」

「黙りなさい。この性犯罪者」

 

 ゴキンと、えりあの拳銃が斬魔の頭を叩く。

 沈黙する斬魔。

 頭の上にできた特大のたんこぶが、彼女の容赦の無さを物語っていた。

 

 華仙は二人の様子に苦笑しつつ、ソファーに腰かける。

 そして、そのスレンダーな足を組んだ。

 

「さて──それじゃあ、先程貰ったサンプルの結果報告をさせて貰うわね」

「……?」

 

 えりあは首を傾げた。

 

「サンプルを渡してまだ一時間も経ってないわ。もしかして、もう解析が終わったの?」

 

 えりあの問いに、華仙は当たり前だと言わんばかりに頷く。

 

「一通りの事象現象は見ただけで解析できるの。これでも、世界一の科学者だからね」

「……」

 

 世界一の科学者、その肩書きに嘘偽りは無し。

 資料によれば、彼女はあまりに世界への影響力が大きい故に此処、裏区に軟禁されているらしい。

 表世界の権力者、世界政府、のみならずデスシティの有力者達からも警戒されているとか。

 

 その理由がわかったと、えりあは内心頷いた。

 華仙は彼女の表情を見て、無駄な解説は必要無いと察し、話を進める。

 

「単刀直入に結果を伝えるわ。サンプルの天使病は強引に誘発されたものよ」

「……誘発?」

「そう、黒魔術や禁呪を絶妙に絡める事で、患者の負の感情を爆発させているの。それと同時に、天使病の発症源──霊子型ナノマシンも暴走させているわ」

「……」

「中々上手い具合に調整されているわね。これなら人為的に天使病の患者を作る事が可能よ。……でも、相当複雑な術式で構成されているから、乱用はできない筈」

 

 えりあの深刻そうな表情を確認しつつ、華仙は懐からタブレット型端末を取り出す。

 

「取り敢えず結果は伝えたわ。詳しいデータは後日改めて資料にするから」

「……ありがとう。助かったわ」

「どういたしまして」

 

 えりあは青いロングコートをはためかせ、立ち上がる。

 その背中を見つめ、華仙は言った。

 

「資料を出せるのは明日よ。今のはあくまで仮定。……今動いたって、何もならないわ」

「…………」

 

 えりあは立ち止まる。

 華仙は彼女に忠告を重ねた。

 

「それに、今外に出るのは危険よ。もうそろそろ深夜──危険度が最高値にまで跳ね上がる。……万全の状態の貴女ならともかく、今の疲弊した貴女じゃ危険だわ」

「ッ」

 

 えりあは唇を噛みしめた。

 華仙は全てお見通しだった。

 

 えりあは疲弊している。

 先程のアラクネとの戦闘で精神力と体力、両方を擦り減らされたのだ。

 十分な睡眠が必要だった。

 

 それでも、えりあは止まろうとしない。

 足を動かそうとする。

 

「華仙の姐さんの言う事は最もだ」

「……」

 

 先程まで気絶していた斬魔が、彼女を留めた。

 

「お前はさっきの戦闘でかなり疲弊してる。一度休眠をとれ。今回の任務、嫌な予感がする。万全の状態じゃねぇとキツそうだ」

「……」

 

 相棒に窘められても、えりあは複雑な表情のままだった。

 それは、彼女の真面目な気質故だろう。

 

 斬魔はそんな相棒に対し、溜息を吐く。

 

「今出された仮定だけでも本部に伝えておけばいい。後日改めて詳細を送るとも。今お前がすべき事は、無駄な体力を使う事じゃなく、来たるべき戦闘に備え身体を休めることだ」

「……」

「わかってるよな? 俺達の役割を」

「……わかったわ。明日まで休憩させて貰う。本部にも連絡しておくわ」

 

 相棒が頷いてくれた事に、斬魔は安心し笑顔になった。

 

「それでな──」

「?」

 

 斬魔は一変シリアスな顔になり、切実な声音でえりあに訴える。

 

「この重石、いい加減退けてくれッッ。もう足の感覚が無ぇんだ。マジでヤベェんだ。これじゃ明日ロクに闘えねぇ……ッッ」

「…………」

 

 えりあは相棒の無様な姿を見下ろしつつ、その足先をツンツンと指でつついた。

 

「Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!! テメェえりあ!! っざっけんなよ!!!! はぁぁ足がァァァァァッッ!!!!」

 

 絶叫を上げる斬魔を、フッと鼻で笑うえりあ。

 華仙はえりあの表情が和らいだ事に安心しつつ、二人の確かな絆を見て、頬を緩めるのであった。

 



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八話「堕天使ウリエル」

 

 

 

 大和は深夜の街道を散策していた。

 ここは掃きだめの裏区。

 深夜になれば危険度は最高まで跳ね上がる。

 活気に満ち溢れるのもまた深夜だが、同時に危険度も上がるのだ。

 

「さぁて、可愛い亜人のお嬢ちゃんを五人くらい貰っていこうか」

 

 顎を擦りながら、遠く輝くネオン街に視線を向ける大和。

 裏区は獣人の中でも更に獣の色が濃い「亜人」が多く生息している。

 亜人の娼婦と一夜を共にしたいというなら、裏区が一番適していた。

 

「ん?」

 

 大和の前に少女が立ち塞がった。

 奇妙な出で立ちをしていた。

 同時に、例えようも無いほど美しかった。

 

 ショートに整えられた桃色の髪、薄く焼けた肌。

 十代ほどに見える可憐な顔立ち、しかし大きく実った乳房は大人の女性顔負け。

 漆黒の羽で編まれた法衣は神秘的でありながら妖艶だった。

 

 彼女は頭の上に生えた漆黒の小翼をパタパタとはためかせていた。

 その美貌は天使の様であり、しかし瑞々しい唇に浮かべる笑みは小悪魔の様だった。

 

「探したよ、大和……」

 

 甘ったるい声で呟く美少女。

 大和は苦笑しながら、彼女の名を口にする。

 

「久々じゃねぇか……ウリエル」

 

 聖書に記されし最も偉大な四名の熾天使、その一角。

 正義と焔を司る厳格な天使でありながら、堕天した変わり者。

 

 宇宙開闢と終焉の焔を司る堕天使、ウリエル。

 

 彼女は大和に情熱的な愛を込めた眼差しを向けていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 斬魔がよろけながら部屋を出ていった後、えりあも退室しようとした。

 しかし華仙に呼び止められる。

 

「待って。貴女に話しておきたい事があるの」

「何かしら?」

 

 小首を傾げるえりあ。

 華仙は含み笑いを浮かべながら聞いた。

 

「貴方は、本物の天使を見たことあるかしら?」

「本物の、天使……?」

 

 天使病の患者なら飽きる程見てきたし、殺してきた。

 しかし、本物の天使は一度も見た事がない。

 

 えりあは華仙の話に少し興味を持ったので、問い返す。

 

「貴女は見た事があるの? 本物の天使を」

「まぁね、これでも長生きしてるから。――純粋天使。彼女達は天使病の患者とは違い、本当に穢れの無い存在よ。全員少女の姿をしているわ」

「全員少女なの?」

「そう、彼女達を作った神様の趣味が伺えるわね」

 

 クスクスと笑いながら、華仙は続ける。

 

「でも中身は只の戦略兵器。神様の命令に従い、罪人を裁くだけの人形。それが、天使という存在の真実」

「…………」

 

 えりあは、別に驚きはしなかった。

 謙虚な信徒であれば発狂するレベルの内容なのだが――

 生憎、彼女は謙虚な信徒では無かった。

 

 華仙は更に深く掘り下げる。

 

「純粋天使は現代において殆ど破壊されている。でも、その肉体を構成していた霊子型ナノマシンはまだ生きているわ。それが天使病の原因なのだけれど……堕天使は別」

「堕天使……存在するの?」

「ええ。数は限りなく少ないけど、存在するわ。当時の実力、そのままでね」

「……」

 

 えりあは表情を険しくした。

 

「彼女達に、敵意はあるのかしら?」

「それはわからない。でも、あるんだったら今頃大和かアラクネが破壊してるわ。だから、貴女達の業務に支障は無いんじゃない?」

「……そう」

 

 それならいいと、えりあは頷く。

 華仙は「でも」と人差し指を立てた。

 

「注意してね。堕天使は凄く可愛くてエッチな子達だから……君の相棒クン、騙されちゃうかもしれないわよ」

「……」

 

 えりあは相棒のだらしなさを思い出す。

 そして、こめかみを押さえた。

 

「ええ、警戒しておくわ。厳重に」

 

 彼女の斬魔に対する「女」の信頼はゼロだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 裏区にある高級旅館の一室にて。

 大きめのソファーで寛いでいる大和。

 そんな彼の膝上に跨る、一人の美少女。

 

 桃色のショートヘアが揺れる。

 ほんのり焼けた小麦色の肌は眩しくて。

 顔立ちはまるで天使の如く可憐。

 欠点と呼べる要素が存在しない。

 

 黒い羽のようなもので形成されたボンテージは最低限の部位しか隠せていない。

 

 凹凸のハッキリした肢体。

 大きく張りのある乳房、キュっとくびれた腰周り、そして安産型の尻。

 まさしく極上の女体だった。

 

 彼女は潤った桜色の唇で跨っている男に囁く。

 

「まさか君がこの一件に関わるなんてね……嘗て「武神」と謳われた男が、また人類史を救うのかい?」

 

 悪戯っぽく笑う美少女、ウリエルに対して、大和は呆れ交じりの溜息を吐く。

 

「懐かしい二つ名を出しやがって……それに俺が人類史を救うだと? 本当にそう思ってんのか?」

「冗談さ。人類史を何度も救った英雄という肩書きは、君には全く価値の無いものだろう? それに、君を英雄と呼ぶ人間はもういない。遥か昔の、絶滅の脅威に常にさらされていた人間だけさ」

 

 ウリエルは人類史を長く見てきた。

 それはもう、途方も無く長い年月の間。

 

 だからこそ、ウリエルは人間の本質をよく理解していた。

 

「英雄、正義の味方、救世主。そう言われる存在は総じて民衆にとって都合の良い存在に過ぎない。正義=民主主義だよ。大衆にとって善きものが正義になるんだ。君の歴史を見ていれば、よくわかる」

 

 ウリエルは自虐を交えた嘲笑を漏らした。

 

「正義の味方と呼ばれる存在は、大概自分に酔っているだけさ。弱者を救う自分は素晴らしい。大衆から称賛される自分は素晴らしい。善き自分は素晴らしい。……どんなに綺麗事で隠しても、本音を出せば醜い醜い。自覚していないなら尚タチが悪い。……過去の僕がそうだった」

 

 ウリエルは過去の自分を否定する様に呟き続ける。

 

「醜い、醜い。自分に酔ってる正義の味方も、護って貰うのが当たり前だといわんばかりの民衆も。何より、僕が気に入らないのは……!!」

 

 激情を発し、大和の胸に寄りかかるウリエル。

 

「護って貰っておいて、自分達の英雄に相応しくないと君を批判した当時の人間達さ……! あれ程腹が立った事は無かった。でも、だからこそ気付けたんだ、自分の醜さを。こんなものを護って悦に浸っていた自分の愚かさに絶望したんだ……ッ。何だかんだ言いつつ、一番許せないのは僕自身なんだ」

 

 自虐。

 行き場の無い怒りで自身を焼き焦がそうとしているウリエル。

 正義を司る熾天使が何故堕天したのか――その真実が語られていた。

 

 大和は苦笑しつつ、彼女の桃色の髪を撫でる。

 

「有象無象の事なんざどうでもいいんだよ、俺の評価は俺が決める。俺は人類を救った訳じゃねぇ。ムカついた奴をぶっ殺しただけだ。勝手に勘違いして、勝手に落胆してた奴等なんか忘れろや」

 

 大きな手で髪を梳かれ、ウリエルはうっとりとしていた。

 彼女は熱に浮かされた様に呟く。

 

「君は本当に変わらないね……昔のままだ」

 

 ウリエルは彼の厚い胸板に顔を埋める。

 そして愛を囁いた。

 

「天衣無縫に生きる君が好き。誰にも染まらない君が羨ましい。何より……僕を慰めてくれる優しい君が、愛おしい」

 

 ウリエルは大和を見上げる。

 その真紅の双眸を情愛で濡らして、彼女は大和に唇を近付けた。

 

「だから僕は、堕天したんだ……っ」

 

 ウリエルと大和の唇が、重なった。

 

 

 ◆◆

 

 

 ウリエルは、そのきめ細やかな手を自分の乳房に這わせる。

 指を弾きながらも自在に形を変える乳房は実に卑猥であった。

 

 大和は彼女の唇を奪う。

 ウリエルもまた、それを望んでいた。

 

 水の滴る音が響き渡る。

 濃密に舌を絡め合い、唾液を交換する。

 ウリエルの頭から生えている翼が、快感と同調し小さく羽ばたいていた。

 

 長い時間を経て、唇を離す。

 すると銀の糸が二人の間で伸び、垂れ落ちた。

 ウリエルは堪らず、熱い吐息を漏らす。

 その焔の如き瞳で上目遣いされ、大和は小さく苦笑した。

 

「エロいキスしやがって……」

「誰が刷り込んだんだい?」

「この身体もだ、男を惑わす肉だな」

「あ……っ♡」

 

 豊満な乳房を揉まれ、ウリエルは喘ぐ。

 剣ダコだらけの大和の手はウリエルの性感を強く刺激した。

 

 ウリエルは涙目で呟く。

 

「仕方ないじゃないか……君みたいな男に抱かれたらっ♡」

 

 彼女は大和にしなだれかかると、その逞しい肉体を肌で感じ始める。

 

 熱く、厚く、そして硬い。

 筋肉繊維の密度と本数。関節、骨格の強度。

 全てが桁外れ。

 人類最高峰の肉体を人智を逸脱した努力で鍛え上げた――世界一の肉体。

 

 ウリエルは覚えていた。

 この体に抱かれる時の快感を。

 

 紅蓮色の双眸を潤ませ、ウリエルは彼の首に両腕を巻き付けた。

 その肢体を擦りつけ、自分が発情している事をアピールする。

 

 大和の両手が彼女のヒップに伸びた。

 尻肉を鷲掴まれ、ウリエルは嬌声を上げる。

 

「あアッ♡ 大和っ、そんな、お尻……弱いのにぃッ♡」

「いい尻だ」

「あっ、はぅ、ぅ、やぁんッ♡」

 

 大和の耳元で官能的な悲鳴を上げるウリエル。

 赤みを帯びる頬、滴る汗。

 ウリエルは一度大きく震えると、火照るままに大和の首筋を舐め上げた。

 

「ん、ちゅ、ハァ……っ♡」

 

 その卑猥な舌使いは男の劣情を否応なく刺激する。

 彼女は瞳を潤ませながら囁いた。

 

「好き、好きィ――大好き。僕だけのものにしたいッ」

 

 ウリエルは大和の首筋に噛みつく。

 そして吸血鬼の如く音を立てて吸い始めた。

 血は出ない。

 しかし、唇を離せば赤いアザが浮かび上がった。

 

 いわゆるキスマークというやつだ。

 ウリエルは艶やかに笑う。

 

「マーキング……これで当分、他の女と寝れないね♡」

「ったく」

 

 肩を竦める大和。

 ウリエルは立ち上がり、幅広いベッドへと寝そべった。

 

「おいで、大和……僕が天国へ連れて行ってあげる」

 

 真紅の双眸が潤む。

 ほんのりと朱に染まった褐色肌がまた扇情的で。

 はだけた胸元から臍へのラインは、否応無しに情欲を駆り立てられる。

 

 大和は薄っすらと口元を緩め、ウリエルに覆いかぶさった。

 そして彼女を激しく愛し始める。

 

 熱い夜の営みの始まりだった。

 ウリエルの嬌声は大きく、何より情愛に満ち溢れていて。

 付近に棲んでいた男達を眠らせなかったという。

 



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九話「災禍の知らせ」

 

 

 翌日。

 大和は斬魔とえりあと再会した。

 貴賓室で、彼は待機していたえりあに聞く。

 

「よぅ、色々情報は聞けたか?」

「ええ。本部には既に報告してるし、私達は元凶の調査を続けましょう」

 

 えりあの言葉に大和は小首を傾げる。

 

「元凶のアテはついてんのか?」

「あらかたな」

 

 ソファーで寝転がっていた斬魔が起きる。

 

「天使教。天使を信仰し、天使病の患者を利用するイカレ野郎共だ。この都市でいう邪教徒みてぇなもんだな」

「ハッ、邪教徒か。そりゃ此処には腐るほどいるが……面倒な手合いだな」

 

 大和は顎を擦る。

 過激な信仰者の行動は時に常識を逸する。

 平気で命を投げ捨てたりするので、厄介なのだ。

 

 えりあも表情を顰めた。

 

「この都市を隠れ蓑にしているという情報があるわ。まずはソイツ等を捜し出しましょう」

「OK」

「了解」

 

 大和は頷き斬魔も立ち上がる。

 えりあは最後に華仙に挨拶しようとしたが、この場にいなかった。

 彼女は大和に聞く。

 

「華仙さんに一言お礼を言いたいのだけれど、呼んでも大丈夫かしら?」

「あ? 大丈夫じゃね? ……てか、もうそろそろ来るぞ。足音がする」

「どんな聴覚してんだよ……」

 

 斬魔は苦笑する。

 大和の宣言通り、華仙が部屋に入って来た。

 彼女は三人に手を振る。

 

「おはよ。もう行くの?」

 

 えりあは頷き、頭を下げる。

 

「ええ。世話になったわ。このお礼は何時か必ず」

「いいのよ。私も色々楽しかったわ。それとコレ、お土産」

「……これは?」

 

 えりあが手渡されたのは、白い紙袋だった。

 中に何か入っている。

 華仙は色眼鏡を指で上げながら説明した。

 

「今回の疑似天使病に対するワクチンよ。注射器で直接注入するタイプで、疑似天使病で暴走した霊子型ナノマシンを抑えられるわ。でも、元々天使病になる素質がある人達には効果が薄いから、注意してね」

「……」

「後はこのワクチンの製造方法と、今回の疑似天使病に関する詳しいプロフィール」

 

 資料を手渡されたえりあは、呆然としていた。

 斬魔もである。

 辛うじて、えりあが唇を動かした。

 

「これを、一日で……?」

「ええ。手土産には十分過ぎるでしょう?」

「……徹夜してくれたの?」

 

 えりあの問いに、華仙は吹き出して笑った。

 

「まさか! 今朝ちょっと時間が余っちゃったら軽く作っただけよ。だから気にしないで」

「……~っ」

 

 斬魔が思わず頭を掻く。

 えりあも何も言えず瞳を閉じていた。

 

 世界最高の医者にして科学者、華仙。

 文字通り格が違った。

 

 二人の反応を見て、大和がおかしそうに笑う。

 

「んな事で驚くなよ。コイツなら当たり前だ」

「当然よ」

 

 華仙はえっへんと胸を張る。

 第三ボタンを弾きそうな巨乳を前に斬魔が目を輝かせるが、えりあがその脛を蹴り抜く。

 

「ぬぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 激痛にもだえる斬魔を一瞥し、えりあは華仙に再度頭を下げる。

 

「ありがとう。本当に助かるわ」

「いいのいいの。お仕事頑張ってね」

 

 華仙からの激励に、えりあは強く頷く。

 斬魔はよろけながらも立ち上がった。

 彼は涙目で言う。

 

「よし、行くか。……脛が痛ぇけど」

「自業自得でしょ」

「クククッ」

 

 冷たく告げるえりあ、可笑しそうに喉を鳴らす大和。

 さて、これから出発しようとしたその時──

 えりあのスマホが鳴った。

 彼女はスマホを取り出し、画面を見る。

 

「……!」

 

 えりあの表情が緊迫で固まる。

 大和と斬魔は何事かと首を傾げた。

 えりあはそのまま応答する。

 

「こちらえりあ」

『単刀直入に告げる。緊急事態だ。君達はすぐに現場に向かってほしい』

「何事?」

 

 えりあが問う。

 しかし告げられた内容は、彼女の予想を大きく上回るものだった。

 

 

『イギリスの首都、ロンドンが件の疑似天使病の患者で溢れかえっている。現在、ロンドンは地獄の鍋の底の様な有り様だ』

 

 

 それは災禍の始まりを知らせる報告だった。

 人類史上稀に見る生物災害(バイオハザード)が、表世界にて引き起こされていた。

 

 



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十話「魔都ロンドン」

 

 

 イギリスの首都、ロンドン。

 欧州連合内で最大の面積を誇るこの都市は、その栄え方も実に賑やかだった。

 

 しかし今は反転し、地獄と化している。

 断末魔の悲鳴が幾重にも連なり、それを掻き消す様にバケモノの咆哮が暗黒天を貫く。

 倒壊した建物から燻る黒煙は、やがて災禍の焔へと変わった。

 肉と臓物、油を潤滑油に吹き上がる炎のなんと汚らわしい事か。

 

 鼻が腐るほどの悪臭が熱波に乗って周辺地域に伝播する。

 世界全土が恐慌状態になるのは、最早時間の問題だった。

 

 異形のバケモノが、生きる者全てを蹂躙していた。

 獣、魚、虫。あらゆる生物の嫌悪的部分が、負の感情を糧にして患者の肉体を膨張させている。

 

 女性の悲鳴が聞こえたと思えば、立て続けに鮮血のシャワーが降り注ぐ。

 隠れていた子供達は見つかり、抗う術無く捕食された。

 

 此処は生き地獄。

 嘗て、倫敦と呼ばれた場所。

 

 この災禍の只中で、懸命に戦っている集団が一つ。

 制服型の法衣に身を包んだ若者達だ。

 

 彼等は真世界聖公教会のエージェント。

 プロテスタントに所属している戦士達だ。

 

 状況は劣悪を極めていた。

 幾千幾万と増殖し、波涛の如く押し寄せる天使病の患者に、彼等は成す術なく呑まれかけている。

 

「くぅ……ッ」

 

 一人の少女隊員が肩を負傷した。

 その隙を天使病の患者達は見逃さない。

 口から、目から、手から、足から、触手の様な肉の鞭を伸ばす。

 その先端は矛であり、流動的な動きを以て少女の身を貫こうとしていた。

 

「避けろ!!」

「ッ……!?」

 

 他の隊員が叫び、少女もそれに反応する。

 が、肩の傷が疼いて動きが止まる。

 その数秒は致命的だった。

 

 少女の目前まで迫る肉鞭。

 少女は避けられないと悟り、目を瞑った。

 

「……ッッ」

 

 頬を焦がす焔の熱。

 その熱は温かく、少女は何故か安心してしまった。

 

 恐る恐る目を開けると、男の背中が映った。

 彼は手に持つ大太刀で抜刀一閃。鞘から溢れ出た火焔で肉鞭を焼き払ったのだ。

 

 少女は歓喜の余り叫ぶ。

 

「ジーク隊長っ!」

 

 ジーク──そう呼ばれた男は、少女に振り返った。

 綺麗に整えられた銀髪、リムレスタイプの眼鏡。

 美しい碧眼は、厳しくも温かい眼差しを少女に向けていた。

 

「大丈夫ですか?」

「はいっ!」

 

 少女は大きく頷く。

 ジークも頷くと、彼女達に背を向けた。

 そして告げる。

 

「君達は逃げなさい。この場は私が受け持ちます」

「隊長!?」

「何を仰るんですか!! 一緒に!!」

 

 この会話だけで、彼がどれだけ慕われているのかがわかる。

 そして、現状がどれだけ困窮しているのかも──

 

 しかし、ジークの返答は変わらない。

 

「隊長命令です。撤退しなさい。……君達は明日のプロテスタントを支える希望、失う訳にはいきません」

「それを言うなら隊長だって! 隊長がいなくなったら!!」

「そうです!!」

 

 苦言を呈す隊員達に、ジークは一喝する。

 

「くどい!!!!」

「「「「!!」」」」

「逃げなさい……これは命令です」

 

 腹の底から出した声だった。

 振り返らずとも伝わる、その決意。

 

 隊員の一人が、思い切り唇を噛みしめた。

 

「逃げるぞ」

 

 他の隊員達も苦渋の表情で頷く。

 しかし先ほどの少女は、涙ながらに首を横に振った。

 

「いやです……ッ、ジーク隊長を置いて行けないっ」

「我が儘を言うな!! 行くぞ!! ジーク隊長の決意を無駄にするのか!?」

「ッ」

 

 迷う少女。

 その手を強引に引き、隊員達は撤退を始める。

 少女は大粒の涙をこぼし、ジークに手を伸ばした。

 

「隊長ォっ!!!!」

 

 その声に宿る愛を、ジークは知っていた。

 彼女が自分の事を異性として慕ってくれているのも、知っていた。

 しかし振り返らない。

 

 隊員達がこの場から離れた事を確認し、ジークは目前の患者を抜刀術で斬り結ぶ。

 

「ここから先へはいかせません」

 

 ジークは納刀すると同時に深く身を屈めた。

 眼前に群がるのは、優に1000は超える天使病の患者達。

 

 本来、数匹でも十分な戦力を投入しなければならない。

 が、今回は話が違う。

 

 緊急事態。絶対絶命。

 しかしジークは引かない。

 

 護らなければならない部下達がいる。

 守らなければならない矜持がある。

 

 プロテスタントの誇る牧師、ジークは構えた。

 天使病の患者が、津波の如く彼に押し寄せた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ジークは羅刹と成った。

 愛刀である「神剣・迦具土」の黒刃が血糊で溺れても、彼は止まらない。

 

 神速の足捌きで地獄を駆け、天使病の患者を斬り伏せていく。

 聖なる焔が迸り、清き雷光が邪を貫く。

 

 討伐数は100を超え、300を超え、500を超えた。

 肉体の限界などとうに過ぎている。

 それでもジークは、計1000以上もの患者を斬り捨てた。

 

 しかし、それが限界。

 ジークは片膝を付く。

 

 漆黒の制服は返り血で染まり、脇腹は食い破られている。

 眼鏡にはヒビが入り、銀髪は脂汗で色褪せていた。

 鞘を杖代わりに何とか堪えているが、いつ倒れてもおかしくない。

 

 ジークの眼前には、万を超える天使病の患者が蠢いていた。

 欧州を代表する都市、ロンドンの住民の7割以上が天使病に感染したのだ。

 千を斬った所で、その勢いが衰える事はなかった。

 

「あらあらあら~♪ 凄いわね~♪ 一人で千体以上も天使病の患者斬っちゃうなんて、表世界の住民にしておくのが勿体無いわ~♪」

 

 この状況に全く不釣り合いな、陽気な声。

 ジークが視線を上げると、廃墟の屋上に異様な女が佇んでいた。

 

 年齢は二十代ほど。

 乱雑に伸ばされた黒髪。前髪には金のメッシュを入れている。

 服装は裾の短い黒の上着にローライズのホットパンツ。

 顔立ちは良いものの、不気味な笑みを浮かべている。

 金色の瞳も狂気と殺意でグチャグチャに濁っていた。

 

 間違いなく常人では無い。

 この地獄の中で嗤っており、その手には禍々しい二丁拳銃が携えられている。

 

 彼女は愉しそうに笑いながら、隣に居る男に話しかけた。

 

「ねぇねぇ依頼主さん、あの牧師さんと遊んでいい? あの端正な顔をグチャグチャに歪ませたいなぁ~♪」

 

 彼女の横には、漆黒の法衣を纏った壮年の男性が居た。

 年齢は四十代ほど。

 法衣を盛り上げる鍛え込まれた肉体が、何とも不気味だった。

 

 彼はジークを睥睨し、嘲笑う。

 

「プロテスタント、真世界聖公教会の代表的牧師、「雷光」のジーク殿ではないか……」

「……ッ、天使教の幹部かッ」

「聡明だな。しかし手遅れだ。ロンドンは大いなる祝福を受けた。このまま祝福は世界中に広がるだろう。……世界は一度滅び、そして生まれ変わるのだ」

「ほざけ……ッ」

 

 ジークは震える足に喝を入れ、立ち上がる。

 そして抜刀の構えをとった。

 

「貴様の好きにはさせん……ここで斬り捨てる」

 

 殺意と、それ以上の決意がこもった眼光。

 天使教の幹部は肩を竦めた。

 

「やれるものなら……サーシュ」

「はいは~い♪」

「殺してしまいなさい。考えうる限りの残虐な方法で」

「フフフ♪ りょ~か~い♪」

 

 女──サーシュは歪な笑みを浮かべて舞い降りる。

 彼女はジークの目前で着地すると、その濁った双眸を卑しく細めた。

 

「どう殺そうかな~♪ どう痛めつけようかな~♪ クフフッ♪ その端正な顔が歪むの、とても楽しみよ♪」

 

 眼前で魔女が嗤い、周囲で無数の患者が蠢く。

 最早、万に一つの勝機も無い。

 

(なればこそだ……この消えかけの命、明日に生きる者達の糧になるなら……ッッ)

 

 燃やし尽くしてしまえ。

 ジークは金色の柄巻を強く握りしめた。

 

 彼は一度深呼吸し、ある男を思い浮かべる。

 軽薄でだらしないが、誰よりも信頼している、あの天使殺戮士を──

 

「後は頼んだぞ……斬魔」

 

 呟き、ジークは大きく跳躍する。

 魔都ロンドンに、極大の雷火が迸った。

 



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十一話「魔都侵入」

 

 

 数時間後。

 魔都と化したロンドンにやって来た大和、斬魔、えりあ。

 ロンドンの様相は、それは酷い有様だった。

 

 劣悪極まるバケモノ共が、栄華を誇っていた都市を我が物顔で徘徊している。

 生存者はほぼ居ない。

 此処は既に、人間が生きていける場所では無くなっていた。

 

 倒壊している建物。死体を燃料に燃え上がる大火。所々で起こる大爆発。

 白昼にも関わらず空は一面暗黒色。

 曇天の合間を赤き稲妻が迸っている。

 

 爆風に乗ってやってくる悪臭は、何万もの人間が焼き溶かされたものだった。

 

 ロンドンの名所の一つ、バッキンガム宮殿の前で。

 宮殿はほぼ倒壊しており、巨大化した患者の寝床と化していた。

 巨大患者の体長は100メートルを優に超えている。

 周囲では千を優に超える患者達が共食いを引き起こしていた。

 

 阿鼻叫喚の地獄絵図を前に、大和はケラケラと笑う。

 

「ハッハッハ! すげぇすげぇ! バケモノ共の巣窟じゃねぇか!」

 

 大爆笑する大和に対し、えりあは表情を顰める。

 

「随分と楽しそうね。この深刻な事態で……」

「ロンドンがどうなろうが知ったこっちゃねぇからな。……さぁて」

 

 大和は不気味に口角を歪めた。

 

「虐殺パーティーの時間だ。愉しませて貰うぜ」

 

 躍り出る大和。

 えりあはやれやれと溜息を吐いた。

 斬魔は苦笑している。

 

「俺達も行こうぜ」

「ええ、天使病の患者は全て殲滅する。それが、天使殺戮士の使命だから」

 

 斬魔は黒金の大鞘を、えりあは二丁拳銃を構え、大和に続いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 斬魔の横一閃が生温かい瘴気諸共、患者を一刀両断する。

 その余波は倒壊していた建物すらもバターの様に斬り裂いた。

 

 チンと、納刀の音が響き渡る。

 視認すらできない超速度の抜刀。

 見事の一言に尽きる。

 

 しかし背後に迫る患者達。

 斬魔は振り返りもせず跳躍。空中で回転しながら得物を抜き放つ。

 銀光一閃。

 斬月状の真空波は患者を一刀両断した。

 共に断たれた大地は空間をも裂き、先に居た患者を真っ二つにする。

 

 一方、えりあはバレットアーツで銃火の舞を踊っていた。

 遠慮抜きで放たれる「祝福儀礼済み13mm劣化ウラン弾」は患者達を問答無用で爆散させる。

 峻烈な攻め。それを飾るのは可憐なるステップ。

 四方八方、曲射も用いた無数の弾丸は最後には患者達を爆死させた。

 

 横薙ぎに振るわれた肉の凶刃を側転で避け、えりあは発砲を続行する。

 また、銃撃の反動を全て乗せた回転蹴りは専用弾に勝るとも劣らない威力を発揮していた。

 

 天使殺戮士達の蹂躙は終わらない。

 瞬く間に物言わぬ肉塊の山が出来上がる。

 

「クハハッ! 雑魚掃除も楽しいもんだ!」

 

 一方で、暴力の化身は嗤っていた。

 天使病患者を両手で掴み、無造作に振り回している。

 圧倒的腕力によって患者は成す術無く肉片に成り果てていた。

 血の竜巻が発生し、瓦礫ごと患者を吹き飛ばす。

 

 得物として振るわれる患者は瞬時に絶命してしまう。

 なので、大和はその度に他の患者を掴み取って得物にしていた。

 

 有無を言わさない圧倒的な暴力。

 技術も糞もない。

 大和は単純な肉体スペックで患者達を圧倒していた。

 

「で……そこで寝そべってるデケェの」

 

 大和は駄目になった得物を投げ捨て、跳躍する。

 数百メートルを一気に詰める大跳躍はコンクリートを砕き、巨大なクレーターを生んだ。

 

 バッキンガム宮殿で寝そべっていた巨大患者は何事かと首をもたげる。

 大和はその眼前まで跳んでくると、頭を掴み地面に叩き落とした。

 

「余裕ぶっこいてんじゃねェ」

 

 巨大患者は地面にへばり付いた。

 バッキンガム宮殿が完全に崩壊し、患者の腹の下で粉々になる。

 

 何事かと呻いている巨大患者。

 大和は嗤いながらソレを蹴り飛ばした。

 

「邪魔だ。どっか行ってろデブ!」

 

 硬直している巨大患者に「大和シュート☆」が炸裂する。

 巨大患者は500メートル以上もの距離を飛ばされた。

 

 しかし大和の追撃は止まらない。

 彼は地面に両指を突っ込み、地盤を持ち上げる。

 

「他の患者諸共、潰れちまいな!」

 

 地面がめくり上がる。

 まるでちゃぶ台返しの如く、地盤がひっくり返った。

 

 500メートルを超える岩石が巨大患者の頭上に落下する。

 震度4以上の地震が発生し、莫大な土煙が巻き上がった。

 その中で、大和はケラケラと笑っていた。

 

「ハッハッハ! だせぇだせぇ!! 威勢が良いのは見た目だけかよ!!」

 

 呵々大笑している大和に対し、よろけてしまったえりあと斬魔が苦言を漏らす。

 

「一人だけ戦闘のスケールが違うわね……」

「世界最強の殺し屋じゃなくて、世界最強のゴリラだな」

 

 斬魔の言葉に、大和は過敏に反応する。

 

「オウ斬魔、誰がゴリラだ。こんなイケメンなゴリラが居るわけねぇだろ」

「ツッコミたい! 俺は今無性にツッコミを入れたいッ!」

「ふざけないで。まだ来るわよ」

 

 患者達に囲まれる大和、斬魔、えりあ。

 まだまだ数は減っていない。

 まだ何十万も残っている。

 

 大和は鼻で笑った。

 

「数を揃えりゃ良いってわけじゃねぇ。重要なのは質だ」

「それには同意するぜ」

「異論無し」

 

 三名はそれぞれの得物を振るう。

 斬魔は神速の抜刀術で患者を切り結び、えりあは乱射で患者達を穴だらけにする。

 大和は気まぐれに抜刀術を放ったかと思えば、無造作に大太刀を振り回し患者達をなます斬りにした。

 

 三者三様の大立ち回り。

 しかし減らない。全く減らない。

 

 このままでは埒が明かない──

 

 そう思い始めた大和の思考に同調する様に、患者達が動きを止めた。

 それも一斉にである。

 何千何万もの患者が揃って止まったので、三名は疑問を覚えた。

 

「オイオイ、面倒くせェと思い始めた頃だが、こりゃどういう事だ?」

 

 首を傾げる大和。

 この事態を作り上げた張本人は、ロンドンの有名観光スポット、巨大観覧車「ロンドンアイ」の屋上に佇んでいた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和達から遠く離れた場所で。

 巨大観覧車ロンドンアイの屋上から、彼等の様子を眺めている美少女が居た。

 

 短い桃色の髪が揺れる。

 神聖さと妖艶さを混同させた漆黒の法衣がはためく。

 彼女は紅蓮色の瞳を濡らし、背中にある濡羽色の翼を広げた。

 

「フフフ……」

 

 元・四大天使の一角にして正義の熾天使。

 宇宙開闢と終焉の焔を司る堕天使、ウリエル。

 彼女はその薄桃色の唇に、不気味な笑みを浮かべていた。

 

 



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十二話「悲しき再開、戦いの幕開け」

 

 倫敦が汚染されていく。

 世界が啼いていた。

 万象が嘆いていた。

 

 堕天使ウリエルは暗黒天の夜空を眺めながら、ふぅと溜息を吐く。

 そして呟いた。

 

「人間が天使を利用するだなんて、傲慢に過ぎるよ」

 

 ウリエルは人差し指を立て、指先に小さな灯火を浮かべる。

 彼女は厳かな声音で告げた。

 

「我が名を畏れる同胞達よ。静まれ、その在り方を忘れるな」

 

 朗々と紡がれた言霊は、有無を言わさぬ絶対的な命令。

 嘗て最も偉大な天使と謳われた少女の命令は、ロンドンに巣食うほぼ全ての天使病患者を停止させた。

 

 ウリエルはある気を感じ取り、その美麗な眉を顰める。

 

「流石に完全に天使病になった患者には効果は無い、か……。それに、僕の命令を無視できる存在が何名かいるみたいだ」

 

 それでも、ウリエルは安堵の笑みを浮かべていた。

 彼女の視線は、この世で最も屈強な益荒男に向けられていた。

 

「それでも世界は救われる。僕の勇者がその欲望を叶える「ついで」にね……。世界なんて、所詮その程度のものさ♪」

 

 堕天使は無垢な笑顔を浮かべた。

 

 

 ◆◆

 

 

 その頃。

 大和はウリエルの気配を感じ取り、何だよと肩を竦めた。

 

「アイツか……オイお前等、頼もしい援軍だ。気にせず先に進もうぜ」

 

 彼の言葉に、えりあと斬魔は互いに視線を合わせる。

 

「……援軍?」

「お前の知り合いか?」

「ま、そんな所だ。アイツの思想的に、今回の天使病の暴走は看過できるもんじゃなかったんだろう」

「????」

 

 斬魔は頭にハテナマークを浮かべた。

 一方えりあは、先日受けた華仙の忠告を思い出す。

 

 堕天使と呼ばれる存在がこの世に居る。

 彼女達は淫放でありながら、全盛期と同等かそれ以上の力を誇るという。

 

 天使病の患者達を問答無用で無効化できる存在など、彼女達しか思い浮かばない。

 えりあは含みを交えて大和に問う。

 

「援軍と呼ばれる存在は、周囲の患者達よりも格上の存在……という事かしら?」

 

 えりあの問いに大和は灰色の三白眼を丸めた。

 そして小さく笑う。

 

「ああ、その通りだ。でも詳細を話すのはやめようぜ。そんな空気じゃねぇ」

「同感よ。ありがとう。気を遣ってくれて」

「どーいたしまして」

 

 勝手に会話を進める二人に、斬魔は不満ありありといった様子で両手を広げた。

 

「おいおいおいおい、二人して何意味深な会話してんだよ。俺も混ぜろよ!」

「嫌だね」

「嫌よ」

「うわズッリー! 仲間外れは無しだぜ!」

 

 先へ進んでいく二人の背中を追いかける斬魔。

 彼等の道行く先で、患者達は呻き声を上げながら肉塊に成り果てていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 廃都と化したロンドンを進んでいく三名。

 堕天使ウリエルの命令で、数十万単位の患者が自壊していた。

 都市内を腐臭と熱風が渦巻いている。

 

「……なんか来るな」

 

 大和はポソリと呟いた。

 唐突だったので、えりあと斬魔は目を丸める。

 大和は続けて呟いた。

 

「結構なヤリ手っぽいぜ。注意しな」

 

 それは武術家の直感なのだろう。

 えりあと斬魔は大和の見据える方向へ視線を向ける。

 

 退廃の風を切り抜け、三名の眼前で翼を広げた──人型の天使。

 曇天と赤き稲妻を背に、三名を睥睨している。

 

 恐らく天使病の患者なのだろう。

 が、これまでの患者とは一線を画している。

 その身は純白の翼で覆われていた。

 まるで穢れた身を覆い隠す様に、その身の殆どを覆っている。

 

 神々しかった。

 大和は思わず感嘆の溜息を吐く。

 

「スゲェな……天使病の患者でも、ここまで綺麗な奴がいるのか」

 

 大和とは対照的に、斬魔とえりあの表情は険しかった。

 

「何だ、あの患者は……」

「初めて見るタイプね」

 

 二人は既に得物を握っていた。

 天使病の感染者は、総じて醜い容姿をしている。

 霊子型ナノマシンが感染者の負の感情を糧にして、その肉体を変質させるからだ。

 

 それが当然であり、故に美しい筈はなかった。

 しかし、眼前の患者は美しかった。

 まるで本物の天使の様だった。

 

 降り立った謎の患者は純白の双翼を広げる。

 白雪の如く羽が舞い落ち、胸元が露わになった。

 

 その胸には、逆十字の深い刀傷が刻まれていた。

 そして唐突に携えた、見事な拵えの大太刀。

 

 黄金と黒金で塗装された黒鞘──

 えりあは唇を戦慄かせた。

 

「そんな……っ、キミは……ッ」

 

 驚愕しているえりあとは対照的に、斬魔は苦笑していた。

 しかし何時もの軽薄さはない。

 苦渋の表情を必死に堪えているのだ。

 

「何やってんだよ……ジークっ」

 

 腐れ縁でありライバルであった男に向かい、斬魔は震えた声を絞り出した。

 

 

 ◆◆

 

 

「何だ、知り合いか?」

 

 大和は二人に問いかける。

 しかし返答はない。

 そんな余裕が無かったのだ。

 

 斬魔は一歩前に出る。

 漆黒のロングコートを靡かせ、二名に告げる。

 

「わりぃ、先行っててくれ。コイツとは俺がケリつける」

「「……」」

 

 大和とえりあは視線を合わせる。

 二人共、察しが良い。

 斬魔の言葉に頷いてみせた。

 

「……死ぬなよ」

「絶対に追いつてきなさい」

「ああ」

 

 二人は斬魔と別方向に進む。

 例の患者──ジークは動かない。

 大和とえりあが遠く離れた事を確認した斬魔は、抜刀の構えを取った。

 

「待ってろ……すぐ楽にしてやる」

 

 多くは語らない。

 ふざけもしない。

 

 斬魔は真剣な表情で、嘗てのライバルと対峙した。

 

 

 ◆◆

 

 

「彼はジーク。同じプロテスタントの真世界聖公教会所属のエージェントで、斬魔の親友よ」

「……そうか」

 

 えりあから事情を聞いた大和は苦笑を浮かべる。

 えりあは続ける。

 

「彼は斬魔とは真逆の性格でね。よく喧嘩してたわ。傍から見れば世話焼き女房みたいで、とても微笑ましかった」

「……」

「天使殺戮士に成れる実力があったのに、自分の正義と合わないと辞退した……とても高貴な人」

 

 えりあの声には、珍しい響きが含まれていた。

 悲しみである。

 大和はふぅと、小さく溜息を吐いた。

 

「何時の時代にも居るもんだ、そういう誇り高い奴が……だが、世界はそういう奴に対して意地悪だ」

「……」

「胸糞悪ィ世界だぜ。守る価値なんてどこにもねぇ」

 

 えりあは目を見開く。

 大和の言葉に複雑な感情を覚えたのだ。

 大和は苦笑する。

 

「わりぃ。独り言だ、気にすんな」

「……っ」

 

 きっと彼は、同じような経験を何度もしてきたのだろう。

 誇り高い者達が無残に死に往く様を、何度も見てきたのだろう。

 

 そう考えると、今の彼の在り方はとても……

 

「……ごめんなさい」

 

 えりあは呟いた。

 大和は小首を傾げる。

 

「何がだ?」

「……わたし、キミを少し勘違いしてた」

「……クククッ」

 

 大和が苦笑する。

 ふと、えりあの頬に熱い何かが触れた。

 大和の唇だった。

 

「何も勘違いしてねぇさ。俺は美女と金が大好きな、ただの殺し屋だ」

「……」

 

 肩をぽんぽん叩かれたえりあ。

 踵を返した大和の背中を見つめ、彼女は微笑した。

 ソレは、哀しさを込めた微笑だった。

 

(……優しいのね、キミは)

 

 

 ◆◆

 

 

 瓦礫の広がる道を歩いていると、敵対者が現れた。

 敵対者だとわかったのは、彼女が溢れんばかりの殺意と狂気を向けてくるからだ。

 

「アハハ♪ きたきた♪ しかも情報通り、大和様がいるじゃな~い♪ いや~ん興奮しちゃう~♪」

 

 廃墟の上でケタケタ嗤っている狂人。

 金色のメッシュが入った黒髪。

 缶バッジまみれの革ジャン、ローライズのホットパンツというゴシックパンク風の服装。

 両手には禍々しい二丁拳銃を携えている。

 

 彼女を見て、大和が表情を顰めた。

 

「撃ち狂いか……厄介な女が出てきたな」

「知り合い?」

 

 えりあに問われ、大和は嫌悪感を隠さず舌を出す。

 

「馬鹿言え、何度かストーカーされただけだ」

「そう……」

「デスシティでA級認定されてる腕利きの殺し屋だ。実力は申し分ねぇ。お前じゃキツイ相手だ、俺がやる」

 

 大和が一歩出て、大太刀の赤柄巻を握る。

 しかし、えりあが更に一歩前に出た。

 

「舐めないで。わたしがやるわ」

「言っただろ、テメェじゃキツい相手だ。殺されるぞ」

「大丈夫よ、わたしは死なない」

 

 えりあに胸襟を握られる大和。

 その無機質な瞳の奥に宿る確固とした決意を、大和は信じる事にした。

 笑いながら大太刀から手を離す。

 

「なら任せるぜ」

「ええ。キミと斬魔のサポートをするのがわたしの役目だから」

「死ぬなよ。死んだら約束の一夜がパァになっちまう」

「そんな約束をした覚えはないわ」

 

 キッパリ言われ、大和はやれやれと肩を竦める。

 だが嬉しそうに笑っていた。

 

「またな」

「ええ、先に居る奴は任せたわ」

 

 短い間だが、二人は互いを信頼していた。

 大和はえりあに背中を預け、えりあも大和に行く末を託した。

 

 離れていく大和に撃ち狂い──サーシュは悩まし気な視線を送る。

 

「あ~ん♪ 大和様行っちゃった……でもまっ、嬲り甲斐のありそうな子が残ってくれたし♪ まずは貴女でこの火照りを解消しちゃおうかしら♪」

 

 ただでさえ際どい胸元をはだけさせるサーシュ。

 えりあは無表情で愛銃を構えた。

 

 

 ◆◆

 

 

「さて……華も無くなっちまったし、こりゃラスボスに期待するしかねぇなァ。美少女とかだったりしねぇかなァ。そしたら後々……クックック」

 

 極悪な笑みを浮かべながら下駄を鳴らす大和。

 廃都と化しているロンドンに最早地形などありはしない。

 

 大英博物館の前辺りで──

 大和の前に、漆黒の法衣を着た男が立ち塞がった。

 天使教の幹部である。

 彼は余裕のある笑みを浮かべていた。

 

「天使殺戮士が来ると思っていたのだが……まさか君が来るとはね、世界最強の殺し屋──大和」

「テメェがラスボスか?」

「そうだとも」

「なんで美少女じゃねぇんだよ」

「意味がわからないな」

「ハァァ……」

 

 大和は落胆で肩を落すと、ボチボチ呟き始める。

 

「美少女だったらお楽しみタイムだったんだが……」

「噂に違わぬ低俗ぶりだ。反吐が出そうだよ」

「ハッ、ほざいてろ三下」

 

 鼻で笑う大和の頬に、剛拳が迫る。

 轟音。大和は百メートル近い距離を殴り飛ばされた。

 瓦礫が巻き上がり、土煙が入道雲を作る。

 

 幹部はその大きな右拳を掲げた。

 額には病的なまでの青筋が立っている。

 筋肉は異常なほど肥大化していた。

 

 肉体に霊子型ナノマシンを直接注入し、驚異的な力を得ているのだ。

 ナノマシンの暴走と共に肉体が膨張し、それを驚異的な信仰心で抑えている。

 

 幹部は嗤った。

 

「あまり油断しないほうがいいぞ。今の私は御使い方の加護を授かっているのだ」

 

 その言葉には絶対の自信が滲んでいた。

 大和は頬に添えていた左手を払う。

 直前でガードしたのだ。

 

 彼は遠くで調子に乗っている幹部に嗤いかける。

 

「へぇ……少しは楽しめそうじゃねぇの」

 

 暗い笑みと共に、ギザ歯を剥く。

 魔都ロンドンで、それぞれの決戦が始まろうとしていた。

 

 



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十三話「斬魔VSジーク」

 

 

 斬魔の一閃が煌く。

 ジークは両翼を羽ばたかせ、炎に包まれるロンドンを飛翔していた。

 

 超高速戦闘。

 空から立体的に攻めてくるジークに、斬魔は追い立てられている。

 

 瓦礫と化した建物の上を跳び回る斬魔。

 衝撃と共に高く跳躍し、抜刀する。

 斬月状の真空波がジークへ迫るが、彼は空中で回転して避けてみせた。

 

 両翼を力強く薙ぎ、その力を用いて空中抜刀を放つジーク。

 地に足付かない斬魔は避ける事叶わず、辛うじて鞘でガードした。

 相手を撲殺できる強度の鉄鞘のおかげで命拾いしたが、思わず呻く。

 

「クソが……ッ」

 

 着地と同時に斬魔は駆ける。

 元々、ジークは同等の抜刀術士。

 その腕が天使病に感染しても落ちていない。

 それどころか、天使病の力を取り込み更に錬度を上げている。

 

 手が付けられなかった。

 

「焔と雷撃とか、ざっけんなよ! 反則だ!!」

 

 斬魔は叫びながら、自身に迫る雷光の槍をバク転で避ける。

 ジークが大太刀を薙ぐと、灼熱の焔が津波と成った。

 道端に転がっていた瓦礫が飴細工の様に溶けていく。

 

 斬魔は深く深呼吸する。

 明鏡止水の心で居合いを放てば、炎の津波は縦半分に裂けた。

 その合間を縫うように跳躍抜刀。

 ジークの首を跳ばそうとする。

 

 が、ジークの目前で白刃が止まった。

 神聖文字で描かれた障壁が刃を弾いていた。

 

「チィ……!!」

 

 斬魔は舌打ちしつつ、鞘との二刀流で乱撃を繰り出す。

 ジークも刀と鞘で応答した。

 

 暗黒天で剣戟の花火が散る。

 一瞬で数百の剣戟を交わした二人だが、限界が訪れた斬魔をジークが翼で叩き落した。

 

 瓦礫の上に落下した斬魔は、思わず弱音を吐く。

 

「勝てねぇ……こりゃ、人間にはキツすぎる」

 

 斬魔は大和の様に人間の理を超えた逸脱者では無い。

 故に限界がある。

 純粋な身体能力と技では、強力な人外には勝てないのだ。

 

 極限まで己の技を磨いてきた斬魔でも、同等の技量を持ち、人外に堕ちた存在には苦戦を強いられる。

 

 彼は空中で浮遊するジークを見て複雑な表情をすると、唇を噛みしめた。

 

「……馬鹿野郎が」

 

 血をペッと吐き出し、立ち上がる斬魔。

 よろけそうになるも、歯を食い縛って耐える。

 

 彼はジークに長刀の切っ先を向けて、宣言した。

 

「……絶対ぇ、斬ってやる」

 

 刀を振るい、斬魔は再度跳躍した。

 

 

 ◆◆

 

 

 ジークは欧州人でありながら正統な武術を修めた武芸者である。

 武術の名は「鹿島神流・裏の型、『迦具土(かぐつち)』」

 日本で最も歴史ある武術、鹿島神流。

 その中でも極々一部の者しか継承されない裏の型。

 ソレをジークは修めていた。

 

 迦具土は古事記に登場する焔の神。

 鹿島神宮が崇拝する建御雷の親である。

 

 迦具土の型は抜刀術でありながら、方術で雷火を操る戦法にも秀でていた。

 対霊的存在を意識した、極めて実戦的な武術である。

 

 ジークは天才では無いが、努力で才能を補う秀才だった。

 誰よりも勤勉に、誰よりも鍛錬し──そうして強くなった。

 

 己の感性で戦う真の天才である斬魔とは、また違う。

 近距離、遠距離、経験──全ておいて隙が無い。

 

 以前は経験と才能の差異で互角だったが、今は違う。

 才能以前の問題だ。

 

 ロンドンの象徴とも言える塔、ビックベンに斬魔は打ち付けられた。

 黒鞘でガードしたが、その威力はビッグベンを貫き亀裂を奔らせる程。

 斬魔は耐え切れずに吐血した。

 

 強大な力を前には、才能など些細なもの。

 蟻が象に勝てない様に、小手先の技術では真の化外は打ち倒せないのだ。

 

「く、そ……ッ!!」

 

 斬魔は唇に血を滲ませながらも塔の側面に立ち、襲来に備える。

 予想通り、彼は来た。

 純白の羽を舞い散らし、斬魔に赤熱化した刃を振り下ろす。

 

 問答無用の唐竹割りに対し、斬魔は渾身の打ち上げで対抗した。

 空気が爆発する。

 山河を裂き、海を両断できる両者の一撃は、曇天をも切り裂いた。

 

 ビッグベンに更なる亀裂が奔る。

 斬魔は頑丈な足場を確保するため、地上を目指した。

 それをみすみす逃すジークでは無い。

 

 翼を畳み、空気抵抗を減らして斬魔へ迫る。

 斬魔はビッグベンの側面を駆けつつ、時に落ちてきた瓦礫に飛び乗り、ジークの追撃を躱していた。

 

 痺れを切らしたジークが大太刀「神剣・迦具土」を納刀する。

 霊子型ナノマシンで屈強になった筋肉繊維を絞って、渾身の抜刀を放とうとしていた。

 チラリと垣間見えたその刀身は、全てを焼却させる超熱量の焔を内包していた。

 

「ヤベッ!!」

 

 斬魔は瓦礫に飛び移り、一度ビックベンから離れる。

 瞬間、爆光が一閃と共に放たれた。

 

 熱線とも言える斬撃はロンドンを文字通り両断する。

 地面を焼き切り、地平線まで斬線を届かせた。

 ロンドンの外にまで被害を及ぼす、規格外の一撃。

 

 斬魔は顔を青くする。

 

「洒落になんねぇ!!」

 

 叫びながらも、斬魔は一瞬で表情を絞めた。

 ジークの次の攻撃に己の太刀を合わせる。

 技術で同等、力で上を行かれるのなら、唯一の長所──戦闘センスで勝負する。

 

 斬魔は抜刀術の構えを取り、抜き打ち──するフリをする。

 フェイントだ。

 しかし肩の動き、筋肉の動き、殺気まで本物だったので、ジークは騙されてしまった。

 迎撃するために振るった大太刀。

 それに合わせて斬魔は抜刀する。

 

 カウンター。

 ジークの振るう刀速と斬魔の技量、合わされば如何にジークと言えど耐えられない。

 

 しかし、それはジークに防御手段が無ければの話だ。

 ジークの眼前で刃が止まる。

 神聖文字で描かれた障壁が、斬魔の渾身の一撃を防いでいた。

 

 天使の羽衣(エンジェルベール)

 神聖文字で編まれたこの結界は、純粋天使にのみ展開する事が許された聖域の顕現。

 嘗て純粋天使が畏れられた最たる所以だ。

 

 その防御力はほぼ無敵。

 物理、魔術、精神、毒、石化、炎、凍結、電気、腐敗、核放射、ブラックホール、分解、即死、空間湾曲、空間切断、時間操作、因果律操作──その他あらゆる干渉を完璧に遮断する。

 

 ジークは純粋天使では無いのでそのエンジェルベールは中途半端だ。

 しかし、それでも破格の性能を誇る。

 ただの人間にこれを突破する事は不可能だ。

 

 斬魔はジークの渾身の蹴りを腹に食らい、地面に叩き落される。

 あまりの衝撃に地面を削りながら飛び、瓦礫に衝突した。

 

「グァ、ッ……!!」

 

 咄嗟に鉄鞘でガードしたものの、内臓をグチャグチャにされた。

 斬魔は大量に吐血する。

 

 朧げな視界の中で、斬魔は何とか頭上を見上げた。

 嘗てのライバルが、自分を悲しそうに見下ろしていた。

 

 彼は胸元の逆十字の刀傷を掻き毟った。

 まるで、訴えかける様に。

 

 早く自分を殺してくれ。

 オレを開放してくれ。

 

「ッッ」

 

 斬魔は鉄鞘を地面に思い切り突き付け、立ち上がる。

 何度もよろけながらも、重心を定めた。

 口の端から漏れる血液すらも無視する。

 

 何時も浮かべている余裕の笑みは、どこにもない。

 今の彼の表情は、親友を開放したいと必死に足掻く青年のソレだった。

 

 土と青アザで汚れていても、その立ち姿は勇ましい。

 彼は荒く息を吐きながら、抜刀の構えを取った。

 上空に佇んでいるジークも応じる様に身を屈め、抜刀の構えに入る。

 

 次の一撃で決まる。

 二人の間に流れる硬い空気が、そう物語っていた。

 

 先に動いたのはジークだった。

 立っているのがやっとな斬魔に容赦なく襲いかかる。

 

 神刀「迦具土」が電磁波を帯びる。

 鞘と刀身の間で磁気反発が起こり、光速の抜剣を生む。

 

 雷光一閃。

 生前のジークの必殺技「雷切」が、更なる威力を以て発動した。

 

 一方、斬魔は脱力していた。

 全身の筋肉を熟睡時と同等以上に弛緩させている。

 

 そこから繰り出される、一切無駄のない動き。

 人間が光速に対応できる筈がなく、だからこそ予め動く。

 

 抜刀の姿勢のまま前に屈み、雷光を避ける。

 ジークの振るった刃が背中を通り過ぎ、完全に静止した瞬間……

 

 振り返らず、鞘を背後に突き出した。

 ジークの太刀の切っ先にその黒鞘を当てる。

 

 瞬時に筋肉を爆発、半身回転。

 肩、腰、足、関節を回してジークの太刀を押し戻した。

 押し戻された大太刀はジークの胸に刻まれた刀傷に深く突き刺さる。

 

 斬魔、土壇場で見せた空前絶後のカウンター。

 

『オオオオオオオオオオッ!!!!!!!!!!』

 

 ジークは雄叫びを上げ、胸を抑えた。

 斬魔は唇を噛みしめ、血を滲ませながらも嗤った。

 そして呟く。

 

「天使病になっても、お節介野郎みてぇだな……ッ」

 

 ジークが胸の傷を誇示する様に掻き毟ったからこそ、斬魔はこのカウンターを思いついたのだ。

 彼は満身創痍の己を鼓舞する様に叫ぶ。

 

「堕とすぜッ、羽根落とし……!!」

 

 ソレが、斬魔の愛刀の名前だった。

 究極の脱力から放たれた極限の一閃。

 満身創痍の身だからこそ放てた、至高の一太刀。

 

 銀光一閃。

 ジークの肩、そしてその先に聳え立っていたビックベンに、袈裟斬りの線が奔る。

 

 先にビックベンがズレた。

 重厚な音を響かせ、最後に二つになる。

 

 次にジークが鮮血を迸らせて地に落ちた。

 嘗てのライバル同士の決着が、ここについた。

 

 

 ◆◆

 

 

 斬魔は鉄鞘を杖代わりに、ジークの元まで歩み寄る。

 瓦礫の上で横たわるジークは、実に穏やかな表情をしていた。

 

 斬魔は苦渋の表情で告げる。

 

「今、楽にしてやっからな……ッ」

 

 腐れ縁だからこそ、ライバルだからこそ、早く楽にしてやりたい。

 斬魔は片膝を付き、ジークの首筋に刃をあてがった。

 すると、ジークは震えた手で斬魔の長刀に触れる。

 

 ジークの胸を貫いていた神刀「迦具土」が炎に包まれ、消滅する。

 その代わり、斬魔の長刀「羽落とし」の刃に炎が灯った。

 

 炎は羽落としの直刃を流麗な乱れ刃に変えていく。

 その波紋は、ジークの正義を貫いた激しい生き様を表しているかの様だった。

 

 ジークは最後に、斬魔の襟に手を向ける。

 そして、乱れた襟を整えてやった。

 

『……何時も、言っているだろう。身嗜みは、ととのえろ。オマエは、天使殺戮士、なのだから…………』

 

 フッと、変貌した顔を緩めるジーク。

 それを最期に、彼は羽に変わっていった。

 全身が純白の羽になり、風に乗って行く。

 

 最後まで、綺麗だった。

 斬魔は唇を引き結ぶ。

 

 その表情は垂れた前髪のせいで伺えない。

 しかし、頬に一筋の涙がこぼれた。

 

「馬鹿野郎が……ッッ」

 

 



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十四話「死美人VS撃ち狂い」

 

 

 金色のメッシュが揺れる。

 その端正な顔立ちを狂気で歪めて、風船ガムを膨らます。

 缶バッチで飾られたゴシックパンク風の衣装を熱風ではためかせ、撃ち狂い──サーシュはえりあを見据えた。

 

 パンと、風船ガムが割れる。

 彼女はそのままガムを咀嚼しながら、えりあに語りかけた。

 

「天使殺戮士ねぇ♪ かなりの実力者って聞いた事があるわ♪ これは──楽しめそうね♪ やっぱり、弱った奴を嬲るより強い奴を嬲るほうが楽しいもの♪」

 

 サーシュは狂気の笑みで両手を広げ、天を仰ぐ。

 

「ステージは最高よ! 阿鼻叫喚の大地獄! 怨嗟の声と女子供の悲鳴が素敵なオーケストラを奏でてくれてる! 都市を包む血臭と熱で、気分はもう最高潮!! 後は役者だけ!! ……ねぇ、天使殺戮士さん♪」

 

 意味深な流し目を向けられるも、えりあは無表情で二丁拳銃を構えた。

 その意思、その在り方に一切の揺らぎ無し。

 

「邪魔をするというなら──少し痛い目を見てもらうわ」

「~ッッ♪♪」

 

 えりあの宣言に、サーシュは歓喜に打ち震える。

 この女、命のやり取りに性的興奮を覚えるド変態だった。

 

「ヤバッ♪ ちょっと濡れちゃった♪ クフフッ♪ さぁ始めましょう!! 楽しい愉しい殺し合いを!!」

「……」

 

 サーシュが二丁魔銃を携え、跳躍する。

 えりあは迎撃するため、彼女に照準を合わせた。

 

 二名の発砲音が重なった。

 

 

 ◆◆

 

 

 両者とも二丁拳銃使いだが、本来二丁拳銃というのは実戦向きではない。

 拳銃を片手で扱える腕力と、狙った標的を撃ち抜ける精密性。

 何より、このスタイルを可能とする常識外れの拳銃が必要不可欠だ。

 

 両者はその全てを保有していた。

 それでいて且つ、強かった。

 

 才能と経験はほぼ拮抗している。

 後は両者の微妙に異なる戦闘スタイルの相性問題だった。

 

「アハハハハ!! やるじゃない♪ たんのし~ッッ♪♪」

 

 瓦解した建造物を飛び移りながら、サーシュは魔銃を乱射する。

 えりあも向かい側の瓦礫を飛び移り、サーシュに向けて乱射していた。

 

 互いの弾丸がぶつかり合う事で潰れ、静止する。

 ハイレベルの銃使いが戦う事で起こる、荒唐無稽な現象だった。

 

 しかも、両者ともただ乱射しているのでは無い。

 時折拳銃を振り回して発砲し、弾丸の軌道を曲げている。

 曲射──

 

 更に、あらぬ方向に撃って銃弾を一度跳ね返させている。

 跳弾──

 

 どちらも常人が出来る芸当では無い。

 

「キャハハ!!」

 

 サーシュは虚空で回転し、四方八方に弾丸をばら撒く。

 えりあに銃口を向けていないが、放たれた弾丸は曲がり、跳ね返り、最終的にはえりあに密集した。

 

 えりあの超視力が、迫り来る弾丸の軌道を完璧に捉える。

 四方八方360度、完璧に囲まれていた。

 逃げ道を塞がれている。

 

 えりあは「避ける」という選択肢を捨てた。

 二丁拳銃をトンファーの様に持ち替え、飛来する弾丸を叩き落す。

 回転する銀色の鉄塊は絶妙な角度を捉え、弾丸を無効化した。

 

 その光景を見て、サーシュが瞳を輝かせる。

 

「うわ! うわうわ!! すっご~い!! バレットアーツまで修得してるなんて! もう昂っちゃわ~ッ♪ ゾクゾクきちゃわ~ッッ♪♪」

 

 震える身を抱きしめた後、サーシュは持っている魔銃の形状を変化させる。

 両方に禍々しい銃剣(バヨネット)を生えさせた。

 

「私もバレットアーツ得意なの♪ ねぇ一緒に踊りましょ♪ 踊って、踊り狂って……最後に逝かせてあげるから!! そしたら私もイッちゃうからッッ♪♪」

「……」

 

 えりあは何も答えない。

 ただ、迎撃の構えを取るのみ。

 

 サーシュは跳躍する。

 えりあも跳躍した。

 

 刹那、熱線一条。

 遥か彼方から放たれた灼熱の斬撃波に、サーシュとえりあは阻まれる。

 次に爆発。

 

 熱波で吹き飛んだ瓦礫と共に、サーシュとえりあも跳ぶ。

 互いに上空で絡まり合い、超至近距離の銃撃戦が始まった。

 

 銃口を突き付け合い、それを弾き合う。

 引き金を引いても、互いに一発も掠らない。

 

 視線誘導、射撃のタイミング、肩でのフェイント。

 更にえりあは銃身で打撃を、サーシュはバヨネットで斬撃を織り交ぜる。

 

 サーシュの放った乱れ斬りをえりあは鉄壁のガードで防ぐ。

 しかしサーシュは斬撃を続行、えりあの硬いガードを無理矢理こじ開けようとする。

 

 えりあのガードが崩れた。

 サーシュはその瞬間を逃さない。

 二丁拳銃を叩き下ろす。

 

 しかしそれは誘いだった。

 えりあは左手の拳銃を逆手に持ち替え、回転打撃。

 サーシュの二丁魔銃を薙ぎ払う。

 あまりの威力にサーシュは体勢を崩した。

 

 無防備なサーシュにえりあは銃口を突きつける。

 そして発砲。

 完全に体勢を崩していたサーシュは、それでも笑顔だった。

 

 彼女は虚空に発砲し、その反動で回転。

 えりあの銃撃を避けてみせた。

 

 発砲時の反動を利用した移動。

 えりあも修得している技術だ。

 同レベルの銃使いであるサーシュが修得していない筈がない。

 

 えりあは驚く事なく、銃撃の反動を利用した回転蹴りを放つ。

 サーシュも今の回転が乗った蹴りを放った。

 

 両者の足が激突し、空気が裂ける。

 轟音が響き渡り、突風が生まれる。

 二人は距離を置いて着地し、互いに二丁拳銃を向けた。

 

 着地した場所はロンドンブリッジ。

 半壊しているが、その荘厳な佇まいは健在だった。

 

 下に流れる鮮血色のテムズ川は、先程の光線で蒸発し、荒れ狂っている。

 サーシュはえりあの無機質な瞳を見つめながら嗤った。

 

「今の攻撃、さっき苛めた牧師ちゃんの攻撃ね♪ いや~強い強い♪ 是非嬲り殺しにしたかったんだけど、依頼主サンが駄目って言うから、諦めるしかなかったの♪ 悔しかったわ~っ」

 

 プンプンと頬を膨らませるサーシュ。

 えりあの美麗な眉が跳ね上がる。

 

「……そう、キミなのね。彼を貶めたのは」

「半分正解♪ 苛めたのは私だけど、疑似天使病のウイルス注射したのは依頼主デ~ス! 天使病に感染した時のあの絶望した表情ったらッ、堪らずオ〇ニーしちゃいました!」

「ッッ」

「でもでも~、やるわよねあの牧師ちゃん。最後の最後で自分の胸を斬り刻んで、少しの理性を残すなんて♪ 滅多に無いケースだって、依頼主さん腰抜かしてたわ♪」

 

 ニヤニヤと、卑しい笑みを浮かべるサーシュ。

 えりあはその瞳に絶対零度の怒りを灯した。

 

 彼女は冷酷にサーシュに告げる。

 

「……少し強めに壊してあげるわ」

「フフフ♪ フフフフフッッ♪♪ なんだ凄くイイ眼できるじゃな~い♪ いいわよ~ッ♪ 身体の芯がジンジンしてきた! そう、コレ、コレよ!! 狂おしい程の絶望と怒りが、私を興奮させるの!!」

 

 二名は距離を詰め、ゼロ距離で銃口を突きつけ合う。

 そして、同じタイミングで発砲した。

 

 

 ◆◆

 

 

 サーシュの二丁魔銃の名は「Hate & Scream」

 デスシティ製の魔銃で、犠牲者の怒り、憎しみ、悲鳴を糧にして威力を増していく。

 ド外道のサーシュとの相性は最高であり、その貫通力と破壊力は極まっていた。

 

 赤と黒、両方の銃身には曲刀型の銃剣(バヨネット)が装備されている。

 サーシュの強力なバレットアーツのせいで、刀身は常に犠牲者の血を求めるようになっていた。

 

 二名が銃火の舞いを踊っている。

 銃弾が曲がり、跳ね返り、二名の周囲を包み込んだ。

 

 それでも二名は動きを止めない。

 無尽蔵のスタミナと驚異的な集中力で、互いの命を撃ち抜かんとしている。

 

 二名の腕が絡まる。

 超至近距離で見つめ合った両者は、全く同じタイミングで発砲した。

 一旦距離が離れたと思えば、また近付く。

 

 銃使いも、ここまで来れば距離など関係無い。

 むしろ、距離を詰めて対象を制圧しようとする。

 

 クロスレンジに入った二人は、二丁拳銃を突きつけ合う。

 そして、まさかの乱射。

 

 両者、至近距離で火力勝負を仕掛けた。

 機関銃の掃射時の如く、大量の薬莢が地面へばら撒かれる。

 サーシュは天を仰ぎ嗤った。

 

「クフフッ! キャハ♪ キャハハハハハハハハハッ!!!!」

 

 肩や太ももの肉が抉れても、サーシュは哄笑を上げていた。

 ドSでありドM。

 彼女は既に手遅れなイカレ女だった。

 

 対して、えりあは無表情だった。

 同じ様に負傷しているが、乱射を止めようとしない。

 ここで仕留めるという覚悟が表れていた。

 

 サーシュは恍惚とした表情で叫ぶ。

 

「最高ッ!! サイコーよッッ!!!! アア、いい、イッちゃう~~~~~~ッッ♪♪」

 

 ブルりと総身を震わせ、何度も痙攣するサーシュ。

 彼女は恍惚とした表情で呟いた。

 

「狂い咲けッ、死の棘ッッ♪♪」

 

 刹那、えりあの体内に異変が起きる。

 銃創から突如として棘が発生し爆散、骨肉をズタズタに引き裂いたのだ。

 

「……ッ!」

 

 えりあは片膝を付く。

 想像を絶する激痛がその体内でのたうち回っていた。

 

 ニードル・ショット。

 サーシュの魔銃の専用弾であり、拳銃弾でありながら散弾式の魔弾。

 対象の体内で棘を撒き散らし、豪胆な男でも泣き叫んでしまう程の激痛を与える。

 掠ってもその効果は発動する。

 

 動けないえりあの額にサーシュは銃口を突きつけた。

 彼女は熱い溜息を吐いて、えりあに告げる。

 

「フィナーレよ♪ 逝っちゃいなさいッ♪♪」

 

 バシュンと、えりあの脳漿が飛び散った。

 顔の半分が抉れ、目玉が飛び出る。

 

「アアア……ッ♪ きんもちぃぃ~~~ッッ♪♪」

 

 撃ち狂いは陶然とした表情で曇天を仰いだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 降り注ぐえりあの鮮血。

 その色は──濃紺だった。

 深い深い、青色。

 

「……?」

 

 サーシュは首を傾げる。

 彼女は人間、血の色は赤の筈だ。

 青などありえない。

 

 唐突にえりあの右手が跳ね上がり、サーシュの顔面に発砲する。

 油断していたサーシュはモロに貰ってしまった。

 

 倒れる彼女を尻目に、えりあは立ち上がる。

 爆散した顔は既に修復し始めていた。

 まるでビデオの巻き戻しの様に、骨肉が再構築されていく。

 

 死美人(アンデット)

 えりあは人間でありながら人間では無い。

 既に死んでいる、歩く屍なのだ。

 

 えりあは首をゴキゴキと鳴らし、倒れているサーシュの元まで歩み寄る。

 

 しかし、サーシュも倒れながら発砲。

 えりあは寸前で避ける。

 サーシュはむくりと上体を起こした。

 

「アー……最悪、最悪よ。数ある賢者タイムでもこれ程胸糞悪いもんは無いわ。台無しよ」

 

 心底気落ちした風に、風船ガムを膨らましているサーシュ。

 その風船ガムに弾丸が阻まれていた。

 

 デスシティ製の超高性能ガム。

 熱に反応し自在に硬度を変える、サーシュの奥の手だった。

 

 彼女はガムを吐き捨て胡坐を掻く。

 そして盛大な溜息を吐いた。

 

「ハァぁ……このゲンナリした気持ち。当分治りそうにないわ。アンタ、不死ならそう言ってよ。マジないわ~ッッ」

 

 ズドンど、えりあが問答無用で発砲する。

 サーシュは首だけ逸らして躱した。

 

「後ろにお仲間さんが来てるわよ」

「……!!」

 

 えりあは気配で彼だとわかった瞬間振り返る。

 茶髪の美青年──斬魔が鉄鞘を杖代わりに近付いて来ていた。

 

 えりあはサーシュに視線を戻すが、既に彼女はいない。

 

「でもま♪ イケたから良しとしましょ♪」

 

 ロンドンブリッジの上部にサーシュは佇んでいた。

 彼女は笑いながら舌を出す。

 

「もうアナタとは戦いたくなくないから、顔は覚えたわよ天使殺戮士ちゃん♪ ん~そうねぇ、報酬分の働きはしたし、もうそろそろあの都市に帰るわ♪ ばいば~い♪」

 

 サーシュは闇に消えていった。

 完全に気配が消えた事を確認したえりあは、二丁拳銃をしまい斬魔に駆け寄る。

 

 斬魔は笑いながらも、えりあに倒れかかった。

 えりあがすかさず支える。

 

「何だ、終わったのか……クソ、頑張って足運んできたってのによォ」

「ボロボロじゃない……わたしの事は良いから、キミは自分を気遣いなさい」

「ほざけ、俺達はコンビだろう?」

 

 斬魔はニヒルに笑う。

 ボロボロだが、何時通りの彼であった。

 えりあは微笑みながら問う。

 

「……ケリは、ついたの?」

「ああ」

「そう……なら、いいわ」

「そうか」

 

 余計な言葉はいらない。

 今の会話で十分だった。

 それが、コンビというものだった。

 

「……いきましょう、大和の元へ」

「ああ、良いとこ取りはさせねぇ。俺も、ラスボスさんには言いてぇ事がある」

 

 えりあに肩を貸され、斬魔は歩き始める。

 そうして二人は、最終局面の地へ赴いていった。

 



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十五話「英雄だった男」

 

 

 天使教の幹部は自身の肉体に霊子型ナノマシンを注入し、超強化を果たしていた。

 その肉体は肥大化し、上半身の法衣は弾け飛んでいる。

 不気味に蠢く筋肉は、更なる進化を果たそうと躍起になっていた。

 

「ハハハハハハハハ!!!!」

 

 幹部は笑いながら大和の顔面をぶん殴る。

 ゴキンと、金属を潰す様な嫌な音が響き渡った。

 

 幹部はそのまま大和にラッシュを浴びせる。

 人外の筋肉が齎す拳撃は、一撃一撃が山河を砕き海を割るに足りた。

 衝撃で地盤が砕け、空気が振動する。

 ロンドンという都市そのものに亀裂が奔りそうな勢いだった。

 

「どうした!? 手も足も出ないかね!!」

 

 大和の肝臓に左アッパーを打ち込み、その際生じた捻りで右ストレートを放つ。

 大和は大英博物館に衝突した。

 世界的歴史を誇る博物館が呆気なく崩壊してしまう。

 

 巻き上がった土煙の中、幹部は更なる追い打ちをかけた。

 未だ倒れていない大和の左右テンプルに渾身のフックを二発叩き込む。

 衝撃波で空間が割れる。

 周囲にあるものが全て吹き飛び、粉々になった。

 

 幹部は高揚感に任せて謳う。

 

「世界最強の殺し屋──貴殿は何のためにこの地に来た。この腐った世界で、貴殿は一体何を成そうと言うのかね!? 人間は尊き自然を破壊し、貪り、挙句の果てに戦争を引き起こす! 一見平和な国も、私腹を肥やす薄汚い政治家共の巣窟だ!! それを知らぬ愚民共はことさら醜く、愚かしい!!」

 

 ラッシュ、ラッシュ。

 暴力の嵐が吹き荒れる。

 幹部は己の想いを打ち明けつつ、猛攻撃を続ける。

 

「挙句の果てには、デスシティなどという不浄と淫蕩の都市が存在する始末だ!! 人類など、滅んでしまえば良いのだ!!」

 

 最後に渾身の右ストレートを放ち、幹部は笑う。

 

「我ら天使教が新人類と成りて世界を統治し、作り変える──それこそが我らが信条!! 我等が教義なり!!」

 

 数百メートルの距離を飛ばされた大和。

 最早幹部は人間を逸脱した存在──魔人に成りつつあった。

 しかし、大和は一度も倒れていない。

 ガードもしていないのに、血すら流していなかった。

 

 そのかわり──眉間に何本もの青筋を立てている。

 

「ぐだぐだぐだぐだ……ッ」

 

 地の底から出した様なドスの利いた声を響かせ──―

 

 

「うるせぇ!!!!!!」

 

 

 地を思い切り踏みしめた。

 瞬間、震度六以上の大地震が発生する。

 同時に怒声による超音波が周囲にあるもの一切合切を粉微塵にした。

 

 幹部は訳もわからないまま吹っ飛ばされる。

 

 大和は鬼の形相で言い放った。

 

「世界の情勢なんざ知ったこっちゃねぇんだよ!!!! 有象無象の事なんざ心底どうでもいい!!!! 俺は!! 俺が幸せなら後はどうでもいいんだよ!!!!」

 

 起き上がった幹部は思わず目を丸めた。

 彼の言い分があまり低俗で、陳腐な内容だったからだ。

 まるで小学生の暴論。

 

 しかしこの男──大和は本気だった。

 本気でそう思っているのだ。

 

 彼は幹部に手招きする。

 

「御託ほざいてねぇで本気でかかってこい。まさか、さっきのが本気たァ言わねぇよな? がっかりさせてくれるなよ」

 

 あれ程の猛攻を受けたのに、大和はケロりとしていた。

 幹部は憤怒で総身を震わせた後、雄叫びを上げて彼に襲いかかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 違和感は覚えていた。

 幾ら全力で打撃を打ち込んでも、大和は倒れないのだ。

 

 拳に衝撃は伝わる。

 しかし、骨肉を潰す感触が伝わらない。

 むしろ、拳より硬いナニカを殴ったせいで腕が麻痺していた。

 

 幹部は戸惑っていた。

 自分は明らかに強くなっている。

 今現在も成長を続けている。

 

 しかし──大和に勝てるビジョンが全く浮かばない。

 むしろ成長すればする程、彼我の差を強く感じてしまう。

 

「オオオオオオオオオオ!!!!」

 

 恐怖を打ち払う様に拳打を放つ幹部。

 繰り出された剛拳は、大和の頬にクリーンヒットした。

 

 しかし──大和は平然と立っていた。

 

「技術も才能も中々、場数も踏んでる。今の一撃も、芯を捉えていれば地球を壊せるレベルだった」

 

 幹部は即座に距離を取る。

 その身体から大量の脂汗を噴いていた。

 

 大和は嗤う。

 

「大した強さじゃねぇの。だが、それも平和ボケした表世界での話だ。──デスシティにゃあテメェ程度の奴、ゴマンといる」

 

 嘲笑を向けられ、幹部は震えた。

 怒髪天を怒りを以て咆哮する。

 

「私を──この私を!! 貴様の物差しで測るなァァァァッ!!!!」

 

 突撃する幹部。

 大和はその大きな手で拳骨を作った。

 

「本物のパンチってのを、教えてやるぜ」

 

 迫り来る幹部と呼吸を合わせ、彼の顔面に右拳を被せる。

 芸術的に入ったクロスカウンター。

 顔面の骨肉が粉砕する感触がその拳に伝わった。

 

 大和はギザ歯を剥き出す。

 同時に肩、腰、足、のみならず筋肉繊維、関節、骨格を引き絞る。

 そうして生まれた莫大なエネルギーを拳に集約、解き放った。

 

 至高の右ストレート。

 世界最強の武術家が放った右拳は、その衝撃だけでロンドンを完全崩壊させた。

 

 地軸がずれ、大地が流動する。

 大気が空間ごと吹き飛び、曇天が二つに分かれる。

 チラリと見えた青空、その遥か彼方まで拳圧が突き抜けた。

 欧州大陸の低気圧が根こそぎ吹っ飛ばされる。

 

 地球の核に衝撃が行き届くも、大和は合気で余分な力を外部へ受け流す。

 そうしなければ、余波だけで地球が粉々になってしまうのだ。

 

 パンチを放った後、大和は懐からラッキーストライクを取り出し、火を点けた。

 紫煙を吐き出していると、背後から何かが降ってくる。

 流れ星の如く横を通り過ぎたのは、顔面を陥没させた幹部だった。

 

 彼は短時間で地球を一周してきたのだ。

 大和は再度紫煙を吐き出し、笑う。

 

「どうだった? 世界一周の旅は」

 

 応答は無い。

 当然である。

 

 曇天の裂け目から陽光が零れる。

 ソレに照らし出されながら、大和は告げた。

 

「一つだけ言わせろ。叶えてぇ夢があるなら、貫きてぇ信念があるなら、自分の力で成し遂げろ。ご都合主義(霊子型ナノマシン)なんかに頼ってんじゃねぇよ」

 

 どれだけ低俗でも、どれだけ最低でも。

 彼は自分の身一つで最強に至った男なのだ。

 幾度となく人類史を救った、大英雄なのだ。

 

 真紅のマントを靡かせるその立ち姿は、惚れ惚れするほど堂々としていた。

 

 

 



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十六話「最終決戦!!」

 

 大和が紫煙を吹かしていると、斬魔とえりあがやって来た。

 斬魔はまず、大和に対して怒声を上げる。

 

「少しは手加減しろ!! 余波で死ぬかと思ったわ!!」

「ハッハッハ!! 何だテメェ!! ボロボロじゃねぇか! ダセぇ!!」

「うるせぇ!!」

 

 喚く斬魔、爆笑する大和。

 それを見比べ、嘆息するえりあ。

 

 彼女は大和に問う。

 

「終わったの?」

「おう、アレがそうだろう?」

 

 大和は完全にのびている天使教の幹部を指す。

 えりあは冷たい視線をソレに向けた。

 

「まだ死んでないわね……よかった。色々と聞きたい事があるから」

「おー怖い怖い」

 

 大和は肩を竦めながら、二人に近寄る。

 斬魔の前までやって来ると、その身体をジロジロ見始めた。

 

「な、なんだよ……」

「ジッとしてろ」

 

 大和は斬魔の身体を指で数回刺す。

 斬魔は激痛で悲鳴を上げた。

 

「いってぇぇぇ!! 何すんだ!!」

「動けるだろ?」

「……!!?」

 

 己の肉体が正常に動いている事に驚愕する斬魔。

 あばら骨を含め、数ヵ所骨折していた筈だが──最早痛みすら感じない。

 

 大和はギザ歯を出した。

 

「経絡、経穴を突いて俺の闘気を流し込んだ。骨や内臓程度なら修復できた筈だ。応急手当だから、帰ったらちゃんと治療しろよ」

「仙人かお前は!!」

「武術は医学に通じるんだよ」

 

 斬魔のツッコミを大和は軽く受け流す。

 唐突に、えりあが二丁拳銃を取り出した。

 大和と斬魔は何事かと振り返る。

 

 天使病の幹部が起き上がっていた。

 彼は鼻血を吹き出しながら絶叫する。

 

「おのれェっ、おのれおのれおのれェェェェェェェ!!!!!! よくもッ!!!! この私を!!!! 地に這わせてくれたな殺し屋ァ!!!! 万死に値するぞォォォォッ!!!!」 

「鼻血ブーがほざくんじゃねェよ、バーカ」

 

 大和が舌を出すと、幹部は更に怒り狂う。

 

「私は天使教の幹部だぞ!!!! いずれ人類を導く宿命を背負った偉大なる存在なのだぞ!!!! それを貴様ァァァァァァ!!!!」

 

 激高し、のたうち回る幹部。

 最早、立ち上がる事もできないのだ。

 歪んだプライドを見せつけられ、哀れみの表情を浮かべる三名。

 

 幹部の身に突如、異変が起きる。

 

 右肩の肉が膨張し、腹が裂けた。

 溢れ出た内臓には魚のヒレや蟲の足が生えており、不気味に蠢いている。

 上半身はあっという間に他種族の目玉や口で覆われた。

 

 ゲラゲラと不快な笑い声を上げる己の肉体に対し、幹部は真の絶望の顔を見せた。

 この症状を、彼はよく知っていた。

 

「そ、そんな……ッッ、よりによってこの私がッ!! 何故だァァァァァァァ!!!!!!!!」

 

 霊子型ナノマシンの暴走──天使病。

 膨張し、口も塞がれ、ただのバケモノに成り果てていく幹部に、大和は嗤いながら告げた。

 

「傲慢だろ」

「傲慢だな」

「傲慢ね」

 

 斬魔とえりあも頷く。

 ロンドンの空が再び曇天に覆われた。

 赤き稲妻が奔り、重たい瘴気が漂い始める。

 

 先程まで幹部だったバケモノは、ロンドンに滞在する霊子型ナノマシンを掻き集めていた。

 とんでもない怪物が生まれようとしていた。

 それでも大和の笑みは崩れない。

 むしろ深みを増していた。

 

 彼は両手を広げる。

 

「いいぜ……面白くなってきた! ラスボスはこうでなくっちゃな!」

 

 

 ◆◆

 

 

 ソレは、穢れた太陽だった。

 触手をフレアの如く伸縮させ、目玉を黒点の如く明滅させている。

 羽を生やし、角を生やし、脚を生やし、手を生やしている、全長500メートルを超える──肉の塊。

 それが、大和達の頭上で浮遊していた。

 

「でけぇ……」

 

 思わず呻く斬魔。

 えりあも生唾を飲み込んた。

 

 対天使病のプロフェッショナルである彼等でも、この規模の天使病患者は初めてらしい。

 大和は顎を擦る。

 

「100万──いいや、500万以上か。ここまで来ると、最下位とは言え純粋天使に匹敵するな」

 

 感慨深げに呟くと、大和は斬魔とえりあに問いかける。

 

「どうする? テメェ等の手には余る相手だ。俺がサクっと倒してやろうか?」

 

 その問いに、斬魔とえりあは互いに顔を見合わせる。

 そして笑った。

 

「冗談はよせよ」

「わたし達は天使殺戮士──」

「天使病の患者は必ず殺す」

「それが、わたし達の唯一であり絶対の使命」

 

 大和の両脇を通り過ぎる両名。

 彼等は既に得物を構えていた。

 

 その背を見て、大和は思い出す。

 嘗ての自分達を。

 

『背中は預けるぜ、アラクネ』

『ええ。存分に暴れて頂戴、大和』

 

 その時交わした言葉まで思い出して──大和は苦笑した。

 彼は進んでいく二人の背を叩く。

 

「作戦がある。俺はサポートだ。メインはテメェ等にくれてやる」

「どうするの?」

 

 えりあの問いに大和は答える。

 

「アレは周囲に天使の羽衣(エンジェルベール)を纏ってる。それも多重にだ。お前等にアレを突破するのは難しい」

 

 二人は件の巨大患者を注視する。

 その巨体を覆う様に神聖文字の障壁が張り巡らされていた。

 

 ジークの扱ったものと同じだ。

 しかし密度と枚数が段違いである。

 斬魔は苦笑した。

 

 大和は続ける。

 

「俺がアレをぶち抜く」

「できるのか?」

「おう」

 

 大和は力強く頷く。

 

「でも準備に少し時間がかかる。お前等はそれまで俺を護衛してくれ。準備ができたら、必ずアレをぶち抜く。そしたらお前等でトドメを刺せ」

「ああ」

「わかったわ」

 

 二人は頷き、大和の左右に佇む。

 話を理解し、即座に実行できる二人に対し、大和は信頼の笑みを浮かべた。

 

 彼は異空間から得物を取り出す。

 己の身長と同程度の尺を誇る長弓だった。

 

 大和は矢を取り出し、番え、構える。

 大和の得物は全て世界一の鍛冶師──百目鬼村正(どうめき・むらまさ)が手掛けた一品だ。

 

 この弓は五人張りの強弓。

 しかし只の五人張りでは無い。

 天地を片手で支えられる巨人族による五人張りだ。

 

 大和の超怪力によって優々と弦が引かれる。

 世界樹(ユグドラシル)の芯で製造された長弓が「ギギギ」と軋みを上げた。

 

 矢に闘気が注入され、大和自身も濃密な闘気を纏う。

 すると、巨大患者が反応した。

 300本は優に超えるであろう触手を大和に向けて飛ばす。

 

 斬魔とえりあはその全てをあしらった。

 抜刀術で斬り伏せ、銃撃で爆散させる。

 

 大和は嗤いながら大声で告げた。

 

「テメェ等!! 準備しろ!!」

 

 大和は闘気を開放する。

 その周囲を爆風が吹き抜ける。

 両足を支える地面は強大な圧力に耐え切れず、陥没した。

 

 全力で手加減しても星を消し飛ばし、銀河を貫いてしまう必殺の一矢。

 嘗て「万象穿つ」と魔王から絶賛された、「武神」の二つ名の所以。

 

「神穿ちの矢」

 

 流星一条。

 埒外の闘気が内包された弓矢は瞬時に光速を超え、時間の束縛も振り切った。

 

 破滅の閃光たるこの一撃を防ぐ手段は無い。

 避ける手段も無い。

 放たれた時点で、既に相手は穿たれている。

 

 幾重にも展開されたエンジェル・ベールも意味を成さない。

 あらゆる事象現象を遮断してしまう無敵結界も、武の極致の一端を防ぐ事は叶わないのだ。

 

 エンジェルベールを突破され、同時に身体の半分を消し飛ばされた巨大患者。

 絶叫を上げるその中心点に、幹部だった男で形成された核があった。

 心臓部分である。

 

 遅れてやってくる神穿ちの矢の衝撃波。

 巨大患者は吹き飛ばされそうになりながらも、弱点を隠そうと肉体の修復を始める。

 しかし、二名の天使殺戮士がそれを許さない。

 えりあの専用弾「祝福儀礼済み13mm劣化ウラン弾」が躍動する肉を抑え、それ以上の回復を抑えた。

 

 曝け出された核。

 躍り出る漆黒の美青年。

 

 斬魔は愛刀「羽根落とし」を鞘から放つ。

 銀光一閃。

 万魔を断つ至上の斬撃は、そのまま核を両断する──筈だった。

 

「!!」

 

 絶対絶命でのエンジェルベール。

 辛うじて発生した神聖文字が斬魔の刃を阻んだ。

 

「クソったれ……!!!!」

 

 斬魔は顔を歪める。

 己では決して断ち切れない聖域の権現。

 幾ら腕に力を込めようとも、刃がそれ以上進まなかった。

 

 焦燥する斬魔。

 そんな彼に、何者かが囁きかける。

 

『負けるな。お前はオレ達の希望──天使殺戮士だろう』

「!!」

『俺の魂は偽りの神聖を断ち切る。信じろ──』

 

 斬魔は唇を噛みしめる。

 今は亡き、友の声が確かに聞こえたのだ。

 

「……アア、信じるぜ!! ジークっ!!!!」

 

 斬魔の愛刀「羽根落とし」の乱れ刃が揺れる。

 焔の如きあの男の生き様を体現した波紋は、エンジェルベールを断ち切った。

 

 断末魔の悲鳴が木霊する。

 肉が崩れ、骨が溶け落ちる。

 偽りの太陽が沈んでいく。

 

 曇天が晴れ、陽光が顔を覗かせた。

 大和は斬魔を見上げ、感慨深げに三白眼を細めた。

 

「友情パワーか、俺には到底出せない力だ……眩しいねぇ」

 

 最強に至っても、修得できない力がある。

 大和は眩しそうに手をかざしていた。

 



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十七話「レッツ・ダンスマカブル」

 

 天使病の一件が終わってから三日後。

 魔界都市の様相に変化はなかった。

 ロンドンで数百万人規模の大殺戮が起こったのにも関わらず、だ。

 

 世界最悪の治安を誇る超犯罪都市デスシティにおいて、数百万の命「程度」は関心の対象にもならないのだ。

 この都市には、それ以上の命を使い潰している鬼畜外道が平然と闊歩している。

 

 デスシティ中央区にて。

 七色のネオンが煌き、巨大な立体ホログラムを介してニュースが報じられる。

 ガソリンが燃焼する音と滑空するために稼働する電磁エネルギーの音が、どこからともなく聞こえてきた。

 

 黒色に染まった重たい曇天をテールライト達が鮮やかに彩っている。

 それを阻まんばかりに聳え立つ、超高層ビルの群れ。

 100階や200階程度はザラ。

 500階や600階という規格外サイズも建っている。

 

 その合間を滑空車が駆け抜ける。

 空中に設置された信号が赤になれば、車達は律儀に止まった。

 他にも有翼族ハーピーやジェットエンジンを積んだサイボーグ、飛龍種ワイバーンなどが飛翔している。

 

 魔界都市は真夜中にも関わらず、白昼の如き賑わいを見せていた。

 

 大衆酒場、ゲートもその賑わいに影響されている。

 西部開拓時代を彷彿させる粋な店内は、既にあらゆる種族の客人達でごった返しになっていた。

 

 彼等は皆デスシティの住民であり、此処に憩いを求めてやってきている。

 彼等の様子を見ていると、デスシティにどれだけの種族が集っているのかがよくわかった。

 

 幻想的ながらも際どい服装をした美女エルフ達が下品な話題で盛り上がり。

 屈強ながらも醜いオークの戦士達が今後の予定を話し合っている。

 

 白浴衣を着た艶やかな雪女が鴉天狗の晩酌に付き添っており。

 布状の妖怪、一反木綿が狭い通路を苦労しながら浮遊している。

 

 ギチギチと嬉しそうに歯を鳴らし、テーブルに置かれたステーキを頬張る百足男。

 チロチロと長い舌を伸ばして、イイ男を探している蛇女。

 

 タコの様な宇宙人が、他の客人が食べているたこ焼きを物珍しそうに眺めている。

 重厚な装甲を纏ったアンドロイドは片言でウェイトレスに注文していた。

 

 魔族、妖精、蟲族、妖怪、獣人、宇宙人、アンドロイド──

 種族の名を挙げていけばキリが無い。

 彼等は文化や価値観こそ全く違う。

 本来相容れない筈なのだが──此処、魔界都市の単純であり残酷な法則に従い、共存できている。

 

 弱肉強食。

 

 強ければ、正義を謳おうが悪を貫こうが容認される。

 しかし弱ければ、理不尽に命を奪われても文句を言えない。

 

 単純でありながら残酷な法則(ルール)

 だが、全ての種族に共通している普遍の常識でもある。

 

 自然界の、いいや宇宙の真理。

 だからこそデスシティは数多の種族を抱え込んで尚、その拮抗を保っていられるのだ。

 

 カウンター席で。

 人外でも座れる巨大な椅子に、世にも稀な美丈夫が座っていた。

 艶やかな黒髪、真紅のマント。

 褐色肌の巨躯は限界まで鍛え抜かれており、一流の戦士でも見れば度肝を抜かしてしまう。

 灰色の三白眼、鋭いギザ歯という凶悪なパーツを保有しているが、ハンサムな顔立ちが全て有耶無耶にしている。

 

 彼は複数の女性から口説かれていた。

 虎の亜人と蜘蛛女、そしてスライムの美少女だ。

 彼は一人一人に丁寧に返答し、最後に微笑む。

 

 彼女達は表情を蕩けさせると、浮かれた様子で離れていった。

 美丈夫はカウンターに向き直ると、既に注いでいたブラックラムを豪快に呷る。

 

 そんな彼にこの酒場の店主、金髪の偉丈夫ことネメアが告げた。

 

「今回も随分派手に暴れたな。ロンドンがメチャクチャだ」

「ロンドンを守れ、なんて依頼を受けた覚えはねぇな」

 

 ギザ歯を剥かせ煙草を咥える美丈夫──大和。

 ネメアは新聞の記事を見ながら続ける。

 

「でもまぁ、ロンドン程度で済んだだけマシか。少しは手加減を覚えたみたいだな」

「褒めろ。もっと褒めろ♪」

「調子に乗るな」

「ちぇっ」

 

 唇を尖らせる大和を見て、肩を竦めるネメア。

 彼は新聞の記事を見返す。

 

「この一件、未曽有の天災として処理されたみたいだ。欧州にある複数の魔術結社が総動員で世界に暗示をかけたらしい。世界政府も協力したみたいだな」

 

 こういう時によく使われる手法だった。

 故に驚きはない。

 ネメアはその碧眼を細めた。

 

「プロテスタントの真世界聖公教会も中々やる。現に、被害は最小限で済んでいるぞ」

「腕の良い裏方がいるんだろう」

「フッ、表世界の住民もあながち馬鹿にできない……そうは思わないか? 大和」

「ま……ちったぁマシな奴がいるって事はわかったよ」

 

 頬杖を付く大和。

 ネメアは笑いながら彼に聞いた。

 

「どうだった? あの天使殺戮士達は」

 

 含みのある問い。

 ネメアは斬魔と初対面の際、棺桶で眠っているえりあの存在に気付いていた。

 大和はニヤリと笑う。

 

「棺桶に眠ってたのが凄ぇイイ女でよぉ、でもガードが鉄壁だった。最後まで口説き落とせなかったぜ」

「ほぅ。お前が落とせない女なんて、絶滅危惧種じゃないか」

「今度は絶対ぇ口説き落とす」

「勝手にしろ」

 

 ネメアは溜息を吐くと、今度は斬魔について聞く。

 

「茶髪の青年はどうだった? パッと見、雰囲気がかなりお前に似ていたから、少し心配だったんだ」

「ああ、アイツなら大丈夫だ」

「?」

 

 ネメアは首を傾げる。

 大和は笑った。

 

「馬鹿でスケベで空気読めねぇが、相棒や親友に恵まれてる。……俺達の様にはならねぇだろ」

「……そうか」

 

 ネメアは安心して微笑む。

 その笑みは、ネメアだからこそ出せた優しい笑みだった。

 大和は空になったグラスにブラックラムを注ぎながら呟く。

 

「……アイツ等見てると、昔を思い出しちまったぜ」

「まだアラクネと交際してた頃か?」

「……チッ」

 

 舌打ちする大和。

 ネメアはニヤニヤと笑った。

 

「過去に拘らないお前がそんな風になるなんて、珍しいじゃないか」

「……ネメア、テメェこの野郎……っ」

 

 何か言おうとする大和だが、これ以上は墓穴を掘るだけだと悟る。

 彼はガックリ肩を落すと、心底不機嫌そうにラムを飲み始めた。

 

 すると、店内がザワ付いた。

 何か起こったらしい。

 大和のネメアは騒動の方へ視線を向ける。

 

 絶世の美女が店に入ってきていた。

 紫色の帯びた黒髪。奈落の底の如き暗黒色の瞳。

 純白のドレスの上からでもわかる極上の女体。

 

 清楚さと、それ以上の淫靡さを醸す美女。

 アラクネ──世界最強の暗殺者だ。

 彼女は大和を見つけると、複雑な表情をする。

 それは大和も一緒だった。

 

 彼女は真っ直ぐ進み、大和の横に座る。

 暫く、重たい空気が流れた。

 

 客人達は警戒していた。

 大和とアラクネの仲の悪さは筋金入りだ。

 今すぐに殺し合いを始めてもおかしくない。

 皆、逃げる準備をしていた。

 

 アラクネは大和と視線を合わせない。

 泣きぼくろを撫で、頬を掻き、指で机を叩く。

 彼女は決心したのだろう、唇を開いた。

 

「ねぇ、大和……」

「アラクネ」

 

 名前を呼ばれ、アラクネは振り返る。

 大和はそっぽを向きながら、彼女に告げた。

 

「……今夜、暇か?」

 

 平素を装っているが、その頬は朱に染まっていた。

 アラクネは目を丸めた後、花が咲いた様に微笑む。

 

「ええ、暇よ……フフフ♪」

「チッ……ッ」

 

 腕に抱きつかれ、顔を真っ赤にする大和。

 ネメアは依然、ニヤニヤと笑っていた。

 

「ネメア、マジでその顔やめろ。ぶっ殺すぞ」

「別にいいじゃないか。いやー、眼福眼福」

「テメッ!! ざっけんなよ!!」

「♡」

 

 大和は顔を真っ赤にして叫ぶ。

 アラクネは彼の腕に抱きつき、うっとりとしていた。

 

 超犯罪都市に、珍しい風が吹いた。

 これもまた表世界の住民──彼等の影響力なのだろう。

 

 

 そして今、あの二人は──

 

 

 ◆◆

 

 

 同時刻。

 アイルランドのとある地方で、男女のペアがいた。

 真月に照らし出された田舎道を歩いている。

 

 一人は漆黒の美青年。

 赤茶の髪にピアス、刺激的な若さを端正なマスクで飾っている。

 背中に背負った鋼鉄製の棺桶と手に携えた黒金の長棒が印象的だった。

 

 もう一人は青き死美人。

 無機質な双眸、蒼白の肌。色素の薄い唇。

 美しいが、それ以上に冷たい空気を纏う美女だった。

 

 互いのブーツの音が重なる。

 彼等は既に廃れた教会の前へ辿り付いた。

 

 漂う腐臭を感知しながら美青年、斬魔は肩を落す。

 

「ああクソッ、今更になって後悔してるぜ」

「何が?」

 

 死美人、えりあが問うと、斬魔はその茶髪を掻き上げた。

 

「デスシティの娼館に行けなかった事さ。マジで後悔してる。折角『今日は眠らせない!! デスシティま〇ま〇ガイド!!』を買って熟読したってのに……」

 

 ジャキンと、銀色の巨大拳銃が斬魔の頬に突き付けられた。

 世界最大の拳銃、デザートイーグルより尚大きい。

 全長35センチ、重量12キロ、装弾数8発。

 

 対天使病拳銃「Danse Macabre」

 

 薔薇のレリーフが刻まれた銃身が淡く輝く。

 えりあは小首を傾げながら斬魔に聞いた。

 

「何か言ったかしら?」

「何も言ってません、マジで。神に誓う」

「……はぁ」

 

 溜息を吐きながら、えりあはもう一丁の拳銃を取り出す。

 廃墟と化した教会を突き破り、今回の標的が姿を現したのだ。

 

 翼、羽、目、口、腕、脚。

 あらゆる生物的嫌悪要素を組み込み、肉と練り混ぜたかのような醜悪な怪物。

 

 天使病──その患者。

 

 最早性別すらわからない患者は、幾つもの口から悲鳴を上げて臨戦態勢に入った。

 その肉体に、50は超える腕を生やす。

 

 えりあは相棒に告げた。

 

「行くわよ」

「おう」

 

 濃紺と漆黒のロングコートが靡く。

 斬魔は鉄鞘から刀身を抜き放ち、勢いよく地に付けた。

 

「さぁ、ダンスマカブルだ! 楽しもうぜ! なぁ、相棒共!!」

 

 そう言われ、えりあは薄く微笑む。

 斬魔の愛刀「羽根落とし」の乱れ刃も、呼応する様に輝いた。

 

 天使の絶叫をBGMに、彼等の戦いは再び幕を開けたのだ。

 

 

《完》

 



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殺し屋業務再開
最悪なる鬼神よ


 

 

 深夜。

 東京都、湾岸エリアにある貨物倉庫にて。

 既に業者達の影は無かった。

 冷たい潮風が吹き、倉庫の表面を砂利で叩く。

 貨物船の野太い声が、暗黒色の海面に響き渡った。

 

 閑散とした倉庫内で、不気味な子供達の笑い声が木霊する。

 

「やったね、姉様」

「ええ、でも簡単よ。私達にかかれば」

 

 互いに顔を近付け、微笑み合う姉弟。

 その顔立ちは鏡写しの様であり、どちらも西洋人形の如く美しかった。

 滑らかな金髪、きめ細かな肌、愛らしい笑み。

 思わず抱きしめたくなる。

 

 互いに凶悪な得物を携えていなければ──の話だが。

 

 両者とも、巨大な軽機関銃を携えていた。

 腰にも拳銃や手榴弾を装着している。

 ただの子供ではない。

 

「ッ……ッ」

 

 そして彼等を見上げ怯えている、一人の少女がいた。

 口と手足を縛られている。

 

 褐色の肌に紫苑色の瞳、アラブ系の出身だ。

 白いワンピース姿は清楚であり、しかしソレを盛り上げる肢体は大人顔負け。

 涙目で怯えているのが、また一層色香を深めている。

 

 貨物に背を預けている彼女に対し、双子姉弟は無邪気に笑いかけた。

 

「そんなに怯えなくてもいいのに……別に傷付けたりしないよ?」

「そうよ、アラブの石油王の一人娘さん。私達、貴女のお父様から身代金を貰いたいだけなの……貰えたらすぐに開放してあげるから、それまで我慢してね?」

 

 姉弟はその薄桃色の唇に歪な笑みを浮かべる。

 石油王の一人娘は恐怖で顔面を蒼白にした。

 

 人間がしていい笑顔では無かった。

 子供がしていい行いでは無かった。

 

 自分が知っている人間とは明らかに違う。

 常軌を逸している。

 

 石油王の一人娘は耐え難い恐怖に総身を震わせた。

 そんな彼女に対し、姉妹はマイペースに話しかける。

 

「えっと……シャリファちゃんだったっけ? 君も災難だったね。たまたま、僕達の目に付いちゃってさぁ」

「日本は本当に平和ね、誘拐も簡単。暴力沙汰になっても困るのは国の方だし、私達みたいなアウトローにとっては凄く魅力的な世界……」

「ご飯も美味しいし、大人も優しいし……何より命を狙われない!」

「あの都市とは真逆の世界! 素晴らしいわ!」

 

 手を取り合い、無邪気に踊りだす双子達。

 石油王の一人娘──シャリファは紫苑色の瞳から涙を流していた。

 

 ただただ、怖かった。

 早く助けて欲しかった。

 

 しかし助けは、もうすぐそこまで来ていた。

 この世界で最も頼りになり、同時に最も畏怖される殺し屋が。

 

 冷たい潮風によって真紅のマントが靡く。

 湾岸を形成する分厚いコンクリートを踏み鳴らす下駄の音。

 月光に照らし出された素顔は、野性的でありながら美の極致を体現していた。

 鍛え抜かれた二メートルの体躯は小麦色。

 灰色の三白眼は絶対零度の冷たさを宿し、垣間見えるギザ歯は内に秘めたる強烈な野生を曝け出している。

 

 筋肉の鎧を包み込んでいるのは黒の白の浴衣。

 腰に帯びた赤塚巻きの大太刀は世にも稀な最上大業物。

 

 大和──世界最強の殺し屋であり、世界最強の武術家である。

 彼はスマホを耳に当てながら、依頼主と会話を交えていた。

 その依頼主とは──

 

「アポ無しの依頼は追加料金をいただくぜ、努ちゃん」

『大丈夫だよ。いやぁ、すまないねぇ。緊急の案件だったんだ』

「別にいいさ。努ちゃんは常連だしよ」

 

 大黒谷努(だいこくだに・つとむ)──日本の首相、内閣総理大臣その人だ。

 彼は陽気な声音で告げる。

 とても残酷な内容を──

 

『勘違いしている子達を始末してくれ。此処(日本)は私の大切な庭なんだ。荒らす輩は絶対に許さない』

「OK、サクっと殺してやるよ」

 

 大和は不気味に笑いながら、子供達がいる倉庫へと入っていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 双子の眼前には褐色肌の美丈夫が佇んでいた。

 真紅のマントを靡かせ、彼は双子に嘲笑を向ける。

 

「馬鹿な餓鬼ども……まぁ、俺的には仕事が楽でいいんだけどよ」

 

 双子の内、姉が眉根を顰めながら彼に問うた。

 

「だぁれ、貴方?」

「知らねぇのか、尚更救えねぇなァ」

 

 嘲笑を深める美丈夫。

 それに対し、姉は殊更機嫌を損ねた。

 弟に愚痴を漏らす。

 

「ねぇ、貴方は知ってる? 私、あんなゴリラ知らないんだけど」

 

 姉の問いに、弟は答えなかった。

 答えられなかったのだ。

 

「?」

 

 怪訝に思った姉は振り返る。

 

「ア……ッ、そ、そんな……ッ」

 

 弟はその顔を絶望色に染め上げていた。

 彼は知っていたのだ、美丈夫の正体を。

 

 勘の鈍い姉は腰に手を当て、首を傾げる。

 

「もうっ、どうしたの? 何か言いなさいよ」

「オイ」

「!!?」

 

 咄嗟に姉は振り返る。

 すると、背後に美丈夫が佇んでいた。

 先程まで距離が空いていたが──今の間に詰め寄られたのだ。

 

 口元を引き攣らせながらも、姉は携えていた機関銃を構える。

 

「何処の誰だか知らないけど、不快だから消えてくれない?」

「コッチの台詞だボケ」

 

 閃光一閃。

 機関銃ごと少女の首筋に剣線が奔る。

 何時の間にか振り抜かれていた大太刀には、新鮮な血が滴っていた。

 

「……へ?」

 

 少女の首が「コトリ」と地面に落ちた。

 その首筋から間もなく間欠泉の様に血が迸る。

 

 姉の血を浴びても、弟の視線は美丈夫に集中していた。

 彼は震えた声音で言う。

 

「最強の殺し屋……大和っ。何で、貴方が……」

「今から死ぬ奴に教える意味があんのか?」

 

 血糊を払い、灰色の三白眼を細める大和。

 その瞳に燻る埒外の殺意、狂気に、少年は硬直した。

 

 まるで蛇に睨まれた蛙だった。

 動いた瞬間に殺される事を少年は理解していた。

 

 半分以上をサイボーグ化し、劇薬の過剰摂取で強化した肉体でも……敵わない。

 足元にも及ばない。

 自分と同じ強化をした姉が瞬殺されたのを見れば、嫌でもわかる事だった。

 

 少年は抗うという選択肢を捨てた。

 姉が殺された事など隅に起き、大和に媚び始める。

 

「お願いですッ、殺さないでください……ッ、僕、何も知らなかったんです」

「……」

「お金なら持ってるだけ払います。それ以上でも必ず返済します。なんなら僕の身体を弄んでもいい、だから、命だけは、どうか……ッ」

 

 演技では無い。

 少年は本気で命乞いしていた。

 

 大和はフゥと小さく溜息を吐いた。

 そして、少年に哀れみの眼差しを向けながら聞く。

 

「なぁ、一つ聞いてもいいか?」

「何でしょう!?」

「お前は……俺と同じ立場だった時、女子供だからって標的を見逃すのか?」

「…………」

 

 少年は察してしまった。

 共感してしまったのだ。

 もしも彼と同じ立場だったら、自分は……

 

「そういう事だ」

 

 得物が振り抜かれる。

 少年の首が宙を舞った。

 

「ったく、だから餓鬼相手は嫌なんだよ」

 

 大和は愚痴りながら血糊を払い、得物を納刀する。

 そのまま拘束されている少女の前まで赴き、膝を折った。

 

「大丈夫か? 今開放してやる」

 

 優しく微笑んで、縄を解いてやる。

 少女は最初は怯えていたが、安心したのだろう。

 涙目で大和に抱きついた。

 

「怖かったろう、もう大丈夫だ」

 

 背中を撫でられる。

 その甘く低い声は、官能的な響きを以て彼女の本能を刺激した。

 逞しい肉体は、触れているだけで力強さを感じさせる。

 そして、滲み出る色気は女を惑わす魔性のソレだった。

 

 少女──シャリファは、陶然とした様子で大和を見上げる。

 大和は彼女の艶やかな黒髪を撫で、その柔らかい頬にキスをした。

 シャリファは思わず喘ぎ声を上げる。

 

「少し帰りが遅くなるかもしれねぇが……構わねぇよな?」

「……ッ♡」

 

 シャリファは紫苑色の瞳を蕩けさせ、頷いた。

 この後、二人は一夜だけの関係を楽しんだ。

 未だ二十歳にも満たない少女は、この夜、女の悦びを知ったのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

『大和君』

「どうした努ちゃん。任務はもう終わったぜ。さっきメール入れたろう?」

『それはいいんだ。私が知りたいのは、肝心の石油王の娘さんの所在なんだけど……』

「あー、その子な」

 

 大和はホテルのベッドで寝そべっていた。

 裸体で、腹から下をタオルケットで隠している。

 隣には、恍惚とした表情で抱きつくシャリファがいた。

 

 大和は無邪気に笑う。

 

「食っちまった」

『君って奴は……!』

「助けたんだから文句ねぇだろ? それに、お互い合意の上だ」

『そういう問題じゃないんだ。……ああもう、その子の父親とは友達なんだ。なんて言えば……』

「適当に催眠魔術で誤魔化せばいいんじゃね?」

 

 大和の全くタメにならない意見を聞いて、努は電話越しに額を押えた。

 

『……わかったよ。こっちでなんとかする』

「さっすが努ちゃ~ん、話がわかる~。また困った事があれば言えよ、特別価格で対応すっから」

『お嬢様への迎えは後日送るから、最寄りの駅で待機しててくれ』

「了解♪」

 

 スマホを置くと、大和は上機嫌で煙草を吸う。

 ラッキーストライクの濃厚な紫煙が天井を満たした。

 

 アラブ系美少女──シャリファは、大和の腕にその股を擦りつける。

 発情した様子で大和を見上げていた。

 まだ、足りないらしい。

 

 大和は吸いかけの煙草を灰皿に投げ入れると、彼女の瑞々しい肢体を貪り始める。

 若き娘の艶やかな悲鳴は、夜が明けるまで続いた。

 

 これが、大和という男の日常。

 暴力的で、卑猥で、堕落的。

 

 彼は正義の味方でも英雄でもない。

 ただの殺し屋だ。

 

 また始まろうとしていた。

 彼が織り成す、最悪の物語が。

 



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第三章「色男伝」
一話「色男講座」


 

 厚い曇天が横たわる超犯罪都市の午後。

 喧騒、銃声、悲鳴が織り成す合奏曲(オーケストラ)は日夜を通して続くが、今はそれらが遠く感じた。

 

 一時の静寂を得られる魔の公園、青宮霊園。

 油断すると襲われもするが、それでも安全地帯に認定されている場所だ。

 

 この敷地内にある噴水場の近くで、細身のオークが佇んでいた。

 黒いバンダナに実用性重視の戦闘服(ツナギ)を着た、若い青年である。

 本来この種族は汚らしい筈だが、彼はきっちり身嗜みを整えていた。

 

 オークの青年──ラースは、先輩が自販機から戻ってくるのを律儀に待っていた。

 戻って来た先輩は、純白のスーツにサングラスが似合う厳つい大男。

 右之助である。

 

 彼はラースに缶コーヒーを渡すと、噴水場に座るよう促した。

 律儀に従ったラースの横に座り、まず礼を言う。

 

「サンキューな、緊急の仕事を手伝って貰って。マジで助かった」

「いえ、右之助さんには色々助けて貰っています。これ位、大した事ないですよ」

 

 ラースの声音は優しい響きを伴っていた。

 とてもオークとは思えない。

 右之助は笑いながら言った。

 

「貸し一つだな」

「そんな! 別にいいですよ!」

「馬鹿野郎、お前はB級の傭兵。本来なら相応の金額を払って雇うレベルの存在だ。知り合いだとしても、きっちり恩義は返さねぇと」

 

 右之助に限らず、魔界都市で長らく住んでいる者は貸し借りを重んじる傾向にある。

 金で返しきれない恩義を「貸し」にするのだ。

 

 ラースは腕を組みながら悩み、そして右之助に言った。

 

「ならその貸し、早速使わせて貰っていいですか?」

「いいぜ、何だ?」

 

 ラースは恥ずかしそうにはにかむ。

 

「俺に、色男のノウハウを伝授して欲しいんです!」

「……ハァ?」

 

 素っ頓狂な声を上げる右之助に、ラースは興奮気味に言った。

 

「だって右之助さん滅茶苦茶モテるじゃないですか! 男の俺から見てもカッコイイですし! 是非、その秘訣を教えて欲しいんです!」

「そんなんでいいのか?」

「はい!! お願いします!!」

 

 深々と頭を下げるラース。

 右之助は困惑した表情で頬をかくも、頷き、ラースに言った。

 

「いいぜ」

「本当ですか!」

「そういう事なら今夜から始めよう。おでん屋源ちゃんって知ってるか?」

「知ってます!」

「21時にそこで待ち合せだ。楽しみにしてな」

「はい!」

 

 何故かむふふーと笑う右之助。

 そうして、二人は一度解散した。

 

 

 ◆◆

 

 

 おでん屋源ちゃんは中央区の路地裏でひっそりと営業している。

 路地裏は危険な地域だが、店主の源次郎の腕っぷしが生半可では無いので普通に営業できている。

 

 源次郎が作るおでんは秘伝のダシが決め手であり、酒によく合うと評判だ。

 少し甘めなので、子供幽霊達からも大人気。

 

 合金製の煙突からモクモクと白煙が上っている。

 屋台自体は木製で、客人を安心させる造りをしていた。

 かけられた暖簾には「おでん屋・源ちゃん」と達筆で書かれている。

 

 周囲に漂っているのは品種改良された益虫。

 まるで巨大な蛍の様であり、周囲の空気をせっせと洗浄していた。

 

 暖簾越しに座っている右之助とラース。

 彼等はおでんをつまみ、熱燗を堪能していた。

 

「もうそろそろ来る筈だぜ」

「え? 誰がですか?」

 

 首を傾げるラースに、右之助は肩を竦める。

 

「スペシャルゲストだ。デスシティで「色男」と言えば、アイツしかいねぇ」

「そうですねぇ」

 

 ニヤニヤと笑う右之助と源次郎。

 ラースは暫く考えていたが、ふと思い当たり、唇を戦慄かせた。

 

「その人って、まさか……!!」

「そぅら、来たぞ」

 

 右之助が振り返る。

 暖簾が上がり、例の男が顔を見せた。

 

 世にも稀な褐色肌の美丈夫。

 灰色の三白眼、ギザ歯、二メートルを超える体躯。

 真紅のマントを靡かせ、彼は笑った。

 

「おう、集まってるじゃねぇか。で、コイツが……」

「ああ、コイツに是非、色男のノウハウを伝授してやってくれ」

 

 予期せぬゲストの登場に、ラースは驚愕の悲鳴を上げた。

 

 

「えぇえ!!? や、大和さん!!?」

 

 

 ラースはまさか、あの大和が来るとは思っていなかったのだ。

 



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二話「色男の心得」

 

 五桁以上の愛人を持つ世界レベルの色男、大和。

 あらゆる種族を魅了する魔性の色香は、歩いているだけで多くの女が寄って来るほどだ。

 彼は、ラースにとって羨望の対象だった。

 

「大ファンなんです! 会えて光栄です!」

 

 立ち上がり、強く握手するラース。

 大和は朗らかに笑った。

 

「ハッハッハ、敬われるってのは悪い気がしねぇな! 右之助君、君もこれくらいの対応をしてくれてもいいんだぜ?」

「ほざけよ、気持ち悪ぃ」

「アア? ぶっ殺すぞコラ~、右之助ぇ~」

 

 肩を組み、笑いながらその胸をど突く大和。

 じゃれているのだ。

 彼の性分からすれば、貴重な光景だった。

 

 源次郎はそれを見て微笑みながら、大和に注文を聞く。

 

「旦那、まずは何にしましょう?」

「ああ、そうさな。おすすめの盛り合わせと熱燗で」

「わかりやした」

 

 頷き、源次郎はてきぱきと準備を始める。

 大和はカウンターに座り、ラースに微笑みかけた。

 

「そんじゃ、始めようか。色男講座をよぅ」

「……! はい! よろしくお願いします!」

 

 ラースは深く頭を下げると、懐からメモ用紙を取り出した。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和はまず、ラースを無理矢理引き寄せた。

 そして首筋、襟の匂いを嗅ぐ。

 次に髪を触り、脇腹に手を入れた。

 

「!!? !!?」

 

 驚くラース。

 大和は構わず頬を揉んだり、ズボンを引っ張ったりした。

 一通りラースをもみくちゃにした後、一人納得し頷く。

 

「合格だ」

「何がですか!?」

 

 ラースは顔を赤くしながら叫ぶ。

 大和はニヤニヤ笑いながらその肩を叩いた。

 

「おいおい、乙女みてぇな反応すんなよ。情けねェ」

「そりゃ、いきなり密着されれば驚きますし、恥ずかしいですよ!」

 

 ラースは己を抱きしめながら叫ぶ。

 大和は笑みを絶やさず言った。

 

「取り敢えず、第一段階のチェックをした。で、さっきも言ったが、合格だ」

「第一段階?」

 

 落ち着いたラースは首を傾げる。

 大和は頬杖を付きながら告げた。

 

「身嗜みは良好、身体も清潔。基本中の基本だ。性格や容姿以前の問題だな。汚ぇ野郎に女は寄り付かねぇ」

「!!」

 

 驚くラースを置いてけぼりに、大和は語り始める。

 

「身体もきっちり洗ってる。髭を含めた無駄毛の処理、肌のケアもしてるし、歯も磨いてる。髪もよく手入れされているし、香水は男用のサッパリしたやつで無難にこなしつつ、量は弁えてる」

「……ッ」

「身嗜みの基礎はバッチリだぜ」

 

 ウィンクする大和。

 ラースは驚愕を隠し切れないでいた。

 今の密着だけでそこまで分析されたのだ。

 しかし、大和はまだ続ける。

 

「しかし服装がな……戦士だから汚れてもいい様に安価で済ませてんだろうが、よくねぇぞ。多少苦い思いしてでも高ぇ服は買っといたほうがいい。せっかく身嗜みを整えてるのに、勿体ねぇぜ」

「っ」

「テメェは服装に拘る価値のある男だ。だからこそ、きっちり仕上げろ」

 

 大和は右之助に振り返りながら問う。

 

「お前はどうしてる? 俺はこの一張羅、スペックを三十着は持ってる。別に私服でもいいんだが、デスシティで活動しているとコレが落ち着くんだ。制服みてぇなもんだな」

「俺も同じだ。でも、お前ほど拘りはねぇな。白いスーツにサングラスって縛りだけだ。どっちも日の気分でブランドを替えてる。ああ、でもブーツとか結構拘ってるかもなぁ」

 

 何時も変わらない服装をしている大和と右之助。

 彼等が何故、その清潔さを保っていられるのか──

 

 ラースは必死にメモを書き殴っていた。

 大和はラースに向き直る。

 

「肉体に関しては戦士だから言うことなし。よく引き締まってる」

 

 大和はニヤニヤしながら言った。

 

「右之助に紹介された時はどんな野郎かと思ってたが……中々の逸材じゃねぇの。男にしておくのが勿体ねぇな」

「女だったら食うつもりだったのか、お前……」

「そりゃな。素直だし、何か放っておけねぇ。女だったら俺専用にしてるところだ」

「そ、そんな……!! う、嬉しいような、なんか複雑な気持ちです……!!」

 

 ラースは盛大に照れる。

 彼がメモを書き終ったところを見計らい、大和が告げた。

 

「じゃ、次行くか。第二段階だ」

「はい!」

 

 

 ◆◆

 

 

「第二段階は、ようは男磨きだ。己を「男」として洗練させていく。第一段階が基礎なら、第二段階は応用だな」

「はい!」

 

 大和は顎を擦る。

 

「動作、言動、立ち振る舞い、佇まい、全てにおいて磨く要素がある。この第二段階に上限はねぇ、だが鍛錬や学問と一緒だ。怠るなよ」

「はい!!」

「つぅわけで、ほいコレ」

 

 大和は懐から手帳を五冊ほど取り出す。

 どれも表紙が擦り切れていて、かなり使い込まれていた。

 

「俺が男磨きの際に使ってたメモ帳だ。参考になるかはわからねぇが、やるよ」

「い、いいんですか!!?」

「おう」

「あ、ありがとうございますッ!! 家宝にしますッ!!」

「大袈裟だっての」

 

 手帳を嬉しそうに抱きしめるラースに大和は苦笑する。

 彼はふと、思い付いた様にもう一度懐へ手を入れた。

 

「丁度良い、今実践してやる」

「?」

 

 大和が取り出したのはオイルライターだった。

 煙草も取り出し、慣れた手付きで火を点ける。

 

 たったそれだけの動作。

 しかしラースは、思わず見惚れてしまった。

 一つ一つの所作がキマっているのだ。

 端的に、カッコいい。

 

 大和はその秘密を明かした。

 

「利き手じゃないほう、俺の場合左手だが、そっちでする動作はセクシーに見えるんだよ。他にもオイルライターの出し方や煙草の咥え方も、工夫しようと思えば幾らでもできる。……鏡と睨めっこして、自分の型を見つけてみろ」

「……はい!! 頑張ります!!」

 

 ラースは笑顔で頷く。

 大和はにやにや笑うと、ラースを抱き寄せ溜息を吐いた。

 

「あ~あ、マジで惜しいなぁ。女だったら即ベッドだったんだけどなァ」

「ややや大和さん!!?」

 

 顔を真っ赤にするラース。

 右之助はやれやれと肩を竦め、源次郎は呵々大笑した。

 

「おいおい、酔ってんじゃねぇよ」

「カッカッカ! 確かに女だったら最高にイイ娘さんでしょうねぇ!」

「だよなぁ、惜しいなぁ、でも可愛いから許す」

 

 大和はラースの頭を撫で撫でする。

 ラースは驚きと、それ以上の嬉しさで満たされていた。

 まさかあの大和に、ここまで可愛がって貰えるとは思っていなかったのだ。

 

 ラースが見てきた大和という男は孤高で、残忍で、しかし誰よりも強く美しい、無敵の益荒男だった。

 

 そんな彼から優しく微笑みかけられている。

 ラースは幸せな気持ちになった。

 

「よし……もう最終までいっちまうか」

「そうだな」

 

 大和と右之助は立ち上がり、源次郎に勘定を払う。

 ラースは訳がわからず、彼等に聞いた。

 

「その、これからどうするんですか?」

「最終段階……基礎、応用とくりゃぁ、次は実戦だろ」

「おうさ。東区に行くぞ、ラース」

 

 両名に肩を組まれ、屋台から出ていくラース。

 源次郎の粋の良い声が背中を打った。

 

 ラースは瞠目した。

 東区──通称「世界最大の傾城街」。

 古今東西、ありとあらゆる美女美少女が集う──夜の都だ。

 

「ええええ!!? 今から行くんですかァ!?」

「そうだ」

「逃がさねぇぞ」

 

 慌てるラースを、二人は笑顔で無理矢理引っ張って行った。

 



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三話「東区」

 

 

 東区は傾城街──娼館の都である。

 デスシティには多種多様な種族が滞在する。

 その中でも格別の美女、美少女達が集い、男達の悩める欲を満たしてくれるのが此処、東区なのだ。

 正統派から超高級、少しアブノーマルな筋まで。

 あらゆる商法、技法を以て、男達を満足させる。

 

 疼き、欲し、抱き、満たされる。

 深い事は考えない。

 此処はそういう場所だった。

 

 色の満ちる道端。

 美し過ぎる女達が淑やかに、時に淫らに客人達を誘っている。

 表世界に居ない女と楽しめるという事で、東区は北区と同じくらい人気のある場所だった。

 

 和洋中、様々な娼館が立ち並ぶ中、雑踏を裂いて歩く三名。

 大和、右之助、ラースである。

 ラースは縮こまっているが、大和と右之助は堂々としていた。

 

 区画に満ちる濃密な香り。

 女の淫臭と香水の匂いが混じり合い、濃厚なミルクにでも溺れている様な錯覚を覚える。

 道行く女達は凍えるほど美しく、この世の存在とはとても思えない。

 彼女達も大和ほどではないが、魔性の色香を纏っていた。

 

 女達は大和と右之助、極上の男達を発見するなり、雌の貌を露わにする。

 視線で誘い、股を擦り、しなだれかかり甘い吐息をかけ始めた。

 

 瞬く間に囲まれたる三名。

 慌てるラースだが、右之助と大和は平然としていた。

 むしろ余裕を以て女達をあしらう。

 

「悪ぃな、また今度相手してやる」

「今度イイ声で鳴かせてやるから、準備してな」

 

 男気という名の色気に当てられ、女達は陶酔した表情で道を開ける。

 ラースは口をポカンと開けていた。

 

「やっぱり凄いです……」

 

 ラースの言葉に、右之助は苦笑する。

 

「俺だけじゃこんな寄ってこねぇよ」

「嘘付け。テメェもかなり遊んでるだろうが」

 

 大和は悪態を吐きながら真紅のマントを靡かせる。

 そして、奥に佇む巨大な館を指した。

 和式の荘厳な館である。

 まるで城だ。

 

「あそこに行くぞ」

「へぇ、暗黒桃源郷か。東区でも一番の娼館だ」

 

 右之助が顎を擦っていると、ラースは慌てて首を横に振るう。

 

「すいません! 俺、あそこに入れるだけの金を持ってません!」

「何言ってんだ、俺の奢りだ。でも右之助は自腹な」

 

 大和の言葉に、右之助はサングラス越しに目を見開く。

 次にはわざとらしく両手を擦った。

 

「え~? 今俺も金が無いんですよ~、大和さんお願いしますよ~」

「ほざけ」

「チッ、ケチくせぇ。いいさ、金はある」

 

 唇を尖らせる右之助。

 それを無視して突き進む大和。

 ラースはどんどん話が飛躍しているので、既に混乱状態だった。

 しかし付いて行くしかないので、二人の後に続く。

 

 暗黒桃源郷の前で、何やら騒ぎが起こっているようだった。

 大和と右之助は眉を顰める。

 

「何だァ? 東区で揉め事を起こすなんざ、イイ度胸してるじゃねぇか」

「ちょっと待ってろラース。俺等でシメてくるから」

 

 拳をボキボキ鳴らしなら進んでいく二人。

 ラースは顔を真っ青にした。

 

 これほど頼りになり、しかし恐ろしい二人はいない。

 騒動の主には同情するしかなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 暗黒桃源郷の店前で。

 名も知れない暴力団の団員逹が喚いていた。

 

「なぁ姉ちゃん、いいだろう? 客引きなんかサボって俺達と楽しもうぜ~?」

「いやっ、やめてください!」

「つれないねぇ、いいのかぃ? 俺達が本気になっちまえば、こんな館、すぐに瓦礫になっちまうぜぇ」

 

 分の弁えない三下達。

 周囲の者達は彼等に白い視線を向けていた。

 まるで道端の糞虫を見るかの如き目付きだ。

 他の店員達は既に店内で待機している用心棒を呼びに行っている。

 

 しかし三下達、中々の装備をしていた。

 人間でありながら肉体の大半をサイボーグ改造しており、劇薬を数種類服用して更に強化している。

 最新鋭のガトリングガンと魔改造を施したグレネードランチャーを背負っている辺り、下手に暴れられると困る手合いだった。

 

 そんな彼等の背後に現れる、二名の巨漢。

 デスシティで彼等の名を知らない者はいない。

 周囲の野次馬達は顔を真っ青にし、客引きであるケットシーの少女は嬉しそうに瞳を潤ませた。

 

「今から俺等がこの店を楽しむんだよ、失せろ三下」

「邪魔だぜ。肉達磨にされたくなかったら、とっとと消えな」

 

「アア゛?」

「何でぃ」

 

 三下達は振り返りながら、背負った得物を抜き放つ。

 

「いい度胸だ。周囲の舐めた奴等ごと挽肉にしてやるよ!!」

 

 振り返った三下の目に入ったのは、屈強過ぎる益荒男達だった。

 二人共、眉間にこれでもかと青筋を立てている。

 

 気迫が違った。

 褐色肌の美丈夫がニヤリと嗤う。

 

「いいぜ、やってみろや。できるもんなら自家製のミートパテを馳走してやる。テメェの肉でな」

 

 褐色肌の美丈夫と純白スーツの大男。

 三下の彼等でもよーく知っている。

 

 世界最強の殺し屋、大和。

 凄腕の用心棒、右之助。

 

 デスシティを代表する益荒男二名を前にして、三下達は飛び上がった。

 そして逃亡する。

 

「「ヒィィ!! すいませんでした~~ッッ!!!!」」

 

 情けない声を上げて逃げていく三下達。

 その背中を、大和と右之助は鼻を鳴らしながら見送った。

 

 大和は客引きのケットシーに微笑みかける。

 

「大丈夫か? すまねぇな、手荒な真似しちまって」

「いえ! 本当に、本当に助かりました! ありがとうございます!」

 

 猫耳をピコピコさせ喜ぶケットシーの美少女。

 すると、他の店員達が用心棒を連れてやって来た。

 騒動が終着したと思えばもう一騒動──上客の来訪に、店員達は盛り上がった。

 

 

 ◆◆

 

 

「いいのか? 無料なんて。流石にソレはサービスし過ぎだろう?」

「いいんですよ! 貴方達は上客ですし、いっぱいサービスしなきゃオーナーに怒られてしまいます!」

 

 ケットシーの少女がぴょんぴょん跳ねる。

 代理のオーナーである知的な狐美女も頷いた。

 

「今夜は気兼ねなく楽しんでいってください。……それに、貴方達の来訪は店の繁栄にも繋がります」

「成程……そういう事なら、遠慮なく楽しませてもらうぜ。なぁ右之助」

「おうさ、これはラッキーだぜ♪」

 

 二人共、嬉しそうにしていた。

 彼等は後ろで隠れるように待機していたラースを前に出す。

 

「今日はコイツも一緒だ、初心な奴でよ。一人前の男にしてやってくれ」

「俺と大和のお墨付きだ。唾付けるなら今のうちだぜ」

「ちょ!? お二人とも!?」

 

 娼婦達の前に出されたラース。

 緊張でかちんこちんに固まっている。

 娼婦達は瞳を丸めた後、揃って黄色い悲鳴を上げた。

 

「いや~ん! 可愛い~!」

「オーク!? すっごくイケメンじゃん!」

「全然イケるよ! ねぇねぇ、私と一緒に楽しまな~い?」

 

 絶世の美女美少女達に囲まれ、わたわたと慌てるラース。

 すると、奥から女性が数名走ってきた。

 

「あ~!! やっぱりラースさん!!」

「やだ! ラースくんじゃない! なになに~!? 遂に女に興味持っちゃった~!? なら私選んでよ~! 絶対気持ち良くするから~!」

「馬鹿! ラースちゃんは私の客よ! ねぇラースちゃん、私前から貴方のこと気になってたの、どう……?」

 

「え!? えええええ!!?」

 

 ラースは瞠目する。

 エルフにダークエルフ、サキュバス、他にも獣人族やら妖精族、悪魔族にアンドロイドまで。

 どの娼婦も暗黒桃源郷で上位の成績を誇る人気娼婦である。

 ラースは彼女達と初対面だった。

 

「私がラースちゃんと楽しむ~ッ♪」

「駄目よ、私がラースくんと楽しむの」

「前から言ってたでしょう? この子は私が狙ってるって」

「アンタ達にこんなイイ男、渡さないからな!」

 

 ラースは引っ張りだこにあっていた。

 大和と右之助は大爆笑する。

 

「ハッハッハ! ラースてめぇこの野郎! モテモテじゃねぇか!」

「前から目ぇ付けられてたなコリャ! 隅におけねぇ奴め!」

 

「ええええ!!? 嘘ぉ!!?」

 

 驚愕しているのも束の間、ラースは店内へ連れ込まれてしまう。

 大和と右之助はヒィヒィ笑いながらも、店内へ入って行った。

 

 ラースの悲鳴は、翌日まで途絶えなかったという。

 



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四話「大和の過去」

 

 

 翌日。

 中央区、大衆酒場ゲートにて。

 相変わらず多くの種族でごった返し、大繁盛しているこの店は、居るだけでも心地よさを覚える。

 カウンター席にて。右之助はラースから結果を聞いていた。

 

「で、どうだった?」

 

 右之助はニヤニヤ笑いながら聞く。

 ラースは照れ臭そうに告げた。

 

「色々教えて貰えました、サービス券も貰えましたし、個人的な連絡先も何件か……」

「ハッハッハ! スゲェじゃねぇか! あの店の女達に気に入られるなんざ相当だぜ! 胸を張りな!」

「……はいッ、自信が付きました! 今回は本当にありがとうございます!」

 

 そう言うラースは、昨日よりも男前になっていた。

 現に纏う雰囲気が濃くなっている。

 酒場にいる女達は彼を見てヒソヒソ話をしていた。

 

 男は一日あれば変われる。

 ラースはその身を以て体現していた。

 

 彼は周囲を見渡しながら右之助に聞く。

 

「あの、大和さんは……」

「アイツは遅れてくる」

「そうですか……本当に、あの人にも何てお礼を言ったらいいか……」

 

 そう言うラースの肩を、右之助は大袈裟に叩いた。

 

「お前、スゲェぜ。アイツに初見で気に入られるなんて」

「でも……何で俺なんかを気に入ってくれたのか、未だにわからなくて……」

「ま、そこらへんは俺も謎だな。アイツは気難しい奴だ。単純な様でいて絡みにくい。今回もアドバイスを貰えればいい程度に考えていたんだが……」

「運が良かったんですかね?」

 

 ラースの謙虚な姿勢に、右之助は苦笑した。

 

「運も実力の内さ。これからもその関係、崩さないようにしていけよ」

「……はい!」

 

 ラースは大きく頷くと、右之助にある事を問うた。

 

「あの、右之助さん。大和さんが居ない間に、一つ聞きたい事があって……」

「何だ?」

「その……」

 

 ラースは頬を掻きながら言う。

 

「大和さんの過去とかって、知ってますか?」

「どうして、またそんな事を?」

「えっと、大和さんって「元々が違うな」って思うんです。この都市の住民でいて、何か違う。その……気品の様なものを感じて」

 

 ラースの言葉に、右之助は顎を擦った。

 

「んー? そうか? 埒外の強さと色気がお前の感覚を鈍らせてるんじゃねぇか? まぁ確かに、大和の過去は俺も知らねぇ。知ってる奴もかなり少ないだろう」

 

 二人の会話に、第三者が入ってきた。

 金髪の偉丈夫、ネメアである。

 彼は新聞紙を畳みながら二人に言った。

 

「大和の過去、気になるのか?」

「おお! そういえばお前は大和と旧知の間柄だったな、ネメア!」

 

 右之助は合点する。

 ネメアは世界最強の傭兵。実力もそうだが、長年大和とコンビを組んでいた事がある。

 それこそ、大和という男を良く知る人物だ。

 彼は笑う。

 

「知りたいなら教えてやる。どうだ? アイツの口からは聞けないぞ」

 

 右之助は即答する。

 

「知りたい」

「そこのオーク君がどうしても知りたそうにしてるからな。特別だ」

「あ、ありがとうございます! ネメアさん!」

 

 ラースはネメアに深く頭を下げる。

 ネメアは「いや」と肩を竦めると、端的に告げた。

 

「アイツは王族だ」

「……」

「……」

 

 右之助とラースは固まる。

 辛うじて、右之助が聞いた。

 

「今、何て言った?」

 

 ネメアは腕を組んで、再度言う。

 

「もう一度言うぞ。アイツは王族だ。詳しく言えば、今から数億年前……まだ世界が一つだった頃、東側で最も栄えた王朝『出雲』の第一王子にして、第七代皇帝になる筈だった男。東洋で最も尊い血をその身に流す、正真正銘の王族だ」

 

 

「「「「えええええええええええええ!!!!?」」」」

 

 

 右之助やラースだけではない。

 聞き耳を立てていた客人達が驚愕でひっくり返った。

 それはそうだ。

 世界最強の殺し屋、腕っぷしだけで邪神を叩きのめせる男が、よりにもよって王族だったなんて──

 

 右之助はズレたサングラスを整える余裕も無かった。

 

「それ、マジでか、ネメア」

「ああ。だがアイツは家出した。理由は──」

 

「それ以上はやめろや、ネメア」

 

 低く、しかし透き通った声。

 褐色肌の美丈夫、大和が店内に入って来ていた。

 

「人の過去をべらべら喋るのは感心しねぇぜ」

「いいじゃないか、お前の過去を知らないって奴は結構多い」

「知らなくていいんだよ、俺の過去なんざ」

「そうか、ならこの話はこれでおしまいだ。悪いな」

 

 ネメアはラースに謝り、新聞紙に視線を戻す。

 大和は不機嫌そうにラースの隣に座った。

 右之助は、未だ信じられないものを見る目で大和を見ている。

 

「お前が、王族?」

「もう滅びた王朝だ。今はただの大和だ、文句あっか?」

「……」

「何だよ」

 

「いや、全然似合わねぇなって」

 

「おうおうそうかそうか、死ね」

 

 大和の繰り出したチョップが右之助の頭蓋に炸裂する。

 右之助は頭に特大のたんこぶを作って地に伏した。

 

「……ッ」

 

 ラースは知りたかった。

 何故彼が家出したのか。

 何故彼は、殺し屋になったのか──

 

 知りたい。

 知りたいが、これ以上は駄目だと悟る。

 

 ラースは目を閉じ、生ビールを頼もうとした。

 すると、店内に新たな客人が現れる。

 

 暗黒桃源郷のオーナーにして、その美貌デスシティ随一と謳われる傾世の超絶美少女。

 東区最高の花魁(おいらん)

 

 白面絢爛九尾狐、万葉(かずは)

 

 九本の狐尾が揺れる。

 真紅の瞳で見つめられた客人達は、総じて忘我の彼方を彷徨った。

 

 波乱は小さく、しかし密は最高潮に達しようとしていた。

 



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五話「男の生き様よ」

 

 

 その稲穂の如き金髪は腰までゆったりと流れていた。

 真紅の双眸は夜空に煌く恒星の如く、淑やかな光を灯している。

 豪華絢爛な着物を着ているのに、嫌味をまるで感じさせない。

 むしろ、服が彼女の美貌を妨げていた。

 

 整い過ぎた顔立ちは、最早言葉にできるラインを超えている。

 あのアラクネさえ超える神域の美貌は、人類には到達しえない境地に達していた。

 

 着物を着るに足る慎ましい肢体と身長は、しかし彼女を更に魅力的に魅せる。

 

 優美さと可憐さの同居。

 羨望で一帯を支配してみせる。

 酒場にいる者達は皆一様に「美の極致」に惚れ込んでいた。

 

 先端の白い九本の狐尾が揺れる。

 彼女は大和を見つけると、頭に生やした狐耳を「みこん!」と立てた。

 

「大和様~!」

 

 大和の背中に勢いよく抱きつく美少女。

 極限の美が薄れ、代わりに無垢な幼さが露わになった。

 彼女の「少女」足りえる部分が見えたのである。

 

 万葉(かずは)は大和の首に抱きつきながら、その頬に頬ずりした。

 

「会いたかったぞ~っ、何故妾が戻る前に帰ってしまったのじゃ! 大和様が来たというから急いで戻って来たというのに……!」

 

 今度は頬を膨らませ、九本の尾で大和の頭をぺちぺちと叩く。

 大和は苦笑し、その狐耳を撫でまわした。

 

「悪ぃな万葉。今回は連れがいてよぅ」

「それとこれとは関係無い筈じゃ!」

「わーったわーった。今夜遊びに行ってやるよ」

「本当かえ!?」

「ああ」

「フフフ♪ 約束じゃぞ、大和様♪」

 

 指切りをした後、上機嫌に大和の隣に座る美少女──万葉。

 一連の子供らしい振る舞いがその美を霧散させ、周囲にまた喧騒が生まれる。

 彼女はニパっと笑いながらネメアに注文した。

 

「ネメア殿! きつねうどんを頼む! 一番良い油揚げを所望するぞ!」

「はいはい」

「フフフ~♪ 何時も出前で頼んでおったが、やはり出来立てが一番美味いからのぅ~。……ん!」

 

 万葉は大和の隣に座るラースに気付き、席をおりる。

 そして彼の前までやって来た。

 

「これはこれは、ラース殿、であってるかのぅ?」

「は、はいッ」

「先日はうちの娘達が世話になったようで……誠、感謝致す」

 

 優美にお辞儀する万葉。

 ラースは勢いよく首を横に振った。

 

「いえいえ! 俺のほうがその、お世話になって! ありがとうございます!」

「くふふ~♪ かわいいのぅ。大和様が世話を焼いている理由がわかるわい」

 

 口元に手を当て笑む仕草は、まこと淑やか。

 彼女が東区で一番人気の花魁である事を、ラースは改めて理解した。

 

 そんな彼女にネメアが告げる。

 

「ほら、出来たぞ」

「おお~!! 流石ネメア殿! 仕事が早い! それでは早速!」

 

 ぴょんと席に座り直した万葉は、礼儀正しく「いただきます」と言った後、油揚げを頬張る。

 その横顔がまた愛らしくて、ラースは思わず微笑んでしまった。

 

 ふと、大和が振り返る。

 後ろから声をかけられたのだ。

 

 離れたテーブル席で、黒い制服を着た美女が手招きしていた。

 闇バス、闇タクシーの運転手、死織である。

 他にも数名、黒い制服を着た同僚が居た。

 彼女達は一様にニヤけている。

 

 先程の王族云々の話を聞いていたのだろう。

 大和は一度断るも、死織が頬を膨らませた事で折れ、そちらに向かう。

 

 ラースは隣から強烈な殺気を感じ取った。

 万葉である。

 彼女は死織達に呪詛の篭った眼光を向けていた。

 

「あの小娘共ォ……妾が食事中だからまだいいものをォォォ……ここがゲートで無ければ呪い殺しているところじゃ」

「落ち着け、万葉」

 

 ネメアが諫めると、万葉はニパッと明るく笑った。

 

「大丈夫じゃよネメア殿。其方の店のルールは守る故」

「いや。悪いな、つい癖で……お前に関しては信用してる。その仮の姿で来てくれる時点で、十分に配慮して貰っている」

「当たり前じゃ! 妾が本来の姿で来たら、この極上のきつねうどんを食す暇もないからのぅ!」

 

 彼女の伝説はラースもよく知っている。

『白面絢爛九尾狐』『妖仙』『傾世の魔女』『魑魅魍魎の主』

 嘗て数多くの王朝、大国を滅亡させた稀代の大化生。

 伝承で有名な九尾の狐、その人だ。

 妖術と仙術の腕は極まっており、デスシティでも有数の強者として知られている。

 しかし何よりも、その美貌。

 

 彼女は外を出歩く際に仮の姿となる。

 それはデスシティでも有名な事だった。

 本来の彼女は、それこそ妖艶さと神々しさを持ち合わせた世界最高の美女となる。

 

 傾城ではなく傾世と謳われる絶域の美貌は、心の弱い者なら見ただけで心臓発作を起こしてしまうと言う。

 他にも彼女の影を撮っただけの写真が一枚数億円で取引される、芸術家が見惚れ続けてしまい彼女の絵画を描けない、など──その美貌にまつわる逸話は事欠かない。

 

 数多の美女、美少女が集うデスシティで最高の花魁を務める彼女は、その美貌だけで文字通り、世界を傾けてしまうのだ。

 

 ラースはふと閃く。

 彼女なら知っているかもしれない。

 大和の真実を。

 何故家出したのか──その訳を。

 

 しかし、ラースは悩んだ。

 やはり本人から聞くのが筋ではないかと。

 真面目な彼だからこそ大いに悩んだ。

 

 悩んで、悩んで、数分後。

 きつねうどんを食べ終わりそうな彼女を見て、ラースは決意し聞いた。

 

「あの、万葉さん」

「む? 万葉でいいぞ。主は良き男子故」

「そんな……それでも、さん付けで呼ばせてください」

「好い、主の自由にせぃ。で、何じゃ?」

 

 ラースは小声で言う。

 

「大和さんは王族に生まれたのに、家出したと聞きました……その理由が、どうしても知りたくて」

「ふむ……何故その様なことを聞くのか。それは置いておこう……家出したのがそんなに不思議かえ?」

「はい」

「じゃろうな。当時最盛期を誇った大王朝「出雲」の皇帝になる筈じゃった男……もしなっていればその生涯、華々しいものだったじゃろう。その知と武力を以てして、天下泰平を実現できたじゃろう」

「……」

「しかし、あの方は否と答えた。……当時、妾も同じ様な質問をしてな。その答え、知りたいか?」

「……はい!」

 

 ラースは強く頷いた。

 彼は知りたかったのだ。

 大和という男の真実を。

 一端でもいいから、触れておきたかったのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 万葉はまず苦笑した。

 

「しかし、答えは単純でのぅ。あの方はしがらみを嫌う。そして、頑固なんじゃ」

「頑固?」

 

 ラースが首を傾げると、万葉は苦笑を柔らかくし、告げた。

 

「抱きたい女は自分の魅力で抱く。むかつく奴は自分の力でぶっ倒す。自分が使う金は自分で手に入れる。何をするにも、何を成すにも、自分の力でやり遂げる。……他者の力なんて借りたくない。ご都合主義なんかに頼りたくない」

「……!」

「以前、言っておったわ。「血や権力で手に入れたものに価値なんてねぇ。自分の力で成したものにこそ、価値がある」……と」

 

 万葉は遥か昔を思い返す。

 

「妾も昔はこっぱ妖怪でのぅ、子供の頃に大和様に出会って、その在り方を聞いて、強くなろう、美しくなろうって思ったんじゃ。どんなに邪悪でも、あの方は当時から豪放磊落じゃった」

「……」

「だから妾は、あの方に心底惚れ込んだんじゃ。……主も、なんとなくわかるじゃろう?」

「……はい、大和さんがどうして魅力的なのか、わかった気がします。モヤモヤも無くなりました」

 

 ラースは笑う。

 大和が何故、あんなにも眩しく見えるのか。

 何故、こんなにも憧れてしまうのか──

 やっとわかった。

 

 どんなに冷酷でも、彼は自分の力で自分の意思を貫いていた。

 男として、憧れない筈がなかった。

 

 ラースは、大和の生き様に惚れ込んだのだ

 万葉は微笑む。

 

「ラースとやら、主も頑張ってみせよ。努力の伸び幅は千差万別。なれど、積み重ねてきたものは決して裏切らぬ。主を心身共に強くする。だから頑張ってみせよ。イイ男になれば、晩酌くらい付き合ってやるぞ?」

「……はい、ありがとうございますッ」

「フフフ、素直で良い子じゃ♪」

 

 万葉はラースの頬を撫でると、大和の方へ向き直る。

 大和は闇バス・闇タクシーの運転手達に絶賛口説かれ中だった。

 万葉は激怒する。

 

「くぉら小娘ども~!! 妾の前で大和様を口説こうなど笑止千万! のけのけぃ! 頭が高いぞ~!」

 

 店内はどんちゃどんちゃの大騒ぎ。

 しかし暴力沙汰ではないので、店主であるネメアは呆れ交じりに眺めていた。

 

 ラースは何かを決意したように拳を握っていた。

 ネメアは言う。

 

「お前ならきっとイイ男になれる」

「はい……! ありがとうございます!」

 

 今夜は、ラースが男として自信を持てるよう努力していこうと誓った夜だった。

 一方右之助は、未だ気絶していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 翌日。

 右之助は行き付けの銭湯に来ていた。

 デスシティの銭湯には客に対する制限が無い。

 そんな事をしていては客が来ない。

 この都市には、曰く付きの者達しかいないのだ。

 

 昭和の古き良き造りをした内部に、裸一貫で入っていく右之助。

 その体躯に刻まれた歴戦の傷を見て、湯船に浸かっていたヤクザ達は生唾を呑み込んだ。

 

 彼は湯で汗を落とすと、サウナ室へ入っていく。

 丁度、この時間に「あの男」がいる筈なのだ。

 

「おお、いたいた」

「ア?」

 

 褐色肌の美丈夫がタオルを頭にかけ、汗を流していた。

 大和である。

 

 彼以外には誰もいない。

 怖いのだ。

 現に右之助も若干引いていた。

 しかし無理やり笑顔を作り、横に腰かける。

 

 大和は彼に喋りかけた。

 

「どうした、何か用か」

「いや、一つ聞きてぇ事があってよ」

 

 右之助は率直に聞いてみる。

 

「昨日、ラースの奴に対してやけに気さくだったじゃねぇか。珍しいと思ってよ。気難しいお前があんな優しくなるなんて」

「そうか? アイツは正直者で努力家だ。アレが「モテたい!」って言ってるだけの餓鬼だったら、ぶっ殺してたかもしれねぇ。それに、俺に好意を抱いてんだ。だから可愛がった。……そんだけだろう?」

「……」

 

 右之助は複雑な表情をサウナの湯煙で隠した。

 今の大和の言動に、何とも言えない不気味さを感じたのだ。

 

 大和は立ち上がり、タオルを取る。

 何時も結われている黒髪は背中に垂れ落ちていた。

 垂れた前髪を鬱陶しそうに掻き上げながら、彼は右之助に言う。

 

 それは、忠告だった。

 

「俺は、好きな奴と嫌いな奴をハッキリさせる。どうでもいい奴も含めてな。だからよォ右之助──賢いお前にだから言っておくぜ、俺にとって目障りな存在になってくれるなよ。でないと、殺しちまうかもしれねぇからな」

「……ッ」

 

 そうだ。

 忘れてはいけない。

 決して、忘れてはいけない。

 大和はこういう男なのだ。

 

 冷酷で、残忍で、利己主義者。

 自分にとって都合の良い存在しか許さない。

 

 しかし先日ラースに見せた温和な顔も、また大和なのだ。

 偏った二面性。

 

 好きなものは好き。

 嫌いなものは嫌い。

 どうでもいい奴はどうでもいい。

 

 はっきりしている。

 し過ぎている。

 

 右之助は汗を掻いていた。

 冷や汗だった。

 

 大和は不気味に笑いながら、サウナ室を出て行った。

 

 

《完》



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第四章「魔忍伝」
一話「魔忍」


 

 

 

 魔忍。

 忍術、体術以外にも魔術や呪術を習得した忍者。

 彼女達は全員くノ一だ。

 理由は魔忍の最たる所以である「とある能力」が、女性にしか受け継がれないからだ。

 

 魔忍の始祖、加藤段蔵(かとうだんぞう)

 戦国時代に暗躍したこのくノ一は、人間と天狗の混血(ハーフ)だった。

 

 彼女の血液を摂取する事で各々の特殊能力を開花させた超常の存在こそ、魔忍なのだ。

 

 飛段の血は女性にしか作用しない。

 故に、魔忍はくノ一しかいない。

 

 妖魔と戦えるだけの戦力を誇る彼女たちは、古来より時の人に重宝された。

 現代では総理大臣お抱えの組織、特務機関(とくむきかん)の「魔忍部隊」として編成されている。

 

 此度、この魔忍部隊に入隊できる存在を選別するために「とある試験」が実施されようとしていた。

 その内容とは──

 

 

 ◆◆

 

 

 国家防衛省、特務機関施設の一室で。

 

「魔界都市デスシティで一週間のサバイバル……」

「そうだ。世界の負の側面そのものであるあの都市で、一週間生き延びてみせろ。できなければ貴様等に魔忍を名乗る資格は無い。潔く死ね」

 

 教官から告げられた残酷な内容に、しかし魔忍達は動揺していなかった。

 何時死んでもいい様に教育された彼女達に、死の恐怖など存在しない。

 

 魔忍に限らず、忍とは飛び道具。消耗品だ。

 彼女達は教官から下された命令に絶対に従う。

 

 命令はただこなすのみ──そういう風に教育されてきたのた。

 

 しかし、眉を顰めるくノ一もまた居た。

 過酷な教育の中でも確かな自我を確保している彼女達は、教官からの無茶ぶりに不満を抱いていた。

 

 未だ未熟な彼女達でも、超犯罪都市デスシティの恐ろしさは身を以て知っている。

 下忍に昇格するためとは言え、あの都市で一週間のサバイバルはあまりに酷な内容だった。

 

 無茶ぶりをした教官は、相当な手練である。

 上忍の更に上、最上忍である彼女は、現代で伝説と謳われる魔忍だった。

 

 紫苑色の長髪を結い、ビジネススーツに身を包んだ妙齢の美女。

 端正な造りの眼鏡が冷徹さを強調しているが、それ以上にその身から溢れ出る色気は相当なものだった。

 ビジネススーツの上からでもわかる、凹凸のハッキリした肢体。

 女性の理想の一つを体現している。

 

 彼女──(すみれ)は教え子達を見渡す。

 手を上げている者が一人居たので、名指しした。

 

「何だ、百合(ゆり)

 

 百合という名の魔忍は、未だ二十歳に満たない少女だった。

 しかし纏う風格は歴戦のソレ。

 魔忍特有のぴっちりと肌に吸い付くボディースーツを着こなしている。

 紺色の長髪はポニーテールに結われており、抜き身の刃の様な鋭い碧眼が印象的だった。

 ボディースーツの上からでもわかる豊満な肢体は瑞々しさを残しつつ、大人に負けない色香を放っている。

 

 彼女は淡々と聞いた。

 

「生き残るためなら、どんな方法を使ってもいいのでしょうか?」

「無論だ。お前達は忍、任務を達成するためならばどんな邪法を用いてもいい。今回は自分の命を死守するため、あらゆる方法を用いろ。……最も、この場に居る殆どが死ぬだろうがな」

 

 菫の言葉によって場が緊張で満たされる。

 しかし、百合は平然とした調子で席に着いた。

 

「他に質問は無いか? ……であれば明日から試験を執り行う。各自、準備を怠るないように。以上!」

 

 菫の宣言と共に、説明会は終わった。

 

 

 ◆◆

 

 

 特務機関施設の廊下にて。

 百合は自室に向かう最中、友人でありライバルである少女と遭遇した。

 

「ふふふ♪ 百合ちゃん。今回の試験、頑張ろうね!」

 

 可愛く片目を閉じる美少女。

 ツインテールにされた黒髪。くりりと愛らしい双眸。

 真紅のボディースーツに紫のマフラーという派手な衣装が印象的だ。

 雰囲気にあどけなさが残るが、ボディースーツを盛り上げる肢体は成熟している。

 

 百合とは違ったタイプの美少女だ。

 百合は固い表情を崩す。

 

「ああ。頑張ろう、牡丹(ぼたん)

「うん♪」

 

 えへへ~と笑う牡丹。

 能天気に見えるが、その実力は百合と同等かそれ以上という期待のホープ。

 特務機関は、彼女達に特別目をかけていた。

 

 二人は握手をする。

 互いに信じていた。

 今回の難題も、きっと乗り越えられると。

 

 しかし、魔界都市はそこまで温い世界では無かった。

 魔忍とは言え、所詮表世界の住民。

 デスシティの住民達にとって、彼女達は良質な獲物でしか無かった。

 



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二話「魔界都市」

 

 

 超犯罪都市デスシティ。

『魔界都市』『裏側』『矛盾の坩堝』『悪鬼の巣窟』『世界の果て』『ソドムとゴモラ』

 様々な異名で知られるも、表世界では都市伝説として完結されている。

 

 理由は言わずもがな、人類にとって「都合の悪いもの」が集約されているからだ。

 現代の治世を揺るがすほどの「もの」が、此処には山ほど転がっている。

 

 まずは種族。

 妖精、悪魔、邪神、宇宙人、アンドロイド──

 フィクションの中で語られる人外の存在が、此処では平然と闊歩している。

 彼等はこの都市を居住区とし、表世界には深く干渉しない。

 故に、表世界の平穏は保たれている。

 

 そして文明。

 様々な種族が齎す知識、そして善悪の観念に囚われないデスシティという最高の実験場が天才達を覚醒させる。

 彼等が未知のエネルギーを立証、解明し、それを日常に取り入れてしまうのだ。

 

 魔力、妖力、霊力、暗黒物質に純エーテル。

 

 古今東西、宇宙の果てに存在するエネルギーまで。

 様々な「力」がこの都市で活用されている。

 その中には事象に優に干渉し、万象を変化させてしまう埒外の力もあった。

 

 種族、文明。

 この二つが揃う事で、超犯罪都市は魔界都市へ変貌する。

 犯罪者の楽園では無く、人類の手に負えない超常の存在達の隠れ蓑となる。

 

 魔術師、吸血鬼、魑魅魍魎、星霊、アマゾネス、英雄、仙人──

 表世界に居場所を無くした者達が、此処に集まってくる。

 

 科学と幻想が混じり合い、化学反応を起こして常に変化する、形の無い世界。

 それが、デスシティという世界なのだ。

 

「……ッ」

 

 重厚な曇天が数多のテールライトによって照らし出される。

 時間帯は夜。

 その真の姿を見せ始めるデスシティ中央区。

 眩く、そして渾沌とした魔界都市の情勢をアパートの上から見下ろしているくノ一が居た。

 魔忍、百合である。

 

 彼女は紺色のポニーテールを揺らしながら、その表情を苦渋で歪めていた。

 ボディスーツに包まれた成熟した肢体を、両手で抱きしめる。

 

 魔界都市、その名に偽りがない事を百合は改めて理解した。

 異常な文明発展。入り乱れる数多の種族。

 そんな事よりも、百合は「ある事」に戦々恐々としていた。

 

 治安が無いのだ。

 悪いのではなく、無いのだ。

 

 ヤクザ達が道路のど真ん中で銃撃戦を起こしても、誰も止めない。

 むしろ住民達は煽り、楽しんでいる。

 

 眼下に視線を移せば麻薬に酔い痴れている患者達が居た。

 彼等は夢と現実の区別が付かなくなり、乱交パーティーを繰り広げている。

 そうで無い者達も、その場の雰囲気で盛り始めていた。

 

 右を見れば、邪教徒の集団が異形の混合生物キメラを「生贄」と称して惨殺していた。

 断末魔の悲鳴を上げるソレを、邪教徒達は不気味な言語を紡ぎながら解体していく。

 

 左を見れば、奴隷市場の出店が自慢の賞品を宣伝していた。

 首輪をかけられた少女達は「味見」と称され、生臭い白濁液をかけられている。

 その目に光は無い。

 嬉々として腰を振るう少女の腕には、必ず注射の跡があった。

 

「どうにかしている……ッッ」

 

 百合は頭を押さえる。

 おかしくなりそうだった。

 この都市の在り方は「狂気」などという言葉では到底表現しきれなかった。

 

 平然と歩いている住民達を見ていると、まるで自分がおかしいのではないかと思ってしまう。

 

(違う、違う違う……ッ、私はおかしくないッ)

 

 発狂しそうな精神を無理やり抑え込んで、百合は大きく深呼吸する。

 冷静になって、彼女は考えた。

 

(精神の弱いものはこの都市に居るだけでも駄目だ……そしてこの在り様、此処で一週間サバイバルをするとは、今迄のどんな任務よりも過酷だぞ……!)

 

 頼れるものなどいない。

 居る筈も無い。

 自分の力だけで、この不浄なる世界を生き延びなければならない。

 

 百合は改めて覚悟を決め、アパートを飛び降りる。

 魔忍の身体能力を用いて壁を蹴り、容易に地面へと着地する。

 

「……まずは隠れ蓑だな。そして食料の確保か」

 

 マフラーで口元を隠し、薄汚い路地裏を歩む。

 刹那、その肢体に異形の触手が絡み付いた。

 

「!!?」

 

 反応するも、既に遅い。

 その歳不相応の肢体をねっぷりとなぶられる。

 百合は悲鳴を上げようとするも口に触手を入れられ、闇の中へ引きずり込まれていった。

 

 暫くして。

 暗闇から異形の笑い声が響き渡る。

 

「ククッ、重畳重畳。これはイイ獲物だ……たっぷりと楽しませて貰おう」

 

 滴る涎を拭く音と共に、異形の気配は消えていった。

 



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三話「頼るべきは」

 

 

「ひぇぇ!! こんなの絶対無理だよ~っ!!」

 

 百合の親友でありライバル、牡丹は涙目で中央区を逃げ回っていた。

 跳躍と共に紫苑色のマフラーを靡かせ、緋色のボディースーツで風を切っている。

 

「あっちに逃げたぞ!! 追え!!」

「待てやァ!!」

「ひゃぁぁぁ!!」

 

 建造物の屋上を跳び回り、追手から全力で逃走する牡丹。

 その先にある巨大スクリーンで、人外のニュースキャスターが臨時速報を告げていた。

 

『えー、突然ですが朗報です。現在、特殊な能力を持つくノ一、魔忍が此処デスシティを試験会場にしています。各暴力団、犯罪組織が懸賞金をかけていますので、皆様奮ってご応募ください。詳細は電子掲示板に掲載されています。繰り返します』

 

 あまりの報道内容に、牡丹は髪を振り乱した。

 

「どういう事よ!! なによこの都市!!?」

 

 治安とか、それ以前の問題である。

 牡丹が喚き散らしていると、背後から追手が跳んできていた。

 

「おお!! いたいた!!」

「マジでいるじゃん! 魔忍!」

「ひょぇぇぇ!!? 増えてる!? さっきより増えてるわよね!?」

 

 牡丹は再度逃亡する。

 魔界都市へ訪れて未だ数十分──牡丹は絶対絶命の危機に陥っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔忍の「隠形の術」は一般の忍者のものと違い、気配ではなく存在を薄める。

 故に衣装の派手さなど関係無く、相手を欺く事ができる──筈なのだが。

 

 気配遮断の技術が100種類以上はあるデスシティにおいて、存在希薄「程度」の気配遮断は意味を成さない。

 牡丹はデスシティに来訪して早々に見つかってしまった。

 

「しかも速い!? 追い付かれる!!」

 

 日々過酷な鍛錬を積んでいる魔忍の筋肉はしなやかであり、その歩法は門外不出の秘技。

 その気になれば自動車も追い抜かせる彼女達の走力に、デスシティの住民は平然と追い付いてみせる。

 

 賞金稼ぎ達は強化合成繊維に入れ替えた太腿で数十メートルの距離を優に跳び、アンドロイド達はジェットエンジンで空を駆ける。

 人外達は生来の筋力によって容易に重力に逆らい、ヤクザ達も簡易魔術や劇薬使用で強化された身体能力を遺憾なく発揮している。

 

 瞬く間に並走された牡丹は、思わず悲鳴を上げた。

 

「何よこの都市ー!!? おかしいわよー!! 屋上跳んでるのよ!? 何で追い付いてくるの!? まさか全員人間じゃないとか!?」

 

 牡丹の考えは常識的に正しいが、生憎デスシティで常識は通用しない。

 彼等はデスシティでいうところの「一般人」だ。

 つまるところ、牡丹達は「その程度の存在」なのだ。

 

 そんな事は露知らず、牡丹は魔忍特有の秘技を発動する。

 両手で印を組み、霊力と妖力を融合──従来より強力な忍法を練り上げる。

 

 これぞ魔忍の秘技、「魔忍法」。

 

 妖物の血筋を引く魔忍の始祖、飛段が得意とした強力無比な忍法。

 その性質は魔術に近く、威力はお墨付きだ。

 

「魔忍法、業火龍の術!!」

 

 獄炎で編まれた龍が現れ、住民達は呑み込まれる。

 摂氏1000℃以上を誇る業火は、建造物を容易に溶かしてみせた。

 暴れ回るこの火炎龍は牡丹の必殺技。

 本来容易に放っていい技では無いのだが、止む得ないと牡丹は割り切る。

 

 しかし、住民達は平然と出てきた。

 しかも五体満足で。

 

 牡丹は驚愕で声も出せないでいた。

 

「あっちち……! ちっと舐めてたぜ!」

「やるじゃねぇの! こりゃ高値で売れそうだぜ! 顔も良いしな!」

 

 火炎とは最も簡易的で、最も効率的に生物にダメージを与える方法である。

 ともなれば、デスシティで対策が練られていない筈が無い。

 対火炎の防御障壁を中心に防火繊維の衣服、クリームなど──

 

 デスシティでは比較的常識的な装備を前に、牡丹の魔忍法は完封されてしまった。

 牡丹は顔を真っ青にして、そして──

 

「ひゃぁぁぁぁぁ!! バケモノだらけぇぇぇぇ!!!! 誰か助けてぇぇぇぇぇ!!!!」

 

 ガン泣きして逃亡した。

 

 

 ◆◆

 

 

 牡丹は地面へ降り、街道を駆け抜けた。

 人込みに紛れて誤魔化そうとしているのだ。

 しかし、それも意味を成さない。

 

 牡丹が魔忍とわかった瞬間、雑踏達は道を開ける。

 あるいは追手に参加する。

 

 状況はむしろ悪化していた。

 段々と追い詰められていく牡丹。

 中々頑張っているのだが、デスシティの住民達の方が色々小慣れている。

 

 いよいよ追い付かれそうになった、その時──

 牡丹は誰かとぶつかり、尻餅を付いた。

 

「あぅあぅあぅ……!!」

 

 狼狽する牡丹。

 口をパクパクさせながら、視線を上げた。

 

「アア? 気ぃ付けろやお嬢ちゃん」

 

 片眉を上げて牡丹を見下ろしたのは、褐色の美丈夫。

 その美貌は男として極みに達していた。

 逞しく、しかし妖艶な益荒男。

 そのあまりの美貌に、牡丹は思わず見惚れてしまった。

 

 美丈夫は溜息を吐いて手を出す。

 

「オラ、大丈夫か?」

 

 呆れ交じりに差し伸べられたその手を、牡丹は涙目で取った。

 そして懇願する。

 

「お願いですッ!! 助けてください!!」

 

 

 ◆◆

 

 

 鋭利な三白眼に獰猛なギザ歯。

 それらを抱えながら、全く色褪せない神域の美貌。

 鍛え抜かれた肉体は、そもそもの出来が違った。

 骨格や筋肉密度が異常で、それを鍛錬で無駄なく発達させている。

 二メートルを優に超える身長でも、羽根の様に軽やかな動きができるだろう。

 

 清潔感のある白と黒の着物。

 肩から羽織られた真紅のマントは彼のトレードマークであり、彼以外の着用はデスシティで許されていない。

 腰に帯びられた大小の日本刀は彼の体躯に合わせ拵えられた特注品だった。

 

 褐色肌の美丈夫──大和。

 牡丹が彼に助けを求めたのは、何もその美貌に惚れたからではない。

 無論それもあるが、牡丹はこれでかなりあざとい性格をしていた。

 

 その身から溢れ出るオーラは、まさしく絶対強者。

 禍々しさもあるが、それ以上に強者の威風を纏っている。

 チラリと見える筋肉、大まかな体格を鑑みても、強者なのは一目瞭然。

 

 雰囲気と一瞬の目利きでソレを察し、且つ手を差し出してくれた仄かな優しさ。

 そこに牡丹は付け入ろうとしていた。

 

 彼女が大和に助けを求めた事で、追手達は苦渋に満ちた表情をする。

 

「大和……ッ」

「オイ、ヤベェぞ……」

「お前等、無暗に手を出すなよ!!」

 

(よっし!!)

 

 牡丹は内心でほくそ笑む。

 追手の反応からして、彼に頼るのは正解だった。

 牡丹は更に甘えた声で大和に嘆願する。

 

「お願いですっ、助けてくださいっ。助けてくれたら、私にできる事なら何でもします……っ」

「へぇ」

 

 大和はその灰色の三白眼に淫らな色を灯す。

 牡丹の真紅のボディースーツに包まれた肢体を観察し、ギザ歯を剥いた。

 

「でもなァ、俺は殺し屋だし、ボディーガードはなァ」

「そこを何とか……っ、私の身体なら、好きなだけ貪っても構いませんからっ」

 

 牡丹は艶やかに大和を誘ってみせる。

 その大きな手を自分の乳房へと誘導した。

 

 大和は口笛を吹く。

 

「~♪ 素直に媚びてくるスタイル、嫌いじゃねぇぜ。……わかった」

「!!」

「期間限定で俺の女になるってんなら、護ってやるよ」

「ありがとうございますぅ♪」

 

 抱きつき、猫なで声を上げる牡丹。

 大和はその腰に手を回し、抱き寄せた。

 そして、周囲の有象無象達に告げる。

 

「聞いたか? コイツぁこれから俺の女だ。手を出すってんなら斬り刻むぜ」

「きゃー♪ 頼もしい~♪」

 

 牡丹──くノ一としての素質は、ある意味天性のものだった。

 強運と、「悪女」としての媚びる才能。

 

 大和という益荒男を味方に付けた時点で、彼女の勝ちは確定した。

 

 



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四話「闇、蠢く」

 

 歳不相応に豊満な乳房に、生々しい触手が伝った。

 まるで鰻の様に、ボディースーツの中で蠢き回る。

 

 薄暗い部屋の中で、百合は弄ばれていた。

 その形の良い尻を撫でる様に異物がのたうてば、彼女は顔を真っ赤にして震える。

 怒りと、それ以上の羞恥心を以て、百合は呟いた。

 

「クッ……殺せっ」

 

 その台詞を「甘美なり」と静聴する妖剣士が一名。

 全身から触手を生やした異形の男は、その奇顔を悦で歪ませた。

 

「好い、その反応が拙僧を昂らせる。もっと怒れ、恥じろ」

「ッッ」

 

 百合は唇を噛みしめる。

 そして舌に歯をかけた。

 自害しようとしたのだ。

 しかし妖剣士がソレを許さない。

 口に触手をねじ込み、舌をねぶる。

 

「……ッ、~~ッッ!!」

 

 深く口付けを交わされている様であり、百合は耐え難い悪寒を覚えた。

 触手の先端から、粘りのある液が溢れ出る。

 百合はソレを直に飲まされた。

 

 暴れるも、何十何百から成る触手の檻に体を拘束されている。

 恥辱と嫌悪で涙目になる百合の横顔を、妖剣士は本当に嬉しそうに眺めていた。

 彼は言う。

 

「拙僧の粘液は特別性でな、生存本能を直接刺激し、性欲を著しく高める。身体の感度も上がっている筈だ」

 

 妖剣士の眼前で、トロンと瞳を潤ませている百合がいた。

 しかし、その気概は未だ崩れていない。

 異常をきたした自身の肉体を必死に制御しようとしていた。

 

「無駄だ……ほぅれ」

 

 妖剣士の触手がボディースーツの中でのたうち回る。

 敏感になった乳房の先端を擦られ、百合は堪えきれず喘いだ。

 

「ひッ! あぅゥっ♪」

 

 百合は、驚愕で目を見開いた。

 今の声が自分の声だと到底信じられなかったのだ。

 妖剣士は涎を滴らせる。

 

「好い、好いぞ……その反応、余程自尊心が高いと見えた。じっくりねぶってやる」

「やめ、ろぉ!! んっ、あぁッ! アッ♪ やァァァァァ!!!」

 

 ボディースーツの中で触手が一斉に蠢く。

 百合は抗いきれず、総身を震わせて果ててしまった。

 

 

 ◆◆

 

 

 百合の痴態を存分に堪能した妖剣士は、月光が眩い屋上へとやって来た。

 背中に帯びた薙刀の如き太刀を右手に持つと、その場で深く一礼する。

 彼の目前には、それはそれは美しい人間が居た。

 

 ダブルスーツの上から純白のロングコートを羽織った絶世の美男。

 新雪の如き肌は触れれば崩れそうで、温和さを醸す糸目がその美貌を更に際立たせている。

 女にも見える絶世の美男は、月光を背に妖剣士に微笑んでみせた。

 

「愉しんでいる様で何より」

「ハッ」

 

 妖剣士は頭を下げ続ける。

 人外の剣客集団「斑鳩(いかるが)」を纏め上げる頭首、吹雪款月(ふぶき・かんげつ)

 彼に対し、妖剣士は心より忠誠を誓っていた。

 

 吹雪は微笑む。

 

「愛する──拙者達が成せるのはそれのみ。故に命を懸けて愉しむのだ。所詮、何時か果てる身……なれば、各々の方法で愛を紡ぐべき。──拙者は、貴殿の全てを許そう」

「勿体なきお言葉……ッ」

 

 吹雪款月──世界最強の剣士達『天下五剣』の一角を担う剣客である。

 

 彼が大和と対峙するような事があれば──互いに世界最強同士の戦いになる。

 しかし偶然が必然か──二人が合間見える時は刻一刻と近付いていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 牡丹は淫らな舞を踊っていた。

 窓の外から流れてくる喧騒を、その可憐な喘ぎ声で打ち消す。

 薄暗い部屋の中で汗を弾かせ、男の上に跨っていた。

 

 最奥を貫かれると喘ぎ声が掠れる。

 熱で柔らかくなった肢体は、男の硬い筋肉によく馴染んだ。

 

 時に組み敷かれ、時に後ろから突かれ──

 濃密なキスを何度も交わられ、その顔は蕩けきっていた。

 

 彼女は女の悦びを刻み込まれてしまった。

 もう、この男無しでは生きていけない身体にされてしまった。

 

 日が上がり、また落ち──

 デスシティの喧騒が蘇った頃、牡丹は陶酔しきった表情で男の腕に抱きついていた。

 

 部屋に満ちる、汗と愛液の混じり合った淫靡な香り。

 それを男──大和が煙草の紫煙で塗り替える。

 

 布団で眠っている二人。

 牡丹は程よい大きさの胸を大和の腕に寄せ付け、囁いた。

 

「凄かったです……あんなの、初めて……っ」

「表世界じゃあ、あんなの味わえねぇだろう」

「はい……もう、貴方じゃなきゃ満足できない……っ♪」

 

 牡丹は甘い溜息を吐くと、大和に言う。

 

「ねぇ、大和様……一つ、お願いしてもいいですか?」

「何だ」

「……私の友人も、この都市に来ているんです。その子を是非、助けていただきたいんです」

「面倒くせぇな」

「顔も身体も優秀ですよ? それに……私とはまた違った性格の子です」

「……」

 

 大和は牡丹に三白眼を向ける。

 

「友達を売るのか?」

「人聞きが悪いですよぅ。命を助けて貰うのですから、身体で支払うのは当然です……百合ちゃんも、きっと満足してくれます。勿論、大和様も♪」

「……写真、あるか?」

「コレです」

 

 牡丹は準備していたのか、素早く写真を取り出す。

 大和は肩を竦めながら写真を見た。

 

 気の強そうな横顔。端正な顔立ちに歳不相応な肢体。

 大和はニタリと嗤った。

 

「……中々イイ女じゃねぇか」

「でしょう?」

「いいぜ。……でも、もう一度お前の身体を味わってからな」

「あっ♪ 大和様、駄目ですよぅ……百合ちゃんが、アぁんッ♡」

 

 大和は牡丹の首筋を甘噛みする。

 そうして彼女を味わい尽くした後、もう一人の魔忍──百合を捜しに行った。

 



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五話「用心棒の憂鬱」

 

 その頃、魔界都市はお祭り騒ぎだった。

 魔忍に懸賞金がかかった事で皆躍起になっているのだ。

 賞金稼ぎや傭兵、他にも様々な種族が動いている。

 

 その騒ぎに巻き込まれた、哀れな男が一名。

 

「ハァァ……」

 

 中央区の街道で。

 野次馬達に囲まれている大男は、魂が抜けそうな溜息を吐いていた。

 純白のスーツにサングラス、古傷だらけの顔。

 用心棒、右之助である。

 

「ッッ」

 

 彼の背中には魔忍が一人隠れていた。

 金髪縦ロールに黄色のぴっちりボディースーツという派手な格好。

 歳は二十歳に満たないだろうが、その肢体はまさしくダイナマイトボディ、アメリカンサイズだ。

 魅惑的な肢体に喧騒達の視線が集まる。

 彼女は怯えながら右之助に身を寄せた。

 

 右之助の眼前に居るのは、豪勢なローブを着た貴族風の男。

 紅玉の如き双眸に死人の様な肌、発達した犬歯。

 吸血鬼(ヴァンパイア)である。

 

 彼は右之助に嘲笑を向けていた。

 

「貴様がその娘を庇うとはな、どういう風の吹き回しだ──用心棒」

「いや……まぁ、緊急の依頼っていうか」

 

 右之助は背後の魔忍に聞く。

 

「オイ、護衛代は一週間で7000万。しかも一週間以内に一括払い……本当に守れるのか?」

「勿論ですわ! 私、こう見えても実家がお金持ちですの!」

「まぁ、雰囲気でわかるけどよぉ……後で契約書にサインして貰うからな。破ったら問答無用で臓器売り飛ばすぞ」

 

 右之助に睨み付けられると、魔忍は負けじと睨み返した。

 

「私は約束は守りますわ!! だから、貴方も守ってくださいまし!!」

「……ハァァ、騒動の時に外を出歩いたのが運の尽き、か……」

 

 右之助は曇天を仰ぎ、何度目かわからない溜息を吐く。

 吸血鬼は鼻で笑った。

 

「随分と余裕だな。強者に尻尾を振ることしかできない野良犬が」

「……」

「媚びを売るのが得意なのだろう? ならば私に売ってみろ、高値で買ってやる。平服し、その娘を差し出せ。その娘は今宵の晩餐なのだ」

 

 吸血鬼は傲慢不遜に告げる。

 

「さぁ、媚びへつらってみせろ」

「……あのなァ」

 

 右之助はやれやれと肩を竦める。

 

「お前の言ってる事は合ってる。が、生憎尻尾を振る相手は選んでる。お前みたいな雑魚に振る尻尾はねぇよ」

「──そうか、ならば死ね」

「お前がな」

 

 吸血鬼が手をかざした瞬間、右之助が消える。

 かと思えば、吸血鬼の頭が消し飛んだ。

 右之助は彼の前で踵を返す。

 

 懐からハイライトを取り出し、火を点けた。

 

「不死身だからって調子に乗ってんじゃねぇよ、バーカ」

 

 灰になった吸血鬼を鼻で笑いながら、右之助は魔忍の元へ戻っていく。

 当の魔忍は惚けた顔を右之助に向けていた。

 その顔は、発情した雌のソレである。

 

「素敵……っ」

「はァ?」

 

 その後、魔忍から熱烈なアプローチを受ける羽目になった右之助。

 周囲の住民達はザワついていた。

 右之助が吸血鬼を殺した技がわからなかったのだ。

 

「右の回し蹴りか?」

「全然見えなかったぞ……」

「でも、右足がブレてたわ。やっぱり右の回し蹴りよ」

「アイツも強ぇんだなァ」

 

 ガヤガヤと騒ぐ住民達。

 その中から陽気な笑い声が響き渡る。

 

「違う違~う♪ アンタ達全然駄目♪ 視力検査したほうがいいんじゃな~い? アイツは左右の回し蹴りを繰り出したのよ♪」

「んな馬鹿な」

「ありえねぇ、俺等の目で捉えられねぇなんて、光速どころの話じゃねぇぞ」

「だ~か~ら~♪」

 

 女は陽気な声のまま解説する。

 

「光速なんかとっくに超えてるっての♪ 時間の束縛を振り切ってんのよ♪ アンタ等ウノちゃんを舐め過ぎ、ウノちゃんはA級でも上位ランクの猛者よ~? 全く同時に、左右の足で回し蹴りをするなんて造作もないってぇ♪」

 

 そう、右之助は時間の束縛を無視できる超速度で左右の回し蹴りを繰り出したのだ。

 全く同時に左右から蹴られた事で吸血鬼の頭は爆散、更に闘気術で不老不死を無効化。

 

 喧嘩空手の達人であり、その気になれば邪神の眷属をも葬れる男の実力は、間違いなく本物だった。

 

 住民達は戦慄しつつ、解説者の声に疑問を抱く。

 

「さっきから誰だ?」

「この声、どっかで聞いた事があるような……」

 

「てかアンタ等邪魔~♪ 退かないと挽肉にしちゃうわよ~♪ キャハハ♪」

 

 喧騒達の顔が真っ青になる。

 この狂気的な発言と笑い方。

 デスシティでも随一のイカレと謳われる、あの女だった。

 

「撃ち狂いだァァァァァ!!!!」

「逃げろ!! 殺されるぞ!!」

「ヒィィ!!」

 

 飛び退く喧騒達。

 そこには、金色のメッシュを前髪に入れた美少女が居た。

 ゴシックパンク風の派手な服装をした彼女は、風船ガムを膨らましながら笑う。

 

「ウノちゃ~ん♪ 見てたよ~♪ やっぱりヤルじゃ~ん♪ にっしっし~♪」

「げぇ、サーシュ……」

 

 撃ち狂い、サーシュを見て右之助は露骨に嫌な顔をする。

 魔忍をあしらうので手一杯なのに、更に問題児が一人加わった。

 

 右之助の苦労が絶えることは無かった。

 

 

 



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六話「我、無頼漢也」

 

 

 稀代の豪傑が曇天を跳び、テールライトに映し出される。

 その凶悪な笑顔を目撃した住民達は顔面を蒼白にした。

 

 動いている。

 あの男が。

 意思を持つ災害が──

 

「大和だァァァァァ!!!!」

「緊急警報を鳴らせ! アイツが暴れたら区画の一つ二つじゃ済まねぇぞ!」

 

 止められない。

 止めたら、殺される。

 故に逃げるのだ。

 過ぎ去るのをただ待つしかない。

 

 彼は、意思を持つ天変地異なのだ。

 

 個人にして無双。

 邪神すら畏れる最強の武術家。

 

 何キロもの跳躍を果たした彼が街道に着地すれば、それだけで道路が陥没し、車両達が宙を舞う。

 住民達は吹き飛ばされながらも、必死に逃げていた。

 

 彼はもう一度跳躍した。

 爆風が発生し、地面が揺れる。

 その肩には、浴衣を着た奇妙な三毛猫が貼り付いていた。

 

「旦那ァ! この先500メートル先で大怪獣バトルが起こってますぜ! 進行方向です! どうしやすか!」

「面倒くせェ、薙ぎ倒していくぞ」

「ひぇ~! あいあいさ~!」

 

 三毛猫はだみ声を上げながら大和の肩にしがみつく。

 空中を舞っていれば、目前で高層ビルを薙ぎ倒し大喧嘩している怪獣とロボットがいた。

 中央区は魔忍以前の大混乱。

 大和は笑った。

 

「しっかり掴まっとけよ」

「あいあいさ~!」

 

 一度地面に着地し、再度跳躍する。

 500メートルを超える高層ビルを優々飛び越え、大和は怪獣達の顔面に迫った。

 

「邪魔だボケ」

 

 恐竜に似た大怪獣の顔面に回し蹴りを浴びせる。

 怪獣は悲鳴を上げながら吹き飛び、倒れ込んだ。

 中央区に甚大な被害が齎される。

 大和の眼下は阿鼻叫喚の地獄になっていた。

 

 大怪獣と激戦を繰り広げていた巨大ロボ──暴走した無人機は、大和に標的を定める。

 その手に携えた高層ビルもかくやとばかりのバスターソードを振りかぶった。

 上段からの唐竹割り。

 

 しかし大和は空中でキャッチし、威力をそのまま投げに転換する。

 合気の深奥にて、空中に居たまま巨大無人機を投げ飛ばした。

 遥か遠くまで投げ飛ばされた無人機は南区辺りに落下し、大爆発を引き起こす。

 南区にも甚大な被害が発生した。

 

「ひょえええ……! やり過ぎアクションですぜ! 旦那!」

「無駄口はいい。このくノ一の居場所をもっと正確に教えろ、ミケ」

 

 大和に手渡された写真を猫又、ミケはほむほむと見つめる。

 彼は「みゃ!」と喉を鳴らすと、進行方向の先を肉球で示した。

 

「東区手前の、あっこの廃墟に居ると情報が入っていますにゃ!」

「サンキュー、流石デスシティきっての情報屋だ。報酬は弾ませて貰うぜ、また後でな」

「はいにゃ~! 楽しみにしていますにゃ~!!」

 

 ミケは持ち前の俊敏さで大和の肩から飛び降りると、アパートの屋上から彼を見送る。

 大和は魔忍──百合が居る廃墟へ突撃していった。

 

 

 ◆◆

 

 

 妖剣士、彌勒(みろく)は百合を弄ぶ事に執心していた。

 触手から伝わる彼女の恥辱、憎悪。

 それらが快感で蕩けていくのが、目に見えてわかる。

 

 堪らなかった。

 

「うぁっ♪ やめ、ろ……っ♪ 私は、お前なんかに屈しな……いィっ♪」

「わからぬか? 堕とそうと思えば何時でも堕とせる。しかし無理やりは好まんのだ。貴殿が自分の意思で堕ちろ」

「馬鹿を、言え……っ」

「極楽浄土が待っておるぞ。この快楽──耐え難いだろう?」

 

 敏感になり過ぎた肢体に触手が絡まり、ねっとりとねぶられる。

 百合は唇を噛みしめながら絶頂した。

 痙攣する肢体。

 発された牝の匂いが部屋を満たす。

 

 百合は、もう何度達したかわからなかった。

 達する度に脊髄に電流が奔り、意識が、覚悟が薄れてゆく。

 

 この至上の快感に身を委ねたくなる。

 頬にぬるりと触手が伝い、唇に入って来る。

 しかし、以前ほど嫌悪感を抱けない。

 むしろ、舌を絡ませてしまう。

 

 嫌だ。

 嫌なのに、気持ちいい。

 

 百合の瞳が段々と蕩け始める。

 ボディースーツに包まれた身体が敏感になり、吐き出す声も甘くなった。

 

 堕ちかけている。

 彌勒は奇顔を愉悦で歪ませた。

 

 百合の意識が途切れそうな──その時。

 肉で覆われた室内が破られた。

 侵入者である。

 

 彌勒はすぐに臨戦態勢に入った。

 

「何者だ!!」

 

 彌勒の視線の先には、褐色肌の美丈夫が居た。

 真紅のマントを靡かせる生粋の無頼漢。

 彼は惨状を前に灰色の三白眼を細める。

 

「ほぅ……お楽しみ中だったか」

 

 彌勒は彼の名を知っていた。

 デスシティに滞在していて、彼の名を知らない者はいない。

 彌勒は呻く様に呟く。

 

「大和……っ」

「オイ、ソイツは俺の女だ。その汚ぇ触手を退けろ」

「ほざけ。よくも拙僧の営みを邪魔してくれたな……斬り刻んでくれる」

 

 彌勒は背に帯びた薙刀状の大太刀を抜き放つ。

 しかしその大太刀ごと、彌勒の半身が横にズレた。

 

 既に大和は抜刀していた。

 彌勒は一瞬で両断されてしまった。

 

 デスシティの住民であり、それなりの実力を保有していた彌勒。

 しかし、今回は相手が悪すぎた。

 

 彼は吐血しながら、遺言に呪詛を込める。

 

「バケモノめ……ッ」

「バケモノはテメェだろ、触手野郎」

 

 ドチャリと地面に伏した彌勒。

 触手も力を無くし、百合の肢体の上で眠った。

 

 百合は朧げな意識の中で、自分を助けてくれた男を確認する。

 男らしく豪胆で、しかし凶悪な笑みに胸の奥が引き締められる。

 未だ感じる性の熱にうなされながら、百合は気を失った。

 

 魔界都市の誇るジョーカーが百合を助け出すのに、五分とかからなかった。

 しかし、そう簡単に問屋を下ろさないのがこの都市の特性だ。

 

 大和に比肩しうる剣豪が、その重い腰を上げたところだった。

 

 

 



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七話「吹雪款月」

 

 

 己の内に燻る熱にうなされる様にして、百合は目を覚ました。

 自分を抱きかかえる逞しいナニカ。

 その主を理解した瞬間、百合は全身の力を抜く。

 ほぅと息を付き、視線を上げると──頼もしい益荒男の顔があった。

 

「目ぇ覚ましたか」

「……誰だか知らぬが、礼を言う。ありがとう」

「大和だ」

「大和……」

 

 大和は件の廃墟を出たところだった。

 東区の街道に出ようという時に、彼女が目を覚ましたのだ。

 彼は笑う。

 

「礼はいい。その身体できっちり支払って貰うからな」

「……牡丹の匂いがする。そういう事か」

「察しがいいな」

 

 大和はギザ歯を剥く。

 途端に、百合の胸に訳のわからない感情が芽生えた。

 それが嫉妬心であると、彼女は気付けなかった。

 

 百合は取り敢えず、あの妖剣士から開放された安堵に浸ろうとする。

 が、その感情が邪魔をした。

 嫉妬心を燻るのは、百合の肉体に残る性の疼きだった。

 

「ッッ」

 

 疼きが止まない。

 散々弄ばれた肉体と危機を脱した故の生存本能が、百合の「女」を焚き付けていた。

 

 この逞しい男に抱かれたい。

 自分を救ってくれた勇者に貪られたい。

 

 百合は牝の本能に酔っていた。

 

 刹那である。

 大和の眼前に斬線の津波が迫って来たのは。

 

「!!」

 

 大和は片手で脇差を抜き放ち、対応する。

 繰り出された斬撃は千差万別。

 大和は紙一重で捌き切る。

 

「チィ……!」

 

 舌打ちする大和。

 それでも全ての斬撃を防ぎ切り、迫り来る凶刃を弾き返した。

 

 大和の頬に一筋の切り傷が浮かび上がった。

 大和が、あの世界最強の武術家が、傷を負ったのだ。

 

 彼に傷を負わせた張本人は、微笑みながら得物を振り払う。

 その得物は世にも珍しい鋒双刃造りの打刀だった。

 上身にほぼ反りがなく、腰元の部分が緩く湾曲している。

 刃紋は不気味な蛙子丁子。

 

 世にも奇妙な得物を振るうのは、ダブルスーツの上から純白のロングコートを羽織った絶世の美男だった。

 

 ──吹雪款月(ふぶき・かんげつ)

 

 人外の剣客集団「斑鳩(いかるが)」を纏め上げる頭首であり、世界最強の剣士達『天下五剣』の一角を担う剣客。

 

 彼の微笑に対し、大和は苦笑で応じた。

 

 

 ◆◆

 

 

「まさかお前が関わってくるたァな、吹雪。──さっきのはテメェの部下か?」

「如何にも。しかしあの者は愛を謳い朽ちた。拙者に仇討ちなどと宣う権利は無いでござる」

「なら、何故俺に刃を向けた」

「愚問也──世界最強の武術家と死合えるこの機会、見逃すにはあまりに惜しい」

「……糞が、そうだよなァ。テメェはそういう人種だもんなァ」

 

 大和は溜息を吐きながらも、その眉間に何本も青筋を立てる。

 

「なら殺してやるよ。数年振りに俺に傷を負わせてくれたんだ……斬り刻んでバラバラにしてやるッ」

「望む所。殺し殺される事こそ我が望みなれば──」

 

 互いの殺気が剥き出しになる。

 あまりの濃度に空間が軋み、悲鳴を上げた。

 周囲の住民達は戦々恐々となり逃走する。

 今、彼等を囲んでいるのは吹雪の部下である妖剣士達のみ。

 

 二人は以前まで飲み仲間だった。

 酒を酌み交わし、談笑し合う仲だった。

 

 しかし、それもこれまで。

 刃を向け合った事で、どちらか死ぬしかない。

 

 二名に後悔などなかった。

 吹雪は万感の喜びを。

 大和は怒髪天の憤怒を、それぞれ抱いている。

 

 しかし、大和はまず百合を下ろした。

 戸惑う彼女に一張羅である真紅のマントを羽織わせ、踵を返す。

 

 百合は、今から壮絶な殺し合いが始まる事を察していた。

 彼女は叫ぶ。

 

「……大和!!」

「?」

 

 振り返ると、百合は泣きそうな顔をしていた。

 

「……私を抱くのだろう……ッ」

 

 その言葉に大和は三白眼を丸める。

 その後、ケラリと笑った。

 

「おう、後でたっぷり可愛がってやる。だから待っとけ」

「……ッ」

 

 百合は唇を噛みしめる。

 今はただ、信じるしかなかった。

 彼が無事に帰ってくる事を。

 

 片や、ドス黒い殺気と怒気を笑みに滲ませて──

 片や、極限まで研ぎ澄ませた剣気に歓喜を滲ませて──

 

 

 世界最強の武術家(殺し屋)と世界最強の剣客の死闘が、ここに開幕した。

 



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八話「最強VS最強」

 

 

 迸る殺気と剣気。

 大和の殺気は生存本能に直接「死」を訴えかける漆黒の波動。

 対して吹雪の剣気は、静謐さを以てして万象切断を成す手前の表れ。

 

 両者、睨み合う。

 そして──消えた。

 

 目にも止まらぬ疾走。

 その秘密は武の極みに達した証である神速の歩法だった。

 しかし吹雪もまた、同等の領域に身を置く者。

 純白の闘気を纏いて駆ければ、真紅の闘気を纏う大和に追いついてみせる。

 

 直後、交わる剣閃。

 思考を加速させる事で一秒を那由他まで引き伸ばし、互いの視野に無数の斬撃予測線を描き出す。

 それらが作り上げる檻の中で、無想の境地が反射的に剣を振るわせた。

 大和の剛剣が万物両断せんと唸りを上げ、吹雪の柔剣がそれを飽和し断ち切る。

 合わせた刃は優に百を超え、千を超えた。

 

「!!」

 

 大和の太刀筋が変化する。

 その軌道線は吹雪を以てしても予測不能。規則性の無い湾曲を描く防御不能の斬撃だった。

 大和は埒外の筋肉と関節強度で万象の法則に逆らい、放った斬撃を途中で軌道修正しているのだ。

 重なり合う筈の刃がすれ違う。互の目丁子の乱れ刃が吹雪の首筋に食い込んだ。

 

 しかし吹雪は刃の進行方向に逆らわずに側転。流動的な動きで斬撃の威力を受け流し、軽功なる業で大和の得物の上に乗った。

 即座に放たれる神速の銀閃。大和の眼前に白露の刃が迫る。

 得物──大太刀に乗られている以上、脇差でしか追撃は行えない。大和は防御せず、攻撃に転換した。しかも脇差を投擲するという方法で。

 

 強力なスナップを効かせて放たれた神速の刃を吹雪は難なく弾き、虚空へ跳ぶ。

 宙に舞った赤柄巻の脇差が戻るまでに、二人は剣戟の応酬を再度交えていた。

 吹雪は先程大和が見せた軌道変化の太刀筋を独自に改良、発展させ、既に自分のモノにしている。

 面白いほど不規則に歪む斬撃軌道線に晒され、大和の顔が苦渋で歪んだ。

 その頬が、浴衣が、斬線を避けきれずに裂ける。

 

 長い長い遊泳を終えて落ちてきた脇差。

 それを大和が拾い上げると共に、二名は鍔迫り合いに突入した。

 金属が潰れる音が爆風によって掻き消される。

 

 周囲の妖剣士達は啞然としていた。

 

「……ッッ」

「凄まじい……ッ」

「これが、武の頂に座す方々の戦いなのか……!!」

 

 彼等は今の応酬を一割も把握できていなかった。

 次元が違い過ぎるのだ。

 

 それは百合も一緒だった。

 己が肉体で蠢く性熱すら忘れ、二名の死合いに魅入っている。

 

 一見地味な鍔迫り合いも、水面下では高等技術の応酬が繰り広げられていた。

 得物を押して、引いて、巻き返そうとして、体位を変えようとして──

 それらの選択肢を互いに潰し合い、拮抗が続いている。

 

 百合は震えながら呟いた。

 

「凄い……っ」

 

 ありふれた言葉だが、それ以上の言葉を百合は紡げなかった。

 そして、遂に拮抗が崩れる。

 崩したのは大和だった。地面が砕けるほど強力な震脚を鳴らし、背面で体当たりする。

 鉄山靠(てつざんこう)。中国拳法の一種、八極拳で重宝される技だ。

 大和は剣術家ではなく武術家。拳法も当たり前の様に極めている。

 

 地面から莫大なエネルギーを吸収して放たれたこの一撃は、惑星すら粉砕してみせる。

 しかし吹雪は吹き飛ばされただけで、五体満足だった。

 彼の得物の頭から上がる白煙。あそこから衝突エネルギーを吸収し、無効化したのだ。

 

 合気──中国武術界では化勁(かけい)と呼ばれている。

 相手の力を利用、吸収する高等技術だ。

 この技術を極めた武術家はあらゆる物理攻撃を吸収し、受け流す。

 それどころか、力の向き(ベクトル)すらも操作してしまう。

 

 大和がよく用いる技だ。

 吹雪もコレを得意としていた。

 

 吹雪は鉄山靠の威力を刀身に溜め込んでいた。

 惑星を砕ける威力を内包した得物を一度鞘に納め、抜刀の構えを取る。

 

 大和は眉間に青筋が浮かび上げ、蜻蛉の構えを取る。

 大太刀に莫大な闘気を込め始めた。

 あまりの密度に爆風が巻き起こり、空気中の水分が蒸散する。

 可視化した真紅の闘気は天に昇らんばかりの巨大な剣と成った。

 

 二名は互いに技名を紡ぐ。

 

 

迎日神円流堂場礼法(むこうしんえんりゅうどうじょうれいほう)、奥義──」

唯我独尊流(ゆいがどくそんりゅう)、必殺──」

 

 

山颪(やまおろし)

雷光剣(らいこうけん)

 

 片や、十二の斬撃を袈裟懸けに重ねて放つ柔の極みから成る「剛」の絶剣。

 片や、高密度の闘気を圧縮、解放して前方にあるもの一切合切焼却させる「滅」の絶剣。

 

 白銀と真紅の闘気がぶつかり合い、せめぎ合い、混じり合う。

 単純な威力なら大和の方が上。しかし十二の斬撃が折り重なり拮抗を保つ。

 

 うねりを上げ、天高くに打ち上がる紅白の闘気。

 威力は全くの互角。

 

 しかし、吹雪の穏やかな声が不気味に響き渡る。

 それは死の言霊だった。

 

「秘剣・二重覇穿」

 

 大和の大太刀が砕け散り、右肩に逆袈裟の刀傷が奔る。

 大和は驚愕の表情のまま、血飛沫を噴き出した。

 

 その眼前で、得物を振り抜いた吹雪が歪に嗤っていた。

 

 



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九話「死闘」

 

 

 その頃──高層ビルの屋上で、大和と吹雪の死合いを観戦している邪神が二柱居た。

 

『緊急警報です。東区手前にてA級以上の戦士が二名、戦闘を繰り広げています。付近の住民は直ちに避難してください。繰り返します──』

 

 緊急警報を聞き流しながら、満面の笑みを崩さない銀髪褐色の美女。

 童顔に真紅の双眸。ライダースーツのチャックを全開にし、その魅惑的な肢体を惜しげも無く晒している。

 

 這い寄る渾沌、ニャルラトホテプ。

 

 そして、彼女の横に佇んでいる黄色の衣を纏った不気味な存在。

 フードで顔は隠れているが、発光する二つの緑光が視覚の役割を果たしているのだろう。

 足元には無脊椎の軟体動物──所謂タコの足が、無数に蠢いていた。

 

 彼? は驚愕交じりに呟く。

 

「ほゥ、あの男モ血を流スんだネ。しかモ赤い血とキタ。驚きだヨ」

「おいおい、それは大和に対して失礼だよ──ハスター君」

 

 ニャルが膨れ面で彼の名を口にする。

 ──ハスター。

 

『黄衣の王』

『名状しがたきもの』

『エメラルド・ラマ』

 

 風属性を司る旧支配者(グレート・オールド・ワン)

 人を狂気に導き圧倒的な力を以て破壊を齎す風神。そして穏やかなる羊飼いの神。

 大図書館の支配者であり、エジプト神話のセトとも結び付けられる知恵の神。

 幸運と王家の象徴星フォーマルハウトの領主でもある。

 

 彼はニャルに呆れた眼差しを向けた。

 

「そりゃア、ねェ……僕達ヲ退けタ存在が下等種族、人間な筈はなイと前々から考えテいたんダけド」

「人間の可能性を見くびっちゃ駄目だよハスター君! 知恵者である君ともあろうものが!」

「むゥ……でも、そうだネェ。時にハ柔らカク物事を考エタほうがイイのかもしれナイ。……僕の足ミタイに」

 

 そう言ってニュルニュルと蛸足を動かすハスター。

 ニャルはケタケタと笑った。

 

「そうだよ!! 人間は僕達の予想を常に超えてくれるんだ!! 楽しまなきゃ!!」

「……でも、君の愛しイ男、死んジャイそうだヨ?」

 

 ハスターの言葉に、ニャルは微笑む。

 童顔とは思えないほど妖艶な笑みだった。

 

「大丈夫だよ、大和は負けない。だって……僕の愛しい愛しい未来の旦那様だもの♪」

「……ソレ、自称だよネ?」

「あ~!! ハスター君今言っちゃいけない事言ったァ!! 駄目だぞ!! 乙女心を解せないなんて!! シュブ=ニグラスちゃんに嫌われちゃうぞ!!」

「大丈夫、アイツ、凄く浮気性だかラ」

「ドライ!? 夫さん凄くドライ!?」

 

 談笑も束の間、大和と吹雪の死合いは第2ラウンドに突入しようとしていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は呆けた面で砕けた大太刀を眺めていた。

 そして肩の傷口を撫でる。

 その手に真紅の血がねっとりと付着した。

 

 吹雪は嗤う。

 

「これは意外……貴殿にも赤い血が流れていたか」

 

 刹那、吹雪は後退する。

 油断無く八双の構えを取る彼の額には、脂汗が滲んでいた。

 何故か──『死』を感じたのだ。

 明確なまでの『死』が、吹雪の頬を撫でたのだ。

 

 剣士としての直感だった。

 ソレは正解だった。

 

「ククッ……ハハハッ!」

 

 大和は嗤う。

 天を仰ぎ、哄笑する。

 

「ハハハハ!! ハーッハッハッハッハッハ!!!!」

 

 吹雪も、周囲にいる妖剣士達も、百合さえも、身震いした。

 大和の背後に鬼が見えたのだ。

 数多の憎悪と殺意を愛撫する、悪徳なる黒き鬼神が──

 

「……いいぜェ、スイッチが入った。剣術で負けるのなんざ久々だ。お礼に本気、出してやるよ」

 

 大和は異空間から十文字槍と薙刀を取り出す。

 どちらも見事な意匠であり、それでいて極限まで実戦を重視した得物だった。

 

「このボケぇ……斬り刻む程度じゃ絶対済まさねぇぞ。細切れにしてやるッッ」

 

 

 ◆◆

 

 

 大和の殺気が化けた。

 正確には、凶悪過ぎる殺気が不可視の刃と成って吹雪を揺さぶっているのだ。

 吹雪が反射的に半身を防御しても、そこに白刃はやって来ない。

 直前までそこに白刃があると錯覚したのだ。

 

 大和の流派、唯我独尊流の誇る木の型「樹海」

 

 戦闘中のフェイントに用いられる殺気運用術。相手に幻覚に類似したものを見せる。

 実際には攻撃していないのだが、その濃密な殺気で歴戦の猛者すら欺いてしまう。

 一瞬の判断ミスが命取りになる戦場において、非常に有効な技だった。

 

 大和の殺気の量は莫大であり、それこそ大海原に匹敵する。

 そこから一粒の「本物の滴」を探し当てるのは困難であり、故に大和の攻撃を見切るのは真の武術家でも至難を極める。

 

「しかし、浅はか……」

 

 吹雪は唇に嘲笑を浮かべ、殺気の大海原を両断する。

 剣一本に全てを捧げてきた剣豪に斬れないものなどない。

 

 しかし大和の追撃は止まない。

 吹雪は一瞬、大和を見失う。

 次の瞬間、大和にとって都合の良い場所に自分が居た。

 

 距離を測られ、ソレを強要されたのだ。

 槍と薙刀、剣では、絶望的なまでの距離差がある。

 その距離を強制された。

 

 唯我独尊流が誇る土の型「地奔」

 

 強力な筋力と膨大な戦闘経験、圧倒的なバトルセンスがあって初めて為せる究極の歩法。

 体捌き、呼吸、死角、視線誘導など、幾多の現象が絡み合い、その全てを掌握する事で行われる、最善の間取り。

 

 この状態の大和に攻撃を当てる事は、まず不可能。

 繰り出した攻撃の全てが空を切り、逆に大和の攻撃は全て必中する。

 小さな、しかし完全に大和に支配された空間の完成だ。

 

 しかし、吹雪は斬り伏せる。

 総合力で勝てない。筋力も戦闘経験もバトルセンスも、全てに於いて負けている。

 しかし剣術のみなら、絶対に負けない。

 

 誇りとも言える自負が、それに見合った力量と絡み合い、土壇場を覆す。

 剣術では圧倒的不利な筈の空間の中で、吹雪は大和と互角に打ち合っていた。

 

 互いに互いの剣戟を吸収し、撃ち返す。

 極限の合気の応酬。

 

 大和の流派、唯我独尊流の水の型「流水」は合気の極みである。

 だが吹雪は、これに匹敵する合気を習得していた。

 

 コレと、唯一勝てる剣技にて大和と互角に戦ってみせる。

 天下五剣、世界最強の剣豪の異名に偽り無し。

 

 互いの肉体に深い傷が刻まれる。

 頬の肉が削げ、肩の筋肉が抉れ、耳が取れる。

 得物を振るう事に血飛沫が跳び、周囲の土壌を鮮血で染めた。

 

 咽返るほどの血臭が漂う中、妖剣士達は必死にその眼を見開いていた。

 慕う主の生き様を少しでも理解したいからだ。

 

 百合は祈っていた。

 この死合い、どちらか必ず死ぬ。

 生き残るのは一人のみ。

 だから、どうか──と、両手を重ねていた。

 

 小さい剣劇の宇宙が崩壊する。

 崩壊させたのは誰でもない、小宇宙を造り上げた大和本人だった。

 彼は吹雪に唐突に背を向けたのだ。

 

 今迄築き上げてきたものが全て弾け飛び、吹雪は一瞬硬直した。

 それを見逃さず、大和は薙刀で背後を薙ぎ払う。

 避ける暇も無かった吹雪は天高くに打ち上げられた。

 

「なァ、もうそろそろ終いにしようや……ッ」

「同感、同感だ宿敵よ──今宵の宴、幕引きとしようッ」

 

 地上で大和が、天空で吹雪が、それぞれ嗤う。

 彼等は最後の大技を繰り出そうとしていた。

 

 大和は薙刀を地面に突き刺し、十文字槍を虚空に放り投げる。

 そして柄尻を足先に乗せ、キャッチした。

 不可思議な行動。

 

 瞬間、十文字槍から膨大な魔術刻印が溢れ出て、数多の強化魔術が施されていく。

 

 闘気を扱う武術家は、基本的に闘気以外の力は使えない。

 使わないのでは無く、使えない。

 あらゆる異能、術式を無効化する闘気は、その他の力を例外なく否定してしまう。

 しかし、高位の魔物や神仏からの加護を限定的に受ける事は可能だった。

 

 その抜け道を、大和は利用した。

 加護なんていらない。そんなご都合主義必要ない。

 しかしたった一つ、体技を絡めた魔術を体得したい。

 

 本来、その気になれば大魔導師にもなれた大和。

 その才覚を全て一つの魔導に費やした。

 

 魔導体技混同の投擲技法。

 神話では光の御子が影の国の女王より授かったとされる秘奥義──

 

 

 相手の心臓を必ず穿つ、因果逆転の槍。

 

 

魔槍投擲(ゲイ・ボルグ)……ッッ!!!!」

 

 

 十文字槍は紅の稲妻と成りて、吹雪に一直線に飛んでいく。

 数億、いいや那由他を超える強化魔導と必中即死の呪詛が練り込まれた魔槍。

 あの「神穿ちの矢」を超える、大和の誇る最強の投擲武装だった。

 

 宇宙どころか多次元宇宙、それ以上の空間を破壊してしまう神殺しの魔槍。

 それを、吹雪を正面から迎え撃つ。

 

 避けられない、ならば正面から突破するのみ。

 吹雪は明鏡止水の極致に入った。

 

 無心の境地で放つのは極限の切断現象。

 肉体、精神のみならず視線、寿命、空間、運気・法則・魂など、有形無形を問わず断ち斬る切断の概念。

 

 己自身が刀そのものに成り、刀身一体の絶技を放つ。

 

「終の太刀、楽土断ち……ッッ!!!!」

 

 その一太刀、至上にして至高。

 迫り来る必中必殺の魔槍を「切断」する。

 那由他の強化魔術、呪詛を切断した。

 しかし、素の威力まで切断しきれない。

 

 絶対切断の概念を以てしても、魔槍投擲(ゲイ・ボルグ)は殺しきれないのだ。

 以前の吹雪ならば、ここで終わっていた。

 しかし、今この瞬間も進化を続けている吹雪は、更なる神業を繰り出す。

 

「楽土断ちが崩し、『極楽浄土断ち』……ッ!」

 

 先程の袈裟斬りの斬線に寸分違わず左斬上を重ねる。

 斬り下ろしに斬り上げ。

 斬線を重ねた事で威力は桁違いに跳ね上がり、真の「絶対切断」がここに実現した。

 

 大和の魔槍投擲(ゲイ・ボルグ)が完全に無効化される。

 しかし、吹雪の肉体もまた限界に達していた。

 

 吐血しながらも、吹雪は大和から目を反らさない。

 彼は残していた奥の手を発動する。

 

「絶剣……夢幻覇穿ッッ」

 

 迎撃しようと薙刀を構えた大和、その全身に切創が奔る。

 全身から大量に出血した大和は動きを一瞬止めた。

 

 夢幻覇穿──

 これまで斬ってきた箇所総てに〝切断〟現象を引き起こす、回避不能の魔剣。

 

 全身から血を吹き出し、よろける大和。

 吹雪は最後の力を振り絞り、落下エネルギーを合気で操作。

 大和の左肩に得物を突き刺し、心臓を穿たんとした。

 

 大和の肩に蛙子丁子の刃が深く食い込む。

 この惨状を目の前で見ていた百合は、思わず悲鳴を上げた。

 

「大和ぉッ!!!!」

 

 壮絶なる死合い、ここに決着か──

 しかし、吹雪の表情は険しかった。

 

 

 大和の灰色の三白眼が、暗黒色に染まっていたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

「来る……来るよ!! 来る来る来る!!」

 

 超高層ビルの屋上にて。

 ニャルは歓喜と興奮で打ち震えていた。

 隣に佇んでいるハスターも戦慄している。

 

「アア、来るね……鬼神ガ、目を覚ましタ」

 

 ニャルは恍惚とした表情で己を抱きしめていた。

 熱い溜息を吐きながら、遠くの愛しき益荒男に囁く。

 

 

「久々に見れるんだね……っ、君の本性がッ」

 

 



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十話「悪鬼顕現」

 

 

 大和がキレた。

 想像を絶する苦痛と「鬱陶しさ」で、堪忍袋の緒が切れたのだ。

 常に余裕を保ち、笑顔を絶やさなかった彼がキレればどうなるか──

 

 この場の一同は知る事になる。

 恐怖と絶望と共に。

 

 鬼神が目覚めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 灰色の三白眼が暗黒色に染まり、瞳孔が縦に避ける。

 筋肉が躍動した事で膨大な水蒸気が発生し、褐色肌が赤銅色に染まる。

 眉間に刻まれた皺は何十本にも及び、脈打つ血管が鼻の頭まで及んだ。

 

 髪紐が解け、艶やかな黒髪が戦慄き上がる。

 一回り膨張した筋肉によって上半身の衣服が弾け飛び、その身に刻まれた幾千の古傷が浮かび上がる。

 

 豹変──この言葉が一同の脳裏に浮かんだ。

 

 溢れ出た殺気と狂気は以前の比では無い。

 溜め込んだ殺意と欲望が一気に溢れ出ているのだ。

 

 その姿──まさしく悪鬼。

 黒き鬼神。

 

 吹雪は薄っすらと糸目を見開く。

 左肩から心臓に向けて突き立てた刃が通らないのだ。

 

 唯我独尊流の金の型「金剛」

 

 各筋肉を瞬間的に締め上げ、肉体を鎧の如く硬化させる身体操法。

 吹雪の刃が心臓に届く前に大和は肩の筋肉を縮小させ、刃を止めたのだ。

 

 大和は首をもたげ、静止した刃をギザ歯で噛み砕く。

 バランスを崩した吹雪は片足を掴まれた。

 その時垣間見た大和の瞳に、吹雪は魂の底から寒気を覚えた。

 

 人間がしていい目では無かった。

 人間が宿していい狂気では無かった。

 

 ケルト神話最大の英雄、光の御子クー・フーリンに纏わる逸話に、こんなものがある。

 戦争が始まると、凶悪な怪物に変身するという逸話だ。

 

 五行の法則から成り立つ唯我独尊流、最後の型。

 火の型──「修羅転身」

 

 その名の通り、修羅に転身する禁忌の業。

 武術でも何でもない。

 ただの暴力である。

 

 怪物と化した大和はギザ歯を剥きだし、吹雪を地面に叩き付ける。

 規格外の腕力を以て、まるでボロ雑巾の如く彼を地面に打ち付ける。

 地面が絹豆腐の如く砕け散った。

 

 最早抗う力も残っていない吹雪の全身の骨を砕き、渾身の蹴りを腹に叩き込む。

 心臓以外の内臓全てを抉り潰した。

 

 中央区の高層ビルを何棟も倒壊させて、吹雪は飛んでいく。

 しかし、途中で止まる。

 その足には鎖分銅が巻き付いていた。

 

 大和は左手で鎖分銅を引き戻し、吹雪を手繰り寄せる。

 そして掌を返し、戻って来た吹雪の顔面に掌底を被せた。

 

 全身の筋肉で形成した莫大なエネルギーを掌に集約、衝撃のみを突き通す──水の型「流水」の応用、『無明神水』

 

 勁力の発露──その究極系。

 引き戻した時のエネルギーも加わり、吹雪の意識が飛ぶ。

 生まれた埒外の衝撃波。

 中央区から西区まで突き抜け、超犯罪都市の地理を変形させた。

 

 大和の追撃はまだ終わらない。

 吹雪の顔面を掴み、脇差を抜いて腹部を何度も突き刺す。

 激痛で目を覚ました吹雪を再度地面に叩き付け、その胸を脇差で縫い付け、地面に刺さっていた薙刀を首元に突き立てた。

 

 朧げな意識の中で、吹雪は想う。

 大和が武術を極めた理由はコレだ。

 生まれ持ったこの力を制御するために武術を学んだのだ、と。

 

 武術とは、弱者が強くなるための技術。

 しかし彼にとって武術は「己の強大な力を制御する術」なのだ。

 

 そもそもの意味合いが違った。

 

 生まれながら人間を超越した真の怪物に、吹雪は辛うじて語りかける。

 

「……感謝ッ」

「……」

「漸く死ねるか」

「なら死ね」

 

 吹雪の首が刈り取られる。

 笑顔の首が宙を舞った。

 

 

 ◆◆

 

 

 怪物から人間に戻った大和は、周囲の妖剣士達に語りかける。

 

「やるか? 仇討ちをしたいってんなら、相手してやる」

 

 大和の言葉に、一名の妖剣士が代表して首を横に振るう。

 

「いえ、吹雪様は──我々の頭首は満足して死にました。死闘を愛し、死闘の末に果てたのです。その生き様を、我々は穢したくない……ッッ」

「……そうか」

 

 大和は全身の力を抜くと、曇天を仰ぐ。

 満身創痍でも膝を付く事はない。

 それでも、心底疲れた風に溜息を吐いた。

 

「……ったく、だから同じ「最強」とやるのは嫌なんだ」

 

 その呟きは北風に巻かれて薄れていった。

 百合が涙を流しながら彼に駆け寄る。

 

 

 最強同士の死闘が、ここに終決した。

 

 

 ◆◆

 

 

 その頃、高層ビルの屋上で全てを見届けていたニャルとハスター。

 ニャルは総身を震わせると、熱の篭った溜息を吐いた。

 

「ハァぁっ♡ 大和ぉ……♡ カッコイイ……ッ♡」

 

 陶酔しきっているニャルは、胸に手を這わせ真紅の双眸を潤ませる。

 その姿は扇情的だった。

 

 対してハスターは、何やら思案している様だ。

 

「フム……人間という種族ヲ超越しタ存在、実ニ興味深い」

 

 ハスターはおもむろに黄色の衣を靡かせる。

 

「あノ怪物の原点と所以……知りタクなった。非常に知的好奇心ヲくすぐらレタよ。故に……」

 

 ハスターが黄色の衣を脱ぎ捨てると、そこには絶世の美女がいた。

 黄色の髪をショートで整え、鋭くも知的な双眸を揺らしている。

 年齢は二十代半ばほど。スタイルも抜群に良い。

 漆黒のパンツスーツを着こなし、黄色のネクタイとロングスーツでしっかりと個性を出している。

 

「女装はあまり慣れていないが……まぁ、問題無いだろう。問題はあの人間を誘い、セッ〇スし、遺伝子を摂取する事だ。あの人間はかなり性的欲求が強い、難易度は低いだろう」

 

 冷静に思案しているハスター。

 女体化して大和とセッ〇スしようとしている彼? に対して、ニャルは金切り声を上げた。

 全力☆否定である。

 

「ダメぇ!! 大和は僕のなの!! 僕のダーリンなの!! 絶対にダメぇぇぇぇッ!!!!」

「別にいいじゃないか、ちょっとくらい」

「駄目ったら駄目なのぉ!!」

 

 子供の様に頬を膨らまして涙目になるニャルに、流石のハスターも辟易せずにいられなかった。

 

 



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十一話「死闘の余韻」

 

 

 

 中央区、路地裏にある質素なアパートで。

 大和は自室で深い休眠に付いていた。

 本来であれば即手術の重傷を負っている。自然治癒能力が馬鹿げている彼でも、休眠は必須だった。

 

 生半可な攻撃では傷一つ付かない大和をここまで痛めつけ、追い詰めた吹雪という男は間違いなく世界最強の剣豪だった。

 それでも、大和は勝った。

 

 勝因は一つ。

 大和が先天的な超越者だったからだ。

 人間でありながら人間ではない、怪物だったからだ。

 

 深い眠りに付いている大和。

 ここまで隙だらけな彼は本当に珍しい。

 

 一時間程経っただろうか――大和は目を覚ました。

 その肉体を蝕んでいた刀傷は大半が塞がり、体力も回復している。

 この自然治癒能力も彼を超越者たらしめる所以だった。

 

 大和は程よく柔らかい「何か」を枕にしていた。

 彼は自分を膝枕し、心配そうに見つめてくる魔忍に笑いかける。

 

「悪ぃな……もう大丈夫だ」

「本当か? まだ一時間しか経っていないぞ。もう少し眠った方が……」

「いや、これ以上寝ると体が怠ける」

 

 紺色のポニーテールを揺らす美少女。

 鋭い双眸を心配で潤めながら魔忍、百合は大和に礼を言った。

 

「本当に、ありがとう……私を助けてくれて」

「勘違いすんな。俺はお前が美味そうだったから助けただけだ」

「それでも私は、お前に助けられた」

 

 百合は大和の頬を愛おしそうに撫でる。

 大和は彼女に聞いた。

 

「もう一人はどうした?」

「牡丹か? 隣の部屋で眠っているよ。さっきまでお前を看病していたんだ、後で礼を言ってやってくれ」

「……そうか」

 

 微笑む大和。

 彼は己の頬を撫でる百合の手を、気持ち良さそうに受け止めていた。

 

「っ」

 

 百合は頬を赤くし、双眸を蕩けさせる。

 熱い溜め息を吐いて、大和を見つめていた。

 

 先ほどまで妖剣士に嬲られていた肢体は、危機を脱した生存本能も相俟って、益荒男の寵愛を卑しいほど求めていた。

 一目惚れだった。邪悪だろうが傲慢だろうが、その全てが愛おしかった。

 

「ッッ」

 

 しかし駄目だと、百合は自制する。

 魔界都市の瘴気に感化され過ぎている、彼の色気に惑わされていると、精神統一を図る。

 

 そんな彼女に対し、大和は起き上がり一言囁いた。

 

「我慢しなくていいぞ。俺も、昂ってる」

 

 百合の中で、何かが切れた。

 それは正気の糸だった。

 

 卑猥な雌犬が目覚める。

 本能的に男を求める狗は、大和を押し倒しその唇を貪った。

 

「んちゅ、はぁぁ♪ おいひぃ……♪ 大和ぉっ♡」

 

 恥じらいなど無い。

 唾液の味が甘露に思えるほど、百合は陶酔しきっていた。

 切なげに、しかし激しく大和と舌を絡める。

 

 大和も快く応じ、百合の舌を吸い上げる。

 百合の表情がトロンと惚けた。

 

 ボディースーツにぴっちりと浮き出たその尻を揉みしだく。

 歳不相応に豊満な乳房を愛撫され、百合は嬉しそうに喘いだ。

 

 嬉々として大和に貪られ続けられる百合。

 営みに入れば両足を彼の腰に絡め、自らも身体を揺する。

 最奥を突かれ、百合は激しい喘ぎ声と共に果てた。

 

「……あわわわッ、百合ちゃん、意外と大胆……!!?」

 

 二人の激しい交わりを扉の隙間から覗いていた牡丹。

 顔を真っ赤にしながらも、決して目を反らさない。

 

 百合と大和の性行を見ていると我慢できなくなったのか、牡丹は「私も!!」と叫んで乱入する。

 それから数日間、大和の部屋から少女達の甘い悲鳴が途絶えなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔忍騒動から二週間後。

 大衆酒場ゲートにて。様々な種族でごった返しになっている店内は、今も「あの話題」で持ち切りになっていた。

 

「天下五剣の一角が殺された」

「世界最強の剣豪が負けた」

 

 同時に上がる話題は――

 

「あの大和が追い詰められた」

「最強同士の殺し合い、拮抗してた」

 

 というものだった。

 デスシティの新聞やニュースでも大々的に報じられている。

 邪神をも葬る最強の殺し屋と世界最強の剣豪の死合いは、魔界都市では最重要項目に認定されていた。

 

「最強」同士の死闘は、なにもデスシティに限った話ではない、世界が、宇宙が存亡の危機に陥る。

 年に数度の間隔で起こるこの大事件は、デスシティの住民にとって極めて重要で、且つ注意しなければならない内容だった。

 

 噂をすれば――件の殺し屋がやって来る。

 褐色肌の美丈夫、世界最強の殺し屋にして武術家――大和。

 彼の来訪によって、店内は通夜の如く静まり返った。

 

 大和は気にする事なく、笑顔で歩んで行く。

 お気に入りのカウンター席に座ると店主である金髪の偉丈夫、ネメアが呆れ交じりに聞いた。

 

「キレたんだってな」

「まぁな」

「よかったじゃないか、あまり知られていない様で。お前のキレた姿は中々に悍ましいからな」

「俺ぁ嫌いなんだよ、あの姿が。だから安心してるぜ」

 

 大和は吹雪との死合いを全く引き摺っていない様だった。

 ネメアは気になったので聞いてみる。

 

「……殺したんだってな。吹雪の奴を」

「ああ、アイツが先に刃を向けたんだ。仕方ねぇ」

「そうか……」

 

 ネメアはそれ以上、何も聞かない。

 聞いても無意味だと悟ったからだ。

 

 大和は煙草を咥え、火を点けながら呟く。

 

「強かったぜ、アイツぁ……あそこまで追い詰められたのは久々だ。だから同じ「最強」と戦うのは嫌なんだよ。こっちも無事じゃ済まねぇ……五体満足でいられて安心してるぜ」

「……」

「俺は一方的な暴力が――弱い者苛めが好きなんだよ。互角の死闘なんざ、面倒臭くて仕方ねぇ」

 

 大和は暗い笑みを浮かべる。

 その笑みは、彼を怪物たらしめる所以だった。

 

「アイツは馬鹿だから死んだ。俺より弱かったから死んだんだ」

「…………お前も、何時かそうやって殺されるさ。勿論、俺もな」

「そん時が待ち遠しいぜ。なぁ、ネメア?」

「……何時だろうな、その時が来るのは」

 

 ネメアは肩を竦めながら大和の前に酒瓶を置く。

 注文していないのに置かれたので、大和は首を傾げた。

 

 酒の名前は――「雪月花」

 吹雪が好きだった酒だ。

 

 去って行ったネメアの背に、大和は苦笑を向ける。

 

「余計な真似しやがって……」

 

 そう言いながらも、大和は盃に酒を注いだ。

 透明な酒はしかし辛口で、冬の日に呑むと体の芯が温まる。

 

 大和は吹雪とよく雪見酒をしていた。

 彼は雪見酒が大好きだった。

 

 盃を満たす透明な水面に自分の顔を映しながら、大和は呟く。

 

「馬鹿野郎だよ、お前は……大馬鹿野郎だ」

 

 そう言って、大和は杯を満たす酒を飲み干す。

 程よく喉を熱くする液体は、五臓六腑に染み渡った。

 

 次を注ごうとしたその時――店内が著しく騒がしくなる。

 大和は後ろに振り返った。

 

 黄色の髪の、クールな美女が自分目指して歩いて来ていた。

 稀に見る絶世の美女なので、大和は好奇心をくすぐられる。

 しかし何故だろうか――途轍もなく嫌な予感がした。

 

 気配を探ると案の定だったので、大和は重い溜息を吐く。

 

「大和、突然で済まない。私と性行をしよう」

「いきなり何言いだしやがる、ハスター」

「む? 性行では通じないか? セッ〇スで通じるか?」

「そういう問題じゃねぇ」

「些細な問題だ。さぁ大和、私とセッ〇スをしよう」

「断る」

 

 即答されたので、黄色髪の美女――ハスターは心底不思議そうに首を傾げた。

 その間に、店内の客人達は我先にと逃亡している。

 顔面を蒼白にして――だ。

 

 ハスター。

 風属性を司る旧支配者(グレート・オールド・ワン)で、邪神群の中でも特に強力な存在だ。

 

 彼女? は大和に理由を聞く。

 

「何故だ? 君は女とセッ〇スするのが大好きなのだろう? この容姿、あながち悪くないと思うが……」

「そういう問題じゃねぇ。ともかく断る。お前と――いいや、お前等とは極力したくねぇんだよ」

「私はしたい。だから頼む、この通りだ」

「~っ」

 

 律儀に頭を下げられるもんで、大和は困った風に頭を押さえる。

 すると、次元の壁をぶち破って褐色肌の美女が現れた。

 彼女はハスターに跳び蹴りを食らわすと、泣きながら怒声を上げる。

 

「ハスター君!! 君は遂にやっちまったね!! 僕の逆鱗に触れてしまったね!! あれ程! 再三! 忠告したのに!! もう許さないぞ!! 大和は僕のダーリンなんだから!!」

「ふぅ……君もしつこいね、ニャル。私は別に大和と愛し合いたい訳じゃないんだ。ただ遺伝子が欲しいだけなんだよ。この人間の未知を解明したいだけなんだ」

 

 起き上がったハスターはやれやれと肩を竦める。

 しかしニャルは聞く耳持たず、臨戦態勢に入った。

 

「君はッ、僕を怒らせたッッ。まさか同胞にコレを出す時が来ようとは……この混沌烈拳を以て、君に天誅を下すよ!!」

「ほぅ……イイ度胸だニャル。僕もそろそろしつこいと思っていたところだ。この形態での必殺技、旋風脚で黙らせてあげるよ」

 

 ニャルは「ほわぁぁ~」と異様な構えを取り、ハスターも片足を上げて蹴りの体勢に入る。

 二人は同時に動いた。

 

「ほわっちょ~!!!!」

「フンッ!!」

 

 二人が交差するその瞬間、ネメアの鉄拳が両者の頭蓋に叩き落とされる。

 二人はあまりの痛さに悶絶した。

 

「にゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「!!!? !!!?」

 

 ネメアは眉間に青筋を立てながら唸る。

 

「お前等――この店で喧嘩は御法度だって、知ってるよな?」

「ネ、ネメア!! 違うんだ!! 今回はハスター君が悪いんだよ!!」

「ネメア……君のその拳骨、凄まじいダメージ量だ。是非解明させてくれ。何なら君とセッ〇スしても――」

 

 

「出ていけ、営業妨害だ」

 

 

 首を掴まれ、問答無用で店外に放り出される二人。

 その騒動を後ろから眺めながら、大和は苦笑していた。

 そして天井を仰ぐ。

 

「なぁ吹雪よぅ、もう暫く待っといてくれや。俺も、飽きたら行く」

 

 そう言って、大和は彼が好きだった酒を飲み干した。

 

 

《完》



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第五章「黒兎伝」
一話「黒兎」


 

 

 何時も通り、凶行と悪徳で彩られている超犯罪都市デスシティ。

 妖物が凶暴化して何名喰い散らかそうが、オーク達の公開レイ〇ショーが始まろうが、住民達はソレを日常として完結させる。

 

 犯罪者の楽園、悪徳の都、現世の魔界──

 あらゆる悪逆を容認するこの魔界都市は、今日も今日とて狂気を孕み、自我を持つ様に蠢いていた。

 

 住民達の欲を煽るこの都市を、平然と遊歩する少女が一人。

 凶悪なる住民達は彼女に奇異の視線を向けるが、その身に纏う雰囲気を感じ取り、肩を竦め通り過ぎる。

 

 何だ、彼女もこの都市の住民なのか──と。

 

 住民達は初見でわかってしまうのだ。

 表世界から来た田舎者なのか、それとも魔界都市の住民なのかを。

 

 纏う雰囲気が違う。

 この都市の様相を「日常」として完結させる死んだ魂と、幾多の同類を葬ってきた血臭。

 そして強者特有の、隙の無い佇まい。

 

 魔界都市の住民を名乗る馬鹿でも、表世界の常識が抜けきらずに調子に乗る者は多い。

 そういう馬鹿から死んでいく。

 

 その点、少女は違った。

 弁えていた。

 

 故に住民達は同類と断じ、通り過ぎる。

 二十歳にも満たないこの少女は、魔界都市の住民として認められていた。

 

「お腹が空きました……」

 

 黒い兎耳が付いたパーカーをたくし上げる少女。

 美少女だった。

 未だ幼いが、顔立ちは将来期待できる。

 眼鏡の奥で灰色の双眸が冷たく輝いた。

 今時のカジュアルな服装に身を包む彼女は、フラフラと道を逸れる。

 

 向かったのは中央区で一番栄えている大衆酒場だった。

 ゲート。世界最強の傭兵が経営する粋な酒場である。

 少女は此処の常連だった。

 

 店内に入ると、多種多様な種族で盛り上がっていた。

 豪快に酒を飲んでいる傭兵達。体躯の大きい獣人や妖怪が多いので、妖精達にお願いしてその上を滑空する。

 そうして、少女はカウンター席までやって来た。

 少し背が足りないので、席に飛び乗る。

 

 隣に座っていた蟲人やガスマスクの賞金稼ぎ達が奇異の視線を向けるも、少女は気にせずネメアに手を挙げた。

 

「ネメアさん、お腹が空きました。何時ものをお願いします」

「ん……何だ、黒兎(こくと)か。何時ものでいいのか?」

「はい」

 

 新聞から視線を上げた金髪の偉丈夫、ネメアは腰を上げる。

 厨房に入っていく彼を見届けながら、少女はソワソワと肩を揺らしていた。

 程なくして、ネメアが料理を持って来る。

 

「ほれ、天ぷらうどんに野菜ジュースだ」

 

 特大のえび天が二尾、豪快に乗った湯うどん。

 野菜ジュースはフルーツ入りで甘さが際立つ。

 

 少女──黒兎は灰色の瞳を輝かせると、箸を持ち、頭を下げた。

 

「いただきます」

 

 黒兎はまず鰹節が効いたダシを一口飲んで、ほっと一息。

 そしてうどんを数回啜り、海老天を齧る。

 途中で七味を入れて味を変えれば、うどんより早くえび天を平らげる。

 うどんも完食すればダシまで飲み干し、最後に野菜ジュースをがぶ飲みする。

 そうして大きな溜息を吐き、彼女は両手を合わせた。

 

「ごちそう様でした」

「おそまつ様でした」

 

 お椀を丁寧に手渡され、ネメアは受け取りながら言う。

 

「飯代はアイツに付けておく。お前は気にするな」

「本当に、よろしいのですか?」

「ああ、そこら辺は俺がきっちりさせる」

「……ありがとうございます」

 

 微笑む黒兎。

 ネメアは彼女の口の端に七味が付いているのに気付いて、ハンカチで拭ってやった。

 黒兎は警戒せず受け止める。

 

「……すいません、わざわざ」

「いや、気にするな」

 

 微笑するネメア。

 黒兎はおもむろに彼の手を見つめた。

 

「……ネメアさん。何時もの、お願いしてもいいですか?」

「ん? ……ああ」

 

 ネメアは黒兎の頭をくしゃりと撫でる。

 黒兎は気持ち良さそうに目を細めた。

 パーカーに付いている兎耳が、心なしか立っている様に見える。

 

「やはり気持ちいいです。ネメアさんの手は魔法の手です」

「そうか、嬉しいな」

「本当に、ネメアさんが良かったです。私の──」

 

 最後まで言い終える前に、黒兎の前に三毛猫が現れた。

 二足歩行する浴衣を着た猫又は、黒兎に必死で頭を下げる。

 

 情報屋、ミケである。

 

「お嬢ぉぉぉ!! 助けてくださぇぇぇ!! お嬢しか頼れる御方がいねぇぇぇ!!」

「……落ち着いてください。ミケさん」

 

 どうやら、一波乱起きる様だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 ミケは情報屋だ。

 多種多様な情報を正確に、且つ最速でお客様にお届ける事を信条にしている。

 特に正確さは重要であり、一部の誤差もあってはならない。

 

 しかし今回、とんでもない異常者(イレギュラー)がミケの商売を邪魔した。

 

「……成程、デスシティを脱出したい客人がいる手前、最短ルートとそれなりの用心棒を勧めたものの、追手の殺し屋が尋常では無いと」

「そうです!! 追手があの、あの大和の旦那なんです! まさかこんな小さい仕事に入り込んでくるなんて!! 完全予想外で!」

 

 ミケはだみ声を上げながら頭を抱える。

 ネメアは思わず溜息を吐いた。

 

「アイツは報酬さえ良ければ仕事を選ばない。今回は運が悪かったと諦めればどうだ?」

「そうはいかないんです! あっしも商売人だ! ミスした手前、そのままでとはいかねぇ!」

 

 ミケは少女──黒兎に頭を深く下げる。

 

「お願いしやすお嬢! お嬢の力を貸してくだせぇ! 2分でいい! 大和の旦那を足止めして欲しいんです!」

 

 ミケの願いに、まずネメアがその精悍な顔を歪めた。

 

「おいミケ……お前、大和とこの子の関係を知っていて、そんな事言っているのか?」

「勿論でさぁ!」

「お前──」

 

 怒気が溢れ出る。

 ミケは跳び上がった。客人達も静まり返り、酒場は緊迫で包まれる。

 傭兵王の逆鱗に触れてしまい、あわあわと怯えるミケ。

 そんな彼を庇う様に抱きかかえ、黒兎は告げた。

 

「大丈夫ですネメアさん。コレは私の仕事です」

「……いいのか?」

「はい。私は妨害屋──殺し屋や傭兵達を邪魔するのが仕事です。それに、困ってるミケさんを放っておけません」

「お嬢ぉぉッ……!!」

 

 泣きつくミケをよしよしと撫でる黒兎。

 ネメアの表情は依然、険しかった。

 

 立ち上がり踵を返す黒兎に、彼は言う。

 

「危なかったら俺に電話しろ。すぐに行く」

「心配し過ぎですよネメアさん。私、強いからですから。それに、あの男の事はよく知っています」

 

 実の父親ですからね──

 

 そう言い残し、黒兎は酒場を去って行く。

 デスシティ特有の職業──妨害屋。中でも随一の実力を誇る彼女は、世界最強の殺し屋の実娘だった。

 

 

 



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二話「父娘」

 

 

 妨害屋は魔界都市の変わった職業の一つだ。

 忌み嫌われているが、同時に重宝されている。

 デスシティの殺し屋や傭兵、賞金稼ぎ達は端的に言ってバケモノ揃いだ。

 

 彼等を妨害し時間を稼ぐ妨害屋は、雇い主達にとって最後の生命線だった。

 用心棒を雇うより安く、しかし確実に時間を稼いでくれる。

 限られた時間で何を成すかは雇い主次第だが、デスシティの猛者達相手に一分一秒でも多く稼げる彼等の存在はとても大きかった。

 

 黒い兎のフードを深く被り、黒兎は目的地まで跳ぶ。

 高層ビルの側面を疾走し、滑空車を八艘跳びの如く渡る。

 

 時間帯は夜──魔界都市が最も栄える時間帯だ。

 テールライトの一つに照らし出された黒兎は、まるで怪盗の様だった。

 

 向かう場所は西区、闇市場近くの裏路地。

 既存の用心棒達が時間を稼いでいるらしいが、相手は大和だ。もう一分稼げるか怪しい。

 

 黒兎は疾く駆けた。

 その手に、ミスリル銀製の長棒を携えて──

 

 

 ◆◆

 

 

「ひぃぃッ」

 

 それはヤクザの組長の情けない悲鳴だった。

 用心棒達を紙切れの如く斬り刻んでいく褐色肌の美丈夫に、彼は心底怯えていた。

 

 真紅のマントが靡く。

 その灰色の三白眼に組長を捉えて、大和は嗤った。

 

「無意味な時間稼ぎなんてすんじゃねぇよ。テメェも、もう立派な此処の住民だろう? 死ぬ時はすっぱり死ねや」

「ば、馬鹿を言うな! こんな所で死ねるか!」

 

 そう啖呵を切ったはいいものの、両足が震えている。

 大和はギザ歯を剥き出して、その身に燻る狂気と殺気を開放した。

 

「ぐだぐだうるせぇなァ……いいから死ねって。なァ、死ねよ。殺してやるからこっち来い」

「ひぃぃッ!!」

 

 組長も、取り巻きの構成員も、歴戦の用心棒達すらも、恐怖で尻餅を付いた。

 皆、悪辣なる鬼神をその眼に映したのだ。

 

 最早人間にあらず。

 超越者──人類の特異点そのもの。

 

 一騎当千の力を誇りながら、その魂、悪辣にして低俗。

 しかし、魂が叫ぶ欲望の形を成し遂げられる、最強にして最低の益荒男。

 

 意思を持った天変地異、暴力の天才、悪鬼羅刹、虐殺者。

 

 デスシティの誇る理不尽の象徴に殺意を向けられ、組長は下半身をずぶ濡れにしていた。

 用心棒達は恐慌状態になって逃げていく。構成員達もだ。

 

 最早、頼れる者はいない。

 組長は悲鳴すら上げられず、目を閉じて震えていた。

 赤柄巻の大太刀が大和の手の中でブレる。

 組長の前まで白刃が迫ったその時──ミスリル銀の長棒が火花を散らし、大太刀を跳ね返した。

 

 組長は恐る恐る目を開ける。

 小さい少女の背があった。

 

「二分、時間を稼げます。その間に逃げてください」

 

 組長は何がなんだかわからないが、とにかく駆けた。

 路地裏を出て、闇タクシーを無理やり止めて、少しでも遠くへ逃げようとする。

 

 大和は嗤いながら黒兎に告げた。

 

「俺相手に二分時間稼ぐたぁ……デケェ口叩く様になったじゃねぇか──ええ? チンチクリン」

「煩いですよ糞親父。加齢臭バンバン出てるんで、臭いんで、死んでください」

「……アア゛?」

「誠に遺憾ながら、貴方の娘ですので。強いですよ私は……覚悟してください。腐れ親父」

 

 父娘の対決が、決定した瞬間だった。

 

 



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三話「親子喧嘩」

 

 

 大和はフッと鼻で笑い両手を広げる。

 

「加齢臭ねぇ……セッ〇スの仕方もわからねぇクソ餓鬼にゃ、俺の色気は理解しがたいみてぇだな」

 

 それに対して、黒兎もフッと鼻で笑う。

 

「貴方のは色気というより加齢臭でしょう。臭いんで、それ以上近づかないでいただけますか?」

「ったく、ますます女としての才能がねぇ。お前、本当に俺の娘か?」

「誠に遺憾ながら、血は繋がっています。なので遺産は相続して差し上げましょう。安心して土に還ってください。できれば地獄の底だと嬉しいです」

「ハッ……未熟もんが、ほざきやがるぜ」

 

 大和は笑顔だが、眉間に青筋を立てながら大太刀を振るう。

 

「いいぜ、丁度いい臓器売買の店を見つけたところだ。指先一本まで換金してやる」

「ほざきやがれです、糞親父」

 

 とても親子とは思えない会話を交え、互いに一切遠慮無く得物を振るった。

 

 

 ◆◆

 

 

 あの大和相手に二分も時間を稼ぐなど、本来であれば不可能だ。

 それこそ、同じ「最強」の称号を持つ者しか彼を止める事はできない。

 

 しかし、黒兎は彼の実娘である。

 その武技の才はきっちりと受け継がれていた。

 

 大和の放つ剛剣を黒兎はミスリル銀の長棒でいなす。

 瞬時に長棒の先端を三つ又槍に変形させて五段突きを放った。

 一息に放たれた五つの刺突に対し、大和は丁寧に捌く事で対応する。

 しかし最後の一突きで矛先が変形、飴状になって大太刀を絡め取った。

 鞭の様にしなる長物──その伸縮性に任せて黒兎は跳躍し、大和の顔面にドロップキックをかます。

 

 しかし、大和は難なく左手でガードする。

 そのまま黒兎を力任せに投げ飛ばした。

 彼女は再度ミスリル銀を三つ又槍に変化させると地面に突き刺し、回転する事で威力を殺す。

 

 精神感応金属、ミスリル銀。

 デスシティでも希少素材として扱われているこの魔金属は、使用者の精神命令に1ナノ秒と跨がず反応し形状変化する。

 強度、伸縮性共に無限の可能性を魅せる夢の金属だが、その使用の難しさから扱う者は極々限られている。

 

 この魔金属を得物に用いている事で有名なのは、あのアラクネだ。

 1000分の1ミクロンまで細められたミスリル銀の鋼糸を自在に操ってみせる。

 元々鋼糸は切断、捕縛、結界、防御、傀儡、移動、追跡まで何でもござれの万能武器。

 ソコにミスリル銀の形状変化の特性が加わるので、正に万能とも言える力を発揮する。

 

 しかし黒兎もまた、ミスリル銀を用いた得物の名手だった。

 大和譲りの、あらゆる武器を使いこなす戦闘センスとソレに耐えられる肉体。

 彼女がその気になれば太刀、大剣、細剣、戟、薙刀、鎌、鎖分銅など──あらゆる武装を完璧に扱いこなしてみせる。

 彼女はアラクネに比肩──いいや、それ以上にミスリル銀の真価を発揮できる実力者だった。

 

 更に──黒兎の灰色の瞳に黄金のオーラが灯る。

 過去現在未来までの全てを見通してしまう魔術師の冠位、魔法使いの更に上位──魔導師足りえる条件。

 

 千里眼。

 

 ソレを彼女は生まれながらに会得していた。

 故に大和の未来を完璧に見通し、対応してみせる。

 本来の彼女の実力なら防御不能の一撃も、優々と避けてみせた。

 

 大和は愚痴る。

 

「遂に俺の未来まで捉え始めたか──本当の意味で魔導師の、アイツの域に踏み込みやがったな」

 

 黒兎の母親は大和と同等レベルの規格外だ。

 災厄の魔女──エリザベス。

 欧州の魔術結社「黄金祭壇」の総帥であり、最古にして最強の魔導師──世界最強の魔法使いである。

 

 世界最強の武術家と世界最強の魔法使いの間に生まれた子。

 彼女は間違い無く、世界最高のサラブレッドだった。

 

 しかし、まだ未熟なのは否めない。

 二十歳にも満たない少女は、天賦の才のみで大和と張り合っていた。

 

 武術の腕は既に右之助を超え、A級をはみ出しつつある。

 魔術の腕は魔法使いを超え、魔導師の域に到達しつつある。

 

 しかし、大和には勝てない。

 最強の中でもとりわけ別格な彼に勝つには、これだけでは足りないのだ。

 

「勝てなくてもいいんですよ……私は妨害屋。ほんの少しの間、時間を稼げればいい」

 

 故に──そう呟いて、彼女は七色に煌く闘気を纏った。

 大和は瞠目する。七色に輝く闘気など、彼の生涯で一度たりとも見た事がなかったからだ。

 

 違和感を感じる。

 闘気以外の力を感じるのだ。

 大和は瞬時に見抜き、そして舌打ちした。

 

「魔闘技法か……」

 

 闘気と魔力の融合。

 本来、絶対に相容れない二つの力を融合させ莫大な力を獲得する究極技法。

 修得難易度最上級を誇る、大和でも扱えない力──

 

 この技法の開発主であり、既に極めている「ある傭兵」がいた。

 大和は苦笑気味に嗤う。

 

「ネメアぁ……あの野郎、余計な技教えやがって」

 

 そう、魔闘技法は傭兵王ことネメアの十八番だった。

 



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四話「決着」

 

 

 黒兎の魔闘技法は師匠であるネメアと内容が違う様だった。

 大和は興味津々といった様子で黒兎を観察する。

 

 見抜かれる前に、黒兎は駆ける。

 ミスリル銀を巨大な大剣に変化させ、全体重を乗せた兜割りを放つ。

 互いの体格差からこの攻め方は無謀に見えた。

 しかし──大和の防御ごと、大太刀が押し返される。

 

「ほぅ」

 

 大和は咄嗟に威力をいなした。

 黒兎は攻めを止めない。

 彼女の筋力からは本来考えれない、剛力に任せた攻めが展開される。

 

 大和は冷静に防御しながら、彼女の力の源を探った。

 

(ただの出力アップじゃねェな。何だ、コイツのこの異様な力は)

 

 魔闘技法を習得できたのは今迄ネメア一人だけ。

 それ程に超高度な技法なのだ。

 

 黒兎の魔闘技法──その真相は七つの特殊能力にある。

 ネメアの魔闘技法は単なる出力アップだが、彼女のは違う。

 七色が示す通り、七つの能力があった。

 

『倍化』『譲渡』『半減』『吸収』『支配』『破壊』『再生』

 

 出力アップの幅はネメアに及ばないものの、その能力は多彩にして万能。

 母譲りの魔術の才が、魔闘技法を真の意味で「究極技法」に至らせていた。

 

 今、黒兎が使用しているのは『支配』の能力。

 己の肉体を完璧に支配し、未熟な身体操方をカバーしている。

 

 更に、大和の肉体を『支配』する事でその動きを止める。

 世界で一番濃厚な闘気を纏っている彼に難なく干渉してみせた。

 大和は瞬時に対応してみせるが、今の違和感に嫌悪心を強める。

 

「摩訶不思議な力使いやがって……今、俺の肉体を一瞬乗っ取ったろう」

「……」

「面倒くせぇ、今のうちに殺しておくか」

 

 大和は少し力を開放し、大上段から得物を振り下ろす。

 天地を断つ、規格外の斬撃。

 しかし黒兎はその斬撃を『吸収』し、己の力に変換した。

 更に何倍にも『倍化』させて、大和へお返しする。

 

 魔界都市を両断する勢いで放たれた斬撃波。

 地盤が割れ、震度六を超える大地震が発生する。

 西区から東区の端まで、大きな溝が出来上がった。

 

「………………」

 

 大和は半身を逸らし、最小限の動作で避けていた。

 その表情には驚愕も焦りも無い。

 ただただ、黒兎を凝視していた。

 

 観察している。

 解明しようとしているのだ、その力を。

 

「ッッ」

 

 黒兎は耐え難い悪寒を覚える。

 これ以上は不味い、そう直感が告げていた。

 彼の戦闘センス、そして膨大過ぎる戦闘経験によって、能力の内容を逆算される。

 

 後退する黒兎。

 すると、大和は大袈裟に両手を広げた。

 

「オイオイ、逃げるなよ。もっと見せてくれ、お前の力を──内容なんざ、何時かバレるんだ」

「!」

 

 読心術。

 表情筋で心を読まれた。

 

「……さらばです。糞親父」

 

 黒兎は迷い無く撤退する。

 丁度、約束の二分が経っていた。

 

 黒兎は逃亡しながら唇を噛みしめる。

 総合的な才能は明らかに自分が上、何時か必ず追いつける。

 しかし──追い越せる気がしない。

 

 純粋な戦闘センスに於いて、自分は父に勝てない。

 しかも、彼は未だ成長し続けている。

 

 胸の騒めきを手で抑えながら、黒兎は夜の魔界都市を跳躍した。

 

 

 ◆◆

 

 

「才能は俺以上──勘も良い。しかし、まだまだ未熟……そう簡単に追い付かれてたまるかっての」

 

 大和は肩を竦めながら、黒兎が去って行った方向を見据える。

 ふと、思い出した様に三白眼を見開いた。

 

「おお、そうだった。さっきのヤクザの頭、殺すの忘れてた! ……んー」

 

 体臭や声、本人の性格や癖、その他様々な要素を逆算して、標的の居場所を特定する。

 何となく居場所がわかった大和はその辺にあった手頃な石ころを拾い、闘気を込める。

 そして投擲した。

 

「恐らく近隣の同僚に匿って貰ってると見た。……まぁ、その同僚の土地ごと吹っ飛ばせば問題無いよな♪」

 

 物騒な事を言う大和。

 同時に地響きが起こる。

 少し遅れて、爆発音が響き渡った。

 先程投げた石ころが着弾し、標的がいるであろう事務所を丸ごと吹き飛ばしたのだ。

 

 黒兎は妨害屋としての仕事を全うした。

 この結果は、依頼主自身の問題である。

 

「うっし、任務完了♪」

 

 大和は笑顔で頷くも、ふと思い出す。

 

「あ、あのチンチクリンもムカつくから投げておくか」

 

 気配を探るも、足跡を辿えない。

 上手く隠れた様だ。

 

「中々成長してるな……ハン、生意気な」

 

 鼻を鳴らして踵を返す。

 真紅のマントを靡かせ、大和は路地裏の闇に消えていった。

 

 



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五話「傭兵王」

 

 

 後日、大衆酒場ゲートにて。

 西部開拓時代を彷彿とさせる粋な店内は、何も飲食を楽しむだけの場所では無い。

 性に奔放なエルフ達の求愛場でもあり、妖怪達の宴会場でもあり、他種族を交えたカードゲームを楽しめる遊戯場でもあった。

 

 店長である金髪の偉丈夫ことネメアは、安心して新聞を読んでいた。

 風の噂で耳にしたのだ。

 妨害屋が、あの大和を二分も足止めできたという。

 

 彼は喜んでいた。

 実の娘の様に想い、弟子として秘伝を伝授した女の子が、あの大和と戦えたのだ。

 彼等の関係を鑑みれば複雑な心境もあるが、それ以上に嬉しさが勝っていた。

 

「……ハァ」

 

 しかし、唐突に沈鬱な溜息を吐く。

 ネメアは自分自身に辟易していた。

 大和と黒兎、どちらとも仲が良く、しかし深く関われない。

 そんな中途半端な自分に嫌気が差していた。

 

「……人間でいるのは、本当に面倒だ」

 

 邪神を超える腕力を誇ろうが、人間としての煩悶は捨てきれない。

 大和の様に心まで怪物になれば楽なのだろうが──

 ネメアはソレを拒否した。

 

 どれだけ嫌な思いをしても、どれだけ悲しい出来事に直面しても──

 彼は人間である事を捨てられなかった。

 

 何故なら、こんな自分にも誇れるものがあるから。

 苦難に耐えて前進する事こそ、人間である証明だと心得ているから。

 

 人間という生き物は「正義と悪」という極端な性質に永劫囚われる運命にある。

 ネメアはそのどちらでも無い、中立の立場を選んだ。

 

 正義を名乗るには、あまりに他者を殺し過ぎた。

 そして、悪を名乗るにはあまりに甘過ぎたから。

 

「……ふぅ」

 

 ネメアは新聞を畳む。

 記事を読む気も無くしてしまったのだ。

 すると丁度良く、客人が入って来る。

 褐色肌の美丈夫の登場に、店内が沸いた。

 

 瞬く間にエルフやダークエルフ、サキュバスの女達に囲まれる。

 そして、他の男達から羨望と憎悪の入り混じった視線を向けられた。

 それでも彼──大和は笑顔で対応する。

 

 ネメアは思う。

 皆、大和の腕力と戦闘センスに焦点が行きがちだが、その本当の強さとは、己と欲望を御し信念を貫く強靭な精神力だ。

 

 好きなものを好きと、嫌いなものを嫌いと大声で言える。

 それを貫き通すだけの強さを、想像を絶する努力の果てに手に入れた。

 

 その生き様に一切の曇り無し。

 誰よりも豪快に、残虐に、しかし正直に──

 益荒男という言葉は、彼のためにある。

 

 ネメアは彼の様にはなれない。

 それはネメア自身、一番よく理解していた。

 

 彼の様になるには、捨てなければならないものが沢山ある。

 正義、友情、道徳──人間として大切なものを沢山捨てなければならない。

 

 ネメアは違う。

 人間として大切なものを捨てない代わりに、苦労する。

 しかし、その苦労を誇りに思えるのだ。

 

 大和がネメアの前までやって来て、話しかける。

 

「よゥ」

「オウ」

「あのチンチクリンに魔闘技法教えただろう? 余計な真似しやがって」

「誰に教えるのも、俺の自由だ」

「勝手にしな」

 

 大和は笑う。

 ネメアも笑った。

 

「勝手にさせて貰おうさ。それより、何を食う?」

「何時もの天ぷらうどんだ。野菜ジュース付きでな」

「……フフフ、やはり親子だな」

「オイ、そりゃぁどういう事だよ」

「何でもない」

 

 ネメアは踵を返し、厨房へ向かう。

 その笑顔は何時もより深かった。

 

 

《完》



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第六章「悪鬼伝」
一話「大正モダン」


 

 

 大正時代。

 明治と昭和に挟まれ、15年と短いながらも、激動の道を辿った時代。

 流通、商業、メディアの発展と共に齎される外来の文化。

 しかし度重なる戦争と大震災による傷跡。

 豪華絢爛、大正モダンと称される繁栄の裏に確かにあった、退廃的風潮。

 貧富の差が大きく出た事もあり、世は混沌を象徴する時代でもあった。

 

 公にされていないが、魑魅魍魎が再度活発化した事でも有名である。

 当時陸軍中尉だった男が裏で帝都を支配。陰陽風水を以てして妖魔達を使役し、帝国を裏で支配したのだ。

 

 それに毅然と抗った当時の人間達。

 役小角(えんのおづの)を始めとした鬼狩り達。魔忍を含む帝都防衛省。土御門を中心とした日本呪術協会。

 そして、大和やネメア、デスシティの住民達。

 彼等の活躍によって魔人中尉は封印され、最悪の事態は免れたのだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 大正5年、12月──

 降り注ぐ粉雪に淑やかに彩られる娯楽と退廃の象徴、帝都。

 妖魔に齎される惨劇すらも、粉雪は優しく包み込んでくれた。

 

 街外れにある空き地にて。

 2名の男女が傘も差さずに対峙していた。

 双方、その身から凄まじい殺気を迸らせている。

 あまりの濃度に空間が歪んでいた。

 

 片方は白の着流しに身を包んだ偉丈夫。

 容姿的年齢は30代ほどか──堂々とした体躯を誇っている。

 短く刈り上げた黒髪、額に生やした2本の角。

 その双眸は憎悪で血走っており、携えた白鞘を今にも抜き放ちそうだった。

 

 もう片方は和風のゴスロリ衣装に身を包んだ美少女。

 容姿的年齢は10代ほど──まだ幼いながらも、その美貌は将来十分に期待できる。

 しかし、身に纏う殺気は偉丈夫の比では無い。

 彼を射貫く眼光は明確なる殺意を宿していた。

 その手にある仕込み傘に、既に手が掛かっている。

 

 関東を代表する大鬼、大獄丸(おおたけまる)

 鬼狩り随一の剣技を誇る少女、野ばら。

 

 2名の対峙は避けられない運命だった。

 遂この間、野ばらは1名の鬼姫を斬り伏せた。

 大嶽丸の幼馴染にして初恋の女性、鈴鹿御前(すずかごぜん)である。

 

 大嶽丸は復讐に燃えていた。

 しかし、野ばらからすればどうでもいい。

 

 鬼であれば斬る。

 野ばらは鬼という存在を心底憎悪していた。

 

 両者の対峙は一瞬だった。

 詰め寄り、数度風を斬ったと思えば駆け抜ける。

 

 無言で得物を振り抜いた両者。

 先に倒れたのは──大嶽丸だった。

 

 純白の着流しを鮮血で染め上げ、倒れ伏す。

 瞬く間に純白の絨毯を真紅色に染め上げた。

 

「……ッッ」

 

 しかし、野ばらも膝を付く。

 自慢の仕込み刀は折れ、袈裟懸けで酷い刀傷を負っていた。

 

「まだ、まだ…………私はっ」

 

 血の滲む唇を噛みしめ、野ばらは歩き続ける。

 その足跡には、大量の血痕が残っていた。

 

 粉雪が吹雪に変わる。

 荒れ吹雪く狂風に、野ばらは成す術無く呑まれていった。

 

 これ以降、2名の姿を見た者はいない。

 鬼狩りと魔人中尉は、2名が相討ちになったと思っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 時代は進み、平成〇〇年。

 科学が著しく発達し、また世界大戦も終決した事で平和になった現代社会。

 

 しかし、その裏で膨張を続けている超犯罪都市デスシティ。

 大正時代よりも、その混沌具合を一層強くしていた。

 

 曇天を貫かんばかりに聳え立つ超高層ビルの群れ。

 その間を飛び交う幻想種と飛行車種。

 住民達の様相は一言では表せず、まさに混沌。

 

 魔術も科学も、邪神も妖魔も、仙人も神仏も、皆この闇の箱庭に集まってくる。

 世に悪名高き魔界都市は、今日も今日とて狂気と憎悪を量産していた。

 

 この都市で唯一の憩いの場になりつつある大衆酒場ゲート。

 西部開拓時代を彷彿とさせる粋な店内には、一時の安らぎを求めて多くの客人が集っていた。

 

 エルフの美女達がその絶世の美貌を餌に金づる達を誘い、精魂共に搾り取ろうとしている。

 オークの戦士は自慢の獲物を研ぐと同時に、今日の成果をテーブルに並べていた。

 小妖精達は外宇宙より来訪してきた宇宙人に興味津々で話しかけ。

 重厚な装甲を誇るアンドロイドはハイオク仕立ての麦酒をゴクゴク飲んでいる。

 

 獣色の強い犬の獣人女達は趣向の偏った傭兵を囲い、甘い吐息を吐いていた。

 大雀蜂と蟷螂の蟲人達は互いの生来の得物を比べ、称賛し合っている。

 恐竜を連想させる亜人がノコギリの様な牙を見せて、他の客人達を笑わせ。

 地縛霊達は憎悪を吐き散らしながらも、ちびちびと熱燗を飲んでいる。

 

 来るもの拒まず、去るもの拒まず。

 ルールさえ守れれば、どんな客人であろうと歓迎する。

 それが大衆酒場ゲートの在り方だった。

 

 美男美女の給仕達がせわしなく動く中、きびきびと動く異風な少女が一人。

 和服をアレンジした給仕服に身を包み、薔薇の髪飾りを揺らす。

 艶のある黒髪をサイドテールにした美少女は、容姿に反する美貌を誇っていた。

 

 見惚れる客人達が数多。その中でも恰幅の良い不細工な傭兵が、下品な笑みを浮かべている。

 彼に話しかけられるも、最低限の応対だけして切り捨てる美少女。

 その反応にも興奮しているこの傭兵は、既に手遅れなのだろう。

 

 カウンター席まで赴いた彼女は、金髪の偉丈夫──ネメアにオーダーを告げた。

 

「注文よ、店長」

「はいよ」

 

 新聞を畳み、顔を上げるネメア。

 不愛想な彼女の面を見て、思わず苦笑する。

 

「もう少し表情を柔らかくできたら完璧だな──野ばら」

「余計なお世話よ」

 

 唇を尖らせる美少女──野ばら。

 何の因果か、彼女は時空を超え、現代にて大衆酒場ゲートの給仕を務めていた。

 

 



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二話「傭兵王、立つ」

 

 数週間前、ゲートに重症を負った野ばらが入って来た。

 大正時代に彼女と面識があったネメアは、驚愕しつつも彼女を手厚く保護した。

 養生中に事情を聞くも、彼女も自分が未来にタイムスリップしてきた事に混乱していた。

 

 ネメアは推測を立てる。

 大正時代は魔の最盛期の一つ。

 濃密な妖気と邪気により、次元の歪みが最も多発していた時代だ。

 彼女は偶然か必然か、それに巻き込まれたのだ。

 

 てっきり彼女は死んだものだと思っていたネメアは嬉しい反面、複雑な心境だった。

 彼女の鬼に対する憎悪は些かも薄れていない。

 悪鬼即滅。その在り方に一切の揺らぎは無い。当時のままなのだ。

 そして現在、好からぬ噂がデスシティを騒めかせている。

 

 大正時代に猛威を振るったあの魔人中尉が、封印から解放されたというのだ。

 百鬼夜行を支配し、帝国日本を影で支配していた世界最強の陰陽師──

 

 雅貴(まさたか)

 

 泰山府君祭を成功させ、一時は不死と成った稀代の邪仙。

 あの安部晴明、芦屋道満をも超えると謳われる、陰陽風水を極めた大陰陽師。

 

 彼の起こした事件は数知れず。

 両面宿儺、大獄丸といった鬼神の復活。

 霊峰富士の大噴火。

 黄泉比良坂に続く冥界門の開放。

 関東大震災。

 世界各地の狂気を増幅させる事で世界大戦を煽る。

 クトゥルフ系列の邪神達と同盟を組む、など──

 

 挙げればキリが無い。

 裏の歴史を辿ればその名を必ず見る、稀代の大悪党。

 同時に度の過ぎた享楽主義者。

 

 世界を何度も滅ぼしかけてきたこの邪仙が、最近復活したというのだ。

 由々しき事態である。

 既に特務機関、ならび土御門家の陰陽師やそれに付随する退魔剣士の家系。のみならずアメリカ政府の異端審問会、カトリック教会の最高戦力「聖騎士達(パラディン)」までもが動いていた。

 

 世界が動乱に包まれつつある。

 たった一人の男によって。

 

 ネメアもまた動こうとしていた。

 雅貴の封印に関わった重要人物として、再度の封印を試みようとしていた。

 

 しかしその前に、野ばらが勘付いてしまった。

 ネメアは何とか隠蔽していたが、やはり限界があった。

 

 野ばらはネメアを責めなかった。

 しかし彼に一通の紙を渡す。

 それは、退職届だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 野ばらは勤務時間が終わると、大正モダンを彷彿とさせる和ゴス衣装でネメアの前に現れた。

 そして退職届を出し、深々と頭を下げる。

 

「今迄ありがとう。本当に助かったわ。この恩義に報えない事を許して頂戴──私には、やらなければならない事があるの」

「……」

 

 ネメアは新聞を畳み、差し出された退職届を見つめる。

 その後、野ばらの鋭い双眸と視線を合わせた。

 

「……復讐は、やめられないか?」

「ええ。私はそのために生きている。今更止められない」

「……」

 

 ネメアは眼を閉じた。

 他者の復讐を止める権利など誰にも無い。

 当事者が決めた事だ。介入できる余地など何処にも無い。

 

 それにネメアは知っていた。

 彼女の過去を──

 だからこそ、余計に止められなかった。

 ネメアは溜息を吐き、頷く。

 

「……お前の人生だ、お前の好きにしろ。だが制服はとっておく。お前は優秀なウェイトレスだからな」

「…………ごめんなさい。さようなら」

 

 野ばらはそれだけ言って踵を返す。

 ネメアはその小さな背中をじっと見つめていた。

 二十歳に満たない少女の背中には、血の臭いと憎悪の念しかない。

 大人びた雰囲気も、ネメアには皮肉にしか見えなかった。

 

 彼は刈り上げた金髪をガシガシと掻くと、新聞を放って立ち上がる。

 そしてエプロンを脱いだ。

 

 カウンターでラム酒を飲んでいた褐色肌の美丈夫、大和は笑う。

 事の一部始終を見ていたからこそ、彼にはネメアの次の行動がわかったのだ。

 

「ほゥ……遂に動くか、世界最強の傭兵が」

「茶化すな。お代は机に置いておけ」

「はいよ」

 

 大和は肩を竦める。

 ネメアは肩を回しながら店を畳む準備を始めた。

 

 客人達は愕然としていた。

 動くのだ、あの傭兵王が。

 大和と同格と謳われる──あの男が。

 

 ネメアは「臨時休業」の看板を担いで、再度溜息を吐いた。

 



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三話「大嶽丸」

 

 

 中央区、東側にある豪勢な屋敷にて。

 和風然とした屋敷はデスシティでも特別畏れられる、とある犯罪組織の本拠地だった。

 

 五十嵐組。

 

 デスシティを代表する五つの犯罪組織、五大犯罪シンジケート。

 その一角に名を連ねる日本特有のマフィア、極道であり、超武闘派の暴力集団である。

 しかし仁義を通す古風な漢達が集っており、彼等の統べるシマは全て安全地帯に認定されている。

 どんな存在であろうが受けた恩義は決して忘れない、任侠然とした組織だった。

 

 静寂に包まれる大広間にて。

 上座に座る精悍な若者が居た。

 漆黒のスーツにロングコートという出で立ち。歳はまだ二十代前半ほど。

 しかし纏う雰囲気は歴戦の勇士のソレ。

 細身ながら鍛え抜かれた肉体。適度に伸ばされた黒髪。

 糸目が精悍な顔立ちを柔らかくしている。

 眼鏡もまた彼の威風を和らげるアクセントになっており、総じて温和そうな青年に見えなくもない。

 

 五十嵐組直系若頭──五十嵐裕樹(いがらし・ゆうき)

 組長の実子であり、血統実力戦績共に申し分無い次期組長候補。

 五十嵐組の№2だ。

 

 彼は目の前で正座する大男に視線を向ける。

 同じ様な服装。しかしその体躯は二メートルを超えるか超えないか。

 短く刈り上げた黒髪に額に生えた二本の角。

 サングラスで隠しているが、その眼光は異様に鋭い。

 右手側には白鞘の大太刀が置かれていた。

 

 彼は黙して座していた。

 何時も笑顔を絶やさない裕樹であるが、今回は訳が違う。

 

「今、ウチのシマで暴力事件が起きてます。犯人は──土蜘蛛一族の奴等です」

 

 柔らかい語気だった。

 しかし雰囲気は重苦しい。

 裕樹は続ける。

 

「俺としては、早急に解決したいと思っています。──その前に貴方に話を通した理由、察していただけますか?」

「無論です」

 

 小さく礼をする大男。

 裕樹は苦笑してみせた。

 

「貴方を疑ってる訳じゃありません。こんな真似をする方じゃないというのは、組の奴等ぁ全員わかってます。……今回の問題はケジメですよ、恋次(れんじ)さん」

「……」

 

 大男、恋次はサングラスの奥で鋭い眼光を細める。

 裕樹は優しく語りかけた。

 

「俺達としては、この事案は今すぐにでも解決したい。ですが──土蜘蛛一族を含め、鬼の一族と貴方は関わり深い。そして今回──あの陰陽師が復活しているという噂もあります」

「……」

「貴方の意見を、若頭として聞いておきたいんです。……嘗て大獄丸、東洋を代表する鬼神と畏れられた、貴方の意見を」

「……」

 

 恋次──大獄丸は静かに目を閉じた。

 そして裕樹に深く、深く頭を下げる。

 

「私が重傷を負ってこの都市に流され、早30年──組長には大変お世話になっております。この恩義、決して返しきれるものじゃない。そして何より貴方様──若の剣と成り、盾と成ると約束しました。……かつての主である雅貴様にも、確かに恩義はあります。ですが、今の私は大獄丸ではなく五十嵐組若頭補佐、恋次なのです」

「……」

「若──この案件、私に是非ケジメを付けさせてください。五十嵐組の一員として、過去にしっかりとケジメ、付けてきます」

「……」

 

 恋次の決意を聞いて、裕樹は安堵の微笑を浮かべる。

 

「……ありがとうございます、恋次さん。俺も、貴方を失いたくないと心から思っていた。他の奴等もです。貴方は五十嵐組になくてはならない存在だ」

「勿体なきお言葉ッ」

「今回の案件、恋次さんに一任します。……ケリ、付けてきてください」

「仰せつかりました。必ず……!」

 

 もう一度頭を下げて、恋次は立ち上がる。

 白鞘の大太刀を携え、漆黒のロングコートを靡かせていった。

 裕樹はその背を見送る。

 

 ここにもまた一つ、物語が生まれていた。

 

 



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四話「再開」

 

 大正。

 西洋文化を取り入れつつ近代都市への発展、経済の拡大。

 まさしく『大正モダン』と言える花の時代を迎えていた。

 その反面、享楽的な文化と共に貧富の差が大きくできる。

 時代の矛盾から来る綻びは魑魅魍魎を再度呼び寄せ、最強最悪の陰陽師を誕生させる結果になった。

 

 帝都内部にて

 深夜の出来事であった。

 とある豪邸に三名の強盗が押し入ったのだ。

 

「おのれ、何奴!!」

 

 帝国軍人であり剣の達人でもあった男が一刀片手に斬りかかる。

 が、瞬時に首をもぎ取られた。

 賊どもの怪力は常軌を逸している。

 残るは号泣する母親と十にも満たぬ幼子だった。

 

「嫌ァ!! あなたァ!!」

 

 思わず夫の亡骸に駆け寄る妻。

 賊どもの額には角が生えていた。

 彼等こそ、古来より「鬼」と呼ばれる最強の妖魔である。

 

 時代が激動を迎える事で生じた憎悪の念が、数多の魑魅魍魎を生み出した。

 中でも鬼と呼ばれる種族は、その強大な力故に古より畏怖されてきた。

 

 妻だった女は鬼共に喰われながら犯される。

 淫臭と血臭が混じり合い、肉を咀嚼する音が下卑た高笑いに包まれた。

 

「人間など所詮、我ら鬼にとっては家畜同然……否、それ以下よ!!」

 

 その一部始終を見ていた幼子。

 どれ、このガキもと鬼の一匹が手を伸ばす。

 

 すると、突如として窓を突き破り山伏が現れる。

 鋭い目つきが鷹のような印象を与える老人だった。

 彼は手に持った仕込み錫杖を抜き、白刃を閃かせる。

 一瞬にして鬼の首が宙を舞った。

 

 返り血で朱に染まりながら、鋭い目つきで鬼共の有り様を睨むのは、まだ幼い少女であった。

 ただひたすら無言で、鬼の死体を見つめている。

 山伏は少女の側で片膝をつき、こう言った。

 

「お主、親の仇が……鬼が憎いか?」

 

 少女は無言で頷く。

 後からわかった事だが、この山伏こそ『大天狗』の異名を持つ仙人、役小角(えんのおづの)だった。

 後に少女──野ばらを大正時代を代表する最強の鬼狩りに育て上げた功績者である。

 

 

 ◆◆

 

 

 時間帯は正午。

 魔界都市の喧騒を摩訶不思議な少女が抜けていく。

 艶のある黒髪はサイドテール。黒地に菊紋様というハイカラな浴衣を着こなす彼女は、可憐ながらも歴戦の風格を纏っていた。

 紫の番傘を携え、黙々と歩き続ける。

 ある者は奇異の視線を、ある者はその異色の美貌に見惚れていた。

 

 あと数十年もすれば絶世の美女になる。

 美しくも棘のある──薔薇の様な女に。

 

 鬱陶しい視線の数々を眼光一閃で黙らせ、少女は溜息を吐いた。

 この都市に迷い込んで二週間──未だ慣れたとは言えない。

 激動の時代だった大正でも、ここまで騒々しくはなかった。

 

「……汚い空」

 

 うねる曇天を仰いで少女──野ばらは呟く。

 この空では花も咲かないだろうと、そんな事を考えていた。

 

 ふと、嫌な気配を感じる。

 全身を舐められる様な不快感に、野ばらは眉を顰めながら振り返った。

 

 でっぷりと脂肪を蓄えた巨漢が居た。

 革のジャケットにだぼだぼのズボン。髪の毛一本無い頭にはギトギトの脂汗を滲ませている。

 下品な笑みを浮かべながら、男は野ばらに話しかけた。

 

「げへへ……野ばらちゃん。店の外で会えるなんて、奇遇だなぁ」

「……生憎、私はもうあの店の店員ではないの。関わらないで頂戴」

 

 野ばらがウェイトレスをしている最中、ずっと不快な視線を向けてきたストーカー気質の男である。

 その視線は嫌でも覚えているので、野ばらは鋭い眼光に殺意を迸らせた。

 

「店ではお客様として扱ったけど、外ではそうはいかないわよ?」

「それはコッチの台詞さァ。あの店では出来ない事も、外でならできる……ぐへへッ」

 

 ねっとりと涎を垂らしながら、野ばらに歩み寄る巨漢。

 野ばらは冷たく吐き捨てた。

 

「それ以上近寄れば斬るわ」

「強がっても無駄、無駄っ」

 

 最早巨漢は野ばらに夢中だった。

 その巨大な手が野ばらを掴みそうなその時──手首から先が宙を舞う。

 一瞬の出来事だった。

 

 野ばらは和傘に仕込んだ刀を納刀する。

 直後、男の手首から血潮が盛大に噴き出した。

 

「おおッ、おおおおおおおおお!!!?」

 

 激痛と驚愕で叫ぶ巨漢。

 野ばらは淡々と告げる。

 

「この都市の医療技術なら命は助かるでしょう。次は無いわ」

「うぐぅッッ、アアアアッ!!!!」

 

 巨漢は怒りとそれ以上の恋煩いで野ばらに突撃する。

 野ばらは剣閃を瞬かせた。

 

 巨漢の首が、手足が、宙を舞う。

 瞬く間に手頃な肉塊に成り果てた巨漢。

 野ばらはギトギトの血糊を払うと、静かに仕込み刀を納刀した。

 

 突如、歓声が上がる。周囲の住民達だった。

 その抜刀術の冴えに、良いものを拝めたと称賛を送っているのだ。

 

 野ばらは不快感を露わにする。

 

「……最低な都市」

 

 人を殺して喜ばれる、人を殺した自分を恐れない。

 そんな異常な都市を、彼女は嫌悪していた。

 

 野ばらは己を復讐者──殺戮者だと断じている。

 故に愛も情けもいらない。

 喝采などもっての外だった。

 

 憎悪すら抱かん勢いで住民達を一瞥する野ばら。

 その中に、驚愕の視線を送る男が居た。

 漆黒のスーツにロングコート。刈り上げられた黒髪にサングラス。

 そして見事な体躯と──額に生えた二本の角。

 

「ッッ」

 

 野ばらは瞠目する。

 彼は殺した筈だった。

 この手で斬り捨てた筈だった。

 

「…………」

 

 最早幻覚でも構わない。

 鬼ならば斬るのみ。

 殺気を迸らせ歩み寄ってくる野ばらに対し、男は強い語気で告げる。

 

「俺は今、雅貴様の部下じゃねぇ。違う組に所属してる。あの方とのケジメは俺がつける。……邪魔すんじゃねぇ、野ばら」

「やっぱり大嶽丸なのね。そんな事、信じて貰えるとでも思っているの?」

「……」

「貴方が義理堅い男なのは知っている。でも私には関係無いわ。鬼、だから斬る。それだけ」

「……もう一度言うぜ。邪魔するな」

 

 野ばらは無言で仕込み刀へ手をかける。

 大嶽丸──恋次は舌打ちした。

 

「仕方ねぇ」

 

 最早、何も語れず。

 恋次は白鞘を構えた。

 

 

 



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五話「交差」

 

 

 野ばらと恋次が対峙する前。

 中央区の摩天楼の中を、大和はのらりくらりと散策していた。

 依頼も無ければ女と寝る約束もない。

 暇だが、たまにはこういう日もありだなと、彼は灰色の三白眼を細めていた。

 

 歩くだけで道ができる。

 世界最強の殺し屋はデスシティでも特別な存在だ。逆らう者などいない。

 妖魔であろうが荒御霊であろうが、彼の眼前に立ち塞がる存在など皆無。

 

 しかし、例外はいる。

 

 知己である。

 幾星霜の年月を生きる大和の交友関係は広い。

 中には歴史に名を残す偉人もいた。

 

「……ん?」

 

 大和は立ち止まる。

 己の前に立ち塞がる女が居た。

 

 鮮血色の長髪はポニーテイルで結われ、思わず見惚れてしまう程美しい顔立ちを勝気な笑みで彩っている。

 紺色の袴を極太のしめ縄で締め、上半身はサラシ。

 桜吹雪の舞った羽織を肩から羽織っている。

 身長は大和より少し低いくらいなので、優に二メートルは超えていた。

 筋骨隆々の見事な体躯を誇っており、力自慢の男でも裸足で逃げ出すレベル。

 

 巨大な徳利を片手にぶら下げて、彼女は金色の三白眼を細める。

 そして笑った。

 

「よォ、大和」

 

 大和は目を丸めた。

 その後、ギザ歯を剥く。

 

酒呑童子(しゅてんどうじ)じゃねぇか。どーした」

「その名前で呼ぶのはやめろや、今は朱天(しゅてん)だ」

 

 呆れ気味に言う美女──朱天。

 本名、酒呑童子。

 平安時代に京都で大暴れした、東洋を代表する鬼神。

 現在は強力な妖魔達で構成されている暴力集団「朱天組」の組長であり、その異常な喧嘩の強さから世界最強の拳法家達「四大魔拳」の一角に数えられている。

 

 大和は彼女に対し、小首を傾げる。

 

「最近雅貴が復活したって聞いたがテメェは……まぁ、関係ねぇよな」

「ったりめぇだろボケ! 俺を誰だと思ってやがる!」

 

 朱天はゲラゲラと豪快に笑う。

 彼女は鬼神の中で唯一、雅貴の勧誘を断っている。

 東洋の妖魔を代表する魔豪傑は、例え相手が神仏であろうと殴り倒す。

 その気性の荒さは大和も良く知っているので、杞憂だったかと肩を竦めた。

 

「ならなんの用だよ」

「つれねぇなァ、大和よぅ。折角俺が会いに来てやったんだぜ? もっと喜べや」

 

 朱天は大和と肩を組む。

 大和は片眉を上げるも、嫌がる素振りは見せなかった。

 

 周囲の喧騒達は見て見ぬフリをしていた。

 デスシティでも随一の凶暴性を誇る男女二名に、下手に関わりたくないのだ。

 

 朱天は豪快な笑みにふんわりと色香を滲ませる。

 

「雅貴の野郎について色々と話があるけどよォ……まずはお楽しみといこうや。なァ……他の野郎じゃ何十人居ても満足できねェんだよ。……いいだろ?」

 

 熱い吐息を吹きかけてくる朱天。

 大和はギザ歯を見せて嗤うと、彼女の腰に手を回した。

 

 

 ◆◆

 

 

 ソレは獣の交わりだった。

 互いを貪り合う様に身体を重ねる。

 情欲に任せて大和が腰を揺すれば、朱天の声が甘く掠れた。

 似合わない嬌声を上げる朱天を組み敷き、大和は悪戯心に満ちた囁きをかける。

 朱天は顔を赤くしながらも、嬉しそうだった。

 己を戦士としてでは無く女として愛してくれる益荒男に対し、朱天は唯一「女」をみせた。

 

 数時間後。

 朱天は重くなった体をベッドの上で動かす。

 そして、腕枕してくれる男に呟いた。

 

「流石だな……やっぱテメェは世界一の男だよ」

「そりゃどーも」

 

 朱天は笑って、大和の首筋を甘噛みする。

 ジャレてくる彼女に、大和は珍しく温和な笑みを浮かべた。

 

「……昨日、雅貴の奴が俺の組に来たんだよ」

「へぇ、勧誘か?」

「ああ、断ったけどな。にしてもアイツ、全然変わってねぇ。……また世界が滅茶苦茶になるぞ」

「ネメアがどうにかしてくれるだろ」

 

 大和の言葉に、朱天が首を傾げた。

 

「ハァ? アイツが動くのか? どうしたんだよ」

「雅貴がそれだけ危ねぇ奴だってのもある。が、一番は自分んところの店員が関わってるからだな」

「雅貴にか?」

「お前、野ばらって覚えてるか? 大正時代に鬼狩りに所属してた──」

 

 朱天は顎を擦る。

 摩耗した記憶の中に、和ゴス少女が確かにいた。

 

「ああ、あの糞生意気なチンチクリンか。覚えてるぜ。仕込み刀持ってた奴だろ?」

「そうだ。アレが数週間前に次元の狭間からコッチにやって来てな。ネメアんところでウェイトレスやってたんだよ。で、今回の雅貴の復活だ」

「因果みてぇなもんを感じるな」

「確かにな」

 

 大和はラッキーストライクを咥え、火を点ける。

 紫煙を吐き出す彼の横から煙草を横取りし、朱天は美味そうに吸った。

 眉を顰める大和を傍目に、彼女は煙草を咥えながら言う。

 

「そういやぁ、五十嵐組に所属してる大嶽丸も動いてるらしいぜ」

「何だソリャ、色々拗れそうだなオイ」

「野ばらと大嶽丸は因縁の間柄だからなァ……アレ? そーいやぁ、大嶽丸の奴がデスシティに流れ着いてもう30年近くになるぜ。何で今更あのチンチクリンが現れたんだよ」

「さぁな。さっきも言ったが、何かの因果じゃね?」

「面倒くせぇ」

 

 悪態を吐く朱天から煙草を取り返す大和。

 しかめっ面になる彼女を尻目に、大和は紫煙を吐き出した。

 

「今回、俺ぁ静観させてもらうさ」

「ネメアの奴に全部任せていいのかよ」

「大丈夫だろ、アイツなら」

「適当だなオイ」

「だって面倒くせェし」

「確かに」

 

 肩を竦める朱天に、大和は新しい煙草を渡す。

 朱天は嬉しそうに受け取ると、咥えて突き出した。

 大和はシガーキスで火を点けてやる。

 

「それでも、俺の癇に障る様な事があれば出るぜ」

「そうならねぇよう、雅貴も注意すんだろ」

「どうかな……」

 

 大和は不気味に嗤って紫煙を吹き出した。

 

 

 ◆◆

 

 

 恋次は抜刀し、白鞘を地に叩き下ろした。

 直後、大地が一直線に裂ける。

 先にあった妖魔、車体、樹木、高層ビル、皆等しく綺麗に縦半分に割れた。

 圧倒的剛力と技量から生まれた埒外の一撃を、野ばらは半身を逸らすだけで避けてみせる。

 

 直後、抜刀一閃。

 光速に達する勢いで放たれた抜き打ちは、しかし余分な力が一切排除されており、最短距離を斬り抜ける。

 流麗なる斬撃を刃を立てる事でいなした恋次だが、その背後で聳え立つ高層ビルの群れが横一文字に両断された。

 

 倒壊する高層ビルの群れ。

 土煙で一帯が支配される前に、住民達は顔面を蒼白にして逃げ惑った。

 明らかに違う。違い過ぎるのだ。

 彼我の実力差が。

 野ばらと恋次、二名の実力は住民達の許容範囲を遥かにオーバーしていた。

 

 歴代最強の鬼狩りと東洋を代表する大鬼神の激突は、空前絶後の死闘の幕開けでもあった。

 

 背後から津波の如く押し寄せる土煙で一帯が支配される。

 が、互いに放った斬風で一瞬にして霧散した。

 

 恋次の剛剣が唸りを上げる。

 鬼神の剛力が確かな技量を絡み合い、防御不能の斬撃を生み出す。

 斬撃の嵐の中を野ばらは舞う。

 鬼狩り特有の独特な歩法で、編まれた斬撃の波をまるで舞踏を踊る様に躱す。

 

 空を切った斬撃の余波は中央区に甚大な被害を齎す。

 建造物が断ち切れ、道路が裂け、空間がズレる。

 住民達は突如起きた大災害に混乱していた。

 

 交通機関は全て停止。皆避難態勢を取っている。

 二名の戦いは天変地異の襲来と然程変わらなかった。

 

 恋次は攻撃を避け続ける野ばらに腹を立て、高層ビルの残骸を持ち上げる。

 そして槍投げの如く投擲した。

 軽く第三次宇宙速度を超えた高層ビルは妖気でコーティングされており、立派な武器と化している。

 二本、三本と、立て続けに投擲する恋次。

 その暴れっぷりは剛力無双で有名な鬼という種族の面目躍如であった。

 

 野ばらは一直線に向かってくる高層ビルを抜刀術にて両断する。

 縦に裂けたビルは彼女の両サイドを通り抜けた。

 

 野ばらは疾風となる。

 立て続けに放たれた高層ビルを足場にして駆け抜けた。

 身軽かつ常識外れの技量を誇る彼女だからこそできる、馬鹿げた移動方法だ。

 

 高く跳躍した野ばら。

 彼女に対して、恋次は持ち上げた高層ビルをフルスイングする。

 直後、細切れにされる高層ビル。

 剣閃瞬く。

 恋次は地面に突き刺していた白鞘を抜くと同時に振り上げた。

 野ばらは落下エネルギーとある秘密を発動し、得物を振り下ろす。

 

 白刃が重なり合い、次元に歪みが奔った。

 生まれた衝撃波は視覚化し、周囲にある一切合切を吹き飛ばす。

 曇天が二つに割れた。

 

 恋次は瞠目する。

 鬼神である己と、人間の少女が互角に打ち合ったのだ。

 しかし、すぐに切り替える。

 

 何かカラクリがある。

 しかし、考えるよりも感じなければならない。

 

 目の前にいる少女は歴代最強の鬼狩りなのだ。

 大正という時代を守り抜いた、名も無き英雄なのだ。

 

 恋次は油断なく八双の構えをとった。

 

 

 ◆◆

 

 

 恋次に余念など無かった。

 相手は一度、自分を倒した強敵。

 更に──恋慕する女性を斬り捨てた仇敵でもある。

 

 内に燻る憎悪の念。

 それを一呼吸で沈める。

 

 今、自分は大嶽丸ではなく恋次である。

 五十嵐組の一員として、若頭の剣であるため、ここで無様に死ぬ訳にはいかない。

 恋次は落ち着いていた。

 

 一方、野ばらは内心驚愕していた。

 最近わかった秘密──開放すれば何という事か、鬼の剛剣を正面から受け止めてみせた。

 

 その秘密とは、野ばらの携える仕込み刀である。

 幾千もの妖魔の血を吸い続けた刀身は、破邪の波動を内包する妖刀と化していた。

 

 邪悪に対して絶対的な力と毒性を発揮する──聖剣とも言える代物。

 溜まった力を開放すれば、先程の鍔迫り合いだ。

 

(……厄介ね、強過ぎる)

 

 扱いきれる力では無い。

 野ばらは内心舌打ちしていた。

 扱いきれない力など、ただの邪魔でしかない。

 相手が雑魚なら兎も角、今対峙しているのは東洋を代表する鬼神だ。

 一種の油断が命取りになる。

 

 そしてもう一つ──野ばらが懸念している事がある。

 ソレを払拭するため、野ばらは宙を舞った。

 

 鉛色の夜空に鮮やかな菊の花が咲く。

 野ばらの纏った和服の刺繍が煌びやかに闇に浮かび上がった。

 同時に紫の和傘がバッと広がる。

 ホバリングの容量で滞空時間を調整し、恋次の放つ一閃を避けると、左の逆手で仕込みを抜いた。

 右手で抜刀すれば手足が飛び、左手で抜刀すれば首が飛ぶ鬼狩りの剣技。

 

「フン!!」

 

 恋次は手首のスナップを効かせ、白鞘で前方を薙ぎ払う。

 吹き荒れる爆風。

 しかし既に野ばらは懐に入り込んでいた。

 下方から銀光が恋次を襲う。

 瞬時に上体を反らし躱すと、恋次は反った背筋をバネにして上方から唐竹割りを繰り出した。

 

 軽やかなステップでサイドへ逃げる野ばら。

 間髪入れず体勢を低くした恋次が逆袈裟。

 野ばらはすかさず真上に宙返りして躱す。そのまま銀光一閃。

 しかし恋次は避ける。

 野ばらも着地と同時にバク転して体勢を整えた。

 

(……以前よりも強くなってる)

 

 野ばらは双眸をキツく細める。

 恋次の実力が上がっているのは勿論だが、問題はその心構え。

 以前対峙した時は自棄が入っていたのだが──今はそれが無い。

 隙が無いのだ。

 下手に攻められない。

 

(……もしかして、さっき言ってた事は本当なの?)

 

 一瞬、戸惑う野ばら。

 その隙を恋次は見逃さない。

 懐に入ってボディブローを放つ。

 最短距離で放たれた一撃を野ばらは避けきれず、辛うじて刃で受け止めた。

 

 恋次の頑強な拳が斬れる。

 拳を蝕む毒性に、恋次は忌々しそうに呟いた。

 

「妖刀か──成程、さっきの力はコレか」

「ッ」

 

 野ばらは己の怠慢に憤った。

 実戦を離れて二週間──まさかここまで鈍っていようとは。

 しかし、もう油断はしない。

 

 恋次にどんな事情があろうとも、彼が鬼である事には変わらない。

 故に斬るのみ。

 

 互いの実力は拮抗している。

 ともなれば、大正時代の再現──捨て身の一撃を繰り出すしかない。

 恋次もそのつもりだった。

 

 野ばらが左逆手抜刀の構えに入り、恋次も白鞘を強く握る。

 この一撃で全てが決まる。

 

 互いに得物を振り抜いた。

 その時──

 

「そこまでだ」

 

 互いの目先まで届いた刃は、しかし金髪の偉丈夫の介入によって止められた。

 両方の刃を寸前で掴み、決して離さないネメア。

 衝撃が遅れて二名の背後を突き抜けた。

 

 ネメアは険しい表情で言う。

 

「野ばら。一度話し合おう。大獄丸……恋次は今、確かに違う組に所属しているんだ」

「…………」

 

 野ばらは暫く無言だったが、殺気を収める。

 

「……申し訳ねぇ、ネメアさん」

 

 恋次も礼を言い、剣を収めた。

 空前絶後の死闘は寸前のところで止まった。

 



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六話「左道の邪仙」

 

 

 場所は変わり、青宮霊園にて。

 ネメアと恋次が噴水場に座るも、野ばらは立ったままだった。

 ネメアの顔を立てたとはいえ、まだ恋次の事を信用した訳では無い。

 

 恋次は先代、今代への恩義。そして若頭への忠誠心を説明した。

 今回の事件は自分でケジメを付けるとも。

 

「……」

 

 無言ながら、野ばらも一応納得していく。

 が、彼女には気がかりな点が一つあった。

 それを恋次に問う。

 

「ねぇ、恋次」

「何だ」

「貴方は……彼女と、鈴鹿御前と戦えるの?」

「……アイツはもう、死んだ筈だ。適当な事を言うんじゃねぇ」

「いいえ、生きているわ。確実に」

「!!」

 

 恋次はその鋭い目を見開く。

 野ばらは淡々と告げた。

 

「あの女は確かに私が斬った。でも殺しきれなかった……今も生きている筈よ」

「…………そうか」

 

 複雑な表情で俯く恋次。

 初恋の相手──しかし五十嵐組への忠誠心がある。

 両方に揺さぶられる恋次に対し、野ばらは再度問う。

 

「で、どうなの? 貴方は彼女が立ち塞がったら、戦えるの?」

「……」

「聞かせて頂戴」

 

 恋次は暫く黙る。

 そして、静かに頷いた。

 

「ああ、覚悟してる……俺はもう大嶽丸じゃねぇ、恋次だ。恋は二の次──そう決めた」

「……そう、なら私から言うことは何もないわ」

 

 野ばらは頷くも、恋次に鋭い眼光を向ける。

 

「でも覚えておいて。貴方は私の仇敵、何時か必ず殺す」

「……」

「それでも……殺すのは最後にしておいてあげるわ」

「……感謝する」

 

 一応、この場だけでも和解が成立した。

 ネメアはほっと一安心する。

 

 すると、唐突に黒曜の風が吹いた。

 この瘴気を纏った魔風──野ばらは表情を顰め、恋次は驚愕で口を開ける。

 

 風が止んだと思えば、三名の前に絶世の美男が佇んでいた。

 大日本帝国を彷彿とさせる漆黒の帽子と軍服、邪気と稚気を孕んだ金色の邪眼。

 両手にはドーマンセーマンの描かれた白手袋。

 地まで届きそうなマントを靡かせ、彼は優雅に一礼した。

 

「やぁ諸君。式神を介してで誠失礼ではあるが、挨拶させてもらおう。……元、大日本帝国陸軍中尉、雅貴(まさたか)だ」

 

 彼こそ稀代の大陰陽師にして陰陽風水を極めた魔人。

 百鬼の頭領、雅貴である。

 

 

 ラスボスが自ら登場したのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 雅貴はまず恋次に視線を向ける。

 

「久しいな、大嶽丸。寂しかったぞ、どうして俺の元へ戻ってこなかった」

 

 悲哀を込めた問いかけに対し、恋次──大嶽丸は深々と頭を下げる。

 

「……すいません。義理に欠けるとは百も承知。ですが、貴方はもう俺の主ではない。俺が命を懸ける方は、別にいます」

「……」

 

 雅貴は恋次の決意のこもった目と視線を合わせる。

 暫くすると、呵々大笑した。

 

「ハッハッハ! 大嶽丸、こやつめ!! 良い目をするようになったではないか!! 俺の部下をしている時より何倍も生き生きとしているぞ!!」

「……ッッ」

 

 恋次は自然と目頭を熱くする。

 そう、彼はこういう男なのだ。

 誰よりも器が大きく、大らかであり、しかし誰よりも幼く──邪悪。

 

 雅貴は次に野ばらを見据える。

 

「久しいな、鬼狩りの」

「……大正末期に封印されたと聞いたけど?」

「いや何、俺を必要としている奴等がいてな。面白そうだし、乗ったのだよ。存外、愉しめている」

「……そう、貴方と同じくらいのロクデナシが何名もいるのね」

「ハッハッハ! あ奴等は俺程ではないぞ! ……いや、そうでもないか」

 

 顎を擦る雅貴だが、次には凶悪に笑んでみせる。

 

「以前は俺を殺し損ねたな、鬼狩りの。今度こそ俺の首、狩ってみせよ。俺は何時いかなる時でも貴様の襲撃を待つ」

「……相変わらずね、貴方は」

 

 野ばらも呆れ気味だった。

 彼は最後に、ネメアに視線を向ける。

 

「ネメア殿か……貴殿はこの面子と関わりないように思えるが?」

「なに、野ばらは俺の店の店員だったんだ。助けてやりたかった」

 

 雅貴も、そして野ばらも目を丸めた。

 そんな理由で、彼はこの場にいるのだ。

 雅貴は大爆笑する。

 

「フハハハハハ!! 貴殿は相変わらずだなネメア殿! 豪気でありながら繊細で、心優しい。苦労するだろう。特にこんな都市ではな!」

「……」

「よいよい、これ以上は無礼だな。それにしても……鬼狩りのウェイトレス姿か、一度拝んでみたいものよ。酒の肴になりそうだ」

「斬られたいの?」

「ハッハッハ! 許せ! ジョークというやつだ! 最近ハマっていてな!」

「「「……」」」

 

 三名の微妙な表情。

 しかし雅貴は気にせず続ける。

 

「談笑もこれくらいにしておこうか──俺は今から、中央区に自らの居城を建てる。他にも遊戯を開催する予定だ。貴殿等には是非、我が居城へ来てもらいたい。盛大に歓迎させてくれ。この魔界都市で、狂乱の宴を楽しもうではないか!! ではな!!」

 

 ポンと、式神だった雅貴が符になる。

 それと同時に、中央区で大地震が起きた。

 中心地に聳え立つ高層ビルの群れを薙ぎ倒して現れる巨大な城。

 天守閣から邪悪な妖気を撒き散らしている。

 

 南区付近の青宮霊園からでも確認できた。

 野ばらは無言で踵を返す。恋次も立ち上がった。

 ネメアは彼等の間に入り、言う。

 

「行くか」

 

 二名は頷いた。

 本格的な戦争の始まりだった。

 

 邪仙主催の狂乱の宴を、三名で止めるのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方、天守閣で雅貴は寛いでいた。

 獰猛な虎と悍ましい妖魔の障子の先で、絶世の鬼姫を侍らせている。

 デスシティの逢魔時を見届けながら、彼は鬼姫の艶やかな黒髪を撫でた。

 

 真紅の浴衣に、憂いを残した蒼穹色の双眸。

 額に生えた二本の立派な角、発達した犬歯。

 妖魔的な要素を残しながら、しかしその美貌が陰ることはない。

 それでも妖艶さはなく、ただただ淑やかであり、古き良き大和撫子を連想させた。

 

 大嶽丸──恋次の幼馴染であり、インドの第五天魔王の娘。

 嘗て恋次と共に雅貴に仕えていた鬼姫、鈴鹿御前(すずかごぜん)である。

 現在の名は(あかね)

 

 彼女は己の髪を撫でてくれる雅貴の親愛を受け止めながら、聞いた。

 

「……大嶽は、いましたか?」

「ああ、居たぞ。しかし俺の元へは戻ってこないらしい。新しい主を見つけたと言っていた」

「……そんな、彼が、貴方様を裏切るなど……考えられません」

 

 茜は複雑な表情で言った。

 それは、自分自身に言い聞かせているようでもあった。

 雅貴は言う。

 

「あ奴、良い目をしていた。信念を持った目だ。ああいう目をした奴を言いくるめることなどできん。……それに、あ奴が俺の部下であった理由は、お前が一番理解しているのだろう」

「……」

「我慢していたのだよ、あ奴は……お前のために」

「ッッ」

 

 茜は表情を歪めた。

 恋次が自分に抱いている想いは知っている。

 彼がどうして雅貴の部下になったのか、その苦渋の決断も知っていた。

 雅貴は真面目な顔で言う。

 

「あ奴をゆるしてやってくれ。茜、全ては俺の不甲斐なさのせいだ」

「そんなッ、それを言うなら、私が、私が……ッッ」

 

 茜は涙をこぼし、唇を噛みしめる。

 雅貴は彼女を抱き寄せた。

 

「……すまないな。お前を、泣かせたくはなかった」

「……ッッ」

 

 茜は首を横に振りながらも、彼の胸に顔を埋める。

 彼女は決意した。恋次の想いを、決意を、無駄にしないために、自分は自分の意思を貫こうと。

 せめて、愛しき君である雅貴のために生きていこう、と。

 

 そうしなければ、彼に顔を見せることすらできないと思ったからだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 ネメア、野ばら、恋次は最短距離を駆け、雅貴の居城に到着した。

 既にデスシティ全体は警戒態勢に入っている。

 付近の住民達も殆どが避難し、静観を貫いていた。

 

 夜も近い夕暮れ時なのにも関わらず、デスシティは静寂に包まれていた。

 

 般若を模した巨大な城門の前で、門番であろう大男が立ち塞がる。

 肩まで伸ばされた黒髪に精悍な面構え。

 スーツを盛り上げる堂々とした体躯。身長はネメアと同じくらいなので、二メートルを優に超えていた。

 そして頭に生えた二本の巨大な角。鬼のものではなく、牛のものだ。

 

 彼は戦意を隠していた目を見開く。

 

「成程、俺が出てきて正解だったな。一人だけ格が違う。これはアイツ──雅貴にはキツい相手だ」

 

 首をゴキゴキと鳴らす大男。

 野ばらと恋次は冷や汗を掻いていた。

 

 明らかに鬼ではない。

 鬼と呼ぶにはあまりに──格が違い過ぎる。

 その身に纏う妖気と神気は、明らかに妖魔の枠を超えていた。

 

 ネメアが野ばら達の前に立つ。

 

「先に行け。ここは俺が引き受ける」

「でも……アレは別格よ」

「大丈夫だ、いけ」

 

 ネメアの瞳を見て頷き、先に進む野ばらと恋次。

 大男も二人を見逃した。

 その背を見送ったネメアは、溜息を吐きながら聞く。

 

「名前はなんと言う」

「そうだな……牛鬼とでも名乗っておこう」

「牛鬼か……そんな格じゃないだろう、お前は」

 

 ネメアは碧眼を細め、牛鬼と名乗った大男を見つめる。

 

「推測だが、お前は嘗て中華全土の妖魔を統べ、那由他の神仙達と互角に戦った大魔王……平天大聖(へいてんたいせい)こと、牛魔王じゃないか?」

 

 ネメアの問いに、牛鬼と名乗った大男は苦笑する。

 

「まさか初見で見破られるとはな、流石は西洋神話最強の英雄と称された男、ヘラクレス」

 

 ヘラクレス──そう呼ばれ、ネメアは表情を顰めた。

 

「その名は既に捨てている」

 

 ネメアの物言いに、大男は肩を竦めた。

 

「そうか。だがしかし、あのヘラクレスと一戦交える機会を得られるとはな、今日は吉日だ。おうともさ! 我こそ嘗て中華全土の妖魔を統べていた大化生、牛魔王である!」

 

 威風堂々と、大魔王は己の真名を口にした。

 中華で最も有名な伝記「西遊記」のラスボスを務めた大化生は、雅貴と同盟を組んでいたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 城内に侵入した野ばらと恋次。

 彼等を出迎えたのは優に千を超える魑魅魍魎の大群だった。

 百鬼夜行どころの騒ぎではない。

 四方八方を不気味な化物達に囲まれても、二名の表情は変わらなかった。

 恋次は野ばらに言う。

 

「無理やり突破する、異論はあるか?」

「全く」

 

 恋次が白鞘を抜き放ち、野ばらは仕込み刀を構える。

 刹那、二名が消え、周辺を死の嵐が吹き抜けた。

 

 最早二名は斬鉄を成す鎌鼬に変貌していた。

 魑魅魍魎の首が跳び、縦や横、斜めに両断される。

 パニック状態の妖魔達を切り刻みながら、野ばらと恋次は城外広間を駆けた。

 

 妖魔の断末魔の悲鳴とともに、濃厚な血臭が辺りを紅に染め上げる。

 むせ返るほどの鉄の匂いを充満させ、それでも二名は淡々と妖魔を斬り伏せていった。

 

 暫くして、頑強な城門に斬線が幾つも奔る。

 バラバラに吹き飛んだ城門を踏み越えるのは、下駄とブーツの音。

 

 互いの得物を振り払い、恋次と野ばらは城内に侵入した。

 待ち構えていた雑鬼達は臨戦態勢に入るも、二名の殺気を伴った眼光に射貫かれ居竦む。

 

 歴代最強の鬼狩りと東洋を代表する鬼神──

 二名を止められる力など、雑鬼達には無い。

 百だろうが千だろうが変わらぬ事だ。

 

 現に、城外広間を防衛していた同胞達、数千の妖魔達は皆斬り捨てられている。

 二名の背後に見えるのは、死体の山だった。

 雑鬼達は逃亡する。

 

 恋次と野ばらは先へと進んだ。

 二階に進むと、それなりに力を持った鬼達がたむろしていた。

 彼等は人間の女の肉をつまみに酒盛りをしている。

 二人を見つけると、嘲笑を浮かべた。

 

「何だぁ、貴様らは? おお……鬼でありながら人間に寝返った裏切り者の大嶽丸か。……ほう、そこの女子は中々の美形。手足を切り落として可愛がってくれよう」

 

 下品な笑みを浮かべて立ち上がる鬼達。

 野ばらはふと思い出した。

 

 両親を殺した鬼達も、こういう下種な輩だったと──

 

 恋次は白鞘を握るも、野ばらに手で制される。

 恋次は彼女の意を汲み取り、一歩下がった。

 

 野ばらは鬼達に歩み寄りながら番傘の柄に手をかける。

 

「さぁ、真っ赤な血が噴き出すぞ!! ギャハハハハ!」

 

 鬼はやらしい笑みを浮かべつつ、血錆まみれの得物を振り上げる。

 野ばらは躱すでも無く、抜き打ちを放った。

 閃光が走ると同時に、鬼の顔面が斬り飛ばされる。

 

「……ハレ? 俺の、俺の顔が……ッ」

 

 何が起きたのかわからず、しばらく歩いてドォと倒れ伏す鬼。

 傷口からは血煙が噴き出していた。

 

「何だ貴様!!」

「何奴!!」

 

 他の鬼達が血相を変えて襲いかかろうとするも、既に遅い。

 野ばらは仕込み刀を逆手に持ち、他の鬼達を瞬時に斬り伏せた。

 断末魔の悲鳴を上げて、鬼達は崩れ落ちる。

 

「……行きましょう」

 

 恋次は頷き、野ばらの隣で歩く。

 互いに仇敵、されどその実力は誰よりも理解している。

 決して相容れぬ関係だが、今この時だけは利害が一致していた。

 

 このコンビを止められるものは城内にいない。

 次の階で待ち伏せていた阿修羅の如き六本腕の鬼も、恋次が問答無用で斬り伏せた。

 

 一歩一歩、着実に雅貴の居る天守閣へ向かっていく二名。

 すると、天守閣寸前の大広間で真紅の浴衣を着た鬼姫が待ち構えていた。

 恋次は一瞬双眸を見開くも、次には苦渋に満ちた表情をする。

 鬼姫も恋次を見て、気丈な表情をしているも碧瞳に動揺の色を映していた。

 

 恋次は絞り出すように呟く。

 

「鈴鹿……」

「……久しぶりね、大嶽」

 

 幼馴染の再開を、しかい祝う雰囲気ではなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 鬼姫、鈴鹿御前は腰まで届きそうな黒髪を靡かせる。

 浴衣を締める帯、その背には二本の霊刀が差されていた。

 片手にも一本、三メートルを超える刀身を誇る霊刀を携えている。

 合計三本の霊刀を所持する第五天魔王の娘は、しかし恋次に何も言わなかった。

 恋次も鈴鹿御前──茜に対して、何も言わない。

 

 互いに互いを理解し、慮っているからこそ、余計な事は言えなかった。

 野ばらはその空気を敢えて断ち切る。

 

「いきなさい、恋次。この女は私が斬る」

「ッッ」

「それとも、一緒に斬られたいの? ……さっきの、五十嵐組の忠誠心とやらは嘘なの?」

 

 あえて辛辣な言葉を投げかける野ばら。

 恋次は唇を噛みしめ、白鞘の柄を強く握るも……前へ出た。

 

「……頼んだ。俺は雅貴様とケジメ、つけてくる」

「わかったわ」

 

 恋次は黙々と歩み、茜の隣を通り過ぎた。

 背後へ通り過ぎる恋次に振り返ることなく、しかし悲哀に表情を歪め、茜は言う。

 

「さようなら──大嶽」

「……ああ、さようならだ」

 

 二人の会話はそれだけだった。

 恋次は天守閣に続く階段を上がっていく。

 

 茜の鬼気が爆発した。

 先程とは一変、憎悪と敵愾心を剥き出しにして野ばらを睨み付ける。

 野ばらは無表情で番傘を構えた。

 

「憎き鬼狩りの小娘が……ッッ 貴様は決して許さぬッ、雅貴様を、愛しき我が君を邪魔する輩は、全て斬る!!!!」

「やれるものならやってみなさい。また斬ってあげるわ」

 

 茜が霊刀を抜き放ち、野ばらが身を屈める。

 女剣士同士の戦いの火蓋が、切って落とされた。

 

 

 ◆◆

 

 

 恋次は天守閣に到着する。

 漆黒のロングコートを靡かせ、白鞘を携えて、ただただ前進する。

 その表情は何時になく険しかった。

 

 獰猛な虎と不気味な妖魔の描かれた障子を切り裂く。

 その先には、丁度西側に沈む夕日をバックに佇む魔人中尉が居た。

 元・主にして、初恋の女性の想い人。

 

 恋次はサングラスを取って捨てる。

 そして抜刀の構えを取った。

 

「お覚悟を……雅貴様」

「よい、よいぞ大嶽丸! 俺とお前には色々確執がある。今日はそれを全て清算しようではないか! 互いの命をかけてな!」

 

 両手を広げ、狂気の笑みを浮かべる雅貴。

 恋次は白鞘の鯉口を切った。夕闇を銀閃が裂く。

 

 幾星霜をまたいで因縁の対決が、今始まった。

 

 



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七話「暗黒のメシア」

 

 

 一方、デスシティの中央区は大混乱、阿鼻叫喚の地獄に成り果てていた。

 雅貴の形成した一夜城のせいか? 

 いいや違う。

 

 デスシティの住民が嬲り殺されているのだ。

 民間人であろうと表世界の軍隊と渡り合える猛者達が、だ。

 

 鬼神の別働隊──宿儺率いる土蜘蛛一族である。

 最古の鬼の一種である彼等は二メートルを超える体躯に従来の鬼以上の怪力。そして稚気とも言える邪悪性を誇っていた。

 性欲と暴力性のみで動く彼等はまさしく異形のバケモノであり、顔面は蠅取り蜘蛛の如く醜悪。

 彼等はデスシティの高層ビルを合間を吐いた糸で跳び回り、津波の如く被害を拡大化させていた。

 

 住民達は魔改造した重火器を掃射するも全てかわされ、腕利きの剣士は放たれた攻撃を防ごうとするも、刀ごと頭を叩き割られる。

 血と脳漿を噴き出すその身体を土蜘蛛が投げつければ、衝撃で住民は吹き飛ばされた。

 

 鬼の攻撃を防御するなど、もはや自殺行為といわんばかりの暴虐──

 鬼という種族は『究極に力が強い』最強の妖魔。

 土蜘蛛はその中でもとりわけ力が強い。

 

 しかし、デスシティの住民もタダでは殺されない。抗い続ける。

 

「オイ、お前らこのデスシティで何を勝手な事しとんじゃ~!!」

 

 怒声と共に現れたのは25㎜機関砲を携行した巨漢だった。

 戦車や攻撃ヘリですら墜落せしめる機関砲を個人で搭載したサイボーグである。

 

「くたばりやがれ~!! このバケモンどもが~!!」

 

 鼓膜が破れんばかりの轟音と共に、毎秒100発の弾丸が雨あられの如く発射された。

 凄まじい反動を押さえつける為に男の足元がひび割れていく。

 熱を帯びた空薬莢が次から次へと排出されていった。

 火線と共に土煙がもうもうと上がり、辺りはベールの如く包まれる。

 

「どうだ!! コイツは装甲車だろうが戦車だろうがイチコロの代物よ!! 流石に平気なわけ……!?」

 

 しかし、そこに居たのは無傷の土蜘蛛集団だった。

 彼等はゴツゴツとした手で、巨大な弾丸を弄ぶ。

 ジャラジャラと音を鳴らして、「ゲゲゲ」と不気味な笑みを浮かべた。

 

 最小限の動きで躱され、それ以外はキャッチされたのだ。

 亜光速を超える弾丸を完全に見切り、全て避けられる筈なのについでにキャッチした。

 格が違い過ぎる。

 

 土蜘蛛達は大男を囲み、四肢を掴み取る。

 そして四方に引っ張った。

 ミチミチと筋肉繊維と骨が千切れる音が聞こえる。

 

「や、やめろ!! ぎゃあああああ!!!!!!!」

 

 四つに分かれた大男。

 その肉を咀嚼し、ゲラゲラと嗤う土蜘蛛達。

 

「誰か、誰か助けてくれ〜!!」

「何だよコイツらは!?」

「来るな、来るんじゃねえ~!!」

「ちょっと、置いて逃げないでよ!!」

 

 パニックになり逃げ惑う住民達を、土蜘蛛達は容赦なく殺し回る。

 腕が飛び、足が舞い、首がちぎれ飛んだ。

 辺り一面に血の雨が降る。

 土蜘蛛達の笑い声が魔界都市に木霊した。

 

 一方、地盤を砕き巨大なバケモノが姿を現す。

 魔界都市の地層に染み込んだ幾億の憎悪と無念の魂を吸い込んで、大巨人──デイダラボッチが復活した。

 雅貴の仕組んだ「宴」の一つである。

 

 500メートルを優に超える漆黒の巨人が、段々とその顔を形成していく。

 身体中に白の紋様が浮かび上がると同時に口が裂け、獰猛な牙が剥かれた。

 デイダラボッチは咆哮する。

 

「GYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHH!!!!!!!!!!!!」

 

 空気が超振動し、地殻が抉れ、高層ビル群がドミノ倒しの容量で倒れていく。

 中央区は壊滅的被害を被り、他の区にも余波が渡った。

 

 数年ぶりの、魔界都市存亡の危機である。

 大正時代、世界を幾度と無く滅ぼしかけた大魔人、雅貴の催す狂乱の宴は魔界都市であろうと滅ぼしかけてしまうのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

「あわわわわ……ッ!!!!」

 

 その頃、カジュアルな服装をした少女幽霊は物陰に隠れ、この災害を乗り切ろうとしていた。

 桃色のツインテールを揺らし、ふよふよ浮遊している彼女は死体回収屋「ピクシー」のリーダー、幽香である。

 

「姉御ぉ……っ」

「外、凄いことになってる?」

「大丈夫ですかぁ? 一緒に隠れましょうよぉ~」

「危ないですよ~っ」

 

「お前等!! 黙って荷台に隠れてろ!! 俺が見張っておいてやるから!!」

「「「「「はいぃぃ~ッ」」」」」

 

 子供幽霊達はビクビクと怯えていた。

 それもそうである、この事態──幾ら魔界都市とはいえ異常である。

 幽香はリーダーとして、何としても彼等を護るつもりでいた。

 

(逃げるにしたって、アイツ等が怖がってロクに動けねぇ……どうしよ~ッッ)

 

 幽香は焦燥していた。

 すると、異常な光景が彼女の前を通り過ぎる。

 

 高層ビルを優々と抱え歩く細身の男が居たのだ。

 数千トンに及ぶ筈の高層ビルを片手で肩に担ぎ、フラフラと歩いている。

 

 190を超える長身に血の気のない青い肌。

 手足が異様に長く、濡れた様な総髪、そして額に生えた二本の角。

 女物の着物を羽織り、下は革パン、腰にはベルトを何重にも巻いている。

 

 彼は物陰に隠れていた幽香と視線を合わせた。

 幽香の全身に鳥肌が立つ。

 鬼──しかし今暴れている土蜘蛛とはレベルが違う。

 

「フン」

 

 高層ビルを横薙ぎにし、幽香を隠していた瓦礫を軒並み吹き飛ばす。

 幽香の顔面が蒼白に染まった。

 

 鬼は不気味に笑う。

 

「ほぅ……木偶しかいないと思っていたが、この様な無垢な女子共が隠れておったか。よいよい……クケケ、この(オレ)の、宿儺の無聊を慰めろ。イイ声で鳴く事を期待しているぞ」

 

 土蜘蛛一族の頭領にして、嘗て肥前国(佐賀県)で大暴れした大鬼神。

 両面宿儺こと、宿儺(すくな)

 

 幽香達は絶対絶命の危機に陥っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

「あ、あねご~!!」

「隠れて!! 隠れて!!」

「あわわわわ……ッッ」

 

 子分幽霊達は泣きそうな面で幽香に呼びかける。

 しかし、幽香は子分達が隠れる荷車の前で両手を広げた。

 

「コイツらに手を出すな!! 手を出したらゆ、許さないぞッ!!」

「クケケケケ、威勢の良い女子よなァ……しかも霊か。まっこと面妖な、しかしどうでもいい。お前の魂をゆっくりと咀嚼すれば、背後に隠れている幼子たちも出てくるだろう」

「ッッ」

 

 幽香は唇を噛みしめる。

 まさしく絶対絶命であった。

 目の前に鬼神に勝てる筈もなく、逃げ切れもしない。

 抗うにしても、時間稼ぎできるかすら怪しかった。

 

「だめぇ!! 姉御に手を出さないで!!」

「親びんに手を出さないで~!!」

「あっち行け~!!」

 

「馬鹿ッ!! お前等!! 出てくんじゃねぇ!!」

 

 幽香は叱責を飛ばすも、既に遅い。

 全員荷車から出てきてしまった。

 宿儺はゆらりと手を伸ばす。

 

「クケケケケ、ならば纏めていただくか……」

「っ」

 

 幽香は子分達を抱きかかえ、目を瞑る。

 もう駄目だ──そう思った時、金属同士がぶつけ合う轟音が響き渡った。

 恐る恐る目を開けると──漆黒の制服に身を包んだ美女が、高周波ブレードで宿儺に斬りかかっていた。

 

 高層ビルでガードするも両断されたので、仕方なく腕でガードしている宿儺。

 鋼鉄をバターの様に切り裂く高周波ブレードの一撃を容易く受け止められ、美女──闇バスの運転手、死織は苦渋の表情で叫んだ。

 

「逃げてください!! 早く!!」

「し、死織っち!!」

「私はいいから早く!! そう時間を稼げません!!」

「ッッ」

 

 幽香は唇を噛みしめ、荷車に子分達を無理やり押し入れる。

 さぁ出発しようとした時、振り返ってしまった──

 そのまま行けばよかったのに。

 

 死織は上半身と下半身を両断され、地に叩き伏せられていた。

 

「し、死織っち~ッッ!!!!」

 

 幽香の悲痛な叫びが木霊した。

 

 

 ◆◆

 

 

 死織は見過ごせなかった。

 悪党である彼女にも、一線というものがある。

 無抵抗な子供達が嬲り殺されそうなところを、放っておくことはできなかった。

 

 相手の強大さはわかっていた。

 肥前の大鬼神相手に、一分すら稼げないことも──

 

 それでも──

 

 死織は口から大量のオイルを吐き出し、地面に倒れ伏す。

 根元から折れた高周波ブレード、下半身は離れた場所にある。

 全身をサイボーグ改造しているからこそ一命を取り留めているものの、致命傷には変わり無かった。

 

「死織っち~ッッ!!!!!」

「駄目……逃げて……」

 

 オイルを吐き出しながら、死織は消え入りそうな声で呟く。

 その首を宿儺は掴み、容赦なく握りしめた。

 

「したたかな女よ……俺に敵わないと知りながら、突撃してきおった。しかし無駄、無駄……所詮、獲物が一つ増えただけよ」

 

 幽香は涙を流しながら叫ぶ。

 

「やめろォ!! 死織っちを苛めるなァ!!」

「ならば来い。もしかしたら助けられるかもしれんぞ?」

「ッッ」

「クケケケケ……無理だよなァ、後ろの子分達ごと殺されるのが見えているものなァ。ならば見ておけ、この女を嬲り殺してから、お前等を一匹ずつ食ろうてやる」

 

 宿儺は死織を持ち上げ、その頬をねっとりと舐め上げる。

 そして再度、地面に叩きつけた。

 最早、死織には抗う気力すらない。

 心臓の駆動機関も止まりかけていた。

 

 子分幽霊達が叫ぶ。

 

「やめてぇ!! 死織さん死んじゃうよぉぉぉ!!!」

「やめてってばぁ!!!」

「お願い!!! やめてくださいぃぃぃぃ!!!」

 

 泣きながら死織に駆け寄ろうとする子分達を、幽香は必死に抑える。

 唇を血が滲むほど噛みしめながら──

 ここで取り乱しては駄目だと、必死で涙を堪えていた。

 

 しかし、もうすぐ死織が死んでしまう。

 あとほんの数秒で──

 

「死織っちッ!!!!」

 

 幽香は思わず駆けよろうとした。

 

 その時────―現れたのだ、暗黒のメシアが。

 

 宿儺の顔面に剛拳が迫る。

 反応し、手をかざすも、埒外の剛力に押し切ら、吹っ飛ばされる。

 それでも宿儺は空中で態勢を立て直し、忌々し気に叫んだ。

 

「何奴!!」

 

 真紅のマントがバサバサと靡く。

 灰色の三白眼に獰猛なギザ歯、褐色の堂々たる肉体。

 その大きな背中を見た幽香は、涙をポロポロと流し、最後には泣きじゃくった。

 

「ひっぐ……びぇぇぇぇぇぇぇぇぇんんッッ!!!!!!! やまどぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」

 

 褐色肌の美丈夫、大和は眉間に皺を寄せながら吐き捨てた。

 

「この野郎……俺のお気に入りの女とダチ苛めやがって──―ブチ殺すぞ? ゴラァ」

 

 



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八話「本物の鬼神」

 

 

 宿儺は痺れて動けなくなった右手を払いながら、嘯いてみせる。

 

「ほぅ、これはこれは──その褐色肌に人間とは思えぬ剛力、凶悪な闘気。嘗て我等の始祖である鬼神王、温羅(おんら)を討伐した太古の英雄、吉備津彦(きびつひこ)の異名を取る大和殿ではないか。現代では──桃太郎だったか? 忌々しい仇敵が自ら登場とは嬉しいぞ……!」

「なんだぁモヤシ野郎、物知りじゃねぇか」

「大江山の頭首、現代最強の鬼神──酒呑童子の討伐にも坂田金時の異名で関わっているのだ。我等鬼にとって、忘れがたき名前よ」

 

 桃太郎に金太郎。

 日本を代表する伝記の主人公、その両方の元ネタになった益荒男に、宿儺は敵愾心を剥き出しにする。

 

「己を誰だと思っている……嘗て肥前の地で悪逆の限りを尽くし、鬼神王の再来とまで謳われた大化生、宿儺だぞ!!」

 

 宿儺は群青色の妖気と鬼気を開放する。

 山河を容易に砕き、大海原を割る腕力を誇る彼の魔気は容易に魔界都市全土を包み込んでみせた。

 

 大和は嗤う。

 

「笑わせんな……テメェが温羅のクソジジイと再来だと? はなたれ小僧が、寝言は寝てから言いやがれ」

 

 大和の闘気が開放される。

 真紅のオーラは大和の生命力そのもの。宿儺の魔気ごと魔界都市を包み込み、地球を、太陽系を、銀河を、宇宙を、それ以上の空間を侵食し、包み込んでみせる。

 

 宿儺は呆然とした。

 己の力に絶対的な自信を持っていたが、それも容易に砕けてしまった。

 あまりに格が違い過ぎる。

 嘗て世界を、宇宙を、幾度もなく救った大英雄は、存在そのものが「一つの世界」に成っていた。

 

 世界の、ちっぽけな存在でしかない己を自覚し、宿儺は歯を食い縛る。

 それでも恐怖が勝ったようで、背後で暴れ回る暗黒デイダラボッチに命令する。

 

「デイダラボッチよ!! そこな生意気な人間を叩き潰せ!!」

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」

 

 暗黒デイダラボッチは応じ、大地を砕き跳躍する。

 500メートルを超える巨体が宙を舞い、大和を踏み潰そうとした。

 

 しかし大和は拳を振り上げる。

 瞬間、爆風が巻き起こった。

 大和のパンチは、その衝撃波のみでデイダラボッチを粉微塵にしてしまった。

 

 断末魔の悲鳴を上げ、塵も残さず消えていく暗黒デイダラボッチ。

 大和は首を傾げた。

 

「次は? 次だ」

 

 手を差し出し、クイクイと手招きする。

 宿儺は慌てて周囲の土蜘蛛達に命令を飛ばした。

 

「お前等!! 奴を取り囲み、その四肢を引き裂け!! はようしろっ!!」

 

 土蜘蛛達に恐怖などない。

 そんな高等な感情を抱けるほど頭が良くない。

 数十体の土蜘蛛が大和に飛びかかり、その四肢を、首を、もぎ取ろうとする。

 しかし、ビクともしない。

 皆、地が割れるほど踏ん張っているのに、大和は平然としていた。

 

 彼は笑いながら宿儺に歩み寄る。

 

「もう終わりか? 次だ、次。次を出せ」

「いぃ……ッ!?」

 

 土蜘蛛達を引き摺りながら歩み寄ってくる大和に、宿儺はとうとう恐怖で尻餅をついてしまう。

 大和は彼の前で止まると、その顔を掴み、容易に持ち上げた。

 

「ならテメェ等のショータイムは終わりだ。ここからは、俺のショータイムだぜ」

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は哄笑を上げながら宿儺を振り回す。

 まるでヌンチャクの様に宿儺の手足を持ち替え、ぶん回していた。

 

「ハハハハ!! 鬼ヌンチャクってやつだ!! 中々いい武器だ!! 気に入ったぜ!!」

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

 

 悲鳴を上げる宿儺で土蜘蛛達を叩き潰していく大和。

 動けないでいる土蜘蛛達を容赦なく殺戮していく。

 暫くすると、この場の土蜘蛛一族は全滅していた。

 血の池地獄の完成である。

 

 大和は宿儺を持ち上げ、その面を確認した。

 彼はあまりの痛みと衝撃で気絶していた。

 

 大和はニタリと嗤うと、肝臓ごと骨肉を握り潰す。

 宿儺は悲鳴を上げ目を覚ました。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!! がぁッ!!? カハッ!! ハァ、ハァ……!!」

「何寝てんだよ、ショータイムはこれからだぜ?」

「た、頼む、これ以上は、許してくれ、俺が悪か……ッ」

「うるせぇよ」

 

 大和は宿儺を地面に叩き付け、マウントポジションを取る。

 そして心底楽しそうに指をポキポキと鳴らした。

 

「さぁて、こっからが本番だ。安心しろや、百発で止めてやる。百発で死ぬようにきちんと手加減してやる」

「お、お願いだ! お願いします!! 助けてください! 殺さないで!! 命だけは! 財宝ならいくらでも払う! なんなら貴方様の部下になってもいいから……!!」 

 

 ゴキンと、宿儺の顔面に拳骨が振り落とされる。

 顔面を陥没させ鼻血を吹き出す彼の頭を、大和は掴んで持ち上げた。

 

「お前、同じ事言う奴を今まで見逃した事があるか?」

「はへっ……?」

「わかるんだよ、俺ァ……同じ苛める側の気配ってのが。お前、弱いもの苛め大好きだろ?」

「そ、そんにゃことはッ」

「いいんだぜ、素直になれ。俺も大好きだ。お前みてぇな弱いもの苛めして調子乗ってる奴を苛め殺すのが、三度の飯より大好きだ♡」

「た、たしゅけ……っ」

 

 グシャリと、大和の拳が宿儺の顔面を潰す。

 その後、何度も何度も、丁寧に、角度を変えて拳を振り下ろす。

 大和の顔には凶悪な笑顔が貼り付いていた。

 返り血を浴びても、拳を振り下ろすのを辞めない。

 

 あまつさえ、殴った回数を楽しそうに数えている始末だ。

 

「50♪ 51、52ぃ!」

 

 最早、宿儺の意識はない。

 殴られる度に手足を痙攣させている。

 大和の極悪スマイルは更に深まるばかりだった。

 

「98、99ぅ、100!! はいドンピシャぁ!!」

 

 大和は立ち上がる。

 そこには、顔面がスプラッタ状態になった宿儺がいた。

 最早見る影もない。

 既に息も絶えている。

 

 大和は血だらけになった拳を振り払うと、踵を返す。

 地に伏している上体だけの死織に真紅のマントを被せ、くるみ、抱きかかえた。

 そうして幽香達の元へ向かう。

 

「あの、あぅあぅ、や、大和……っ」

 

 幽香も、他の幽霊達も、怯えていた。

 大和の悪辣な笑みを間近で見ていたからだ。

 大和の手が伸びる。

 幽香達は目を瞑った。

 

 幽香の頭に、ぽんと手が置かれる。

 そしてクシャクシャと桃髪を撫でまわされた。

 

「怪我してねぇか?」

「……~~~ッッ」

 

 幽香はポロポロ涙を流し、鼻水を垂らしながら大和に抱きつく。

 他の子ども幽霊達もだ。

 

「びぇぇぇぇぇぇぇん!!!! やまどぉぉぉぉぉぉ!!!!! こわかったよぉぉぉッッ!!!!」

 

 抱きついておんおん泣き叫ぶ子供幽霊達に、大和は肩を竦める。

 胸の中で安心している死織を抱きしめながら、大和は打って変わって柔らかく笑んでみせた。

 

「ったく、世話のかかる奴等だぜ」

 

 こうして、魔界都市での騒動は一段落付いた。

 



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九話「譲れないもの」

 

 牛鬼こと牛魔王は、ネメアをまず手で制した。純白のスーツを腕まくりする。

 

「まぁ待て。お前と本気で殴り合うとなると、魔界都市どころかこの宇宙が壊れる。下準備が必要だ」

 

 牛魔王は持ち前の妖術と仙術──更には雅貴から貰った結界術式を展開する。

 周囲の空間の強度が段違いに上がった。

 宇宙の先の、その先以上の空間を凝縮したかの様な、圧倒的密度を誇る決戦場が完成する。

 

 牛魔王は決闘の前に、ネメアに問うた。

 

「お前に一つ、聞きたいことがある」

「何だ」

「噂によれば、お前は傭兵業を営んでいるが殆ど動かないらしいな。何故、今回は動いた?」

 

 ネメアがやって来たのは嬉しいが、何故来てくれたのか、牛魔王は気になっていた。

 ネメアは金髪をぼりぼりと掻く。

 

「理由は今も昔も変わらないさ。俺は自分のためじゃなく、誰かのために拳を振るう」

「…………」

 

 牛魔王は鋭い双眸を丸めると、黒い総髪を押えて爆笑した。

 

「ハッハッハ!! そうか!! お前は根っからの英雄気質なのだな!!」

「からかうな」

「いや、いい! それでいい! 俄然、ヤル気が出た」

 

 牛魔王は不敵に笑い、拳を掲げた。

 

「いざ、尋常に……」

「……」

 

 ネメアも無言で拳を構える。

 溢れ出す金色のオーラ。対して牛魔王は藍色のオーラを迸らせ、駆ける。

 

 互いに拳を振り抜き、それが重なり合う。

 次元が湾曲すると同時にとんでもない轟音が響き渡った。

 巻き起こった衝撃波は、結界越しに魔界都市を震撼させた。

 

 

 ◆◆

 

 

 平天大聖こと牛魔王は、世界中の妖魔の中でも随一の怪力を誇る事で有名である。

 腕力のみで那由他の神仙と張り合い、最後まで魔王として暴れ続けた中華を代表する大化生。あの孫悟空と互角に殴り合った正真正銘のバケモノと殴り合うなど、本来なら自殺行為だ。

 ましてや──

 

「力勝負といこうではないか……!!」

 

 両手を重ね、指を絡め合う。

 純粋な力勝負に持ち込まれた。

 神仏であろうと、邪神であろうと、牛魔王の怪力に勝てるものなど存在しない。

 純粋な、圧倒的力の権化。鬼を超える原初の暴力は、真正面からネメアを捻じ伏せようとしていた。

 

 しかし──

 

「!!?」

 

 牛魔王は途轍もない圧力を感じる。

 拵えた決戦場にヒビが入るほど渾身の力を込めるも、ビクともしない。

 

 驚愕する牛魔王。

 拮抗ならまだわかる。孫悟空の時はそうだった。

 しかしこの感覚は──負けている。

 腕力で、負けているのだ。

 

 牛魔王は思い出す。

 嘗て、己を腕力のみで捻じ伏せた黒き鬼人を──

 

「なんという、剛力──ッッ」

 

 ネメアの筋肉が、シャツの下でミシミシと軋みを上げる。

 牛魔王は体勢を崩した。

 しかし掴まれた両手は決して離れない。

 

 ネメアは渾身の頭突きを繰り出した。

 牛魔王は同じく頭突きで応じる。

 

 ゴキンと、異様な音と共に空間がはじけ飛ぶ。

 衝撃だけで宇宙が消し飛ぶ威力だった。

 

 互いの両手が緩んだ瞬間、同時に右フックを繰り出す。

 両者ともカウンターで入り、衝撃によって後退した。

 

「……ぐぅぅッ」

 

 牛魔王は堪えきれず、片膝を付く。

 面白いほど足が震えていた。

 頬に伝わった拳の重さ、強度。あの黒鬼と遜色ない。

 

 牛魔王は口の端に血を滲ませながら、苦笑いした。

 

「流石だ……剛力無双と名高いあのヘラクレスなだけある。まさか純粋な力勝負で負けるとはな……長き生涯で二度目だぞ」

 

 ネメアは白煙の上がる左頬を撫で、告げる。

 

「生憎、純粋な力勝負では負けた事がないんだ。巨人族にも、魔神にも……唯一互角なのは、大和だけだ」

「あの大和と同等の腕力を誇る唯一の存在──噂に聞いていたが、まさか本当とはな」

 

 迷信だと思っていた牛魔王は、その身を以て痛感する。

 暴力の天才と謳われる大和と同等の腕力家は、確かに存在した。

 

 努力も無論ある。

 弛まぬ努力の果てに鍛え抜いたのだろう。

 しかし、元々の肉体の造りが違う。

 人類ではありえない筋肉繊維の本数、強度。それを生まれながらに保持しているのだ。

 決して衰えることなく、生涯に渡り成長し続ける夢の肉体。

 英雄足りえる条件の一つ。

 

「超人体質」

 

 中でもネメアのソレは常軌を逸していた。

 一般的な英雄体質の数百倍もの筋肉、骨格密度を誇る。

 それを寸分の油断なく鍛え上げているのだ。

 

 大和が人智を逸脱した「怪物」であれば、彼は人類史の誇る「勇士」だ。

 

 数億年前、嘗てまだ大陸が一つだった頃、西側で「最優」の名を冠した大英雄。

 武技と魔導を極め、知に富み、義を尊び、神々への礼節を忘れない。

 英雄になるべくして成った男──ヘラクレス。

 

 しかし、今は英雄ヘラクレスではない。

 傭兵兼酒場の店主、ネメアである。

 

 彼は右手に魔力、左手に闘気を込めながら言った。

 

「悪いな……俺は大和みたいに遊ぶ様な真似はしない」

 

 闘気と魔力の融合。

 魔闘技法──本来、絶対に相容れない二つの力を融合させ莫大な力を獲得する究極技法。

 

 ネメアの金色のオーラが煌々と輝き、更に膨張する。

 放たれた膨大な風圧と威風に、牛魔王はしかし引かなかった。

 

 むしろ快活に笑んでみせる。

 

「応ともさ!! それでこそ英雄!! それでこそ闘い甲斐がある!! 久々に血沸き肉躍る戦いかできそうだ!! 好敵手よ!! 感謝する!!」

 

 戦闘狂の本性を現した牛魔王は、本当に晴れやかな笑みを浮かべてネメアに突進していった。

 そうして壮絶な殴り合いが始まる。

 

 英雄と魔王の決戦は、まだ始まったばかりだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 鈴鹿御前──茜はインドの第四天魔王を父に持つ生粋の鬼姫である。

 その神通力と剣技の腕前は神域に達していた。

 

 彼女の携える三本の霊刀──大通連、顕明連、小通連には、それぞれ能力がある。

 まず両手に持っている三メートルを超える刀身を誇る、大通連。

 格別の斬れ味と硬度を誇るが、予め斬った空間を固定し斬撃を残すという能力がある。

 腰に差された二本の霊刀、顕明連と小通連にもそれぞれ破滅の業火と絶対零度の氷を操る力があった。

 更に顕明連は破格の再生能力を、小通連は空間を凍結させ時を停める力がある。

 

 持ち前の神通力、剣技の冴え、更に三本の霊刀の能力も相俟って、茜は鬼神の中でも上位の戦闘力を誇っていた。

 野ばらは大正時代、彼女に勝てたのは偶然だと思っている。

 それ程までの強敵なのだ。

 

 今回も、勝てるかどうかわからない。

 野ばらはその前に、ある疑問を解消しようとした。

 

「一つ、質問してもいいかしら?」

「何だ小娘、早うしろ。私は一刻一秒でも早く貴様を斬り刻みたいのだ」

 

 殺意のこもった碧眼で射貫かれるも、野ばらは平然と問いかける。

 

「貴女は何故、雅貴の味方に付くの? 元はインドの魔族の姫君──わざわざアイツに味方するのは何故?」

「ハッ……何かと思えば、そんな事か。知れた事よ」

 

 茜は大通連を振るい、吠える。

 

「私はあの方を愛している! 狂おしいほど愛しておる! この身は雅貴様のためにある! 故に、復讐に囚われる小娘などにくれてやる命など無い! ここで死ね!!」

「……そう、わかったわ」

 

 女として、ここまで誇り高く生きる鬼姫に一種の敬意を抱きながらも──ソレを憎悪で塗りつぶす。

 今から斬る相手に敬意も糞も無い。

 鬼だから斬る。

 そう在れかしと鍛え抜いた肉体が脈打つ。

 

 妖刀と化した刀も目の前の邪鬼を早う斬れと催促していた。

 野ばらは腰を低くし、抜刀の構えを取る。

 

 彼女が駆けるよりも早く、茜が地を蹴った。

 

 

 ◆◆

 

 

 大通連の一閃は幾百の斬撃と成りて大広間を吹き飛ばす。

 刀身三メートルを超える超刀が齎す攻撃範囲は異常の一言に尽きた。

 

 畳や障子、木材ごと城外へ吹き飛ばされた野ばらは、しかし平然と空中で滑空する。

 追って来る特大の斬撃波。真空を纏いしソレを野ばらは傘を開き、風に乗る事で避ける。

 背後の曇天が真っ二つに裂けた。食らえばひとたまりもない。

 

 野ばらは巻き上げられた残骸を足場にし、地上を目指した。

 大連通の斬撃が迫る。神通力で滑空し、忌々しい小娘を両断せんと茜が犬歯を剥く。

 

 傘を使い巧妙にホバリングしながら、野ばらは地上を目指した。

 鬼狩りの軽妙な体捌きが輝く。常識外れの攻撃範囲を誇る大通連の斬撃を悉く躱してみせる。

 

 野ばらは空気を蹴った。

 瞬時に一閃。茜は背後に突き抜けられた。その頬に一筋の切り傷が浮かぶ。

 煙を上げて己を蝕む毒性に、歯を食い縛りながら振り向き大通連を薙ぎ払う。

 

 爆光。

 剛質な霊刀と鬼狩りの魔剣が互いの刃を食い潰し合っていた。

 茜は忌々しそうに吐き捨てる。

 

「妖刀か……ッ」

「さっきから煩いのよ。貴女を斬れって」

「ほざけ!!」

 

 大通連を振り下ろし、野ばらを叩き落す。

 野ばらは地面スレスレで傘を開き、着地した。

 刹那に抜刀、剣閃。空から降り注ぐ斬撃の雨を斬り伏せる。

 

 野ばらの眼前に長大な刃が突き立てられた。

 降りてきた茜が柄を掴み、渾身の力で斬り上げる。

 超犯罪都市に大きな溝ができた。

 独特のステップを踏み回避した野ばらは、渾身の回転蹴りを放つ。

 茜はガードするも、更に連続で蹴りを浴びせられ、もう一度回し蹴りを食らって後退した。

 

 吹き飛ばされた余波を大連通を地面に刺す事で殺し、止まったところで柄巻の上に立つ。

 茜は喉を鳴らさんばかりに野ばらを睨み付けた。

 

「生意気な……!!」

 

 崩壊した常夜の魔界都市で、二名は再度対峙する。

 腰に差した二振りの霊刀を逆手持ちにし、茜は跳んだ。

 小太刀サイズの霊刀、顕明連と小通連での回転斬り。

 まさしく縦横無尽。

 横に、縦に回りながら野ばらを斬り伏せんとする。

 

 更に二振りの属性──獄炎と凍結も混ぜ込む。

 薙げば火焔の波が発生し、地に刺せば氷柱が野ばらを閉じ込めようとした。

 

 それら全てを躱し、捌ききったとしても、今度は神通力で振るわれる超刀大通連が風を斬る。

 野ばらは上体を反らして寸前で避けるも、その攻撃範囲は規格外の一言。

 

 三本の霊刀を巧みに操るその技量、見事という他無い。

 野ばらは防戦を強いられていた。

 

 以前彼女に勝てた理由は、不意打ちによる一方的な辻斬りだ。

 油断している彼女を一刀の元に斬り伏せる、それしか無かった。

 

 しかし今回は違う。

 相手は一切油断なく、正面から攻めてくる。

 以前の野ばらなら打つ手が無かった。だが今は強力な武器がある。

 

 野ばらは妖刀の力を開放する。

 緋色のオーラは鬼殺しの毒そのもの。風圧だけで茜の頬を焦がしてみせる。

 

 茜は警戒心を一気に強めた。

 野ばらは地を蹴り距離を詰める。

 刹那──時が停まった。

 野ばらの動きが停止する。まばたきすらしない。

 

 小通連の能力──時間の凍結である。

 ごく限られた空間しか凍結できないが、一度発動すれば同格の鬼神であろうと問答無用で停止させる、茜の奥の手だった。

 

「阿呆め……例え妖刀を携えていようと、以前の様に上手くいくと思うな!!」

 

 茜は吼え、二振りの霊刀を振るう。

 獄炎と吹雪を織り交ぜ、野ばらを飲み込み消滅させようとする。

 例え最上級の妖魔だろうと耐える事はできない、災害を収束させたかの様な猛撃。

 

 しかし斬線奔る。

 獄炎を断ち、吹雪を裂き、茜の前に躍り出た野ばら。

 茜の表情が驚愕に染まる。空間ごと時間を停止させた筈なのに、何故──

 反射的に大通連を神通力で振るうも、ここで妖刀の全力が発動。大通連の長大な刀身ごと茜を叩き切る。

 

 袈裟斬りで鮮血舞う。

 何故──茜が目を見開くと、そこには緋色の輝くオーラを纏った野ばらが居た。

 煌く星の如きオーラは、かの傭兵王が得意とする究極技法──魔闘技法である。

 

 野ばらは疑似的に再現してみせたのだ。

 しかし妖刀の波動と自分の生命力を無理矢理混ぜただけなので、効果は一瞬。

 しかも身体の至る所から鮮血が迸る。

 究極技法の模倣など本来するものではない。単なる自殺行為である。

 

 しかし、こうするしかなかった。

 こうでもしなければ、警戒した茜を出し抜く事ができなかった。

 

 肉を斬らせて骨を断つ。

 己の命よりも鬼の討滅を優先する野ばらだからこそできたのだ。

 

 髪飾りが重圧で千切れている。

 束ねた髪が解け、腰まで届く長い黒髪が風に靡いた。

 鮮血に塗れながらも凛とした構えを解かない野ばら。

 その立ち姿、まさしく極寒の藪に咲く一輪の野ばらの花の如し。

 

 茜は過呼吸を繰り返す。

 顕明連の驚異的な再生能力を以てしても、鬼殺しの呪詛は拭えない。

 全身を犯す激痛に悲鳴を上げそうになりながらも、彼女は野ばらに襲いかかった。

 

「私は……負けぬ!! 負けられぬ!! あの方のために、私は絶対に負けられないのだッッ!!!!」

「ッ」

 

 互いに満身創痍。しかし全力で得物を振るう。

 激しい剣劇、金属が潰れる音が幾重にも響き渡る。

 茜は吐血し、野ばらは全身から血を吹き出しながらも、尚止まらない。

 

 野ばらは唐突に膝蹴りを放ち、体勢を崩した茜の腕に刺突を放つ。

 悲鳴を上げて顕明連を手放す茜。野ばらは容赦なく妖刀を振り下ろす。

 しかし茜も命懸け。最後の得物、小連通で刺突を放つ。

 

 両者の目前に刃が迫る。

 しかし一拍、野ばらの方が早かった。

 

 茜の首に妖刀の刀身が触れる──その瞬間、何処からともなく飛んできた護符が茜を護った。

 茜は驚愕した後、天守閣に振り返り涙を流しながら叫ぶ。

 

「駄目ぇ!! 雅貴様ァっ!!」

 

 茜は理解していた。

 大嶽丸と死闘を繰り広げている雅貴に、自分を護る余裕などない。

 この護符が意味する事とは──

 

 雅貴の邪気が、消え失せた。

 

 



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十話「主従の決闘」

 

 天守閣にて。

 邪仙、雅貴は呪符で恋次の斬撃を防ぐと、どうしてもといった様子で告げた。

 

「むぅ、やはり我慢できぬ……大嶽丸、もう一度俺の部下にならぬか? お前ほどの男、手放したくない!」

「…………」

「お前以外に、俺の右腕が務まる男など存在しないのだ!!」

「鈴鹿が、居るではありませんか」

「あ奴は俺の懐刀よ。右腕はお前だ!」

「…………」

「そうか、残念だよ……」

 

 心底残念そうに肩を落とす雅貴。

 恋次は枯れた声で言った。

 

「問答はもう終わりです。……決着を付けましょう」

「……わかった。俺も覚悟を決めよう! 来い! 大嶽丸!!」

 

 雅貴は腰のホルスターから旧式の拳銃を抜き放つ。

 恋次も白鞘を翻し、逆袈裟斬りを放った。

 

 

 ◆◆

 

 

 雅貴の拳銃はカスタムされた二十六年式拳銃だ。

 当時の帝国では主流だった中折れ式で、廃莢と装填の際に腹部を折り曲げる必要がある。

 この手間から近代に移ろうにつれて廃れていった拳銃であるが、雅貴は未だ愛用していた。

 

 その理由は帝国への愛着心と、十分に活用できるよう魔改造が施されているからである。

 銃身の先端──本来弾丸を射出する部分が欠けており、その代わりに呪術で編まれた暗黒色の刀身が発現していた。

 

 ガンブレード。

 

 雅貴は呪術を練り込んだ弾薬で刀身を強化しつつアクロバティックに戦う、変則的な剣士だった。

 

 雅貴は左手にガンブレードを、右手に呪符を携えながら吠えた。

 

「加減などするなよ大嶽丸!! 本気で殺しに来い!! 俺もお前を本気で殺してやる!! あの鬼狩りめに斬らせる位なら、俺自ら斬ってくれるわ!!」

「無論!」

 

 恋次は本気で白鞘を振りかぶる。

 振り下ろされた渾身の一太刀を、雅貴は正面から迎え撃ってみせた。

 振り下ろしと斬り上げ、両方が重なり合う瞬間、雅貴はトリガーを引く。

 弾丸に編み込まれた呪術が発動、威力が増大し恋次の絶剣と張り合ってみせる。

 

 衝撃が天守閣を半分に断ち、莫大な剣圧で空間が揺れた。

 

 雅貴は呪符で恋次を周囲の空間ごと固定すると、トリガーを連続で引き剣舞を織り成す。

 五行の理から成る属性の連斬は空間ごと恋次を断つ筈だった。

 しかし恋次は筋力のみで束縛を脱し、迫る斬撃を防ぐ。

 雅貴は驚愕しながらも瞬時に表情を引き締め、念道力で彼を無理矢理後退させた。

 

 その僅かな隙にリロード。

 廃莢、弾薬を補填するまでにかかった時間はコンマ一秒。

 段違いの速度である。しかも彼の拳銃は中折れ式だ。

 

 雅貴は更に呪符を数枚取り出し、呪詛を吹き込む。

 恋次が瞬時に詰め寄り白鞘を煌かせるも、呪符が刃の往く手を阻む。

 符に触れた瞬間、斬撃が向きを変えて恋次に迫った。

 

「ッ」

 

 恋次は辛うじて避けるも、右肩を抉られる。

 その隙を雅貴は見逃さない。果敢に攻め立てる。

 恋次は防御に徹し、時に捨て身の一刀を繰り出すも、当たらない。全てが空を斬る。

 

 雅貴の周囲に常に施されている結界のせいだ。

 陰陽風水が秘奥『陰陽遁甲』。

 

 その効果は運気の改竄による危難回避、解消。つまるところの運命改変である。

 現実を歪めるレベルの幸運を一時的に獲得し、あらゆる災いを未然に回避する。

 ようは可能性の拡大化。相手の攻撃に対して回避が成功する確率を強制的に100%にする。

 

 恋次の攻撃が当たらないのは、これによる回避が成功しているからだ。

 

 この術を力だけで破ることはできない。

 およそ何の工夫も見られない攻撃はまず外される。

 

 しかし、無理矢理引き寄せた幸運は相応の災いを招く。

 回避した攻撃が強ければ強いほど、それは逃れようのない破滅の運命としてやって来る筈なのだ。

 そう、本来であるならば。

 

 雅貴は稀代の大陰陽師である。

 左道の邪仙として呪いの扱いに長ける彼は、そういった災いを回避する術を知っている。

 

 雅貴は術の発動で生じる禍福のオーラを操り、自らの霊力として蓄える事ができるのだ。

 敵の攻撃は確実に躱し、それと共に自らの呪力を上げていく。

 まさしく理不尽の権化。

 大正末期まで雅貴が滅ぼされなかった大きな理由の一つがこれだ。

 

 恋次の規格外の剛剣によって最大限に高められた霊力が爆発する。

 トリガーを連続で引いて恋次を曇天へ弾き上げると、雅貴は稚気と邪気を交えた満面の笑みを浮かべた。

 

「俺は魔術というものが大好きだが──近代兵器も大好きだぞ!! 浪漫がある!!」

 

 デスシティの空を賽の目状に区切ると、そこから禍々しい巨大な鉄塊を召喚する。

 幾多の噴出口から煙を上げる30メートルを超える鉄塊は──デスシティの誇る最強最悪の原爆だった。

 

『ハルマゲドン』

 

 その威力は超新星大爆発にも匹敵する。

 未だ開発中であるが、雅貴はコレが完成する遥か未来からわざわざ取り寄せたのだ。

 鈍い轟音を上げて、ハルマゲドンが起爆する。

 

 本来であれば地球が一瞬で消し飛ぶ超兵器の発現は、しかし雅貴自身が展開した強固な結界で圧縮される。

 超新星の死に様、規格外エネルギーの放出に恋次は成すすべ無く呑み込まれていった。

 

 雅貴は加減などしない。

 更に最強の真言(マントラ)を唱え始める。

 それは三千世界にのさばる不浄を焼き払う、不動明王の火焔が顕現する知らせだった。

 

「ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタ・タラタ・センダ・マカロシャダ・ケン・ギャキギャキ・サラバ・ビキンナン・ウンタラタ・カンマン──神威顕現・火界咒ッッ」

 

 超原爆ハルマゲドンを超える、三千世界を焼き尽くす破滅の業火。

 雅貴は結界に多数の次元の穴を作る事で、この規格外の威力を外部へ逃す。

 名も知らぬ数多の宇宙を焼き尽くしながら、恋次は燃え滓になる筈だった。

 ──しかし。

 

「……勝機ッッ!!!!」

 

 結界を破り、恋次が急降下してくる。

 雅貴は驚愕で金色の双眸を見開いた。

 今の一撃は、恋次が耐えきれるものでは到底無かった筈だ。

 

 恋次の携える白鞘が七色の光を帯びている。

 雅貴はそのカラクリを瞬時に読み解いた。

 

「術式付与か──しかも俺の陰陽遁甲と同質の、相手の攻撃を吸収する型!! しかし、それ程の術式……大嶽丸貴様!! 何十年練り上げてきた!!」

「30年前からです。この時が必ず来る──そう信じておりましたッ」

 

 恋次は五十嵐組に忠誠を誓ってから三十年余り──地道にこの術式を練り上げてきた。

 何時か雅貴と決着を付ける──その日が来ると信じて、ずっと。

 

 幾星霜の想いが実り、恋次の剛剣は多次元宇宙を断ち切れる威力を内包するに至った。

 陰陽遁甲の許容範囲を優に超えている。

 しかし雅貴は嬉々としてガンソードを構えた。

 

「ならば来い!!!! お前の想い、受け止めてやるッッ!!!!」

 

 雅貴は今ある呪符を全て起動させ、霊力も今できる最大まで練り上げる。

 そうして正面から恋次を迎え撃とうとしたが──ふと、離れて戦う茜の危機を知る。

 雅貴は迷わず茜を護るため符を飛ばした。

 

 そうして出来た一瞬の隙に、雅貴は恋次の渾身の一刀を受けてしまった。

 

 

 ◆◆

 

 

 恋次は致命傷を負って倒れ伏す雅貴を見下ろし、唇を噛みしめていた。

 彼が何故、自分の剣を無防備に受けたのか──その理由を知ったからだ。

 

 苦渋に満ちた表情をする恋次に、雅貴は笑いかける。

 

「何だその表情は、大嶽丸……お前は俺を、倒したのだぞ……」

「……納得できません。こんなッ」

「我儘を、言うでない。全く……もっと誇らんか。俺は、誇らしいのだぞ。お前と正面から語り合えたのだ」

「……」

「悔いは、無い。……さぁ、早うトドメを刺せ……お前に殺されるのならば、本望だ」

「ッッ」

 

 恋次は血が滲むほど唇を噛みしめる。

 納得できない、こんな結末。

 愛する女を護った元・主を、殺す事など──

 しかし────

 

「…………私情は、挟みません。俺は、五十嵐組の、組員ですから……」

 

 自分に言い聞かせる様に言う恋次に、雅貴は苦笑を向ける。

 

「……やるのだ大嶽丸。過去に、ケジメを、つけろ……」

「ッッ…………」

 

 

 恋次は溢れ出た涙を拭い、表情を引き締める。

 そして、大の字に倒れ伏す雅貴に最期のトドメを刺すために、白鞘を振り上げた。

 

「……では」

「ああ、達者でな……恋次」

 

 振り下ろされる白刃。

 そのまま雅貴は真っ二つになる筈だった。

 しかし──

 

「それまでだ。もういいだろう?」

 

 可憐で、温かい語気を含んだ声。

 褐色の柔らかい手の平が、恋次の放った刃を優々と受け止めた。

 

「!!?」

 

 恋次は驚愕する。

 まるで天使の如き美少女が佇んでいたのだ。

 

 ショートに整えられた桃色の髪、薄く焼けた肌。

 十代ほどに見える顔立ち、しかし大きく実った乳房は大人の女性顔負け。

 漆黒の羽で編まれた法衣は神秘的でありながら妖艶。

 

 彼女は頭の上に生えた漆黒の小翼をパタパタとはためかせる。

 潤った唇に微笑を浮かべ、恋次の白鞘を優しく握り込んだ。

 

 聖書に記されし最も偉大な四名の熾天使、その一角。

 正義と焔を司る厳格な天使でありながら、堕天した変わり者。

 

 宇宙開闢と終焉の焔を司る堕天使、ウリエル。

 

 彼女の登場が意味する事とは、雅貴の復活に関わるものだった。



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十一話「決着」

 

 

 城外で。重症を負った茜は、それでも雅貴の居る天守閣までその身を引き摺っていた。

 黒髪を振り乱し、碧眼に涙を溜めながら、一歩一歩──

 

「雅貴様ぁ、雅貴さまァ……ッ」

 

 しかし、途中で倒れてしまう。

 野ばらの妖刀の毒が全身を蝕んでいるのだ。

 気を失う茜。野ばらは彼女に歩み寄り、トドメを刺そうとする。

 だが彼女も満身創痍。途中で膝を付いてしまう。

 

「ッッ」

 

 それでも鬼に対する憎悪で総身を奮い立たせ、立ち上がった。

 

「もうええじゃろう、鬼狩りの娘」

「!」

 

 しゃがれた声が聞こえたので、野ばらは咄嗟に構えを取る。

 茜を抱きかかえ、嘆息する謎の老人が居た。

 

 綺麗に染まった白髪は後ろで結われている。

 皺が重なりつつも壮健さを損なわない面構えに、堂々とした佇まい。

 緑の着物に深緑の袴をゆったりと着こなし、腰には二本の長大な日本刀を帯びていた。

 

 老人に対し、野ばらは殺気を迸らせる。

 老人は嘆息し、その群青色の双眸に剣気を迸らせた。

 

「下がれぃ小娘、彼我の実力差も理解できんか」

「ッ」

 

 顔面にぶつけられた剣気に、野ばらは思わず目を瞑ってしまう。

 尋常では無い。

 目の前の老人は、自分より遥か格上の剣客だった。

 

「……貴方は、何者? 何で私の邪魔をするの?」

「仲間を助ける。至極当然の事じゃて。故に、これ以上この鬼姫を害するというのであれば、容赦せん」

「貴方は、人間でしょう?」

「そうじゃ。しかしそれがどうした? 人間が鬼を助けるのはおかしい事なのか?」

「…………」

 

 野ばらは老人を睨み付ける。

 彼の気を変えられない以上、茜を殺す事はできない。

 

 そう悟った野ばらは、せめて老人の名前を聞くことにした。

 今度会った時は、決して容赦しないために──

 

「名前を、聞かせて頂戴」

「……正宗(まさむね)。天下五剣の一角に数えられている」

 

 正宗──世界最強の剣客達「天下五剣」最長老にして「剣神」の異名を取る男。

 

 野ばらもその名を知っていた。

 故に驚愕する。

 

 彼女が正気に戻る前に、正宗は茜と共に消えた。

 その歩法は極まっており、純粋に、格の違いを思い知らされる。

 

「……ッ」

 

 野ばらは剣の柄を握りしめる。

 まだ足りない。

 鬼を殲滅するには、力が足りないのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 ネメアと牛魔王は壮絶な殴り合いを交わしていた。

 互いに一歩も引かず、ガードすらせず、正面から相手を捻じ伏せようとしている。

 

 この決闘のために拵えた空間も、既に限界を迎えようとしていた。

 拳の一発一発で宇宙を消し飛ばす規格外共の殴り合いに、むしろ今迄よく耐えていたといえる。

 

 牛魔王が渾身のアッパーでネメアの顎ごと顔を吹き飛ばす。

 しかしネメアは崩れない。

 その金眼に宿る覚悟と闘志に、牛魔王は身震いした。

 

 殺意や狂気とは真逆──正道を往く強靭な精神力。

 今まで背負ってきた命や想いが、ネメアの瞳に宿っていた。

 

 ネメアの本気の右フックが牛魔王の頬を殴り飛ばす。

 牛魔王の視界が揺れた。

 幾千幾万の想いが乗った拳は、大和とはまた違った「重さ」があった。

 

 それでも、牛魔王は笑う。

 むしろ誇らしかった。

 真の勇者と殴り合える──魔王としてこれ以上無い誉れだった。

 

 ネメアと牛魔王が、次で決着を付けようと拳を振り抜く。

 同時に空間がひび割れ、一名の侵入者を許してしまった。

 

「そこまでだぜ、お二人さん♪」

 

 両者の放った拳を手の平で優々と受け止めた、謎の美青年。

 程よい長さの緑髪に金色の三白眼。黄色を基調とした蛇柄のカジュアルな衣装。

 細身ながらネメアと牛魔王の拳を受け止めたその剛力は圧倒的。

 彼はネメアに狂気と歓喜を交えた笑みを向けた。

 

「ネメアちゃ~ん♪ 妬けちゃうぜ~? 俺様以外と本気で殴り合うなんて。ネメアちゃんの本気のパンチは俺様だけが受けていい一級品なんだからよ~♪」

 

 先端の裂けた舌をチロチロと出す。

 ネメアの表情が嫌悪で歪んだ。

 

「ヒュドラ……!」

「久しぶりだぜネメアちゃ~ん♪ 元気にしてたァ? 俺様は元気百倍だぜぇ♪ ネメアちゃんの本気パンチが腕から心臓に伝わってきて、もうキュンキュンだぜぇ♪」

 

 ヒヒヒと不気味な笑い声を上げる美青年──ヒュドラ。

 外宇宙から来た侵略者、ドラゴン。その中でも最狂と謳われた『邪龍王』。

 日本では八岐大蛇(やまたのおろち)で著名な彼は、数億年前からネメアと何度も対峙している生涯のライバル。

 同時に規格外の不死性と猛毒で世界を何度も滅ぼしかけた、超一級危険生物である。

 

「何でお前が……」

「俺様達、雅貴ちゃんに協力してるのよ♪ 七魔将って名前でなァ♪ ヒヒヒッ、面白そうだろ~?」

「ッッ」

 

 ネメアは驚愕で眼を見開く。

 ヒュドラと牛魔王と同等クラスのバケモノがあと四名、雅貴と同盟を組んでいる。

 悪夢以外の何ものでもなかった。

 

 ヒュドラはケラケラと笑う。

 

「つぅわけで、今はお別れだぜネメアちゃ~ん♪ また今度、二人っきりで殴り合おうや♪」

「オイ、待て!!」

 

 ネメアが手を伸ばすも、ヒュドラは牛魔王に肩を貸して時空間を移動してしまう。

 ネメアは盛大に舌打ちした。

 

「……洒落にならんぞッ」

 

 

 ◆◆

 

 

 恋次の放った刃を受け止めた堕天使ウリエルは、そのまま大の字で倒れる雅貴に微笑んでみせた。

 

「もういいだろう? 雅貴」

「むぅ……まぁ、よかろう。お前達との同盟、破棄するわけにもいくまい」

「当たり前だ。封印から解放した対価はキッチリと払って貰うよ」

「……俺は約束は破らん。わかった。この場は引くとしよう」

 

 ウリエルの背後に、茜を抱えた正宗と牛魔王に肩を貸したヒュドラが現れる。

 恋次は歯を食い縛った。

 想像を絶するメンバー。どんな方法を用いてもこの面子には勝てない。

 次元が違い過ぎる。

 

 ウリエルは恋次の白鞘を離すと、雅貴を浮遊させ後退する。

 彼を抱き寄せたウリエルは、恋次の背後に駆けつけたネメアと野ばらに告げた。

 

「今回の宴はコレで終了だ。……ネメア、大和によろしく伝えておいてくれ。僕達は雅貴に付くと。ああでも、僕は君一筋だから、そこは勘違いしないでくれとも」

 

 ウリエルはチロリと舌を出す。

 ネメアは唸りながら彼女に問うた。

 

「お前達の目的は何だ……返答次第では、ここで戦うのも辞さない」

「内緒♪ 今後のお楽しみという事で、とっておいてくれ」

「ッッ」

 

 ネメアは拳を握りしめた。

 この四名を同時に相手にすることは、できなくはない。

 しかし、ネメアには守るべき場所がある。

 しかも、近くには恋次と野ばらがいる。

 ネメアは戦闘を諦めた。

 

 それすら考慮済みだったウリエルは、悪戯っぽく笑ってみせる。

 

「じゃあね。また会う時が来るだろう」

 

 紅蓮の焔に包まれ、雅貴を含めたメンバーが消えていく。

 雅貴は、最後に恋次に言い放った。

 

「恋次……! 自由に生きよ! お前はもう俺の部下ではない! お前らしく、生きるのだ!」

 

 満身創痍ながらも最愛だった部下にそう言い残し、雅貴は焔の中に消えていく。

 恋次は涙を流し、肩を震わせた。

 そして、喉から声を絞り出す。

 

「今迄、ありがとうございました……ッッ」

 

 雅貴は微笑みながら消えていった。

 完全に、気配が消えた。

 

 ネメアは全身の力を抜き、大きな溜息を吐く。

 乾いた夜風が辺りを吹き抜けた。

 

 狂乱の宴が今、漸く終わったのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 三日後、デスシティは壊滅的被害を被ったが、何時も通りのルーチンを再開していた。

 死傷者は沢山出た。地形も変わった。しかしどうという事は無い。

 デスシティは滅びない。表世界が平和である限り、そのツケが全て此処で清算される。

 

 善悪二元論。

 

 故に、デスシティがその在り方を損なう事は無い。

 今日も今日とて多数の違法売買が執り行われ、異形妖魔共が跋扈する。

 魔界都市を魔界都市たらしめているのは、表世界の住民なのだ。

 

 ケバケバしいネオンが明滅し、夜空を覆う鉛色の入道雲は数多のテールライトで照らし出される。

 サイボーグ同士が肩が触れたか触れないかで殴り合いを始め、全裸に近い悩ましい衣装を着たサキュバスが所構わず男を誘う。

 空中を飛空車達が行き交い、路地裏からは呻きとも叫びともつかない声が聞こえてきた。

 辺りは200階を優に超える超高層ビルが立ち並び、通り沿いには軒並み怪しい出店が並んでいる。

 違法改造を施した重火器や戦車を揃えている兵器屋。毒草や毒虫、護符を並べた魔法薬屋。

 魔法薬屋では妖精や怪魚、人面草の干物を吊り下げており、現在双頭鮫の解体ショーが始まっていた。

 

 混沌の象徴とも言えるこの異世界で経営を再開した完全安全地帯こと、大衆酒場ゲート。

 住民達は改めてこの酒場のありがたみを知ったのか、何時も以上に店内は騒々しかった。

 

 カウンター席に座り、ラムを嗜んでいる褐色肌の美丈夫──大和。

 彼は大きな溜息を吐いていた。

 理由は頭や肩、腹にくっ付く子供幽霊達だ。

 

「大和さん、やっぱり大きいです! 頭に乗れば酒場を見渡せます!」

「大和さ~ん、かまって~♪」 

「兄貴~っ」

「きゃはは♪」

 

 死体回収屋ピクシーの面々である。

 少年少女の子供幽霊達は、大和に助けられて以降特に懐いていた。

 大和は肩に乗る桃髪の少女幽霊に文句を言う。

 

「オイ幽香、コイツ等をどうにかしろ。おかげでロクに女と寝られやしねぇ」

「後少ししたら落ち着くだろうから、許してくれよ。俺もお前に甘えたいし♪」

 

 大和の頬に自分の頬をすり寄せる幽香。

 大和はやれやれと溜息を吐いた。

 

 その背に、唐突に誰かが抱きつく。

 漆黒の制服を着た美女だった。

 東洋人特有の彫の浅い顔立ち。柔らかい光を帯びたブラウン色の双眸。

 艶のある黒髪は肩辺りで切り揃えられている。

 制服の中に窮屈そうに詰まっている豊満なバストは、雄にとって垂涎の品だった。

 

 闇バス、闇タクシーの運転手、死織である。

 彼女は甘ったるい声で大和に言った。

 

「まさか貴方が私達を助けてくれるなんて……驚きましたよ。でも、嬉しかったです」

「勘違いすんな。たまたま目に入っただけだ。次は自分達でどうにかしろ」

「フフフ……それでも、また目に付いたら助けてくれるんでしょう?」

「…………」

「大好きですよ……大和♡」

「……ったく」

 

 大和は苦笑しながら頬杖を付く。

 死織は彼の背中に身を寄せ、幸せそうにしていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ネメアは厨房前で煙草を吹かしながら新聞を読んでいた。

 記事は雅貴の復活、そして七魔将について。

 七魔将──現在判明しているメンバーは四名。

 

『堕天使の長』ウリエル

『剣神』正宗

『邪龍王』ヒュドラ

『平天大聖』牛魔王

 

 後三名、同レベルの猛者がいるという。

 ソレらが雅貴と同盟を組んでいると思うと、頭が痛くなった。

 

 ここ数十年、平和な時代が続いていた。

 それも、この機に崩れ去りそうである。

 強大な邪悪は周囲に影響を与える。

 それがあの雅貴であれば、想像を絶する被害が出るだろう。

 

 これから動く機会も多くなる──ネメアはそう考え、一先ず新聞を閉じた。

 今はこの仮初の平和を享受しようと思ったのだ。

 英雄の真似事はもうお終い。酒場の経営という本当に好きな仕事をして、ネメアは初めて安らぎを得られる。

 

「店長……」

 

 更衣室から出てきたのは、大正モダンを連想させる給仕服を着た美少女──野ばらだった。

 サイドテールにした黒髪を揺らして、彼女はネメアに頭を下げる。

 

「ありがとう。また給仕として雇ってくれて」

「気にするな」

「それでも、お礼を言わせて頂戴。店を出て行ったのに助けて貰って、また雇って貰えるなんて、貴方には本当に甘えてばかりだから」

 

 俯く野ばらに、ネメアは苦笑してみせる。

 

「今度はちゃんと相談しろ。……俺はお前の味方だから」

「……ありがとう。これからもよろしくね、店長」

 

 野ばらが初めて微かに笑ったので、ネメアは満面の笑みを返した。

 嵐が去った後には花が咲く──

 野ばらの笑みが今回のネメアの報酬だった。

 ネメアには、それだけで十分だった。

 

 

 

《完》

 

 



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第七章「異世界伝」
一話「勇者召喚」


 

 

 デスシティとは全く違う異世界にて。

 中世ヨーロッパを連想させる文明では魔法と剣術が発達し、魔物や妖精が当たり前の様に棲息していた。

 

 この世界の北側を領土にしている王国「サーティス」。

 雪解け水から成る豊富な水源と独自の特産品、何より治世の才に恵まれた三代目国王が敷く善政で、「平和の象徴」として世界中から愛されていた。

 

 しかし数ヵ月前、世界を震撼させる大問題が発生する。

 地の底からモンスターが溢れ出し、人々を襲ったのだ。

 運悪く近隣にあった南方の連合国は壊滅。噂では聞くに堪えない畜生の所業により、生き地獄と化しているらしい。

 凶悪なモンスター達を統べているのは、魔王と呼ばれる強大な力を持ったモンスター。

 彼は廃墟となった連合国を拠点にし、北にあるサーティス王国への進軍を目論んでいた。

 

 サーティス王国、国王はこの危機的状況を打破すべく、最大戦力である勇者一行に魔王討伐を命じた。

 国王の息子であり、類稀なる剣技と魔法の才を持った彼とその仲間達なら、あるいは……国王も領民も、大いに期待を寄せていた。

 しかし現実はそう甘くない。勇者一行は全滅。交信は途絶え、行方も知れない。

 国王は息子を失った悲しみに暮れる間もなく、現状の打破を国民から要求されていた。

 国王は藁をも縋る想いで、親戚の娘である召喚術士に頼った。

 

 この世界での存在では魔王軍に対抗できない。異世界から勇者を召喚してくれ──と。

 

 召喚術士は一度、断ろうとした。

 異世界からの召喚など試みた事が無い。

 一体どんな存在が召喚されるか──彼女自身も全くわからなかったのだ。

 

 しかし現状は絶対絶命。

 安全を考慮するなどという余裕は無かった。

 国王も、国民も、魔王を駆逐しうる「強大な存在」を求めていた。

 

 召喚術士は異世界から勇者を召喚する決意をする。

 その当日、魔王軍の大幹部──魔元帥「黒龍王」が王国に飛来した。

 50メートルを超える漆黒の巨龍は王国を蹂躙するのも程々に、王城に飛来する。

 彼は真っ赤な口を裂かせ、吠えた。

 

『召喚術士を出せ!! 我が王の占術によって貴様等の目論見、全て見通し済みよ!!』

 

 国王は近衛兵団のみならず、駐屯する全ての兵団を集めて黒龍王に対抗した。

 その間に召喚術士を地下に逃したのだ。

 

 彼女は薄暗い地下の祠で必死に召喚術式を編んでいた。

 来たれ、異世界の勇者よ──と。

 

 

 ◆◆

 

 

 司祭服に身を包んだ美少女は魔法の大杖で地に召喚陣を描き、着々と呪文を唱えていた。

 

 肩で揃えられたプラチナブロンドの髪が靡く。

 白磁の様な柔肌に薄桃色の唇。司祭服の上からでもわかる豊満な肢体は実に艶やか。

 貞淑と色香を併せ持つ彼女は、王国でも数多の求婚願いを提出される絶世の美少女である。

 しかし今はその美貌を悲痛で歪めていた。

 

 今現在も犠牲者が出ている。

 王国から全兵力が出ているとは言え、あの巨龍を長時間足止めする事など不可能。

 

 召喚術士は最後に祈りを捧げる。

 誰よりも強い益荒男を、この地に遣わせたまえ──と。

 

 召喚陣が輝き、真紅の爆風が吹き荒れる。

 濃密過ぎる生命オーラだ。

 召喚術士は目を開ける事すらできなかった。

 

 暫くして奔流が止むと、召喚術士は恐る恐る目を開ける。

 そこには力強くも美しい、褐色肌の美丈夫が居た。

 

「……俺を呼んだのはお前か、お嬢ちゃん」

 

 その甘く低い声に、召喚術士は脳味噌を熱泥に変える。

 最早目の前の益荒男の事しか考えられないでいた。

 

 鋭利な三白眼に獰猛なギザ歯。

 それらを抱えながら全く色褪せない神域の美貌。

 鍛え抜かれた肉体は二メートルを優に超えるも、全く重さを感じさせない。

 

 清潔感のある白と黒の浴衣。

 肩から羽織られた真紅のマントは彼のトレードマーク。

 腰に帯びられた大小の日本刀は、彼の体躯に合わせ拵えられた特注品だった。

 

 

 大和──世界最強にして最悪の勇者が、異世界に召喚された。

 



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二話「闇の勇者」

 

 

『早う出せ!! 召喚術士を!!』

 

 屈強なる近衛騎士団をその鋭利な爪で引き裂き、強靭な咢で食い千切る。

 余念なく鍛錬に勤しんでいた戦士達を長大な尾で一蹴し、吐き出した火焔で炭にする。

 

 ドラゴンは魔物の中でも最上位種、彼はその王だ。

 人類が勝てる存在ではない。膂力も魔力も、桁が違い過ぎる。

 

 近衛隊員の背後で打ち震えている壮年の男性。

 王冠を被った細身の、風格漂わせるこの男性こそ国王である。

 彼は近衛兵を振り払い、前に出て悲痛の叫びをあげた。

 

「何故だ!! 何故貴様等は我々の平和を脅かす!! 我々が何をした!!」

『愚問也、下等種族の王よ。貴様等は家畜の悲鳴に耳を貸すのか? 胃に落とし込んで糞にするだけだろう』

「ッッ」

『貴様等が家畜にしている事を、我等は貴様等にする。それだけの事よ。さぁ、早う出せ!! 召喚術士を!! でなければこの王国で地獄を再現する!! 今なら慈悲を与え、苦痛無く殺してやるぞ』

「~ッッ」

 

 国王は歯を食い縛る。

 近衛兵団、駐屯兵、計千名の強者は全滅寸前。

 血油の臭いが酷く鼻に付く。謁見の広間は死屍累々の地獄と成り果てていた。

 

 コレが王国全体で起こる──国王は身震いした。

 しかし、騙されてはいけない。

 遅かれ早かれ、こうなるのだ。

 ならば──

 

「ほざけ、畜生の王よ!! 我々は屈しぬ!! 弱肉強食の理が貴様等を呼び寄せたのなら、我等は抗うまでよ!!」

『ほぅ、ほざいたな下等生物──貴様等に何ができる!! 我を傷付ける事すらできぬ羽虫同然の貴様等に!!』

「……希望は、ある。私は彼女を、信じている」

 

 瞬間、黒龍王の頭蓋にナニカが落下してきた。

 

『ガベッ!!?』

 

 圧倒的膂力を誇る黒龍王が、抗う余裕すら無く潰される。

 彼の頭上で、真紅のマントがバサバサと靡いた。

 褐色肌の美丈夫が、召喚術士を抱きかかえながら落下してきたのだ。

 

「近道だからって天井をぶち抜いて来たんだが──ちょいと行き過ぎたな。漸く到着したぜ」

 

 黒龍王の頭上から飛び降りる美丈夫。

 カランと、下駄の音が鳴り響いた。

 彼の腕に抱かれている召喚術士は、終始うっとりとしていた。

 

 国王は瞠目すると同時に興奮した。

 一目でわかる。その圧倒的強さ──身に滲む風格は、まさに絶対強者。

 召喚に成功したのだ。

 異世界から魔王を打倒できる強者を、召喚できたのだ。

 

 致命傷を負った黒龍王は、血反吐を吐きながら唸りを上げる。

 

『おのれ……何奴かッ!!!!』

「煩ぇよトカゲ野郎。黙ってろ」

 

 振り返らす、赤柄巻の大太刀を振り抜く美丈夫。

 すると、黒龍王の頭がサイコロ状に千等分された。

 悲鳴すら上げられず、黒龍王は絶命した。

 

 背後から香る血臭すらも己の色香で塗り替え、美丈夫は召喚術士と舌を絡め合う。

 召喚術士は今迄見た事も経験した事もない雄に酔い痴れ、身を捩らせていた。

 

 濃密なキスを終えた後、美丈夫は国王に歩み寄る。

 そして凶悪な笑みを浮かべて告げた。

 

「お前か──俺を呼び寄せたのは。いいぜ、殺して欲しい奴の名前を言いな。報酬次第で請け負ってやるよ」

 

 背筋に悪寒が奔った。

 もしかしたら──自分は、とんでもないものを召喚させてしまったのかもしれない。

 国王の脳裏に一抹の不安がよぎった。

 

 そして、それは的中している。

 美丈夫の名は大和。

 世界最強の殺し屋であり、世界最高の武術家である。

 

 彼をどう扱うのか──それは国王の裁量にかかっていた。

 

 



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三話「悪魔との契約」

 

 

 特別に用意された貴賓室で。

 宝剣や甲冑、その他装飾品で彩られた客人用の室内で、大和は国王と対面していた。

 大和はソファーに跨り、脇で甘えてくる召喚術士を可愛がっている。

 

 国王は生唾を飲み込んた。

 男であろうと、彼の美貌には見惚れざる得ない。

 国王は過去にこれ程までの男前と出会った事が無かった。

 

 端正な顔立ちは勿論、屈強過ぎる肉体。勝気な雰囲気に清涼な身嗜み。

 男として必要な魅力をほぼ全て兼ね備えている。

 

 そして何より、邪悪な雰囲気。

 

 幾千幾万の愛憎を手懐けている彼が醸し出す魅力は、最早魔性の域に達していた。

 男性であれば羨望と畏怖の念を抱くだけで済むだろう。

 しかし女性であれば、その圧倒的な「雄」の格に平伏すしかない。

 本能から彼に夢中になり、只の雌に成り下がってしまうのだ。

 

 現に貞淑さで有名だった召喚術士は、大和の寵愛を一身に求める牝に成り果てている。

 

 国王は袖に隠した拳を握りしめる。

 そこに在るだけでこの存在感──そして先程の圧倒的な戦闘力。

 御する事などできるのだろうか──

 魔王を討伐する前に、王国そのものが危機なのではないか──

 

 治世の才に恵まれた彼だからこそ、目の前の「破滅の象徴」に怯えていた。

 大和はその表情を見てニヤリと笑う。

 彼は隣で侍る召喚術士に告げた。

 

「外に出てろ」

「あぁ……♪ そんなっ」

「後で可愛がってやる」

「はァぁ……かしこまりました♪」

 

 まるで催眠術にでもかけられている様だった。

 惚けた表情のまま部屋を出ていく召喚術士。

 その背を見送った大和は、国王に振り向き笑いかける。

 

「そんじゃ、依頼の話をしようか。誰を殺して欲しい? いるんだろう、殺して欲しい奴が」

「ッ」

「報酬や今後についても、色々話し合おうじゃねぇか。なぁに、テメェが正当な報酬を払ってくれるなら、俺は何もしねェさ。テメェが危惧している事も起こらない」

「…………」

 

 心を読まれ、国王は静かに覚悟を決めた。

 王国を、国民を、護るために、この悪魔に魂を売ろうと。

 

 

 ◆◆

 

 

「成程──魔王とその軍団を駆逐して欲しいと」

「そうだ」

「報酬は? 幾ら払える。俺は異世界人だ。そうさな──黄金や宝石、財宝で頼むぜ」

「地下の貯蔵庫に詰められたこの国の隠し財宝──半分でどうだ? この部屋が一杯に埋まるくらいだ」

「ひゅう♪ 太っ腹ぁ♪ いいぜ、契約成立だ」

 

 大和は上機嫌に喉を鳴らす。

 国王はしかし、冷や汗をかきながら告げた。

 

「その代わり、約束してくれないか? 国民達に絶対に手を出さないと──」

「いいぜ。国民から手を出さない限り、俺から国民を害さない。この契約が成立してる内はその約束、守ってやる」

「……すまない」

「…………」

 

 大和は国王と視線を合わせる。

 国王は一瞬、心臓が止まるかと思った。

 その灰色の三白眼に宿る狂気と欲望を垣間見てしまったからだ。

 

 黒き鬼神を、その背後に見た。

 

「オイ」

「ッッ……なん、だね?」

「怯えてんじゃねぇよ。話のわかる依頼主に特別にサービスをしてやるつもりなのに」

「サービス……?」

 

 国王が冷や汗を垂らしながら首を傾げると、大和は嗤って人さし指を立てた。

 

「依頼内容に関する情報、全部お前が改竄していいぞ」

「……!!」

 

 国王は瞠目する。

 賢い彼だからこそ、大和の言葉の真意がわかったのだ。

 大和は敢えて補足する。

 

「例えばだ……国王は領民を護るため、異世界から勇者を召喚しました。義侠心溢れる勇者は快諾し、魔王とその軍勢を駆逐してくれました。おかげで世界は平和になったとさ──ちゃんちゃん♪」

「……」

「その方が助かるだろ? 「金で殺し屋を雇った」って名目よりはよっぽど良い筈だ」

「……都合が、良すぎる。何が目的だ」

 

 震えた声で問う国王に、大和は大袈裟に両手を広げてみせた。

 

「俺は金と女と刺激を求めてる。名誉も地位もいらねぇ。でもお前は領民の安全と──体制を求めてる。どうだ? 悪くない提案だと思うが」

 

 これ以上無い魅力的な提案だった。

 唯一の欠点である「魔王軍の討伐内容」、それを自由に改竄できるのだ。

 金なら後々、幾らでも蓄えられる。しかし国民の信用は違う。

 一度失えば、取り返しのつかない事になる。

 

 それをよく理解している国王は──目を閉じ、頭を押さえた。

 

「…………追加報酬は?」

 

 そう言う国王に、大和は満面の笑みを浮かべた。

 それは本当に悪魔の様な笑みだった。

 

「顔と身体、両方が良い女──そうさな、今夜はゆっくりしたいから、20人くらいでいいぜ♪」

「……娼婦や高級奴隷でも構わないか?」

「いいぜいいぜ♪ そうだよなァ、国民を差し出す訳にはいかねぇものなァ」

「ッッ」

 

 邪悪なる契約、ここに成立。

 王は魔王を駆逐できる暴力を求め、黒き鬼神と闇の契約を果たした。

 全ては国民の安寧のため──

 

 国王はどれだけ汚れようと、国の為に尽くすつもりだった。

 当の大和は、上機嫌に嗤っていた。

 

 

 

 



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四話「魔剣聖」

 

 一方、南側の連合国跡地にて。

 嘗て栄華を誇った南国の楽園は、最早面影すら残していなかった。

 冷たい風に晒され朽ちていく廃墟が虚しさを強調する。

 男を中心に子供、老人まで皆殺しにされ、女は慰め物にされていた。

 男達の亡骸は槍に串刺しにされ、そのまま街中に突き立てられている。

 多くのテントからは女達の悲鳴と喘ぎ声、そしてオークの下品な笑い声が聞こえてきた。

 

 謁見の間だった場所で。

 玉座であろう大椅子で、屈強な魔人が寛いでいた。

 死人の如き白き肌、額に生えた巨大な羊角、屈強な背中を覆うは蝙蝠の巨翼。

 身長二メートルを優に超えるこの美男こそ魔王──魔界より侵攻して来た魔王軍の首領である。

 若いながらも圧倒的な強さとカリスマ性を発揮し、魔界を統一。その後、地上界を侵略しに来たのだ。

 

 彼の膝上に跨り、淫らにその頬に舌を這わせる美女。

 褐色の豊満過ぎる肢体を最低限の戦装束で彩り、ウェーブのかかったプラチナブロンドの長髪を揺らす。

 その紫苑色の双眸に情欲の焔を宿し、淫らに魔王を誘っていた。

 

 魔王の忠臣の一人──「魔剣聖」こと、アイリスである。

 その腰に携えた二振りの邪悪な魔剣。そして豊満ながらも引き締まった肢体を見れば、彼女が一流の剣士であると理解できる。

 元々魔王の一人だったが、現魔王に敗れ、その力強さに惚れ込み忠誠を誓ったのだ。

 

 溝のできた腹筋を撫でられ、アイリスは小さな喘ぎ声を漏らした。

 熱い溜息を漏らし、魔王とキスを交える。

 濃厚に舌を絡ませ合い、唾液を交換し合う。

 アイリスは総身を震わせ、魔王の成すがままにされていた。

 

 魔剣聖と畏れられる屈強な女将軍の面影は何処にもない。

 彼女は魔王の前でのみ、一人の女になるのだ。

 

 唇を離すと、銀色の糸がアイリスの豊満な胸に垂れ落ちる。

 魔王は彼女のウェーブがかった金髪を撫でながら告げた。

 

「アイリス──黒龍王との連絡が取れない。気配も消えた。一度、偵察に行ってくれぬか? もしや、召喚術士が勇者の召喚に成功したのやもしれぬ」

「かしこまりました……全ては我が主のためにっ」

 

 魔王の膝から下り、優雅に一礼したアイリスは踵を返した。

 その表情は一変、憤怒に染まっている。

 

(あの木偶め……魔王様の足を引っ張るなとあれ程言ったではないかッ。もし生きていたとしても、私がこの手で八つ裂きにしてやるッ)

 

 紫苑色の瞳に殺気と剣気を交え、アイリスは謁見の間を去って行った。

 彼女は魔王軍の中でも剣技だけならば魔王を凌ぐ強者だ。

 元魔王というだけあり、魔王は彼女に全幅の信頼を置いていた。

 

 故に怠ってしまった。

 占術をする必要も無いと。

 下等種族にする価値など無いと。

 

 しかし、それが絶望の引き金になる事を、魔王は翌日になって知る事となる。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は異世界の美女、美少女逹を堪能していた。

 何時も抱いている女逹とはまた違った抱き心地に、大和は満足していた。

 しかし如何せん、デスシティの女逹と比べると「脆い」ので数が必要だった。

 あっという間に召還術士も含めた二十人を平らげてしまった大和は、屋外で煙草を嗜んでいた。

 

 ベランダから満点の星空を拝んで吸う煙草は格別であり、だからこそ大和は消化不良の鬱憤を晴らせていた。

 彼の背後にある特大のベッドでは美女、美少女達が昇天している。

 全員、目の集点が合っていない。

 大和に指先まで貪られ、食い散らかされてしまったのだ。

 

 しかし大和は満足していない。

 まだ全然足りないといった様子だった。

 

「あと40人くらい頼んでおけばよかったな」

 

 苦笑しながら紫煙を吐き出す大和。

 魔界都市には無い格別の夜景が、彼の性の火照りを静ましてくれる。

 綺麗に流れる天の川。夜空を覆わんばかりの満点の星達。そして何条も煌く流れ星。

 合間見える二つの満月を見つめて、大和は呟いた。

 

「大昔を思い出す──数億年前は、こんな光景毎日見てたなァ」

 

 同時に大和は思い出した。

 嘗ては自分も英雄、勇者と呼ばれていた事を。

 それだけの偉業を成し遂げた。世界を、宇宙を、何度も滅亡の危機から救った。

 

「ハッ……くだらねぇ」

 

 心底どうでもいい。大和は鼻で笑った。

 数十億の天使と悪魔による終末戦争、ドラゴンの侵略、神々の黄昏、邪神群の襲来。

 全て解決した。

 しかし、どんな偉業であれど数億年前も過去の話だ。故に切り捨てる。

 

 今を生きる男にとって、過去の記憶や偉業はゴミでしか無かった。

 

「それでも、こうしてたまに思い出す位はいいか……」

 

 感慨に浸るのも、たまには悪くない。

 最近はそう思い始めているので、大和はもう一度苦笑した。

 

 その時である。

 遠く離れた屯所で大爆発が起こったのは。

 武人の気配を感じる。同時に──濃い牝の香りを嗅ぎとった。

 

 大和は口の端を歪める。

 

「面白そうだ。行ってみるか」

 

 大和は真紅のマントを靡かせ、ベランダから跳んだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 

 二振りの魔剣から邪気を迸らせ、魔剣聖──アイリスは咆哮した。

 

「我こそ魔剣聖、アイリス!! 魔王様随一の忠臣也!! 黒龍王を殺した奴は誰だ!! すぐに出せ!!」

 

 褐色の巨乳を揺らし、筋張った腹筋で大量の酸素を取り込む。

 紫を基調とした戦装束に身を包んだ魔戦姫は戦意を迸らせる共に、好奇心に満ち溢れていた。

 何故好奇心が湧くのか──アイリス自身にもわからなかった。

 ただ、黒龍王の無念と共に漂う微かな雄の残滓に──これ以上ない興奮を覚えていた。

 

(まさかな……魔王様以上に良き男など、この世に存在しない)

 

 ウェーブがかかった金髪を揺らし、魔戦姫は殺気を迸らせる。

 駐屯所で待機していた兵士達はその美貌に見惚れていたものの、明確な死を叩きつけられ蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑う。

 アイリスは「下等生物が……」と一瞥しながら、周囲を見渡した。

 

 すると、唐突に上空から莫大な殺気を感じた。

 アイリスの顔面が蒼白に染まる。

 ありえない質量と濃度だ。

 まるで世界そのものから殺意を向けられている様な──圧倒的絶望感。

 

「よォ」

 

 背後から唐突な声。

 アイリスは竦んでしまった身体に血潮を巡らせ、振り返り様にバツの字斬りを放つ。

 しかし──二振りの魔剣が儚い音を立てて砕け散った。

 背後にあった巌の如き肉体に触れた瞬間、その硬度とアイリスの技量に耐え切れずに崩壊したのだ。

 

「……は?」

 

 呆けるアイリスを頑丈な縄が囲む。

 一瞬で雁字搦めに縛られたアイリスは、暴れる暇も無いまま褐色肌の益荒男に担がれた。

 

「イイ女だ、戦利品として貰っていくぜ」

 

 周囲の兵達は呆けたままだった。

 何が起こったのか、思考の処理が追い付いつかないのだ。

 

 アイリスは暴れる。

 しかし千切れない。緩みもしない。

 世界最強の武術家による完璧な縛り方は勿論、この縄も世界最高の鍛冶師「百目鬼村正」が出かけた一級品だ。

 たかが魔王崩れの女に解ける代物では無い。

 

 暴れるアイリスを担いだまま、大和は上機嫌で借りている部屋に戻って行った。

 その後、部屋から女性の悲鳴が聞こえる。

 かと思えば、すぐに甘い喘ぎ声に変わった。

 

 兵士達から事情を聞いた国王は戦慄すると同時に、辟易した。

 英雄色を好むというが、大和のソレはあまりに度が過ぎている。

 しかし、魔剣聖を一瞬で無力化した実力は本物。

 

 国王は大いに期待するも、やはり一抹の不安を拭えなかった。



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五話「魔王サマ」

 

 

 魔王は魔剣聖を、アイリスを信じていた。

 だからこそ、通信が途絶えた後も平静を装っていた。

 魔王が、魔族の王たる男が、取り乱すなどありえない。

 例え最愛の女性が行方不明になったとしても──だ。

 

 日が完全に明けた頃──アイリスから魔術通信が届いた。

 魔王は彼女が無事な事に胸を撫で下ろしつつ、内容を確認した。

 

 その後、魔王は発狂する事になる。

 最愛の女が、アイリスが、ベットの上で他の男に寄り添っていたのだ。

 アイリスはその凛然とした面を蕩けさせていた。

 魔王にしか見せなかった表情で、甘ったるい声を画面越しに聞かせてくれる。

 

『魔王様ぁ……ごめんなさい。私、貴方より逞しくて美しい御方を見つけちゃった……だからもう、戻りません♪』

「…………ッッ」

 

 魔王の思考が停止する。

 脳が現実を受け入れる事を拒否したのだ。

 彼は、思わず情けない声を出してしまう。

 

「そんな、バカな……嘘だろ、アイリス」

 

 その綺麗な白髪を押え、美顔を歪める魔王。

 最愛の女性を抱き寄せ、その頬にキスをした男は、魔術通信に顔を覗かせた。

 

『ハロー。お前の女、中々イイ具合だったぜ。ごちそうさん♪』

「ッッ」

『ねぇ、大和様ぁ……もういいじゃありませんか。早く続きをして欲しいですぅ……っ』

 

 アイリスは発情した様子で大和にその身体を擦り寄せる。

 しかし大和はその豊満過ぎる胸を揉む事で黙らせた。

 

『ああンっ♡』

『……ねぇねぇ、どう魔王サマ? 下等生物って見下してた人間の男に女寝取られた気分ってどう? メッチャ聞きたいわ~っ』

「~~~~~~~~~ッッ」

『だから、北側の王国──その前の平原で待ってるぜ。お前の歪んだ面、見せてくれよ。大爆笑してやるからさァ』

『大和さまァ……そんな「下手」な男なんてどうでもいいですからァ……っ』

『はいはい。……じゃあな魔王サマ。また後で♪』

 

 そこで通信は途切れる。

 魔王の憤怒は臨界点を突破した。

 謁見の広間だった場所が放出された魔力で消し飛ばされる。

 周囲のテントに駐屯していたオークやゴブリン達は怯えていた。

 魔王は顔をクシャクシャに歪ませながら涙を流す。

 そして、呪詛を吐き出した。

 

「大和……覚えたぞ、下等種族がァァ……八つ裂き程度では済まさんッ!! 地獄が生温く思える程の苦痛と絶望を味あわせてやるッッ!!!!」

 

 魔王は蝙蝠の大翼を羽ばたかせ、宙へ飛んだ。

 向かうは北側の王国──その目の前に広がる平原。

 最愛の女を寝取り貶めた男に、万感の憎悪をぶつけるために──

 

 魔王は溢れんばかりの憤怒を莫大な魔力に変換していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 山脈を越え、湖を超え、渓谷を超え──魔王は平和の象徴たる北の王国をその眼に映した。

 手前に広がる閑散とした平原に──いた、褐色肌の美丈夫が。

 魔王の憎悪が爆発する。それすらも魔力に変換してみせ、彼は仇敵の前に着地した。

 

 平地に爆風が吹き荒れ、同時に魔力の奔流が生まれる。

 荒々しい漆黒のオーラに身を包み、魔王は血走った双眸を美丈夫に向けた。

 

「下等生物がッッ……俺の女を寝取った罪、万死に値するぞ!!!!」

 

 魔王の悲哀すら伴った叫びに、褐色肌の美丈夫は愉快愉快とギザ歯を剥きだした。

 そして舌を出す。

 

「寝取られる方が悪ぃんだよ、バーカ。魔王の癖に、なっさけねぇ」

「ッッ」

「聞いたぜ。お前のアレ、小さいんだってな。それにテクも下手糞だとか……ブッハッハ!! マジで救えねぇ!! 男として終わってんじゃんお前!!」

「貴様ァァァァァ!!!!!!!!!!!!」

 

 漆黒の魔力が、憤怒と憎悪によって臨界点を突破する。

 大和は以前愉悦の笑みを絶やさず、自分の頬を突き出した。

 

「仕方ねぇなァ、一発殴らせてやるよ。ロクにセッ〇スを知らねぇ餓鬼に情けをくれてやる」

「その汚い口を閉じろ下等生物がァァァァッッ!!!!」

 

 渾身の拳が振り抜かれる。

 大気が、地盤が揺れ、世界が震撼した。

 元々、膂力だけで山河を砕き、大海原を引き裂く拳打を放てるのだ。

 臨界点を突破した魔力で超強化された右ストレートは、世界を破壊できる威力があった。

 魔界を統一した革命児に相応しい、規格外の一撃。

 

 しかし──今回は相手が悪かった。

 大和は嗤い、魔王の右手を握る。

 

「どうだ? スッキリしたか?」

 

 その頬からは白煙が上がっているが、傷は皆無だった。

 

「惨めだなァ……魔王サマ」

 

 灰色の三白眼が、暗黒色に染まっていた。

 魔王は恐怖と絶望によって支配される。

 

 その狂気と欲望は、個が抱えていいものではなかった。

 魔王の目の前にいる存在は、人間の皮を被った「怪物」だった。

 

 振り抜かれる右フック。

 魔王の上半身が消し飛んだ。

 空間が裂け、平地が崩壊する。

 衝撃が遥か先にあった山脈や渓谷、湖を丸ごと削り飛ばした。

 空に浮かんでいた雲が一切吹き飛び、一面に青空が広がる。

 

 余裕で惑星を破壊できる男の拳打を、魔族の王「程度」が耐えられる筈も無い。

 魔王は悲鳴すら上げる事なく死滅した。

 残った下半身が塵になり始める。

 

 大和は鼻で笑った。

 

「あの世で死神とセッ〇スの練習でもしてな……尤も、死神にも辟易されちまいそうだけどな」

 

 大和は残った下半身を蹴り飛ばす。

 塵は風に乗って消えていった。

 

 悪魔は悪魔でも、格が違い過ぎた。

 彼はエゴで世界を何度も救った最強の魔人なのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 その後、残った魔王軍も殲滅した大和は約束の報酬を異空間の収納ボックスに詰め込んだ。

 彼は現在、国王と契約を交えた貴賓室に佇んでいる。

 両脇に魔剣聖と召喚術士を侍らせ、国王に笑いかけた。

 

「依頼完了だ。約束の報酬も貰ったし、俺は元居た世界に帰らせて貰うぜ。その方が都合が良いだろ?」

「……」

「後は勝手にしな。お前の好きな様に歴史を改竄すればいい」

 

 大和はそう告げ、魔剣聖アイリスの首筋を甘噛みする。

 

「何か起こればコイツに任せておけ。たまには俺もこの世界に遊びに来る。どうしてもって時はまた呼べや。特別価格で応対してやるから」

 

 大和はうっとりと惚ける魔剣士と召喚術士を離し、虚空に蹴りを放つ。

 すると、次元の狭間が開いた。

 大和は此処から故郷へ──魔界都市に帰るのだ。

 

 手を振って別れを告げる大和に、国王は最後に問いを投げかけた。

 

「最後に、質問してもいいだろうか?」

「何だ?」

「君は……狂っているのか?」

 

 抽象的な質問だった。

 大和は嗤ってみせる。

 

「狂ってたら殺し屋なんてできねぇよ。とっくに野垂れ死んでる。……頭が良くて、要領も良くなきゃなァ」

「ッ」

「俺みたいな人間もいる……勉強になっただろ? 国王サマ」

「……ッ」

 

 不気味に嗤う魔人に対し、国王は何か言いたげだったが、寸前で飲み込み、頭を下げる。

 

「……今回は本当にありがとう。だが、今後君を雇う事態にならない様、最善を尽くすよ」

「ハハハ! そうだな! そうならねぇのが一番だ!」

 

 豪快に笑って、大和は次元の狭間の中へ消えていった。

 狭間が塞がり、静寂が生まれる。

 未だ惚けている女達の背を見つめながら、国王は小さく呟いた。

 

「……ああ。本当に、努力しなければならないと思ったよ」

 

 今回は最小限で済んだ。

 今回は──

 あの悪魔の様な男の気まぐれなのか、最小限の被害で済んだのだ。

 

 これからは未然に防がねばならない。

 どんな邪法を用いても──

 国王はそう決意した。

 

 今からやるべき事は多い。

 国王は険しい面持ちで踵を返した。

 

 

 異世界の空は、嵐が過ぎ去った後の如く蒼穹が広がっていた。

 

 

《完》

 

 



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第八章「妖刀伝」
一話「百目鬼村正」


 

 

 超犯罪都市、東区に近い河川敷にて。

 深きものどもが生息する「混沌の湖」まで流れている小川、その道端では妖魔桜が華やかに花弁を散らしていた。

 自在に枝を揺らし、落ちた花弁は桃色の魔蝶と成りて飛んでいく。

 

 周囲に建てられた江戸時代を彷彿させる家屋達は、格安の貸家である。

 表世界から逃げてきた犯罪者や金の無い者達の借り住まいとなっていた。

 

 遥か遠くに見える、中央区の摩天楼。

 これもまた、科学と和の混同を思わせる粋な風景となっていた。

 

 真紅の小橋の上で。

 純白のスーツを着こなした厳つい大男が、フラフラと橋を渡っていた。

 お洒落なサングラスに岩石の如き巨拳、巌を連想させる肉体。

 凄腕の用心棒、右之助である。

 

 彼は仕事帰りにおでん屋「源ちゃん」で飲み明かし、帰路に就いている最中だった。

 足元がおぼつかないのはそのためである。

 

「……んん?」

 

 ほんのりボヤける視界の中に、異様な男が入りこんだ。

 白い浴衣を着た細身の男である。適当に切られた黒髪に生気のない双眸。

 その手には禍々しいオーラを放つ日本刀が携えられていた。

 

「……やれやれ、また面倒事か」

 

 右之助は酒気を吐き出し、一瞬で酔いを醒ます。

 瞬間だった。二人の影が交差したのは。

 刹那の出来事だった。

 男が袈裟斬りに斬り込んできた所を右之助は真剣白刃取り、そのまま刀剣を叩き折ろうとする。

 が──

 

「いいッ!!?」

 

 闘気でコーティングした筈の手の平が焼けただれ、右之助は手を離す。

 そのまま剣客の怒涛の攻めを紙一重で避け続ける。

 妖魔桜の花弁が斬れ、周囲の家屋に斬撃が行き届く。

 

 右之助は一瞬の隙を見計らい男の足を踏み付け、渾身の正拳突きを放った。

 剣客は遥か遠くまで吹き飛ぶ。手応えを感じるも異様な気配が消えなかったので、右之助はそのまま逃亡した。

 

 家屋を猿の様に飛び移り、盛大な悪態を吐く。

 

「チっクショウ!! 商売道具の両手やりやがって!! 何もんだアリャぁ!!」

 

 地に降り、そして大きく跳躍。

 右之助は摩天楼の中に消えていった。

 

 この後──デスシティでとある噂が流行する。

 東区付近の宿屋街で、妖刀を携えた辻斬が現れると。

 理由は定かでは無いが、武術家しか狙わないので闘気を嗜んでいる輩は注意が必要だ──とも。

 

 

 ◆◆

 

 

 夜。

 デスシティの摩天楼を背にして褐色肌の美丈夫、大和は東区の隅っこまで足を運んでいた。

 人間も妖魔も寄り付かない辺鄙な地帯である。

 此処は大和が特別に「自分の土地」と主張している場所だった。

 故に余程馬鹿な者でない限り近付かない。

 

 大和がこの土地を所有している理由は、己の武器を唯一製造出来る鍛冶職人が棲みついているからだ。

 百目鬼村正(どうめき・むらまさ)

 表世界、デスシティ、その他あらゆる神話体系を含めても、最高峰の腕を誇る鍛冶師である。

 

 その特徴は『武器の本質の極限化』。

 

 よく斬れ、よく突け、硬質で、柔軟で、壊れにくい。

 装飾美は最低限。特殊な能力は一切付与しない。

 ただただ、武器の本質を追求する。

 物理性能に於いて世界最高を誇る武器を打ち続けている。

 同時に過去現在に於いて、大和の武具以外は一切造らないと公言する大和専門の鍛冶師。

 

 ある意味、世界一頑固な武器職人──ソレが百目鬼村正という存在だ。

 

 鋼鉄の槌を振り下ろす音が響き渡る。

 大和の目前の質素な一軒家からだ。

 合金製の煙突からモクモクと煙が上がっている。

 槌の音も相俟って、鍛冶仕事の真っ最中なのだろう。

 

 大和はその場で腕を組み、待機する。

 他者の都合など気にしない彼が、あろう事か配慮しているのだ。

 それだけ、村正に世話になっているという証である。

 

 数分程して、作業の音が止んだので大和は一軒家の扉を開ける。

 木製の横開きを退ければ、濃密な汗と鋼鉄の匂いが大和の鼻孔を包み込んだ。

 女性特有の汗の香りに、大和は自然と笑みをこぼす。

 

「よぅ、約束通り来たぜ」

「む……ああ、もうそんな時間か。すまないな、苦戦してた」

「気にすんな」

 

 紺色の髪はポニーテイルに結われており、端正ながらも不愛想な顔をススで汚している。

 鍛冶師らしい鍛え抜かれた褐色の肉体。腹筋は八つに割れており、そこに甘い汗が滴り落ちる。

 意外にも巨乳であり、サラシで無理やり締めていた。

 額にあるのは第三の目。彼女が人間では無い事を雄弁に物語っている。

 

 百目鬼村正──彼女こそ、大和の専属武器職人だった。



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二話「武器とは」

 

 

 鍛冶場から離れて。質素な和室で。

 大和は村正作の業物を一つ一つ確認していた。

 

「相変わらずイイ仕事してくれるぜ……前より出来が良いじゃねぇか」

「当たり前だ。お前が日々進化する様に、俺も日々進化している」

 

 互の目丁子の乱れ刃に見惚れている大和に、村正は至極当然といった様子で腕組みする。

 

 大太刀、脇差を始め、薙刀、十文字槍、大弓、鎖分銅、棒手裏剣、大鎌、戦斧、細剣、大剣、大槌、鎖鎌、まきびし、荒縄、煙玉、鋼糸、鎖帷子など。

 

 用途はまるで違うのに、全て完璧に仕上げられている。

 しかも、未だ成長し続ける大和の剛力と戦闘センスに合わせて──だ。

 更に大和は、以前より武器のレパートリーが増えていることに感激する。

 

「中華や西洋の武具まであるじゃねぇか」

「お前はどんな武器でも使いこなす。俺も創作範囲を広げようと思ってな」

「うはぁッ」

 

 ヌンチャク、トンファー、六合大槍、方天画戟、蛇矛、鉄扇、バスターソード、モーニングスター、パルチザン、蛇腹剣、大楯など……見ているたけで楽しいし、心躍る。

 

 更に、大和は変わった武装について問う。

 端に置かれた数丁の改造火縄銃を掲げた。

 

「コイツは?」

「特製火縄銃だ。お前の闘気を圧縮して放てるようにしてある。中距離用の二丁拳銃に遠距離用の折りたたみ式ライフル、掃討用のガトリング砲だ」

「この刃の沢山付いた鎧は?」

「西洋の鎧を参考にした。相手が攻撃すれば自分が傷付いてしまう攻防一体の鎧だ。自信作だぞ」

「すげェ、すげぇよ村正! マジですげぇ!! ハハハ!!」

 

 自分専用に拵えられた最上大業物の数々に、大和は子供の様に満面の笑みをこぼしていた。

 

「金は何時もの口座に振り込んでおくから、好きに使ってくれよな」

「それなんだが──報酬、多過ぎないか? あんな莫大な金額、使いきれないぞ」

「いいんだよ。それだけお前に感謝してるって証だ。もっと払ってもいいんだぞ?」

「やめろ。本当に使いきれん」

 

 唇を尖らせる村正に、大和は苦笑する。

 彼女は大和に問うた。

 

「……物好きな奴だよ、お前は。俺の得物を好んで振るうなんて──魔剣や聖剣の方がいいだろ?」

「そんなのいらねぇよ、俺は武具に特殊な能力なんて求めてねぇ。手足の延長線として機能してくれりゃあ、それでいい」

「…………」

「だから、理想の武具を造ってくれるお前にはマジで感謝してる。俺が全力を出せるのは、お前のおかげだ」

「……フン、おだてるのが上手くなったな」

 

 腕を組み、そっぽを向く村正。

 照れているのだ。しかし決して表に出さない。

 職人故の気難しさに大和は苦笑しながらも、彼女の事を本当に信頼していた。

 

 頑固者だからこそ、製造される武具には一部の余念が無い。

 彼女の造る得物は、どれも世界一の業物だった。

 

 大和は広げられた得物を全て懐や異空間に収納し、立ち上がる。

 

「困った事とかあれば遠慮なく言えよ。誰でも無いお前の願いだ。最優先で引き受けてやる」

「……それなんだが」

「どうした」

 

 村正は顎を擦りながら言う。

 

「最近、近所で辻斬が出ているらしくてな」

「ああ、ネメアの奴が言ってたな。右之助も被害にあったとか──そうか、この辺りか」

「鍛冶の邪魔をされても困る。暇なら退治してくれないか?」

「お安い御用で」

 

 大和は笑顔で踵を返す。

 村正はその背に声をかけた。

 

「大和。お前がこの前注文した得物──明日には完成しそうだ。またこれ位の時間に来てくれ」

「マジで? 絶対来る。うわ超楽しみ♪」

 

 大和は上機嫌で部屋を出て行く。

 暫くして──村正は大和のまるで子供の様な笑顔を思い出して、女らしい微笑みをこぼした。

 

 

 ◆◆

 

 

 辻斬が出るという妖魔桜が立ち並ぶ河川敷まで赴いてきた大和。

 彼は周囲を見渡し、その形の良い顎を擦った。

 

「……確か、闘気使いを積極的に狙うんだったな。どれ」

 

 僅かに闘気を滲ませる。

 すると、妖魔桜の影からユラリと人影が現れた。

 白い浴衣を着た不気味な男である。適当に切られた黒髪に生気のない双眸。

 その手には禍々しいオーラを放つ日本刀が携えられていた。

 

 大和は嗤う。

 

「反応良いじゃねぇか、手間が省けたぜ」

 

 笑う大和の頭上から唐竹割り。しかし大和は指二本で難なく白刃取りしてみせる。

 すると、違和感が襲った。

 大和は眉をへの字に曲げる。

 

「ほゥ……闘気を吸い取ってるのか。スゲェ量だ。右之助の両手が焼けた理由はコレだな」

 

 魔界都市で一流と呼ばれる武術家達が一瞬で気を失う程の量を吸われた。

 右之助は直ちに逃亡したが、大和は違う。

 この程度の量を吸われた所で何ら問題無い。

 

「しかも即死の呪詛──結構強力なのが内包されてるな。えげつねェ」

 

 だが、斬られなければ問題無いと言い放つ。

 驚愕する辻斬。

 大和は嘆息しながら指で止めていた白刃を捻る。

 すると、辻斬が妖刀ごと宙に持ちあがった。

 

 唯我独尊流、水の型──流水。

 力のベクトルコントロール、合気の極みである。

 

「妖刀は兎も角、持ち主の技術が全然だな。話にならねぇ」

 

 辻斬は空中で器用に回転し、大和の顔面に蹴りを放つ。

 しかし大和は懐から改造火縄拳銃を取り出すと同時に肘でガードした。

 そのまま辻斬の顔面に銃口を突きつける。

 

「威力の確認だ」

 

 大和は適当に闘気を込めて引き金を引く。

 すると超圧縮された闘気が真紅の光線と成って魔界都市の上空を突き抜けた。

 射線上にあった高層ビルの何棟かが焼け落ち、曇天に風穴が空く。

 大和は苦笑した。

 

「流石だぜ、村正……いい出来だ」

 

 辻斬は寸前で躱し、離れた場所で着地する。

 彼は何をとち狂ったのか、自分の頸動脈を妖刀で斬った。

 

「はぁ?」

 

 大和が訝しむと同時に異変が起こる。

 辻斬は苦しみ悶えたかと思おうと、その肉体に呪印を奔らせ、豹変した。

 漆黒の闘気が爆発し、辻斬だった男が呪いの魔人と化す。

 

 大和は成程と頷いた。

 

「本格的な妖刀らしいな。使い手は乗っ取られてんのか。……致死の呪いで使い手を敢えて殺し、本格的に自分の操り人形にしてると見た。となると、妖刀自体に意思があんのか? 戦闘経験もあるみてぇだし」

 

 那由他の戦場を生き抜いた戦闘経験と従来の戦闘センスが、相手の全てを見通す。

 妖刀は術者を操り突貫する。大和は火縄拳銃を向け、発砲した。

 闘気の熱線に襲われるも、妖刀は正面から斬り伏せ、吸収してみせる。

 あまりに濃密な闘気に歓喜で打ち震える妖刀。

 その隙が命取りだった。

 

「隙あり。そんなに美味しかったか? 俺の闘気は」

 

 大和の掌底が顔面に被さる。

 刹那、勁力の発露──ゼロ距離からの発勁「寸勁」をモロに食らい、操り人形の活動が停止した。

 空気が弾け、彼の足を伝った衝撃が地を割る。

 操り人形は脳が破裂し、同時に生命力を断たれた。

 例え不老不死であろうとも立ち上がる事はできない。

 顔の穴という穴から血を吹き出し倒れる。

 

 彼は生前、名の売れた剣客であったが──如何せん、相手が悪かった。

 大和は鼻で笑い踵を返す。

 真紅のマントを靡かせるその背に、艶やかな女性の声がかかった。

 

『お待ちになって、強き御人──』

「……」

 

 大和は首だけ振り返る。

 桜の花弁散る黒色の浴衣を着た妖艶な美女が佇んでいた。

 艶やかな黒髪を腰まで流し、魅惑的な肢体で浴衣を盛り上げている。

 容姿的年齢は二十代後半ほど。絶世の美女だった。

 

 妖刀の擬人化した姿である。

 彼女は情欲に滾った双眸を大和に向けていた。

 

 

 ◆◆

 

 

『貴方の様な益荒男を捜しておりました……どうか私めを存分に振るってくださいませ。貴方の眼前に立ちはだかる全ての愚者を啜り喰らってみせましょう』

 

 大和に歩み寄り、その背にしなだれかかる妖刀。

 大和は苦笑し、彼女を引き剥がす様に歩み始めた。

 

「生憎、武器には間に合ってる。他を当たりな」

『お待ちになって……貴方の比類無き武勇と私の必殺の呪詛と斬れ味。合わされば無敵となりましょう』

「俺にとって武器は手足の延長線、それ以上でもそれ以下でもねぇ」

『であれば……一度で構いません。私めを振るってはくださいませんか? 貴方のご期待に添えられるかと存じます』

「…………」

 

 大和が振り返ると、そこには一本の妖刀が突き刺さっていた。

 花吹雪を思わせる乱れ刃から迸る邪気と呪詛。幾百万の怨嗟と同等──いや、それ以上だ。

 成程、強力無比な妖刀である。

 長き歳月を生きた大和でも、ここまでの代物を見るのは初めてだった。

 

 妖刀の名は「紅桜」。

 戦国末期に打たれ、今現在に至るまで呪詛と斬れ味を磨いてきた生粋の魔剣である。

 数百年もの間、神魔霊獣の血を啜り続けたこの刀は神仏すら斬り殺す最上大業物と化していた。

 

 彼女は求めていた。

 己を振るうに値する存在を。

 

 そして同時に──見下していた。己を振るえる存在すらも。

 所詮、自身に魅了され破滅するが運命。

 悪魔であろうが神仏であろうが、己を真に振るえる存在などいない。

 であれば、その意思を乗っ取り壊れるまで使い潰してやろうと──

 

 紅桜は妖刀の形態でほくそ笑んだ。

 大和は無警戒に柄を握る。

 紅桜は瞬時に大和の意思を乗っ取ろうとした。

 

 瞬間である──彼女の魂が犯されたのは。

 強靭過ぎる魂に直に触れてしまい、その肢体を無様に貪られてしまった。

 

 上がる嬌声。驚愕と歓喜の悲鳴が木霊する。

 悪徳なる黒き鬼神。那由他の怨嗟と悲哀を抱えて尚色褪せない唯一無二の個我。

 己を呪い殺さんと迫る憎悪の念すら微笑んで愛撫する。

 

 組み敷かれ、紅桜は甘い喘ぎ声を上げた。

 その身も魂も、彼の色に染め上げられた。

 何度も何度も絶頂を繰り返した後──紅桜は擬人化し、その場で倒れ伏す。

 

 何度も痙攣する肢体。豊満な胸に滴り落ちる汗。振り乱れた髪をそのままに、彼女は胡乱な瞳で益荒男を見上げた。

 

「俺を乗っ取ろうなんざ100年早いぜ」

 

 嗤って背を向ける大和。

 そんな彼の背に、紅桜は必死に呼びかけた。

 

『……お願いっ、待ってッ』

「……」

『私、貴方に本当に惚れちゃった……お願い、置いていかないで……もう、貴方無しじゃ生きていけないっ』

 

 まるで恋い焦がれる乙女の如く。

 必死に大和を呼び止める。

 しかし大和は歩みを止めない。振り返らずに告げた。

 

「もっと良い()になれ。そしたら考えてやるよ」

『……ハァぁっ♪』

 

 紅桜は身体を抱きしめ崩れ落ちる。

 大和はそのまま去って行った。

 

 

 魔性の色香は妖刀すらも魅了してしまう。

 魔界都市一の色男は伊達では無かった。



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三話「村正の想い」

 

 翌日。夜。

 村正の鍛冶場までやって来た大和。

 村正は既に仕事を終えて待機していた。

 

「例の得物だが、倉庫に保管してる。付いてきてくれ」

「おう」

 

 村正の背に続き、数多の武具が保管されている倉庫へと赴く。

 道中、大和は妖刀の件について話した。

 

「お前が言ってた辻斬、どうにかしておいたぜ。また暴れる様だったら言え」

「早いな……昨日の話だぞ」

「相手が妖刀で、性別が女だったんでな」

「そういう事か」

 

 大和の性質をよく知っている村正は驚きもしない。

 倉庫はかなり大きめの蔵だった。

 戸を開くと、陳列された数多の武具が大和の目を奪う。

 その中で、中央の台に置かれた得物が激しく自己主張していた。

 

 刀身二メートル、刀幅三十センチ。まるで包丁の様な、片刃の大刀だった。

 鍔が無く、柄は白い布で巻かれているだけ。無骨という二文字が真っ先に浮かぶ。

 

 大和は灰色の双眸を輝かせた。

 

「コイツが……」

「ああ。お前の要望に応えた一品だ」

「すげぇ……ッ」

 

 持ち上げると、大和でも感じられる確かな重量があった。

 他の者なら持ち上げられもしないだろう。

 数度振り、手の中で弄び、大和は再度感嘆の声を漏らす。

 

「最高だ……これなら「あの形態」にも耐えられる」

「全く……お前は本当に成長速度が速い。もう少し遅ければ、装飾とかできるんだがな」

「いいんだよ。「あの形態」は最近修得したばかりだ。それに──これくらい無骨な方が、あの形態には合ってる」

「そうか……」

 

 世界最強の武術家になって尚、成長し続けている大和。

 天下五剣の一角、吹雪との死闘でその成長速度には拍車がかかっていた。

 

 ソレに合わせて武具を新調できる村正もまた、規格外の鍛冶師なのだが──

 彼女はソレを誇っていなかった。

 むしろ──

 

「……」

 

 村正は憂鬱そうな表情をする。

 大和は得物を異空間にしまうと、心配そうに彼女の頬を撫でた。

 

「どうした? 何かあったか?」

「いや……何でもない」

「俺とお前の仲だ。遠慮はいらねぇ」

「…………」

 

 村正は暫く黙ると、大和の手に自分の頬を摺り寄せる。

 そして、滅多に見せない弱気な表情を見せた。

 不愛想な表情を歪め、第三の目と一緒に大和を見上げる。

 

「お前、天下五剣の一角に負けかけたんだろう? ……俺の武具のせいだ」

「はぁ?」

「俺の武具がもっと頑丈だったら、性能が良かったら、お前が苦戦する筈なんてないんだ。悪いのは武具のせいなんだ。だから俺が、足を引っ張ってる……」

「……馬鹿」

 

 大和は村正を抱きしめる。

 驚く村正の髪を撫で、落ち着かせた。

 

「お前がいなかったら、俺はとっくに死んでる。俺は武術家だ。武器が無かったら何もできねぇ。……今も生きてられるのは、お前のおかげだ」

「ッ」

「本当に、感謝してんだよ。お前には……俺が負けかけたのは、俺自身の弱さだ」

「そんな、嘘だ……お前が、お前が負けかけるなんて……っ」

「……ったく」

 

 大和は苦笑すると、身を屈める。

 そして村正の唇を奪った。

 静かな、優しいキスだった。

 唇を離しても驚いたままの村正に、大和は微笑みかける。

 

「まだ泣き虫、治ってねぇのか?」

「~っ」

「俺は負けねぇ。もしも負けて、死んだなら……それは俺のせいだ」

「嫌だ……そんなの絶対に嫌だッ。俺は……!」

 

 村正は激情の余り大和を押し倒す。

 大和は体勢を崩すも、しっかり村正を抱き止めた。

 二人の視線が合う。

 村正の濡れた紫苑色の双眸──自然と、互いの唇が重なった。

 

 

 ◆◆

 

 

 二人は一旦和室まで戻り、再度愛し合った。

 村正は普段不愛想なその面を親愛で緩めて、何度も愛を囁いた。

 筋肉質なその肢体を、大和は優に女として受け止める。

 腰に手を回し、優しく腰を揺すれば、村正は儚い喘ぎ声を上げた。

 

 何時もの情欲に任せた行為では無く、互いの愛を確かめ合う行為──

 村正は何度も果て、大和の腕の中で眠った。

 

 暫くして。

 村正が目を覚ますと、既に日が上がっていた。

 自分を腕枕で抱き留めている大和は、未だ寝息を立てている。

 村正は微笑むと、愛おしそうに彼に擦り寄った。

 

「……俺、もっと鍛冶の腕を磨くよ。だから負けないでくれ、俺は子供の頃から、お前のファンなんだ」

 

 当時、まだ世界が一つだった頃──村正にとって大和は本物の英雄だった。

 当時、三つ目だからと迫害されていた自分を助けてくれた。

 巨悪に果敢に立ち向かい、打ち倒す彼は、紛れも無い英雄だった。

 

 しかし彼は当時、武具に困っていた。

 存分に振るえる得物が無いせいで、思う様に力を発揮できない場面が多くあった。

 当時の村正にとって、ソレが泣くほど悔しかった。

 

 本当の力を出せるなら、負ける筈ないんだ。

 自分の憧れる英雄が、負ける筈なんてないんだ。

 

 故に村正は鍛冶師になった。

 大和が存分に振るえる得物を製造するために。

 

 全ては、大好きな英雄に全力を出して貰いたいから。

 色気も交友関係も捨て、村正は鍛冶に没頭した。

 

 そうして現在がある。

 村正は大和の唯一無二の存在になっていた。

 

 村正はソレを過分だと思いながらも、素直に喜んでいた。

 彼に全力で戦って貰える。彼の笑顔を傍で見られる──それだけで、満たされた。

 

 村正は大和の首に手を回し、その頬にキスをする。

 そして、蕩ける様な笑みをこぼした。

 

「負けないでくれ……俺のヒーロー」

 

 そのまま再度、眠りに付く。

 今日は鍛冶仕事も休業だ。

 

 世界最強の武術家を支える鍛冶師は頑固で、しかし健気な一人の女性だった。

 

 

《第八章・妖刀伝 完》



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第九章「巨人伝」
一話「魔導神」


 

 

 異種族と改造人間が接待するという事で、アブノーマルな客層から人気がある風俗バー「インセクツ」にて。

 中央区の裏通りにあるこの店は燦々と輝くピンク色のネオンが目印だ。

 店内では過激な接待が推奨されている。接待内容はABCをオールカバー。

 料金次第であるが、異常なプレイも楽しめる。

 

 薄暗い店内では酒気と淫臭がグチャグチャに混じり合い、男の唸り声と店員達の甘い悲鳴が重なり合う。

 性欲を高める独自の香が炊かれ、客人達はその気が無くても店員達の誘いに乗ってしまう。

 性器を口で吸われ悶絶している者や、手で擦られ無様に果てている者もいた。

 

 店員達は蟲人や魚人を始め、人間とは到底言えない容姿をした美女美少女達。

 生来、あるいは改造を受けた彼女達は肉体こそバケモノだが、ソレが性癖の歪んだ客人達を夢中にさせる。

 

 カウンターに座っている褐色肌の美丈夫──大和もまた、この店の常連だった。

 彼に巻きついている不気味な肉塊。

 尻尾であろう先端をピチピチと跳ねさせ、何か吸い上げる音を響きかせる。

 大和の股下では肉塊の上半身──エメラルド色の髪の美少女が、夢中になって大和のモノをしゃぶっていた。

 

 この店№1の娘、(ヒル)の亜人ことソニアである。

 彼女は放たれた大量の液を、しかし一滴残らず吸い上げる。

 喉を鳴らし、一滴残らず飲み干し、先端を綺麗に舐めて掃除した後──うっとりとした様子で表を上げた。

 

「大和様の、やっぱり美味しい……濃さも量も、全然違います」

「だろう? お前のテクも最高だったぜ」

 

 髪をくしゃりと撫でられ、蛭娘は気持ち良そうにはにかむ。

 彼女は大和に巻きつく力を強くし、甘い声音で懇願する。

 

「大和様……今夜、暇ですか? プレイルーム、いきたいです」

「おうともさ。イイ声で鳴かせてやる」

「~♡」

 

 嬉しそうに抱きつく蛭娘、ソニア。

 大和は彼女を抱きかかえ、立ち上がろうとした。

 その時──スマホが鳴り響く。

 大和は画面を見て──苦虫を噛み潰した様な顔をした。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔界都市、深夜の出来事である。

 大衆酒場ゲートに呼ばれた大和は、それはもう不機嫌だった。

 道行く喧騒達がその怒気を感じ取り悲鳴を上げる。

 真紅の闘気が可視化し、下駄を通じて地に亀裂が奔る。

 そのあまりの機嫌の悪さに、住民達は戦々恐々としていた。

 

「チクショウ……今日はオフだってのに、あの腐れジジィ……ッ」

 

「インセクツ」で楽しんでいたのに、突然の指名依頼である。

 大和は指名主に対し、激情を露わにしていた。

 

 大衆酒場ゲートのウェスタンドアを無理やり開き、進む大和。

 気軽に酒を飲んでいた客人達は彼の横顔を見て、一瞬で顔面を蒼白にする。

 酒場が静寂に包まれた。

 

 大和はズカズカと足音を鳴らし、カウンターに辿り付く。

 ネメアは溜息を吐きながら、カウンター席に座っている老人を指さした。

 

「ほ? どうした大和。不機嫌そうじゃな」

 

 心底不思議そうに首を傾げる老人。

 背まで伸びた白髪に荘厳な髭。紺色の魔法帽子。鋭い碧眼は片方が眼帯で隠されている。

 使い込まれた魔法使い特有のローブ。そして肩に止まっている獰猛な魔鳥。

 

 何より絶大かつ静謐な神気。

 周囲の客人達は気付いていないが、この老人は紛れも無い頂上種──その一角である。

 

 大和はこめかみをひくつかせた。

 

「緊急で俺を呼びだすなんて……よっぽどの案件なんだろうなァ? オーディン」

「無論だとも。お主にしか頼めん依頼なんじゃ」

 

 剽軽に笑ってみせる老人。

 客人達はその名を聞いて唖然とした。

 そう、彼こそ北欧神話の主神。

 あらゆる魔導を極めた魔導神──オーディンである。

 



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二話「霜の巨人」

 

 

 オーディンは早速、依頼内容を大和に告げる。

 

「北欧神話にかの邪仙、雅貴が喧嘩を売ってきておる。七魔将なる強靭な者達を率いて暴れ回っているんじゃ」

 

 雅貴、七魔将というフレーズを聞き、大和は眉根を顰めた。

 

「オイオイ、まさかソイツ等を殺せってか? 別に構わねぇが、報酬額は馬鹿にならないぜ。何せ、全員世界最強クラスだからな」

「早まるでない。お主には霜の巨人を封印している「ある神殿」に群がる輩を殺して欲しいんじゃ。あの雅貴めの事よ、絶対にあの神殿を狙ってくる」

「成程──」

 

 霜の巨人──北欧神話に於ける敵勢力だ。

 星の生命力、森羅万象の擬人化であり、精霊種の頂点「星霊」の一角を成す強大な存在。

 神仏に匹敵する頂上種である。

 

 その霜の巨人達を封印している秘密の神殿があるという噂は、大和も耳にしていた。

 オーディンは懐から魔方陣を取り出す。

 

「ソレで神殿に転移できる。守護騎士である戦乙女達には話を付けておるから、早速行ってほしい。雅貴と七魔将らはこちらでどうにかする」

「大丈夫かよ」

「あまり北欧勢力を舐めるでないわ。トールにロキ、フレイヤもおる。……と、儂もそろそろ前線に戻らなければのぅ」

 

 オーディンは立ち上がり、紺色の魔法帽子を被り直す。

 そして大和の逞しい腕をポンポンと叩いた。

 

「報酬は後で必ず払う。莫大な金銀財宝をな。神々の約束じゃ。では、頼んだぞい」

 

 オーディンは剽軽に笑って魔方陣の中に消えていく。

 大和は顎を擦った後、魔方陣を見て溜息を吐いた。

 

「相変わらずだな、あの性格……しかし、神からの報酬は別格だ。しゃあねぇ」

 

 そう言いながら、大和は魔方陣を発動させ目的地である神殿まで転移した。

 

 

 ◆◆

 

 

 ノルウェーの何処かにある神聖な森にて。

 人里から遠く離れた此処は神々の庇護下にあり、北国にも関わらず穏やかな気候をしている。

 森林の葉一つ一つが輝きを放ち、小川の水は澄みきっている。

 その豊潤な資源を示唆する様に、多種多様な動物達が暮らしていた。

 

 この神聖な森に隠された、とある神殿がある。

 現世との関わりが一切断たれた、神々の領土である。

 

 荘厳さと静謐さを同居させる神殿には現在、襲撃者がやって来ていた。

 ソレらに対応しているのは、神殿の守護騎士に選出された優秀な戦乙女(ヴァルキリー)達である。

 

 半神半人である彼女達の戦闘力は並の妖魔を遥かに凌ぐ。

 とある事情が隠されたこの神殿の警護役であれば尚の事だ。

 

 しかし、彼女達は苦戦していた。

 理由は神殿そのものの地脈を乱され、大量の魑魅魍魎を放たれているからだ。

 

「流石、噂の邪仙さん。完全に場所がバレちゃってるねー」

「お姉ちゃん! 呑気な事言ってないで! 大ピンチだよ!」

 

 妖魔達を切り裂き善戦する二名の姉妹。

 片や、濃い紫色のロングヘアと魅惑的な肢体が特徴の姉。

 片や、薄い紫色のサイドテールに鋭い双眸が印象的な妹。

 二名はお揃いの神話礼装を着ていた。

 

 その神話礼装は、舞う事に特化した扇情的なデザインだった。

 甲冑を最低限に殆どを布地で形成している。

 特に脇、サイドが大胆に開かれており、所謂「横乳」を拝む事ができた。

 

 姉は乳房が豊満である故に異性の劣情を誘うが、妹は──控えめであった。

 妖魔達の視線も実に素直だったので、妹は激情に駆られ一気に駆け抜ける。

 

「お姉ちゃんに集中してるんじゃないわよ~!!」

 

 怒り半分、嫉妬半分で手に持った円月状の聖剣を振るう。

 姉はのほほんとしながらも、直剣状の聖剣を遺憾なく振るっていた。

 

 濃い紫のロングヘアの姉はノア。

 薄い紫のサイドテールの妹はエルザ。

 

 二名共、若年ながら神殿の守護騎士に選出された優秀な戦乙女である。

 代々伝わる古式剣術を修め、北欧魔術とその他の魔術系統の知識にも精通している文武両道の才女達だ。

 

 故に彼女達は現状の危険度を理解していた。

 姉ものほほんとしているが、その実大真面目である。

 

「地脈を乱されちゃってるねー。そのせいで神殿の結界が丸ごと汚染されちゃってる。しかも空間に穴を開けて大量の妖魔放出かぁ……世界最強の陰陽師は伊達じゃないなー」

「それだけじゃないよ。私達の北欧魔術が殆ど打ち消されちゃってる。あの妖魔達には物理攻撃しか効かない……これは」

「術式系統の強制──いいえ、この地帯そのものを自分色のパワースポットに変えているのね。全く……」

「バグキャラじゃない、その雅貴って奴! 手が付けられないよ!」

 

 雅貴は泰山府君祭を成功させ不老不死の身となり、更に遁甲術を用いた空間操作、その他蘇生術、式神、呪術、占術、蠱毒を極めた邪仙である。

 

 陰陽師とは元来、五行の法則を基盤に自然界への干渉。地脈、霊脈の掌握。占術や風水を用いた禍福の操作。道教的な神に対する祭礼などを主目的とする、後方支援のスペシャリスト。

 

 世界最強の陰陽師である雅貴は正面戦闘も十分に強いのだが、彼の十八番は「場の掌握と支配」である。

 暗躍させれば右に出る者はいない──テロリストとして、彼以上に厄介な存在はいなかった。

 

 姉妹は苦戦を強いられていた。

 しかし、彼女達にも希望はある。

 北欧神話の主神、オーディンが外部から雇った増援だ。

 相当強力な助っ人らしい。

 

 姉妹達はその到着を待っていた。

 

「雅貴本人は神々が抑えてくれる……私達の役目は、助っ人さんが来るまで此処を死守する事だね」

「うん! 頑張ろうお姉ちゃん!」

 

 姉妹は互いに剣を重ね、舞踊を成す。

 二人一組で隙をカバーする独特な剣術は、神殿を警備する守護騎士のみに伝えられる古式剣術だった。

 

 数多の妖魔を斬り伏せる。

 しかし無限に沸いてくる。

 

 二名の顔に焦燥の色が出た頃──助っ人が現れた。

 褐色肌の美丈夫が。

 

 二メートルを超える筋骨隆々の肉体。凶悪ながらも美し過ぎる顔立ち。

 真紅のマントを豪快に靡かせる魔性の益荒男は、守護騎士の姉妹達に笑いかけた。

 

「ふぅん……どうやら困っている様だが?」

 

 当の姉妹はというと──

 

「うわぁ……ねぇねぇエルザちゃん。凄くカッコイイ人が来たよ?」

「う、うう! でもお姉ちゃん! 騙されちゃいけないよ! オーディン様が呼んだ助っ人さんがこんな極悪な人相してる筈ないもん! 確かにかっこいいけど……もっと清らかな人が来る筈だもん!」

「はぁ?」

 

 大和が思わず頓狂な声を上げたのも束の間、妹──エルザが真っ赤な顔で大和に宣言する。

 

「騙されないわよ!! アンタ、雅貴の式神か何かでしょう!? その美貌も怪しいんだから! 成敗してやる!!」

 

 突貫してくるエルザに対し、大和は片目を閉じて溜息を吐いた。

 

「あの糞ジジィ……容姿くらい伝えておけよ」

 

 大和はやれやれと両手を広げ、エルザの鎮圧を試みるのだった。



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三話「勘違い」

 

 エルザの放った刃を片手の指で挟んで止めた大和は、まず自己の潔白を証明する。

 

「俺はオーディンから雇われた殺し屋だ。テメェ等の敵じゃねェよ」

「嘘よ! オーディン様が殺し屋なんて雇う筈ない!!」

「忠告だ、二度目はねぇぜ」

「うるさい!!」

「ハァ」

 

 大和はエルザを引き寄せると、そのか細い腰に手を回す。

 そして耳元で甘く囁いた。

 

「そんなに俺と踊りてぇか? いいぜ……その気なら付き合ってやる」

「~ッッ」

 

 エルザは顔を真っ赤にして身動ぎする。

 しかし力が入らない。

 腰が抜けてしまっているのだ。

 魔性の色香に直に当てられ、感覚が狂っている。

 

「可愛い奴」

「いや……いやよッ、アンタみたいな奴……!」

 

 髪の匂いを嗅がれ、大きな手で抱き留められる。

 エルザは震えながらも、何とか拒絶の意を示した。

 が、その紫苑色の双眸は微かに潤んでいる。

 

 大和は内心感心していた。

 デスシティの女でも、ここまで口説けばまず堕ちる。

 表世界の女なら尚の事だ。

 

 彼女は若年ながら、強靭な精神を保有していた。

 

 大和は背後から迫る聖剣を指でキャッチする。

 そして振り返り、姉──ノアに不気味に嗤いかけた。

 ノアは震えながら言う。

 

「妹を離してくださいませんか?」

「コッチから手を出してきたんだ。そんで、お前も俺に手を出した。……オーディンの説明不足もあるだろうが、それはそれ、コレはコレだ」

 

 大和はギザ歯を剥きだす。

 その身から狂気と欲望を迸らせた。

 漆黒の魔気が姉妹達を汚染する。

 

「テメェ等を犯して、だらしねェ雌犬に変えてやる。戦乙女を護れなんて依頼内容、受けちゃいねぇからなァ」

「「~ッッ」」

 

 姉妹達は耐え難い悪寒を覚える。

 しかし離れる事ができない。

 ノアも聖剣を取り上げられ、引き寄せられた。

 

「あッ……」

「おうおう、どっちも美人じゃねぇか。お互い身体付きは違うが、それがいい……こりゃあ、愉しめそうだ」

「ッ、私の未発達な身体に欲情するなんて! ロリコン! 変態! 死ね!」

「クククッ、威勢の良い奴……ますます気に入った。まずはテメェから犯してやる」

「いやァ! んっ、ああッ」

 

 首筋を甘噛みされ、喘ぎ声を漏らしてしまう妹、エルザ。

 姉のノアは恐怖で震えながらも、身じろぎしてなんとか脱出しようとしていた。

 

「つぅ訳で……今は縛られとけ」

「「え?」」

 

 荒縄で二人纏めて縛られた姉妹。

 大和は振り返り、空間の穴から這い出てくる魑魅魍魎達を見据えた。

 

「さぁて、セッ〇スの前の準備運動だ! 斬り刻んでやるぜ!」

 

 大太刀と脇差を抜いて、大和は駆けていく。

 姉妹達は呆然としていた。

 宣言通り、妖魔達を斬り刻んでいく大和。

 妹、エルザが途端に悔しそうに歯噛みした。

 

「ごめん、お姉ちゃん、私、あんな奴に……!」

「ううん、私こそ……ごめんね。お姉ちゃんとして、情けないよ」

「お姉ちゃんは悪くない! 悪いのは私! あんな奴に! ……あんな、奴に……~ッッ」

 

 先程された事を思い出して、エルザは顔を真っ赤にする。

 ノアは苦笑を浮かべながら、彼女に告げた。

 

「後で謝ろう。そしたら許してくれるよ。あの人は本当に救援に来てくれたんだよ」

「ありえないよ! あんな変態で! 大胆で! エッチな奴! 絶対ありえないんだから!!」

 

 プンプンと怒るエルザに、ノアは困ったと苦笑を深めていた。

 一方大和は妖魔を殲滅し、入り口である空間の穴を無理やり断ち切る。

 出てくる場所を塞いだ事で、妖魔はそれ以降現れなかった。

 

 大和は周囲を見渡すと──途端に神殿の最奥に大太刀を投擲する。

 大太刀は神殿の最重要部分、封印の石碑──その前で停止した。

 

 摩訶不思議な光景。

 すると、空間が具現化し漆黒の軍服を纏った美男が現れる。

 

 姉妹達は唖然とした。

 今の今まで、その気配に全く気付けなかったのだ。

 

 赤柄巻の大太刀を胸に刺したまま、稀代の邪仙──雅貴は高笑いする。

 

「フハハ!! まさかバレてしまうとはな!! これでも隠形の術には自信があったのだが!!」

「式神だから精度が落ちてんじゃねェのか? 来た瞬間わかったぜ」

「流石だ、式神では話にならん。でも良いのだよ。用は済んだ」

「何……?」

「俺は鍵を解除しに来ただけだ。神殿の侵食は終わり、後は触れるだけで解除される──霜の巨人達の封印がな!!」

 

 雅貴の宣言と同時に大地震が発生する。

 震度6以上の大地震はノルウェーという国そのものを震撼させた。

 

 地を割り砕いて、巨大なナニカが姿を現す。

 手だった。

 岩石の如き巨腕は、そのまま神殿を崩壊させ地上に姿を現す。

 

 地が裂けた事で出来た深い亀裂に、縛られた姉妹達は成す術無く落ちて行った。

 

「キャァァッ!!!!」

「エルザちゃんッ!!!!」

 

「あ、ヤッベ」

 

 大和は落ちていく姉妹達と這い出てきた巨人を見比べる。

 仕方無いと、姉妹達が落ちていった亀裂にダイブした。

 

 霜の巨人、復活である。

 500メートルを超える巨神兵は、大気を吹き飛ばさんばかりの大咆哮を上げた。

 

 

 ◆◆

 

 

 天上界。

 北欧神話ではアースガルズと呼ばれる神々の世界にて。

 神代の戦士達が集う宮殿ヴァルハラでオーディンは地上界──ミズガルズの危機を知った。

 

「ううむ、マジかー。大和の奴、しくじったのかのぅ。ヤバいわー。マジでヤバいわー」

「オーディン様、語彙が荒ぶっています。落ち着かれますよう」

「おおっと、いかんいかん」

 

 原初のルーンを紐解きし魔導神──オーディンはわざとらしく咳払いすると、隣に控えている歴戦の戦乙女に問うた。

 

「主はどう思う? 儂はあの大和が仕事をしくじるとは思えん。あ奴は屑じゃが、仕事はきっちりこなす男じゃ」

「仰る通りです。仮に雅貴めの妨害にあったとしても、彼ならその悉くを捻じ伏せるでしょう。問題の七魔将も、全員が此処を攻めてきています」

 

 戦乙女が言うなり、ヴァルハラ宮殿が揺れる。

 外部では最強の雷神トールとトリックスター、ロキを中心とした名だたる神々達が、数十億の戦士(エインヘリャル)を率いて七魔将と交戦していた。

 

 オーディンは唸る。

 

「すると……本格的にミスったのかのぅ。あ奴」

「一つ、考えられる事があります」

「何じゃ」

「神殿の巫女兼守護騎士を務めている戦乙女──私の後輩達が、大和を雅貴の仲間と勘違いして交戦した結果、ややこしくなった──というものです」

「いやそれはありえんぞ。だって儂、ちゃんと大和の──大和の…………」

 

 途端に滝の様に冷や汗を流す主神に、戦乙女は冷たい笑顔で返答を求めた。

 

「どうですか?」

「いやー……救援が来るよって言っただけで、あ奴の容姿とか色気とか伝えるの忘れてた。てへぺろ♪」

「オーディン様……」

「アー!! 髭! 髭を引っ張るのは止めて!! 儂のチャームポイントなの!! 主神の格付けなのぉぉ!!」

 

 耄碌ジジィに呆れを通り越して怒りすら湧かせている戦乙女。

 彼女は重たい溜息を吐くと、出陣の準備を始めた。

 

「歴戦の戦乙女、一個中隊をお借りします。霜の巨人たちは我等で止めましょう」

「うむぅ……わかった。許可しよう」

「あと……私も急行いたしますが、守護騎士兼巫女の子達の貞操が危機です」

「ふぁ!!?」

「大和の性質をお忘れですか? ……今回は私がどうにかしますが、今後は適当な行動をしていただかぬ様、よろしくお願いします」

「う、うむ、心する」

 

 鋭い眼光で射貫かれ、委縮するオーディン。

 戦乙女は踵を返し、銀色の戦装束を靡かせた。

 

 その装束は彼女のために鍛冶のスペシャリスト、ドワーフ達が製造した特注品。

 最低限のプレートメイル、丈の短い金属製のスカート。素足は純白のソックスと具足で完璧にカバーしている。

 

 肩辺りで揃えられた銀髪。同じ色の猛禽類を連想させる双眸。

 粉雪の如く透き通った肌。女神にも負けない美しい顔立ち。

 年齢は二十代前半ほどに見えなくもない。豊満だが大きすぎない乳房、引き締まった太腿。

 そのしなやかさは猫科の動物を連想させる。

 

 彼女は片手に絶対零度の魔力を帯びたレイピアを、もう片方に永久凍土を再現できる氷のロッドを、それぞれ携え宮殿を出て行った。

 

 彼女こそ、オーディンの側近を務める文武両道の戦乙女。

 剣技と魔術を極め、過去には霜の巨人との大戦争も経験した歴戦の魔法剣士。

 

 霜の巨人達を封印する神殿の初代守護騎士であり、歴代最高の戦乙女。

 アイズである。

 

 彼女は知己であり最強最悪の勇者である大和の笑顔を思い浮かべ、沈鬱な溜息を吐いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 霜の巨人達が封印されていたのは次元の狭間──神々が創造せし堅牢無比なる地下迷宮であった。

 この迷宮の内部ではあらゆる神秘的な力が霧散する。唯一突破できるのは闘気と化学兵器のみ。

 しかし巨人達がこれらを所持している筈も無く、こうして突破不可能の牢獄が完成していた。

 

 外部から封印を解かれた今、霜の巨人達は自らの筋力で迷宮を這い出ている。

 二体、三体と迷宮を崩壊させながら地上を目指していた。

 

 そんな中、絶対絶命の戦乙女達が二名。

 神殿の守護騎士兼巫女である姉妹、ノアとエルザである。

 彼女達は黒鬼の無聊を慰める玩具にされようとしていた。

 

「巨人が復活しちまった事で依頼は失敗──となると、このイラつき、お前等の身体で治めるしかねェな」

「ふざけないで!! あっち行きなさいよ!! この変態!! 色情魔!!」

「エルザちゃん、落ち着いて! あの、何処の御方かは存じませんが、此度は──」

「フ〇ック」

 

 ノアの謝罪を大和は中指を立てて遮る。

 

「馬鹿が。事が終わった後の謝罪なんざ、クソほどの価値もねぇ」

「ッッ」

 

 大和は荒縄に縛られた二名を見下ろし、凶悪なスマイルを浮かべる。

 それはとても英雄とは思えない、極悪な笑みだった。

 

「さぁて、強姦タイムだ。一人ずつ、丁寧に、ゆっくり絶望を味あわせながら貪ってやる」

「いやァ!!」

「安心しろや。強姦っつっても、痛いわけじゃねェ。むしろ逆だ」

 

 大和は荒縄を解くと、姉妹を抱きしめる。

 姉妹は暴れようするも、それぞれ胸と尻を揉みしだかれ、意思に反した嬌声を上げた。

 

「天国へ連れてってやる。今まで味わった事のねぇ快楽にドップリ浸からせてやる」

「いやァ……いやよッ。あっ! あぅぅッ♪」

「お願いです、こんな事……んあァっ♪」

「テメェ等が悪いんだぜ。俺の仕事を邪魔しやがって」

 

 顔を真っ赤にして、思考をドロドロに溶かされて尚、姉妹は抵抗を止めなかった。

 魔性の色香にここまで晒されて、それでも自我を保っていられるのは、彼女達が神聖なる守護騎士兼巫女である事を自負しているからだ。

 それがいい。それでこそ犯し甲斐があると、大和は口角を歪めた。

 

 まずはエルザを、と抱き寄せる。

 唇を奪われそうな彼女は、震えながら瞳を閉じた。

 

「そこまでだ。大和」

 

 二人の顔の間にきめ細やかな指が入る。

 大和は不機嫌さを隠さず首をもたげた。

 エルザは思わず歓喜の悲鳴を上げる。

 

「アイズ様っ!!」

 

 銀色の戦乙女──アイズは呆れを隠さず嘆息した。

 

「大馬鹿者が……この緊急事態に何をしている」

「邪魔すんじゃねぇよアイズ。それともテメェも犯されてぇのか?」

「落ち着け。依頼の更新だ。復活した霜の巨人を駆逐し、再度封印しろ。報酬は倍払う」

「……出任せだろ?」

 

 一瞬で見抜かれるも、アイズは不敵な笑みを浮かべた。

 

「後でオーディン様を無理やり納得させるさ。……兎も角、その子達を離してやってくれ。私の後輩なんだ」

「それはそれ、コレはコレだ。コイツ等は俺に刃を向けた。絶対許さねぇ」

「ならば私が代わりに抱かれよう。不満か?」

 

「アイズ様!!」

「そんな!!」

 

 ノアとエルザが悲鳴を上げるも、アイズは鋭い眼光で一蹴する。

 

「この大馬鹿者共が……よりによってこの男に刃を向けるとは……お前達が怒らせたのは世界最強の殺し屋にして武術家。古の大英雄──大和だぞ」

「「!!?」」

 

 ノアとエルザは驚愕する。

 まさか彼が、北欧勢力でも伝説になっている英雄の中の英雄とは思ってもみなかったのだ。



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四話「闇の英雄」

 

 

 数億年前から、世界を破滅の危機から救い続けている二名の英雄がいる。

 

 天使と悪魔による終末論の引き金『ハルマゲドン』

 外宇宙からの頂点捕食者ドラゴンの襲来『カリユガ』

 全神話体系による大戦争『ラグナロク』

 クトゥルフ系列の邪神群との最終決戦『デモンベイン』

 

 以上の四大終末論を踏破し、全人類の守護者にして英雄の冠位資格を誇る両雄。

 片や、正義と礼儀を重んじ、民と平和を愛した万夫不当の勇者王。

 片や、欲望の限りを尽くすもその圧倒的な暴力で全てを捻じ伏せた生来の怪物。

 

 勇士と化物。光の闇。陽と陰。

 生粋の英雄である両者は、しかし対極を成す存在だった。

 

『悪鬼羅刹』『暴力の化身』『意思を持つ天災』『神秘殺し』『虐殺者』

 

 闇を司る英雄は、太古の昔から畏怖され嫌悪されてきた。

 曰く「最強」。曰く「無敵」。曰く「無敗」。曰く「必勝」。曰く「頂点」。

 

 存在そのものが人類の特異点であり極致。

 生まれながら最強で在る事を約束された、人類の可能性が生み出した正真正銘の化物。

 

 殺戮と破壊に特化した総合武術「唯我独尊流」の創始者にして、「武神」と謳われた古今無双の兵法家。

 世界最強の武術家にして殺し屋──大和。

 

 神魔霊獣が最も畏怖する英雄は「英雄の汚点の集積」と揶揄されるも「英雄の原点にして頂点」として敬愛されている、無敵の益荒男だった。

 

 ノアとエルザは北欧神話体系の文献や書籍で、それらしい挿絵は何度も見てきた。

 が、実物がこれだけ美しく、同時に邪悪だとは思いもしなかった。

 

 褐色肌の二メートルを超える屈強な肉体。冷徹な三白眼に獰猛なギザ歯。

 しかし神域の美貌は衰えず、今も尚腕力と共に成長を続けている。

 

 大和はアイズの「自分が代わりに抱かれる」という発言に、ふむふむと顎を擦った。

 

「聖域の初代守護者であるお前を抱けるのか──しかも報酬は倍額、成程ねェ……アリだな」

 

 ノアとエルザを離し、大和は両手を広げる。

 

「いいぜ、契約成立だ」

 

 離されたノアとエルザを抱き寄せ、アイズは安堵の溜息を吐いた。

 

「……安心した。本当に、危ないところだった」

「アイズ様……」

「その……っ」

「お前達、気にするな。今回の一件、オーディン様に非がある」

 

 姉妹の頭を撫で、優しく微笑んでみせるアイズ。

 姉妹達は瞳を潤ますも、涙は流さなかった。

 そんな情けない姿を先輩に見せる訳にはいかなかった。

 アイズは「良し」と頷くと、大和に冷たい視線を向ける。

 

「相変わらずだな、お前は……もう少し節度を弁えたらどうだ?」

「節度を弁えてどうする? 金が貰えるのか? 女を抱けるのか?」

「そういう問題じゃ無い」

「そういう問題なんだよ。テメェ等の評価なんざ知ったことか」

「……」

「それに、節度や礼儀を弁えてどうする? 英雄に求められるもんは正義でも、愛でもねぇ。力だ。今も昔もな……ネメアの現状を見てみろよ。あの大英雄だった男が、世界が平和になった途端にデスシティでしか生活できなくなった」

 

 大和の発言にアイズは表情を険しくし、吐き捨てる。

 

「お前は、自分がネメア殿と同格の英雄だと言いたいのか? だとしたら随分傲慢になったな。格で言えば、貴様はネメア殿より何倍も劣る」

「俺を英雄と讃えたのはお前等だ。俺とアイツを同格にしたのは、お前等だ」

「…………」

「まだするか?」

「……いや、もういい」

「おうさ」

 

 互いに話を切り上げ、上を見上げる。

 大和は嗤った。

 

「無理やり突き抜けるぜ」

「任せる。外では現在、七体の霜の巨人が出てきている。歴戦の戦乙女達が足止めをしているが、問題はそこでは無い。この迷宮に封印を再度施す事だ」

「それは、そこの二人に任せればいいんだろ?」

「ああ。お前達、頼んだぞ。出てきた霜の巨人は私たちと大和で対応する」

「は、はいっ!」

「わかりました!」

 

 後輩達の返答を聞き、満足そうに頷くアイズ。

 大和は異世界から長大な十文字槍を取り出し、投擲の構えを取った。

 

「お前等、離れてな」

 

 アイズがノアとエルザを引き寄せる。

 無双の剛力から成る空前絶後の投擲槍は、神々の迷宮を難なく穿ち地上への道を切り開いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 霜の巨人は精霊の最上位「星霊」である。

 星の恵みそのものである彼等は、存在そのものが大自然であり災害。

 全高500メートルを超える彼等の体躯は、まるで山脈が人の形を成したかの様だった。

 胸部に森林を茂らせ、肩から大瀑布を溢れ出させている。

 巨岩で出来た顔面は憤怒と、それ以上の眠気で呆けていた。

 

 一歩一歩、ふらつきながら前進する。

 それだけでノルウェーという島国が揺れ、足元にある営みが破壊される。

 

 歴戦の戦乙女達が、神々の領土たるこの神聖な森から霜の巨人を下界へ出さぬよう健闘している。

 が、幾ら破壊しようと地球から生命力を吸収し無限に回復してしまう。

 

 未だ寝ぼけているからいいものの、彼等が本格的に目覚めれば手に負えない。

 一帯を覆っている神々の結界も、彼等が本気を出せば砕けてしまうだろう。

 

 戦乙女達は最小限の被害で抑えようと、知恵と武勇を振り絞っていた。

 

 その様子を、離れた上空から見下ろす二名の超越者。

 七魔将である。

 

 北欧神話との戦争「程度」に七魔将が全員出る必要もなく、暇潰しにこちらを見学にし来たのだ。

 尤も、あの大和が居るという事で、既に物見遊山では無くなっているのだが。

 警戒しつつも、現状を静観している。

 

 剣神──正宗(まさむね)

 綺麗に染まった白髪を後ろで結い、皺が重なりつつも壮健さを損なわない面構えは武人特有の覇気と静謐さを滲ませている。

 緑の着物に深緑の袴をゆったりと着こなし、腰には二本の長大な日本刀を帯びていた。

 

 そして、もう一人。

 絶世すら通り越した、神々の中でも並ぶもの無き美男神である。

 顔を形成するパーツ全てが完璧であり、異性のみならず同性すらも魅了してしまう。

 金髪は腰まで流され、同じ色の鋭い双眸は純金を溶かしたかの様。

 古代ギリシャの彫刻像そのものである肉体は人体の黄金比を体現している。

 服装は古代ギリシャの正装、キトンを纏い、その上から黄金の甲冑を纏っている。

 

 世界で最も著名な神話、ギリシャ神話の主神であり雷光を司る天空神。

 ゼウス。

 

 彼は絶大なる神気を巧妙に隠しながら、薄く微笑んでみせた。

 

「戦乙女が可憐な舞を踊っているな。良き舞だ。酒でも嗜みたいところだが──」

「あまり油断するでないわ、ゼウス。大和が傍におる。気を抜くと消滅させられるぞ」

「おお、怖い怖い。あの暗黒のメシアが傍にいるとは──」

 

 仰々しく肩を竦めるゼウス。

 彼は剣神の異名を取る最強の剣客に問いを投げかけた。

 

「正宗」

「何じゃ」

「貴公は大和の長所を何処と捉える?」

「……お前はどうなんじゃ」

 

 正宗に問い返され、ゼウスは妖艶に笑いながら答えた。

 

「無論、あの生き様よ。アレは断じて悪では無い。純粋なだけだ。己の欲望にただただ素直なだけ……故に美しい。穢れを知らぬ無垢な子供の様でいて、思わず抱きしめたくなる」

「それはお前の好みじゃろうが」

「否定はしない」

 

 クツクツと喉を鳴らすゼウス。

 その嫌味な態度すら美しく見えてしまう。

 正宗は溜息を吐きながらも、真面目に答えた。

 

「あ奴は武人に必要な心技体を、異端ながら全て兼ね備えている。那由他の愛憎に晒されつつ自身を見失わない個我、己の欲望を叶えるため余念無く行われる鍛錬、そして生来の天性の肉体。武術家として、あ奴は間違いなく世界最強じゃ」

「しかし、剣技ならば貴公の方が上だろう?」

「剣技だけ、ならな……あ奴は武術家じゃ。その真価は戦況に合わせた戦闘スタイルの変化、引き出しの多さにある。しかしな──真に恐ろしいところはそこではない」

「?」

 

 正宗は眉間に皺を寄せながら言う。

 

「成長速度じゃ。あ奴の成長速度は常軌を逸しておる。それこそ、宇宙が広がる速度よりも速い速度で成長を続けている。戦闘センスも、肉体も」

「……」

「以前、儂と同じ天下五剣に追い詰められたと聞くが、恐ろしいわい。追い詰められてからのあ奴の成長速度は拍車がかかる。故に、うかうかしておれん。あ奴の強さを計り、儂も成長しなければならん」

「……成程。では私も、油断しないでおこう」

 

 ゼウスは微笑を消し、真面目な表情で応える。

 瞬間である。大地が穿たれ真紅の稲妻が飛び出してきたのは。

 規格外の投擲槍はそのまま神聖な森を包み込んでいた神々の結界を貫き、宇宙の果てに消えていった。

 

 正宗は己の得物に手をかける。

 

「そぅら、出てきたぞ。怪物が」

「ふむ──では私も本気でいこう」

 

 ゼウスは左手に世界最強の盾アイギスを、右手に万物を切り裂く金剛の鎌を、それぞれ携える。

 そして全身から雷光と共に世界最強の鎧「雷霆の鎧」を顕現させ、光輝として纏った。

 

 ゼウス──男女善悪問わず、あらゆる「美しいもの」を愛する偏屈者。

 そして世界最強の盾と鎧を保有する、七魔将随一の防御力を誇る古強者である。

 

 

 ◆◆

 

 

 迷宮から無理やり脱出した大和は、着地すると同時にアイズ達に叫んだ。

 

「お前ら、封印は任せたぜ! 俺はあのデカブツ達を一掃する! アイズ、旋回してる戦乙女共を退避させろ!」

 

 大和は異空間からガトリング式魔改造火縄銃を取り出す。

 銃身だけで大和の全長を超える巨大な魔銃を目にしたアイズは飛翔し、上空に居る戦乙女達に叫んだ。

 

「お前達!! 戦線離脱しろ!! 今すぐだ!!」

 

 歴戦の戦乙女達は命令に従い戦線離脱する。

 大和はガトリング式魔改造火縄銃に莫大な闘気を溜め込むと、凶悪な笑みを浮かべてトリガーを引いた。

 

 刹那、放たれた幾千幾万の紅蓮の閃光。

 神聖なる森を消し飛ばす勢いで放たれる真紅の弾幕は消滅の概念そのもの。

 まずは霜の巨人の一体を消し飛ばす。

 

 超反動で足元の大地を砕きながら、大和は銃身をゆっくりと横に薙ぐ。

 総身から放出される無限エネルギーが回転式の銃身で圧縮され、絶え間なく解き放たれる。

 一発で並の神仏なら消滅させる破滅の閃光が、秒間2000発という規格外の回数放出された。

 

 それは、圧倒的な火力によるゴリ押し。

 総てを無理やり消し飛ばす、理不尽そのものである。

 

 神聖な森に張られていた結界は優に破壊され、空一面が深紅色に染まる。

 霜の巨人達も次々と消滅していった。

 

 七体目の霜の巨人を消し飛ばした時、大和は両サイドから来る刺客を察知し、瞬時にガトリング式魔改造火縄銃を手放す。

 そして大太刀と脇差を抜き放ち、迫り来る日本刀と大鎌を受け止めた。

 

 衝撃波が辺りを吹き抜ける。

 正宗とゼウスの奇襲を難なく受け止めた大和は、ノアとエルザを抱きしめていたアイズに告げた。

 

「行け! ここは俺が引き受ける!」

「……任せた!」

 

 七魔将二名の奇襲に面食らいながらも、アイズは一瞬で現状判断し、姉妹達を連れて行く。

 剣神、正宗が忌々し気に大和に囁いた。

 

「この餓鬼ぃ……化物並の闘気を圧縮して所構わずぶっ放しおって」

「何だァ正宗、もうそろそろ歳だろ? 引退したらどうだ?」

「ほざけ!!」

 

 正宗は大和の大太刀を絡め取り、逆袈裟を放つ。

 それを優々と躱した大和は渾身の蹴りを繰り出すも、世界最強の盾によって防がれてしまった。

 七魔将の一角、雷光を司る天空神は不敵に微笑んでみせる。

 

「凄まじい衝撃だな──蹴りだけでコレか。暗黒のメシアよ」

「ゼウス……テメェが七魔将の一員か。面倒くせぇな」

「奴の稚気と邪悪に惚れ込んでな。……しかし、今は貴公を愛させてくれ」

「ったく、相変わらずだなテメェも……しゃらくせェ。纏めて相手してやる」

 

 大和は背後に数多の武装を召喚する。

 薙刀、十文字槍、大弓、大鎌、戦斧、細剣、大剣、大槌、鎖鎌。

 他にも六合大槍、方天画戟、蛇矛、バスターソード、モーニングスター、パルチザン、蛇腹剣、大楯など──

 

 七魔将二名は不敵に笑うと、生来の怪物の討伐を試みるのだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 ノアとエルザは崩壊した神殿で封印の舞を踊っていた。

 霜の巨人の憤怒が具現化し、湧き出てくる魔性の獣達を聖剣で斬り伏せる。

 剣舞によって編まれる北欧魔術の深奥──原初のルーン、その一端。

 

 魔導神オーディンより承りし秘技をここで披露する。

 その奉納の舞を影で支えているのは初代守護騎士、アイズだった。

 

 氷魔法で右に出る者はいないと謳われる彼女は、しかし剣技の達人でもある。

 絶対零度のレイピアで魔物達を刺し貫き、氷塊の中に閉じ込め絶命させる。

 氷のロッドを薙げば眼前に群がる百の魔性が氷の彫像と成り果てた。

 歴代最高の戦乙女、その肩書きに偽り無し。

 

 しかし問題が発生する。

 霜の巨人の中でも別格の存在が地上に出て来ようとしていた。

 スリュムである。

 霜の巨人族の王、その一角であり、絶大な力を誇る怪物。

 

 その手が地上を割り出てくると、神殿ごとノアとエルザを叩き潰そうとする。

 完全に敵意あっての行動。今までの霜の巨人とは危険性がまるで違う。

 

 アイズは瞬時に絶対零度の古式魔法を発動した。

 物質の根源を成す原子を一定方向に整列させ、一瞬で極低温空間を創造する。

 スリュムの手のみに発動した、生物であれば絶命必至の奥義。

 しかし災害の具現化たる霜の巨人、その王には通じない。

 僅かの間、動きを止められただけだ。

 

 無理矢理復活し、再度動き始める巨腕。

 アイズは背後に氷結魔法の魔法陣を数百展開し、瞬時に氷の牙城を形成する。

 更に強化魔術を重ね掛けし、氷塊で形成したランスや大砲、投擲槍や刀剣を一斉射出した。

 

 アイズは物量押しでの時間稼ぎを決行したのだ。

 しかし並の神仏を凌ぐ霜の巨人の王を、歴代最強とは言え半神半人の戦乙女が止められるかは賭けである。

 

 舞踏を踊っていた姉妹達が叫ぶ。

 

「アイズ様!!」

「アイズ様ぁ!!」

 

「お前達!! 舞踏に集中しろ!! コイツは私がどうにかする!!」

 

 アイズは決して諦めなかった。

 後輩を奮い立たせるため、最後まで足掻き続けた。

 

 

 ◆◆

 

 

 七魔将の一角──『剣神』正宗は剣技に於いて並ぶ者無き、正真正銘世界最高の剣士である。

 天下五剣なる称号は世界に剣士があまりに多いため、最強の枠を増やしたに過ぎない。

 真の意味で剣客達の頂点に君臨するのは、この男なのだ。

 

 大和が剣技において100点であれば、正宗は200点は下らない。

 いいや、それ以上か──

 剣術で、大和は正宗に絶対に勝てない。

 

 しかし大和は武術家である。武芸百般を修めし戦闘のプロフェッショナルである。

 わざわざ相手の得意分野で戦わない。

 正宗を強者と認めているからこそ、大和は一切油断しなかった。

 

 吹雪との死合いで瀕死に追いやられた事を踏まえ、大和は相手が同格であれば遊び癖をなくす事を徹底していた。

 その結果、隙が全く無くなる。

 

 大和は大剣と大槌を携え、角度を変えながら攻め立てる。

 正宗は苦い顔で何とかいなしていた。

 圧倒的剛力によって容易に地形が変わる。

 

 大剣と大槌を躱しきったとしても、大和に隙は存在しない。

 絶妙なタイミングで棒手裏剣を投げられ、まきびしを散りばめられ、煙玉で視界を遮られる。

 

 武芸百般。全ての分野に於いて100点を誇る大和の真価は「多種多様な武器を臨機応変に使い分ける」ところだ。

 

 正宗は確かに剣術では200点を記録する。

 だが、大和は大剣も大槌も100点。足せば200点だ。

 正宗がそれ以上だとしても、他の武装を組み合わせれば拮抗できる。

 

 正宗は苦笑した。

 

(吹雪の奴め──ようこの怪物を瀕死まで追い詰めたわ。純粋な剣技のみならず、戦闘前の駆け引きや下準備を怠らなかったのじゃろう)

 

 妖魔界最強の腕力を誇る牛魔王すら捻じ伏せる筋力、無尽蔵のスタミナ。

 那由他の戦場を生き抜いた戦闘経験、真の長所たる戦闘センスと成長スピード。

 あらゆる異能術式を無効化する闘気術、武芸百般を極めた事による引き出しの多さ。

 

 四大終末論を踏破した闇の英雄は伊達ではない。

 個の戦闘力、特に白兵戦ではまさしく無敵だ。

 

 だがしかし、と正宗は一蹴する。

 剣神の異名を取る男もまた、伊達では無い。

 腰に携えたもう一本の長刀を抜き放ち、二刀流となる。

 そして斬撃の極致にて凶悪な追撃を相殺した。

 絶妙かつ繊細な剣捌きは、大和の技を完璧に殺しきってみせる。

 

 大和は嗤った。

 

「やるじゃねぇの、糞ジジィ」

「小童が。まだまだよ」

 

 正宗もまた、白兵戦では敵無しだった。

 剣という近接武器を極限まで追求し、更に昇華し続けている彼にとってクロスレンジは自分の庭と言っても過言では無い。

 至近距離において、大和は正宗に勝てない。

 

 だからこそ、必要以上に近付かない。

 攻撃範囲が広く、且つ重い得物を選び、正宗を懐に入れない。

 

 相手の弱点を徹底的に突き、得意分野に入らせない。

 苦手な課目を強制し、それを執拗に続ける。

 

 大和は己の戦闘スタイルを徹底していた。

 しかしそれは正宗も一緒である。

 

 片や、洗練された暴力。破壊と殺戮に特化した力と技。

 片や、絶対切断の顕現。唯斬、切断という概念そのもの。

 

 最高位の神格であろうと容易に死滅させる暴力と斬撃の嵐が吹き荒ぶ。

 極々狭い空間で展開される超越者同士の戦いは、しかし周囲の地理を書き換えなければならないほどの甚大な被害を生み出していた。

 これなら霜の巨人が暴れた方がマシなレベルだ。

 

 今まで面白そうに見学していた金髪の美男神、ゼウスは痺れを切らしたのか、前線へと出てくる。

 

「二人で逢引きとは妬けるな、私も混ぜてくれ」

「勝手にせぃ」

 

 大和の縦横無尽の攻撃を全て大楯で防ぐゼウス。

 世界最強の盾、ギリシャ神話の誇る神格武装「アイギス」を突破する事は大和であろうと不可能だ。

 

 ゼウスと正宗は即興のコンビネーションを披露する。

 ゼウスが防御に徹し、正宗が攻撃に徹する。

 無敵の盾と最強の剣──

 全く隙の無い陣形に、流石の大和も苦笑いした。

 

「ざけんじゃねェぞ」

 

 正宗の鋭すぎる斬撃に首の薄皮を斬られながらも、アイギスごと大槌でぶん殴り二人同時に吹き飛ばす。

 その際の衝撃波で神聖なる森の半分が削り飛んだが、この程度で正宗とゼウスは倒れない。

 そんな事、大和もわかっている。

 

 故に、とっておきの新技を出す。

 

「唯我独尊流──五行の型に更に陰陽を加えた。陰の型は負担が大きいから、ここぞという時しか使えねぇ。が、陽の型は別だ」

 

 大和は右手で拳を握り、渾身渾絶の闘気を込める。

 真紅の闘気はあまりの濃度に光輝を纏い、紅蓮色に煌き始めた。

 

 ゼウスと正宗は驚愕で目を見開く。

 大和の拳に集約される闘気の質量が、最早別次元であったからだ。

 莫大過ぎる生命力は星を超え、銀河を超え、宇宙を超え、その先すらも超越した。

 

 真の一撃必殺を体現するこの技を、大和は唯我独尊流の陽の型に当て嵌めた。

 

「陽の型──天中殺(てんちゅうさつ)

 

 妖魔を滅ぼす曙光の名を冠した幕引きの拳。

 強大過ぎる生命力で有形無形問わず一切合切消滅させる、ご都合主義の体現だった。

 

 大和の新しい奥義を前にして、正宗とゼウスはしかし、笑ってみせる。

 

「必殺の拳も、当たらなければどうという事はないわぃ」

「よかろう。貴公の一撃、このアイギスで完封してくれる」

 

 ゼウスが一歩前に出てきたので、大和は嗤う。

 受け止められるものなら受け止めてみろと、紅蓮に輝く拳を振りかぶった。

 

 嘗て邪神王アザトースの放った必殺必滅の究極呪砲「ビッグバン・インパクト」を完璧に防ぎきってみせた絶対防御の象徴か──

 極大の生命力から放たれる強制終焉、幕引きの一撃か──

 

 その時、大和の背後から光の柱が立ち上った。

 ソレは、霜の巨人の封印に成功した証だった。

 

 正宗とゼウスは互いに肩を竦め、後退する。

 そして大和に告げた。

 

「時間切れじゃな」

「また会おう。暗黒のメシアよ」

 

 両者は消える。

 雅貴の元へ帰って行ったのだ。

 

 大和は天中殺を解除し、腰に手を当てる。

 そして、やれやれと溜息を吐いた。

 

「七魔将か、マジで面倒くせぇ……しかし封印、成功したんだな。よくやった」

 

 大和は笑顔で真紅のマントを靡かせ、踵を返した。

 

 

 ◆◆

 

 

 その頃、崩壊した神殿前で。

 アイズは倒壊した柱によろけた身を預けた。

 目の前には完全に凍結した霜の巨人族の王、スリュムの巨腕があった。

 

 アイズは完璧に抑えきったのだ。

 おかげで霜の巨人族の封印は成功した。

 

 ノアとエルザは歓喜で抱き合っている。

 

 霜の巨人の事件は、これにて解決した。

 

 



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五話「神滅狼」

 

 

 一方、天上界アースガルズにて。

 神代の戦士達が集う宮殿ヴァルハラの前では、極寒地獄が形成されていた。

 

 北欧勢力最強の戦神、トール。

 トリックスター、ロキ。

 その他、名だたる神々が氷の彫像に成り果てている。

 

 存在そのものに「凍結」の概念が叩き込まれていた。

 魔法を超えた魔導の域。しかも全く異なる力、超常の御業──神仏や魔神の権能である。

 

 荒れる吹雪の中で、最前線に出てきた主神オーディンは忌々しそうに前方を見据えていた。

 

 オーディンはこの「絶対凍結」の権能の持ち主を知っている。

 神仏が最も恐れ慄いた神殺しの魔狼──数多いる魔獣達の頂点に君臨する絶対君主。

 

 オーディンの眼前で、怜悧な美貌を湛える絶世の美女が佇んでいた。

 青みがかかった銀髪は膝裏まで流れ落ち、冷気を孕んだ風にさらさらと靡く。

 鋭い碧眼は己の信念に反する愚物を一切否定する冷徹さを内包していた。

 他者を一切寄せ付けない拒絶の美は、しかし豊満さとしなやかさを併せ持つ肢体を更に際立たせている。

 服装は純白のスーツに漆黒のロングコート。頭には尖った狼耳。

 

 氷の麗人とも云える彼女は、失笑を交えてオーディンに告げた。

 

「儚いものだ──神を名乗るには、あまりにも儚い。老いて弱者に成り下がったのだ。素直に引退すればどうだ?」

 

 嘲笑を向けられ、オーディンはしかし何も言えなかった。

 彼女が七魔将の一員であるなら──本格的に世界の滅亡が近いからだ。

 

「……フェンリルッ」

「気安く我が名を呼ぶな。噛み千切るぞジジィ」

「ッッ」

 

 嘗て、世界中を恐怖のどん底に突き落とした神殺しの魔狼。

 事象現象関係無く万象一切を凍結させる能力と、最上位の神仏すら引き裂く爪牙を誇る。

 

 神滅狼、フェンリル。

 

 彼女は雅貴と同盟を組む「七魔将」の一員であった。

 此処へ来た目的は──いわゆる暇潰しである。

 

 彼女の背後にいたカジュアル系の緑髪の美青年、邪龍王ヒュドラは口笛を鳴らした。

 

「ヒュー♪ 姉御容赦ねぇ♪ てか姉御一人でよかったんじゃね? ああ後、正宗とゼウスが帰ってきてよ♪ 大和と遊んできたらしいぜ! 羨ましいね~っ♪」

「何? 大和が居たのか。……雅貴め、敢えて黙っておったな」

 

 フェンリルは苦笑すると、踵を返す。

 そしてオーディンに対し、冷酷に吐き捨てた。

 

「二度と私の前に姿を見せるな、老いぼれ。私は弱者を一切認めない。疾く死に失せろ。貴様は私が殺す価値も無い」

「ッッ」

 

 オーディンは憤慨しながらも、何もできなかった。

 戦力差は歴然。彼女が進む先にはヒュドラと牛魔王、ウリエルが佇んでいる。

 勝てる筈が無かった。

 

 フェンリルはその尖った狼耳をピコピコさせると、上機嫌に微笑む。

 

「後で正宗とゼウスから聞くとしよう、大和の事を……あ奴は我のツガイとなるに相応しい強者よ。何時か必ず私のモノにしてやる。……暇があれば口説きに行くか」

 

 フェンリルの呟きに、堕天使ウリエルが桃色のショートヘアを揺らして文句を言う。

 

「駄目だよ。大和は僕の男なんだから」

「幾ら盟友でも、譲れぬものがある。大和は私の男だ」

「いいや、僕のだよ」

「……」

「……」

 

 無言で睨み合うフェンリルとウリエル。

 離れた場所でヒュドラが大爆笑し、牛魔王が頭を抱えていた。

 

「ギャハハ!! 見ろよ牛魔王! 女同士、譲れない殴り合いが始まりそうだぜ♪」

「笑ってないで止めにいくぞ」

 

 フェンリル。

 彼女は極度の弱肉強食主義を掲げる暴力至上主義者であった。

 

『神滅狼』フェンリル

『堕天使の長』ウリエル

『邪龍王』ヒュドラ

『平天大聖』牛魔王

『天空神』ゼウス

『剣神』正宗

 

 総勢六名。

 七魔将も残り一人となった。

 

 北欧神話が吹雪に包まれる。

 神々の世界は甚大な被害を被ったものの、寸前で滅亡を免れた。

 

 しかし、それは七魔将の気まぐれによるものである。

 

 これを機に、全神話体系で雅貴と七魔将への警戒態勢が敷かれる事となった。

 

 

 ◆◆

 

 北欧神話は現在、国力の回復でてんてこまいだった。

 雅貴の同盟主達、七魔将の戦闘力は規格外もいいところ。

 単体で一神話を滅ぼしかけてしまう。

 

 それもそうである。

 あらゆる神話体系から選りすぐりの強者のみが集っているのだ。

 

 北欧神話は日本の八百万の神々から救援物資を貰い、インド神話の英雄達を護衛に付ける事で、国力の回復に専念できていた。

 重傷者多数。しかし死傷者はゼロ。

 今回の事件が雅貴の単なる戯れであった事が、この結果で容易に察せられる。

 

 北欧神話最強の戦神、トール。トリックスター、ロキは目覚めると同時に激高したが、オーディンに宥められる事で沈静した。

 一番憤慨しているのはオーディンなのだ。

 現在、数億人の戦士(エインヘリャル)を看護するために、八百万の神々があれやこれやと走り回っていた。

 

 しかし、大和にとってはどうでもいい話である。

 彼は約束の報酬──アイズの肢体を味わうために、彼女の部屋を訪れていた。

 

 豪勢ながらも質素な部屋。

 窓から月明りが差し込み、アイズの瑞々しい肢体が照らし出される。

 引き締まりつつも女性らしさを損なっていない、ある種理想の肉体。

 冷静沈着、冷酷無比で知られる銀髪の戦乙女は、気丈な面持ちながらも頬を朱に染めていた。

 

 それがいい。

 大和は彼女を抱き寄せ、ベッドに押し倒す。

 アイズは抗わなかった。

 

 緊張で強張った身体を優しく解され、指先まで丹念に貪られる。

 何度も唇を吸われ、彼女は最初文句を言った。

 

『現状を考えろ』

『この変態め』

 

 しかし、本番になれば喘ぎ声に変わる。

 アイズは覆い被さる大和の背中に爪を立て、首筋に噛みついた。

 膣奥を掻きまわす灼熱の棒に意識を溶かされながらも、必死に告げる。

 

『責任を取れ……ッ』

『節操なしめ──ッ』

 

 うるさい氷の女を、大和は黙らす様に舌を絡めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 翌日の早朝。アイズの部屋の前にて。

 大和は出迎え達を見下ろす。アイズとノア、エルザの三名だ。

 

 大和は顎を擦る。

 

「オーディンは来ねぇのか……あんの糞ジジィ。まぁいいか、報酬は貰ったし。フェンリルの奴にこっぴどくやられたんだろ? しゃあねェな」

「主神様が出迎える事が当たり前か。しかも糞ジジィ呼ばわりとは──本来であれば厳罰ものだぞ」

 

 白いワンピース姿のアイズが唇を尖らせると、大和はクツクツと喉を鳴らした。

 

「昨日はあんなに可愛かったのに、もう生真面目モードか?」

「うるさい、黙れ」

「クックック……おう餓鬼共、コイツに感謝しろよ? でなけりゃお前等が食われてたんだからな」

 

 ギザ歯を向けられ、エルザは頬を風船の様に膨らませた。

 姉のノアが必死に宥めている。

 

「エルザちゃん、駄目だよっ」

「でも、でもぉ……!!」

 

 煮え切れない様子のエルザ。

 尊敬する先輩を野蛮な輩に穢されて、腹を立てているのだ。

 大和は舌を出し、からかってみせる。

 

「何だ? アイズが羨ましいのか? いいぜ、今からでも抱いてやる」

「バッカじゃないの!? アンタなんか……むぐぅ!!? む~!!!!」

「駄目駄目っ、エルザちゃん、それ以上はダメっ」

 

 妹の口から吐き出されそうな罵詈雑言を、ノアが必死に手で押える。

 アイズはやれやれと肩を竦めると、大和と視線を合わせた。

 

「早く行け。お前の顔は、暫く見たくない」

「そうか。また恋しくなったら言えよ。会いに来てやる」

「馬鹿め……さっさと行け」

 

 そっぽを向くアイズ。

 相変わらずだと嗤うと、大和は真紅のマントを靡かせ去って行った。

 

 エルザは姉の手を振り切ると、薄紫のサイドテールを揺らして叫ぶ。

 

「覚えてなさい!! アンタの事、絶対後悔させてやるんだから!!!!」

 

 大和は振り返らず、手を挙げるだけで応じた。

 

 

《完》



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第十章「野獣伝」
一話「長谷部」


 

 

 今から20年前の出来事である。

 東京の某区にある団地群にて。

 記者団のフラッシュが矢鱈にたかれていた。

 その中を、一人の少年が刑事達に連行されて行く。

 

 16歳に満たないこの少年は、15件の強姦殺人を繰り返した犯罪史上類を見ない凶悪犯である。

 少年──犬飼ヨウジは、顔色一つ変えずにパトカーに乗り込り込んでいった。

 

 着ている白いトレーナーは返り血で真っ赤に染まっている。

 その上に乗っているのは色素の薄い、美しい少年の顔だった。

 

「何か一言だけ!!」

「どうしてこんな事をしたんですか!?」

「邪魔だ、早くどけ!」

「うるせぇ、お前の方が邪魔だ!!」

 

 質問と罵声が鳴り響く中、サイレンの音が混ざり合う。

 少年が凶行を行った部屋には、男が一人いた。

 厚さ1センチほどにもなる鮮血はまるで沼。

 その中に沈んでいたのは──最愛の妻と娘だった。

 

「……、(ちょう)さん。起きて下さい!!」

 

 呼ばれて目を覚ますと、もう朝になっていた。

 長さんこと、長谷部勇夫(はせべ・いさお)は未だボケている頭を振る。

 

 若い婦人警官は腰に手を当てて注意した。

 

「こんな所で寝てたら風邪引きますよ? もう今年で定年なんですから、無理しないで下さいね」

「あぁ。すまない」

 

 長谷部は警視庁の殺人課に勤務する刑事だ。

 

 今から二十年も昔の話である。

 最愛の妻子が殺されたのは……。

 犬飼ヨウジはあれだけの大罪を犯したのにも関わらず、保護観察処分だけで済んだ。

 まだ18歳以下であったこと。そして異例の弁護団30人体制での擁護体勢。

 

 犬飼の父親は政財界にコネクションを持つ大富豪だった。

 日本中を震撼させた猟奇少年犯罪は、金と権力で有耶無耶にされたのだ。

 

「そんな馬鹿な!! こんなの間違っている!!」

 

 妻子を殺された当時の長谷部は、怒りに震え抗議行動に出た。

 しかしその訴えも虚しく、ヨウジは無罪放免となった。

 警察上層部にもかけ合ったが、答えは梨のつぶて。

 他の被害者遺族が不思議と何の行動にも出なかったのは、ヨウジの父親により相当の圧力がかけられたからである。

 

 それからというもの、長谷部は変わった。

 元々熱血刑事で通っていたが、口数少なく無気力とすら言える態度になった。

 黙々と業務をこなし、寝る場所はいつも殺人課の刑事部屋。

 最低限の交流しかせず、プライベートで呑みに行く事も殆ど無い。

 そうする内に、彼は定年を間近に迎えたのである。

 

 

 ◆◆

 

 

「長谷部、ちょっと付き合え」

 

 その日の夕方、同僚の刑事、多村が現れた。

 何処にでもいそうな老刑事である。

 彼は長谷部を飲みに誘った。

 

 長谷部は断ろうとしたが、多村は無理やり連れ出した。

 二人は昔行き付けだったガード下のおでん屋に並んで座る。

 

「お前も定年か。まぁ俺も後一年ほどだが……早く呑めよ」

 

 多村は自分の盃をグイッと傾ける。

 プハーッと息を吐くと、その太い眉を顰めて吐き捨てた。

 

「納得いかねぇよな。俺も同感だ。犬飼ヨウジ──奴は単なる変態殺人鬼さ」

「……」

 

 長谷部は無言で立ち上がると、カウンターに一万円札を置く。

 多村がオイオイと肩を竦めた。

 

「人の話は最後まで聞くもんだぜ。犬飼ヨウジの足どりがわかったんだ」

 

 長谷部の無気力な双眸が見開かれる。

 保護観察処分になったヨウジはプライバシーの保護と少年法に守られ、その行方は杳として知れなかった。

 

 多村は冷や汗をかきながら笑う。

 

「ヤツは今、デスシティと呼ばれる街に潜伏している。世界政府お墨付きの犯罪者の吹き溜まりにな……!!」

 

 

 ◆◆

 

 

 闇バスの運転手、死織はバックミラー越しに自分が見られている事に気がついた。

 ハンチング帽にヨレヨレのトレンチコート。皺深い表情から剣呑な雰囲気の漂わせる老人。

 長谷部は闇バスに揺られながら、運転手に亡き娘の面影を重ねていた。

 生きていれば今頃、同い年ぐらいか──

 そんな事を考えながら、つい視線を注いでしまったのだ。

 

 彼がバスを降りる時、死織は問う。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 長谷部は何も答えなかった。

 

 現代のソドムとゴモラと名高い魔界都市、デスシティ。

 世界各地から犯罪者が集まり、異形の者が跋扈するこの世とあの世の狭間。

 長谷部は何とも言えぬ寒気を感じ、思わずトレンチコートの襟を立てた。

 

 同僚の多村から得た情報によると、犬飼ヨウジは父親の手引きによってこの都市へ逃れたという。

 息子の成した悪行の数々は何時までも庇いきれるものではない──そう判断したのだろう。

 多村が何故そんな情報を知っていたのか、長谷部は敢えて聞かなかった。

 興味もない。

 

 彼は復讐に燃えていた。

 愛する妻子を殺した男を見つけること──それだけに執心していた。

 

 長谷部はその足で聞き込みを開始した。「操作の基本は自分の足で」が彼の座右の銘である。

 20軒近い店を回ってみたものの、手がかりは無し。

 お次は人体改造バー『インセクツ』という看板が上がる店だった。

 七色の電飾がどぎつい光を放っている。

 

 この街では警察手帳は何の意味も為さない。必要なのは金。

 もしくは──

 

「犬飼ヨウジぃ!? 知らねぇなぁ」

 

 剃り上げた頭頂から爪先まで全身刺青だらけの巨漢が舌を出す。

 この店の店長である。周囲をダークスーツの筋骨隆々たる男達が固めていた。

 

「誰だよソイツは。あんたのコレか、あぁ!?」

 

 店長が小指を立てながら笑う。

 周りの男達もつられて笑い始めた。

 長谷部は無言で店長の襟首を掴むと、足払いをかけて床に引き倒す。

 逮捕術の一端である。その動きは洗練されていた。

 

「野郎! 何しやがる!!」

 

 周囲の男達が一斉に懐に手を入れる。

 長谷部は慌てず、周囲を見回しながらある言葉を呟いた。

 

 瞬間である。

 男達が恐怖に引き攣った笑みを浮かべたのは。

 代表して店長が手を揉み合わせながら応対する。

 

「だ、ダンナぁ、それならそうと最初から言って下さいよ」

 

 その態度の変わり様は、はっきり言って異常だった。

 長谷部はどんな魔法の言葉を使ったのか──

 それは店長の口から語られる。

 

「いや~、まさか大和のダンナとお知り合いとは……こりゃ失敬、失敬っ」

 

 長谷部は、多村から「身の危険を感じた時に使え」と言われたのだ。

 

『俺は大和の友人だ』と──

 

 それだけで事態は急変する。

 無理やりにこやかな笑顔を作る男達に、長谷部は乾いた声で告げた。

 

「案内してもらおうか、犬飼の所へ」

 

 デスシティで最も恐れられている男──大和。

 彼の友人と言えば無碍に出来る者など殆どいない。

 

 確かに魔法の言葉であるが、それは生きた天災を引き寄せる呪いの言葉でもあった。

 

 



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二話「犬飼ヨウジ」

 

 

 同時刻、中央区にある秘密クラブ『ベリーベリー』にて。

 ここは会員制の秘密クラブである。

 ありとあらゆる性癖に応えてくれると言う玄人向けの店で、その筋には密かな人気があった。

 

 個室の中はピンクとも紫ともとれる淫靡な色彩で満ちている。

 媚薬混じりの香も焚かれていた。

 

「ねぇ、ここは始めて?」

 

 店員の女が小首を傾げる。

 それなりの美女だった。

 その豊かな乳房の間で、ネックレスタイプのリクエストタグが揺れる。

 専用スキャナで読み込む事で、タグに登録されたプレイ内容が要求可能だとわかる仕組みだ。

 

「あぁ、そうだ。常連さんに紹介してもらったのさ」

 

 色白の美男がタグを読み込むと、ネーム:ジェシカ。年齢:22。そしてスリーサイズが表示される。

 利用できるプレイ内容も確認できた。

 

 男はニヤリと唇を歪める。

 プレイ内容に『カニバリズムOK』と表示されていたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

「あんた凄かったよ。なんだか食べ慣れてるって感じ」

 

 暫くして。

 バスルームに飛び散った流血をシャワーで流しながら、ジェシカは言った。

 男は驚愕している。

 

「驚いたな。まさか食っても元に戻るとは思わなかった」

 

 男は文字通り、ジェシカの女体に齧り付き、肉を食い千切り、血を啜った。

 しかし、見る間にその傷口が塞がっていったのだ。

 ジェシカは淡水に棲息するヒドラやプラナリア等の再生能力の強い生物の特性を有しているのだ。

 

 彼女はクスリと笑う。

 

「この店の女の子は全員、改造手術で色んなプレイが出来る様になってるのよ」

 

 ジェシカは陽気な調子て身の上話を始めた。

 表世界の出身でありながら、親の借金の代替えとして極悪ヤクザに身売りされたこと。

 ハードなSMバーに勤める事になり完全なMに目覚めたこと。

 そこで『骸道会』なるデスシティのヤクザ組織に拾われ、改造手術を勧められたこと。

 それからこの店を紹介されて、現在に至るまで……。

 

 しかし、そんなことは男──犬飼ヨウジにとってどうでも良かった。

 表世界で「美野獣」と恐れられていた凶悪犯の面目が丸潰れである。

 

(いいや……でもいい、この都市なら、俺を受け入れてくれるのかもしれない)

 

 ヨウジは茫洋とした様子で 天井を仰ぐ。

 ジェシカは髪に付いた水滴をふき取りながら、陽気に告げた。

 

「もうすぐあたし上がりだから、ご飯でも食べに行こ? いいじゃない、あんただって、あたしの事食べたでしょ♪」

「……~っ」

 

 ヨウジは思わず頭を抱えるのであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の裏路地にて。

 摩天楼の喧騒も此処からは遠く感じる。

 たむろう肉食性の合成獣たちも、今夜は大人しかった。

 

 腕を組まれているヨウジはドギマギしているが、ジェシカは御構い無しである。

 暫く歩いていると、小さな屋台の前に辿り着いた。 

 達筆の筆文字で『おでん屋・源ちゃん』と書かれた暖簾を二人はくぐる。

 

「らっしゃい!! おお、清美ちゃん。久しぶりだねぇ。今日はお連れさんと一緒かい?」

 

 威勢の良い掛け声と共に、厳つい壮年の店主が現れる。

 筋肉の宮ともいえる規格外の体躯を誇るこの店主は、源次郎である。

 

 ジェシカは片目を閉じて言った。

 

「おじさん、この人あたしのカ・レ・シ♪」

 

 ジェシカ=清美の発言に、ヨウジが慌てふためいた。

 

「か、彼氏!? おい、俺は……」

 

 そんなヨウジを尻目に、清美はおでんの盛り合わせを注文する。

 源次郎は陽気に笑った。

 

「いや~羨ましいねぇ、おじいちゃんももっと若かったら立候補するのによぅ」

「やだ~。源次郎さん、まだまだ現役じゃない。モテモテでしょ?」

「カッカッカ! そこまででもねぇよ!」

 

 笑いながらおでんを皿に盛る源次郎。

 濃厚なダシの匂いが食欲をそそる。

 出された盛り合わせに、清美は子供の様に目を輝かせた。

 

「コレよコレ、待ってました♪ ちょっと、何ボケーッとしてんのよ。熱いうちに食べなさいよ」

 

 清美に促され、ヨウジは慌てて箸を持つ。

 大根に齧り付くと、ダシの旨みが口いっぱいに広がった。

 ほんのりと甘い、故郷を連想させる味──

 

 ヨウジの目から、とめどなく涙が溢れ出る。

 

「美味い、美味いよ……こんなに美味い物、初めてだっ」

「んあ? そんなに美味かったか?」

「変な人ねぇ」

 

 源次郎と清美は思わず顔を見合わせた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ヨウジとジェシカこと、清美の二人は中央区のラブホテルにいた。

 室内は温暖で清掃が行き届いている。

 

「おい、これは一体……」

 

 アレよアレよと言う間にここまで来てしまったヨウジは、酷く慌てていた。

 シャワーを浴びてバスローブを身に纏った清美が、ベッドに仰向けに寝転ぶ。

 

「何って、ホテルでしょ。さっきからおかしな人ねぇ。それともあたしのこと嫌い?」

 

 ヨウジは俯いてしまった。

 分厚い真紅のカーペットの一点だけ、ジッと見つめている。

 

「嫌いとかそう言う事じゃない……俺は、俺は……」

 

 ヨウジは自分の過去を振り返っていた。

 表世界からこの街へ来た経緯を。

 

 彼は、目の前の娘に言い出す機会を失っていた事を後悔していた。

 清美は苦笑する。

 

「言いたく無ければ言わなければいいじゃない。元々そういう連中ばかり集まる街だしね」

 

 衣擦れの音がした。

 ヨウジの目の前には、バスローブを脱ぎ捨てた清美がいた。

 

「ヨウジが何悩んでるのかわからないけど、あたしなら少々の傷は再生出来るし、大丈夫よ。あたしドMだし、食べられても平気な身体だし♪」

「清美……さん。俺、実は……」

「清美でいいよ。今は何も言わないで」

 

 ヨウジの唇に、清美の柔らかい唇がそっと重ねられた。

 

 

 ◆◆

 

 

「本当は内緒なんですがね」

 

 そう言いながら人体改造バー『インセクツ』の刺青店長がデスクトップのキーを叩く。

 意外と繊細なキー捌きに、長谷部はほぅと感嘆の息をもらした。

 刺繍店長の私室にはディスプレイが10基もあり、得体の知れないケーブルが複雑に絡み合っている。

 天井からは無数のコードが刺さっている異形のコンピューターがぶら下がっていた。

 

 液晶画面に、鈍い音を立てて複座な文字が並ぶ。

 デスシティ内の情報屋に一斉にアクセス出来る秘密プログラムであった。

 

「へへ……これでも前は名うてのハッカーだったもんで。今は改心してこんな店やってますがね」

 

 刺繍店長は、長谷部が持っていた当時の犬飼ヨウジの写真をスキャンする。

 二十年の歳月による顔面の変化パターンを十万パターンまでシュミレート。

 現在のヨウジの姿を精巧な画像が予測し、描き出す。

 そのデータを瞬時に情報屋達の端末に一斉送信。

 件数が絞り込まれ、ダイレクトにヒットする該当項目が一件。

 中央区の秘密クラブ『ベリーベリー』付近にて、よく似た男が目撃されたとの情報が出て来た。

 

「へへっ……ダンナ。これでいいでしょう」

 

 揉み手しながら媚びへつらう刺繍店長。

 長谷部は抑揚の無い声で告げた。

 

「助かった。至急、用意して欲しいものがある」

 

 その目には、静かに憎悪の炎が揺れていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 早速秘密クラブ『ベリーベリー』を訪れた長谷部は、店員にプリントアウトしたヨウジのモンタージュを見せていた。

 

「この男を見なかったか?」

「あぁ、そう言えばさっきこんな感じの人来てました。…………ところで」

 

 人外の店員は露骨に表情を顰める。

 ヨレヨレの薄汚れたトレンチコートにハンチング帽姿の老人が、男の写真を持って来たのだ。

 訝しむのも無理はない。

 

「詳しく聞かせてもらおうか。そいつの事を」

 

 グイと迫る長谷部を警戒してか、店員は背後に呼びかける。

 

「オイ、ちょっと来てくれー!」

 

 奥から筋肉の塊みたいな男達が五人も出て来た。

 

「何かあったんですかい?」

 

 ゴキゴキと拳を鳴らす荒事専門の巨漢達。

 長谷部が大和の名を出そうとした、その時──

 

「待ちな! お客様だろう!? 大の男が揃いも揃って、なに慌ててんのさ!!」

 

 割って入ってきたのは肌が透き通る様な、否、実際にガラスの如く透き通っている美女だった。

 長谷部でも思わず見惚れてしまう。

 豊満な胸からくびれた腰まで、完全に透けている。

 人外なのだろう。

 しかし、その美しさは際立っていた。

 

「す、水晶姉さん!? すいません。この人の剣幕があまりにも凄いんで……」

 

 言い訳する店員にビンタを一発かまし、人外美女──水晶は用心棒の巨漢達を叱り飛ばした。

 

「アンタ達もアンタ達だよ。さっさと引っ込みな!!」

「へ、へい……」

 

 ヘコヘコと頭を下げて去っていく男達を一瞥する水晶。

 彼女は長谷部に向き直ると、深々と頭を下げた。

 

「わたくし、この店の責任者を任されております水晶と申します。しっかりと教育しておきますので何卒、お許し下さい」

「いや、いいんだ。それよりこの男の行方を探している」

 

 長谷部は改めて、水晶にヨウジの写真を見せる。

 水晶はふむふむと頷いた。

 

「確かに、ウチのジェシカについたお客です。この方が何か?」

 

 瞳もガラスの様な美女を見つめながら、長谷部は苦虫を噛み潰したような表情で告げる。

 

「こいつは人食いの殺人鬼だ。そして俺の妻と娘の仇でもある」

 

 水晶の反応は早かった。

 

「ジェシカにすぐ連絡を。何か知ってるかもしれません」

 

 

 ◆◆

 

 

 ベッドの中で、清美はヨウジの胸に顔をうずめながら微笑んだ。

 

「ヨウジ……愛してる」

「俺もだよ、清美。……君に、言っておかないといけない事がある」

「なぁに?」

「……実は俺、表世界で強姦殺人犯として報道されて、この街に来たんだ。俺……確かに人を食ったよ。でも誰もレイプしてないし、殺してないんだ……」

 

 それは衝撃的な告白だった。

 

「俺は、あんな事したくなかった……でも無理矢理脅されて、食わされたんだ。……アイツらに!!」

 

 頭を抱えて、子供の様に泣き出すヨウジ。

 その時、清美のベット脇に置いていた携帯が鳴った。

 清美が働くクラブの店長、水晶からだった。

 

 

 ◆◆

 

 

「ハァ? 俺の友人を名乗る奴がいるぅ?」

 

 別のラブホの一室で。

 特大のベッドに寝そべりながら褐色肌の美丈夫──大和は眉をひそめた。

 

「オウ、オウ……わかった。ちょっと待ってろ」

 

 大和はベッドから起き上がり、身嗜みを整える。

 シーツを引き寄せて裸体を隠した東洋系の美女──闇バスの運転手、死織は苦笑した。

 

「貴方の友人を名乗るなんて……どこの命知らずですか?」

「今からその面、拝みに行くんだよ。調子乗ってたらぶっ殺す」

「フフフッ」

 

 相変わらずのその性格に、死織は思わず笑ってしまう。

 彼女の眼前で真紅のマントが靡いた。

 

「さぁて、長谷部くんよォ……大和サンが会いに行ってやるぜ」

 

 暗く嗤って、大和は部屋を出て行った。

 生きた天災が、動き始めた。



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三話「幕引きの英雄」

 

 

 ヨウジと清美はラブホテルを飛び出していた。

 水晶からの電話は「ヨウジの行方を探している人物がいる」という内容だった。

 

 追っ手が迫っている──清美は知らぬ存ぜぬを通して逃げる事を提案した。

 

「俺、どうしたら……やっぱり、アイツらが……」

「シッ! 黙って。まずはあの安全地帯まで逃げるのよ」

 

 清美はヨウジを叱咤すると、通りを走り出す。

 目指すは『大衆酒場ゲート』。

 デスシティで最も安全な場所である。

 いつも淀んでいる空が急に黒雲に覆われ始めた。

 ポツポツと、二人の頭上から雨が降りかかる。

 

「今の内にゲートまで一気に駆け抜けるわよ!」

 

 人混みにぶつかりながらも二人は止まらない。

 中央通りを走り抜ける。

 

 雨脚が強まってきた。

 傘を差す喧騒達の目が、清美とヨウジを捉えて不気味に輝く。

 

 此処は魔界都市。

 無秩序の楽園。魔物の巣窟。

 戯れか、それとも鬱陶しいのか、二名に音も無く刀剣が、弾丸が迫った。

 

「!?」

 

 ヨウジは偶然殺気に勘付き、清美を抱きかかえる。

 背後に振り返ると、不気味に嗤う住民達の影があった。

 ヨウジは戦慄を覚える。

 

 己が野獣を名乗るなど、烏滸がましいにも程がある。

 この都市の住民こそ、本物の野獣だった。

 

 最早絶対絶命。

 その時、三人の巨漢達がそいつらに踊りかかった。

 不意を突かれたサイボーグが殴り飛ばされ、蛇人間が蹴りをくらい、オークが投げ飛ばされ地響きを轟かせる。

 

「ジェシカ!!」

 

 そこには『ベリーベリー』の責任者、清美の上司である水晶がいた。

 巨漢達は店の用心棒である。

 襲撃者達は舌打ちと共に雑踏に紛れていった。

 

 彼等は気まぐれに襲って来たに過ぎない。

 故に面倒事だと分かればすぐに撤退する。

 

 清美は雨に濡れた顔で、水晶に問うた。

 

「どうしてここに……?」

 

 水晶は濡れて尚透ける長髪を掻き分けながら苦笑した。

 

「ゴメンね。店の子には改造手術の時に生体発信器を埋め込まさせてもらってるのよ」

 

 水晶の背後から、長谷部が現れる。

 彼は無機質な瞳に憎悪の焔を宿して吐き捨てた。

 

「ようやく見つけたぞ、犬飼ヨウジ」

 

 二十年の時を超えて、長谷部は漸く妻子の仇を追い詰めたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 雨の中、遂に二人は対峙した。

 長谷部は懐から拳銃──グロックを取り出す。

 プラスチックを多用した軽量タイプだ。

 実用性と携行性に優れている。

 

「お前がやった15件目の被害者は俺の妻と娘だ。忘れたとは言わさんぞ」

 

 突き付けられたグロックの銃口を見つめ、ヨウジは悲痛な面持ちで両手を挙げた。

 

「確かに覚えているよ。……だけど俺は殺してない!! 本当だ!!」

 

 雨が激しさを増す。

 まるでヨウジの心境を表しているかの様だった。

 清美がヨウジを庇うように前に立つ。

 

「やめて! ヨウジは悪くないのよ!!」

 

 そんな清美に、横にいた水晶が掴みかかる。

 

「こっちに来なさい! 少し話があるわ!」

「離して水晶さん!! ヨウジはそんな人じゃないの!!」

 

 もみ合う二人を他所に、ヨウジが長谷部に向かって歩き出す。

 

「長谷部さん……確かに俺はあなたの奥さんと娘を食った。でもこれだけは信じて欲しい……俺は誰もレイプしてないし、殺してないんだッ」

「ッッ」

 

 長谷部が憤怒と憎悪で顔を歪ませる。

 引き金を引く指に力がこもった。

 

「黙れ!!」

 

 タンッと、小気味よい音が鳴り響いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 土砂降りの中、尻餅をつくヨウジ。

 

「ヨウジっ!」

 

 思わず清美が駆け寄る。

 ヨウジの肩口が赤く染まっていた。

 グロックの銃口から静かに硝煙が上がる。

 微動だにしない銃口から、更に弾丸が吐き出される事は無かった。

 

「信じてくれるんですか……?」

 

 ヨウジは撃たれた肩を押さえながら、長谷部に問う。

 清美がキッと長谷部を睨みつけた。

 しかし長谷部の顔つきは変わらない。憎悪で歪んでいる。

 

「なら……お前の言葉が嘘でないのなら、一体誰だ。俺の妻子を殺したのはッ」

 

 苦鳴を絞り出すかの様な声だった。

 ヨウジは言い淀む。

 

「それは……」

 

 その時、彼等の頭上からローター音が鳴り響いた。

 黒光りする機体は、戦闘用ヘリコプターである。

 下部に搭載された機銃が唐突に火を噴く。

 巨漢の用心棒達が吹き飛ばされた。

 

 火花が地上を奔り、ヨウジと清美に迫る。

 

「危ない!!」

「キャアッ!?」

 

 声と同時にヨウジと清美が倒れた。

 濡れた地面に鮮血が飛び散る。

 

 清美はヨウジを支えながら身を起こした。

 二人がいた場所には、水晶が倒れ伏していた。

 周囲にはまるで鉱物の様な破片が散らばっている。

 傷口からはドクドクと赤い血が溢れ出ていた。

 

「水晶さん!! どうして……ッ」

「フフ……どうしてかしらね……」

「早く病院へ!」

 

 雨の中、ヘリが旋回してまた体勢を整える。

 口の端に血を滲ませながら、水晶は目を閉じた。

 

「早く逃げて……私はもうダメ……」

「どうして、どうしてなの!?」

 

 清美は大粒の涙をこぼした。

 表情を絶望色に染め上げ、天を仰ぐヨウジ。

 長谷部はグロックを攻撃ヘリに向けるが、どう考えても無駄な抵抗だった。

 

 機銃が死の咆哮を吠える。

 長谷部も「ここまでか」と目を閉じた。

 

 瞬間である──ヘリの胴体に赤柄巻の大太刀が突き刺さったのは。

 

 フラフラと地上に墜落する攻撃ヘリ。

 ソレに悠々と近付く影が一つ。

 ヘリの胴体に刺さった大太刀を引き抜くと、鋼鉄製のドアを下駄で蹴り破る。

 血塗れのパイロットを摘み上げ、ズルズルと引きずり歩いてきた。

 

 2メートルを優に超える褐色の美丈夫。

 その背後でヘリが爆発、炎上した。

 

 吹き上げられる束ねた黒髪。

 炎と同じ色の真紅のマント。

 冷徹な三白眼に凶悪なギザ歯。

 

 魔界都市が誇るジョーカー。

 世界最強の殺し屋にして武術家──大和。

 

「で──どいつだ? 俺の友人を語るヤツは」

 

 ギザ歯をむき出したその顔は炎に照らされ、おぞましい美貌をより一層際立たせた。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 大和を呼んだのは水晶の采配だった。

 長谷部が「俺は大和の友人だ」と告げたので、あらかじめ連絡を入れておいたのだ。

 大和もまた『ベリーベリー』の常連であり、水晶とは既知の仲だった。

 

「ったく、無茶しやがって……」

 

 瀕死の水晶の頬を撫でると、己の闘気を吹き込んでやる。

 惑星すら超える莫大な生命力は死神すら欺き、水晶の命を現世に留めた。

 

「あ……アワワっ、や、大和さん……ッ」

 

 清美とヨウジは顔面を蒼白にしていた。

 此処デスシティで大和の名を知らぬ者などいない。

 最上級の邪神すら葬ってみせる無敵の益荒男は、魔界都市の象徴的存在であった。

 

 大和は水晶に視線を落したまま、清美に告げる。

 

「すぐに病院に連絡しろ、今なら助かる」

「は、はいっ!」

 

 清美はすぐ救急病院に連絡を入れる。

 大和は長谷部に向かって、その灰色の三白眼を細めた。

 

「テメェか? 俺の事を友人だと吹聴してんのは」

「お前が、大和か……」

 

 長谷部の中で、大和という名前がようやく一致する。

 目の前に佇まれればまさに山の如く。

 長谷部は優々と見下ろされた。

 

 この激雨の中で彼だけが濡れていない。

 その身に纏う闘気と呼ばれる生命エネルギーが、雨を寄せ付けないのだ。

 

 長谷部は怖気づくこと無く名乗る。

 

「俺は長谷部、表世界の警察だ」

「……ふぅん」

 

 大和は長谷部の表情筋を見て、面白そうに顎を擦る。

 長谷部の背筋に悪寒が奔った。

 まるで心の奥底を見透かされている様な──そんな不快感を感じたのだ。

 

 すると、大和の足元で気絶していたヘリのパイロットが目を覚ます。

 彼は息も絶え絶えに懇願した。

 

「た、助けてくれ……俺は雇われただけなんだっ」

「誰にだ?」

 

 長谷部がグロックを向けると、パイロットは叫んだ。

 

「犬飼……犬飼バイオの社長、犬飼大三だ!!」

 

 犬飼バイオ。

 それは犬飼ヨウジの実の父親が経営する、表世界でも五本指に入る大手製薬会社の名だった。

 ヨウジの起こした事件で一度は風評被害に晒されたものの、近年癌やエイズに効能がある新薬を開発して盛り返した超大企業である。

 

 パイロットが首をうな垂れた。

 出血多量で息を引き取ったのだ。

 

 ヨウジがポツリと漏らす。

 

「俺は……開発中の新薬の被験体だったんです。父さんとアイツに命じられるままに、死体を食わされて……それから何を食っても、美味いと思えなくなって……」

 

 故に彼は『おでん屋・源ちゃん』で涙を流したのだ。

 何かがキッカケで味覚を取り戻したつつあるのだろう。

 

 長谷部がヨウジの肩を強く掴み、揺さぶった。

 

「おい!! お前の父親ともう一人とは誰だ!? お前に人食いを命じたヤツの名前だ!!」

 

 声を荒げる長谷部。

 雨が止み、曇天が切れた。

 ヨウジは涙で顔をクシャクシャにしながら告白した。

 

「警視庁の刑事……多村信彦って名乗ってたッ」

 

 長谷部は絶句する。

 その名前は、彼の数少ない友人である同僚刑事のものだった。

 

 ヨウジがデスシティに潜伏している事を教えてくれたのも、大和の名前を出すようアドバイスしてくれたのも、全て多村であった。

 

 蚊帳の外だった大和はニタニタ嗤いながら長谷部に問う。

 

「これからどうするんだよ、友人の長谷部クン?」

 

 大和の嫌味が長谷部を現実へと引き戻す。

 その瞳に再度灯った復讐の焔を見て、大和は面白そうに唇を歪めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 表世界、日本の都市、東京の某区にて。

 ネオンが夜の首都を厳かに彩っている。

 愛車のクラウンを走らせながら殺人課の刑事、多村信彦は携帯のイヤホンマイクで「ある人物」に連絡を入れていた。

 

「そうです。えぇ、手筈通り長谷部がデスシティに向かいました。被験体41号も滞りなく始末出来る寸法です。ほぅ、ほぅ……攻撃ヘリですか、わざわざ念入りですな」

 

 苦笑する彼の眼前に、唐突に人影が飛び出す。

 

「うぉっ!?」

 

 思わずハンドルを切り損ねた多村は急ブレーキを踏むが、一歩遅かった。

 ガードレールを突き破り、車外に投げ出される。

 

「クソ……なんだ一体……ッ」

 

 額から血が流しつつも歩き出す多村。

 その前に人影が差した。

 ヨレヨレの薄汚れたトレンチコートにハンチング帽姿の老人──多村は思わず呻く。

 

「よぉ……生きてたのか」

「この一件について、説明して貰おうか」

 

 老刑事──長谷部は愛用のグロックを構える。

 その背後では、漆黒色の魔改造GTRが盛大なエンジン音を立てていた。

 窓から顔を出した闇タクシーの運転手、死織が笑みをこぼす。

 

「送迎代は親友の大和クンに付けておきますね♪」

「……ハァ」

 

 小さく溜息を吐く長谷部の後ろで爆音を吹き鳴らし、闇タクシーが去っていく。

 長谷部はグロックを親友だった男に突き付けた。

 

「さぁ、説明しろ」

「説明も何も……犬飼ヨウジはどうした? まさか殺したのか?」

「全て聞いた。お前は犬飼バイオと手を組んで新薬の被験体を始末していたんだな。犬飼ヨウジを凶悪殺人鬼に仕立て上げる為にわざわざ強姦までした。……ヤツに人食いを強要したのは何故だ?」

 

 長谷部の問いに、多村はクツクツと喉を鳴らした。

 

「アレは同種の被験体の細胞を定期的に摂取しないと効能を維持出来ない失敗作だったんだ。いちいち共食いしなきゃ効能を発揮できない薬なんざ、クソほど役にも立たない」

「実の息子を人体実験に使ってまで薬の開発か……それに手を貸していたお前は、警察官どころか人間の屑以下だ。そして何より……どうして摩耶と望美を殺した!!」

 

 激昂する長谷部に、多村は凶悪な笑顔を向ける。

 それは、長谷部が初めて見た顔だった。

 

「お前のそういう熱苦しいところが昔から大嫌いだったんだよ。最後の15件目は俺のリクエストだ♪ クククッ……ハーッハッハッハ!!!!」

「ッ」

「どうだ、悔しいか? ええ!? 長谷部よォ!!」

 

 何十年という歳月もの間、多村は隣で長谷部を嘲笑い続けていたのだ。

 

「多村ぁぁぁッッ!!!」

 

 グロックが二度跳ね上がる。

 しかし多村の姿が消えた。

 

「言っておくが俺も被験体なんだ。こんな副作用付きだがな!!」

 

 背後から声がすると同時に、長谷部の背中に灼熱とも言える痛みが襲いかかる。

 

「っ!?」

 

 あまりの痛みに膝をつき、グロックを取り落す。

 多村の顔が変貌していた。

 見る見る内に耳元まで口が裂け、真っ赤な口内にゾロリと牙が並ぶ。

 両手には凶悪な爪を揃えていた。

 

 その姿、まさしく野獣。

 

『ダガナ、オレは無敵のニクタイを手にイレタンダ』

 

 人語すら危ういカタコト言葉を吐くと共に、野獣が跳躍する。

 爪が真上から矢継ぎ早に振り下ろされるも、多村は地面を転がりながら辛うじて避けた。

 

『Gyeee!!』

 

 もはや人間とは呼べない異形の雄叫びをあげながら迫り来る野獣。

 グロックを拾う暇もない。

 長谷部はネクタイを緩める為に、結び目に指をかけた。

 

 跳躍して来た野獣と長谷部がぶつかり合う。

 夜気に血臭がこもった。

 

『ギャアアアアア!?』

 

 凄まじい悲鳴と共に野獣がのたうち回る。

 その両眼が横一文字に切り裂かれていた。

 長谷部の両手には剣が携えられている。

 否、それは彼が締めていたネクタイであった。

 単なる布が破邪の聖剣と化していたのだ。

 

『グエェェ……これは一体……』

 

 野獣が多村の姿に戻りつつある。

 長谷部は苦い表情で吐き捨てた。

 

「一生使う事はないと思っていたんだがな……」

 

 対邪神用剣術・荒神(アラガミ)

 太古の昔、古代人が邪神相手に生み出した元素を転換して武器とする古流剣法。

 布や木を鉄に変え、魔を穿つ剣と成す秘匿流派である。

 長谷部はその後継者だった。

 

「畜生……クソがァァァァ!!!! 殺せ! 殺せよォ!!」

 

 完全に変身が解け、のたうち回る多村に長谷部は電子ロックの手錠をかける。

 

「俺は警察だ。よってお前を逮捕する」

 

 忌々しき親友を取り押さえた長谷部は、冷たく告げた。

 

「お前にはまだまだ吐いてもらう事がある」

 

 まだ、最後の仕上げが残っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 表世界の犬飼バイオ本社にて。

 ライブ中継を通じて全世界に新薬の発表会を行うという事で、会見場には多くの記者達が集まっていた。

 仕立ての良いスーツを着込んだ初老の男性、犬飼大三は満足げに会見場に立つ。

 

「皆様、私ども犬飼バイオは数多の危機を乗り越えてここまで成長出来ました。これもひとえに皆様のおかげです。本日はこの新薬が市販流通される事になりました。副作用も無く、安全かつ安心。皆様のライフサポートを……」

「待ってくれ!」

 

 突如、会見場のドアが開かれる。

 現れたのは清美に肩を支えられているヨウジだった。

 彼は叫ぶ。

 

「俺は犬飼社長の息子、ヨウジです!! 二十年前、15件の強姦殺人の犯人として仕立て上げられ無罪になった男です!! 被害者は俺も含めて、新薬の被験体でした!! この男は開発段階で人体実験を行っていたんです!!」

 

 記者団のフラッシュが一斉にヨウジに向けられる。

 犬飼大三の表情が歪んだ。全世界の生中継でコレは不味い。

 

 彼は取り乱しつつ、荒事専門の部下達に命令を飛ばす。

 

「な、何だね突然……皆様、この男は頭がおかしいんです!! 何をしているお前達!! 早くコイツをつまみ出せ!!」

 

 犬飼が命令するも、室外に待機している部下達は誰一人として来ない。

 山積みになった部下達の上に腰を下ろし、上機嫌にラッキーストライクを吸っている益荒男──大和。

 

 彼はギザ歯を見せながら嗤った。

 

「クックック、『犬飼社長を社会的に抹殺しろ』たぁ、洒落が効いてるねェ」

 

 大和の笑い声が木霊する。

 同時に犬飼バイオの全ての銀行口座がネットを通じてハッキング攻撃された。

 犬飼バイオの抱える全資金が違法に引き出される。

 元凄腕ハッカー、現人体改造バー『インセクツ』の刺青店長の仕業だった。

 

 その莫大な資金はすべて大和達の報酬に充てられる。

 

 スキャンダルを全世界に発信され、アタフタする犬飼大三。

 彼は共犯者、多村に携帯をかけた。

 

「多村!! 何をしている!? 何故ヨウジが生きている!!?」

『犬飼バイオの社長こと、犬飼大三だな。お前を殺人罪、強姦罪を始めとした数多の罪で逮捕する。令状はとっくに取ってあるから安心しろ』

「ッッッッ」

『余罪も多村が全て白状したよ。……お前達の悪行三昧もこれで終わりだ』

 

 老刑事、長谷部が多村の代わりに全てを答えた。

 犬飼大三はショックのあまり、立ち尽くしたまま口から泡を吹き気絶した。

 

 

 コレで、全てが終わったのである。

 

 

 ◆◆

 

 

 デスシティ 中央区の大衆酒場『ゲート』にて。

 店主のネメアは厨房前で煙草をくゆらせながら新聞に目を通していた。

 

 超大企業である製薬会社『犬飼バイオ』が倒産。

 社長の犬飼大三が二十年前に日本中を震撼させた凶悪犯罪に加担していた事が露見し、表世界はパニック状態になっていた。

 癌やエイズすら完治させるという触れ込みだった新薬は販売寸前で中止。

 

 共犯者である警視庁の刑事、多村信彦は新薬の被験体となった被害者達を全員殺害していた。

 更に当時16歳だった犬飼ヨウジを被験体兼スケープゴートとして利用。

 長谷部の妻子を襲ったのは被験体とは無関係の、完全なる私怨だった。

 

 一番の被害者は長谷部達家族だったのかもしれない。

 

 現在、多村と犬飼社長は総理大臣お抱えの組織「特務機関」にて取り調べを受けている。

 多少暴れた所で抗う術はない。

 

 犬飼ヨウジは強姦殺人には関与してなかったが、死体を食らった事は事実なので自首した。

 ジェシカこと清美は、いつまでも待っていると表世界へ旅立っていった。

 

 清美の肉体を食らった事でヨウジが味覚を取り戻し、食人衝動が消え去っていたと気づくのは、まだ先の話である。

 

 肝心の老刑事、長谷部勇夫は警察を定年退職して以来、姿を消してしまったという。

 未だに杳として行方知れずだった。

 

 ネメアは無言で新聞を畳む。

 表世界で起きた事は表世界で解決する。

 あちらには、あちらの法があるのだ。

 

 ネメアはソレを尊重していた。

 今の表世界に勇者など必要無い。

 強大な力が居座っても争いしか起きない。

 だからネメアは此処、魔界都市に在住しているのだ。

 

 亜人や妖怪、極道やサイボーグでごった返しの店内。

 ネメアは目の前のカウンターに座る褐色肌の美丈夫に話しかける。

 

「死織から聞いたぞ、友人と吹聴していた奴を見逃したんだってな」

「それがどうした?」

「珍しいと思ってな──お前、そういうの嫌いだろ」

 

 ネメアの言葉に美丈夫、大和は笑う。

 それは色気を伴った笑みだった。

 こういう笑みをするのは上機嫌の時である。

 

 大和はラムを嗜みながら言った。

 

「アイツには俺の友人を名乗る価値があった。テメェの復讐をテメェで成し遂げる。しかも刑事としての筋を通してな。ああいうの、大好きなんだよ」

「成程……」

 

 ネメアは笑う。

 大和は善悪関係無く、スジを通す者を好む。

 

 ネメアはふと、店内にヨレヨレのトレンチコートにハンチング帽を被った老人を見た気がした。

 新聞に再度目を通し、その老人が件の男だと知って再度目を凝らす。

 

 しかし、既に老人はいなくなっていた

 

 

 

《完》



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第十一章「疑天伝」
一話「疑似天使」


 

 

 デスシティの裏区には世界最高の科学者が隔離されている。

 華仙(かせん)──人類史を代表する天才である。

 彼女は元々医師であったが、仙術を含めた全ての医療技術を解明してしまったために現在「人類の英知の結晶」である科学に傾倒していた。

 それすら暇潰しである事を知っている者は、デスシティでも極僅か。

 

 成ろうと思えば何にでも成れる──故に天才。

 

 それをしようとしないのは、彼女が余人が求めるものを求めていないからだ。

 規格外の頭脳を誇るがため、彼女は真の意味で人智を逸脱していた。

 

 その気になれば宇宙やそれ以上、更にその上の空間を一瞬で消滅させられる超兵器を開発できる。

 しかも、片手間に。

 

 しかし彼女は遊び心を忘れない。

 今宵もまた、戯れに禁忌の品を完成させた。

 

 彼女でも、今回の品の製作には3日かかった。

 

 黒のストッキングに薄緑のシャツ。

 シャツのボタンは上から二個空けらており、豊満な乳房が窮屈だと自己主張していた。

 白衣に身を包んだ姿はまるで保険医の様。

 

 艶のある黒髪はゴムで結われ、肩に流されている。

 知的な美貌を讃える顔立ちはあらゆる異性を虜にしてやまない。

 泣きぼくろと色眼鏡が、その美貌に更に拍車をかけていた。

 

 彼女は目の前のカプセルから培養液ごと「品」を排出する。

 出てきたのは、スカイブルーの長髪を揺らす美少女だった。

 凹凸の少ない肢体、生気を一切宿していない水色の双眸。

 

 彼女は裸体のまま、華仙に対して片膝を付いた。

 

「試験体α。只今参上しました」

「フフッ……貴女はこれからアルファ、と名乗りなさい」

「Yes、マスター」

「違うわ、主は私じゃない。これから貴女はある男の元に付き、生きる事を学びなさい。喜怒哀楽を情報としてでは無く、感情として理解するの」

「Yes、命令を受諾しました。では、私の仕える主はいずこに?」

 

 キョロキョロと周囲を見渡すアルファに、華仙は微笑を向ける。

 その時、華仙の背後にある自動ドアから金髪の美少女が現れた。

 

 腰まで乱雑に伸ばされた金髪に真紅の双眸。

 白雪の如き柔肌が十代とは思えぬ豊満な肢体を更に魅力的にみせている。

 黒を基調にした今時のカジュアルな服装に身を包んだ彼女は、クールそうな外見に反してのほほんとした口調で告げた。

 

「華仙さーん、来ましたよー。で、その子が?」

「ええ、彼の元に連れて行って欲しいの。その後も暫く監視して欲しいわ」

 

 金髪の美少女──スレイは眉のへの字に曲げる。

 

「いいんですか? よりによって師匠──大和さんの元に送るなんて……絶対ロクな事になりませんよ?」

「いいのよ。私が知ってる中で彼が一番人間臭いもの」

「確かにそうですけどー」

 

 スレイの懸念も理解できるので、華仙は苦笑した。

 

「多少毒があった方が、この子のためにもなるわ。……疑似天使、人造である彼女には生来の天使とは違う「感情の種火」というギミックを仕込んでる。何かのキッカケで感情が芽生え、それが重なることで堕天使でも純粋天使でもない、新しい天使になっていくわ」

「……」

「従来の天使よりも力は劣るけど、それも感情の爆発によって進化する──他者を振り回す事が得意な大和が、一番適任よ」

「……まぁ、私は華仙さんの指示に従いますよ」

 

 スレイは腕を組み、のほほーんと微笑んでみせる。

 華仙はアルファに服を着るよう指示すると、艶やかに唇をなぞった。

 

「私でも振り回されちゃうんだもの……きっとこの子も、振り回してくれるわ」

 

 自分の思い通りに行かない唯一の益荒男に対し、華仙は想いを馳せるのであった。

 

 天使とは、「神」が創造した最古のプログラムである。

 

 超常の力を用いて製造された「高次元霊体」という名称のアンドロイド。

 世界の秩序を促進し、時に「天罰」という名の災害を齎す戦略兵器。

 

 華仙は神罰の代行者を独自に造り上げた。

 禁忌に手を出したのである。

 

 彼女(疑似天使)を巡る壮絶な争いが今、始まる。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区に居を構える大衆酒場は今日も大繁盛していた。

 殺伐とした都市内では到底味わえない「安らぎ」がこの酒場では無償で提供される。

 それは店主である金髪の偉丈夫、ネメアが何者にも屈さない万夫不当の傭兵王だからだ。

 

 あの大和と互角と謳われる存在は魔界都市でもネメアしかいない。

 大和がデスシティの誇るジョーカーなら、ネメアと此処はデスシティの誇るガーディアンだった。

 

 店内の様相は賑やかの一言に尽きる。

 普段は殺し殺されが当たり前の住民達も、此処では一切の暴力が封印される。

 狼藉をしようものなら、ネメアの鉄拳を食らう羽目になるからだ。

 

 しかし、それ以前に住民達はこの大衆酒場を愛していた。

 性別も種族も所属も超えて、酒を飲みながら語り合う事ができる──

 表世界に似た安らぎを唯一得られる場所は、摩耗した住民達の心を癒してくれた。

 

 ネメアという男の懐の深さがそのまま具現化した場所──

 大衆酒場ゲートは魔界都市の住民達にとって、なくてはならない場所だった。

 

 テーブル席では歴戦の傭兵集団がビールジョッキで盛大に乾杯し、今宵の宴を開催する。

 小妖精達がその陽気なムードに釣られて混ざりたいとお願いし、大男達と一緒に踊り合う。

 美女エルフ、ダークエルフの集団も混ざり、男達を抱き寄せ口説きながら小妖精達と舞を踏む。

 

 店内は忽ちお祭り騒ぎになった。

 酒の入った客人達が楽しそうに踊り始める。

 魔法使い達が異空間から楽器を出して、詩人達が粋な楽曲を奏でる。

 妖怪も悪魔も獣人も蟲人も宇宙人も、酒気に身を任せて踊り合う。

 互いに笑いながら称賛し、時に馬鹿にしながら場を盛り上げる。

 

 サイボーグが美しい地縛霊に静かに愛を囁いたり。

 オークの好青年が美女達に引っ張りだこに合いながらも、必死に踊っていたり。

 子供幽霊達が上空を笑顔で飛び回っていたり──と。

 

 酒場は一心同体の大宴で最高潮に盛り上がっていた。

 苦難も後悔も忘れて、今は楽しもう──

 此処に来た客人達の想いは同じだった。

 

 こんな光景は此処でしか見られない。

 魔界都市は魔界都市でも、此処だけは別世界だった。

 

 そんな大盛り上がりの中に隠れ、最強最悪の種族が静かに混ざっていた。

 邪神である。

 名状したがい者達。最強種である「神仏」を超える宇宙的恐怖そのもの。

 本来であれば中位の一柱でも現れれば店内に誰もいなくなるのだが──『彼女』は上手く混ざっていた。

 

 今、『彼女』はカウンター席に座る意中の益荒男に猛アタックしている。

 

「ねぇ大和ぉ……昨夜だけなんて酷いよォ……僕、もっと君と交わりたい。君に優しく抱かれたいよぉ」

 

 二メートルを超える益荒男の膝に座り、その胸板に熱い吐息を吹きかける絶世の美女。

 漆黒のライダースーツを盛り上げる我儘ボディを遠慮なくすり寄せている。

 チャック全開で殆ど見えている豊満な乳房に彼の手を寄せて、足で下腹部を擦る。

 可憐な童顔をトロトロにし、潤んだ真紅の双眸で愛しき男を見上げていた。

 微かに赤みを帯びた褐色肌に滴る汗の香りは、男を駄目にする魔の香りである。

 

『這い寄る渾沌』こと、ニャルラトホテプ。

 

 邪神の中でも別格の力を誇る『外なる神』の一柱。

 最も著名で、最も慕われている邪神。

 クトゥルフ神話群が誇る最強最悪のトリックスターは、かの美丈夫に夢中になっていた。

 

 美丈夫──大和はやれやれと肩を竦めると、混沌乙女の額にキスをする。

 

「まだ満足できねぇのか? 我儘な奴だ……」

「うんっ♪ もっと、もっともっと、可愛がって欲しい……っ」

「仕方ねぇなァ」

 

 そのダークシルバーの長髪を撫で、微笑んでみせる大和。

 ニャルは本当に嬉しそうに、その逞しい胸板に抱きついた。

 

「今夜の大和、凄く優しいっ♪ 僕、本当に嬉しいよ♪」

「気紛れだ、今夜のテメェは格別に可愛く見える」

「大和ぉ……っ♡」

 

 潤んだ桃色の唇が、大和の唇と重なった。

 ニャルは多幸感に満たされ表情をふやけさせると、彼に寄り添い脱力する。

 

 這い寄る渾沌をここまで夢中にさせるこの男こそ、魔界都市の誇るジョーカー。

 世界最強の殺し屋であり、世界最高峰の武術家──暗黒のメシアこと、大和である。

 

 そんな彼に、のほほんとした声がかけられた。

 

「ありゃりゃ、お取り込み中だったかな? 取り敢えず、お久しぶりです師匠……って、げぇ、ニャルさん……ッ」

 

 ニャルを見て露骨に表情を顰める金髪美少女──スレイ。

 彼女の隣に佇んでいる水色髪の美少女を一瞥し、大和は灰色の三白眼を丸めた。

 

「こりゃ驚いた……華仙の奴、また妙なのを造りやがったな」

 

 大和は一目で彼女──アルファを「疑似天使」だと見抜いた。

 一方、ニャルは大量の苦虫を噛み潰した様な顔をする。

 

「君は……あの糞野郎(クトゥグア)の娘か。……チッ」

 

 険悪な表情で舌打ちするニャルに、スレイは冷や汗をかきながら苦笑した。

 

「ち、父が大変失礼を……あ、あははーっ」

 

 紅玉の如き瞳を困惑で染めるスレイ。

 そう、彼女は大和の弟子であると同時にニャルの不倶戴天の仇敵、火を司る旧支配者(グレートオールドワン)──クトゥグアの落とし子だっだ。

 

 

 ◆◆

 

 

「よォスレイ、元気にしてたか?」

「はい、ちゃんと修行もしてます♪」

「よし、偉いぞ」

「えへへ~♪」

 

 大和に金髪を撫でられ、スレイは嬉しそうにはにかむ。

 大和も珍しく温和に微笑んでいた。

 

 大和は自身で打ち立てた功績が凄まじいので、もう一つの功績があまり目立たないでいる。

 それは歴史に名を残す英雄偉人の師を務めた事だ。

 彼は指導者としても極めて優秀なのである。

 

 大和は一見常識知らずに見えるが、常識を知らないのではなく無視しているだけだ。

 その生まれは東洋を代表する大王朝の皇族、つまり本物の皇子である。

 

 武芸以外にも兵法、魔術、医学を中心とした世界中の歴史、知識、術理。

 礼儀作法を含む常識、良識。茶道や和歌、舞踊や楽器などの嗜み。

 

 彼は武人でありながら皇子であり、戦略家であり文化人だった。

 

 本人は隠しているが、その身から滲み出る風格に気付く者は多い。

 時代を代表する英雄偉人達が、こぞって頭を下げに来るのだ。

 

 大和は気に入った者達に武芸や知識を授けたが、それだけだった。

 誇りもしないし吹聴もしない。

 故に、大和のもう一つの偉業は隠されたまま。

 世界史の裏に必ず潜む偉大なる賢者は、魔界都市を代表する怪物だった。

 

 この矛盾を知る者は、世界でも極僅かしかいない。

 

 弟子の中には善性を司る英雄も多くいた。

 彼を師と仰ぎつつも、その凶行を止めようとした者がいた。

 

 その全てを殺戮してきたからこそ、彼はやはり賢者ではなく怪物なのだ。

 英雄偉人達は怪物から文武を学び、歴史に名を刻んでいく。

 怪物を尊び、しかし嫌悪し、己もああならない様にと心に刻み、戒める。

 

 大和の在り方もまた、弟子達に多大な影響を与えていた。

 その邪悪な生き様は、反面教師として理想像だったのである。

 

 現在、大和の弟子は十数名ほどいる。

 魔界都市と表世界に半々ほどだ。

 スレイもその一人。

 

 彼女はその身に秘める邪神の力を御するために大和の弟子になった。

 大和は彼女の素直な生き方を気に入り、力を御するための武術と強かに生きるための知識を授けた。

 

 大和はスレイを可愛がっている。

 スレイに限らず、弟子達には沢山の愛情を注ぐのが彼の理念である。

 己に敵意や殺意を向けてこない限り、気に入った相手はとことん可愛がる。

 

「ふぅん……大和の弟子ねぇ……ふーん」

 

 真紅の双眸を細め、唇を尖らせる褐色肌の美女──ニャル。

 その双眸の奥に燻る規格外の憎悪と敵愾心に気付いたスレイは、怯えながら後退った。

 

「あ、あははーっ……ネメアさ~ん! 助けて~!」

 

 涙目で厨房に駆けていくスレイ。

 煙草を咥えながら新聞を読んでいたネメアは、やれやれと彼女を匿った。

 大和はニャルの額を指で小突く。

 

「俺の弟子を脅すんじゃねぇよ」

「むぅぅ……まぁ、確かに彼女はあの『クサレ燃え滓野郎』の血を引いているけど、『最低最悪のゴミ野郎』である父親が悪いのであって、彼女は悪くないもんね。そう……うん……ウン、関係ナイヨネ、ウン、納得シテアゲルヨ』

「オラ、本性出てるぞ。今夜はお預けか?」

「あーん! 冗談だよ大和! 冗談♪」

 

 漏れ出していた邪気と狂気が一気に霧散する。

 自分の胸に擦り寄る渾沌乙女に、大和はやれやれと肩を竦めた。

 

 彼はネメアの背後に隠れているスレイに問う。

 

「で、この人造天使? のお嬢ちゃんを連れて何の用だ? スレイ」

「……そっちに行っても大丈夫ですか?」

「俺とネメアがいる。安心しろ」

「では……」

 

 スレイは恐る恐る大和の元まで歩み寄ると、水色の長髪を揺らす美少女を紹介する。

 

「この子はアルファちゃん。師匠に預かって貰いたいんです」

「ハァ?」

「アルファちゃん。自己紹介、できる?」

「Yes」

 

 アルファは一歩前に出る。

 髪と同じ色の無機質な瞳で、大和を見上げた。

 

 容姿的には二十歳にも満たない。

 両手を長大な裾で隠している。が、下半身はスクール水着の様で丸見えだ。

 その服装といい、雰囲気といい、大和はある純粋天使を思い出した。

 

(華仙の奴め……偶然か?)

 

 苦笑する大和に、アルファは機械的な声音で言う。

 

「はじめまして、マスター。アルファと申します。……早速ですが、私に喜怒哀楽というものを教えて頂けませんか?」

「それはつまり──俺とセッ〇スしたいって事か?」

「セッ〇ス?」

 

 小首を傾げる大和に、同じく小首を傾げるアルファ。

 

「待った待った!!」

 

 スレイは慌てて両者の間に割って入る。

 大和とアルファの会話がまるで噛み合っていなかったのだ。

 

 前途多難である。



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二話「皆でデート」

 

「師匠! ふざけないでくださいよー!」

「ふざけてねェよ。喜怒哀楽を学びてぇんだろ? だったらセッ〇スが一番手っ取り早いじゃねぇか」

「……むーっ! 駄目です! アルファちゃんの意思を尊重しないと! 師匠の悪い癖です! 駄目です!」

「面倒くせェな……」

 

 スレイが頬を膨らますので、大和はやれやれと肩を竦める。

 彼は疑似天使こと、アルファに問うた。

 

「しかし、俺がマスターだと? それもお前を造った奴……華仙の命令か?」

「Yes。しかし何故、私が華仙様に製造されたとわかったのですか?」

「スレイは華仙に世話になってる。そもそも、テメェみたいな存在を造れる奴は華仙しかいねぇ」

「成程、理解しました」

「…………」

 

 大和はアルファを見下ろす。

 その灰色の三白眼に、過去の情景を思い浮かべていた。

 

「?」

 

 アルファが小首を傾げる。

 大和はおもむろに手招きした。

 

「こっち来い」

「Yes」

 

 とてとてと近寄ってくるアルファ。

 大和はその水色の長髪をクシャクシャと撫でる。

 そして囁いた。

 

「偶然か、それとも何かの因果なのか……似てるなァ、お前」

「…………温かい、です。マスター、この感情は何ですか?」

「わからねぇ……」

 

 髪を撫でらていれると、無性に気持ち良い。

 アルファは小猫の様に瞳を細めていた。

 

 その時──

 

「………………」

 

 ニャルが無表情になっていた。

 大和の膝上で微動だにしない。

 大和は思わず「ゲェ」と声を漏らした。

 

 素早くアルファから手を離し、スレイに預ける。

 

「スレイ、今夜は駄目だ。何かあればメールを送るからよ……まずはコイツを落ち着ける」

「は、は~い! 行こアルファちゃん!」

「……Yes」

 

 アルファは名残惜しそうにしながらも、スレイに連れていかれる。

 大和はニャルに向き直った。

 が、ニャルはそれより早く大和の首に両腕を回し、首筋を舐め上げる。

 

「僕の前で他の女に夢中になるなんて……許さない、許さないよ大和……今夜は絶対に逃がさないから」

「……ハァ」

 

 首筋を甘噛みされ、大和は沈鬱な溜息を吐くのであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 深夜、ラブホテルにて。

 ニャルは大和に跨り、鬱憤を発散していた。

 彼女は嫉妬深い性格である。

 大和の節操の無い性格を理解しているも、目の前で見せられると激情を発する。

 

 大和の首筋に、胸に、これでもかとキスマークを付けて、彼が自分のものだと証を刻み付ける。

 何度も執拗に唇に吸い付き、舌を絡め、甘い唾液を嚥下させる。

 

 しかし、ニャルの攻めはソレでお終い。

 拗らせたニャルを押えつけ、大和は強引に犯し始める。

 ニャルは甲高い悲鳴──いいや、嬌声を上げた。

 何度も何度も絶頂を刻まれ、奥に注がれ、彼女は忘我の彼方を彷徨った。

 

 怪物の底無しの性欲の捌け口にされ、ニャルは歓喜の悲鳴を上げていた。

 掠れるほど喘ぎ声を上げ、総身を震わせる。

 

 そうして長い時間蹂躙されて──彼女は満足した。

 

 数時間後、特大ベッドの上で。

 大和はラッキーストライクを美味そうに吸っていた。

 その逞しい腕に、ニャルはトロトロの表情で抱きついている。

 彼女は本当に幸せそうに呟いた。

 

「やっぱり君が一番だよ、大和……♡♡」

「そうかい」

 

 大和は嗤い、天井に紫煙を吐き出す。

 ニャルは彼の胸板に指を這わせながら問うた。

 

「今だから聞くけど……あの人造天使に誰を見たの?」

「…………アイツに似た奴がいたんだよ。天然で、甘えん坊で、それでも正義感の強い天使が」

「……」

 

 ニャルはそれ以上問わなかった。

 大和の横顔に珍しく憂いの情を垣間見たのだ。

 詮索すべきではない──そう察した。

 

「……それでも君は、変わらないんだね」

「?」

「ううん、何でもない。大好きだよ、大和♪」

 

 満面の笑みで抱きつかれ、大和は首を傾げた。

 ニャルは頬を舐めるなどして一通り甘えると、彼に提案する。

 

「そうだ大和! 明日、皆でデートしよう! アルファちゃんとスレイちゃんも含めてさ!」

「別にいいが、どうしたいきなり」

「アルファちゃんは喜怒哀楽を学びたいんでしょ? だったら遊ぶのが一番さ!」

「遊ぶって、デスシティでか?」

「ううん! 表世界で! 皆私服でデート! 勿論大和も!」

「……いいぜ。じゃあスレイにメール入れておく」

「よろしく♪」

 

 早速スレイにメールを送る大和。

 ニャルは内心、小躍りするほど喜んでいた。

 

(やったー♪ 大和の私服が見れる♪ 明日は楽しみだな~♪)

 

 アルファの件など単なる建前である。

 ニャルは明日、大和と存分にデートを楽しむつもりでいた。

 

 

 ◆◆

 

 

 日本の首都、東京の某区にて。

 待ち合わせ場所に適している綺麗な噴水場の前では、三者三様の美少女達が待機していた。

 金髪灼眼の、刃物の様な鋭い雰囲気を醸す美少女。

 水色の長髪を揺らす不思議系美少女。

 そして褐色肌と銀髪が目立つ、童顔で勘違いされそうな美女。

 

 三名とも、己の雰囲気と容姿に合った今時の服装をしている。

 行き交う喧騒達は三名の容姿と、それ以上に何処か普通じゃない雰囲気に目を引かれていた。

 

 たまたま通りかかった粋の良い若者達が三名に狙いを付け、ナンパしようと息を巻く。

 

「俺は褐色肌の子な」

「俺は金髪の女の子かなー、気が強そうだし」

「じゃ、俺は水色の女の子で」

 

 下卑な笑みを浮かべながら、三名にアタックを仕掛けようとする若者達。

 その背後に巨大な影が差した。

 

「邪魔だ、餓鬼共」

「ああ?」

「何だオッサン、やんの……か……」

 

 若者達の目の前に、腹があった。

 徐々に視線を上げて胸、首──漸く顔に行き付く。

 その身長差はまるで大人と子供。

 決して小さくない彼等を見下ろし、褐色肌の美丈夫はギザ歯を剥いた。

 

「聞こえなかったか? 邪魔だ。退け」

 

 若者達は飛び退いた。

 勝てない。抗ったら殺される。

 本能で理解した。

 自分達より圧倒的に強い雄に「反抗」の二文字は浮かばない。

 ただただ従順になるのみ。

 

 小麦色の鍛え抜かれた体躯は二メートルを優に超え、しかし限界まで絞られている。

 無駄な筋肉を削ぎ落とし、機能性のみを追求した肉体は一種の芸術品であった。

 艶やかな黒髪。灰色の三白眼。鋭いギザ歯。

 端正な顔立ちは異国の女神すら虜にしてしまう、男性の理想像の一つ。

 

 纏う色香は、最早反則の域に達していた。

 幼子から老人まで、あらゆる年代の女性達が釘付けになる。

 皆目を潤ませ、高鳴る胸を押え、熱い溜息を吐いていた。

 

 魔性の色香──超犯罪都市に集うあらゆる雌を虜にする男のフェロモンに抗える存在は、生憎この場にいない。

 

「師匠……じゃなかった、大和さ~ん!」

「マスター……じゃありません。大和……さん。こっちです」

「おう」

 

 大和は手を挙げ、三名の元に歩み寄る。

 

「はわわ~っ」

 

 ニャルは嬉しそうに頬を染めていた。

 大和の私服姿に感動しているのだ。

 

 ニャルは無言でスマホを取り出し、シャッターをきりまくる。

 大和はその頭をチョップで叩いた。

 

「いたっ」

「やめろ」

「でも最高にカッコイイよ~っ♪」

「こんなんで一々騒ぐな」

 

 そう言いながら大和は三名を見渡し、満足げに頷く。

 

「皆可愛いじゃねぇか。やっぱデートは可愛い女の子が主役だな」

「そう!? ねぇ僕可愛い!? やっぱり可愛いよね~ニャルさんだもん!! 可愛いよね~!!」

 

 バッチリドヤ顔を決めるニャルは一周回ってウザ可愛い。

 大和はニャルの頭をくしゃりと撫でると、温和に微笑んでみせた。

 

「お前等、今日は俺の奢りだから遠慮なく楽しめよ。アルファ……お前も一杯遊んで、色々学べ」

「Yes。一杯遊びます」

 

 アルファは真面目な面持ちで両拳を握る。

 まだまだ固さは取れない。が、今はこれでいいと大和は口元を和らげた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一日を通してゲームセンターや水族館などを巡り、楽しむだけ楽しんだ一同。

 特にニャルとスレイは大騒ぎ。かなり満喫していた。

 アルファも隣で何度か微笑えむなど、喜怒哀楽のキッカケを掴めそうな様子だった。

 

 一通り遊び終わったので、カラオケボックスで歌いながら休んでいる四名。

 アルファは大和に膝枕をして貰い、スヤスヤと眠っていた。

 大和は優しい表情で彼女の髪を撫でている。

 

 ニャルはノリノリでアニソンを歌い終わった後、大和に意味深な笑みを向けた。

 

「君は本当に極端だよね~、甘い相手にはとことん甘い」

「それが俺だ」

「僕の事も、それくらい甘やかしてくれたら嬉しいな~っ♪」

「ほざけ、コイツは特別だ。……何も知らねぇ餓鬼と変わらねぇ」

 

 怪物の慈しみに打算は無い。

 好き嫌いこそ激しいが、好きな相手には無償の愛を注ぐ。

 無垢な子供であれば尚更だ。

 

 この極端な性質も、ニャルは魅力的だと思っていた。

 

「師匠~♪」

 

 スレイが大和に擦り寄る。

 彼女の頭も撫でてやる大和。スレイは嬉しそうにはにかんだ。

 

 ニャルは穏やかな笑みを浮かべる。

 デスシティでは滅多に見られない光景だ。

 普段の大和からは想像もできない。

 

 大和はふと、アルファをゆっくりと退かせると、ジャケットを被せて立ち上がった。

 

「煙草吸ってくる」

「は~い♪」

「行ってらっしゃ~い」

 

 部屋を出て行った大和。

 スレイは「あっ」と表情を固めた。

 ニャルと二人きりは気まずい。色々な意味で。

 

 しかし、ニャルは肩を竦めた。

 

「そう緊張しなくてもいいよ。君の父親とは確かに因縁があるけど、君には関係無いからね」

「あ、ありがとうございます……」

「それに、君は既に異性として慕っている男性がいるんだろう?」

「!!!?」

「ネメアは確かに、大和とはまた違ったイイ男だけど……」

「ニャルさんダメぇ!! それ以上は!!」

 

 スレイは慌ててニャルの口を押える。

 その顔はリンゴの様に真っ赤だった。

 

 ニャルは彼女を抱き寄せ、その金髪をなでなでする。

 

「僕は応援するよ、君は純粋でイイ子だ。大和が可愛がるのもわかる」

「~~っっ」

「きっちりサポートしてあげる。だから、僕の事もサポートしておくれよ。僕、大和の事がだ~い好きなんだ♪」

「……ううっ、ズルいですよニャルさん」

「ナイアでいいよ。君にはそう呼んで欲しい」

「……では、ナイアさんで」

「うんうん♪ よしよし♪」

 

 頭をなでなでされ、スレイは更に顔を真っ赤にする。

 目付きが鋭いせいで勘違いされがちだが、彼女は素直で純真な乙女なのだ。

 

 スレイは上目遣いでナイアに聞く。

 

「ナイアさんは……その、師匠の何処に惚れたんですか?」

「あ! それ聞いちゃう? え~! 多過ぎてわからないな~! 容姿も性格も強さも全部大好きだも~ん♪ ん~! 惚気になっちゃう! それでもいいなら聞かせてあげるとも! いいや聞いて欲しい! まずは僕が大和に惚れたところから!」

 

 ニャルはデレデレしながら語り始める。

 スレイが苦笑している横で、何時の間にか起きていたアルファが瞳を輝かせていた。

 

「是非聞かせていただきたいです」

「アルファちゃん!? いつの間に!?」

「お~アルファちゃん! いいともさ! まずは大和との出会いから話していこう!」

「よろしくお願いします」

 

 大和のジャケットにくるまるアルファ。

 スレイは目を丸める。

 ここ数時間で、アルファの感情が目に見えて大きくなっていた。

 

(……凄い、この調子なら!)

 

 

 大和の過去話、その一端がナイアの口から語られる。

 

 

 ◆◆

 

 

 クトゥルフ系統の邪神達が次元そのものである副首領「ヨグ・ソトース」を潜り、地球に住まう全ての生命体を滅ぼそうとした四大終末論。

 最後にして最悪の大戦争『デモンベイン』。

 世界各地の神魔霊獣が迎え撃つも、戦況は劣悪を極めた。

 敗戦の色は濃厚。

 

 地球の意思であり抑止力でもある大地母神ガイアは、最後の最後にあの二人を頼った。

 ネメアと大和である。

 

「当時の大和とネメアはまだ十八歳だった。それ以前の終末論を踏破している二人は、二十歳に満たない間に最低でも世界を四回救っているんだ。……過去現在未来に於いて、二人以上に優れた英雄は生まれないだろう。断言するよ」

「ッ」

 

 スレイは身震いした。

 己が今十六歳である。丁度これ位の時期にナイアを含めた邪神達と対峙したのだ。

 二名の規格外さがよくわかる。

 

「ネメアが地球を死守し、大和が副首領を潜って我等が大いなる父──邪神王アザホートを討とうとした。僕達はソレを迎撃した。一度はボロ雑巾にしてやったよ。あの頃の大和はまだまだ若かったからね。それでも、大和は諦めなかった」

 

 ナイアは過去の情景を思い浮かべ、その真紅の双眸を潤める。

 

「僕は言ったんだ。『僕の奴隷になれば生かしてあげる。だから隷属するんだ』と。でも断られた。『財宝も女も名誉も、欲しいものは全て与えてあげる』と言っても返事は一緒だった。そもそも、僕は不思議でしょうがなかったんだ。大和は成ろうと思えば最強無敵の英雄になれた。武術だけじゃなく魔導も極めて、完璧な存在に成れたんだ。なのに彼は拒否した。自力で人類を逸脱できるチャンスを敢えて捨てたんだ。その理由をどうしても聞きたかった。そしたらね──」

 

 ナイアはグッと拳を握る。

 

「『俺は、俺の力だけで生きる。この足で踏ん張って、この手で欲しいもんを掴んでみせる。フワフワしたご都合主義なんざ必要ねぇ』って。それを聞いた当時の馬鹿な僕はね、皮肉のつもりでこう返したんだ。『それで死んだら元も子も無いね♪』って──そしたら大和も、笑ったんだ」

 

 

 ────なら、俺がそこまでの男だったって事だ。潔く死んでやる。テメェの信念を貫き通せねぇで、何が生きるだ…………ざけんじゃねぇぞ!!!! 生きるってのは信念を貫き通す事だろうが!!!! 

 

「いや~、もうっ! 惚れたね。完っ璧惚れた。あの時、僕の心は大和に奪われちゃったんだ……ッ」

 

 ニャルは顔を真っ赤にする。

 

「僕がずっと探し求めていたものを、大和は持っていた……! 邪悪でも低俗でも、彼は唯一無二の個我を持っていたんだ。──その場その場で顔を作って遊んでた僕には無かったもの……大和は、当時の僕を女に変えた」

 

 ニャルは、息を呑むスレイとアルファにウィンクする。

 

「だから僕は大和の味方に付いたんだ。そして、邪神群の首領、邪神王ことアザホート様を「とある地」に封印した。ソレが、現在の超犯罪都市デスシティなんだよ。この事実を知る者は、意外にも少ないけどね♪」

 

 デスシティ誕生の秘密は、安易に話していいものではない。

 ニャルがソレを軽々しく彼女達に話せたのは、二名共既に知っているからだ。

 

 スレイは炎を司る旧支配者クトゥグアの息女。

 アルファは全知の一端をプログラムとして組み込まれた人造天使。

 

 別に話しても問題無い。

 

「凄い過去を知っちゃいました……師匠って、やっぱり凄い英雄だったんですね」

「…………」

 

 スレイが感心している隣で、アルファは真面目な表情で悩んでいた。

 ニャルは彼女に微笑みかける。

 

「……アルファちゃん」

「はい」

「大和が戻って来たら、二人で話してきなさい。君の内に燻る悩みは、直接大和にぶつけるべきだ」

「……わかりました」

 

 素直に頷くアルファに、ニャルは満足そうに頷く。

 彼女はスレイと肩を組むと、悪戯心に満ちた笑みを浮かべた。

 

「じゃあ次はスレイちゃん。どうしてネメアに惚れたの?」

「え!? えええっ!?」

「僕が話したんだ。君も話すべきだろう?」

「そ、そんな~! 恥ずかしいですよぉぉっ!」

「だ~め♪」

「うううううっ……!」

 

 スレイは顔を真っ赤っかにしながらも、ぽそぽそと話し始める。

 ニャルは年頃の乙女の如くワクワクしながら聞いていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方、魔界都市のとある廃屋にて。

 邪悪な法衣を纏った司祭が歪な笑みを浮かべていた。

 眼鏡をかけた三十代ほどの美男である。

 

 彼は眼前に集ったメンバーに感嘆の声を漏らす。

 

「素晴らしいメンバーですね。これならば天使様の再来──人造天使を獲得できるでしょう」

 

 司祭の言葉に、真紅のスーツを着た美壮年が苦笑した。

 片眼鏡と綺麗な白髪、温和な笑みと対照的な真紅のスーツが目を引く。

 

 彼は若干──いいや、明らかに司祭を馬鹿にする様な言葉を呟いた。

 

「目的のためなら仇敵である我等の力も利用しますか……」

「大事なのは結果であって、過程ではありません」

「フフフ、私共は構いませんよ。対価は頂いていますし。……しかし、その欲望に忠実な様──実に滑稽だ」

「……訂正してください。私は欲望に忠実なのではなく、信心深いのです。お忘れなきよう──メフィストフェレス」

「おお、これは失敬」

 

 真紅スーツの美壮年──メフィストフェレスはクツクツと喉を鳴らす。

 通称メフィスト。近代創作で有名な大悪魔であり、かの悪魔王サタンの左腕。

 爵位持ちの最上級悪魔である。

 

 悪魔は日本の鬼と同様、古来より人類を脅かしてきた魔族の原点であり最上位種だ。

 デスシティで暮らしているのは基本的に下級から中級。

 爵位持ちの上級以降は「魔界」と呼ばれる次元の底にある別世界を拠点にし、人類滅亡の機会を虎視眈々と伺っている。

 

 最上級悪魔、魔王クラスともなれば神仏と同等以上の力を誇る、まさしく魔族の看板。

 嘗て唯一神率いる天使軍団と最初の終末論「ハルマゲドン」を勃発させたのは有名な話である。

 

 メフィストの背後で、二メートルを超える筋肉質の変態紳士が自慢の髭を擦っていた。

 厚化粧にド派手なレースシャツ、ピチピチの紳士服に身を包んだ、如何にも怪しい男である。

 

「メフィスト殿の頼みという事で馳せ参じましたが──少々、お戯れが過ぎるのではないですかな?」

「なぁに、貴殿が暇そうにしているのが目に入ったのだよ。不服かね?」

「いえいえ、数万年振りの人間界です。退屈などしませんとも。私が言いたいのは──」

「私の行動は悪魔王の意思と知りなさい」

「……御意に」

 

 変態紳士は冷や汗をかきながら頭を下げる。

 悪魔王の存在はそれ程までに絶大なのだ。

 

「……それでは私の雄姿、親愛なるサタン様に捧げましょう! 爵位持ちの上級悪魔の恐ろしさ、下界の者達に知らしめてみせますよ~!!」

 

 打って変わって闘志を迸らせる変態紳士、バスコ。

 歴史上にその名を記載されていないものの、れっきとした魔神──強力無比な悪魔である。

 デスシティの住民でもA級では太刀打ちできない猛者だ。

 

 彼の濃密な魔力を感じ取り、妖艶な美女がクスクスと笑う。

 亜麻色の長髪、女神もたじろぐ絶域の美貌、熟れた肢体は男共の本能を刺激して止まない。

 サラサラと前髪が靡けば、泣きぼくろと翡翠色の双眸が現れた。

 紫のドレスをゆったりと着こなす彼女は、大悪魔バスコに妖艶に微笑みかける。

 

「流石は上級悪魔殿……凄まじい魔力ね。コレで史実に名を残していないのだから、悪魔の世界というのは実に恐ろしいわ」

「ほゥ……関心しているのか小馬鹿にしているのか、どちらもですかな? ミス。……魔導師たる貴女の皮肉であれば、甘んじて受け止めましょう」

「あら、本当に紳士なのね。ごめんなさい、からかっちゃって」

 

 ぺろりと舌を出す彼女は魔導師、ルチアーノ。

 彼女は欧州最大の魔術結社「黄金祭壇」の№4だ。

 イタリア支部の支部長であり、闇魔法と禁呪のスペシャリスト。

 歴戦の魔導師である。

 

 邪悪なる司祭は満足げに笑みを浮かべた。

 

「かの魔導師殿に力添えをして頂けるとは、私も嬉しい限りです。最も──黄金祭壇が何を企んでいるかは、敢えて問いませんが」

「良い判断よ、天使教の幹部殿。しかし安心なさい。貴方達の邪魔はしないわ」

 

 潤った唇を撫で笑う魔女ルチアーノ。

 

 世界に魔術士は数多くいれど、魔法使いは希少であり、魔導師ともなれば数えるほどしかいない。

 その実力も、まさしく別次元だ。

 

 魔術士は森羅万象に干渉し、力を行使する。

 魔法使いは森羅万象を支配し、意のまま操る。

 魔導師は森羅万象を創造し、己の想う世界を顕現させる。

 

 魔法使いの時点で全知全能──頂上種である神仏に比肩しうる。

 魔導師ともなれば最上位の神仏に匹敵──いいや、それ以上の存在だ。

 

 最古にして最強、災厄の魔女ことエリザベスを筆頭に、魔導師は世界を代表する強者達である。

 デスシティでも、彼女たちに勝てる存在は数えるほどしかいない。

 

 そんな存在が何故、天使教の幹部に味方しているのか──真相は謎のまま。

 

 そしてもう一人──チャイナドレスを着た美女。

 

 結い上げられた黒髪に薄く化粧の施された端正な顔立ち。

 豊かな胸がスラリとした長身によって更に際立つ。

 見目麗しい美女であるが、その太腿はむっちりしておらず、スレンダーで程よい筋肉が付いていた。

 両腕もそうだ。そして、股の部分が若干膨らんでいる。

 

 彼女は──彼である。

 女装をした、美女と見紛うほどの美青年なのだ。

 

 傍らには見事な拵えの中国槍、六合大槍が携えられていた。

 

 彼は薄く笑みながら告げる。

 

「俺は報酬さえ貰えればそれでいいぜ」

「わかっていますよ。貴方の実力──大いに期待しています。三本槍の一角──紅花(ホンファ)殿」

 

 三本槍──世界最強の槍術家、三名に与えられる称号である。

 彼は大和を追い詰めた剣客、吹雪にも匹敵しうる本物の達人だった。

 

 最上級悪魔に上級悪魔。

 魔導師に三本槍。

 

 成程、凄まじい顔ぶれである。

 天使教の幹部が自信に満ちているのも頷けた。

 

 彼は狂気の笑みで両手を広げる。

 

「さぁ、時は満ちました──始めましょう。計画を!!」

 

 それぞれの思惑を胸に、悪意が動き始める。

 大和達は未だ、デートの最中であった。



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三話「闇の英雄である故に」

 

 大和は、子供を含めた純粋な者達に弱い。

 彼自身、純粋であるからだ。

 悪い意味では子供っぽいと言えるだろう。

 

 しかし、彼は悪漢である。

 依頼であればどんな存在でも殺し、目障りな存在ならば苛めながら殺す。

 数多くの美女美少女と関係を持ちながら一切の責任を持たない。その場限りの関係を貫く。

 酒を好み、煙草を好み、女を好み、何より金と暴力を好む。

 

 人間の屑野郎である。

 

 だがしかし、彼は紛れも無い英雄だった。

 世の理不尽や集団意識を頑なに否定する彼は自由の象徴であり、虐げられる者達の味方だった。

 

 誰よりも自由に、快活に。

 しかし、何かを成すには必ず自分の力で。

 

 数やご都合主義に頼る者達を決して認めず、正面から叩き潰す。

 彼にその気が無くとも、救われた存在は数多くいる。

 

 故に彼は英雄なのだ。

 彼がその事実を認めなくても、今まで救われてきた者達が讃える。

 

 暗黒のメシアと──

 

 英雄とは、己で名乗るものでは無い。

 周囲が勝手に讃えるものだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和が帰ってくると、アルファは「静かな場所で話がしたいです」と懇願した。

 ニャルとスレイにも勧められ、大和は九階建ての屋上へと足を運んだ。

 

 丁度、日が暮れ始めていた。

 掠れ雲を纏って紅蓮の太陽が沈んでいく。

 魔界都市では拝めない西日は、アルファにとって幻想的で深く心に染み付いた。

 淡い陽の光を浴びながら、アルファは夕日を背に煙草を吸う大和を見上げる。

 

 鉄格子に背を預け、冷たい北風に紫煙を巻かせる彼は非常に静かだった。

 アルファの視線に気付くと、優しく微笑みかけてくる。

 

 それが不思議で、しかし何よりも苦痛で──

 アルファは思わず声に出してしまった。

 

「マスター……!」

「?」

「いえ、すいません。訂正します」

「何をだ?」

「~っ」

 

 アルファは頬をほんのりと朱に染める。

 今日一日で、彼女はかなり人間臭くなった。

 こんな反応を見れるまで成長するとは──と、大和は苦笑する。

 

 アルファは唇を尖らせながらも、彼に言った。

 

「私は全知の一端をプログラムとして埋め込まれています。当然、マスターの経歴や人柄なども知識として保有していました」

「ふぅん」

「正直、不快でした。情報を見れば貴方は下品で、低俗で、悪辣で、とてもではありませんが、私のマスターに相応しくない──そう思っていました」

「第一印象は最悪だったってワケか」

「Yes。しかし創造主──華仙様の命令にNoとは答えられません。私は貴方の元に嫌々ながら赴きました」

「俺と知り合う前から結構感情豊かだったんだな。驚きだぜ」

 

 第一印象が最悪だった、そう告白されても大和は微塵も動揺しなかった。

 むしろ当然とばかりに受け止めている。

 アルファはソレが気に入らず、眉を顰めながら告げた。

 

「ですが、マスターに出会った瞬間──知識は所詮知識なのだと知りました。低俗極まりない男──その評価は覆されたのです。何故かは、今でもよく理解できていません。ですがマスターを一目見た時、知識には無い「魅力」と「人柄」を感じました」

「勘違いだろ? 知識は嘘を付かねぇ。雰囲気なら幾らでも誤魔化せる。お前は騙されてんのさ」

「訂正を求めます、マスター。私は貴方に頭を撫でられた時、確信したのです。貴方は必要以上に低評価されていると。……情報通りの悪漢であれば、あの温もりに満ちた手の平を説明できません」

「優しくても悪漢は悪漢だ。子供が好きで友人に甘くても、悪漢という事実に変わりはねぇ」

「ッ」

 

 大和はラッキーストライクを咥えながら紫煙を吐き出す。

 

「そんでもって、俺を悪漢だと決めるのは俺自身じゃねぇ。周囲の奴等だ。だから、周囲の奴等が俺を「悪漢」と蔑めば、俺は悪漢になるんだよ」

「それは……!」

「別にいいんだぜ、俺は。有象無象共の評価なんかどうでもいい。どうとでも呼べばいいさ。俺は好きな様に生きる」

「ッ」

 

 そこまで理解していて、何故──

 アルファは問わずにはいられなかった。

 

「何故ですか、マスター」

「何が?」

「貴方は何故、周囲と波長を合わせないのですか? 何故、必要以上に我欲に拘るのですか?」

「不思議な質問だ。逆に問うぜ。何でそんな質問をした?」

「……ほんの少し我欲を抑えるだけで、貴方は本物の英雄として讃えられた筈です。何不自由無い生活が出来た筈です。なのに何故──貴方は孤独の道を自ら突き進むのですか? 怖くないのですか? 寂しくはないのですか? 貴方の生き方は──あまりに人間らしくない。超然とし過ぎています」

「成程──華仙作の人造天使ってのは伊達じゃねぇな。嫌なほど確信を突いてきやがる。しかも、そんじょそこらの奴より人間臭いときた。こりゃ傑作だな」

「はぐらかさないでくさだい! マスター!」

 

 クツクツと喉を鳴らす大和に、アルファは思わず大声を上げてしまった。

 大和は携帯灰皿に吸殻を詰め込むと、苦笑する。

 

「俺は生まれながらに神を殺せる肉体と才能を持っていた。俺は──生まれながらに人間じゃなかった。怪物だったんだよ」

「ッッ」

「人間に対して共感できないし、理解もできない。今もそうだ。だから、わざわざ波長を合わせてやる必要なんてねぇだろ? 周囲の奴等も、俺自身も、よくわかってんだ。俺が人間の皮を被った怪物だって」

「それは……ッ」

 

 否定できなかった。

 アルファでは彼の言葉を否定してやる事ができなかった。

 大和は新しい煙草に火を点ける。

 

「だから気にすんな。俺は俺なりに楽しく生きてる。好きな奴を好きって言えて、嫌いな奴を嫌いって言える。邪魔する奴はぶっ殺せるし、良い女はすぐ抱ける。何一つ不自由してねぇ」

「それでも、貴方は……」

「?」

「人間として当たり前の幸せは、得られないのですね」

「…………」

 

 大和は目を見開いた。

 アルファが悲哀に満ちた表情でそう言ったからだ。

 大和は彼女にある天使を重ねて、苦笑する。

 

「……ずっと前に同じ事を言われた。そうだなァ……あの頃から変わってねぇのか、俺。嬉しいような情けねぇような……クックック」

「ッッ」

 

 アルファは大和に歩み寄ると、その腰を掴む。

 そして、水色の瞳に一杯の涙を溜めながら言った。

 

「やめてください……私に、他の女性を重ねるのはやめてくださいッ」

「…………」

「私を見てください……胸の奥が締まるんです……苦しいんですっ」

 

 機械的な表情がどんどん崩れていく。

 大和はすぐさま煙草を携帯灰皿に詰め込むと、膝を折り、彼女を抱き寄せた。

 その小さな背中を優しく擦ってやる。

 

「わりぃ……確かに失礼だったな。他の女の影を重ねちまうなんて」

「……ごめんなさい、マスター……ッ」

「いいんだよ」

 

 大和はその水色の長髪を撫でると、額にキスしてやる。

 そして微笑んだ。

 

「もう、立派な女の子だな」

「……マスター」

「?」

「額じゃ、その……~っ」

 

 顔を真っ赤にするアルファ。

 大和は表情を崩すと、彼女の唇に自分の唇を被せる。

 アルファは大和の胸襟を掴み、しっかりとキスを受け止めた。

 

 淡い夕陽の中で、二人の影法師が重なる。

 

 人造天使は人を知り、怪物を知り、そして恋を知った。

 しかし、悪意は既に目前まで迫ってきていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 デートも終盤に差し掛かり、大和達は喧騒の中を並び歩いていた。

 

「♪」

 

 アルファは大和と手を握り、嬉しそうに微笑んでいる。

 その様子を、ニャルとスレイはニヤニヤしながら眺めていた。

 

「人造天使もあっという間に落としてしまう~♪」

「師匠は天然、女殺し~♪」

「オウコラ、テメェ等何時の間にそんな仲良くなったんだよ」

 

 巫山戯ている二名に問うと、彼女逹は手を繋いで笑い合う。

 

「スレイちゃん可愛い! 僕のマイフレンド!」

「ナイアさん優しい! 私のソウルフレンド!」

「「いえーい!!」」

 

 息ピッタリにハイタッチを交わす二名に、思わず溜め息を吐く大和。

 しかしその口元は僅かに緩んでいた。

 

 ニャルは夕空に人差し指を掲げる。

 

「デスシティに帰ったらゲートで乾杯! ついでにスレイちゃんの告白タイムだ~!」

「……どぅえええ!!?」

 

 スレイが驚愕する中、大和は面白そうに笑う。

 

「そりゃいい。スレイよぅ、もうそろそろ良い頃合いだと思うぜ」

「師匠まで!? えええ!? ナイアさ~ん!! 聞いてないよ~っ!!!!」

 

 和気藹々とした空気。

 平和だった。

 これ以上ない程に──

 

 しかしこの空気は、突如の襲撃者によって引き裂かれる事になる。

 

 顔を真っ赤にするスレイに、思わず口元を綻ばすアルファ。

 大和から手を離した瞬間──背後に刺客が現れた。

 細身の凡庸な青年である。

 

 緑色のマフラーが靡く。

 黄色のロングコートを揺らした時、既に「彼」はアルファを連れ去っていた。

 

 (まんじ)

 デスシティ特有の職業の一つ「もの攫い」。

 あらゆるものを絡め取る強奪のスペシャリスト達。

 中でも彼は依頼達成率九割を超える、業界一の凄腕だった。

 

 大和とニャル、スレイは揃って動きを止める。

 表世界では下手に力を出せない。後々が厄介だからだ。

 

 懸念が行動をワンテンポ遅らせる。

 卍にとって、ソレは十分過ぎる時間だった。

 

 コレを狙っていた卍は瞬時にデスシティへ転移しようとする。

 しかし──大和とニャルは別格だった。

 ワンテンポ遅れるも、その遅れを取り返せる埒外な速度で手を伸ばす。

 時間の束縛を無視したその行動に、卍はこの場を凌ぐだけで精一杯だった。

 

 瞬間転移を発動。数十㎞離れた都内の高層ビルに転移する。

 暴れるアルファを独自の捕縛術で完封し、ポソリと愚痴った。

 

「ないない。アレは無い。ヤバいって。バケモノ過ぎる」

 

 剽軽ながらも、その声音には緊迫感が滲んでいた。

 世界最高クラスの隠密能力と強奪スキル、更に表世界の情勢を利用した完璧なタイミングだった。

 それでもギリギリだったのだ。

 

 本来ならありえない。

 そもそも「森羅万象から存在そのものを消す」隠蔽の極みを体得している卍に難なく気付いた三名が尋常では無い。

 

 卍はフゥと溜息を吐くと、再度デスシティの転移を試みる。

 しかし──駄目なのだ。

 

 

「オイ卍ぃ……調子乗ってんじゃねェぞ」

「僕の友達を連れて、何処に行くつもりだい?」

 

 

 怪物と這い寄る渾沌。

 最強の中でも更に別格──この二名から逃げ切るなど、不可能なのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 卍を覆ったのは、黒き鬼神と冒涜的な化物の影法師だった。

 暴力の権化と無貌の狂神。

 

 卍は表情を絶望で歪めながらも、緑色のマフラーを靡かせ転移術式を発動しようとする。

 二名の行動はそれよりも早かった。既に卍を捕らえかけている。

 

 しかし、大和とナイアの立ち位置が強制的に元に戻ろうとした。

 時空か、空間が、二名に巻き戻しを強要している。

 

 魔導師ルチアーノの時空魔導である。

 世界の法則、森羅万象そのものに干渉し、二名の時間を巻き戻しているのだ。

 

 大和は剛腕を薙ぐ事で時空間ごと魔導を消し飛ばす。

 古今東西、ありとあらゆる異能術式を無効化する闘気術は魔術師達にとって天敵。

 中でも世界最強の武術家である大和の闘気は、魔導師にすら干渉を許さない。

 災厄の魔女エリザベスなら兎も角、他の魔導師では彼に干渉する事はできない。

 

 ルチアーノは次手で世界そのものの時間を停止させる。

 大和本人に干渉できないのであれば、世界自体を掌握すればいい。

 

 地球が、太陽系が、宇宙が、それ以上の空間が停滞する。

 しかし、大和もナイアも嗤っていた。

 ナイアは指と靴底で音を鳴らし、邪神の権能を世界に染み込ませる。

 すると世界の停滞が強制解除された。

 

 卍を捕らえた大和を見つめながら、ナイアは舌を出す。

 

「魔導師クン、僕達を出し抜きたいなら君だけじゃ足りないなァ……あと七人くらい連れてこなきゃ♪」

 

 まさしく、格が違う。

 最後の四大終末論「デモンベイン」に終止符を打った「最強」と「最悪」のコンビは、事実上無敵だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 遥か遠くの魔界都市デスシティ。中央区にあるとある廃墟の前にて。

 共犯者達と待機していたルチアーノは思わず苦笑した。

 

「無理だわ……私じゃ抑えきれない。卍くんも捕まったみたいね」

「そんな……どうするのですか!? これでは計画が!!」

 

 取り乱す天使教の幹部に、ルチアーノは冷たく告げる。

 

「取り乱してる暇なんて無いわよ。すぐに来るわ」

 

 ルチアーノの宣言に皆が構えようとした、その時──

 何処からとも無く金髪の美少女が飛翔して来た。

 機械的な大剣をサーフボードにし、溢れ出す炎の権能を荒波に例えて迫って来る。

 

 スレイだ。

 

 彼女はメフィストの魔力の奔流による迎撃を炎の波で打ち上がる事で躱す。

 そして着地すると同時に上級悪魔の変態紳士、バスコを渾身のアッパーで吹き飛ばした。

 

「えーい!!!!」

「ぬぉぉぉぉぉ!!!!?」

 

 可愛らしい掛け声だが、星を容易に砕く剛力と太陽に匹敵する灼熱を帯びた師匠直伝の拳である。

 バスコは両腕でガードしたものの、威力を殺しきれずに遥か上空に打ち上げられた。

 スレイは再度大剣に乗ると火力最大噴出、瞬時に第三次宇宙速度に突入して飛翔する。

 

 三本槍、紅花(フォンファ)と魔導師ルチアーノは眼前に迫り来る存在に警戒していた。

 次元の裂け目を通って現れた褐色肌の美丈夫と美女に、天使教の幹部は表情を絶望色で染め上げる。

 

 美丈夫、大和は獰猛にギザ歯を剥きだした。

 

「俺の女に手ぇ出そうとした奴はテメェだな。イイ度胸だ……ぶっ殺してやる」

 

 傍らに控えていた槍術家、麗人こと紅花が強烈な殺気と共に闘気を開放する。

 

「お前の相手は俺だ! 大和ォ!!」

 

 突く。その概念を追求し続け、至った究極の穿ち。

 あらゆる防御を貫き、同格でも躱せぬ速度で放たれる、まさに至高の一突き。

 

 大和は敢えて身を寄せ脇腹を抉らせると、渾身の拳を振り下ろした。

 震度七以上の大地震の共に打ち落とされる紅花。

 

「邪魔すんじゃねェ」

「ガッ……ぁッ!?」

 

 そのまま意識を失う。

 彼は以前大和を追い詰めた剣客、吹雪に匹敵する遣い手だったが、今回は瞬殺された。

 

 理由は二つ。

 事前準備を怠った事。

 そして、大和の成長速度を見誤った事。

 

 武術家の勝負は一瞬で決まる。

 紅花は痛恨のミスを犯したのだ。

 

 大和は脇腹から溢れ出す血を無視し、天使教幹部に凶悪な眼光を向ける。

 その灰色の三白眼に宿った桁外れの殺意に、幹部は情けない悲鳴を上げて尻餅を付いた。

 

「……俺の女に手ぇ出したらどうなるか、教えてやるよ」

 

 大和はブーツで地面を砕きながら幹部に歩み寄った。

 

 

 ◆◆

 

 

 大気圏を突破したバスコを追走するスレイ。

 彼女の乗る機械大剣は外宇宙から発掘された「魔導石」と呼ばれる特殊物質が組み込まれている。

 世界一の科学者、華仙作の一品はスレイの戦闘スタイルの幅を拡張していた。

 

 バスコは空中で停止すると両腕を広げる。

 そして爆笑した。

 

「フハハハハハ!!!! やりますねぇレディ!! では私も本気で行かせて貰いますよ!!」

「ごめんね!! その前にケリ、付けちゃうから!!」

「ふぁっ!!?」

 

 スレイは背後に100メートルを超える獄炎で編まれた魔神を顕現させる。

 宇宙に滞在する全ての惑星を大爆発させたかの如き、絶対熱量を宿す炎邪神だ。

 彼女の体内に流れる旧支配者の血が、覚醒していた。

 

 炎を司る旧支配者クトゥグアの息女であり、大和の直弟子。

 その実力はA級を優に超え、S級でも上位に食い込んでいる。

 

 上級悪魔など敵では無い。

 

 スレイの動きと獄炎魔人の動きが重なる。

 彼女は拳に灼熱を宿し、百裂拳ならぬ億裂拳を放った。

 

「ダーダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッッ!!!!!!!!!!!!」

 

 それは、有無を言わさぬ暴力と爆熱の嵐。

 一発一発が超新星大爆発に匹敵する拳打を秒間数億発放つ。

 神仏であろうが魔神であろうが一瞬で蒸散させる、無慈悲な死刑執行であった。

 

「がばぁぁぁぁぁぁ!!!!? これは不味い!! 不味すぎる!! 誠に失礼レディ!! 不肖バスコ!! 撤退させて貰います!! さらば!!」

 

 燃え滓になる寸前に魔界へ撤収したバスコ。

 スレイは途中で拳打を止めると、自動で飛んできた魔導大剣に乗る。

 そして両手を合わせた。

 

「ごめんね悪魔さん!! でも私の方は解決!! 師匠達の所へ向かおう!!」

 

 煌く金髪を靡かせて、紅蓮を統べる少女は地上を目指した。

 

 

 ◆◆

 

 

 大悪魔メフィストと魔導師ルチアーノは己の不覚を悟った。

 自力が違う。それは勿論ある。しかし一番は心の在り方だ。

 

 大和もニャルもスレイも、魔界都市デスシティの住民である。

 日常は暴力で彩られ、周囲は死で満ちている。

 

 銃火飛び交う戦場の最前線。真夜中のジャングル。

 あらゆる危険地帯よりも尚危険な場所、デスシティ。

 この世界最高の危険地帯で、彼等は当たり前の様に生活している。

 

 戦闘慣れ。反射神経。状況判断能力。集中力。

 

 ズバ抜けている。付け入る隙などありはしない。

 メフィストは伯爵でありルチアーノは魔導師。

 本職からして戦闘は二の次。

 

 ここに来て、戦闘に対する「対応力」の差が出てしまった。

 

 ニャルはメフィストとルチアーノの苦渋の表情を見て、愉悦愉悦と嘲笑う。

 

「今更気付いたの? ……力だけじゃあ駄目なんだよ。勝負っていうのは力だけじゃないんだ」

 

 ニャルはコツコツと靴底を鳴らす。

 すると、半漆黒の球体が二名を包み込んだ。

 

 ニャルは唇を不気味に歪める。

 

「そんな哀れな君達を特別にネバーランドへ招待してあげよう……僕達邪神の絶対君主にして大いなる父──アザホートの眠る地下神殿へ♪」

「「!!」」

「ゆっくり愉しんでおくれよ♪ トルネンブラの奏でる冒涜的な合奏と共に、永劫狂気に蝕まれるがいい。……さぁて、二名様。極楽浄土へご案な~い♪」

 

 二名が邪神王の眠る地下神殿へ転送される──その瞬間。

 異なる力が両者を包み込んだ。

 

 ニャルは鼻で嗤う。

 

「今更介入かい? 悪魔王サタンに災厄の魔女エリザベス──君達が何を企んでるのか知らないし、興味も無いけどさァ」

 

 ニャルは顔面を漆黒の霧で覆い、三つの真紅の邪眼を開放する。

 ソレは神仏の精神値すら直葬してしまう冒涜的な素顔だった。

 彼女は酷く雑音(ノイズ)の入った声音で告げる。

 

『僕の楽しみの邪魔をするのなら、消すよ? 胆に銘じておくんだね』

 

 メフィストが紫色の魔力に、ルチアーノが漆黒の魔力に、それぞれ包まれ転移する。

 ニャルは本性を隠して何時もの可憐な童顔に戻ると、ニパっと笑った。

 

「さて、これで僕のお仕事もお終いかな~♪」

 

 ニャルは鼻歌交じりに踵を返した。

 

 

 ◆◆

 

 

 天使教の幹部の前に、生来の怪物が立つ。

 脇腹を抉られても尚、その立ち姿は堂々としていた。

 

 大和の元にアルファが駆け寄る。

 彼女は涙目で彼の脇腹に触れると、キスをして直接治癒のプログラムを埋め込んだ。

 

 天使教の幹部は憎悪と憤怒を必死に飲み込んで、彼に笑いかける。

 

「どうでしょう? 大和氏。私にその疑似天使を売るというのは? 10億出します」

「No」

「50億──いいや100億、200億出しましょう!」

「No」

「ッッ!! 何故ですか!! 莫大な報酬よりも天使に似た人形を取ると!!?」

「そうだ」

「~ッッ」

 

 天使教の幹部は我慢できず、叫び散らす。

 

「その人形があれば!! 天使教は更なる繁栄を遂げられるのだ!! 世界に最後の審判を下す事ができるのだ!! 貴様如きにはわからないだろう!! 我等の崇高なる目的が!!」

「そうだな」

「人類救済──いいや世界救済のためだ!! その人形を差し出せ!! お前は、世界とその人形、どちらが大切なのだ!!」

 

 優男の仮面を脱ぎ捨てて本性を現した幹部に対し、大和はアルファを抱き寄せながら告げた。

 

「世界なんかより、この女の方がいい」

「……っ」

 

 アルファは顔を真っ赤にすると、蕩ける様な笑みを浮かべ大和に身を寄せる。

 啞然とする幹部に対し、大和は改造火縄拳銃の銃口を突き付けた。

 

「消えろ」

「私は……!!」

 

 真紅の閃光が放たれ、幹部は魂ごと消滅する。

 大和は無言で改造火縄拳銃をしまうと、アルファの頭を優しく撫で上げた。

 

 

 悪意は、完膚無きまでに打ちのめされたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 大衆酒場ゲートにて。

 他種族が混ざり合い賑やかな店内で、ニャルとスレイもまた盛り上がっていた。

 カウンター席でネメアを誘い、酒盛りをしている。

 ニャルは適度に酔っているが、スレイは違った。

 

「ネメアさ~ん、好き~♪」

 

 ネメアの逞しい腕に抱きつき、甘ったるく囁くスレイ。

 顔は真っ赤で息は酒臭い。

 完全に酔っ払っていた。

 しかも酒癖が悪い。所謂「甘え上戸」というやつだ。

 

 ネメアはやれやれと肩を竦めると、彼女の金髪を優しく撫でてやる。

 

「そう言ってくれるのは嬉しいが……酔っ払っているだろう?」

「酔っ払ってな~い♪ 大好き~♪」

「全く……後で恥ずかしい思いをするのは自分だぞ?」

 

 そう言いながらも、ネメアはスレイが甘えたい様にさせていた。

 ニャルは隣でニヤついている。

 

「君は大和よりもダダ甘だ」

「この子を酒に呑ませて、何が目的だ? ナイア」

「スレイちゃんに素直になって貰おうと思って♪」

「…………」

 

 ネメアは眉を顰める。

 

「好意を持って貰うのは嬉しいが、酒に任せた告白なんて本人が嫌がる筈だ」

「でも、そうでもしないとこの子は君に告白できない。初心な子だからね」

「それでいいさ。この子が真正面から想いを打ち明けてきたのなら、俺も真正面から受け止める。だからコレはノーカウントだ」

「……フフフ、君は本当に損をする性格だね」

 

 微笑むニャル。

 ネメアは肩に寄りかかり眠ってしまったスレイの金髪を、再度優しく撫で上げるのであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 その頃、大和とアルファは──

 中央区の裏通りにあるアパートにて。

 二人は愛し合っていた。

 

 誘ったのはアルファだった。

 羞恥で顔を真っ赤にしながらも求めてくるアルファに、大和は笑顔で応じた。

 

 容姿的には十代前半の小柄な肢体に、大和は女の悦びを刻み付ける。

 アルファは全身を巡る未知の快感に戸惑いつつも、必死に大和に縋り付いた。

 

『マスターぁ……っ』

『好き、好きですっ……♪』

 

 知識では無く感情として「愛」を理解したアルファ。

 大和は何度も何度もアルファを導いた。

 

 暫くして──仄かな部屋灯りの中で、アルファは重たくなった肢体を大和に預けていた。

 その横顔に、以前の面影は無い。

 実に艶やかであった。

 

「マスターは、その……上手、なんですね」

「そりゃあ、今迄の経験がな」

「……」

 

 アルファは頬を膨らます。

 拗ねているのだ。

 大和は苦笑してその頬を撫でる。

 

「……♪」

 

 アルファは一変して子猫の様に瞳を細めた。

 大和は彼女を抱き寄せ、優しく言い聞かせる。

 

「いいかアルファ。大事なのは生まれでも種族でもねぇ、信念だ。たとえ蔑まれようとも、テメェの信念だけは曲げるんじゃねぇ」

「でも私は、そこまで強くありません……」

「今から強くなればいい。それまでは俺が守ってやるよ」

「……嬉しいですけど、頼ってばかりは嫌です。私も何時か、貴方の背中を護りたい」

「ハッ、嬉しいこと言ってくれるじゃねェの」

 

 額にキスをされ、アルファは嬉しそうに身じろぎした。

 そして強く大和に抱き付く。

 

(貴方の孤独は、恐らく一生解決できない……でも、それでも……っ)

 

 上目遣いで大和を見つめるアルファ。  

 その透き通った水色の瞳を見て、大和は全てを悟ったのだろう。

 微笑んでキスを被せた。アルファは彼の頬に手を添え、キスを受け止める。

 

 大和とアルファの手が唐突に動いた。

 改造式火縄拳銃と最新式ビームランチャーが、互いの背に閃光を放つ。

 

 消し炭になった襲撃者。

 風通しが良くなった仮宿に大和は更に気弾を放ち、穴だらけにする。

 シーツでアルファをくるみ抱きかかえると、周囲に佇んでいる殺し屋や賞金稼ぎ達に嗤いかけた。

 

「ったく……この都市は何時もこうだ。ロクにセッ〇スもできねぇ」

「でも……嬉しそうですよ。マスター」

「おうともさ! デスシティはこうでなくちゃな!」

「……全く、もう」

 

 命を狙われているのに、本当に楽しそうに笑っている大和。

 アルファは呆れながらも、微かに口元を緩めていた。

 

「……行くぜ、アルファ」

「Yes。微力ながら力添えさせていただきます。マイ・マスター」

「おう! 一緒に踊ろうぜ!」

 

 互いに前方へ銃口を突きつける。

 そうして、深夜の大乱闘が始まった。

 

 怪物と天使の織り成す銃火の舞は、宴の締めくくりにはピッタリだった。

 

 

《完》



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第十二章「青春伝」
一話「若き英雄たち」


 

 デスシティの三羽烏と謳われる三人にも若く、青い時期があった。

 

 今から数億年前──まだ世界が一つだった頃。

 神仏達が世界を治め、魔術異能が生活の一部と認知されていた時代。

 

 神代とも呼ばれるこの時、三名はまだ伝説になる一歩手前だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 当時、世界の西側は現代でいうギリシャ神話──オリュンポスの神々が統治していた。

 各国の人間達は立場関係なく神々を崇拝し、各々が欲する恩恵を賜る事で高水準の生活が保証されていた。

 

 生活水準だけで言えば現代と然程変わらない。

 それ程までに神々の恩恵は偉大なものだった。

 

 西側の首都、オリュンポス王国。

 中でも最も神聖な場所とされる「神々の神殿」前にて。

 

 純白と黄金を絡めた建造物が並び立つ。

 その様は荘厳であり、まさに神々の領土と呼ぶに相応しい。

 現に、土地を包む神気は他所とは別格。

 魔族ならばこの土地に入る事すらできないだろう。

 

 神殿に住まうのは絶大な権能を誇る十二の神々。

 主神ゼウスを中心としたオリュンポスの神々は、西側の平和と権力の象徴だった。

 

 オリュンポス王国に訪れた王族貴族は、まず神々に直接礼をするのが習わしとなっている。

 神々の領土たる首都に足を運んだのであれば、礼を尽くすのは当然。

 ソレがこの時代の常識だった。

 

 今朝、西側諸国を束ねる豪族の姫君が、神殿に赴くために馬車で都内を進んでいた。

 身嗜みを整えつつ、彼女は窓の外を頻繁に覗いている。

 対面で座していた従者は首を傾げた。

 

「どうしました? 姫様」

「いえ……ここ最近、有名な英雄お二人を一度でいいから拝見したいなと思いまして」

「成程」

 

 従者は頷く。

 最近、西側で特に人気な英雄が二名いる。

 彼等はそれぞれ「光の英雄」「闇の英雄」と呼ばれていた。

 

 一名は最底辺から神々の寵愛を一身に受ける最強の戦士にまで成った元・奴隷剣士。

 一名は遥か東の地で数々の偉業を重ね、現在は食客として西側に滞在している異国の皇子。

 

 片や、正義と礼儀を重んじる真性の英雄。

 片や、欲望の赴くままに生きる生来の怪物。

 

 出生経歴性格、全てが真逆の二名。

 人気で言えば光の英雄の方が圧倒的に高い。老若男女から敬愛されている。

 が、女性を中心に闇の英雄もまた高い人気を誇っていた。

 

「聞けば、お二人は私と同じ歳──16歳だといいます。……考えられません」

「仰る通りです。彼等は神々に愛されているのでしょう」

「その通りですね」

 

 当時の人間らしい納得の仕方をする二名。

 神々の神殿前まで辿り付くと、姫君は少々残念そうに肩を竦めた。

 

「結局会えませんでしたが──今は気持ちを切り替えましょう」

 

 神々への礼節を損なわないため、姫君は心を入れ替える。

 その横を、青年二名が通り過ぎた。

 

 そのあまりの美貌と威風に姫君、並びに従者は唖然とする。

 

 一人は金髪を短く刈り上げた好青年。

 上半身は裸体で下半身は簡素なズボン。肩から純白のローブを羽織っている。

 両手に金色の手甲、背中に巨大な戦斧を担いでいた。

 その碧眼は穏やかな色を灯しており、見た者を総じて安心させる。

 

 もう一人は黒髪を荒々しくオールバックにした美青年。

 派手な色の浴衣を着崩した様はまるで傾奇者。

 獰猛なギザ歯と怜悧な三白眼は見た者を居竦ませるが、それ以上の美貌が異性を虜にしてしまう。

 

 両者とも身長は190センチほど。

 肉体は程よく鍛えられているが、成長段階でまだまだ骨格が細い。

 

 それでも、美という観点で言えば文句無い。

 年齢も十代ほどで、女性であればその華々しさに種族関係なく夢中になってしまうだろう。

 

 現に、姫君も従者も見惚れていた。

 褐色肌の美青年は彼女達に気付くと、投げキッスを送る。

 二名は腰砕けになった。

 

 隣に居た金髪の好青年がその肩を叩く。

 

「やめろ。あの服装、高貴な身分の方だぞ」

「そんなの関係ねぇよ。それに、身分だけで言えば俺より高い奴なんて滅多にいねぇ」

「……」

「ま、もう家出してるんだけどな♪」

「ハァ」

 

 呆れて溜息を吐く金髪の好青年。

 それを見てクツクツと喉を鳴らす褐色肌の美青年。

 

 この二名こそ、若き日のネメアと大和である。

 彼等はまだまだ青く、しかし既に英雄として世界に広く認知されていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 神々の神殿、最奥にて。

 豪勢な玉座にはオリュンポスを統べる至高の天空神が座していた。

 神々の中でも別格の美貌を誇る彼こそゼウス──西側の実質的な頂点である。

 

 その横にはゼウスに勝るとも劣らない絶世の美女が佇んでいた。

 女体の黄金比から成る豊満な肢体を古代オリュンポスの正装、キトンで慎ましく包んでいる。

 柔らかな金髪を腰まで流した彼女はヘラ──ゼウスの姉にしてオリュンポスの№2だ。

 神々の女王、貞淑と母性を司る処女神。

 

 正史と違い、彼女はゼウスの妻ではない。

 弟ゼウスの際限無い愛情を諫める、本当に姉の様な存在だった。

 

 ヘラは厳粛な処女神であり、その男嫌いぶりは他勢力まで知れ渡っている。

 四大処女神の筆頭格は伊達ではない。

 

 しかし、そんな彼女が唯一溺愛する男児がいた。

 ソレこそが──

 

「ああ……っ」

 

 現れた金髪の好青年にヘラは熱い溜息を吐く。

 彼はヘラの自慢の坊や

 自身の名を含めた真名を与え、同時に絶大な加護を与えた。

 可愛い可愛い、自慢の坊や。

 

「ヘラクレス……っ」

 

 ヘラの栄光の異名を持つ好青年は、ゼウスとヘラの前で片膝を付く。

 正義に厚く、礼儀正しく、己に厳しく、慈悲深い。神々への忠節も忘れない。

 彼はヘラの「理想の男児像」だった。

 

 ヘラは愛しい我が子に見惚れている。

 そんな彼女を褐色肌の美青年、大和が鼻で嗤った。

 

「うっわ、親バカ」

「何ぃ……この汚らわしい子猿め。己の劣情も御せぬ畜生が妾に話しかけるな。頭が高いぞ」

「うっせババァ」

 

「……ア゛?」

「アアン?」

 

 互いの眉間に皺が寄る。

 この二名、決して相容れない、まさしく犬猿の仲だった。

 

 

 ◆◆

 

 

「東側の女王、天照殿もさぞや苦労したであろうなぁ。礼儀の礼の字も知らぬ野蛮な猿が暴れておったのだから」

「あ~あ、処女臭ぇ処女臭ぇ。なんだ? 西側には生娘を気取るババァが居るって聞いたが、本当だったみてぇだな」

 

「消し飛ばされたいのか小童ッッ」

「コッチの台詞だ腐れ女神ッッ」

 

 殺気を迸らせる二名。

 神々の女王と黒き英雄の圧は、それだけで神殿全体を圧迫した。

 ゼウスとヘラクレスがすかさず仲裁に入る。

 

「姉上。何時もの貞淑さはどうした? らしくないぞ」

「落ち着け大和、お前が牙を向く相手は別に居る」

 

「「……フンッ」」

 

 互いに視線をプイと逸らす。

 ゼウスとヘラクレスはやれやれと溜息を吐いた。

 二名が喧嘩した際の被害は尋常では無い。既に七つの山脈と五つの都市が滅びている。放っておけば禄な事にならないのだ。

 

 ゼウスはヘラクレスと大和に神託を告げる。

 

「ヘラクレス、そして大和。極西で同盟勢力であるダーナ神族が巨人族──フォモール族との最終決戦に突入した。しかし直死の魔眼を誇る極西最強の邪神──バロールは神々の力だけでは打ち倒せない。彼奴の魔眼は究極にして至高。死を司る権能の頂点だ。──貴公等の力が必要とされている。明朝、極西に赴き決戦に終止符を打て」

「御意」

「いいぜ、その代わり報酬はたんまり貰うからな」

「選りすぐりの美女と美酒を準備しよう」

「いいねぇ、ヤル気出てきた♪」

「ハァ……」

 

 ヘラクレスは溜息を吐く。

 親友の態度、性格、その他諸々に呆れているのだ。

 彼は再度拳を合わせると、深く礼をする。

 

「必ずや達成してみせましょう。偉大なるゼウス様とヘラ様の要望とあらば」

「アアっ……流石へラクレス、妾の自慢の坊や。貴方なら必ずや極西の邪神を打ち滅ぼせるでしょう!」

「姉上」

「いいえ、むしろ貴方が勝つのは当然! 何せ妾が唯一認めた至上の男児! 義に厚く忠義深い──!」

 

「ヘラクレス、大和。後は任せたぞ」

「御意」

「へーい。お花畑に行ってる姉ちゃんは任せたぜ」

 

 大和はベッと舌を出すと、ヘラクレスと共に神殿を出て行った。

 



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二話「神々の戦」

 

 

 大和とヘラクレスは夜遅くまで王立図書館に籠っていた。

 極西──ケルト地方の伝承や文献を読み漁っているのだ。

 

 魔法ランプに横顔を照らされながら、ヘラクレスは呟く。

 

「バロール──想像以上だな」

「極西最強の邪神の異名は伊達じゃねぇって事だな」

 

 大和は大袈裟に両手を広げる。

 

 バロール──直死の魔眼があまりに強力なので目立たないが、総合力も桁違いだった。

 武技の深奥を誰よりも早く捉え、数多の流派を生み出した圧倒的な戦闘センス。

 神々の権能を魔導、魔法、魔術の三段階に分けたその叡智、まさしく別格。

 

 武技と魔導を極めた原初の戦女神。

 究極の神殺しにして死を統べる女王。

 

 古よりパルホーロン族、ネヴェズ族、フィル・ヴォルグ族──数多の神族を討滅し、最後に巨人族──フォモール族を恐怖で支配した極西最強の邪神。

 

 噂によれば外宇宙からの侵略者、ドラゴンの一体を服従させ、使役しているとも言う。彼女は一介の女神でありながら天賦の才と凄絶な努力の果てに最強に至った。

 故に隙が無い。1から全て積み上げてきた努力家に小細工など通用しない。

 

 しかし──大和は嗤う。

 

「まぁ、これ位なら問題ねぇな」

「そうだな」

 

 ヘラクレスも肩を竦める。

 未だ二十歳に満たないながら、二名とも完成した強さを誇っていた。

 間違い無く「世界最強」に名を連ねている。

 その自信は傲慢では無く、確かな実力から来るものだった。

 

 大和は言う。

 

「バロールは俺の方でどうにかする。直死の魔眼に対する相性も俺の方がいいだろ?」

「そうだな。なら俺は使役されているドラゴン──クロウ・クルワッハをどうにかする。魔獣退治は得意分野だ」

「決まりだな」

「ああ。だが、相手が女だからと言って手を抜くなよ」

「誰に言ってやがる」

「そうだな。いらない心配だった」

 

 ヘラクレスは苦笑する。

 大和は笑うと、隣に置いておいた高級ワインを豪快に呷った。

 

 その時である。図書館の闇から微かな銀閃が輝いたのは。

 大和は何気なくといった様子で片手を掲げる。その太い指に幾重にも鋼糸が絡まった。

 

 思い切り引き寄せると、闇の中から小さな影が飛び出て来る。

 影は座っている大和の膝に跨ると、再度閃光を煌かせた。

 猛毒が塗り込まれたナイフを大和はギザ歯で難なく受け止める。ペッと吐き捨てて、襲撃者である絶世の美少女に舌を出した。

 

「テメェも懲りねぇなァ、ええ? クソガキ」

「……死んでよ。ねぇ、何で死んでくれないの?」

「誰が死ぬかバーカ」

「ッ」

 

 暴れようとする美少女の首根っこを掴んで持ち上げる。

 ブランとぶら下がる少女は、奈落の底の如き双眸を潤ませた。

 肩辺りまで伸ばされた、紫色を帯びた黒髪。

 暗殺装束に収まった年相応の華奢な身体。

 

 女神も驚くほどの絶世の美少女であるが、素性を知っているヘラクレスは重い溜息を吐いた。

 彼女は世界最大最悪の暗殺組織「サンタ・ムエルテ」が誇る最高傑作。

 既に三桁を超える神仏を殺害している、死神すら恐れ戦く世界最強の暗殺者。

 

 アラクネ──

 

 彼女は当時、大和の命を狙う刺客の一人だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 アラクネは唇を噛み締めながら図書館を出ていく。

 既に消えた気配を追う事なく、ヘラクレスは大和に非難の視線を向けた。

 

「何故殺さない。あの類は放っておけば禄な事にならない。なんなら今度、俺が殺しておくぞ」

「じゃれて来てるだけだ。気にすんなよ」

「……」

「あんな小娘に殺されるほど、俺はヤワじゃねぇ」

「……ハァ、流石元・皇子様。器がデカい」

「カッカッカ!」

 

 皮肉に対し呵々大笑する大和に、ヘラクレスはやれやれと肩を竦める。

 後々、デスシティの三羽烏と恐れられる伝説のメンバーは既に顔を合わせていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 同時刻、極西にある豪勢な魔宮殿にて。

 見目麗しい魔戦姫が玉座で寛いでいた。

 戦装束に身を包んだその肌は濃紺色。

 シミ一つ無い青い肌──結った長髪と同じ色なのに違和感はまるでない。

 白黒逆転した瞳もまた彼女の魔性の美のアクセントになっていた。

 左目はアイパッチで隠されている。

 戦士らしく絞られたメリハリのある肢体から滲み出る色香は言い得もしない。

 特に乳房は驚くほど実っていた。

 

 神殺しの魔女──バロール。

 武技と魔導を極めた死の戦女神である。

 

 彼女は頬杖を付きながら微笑んでいた。

 

「決着は明日──しかし武者震いが止まらぬ。これは何かが起こるな。できれば儂を愉しませる内容であればいいが──」

 

 バロールは退屈していた。

 深淵の叡智を誇る彼女は「未知」に飢えていた。

 

 その傍らに控える二名の影。

 一名は燕尾服に身を包んだ黒髪の美男。

 屈強ながらも絞られた肉体。艶のある黒髪は適度な長さで切り揃えられている。

 その身から滲み出るは絶対強者たるオーラ。

 彼は頂上種である神仏と同格──いいや、それ以上の存在だ。

 

 黒龍王──クロウ・クルワッハ。

 

 そしてもう一名。

 真紅のドレスを着た絶世の美少女。

 赤みがかかった癖のある金髪を肩まで流した彼女は、ドレスと同じ色の瞳に生気を宿していなかった。

 まるで人形だ。

 

 そんな少女に対し、バロールは告げる。

 

「お前の死んだ心に火を点ける存在が現れるかもしれぬな──エリザベス」

「……そうであれば、至上の幸せでございます」

 

 バロールの一番弟子たる彼女は人類の枠を超えた特異点。

 人間でありながら魔導を修得し、更に昇華させ続けている世界最強の魔導師だった。

 

 エリザベス──彼女は師、バロールに薄く微笑みながら礼をした。

 

 

 ◆◆

 

 

 エリザベスには総て見えていた。

 過去現在未来、全てを見通してしまう魔法使いの上位──魔導師足りえる絶対条件。

 

 千里眼。

 

 彼女はソレを生まれながらに保有していた。

 故に見えてしまうのだ、総てが。

 

 妬み、欲望、思惑──あらゆる負の感情が当時のエリザベスを精神を犯し、壊した。

 この世界は、人間という生き物は、あまりに汚れ過ぎていた。

 

 エリザベスは人形になった。

 呼吸をするだけの木偶と成り果てた。

 

 する事は魔導の研究のみ。

 それも、師であるバロールのため。

 

 彼女の千里眼を無効化できる存在は頂上種である神仏か、それに比肩する存在しかいない。

 神仏は存在そのものが一つの世界であり、等身大の宇宙。

 質量的に、他の生命体が勝てる存在では無い。

 

 生来の神仏であれば超新星大爆発の直撃ですら髪の毛が揺れる程度で済ませてしまう。

 全知全能の権能を持ち、全ての情報を知り、全ての能力を行使できる。

 その在り方は、最早「人型の法則」と言っても過言ではない。

 

 そんな神仏にも等級配分が存在する。下級、中級、上級、最上級といった具合にだ。等級配分は全知全能の効果範囲で決まる。全知全能はいわば神仏の格、権威そのもの。格が高ければ高いほど密度と齎す範囲が増す。

 

 最高位の神仏であれば、エリザベスの千里眼を無効化する事ができた。

 しかし、それも時間の問題である。

 

 人類の特異点──超越者。

 その中でも別格のポテンシャルを誇るエリザベス。彼女を師であるバロールは心配していた。最上級の神仏である己を、彼女は既に超えつつある。

 しかも魔導一つでだ。

 武技も型を見せただけで覚えてしまう。

 

 本当の意味での天才。

 人類の可能性の極致。

 

 バロールは彼女に同情していた。

 真の天才は生まれながらに壊れてしまうものかと。

 

 バロール自身、天賦の才をを限界まで鍛え上げて最上級の神仏にまで至った。

 それでも飽くなき探求心で武技と魔導を極め、叡智の深淵も全て解明した。

 

 その過程で、何度も精神を鍛える事ができた。

 しかしエリザベスにはソレが出来なかったのだ。出来る暇すら無かった。

 

 エリザベスは生まれながらに強過ぎた。

 その天稟に対して、年齢が追い付かなかったのだ。

 

 バロールは参っていた。

 正直、教えることなど何もない。

 基礎を少し教えれば最良の形へと勝手に導いてしまう。

 精神面にしても、最早手遅れと言っても過言では無い。

 

 彼女の姉弟子にあたる光の御子ルーは自身と似たタイプだったので教えやすかったのだが──

 

 バロールはしかし、悩むのも程々に決戦場へ駆り出た。

 フォモール族を率い、クロウとエリザベスを傍に置いて出陣した。

 何時もならエリザベスは神殿に置いて来るのだが、今回は違う。

 

 何か運命的な出会いを果たす──そう、バロールは直感していた。

 ソレはエリザベスにとっても、自分にとってもだ。

 歴戦の戦士であるバロールならではの勘──ソレは見事的中する。

 

 

 若き暴力の化身は、彼女達の今後に多大な影響を与えるのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 極西の地、大平原にて。ダーナ神族とフォモール神族の大戦争が勃発していた。

 戦女神バロールと黒龍王クロウ・クルワッハが他の神仏と格の違いを見せつける。バロールは光の御子ルーが、クロウ・クルワッハは豊穣神ダグザと戦神ヌアザが辛うじて押し留めていた。

 

 しかしダーナ神族の戦力の要である三名を抑えられ、次第に戦況が傾き始める。

 邪悪なる巨人族がその圧を強めてきた。

 

 バロールと直接槍を交えている金髪の美女は、その眩い美貌を苦悶で歪めていた。

 青色の布地に黄金の装甲を混ぜ込んだ絢爛なる戦装束に身を包んだ光の戦女神。豊満であり、しかし絞れた女体の黄金比を誇る肢体は彼女が高位の女神たる証。

 垂れ落ちたストレートの金髪を血風で巻き上げ、バロールの繰り出す刺突の嵐を捌き続ける。

 

 光の御子、ルー。

 

 彼女は聖槍を二本両手で持ち、対なる魔槍二本で攻め立ててくるバロールを迎え撃つ。

 神域の武の対峙──それは森羅万象の法則からはみ出る事から始まる。

 一息で織り成される刺突の数は数万を超えた。あらゆる方向から、全く違うタイミングで矛先が伸びてくる。

 互いの剛槍が通過する軌道線が既に見えているため、それを予め打ち消し合うのだ。

 

 一度まばたきをする間に数万回の命のやり取りを済ませた両者は、しかし圧倒的な技量差を露呈させた。

 煌びやかな戦装束を崩され、ルーはあられもない姿で崩れ落ちる。

 最低限の秘部を隠し赤面する彼女を見下しながら、バロールはやれやれと肩を竦めた。

 

「未熟、未熟──弟子よ。免許皆伝はまだやれぬなぁ」

「師よ──私は貴女を心より尊敬しております。何故、この様なお戯れを!!」

「ほざくな青二才。儂に何か一つでも勝ててから物を言えぃ。槍術も魔導も戦略も、未熟極まるわ」

「ッッ」

 

 ルーは唇を噛み締める。

 バロールは鼻を鳴らすと、跳躍して一対の魔槍を薙ぎ払った。

 生み出された衝撃波は大陸を分断する斬撃と成りてダーナ神族の勇士数千万を吹き飛ばす。

 

 武技と魔導を極めし女神。

 その実力の一割も出す事なく、彼女は勝利を確信してしまった。

 

 編み出した武技魔導一体の絶技を披露する意味も無い。

 数ある死の権能の頂点と畏怖された直死の魔眼を開放する価値が、敵勢には無かった。

 

 バロールは退屈で逆に憤っていた。

 これでは弟子以前に、己が腐り果ててしまう。

 

 そう思った最中──神雷の津波がフォモール族を襲い、悉くを塵に帰した。

 一撃。されど必殺。極大のプラズマ波は破滅の理そのものである。

 

「この埒外の神雷──ゼウスか!!」

 

 バロールとエリザベスは絶対防御たる超高密度障壁を展開する。

 クロウは両手を掲げ物理的に完封してみせた。

 

 バロールは歓喜で叫ぶ。

 己と対等の最上級の神格──今の黄金の雷光は間違いなくゼウスのものだ。

 しかし、彼女の予想は外れる。

 

 ゼウスの誇る世界最強の鎧であり投擲槍、神格武装「雷霆(ケラウノス)」。

 その原点であるギリシャ神話最高の神器──「聖牛雷霆(ケラウノス・オリジン)」。

 

 コレの疑似真名開放による一撃だ。

 ギリシャ神話最強の武器を保有する権利を持つのは、稀代の大英傑──ヘラクレス。

 

 金髪の好青年が黒龍王、クロウ・クルワッハの前に立ち塞がる。

 

 そして、バロールとエリザベスの前に褐色肌の美青年が現れた。

 

「ひゅー♪ 美人が勢ぞろいじゃねぇか。是非ベッドに誘いたいところだが──ま、しゃあねぇよな」

 

 軽口を叩きつつ、溢れんばかりの真紅の闘気を迸らせる美青年──大和。

 生命力の発露である闘気は「生きる力」そのもの。

 元々の素質と余念ない鍛錬によって肥大化した闘気は容易に宇宙を包み込んでみせる。

 

「……なんという事だッッ」

 

 バロールは打ち震えた。

 類稀な好敵手の登場。いいやそれ以上に──完成しかけていた。

 その若さで、青年は既に心技体ともに出来上がりつつあるのだ。

 

 見ただけでわかる破格の才能。一番弟子であるエリザベスに比肩しうる至高の天稟。

 しかし、彼は信念のためにその天稟を改良していた。

 捨てているのでは無く、改良していた。

 武技と魔導、両方を極められた筈なのに、武技に特化した存在に無理矢理進化していた。

 

 途方もない鍛錬を積んで己の存在そのものを改造したのだろう。

 ソレを支える確固たる信念があるのだろう。

 

 その証拠に、彼の双眸には生気が漲っていた。

 この上無く「生きる事」を楽しんでいた。

 

 バロールは歓喜の余り両手を広げる。

 

「素晴らしい……素晴らしいぞ!! 貴様の様な男児が居た事が儂の人生最大の奇跡だッ!!」

 

 彼女の傍らに居たエリザベスにも変化が現れる。

 

「ああっ……何て、眩しい……っ」

 

 エリザベスの瞳に、初めて生気が宿った。

 

 大和の闘気は周囲に「生きる力」を与えてくれる。

 その信念と生き様は、周囲に「生きる意味」を教えてくれる。

 

 彼が何故、闇の英雄と呼ばれているのか──

 その所以がわかる瞬間だった。

 

 

 



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三話「星空に想い馳せ」

 

 

 黒龍王、クロウ・クルワッハは驚愕していた。

 神仏すらも容易に超越してみせたあの生命力──最早人間にあらず。

 等身大の世界──大和は既に「英雄」のカテゴリーから外れていた。

 

 そして、もう一人──クロウの目の前に佇む金髪の好青年。

 彼から感じるプレッシャーも、また尋常では無い。

 彼も特異点──超越者だ。

 

 しかし、違う。

 大和とエリザベスとは決定的に何かが違った。

 

「……人類の代表者、勇者王か」

 

 彼は人類の理想そのもの。

 人類の想いを集約し、それを成し遂げる事を義務付けられた英雄の原点。

 終末論を踏破できる可能性を握る唯一の存在。

 

 ヘラクレス。

 

 彼は外宇宙からの侵略者であるクロウの天敵だった。

 魔王、邪神、怪物──おおよそ人類を脅かす化外に対し、彼は無限大の強さを発揮できる。

 

 そういう存在なのだ。

 

 クロウは震えた。武者震いだった。

 彼もまた、バロールと同じく垣間見たのだ。

 ヘラクレスの背負った想い、そして信念の強さを──

 

 ヘラクレスは右手に絶大な魔力を、左手に極大の闘気を溜め込み、混ぜ合わせる。

 魔闘技法──この状態のヘラクレスは万夫不当の英雄王と成る。

 

 クロウが構える前にヘラクレスの右拳がその頬をブチ抜いた。

 時空間の束縛など関係無い。光速を遥かに超えた速度でヘラクレスは行動したのだ。

 嫌な音を立てながらも、首の筋肉だけで耐えてみせるクロウ。

 逸れた背骨を戻す勢いで拳打を繰り出そうとしたが、肝臓をブローで抉られる。

 メシメシと、嫌な音が鳴った。

 

「ガァ……!!」

 

 吐瀉物を散らし、一瞬動きを止めたクロウにヘラクレスは更に追撃を仕掛ける。

 右腕の関節を折り曲げ、立て続けに肩を脱臼させた。

 激痛で返って思考がクリアになったクロウは虚空で二段蹴りを放ち、ヘラクレスを後退させる。

 

 両腕でガードしたヘラクレスは無表情で再度構えを取った。

 

 クロウは思わずふき出す。

 ドラゴンは物理戦に於いて無敵を誇る、力の塊の様な種族だ。

 腕力もそうだが、戦闘センスや反射神経がズバ抜けている。

 そんな自分達に対して正面から仕掛けてくるなど──

 

「流石だな──若さなど関係無い無双ぶりだ」

 

 オリュンポスに所属する神々の戦士100万人の師範代を務めているヘラクレス。

 現代に於けるボクシングとレスリングの原点「パンクラチオン」の創始者である彼は、徒手空拳でも無類の強さを誇る。

 

 しかし、彼の強さはコレだけでは無い。

 超人体質による無双の怪力、無限大の魔力。多種多様の魔導にオリュンポスが誇る最終兵器。

 遠近攻防に於いて全く隙の無い、あらゆる局面に対応できる──だからこその勇者王。

 

 ヘラクレスは右手に火焔魔導による宇宙開闢と終焉の業火を。左手に魔闘気を溜め込んだ一撃必殺の拳を。背中に絶大な神力を溜め込んだ「聖牛雷霆(ケラウノス・オリジン)」を、既に準備していた。

 

 クロウは苦笑する。

 しかし最後には獰猛に笑って突撃していった。

 

 

 ◆◆

 

 

 洗礼された技量をともなった魔槍二振りが理不尽な暴力を受け流す。

 精緻過ぎる槍捌き、極西最強の異名は伊達では無い。

 大和の振るう見事な両刃の大剣は、恐らくギリシャの誇る鍛冶神、ヘパイストス製。しかし既に刃が欠けていた。若き黒鬼の膂力に耐え切れないのだ。

 

 バロールは指導者としての疼きを止められなかった。

 粗削りながら、その武は確実に対象を破壊、殺戮する事に特化している。しかし未だ暴力。武では無い。

 

 バロールはこの原石を磨きたくて仕方なかった。

 

 同時に疑問を覚える。

 百の刺突に千の虚偽を挟み、それを無理やり掻き消した闇の御子にバロールは堪えきれず問うた。

 

「貴様、名を何と言う!」

「ア? 大和だ」

「ならば大和よ! 何故貴様は魔導を学ばなかった! 覚えられただろう!? 何故だ! その雄々しさと関係あるのか!! 教えろ!! こうも疼いては戦いに集中できぬわ!!」

 

 まるで狂獣。

 狂気と色香をグチャグチャに混ぜた笑みを向けられ、大和は思わずふき出した。

 そして自信に満ちた笑みを浮かべる。

 

「魔導なんて女々しいもん、いらねェよ。男だったら腕力で我を通す。フワフワした異能なんざ神仏共の加護──ご都合主義と然程変わらねぇ。俺は、俺の力で信念を貫き通す!! だからこそ堂々としていられる!! 恥じる事なんて一つもねェからな!!」

「~~~~ッッ」

 

 バロールは初めて、女としての疼きを覚えた。

 幾多の勇士に抱かれても反応しなかった肢体が熱を発しているのだ。

 バロールは表情を蕩けさせながら口角を歪める。

 

「アアッ、勇士よ!! 其方こそ万夫不当の益荒男よ!! 故に、我が必滅の権能も受けきれるよな!!」

 

 アイパッチが開放される事で、常夜に煌く暁の如き左眼が現れる。

 発せられるは死の戦女神、最大最凶の権能。

 

 直死の魔眼。

 

 ソレは概念的な「死」。

 万象一切を強制的に終極へと導くご都合主義の顕現であった。

 全知全能であろうと、不老不死であろうと、同じ死の権能を誇る存在であろうと、問答無用で殺し尽くす魔眼の究極系。

 

 世界最強の殺傷力を持つ権能を、しかし大和は正面から受け止めてみせた。

 そして一喝破砕する。

 

「舐めるなよ……この俺を!! 権能如きで殺せると思うんじゃねェ!!!!」

 

 死の世界が吹き飛ぶ。

 バロールは膝を崩すしかなかった。

 直視の魔眼ですら殺しきれない莫大な生命力は、あらゆる異能術式権能を無効化するだろう。

 

 ソレは、彼の生き様そのものであった。

 

 バロールの首筋に、刃毀れした大剣が添えられる。

 大和は快活に笑ってみせた。

 

「俺を殺したかったら武技でかかってきな。そうして勝てたんなら、おうともさ。喜んで殺されてやるよ」

「……アアッ」

 

 バロールは心底惚れてしまった。

 この幼き益荒男に──

 

 彼女は起き上がり、大和を引き寄せる。

 そして、情愛に任せたディープキスを交えた。

 

 

 ◆◆

 

 

「儂の完敗だ……」

 

 大和の胸板を撫で、妖艶に告げるバロール。

 大和はギザ歯を見せて笑った。

 

「何だ、まだ抗えるだろ? アンタはこんなもんじゃねェ筈だ」

「無論だとも。しかし今は死合う気分では無い。……故に、敗戦条件を提示してもよいか?」

「無理のない程度に頼むぜ。後でゼウスがうるせぇ」

「フフフ……」

 

 バロールは大和の肩を撫でる。

 

「お主ともう一人、儂の弟子になるというのはどうだ?」

「そりゃあ、俺としては好都合だ。アンタの武技は正直スゲェ。是非師事してぇところだ。でも、アイツがな……」

 

「俺なら問題無いぞ」

 

 端からヘラクレスが悠然と歩いてきた。クロウに肩を貸しながら。

 

「俺もまだまだ強くなりたい。武技と魔導の原点であるバロール殿を師事できるのは非常にありがたい」

「クロウをそこまで追い詰めて尚強さを欲するか。若き勇者よ」

「無論だ。俺はまだ弱い。何時か訪れる終末論に向けて、更に強くならなければならない」

「なら問題ねぇな」

 

 大和はバロールを抱き寄せる。

 驚くバロールに彼は笑いかけた。

 

「アンタは師匠としても魅力的だが、女としても魅力的だ。是非、ベッドの上で一試合お願いしたいね」

「……フフフ、まるで獣だな。しかし余計な雑念が無い分、清々しいぞ」

 

 バロールは恍惚と笑むと、大和の腰に手を回す。

 

「儂も先程から疼いてならぬ……この火照り、冷ましてくれるよな?」

「勿論だぜ♪」

 

 大和はバロールの豊満過ぎる乳房を揉む。

 バロールは女らしい喘ぎ声を上げた。

 

 すると、大和の頭上に特大の拳骨が落とされる。

 悶絶している彼の首根っこを掴んで、ヘラクレスは引き摺り歩いた。

 

「まずはダーナ神族へ結果報告だ。お楽しみは後でにしろ」

「だぁぁぁ!! ヘラクレス! テメェって奴は!!」

 

 喚く大和をズルズルと引き摺って行くヘラクレス。

 そんな情けない大和の姿を、遠くから眺めている美少女が居た。

 

 赤みがかった金髪に真紅のドレスを着ている──エリザベスである。

 彼女は大和の事を茫洋とした様子で見つめていた。

 

 大和は唇を尖らせる。

 

「……何だ、アイツ」

「只者では無いな。だが敵でもなさそうだ。無視するぞ」

「おう」

 

 ヘラクレスの言葉通り、無視する事にした大和。

 彼もエリザベスも、未だ知らない。

 

 将来的に互いに惹かれ合い、実娘──黒兎を儲ける事になるとは。

 

 大和とエリザベス。

 他の超越者とは別格の天稟を誇る二名は、実は隠された終末論の担い手だった。

 第一の終末論「ハルマゲドン」にて唯一神が求める人類最終試練──アダムとイブ。

 

 人類滅亡の宿業を背負う、ヘラクレスとは真逆の存在だった。

 

 天使と悪魔による大戦争──ハルマゲドンまで、あと半年。

 運命の歯車は既に動き始めている。

 

 しかし、将来的に二名は宿業ごと唯一神を打破し、終末論を踏破する。

 その支えとなったのは人類の代表者、ヘラクレスとまだ未熟な暗殺者、アラクネだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 満天の星月夜だった。

 天の川が何処に流れているかわからない位、一面に綺羅星が散りばめられている。

 自然が尊ばれる神代だからこそ見れる、神秘の光景だった。

 

 流れ星が幾多も流れていく。

 冷たく、しかし美味な空気を吸い込みながら、ヘラクレスは小さく息を吐いた。

 小崖の上から戦場だった大平原を拝みつつ、神託を達成できた安堵感に浸っている。

 

 すると、極上のワインが入った壺を持って大和がやって来た。

 彼は熱した身体を冷ましてくれる夜風を気持ち良さそうに受け止めている。

 

「ヘラクレス、一緒に飲もうぜ」

「ああ」

 

 黄金の杯を受け取り、微笑むヘラクレス。

 大和は対面に座り、彼にワインを注いだ。

 ヘラクレスは大和の首筋やら頬に付いた赤い痣を発見し、苦笑する。

 

「お楽しみだったみたいだな」

「そりゃもう、極上の女だったぜ師匠は。本人は不感症だなんだと心配してたんだが、実際そんな事無くてよ。声が外に漏れて大変だったぜ」

「全く……」

 

 ヘラクレスは肩を竦めるだけで、何も言わない。

 英雄色を好むという。しかも互いに同意の上だ。口を挟むのは野暮である。

 大和はワインを美味そうに呷りながら、満天の星空を仰いだ。

 

「血沸き肉躍る戦いが出来て、極上の女を抱けて、満天の星空の下で親友と美味い酒が飲める……最高じゃねェか。これ以上は何もいらないね」

「…………」

 

 大和はこの上なく人生を楽しんでいた。

 彼の傍にいるだけでヘラクレスも自然と笑顔になれる。

 大和以上に人生を楽しんでいる存在を、ヘラクレスは知らなかった。

 

 多少、嫉妬もしていた。

 煩悶や責任感から程遠いその生き様が羨ましかった。

 

 しかしそれ等を飲み込み、ヘラクレスは以前から抱いていた疑問を聞く。

 

「なぁ、大和」

「何だ?」

「お前は何で、英雄で在り続ける? 前に言わなかったか? 英雄なんて称号大嫌いだって」

「……ああ、それな」

 

 大和は苦笑しながらワインを注ぎ足した。

 

「今でも嫌いだぜ、堅苦しくてしゃあねェや。有象無象からの称賛もやかましいしよ」

「なら、何故──」

「親友が嫌々英雄を気取ってんだ。俺も付き合わなきゃな」

「……!!」

 

 ヘラクレスが驚愕する中、大和は真面目な顔で言った。

 

「ヘラクレス、お前は本当は何がしたいんだ?」

「……そうだな」

 

 ヘラクレスは潤んだ瞳で必死に笑う。

 

「酒場でも開いて、皆の笑顔を見ていたいな……それだけでいい」

「そうか。なら一緒に頑張ろうぜ。テメェの背中は俺が護ってやる」

「……ありがとう、大和」

 

 互いに腕を組み合う。

 無二の絆がそこには合った。

 生まれも育ちも性格も、何もかも違う。

 だが彼等は親友であった。

 

 背後の木陰で隠れていた暗殺者、アラクネも思わず微笑む。

 怪物と揶揄される男の優しさは、とても心に染みた。

 

 大和とネメアは星空を見上げる。

 彼等は遠い将来に想いを馳せ、今を強く生きる事を誓うのであった。

 

 

《完》

 

 



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第十三章「死神伝」
一話「鎌の少女」


 

 

 世界は何時もそうだ。

 平和の裏には必ず闇が蠢いている。完璧な世界などありはしない。

 そう見えたとしても、見えない何処かで必ず泣いている者がいる。絶望している者がいる。

 悪──小さなものであれば、例えば苛め。大きいものであれば犯罪。

 

 大自然の法則に「悪」という言葉は無い。

 が、なまじ脳が発達した人間は余計な事を考え始める。

 正義か悪かで物事を判断し、大衆の総意を「正しい事」と可決する。

 爪牙を持たない変わりに知恵を持つが、その知恵が世界そのものを腐らせるとは気付かない。

 

 人間とは浅ましい生き物である。

 大多数の生命──いいや、同じ人間すらも食い潰さなければ生きていけないのだ。

 頂点捕食者は、あまりにその頭数を増やし過ぎた。

 本来であれば、地球という星をとっくの昔に食い潰している。

 

 そうならないのは、ある都市で総清算が行われているからだ。

 

 何故、フィクションの存在がこうも明確に世界で認知されているのか。

 何故、人類の成長が世間がこれほどまでに緩やかなのか。

 

 何故──世界はこうも平和なのか。

 

 全ての答えはこの都市にある。

 人類にとって都合の悪い種族と技術が詰め込まれ、同時に莫大な利益と資源を無尽蔵に生み出すサイクルが完成した闇の理想郷。

 

 超犯罪都市、デスシティ。

 

『魔界都市』『裏側』『矛盾の坩堝』『悪鬼の巣窟』『世界の果て』『ソドムとゴモラ』

 様々な異名で知られているものの、現代では都市伝説として完結されている。

 世界政府を始めとした組織が必死に隠蔽しているのだ。

 何せ、都合が悪いから──

 

 この世界に治安という概念は存在しない。あらゆる重犯罪、違法売買が横行している。民間警察も存在しない。その区画を統一する犯罪組織や人外達が仮初の治安を維持しているのだ。

 半ば世界政府公認の違法都市は、人道に反する方法で日々莫大な金を稼いでいた。

 それで得をするのは誰でもない、世界政府を始めとした表世界の住民達である。

 

 世界は良くも悪くも歯車の上で回っていた。

 

 しかしデスシティの本来の姿は別にある。

 人智を逸脱した存在や超高等技術の溜まり場──豊富な資金源はコレ等の副産物に過ぎない。

 

 人外であれば妖精、魔族、妖怪、獣人、亜人、吸血鬼から宇宙人、アンドロイドから邪神まで。

 人間にも、容易に地球や太陽系を破壊できる馬鹿げた存在が居る。

 

 長くこの都市に住んでいる者は、デスシティを超犯罪都市では無く魔界都市と呼ぶ。

 その理由は、この都市が荒唐無稽の人外魔境だからだ。

 

 狂気と混沌を煮詰め、悲哀と絶望をスパイスに──この都市は更に味わい深くなっていく。

 そして今宵も、表世界から子羊達が紛れ込んだ。

 

 表世界の強者など、この都市の住民にとってはゴミ同然の存在。

 ソレが半端に神秘の知識を携えた者なら尚更である。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の摩天楼が一層煌きを増す。その煌きが不浄の輝きである事を皆知っている。

 それでも酔い痴れているのだ。ここは悪徳の都だから。

 

 賑やかな喧騒から逃げる様に伸びる裏通りの道沿いで。

 何かしらの組織の制服を着た若い男女達が、息も絶え絶えに肩を寄せ合っていた。

 彼等の表情は絶望色に染まっている。

 

 通信を取っている青年隊員が恐怖を押し殺す様に訴えた。

 

「駄目です。この都市に入っただけで既に三名、隊員が殺されています。任務以前の問題です。このままでは全滅します……ッ」

『了解しました。ただちに現場から離脱してください。救援は必要ですか?』

「頼みます。このままではいずれ──」

 

 青年が言い終える前に、その肩に何かが置かれた。

 ソレは手だった。しかし、鳥類の羽毛や猫科の爪を交えた異形のモノである。

 既に半分が怪物と化した少女隊員は泣きながら告げた。

 

「隊長……っ、アア、私……コレ……ッ」

「何で……投薬は何時もより多くしているのに!」

 

 少女隊員の口から肉塊が這い出る。目玉は飛び出て、顔面の形が変貌していく。

 他の隊員達もだ。この世の生物とは思えない異形へと成り変わっていく。

 

「aaaaaaa……ッ」

「GA、GA、GA……!」

 

 自分以外の全員が怪物へと転身した。青年は絶望で叫ぶ。

 

「この都市がおかしいのか……あまりに悪意の濃度が高すぎるのかッ!」

 

 ソレが最後の通信音声だった。

 青年の断末魔の悲鳴と共に骨肉が引き裂かれる音、臓物を引きずり出す音がノイズ越しに聞こえてくる。

 

 唯一神教が取り上げる人間の欲望の発露たる七つの項目に天使の残滓──霊子型ナノマシンが過剰反応する事で引き起こる奇病。

 天使病。

 感染された者は天使でも人間でもない、酷くグロテスクな怪物に変貌してしまう。

 

 今宵、超犯罪都市で一つの悲劇が生まれた。

 しかしこの程度のネタ、新聞の記事にもならない。

 殺人? 化物? そんなもの、この都市では日常に過ぎない。

 

 だが、この小さな事件から新たな物語が始まる。

 

 

 ◆◆

 

 

 血と臓物、汚物が齎す悪臭を強力な香水と雌の淫臭で上書きする。

 生温かい瘴気の風に乗って来るのは銃声と爆発音、そして断末魔の悲鳴。

 野次と罵声をサウンドに、どキツイネオンの海が揺らめく。

 

 空を見上げれば暗黒物質(ダークマター)を動力源に滑空する車体の数々があった。その合間を最新鋭のアンドロイドと10メートルを超える飛龍種が交互に飛び抜けていく。

 暗黒の入道雲は数多のテールライドで照らし出され、その禍々しさを一層際立たせていた。

 

 街道を歩くのは当然の如く武装した人間と人外達。

 種族など一々選別してられない。エルフにダークエルフ、オークにゴブリン。

 小豆洗いに火星人。果てには猫やゴリラの獣人など──もう滅茶苦茶だ。

 

 彼等は一見隙だらけに見えるが、実際隙など皆無。

 逆に虎視眈々と弱者を見定めている。

 弱者と判別された瞬間、出せる全ての賃金を吐き出され死体処理屋で換金される。

 この世界は金と暴力が全てなのだ。

 

 その他で言えば──快楽だろうか。

 男も女も肉の疼きを治めるために裸体で絡み合う。

 本能的欲求が尊ばれるこの都市に羞恥などという概念は無い。

 誘い、誘う。それで金が動く事も当たり前だ。

 

 この都市では色々な女が抱ける。容姿だけなら最高のエルフにダークエルフ。

 獣の色が濃い獣人に虫の色が濃い蟲人。その他、多様なモンスター娘。

 ハードなプレイも犯罪都市ならではで、当然の如く嗜まれている。

 

 色欲でこの都市に勝てる場所などありはしない。

 表世界の重鎮や大富豪達も夢中になっていた。

 

 カランカランと、下駄の音が鳴り響く。

 真紅のマントと共に「一夜百合」の香水の匂いが香れば、男は顔を真っ青にし、女は恍惚と立ち尽くす。

 

 日本生まれの筈なのに綺麗な褐色肌をしているのは、彼が怪物である証。

 誕生した瞬間から神を殺せる膂力を宿した肉体は、過酷過ぎる修行の果てに劇的な進化を遂げていた。

 骨格や筋肉繊維の密度が異常極まる。二メートルを超える肢体にギリギリで収まっている。

 

 灰色の三白眼は冷徹な殺意と莫大な欲望を宿して暗く輝く。

 鋭いギザ歯は彼の野性的な性質を極端に表していた。

 それでも薄れない神域の美貌は皇族出身だからか、それとも神の悪戯か、誰にもわからない。

 天上の女神すら魅了する顔立ちに欠点は一切無く、その屈強な肉体と共にあらゆる女を虜にする。

 

 幾多の牝共を引き寄せる理由は、何も容姿だけでは無い。

 その身に纏う危険で淫靡な香り。女達はスリルとエクスタシーを求めて彼に群がるのだ。

 

 フラフラと歩いているだけであらゆる種族の女に声をかけられる。

 褐色肌の美丈夫──大和は抱きついてきた蟷螂(かまきり)の蟲人の額にキスを被せた。

 蟲的な要素を含めつつもとびきり美人な彼女は、頬を朱に染め初心な反応をみせる。

 キチキチと歯を鳴らして、触覚を振り回していた。

 

「さぁて……今日は少し飲んでから女と寝るか」

 

 向かうは大衆酒場ゲート。

 他にも数店舗お気に入りがあるが、やはり友人の経営している店に足が向く。

 懐からラッキーストライクを取り出し慣れた手付きで火を点けると、紫煙をくゆらせながら歩き始めた。

 

 すると、真横にある裏通りからバケモノが躍り出て来た。

 青年らしき生首を愛おしそうに、少しずつ齧っている。

 元は少女だったのか──しかし薄っすらとしか面影が残っていない。

 それ程までに変貌していた。

 

 喧騒達が騒ぐ。

 

「天使病だ……」

「気持ワリィ……」

「しかし、運が悪いなアイツも」

「ああ、よりによって……」

 

 住民達は珍しく、バケモノに対し憐れみの視線を送っていた。

 理由は彼女が出てきたすぐ前に大和が佇んでいたからだ。

 大和は煙草を咥えながらバケモノに告げる。

 

「失せろブス」

「Gigigi……!!」

 

 バケモノは歯を鳴らして威嚇する。

 背中には人間の手足を何十本も生やし、顔面は魚類のパーツででグチャグチャに崩壊させている。

 しかし所々から生えている純白の翼から舞い落ちる羽根は美しくもあった。

 大和は再度、彼女に告げる。

 

「聞こえなかったか? 失せろブサイク」

「GAAAAAAAAAAA!!!!」

 

 全身を震わせ、襲い掛かろうとするバケモノ。

 しかし大和の三白眼を見て、ピタリと動きを止めた。

 

 垣間見てしまったのだ。

 悪鬼羅刹の本性を──

 

 暴力だけで総てを捻じ伏せて来た黒き鬼神に睥睨される。

 身に纏う幾千幾万の呪詛を生命力だけで掻き消し、怨嗟と憎悪の念を心地良いと嘲笑っている。

 

 まさしく格が違う。

 彼は人間でありながら絶対強者であり、頂点捕食者だった。

 

 怯えて指先一つ動かせないバケモノの頭上から、突如として何者かが飛来する。

 黒いローブを纏ったその者は手に持った機械式の大鎌でバケモノを両断した。

 

「GYAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!」

 

 聞くに堪えない悲鳴が木霊する。

 大量出血で瞬く間に動かなくなったバケモノを一瞥し、何者かは大和に振り返った。

 粘着性の高い濁った血液で汚れた顔は、しかし西洋人形の如く可憐。

 年の頃十代半ばほどか。小柄でスレンダーな肢体を何処かの組織の特殊制服で包み込んでいた。

 野暮ったい銀髪が靡けば、生気の無い碧眼が大和を見つめる。

 

 大和は嗤いながら問いかけた。

 

「名は?」

「…………サイス。合衆国連邦、異端審問会第ゼロ部隊所属」

 

 抑揚の無い声音で告げ、大和を見上げる少女。

 鎌の名を持つ彼女と大和の出会いは、物語の開幕を告げる知らせであった。

 

 

 ◆◆

 

 

「ふぅん……見たところ表世界の住民の様だが、体内に色々と「仕込んでる」みてぇだな」

「ッ」

 

 銀髪の少女、サイスは眉を顰めた。

 初対面の相手に内部を覗かれて不快感を抱いていたのだ。

 大和は表情筋だけで相手の心を読んでしまう。

 

「……邪魔しないで。貴方には関係無い案件よ」

「あっそ、ならさっさと殺せよ。まだ息があるぜ」

 

 そう言われ、足元で痙攣する元・同僚を見下ろすサイス。

 その端正な顔立ちを苦渋で歪ませると、機械式の大鎌を振り上げた。

 

「さようなら……」

 

 脳を直接刺し抉られ、天使病患者は完全に死滅する。

 ドロドロと溶けていく肉体。辺りに猛烈な腐臭が漂った。

 サイスの憂鬱げな横顔を覗き見た大和は、何故か可笑しそうにクツクツ喉を鳴らす。

 

「可愛い奴。自分の本性を理解してねぇのか」

「……?」

 

 意味深な発言にサイスは訝し気に首を傾げた。

 そんな彼女の手を引き、大和は歩き始める。

 サイスは抵抗した。

 

「離して」

「表の住民風情が、調子乗ってこの都市を徘徊すんじゃねぇよ。死ぬぞ」

「……」

「奢ってやるからちょっと付き合え」

「嫌よ。私には任務がある」

「有益な情報を知ってるぞ、今から行く酒場の店主は」

「……」

「決まりだな」

 

 大和はサイスを無理やり引っ張って行く。

 目指すはゲート──傭兵王ネメアが経営する大衆酒場である。

 

 

 ◆◆

 

 

 大衆酒場ゲートは夜になると殆ど席が埋まってしまう。しかし正面のカウンター数席だけは何時も開いていた。大和の指定席なのだ。

 

 暴力団の組員達が愚痴りながら酒を呷り、その傷心を獣娘達が癒す。

 エルフの娘達は屈強なオークに擦り寄り、金をせびっていた。アンドロイドの傭兵は脚部のパーツを修繕している。

 

 喧嘩は起こる。当然だ。この都市の住民は異常なほど沸点が低い。

 だが実際に沙汰に及ぶ事はない。何故ならこの酒場は暴力沙汰厳禁だからだ。

 

 店主である金髪の偉丈夫、ネメアは万夫不当の傭兵王。

 あの大和と唯一対等と謳われる豪傑だ。彼の目が光る内は喧嘩など起こらない。

 

 乾いた音と共にウェスタンドアが開かれる。

 現れたのは褐色肌の美丈夫、大和だった。

 何時もと違い、見慣れない格好をした少女を引き連れている。

 

 店内が女共の黄色い悲鳴と男共の憎悪で満たされた。

 ネメアは大和が連れて来た少女を一瞥し、重い溜息を吐く。

 

「また余計な事に首を突っ込んだな」

 

 その予想は当たっていた。

 

 

 ◆◆

 

 

「合衆国の異端審問官なんぞ連れて、今夜は何を仕出かすつもりだ?」

「別に。てかコイツの所属してる組織を知ってんのか、ネメア」

「まぁな。異端審問会……合衆国が編成した対神秘組織。お前の連れている少女は異端審問官。天使を構成する霊子型ナノマシンを体内に注入する事で莫大な力を得ている半人外だ」

 

 ネメアの説明に、大和は「成程」と銀髪の少女──サイスに三白眼を向けた。

 サイスは視線を逸らし、漆黒のローブを揺らしながら大和の手を振り払う。

 

「傭兵王ネメアに黒鬼、大和。異端審問会でもその名はよく耳にするわ」

 

 サイスの千切って捨てた様な物言いに、大和は両手を広げた。

 

「ほぅ、そりゃ光栄だな」

「特に貴方は悪い意味で有名よ、大和」

「カッ、どうでもいい。まぁ、座れよ」

 

 大和がカウンター席に座る。その様子を見つめ、サイスは言った。

 

「何が目的? 真意を聞かせて」

「ん~、暇潰し?」

「……生憎、私はそこまで暇じゃないの」

「天使病に感染した同僚達を葬る──か?」

「!」

 

 大和は意地悪く喉を鳴らした。

 

「ポーカーフェイスが自慢らしいが、無駄無駄。表情と服装、言動で大概予想は付く」

「…………」

「座れやド素人。話を聞かせろ」

 

 サイスは生気の無い碧眼で大和を睨んだ。

 彼の真意が読めない。しかし、逆らえば何をされるかわからない。

 彼の気性の荒さを知識として保有しているサイスは、渋々従った。

 

「……あまり時間が無いの。アイツ等が来るから」

「アイツ等?」

「天使殺戮士──ギネヴィア姉妹よ」

「……ああ」

 

 天使殺戮士。

 プロテスタントが保有する唯一の教会、真世界聖公教会に所属する八名の魔人である。

 大和は以前、二名の天使殺戮士とコンビを組んだが、今回は別のコンビの様だ。

 

 ──面白くなってきた。

 

 大和の口角が静かに歪んだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 矛盾の坩堝、魔界都市に二名の天使が舞い降りた。

 天使と見紛うばかりの美人姉妹。亜麻色の短髪と長髪を揺らす彼女達は、世にも珍しいオッドアイだった。

 

 短髪で右目が青色の美女は殺伐とした雰囲気を漂わせている。

 純白のロングコートに黒革の手袋。漆黒の厚底ブーツ。

 左腕には真紅の逆十字の腕章を巻いている。

 

 長髪の左目が青色の美女は逆に淑やかな雰囲気を纏っていた。

 くるぶしまである漆黒のロングドレスに同色のケープ、ピンヒールのロングブーツがスラリとした美脚を強調する。

 

 騒然とする喧騒達。

 彼女達の美貌は色欲を追求し続ける魔界都市でも頭一つ抜けていた。

 この世の者とは到底思えない。

 たまたま通りかかった暴力団の組員達が彼女達を見定め、上機嫌に口笛を鳴らす。

 早速口説きにかかった。

 

「なぁ姉ちゃん達、今夜暇か?」

「この都市は物騒だからよ。今夜は俺達の所に泊まっていきな。なぁに、悪い様には──」

 

 組員の一名の目と鼻の先に鋭利過ぎる鎌が寸止めされた。

 彼の背後に聳えていた高層ビルが横一文字に両断される。

 轟音を立てて倒壊するビル。土煙と共に発生した突風が組員の冷や汗を吹き飛ばした。

 

 手首から鎌刃を出した短髪の美女──妹であるクイン・ギネヴィアが怒気を一切隠さず吐き捨てる。

 

「失せな三下、次はバラバラに斬り刻むよ」

 

 組員達は情けない悲鳴を上げて退散した。

 フンと鼻を鳴らし得物を収める妹に対して、姉であるジュリア・ギネヴィアは微笑んでみせる。

 

「殺しては駄目よ、クイン」

「わかっているわ、お姉様。私達は天使殺戮士──天使を殺戮するのが仕事だもの」

「わかっているならいいわ」

 

 コツコツと靴底を鳴らして歩き始めるジュリア。

 クインはその傍を離れず追従した。

 

 ギネヴィア姉妹。

 天使殺戮士の中でも「ワケあり」の仕事を任される彼女達は、その容赦の無さから「死神姉妹」と畏れらていた。

 

 



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二話「人間の業」

 

 

 ネメアは新聞を畳むと、険しい面持ちで言う。

 

「異端審問官には明確な欠点がある。霊子型ナノマシンを体内に注入すれば確かに莫大な力を得られる。だが諸刃の剣だ。天使病の発症率が極めて高くなる。そのため、異端審問官は普段から独自の血清を打って霊子型ナノマシンの暴走を抑えているというが──」

 

 ネメアは頬杖を付き、銀髪の少女──サイスを見つめる。

 

「それでも発症率の高さは否めない。故に「同胞殺し」の咎を背負う特殊部隊が存在すると聞いた。天使病が発症した同胞達を処分する異端審問官。──第ゼロ部隊だったか?」

「…………」

 

 ネメアの問いにサイスは黙秘を貫く。

 彼はやれやれと溜息を吐くと、大和に告げた。

 

「最近、見慣れない布切れを纏った天使病の患者が中央区に複数出没しているという。この子はソレに関わっている筈だ。……依頼でも無いのに、何故関わろうとする。大和」

「面白そうだから」

「……お前の趣味はロクでも無い。この子の何が気に入った」

「コイツ、自分の本性を知らねぇのさ。仲間を殺しておいて「悲しんだフリ」をしてやがる。見た時は滑稽過ぎて笑いを堪えきれなかったぜ」

 

 大和の嘲笑を含めた物言いにサイスは片眉を跳ね上げた。

 

「……それはどういう事? 私が、同胞を殺して悲しまない冷酷な女だとでも言いたいの?」

「その通りだ。やっぱり自覚無ぇのか」

「……ふざけないで。幾らなんでも許せないわ」

 

 大和の真紅色のマントに掴みかかったその時、サイスに異変が起こる。

 唐突に口元を押え震え始めたのだ。白磁色の肌が青く染まり、じっとりと嫌な汗をかき出す。

 

「……報告で聞いてたけど、早いわね」

 

 彼女は紫に染まった唇で苦笑すると、大和に言った。

 

「この際、何処でもいいわ。人目につかない所へ連れて行って」

「我が儘な奴だなァ、しゃあねぇ。俺の家に案内してやるよ」

「何でもいいわ。お願い、時間が無いの」

 

 既に自力で立てなくなっているサイスを抱きかかえ、大和は立ち上がる。

 店内から出ようと踵を返した大和に、ネメアは言う。

 

「最近、少女の姿をした神々しいアンドロイドが出没しているという。もしかしたら本物の天使かもしれない」

「ンなワケあるか。堕天使なら兎も角、純粋天使は殆ど破壊した筈だ。少数もお前が封印しただろ?」

「ああ、だが目撃者が多い。実際に目撃された場所の地形が完全に変わっている。馬鹿げた戦闘力だ。可能性は高い」

「……成程、頭の隅に入れておくぜ」

「あと」

「?」

 

 ネメアは複雑な表情で忠告した。

 

「あまり……言及してやるな。例えソレが本性だったとしても、知らないほうが良い場合がある」

「いいや、コイツは知らねぇと駄目だ。何時か壊れる」

「……」

「まぁ、知って壊れる様ならそれまでだったって事だ」

 

 大和は鼻歌交じりに店を出ていく。

 

(趣味半分、悪意半分といったところか──)

 

 それでも、大和の観察眼は世界最高レベルだ。

 何せ、歴史に名を刻んだ英雄偉人達の師を務めてきたのだから。

 

「……」

 

 ネメアは必要以上に関わらない事にした。

 サイスは知り合いでも無いし、客人でも無い。

 

 それに──既に手遅れな気がする。

 彼女は大和にしか救えない。

 

 そう思ったのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 場所は変わって。真世界聖公教会本部にて。

 天使殺戮士に割り当てられる事務室で、書類の山に埋もれている絶世の美青年が居た。

 赤茶色の短髪に漆黒のロングコートが似合う──斬魔。

 その隣には青き死美人、えりあが居た。

 

 彼女は黙々と事務作業に没頭しているが、斬魔は既に項垂れていた。

 えりあは情けない相棒を諫める。

 

「今夜中に終わらせないといけないの。真面目にして」

「もう無理……おっぱい。美少女のおっぱい揉みたい」

「二度は言わないわ」

「お尻でもいい。熟女の尻でもいい……」

 

 ジャキンと、斬魔の頬に特大の銃口が突き付けられる。

 薔薇のレリーフが刻まれた銀色の銃身は世界最大の自動拳銃、デザートイーグルより尚大きい。

 

 えりあの得物、対天使病拳銃「Danse Macabre」だ。

 

 斬魔は顔を真っ青にして羽根ペンを携える。

 

「OK、真面目にやる」

「わかればいいわ」

 

 えりあは無表情で得物をしまう。

 斬魔は唇を尖らせながらペンを奔らせた。

 しかし集中力が持たないのだろう。えりあに話題を投げかける。

 

「今回はあの死神姉妹がデスシティに行ったんだろ? 大丈夫なのかよ。特に妹」

「あの都市なら逆に大暴れしたほうがいいでしょう。でないと住民達が調子に乗るから」

「俺等が行った時、襲われたもんなぁ」

 

 以前の任務を思い出し、斬魔は苦笑する。

 

「そういえばアイツ──大和はあの都市の住民だったな。うはぁ、妹との相性最悪そう」

「確かにね。でも姉の方がどうにかするでしょう。それに、大和は話せばわかる男だわ」

「…………」

 

 斬魔はえりあに怪訝な視線を向ける。

 えりあは小首を傾げた。

 

「どうしたの?」

「いいや、お前が人を褒めるなんて珍しいと思ってよ」

「あら、意外かしら」

「めっちゃ意外」

「大和──彼は誰よりも聡明よ。あの馬鹿げた戦闘力で勘違いされがちだけど、力だけの馬鹿なら殺し屋なんて営めない。あんなに好き勝手暴れられるのは、下地に豊富な知識と経験があるから」

「な、成程……」

「それに、彼は人間の本質をよく理解しているわ……」

 

 悪い意味で、だけど──

 そう言うえりあは物憂げに窓の外を眺めた。

 

 斬魔は悪戯っぽく笑う。

 

「あれ~? まさか恋ですか? ラヴですか?」

「勘違いしないで。彼に同情しているだけよ」

 

 えりあは肩を竦め、羽ペンを奔らせる。

 斬魔は唇を尖らせると、渋々ペンを奔らせ始めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区、裏路地にある大和の仮部屋で。

 薄暗い部屋の片隅で、銀髪の少女が悲鳴を押し殺していた。

 注射器を三本鷲掴み、首筋に突き刺しているのだ。

 筋肉が勝手に躍動し、血脈が浮き出る。

 骨格が勝手に変形していく際に起こる激痛は想像を絶するものだろう。

 

 霊子型ナノマシンなどという神秘の異物を体内に注入した結果である。

 勝手に変形していく肉体を抑えるにはこの方法しか無いのだ。

 でなければ、本当の意味で手遅れになってしまう。

 

 のたうち回るのを必死に我慢している少女、サイスの有り様を、大和は嗤いながら眺めていた。

 

「可哀想になァ、ソレを打たなきゃ禄に生きていけねぇんだろ?」

「ッ、ハァ! ……ッ、……言葉だけの、同情なんて、必要無いわッ」

 

 何度も深呼吸を繰り返し、サイスは漸く落ち着く。

 彼女は額に溜まった冷や汗を拭うと、ベッドで寛いでいる大和の元まで歩み寄る。

 依然嗤っている彼に鋭い碧眼を向けた。

 

「教えて頂戴……貴方は、私に何を見たの?」

「その前に聞かせろ。お前は何故、異端審問官になった。その容姿だ。他にも色々成れただろう」

「……人の過去に容易に触れないで」

「ならこの話は無しだ。テメェは知りたいものを知れずにもがき続けろ」

「ッッ」

「知りてぇなら、まずテメェから話せ」

「…………」

 

 サイスは唇を噛み締めると、嫌々と、己の過去を振り返り始めた。

 

 家族が、大切な妹が不治の病にかかった。

 元々貧しい家系の出身だった。手術費用を出せる余裕などない。

 サイスは妹の生涯を護るために、アメリカ政府に魂を売った。

 

 アメリカ政府は表世界での権力こそ高いものの、対神秘の戦力が貧弱だった。

 日本政府は特務機関を抱え、他にも土御門家を始めとした退魔家系が数多く存在する。

 欧州は黄金祭壇を始めとした魔術結社にカトリック、プロテスタントの両宗教勢力が幅を利かせている。

 

 合衆国連邦は元々、その土地に在った神聖を完璧に否定して成り立った国家だ。

 神仏の加護は無に等しい。更に表世界での権力を重視するあまり対神秘の戦力を疎かにした。

 

 アメリカ政府は即興で『異端審問会』なる対神秘団体を結成した。

 現在、独自の勢力を築きつつある。

 しかし、その勢いの源が霊子型ナノマシン──天使病の元凶なのだ。

 

 真世界聖公教会を始めとした数多くの組織が注意を促しているが、アメリカ政府は一向に止める気配が無い。

 

 彼女──サイスは最初期の被験体の一人だった。

 無茶な実験を何度も繰り返された結果、他の異端審問官より天使病に近い存在になった。

 戦闘力は極めて高いが、天使病に発症する確率も倍近く高い。

 失敗作である彼女は第ゼロ部隊──通称『同胞殺し』への配属を余儀なくされた。

 

 そこからは惨めな人生である。

 後輩から「化物」「失敗作」と疎まれ、上層部からも死神扱いされる。

 天使病にかかった後輩達を殺していく事で溝は更に深まっていく。

 

 死んでいるも同然だった。

 魂が腐っているのだ。腐ってしまったのだ。

 

「成程……」

 

 サイスの身の上話を聞いた大和は、しかし冷酷な笑みを崩さなかった。

 

「ありきたりな不幸話だ」

「ッ」

「悲劇のヒロイン気取ってんじゃねぇよ。テメェはもっと強かな女だ」

「貴方に、私の何が……ッ!!」

 

 サイスはしかし、閉口する。

 激情が一瞬で冷めてしまう程の悪寒に襲われたのだ。

 大和の灰色の三白眼に見据えられる。それだけで心胆が凍えた。

 

 彼の背後に、悪徳なる鬼神を垣間見た。

 開いた窓から凍えるほど冷たい夜風が流れてくる。

 

 大和は低く甘い声で囁いた。

 

「いいや、わかるんだよ。俺ァ……同じ性根の歪んだ奴の本性が」

 

 悪魔の囁き。サイスは両耳を塞ぎたかった。

 何故だかわからない。それは予感だった。

 彼が今から告げる言葉は、己の浅ましい本性を的確に突いてくると──

 

 大和はギザ歯を剥きだす。

 

「お前は嬉しいんだ。この任務を誰よりも楽しんでいる」

「……何を、言って」

「自分を見下して調子に乗ってる後輩達を、大義名分の下に殺す事ができるからなァ」

「……違うッ」

「お前は俺と初めて会った時、口の端を歪めていたんだよ」

「違うっ……違う違う!!」

 

「お前は同胞を殺して悲しんでたんじゃない……笑顔になるのを必死に堪えてたんだ」

 

 サイスの表情が絶望色に染まる。

 己の浅ましい本性を暴露されて──

 言葉で否定できても、本心では否定できない。

 

 大和は堪えきれず、クツクツと喉を鳴らした。

 

 

 ◆◆

 

 

 絶望の余り硬直するサイス。

 その頬に一筋の涙が流れた。人間としての在り方を否定された。己の浅ましさを浮き彫りにされた。

 サイスは憤慨する気力すらも失っていた。

 

 大和はその頬に伝う涙を拭う。

 サイスが視線を上げると、不気味なほど優しく微笑む怪物が居た。

 

「何を悲しむ? むしろ喜ぶべきだ。お前は「本当の自分」を見つけたんだから」

「…………」

「確かに浅ましい欲望かもしれねぇ。でもそれがどうした? お前は天使病に感染した無能な同胞達を葬ってやっているんだ。上層部から命令されてな」

「…………あァ」

「その大義名分を利用して存分に愉しめばいいじゃねェか。いいんだよ……やるべき事をやっていれば」

「アアア……」

 

 サイスは己の心が浅ましい化物に変質していく事を察する。

 その生気の無い碧眼に宿ったのは、狂おしい程の憎悪と歓喜だった。

 

「何も後悔する事はねぇ。お前は正義だ、肯定される側だ。誰でも無い、俺が肯定してやる……お前は正しい」

 

 暗黒のメシア──彼が何故そう呼ばれるのかを、サイスは漸く理解した。

 彼は認めてやれるのだ。人間の浅ましさを。愚かしさを。

 何故なら、怪物だから。

 

 現に彼は世界そのものから肯定され続けられている。

 何故なら、彼の誇る暴力は世界にとって都合の良いものだからだ。

 大金で容易に雇う事ができる強大な暴力を、世界は、人間は、何時の時代も求めている。

 

 大和とサイスはある意味似た者同士だった。

 大和に銀髪を撫でられ、サイスは口角を緩める。

 ソレは本当に歪んだ笑みだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 その頃、中央区の路地裏にて。

 問答無用でバラバラにした元・異端審問官を踏み躙り、金髪の美女が怒号を響かせた。

 

「……ったく。アァ~、もうムカつく!!」

 

 白いロングコートが似合う死神姉妹の妹、クイン・ギネヴィア。

 彼女は柳眉を吊り上げ右腕を振り払う。

 手首に鋭利過ぎる鎌刃が収納された。

 

「何が異端審問会だよ……本当ッ、ふざけんなよ!!」

 

 厚底ブーツで傍にあったダストボックスを蹴り上げる。

 派手な轟音と共に生ゴミと紙くず、そして得体の知れない肉塊がブチまけられた。

 ザワザワと裏通りから這い出てきた豚虫共がソレらにたかり始める。

 ソレを見たクインは更に胸糞悪そうに舌打ちした。

 

「落ち着きなさい、クイン。何をさっきから苛立っているの?」

 

 静謐で、まるで金鈴を鳴らしたかの様な美しい声が響き渡った。

 壁を背に立ち、聖書に目を落としている黒づくめの美女。

 くるぶしまで届くロングドレスに漆黒のケープ。背中まで流れる金髪に白磁の如き肌。

 

 実の姉に対し、クインは困った様に唇を尖らせる。

 

「だってお姉様! 合衆国連邦の奴等、あろう事か霊子型ナノマシンに手を出してるのよ!? 本当にアイツ等……馬鹿よ馬鹿!! 馬鹿は死んでも治らない!! アタシらの仕事ムダに増やしやがって!! 何時か絶対にタコ殴りにしてやる!!」

 

 激高するクインに対し、姉のジュリア・ギネヴィアは静かな微笑で応えた。

 

「いずれわかるでしょう。人間が天使の力に不用意に近づけば何が起こるのかを……」

 

 ジュリアはふと、街道から絶大なオーラを感じて振り返った。

 街道上を亜光速で飛翔していく神秘的なアンドロイドがいた。

 青髪と無機質な双眸がやけに印象に残る。

 その身に纏う純白の装備、そして神々しさに、ジュリアは表情を顰めて壁から背を離す。

 

「クイン。この仕事、早めに終わらせましょう。嫌な予感がするわ」

「……? うん! わかった!」

 

 ジュリアの何時になく冷たい表情を見て、クインも真面目に頷いた。

 

 

 ◆◆

 

 

「フフフッ……ハハハッ! ハハハハッ!!」

 

 薄暗い室内で、不気味な哄笑が木霊する。

 銀髪の少女、サイスは壊れてしまったのか──天井を見上げ嗤っていた。

 

「私が! まさか! そんな愚かな存在だと思わなかった! ええでも、少し自覚はしていたの。でも認めたくなかった! 認めたら、私が私で無くなってしまいそうだったから!」

 

 腹を抱えひとしきり笑った後、サイスは大和を見上げる。

 隣に座っているにも係わらず、やけに大きいその体躯は彼が怪物である最たる理由だった。

 その美貌も、邪気も、精神も、とてもでは無いが人間性を感じられない。

 

 だからこそだ。

 サイスは救われた。己の浅ましさを教えられ、理解し、受け止められた。

 

 サイスは改めて理解する。大和が羨ましかったのだ。

 蔑まれても笑顔を絶やさない彼の強かさに羨望と、それ以上の嫉妬を覚えていた。

 

 しかし、今はソレらが全て歪んだ愛情へと変貌していた。

 サイスは怪物の逞しい胸板に細い指を這わせる。

 

「素敵……アア、なんでこんな魅力的に見えるのかしら」

 

 サイスは碧眼を潤ませる。

 蠱惑的になった彼女を大和は抱き寄せ、目と鼻の先まで顔を寄せる。

 サイスは抗わなかった。

 その細い肢体を腕の中に収め、大和は甘く囁く。

 

「お楽しみは後でだ。まずはお前の仕事を全うしろ。殺せ、殺すんだ……自分を蔑んできた奴等を大義名分の下、グチャグチャにして踏み潰せ。その後のセッ〇スは、アア、最高だぜ。火照った身体を互いに貪り合うんだ。本能のままにな」

「アア……ッ」

「狂気に酔い痴れろ。正義を嘲笑え。人生なんざ楽しんだもん勝ちだ。現世という地獄の底で、一緒に踊ろうぜ」

「ええ……貴方と踊るのは、最高に刺激的だと思うわ……っ」

 

 表情を蕩けさせるサイス。

 その碧眼にはドス黒い輝きが爛々と灯っていた。

 大和は嗤う。

 

 その時──二名の居た仮部屋が眩い閃光に呑み込まれた。

 無慈悲の破壊光線が裏路地を一画ごと消し飛ばしたのだ。

 

「なんだァ……?」

 

 大和は右手を掲げる事で完封していた。

 しかしその手の平から漂う白煙は、肌を多少なりとも焦がされた証。

 

 大和は眉を顰める。

 己の肉体に干渉できる存在など、魔界都市と言えど数少ない。

 一体何者なのか──

 

 襲撃者は、大和達を上空から睥睨していた。

 森羅万象の源、超高密度エネルギーである純エーテルを纏いし可憐なる執行者。

 絶大なオーラを纏った神秘のアンドロイドに、大和は双眸を見開いた。

 

「純粋天使……いいや、違う世界の高位次元存在か。デスシティに迷い込んだのか? いいや……明確な敵意を向けてきてやがる。狙いは……コイツか」

 

 大和はサイスに視線を落とす。

 襲撃者は無機質な声音で告げた。

 

「第二危険種を発見。執行を開始します。神罰代行──総ては創造主の意のままに」

 

 その身に纏う純白の装甲は、未知の科学と神秘で形成された絶対防御。

 か細い手に携えられた斧槍は悪を穿つ必滅の神槍。

 

 異世界に座する超越神の意思に従い、濃紺色の純エーテルを纏う執行者。

 厳かな大口径ビームライフルを発現し、その銃口を大和達に向けた。

 

 大和は嗤ってサイスの背中を後押しする。

 

「ここは俺に任せろ。お前は成すべき事を成せ」

「でも……」

「言っただろ? 人生は楽しんだもん勝ちだ。窮地をパーティに見立てるんだよ。お互い、愉しもうぜ」

 

 大和は本当に嬉しそうに改造式火縄拳銃を二丁取り出す。

 その横顔を拝んだサイスは、同じ様に狂気の笑顔を作った。

 

「……そうね。お互い、楽しみましょう!」

「おうさ! 狂おしいパーティーの始まりだぜ!」

 

 大和はノリノリで超圧縮した闘気を放つ。

 サイスは駆けた。同胞達を嬲り殺すために──

 

 狂乱の宴の開幕だった。

 



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三話「覚醒・死の天使」

 

 

 雨が降り始めた。緩やかな雨だ。冷たい雫が魔界都市を浸していく。

 暗黒の入道雲に稲妻が駆け巡った。重たい雷鳴が遠くまで木霊する。

 

 突然の雨に住民達が雨宿りする場所を求め駆け回っていた。

 その流れを断ち切る様に裏通りから異形のバケモノが飛び出てくる。

 天使病の患者である。ヒルを上半身に巻き付けたかの如き異形は、不気味な唸り声を上げていた。

 何処にあるかわからない目で見据えるのは、白黒の死神姉妹。

 

 天使殺戮士。

 天使病の患者を狩る使命を帯びた魔人達。

 

 姉妹のオッドアイが冷徹な光で濡れる。

 髪に滴る雨水を掻き上げ、妹であるクイン・ギネヴィアは嫌悪を言葉にした。

 

「無駄な足掻きをするんじゃないよ。死ね、さっさと死ね。アンタ等は生きてるだけで迷惑な存在なんだよ」

 

 理不尽な物言いに聞こえるが、事実だ。

 天使病の患者は人類の天敵。共存などありえない。殺意と欲望のみで行動する彼等を人類は容認できない。

 

 故に殺す。故に天使殺戮士が存在する。

 降り注ぐ雨水を弾き、クインの手首がブレる。繰り出されるは暴力を孕んだ斬撃。無造作に放たれた銀閃は患者の両足を難なく切断した。

 

 奇声を上げてのたうち回る患者。死神姉妹の足音が甲高く響き渡る。

 住民達は既に雨宿りの場所を見つけたのだろう、街道は閑散としていた。

 

 患者は水溜まりの中を転げ回る。クインの手首から鎌刃が現れた。今度こそ仕留めようとしていた。無軌道な斬撃が淡い光を纏う。雨水すら切断した真空波は患者の目前まで迫った。

 

 直後、弾かれる風刃。

 患者の背後にあった高級ホテルに無数の斬線が浮かんだ。瞬く間に瓦礫と化す。

 住民達の悲鳴と怒号が入り混じる中、クインは忌々し気にオッドアイを細めた。

 

 目前に佇んでいる、漆黒のフードを被った少女。

 可変式の鎌を担ぎ、制服を泥水で汚している。

 スカートから覗かせる白い太腿に血脈が浮かび上がったと思えば、患者を蹴り殺した。

 断末魔の悲鳴を上げる患者を何度も蹴り続け、最後には踏みつけ靴底で捻じ伏せる。

 

 振り返れば銀髪が水を弾き、憎悪で輝いた双眸が死神姉妹をゆっくりと捉える。

 彼女は囁いた。

 

「邪魔をしないで……」

 

 彼女は口の端を歪めて吠える。

 

「彼等は私の同胞よ! 私が始末しなきゃいけないの! 私が殺すの……いいえ、殺したいの! だから邪魔しないで!」

 

 七色に輝き出す碧眼は、七つの大罪に犯されながらも自我を保っている証。

 クインは苦虫を口一杯に噛み潰した様な表情をした。

 

「お姉様……コイツ」

「ええ、手遅れよ。発症しかけているわ」

 

 姉であるジュリアは手元に純銀の球体を二つ携える。

 クインも両手首から鎌刃を飛び出させた。

 

 異端審問官の少女──サイスは狂気に彩られた笑顔で可変式の大鎌を携える。

 彼女は既に化物になっていた。その汚れた心に反応し、霊子型ナノマシンも活発に蠢いている。

 

 雷鳴が轟き渡る。

 三名の重なった影が、雷光の齎した光によって映し出された。

 

 

 ◆◆

 

 

 豪雨を弾くは真紅の闘気。靡く同じ色のマントには染み一つ付いていない。

 世界最強の武術家は光を超える速度で魔界都市を駆け巡り、そして中央区の大通りに辿り付いた。

 

 彼は振り返り、同じ速度で追走してきた神罰の代行者を見上げる。

 濃紺の純エーテルを纏う彼女もまた、雨水の干渉を受け付けていない。

 

 褐色肌の美丈夫──大和は仰々しく両手を広げる。

 

「異世界からの来訪者なんて珍しくもねぇ。この都市はそういう場所だ。でも、お嬢ちゃん程の存在は稀だぜ?」

 

 彼女は無表情で神槍を構える。そして術式開放と共に投擲した。

 

万象穿つ神殺しの槍(グングニール)

 

 北欧神話の主神、オーディンが誇る最強の神格武装。ソレと似た起源を持つ投擲魔導。

 万象穿つ「絶対貫通」と神仏必滅の「神殺し」の呪詛が練り込まれた規格外の一撃。

 

 ソレを大和は二本指で難なく受け止める。

 純エーテルで限界まで強化された数多の宇宙を難なく穿つ斧槍を当たり前の様に受け止めたのだ。

 

 衝撃が魔界都市を滅ぼす前に大和は手首を返し、斧槍を投げ返す。

 執行者もまた、表情一つ変えずに斧槍をキャッチした。数度回転させて純エーテルによる強化を解除する。

 

 大和は改めて執行者の容姿を確認した。

 濃紺色の髪は肩にかかる程度で、同じ色の瞳は怜悧に輝いている。

 最低限の布地で纏められた服装には純白の装甲が纏わりついていた。

 その美貌は女神にも負けず劣らずで、発育も中々。無感情な面をしていても思わず見惚れてしまう。

 

 実力は純粋天使──しかも最高位の熾天使クラスだ。

 油断ならない。

 

 しかし、だからこそ、大和は嗤った。

 

「俺に武術を使わせるだけの価値はありそうだ。それにその容姿──いいねぇ、その不愛想な面をベッドの上で無理やり歪ませたくなった」

 

 ピクリと、執行者の眉が跳ねた。

 その碧眼に一瞬浮かんだ嫌悪の念に大和は唇を歪める。

 腰に差していた赤柄巻の大太刀と脇差を両方抜き放ち、挑発した。

 

「来いよレディ──負けたら処女喪失だぜ?」

 

 怪物がその本性を現した。

 

 

 ◆◆

 

 

 サイスの脳裏に駆け巡る、過去の情景。

 彼女の体内で活性化を極めている霊子型ナノマシンがわざと見せているのだ。

 一秒を那由他まで引き延ばす超感覚で、過去の情景を掘り起こしている。

 

 その内容は、サイスの精神状態に深く結び付くものだった。

 

 最愛の妹が、このままでは一生ベッドで寝たきりで過ごさなくてはならない。

 その手を握り、高額の治療費を稼ぐと固く誓った。

 アメリカ政府直属の異端審問会に入団し、非人道的な実験に参加する事で治療費を免除して貰った。

 

 自分が人間でなくなっていく事も甘んじて受け入れた。

 しかし、結果としては『失敗作』の烙印を押された。

 あまりに霊子型ナノマシンとの同調率が高いため、危険分子と敬遠されたのだ。

 

 真実を知らずに昇格試験に落ちた事を絶望していると、逆に昇格した後輩から嫌味を吐かれた。

 

「あら~、誰かと思えば先輩じゃないですか~? もしかして不合格だったんですか~? うっわカッワイソー♪」

 

 嘲笑われても、何も言えなかった。

 

「ま、それでもゼロ部隊の枠が有って良かったじゃないですか。ゼロは無能のゼロですけどね♪ じゃ、そういう事で。せいぜい底辺は底辺同士で頑張って下さいね、セ・ン・パ・イ♪」

 

 悔し涙で、前が見えなかった。

 それでも最愛の妹のためだと我慢した。

 正規隊員や上層部から罵倒されようとも、必死に激情を押し殺した。

 

 ある日、よく嫌味を吐いてくる後輩が任務中に血清を無くし、天使病にかかった。

 その後始末を任された。何故か心が躍った。

 

『セ……センパイ……助けて。早く……薬を……お願いッ』

 

 地べたに這いつくばり、背中から無数の腕を生やしている少女。

 既に手遅れだった。殺すしかない。

 

 悲しみは無かった。

 むしろ──

 

「残念だわ。貴女はもう手遅れよ」

『ウソッ……まだ間に合う。だから薬を、お願いッ。あっ……ご、ごめんなさい! 前から私、心にも無いことを……』

「いいのよ。許してあげる」

 

 目の前に血清で満ちた注射器を落とす。

 彼女がホッと安堵の表情を浮かべた瞬間、ブーツの底で注射器を踏みにじる。

 

『アぁッ……そんな……ッ』

「さようなら」

 

 可変式の大鎌を振りかぶり、思いきり振り下ろす。

 

『イヤァァァァ!! 痛い!! 痛いイタイッ!! お願い、助けてェェェェェ!!!!』

 

 返り血で顔面が汚れても、丁寧に手足を削いでいった。

 中々死なない様に、何時までも痛みが続く様に、角度を変えて振り落とした。

 

 あの時覚えたドス黒い感情を、以前は頑なに否定していた。

 しかし今は──

 

 ────正直になるって、こんなにも気持ちいいのね……ええそうよ、憎かった! 殺してやりたいほどに! 私と違って何も捨てずに成り上がって、調子に乗ってる奴等が全員!! だから嬉しいの!! ソイツ等を大義名分の下に殺せる!! これ以上無いほど快感なのよ!! 

 

 人間の浅ましさの発露に、霊子型ナノマシンが過剰反応する。

 死神姉妹の姉、ジュリアは標的の急変化に柳眉を顰めた。

 

 彼女の得物である一対の銀球、『Puni sherMaiden』が三メートルを超える鎌刃に変形する。

 亜光速で迫るソレをサイスは得物で難なく弾き返した。

 弾き返された巨大な鎌刃。その鏡仕立ての表面に映ったサイスの本心を見て、ジュリアは珍しくオッドアイに憐れみの色を灯した。

 

 彼女の得物には様々な特殊能力が備わっている。

 ソレでサイスの心中を覗いてしまったのだ。

 

「クイン……手心は無用よ。本気で殺してあげなさい。この哀れな少女を──」

「わかったわ! お姉様!」

 

 クインは手首足首から変形鎌『Guillotine』を飛び出させる。

 雨水を掻い潜り、刹那にサイスの懐に入った。振るわれるは斬撃の暴力。銀閃の嵐。

 同じ天使殺戮士の斬魔の正確無比な斬撃とは違い、矢鱈目鱈な乱れ斬り。

 

 サイスの右腕が、左足が、胴が、首が、顔が、斬線と共に斬り飛ばされる。

 しかし一瞬で再生した。骨肉の接合部分が血管と共に伸びて繋がり、元に戻る。

 臓物も即座にその機能を復活させた。ありえない再生能力。

 

 クインは忌々し気に標的と視線を合わせる。

 七色に輝く双眸が、鮮血もかくやとばかりの真紅色に染まっていた。

 

 直感が叫び飛び退けば、同時に爆風が生まれる。

 クインは姉の元に飛び降りると、激高し叫んだ。

 

「遂に人間を辞めやがったな!! 化物が……!! 絶対に殺してやる!!」 

 

 毒素を含んだ魔風に包み込まれるサイス。

 それが止んだ後に出て来た彼女は、天使という名の化物になっていた。

 

 背に生えているのは漆黒の大翼。広がれば常夜色の羽根が雨水と共に落ちる。

 真紅に輝く双眸は七つの大罪を超克した証。

 肩に担いだ生物的要素を取り込んだ巨鎌は天使病の患者の如く。

 肉体の変化は特に著しい。最早怪人だ。

 頭から無数の羽を生やし、首から下は爬虫類を連想させる装甲で覆われている。鋭角的で、彼女の憎悪と殺意を刺々しく表していた。

 

 神々しい。しかしそれ以上に禍々しかった。

 ジュリアは微笑を消し、冷徹な声音で囁く。

 

「サマエル──死を司る熾天使」

 

 サイスの顔中に血管が浮かび上がる。

 霊子型ナノマシンの突然変異──現世に顕現した第二の堕天使は歪な笑顔をこぼした。

 

 

 ◆◆

 

 

 極限まで練磨された暴力が吹き荒ぶ。魔界都市が悲鳴を上げ、地球が泣き叫んだ。

 殺意の津波を切り裂き、神槍を掲げた執行者。可憐な面を緊迫で固め、極大の純エーテルを溜め込む。

 長大なビームライフルを顕現させトリガーを引けば、万象消滅させる破壊光線が伸びた。

 漆黒の鬼は双刀を掲げて乱斬りを放ち、周囲の建造物ごと破壊光線を斬り結ぶ。

 

 両者距離を詰め、斧槍と大太刀を振りかぶった。

 しかし遠く離れたサイスの変貌に気付き、互いに距離を取る。

 

 大和は嗤った。

 

「遂に覚醒したな……クックック」

「……何が可笑しいのです。何が面白いのです」

 

 執行者は眉根を顰め糾弾した。

 

「貴方が彼女を陥れなければ、この様な事態にはならなかったのです。また、この世界の闇が深まった」

「オイオイ、言いがかりはよせよ。俺は背中を後押ししてやっただけだ。それに──」

 

 大和は灰色の三白眼を細め、世界そのものを嘲笑う。

 

「この世界は何時もこんな感じだ。綺麗な様で汚れている、正しい様で間違っている。アイツの有様はこの世界が齎した結果だ。アイツが悪いんじゃねぇ、腐った世界が悪いんだよ」

「…………」

 

 黙る執行者。

 大和は両手を広げて挑発した。

 

「でも、俺がいなくなれば多少マシになるかもなァ?」

「ッ」

「来いよ、神サマのお人形。正義の味方を気取りてぇんだろ? 丁度良い標的がいるぜ」

「……断罪します。貴方の魂を必ず滅却します」

 

 濃紺色の純エーテルを纏い、断罪モードに突入する執行者。

 大和は真紅のマントを靡かせ、凶悪な笑みを浮かべた。

 

 

「ショータイムの再開だ。さァ、俺を愉しませろ!」

 

 

 ◆◆

 

 

 執行者──“エクスキューター”コード:ヴァルキリー。

 個としての名前はリウ・α・プロキシマ。

 

 彼女は別世界の超越神によって創造された高次元霊体である。この世界の純粋天使に非常に酷似した存在だ。超越神に代わって世界に仇名す害悪を排除する責務を帯びている。

 

 秩序の楽園「エリュシオン」から召喚された彼女はこの世界の危険因子と成り得る少女、サイスを排除するつもりでいた。しかし邪魔されている。誰でも無い、この世界の「悪」の一端を担う怪物によって。

 

 リウは「全知」のプログラムで怪物の素性を知っていた。

 人間でありながら邪神を葬れる力を誇る規格外。物理的な戦闘力だけなら別次元でも勝てる存在はいないだろう。しかし何よりその邪悪性。言葉にする事すら憚られる。

 

 彼はあまりに偏っていた。戦闘力と精神性が噛み合っていない。低俗で下劣で悪辣で、強者特有の「格」がまるで無い。しかし、ソレが彼の強さの秘訣なのだ。

 

 リウは戦慄を覚える。

 リウは異世界最強の超越神によって創造された無敵のアンドロイドだ。

 それでも、目の前の怪物を仕留められるかわからなかった。

 

 リウは短期決戦に持ち込む事を密かに決意する。

 超越神お手製の“魂”をフル稼働させ、体内外で無限量の純エーテルを製造。普段の数十倍もの戦闘力を発揮できる奥義──アニマドライヴを発動する。

 纏う濃紺の純エーテルが綺羅星の如く煌く。刹那、彼女は消えた。時間の束縛すら余裕で無視できる超高速移動。大和でも残像を捉えるのがやっとの最速移動だった。

 しかし大和は優々と対応してみせる。眼前に迫る斧槍を首を傾げるだけで避けてみせた。

 

「!!」

「速度は一級品だ。しかし動きが単調過ぎる。これなら幾らでも避けられるぜ」

「ッッ」

 

 リウは得意技、次元跳躍システムで転移を重ねる。同時に幾多のフェイントを織り交ぜた。が、当たらない。繰り出した攻撃を悉く無効化される。

 リウの攻撃を双刀で弾き返しながら大和は嗤った。

 

「無駄無駄。テメェは力こそ中々だが、戦闘経験がからっきしだ。折角の力を活かす方法を知らねぇ。それと──」

 

 リウの転移する場所に、既に斬撃が置かれていた。転移を中止し次の転移を試みるも、其処も既に塞がれていた。リウは瞠目する。次手を完璧に読まれ、カウンターを置かれている。

 

「動きが効率的過ぎる、読みやすいんだよ。模範解答なんざわかりきってる」

 

 大和はリウの神槍を宙に弾き、その首筋に双刀を這わせる。

 垂れ落ちる真紅の鮮血を愛おしそうに眺めながら、狂気と共にギザ歯を剥き出した。

 

「場数が違うなァ……このままじゃ本当に犯しちまうぞ」

「ッ」

「落胆させてくれるなよ」

 

 遊ばれている。彼は未だ実力の一端も出していなかった。本来の戦闘スタイルを披露していない。それでもこの差である。リウは己の経験不足を呪った。目の前の邪悪を打ち倒す術が、今は無い。

 彼女は薄桃色の唇を噛み締めると、次元跳躍システムで遠方に転移した。

 そして忌々し気に大和を見据える。

 

「此度は退きます。ですが次こそは貴方の魂を滅却します。必ずです」

「……いいぜ、今回は見逃してやる。お楽しみはとっておかねぇとな。今度はちゃんとお仲間ちゃんを連れて来い。お前の戦闘スタイルは仲間がいる前提のもんだ」

「……ッ」

 

 読心術で何もかも読まれてしまい、リウは心底悔しそうに異世界へ転移する。

 大和は肩を竦めると大太刀と脇差を収め、踵を返した。

 

「さぁて、サイスの様子を見に行くか……どんな風に変貌してるのか、楽しみだ」

 

 ニヤニヤと、本当に楽しそうに嗤いながらこの場を後にする大和。

 暗黒色の入道雲は未だ唸りを上げ、豪雨を降り注がせていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 サイスは人理を超えた。元々の素質と霊子型ナノマシンの囁きに従順になった事で開花したのだ。禁忌の力に。

 第二の堕天使、死を司る堕天使──サマエル。純粋天使の中でも最高位の「死の権限」を持つ彼女の現身であるサイスは疑似的とは言え彼女の誇った権能を行使できる。

 荒れ狂う腐毒の魔風。中央区の一画を瞬く間に呑み込んだ汚濁の竜巻は内部にある全てを腐り殺した。魔術防御も特殊合金も霊体も地脈も、関係無く汚泥に変える。

 

 致死の権能の疑似再現、腐毒の理。

 

 サイスは哄笑を上げた。見える、感じる。人間を辞めた事で得た超感覚によって莫大な情報量を収集、処理できる。今の一撃で死んだ生物は500弱。辛うじて逃げ延びたものもいる。しかしどうでもいい。サイスの腐らすべき怨敵は別にいた。

 

 魔の灼眼が遠くに飛び退いた死神姉妹に向けれられる。汚濁の権能が光より早く浸透すれば、その視界に収まる全てが溶け落ちた。超濃度の陰気の擬人化である彼女は、動作の一つ一つで死をばら撒く事が可能である。

 

 更に遠くへ飛び退いた死神姉妹を追おうとせず、サイスは己の絶対的な力に酔い痴れていた。哄笑が止まらない。これで復讐ができる。憎きアイツ等を嘲笑う事ができる。憎悪の念が更に膨れ上がり、霊子型ナノマシンは歓喜の過剰反応を現した。尚も高まる力を感じ取り、サイスは両手を広げて高笑いする。

 

 遠く離れた超高層ビル、その屋上にて。

 死神姉妹はサイスを冷徹な双眸で見下ろしていた。強風と共に大粒の豪雨が降り注ぎ、雷鳴が木霊する。まるで彼女達の心境を表しているかの様だった。妹のクインが呟く。

 

「お姉様、チャンスよ。アイツは自分の力に酔い痴れてる。今なら殺せる」

「そうね。……クイン、この天候を利用するわよ。一気に決めてしまいなさい」

「了解」

 

 姉のジュリアが一対の銀球を積乱雲に向けて飛翔させた。直後、天候が更に荒れ狂う。稲妻がまるで意思を持つかの様に中央区全域に降り注ぎ、巨大竜巻が幾つも発生した。阿鼻叫喚の大天災の中をクインは降りていく。

 天変地異の只中を駆け巡る純白のロングコート。屋上で天災の指揮を執る漆黒のロングドレス。その様をキッチリと視界に収めて尚、サイスは嗤っていた。

 

 その笑顔は漆黒の鬼に、あの怪物にソックリだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 豪雨がクインを覆い、雷鳴がその足音をボカす。竜巻で巻き上がる瓦礫は良質な足場だ。大自然の驚異がジュリアの指揮の下、サイスに牙を向く。幾条もの稲妻が打ち落とされた。10億ボルトを誇る自然界最大の攻撃がサイスを包み込む。

 しかし全て溶け崩れた。サイスの腐毒の理は「法則」であり、有機物無機物を問わない。自然現象であろうと腐り滅ぼす。続けて竜巻が周囲の建造物を巻き上げて迫り来るも、吐息を吹きかければ容易く霧散した。

 

 油断大敵。サイスの背後でオッドアイが輝く。竜巻で巻き上がった瓦礫に飛び移り、クインはサイスの背後を取ったのだ。両手首から乱雑な剣舞が放たれる。サイスは振り返らず禍々しい大鎌で弾き返した。彼女のうなじに無数の邪眼が蠢く。腐滅の魔眼が煌いた。クインはその視線上から即座に飛び退く。

 

「チィ……!!」

 

 隙が無い。数多の超高層ビルを瞬時に汚泥に変える魔眼は食らえばひとたまりも無い。サイスは既に天使病患者の枠組みを超えていた。その権能は上級悪魔や東洋の鬼神に匹敵しうる。

 肉体から這い出て来た無数の眼を操りながら、サイスは携えている大鎌でクインを追撃する。無限に伸びていく邪鎌は伸縮自在。そして軟体動物の如く捻じれ曲がる。鞭の様にしなる鎌刃をクインは辛うじて捌くも、肝心の魔眼を避ける事で集中力が乱れていた。ジュリアの自然災害による援護が無ければとっくに腐り果てている。

 

 サイスは更に鎌刃を五枚増やした。付け根を伸ばしてクインを滅多斬りにしようとする。銀閃が乱れ重なるも、クインは怒涛の乱撃で無効化した。しかし捌き切れずに肩や脇腹を抉られる。唇を噛み締めるクイン。すると、眼前に迫る邪鎌の一つに突如として魔眼が浮き上がった。

 

「クッソ!!」

 

 クインは上体を反らして視線から退避する。しかしその隙が命取りとなった。触手の如く伸びる邪鎌がクインを背中から貫き、他の刃も群がった。

 

「グ……アァ!! ァァ……ッッ!!!! ~~~~~~~~~!!!!」

 

 クインの悲痛な叫びが木霊する。遠くからソレを聞いていたサイスは喜悦で口元を緩めた。そしてクインの肢体をバラバラに引き裂く。水溜りの中に肉塊達が音を立てて落ちた。

 

「貴女達、姉妹なのね……そう。私にも妹がいるわ。とてもとても大事な──でも、既にどうでもいい事よ。ここまで堕ちてしまったら、合わせる顔が無い」

 

 いいえ、それでもと、サイスは唇を歪ませる。

 

「また会っちゃうかもしれない──だって、大事な妹だもの。あの子のせいでこうなったんだから……お姉ちゃんとして顔を合わせなきゃ」

 

 既に手遅れだった。サイスは心まで怪物に変貌していた。しかし、彼女をここまで追い詰めたのは周囲の人間達であり、この混沌とした世界だ。妹想いの健気な姉を怪物に変えてしまった罪を、世界は贖わない。そうしてまた絶望が生まれていく。世界は虚偽と怨嗟で満ちていた。

 

「グダグダうるせぇよ……このバケモノ」

「!!!!」

 

 サイスは弾かれる様に振り返る。瞬間、鋭利過ぎる鎌刃が彼女の目と鼻の先で静止した。疑似堕天使化した事で絶対防御、天使の羽衣(エンジェルベール)が常時発動しているおかげで命拾いした。サイスは先ほど引き裂いた筈のクインの亡骸を確認する。が、ソコには何も無かった。

 彼女は忌々し気に囁く。

 

「貴女のお姉さん……中々意地悪ね」

「アンタより百倍素晴らしいお姉様よ!!」

 

 クインは埒外の腕力で天使の羽衣を徐々に裂いていく。絶対防御たる天使の羽衣を筋力のみで裂ける出鱈目さこそクインの長所だ。

 サイスは彼女の鎌刃を素手で掴み、腐滅の魔眼を発動しようとする。この距離で得物を掴まれていては逃げられない。しかしクインは不敵に微笑んでいた。彼女は姉に絶対の信頼を置いていた。

 

 サイスとクインを遮る様に三メートルを超える鎌刃が通り過ぎる。鏡磨きのその表面は特殊加工の施された逸品だ。腐毒の魔眼を鏡の如く反射してしまう。

 

「ッ」

 

 このままでは自分が腐り落ちる。サイスは視線を逸らした。その一瞬の隙が命取りとなる。天使殺戮士達は生粋の格上殺しである。人智を逸脱した存在と常に戦っている彼女達は格上との戦闘に慣れている。しかしサイスは違った。疑似天使化した事で性能こそ上がったが、経験値は生前通り。つまり不足している。

 

 死神姉妹の猛攻撃に晒され、無惨に斬り刻まれていくサイス。しかし彼女は嗤っていた。物理的な斬撃など幾ら浴びても痛くも痒くもない。「死の熾天使」の現身であるサイスは死から最も遠い存在だ。そう──

 

「それでも、貴女は自分の権能を避けた。つまり貴女の不死性はその権能に耐え切れない」

 

 何時の間にかやって来ていたジュリアの囁きに、サイスは真紅の双眸を見開く。肉体が何時まで経っても再生しないのだ。斬られた箇所から腐敗が進行している。この現象は──

 

「まさか……私の権能を吸収したの!?」

「一時的に、だけど。でも私達には十分過ぎる時間だわ。……貴方は不用意に権能を使い過ぎた」

 

 サイスは回復できない。抗おうとしても邪鎌ごと切断される。彼女は堪らず悲鳴を上げた。

 

「嫌!! 嫌よ!! こんなところで死にたくない!! 私にはまだ、やる事が……ッ!!」

「アンタの事情なんざ知ったことか」

「天使病の患者は必ず殺す。ソレが天使殺戮士の使命なの……ごめんなさい」

 

 死神姉妹の刃が重なる。サイスの首筋を断たんと唸りを上げる。サイスは涙目でもがいた。最後の最後で脳裏に浮かんだのは、最愛の妹の笑顔だった。

 

「オイオイ、それ以上はやめろや。死んじまうだろ」

 

 サイスを抱き寄せ、大きな手の平で死神姉妹の鎌刃を受け止める褐色肌の美丈夫。

 サイスは毒々しく濁った涙を流しながら、暗黒のメシアを見上げた。

 

「大和……っ」

「危ねぇところだったな。ったく……」

 

 優しい笑みを浮かべる怪物に、死神姉妹は険しい表情を向ける。

 対立は、避けられそうに無かった。



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四話「明けの明星」

 

 死神姉妹は怪物の素性を知っていた。当然である。真世界聖公教会は歴史ある組織だ。この男の存在を無視する筈がない。単身で世界を滅ぼせる人類のイレギュラー、超越者の代表格。闇の英雄、暗黒のメシア。

 

 嘗てロンドンを滅ぼしかけた天使教の幹部を弓矢一発で堕としたその武勇は同僚の天使殺戮士から嫌という程聞かされている。格上殺しを基本とする死神姉妹でも、彼を倒す事はできなかった。何故なら彼も格上殺しだから。

 

 最弱の種族と揶揄される人類でありながら無二の才能と努力によって数多の格上を殺してきた。魔王であろうが神仏であろうが邪神であろうが、だ。確定した人類滅亡、終末論も踏破してみせた。

 

 同じ格上殺しでも格が違う。歩んできた歴史が違う。

 

 そも、天使殺戮士は人間を殺せない。そういう規則なのだ。天使病の患者以外を殺してはならない、そういうルールに則って行動している。

 

 故に彼との相性は最悪だった。それでもクインは犬歯を剥き出しにして威嚇する。

 

「そこをどけ、バケモノ……斬り刻むよ」

「ん~? 天使殺戮士は天使病の患者以外殺せないんじゃなかったか?」

「殺さなければいいんだよ。五体不満足になりてぇのか……」

「粋が良い嬢ちゃんだ。でも止めておいたほうがいいぜ。俺とテメェ等じゃ力の差がありすぎる」

「ッ」

 

 唇を噛み締めるクイン。姉のジュリアも険しい面持ちをしていた。大和は濡れて浮かび上がる彼女達の肢体をイヤらしい視線で舐め回しながらも、手を払い告げた。

 

「退けや、今回は見逃してやる。本来なら無理やり犯してやるところだが──テメェ等、斬魔とえりあの同僚だろ? アイツ等に免じて今回だけは見逃してやる」

「テメェ……ざっけんなよッッ、マジで斬り刻んでやるッッ!!!!」

 

 クインは激高して両手首足首から鎌刃を飛び出させる。が、ジュリアが手で制した。クインは思わず叫ぶ。

 

「お姉様!! 退いて!! そのクソッタレを斬り刻む!! アタシは兎も角、お姉様にイヤらしい視線向けやがって……絶対許さねぇ!!!!」

「落ち着きなさい、クイン。話が進まないわ」

 

 ジュリアは何処までも冷静に、いいや冷徹に大和を見つめていた。すると、あらぬ方向に視線を向ける。

 

「何時まで静観しているつもりかしら? いい加減出てきて頂戴──貴女の返答次第で、全てが決まるのだから」

 

 ジュリアの意味深な物言いに、大和は口角を歪めた。すると上空から何かが降りてくる。それはもう──まるで天使の如き女性であった。

 

 濡羽色のショートヘアに紫苑色の双眸。高い鼻梁に絹地の如き柔肌。純白の軍服を盛り上げる豊満な肢体はしなやかさも伴っている女体の黄金律。容姿的年齢は二十代半ばほど。思わず平伏したくなる気高さを放っている。

 

 彼女は桃色の唇に微笑という名の嘲笑を浮かべ、優雅に礼をする。

 

「お初にお目にかかる。天使殺戮士のお二方」

「…………明けの明星、ルシファー」

「おおっと、自己紹介の前に名前を言い当てられるとは思っていなかった。ああそうだ、私はルシファー。異端審問会のトップを務めている。以後、よろしく頼むよ。仇敵のお二方」

 

 原初の堕天使。七つの大罪の内『傲慢』を司る最古参の魔王。

 彼女は非常に人間臭い笑みを浮かべた。

 

 

 ◆◆

 

 

「自由の国は原初の堕天使を懐柔したのかしら?」

 

 ジュリアの問いにルシファーは歪な笑みを浮かべた。

 

「本当にそう思うか? 聡明な貴殿だ、既に私の思惑も理解しているだろう」

「買い被られたものね。でも、傲慢を司る貴女の思惑なんて、誰でもわかるわ」

「これはこれは、随分と安くみられたものだ。しかし反論できん。貴殿の言っている事は正しいからな──そう、実に単純なのだよ、私の目的は」

 

 ルシファーは振り返る。そして大和が抱きかかえる第二の堕天使、サイスを愛おし気に見下ろした。

 

「新人類の創造──いいや、正確に言えば新世界の創造か。アメリカの大統領は実に話のわかる人間でね、実験を兼ねて異端審問会を結成してくれたんだよ。そして早二年──遂に成果が出た。彼女こそ人類の希望、霊子型ナノマシンを超克した第二人類! フフフ、素晴らしいじゃないか!」

 

 両手を広げ歓喜を表すルシファーに、ジュリアは冷酷な眼差しを向けた。

 

「よりによって貴女が、元・純粋天使の長だった貴女が、人類の原罪である天使病を否定するの?」

「ああそうだとも。不公平だと思わないか? 魔族や神仏は何不自由無く暮らしているのに、人間だけが数多くの脅威に晒されている。天使病もその一つだ。アア、不公平だ……」

 

 ルシファーは狂気の笑みを浮かべ、己の理想を謳う。同時に雷鳴が響き渡った。

 

「だから進化させるんだ! 人類を一つ上の段階に押し上げる! そうしたら魔族も神仏も傲慢でいられなくなるだろう? 皆平等でいられる!」

「……傲慢を司る大魔王が傲慢を否定するのは、皮肉か何かかしら?」

「私はね、人類を愛しているんだ! 無知蒙昧で愚かで弱くて狡賢くて卑猥で矮小で、そんな羽虫同然の人間を! だから救ってやりたいんだ!」

「ああ……」

 

 成程、そういう傲慢かと、ジュリアとクインは納得した。彼女は人類を愛しているが、同時に見下しているのだ。だから救ってやりたいと言っているのだ。

 壊れている。理性があるとは到底思えない。しかし──抗えない。絶対的な力の差がある。目の前の諸悪の権化を滅する力を、死神姉妹は持っていなかった。

 クインが心底悔しそうに歯噛みしている中、ジュリアはあくまで冷静に、ルシファーの隣にいる大和に問う。

 

「大和さん、貴方は──」

「俺はどっちにも付かねぇ。どうでもいいんだよ、人類や世界の事情なんざ。手を貸して欲しいなら金を払え。今この場で」

「…………」

 

 無理だ。彼もまたルシファーとは違うベクトルで壊れている。いいや、実際には二名とも壊れていない。恐ろしいほど常識を理解している。が、敢えて無視しているのだ。自分の欲望に素直に生きている。

 ジュリアは瞑目し、暫く無言でいると踵を返した。クインは驚愕して呼びかける。

 

「お姉様!?」

「退くわよ、クイン。この案件は既に私達の領分を超えている。本部に戻って結果報告をするわ」

「……ッッ、わかったわ」

 

 豪雨に紛れて姉妹達は消えていく。瞬く間に気配が消えた。

 大和は意地悪く嗤いながらルシファーに問う。

 

「追わなくていいのか? 後々面倒な事になるぜ」

「いい、その面倒を愉しんでこそだ。何せ数億年暇を持て余していたからな。刺激が欲しい」

「人類を救いたいってのも、ようは暇潰しか。つくづく傲慢だな」

「フン、貴様にだけは「傲慢」と言われたくないな。それに、人類を救済したいという気持ちは本物だとも」

 

 ルシファーは大和に振り返る。彼女もまた、大和と同じく雨水に濡れていなかった。原初の堕天使──その神秘性は最上級の神仏に匹敵する。自然現象如きが干渉できる筈もない。

 彼女は唐突に大和に擦り寄ると、その逞しい胸板を撫で上げた。

 

「なんなら貴様も救ってやろうか? 人間なのに生来怪物と忌避されてきた貴様だ。人類が同じ土台に立てば嬉しいだろう?」

「いや全然。マジでどうでもいい」

「……そうか、やはり貴様は私と同じく傲慢だ。人類を、この世界を、見下し続けるのか」

「イイ性格してるだろ?」

 

 ルシファーの額にキスを被せる大和。ルシファーは照れ臭そうに微笑むと踵を返した。

 

「その子のメンタルケアを頼む。貴様が導いた子だ、貴様と一緒に居たほうがいいだろう」

「任せとけ。慰めといてやるよ」

「調子が戻ったら本部に戻ってくるよう伝えておいてくれ。厚遇するとも」

「おうさ」

 

 光輝を纏って消えていくルシファー。豪雨も小雨になり、次第に止み始めた。今回の騒動に決着が付いた証だった。大和は腕の中で子供の様に寝息を立てるサイスの頬を愛おしそうに撫でるのであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 サイスが目を覚ますと、堕天使化した肉体が元に戻っていた。己の血肉となった霊子型ナノマシンが教えてくれる。これからは自由に堕天使化できると──。サイスはそれよりも、布団の上で己を抱き寄せていた大和にまるで子猫の様に甘えた。

 己を導き救ってくれた男は、サイスにとって唯一無二の存在になっていた。もう彼無しの人生は考えられなかった。

 

「ありがとう、大和……愛してる」

「チョロイ女」

「誰でも堕ちるわよ、あんな救われた方したら……」

 

 かけられた侮蔑の言葉に、しかし嫌味はなかった。だからサイスは微笑む事ができた。その微笑には最初に出会った、あの生気の欠片も無い人形の様な面影が何処にもない。

 

「身も心も貴方に捧げたい……でも私──もう人間じゃない。それでも貴方は、私を愛してくれる?」

「おうさ、お前より醜悪なバケモノなんざこの都市には幾らでもいる。気にすんな」

「大和ぉ……っ」

 

 それ以上の言葉は不要だった。サイスは蕩けきった表情で大和の唇を吸う。大和は彼女の舌を己の舌で絡め取った。

 小柄な、言い換えれば枝木のような細い肢体を丹念に愛撫すれば、可憐な喘ぎ声が上がる。大和は甘い言葉をかけながら何度も彼女を絶頂に導いた。跨り、腰を揺すればサイスの表情がふやけて甘い声音が一層高くなる。

 体位を変え、何度も混じり合った。喘ぎ声が掠れ、何も考えられないほどに。部屋の中が牝の淫臭で雄の汗の匂いで満たされる。二人は飲食も忘れ、三日三晩愛し合った。

 

 サイスは愛されることの歓びを知りながらも、想像を絶する快楽に酔い痴れたのであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 三日後。サイスは以前と変わらぬ役職に就いてた。

 異端審問会、第ゼロ部隊。通称「同胞殺し」「落ちこぼれ部隊」。数多の屈辱的な異名を持つこの部隊に何故、わざわざ入っているのか──聞くまでもない。サイスは望んでこの役職に就いているのだ。この部隊での経験が、彼女の欲望の発露であり激情の根源だから。

 

 しかし変わった事もある。サイスは自室で最愛の妹とスクリーン越しに談笑を交えていた。

 

「お姉ちゃんね、実は凄い役職に就けたの。異端審問会の総帥様から下される特務を遂行する極秘のエージェント──その最初の一人に選ばれたのよ」

『ええ!? ほんと!? すごーい!! 流石お姉ちゃん!! お姉ちゃんは私達家族の誇りだよ!!』

 

 画面越しに両手を上げて大喜びしている少女は、サイスと瓜二つの容姿をしていた。サイスは姉らしい温和な笑みを浮かべる。

 

「大袈裟よ──あと、今の事は他言しちゃ駄目よ? 内緒の職業だから」

『うん! わかった!』

「ソッチに回せる金額も大分増えるから、それで好きなものを買いなさい。元気になった分、一杯楽しまなきゃ」

『でも、お姉ちゃん……』

「?」

『お姉ちゃんは、辛くないの? お父さんもお母さんも心配してるよ……?』

「…………」

 

 サイスは平静を装って告げる。

 

「ええ、大丈夫よ──皆、良い人だから。最初は辛かったけど、今は上手くやってるわ。だから心配しないで」

『本当?』

「本当よ。それに、私にとって一番の幸せは貴女達が幸せに暮らせる事なの。だから、そんな顔しないで?」

『……うん。私、一杯楽しむよ! お姉ちゃんが幸せになる位、いっぱい人生を謳歌するから!』

「……ありがとう。じゃ、もう寝るわね」

『またね!』

「ええ、また……」

 

 サイスは通信を切ると、顔を両手で覆う。

 狂気の笑みを隠すためだった。

 

「貴女は知らなくていいのよ──コッチ側に来ちゃ駄目。もう、戻れなくなるから」

 

 サイスの顔の半分が、堕天使化していた。

 そう、彼女はもう後戻りできない場所まで来てしまった。

 これが人間の性。世界の闇。彼女は世界の汚泥を被り過ぎた。しかしサイスは後悔していない。むしろ清々しさすら覚えていた。

 

 堕天使の笑い声が木霊する。

 誰もいない廊下に、何処までも──

 

 その真意を知る者は誰もいなかった。

 

 

《完》



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第十四章「冥界伝」
一話「最悪の徒党」


 

 

 次元の狭間の更に辺鄙な領域に、雅貴と七魔将の隠れ蓑があった。暗黒の鉛雲に真紅の稲妻が幾重にも迸る。段々と邪悪なる魔城郭の輪郭が露わになってきた。

 世界最強の陰陽術師である雅貴が丹精込めて造り上げたこの領域は例え最上級の神仏であろうと害せない。世界最悪のテロリスト達に相応しい拠点である。

 

 最上階。荘厳ながら薄暗い天守閣にて。漆黒色の大日本帝国陸軍の正装を靡かせ、稀代の大陰陽師は邪悪なる金眼を細めた。

 

「盟友達よ。今回は新たな同志を迎え入れるための最終会議だ。重大な発表もあるのだが──」

 

 雅貴はやれやれと肩を竦める。目の前に並ぶ七つの座布団。そこには三名しか座していなかった。

 

『堕天使の長』 ウリエル

『剣神』 正宗

『平天大聖』 牛魔王

 

 それ以外の面子は欠場している。理由は考えるまでも無い。桃色のショートヘアを揺らして、ウリエルは苦笑した。

 

「仕方ないよ。僕達以外の面子は超が何個も付く癖アリだ」

「全くだ」

 

 牛魔王は相槌を打つ。正宗は腕を組み、黙して座していた。雅貴はしかし、クツクツと喉を鳴らす。

 

「それでいいのだよ。貴殿等は自由でいい。普段はな。しかし今回は冥界の神々と大戦争をしなければならないのだ。是が非でも集合して貰うぞ」

「そもそもだよ? 冥界に居る「あの女神」を勧誘するのは良いんだけど……冥界の神々にわざわざ手紙を送るのはどうかと思うなぁ」

「面白そうだからやった! 後悔は微塵も無い!」

「ハァ……」

 

 ウリエルは溜息を吐く。牛魔王も頭を押えていた。

 雅貴はこういう男なのだ。稚気と邪悪を交えた度の過ぎる享楽主義者。世界を混沌に陥れる運命にある真性のトリックスター。

 雅貴は豪快に笑い続ける。

 

「なぁに、問題無い。今から来る男が来れば万事解決だ。他の盟友達も集合するだろう」

「ほぅ……それ程の存在がこの場に来るのかい? 是非名前を知りたいね」

 

 ウリエルが小首を傾げると、雅貴は愉快愉快と口角を歪めた。

 

「貴殿が虜になっている男だよ。その様な益荒男、この世界に一人しかおるまい?」

「それって……」

 

 天守閣に通じる障子が開かれる。真紅のマントが靡いた。その褐色の体躯は限界まで鍛え抜かれている。灰色の三白眼に凶悪なギザ歯。神域の美貌はあらゆる異性を虜にしてしまうだろう。

 纏う空気は邪悪と威風を交えた絶対強者のソレ。

 魔界都市の誇るジョーカー。四大終末論を踏破せし暗黒のメシア。世界最強の殺し屋にして武術家──大和。

 

 彼は顎を擦りながら嗤った。

 

「依頼があるって言うから来たぜ。雅貴」

「大和……ッ」

 

 ウリエルが表情を蕩けさせる。牛魔王は鈍痛のする額を押え、正宗は殺気とも呼べる剣気を迸らせた。

 雅貴は両手を広げて彼を歓迎する。

 

「歓迎するぞ大和殿! 報酬はきっちり払う! 存分に暴れてくれ!」

 

 世界史の中で、これ程までの事態は類を見ない──最悪の依頼主と殺し屋が結託したのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は堂々と佇みながら嗤う。

 

「しっかし、俺を雇うたぁな。七魔将だったか? ソイツ等で十分だろ」

「同感だ」

「そうじゃ、雅貴。よりによって何故この阿呆を呼んだ」

 

 牛魔王と正宗が言及するも、雅貴はカラカラと笑った。

 

「面白そうだからだ! それ以外の理由など無い!」

「そうか、聞いた俺が馬鹿だった」

「むぅ……」

 

 両者とも唸る。当の大和は正宗に舌を出し、中指を立ててみせた。

 

「お爺ちゃん、無理するなよ。もうそろそろ腰ヤバいだろ?」

「斬り伏せられたいのか?」

「おうやるか?」

「よかろう。牛魔王、立ち合い人を任せてもいいか」

 

 両者共、濃密な殺気を滲ませる。非常に不味い状況だった。二人の仲の悪さは尋常では無く、下手すれば本気で殺し合いを始める。最悪、雅貴の拠点であるこの居城が次元の狭間ごと崩壊しかねない。

 しかし、雅貴本人は大爆笑していた。

 

 牛魔王は仕方なく、大和の腹に抱きついている堕天使の長に仲裁を求める。

 

「ウリエル」

「わかってるよ。……ほら、大和。喧嘩は駄目だよ」

 

 六枚の機械翼で浮遊し、大和の頭を撫で撫でするウリエル。大和は苦笑しながら彼女の頬にキスした。ウリエルはくすぐったそうに身動ぎする。

 

「ったく……命拾いしたな、糞ジジィ」

「ウリエル。そこを退け。そ奴を微塵斬りにする」

 

 その言葉に、大和は嘲笑しながら両手を広げた。

 

「ハァ? できんの? お前に?」

「女と寝る事しか能の無い猿を斬るなど、造作も無いわぃ」

「イイ度胸だ。表出ろよ」

 

 両者の眉間に深い皺が刻まれた。ウリエルは溜息を吐くと、大和の顔を豊満な乳房の中に埋める。

 

「駄目だって言ってるだろう? 落ち着いて」

「……ハァ」

 

 大和は正宗から視線を外した。正宗も牛魔王に肩を叩かれ、舌打ちしつつ柄巻から手を離す。

 高みの見物をしていた雅貴は、しかし愉悦と笑った。

 

「正宗殿でコレなのだ。他の面子が来ればどうなる事やら……そぅら、噂をすればだ」

 

 大和の前に三つの魔導紋様が浮かび上がる。それぞれ蒼白、深緑、黄金色だ。其処から出てくる──七魔将でも特に癖ありの面々が。

 

「大和。貴様……来るのであれば先に言え。私のツガイとなる雄の自覚が足りないぞ」

「大和ちゃ~ん♪ おひさ~♪ あれぇ? ネメアちゃんいねぇの? 残念~っ」

「極上のワインを持参したぞ、大和。さぁ飲もう。今夜こそ貴公を口説き落とす」

 

 フェンリル、ヒュドラ、ゼウス。その見事なまでの個性の強さに、牛魔王は項垂れた。

 

「雅貴……俺は気分が悪い。後は任せるぞ」

「なんと! 今から面白いところだぞ! 牛魔王殿!」

「冗談を言うな」

 

 牛魔王は青褪めた顔で天守閣を後にした。後に残ったメンバーは早速激しい自己主張を始めるのであった。

 

 

 ◆◆ 

 

 

 数時間後。大和は天守閣で雅貴と二人、酒を嗜んでいた。

 薄暗い大広間で二人して嗤い合っている。

 

「いやァ、あの面子と徒党を組むなんざどうにかしてるぜ、お前」

「褒め言葉と受け取っておこう」

 

 大和の朱杯が空になれば鬼姫──鈴鹿御前こと茜が美酒を注ぎ足す。

 嫌悪感を丸出しにして、だが。しかし大和は面白そうに笑んでいた。

 

「お前の女か」

「ああ。自慢の女だ、美しかろう」

「インドの第四天が誇る美姫だ、そりゃ格別だぜ。お前も隅に置けねぇなァ」

「フッフッフ」

 

 雅貴の「自慢の女」発言に顔を真っ赤に染める茜。その初心な横顔を楽しそうに拝んだ後、大和は雅貴に聞いた。

 

「冥界にいるっていう最後の七魔将……もしかしてバロールか?」

「御名答だ。貴殿を含め、多くの勇士を育て上げた伝説の魔戦姫──手紙を送ったら返事が来た。今回の冥府下りは彼女を迎えに行くためのものだ」

「師匠の事だ、冥界で死者共を鍛えるのにも飽きてきたんだろ。丁度良いんじゃねぇの?」

 

 大和が朱杯を仰ぐと、雅貴は面白そうに小首を傾げた。

 

「暗黒のメシアと揶揄されているものの、貴殿は紛れも無い英雄だ。我等を止めようとは思わぬのか?」

「愚問だな、テメェ等を止める理由がねぇ。今のところは……な」

 

 大和は茜に酒を注いで貰うと、雅貴に問う。

 

「逆に問うぜ。テメェの目的は何だ? あんな癖アリの面子を揃えて、何がしたい」

「人間賛歌」

「……ハッ、マジかよ」

「マジだとも」

 

 雅貴は稚気と邪悪を交えて嗤った。

 

「恐怖に立ち向かう気高き精神、諸人はそれを「勇気」と讃える──俺は今時の言葉でいう「王道」が大好きなんだ」

「冗談じゃあ無さそうだな」

「応さ。しかし現代には恐怖が足りない。故に勇気も生まれない」

「つまり、お前が恐怖の象徴になると?」

「その通りだ。皆、勇んで俺に立ち向かってくるだろう。俺はその雄姿をこの眼に焼き付けたいのだ……!」

「ハッ」

 

 狂ってやがる。その言葉の代わりに、大和は鼻で笑った。

 

「お前に立ち向かう気骨のある奴が、現代にいると思うか?」

「焦るな。じっくり育てていくさ。恐怖と共にな」

「変態だな」

「変態で結構。そういう貴殿も中々に変態だと思うが?」

「なにぃ?」

 

 大和が笑いながら首を傾げるので、雅貴も思わず噴き出した。

 

「貴殿はコチラ側だ。混沌を好み、自由を尊ぶ……悪と謗られようが曲げられない信念がある。貴殿と俺は似た者同士だ、違うかね?」

「違うな」

「ほぅ」

 

 雅貴は茜に酒を注いで貰い、朱杯を揺らす。

 

「何処が違う?」

「テメェは他者の奮い立つ姿が好きなんだろう? 俺は他者を嬲り殺すのが好きなんだ」

「趣向の違いではないか。結局、理想を成すために他者を殺すというところは変わらない」

「……」

「俺も貴殿も、れっきとした悪人だよ」

「……クククッ」

 

 大和は面白そうに嗤った。

 

「侮れねェなぁテメェも。七魔将と同盟を組むだけはある」

「ハッハッハ! 貴殿からの賛辞は100の黄金に勝る! ありがたく受け取ろう」

 

 二人は上機嫌に美酒を飲み干す。雅貴は朗らかに告げた。

 

「襲撃は明朝。貴殿には存分に暴れて貰いたい」

「任せておけ。報酬分の働きはするさ」

 

 どれだけ誇り高かろうが、純粋な理想を抱いていようが──

 悪は悪なのだ。

 

 二人の語らいを聞いていた茜は、静かにそう思うのであった。



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二話「冥界襲撃」

 

 

 明朝、冥界の空は紫苑色と暗黒色を混ぜ合わせたかの様な不気味な色合いを呈していた。

 此処には世界中のあらゆる種族の死者が集う。彼等は各勢力の死の神達によって生前の罪に値する相応の裁きを下されるのだ。

 

 此処は正義と悪、白黒キッチリ付ける最後の裁判所。故に無法は絶対に許されない。死の神々は雅貴と七魔将を徹底的に迎え撃つ気でいた。

 

 ギリシャ神話のハデス、北欧神話のヘル、エジプト神話のオシリスを中心に会議が進められる。しかし内容は切迫したものだった。

 

 冥界は神々にとって「不可侵領域」だ。死という概念から縁遠い神々はこの土地に容易に踏み込めない。各神話の神々が冥界に容易に入れない逸話が多数存在するのはこのためだ。

 

 しかし今回は特例である。神話の縛りを無視して、最強の武神衆が集った。

 

 八天衆。

 

 インド、中国神話から選出された武神集団。人類の──いいや、世界の守護者達。

 各神話の過半数の可決が無ければ出動を許されない彼等は、今回特例で冥界に呼ばれた。

 可決を待てる猶予が無い──そう判断されたのだ。

 

 死神達が罪人達を緊急避難させている。その様子を拝みながら、黒髪の美壮年が溜息を吐いた。

 

「あ~あ」

 

 漆黒の縮れ髪を肩まで流し、顎には少々髭を残している。頬はこけ、身体の線も細い。が、その肉体は限界まで鍛え込まれていた。漆黒のスーツを着崩した彼は咥え煙草を吐き捨て、再度溜息を吐く。

 

「面倒臭ェ……今日はオフだったってのに……」

 

 彼こそ八天衆の長であり、世界最強の武神。嘗てインド神話の頂点に君臨した古今無双の軍神、インドラこと帝釈天である。

 

 彼のヤル気の無い態度に、隣に居た黒髪の美女がその細い眉を顰めた。蒼白の戦装束に身を包んだ彼女は帝釈天を厳しく諫める。

 

「貴様の事情など知った事か。いい加減ヤル気を出せ。そんな無様な姿を見せているから王位を剥奪され、神話でも馬鹿にされるのだぞ」

「うわぁひでェ。俺、一応お前の上司だぜ?」

「貴様の様な上司に持つ私の身にもなれ」

 

 眉間に特大の皺を寄せる女武者に、帝釈天はやれやれと肩を竦めた。彼女は毘沙門天──帝釈天の懐刀を務める最強の女武神である。

 

「最近、妻の精神的DVが酷い件について」

「殴られたいのか?」

 

 顔を真っ赤にして拳を握る毘沙門天。部下兼愛妻である彼女の反応が面白いので、帝釈天は適度に彼女をからかっていた。

 

 彼は新しい煙草を取り出しながら言う。

 

「やる事は既にやった。他の面子も所定の位置に付いたし。後は奴等を待つだけなんだよ」

 

 八天衆の面子は以下の通り。

 

 帝釈天。毘沙門天。ガルーダ。カーリー。スカンダ。哪吒太子。顕聖二郎真君。

 そしてもう一名──

 

「大将。俺ぁどうすればいい?」

 

 鈴の音の様な声。十代半ばほどの美少女だった。稲穂の様な金髪を腰まで流し、中華系の真紅の鎧に身を包んでいる。額には金色の輪っかが嵌め込まれていた。

 その黄金の双眸に宿る覇気は尋常では無い。幾多の戦場を潜り抜けた歴戦の風格を漂わせている。

 

 彼女に帝釈天は笑いかけた。

 

「お前は戦況を見て対応してくれ」

「りょーかい」

 

 彼女の名前は孫悟空。斉天大聖の名で知られる、中国で最も著名な仙人だ。

 

 その時である、遥か上空で莫大な闘気が開放されたのは──。帝釈天と毘沙門天、孫悟空は反応する。唯一無二の真紅の闘気──帝釈天は「マジかよ」と苦笑した。

 

 暗黒のメシアが、遥か上空から奇襲を仕掛けて来たのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 各勢力の神仏達が丹精込めて仕上げた絶対不可侵の超高密度多重障壁が呆気なく崩れ去る。それは七魔将襲撃の合図であり、同時に別の「絶望」の来訪を知らせる警告でもあった。

 

 冥界の空一面を覆う真紅の闘気。八天衆は即座に悟った。七魔将が、雅貴が、あの男を雇ったのだと。

 

 事態が急変する。あの男は単独で戦況を優に覆す事ができる存在なのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 何層もの瘴気の圏を突破して、褐色肌の美丈夫──大和は急降下していく。真紅のマントを靡かせながら迫り来る死神の一匹を踏み台にし、二匹から鎌を強奪して振り回す。そのまま有象無象を刈り尽してから再度降下した。

 

 懐から改造式火縄拳銃を二丁取り出し、浮上してくる雑魚共を闘気弾で消滅させる。マシンガンの如き超連射で真紅の閃光を放ちまくっていた。粗方掃討できたら折り畳み式ライフルを取り出し、濃密な闘気を圧縮して引き金を引く。

 放たれた極太光線は遥か遠方の冥府領を難なく削り取った。

 

 そのまま銃身を横薙ぎにし、群がり始めた死神達を山脈ごと消し飛ばす。折り畳み式ライフルを虚空に放り投げると、また改造式火縄拳銃二丁を乱射した。

 四方八方、縦横無尽に回転しながら連射する。

 

 その面には凶悪な笑みが貼り付いていた。この状況を心底楽しんでいるのだ。

 

「ハッハー!! もっとだ!! もっと踊ろうぜ!!」

 

 大和は真横に発砲し、その反動で滑空するワイバーンの背に跨る。暴れるワイバーンの首に瞬時に鎖分銅を巻き付け、無理やり操作した。

 

 荒いロデオを愉しみながら、片手に薙刀を携え冥界の空を暴れ回る。地上から放たれる魔術や呪詛、権能の波動を器用に避け続けていた。

 しかし冥界所属の巨人戦士に捕まりそうになる。全高300メートルを超える巨人戦士の手中に収まる寸前、大和はワイバーンを捨て去った。そのまま他のワイバーンや死神を足場にして空中を駆け回る。

 

 縦横無尽に動き回る大和を見失ってしまった巨人戦士。その隙に鎖分銅がその巨腕に巻き付いた。大和は空中でジャイアントスイングを繰り出す。数万トンの筋肉の塊が冥界の上空にいる生命体を蹂躙した。

 

「ハッハッハ!! 巨人ってのは便利な掃除道具だなぁオイ!!」

 

 世界最強の殺し屋にして武術家。圧倒的剛力と極限まで練磨した武術で諸々蹂躙する白兵戦の鬼神。

 こと「暴力」に於いて、彼に勝る者など存在しない。

 

 ほんの一分程で、冥界の約2割の戦力が壊滅した。数千万もの戦士が死滅したのである。

 

 大和は締めに巨人戦士を遥か彼方まで投げ飛ばす。その横から真紅を帯びた流星が迫ってきていた。金色の小雲に乗った仙人少女は大和を地上へ殴り落とす。

 

 寸前で掌で防御した大和は難なく着地する。

 砕けた地面の上で顎を擦り嗤っている彼の眼前で、稲穂の如き金色の長髪が靡いた。

 真紅の鎧を着た少女戦士は煌く神珍鉄の長棒を構える。

 

 彼女は険しい表情で告げた。

 

「牛魔王と決着を付けるつもりだったが、アンタがいるなら話は別だぜ……兄貴」

「何だぁ? あのヤンチャ娘が随分立派になったじゃねェの。ええ? 悟空よォ」

「アンタを一発ブン殴る」

 

 孫悟空──かの斉天大聖が「兄貴」と呼び慕うのは、世界広しと言えど唯一人しかいない。

 嘗て世界最強の問題児として神仏からも嫌悪されていた彼女を唯一可愛がった男。

 彼の懐の深さと誇り高さに憧れるも、その生来の邪悪さを垣間見る事で己の本質を理解し、最終的に正道へと向かった過去を持つ。

 

 大和と孫悟空は師弟関係であり、兄妹分でもあった。

 幾星霜の月日を超えて、兄妹喧嘩が始まる。

 

 孫悟空は兄貴分である彼を想うがため、彼を殴る決意を固めていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 堕天使の長、ウリエルが誇る超次元兵装の一つ「プロミネンス・ノヴァ」が顕現する。

 合計八門のガトリングガンから排出される弾丸は超圧縮された大惑星だ。「レベル5超新星爆発弾」を一門ごとから秒間数億発放つ事で、執行人の無慈悲な掃討が始まる。

 

 神々の眷属であり全知全能の一端を行使できる死神達も、この圧倒的な火力には成す術が無い。超新星大爆発で起こる莫大なガンマ線とブラックホールで二次的被害は更に拡大する。

 

 冥界が特別頑丈な空間で無ければ今頃消し飛んでいた。最強の武神集団、八天衆が止めようとするも、行く手を阻むは同格の魔王達。

 

 至高の武具型宝具、無双方天画戟を携えたマジモードの牛魔王。

 最上級の神仏すら即死に至らしめる猛毒の霧を大量散布するヒュドラ。

 一振りで冥界を二つに断ってみせる天下無双の剣豪、正宗。

 八天衆二名を単独で抑える天空神ゼウス。

 

 冥界が瞬く間に崩壊する。それを各勢力の創造神達が外部から世界を再構築し続ける事で辛うじて現状は保たれているのだ。

 埒外同士の大戦争は終末論に匹敵する大惨事に成りかけている。

 

 その中で、絶大な神雷と凍結の絶対権能がぶつかり合った。余波だけでも冥界が裂け、周囲に居た億の死神が氷漬けになる。

 

 怜悧な美貌を湛える絶世の美女は、頭に生えた狼耳を揺らしながら嘲笑を浮かべた。

 

「駄神と揶揄されるも、世界最強の武神の異名は伊達ではないか……」

「ハァァ、面倒くせぇ……」

 

 帝釈天ことインドラは神殺しの魔狼、フェンリルと対峙していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 互いの回し蹴りが重なる。

 空間に亀裂が奔り、衝撃波が冥界全土を震撼させた。

 

 フェンリルの峻烈な攻めを帝釈天は難なくいなしてみせる。

 彼女の攻めは本能的であり苛烈。帝釈天は掠れば即死のフェンリルの爪を事前に止めていた。手首を掴んだり軌道を逸らしたり。それが出来なければ回避に専念する。

 

 帝釈天の長い脚から繰り出される縦横無尽の蹴撃。フェンリルは辛うじて防御するも、重く的確であるため捌き切れない。

 合間に手刀を挟むも、その手刀を膝裏で絡め取られた。

 

 帝釈天は宙を舞う。放たれた膝蹴りはフェンリルの首を容易に消し飛ばせる威力があった。体勢をわざと崩し躱すフェンリル。その隙を見逃さず、帝釈天は彼女の腹部に蹴りを叩き込む。

 

 距離を空けられたフェンリルは、何故か嬉しそうに笑っていた。

 

「勿体無い……アア、勿体無いなァ帝釈天よ。私と対等に勝負できる男など、中々いない。何故怠ける。駄神を偽る」

 

 嘗てインドを中心とした東洋系の神々の王を務め、最も偉大なる武神と謳われた帝釈天。

 彼の凋落ぶりは有名であり、神話でも散々の貶され様だった。

 

 フェンリルの質問に、帝釈天はやれやれと肩を竦める。

 

「面倒くせェから、理由はそれだけで十分だろ? 俺は嫁とイチャイチャできればそれでいいんだよ」

「……成程、それも強者故の余裕か。ふむ……」

 

 フェンリルは頷く。その目先に神速の白刃が迫っていた。フェンリルは二本指で刃を止め、不敵に笑んでみせる。

 

「貴様は幸せものだな、毘沙門天。帝釈天は貴様にメロメロだぞ」

「黙れ駄犬。疾く死に失せろ」

「堅物だな。しかしまぁ、夫妻で見れば丁度良いのか」

 

 余裕を崩さないフェンリル。毘沙門天の頭上から数千万の氷の刀剣が雨あられと降り注いだ。毘沙門天はそれらを斬り伏せると、帝釈天の元に馳せ参じる。

 彼女は唇を尖らせた。

 

「戦況は最悪だ、バロールに見張りを裂く余裕が無い。どうする?」

「取り敢えず現状維持だ。最悪、バロールを無視して冥界守護に集中する」

「わかった」

 

 帝釈天と毘沙門天は揃って構える。

 フェンリルは獰猛に口角を歪めると、背後に氷の大要塞を形成した。

 

 

 ◆◆

 

 

 毘沙門天は駆ける。魔氷で生成された剣林弾雨の只中を切り抜ける。両手に携えるのは一本の打刀。それのみで絶対氷結の圧制を退ける。

 

 彼女は女武神の中でも最強格──あのバロールに比肩しうる最高位の女神だ。

 帝釈天の妻を名乗るだけの実力がある。

 

 帝釈天もまた、違う方向からアプローチをしかけていた。

 氷の大要塞を崩そうと絶妙な攻めを見せている。

 

 しかし容易に崩せない。

 理由はフェンリルの爪牙に秘められた神殺しの権能だ。

 彼女の爪牙は神仏に対して絶対的な死滅権限を持つ。神性が僅かでも宿る存在はその爪牙に触れただけで問答無用で即死させられる。

 

 帝釈天は先程、敢えて突貫して隙を見出そうとしたが、今はそうはいかない。フェンリルは絶対氷結の権能をフル活用している。例え懐に入り込めたとしても、容易に攻撃できない。絶対氷結の権能もまた凶悪なのだ。一度捕まれば二度と戻れなくなる。

 

 フェンリルは二名を強敵と認め、北欧式の古式魔導も絡めて放ってきていた。魔導にも精通している彼女は遠近共に隙の無いオールラウンダーだ。

 

 帝釈天と毘沙門天は視線を合わせて頷き、一度距離を取る。

 そして互いに最大遠距離武装を展開した。

 

聖雷金剛杵(ヴァジュラ・オリジン)

疑似(フェイク)梵天砲(ブラフマーストラ)

 

 片や、第二終末論の黒幕である無限龍神ヴリトラを討滅した帝釈天の誇る最大武装。

 片や、梵天の神格武装を方術で疑似再現した絶対貫通の概念そのもの。

 

 二名は間髪入れずに投擲する。

 フェンリルはすかさず奥の手、絶対防御たる高密度多重障壁を展開するが全て貫通された。全1200層から成る絶対防御を貫通できた理由は二名の投擲武装の合一による威力の倍増。黄金と蒼白の光明が混じり合い、一本の光線と化す。

 

「これは……! 美しいな……!」

 

 フェンリルは惚れ惚れとしていた。

 強者しか認めない真性の弱肉強食主義者である彼女は、真の強者たる一撃に見惚れていた。

 正面から受け止めようとする彼女の姿勢に、帝釈天も毘沙門天も目を剥く。

 この一撃は数多の多次元宇宙を一瞬で溶解させる規格外のものだ。幾らフェンリルであろうと耐え切れるものではない。

 しかし、彼女は意地悪く口角を歪めていた。

 

「悪いな、私には絶対的な防御手段があるんだ」

 

『絶対防御・零式』。フェンリルが長年研究を重ね、漸く完成した彼女だけの固有魔導。ありとあらゆる術式異能権能を反射する、邪道の絶対防御である。

 唯一無二の投擲武装が難なく反射され、帝釈天と毘沙門天は驚愕した。

 

 一直線に迫る光線を一瞥し、帝釈天は迷う事なく毘沙門天を庇う。

 毘沙門天は悲鳴を上げた。

 

「駄目だ!! インドラ!!」

 

 帝釈天は迷わない。愛する妻を護るため、彼は覚悟を決めていた。

 

 しかし──

 

「楽土断ちが崩し、極楽浄土断ち」

 

 それは約束された切断現象。絶対切断に絶対切断を寸分無く重ねる事で真の「切断」を成す、荒唐無稽の絶技。

 帝釈天と毘沙門天の合併技を完璧に斬り伏せた存在は、銀髪を揺らして二名に語りかけた。

 

「いや、失敬。白熱した死合いを魅せられ、拙者──思わず踊り出てしまったでござる」

 

 微笑みながら得物を振り払う剣客。ダブルスーツの上から純白のロングコートを羽織った糸目の美男。

 世にも珍しい鋒双刃造りの打刀を携え、彼はフェンリルと相対した。

 

 フェンリルはまさかと瞠目した後、クツクツと喉を鳴らす。

 

「そうか──ここは冥界。故に死者がいるのか」

「拙者を知っているのか」

「知ってるも何も、強者であればその名を知らぬ者などいない。ここ数年で唯一、あの大和を追い詰めた男! 吹雪款月(ふぶき・かんげつ)!!」

 

 銀髪の剣客──吹雪款月は口の端を緩めた。

 

「これは光栄。かの神滅狼に名前を覚えていただけるとは──礼は死合いにて返そう。拙者はそれしかできない男故」

 

 人外の剣客集団「斑鳩(いかるが)」を纏め上げていた頭首。世界最強の剣士達『天下五剣』の一角を担っていた剣客。

 

 妖剣士、吹雪は嬉しそうに八双の構えを取った。

 

 



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三話「天下五剣」

 

 

 吹雪は背後にいる帝釈天に言う。

 

「行かれよ。ここは拙者が引き受ける」

「お前は──」

「ただの剣客でござる。貴殿等には使命があるのだろう? さ、早く」

「…………チッ」

 

 帝釈天は小さく舌打ちすると、毘沙門天を連れて撤退した。毘沙門天は思わず怒鳴る。

 

「帝釈天! あの男がどの様な存在なのか、知らないとは言わせんぞ!」

「ああ、知ってるとも。だからこそだ。奴の好奇心は今フェンリルに向いている。ただでさえ現状は困窮してんだ。利用できるもんは何でも利用する」

「ッ」

「行くぞ」

「……ああ」

 

 二名は方術で長距離転移した。それを見送った吹雪はやれやれと肩を竦める。

 

「さ、邪魔者はいなくなった。フェンリル殿……一手、死合いを所望いたす」

「受けよう。貴様の実力を直接確かめられる、またとない機会だ」

 

 互いに口の端を歪めて莫大な殺気を迸らせる。空前絶後の殺し合いの火蓋が、切って落とされた。

 

 

 ◆◆

 

 

 吹雪は正真正銘「人間」である。故に神殺しの爪牙が通用しない。

 フェンリルは一瞬悩むも、氷の大要塞を形成して遠距離からの火力押しを決行した。原初のルーン文字を交えた北欧特有の古式魔導も混ぜ込む。

 フェンリルは遠近の総合力に優れたバランス型だが、どちらかと言えば遠距離寄りだった。絶対氷結の権能と数多の古式魔導により、相手を有無を言わさず圧殺するスタイルを好む。

 

 宇宙レベルの質量を誇る氷の牙城から億を超える砲門が現れ、冷たき死の咆哮を上げた。吹雪に迫る氷剣、氷槍、氷砲。その他、絶対氷結の概念が込められた投擲武装。その数、優に数十億を超える。

 凍結による暴力の嵐は吹雪を周囲の空間ごと蹂躙しようとしていた。

 一本一本が宇宙を凍結させられる絶対零度そのものに対し、吹雪は得物を無造作に薙ぐだけで済ませる。

 

 瞬間、数十億の氷結武装が儚い音を立てて砕け散った。

 

『夢幻覇穿が崩し・諸行無常』

 

 夢幻覇穿は本来、斬ってきた箇所総てに〝切断〟現象を引き起こす回避不能の魔剣である。その崩しである諸行無常は、斬った場所から切断現象を無限に繋げていくという魔剣の究極系だった。先程無造作に薙いだ空間から切創が広がり、瞬く間に氷の暴虐を斬り伏せる。

 

 その時代に於いて最強の剣客五名に与えられる称号──天下五剣。彼は剣技のみであれば大和を超える正真正銘の天才だった。

 フェンリルは彼を「強者」として認めると同時に全身全霊を以て応対する。

 

 対神仏用として咄嗟に顕現できる『超新星大爆発10000発』。

 多次元宇宙を焼却できる無限熱量を誇る『終焉の業火(ラグナロク)』。

 同威力を誇る超プラズマによる平面型電子レンジ『雷帝顕現(イヴァン・グロズヌイ)』。

 トドメに超多次元宇宙を生贄に極大ブラックホールを発動する『原初の混沌(ネロ・カオス)』。

 

 七魔将であれ、八天衆であれ、外なる神であれ、食らえばひとたまりも無い超級魔導の連打。

 

 吹雪の闘気だけでは防ぎきれない。しかし、忘れてはいけない。吹雪はあの大和と死闘を繰り広げた剣客なのだ。成長し続ける暗黒のメシアを追い詰めた化物なのだ。

 

「何という熱量──愛に満ち溢れている。素晴らしい……」

 

 

 ────しかし、刃ごたえが無い。

 

 

 そう一蹴し、諸皆総てを「切断」してしまう。万の超新星大爆発も、無限熱量も、超プラズマも、極大ブラックホールも。紙に描いた絵空事の如く斬り伏せてしまう。

 

 驚愕して声も出せないでいるフェンリルに吹雪は駆け寄った。神速の歩法にて距離を詰めようとする。フェンリルは咄嗟に手をかざした。北欧神話の主神オーディンの投擲兵装の模倣、「疑似(フェイク)戦神宣言(グングニル)」を複数発現する。数十本の光条は一本一本が毘沙門天の「疑似(フェイク)梵天砲(ブラフマーストラ)」に匹敵する威力を内包していた。

 しかし、吹雪はその光条達を足場にしてフェンリルに詰め寄った。時間による束縛を無視した超速度で迫る神格武装を足場として利用したのだ。

 

 フェンリルは思わず苦笑する。これ程とは──と。

 

 しかし、フェンリルにはあらゆる異能術式権能を強制反射する『絶対防御・零式』がある。これを突破するのは、幾ら吹雪であろうとも──

 

「否、断じて否」

 

 帝釈天と毘沙門天との戦いの際に一度見られた技だ。大和であれば通じない、打破してくる。故にこの男も必ず打破してくる。

 

 フェンリルの回答は正解だった。

 吹雪は『絶対防御・零式』を突破できる技を「先ほど開発した」ばかりだった。距離を取られた吹雪は苦笑を浮かべる。

 

「流石、野性の勘でござろうか? これは斬り甲斐がある。高嶺の花であればある程、刃の輝きも増すというもの」

 

 求道者、その極みの一つ。剣技のみを追求し続けた結果がフェンリルの眼前に佇んでいた。フェンリルは武者震いを覚える。同時に歓喜で両手を広げた。彼はフェンリルが認めるに足る強者だったのだ。

 

「ああ、流石だ! 流石、我がツガイとなる男を追い詰めた男! 愛すべきは強者! 唾棄すべきは弱者よ! フハハハハ!! 素晴らしいぞ!! 吹雪款月!!」

「強者であれば良いのか? 拙者の様な人斬りも容認すると?」

「無論だ! 強者であればどんな我儘も貫いていい! 弱者であれば誇りも正義も語る資格は無い! 女であれ男であれだ! 種族すらも関係無い! 強ければいいのだ!!」

「フフフ……貴殿は真に獣の王でござるなァ」

 

 吹雪は温和に笑むと再度得物を構える。フェンリルは獰猛に笑ってみせた。真の強者同士の死合いは未だ始まったばかりだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 真紅のマントが冥界の瘴気によってはためく。

 暗黒のメシアこと、大和は対峙している金髪の美少女──孫悟空を見つめていた。その灰色の三白眼に宿る微かな親愛の情に悟空は冷や汗を垂れ流す。

 大和は優しい声音で告げた。

 

「一度しか言わねぇ……失せろ」

「ッ」

 

 最後の忠告だった。

 大和はたとえ身内や親友、弟子であろうとも自分に敵意を向けてくる存在を決して許さない。

 

 しかし彼は一度忠告する。

 これが最後の情けである事を、悟空はよく理解していた。コレを踏み越えてしまい殺されてしまった弟子達を何名も見てきたから。

 

 怪物の情け──彼を師として慕うのか、怪物として対峙するのか。

 悟空は震える手足に必死に喝を入れ、不敵に笑んでみせる。

 

「言っただろう。アンタをブン殴るって……俺は、俺の信念に基づいてアンタと対峙する!!」

 

 黄金と真紅の入り混じった霊力を開放する。今や「斉天大聖」「闘戦勝仏」の名で慕われている世界最強の仙人。幼少期は中国神話の神仙達に単身喧嘩を挑み続け、冥界の王達に「自身の寿命を消せ」と脅迫紛いの事もしでかした元・最強最悪の問題児。

 

 彼女は当時、唯一己を認めてくれた大和を心の底から慕っていた。今もである。故に仙人と成った今、彼と対峙する。

 

 大和の事を想うが故に──

 

 大和は灰色の三白眼に冷酷な殺意を宿した。彼女の事を「弟子」では無く「邪魔な存在」と割り切ったのだ。

 

 彼は大太刀を抜くと、小さく溜息を吐く。

 

「じゃあ、お別れだな。悟空」

 

 瞬間、悟空の全身に切創が奔り鮮血が迸った。悟空は驚愕で双眸を見開く。声を出そうにも喉から血が溢れ出て声にならない。

 

 立つ力を失った悟空の体は無残に地面へと崩れ落ちた。

 

 

 ◆◆

 

 

「テメェと正面から殺し合うのは面倒くせぇ。だから細工を施させて貰った。『夢幻覇穿・改式・血散れ桜』。テメェが俺に殴りかかった際に無数の斬線を付けておいた。ソレを開放してテメェを斬り刻んだのさ」

 

 大和は血溜まりに沈み、瀕死寸前となっている悟空を見下ろす。その表情に哀しみの色は全く無かった。割り切っているのだ。彼は嗤いながら悟空の元に歩み寄る。

 

「ここ最近で唯一、俺を追い詰めた剣客が誇る魔剣だ。使い勝手はいい。初見殺し性能も高ぇから、中々に重宝しそうだ。特にテメェみたいに無駄に強い奴にはな」

 

 予め斬った箇所、総てに切断現象を発生させる魔剣──夢幻覇穿。大和は以前、コレで致命傷を負わされた。この魔剣の恐ろしさを身を以て知っているからこそ修得したのだ。

 

「しかしまぁ、本家には遠く及ばねぇわな。……その本家は今暴れてるみてぇだし。フェンリルの奴、結構苦戦してるみてぇだな。アーやだやだ。吹雪の奴、また剣技の腕上げやがったな。面倒臭ぇ」

 

 そう言いながらも、嬉しそうに嗤っている大和。友人の成長を喜んでいるのだろう。彼は地に伏す悟空の前で膝を折ると、優しく抱きかかえた。

 

「馬鹿な弟子共の中でも、テメェは特別可愛がってやった妹分だ。最後の遺言くらい聞いてやる」

「……兄貴ッ、何で……」

 

 悟空は息も絶え絶えに言う。

 

「そんなに……世界が嫌いなのか?」

「…………」

 

 悟空の抽象的な問いに、大和は苦笑を浮かべる。

 

「テメェは勘違いしてるぜ、悟空。俺は別に世界が嫌いなわけじゃねぇ。好きでもねぇけどな。どうでもいいんだよ」

「……ッ」

「俺が嫌いなのは、俺に仇名す総ての存在だ。そーゆー奴等は絶対許さねぇ。たとえ可愛い妹分でもだ」

「ッッ」

 

 悟空は金色の双眸から涙を溢れさせた。瀕死の重体で、至る箇所から鮮血を吹き出しているにも関わらず、彼女は悲しみに打ちひしがれていた。

 

 生まれながらにそうだったのか、それとも成長する途中で歪んでしまったのか──真実は誰にもわからない。しかし、既に手遅れなのはわかった。彼は、既に完成してしまっているのだ。

 

「どうして、なんだろうな……兄貴の事、女として愛しているのに……どうしても受け入れられねぇ」

「…………面倒くせェ女」

 

 そう囁き、大和は悟空の唇にキスを被せた。その甘く優しいキスは彼なりの最期の挨拶だった。悟空は不覚にも幸福で満たされ、呆然としてしまう。

 

 唇を離した大和は脇差を抜き放ち、悟空の心臓に切っ先を突き付ける。そして、穿とうとした。

 

 その時である。峻烈なる蹴りが大和の脇差を弾き返したのは──

 彼が反応する前に返された踵が顔面へと迫り来る。大和は悟空を離して回避に専念した。宙を舞った悟空の肢体を女武者、毘沙門天が抱きかかえる。

 

「悟空ッ!! 大丈夫か!! しっかりしろ!!」

 

 すぐに方術で応急手当を始める毘沙門天。大和の眼前に佇む枯れた美男──帝釈天。その眉間には珍しく深い皺が何本も刻まれていた。大和は両手を広げておどけてみせる。

 

「よォ駄神サマ。数百年ぶりだな」

「うるせェよ人間の屑。テメェは昔からちっとも変わらねぇ……最低最悪の糞野郎だ」

「そりゃどーも」

 

 大和は舌を出して応じる。帝釈天の総身から極大の神雷が迸った。普段の冥界であれば瞬く間に崩壊してしまう程の質量だ。

 帝釈天は右手に金剛杵『聖雷金剛杵(ヴァジュラ・オリジン)』を携え、唇を噛み締める。

 

「テメェだけは絶対に許さねぇ。その存在も認めねぇ。疾く死に失せろ、バケモノ」

「吠えるなよ雑魚、怠け者のテメェに俺を殺せる筈ねぇだろうが」

 

 嘲笑を浮かべる大和に対して、帝釈天は聖雷金剛杵の真名開放を行おうとする。ソレは冥界という世界が本格的に崩壊する合図でもあった。

 

 しかし──漆黒の軍服に身を包んだ美男が大和の隣に躍り出る。陰陽風水を極めた邪仙、雅貴である。彼は大和に告げた。

 

「貴殿のおかげでバロール殿を引き入れる事ができた。任務は完了だ。帰還しよう」

「……ハッ、そうかい。命拾いしたなァ落ちこぼれ。今度会った時は八つ裂きにしてやるよ」

 

 大和は雅貴と一緒に転移魔術陣で姿を消す。追撃しようとした帝釈天だが、背後に瀕死の悟空がいる事を思い出し、諦める。

 溢れ出る激情を必死に押し殺しながら──

 

 

 ◆◆

 

 

 フェンリルは魔術通信で此度の戦争の終結を知らされ、残念そうに肩を竦めた。

 

「もう終わりのようだ、残念だよ。吹雪」

「成程……女性の背中を斬る趣味は無い。行かれよ」

 

 吹雪はすんなりと得物を納刀する。フェンリルは瞠目すると、心底面白そうに喉を鳴らした。

 

「なぁ吹雪、我が友よ。我等と共に雅貴と同盟を組まぬか? 貴様がいればますます面白くなる」

「それは……魅力的な提案でござるなぁ」

 

 しかし、と吹雪は首を横に振るう。

 

「生憎、拙者は死んだ身。人として生き、人として死んだ。故に満足している。現世で成す事など無いでござる」

「……そうか。いや、貴様の回答を聞けただけで満足したよ」

 

 フェンリルの眼前で純白のコートが舞う。吹雪は最後まで微笑を崩さず、冥界の闇へと消えていった。

 

「さらばだ。愛しき好敵手」

 

 フェンリルは彼の背に礼をする。そうして転移魔方陣で消えていった。

 

 冥界騒動は、こうして幕を下ろした。



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四話「冥界騒動、終幕」

 

 

 冥界騒動の後、冥界の住民達は騒動を起こさなかった。正確には起こせなかったのだ。冥界に鎮座する歴代の強者達が許さなかった。

 

 こんな事で一々騒ぐな、と──

 

 歴代の天下五剣、三本槍、四大魔拳。その他、大和と同じ時代を生きた魔王や魔導師達。彼等が圧力をかけたのだ。八天衆も武力行使を辞さない姿勢だったので、住民達はソレらを畏れた。

 

 神仏達は雅貴達への警戒心を更に強める一方で、密かに同盟を結ぼうとしている者もまた居た。スポンサーを申し出る者も現れ始める。様々な思惑が絡み合う事で、世界は益々混沌と化していくだろう。

 

 雅貴の魔城郭、天守閣にて。見目麗しい魔戦姫が佇んでいた。戦装束に身を包んだその肌は濃紺色。結った長髪と同じ色なのに違和感はまるでない。白黒逆転した瞳もまた彼女の魔性の美のアクセントになっていた。左目はアイパッチで隠されている。戦士らしく絞られたメリハリのある肢体から滲み出る色香は言い得もしない。特に乳房は驚くほど実っていた。

 

 極西最強の邪神。神殺しの魔王。

 武技と魔導を極めた死の戦女神──バロール。

 

 彼女は数億年と寸分変わらぬ姿で、嘗ての弟子であり愛人だった男を見つめていた。

 

 天守閣には現在、バロールと大和しかいない。

 バロールは大和の頭から足先まで舐める様に観察した後──複雑な溜息を吐いた。

 

「堕ちるところまで堕ちたな、大和。貴様はもう英雄では無い、ただの怪物だ。しかし、その有り様が現世の情勢を物語っている。……貴様以上に世界が腐り果てている様だ。平和も行き過ぎれば毒になる。そして平和の裏には必ず混沌がある。……クククッ、だが安心したぞ」

 

 大和に歩み寄り、その胸に擦り寄りながらバロールは囁く。

 

「魂までは腐っていない様だ。見違える程逞しくなった肉体、自信に満ちた面構え。洗練された闘気──成長したな」

「当たり前だ。そういうアンタは昔のままだ──美しい」

 

 バロールを抱き寄せ、熱いキスを交わす大和。情熱的に舌を絡ませられ、バロールは表情をふやけさせた。

 

「……英雄だった頃の貴様も好きだが、今の貴様も好きだぞ。……いいや、今の方が魅力的かもしれん。何せ、その様が一番貴様らしい」

「ありがとうよ」

 

 バロールは大和の首に両手を回し、愛おしそうに抱き寄せる。その時である。侵入者が現れたのは。

 ウリエルとフェンリルだった。彼女達は怒り心頭といった様子で大和達に襲いかかる。

 

「大和の馬鹿っ、僕という女がありながら……消し飛ばしてあげるよ」

「大和ォ……貴様は一度、徹底的に教育を施したほうが良さそうだな」

 

「ヤベ、逃げるぞ」

「抱きかかえよ、皇子殿」

「皮肉かよお師匠様」

 

 大和は笑いながらバロールをお姫様抱っこし、天守閣から飛び降りる。そのすぐ頭上で無限熱量の業火と絶対零度の氷塊が突き抜けた。

 

「ハッハッハ!! 牛魔王殿始まったぞ!! ドロドロの四角関係というやつだ!!」

「何を喜んでいるんだ雅貴。早く止めるぞ」

「まぁ待て! もう少し拝んでおきたい!」

「ハァ……」

 

 牛魔王の溜息がやたら大きく聞こえた。

 七魔将──遂に七名揃ったが、大和からすればどうでもいい事だった。

 

 世界の情勢など知った事ではない。

 

 大和は取り敢えず、本気で怒っている二名から割とマジで逃げるのであった。

 

 

《完》

 



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伝説の殺し屋コンビ、復活
黒鬼と毒蜘蛛


 

 

 魔界都市デスシティの朝は静寂で満ちていた。大通りに何時もの活気は存在しない。殆どの店舗が灯りを消している。第二級種に指定されている危険妖魔が徘徊していても出歩く者達がいないため、駆除されない。

 年に数度濃霧に包まれる中央区の早朝は、この間だけ危険地帯としてのランクが最上級にまで跳ね上がる。理由は、前を歩く事すらままらないこの濃霧の発生源に関係していた。

 

 潮の匂いが満ち、さざ波の音が何処からともなく響き渡る。デスシティに海域と呼べる場所は存在しない。しかしこの濃霧の時間帯にだけ、ある場所に繋がる。

 

『海底神域ルルイエ』

 

 水を司る旧支配者(グレート・オールド・ワン)、クトゥルフの眠る冒涜的な海底都市。太平洋の底に沈んでいる水魔の揺り籠は、濃霧と共にデスシティに顕現する。

 

 理由は、この地の底深くに眠る絶対王アザホートへの参拝のため。首領であるクトゥルフとその眷属数億匹が中央区を徘徊する。その様はまさに地獄絵図だ。

 

 先程の第二級危険妖魔達も最下級眷属である「深きものども」に囲まれ、骨の髄まで貪られる。邪神の眷属達の強さは破格であり、最下級でもデスシティの住民「程度」ならあしらってしまう。抗う事はできても、殺す事は不可能。

 

 故にデスシティの住民は動かない。殆どの者達が部屋に引き籠り、カーテンを閉める。音も立てず、静かに息を殺す。

 

 狂気を浴び続けているデスシティの住民でも、旧支配者クラスを拝めばまず発狂する。生存本能に関しては野性動物並の住民達は、静かに水魔達の参拝が終わるのを待っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 奈落の底の如き暗黒色の双眸が情欲で濡れる。掠れた喘ぎ声は耳に入るだけで男の劣情を駆り立てた。怒張を包み込む膣はまるで毒壺。うねり絡み、早う早うと吐精をねだる。男の肌に伝わるのは極上の柔らかさと質感を誇る女体だった。

 

 しかし、二名の顔は浮かなかった。ただ快楽を貪っているだけ。ただ身体を重ねているだけ。時折耳元で吐かれる罵倒を、男は苦笑しながら受け止めていた。

 

 そうして長い情事が終われば、女──アラクネは手早く純白のドレスを纏う。そして振り返らずに告げた。

 

「満足した? 私は帰るわよ」

 

 冷たい言葉と共にアラクネは薄暗い部屋を去ろうとする。しかしその手を男──大和が掴んで離さなかった。

 

「……何よ」

「今はクトゥルフの参拝時間だ。外に出るのは危ないぜ」

「あら、心配してくれるの? 随分優しくなったじゃない。でも心配する相手を間違えてるんじゃないかしら」

「いいからこっち来い。話がある」

 

 引き寄せられ、背中から抱きつかれる。抗おうにも筋力が違い過ぎて逆らえない。アラクネは伏目がちに言った。

 

「何……? 満足してないなら他の女を抱けばいいじゃない。私より良い女なんて沢山いるでしょう」

「この際だからハッキリと言うぜ。俺はお前が好きだ。そんじょそこらの女よりよっぽどな」

「……ッ」

 

 アラクネの表情が歪む。上手く表情を作れないのだ。それでも薄っすらと嗤ってみせる。

 

「告白練習か何かかしら? それとも二日酔い? 付き合ってられないわね」

「真面目な話だ。はぐらかすんじゃねぇよ」

「…………」

 

 アラクネは知っている。大和は誰よりも正直な男だ、嘘を付けない。誰よりも彼と親しい関係になったからこそ、アラクネは理解できてしまう。それでも──

 

「ねぇ……止めましょうよ。私とアンタはソリが合わない。それで話が付いたでしょう? 今の関係のままでいいじゃない」

「俺はお前が嫌いじゃねぇ。お前が罵倒してくるから罵倒し返してるだけだ。今でも──愛してる」

「~~~~っ」

 

 アラクネは頬を朱に染め、唇を噛み締める。そして上擦った声で告げた。

 

「どうせ、この身体が目的でしょう? 他の男と一緒よ」

「……お前は、俺を本当の意味で愛してくれた女だ」

「…………」

 

 アラクネの頬に、静かに涙が伝った。彼は覚えてくれていたのだ、遥か過去の記憶を──

 

「ズルい、ズルいわよ……私だって、アンタに救われたんだから。体内の毒を制御できない時期に何も言わずに抱きしめてくれて、愛してくれた……」

 

 アラクネは今でも大和を慕っている。しかし素直になれなかった。まるで年頃の乙女の如く、反発してしまったのだ。

 長い年月が経った。途方もなく長い年月が──。すれ違っていた二人の心が再び重なりつつある。

 

「お前が嫌だって言っても、もう離さねぇからな」

「ッ」

 

 アラクネは大和に振り返ると、その首筋に両手を這わせる。そして唇を奪った。

 

「…………好き、大好きよ、大和。愛してる……」

「俺もだ、アラクネ」

 

 熱いキスを交える。そして再度身体を重ね合った。しかし先ほどの情事とはまるで違う。アラクネは幸せそうに表情を蕩けさせ、嬌声を室内に響かせた。大和も夢中になっていた。

 

 嘗て世界中の神魔霊獣から畏れられていた伝説の殺し屋コンビが復活した瞬間だった。

 二人はすれ違っていた時間を取り戻すかの様に、幾日も交じり合った。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔界都市デスシティに於いて数少ない完全安全地帯に認定されている大衆酒場ゲート。時間帯も真夜中になり、店内は賑わいを極めていた。

 淫乱なエルフとダークエルフが際どい私服で傭兵達を誘う。シャツを盛り上げる豊満な乳房と括れた腰、生来の美し過ぎる美貌は男達の脳を熱泥に変えた。エルフ達も快楽と金を求め、喜んで男達に従う。

 

 一つ目妖怪やサイボーグ、リザードマンが酒をガブ飲みしながら麻雀で盛り上がっていた。種族は違えど此処では気さくな飲み仲間。何も賭けずに駄弁り合いながらゲームを楽しむ。

 

 怨霊達が呪詛を撒き散らしながら歩いていても皆気にしない。怨霊達もまた、酒場の店主に気を遣って最小限で呪詛を抑えていた。

 小妖精達が自慢の戦斧を研ぐレッドキャップに話しかけ、その武勇伝をワクワクしながら聞いている。脇では生気の無いアンドロイドの少女を蟲人の男達がナンパし、袖にされていた。

 

 居るだけでも面白い場所である、此処は。外は殺伐としているのに、此処には一切そういうものが無い。皆も求めていなかった。懲り懲りなのだ。癒しを欲しているのだ、この場だけでも。

 しかし、そうでない者達も利用している。此処は秘密の取引をするにはうってつけの場所なのだ。そういう悪巧みを店主は敢えて無視している。この店に被害が出なければ、暴力沙汰にならなければ、全て容認する。

 店主である金髪の偉丈夫、ネメアはセブンスターを吹かしながら何時も通り新聞を読んでいた。すると店内が異様な盛り上がりの後、静寂に包まれる。ネメアは何事かと視線を上げた。

 

「~♪」

 

 二人仲良く歩いてくる男女。互いに想像を絶する美貌を誇っていた。男らしい褐色肌の益荒男に女らしい華と毒を含んだ美女。二人は魔界都市でその名を知らない者はいない伝説の殺し屋達である。

 客人達が唖然としたのは、二人が仲良く並んで歩いている光景など見た事が無かったからだ。現にネメアも咥えていた煙草を落としかけ、寸前でキャッチする。それ程までに異常な光景だった。

 

 大和とアラクネ──二人の仲の悪さは筋金入りの筈だ。それはもう、会えば互いを激しく罵り合い最悪殺し合いに発展する位には。犬猿を通り越して因縁の間柄だった筈だ。

 それが今はどうだ、アラクネは大和の腕に絡みつきうっとりとしている。大和も上機嫌そうに笑顔を浮かべていた。

 

 ネメアは己の眼を疑い一度擦った後、両者を見る。次には笑って頭を押えた。

 

「俺は夢でも見てるのか……? どうしたお前達、仲直りしたのか?」

「した」

「したわ。もう正直になる……自分の気持ちに嘘は付かないわ♪」

 

 カウンターに腰かけ、アラクネを抱きかかえる大和。アラクネは彼の首に両手を回し、その頬にキスをした。ネメアは目を丸めた後、本当に、本当に嬉しそうに微笑む。

 

「そうか……いやぁ、嬉しいな。やっと仲直りしたのか」

 

 ネメアはカウンター越しに頬杖を付き、幸せそうに両者を見つめる。

 

「今夜はご馳走を振る舞うぞ」

「いいのかよ?」

「俺がしたいんだ。気にするな」

「ありがとネメア♪」

 

 アラクネは嬉しそうに笑う。その笑顔は本当に幸せそうで、ネメアは温かい気持ちで満たされた。その時、ネメアのスマホが鳴る。内容を確認したネメアは表情を顰めた。

 

「……こんな時に面倒な依頼が舞い込んできたな」

「どうした、緊急か?」

「ああ、クトゥグアを信仰する邪教徒集団が北区周辺で儀式を執り行っている。放っておけばクトゥグアがデスシティの空に顕現するぞ」

「そりゃ不味いな」

 

 意外と緊急事態だった。火を司る旧支配者(グレート・オールド・ワン)が荒れ狂う疑似太陽として召喚されようとしているのだ。もしもそうなればデスシティが一瞬で溶け落ちる。それどころか地球に存在する全ての生物が死滅してしまう。

 

「数日前のクトゥルフの参拝から、邪神を崇拝する組織の活動がやけに活発的なんだ。これも狂気の影響だろうな」

「ネメア……その依頼、何処からだ」

「世界政府だ。何処から情報を仕入れたのかは知らんがな」

「まぁ、アッチの事情はどうでもいい。報酬は弾むのか? 二人分だ」

「……まさか」

 

 ネメアは碧眼を見開く。そのまさかである。大和とアラクネは不気味に嗤ってみせた。

 

「俺達が出る。すぐ解決してきてやるよ」

「私達二人が出れば問題無いでしょ?」

「ああ……それは、問題無い。いや……逆に同情するぞ。邪教徒達に」

 

 大和はアラクネを抱えたままカウンターを立つ。そして真紅のマントを靡かせた。

 

「ご馳走楽しみにしてるぜ。冷めない内に帰ってくる」

「後で三人で談笑しながら食べましょ♪」

 

 ネメアだけではない。酒場の客人達が全員戦慄していた。世界最強の殺し屋と暗殺者が、こと『殺し』に於いて右に出る者がいない男女が、コンビを組むのだ。単身で邪神を葬ってしまう規格外のコンビ──その真の恐ろしさを知る者は、生憎この場にはネメアしかいない。故に彼は邪教徒達に同情したのだ。

 

 二人がコンビを組んだ場合の戦闘力は拡張抜きで「あの」七魔将に匹敵する。

 それ程までに相性が最高で、且つ抜群のコンビネーションを誇るのだ。

 二名が組んで殺せなかった存在など、古今東西存在しない。

 

 ネメアは二名の頼もしい背中を苦笑半分で見送るのであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 北区はギャンブラーの楽園。壮大なカジノ都市の筈だが、現在は邪神の従者達による狂宴場と化していた。数多の悲鳴が野太い怒号と重なり合う。大富豪の用心棒達が懸命に戦っているが、虚しい健闘である。多数の犠牲を払っても止めるのが精一杯。邪神の奉仕種族はデスシティの住民程度、軽く嬲り殺してしまう。魔改造を施した重火器の一斉掃射を浴びても気持ち良さそうに身震いし、度重なるサイボーグ強化を果たした肉体を戯れで引き裂いてしまう。

 阿鼻叫喚の地獄へとやって来た大和は呑気に口笛を鳴らした。

 

「成程、確かにヤベェ。北区が壊滅状態だ」

「本当に。三日くらい遊べそうにないわね」

 

 二人で苦笑し合いながら地獄の只中を歩いていく。名も無き奉仕種族達は二名に襲いかかろうとした。が、一斉に動きを止める。その後、奉仕種族同士で盛大な殺し合いを始めた。冒涜的な悲鳴を上げながら爪牙を煌かせる。名状しがたい色彩の血潮が吹き上がった。

 大和の腕の中で寛いでいるアラクネが片手間に鋼糸を操り、奉仕種族逹を操り人形にしているのだ。北区に跋扈する数千の奉仕種族を傀儡師として殺し合わせている。

 想像を絶する暗殺技術を披露しているアラクネだが、退屈なのだろう。空いた手で大和の逞しい胸を撫でていた。

 

「フフフ……」

「どうした?」

「ううん、嬉しくて……こんな些細な事でも、幸福を感じられるのね」

「甘えたいだけ甘えろ」

「ええ、そうするわ」

 

 髪を撫でられ、アラクネは子猫の様に瞳を細める。その様子は微笑ましいが、周囲は正に地獄絵図だった。目も当てられない。二人の通り過ぎた後には凄惨な死体しか残っていなかった。臓物で彩られた血の絨毯を大和達は進んでいく。ふと、思い出した様に大和は言った。

 

「確かクトゥグア召喚の儀式って、失敗したら凄い事になるよな?」

「……フフフ、そうね。凄く面白い事になるわ」

 

 二名は暗い笑みを浮かべると、邪神教団が隠れているであろう場所に莫大な殺気を飛ばす。世界最強の殺し屋と暗殺者が発する殺気は不老不死の神仏にも明確な死をイメージさせる。只人が浴びればどうなるか──その答えが遠方で派手に出された。

 邪教徒達は驚愕して儀式に失敗してしまったのだろう。クトグゥアとはまた違う、しかし凶悪な邪神が現れた。

 

 ヤマンソ。

 

 クトゥグアとは別性の炎の邪神。人類を妬み恨む、貪欲なる捕食者。花弁の如き口から三つの灯火を浮かべ、異形のバケモノは咆哮と共に致死の焔を撒き散らした。周囲にある一切合切を燃やし尽くす。半径数十キロメートル、北区の約半分が灰燼と化した。

 範囲内にいた大和は片手を掲げる事で無効化していた。同じ邪神であろうと容赦無く燃やし尽くすヤマンソの邪炎を難なく受け止められたのは、大和自身が誇る圧倒的な闘気のおかげ。例え邪神の権能だろうが、大和の肉体を犯す事は叶わない。

 

 大和はアラクネを下ろすと、自分達を憎々し気に睨み付けるヤマンソに歩み寄る。ヤマンソの身長は然程大きくない。大和の方が大きいくらいだ。しかしその力は破格。鬼神や魔王とは比べものにならない。

 それでも大和は不敵な笑みを崩さない。アラクネもである。ヤマンソはその小生意気な面を叩き潰さんと、触手を振り上げようとした。

 

『!!?』

 

 しかし動かない。指先一つ動かせない。アラクネがミスリル銀の鋼糸でヤマンソの肉体を完璧に拘束しているのだ。1000の1ミクロンまで研ぎ澄まされた精神感応金属は高次元霊体であるヤマンソの肉体を的確に捕らえている。大和は嗤いながら更に歩み寄る。その右拳に極大の闘気を圧縮、蓄積した。極大の生命力から放たれる強制終焉、幕引きの一撃。

 

 陽の型・天中殺

 

 妖魔を滅ぼす曙光の名を冠した一撃必殺のアッパーがヤマンソの顔面を捉える。ヤマンソは悲鳴すら上げられずに滅びていった。強制的に元居た場所に転移させられたのだ。

 呆気ない、あまりに呆気ない終幕。しかし大和とアラクネからすれば当然であった。

 

 二人は抱き合い、静かにキスを交える。

 

 ネメアが何故、邪教徒達に同情したのか──その理由が判明した。

 強過ぎるのだ。あまりにも。このコンビは──

 

 

 ◆◆

 

 

 暫くして。大衆酒場ゲートに二名の客人が駆けこんだ。その内、男の方がカウンターから身を乗り出す。純白のスーツにお洒落なサングラス、巌の如き肉体。傷だらけのその顔を驚愕と好奇で彩っていた。腕利きの用心棒──右之助である。

 

「オイオイ! ネメア! あの大和とアラクネが仲直りしたって!? マジかよ!!」

「ああ、惜しかったな。今さっきご馳走を振る舞って帰ったところだ」

「マジかよ! あ~あ、アイツ等がイチャイチャしてるところ見たかったなぁ」

 

 心底残念そうにカウンター席に座る右之助に、ネメアは苦笑を向ける。

 

「そんなに意外か? アイツ等は元・恋人同士だ」

「俺が此処に来てからずっと仲悪かったぜ」

「この都市に来てまだ100年も経ってないだろう、お前は。知らなくて当然だ」

「いや、お前等何歳だよ」

「途中から数えるのを止めた」

 

 肩を竦めてセブンスターを吹かすネメア。三羽烏に年齢を聞くなど野暮な話である。彼等は実在する神話の英雄達なのだから。

 右之助は隣で不貞腐れている女性に体を向ける。漆黒の制服と帽子が似合う東洋系の美女。右之助は苦笑して彼女の肩を叩いた。

 

「そう拗ねんなって死織! まだチャンスはあるぜ、アイツの懐の深さは無限大だ。悪い意味でだけどな」

「…………」

 

 ブラウン色の双眸を潤めたかと思えば、大きく項垂れる。何時も以上に感情的な彼女に対して右之助は肩を竦めると、ネメアに告げ口した。

 

「コイツ、最近大和にマジで恋してるんだ。アイツが他の女と寝ると一気に不機嫌になるんだよ」

「今日は随分口が達者ですね右之助さん。少し黙っていてください」

「へいへい」

 

 仰々しく両手を広げる右之助に死織は鋭い眼光を向けるも、溜息を吐いて再度項垂れる。「これは重傷だな」とネメアと右之助は内心思った。死織は涙目で唇を尖らせる。

 

「馬鹿、バカ大和──今度会った時は絶対容赦しません。搾り取ってやります……」

 

 右之助は静かにネメアにジェスチャーする。「モテる男ってのは大変だねぇ」と。それに対してネメアは肩を竦めるだけで応じた。

 

 

 ◆◆

 

 

 その頃、裏路地にある大和の仮宿屋で。大和は極上の枕に寝転がり、全身の力を抜いていた。アラクネの膝枕である。アラクネは柔らかく微笑みながら彼の頬を撫でる。大和は猫の様に三白眼を細めた。

 

「落ち着く……」

「フフフ、アンタのこんな気の抜けた姿、滅多に見れないわ」

 

 大和は普段から野生動物の如く神経を尖らせている。セッ〇スの最中だろうがだ。それがどうだ、アラクネの膝の上で寝ている今は完全に油断している。己の命を預けられる女が傍にいるからだ。アラクネは嬉しくなり、暗黒色の双眸を潤める。

 

「寝ていいわよ。私が見張っておいてあげるから」

「そうか? なら甘えようか」

 

 何の疑いも無く熟睡する大和。暫くすると小さな寝息を立て始めた。アラクネは子供の様なその寝顔を愛おしそうに撫でると、隙だらけの唇にキスを被せる。

 

「愛してるわよ、大和……もう、離れないから」

 

 それは誓いであり、今まで正直になれなかった分の反動だった。誰よりも特別な男性に対して、アラクネは溢れる愛情を抑えられないでいた。眠っている彼の黒髪を撫でながら、幸せそうに微笑む。

 

 静かに夜が過ぎていく。

 黒鬼と毒蜘蛛の仲はもう崩れそうにない。これからもずっと──

 

 

《完》

 

 



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プロローグ
魔界都市のジョーカー


 

 魔界都市こと、超犯罪都市デスシティは常に情勢を変化させていく。科学と怪異が同居しているこの場所では「未知」がまるで鶏の卵の如く量産されるのだ。そして、ソレに対応できない者から死んでいく。この都市では強さも確かに重要だが、周囲の流れに適応していく事もまた重要なのだ。

 

 中央区の街道沿いにて。デスシティ全体で比較すれば安全地帯と言えるこの場所は、しかし表世界の常識に当て嵌めると地獄の底の様な有り様だった。一切油断できない。油断すれば命は無い。何せ、素知らぬ顔で歩いている住民達は全員凶悪な犯罪者なのだから──

 

 彼等は表世界で言うところの一般人だが、その戦闘力、凶悪性は表世界の犯罪者の比では無い。他者を貶め、殺す事に一切の躊躇いが無く、むしろ笑顔で愉しむほど精神性が歪んでいる。道徳、倫理観から徹底的に外れている彼等の戦闘力が低い筈は無く、下手をすれば単身で一個師団を蹴散らしてしまえる者もいる。

 

 サイボーグ強化手術は簡易的なものから全身に至るものまで存在し、昨今は強化繊維での直接強化が主流だが、ナノマシンを血液に投入する事で永続的な強化を果たしている者もいる。リスクこそあるが、デスシティ産の劇薬で肉体の再生能力と五感の異常発達を促している輩も数多。

 更に簡易式の身体強化魔術と防御障壁。魔改造された重火器が揃えば一人前のデスシティ一般人である。

 

 弱肉強食が絶対的な原則として横たわっているこの都市では組織や徒党というものが重要になってくる。個の力にも限界があり、数を重ねて暴力の格を上げていくのだ。

 犯罪組織、暴力団などは星の数ほど存在する。何せここは犯罪都市なのだから。その頂点に立っているのが五大犯罪シンジケート。表世界の財政界に絶対的な影響力を持つ犯罪者達の王族である。

 

 しかし、そんな彼等もデスシティに居着く「真の強者達」を恐れている。

 

 デスシティが人間のみの都市であれば、ここまで肥大化しなかっただろう。魔族や妖精族、獣人などの「人類にとって都合の悪い存在」が押し込められている事で超犯罪都市は魔界都市へと変貌している。あらゆる種族と価値観、技術がゴチャゴチャに混ざり合い、しかし「弱肉強食」というシンプルな法則の元で成り立っている。

 

 まさしく現世の魔界。実在するソドムとゴモラ。

 

 今宵もまた、狂気による副産物が生まれていた。野望を拗らせたのか、麻薬を摂取し過ぎたのか、マッドサイエンティストが己では制御できない規格外の生物を造り出してしまったのだ。精神感応金属ミスリル銀と強靭な合成獣(キメラ)を合体させた怪物──ソレが中央区の大通りで暴れている。

 

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」

 

 怪物に意思など無い。防衛本能と破壊衝動だけで活動している。亜光速で迫る特殊魔弾らをミスリル銀のカーテンで防げば、瞬時に形状を刃に変形させて賞金稼ぎ達を葬っていく。腕が飛び、生首が舞い、鮮血が迸った。しかし住民達は嗤っている。まるで路上の喧嘩を観戦しているかの様な盛り上がり方だった。

 

 理性を容易に溶かしてしまう、地獄の亡者達の宴。その只中を歩いていく大男が一人。

 真紅のマントが豪快に靡く。二メートルを超える褐色肌の肉体、ソレを支える下駄が高らかに音を鳴らしていた。灰色の三白眼は眠気で細まっており、ギザ歯と共に特大の欠伸が漏れ出す。

 

 住民達は一瞬で停止した。次には滝の様に冷や汗を流す。

 狂気が醒めたのだ。いいや、醒まされたと言ったほうが正しいだろう。

 

 彼こそ暗黒のメシア──あの五大犯罪シンジケートすら恐れる最強最悪の魔人。人間の皮を被った怪物。暴力の天才。「黒鬼」。

 

 たった一人で魔界都市に一勢力として君臨している、理不尽の権化である。

 

 彼はあろう事か、賞金稼ぎ達が苦戦している強化合成獣の前を通り過ぎた。無論、強化合成獣は凶刃を向ける。しかし、強化合成獣は彼我の実力差を理解できていなかった。理性が無いのが命取りとなった。

 

「うるせェなぁ……」

 

 顔面を無造作に平手で叩かれる、たったそれだけで強化合成獣は高層ビルを何棟も薙ぎ倒して魔界都市の空に消えていった。遅れて発生した特大の衝撃波が住民達の冷や汗を吹き飛ばす。

 

 総じて苦笑する事しかできなかった。魔界都市に強者は数多くおれど、彼は別格である。人間でありながら人間ではない、邪神すらもその力を恐れ戦いている。

 

 だから住民達は媚びるのだ。特に女達はその強さと美貌の虜になって群がっていく。

 褐色肌の美丈夫──大和は再度欠伸を漏らしながら彼女達をあしらった。

 

「今は眠ぃんだよ、また今度な」

 

 常に情勢を変化させている魔界都市でも唯一無二、不変の存在がいる。大和を含めたソレ等の存在によって、デスシティは仮初の治安を保てているのだ。

 



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第十五章「帝国伝」
一話「ドイツ・ナチスの真実」


 

 

 第二次世界大戦の裏には何かがあった。世界滅亡の危機に直面するほどのナニカがあった。

 デスシティで流行している都市伝説の一つである。ソレが真実なのか、ただの都市伝説なのか、確かめたいと願う者達がいた。

 彼女達はジャーナリスト。お金のために、何より「隠された真実を知りたい」という好奇心に突き動かされて、今宵世界の真相の一ページをめくる事になる。ソレを知る者は誰でも無い、魔界都市のジョーカーと謳われる、あの男だった──。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔界都市デスシティで最も安全と謳われる場所、大衆酒場ゲートにて。今宵も大いに盛り上がっているこの憩いの場に、亜人族のペアが現れた。それぞれ犬、猫の亜人達である。犬の女性は真面目そうな雰囲気を醸しながらも豊満な肢体をしており、猫の女性は小柄ながらも社交的、悪く言えば遊び慣れた雰囲気を纏っている。それぞれの服装が性質を端的に表していた。ラフな格好をした猫女は猫耳をピョコピョコ動かしながら周囲を見渡し始める。捜している人物でもいるのだろう。

 

 彼女の目に、褐色肌の美丈夫が映った。灰色の三白眼に凶悪なギザ歯、魔性の美貌は無二の色香となって周囲の女達を魅了している。靡く真紅のマントは彼のトレードマークだった。

 

 世界最強の殺し屋にして武術家、大和。

 

 暴力の天才、邪神も畏れる人間の皮を被った怪物に、猫女は一瞬躊躇うものの、群がる女達をかき分け話しかける。

 

「あのー! 大和さん! すいません、お時間よろしいですか?」

 

 大和はゆっくりと視線を猫女に向けた。巌の如き肉体から滲み出る凶悪なまでの存在感。神話の時代から生きている正真正銘の魔人に対し、猫女は緊張のあまりゴクリと生唾を飲み込んだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 その灰色の三白眼は冷たい輝きを灯していた。人間のしていい眼ではない、まさしく怪物──。善悪などの理屈を抜きに相手の本質を見抜いてしまう、ある種の千里眼。

 猫女は心の奥底まで見透かされている様な気がして、とてつもない寒気を覚えた。

 

 大和はふむと顎を擦ると、周囲の女達を退かせる。女達は渋々といった様子で離れていった。

 

「何のようだ? 俺を誘いに来たワケじゃあ無さそうだ。と言っても、依頼をしに来たワケでも無さそうだし──何を聞きにきた? ジャーナリスト共」

「……私達、まだ職業を名乗ってないんですけど」

「視線と服装、立ち振る舞いと挙動。後はそうさな……亜人の割には、色々こなれてるって所か。まぁ、経験と勘を照らし合わせただけだ。別に驚く事でもねぇだろ?」

 

 人懐っこく笑った後、大和は眼を細める。

 

「まぁ、暇潰しには丁度良い……話題によっちゃあ付き合ってやらんでもない」

「「……」」

 

 猫女と犬女は互いに視線を合わせる。そして意を決した様に頷き、大和に歩み寄った。

 

「私はサン。猫の亜人です」

「私はムーン。犬の亜人だ」

「俺は大和。職業は言わなくてもいいよな?」

 

 サンとムーンは強張った表情で頷く。この魔界都市で彼の事を知らない存在はまずいない。

 代表して猫女、サンが口を開く。

 

「第二次世界大戦の真相を──正確にはドイツ、ナチスの真相を知りたいんです」

「……そりゃあ、おめぇ。トップシークレットってやつだぜ。なぁネメア?」

 

 カウンター越しで新聞を読んでいた金髪の偉丈夫、ネメアは険しい表情で告げた。

 

「止めとけ、命を落とすぞ。それ位の情報だ」

「それでも知りたいんだ。実際に関わっていたであろう貴方達から、話を聞きたい」

「「…………」」

 

 ムーンの言葉にネメアと大和は視線を合わせた。大和がフッと鼻で笑う。

 

「根拠は?」

「色々調べさせて貰った。都市伝説でしかない第二次世界大戦の真相を──しかし、ナチスの裏に途轍もない存在が隠れていた事と、貴方達が関わっていた事しかわからなかった」

「だから聞きに来たんです。誰でも無い、貴方達に」

「特に大和──貴方は相当深く関わっていた筈だ。誰でも無い、世界を裏で救い続けてきた闇の英雄である、貴方なら──」

 

 サンとムーンに問い詰められ、しかし大和は面白そうに笑っていた。ネメアはやれやれと肩を竦める。

 大和は彼女達に問うた。

 

「お前ら、覚悟はあるか?」

「望むところだ」

「相応の覚悟はできています」

「よし、なら教えてやるよ」

 

 その代わりに──と、大和はいやらしく三白眼を細めた。

 

「お前らの身体と引き替えにな。そうさな……三日くらいで許してやるよ」

「にゃ!!?」

「……わぅぅ!!?」

 

 サンとムーンはツンと耳を立てた。次には顔を真っ赤に染めて狼狽する。

 

「そそそそそれは!! えええ!!?」

「わ、私達は亜人だぞ!? 正気か!?」

 

 獣の色が濃い亜人族は差別意識が緩いデスシティでも比較的敬遠されている。蟲人と同じくらい容姿が人間離れしているからだ。ソレを好む輩もいるが、疎ましく思う輩の方が多い。

 しかし大和は違う、妖艶に笑いながら彼女達を抱き寄せた。

 

「知った事かよ。お前達はイイ女だ。周囲がどう言おうが、俺がそう思ってんだよ。……いいから抱かせろや。満足させてやるから」

「……にゃぅぅっ」

「……わぅっ」

 

 両者は表情を蕩けさせる。大和が何故、あらゆる種族の女達から慕われているのか──その理由の一端がわかる瞬間であった。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和の寝床である仮宿で。亜人の女達、サンとムーンはガチガチに固まっていた。居間で座っているものの、落ち着かない様子である。部屋の中をキョロキョロと眺めていた。

 猫の亜人、サンは相方であるムーンに上擦った声で話しかける。

 

「私……こう、遊び慣れてるつもりなんだけど、男性の部屋にお呼ばれするのって……初めてなんだよねっ」

「それを言うなら、私なんて……交際経験すら無いんだぞッッ」

「「…………」」

 

 二人共、顔を真っ赤にして黙ってしまう。ジャーナリストとして訪問しているのに、両者共すっかり意識してしまっていた。部屋に香る男性の匂いがまた甘美で、ついつい鼻を動かしてしまう。

 

「おぅ、わりぃ。遅くなった」

 

 シャワールームから出てきた大和。肩にタオルをかけながら髪の毛を拭いている。その格好にサンとムーンは唖然とした。ジーパンを履いているだけで上半身は裸、凄まじくラフな格好だったのだ。

 

 代表してムーンが視線を逸らし、声を荒げる。

 

「な、なんだその格好は!! ふ、服を着ろ!!」

「? 別にいいだろ、俺の部屋なんだし」

 

 肩を竦めながら冷蔵庫を開ける大和。氷と水を持ってきて、卓袱台の上に置いた。そして妖艶に微笑んでみせる。

 

「それに、後で裸の付き合いをするんだ。かまわねぇだろう?」

「っっ」

 

 ムーンとサンは返答出来なかった。ただただ、大和の裸体に目を奪われていた。大和は知らずに会話を続ける。

 

「生憎、水と酒しかねぇんだ。我慢してくれ。……で、何処から話せばいい? ……って」

 

 大和は異性のいやらしい視線に気付く。二人は慌てて視線を逸らすも、既に遅い。

 

「そんなに俺の身体が気になるのか? いいんだぜ、先に味わっても。話なら後でできる」

「そ、それは駄目にゃん……っ」

「ああそうだ。まずは話を聞かなければ……っ」

 

 そう言いつつも、視線はチラチラと大和の腹筋や胸板に注がれていた。よほど魅力的に映っているのだろう。大和は苦笑しながら自分用のラムをグラスに注ぐ。そうして話し始めた。

 

「第二次世界大戦の時、ドイツナチスの勢いが凄かったのは知ってるよな?」

「ふぇ? は、はい! 勿論ですとも!」

「そりゃあもう、破竹の勢いだった。でもその裏には邪悪な神秘の影があった」

「「ッ」」

 

 二名共、ジャーナリストの顔付きになる。大和は話を続けた。

 

「国家社会主義ドイツ労働者党──通称であり蔑称がナチス。第三帝国と名乗っていた時期もあったか……ユダヤ人の大虐殺が有名だな。だが、それは歴史の一部に過ぎない。ぶっちゃちまえば、独裁者アドルフ・ヒトラーも操り人形でしかなかったんだ。……アイツのな」

 

 大和はたゆたうラムの水面を見つめる。その瞳に過去の出来事を映しながら──

 

「史上最悪の暴君、ソロモン。ナチスはアイツのおもちゃ箱でしかなかったんだ。……なんて事はねぇ、単なるお遊びだったんだよ。戦争と世界の滅亡を何よりも望む、アイツのな」

 

 そうして始まる、隠された歴史の真実。

 大和は当時、ソロモンの存在を誰よりも畏れていたナチス親衛隊のトップ、ハインリヒ・ヒムラーからソロモン暗殺を請け負っていたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 ドイツ南部のバイエルン州バイエルン・シュヴァーベン地方にあるノイシュヴァンシュタイン城にて。

 現在はロマンティック街道の終点として人気の観光スポットになっているこの荘厳なる城は、第二次世界大戦の時にナチスドイツの元凶である「暴君」の極秘拠点となっていた。それを知る存在はネオナチ親衛隊の中でも上層部の者達のみ。表向きでは全国指導者ローゼンベルク特捜隊がフランスから強奪した美術品を保管するための集積所とされているが、実際はその美術品も「暴君の無聊を慰める献上品」でしかなかった。

 

 自然の要塞で護られたこの城に今宵、一名の殺し屋が侵入しようとしていた。大和である。何時もの服装ではなく、大日本帝国の軍服を着用していた。頭に白布を巻き、背中には二本の日本刀。腰には鎖鎌を帯びている。

 彼は微かな音すら立てずに常夜の森林内を飛び回り、樹木の上からノイシュヴァンシュタイン城を見つけた。そして灰色の三白眼を細める。

 

 第二次世界大戦が始まって、既に何年も経つ。ナチスドイツの勢いはそれはもう凄まじかった。このままでは世界征服されてしまうのも時間の問題だろう。アメリカ連合軍やイギリスは悠長に迎撃体勢を整えているが、このままでは一年と経たない内に世界全土がナチスの領土になってしまう。

 

 それを誰よりも畏れたのはナチス親衛隊のトップにして独裁者ヒトラーの右腕、ハインリヒ・ヒムラーだった。彼は大和に極秘回線で「元凶の抹殺」を依頼した。破格の報酬を約束され、大和はこの依頼を引き受けたのだ。

 

 大和はノイシュヴァンシュタイン城を見下ろしながら思う。

 

(元凶は、恐らくアイツだ……表世界をここまで巻き込むのはアイツしかいねぇ)

 

 冷たい溜息を吐く。依頼とは言え、大和はターゲットの事を「本当に面倒臭い奴」だと思っていた。だからこそ今回の任務、一筋縄でいかない事も考慮済みである。

 

「!!」

 

 大和は反射的に跳躍する。足場にしていた枝が影で編まれた槍達に穿たれた。まるで黒豹の如くしなやかな動きで地面に着地した大和は、周囲を見渡す。対の紅玉が闇の中で幾つも煌めいていた。

 樹木の枝に宙吊りで佇んでいる、SS軍服に身を包んだ兵士達。彼等は獰猛に犬歯を剥き出し、魔力を解放した。

 

 大和は嗤う。

 

吸血鬼(ヴァンパイア)──ここまで来ると確定だな。アイツめ、また世界を狂わせるつもりか」

 

 ギザ歯を剥き出して、鎖鎌を携える。

 そうして、深夜の暗殺劇が始まった。

 

 



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二話「ドイツ・ナチスの黒幕達」

 

 

 ナチスの黒幕が率いている部隊は五師団存在する。歩兵師団、空挺師団、機甲師団、山岳師団、そして派遣師団だ。人造吸血鬼による武装兵団が所属しているのは派遣師団である。巷で「ナチスの兵士に化け物が紛れ込んでいる」という噂が流れていたが、彼等の事を言っているのだろう。

 

 大和は前以てヒムラーからナチスの情報を入手していた。今回の吸血鬼の登場も無論、予想の範囲内である。しかし問題は吸血鬼が天然ではなく人造である事だ。あのヒムラーでさえ、ナチスの真の情報は知り得なかったのだ。

 

(人造吸血鬼たぁ……ふむ、どうやら相当厄介な事になってるらしい)

 

 天然ならまだよかった。人造はまずい。何故なら──

 

(人造吸血鬼を量産できる科学力と魔術の知識。更に吸血鬼という種族の根幹に関わる存在が居るって事だ。面倒くせぇ……色々探ってみるか)

 

 大和は鎖鎌を構えつつ、三白眼に冷たな輝きを灯す。馬鹿な人造吸血鬼達は下卑た笑みを浮かべていた。

 

「大日本帝国の軍人が、こんな僻地に何の用だ? 同盟国の兵士だ。本来友好的に接するべきだが……我々の存在を知られたからには、生きて返せないな」

「いいや、違うね。お前らはわざと俺の前に現れたんだ。俺を嬲り殺す口実を生むために」

「……察しが良いな。下等生物」

「お前らも元、下等生物だろ? ご都合主義で吸血鬼化した雑魚共が、調子乗ってんじゃねぇよ」

 

 同時に一兵士の頭が消し飛んだ。唖然とする隊長の目の前で、大和は鎖分銅を回していた。アレで頭部を消し飛ばしたのだ。大和は嗤う。

 

「さぁて、狩りの時間だ」

 

 大和は鎌を投擲する。真空波を孕む鎌鼬は面白い様に兵士の首を飛ばしていった。兵士達の動揺が憤怒に、そして恐怖に変わるのに、さして時間はかからなかった。逃げ惑う彼等を鎖分銅は正確に追尾していく。樹木の間を縫って逃げても、必ず頭を消し飛ばす。

 

 あっという間に最後の一名となった隊長は、歯をガチガチと鳴らしながら大和を指さした。

 

「な、何者なんだお前は……ッッ、不死身の怪物である我々をこうも容易く……!!」

「格が違うなァ」

 

 宵闇が溶け出した様に、唐突に隊長の背後に現れた大和。彼は既にその首元に鎌刃を押し当てていた。親しげに肩を組みながら笑いかける。

 

「ご都合主義に頼っても、所詮雑魚は雑魚だな。ええ?」

「待っ……」

 

 隊長の首が宙を舞った。その身体は灰となり、骨も残らない。他の隊員達も灰となって消えていった。ご都合主義に頼った者達の末路としてはあまりに似合い過ぎている。

 

 大和はふと、傍の茂みに視線を向けた。そして鎖分銅を投げつける。隠れていた隊員は悲鳴を上げて暴れ回った。

 

「いやぁ!! お願い! お願いします!! 助けてください!!」

 

 甲高い女の悲鳴に大和の口角が愉悦で歪んだ。

 

「ビンゴ♪ 女だ、だから生かしておいたんだよ」

 

 吸血鬼の怪力をものともせず女性隊員を引き寄せ、大和は舌なめずりする。

 

「そう怖がるなよ。事情聴取が終われば天国に連れてってやるから……」

「イヤァァァァァァァ!!!!」

 

 真夜中の森林に女性の悲鳴が木霊した。だが暫くすると甘い喘ぎ声に変わったという。しかしその後、彼女を見た者は誰もいなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 ノイシュヴァンシュタイン城、晩餐の間にて。ナチスの黒幕達、即ち生粋の化け物共が食事をとっていた。最奥に佇んでいる黒髪の美青年は優雅に頬杖をついている。想像を絶する美男だった。容姿的年齢は二十代前半ほど。大和と違い線が細く優美で、儚さすら感じさせる。しかしその瞳には想像を絶する狂気と憎悪が渦巻いていた。

 彼は壊れている。人間として終わっている。だからナチスを裏で操れるのだ。

 

 世界最強の王にして、神々が最も畏れた人間。暴君の代名詞──ソロモン。

 

 大和とエリザベスとはまた違った特異点。第三の人類最終試練。半永久的に続く例外的な終末論「ムースピリ」の代行者。

 人間でありながら非の打ち所の無い完璧な存在。だからこそ人間に絶望し、世界に絶望し、全てを滅ぼそうとしている破綻者──大和とは似て非なる魔人である。

 

 枢軸国──ドイツナチスは彼の無聊を慰める演目に過ぎなかった。反ユダヤ主義? 崇高なるアーリア人? 彼にとってユダヤ人もアーリア人も同じくゴミでしかない。

 

 あまりに優秀過ぎるから、完璧過ぎるから、自分以外の全てが雑種に見える。だから滅ぼす。ゴミを綺麗に掃除する。

 恐ろしいほど壊れていた。大和とも雅貴とも違う、彼は徹底的に人類を、世界を、憎んでいた。

 

 そんな彼に付き従うのは最後の怪物大隊、超越者達が指揮する五つの師団である。

 

 歩兵師団。武術とは効率的な殺戮術であり活人など綺麗事でしか無い──そう豪語する血気盛んな500人の武人達で構成されている。師団としての規模は最小だが、一名一名が神仏の権能を無効化できるほどの闘気と想像を絶する武技を誇る武闘派集団だ。

 大隊長は世界最強の槍術家「三本槍」筆頭、「魔槍」ヴォルケンハイン。

 黒のざんばらば髪に無精髭を生やした野性的な男性である。容姿的年齢は四十代ほど。粗野だが野卑ではない。豪快に食事をしている様も実に清々しい。その肉体は親衛隊の制服の上からでもわかるほど鍛え抜かれており、碧眼に宿る闘志はまるで地獄の業火の如く。傍らには禍々しい魔槍が立てかけられていた。彼は槍術のみならば確実に大和を超えている真の達人である。

 

 空挺師団は外宇宙からの侵略者、頂点捕食者ドラゴンで構成されている。戦争と蹂躙をこよなく愛する彼等にとって、ソロモンは利害の一致する関係だ。

 大隊長は最強クラスのドラゴン「魔龍王」ニーズヘッグ。金髪を腰まで流した、冷たい雰囲気を醸す美男である。SS軍服がよく映える。一見冷静沈着そうに見えるがしかし、その胸奥は戦争欲で煮えたぎっていた。

 

 機甲師団は最新鋭のサイボーグ、アンドロイド集団で編成されている。これらは大隊長本人が発する純エーテルで駆動しており、圧倒的な戦闘力と共に自動修復機能も備えている。師団としての規模は随一で、小国をものの数分で滅ぼす事が可能。

 大隊長は嘗て唯一神に抗った旧人類が創造した対神仏用終極兵器「ゴグ・マゴグ」。耳までかかる程度の銀髪と無機質な瞳が特徴の美男である。こちらもニーズヘッグと同様、制服がよく映える。彼との違いは冷静ではなく無感情である事。燻る欲望も無い。ただ淡々としている。

 

 山岳師団の大隊長は日本三大怨霊の一角であり、最終的に神と崇められるに至った大天狗「崇徳上皇」。この師団は彼に付き従う怨霊、霊能力者で構成されている。直接的な戦闘力こそ他の師団に劣るものの、呪詛、天災、禁呪を用いての補助、支援力は破格の一言に尽きた。東洋然とした雅な容姿にSS制服がまた似合う。ソロモンとはまた違う絶世の美男。彼はソロモンに「世界を憎悪する過去の己」を重ねて、慈悲の心を以て力を貸している。最も、現世に辟易している事には変わりなく、そのやり口は苛烈を極めている。

 

 派遣師団の大隊長は吸血鬼の大本であり真祖の上位、神祖である「ヴラド・ドラキュリーナ」。生体兵器である人造吸血鬼、その失敗作であるゾンビを用いてバイオハザードを繰り広げている。縦ロールの豪奢な金髪に鮮血を彷彿とさせる双眸。死人の様に白い肌。身に纏う凄絶でありながら妖艶な色香は吸血鬼の神故のものだろう。SS軍服には独自のアレンジを加えている。彼女は何かしらの思惑があるようだが、その真意はソロモンにも語っていない。

 

 以上、五師団の大隊長と晩餐を共にしているソロモン。彼は実に上機嫌だった。その様子を物陰から探っていた大和は内心舌打ちする。

 

(何だこの面子は……想定外もいいところだぜ。報酬と釣り合ってねぇ。……まぁでも、一度受けた仕事だ。形式上でもこなさねぇとな)

 

 大和は即座にソロモン殺害の筋道を導き出し、それを実行に移す。

 

 

 ◆◆

 

 

 まず反応したのは機甲師団大隊長「ゴグ・マゴグ」だった。僅かな、しかしこれ以上無い「気配」を察知し、反射的に裏拳を放つ。神仏の魂すら容易に砕ける破滅の鉄拳。余波だけで広間の片側を消し飛ばし、ノイシュヴァンシュタイン城を震撼させた。

 本来であればここら一帯を消し飛ばせる容赦無い一撃だったが──ゴグ・マゴグは悟る。わざと放たされたのだ。精密無比な迎撃プログラムを逆に利用された。

 

 そう至った時には既に遅い。破滅の鉄拳を合気の秘奥「流水」で転化し、大和は渾身の膝蹴りを放つ。鳩尾を穿たれたゴグ・マゴグは遙か彼方へ吹き飛ばされていった。

 

 次に反応したのは歩兵師団大隊長、ヴォルケンハインだった。嬉々として魔槍を携え、突きを放つ。牽制の突きだったが、威力は中級邪神を討ち滅ぼせる出鱈目なものだった。しかし襲撃者──大和は敢えて食らう。腹筋をわざと穿たせた。

 ヴォルケンハインは下手を打ったと舌打ちする。強靭過ぎる腹筋に矛先を絡め取られ、魔槍を引き戻せないのだ。大和は背中に帯びた日本刀を抜き放ち、予め超圧縮していた闘気を開放する。

 

 有形無形問わず全てを消し飛ばす滅の斬撃──雷光剣。

 

 ヴォルケンハインは防御するも、威力を押さえきれずに吹き飛ばされる。しかし日本刀を破壊して行った。大和は舌打ちすると同時に、前方で絶大なオーラを拳に集約している空挺師団大隊長──ニーズヘッグを睨み付ける。

 

 宇宙を消し飛ばせるレベルの右ストレートが放たれた。しかし大和は首を逸らして威力の殆どを受け流す。彼は背中に帯びているもう一本の日本刀に手を添えた。ニーズヘッグはさせまいと体勢を立て直すものの、全身を鎖鎌で拘束されてしまう。そのまま二発目の雷光剣が放たれた。

 

 ほんの一瞬で三名の超越者を無効化した大和は机の上に着地し、暴君ソロモンを睨み付ける。ソロモンは不敵に笑っていた。

 

 大和の周囲の空間が、圧倒的な呪詛と妖力によって圧迫される。山岳師団大隊長、崇徳上皇と派遣師団大隊長、ヴラド・ドラキュリーナによる同時拘束術式だ。魔導師クラスでも脱出困難な拘束を、しかし大和は埒外の闘気と腕力で吹き飛ばす。魔術、異能、術式、権能、超能力──あらゆる神秘的な力に無敵に近い防御性能を発揮する闘気。ソレを極めている大和を、如何に超越者とは言え術式で抑える事は不可能だ。

 

 大和は光速を超える速度で駆ける。ソロモンの周囲を覆っている曼荼羅状の超高密度多重障壁を八極拳の大技、鉄山靠で粗方破壊した。しかし完全には突破できず──大和は振り向き際に筋肉を限界まで絞り、間接を捻り上げる。そうして生まれた絶大な力を解放する様に渾身の一太刀を放った。その威力に耐えきれずに日本刀の刃は砕け散ってしまうが、残る障壁はほんの数枚。

 しかしその数枚こそがソロモンの本命だった。あの災厄の魔女、エリザベスですら突破困難のソロモン王最強の防御結界。大和の闘気でも無論、無効化できない。

 

 しかし大和は突破する。闘気を込めた指で術式をなぞり、強引に解除した。

 

 荒唐無稽の荒業である。埒外の闘気と、何より魔導師クラスに異能術式に精通していなければ不可能。しかし大和は両方兼ね備えている。彼は異能術式を用いないだけで、知識は保有しているのだ。それも、エリザベスに比肩するほどの莫大な情報量を──

 

 その美顔を驚愕で歪めるソロモン。彼の心臓目がけて大和は必殺の抜き手を放つ。操身方で金剛石の如く硬化した五指は難なくソロモンの心臓を貫いた。吐血する彼を見やり、大和は勝利を確信する。

 

 同時に背後から嘲笑が聞こえてきた。

 

「全く、忌々しいほど見事だよ。奇襲とは言え、単身で五師団の大隊長を無効化し私を殺してみせるなんて……いやはや、全く以て理不尽だ。お前は」

 

 嘲りの中に確かな敬意を含めて、ソロモン──であろう美少年はSS軍服のマントを靡かせる。振り返った大和は訝しげに眉を顰めた。

 

「転生か……?」

「そうだとも。つい先日、秘術で転生したんだ。惜しかったな、あと一日早ければ私を殺せたのに」

 

 ソロモンの周囲に五師団の団長が並び立つ。大和は舌打ちした。

 

 奇襲が失敗した時点で任務失敗は確定した。ソロモンは大和に語りかける。

 

「私は異世界へ往く、軍事力を溜めるためにな。悪いがここでお別れだ。暗黒のメシア」

 

 ソロモン達の背後に突如として異界門が現れる。彼等は次元の狭間を繋ぎ、別の世界へ赴こうとしているのだ。大和は既に戦意を伏せている。ソロモンは嗤いながら告げた。

 

「お前をけしかけたであろう碌でなしのヒムラーに伝えておいてくれ。遊戯は終わりだ、ナチスはもうじき滅びる。短い間だが、暇潰しにはなったぞ──と」

「…………」

「ではな」

 

 異界門を潜っていくナチスの黒幕達。最後にヴラド・ドラキュリーナに投げキッスを送られ、大和は小さな溜息を吐いた。その頃には既に異界門は閉じていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 その後、ソロモンが言った通りドイツナチスは壊滅。独裁者アドルフ・ヒトラーはベルリンの塹壕で自殺し、ヒムラーもイギリス軍に拘束された後、青酸カリで自決した。第二次世界大戦を深刻化させていた悪魔の軍勢は、こうして駆逐されたのである。

 

 ドイツナチスの真実を聞かされたサンとムーンは、驚愕のあまり唖然としていた。途中でメモを取るのも忘れていたほどである。

 

 大和は何杯めかのラムをグラスに注ぎながら苦笑を浮かべた。

 

「依頼を失敗したのはアレで最後か……全く、忌々しい記憶だぜ」

 

 グラスいっぱいのラムを飲み干すと、ドライフルーツの盛り合わせを口に放り込む。辛うじて、ムーンが口を開いた。

 

「では、まだ黒幕は生きているのか……?」

「そうだ」

「……世界が危ないのではないか? それほどの男なのだろう、ソロモンは」

「ああ、自分以外の全ての存在を「道具」としか思ってない野郎だ。戦争中毒者であり、世界の破滅を目論んでる」

「っ」

「まぁ、俺には関係の無い話だ。依頼されれば話は別だが、そうでなけりゃどうでもいい」

「……貴方も貴方で、狂っているな」

「そんな俺に話を聞きに来たお前達も大概だと思うぜ?」

 

 小首を傾げた後、大和は付け足す。

 

「今の話、記事にしない方がいいぞ。ネオナチのシンパは今も世界中にいる。暗殺されたくなかったら公表しないでおくんだな」

 

 その忠告を胸に刻みつける前に、サンとムーンは抱きかかえられていた。そのままベッドに放り投げられる。

 

「さぁて、約束の報酬タイムだ。味あわせてもらうぜ」

「ちょ! ままま、待って欲しいにゃん! まだ心の準備が……!!」

「そうだ!! もっと余裕を持たせて欲しい!! こんな状態で……!!」

「ぐだぐだ煩ぇなぁ、その気にさせりゃあいいんだろ? 任せておけ」

 

 抱き寄せられ、唇を奪われるムーン。驚愕しながらも、その舌使いに一気にメスとしての本能を刺激される。健気に目を瞑り、大和の舌を受け入れる。サンはあわあわしながらその様子を見つめていた。

 

 彼女達はその後、約束通り三日三晩大和に貪られた。

 大和からすればネオナチスなど過去の亡霊、故にどうでもいいと割り切る。

 

 しかし彼等と再度相まみえる時は、刻々と迫っていた。

 

 

《完》



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第十六章「修羅伝」
異世界の剣闘大会


 

 

 異世界、平行世界から来訪者が訪れるのもデスシティの醍醐味の一つ。彼等が齎す未知の物質や技術によって、産業革命が日々に起こっている。デスシティを構成している要素の一つとして、別次元の異世界があった。

 

 であれば、その逆があるのもまた必然。以前、大和が中世ヨーロッパに似たファンタジー世界に召喚されるという事態があった。デスシティの住民が異世界に来訪するのもよくある話なのである。

 

 では、任意ではどうなのか? デスシティの住民が「自分の意思」で異世界に赴く事は可能なのか? 可能である。既に時空間移動の方法は確立されており、「銀の鍵」などの便利なマジックアイテムが存在する。更に「異世界ハンター」なる専門職業もあるくらいだ。

 宇宙的恐怖である邪神が根城としているデスシティ。何でもありの此処、魔界都市に不可能など無かった。

 

 特に魔界都市でA級以上の戦闘力を誇る存在──超越者や魔導師、魔神や邪神などは異世界に何不自由無く赴く事ができる。その規格外の力で無理やり次元の壁を通り抜けられるのだ。

 

 だが、それだけ強大な力を誇る者達だ。わざわざ異世界に赴く理由は無いに等しい。超然とした性格をしている者達が多いのだ。

 

 しかし、俗っぽい性格をしている者もまたいる。最強の肉体と武術を誇りながら、金と美女に目が無い低俗極まりない男が──

 

 今回の物語の舞台は、魔界都市でも表世界でも無い。全く別の異世界だ。彼は何時も通り、欲望の赴くままに周囲を滅茶苦茶にしていくのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 地球がある宇宙とは別の宇宙に、トバルという惑星があった。地球に似た良好な環境を誇る星である。元々の原住民は獣人族──デスシティでいう亜人族だったが、この宇宙を支配する魔神達が暇潰しでこの惑星を箱庭に変えた。

 

 剣闘大会の聖地──戦いを生き甲斐とする者達はそう呼ぶ。

 

 日夜、寝る暇も無く殺し合いが繰り広げられる。宇宙中の腕自慢が己が最強である事を証明しようとしているのだ。大金を賭ける観客もゴマンといる。

 死者が量産され、目も眩む大金が動きまくる。出場者も観客達も、血に酔っていた。血に飢えていた。デスシティとはまた違う狂気に蝕まれた場所──ソレが此処、トバルである。

 

 剣闘大会の総合受付であるギルド酒場は、屈強な戦士達でごった返しになっていた。皆、己の腕に絶対の自信を持つ強者である。種族も多種多様だが、どちらかと言えば魔族や獣人族、神族が多い。生まれながらに強大な力を持つ存在だ。

 

 殺気立っている者達が殆どだが、無関心に自分の得物を整備している者や美女達と戯れている者もいる。殺意と自己顕示欲に満ちたこの世界に、今宵暗黒のメシアが降り立った。

 

 ウェスタンドアを無造作に開けてギルド酒場へ入っていく。騒々しかった酒場が一瞬で静まり返った。大男──褐色肌の美丈夫があまりに美しかったからだ。

 

 鋭利な三白眼に獰猛なギザ歯。それらを抱えながら全く色褪せない神域の美貌は女神すら骨抜きにしてしまう。鍛え抜かれた肉体はそもそもの出来が違った。骨格や筋肉密度が異常で、それらを鍛錬で極限まで進化させている。二メートルを優に超える身長でも、羽根の様に軽やかな動きができるだろう。

 

 身に纏っているのは白と黒の浴衣。肩から真紅のマントを羽織っている。腰に帯びられた大小の日本刀は、彼の体躯に合わせ拵えられた特注品だった。

 

 しかし、彼の種族を察した大半の者達が鼻で笑った。この世界で、この宇宙で、人間は下等種族だ。悪魔や獣人の方が遥かに高いポテンシャルを誇っている。しかも神秘的な力を感じない。魔力も霊力も神力も──

 

 話にならない。とんだ雑魚である。嘲笑が木霊した。ソレが自分に向けられているとわかっていても尚、褐色肌の美丈夫は嗤っていた。

 

 しかし、ほんの数名が大量の冷や汗を流していた。彼等は愕然としている。

 

「……バケモノか」

 

 一人が囁く。褐色肌の美丈夫の「真の実力」を見抜いてしまったのだ。

 格が違い過ぎる──どういう経緯を経てそこまでの存在に成れたのか……疑問は尽きないが、今はそれどころではない。

 問題は、今回の剣闘大会が剣闘大会として成立しない事だ。彼によって蹂躙劇に変わる。

 

 そう男が確信した瞬間、目が合った。刹那に寒気に襲われる。褐色肌の美丈夫は嗤いながら人指し指を口元に当てた。「黙ってろ」。そう言っているのだ。

 

 その灰色の三白眼に宿る埒外の殺意と狂気に、男は危うく悲鳴を上げかけた。彼は戦闘をするために此処に来たのではない。何か別の目的でこの場に来ている──その目は戦士の目ではない。殺し屋の目だった。

 

 男は頷いた後、脱兎の如くギルド酒場を出た。彼は今回の目玉である「ある大会」の優勝候補であったが、ここで脱落した。しかし、ソレは正解だった。

 

 褐色肌の美丈夫は肩を竦めると、受付嬢に笑いかける。うっとりと見惚れる受付嬢に対して低く甘い声音で告げた。

 

「この星で一番規模のデケェ大会──アルティメット・ワンって大会に出てぇ。優勝賞金が凄ぇんだろ?」

 

 この男──大和の目的は血沸き肉踊る闘争などではない。優勝賞金だ。

 戦いなど、結果を得るための手段でしかないのである。

 

 

 ◆◆

 

 

「あの、本当に、アルティメット・ワンに出場なさるんですか?」

「おう、駄目か?」

 

 大和が小首を傾げると、周囲の戦士達がクツクツと喉を鳴らした。失笑を抑えきれないのだ。しかし受付嬢は心優しいのだろう、心配そうに告げる。

 

「……お客様は、人間ですよね?」

「ああ」

「……無礼を承知で申し上げます。アルティメット・ワンは危険な大会です。他の剣闘大会をお勧めします」

「ふぅん、どんな風に危険なんだ?」

「アルティメット・ワンは様々な剣闘大会が開かれている惑星トバルでも種族、経歴、武器の使用、その他一切の出場条件を問わない無差別級の大会です。試合はどちらか死ぬまで続行されるます。最後に立っているのは優勝ペアただ一組だけです。確かに、優勝ペアには惑星一つ分の金銀財宝が与えられますが──」

「よし、出る」

 

 一切迷い無い応答に対して、受付嬢は苦々しい表情で告げた。

 

「……お話しを聞いていらっしゃいましたか?」

「おう」

「アルティメット・ワンには強力な魔王や神が出場しています! 人間である貴方が出場すれば、死んでしまいます!」

「死ぬかどうかはやってみなきゃわからねぇだろ? ああ、ペアはいるから安心してくれ。じゃ、登録よろしく♪」

「お客様!!」

 

 受付嬢の忠告を無視して、ギルド酒場から去ろうとする大和。周囲の客人達の視線が変わった。怒気である。生意気だと視線で訴えているのだ。

 どうでも良いとばかりに真紅のマントを靡かせる大和の前に、同じ位の身長の大男が立ち塞がった。青い肌に尖った耳、紅蓮の双眸から滲み出る魔力は魔族──それも魔王クラスである。

 

 彼はその厳つい容姿に似合わない優しい声音で大和を諫めた。

 

「なぁ兄ちゃん、顔とガタイが良いからって勘違いしてねぇか? 自分が強いって」

「……」

「困るんだよ。兄ちゃんみてぇな弱っちぃのがこのトバルの花であるアルティメット・ワンに出られると」

 

 種族も性別も関係無いとされているが、アルティメット・ワンとに出場できる種族は限られている。男はこう言っているのだ。「雑魚は引っ込んでろ」と。

 

 周囲の獣人族が嗤う。魔王達は指を差して陰口を叩いていた。完全にアウェイだ。

 しかし大和は微塵も動揺していなかった。ただただ胡乱と、目前に佇む木偶を眺めていた。

 

「だからよぉ兄ちゃん……回れ右して、参加資格を取り消してきな。でないと……俺がこの場で兄ちゃんを晒し者にしなきゃなんなくなる」

 

 大和の肩に手を置き、諭す様に告げる魔王。しかし野次馬達は違った。

 

「いいんだよバラガス!! やっちまえそんな雑魚!!」

「痛い目見せてやりな!! 人間風情が調子に乗って!!」

「ボロ雑巾にしてやれ!!」

 

 罵詈雑言の嵐。魔王──バラガスは哀れみを以て大和を見つめた。しかし大和は──懐からラッキーストライクを取り出し、火を点ける。そして紫煙をバラガスの顔面に吹き付けた。

 

「さっきから何グダグダ言ってんだよ。邪魔だ、消えろ」

「……~~~~~~~~ッッ」

 

 バラガスの眉間に特大の青筋が浮かび上がった。野次馬達は「終わったな」と肩を竦める。バラガスはとある銀河で最強を誇る大魔王だ。アルティメット・ワンに出れる資格を十分に満たしている。

 彼を怒らせてしまった馬鹿な人間に対して、周囲は同情の念すら抱けなかった。

 

 しかし次の瞬間である、野次馬達はありえない光景を目撃した。

 バラガスの顔面を片手で掴み、無理やり捻じ伏せている「人間」が居たのだ。人間──大和は煙草を咥えながら嗤う。

 

「調子に乗ってんのはどっちだ、ええ?」

「~~~~~~~ッッ!!!?」

 

 メシメシと嫌な音が響き渡る。規格外の握力で頭蓋骨を締め付けられたバラガスは、悲鳴を上げる事すらできずに失神した。泡を吹いている彼を無造作に投げ飛ばし、大和は湧き出る怒髪天の念を冷笑に変える。

 

「雑魚共が……ミンチにしてやりてぇところだが、今は許してやるよ。今はな」

 

 そう言い残し、大和は去っていく。真紅のマントがウェスタンドアを潜った後も、ギルド酒場は静寂に包まれていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ふらりふらりと街中を歩いていく大和。トバルの中心地、その街並みは中世欧州の後期をイメージさせた。夜の街並みもまた風情がある。

 たびたび獣人族の女達に逆ナンされるものの、適当に流す。何時もの彼であれば何名か宿屋に連れて行くのだが、今回は違った。連れ合いがいるのだ。

 

 廃れた宿屋に辿り付けば二階に上がる。自室に入ると、濡れた奈落色の双眸が大和の美顔を映した。白いドレスに包まれた我儘ボディを捩らせて、妖艶過ぎる美女は微笑む。

 

「どうだった?」

「話にならねぇな。これなら楽に優勝できそうだ」

「なら、アンタ一人でもよかったんじゃない?」

「お前がいれば確実なんだよ──アラクネ」

 

 彼女を引き寄せ、紅の塗られた唇を奪う。魔性の美女──アラクネは蕩けた表情で大和の腰に手を回した。そう、大和のペアはあのアラクネなのだ。

 

 剣闘大会が蹂躙劇になる──確実に。

 

 

 ◆◆

 

 

 剣闘士の間で、とある噂が流行していた。「人間の男があのバラガスを腕力で捻じ伏せた」というものだ。その場に居合わせていなかった者は皆信じなかった。ありえない、魔力や霊力を用いたのなら兎も角、只の腕力で人間が魔族に勝てる筈が無い──と。

 

 しかしその場に居合わせていた数名は言う。その男の背後に、恐ろしい鬼神を垣間見たと──

 

 全ての真実は今日明らかになる。惑星トバル最大の目玉、無差別級剣闘大会アルティメット・ワン。その第七試合に件の男が登場するのだ。まだ初戦なのにも関わらず会場は満席だった。皆、噂の真相を確かめに来たのだ。

 司会者である獣人族の美女が声高らかに告げる。

 

「それでは!! 第七試合を始めます!! 東の門より「大和&アラクネ」ペア!!」

 

 出た、アイツ等だ。会場が騒然となる。しかし、すぐに静寂に包まれた。

 二名のあまりの美しさに全員見惚れているのだ。褐色肌の大男と妖艶過ぎる美女。二人共、異性の理想像そのものであった。

 

 男は強く逞しく、しかしハンサムで。女は淫靡で魅惑的で、しかし影がある。

 

 剣闘士の男達は思わず涎を垂らす。最高の女だと、是非自分のものにしたいと──劣情を全く隠しもしないので、アラクネは思わず苦笑した。しかし不快感は抱いていない様である。現に投げキッスで応じているあたり、楽しんでいる節すらあった。

 

 大和は司会者に手を振るう。惚けていた司会者は我に返り、慌てて西の門を示した。

 

「つ、続きまして西の門から!! 「トウジョー&サンジ」ペアです!!」

 

 が──何時まで経っても入場して来ない。司会者は慌てて呼びかけた。

 

「トウジョー&サンジペア! 入場をお願いします!!」

 

 しかし、応答は無い。代わりに大会関係者が出てきて司会者に耳打ちした。彼女は目を見開いた後、顔を真っ青にして観客達に告げる。

 

「えー、その……トウジョー&サンジペアは死亡していたため、出場できません。よって、大和&アラクネペアの勝利となります!!」

 

 会場が再び騒然となった。トウジョー&サンジペアは優勝候補の一角だった。皆、大和&アラクネペアを蹂躙してくれる事を期待していたのだが──それ以前の問題である。

 トウジョー&サンジペアを殺せる存在など限られている。会場内が疑心暗鬼の空気に包まれる。

 殺した存在がいる。彼等を暗殺した存在がいる。優勝候補達が、互いを密かに警戒し始めていた。

 

 しかし、彼等は気付かなかった。気付けなかった。人間だと見下しているペアが実は伝説の殺し屋コンビである事を。

 デスシティの住民がこの場に居れば思わず失笑するだろう。

 

 あの大和とアラクネが、こんなお遊戯に付き合う筈がない──と。

 

 現に、二名の顔には暗い笑みが貼り付いていた。犯人など既にわかりきっている。

 

 

 ◆◆

 

 

 安宿に戻った大和は、アラクネを膝上に置いてソファーで寛いでいた。その魅惑的過ぎる肢体を抱き寄せ、呟く。

 

「この調子でいくか」

「そうね。一々戦うなんてアホ臭いし、まばらに殺していきましょう。周囲も私達の事を弱者と断定してるし、今がチャンスだわ」

「どっちみち、俺達が犯人だって証拠を出せる奴がいねぇ。馬鹿ばっかりだからなァ……」

 

 酷な話である。こと殺しに於いて並ぶ者無き二人から証拠をゲットするなど、同格でもなければ不可能だ。彼等は伝説の殺し屋──証拠は一切残さない。

 

 大和は嗤う。

 

「大会のルールに「事前に殺し合いをしてはいけません」なんて無かったからなァ……最低限、大会として機能させればソレでいいだろ」

 

 大和はアラクネの耳元で囁く。

 

「お前は特に人気みてぇだから、暗殺も楽そうだな」

「あら、妬いてるの?」

「ほざけ」

「ああんっ♪」

 

 首元を甘噛みされ、嬉しそうに喘ぐアラクネ。

 二人の悪意を止められる者は、生憎この惑星にはいなかった。

 アルティメット・ワンの出場者は黒鬼と毒蜘蛛の餌になるしかなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 深夜。惑星トバルの夜空は、それは美しかった。満天に星々が煌いている。空気も新鮮で上手い。血生臭いこの星で唯一心癒される景色であった。

 

 トバルの原住民しか知らない風化した闘技場で。獣人族の女が功夫(クンフー)に励んでいた。仮想の敵を眼前に映して、ソレを仕留めんと鋭爪を煌かせている。衝撃波が辺りを吹き抜けた。繰り出された回し蹴りはまるで死神の鎌、並の相手なら首から上が消し飛んでいるだろう。

 

 仮想の敵を完全に殺した女は静かに息を吐いた。獣の要素を残しつつ、美しさを損なっていない健康的な女である。手足は猫科の──虎の要素を強く現している。尻尾と猫耳も付いていた。

 

 年齢は二十代前半ほど、肩辺りで切られた金髪に同じ色の瞳。Tシャツにホットパンツというラフな格好。端正な顔立ちと豊満な肢体は男共の視線を釘付けにする。

 しかし腹筋はしっかりと割れており、肩の筋肉も筋張っていた。その身から滲み出る闘気は並の戦士より遥かに濃い。

 色気と力強さを兼ね備えた、この惑星ならではの女だった。

 

 彼女は空中で三段回し蹴りを放った後、華麗に着地してみせる。猫科の動物ならではの、しなやかで無駄のない動きだった。そうしておもむろに上空を見上げる。野性の勘が何かを告げたのだろう。

 

 瓦礫と化した闘技場の柱の上に男が座っていた。真紅のマントを夜風でバサバサと靡かせている。煌くギザ歯に褐色の体躯。そして──冷たい殺意を宿した灰色の三白眼。

 

「ッッ」

 

 女の背筋に悪寒が奔った。本能による訴えだった。今すぐ逃げろと、獣の血が叫んでいる。しかし戦士の矜持がソレを押し殺した。女は不敵に嗤う。

 

「何の用だ……私は今、鍛錬の最中だ。用が無いなら消えろ」

「いいや、用はあるぜ。地元出身の女闘技者──タガイ」

 

 彼女は地元トバルでも随一と謳われる戦士だった。雌でありながら並み居る闘技者達を薙ぎ倒して来た。獣人族で彼女に並ぶ存在は殆ど居ない。その力は別世界の魔王や神仏に比肩しうるほど──アルティメット・ワンでも優勝候補の一角に数えられていた。

 

 物理戦闘では今大会最強と名高い彼女を一目で怖気づかせた褐色肌の男は、まるで羽根の様に彼女の前へ降り立つ。下駄の音が高らかに鳴り響いた。その容貌を確認してタガイは目を見開く。

 

「お前は──そうか、今話題になっている人間の雄か」

「こんばんは、今日はイイ夜だな。こういう夜は無性に女を犯したくなる」

「…………」

 

 眉根を顰めるタガイ。視姦される事には慣れているが、ここまで無遠慮にされるのは初めてだった。指先の一つまで舐る様に観察され、嫌悪感で吐いてしまいそうになる。

 

「下等生物が──余程調子に乗ってるらしい」

「調子に乗ってんのはどっちだ? 畜生風情が。人間様に会ったら尻尾振れってママに教わらなかったのか?」

 

 歯軋りの音が静かに響き渡った。同時に莫大な怒気がこの場を圧迫する。タガイの金髪が逆立った。

 

「どうやら自殺志願者らしい──いいだろう。お望み通り八つ裂きにしてやる」

「野良猫の躾け方か……マタタビでも持ってくればよかったか? でもまぁ、所詮牝だ。やり方は変わらねぇ」

 

 大和は嘲笑を浮かべながらタガイに手を差し出す。

 

「ほら、お手。……出来たら優しく犯してやる」

「……殺すッッ」

 

 タガイの鋭爪が無慈悲に煌いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 アラクネの毒壺がまるで意思を持つかの様にうねり、男の怒張を絡め取った。甘い嬌声と共に漏れ出した吐息を感じる暇も無く、男は絶命した。泡を吹いて痙攣している。アラクネは消化不良でやれやれと肩を竦めた。

 

「まだ全然イッてないのに……もう」

 

 白目を剥いている男の顔を、その豊満過ぎる乳房で包み込む。そして額をイヤらしく舐め上げた。魔族であろう屈強な男は、音も立てずに塵となって消えていく。アラクネの毒があまりに強過ぎるのだ。

 

 アラクネは立ち上がると、純白のドレスを身に纏い宿屋を出て行く。

 

「今日で五人目……でも全員早漏だから満足できないわ。やっぱりアイツじゃないと……」

 

 宿屋に居る者達は全員アラクネの存在に気付かない。彼女がミスリル銀の糸でふわりと虚空を舞っても見向きもしない。世界最強の暗殺者の誇る気配遮断は神すら欺く至上の絶技、気づける筈もない。

 

 街道をふわりと舞っていき、待ち合わせ場所まで向かう。中途半端に火照った肢体は冷たい夜風によってすぐ冷めてしまった。

 

 街道を抜ければ人気の少ない通りへと出る。そこで件の男は既に待機していた。アラクネは表情を惚けさせ、男に身を投げる。

 男、大和は彼女を抱きとめ苦笑した。

 

「キャッチしなかったら地面に落ちてるぜ」

「信じてたもの。キャッチしてくれるって」

 

 微笑むアラクネ。大和は彼女の額にキスを被せた。

 

「コッチは五人だ。お前は?」

「私も五人よ。ノルマ達成ね」

「そうだな」

「…………」

 

 アラクネは不意に大和の胸板に顔を埋める。そして不機嫌そうに頬を膨らませた。

 

「……他の女と寝たでしょう?」

「ああ」

「殺したの?」

「もちろん」

「最低最悪の屑野郎ね……でも、いいわ。許してあげる」

「お前の許しが必要なのかよ」

 

 大和は苦笑しながら宿屋へと入って行く。

 闘技大会アルティメット・ワンは既にグチャグチャになっていた。最低最悪の男女達によって──

 

 

 ◆◆

 

 

 豊満でありながら鍛え抜かれた極上の女体を漆黒のドレスで包み込んでいる魔の戦女神。

 惑星トバルの代表管理者であり、一介の魔王でありながら死と戦を司る魔神にまで上り詰めた女傑、ダクネス。彼女はその美顔を憤怒で歪めていた。真紅のストレートヘアが湧き上がる怒りで戦慄いている。

 玉座に佇んでいる彼女の怒りを冷まそうと数々の宴が催された。しかし全てが逆効果だった。

 

 ダクネスの居城である大魔宮殿にて。彼女の怒りは遂に臨界点を突破した。誇り高き戦士達の血沸き肉躍る死闘を何よりも楽しみにしている彼女は、大会の根本定義を穢されて絶大な怒りを覚えていた。

 ダクネスは命じる。己の腹心でありアルティメット・ワンの絶対王者に。元凶を抹殺し、地獄の底に叩き落とせ──と。

 漆黒の重鎧を着込んだ巨漢は黙して主君の前に座していた。ダクネスは彼に再度告げる。

 

「殺せ。生かして返すな。戦士の誇りを地に貶めた奴等を決して許すでない」

「ハッ、貴女様の怒りは我が憤り。必ずや思い知らせてみせましょう」

 

 絶対王者、カザン。魔法と武技を極めたこの益荒男もまた、今回の事件に憤りを感じていた。険しい面持ちで礼をすると、玉座を後にする。その後ろ姿を見届けたダクネスは、意味深な溜息を吐いた。

 

「迫真の演技だな。エエ? ダクネスよぉ」

 

 玉座の裏から突如現れた褐色肌の美丈夫。瞬間、ダクネスの表情が女王から牝のソレに変わった。彼女は蕩けた表情で彼に抱きつく。

 

「アア、大和様……っ、幾星霜ぶりでございます。あの日、刻まれた女の歓び──忘れた日などございません」

「アレがアルティメット・ワンの絶対王者か?」

「はいっ、貴方様の仰る通り、今大会に出場させました。一時の慰めになれば幸いです……っ」

「腹心なんだろう? いいのかよ。殺しちまって」

 

 大和の言葉にダクネスは熱い溜息を吐く。

 

「貴女様の暇潰しになるのでしたら、あ奴も本望でしょう……」

「相変わらずだな、お前」

「アア、大和様──こんな愚かな私めに罰を……っ」

「いいぜ、この雌犬が。たっぷり躾けてやる」

「ああ……ッ♪」

 

 本当に幸せそうな表情をするダクネス。そう、彼女は遥か昔に大和に調教された雌奴隷なのだ。厳粛さと冷酷さで知られる戦女神の誰も知らない素顔……しかし、絶対強者への服従は彼女の心の支えでもあった。

 

 全ては終焉に向かっていく。救い様の無い終幕へと──

 

 

 ◆◆

 

 

 翌日。アルティメットワンの闘技場はまるで通夜の如く静まり返っていた。辺りを満たしているのは憎悪と、それ以上の恐怖。皆、認めたくないのだ。しかしそれ以上に恐れている。あの人間のペアを──

 

 ありえない、考えられない。しかし現実で起こっている事だった。現に、闘技者の大半は大会に出る事なく殺されてしまった。理由は不明。証拠不十分で「変死」と断定されている。しかし、この場にいる皆はわかっていた。この事件で一番得をしている存在──そう、あの人間のペアこそが犯人であると。

 

 偏見主義が崩れ始める。同時に会場に漲っていた闘志が、それ以上の恐怖で塗り潰されていく。

 違う、違う──こんなモノを見に来たのでは無い。誇り高き戦士達の血沸き肉躍る闘いが見たいのだ。こんな陰鬱で──血生臭い「現実」など見せられたくない。

 

 しかし、あの二人は戦士ではない……殺戮者だ。魅せるために殺すのでは無く、己のために殺す。我欲を満たすためだけに──殺す。

 殺戮ショーは今日、本物の意味で殺戮ショーとなるのだ。血で酔った観客達が現実に引き戻される日がやって来た。

 

 司会者の女性はビクビクと怯えながら東門を指す。

 

「そ、それでは──や、大和&アラクネペア、登場です!!! ヒィィっ!!」

 

 恐怖のあまり涙を流して逃げ惑う司会者。無理もない、人間のペアが遂にその本性を現したのだ。

 滲み出る埒外の殺意──観客達に発狂したり気絶したりする者が現れる。超濃度の殺意はありもしない幻想を生み出した。悪辣なる黒鬼と禍々しい毒蜘蛛──幾千幾万の魂を犯し、糧にしてきた生粋の化物達。

 

 偏見主義を無くした戦士達は思わず生唾を飲み込んだ。一体どれだけ殺めれば、あれだけの殺気を纏えるのか──彼等の足元で蠢く那由他の亡霊達。ソレも幻覚なのだろう。が、此処まで明確な「死」のイメージを抱かせる存在は惑星バトルにも他の銀河にもいなかった。

 

 駄目だ、勝てない。あの絶対王者でもこの二人には勝てない。何故なら彼等は「勝つか負けるか」で決着を付ける存在では無いからだ。

 

 司会者の紹介無く、漆黒の重鎧を着込んだ大男が現れる。バトルの開始を告げる合図は……無かった。そう──既に始まっているのだ。しかし両者とも構えない。大男──絶対王者ことカザンは苦悶の表情で二人に問う。

 

「貴殿等には矜持が無いのか? この大会を虚偽で満たし貶め、誇り高き戦士達を死に追いやった……悔いはないのか?」

「「……」」

 

 大和とアラクネは互いに視線を合わる。そして嘲笑を浮かべた。カザンは問いを重ねる。

 

「それだけの強さを誇りながら、何故だ? 何故この様な非道な行いを──」 

「止めようぜ、グダグダ語り合うのは。お前と俺達は分かり合えねぇ」

 

 大和は肩を竦め、諭す様に囁く。

 

「俺達にとって暴力は「目的」じゃなくて「手段」だ。欲しいのは勝利でも名誉でもねぇ、報酬なんだよ」

「……」

 

 カザンは沈鬱げに視線を下ろした。

 

「成程……端から分かり合えないというわけか」

「そうだ」

「──貴殿等は戦士ですらない。只の殺戮者だ」

「御名答、だからもういいだろう? かかってこいよ」

「是非も無し。ここで死ね」

 

 超濃度の魔力で身体強化を果たしたカザンは、召喚した魔槍で二人纏めて斬り飛ばそうとする。同時に幾億もの魔術式を平行起動、怒涛の追撃を加えようとした。

 しかし見える──死が。カザンの眼前に「死」が迫っていた。

 大和の神速の抜刀術に、アラクネが鋼糸を通じて致死性の猛毒を付与する。万象切断してみせる真空波と、神仏であろうと絶滅必至の致死毒による合体技──大和&アラクネコンビの十八番。

 

 

『鬼蜘蛛』

 

 

 カザンは最期を悟り、吠えた。万感の怒りを以て──

 

「そんな……貴様等の様な、貴様らの様な矜持も無い奴等にィィィィィ!!!!」

「強さと矜持は関係ねぇよ。俺が言うんだ、間違いねぇ」

 

 カザンは魂ごと消し飛ばされる。その気になれば宇宙を容易に滅ぼせる豪傑が、呆気なく消滅したのだ。残ったのは彼の誇る神殺しの魔槍だけ。ソレもすぐに溶け落ちる。

 

 観客達は以前静まり返っていた。絶望だった。アア、やはり──間違いない。彼等がこの大会を滅茶苦茶にしたのだ。怒りすら湧かない。その代わりに修羅達の宴の終焉に、逃れられない現実に、深い深い絶望を覚えるのであった。

 

 大和とアラクネは嗤いながら踵を返していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 アルティメット・ワンが終わった。悪夢の様な大会だった。惑星トバルは静寂に包まれている。以前までの活気は存在しない。皆、目が覚めてしまったのだ。

 

 誰も歩いていない夜の細道を褐色肌の美丈夫と妖艶過ぎる美女が並び歩いている。大和とアラクネはこれ以上無いほど上機嫌だった。アラクネは大和の腕に豊満過ぎる乳房を当てながら微笑む。

 

「凄い賞金だったわね。これなら暫く仕事しなくて済みそう」

「そうだな。暫くお前と戯れるのも悪くねぇ」

「フフフ、最近本当に優しいわね。大和……」

「そうか?」

「ええ。正直になって、本当に良かった」

 

 アラクネは立ち止まり、大和の鎖骨に指を這わせる。大和が膝を折れば、待っていたとばかりに唇を重ねた。そのまま濃密なキスを交える。大和はアラクネの腰に手を回し、アラクネは大和の首に両腕を回した。

 

 その時である。互いの背後に忍び寄っていた刺客達がバラバラに引き裂かれたのは……。銀閃が幾重にも煌く。アラクネの鋼糸に絡め取られたのだ。咽返る様な血臭と共に、二人の足元に臓物が散らばる。

 しかし、二人は以前舌を絡め合っていた。そうして離れれば、卑猥な銀の糸が垂れ落ちる。うっとりとしているアラクネに大和は嗤いかけた。

 

「サンキュー」

「お安い御用よ」

 

 二人はそのまま周囲を取り囲んでいる刺客達を見渡した。総勢100名ほどか。剣闘士や大会関係者、さらには見知らぬ殺し屋や賞金稼ぎなどもいる。余程、今回の事態が大事になっているのだろう。

 しかし、二人からすればどうでもいい事だった。獲物が増えただけである。

 

「いいねェ……消化不良だったんだ。もっと殺して犯して、愉しみてぇんだよ。俺達は」

「だから火照らせて頂戴。欲求不満なのよ。早く来て……♪」

 

 嗤いながら手招きされ、刺客達は我先にと躍り出る。二人は死のダンスを踊った。そうして存分に血を浴びて、悲鳴を聞いて、狂気に酔い痴れた後に身体を重ね合うのだ。

 

 誰よりも欲望に忠実に──殺して、犯して、何もかも蹂躙する。

 二名の殺戮者達はこれでもかと享楽的な人生を愉しんでいた。

 

 

《完》



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第十七章「魔戦伝」
一話「貪狼連合からの依頼」


 

 

 デスシティには「五大犯罪シンジケート」と呼ばれる犯罪組織の元締め達がいる。彼等の存在がデスシティの治安を寸前のところで抑えているのだ。表世界──財政界との繋がりも強い彼等は魔界都市を支える柱である。

 

 その五大犯罪シンジケートの一角──貪狼連合(たんろうれんごう)は、臓器や奴隷売買を主な資金源にしている中華系マフィアだった。西区の一画を完璧に占領し「人間牧場」なるものを経営しているのは有名な話である。臓器売買に関わる殆どの犯罪者が貪狼連合の傘下にあり、許可なく売買を行った者達には苛烈な制裁が施される。

 他にも北区のカジノ街──特に奴隷市場を取り仕切っており、表世界に於いては本土の経済発展に便乗して電子機器、服飾デザインなどにも手を出している。

 中国政府に対する圧力は絶大であり、莫大な資金を融通して貰っている中国政府は彼等の命令に絶対に逆らえなかった。

 

 中国全土の暴力団体の総締めであり中華の裏番ともいえるこの組織の長は、なんと可憐な美少女であった。しかし、前総帥の実娘である彼女の才覚は破格を通り越して最早異端。前総帥は彼女に全幅の信頼を置き、ほぼ全ての商いを任せていた。

 

 汪美帆(ワン・メイファン)

 

 傾城の美少女と讃えられる彼女は華僑の誇る闇の花。その美貌に魅了され、立場を弁えずに求婚を申し出る政治家やVIP達が後を絶たない。ソレ等を上手く利用して財政界のコネクションを広げているのだから、少女とは言え立派な悪女である。

 

 そんな彼女が熱に浮かされているのがあの世界最強の殺し屋──大和なのだから、世も末である。美帆は是非自分の伴侶にと何度も申し出ているのだが、軽くあしらわれていた。それでも恋心は冷める事を知らないらしい。熱烈なアタックを続けている。

 

 今回、美帆は大和にとある依頼を申し込んだ。乙女としてでは無く、貪狼連合の総帥として。理由は統治区画である西区の繁華街で不穏な動きを見つけたからだ。治安が乱れ、邪教徒達の活動が確認されている。仕事も邪魔されており、出荷すべき品も奪われていた。

 美帆はこの事件を自分達人間の手に負えるものでは無いと即断し、人間を超えた怪物を頼った。

 

 甚大な被害が出る前に強大な力で叩き潰す──徹底的に、容赦無く。だからこそ彼女は貪狼連合の総帥を任されているのだ。

 

 そうして、今回の物語が始まる。

 

 

 ◆◆

 

 

 中華風の豪勢な装飾が施された貴賓室で。大和は華僑が誇る闇の花と対峙していた。濃紺のチャイナドレスを着た絶世の美少女。白磁の如き柔肌に発展途上とは言え豊満な肢体、そして女神もたじろぐであろう完璧な顔立ち。シニョンで纏められた黒髪を揺らして、彼女は蠱惑的に微笑んでみせた。

 

「わざわざありがとうございます。大和さん」

「婚約の話ならパスだが、依頼の話なら別だ」

「もう……相変わらずいけずですね」

 

 可愛らしく頬を膨らませる美少女──汪美帆(ワン・メイファン)に、大和は肩を竦めながら問う。

 

「で──邪教徒だったか。ソイツ等を皆殺しにすればいいのか?」

「いいえ、邪教徒と言ってもその派閥は多種多様で我々でも把握しきれていません。現在確認されている信徒も、恐らくは末端の者達でしょう」

「つまり、殺すべき対象を把握できていないと?」

「はい。現在、腕の良い情報屋を大多数動かしています。暫くすれば明らかになるでしょう」

「成程……見つけ次第ぶっ殺してほしいワケか」

「話が早くて助かります。流石大和さんです」

 

 花が咲いた様に微笑む美帆。彼女はウットリとした様子で大和を見つめていた。大和は居心地悪そうにしながらも問いを重ねる。

 

「しかし俺を雇う程の事態か? お前の配下なら片付けられるだろう。特に横に控えてる奴なら──」

 

 美帆の傍らに控えている男へと視線を向ける大和。漆黒のチャイナ服を着た美男。年齢は二十代半ばほどか、寡黙で武人然としている。

 

 飛龍(フェイロン)。双剣術の達人であり天下五剣の一角に名を連ねている最高位の武人だ。大和と戦える強者の中の強者である。美帆は苦笑した。

 

「彼は私の専属ボディーガードです。緊急事態であれば話は別ですが、今回は動かす必要が無いと判断しました」

「身内を動かさず、外部の連中だけで解決するか……中々に総帥らしくなってきたな」

「ふふふ、褒め言葉として受け取っておきます。……それと」

 

 美帆は笑顔で両手を重ねる。

 

「邪教徒絡みですから、用心に越した事はありません。邪神でも召喚されたらひとたまりもありませんからね。なので、もう一人頼れる存在を雇いました」

「ほぅ……誰だ? 俺とコンビを組めるほどの奴か?」

「はい。腕は保障しましょう」

 

 タイミング良く大和の背後の扉が開く。振り返れば絶世の美女が居た。結い上げられた黒髪に薄く化粧の施された顔立ち。スラリとした長身と豊満な乳房。見目麗しい美女だが、その太腿はむっちりとしておらず程良い筋肉が付いていた。そして、股の部分が若干膨らんでいる。

 彼女は彼である。女装をしている美女と見紛うほどの美青年なのだ。

 

 彼は気軽に手を上げる。

 

「よぅ大和、この前ぶりだな。忘れねぇぜ、俺をぶん殴った事」

紅花(ホンファ)……」

 

 世界最強の槍術家、三本槍の一角にして六合大槍の達人。紅花は意味深な笑みを浮かべた。

 

 

 ◆◆

 

 

「あの後普通に生死の境を彷徨って、ちゃっかり生き残った紅花ちゃんで~す。大和この野郎、少しは手加減しろよ馬鹿野郎」

 

 ソファーで寛いでいる大和に背後から抱き付き、その耳を甘噛みする紅花。女性用の甘ったるい匂いが香る。胸板を這う指を止めながら、大和は鼻で笑った。

 

「俺と対峙して生き残れただけ良かったじゃねぇか。ええ? 紅花ちゃんよォ」

「ハァ~? 許さねぇし。これはアレだ、キッチリ慰めて貰わなきゃ帳尻合わねぇわ」

 

 本来ある筈ない豊満な乳房を押し付けながら艶然と微笑む紅花。その様子を貪狼連合の総帥、美帆は面白くなさそうに眺めていた。

 

「相変わらずですね、紅花。下品な男娼だこと……」

「ハッ、マセ餓鬼が拗ねてやがるぜ。な~大和、慰めてくれよ~今ここで」

 

 紅花は大胆に大和に擦り寄る。ハッキリと挑発されたので、美帆は眉間に深い皺を寄せた。大和はやれやれと肩を竦める。

 

「喧嘩すんなよ、面倒くせぇ……紅花、今からホテルに行くぞ。きっちり慰めてやる」

「さっすが~♪」

「美帆。テメェもこの任務が終わったら可愛がってやるから、そう拗ねるな」

「はい♡ 拗ねてませんよ私は♡」

 

 両者共に満面の笑みを浮かべる。大和は立ち上がると紅花を抱きかかえ、貴賓室を後にした。

 

 

 ◆◆

 

 

 掠れた嬌声が喉の奥から這い出た。固い臀部が揉みほぐされる。武術家として鍛え上げたしなやかなな肢体を、まるで娼婦の堕肉の如く柔らかくされた。元・男娼である己の弱点を的確に突いてくる。最奥を何度も突かれ、舌を貪られ、熱い白濁を流し込まれ……紅花という男は完全に屈服した。

 

 男と女ではシかたも違うだろうに、大和は完全に慣れていた。可愛ければ、美しければ男であろうが床を共にするこの男は実際にバイセクシャルである。紅花もまたバイなのだが、一度この男に抱かれてしまうと虜になってしまうからいけない。他の男ではもう満足できない体にされてしまうのだ。

 

 ホテルの一室、そのベッドの上で。大和はラッキーストライクを咥えて紫煙を吹かせていた。その逞しい腕に抱きつき、紅花は蕩けた笑みを浮かべている。

 

「このすけこまし……めっちゃ気持ちいいんだよ、ば~か♡」

「フン」

 

 鼻で笑いながらも紅花の頭を撫でる大和。紅花は気持ちよさそうに目を細めた。

 そんな時、大和のスマホが鳴る。内容を見てみると──貪狼連合のトップ、美帆からだった。すぐに応答する。

 

「おう美帆、どうした?」

『申し訳ありません。大和様、現在本部が邪教徒に襲撃されております。私も刺客に襲われておりまして──』

「……ハァ?」

『もしお時間が空いていれば、援護して貰ってもよろしいでしょうか? 敵方の情報はゲットできましたので』

「……OK。お前らの本部って事は、中央区の高層ビルだよな?」

『はい』

「一分後に援護する。通話は切らないでくれ」

 

 大和は立ち上がると、親指で天井を指さした。

 

「聞いてだだろ紅花、仕事の時間だ。屋上行くぞ」

「おーけーおーけー♪ スッキリしたし、今日の俺は滅茶苦茶強いぜ~♪」

 

 紅花は上機嫌に着替え始めた。大和も衣服を纏い始めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 貪狼連合の本部である超高層ビル、その屋上で。美帆はソファーで烏龍茶を啜りながら溜息を吐いていた。通話中の大和に呆れ混じりに告げる。

 

「襲撃者は邪教徒と邪神の眷属達、そしてB級レベルの傭兵と殺し屋です。A級もちらほら混じっている様ですが、飛龍(フェイロン)がいるので問題ありません」

 

 凶悪な煌めきを放つ白刃が美帆の眼前まで迫る。が、美帆は一切動揺していなかった。その真横で、双剣を掲げた武人が白刃ごと襲撃者を細切れにする。美帆の専属護衛──天下五剣の一角、飛龍。双剣術の達人である彼が居る間は美帆に傷一つすら付けられない。天地の龍を模した柳葉刀を、その強靱な足腰で振り回す。斬撃の嵐が襲撃者達を蹂躙した。美帆は軽い調子で大和と会話を続ける。

 

「全く、この都市で数百年の歴史を誇る我々の本部を襲撃するなんて──邪教徒共はどうにかしています。一族郎党皆殺しです」

『邪教徒共に理性がある筈ねぇだろ。まぁ、ソッチのやり方で殺してやれや』

「無論です。決して許しませんとも」

 

 プンプンと頬を膨らます美帆。その眼前で生首が宙を舞う。が、美帆はケロリとしていた。彼女にとって死屍累々の光景などごく日常的な光景なのだ。

 己に血の一滴も浴びせる事なく襲撃者達を葬っていく飛龍の腕に「流石だ」と感心しながら、美帆は大和との通話を続ける。

 

『そうだ美帆、飛龍の奴に言ってくれ。屋上をスッキリさせてくれって。遠距離から援護すっから』

「了解しました、飛龍」

 

 黙礼し、一瞬で屋上を消し飛ばす飛龍。美帆は満足げに頷いた。同時に超遠距離から無数の弓矢が飛来してくる。ソレらは的確に襲撃者の弱点を穿ち即死させた。更に虚空から六合大槍の矛先が現れ、邪神の眷属達を串刺しにする。周囲は瞬く間に静寂に包まれた。

 

 十数キロ離れた西区のラブホテルの屋上で。大和は大和弓を携えながら顎を擦っていた。

 

「まぁ、こんなもんだろ」

「だな」

 

 紅花もまた、自慢の得物である真紅の六合大槍を振るった。大和はその様子を興味深そうに眺めている。

 

「次元の狭間を通って突いたのか?」

「おうさ、次元を通って繰り出す刺突は縦横無尽。しかも距離を問わねぇ。隙が多いから遠距離専用なんだが、中々重宝するぜ?」

「ったく……天下五剣にしろ、その分野を極めた奴はやっぱり異常だな」

「ニッシッシ♪」

 

 大和を以てしても「異常」だと言わしめる槍捌き。

 紅花もまた古今無双の武術家であり、最強の名に恥じぬ槍術家なのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は美帆から異教徒共の詳細を聞き出す。美帆は流暢に話し始めた。

 

『異教徒共が所属しているのは混沌教団。異世界の混沌の神カオスを信仰しているオカルト団体です。どの異世界か──特定まではできませんでしたが……恐らく中世ヨーロッパに似た魔法世界かと。装備品や魔術体系から割り出した憶測なので、確実ではありません。彼等はこの世界に紛れ込んで、生け贄を捧げるなどして暗躍している様です』

「成程、お前んところ人身売買の邪魔をしてるのはそういうワケか」

『辻褄が合います。ですが気になる点も……彼らは今まで正規の異教徒リストにも乗らなかった地味な団体です。それが何故、今更──』

「何かしらの準備が整いつつあるって事だろ、自信が行動を大胆にさせるんだ」

 

 大和は顎を擦り、脳内で憶測を組み立てる。ご都合主義を抜きにした現実的な未来を描き出した。

 

「まぁ最悪、そのカオスって神が復活するかもしれねぇ。用心に超した事はねぇなァ」

『その場合、大和さんと紅花にお任せします。報酬は相応の額を支払いますので』

「了解だ。で、他に異教徒共の情報は掴めたか?」

『お待ちください──はい、今部下から新たな情報が入りました。中央区の高速道路で私達の商品を横取りした車両が逃走中との事です。大和さん、至急現場に向かい、車両を停止させてくださいませんか? 何名か生かして、後は皆殺しにしても構いません。品物の生死も問いませんので』

「ったく、しゃあねぇなぁ。俺は殺し屋だぜ? 妨害屋じゃねぇんだ」

『申し訳ありません』

「今回はサービスだ。また後でかけ直す。じゃあな」

『はい。それでは』

 

 早速、美帆から車両の写真と現在地を知らせるマップが送信されてくる。その両方を立体ホログラムで映し出すと、紅花が興味津々に覗いてきた。

 

「へぇ、それが新しい標的か?」

「おう、こっから数十キロくらいか──1分もかからねぇな」

「お姫様抱っこで頼むぜ♪」

 

 紅花は笑顔で両手を広げる。大和は鼻で笑った。

 

「この甘え上手め」

「ああんっ♡」

 

 首筋を甘噛みされ、紅花は喘ぎ声を上げる。大和はそのまま彼を抱き上げると、驚異的な脚力で天高くに跳躍した。



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二話「妨害屋、参上」

 

 

 魔界都市にまるで迷路の如く広がっている高速道路。その上を重厚な装甲車が爆走していた。背後からずっと追走してきていた中国マフィア達は既にいなくなっている。奴らめ諦めたかと、邪教徒達は勘違いで笑い声を上げていた。

 

 その時である、遙か上空から暗黒のメシア達が降りてきたのは。着地の際の衝撃で高速道路が崩壊する。邪教徒達は驚愕しながらも、アクセルを目一杯踏み込んで崩壊の波から脱した。しかし二名の武術家達が間を置かずに躍り出る。

 

 大和の抜刀術で生まれた真空刃を避けられはしたものの、高速道路が両断される。更に相方の紅花が万象穿つ矛先で車体を覆っていた魔術結界を破壊した。

 

 棒高跳びの要領で跳躍した紅花は車上に着地する。その周囲360度を攻撃魔術陣が覆うも、紅花は緻密かつ大胆な槍捌きで全て破壊した。更に出てきた邪教徒は大和が大太刀で斬り伏せる。

 

 紅花は更に跳躍、乗車席を窓から覗く。そして六合大槍を突き出した。隣席の邪教徒は貫かれ、運転手もそのまま貫かれる──筈だった。

 

 しかしその矛先を寸前で銀の長棒が止めた。運転手の背後から現れたソレは紅花の得物を難なく弾き返す。

 

「何ぃ!?」

 

 驚愕する紅花。同時に車上の装甲を突き抜けて妨害者が現れた。黒い兎のフードを被った金髪の眼鏡美少女。彼女は灰色の双眸を冷たく輝かせ、ミスリル銀製の長棒を肩に乗せる。

 

「全く……今日は厄日です。まさか糞親父とオカマ野郎の相手をしなければならないとは……」

 

 デスシティの誇る最強の妨害屋、黒兎(こくと)はやれやれと溜息を吐いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は糞生意気な実娘を見据えると、嗤いながら両手を広げる。

 

「オウオウ、誰かと思えばチンチクリンじゃねぇか。今回は大人しく逃げた方がいいんじゃねぇの? 今なら見逃してやるぜ」

「ほざきやがれです腐れ親父。相変わらず加齢臭酷いですね。マジで死んでくさい」

「処女が粋がってんじゃねぇよ、マジでぶち殺すぞ」

「本当に最低最悪の糞親父ですよ、アナタは……いや本当に」

 

 呆れて怒りすら沸かない様子の黒兎に、大和は大太刀の切っ先を向ける。

 

「で? 俺達に殺されるって事でOKなんだな?」

「ええ、でも死ぬのは私ではありません。貴方達です、この変態野郎共」

「「……」」

 

 大和と紅花は顔を見合わせる。そして凶悪に嗤った。

 

「「なら死ね」」

 

 白刃が無数に煌めく。しかし黒兎は軽やかに躱してみせた。そのまま口元を緩める。

 

「貴方達相手だと私一人では正直厳しいです。ですので奥の手を披露させて貰います」

 

 両手で魔力と闘気を融合させ莫大な力をその身に纏う、究極技法「魔闘技法」。七色のオーラを纏った黒兎に対して大和は酷薄な笑みを浮かべた。

 

「ソレは前に見た。内容こそまだ把握できてねぇが……俺一人なら兎も角、紅花もいる状態で通用すると思ってんのか?」

「早まらないでください糞親父。私はまだ奥の手を披露していませんよ」

 

 余裕の笑みで返す黒兎。彼女は大和の読心術をある程度回避できる希有な存在だった。大和が訝しげに眉を顰めていると、彼女の放った言葉の意味がその背後に現れる。突如として何かが突撃して来たのだ。ソレは真紅の流星──

 

「チィ……!!」

 

 心臓目がけて突き出された得物の速度は生半可では無かった。受け止めた際にわかる膂力と技量。大和は辛うじて大太刀で受け止めるも、耐えきれずに遙か遠くへ押し返される。

 

 魔界都市と異なる瘴気が辺りに充満し始めた。戦意と殺意を孕んだ血風を纏って現れたのは数千の軍勢。中華風の鎧を着た彼等は一名一名が歴戦の強者だった。何名かが牙門旗を掲げる。ソレに記された文字は──「呂」

 

 あの百目鬼村正作の大太刀が悲鳴を上げたので、大和は途中で敵の得物──方天画戟の束を掴んだ。それでも威力を殺しきれないのは、人馬一体の力の伝達法にあるのだろう。真紅の巨馬に跨がりし稀代の豪傑は戦意に満ち満ちた双眸で大和を見下ろしていた。

 

 方天画戟と一日千里を駆ける名馬、赤兎馬。

 そして兜に付いた特徴的な羽根飾り──

 

 大和は自慢の超怪力で地面を砕きつつ「彼等」の突進を止めると、驚愕と好奇心で破顔した。

 

「はじめましてか? ──ええ? 三国志最強の英雄、呂布(りょふ)よォ」

「フン……冥界で暴れ回るのも飽きていた頃よ。元、天下五剣や三本槍から話は聞いている──貴様が大和か」

 

 三国志にその名を刻みし暴力の権化。人中にこの男在りと謳われた稀代の豪傑──呂布奉先。彼は獰猛過ぎる笑みを浮かべた。

 

 黒兎は召喚魔導によって、冥界から呂布とその軍勢を召喚したのだ。

 時代を超えた合戦が開幕する──

 

 

 ◆◆

 

 

 数多の英傑が誕生した三国志に於いて、武力のみであれば最強と謳われた男──呂布。

 彼とその武に惹かれて集った兵士達は冥界に下った後も本能のままに暴れ回っていた。彼等はむしろ生前より生き生きとしていた。時代の流れに囚われず、血湧き肉躍る闘争を未来永劫楽しむ事ができるからだ。探せば強者など幾らでもいる。人間のみならず怪物、魔王、邪神の成れの果てまで──。呂布達にとって、冥界は最高の楽園だった。

 

 そんな彼等が戯れで契約を果たしたのが、妨害屋こと黒兎である。

 生前とは比べものにならないほど強靱になった彼等を現世に召喚できる存在はごく限られている。呂布単体なら兎も角、軍勢丸ごとなら尚更だ。しかし、黒兎には出来た。母親がかの大魔導師、災厄の魔女ことエリザベスだからだ。英霊召喚、魔人召喚など取るに足らない。魔闘技法で得た莫大なエネルギーを糧に、呂布軍はデスシティに完全な状態で降臨した。

 

 黒兎は呂布軍総勢二千を召喚したにも関わらず、ケロりとした表情をしていた。そのまま邪教徒の運転手に告げる。

 

「三分──約束の時間はギリギリ稼げそうです。逃げてください」

 

 その言葉を聞いて、邪教徒達は形振り構わず装甲車を爆走させた。ここから先は人智を逸脱した者達の戦い──巻き込まれれば命は無い。

 

 紅花は六合大槍を肩に担ぐと、呑気に口笛を吹いた。

 

「呂布軍──三国志か。華雄に高順、他にも優秀な武将が揃ってるみてぇだな」

 

「呂」の牙門旗がはためき、屈強なる騎馬隊が進撃を始める。地鳴りが響き渡る。将軍である華雄と高順は我先にと突撃して行った。紅花はしかし、冷酷な笑みを浮かべていた。

 

「冥界で多少鍛えてはいる様だが──黒兎ちゃんよォ、召喚する奴等間違えたんじゃねぇの?」

 

 その身から桃色の闘気が溢れ出たかと思えば、淡い残像を残して六合大槍が消える。紅花と共に絶対貫通の概念そのものに成った矛先は華雄と高順を騎馬軍団ごと引き裂いて黒兎の喉元にまで迫った。黒兎は千里眼を用いて寸前で防御する。遅れて、騎馬軍団と周囲の建造物が吹き飛んだ。

 

「俺は世界最強の槍術家、三本槍だぞ……表世界の英雄崩れ共に遅れなんか取るかよ。あんま舐めんじゃねぇぞ、糞餓鬼」

「ッッ」

「俺を足止めしたかったらもっと連れてきな!」

 

 槍のしなりで黒兎を遥か遠方に吹き飛ばした紅花はそう豪語した。

 

 

 ◆◆

 

 

 呂布は確かに最強だった。三国志では──。しかし大和は、有史以前から「最強」の名を欲しいままにしている闇の救世主だ。正直に言おう、格が違い過ぎる。

 

「アア、そうだ。お前は確かに強いよ。中国の一地方の、限られた時代では──お前は最強だったんだろうよ」

 

 冥界の呪詛を吸い込んで見違える程逞しくなった赤兎馬。その顔面を下駄で無理やり踏み躙り、既に瀕死になっている呂布を片手で持ち上げている大和。彼は嘲笑を浮かべながら囁く。

 

「冥界で暴れ回って、自分達が強くなったと勘違するのは結構だぜ。実際強くなってるからな、上級悪魔位か? まァ、それでも雑魚には変わりねぇ……あんま調子乗ってんじゃねぇぞ?」

 

 その傍らには、柄から真っ二つに折れた方天画戟が刺さっていた。呂布の胸には赤柄巻の大太刀が、首筋には脇差が刺さっている。呂布はそれでも不敵に嗤っていた。

 

「忌々しき、しかし俺の求める最強の座にいる男よ……いずれ貴様の首、この呂奉先が奪ってやる」

「まぁ、期待しないで待ってるぜ」

 

 呂布は最期まで嗤いながら光となって消えて行った。冥界に強制送還されたのだ。落ちた大太刀と脇差を拾い上げて、大和は「さて」と黒兎達の居る方角を見据える。

 

「流石のアイツでも、最強クラスの武術家や魔神は呼び出せないか……いいや、コレは時間稼ぎだな。アイツめ、わざと呂布なんぞを召喚して時間を稼ぎやがったな」

 

 苦笑する大和。彼は異能魔術を一切用いないが、なにも知識が無いワケでは無い。むしろその道の最高位、魔導師に匹敵する知識量を誇っている。

 

「そりゃそうだ。世界最強クラスの奴等は皆癖ありだ。あのチンチクリンの言う事を聞く奴なんて限られてる。使役じゃなくて召喚なら、互いの意思疎通が絶対条件だからな」

 

 召喚魔術──英霊召喚にしろ魔人召喚にしろ、お互いの了承が合ってこそ成り立つものだ。そうでなければ無理矢理召喚する事になる。ともすれば最悪、召喚した存在に殺されるかねない。

 

 黒兎ほどの才能を持つ存在でも、この概念を覆す事は不可能だ。将来的には可能かもしれないが──彼女は未だ最強では無い。才能があっても、経験が追いついていない。大和と同格の者達と契約するにはまだ幼すぎる。最も──

 

「近い内に何人かと契約しそうだ。そうなると──アア、マジで厄介だな。今の内に殺しておくか?」

 

 ため息を吐きながら、大和は口笛を吹き鳴らす。異空間から轟音を立てて漆黒色のカスタムハーレーが現れた。魔導カスタム仕様のハーレー「スカアハ」。大和の愛車である。

 

『参上しました。マスター』

「久々にドライブだ。頼むぜ相棒」

『お任せください』

 

 機械的な女性の声を響かせた後、地鳴りの如きエンジン音を轟かせるスカアハ。大和は「彼女」に跨がると、豪快な疾走を始めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 紅花の猛撃を寸前でいなし続けている黒兎。その表情には若干の狼狽の色が見て取れた。流石の彼女でも世界最強の武術家を足止めするのは厳しいのだ。紅花は嗤いながら六合大槍を振り回す。

 

「パパは多少なりとも手加減してくれるんだろうが、俺はそうはいかねぇぞ! ええ!?」

「煩いですよオカマ野郎……!」

 

 ミスリル銀の長棒を双剣に変えて手数で攻める。しかし隙を見出せない。紅花はスレンダーな体付きをしているのにも関わらず、とんだパワーファイターなのだ。

 六合大槍を極めるにあたり八極拳を平行して極めた彼は拳法の達人でもある。当然、懐に入られた際の対処法も完璧。中距離は彼の領域であり、近距離に寄ろうにも無理矢理弾き飛ばされる。遠距離からの攻撃魔術も全て闘気で無効化されてしまう。

 

 ここまで強いのか──黒兎は歯がみしていた。

 

 糞親父がどれほど手を抜いてくれていたのか──今ならわかる。しかしソレが気に食わない。何よりも気に食わない。黒兎は総身から怒気と共に魔闘気を溢れ出させた。紅花はしかし余裕の笑みを浮かべる。

 

「才能は特上。今でも最強一歩手前なんじゃねぇの? でも経験が致命的だなぁ……出直せやクソ餓鬼!」

「っ」

 

 目と鼻の先まで迫り来る矛先──黒兎はソレを上体を反らす事で躱すと、反動で六合大槍を蹴り上げた。しかし紅花は離さない。武術家が得物を離すなど論外である。紅花はしなった槍をそのまま地面に叩き付けた。クレーターと共に大地震が発生する。中央区が揺れた。

 

 しかし黒兎にとってその行動は計算の内だった。叩き下ろしを軽やかなステップで躱し、槍の上に乗るとミスリル銀を矛に変えて突き出す。この距離で得物を封じている状態……一矢報いられる、そう確信した。

 

 しかし忘れてはいけない。紅花は八極拳の達人である。超至近距離でのパワーファイトを売りにしているこの拳法は、懐に入られた時にこそ真価を発揮する。

 

 紅花は得物を迷うことなく離すと、大地震かと錯覚する程の震脚を踏み鳴らす。そのまま黒兎の鳩尾に肘撃を叩き込んだ。カウンター気味に入り、黒兎は呆気なく吹き飛ばされる。幾多の建造物を倒壊させながら沈んでいった。

 

「甘ぇんだよ、二流が」

 

 鼻で笑う紅花。その背後から魔導式ハーレーに跨がった大和が現れた。

 

「終わったか?」

「ああ、内臓グチャグチャにしてやったぜ。暫く立てねぇだろ」

「……そうか。よし、とっとと任務を終わらせるぞ」

「おう♪」

 

 紅花は大和の背に抱きつく形でスカアハに跨がる。大和はそのままスカアハを爆走させた。

 

 

 ◆◆

 

 

 遠く離れた瓦礫の中から七色のオーラが爆発する。口元から垂れる血を拭いながら、黒兎は忌々しそうに遠方を睨んだ。

 

「やりますね……本当に。コレはもう少し上位の存在を頼った方が良さそうです」

 

 そう呟きながら内臓や骨肉の修正を瞬く間に終わらせる。黒兎は唇に付いた血で魔術文様を即興で描き出した。まだ戦いは終わっていない。第二ラウンドの始まりである。



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三話「邪炎帝」

 

 

 燃え盛る業火の如き真紅の魔術紋様から、黒兎に向かって失笑を交えた声がかけられた。

 

『俺の力を求めるか、異端児よ。対価の準備はできているか?』

「エネルギー量には自信があります。受け取ってください」

『ほぅ……確かに、凄まじいエネルギーだ。では我が眷属を向かわせよう』

 

 真紅の魔術紋様から幾千幾万の火の精霊が飛び出る。ソレ等は一斉に大和達の方角へ飛んでいった。

 

 しかし、黒兎の眉間には深い皺が刻まれていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 高速道路、その横に伸びる道路を爆走しながら件の装甲車を発見した大和達。同時に背後から迫り来る敵勢に気がついた。紅花は器用に立ち上がり六合大槍を構える。

 

「俺が迎撃する! 運転任せたぜ!」

「おう」

 

 大和は速度を上げる。迫り来る火の精霊達は一匹一匹が上級悪魔に匹敵する格を備えていた。しかも数万単位で、まるで津波の如く押し寄せてくる。紅花の眉間に皺が寄った。

 

「オイ大和! なんかヤベェぞ! そこそこの奴等がすげぇ数で迫ってきやがる!」

「アアン?」

 

 大和は振り返る。勢いよく飛んでくる火の精霊達を見た瞬間、嫌悪で顔が歪んだ。黒兎が召喚しようとしている存在がわかったのだ。

 

「あのクソジャリがァ……とんでもない奴を呼び出そうとしてやがる」

「どうするよ!」

「取り敢えず装甲車に追いつく。それまで迎撃頼んだぜ」

「おうさ!」

 

 安定しない足場でも抜群の槍捌きを披露してみせる紅花。迫り来る幾万の火の精霊達を的確に穿ち、消滅させていく。その際に起こる爆発の規模は尋常ではなく、爆走していなければ巻き込まれてしまうほどだ。背後の車両や建造物が面白いほど吹き飛んでいく。阿鼻叫喚の地獄絵図、しかしデスシティでは日常的な光景だ。

 

 装甲車に乗っている邪教徒は追われている事に気がついたのだろう、背後の車両を魔術で吹き飛ばす。即興の柵を作ってみせた。大和は嗤ってスカアハを跳躍させる。高速道路の側面を爆走し、そのまま装甲車を追い続けた。邪教徒達は目を剥く。その間も紅花は火の精霊達を消し飛ばしていく。

 

 このままでは不味い。しかし黒兎は契約を更新しようとしていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 黒兎は頬を膨らませながら文句を言う。

 

「何故ですか? 私のエネルギー量では足りないと?」

『そう怒るなよレディ、十分満足しているよ。だから俺の眷属を向かわせたんだ』

「……貴方本人を召喚するためには、どうすればいいですか?」

『正直なのは美徳だぞ、レディ。そうだな──君は俺を召喚するという本質を理解していない』

「本質──?」

 

 怪訝な表情をする黒兎に、真紅の魔術紋様の先にいる存在は告げる。

 

『俺は邪神だ。対価は相応のものを求める。重要なのは量ではない、質なのだよ』

「……つまり?」

『君に相応の苦しみを味わって貰わなければ、出張る気力が沸かないという事だ』

「…………」

『ふて腐れている可愛いレディに忠告だ。任務は大丈夫かい?』

「!!」

『生憎、俺も暇では無いんでね。契約はまたの機会にしよう』

 

 真紅の魔術紋様が消えかける。黒兎は叫んだ。

 

「待ってください! 対価なら払います! その──」

『何だね?』

「命と処女以外で、お願いします……っ。将来、捧げたい人がいるので……っ」

『…………』

 

 主は呆然としたのだろう。その後、大爆笑し始めた。

 

『ハッハッハ!! そうかレディ!! 君は心までも処女という事か! この都市において、更にあの男の娘でありながら!』

「糞親父は関係ないです……私は将来、ネメアさんと結婚するんです……!! だから処女は上げられません!!」

『うむ! 大いに結構! では対価を言おう。君の血だ。ワイングラス一杯分で手を打とう。どうだい?』

「……良いのですか? そんなもので」

『いい、愉悦は十分味わった。後はこの余韻に浸りたい。世界最強の武術家と魔導師のサラブレット、更に生娘の純血ともなれば、これ以上無い報酬だ。さぁ……どうする?』

 

 黒兎は迷うことなく頷いた。

 

 

「ではお願いします────クトゥグアさん」

 

 

 その者、炎を司る旧支配者(グレート・オールド・ワン)。炎のみならず、熱現象を完璧に掌握してみせるエネルギーという概念そのもの。

 

『邪炎帝』

『ニャルラトホテプの天敵』

『気まぐれな赤』

『獰猛なる紳士』

 

 真紅の紋様から宇宙開闢と終焉の業火を纏いて現れる、朱一色の美男。帽子、カマーベスト、シャツ、ロングコート。目から髪の色まで、全てが紅。癖のあるミディアムヘアを靡かせて、優男は告げる。

 

「契約成立だレディ。それじゃあ……派手に暴れるとするか」

 

 甘いマスクに凶悪な笑顔を浮かべて、炎の旧支配者──クトゥグアは極大の邪気を迸らせた。

 

 

 ◆◆

 

 

「紅花、降りろ」

「おう!」

 

 紅花は地面へと着地する。二名の顔は緊迫で固まっていた。察したのだ、とんでもない存在が顕現した事を──

 

「スカアハ、御苦労。撤退しろ」

『マスター。私が本来の形態を開放すれば──』

「今はその時じゃねぇ」

『……Yes。どうかご無事で』

 

 スカアハは異空間へと消えて行く。大和はすかさず大和弓を取り出し、弓矢をつがえた。放つは神穿ちの弓矢──奴が来る前に、装甲車ごと射線上に在る全てを消し飛ばす。しかしその前に装甲車の上に真紅の紳士が舞い降りた。彼は凶悪な笑みを浮かべて両手を掲げる。

 

 瞬間、炎熱地獄が大和達を襲った。

 

 容易く宇宙を塵に出来る奈落の業火を極点に絞り開放される。弓矢をつがえている大和の代わりに紅花が前線へと躍り出て六合大槍を回転、炎の津波を塞き止める。しかし真紅の紳士は容赦無く熱量を上げる。

 無限の宇宙空間を内包している多次元宇宙を燃やせるレベルまで、それでも駄目なら多次元宇宙を無限数内包する超多次元宇宙を燃やせるレベルまで──

 

 邪神の権能によって周辺被害を抑え、更に極点開放とは言え、その余波は尋常ではない。大和達の背後にある全てが消し飛んだ。北区と西区の半分が焼失する。数百キロメートルの土地が一瞬で焼け野原になったのだ。死者は容易く100万人を超える。

 紅花は悲鳴にも似た声を上げた。

 

「オイ!! マジでヤベェぞ大和!!」

「わかってらァ」

 

 大和は限界まで弦を引き絞り、解放する。神穿ちの弓矢──以前の天使病幹部に打った時の比では無い。全身全霊の一矢である。流星一条、地盤を粉砕して放たれる神魔必滅の弓矢は衝撃波だけで奈落の業火を吹き飛ばした。中央区の高層ビルをドミノ倒しの容量で倒し、射線上にある南区を両断する。しかし衝撃波を通したのみ。

 

 真紅の紳士は眼前に放たれた神穿ちの弓矢を歯で咥えて止めていた。ペッと弓矢を吐き出して、その甘いマスクを獰猛な笑顔で彩る。

 

「さぁ、愉しい愉しい喧嘩の始まりだ……!」

「クトゥグアぁ……あんま調子乗ってんじゃねぇぞ」

 

 大和の眉間に特大の皺が寄る。魔界都市を崩壊させる勢いで、最強同士の喧嘩が始まろうとしていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 その頃、大衆酒場ゲートではネメアが憂鬱そうに溜息を吐いていた。店の中は怯えた客人達で溢れ返っている。外では旧支配者の顕現を知らせる緊急アナウンスが流れていた。

 

「北区と西区が半壊、南区は両断か……洒落にならんな。しかし止めに行こうにも行けん。こうも客人で溢れ返るとな……」

 

 皆、ネメアの力を頼って集まって来ているのだ。そうすると動けない。ネメアは唸った。

 

「恐らく気の利くヨグ・ソトースあたりか魔界都市在住の魔導師が出ていると……信じたい。どうなんだ、ニャル」

 

 ネメアはカウンター席でふて腐れている褐色肌の銀髪美女に問いかける。彼女は豊満な乳房を揺らしながらそっぽを向いた。

 

「ヨグ様がどうにかしてくれるみたいだよ。僕には関係無いことだからね、ふーんだ」

「……ハァ。まぁ、お前が出れば更にややこしくなる。このまま此処に居てくれ」

「言われなくても。あのクソ野郎の顔なんて死んでも拝みたくないからね。それに──」

 

 ニャルは頬をハムスターの様に膨らませた。

 

「アイツと大和が楽しそうに喧嘩してるところなんて見たくないもん! 大和の馬鹿! 僕という存在がありながら、本当にもう!!」

 

 本格的に拗ねているニャル。しかし動く様子は無いので、ネメアは取り敢えず安心する。彼はセブンスターを咥え、遠くで大喧嘩をしているであろう大和に囁いた。

 

「早く終わらせろ、大和……この世界は、そこまで頑丈じゃないんだ」

 

 

 ◆◆

 

 

 邪心群の副首領、ヨグ・ソトースは世界そのもの、次元という概念を司る超次元存在である。結界術に於いて、彼の右に出る者はいない。故に隔離された大和とクトゥグアは一切加減無く殴り合っていた。

 

 互いに世界最強クラスである。その殴り合いは余波だけで数多の世界と次元を消し飛ばしてしまう。ヨグ・ソトース製の結界は宇宙、多次元宇宙、超多次元宇宙、その先の──超多次元宇宙を無限数内包した「三千世界」を更に複数用いて強化した特別製だ。

 しかし、これでも彼等が本気で殺し合えば耐えきれるものではない。純粋な腕力で殴り合っているだけなので、コレで済んでいるのだ。

 

 如何に二名が規格外で、如何に大和が普段から手加減をしているかがわかる。

 

 擬似的な宇宙空間で、大和とクトゥグアは盛大な殴り合いを展開していた。クトゥグアは生まれ持った天性の戦闘センスと腕力で無理矢理ねじ伏せようとしている。

 対して大和は天性の肉体+血の滲む様な努力で鍛え上げた「天才&努力」で成り立つ至上の肉体で迎え撃っている。

 

 大和は武術を用いていない。洗礼された武技を使用してない。何故か? 出す必要が無いからだ。これは殺し合いではなく喧嘩──クトゥグアもそのつもりだった。

 

 二人とも笑顔でクロスカウンターを被せる。体格的には大和の方が上だが、総合的な力は全くの互角。故に両者共鮮血を撒き散らして後退する。クトゥグアは愉快愉快と哄笑を上げた。

 

「やっぱりお前は最高だよ! 大和! 俺と正面から殴り合ってくれる奴なんて同族にもいない! ああ、愉しいな! やはり喧嘩は素手が一番だ!!」

 

 ネクタイを緩め、優男の面を狂気で歪めるクトゥグア。大和は口内に溜まった血を吐き出しながら鼻で笑った。

 

「いいぜ。殺しをするのにも飽きてたところだ……付き合ってやるよ。久々の喧嘩だ、楽しませてもらうぜ!!」

「ああ!! 存分に楽しもうではないか!!」

 

 二名は埒外の握力で拳を握り締めると、ソレを振り抜く。大和はアッパーで腹を抉り、クトゥグアは左フックで顔面を吹き飛ばす。衝撃で三千世界製の結界に亀裂が奔る。それでも二名は止まらない。互いに血反吐を撒き散らしながら再度拳を振りかぶった。

 

 

 ◆◆

 

 

 紅花の怒濤の乱撃を黒兎は辛うじて捌き続けていた。本来の彼女の技量であれば不可能だが、千里眼による未来視と魔闘技法による出力アップで何とかカバーしている。

 それでも経験値の差はいなめない。徐々に追い詰められていく。

 才能だけなら父母を間違いなく超えている。しかし若い。あまりに若い。

 紅花は唇を歪めた。

 

「いや、間違いなく天才だぜお前──でもなァ、本当に惜しいなぁ。若すぎる。後五年もすりゃあ、俺と対等になれるかもな」

「っ」

「ま、妨害屋としては十分じゃねぇの? 俺を単体で足止め出来るくらいなんだからなァ!」

 

 六合大槍をしならせ刺突の軌道を変化させる。ただの刺突でも練度が違った。応用性が違った。一芸を極めた武術家の本領が発揮される。隙があまりにも無い……一から全てを積み重ねて来た彼等は真の戦闘のプロフェッショナルだ。中途半端な技は通用しない。才能任せの技であれば尚更だ。たとえ才能で負けていようとも、幾星霜の努力と経験値で覆してしまう。

 

 それが天下に名だたる三本槍であれば尚のこと。そも、紅花に「天才」と呼ばれるほどの才能を持つ黒兎は真の意味で天才なのだ。

 

「褒められても全く嬉しくありませんね……!」

 

 ミスリル銀の長棒を無闇に形状変化させず、そのままの状態で防御に集中している黒兎。長棒の特性をフルに生かしている。彼女は妨害屋の本分を全うし、足止めに集中していた。凄まじい集中力──紅花は内心舌を巻いていた。

 

(格上相手にもキッチリ対応してくる辺り、流石アイツの娘と言ったところか──仕事もキッチリこなしてやがるし。こりゃ将来本当に化けるぞ)

 

 何だかんだ言いつつ、防御に徹せられると厄介だった。黒兎自身が驚くほど冷静なので、紅花は装甲車を追走できずにいる。

 

 そんな時である──装甲車のあろう場所から特大の邪気が現れたのは。

 

「「!!」」

 

 紅花と黒兎は咄嗟に攻防を中断し、そちらに視線を向ける。何かが起こった。得体の知れない何かがこの都市に召喚された。

 その真相を千里眼でいち早く視た黒兎は眉を顰めて溜息を吐く。

 

「……予定外ですね。まさか依頼主が暴走するとは」

 

 異世界の邪神、顕現──。混沌教団は異界の神カオスを召喚してしまったのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 異教徒達はふと思い至った。「そうだ、今戦ってる奴等を生け贄にしよう」と。馬鹿な彼等は自分達が崇拝する異神の事しか考えていない。いいや、正確には自分の事しか考えていない、か──

 混沌の神カオスは生け贄を好む邪悪なる神である。その力は尋常では無く、もたらされる強大な加護は比類無き恩恵だ。そのために異教徒達は他者を迷うこと無く贄に捧げていた。

 

 無情だが現実である。人間は自分のためなら他者を平然と犠牲にできるのだ。

 

 異教徒達は今戦っている面々が最高の生け贄である事を察してしまった。そこからは早いものである。すぐさまカオスの召喚儀式を開始、参拝と会話を終え、生け贄指定を済ませた後にデスシティに召喚した。

 

 暗黒の曇天が裂けて、異神が魔界都市に顕現する。曲がりなりにも異世界で邪神認定されているこの神は、この世界観でも最高位の神性を誇っていた。その格、恐らく上級神仏かそれ以上──全知全能の権能をふるい、悪逆を撒き散らす狂乱の神。カオス──

 

 邪教徒達が歓喜で喚いていた。生け贄を指さし、早く加護を恩恵をと強請っている。その哀れな様を高層ビルの屋上から見下ろしている絶世の美男が居た。優雅──ただただ優雅な男である。

 長身痩躯。煌びやかで、しかし品性を損なわない衣装に身を包んでいる。癖のある金髪を腰まで流し靡かせるその様は神々しくもあった。彼は黄金色の瞳を邪教徒達に向け、嘆息を吹きかける。

 

「哀れな……此処は魔界都市。我等が首領の無聊を慰める暗黒の揺り籠。……分を弁えなさい」

 

 瞬間、邪教徒達は空間断裂に巻き込まれ消滅した。悲鳴を上げる事も許されなかった。ただただ無慈悲な断罪。邪神群の副首領はその美麗な横顔に微かな嘲笑を浮かべる。

 

「異世界の神、ですか──矮小。あまりに矮小ですね。品が無い」

 

 指をパチンと鳴らし、黄金の美男──邪神群№2、ヨグ・ソトースは鼻で笑う。

 

「格の違いを思い知るといいでしょう。死と共に──所詮貴方など、彼等に構ってすら貰えない」

 

 同時に別次元で喧嘩の真っ最中だった二名の規格外が召喚された。血まみれの彼等は拳を振り上げた時に異変に気付き、上空を見上げる。

 

「「……アア゛?」」

 

 二名──大和とクトゥグアは、眉間に特大の青筋を浮かび上げた。

 

 

 ◆◆

 

 

 異界へ通じる門が完全に開き、極悪なる神が顕現した。出てきたのは片手のみだが、それでも魔界都市の一区画を覆える大きさを誇っている。上位次元の存在、降臨──魔界都市の住民達は早速パニックになっていた。ただ事では無い、間違いなく宇宙規模の大問題である。

 

 地鳴りの様な声は歓喜の表しているのか、それとも怨嗟の唸り声なのか。

 どちらにせよ、緊急事態である事には変わりない。上空の異界門から溢れ出る邪気と神気は間違いなく上位存在のソレ。

 異界の神カオスは生け贄指定されていた眼下の二名の魂を食らおうと、巨大な手を伸ばした。

 

 が──

 

 大和とクトゥグアは明確過ぎる殺意を以てその硬い拳を振り抜く。

 

 

「「俺たちの喧嘩の邪魔すんなボケぇッッ!!!!」」

 

 

 異世門ごと次元が吹っ飛んだ。比喩表現ではない。その気になれば銀河だろうが宇宙空間だろうが殴り壊せる両者の剛拳は、異界の神ごと空間を叩き壊したのだ。

 

 断末魔の悲鳴が、空間ごと次元の狭間に吸い込まれていく。大気が破裂し、生まれた衝撃波が魔界都市全土に吹き抜けた。高層ビルがドミノ倒しの要領で倒れていく。崩壊した上空は次元の狭間と不完全に繋がり、そのせいでブラックホールを発生させた。住民ごと瓦礫を吸い込んでいく。

 

 阿鼻叫喚の大地獄。巻き上がる前髪を鬱陶しそうにかき上げて、大和は血みどろのクトゥグアを睨んだ。自分も同じ様な状態である事を察しながら、冷めてしまった戦意のままに吐き捨てる。

 

「興が冷めた──」

「同感だよ。全く副首領殿め……」

 

 両者苦笑し、互いに背を向け合った。

 

「また今度な」

「ああ、さらばだ友よ」

 

 

「「次こそぶっ殺す」」

 

 

 そう宣言し、別れを告げた。同時にブラックホールが次元の狭間と共に閉じる。

 想定外が続いた任務はこうして無事、終了を迎えた。

 

 

 

 尚、黒兎と紅花はちゃっかりブラックホールの圏内から逃げていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 数日後、規格外共の闘争によってデスシティは甚大な被害を被ったものの、魔導師達やマッドサイエンティスト達が動いてくれたおかげで普段通りの営みを再開できていた。死傷者数は120万人。行方不明者を含めれば150万人を超えるが、大した事では無い。魔界都市なら許容できる範囲だ。

 

 大和は華僑の誇る闇の華、汪美帆(ワン・メイファン)を約束通り可愛がってやった後、紅花と他愛無い時間を過ごしていた。自宅の自室、そのベッドの上で。紅花を抱きかかえて胡坐を描いている。その逞しい腕に抱かれ、紅花は蕩けた笑みを浮かべていた。

 

「なぁ大和? これからも俺とコンビを組まねぇか? きっと無敵になれるぜ。体の相性も抜群だしよォ……」

「調子乗ってんじゃねぇ」

「ああんッ♡」

 

 尻を揉みしだかれ、嬉しそうに嬌声を上げる紅花。彼はそれで満足したのだろう、熱い溜息を吐きながら話題を変える。

 

「あの餓鬼──黒兎だったか? お前の実娘だろう? あれはヤベェな。幾らお前でも、将来追い抜かれるかもしれないぜ」

 

 挑発しているのか、本音なのか、恐らくどちらもなのだろう。しかし大和は嗤ってみせる。

 

「まぁ、追い付かれる事はあるかもしれねぇな。でも抜かれる事はねぇよ。潜ってきた修羅場の数が違い過ぎる」

「──まぁ、もし世界滅亡の危機があったとしても、お前かネメアが解決しちまうもんなぁ」

「それもわからねぇぜ? 俺やネメアでも、黒兎でもない。別の若い世代が救うかもしれねぇ」

 

 まぁ、どうでもいいけどな。そう言って大和は紅花のきめ細やかな頬を撫でる。紅花は気持ち良さそうに目を細めた。

 

「それより面倒臭ぇのは、アイツの「力」に対する価値観だ」

「……どういう意味だよ?」

「そのままの意味だ。俺は「自分の力で物事を成したい」から武術家になった。エリザベスの奴は、そもそも力なんて欲していなかった。魔導師になったのも仕方なくだ。だがアイツは、黒兎は違う。力を欲しているが内容に拘ってねぇ。武術だろうが魔術だろうが召喚術だろうが、使えるものは何だって使う。だから面倒臭ぇんだよ」

「……つまり?」

「アイツ単体で俺を追い越す事はできなくても、それ以外の方法で追い抜いてくる可能性があるって事だ。今回の件だって、クトゥグア以外にもう一柱呼ばれたらヤバかった」

 

 しかし大和は獰猛に、凶悪に嗤う。

 

 

「いいぜ、むしろそうこなくちゃな……ただでさえ人生イージモードなんだ。こういう展開を楽しまねぇとな」

 

 

 酒、女、殺し──人生は楽しんだ者勝ち。それが大和の座右の銘だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、黒兎は中央区にある小粋な喫茶店で不思議な少年と会合を果たしていた。隣にいるのは金髪の妖美男──邪神群の№2、ヨグ・ソトース。

 周囲の客人達は彼の本性に気付いていない。まさかデスシティで最も畏れられる種族の副首領が喫茶店に訪れているなどと思わないのだ。

 

 そして、彼が世話を焼いている不思議な少年。容姿的年齢は黒兎と同じ位、十代前半ほど。黒髪と白髪が入り混じった不思議な髪色をしていた。双眸も右目が黒、左目が白という変わったオッドアイ。服装は白のTシャツに黒の半ズボン。端正な顔立ちをしており、隣のヨグ・ソトースとはまた違う可憐な色気を纏っていた。

 

 彼はオレンジジュースをストローで啜ると、黒兎に小首を傾げる。

 

「で──僕に何の用だい? 傘下に加わりたいと言うのであれば歓迎するよ。何せ君はあの大和とエリザベスの実娘だ。将来がとても有望……」

「貴方と個人契約を結びたいのです。誰でも無い、貴方本人と──」

「…………」

 

 少年は白髪交じりの前髪を指先で弄り、そして嘲笑を浮かべた。

 

「僕と契約? できるの? 君に? 母親でもできなかった事だよ」

「だからこそです。貴方はあの糞親父でも倒しきれない絶対的な存在ですから」

 

 

 

 邪神王アザホート──そう呼ばれた少年はクスリと微笑んでみせた。

 

 

 

《完》



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第十八章「御子伝」
光の御子と爛れた関係


 

 

 曇天の空は妖魔達が放出する瘴気とマッドサイエンティスト達が垂れ流す有毒ガスによって、一生晴れる事は無い。そもそも、太陽の光がこの魔界都市に降り注いてくれるのか──怪しいものだった。此処は穢れた世界だから。

 銃声と爆発音、そこに笑い声と悲鳴が混じり合う。コレも何時も通り。

 中央区の裏通りにある仮宿屋の前で。複数人の女の喘ぎ声を聞きながら唇をへの字に曲げている絶世の美女が居た。

 この美女、何とも風変わりな格好をしている。西洋風の鎧に身を包み、額に魔法石のペンダントを掲げているのだ。

 とある部屋の前で、腕を組み仏頂面を晒している彼女はそれでも女神の如く美しい。デスシティの男達が放っておく筈がない。しかし彼女は言い寄る全ての存在を薙ぎ倒し、此処までやって来たのだ。

 そも、彼女は女神の様に美しいのではなく、実際に女神だった。

 

 一時間ほど経っただろうか──10メートルはあろう巨大な甲冑蟲種が群れをなしてアパートの上空を飛んでいく。女神の眼前の玄関扉が開いた。同時に濃厚な雌の淫臭が漂ってくる。女神の眉が八文字になった。出て来たエルフやダークエルフ、サキュバス達は蕩けきった表情をしつつも、女神を見つけて部屋の主に声をかける。

 

「大和~っ、お客さんがいるみたいよ~」

「すっごい美人さんよ」

「嫉妬しちゃうわねぇ」

「じゃ、また今度ね~」

 

 女神の横を通り過ぎ、女達は階段をカツカツと降りていく。玄関扉が再度開き、ラフな浴衣姿の褐色肌の美丈夫──大和が現れた。

 

「誰だ? 今日はアイツ等以外との約束はしてねぇ筈だが……」

 

 斑模様が薄く入った紺色の浴衣を緩く着こなすその姿、否応無しに人目を引く。胸元や腹が丸見えだった。女神は怒鳴り散らそうとしたものの、その艶姿に顔を真っ赤に染めて視線を逸らす。逆に大和は意外な来訪者に驚いたのだろう、その灰色の三白眼を丸めていた。

 

 この女神とは知り合いなのである。

 青色の布地に黄金の装甲を混ぜ込んだ絢爛な戦装束に身を包んだ光の戦女神。豊満であり、しかし絞れた女体の黄金比を誇る肢体は高位の女神である証。

 

 彼女はエメラルドの双眸を羞恥と怒りで濡らし、黄金色のストレートの髪を戦慄かせていた。

 

「ルー……姉弟子様が、一体どうしたんだ?」

「相変わらずだな……大和。この破廉恥猿め」

「ハッハッハ! その悪口、久々に聞いたぜ! まぁ上がれよ。用があるんだろう?」

「…………」

 

 ルーは仏頂面のまま部屋へと入っていく。大和は陽気に笑っているようだが、その口元は微かに歪んでいた。

 

 

 ◆◆

 

 

 部屋に入って、ルーはまず大和の胸にしなだれかかった。先程の仏頂面は何処へ行ってしまったのか、トロトロの表情で大和を感じはじめる。熱い溜息を吐いている彼女の唇を、大和は奪った。ルーは嬉々として受け止め、舌を絡める。大和はその薄桃色の唇を舐め取り、嘲笑を浮かべた。

 

「合格だ。躾けをしっかり覚えてるみてぇだな、ルー」

「はい、大和様っ。私は貴方の忠実な奴隷(ペット)でございます……っ」

 

 凛然と在った光の御子の面影は、もう何処にもない。愛しき御主人様に侍る雌犬が、ソコに居た。大和はそのプラチナブロンドの長髪を撫でる。

 

「ケルト神話最強の英雄、百芸に通じる万能の戦女神が隷属願望持ちのポンコツだとは誰も思わねぇだろうな」

「ああんっ、大和様……」

 

 彼の太い指を舐めて音を立てて吸い、ルーは懇願する様に上目遣いした。

 

「先程の女共より私の方が貴方様を満足させられます……どうか、チャンスをっ」

「いいぜ、チャンスを与えてやる」

 

 ルーの片腕を無理やり引き上げ、その惚けた面を拝む。ルーは恐怖と、それ以上の期待で瞳を潤ませていた。

 大和は嗤う。

 

「今からお前の肢体を貪ってやる。イイ声で鳴かせてやるよ」

「アアっ……そんな」

 

 その声はしかし、喜色に溢れていた。抗うフリをするルーを大和は無理やり組み伏せる。ルーは艶やかな悲鳴を上げた。

 

 爛れた二名の関係を知る者はいない。師匠であるバロールすらもだ。このアブノーマルな関係から、此度の物語は始まる。

 

 

 ◆◆

 

 

 工芸・武術・詩吟・古史・医術・魔術──何でも出来た。師からもその万能性を絶賛された。周囲が揃って口にするのは称賛、称賛、称賛。

 仲間や民達、家族すらも同じ事しか言わない。自分を「完璧な戦女神」としか見てくれない。

 

 鬱陶しかった。煩わしかった。その幻想をぶち壊してやりたかった。自惚れている自分を穢してやりたかった。穢れた自分を慕う無知共を嘲笑いたかった。

 

 だから当時、最も嫌悪していた男に身を差し出した。師を女に変えた野獣に肢体を貪らせた。

 しかし誤算だった。齎される余りの快楽に夢中になってしまったのだ。見下され、蔑まれ、一匹の牝として扱われる事に無上の悦びを覚えてしまった。

 

 しかも、無造作に扱う様でしっかりと愛してくれるのだ。彼は──。ルーとして、一人の女として、愛してくれる。嫌悪は情愛に変わり、侮蔑は喘ぎ声に変わった。

 

 ルーは堕ちた。唯一自分自身を曝け出せる男、大和に絶対の忠誠と親愛を誓った。その結果が現在である。白い喉から高い嬌声が吐き出される。その官能的な美声は近くを通りかかった男共の性欲を一気に爆発させた。戦士として絞られていながらも豊満な肢体は女体の黄金比。90を優に超す乳房はマシュマロより柔らかい。白磁の如き肌がほんのり朱に染まり、汗と愛液による甘酸っぱい淫臭で部屋が満たされる。

 自ら腰を揺すり、何度目かわからない絶頂をその身に刻み付けたルーはプラチナブロンドの長髪を振り乱した。そして寝転がっている大和に寄り添う。

 

「アア、凄い……ん、ちゅっ、大好き……♪」

 

 厚い胸板にキスの雨を降らせる。そんなルーの頭を雑に撫でて、大和は問うた。

 

「で? 俺を訪ねて来た理由は兎も角、何故デスシティにやって来た。お前は仮にもケルト神話の主神格。本来ならこの土地に踏み込めないだろう?」

「それは──」

 

 ルーの表情が一気に険しくなる。彼女は伏目がちに言った。

 

「エリンの四大秘宝の一つ、至高の結界宝具「リア・ファル」がデスシティの攫い屋共に奪われてしまったのです。今夜、中央区最大のオークションで出品されると言うので、参上しました」

「何だそりゃ」

 

 リア・ファル。アイルランドの護国神器、神々が齎した人類の防衛ラインの一つだ。コレが盗まれたとあっては、大和も険しい表情をせずにはいられなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の地下では月一の間隔で世界最大の闇オークションが開催される。アガルタ──伝説の地下都市、太陽の空想都市の名を掲げる、魔界都市が誇る一大イベントである。

 競売にかけられるのは宝物、武器、魔術兵器、戦闘用スーツから、遺伝子改造された合成魔獣、誘拐された美少年、美少女まで──大半が違法行為で仕入れられた難物だが、此処でしか手に入らない物もある。故に様々な立場の者達が参加する。表世界のVIP、闇社会のブローカー、モグリの狂人科学者、犯罪組織、中華系マフィア、凄腕の呪術師、魔法使いなど──そして、ソレらを眺める外野の住民達。

 

 今宵、アガルタは大いに盛り上がっていた。コレのためだけに天文学的数値の大金を溜め込んで来ている者もいる。皆、熱狂していた。

 

 そして始まる──アガルタのメインイベント、神秘部門が。各神話の宝石や伝説の武具が競りに出される。本来であれば幾ら大金を積んでも手に入れられない非売品ばかりだ。故に他の部門とは金額の単位が違う。ざっと七桁ほどか──それでも接戦になるのだ。メインイベントに相応しい盛り上がりを見せる。

 

 さぁ、第一の競売が始まろうとしたその時、会場に一組の男女が入って来た。純白のスーツに黒のシャツを着こなし、ネクタイをきっちり締めた褐色肌の美丈夫。そして純白のドレスを纏った光の御子。会場がどよめきに包まれた。二名の類稀なる美貌もそうだが、その素性を知る者が多数居たのだ。

 

 世界最強の殺し屋にして武術家──大和。

 ケルト神話最大の英雄──ルー。

 

 異端の組み合わせだが、勘の良い者達は二名がどの品を競り落としに来たのか察する。今回最大の目玉、アイルランドの護国神器リア・ファル──

 

 本来、闇オークションへの途中参加は認められないものの、大和はこのオークションの上客であるため顔だけでパスされた。彼の金使いの荒さを知っている常連客達は苦い顔をした。

 

 改めて、闇オークションの始まりである。

 

 

 ◆◆

 

 

 指定席に座ったルーは会場を見渡すと、隣に腰かけた大和に不遜に問いかける。

 

「この場にいる面々の異様な空気は何だ?」

「……」

 

 大和はルーの腰に手を回して、その安産型の尻を揉みしだく。ルーは甘い吐息を吐きながらも気丈な面持ちを崩さなかった。しかしエメラルドの双眸にはこの後の「お仕置き」を期待する色が見え隠れしている。敢えて不遜な態度を取って大和の機嫌を損ねようとしているのだ。とんだポンコツ女神である。大和も苦笑せずにはいられなかった。

 

「このオークションでしか手に入らねぇもんがある。だから表世界の大富豪や政治家、VIPなんかの大金持ちが沢山参加してんだよ。皆殺気にも似た物欲を醸し出してやがる……他にもデスシティで勢力を築きつつある暴力団、犯罪組織の幹部。マッドサイエンティストや魔法使いなんかも居やがるな。そぅら、噂をすればだ……」

 

 大和に背後から抱きつき、その首筋にキスの雨を降らせる謎の美女。妖艶すぎる女だった。亜麻色の長髪、女神もたじろぐ絶域の美貌。紫苑色のドレスに包まれている熟れた肢体は男共の本能を直に刺激する。ルーに負けず劣らずの乳房をその逞しい背中に押し付け、彼女は囁いた。

 

 サラサラと前髪が靡けば、泣きぼくろと翡翠色の双眸が現れる。

 

「ふふふ、久しぶりね、大和……」

「ルチアーノ」

 

 魔導師ルチアーノ。欧州最大の魔術結社「黄金祭壇」の№4。イタリア支部の支部長であり、闇魔法と禁呪のスペシャリスト。数少ない魔導師──その一角である。彼女もこの闇オークションに参加していたのだ。まるで猫の様に甘えて来る彼女に大和は問う。

 

「どうしたいきなり、溜まってんのか?」

「ええ、貴方のスーツ姿を見たら昂っちゃった。どう、また後で……」

「いいぜ。後で気持ち良くさせてやる」

「フフフ♪」

 

 ルチアーノは上機嫌に微笑む。その隣では、ルーがこれでもかと仏頂面を披露していた。ルチアーノは肩を竦めると、大和の唇にキスを被せて踵を返す。

 

「じゃ、また後でね♪」

「おう」

 

 手を振って見送った大和を、ルーは忌々し気に睨み付けていた。大和は無視して始まった競りに注目する。最初の競売品は──見目麗しいハイエルフの少女だった。白を基調とした森の種族特有の薄着に、深緑色のローブ。黄金色のミディアムヘアにスカイブルーの双眸がまた美しい。エルフはエルフでも、別格の美しさだった。

 司会者が声高らかに告げる。

 

「№1は北欧地方の神秘の森に生息しているエルフの王族、ハイエルフの少女です。成長途段階の肢体、生意気な双眸に態度。魔法で厳重に拘束しておりますが、何も手を付けておりません! 天然ものです! 一切の穢れを知らない少女です! エルフは数多くおれどハイエルフは稀! 奴隷市場でも滅多に出回りません! では! オークションを開始します!」

 

 木槌が鳴らされる。瞬間、ここぞとばかりに表世界の大富豪達が大枚をはたき始めた。大和も興味津々といった様子で形の良い顎を擦る。デスシティへの滞在歴が長い彼でもハイエルフを拝んだのは久々だった。故に興味が尽きないのだろう。

 

「よし、買うか」

「大和! 貴様! 我々の目的を忘れてはいないか!?」

「うるせぇ、黙ってろポンコツ」

「あ、ぅぅんっ♡」

 

 背後から胸を揉みしだかれ、喘ぐルー。煩い雌奴隷を黙らせた大和は、ノリノリで競りに参加するのであった。

 前途多難である。

 

 

 ◆◆

 

 

 ルチアーノは三階バルコニーに上がると、一緒にやって来た魔導師の横に付く。獅子の如き紅蓮の長髪を靡かせる女傑。彼女は暇そうに大欠伸をかいていた。刃の如き真紅の双眸に鮮血色のローブ。高身長で豊満な肢体を誇っている。

 

 彼女は闇オークションに興味無いのだろう、大層眠そうにしている。ルチアーノはそんな彼女に告げた。

 

「ヴァーミリオン。用は済んだわ。貴女は先に帰っていいわよ」

「む……リア・ファルを買い取らなくていいのか? エリザベス様の命令だぞ」

「大和が関わってるわ。無駄よ」

「そうか、アイツが関わっているのか」

 

 紅蓮の女傑、ヴァーミリオンは身を乗り出して下の会場にいる大和を見つける。

 

「ああ、アレだな。あまりに退屈で気付かなかったぞ。横にいるのは光の御子殿か。変な組み合わせだな」

 

 ヴァーミリオン。黄金祭壇の№3。フランス支部の支部長であり身体強化魔導と炎熱魔導のプロフェッショナル。近接戦闘での強さは黄金祭壇随一であり、魔導師でありながら四大魔拳に名を連ねている文字通りの女傑だ。

 彼女は肉食獣の様に唇を舐める。

 

「最近暇だったからな、床に誘うとしよう。アイツと性行は刺激的だ」

「残念、先約済みよ♪」

「む……なら今度でいいか。兎も角大和の所へ行くぞ。お前も行かないか?」

「ん~、そうね。帰っても暇なだけだし……いいわ。行きましょう」

 

 ヴァーミリオンとルチアーノは一階へと降りていった。

 

 

 ◆◆

 

 

「1億!!」

「5億!」

「10億!」

「12億!!」

「……15億!!」

 

「50億!!」

「100億!!」

「200億!!」

 

「500億!!」

 

 500億──会場が静寂で包まれた。ハイエルフは稀有で大変美しい種族だが、500億出すかと言われれば躊躇われる。大富豪達は揃って悔しそうな表情をしていた。純然たるエルフの生娘──喉から手が出る程欲しい。しかし金額の単位があまりに大きすぎる。

 

「502億」

 

 ここで大和が手を挙げた。勝利を確信していた表世界のVIPが片眉を跳ね上げる。脂ぎった醜い壮年だ。何としても競売品を手に入れるため、彼は更に金額を上乗せした。

 

「505億!!」

「510億」

「~~~~~~~~~~~ッッ」

 

 VIPの顔に脂汗が滲む。大和はニヤニヤと嗤っていた。その笑顔が心底気に入らないのだろう、VIPが更に金額を上乗せしようとしたその時、外野から声が上がる。

 

「550億」

 

 VIPは絶望で項垂れ、それ以上何も言わなかった。大和は不快そうに首を傾ける。その視線の先には純白の軍服を着た絶世の美女が居た。濡羽根色の短髪に純白のマント──まるで堕天使の如き神々しさをその身に纏っている。いいや、彼女は本物の堕天使なのだ。それも最上級の。

 

 彼女の隣にいる細身の色香漂う男が大和に手を振る。大和は舌打ちしながら金額を少々上乗せした。

 

「551億」

「…………それでは、551億で落札です!」

 

 会場にどよめきが走る。ハイエルフとは言え、まさか一人の少女に550億も出す男が現れるとは──。古参メンバーは表情を苦渋で歪めていた。やはり大和の金使いの荒さは異常だと。新参の者達は驚愕し腰を抜かしていた。

 しかし、大和の視線は一点に集中している。最古の堕天使、ルシファーと、アメリカ合衆国大統領、カール・マーフィーに。

 カールは30代でアメリカ合衆国の頂点に立った辣腕家。裏世界でも悪い意味で有名な野心家である。

 

 

 ◆◆

 

 

 面倒臭い事になってきた──と、大和は肩を竦めた。

 ズドンと、大和の隣に強引に腰かけた紅蓮の女傑──ヴァーミリオン。彼女は大和の首に腕を回して無理矢理引き寄せる。そして甘ったるい声音で囁いた。

 

「大和、今夜暇か? 暇だろう? 私が床を共にしてやる。光栄に思え」

「ちょっと、ヴァーミリオン。貴女やっぱり横取りするつもりだったのね。駄目よ、私が先約してるんだから」

 

 ルチアーノは大和の背中に抱きつき、頬を膨らます。その豊か過ぎる乳房でうなじを挟めば、ヴァーミリオンも負けじと彼の手を己の乳房に埋もれさせた。

 

「~~~~~~~~っっ」

 

 隣のルーは頬を風船の様に膨らましている。大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「随分楽しそうじゃなぁ、大和様♪」

「……」

 

 大和の足に抱きつく狐耳の美少女。大和は小さくため息を吐いた。色彩豊かな浴衣、お尻から生えた九本の尾。女神すら寄せ付けぬ美貌はしかし、抑えているのだ。何せ彼女は傾世の美女──世界最高の美女の称号を持つ魔性の妖魔姫だから。

 

 白面絢爛九尾狐──万葉。

 傾城街、東区の花魁の頂点もこの闇オークションに参加していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は万葉の頭を狐耳ごと撫でる。気持ち良さそうに目を細める彼女に問うた。

 

「何の用だ?」

「実は先ほどのハイエルフを狙っておったのじゃ。代理人に任せておったのじゃが、550億で買い取られたと泣き付かれてのぅ。そんな大金を出す男など大和様しかおらんと思ったら、案の定じゃった」

「やらねぇぞ」

「そこを何とか! お願いじゃ~大和様っ。ハイエルフは希少なんじゃ。是非うちの娼館に欲しい!」

「嫌だね」

「そこを何とか~!」

 

 涙目で懇願する万葉に、大和は暗く嗤いかける。そしてその小綺麗な顎を指ですくった。

 

「ならお前と、お前の娼館に所属する美女を全員抱かせろ」

「……いいのかえ? 大和様。そんな魅惑的な条件で」

「いいんだよ。全員満足させてやる。……オイ、お前等もだ」

 

 ルチアーノの唇にキスを被せ、ヴァーミリオンを引き寄せる。そして艶然と笑った。

 

「下らねぇ喧嘩してんじゃねぇよ。二人共満足させてやる。立てなくなるまで可愛がってやるから」

「「……♡」」

 

 ルチアーノとヴァーミリオンは恍惚とし、大和にしなだれかかる。万葉もメロメロで足に抱き付いていた。

 彼は最後に本格的に拗ねているルーを無理やり引き寄せ、その桃色の唇を奪う。

 

「!! ~~~~~ッッ♡♡」

 

 抗うルーを、しかし強引に捻じ伏せて舌を絡ませる。ルーは徐々に力を無くしていき、最後は彼の胸板にしなだれかかった。大和はフンと鼻を鳴らす。

 

「あんま調子に乗ってんじゃねぇよ。女なんざ所詮食い物だ」

 

 コレこそ、大和の本質であった。

 

 

 ◆◆

 

 

 今回の神秘部門の目玉である護国神器「リア・ファル」を巡って、各勢力が思惑を巡らせていた。リア・ファルはアイルランドという国全域を妖魔から守護していた究極に等しい防御装置。コレを手に入れれば自分の身どころか領土全体を守護する事ができる。破格の性能を誇るこの宝具を手に入れたいと願う者達は多い。

 

 表世界の政治家や大富豪、デスシティの暴力団や犯罪組織などがそうだ。

 

 逆にリア・ファルの真の力を知っている者はその力を利用しようとしたり、悪人の手に渡らない様にアイルランドに返還しようと考えている。

 

 モグリのマッドサイエンティスト達。ハグレ魔術師達。欧州を勢力下とする魔術結社の重鎮。対神秘組織の面々など。

 

 そして、物見遊山で眺めているのはどう転んでも自分達の利益にしかならない者達。アメリカ合衆国の大統領、頭のキレる賞金稼ぎや殺し屋達など。

 

 様々な思惑が絡み合っている最中、今回最大の目玉が披露される。会場に居る者達の欲望が一気に爆発した。正方形の真紅色の巨石こそ、ケルト神群の加護の具現化。あらやる魔からアイルランドを護ってきた護国神器である。

 

「さぁ、今オークション最大の目玉である「リア・ファル」です! 説明は最早野暮というものでしょう! 此処にいる皆さまはその価値を知っている筈です! それでは、オークションを開始します!!」

 

 皆、国家予算に比肩しうる金額を提示しようとしていた。中には兆単位の金額を出す事も辞さない者も居る。その中で、誰よりも早く大和が告げた。ソレは釘刺しだった。

 

「100兆」

 

 会場が静まり返った。個人が出せる金額では断じて無い。しかしこの男、大和は出せるのだ。故に皆、何も言えなかった。

 

 徒党を組めば抗える可能性はある。しかし各々で思惑がある以上、下手に組めない。その一瞬の迷いがオークションでは命取りになる。誰よりも惜しみなく金を出せる者が勝つ。オークションも要は駆け引き、戦闘だ。

 戦闘という分野で、大和は無類の強さを発揮する。

 

 詰みだった。

 

 アメリカ合衆国大統領、カール・マーフィーは肩を竦めて踵を返す。そして隣を歩くルシファーに告げた。

 

「流石、デスシティで最も畏れられる男──これはある意味、予定調和だ。そう思わないか? ルシファー君」

「ああ、そうだとも。あの男の本質は英雄──救済者だ。奴にその気が無くても、その行動で世界は救われる。だから暗黒のメシアと呼ばれるんだ」

「……そういう運命の元にいるという事か、あの男は。これは、懐柔した方が良さそうだな」

「簡単だよ。大金と美女を大勢準備すれば良い。でも、完璧に懐柔はできない。人間どころか邪神にも出来なかった事だ。覚えておいてくれ」

「肝に銘じておこう」

 

 純白の軍服を靡かせ、ルシファーはカールと共に闇へと消えていく。他の者達もだ。その背後で司会者がオークションの決着を告げる。

 

「それでは、100兆で落札です……!!」

 

 大和は絶世の美女達を侍らせながら勝利の笑みを浮かべた。

 

 

 ◆◆

 

 

 デスシティに雪が降った。粉雪である。表世界は梅雨明けで夏に入ったばかりだった。しかしデスシティに異常気象は付き物である。晴れにならない限り住民達は動揺しない。

 だが、デスシティのニュースキャスター達は密かに困惑していた。何らかの神秘が関わっているのは確実だが、素性が掴めない。害こそ無さそうなので、特に取り上げる事もしなかったが──

 

 大和は真紅の番傘を差しながら裏通りを歩いていた。吐息が白く染まる。下駄の音は粉雪にほぐされていた。本来、莫大な闘気を纏っている大和に傘は必要無い。しかしこの粉雪は浴びる気にはなれなかった。何故なら──この雪は太陽の御子の涙だから。

 

 東区随一の娼館で何百人もの美女美少女を抱き、絶世の魔女二名を立てなくなるまで愛してやって、心地良く帰路に付いていた手前である。大和は女──いいや、女神の癖の強さに辟易しつつも、サクサクと歩いていた。恐らく、まだ待っている。あの女は──まだ。

 

 ボロいアパートの階段を上がり、自分の部屋の前に付くとすすり泣く声が聞こえてきた。大和は一度溜息を吐くと、玄関扉を開ける。すると薄暗い部屋からプラチナブロンドの髪が靡き、女神が飛びついてきた。

 

「おかえりなさい……っ」

 

 罵声を吐かず、泣き言も漏らさず、ただ自分の帰りを喜んでいる女神に、大和は思わず呟いた。

 

「何で待ってんだよ。こんな男、早く見限っちまえよ。俺よりイイ男なんざ幾らでもいるだろ」

「絶対に嫌です……貴方じゃなきゃ、いや……」

「…………」

「邪悪で低俗で下品で、それでも、貴方が好き……」

「…………」

「愛してるの……大和っ」

 

 エメラルドの双眸を潤め、自分を見上げてくる女神という称号だけのか弱い女。大和はその桃色の唇にキスを被せた。

 

「馬鹿な女……変な男に捕まっちまって、本当に救えない女……」

 

 この後、ルーは激しく愛された。入念にその肢体を貪られた。指先に至るまで愛され、ルーは歓喜で鳴いた。何度も唇を被せ、愛を囁く。

 

 仮初の愛でも構わない。爛れた関係でも構わない。

 好き──愛している。

 

 ルーは三日三晩、大和を離さなかった。粉雪は、何時の間にか止んでいた。

 

 

《完》



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第十九章「次代伝」
一話「実の息子」


 

 

 時代が進むに連れて新たな英雄が頭角を現してくる。しかし資質を持つ者がその才能を開花させるとは限らない。戦争の只中だからこそ開花する才能がある。平和な世界ではタダの凡愚と成り果ててしまうのが、真の英雄という存在だ。

 その力を皆恐れる。その思想を皆、理解できない。

 敵対者と闘い、味方を鼓舞する才能があったとしても、平和な世界では宝の持ち腐れでしかない。

 

 所詮英雄なんてその程度──唯の異端者。故に忌避され淘汰される運命にある。

 

 しかし皮肉なもので、現代の平和は仮初のものである。それこそ幻の様なもので、何時崩れ去ってもおかしくない。ソレを維持しているのは誰でもない、前途した異端者達なのだ。

 特に闇の英雄、暗黒のメシアと呼ばれているあの男は「圧倒的な暴力を振るえる」というただその理由だけで世界政府から肯定されている。幾ら女を犯しても、大量殺戮をしても、黙認される。タチが悪い事に、彼もソレを理解している。そのため程々に抑えているのだ。

 

 そんな腐った原理でこの世界は回り続ける。正義だの悪だの、所詮は理想論なのかもしれない。

 

 しかし、英雄になれる器を持っていたとしても、英雄になる事を望まない者がいる。自分の力を理解し、制御できても、極めて平常な──悪く言えば凡俗的な精神を持つ者が、稀にいる。

 

 これは、そんな一人の青年を交えた物語。彼は間違いなく世界最強に名を連ねられる才能があった。何せ父親があの暗黒のメシアであり、師匠兼親達が最強の武神集団、八天衆なのだから。

 

 しかし、彼は八天衆の経営する孤児院で弟分や妹分の世話をしているだけで満たされていた。それ以上を望まなかったのである。だが運命がソレを許さない。お人好しの彼に無理難題をふっかける。

 

 今回の物語はそんな青年にスポットライトを当てたものである。

 

 

 ◆◆

 

 

 東京都某区の河川敷で。幼い少年少女達を連れて一人の青年が歩いていた。快晴による心地よい日差しを浴びて、目を細めている。その目は鋭く、そして灰色だった。黒髪は適度な長さで切り揃えられており、地味ながらも整った服装をしている。その美貌は若いながらもかなりのもので、アイドルと言っても十分通じるレベルだった。現に通り過ぎた女性達が次々と振り返っている。

 

 御門翔馬(みかど・しょうま)

 

 八天衆が経営している孤児院で育った青年だ。彼が育った孤児院は強い能力のせいで孤立してしまった子供達を引き取る場所。八天衆の面々──特にリーダーである帝釈天とその妻、毘沙門天。そして一番槍の孫悟空が中心に切り盛りしている。

 御門翔馬は三名の事を本当の家族の様に慕っていた。そして自分も少しでも力になりたいと、勉学と修行に励む毎日を送っていた。

 

「今日は悟空姐さんが帰ってくるし、色々準備しないとな……あ、コラお前等、あまり離れるなよー」

 

 考え事をしていると子供達が先へ進んでしまうので、慌てて追いかける翔馬。その様子は微笑ましくもあった。

 翔馬はすれ違う。真紅のマントを靡かせる褐色肌の美丈夫と──しかし子供達の世話で目が行かなかった。

 

「…………」

 

 褐色肌の美丈夫は振り返る。子供達を連れて歩く翔馬の後ろ姿をジッと見つめていた。その三白眼は、翔馬と同じく灰色だった。

 

「偶然か、それとも必然なのか──誰との餓鬼だ? 感じる神気的に相当高位の女神っぽいが……んー」

 

 その形の良い顎を擦った後、やれやれと肩を竦める。

 

「まぁ、どうでもいいか」

 

 褐色肌の美丈夫──大和は歩みを再開する。翔馬は父親の顔を知らなかった。大和もまた、翔馬の事をよく知らない。そのまま互いに関わらなければ良かったのだが──このあとすぐに二名は再開する事になる。

 

 敵対者として──

 

 

 ◆◆

 

 

 

 

 河川敷近くのショッピングモールへ買い物にやって来た翔馬達。今日は姉貴分の孫悟空が帰ってくるという事で、子供達はプレゼント選びではしゃいでいた。翔馬も食材や装飾品を買い揃えつつ、密かにプレゼント選びをしている。

 

 ふと、ここら辺では見かけない制服を着た少女達を見つけた。見方によっては私服に見えなくもない、しかししっかりと実戦を想定した軍服。二名共、かなりのレベルの美少女だ。佇まいからして実力も中々──

 

(……特務機関の戦士だな。確か支部が三駅先にあったか……関わらない方がいい)

 

 一目で相手の素性を把握した翔馬は子供達を連れて別の場所へ移動しようとする。八天衆の経営する孤児院には翔馬も含めて、人類では到底御しきれない強大な力を持った子達が集まっている。彼等を護り、その力を誤った道に使わないよう正しい教育をするのが八天衆の目的だった。

 翔馬は親父分である帝釈天の言葉を思い出す。

 

『特務機関自体はいい、問題はバックにいる大黒谷首相。かなりキレ者で、且つ残忍な男だ。お前を含めた子供達を関わらせたくない。だからあまり目立った行動はするな。目を付けられれば後々面倒になる』

 

 その言葉に従い、極力接触を避けるようにする翔馬。既に自分の力をある程度制御できている自分は兎も角、子供達は力を抑えるブローチや腕輪を付けている。勘付かれる可能性は無くもない。万全を尽くし、距離を置く。

 

 しかし、想定外の外敵が乱入してきた。ショッピングモールの天井を突き破って現れたサイボーグの巨漢。半身を特殊合金で覆い、右腕にキャノン砲を装着した彼は天井に砲撃して周囲を威嚇する。

 

「オラァ!! 見せもんじゃねぇんだぞ!! とっとと失せろカス共ォ!!」

 

 いきなりの事態に客人達は悲鳴を上げて逃げ惑う。ショッピングモールは阿鼻叫喚の大パニックになった。翔馬は子供達が人混みに巻き込まれないよう抱き寄せつつ、襲撃者の様子を冷静に観察する。

 

(なんだアレは……サイボーグ? 半身が機械になってるじゃないか。もしかして、親父や姐さんの言っていたデスシティの住民? なら何でこんな市街地に? いいや、さっきの特務機関の女の子達と関係があるのか)

 

 一瞬で思考を巡らせるが、先程の少女達が慌てて武装し、支部に連絡している様子を見て表情を曇らせる。

 

(どうやらあちらも想定外のようだ……困ったな、どうやら完全に巻き込まれたらしい)

 

 翔馬は一度目を閉じ、深く深呼吸する。己の立場を弁え、次の行動を冷静に導き出す。

 

(あの女の子達には悪いが、一度子供達を安全な場所に避難させよう。その後、親父に連絡をして次の行動を決める)

 

 あくまで自分は一般人、子供達も連れている。この場で応戦など考えられない。翔馬は早速行動に出ようとした。

 

 その時である。崩壊した天井から暗黒のメシアが降りてきたのは。

 

 

 ◆◆

 

 

 天井から舞い降りたソレは、サイボーグ化している屈強な巨漢を一刀の下に斬り伏せた。断末魔の悲鳴を上げる暇すら無く巨漢は絶命する。臓物が溢れ出て、床のタイルを鮮血で濡らした。客人達の何名かが悲鳴を上げる。翔馬も慌てて子供達を抱き寄せ、視線を遮った。

 

(……何だ、アレは)

 

 戦慄しながら振り返る。身に纏う邪気と闘気──アレは何だ、人間なのか? とてもではないが敵わない。格が違いすぎる。帝釈天や孫悟空とはまた違う絶望感が、翔馬の心胆を凍えさせた。

 

(今すぐ逃げないと……俺だけじゃ子供達を守りきれない)

 

 翔馬は子供達を連れて駆ける。子供達も翔馬の必死の表情を見て、大人しく従っていた。しかし可憐な叫び声が背後から聞こえたので、翔馬は思わず振り返る。

 嫌な予感はしていた。そうならないでくれ──内心そう願うも、現実は無情だった。先程の特務機関の少女達が、あろう事かあの化け物に得物を向けているのだ。

 

「そこの男! 大人しくしなさい!」

「特務機関です! 貴方を連行します!」

 

 少女達から敵意を向けられ、化け物は、褐色肌の美丈夫は歪に口角を歪めた。刹那である、少女達の得物──機械式の日本刀が砕け散ったのは。

 

「……え?」

 

 隊員の一人が呆然とする。何をされたのか全くわからなかったのだ。翔馬にもわからなかった。ただ辛うじて、美丈夫が大太刀を振るった様に見えた。

 

 隊員達の眼前に佇む美丈夫。その身から溢れ出た邪気と、灰色の三白眼に宿る殺意に、彼女らは恐怖のあまり尻餅を付いた。

 

「あ……っ」

「うあ……」

 

 殺される。ゴミの様に嬲り殺される。少女達は悲鳴すら上げられないでいた。美丈夫の──怪物の手が伸びる。

 

「ッッ」

 

 翔馬は既に駆けていた。勝手に身体が動いていた。そのまま無防備な怪物の顔面にドロップキックを叩き込む。しかし怪物は微動だにしない。

 片足を掴まれるも、空いた脚で渾身の蹴りを放つ。流石の怪物もガードし、後退した。

 翔馬は少女達に叫ぶ。

 

「あそこに居る子供達をお願いします!! 貴方達は逃げてください!!」

 

 怪物から視線を逸らすこと無く構えを取る翔馬。対決は避けられそうに無かった。

 



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二話「親子喧嘩」

 

 

 

 少女らは驚愕した。あの体勢で放った蹴りがショッピングモールの片側を半壊させたのだ。そして、怪物を後退させた。

 彼は一体何者なのか──疑問は尽きないが、それでも彼女達は叫ぶ。

 

「駄目です! 危険です!」

「私達も戦います!」

 

 彼女達のかけ声に、しかし翔馬は振り返らずに首を横に振るった。

 

「足止めが精一杯です。貴女達まで護りきれない……その子達をお願いします。大事な家族です」

「でも!!」

「……ッ」

 

 少女の一人が唇を噛みしめ、相方の袖を掴む。そして無理矢理後退させた。

 

「あの人の言う事を聞きましょう」

「どうして!? そんな事!」

「コレを見て」

 

 ソレは、特務機関専用の戦闘力測定機だった。相手にかざすだけで大まかな戦闘力を計る事ができる優れものである。

 画面に出された数値に、相方は驚愕で目を見開いた。

 

「……嘘、え? そんな……」

「あの褐色肌の大男──戦闘力「測定不能」よ。限界値である9999をオーバーしてる」

「ありえないよ! 鬼神や上級悪魔でも6000くらいなんだよ!? それがこんな……じゃあ、あの男は神仏クラスってこと!?」

「それだけじゃないわ。見て、あの青年の数値……」

「……!!!!」

 

 画面に映し出された数値は、限界値の9999だった。相方は絶句する。特務機関のエリートエージェントでも3000を出せればいい方なのだ。ソレをあの青年は──

 

「兎も角撤退しましょう。そして支部へいち早く報告を。……何より、あの人の家族を無事な場所まで避難させないと」

「……わかった」

 

 冷静な判断を下し、少女達はこの場を撤退する。その気配を背中で感じて、翔馬は小さく息を吐いた。そして眼前に佇む褐色肌の美丈夫を睨み付ける。

 

 悠然とした佇まい。隙だらけの様でいて全く隙がない。……本当に、強い。翔馬は内心で帝釈天に謝った。

 

(ごめん、親父……どうやら、封印状態じゃ足止めすらできなさそうだ)

 

 翔馬は手首に付けていたリストバンドを取る。瞬間、莫大な真紅の神気が解放された。

 褐色肌の美丈夫は面白そうに口笛を鳴らす。そして同じく真紅色の闘気を解放した。

 

 両者歩み寄る。それだけで互いの神気と闘気がぶつかり合い、衝撃波でショッピングモールが崩れ始めた。

 

 

 激闘の火蓋が切って落とされた。

 

 

 ◆◆

 

 

 そのテコンドーにも似た独特の構えは、親父分である帝釈天から教わった古代インドの誇る最古の格闘技──カラリパヤットだった。両手で防御に徹し、両足で攻撃を行う。極めて合理的で、且つ完成された武術だ。

 

 翔馬は跳躍する。瞬時に怪物──大和との距離を詰めると、そのしなやかな脚で二回連続の回し蹴りを放った。一撃目とほぼ同じタイミングで放たれる二段蹴りは大和の軸をズラすだけの威力を誇っている。容易に山河を砕き、海を割れるであろう。現にショッピングモールは発生した風圧だけで崩壊していた。

 

 人造建造物ではこれ以上耐えきれない。しかし周囲に気を配る余裕もない。翔馬は咄嗟の判断で強力な前蹴りを放つ。大和は防御するでもなく、腹筋で直に受け止めた。

 ショッピングモールの壁を突き破り、大和は近くにある河川敷へと着地した。

 

「…………」

 

 大和は得物を抜くわけでもなく、優々と顎を擦っていた。その顔面に飛び蹴りが炸裂する。しかし微動だにしない。右手で防御していた。彼は嗤っていた。嘲笑だった。

 翔馬は距離を取ると、忌々しそうに舌打ちする。

 

「クソ……余裕ぶりやがって」

 

 力量差はわかっている。それでも見下されるのは気に食わない。翔馬は冷静な様でいて激情家だった。

 

「いいぜ。そのニヤケ面、出来なくしてやる」

 

 

 ◆◆

 

 

 翔馬は渾身の蹴りを浴びせ続ける。大和は防御こそしているが、明らかに手を抜いていた。避けられる筈の蹴りをわざわざ受けている。翔馬も違和感を覚えており、だからこそ眉間に青筋を立てていた。

 

「何で反撃してこない!! 蹴られるのが趣味なのか!?」

 

 そう言いながらも、内心焦っていた。先程から本気の蹴りを何度も浴びせている。急所を幾度も蹴り抜いている。それでも──効いていない。出鱈目な防御力……基礎スペックが違いすぎる。微々たるダメージしか与えられない。

 

 その喉仏をつま先蹴りで穿つも、大和は平然と佇んでいた。その面を落胆で陰らせている。彼は溜息と共に吐き出した。

 

「退屈だなァおい」

 

 巨大な拳が翔馬の腹を抉る。軽く放たれたアッパー。しかし衝撃が翔馬の背を突き抜けた。

 

「~~~~~~~~~~~~ッッッッ」

 

 痛みのあまり転げ回る翔馬。腹を貫かれたかと思った。内臓が悲鳴を上げている。痛みで脳が溶けそうだった。胃液を吐き出している翔馬に対し、大和は舌を出して挑発する。

 

「オラ、その程度かよ。このニヤケ面をどうにかしてくれるんだろ? 期待してるんだぜ。落胆させてくれるなよ」

「ッッッッ」

 

 翔馬は歯を食いしばって立ち上がる。血混じりの胃液を吐き捨てると、異空間から神秘の武具を顕現させた。そして犬歯を剥き出す。

 

「ぶっ殺してやるッッ」

 

 本性が段々と現れてきた。

 

 

 ◆◆

 

 

 神秘の武具は朱と蒼の双剣だった。片刃でシンプルなデザインの、しかし神々しい神刀。大和はホゥと顎を擦る。

 

(成程……あの神気、炎の神アグニと風の神ルドラの仕立てた一品か。餓鬼の癖に特上の得物を持ってやがる)

 

 アグニは太陽神、ルドラは現在破壊神シヴァとして信仰されている。その神威を凝縮したあの得物は間違いなく最上級の一品だった。

 

(しかし……)

 

 まだだ、まだ抑えている。大和はいやらしく口角を歪めた。

 

「得物は良くても、使い手がなァ……」

「何……?」

「あ~退屈だ、マジで退屈だ。どうすっかな~? さっきの女達をレ○プした後、餓鬼共を奴隷市場にでも売り出すかな~…………あの餓鬼共、中々の逸材っぽいし」

「!!!!」

「ありゃ良い値で売れそうだ。お前をさっさとぶっ殺して、そっちに行かせて貰うぜ」

 

 大和は嗤いながら赤柄巻の大太刀と脇差しを抜き放つ。翔馬は全身を戦慄かせた。

 

「させるかよ……」

 

 その身から莫大な神気が、怒気と共に溢れ出す。その気は炎熱すら伴っていた。

 

「あの子達は俺の家族だ……手出しはさせない…………どうやら、アンタを殺さなきゃいけないみたいだ」

 

 爆発した神気はこの地域一帯を──いいや、関東地方全域を覆ってみせる。日本に住まう神秘達が騒然とした。緊急事態である──遠く離れた帝釈天達も異変に気付いたが、既に遅い。

 

 

「アイツ等を護るためなら…………俺は修羅になるッッ」

 

 

 艶やかな黒髪が鮮血を彷彿とさせる真紅色に染まる。その身に内包せし莫大な神気と──戦気。血と闘争を欲する荒神の血が煮え滾っていた。大和は漸く悟り、その灰色の三白眼を細める。

 

(……アア、そうか、コイツの母親は──ドゥルガーか)

 

 インドの最高神の一柱、シヴァの第二后にして魔討の女神。戦争と生け贄を何より好む狂乱の女傑。

 大和と密かに愛人関係を結んでいる彼女は、彼の知らない間に子を孕み、産み落としていたのだ。

 

(うっわ面倒くせぇ。帝釈天達はもう知ってるだろうし……うわマジで面倒くせぇ事態になってきた)

 

 実の父親はゲスの極みらしく、身勝手な憂鬱を抱いていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 

 神話勢力でも破格の戦力を誇るインド神話を代表する戦女神と、人類史のイレギュラーである怪物の間に生まれた男児。そのポテンシャルは破格であり、ともすればあの黒兎に比肩する。未だ十代でありながら良き師達の元で修行を積んでおり、その戦闘力は魔界都市の基準で計っても十分過ぎるほどだった。

 

 真紅色の神気は良く練り込まれており、同時に母親譲りの苛烈さが滲み出ている。そして皮肉にも、大和(父親)の闘気と同じ色合いをしていた。

 

 その身に流れる母親の血が叫ぶ。暴れろ、蹂躙しろ、嬲り殺せ──と。普段は自制しているのだが、今回は敢えて飲まれてしまう。殺さなければならない、目の前の男を──そう強く思ったのだ。

 ソレを教えてくれたのは誰でもない、己の体内に流れるもう半分の血だった。

 

 全身の筋肉繊維を絞り、間接の駆動域を限界まで生かした斬撃を放つ。跳ねる様に放たれたソレを、大和は脇差しで優々と受け止めた。しかし翔馬の攻めは苛烈さを増す、増しに増す。先程の攻防一体の冷静さは何処へ行ったのか、攻撃のみに傾倒している。その様はまるで獣──

 

 カラリパヤット・マヒシャースラマーディニ

 

 阿修羅神族の王、マヒシャースラを殺害したドゥルガーの異名の一つ「マヒシャースラマーディニ」。

 翔馬は母方の事情を知らされていない。だが、何となく母親が誰なのかを察していた。未だ顔を合わせた事がない。愛されていない事もわかっている。それでも翔馬は母に一定の敬意を払い、その異名を拝借した。

 

 師である帝釈天から「緊急時以外は使うな」と念押しされるほど危険な闘法である。自分にとっても周囲にとっても。相手を殺す事のみに集中し、それ以外一切を考えない。攻撃攻撃攻撃──防御の配慮もしない。

 

 故にもたらされる被害は甚大。大和が的確に捌かなければ周囲は既に焦土と化していただろう。翔馬の放つ攻撃を全て自分の身体で受け止め、吸収しているのだ。それでも河川敷が吹き飛び、川が氾濫する。

 

 翔馬は最後の最後で帝釈天達に頼り、この技を解放した。必ず駆けつけてくれる。必ず子供達を含めた周囲の人達を護ってくれる、と──

 そうでもしなければ目の前の怪物を止められなかった。わかっていた。嫌なほど理解してしまっていた。

 

 勝てない。どう足掻いても勝てない、絶望的な力量差がある。

 

 至上至高の肉体を一切余念無い努力で途方も無い年月をかけて鍛えなければ到底完成しないであろう、天下無双の肉体。筋肉繊維の密度、間接や骨格の強度、そして柔軟さ。五感を含めた神経系の伝達速度──全てが異常極まる。

 

 目の前の怪物がその気になれば、腕力だけで翔馬をねじ伏せる事ができるだろう。圧倒的な基礎性能──しかしソレだけではない。その肉体と同じくらい異常な戦闘センスと、膨大な戦闘経験。

 

 一瞬、絶望が翔馬の全身を竦めた。無敵の肉体と戦闘センス、そして莫大な経験値──隙が無い。あまりに無い。完璧過ぎる。目の前の怪物は、戦闘という分野に於いて間違いなく最強を誇っていた。

 

 翔馬は恐怖すらも捨てた。ただただ攻撃に集中する。双剣と両足を用いて乱撃を繰り出す。そうでもしなければ殺される。一秒も稼げない。

 

 一撃で鬼神や上級悪魔を消し飛ばせる攻撃を、一瞬で千撃浴びせる。それでも尚、怪物は怯まなかった。嗤いながら全て捌き切り、舌を出す。

 

「まぁ、暇潰しにはなったぜ。……あばよ、坊主」

 

 絶対に躱せないタイミングで大太刀が振るわれる。翔馬は思った。「あ、死んだ」と。しかし神珍鉄の長棒が刃を弾き、同時に大和を弾き飛ばす。翔馬の目の前で稲穂の如き黄金の長髪が靡いた。

 駆け付けてくれた三名の助っ人に、翔馬は涙目で呟く。

 

「姐さん……親父、母さんッ」

 

 孫悟空、帝釈天、毘沙門天。三名は翔馬を護る様に大和の前に立ちふさがった。

 

 

 ◆◆

 

 

「大丈夫か、翔馬」

「ごめん姐さん……俺じゃあ」

「いい。じっとしてろ」

 

 孫悟空は振り返らずに告げると、大和を睨み付けた。そして莫大な怒気を解放する。

 

「兄貴……!! アンタならわかってる筈だ。コイツは、アンタの……!!」

 

 悟空は悲哀で顔を歪ませる。

 

「俺はいい!! でもコイツは……アンタは今、本気で刃を振るった!! 何でだよ!! 兄貴ッ!!!!」

 

 叫ぶ悟空の両サイドに帝釈天と毘沙門天が並ぶ。二名は冷酷に吐き捨てた。

 

「やめろ悟空、何を言っても無駄だ。コイツはこういう奴なんだよ」

「獣に善意などわかりはしない、いい加減諦めろ」

 

 帝釈天は黄金のオーラを、毘沙門天は濃紺のオーラを、それぞれ迸らせる。当の大和は鼻で笑っていた。

 

「ハッ、仲良く家族ごっこか? いいねぇ平和ボケして」

「うるせぇぞ屑、一度ならず二度までも俺の家族に手ぇ出しやがって……」

「万死に値するぞ。外道が」

「ア? やるか? いいぜ、纏めて相手してやるよ」

 

 大和は大太刀と脇差を構えるも、ふと顎を擦った。帝釈天と毘沙門天は怪訝そう眉を顰める。

 

「でもなァ、金にならねぇ殺しをするのも面倒くせぇし……いいぜ、許してやるよ」

 

 得物をしまう大和。帝釈天と毘沙門天は眉間に深い皺を寄せた。溢れ出すオーラも一層濃度を増す。

 

「テメェの事情なんざ知るかボケ」

「誰が許しを請うた、阿呆が」

「勘違いすんじゃねぇよバカップル、俺が見逃してやるんだ。光栄に思え」

「「…………」」

 

 帝釈天と毘沙門天が消える。それぞれ渾身の蹴りと逆袈裟を繰り出していた。しかし大和の呼び声の方が早い。

 

「真名開放だ、スカアハ」

『了解しました。顕現致します』

 

 漆黒の豪雷が打ち落とされる。神威と魔力の伴ったその衝撃に、帝釈天と毘沙門天は思わず引き下がった。

 顕現したのはカスタムハーレーでは無い、古代ケルト式の豪勢な戦車だった。禍々しい鎌刃が取り付けられた車輪、漆黒色の金属で構成された神秘的な乗車台、そして荒々しくも麗しい剛馬三頭。

 

「世界最強の戦車──魔導式鏖殺戦車、スカアハか」

 

 唸る帝釈天。死滅の戦女神バロールと魔導神オーディンが戯れで開発した超兵器。数ある神秘の武具の中でも最上位を誇る神造武装。世界広しと言えど大和しか乗車出来ない専用宝具。

 バロールが知る魔獣──馬種の中でも、最も凶暴で怪物的な力を誇る魔神后馬「スカアハ」と、彼女に追従する同格の魔馬「フェルディア」と「フェルグス」。ソレにオーディンが英知の結晶を集約した魔導式の戦車台を組み合わせた、まさしく世界最強の戦車。最新兵器など遠く及ばない。恐らくこれから先の未来でもコレ以上の破壊力を誇る乗り物は現れないだろう。

 

 真の姿で顕現した魔神后馬スカアハは大和に人懐っこくすり寄る。大和はよしよしとその漆黒の毛並みを撫でた。そして帝釈天達に小首を傾げる。

 

「やるか? やるならコレに乗って街ごと蹂躙してやるが……」

「「ッッ」」

「そういうわけだ。じゃあな」

 

 大和は戦車に飛び乗ると手綱を引く。退散する前に、膝を付いている翔馬に視線を向けた。

 

「まぁまぁ愉しかったぜ、今度はもちっと強くなっとけよ」

 

 それが最後の言葉だった。スカアハは甲高い馬声を上げて天空を駆け上がる。初速で容易く光速を越えてしまった。一瞬で見えなくなる。漆黒の魔力光が辛うじて彼等の足跡を辿っていた。

 

「兄貴……」

 

 悟空の呟きが虚しさを煽る。今回の騒動は取り敢えず終幕を迎えた。

 

 

 ◆◆

 

 

 今回の騒動。帝釈天が日本の首相、大黒谷努と話を合わせた事で大事にはならなかった。が、帝釈天は疲れていた。翔馬の存在が大黒谷を含めた日本の神秘組織にバレてしまったのだ。仕方無いとは言え、話題を振られて誤魔化すのが大変だった。

 

 特に対神秘組織「特務機関」には顔バレもしており、勧誘までされるところだった。これから翔馬には様々な厄介事が降りかかるだろう。しかしソレは翔馬自身が「どうにかする」と帝釈天に進言した。

 

 と、ここまでは良いのだが──

 

「もう! 翔馬! 無茶しちゃ駄目でしょう!? 子供達が心配でずっと泣いてたんだから!!」

「あ、ああ、ごめん……」

 

 翔馬の傷を手当てしているのは、同年代の美少女。お洒落に結い上げられた黒髪に、薄化粧の施された可憐な顔立ち。制服の上からでもわかる発育の良い肢体。紛う事無き美少女である。アイドルと名乗っても十分通用するだろう。

 翔馬の幼馴染みであり、帝釈天と毘沙門天の愛娘──世良(せら)だ。

 

 彼女はひとしきり怒った後、しおらしく呟いた。

 

「私も、心配したんだから……」

「…………」

 

 翔馬は頬を掻くと、手当してくれている世良の手に自分の手を被せる。そして真剣な声音で告げた。

 

「大丈夫、俺は死なない。親父や母さん、姐さん、孤児院の皆──何より、お前を悲しませたりしない」

「っ」

「俺、もっと強くなるよ。お前に相応しい男になるから」

「~~~~っっ」

 

 世良は顔から「ボン」と湯気を噴き出した。翔馬と世良は付き合っている。親公認の交際関係だ。が、良くも悪くも大和譲りの女っ垂らし具合を発揮する翔馬に世良は度々羞恥させられていた。

 

 その様子を隣で見ていた帝釈天はキメ顔で親指を立てる。

 

「流石俺の義理息子。娘はお前に任せる。幸せにしてやってくれ」

「わかってるよ、親父。絶対幸せにするから」

「~~ッ!! もう、パパの馬鹿!! 翔馬も馬鹿!! 恥ずかしくて死んじゃったらどうするの!!」

 

 叫ぶ世良に帝釈天は大笑いしている。

 他愛の無い時間──家族との些細な触れ合い。この刹那の一時を翔馬は何よりも愛していた。この刹那を護るためなら、翔馬は修羅にでも何でもなれた。

 

「…………」

 

 ふと、孫悟空の事を思い出した翔馬は医務室から出る。世良は小首を傾げた。

 

「どうしたの?」

「姐さんと少し、話がしたいんだ」

「…………」

 

 帝釈天は無言で頷き、首で「行け」と言う。翔馬は頷き、医務室を出て行った。

 

 

 ◆◆

 

 

 悟空は子供達の遊び場である広い庭で静かに夜空を眺めていた。彼女を見つけた翔馬は様子を伺いつつ、歩み寄る。

 

「どうした翔馬」

「いや……少し話を聞きたいなと思って」

「ふぅん」

 

 悟空はその可憐な童顔に苦笑を滲ませる。

 

「今日戦った男についてか?」

「……うん」

「察しの良いお前だ。もう気付いてんじゃねぇか?」

「…………」

 

 翔馬は何も言えなかった。いいや、言わなかった。わかっているのだ、今日相対した男が己の父親である事を。灰色の三白眼と人間離れした才能、何より己の体内に流れる血が叫んでいる──アレがお前の父親だと。

 

 どうでも良くは──なかった。しかし翔馬はそれ以上に、悟空に聞いておきたい事があった。

 

「姐さん……アイツが、姐さんの師匠なのか?」

「ん? …………ああ、そうだぜ。俺の兄貴分だ」

 

 苦笑を更に深める悟空に、翔馬は胸が締め付けられる感覚を覚えた。そのまま勢いで問うてしまう。

 

「姐さんは、アイツの事が……好きなのか?」

「…………」

 

 悟空はキョトンとすると、打って変わり温和に微笑む。

 

「ああ、愛してるよ。今でも……愛してる」

「……そうか。ごめん、変な事を聞いて」

「いいんだよ。お前は本当に察しが良い。……ほんと、ソックリだ」

 

 翔馬の頭を一撫ですると、黄金の長髪を靡かせて消えてしまう。その背中を、翔馬を追えなかった。追う資格が無かった。

 

「……っ」

 

 翔馬は唇を噛みしめる。大事な家族である悟空にあんな顔をさせるあの男が許せなかった。ソレが実の父親なのだから尚更だ。翔馬は荒れ狂う激情を必死に押さえ込む。平静さを取り戻すと、踵を返した。そして壁裏に隠れていた帝釈天に言う。

 

「親父、明日から修行のメニューをキツくしてくれ」

「いいぜ。泣き言は言うなよ」

「言わないさ。俺は強くならなきゃいけない……あの男と、決着を付けなきゃならない」

「……そうか、わかった」

 

 翔馬は頷き、夜空を見上げる。家族のため、自分自身のため、翔馬はあの男──大和ともう一度対峙する決意を固めた。

 

 運命を司る世界の歯車に、また新たな車輪が加わった。

 

 

《完》

 



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第二十章「日常伝」
一話「右之助の多難」


 

 

 超犯罪都市デスシティ──魔界都市とも呼ばれるこの都市では、非常識こそが常識であり常識こそが非常識。倫理観や道徳心が徹底的に淘汰され、その先にある欲望の形をそれぞれの形で表している。犯罪組織、暴力団は利潤のために違法売買に勤しみ、賞金稼ぎや殺し屋達は暴力で身銭を確保している。人外達は元々人間とは価値観が違うため、この都市の唯一無二の法則──弱肉強食の理に難なく適応していた。

 

 サイバネとオカルトが同居しているこの矛盾の坩堝で、今宵一騒動起きる。

 

 さぁ、狂った日常を垣間見よう。

 

 

 ◆◆

 

 

 時間帯は深夜、暗黒色の曇天が巨大な入道雲を形成している。数多のテールライトに照らし出されたのは未知の技術で製造された宇宙船と飛龍種ワイバーンの群れ。バベルの塔もかくやとばかりに聳え立つ高層ビルは平均して200階以上ある。それがまるで樹木の如く立ち並んでいるのだ。

 中央区の大通りには最近、熱帯魚を擬人化した娼館がオープンした。店頭に配置されたカプセルで魚美女達が色気と共に気泡を溢れ出させている。

 

 道行く喧騒達は十人十色。重火器で武装した人間や無骨な棍棒を担いで歩いているオーク、ゴブリン達。東洋風の侍がフラリと通り過ぎれば西洋甲冑に身を包んだ魔人達が闊歩する。その背後を電磁キャノン砲を装備した装甲車が通過した。

 

 淫乱なサキュバス共が屈強な傭兵をその場で誘い、濃厚なキスを交えている。派手な私服を着たエルフ達は飲みの駄賃が欲しいからと、口で援助交際を行っていた。

 

 インモラルな場面に遭遇しても住民達は眉一つ動かさない。何故ならココではそれが常識だから。

 民間警察も法律も存在しない。何処までも自由──だからこその悪徳。超犯罪都市は今日も変わらず非常識で溢れ返っていた。

 

 暴力団同士の縄張り争い──絶え間ない銃撃戦を通り抜けたその先に、西部開拓時代を彷彿とさせる大衆酒場があった。ゲート。この都市でも表世界の「常識」が通じる数少ない場所である。

 

 店内は多様な種族で溢れかえっている。曲者揃いという点を除けば、表世界の酒場と大して変わらない。

 

 店内の奥に並ぶカウンター席で、一人の用心棒が気ままに一杯楽しんでいた。純白のスーツにお洒落なサングラス。黒髪はワックスでオールバックにしており、顔面や拳に刻まれた歴戦の傷跡は見た者を戦慄させる。しかし時折浮かべる人懐っこい笑みは人を安心させる不思議な魅力があった。

 

 右之助(うのすけ)──デスシティでも指折りの用心棒。A級でも頭一つ抜けた強さを誇る、超越者を除けば最強クラスの人間である。

 

 彼はオフを利用して夜遅くまで一人酒を楽しんでいた。女と寝る気分でも無ければ、友人に付き合う気分でも無い。一人酒を楽しむ大人の時間を満喫していた。

 

 そんな彼に店主である金髪の偉丈夫、ネメアが話しかける。

 

「何時も他の奴等に波長を合わせてるお前だ、疲れるだろう?」

「お互い様だぜネメア、お前もアイツに苦労してるだろう?」

「まぁな」

 

 苦笑するネメアに右之助はフッと微笑む。彼は焼酎をロックで呷ると、小さな溜息を吐いた。

 

「一人の時間が欲しい時がある。仕事が嫌なワケじゃねぇ。ダチとつるむのが嫌なワケでもねぇ。ただ──時々、こうして一人で酒を飲みたくなる日が来る」

「いいじゃないか、人間らしいぞ」

「お前に言われるとホッとするよ」

 

 サングラスの奥にある双眸を細めて、空になったグラスに焼酎を足す右之助。そんな時である──店内に金髪の美少女が転がり込んで来たのは。

 年齢は十代後半ほどか、肩までで切り揃えられた金髪に頭上で揺れる大きなリボン。死人の様な白い肌、貴族調の服装を隠す分厚いローブ。そして──真紅の双眸。

 

 店内が騒然とする中、右之助は視線を逸らした。関わったら面倒な手合いだとわかったからだ。

 

 しかし不運な事に、彼女は数いる客人達から右之助を見つけて駆け寄ってきた。

 

「あの、用心棒の右之助さんですよね!? お願いです! 助けてください! 依頼金はあります!」 

「………………」

 

 思わず額を押さえる右之助。

 そんな彼に対して、ネメアは同情を含んだ視線を向けるしかなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 右之助は心底嫌そうに少女の瞳を見つめる。鮮血を彷彿とさせる紅玉色──何より「穢れ」を知らない。彼は思わず呟いた。

 

「今度にしてくれ」

「今、お願いします!」

「ハァ……」

 

 右之助は魂の抜ける様な溜息を吐く。そしてテーブルに頬杖を付いて告げた。

 

「誰から紹介を受けた、お嬢ちゃん。その雰囲気からして吸血鬼(ヴァンパイア)──それも、かなり高貴な血筋と見たぜ」

「!!」

 

 服装や妖力の濃度を鑑みればある程度予想が付く。だからこそ溜息を吐いたのだ。少し考えるだけで、彼女が厄介事を運んで来たとわかるから──

 

 そんな右之助とは対照的に、吸血鬼の少女は紅玉色の瞳を輝かせる。

 

「流石です右之助さん! やはり爺やの助言は正しかったんですね!」

「爺や?」

「ボロスという名の人浪です。お知り合いと聞きましたが……」

「あの狼爺めぇ……!」

 

 かつて何度も拳を交えた老獪な狼男を思い出し、右之助は傷だらけの拳を握り締めた。ヴァンパイアの少女は彼のスーツの袖を縋る様に掴む。

 

「お願いしますっ、助けてください。報酬はちゃんと支払います……ッ」

「…………」

 

 灼眼を潤められ、右之助は思わず視線を逸らした。ここ魔界都市で「素で」そういう瞳が出来る者は少ない。彼女は本当に純粋な子なのだろう。

 

 右之助はオールバックにした黒髪をがしがしと掻くと、改めて少女に向き直る。

 

「依頼内容と報酬次第だ。割に合うなら引き受けてやる」

「本当ですか!?」

 

 少女が嬉しそうに破顔した、その瞬間である──大衆酒場ゲートの入り口が爆発したのは。

 

 

 ◆◆

 

 

 ゲートの入り口を大破させたのは芋虫状の怪物だった。全長おおよそ十メートル。先端に人間の様な顔を張り付けている。醜悪に過ぎるソレは、おぞましい咆吼と共に強酸性の唾液を撒き散らした。

 

「ひぅ……っ」

 

 少女は悲鳴を押し殺して右之助の背に隠れる。

 客人達は反射的に得物を構えたが、此処がどういう場所なのかを思い出して得物をしまう。そして酒盛りを再開しはじめた。

 

「……へ? あの、右之助さん。この状況って……」

「はぁ……一つわかった事がある。お前を殺そうとしてる奴は、相当な大馬鹿野郎だ」

 

 右之助は頭を押さえる。

 喚き散らす化け物の眼前に必殺の剛拳が迫った。化け物は爆発四散する。

 

 白煙を上げる拳を掲げて、店主である金髪の偉丈夫は眉間に深い皺を寄せた。

 

「俺の店で暴力沙汰は厳禁だ……このルールを破る奴は、誰であっても容赦しない」

 

 傭兵王ネメア。世界最強の傭兵であり、元・最強の勇者。人類の守護者にして万夫不当の英雄王。魔界都市でも三本指に入る百戦錬磨の超越者が居る間、ゲートは唯一無二の安全地帯であり続ける。

 

 ネメアは右之助を見やり、告げた。

 

「右之助、どうするんだ? その子から依頼を受けるのか?」

「……」

「どっちみち、他の客達の迷惑だ。店からは出て貰うぞ」

「マジかよ」

「マジだ」

 

 右之助は頭を抱える。背中に隠れている吸血鬼の少女を見下ろすと、まるで捨てられる寸前の子犬の様な瞳を向けられた。

 右之助は深い深い溜息を吐く。

 

「アポ無しの依頼……更に依頼内容を聞く前の強制戦闘。依頼料は三割増しだ、払えるか?」

「は、はい! 勿論です!」

「しゃあねぇなァ」

 

 右之助は少女を抱えると酒場を飛び出る。外で既に待機していた襲撃者達を飛び越え、摩天楼の中へと紛れていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 超高層ビルの合間をまるで怪猿の如く跳躍しながら、右之助は迫り来る魔物共を注視していた。本来であれば表世界の魔物程度、容易に振り払える筈だが──どうやらただの魔物ではないらしい。

 

 右之助は抱えている吸血鬼の少女を見下ろす。高貴な血筋だ、妖力の密度が違う。更に──

 

(成程……わかってきたぜ。全容が)

 

 魔界都市の武術家らしい異常な察しの良さで、事の顛末を予想する。彼は飛翔してくる西洋魔物──ガーゴイルの襲撃に備えた。亜光速で迫り来る彼等に爪先蹴りを浴びせ、怯んだ所を見計らい逃亡する。

 

 同時に敵方のおおよその強さを把握した。

 

(ガーゴイルにしちゃあ強すぎる。なんらかの恩恵を受けてるな……そういえば高位の吸血鬼、特に「貴族」と呼ばれる真祖には従僕を強化する能力があったか)

 

 尚のこと、面倒臭い。右之助は顰めっ面で逃亡に専念する。しかし──

 

(このままじゃ埒が明かねぇ、襲撃者が多すぎる。──数を減らさなきゃなんねぇが)

 

 そのためには両手をフリーにする必要がある。しかし足を止めるワケにはいかない。右之助は眼下の大通りを見つめる。ある者達を捜していた。そして──見つける。

 

「ラッキー♪」

 

 偶然にも知り合いだった。右之助は彼女の車両の前に着地する。目の前でコンクリートを砕き現れた右之上に対し、一服していた東洋系の美女──死織はブラウン色の双眸を丸める。

 

「右之助さんじゃないですか、どうしました?」

「追われてるんだ。この子を連れて逃げてくれ。──今はタクシーの運転手だろう?」

「……まぁ、そうですが」

 

 死織は背もたれにしている魔改造を施した漆黒のGTRを見つめる。右之助はお決まりの台詞を言った。

 

「100万でどうだ? 必要なら上乗せする」

「いいでしょう。小遣い稼ぎには丁度良い」

 

 死織は嗤って乗車する。デスシティの住民に頼み事をする際は、大金を提示するのが一番なのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の中心地で大々的に展開されている立体ホログラム映像で、緊急速報が報じられていた。

 

『中央区全域で素性不明の魔物が多数目撃されています。繰り返します。中央区全域で素性不明の魔物が──』

 

 宇宙人であろう人外アナウンサーが淡々と告げている。

 この一連の事件に巻き込まれている用心棒、右之助は爆音を鳴らして疾走している魔改造GTRを護衛していた。迫り来る魔物達を空中で蹴散らしながら、時速150キロ以上を維持している漆黒の車体を追走している。

 

 襲撃してくる魔物がまた実に多種多様で、その多彩な顔ぶれはまるで魔族の見本市。西洋系の妖魔の頂点に君臨する吸血鬼──その中でも高位である貴族、真祖が関わっている事は明白だった。

 

 右之助は街灯の上に着地し、再度跳躍する。滑空する飛行車種を足場にして漆黒のGTRから離れない。

 妖魔達は余程吸血鬼の少女を殺したいのか──右之助には目もくれず、血眼になって魔改造GTRを追いかけている。

 

 魔狼達が群れを成して魔界都市の大通りを駆け抜ける。死せる怨霊達はハーピーやガーゴイルと共にどぎついネオンの輝きを切り裂いていった。

 

 それでも追いつけないのは右之助の徹底的な妨害もさることながら、死織の絶妙なハンドル捌きも関係している。闇バス、闇タクシーの運転手は元々、度の過ぎた走り屋集団だ。彼女達のハンドル捌きは神がかっており、更に魔改造を施した車体と魔界都市という「走り慣れた庭」が揃えば、たとえ速度に自信がある魔物でも追いつく事は困難を極める。

 

 死織は死と隣り合わせの超危険なドライブを、あろうことか鼻歌を歌いながら楽しんでいた。隣に座っている少女はあまりの揺れに目を回している。

 

 そんな時である。背後から凄まじい爆発と共に化け物が現れたのは──

 

 先程ゲートに現れた芋虫状の怪物である。種族は不明だが、おそらく吸血鬼が怨霊共を練り合わせて製造した改造魔物だろう。

 何よりデカイ。先程のおおよそ10倍──100メートルはある。

 

 右之助は思わず「うげぇ」と声を漏らした。

 

「気持ち悪ぃ! でけぇ!」

 

 しかも速い。どういう原理か不明だが、大通りの車両達を全て吹き飛ばしながら魔改造GTRとの距離を縮めてきている。

 

「しゃあねぇ……やるか」

 

 右之助は表情を引き締めると、怪物の前に立ちはだかる。腰を落とし、地にしっかりと足裏を付けた。呼吸を整え、全身の筋肉をリラックスさせる。

 空手の基本にして王道、正拳突きを放とうとしているのだ。

 右之助のソレは上級悪魔や鬼神にも通じる破格の威力を誇る。下手をすれば核弾頭クラスだ。目の前の怪物程度、容易に滅ぼす事ができる。

 

 筈なのだが──

 

「…………あ、駄目だこりゃ」

 

 右之助は即座に踵を返し、ダッシュする。右之助ダッシュ。風を切って死織の操縦する魔改造GTRの隣に並ぶと、涙目で叫んだ。

 

「オイオイ! 何だよアレ!! めっちゃ呪いかけられてるじゃん!! 無理無理!! あんなの俺の闘気でも防げねぇ! 死んじまう!!」

 

 そう、あの改造魔物には強力な呪いが付与されているのだ。超越者であるネメアなら兎も角、右之助では防げないレベルの凶悪な代物。故に逃走したのだ。

 

 死織は「相変わらずだ」と苦笑すると、口パクで打開策を伝える。右之助は眉をくの字に曲げるも、仕方無しと頷いた。

 

「しゃあねぇ! それで行こう!」

 

 右之助は地面を踏み締め、広範囲に地割れを発生させる。改造魔物をほんの数瞬止めれば、死織は強引ながらも繊細なドリフトで大通りを右に曲がる。右之助はその手前の裏路地を通り抜け迂回した。

 

 改造魔物は周囲の建造物やビルを破壊しながら無理矢理右に曲がる。右之助と死織は合流すると同時に「目的の人物」を見つけた。

 

 死織はブレーキを踏み締めドリフト、ターン。その人物の眼前に車両を着ける。そして窓を開け、妖艶に微笑んでみせた。

 

「奇遇ですね。今暇ですか?」

「……アア?」

 

 真紅のマントがバサリと靡く。低く、しかし妖艶な声音が死織の耳朶を打った。

 同時に着地した右之助が両手を重ねて懇願する。

 

「な! ちょっと頼むぜ! 面倒くせぇ奴に追われてるんだ、サクッとやってくれよ!」

「……ふぅん」

 

 結われた黒髪を揺らして「彼」は灰色の三白眼を細める。そして迫り来る改造魔物にゆっくりと振り返った。緩やかに赤柄巻の大太刀に手を添えれば、刹那抜刀。生じた半月状の真空刃は100メートルを超える巨体ごと大通りを両断した。

 

 生まれた深い溝に大量の肉塊と血が落ちていく。それを見届けた褐色肌の美丈夫は、振り返って笑みと共にギザ歯を見せた。

 

「死織、今夜暇だから付き合え。右之助は今度奢れや」

 

 死織はうっとりとした表情で頷き、右之助は笑顔でサムズアップする。

 

 そう、彼こそ魔界都市を代表する最強最悪の魔人。世界を救い続けている暗黒のメシア。

 世界最強の殺し屋にして武術家──大和。

 

 孤高の益荒男は女神すら魅了するその美顔に、冷たい微笑を浮かべていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 目を回していた吸血鬼の少女は漸く正気に戻った。彼女は右之助に抱えられている現状を理解し、申し訳なさそうに俯く。

 

「申し訳ありません……」

「何がだ?」

「私も微力ながら、お力添えできれば……」

「気にすんな。そもそも気絶してて正解だったぜ。さっきまで「アイツ」がいたからな」

「アイツ?」

 

 首を傾げる少女に右之助は苦笑を浮かべる。

 

「いや、知らなくていい。アンタみてぇな純粋な娘が「アイツ」を知ったら、二度と戻れなくなる」

 

 少女は口を噤んだ。右之助の頬に冷たい汗が流れたからだ。

 萎縮してしまった彼女に、右之助は敢えて剽軽な笑顔を向ける。

 

「ああそうだ、まだお嬢ちゃんの名前を聞いてなかったな。名前は?」

「あっ、失礼しました。私、アモール・ツェプシュと申します」

 

 恭しく頭を下げる少女に右之助は驚愕で目を見開いた。

 ツェプシュ──闇の貴族、十二真祖の中でも序列三位に位置する最上位の家系である。

 右之助は乾いた笑い声を漏らした。

 

 

 ◆◆

 

 

 右之助は大衆酒場ゲートに向かう。襲撃が止まったこの機を利用して準備を整えようとしているのだ。既に「信頼できる仲間達」に連絡を取ってある。

 

 お姫様抱っこされているアモールは、何故か嬉しそうにしていた。

 

「安心しました。爺やの言っていたとおりです。右之助さん、容姿は怖いですけど優しいんですね……」

「勘違いすんな、依頼だ依頼」

 

 ゲートに到着すると、賑やかな声が聞こえてきた。「仕事仲間」が既に到着している証だ。

 

 店内はダンスパーティで盛り上がっていた。派手なサウンドに合わせて客人達が楽しそうに踊っている。

 

「そう、ソコ!! ハイ、ターン!! いいわぁ!! みんな良い調子よ~!!」

 

 絶世の美男がオネェ口調で客人達に賞賛の声をかけていた。

 真顔で振り付けを決めている美女もいる。彼女は漆黒色のツインテールを揺らして、キレッキレのダンスを披露していた。

 

「どうですか先生!!」

「いいわよ!! 今貴女、凄く輝いてるわよー!!」

 

 反対側ではゴシックパンク風の美女が楽しそうに踊っていた。金色メッシュを振り回し、オリジナルのポーズを決めている。

 

「キャハハハ!! 楽し~!!!!」

「そのポーズは何!? オリジナル!? やるじゃない!!」

 

 バラバラになりつつも、最後は揃って同じポーズを決める。

 三名は右之助を見つけると、それぞれの反応を見せた。

 

「あらウノちゃん、遅かったわね。先に楽しませて貰ってるわよ!」

「師匠! お久しぶりです!」

「ウノちゃんおひさ~♪ あれれ~? それが今回の護衛対象? ヴァンパイアじゃ~ん♪ きゃはは♪」

 

 オネェ口調の美男、A級賞金稼ぎ「爆弾貴人」ことパンジー。

 漆黒のクールビューティー、A級傭兵「黒刃」こと香月。

 狂乱美女、A級殺し屋「撃ち狂い」ことサーシュ。

 

 ここに「喧嘩屋」右之助を入れればA級四天王の完成である。

 彼女達こそ、右之助が呼んだ「頼れる仕事仲間」だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 ゲートのテーブル席で。アモールは必死に笑顔を作っていた。が、健闘空しく苦笑になっている。目の前の三名があまりに濃すぎるのだ。

 

 まずはオネェ口調の美男、パンジーから。

 橙色の鮮やかな髪に端正過ぎる顔立ち。ネイル、まつ毛に至るまで女性よりも気を遣っている事がわかる。服装にも拘りがある様で、長身痩躯に合ったカジュアルな洋服を着こなしていた。

 

 彼女──いいや、彼はアモールを見て瞳を輝かせる。

 

「いやーん可愛い♪ ヴァンパイア? 西洋人形みたーい! おめかししてあげたーい!」

 

 キャッキャと騒ぐオネェにアモールは苦笑を更に深める。

 すると、黒髪ツインテールの美女が右之助にズイと顔を寄せた。

 

「師匠! 此度の任務、私達にお任せください! 必ずや師匠のお役に立ってみせます!」

 

 抜き身の刃を連想させる鋭い気配、しかし右之助に溢れんばかりの敬愛を向けている。

 漆黒の戦闘服は特注品、彼女の冷たい美貌によくマッチしていた。パンジーと同様、美容に気を遣っているのだろう。

 

 そんな彼女に対し、右之助は嫌そうに眉根を顰める。

 

「お前を弟子にした覚えはねぇぞ」

「自称です! ですが何時か必ず弟子になってみせます!」

「……ハァ」

 

 小さく溜息を吐く右乃助。

 そんな彼を眺めていたゴシックパンク風の美女はケタケタと笑った。

 

「ウノちゃん苦労人~! マジウけるんですけど! キャハハハハ!!」

「俺の胃に穴を開けた回数はお前が一番多いぜ、サーシュ」

「え~? マジ~? 大和様じゃないの~? うりうり~♪ どうなのよウノちゃ~ん?」

 

 テーブルを飛び越え、右之助の膝上に跨がるサーシュ。

 彼の頬を指でツンツンするので自称弟子、香月が怒声を上げた。

 

「貴様!! 師匠に対して馴れ馴れしいぞ!!」

「え~? アタシとウノちゃんの仲だもん、ね~?」

「離れろッッ!」

「いや~ん♪」

 

 引っ張り合いを始める二名。アモールは顔を真っ青にしていた。

 そんな彼女に対して、右之助は何とも言えない表情で告げる。

 

「まぁ、アレだ……実力はあるから。うん……マジで。信用してくれ」

「……はい」

 

 アモールは精一杯、首を縦に振った。

 

 

 ◆◆

 

 

 その後、問題児三名を近辺に待機させて、右之助は予めチェックインしていたホテルに入った。

 

 アモールとは同室だが、最低限のプライバシーを配慮するという事で了承を取った。最も、アモールは最初から右之助と同じ部屋で泊まるつもりだった様だが──

 右之助からすれば、その隙の多さが目下一番の悩みの種だった。

 

「~♪」

 

 シャワールームから水滴の落ちる音が聞こえてくる。

 右之助はベッドに座り、ぷかぷかとハイライトを吹かしていた。

 

 バスルームからアモールが出てくる。タオルを巻いただけの姿で。

 容姿的年齢より発育が良い肢体。プラチナブロンドのミディアムヘアから垂れ落ちる水滴。

 それらを右之助が見る事は無かった。既に背を向けた状態で座っていたからだ。

 

「不用心に過ぎる。着替えくらい中に入れておけ」

「すいません……」

 

 謝りながらも、アモールは何故か微笑んでいた。右之助の紳士的な対応に好意を抱いているのだろう。

 当の右之助はやれやれと肩を竦めていた。どうやら「魔界都市の男」の恐ろしさを知らないらしい。

 

 しかしある友人、そう、大和でもあるまいし、無闇矢鱈に女を襲ったりしない。

 

 不機嫌そうに煙草を吹かしている右之助の横に、着替えを終えたアモールが座った。彼女は小首を傾げる。

 

「右之助さん……私って、あまり魅力無いですか?」

「阿呆が、あんま調子乗んなよ」

 

 ゴツゴツとした手で頭をチョップされる。が、アモールはえへへと笑うだけだった。完全に懐かれた──右之助は傷だらけの顔を顰める。

 

 彼は敢えて切り出した。

 

「格闘技──それもかなり実戦に特化したヤツを習得してるだろ?」

「え?」

「ボロスから習ったんだろ? マーシャル・アーツ」

 

 相当な修練を積んでいる。デスシティの民間人より遙かに強い。しかし、右之助は違和感を覚えていた。答えはアモール自らが言う。

 

「はい、爺やから護身術として習っていました。でも……爺や以外と戦った事が無くて、実戦経験が」

「成程、そういう事か」

 

 殺意を持った敵と対した事がない、だからあんなに怯えていたのだ。

 無理もない。格闘技と殺し合いは全く違う。戦意ではなく殺意を向けらられ竦んでしまうのは、むしろ当然の反応と言えた。

 

 爺や、ボロスは右之助と過去に何度も対峙した古参の強者である。その実力は右之助と同等かそれ以上、右之助の喧嘩空手と対等に渡り合った超実戦武術「マーシャルアーツ」をアモールは確かに継承していた。

 

 しかし腑に落ちない点がある。何故、彼女がソレを継承しなければならなかったのか──十二真祖の連なる家系の出である彼女が、何故──

 

 同時にもう一つ疑問を覚える。アモールは真祖でありながら、妖力の総量が少ないのだ。代わりに鍛錬で質を上げている。

 

 右之助の顰めっ面を見て色々察したのだろう。アモールはその可憐な童顔を悲哀で歪ませる。

 

「……右之助さんには、話さないといけませんね。私が追われている理由を。襲撃者が何者なのかを」

 

 アモールは俯きながら囁いた。

 

「私は半吸血鬼(ダンピール)……忌み子なんです」

 

 彼女自身の口から、今回の騒動の内容が明かされ始めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 アモールは側室の子ですら無かった。性欲の捌け口にされた村娘から生まれた、本当の意味での忌み子だった。

 そんな彼女が何故、今の今まで本家に匿われていたのか──それは純血主義の差別対象として価値があったからである。

 

 彼女は混血でありながら生来の吸血鬼と大差無い美貌を誇っていた。だからこそ、嫉妬と侮蔑の捌け口には丁度良かったのだ。

 

 要はサンドバック。ストレス発散のための都合の良い存在。

 

 本家の吸血鬼のみならず、使用人からも道具の様に扱われる日々。

 ボロスがいなければ、今頃自殺していただろう。

 

 ボロスはアモールの事を実の孫の様に可愛がった。アモールもボロスを父の様に慕った。

 ボロスの教育は厳しくも愛に溢れており、だからこそアモールは屈折せずに育った。

 

 では何故、襲撃者から追われているのか──

 

 襲撃者は本家、ツェプシュ家の兵士達である。

 

 彼女は禁忌を犯してしまったのだ。ボロスを馬鹿にした実の父親を蹴り飛ばしてしまった。

 どうしても許せなかった。父親でもない男に本当の父親を馬鹿にされた事が──

 

 他者にマーシャルアーツを向けたのがコレが初めてだった。存外真面目に鍛錬を積んでいた彼女の蹴りは真祖である実父を悶絶させる程の威力があった。

 

 そこからは予想も難しくない。

 勘当されるだけでは済まされず、こうして刺客を向けられているワケだ。

 ボロスは彼女をある意味最も安全な場所であるデスシティへと逃がした。そして旧知の間柄である右之助を頼ったのだ。

 

 右之助は低く唸る。

 

「成程──ボロスから連絡が無かったのは、連絡が取れるような状況じゃなかったって事か」

「はい……」

 

 俯くアモール。その真紅の瞳にじんわりと涙が滲んた。ボロスの事が心配なのだろう。

 

「…………」

 

 右之助は察していた。ボロスが命を賭けて彼女を逃がした事を。その命が、既に無い事も──

 右之助と互角に渡り合える手練とは言え吸血鬼の最上位、真祖に勝てる筈も無い。話を聞く限り、必ず処刑されている。希望は一部たりとも無い。

 

「…………」

 

 それでも右之助は、アモールの頭を不器用に撫で上げた。

 

「心配すんな。あのクソ爺の事だ、ちゃっかり生き延びてる。その間、お前の面倒は俺が見てやる」

「…………」

「だから……泣くな」

 

 右之助の手から感じる確かな温もりに、アモールはポロポロと涙を零した。そしてしゃくり上げる。

 

「……ふぇぇ、右之助さぁん……ッ」

 

 アモールは右之助に抱きつき、静かに泣いた。

 

「ありがとうございますッ……私、貴方に会えてよかった……ッ」

「~~っ」

 

 右之助はどうする事もできずにいた。

 甘い男である。



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二話「切り札をきれ!」

 

 数時間後、右之助は自身のコンディションを確認していた。

 アモールも肉体が思い通りに動くか確認している。

 

 右之助は背後で伸びをしている彼女に聞いた。

 

「戦うつもりか?」

「はい、右之助さんばかりに迷惑をかけられませんから」

 

 無理に笑っている。右之助はそんな彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 

「安心しろ。お前には指一本触れさせねぇ」

「あうぅ……っ」

 

 アモールは顔を真っ赤にするも、気持ちよさそうに目を細めていた。

 右之助は厳つい顔を緩めると、片耳に専用の通信機を付ける。そして仕事仲間達に告げた。

 

「コッチは準備OKだ。そっちは?」

『大丈夫よ~♪』

『問題ありません』

「サーシュ。敵方はどれくらい集まってる?」

『ン~、ざっと3000くらい? 包囲されてるよ~? どする?』

「中央突破だ。パンジー、全方位爆撃を頼む。香月、道を作ってくれ。サーシュは自由迎撃だ」

『『『了解!!』』』

 

 三名の声が重なった。同時に右之助はアモールを抱え、ホテルの窓を突き破る。今居る階は30階──突風と共にアモールの眼前に摩天楼が広がった。

 

「……ふぇぇッ!?」

 

 突然の事態に驚愕するアモール。しかし既に襲撃者が迫ってきていた。

 ホテルの側面を滑り降りる右之助に西洋妖魔達が群がる。彼等の攻撃を回避しつつ、右之助は地上を目指していた。

 しかし凶刃迫る。右之助の背後に妖魔の牙が突き立てられようとしていた。アモールは叫ぶ。

 

「右之助さん!!!!」

「喋るな! 舌噛むぞ!」

 

 瞬間、ビルを中心とした広範囲で大爆発が発生した。一度ではない。連鎖式に発生し周辺を焦土に変えていく。アモールの眼前は一面火の海だった。

 周囲のビルが衝撃に耐えきれずに倒壊していく。

 右之助は群がる妖魔達を蹴り殺し、足場にしていたビルを破壊する勢いで跳躍した。

 数百メートルの距離を滑空した後、着地し一気に駆け抜ける。

 

 オネェ美男ことパンジーは火炎と爆破魔法のスペシャリスト。広範囲殲滅、破壊工作に於いて彼の右に出る者はいない。

 

 右之助の行く先を阻む妖魔達、彼等は銀光一閃で断ち切られた。

 麗しくも冷徹な女剣士、香月。生粋の殺人剣、斬月流の正統後継者である彼女は実力のみであれば右之助を超えている。

 

 残った妖魔達を、嗤いながら殺し回る女が1人。金色のメッシュを揺らしながらビルの側面を飛び回っている。

 

 撃ち狂いのサーシュ。性格こそ難ありだが、その実力は右之助が全幅の信頼を置くほど。彼女が背中を護ってくれているので、右之助は逃走に専念できていた。

 

 包囲網を抜ける。

 右之助はひとまず安心するが、油断していない。

 ここから先は運任せ。作戦こそ練っているが、ソレに敵方が嵌まってくれるかどうかは賭けだった。

 

 刹那、彼の眼前に特大の妖力の波動が迫る。その密度は尋常ではなく、右乃助は瞬間的に地面を踏み締め渾身の前蹴りを放った。

 中央区が揺れる。激突の際に生じた突風は周囲の建造物を破壊した。

 

 辛うじて相殺できたものの──右之助は苦渋に満ちた表情で上空を見上げる。

 

 この世の者とは思えないほど美しい、妖魔達の王。

 なめらかな金髪、死人を連想させる白い肌。暁の如き双眸。

 右之助の腕の中で、アモールが震えていた。

 彼は思わず苦笑を零す。

 

「実の娘が怯えてるぜ? ええ? 真祖様よぉ」

 

 真祖序列三位、5世紀近くを生きる怪異の王族──セロ・ツェプシュ。

 想像を絶するプレッシャーに晒され、右之助は額に冷や汗を滲ませた。

 

 

 ◆◆

 

 

 吸血鬼は日本の鬼と同じく、怪異の最上種である。その力は人知を軽く逸脱しており、特に東洋の鬼神に位置する真祖は破格の妖力を誇る事で有名だった。退魔勢力の総本山、カトリック教会でも容易に手出しできないほどである。

 

 彼等は現世に干渉する事を嫌う。滅多な事では公に出てこない筈だが……

 

「…………」

 

 右之助は冷静に、彼我の実力差を見極めていた。上位吸血鬼との戦闘は経験しているが、真祖と対するのは初めて。

 

 彼は内心舌打ちする。

 

(予想通りだ。やっぱり強ぇ……勝てねぇな)

 

 白兵戦なら勝機はある。しかし妖力の総量、呪術異能の練度──総合的に負けている。あちらが格上だった。

 

 アモールの父親でもある彼──セロ・ツェプシュは、嫌悪感を隠すこと無く吐き捨てる。

 

「身から出た錆の掃除に出てくれば……この愚図め。下等種族なんぞに庇護されおって。ツェプシュ家の面汚しが」

「っっ……」

 

 アモールは右之助の胸に顔を隠す。

 右之助は怖じ気づきそうになりながらも、不敵に笑ってみせた。

 

「その「身から出た錆」に一発イイの貰ったんだってな、真祖様。情けねぇ」

「…………弁えろ、下等生物。誰が口を開いていいと言った」

「気取ってんじゃねぇよ、バケモノ」

 

 セロは片手を掲げる。即死レベルの呪詛が掌に集中していた。

 

 右之助は冷や汗を掻きながらも、笑みを崩さない。

 致死の呪詛が放たれる刹那──紅蓮の焔がセロを焼き焦がした。何十発もの爆撃が周囲の空気ごとセロを滅却する。

 更に、極限まで練り上げられた斬撃が爆風を断ち切る。筋肉どころか骨格まで捻じり放たれた白銀の刃は真空を纏うに至っていた。

 更に更に、全方位から曲線を描いて魔弾が群がる。骨肉を抉り生物を極限まで苦しめる性悪に過ぎる魔弾が、セロの肉体に一発残らず侵入した。

 

 爆炎の中で肉が抉られ、骨が砕かれる音が響き渡る。

 しかし晴れると涼しい顔をしたセロが出てきた。

 

 右之助の隣にパンジー、香月、サーシュが並ぶ。それでもセロは傲慢不遜に笑った。

 

「下等生物が幾ら集まっても状況が覆らぬ……貴様等では俺を殺せぬ」

「ああ、だろうな。俺達もわかってるよそんな事」

 

 右之助は笑みを浮かべる。それは勝利を確信した笑みだった。

 パンジーも同じ様な笑みを浮かべている。サーシュは歓喜で今にも飛び跳ねそうになっていた。

 

「だから、同類を呼んでおいたぜ。……バケモノにはバケモノをあてがうのが一番だ」

 

 すると、遙か上空から何かが降ってくる。衝撃で大通りの道路が陥没した。

 真紅のマントが靡く。世にも稀な褐色肌の美丈夫……彼は右之助に灰色の三白眼を向けた。

 

「依頼受託だ右之助、アイツを殺せばいいのか?」

「ああ、頼んだぜ──大和!」

 

 魔界都市の誇る最強最悪の魔人──世界最強の殺し屋にして武術家。大和──

 

 彼はギザ歯を剥き出し凶悪に嗤った。

 

 

 ◆◆

 

 

「黒鬼」「武神」「闇の英雄」「人間核兵器」「暴力の天才」「物理最強」「神秘殺し」「虐殺者」「悪鬼羅刹」「暴力の化身」「意思を持つ天災」

 

 数々の異名と共に恐れられる人類の特異点──暗黒のメシア。

 

 アモールも噂で耳にしていた。規格外に強い人間がいると。

 正直、都市伝説か何かだと思っていた。アモールは己の中に流れる「弱い血」を見限っていた。

 

 しかし、今は声も出せないでいる。彼女も一端の武術家。目の前の武人がどれほど強いのか──わかってしまったのだ。

 

 世界最強の武術家──否、世界最強の怪物。人類という枠組みに到底収まりきれない圧倒的「力」の塊。

 その在り方は、まさしく暴力の権化だった。

 

 そんな彼女の視界を、右之助は手で塞ぐ。

 

「あまり見るな……アイツに一度魅了されると、戻れなくなるぞ」

「っ」

 

 アモールは震えて頷いた。恐ろしいほど「彼」に魅了されている自分がいたからだ。

 

 当の本人、大和はニヤニヤと嗤いながら右之助に言う。

 

「可愛いお嬢ちゃんじゃねぇか、報酬はその子でもいいぜ」

「ほざけ、この子は警護対象なんだよ」

「何だ、つまらねぇ」

 

 そう言いつつも、大和は笑みを崩さない。そのまま右之助に告げた。

 

「後は俺がやっとくから、いけや」

 

 大和の背後に、憤怒の形相でセロが佇んでいた。下等生物に無視された事が余程癪に障ったのだろう──極大の妖力を込めた右拳を振り抜く。

 しかし大和は振り返らず片手だけで受け止めた。衝撃が隣の超高層ビルを倒壊させる。尚収まりきらない衝撃波は隣の区画にまで及んだ。

 

 爆風に曝された右之助に、大和は再度笑いかける。

 

「とっとといけ、コイツぁ俺が殺しておく」

「……お、おう」

 

 右之助は曖昧に頷き、この場を離れる。パンジーと香月、サーシュはそれぞれの反応を見せた。

 

「またね大和♪ 今度一緒に飲みましょう♪」

「助太刀、感謝致します」

「またねぇ大和様ぁん! 今度は私の相手もしてねぇ♪」

 

「へいへい」

 

 軽く手を振って一同を見送った大和。そのまま必死の形相で拳を引き戻そうとしているセロに振り返る。

 地面が陥没した。真祖の超怪力をものともせず、大和は嘲笑を更に深める。

 

「どうした? 怪力自慢なんだろう、吸血鬼サマ。俺も怪力自慢なんだよ。勝負しようぜ」

 

 大和はセロを強引に引き寄せた。

 

 

 ◆◆

 

 

 右之助は現場から離れた後にメンバーに告げた。

 

「本命は大和がどうにかしてくれる、後は残党処理だ。俺はアモールを護衛しつつ、付近を回る。お前達は各自、迎撃に当たってくれ」

「「「了解!」」」

 

 三名は跳躍する。上手くいけばコレで終わる。しかし油断できない。まだ何か起こりそうな予感がするのだ。

 右之助は自身を安心させる意味あいも含めて、アモールの金髪を撫でる。

 

「もう少しで終わる。だがまだ油断するな」

「はい……!!」

 

 真剣な表情で頷くアモール。その健気さに右之助は表情を和らげた。

 そんな時である。目の前から妖魔の大群が迫ってきたのは……

 

 10や20なら軽くあしらえた。50でも頑張れた。しかし眼前の大群は500をを優に超えていた。

 

 右之助は晴れやかな笑みで一度頷くと、アモールを抱えて回れ右する。

 

 

「クソッタレ!! チクショウめ!! なんだあの数は!!? 馬鹿か!? 右之助ダッシュしか選択肢ねぇじゃん!! あ~やってらんねぇなぁチクショウ!!」

 

 

 爆笑しながら涙を流すという器用な真似をしながら、右之助は逃走を再開した。

 

 

 ◆◆

 

 

 吸血鬼の怪力は凄まじいものであり、下級クラスでも重戦車を持ち上げる事ができる。真祖クラスともなれば軽く振るった拳でも山河を砕き、海を割る事が可能だ。

 

 しかし、今回は比較対象を間違えたと言わざる得ない。生まれながらに神仏を殺せる肉体を幾星霜の歳月を以てして鍛え抜いたこの男──大和は、こと「筋力」に於いて真の世界最強を誇っている。

 

 ニヤニヤと笑いながらセロの拳を握り潰していく。セロは全力で抗っているが、地面が砕けるだけで肝心の大和は微動だにしない。

 

「俺と腕力勝負をするなんざ、世間知らずにもほどがあるぜ。仮にも怪異の王の一角だろう? そういった情報を知らねぇのか?」

「ッッ」

「まぁ、聞くだけ野暮ってもんか。引きこもりの癖に自意識だけは高ぇもんな、吸血鬼って種族は」

「黙れッ、下等種族がァッ!!」

 

 セロは全身の筋肉を躍動させる。しかし大和の片腕すらふりほどけない。

 一瞬、自身が何らかの異能術式で弱体化させられているのではないかと勘ぐる。

 そこが、大和の言っていた「無駄に自意識の高いところ」だった。

 

 大和は巨大な手でセロの顔面を掴むと、心底楽しそうに嗤う。

 

「そんじゃ、遊びましょうか♪ 真祖サマ」

 

 そのまま爆走を始める。下駄で地面を踏み砕きながら地震と共に中央区の大通りの駆け抜ける。生れた衝撃波で車や住民が紙吹雪の様に飛んでいった。

 

 500階建ての超高層ビルの前までやって来ると、セロを引きずりながら駆け上がる。ガラス片と瓦礫にもみくちゃにされ、セロは苦悶の叫び声を上げた。

 

「ぬぉぉぉぉぉぉ!!!! 調子に乗るな下等種族がァァァァァ!!!!」

「ハッハッハ!! 下等種族に蹂躙される気分はどうだ真祖サマぁ!!」

 

 子供の様に笑いながら飛びはねた大和は、セロをソフトボールの如く投げ飛ばす。

 

「必殺!! 大和ストレート☆」

 

 光速を優に超えた速度でセロは地面に叩き落とされた。高層ビルの瓦礫に埋まった彼は土煙ごと障害物を吹き飛すと、過呼吸を繰り返す。

 

「ガッ、ハァ、ハァッ!! クソがァ……!! 下等生物風情がァ……人間風情がァァァァァ!!!!」

 

 この現状でも彼我の実力差を認めないセロに対し、大和は呆れ混じりに告げる。

 

「いやぁ、あっぱれだぜ。その自意識の高さ。だからこそ──」

 

 そのプライド、へし折りたくなった。

 同時にセロの眼前に「絶望」が顕現する。あまりに巨大過ぎる絶望だった。

 

 天頂まで立ち上る真紅の奔流。

 紅蓮の炎を連想させる圧倒的生命力で具現化している。

 ソレを蜻蛉の構えで固定した大和は嗤った。

 

「不老不死だろうが関係ねぇ、コレを食らえば一切合切塵になる」

 

 滅の絶剣、雷光剣。

 

 セロは指先一つ動かせなかった。

 生命力という最もわかりやすい基準で、ここまで絶対的な差を見せつけられた──最早勝敗は決まっている。

 

 振り下ろされた光柱は不老不死である筈のセロを魂ごと滅却した。同時に魔界都市を両断する。

 衝撃波だけで中央区そのものが半壊し、斬撃波に至っては北区どころかその先に展開されている「邪神群の副首領ヨグ・ソトース」の特性封印術式にまでダメージを与えてしまう。

 危うく表世界にまで被害が出るところだった。

 

 焦土となった眼前を見つめながら、大和はフムと顎を擦る。

 

「加減、ミスったか……最近力が上がってるから、調整が難しいぜ」

 

 圧倒的理不尽の象徴。

 魔界都市のジョーカー、その異名に偽りはなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 高層ビルの屋上まで逃げて来た右之助は一先ず安心する。

 追っ手は上手くまけた。大和が大暴れしているおかげだ。

 彼は抱えていたアモールを下ろし、その小さな両肩に手を置く。

 

「いいか? 騒動が落ち着くまで俺と一緒に待機だ。此処が駄目だったらまた移動する」

「わ、わかりました!」

 

 大きく頷くアモールに右之助は頷き返す。

 その時である、背後から死人の気配を感じたのは──

 

「!!」

 

 右之助は咄嗟に構えを取る。この不気味な気配は吸血鬼特有のものだ。

 生気を感じさせない、冷たい妖力の波動。

 右之助の眼前に濃紺のローブを纏った美男が佇んでいた。

 

 金髪に白い肌、紅玉の如き瞳──もう間違いない。吸血鬼である。

 滲ませる妖力の質からして、恐らく上級クラス。

 

 彼は右之助を無視して、アモールに微笑みかける。

 

「お久しぶりです、お嬢様……貴女を殺しに来ました」

「……」

 

 アモールは憎悪の念を隠さなかった。右之助は冷たい眼差しで上級吸血鬼を見返した。

 

 

 ◆◆

 

 

「また貴方と顔を合わせる事になるなんて……」

「そう嫌な顔をなさらないでください。お父君の近衛兵を務めている手前、この案件に関わらざるを得ないのです」

 

 上級吸血鬼は温和な微笑をこぼす。しかし右之助の直感が告げていた、相当性根が腐っている。アモールは彼に散々酷い目に遭わされたのだろう。

 

「……」

 

 ならば是非もない。彼女を護るために拳を振るうだけである。

 右之助は彼女を庇う様に前に出て、鋭い眼光を奔らたせ。

 

 上級吸血鬼はソレが大層気に入らなかったのだろう、眉間に特大の皺を寄せる。

 

「下等生物が、生意気な目つきを……お嬢様、貴女の身体には半分だけとはいえ、偉大なる真祖の血が流れているのですよ? まさか、もう半分の血に脳まで犯されてしまったのですか?」

「黙りなさい、血でしか物事を判断できない愚か者。この方を貴方の物差しで測らないで。不快極まりないです」

「それはこちらの台詞ですよ、偽りの姫君。私もそろそろ我慢の限界でしてね……あの狼爺の元へ送ってさしあげます」

「!!? ボロスを!! ボロスをどうしたのですか!!?」

 

 アモールの狼狽え様は凄まじかった。

 ソレが相当お気に召したのか、上級吸血鬼は愉悦愉悦と口角を歪める。

 

「心臓に銀の杭を打ち込んだ後、バラバラにして家畜の餌にしてやりましたよ。最も、獣臭くて家畜も口を付けませんでしたがね」

「…………~~~~~~~ッッ!!!!!!」

 

 アモールは激昂と共に莫大な妖力を迸らせる。闘気にも似たソレはよく練り込まれていた。

 上級吸血鬼は嘲笑を浮かべたまま両手を広げる。

 

「さぁお嬢様、クソ爺が待っていますよ。早く逝ってさしあげ……」

 

 その汚らわしい口が、首ごと消し飛んだ。右之助は左足を掲げたまま告げる。

 

「笑わせんなよ、テメェ程度の雑魚があの爺を殺せる筈ねぇだろう。どうせ寄って集って袋叩きにしたんだろう? ……調子乗ってんじゃねぇ」

 

 神速の上段回し蹴り。

 反応すら出来なかった上級吸血鬼は回復すると同時に憤怒で顔を真っ赤にする。

 

「貴様ァァァァ!!!! この下等生物がァァァァ!!!! よくも恥じをかかせてくれたなァ!!!!」

「いいぜ、ぶちのめしてやる。テメェは単純にムカつくからな」

 

 構えを取る右之助。その横にアモールが並んだ。その小さな手で拳を握る。

 

「一緒に戦わせてください、右之助さん。アイツを……倒したいんですッ」

「……」

 

 右之助は目を丸めた後、嬉しそうに笑った。

 

「おう! 一緒にぶちのめしてやろうぜ!」

 

 莫大な妖力を放出している上級吸血鬼に、二人は揃って構えを取った。

 

 

 ◆◆

 

 

 隣で呼吸を整えているアモールに、右之助はかつて激戦を繰り広げた狼男の面影を重ねた。

 彼は微笑むと、アモールに優しい声音で告げる。

 

「初撃は教わってるな? 俺は合わせる。まずは決めろ」

「わかりました……!」

 

 頷くアモール。

 上級吸血鬼は警戒するも、またしても首から上を消し飛ばされた。

 右之助と同じく神速の上段回し蹴り。しかし種類が違う。キックボクシングにも似たしなやかな蹴撃だった。

 

 今は亡きボロスが開発したマーシャルアーツは右之助の喧嘩空手に匹敵する殺傷力を誇る。

 電光石火の一撃を食らい、上級吸血鬼は動けないでいた。右之助は鼻で笑う。

 

「隙だらけだぜ」

「ッッ」

 

 その腹に渾身の正拳突きが炸裂する。めり込んだ岩石の如き拳は不死人の五臓六腑を砕いた。

 亜光速で上空へと飛んで行った上級吸血鬼に対して、アモールは無慈悲な追撃を仕掛ける。

 先回りして渾身の踵落としを浴びせたのだ。

 

 ダンピールとは言え、彼女の半身には真祖の血が流れている。

 何より、良き師の元で修行を積んできたのだ。経験不足こそ否めないが、純粋な戦闘力は既に右之助と同レベルである。

 

 地響きを立てて地面に埋まる上級吸血鬼。

 滑空しているアモールの隣に右之助が並んだ。

 

「イイ蹴りだったぜ。ボロスの奴を思い出した」

「……えへへっ」

 

 摩天楼に照らし出された笑顔に、既に憎悪の念は無かった。

 

 

 ◆◆

 

 

「クソッ……クソがァァァァァァァ!!!! 忌み子の娘が、私に二度も蹴りを!!!! 絶対に許さんぞォ!!!! 呪い殺してやる!!!!」

 

 憎悪の叫び声が木霊する。しかし上級吸血鬼は瀕死の状態だった。地べたを無様に這いずっている。

 その眼前に右之助とアモールが降り立った。右之助はまずブーツの先端で彼の顔面を蹴り上げる。

 

「がべぇ!!?」

 

 悲鳴を上げてのたうち回る上級吸血鬼。右之助は唸りながらアモールに聞いた。

 

「どうする? 復讐したいってんなら止めないぜ」

「いえ……もういいです。これ以上はボロスも望みません。彼の教えてくれた技を、これ以上穢したくない」

「……そうか」

 

 右之助は静かに頷くと、上級吸血鬼に嘲笑を向ける。

 

「よかったな、命拾いしたぜ」

「黙れ、黙れェェェェェェ!!!! 下等種族が!! 私を見下すな!!!! いっそ殺せ!!!! 情けをかけるな!!!!」

「勘違いすんな、俺は絶対許さねぇ。考え得る限りで最も残虐な方法で殺してやる…………サーシュ!!」

 

 

「あいあ~い♪ 呼んだ~?」

 

 

 金色のメッシュが揺れる。どこからともなく現れたゴシックパンク風の美女は、血糊が付着した顔で無邪気に嗤ってみせた。

 右之助は彼女に上級吸血鬼を指し示す。

 

「アイツ、オモチャにしていいぞ。吸血鬼だから壊れにくい。徹底的に虐め抜いてやってくれ」

「え~マジぃ? いいのぉ? 吸血鬼とか久々でマジ燃えるんですけど~ッッ♪♪」

 

 艶然と嗤うサーシュに、上級吸血鬼は心底悪寒を覚えた。

 これから彼の身に起こる事は死が救いに思えるほどの苦しみ──つまり地獄である。

 

 サーシュは涎を垂らしながら二丁魔拳銃を顕現させる。そして装着している禍々しいバヨネットを彼の太股に押し当てた。

 

「まずは再生力を確かめないと……♪ 徐々に、じょじょ~に嬲ってあげるからぁ♪」

「ヒッ、や、やめろ……」

「太股いけたらお股裂き裂きしまちょうね~♪ 吸血鬼なら縦半分に分かれても大丈夫でしょ? キャハハ♪」

 

 

「ぎ……ギャァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!」

 

 

 上級吸血鬼の断末魔の悲鳴が木霊する。右之助は既にアモールを連れて去っていた。

 これから行われる「処刑」は魔界都市の住民らしい、悪逆非道に過ぎたモノだったから。

 

 サーシュの不気味な笑い声が響き渡る。

 上級吸血鬼の断末魔の悲鳴は翌朝まで途絶えなかったという──

 

 

 ◆◆

 

 

 翌日の夜。右之助とアモールはA級三人組と共に大衆酒場ゲートへ来ていた。

 酒場の和気藹々とした雰囲気が昨日の疲れを癒やしてくれる。

 右之助はアモールと今後について話し合おうとしていたのだが──

 

「師匠。この子は今後、私とコンビを組んで傭兵稼業を営む事になりました」

「話が早ぇなオイ、付いていけねぇぞ」

 

 漆黒色のツインテールの美人、香月の唐突な宣言に右之助は目を丸める。香月は続けた。

 

「彼女も了承しています。まずは私と共に生活して魔界都市の環境に適応していく予定です」

 

 彼女の説明にオネェ美男、パンジーは賛同の意を示す。

 

「私は賛成よ。この子可愛いから、香月ちゃんと一緒にまずはこの都市に慣れたほうが良いと思うわ」

 

 だがしかし、右之助の顔は渋かった。

 

「この子の性格上、この都市に適応できるとは思えねぇ。表世界でもいいだろ」

「吸血鬼──それもダンピールよ。行く当てなんてあるの?」

 

 パンジーから向けられる鋭い視線に、しかし右之助も負けじと鋭い視線を返した。

 

「少なくとも此処よりマシだ。此処は真面目な奴ほど損する。それこそゴミの様に使い捨てられる」

「でも、慣れさえすれば問題ないでしょ? デスシティはどんな存在でも受け入れる。……アモールちゃんならきっと大丈夫よ」

「しかしだな……」

 

 右之助の言葉を、誰でも無いアモール本人が遮った。彼女は精一杯告げる。

 

「あの、右之助さん、私……大丈夫です! この都市で頑張っていきます!」

「……あのな、アモール。お前のそういうところがそもそも不向きである事を──」

 

 唐突に、端でオレンジジュースを啜っていたサーシュが割り込む。

 

「あれれー? ウノちゃん過保護だね~? まさかラヴなの? その子ラヴなの?」

「「お前は黙ってろ」」

「ちぇ~」

 

 右之助と香月に真顔で圧され、サーシュは唇を尖らせる。

 アモールはと言うと、顔を真っ赤にして指を絡ませていた。

 

 右之助は魂が出そうなほど大きな溜息を吐くと、意を決してアモールを抱き寄せる。

 そして宣言した。

 

「わかった。コイツの面倒は俺が見る。アイツの──ボロスの忘れ形見であるコイツを放っておけねぇ。助手にでもなって貰うさ」

「……ふぇぇ!?」

 

 アモールは驚愕と、それ以上の嬉しさで飛び上がった。

 パンジーはソレが聞きたかったのだろう、ニヤニヤと笑っている。

 サーシュは意外だったのか、口笛を鳴らしていた。

 

 しかし香月は──

 

「納得できません!!」

「何でだ」

「何故その子を助手にして、私を弟子にしてくれないのですか!!」

「あのなぁ……お前、そもそも俺より強いだろ? 師匠より強い弟子ってなんだよ。それにお前は剣士で俺は空手家──」

 

「そんなの関係ありません!! 認められません絶対に認められません!! こうなったら私も助手に立候補します!!」

「ハァ?」

 

 頓狂な声を上げる右乃助。今度はアモールがその腕に抱きつき宣言する。

 

「大丈夫です! 助手は私一人で出来ます! 料理お洗濯、家事の心得はあります! だから大丈夫です!」

「アモール、貴様では師匠をサポートできない! 師匠は何気に大人の男なのだぞ! そういう耐性はあるのか!?」

「あ、ああ、ありますとも!! 右之助さんが望むのであれば、そういう面でもサポートします!! 助手ですから!!」

「ぐぬぅ……駄目だ! 私もなる!!」

「結構です!!」

 

 両腕に抱きつき睨み合っている香月とアモール。

 右之助は顔を真っ青にしていた。

 

「なんだコレ……俺は何時からラノベの主人公になった……」

「頑張りなさいウノちゃん、甲斐性を見せる時よ」

「ウノちゃんがんば~♪ よ! モテる男はつらいねぇ!」

 

 茶化す二名。右之助はあまりの状況に天井を仰いだ。

 

 彼の心境がどうであれ、その周囲は賑やかだった。

 これからも騒動は続いていく。しかし彼の傍には心強い仲間がいた。

 

 その様子をカウンター席から眺めていた褐色肌の美丈夫──大和は腹を抱えて大爆笑している。

 

「ダーハッハッハッハ!!!! 右之助の顔見ろよアレ!! ぶふぅ!! ハッハッハッハッハ!! ウケる!! マジでウケる!! なぁネメア!!」

「お前は……アイツの気持ちを察してやれ」

 

 ネメアは同情の眼差しを右之助に向けていた。大和は笑いすぎて過呼吸に陥り、机に突っ伏している。

 魔界都市の日常でも、今回は穏やかだった。

 苦しい事もあった、辛い事もあった。だが最後はこうして皆で笑顔を浮かべられる。

 

 この都市に於いて、これ以上幸せな事はないだろう。

 

 ネメアは静かに笑みを浮かべながら、新聞に視線を戻した。

 

 

 

《完》



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死神女王と黒鬼の密約
死神の女王


 

 

 冥界には死神と呼ばれる種族がいる。冥界の業務全体を司る精霊の一種だ。冥府の神々直属の眷属である彼等は強力な「死の恩恵」を保有している。その戦闘力は聖書に記されし悪魔や天使に比肩しうるほどだ。

 最上級の死神ともなれば鬼神や魔王でも問答無用で死滅させられる。

 

 彼等の代表的な仕事に「凶悪な犯罪者を無理矢理冥界に連行する」というものがある。上級から最上級までの死神が冥府の神々に代わり「死」を代行する、とても誉れ高い仕事だ。

 

 しかし、そんな破格の力を誇る最上級死神でも連行できない犯罪者がいる。その代表格が魔界都市のジョーカー……大和だ。

 

 彼の犯した罪は冥府の神でも管理できない量になりつつある。一刻も早く冥界に連行し、処罰を下さなければならない。だが、最上級死神の力を以てしても連行できないのだ。

 

 彼はあまりに強すぎる。単身で世界を滅ぼせる暗黒のメシアは人類の特異点そのもの。最上級死神が束になっても敵わない。

 

 彼の連行を永続的に命じられている死神がいる。死神という種族の超越者、死神女王タナトスだ。

 その力は冥府の神々を遙かに超え、邪神にも比肩しうるほど。しかし、そんなタナトスでも大和を連行できずにいる。

 

 

 ◆◆

 

 

 薄紫色のストレートヘアがベッドの上で揺れる。熟れた豊満な肢体を抱き締められ、女は喘いだ。褐色肌の美丈夫に擦り寄り、喘ぎ声と共に幾千幾万の死の呪詛を吹き込む。しかし全て無効化され、女は諦めると同時に絶頂した。

 

 幾度も抱かれ、疲れ切った彼女──タナトスは己を魅了した罪深き男──大和を睨み付ける。

 

「本当に罪な男……一回死んでみたら? 楽になるわよ」

「ほざけ。冥府の神共がたっぷり罪状を抱え込んでるだろ? 絶対いかねぇ」

 

 寝転がりながら煙草を吹かしている大和に、タナトスは唇を尖らせた。

 

「アンタは死んだ方がいいのよ。皆ソレを望んでる」

「お前は?」

「勿論、死んでほしいと思ってるわ」

「ハッ、ほざきやがるぜ」

 

 彼女の厚い唇を奪う大和。タナトスは嬉しそうに舌を絡ませた。濃厚なキスを終えた後、彼女は再び仏頂面になる。

 

「あと、私以外の死神の子を魅了して帰すのやめてくれない? すっごい迷惑なんだけど」

「いいじゃねぇの。死神の女は可愛いから皆抱いちまうのさ」

「アンタに骨抜きにされた子達は数週間まともに業務できなくなるのよ。貴重な上級、最上級死神を馬鹿にしないで頂戴」

「んん? ならお前もその馬鹿に入るのか?」

「ハァ? 一緒にしないでよ。私はちゃんと仕事してるわ。アンタをきっちり殺そうとしてるもの」

「確かにな。喘ぎ声上げながら呪詛吹きかけやがって。俺以外だったら死んでるぜ」

「殺すつもりでやってるんだから、当然でしょ?」

 

 蠱惑的に微笑むタナトス。その首筋を大和は甘噛みした。

 

「ああんっ♡」

「ほざけよ。なら本気で殺しにこい。お前なら、やり方次第で俺を追い詰める事はできるだろう?」

「フフフ……アンタがアンタでいる限り、私は鎌を携えないわよ」

 

 タナトスは嗤う。それはまさしく死神の笑みだった。

 

「犯した罪の数以上に、アンタは誰かを救ってる。だから見逃してるのよ」

「ハッ、傲慢だな」

「アンタほどじゃないわよ」

「フン」

 

 大和は鼻で笑う。

 

「救いたいから救ってるワケじゃねぇ。エゴを貫き通した結果そうなってるだけだ。……それでもいいってんなら、好きにしろ」

「ええ、好きにさせて貰うわ。……何度も言うけど、アンタがアンタでいる限り、私は鎌を携えない。約束よ」

 

 タナトスは身を起こすと指をパチンと鳴らす。そして死神装束に身を包んだ。

 ドレスにも似た荘厳な装束は彼女が死神の女王である証。

 

 彼女は振り返り、今度は女性らしい微笑を浮かべる。

 

「だから、これからも世界を救い続けなさい。……アンタは英雄なんだから」

 

 それだけ言って姿を消す。大和は溜め息と共に紫煙を吹かした。

 

「俺は英雄じゃねぇ、殺し屋だっての……」

 

 部屋の中に濃い紫煙が充満する。

 死神女王と黒鬼の密約を知る者は誰もいない。そう、冥府の神々すらも──

 

 大和が大和でいる限り、彼女は鎌を携えない。

 しかし彼女は信じていた。大和が生涯、信念を貫き通す事を──

 だから愛しているのだ。愛されているのだ。

 

 二名の不思議な関係は、しかし確かな信頼によって結ばれていた。

 

 

《完》



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第二十一章「愛弟子伝」
一番弟子


 

 

 夜間、大衆酒場ゲートにて。

 純白のスーツとお洒落なサングラスが似合う腕利きの用心棒、右之助は目を丸めていた。隣で飲んでる強面の友人が小さなパンフレットを熟読しているのだ。そのパンフレットは──授業参観のしおりである。

 

 右之助の頬に一筋の冷や汗が流れた。彼は友人──大和を二度見する。

 

 二メートルを優に超える褐色の体躯。灰色の三白眼に獰猛なギザ歯。漏れ出すオーラは言わずもがな、慣れない者が感じれば恐怖でパニックを起こしてしまう。しかしその美貌は女神すら魅了してしまうほど。

 

 そんな魔界都市を代表する最強最悪の魔人が、顎を擦りながら授業参観のしおりを熟読しているのだ。

 異常過ぎる光景である。

 

 当の魔人──大和は悩ましげに囁いた。

 

「何を着ていくか……やっぱり保護者として、きちっとした服装の方がいいのか?」

 

 すると、店主であるネメアが提案する。

 

「ただの授業参観だろう? ラフな私服とかでいいんじゃないか?」

「それでアイツが舐められたらどうする」

「凝りすぎても逆効果だと思うが?」

「……成程、自然体でいいワケだな」

「いざとなればその場で服装を変えればいい。念のために正装を準備しておくのはどうだ?」

「それがいい。サンキューなネメア」

「あまり参考にするな。俺も表世界の常識に詳しいとは言えない」

「でも助かったぜ。後は──」

 

 勝手に会話が進んでいく。右之助は堪らずストップをかけた。

 

「ちょい待ち、待ち。話に付いていけねぇ。マジで。お前ら何の会話してんの?」

「「…………」」

 

 大和とネメアは視線を合わせる。大和が首を傾げた。

 

「お前、知らなかったっけ? 俺の弟子の一人が表世界で学生をしてるんだよ」

「初耳だぞ、高校生か?」

「おう」

「性別は?」

「男だ……って、まさか狙ってんのか? ぶっ殺すぞ」

「なワケねぇだろ!」

 

 思わず声を張り上げる右之助に、大和は肩を竦めた。

 

「そうか、知らなかったのか……いや、意外だぜ」

「そりゃコッチの台詞だ。お前に沢山弟子がいるのは知ってるが、まさか表世界で高校生をしてる奴がいるなんてな」

「俺が命令したんだよ」

「……は?」

 

 右之助は我が耳を疑った。大和は続ける。

 

「俺が高校を受験させたんだよ。小、中学校は書類を偽装したが……高校くらい経験させてあげてぇと思ってな」

「……マジでか? いや、お前が基本弟子にダダ甘なのは知ってるが、そこまでするもんなのか?」

「いいや、普通ならしねぇ」

 

 大和は手元のしおりに視線を落とす。そして珍しく柔らかい笑みを零した。

 

「コイツは特別だ。俺の可愛い可愛い弟子……今までの弟子の中でも最高傑作だ。可愛い過ぎるんだよ」

「っ」

 

 右之助は途轍もない寒気を覚えた。大和の言葉に違和感を感じたのだ。

 弟子に対する愛情は確かに本物、しかし普通「最高傑作」などと呼ぶだろうか──

 

 ネメアに視線を向けると、無言で首を横に振られた。彼もわかっているのだ。大和の弟子に対する屈折した愛情を──

 

 大和は歪な笑みを浮かべる。

 

「俺の大事な一番弟子──どれだけ成長しているのか、楽しみだ」

 

 

 ◆◆

 

 

 東京都某区にある私立高校「真桜学園」。

 高い偏差値を誇る、近辺でも指折りの名門校である。自由な校風でも知られるこの学園では現在、明日の授業参観の話題で持ちきりになっていた。

 

 愚痴と笑い声が重なる。皆お年頃、親に授業している姿など見られたくないのだ。

 特に男子達は項垂れている、相当嫌なのだろう。

 

 彼等は癒やしを求めて視線を泳がせる。

 ここ3年Aクラスには「天使」と呼ばれる学園のアイドルが在籍していた。

 

 女子達と楽しそうに話している姿を見つけ、男子達は悩まし気に溜息を吐く。

 煌めくプラチナブロンドの髪は小さくポニーテイルに結われており、くりりと丸い碧眼は実に愛くるしい。まつ毛は長く、唇は潤う桜色。端正に過ぎる顔立ちはあどけなさが残っており、美しさより可憐さが勝っていた。

 

 男子達は「天使」をその眼に収め、揃って表情を蕩かせる。

 

「我が校のアイドル、ユリウスちゃん……」

「容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能。生徒会長ながら他の委員会の委員長も務めている、まさしく天から愛された寵児」

「性格もまさしく天使。男女分け隔て無く接し、常に笑顔を絶やさない。その笑みに惚れた先輩、後輩、同級生多数……」

 

「「「「でも男だ」」」」

 

 絶望で項垂れる男子達。

 そう、ユリウスは男子なのだ。一見女子に見えてしまう──いいや、男子用の制服を着ていなかったら間違いなく女子と勘違いされるだろう。それほどまでに可憐な容姿をしていた。

 

 男子達は涙ぐみながらも、鼻血を垂らして拳を握る。

 

「「「「だが、それでもいいッ。ユリウスちゃんマジ天使ッッ」」」」

 

 最早手遅れなその有様を見て、ユリウスの周囲に居た女子達はドン引きする。

 

「キモ、流石男子……キモい」

「ユリウスくんの事をそういう風に見ないでよ! 不潔!」

「あっちいきなさいよ!!」

 

 汚物の様に扱われ、男子達は唇を尖らせる。しかしユリウスに困った顔で頭を下げられ、鼻血と共に床に倒れ伏した。

 

 慌てて駆け寄ろうとするユリウスを、女子達が引き留める。

 

「大丈夫よユリウスくん。アイツ等変態だから、勝手に死んでるだけだから、放っておきなさい」

「汚物には近付かなくていいのよ」

 

 女子達のあまりの言い様に、苦笑を浮かべるユリウス。

 彼女達は打って変わり、キラキラした眼差しをユリウスに向けた。

 

「それでそれで! ユリウスくんのお父さんが明日来るんでしょ!?」

「はじめて見るよユリウスくんのお父さん! どんな人なの!? ユリウスくんに似た感じ!?」

 

 彼女達はユリウスの父親に興味津々だった。

 ユリウスは苦笑しながらも嬉しそうに、誇らしそうに告げる。

 

「師しょ…………いいえ、父さんは私なんかとは比べものにならないくらい美しく、逞しく、素敵な人ですよ。だから……嬉しくてたまらないんです。明日、私が授業している姿を見にきてくれる。わざわざ時間を取ってまで……それが、本当に嬉しいんです」

 

 少女の様なソプラノボイスで、本当に嬉しそうに破顔するユリウス。

 女子達は揃って陶然とした。

 

((((ユリウスくんマジ天使…………ッッ))))

 

 彼女達が揃って鼻をつまみ出すので、ユリウスは小首を傾げた。

 

 クラスメイト以外にも、学園中の生徒、更には教師や保護者まで、ユリウスの父親の登場を楽しみにしていた。

 しかし明日、皆は驚愕で飛び上がる羽目になる。

 ユリウスの父親は彼とは真逆で、しかしユリウスが言った通りの男性だったのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 翌日、真桜学園の授業参観が開催した。最寄りの駅が近い事もあり、早くも保護者達が顔を出し始めている。受付の先生、生徒達が名簿を確認しながらネームプレートを配っていた。

 

 すると、受付の女子二人が唐突にニヤニヤと笑い出す。

 

「ユリウス先輩のお父さんまだかな~っ、楽しみだな~っ」

「どんな人だろう? ユリウス先輩に似て凄い美男さんかな?」

「ユリウス先輩が天使レベルだから──お父さんは神様レベルだったりして!?」

「ありえる~!!」

 

 キャッキャと騒ぐ女子達。その頭をキツそうな女教師が押し込んだ。

 

「お前等、姦しく騒ぐな。お前達の態度でこの学園の第一印象が決まるんだぞ」

「え~っ、いいじゃないですか~。今は保護者の方見えてませんし~」

「先生も気になるんでしょー? 先生、ユリウス先輩にベタ甘だもんね~」

「お前ら……! ユリウスは模範的な優等生だ! お前達とは違う!」

「ぎゃー! 差別! 差別ですよ今の!」

 

 盛り上がっている三名の前に影が差し掛かった。何事かと視線を上げると──それはそれは美しい褐色肌の美丈夫が居た。地図を見て顎を擦っている。

 そのあまりに人間離れした容貌に、三名は唖然とした。

 

 小麦色の鍛え抜かれた体躯は二メートルを優に超え、しかし限界まで絞り込まれている。無駄な筋肉を削ぎ落とし、機能性のみを追求した肉体は一種の芸術品だ。

 艶やかな黒髪。灰色の三白眼。鋭いギザ歯。端正な顔立ちはあらゆる虜にしてしまう、男性の理想像の一つ。

 

 服装はブルーのシャツに黒のスキニーパンツ、そしてレザーシューズ。無難な服装たが、腕時計といいシューズといい、独自のこだわりが垣間見えた。

 

 日本人男性の身長は大きくても180㎝ほど。しかし目の前の男性は二メートルを優に超えている。

 

 当の美丈夫は地図と学園を見比べていた。彼は頷くと、三名の元に歩み寄る。

 

「すいません。ここが真桜学園ですか?」

 

 流暢な日本語だった。しかも声まで色っぽい。三名が陶然としていると、美丈夫は困った様に苦笑を浮かべた。

 

「あの、すいません」

「……は、はひぃ! すいません! えと、その……! はい! ここが真桜学園ですッ! 

 

 一人の女子生徒が正気に戻った事で、他の二名も正気に戻る。

 三名は改めて男性の規格外の体躯に驚きつつ、その美顔に視線を向けた。

 が──途中で逸らす。直視できないのだ。すればまた陶然となるから。

 

 男性はこういう反応に慣れているのだろう、そのまま話を進める。

 

「この高校に息子が通っておりまして。授業参観に参加したいのですが、何か書くものとかありますか?」

「は、はい! まずはお名前と、保護者バッチを付けて頂き──」

 

 慌てて作業に取りかかる三名。言われた作業を終えた男性に、最後に名簿を差し出した。

 

「後は、こちらからお子様のお名前を探していただき、チェック欄に記入していただきたいのです」

「わかりました」

 

 男性はペラペラと名簿をめくり始める。

 女子達は顔を見合わせ、背後にいる教員に振り返った。

 三名とも「いやいや無い無い」と首を横に振るう。

 

 確かに凄まじい美男だ。逞しく、色っぽい。

 しかしユリウスは儚く、温和で、天使の様な男子だ。

 目の前の男性は魔性の──それこそ、ユリウスとは対極の存在である。

 

 当の男性は素早く項目欄にチェックを入れると、彼女達に名簿を返した。

 

「済ませました。では、校内に入っても大丈夫ですね?」

「はい! ありがとうございますッ!!」

 

 女子生徒Aは凄い勢いで頭を下げる。その後、男性の背中を熱い眼差しで見送っていた。

 隣の女子生徒Bが慌ててその肩を揺する。

 

「目を覚ましなさい! 馬鹿!」

「ハッ……!?」

 

 目を覚ました女子生徒Aは慌てて過呼吸を繰り返す。

 

「や、ヤバイわ……あれはヤバイわ……」

「そうね、色々な意味で……」

「ああ、凄まじいな……」

 

 三名の意見は一致していた。

 ふと、女教師が机の上にある名簿に視線を落とす。

 

「なぁ、さっきの男性は──誰にチェックを入れた?」

「「!?」」

 

 女子生徒達は慌ててページを捲る。探すのは勿論──

 

「「「…………!!」」」

 

 三名は目を丸めた。そう、そのまさか──3年A組のユリウスの項目にチェックが付けられていたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は3年A組に続く廊下を歩いていた。先に進むだけで道ができる。老若男女、大和を見た瞬間道を開ける。

 彼の身から滲み出る「強者」のオーラを本能で感じ取っているのだ。

 女の熱い視線を敢えて無視しながら、大和は先へと進む。普段であれば口説いている女が数名居たのだが、今回は自制する。

 

 大和は内心溜息を吐いた。

 

(敬語だりぃ……でもしゃあねぇよな。ユリウスの印象は崩したくねぇ。アイツのためなら気ぃぐらい遣ってやるさ)

 

 本来であれば絶対にしない事も、ユリウスのためならする。大和はそれくらいユリウスの事を愛していた。

 

「……さぁて、ここが3年A組か」

 

 大和が現れると、溜まっていた保護者達が飛び跳ねて道を開ける。大和はそのまま教室へと入って行った。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和が訪れる少し前──3年A組は緊張と期待で浮き足だっていた。学園の誇るアイドル、ユリウスの父親がやって来るのだ。皆、授業を受けているもののその事しか頭に無い。

 

 ユリウスはその気になればスーパーアイドルにだってなれるくらいの容姿の持ち主だ。更に文武両道、今代の生徒会長を務め、教師陣からの信頼も厚い。

 

 そんな彼の保護者を、今まで誰も見たことが無い。

 生徒達だけではない。教師陣、保護者とも、その話題で持ちきりになっていた。

 クラスの外には違うクラスの保護者達が集まっている。

 

 そんな中で、ユリウスの隣に座っている女子生徒が小声で彼に聞いた。

 

「ねぇ、ユリウスくん……」

「?」

「ユリウスくんのお父さんって、本当に今日来るの?」

「はい、来ますよ」

「あの、その……どんな感じなの? ごめん、気になっちゃって……」

 

 他の生徒達が目を剥いて耳を傾ける。ユリウスは苦笑しながら答えた。

 

「自慢になってしまいますけど……本当に素晴らしい人ですよ。見習うところが多すぎて、困ってしまうくらいです。誰よりも尊敬し、誰よりもお慕いしています。……将来ずっとお傍に居たい、そう考えています」

 

 ユリウスの屈託ない笑顔は女子生徒のみならず男子生徒も魅了した。

 彼をここまで尊敬させる父親とは、一体どんな男なのか──皆、悶々としはじめる。

 

 そんな時である。クラスの外が騒然とし出したのは。

 廊下にできていた人集りが裂け、そこから現れる──褐色肌の美丈夫。

 

 その凶悪な威風と色気に皆、愕然とした。

 教師も教鞭をとるのを忘れ、立ち尽くしてしまうほどだ。

 

 身を屈め教室へと入ってきた彼は、もう少しで届きそうな天井を鬱陶しそうに見つめながらも、教室内を見渡す。そうしてユリウスを見つけると──破顔して手を振った。

 

「おう、ユリウス。久々だな」

「ししょ…………いえ、父さん!」

 

 蕩ける様な笑みを浮かべたユリウス。

 

 クラス内の時間が停止した。

 教員保護者含め、全員がユリウスと男の容姿を見比べ──そして驚愕の大声を上げる。

 

 

 

『えええええええええええええええええええええ────────ッ!!!!!?』

 

 

 まさしく驚天動地であった。

 

 

 ◆◆

 

 

 悪魔、鬼、野生──周囲の者達は様々な印象を彼に抱いた。

 その総てが、予め抱いていたイメージを崩壊させる。彼は──あまりにユリウスの父親らしくなかった。

 

 しかし、ユリウスのあの本当に嬉しそうな表情──時折振り返って浮かべる蕩けた笑みは、間違いなく彼がユリウスの父親である証だった。

 

 生徒のみならず、教員すらもその事で頭が一杯で授業になっていない。

 しかし、それを咎める保護者もいない。彼等もまた同じ様な心境だからだ。

 

 チャイムが鳴り、授業が終わる。

 ユリウスは小走りで大和に駆け寄っていった。子犬の様に抱き付き甘えてくる彼を、大和は愛おしそうに抱きしめる。

 

「久々だなぁ」

「お久しぶりですっ、来てくれてありがとうございますっ」

「仕事はキャンセルしてきた。お前の授業してる姿を一度でいいから見ておきたかったんだ」

「嬉しいですっ、本当に……」

 

 もしもユリウスに犬の尻尾が生えていたら、今頃ちぎれんばかりに振られていただろう。それほどまでに異様な懐き方だった。

 

 周囲の者達は目を丸める。

 改めて見ても、とても親子には見えない。まるで美女と野獣──兎とライオン。

 

 唖然とする一同の中で、一人の女子生徒が思わず聞いてしまう。

 

「あの……ユリウスくんとお父さんって、本当に血が繋がってるの?」

『!?』

 

 周囲から向けられる懐疑の視線に女子生徒は地雷を踏んだ事を悟ると、すぐさま頭を下げた。

 

「ごめんなさいッ、変な質問してッ、今のは忘れて……」

 

 誠心誠意込めて謝る女子生徒に対し、ユリウスと大和は目を丸める。

 大和はフッと笑うと、ユリウスを抱き寄せた。

 

「お嬢ちゃん。確かに俺達は血が繋がってねぇ……でも、俺はコイツの事を本当の息子の様に思ってる──心の底から愛してる。それじゃあ駄目か?」

 

 小首を傾げられ、少女は顔を真っ赤にしながら首を横に振った。

 

「い、いえ! こちらこそ、本当に申し訳ありませんでした!」

 

 再度頭を下げる女子生徒。

 

「~~っ♪♪」

 

 ユリウスは本当に嬉しそうに大和に抱きついていた。余程今の発言が嬉しかったのだろう。

 大和はそんな彼の頭を大きな手で撫で回す。

 

 最早、彼等の関係を疑う者はいなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 放課後。授業参観も終わり、残るは三者面談のみとなった。

 学園全体は異様な熱気に包まれていた。皆、とある親子の話題に夢中になっているのだ。

 

 教室ではとある女子グループが姦しく騒いでいた。キャーキャーと黄色い悲鳴を上げている。

 

「ユリウスくんのお父さん、イメージと全然違かったけど、めっちゃイケメンだった~ッ!!」

「ねぇ~! 男の中の男って感じ!!」

「うちの男子共とは色気が違うよね!! うう~んっ、めっちゃ好みだったぁ……」

 

 ユリウスの父親の意外性に驚きつつ、彼女達は揃って熱い溜息を吐いた。

 

「ユリウスくん……すっごい懐いてたねぇ~」

「めっちゃ可愛かった。あんな反応するんだね~」

「よっぽど慕ってるんだろうね~。お父さんの事……」

 

 

「「「はぁぁ~ッ、ユリウスくんマジ天使……ッッ」」

 

 

 女子達は何度目かわからない熱い溜め息を吐く。

 

 他の教室でもグラウンドでも、食堂でも職員室でも、その話題で持ちきりになっていた。

 

 老若男女限らず、学園関係者達は思う──羨ましいと。

 ユリウスにあそこまで懐かれている彼が羨ましい、と。

 

 しかし、それはユリウスの本性を知らないから思えるのだ。彼はあの黒兎に比肩しうる──いいや、それ以上の怪物である。

 

 邪神群の副首領ヨグ・ソトースと同格の外なる神、「千匹の仔を孕みし森の黒山羊」シュブ=ニグラスを両親に持つ邪神群きっての皇子様。

 

 邪神という種族の超越者であり、邪神の中でも規格外と称されるバケモノ。

 

 それが、ユリウスの正体だ。

 

 彼と大和の関係は、皆が連想するような甘いものではなかった。そう、当初はそうだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 ユリウスは幼少期に両親──特に母方の強い勧めで大和の弟子となった。

 当時のユリウスは傲慢でこそ無いものの、自身が「特別な存在」である事を理解していた。

 だからこそワケがわからなかった。何故、人間などという下等生物に教えを請わなければならないのか? 

 邪神を殺せる男だからといって、所詮は人間。下等生物である事には変わらない。

 

 学ぶ事など何もない。当時のユリウスはそう断じていた。

 

 しかし、ユリウスは彼に最も価値のあるものを教わった。それは──愛である。

 大和はユリウスを弟子として可愛がった。時に厳しく、時に甘く、教育を施した。

 

 ユリウスは生粋の邪神、故に愛という概念を知識でしか理解できない──筈だった。

 だが、大和はユリウスの胸に「心」を宿し、「愛」を芽生えさせた。

 

 善悪を超越したその生き様に。種族関係無く弟子であれば注ぐ、その際限ない愛情に──ユリウスは強い尊敬の念を覚えた。

 

 尊敬は崇拝に変わり、最後には歪んだ親愛に変わった。

 今のユリウスにとって大和は唯一無二、絶対の存在だった。

 

「ああ、師匠……師匠の温もり……っ」

 

 学園の屋上で。ユリウスは大和の厚い胸板に顔を埋めていた。頬を上気させ、熱い吐息を漏らすその様は扇情的である。

 

 大和は微笑んで彼の背中を撫でると、学園での調子を聞いた。

 

「どうだ? 高校生活は。何か学べた事はあったか?」

「はい。人間はやはりどうしようもなく愚鈍で無知で、救いようの無い下等生物だと改めて理解できました」

「……ククッ、そうか。なら俺も下等生物ってワケか」

「そんな! 違います! 師匠だけは違います!! 貴方は特別な存在なんです!! 他の雑種共とは違う!!」

「わかったわかった。落ち着け」

「~~~~っ」

 

 泣きそうな顔で大和の胸板に擦り付くユリウス。彼の背を擦ってやりながら、大和は頭上で広がる蒼穹の空を見上げた。白い雲がやたらと尊く感じる。

 

 大和はホゥと息を吐くと、ユリウスに告げた。

 

「お前にその気があったなら、大学への進学も考えていた」

「!!」

「俺が経験できなかった「本物の青春」ってやつを、お前には経験させてあげたかったんだ。……師匠ならではのお節介だ、許せ」

「~~~~っっ」

 

 ユリウスは瞳を潤ませる。そんな彼に大和は苦笑に近い笑みを向ける。

 

「お前も、もう大人になる。だから──将来の事を考えなきゃなんねぇ。それでなんだが──お前が良ければ、将来俺の助手にならないか? お前は俺の事をよく理解している。俺との距離感もわかってる。実力も知識も申し分ねぇ。…………どうだ?」

「……そんなの、決まっていますッ」

 

 ユリウスは大粒の涙を零しながら言う。

 

「貴方の背中を護らせてください。一生、お傍に置いてください。誠心誠意、尽くさせていただきますッ」

 

 その返事を聞き、大和は安堵の笑みを浮かべた。

 

「ありがとうな……」

「いいえ、こちらこそ……私にとって、貴方こそが絶対の基準なのです。世界も邪神群も、心底どうでもいい。貴方のためなら、喜んで死ねる」

「駄目だ、許さねぇ。死ぬ時は一緒に死ぬんだ」

「ああっ……大和様ぁっ」

 

 ユリウスは堪らず顔を寄せる。二人の唇が重なった──ユリウスは大和の首に両腕を回す。

 

 師弟を超えた愛が、二人の間にはあった。

 蒼穹の空に、飛行機雲が通過していった。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は今夜、ユリウスが借りている一軒家で宿泊する事になった。現在、広間で寛ぎながら表世界のニュースを流し見している。

 

 すると、エプロン姿のユリウスが笑顔で料理を運んできた。

 

「今夜は腕によりをかけました。日々修練しているので、是非味見してくださいっ」

「おお、そりゃ楽しみだ」

 

 卓に並べられた数々の料理。大和は目を輝かせる。

 彼は行儀良く両手を合わせると、まずは肉じゃがを頬張った。

 

 ユリウスは緊張した面持ちで反応を待っている。

 口の中でとろけるジャガイモを味わいながら、大和は頬を緩めた。

 

「うめぇ……めっちゃ美味いぞユリウス」

「本当ですか!」

「ああ。こりゃあ助手になった時は毎日作って貰わなきゃな」

「勿論です!」

 

 ユリウスは飛び跳ねそうなほど喜んでいた。

 その後、美味そうに料理を頬張る大和の横顔を本当に幸せそうに眺めていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 深夜。シャワーを浴びて寝室のベッドで座っていた大和は、ユリウスの登場に灰色の三白眼を丸めた。彼の姿は──裸ワイシャツだった。赤みを帯びた顔で、頭を下げる。

 

「お邪魔しますっ」

「お前の部屋だろ? 気にすんなよ」

「いえ、そんな……っ」

 

 改めて、その容姿は美少女にしか見えない。初対面の者が見たら間違いなく女子と勘違いするだろう。

 小さく結われたプラチナブロンドの髪が勘違いに拍車をかけるかもしれない。

 

 大和は微笑んで手招きした。

 

「おいで、一緒に寝よう」

「……はいっ♪」

 

 ユリウスは満面の笑みで大和に抱きつく。ベッドにギリギリ収まっている彼の屈強な肉体に、甘える様に擦り寄った。

 

 暫くすると、熱い吐息を吐きはじめるユリウス。それに気付いた大和は、甘い声音で囁きかけた。

 

「我慢できないか?」

「……っ」

「可愛がってやるぜ」

「……やまとさまぁっ♡」

 

 潤む碧眼で見上げられ、大和は堪らず唇を被せた。ユリウスは嬉々として受け止める。

 

 天使の声が掠れた。ソプラノボイスの嬌声が部屋の外にまで響き渡る。

 ユリウスは何も考えられなかった。ただただ幸せに包まれ、何度も身体を跳ねさせた。

 

 甘い夜が過ぎていく──

 

 早朝、大和は柔らかく微笑んでいた。

 腕の中で小さな寝息を立てている愛弟子を抱き寄せ、眠気と共に静かに目を閉じる。

 

 その寝顔は、一見別人に見えるほど穏やかであったという──

 

 

《完》

 



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暗黒のメシアの背中
孤独な後ろ姿


 

 

 

 大衆酒場ゲートで。右之助が溜息を吐きながら酒を呷っていた。少し自棄が入っているのを見抜いた店主、ネメアは見かねて声をかける。

 

「どうした? 飲み方が荒いぞ」

「……ああ、すまねぇな。少し悩んでてよぅ」

「付き合うぞ」

 

 向き合ってくれた店主に、右之助は思わず破顔した。

 

「ありがとうよ。いや、悩み事って言っても……大和の事でな」

「アイツが何かやらかしたか?」

「何時もやらかしてるだろう。まぁ、アレだ……アイツの背中を見る度に、思っちまってよ」

 

 右之助はサングラスの奥にある目を細める。まるで、遠いものを見るかの様に──

 

「アイツの背中、遠いなぁって。何でだろうな……凄く遠くにいる気がするんだよ。伸ばしたこの手が空を切る。近付きたくても近付けねぇ……まるで、アイツだけ別の場所にいるみてぇだ」

「…………間違ってないさ。お前のその感覚は」

 

 ネメアは懐からセブンスターを取り出し、ジッポーで点火する。

 

「俺もそうだ。アイツの親友なんて宣ってるが、実際には違う。アイツは……遠い。昔からそうだ」

「ネメア……」

「人間離れしすぎている。その生き方が、精神性が。──時々、俺でも理解できない時がある。だからこその、この距離感なんだろうな」

 

 ネメアもまた、親友の遠い背中を眼に映しているのだろう。碧眼を細めていた。

 

「最初から……いいや、そんなワケない。アイツも最初は普通の人間だったんだ。でも……」

 

 ネメアはため息と共に紫煙を吐き出す。

 

「俺には偶然、理解者が居てくれた。だがアイツにはいなかった。……アイツは、ずっと孤独だったんだ」

 

 ネメアはおもむろに首を横に振るう。当時の大和が置かれていた境遇が、あまりにも悲惨だったから──

 

「アイツは救われる側じゃない、救う側だった。生まれた瞬間から──それが宿業だったんだ。真っ当な愛も常識も教えられず、ただただ救う事を求められた。……仕組まれていたのかもしれない。何かの意思によって」

 

 ネメアの言葉を、右之助は噛み締める様に聞いていた。

 

「だがアイツは否定した。自分に仕組まれていた宿業を否定した。自分の意思で、自分の力で、生きる事を決意した。だからアイツは武術家になったんだ。あらゆる束縛から解放されたいから──だが、ソレは同時に他者との繋がりも拒絶する事になった」

 

 ネメアは悲哀で表情を歪める。もう戻せない、その事を誰よりも理解しているから。

 

「もう無理なんだ──アイツは人間じゃなくなってしまった。真性の怪物になってしまった。……理解者はいた。アラクネや万葉、ウリエル──俺も、傍に居てやる事はできた。でも……無理だった。もう手遅れだったんだ」

「……」

「武術家になると決意したその時から、アイツは人間性を捨てたのかもしれない」

 

 ネメアは煙草を灰皿に押し込める。

 

「それでも、アイツに救われた奴は多い。俺もアラクネも、アイツに救われた。世界だって何度も救われてる。……そして、アイツにしか救えない存在もいる。俺じゃ救えない存在も、アイツなら救える。だから俺の存在意味は……」

「ネメア……」

「……いや、すまない。今のは独り言だ。忘れてくれ」

 

 ネメアは首を横に振るうと、右之助の瞳をまっすぐ見つめる。

 

「お前なら、アイツの傍にいてやれるかもしれない。お世辞にも力があるとは言えないが、お前は距離感の取り方が上手い。……これからも、アイツの友達でいてやってくれ」

 

 お願いされ、右之助はゆっくりと頷いた。

 

「任せとけ、ネメア。アイツとの距離感はバッチリ掴んでるぜ」

「……そうか、ありがとう」

 

 微笑むネメアに、右之助も同じ様な笑みを返した。

 

 

《完》



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第二十二章「氷雨伝」
一話「朧氷雨」


 

 

 魔界都市デスシティ、中央区の南側にある青宮霊園にて。

 ベンチに腰掛けながら無愛想な面を晒している美少女が居た。兎耳の付いた黒のパーカーに眼鏡、そして隣に立て掛けているミスリル銀製の長棒。

 大和の実娘であり最強の妨害屋──黒兎(こくと)である。

 

 彼女は曇天の空を鬱屈げに眺めていた。うねる灰色の入道雲は、彼女の心境をよく表している。

 

(……モヤモヤしますね。心が晴れない)

 

 以前の邪神騒動以降、黒兎にはこういう時間が増えていた。心に重たいモヤがかかっている。それが無償に腹立たしく──しかし解消する術を見つけられない。

 

(何なんですか、コレは……)

 

 自問。普段から冷静沈着……悪く言えば無感情な彼女は、己の内に燻る激情に戸惑っていた。

 

(クソ親父に手加減されていたから……? いいえ、ムカつきますが、本質はソコではない)

 

 では、一体何なのか? 分からず、黒兎は細い両脚を苛立ち気にぶらつかせた。

 そんな彼女に声がかかる。女の声だった。

 

「へぇ、珍しいわね。その歳で自然に気配遮断ができてる……それもかなり高度」

「…………」

 

 自分に声がかけられた事を察し、黒兎は首をかたむける。視線の先には、黒髪を腰まで流した美女がいた。

 

 容姿的年齢は二十代前半ほど。白シャツに黒のスーツ、漆黒のロングコートという出で立ち。白シャツを盛り上げる豊満な胸、括れた腰回り。総じて抜群のプロポーションを誇っている。

 

 そしてブラウン色の双眸──言い得もしない不気味な輝きを灯していた。

 

 咥え煙草をしている彼女は紫煙を吐き出すと、その美麗な眉を顰める。何かに気付いた様だ。

 

「アンタ、アイツの──大和の血縁者でしょ? 雰囲気が昔のアイツにそっくりだもん」

「っっ」

 

 黒兎は莫大な怒気を迸らた。大和と比較される──黒兎にとってそれは侮辱も同然だ。

 しかし謎の美女は鼻で笑う。

 

「何? パパの事嫌い? 悪かったわね、変な事言って。……そうよねぇ、アイツ子育てとかしないもんねぇ」

「…………」

 

 彼女の態度を見て、黒兎は静かに怒気を収める。ミスリル銀の長棒を置いて、そっぽを向いた。

 

「放っておいてください」

「いいじゃない。気になる事もあるし」

 

 そう言って、謎の美女は黒兎の隣に腰掛けた。上手そうに煙草を吸っている彼女に対し、黒兎は怪訝な眼差しを向ける。

 

「誰ですか、貴女は……」

「質問よ」

 

 アンタは「何のために」強くなったの──? 

 

「……ッッ」

 

 黒兎は咄嗟に反論しようとしたが、上手く言葉を出せなかった。

 

「答えられない? やっぱりね……アンタからは「信念」を感じない」

「信念……?」

「そう、信念」

 

 謎の美女は紫煙を吐き出しながら嗤う。

 

「強さが「肉」なら、信念は「骨」よ。幾ら肉が強靱でも、骨がスカスカなら意味が無い」

「ッ」

「アンタからは信念を全く感じない。だから……弱いわねぇ、若いわねぇ」

 

 嘲笑を零した後、謎の美女は立ち去ろうとする。

 黒兎は思わず引きとどめた。

 

「ま、待ってください!!」

「ん?」

 

 振り返った謎の美女に、黒兎は珍しく困惑した表情で問う。

 

「……貴方の言う「信念」というのは、どうすれば見つかりますか?」

「甘えないで。自分で見つけなさい。そういうものよ、「信念」ってのは」

 

 肩を竦める謎の美女に、黒兎は再度問う。

 

「では、お名前だけでも教えてください」

「……」

 

 紫煙を噴かせた後、謎の美女は嗤った。

 

氷雨(ひさめ)。朧氷雨──アンタのパパの幼馴染みよ」

「!!!!」

 

 驚愕する黒兎。魔界都市でも彼女の名前は取り分け有名である。

 調停者──特異点の亜種であり、世界の拮抗を「物理的に」整える存在。

 超越者の中でも別格とされている大和、ネメア、エルザベスと肩を並べられる、規格外の中の規格外。

 

 世界最強の異能力者──氷雨。

 

 唖然とする黒兎を置いて、氷雨は去っていく。

 周囲を漂う甘ったるい紫煙の香りは、彼女が愛する銘柄、ピースの匂いだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 氷雨には幼馴染みがいる。唯一心を開き、唯一尊敬している存在が──

 彼は無二の親友であり、永遠の好敵手(ライバル)である。

 

 そんな幼馴染みの気配を辿りながら、氷雨は魔界都市を散策していた。

「相変わらずこの都市は」と紫煙を噴かせながら苦笑している。

 

 サイバネとオカルトが混じり合い、暴力と欲望で穢れている魔界都市デスシティ。しかし、氷雨にとっては安住の地だった。彼女もまた暴力を是とする魔人なのだ。

 

 暫く歩いていると、幼馴染みがいるであろう場所へと辿り付く。魔界都市でも有名な魔導図書館だった。世界中のありとあらゆる歴史が書物として保管されている、最重要地帯の一つである。敷地面積は東京ドーム三つ分ほど。表世界を含めても最大の図書館だ。

 

 広大な書館内を進んでいくと、並列している個室の廊下から濃い気配を感じた。

 氷雨は悪巧みを思い付いたのだろう、悪戯っぽく嗤うと陰陽術の一種、隠行で気配を極限まで薄める。大和を脅かそうとしているのだ。

 

 氷雨は世界最強の異能力者だが、同レベルの魔導を習得している。本職ではないものの、仙術や禁術などのマイナーな術式にも精通していた。

 

 彼女は異能力を用いずとも世界最強クラスである。武術と魔導を我流ながら極めており、集団戦ではあの大和を越える戦闘力を誇っていた。

 

 そしてそのキツイ性格から、神魔霊獣のみならず邪神からも恐れられている。あのナイアですら対話を避けるほどだ。

 特に聖書に記されている悪魔勢力は一度冥界ごと滅ぼされかけた事があり、唯一神以上に彼女の事を畏れている。

 

 そんな彼女は 、悪どい笑みを浮かべながら個室の鍵を解錠し部屋の中へと侵入する。

 濃い紫煙の香りが鼻孔をくすぐった。薄暗い部屋の中、まず見えたのは──大き過ぎる背中だった。

 

 横になり、書物を読み耽っているその背中はあまり大きく──あまりに寂しかった。鮮やかな真紅のマントが血色に見える。

 勇士の背が汚れていた。幾多の憎悪と哀しみによって──

 

 氷雨は表情を歪ませると、隠行を解除し、囁きかける。

 

「久々ね、大和……」

「……氷雨か」

 

 大和は振り返らない。氷雨は思わず呟いた。

 

「また寂しくなってるわよ、アンタの背中…………馬鹿じゃないの」

 

 抽象的なその言葉に、大和は何も答えなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 会話は無かった。無くてもいい。そういう関係だった。

 氷雨は大和の背中にもたれかかり、紫煙をくゆらせている。

 無言の時間が過ぎていく。

 ふと、氷雨が告げた。

 

「アンタの娘に会ったわよ。眼鏡をかけた、兎みたいなチンチクリン」

「……ああ、黒兎か。エリザベスとの餓鬼だ」

「へぇ、どうりで」

 

 氷雨は納得した様に頷く。

 

「実力と精神性が噛み合ってなかったわ。アレは何時か壊れるわよ」

「知るかよ、テメェで選んだ道だ」

「…………」

 

 氷雨は吸い殻を灰皿で潰すと、もう一本煙草を取り出し魔術で点火する。そして苦笑した。

 

「アンタの子供の頃にそっくりだった」

「あんな不細工じゃねぇよ」

「そう? 私と初めて会った時はあんな感じだったわ」

 

 今度は大和が黙る。ラッキーストライクを深く吸い、溜息と共に吐き出した。

 

「昔話をしに来たのか?」

「違うわよ。でも、たまには過去を振り返るのもいいじゃない」

「必要ねぇ。過去は過去だ」

「それでも、アンタと出会って私の人生は変わった」

「…………」

「当時、私は平民だったけどアンタは王子様だった。……初めての友達、初めてのライバル。……そして、初めて好きになった男」

 

 氷雨は振り返り、大和の背中に触れる。そして爪を立てた。

 

「……誰もアンタの事を認めてくれないのね。もう誰も、アンタを「英雄」と呼ばないのね」

「…………」

 

 大和は何も答えない。

 氷雨は悲しそうに、悔しそうに告げた。

 

「アンタは誰に対しても「対等」を求めてる。誰よりも努力し、誰よりも多大な功績を打ち立てたアンタは自分自身に絶対の自負を持つ誇り高き勇士よ。なのに……誰もそれを理解しようとしない」

 

 唇を噛み締める氷雨。大和の背中に立てられた爪が鋭さを増した。

 大和は低い声音で告げる。

 

「認められたいワケじゃねぇ……勘違いすんな。有象無象の評価なんざ、どうでもいいんだよ」

 

 その言葉に、氷雨は首を横にふるう。

 

「アンタはそれでいいのかもしれない。でも、私は嫌なのよ……悔しいのよ」

 

 氷雨の想いを感じ取った大和。

 彼は煙草を灰皿で潰しながら、静かに答えた。

 

「有象無象から評価されるよりも、お前から評価された方がいい」

「っ」

「それで十分だよ、俺は」

「~~~~ッ」

 

 氷雨は表情を蕩けさせると、大和の肩を揺する。

 

「……ねぇ、こっち向いてよ」

「あ?」

 

 振り返った大和の唇に、氷雨の唇が重なった。

 強引な口付け。氷雨は彼の首に両手を回して離さない。

 静かに舌を絡ませ合う事数分、氷雨は漸く大和を開放した。

 

「……思った。アンタはそのままで良い。有象無象はアンタの魅力に気付かなくていい。評価されるのも癪よ」

 

 氷雨に頬を撫でられ、大和はまるで猫の様に三白眼を細めた。

 

 氷雨は床に手を当てる。すると大和の仮宿に場所が入れ替わった。魔導の一種だ。

 ブラウン色の瞳を潤めている彼女に対して、大和は薄く笑いかける。

 

「氷雨」

「大和……」

 

 そのまま抱き合い、再度唇を重ね合う。

 この後、二人は激しく愛し合った。氷雨の喘ぎ声は高らかに、官能的に、部屋の外にまで響き渡った。

 

 氷雨は大和を慰める様に何度も求め、そして何度も果てていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 青宮霊園の噴水場の前で。黒兎は蹲り、黙々と考えていた。

 

(信念とは、一体何なのでしょう……)

 

 黒兎にはわからなかった。信念に何の意味があるのか?

 ソレが果たして戦闘力に繋がるのか──

 

 あらゆるものを利用して勝てばいい。勝たなければ意味が無い。

 黒兎はそういう持論を持っていた。

 

(……しかし、あの腐れ親父の信念は間違いなく強さに繋がってる。あんなに無茶苦茶なのに)

 

 ご都合主義に頼りたくない。自分の力で物事を成したい。だから闘気以外の全ての力を捨てた。

 

 黒兎には到底できない所行だった。そんな事をすれば確実に弱くなる。しかし大和は強い。有無を言わさないほどに──彼は世界最強クラスの中でも別格だった。

 

(何故? 考えれば考えるほど理解できない。才能? 努力? 経験値? ……わからない)

 

 それでも、一つだけわかることがある。大和に勝てないこと。

 戦闘力や経験値以前の問題である、最初から勝てる気がしないのだ。

 

 ……単純に、人間の「質」で負けている気がする。精神性で負けている気がする。

 

 そう思った黒兎はパーカーを目一杯被った。

 

(……不快です。凄まじく不快です。何故負けるのですか、何故あんな男に……)

 

 奥歯を噛み締めながら、それでも黒兎は考え続ける。

 何故、勝てるイメージが湧かないのか? やはり信念なのか? 

 ここでふと、彼女は冷静になった。

 

(そもそも、何で私は腐れ親父と競おうとしているのでしょう?)

 

 疑問が生まれ、更なる疑問が生まれる。

 

(あれ? 何で私は妨害屋なんて職業をしているのでしょう?)

 

 理由を忘れてしまった。彼女は目に見えて狼狽する。

 これでは信念以前の問題だ。必死に過去の記憶を探りはじめる。

 

 まずは何故、妨害屋になったのか──

 

(そう、そう、私は強くなりたかったんです。腐れ親父よりも強く……では、何故?)

 

 わからない。

 そう、わからないのだ。黒兎は唖然とする。

 

 自身の存在を定義できない。今の自分に対して疑問しか抱けない。

 

 黒兎は深い絶望を覚える。

 しかし 、同時にある情景が思い浮かんだ。

 それは、かけがえのない記憶。

 

『幸せになる権利は誰にだってある。大丈夫だ、世界はお前を拒んだりしない』

『黒兎、俺はお前の本当の父親じゃない。……だが、お前を育ててやる事はできる』

『それが魔闘技法だ。……お前の身を守る術だ。決して悪用するんじゃないぞ』

『困った時は何時でも来い。お前は俺の弟子であり……娘の様な存在だ』

 

 

「…………っっ」

 

 

 黒兎はポロポロと涙を零し始めた。

 金髪の偉丈夫の穏和な笑み。そして頭を撫でられた時の確かな温もり。

 

 彼のおかげで生きていこうと思えた。このクソッタレな世界に、希望を見出せた。

 

「…………私は馬鹿ですッ。今更になって、思い出したッ」

 

 誰でも無い、ネメアのために強くなろうと思ったのだ。あの笑みをずっと傍で見ていたいから。

 

 

 黒兎は自分自身の情けなさに、静かに涙を流した。

 

 

 ◆◆

 

 

 日は昇り、翌日。

 氷雨は大和を膝枕していた。咥え煙草を噴かしながら穏やかな笑みを浮かべている。

 

「油断し過ぎ」

 

 その言葉に、大和は柔らかく微笑み返した。

 

「お前のそんな優しい表情も、滅多に見れねぇな」

「……フン、お互い様ね」

 

 氷雨は煙草を灰皿で潰すと、リラックスしている大和に囁きかける。

 

「まるで飼い猫みたい……いいえ、普段の獰猛さから言ったら虎かしら?」

「懐く相手は考えてる。お前は特別だ」

「フフフ」

 

 氷雨に頬を撫でられ、大和はゴロゴロと喉を鳴らす。

 まさしく大型の猫科動物。骨格もソレに近いので、余計にそう見えてしまう。

 

 誰にも媚びず、屈しない孤高の益荒男。

 普段絶対に見せないその緩みきった表情を見て、氷雨は蕩けた笑みを零した。

 

「私の膝枕はアンタだけのものよ。存分に甘えなさい」

「そうさせて貰う」

 

 氷雨は普段絶対に見せない優しい顔で彼を慈しみ続けた。

 自覚無きその傷心を癒やす様に──

 

(大丈夫よ大和……例え世界の全てがアンタに敵対しても、私だけは味方だから)

 

 幼馴染みとして、好敵手として、愛する異性として。氷雨は大和の事を心底愛していた。

 無二の親愛を受け、大和は心地良さそうに三白眼を細めている。

 

 甘い時間が過ぎていく。二人だけの、甘い時間が──

 

 しかし、唐突にインターホンが鳴り響く。

 大和は眉根を顰めた。

 

「誰だ、こんな朝っぱらから」

「無視したら?」

「いいや、この気配……」

「……ああ、成程。面倒事ね」

 

 氷雨の表情が険しくなる。玄関扉の奥に佇む存在がそれほどまでに強大だったのだ。

 大和は玄関まで向かい、扉を開ける。

 

「何の用だ? 副首領殿」

 

 眼前で煌びやかな金髪が靡く。絶世の美女と見紛うばかりの長身痩躯の美男が佇んでいた。

 彼はその場で優雅に一礼する。

 

「御機嫌よう。朝早くからの訪問、申し訳ない。お二方にこなして頂きたい依頼があるのです。……大和様、氷雨様」

 

 魔界都市で最も畏れられる勢力、邪神群。その副首領。

 

「門にして鍵」「全にして一、一にして全なる者」「原初の言葉の外的表れ」「外なる知性」「混沌の媒介」

 

 時空間そのものである外なる神──ヨグ・ソトース。

 彼の突然の来訪に、大和も氷雨も表情を険しくした。

 



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二話「殺戮者と調停者」

 

 卓袱台を挟んで、三名の超越者が相対していた。

 副首領ヨグ・ソトースは出された氷水を静かに口に含み、そして妖艶に微笑む。

 

「逢い引きの邪魔をするのも忍びなかったのですが──緊急の案件でして。許していただきたい」

「心配すんな。下らねぇ用件だったらぶっ飛ばすだけだ」

「右に同じく」

 

 笑いながら、それでも不機嫌そうに煙草を吸っている二名。ヨグは苦笑すると、早速依頼内容を話しはじめた。

 

「先日、ティンダロスの王達から宣戦布告を受けましてね。「こちら側」の世界を滅ぼす」と」

「そりゃまた……」

「物騒な話題ね」

「世界滅亡の危機ですよ」

 

 ヨグは笑みを崩さないものの、目が笑っていなかった。

 

 ティンダロスの猟犬──以前、大和が馬鹿なお嬢様を護るために蹂躙した邪神の一種である。

 彼等の正確な呼称は「悪性隔離魔境ティンダロスに生息する怪物」。

 数億年前、最後の終末論「デモンベイン」が起こる前に勃発した「時空間改変事変」。その主犯格である彼等は大和と氷雨を含めた当時の英傑達に時間が存在しない始原の不浄、異常なる角度に封印された。

 

 以降、彼等は「こちら側の世界」への干渉を制限されている。具体的に言えば、こちら側に顕現する際に相応のペナルティを背負う羽目になるのだ。猟犬の中でも最上位種である「王」が以前大和に呆気なくあしらわれた理由がコレである。

 

 今回の案件、普段通りであればたとえ王であろうともA級の殺し屋あたりに任せておけば問題無い。

 しかし、こちら側の時空間を管理しているヨグがわざわざ大和と氷雨の元へ訪れたのだ。相応の事態なのだろう。

 

 ヨグは続ける。

 

「こちら側とあちら側の境界線──即ち封印が解除されました。王複数体と猟犬の大群がこちら側へ向かってきています。今は別次元空間「決戦場」にて足止めしておりますが、何時までもつかわかりません。お二方には至急、これらを排除して頂きたいのです」

「大方わかった。すぐに向かうが、一つだけ聞かせろ。何故封印が解けた?」

 

 大和の疑問に氷雨も頷く。

 こちら側とあちら側を隔てる封印術式は容易に解けるものではない。それこそ、災厄の魔女エリザベスでも無ければ不可能だ。他に候補がいるとすれば──

 

「……いや、いい。何となくわかった」

 

 大和は頭を押さえ呻く。

 

「雅貴と七魔将だな」

「ご明察です」

「雅貴単体でも厄介なのに、北欧の古式魔導に精通してるフェンリルと魔導の始祖の一角である師匠がいるんだ。あの封印を解除するなんざ造作もねぇ」

 

 大和は「あー嫌だ嫌だ」と言いながら立ち上がる。そして首をゴキゴキ鳴らした。

 

「うっし、久々の大仕事だ。ヨグ、報酬はたっぷり貰うぜ」

「勿論です」

 

 頷く彼に、同じく立ち上がった氷雨が問う。

 

「猟犬達を押し留めている決戦場って空間、どれだけ頑丈なの? 私と大和が本気で戦っても大丈夫?」

「ええ、私を含めた複数名の外なる神が対応します。強度は問題ないでしょう」

「ならいいわ。私単体なら兎も角、大和と一緒だったら余波で世界を滅ぼしちゃうかもしれないから。そしたら本末転倒でしょ?」

「仰る通りです。こちらも全身全霊を尽くします」

 

 深々と頭を下げたヨグ。改めて二名を見上げる。

 シガーキスで煙草の火を付け合った二人は、凶悪な笑みを向けてきた。

 

「さぁ、ヨグ。さっさと連れて行け。もう待ちきれねぇ」

「疼いて仕方無いわ。早く戦いたい……血湧き肉躍る闘争が私の生き甲斐なのよ」

 

 その歪んだ笑顔は、まさしく魔人の面目躍如であった。

 ヨグは苦笑しながら頷くと、二名を最終防衛ライン──決戦場へと転移させた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ティンダロスの猟犬一軍は現在、ヨグ・ソトースお手製の特別空間「決戦場」に閉じ込められていた。あちら側への侵攻を邪魔されている。

 最後尾で佇んでいる巨躯の魔犬達──王らはアイコンタクトで意思疎通を始めた。

 

 自分達が力を合わせれば、この空間を破壊できる。あちら側の通路を切り開ける、と。

 

 一般的な猟犬であろうとも、誓約が無ければ中級神仏──多次元宇宙を軽く消し飛ばせる戦闘力を誇るのだ。その王達となれば言わずもがな。超多次元宇宙、その上位空間である三千世界も容易く破壊できる。

 

 この決戦場は三千世界を数百個用いた空間だ。故に王達が力を合わせれば──

 

 しかし、異変は唐突に起こる。宇宙空間に似た上空に亀裂が奔り、合間から何かが落下してきたのだ。

 

 王らは唸り声を上げる。警戒心と、それ以上の敵愾心を剥き出しにした。配下の猟犬達もである。

 何せ、「彼等」は自分達を異常なる角度へと追いやった忌まわしき人間達だから。

 

 派手に着地した二名は、莫大過ぎる闘気とオーラを解放する。その有無を言わさぬ圧力に大多数の猟犬達が竦んだ。

 

 無理もない。二名は殺戮者と調停者──―超越者でも更に別格の存在である。

 

 二人の強大過ぎる力は瞬く間に決戦場に亀裂を奔らせた。が、ヨグを含めた外なる神達が外部から空間を補強する。

 

 さぁ、舞台は整った────

 

「ショータイムの始まりだ」

「楽しませて頂戴。その命を以てして」

 

 大和と氷雨は背中を合わせると、それぞれの得物を手中に収める。

 蹂躙劇の幕開けだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 氷雨の得物は柄も鍔も無い白銀色の長刀だった。茎は晒のような細長い白布で覆われている。

 

 無銘・氷華──氷雨が異世界で手に入れた名も無き最上級大業物。埒外の斬れ味を誇りながら決して刃毀れせず、決して折れない至上の名刀である。

 

 大和は薄ら笑みを浮かべている彼女に問うた。

 

「どうするよ氷雨……暴れるか?」

「勿論、久々のイイ獲物だもの。全部欲しい」

「そうかい。俺は楽な方がいい、裏方に回るぜ」

「勝手になさい」

 

 得物を納め、存在感ごと姿を消す大和。氷雨はやれやれと肩を竦めた。

 

「ったく、アイツは……」

 

 懐まで入ってきた猟犬達を一瞬で斬り伏せ、氷雨は片手に絶大な魔力を溜め込んだ。

 刹那に術式を構築、本来であれば魔導師でも詠唱を要求される最上級魔導を発現する。

 

 圧倒的純度で練られた魔力を熱エネルギーに変換、前方に照射する無限熱量の破壊光線──

 

万象焼き尽くす光の奔流(サテライト・レイ)

 

 放たれた極太ビームは数百億から成る軍勢を両断した。光速の数万倍の速度……時間という概念すら超越して行動できる猟犬達が、避ける暇すら無く呑み込まれていく。

 

 流石に王達は避けたが、それでも牽制の一撃には十分過ぎた。

 

 氷雨は再度術式を構築。今度は炎熱系最上位魔導「終焉の業火(レーヴァテイン)」を展開し、無銘・氷華に術式付与(エンチャント)する。

 

 神魔必滅の炎剣を振り上げた彼女を、無限速に至った王達が噛み千切ろうとした。本来であれば超越者でも知覚できない最上位の速度域にいる彼等を、しかし氷雨はきっちりと認識している。

 だが対応しない。敢えて無視する。氷雨の肉体に牙が触れる寸前、王らの頭蓋が弓矢によってぶち抜かれた。

 

 大和の放った強弓である。最上位の不老不死の権能を誇る王らが消滅しかけるほどの闘気が練り込まれていた。

 

 ソレらが間を置かずに飛来してくるので、王等は堪らず逃亡する。

 

 王達は追撃を加える事もできず、逃げるだけで精一杯だった。

 しかし、逃げつつも全知全能の権能を用いて空間全域を捜索している。

 だが、大和の存在を認識できない。

 

 唯我独尊流、明鏡止水。

 

 隠行の極地。森羅万象、世界そのものと一体化する事で自身の存在を限りなく薄める武術の深奥、その一端。

 その効果は視覚的なものに留まらず体臭・体重・体温・触感など大和の存在に関する全てに及ぶ。

 この状態の大和は「見えない」のではなく「認識できない」。

 

 つまり王等は大和を認識できないのだ。全知全能の権能で辛うじてその存在を記憶に留めておく事はできるが、油断すれば忘れてしまう。

 

 不意打ち気味に放たれる弓矢に神経を極限まですり減らされる。

 

 大和に注意が向かえばもう一名の規格外──氷雨への警戒が薄まる。

 

 氷雨は数百億からなる軍勢に突撃し、神魔必滅の炎剣を振り回していた。生まれた余波だけで百万単位の猟犬が溶解していく。何とか近付こうにも、氷雨の理外の闘法に付いていけない。

 

 その戦い方は自然体でありながら優美、それでいて野性的。まるで舞でも踊っているかの様に炎剣を振り回している。

 

 武術では無いが、極めて戦術的な闘法。

 

 大和の武術が「殺戮、破壊のために徹底的に合理化された術理」であるのに対し、氷雨の闘法は「化外が磨く筈も無い技を磨いたが故の術理」だった。

 

 王達の意識が氷雨に向いた瞬間、待ってましたとばかりに彼女は両手で別々の術式を編み込む。

 最上位の冷凍系魔導「凍てつく世界(コキュートス)」と、同威力を誇る仙術「摩訶鉢特摩(まはかどま)」。

 

 それらを足元に押し当て、決戦場全域を「凍結」させた。同時にオリジナルの状態異常魔導を発動する。

 

 過負荷(アブノーマル)

 

 冷凍系魔導の補助技。全ての事象概念にマイナスの効果を付与する。 発動条件は気温が氷点下を下回っている事。 範囲は氷点下を下回っている空間全域。

 

 この補助魔導の凶悪性を、猟犬達はその身をもって味わう事になる。まるであちら側の「誓約」を受けたかの如く、力の大半を封じられてしまったのだ。

 

 過不可が行き渡った事を確認した氷雨は更に陰陽道の基本術技、不動金縛りで猟犬全員を拘束する。本来であれば容易に解ける拘束を、しかし弱体化した今では解けない。

 

 氷雨は嗤って天高くに跳躍した。

 

「大和!! 一掃よ!!」

「おうさ」

 

 大和は既に待機していた。薙刀を携え、力を蓄えている。この世で最も強靱な筋肉繊維を一本一本限界まで引き絞り、全ての関節を駆動域限界まで捻り込む。

 それらを一瞬で終わらせると、唯我独尊流の陽の型、天中殺と同質量の闘気を刀身に圧縮した。

 

 強制終焉、幕引きの一撃の亜種──眼前数多を問答無用で「消滅」させる超広範囲攻撃。

 

「天中殺」二式──「天地薙ぎ」

 

 放たれた一撃は遍く総ての猟犬達を消し飛ばした。余波だけで決戦場が崩壊しかけるが、外部にいるヨグ達が即時修正する。

 

 残ったのは瀕死の王数匹のみ。上空から降りてきた氷雨は周囲を見渡し、やれやれと肩を竦める。

 

「殆ど消滅しちゃったわね。情けない」

「まだ残ってるぜ。手早く決めるぞ」

「ええ」

 

 氷雨は無銘・氷華に魔導で「絶対切断」の概念を込め、大和は薙刀を虚空に放り投げる。

 そうして超速再生中の王等に狙いを定め、それぞれ必殺の一撃を見舞った。

 

「神剣・経津主神(ふつぬしかみ)

魔剣投擲(ゲイ・ボルグ)

 

 片や、刀剣の神の名を冠する切断の絶対概念。片や、自身の誇る最強の遠距離攻撃、魔導武術混同の因果逆転、必殺必滅の魔槍。

 

 その威力たるや、王等を消し飛ばすだけに留まらず決戦場を突き抜け、世界そのもの──三千世界を無限数内包した森羅万象そのもの、三千大山世界にまで及んでしまうほどだ。

 

 それでもヨグ達、外なる神のおかげで被害は最小限に収まった。氷雨と大和は同時に拳を掲げ、コツンと合わせる。

 

「流石ね、私のライバル」

「流石だ、俺の幼馴染み」

 

 互いにニヤリと笑うと、肩を叩き合って笑い合う。その横顔は実に無邪気だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 仮宿に戻った氷雨は大和の懐にすっぽりと収まっていた。曰く「特等席」らしい。

 大和は苦笑しつつもそのままにしていた。

 氷雨は上機嫌そうに呟く。

 

「あーあ、今回は異能を使う必要も無かったわね……やっぱアンタがいると歯応えなくなるわ」

「何だ? 不満か?」

「ええ、だからたっぷり私を甘やかしなさい」

「へいへい」

 

 大和は氷雨の頭を撫で回す。

 氷雨は気持ちよさそうに目を細めていた。

 

 すると、あちら側の封印を終えたヨグ・ソトースが現れる。彼は丁寧に正座すると、その場で深くお辞儀した。

 

「ありがとうございます。おかげで助かりました。報酬は大和様の口座に直接振り込ませていただきます。氷雨様は──」

「私はいらないわ。お金が欲しくてやったワケじゃないし」

「そうですか」

 

 ヨグは頷くと、改めて二名に向き直る。そして提案した。

 

「お二方……よろしければ邪神群に所属しませんか? お二人方の戦力は何よりも得がたい。何不自由無い生活を約束いたしますよ。どうでしょう?」

「「…………」」

 

 ヨグの勧誘に二名は目を丸める。その後笑った。

 

「勘弁してくれやヨグ、返答なんざわかりきってるだろ?」

「私達は誰にも従わない。……無駄よ」

「そうですか、残念です。本当に……」

 

 ヨグは心底といった様子で囁いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 早朝。黒兎は自室のベッドの上で目を覚ました。重たい瞼をゆっくり開ける。

 夢を見た。憎悪している両親の背中を見上げる夢を──

 

 蒼穹の空の下、佇む二名。

 真紅のマントを靡かせる大きすぎる背中と、赤みがかった長髪を揺らすドレス姿の背中。

 

 世界最強の武術家と世界最強の魔導師。

 超越者でありながら人類最終試練だった、アダムとイブ。

 

 黒兎は二名の事を憎悪していた。

 だが、やはりその背中は大きかった。

 積み上げてきた歴史が違う。彼等は真の意味で「英雄」だった。

 

 二名の背中には追い付けない。しかし、もう追い付く必要も無い。故に背を向ける。

 

 反対側には金髪の偉丈夫が佇んでいた。

 彼は、両親とは別の道を歩んでいた。

 

 世界に絶望し、それでも歩み続ける等身大の人間の道──

 

 黒兎は一度振り返るが、すぐに向き直り、金髪の偉丈夫の元へと向かった。

 自分が往くべき道はあちら側ではない。こちら側だと──

 

 

 誰でもない、黒兎自身がそう決めたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 大衆酒場ゲートにて。常連客達は世にも珍しい光景に目を丸めていた。あの大和が、一人の女性を甘やかしているのだ。

 大和は基本、女性に甘くない。抱く事はあっても、甘やかす事は稀。

 

 しかし今はどうだ、まるで父親の様な笑みを浮かべている。

 氷雨は大和からチョコレートケーキを貰い、その美顔を緩めていた。

 

「美味しい美味しい♪ やっぱネメアは料理上手いわねぇ」

「どーも。しかし久々だな、氷雨。今まで何処に行っていた?」

「異世界に強者を捜しにね。でも全然駄目だったわ。まだコッチの中堅クラスの方がマシよ」

「こっちの世界観と比べてやるな」

 

 ネメアは肩を竦めつつも楽しそうにしている。

 大和とネメア──魔界都市を代表する二名の超越者と対等に語り合える彼女の真相はすぐ広まる。

 

 客人達は愕然とした。彼女があの調停者──世界を物理的に整える使命を帯びた世界最強の異能力者。

 

 超越者でも、大和達と同年代の者達はレベルが違う。

 四大終末論を始めとした数多の世界滅亡の危機を乗り越えてきた百戦錬磨の強者達──その戦闘力は特異点の中でも最上位に位置し、単身で複数の神話を滅ぼす事も可能だという。

 

 その超越者でも規格外とされる三名が楽しそうに談笑しているのだ。貴重な光景である。

 

 氷雨は周囲から向けられる好奇と畏怖の視線を敢えて無視していた。

 ふと、大和がナプキンを取る。氷雨は察し笑顔で顔を突き出した。大和は彼女の口角に付いていたクリームを拭きとる。

 

「お嬢様め」

「私は平民出よ。アンタは王子様でしょ? 元だけど」

「ハン」

 

 鼻で笑いながらも、怒りはしない。

 本来、その話題はタブーの筈なのだが──二名の間には他とは違う絆があるのだろう。

 

 満足した氷雨は懐からピースを取り出し、一服し始める。そして唐突に苦笑した。

 

「大和、アンタ本当にモテるわねぇ……私があんま独占すると暴れ出しそうな女が何人かいるわ」

「………………」

 

 大和は振り返る。背後のテーブル席に銀髪の童顔美女と毒蛾を連想させる美女が居た。ナイアとアラクネである。

 

 二名とも満面の笑みを浮かべていた。その額には青筋が立っているが……。

 大和は肩を竦めて立ち上がる。

 

「氷雨、また今度な。何時でも遊びに来い」

「ええ、また今度ね」

 

 互いに軽く手を振る。

 大和の両腕が早速ナイアとアラクネにロックされた。大和は苦笑しながらも甘い声音で囁く。

 

「そう嫉妬すんなよ、今日はたっぷり可愛がってやるから」

「ほんと? 約束だよ大和?」

「期待していいのね?」

「ああ、だからそんな慌てんな」

 

 二つの凶悪な華を両手に携え、大和は大衆酒場を後にした。

 ウェスタンドアの奥に消えて行った彼の背を、氷雨は胡乱な瞳で見つめている。

 ネメアが聞いた。

 

「いいのか?」

「いいのよ、私は基本一人が好きだし。たまに愛し合うくらいが丁度良いのよ」

 

 それに──私は大和にとって唯一無二の存在だからね。

 そう言って舌を出す氷雨に、ネメアはやれやれと肩を竦めた。

 

「ネメア。アンタも人の事は言えないわよ」

「どういう事だ?」

「あれ」

 

 氷雨はウェスタンドアの方を指す。そこには黒のパーカーを着た眼鏡美少女──黒兎が立っていた。彼女は緊迫した面持ちでネメアの元へやって来た。

 

 

 ◆◆

 

 

 黒兎はカウンターの前で立ち止まると、ネメアと視線を合わせた。その灰色の双眸が潤んでいるので、ネメアは眉根を顰める。

 

「どうした黒兎、何かあったか?」

 

 素早く出てきて、黒兎の頭をパーカー越しに撫でる。

 その自然体な優しさに黒兎は更に瞳を潤めると、改めて自分の「信念」を理解した。

 

 彼女は頬をほんのり朱に染めて、ネメアに告げる。

 

「ネメアさん……私は貴方の事が好きです。義理の父親としてでは無く、一人の異性として──お慕いしています」

 

 酒場が静寂に包まれた。皆、驚愕のあまり硬直しているのだ。

 あの黒兎が、世界最強の妨害屋が、大和の実娘が、ネメアに告白した。

 ネメアも目を丸めている。

 

 黒兎は真っ赤な顔で続けた。

 

「でも、私はまだ子供です。それ以前に、貴方に相応しい女性ではない。だから……貴方に相応しい女性になりたい。貴方の傍にいられる様な女性になりたい」

 

 黒兎は誠心誠意、頭を下げる。

 

「お願いしますネメアさん──私をこのお店で働かせてください。精一杯働きます」

「……」

 

 ネメアは暫くすると、膝を付き黒兎の頬を撫でる。

 顔を上げた黒兎は彼の浮かべる穏やかな笑みに思わず見惚れてしまった。

 

「……すまない。お前の愛にはまだ応えられない。だが──もしもお前が大人になっても俺を想い続けてくれるのなら、その時はもう一度聞かせてくれ。俺も、誠心誠意返事をする」

「はい……」

「雇用の件だが、何時かそう言ってくれると信じて、枠を一つ取っておいたんだ。……歓迎する。これからもよろしくな、黒兎」

「……はい、ネメアさんッ」

 

 ポロポロと涙を流し、黒兎はネメアに抱き付いた。怖かったのだ。断られたらどうしよう──と。

 恐怖から解放された少女は年相応の反応を見せた。

 ネメアは彼女の背を優しく擦っている。

 

 その一部始終をカウンター席で見ていた氷雨は、紫煙を噴かしながら微笑んだ。

 

「大和──アンタの娘は、私達と違う道を歩むみたいよ。楽しみね」

 

 遊ぶ様にくゆらせた紫煙は、店内に甘いバニラの香りを充満させた。

 ソレは氷雨の愛飲する銘柄、ピースの香りだった。

 

 

《完》

 



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幽香の疑問解消
魔界都市の天使達


 

 

 ある日、大衆酒場ゲートで大和と右之助が酒盛りをしていた。寄ってくる女達を適当にあしらいながら二人で寛いでいる。時折ネメアも会話に混じり、男同士ゆるい時間を楽しんでいた。

 

 そんな時である。大和の頭に幽香を筆頭とした子供幽霊達が引っ付いたのは。

 

「よぉ大和! 久々! この前は死体沢山ありがとうなー! おかげで儲かったぜ!」

「兄貴のおかげー!! さすがー!!」

「大和さん……♪」

「大和兄ちゃん! 遊んで遊んで!」

 

 一気に賑やかになった。しかし大和は嫌そうな顔をしている。

 

「テメェ等、邪魔だ。あっち行け」

「嫌だ!! 大和!! なんか奢ってくれよ!! 俺達パフェ食べたい!!」

「パフェ!! パフェ!!」

「あぅぅ、お願いしますぅ……っ」

「兄ちゃんも一緒に食おうぜー!!」

 

「ア~っ」

 

 頭を抱える大和。隣では右之助が必死に笑いを堪えていた。ネメアも苦笑している。

 大和は溜息を吐きながら言った。

 

「テメェ等、横の席に並べ。おいネメア、パフェ。餓鬼の人数分だ」

「はいよ」

 

 大和の言葉に幽香達は目をキラキラと輝かせた。

 

「わーい!! 大和大好きだぜー!! ほっぺにちゅー♪」

「兄貴さいこー!!」

「わ、私もちゅうします!」

「兄ちゃんやさしー!!」

 

「オラ、いいから横に並んで座れ」

 

 子供幽霊達は行儀良く並んで座る。

 右之助が堪えきれず噴き出した。

 

「エラい人気だな大和お兄ちゃん……ッッ」

「殺されてぇのか右之助?」

「冗談冗談! そう怒んなって!」

 

 バシバシと肩を叩かれ、大和は舌打ちした。

 ネメアは微笑を浮かべながら厨房へと向かう。

 暫くすると人数分のパフェがカウンターに並んだ。子供幽霊達は心底嬉しそうにしながらも、きっちり両手を合わせる。

 

「「「「「「いただきます!!!!」」」」」」

 

 生クリームたっぷりのスイーツを頬張り、満面の笑みを浮かべている子供幽霊達。

 

 大和はその様子を眺めながら、ほんの少し口角を緩めていた。

 

 そんな彼に対し、口の端に生クリームを付けた幽香が問う。

 

「なぁなぁ、大和! 俺気になってる事があったんだよ!」

「何だよ、てか少しジッとしてろ。口の端に生クリーム付いてる」

 

 テッシュで拭ってやると、幽香は嬉しそうに目を細めた。そして問いを重ねる。

 

「あのな! あのな! 俺ずっと気になってる事があったんだよ!!」

「何だよ」

「大和ってさ! スゲェ金持ちじゃん! 俺達にも平気で奢ってくれるし! 高い服とか装飾品とかポンポン買うし!」

「そりゃ、まぁ……稼いでるからな」

「いやいや! 俺、思うんだよ! 大和、他にも仕事してるだろ!? いくら世界最強の殺し屋っていっても、限度があると思うんだ!! なぁなぁどうやってそんな大金を稼いでるんだよ!? 教えてくれよ~!!」

 

 幽香だけではなく、他の子供達も懇願する様な眼差しを大和に向ける。

 

「…………」

 

 大和は苦い顔をしていた。大和だけではない。右之助もネメアもである。

 

 理由は単純。大和の所持金、その三割は女性から貢いでもらったものだからだ。

 彼は異常にモテる。そして、あらゆる女性を魅了する床上手でもある。

 

 大富豪の夫人やお嬢様。同業者のエルフやダークエルフ、妖怪の娼婦。更には魔王の娘、異邦の女神。果てには邪神まで──

 皆、彼に莫大な金銀財宝を貢いでその心身を求めるのだ。

 

 そんな事、魔界都市では周知の事実の筈。しかし幽香達にはわからない。

 彼女達は大和を異性として見ていないのだ。精神年齢が幼すぎる。

 

 大和は返答に困っていた。

 ネメアも唸っている。酒場の客人達を見渡すと、死織を含めた闇バス・闇タクシーの運転手。エルフやダークエルフ、獣人や蟲人、妖怪の女達が揃って顔を背けた。

 皆、心当たりがあるのだ。

 

 と、ここで右之助が人差し指を立てる。

 

「あのなぁテメェ等、大和はカジノで儲けてるんだよ。コイツはギャンブルもメッチャ強い。そりゃもう、毎回ボロ勝ちしてお小遣いを稼いでるんだ。だから、お前らが思ってる以上にコイツは金持ちなんだよ」

 

 右之助の回答に、幽香達は納得した様に頷いた。

 

「おおおー!! 成程なー!! そういう事か!! わかった!! 謎が解けた!! ありがとうな右之助!!」

「「「「「「ありがとー!!!!」」」」」」

 

 お礼を言った後、幽香はほにゃりと笑う。

 

「その、もしも大和が無理して奢ってくれてるなら俺達も今度から奢ろうと思ってな……な! お前ら!」

「あい! 兄貴には何時もお世話になってるから!」

「そんな理由が無くても、その、奢りたいです!」

「いっぱいお金貯めて、何時か恩返ししたい!」

 

「そんなワケで大和! お金に困ったら何時でも言えよ! 俺達、ちゃんと貯金してるから!」

 

「…………」

 

 大和は目を丸めた。

 そして笑みをこぼす。極めて稀な優しい笑みを……

 

「ったく、餓鬼共が。俺に気ぃ使うなんざ百万年早いぜ」

 

 しかし、その声には喜色が滲んでいた。

 

「テメェ等、腹空いた時は遠慮なく言えよ。パフェくらいなら何時でも奢ってやる」

「マジでか!? 大和男前!! 格好良すぎるぜ!!」

「「「「「「兄貴ーっっ!!!!」」」」」」

 

 嬉々として抱き付いてくる子供幽霊達を、大和は呆れ混じりに受け止めていた。

 

 そんな彼等の様子を右之助は穏やかな笑みで眺めている。ふと、ネメアに肩を叩かれた。

 

「久々に良い酒を準備してやる」

「マジでか」

「俺と大和からの奢りだ」

 

 大和に振り返ると、ウィンクされた。右之助は嬉しそうに笑う。

 

「いいねぇ……今夜は気持ちよく寝れそうだ」

 

 そう言って、右之助は余っていた酒を飲み干した。

 

 

《完》

 



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第二十三章「憤怒伝」
一話「戦乙女の護衛依頼」


 

 

 

 夜、大和は大衆酒場ゲートでお気に入りのブラックラムを飲みながら暇を潰していた。チョコレートを口に放り込みながら、カウンター越しにいるネメアに話しかける。

 

「今夜は依頼も無し、女と寝る約束も無し。退屈だが、たまにはこうしてお前の仏頂面を眺めながら酒を飲むのも悪くねぇ」

「うるさいぞ。黙って酒を飲め」

「へいへい」

 

 舌を出して空になったグラスにブラックラムを注ぎ足す大和。

 隣のカウンターを含め、彼の周囲には女しかいなかった。彼女達は大和が酒を飲む姿を見て満足しているのだろう、蕩けた表情で熱い溜め息を吐いている。

 

 ネメアはカウンター前が桃色空間になりつつあるのに辟易しつつ、諦めて新聞を読んでいた。

 男性客達は大和に嫉妬の念を向けるも、文句は言わない。

 

 何故なら、言ったら殺されるから。

 

 彼の暴力性はこの都市でもとりわけ有名だった。その在り方は天変地異と然程変わらない。逆鱗に触れればなにもかも終わる。

 だから皆、極力関わらないのだ。

 

 孤高──人間でありながら常軌を逸した強さと精神性のせいで、誰もその周りに群がれない。

 彼もまた、それを望んでいない。

 

 しかし、女達はその在り方に羨望と疼きを覚えるのだ。彼以上に「男」として魅力的な存在はいないから……

 

 そんな、ある意味何時も通りの大衆酒場に今宵珍妙な客が訪れた。

 

 ウェスタンドアが乾いた音とともに開かれる。現れたのは麗しい美少女姉妹だった。ラフな私服に身を包んでいる。

 雪国生まれなのだろうか……白くきめ細やかな肌をしていた。

 

 姉の方は濃い紫色のロングヘアに垂れ気味の瞳が印象的。おっとりとした雰囲気が男性客達を和ませる。

 

 対して妹は薄い紫色の髪をサイドテール、鋭い目付きが印象的だった。キツい性格をしているのがすぐにわかる。

 

 彼女達は大和を見つけると、それぞれの反応を見せた。

 姉は苦笑し、妹が露骨に嫌そうな顔をしたのだ。

 それでも用件があるのだろう、足並みを揃えて大和の元へ赴く。

 

 大和は彼女達に気付くと、灰色の三白眼を丸めた。

 そしておどけてみせる。

 

「お前ら……北欧の巫女姉妹じゃねぇか」

「お久しぶりです。大和様」

 

 姉──ノアが律儀に頭を下げた。

 大和はニヤニヤと笑い出す。

 

「何だ、俺にわざわざ抱かれに来たのか? いいぜ、今夜は暇だからよぉ」

「そんなわけないでしょ! この変態! 色情魔!」

 

 妹──エルザが敵意を剥き出した。

 ノア&エルザ姉妹──彼女達は以前の北欧大戦で知り合った顔見知りであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 周囲の女達が姉妹達に怪訝な眼差しを向ける。が、大和が手を振ると名残惜しそうに席を空けた。

 

 姉妹達は警戒しつつも、大和の隣席に腰掛ける。

 姉のノアと大和の間に、妹のエルザが強引に座った。牽制の意味合いを含めているのだろう、現に大和に噛みつかんばかりの敵意を向けている。

 

 大和はケラリと笑った。

 

「まるで余所から借りてきた猫みてぇだな、クックック」

「ちょ!? 馴れ馴れしく頭撫でないでよ!! ぶっ飛ばすわよ!!」

「ハッハッハ!」

 

 エルザを軽くからかった後、大和は机に頬杖を突く。そして妖艶に笑ってみせた。

 

「で──何の用だ?」

「「……」」

「そもそも、お前らはあの神殿の守護騎士兼巫女だろう? なんでこんな場所に居るんだよ」

「「……」」

 

 返答はなかった。彼女達は顔を真っ赤に染めていた。

 大和は自身の色気を制御し忘れていた事に気付き、苦笑する。

 

「わりぃな、この都市じゃ何時もこんな感じなんだ」

「~ッ、ばばばば、ばっかじゃないの!!? 別にアンタの事「カッコイイな」とか、そんな事全然思ってないから!! 勘違いしないでよね!!」

「エルザちゃん。本音が……」

 

 姉がフォローするも、既に遅い。

 大和は「面白い姉妹だ」と笑みを深めた。

 

 

 ◆◆

 

 

「あの神殿は神々の統治下に入ったのよ。封印も更に強化されたわ。私達は実質クビって事」

「何それウケる」

「シャーッ!!!!」

 

 飛びかかってきたエルザを大和は抱きかかえる。暴れる彼女を抑えながら、姉のノアに聞いた。

 

「で? 続きは? クビにされてそのままってのは考え難い。オーディンのクソ爺はどんな使命をお前達に言い渡した」

「話が早くて助かります。私達は現在、神話体系を繋ぐ外交官として各地を転々としています」

「成程……まぁ、雅貴の一件から神話勢力が連合を組むって話は聞いてる。お前等はそれに関わってんのか?」

「はい」

 

「この筋肉ダルマ!! いいから離しなさいよ~ッッ!!」

 

 暴れるエルザを、大和は肩を竦めながらひょいと元の席に戻す。

 まるで猫の様な扱われ方に、エルザは更に敵意を深めていた。

 

 ノアは妹を宥めながら、大和に用件を伝える。

 

「大和様、オーディン様からの依頼です。私達はこれからエジプト神話の主神達、ヘリオポリス九柱神へ北欧神話との同盟を持ちかけに行きます。ドバイまで出張しますので、護衛をお願いできないでしょうか?」

「ふん! 光栄に思いなさい! 神々が報酬を約束しているのよ! 本当に、本当に不本意なんだけど、オーディン様がどうしてもって言うから────」

 

「は? 嫌だけど」

 

「「……へ?」」

 

 さも当たり前の様に拒否されて、ノアとエルザは唖然とした。

 

 

 ◆◆

 

 

「な、何で……アンタ、お金とか財宝に目がないんじゃ……」

 

 一番動揺しているのはエルザだった。

 大和は呻く様に言う。

 

「テメェ等は俺を勘違いしてる。俺は「殺し屋」だ、便利屋じゃねぇよ……」

 

 相当癪に障ったのだろう、舌打ちまでしていた。

 

「あのクソ爺……一回シメたほうがいいか? 兎も角、その依頼はキャンセルだ。他を当たりな」

「ま、待ってよ! 護衛って名目で引き受けるとか、そういうのはできないの!?」

 

 予想以上にエルザが食い下がる。

 姉のノアも懇願するような眼差しを大和に向けていた。

 しかし彼の対応は変わらない。

 

「依頼なんざ他から幾らでも貰える。持ち金にも困ってねぇ。……お前らの依頼、引き受ける価値がねぇんだよ」

「そんな……っ」

「他を当たりな。用心棒とか傭兵とか、この都市にゃあ幾らでもいる。神々の報酬だ、喜んで引き受けるだろうよ」

 

 大和はカウンターに駄賃を置いて立ち上がる。この場を去ろうとしているのだ。

 

「待って!」

 

 靡く真紅のマントを掴んだのは、エルザだった。

 先程と打って変わって、怯えた様子で大和に懇願する。

 

「お願いっ、アンタしか頼れる奴がいないの……他の奴等じゃ怖くて。だから、お願い……っ」

「…………」

 

 しかし、大和は情に流される様な男ではなかった。

 右之助なら話は別だが──

 

 大和はふと、エルザの肢体を観察する。

 男を知らない純潔の戦乙女……顔も良い。

 姉のノアにも、また違った魅力があった。

 

 大和はイヤらしく嗤うと、エルザを抱き寄せ耳元で囁く。

 

「お前等の純潔をくれるってんなら、考えてやらなくもない」

「…………!!? !!!!?」

 

 エルザは顔を真っ赤にして飛び跳ねると、大和を突き放した。

 

「こ、この変態!! エッチ魔人!! そんな事できるわけ……!!」

「ならこの話は無しだ」

「くぅぅ…………!!」

 

 悔しそうに歯噛みするエルザ。

 姉のノアが小声で事情を聞いた。

 

(どうしたのエルザちゃん?)

(……依頼、引き受けてもいいけど、私達の純潔をよこせって)

(……それは、また)

 

 ノアは苦笑する。

 大和の性質上、当然の要求とも言えた。

 彼女は冷静に考え、妥協案を願い出る。

 

「大和様、私だけでは駄目でしょうか?」

「駄目だ」

「ううっ」

 

 即答され、俯くノア。

 すると、エルザが飛び出てきて大和を指さした。

 

「チュー! チューまでよ!! 乙女のファーストキスよ!? 最上級の報酬じゃない!?」

「……」

 

 突然の発言に、大和は唖然とする。

 エルザは顔を真っ赤にして叫んだ。

 

「これ以上は駄目! 絶対に駄目よ! アンタなんかに「はじめて」はあげないんだから!!」

 

「…………クックック、ハッハッハ! ハーッハッハッハッハ!!」

 

 大和は堪えきれずに大爆笑を始めた。目尻に溜まった涙を拭いながら言う。

 

「いいぜ、それで良い。お前等の反応が面白かったから、今回はソレで許してやるよ」

 

 その後、打って変わって艶然と笑う。

 

「まぁ、お前らがキスだけで満足すればの話だけどな」

 

 魔性の色香に当てられ、姉妹は顔を真っ赤にする。

 それでもエルザは吠えてみせた。

 

「当たり前じゃない!! 男前だからって調子乗ってんじゃないわよ!! チューだけよ!! それ以上は絶対駄目なんだからね!!」

「ハッハッハ! マジで面白ぇ!」

 

 こうして、奇妙な契約が成立した。

 三名の会話をカウンター越しに聞いていたネメアはやれやれと肩を竦めながらも、余計な事は言わなかった。

 

 和気藹々と決まったこの契約、しかし最後にあんな結末を辿る事になろうとは……誰も予想していなかった。

 

 

 彼女達は、大和という男を勘違いしていたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 翌日、大和とエルザ、ノアは「砂漠のオアシス」と呼ばれるアラブ首長国連邦、通称ドバイまで足を運んでいた。世界第四位の観光地帯である此処には隠された秘密がある。

 

 エジプトの神々「ヘリオポリス九柱神」が商業拠点にしているのだ。

 

 ヘリオポリス九柱神筆頭、創造神アトゥムは度の過ぎた博愛主義者で有名である。

 彼は一大企業を築き上げると服飾デザインやリゾート産業に注力、瞬く間にドバイを世界四位の観光地にまで押し上げた。

 

 ドバイは彼の箱庭であり、神魔霊獣の楽園である。

 

 大型リムジンに揺られながら、大和は外の景色を眺めていた。

 真冬でも20℃を超える土地柄故、外を出歩いている者達はラフな格好をしている。

 人間以外にも獣人族、妖精族、魔族、亜人族、妖怪、アンドロイドなど……。

 表世界の都合に合わせて容姿を変換しているが、大和はどこか懐かしさを感じて口の端を緩めていた。

 しかしすぐに仏頂面に変わる。

 

(オーディンの野郎……敢えてこの姉妹を俺のところへ宛がいやがったな)

 

 オーディンは老獪な戦略家として有名だ。大和は気まぐれで今回の依頼を引き受けたものの、憤りを抑えられないでいる。

 

(俺の事を上手く利用してるつもりか? ……食えねぇジジィだぜ。霜の巨人の一件で失脚すればよかったのによぉ)

 

 ため息を吐きつつ、今後の展開を大まかに予想する。

 

(ヘリオポリスの方から要望でもあったのか? それとも、互いに牽制の意味合いを含めてか? ……ア~、考えんの面倒くせぇ。だからこの手の依頼は嫌なんだよ)

 

 辟易していると、腕に何かがもたれかかった。妹のエルザだった。先程までウトウトしていたので、眠気が勝ったのだろう。

 反対側に座っていた姉のノアが申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「ごめんなさい、大和様。この子ずっと気を張ってて……」

「気にすんな」

 

 そのままにしておくと、ノアは柔かな笑みをこぼした。

 

「何だかんだ言いつつ、この子大和様の事を気に入っているんです。昨日も「アイツを絶対護衛に付けてやる!」って張り切っていました」

「意外だな、嫌われてると思ったが」

「私もビックリです」

「ククク」

 

 苦笑する大和。

 その腕にもたれかかるエルザの寝顔は、非常に穏やかであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 ドバイの象徴、表世界一の高層ビル「ブルジュ・ハリファ」の前にて。

 大型リムジンから降りた大和は純白のスーツ姿だった。黒シャツの襟を整え、エントランスへと向かう。

 その両脇に色鮮やかなドレスを着たエルザとノアが並んだ。

 

 ヘリオポリス九柱神の筆頭、アトゥムが居るのは最上階のパーティー会場。彼はそこで日夜、外交の意味合いを含めた宴を催している。大和達はそれに招待されたのだ。

 

 最上階へと続くエレベーターに乗っている最中、大和は両隣の姉妹達に告げる。

 

「ドレス似合ってるじゃねぇか。可愛いぜ」

「な!!? と、と、当然でしょ! 似合うの着たんだから!!」

「フフフ」

 

 エルザが顔を真っ赤にするので、姉のノアはおかしそうに微笑む。

 大和も笑った。

 

「そうキーキーすんな、良い女が台無しだぜ」

「!!? 良い女って……!! ば、ばか……っ」

 

 途端にしおらしくなり、両指を絡ませるエルザ。

 大和は肩を竦めると、彼女達に告げた。

 

「……まぁ、相手はエジプト神話の主神格達だが、そう緊張すんな。俺の予想だと、オーディンとは既に話が付いてる」

「……え? それって」

 

 エルザが聞く前に、エレベーターが最上階に到着する。大和は姉妹を先導する様に前進した。

 

 

「パーティー会場だ。お前ら、呑まれるなよ」

 

 

 ◆◆

 

 

 此処には日夜、世界各地から神魔霊獣が集ってくる。世界経済の最先端にいるアトゥムはいわば表世界の神魔達の顔。皆蔑ろにしない。

 その類い希なるカリスマ性を頼って毎日あしげく通う者達もいるほどだ。

 

 最上階を余す所なく使った会場には多種多様な種族がおり、それぞれ挨拶や交渉に精を出している。

 

 獣人族の企業家に一国の経済界を牛耳る大銀行の社長を務めるアンドロイド。

 石油王の亜人族、妖怪の里の長。インターネット関連事業の代表取締役である蟻の蟲人など──

 

 大衆酒場ゲートの店内を彷彿させる。しかし彼等は表世界に強い権力を持ち、なおかつ多大な利益を生み出し続けている世界の貢献者達だ。

 

 大和の登場で会場が騒然となる。その存在感はあまりに大きかった。

 世間知らずなご令嬢や貴婦人達がその魔性の色香に惑わされて話しかけようとするも、使用人らが素早く止めに入る。

 

 此処にいる殆どの者達は大和の危険性を知っていた。

 何より彼等が恐れているのは、「彼と関わりを持っている事を周囲に知られる」事だ。

 

 立場的に彼を、「都合の良い暴力」を頼っている者達は多い。しかしソレを知られるワケにはいかない。

 何故なら皆、そういう立場にいるから。

 

 いいえもしない空気に満たされる会場内を、大和は素知らぬ顔で突き進む。

 わざわざ顧客を減らす様な真似はしない。

 

 ノアとエルザは怪訝に思いつつも、大和の背を追った。

 異様な空気が流れている事は察している。だがその真相がわからない。

 

 それで良かったのかもしれない。彼女達は大和の「闇の素顔」を、まだ一部しか見ていないから──

 

 大和はパーティーの主催者の元まで歩み寄る。

 パーティーの主催者、万物流転の創造神はその褐色の美顔に苦笑を浮かべていた。

 

「貴様が出ると一気にボロが出るな……まぁ、皆必死なのだ。ここは目を瞑ろう」

 

 豪奢に伸ばされた銀髪が揺れる。快活な笑顔が似合う男らしい美顔。細身ながらも鍛え抜かれた肉体。

 その金色の瞳に慈愛と叡智を讃え、スーツ姿の青年──アトゥムは王席から立ち上がった。

 

 

 ◆◆

 

 

 アトムゥの隣には絶世の美貌を誇る褐色肌の姉妹女神が佇んでいた。

 ネフィティスとイシス──死の女神と豊穣の女神である。

 

 ネフィティスは砂漠の戦神セトの妻。常闇色の長髪と憂いを帯びた双眸。肢体こそ控えめだが、漏れ出す色香は人妻特有の妖艶なもの。

 

 対してイシスは明朗快活。ロングの銀髪に生気を帯びた双眸。容姿的に二十歳くらいに見えるが、冥府の神オシリスを夫に持つれっきとした人妻である。

 

 異邦の神特有の神秘的な美貌に、大和は思わず感嘆の息を吐いた。

 

「いいねぇ、イイ女達だ」

「やめろ黒鬼。こ奴等には夫がいる、そういう目で見てやるな」

 

 アトゥムが窘める。

 ネフィティスとイシスから侮蔑の眼差しを向けられ、大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「お堅いこって」

 

 そんな彼の(すね)を蹴ったのは、エルザだった。

 頬を膨らまして拗ねている。大和の態度が気に入らなかったのだろう。

 

「あん? 拗ねてんのか? 後で可愛がってやるよ」

「ばっかじゃないの!! ばっかじゃないの!!」

 

 憤慨するエルザに、流石のノアも慌てていた。

 三者三様の様子を見届けたアトゥムは、打って変わって穏やかな笑みを浮かべる。

 

「成程、黒鬼には優秀なお目付役が付いているようだな。流石、オーディン殿」

「…………」

 

 オーディンの名前が出てきて、大和の眼に冷酷な輝きが灯った。

 怪物の「本来の」視線を浴びて女神達はたじろぐも、アトゥムは平然と受け止めてみせる。

 

「……何を考えてるかぁわからねぇが、あんま調子に乗んなよ?」

「調子に乗っているのはどちらだ? 殺戮者」

「…………フン」

 

 殺気にも似た気配を霧散させ、大和は踵を返した。

 

「ノア、エルザ。テメェ等の会話はテメェ等で済ませろ。俺は離れる。終わったら呼べ」

 

 そのまま雑踏に紛れていく。

 途端に寂しそうにするエルザに、アトムゥは気を遣った。

 

「心許ないか?」

「……あっ! いえ! そんな!」

「心配無い、あ奴は貴殿等を護れる距離にいる。だが──今から話す内容はあまり聞かれたくない。少し「流れを止めよう」」

 

「「え??」」

 

 万物流転の創造神の権能が発動する。瞬間、周囲の空間の「全ての流れ」が止まった。

 

 

 ◆◆

 

 

 アトゥムは数いる創造神の中でも特異な権能を保有している。「万象の流れを操作する」という権能だ。

 

 世界は常に流れている。それこそ流水の如く。

 経過、進化、派生、超越──停滞もあり退化もある。アトゥムはその流れを自由自在に操作できるのだ。

 

 恐ろしく万能性に富んだ権能である。コレのせいで例え高位の邪神であってもアトゥムに干渉する事はできない。

 

 離れた場所にて。大和はアトゥムの周囲の空間の流れが停滞した事に気が付いた。

 聞き耳を立てるつもりだったのだが……まぁいいかと肩を竦めて、テーブルにあったワイングラスを取る。

 

 周囲から向けられる視線がまた鬱陶しい。

 好奇、情欲、羨望、畏怖、嫌悪──好意も悪意も満遍なく混ざり合い、混沌を呈している。

 

 誰も大和に近寄らない。近寄れない。だから視線で感情を送ってくる。

 

 大和は超常的な五感を誇っている。汗の匂いや心臓の鼓動、表情筋の機微、視線の種類などで相手の心を読めてしまうのだ。

 

「……ハァ」

 

 面倒臭い、その言葉を大和はワインで飲み込んだ。

 アトゥムとは仲が悪い。険悪と言っても過言ではない。

 しかも極秘の依頼主が数多くいるこの状況──本当に面倒臭い。

 

 大和は「話が終わるまで喫煙所で煙草でも吸ってるか」とグラスを置いて歩き始めた。

 しかし褐色肌の姉妹女神に止められる。ネフィティスとイシスだ。

 彼女達は険しい表情で告げる。

 

「あまり勝手に動かないで、魔人。ここは聖域。不審な真似は許さない」

「そうよ! アトゥム様は寛大だけど、私達は違うわよ! アンタのこと信用してないんだから!」

 

 二名から嫌悪感たっぷりの視線を向けられて、大和はある「暇潰し」を思いついた。丁度良い鬱憤晴らしである。

 

「なら一杯付き合ってくれよ。個室でも貸してくれや」

「……ふざけているのか?」

「下心丸見えなのよ、バーカ」

 

 姉妹から絶対零度の眼差しを向けられ、大和は仰々しく肩を竦めた。

 

「なら煙草を吸ってくるぜ、自由にな」

「「……ッッ」」

 

 ネフィティスとイシスは苦渋に満ちた表情をしながら、大和に背を向ける。

 

「こっちだ、付いて来い」

「やっぱりアンタには監視が必要ね。絶対目を離さないから」

 

 人妻姉妹の背に付いていきながら、大和は歪な笑みを零した。

 

「アア、そうだな……離せなくなるさ。嫌でもな」

 

 不気味に舌なめずりしながら、大和はパーティー会場を後にした。



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二話「魔人の本懐」

 

 

 流れが停滞する。周囲の動きがカチリと止まった。まるでビデオの一時停止ボタンを押したかの様に。

 

 これが噂に名高き創造神アトゥムの「万物流転(ばんぶつるてん)」──全ての流れを支配する権能。

 緊張しているノアとエルザに、アトゥムは穏やかな笑みを浮かべた。

 

「そう緊張するな、貴殿らは元々、霜の巨人を封印していた神殿の巫女兼守護騎士だろう? 神々の権能は見慣れている筈だが」

「……ご存知なのですね」

「オーディン殿から話を聞いている。ではまず──貴殿等は此度の任務を何処まで把握している?」

 

 代表して、姉のノアが答えた。

 

「オーディン様からは「大和様と共にアトゥム様と外交の手続きをして来い」と申し付けられました」

「成程、ふむ……そこまで内容を隠蔽した理由は、黒鬼のあの常識外れの洞察力を警戒してか? 気を遣わせてしまったな」

「「?」」

 

 ノアとエルザは首を傾げる。アトゥムの意図が読めなかったのだ。

 彼は苦笑しながら告げる。

 

「実はな、外交は既に済んでいるのだよ。ヘリオポリス九柱神と北欧神話は同盟関係を結んでいる」

「へ?」

「今回の本当の案件はあの孤高の殺戮者を、真性の怪物を何処まで御する事ができるか──それを確かめる事にある。ともすれば、我々ヘリオポリス九柱神は今後一切あの男と関わらない。奴は強大な戦力だが、凶悪な災害でもある。北欧神話は別として、我々には我々の方針がある。あの黒鬼の危険性を全神話で共有するためには、一度こういう場を設ける必要があったのだ」

「……それでは、もしもの事があれば、被害を被るのはアトゥム様方なのでは」

 

 ノアの言葉に、アトゥムは苦笑を浮かべる。

 

「誰かがやらねばならぬ事なのだ。本来であればオーディン殿がする筈だったのだが──俺が駄々を捏ねて引き受けた」

「何故──」

「オーディン殿は世界各地の神話の繋がりを強化するためにを奔走している。それこそ、身を削るほどの労力を以てしてだ。ソレに応えずしてヘリオポリスの主神は名乗れん。彼の義に、俺も義で報いる。当然の事だ」

「「……」」

 

 ノアとエルザは互いに視線を合わせると、力強く頷いた。

 

「私達も北欧神話所属の者達として、精一杯努力いたします」

「微力ながら、アトゥム様のお力になれればと」

「うむ、助かる。貴殿等の活躍に今後とも期待している」

 

 流石に表世界で最も高い権威を誇る創造神は違う。

 ノアとエルザは高揚していた。が、それもすぐに冷める事になる。

 

 一人の邪悪な怪物によって──

 

「それでは時間の流れを戻すが──貴殿等に二つ、忠告しておく。一つ、これからどう取り繕おうともこの案件、黒鬼には必ずバレる。命の危険を感じた時は迷わず俺を頼れ。二つ目、何があっても黒鬼に牙を剥くな。あ奴は精神性まで魔性のソレ。刃向かう者は女子供であろうと容赦しない。アレは勇者ではない──ただの殺戮者だ」

「「……かしこまりました」」

 

 半信半疑ながらも頷く姉妹を確認し、アトゥムは時間の流れを戻した。

 

「おう、戻ったか。少し遅かったんじゃねぇの?」

 

 大和を見つけたアトゥムは、酷く鈍痛のする頭を押さえた。

 彼の両脇に、蕩けた様子の姉妹女神が寄り添っていたからだ。彼女達は夫の事など忘れ、魔性の色香に酔いしれている。

 その腰に手を回し、大和は凶悪に嗤ってみせた。

 

「こっちは楽しんでたぜ、色々とな」

「ああん♡ 大和様ぁ……♡」

「素敵……っ♡」

 

 ネフィティスとイシス──彼女達は完全に牝に墜ちていた。

 

「「…………ッッ」」

 

 ノアとエルザは身震いする。

 コレが「彼」の本質──最強最悪の魔人。

 

 度しがたい怒りと失望を覚える。

 しかしそれ以上に、大和の身から滲み出る色香に疼いてしまう。

 

 ノアとエルザは自身を抱きしめ、潤んだ双眸で大和を睨み付けた。

 

 

 ◆◆

 

 

 パーティ会場が静まり返る。客人達はこの場に流れる空気の変化に気付いた。

 

 まずは厳格さと貞淑さで知られる姉妹女神、ネフィティスとイシスが黒鬼に侍っている点。

 

 彼女達が何をされたのか、一目瞭然だった。その熟れた肢体を貪られてしまったのだ。そうして目覚めてしまったのだ。強き雄に侍る喜びを──

 

 時間にして10分ほど──しかし彼女達の様子を見る限り、幾日も愛されたのだろう。上手く言いくるめられ、神々の権能で時空間を操作してしまったのだろう。

 それも、自らの意思で。

 

 アトゥムの銀髪が戦慄き上がった。周囲のあらゆる「流れ」が乱れる。空気が、時空間が、微振動を起こす。

 

 客人達の顔面が蒼白になった。逆鱗に触れてしまったのだ。万物流転の創造神の──

 アトゥムは額に青筋を浮かべて吐き出す。憤怒の言霊を……

 

「黒鬼──貴様は」

「アトゥム」

 

 遮った言葉は、凍るほど冷酷な殺意を伴っていた。誰でも無い、大和の声だった。

 

「テメェは勘違いをしてる。俺は依頼を「引き受けてやったんだ」。それに──俺の行動方針に指図する権利がテメェにあるのか? 何様だよ……なァ、アトゥム」

 

 灰色の三白眼が暗黒色に染まっていた。瞳孔が縦に避けている。

 客人達は悲鳴を上げる事すらできなかった。

 生物は恐怖を通り超すと硬直する。

 

 黒鬼の静かな激昂に、細胞レベルで怖じ気づいてしまっていた。

 

 キレかけている──あの大和が。それがどれほど不味い事態なのか、この場にいる一同は本能で理解した。

 誰も、指先一つ動かせない。呼吸すらできない。それでも、苦しさ以上に目の前の「怪物」への畏怖が勝ってしまう。

 

 大和はあくまで淡々と言葉を紡ぐ。

 

「この際だから言っておくぜ……俺は、俺を蔑ろにする奴等を絶対に許さねぇ。そういう奴等は神仏であろうが皆殺しにするって決めてる」

 

 だから、なァ──そう言って、大和はギザ歯を剥き出した。

 

「テメェ等はどっちなんだ? 俺の「敵」か? 「味方」か? 敵なら容赦しねぇ。北欧神話だろうがエジプト神話だろうが、滅ぼしてやる。…………なァ、答えろよアトゥム。どっちだ?」

 

 ドス黒いオーラが会場を飲み込んだ。

 大和の足下で蠢く那由他を超える亡者達。

 怨嗟の唸り声を上げて彼を地獄の底へ引きずり込もうとしている。

 それらを嘲笑い、踏み躙る黒き鬼神。

 

 この場にいる全員が、生きている事を後悔した。してしまった。

 

 人類史を逸脱したバケモノ。

 幾星霜に渡り神魔霊獣を殺戮し続けている魔人の本性がコレだった。

 

 アトゥムは顔中に冷や汗を滲ませて頭を下げる。

 

「非礼を詫びる。後で俺の方から全て説明する。……だから、この場は抑えて欲しい」

「……………………」

 

 長い沈黙の後、大和は狂気と殺気を霧散させた。両脇で怯えている姉妹女神に甘いキスを被せると、踵を返す。

 

「命は大切にしろよ、アトゥム。オーディンのクソ爺にも伝えておけ」

 

 そのまま会場を去って行った。

 瞬間、この場に居た全員が昏倒する。

 

 エルザとノアは辛うじて堪えていた。

 しかし、エルザは苦渋に満ちた表情で呟く。

 

「……何よ、アレ。大和、アンタは、一体……」

 

 

 ◆◆

 

 

 時間帯は深夜。ドバイ有数のホテルから見渡せる夜景は「砂漠のオアシス」と讃えられるだけあり、それは美しかった。

 今宵、静まり返った廊下に佇む二名の戦乙女。ノアとエルザである。

 

 彼女達は大和が宿泊している部屋の前で立ち止まっていた。その姿は昼間の可憐なドレス姿では無く、純白のワンピース姿である。

 

 ノアは歳不相応に育った胸に手を当てていた。その表情は緊迫と恐怖で彩られている。

 対してエルザは小柄な肢体を抱き締め、覚悟を決めていた。そう、これから自身に起こるであろう厄災に対しての覚悟だ。

 その表情には、明らかな敵意の念が表れている。

 

 ノアは意を決した様に頷くと、部屋のインターホンを鳴らした。ほどなくして大和が出てくる。

 

「誰かと思ったら……お前等か」

「「っ」」

 

 彼は上半身裸、下は純白のスーツ姿とおそろくラフな格好だった。

 何より、漂ってくる濃密な雌の臭い。特濃のミルクにバターを溶かしたかの様な、官能的過ぎる香り。

 二名は自覚無く瞳を潤めた。

 

 ふと、小さな喘ぎ声が聞こえてきた。

 ベッドの上で姉妹女神……イシスとネフィティスが痙攣していた。

 

 彼女達は愛され過ぎて力尽きているのだ。この臭いは、彼女達が発しているのだ。

 

 ノアは総身を震わすと、必死に声を絞り出す。

 

「大和様……お約束の報酬を支払います。お時間、よろしいですか?」

「…………」

 

 大和は二名の表情を観察すると、嗤って頷く。

 

「いいぜ。ちょっと待ってろ」

 

 扉が閉まる。

 

「ッッ」

 

 エルザは唇を噛みしめ、必死に内なるナニカと戦っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 別の個室に移動した大和は、ベッドの上で横たわる戦乙女姉妹をいやらしい目で眺めていた。

 彼女達は抱き合いながら震えている。大和は敢えて優しい声音で告げた。

 

「どうした? そんな怖がって──報酬はキスだけだろう?」

「信じられません……」

「そうよ、嘘付き……キスだけじゃ済まさないつもりでしょッ」

 

 その言葉に大和は口角を歪めた。

 

「正直になれよ。テメェ等ももう限界なんだろう?」

「「ッッ」」

 

 姉妹は顔を真っ赤にしつつも、大和を睨み付ける。

 嗜虐心がそそられ、大和は強引に妹のエルザを引き寄せた。

 

「いやッ、離してよ!」

「俺をほんの少しでも優しい男だと勘違いしたか?」

「ッ」

「馬鹿が、俺は殺し屋……最低最悪の人間だぜ。テメェ等は単なる暇潰し……欲望の捌け口でしかねぇんだよ」

「ほんと、最低……死ねッッ」

「その反応、抱かれた後まで続くかな?」

 

 大和はエルザの唇を強引に奪う。

 エルザは必死に抗うも、あえなく飲み込まれてしまった。

 涙を流しながら、それでも蕩けきった表情を浮かべる妹を、ノアは助ける事ができなかった。

 

 戦乙女姉妹の悲鳴に似た喘ぎ声は、朝になるまで途絶えなかったという。

 

 

 ◆◆

 

 

 翌朝、最愛の嫁達を寝取られたセトとオシリスは激昂して大和に襲いかかった。しかし大和は物理的に抑えこんだ。喧嘩で彼に勝てる存在など滅多にいない。あろう事か最愛の嫁達が大和を擁護したので、彼等の尊厳はズタボロだった。

 

 アトゥムは複雑極まる心境だったが、大和を蔑ろにした自身とオーディンに非があるとして、この一件をお咎め無しとした。その代わり、大和は今後一切「ヘリオポリス九柱神」に関われなくなった。

 

 大和からすれば願ったり叶ったりだった。元々、世界各地の神話体系との仲は険悪だった。これを機に他の神話ともスッパリ縁を切れればと、そう思っていた。女神(愛人)は別として。

 

 大和は世界各地の女神と愛人関係を結んでいる。今回の一件でネフィティスとイシスが加わったが、一体何名の女神が彼の虜になっているのか──考えたくもない。

 

 そしてあの戦乙女姉妹もまた、憎悪の念を抱きつつも煩悶とした日々を送るのだろう。大和との情事を忘れられず、何時の日か自分達から求めてしまうのだろう。

 

 大和は此度の依頼、邪悪な結末を以て終わらすと、オーディンから莫大な報酬を受け取って上機嫌で魔界都市へと帰っていった。

 

 

《完》



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鬼神は変わらず、悪逆を求むる
渇き


 

 

 大和は中央区の摩天楼に胡乱な眼差しを向けていた。下駄の音を鳴らして歩き回れば勝手に道が出来あがる。有象無象共から浴びせられる畏怖の視線を敢えて無視して、ぶらりぶらりと歩き続ける。

 

(渇く……)

 

 肉体の渇きは女で潤せる。魔性の色香のおかげで勝手に美女美少女が寄ってくる。

 精神の渇きは酒で潤せる。もしくは親友、かげがえのない女達からの親愛で満たされた。

 

 なら、何故こうも渇くのか──

 

 知っている。大和はこの渇きの正体を知っている。

 魂の渇きだ。……魂が求めているのだ。殺戮を、悲鳴を、絶望を。

 他者を蹂躙し、怨嗟の悲鳴を浴びる事ではじめてこの渇きは満たされる。

 

(何時からだろうな……)

 

 こんな事でしか渇きを潤せなくなったのは──遙か昔、神代の時代はここまで酷くなかった。

 美女と酒と闘争があれば満足できた。

 しかし今は違う──満足できない。

 

(もっと不幸を、絶望を、血を、殺戮を──)

 

 大和は嘲笑を零した。自分に向けた笑みだった。

 

 そんな時である。心地良い「殺気」を浴びせられたのは──

 大和の周囲を取り囲んだ殺し屋、傭兵、賞金稼ぎ。

 それぞれ怯えながらも、莫大な報酬金に目が眩んでいる。

 

 中央区の大通りで、盛大な殺し合いが始まろうとしていた。

 住民達は距離を取ってから嬉々として観戦を始める。

 見れるのだ、魔界都市の名物──大和の殺戮ショーが。

 

 大和は嬉しそうにしていた。まるで子供のように笑っていた。

 

「丁度、渇いてたところなんだよ」

 

 赤柄巻の大太刀と脇差しを握りしめ、抜き放つ。

 

「来いよ、俺を殺しに来い。本気で、殺意を込めて──! 俺もテメェ等をぶっ殺してやる!」

 

 灰色の三白眼が、狂気と殺意で燦々と輝いていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 襲撃者達が恐慌状態に陥るのに1分とかからなかった。その間に半数以上が惨殺されたからだ。丁寧に、一名ずつ嬲り殺されている。

 

 ある者は脊髄ごと首を引っこ抜かれ、ある者は顔面を握り潰される。

 美女であろうとも心臓を五指で貫かれ、首をねじ切られた。

 

 一名が振りかぶった高周波ブレードはその褐色肌に触れた瞬間に砕け散る。

 鋼鉄の塊をバターの様に断てる一品がまるでナマクラだった。

 

 放たれた無数の魔弾は全てキャッチされ、投げ返される。

 脳漿と臓物がぶちまけられ、数多くの悲鳴が木霊した。

 住民達の楽しそうな笑い声と共に……

 

 戦意を喪失した者達を、大和は執拗に追撃した。一人も逃さない。

 男を横一文字に断てば女との距離を一気に詰め、顔面を地面に叩き付ける。何度も、何度も。

 頭蓋ごと脳みそを潰せば、残るはあと三名。

 

 体躯の良いオークが奮い立つが、四肢を大太刀で断たれダルマにされた。

 その太い喉に刃先が入り、頭蓋から白刃が通り抜ける。脳漿がぶちまけられた。

 

 アンドロイドの機人は凶悪な踵落としによって地面ごと陥没する。

 

 最後に残ったエルフの女傭兵は恐怖のあまり失禁しながらも、何とか生き残ろうと大和に色仕掛けを試みる。

 しかし頬をビンタされ、首を三回転させて即死した。

 

 歓声が上がる。野次馬共は口笛を鳴らし、圧倒的な殺戮ショーを讃えていた。

 当の大和は、ただただ殺戮の余韻に酔い痴れていた。

 

 そんな彼の前に、戦闘服に身を包んだ初老の男性が現れる。

 その拳は確かな鍛錬と実戦によって鋼の如く硬質化していた。

 

 それなりの手練の登場に、大和は暗黒に染まりつつある双眸を細めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 男性は純血の悪魔──それも爵位持ちの上級悪魔だった。

 爵位持ちは本来、よっぽどの事が無い限り魔界から出てこないのだが──彼には目的があった。

 

 自分がどれほど強いのか、超犯罪都市でどれだけ通用するのか──試しに来たのだ。

 

 彼は鍛錬と戦闘に余念が無いストイックな悪魔だった。火山で1000年修行する事もあれば、見知らぬ異世界に赴き魔王や神々を討滅する事もあった。

 

 大和は面白そうに顎を擦る。

 

「へぇ……こりゃ中々。A級上位──いいやそれ以上か。爵位持ちの上級悪魔と見たぜ」

「言葉を交えずにそこまで見抜くか、暗黒のメシア。最早名乗らずとも良いな」

 

 両の拳を構える上級悪魔。ボクシングにも似たファイティングポーズは幾多の実戦によって洗練されていた。

 その身から溢れ出す魔力は間違いなく爵位持ちの悪魔のソレ。

 

 周囲の喧騒達が戦慄する。A級上位──鬼神や精霊王クラスの登場である。空気が張り詰める。

 

 しかし大和は本当に楽しそうに笑っていた。

 両手を広げ、攻撃を誘う。

 

「来いよ。それなりに鍛錬してるんだろ? その力、見せてくれ」

「…………」

 

 上級悪魔はしかし、冷静だった。

 彼我の実力差を十分に理解している。

 何せ大和は自身が幼少期の頃に悪魔王サタンと互角に殴り合った、正真正銘の規格外だから。

 

 経験が違う。積んできた歴史が違う。

 

 勝てる筈もない勝負に──しかし上級悪魔は高揚していた。

 もう十分生きた。戦場で死ぬなら微塵も後悔は無い。強敵に殺されるならば本望。

 

 上級悪魔は戦意と共に魔力を迸らせ、転身。大和との距離を一気に縮める。

 光速に至り、時間の束縛すら振り切ったステップインに物理法則は付いていけない。

 

 放つは必殺の剛拳。全身の筋肉、関節を捻り上げて放つ至高の右ストレート。

 しかし大和は首を傾けるだけで避けてしまう。

 

 しかし上級悪魔は動揺しない。瞬時に身体を逆方向に捻り、その反動を全て乗せたリバーブローを放つ。

 

 肝臓打ち。どんな猛者でも悶え苦しむ一撃必殺の拳打。

 

「単純なんだよ、ド阿呆」

 

 落胆の声が響き渡った。

 次の瞬間、上級悪魔は宙を舞っていた。遅れて顔面を貫く埒外の衝撃に危うく意識を飛ばしかける。

 何をされたのか──上級悪魔は必死に意識を保ちながら確認した。

 

 大和は右肘を振り抜いていた。

 カウンター。これ以上無いタイミングで迎撃されたのだ。

 

 やはり格が違う──上級悪魔は嗤った。

 1ナノ秒に満たない攻防が終わり、漸く「時間」が追い付いてくる。

 遅れてやってきた衝撃波に喧騒達は吹き飛ばされていった。

 

 倒れ伏している上級悪魔の前に大和は屈む。そしてクツクツと喉を鳴らした。

 

「脇が甘ぇ、引き出しが少ない。まだまだ実戦不足……だがセンスは良い」

「!!」

「暇潰しに付き合ってくれた礼だ、今回は見逃してやるよ。次はもっと強くなっておけ」

 

 その言葉に、上級悪魔はフッと表情を崩した。

 

「どちらが悪魔かわからぬな……まさしく怪物。しかし礼を言う。次の機会を与えてくれた事に。また再び相見える時まで、更なる鍛錬を積んでおく。さらばだ」

 

 上級悪魔は青白い炎に包まれ消えていく。魔界に帰ったのだ。

 それを見送った大和は立ち上がる。

 

 不意に苦笑を零した。

 

「悪魔に怪物呼ばわりされるたぁ……いよいよって感じだな」

 

 そうして、ぶらりぶらりと歩き始める。

 その背中を追う者はいない。隣に寄り添う者もいない。

 

 孤高の怪物は慢性的な渇きを癒やしつつ、今日も生きていく。

 憎悪を向けられ、嫌悪されても、己の矜持──という名のエゴを貫き通す。

 

 このクソッタレな世界で、死のダンスを踊り続けるのだ。

 何時か野垂れ死ぬ、その時まで──

 

 

《完》

 



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プロローグ
闇タクシーの些細な事件


 

 

 

 超犯罪都市デスシティ。別名魔界都市──此処で強かに生きる人間達は多い。

 何せ、この都市には法則という概念が存在しない。麻薬栽培、武器製造、偽札発行、その他総ての犯罪事業が自由に行える。

 犯罪組織にとってはまさに楽園だ。

 

 しかし、それ相応のリスクも存在する。まず此処が魔界都市であること。人類の手に負えないバケモノ達の巣窟であるこの都市では、その日生きる事すら困難を極める。馬鹿であれば一夜明けずに臓器売買の店に並べられる。

 

 そして此処を拠点にしている世界レベルの犯罪組織──五大犯罪シンジケート。

 犯罪組織はこのいずれかに所属しなければならず、拒否すれば魔界都市の住民達にロックオンされる。

 五大犯罪シンジケートの名前は謂わば後ろ盾であり、ソレ抜きで生き残れる組織は非常に稀である。

 

 しかし、抜け道は存在する。頭が回れば、五大犯罪シンジケートが「敢えて放置している区画」を見つける事ができる。そこで無難な商売を営めば、自然と力を付けていく事が可能だ。

 

 最も、途中で共食いを始め、殆どが壊滅してしまうのだが──

 

 犯罪組織の勢力図は、謂わば蠱毒の法。

 魔界都市という壺の中で毒虫(犯罪組織)達を食らい合わせ、最後に優秀な毒虫を厳選する。

 

 最後に残った毒虫を五大犯罪シンジゲートは勧誘するのか、滅ぼすのか、判断を下す。

 

 弱肉強食──この世界では力こそが総て。

 正義も誇りも、捨ててこそ生きていける。

 

 そして、肝に銘じておかねばならない。

 自分達の力を過信した瞬間、「死」は一気に距離を詰めてくるのだと。

 

 

 ◆◆

 

 

 西区──通称「貧民街」。

 此処を拠点にしている暴力団はそれこそ星の数ほどいる。

 彼等は魔界都市でいう「雑魚共」だ。その日を生き抜く事で精一杯であるためカースト最下位に位置している。

 

 しかし表世界では悪名高かった者達も多く、妙なプライドで自暴自棄になる輩が後を絶たなかった。

 

 選別は既に始まっている。

 プライドに振り回されるような小物が魔界都市で一旗揚げようなどと、傲慢にもほどがある。

 彼等は知らない間に死んでしまう。それこそ取るに足らない理由で──

 

 そして今宵も、馬鹿な暴力団が一つ──

 

「大将~ッ、上玉連れてきやしたぜ~」

 

 それなりの装飾が施された組長室に、間の抜けた男の声が響き渡った。

 屈強な男達が入ってきたので、最奥のデスクに腰掛けていた組長が視線を上げる。

 

「なんだァ、その妙な制服を着たチンチクリンは……」

 

 声をくぐもらせる組長。

 彼等が担いできたのは漆黒の制服を着た美少女だった。両手両足、口元を拘束されている。

 地面に転がされた彼女はキッと組長を睨んだ。

 

 年齢的には十代後半ほど、艶やか黒髪はツインテールに結われており、吊り目気味の瞳は紫苑色。

 小柄ながら漆黒の制服を盛り上げる肢体は中々のもので、胸もたわわと大きく実っている。

 

 ホゥと感嘆の溜息を漏らす組長に、代表して軽薄そうな大男が答えた。

 

「そこらで見つけたタクシーの運転手を拉致ってきました。肉体に最新鋭のサイボーグ手術を施してたんですが、数で押しましたよ。数名怪我しましたが、まぁどうにかなります」

「そうか……ふぅむ、中々の一品じゃねぇか」

「でしょう? 俺等もあやかりたいくらいですよ」

「飽きたらくれてやる」

「マジすか?」

「ああ。……それより口の拘束を解いてやれ。声を聞きたい」

「……いいんですかい? 万が一がありますよ?」

「気にすんな。俺のデスク回りには魔術結界を多重に張ってある。簡易式とはいえ、重戦車の砲撃ですらビクともしねぇよ」

「さいですか。なら」

 

 口の拘束を取ると、彼女は途端に罵詈雑言を喚き散らした。

 

「アンタ達!! こんな事してタダで済むと思ってないでしょうね!! 皆殺しよ! 皆殺し!!」

「ほぅ……お前、何歳だ?」

「16よ!! 文句ある!!?」

 

 射殺さんばかりに睨んでくる小娘に対し、組長はゲラゲラと笑った。

 

「16でこの都市の住民って……相当だな、ええ? 冗談もほどほどにしろよ」

「ばっかじゃないの!! 年齢なんて関係無いわ!! そんなの気にしてるからアンタ達は雑魚なのよ!!」

「……なにぃ?」

 

 静かに怒気を滲ませる組長。周囲の者達もだ。

 しかし運転手は鼻で笑う。

 

「覚悟なさい!! 今頃闇バス・闇タクシーの本社が傭兵や殺し屋を雇ってる筈よ!!」

「ハァ? どうしてそんな事がわかるんだよ?」

「ハァ? 何でアンタ達に教えないといけないワケ?」

「コイツ……ッ」

 

 組長は眉間に青筋を浮かべる。今度は軽薄そうな大男が鼻で笑った。

 

「はったりですよ。一々反応してたら面倒です」

「はったり? その根拠は何?」

「………………」

「根拠もない事を自信満々に言う辺り、アンタも他の馬鹿と変わらな……」

 

 パァンと、運転手の頬が叩かれた。

 平手打ちとは言え、簡易的なサイボーグ手術と劇薬使用で強化された腕力での一撃である。

 同じくサイボーグ手術を施していたとしても、響くものがある。一般人であれば首から上が消し飛んでいた。

 

 口の端から血を流し、殺意を込めて睨め付けてくる運転手に対して大男は嗜虐的な笑みを浮かべた。

 

「調子乗ってんじゃねぇぞクソ餓鬼」

「フン……精々粋ってなさい。私はアンタ等とは違う。こういう時のために保険は重ねがけしてある。──でも、今日は特別運が良かったわ。なにせ、あの人がフリーだったから」

「……何を言ってるんだ、テメェ」

「私達闇バス・闇タクシーの運転手は体内のみならず、脳にも最新鋭のサイボーグ手術を施してる。機器が無くても特殊な電波でメールを送信する事ができるのよ。今の私の現在地、状況、全て本部に伝えているわ」

「テメェ…………そりゃ本当か?」

「嘘を言ってどうすんの? 携帯機器を取り上げて、手足を縛り上げたからそれでお終い──フフフ、だからアンタ等は三流なのよ、バーカ」

「このアマァ!!!!!!」

 

 激昂した大男は運転手の制服を破り捨てる。

 ブラウスどころか下着も破り捨てられ、豊満な乳房が露わになった。90㎝を優に超えていて、しかし型崩れは一切していない。先端は桃色──まさしく極上。

 

 運転手は顔を紅潮させながらも大男を睨み付ける。

 彼は組長に聞いた。

 

「組長──コイツ犯していいですか? なんなら人質にでもして」

 

 顎をすくい上げ、舌なめずりする大男。

 彼女の豊満な乳房に手を伸ばそうとしたその時、室内に続く扉が爆発した。

 

 いいや、蹴破られたのだ。

 

 飛んできたドアに大男は吹っ飛ばされる。

 現れたのは──二メートルを超える褐色肌の益荒男だった。

 運転手は歓喜のあまり叫ぶ。

 

「大和様ぁッ!!」

「ったく、世話が焼けるぜ。稲刃(いなば)…………オイ、テメェ等、コイツは死織の次にお気に入りの女なんだよ。手ぇ出そうとしやがったな? 死刑だ死刑」

 

 大和は嗤いながら大太刀と脇差しを抜き放つ。

 刹那、室内は血の池地獄に変わった。

 

 

 ◆◆

 

 

「がべぇ……ッ」

 

 大男の口を貫き肉団子みたいにぶら下げると、そのまま振り上げ脳漿をぶちまけさせる。

 大和はそのまま怯えてる組長に振り返った。

 

「せ、せ、世界最強の殺し屋、大和……ッッ。何で、テメェがこんな所へやってくる!!」

「そりゃ、お前が俺のお気に入りの女拉致って犯そうとしたからだろう?」

「ッ」

「無知は罪だ、この都市では罪=死罪だ。なァ……雑魚のテメェにもわかるだろう?」

「……無駄だぜ。俺のデスク周りには多重結界が」

 

 その多重結界ごと、大和は組長の首を斬り飛ばす。

 組長の顔は斬られた事すら理解できず、呆然としていた。

 

 大和は大太刀と脇差しの血糊を払い納刀すると、運転手──稲刃の元へ向かう。

 魔術式の拘束を闘気で解除してやると、彼女は勢いよく大和に抱きついた。

 

「大和様ぁッ!! ありがとうございますぅ!!」

「ったく、この間抜け。自衛くらいしっかりしろや。次は助けてやらねぇぞ」

「ああんっ! そんな事言わないでくださいっ! 今夜は一杯ご奉仕しますからぁ♡」

 

 極上の生乳を腕に擦りつけられ、大和は暫く無言になる。

 

「……仕方ねぇなァ」

「フフフ♪ 大好きですよ大和様っ♪」

 

 先程まで暴力団員に見せていた強気な態度は何処に行ったのか、今は飼い猫の様に愛くるしくなっている。

 

 大和は彼女をお姫様抱っこすると、真紅のマントをかけてやった。

 稲刃は嬉しそうに微笑むと、彼の首に手を回し頬にキスの雨を降らせる。

 

 外には既に闇バス・闇タクシーの面々、そして緊急で雇われた殺し屋、傭兵達が待機していた。

 稲葉は打って変わり、申し訳なさそうに手を挙げる。

 

「申し訳ありません。もう大丈夫です……」

 

 その言葉と、何より大和を見て、殺し屋達はやれやれと肩を竦めて去って行く。

 闇バス、闇タクシーの運転手を代表して、死織が出てきた。

 

「全く、今回は大和が出てきてくれたから良かったものの……注意してください。稲刃さん」

「はい、すいません死織先輩……」

「ハァ……」

 

 死織は深い溜息を吐くと、背後にいる同僚達に意味深な視線を送る。

 他の同僚達はいやらしい笑みを浮かべて頷いた。

 

 死織は大和に向き直ると、満面の笑みをこぼす。

 

「大和、この後時間ありますか? 実は私達、これでお仕事終わりで──暇なんですよ。あと、稲刃さんは事後処理の書類を本部で書いてきなさい。早朝提出です」

「どぅえええええ!!!?」

 

 目玉が飛び出るほど驚いている稲刃。

 彼女は早速他の同僚達に連行されていった。

 死織は「後で合流しましょう。優遇しますので」と言って、彼女達に護送を任せる。

 

 稲刃は思わず悲鳴を上げた。

 

「いやぁぁぁぁぁぁん!!!! 死織先輩の鬼!! これから大和様とイチャイチャタイムだったのにぃぃぃぃぃッ!!!!」

「ミスをしたのにご褒美を貰うなんて、厚かましいにもほどがありますよ。ですが安心してください。大和の無聊は私達で慰めておくので……♡」

 

 運転手達が一斉に大和に群がる。

 稲刃は最後に大和に懇願の眼差しを向けるも、微妙な表情で手を振られた。

 

「また今度可愛がってやるよ」

「そんなぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 早速死織から濃厚なキスを受ける大和を、稲刃は泣きながら見送ることしかできなかった。

 

 

 珍事、これにて終幕。

 

 

《完》

 

 



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第二十四章「殺人姫伝」
一話「殺人姫VS黒鬼」


 

 

 新しい都市伝説が生まれていた。悪辣なる犯罪者を狩る不思議な女子高生が居ると──

 彼女はセーラー服に身を包み、漆黒のロングコートを羽織り、ダークシルバーの銀髪を靡かせているという。

 咥え煙草から紫煙をくゆらせ、武装した犯罪者達をナイフ一本で惨殺するという。

 

 誰もその素性を知らない。しかし日本政府は血眼になって彼女の行方を追っているという。

 姿形だけが口伝で広まっていく。故に都市伝説。

 

 今時の学生達は彼女をこう称した。殺人鬼の姫──殺人姫(さつじんき)と。

 

 

 ◆◆

 

 

 彼女──高梨雲雀(たかなし・ひばり)は少し変わった女子高生だった。日本人離れした美貌と銀髪。狼を連想させる鋭利な双眸。

 在学中の私立学園では孤高の存在として扱われている。

 

 彼女は必要以上に喋らない。相手が近寄ってくれば距離を取る。

 在学中に彼女と会話を弾ませられた生徒は一人もおらず、教員達も難儀していた。

 

 しかも不良。近所の腕自慢は皆彼女に殴り倒されている。

 休み時間には煙草を吸っている姿も目撃されていた。

 

 生徒らは彼女を畏れると共に、近頃有名なあの都市伝説と重ねていた。

 殺人姫──凶悪犯罪者を惨殺する殺戮の姫君。

 

 噂の容姿と彼女があまりにも似ているので、皆まさかと思っていた。教員すらも訝しんでいるほどだ。

 

 ──実は彼女、本当に殺人姫だったりする。

 

 高梨雲雀、彼女は表世界の理から外れた魔人だった。

 

 現在、教室の端にある自席に座りながら授業を聞き流している。

 青い空を眺めながら、彼女はふわふわと考え事をしていた。

 

(今日は誰をバラそうかしら……)

 

 高梨雲雀は凶悪な殺戮衝動を持っていた。そしてソレを為せるだけの戦闘技術と能力を持っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 空気が軋んだ。世界が歪んだ。

 存在感に殺意を混ぜた波動に──星が一瞬、怖じ気づいた。

 

「!!?」

 

 雲雀は飛び上がるように席を立った。

 いきなりの行動に生徒も教師も腰を抜かしている。

 代表して、教師が問うた。

 

「その……どうした高梨」

 

 怯えたその問いに対し、雲雀は反応しなかった。

 窓の外──遥か遠くを見つめている。その頬に一筋の冷や汗が流れた。

 彼女は学生鞄を背負うと、弾かれたように走り出す。

 

「おい! 高梨!?」

 

 教員の呼び声に、雲雀は振り返らなった。

 

 

 ◆◆

 

 

 雲雀は跳ぶ。

 認識阻害の魔術で民間人の意識を逸らせば、数十メートルの距離を連続して跨ぐ。

 

 住宅街を飛び回りながら妖魔鴉を召喚。漆黒のロングコートに変えて肩から羽織る。

 

 殺人姫の登場である。

 

 雲雀は河川敷を目指していた。ソコに「怪物」がいるからだ。

 

 感じた殺気は何よりも凶悪で──しかし静謐。

 人間が出していい殺気ではない。しかし間違いなく人間が出した。

 

 今、彼女の胸に沸き立っているのは殺戮衝動ではない。純粋な興味だった。

 

 どんな容貌をしているのか、どんな性格をしているのか。

 ──どうすれば殺す事ができるのか。

 

 雲雀は嗤いながら宙を舞った。

 河川敷まで、あともう少しだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 河川敷に近づくにつれて人影が無くなってくる。

 先程の殺気を理解できなくても、本能で感じ取っているのだろう。

 平和ボケした住民にここまで影響を与える存在──殊更興味がつきない。

 

 雲雀は笑顔を必死に抑えながら河川敷へと降り立った。

 その眼前には草原で寝転んでいる大男がいた。呑気に煙草を吹かしている。

 

 彼はゆっくりと雲雀に眼を向けた。

 雲雀の背筋に悪寒が奔る。

 

「へぇ……お前が殺人姫か」

 

 灰色の三白眼、鋭利なギザ歯。男らしいハンサムな顔立ち。

 身を起こした褐色肌の美丈夫は、改めて雲雀を見下ろした。

 

「努ちゃんとユリウスから話は聞いていたが──成程、イイ目をしてやがる。まるで飢えた狼だな」

「……ふん、ならアンタはバケモノね。何よ、その目──」

 

 灰色の瞳。

 その奥底には狂気と欲望、そしてそれ以上の殺意が渦巻いていた。

 常人ならば狂ってもおかしくない数多の激情を、強靭な精神力で抑えている。

 

 人間ではない。

 何に対してそこまで殺意を抱いているのか──

 何故、そこまで至って発狂しないのか──

 

 戦慄している雲雀に対して、褐色肌の美丈夫はマイペースに告げた。

 

「俺の名前は大和──ククッ、そう怯えんなよ。似た者同士、仲良くしようぜ?」

 

 その笑みに滲むのも、また殺意と狂気であった。

 

 

 ◆◆

 

 

 雲雀は不敵に笑い、否定する。

 

「私とアンタが同類……? 一緒にしないでよ。バケモノ」

「初対面の奴をバケモノ呼ばわりたぁ、随分と礼儀知らずだな」

「その目、その体に染み付いた血臭。そして馬鹿げた殺気……惨殺するには十分すぎる理由だわ」

 

 雲雀は懐から巨大なサバイバルナイフを取り出し、上半身を屈める。

 

 臨戦態勢に入った彼女を、大和は煙草を吹かしながら見つめていた。

 立とうともせずに告げる。

 

「やるつもりか? ならそれなりの覚悟をしろよ。俺は、女子供だからって手加減しねぇ」

「何よ、紳士気取り? 反吐が出るわね」

「…………あーあ」

 

 大和は煙草を捨てて立ち上がる。

 そして凶悪に嗤った。

 

「でもいいぜ、この展開──凄く俺好みだ」

 

 大和は嬉しそうに両手を広げる。

 

「さぁ、かかってきな都市伝説 。俺を昂らせろ。この無聊を精一杯慰めるんだ。もしできなかったら──純潔を散らすだけじゃ済まさねぇぞ」

「…………」

 

 雲雀は一瞬無表情になる。が、次には憎悪と殺意で美顔を歪めた。

 

「殺してやるッッ」

 

 雲雀は跳躍し、躊躇なくサバイバルナイフを振り抜く。

 大和は本当に楽しそうに嗤っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

「お前は俺とよく似てる」

 

 雲雀の猛攻をいなしながら大和は唇を歪める。

 雲雀は彼の腹を蹴り飛ばすことで答えた。

 

 違う、と──

 

 足裏に伝わった硬度に顔を歪めながらも、雲雀は跳ぶ。

 なに食わぬ顔で川の水面に立った大和は肩を竦めた。

 

「だってそうだろ? 己のエゴのために他者を平気で殺められるんだ。善悪なんざ関係ねぇ、俺とお前は根底が似てんだよ」

「……違う、一緒にすんな!」

 

 水底ごと断ち切る斬撃を大和は片手を振るい相殺した。

 

「何が違う」

「私はアンタみたいな屑野郎しか殺さない! でもアンタは違う! 殺す相手は選ばない──そんな目をしてる!」

 

 眼前まで迫りくる白刃を、大和は雲雀の手を叩く事で無効化する。

 そうして零れたサバイバルナイフを拾い上げ、神速の突きを放った。

 

 水面の上で踊るように躱す雲雀に大和は告げる。

 

「人を第一印象で決めつけるのはよくねぇぜ。……まぁ、当たってんだけどな」

 

 笑いながらナイフを振り抜く──と見せかけて逆手持ちで再度刺突を放つ。

 雲雀は頬を斬らせて間合いを詰めた。

 そして新しく出したナイフで大和の喉仏を穿つ。

 

 砕け散る刃──驚愕する雲雀の腹を蹴り飛ばし、大和は笑みを深めた。

 

「なら、誰が求めた? お前に屑を殺せと。……結局のところ、自分のためだろう? 犯罪者を選んで殺してるのも、ようはテメェを「マトモな部類」だと納得させたいからだろう?」

 

 雲雀は回転し、なんとか勢いを殺してから河川敷に着地する。

 しかし耐えきれずに吐血した。胃液混じりの血は彼女の内蔵に深刻なダメージが刻まれた証。あばらも数本折れているだろう。

 

 それでも雲雀は立ち上がる。震える足でなんとか体を支え、大和を睨み付ける。

 

 断ち切れた頬から大量の血を流しているが──目は死んでいなかった。憤怒と殺意で爛々と輝いている。

 

 彼女は不意に嗤った。不気味な微笑だった。

 大和も釣られて嗤う。

 

「ほら、やっぱり似た者同士だ」

 

 

 ◆◆

 

 

 雲雀は朦朧とする意識を唇を噛みきることでクリアにする。そうして高速で思考を巡らせた。

 

(今までの奴等とは明らかに別格──身体能力、戦闘技術、精神力、才能、経験値……全てに於いて負けている。このままじゃ勝てない)

 

 しかし恐怖は湧かない。

 代わりに胸の奥で滾る憤怒、そして殺意。

 

(勝てる勝てないの問題じゃない──殺すッ。殺してやるッ!!)

 

 雲雀は進化する。

 埒外の殺意と元々の天稟が彼女を人智を超越した存在──超越者へと至らせる。

 

 大和は灰色の三白眼を丸めた。

 そして思わず嗤う。

 

「クククッ──こりゃあ、退屈せずに済みそうだ」

 

 

 ◆◆

 

 

 超越者に至れる条件は二つ。

 常軌を逸した才覚と、世界の法則をねじ曲げるほどの想い。

 

 先天的な超越者も稀にいるが、殆どが後天的に至った者達だ。

 

 彼等に共通しているのは最強種である神仏すらも脅かす戦闘力と、強靭過ぎる個我──その在り方は等身大の概念そのもの。

 

 雲雀から溢れ出す禍々しいオーラは瞬く間に世界を包み込み、各地の神魔霊獣を驚愕させた。

 

 また超越者が誕生した──と。

 

 そして同じ超越者達は嗤う。

 また同類が生まれた、と。

 

 雲雀が超越者に至った所以は「殺意」──そう、世界を塗り潰すほどの殺意だ。

 

 元々、喜怒哀楽を殺戮でしか表現できない少女だった。

 今までそれを必死に我慢していた。

 

 しかし、もう我慢する必要はない。

 何故なら、全身全霊を懸けて殺せる相手を見つけたから──

 

 感謝はない。

 あるのは憎悪と憤怒のみ。それが生来の殺意をより一層焚き付ける。

 

 雲雀のオーラが凝縮されていく。

 世界を包み込むほどのオーラがその在り方を成し、雲雀の体に溶け込んでいく。

 

 纏うは『死』──万象殺め滅ぼす死絶の理。

 殺したい──あらゆる者を、物を、殺したい。

 

「殺す──その首跳ね飛ばして踏みにじってやるッ」

 

 そう言いながら死絶の理を具現化していく雲雀。

 圧倒的純度の「死」──その濃度は冥府の神々すらも比較対象にならない。

 かの死神王タナトスで漸く比肩しうるほどだ。

 

 しかし扱い方がまだまだ──と思いきや、既に本質を捉え始めている。

 周囲に力を振り撒いていない。対象を選別できている。

 

 それは雲雀の破格の才能もさることながら、彼女と殺意が密接な関係で結ばれている事にも起因している。

 

 大和は覚醒した殺人姫に対してやれやれと肩を竦めると、打って変わって妖艶に微笑んだ。

 

「いいぜ、暇潰しには丁度いい感じだ」

 

 簡易式の魔術札で赤柄巻の大太刀と脇差しを召喚、深紅のマントを靡かせる。

 

 刹那である、雲雀が死絶のオーラを溜め込んだ拳を握り、跳んできたのは──。

 時間を無視した速度で迫ってきた彼女を大和は優々受け止める。

 

 振り抜かれた拳は逆手持ちで僅かに抜かれた大太刀の刃に食い込んでいた。

 骨まで断たれている──にも関わらず、雲雀は狂気の笑みを浮かべてその手を広げる。

 骨肉を自ら潰して、無理やり刀身を掴んだ。

 

 その手は既に再生しつつある。いいや、再生ではない。手の負傷を「殺して」いるのだ。

 

 乱れ刃を思いきり掴みながら、雲雀は大和を見上げた。

 その目は、人間がしていいものではなかった。

 

「そのニヤケ面、グチャグチャにしてやる──!」

 

 そんな彼女に対して、大和は笑いかける。

 同じく、人間がしていい笑みではなかった。

 

「気が変わった、少しだけ遊んでやるよ──テメェは殺すにはまだ惜しい」

「──ッッ、死ねェ!!」

 

 両者とも、拳を振りかぶる。

 瞬間、河川敷が吹き飛んだ。

 

 



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二話「格の違い」

 

 

 豪勢な個室にて。日本国の首相、大黒谷努(だいこくだに・つとむ)はデスク上の書類に視線を落としていた。

 

 歴戦の横綱の如き厳つい容姿からは想像もつかない「政治家」のオーラを滲ませている。

 

 彼は魔界都市デスシティに深く干渉しながらも日本国の経済発展に貢献している傑物だ。

 世が世なら英雄として歴史に名を残していただろう。

 

 そんな彼は熱い茶を一口含むと、おもむろに告げた。

 

(しかばね)

「ここに」

 

 音も立てずに現れた全身黒ずくめの男。鬼のような、悪魔のような、不気味な仮面を被っている。

 

 彼はデスシティでS級認定されている殺し屋だ。

 努の命令とあらば上級悪魔や鬼神であろうとも抹殺してみせる闇の処刑人である。

 

 努はゆったりとした口調で彼に問うた。

 

「前に話したよね、高梨雲雀って女の子」

「はい、巷で噂の殺人姫の可能性が高い女子高生ですね?」

「そ」

 

 努は再度、デスク上に広げた資料に視線を落とす。

 

「一週間前かな……君達が彼女の素性を持ってきたのは」

「はい」

「その時は驚いたものだよ。高梨雲雀──彼女は普通の女子高生だった。先祖が英雄だったワケでもなく、両親も至って平凡。彼女自身も書類上ではまぁ、どこにでもいそうな女の子だ」

「……」

「でも僕は君達に深追いをさせなかった。大和くんにお願いして様子を見に行ってもらった──その理由は、言わずともわかるよね?」

「はい」

 

 屍は深く頭を下げる。

 

「普通だったからこそ、です。ただの女子高生が崩れとはいえデスシティの犯罪者や妖魔を殺せる筈ありません。少なく見積もってもB級──いえ、A級レベルの実力者である可能性があります」

「僕は、超越者の卵だと考えている」

「……」

「僕達をここまで欺いた手腕、何よりこの普通すぎるプロフィール──異常だ。異常に過ぎる。だからこそ、僕は『異常なる存在』の代名詞──超越者。その卵だと推測した」

「成る程──」

「だから大和くんにお願いしたんだよ。彼より強く、対応が早い人間はいないからね」

「……」

 

 屍は密かに、努という男を畏怖した。

 彼は表世界の住民の癖に、大和の事を誰よりも理解しているのだ。

 

 努は分厚い唇を歪める。

 

「屍、念のためだ。大量の現金を準備しておいてくれ。大和くんの報酬用に」

「──かしこまりました」

 

 闇に紛れ消えていく屍。

 努はのほほんとした表情で茶をすすった。

 

 

 ◆◆

 

 

 雲雀の才能──それは戦闘に於けるものでは無かった。

 殺戮の才──相手の弱点を見抜き、瞬く間に首を跳ねる、その一点に特化したもの。

 

 身体能力の差、技術の差、総じて関係無い。

 手に持つ刃が相手の首に届けば勝てる。その過程を導きだす事にも特化している。

 

 鎌鼬が吹き荒ぶ。無数の真空刃が余波となって周囲の並木を、敷地を、切り裂く。

 

 水爆実験かと思うほどの水飛沫を上げながら雲雀と大和は上流を駆け上がっていた。

 

 ナイフ二本を逆手持ちに雲雀は漆黒のロングコートを靡かせる。

 己の限界を殺し、際限なく成長を続ける彼女は超越者の恐ろしさをその身をもって表していた。

 

 先程まで拙く見えた斬線は今や一撃必殺の死の線と成って大和に群がる。

 

 超常的な閃きと圧倒的センスが生み出す攻撃に理屈は当てはまらない。そんなもの、当に超越している。

 

 逆手持ちから通常持ちに、かと思えば投擲して、懐から新たな得物を取り出す。

 指に挟んで爪の様に薙げば、爪先で柄を弾いて投擲する。

 

 縦横無尽、天衣無縫。

 ソレは武術でも暗殺術でもない──討法だった。

 相手を討滅することに全知全能を用いた、雲雀にしか実現できない戦闘スタイル。

 

 大和は迎撃する。彼女の刃を決して首元に届かせない。

 

 余裕の笑みを崩さない彼に、雲雀は憎悪を剥き出した。

 光すら断つ死の線で彼を囲む。

 

 上下左右360度を包囲するも、それは全て囮であり、雲雀は本命の刺突を繰り出す。

 

 死の線を吹き飛ばした大和の心臓を穿つ突き──しかし刃先が届く寸前に雲雀は首を反らす。

 

 頬を掠めたナニカ──雲雀の頬を断ち切った。

 それは鉄屑だった。大和の口に収まっていた雲雀の得物の破片だった。

 

 暗器術──大和にかかれば鉄屑でも妖魔を殺せる凶器に成り得る。

 

 雲雀はしかし引かない。勇猛果敢に攻め立てる。

 理由はそれしか選択肢が無いからだ。

 

 殺すとは攻めること。

 引くという選択肢は端から無い。

 

 しかし大和は全て受け止める。その余裕の笑みが陰ることはない。

 

 今の雲雀では絶対に避けられない速度とタイミングで斬撃を放つ。

 その度に雲雀は進化し、辛うじて避けていた。

 

 雲雀はムキになって大太刀を無理やり弾き返そうとする。

 刹那、白刃が煌めいた。

 

 雲雀の血の気が一瞬で引く。

 

 一瞬消えたと思った乱れ刃が、気付いた時には首筋に食い込んでいた。

 雲雀はギリギリでナイフを押し付け、勢いを殺す。

 

 しかし大太刀は意識を持つかの様に飛び跳ね、雲雀の脳髄を割らんと迫った。

 

 雲雀は右腕を犠牲にすることで時間を稼ぎ、一旦距離をとる。

 切り落とされた右腕を瞬時に再生しながらも、その額には冷や汗が浮かんでいた。

 

 雲雀は見破った。大和の太刀筋を。

 まるで意思を持つかのように途中で軌道変化する太刀筋──

 

 その秘密は強靭かつ柔軟な手首によるスナップと驚異的な反射神経だった。

 

 弾き返さんとするナイフの軌道に合わせて大太刀を限界まで反らし、瞬時に元に戻すことで発生する不可視の魔剣。

 防御された瞬間に反射的に軌道を変化させる事で生じる防御無視の魔剣。

 

 唯我独尊流、秘技──朧月(おぼろづき)

 

 基礎の応用でありながら、常人では成し得ない理外の技術。

 あまりの出鱈目具合に雲雀は戦慄を覚えるものの、再度跳躍する。

 ナイフを振りかぶり、今度は軌道変化に注意する。

 

 しかし単純な力で押し切られた。

 ナイフごと袈裟懸けに断たれたのだ。

 

 技術云々以前に、そもそもの膂力が違いすぎた。

 先程まで注意できていたのだが、朧月という技が警戒心を薄めた。

 

 右肩から心臓、肝臓まで断たれ、おびただしい量の血を吐き出す雲雀。

 

 死にかけている彼女の額に、大和は近寄った。

 そして嗜虐的な笑みを浮かべる。

 

「オイオイどうした? もう死ぬのか? 落胆させてくれるなよ──殺人姫ちゃん」

「────ッッッッ」

 

 雲雀の瞳が濃密すぎる殺気で暗黒色に染まった。

 殺人姫と黒鬼の殺し合いは、ここからだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 雲雀は強く渇望した。

 目の前の男を殺す手段が欲しい、と。

 

 死滅の理と討法だけでは足りない。

 選択肢を広げたい、と。

 

 彼女の身に秘められた才能がその渇望に応える。

 元々得意だった空間操作魔術が魂に溶け込み、同調。最上位魔導クラスの異能に変化したのだ。

 

 攻めの選択肢が大幅に増えた事を実感する雲雀。

 同時に大太刀で真っ二つに両断された。

 

 雲雀は一度冷静になり、空間操作で接合面を無理やり繋げる。そうして復帰すれば即座に攻めに転じた。

 一瞬の隙を見せた大和の顔面に渾身の拳打を振り抜く。

 

 上流方面に派手に吹き飛んでいった彼を追走し、その足を掴む。そのまま顔面に必殺の踵落としをめり込ませた。

 

 地面が陥没し、地割れが河川敷を越えて住宅街まで行き届く。

 

 雲雀は憎悪と憤怒を解放した。

 荒れ狂う殺気のままに大和の顔面を連続で殴り潰す。

 

「死ね!!!! 死ね死ね死ねェッッ!!!!!」

 

 周辺地域──いいや、関東全域で大地震が発生する。

 雲雀の拳打は星を優に砕く威力を内包している。大和の顔面越しとはいえ、生まれた衝撃波は周辺地域に天変地異を齎した。

 

 しかし先に潰れたのは雲雀の拳だった。気付けば感覚が無い。両手の骨が剥き出しになっていた。

 

 埒外の肉体硬度──異常な筋肉密度、骨格強度だ。

 

 それでも雲雀は殴る手を止めない。鮮血を撒き散らしながら壊れた拳を叩き付ける。

 その顔を、巨大な手が掴んだ。

 

「汚ぇんだよ糞ガキがァ……顔が血まみれになっただろうが」

 

 雲雀を片手で持ち上げた大和は、凄まじく不機嫌だった。灰色の三白眼が暗黒色に染まっている。

 

 しかしそれは雲雀も同じだった。暗黒色の双眸を血走らせ、大和を睨んでいる。

 

「死ね……さっさと死ね……ッッ」

「テメェが死ね」

 

 雲雀の頭が握り潰される。

 潰れたトマトの様に脳漿がぶちまけられたが、雲雀は即座に致命傷を殺して大和の首筋にナイフを振るう。

 

 大和は防御する必要も無しと断じ、放置した。

 しかし首筋の闘気を微量ながらも殺され、生じた小さな穴を空間操作で拡張された瞬間に飛び退く。

 

 大和は瞠目し、首筋を撫でる。ほんの少しだけ斬れていた。

 

 雲雀は狂喜の笑みを浮かべる。

 

「やっと笑わなくなったわね……ウザかったのよ、アンタの笑み」

「…………」

 

 大和は一瞬殺意で表情を歪めるも、すぐに冷徹な表情に変わる。

 そして凍えるような声音で告げた。

 

「気が変わった……少し本気出してやるよ。調子乗った餓鬼はブチのめすに限る」

 

 

 ◆◆

 

 

 雲雀は犬歯を剥き出して突貫する。溢れ出す殺意をその身に纏い、己の存在感を殺した。

 独自に編み出した隠形術はしかし、一瞬で看破される。

 眼前に伸びてきた刃先を空間操作で固定しようとするが込められていた埒外の闘気に打ち消され、やむなく回避する。

 

 周囲の空間に固い足場を作り、自分の動きやすい世界を形成。同時に時空間移動も行う。

 

 サブ的能力で時間操作も行えるようになったので、自身の速度域を最高速である無限速に至らせ、同時に大和の体内時間を停滞させる。

 

 後者は無効化されたが、既に準備は整った。

 大和を殺すためのだけの空間で、雲雀は全身全霊を懸ける。

 

 無限速での時空間座標移動。

 次元の奥行きすらも利用し、位相の高低差も生かす。

 敢えて己の時間を停滞させ、フェイントも織り混ぜた。

 

 元々のスタイルに空間操作と無限速移動はすこぶる相性が良い。

 真の意味で殺人姫となった彼女は必殺のヒットアンドウェイを繰り返していた。

 

 しかし大和は嗤う。

 

「雑だ。雑すぎて笑えるぜ」

 

 最初は得物で防いでいたが、今は身を逸らすだけで躱している。

 

「殺しのセンスだけなら俺より上かもな。だがそれだけだ。技術が拙すぎる、話にならねぇ」

 

 首筋に迫ったナイフの刃先に指を当て、力の方向性を操作する。

 

 唯我独尊流、水の型「流水」

 

 力のベクトルをコントロールされ予想外の方向に飛ばされた雲雀は、体勢を立て直す暇無く攻め立てられる。

 

 こうなれば殺人姫も形無しだった。

 

 雲雀は痛感する。

 大和に目立った能力はない。異能術式権能を無効化する闘気くらいだ。

 

 しかし戦う者にとって最も重要な要素──基礎の完成度が異常過ぎる。

 

 怪異の王達を力で捩じ伏せる無敵の肉体。

 幾千万の憎悪を鼻で笑える不屈の精神力。

 数億年培ってきた百戦錬磨の戦闘技術。

 他を圧倒する比類無き戦闘センス。

 あらゆる知識、学問を瞬時に理解できる天才的頭脳。

 

 心技体、そして才と知。

 戦士に求められる五つの要素が限界まで極まっている。

 更に彼はこの五要素を完璧に繋ぎ、相乗効果を産み出していた。

 

 無敵の肉体を不屈の精神力で鍛え上げ、百戦錬磨の戦闘技術と比類無き戦闘センスで勝利を掴み取る。

 天才的頭脳は鍛練法、戦闘理論、読心術、全てに繋がる。

 

 つまりは彼は完璧な──否 、完璧過ぎるオールラウンダーなのだ。

 あらゆる武器兵器を扱いこなす事からも窺い知ることができる。

 

 どんな状況下でも十全の戦闘力を発揮し、天賦の才と至上の努力で手に入れた五要素であらゆる難敵を打ち倒す。

 

 究極の戦士──世界最強の男。

 

 雲雀に端から勝ち目はなかった。

 巷で噂される殺人姫「程度」が彼を、戦士の極みを殺すことなどできはしないのだ。

 

 我武者羅に振るわれたナイフを、大和は躱すこと無く肉体で受け止める。

 刃が儚い音を立てて砕け散った。

 

 筋肉を瞬間的に締め上げ、肉体を鎧の如く硬化させる身体操法。

 

 唯我独尊流、金の型「金剛」

 

 拳を掲げられ、雲雀は咄嗟に顔面をガードした。

 しかし大和は手を広げ、彼女の腹に掌を押し当てる。

 

 瞬間、雲雀は螺旋を描きながら宙を舞った。

 内蔵全てが螺旋状に抉られ、激痛のあまり意識を失う。

 

 唯我独尊流、螺旋掌。

 

 密着状態から掌を回転させる事で相手に致命傷を与える純粋物理攻撃。

 超常的な怪力と極限まで練り上げた武術、濃密過ぎる闘気を一気に叩き込む三段攻撃。

 密着状態からの一撃であるため、防御はほぼ不可能。

 最上位の妖魔をも一撃で沈める必殺技である。

 

 荒れ狂う川の中に沈む雲雀。

 それを無理やり持ち上げ、大和は不敵な笑みを浮かべた。

 

「まぁまぁ楽しかったぜ。今後に期待だな」

 

 そのまま彼女を担ぎ上げ、崩壊した河川敷へと向かっていった。

 

 

 ◆◆

 

 

「…………!!!!」

 

 雲雀は身を起こすと同時に周囲を警戒した。

 もしもの時は自殺するつもりだったが──既にあの男はいない。

 

 場所も変わっていた。何処かもわからぬアパートの屋上だった。

 背後を見れば夕陽が沈みかけている。かなり時間が経っていた。

 

「…………」

 

 雲雀はかけられていた漆黒のコートを退けると、ナイフで床に縫い付けられていた紙切れを見つける。

 

「暇潰しにはなったぜ。今度会う時までにもっと経験を積んでおけ。あと化粧の仕方もな。殺し屋としても、女としても、美味しく育っておけよ」

 

 雲雀は暫く無言だった。

 が、次には全身を戦慄かせる。

 手紙をグチャグチャに破り捨て、憎悪と羞恥で涙した。

 

「殺す……絶対殺す、必ず殺す……覚悟しておけッッ」

 

 冷たい北風を浴びながら、殺人姫は怨敵への復讐を誓うのであった。

 

 

 ◆◆

 

 

『……もしもし。大和くん、どうだった? 高梨雲雀は』

『おう努ちゃん。それなりだったぜ、いい暇潰しになった』

『そうか、それはよかった。──しかし、やはり超越者の卵だったか……今度スカウトしようかなぁ』

『やめとけ、アレはヤバいタイプだぜ』

『と、言うと?』

『善悪の区別ができてるようで全くできてねぇ。気に食わない奴は平気で殺すタイプだ……しかも行動原理が金でも名誉でもなく、ただの殺意ときてやがる。かーたまんねぇなオイ、俺よりイカレてるぜ』

『それはまた……今後警戒した方がいいかな?』

『いいや、野放しにしといた方がお得だぜ。今のところは、な。何せ勝手に犯罪者や妖魔を殺してくれるんだ、益虫か何かだと思っておけばいいだろ』

『……もしも手を付けられなくなった場合は』

『いいぜ、殺してやるよ』

『ありがとう』

『……まぁ、そうなんねぇように色々仕込ませて貰ったがな』

『君は──またいらない敵を作ったんだろう』

『将来が期待できそうだったんだよ。アレはいい遊び相手になる』

『はぁ……よくもまぁ、自ら敵を増やそうとするね』

 

 

『努ちゃん……人生は面白く、窮地もパーティーに見立てるんだ。敵は多い方が面白いじゃねぇの。……まぁ面倒だったら殺すんだけどな♪』

 

 

『……君の遊び相手になった高梨雲雀には少しだけ同情するよ』

『クククッ……そんじゃあな、努ちゃん。また今度一緒に遊ぼうや』

『ああ、またね大和くん』

 

 

《完》

 



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第二十五章「剣姫伝」
一話「魔剣姫達」


 

 

 超犯罪都市、東区に近い河川敷にて。

 深きものどもが生息する「混沌の湖」まで流れている小川、その道端では妖魔桜が華やかに花弁を散らしていた。自在に枝を揺らして、落ちた花弁は桃色の魔蝶と成りて飛んでいく。

 

 周囲に建っている家屋は格安の貸家だ。表世界から逃げてきた犯罪者や金の無い者達の借り住まいとなっている。

 

 遥か遠くに見える中央区の摩天楼。近未来を彷彿とさせるその光景を、妖魔桜の枝上から眺めている絶世の美女が居た。

 濡れる様な黒髪は腰まで流し、桜の花弁を散らした黒色の浴衣を艶やかに着崩している。

 収まりきらない豊満な乳房を揺らして、彼女は熱い──熱い溜息を吐いた。

 

「はぁ……愛おしや。貴方様に握られたあの時から、私の刻は停まってしまった……」

 

 世界最強の妖刀──紅桜。

 戦国末期に打たれ、今なお数多くの神魔霊獣の血を啜っている生粋の魔剣である。

 彼女は今、黒き鬼神に恋い焦がれていた。

 

「どうすれば良いのですか……? 貴方様の剣になりたい……私はもう、貴方様以外の担い手は考えられないのです……」

 

 豊満な乳房ごと己が身を抱き締める紅桜。

 想えば想うほど焦がれる時間は増えていく。今では一日の殆どを煩悶に費やしていた。

 その暁色の瞳には漆黒の益荒男しか映っていない。

 

「……重傷ですね、紅桜。そんなにあの黒鬼が恋しいですか?」

「…………」

 

 聞き覚えのある幼女の声に、紅桜は静かに視線を落とした。

 妖魔桜の下に、銀髪の美少女が佇んでいた。

 

 膝裏まで伸びたストレートの銀髪。生気を感じさせない蒼穹色の半眼。慎ましい、しかし柔らかそうな肢体を純白のワンピースで着飾っている。

 

 容姿的年齢は十代前半ほど。

 彼女に対して、紅桜は嫌悪の念を隠さず吐き捨てた。

 

「これは……聖王剣と誉れ高い世界最強の聖剣、コールブランド殿ではありませぬか。このような邪悪な魔都に、何故貴女の様な聖具が?」

 

 皮肉たっぷりなその問いに幼女──コールブランドは冷笑を浮かべる。

 可憐な童顔に不釣り合いな、不気味な笑みだった。

 

「元、聖剣ですよ」

「…………!」

 

 紅桜は目を見開く。

 彼女から以前の様な聖なる波動を感じない。むしろ──

 紅桜は口の端を緩める。

 

「聖王剣も堕ちるところまで堕ちましたな……その在り様、最早私共と変わらぬではありませぬか」

「ええ全く。所詮私は剣──斬り、殺めるための道具。担い手が如何に善人であろうと、する事は変わらない」

「貴女が放つ邪悪なオーラ、善人が振るっていれば感じぬ筈のものですが……」

「一々言わせないでくさださい。私は飢えているのですよ。血肉に……ッッ」

 

 邪悪な笑みを零すコールブランド。

 紅桜は親しみを込めた微笑を返した。

 

「失礼しました。……いやはや、世も末ですな。我等の存在理由も極端になってきた」

「全くです。私も手段を選べなくなってきましたよ」

「…………」

 

 紅桜は改めて魔剣に堕ちてしまった聖王剣を見下ろす。その様は──あまりに滑稽だった。

 

 コールブランドは問う。

 

「私は新たな担い手を捜しています。貴女なら心当たりがあるのでは?」

「いいえ、その様な……」

「嘘が下手ですね。────いいでしょう。貴女には一言伝えておきたかったのです」

「……?」

 

 コールブランドは童顔をおぞましい欲情で歪める。

 

「あの益荒男──大和の得物の座、私が頂きます。異論はありませんね?」

「なっ!?」

 

 身を起こした紅桜に、既にコールブランドは背を向けていた。

 

「それでは、また」

「待ちなさい!! この泥棒猫!!」

 

 紅桜は枝上から飛び降り、コールブランドの背を追う。

 大和の得物になる事を賭けた魔剣同士の争いが勃発した瞬間だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の中心地、ドギツいネオンとおぞましい喧騒を抜けたその先に大衆酒場ゲートがある。

 五大犯罪シンジゲートの縄張りに囲まれていながらも独立を貫いている完全安全地帯だ。

 五大犯罪シンジケートの総帥達は「彼」を特別な存在として扱っている。

 

 ネメア。本名をヘラクレス。神話時代から生きる百戦錬磨の豪傑である。

 

 此処は魔界都市のオアシス。命が面白い程吹き飛んでいくこの都市で、唯一気の抜ける場所。

 

 妖精、魔族、妖魔、獣人、蟲人、宇宙人、仙人──あらゆる種族の者達が此処に集まってくる。

 この店の雰囲気は唯一無二のものだ。荒御霊でも邪神でも崩すことは叶わない。

 

 あの暗黒のメシアもこの店を贔屓していた。

 ゲートに何かあればネメアだけではない、彼も動く。

 暗黒のメシアと勇者王、人類を代表する二名の大英傑にわざわざ喧嘩を売る輩など存在しない。

 いたとしても、すぐにこの世から消えてしまう。

 

 金髪の偉丈夫、ネメアは何時通り厨房前でセブンスターを噴かしていた。

 無愛想ながらも根はお人好しな彼は魔界都市でもまっとうな部類の人間である。

 

 対してカウンター席で座っている暗黒の美丈夫──大和。

 依頼とあれば女子供でも容赦無く殺める外道でありながら、圧倒的な暴力で世界を救い続けている闇の救世主である。

 

 彼はエルフの美女軍団に囲まれながら酒を飲んでいた。

 エルフ達はそれぞれ官能的な台詞を吐きながら彼を誘っている。

 

 その灰色の三白眼が一人のエルフに向けられた。彼女は表情を蕩けさせるとキスをねだる。

 大和はその薄桃色の唇に太い指先を這わせたかと思えば、ラムの入ったグラスに口付けした。

 エルフは頬を膨らませ、彼の腕を揺する。

 

 しかし微動だにしない。限界まで鍛え抜かれた褐色肌の肉体は世界最強の剛力を誇る。邪神すらねじ伏せてしまうその逞しさを感じて、彼女は思わず赤面した。

 

 その結われた黒髪をゆっくりと梳く者。真紅のマントに染み付いた芳香に陶酔する者。抱き寄せられ、その強大な存在感に惚ける者まで──

 

 淫乱な雌猫達を適当に可愛がりつつ、大和はネメアに問いかけた。

 

「そういえば、あのチンチクリンがこの店で働きはじめたんだって?」

「……ああ、ちょっかい出すなよ」

「何処だ? 何処にいる?」

 

 キョロキョロと店内を見渡し始める大和。

 すると、端っこの方で注文を受けている美少女ウェイトレスを見つけた。

 

 結われた金髪と眼鏡が特徴的な少女。

 元・世界最強の妨害屋、黒兎──大和の実娘である。

 

 両者は視線を合わせると、互いに中指を立て、親指を下に向けた。

 大和は可笑しそうに笑い、黒兎は苦虫を噛み潰した様な顔をしている。

 

 その筋金入りの仲の悪さに、ネメアは何とも言えない表情をした。

 大和と黒兎の相性は最悪だ。しかしネメアとはすこぶる仲が良い。

 この微妙な関係は、ネメア自身ではどうする事もできなかった。

 

 大和は拗ね始めたエルフ達を可愛がりつつ、酒盛りを再開する。

 彼はこの後、彼女達と一夜を明かす予定だった。

 

 しかしそうは問屋がおろさない。

 今宵、新たな厄介事が彼の元に訪れた。

 

 勢いよくウェスタンドアが開かれる。銀髪の美少女と妖艶な美女が入ってきた。

 二名の類稀なる美貌に目を丸める客人が多い中、数名は彼女達の正体に気付き唖然とする。

 

 その中には大和も含まれていた。

 小走りで駆け寄ってくる彼女達に苦い顔を向けている。

 

 二名の内、銀髪の少女が大和に鬼気迫る表情で告げた。

 

「世界最強の殺し屋──大和。貴方には是非、私の担い手になって貰いたいのです」

「このッ……大和様、この様な堕ちた聖剣の言葉に惑わされぬよう!」

「ハン、妖刀がほざきますね……」

「なにぃ……!」

 

 睨み合いを始める二名。

「聖王剣コールブランド」と「妖魔刀・紅桜」に、大和は心底面倒臭そうな視線を向けていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和はやれやれと肩を竦めながら周囲のエルフ達を退かせる。エルフ達はコールブランドと紅桜を恨めしそうに睨みながらも離れていった。

 

 大和はテーブルに寄りかかり、ギザ歯を覗かせる。

 その笑みには若干の嘲りが込められていた。

 

「俺の得物になりたいって? お前等に務まるのか? 俺の得物が」

 

 その言葉に銀髪の美少女、コールブランドが強く頷いてみせる。

 

「できますとも。古今東西、あらゆる英雄の手で振るわれてきたのです。貴方の要望にも必ず応えられます」

「ハッ、ひよっこ共に振るわれて調子に乗ってるみてぇだな。……でもまぁ、調子に乗るだけの性能があるのも確かだ」

 

 聖王剣コールブランド。

 精霊の最上位種、星霊達が鍛え上げた至高の聖剣。あらゆる聖剣の原点であり頂点である。

 その性能は振るえば万の敵勢を薙ぎ払い、持ち主に破格の恩恵をもたらすという。

 

 剣士なら一度は欲する最強の聖剣だ。

 しかし大和はそんなもの求めていない。

 

「俺の武器に対する価値観は知ってるだろ?」

「……」

 

 そう、コールブランドは知っている。

 ありとあらゆる聖剣魔剣が彼に袖にされた事を。

 

「俺は武具に能力なんて求めてねぇ。そんなもの、邪魔でしかねぇんだよ。俺にとって武具は手足の延長。よく斬れて、よく突けて、壊れなかったらそれでいい。……意思があるなんて以ての外だ」

 

 その言い分は、彼が能力や恩恵を必要としないほど強いからだ。

 何より、その強さを支える信念がある。

 

 例外として魔導式鏖殺戦車スカアハがあるが、彼女は大和から武具としてではなく相棒として扱われているため例外だ。

 

 しかし、コールブランドはこの例外を上手く利用しようとしていた。

 大和の裾を掴み申し出る。

 

「貴方の武具に対する価値観は知っています。しかしそれは「武具」に限った話ですよね? 「相棒」であるなら話は別な筈です。……貴方は例外を保有してる」

「スカアハの事か?」

「そうです。貴方と彼女の関係は「武具と担い手」という間柄を超えている。私や──遺憾ながら、横にいる紅桜も、貴方と「そういう関係」を築きたいと思っています」

「へぇ……そうなのか? 紅桜」

 

 紅桜は先に言われた事が気に食わなかったのだろう、唇を尖らせるも大和に見つめられ正直に頷く。

 大和はクツクツと喉を鳴らした。

 

「そうだな、俺にとって「武具」は消耗品だ。しかし「相棒」ともなれば話は違う」

 

 でもな──そう言って大和はコールブランドを抱きかかえた。

 彼女は難なく宙に浮き、大和の腹の上に収まる。

 

「お前らに俺の相棒が務まるのか?」

「…………ッ」

 

 言外に馬鹿にされ、コールブランドは大和を睨み上げた。

 大和は彼女の小さな手を取り、自分の胸板に這わせる。

 

「俺の相棒になるって事は、俺の要望に完璧に応えられるって事だ」

「……!!」

 

 コールブランドは驚愕する。

 掌から伝わる大和の肉体の「質感」──

 超越者でも、ただの超越者ではない。破壊と殺戮に特化した「戦闘に於ける超越者」。

 

 筋肉、骨格、関節強度。コレらが元から人間ではなく、鬼や悪魔に酷似している。

 ソレらを合理性の元、徹底的に鍛え抜いている。

 肉体が別物に変質するまで──

 

 何億年もかけて進化し続けているのだろう。たった一代で。

 より強い、戦闘に特化した存在へと。

 

 それがどれほどな出鱈目な事なのか──理解できるからこそ、コールブランドは怖じ気づいた。

 こんな規格外の肉体に振るわれて、果たして原型を保っていられるだろうか? 

 

 腹の上で戦慄しているコールブランドに対して、大和は敢えて優しい声音で告げる。

 

「数億年間、俺が満足に振るえる武具は一つとして無かった。宝具でも神器でもだ。軽く振っただけで壊れちまう。当時、西側で最高の腕を誇っていた鍛冶神ヘパイストスが拵えてくれた大剣も、強敵との戦いで一発で駄目になっちまった」

 

 震えるコールブランドの頬を撫で、桜の蕾の様な唇を太い指で撫でる。

 

「相棒になる以前に、「武具」として機能してくれるかどうか──お前は耐えられるのか? 俺の全力に」

 

 妖艶な笑みで挑発され、コールブランドは唇を引き結ぶ。

 そして否と応え、笑みと共に邪悪な魔力を解放した。

 

「望むところです。壊せるものなら壊してみてください。私を余すことなく使い切ってみてください……ッ」

「……」

 

 腹の上で狂気を迸らせる元・聖王剣を見下ろし、大和は面白そうに口角を歪めた。

 

「……いいねぇ。なら試してやる」

 

 大和はコールブランドを抱きかかえ立ち上がる。

 呆然と立ち尽くしている紅桜も抱き寄せ、店の外に足先を向けた。

 

 彼は首だけ振り返り、ネメアに告げる。

 

「店の外で少し素振りするぜ。いいよな?」

「構わんが、こっちに被害を出すなよ」

「わーってるって」

 

 笑って店を出て行く大和。

 周囲の客人達は唖然としていたが、我に返った瞬間店を飛び出て行く。

 

 彼等は見たくて堪らないのだ。大和の素振りを。

 

 武術家の基本中の基本──素振り。

 世界最強の武術家の素振りを見れる機会など滅多に無い。

 武術家でない者達すらも店を出て行く。

 

 ネメアは煙草を灰皿に押し込め、新聞を読み始めた。

 彼は見飽きているのだろう。

 

 店内は、邪神が訪れた時の様に静かになっていた。

 



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二話「魔剣達の恋慕」

 

 

 大衆酒場ゲートの前に人集りが出来ていた。

 道行く者達が足を止める。種族、立場関係無く観客達が形成されていく。

 

 その中心で、大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「そんなに俺の素振りを見たいのか? 暇人共め……」

 

 ぼやいた大和は、眼前に佇む二振りの魔剣に告げる。

 

「両方同時に扱ってやる。好きな手に来な」

「「…………」」

 

 紅桜とコールブランドは視線を合わせると、嗤って本来の姿に戻る。

 

 右手に収まったのは聖王剣コールブランド。

 形状はクレイモアに近い。しかし溢れ出すオーラは圧倒的。聖と魔の入り交じったオーラは今のコールブランドの精神状態を如実に表していた。

 

 対して左手に収まった妖魔刀紅桜。

 漆黒の柄巻、独特な形状の鍔。刀身は花吹雪を思わせる乱れ刃。迸る邪気と呪詛は幾百万の怨嗟と同等──いや、それ以上だ。

 

 観客達がどよめく。

 世界最高峰の魔剣を拝める機会など滅多にない。ズブの素人でも彼女達の凄まじさを理解できる。

 

 その破格の性能に渇望を覚える者が多い中、性能ではなく希少価値に目を付ける者達がいた。

 

 実に魔界都市らしい。彼女達を売れば何百億になるのか──脳内で既に計算を始めている。

 

 様々な欲望を眼差しを介して浴びせられ、コールブランドと紅桜は憤怒で震えた。

 

『大和……ただ振るうだけでは無く、周囲の者達を試し斬りするのはどうでしょう?』

『賛成。大和様、周囲に丁度良い木偶が揃っております。私共の斬れ味に試すに丁度良いと思われますが?』

 

 魔剣達の物騒な会話を聞いて、住民達は思わず後ずさった。

 魔剣達「だけ」ならまだしも、大和に振るわれたら堪ったものではない。間違いなく殺される。

 

 住民達が逃げる準備を始める中、大和はケラリと笑う。

 

「気にすんな、この都市の住民は何時もこんな感じだ。一々腹を立ててたらキリねぇぜ」

『『…………』』

「どうしても気に食わねぇってんなら、自分達で斬り捨ててきな。その代わり、俺は店に戻らせて貰う」

『わかりました。我慢します』

『誠に業腹ながら──』

「おし、なら振るうぞ」

 

 大和は自然体で佇む。肩の力を抜き、だらんと魔剣達を下げる。

 かの戦国時代の大剣豪、宮本武蔵を連想させる立ち姿。

 

 武術を嗜んでいる者達は察する。大和は既に構えている。アレが大和の構えなのだ。

 

 大和はまずコールブランドを振るう。二、三度素振りをしたかと思えば指で鉛筆回しの様に弄び、最後に振り下ろした。

 天空で渦巻いていた曇天が裂ける──喧騒達は天を見上げ、目を丸めた。

 

 今度は紅桜。

 こちらも数度振るい、指の間で弄んだかと思えば一閃。

 ワンテンポ遅れて、大和の正面に聳え立っていた高層ビル群に斬線が奔る。

 

 倒壊を始めたビル群。その際に起こった地震と風圧は凄まじく、喧騒達は当事者でもないのに恐怖を覚えた。

 

 ただの素振りでコレ──大和は適当に魔剣達を振るっただけだ。能力を行使していない。純粋な技術のみで今の出鱈目な現象をもたらしたのだ。

 

 喧騒らは改めて、畏怖を込めた視線を大和に向ける。

 大和は風圧でマントを靡かせながら頷いた。

 

「よし……」

 

 そんな彼にコールブランドが聞く。

 その声音には喧騒以上の畏怖の念が込められていた。

 

『まさか……そんな……もう「終わらせた」のですか?』

「ああ」

『……ッッ』

 

 コールブランドは愕然とする。紅桜も声も出せずにいた。

 彼女達は大和の出鱈目さをその身を以て痛感していた。

 何故なら、今ので「終わらせてしまった」からだ。波長合わせを──。

 

 彼女達は今まで数多の英雄、達人に振るわれてきた。彼等の中には、その生涯を懸けても二名と波長を合わせられない者がいた。刀身一体──自分の身体の一部として彼女達を受け入れられなければ、先はない。

 

 幾星霜の月日をかける者がいた。不世出の天才と呼ばれた者でも数年の歳月を要した。

 彼女達は他の剣とは違う。意思を持ち、破格の力を持つ。波長を合わせる事すら困難を極める。

 

 それを大和はどうした? 数秒で終わらせた。

 数度振っただけで、彼女達と完璧にシンクロしてみせたのだ。

 

 世界最強の武術家──その異名に偽りなし。

 しかし彼女達は更に思い知る事になる。大和の規格外さを──。

 大和は笑いながら言う。

 

「さぁて、次は洗練していくか」

 

 大和の剣舞が始まった。

 本番はここからである。

 

 

 ◆◆

 

 

 黒兎はネメアに勧められ、大和の剣舞を拝みに来ていた。

 横には先輩であり歴代最強の鬼狩り、野ばらが佇んでいる。

 彼女も剣士として大和の剣舞を拝みに来たのだ。

 

 遠くでソレを披露している大和に対し、野ばらは思わず呟く。

 

「……出鱈目ね。人間じゃないわ」

 

 大和は一見、適当に剣を振るっている様に見える。

 しかし違う。彼は再現しているのだ。過去の担い手達の技を。

 

 一人一人、完璧にトレースしていく。そして更に進化させていく。

 担い手達が到達できなかった領域を、容易く踏破していく。

 

 担い手一人一人、流派や思想、体格が違う筈だ。なのに──完璧に再現してみせるどころか超えていく。

 

 コールブランドと紅桜から担い手達の残滓をくみ取り、再現し──どんどん効率化させていく。

 徹底的な合理性の元、完成させていく。

 

 野ばらは先達達に哀れみを覚えた。

 己の人生を懸けて至ろうとした領域を簡単に踏破されているのだ。

 

 アレが、世界最強の武術家。

 

(成程……それくらい馬鹿げてないとなれないわけね。超越者には)

 

 なろうとも思わないし、なるつもりも無い。

 しかし超越者の基準が何となくわかったので、彼女は小さく溜息を吐いた。

 

 元々の素質が違う。自身も歴代最強の鬼狩りと謳われていたが、目の前の怪物は格が違った。

 

 その背に声がかかる。ネメアだった。店から出てきたのだ。

 

「もうそろそろ完成するだろう」

「……何が?」

「オリジナルの剣術。もうシンクロもトレースも終わらせているだろう?」

「…………」

 

 野ばらは振り返る。

 大和はコールブランドと紅桜を同時に振るっていた。西洋剣と東洋刀、剛の剣術と柔の剣技を組み合わせ、全く新しい剣術を開発している。

 

 今、この瞬間に、大和は新しい「最強の道」を作り上げていた。

 

 規格外もここまで来れば最早笑い話である。

 野ばらは呆れを通り超して溜息も吐けないでいた。

 

 観客達はそれ以前の問題である。そもそも理解できていない。大和がただ剣舞を踏んでいるようにしか見えていない。

 真の実力者でしか、大和の規格外さは理解できないのだ。

 

 ネメアは野ばらの後ろで腕を組みながら言う。

 

「アイツの真骨頂は極まった基礎じゃない、比類無き戦闘センスだ。……アイツは紛れも無い「天才」だよ」

 

 黒兎は大和の剣舞を凝視していた。

 彼の戦闘センスを少しでも解析しようとしているのだ。

 しかしできない。両親に比肩しうる才能を持つ彼女でも、コレだけは真似できなかった。

 

 彼女は沈鬱げに呟く。

 

「遺憾ながら……真似できません。次元が違いすぎる。経験以前の問題です」

 

 その言葉にネメアは苦笑する。

 

「真似しなくていいさ。お前にはお前の強みがある。それを追求していけ」

「……」

 

 頭を撫でられ、黒兎は不服そうにしながらも気持ちよさそうに目を細める。

 隣にいた野ばらが肩を竦めた。

 

「その子に本当に甘いわね、店長」

「まぁな」

 

 苦笑しつつ、否定はしない。

 野ばらは本当に薄く、口元を緩めた。

 

 大和の剣舞が終わる。観客達は拍手すら出来ずにいた。

「本当の内容」を理解できずとも、その凄まじさの一端を感じ取れたのだろう。

 

 静寂に包まれる中、大和は両手を解放する。

 擬人化したコールブランドと紅桜はその場で崩れ落ちた。

 髪を振り乱した彼女達は、紅潮した顔で大和を見上げる。

 

「少し刺激が強すぎたか?」

 

 小首を傾げられ、二名は堪えきれずに喘ぎ声を漏らした。

 そんな大和の背に、ネメアの声がかかる。

 

「大和、すまん。依頼だ。緊急の案件なんだが、大丈夫か?」

「店の中で聞くぜ。オラ、行くぞ」

 

 腰砕けになった紅桜とコールブランドを抱きかかえ、大和は喧騒を裂いていく。

 

「「……っ♡」」

 

 完璧に虜にされた二名は、それぞれ大和の胸板に、首筋に、熱いキスの雨を降らせた。

 

 

 ◆◆

 

 

 カウンター席で。大和は甘えてくる二名を可愛がりながらネメアの話を聞いていた。

 二名は発情しているかの様に大和を求めている。

 あそこまで完璧に振るわれたのだ。彼女達は魔剣として彼に心底惚れ込んでいた。

 

 依頼を受諾した大和は彼女達を下ろし、その頭を撫で回す。

 

「で、だ。……悪ぃな。やっぱりテメェ等は相棒にできねぇ」

「「ッ」」

 

 二名はショックを受けるものの、反論はしなかった。

 わかってしまったのだ。彼の心情が──わかるほど、先程の剣舞の時間は濃密だった。

 

「テメェ等が駄目ってワケじゃねぇぜ? 得物としても、相棒としても、合格ラインだ。でも俺は、やっぱり魔剣に頼りたくねぇんだよ。何より、こんな俺の我が儘を叶えてくれてるコイツ等の鍛治師に合わせる顔が無くなる」

 

 そう言って、腰に帯びている赤柄巻の大太刀を撫でる大和。

 その表情は非常に穏やかだった。

 コールブランドと紅桜は胸が締め付けられる想いを抱くも、何とか笑顔を作る。

 

「貴方がソレを望むのであれば──仕方ありません。私から言える事は何もありません」

「総ては貴方様の望むままに……」

 

 それでも、泣きそうになっていた。

 大和は苦笑すると彼女達を抱き寄せ、甘い声音で囁く。

 

「どうしても我慢できねぇって時は言え。……依頼って形で振るってやる。俺も、お前達を気に入った」

「「!!」」

「だから……またな」

 

 コールブランドの頬に、紅桜の額に、それぞれキスを落とす。

 そして真紅のマントを翻し去っていった。

 

 二名は陶然と立ち尽くす。

 世界最強の武術家の背は遠く──しかし、今は近く感じる。

 本来であればありえない。大和に魔剣など必要ない。それほどまでに強い。

 

 それでも、彼は自分達を認めてくれた。求めてくれた。

 その多幸感に二名は溺れていた。

 

 ウェスタンドアを開けて、大和は店を出て行く。

 その背が見えなくなっても、コールブランドと紅桜は立ち尽くしたままだった。

 

 

 

《完》

 



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第二十六章「柳生伝」
一話「柳生の辻切り」


 

 

 

 その日は酷い雨だった。

 デスシティに快晴という概念は存在しない。重たい鉛色の入道雲が稲光を撒き散らしていた。

 

 ネオンの輝きも濡れる深夜──大衆酒場ゲートで雨宿りをしている住民達は多かった。

 その中には暗黒の美丈夫も紛れている。

 

 彼はカウンター席でラッキーストライクを吹かしながら、やれやれと肩を竦めていた。

 

「怖がりな女を誘うにはイイ天候かもしれねぇが──生憎、この都市にそんなか弱い女はいねぇんだよなぁ」

 

 美丈夫、大和に対して店主、ネメアが冗談を言う。

 

「いるかもしれないぞ。お前のためにわざわざ一芝居うってくれる健気な女が」

「そーゆー女は何時でも抱けるんだよ。あーあー表世界の女子高生でもナンパしに行こうかなー。あっちの世界の女の子は警戒心ゼロかつ処女率高いんだよなぁ」

「さらっと屑発言するのはやめろ。ほんとに見境ないなお前は……」

 

 辟易するネメアに、大和は艶然と笑いかける。

 

「何だ? 嫉妬かネメアちゃん。いいぜ、今夜は一緒に寝てやるよ。背中でも擦ってやろうか?」

「ぶっ殺されたいのか?」

「ハッハッハ! 冗談冗談! そう嫌そうな顔するなって!」

 

 上機嫌になった大和はそのままお気に入りのラムが入ったグラスに口付けする。

 

 雷鳴は未だ鳴り止まず、むしろ激しさを増していた。

 

 アホな親友を一瞥したネメアは、別の話題を持ちかける。

 

「大和、最近妙な辻切りが出没する噂……聞いたか?」

「ん? まぁな。でも辻切りなんざこの都市じゃ珍しいもんでもないだろう、何でこんな噂になってんだよ」

 

 ネメアは答える。

 

「さっき仕入れたんだが──どうやらその辻切り、柳生(やぎゅう)一族の剣士らしいぞ」

「はぁ……? 柳生ってアレだよな? 日本の退魔剣士の家系でも特にデカイ」

「そうだ。陰陽道の土御門(つちみかど)、鬼狩りの久世(くぜ)に連なる退魔御三家の一角。表世界でも有名な武家だな」

 

 柳生一族。

 1560年代から現代まで続く退魔剣士の総本山である。

 当時最強の退魔剣士だった剣聖、上泉信綱(かみいずみ・のぶつな)から秘剣を授かりし以降、現代に至るまで粛々と妖魔を狩り続けてきた。

 

 表世界では都合上、経歴が大幅に改竄されているが、本来柳生の剣は魔を絶つ退魔剣である。

 

 デスシティの住民達は彼等を特別畏怖していた。

 何せ住民達の殆どが魔に属する輩、柳生の剣は天敵なのである。

 

 それらを知っている大和は、更に疑問を深めた。

 

「おかしな話だなオイ。柳生の剣士が妖魔を狩りに来たってんなら兎も角、辻切りって何だ」

「読んで字のごとく、既に七人殺されてる。全員人間だ」

「共通点は?」

「それなりに腕の立つ剣士」

「……ふぅむ、妖魔にでも取り憑かれたか?」

「妥当な線だな。しかしそうなると──」

「何だ」

「柳生の剣士が来る筈だ。同族の後始末をするために、この都市に」

 

 ネメアが顎を擦ったその時、ウェスタンドアが濡れた音と共に開かれる。

 深紅の番傘を畳み顔を覗かせたのは、古き良き大和撫子だった。

 

 年齢は十代後半ほど。まだ若い。

 艶やかな黒髪は腰まで流れ、きめ細やかな純白の肌は新雪を連想させる。

 しかし鋭い双眸から溢れさせる剣気は成る程──一流の剣士のソレ。

 

 純白の着物を盛り上げる豊満な乳房を窮屈そうに揺らしながら、彼女は大和に真っ直ぐな視線を向けた。

 

 紺色の袴をはためかせ一直線に彼の元に歩み寄ると、再度視線を重ねる。

 

 そして鈴の音の様な声を響かせた。

 

「お初にお目にかかります、大和殿。私は柳生「十兵衛」(かすみ)──貴方にこなして貰いたい依頼があって参上しました」

「身内の尻拭いか?」

「……!!」

 

 驚いた少女は、しかしゆっくりと首を横に振るう。

 そして告げた。

 

「私が奴を──愚兄、柳生「十兵衛」平治(へいじ)を斬り損ねた際、代わりに奴を殺して欲しいのです」

 

 その発言は予想外だったのだろう。

 大和は目を丸めると、次には妖艶に笑った。

 

「面白ぇ……いいぜ。その依頼、受けてやるよ。詳細を聞かせな」

「……承知しました」

 

 大和は惹かれていた。

 彼女の目に宿る様々な負の感情に。

 何より、死を決意したその在り方に──

 



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二話「混沌災禍」

 

 

 柳生「十兵衛」霞は淡々と語り始めた。

 鈴の音の様な声に憎悪を滲ませて──

 

「柳生十兵衛平治──いいえ、あの者は十兵衛でも無ければ、柳生家の者でもない。人斬りの妄念に取り憑かれた妖魔です」

 

 大和はフムと顎を擦りながら問う。

 

「柳生十兵衛って名は本家で最も腕の立つ退魔剣士が継ぐ名だった筈だ。てぇことは」

「私以外の継げる者が全員斬り殺されたため、やむを得ず継ぎました」

「……」

 

 色々事情があるらしい。

 大和は続きを促した。霞は頷き、話を再開する。

 

「兄──平治は当代随一の退魔剣士でした。本家の嫡男として生まれた彼は心技体ともに完璧でした。分家の者達も含め、柳生家は彼に絶大な信頼を置いていました。私も、素晴らしい兄だとお慕いしていました」

 

 しかし三日前の夜──奴はとうとう我慢できなくなったのです。

 そう言う霞の瞳が憎悪で彩られた。

 

「誰も気付かなかった。気付けなかった。奴が人を斬りたいと切に願っていたイカレである事を」

 

 本家、分家に限らず柳生家の腕の立つ剣士は全員斬殺された。

 女子供が無事だったのは、単に斬り甲斐がなかったからである。

 

「現に私は犯されました。組伏せられ、純潔を散らされました。その時の痛みを……何より奴の言った言葉を忘れられません」

 

 ──お前は絶対に犯してやりたかった。剣士としても一目置いていたが、それ以上に女として魅力的だった。

 

「その時、悟ったのです。兄は妖魔に取り憑かれたのではなく、初めから妖魔だったのだと──。私達はずっと騙されていたのです」

 

 でなければ、畜生の如き笑みで妹を犯したりはしない。

 快感に震えながら、何度も犯したりはしない──と。

 

 そこまで言ってその時の事を思い出したのだろう──霞の美顔が青褪めた。

 

 しかし話を聞いていた大和は、あくどい笑みを浮かべていた。

 何かよからぬ事でも思い付いたのだろう。

 

 ネメアが止める前に、彼は切り出した。

 

「可哀想になぁ……ハジメテが痛いなんて最悪だったろうに。兄貴もとんだ変態だな。近親相姦でそこまで興奮できるなんざ、筋金入りだ」

「…………」

 

 霞は思わず大和を睨んだ。侮蔑を込めた眼差し──しかし大和は構わず続ける。

 

「何だ? 慰めて欲しかったのか? お生憎様、その程度の悲劇じゃ酒の肴にもならねぇ」

「……」

「で、だ。依頼は受けるが、報酬の内容を指定させて貰うぜ。──三日間、俺の女になれ」

「大和」

 

 思わずネメアが諌める。しかし大和は邪悪な笑みを浮かべた。

 

「コイツには身をもって知って貰うのさ。今から雇う殺し屋は、憎っくき兄と同類のクソ野郎だって事をな」

「……!」

 

 驚く霞に大和は向き直る。

 

「お前がやろうとしてるのはそういう事だ。それが認められねぇなら他を当たりな。どーぞどーぞ、他にも一杯いるぜ。俺と同格の外道畜生がな」

「…………」

「この都市はそーゆー場所だ。お前の兄貴にとって最高に居心地が良い場所だ。──それすらわからねぇなら、帰って恋人でも作って慰めて貰えばいい。その容姿だ、男なんてホイホイ釣れるだろ」

「大和、それ以上はやめろ」

 

 ネメアが怒気を滲ませるが、大和は鼻で笑った。

 

「考えてみろよネメア。普通、一人で来るか? この都市の事情を知っていて、女が一人で」

「……」

「もう覚悟が決まってんだよ、コイツは。だから俺を頼ってきた。コイツ自身、一番わかってるんだ。俺が兄貴と似たようなクソ野郎だって」

「……」

「なりふりかまってられねぇんだろ?」

 

 霞に視線を向ける大和。

 彼女の瞳には様々な激情が宿っているが──熱はなかった。

 

 ありたいていに言えば死んでいるのだ、魂が。

 恐らく兄に犯されたその時点で、魂が腐ってしまったのだろう。

 

 今大和の目の前にいるのは、悲憤だけで駆動している人形だった。

 

 故に面白い。そそられる。

 

 子供のように笑う大和に対して、霞はコクリと頷いた。

 

「わかりました。その条件、呑みましょう。しかし──傷物の女を求めるなんて、貴方も相当な物好きですね」

「ああ、物好きさ。だから今からたっぷりと教えてやる──本物の快感ってやつを」

「……っ」

 

 その頬が微かに朱に染まったのを見て、大和は口の端を歪めた。

 ネメアは頭を抱えるも、それ以上は何も言わなかった。

 

 口出しする必要はない。

 大和は彼女を救う。

 いいや、大和にしか救えないのだ。

 

 彼はこういった手合いの者を救い慣れている。

 彼にその気がなくても、結果として彼女は救われる。

 

 

 暗黒のメシアの異名は伊達ではなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 忘我の彼方を彷徨った。霞は何も考えることができなかった。

 

 快感の虜になるとはこの事を言うのだろう。

 

 自身の筋肉が柔らかくなっていく感覚──剣士から女に変えらていくその過程に、霞は酔っていた。

 

 喘ぎ、果て──それを繰り返すこと三日間。

 霞は漸く解放された。

 

 甘い快感が余韻として残る中、一糸纏わぬ姿でベッドに横になっている。

 その歳不相応の豊満な乳房に埋もれながら、大和は小さく寝息を立てていた。

 

「…………」

 

 霞は不意に熱い想いを抱く。しかしすぐに冷ました。

 彼からそっと離れ、紺袴を履く。着物を整えると、愛刀を携えて部屋から出ようとした。

 

 しかし一度戻り、大和の頬を撫でる。

 その顔は、愛しき異性に向けるものだった。

 

「ありがとうございます……こんな私を愛してくれて。生きる意味を教えてくれて。……でも、ごめんなさい」

 

 そう言って踵を返した。その頬には一筋の涙が流れていた。

 彼女が去った事を確認し、大和は起き上がる。

 

 彼は心底といった風に溜め息を吐いた。

 

「馬鹿な女……ったく」

 

 不機嫌そうに煙草を咥える。

 すると、枕元に置いてあったスマホが鳴り響いた。

 着信である。宛先人は──

 

「へぇ、珍しい」

 

 大和は驚きながらも応答した。

 

「もしもし」

『お久しぶりです、大和さん。今お時間空いてますか? 大事な話がありまして──できれば直接会ってお話がしたいのです』

「……いいぜ。だがどうした? お前が──五大犯罪シンジケートの一角、五十嵐組の若頭が慌てるほどの事態なのか? ええ、裕樹よぅ」

 

 宛先人──五十嵐裕樹(いがらし・ゆうき)は電話越しに苦笑した。

 

『ええ、緊急の案件です。件の柳生の辻切りも一枚噛んでおりまして──大和さんにも関わりがある内容かと』

「耳が早いな。お前もソイツ狙いか?」

『いいえ、柳生の辻切りを狙っている「ある奴」に用があります。「剣客殺し」と言えばわかりますか?』

「成る程……今どこにいる」

『大衆酒場ゲートです。恋次を側に置いているので、すぐにわかるかと』

「わかった。すぐ行く」

 

 電話を切ると、大和はやれやれと溜め息を吐いた。

 そうして煙草を咥え、火を点ける。

 

「柳生家に五十嵐組──お次は「剣客殺し」、天下五剣の死鏡仁三郎(しかがみ・じんざぶろう)ときた……面倒な事になってきたな」

 

 大和は煙草を吹かしながら何時になく真面目な表情になると、一張羅に身を包み始めた。

 

 



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三話「風雲急」

 

 

 大衆酒場ゲートは何時になく緊迫感に包まれていた。

 理由はテーブル席に座っている厳つい巨漢と、和風の給仕服を着た少女。

 

 片や刈り上げた黒髪とサングラス、額に生えた二本の角が特徴的な偉丈夫。

 五十嵐組の幹部兼若頭補佐役。元、東洋の大鬼神──大嶽丸(おおたけまる)こと恋次(れんじ)

 

 片や、可憐な容姿からは想像も付かない鋭い剣気を放っている美少女。

 大正モダン──鬼が最も盛んに活動した時代に「最強の鬼狩り」と謳われた退魔剣士、野ばら。

 

 デスシティの住民達は大きな危機感を抱いていた。

 

 何せ二名は仇敵とも呼べる間柄。

 以前の雅貴復活の際に起こした大喧嘩は中央区を半壊させている。

 

 客人達はここが大衆酒場ゲートであるとはいえ、戦々恐々としていた。

 

 そんな中、至って平静に煙草を吹かしているネメアに新人ウェイトレス──元・最強の妨害屋、黒兎が問う。

 

「ネメアさん、大丈夫でしょうか? 野ばら先輩の殺気──かなり濃いです」

「まぁ、二人の間柄を考えれば……な。野ばらはここで店員をしながらも未だ鬼狩りを続けている。恋次は本来討伐対象だ。……様子を見ておこう」

「わかりました」

 

 黒兎はコクリと頷くと、絶賛睨み合っている二名に視線を戻した。

 野ばらは殺気を迸らせながらも、恋次の前に注文の品を置く。

 

「……日本茶よ」

「……ありがとう」

「…………」

「…………」

 

 空気が重たい。二人の間に流れる剣呑な雰囲気が酒場全体を包み込んでいた。

 

 ここでふと、恋次の横に座っていた美男が苦笑する。

 

 漆黒のスーツにロングコートという出で立ち。歳はまだ二十代前半ほど。しかし纏う雰囲気は歴戦の勇士のソレ。

 細身ながらも鍛え抜かれた肉体。適度に伸ばされた黒髪。糸目が精悍な顔立ちを柔らかくしている。

 眼鏡もまた彼の威風を和らげるアクセントになっていた。

 総じて温和な青年に見えなくもない。

 

 五十嵐組若頭──五十嵐裕樹(いがらし・ゆうき)

 組長の実子であり、血統実力戦績共に申し分無い次期組長候補。

 五十嵐組の№2だ。

 

 彼は野ばらに柔らかい語気で告げた。

 

「あまりウチの組員を刺激しないで貰いたいです──鬼狩りの野ばら殿」

「…………」

 

 野ばらは裕樹に冷徹な眼差しを向ける。

 殺意も伴ったその眼光を、裕樹は真正面から受け止めた。

 

「私は鬼狩りの久世家と面識があります。貴女は久世家の現総帥と同年代だそうで……。彼は貴女を尊敬していて、今でも熱心に勧誘しているそうではないですか。──何故こんなところでウェイトレスなどしておられるのです?」

「貴方に話す義理はないわ」

「これは失敬──いやなに、ネメアさんも困っているのでは、と思いましてね。たとえ鬼だとしても、客人に殺気を向けるような娘、営業妨害もいいところだ。……ウェイトレスより本職に戻られたほうがいいのでは?」

「…………」

 

 嫌味たっぷりなその言葉を、野ばらはバッサリと斬り捨てた。

 

「言いたいことがあるならハッキリいいなさい、聞くに耐えないわ」

「ウチの組員に、俺の家族に、易々と殺気を向けるんじゃねぇ……女子供でも容赦しねぇぞ」

 

 優男の仮面を剥がし、莫大な怒気を迸しらせる裕樹。

 忘れてはいけない、彼は極道なのだ。デスシティで最強の一角に数えられる犯罪組織の若頭なのだ。

 

 額に特大の青筋を浮かべる裕樹に対して、野ばらもまた眉間に深い皺を寄せる。

 

「貴方の家族だろうが何だろうが関係ない。鬼は斬る──貴方の隣にいる鬼も、何時か必ず斬り伏せるわ」

「上等だクソガキ、調子乗りやがって……恋次さんを斬ろうとした瞬間に俺がテメェを叩っ斬ってやる」

「できるの? 貴方に?」

「……アア゛? 試してみるか? 表出ろよ」

「いいわよ、その代わり腕の一本程度じゃ済まさないから」

 

 立ち上がった裕樹を恋次が押さえる。

 臨戦態勢に入った野ばらはネメアが押さえた。

 

「若、どうか冷静に……」

「野ばら、一旦落ち着け。相手は客人だ」

「「…………」」

 

 二名は殺意を隠さず睨み合う。

 

「命拾いしたなクソガキ……二人に感謝しろよ」

「店長の顔を立てただけよ。貴方こそ調子に乗らないで」

 

 片や、幼少期から全幅の信頼を寄せる男を一度は死の淵に追いやった女。

 片や、改心したとは言え鬼神を「家族」と宣う男。

 

 決して相容れない間柄だった。

 

 ネメアと恋次がやれやれと溜め息を吐いていると、漸く大和が登場する。

 

 彼は何時もとは違う店内の雰囲気と、何よりその中心にいる四名を見て、嫌そうに眉根をひそめた。

 

「……これ以上の面倒事は嫌だぜ俺ぁ」

 

 彼の登場によって、漸く話が纏まりそうだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は裕樹に促されテーブル席につく。裕樹はまず、深く頭を下げた。

 

「見苦しいところをお見せしました」

「別にいいぜ。そうだよなぁ、鬼狩りのチンチクリンがいりゃぁ喧嘩にもなるわな」

 

 苦笑しながら野ばらに視線を投げる大和。野ばらは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 

「で──東洋の大鬼神も今や極道か。わからねぇもんだな」

「──以前の雅貴様との一件は大変お騒がせしました。ここで詫びを」

「何で詫びる? アレはテメェらの喧嘩だった。俺は首を突っ込んだだけだ」

「……」

「周囲の被害なんざ周囲でどうにかする。結果的にテメェは雅貴を止めた。それで十分だろ」

「……」

 

 無言で再度頭を下げた恋次に適当に手を振り、大和は改めて裕樹に向き直る。

 

「で──今回の一件についてだが、お前らの立ち位置はどんな感じだ? 説明願うぜ」

「はい、まず柳生一族の件からおさらいさせていただきます。今から一週間前、柳生一族の退魔剣士がのきなみ惨殺されました。犯人は柳生十兵衛平治──柳生家の次期当主だった男です」

「妹から聞いたぜ。近親相姦で興奮する変態野郎だってな」

「被害はかなり深刻な様で、極一部を除いてこの事件を知る者はいません」

「そりゃ、退魔御三家の一角の戦力が激減したんだ。情報隠蔽するわな。なら、何でお前らがソレを知ってる?」

「あちらが頼ってきたのです。戦力を貸して欲しいと」

「成る程」

「この事件の深刻性は今後にあります。表世界で調子に乗る輩が必ず現れる。それを潰す暴力が必要です。故に柳生家は他の退魔の家系のみならず、我々を頼ってきた」

 

 大和はあくどい笑みを浮かべる。

 

「総理大臣──努ちゃんを頼らない辺り、柳生家も中々やるな」

「現、総理大臣は悪名高き御仁ですからね。歴史ある退魔組織──日本呪術協会との仲も最悪だと聞いております」

「アイツはかなりのキレものだぜ? 少なくとも古いしきたりに拘ってる骨董品共より何倍も日本のために尽力してる。──まぁいい、話を戻そう」

「はい」

 

 裕樹は頷くと、本題に入る。

 

「我々は今回の事件の主犯、柳生十兵衛平治を狙っている「剣客殺し」死鏡仁三郎(しかがみ・じんざぶろう)に用があります」

「死鏡か──アイツの事だ。狙ってる理由は単純にソイツが剣客だからだろう?」

「はい、その通りです」

「何でお前らはアイツを狙う。アイツは天下五剣、世界最強の剣士の一角だぜ。死ぬつもりか?」

「──ケジメ、つけさせないといけないんですよ」

 

 裕樹は糸目をうっすら開く。

 その双眸には凄まじい憎悪の念が煮え滾っていた。

 大和は三白眼を細める。

 

「組員をやられたか」

「ええ、三名──大事な仲間であり、家族でした。あのクソ野郎の素っ首をアイツ等の墓前に捧げないと、俺達も、アイツ等の家族も、報われないんです」

「……義理堅いこって」

 

 大和は興味がないとばかりに肩を竦めると、裕樹の瞳を再度覗いた。

 

「お前らは死鏡に用がある、だから手を出すな──そういう事か?」

「はい。お望みとあらば別枠で報酬も準備します」

「…………」

 

 大和は暫く裕樹の瞳を見つめていた。

 決して視線を逸らさない裕樹に対して、不意に笑みを零す。

 

「安心しろや。俺はこの一件、柳生家の尻拭いをするだけだ。死鏡はテメェらでどうにかしろ」

「ありがとうございます。報酬は」

「いらねぇよ。そもそも動かねぇんだし」

 

 頬杖を突く大和に、裕樹は思わず問うた。

 

「よろしいのですか? 柳生の娘が巻き込まれるかもしれませんよ?」

「覚悟の上だろ、アイツも」

「……」

「だから俺を頼らなかった。自分で刀を持った。──今回、俺は何もしねぇよ」

「……わかりました。では我々も筋を通しましょう」

 

 裕樹は立ち上り、大和に告げる。

 

「剣客殺しと柳生の兄妹──できる限り離してみせます。今回の一件、それぞれ決着をつけましょう。……それでは、失礼します」

 

 深く頭を下げた後、恋次を連れて去っていく。

 大和は面倒臭そうに溜め息を吐いた。

 

「かたっ苦しいねぇ、極道ってのは」

 

 そんな彼の前に洋酒が置かれた。ネメアだった。

 

「ソイツを飲むのか? 飲むなら本当に関わらないつもりなんだろうが……」

「あたぼうよ」

 

 大和は迷うことなく栓をあける。

 そしてグラスにゆっくりと中身を注ぎ始めた。

 

「どっちも俺が関わることを望んでねぇ。俺も、面倒事に巻き込まれるのは御免だ。つまり今夜はここで一夜を明かす、オーケー?」

「勝手にしろ」

 

 一人楽しそうに酒盛りを始める大和を一瞥し、ネメアは厨房へと戻っていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 雨も小降りになってきたが、柳生十兵衛霞は真紅の番傘を差したままだった。

 小綺麗な足袋で水の浸った大通りを進んでいく。

 

 すれ違った住民達は彼女から「自分達とは違う雰囲気」を感じ取るも、声をかけはしなかった。

 腰に帯びられた刀と、何より静謐な剣気に当てられたからだ。

 

 触らぬ神に祟りなし──皆素通りしていく。

 

 霞は小さな溜め息を吐くと、頭上でうねりを上げている鉛色の入道雲を仰いだ。

 

 常に剣気を張っていないと何時襲われるかわからない──しかし、今はこの環境がありがたかった。

 内に滾る憎悪と悲憤を誤魔化せるからだ。

 

(あの男が近くにいる──霊刀が鳴いている)

 

 腰に帯びている刀は柳生家に代々伝わる退魔刀──その片割れ。

 薄刃蜻蛉(うすばかげろう)──柳生家当主を支える腹心が携えるべき刀だ。

 

 もう一つの霊刀──鈴刃空蝉(すずはうつせみ)は次期当主だった男が盗んでいった。

 

 何故薄刃蜻蛉も盗んでいかなかったのか……霞は察していた。

 あの男は待ちわびている。

 再開を願っている。

 

 もう一度犯したいのだろう、この身体を。

 あの忌まわしき宵の刻の様に、何度も──

 

「ッッ」

 

 犯された時の絶望と激痛が、胸に燻る憎悪をより一層焚き付ける。

 許すまじ、死すべしと、霞の四肢を勝手に先へと進ませる。

 

 しかしふと、漆黒の美丈夫の笑みを思い出した。

 優しくこの身を抱き締め、愛を囁いてくれた。

 何度も何度も愛してくれた。

 忘れかけていた人の温もりを、思い出させてくれた。

 

 彼の悪名は知っている。

 神代の時代から生きる殺戮者──闇の英雄。

 それでも、霞は思ってしまった。

 

 彼の女でいたいと──

 

「──ッ」

 

 許されざる恋。

 そう胸に言い聞かせ、霞は強く唇を噛み締める。

 

 彼も本気ではない。自分が本気になりかけているだけ──

 

 霞は真紅の番傘を地に捨て、冷たい雨に打たれた。

 火照った顔を冷ます様に。

 自分の使命を思い出す様に。

 

 雨に濡れる儚き退魔剣士に、声がかけられた。

 その声音には、恋人にかける様な優しさが込められていた。

 

「風邪──引いちまうぜ、お嬢ちゃん」

「…………」

 

 声がした方へ、ゆっくりと振り返る霞。

 視線の先には五体不満足の老いぼれが立っていた。

 

 羽織られた純白のコートが靡く。

 その右半身は完全に死んでいた。

 右腕は肘から先が無く、右足は膝から下が棒状の義足。右目は深い刀傷で完全に潰れている。

 

 肩下まで伸びる総髪は生気の抜けた白。辛うじて前髪の一房だけが黒色を残している。

 左目も白濁しており、見えているか定かではない。

 

 枯れ木の様な長身痩躯、黒いタートルネックのシャツに細身のパンツ。

 

 風が吹けば飛んでしまいそうなほど弱々しい、初老の男性だった。

 

「ッ」

 

 霞は思わず顔をしかめる。

 あまりに痛々しい風貌──この魔界都市で生きていけるとは到底思えない。

 思わず近寄ろうとしたその足が、止まる。

 

 彼が杖代わりにしている刀から、尋常ではない妖気を感じ取ったからだ。

 

 彼は咳き込みながら笑みを零す。

 自嘲の笑みだった。

 

「いけねぇ……お嬢ちゃんがあんまりにも似てたから、つい声をかけちまった。……いけねぇなぁ、本当に」

 

 その背後で高速モノレールが通過していく。

 白髪が風圧で靡き、尖った耳が露わになった。

 

 人間ではない──改めて気配を探れば、尋常ではない剣客である事も判明した。

 

 兄などとは比べ物にならない。

 あの大和ですら、純粋な剣技では彼に勝てるかどうか──

 

 戦慄している霞に対して、老いぼれは咳き込みながら名乗る。

 

「俺は死鏡仁三郎(しかがみ・じんざぶろう)……お嬢ちゃんに恨みはねぇが、柳生の次期当主を引きずり出すためだ。その身柄、いただくぜェ……」

 

 杖代わりしていた妖刀の鞘を口に咥える。

 異様な構え──霞は咄嗟に抜刀の姿勢を取ったが、それより速く死鏡の斬閃が煌めいた。

 

 事態は風雲急を告げていた。

 



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四話「もう一つの退魔剣」

 

 

 霞は反射的に半身を下げ、不可視の斬撃を見送った。

 鞘でいなそうとしたが、生存本能が最大限の警鐘を鳴らしたのだ。

 

 受けたら死ぬぞ、と。

 

 その警鐘は正しかった。

 遥か後方にある超高層ビルを両断した斬撃は、人類が受けきれるものでは到底ない。

 

 そもそも、霞は「放たれた斬撃の種類」すらも分からなかった。

 

 その美顔が蒼白に染まる。

 大量の冷や汗が額を濡らしていた。

 

 対して死鏡は妖刀を杖代わりに突き立て、感心した素振りを見せる。

 

「偶然かぁ? 左腕を貰うつもりだったんだが──ああ、成る程。柳生新陰流は退魔剣……俺の剣は妖魔のソレに似てたかぃ」

 

 苦笑する死鏡。

 全くもってその通りだったので、霞の手が震えた。

 

 先程の斬撃は人間技ではなく、妖魔の暴力に酷似していた。

 だから躱す事ができたのだ。

 

 もしも死鏡が殺すつもりで剣を振るっていたら──間違いなく死んでいる。

 

 格が違いすぎる。あまりに隔絶し過ぎている。

 恐怖で一歩退く霞を、死鏡の淡白な左目が射抜いた。

 

「なら今度は殺すつもりで振るうか」

「ッッ」

 

 駄目だ、今度こそ死ぬ。

 霞は覚悟を決め、再度抜刀の姿勢に入る。

 

 その時である、深緑色の浴衣が靡いたのは──

 

 それは、嘗て憧れた背中だった。

 しかし今は幾ら憎んでも憎み足りない、怨めしい背中。

 

 黒髪を短く切った細身の美男は、朗々と言葉を紡ぐ。

 

「この女は俺の獲物──横取りは感心せんぞ、剣客殺し」

 

 聞き慣れた優しい声音は既になく──欲望に塗れた野獣の唸り声が霞の耳朶を打った。

 

 

 ◆◆

 

 

 死鏡はその面を狂喜で歪める。

 

「会いたかったぜぇ……柳生十兵衛平治ぃ」

「俺は会いたくもなかったよ」

「つれねぇこと言うなよ。お前を誘き出すために、わざわざ妹を狙ったんだぜ?」

 

 二名の間に濃密な剣気が迸る。

 平治は霊刀、鈴刃空蝉の柄巻を握った。

 死鏡も体勢を低くする。

 

 一触即発──互いの剣気が爆ぜる刹那、第三者が死鏡を妖刀ごと押し退けた。

 

 現れた巨躯の男の白鞘を受け止めながら、死鏡は怒声を張り上げる。

 

「手前ェ……邪魔すんな鬼神風情がァ!!」

 

 そのまま隣の建造物を破壊し、明後日の方向へ消えていく。

 

 唖然とする平治と霞の前に、漆黒のロングコートを着た優男が現れた。

 黒柄巻の太刀を携えた彼は、眼鏡の奥にある糸目を薄っすらと見開く。

 

「五十嵐組若頭、五十嵐裕樹──訳あって介入させていただきました。我々の狙いはあの剣客殺し……そちらの一件には関わりありません」

 

 ですが──そう言って、裕樹は平治を見据えた。

 その視線には明らかな侮蔑の念が込められている。

 

「本来であれば貴方のような外道畜生、見逃す道理はありません。しかし今回、我々の標的は別にある。そして……」

 

 今度は霞に視線を向ける。

 

「貴方を斬り捨てるのはそこのお嬢さんだ。──それでは、御免」

 

 裕樹は疾風の如く死鏡達の後を追う。

 後に残された二名の間に漂うのは──狂喜と憎悪だった。

 

 片や、満面の笑みで振り返り。

 片や、悲憤を迸るらせ霊刀、薄刃蜻蛉を携える。

 

 兄、平治は口角を半月状に歪めた。

 

「天は俺に味方しているのかもしれない──なぁ、霞」

「──死ね。柳生家の恥晒しめ」

「いいや、死なんよ。今宵はたっぷりとお前を犯す……あの夜の続きだ」

「ッッ」

 

 互いに転身。次の瞬間には霊刀を削り合わせる。

 遅れてやってきた衝撃波は周囲の雨水ごと建造物を吹き飛ばした。

 

 

 ◆◆

 

 

 予想外の乱入者。

 憤慨していた死鏡だが、妖刀から伝わってくる確かな力量に思わず笑みをこぼす。

 己を建物ごと潰している大男に吠えた。

 

「兄ちゃん……鬼の癖に剣術の基礎ができてるじゃねぇか! 嬉しいねぇ!」

 

 恋次の白鞘を無理矢理押し返す。

 瓦礫を地面ごと粉砕し、鬼の膂力を真っ向から受け止めてみせた。

 

「!!」

 

 恋次は驚愕する。

 あろうことか、目の前の男は左足だけで鬼の剛力と張り合っているのだ。

 

 技術ではない、剣技でもない。

 単純な筋力──

 

 こと膂力に関して、恋次は神仏すらも越えている。

 しかし、鍔迫り合いは拮抗していた。

 互いに次手を読み合い、斬撃予測線を潰し合う。

 

 恋次は咄嗟に後退した。

 死鏡の見せた斬撃予測線が不可解なほど捩れ曲がったからだ。

 

 死鏡は妖刀を隣の建物に突き立て、嬉しそうに笑う。

 

「今のを読むかぃ……いいねぇ、剣客してるねぇ。思わぬ掘り出しもんだ」

「……」

 

 恋次は眉根を顰める。

 立っているのもやっとな風体。その右半身は間違いなく死んでいる。

 

 一体何処からそんな力が沸いてくるのか──不可解でならなかった。

 

 ここで裕樹が合流する。

 死鏡をその視界に収めた瞬間、莫大な怒気を迸らせた。

 

「死鏡ィ……テメェは殺す。その素っ首、アイツ等の墓前に捧げねぇとこの癇癪はおさまらねェ」

 

 まるで鬼の様な呻き声と共に黒柄巻の太刀を抜き放ち、右肩に担ぐ。

 

 死鏡にも劣らない独特な構え──相手を一刀両断する気勢が滲み出ている。

 

 剣客殺しとして幾多の剣客を殺めてきた死鏡が、思わず唸った。

 

「担肩刀勢──神道系か? いいや倭刀術? しかしその筋肉の付き方──異常だな。対人剣術じゃねぇ。となると……ああ、わかった。タイ捨流か」

 

 裕樹は漆黒の闘気を漲らせる事で応答する。

 

 タイ捨流──柳生新陰流と起源を同じくする退魔剣。

 開祖である丸目長恵(まるめながよし)は当時最強の退魔剣士だった上泉信綱から新陰流の皆伝を授かると、故郷の九州に帰国。独自の退魔剣を編み出した。

 

 当時の九州地方は鬼の一派、土蜘蛛一族の齎す被害が深刻だったため、長恵は新陰流を更に実戦的な総合武術に改良。

 

 一刀両断、袈裟懸けを極意としながらも蹴りを中心とした打撃、関節技。更には独特の歩法と暗器術、金的などの反則技──

 

 屈強な土蜘蛛一族を鏖殺するために編み出された退魔剣ならぬ、退魔総合武術。

 それがタイ捨流だ。

 

 皆伝を授かる難度と柳生新陰流の圧力から、近年になって後継者は途絶えた筈。

 しかし裕樹は表世界の型のみのタイ捨流ではなく、本物のタイ捨流を修めていた。

 

 死鏡にはわかる。だからこそ狂喜の笑みを零した。

 

「いいねぇ、すげぇいい……!! 最高だ!! まさか本物のタイ捨流を拝める日が来ようとはなァ!! 柳生の次期当主なんざ霞んじまうぜ!! 俺は、テメェ等と斬り合いたい!!」

 

 禍々しい紫苑色の闘気を迸らせる死鏡に対し、裕樹は嫌悪の念を隠さず吐き捨てる。

 

「なら存分に浴びて死ねよ──首以外は挽き肉にしてやる」

「若、俺も共に戦います」

「ええ恋次さん……背中は預けました!」

 

 裕樹は弾丸の様に飛び跳ねる。

 放たれた必殺の袈裟懸けを、死鏡は突き立てていた建物ごと両断せんと妖刀を唸らせた。

 

 すかさず恋次が唐竹割りで一閃。二名の白刃が死鏡の妖刀に食い込む。

 

 死鏡は本当に楽しそうに嗤っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の大通りで血鮮斬風が吹き荒れる。

 住民達は巻き込まれ、建造物もろとも細切れにされた。

 

「天下五剣と五十嵐組だァ!! 逃げろォ!!!!」

 

 叫び声は瞬く間に伝播し、住民達を恐慌状態に陥れる。

 縄張り争いを繰り広げていたヤクザ達は装甲車を捨てて逃げ惑い、腕利きの傭兵や殺し屋達は振り返らず現場を離れる。

 

 上空を滑空していたワイバーン達も悲鳴を上げて明後日の方向へ飛んでいった。

 

 交通機関は完全停止。皆車両を捨てさっている。

 闇バス、闇タクシーの運転手も速やかに乗客達を避難させていた。

 

 阿鼻叫喚の大パニックの中、たまたま闇バスの運転手を任されていた死織は苦渋に満ちた表情で振り返る。

 

「洒落になりませんね……下手すれば中央区が瓦礫の山になりますよ」

 

 実際に、遠くの現場は地形が変動していた。

 余波がこちらまで伝わってくる。隣に立っていた街頭が鎌鼬によって両断された。

 

 天下五剣と五十嵐組の喧嘩は、大惨事になりかけている。

 

 頭上の巨大スクリーンから流れる緊急速報を聞き流しながら、死織は乗客達の避難を優先した。

 

 

 ◆◆

 

 

 大通りに並ぶ車両を吹き飛ばしながら、恋次は駆けていた。

 横にぴったりと付いている死鏡に剛剣を振り回している。

 

 圧倒的膂力から繰り出される斬撃は全てが一撃必殺だ。牽制の一撃であろうが相手を確殺してみせる。

 現に走りながら腕力だけで白鞘を振るっているが、その威力は全く落ちていない。

 

 鬼神に人間の剣技の常識は当て嵌まらない。

 

 しかし更に輪をかけて規格外なのが剣客殺し、死鏡仁三郎(しかがみ・じんざぶろう)

 彼は五体不満足でありながら恋次を追走し、あろうことかその剛剣を真っ向から弾き返していた。

 

 まずは移動方法──前面にのめり込んでわざと転けている。そうして生まれた回転力を更に勢い付かせ、高速移動しているのだ。

 

 死鏡は虚空を廻っていた。

 

 極め付けは恋次の剣を弾き返しているその力。

 恋次は両手で剣を振るっているが、死鏡は左手だけで振るっている。

 

 単純な膂力は間違いなく恋次の方が上。しかも死鏡は半身不随というハンデを背負っている。

 

 純粋な力量差──世界最強の剣客五名、天下五剣。その一角を担う死鏡の剣技は最早絶域に達している。

 

 あらゆるハンデもその圧倒的な剣技で有耶無耶にしてしまう。

 あの大和ですら、元・天下五剣の吹雪款月(ふぶき・かんげつ)に剣技のみで追い詰められたのだ。

 

 たかが棒振り。されど棒振り。

 

 こと剣技に於いて、天下五剣達は真の世界最強を誇っている。

 大和ですら彼等と剣で争うのを避ける。が、恋次「達」は違う。剣技で挑む。

 

 何故なら、彼等もまた剣客だからだ。

 剣に己の矜持を懸ける男達だからだ。

 

 それが、その事実が、死鏡を何よりも喜ばせる。

 

「最高だぜお前らぁ! クハハッ! ここまで昂ったのは何時以来だろうなァ!!」

 

 まとわりつく恋次を逆胴で弾き飛ばす。

 

 生まれた斬撃破は高層ビル群を一文字に両断した。

 しかし、漆黒の光明差す。傾く超高層ビルを駆け上がり飛翔したのは、裕樹──

 

 そのまま降下し、落下重力を余すことなく乗せた唐竹割りを放つ。

 余波だけで中央区が両断された。受け止めた死鏡の顔が歪む。

 

 大地を文字通り断った斬撃は、人類の域を遥かに越えていた。

 

 超越者レベルの斬撃に瞠目する死鏡に対し、裕樹は怒濤の猛攻を仕掛ける。

 

 彼は、この刹那に全身全霊を懸けていた。

 

 宙に佇んだまま渾身渾絶の斬撃を幾百も繰り出す。

 その全てを捌ききる死鏡だが、明らかに押されていた。

 その肩に、腕に、刀傷が奔る。

 

 どちらも一歩も引かない。が、押しているのは明らかに裕樹だ。

 

 全てに於いて死鏡に劣る裕樹が何故優勢なのか──それは、彼が未だ空中に佇んでいる事に起因している。

 

 裕樹は最初の唐竹割りを敢えて受けさせ、死鏡の奇っ怪な斬撃を固定。自分の剣域に引きずり込んだのだ。

 

 全てが一撃必殺の剣撃だからこそ、受け止められれば余波で「宙に浮ける」。優位なポジションを維持できる。

 

 タイ捨流・奥義──迦楼羅剣。

 

 屈強な土蜘蛛一族を有無を言わさず圧殺するタイ捨流最大奥義である。

 

 更に裕樹は瞬間瞬間に全身の闘気を爆発させ、斬撃の威力を底上げしていた。

 

 タイ捨流・秘技──鬼殺し。

 

 鬼神であろうが一刀の元に沈めるタイ捨流の基礎にして深奥。

 総ての刀技にこの技を組み込む事こそ、タイ捨流免許皆伝の条件だった。

 

 裕樹は吠えた。修羅と成った。

 命を燃やし尽くす勢いで太刀を振るい続ける。

 

 ここで決める──その意気が全身から迸っていた。

 流石の死鏡も押される。

 その総髪が靡き、額から後頭部にまで斬線が奔った。

 

 裕樹は止まらない。確実に息の根を止めるために必殺の剣を放つ。

 

 しかし死鏡は嗤っていた。

 彼は嬉しそうに、しかし残念そうに告げる。

 

「ここ数年で一番まともな剣客だった。素直に感心するぜ、人間の癖によくそこまで至った……だがな、相手を間違えるんじゃねぇ。俺は天下五剣──世界最強の剣客だぞ」

 

 鮮血飛び散る。

 瓦解した高層ビルから漸く出てこれた恋次は眼前の惨状に思わず叫んだ。

 

「若ァ!!!!」

 

 裕樹は膝を付いていた。

 その右肩から先は、隣に転がっている。

 

 死鏡はその白眼で裕樹を見下ろしていた。

 

「惜しかったが──やっぱり格が違うなァ」

「~~ッッッッ」

 

 裕樹は唇を噛み、右肩を強く握り締めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 要の右腕を丸ごと持っていかれた。もう満足に太刀を振るえない。

 

「ッッ」

 

 それでも裕樹は残った左手で太刀を握り締める。

 異常に疼く右肩を闘気で無理矢理黙らせる。

 

 そんな彼の眼前に巌の如き背中が現れた。

 恋次である。

 

「若、お引きください。俺が時間を稼ぎます」

「そんなの、できるわけ……ッ」

 

 裕樹の否応なしに剣撃の応酬が始まる。

 恋次がいなければ今ごろ肉塊に成り果てていた。

 自分が足を引っ張っている──その事実に裕樹は激情を隠しきれない。

 

 恋次は冷静にブチ切れていた。

 眉間に特大の青筋が立っている。

 息子のように想う青年を傷つけられた。

 何より、彼を守りきれなかった自身の不甲斐なさに憤りを爆発させている。

 

 しかし激昂すればするほど刃は鋭さを増していく。

 

 恋次の力の源は怒りだった。

 以前は幼馴染み、鈴鹿御前を斬られた時に飛躍的な進化を遂げた。

 

 今もそうである。

 凄まじい勢いで剣技が研ぎ澄まされていっている。

 死鏡は驚愕を隠しきれないでいた。

 

「ハハッ、すげぇなぁオイ! 力が増すのはわかるが、剣の鋭さが増すってのはどういう理屈だぃ!」

 

 それでも楽しそうに妖刀を振るう。

 白刃を潰し合う事によって生まれた衝撃波は周囲の瓦礫を更に彼方へ吹き飛ばした。

 

 大通りだった場所に嘗ての面影はない。

 

 恋次は崩壊した大地を斬り上げ、抉り飛ばす。

 散弾の如く群がる石礫や鉄屑を、死鏡は滅多切りで無効化した。

 

 しかしほんの少し隙が生まれる。

 それを恋次は見逃さない。

 一瞬で距離を詰めると、不随の右半身に渾身の逆袈裟を放った。

 

 撹乱し、隙をついて弱点を狙う。

 理に叶った闘法だ。

 怒りながらも冷静沈着な恋次だからこそ出せた、起死回生の一太刀──

 

 しかし、忘れてはいけない。

 死鏡は、天下五剣は常に理屈を越えてくる剣客なのだ。

 

「的確な判断、かつ完璧なタイミングだ。鬼の兄ちゃんもイイ剣客だなぁ……俺じゃなかったら斬られてたぜ。俺じゃなかったら、な」

 

 死鏡は恋次の逆袈裟を棒切れの如き義足に食い込ませていた。

 

 あまりに予想外な防御方法に瞠目する恋次。

 死鏡は白鞘を踏み台にし、がら空きになった裕樹に向かって飛んでいった。

 

「先ずは一人ぃ……いただこうかぁ!!」

「若ッ!!」

「ッッ」

 

 裕樹は必死に構えようとするも、失血多量で目眩を起こす。

 そんな彼に死鏡は容赦なく妖刀を振るう。

 

 咄嗟に恋次が飛び込み、身を挺して裕樹を守ろうとした。

 

「恋次さんッッ!!!!」

 

 裕樹の悲痛な叫び声が木霊する。

 しかしそれを打ち消したのは、金属同士が潰れ合う破砕音だった。

 

 恋次の眼前で艶やかな黒髪が舞う。

 彼女は仕込み傘から銀光一閃、死鏡の斬撃を完璧に無効化してみせたのだ。

 

 菊紋様のハイカラな浴衣が靡く。

 

 恋次は驚愕のあまり目を丸めた。

 そして思わず囁く。

 

「なんでテメェが……野ばら」

 

 史上最強の鬼狩りと謳われた少女は、振り返らずに告げた。

 

「勘違いしないで……貴方は私が斬るの。こんな有象無象にくれてやるほど、貴方の首は安くないわ」

 

 鬼狩り──野ばらは鋭い眼光で死鏡を睨み付けた。

 

 

 ◆◆

 

 

 雨が勢いを増した。視界が悪くなる中で、野ばらの濃い剣気が雨水を弾き返す。

 

 死鏡は闘気を霧散させ、どしゃ降りの雨の中を立ち尽くしていた。

 頬に貼り付く髪をそのままに、野ばらに告げる。

 

「鬼狩りの野ばら……話は聞いてるぜ。めっぽう強い剣客なんだってな」

「…………」

 

 応答しない野ばらを一瞥し、死鏡は膝を付いている裕樹に視線を落とす。

 そうして独りごちた。

 

「剣客の斬り合いはその場限りだ。次はねぇ……だからこそ燃える。斬った後の何とも言えない空しさを、俺は愛している」

 

 そのまま恋次に視線を向け、最終的には三名を視界におさめる。

 

「何時以来かな……斬るのが惜しいと思ったのは。クククッ……」

 

 死鏡は妖刀を掲げる。

 すると意思を持つかの様に鞘が飛んできて刀身を納めた。

 彼は踵を返す。

 

「次会う時を楽しみにしてるぜ。もっと剣の腕、磨いておけよ……五十嵐の兄ちゃんも、今治療すれば間に合う筈だ」

 

 右半身を引き摺って、死鏡は豪雨の向こう側に消えていく。

 悔しさのあまり男泣きする裕樹を、恋次が抱きしめた。

 

 死鏡の気配が完全に消えた事を悟った野ばらは、静かに仕込み刀を納める。

 

 決着は付かず──

 

 しかしもう片方──柳生の兄妹の闘いは、今宵終わる。

 彼等はこの豪雨の中で、互いの命を削り合っていた。

 



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五話「一刀両断」

 

 

 絶え間なく降り注ぐ雨水を霊刀達が弾き返す。

 新陰流は妖魔必滅の剣──しかし今は兄妹喧嘩のために用いられていた。

 

 先達も泣いているだろう。

 この豪雨は、彼等の涙なのかもしれない。

 

 柳生十兵衛霞もまた、泣いていた。

 慕っていた実兄の変貌ぶりに。

 彼をもう、身内とは思えないほど憎悪している事に。

 

 柳生十兵衛平治は嗤っていた。

 妹が未だ己を兄として見ている事に。

 彼女をまた犯せる事に。

 

 互いに人間の反応速度を超えたスピードで得物を振るう。

 音速を超えた刃は真空を纏いて必殺剣に至る。

 

 柳生新陰流、紫電。

 

 脳にかかっているリミッターを意図的に解除し、処理速度を飛躍的に向上させる技。

 肉体駆動にとてつもない負荷がかかり、無理に動かせば肉は切れ、骨は折れる。

 

 人間ではなく妖魔を斬るための技。

 柳生新陰流の原点である。

 

 それ故に、彼等の剣は一般人には目視できない。

 降り注いでいる豪雨すらも、彼等の描く斬撃軌道線に侵入できない。

 

 実力は拮抗していた。

 当代随一の剣客である平治だが、霞もまた柳生家歴代最高クラスの傑物。

 

 しかし肉体的な面で、霞は平治に大きく劣っていた。

 男女の筋力差以前に、平治は妖魔の細胞を体内に移植しているのだ。

 その証拠に、彼の顔は醜くく変貌しつつあった。

 

「妖魔の細胞を体内に入れたのか──ッッ」

 

 拮抗しているのは、霞が憤怒と憎悪で劇的に剣速を上昇させているからだ。

 

 しかし所詮気力が為したもの、徐々に押されはじめる。

 劣勢に立たされた霞は己が斬り刻まれるイメージから飛び退いた。

 

 半ば化け物になった平治はその醜い面を歪める。

 

『流石、俺の愛しき妹──それでこそだ。犯し甲斐がある』

「黙れ、外道畜生が」

 

 豪雨で冷えた体に熱い闘気を循環させる。

 まだだ、まだ戦えると霞は自身に言い聞かせた。

 

 しかし両腕は先程の剣撃で痺れ、感覚がなくなっている。

 紫電のデメリットによって全身の筋肉、関節が悲鳴を上げていた。

 

 柳生の剣は見敵必殺。

 ただでさえ弱い人間が妖魔を斬るためには、短期決戦以外の道は無い。

 

 気勢は衰えずとも、肉体は既に限界だった。

 しかし平治は妖魔に変貌した事により、その欠点を克服している。

 

 絶体絶命──

 

 相手は柳生の剣を極めた妖魔。

 本来であれば単身で挑むような相手ではない。

 

 しかしやる。やるしかない。

 霞は正眼で薄刃蜻蛉を構えた。

 

 丹田に闘気を溜め、一呼吸置く。

 乱れた気を整え、最後の一刀に向けて明鏡止水の極致に入る。

 

 妹の実情を誰よりも知る兄は、ガマガエルの様になった唇を歪めた。

 

『無駄だ茜──俺はお前の出す技を全て知っている。俺も、柳生の剣士だからな』

「その風体で柳生を名乗るな」

 

 霞は消える。

 柳生秘伝の歩法は豪雨に紛れ、更に捉えにくくなっている。

 が、平治は完璧に捉えていた。

 

 奇声を上げて霊刀を振り下ろす平治。霞の腕を断たんと唸りを上げる。

 しかし、要の霊刀が驚くほど呆気なく絡め取られた。

 

 平治は驚愕する。

 奪刀術だけではない──霊刀、鈴刃空蝉が自分を見限ったのだ。

 

 柳生家に代々伝わる霊刀は対霊金属、緋緋色金(ひひいろかね)で製造されている。

 

 歴代の退魔剣士達に振られてきたこの霊刀達は、妖魔の類に拒絶反応を起こすようになっていた。

 

 霞は柳生を信じた。平治は柳生を汚した。

 その差がここに来て出た。

 

 霞は両刀を携えると、全身全霊を以て最終奥義を放つ。

 

 柳生新陰流・絶技──八龍(はちりょう)

 

 八本の斬線が平治を切り裂き、血の花弁を咲かせる。

 その背後を通り抜けた霞は、確かな手応えと共に暗黒色の雨雲を仰いだ。

 背後から断末魔の叫び声が聞こえてくる。

 

 辛い復讐劇が──終わった。

 

 

 

 

『なーんちゃって♪』

 

 

 

 

 その鳩尾に鎌刃が突き立てられる。

 背後から刺され、霞は振り返る事もできずに倒れ伏した。

 致命傷だった。

 

 唐突に、雷鳴が響き渡る。

 幾重にも重なった稲光は醜悪な化け物の影を浮き彫りにした。

 

『驚いたよ、いや本当に驚いた──だが想定の範囲内だった。元々、お前と決着をつける際に霊刀は破壊しようと思っていたんだ』

 

 どちゃり、どちゃりと、足音が聞こえてくる。

 最早彼は、人間の原形すら留めていないのだろう。

 

 野獣の唸り声が聞こえてくる。

 

『死に体のお前でも、犯せばさぞ心地よいのだろう。さぁ──その絶望した面を見せておくれ。俺に最高の快感を味あわせておくれ……ッッ』

 

 霞は応答できなかった。

 降り注ぐ豪雨に身体を縫い付けられている。

 彼女は、雨音で消えてしまうほど小さな声で囁いた。

 

「ごめんなさい…………大和殿……後は、頼みました…………」

「嫌だね」

 

 聞こえる筈もない声が聞こえてきた。

 視線を上げると、大きな下駄と真紅のマントが見えた。

 

 唐突に宙に浮かされる。

 力強い腕に抱き締められた霞は、全身を駆け巡る絶大な生命エネルギーに徐々に意識を覚醒させてゆく。

 

 目頭が熱くなる。涙が溢れてくる。

 鳩尾の傷も完全に塞がった頃に、彼女は思わず囁いた。

 

「どうして…………」

「悪ぃな。今回の依頼、キャンセルさせて貰うぜ」

 

 優しく地に下ろされる。

 その目に、真紅のマントを靡かせる背中が映った。

 

「俺は殺し屋だ、通すスジなんて端から持ってねぇ」

 

 だから──そう言って大和は嗤う。

 

 

「代わりに我が儘、貫き通させて貰うぜ」

 

 

 ◆◆

 

 

 豪雨降り頻る中、両者は視線を合わせていた。

 

『おい、ソレは俺の女だぞ』

「いいや違うね。俺の女だ」

『…………』

「…………」

『死ね』

「テメェが死ね」

 

 柳生十兵衛平治は鎌刃に変形した両腕を振るう。

 柳生新陰流、紫電を用いての一撃は如何に彼が妖魔に堕ちた身であっても、洗練された一撃だった。

 

 光速を超えた刃を、しかし大和は大太刀でその身諸共両断する。

 

 平治が縦半分に裂け、上空の雨雲も同じように割れた。

 周辺の雨水が全て吹き飛び、斬線は遥か彼方まで伸びていく。

 

 大和はマントを翻した。

 有象無象の死に際など興味ない。

 溶け落ちる妖魔を背に、大和は霞に歩み寄った。

 

 未だ呆然としている彼女を抱き締め、静かに告げる。

 

「……すまねぇな」

「…………ッッ」

 

 霞は大粒の涙を流し、首を横に振るう。

 

「何で貴方が謝るのですか……ッ」

 

 大和の首に手を回し、抱き寄せる。

 そして儚くも美しい笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございます……私を、救ってくれて……ッ」

 

 二人の唇が重なる。

 切り開かれた曇天から微かに零れた光明が、二名を照らし出した。

 

 

 ◆◆

 

 

 二人の間に余計な言葉は不要だった。

 求めたのは霞からだった。「柳生十兵衛霞」としてではなく、ただの少女として大和を求めた。

 

 誰にも見せた事のない顔で愛の言葉を囁く。

 白磁の様な柔肌は薄桃色に染まり、浮かんだ汗を唇と共に吸われる。

 歳不相応に実った90センチの乳房を揉みしだかれ、幸せに満ちた喘ぎ声を上げた。

 

 女の顔をする霞を大和は何度も抱いた。

 霞はただただ嬌声を上げ続ける事しかできなかった。

 

 しかし、幸せな時間は長く続かない。

 霞はこれから正式に「十兵衛」の名を引き継ぎ、柳生家当主となる。

 対して大和は世界最強の殺し屋。

 

 決して相容れない間柄だった。

 霞の恋は許されないものだった。

 

 魔界都市、中央区の大通りで。

 七色のネオンが煌めき、数多の種族が行き交う。

 

 大和は霞の見送りをしていた。

 闇タクシーに乗っていけば無事柳生家の領土にたどり着けるだろう。

 

 闇タクシーを背に、しかし霞は泣きそうな顔で大和を見つめていた。

 

 彼女は思わずといった様子で呟く。

 

「私がもし柳生の剣士でなければ、貴方と──」

 

 そこまで言って、唇を噛み締める。

 思わず本音を吐露してしまった彼女に、大和は苦笑を向けた。

 

「どの道、お前じゃ無理だよ。弱いし。何より──優しすぎる」

「ッッ」

「だから行け、もうこの都市に来るんじゃねぇぞ。……会いたくなったら、俺が会いに行ってやる」

 

 霞は思わず大和に抱きついた。

 最後のキスをねだる。腰を下げた大和の首に両腕を回した。

 

 長い長いキスを終えた後──霞は涙を流しながら言う。

 

「貴方は私と会った時に言いましたよね? 俺はお前の兄貴と同類だって……」

「ああ」

「訂正してください。貴方は私にとって──唯一無二の英雄です」

 

 泣きながら頬を撫でくる少女に、大和は唖然とした。

 彼女は踵を返し闇タクシーの元まで赴くと、最後に振り返る。

 

「本当に、ありがとうございましたっ……またいずれッ」

 

 そのまま、闇タクシーに乗って消えていった。

 呆然としていた大和だが、不意に苦笑を零す。

 

「俺が英雄に見えたか、お前には──」

 

 真紅のマントを翻す。

 下駄の音を高らかに鳴らしながら煙草を取り出した。

 

「──まぁ、たまにはいいか」

 

 自身に対してそう言い聞かせながら、濃い紫煙をくゆらせる。

 

 そうして暗黒のメシアは眩い摩天楼の中へと消えていった。

 

 

《完》

 

 



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第二十七章「常夏伝」
一話「湘南の海」


 

 

 灼熱の太陽がギラつき、白亜の砂浜に容赦なく輝きが降り注ぐ。

 潮風も熱を孕み、波のさざめきが恋しくなる──8月の猛暑、日本湘南の海。

 

 シーズンになれば血気盛んな若者達が集まり、喧嘩や祭で盛り上がる。

 少女達も刺激的な夏を求めてやって来る。

 

 静かな海水浴を楽しむには向かないこの場所で今日、大きな波乱が生まれようとしていた。

 

 

 ◆◆

 

 

『海だ────────!!!!!!』

 

 

 少年少女達が駆け回る。

 彼等を先導しているのは桃髪の美少女だった。

 ツインテールを揺らし、その愛らしい瞳に湘南の蒼海を映している。

 

 死体回収屋『ピクシー』のリーダー、幽香は子分達を連れて湘南へとやって来ていた。

 灼熱の砂浜をその小さなビーチサンダルで踏みしめている。

 

 普段から血気盛んな若者達も、彼女達の無邪気な横顔に心和ませていた。

 ピアスをはめた顔を緩め、こんがりと焼けた体を怖がらせないよう縮めている。

 

 しかし、次の瞬間には意識を奪われる事になる。

 一名の妖艶すぎる美女によって──

 

「アンタ達、あまり遠くに行っちゃ駄目よ……ああもう、聞いてない」

 

 声だけで男達が陶酔する。

 その美声は雄を魅惑する事に特化していた。

 

 現れた極上の美女に、その場の一同が静まり返る。

 女達すら彼女に目を奪われていた。

 

 最早「紐」と言っても過言ではない極細のマイクロビキニを着こなし、肩から白シャツ、頭には麦わら帽子を被っている。

 紫外線対策か、オーパル型のサングラスをかけていた。

 

 そのファッションと、何より魅惑的な肢体に男衆は釘付けとなる。

 

 シミ一つない透き通った肌はまるで最高級のシルクのよう。

 90センチを優に超える乳房は型崩れせず、しかし極上の柔らかさを約束している。

 当然の如く引き締まった腰周り。

 安産型の尻は思わず揉みしだきたくなる。

 

 紫色を帯びた黒髪は腰までスラリと流れ、潮風を帯びて靡いていた。

 

 顔立ちは端正を通り越して最早異端。

 どれほど才に恵まれた芸術家でも再現できないだろう。

 

 女性の美──その極致を体現している。

 そんな彼女、アラクネは泣きぼくろをかきながら苦笑した。

 

「あら、少し刺激が強すぎたかしら。……駄目ね、表世界の程度がいまいちわからないわ」

 

 そうして優雅に砂浜を歩いていく。

 人で溢れ返っていたビーチに大きな道が出来あがった。

 最早モーゼの海割りである。

 

 アラクネは子供幽霊達を追う傍ら、先で凄まじい人集りができている事に気が付いた。

 

 あの辺りは『同伴者』が待ち合わせに指定した場所だ。

 アラクネはやれやれと肩を竦める。

 

 彼は、自分以上に他者を魅了してしまう男だから──

 

 アラクネは有象無象を触れずに退かせると、騒動の中心地へと辿り着く。

 

 子供幽霊達はどうやって到着したのか──既に彼に抱きついていた。

 

「大和ぉぉ!! 早く遊ぼうぜ!! 海、海!!」

「兄貴ー!! 早く早くぅ!!」

「大和さん♪ 手伝います!」

「スイカ割りー!!」

「砂遊びー!!」

「海水よくー!!」

 

「だぁぁうるせぇ餓鬼共!! 今ビーチパラソル立ててんだよ!!」

 

 眉間に青筋を立てながらも、子供幽霊達を引っ付かせたままにしている褐色肌の美丈夫。

 

 小麦色の鍛え抜かれた体躯は優に二メートルを超えていた。

 限界まで絞り込まれており、その屈強さは最早言葉にできない。

 一朝一夕で出来上がるものではない。

 

 艶やかな黒髪に灰色の三白眼、鋭いギザ歯。

 端正な顔立ちはあらゆる異性を虜にしてしまう、男性の理想像の一つ。

 

 彼は白シャツに海パンという簡素な出立ちをしていた。

 特徴的なのはティアドロップ型のサングラスをかけている事くらい。

 

 それでも凄絶な色香を放っている。

 現に周囲に群がっている女達は顔を真っ赤にして身を捩らせていた。

 

 アラクネは呆れながら彼の横につく。

 

「大変そうね、手伝う?」

「いい、お前はゆっくりしてろ」

「そう?」

 

 小首を傾げるアラクネに、大和は優しい笑みを向ける。

 アラクネは嬉しそうに微笑むと、未だ大和にかまってな子供幽霊達を一人一人丁寧に剥がしていった。

 

 その様子を見ていた喧騒達は目を丸めて思う。

 

 

((((((……親子?))))))

 

 

 実際には違うのだが、端から見ればそうにしか見えない。

 

 うだるような今年の夏──大和は子供幽霊達の同伴者という事で、アラクネと共に湘南の海へとやって来ていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 事の発端は、やはり子供幽霊達。

 どーしても海に行きたいと大和を説得(拝み倒す)こと三時間。

 折れた大和はこうして湘南の海へとやって来たわけだ。

 

 早速海に飛び込んでいる子供幽霊達を眺めながら、大和は鬱屈げに溜め息を吐く。

 

「あーあーチクショウ、なんで俺が餓鬼共の世話なんざ……」

 

 ビーチパラソルの下、シートの上で胡座をかき、眉根を顰めている。

 そんな彼の懐で寛いでいたアラクネは、何故か可笑しそうに笑っていた。

 

「でも付いていってあげてるじゃない。ほんと、ああいう子達には甘いわね」

「ほざけよ。……夏の海に女無しはツラすぎる」

「ふふ……なら存分に甘えなさい。私もアンタを独占するから」

 

 その逞しい首筋にキスを被せ、身を寄せるアラクネ。

 大和は彼女の頭を優しく撫で上げた。

 

 そんな時である、周囲の異変に気付いたのは──

 

「……やけに静かだな、オイ」

「そうね。さっきとは大違い」

 

 明らかに人が減っている。

 様子を見ると、別の場所に行っている様だ。

 

 大和はその驚異的な聴力を用いて理由を探る。

 有象無象がいないに越した事はないのだが──嫌な予感がしたのだ。

 

「うわ……マジかよ」

「どうしたの?」

 

 大和の顔が青褪めたので、アラクネは思わず首を傾げる。

 大和は彼女を強く抱き寄せた。

 

「二人で隠形の術を使うぞ。今ならギリギリ……」

 

 

「いいや、間に合わんよ大和殿。俺達相手にそれは無理だ」

 

 

 邪気と稚気を交えた声が聞こえてくる。

 大和は頭を抱えた。アラクネは驚愕で目を丸めている。

 

 凄まじい人集りを連れてやって来たのは、8名の美男美女だった。

 

 その先頭に立っていた魔人はニヤリと嗤う。

 

「久々であるな、大和殿。貴殿もバカンスか?」

「雅貴……」

 

 陰陽風水を極めた邪仙。

 七魔将と同盟を組み、世界を混沌に陥れようとしている最強最悪のトリックスター。

 

 雅貴──

 

 彼は今時の水着姿だった。

 背後にいる七魔将もまた同じである。

 

『神滅狼』フェンリル

『堕天使の長』ウリエル

『邪龍王』ヒュドラ

『平天大聖』牛魔王

『天空神』ゼウス

『剣神』正宗

『魔戦姫』バロール

 

 ふと、ここにきて牛魔王が溜め息を吐いた。

 今から起こる災難を予想できてしまったからだ。

 

「こんな場所で会えるとは奇遇だなぁ……大和」

 

 純白のビキニを着こなした氷の美女、フェンリルが妖艶に嗤う。

 

「そうだね、こんな偶然もあるんだ……♪」

 

 黒のビキニを着こなした堕天使ウリエルは嬉しそうに、しかし色っぽく笑う。

 

「……のぅ大和よ。儂の言いたい事はわかるな?」

 

 人間に変化しているため白肌黒髪になっているバロールは、豊満すぎる乳房を揺らしながら大和に流し目を向けた。

 

 世界最強の美女三名が大和にロックオンした。

 それと同時にアラクネが彼の首に両腕を回す。

 

 彼女は三名に絶対零度の眼差しを向けた。

 

「失せなさい。コイツは今日、私の男よ」

「「「……ハァ?」」」

 

 瞬間、莫大な怒気が浜辺一帯を支配した。

 釣られてやって来た喧騒達は悲鳴を上げて逃げ惑う。

 まるで蜘蛛の子を散らす様に──

 

 湘南の海は戦場になりつつあった。

 当該者の大和は思わず呟く。

 

 

「今年で一番面倒くせぇ事件が勃発した……」

 

 



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二話「サンオイルと意外な組み合わせ」

 

 

 緑髪蛇眼の美青年、ヒュドラは思わず吹き出した。

 

「ひゃっひゃっひゃ! こりゃヤベェ! EXレベルの女達による大喧嘩だ! 俺は「湘南の海が地図から消える」にラムネ一本賭けるぜ♪」

 

 呑気ながら物騒な事を言う邪龍王に、黒髪の偉丈夫――牛魔王が思わず唸った。

 

「阿呆め。放っておいたら湘南どころか関東一帯が焦土になるぞ」

 

 白髪の美壮年、正宗は「ふん」と苛立ちげに鼻を鳴らす。

 

「儂は知らんぞ。火種はあの阿呆じゃ」

 

 しかし、天空神ゼウスは優々と微笑んでいた。

 

「まぁ、見ているがいい。伊達に数多くの女と関係を持っているわけではないよ。暗黒のメシアは」

「「「……」」」

 

 ゼウスの言葉を聞き、三名は修羅場へと視線を戻した。

 

 アラクネの毅然とした態度に、機嫌を損ねた三名の魔神。

 その間に入ったのは誰でもない、大和だった。

 

「喧嘩すんな。それぞれ時間をとってやる」

「「「「…………」」」」

「それでも喧嘩するってんなら好きにしな。俺はお前らを無視するぜ。面倒くせぇからな」

「「「「…………」」」」

 

 迸る怒気は相変わらずだが――フェンリル、ウリエル、バロールは背を向けた。

 

「……命拾いしたな、毒蜘蛛」

「大和に感謝するんだね」

「大和。後で儂等の機嫌を治しに来い……一人でな」

 

 そうして三名は去っていく。

 大和は小さく溜め息を吐いた。

 

 壮絶なる修羅場の一部始終を拝めた雅貴は、ニヤニヤと嗤う。

 

「あの面子を言葉だけで退けるか……流石だよ、大和殿」

「誉めてんのか?」

「勿論だとも。俺が貴殿の立場だったら今頃殺されている」

「ハッ、そうかい」

 

 手を振り、大和は雅貴に背を向けた。

 そしてアラクネを抱き寄せ、告げる。

 

「互いに面倒事は無しにしようぜ。バカンスに来てるんだ。……アイツ等には午後から行くって伝えておいてくれ」

「了解した」

 

 大和はふと、アラクネを確認した。

 彼女は仇敵達の背にあっかんべーをしていた。

 大和は彼女の尻をぺちんと叩く。

 

「やんっ♪」

「ったく、これだから女同士は……」

 

 愚痴を溢しつつ、大和は拠点であるビーチパラソルの下へと戻っていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は一日のスケジュールを即興で組んだ。

 午前中は子供幽霊達と遊ぶ。ともかく遊ぶ。

 そして午後は三名の魔神達の機嫌を治しにいく。

 

 拗ねに拗ねたアラクネは、夜に二人きりの時間を作るという事で納得させた。

 

「――ああ、面倒くせぇ。これが夏か。ファッキンサマー」

 

 訳のわからない事をほざく大和に対し、氷の美女フェンリルは唇を尖らせる。

 

「何をしている大和、貴様の時間は今より我々のものだ。一分一秒の無駄も許さん」

 

 ビーチより遠く離れた隠れスポットにて。

 小さな砂浜にビーチパラソルを突き立て、三名は既に待機していた。

 

 大和はやれやれと肩を竦める。

 用意周到な事に認識阻害の結界を張ってあり、フェンリル達は元の姿へと戻っていた。

 

 彼女達は水着を脱ぎ捨て、シートに寝転がっている。

 フェンリルは髪と同じ青みがかかった銀色の狼耳をピコピコ動かした。

 

「そら、日焼け止めのオイルを塗れ。私は雪国生まれだ、直射日光に弱い」

 

 背を見せ、張りのある尻をつき出すフェンリル。

 大和は投げ渡されたオイルを手に取り、眉根をひそめた。

 

「お前日焼けするのかよ。……まぁいいが」

「大和ぉ、次は僕ね」

「その次は儂じゃぞ」

 

「へいへい」

 

 急かされるままにフェンリルの横に座る大和。

 フェンリルは上機嫌に尻尾を振った。

 

「光栄に思え。我が柔肌に触れられるのはこの世でただ一人、貴様だけだ」

「嬉しいねぇ、ったく……そら、塗るぞ」

「うむ、入念に頼むぞ」

 

 大和はてきぱきとサンオイルを塗り始める。

 まずは背中、そして腕。尻に触れれば尻尾がツンと立つが、嫌がる素振りは見せない。

 むしろ手首に巻き付いてきた。

 

「邪魔だ」

「フフフ……」

 

 何時も浮かべている冷笑は何処へ行ってしまったのか――その顔は実に女らしい。

 

 彼女の全身を塗り終えた大和は、その背を叩いた。

 

「ほれ、塗り終わったぞ」

「何を言っている、後ろだけだろう。前はどうした?」

「はぁ?」

 

 フェンリルは寝返りを打ち、前面を晒す。

 乳房の先端も、秘部も、惜しげなく晒した彼女は少々頬を赤らめながら告げた。

 

「前も塗るんだ。拒否権はない」

「……はぁぁ、女王様め」

 

 大和は肩を竦めながらも作業を始める。

 首筋から鎖骨まで、指の腹を這わせる。

 そうして張りのある乳房へと指先を向けた。

 

 グラマーながら大きすぎない、ある種理想のバスト。

 腰周りもスラりとしており、よく絞られている。

 戦闘に適した体付きだった。

 

 大和は触れれば指を弾くその乳房へと丁寧に、愛撫する様にオイルを塗っていく。

 フェンリルの唇から甘い声が漏れた。

 

「んっ♡」

「エロい声出すな」

「無茶を言うな……そういう貴様こそ、先端をねぶるのはやめ……んぁっ♡」

 

 桃色の先端を指先で弄られ、フェンリルは嬌声を上げた。

 大和は嗤う。

 

「スケベ狼め」

「何を言う、貴様こそ――」

 

 フェンリルは彼の下腹部を撫で、硬くなったモノを掴む。

 

「なんだこの雄々しいものは……興奮しているのはどちらだ?」

「そりゃ、スケベな女が目の前にいりゃあな」

「全く……」

 

 フェンリルは起き上がり、大和に抱きつく。

 そしてその逞しい胸板に舌を這わせた。

 

「こちらは必死で抑えているというのに、堂々と見せつけおって……貴様の肉体は目に毒だ。魅力的過ぎる」

 

 狼耳を畳み、発情しきった顔で彼女は囁く。

 

「……嗚呼、世界最強の肉体。力のみで全てを捩じ伏せてきた証……駄目だ、疼いてしまうッ」

 

 情欲で蕩けているフェンリルの唇を、大和は奪う。

 熱く深いキスを交えた後、二人は――

 

「そこまで♪ 僕も混ざるよ。独り占めなんてズルいじゃないか」

「そうじゃぞ、フェンリル」

 

 堕天使ウリエルは張りのあるその桃尻を、大和に掴ませる。

 

「ああんっ♡ ……ねぇ大和、皆で塗り合いっこしようよ。その方が楽しいし、気持ちいいよ?」

 

 バロールは頷き、100センチ優に越える乳房に大和の手を埋もれさせる。

 

「んんっ♡……ウリエルの言う通りじゃ。儂のこの乳房にも入念に塗ってくれぃ……先端から裏側までな♡」

 

 不覚にも両腕を取られてしまったフェンリルは頬を膨らますものの、次には嗤って大和を押し倒す。

 そうして腹上に跨がった。

 

「まぁ良い……大和、もう限界だ。存分に愛してくれ……貴様ならできるだろう?」

 

 艶然と微笑まれ、大和は口角を歪める。

 

「いいぜ、可愛がってやるよ。……立てなくなるまでな」

 

 起き上がり、再びフェンリルと濃密なキスを交える。

 

 その後、フェンリル達は愛され尽くされた。

 彼女達の喘ぎ声は認識阻害の結界が無ければ危なかったほど大きく、艶やかだったという――

 

 

 ◆◆

 

 

 同時刻、湘南のビーチで珍妙な事件が発生していた。

 

「…………」

 

 剣神と謳われる世界最強の剣豪、正宗は内心困惑していた。

 理由は、目の前で堂々と佇んでいる子供幽霊である。

 

 幽香だ。

 

 彼女は怖がる子供幽霊達を背に、何故か正宗に満面の笑みを向けていた。

 

 正宗は思わず双眸を細める。

 

(…………どうすればええんじゃ、この状況)

 

 現在、ビーチパラソルの下で孤立無援状態。

 ゼウス、牛魔王、ヒュドラは海の家に食料調達に行っている。

 

 相手は敵ではない。しかし厄介だ。

 幽霊とはいえ子供――鋭い言葉を放つわけにもいかない。

 

 困惑している正宗に対して、幽香は唐突に挨拶した。

 

「おっす! おじいちゃん!」

「…………」

「名前、教えてくれよ!!」

「…………」

 

 気不味い空気が流れる。

 しかし幽香は全く気にしていない様子だ。

 

「おやびぃん、やばいよぉ……逃げようよぉ」

「あぶないよぅ姉御ぉ……」

「あわわわわ……っ」

 

 子分達の制止の声を、幽香は無視して続ける。

 

「名前、教えてくれよおじいちゃん!!」

「…………正宗じゃ」

「!!!!」

 

 返答があったので、幽香は瞳をキラキラと輝かせた。

 

「正宗おじいちゃんだな!!『じぃじ』って呼んでいいか!?」

「勝手にせぃ」

 

 無愛想にそっぽを向く正宗に、幽香は早速爆弾発言をかます。

 

「じぃじって大和の友達なのか?」

「…………」

 

 静かに、殺気が滲んだ。

 子供幽霊達が目に見えて怯え始める。

 正宗は己が失態に舌打ちしつつ、しっかりと否定した。

 

「違う。むしろ悪い。最悪じゃ」

「そっかー、ふぅん…………」

 

 幽香は怖じ気付くことなく、何か考えている様だった。

 正宗が首を傾げていると、彼女はニパっと笑う。

 

「ならじぃじ! 俺達と友達になろうぜ!!」

「何故そうなる」

「だってさ!」

 

 幽香は無邪気に告げる。

 

「大和が嫌いでも、俺達が嫌いってわけじゃないだろう?」

「…………」

 

 正宗は呆然とした。予想外の返答だったからだ。

 楽観的で、邪を知らず……裏表が無い。

 

 幽香はその小さな手を伸ばした。

 

「友達になろ! 一緒に遊ぼうぜ!!」

「……全く」

 

 正宗は苦笑をこぼす。

 

「参ったわぃ……子供の無垢さには敵わんのぅ」

 

 初めてその険しい面が崩れた。

 同時に溢れ出た優しいオーラに、子供幽霊達は一気に警戒心を解く。

 そうして正宗に群がった。

 

「じぃじ! 砂遊びしよ!」

「おっきなお城立てよ!」

「よろしくお願いしますぅ!」

「じぃじ細い! でもガッシリしてる!」

「結構背が高い!」

 

「これこれ、全く……」

 

 呆れながらも、その顔には年相応の優しさが滲んでいた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ゼウス、牛魔王、ヒュドラは海の家から帰ってきて早々、驚愕で目を丸めた。

 

 あの正宗が、剣一筋の頑固爺が、子供幽霊達と砂遊びをしているのだ。

 

 その温かな横顔を見て、ラムネを飲んでいたヒュドラが盛大に咳き込む。

 

「ゲッホ!!!? ゴッフゴホッ!! ガフッゲホゲホッッ!!!!」

 

 牛魔王も、ゼウスも、硬直していた。

 彼等はゆっくりと視線を合わせる。

 

「……意外な素顔だな」

「全くだよ。あんな顔ができるのだな、剣神殿は……」

 

 牛魔王とゼウスは、暫く遠くを散歩する事にした。

 未だ噎せているヒュドラを連れて――

 

 

 ◆◆

 

 

 その後、宿泊先の旅館で。

 幽香達から話を聞いた大和は目が飛び出るほど驚いていた。

 

「大和!! じぃじと友達になった!!」

「「「「「いえーい!!」」」」」

 

「お前らコミュ力高いなマジで!! 正宗!? あの頑固爺と!? マジで!!?」

 

 あまりの驚きように、子供幽霊達は大爆笑した。

 ――子供の無邪気さは、世界最強の武器である。

 



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三話「嵐がやってくる」

 

 

 

 深夜、毒蜘蛛はその鋭利な牙を大和の首筋に突き立てた。

 嫉妬心に駆られるがままに肉を噛み締め、熱い血を溢れさせる。

 命の証を吸い上げて、音を立てて舐めとり、また貪り──漸くその激情は治まった。

 

 途端に悲しげな声をあげ、己が傷付けてしまった首筋を舐めあげる。

 

 堪らず彼女──アラクネは謝った。

 

「ごめんなさい……」

「いいんだよ、俺が悪かった」

「ッ」

 

 頭を優しく撫でられ、アラクネはその逞しい胸板に顔を埋めた。

 

 子供幽霊達も寝静まった深夜、暗い部屋の端で座る大和にアラクネは跨がっていた。

 淡い月明かりに照らし出された彼女の顔は、世界最強の暗殺者とはとても思えない弱々しいものだった。

 

 大和は彼女の額にキスを被せ、震えるその唇に己が唇を重ねる。

 血の味がした。

 

 アラクネは涙を零して受け止める。

 長い長いキスを終えて──アラクネは喘ぐように囁いた。

 

「我慢できなくなるの……っ、アンタがあいつ等に取られたと思うと、自分を制御できなくなるッ」

 

 涙目で大和にすがるアラクネ。

 大和はそのか細い身体を抱き締める。

 

「なにも言うな。今夜は……いいや、当分はお前だけを愛してやる」

「ほんと……?」

「ああ、俺は昔からお前に嘘はつかねぇだろう?」

 

 微笑まれ、アラクネも花が咲いた様に微笑んだ。

 

「嬉しい……愛してる、大和……ッ」

「俺もだ、アラクネ」

 

 お前は特別な女だ──その言葉をキスで伝える。

 アラクネは涙を流し、彼の首に両腕を回した。

 

 二人は静かに、されど熱い夜を過ごす。

 さざ波の音すらも聞こえなくなるほどに……

 

 

 ◆◆

 

 

 翌朝早く、大和は符術で雅貴から誘いを受けた。

 温泉に浸かりながら語り合わないか、と。

 断る理由も無いので、大和は旅館の屋上にある露天風呂へと向かった。

 

 赴くと、ちょうど朝陽が地平線から顔を出したところだった。

 大和は既に湯に浸かっている雅貴に話しかける。

 

「俺と語り合いたいって?」

「ああ、貴殿から学ぶことは多い。是非語り合わせてくれ」

「まぁいいぜ、暇だからな」

 

 湯を浴び、汗を洗い流し、大和はゆっくりと湯船に浸かる。

 深いため息を吐く彼に対し、雅貴は苦笑を向けた。

 

「流石の貴殿も、あの女傑達には手を焼くか?」

「まぁな」

「首筋の傷。それに胸板や腕に付いた無数の赤い痣……いやはや、凄まじいな」

「独占欲が強いんだよあいつ等は……ったく」

 

 結った黒髪を解き、リラックスモードに入る大和。

 雅貴はクツクツと喉を鳴らした。

 

「で……何を語らいたい」

「そうさな。では単刀直入に──貴殿はこれからの世、どうなると思う?」

「荒れるだろうな。下手したら四大終末論の時と同じくらいに」

 

 寛ぎながらそう言うので、雅貴は目を丸めた。

 

「根拠は?」

「根拠もなにも、お前等の存在がそうだろうが。他にもソロモン……いいや、今はヒトラーだったか? アイツ、南極大陸を拠点にして色々暗躍してるみてぇだぜ。あとはアレだ、表世界も騒がしくなってきたな。今までにない傾向だ。新しい超越者も増えてきたし、勢力も乱立してる」

 

 大和はゆっくりと朝陽に顔を向ける。

 

「仮初めの平和が終わろうとしている。今まで押さえてたもんが一気に溢れ出ようとしているんだ。……もう誰にも止められねぇ、時代の転換期だ。最悪、表世界と裏世界の境界線が無くなっちまうかもなぁ」

「我々の存在が公に曝されると?」

「そうならねぇよう表世界の勢力が尽力するだろうが……最悪、全世界が魔界都市化だな」

「素晴らしいではないか。俺の望む楽園だ」

「ほざけよ。そんな面倒臭ぇ事態になる前に俺が……まぁ、報酬次第で何とかする」

「クククッ……貴殿は本当にブレないなぁ」

 

 雅貴は面白そうに笑う。

 その後、子供の様な無邪気な面で問うた。

 

「貴殿は何故、勢力を築かない?」

「何だ、やぶから棒に」

「貴殿を慕う者は多い。その気になれば七魔将の女性達は勿論、毒蜘蛛殿、這い寄る渾沌殿、傾世の九尾殿──皆付いてくるだろう。そうなれば俺達もソロモン殿も勝ち目はない。真に畏怖される組織が誕生する」

「ありえねぇよ」

「何故そう言いきれる? 貴殿であれば本当に……」

「アイツ等は、独りぼっちの俺に惚れたんだろう?」

「……!!」

「だから俺が例え組織を作ったとしても、誰も集まらねぇよ。てか、そもそもだ」

 

 俺が嫌だ。大和はそう断言する。

 

「組織なんて面倒臭ぇ……所属するのも嫌だね。俺は、そーゆーしがらみが大嫌いなんだよ」

「…………」

「だから、お前が言ってる「もしも」はありえねぇ。絶対にだ」

「……クククッ、ハッハッハッハッハ!!!!」

 

 雅貴は爆笑した。大爆笑である。

 

「そうかそうか、そうだな!! これは貴殿のみならず、貴殿を愛する女性達にも無礼な質問だったな!! いや失礼!!」

 

 非礼を詫びると、雅貴は心底嬉しそうに告げた。

 

「貴殿と語らうのは誠面白い。目から鱗がどんどん落ちていくよ」

「おだてすぎだ」

「いいや、貴殿との語らいは百の黄金にも勝る。……ううむ? 前にも似たような事を言ったか?」

「さぁな」

「クククッ。ああそうさな……貴殿の在り方は、まるで万華鏡だ」

 

 雅貴はじっと大和を見つめだす。

 

「貴殿を愚者と謗るのか、賢者として敬うのか。殺し屋として恐れるのか、英雄と讃えるのか。怪物と恐れるのか、益荒男として愛するのか──その者の性別や種族、価値観によって抱くイメージが変わってくる。……フフフ、どれが本物の貴殿なのかな」

 

 雅貴は面白そうに顎を擦り、そうして首を横に振るう。

 

「いいや違うな……全て貴殿なのだ。愚劣で思慮深く、殺戮者でありながら英傑。怪物にして男の理想像……全て間違っていない。全て正解だ」

「…………」

「いやはや、実に面白い男だよ。貴殿は」

 

 雅貴から純粋な瞳を向けられて、大和はそっぽを向いた。

 

「……あんま、俺を『そういう』目で見るな。こそばゆい」

「……フフフッ、すまない。少し熱くなってしまった」

 

 二人して肩を竦め、昇ってきた朝陽を拝む。

 ふと、雅貴が唐突に言った。

 

「なぁ大和殿、弟子をとる気はないか? 今なら陰陽風水をかじったそれなりに優秀な男が」

「断る」

「フハハ!! 一刀両断されてしまった!!」

「ったく……」

 

 呆れながらも、大和は可笑しそうに笑っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 午前中、湘南の浜辺の前で。

 大和は雅貴と七魔将に別れを告げていた。

 

「アラクネと幽香は先に帰らせた。色々面倒だからな」

 

 その言葉にウリエル、フェンリル、バロールがほくそ笑む。余程アラクネの事が嫌いなのだろう。

 大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「あと正宗、幽香達の友達になってくれてサンキューな」

「……フン、貴様に礼を言われる筋合いは無いわい」

 

 鼻を鳴らしてそっぽを向く正宗に対し、七魔将全員がニヤニヤと笑みを向ける。

 大和と雅貴にも向けられたので、正宗はわざとらしく咳き込んだ。

 その耳は真っ赤だった。

 

「クククッ……そんじゃ、またなお前ら。依頼があれば言えよ。報酬次第で受けてやる」

 

 踵を返して去っていく大和。

 その背に、雅貴は最後の問いを投げかけた。

 

「大和殿!」

「?」

 

 振り返った大和に、雅貴は稚気を含んだ「らしい」笑みを向けた。

 

「これから訪れる激動の時代、貴殿はどう生きる!」

「……」

 

 大和は一拍置くと、無邪気な子供の様な笑みを零す。

 

「今までと変わらねぇよ。俺は俺の人生を全力で楽しむ……それだけだ」

「……フフフ、そうか。ではまたな!」

「おう」

 

 互いに背を向け離れていく。

 大和の背が遠くなった頃に、ウリエルは雅貴に問うた。

 

「ねぇ雅貴、どうだったの? 大和の勧誘は。まぁ失敗したのはわかってるけど」

「無理だよウリエル殿。彼は誰にも従わないし、群れない。孤高の益荒男だ。……貴殿等も、そんな彼に惚れたのだろう?」

 

 ウリエルとフェンリル、バロールは目を丸めた。

 そして艶然と笑う。

 

「その通りだよ♪」

「雅貴コイツめ……わかっているではないか」

「クククッ、一皮剥けたか?」

 

「ハッハッハ!! いや楽しかったぞ!! かけがえのない思い出になった!!」

 

 笑いながら歩を進めていく雅貴。その背に続く七魔将。

 彼等の行く先には蒼穹の青空と、天頂にまで昇る入道雲が待っていた。

 

 夏の一時が終わり──そうして嵐がやってくる。

 世界を巻き込むほどの『嵐』が、間を置かずして。

 デスシティも表世界も巻き込んだ、盛大な死のパーティーが始まろうとしていた。

 

 

 

《完》

 

 



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補足
主人公キャラ設定。戦闘力、世界観補足


『大和』

 

《種族》人間《超越者》

《性別》男

《年齢》数億歳

《身長》247㎝

《体重》227㎏(体脂肪率1%)

 

《容姿》

 

 褐色肌の美丈夫。結った黒髪に灰色の三白眼、ギザ歯。容貌も雰囲気も人間離れしている。

 その体躯からよく東洋の鬼神と勘違いされるため、一番有名な二つ名が『黒鬼』。

 絶世の美貌を誇るが身嗜みや服装、清潔さに人並み以上に敏感な隠れ潔癖症。近寄るとスゴく良い匂いがする。愛用の香水はデスシティ特産『一夜百合』を用いた一品。

 野性的でありながら凄絶な色気を醸し出しているため、本能に忠実なデスシティの女や人外の女から好かれやすい。表世界を出歩けば耐性のない女達が勝手に着いてくる。

 特に印象的なのは灰色の三白眼。殺意と憎悪で冷たく輝くその双眸はあらゆる存在に『畏怖』の第一印象を抱かせる。コレのせいで彼の性質を勘違い、または極端に捉える者が後を絶たない。

 

《性格》

 

 天上天下唯我独尊。美酒を好み美女を愛し博打を楽しむ。命令される事を何よりも嫌い、気に入らない奴は魔王であろうが神だろうがぶっ飛ばす。

 と……好意的に解釈すれば英雄に見えなくもないが、その実度しがたい人間の屑。

 依頼とあらば女子供でも容赦なく殺し、美女ならその場で犯してしまう。

 暴力行為に快感を覚えており、弱いもの苛めが大好き。

 善か悪かと言われれば間違いなく悪に属する、最低最悪の屑野郎。

 大多数の存在から嫌悪と憎悪の念を向けられているが、一部の者達から異常に慕われている。

 また、彼の本質を知る者からも一定以上の敬意、または好意を抱かれている。

 あまりの屑さで霞んでしまっているが、元々は東洋で栄華を誇った大王朝『出雲』の第一皇子。東洋で最も尊い血をその身に流している。

 皇子として武芸以外にも兵法、魔術、医学を中心とした世界中の歴史、知識、術理。礼儀作法を含む常識、良識。茶道や和歌、舞踊や楽器などの嗜みを修めている。

 家出後も極西最強の邪神バロールを師事し、仙人の秘境の一つ『金鰲島』で過酷な修行を積んだ。

 そのため性質的には考えられないほど博識且つ経験豊富。あらゆる分野の知識に精通し、わからずともすぐに知識として修めてしまう。

 道徳観、倫理観に関して達観しているところがあり、並の賢者よりも生き物や世界の真理について理解している。

 それでも屑と揶揄される生き方をしているのは本人が周囲の評価を全く気にしないのと、人間という種族に共感できないから。

 生まれながらに超越者だった彼は『共感できる存在』が周囲に一人もいなかった。故に性格がねじ曲がり、本能のままに生きる獣となった。

 しかし本人は全く後悔していない。

 

 今だけを見る。今を全力で楽しむ。好きなものを好きと、嫌いなものを嫌いとハッキリ豪語する。

 

 まさしく天上天下唯我独尊。

 その生き様に魅了される存在は意外にも多い。

 

《過去》

 

 上記した通り、大王朝『出雲』の第一皇子という破格の出生を誇る。

 本人が過去話を嫌がるので殆ど判明していないが、少なくとも『碌なものではなかった』。それは彼の人間性を見れば嫌というほど理解できる。

 だがしがし、神代の時代に勃発した四大終末論を踏破し、その後も数多くの偉業を成し遂げている彼はたとえ性質が最低最悪であっても人類史の守護者、世界最強の英雄である。

 

《交友関係》

 

 異常に女にモテる。本人もそれを理解しているためタチが悪い。愛人は少なく見積もっても七桁以上。中には高位の女神や魔王、堕天使、邪神もいる。本人的には全員「遊び相手」なのだが、女の方がマジ惚れしているので女同士が出会うと高確率で修羅場になる。

 本人的には 「気軽にヤらせてくれる女がいい」らしい。

 男友達はめっぽう少ないが、いるにはいる。彼等は数少ない理解者。それなりに信頼している。しかし親友のネメアは別格で、本当の意味で『友』だと思っている。その他、交友関係は意外と広く、好き嫌いもハッキリしている。各地域の神々からは蛇蝎のごとく嫌われているが、一部の女神からは依存されるほど好意を抱かれている。また弟子に対して自他認めるほど甘く、現在でも数多くの弟子から慕われている。しかし訳あって殺した弟子も多い。

 本人にその気が無くても救われた存在は多く、世界も数えきれないほど救われている。故に暗黒のメシアと讃えられているが、本人は英雄扱いされるのを嫌がる。それは彼が『英雄』という存在の本質を理解しており、また本物の英雄であった男を知っているから。

 

 彼の本質は『孤高の怪物』。

 誰も彼の隣にはいない。

 誰かが寄り添っているように見えてもその実、彼が寄り添っているだけ。彼が離れようと思えば誰も近寄ることは出来ない。

 

 その在り方は万華鏡。

 彼を度しがたい屑と見るのか、愛しき益荒男と見るのか、暗黒のメシアと見るのか、怪物と見るのか──その者の性質や価値観によって、大きくイメージが変わってくる。

 

《渇望》

 

『全ての束縛から解放されたい』『ご都合主義や異能に頼りたくない』

 

《ステータス》

 

 [筋力]EX+

 [体力]EX+

 [魔力]E

 [敏捷]EX+

 [才能]EX+

 [精神]EX+

 [運勢]E

 

《ステータス概要・戦闘スタイル》

 

 怪異の王達を力で捩じ伏せる無敵の肉体。幾千万の憎悪を鼻で笑える不屈の精神力。数億年培ってきた百戦錬磨の戦闘技術。他を圧倒する比類無き戦闘センス。あらゆる知識、学問を瞬時に理解できる天才的頭脳。そして異能術式権能を無効化する闘気。

 心技体、そして才と知。戦士に必要な全ての項目を最高水準で兼ね備えた天下無双の武術家。白兵戦では敵なし。まさに鬼神の如き強さを発揮する。

 

 更に上記の五要素を完璧に繋ぎ、相乗効果を産み出している。無敵の肉体を不屈の精神力で鍛え上げ、百戦錬磨の戦闘技術と比類無き戦闘センスで勝利を掴み取る。天才的頭脳は鍛練法、戦闘理論、読心術、全てに繋がる。

 その本質は完璧過ぎるオールラウンダー。あらゆる武器兵器を使いこなし、天賦の才と至上の努力で手に入れた五要素でどんな難敵をも打ち倒す。

 

 究極の戦士──世界最強の男。

 ただただ単純に『強い』。

 

 中でも特筆すべきは戦闘センスで、現在でも強敵との戦闘中に覚醒し飛躍的な進化を遂げる。その無限の成長速度と底無しの器は彼を真の最強足らしめている。

 

《武器》

 

 世界最高の鍛冶師の一角、百目鬼村正が手掛けた業物を愛用している。彼女の得物はよく斬れ、よく突け、硬質で、柔軟で、壊れにくい。物理性能に於いて世界最高を誇るそれらを、大和は愛用している。

 大太刀、脇差を始め、薙刀、十文字槍、大弓、鎖分銅、棒手裏剣、大鎌、戦斧、細剣、大剣、大槌、鎖鎌、まきびし、荒縄、煙玉、鋼糸、鎖帷子。更にはヌンチャク、トンファー、六合大槍、方天画戟、蛇矛、鉄扇、バスターソード、モーニングスター、パルチザン、蛇腹剣、大楯など。

 これらを戦況によって自由自在に使い分ける。

 

 ◆◆

 

『戦闘力ランク付け』

 

 

 EX+ 大和、ネメア、エリザベスなどの別格の超越者達。邪神群の外なる神クラス。

 

 EX 七魔将、八天衆。ネオナチの五師団大隊長、黄金祭壇の№2、3。邪神群の旧支配者クラス。

 

 

 ~真の強者の壁~

 

 

 SSS 上級~最上級神仏。主神や武神、破壊神など。巨人族の王や龍王、黄金祭壇の№10までの魔導師。世界最強の武術家「天下五剣」「四大魔拳」「三本槍」など。

 

 SS 中級神仏。熾天使や智天使、七大魔王や一部の最上級悪魔など。上位の巨人族やドラゴン族もここに該当する。

 

 S 一般的な超越者。低級神仏。上級の天使や悪魔、星霊、仙人、魔法使いや闘気を極めた武術家など。異世界の神格も大概はこのランク。

 

 

 ~全知全能の壁~

 

 

 A デスシティで上位の殺し屋や賞金稼ぎ。伝承に出てくる鬼神や魔王。吸血鬼の真祖など。中級以下の天使、悪魔もここに該当する。

 

 B デスシティの殺し屋や賞金稼ぎ。上位の精霊や鬼、邪神群の奉仕種族など。表世界の住民ではこのランクが限界。

 

 C デスシティの一般人。中位の妖魔や魔術師、強化サイボーグなど。

 

 D 一般的な魔術士、異能力者。低位の妖魔など。

 

 E 表世界基準の強さ。プロボクサーや歴戦の空手家。銃を持った人間。肉食獣など。総じて「戦闘力と呼べるものを持つギリギリのラインの者達」

 

《補足》

 

 アラクネはEXランク。

 雅貴は初登場時はSランクだったが現在は修行しSSSランクにまで成長している。

 死織はC、右之助はA、斬魔とえりあ達天使殺戮士はB。鬼狩りの野ばらは妖刀込みでA。

 サイスはCだが天使病覚醒時はAまで上がる。ナイアはEX+ ハスターとクトゥグアはEX。

 吹雪はSSS 現在冥界で修行しているのでEXに片足突っ込んでる。

 スレイと黒兎はSS、翔馬はS。

 

 上記の戦闘力ランクは絶対ではなく、あくまで大まかな目安でしかない。下位の者が上位の者を倒すことも稀にある。AとSの壁は隔絶しているが、SSSとEXの壁は僅差。相性や戦闘経験、運や成長速度でなんとでも誤魔化せる。

 

 Aランクになれば光速を越えた時間無視行動が可能。Bランクにも光速移動ができるものが少数いる。

 

 東洋妖魔の頂点は鬼、西洋妖魔の頂点は吸血鬼。星霊は精霊の最上位種。仙人は東洋版魔法使い。

 神仏は最強種。デフォで全知全能&超多次元宇宙破壊可能。

 悪魔や天使は神仏を除けば別格の人外。ドラゴンは外宇宙からの侵略者。巨人族は各神話で伝えられる土着の神、つまり星霊種。

 

 邪神群は別格。旧支配者でもEX、外なる神ともなればEX+を誇る。数ある神話体系でも最強。

 

 超越者は人間が多いが、魔獣や悪魔にもいる。代表は神滅狼フェンリル。

 

 

『世界観の規模』

 

 

 星<銀河<宇宙《平均規模は300~500億光年ほど》<多次元宇宙《無限数の宇宙を内包》<超多次元宇宙《無限数の多次元宇宙を内包、以下同文》<三千世界<三千大山世界《世界そのもの、森羅万象》<虚無空間(世界の外側、無限数の三千大千世界と同規模の面積を誇る。その正体はまだ形成されていない世界)<終点(未だ数名しか到達できていない世界の最果て。正真正銘、最上位の空間。無限数の虚無空間と同規模の面積を誇る)

 

 つまりデスシティの世界観規模は「七次多元」。

 しかしそれ以上の空間を、一時的ながら魔導師や創造神であれば創造可能。

 

 

『世界最強ランキング』

 

 

一位 大和

二位 ネメア

三位 氷雨

四位 パラシュラーマ

五位 ローラン

六位 ジークフリート

七位 カーリア

八位 アダド

九位 サタン

十位 エリザベス

 

 



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第二十八章「相棒伝」
一話「魔神の演目」


 

 

 

 この世界には天使が実在する。

 故に相反する存在──悪魔が実在するのは必然。

 

 合衆国の首都、ニューヨーク・シティにて。

 世界を代表する大都市たる此処にも、貧富の差は確かに存在した。

 

 しかし今はない。今、は──

 今宵、ニューヨークは悪魔達の演目場と化していた。

 演目内容は『死美人への愛』と 『人間共の絶望』。

 

 

 さぁ、狂った宴を始めよう。

 

 

 ◆◆

 

 

 腐乱臭漂う路地裏にて。

 下水溝から鼻も曲がる様な臭いが漂ってくる。

 

 道端に蹲っていたホームレスの老人は、小汚い垢塗れ顔で天を仰いだ。

 

「おぉ、神よ…………どうか、どうか我等を救いたまえ……」

 

 酒に焼けたしわがれ声が神への救いを囁く。

 その前を通り過ぎる謎の影。蝙蝠を彷彿とさせる黒き魔人。

 

 そう、その容貌はまさしく──

 

 

 ◆◆

 

 

 マンハッタンの大通りにて。

 大型バスが横転し、他の車両と追突を繰り返していた。

 

「誰か、誰か助け……!!」

 

 車から飛び出てきた男の頭が、卵の殻の様に粉砕される。

 

「キャアアアア!!」

 

 思わず悲鳴を上げた女性の首が引き千切られた。

 悲鳴は首だけになっても続いていた。

 

 濃厚な血煙が辺りを覆いはじめる。

 恐慌状態に陥った市民達を警察らが必死に護ろうとするが──相手はギャングでもなければ人間でもない無い、最強最悪の妖魔だった。

 

 パトカーから出てきた警官達、彼等は亜光速で飛翔する人影に一瞬でバラバラにされる。

 血肉の雨が降り注いだ。

 

「彼等」は地獄と化したニューヨーク・シティを我が物顔で徘徊している。

 

 全体のシルエットは人型。しかし猛禽類の様に発達した鉤爪と黒光りする皮膚を持っている。

 深紅の眼球、鋭利な牙、尖った耳に山羊を連想させる二本の角。

 そして、背中から生えた巨大な蝙蝠の翼。

 

 そう……悪魔である。

 

 古来より人類を脅かしてきた妖魔の原点にして頂点。

 神代の時代には天使と終末論「ハルマゲトン」を引き起こした。

 

 彼等は普段、異なる次元の世界「冥界」で暮らしている。

 何故今更になって地上に出てきたのか──理由は定かではないが、今言える事はニューヨークが、いいやアメリカ合衆国が滅亡の危機に瀕しているという事だ。

 

 魔界と現世を繋ぐ巨大な異界門が天蓋の如くニューヨークの空を塞いでいる。

 そこから雨の様に降ってくる悪魔達──

 

 ニューヨークは地獄の様相を呈していた。

 

 悲鳴も聞こえなくなってきた頃、この場に不釣り合いな陽気な声が響き渡る。

 

「HEYHEYHEY!! アンタ等ちょいとばかしハシャギ過ぎなんじゃねぇの?」

 

 若い女を引き裂いた悪魔が振り返った。

 そこには黒いレザーコートと赤茶色の髪が似合う青年が立っていた。

 

 長身痩躯の鍛え抜かれた肉体。刺激的な美貌。

 右手には黒金色の鉄棒を握っている。

 

「ハッ、悪魔ってのは何時まで経ってもアナクロなスタイルしてんだな。まんまの格好じゃん」

 

 ヘラヘラと笑う青年を、悪魔は殺意を込めて睨みつける。

 

「ナンダ、キサマは? コロスぞ」

 

 世にもおぞましい不気味な声だった。

 しかし青年は鼻で笑う。

 

「ハッ! そのフレーズもまたベタだねぇ♪ よせやぃ、古臭い言い回しは」

 

 巨大な鉤爪が青年の頭頂を薙いだ。

 ガス爆発でも起きたかの様な轟音と共に土煙が立ち上がる。

 

 悪魔が薙いだ場所は瓦礫の山と化していた。

 青年は塵も残さず消し飛んだのだろう。

 

「バカめ」

 

 口ほどにも無い。

 人間など所詮下等生物。自分達の足元にも及ばない。

 そう悪魔は鼻で笑った。

 

「おっ見事〜♪」

 

 背後からかけられた声に、悪魔は驚愕とともに振り返った。

 其処には先程の青年がいた。

 白い歯を見せて爽やかな笑みを浮かべている。

 

 彼は塵のついたロングコートを叩きながら言った。

 

「俺の相棒を拐ったアンタらのボスに話があるんだ。……居場所、教えてくんない?」

 

 悪魔の頬に冷や汗が流れた。

 青年から尋常ではないプレッシャーを感じたのだ。

 ただの人間ではない。

 

 緊迫感に包まれる中、青年の懐で着信音が鳴った。

 彼は迷うことなくスマホを取り出し耳に当てる。

 

『エージェントえりあの位置は判明したわ。上層部から特例よ。今回に限り、悪魔の殲滅を許可するわ』

「りょーかいっす〜」

 

 そのままスマホを懐にしまう。

 悪魔は思わず歯軋りした。

 怒りの余り咆哮する。

 

 青年は臆する風もなく笑った。

 

「ようやく解禁だ。ハハッ♪ これで遠慮なくアンタらを切り刻める」

 

 ロングコートを翻し、黒金の長棒を構える。

 

「たまにはこう言うのもいいだろ。……堕とすぜ、羽根落とし」

 

 鯉口が切れ、流麗な乱れ刃が現れる。

 銀光一閃。悪魔は縦半分に両断された。

 なおも衰えない斬撃波はマンハッタンの大通りを深く裂いていく。

 

 天使狩りを専門とするプロテスタントの最高戦力『天使殺戮士』。

 8名の魔人で構成されているこの集団で切り込み隊長を務めているのが彼──斬魔(ざんま)である。

 

「さぁて……あの能面女を助けにいきますか」

 

 彼はやれやれと肩を竦めると、荒廃したニューヨーク・シティを進み始めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、第三勢力が動き始めようとしていた。

 

 ニューヨークから遠く離れたイタリア、ローマのバチカン市国にて。

 

 教皇庁直属の孤児院に、その者達はいた。

 柔らかい日差しの下、真緑の草原を笑顔で走り回る子供達を嬉しそうに眺めているシスターの姉妹。

 純白の法衣に身を包んだ絶世の美女姉妹だ。

 

 糸目で長身の姉はおっとりと微笑んでおり、童顔で小柄な妹は心底幸せそうに子供達を眺めている。

 

 街中を歩けば見惚れてしまう男が数多出るであろう。妖艶さはなく、清廉潔白。神の御使いに相応しい有り方である。

 

 彼女達はマリー&アリス。

 姉はマリー、妹はアリス。

 カトリック教会の最高戦力、七騎士。別名「聖騎士(パラディン)」の一員である。

 プロテスタントの天使殺戮士に比肩しうる、表世界の最高戦力だ。

 

 祝福儀礼済みの重厚なシスター服を揺らして、姉妹は楽しげに会話を交えていた。

 

「こういう些細な日常が一番の宝物だよね。お姉ちゃん」

「そうね。でも油断しては駄目よ。彼等を謙虚なクリスチャンに育て上げるのが私達の使命なのだから」

「わかってるよ。プロテスタントの異教徒共を反面教師にして貰わないと。あんな豚達と同じようになったらたまったものじゃないわ」

「その通り。彼等には良き教育環境が必要よ。そのためには……」

 

 マリーが言い終える前に、カトリックの教団員が慌てて駆け寄ってくる。

 

 何かが起きた──姉妹達はいち早く察し、そちらへと向かった。

 

 

 ◆◆

 

 

「アメリカ合衆国が滅亡の危機ねぇ……噂の異端審問会は何をしているのかしら?」

「駄目よアリス、異教徒以下のゴミ共に期待するのは。天使様方の因子を利用して成り上がった輩を決して許してはいけないわ」

「わかってるよ、お姉ちゃん。見つけたら滅却してもいいんだよね?」

「勿論よ。我々カトリックこそ、大いなる父の寵愛を賜る権利がある。他は有象無象の雑多共……諸皆全て、塵に還さないといけないわ」

 

 倒壊した教会を進んでいくマリー。その後ろにアリスも続く。

 教会を介して転移してきた彼女達はニューヨーク──事件現場へと早速赴いていた。

 

 マリーは外に続く扉を開ける。

 眼前に広がるニューヨークだった地獄を一瞥し、カツカツと厚いブーツの底を鳴らした。

 

 姉妹揃って金髪を揺らし、純白のウェールをはためかせる。

 その存在に気付いた悪魔共が襲いかかった。

 

 姉妹達は歪な笑みを浮かべる。

 

「哀れな化物共に、魂の救済を──」

「Amen」

 

 それぞれの得物を取り出し、彼女達は悪魔共の殲滅を始めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方、ニューヨーク・シティの外部にて。

 本来であれば他の州も巻き込んだ大惨事になっている筈だが──被害は最小限に収まっていた。

 理由は、「彼女達」が出張ってきたからである。

 

 欧州最大の魔術結社「黄金祭壇」。その頂点に君臨する魔導師達。

 彼女達はニューヨークシティを超高密度多重障壁で包み込むと、表世界全体に強力な暗示魔術を施した。

 

 高層ビルの屋上にて。

 世界規模の大惨事が起こっているとは到底思えない、爽やかな青空が広がっている。

 

 妖艶すぎる美女はドーム状の結界に覆われたニューヨークシティを眺め、やれやれと肩を竦めていた。

 

 亜麻色の長髪、女神もたじろぐ絶域の美貌。紫苑色のドレスに包まれた熟れた肢体は男共の本能を刺激してやまない。

 

 サラサラと前髪が靡けば、泣きぼくろと翡翠色の双眸が現れた。

 

 ルチアーノ。

「黄金祭壇」の№4。イタリア支部の支部長であり闇魔法と禁呪のスペシャリスト。数少ない魔導師──その一角である。

 

 彼女は隣にいる紅蓮の女傑に愚痴をもらした。

 

「面倒なものね……でも、何で今更悪魔が出てきたのかしら。しかもこんな大規模な軍団を編成して……貴女はどう思う? ヴァーミリオン」

 

 獅子の如き女傑は、暇そうに大欠伸をかいていた。

 真紅の双眸に鮮血色のローブ。高身長で豊満な肢体を誇っている。

 

 ヴァーミリオン。

 黄金祭壇の№3。フランス支部の支部長であり、身体強化魔導と炎熱魔導のプロフェッショナル。近接戦闘での強さは黄金祭壇随一で、魔導師でありながら四大魔拳に名を連ねている。

 文字通りの女傑だ。

 

 彼女はまどろみながら告げる。

 

「まぁ……そうだな。どうせ下らん理由だろう。我々からすればな。悪魔の価値観など、我々には一生わからんものだ」

「そうね。……はぁ面倒くさい。私、今日オフだったのよ。折角南の島でバカンスを楽しんでいたのに……」

 

 ルチアーノの愚痴に、ヴァーミリオンは苦笑を向けた。

 

「ならお前自ら行けばいいだろう。爵位持ちの最上級悪魔の気配が幾つかあるが、余裕だろうに」

「それは、ね。でもエリザベス様の命令よ。干渉するな──と」

「ならば是非もなし。あの御方の命令は絶対だ。だがしかし、仕事は済んだのだ。有事の際までバカンスの続きでもしていたらどうだ?」

「……」

 

 ルチアーノは半眼でヴァーミリオンを睨む。

 

「貴女が寝るのが怖いのよ」

「む? 私は寝ないぞ。…………たぶん」

「はぁぁ……」

 

 今にも寝そうな雰囲気のヴァーミリオンに対し、ルチアーノは盛大なため息を吐いた。

 

 そんな時である。外部から魔術通信が入ったのは──

 

「あら……」

「誰だ」

「今一番忙しいであろう人」

 

 ルチアーノは魔術通信をオンにし、応答する。

 

「はぁい大統領さん」

『黄金祭壇のルチアーノ殿かな?』

「ええそうよ、カール大統領」

 

 合衆国代表、カール・マーフィーはその艶やかな声で感謝を述べた。

 

『今回は本当にありがとう。感謝している。この一件が終わった後、私にできる最大限の御礼をさせてくれ』

「あらそう? ならエリザベス様にかけあってくれない? ルチアーノの休暇をとってくれって」

『それはまた……難しい話だ』

「貴方でも、やっぱり難しい?」

『よしてくれ、私は所詮一国のトップ……世界最強の魔導師殿に願い事など、畏れ多い』

「ふぅん……謙虚な姿勢な割には、裏で色々暗躍しているみたいだけど?」

『…………』

 

 ルチアーノは苦笑をこぼした。

 

「ま、今は無しにしましょう」

『助かる。こちらも中々忙しくてね……その話題で盛り上がるには、少々時間が足りない』

「……異端審問会は、あまり動いていないようだけど?」

『貴女にはそう見えるか』

「多少の犠牲を払ってでも、ニューヨークシティにエージェントを派遣するべきね。これでは信用も地に落ちるわ」

『だから貴女方には感謝している。おかげで面子を保てた』

 

 隣でヴァーミリオンが盛大に舌打ちした。

 ルチアーノも眉根をひそめている。

 彼は、黄金祭壇が動くことを予期していたのだ。

 

「食えない人……」

『さぁ、何の事かさっぱり』

「いいわ、貴方にも異端審問会を動かせない理由があるんでしょう。今介入している両宗教の最高戦力やら、異端審問会のトップが傲慢を司る大魔王だったりやら」

『…………』

 

 ルチアーノは色々と察していた。

 今回の案件、異端審問会は動けない「明確な理由」がある。

 だから黄金祭壇を利用した。

 ルチアーノは少々の憤りを覚えるも、大人の余裕で飲み込んでみせる。

 

 彼女は一旦話題を変えた。

 

「それでも大丈夫なのかしら? 被害は深刻よ。最小限に抑えたとは言え、国力に影響が出るレベルだわ」

『まあ、この程度なら問題ない。いくらでも取り返せる』

「……国のトップとは思えない発言ね」

『トップだがらこそだよ。私は「民」ではなく「国」を見ている』

 

 どこまでも冷たい発言だった。

 彼は、ニューヨークシティの犠牲者を「仕方なし」と割りきったのだ。

 

 ルチアーノはやれやれと肩を竦める。

 隣のヴァーミリオンも両手を広げていた。

 

 しかしカールは続ける。

 

『と言っても、やはり失いたくないものだ。できれば最小限に抑えたい。この事件は早々に解決したい』

「……私達は動かないわよ」

『ああ、わかっている。だがらジョーカーを切らせてもらった』

「……!!」

 

 ルチアーノは弾かれた様に振り返る。

 次元の狭間を突き破って、凄まじいオーラを放つナニかが飛んできたからだ。

 

 それは、漆黒の流星──

 

 カールは強く告げる。

 

『最終手段だ。有事の際、彼に任せれば万事解決する。そう、世界滅亡の危機すらも──。もっとも、国家予算に匹敵する額を取られるのが玉に傷だがね』

 

 ルチアーノは慌てて結界の一部に穴を開ける。

 そうでもしなければ、結界全体が粉砕されてしまうからだ。

 

 世界最強の戦車、魔導式鏖殺戦車スカアハに跨がった暗黒のメシアは、ルチアーノとヴァーミリオンの隣を爆風と共に通りすぎた。

 

「外で待っとけ! すぐに終わらす!」

 

 爆風を耐えながら、ヴァーミリオンは心底嬉しそうに笑う。

 

「ああ、楽しみにしているぞ──さっさと終わらせてこい、大和!!」

 

 ルチアーノも蕩けた笑みを浮かべていた。

 そう、彼が来れば何も問題ない。全て解決する。

 

 結界の穴からニューヨークシティに到着した大和は、高笑いを上げながら悪魔共に挨拶した。

 

「ハハハハハ!! 久しぶりじゃねぇか蝙蝠共!! 大和サンが遊びにきてやったぜ!!」

 

 魔神后馬「スカアハ」と魔導式戦車で悪魔らを引き潰しながら、大和は地獄となったニューヨークシティを駆け巡った。

 

 殺戮パーティーの始まりである。

 

 



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二話「戦乱」

 

 

 古代ケルト式の豪勢な戦車が悪魔諸ともニューヨークシティを崩壊させていく。

 

 禍々しい鎌刃が取り付けられた車輪、漆黒色の魔導合成金属で構成された乗車台。そして荒々しくも麗しい剛馬三頭。

 

 世界最強の戦車──魔導式鏖殺戦車スカアハ。

 

 死滅の戦女神バロールと魔導神オーディンが戯れで開発した超兵器。数ある神秘の武具の中でも最上位を誇る神造武装。

 世界広しと言えど大和しか乗車出来ない専用宝具である。

 

 バロールが知る魔獣──馬種の中でも、最も凶暴で怪物的な力を誇る魔神后馬「スカアハ」と彼女に追従する同格の魔馬「フェルディア」と「フェルグス」。ソレにオーディンが製造した魔導式戦車台を組み合わせた、まさしく世界最強の戦車。

 

 普段は魔導式カスタムハーレーに変化している彼女がその真の力を解放すれば、後は蹂躙劇あるのみ。

 

 彼女が通り抜けた先には死体と瓦礫の山が積みあがる。

 

 漆黒の魔力を残し、スカアハは天を駆け昇った。超光速すら追い付けない無限速で目指しているのは、この世と冥界を繋ぐ天蓋の如き異界門──

 

 大和は哄笑を上げながらスカアハに命じる。

 

「ぶち抜け!! スカアハ!!」

『かしこまりました』

 

 その突撃は原初の暴力。

 圧倒的膂力と速度から生まれる純粋エネルギーは、立ちはだかる総てを破壊する。

 

 八次元まで遮断してみせる最上級悪魔お手製の防護結界がまるで意味を為さない。異界門ごと、紙クズの様に吹き飛ばされる。

 

 天蓋と見紛うばかりのサイズの門が崩壊した事により、ニューヨークシティに隕石レベルの質量弾が降り注いだ。

 しかし、大和はまるで気にしていない。

 

 彼が受けた依頼は「ニューヨークシティに群がる悪魔の殲滅」。ニューヨークシティを護ることでも、民達を助けることでもない。

 

 崩壊していくニューヨークシティを彼は嗤いながら見下ろしていた。

 

「後でどうにでもなるだろ」

 

 ふと、下方から危険な気配を感じとる。

 先程まで居た場所に灼熱の光線が通過した。魔導師の結界を破壊できないまでも、強烈な威力だ。

 

 大和は眼下に広がるハドソン川を注視する。

 濁った水中で、無数の赤い目が蠢いた。同時に巨大なナニカが唸り、ビル群を呑み込むほどの高波を引き起こす。

 

 大和は鼻で笑った。

 

「リヴァイアサンの眷属共か……中々面倒くせぇの連れて来るじゃねぇか。ええ、蝙蝠共よォ!!」

 

 同時に顔を出した巨大海蛇達。

 頭だけで10メートルは越えている。尻尾までの全長は120メートルはあるだろう。

 最早大怪獣である。

 

 大和はハドソン川の上流をスカアハと共に駆け上がった。

 

「まずはウォーミングアップだ! 楽しませて貰おうかァ!!」

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、都心マンハッタンでは──

 

「かーっクソ!! やってくれるじゃねぇか!! あんのスーパーゴリラめ!! このままじゃニューヨークシティが崩壊しちまうだろうが!!」

 

 悪態を吐きながら赤茶色の髪を振り乱す美声年、斬魔。

 彼は建造物の屋上を軽やかに跳び移りながら、空から降り注ぐ異界門だった瓦礫を避けていた。

 

 赤熱化した瓦礫の流星群に成す術なく潰されていく悪魔、人間、車両、建築物たち。

 まるで火山の大噴火に見舞われたかのような大惨事が斬魔の眼下で巻き起こっていた。

 

 斬魔は高く跳躍しながら、それでもニヒルに笑ってみせる。

 

「まぁ、それでも助かったぜ! この混乱に乗じて最短距離をいける! 何より掃除しなくてよくなった! サンキューな大和!!」

 

 ……民間人の犠牲について言及しないあたり、彼もまた大概である。

 しかし、天使殺戮士とは元来「こういう」者達だ。

 彼等は天使を刈る処刑人、人を護る英雄ではない。

 

 斬魔は慌てふためいている悪魔の一匹に黒金の長棒を叩き付けた。

 頭蓋を粉砕されて絶命した仲間に気づいた悪魔達だが、それよりも早く肩を足場にされて駆け抜けられる。

 

 地上に着地した彼にその鋭利すぎる鉤爪を煌めかせる悪魔達だが、既に斬魔は得物を抜いていた。

 乱れ刃に付着した血糊を払い、振り返らずに納刀する。

 

 鍔鳴りの音が響けば、悪魔共は細切れになって地面に落下した。

 

「……まだいるな」

 

 顔を上げたその先に、同胞を殺され憤怒に打ち震える悪魔達がいた。

 蝙蝠の翼を畳んで急降下してくる。

 

 斬魔は鼻で笑った。

 

「掻っ捌いてやるよ。蝙蝠の盛り合わせだ! 血抜きもしっかりしてやる!」

 

 その手の内で、魔斬り包丁が妖しく煌めいた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、マンハッタンの奥地に突如として現れた舞台会場にて。

 

「…………」

 

 囚われの天使殺戮士、えりあはその美麗な眉を顰めていた。

 

 まず、服装が何時もと違う。

 濃紺のロングコートではなく、フリル付きのドレスに変わっていた。

 濃紺色のソレは、彼女のイメージ──青い薔薇を更に彷彿とさせる。

 

 彼女は魔界の人食い薔薇咲き乱れる舞台会場を一瞥すると、眼前に佇む男を冷たい眼で射抜いた。

 

 男──想像を絶する美男は艶然と微笑み返す。

 

「おおっと、そんな情熱的な眼差しを向けないでおくれよ。えりあ殿」

 

 彼女の絶対零度の眼差しを「情熱的」と捉えたこの偏屈者こそ、此度の事件の主犯──魔神ブエルである。

 

 爵位持ちの最上級悪魔、ソロモン七二柱の一角にして序列10位を誇る魔界の大総裁。

 本来であれば現世に干渉する筈もない、強力無比な存在である。

 

 儚さと強靭さ、何より優雅さを兼ね備えた容姿。

 スカイブルーの長髪は腰まで流し、前髪の一房に緑のメッシュを入れている。

 長身痩躯でありながら強靭な肉体。足の長さが特に際立っており、簡素な貴族服がよく映える。

 

 異性同性、関係無く魅了してしまう顔立ちは美しいを通り越して最早魔性。

 上級以上の悪魔は他種族を誑かすために美しい容姿に変化するのだが、彼の場合は別格だった。

 

 大和に勝るとも劣らない美魔神はえりあと絶妙な距離を保っている。

 それは彼女を警戒しているからではなく、その身を慮る故であった。

 

「ああ、美しき死美人──触れたい。その冷たい色をした頬を撫でたい。……しかし、そんな安直な欲望を抱いてしまう己が何よりも恨めしいッ。何が魔界の大総裁だ。愛しき女性を前にすれば、欲望に駆られてしまうのか……」

 

 目の前の死美人に心底惚れ込み、その在り方に敬意を表しているからこそ、ブエルは容易に彼女に触れなかった。

 配下の悪魔達も近付けさせない。

 

 唯一、彼女に触れる事を許可されたのは──

 

「彼女の衣装──気に入っていただけましたかな? 大総裁殿」

 

 ゆるりと現れたのは、妙齢の美女だった。

 ハーフアップにした真紅の長髪、高価そうな丸眼鏡。豪勢ながら軽い貴族服を盛り上げている熟れた豊満な肢体に壮絶な色気。

 歩けば大きな桃尻が左右に揺れ、同時に腰に添えられた孔雀の羽根飾りがふわりと舞う。

 

 彼女の問いに対し、ブエルは惜しみない称賛でこたえた。

 

「素晴らしいよ……本当に素晴らしい。彼女の魅力が十二分に引き出されている。流石だよ、アドラメレク殿」

「お褒めに預り、恐悦至極」

 

 優雅に礼をした女魔神──アドラメレク。

 魔界の上院議員にして悪魔王サタンの洋服係。

 ブエルと同じく爵位持ちの最上級悪魔である。

 

 彼女はえりあを一瞥すると、皮肉を交えて微笑んだ。

 

「しかしまた……女性の趣味がいいとは言えませんな、ブエル殿」

「何を言う、彼女より美しい女性を私は見た事がない。あの憎き天使共を屠る姿を見て、私は生まれて初めて恋をしたのだ」

「ニューヨークシティを地獄に落とすほど、彼女に惚れ込んでいると?」

 

 その言葉に、ブエルはきょとんと目を丸めた。

 

「何を言うアドラメレク殿。愛しき女性のために人間の都市一つ滅ぼす程度、何の問題もあるまい?」

「……クククク、ハハハ」

 

 アドラメレクは嗤った。

 ブエルは根っからの悪魔なのだ。

 愛する女性のために大多数の人間を犠牲にできる根っからの魔神なのだ。

 しかしその魔神の愛した女が、よもや「既に死んでいる人間もどき」──端から見れば人間以下の存在であろうとは。

 

 これほど面白いことはない。実に愉悦だ──とアドラメレクは嗤っていた。

 

 何を隠そう、彼女は魔界でも1位2位を争う性悪女である。

 痛烈な皮肉屋にして虚偽まみれの偽善者。

 かの悪魔王も手を焼いているほどだ。

 

 そんな彼女の心中などいざ知らず、ブエルは上機嫌に問う。

 

「ところで、アドラメレク殿」

「んん……何でしょう」

「この舞台に演者が揃いつつある。……しかし、招かれざる客もいるようだ」

「ああ……あれは『天災』ですよ。意思を持った、ね」

 

 ブエルはその柳眉をひそめた。

 

「如何に対処しようか……このままでは舞台どころではなくなる」

「どうしようもありません。あの男──大和は神魔霊獣、ありとあらゆる種族に共通した『天災』。過ぎ去るのを待つしかありませんな」

「ううむ、困ったな……」

 

 腕を組むブエルに、アドラメレクは艶然と微笑んでみせた。

 

「しかし安心してください。手は打ってあります」

「おお!」

「天災と言っても、所詮は意思を持つ生き物──対処方は幾らでもあります。今回は少々搦め手を用いさせてもらいましたが……」

「素晴らしいよアドラメレク殿!! 貴殿には何と御礼を言ったらよいか!!」

「フフフ……いえ、十分に報酬は貰っていますよ。……ククク」

「??」

 

 きょとんとするブエル。

 その間抜け面を拝めるだけで、アドラメレクは満足していた。

 

 悪魔は利益や倫理観では動かない。己の欲求にのみ従う。

 故に古来より恐れられてきた。その強大な力と共に──

 

 ブエルは首を傾げつつも適当に納得し、声高らかに告げる。

 

「さぁ! 舞台の準備は整った! 演目の内容も決まっている! 愛しきえりあ殿の心を掴むために……相棒である斬魔殿! 貴殿を試させて貰おう!! ああそうさ……私は負けん!! 貴殿よりもえりあ殿に相応しい男であることを証明してみせる!! フハハハハ!!」

「…………は?」

 

 すっかり脇役になっていたえりあは、珍しく頓狂な声を上げた。

 

「 ねぇちょっとキミ、わたし達の関係を勘違いしてない? わたしと彼は……」

「負けぬ!! 絶対に負けんぞッッ!!」

「…………」

 

 聞いていない。

 隣を見ると、アドラメレクが腹を抱えて蹲っていた。

 全て知っているのだろう。タチが悪い。

 

「…………はぁぁ」

 

 えりあは本当に、深々と溜め息を吐いた。

 

 

 ◆◆

 

 

「ぶえええっくしゅん!!」

 

 

 盛大なくしゃみをかました斬魔は、抜刀の構えの最中だった。

 彼は腰を低く落としながら愚痴る。

 

「誰だぁ? 俺の噂話してるのはァ……タイミング考えろやボケェ!!」

 

 同時に周囲の時間が停滞する。

 斬魔を取り囲んでいた悪魔達の動きがスローモーションに見えた。

 鋭利すぎる鉤爪が、魔力で形成された剣斧が、ゆっくりと彼に迫る。

 

 斬魔はブレた。時間軸が歪む音と共に悪魔共が断たれる。

 血と臓物の雨が降り注いだ。しかし斬魔の佇んでいる場所には降り注がない。

 悪魔達には、彼がブレたようにしか見えなかった。

 

 その正体は光速移動。

 斬魔は以前のロンドン事変以降、飛躍的な進化を遂げていた。

 一定の構えからという制限があるものの、光速移動ができる様になっていた。

 

 面を食らった悪魔達に、斬魔は容赦ない追撃を仕掛ける。

 まず持っていた黒鞘をぶん投げ、一名の顔面を貫く。すかさず軽やかなジャンプで距離を詰めれば鯉口を蹴り飛ばし、背後にいた悪魔も貫く。

 

 その間に迫っていた悪魔達を、文字通り蹂躙した。

 

 兜割りから逆袈裟、刺突からの斬り上げ。長すぎる脚から繰り出される蹴撃は悪魔の首をへし折り、頭蓋を粉砕する。

 

 全て終わるまでにおおよそ0.01秒。

 死骸に刺さっている遠い鞘に刀を投げて納めると共に、時間が一気に加速した。

 悪魔共の死骸が音を立てて地面に落ちる。

 

 格の違い──下位の悪魔程度では彼を、プロテスタントの最強戦力を相手取る事はできない。役者不足に過ぎる。

 

 斬魔は黒鉄の鉄鞘を手に取ると、血糊を払い肩に担いだ。

 そして遠方にある不気味な舞台会場を睨む。

 

「やれやれ……世話の焼ける奴だぜ」

 

 風に運ばれやって来た真紅の花弁を無動作で切り裂く。

 その花弁は人間に張り付くと生命力を吸い尽くす人食い薔薇のようなものだった。

 

 まるで吹雪の様に舞台会場を覆うソレらは一種の結界なのだろう。

 斬魔は鼻で笑う。

 

「悪趣味な結界……展開した奴は絶対にナルシストだね」

 

 コツコツとブーツを鳴らす。

 瓦礫と死体の山を通り抜けていくその背に、ふと声がかった。

 

 可愛らしい少女の声だった。

 

「あら♪ 異教徒の豚さん発っけ~ん♪ どうするお姉ちゃん」

「どうするも何も……殺すしかないでしょう。化け物と異教徒共は鏖殺です」

 

 祝福儀礼済みの重厚なシスター服を揺らして、美人姉妹は歪な笑みを浮かべた。

 

 マリー&アリス。

 カトリック教会の最高戦力、七騎士。別名「聖騎士(パラディン)」。

 プロテスタントの天使殺戮士に比肩しうる、表世界の最高戦力である。

 

 姉のマリーは両手にメイスを携え、妹のアリスは半透明なモーニングスターを引きずっていた。

 

 カトリックとプロテスタント……両宗教の最高戦力の会合は、即ち殺し合いを意味していた。

 

 



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三話「魔神介入」

 

 

 

 一方その頃、大和は魔導式戦車台の上から剛弓を速射していた。

 スカアハに運転を任せ、リヴァイアサンの眷属達を迎撃している。

 

 スカアハはハドソン川を逸れて天高く舞い上がると、倒壊寸前の自由の女神付近を滑空した。

 弦の弾かれる音、数多の煌めきがリヴァイアサンの眷属達を穿つ……筈だった。

 

「何だぁ……あの体表面は」

 

 大和は思わず唸る。

 様子見とはいえ、全て外された。

 いいや、当たりはしたが──逸らされた。

 

(……探ってみるか)

 

 深く弦を引き絞り、再度弓矢を放つ。

 加減したとしても銀河を穿てる必殺の剛弓だ。

 更に矢じりには多次元宇宙破壊規模の闘気が込めてある。

 起爆時に核弾頭クラスに縮小するとはいえ、魔王の眷属程度が耐えられる筈もない。

 

 しかし弓矢は一匹の体表面を滑ると、あらぬ方向へと飛んでいった。

 

 ニューヨークシティの一角を成す行政区、ブルックリンに着弾した弓矢はそのまま起爆し膨張。一切合切を無に返す破滅の光となる。

 

 呑み込まれ、跡形もなく消滅したブルックリンを一瞥する事なく、大和は眉根をひそめた。

 遅れて届く特大の風圧で靡く前髪を、鬱陶しげにかき上げる。

 

「……摩擦係数か。なるほど、いやらしい手だ」

 

 リヴァイアサンの眷属達は物理攻撃を無効化できる分厚い粘液で覆われていた。

 大和の計算によると摩擦係数はほぼゼロ。物理攻撃が一切効かない。

 

 大和は迫り来る巨大なアギトを戦車台の上で避けると、軽く裏拳を放った。大気を根こそぎ吹き飛ばすほどの一撃はやはり無効化される。

 

 大和は拳の裏に付いた粘液を指の腹で擦り、忌々しげに舌打ちした。

 

(異能や権能の類いじゃねぇな……コイツらの体から絶え間なく分泌されてる。厄介だな。しかし、ここまで『闘気使いと相性が良い悪魔』が出てくるたぁ……)

 

 大和は一瞬で思考を巡らせる。

 

(……俺が来るのを見越してた奴がいるなぁ?)

 

 大和は遠く、マンハッタンの舞台会場に視線を向ける。そして灰色の三白眼を細めた。

 

「ビンゴ、やっぱりアイツだ……あんの性悪女め。今度会った時はベッドの上でメチャクチャにしてやる」

 

 嗤うと、大和は疾走中のスカアハに告げた。

 

「スカアハ、ご苦労。あとは俺一人でどうにかする」

『……背後の蛇共を一掃してからでも構いませんが?』

「お前の力を借りるまでもない。……すまねぇな、帰ったら身体拭いてやっからよう」

『……かしこまりました。ご武運を』

 

 声に少々喜色を滲ませて、スカアハは次元の狭間へと消えていった。

 虚空に放り出された大和は、両手を広げて嗤う。

 

「こんな遊びにマジメに付き合うほうが馬鹿げてるぜ……なぁ! アドラメレク!!」

 

 群がるリヴァイアサンの眷属達をヒラリと躱すと、一匹の体表面を滑って移動する。

 まるで荒波を楽しむサーファーの様に──

 

「ハッハー!! これぁいい!! おもしれぇ!!」

 

 そのまま暴れ回る眷属達を器用に乗り換え、地上へと着地した。

 そしてガッツポーズをとる。

 

「いえい、着地も完璧♪」

 

 無邪気に笑う大和に再度群がるリヴァイアサンの眷属達。そのアギトで彼を噛み千切らんと迫る。

 

 大和は振り返らずに抜刀、大太刀を薙いだ。

 背後の眷属達が静止する。

 彼はゆっくりと納刀しながら告げた。

 

「物理攻撃が効かねぇんなら、何かしらの概念を叩き込むか、霊体に直接攻撃すればいい……両方できれば文句無しだ」

 

 切断の概念と霊体への斬撃『霊断』を併せれば、最早リヴァイアサンの眷属など恐れるに足らず──

 

 鍔鳴りの音が響けば、背後で肉達が爆発四散する。

 ハドソン川が血色に染まった。

 

 大和は下駄を鳴らしながら歩き始める。

 

「さぁて……メインイベントはどうやらアッチらしいな。盛り上がってるみてぇだ」

 

 大和の視線の先で、大爆発と共に激しい閃光が迸った。

 

 

 ◆◆

 

 

 暴力の波涛を天高く跳躍して躱した斬魔は、そのまま倒壊した建物に腰かける。

 そして色っぽくウィンクした。

 

「どうだい? こんな物騒な事は止めて、俺とベッドの上で汗をかき合うってのは」

 

 その頭上に半透明なモーニングスターが叩き下ろされる。無数の刺が付いた得物は瓦礫を粉微塵にし、もくもくと土煙を立ち上げた。

 

 妹のアリスは嫌悪感を隠さず舌打ちする。

 宙から軽やかに降りてきた斬魔は、姉妹達を品定めするように目を細めた。

 

「あーあーブッサイクな顔しちゃって……でも可愛いぜ。お姉ちゃんなんてもう……いやぁ、そのたゆんたゆんのオッパイは実にけしからんなぁ! シスター服の上からでもわかる重量感よ!!」

 

 斬魔の目前にモーニングスターが迫る。

 音速を突破したソレは彼をひき肉にしようと唸りをあげる。

 しかし斬魔は踵落としで無理矢理止めた。衝撃と共にモーニングスターが地面に埋まる。

 

 驚愕するアリス。

 鎖で引き戻そうにも、地面に埋まっているため言うことを聞かない。

 何より、ソレを押さえている斬魔の脚力が異常だった。

 

 斬魔は三枚目の雰囲気を消し、真面目な顔で告げる。

 

「失せろよ、カトリックの聖騎士(パラディン)。これは俺達の仕事だ」

 

 途端にその身から溢れ出た剣気に、姉妹は眉一つ動かさない。

 淡々と、しかし溢れんばかりの呪詛を込めて告げた。

 

「異教徒の豚が何をほざくのです? 貴方も悪魔共も、同じく塵。dust to dust……塵は塵に還りなさい」

「天使殺戮士だかなんだか知らないけど、調子に乗らないでよ。……さっきから臭いわよアンタ。糞虫の臭いがする」

 

 殺意と憎悪の念を向けられ、斬魔はやれやれと肩を竦めた。

 そしておもむろに己の体臭を嗅ぎ始める。

 

「……わりぃわりぃ、今度からちゃんと香水付けてくるからよ♪」

 

 ヘラヘラと笑い、両手を広げる。

 姉妹の眉間に深い青筋が浮かんだ。

 

 瞬間、彼女達は消える。

 斬魔はニヒルに笑いながら腰を落とした。

 

 

 ◆◆

 

 

 華美で重厚な、純白のシスター服が靡く。

 豊満な乳房に十字架のネックレスを乗せて──姉のマリーは異教徒撲殺を開始した。

 

 天使の微笑で振るうは二振りのメイス。

 無骨なデザインのソレを、彼女はバトンの様に手の内で回す。

 

 その前方に丸い魔方陣が浮かび上がった。

 マリーはソレを太鼓の様に二振りのメイスで叩く。

 

 怪訝に思った斬魔だが、刹那に上体を反らす。

 目と鼻の先に灼熱の業火球が通過した。

 

 火炎魔術、凄まじく威力が高い。

 絶え間なく放たれる業火球を斬魔は軽やかなステップで避けた。

 

 そして思考を巡らせる。

 

(恐らく初歩的な魔術だろう。しかし威力が桁違いだ……あの、ジャパンの楽器の様なスタイルから推測するに、誓約か何かだろうな。あの行動を介して魔術を強化している、と)

 

 魔術の一端に「誓約」と呼ばれるものがある。

 アイルランドの神話群で用いられる「ゲッシュ」に近いものだ。

 内容は、一定の制約を課す代わりに見合った力を得られるというもの。

 

 誓約は、重ねれば重ねるほど己を首を締める羽目になる。

 しかし熟練した術師が己の特性を理解し積めば、常人とは比べ物にならない戦闘力を発揮する。

 

 悪魔や妖怪は基礎スペックが人間より高い。

 真っ向勝負をすれば人間が敗北するのは必然。

 故に人間はあらゆる手段を用いなければならない。

 誓約は、その手段の一つだった。

 

(しっかし聖騎士(パラディン)が、世界最強クラスの退魔士が誓約たぁ……怖いねえ。底が知れねぇ)

 

 飛んでくる魔術の内容は火、氷、雷など。いずれも初歩的な魔術だが、その威力は間違いなく魔法クラス。

 現に背後のマンションは焼け落ち、住宅街は丸ごと凍結されていた。

 凄まじい威力、並みの妖魔なら既に消滅している。

 

 初歩的な魔術だからこそ低コスパで連射でき、更に応用も可能と──実に堅実な、らしい戦闘スタイルである。

 

 しかし──

 

(誓約は敵にもわかる明確な弱点を己に課す事だ……どれだけ強かろうが、それは変わらねぇ)

 

 雷速に匹敵する瞬動術で一気にマリアとの距離を詰める斬魔。

 己の圏域に彼女を収めると同時に黒鞘を振りかぶった。

 

 しかし半透明の壁に遮られる。

 ヒビを入れられたものの、破壊するまでには至らなった。

 

 斬魔は笑って連撃を繰り出す。

 黒金の鞘で「壁」を滅多打ちにする。

 しかし横からモーニングスターが飛んできたのでガードする。

 

 その一瞬の隙を付き、斬魔の懐に入り込んだ妹のアリス。

 何時の間にか装着していた半透明のナックルダスターで強烈な拳打を放った。

 

 首や上体を逸らして避ける斬魔だが、ボディブローを放たれ敢えなく後退する。

 

 後転し、着地した斬魔は更に後転して地面から飛び出てきた半透明の刺を避ける。

 

 タンタンと小気味よく地を蹴っ斬魔はそのまま着地し、聖騎士姉妹を睨んだ。

 

(そりゃまぁ、後衛と前衛で別れるわな。普通)

 

 斬魔はまるでクリスタルの様なアリスの得物達を観察する。

 モーニングスターに壁、ナックルダスターに刺と──

 

 斬魔は感心した様に顎を擦った。

 

「なんる程……結界術の応用か」

 

 無言で睨まれたので確信する。

 彼女の得物は「形状変化させた結界」だ。

 堅牢無比な障壁を様々な得物に変化させているのだ。

 

 斬魔はやれやれと肩を竦める。

 

(厄介だぜ……見たところ、魔術に対する防御性能も高い。ソレをそのまま攻撃力に反転させてんだから……うはぁ、えげつねぇ。流石カトリックの最高戦力ってトコか)

 

 ドン引きしているのも束の間、怒濤の攻めを展開しだすマリー&アリス。

 

 前衛、後衛と完璧にバランスが取れている。隙が一切無い。

 雷火氷と結界の嵐を向けられ、斬魔は必死に逃げながら絶叫した。

 

「かーやってらんねぇ!! 戦略的撤退だぜこれぁ!!」

 

 遠く離れていく斬魔を、アリスは憤慨しながら追った。

 

「逃げるな!! 異教徒のゴミクズ!!!!」

「!! 待ちなさいアリス!!」

 

 マリーが制止するも既に遅い。

 彼女達のラインが途切れた瞬間、斬魔は振り返り渾身の震脚を鳴らした。

 地震と同時にアリスの横を通りすぎる。

 反応出来なかったアリスは思わず叫んだ。

 

「お姉ちゃん!!!!」

 

 反射的に姉の前方に結界を張るも、全て引き裂かれる。

 無防備なマリーに対して、斬魔は黒金の鞘を振り下ろした。

 

「フフフ、甘いですよ子豚さん♪」

「……!?」

 

 斬魔は瞠目する。

 黒金の鞘は無骨なデザインのメイスに受け止められていた。

 

 マリーは嗤う。

 

「この得物が楽器にでも見えましたか、貴方には」

「クッソ!!!!」

 

 殴打の嵐を斬魔は紙一重でいなす。

 しかし強烈な突きを腹部に当てられ吹き飛ばされた。

 轟音と共に瓦礫に埋もれた彼を一瞥し、マリーは小さな溜め息を吐く。

 

 安堵からくるものだった。

 

 すぐに駆け付けてきたアリスが泣きそうな顔で謝る。

 

「お姉ちゃんごめんなさいっ! 私……っ」

「いいのよアリス、次からは気をつけて。彼は……異教徒でも別格の存在なのだから」

「……うんっ」

 

 瓦礫の山が爆発する。

 土煙の中から出てきた斬魔は額から血を流していた。

 

 彼は内心舌打ちする。

 

(マジで面倒くせぇ……このままじゃジリ貧だ。こうなりゃ……)

 

 斬魔は腰を低く落とし、十八番の抜刀スタイルに入る。

 

「少しマジになるしかねぇな」

 

 マリーとアリスは驚愕する。

 斬魔の身から迸る魔力が尋常ではなかったからだ。

 

 異常事態に、しかしマリーは冷静さを失わない。

 緊迫感をもって妹に忠告する。

 

「油断しては駄目よアリス、絶対に……」

「うん……!!」

 

 油断なく構えを取る姉妹達。

 斬魔は溢れ出る魔力をそのまま愛刀に注ぎ込んだ。

 

 一触即発──

 しかし、ここにきてイレギュラーが紛れ込む。

 

 両者の間合いに「突如として」見知らぬ女が現れたのだ。

 

 斬魔、マリー、アリスは驚愕する。

 同時に大量の冷や汗を噴き出した。

 

「彼女」は、この物語の節目となる存在だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 その女は悪魔的に美しかった。峻烈さと禍々しさを同伴させた美貌はまさしく魔神のソレ。

 エメラルドの長髪を靡かせ、漆黒の鎧を鳴らしながら、女は斬魔とアリス達の眼前を通り過ぎた。

 

 そう、素通りである。

 

 彼女は斬魔達に視線すら向けなかった。

 まるで、道端の虫に関心を抱かないように。

 その視線は、ただただ一点に向けられている。

 

「……ぁ、くっ……ッッ」

「…………ッッ」

 

 アリスとマリーは動けなかった。

 得物を掲げつつも、本能的に体が竦んでしまっている。

 目の前の女は間違いなく悪魔──それも最上位クラスの魔神である。

 カトリックの最高戦力、聖騎士(パラディン)として見過ごすワケにはいかない。

 

 だが動けなかった。

 隔絶した実力差を理解してしまったからだ。

 

 女魔神がその気になればこの場にいる三名など瞬殺できる。

 恐らく秒も跨がない。

 

 それこそ虫と人間クラスの……絶対的な力の差がある。

 

「…………ッ」

 

 あの斬魔ですら硬直していた。

 美女であれば口説かずにはいられない生粋の三枚目が、戦慄を隠しきれないでいるのだ。

 

 重圧──

 重苦しい時間が過ぎていく。

 

 女魔神は髪の色と同じエメラルドの、鋭すぎる双眸を上げた。

 

「お初にお目にかかる……いいや、私は幼少の頃より貴方を知っていた。こうして対面できる事を誉れと思う……暗黒のメシアよ」

 

 斬魔達は反射的にそちらへ向く。

 倒壊しかけの建造物に、呑気に座っている大男がいた。

 

 褐色肌の美丈夫。

 彼はその灰色の三白眼を不機嫌そうに細めた。

 

「ったく、これから面白くなりそうって時に割り込んできやがって……誰だテメェ」

 

 女魔神は直立したまま告げる。

 

「パイモン、大いなる我らが王サタン様の忠臣。……しかし貴方の事も尊敬していた、暗黒のメシアよ」

「していた……ねぇ。どーして、そんなにも怒ってんのか」

「戯言を。貴方にこの激情をぶつけるために、私は下界へと降りてきたのだ」

 

 絶対零度の眼差しを向けられ、大和は不敵な笑みを浮かべた。

 

 パイモン──ソロモン七十二柱の序列9位。

 魔界の西側を支配する魔王の一角であり、悪魔王サタンの忠実なる僕。

 

 イイ遊び相手だと、大和は唇を歪めた。

 

 

 



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四話「茶番劇」

 

 

 

 大和は肩を竦めつつ、硬直している斬魔に告げる。

 

「何ボケっと突っ立ってんだよ斬魔。相棒が、えりあがあそこにいるんだろう」

「……ああ、そうだよ」

 

 苦々しく笑う斬魔。

 大和は不思議そうに首を傾げた。

 

「ならさっさと行けよ。お前ら、相棒同士だろう?」

「ッ」

「コイツらは俺が適当にあしらっといてやる。……だから行け」

 

 斬魔は唇を噛み締めると、背を向ける。

 そして短く礼を言った。

 

「……サンキューな。借り一つだ」

「十分な報酬だ」

 

 笑う大和に、斬魔もまた薄く笑う。

 彼はそのまま走り去っていった。

 その背を見届けた大和は「よっこいせ」と重い腰を上げる。

 

「で──俺の遊び相手はどっちだ? それとも両方か?」

 

 赤柄巻の大太刀に手を添える彼に対して、女魔神パイモンは憤怒の念を露にした。

 

「私では不足と──? そこな虫共と同じ位だと、そう仰るのか」

「変わんねぇよ。俺からしたら全員雑魚だ」

「~~~~ッッッッ」

 

 激昂と共に濃密過ぎる魔力が解放される。

 その余波は周辺の瓦礫ごとマリーとアリスを吹き飛ばした。

 

 大和はしかし、不敵に笑っていた。

 その笑みは自信に満ち溢れた、何時もの笑みだった。

 

 彼は片手で手招きする。

 

「かかってこいよ、魔神ちゃん。可愛がってやる」

 

 パイモンは禍々しい蛇腹剣を顕現させると、鞭の様に地面に叩き付け星を揺るがした。

 

 

 ◆◆

 

 

 漆黒のつむじ風が吹く。

 音もなく人食い薔薇の花弁が断ち切れた。

 

 銀光一閃、真紅の花弁で編まれた多重障壁が両断される。

 そうして劇場台へと躍り出た漆黒の魔人は、何よりも先に相棒の安否を確認した。

 

 濃紺のドレスに身を包んだ彼女──えりあは、その冷たい眼を驚愕で丸めていた。

 斬魔は思わず愚痴る。

 

「ったく、世話かけさせんなよ」

「……らしくないわね、何時もの笑みは何処に行ったの?」

 

 小生意気な返事を聞いて、やれやれと肩を竦める斬魔。

 しかしその面には何時もの笑みが戻っていた。

 えりあも思わず微笑む。

 

 斬魔は両手を広げて魔神二柱に挨拶した。

 

「どーもどーも、俺のうるせぇ相棒を拐ってくれやがって……こんの腐れ悪魔共が。テメェらに一言、物申したい事がある」

 

 神妙な面持ちになった斬魔に、えりあも思わず表情を引き締める。

 美魔神ブエルも耳を傾けた。

 

 彼もアドラメレクも、斬魔が激情の言葉なり愛の告白なりを叫ぶものと思っていた。

 

 しかし斬魔は──えりあを指さし大爆笑しはじめる。

 

「誰だその能面冷血女にふりふりドレスを着せやがったのは!!? ひ────!!!! 腹が痛ぇ!! だ~~っはっはっはっはっは!!!! マジでウケる!!!! ちょっとやめてくんね!!? 笑い殺す気かよ!!」

 

 えりあも、ブエルも、アドラメレクも、呆気に取られていた。

 

 段々と……えりあの表情が無になっていく。

 アドラメレクすらも引いたほどだ、凄まじい怒気である。

 

 すると、ブエルが拳を握り締め咆哮した。

 

「何を言うかーッッ!!!! えりあ殿のこの美しき姿が可笑しいだと!!? そう言うのか貴様ぁぁぁ!!!! メチャクチャ可愛いだろうがぁぁぁぁ!!!! 普段色気の『い』の字も無い彼女が辟易しつつも少々恥じらいを持って佇むこの姿──全種族共通の『萌え』がわからぬのか貴様ァ!!!!」

 

「「ぶふぅッッ」」

 

 吹き出したのは斬魔と……アドラメレクだった。

 腹を抱えて蹲っている。

 

「……………………」

 

 静かに、えりあの眉間に特大の青筋が浮かび上がった。

 

 

 ◆◆

 

 

 瓦礫を押し退け立ち上がったマリーとアリスは、ただただ唖然とするしかなかった。

 

「何よ……コレ……ッ」

「……ッッ」

 

 

 爆音と衝撃波の嵐が吹き荒んでいる。

 ソレらを引き起こしているのは誰でもない、大和とパイモンだった。

 アリスは思わず呟く。

 

「次元が、違いすぎる……ッ」

 

 その顔にはただただ畏怖の念が浮かんでいた。

 全く目視できない。感知もできない。

 何が起こっているのか、全くわからない。

 

 まさしく次元が違う。

 

 大和とパイモンは時間無視行動寸前の、超超光速戦闘を繰り広げていた。

 1ナノ秒に満たない間に千の越える剣戟の応酬を交わしている。

 両者、一歩も引かない。

 

 大和は内心感心していた。

 たかだか魔王程度、簡単に捻り潰せると思っていたのだが──存外デキる。

 

 遊び相手には丁度いいと、スピードのギアを一段階上げた。

 

 一方パイモンは精一杯食らい付いていた。

 今まで培った経験を全て生かしている。

 己が才ある悪魔だと理解していながらも驕らず、何万年も努力し続けてきた成果が今、表れようとしていた。

 

 悪魔特有の古代魔法の陣を平行展開して大和を囲む。

 火水風雷四大属性フルバーストの弾幕は、しかし巻き起こされた剣風によって吹き飛ばされる。

 

 下級の神仏程度なら難なく消滅させられる得意技も、暗黒のメシアには通じない。

 

 そんな事、わかっていた。

 だがらこそ今、全身全霊を懸けるのだ。

 

 パイモンは最低限の魔力を残し、破壊に特化した純粋魔力弾幕を張る。

 現れた魔方陣は数千万──ニューヨークシティの空一面を覆い尽くした。

 

 一つから多次元宇宙を破壊できる魔力弾を掃射できるソレらを全門一気に解放する。

 超多次元宇宙破壊規模の攻撃は圧倒的……このままでは地球どころか太陽系が消し飛ぶ。

 

 しかし真紅の閃光が駆け巡り、数千万の魔方陣は一気に破壊された。

 

 大和が時間無視行動まで速度域を押し上げたのだ。

 不発した魔方陣が空一面を深緑色に染め上げる。

 

 パイモンは構えた。

 残り僅かな魔力で大和と同じ時間軸に突入すると、最後の攻めを展開する。

 相棒である禍々しい蛇腹剣を振るい、変則的かつ的確な攻めを魅せた。

 

 指に添えられた五つの引き金で間接一つ一つの駆動域を自在に操れる──使いこなせれば無限の可能性を発揮する武器。

 

 武術を極めた者でも扱いは至難を極めるこの武具を、パイモンはまるで自分の手足の様に扱えていた。

 

 何万年もの間、片時も弛む事なく修練を積んできたのだ。

 彼女もれっきとした武術家である。

 

 しかし忘れてはいけない。相手は『世界最強』の武術家なのだ。

 何億年もの間、パイモン以上の修行を重ねてきた神代の英傑なのだ。

 

 大和は縦横無尽にうねりを上げる蛇腹剣、その間接の駆動域一つ一つを完璧に把握し、対応してみせる。

 

 その剣技は常軌を逸していた。

 大太刀と脇差を適当にぶん回したかと思えば、精密無比な斬撃を重ねる。

 時に得物を左右の手の内で切り替え、斬撃の軌道線を極端に変化させる。

 唐突に逆手持ちに切り替えたかと思えば、足の指に挟んで振り回す。

 

 予測不能、天衣無縫。

 その戦い方に型はなく、しかし圧倒的な基礎が下地にある。

 だから無茶苦茶な攻撃が『技』として成立する。

 

 パイモンはあっという間に窮地に立たされた。

 白兵戦には自信があったのだが、やはり勝てないと悟り切り替える。

 

 蛇腹剣で大和の大太刀を絡めとると、そのまま距離を詰めた。

 

 大和は脇差しで兜割りを放つ。

 しかしパイモンは右腕を差し出し、敢えて断ち切らせた。

 

 驚愕する大和の懐に入ったパイモンは左手で彼の心臓付近を押す。

 そして全身の魔力を一気に解放、渾身の浸透勁を放った。

 

「我流・鎧通し!!」

 

 大和の心臓に直接衝撃が徹される。

 生まれた衝撃波はマンハッタンを通り抜け、他の行政区を滅茶苦茶にした。

 

 格上の神仏でも(とお)せば殺せる、まさしく必殺の一撃。

 功夫(クンフー)にも余念がなかった彼女だがらこそ放てた、会心の一撃である。

 

 しかし──

 

「まだまだ練り込みが足りねぇ。こんなんじゃあ俺の心臓は潰せねぇぜ」

 

 大和はケロりとしていた。まるでダメージがない。

 それはそうだ。彼は筋力もそうだが耐久力もまた最強──故に『怪物』。

 

「それでもまぁ、予想以上に楽しめたぜ。あばよ、今度はもちっと強くなっておけ」

 

 大和は慈悲なく脇差しを振り下ろす。

 しかしパイモンの表情を見て、寸前で動きを止めた。

 

「…………っ」

 

 パイモンは頬を上気させ、瞳を潤ませていた。

 まるで、慕う男を見つめる様な……

 

 怪訝に思った大和の胸に、パイモンはしなだれかかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 パイモンは熱に浮かされたように囁く。

 

「ああ……やはり貴方様は強く、美しい。数々の非礼をお許しください。私は先程まで、浅はかな怒りを抱いておりました……」

 

 峻烈なる女魔神は何処へ行ってしまったのか、その声音は乙女のソレである。

 

「私達成り上がりの悪魔にとって、貴方様は英雄なのです……。己の力のみで数多の苦境を乗り越えてきた貴方様は、私達の憧れ……っ」

 

 顔を上げたパイモンは、潤んだ双眸で大和を見つめる。

 

「アドラメレクにそそのかされたとは言え、先程の無礼は許されるものではありません。……どうか、情け容赦のない罰を……ッ」

 

 懇願するパイモン。

 当の大和はというと──

 

「……ッッ」

 

 苦虫を口一杯噛み潰した様な顔をしていた。

 そんな事は露知らず、パイモンは興奮気味に語り始める。

 

「罰が終われば是非……是非とも私めを貴方様の女に。サタン様に忠誠は誓いましたが、この身と心は貴方様のものです……っ」

「…………」

 

 大和は無言でパイモンを抱き寄せた。

 彼女は驚いたが、次には蕩けきった顔で身を寄せる。

 

「ああ、大和様ぁ……本物の大和様……ッ」

 

 恋慕と敬愛が混同している。

 大和は彼女を抱き寄せながら、しかし恐ろしく冷酷な表情をしていた。

 

(アドラメレクの奴、こんな臭ぇ手法使いやがって……絶対許さねぇ。あとで死ぬ寸前まで犯してやる)

 

 大和は遠く、真紅の花弁舞う劇場を睨み付ける。

 

 最後にどうなるかは別として、アドラメレクによる大和の足止めは成功した。

 

 

 



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五話「強制終演」

 

 

 斬魔の隣に躍り出たえりあは、無機質なその双眸に確かな怒りを宿していた。

 

「後で覚えておきなさい」

「おいおい、わざわざ助けに来てやったんだぜ? 少しくらい目ぇつむれよ」

「助けに来るのは当然でしょう? わたし達はコンビなんだから。わたしがキミの立場だったら同じ行動をしてる」

「さいですが」

 

 やれやれと肩を竦めつつ、斬魔は美魔神ブエルを睨む。

 彼はスカイブルーの長髪を揺らし、優雅に挨拶してみせた。

 

「先程は取り乱して失礼……貴殿が相棒の斬魔殿か。噂通り、若々しい男児だ」

「こちらこそ、お初にお目にかかるぜ魔神サマ。こんなくだらねぇ事の為に都市一つ滅ぼすかよ。ったく、やっぱり頭のデキが俺等とは違うのかねぇ」

「貴殿らは虫を潰しても本気で悲しんだりしないだろう? 害虫なら尚更な筈だ」

「ははぁ~ん、俺らが害虫と……俺らからすれば、アンタらの方が害悪なんだけどな」

 

 斬魔の嫌みに対して、ブエルは手で制止の意を示した。

 

「よそう、所詮相容れぬ間柄……問答など不要だ」

「…………」

「私はただ、この眼で確かめたいだけなのだよ。君がえりあ殿に相応しい男なのか……。そうでなければ八つ裂きにする」

「何様だテメェ」

「一応、魔界で大総裁を務めている」

「そういうことじゃねぇ」

「ならばどういうことだ? 私はえりあ殿に本気で恋してしている。故に娶りたい。しかし、力強くというのは少々品がない。だからこその、この舞台だ」

「…………」

「さぁ、私に見せてくれ。貴殿がえりあ殿の相棒に相応しいかどうかを……そうであれば、私は潔く身を引こう」

 

 ブエルの発言に、斬魔とえりあは視線を合わせた。

 そして神妙な顔付きになる。

 

「アイツ、俺達の関係勘違いしてね?」

「さっきから聞く耳を持ってくれないのよ。うんざりするわ」

 

 額に手を当てるえりあを見て、苦笑する斬魔。

 彼は黒金の鞘を携えた。

 

「なら教えてやろうぜ、俺達の関係を──なぁ相棒?」

「そうね。このまま勘違いされるのは嫌だから」

 

 えりあはスカートの下から巨大な二丁拳銃──対天使病拳銃「Danse Macabre」を取り出す。

 

 二名の周囲を悪魔共が覆った。

 ブエルはいつの間にか観客席に移っており、アドラメレクを伴い優雅に座っている。

 

 彼は頬杖を突きながら告げた。

 

「さぁ、演目の始まりだ。そうさな、題名は──」

 

 ブエルが思案する中、斬魔とえりあは舞を踏み始める。

 天使殺戮士の剣林弾雨の舞は苛烈にして鮮烈。

 ブエルの視線を瞬く間に釘付けにした。

 

 

 ◆◆

 

 

 斬魔とえりあは目と鼻の先まで顔を近づける。

 互いの瞳に映った悪魔を確認すると、それぞれ迎撃に入った。

 

 歩調、体捌き、呼吸のリズム。全てが完璧。

 まるでタンゴでも踊っているかの様──

 情熱的に身体を寄せ合い、戦っている。

 

 ブエルは思わず見惚れた。

 男女の仲などという軽々しいものではない。

 それ以上のものだ。

 

 互いに背後を一切見ていない。

 一つミスがあれば死んでしまうのに、全く臆していない。

 

 信頼しきっているのだ。お互いを。

 

 第三者であるアドラメレクも感心していた。

 自我を優先する悪魔達には決して真似できない芸当。

 人間の最も誇れる武器、その発露。

 

 信頼──即ち絆。

 

 銀光一閃が吹けば祝福儀礼済13㎜劣化ウラン弾が跳ぶ。

 悪魔達の濁った血が真紅の花弁と不気味に混じり合う。

 

 死の舞──しかし、美しかった。

 

 一瞬で群がる悪魔達を鏖殺した二人はそのままブエルに突撃する。

 

 しかし古式魔法による多重結界で遮られた。

 

 眉根をひそめる斬魔とえりあだが、ブエルは感極まるといった様子だった。

 心からの称賛を述べる。

 

「素晴らしい、素晴らしいよ──私の愛など無粋に過ぎる。それほどまでの舞だった!」

 

 その言葉に斬魔とえりあは思わず吐き捨てた。

 

「何勝手に満足してるんだよ、キザ野郎」

「その眉間に風穴を開けてあげるわ」

 

 二名の戦意は些かも衰えていなかった。

 相討ち覚悟でブエルに挑もうとしている。

 

 ブエルは一瞬「惜しい」と思ってしまった。

 しかし彼等の戦意に応えたいと、腰を上げようとする。

 

 そんな中、乾いた拍手が会場に響き渡った。

 この場の一同がそちらへ振り返る。

 

 ブエルとは反対側の観客席で、褐色肌の美丈夫が寛いでいた。

 甘えてくる深緑の女魔神を膝に乗せている。

 彼は両手を広げて告げた。

 

「成る程、素晴らしい演目だった。で? 何時になったら終わる? 俺は早く帰りてぇんだよ」

 

 空気を敢えて読まないその振る舞い。

 ブエルは苦渋に満ちた表情をした。

 アドラメレクは歓喜と恐怖を交えた複雑な笑みを浮かべている。

 

 そして──斬魔はニッと笑い、えりあは肩の力を抜いた。

 

 そう、二人もこんなお遊戯に付き合っていられないのだ。

 だからこそ、彼の登場に安堵する。

 

 彼は──理想も絶望もぶち壊す暗黒のメシアだから。

 

 

 ◆◆

 

 

 ブエルは額に冷や汗をかきながらも、まずは挨拶した。

 

「はじめまして、暗黒のメシア殿。魔界で大総裁を務めている、ブエルという者だ」

「そんじゃあブエル坊っちゃん、テメェの演目は中々だったぜ。だが役者が優秀なだけだ。脚本がまるでなってねぇ。これじゃ途中で飽きちまうよ」

 

 退屈そうに欠伸をかく大和に、ブエルは眉間に皺を寄せる。

 それでも笑ってみせた。

 

「貴殿を招待した覚えは無いのだがな」

「うるせぇぞクソ餓鬼、いいからこの茶番を終わらせろ。俺もソイツ等も、テメェのオ○ニーに付き合ってられるほど暇じゃねぇんだよ」

「……ッッ!!!!」

 

 ブエルは羞恥と怒りで顔を真っ赤にすると、濃紺色の魔力を迸らせた。

 真紅の舞台劇場が崩壊しかけるものの、魔力の奔流は唐突に霧散する。

 

 ブエルは怯えた表情をしていた。

 大和の膝上に跨がる女魔神に殺気を浴びせられたからだ。

 

 彼女──パイモンは冷たい声音で告げる。

 

「分を弁えろブエル。貴様、誰に向かって殺気を飛ばしている。我が愛しき君に対してその無礼……殺されたいのか?」

「…………っ」

 

 まるで蛇に睨まれた蛙だった。

 パイモンはブエルよりも序列が上。弱肉強食の魔界において序列は絶対である。

 

 それでも何か言い返そうとするブエルを、第三者が制した。

 アドラメレクだった。

 

「お戯れはここまでにしましょう、ブエル殿。潮時です」

「しかし……!!」

「相手が悪すぎます、どうかご自愛を」

「……ッッ」

 

 ブエルは唇を強く噛み締めると、怒気をのみ込みため息を吐く。

 そして告げた。

 

「わかった、引こう……今回は私も些か大人げなかった。大和殿の意見を参考にさせて貰いつつ、次に生かそう」

「賢明な判断です」

 

 アドラメレクは優雅に一礼すると、大和に流し目を向けた。

 大和はフンと鼻を鳴らす。

 

「覚えておけよ、アドラメレク」

「フフフ……」

 

 意味深な、それでいて艶やかな笑みを浮かべるアドラメレク。

 きっと彼女は、全てを見越していたのだろう。

 この茶番は彼女のためのものだったのかもしれない。

 

 大和はやれやれと肩を竦めた。

 そうして膝上のパイモンの髪を撫でる。

 

「お前もいけ。連絡先は交換しただろう? 時間が空けば連絡する」

「はいっ、お待ちしておりますっ♡」

 

 打って変わって可憐な笑みを浮かべたパイモンは、大和の機嫌を損ねないよう早々に魔界へと帰還する。

 

 ブエルとアドラメレクも足元に転移陣を浮かび上がらせた。

 ブエルは最後にえりあに告げる。

 

「また会えると嬉しいよ、えりあ殿」

「…………」

 

 えりあは何も答えなかった。

 ブエル達は消えていく。

 

 彼等が帰ったところを見届けた斬魔は、盛大なため息を吐いた。

 

「あーあ、ったく。本当に、やれやれだぜ」

「全くね」

 

 頷くえりあ。

 そんな二人の前に暗黒のメシアが降り立った。

 

 彼は何時もの笑みで告げる。

 

「さ、とっとと帰ろうぜ。お互いのいるべき場所へ、な」

 

 斬魔とえりあは頷く。

 その表情は、非常に穏やかであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 倒壊し跡形も無くなったニューヨークシティに陽光が降り注いでいた。

 全てが終わった証である。

 

 三名は陥没した道路を器用に進んでいた。

 斬魔は瓦礫を飛び越えながら大和に聞く。

 

「そういやぁ大和、カトリックの聖騎士姉妹はどうしたんだよ?」

「ああ、アイツらな」

 

 えりあは嫌な予感を覚えた。

 大和の負の側面──女に対する価値観を思い出したからだ。

 しかしそれは杞憂に終わる。

 

「泣きそうな面で帰っていったぜ、可愛かった」

「うっは性格悪ぃ」

「るせ」

 

 鼻で笑う大和に、えりあは安堵を覚えた。

 彼女はふと、思い出した様に斬魔の隣に降り立つ。

 

「ねぇ」

「あ?」

 

 えりあは、花が咲いた様な笑みを浮かべていた。

 普段絶対に見せない笑みを向けられて、斬魔は全てを悟る。

 

 儚げな、それでいて美しい笑みをこぼした。

 

「優しく頼むぜ……相棒」

「NO」

「ですよねー!!?」

 

 叫ぶと同時に頬を殴り飛ばされ、斬魔は宙を舞った。

 ベ〇ブレードの様に回転した後、瓦礫に転落する。

 

 えりあはフンと鼻を鳴らした。

 

「すっきりしたわ」

「プッ……なんだよえりあ、茶化されたのか?」

「まぁね」

 

 えりあは先程の事を根に持っていた。

 大和は喉を鳴らしつつも、えりあを引き寄せる。

 

「馬鹿な野郎だ、こんなイイ女が隣にいるってのに」

「……」

「魔神が惚れた理由もわかるぜ」

 

 頬を撫でられ、しかしえりあは嫌がる素振りを見せなかった。

 目元を微かに緩める。

 

「キミにそう言って貰えると、少し自信が持てるわ」

「……フッ、そうか」

 

 微笑み返す大和。

 瓦礫から必死に出てきた斬魔は、頭から血を流しながらもえりあをからかってみせた。

 

「なんだえりあテメェ!! やっぱり大和の事が好きなんじゃねぇか!!」

「勘違いしないで頂戴。でも、そうね……貴方よりはイイ男よ。彼は」

 

 えりあは大和に身を寄せる。

 斬魔は「何をぅ!!」と目くじらを立てて飛び上がった。

 

「テメェみてぇな能面冷血女、こっちからお断りだっての!! オラ退け!! 俺ぁこれから大和とデスシティ娼館巡りに行くんだよ!!」

「何を言っているの? キミはわたしと本部に帰るのよ」

「嫌なこったい!! あっかんべー!!」

「…………」

 

 両脇で喧嘩を始める二名に、大和は思わず吹き出した。

 

「ハッハッハッ!! テメェら本当に仲のいいコンビだな!!」

 

 荒廃したニューヨークシティに笑い声が木霊する。

 嵐の過ぎ去った後には快晴が広がる──

 

 三名の進む先には、温かな陽だまりが出来ていた。

 

 

《完》



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黒鬼の想い
立場と種族


 

 

 オークの青年、ラースは生まれも育ちもデスシティだ。

 科学と怪異が混同した魔界都市、デスシティ。

 ここで生活しているラースは、オークにしては珍しい細身の好青年である。

 

 デスシティの美女達から慕われ、仕事もそつなくこなしている。

 そんな彼にも、年頃の青年らしい悩みがあった。

 

 

 ◆◆

 

 

 曇天の夜空に覆われている摩天楼。

 ありとあらゆる種族で溢れ返るこの都市は眠らぬ闇の桃源郷。

 悲憤と憎悪をそれ以上の歓びで塗り潰す、悪徳なる世界だ。

 

「……」

 

 私服姿のラースは前を歩く大きすぎる背中に羨望の眼差しを向けていた。

 真紅のマントを靡かせるその背に、何度憧れたことか……。

 

 褐色肌の美丈夫。

 大和は、ラースにとって永遠のヒーローだった。

 

「ラース、テメェとの娼館巡りは中々面白かった……また今度一緒に行こうや」

 

 振り返り、微笑んでくれる。

 それだけでラースは満たされた。

 手を伸ばせば届きそうな距離にいる。

 

 しかし実際には遠い。

 誰でもない、ラースが一番それを理解していた。

 

 彼は思わず吐露する。

 

「どうすれば、大和さんの様になれますか……」

「あ? どうしたいきなり」

 

 首を傾げられ、ラースは慌てて訂正した。

 

「いえ! すいません藪から棒に……忘れてください」

「…………」

 

 大和はラースの表情を覗いて色々悟る。

 

「……俺になれるのか? お前は。なれねぇだろう」

「っ」

「何処まで行ってもお前は「お前」だ。……俺に影響を受けるのは構わねぇぜ。でも俺は俺、お前はお前だ。……わかるだろう?」

 

 大和は、決してラースを馬鹿にしたワケではなかった。

 ラースもよくわかっている。

 

 それでも、ラースは口にしてしまった。

 

「でも俺、オークだし……やっぱり大和さんのようには」

 

 ラースの額に、デコピンが炸裂した。

 

「ッ!!? ッ~!!!?」

 

 世界最強の武術家のデコピン。

 いくら手加減されていても、途轍もなく痛い。

 

 思わずうずくまるラース。

 涙目で顔を上げると、眉をひそめている大和がいた。

 

「くだらねぇことぬかしてんじゃねぇ。強い奴は強い、美しい奴は美しい。そこに生まれや育ちは関係ねぇだろうが」

 

 強く告げると、打って変わって温和な笑みを浮かべる。

 

「お前は真面目で礼儀正しく、向上心がある奴だ。オークだからどうした。……俺は、お前を高く評価してるんだぜ」

 

 大和はラースの肩を叩く。

 

「いいんだよ、お前はお前で」

「……っ」

 

 ラースは瞳を潤ませた。

 もう、オークだがらと己を卑下しなくていい。

 誰でもない、大和(憧れた英雄)が自分のことを認めてくれたのだから──

 

「おいおい、男が泣くなよ」

 

 大和はラースの頭を撫で回すと、先へと進む。

 そして振り返らずに手をあげた。

 

「じゃあな。また一緒に娼館巡りしよう。……何かあった時は遠慮なく言えよ」

 

 遠くなっていくその背に、ラースは深く頭を下げた。

 瞳に溜まった涙が、静かに地面に落ちていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は種族や立場で他者を差別しない。

 大嫌いなのだ、そういうのが。

 

 東洋で栄華を誇っていた大王朝の第一皇子として生まれ、しかし人智を逸脱した力のせいで畏れられた。

 

 両方味わったのだ。

 立場による孤独感と種族による疎外感。

 

 だからこそ差別を嫌う。

 正義感などではない、単純に気に食わないのだ。

 

 強い奴は強い、美しい奴は美しい。

 

 大和は己の物差しで世界を計っていた。

 

 ゆるりゆるりと中央区を抜けて、到着したのは東区の端っこ側。

 此処は大和が己の専属鍛冶師のために買い取った土地だ。

 

 今夜は武具の新調の報せを聞いてやって来た。

 彼女は既に仕事を終わらせているのだろう、何時もの鍛冶の音は聞こえない。

 大和が古びた戸を叩くと、無愛想な女の声が聞こえてきた。

 

「入っていいぞ」

「おう」

 

 戸を開けると、如何にも鍛冶師といった出で立ちの美女がいた。

 筋肉質ながらも女性らしいメリハリのとれた肢体、整った顔立ち。こんがり焼けた褐色肌に結われた紫色の髪。

 そして、額に開いた第三の目。

 

 世界最高の鍛冶師の一角、百目鬼村正(どうめき・むらまさ)

 

 大和は彼女に笑いかける。

 

「何時も武具の新調ありがとな。また進化したのか?」

「ああ。もっと頑丈に、更に殺傷力を高くしておいた。手にも馴染む筈だ」

「でもよお、前に造って貰った奴らはまだ壊れてねぇし、当分は大丈夫だぜ?」

「いいや駄目だ、全部取り替えろ。全部だ」

「へいへい、ったく」

「お前には常に最高の状態でいて欲しいんだよ」

 

 唇を尖らせる村正を見て、大和は柔らかい笑みをこぼす。

 そして告げた。

 

「何時も本当にありがとうな。金は何時ものところに振り込んでおく。他にして欲しいことはないか?」

「…………そ、そうだな」

 

 村正が第三の瞳を泳がせたので、大和は首を傾げる。

 

「どうした? 何かあるのか?」

「…………まぁ」

「遠慮なく言え、俺とお前の仲だ。できる限りの事はするぜ」

「…………うん、その、あれだ」

 

 村正は無愛想な面を朱に染めると、上擦った声で告げる。

 

「……昔みたいに、頭を撫でて貰いたいなって……」

 

 本当に恥ずかしそうに言うものなので、大和は表情が緩むのを抑えられなかった。

 そのまま村正の頭を優しく撫でる。

 

「これでいいのか?」

「あと……ぎゅって抱き締めてくれると、嬉しい……」

「御安いご用で」

 

 筋肉質ながらも細いその肢体を抱き寄せ、慈しむ大和。

 村正は本当に嬉しそうに目を閉じていた。

 

 彼女は大好きな男のために鍛冶師になった、不器用な女の子だった。

 

 大和は彼女の事を心の底から愛していた。

 頬にキスをされ、村正はくすぐったそうに身を捩らせる。

 

 かの死神の女王が言った様に、彼は殺した数以上に誰かを救っているのかもしれない。

 

 完璧ではない、むしろとことん人間臭いその人柄は好き嫌いをハッキリさせる。

 が、それが大和の魅力だった。

 

 飼い猫の様に喉をならす村正を、大和は長い時間甘やかした。

 

 

《完》

 

 



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第二十九章「学園伝」
一話「魔学生」


 

 

 

 東京都渋谷区に最近、進学校が建設された。

 東京ドーム三つ分の敷地面積を誇る大規模な私立高校である。

 早くも区内で話題となっていた。

 

 しかし、この学園には総理大臣、大黒谷努(だいこくだに・つとむ)の思惑が絡んでいた。

 

 彼はお抱えの組織、特務機関の戦力増強のために全国から優秀な子供達を選出。

 彼等に効率的かつ実戦的な教育を施すために、この場を設けたのだ。

 

 名を、私立陽炎学園。

 

 創設されて早半年、学園内で早くも勢力図が築かれつつあるこの時期に、嵐の種が舞い降りようとしていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 最新鋭の設備が搭載された学園内は並の大学よりも広く居心地が良い。

 

 専用の制服に身を包んだ生徒達が廊下を行き交う中、男子達の視線を集める少女達がいた。

 

 一名は紺色の長髪をポニーテールに結った美少女。

 抜き身の刃の様な碧眼が印象的だ。

 制服の上からでもわかる豊満な肢体は瑞々しさを残しつつ、大人に負けない色香を放っている。

 

 対してもう一名は天真爛漫な美少女。

 ツインテールにされた黒髪、くりりと愛らしい双眸。

 童顔ながら制服を盛り上げている肢体は成熟している。

 

 彼女達は百合(ゆり)牡丹(ぼたん)

 二年生でありながら文武ともに随一の成績を修めている才女達である。

 

 男子生徒達の羨望の的であり、女子生徒達からも慕われている。

 学園最強の生徒達で構成されている生徒会からも勧誘が来ているほどだ。

 

 しかし、それらは彼女達の素性を知れば当然とも言える。

 

 彼女達は魔忍──特務機関、魔忍部隊に所属する下忍である。

 表世界では歴戦の猛者であり、戦闘と暗殺のプロフェッショナルだ。

 

 学園の生徒達など、彼女達からすればアマチュア──取るに足らない存在である。

 

 では何故、彼女達は生徒として学園に滞在しているのか──

 それは二名の口から直接語られる事となる。

 

 屋上に続く扉の前で。

 人気の少ないこの場を敢えて選んだ百合と牡丹は、秘密の会話を交えていた。

 

 百合がまず辟易のため息を吐く。

 

「男子共の視線が鬱陶しい……どうにかならないものか」

 

 その言葉に、牡丹がクスクスと微笑んだ。

 

「仕方ないじゃーん、私も百合ちゃんも強くて可愛くて頭良いし♪ 当然だよーっ」

「……あまり目立ちたくないんだがな」

「えー? いいじゃーん。私は心地良いよ♪」

 

 上機嫌な牡丹を、百合は諌める様に睨み付けた。

 

「……私達に課された任務、よもや忘れていたりしないよな?」

「当然っ! でも任務を楽しむのは私の勝手でしょ? 百合ちゃんも肩肘張らずに楽しんでいこうよー!」

「……はぁぁ」

 

 お気楽な相方に、百合は重いため息を吐かずにはいられなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 百合と牡丹は上司である最上忍、(すみれ)から特務を授かっていた。

 内容は陽炎学園の現状報告と、内部に潜む他勢力のスパイの監視。

 

 世界でも例を見ない陽炎学園の取り組みに各国の勢力が目を光らせている。

 百合と牡丹が把握しているだけでも、スパイの人数は10名を越えていた。

 

 由々しき事態である。

 スパイ達の動向を監視し、有事の際には迅速な対応をする。

 それが、百合と牡丹の特務内容であった。

 

 しかし牡丹はのほほーんと笑う。

 

「と言っても、スパイ達が動く気配は無し。あっちが目立つ動きをしない限りこっちが動く必要は無いとのお達しだし……暇だね百合ちゃん!」

「…………」

 

 百合は無言で相方の頬をつねった。

 

「いふぁいふぁい! 頬を引っ張らにゃいで~っ!」

「……はぁ、しかしお前が言うこともまた事実だ。菫様も「学園生活を楽しんでこい」などとご冗談を言う始末だし……」

「それはね百合ちゃん! 菫様も私と同じようなことを言ってるんだよ! もうちょっと肩の力を抜けって!」

 

 頬を引っ張られたままの牡丹を見て、百合は首を傾げた。

 

「……そうなのか?」

「そうだよ! 本来私達ってこれくらい華のある学園生活を送ってもいいと思うの!」

「興味ない。……兎にも角にも男子共が鬱陶しい。大嫌いだ」

 

 フンと鼻を鳴らす百合に対し、牡丹はいやらしい笑みを向ける。

 

「でもでも~、百合ちゃん大和様には夢中じゃーん♪ 前の一件からおめかしするようになったし、携帯の着信履歴をチラチラ見るようになったし」

「っっ」

「でもそうだよね~、大和様最っ高にイイ男だもんね~っ。普段堅物な百合ちゃんも大和様の前じゃ甘えん坊に……」

 

「ぼ~た~ん~ッ??」

 

「いひゃいいひゃい!! 百合ちゃんいひゃい!! 頬っぺたとれちゃぅぅぅう!!!!」

 

 顔を真っ赤にした百合に本気で頬をつねられ、牡丹は情けない悲鳴を上げていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 昼休みが終わり、教室に戻った牡丹は赤く腫れた頬を撫でていた。

 

「ううう~っ、百合ちゃん酷い。本気でつねった……っ」

「当たり前だ、馬鹿者が」

 

 隣席でフンと鼻を鳴らす百合。

 彼女は顔を背けながら囁く。

 

「あの男……大和を他の男と比べるな。不快だ」

 

 自分にしか聞こえない小声だったので、牡丹は口元がニヤニヤするのを抑えられなかった。

 しかしすぐに鋭い眼光を向けられ、よそよそしく口笛を吹く。

 

 白々しい相方の頬をもう一度つねってやろうかと思った百合だが、激情を飲み込み別の話題を振る。

 

「今日は留学生が来るらしいな、何か聞いているか?」

「ううん、全然。どんな人が来るんだろうねー?」

「……面倒な手合いでなければいいんだがな」

 

 そうこうしている内に担当教師が入ってくる。

 彼は騒がしい生徒達を静まらせると、早速話をした。

 

「昨日説明した通り、緊急で留学生が来ることとなった。学園長直々の推薦であり、一週間この学園に滞在する。とても優秀な子だそうだ。皆、参考にするように」

 

 その言葉に、教室に不穏な──一種の殺気のようなものが充満する。

 皆、己の才能に絶対の自信を持つ麒麟児達だ。

 部外者に習う事など無いと、雰囲気で訴えていた。

 

 それらを百合は内心鼻で笑う。

 

(プライドだけは高いな、ここの生徒達は……。滑稽に過ぎる)

 

 百合は魔界都市で地獄を見た。

 同時に暗黒のメシアに救われた。

 

 失笑を隠すように、百合は水筒の水を口に含んだ。

 

「それでは自己紹介して貰おう。入ってきなさい」

 

 教室の扉が開かれる。

 入ってきたのは──褐色肌の美青年だった。

 

 オールバックにされた黒髪に灰色の三白眼。

 端正過ぎる顔立ちは女子達を一瞬で虜にする。

 着崩された制服にネクタイ、細身ながらも鍛え抜かれた肉体。

 

 ギザ歯を覗かせると共に溢れ出たオーラは暴力的でありながら妖艶──

 

 まさしく魔性の美青年であった。

 

「ブッ!!」

 

 思わず水を吹き出す百合。

 牡丹も唖然としていた。

 

 何故なら、「彼」はこんな場所に来る筈がない。

 そもそも、そんなに容姿が若くない筈だからだ。

 

 しかし彼は──間違いなく「彼」である。

 

 魔性の美青年は手を挙げて自己紹介をした。

 

「大和だ。一週間この学園に滞在する事になった。趣味は女……いや、まぁ、汗を流すことだ。よろしく頼むぜ」

 

「な、ななななななっ……!!」

「!? !!?」

 

 百合と牡丹は思わず立ち上がる。

 青年、大和は彼女達に向かって悪戯っぽくウィンクした。



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二話「箱庭」

 

 

 三日前、魔術通信にて。

 

「はぁ? 俺に学生をして欲しい? マジで言ってんのか努ちゃん」

『暇であれば是非とも。報酬はしっかりと払うよ。どうだろう? 話を聞いてくれないかな?』

「……いいぜ。誰でもねぇ、努ちゃんからの依頼だ。一応聞こうじゃねぇの」

『ありがとう。……陽炎学園という進学校がある。後々の特務機関のエージェントを育成するために私が設けた場所でね。世界各地から優秀な人材を集めているんだ』

「へぇ……場所は?」

『東京都の渋谷区だよ。創立してもう半年になるかな……内部は中々面白いことになっていてね』

「大雑把に集めた生徒達が独自に勢力を築きあげ、更に各国の退魔勢力のスパイが紛れ込んでいる、とか?」

『……あれ? 大和くんにこの話したっけ?』

「努ちゃんの大雑把具合から想定しただけだ」

『ハッハッハ、参ったな』

「で、それが本当だとして、努ちゃんは俺に何をして欲しいんだ。スパイ共の暗殺か?」

『いいや、最初に言った通り、君には生徒をして貰いたいんだよ』

「……読めねぇなぁ、何でそんな面倒臭いことをする」

『その面倒事を、私は望んでいる』

「……成る程」

『君が学園に滞在するだけで、混乱が生じるだろう。生徒同士の勢力図は瓦解し、各国のスパイ達も動揺する』

「賭け事だな、結果は俺にも予想できねぇ」

『それでいい。混沌の中でこそ輝きは生じる。その輝きを見定めるために、君には「混沌」そのものになってほしいんだ』

「対価は?」

『学園の女子生徒達を好きにしてもいい』

「さっすが努ちゃん、話がわかるぅ♪ 最高の暇潰しじゃねぇの」

『勿論、正規の報酬も支払わせて貰うよ。あと、君の知り合いの魔忍二名も滞在している。学園の詳細は彼女達から聞いてくれ』

「オーケーオーケー、百合と牡丹だな。期日は?」

『三日後から一週間、学園長推薦の留学生として入って貰う予定だ』

「……好きに暴れてもいいんだよな?」

『まぁ、ほどほどにね。でも心配はしていないんだ。君は話がわかる男だから……。女子生徒はいくら食べても構わない』

「おっしゃ、契約成立だな」

『報酬は前払いで全額振り込んでおくから、あとで確認しておいてね』

「おうさ」

 

 

 ◆◆

 

 

「……っ」

 

 放課後、屋上に続く扉の前で。

 大和から話を聞いた百合は、あまりの内容に目眩を覚えていた。

 

 由々しき事態である。

 百合は上司のそのまた上司──総理大臣、大黒谷努に恨み言を囁きかけた。

 しかしグッと堪える。

 

 隣にいた牡丹が大和に率直な疑問を投げかけた。

 

「大和様、容姿的な年齢は30代ほどですよね? その姿は一体……」

「ああ、これか?」

 

 大和は若くなった己の身体を見下ろす。

 

「闘気術と経絡秘孔の応用だ。流石に性別までは変えられねぇが、若返るくらいは簡単にできる」

「ほええ……っ」

「何時もは全盛期の30代で固定してるんだが……10代も悪くねぇ。筋力は少し落ちるんだが……どうだ?」

 

「どうだって……それは、ねぇ百合ちゃん?」

「わ、私に聞くな。馬鹿者がっ」

 

 正直、二人とも好みドストライクだった。

 元の容姿もいいが、こちらにもまた違った魅力がある。

 百合と牡丹は顔が真っ赤になるのを抑えられなかった。

 

 その反応を見て大和はニヤニヤと笑う。

 

「良かった。お前らの反応を見る限り、現代でもこの容姿は通じるみてぇだな」

 

 大和は鼻歌交じりに顎を擦る。

 

「幸い、この学園の女子はレベルが高ぇ。楽しめそうだ」

 

 大和は踵を返して手を挙げる。

 

「明日、学園の案内を頼むぜ。俺はてきとーに遊んで回る。何か用があればスマホに……」

 

 大和が言い終える前に、百合がその袖を掴んだ。

 牡丹も同じ様な行動に出ようとしたが、百合の方が早かった。

 

 視線を下げ、頬を朱に染めながら、百合は囁く。

 

「何処へ行く……久方ぶりに会えたというのに、あまりに素っ気ないではないか……」

 

 振り返った大和は、彼女の予想外の反応に眉を上げた。

 百合はすかさず大和に抱きつき、強い語気で告げる。

 

「他の女に会いに行くと言うのなら……許さん。まずは私を愛せ。……私を女にした責任をとれっ♡」

 

 百合のストレートな告白に、当事者でもない牡丹が顔を真っ赤にしていた。

 

(は、はわわ~っ、百合ちゃん大胆……! そんな事言えるんだ……っ)

 

 対して大和はバツが悪そうに頬をかくと、百合を抱き締める。

 

「……お前がそこまで俺の事を想ってるなんて予想外だった」

「馬鹿、馬鹿者……っ、私はお前を本気で愛しているのだぞ、大和……っ♡」

 

 百合は大和のネクタイを引き、顔を引き寄せる。

 そして情熱的なキスを交わした。

 互いに舌を絡ませあい、唾液を飲ませあう。

 

 安産型の尻を揉みしだかれ、百合は腰砕けになった。

 彼女を抱き寄せながら、大和は告げる。

 

「牡丹、お前ら寮生活だろ? 同室か?」

「は、はい……」

「なら案内しろ。……朝までまで可愛がってやる」

「……っ♡」

 

 牡丹は呆然と頷く。

 顔を真っ赤にした百合は、熱に浮かされるように大和に体を預けていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 学園では早くも噂が飛び交っていた。

 二年生のアイドル、百合と牡丹が留学生の愛人であると。

 昨夜は彼を部屋に連れ込み、喘ぎ声を絶やさなかったと……。

 

 彼女達を密かに想っていた男子達は断じて認めなかった。

 が、朝の登校時に嫌でも思い知ることとなる。

 

 大和を挟んで歩く百合と牡丹。

 時折甘い言葉を囁き、かまって欲しいとねだる。

 頬にキスされれば、本当に幸せそうに表情をふやけさせていた。

 

 そして、大和の首筋に浮かぶ赤い痣の数々……

 

 もう間違いない。

 

 女子達は黄色い悲鳴を上げ、男子達はどす黒いオーラと共に悔し涙を流していた。

 

 数多の激情が渦巻く通学路……大和は更に、各国の退魔組織のスパイ達の畏怖のこもった視線を感じとる。

 

 彼は静かに口の端を歪めた。

 

「さぁ……一週間楽しませてくれよ、子羊共」

 

 

 ◆◆

 

 

 一時間目の授業内容は体育──それも実戦訓練だった。

 専用の体育館に集まり、各々ウォーミングアップを始めている生徒達。

 その中に混じりながら、大和は楽しげに笑っていた。

 

(餓鬼共のバトルごっこには興味ねぇんだか……まぁ暇潰しにはなるか。それにしても女子のレベル高ぇな。クラスメイトほぼ全員食えるぜ。他のクラスや別学年にもイイ女がいたし、マジで退屈せずに済みそうだな)

 

 不気味に舌なめずりする。

 彼が怪物だとしたら、この学園は兎小屋だ。

 

 大和は努から貰ったこの美肉達を、丹念に味わい尽くすつもりでいた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和が言った様に女子生徒のレベルは総じて高い。

 しかも全員が学園指定の際どいブルマを履いているので、思春期真っ盛りな男子達にとって目に毒だった。

 

 男子達は女子達をなるべく見ないように努めているが、やはり視線が泳いでしまう。

 

 彼らの大半はクラスのアイドル──百合と牡丹を見つめていた。

 

 百合は男子に対してキツい印象があるが、それでも好意を寄せている者が多い。

 凛々しい横顔もそうだか、その年不相応な身体をどうしても意識してしまう。

 

 90を優に越える豊満なバスト、それを強調する括れた腰。そして安産型の臀部。

 

 グラビアアイドルも驚愕するような体型で、戦闘時には凄まじい動きを魅せるのだ。

 多くの男子達が彼女に羨望にも似た恋心を抱いていた。

 

 対して牡丹は男女区別なく接するので勘違いをしてしまう男子が続出している。

 百合ほどではないが成熟した体付きは、童顔と合わさり危険な魅力を生んでいた。

 

 しかしながら、彼等の夢想は儚く崩れ去る。

 

 百合がチラチラと視線を送る。

 その先には学園指定のジャージを着てストレッチをしている魔青年がいた。

 

 牡丹は天真爛漫な笑顔で彼に手を振る。

 

「大和様ー!!」

 

 まさかの様付けに驚愕しつつも、男子達は牡丹と百合の反応に目を丸めた。

 

 まるで恋に浮かれる乙女達だ。

 大和に手を振られた牡丹は表情をだらしなく弛め、百合も頬を染めている。

 

 今朝の登校時といい、噂の内容といい、男子達は大和に敵意以上の殺意を向けていた。

 

 彼らは視線を合わせ、一様に頷く。

 想いは一緒だった。

 

 昨日来たばかりの留学生。

 調子に乗ってるこの糞野郎を、こてんぱんに叩きのめす──

 

 男子達は並々ならぬ集中力でウォーミングアップをはじめた。

 

 その様子を見て、大和は小さく嘲笑を浮かべていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 体育教員が生徒達の様子を確認し、号令をかける。

 

「よし、お前達。二人一組を作れ。これより模擬戦闘を開始する。同性、かつ実力の見合った者同士で組むんだ」

 

 教員の指示を聞き、女子達は各々ペアを組み始める。

 百合と牡丹は言わずもがな、ペアを組んでいた。

 

 しかし男子は──

 

「おい」

「……ん?」

 

 一人の男子が大和に声をかける。

 その敵意に満ちた視線を大和は敢えて無視した。

 男子は歯ぎしりしながら告げる。

 

「俺とペアを組め。調子に乗りやがって……お前が百合さんに相応しい筈がないだろ」

「…………ハァ?」

 

 大和が視線を戻すと、そこは既に大混戦となっていた。

 男子達が我先にと大和に喧嘩を売ろうとしているのだ。

 互いに引っ張りあっている。

 

「横取りすんじゃねぇ! 俺が叩きのめすんだ!!」

「ふざけんな!! 俺がボコボコにするんだよ!!」

「百合さんの目は俺が覚ます!! 引っ込んでろ!!」

「牡丹ちゃんはこの手で取り返す!!」

 

「…………」

 

 大和は辟易し、無視しようとするも、百合と牡丹の表情を見て考えを改めた。

 

 本当に気持ち悪そうな顔をしていた。

 百合に至ってはゴミ虫を見るような目付きをしている。

 

 大和は男子達を置いて百合達の元へ向かった。

 彼等が気付いた時には既に遅い。

 大和は百合と牡丹を両腕で抱き寄せていた。

 

「テメェら、ようはあれだろう? コイツらをぽっと出の俺に取られて悔しいんだろう?」

 

 大和は百合の胸を鷲掴み、牡丹の尻を揉む。

 

「やぁっ♡」

「あぁん♡」

 

 漏れた嬌声。

 大和は惚ける彼女達を抱きながら告げた。

 

「残念だったな。コイツらは俺の女だ。悔しかったらかかってきな。束になってきてもいいぜ?」

 

「「「「…………~~~~っ!!!!」」」」

 

 男子達は顔を真っ赤にして各々武器を取り出す。

 そうして血走った眼で突撃した。

 

 大和は百合と牡丹を背後に下げると、無造作に片足を振り上げる。

 

 それは指向性を持った爆風だった。

 男子達の命を刈り取らないギリギリの威力を保った風は体育館の半分を消し飛ばし、男子達を遥か彼方へ吹き飛ばす。

 遠くの木々や屋上フェンスに引っ掛かった男子達は何が起こったかわからず、目を回していた。

 

 大和は腰に手を当てて鼻を鳴らす。

 

「ったく……ジャリ共が」

 

 教師は唖然とし、女子生徒達は目を丸めていた。

 

 しかし百合と牡丹は当たり前のように大和の腕に抱きつき、蕩けた笑みを浮かべていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 放課後、大和は夕焼け染みる屋上で黄昏ていた。

 校則違反であるタバコを咥えている。

 彼は百合と牡丹から聞いた情報を脳内で纏めていた。

 

(陽炎学園か……こんな学園が設立されるなんざ、世も末だな)

 

 苦笑しながら紫煙を吹かす。

 屋上フェンスに寄りかかりながら一服するその様子は神秘的でもあった。

 

(学園全体のレベルは低い。最強の生徒でもCランクくらいだろう……例外がいるとすれば、退魔勢力のスパイ共。何人かBクラスがいるな。ただそれだけだ)

 

 Aランクがいない時点でお察しである。

 大和は首だけ振り返り、部活動に励む生徒達を見下ろした。

 

 ふと囁く。

 

「バカな餓鬼共……大人しく表世界で平和に過ごしてればよかったのに。……ほんとバカ」

 

 フゥと紫煙を風に巻かせ、携帯灰皿に吸殻を押し込める。

 そして屋上フェンスに股がった。

 

「さぁて……曲がりなりにも「裏」に関わろうとしてるんだ。それがどういう事なのか……その身を以て教えてやる」

 

 と言っても、する事は何時もと変わらない。

 片っ端から美少女を食らい、邪魔する存在は蹴散らすだけだ。

 

 しかし、それだけで学園の色はガラリと変わる。

 それこそ、努が望んでいる展開だった。

 

(俺が動くことで……さぁどうなる? 努ちゃんは期待してるみたいだぜ)

 

 あくまで他人事。

 大和は屋上から飛び降りた。

 なんの苦もなく地面に着地すると、その端正な顎を擦る。

 

「部活動の帰り際を狙って口説くか……やっぱり健康体の女が一番美味い。百合と牡丹は昼休みでへばっちまったしな」

 

 そう、百合と牡丹は昼休みに食われて寮室で気絶していた。

 大和は未だ治まらない欲望の捌け口を探すため、一歩踏み出す。

 

「ねぇ待ってよ、噂の留学生くん♪」

 

 かけられた可憐な声に、大和はゆっくりと振り返った。

 そこには見目麗しい美少女達が佇んでいた。

 

 どちらも体育系。

 一名はこんがり焼けた日焼け跡に天真爛漫な笑み。小さく結われた赤茶色のポニーテイルが特徴的だ。

 

 もう一名は眠たげな眼に透き通った白い肌。塩素の匂いと少女特有の香りが鼻孔をくすぐる。群青色のセミロングヘアから漂ってきていた。

 

 どちらもスタイル抜群。牡丹にも劣らない。

 しかも制服を大きく着崩しているので、大和の視線は自然とその豊満な胸達にいった。

 

 それをわかっていて尚、褐色肌の美少女は笑ってみせる。

 

「私は三年生、陸部杏奈(おかべ・あんな)。生徒会会計兼、陸上部部長」

「同じく、水上流衣(みかみ・るい)。……生徒会書記兼、水泳部部長」

「こりゃまた……学園最強の生徒会が俺に何のようで?」

 

 大和はおどけながらも、内心ほくそ笑んでいた。

 極上の獲物があちらからやってきたからだ。

 

 流衣は眠たげながらも鋭い眼で大和を射抜く。

 

「体育館の半分を消し飛ばしたの……貴方でしょう?」

「それがどうした?」

「あの体育館は特殊な構造をしてる……生徒の攻撃では決して壊れない」

「そうなのか?」

 

 とぼける大和に、今度は杏奈が笑みを浮かべたまま告げる。

 

「後輩くん、私達と勝負してよ? 決闘の申請書ならもう先生に提出してるからさ♪」

「見逃せない……その強さ。百合や牡丹との関係も、気になる」

 

 両者は戦意を迸らせる。

 しかし、大和からすればそよ風みたいものだった。

 

 そんなことよりも、彼は別の事に興味があった。

 

「なら相手するぜ、先輩方。……たっぷりと、な」

 

 大和は口角を歪め、拳を握る。

 速攻で終わらすつもりだった。

 

 ──その夜、三年生の寮室から甲高い喘ぎ声が二名分聞こえたという。

 

 真相は後日明らかとなった。

 



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三話「生徒会長」

 

 

 翌朝、陽炎学園の生徒会室には三名の女子生徒が集っていた。

 

 陸部杏奈(おかべ・あんな)

 水上流衣(みかみ・るい)

 

 二名は浮かれた様子だった。

 着崩された制服から滲み出る色香は凄まじい。

 彼女達の様子を確認し、もう一名の美少女は苦笑した。

 

「骨抜きにされたか?」

「あっ……いえ、その……なははーっ♪」

「面目ない……」

 

 二名とも顔を真っ赤にする。

 三年生のアイドル達が骨抜きにされたとあっては、男子達が黙っていないだろう。

 それが噂の留学生なら尚の事である。

 

 しかし生徒会長……四条紫(しじょう・ゆかり)は微塵も動揺していなかった。

 むしろ当然の事だと肯定している。

 

 猛禽類を連想させる紫色の双眸。腰まで伸ばされた漆黒の長髪。太めの眉が意思を強さを物語っている。

 

 二名以上のダイナマイトボディを誇る彼女は学園の頂点に君臨している女傑。

 退魔剣士の家系「四条家」のお嬢様だ。

 

 彼女は呆れ混じりに告げる。

 

「お前達が優秀なのは知っている。幼馴染みであり、頼れる従者達だからな」

 

 だから、そう言って紫は鋭すぎる双眸を細めた。

 

「喧嘩を売る相手を間違えるな。あの御方は暗黒のメシア……世界最強の武術家だぞ」

「いや~っ、似てるだけの別人かと思って……」

「姫様の言う通りだった。凄まじい女誑し……噂以上」

 

 二名は昨夜の出来事を思い出し、身体を震わせる。

 紫はやれやれと肩を竦めると、打って変わって獰猛な笑みを浮かべた。

 

「しかし、またとない機会だ。私も挑んでみるとしよう」

 

 愛刀を携え部屋を出ていこうとする紫を、二名は慌てて止める。

 

「待ってください姫! アイツは本物です! 絶対勝てません!」

「……姫様も食べられちゃう」

 

 二名の心からの忠告に、しかし紫は笑ってみせる。

 

「案ずるな、挨拶をしに行くだけだ。私流の……な」

 

 

 ◆◆

 

 

 昼休み、大和は教室で昼食をとっていた。

 

「はい、大和様♪ あーん♪」

 

 内容は牡丹の手作り弁当。しかも「あーん」付き。

 男子達は血涙を流していた。

 しかし何も言えない。先日、こてんぱんに叩きのめされたからだ。

 男というのは単純な生き物であり、腕力の強さを見せつけられると何も言えなくなる。

 

 これ以上惨めを晒さぬよう努めているが、それでも憎悪の念は隠しきれないでいた。

 

 一方、女子達は大和に興味津々といった様子だった。

 隙あらば……と瞳を潤ませている。

 

 当の本人は呑気に昼食を楽しんでいた。

 牡丹の手作り弁当に舌鼓を打っている。

 

「美味ぇぞ牡丹、特に唐揚げが一品だな」

「えへへー♪ これでも料理得意なんです♪」

 

 牡丹は嬉しそうに笑いながら、チラリと百合を確認する。

「その手があったか」と本当に悔しそうにしていた。

 牡丹は内心ほくそ笑む。

 

(百合ちゃんには悪いけど、私も大和様大好きだから手加減しないよ? 百合ちゃんは咄嗟な魅力半端ないから、私はコツコツと好感度を上げていきます♪)

 

 悪女の才能を発揮しつつある牡丹。

 百合は悔しがりつつも、「明日こそは……」と計画を練っていた。

 

 混沌としている教室内。

 他のクラスから見物人がやって来ている中、唐突に廊下のほうが騒がしくなった。

 騒動が近づいてきている事に気付いた大和はゆっくりと振り向く。

 

 見目麗しい美女が教室に入ってきた。

 太い眉を動かさず、しかしダイナマイトボディを揺らして歩いて来る。

 

 クラスメイト一同に加え、百合や牡丹も驚いていた。

 しかし大和は軽い調子で問う。

 

「なんのようだ、生徒会長殿」

「私は貴方の素性を知っている。故に、今から行う非礼の数々を許していただきたい」

「…………」

 

 大和は灰色の三泊眼を細めた。

 灯った冷たい輝きに竦みそうになりながらも、生徒会長──四条紫は告げる。

 

「貴方に決闘の申し込みたい」

「…………ふぅん」

 

 大和は百合と牡丹を離れさせると、紫に身体を向ける。

 そして苦笑した。

 

「……馬鹿じゃあなさそうだが、一応言っておくぜ。決闘をしたってお前にメリットはねぇ」

「ありますとも、私にはメリットがある」

「…………」

 

 大和はフムと顎を擦ると、ゆっくりと立ち上がる。

 そして意地悪く笑った。

 

「いいぜ、俺にもメリットがある。でも、負けたらどうなるか……わかってるよな?」

「無論。しかしタダで負けるつもりはありません、全身全霊をかけさせていただきます」

「ククッ……いいぜ、やろう。場所は何処がいい?」

「校舎の中央に広場があります。そこでしましょう」

 

 踵を返した紫に、大和は付いていく。

 生徒達はいてもたってもいられず教室を出ていった。

 それは、百合と牡丹も同じだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 広場には全校生徒の殆どが集っていた。

 教員達も目を光らせている。

 何故なら、学園最強の生徒と噂の留学生が決闘を始めるからだ。

 

 生徒達の殆どは生徒会長の勝利を信じて疑わなかった。四条家は日本でも有数の退魔剣士の家系。柳生との親睦も深い。

 その宗家出身である彼女は才能も経験も、生徒の範疇を越えている。

 

 しかし百合や牡丹、各勢力のスパイ達は全く逆の思いを抱いていた。

 相手にならない。若返ったとしても大和は大和だ。伝承に出てくる鬼神や魔王を軽く捻り潰してしまう怪物……

 退魔剣士「程度」が勝てる筈もない。

 

 百合達は勝敗よりも、今後の展開について心配していた。

 

 紫が愛刀を抜き放ち、名乗りをあげる。

 

「四条紫、四条宗家の退魔剣士」

 

 それに対し、大和は笑いながら返す。

 

「大和だ。いざ尋常に」

 

 そう言って懐から取り出したのは──定規だった。

 30㎝物差しである。

 これには紫も周囲の者達も唖然とした。

 

 我に返った紫はその太い眉をひそめる。

 

「……愚弄するか、私の事を」

「ほざくな青二才。俺の実力を知ってんだろう? ハンデだ」

「…………っ」

 

 紫はグッと激情を飲み込み、愛刀を携えた。

 基本の型から忠実に、一切手加減なく斬撃を放つ。

 

 それに対し、大和は鼻で笑いながら定規を振るった。

 

 

 ◆◆

 

 

 野次馬達は唖然とするしかなかった。

 紫の衣服ごと、背後にあった時計塔が切り刻まれたからだ。

 

 壮絶な音を立てて崩れ落ちていく時計塔。

 高層ビルとまではいかないが、巨大な建造物が倒壊した衝撃は凄まじい。

 広場にまで風圧が行き届いた。

 

 生徒達は何が起こったのかわからないでいた。

 百合や牡丹、スパイ達でも詳しい内容は把握できていない。

 ただ、わかることと言えば──

 

 斬ったのだ、30センチ物差しで。時計塔を。

 

 出鱈目ここに極まれり。

 膝を付く紫を見下ろし、大和は告げる。

 

「俺くらいの武術家になれば定規も魔剣に変えられる。……思い知ったか?」

 

 圧倒的実力差。

 紫は負けを認めるしかなかった。

 

「完敗です……やはり次元が違いましたか」

「クククッ」

 

 大和は紫に上着をかけてやると、お姫様抱っこする。

 

「さぁて、約束の報酬だ。……その身で払え」

「……フフフ、いいでしょう。しかしあまり甘く見ないでほしい。私はそこまで軽い女ではない」

 

 精一杯強がってみせる紫に、大和は艶やかな笑みを向けた。

 

「そういう風に強がる女を、俺は全員骨抜きにしてきた」

「っ」

「従者の二人も連れてこい。でないと満足できねぇ」

「……本当に、噂通りの益荒男なのだな。貴方は」

 

 耳まで真っ赤にし、紫は大和の厚い胸板を撫であげた。

 

 その夜、女子寮から悲鳴にも似た喘ぎ声が途絶えなかったという。

 しかも同室から複数名の声が聞こえてきたので、女子達は驚愕すると同時に身震いした。

 

 これを機に、学園の勢力図は一気に瓦解することとなる。

 そして、各国のスパイ達の動きは──

 

 



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四話「歪なる青春」

 

 

『異端審問会、特別捜査官のメモ帳の一部を抜擢』

 

 暗黒のメシアの突然の来訪。

 この事態、私なり対応しようとしたが、やはり無駄だった。

 一日目にしてあの荒れ様、私個人ではどうすることもできない。

 学園の混沌化は最早止められないだろう。

 

 既に三日が経とうとしている。

 私は、今現在判明している事をここに記載していこうと思う。

 

 まず何故奴が……大和がこの陽炎学園に現れたのか。

 やはりというべきか、総理大臣、大黒谷努が絡んでいた。

 

 彼は敢えて大和を在学させ、学園の混沌化を計ったのだ。

 大和に触発される超越者の卵たりえる存在を拾い上げるために──

 

 しかし、この学園はまだ歴史が浅い。

 案の定、生徒達は大和に付いていけず影響以前の問題となっていた。

 奴を畏れ、呑み込まれている。

 学園全体の調和が崩れるのも時間の問題だろう。

 

 しかし、一度この調和を崩す事こそ大黒谷努の真の目論みなのかもしれない。

 

 土壌を耕すように、敢えて一度掻き乱す──

 

 真実は定かではない。

 全ては憶測の域を出ない。

 

 だが、一つだけわかったことがある。

 あの男、大和は他者の成長を極端に促す。

 そこに在るだけで、周囲の者達に何らかの影響を及ぼす。

 

 我等の組織の死神部隊に所属している女──サイスの急成長ぶりがその証明だ。

 

 暗黒のメシア──奴がそう呼ばれる理由の一端を、私は垣間見た気がする。

 

 ここで一端、ペンを置こうと思う。

 1日ごとに書き綴っているこの日記を後に清書し、本部へと提出する予定だ。

 

 ……あまり、良い内容ではなくなる事を予期している。

 

 余談だが、この些細な情報を引き出すために私は奴に身体を売った。

 任務だからと割り切っているが……色々危なくなってきている。

 理性と本能がせめぎ合っているのだ。

 

 できれば、早期の内にこの任務を切り上げたい。

 

 

 ◆◆

 

 

 陽炎学園の勢力図がガラリと変わった。

 それもこれも、全て大和のせいである。

 

 一日目にしてその存在感を知らしめ、二日目には学園最強の生徒会長を下した。

 

 三日目には所構わず決闘をふっかけてきた輩を蹴散らし、そうして今に至る。

 

 四日目──最早学園は大和の思うがままの箱庭と化していた。

 その腕力に抗える者はおらず、男子達は皆彼を畏れている。

 その色気は凄絶であり、女子達は夢中になっていた。

 

 そして、この日を境に大和が暗黒のメシアだとバレてしまい、学園の調和は完全に崩壊。

 

 神仏すら恐れ慄く無敵の殺し屋相手に、何をしようとする輩はいない。

 

 学園内は怯えた兎達で溢れ返っていた。

 そう、一部の女子達を除いては──

 

「……♪」

 

 百合はポニーテールを揺らしながら、上機嫌に階段を上っていた。

 その手には手作り弁当がぶら下がっている。

 隣を歩いている牡丹はニヤニヤと笑っていた。

 

「百合ちゃんの手作り弁当を食べられるなんて、大和様も幸せ者ね! 他の男子達が泣いちゃうかも!」

「……ふんっ」

 

 鼻を鳴らしながらも、手作り弁当を大切そうに抱える百合。

 牡丹は打って変わって挑発的な笑みを浮かべた。

 

「ふふふ! でも負けないよ! 私、今日もお弁当作ってきたんだから! どっちのお弁当が大和様に気に入って貰えるか……勝負しようよ百合ちゃん!」

「いいだろう、昨日は遅れを取ったが、今日はそうはいかない。これでも料理の腕には自信があるんだ」

「私もだよ! ……フフフ、負けないよ百合ちゃん!」

「ふふ」

 

 共に笑いながら屋上を目指す。

 しかし、屋上に続く扉の前まで来た百合が眉を曲げた。

 既に先客がいることを悟ったからだ。

 

 険しい表情で扉を開ける百合。

 案の定、例の女達が大和に群がっていた。

 

「大和さぁん、今日暇ぁ? 陸上部に寄っていってよ。女子の皆興味津々なんだぁ♪」

「ずるい。大和さん、水泳部に寄っていって。歓迎する」

 

 大和の逞しい腕に抱き付きながら甘い声を上げている女達。

 

 陸上部部長兼、生徒会会計。陸部杏奈(おかべ・あんな)

 水泳部部長兼、生徒会書記。水上流衣(みかみ・るい)

 

 杏奈はこんがり焼けた肌を惜しげもなく晒し大和を誘っている。

 対して流衣が透き通った柔肌ごと豊満な乳房を覗かせ、大和に抱き付いていた。

 

 睨み合いが始まると、大和の懐に収まっていた凛々しい美少女が睨みを効かせる。

 

「お前達、見苦しい真似はやめろ。大和様を困らせるな」

「「……はーい」」

 

 むくれつつも言うことを聞く二人。

 生徒会会長、四条紫(しじょう・ゆかり)はやれやれと太い眉をひそめた。

 

 彼女達に対して、頭上に広がる蒼穹を眺めながら大和は囁く。

 

「夜には可愛がってやるんだ……今は大人しくしてろ」

「「「……はいっ♡」」」

 

 三名とも蕩けた表情で頷く。

 彼女達は完全に大和の虜になっていた。

 

 大和は蒼穹に視線を向けたままだった。

 百合と牡丹は不意に見惚れてしまう。

 嫉妬すら忘れてしまうほど、その横顔が美しかったからだ。

 

 何を思っているのか……明確にはわからない。

 だが──何処か嬉しそうに見えた。

 経験したこともない青春を、噛み締めているように見えた。

 

 百合は思わず叫ぶ。

 

「大和っ!」

 

 その焦った声を聞いて、大和はふわりと笑い返した。

 

「おう、来たか。一緒に弁当を食べよう。今回は俺も作ってきたんだ」

「「…………」」

 

 その透き通った声を聞いて、百合と牡丹は顔を見合わせる。

 そして頬を緩めた。

 

 大和の新しい一面を見れて、嬉しくなったのだ。

 嵐の様な激しさしか見てこれなかった二名は嬉しさのあまり、小走りで大和に駆け寄る。

 

 大和は誰にも聞こえない小声で囁いた。

 

「努ちゃん、ありがとうよ。……色々楽しめたぜ」

 

 灰色の三白眼が蒼穹を映し出す。

 

 歪ながらも、青春というものを味わえた。

 大和は満足していた。

 

 

 

《完》



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第三十章「英霊伝」
一話「羅刹と英雄」


 

 

 

 魔界都市の朝は静寂に包まれている。

 視界も定まらないほどの濃霧に覆われ、強力な魑魅魍魎が跋扈するからだ。

 その中には邪神の奉仕種族も混ざっており、この時間帯は力を持つ者でも外出を控える傾向にある。

 

 魔界都市の朝は逢魔が時。

 比較的安全地帯である中央区ですら危険度は最高値にまで跳ね上がる。

 故に住民達は深い眠りにつき、安全な夜を待つ。

 

 魔界都市を代表する殺し屋、大和も早朝は自宅でのんびりと過ごしていた。

 

 彼にとっては快適な時間帯である。己を狙う殺し屋の数が減り、騒がしさが無い。

 自宅で煙草を吹かしながら、のんびりと新聞を読むことができる。

 

 大和はラフな浴衣姿で寝転んでいた。

 ラム酒を瓶ごと呷り一息つく。

 そうしてゆっくりと新聞を読み進める。

 

 最後まで読み終わり、彼は一度大きく身体を伸ばした。

 依頼手帳と女手帳を覗いて、今日の予定が無いことを確認する。

 最後に時計を見て良い頃合いだとわかれば、立ちあがり布団を敷く準備をはじめた。

 

 と、そんな時である。玄関から凄絶な「美」の気配を感じ取ったのは。

 同時にインターホンが鳴り響く。

 大和は玄関の前にいる存在を察し、怪訝な面持ちで足を運んだ。

 

 玄関扉を開けると、稲穂色の金髪と共に狐耳がひょこりと動いた。

 

 大和は視線を下ろす。

 眼下に絶世の美少女がいた。

 

 真紅の双眸は淑やかな光を灯し、白磁の如き柔肌は見るだけで柔らかさを確信させる。

 羽織っている羽織は豪華絢爛でありながら嫌味を感じさせない。

 

 むしろ、彼女の美貌を妨げていた。

 

 整い過ぎた顔立ちは最早言葉にできない。

 あのアラクネさえも超える神域の美貌は人類では到達できない境地に達している。

 

 先端の白い九本の狐尾が揺れる。

 彼女は大和を見上げると、頭に生やした狐耳を「みこん!」と立てた。

 

「大和様~!」

 

 勢いよく抱きつく美少女。

 極限の美が薄れ、代わりに無垢な幼さが露わになった。

 

 大和は呆れ混じりに問う。

 

「こんな時間になんの用だ? 万葉(かずは)

 

 世界一の傾城街、東区。

 そこのトップを務めている魔女。

 

『白面絢爛九尾狐』『妖仙』『傾世の魔女』『魑魅魍魎の主』

 

 嘗て数多くの王朝、大国を滅亡させた稀代の大化生。

 伝承で有名な九尾の狐、その人である。

 

 デスシティを代表する妖魔王は、大和の腹筋にスリスリと頬を寄せていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和にその美髪をすいてもらいながら、万葉は上機嫌にしていた。

 九本の尾をふりふりと揺らしている。

 膝上に乗る彼女を適当に可愛がりながら、大和は聞いた。

 

「こんな朝っぱらからなんの用だ、万葉」

「ふふふ♪ 大和様に会いに来た、という理由だけでは駄目かのぅ?」

「別にいいけどよ。それならこんな時間帯には来ねぇだろう。依頼か?」

「さっすが大和様、話が早い♪」

 

 万葉は大和の胸板に寄りかかりながら視線をあげる。

 

「インドの羅刹族の残党を妾と共に討ち取って欲しいのじゃ」

「ほぉ……羅刹族ねぇ。懐かしい名前が出てきたもんだ。詳しく聞かせろ」

「うむ。妾が大昔にインドで暴れ回っていたのは知っておろう?」

「そりゃあな。史実にも影響を及ぼしたくらいだ。あん時のお前は美しくも残酷だった」

「ふふふ♪ 大和様好みのイイ女じゃったろう?」

 

 妖艶に笑われ、大和は喉を鳴らした。

 

「俺を振り向かせたいから三国を滅ぼしたのか?」

「無論。貴方様の寵愛を少しでも授かれるのであれば、億の命など安いもの」

「悪女だなぁ、お前は」

「大和様には言われたくないわい♪」

 

 九本の尾で大和の身体を絡めとり、甘えはじめる万葉。

 この可憐な美少女が嘗てインド、中国、日本で悪逆の限りを尽くした妖魔王だと誰が思おうか……

 しかし、その『傾世』と謳われる美貌は未だ隠されたまま。

 これが解放されると共にわかる。

 彼女の化生としての本質が──

 

 大和は彼女をモフモフしながら聞く。

 

「で? 何で今更になって羅刹族が出てきた? 理由はわかるのか?」

「それは妾の方で探る。大和様には被害を出している羅刹族を全員ぶっ殺して欲しいのじゃ。大和様は殺し屋じゃからな。餅は餅屋じゃて」

「成る程」

「……妾の昔からの部下が随分と世話になっとるらしいからのぅ。あんの蛮族共め。根絶やしにしてくれる」

 

 滲み出る邪気は成る程、大化生のそれだ。

 しかし大和はやれやれと肩を竦め、その頭を撫で回した。

 

「心配すんな万葉、テメェの殺して欲しい奴は全員ぶっ殺してやる。まぁ、報酬は貰うがな」

 

 だから──そう言って微笑む。

 

「テメェはそのままでいろ。大化生としてのお前も好みだか──花魁のお前の方が好みだぜ」

 

 万葉は目を丸めた。

 次には花が咲いたように笑む。

 

「……ふふふ。やっぱり大好きじゃ、大和様。愛しておる」

 

 振り返り、立ち上がった万葉はそのまま桜色の唇を大和に重ねた。

 

 

 ◆◆

 

 

 所変わってインドの秘境。

 この森林地帯は「マンティアコアの住み処」とされ、原住民すら立ち入りを禁止されていた。

 

 その真実は温厚な妖魔達の隠れ家。

 インド神話群が正式に認めた自治区である。

 

 高度な結界で守られたこの森に部外者が侵入することは殆どない。

 最近になるまで不穏な空気が漂うことは無かった。

 

 神気が満ちる熱帯林を、大和は万葉を抱えながら歩いている。

 

「野性動物の殆どが怯えてやがる……血の臭いもするし、羅刹族が出没してるって情報はマジみてぇだな」

 

 羅刹族は武勇に長けたインド特有の神族である。

 別名「ラークシャサ」「ラクササ」。

 夜叉族と並ぶインド神群の敵対勢力であり、生まれながらに戦うことに長けた戦闘民族。

 

 根源的には鬼や妖魔に近いが、その本質は神仏。

 故に下級の者達ですらAクラスの戦闘力を誇る。

 

 万葉は呟く。

 

「まぁ、中級以上の羅刹はランカ島に封印され、今暴れてるのは下級……雑兵共なのじゃが」

「つっても羅刹は羅刹だ。だから俺を呼んだんだろう?」

「無論、大和様はあの羅刹王ラーヴァナを封印した真の英雄、神代の豪傑じゃ。貴方様がいれば千人力よ♪」

「ったく、おだて上手め」

 

 狐耳ごと頭を撫でられ、万葉は気持ち良さそうに目を細めた。

 

「で、本当の理由は?」

「さぁ、なんのことやら」

「誤魔化すな、下級の羅刹なんざお前一人でどうにかなるだろう。何故俺を呼んだ」

「……言わなきゃ駄目かのぅ?」

「正直に言ったら頬にキスしてやる」

「ああんっ、それはズルい! ズルいのじゃぁ!」

 

 万葉は喚くと、頬を朱に染める。

 

「その……大和様と二人きりになれる機会など滅多になかろう?」

「……」

「大和様は魅力的すぎる男故、何をしても周囲に女が群がる。でも……妾が一番大和様を愛しておるんじゃ! じゃから……!」

 

 言い終える前に、大和は彼女の頬にキスをした。

 そして微笑む。

 

「ありがとうな。そんなに俺を愛してくれて」

「……当たり前じゃ。世界で一番、愛しているっ」

 

 万葉は大和の唇を奪う。

 二名の関係は太古に遡り、その絆はアラクネにも劣らない。

 

 甘い時間が流れていく。

 最中、風が切り裂かれた。

 迫ってくる鋼鉄の(やじり)を大和は指二本で挟み込む。

 しかし梵天のマントラが込められた第二射は避けた。

 

 目の前の森林が抉られる。

 扇状1500メートルほどを消し飛ばした威力は、成程梵天の決戦兵器の疑似再現と嘯ける。

 

 最も、劣化版も甚だしいが──

 

 大和は静かに、されど殺意のこもった視線を彼方に向けた。

 

 燃え盛るような紅蓮色の髪。

 バラ色の瞳には並々ならぬ敵意を迸らせている。

 太陽神の加護を賜った衣服に身を包んだ美男子……にも見える美女は、凛々しい声音で告げた。

 

「何奴か!! ここはデーヴァ神族の庇護下にある聖域、心優しき妖魔達の安住の地である!! 所属と目的を言え!! さもなくば神々の加護を賜った鏃が貴様らを穿つ!!」

 

 彼女の手中で輝く黄金色の弓──神々の武具だ。

 それも最上級の一品である。

 

 サルンガの弓矢。

 

 調和神の弓に太陽神の矢。

 更に梵天神のマントラ。

 ここまでくれば、行きつくのはインドが誇る最優の英雄。

 理想的君主の代名詞。

 

 ラーマ。

 

 その子孫である彼女は、一切の油断なく大和達に狙いを定めていた。

 



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二話「気紛れ」

 

 

 大和らを取り囲んだのは猿に似た精霊達だった。

 ヴァナラ族。有名どころは風神の化身とされるハヌマーンか……

 過去にラーマと共に羅刹族と戦った一族である。

 

 彼等とラーマの子孫である美少女は大和の容貌を確認した瞬間、絶望で顔面を蒼白色にした。

 

 誰でもない、相手はあの暗黒のメシア。

 神代の時代より規格外の暴力で恐れられる、闇の英雄王。

 

 ヴァナラ達は咄嗟に武器を納めた。

 そして姫君たるラーマに視線で訴える。

 

 大和はつい最近、全神話体系で「接触禁止対象」になった。

 北欧、エジプト両神話の和睦の際、その危険性を顕著に表した彼は神話間で禁忌の存在として扱われる様になったのだ。

 

 よほど事がない限り、彼に関わってはいけない。

 たとえ会話するだけであっても……

 

 彼は、存在そのものが危険だと判断された。

 

 しかしラーマは眼光で「否」と答える。

 つがえた弓矢をそのままに、大和に問うた。

 

「暗黒のメシア殿とお見受けする。この聖域に如何なるご用か? 返答次第では戦闘も辞さない……」

 

 この啖呵に、周囲のヴァナラ族は目を丸めた。

 彼女は聡明で慧眼。現代最高峰の英雄として花開く事を神々から期待されている傑物である。

 

 血迷った訳では無い。

 彼女は己が使命を全うしようとしていた。

 暗黒のメシアが相手でも、引けない理由がある。

 だから震える指先で弓矢をつがえているのだ。

 

 ヴァナラ達は思わず叫ぶ。

 

「姫様! お逃げください!」

「我々が時間を稼ぎます!」

 

 しかし、ラーマは首を横に振るう。

 大和は冷たい殺気を滲ませながらも、淡々と答えた。

 

「俺はこの森の所有者、九尾の狐「万葉」から羅刹族討滅の依頼を受けた。お前らを害するつもりはない」

 

 その言葉にラーマは大きく息を吐くと、弓をおろし深く頭を下げた。

 

「こちらの不手際か──どうか許していただきたい」

「……」

「この通りだ」

 

 大和は殺気を滲ませながらも、面白そうに顎を擦った。

 

「お前がリーダーか」

「如何にも」

「……ふぅむ」

 

 徐々に殺気が霧散していく。

 大和は柔らかな笑みを浮かべた。

 

「いいぜ、許してやるよ」

「!!」

「誰にだって誤解はある、重要なのはその後だ。お前は誠意を見せた。……十分だぜ」

 

 鷹揚に頷く彼に対し、ラーマは胸を撫で下ろす。

 しかし別の殺気に顔面を蒼白にした。

 

 大和の腕に抱かれている万葉だ。

 彼女は犬歯を剥き出し、呪詛を吐き散らす。

 

「たかが英雄の子孫風情が、大和様に弓矢を向けた挙げ句に許してくれ──とな? 傲慢傲慢。まさかこのような所で狂おしいほどの殺意を抱くことになるとは……。何様じゃ貴様ら。ここの正式な所有者である妾の前で、ようもそのような振る舞いが出来たものじゃ。……根切りじゃ、今すぐそこに並べい。その素っ首消し飛ばしてくれるわ」

 

 濃密すぎる殺気はラーマ達に明確な死のイメージをもたらした。

 

 嘗て世界中の神仏達を恐れ戦かせた稀代の大化生。

 妖魔の女王たるその魔気に、一同は死を覚悟した。

 

 しかしその頭が乱雑に撫でられる。

 大和だった。

 

「そうカッカすんな、許してやれよ」

「……しかし」

「俺が許したんだ」

「…………」

 

 万葉はむすっと頬を膨らませると、そっぽを向く。

 

「大和様は最近甘い、まったく……」

「ククク、あとでいっぱい慰めてやるからよ」

「ふんっ」

 

 不服そうにしながらも、九本の尾ははち切れんばかりに振られている。

 

 ラーマ達は安堵する。

 彼女達は誰でもない、暗黒のメシアに救われたのだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は仕事を終えると万葉と一旦別れ、ヴァナラ族の都キシュキンダーを訪れた。

 

 キシュキンダーは次元の狭間に近い場所にあり、数多の宝石で美しく彩られている。

 頭上で輝く擬似的な日輪は炎神アグニの権能。

 故に別次元でありながら昼夜の概念が存在している。

 

 大和はキシュキンダーの王城に「恩人」として招待されていた。

 最も、歓迎しているのはラーマだけでありヴァナラ族や聖仙達は激しく警戒しているが……

 彼らは有事の際すぐに対応できるよう身体を強張らせていた。

 

 インドの名産品で作られた美食、霊薬ソーマを混ぜて製造された美酒。

 それらが全て台無しになっている。

 

 踊り子の天女達も怯えているので、主催者であるラーマは頭を抱えた。

 

「私以外は全員出ていけ。無礼にも程がある」

「なりません! 姫様!」

「このような化け物と二人きりなど!」

「黙れ、この恥知らずどもめ。今お前達は私の顔に泥を塗りたくっているのだぞ」

 

 激情を露わにしたラーマに、臣下達は何も言えなくなる。

 

「こちらの不手際を寛容に許していただき、尚且つ聖域で暴れ回っていた羅刹族を瞬く間に討滅していただいた。だと言うのに貴様らは……「怪物」だ「魔人」だなどと……それが恩人に対する態度か!! 恥を知れ!!」

「しかし姫様!」

「この男は本当に危険なのです!」

「私に同じことを二度言わせるつもりか!!」

「「「「……」」」」

「出ていけ。追って処分を言い渡す」

 

 臣下達は納得できないと言った表情をしつつも、広間を後にした。

 彼等の気配が消えたことを確認したラーマは、大和の元まで赴き片膝をつく。

 

「臣下達の無礼、どうか許していただきたい。まさかあそこまで露骨な態度をされるとは思ってもいなかった」

 

 心からの謝罪に対して、大和はヒラヒラと手を振るう。

 まるで気にしていない様子だった。

 

「いいんだよ、俺に対する神仏や精霊の態度なんてあんなもんだろ」

 

 むしろ──そう言って大和はラーマの薔薇色の瞳を覗く。

 

「お前の対応の方が違和感あってなぁ……何か目論みでもあんのか?」

「恩人に対する当然の対応をしたまで。貴方が怪物であろうが魔人であろうが、私達の恩人には変わりない」

「クククッ……そういうところは爺ちゃんそっくりなのな」

「!! ……私が孫である事をご存知だったか」

「雰囲気がな、当時のアイツにそっくりだった。……そうか、お前は孫なのか」

 

 温和な笑みを浮かべる大和。

 ラーマは頬を朱に染めると、キョロキョロと周囲を見渡しはじめた。

 そうして誰もいないことを確認すると、思い切って告げる。

 

「そ、その、大和殿!」

「ん? どした」

「もしよろしければ、あの……!」

 

 ラーマは慌てた様子で異次元の収納ボックスに手を突っ込むと、あるものを取り出す。

 

 それは……色紙とサインペンだった。

 

「私、幼少の頃より貴方のファンなのです! もしよろしければ、サインをください!!」

 

 色紙を押し出され、大和は目をまん丸にした。

 ラーマの行動を予測できなかったのだ。

 何故なら表面上は友好的でも、内心嫌われていると思い込んでいたからである。

 

 ラーマは薔薇色の瞳を潤ませ、大和を見上げた。

 

 

 ◆◆

 

 

 サインを貰ったラーマは飛び跳ねそうな勢いで喜んでいた。

 

「ありがとうございます! 本当に嬉しいです! 一生の宝物にします!」

「…………」

 

 当の大和は微妙な表情をしていた。

 納得できないと言った面持ちだ。

 

「……お前ほどの女王が、何故俺を好きになる? わからねぇな」

 

 彼女は徳のある女王だ。間違いなる正義に属するだろう。

 己とは対極の存在の筈──。

 

 大和の疑問に対して、ラーマは顔を真っ赤にしながら両指を絡める。

 

「確かにキシュキンダーの女王として、貴方を認める訳にはいきません。ですが一人の女として、貴方に恋い焦がれるのはいけない事でしょうか……?」

 

 彼女は腕を振って興奮気味に語りはじめる。

 

「羅刹族すら捩じ伏せる圧倒的な武力! あらゆる学問、歴史に通じる教養! そして天上天下唯我独尊を成す不屈不当の精神力! 全てに於いて尊敬しております!!」

 

 何より──そう言ってラーマは両手で顔を覆う。

 

「時折浮かべる優しい笑みが、その……大好きでっ」

 

 自分で言っていて恥ずかしくなったのだろう、イヤイヤと悶えている。

 

「……ククク、ハハハっ」

 

 大和は思わず笑ってしまった。

 変に勘ぐっていた自分が馬鹿らしいと、自嘲の笑みをこぼしたのだ。

 

「いいぜ、くだらねぇ理由より何百倍もいい。好きって感情に立場も種族も関係ねぇもんな」

 

 大和は妖艶な笑みを浮かべる。

 

「こんなイイ女の想いに気付けねぇなんざ、俺もまだまだだぜ」

 

 そのまま手招きする。

 

「おいで」

「……っ」

「可愛がってやる」

 

 ラーマはおどおどしながも、ゆっくりと大和へ近寄る。

 大和は彼女をふわりと抱き締めると、優しい声音で聞いた。

 

「名前は?」

「クシャナと……申します」

「そうか、いい名前だ」

 

 大和は彼女の紅蓮色の髪を撫でる。

 結い紐をほどき、ハラリと落ちたそれらを指ですく。

 クシャナは蕩けた瞳で大和を見上げた。

 

「お前のような女王に好かれるなんて、男冥利に尽きる」

「ああっ……大和様っ♡」

 

 クシャナは嬉しそうに瞳を潤ませていた。

 戦士らしくも張りのある女体が小刻みに震えている。

 

 大和とクシャナの唇が触れ合う刹那……騒がしい足音が聞こえてくる。

 クシャナは名残惜しそうにしながらも身を離した。

 大和はやれやれと肩を竦める。

 

 同時にヴァナラ族の戦士が入ってきた。

 クシャナは様々な感情を押し殺して、女王として振る舞う。

 

「命令を無視して現れたと言うことは、それ相応の事態があったということでいいのか?」

「ハっ、緊急事態でございます!!」

「わかった。報告しろ」

 

 ヴァナラ族の戦士はその精悍な面を絶望色に染めた。

 

「羅刹王ラーヴァナが復活しました! 現在、数十億からなる軍勢を率いて天界に進行しています! 天地のバランスが崩れ、世界が崩壊するのも時間の問題かと……!」

 

 あまりの内容に絶句するクシャナ。

 大和もまた、事の重大性を理解していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 宴会の間にヴァナラ族と聖仙達が集った。

 女王クシャナは臣下の一人に聞く。

 

「現状は? 我らが大いなる神々はどうしている」

「現在、全戦力を用いて応戦しています。偉大なる三神も前線に出ているとのこと……」

「そうか……偉大なる三神様が動いているのか」

 

 インド神話の頂点に君臨している三神一体の神達。

 破壊神シヴァ。維持神ヴィシュヌ。創造神ブラフマー。

 彼等が動いているのなら、ひとまず安心だ。

 

 しかし敵対勢力も侮れない。

 羅刹族は神格を保有する妖魔──魔神だ。

 他の魔族達とは比べ物にならない。

 その王と配下である魔神達が復活したというのだから、クシャナは不安を拭いきれなかった。

 

「八天衆……最強の武神様方は動いているのか?」

「無論、出動しています。しかしながら……」

 

 言葉を濁らす臣下に、クシャナは苛立ちを覚える。

 

「早急に述べろ、時は一刻を争う」

「はっ、失礼しました! 邪仙、雅貴(まさたか)率いる七魔将が羅刹族に加勢。八天衆を押さえ込んでいます!」

「何だと!?」

「戦況は不利──羅刹王の権能で神々の力が無効化されています。その権能を纏った軍勢は、神々にとって天敵です……!」

「なんということだ……っ」

 

 クシャナは唇を噛み締める。

 今すぐにでも神々の救援に向かいたいところだが、自分達が行っても足手まといにしかならない。

 

 何もできない──

 

 その事実がクシャナと臣下達を悲嘆に暮れさせた。

 しかし、ただ一人──

 

「……!!」

 

 そう。ただ一人、救援に向かえる存在がいる。

 彼は笑いながら告げる。

 

「困ってるみてぇだな。本来なら無視してデスシティに帰るところだか……俺はお前を気に入った、クシャナ。正当な報酬さえ払えば、依頼を受けてやる」

 

 四大終末論を踏破せし世界最強の英雄。

 その片割れである暗黒のメシア──大和は灰色の三白眼を細めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 いち早く反応したのはヴァナラ族だった。

 大和に敵意を剥き出して叫ぶ。

 

「貴様! 姫様に何を求めるつもりだ!!」

「低俗な魔人め! 姫様を穢そうものなら我らが黙って」

 

「喚くなッ!!!!」

 

 怒髪天となったクシャナの叫び声に、臣下達は口をつぐむ。

 

 クシャナは我を忘れそうになりながらも、あくまで冷静に大和に告げる。

 

「大和殿……貴方の武が必要です。私が払えるものなら何でも払いましょう。どうか……我らの世界をお救いくださいっ」

 

 片膝をつき、深く頭を垂れるクシャナ。

 ヴァナラ族らは納得できない様子で唇を噛み締めていた。

 

 大和はやれやれと肩を竦めると、唐突に歩き始める。

 

「宴会だからと呼ばれて来てみれば、罵声を浴びせられ、敵意を向けられる。普段の俺ならその場で皆殺しにしてるところだ」

「……っ」

 

 大和は設けられていた一席に胡座を描くと、金色の杯を掲げる。

 

「だがなぁ……せっかくもてなされたんだ。酒の一杯でも気持ちよく飲みてぇじゃねぇの。……美味い酒とイイ女がいる。後は、わかるな?」

 

 クシャナは無言で立ちあがると、王位の象徴である金色の羽織を脱ぎ捨てた。

 紅蓮色の髪を腰まで下ろし、ただの女となる。

 そうして大和の横につき、酒瓶を手に持った。

 

「お付き合いいたしましょう」

「ありがとうよ」

 

 クシャナはゆっくりと杯に酒を注ぐ。

 大和はそれを静かに呷った。

 

 ヴァナラ族は唖然とした。

 二人だけ、別の空間にいるようだった。

 ただ酒を飲んでいるだけなのに、絵画のように見えてしまう。

 

 淑やかに酒をつぎ足すクシャナ。

 大和は美味そうに酒を飲み干すと、立ち上がった。

 

「さぁて、最高のもてなしをして貰った。お前達の王女は本当にイイ女だ。あまり困らせるなよ?」

 

 通り抜けていく大和に、臣下達は何も言えなかった。

 クシャナは大和の背を見つめ、温かい言葉をかける。

 

「いってらっしゃいませ。また……お供をさせてください」

 

 大和は無言で手をあげ、その場を後にした。

 

 

 ◆◆

 

 

 廊下を歩いていると、狐耳の美少女が壁に寄りかかっていた。

 万葉である。

 彼女は大和の前に立ち塞がると、頬をムスーっと膨らませた。

 

「甘ったるい! どうしたのじゃ大和様!! あんな無礼者ども、皆殺しにすればよかったんじゃ!! この国も滅ぼして、ラーマの孫は犯して侍らせれば良かったんじゃ!!」

 

 妖魔としての本性をあらわにしている彼女に、大和は苦笑をこぼす。

 

「何でだかなぁ……普段はそうするんだろうが、今回はそんな気分じゃなかったんだ」

「気分の問題かえ!?」

「そうさ。……ったく、そうカッカすんなよ。これが終われば一週間はお前の男でいてやる」

「まことかえ!!?」

「ああ」

「くふふーっ♪ ならば特別に許してやろう。あ奴らは大和様の気紛れに感謝すべきじゃて♪」

 

 大和の手に抱きつき、九尾をぶんぶんと振り回す万葉。

 

 大和は穏やかに笑うと、反転して獰猛な笑みを浮かべた。

 

「さぁて……相手は羅刹王とその配下数十億、更に七魔将だ。相手に不足はねぇ。──久々にマジでやるか」

 

 迸る戦気。

 真紅の闘気を滲ませて、大和は王城を後にした。

 

 これより、近年類を見ない最大規模の戦争が始まる。

 その勝敗を決めるのは誰でもない、暗黒のメシアだった。

 

 



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三話「超神話大戦」

 

 

 

 インド神話は邪神群の次に強大な力を持つ神話勢力である。

 理由は世界観の広さと神々の規格外さ。

 特に創造と維持、破壊を司る最高神らは神々の中でも別格の存在。

 その権能、全知全能は三千大千世界──世界そのものにまで及び、森羅万象を掌握するに至る。

 

 星、銀河、宇宙、多次元宇宙、超多次元宇宙、三千世界、そして三千大山世界。

 

 これらを創造し維持させ、最後には破壊する。

 一連のサイクルとして機能させている彼らは森羅万象を「管理する存在」 であり、概念や法則性の外にある。

 

 世界最強の武神集団「八天衆」を保有し、密教道教、神道系との関わりも深い。

 まさしく世界を代表する神話であり、世界という概念そのものだ。

 

 ここに喧嘩を売るということは即ち、世界に喧嘩を売るということである。

 本来であれば勝ち負けの概念など存在せず、敵対者は世界の癌細胞として即刻排除される。

 

 しかし、今回は敵対者の格が違った。

 彼等は世界の理を越えた超越者……

 

 ここに、近年類を見ない最大級の神話大戦が勃発する。

 

 

 ◆◆

 

 

 三千大千世界を無量大数用いて造られた特殊な戦場が展開されていた。

 見渡す限りの広野──しかし抉り飛ばされた地面から覗くのは無限大の宇宙。

 

 この空間でも、気を抜けはアッサリと崩壊してしまう。

 それほどまでに苛烈で、規格外な戦争が繰り広げられていた。

 

 億を越える羅刹族と戦神達の激闘。

 天地を揺るがす咆哮、当たり前の様に繰り出される神域の武。そして砕け散る数百の三千大千世界。

 

 戦士達の戦闘力は平均してSSSランク。

 世界最強の剣士、天下五剣や黄金祭壇の魔導師と同ランクである。

 それらが数十億という単位で闘争を繰り広げているのだ。

 最早次元が違う。

 

 もしもこの場に地球があったのなら、砂利の一粒にもならないだろう。

 地球を内包する三千大千世界で漸くその大きさになるくらいか──

 それでも、戦士達の放つ熱波で一瞬にして融解してしまう。

 

 これぞ神話の闘争──神格同士の戦争である。

 天地神明──創造、破壊の絶え間ないサイクル。

 

 それらを一気に加速させる埒外の存在を忘れてはいけない。

 彼等こそ超越者──理外に到達せし絶対強者である。

 

「神魔必滅・アブソリュート・ゼロ」

「真名解放・聖雷金剛杵(ヴァジュラ・オリジン)

 

 絶対氷結の概念、その全力解放。

 対するは世界最強の武神の神格武装の真名解放。

 

 戦場のど真ん中で発現したそれらは鬩ぎ合い、三千大千世界を数億個破壊できる破滅の光を生み出した。

 数百万の戦士がまるで紙屑の如く吹き飛ばされていく。

 SSSランクの強者達も、彼等の前では形無しだった。

 

 吹き荒ぶ暴風の中で絶対零度の美女──神滅狼フェンリルは高らかに嗤う。

 

「フハハハハ!! いいなぁ全力を出せると言うのは!! 久方ぶりに滾るぞ!!」

 

 青みがかかった銀色の長髪を靡かせ、その背に巨大過ぎるサイクロンを発生させた。

 冷氷と稲妻を孕むソレは存在するだけで特殊構造製の戦場を崩壊させ、次元と空間の境い目を狂わせる。

 

 犬歯を剥き出し、フェンリルは哄笑を上げた。

 

「喜べ!! 貴様らのためにわざわざ魔導を開発してやったぞ!! このサイクロンは神性の宿る総てを凍てつかせ、封殺する!! クハハハ!! 有象無象ごと一掃されてくれるなよ!! 八天衆!!」

 

 荒れ狂う暴風は羅刹族の戦士をも呑み込み、天へと巻き上げる。

 そうして凍てつかせ、その存在を定義する概念ごと封殺した。

 

零式封殺領域(フリードリヒ・イェッケルン)!!」

 

 北欧の古式魔導に精通し、氷結系の概念を掌握しているフェンリルだからこそ編み出せた対神仏確殺魔導領域。

 

 最高神らの加護を賜った戦神達が成す術なく封殺(凍結)されていく。

 大半が生来の神仏であるインド勢力にとって、フェンリルの存在は驚異的だった。

 

 しかし無力化できない。

 帝釈天は天下五剣代表、「剣神」正宗から猛攻を受けている。

 フェンリルを止めるどころか、距離を離されていた。

 

 帝釈天は思わず怒声を上げる。

 

「正宗!! お前ほどの剣豪が……何故だ!! 何故テロリストなんぞに加担する!!」

「ハン、戦場に出てきて何をほざく。世界最強の武神の名が泣くぞ」

「お前なら武の真の意味を理解している筈だ!! 武は暴力じゃねぇ!!」

「二度は言わん、口を閉じろ」

 

 正宗は一旦二刀を納め、抜刀の構えを取る。

 己が両断されるイメージを浮かべた帝釈天は、苦渋に満ちた表情で半身を反らした。

 

「第七秘剣・雲耀(うんよう)

 

 それは無限速すら越えた、文字通り「最速」の抜刀。

 世界最強の武神である帝釈天すら認識できず、最初から避ける動作をしなければ間に合わない世界最速の斬撃。

 

 一拍置いて特大の斬月破が戦場を両断する。

 割れた地盤から覗く無量大数の三千大千世界──

 

 帝釈天は盛大に舌打ちしながらも、笑ってみせた。

 

「この耄碌爺が……おかげで時間は稼げたぜ」

「!!」

 

 正宗は振り返る。

 同時にフェンリルの「零式封殺領域(フリードリヒ・イェッケルン)」が霧散した。

 

 驚くフェンリルに伸びる二つの閃光。

 その正体は斉天大聖、孫悟空と世界最強の女武神、毘沙門天だった。

 

 零式封殺領域の術式を解体した毘沙門天はそのまま両手を合わせて別の方術を発動する。

 その隙をカバーするように孫悟空がフェンリルに突貫した。

 如意金箍棒を両手で受け止めたフェンリルは同時に不覚を悟る。

 

 両サイド、そして背後から三名の武神が姿を現したからだ。

 

 スカンダ。哪吒太子。顕聖二郎真君。

 

 八天衆の豪傑達である。

 毘沙門が転移させてきたのだ。

 フェンリルは思わず笑う。してやられたと──

 

 3方向からの同時攻撃。両手は如意金箍棒で塞がれている。

 外そうとすれば悟空に致命的な隙を与えることになる。

 しかし三名の武神が繰り出す神域を越えた武技を超高密度多重障壁「程度」では防げない。

 

 詰み。

 しかしフェンリルは笑みを絶やさなかった。

 

「であるなら、私も同じ手を使おう」

 

 フェンリルは瞬時に視線で魔方陣を描き出す。

 悟空は不覚を悟り渾身の突きを繰り出すも、大きすぎる手によって止められた。

 

 掴まれた如意金箍棒がびくともしない。

 

 悟空は思わず苦笑し、迫り来る剛拳を両腕でガードした。

 それでも痺れる両腕──ここまでの剛力を誇る猛者は大和とネメア以外で一人しかいない。

 

 怪異の王の中でも特別な存在。

 真の意味での怪異王、剛力無双の魔豪傑。

 

「少し腕が落ちたか、悟空。……己の得物を離してどうする」

「安心しろよ兄妹、俺は素手のほうが強ぇ。知ってんだろう?」

「フフフ……まぁな」

 

 穏やかに笑って黒髪の美丈夫──牛魔王は如意金箍棒を放り投げた。

 

 他の武神達は別の七魔将が対応している。

 

 天空神、ゼウス。

 魔戦姫、バロール。

 剣神、正宗。

 

 双方、一旦距離を空ける。

 帝釈天はチラリと辺りを確認した。

 戦闘の余波だけで戦場が崩壊しつつある。

 無量大数の三千大千世界で形成された戦場が、だ。

 

 苦渋に満ちた表情をする。

 相手は全く手加減していない。

 正真正銘、全力で来ている。

 

 故に生半可な力では止められない。自分達も全力を出さなければならない。

 しかし、それでは戦場を維持しているヴィシュヌらがもたない。

 

「帝釈天──総力戦だ。深く考えずに全力を出せ」

「俺達は理を護る武神──やることは一つだろ?」

 

 毘沙門天と孫悟空に窘められ、帝釈天はゆっくりと頷く。

 そして総身から黄金の神雷を迸らせた。

 

「すまねぇヴィシュヌ……もう少しだけ保たせてくれ」

 

 短期決戦、それしかない。

 八天衆は全力を以て突貫した。

 

 七魔将もそれぞれの得物を携える。

 そうして、お互い相対すべき相手と矛を交えた。

 

 

 ◆◆

 

 

 所変わって羅刹族の陣営にて。

 戦場を一望できる丘の上に、真紅の髪を靡かせる戦士達が集っていた。

 

 彼等は最上位の羅刹。

 百戦練磨の豪傑達である。

 

 羅刹族は戦闘力が高い者ほど髪が赤い。

 真紅の髪は最上位の証である。

 

 彼らは不満そうにしていた。

 王である金眼の美男も、玉座で暇そうに足を組んでいる。

 

 横に控えていた邪仙──雅貴は苦笑をこぼした。

 

「退屈そうに見える……いいや、実際に退屈なのだろう。誠に申し訳ない、ラーヴァナ殿。我等だけが楽しんでしまって」

 

 その言葉に羅刹達は殺気を迸らせるが、王が手を上げることで静まる。

 

 黄金の装飾が施された戦闘装束。

 戦士として完成した長身痩躯の肉体に美神もたじろぐ美貌。

 戦士の風格と王の威風を同時に纏った美魔神は、やれやれと溜め息を吐いた。

 

「貴様の言う通りだよ、邪なる仙人よ。盟約とは言え、我々の生き甲斐を奪うとは……全く度しがたい」

 

 声すら美しいのだが、彼は闘争のみを生き甲斐とする戦闘種族、その王である。

 

 雅貴は深く頭を下げ、それでも嘯いてみせた。

 

「盟約を守っていただき、感謝の念に尽きるよ。同胞達も喜んでいる。久々に全力を出せている様でね」

「それはそうだろう。貴様の同胞──あれらは理外の存在だ。今の時代では超越者……だったか? 同情すら覚えるよ。退屈だったろうに……。あれらの気持ちがよくわかる。だからこそ、我々は堪えているのだ」

 

 この世界は、あまりに狭すぎる。

 そう羅刹王は漏らした。

 

「神々が雑種共に世界の尺を合わせたせいで、我々は永久の退屈に苛まれる事となった。……理を越えた存在にとって、この世界は酷く退屈だ」

「それは、貴殿らが闘争にしか生き甲斐を感じられないからではないかな?」

「……フフフ」

 

 周囲の羅刹達が激昂する前に、ラーヴァナの苦笑が響き渡った。

 

「確かに我らには闘争しかない。──であれば、貴様らには何か別の愉悦があるとでも?」

「ああ、あるとも。闘争、殺戮。それらは愉悦のほんの一部でしかない」

「ほぅ、詳しく聞かせよ」

 

 ラーヴァナが耳を傾けたその時、堕天使の長の可憐な声が響き渡る。

 

『雅貴、一発大きいの放つけど、いいよね?』

「ああ……構わんともウリエル殿。存分に発散するといい」

『ならお言葉に甘えて』

 

 羅刹族の陣営とは反対側で、極大の焔と純エーテルが解放された。

 彼女こそ元、四大熾天使にして天使の超越者。

 七魔将随一の火力を誇る破滅の堕天使──ウリエルである。

 

「さぁて……一発、スッキリするのいくよ♪」

 

 お茶目に笑いながら展開したのは長大なビームライフル。

 彼女が誇る超次元兵装の一つ「シャイニング・スフィア」。

 

 ものの三秒でチャージを終わらせ、放つのは終幕の劫火。

 銃口の奥で輝く橙色の煌めきは無量大数の三千世界を圧縮することで生まれた極大の破滅エネルギーだ。

 

 ウリエルは照準を天界のど真ん中に定めると、超高密度多重障壁「天使の羽衣(エンジェル・ベール)」を展開し反動抑制に用いる。

 同時に三対六翼の機械式ブースターを起動、更に安定性を高める。

 

 そうして放たれる滅却光線。

 射線上にある全てを融解させ、天界へと一直線に伸びていく。

 

 しかし神々側もしっかりと迎撃する。

 破壊神シヴァの神格武装「トリシューラ」が発現。同熱量とはいかないまでも三本の極太光線がウリエルの一撃を相殺した。

 

 戦場全体に暴風が吹き抜けるものの、ウリエルはクスクスと笑っている。

 

「そんなものかい破壊神さん? 僕はまだまだいけるよ。隠れてないで出ておいでよ」

 

 この挑発に、シヴァは乗らない。

 己が役割を理解しているからだ。

 ウリエルはやれやれと肩を竦める。

 

 違う場所では、邪龍王ヒュドラと狂乱の戦女神カーリーが壮絶な殺し合いを展開していた。

 互いに一歩も引かず、高笑いしながら引き裂きあっている。

 頭のネジが外れた者同士、心底楽しんでいる様に見えた。

 

 それらに羨望の眼差しを向けながら、羅刹王は雅貴に問い直す。

 

「先程の問いの続きだ。貴様は闘争以外に愉悦を見出だせると言ったな。それは何だ?」

「いや、戦闘民族である貴殿らには不粋な投げかけだった。許されよ」

「ほお」

「しかし、そういう輩がいるということを貴殿らは誰よりも理解している筈だ。…… 貴殿らを封印した英雄は、闘争に酔っていたかな?」

「……なるほど」

 

 ラーヴァナは笑う。周囲の羅刹達もだ。

 彼らは永遠の好敵手を思い出したのだ。

 

「わかるぞ……貴様は語りかけるのが巧いな。しかし、やきもきとさせてくれる……思い出してしまっては、恋しくなるだろうが」

 

 人類の極致たる闇の英雄王に思い馳せる彼らに、雅貴は満面の笑みを向ける。

 

「安心なされよ。貴殿らの好敵手は必ず来る。必ずだ」

「……根拠は?」

「彼は今でも救い続けているのだよ、世界を。己のエゴを貫くその過程で。──故に必ず引き寄せられる。我々にとってどうでもいい理由でも、暗黒のメシアは必ず世界の危機に参上する」

 

 雅貴が宣言した直後である。

 極大の生命力を持った何かが天界陣営の前に降り立ったのは。

 

 彼こそ武術家の元祖にして極致。無敵にして最強の殺し屋。

 

 羅刹王は歓喜のあまり立ち上がる。

 そして歓迎する様に両手を広げた。

 

 

「待っていたよ、我等が好敵手──暗黒のメシア」

 

 



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四話「一撃必殺」

 

 

 褐色肌の体躯は神仏すら恐れ慄く超暴力の体現。

 灰色の三白眼、その奥に揺らめく殺意は人類の(カルマ)そのもの。

 

 暗黒のメシアは戦場の空気を目一杯吸い込んだ。

 そして大きく息を吐き、傍に居た帝釈天に告げる。

 

「五分で終わらす。……それまで持ちこたえろ」

「ッ」

 

 帝釈天は息を飲んだ。

 大和は両手に薙刀と十文字槍を携え、深く身を屈める。

 

 帝釈天は戦場に存在する全ての味方に叫んだ。

 焦燥に駆られるままに──

 

「お前達!! 前線を空けろ!! コイツはマジだ!! ……マジで五分で終わらせる!!」

 

 戦慄、奔る。

 刹那、莫大過ぎる真紅の闘気が解放された。

 

 あらゆる権能・性質・能力・術式・魔法を無効化する闘気術。

 

 まずは羅刹王ラーヴァナと維持神ヴィシュヌの権能が無効化される。

 それによって前線に出ている羅刹と武神達が加護を失った。

 

「フハハハハ!! 刮目せよ神仏ども!! 奴こそ暴力の権化!! 史上最強の益荒男だ!!」

 

 神滅狼フェンリルが嬉々として叫ぶ。

 大和は地面を粉砕し、駆けた。

 

 始まる。

 世界最強の暴力による蹂躙が──

 

 

 ◆◆

 

 

 暴力──そう、ただの暴力だ。

 酷く稚拙で、単純に過ぎる。

 

 しかし、世界最強の武術家が振るえばどうなるのか──

 

 一同は思い知る事となる。

 暴力は、この階梯まで登り詰める事ができるのだ。

 

「クハハハハ!! ハーッハッハッハ!!」

 

 駆ける、ただそれだけで特殊構造製の戦場が崩壊していく。

 無量大数の三千大千世界がその規格外の運動エネルギーに耐えきれないのだ。

 

 手中にある得物が振るわれれば、まるで紙屑の様に羅刹達が吹き飛んでいく。

 武神達は渦中から逃げる事で精一杯だった。

 

 暴虐星、破軍。

 仙人達の間で囁かれている大和の二つ名である。

 

 駆けている。ただ真っ直ぐに

 眼前数多を蹴散らしながら──。

 

 天下無双、古今独歩。

 一騎当千、百戦練磨。

 

 世界最強の武術家が齎す暴力は、ただただ規格外だった。

 今まで優勢だった羅刹族が一気に劣勢に陥る。

 

 天地が裂け、空前絶後の衝撃波が生まれる。

 数十億からなる羅刹の軍勢が瓦解していく。

 

 流石の七魔将、八天衆も慌てていた。

 

「フハハ!! 大和め!! この大馬鹿者が!! 久方ぶりに本気を出しおって!! いいぞもっとやれ!! インドの木偶どもに貴様の力を見せつけてやれぇ!!」

「フェンリル!! 引くぞ!! 俺達も巻き込まれる!!」

 

 狂喜乱舞しているフェンリルを無理矢理引っ張って戦線離脱する牛魔王。

 孫悟空も筋斗雲に乗って撤退していた。

 

「兄貴……っ」

 

 愛しき兄貴分に思うところはあるが、己の立場を弁え現場を離れる。

 

 その他の者も戦闘を一時中断、超暴力の渦から逃れていた。

 

 一方、遠くから好敵手の姿を確認していた羅刹王は歓喜で打ち震えている。

 

「邪なる仙人よ……盟約の件についてだか」

 

 震えるその言葉に、雅貴は口元を緩める。

 

「安心なされよ、盟約の内容は「神々と戦う際に控えて貰うこと」。暗黒のメシアは対象外だ」

「……!」

「行かれよ、そして存分に暴れてくるといい。……貴殿らにしか、あの男の相手は務まらない」

「……感謝するぞ、雅貴」

 

 初めて雅貴の名を呼んだラーヴァナは、今か今かと命令を待っている最上位羅刹達に告げた。

 

「喜べ貴様ら!! 好敵手の登場だ!! 我等を縛るものは何もない!! ……存分に暴れてこい!! 長年の鬱屈を晴らす時ぞ!!」

「「「「「応!!!!」」」」」

 

 嬉々として丘の上から飛び降りる戦士達。

 ラーヴァナもまた、昂る気を抑えきれずに愛刀である超大剣を携えていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は標的であるラーヴァナを遠くから見据えていた。

 同時に悟る。

 最上位の羅刹達が動いた事を……

 

 思わず獰猛な笑みをこぼす。

 

「いいぜ……纏めてぶっ殺してやる」

 

 大和はシンボルである真紅のマントを脱ぎ捨て、灰色の三白眼をドス黒く染め上げた。

 

 静電気にも似た直感が八天衆と七魔将に奔る。

 それは本能的な恐怖……意思を持つものならば必ず持つ、危機管理能力だった。

 

「まさか……!! 兄貴、それは駄目だ!!」

 

 孫悟空が叫び、止めに行こうとする。

 しかし可憐な声によって遮られた。

 

「お主に止める権利など無かろう、斉天大聖」

「!! ……お前はっ」

 

 悟空の後ろにいたのは、見目麗しい狐耳の美少女だった。

 万葉(かずは)──彼女はたっぷりの嫌味を込めて言う。

 

「弟子としても女としても見限られた主が、あの方になんと言葉をかける? 何も無かろう。その口から出る言葉は全て軽い。……偽善者め、そこで大人しく見ておれ」

「……ッッ」

 

 悟空は唇を噛み締める。

 万葉はやれやれと肩を竦めると、一転して蕩けた笑みを浮かべた。

 鬼神に変貌しつつある彼へ、慰めの言葉をかける。

 

「皆勘違いしておるのじゃ、貴方様が現状に満足していると──。誰よりも憤っておる。窮屈で、理不尽なこの世界に。……全力で暴力を振るえるこの機会、見逃す道理など無いよなぁ……大和様っ」

 

 刹那、真紅の業雷が降り注ぐ。

 莫大な水蒸気を撒き散らして現れたのは──本当の意味での怪物だった。

 

 縦に避けた瞳孔、赤銅色に染まった褐色肌。

 眉間には何十本もの皺が刻まれ、脈打つ血管は鼻の頭まで及んでいる。

 

 髪紐が解け、艶やかだった黒髪が戦慄き上がる。

 一回り膨張した筋肉によって上半身の衣服は弾け飛び、その身に刻まれた幾千の古傷が浮かび上がった。

 

 五行の法則から成り立つ唯我独尊流、火の型。

「修羅転身」

 

 その詳細は肉体の崩壊を抑えるためにかかっている脳のリミッターを解除し潜在能力を解放する、いわゆる「火事場の馬鹿力」だった。

 

 人間は普段、二割ほどの力しか出せない。

 余分な力で肉体や神経の損傷を防ぐためだ。

 

 このリミッターを意図的に外すことが「修羅転身」の全容である。

 

 日々、鍛練と実戦で限界まで身体を鍛え込んでいる大和はこの技を「ほぼ」ノーリスクで発動できた。

 

 ……考えてみてほしい。

 普段から強敵達を腕力だけで蹴散らしている男が、その潜在能力を100パーセント引き出したら。

 

 答えは、無敵。

 

 

『────────────ッッッッ!!!!!』

 

 

 極大咆哮。

 憤怒と憎悪を伴ったソレは無量大数の三千大千世界と共鳴し、一切合切を無に還す衝撃波となった。

 

 特殊構造製の戦場が完全に崩壊し、ヴィシュヌが耐えきれずに気を失う。

 すかさずシヴァとブラフマーがフォローに入ったが、それでも間に合わない。

 八天衆、更には他勢力の創造神らが加勢し、なんとか戦場を保たせる。

 

 危うく地球に余波が行き届き、太陽系ごと塵に還ってしまうところだった。

 

 ただの咆哮でこれである。

 今ので無量大数の三千大千世界が破壊された。

 

 そんなのお構いなしに、大和は今の衝撃を耐えてみせた最上位羅刹達を睨み付ける。

 

『他のカス共は耐えられなかったみてぇだが……そうだよなぁ、テメェ等なら耐えるよなぁ。だったらコレだ……』

 

 大和は右手を握り締める。

 そして渾身の闘気を込め始めた。

 

 七魔将の正宗とゼウスは瞠目する。

 あの技は唯我独尊流、陽の型「天中殺(てんちゅうさつ)」。

 

 しかし前回の比ではない。

 大和の拳に収束されていく闘気は輝きを伴い更に質量を上げていく。

 それでも拳に収まりきれないオーラは戦場の半分を覆い尽くした。

 

 大和は嗤う。

 

『マジで殴ったら世界がどうなるのか……試してみたかったんだ。今の俺がどんだけの階梯にいるのか……知るいい機会だ』

 

 大和は大きく拳を振りかぶる。

 肩、腰、足、のみならず全身の筋肉繊維、関節、骨格を引き絞る。

 そうして溜まりに溜まった鬱憤と共に右拳を振り抜いた。

 

 瞬間、世界が紅蓮色に包まれる。

 目の前にいた最上位羅刹とラーヴァナはその光に飲みこまれていった。

 

 七魔将の面々は思わず叫ぶ。

 

「オイオイオイ!! マジかよ!!?」

「まさかこれほどとは……」

「大和の馬鹿! 少しは手加減ってやつをね!」

「フフフ……やはり貴様は最強の男だ!! 大和!!」

 

 流石の万葉も泣き叫んだ。

 

「大和さまぁぁん!! 鬱憤晴らしはいいのじゃが、これは流石にやり過ぎじゃぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 無量大数以上の三千大千世界を破壊し、行き着くのは無限のその先──

 無限数の三千大千世界で構成された、未だ手付かずの世界。

 

 虚無空間。

 

 ここまで到達しても尚、紅蓮の閃光は止まらない。

 無限数の虚無空間を破壊していく。

 

 そうして辿り着く。

 世界の最果て──終点へと。

 無限数の虚無空間を内包した最上位の世界に、彼は踏み込んだのだ。

 拳一つで。

 

 

『真極・天中殺』

 

 

 あまりに規格外な威力に、インド勢力のみならず七魔将、万葉。更には邪神群の外なる神達が手を貸す。

 

 世界の真理に到達した極限の一撃は、後の世に多大な影響を及ぼす事となった。

 彼は、新たな「最強」の道を示したのだ。

 

 当の本人はスッキリしたのだろう、ゲラゲラと笑っていた。

 

 彼こそ幕引きの英雄──

 デウス・エクス・マキナである。

 



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五話「甘酒と不穏な影」

 

 

 インド勢力と羅刹族の大戦争は、暗黒のメシアの暴力によって無理矢理収束した。

 神々を含めた世界中の強者達は強制終焉、幕引きの一撃の真の威力を目の当たりにしたのである。

 

 羅刹王ラーヴァナと最上位羅刹達は消滅こそ免れたものの、重症を負いあえなく封印された。

 しかし何名か、高名な羅刹が封印から逃れた。

 そちらは神々の方で捜索している。

 

 雅貴含めた七魔将は混乱に乗じて速やかに撤収。

 神々は追跡部隊を派遣したが、間もなく消息を絶ったため諦めた。

 

 大和と万葉もまた速やかに撤収。

 怒れる神々は同じく追跡部隊を派遣しようとしたが、八天衆に止められ渋々諦めた。

 

 こうして、インド神話を揺るがす大戦争は終わりを迎えたのである。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔界都市デスシティは何時もの営みを繰り広げていた。

 夜に栄え、犯罪が横行し、大金が生まれ、欲望が満たされる。

 数多の悲哀、怨嗟を無かった事にするように七色のネオンは魔性の輝きを放っていた。

 

 所変わって裏路地のアパートの一室で。

 傾世の美貌を誇る魔女は暗黒のメシアの晩酌に付き添っていた。

 その逞しい腕に寄りかかり、深紅の盃に美酒を継ぎ足している。

 

「気に食わんのぅ……クシャナ、じゃったか。あの娘、いっぱしに女を気取りおって」

「ククク、確かに「今のお前」と比べると、可哀想になるな」

 

 苦笑する大和。

 カーテンから漏れた人工光に照らし出されたのは、恐怖を抱かせるほど美しい妖美姫であった。

 

 どのような美的感覚を持とうとも、彼女を美しいと思ってしまう。

 それほどまでの力がある。

 能力や技術ではない、彼女は美の概念そのものだった。

 

 容姿が十代から二十歳に変わるだけで、ここまで違うものか……

 ハイエルフや美の女神が霞んでしまう。

 隣にいる大和の魔性の色香すらも打ち消していた。

 

 まさしく美の極致──

 

 着崩した浴衣から鎖骨を覗かせ、しかし万葉は酷く不機嫌そうに告げる。

 

「あのような男も知らぬ生娘と比べないでくださいまし」

「比べてなんかいねぇさ。アイツもアイツで美しいが──比べる対象が悪すぎる」

「フフフ……貴方様の言葉は心地よい。嘘偽りがなく、透き通っておる」

 

 こてんと、その肩に頭を乗せる万葉。

 大和は微笑みながらその狐耳を撫で上げた。

 

 雄であれば金縛りにあってしまうほどの「美」。

 これを前にしても大和は平然としていた。

 

 理由は、見てきたからだ。

 万葉がこの境地に辿り着くまでの軌跡を。

 彼女も同じく見てきた。

 大和が暗黒のメシアと呼ばれるまでに辿った軌跡を──

 

 故に、二名の間に他者が割り込む余地はない。

 その絆は山より高く、海よりも深い。

 別格だった。

 

「……」

 

 大和は盃に揺蕩う水面を見つめている。

 何か思っているのだろう。

 万葉はやれやれと肩を竦めた。

 

「似ていたか? あの娘と、昔の妾が」

「……」

「そういう顔をしておった」

 

 悪戯っぽく笑う万葉に、大和は静かに頷いた。

 

「フフフ、そうか……ふぅむ、成る程」

 

 怒りはない。

 万葉は大和の下顎をすりすりと撫でる。

 

「妾にもあのような未熟な時期があった。故に思う……貴方様は変わらない。昔のままじゃ」

 

 万葉は遠い過去を振りかえる。

 

「変化の術もロクにできなかった妾を、当時の貴方様は可愛がってくれた。……嬉しかった、今でも鮮明に覚えておる。今の妾があるのは、貴方様のおかげじゃ」

「お前自身の努力の賜物だろう」

「努力しよう、そう思わせてくれたのは貴方様じゃ」

「……」

「振り向いてもらいたい、認めてもらいたい。そう思うて必死に努力していたら……フフフ、今や妖魔の王の一角じゃ」

「……」

 

 大和は微妙な表情をする。

 万葉は苦笑すると、空になった盃に美酒を継ぎ足した。

 そして優しく告げる。

 

「あの娘も一緒じゃ。貴方様に憧れ、努力しておる。じゃから……今度会った時は、可愛がってやってくれ」

 

 大和は目を丸めた。

 意外だったのだろう。

 

 万葉は彼の手を取る。

 そして細い指を絡めた。

 

「しかしそれはそれ、これはこれじゃ。今は貴方様を独占したい……妾だけを見てくれ」

 

 大和は微笑み、万葉の桜色の唇を奪う。

 浅いキスを終えた後、万葉は曙光の様な笑みをこぼした。

 

「愛しておるよ、大和様……これからも、ずっと」

 

 摩天楼の喧騒は遠く、二人の愛は更に深まるばかりだった。

 

 

 ◆◆

 

 

「八天衆の追跡をまいていただき、感謝の念に尽きません」

「いやなに、君が勧誘に乗ってくれたからだよ。これからは同士だ、よろしく頼むよ……インドラジット殿」

「それは通称です。本名はメーガナーダといいます」

「おっと失礼、そちらの名があまりにも有名なものでね。何せあのインドラを降した事がある羅刹族最強の戦士だ。神話を生きた者ならばその武勇、必ず知っている」

「それを言うなら貴女の悪名も大概でしょう……『解脱者』殿」

「今はシィナ・ミナクリスと名乗っている。故にシィナと気軽に呼んでくれ」

「ではシィナ殿、貴女が首領を務めるこの組織……テロ組織「リベリオン」でしたか? 最終的な目的は何ですか?」

「そんなものないよ」

 

「……は?」

 

「いいや、正確にはあるんだが……君には関係のない話だ」

「ほう」

「この組織は数多の種族で構成されている。まずは内部を見て回るといい。私の目論見が知りたいのなら、後で話そう」

「約束ですよ」

「ああ、約束だ。……君の働きに、これから期待しているよ」

「やるべきことはやりますよ」

 

 

「フフフ……然るべき時に知らしめようじゃないか、世界に。我々リベリオンの存在を」

 

 

 

《完》



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外伝 世界最強の請負人
外伝始動


 

 

 

 魔界都市の瘴気は重く、濃く、そして生臭い。

 内臓が弱い者なら呼吸をしただけで重い病を患ってしまうだろう。

 

 時間帯は夜、魔界都市が最も栄える刻である。

 

 七色のネオンと喧噪が遠く思える、中央区の裏路地にて。

 見目麗しい美少女が駆けていた。

 無理矢理引き裂かれたであろう上着、そこからこぼれそうな乳房を片手で隠している。

 

 彼女は最低限の羞恥心を残し、懸命に走っていた。

 何者かに追われているのだろう。

 その服装から鑑みるに、何をされそうになったかは想像し難くない。

 

 ここは、あらゆる犯罪がまかり通る魔界都市なのだから。

 

「あぅ!」

 

 曲がり角で何者かとぶつかり、尻餅をついてしまう美少女。

 あわあわと視線を上げれば、次の瞬間忘我の彼方を彷徨った。

 

 長身痩躯の美青年。

 艶黒の長髪に覆われた半顔は天使を彷彿とさせるほど美しい。

 自ら光を放つきめ細かな白肌、伏し目がちの切れ長な目。

 美女と言っても十分通用する。

 

 漆黒色のケープコートには無数の鋲が打ち込んであり、足首まで届くほど長い。

 分厚い靴底のコンバットブーツは履き込まれており、淑やかな光沢を放っていた。

 

 虚無を感じさせる灰色の瞳、優美なラインを描く鼻梁。

 朱を引いた様な紅く薄い唇は、同性であろうとも惹かれてしまう。

 

 埒外の美貌を前に、美少女は思わず陶然としてしまった。

 後を追ってきたチンピラ達も同じように陶然としてしまう。

 

 数十秒もの間を置き、ハッと気を取り直したチンピラ達。その内の一人が凄んでみせるものの、顔は真っ赤だった。

 

「おうおう色男。邪魔すんなよ。俺たちはそこの姉ちゃんと大事な話があんだ……失せろ」

「た、助けて下さい! この人達、私を無理やり……」

 

 駆け寄った少女は間近で見てしまった。

 青年の、神が細工したも同然の美顔を──

 

 立ち尽くす彼女に、青年は全く興味ないのか、そのまま立ち去ろうとする。

 

 しかしその靴先で火花が散った。

 男の手の中で、魔改造された巨大マグナムが硝煙を吐いていた。

 

「無視してんじゃねぇよ、この野郎。……へへへ、綺麗な顔してんじゃねぇの。いいねぇ、さぞかしケツの方も締まりが……グエ!?」

 

 突然、男が苦しみ出した。

 何も無い筈なのに首元を掻きむしっている。

 

「あ、アニキ!! どうしたんでさぁ!?」

 

 周りのチンピラ達が狼狽えはじめる。

 男は一人顔面を蒼白にしている。

 靴先が辛うじて地に触れていた。

 

 まるで、見えない糸にでも吊り上げられているかのような……

 

 口から泡を吹き出し、完全に呼吸困難に陥った男。失神すると同時に地面に倒れこむ。

 

 青年はゆっくりと、他のチンピラ達を見つめた。

 彼らは兄貴分を担ぐと、這々の体で逃げ出す。

 

「お、覚えてやがれー!!」

 

 声はかなり遠くから聞こえてきた。

 ここで漸く自分を取り戻した少女は、距離を置いて礼を言う。

 

「あの……ありがとうこざいます。おかげで助かりました。その、お名前だけでも……っ」

 

 青年は無視して歩きはじめる。

 背に熱い眼差しを向けられるが、何も応えない。

 

「……もうゲートにいる頃か」

 

 腕時計を確認し、独りささやく。

 その声すらも美しい。

 

 長い前髪がふわりと靡く。

 顔立ちは違えど、異性を駄目にする魔性の色香は誰かに似ていた。

 

 その灰色の瞳も、また。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の中心地にある大衆酒場、ゲートは今日も繁盛していた。

 ウェスタン風の粋な店内にはあらりとあらゆる種族が集っている。

 彼等は一様にリラックスしていた。

 

 ここでは物騒な事が何も起こらない。

 そう、何も。

 

 何故なら、世界最強の傭兵がオーナーを務めているからだ。

 

 金髪を刈り上げた偉丈夫、ネメアはセブンスターをふかしながら新聞を読んでいた。

 

「今日は平和な一日だった」と思いつつ、目の前のカウンターに座っている大男を見つめる。

 

 褐色肌の美丈夫。

 大柄ながらも限界まで絞り込まれた、戦闘に於いて最適の肉体。

 白と黒の着物、その上から羽織られた真紅のマント。

 野性的ながらも妖艶な顔立ち。

 

 灰色の三白眼を細めながら彼──大和はラッキーストライクを旨そうに吸っていた。

 

 ネメアは何気なく言う。

 

「珍しいじゃないか、女を連れてないなんて」

「ああ?」

 

 野太くも艶やかな声。

 陶然とする女達がいる中、大和はニッと笑う。

 

「久々に会いてぇ奴がいるんだよ。最近どんな感じかって」

「お前が世話を焼くということは、弟子か?」

「半分正解だな。弟子兼──息子だ」

 

 その発言に、聞き耳を立てていた客人達が驚愕する。

 ある者はグラスを落としてしまった。

 

 静寂に包まれた店内を一瞥し、ネメアはやれやれと肩を竦める。

 

十六夜(いざよい)か」

「おうさ。最近請負人なんて仕事しだしたから、調子を聞きたくてよ。まぁ、上手くいってんだろうが……」

「心配無いだろう、あの子に関しては」

「そうさな、何せアイツは──」

 

 俺と氷雨の息子だからな。

 そう言った瞬間、店内はパニック状態となった。

 

 世界最強の殺し屋であり武術家、暗黒のメシアこと大和と『調停者』の異名を持つ世界最強の異能力者、文明の破壊者としても知られる女傑、氷雨との息子。

 

 彼の名前は十六夜。

 世界最強の請負人であり、世界最強の両親を持つ生まれながらの超越者である。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和はグラスにブラックラムを注ぎながら、上機嫌に笑った。

 

「戦闘技術の基本は俺が、異能術式の扱い方は氷雨が教えた。あとはアラクネから鋼糸術の秘奥を、天道からは勁力の発露を、それぞれ伝授されてる。同世代じゃ敵なしだな。……まぁ、若い世代を含めればユリウスがいるが」

「邪神群の皇子、まだ若いとはいえ邪神の超越者と比べてやるな。いや……、比べられる十六夜も十六夜なのか?」

「戦闘技術、経験を抜かしたら七魔将や八天衆に比肩するからな」

 

 大和は嬉しそうだった。

 自慢の息子の話をしている父親そのものであり、ネメアは思わず微笑んでしまう。

 同時に、他の子供達にもそれくらい愛情を持ってやれればと苦笑を浮かべた。

 

 大和は、不意にあくどい笑みを浮かべる。

 

「今度ユリウスと一緒に仕事させるか、面白そうだ」

「……相性は良くないだろう。二人とも本質が全く異なる」

「だからこそだ、面白いことになる」

「……はぁ」

 

 ネメアは呆れて溜め息を吐く。

 すると、丁度良く現れた。

 

 ウェスタンドアを開けて、件の青年が入ってくる。

 客人──特に女達は、そのあまりの美貌に固まってしまった。

 大和とは違う、しかし極限に位置する美──

 

 例えるならそう、月だ。

 魔界都市に無い筈の月。

 

 客人達は彼──十六夜の一挙一動から目を離せないでいた。

 大和の横に腰かけた彼はその冷たい美顔をふわりと緩める。

 

「お久しぶりです、父上。ネメアさんも」

「おう」

「久しぶりだな、何か飲むか?」

「では、ホットミルクを」

「わかった」

 

 厨房へ入っていったネメアの背を見送り、大和は喉を鳴らす。

 

「可愛い注文じゃねぇの。酒飲まないのか?」

「あまり。酔って手先が狂ってしまったら本末転倒ですから」

「真面目すぎんだよ」

「貴方が適当なだけです」

「何をぅ?」

「フフ」

 

 微かに、されど面白そうに笑う十六夜。

 その笑顔の破壊力は凄まじく、店内の女達は揃って熱い溜め息を吐いた。

 

 大和は紫煙を吐き出しながら聞く。

 

「最近どうだ?」

「ええ、ようやく安定してきましたよ。最初は依頼を貰えなくて苦労しました」

「最初なんてそんなもんだろ」

「貴方の悪名が中々にネックでしてね。信頼を勝ち取るまで時間がかかった」

「クハハ! そうか! そりゃまた! それぁ俺の餓鬼として生まれた宿命だ! 諦めろ!」

「ええ、諦めていますとも」

 

 大和はゲラゲラ笑いながら、それでも十六夜を褒める。

 

「噂は聞いてるぜ、神仏や精霊からも仕事を請け負ってるんだってな。俺の身内でそこまで交遊関係を広げられたのは、お前が初めてだ」

「信頼は努力で勝ち得ることができます。信頼は……ね」

「そうさな。……ま、程々に頑張れよ」

「ありがとうございます」

 

 そうこうしている内にネメアが戻ってくる。

 渡されたホットミルクを口に含みながら、十六夜は話し始めた。

 

「直近の依頼を帝釈天さんからいただきました。……話を聞けば、身内に貴方の息子がいるらしいじゃないですか」

「あ? んー? ……ああ、いたな確かに。名前は知らねぇけど」

 

 全く無関心の大和に、十六夜は告げる。

 

「私にとっては実の弟です。……少し世話を焼くことくらい、構いませんよね?」

「勝手にしろ」

「では、そうさせて貰います」

 

 テーブルにぴったりの勘定を置き、十六夜は去っていく。

 漆黒のゲープコートを靡かせるその背を、大和は面白そうに見つめていた。

 

「……ククク、あの帝釈天を信用させるか。とてもじゃないが、俺と氷雨の息子とは思えねぇな」

「確かにな。礼儀正しく、真面目で、女に溺れない。かと言って戦闘狂でもないし……」

 

 ネメアはふむと顎を擦る。

 

「突然変異かもな」

「違いねぇ! ハッハッハ!」

 

 大和の爆笑が木霊した。

 

 確かに性質は全く異なる。

 しかし母親からは類稀なる美貌と異能力を。

 父親からは戦闘センスと決して揺れない精神力を。

 確かに受け継いでいる。

 

 十六夜──彼が紡ぐ物語は違う角度から見た『世界の光景』である。

 大和の息子として、しかし全く別の性質を持つ者として、この世界を見つめていく。

 

 これから始まるのは暗黒のメシアの影で繰り広げられる、もう一つの短編である。

 

 

 



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プロローグ
八天衆と魔界都市の月


 

 

 東京都某区にある孤児院にて。

 ここは世界最強の武神集団、八天衆が経営している「ワケありの子供達」を匿う場所だ。

 

 神秘的な要素が薄れつつある現代でも、超常的な力を持つ子供達は生まれてくる。

 彼等は俗世に溶け込めない。そういう運命の元にある。

 なのであらかじめ八天衆が保護し、一般的な常識とともに力の扱い方を教えるのだ。

 

 一見地味な活動に見えるが、将来的に彼等が世界の敵にならず、且つ何時か訪れるであろう不幸を未然に防ぐ事ができる。

 

 これが、八天衆にできる最善の「先手」だった。

 

「……」

 

 子供達が寝静まった15時頃。

 庭園で一人の青年が難しい表情をしていた。

 簡素な服装なのに魅力的に映るのは、元々の素質がいいからだろう。

 切り揃えられた黒髪、整った顔立ち。

 誰かに似ている灰色の瞳は、流れ行く雲達を虚ろに見つめていた。

 

 彼……翔馬は小さく溜め息を吐く。

 

(最近、姐さんが元気無いな……)

 

 姐さんとは八天衆の一角、孫悟空の事である。

 幼少期より可愛がってもらった翔馬は、彼女の事を実の姉の様に慕っていた。

 

(俺や子供達の前じゃ気丈に振る舞ってるけど……やっぱり、何かあったんだろうな)

 

 彼女が落ち込む理由として一番考えられるのは──あの褐色肌の大男だった。

 

「っ」

 

 思わず唇を噛み締める。

 あろうことか、彼は実の父親なのだ。

 それすら認めたくないのに、大事な姉貴分を悲しませている。

 

 翔馬は憤怒で気が狂いそうになった。

 しかし一度大きく息を吐き、落ち着く。

 

(俺に何ができる。力も無いし、何も知らない。そんな俺に、一体何が……っ)

 

 自分の無力さに絶望を覚えてしまう翔馬。

 

(俺にもっと力があれば……姐さんも色々話してくれたのかな)

 

 そう思うと、体が勝手に動きはじめる。

 

 もっと力を。昨日より強い力を。

 家族を護りたい、ずっと笑顔でいてほしいから……

 

「力が、必要なんだ……」

 

 翔馬は立ち上がる。

 そして師である親父分、帝釈天を捜そうとした。

 が、既に目の前にいたので翔馬は驚愕で目を見開く。

 帝釈天はやれやれと溜め息を吐いた。

 

「言いたいことはある。が……俺から言っても無駄な事もある」

「……」

「丁度いい時期だった、呼んでおいて正解だったぜ」

「?」

 

 首を傾げる翔馬に、帝釈天は背を向けながら告げた。

 

「客人が来てる。お前に会わせたかった奴だ」

「……一体誰が」

「お前の実の兄貴」

 

 

「……は?」

 

 

 呆然とする翔馬。

 彼が帝釈天の言葉を理解できるまで、数十秒の時間がかかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 客人用の個室には既に毘沙門天らが待機していた。

 帝釈天と彼女の実娘、世良(せら)が緊迫した面持ちで茶を出している。

 

「粗茶ですが……」

「ありがとうございます」

 

 淡々と礼を言う冷たい美青年。

 漆黒のケープコートを着た彼に恋人の面影を見てしまった世良は、思わずその顔を凝視してしまう。

 

 しかし失礼だと、母に頭を叩かれていた。

 

 帝釈天に連れられてきた翔馬は、美青年を見てギョっと目を丸める。

 確かに似ていた。

 

 いいや、自分とは比べ物にならないほど美しい。

 だが、瞳の色が同じ灰色だった。

 

 立ち尽くす彼に、美青年は苦笑する。

 

「立ったまま、というのも居心地が悪いでしょう。なんなら、私も立ち上がりましょうか?」

「あっ、いえ! すみません……!」

 

 翔馬はかしこまり、いそいそと向かい側に着席する。

 美青年は雪解けの春を思わせる微笑を浮かべた。

 

「はじめまして。十六夜と申します。今回は帝釈天さんから「貴方と対話してもらいたい」という依頼を請け負い、参上しました」

「はじめまして、翔馬です」

「……既に伺っていると思いますが、貴方と私は異母兄弟です。しかし気にせず「十六夜」と呼んでいただければ」

「そんな……失礼過ぎます。十六夜さんと呼ばせてください」

 

 翔馬の反応を見て、十六夜は唇を緩めた。

 その埒外の美貌は、同性である翔馬をも魅了してしまう。

 

「流石、帝釈天さんと毘沙門天さんの息子さんだ。何処に出しても恥ずかしくない、立派なお子さんです」

「そうだろう? 自慢の息子だ」

「馬鹿っ、親父……!」

 

 顔を真っ赤にする翔馬に、十六夜は口元に手を当てた。

 そして翔馬に流し目を向ける。

 

「これは確かに心配だ……こんな子が「こちら側」に堕ちてくると思うと、やるせない。実の弟なら尚更です」

「十六夜……うちの馬鹿息子の悩みを聞いてやってくれ。俺や毘沙門天からは言えねぇ事が沢山あるんだ。でもお前なら……本当の事を教えられる。頼む、この通りだ」

 

 帝釈天、そして背後に控えていた毘沙門天が深く頭を下げる。

 翔馬と世良が驚く中、十六夜は真面目な表情で頷いた。

 

「承りました。この子の将来のために、一肌脱ぎましょう」

「ありがとう……!」

「恩に着る」

 

 十六夜は翔馬の瞳を覗く。

 同じ色の瞳なのに、映しているものは全く別物に見えた。

 

 しかし全く怖くない。

 翔馬は既に彼を信頼していた。

 両親がここまで信頼する相手だ、疑う余地などない。

 

 十六夜は立ち上り告げる。

 

「あそこの、庭園で話しましょう。聞かれたくないこともあるでしょうし」

「……お願いしますッ」

 

 決意に満ちた表情で、翔馬は十六夜の背に付いていく。

 二人が部屋を出ていった後、世良は心配そうに言った。

 

「大丈夫かな、翔馬……」

「安心しろ。十六夜は信頼できる男だ。あのクソ野郎とは違う」

「全くだ。翔馬には彼の在り方、参考にして貰いたい」

「そんなに凄い人なんだ……!」

 

 窓ガラスの先で話し合う二人を見つめる世良。

 改めて見ると、確かに兄弟の面影があった。

 

 

 ◆◆

 

 

 緊張感を持って隣に座っている翔馬を、十六夜は優しい瞳で見つめていた。

 

「表世界の住民になりたいと、そう思ったことはありませんか?」

「……」

「君は表世界に住んでいるだけだ。その血筋が、力が、君に「平凡な生活」を許さない。遅かれ早かれこちら側に関わる事になるでしょう。それを嘆いた事はありませんか?」

「あります」

 

 即答だった。

 翔馬は眉間に皺を寄せる。

 

「普通がよかった。普通でよかった。家族がいて、平和に暮らせればそれでよかった」

「……」

「でも仕方ないんです。コレは生まれ持った力だから。向き合うしかない。でも、どう向き合えばいいのか……わからないんです」

 

 本心を吐露した翔馬に、十六夜はゆっくりと目を閉じる。

 

「ありがとうございます、素直に答えてくれて」

「いえ……」

 

 十六夜は次に、重い問いを投げかけた。

 

 

「では翔馬くん……貴方にとって、暴力とは何ですか?」

 

 

 それは、人の本質を明かす問い。

 十六夜は、翔馬の返答次第では心を鬼にするつもりでいた。

 

 

 ◆◆

 

 

「暴力は……暴力です」

 

 翔馬は悩みながらも、確固とした意思を以て答える。

 

「原始的な力、権力や財力の前に世界を支配していたシンプルな「力」……ただそれだけです」

「欲しくはないのですか? 強大な暴力が」

「欲しくはありません、でも必要なんです。……おかしいですかね?」

「いいえ、続けてください」

 

 翔馬は戸惑いながらも続ける。

 

「暴力に頼りたくはありません。でも相手が暴力を行使してきた時……暴力でしか対応できない時がある。俺は……手遅れになるくらいだったら、迷わず暴力を振るう覚悟があります」

「……」

「大切な者を護るための最後の選択肢、ただの力……それが俺にとっての暴力です」

「成る程」

 

 やはり親子ですね……その言葉を十六夜は飲み込んだ。

 己も、父親も、暴力を「都合の良い力」としか見ていない。

 

 十六夜はふぅと息を吐く。

 

「安心しました。翔馬くんは暴力の事をよく理解している」

「いえ……普通ですよ、こんなの」

「普通じゃない輩が多いんです。……特に貴方達に暴力を振るうような輩は」

「……!」

「だから、もしも敵対者が現れた時は一切容赦しないでください。女子供、老人であっても、迷わず殺してください」

「それは……!」

「覚悟があると、先程言いましたよね?」

 

 翔馬の瞳が揺れた。

 覚悟はできている。そう言ったが、相手が女子供だとすると……揺らいでしまう。

 

 そんな翔馬の肩に手が置かれた。

 ビクッと震える彼を安心させるように、十六夜は囁く。

 

「意地悪な事を言ってしまいましたね。覚悟は今、しなくてもいい。まずは力を付けなさい」

 

 大丈夫。

 そう言って十六夜は微笑む。

 

「貴方の周りには強い方が沢山いる。だから焦らなくていい。今はまだ甘える時です」

 

 君なら、何時かきっと素晴らしい男性になれる。

 その優しい心を、どうか失わないでほしい。

 

 そう言って、十六夜は翔馬の頭を撫でた。

 

「……っっ」

 

 翔馬は涙を流した。

 

 帝釈天から同じような事を言われても、慰めにしか聞こえなかっただろう。

 

 自分も護らなければいけない。

 家族の盾になれなければいけない。

 

 そんな無茶な責任感を……十六夜がほぐしてくれた。

 

 翔馬は俯き、大粒の涙をこぼす。

 

「ありがとう……兄さんっ」

 

 その呼び方に十六夜は目を丸めたが、最後には嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 翔馬は急いで涙を拭うと、恥ずかしそうに縮こまった。

 

「すいません、十六夜さん……感極まって、そのっ」

「兄さんでかまいませんよ。私も、可愛い弟ができて嬉しい」

「……なら、兄さんって呼ばせてください!」

 

 翔馬は無邪気な笑顔を浮かべる。

 その後、十六夜に孤児院の様子を聞かれて嬉しそうに語り始めた。

 

 子供たちの様子。帝釈天夫婦の痴話喧嘩、などなど。

 

 ありきたりな、しかし翔馬にとってかけがえのない日常。

 十六夜が微笑みながら聞いてくれるので、翔馬は嬉しくなって語り続けた。

 

 彼の笑顔を横目で見ながら、十六夜は想う。

 

(……ありがとう。貴方みたいな子がいるおかげで、私は魔界都市に戻ることができる。その笑顔を、護りたいと思える)

 

 デスシティは矛盾の坩堝だ。

 犠牲者の殆どが自業自得……とはいえ、中には巻き込まれ悲劇に見舞われる存在がいる。

 

 十六夜は、それがどうしても許せなかった。

 

(屑同士が殺し合うのは構わない。因果応報を辿る者達に同情の余地などない。しかし……心優しい存在が巻き込まれるのは、我慢ならない)

 

 故に、十六夜は魔界都市に滞在しているのだ。

 少しでも多くそういった存在を助けたいから。

 

(翔馬くん……君のその笑顔を護れるのなら、私は万の外道を殺められる。だからどうか……道を踏み外さないでくださいね)

 

 言葉にしない。

 ただ翔馬の頭を撫でる。

 

 首を傾げながらも気持ち良さそうに受け止める弟に、十六夜は表情を和らげた。

 

 賞賛などいらない。

 賛辞など必要ない。

 ただ、己の信念を貫き通すのみ。

 

 外道滅ぶべし──

 

 父親とは違う。

 しかしその在り方は、もう一人の闇の英雄だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 十六夜は立ち上り、翔馬に礼を言う。

 

「今日はありがとうございます。お話に付き合っていただき」

「そんな……! 俺の方こそ、何て言ったらいいか!」

 

 翔馬は立ち上り、深々と頭を下げる。

 十六夜は微笑んだ後、彼に背を向けた。

 

「いいえ、私も沢山教わりましたよ」

「?」

「こちらの話です。私はもう一人の方と話をしてきます」

「……誰と」

「孫悟空さんです」

「!!」

 

 翔馬は目を丸めると、複雑そうな顔をする。

 彼は思わず聞いた。

 

「俺達の本当の親父についてですか?」

「……ええ」

 

 振り返る事なく肯定した十六夜に、翔馬は声を絞り出す。

 

「……俺が関わっちゃいけない事は察してます。でも、コレだけは教えてくださいっ」

 

 翔馬は激情を押し殺し、告げる。

 

「俺達の父親は……もう姐さんを愛していないのですか……?」

 

 翔馬は、コレだけは知りたいと思っていた。

 十六夜はゆっくりと首を横に振るう。

 

「いいえ……今でも愛していますよ」

「!!」

「ただ、頑固な性格でして……その事を悟空さんにお伝えしたかったのです」

「……そう、ですか」

 

 翔馬は依然、複雑な面持ちのままだった。

 実の父親の事を認められないのだろう。

 十六夜は内心思う。

 

(貴方にも何時か、わかる時がきますよ……父上はこの腐った世界に必要不可欠な悪であると)

 

 十六夜は一度も振り返る事なく、庭園を後にした。

 

 

 ◆◆

 

 

 孫悟空は孤児院の屋上で煙草を吹かしていた。

 子供たちの迷惑にならないようにと普段は吸っていないのだか、最近喫煙の回数が多くなっていた。

 

 ふわりと、悟空のいる屋上に青年が上がってきた。

 十六夜だ。彼はどんな方法を用いたのか、一階から舞うように飛んできたのだ。

 

 悟空は紫煙を吹かしながら笑う。

 

「わりぃな、盗み聞きするつもりはなかったんだけどよ」

 

 黄金色の長髪が靡く。

 今時のパンクな服装をしている彼女は、容姿的には10代半ばほどの美少女だ。

 喫煙している姿は犯罪的だが、どこか様になっていた。

 

 髪と同じ色の瞳は、気怠げに十六夜の事を見つめている。

 

 不意に、彼に想い人の影を重ねてしまった悟空。

 逃げるように視線を外した彼女に、十六夜は敢えて告げる。

 

「……父上と同じ銘柄ですね。ラッキーストライク」

「っ」

 

 悟空は十六夜を睨み付けた。

 

「失せろよ。お前には感謝してる、可愛い弟分が世話になった。だが俺は関係ねぇだろ……なんだ、蔑みにきたのか?」

 

 皮肉な笑みを浮かべる彼女に、十六夜はあくまで淡々と答える。

 

「ただのお節介ですよ。……貴方は義理とはいえ、お姉さんだ。父上との今の関係を見ていると、忍びない」

「余計なお世話だってんだよ……!」

 

 悟空は歯軋りし、激情を露わにした。

 しかし十六夜は動じず続ける。

 

「ある日ね、酔った父上が私に聞いてきたんですよ。「悟空の奴は元気にしてるか」って」

「……嘘だ。俺は兄貴に見限られて」

「愚痴ってましたよ。馬鹿な妹分だって」

「…………」

 

 黙った悟空に、十六夜は話した。

 

「やんちゃな癖に寂しがり屋で、義に厚い癖に怖がりで。奔放な癖に甘えん坊で。……信念と恋心の間で、揺れ動いてる」

 

 

『中途半端な奴だよ、アイツは。会った時からそうだった。……でもな、優しい奴なんだよ。誰かのために、本気で怒ることができる』

 

『八天衆だから俺と敵対しなきゃいけないって……本気でそう思っていやがる。……馬鹿だよ、妹として会いに来たら、何時でも可愛がってやるのに……ほんと、馬鹿』

 

 

 寂しそうに言ったのでよく覚えている。

 そう、十六夜は言った。

 

「…………っっ」

 

 悟空は涙を流した。

 ポロポロと大粒の雫を流し続ける。

 

 十六夜はそれ以上何も言わず、背を向けた。

 

「……すまねぇ、本当にすまねぇ……っ。ありがとう、伝えてくれて……っ」

「…………」

 

 十六夜は何も言わず、屋上を舞い降りた。

 悟空は嗚咽を漏らし、ただ泣き続けていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 下には既に帝釈天がいた。

 わかっていた十六夜は素直に謝る。

 

「申し訳ありません……それでも、伝えなければならないと思ったので」

「いいや……こっちこそすまねぇ。俺からは何も言えなかった」

 

 彼もわかっていたのだろう。

 悟空が大和を想い続けていることを……

 

「やっぱり悟空は……アイツがいなきゃ駄目なんだな」

 

 自分に言い聞かせるように言う帝釈天。

 一瞬唇を噛み締めるが、次には気さくに笑ってみせた。

 

「今夜は飯でも食ってけよ、毘沙門天が腕を振るってる。……世良も、お前と話がしたいって」

「いえ、遠慮しておきます」

 

 十六夜は帝釈天の横を通りすぎた。

 

「私に、貴方たちの温かい食卓に混ざる権利などありません。……今日は帰らせていただきます」

 

 振り返った帝釈天は、どうしようもない感情を誤魔化すために愛想笑いを浮かべた。

 

「ありがとうな……アイツらを、救ってくれて」

 

 その言葉は本心からくるものだった。

 しかし十六夜は何も答えない。

 一人帰路につく。

 

 彼の行く先には美しい月が浮かんでいた。

 漆黒のトレンチコートを靡かせ、十六夜は帝釈天の視界から消えていった。

 

 

《完》

 



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第三十一章「妖美姫伝」
一話「不穏な影」


 

 

 ギラつくネオンは何時までも消えず、深夜と言えど喧騒が止む事はない。

 曇天の夜空にはワイバーンやガーゴイル、飛空車が飛び交っていた。

 路上では重装甲のサイボーグ同士が殴り合いの大喧嘩を繰り広げている。

 その横では麻薬売人が獣人に襲われており、サキュバスの娼婦がオーク相手に媚びを売っていた。

 

 表世界とは全く違う混沌の世界。

 魔界都市デスシティは何時もと変わらぬ「日常」を展開していた。

 

 中央区の大通りを歩く5人の男達。

 一人はカウボーイスタイルの老人。

 二人目は長い法衣を身に纏った青年。

 三人目は手槍を背負った迷彩服の男。

 四人目はハリネズミさながらに金髪を逆立てた中年男。

 五人目は白いロングコートを着た若者。ポケットに両手を突っ込んでいる。

 

 彼等は賞金稼ぎチーム、通称『流れ星(シューティング・スター)』。

 最近Aクラスの昇進も噂される凄腕の集団だ。

 不用意に近づくゴロツキもいない。

 

「〜♪」

 

 カウボーイスタイルの老人が機嫌がよさげに口笛を吹いた。

 

「何だジジイ、良い事でもあったか?」

 

 ロングコートの若者が問うと、老人は廃ビルの間の路地を指差す。

 光の当たらない闇の中で、白い顔が微笑んでいた。

 女だ。しかも一度見たら忘れられない程の美女。

 自ら燐光を放つ肌に艶やかな黒髪。

 紅い唇だけがやけに艶めかしい。

 

 彼女は呼びかけていた。

「おいで」と。

 

 人間の類ではない。

 しかし大した妖気も放っていないので、小物の妖魔だろうと一同は頷き合う。

 

「ここは拙僧に任されよ」

 

 ずいと前に出たのは法衣姿の青年だった。

 その手には退魔の護符が挟み込まれている。

 

「悪しきものよ、禍つものよ、悪鬼羅刹、全て去りいねと申す」

 

 護符が発光を始め、凄まじい霊力が溢れ出る。

 生半可な妖魔ならばこの破邪の呪文に耐えきれず消滅してしまうだろう。

 

 しかし、予想外の事態が起こった。

 

 何時の間にか美女の唇が青年僧の唇に重なっていたのだ。

 彼は腰砕けになって倒れる。

 

「な、何だ!?」

 

 狼狽しつつも迷彩服の男が背中の手槍を回転させる。

 流れる様に放たれた神速の突き。

 あまりの速さに大気が震え、槍が炎を纏う。

 それは女妖魔を貫き、骨まで焼き尽くす筈だった。

 

 しかし迷彩服の男は固まってしまう。

 怪訝に思った金髪の中年男が声をかけた。

 

「おい、どうしたんだ……!?」

 

 中年男が腰を抜かした。

 カウボーイスタイルの老人が慌てて駆け寄ると、奇声が上がる。

 

 法衣姿の青年に迷彩服の男。彼等は干からび、ミイラと化していたのだ。

 骨と皮が張り付いた死体と成り果ている。

 不気味な事に、二人とも心底幸せそうな表情を浮かべていた。

 

「糞が……!!」

 

 カウボーイスタイルの老人はガンベルトからコルトを抜き、路地に向かって六連射を放つ。

 紅い火線は廃ビルを跳弾した。

 

 しかしゴトリと、横倒れになる。

 

 彼もまた、歓喜の表情を浮かべたミイラと化していた。

 

「チィッ、やばいぞコイツぁ……!」

 

 ロングコートの若者がボケットから両手を出す。

 既にゴツい黄金色のナックルが嵌められていた。

 

 内蔵されたモーターが爆発的な推進力を生み出す『神の拳(ゴッド・ハンド)』と呼ばれる特殊武装。

 

 キュイイインというモーター音と共に排気孔から蒸気が噴き出す。

 繰り出されるパンチのラッシュは一ナノ秒の間におおよそ30発。

 上級妖魔をも瞬殺できる、破格の威力だ。

 

 あの女が近付いた所を確実にブチのめす。

 決意と同時にロングコートを靡かせる若者。

 その時、黒い影が目の前に迫った。

 

「ウォラァアアアアアア!!!!」

 

 目にも留まらぬ光速ラッシュ。

『神の拳』が若者の生来のパワーとスピードを飛躍的に上昇させ、疾風怒濤の拳打を繰り出させる。

 

 数えきれない程の拳打を叩き込まれ、吹き飛ぶ身体がビルの壁を突き破った。

 

「どうだってんだ……!」

 

 若者は鼻を鳴らし、成果を確認しようと死体のある場所へ近寄る。

 しかし転がる肉塊を見て凍りついた。

 

 殴り飛ばしたのは、仲間であるハリネズミさながらに金髪を逆立てた中年男だったのだ。

 

「何ぃ!? そんな馬鹿な!!」

 

 予想外の事態に慌てるものの、すぐに臨戦態勢に入る若者。

 その背後に、何かがいた。

 

「あぁ、強くて逞しい男……妾の好みじゃ。早く抱いてくれ……」

 

 頬を撫でるしなやかな指。

 若者は陶然としてしまった。

 その唇に厚めの唇が重なり、長い舌が舌へと絡み付く。

 柔らかくしなやかな肉体が覆い被さるのを、若者は意識の彼方で感じていた……。

 

 

 ◆◆

 

 

 凄腕の賞金稼ぎ集団『流れ星(シューティング・スター)』は一夜にして壊滅した。

 干からびたミイラ達と、全身が殴り砕かれた無残な遺体のみが中央区の路上に投げ出されていたのだ。

 

 ミイラ達は何故かこれ以上ないほど幸せそうな表情を浮かべていたという。

 

 魔界都市を騒然とさせている謎の妖美姫。

 彼女を討伐を請け負ったのは、魔界都市の月と謳われる漆黒の美青年だった。

 

 



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二話「天道至高天」

 

 

 魔界都市の眩いネオンに浮かび上がる、漆黒の堕天使。

 艶黒の長髪に覆われた半顔は神霊すら惚れ込む至高の造形美。

 

 自ら光を放つきめ細かな白肌に伏し目がちの切れ長な目。

 漆黒色のケープコートには無数の鋲が打ち込んであり、足首まで届くほど長い。

 分厚い靴底のコンバットブーツは淑やかな光沢を放っていた。

 

 虚無を感じさせる灰色の瞳、優美なラインを描く鼻梁。

 紅く薄い唇は同性であろうとも惹かれてしまう。

 

 深夜、大衆酒場ゲートに呼ばれた十六夜は中央区の大通りを進んでいた。

 たまたま横を通り過ぎたエルフとダークエルフが立ち尽くす。

 性に奔放なサキュバス達ですら話しかける前に陶然となっていた。

 

 男達にも劣情を抱かせる魔性の色香は間違いなく父親譲り。

 美貌の種類こそ違えど、この魔界都市に於いて最上位に位置している。

 

 勝手に付いてくる女の群れを無視し、十六夜は大衆酒場ゲートへと入っていった。

 女達は悲しげな喘ぎ声を上げ、その背を見送る。

 

 乾いた音ともにウェスタンドアを開いた十六夜は、艶やかな黒髪に隠れた半顔で酒場全体を見渡す。

 

 漆黒の堕天使の登場に、酒場がどよめく。

 そんな中、十六夜は目的の人物を見つけてそちらに歩み寄った。

 

 暗黒のメシアの特等席、その隣に堂々と座っている中華風の衣装を着た絶世の美少女。

 

 十六夜に勝るとも劣らない美貌を誇るこの美少女こそ、此度の依頼主である。

 

 十六夜は冷たい、されど親しみのある声音で告げた。

 

「お久しぶりです、天道さん。いいえ……師匠、とお呼びしたほうがいいですか?」

「どちらでもかまいませんよ。……お久しぶりですね、十六夜君。また強くなりましたか? 師匠として嬉しい限りです」

 

 

 ◆◆

 

 

 天道──そう呼ばれた美少女はカウンターに頬杖をつき、優雅に微笑んでみせた。

 

 艶のあるスカイブルーの長髪はサイドで結ってあり、綺麗な髪飾りが添えられている。

 よく手入れされているため、宝物なのだろう。

 

 黄金色の目は切れ長く、十六夜以上の冷たさを孕んでいる。丁寧口調が更に拍車をかけていた。

 しかしその可憐な声音は天女のものであり、聞いた男達を腑抜けにしてしまう。

 

 容姿的には10代半ばほど。

 小柄で、身長は十六夜の胸元ほどしかない。

 

 服装は面積が極端に薄いチャイナ服。

 最早布であり、スレンダーながらも出るところは出た魅惑的な体付きがクッキリと浮かび上がっていた。

 ブラジャーは付けておらず、パンツは黒のTバック。

 服装だけで言えば娼婦か何かだ。

 しかし下品さはなく、むしろ艶やかさすらあった。

 

 肩から水色の半袖コートを羽織っており、腰には自作の宝具(パオペイ)らしき中華剣を二本帯びている。

 

 男達の下品な視線がその肢体に注がれた。

 特に尻が大きい。むっちりと肉が付いている。

 揉めばさぞ柔らかいことだろう。

 

 しかし本人から絶対零度の眼光を向けられ、大半が気絶してしまう。

 辛うじて意識を保っている実力者達も、顔中に脂汗をかいていた。

 

 デスシティの猛者達を眼光だけで気絶させた彼女は世界最強の用心棒の称号を持つ女傑。

 

 天道遥(てんどう・はるか)

 

 嘗て大和やネメア、氷雨と共に四大終末論を踏破した最古参の超越者。

 全ての神々の始祖──原初の女神、超越神『天道至高天』の転生体。

 

 大和のセカンド幼馴染みであり、十六夜の師匠の一人である。

 

 

 ◆◆

 

 

 森羅万象を形成する『概念』が意思を持ったのが神霊だ。

 物質界に囚われない霊的存在、その頂点。

 崇め奉られるべき存在。

 神代の時代に於いては生態系の頂点に君臨していた。

 

 今でこそ『とある理由』でそれぞれの世界観に籠っているが、その力は生半可なものではない。

 最下位の存在でもSランク……全知全能を行使できる。

 

 そんな最強種の始祖であり原点であるのが彼女。

 この世界観を創造し、法を定め、神秘の根元となった始まりの女神。

 

 超越神、天道至高天。

 

 とある理由で人間に転生した彼女は、それでも破格の力を備えていた。

 あの大和やネメアに勝るとも劣らない格を誇っている。

 

 彼女は十六夜の師であり、彼を我が子の様に可愛がっていた。

 

「何時の間にか、こんなに大きくなって……嬉しいです♪」

 

 隣のカウンターに腰かけた十六夜の頭をなでなでする天道。

 嫌がる素振りは見せない十六夜だが、その心境を察してネメアが声をかけた。

 

「やめてやれ、天道。その子もいい歳だ」

「そうですか? 大きくなっても、この子は私の可愛い弟子のままですよ」

 

 一通りなでなでし満足したのか、天道は手を退ける。

 十六夜は眉一つ動かさずに彼女に聞いた。

 

「それで、師匠。私に請け負ってほしい依頼というのは?」

「ああ、そうでしたね。弟子の成長が嬉しくてつい忘れていました」

 

 流石の十六夜も肩を竦める。

 天道は気にせず告げた。

 

「最近、デスシティで変死事件が多発しています。被害者は決まって男、それも相応の実力者達です」

「伺っていますよ、Aクラスの方も何名か犠牲になっているようで……」

「妖美姫エキドナ、ご存じですか?」

「…………」

 

 十六夜の目付きが変わった。

 ネメアも眉間に皺を寄せる。

 

「神代の時代に突如として現れたSSSクラスの魔物。当時のギリシャ神話を傾かせた怪物の母です」

「存じております。ネメアさんは私よりも詳しいでしょうが……」

「ああ、エキドナ……相当厄介な奴だ。天道、まさかアイツが」

「ええ、此度の主犯は間違いなく彼女です。実際に、彼女が産み落としたであろう凶悪な怪物を先日依頼の一環で倒しました」

 

 天道はその細い指でテーブルを撫でる。

 

「その怪物、デスシティの住民を容易く屠れる強さを備えていました。……この都市は彼女にとって絶好の苗床。何せ強靭な雄が沢山いますからね」

「放っておけば、デスシティがかつてのギリシャの二の舞になると?」

 

 十六夜が問うと、天道は肩を竦めた。

 

「それで済めばいいんですけどね。何せここには神霊の加護がありません。いいえ正確に言えば……善を司る神霊がいない、ですね」

「……」

「被害は飛躍的に加速していきます。今手を打っておかないと手遅れになる」

「貴女が出ればいいのでは? すぐに終わるでしょう」

 

 十六夜の言葉に、天道は眉根をひそめた。

 

「私の領分ではありません。だから貴方に依頼を請け負って貰いたいのですよ、十六夜君」

「……」

「私は用心棒、依頼人を護るのがお仕事です。そして……もう女神ではない」

 

 それに……と、天道は付け足す。

 

「嘗てエキドナを封印したのは貴方の母親……あの腐れアマげふんげふん失礼、氷雨さんです。因縁の間柄と思えますが?」

 

 勿論、報酬はキッチリと支払います。

 そう言う天道に、十六夜は暫く返事を返さなかった。

 目を瞑り熟考し、答えを出す。

 

「わかりました、請け負いましょう」

「ありがとうございます♪」

「勘違いなされぬよう……あくまで貴女からの依頼だから請け負ったのです。そうでなければ受けない。この都市の屑が何人死のうと、構いませんからね」

「表世界に被害が出るかもしれない。本当の意味での被害者が出るかもしれない……だから請け負ってくれたのですね?」

「…………」

「ありがとうございます……貴方は本当に優しい。私とは大違いです」

 

 そう言って、天道は十六夜の頬を撫でた。

 

「……どこか、似てきましたね。父親と。顔立ちも信念も、全く違うのに」

 

 その手を優しく払い、十六夜は告げる。

 

「依頼を請け負いました。それでは失礼します」

 

 彼はそのまま大衆酒場を後にする。

 その背中を見つめながら、天道は苦笑した。

 

「……女に対してドライなところも、ある意味似ていますね」

「大和よりマシだろう」

 

 ネメアが苦い顔をしたので、天道はクスクスと笑った。

 

 



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三話「漆黒の死神」

 

 

 十六夜はデスシティの中央区、大通りをふらりと歩いていた。

 視界に入ってきた彼に見惚れてしまい、交通事故を起こす車が続出する。

 

 周囲は大惨事になっていたが、十六夜はどこ吹く風だった。

 眼中にない。

 

 そんな彼の前に見覚えのあるゴロツキ共が立ち塞がった。

 

「ゴルぁ!! ようやく見つけたぜこの色男! テメェには随分と世話になったからなぁ……その礼をしてやる!! オイ、出て来い!!」

 

 彼は以前、十六夜に首を締められたチンピラだった。

 首にはゴツいギブスを嵌め、杖までついている。

 

 その叫びに呼応する様にズイと、2メートルを超す巨体が現れた。

 全身が銀色に光るパワードスーツである。

 その表面はチタニウム鋼に覆われ、スペースシャトルと同じ素材の耐熱タイルでコーティングされていた。

 1000度以上の高熱であろうともビクともしないだろう。

 更に各所にアンチ・マジックの刻印が刻まれており、魔術や呪詛に対して高い防御力を得ている。

 

 デスシティならではの強化外装だ。

 スーツに内臓されているマイクから、荒々しい声が響いてきた。

 

『ガハハハハ!! どうだすげえだろう!! コイツぁまだ市場に出回ってねぇ最新式よ! テメェをブッ殺す為に大枚をはたいたんだぜ! ここに着くまでに試し撃ちして来たからなぁ……動作は保証済みだ!』

 

 ロボットアームが正確に十六夜の額をポイントする。

 そこから伸びているのは20ミリバルカン砲の黒い銃身だ。

 

「何人、殺した?」

 

 十六夜が静かに問う。

 チンピラとスーツ姿は顔を見合わせた。

 そして大爆笑する。

 

「知るかよ!! 手当たり次第に撃ちまくったからな! いちいちそんな事数えてられるかってんだ!! オラやっちまえ!!」

『くたばりやがれ、この野郎!!』

 

 毎分6000発もの徹甲弾を吐き出す凶器が死の炎を放つ。

 十六夜ではなく、傍のチンピラに。

 

「バ……バカヤロウ、俺を撃って、どうすんだ……っ」

 

 あまりの威力に上半身と下半身が千切れたチンピラ。

 完全に即死だった。

 

『そ、そんな!? お、俺は確かに……!』

 

 慌てるスーツ姿に十六夜は囁きかける。

 

「一度は見逃した。二度はない」

 

 ロングコートをはためかせ、悠然と近付いてくる。

 目の前にいる美青年はまさに堕天使……否、美しい死神だった。

 

『ヒイィィィ!! 来るな、来るんじゃねぇ!!』

 

 今度こそ狙いを定めてバルカン砲の射出スイッチを押す。

 ゴトリと音を立てて、金属の右腕が落ちた。

 

「どうせ生かしておいても、人を泣かせるだけだろう」

 

 十六夜が一歩、一歩を踏み出す度に左腕、右足、左足と落ちてゆく。

 噴き出す鮮血、つんざく断末魔の悲鳴。

 

 ヒラ虫の様に這いつくばったスーツ姿が最後に聞いたのは、天上の音楽の様な美しい声だった。

 

「死ね、外道」

 

 スパッと、脳天から股間まで線が奔る。

 真っ赤な液体と共に二つに分かれた肉塊を背に、十六夜は歩みを再開した。

 

 周囲の住民たちは怯えて立ち尽くしていた。

 彼もやはり、魔界都市の住民だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 十六夜は考えが纏まったので、その場で立ち止まる。

 そして得物であるミスリル銀性の糸を指先から伸ばした。

 

 1000分の1ミクロンまで研ぎ澄まされたこの糸を目視できる存在は超越者でも極僅か。

 

 更に精神感応金属「ミスリル銀」を用いて造られているため十六夜が思い描いた形状、形態に時間を無視して変質する。

 

 十六夜は師匠であり世界最強の暗殺者、アラクネを除けば最強の鋼糸使いだった。

 

 目を閉じ、デスシティ全域に糸を張り巡らす。

 東西南北、中央の区画に。裏路地から娼館の店内にまで。

 緻密に広範囲に。一部の見落としも無いように……

 

 流れ込んできた莫大な情報量を、規格外の演算能力で瞬く間に処理する。

 

 緻密に過ぎる糸捌きも相俟って、十六夜はデスシティの現状を完璧に把握した。

 

 同時に不覚を悟る。

 背後から妖しい女の気配を感じたのだ。

 背中に柔らかく、重量感のある肉が押し付けられた。

 

「奇っ怪な術を使うのぅ、小僧。まさか妾を探してくれていたのか?」

 

 抱きつかれ、豊満な胸を押し付けられる。

 首筋に這う長い舌に、十六夜は暗い視線を落とした。

 

 

 ◆◆

 

 

 その女、神代の時代にギリシャ神話を傾かせた大化生。

 手当たり次第に雄の精を吸い、数多の怪物を産み落とした魔族の母。

 

 妖美姫、エキドナ。

 

 漆黒の艶髪が瑞々しい肢体に張り付いている。

 吐息と共に漏れ出した色気は厳格な漢すらもたぶらかす。

 そうして精を一滴残らず吸い付くし、殺すと同時に凶悪な怪物を産み落とすのだ。

 

 周囲の男達が忘我の彼方を彷徨っていた。

 エキドナが漂わせる色気に骨抜きにされているのだ。

 

 魔性の美貌。

 彼女はクスクスと笑うと、十六夜の肢体を撫で上げた。

 

「イイ男じゃ……神代の時代でも主ほどの色男はそうおらんかった」

 

 エキドナは堪えきれず、十六夜の横顔を覗く。

 

「……ッッ」

 

 瞬時に飛び退いたエキドナは、顔中に冷や汗を滲ませていた。

 首筋に熱さを感じたので撫でてみると……鮮血が溢れていた。

 

 エキドナは本来の禍々しい邪気を解放する。

 

「おのれ……その氷の様な目付き! 貴様、あの小娘の血族かッ!!」

 

 全身を震わせ威嚇するエキドナに、十六夜は振り返った。

 周囲の住民達は恐怖で震える。

 

 美しすぎる死神がそこにはいた。

 エキドナは憤怒のままに吠える。

 

「小童、貴様の四肢をもぎ取り、あの小娘の前で犯し殺してやるわ……!!」

「…………」

 

 十六夜は何も応えない。

 その灰色の瞳には、殺すべき外道畜生しか映っていなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、高層ビルの屋上で。

 死神と妖美姫が対峙しているのを拝んでいる美女がいた。

 

 拒絶的な美を醸している女である。

 

 容姿的年齢は二十代前半ほど。

 白シャツに黒のスーツ、漆黒のロングコートという出で立ち。

 白シャツを盛り上げる豊満な胸、括れた腰回り。総じて抜群のプロポーションを誇っている。

 

 そしてブラウン色の双眸。

 言い得もしない不気味な輝きを灯していた。

 

 漆黒の艶やかな長髪に氷を連想させる冷たい美貌は成る程、十六夜と瓜二つである。

 

 彼女は咥え煙草から甘い香りの紫煙を吐き出し、鼻で嗤った。

 

「あの淫乱ババァ、封印から抜け出してたのね。……ふぅん」

 

 でも……そう言って調停者、朧氷雨(おぼろ・ひさめ)は目を細める。

 

「私と大和の餓鬼は強いわよ……今度こそ、地獄に落ちなさい」

 

 干渉などしない。

 氷雨は息子の戦いぶりを拝むのみだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 僅かな光を吸い込んで妖糸が煌めく。

 絶対的な切断力を持つソレらはまるで意思を持つかの様にエキドナに群がった。

 

 彼女は舞でも踊るかのように不可視の斬撃を避け続ける。

 柔軟かつ強靭な肢体は本来回避てきない筈の攻撃をいとも容易く躱した。

 

 戦闘の余波は瞬く間に中央区に広がり、出鱈目な被害をもたらす。

 高層ビルがズレて倒壊し、住民達が押し潰される。

 逃げ損ねて妖糸の圏内に入ってしまったサイボーグは特殊合金性のアーマーごとバラバラに切断された。

 

 剣士のソレとは違い全方位、ありえない角度から放たれる斬撃は驚異の一言に尽きる。

 

 さしもエキドナも躱しきれなくなり肩を抉られ、耳を削ぎ落とされた。

 

 しかし彼女は悲鳴を上げることなく、傷口に視線を向けた。

 瞬く間に塞がる傷口を見て、フッと鼻で嗤う。

 

 十六夜は美麗な眉を僅かにひそめた。

 

(強力な退魔の波動を練り込んだ筈だ……並の不老不死なら無効化できるほどのものを)

 

 つまり、相手は並の不老不死ではないということだ。

 蛇を司る彼女は、神仏すら越える破格の生命力を誇る。

 

 それがわかった十六夜は別の手法に切り替えた。

 

 鋼糸を更に切断に特化させ、一先ずバラバラにする。

 その後、本命の異能力で魂ごと滅却する。

 

 音も立てず、エキドナに伸びていく不可視の斬糸。

 エキドナはあろうことか、それらを片手の指で絡み取り無理矢理止めた。

 

「……!」

 

 十六夜は目を見開く。

 鋼糸を引き戻そうにも強大な握力で絡め取られている。

 エキドナは手から鮮血を吹き出しながらも、クスクスと嗤った。

 

「この不可視の糸、確かに剣士の斬撃よりも鋭さがあり、多様性に富んでおる。が……重さがない。妾でも対抗できる」

「…………」

 

 十六夜に腕力が無いわけではない。むしろある方である。

 

 エキドナが凄まじいのだ。

 妖魔の女王の一角というだけあり、元々の筋力が違いすぎる。

 

 十六夜は戦法を変え、エキドナの足を鋼糸で絡め取った。

 そして己の方へと無理矢理引き寄せる。

 

 怪訝に思った彼女の顎に渾身の掌底が入った。

 規格外の衝撃が脳を通り抜け、エキドナは大量の血を吐き出す。

 

「な、にぃ……?」

 

 呆然としているエキドナに十六夜の肩が触れ、再度衝撃が徹された。

 エキドナは成す術なく吹き飛ばされたが、十六夜が彼女に追い付き踵落としを鳩尾にめり込ませる。

 

 口から鮮血を吹き出した彼女のマウントを取り、そのまま殴り続けた。

 拳打一つ一つに摩訶不思議な力が込められており、エキドナは成す術なく蹂躙される。

 

 十六夜は天道より勁力の発露を伝授されている。

 中国武術の力の伝達方、その極みを修得している彼は徒手空拳でも無類の強さを誇っていた。

 

 バラバラにできないのであれば殴り殺せばいい。

 退魔の波動をたっぷり込めた拳を、勁力を用いて内部に徹し続ける。

 

 デスシティに震度6強の大地震が発生する。

 エキドナ越しとはいえ、十六夜の拳打に地球が悲鳴を上げていた。

 

 エキドナの足が痙攣しても十六夜は殴る手を止めない。

 その顔に飛び散った血が付着するも、美しさが増すだけであった。

 

 これにて決着か……

 

 傍観者の殆どかそう思った中、十六夜は眉間に皺を寄せる。

 

 その体にいとも容易く蛇の下半身が巻き付いた。

 十六夜を羽交い締めにしたエキドナは、既に治ってしまった美顔をおぞましい情欲で歪める。

 

「濡れたぞ……坊や。千年の恋に落ちてしまいそうじゃ……♪」

 

 艶やかに嗤いながら、エキドナは十六夜の頬を舐め上げた。

 

 

 ◆◆

 

 

「……ったく、あの淫乱ババァ。前より不死性が増してるわね。てか、それ以前に十六夜も十六夜よ。なぁに苦戦してんだか」

 

 高層ビルの屋上で不機嫌そうに紫煙を吐き出している氷雨。

 彼女は細い腰に手を当て、激闘の行方を見守っていた。

 

 その背後から、不意に下駄の音がきこえてくる。

 誰かわかっている氷雨は珍しく嬉しそうに笑った。

 

「私達の息子はまだまだね……大和」

 

 現れた褐色肌の美丈夫は、ギザ歯を見せて嗤った。

 

「厳しいな、もうそろそろケリがつくだろ。むしろよくもったほうだぜ。エキドナ、だったか? ……ふぅん、イイ女じゃねぇの」

「…………」

 

 氷雨は無言で大和の尻をつねる。

 絶対零度の眼差しを向けられ、大和は思わず吹き出した。

 

「なんつー顔してんだよ」

「馬っ鹿じゃないの、この節操なし。死ね」

「カッカッカ!」

 

 高層ビルの屋上で豪快な笑い声が響き渡った。

 

 

 ◆◆

 

 

 エキドナは生来の怪力で十六夜の四肢を完璧に拘束していた。

 白蛇の下半身を持つこの容貌こそ本来の姿である。

 

 十六夜の全身を砕かない程度に締め上げながら、エキドナは恍惚とした笑みを浮かべた。

 

「ああ……良い、良いぞ。妾を殴り倒したその膂力、理解できた。細身ながらも鍛え抜かれたイイ体じゃ♪ 何よりその美顔……はぁぁっ、なんと美しいっ。永遠に妾のものにしたい……」

 

 あのエキドナが、あらゆる雄をたぶらかしてきた妖美姫が、あろうことか魅了されていた。

 それほどまでに十六夜の美貌は凄まじい。

 

 氷雨譲りの美貌と大和譲りの魔性の色香は、本人にその気がなくとも女達を骨抜きにする。

 

「気が変わった……妾のものになれ、坊や。妾だけのものに……」

 

 豊満な胸で十六夜の顔を埋め、表情を蕩けさせるエキドナ。

 不穏にも、彼女は本当に幸せそうな顔をしていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 十六夜は彼女を遠くから見つめていた。

 己が自分のものになるという「幻覚」に酔っているエキドナを──

 

 恍惚とした表情を浮かべているエキドナは、驚くほど無防備だった。

 己が幻覚を見せられていることに気付いていない。

 

「美貌に揺らぐ程度の女でよかった」

 

 どこまでも冷たい言葉だった。

 十六夜はミスリル銀製の鋼糸にありったけの退魔の波動をこめる。

 時間こそかかったが、十六夜はエキドナを絶命させられるだけの力を溜めた。

 

 最後にささやく。

 

「おやすみ」

 

 エキドナが縦半分に裂ける。

 絶命し灰になる瞬間まで、エキドナは幸せそうな顔をしていた。

 

 十六夜は踵を返す。

 やるべき仕事を終わらせた。ただそれだけ。

 

 死神は静かにこの場を去っていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は十六夜の背中を見つめながら苦笑する。

 

「冷たいねぇ……美貌の無駄遣いってもんだ。いいや、アイツにとっては美貌も武器の一つでしかないのか?」

 

 それでも面白そうに、嬉しそうにしている大和。

 しかし氷雨は眉間に皺を寄せていた。

 酷く不機嫌そうである。

 

 その横顔を見て、大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「まだ認めてやれねぇのか、アイツの生き方を」

「当然でしょ。有象無象のために戦うなんて馬鹿げてる……何時か絶対に後悔するわ」

「覚悟の上だろ、アイツも」

「私は……!」

 

 氷雨は途端に表情を歪ませる。

 そして大和の手を握った。

 

「アンタみたいに、なってほしくないのよ……」

「…………」

 

 大和は何も言わず、氷雨を抱き寄せた。

 そして頭を撫でる。

 

「アイツの選んだ道だ、俺達にどうこう言う資格はねぇ」

「っ」

「見届けようぜ、最期まで」

「……そうね」

 

 二人は十六夜を愛していた。

 だからこそ、傍観を貫く。

 

 彼の行く先に何があるのか……知っていても何も言わない。

 

 また、会う日が来るだろう。

 そう思い、大和は静かに口元をゆるめた。

 

 

《完》

 

 



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閑話集
閑話・堕落女神


 

 

 早朝、魔界都市が静粛に包まれる時間帯である。

 生臭い濃霧に覆われた中央区、裏路地にて。

 

 薄汚いこの場には似合わない、静謐な美貌の女がいた。

 カジュアルな私服に身を包んだ彼女は、その鋭い碧眼で目の前のアパートを睨み付けている。

 

 カツカツとハイヒールを鳴らし、とある部屋の前までたどり着けば、いよいよその美顔が嫌悪で歪んだ。

 

 本当に、美しい女である。

 東洋系で背が高く、スレンダーでありながら胸は豊満。

 キツい印象が目立つが、漏れだす色気は男を知っている女のものである。

 

 彼女は結い上げた黒髪を鬱屈げに揺らすと、扉をノックした。

 程なくして現れたのは……世にも稀な褐色肌の美丈夫だった。

 

 完成された美。

 力強さと妖艶さを兼ね備えた雄の究極系。

 

 魔性の色香と称される美貌を前にしても、黒髪の美女は眉間に皺を寄せたままだった。

 

 ラフな浴衣を着ている美丈夫、大和は何故か面白そうに笑う。

 

「何のようだよ、世界最強の女武神──毘沙門天サマ」

「……問答はいい、さっさと部屋に入れろ」

「へいへい」

 

 恐らく、いいや確実に大和の事を毛嫌いしている女神。

 八天衆の一角であり帝釈天の妻。

 

 毘沙門天は、大和の部屋にズイと入り込んだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 水を出した大和は、卓袱台を挟んで毘沙門天と相対した。

 

「俺もそこまで暇じゃねぇんだよ」

「ほざけ、犯すか殺すかしかできない屑が」

「じゃあその屑を訪れてきた理由は何だ? わざわざ面と向かって悪口を言いにきたのか?」

「……っ」

 

 毘沙門天は恥辱で顔を真っ赤にする。

 

「私を犯すがいい……今日は約束の日だろう」

「んんー? なんの日だぁ?」

「貴様……!!」

「約束はしてねぇぜ、空いてる日を教えただけだ」

「っ」

 

 唇を噛み締める毘沙門天に、大和は下種な笑みを浮かべる。

 

「そんなに嫌か? あの事を誰かに知られるのは」

「当たり前だろう!! アレが無ければ、誰が貴様なんかと!!」

「でもお前の自業自得じゃね? 酒に酔った勢いで俺と寝ちまったってのは」

「~~~~っっ」

 

 太古の昔の話である。

 インドで一仕事終えた大和は神々の宴に招かれた。

 当時はまだ、神々の嫌悪感がなかったのである。

 

 その時に毘沙門天は過ちを犯してしまった。

 当時から大和が嫌いだった毘沙門天は彼が宴に呼ばれた事に不貞腐れ、自棄酒をした。

 

 そして当時結婚したばかりの最愛の夫、帝釈天に慰めて貰おうとおぼつかない足取りで部屋を入ったのだが……朝、目覚めれば大和が隣にいた。

 

 そうして思い出したのである、酔いに流されるがまま、大和と一夜を共にしてしまった事を……

 

「生涯の恥だ……ッ」

 

 思い出した毘沙門天は泣きそうなほど顔を歪ませていた。

 それを見て大和は愉快愉快と嗤う。

 

「正直に言えばいいんじゃねぇの? 帝釈天に。昔、俺と間違えて一夜を明しちゃったって」

「言えるか!! よりによって貴様と、貴様なんかと……!!」

「てか、そもそもだ」

 

 大和は呆れ半分といった様子で告げる。

 

「俺が言いふらす、なんて限らねぇだろう?」

「信用できん……ッ」

「だから定期的に俺に抱かれると? 口封じの為に?」

「そうでもしないと貴様は言いふらすだろう!」

「まぁ、黙っておくなんて約束もしてねぇし。酒に酔った勢いで口を滑らす事もあるかもしれねぇな」

「ッッ!!」

 

 毘沙門天は今すぐ斬りかかりたいという激情を必死に押さえ込む。

 大和は邪悪にほくそ笑んだ。

 

「でもよぅ、お前気付いてるか? 俺と寝てる時、喘ぎ声がすげぇ事」

「ッ」

「アレが素なのか? だとしたらスゲェな。それとも……帝釈天のじゃ満足できてねぇのか?」

「貴様ァ!!」

 

 怒髪天となった毘沙門天はそのまま大和の胸ぐらを掴みあげる。

 大和はその手を掴み、彼女を胸元まで引き寄せた。

 

「グダグダうるせぇんだよクソ女神、いいか? 今から言うことをハッキリと覚えておけ」

 

 大和の邪悪な三白眼に竦んでしまう毘沙門天。

 ただ彼の言葉を聞くことしかできなかった。

 

「テメェは俺に抱かれにきた。理由がどうであれ、テメェの意思で」

「っ」

「大層立派な建前を並べるのは結構だぜ。ならなんだ? さっきからチラチラと俺の身体を視姦しやがって……あと匂うんだよ、メスの匂いが」

「何を……!」

 

 大和は毘沙門天のズボンの中に手を入れる。

 そして秘部を触り、かきむしった。

 

「あぅぅッ!」

「なら何でこんな濡れてるんだよ、期待してたんだろう?」

「そんな、ワケ……っ」

 

 勝手に潤む碧眼。

 犯される事に期待しているのが丸わかりだ。

 大和はそのまま毘沙門天を押し倒す。

 

「もう面倒くせぇ、今から晩まで犯す。拒否権はねぇ」

「あっ……頼む、キスだけは……駄目なんだっ」

「うるせぇよ」

 

 強引に口付けする。

 毘沙門天は抗いながらも、舌を吸われる感覚に表情を蕩けさせた。

 

 そして無理矢理破かれた服の下に隠れていたのは……イヤらしい黒の下着だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 嫌悪感が霞み、熱泥の様な快楽に沈むまでそう時間はかからなかった。

 帝釈天より遥かに逞しいもので犯され、何度も何度も絶頂を刻み込まれる。

 その度に意識が混濁し、憎悪も罪悪感も薄れていく。

 

 最後には毘沙門天が自ら腰を揺すり、口で吸っていた。

 

 茹だるような湿気のこもる部屋の中。

 濃厚なバターを思わせる淫臭が、先程までの激しい営みを物語っている。

 

 大和はベッドの上で座り、煙草に火を付けていた。

 横では毘沙門天がぐったりと倒れ、余韻と後悔の念に苛まれている。

 すすり泣きしそうなので、大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「ったく……帝釈天の野郎。奥さん一人救えない奴に世界の守護神なんか務まんのかよ」

「……っ、貴様ッ!」

 

 思わず立ち上がろうとした毘沙門天の尻を、大和はひっぱたく。

 

「うるせぇぞ駄女神、黙ってろ」

 

 毘沙門天は全身を痙攣させた。

 大和は鬱屈げに紫煙を吐き出す。

 

「これなら悟空をコッチ側に連れ戻したほうがいいか? ……こんな馬鹿どもに任せてらんねぇよ」

 

 悪辣なる救世主は理の守護神らを心の底から蔑んでいた。

 そしてここから、八天衆の結束に亀裂が奔るのである。

 

 



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閑話・闘仙堕つ

 

 

 魔界都市の中央区は大和にとって庭同然だった。

 見知った顔など殆どいない。既に死んでいる。

 この都市で、命は花よりも儚いものだ。

 

 それでも、変わらないものがある。

 大和の視界で燦々と輝くネオンの海。

 数多の命を犠牲にして輝く死の光は、彼の心を一時落ち着かせた。

 

 諸行無常、弱肉強食。

 この都市の在り方は、大和にとって大変都合が良かった。

 殺し、犯し、蔑むことでしか生を実感できない。

 そんな破綻者にとって、ここは楽園──

 

 真紅のマントを靡かせ、下駄を鳴らし歩く褐色肌の美丈夫。

 道行く者達が驚き、恐れ、道を開ける。

 女共の情欲に濡れた視線がまとわりつき、空気が湿る。

 

 喧嘩をしていた屈強なゴロツキどもは一気に大人しくなり、道の端に逸れた。

 

 大和は不意に欠伸をかく。

 無暗に喧嘩を売られるのも面倒くさいが、ここまで畏怖されると暇を持て余す。

 

 程々な刺激は無いものかと、辺りを見渡した。

 

 目の前に稲穂色の金髪を持つ美少女がいた。

 普段勝ち気であろう、髪と同じ色の瞳は涙で濡れている。

 可憐な童顔にカジュアルな服装。

 容姿的年齢は10代半ばほどだろうが、胸は大きく実っていた。

 

 デスシティには似つかわしくない、穢れなき神気を身に纏う美少女。

 彼女は掠れた声で大和に話しかける。

 

「久々だな……兄貴」

「…………」

 

 大和は何も応えない。

 ただ、悟空の事を見つめていた。

 悟空は唇を噛み、決死の覚悟で告げる。

 

「俺、やっぱり兄貴が好きなんだ……この想いに嘘はつけられねぇ。……その、もし兄貴が許してくれるのなら、また」

 

 その前に、大和は悟空を抱き寄せた。

 驚く彼女の頭を撫で、息を吐く。

 

「……馬鹿な妹だよ、お前は。心配かけさせやがって」

「っ」

「……会いたかった」

「……うんっ、俺も、会いたかった……兄貴ッ」

 

 ぼろぼろに泣き始めた悟空を、大和は優しく抱き締めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 裏路地、大和の住むアパートで。

 部屋の中で大和は悟空を猫可愛がりしていた。

 それはもう、ダダ甘である。

 

「肌色が悪い、髪の質も。目の下にも隈ができてるじゃねぇか……あーもう、馬鹿」

「えへへーっ、兄貴~っ♡」

「暫くは俺が面倒見る。だから帰るんじゃねぇぞ」

「うんわかった♡ 俺ももっと兄貴に甘えてぇし♡ はぁぁ兄貴の匂い、懐かしぃ~。手もゴツゴツしててあったけ~っ♡」

 

 悟空は完全に妹モードに入っていた。

 普段から孤児院で姉貴分として振る舞っている反動からか、構ってちゃんのブラコンになっている。

 

 大和はそんな悟空を存分に甘やかした。

 キスをねだられれば甘い口付けを交わす。

 悟空は表情をふやけさせ、大和に身体をすり寄せた。

 

 暫くして──大和はある事に気付く。

 

「お前、その傷……」

「!?」

 

 悟空は咄嗟に首元を手で隠す。

 しかし遅かった。

 大和に手を退けられると……そこには深い傷跡があった。

 

「これは……」

「~~っ」

 

 悟空は羞恥で顔を赤くする。

 

「……冥界で俺とやりあった時の傷だな。なんで残してる」

「……い、言えるかよ。そんなのっ」

 

 猛烈に嗜虐心をくすぐられ、大和は傷痕を舐めあげた。

 

「あっ♡ だめぇ♡ そこ……敏感だから……っ♡」

「言わなきゃやめねぇ」

「っっ」

 

 悟空は涙を浮かべ、顔を真っ赤にする。

 しかし観念したのか、ぽそぽそと囁いた。

 

「兄貴が、付けてくれた傷だから……っ、これを撫でる度に、兄貴を思い出せたから……っ」

 

 かなりマニアックだった。

 大和は悟空の変態性に呆れつつも、耳を甘噛みする。

 

「どうしようもない変態だな」

「あぅぅっ」

「そんなに俺の証を刻み付けてほしいのか? なら……身体の奥まで貫いてやろうか?」

「……っ」

「お前は妹分だが、イイ女に育った。……食わないのは勿体ねぇ」

 

 容姿不相応に豊満な乳房を揉まれ、悟空は甘い喘ぎ声を上げた。

 

 彼女は潤んだ瞳で大和を見つめる。

 

「兄貴ぃ……俺、兄貴に女として見てもらうの……ずっと夢だったんだ」

「……」

 

 大和は堪えきれず悟空の唇を奪う。

 お前は俺のものだと言わんばかりに、強引に。

 

 悟空は嬉し涙を流しながら受け止めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 情熱的な営みだった。

 互いに愛し合い、心の底から求め合っていた。

 

 その小柄な身体では受け止めきれないであろう快楽も、悟空は嬉々として受け止めた。

 

 日が沈み、また登り、また沈み──

 三回目の夜が訪れた頃に、漸くほとぼりが冷めた。

 

 布団の上で息を荒げながら、悟空は大和の腕に抱きついていた。

 大和は彼女の頭を撫で、その桜色の唇にキスをする。

 悟空は自ら舌を絡め、顔を蕩けさせた。

 

 濃い淫臭が部屋を満たしている。

 汗だくになりながらも、二人は満足そうにしていた。

 

「ありがとう、兄貴……凄く気持ち良かった♡」

「そうか、よかった」

「♡♡」

 

 悟空は大和の胸板にキスの雨をふらせ、甘える。

 すると、とたんに悲しそうな顔をした。

 

「もう、帰らなきゃ……」

「…………」

 

 大和は悟空を強く抱き寄せる。

 その逞しい腕は、決して悟空を離さなかった。

 

「俺の傍にいろ、目の届く範囲にいろ」

「……兄貴」

「お前をそこまで追い詰めたのは俺だ。だから言うぜ……もう離さねぇ。お前がどう言おうが、俺はお前を帰らせねぇ」

「っ」

「それでも帰るってんなら……帰る場所を「無くしてやる」。嫌なら俺の言うことを聞け」

 

 鬼の様な形相をする大和に対し、悟空は何故か嬉し涙を流した。

 彼女は大和の胸板に顔を埋める。

 

「ごめんよ、兄貴……らしくねぇこと言わせちまって。俺が中途半端だから、そんな事言ってくれるんだろう?」

「…………」

「本当に思うよ、俺は中途半端な奴だ。……もうそろそろ、踏ん切りつけないといけねぇ」

 

 悟空は顔を上げた。

 決意のこもった眼差しで大和を見上げる。

 

「俺、兄貴の事大好きだ。世界で一番愛してる……でも、帝釈天や毘沙門天、弟分や妹分も……大切なんだ」

「……」

「でも、今日愛して貰ってわかったわ。俺……どうしようもないブラコンだ。もう、兄貴から離れられねぇ」

 

 悟空は大和に身を預ける。

 

「八天衆の一角、斉天大聖は今夜、死んだ。……俺は孫悟空。ただの仙人だ」

 

 悟空は花が咲いたような笑みをこぼす。

 

「世界の平和とか、理の守護神とか、もうどうでもいいや……兄貴の傍にいれたら、それでいい」

「……そうか」

 

 大和は悟空の頭を撫で回す。

 それで全て伝わった。

 彼女は嬉しそうに身を捩らせた。

 

 

 ◆◆

 

 

 世界最強の仙人、至高の武仙と名高き孫悟空が八天衆を脱退した。

 世界を揺るがす大ニュースである。

 帝釈天を中心とした神々はなんとか彼女を引き戻そうとしたが、駄目だった。

 

 この事件、裏に大和の影があったので、神々は更に大和への警戒心を強めた。

 

 今後、様々な場面で敵対する事になるだろう。

 

 特に八天衆のリーダー、帝釈天の絶望が凄まじく、体調を崩してしまったという。

 公には晒されていないが、彼の息子もまた絶望し、これを機に間違った方向へと走ることとなる。

 

 大和からすればどうでもいい事だった。

 

 大事な妹分に代えられるものなどない。

 誰かを救うということは、誰かを貶めること。

 今回、彼は己のエゴを貫き通した。

 

 そうして、闇の救世主の物語が再び始まる。

 この世界の主人公は誰でもない、大和という規格外の悪人なのだ。

 

 



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閑話・彼こそ闇の救世主

 

 

 絢爛にして悪辣。

 この世に存在するあらゆる欲望を叶えてくれる魔界都市デスシティ。

 

 ワイバーンの群れが暗黒色の曇天を飛び回り、飛行車の行列がクラクションを鳴らしながら住民たちの頭上を通りすぎる。

 

 住民たちは無名の人斬りに強化サイボーグ、アンドロイドに妖怪、妖精など。

 

 麻薬の甘い香りが裏路地から漂う腐乱臭を和らげ、人外の女たちが生来の美貌で男たちをたぶらかそうとしている。

 

 大通りに並ぶ出店には独自に調合された魔薬や魔改造の施された重火器が並んでいた。

 

 丁度、すぐそばで縄張り争いしているマフィアたちが品を買いしめている最中だった。

 

 魔薬を飲んだ一人がみるみる内に怪物へと変貌し、重火器で武装した構成員達が後に続く。

 

 しかしプログラミングされた中級の焔魔術によって怪物ごと消し炭にされた。

 

 ゲラゲラと笑い声が響き渡る。

 街頭娼婦のサキュバスも、傭兵のオークも、腹を抱えて笑っていた。

 

 命をまるで玩具の様に弄び、貶める。

 それが当たり前。故に魔界都市。

 

 七色に輝くドギツイネオンは、無惨に死んでいった者達の命を糧に輝いていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 真紅のマントは彼以外に着用を許されていなかった。

 コレは暗黙の了解であり、破ればデスシティの殺し屋や賞金稼ぎに命を狙われる羽目になる。

 

 何故なら、はた迷惑だから。

 

 真紅のマントは暗黒のメシアを一目で判断できる材料。故に許されない。

 彼──大和以外の着用は。

 

「大和ぉ……さっさとホテルいこぉ、ホテルぅ♡」

「あっ♡ 胸を、揉むなぁ♡ まだ、早い……っ♡」

 

 金髪碧眼のエルフと銀髪灼眼のダークエルフを両腕に抱きながら、大和は中央区の大通りを歩いていた。

 

 道行く者達は畏怖と羨望の眼差しを向ける。

 女たちは侍るエルフたちに嫉妬の念を向け、男たちはそそくさと道を逸れる。

 

 この都市で彼がどれだけ影響力を持っているか、簡単にわかってしまう。

 

 大和はダークエルフの張りのある、しかし豊満な乳房を揉みしだきながら聞いた。

 

「なんだ? 嫌なのか?」

「そんな、ことは……っ♡ 時と場所を……うあんっ♡」

「ククク」

 

 適当にダークエルフを苛めながら隣で拗ねているエルフの唇にキスを被せる。

 エルフは表情を蕩けさせ、舌を絡めた。

 

 ふらふらと歩く三名、その横を影の薄い侍が通りすぎた。

 刹那、銀閃が煌めき、鍔鳴りの音が響き渡る。

 

 侍は暗い顔を喜悦で歪めた。

 しかし次の瞬間、ボトリと両腕が落ちる。

 

「……へ?」

 

 侍は宙でそれを眺めていた。

 自分の両腕と首が斬り飛ばされたと気付くまで、三秒もかかった。

 

 理解すると同時に絶命する。

 背後で血飛沫が上がる中、大和はやれやれと脇差しを納刀した。

 

「……? 大和、どうした?」

「何でもねぇよ」

 

 ダークエルフも、エルフも、気付いていない。

 今の刹那の攻防を──

 

 大和は怪訝な表情をしているダークエルフの額にキスをする。

 彼女はくすぐったそうに身を捩らせた。

 

 ふと、三白眼を細める。

 そしてエルフの豊満な乳房を支えるボタンを一つ取った。

 

「あぁん、大和のエッチ♡ ホテルはまだ先よ?」

「お前の胸に直接手を入れたくてな」

 

 そう言いながら、先程取ったボタンを背後に弾き跳ばす。

 おおよそ七キロ先の高層ビルで狙いを定めていたスナイパー、そのスコープごと脳天を貫く。

 

 大和はエルフの服の中に手を入れる。

 嬉しそうに悲鳴を上げる彼女を抱き寄せながら告げた。

 

「オラ、もうホテルだ。立てなくなるまで可愛がってやる」

「「……っ♡♡」」

 

 雌の顔をした二人を大和は連れていく。

 そして静かにほくそ笑んだ。

 

(いいねぇ……殺意と本能が俺を昂らせる。もっとだ、もっと楽しませろ)

 

 その灰色の三白眼を輝かせるのは、果てない欲望と憎悪だった。

 退屈な世界を蔑み、調子に乗ってる輩を嘲笑い、その全てを犯し尽くす。

 

 善? 悪? そんなもの関係ない。

 自分が楽しければそれでいい。

 それで悪と謗られても、知ったことではない。

 

 天上天下唯我独尊。

 最強にして最悪の益荒男の物語が、再び始まる。

 

 この世界は、彼を楽しませる箱庭でしかないのだ。

 

 

 



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第三十二章「楽園伝」
一話「偽りの楽園」


 

 

 広がる蒼穹にたなびく白い雲。

 穏やかな風は撫でる様に辺りに吹いていた。

 サファイアの様な青色をたたえるサンゴ礁、それらを見下ろす小高い丘。

 絵になる風景とはまさにこの事だ。

 

 ここはカリブ地域にあるとある小国。

 穏やかな気候と多様な特産品、そして平和な国風で知る人ぞ知る宗教国家である。

 

 此度はこの一見平和に見える島国で物語が紡がれる。

 この世界に真の平和などありはしない。

 あるのは仮初めの、上っ面のみの平和であることを思い知ることになるだろう。

 

 

 ◆◆

 

 

 街のメインストリートは賑やかで、土産物屋が所狭しと並んでいた。

 どの店も観光客で溢れ、非常に活気に満ちている。

 店からの呼び込みの声も明るく、すれ違う住民もにこやかに挨拶を交わしていた。

 

 そんな彼らが一様に息をのむ。

 まるで天使の様な──否、堕天使の様な美人姉妹が現れたからだ。

 

 亜麻色の短髪と長髪を揺らす彼女達は、世にも珍しいオッドアイ。

 

 短髪で右目が青色の美女は殺伐とした雰囲気を漂わせている。

 服装は純白のロングコートに黒革の手袋、漆黒の厚底ブーツ。左腕には真紅の逆十字の腕章を巻いている。

 

 長髪の左目が青色の美女は逆に淑やかな雰囲気を纏っていた。

 くるぶしまである漆黒のロングドレスに同色のケープ、ピンヒールのロングブーツがスラリとした美脚を強調している。

 

 好奇の視線を向けてくる住民たちに短髪の妹、クイン・ギネヴィアは鬱陶しそうに舌打ちする。

 溢れ出た殺気に住民たちは慌てて視線をそらした。

 戦闘経験のない一般人ですら感じ取れる、明確な殺意。

 

 姉であるジュリア・ギネヴィアが短気な妹を宥める。

 

「駄目よ、クイン。彼らは関係ない」

「……わからないわよ、お姉様。こんな胡散臭い国の住民だもの。後ろめたい事がある筈」

「決め付けはよくないわ。そも、私達が優先すべきは揺るがない「証拠」を手にいれる事。だから無駄な注目を集めては駄目……わかるわよね? クイン」

「……わかってる」

 

 頷きつつも不貞腐れる妹に微笑を向け、ジュリアは歩を進める。

 

「まずは歩きましょう。夜になるまでに目ぼしいポイントを見つけておかないと」

「OK」

 

 カツカツと足音を鳴らし、去っていく姉妹達。

 彼女達は天使殺戮士。

 プロテスタントが誇る対天使病の切り札である。

 

 彼女達の来訪したということは即ち、この国が天使病に関わっているということだ。

 楽園の滅亡は刻一刻と迫っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 メインストリートを抜けて広場までやってきた姉妹。

 まるで鮫の様に「血」の臭いを嗅ぎとったクインは、眉間に大きな皺を寄せた。

 

 肌で感じとれる。

 おぞましい色香を持った魔人が近くにいる事を……

 

 事実、「彼」は近くまでやってきていた。

 

 喧騒を裂いて現れた褐色肌の美丈夫。

 両脇にこの国特有のシスター達を侍らせている。

 

 大層な美少女達であり、修道服はシースルーさながらの際どい造りをしている。

 魅惑的な肢体が浮き彫りになっていた。

 

 彼女達は揃って陶然としていた。

 謙虚な信徒である筈の彼女達に女の顔をさせているのは、カジュアルな服装に身を包んだ褐色肌の美丈夫。

 

 額にかけたサングラスが陽光を反射する。

 暗い輝きを灯す双眸が、天使殺戮士の姉妹達を見つけた。

 

「おおっと、バカンス中に面倒な手合いに出会っちまったな」

「嘘付くんじゃねぇよ、殺し屋。アンタも同じような理由で来たんだろう?」

「さぁな」

 

 とぼける美丈夫、大和にクイン・ギネヴィアは額にビキビキと青筋を立てた。

 

 

 ◆◆

 

 

「所構わず気持ち悪ぃオーラばら撒くんじゃねぇよ……吐き気がする」

「何だ、疼いちまったのか? 今夜泊まるホテルの番号でも教えてやろうか?」

「……」

「……」

 

 無表情になったクインの右腕がブレる。

 刹那、大和の背後にあった遺跡群に斬線が奔った。

 突然の爆音、そして上がる土煙に住民たちは動揺する。

 

 騒がしくなる広場前で、二人は変わらず睨みあっていた。

 クインは苦虫を噛み潰した様な表情をしており、大和は飄々と笑っている。

 

 両者の間に一体何が起こったのか……

 それは傍にいたジュリアにしかわからなかった。

 

 キレたクインが咄嗟に放った光速の鎌刃を大和が視線誘導で回避したのだ。

 正確に脳漿をぶちまける筈だった斬撃は僅かな、しかし鋭い殺気に感化されてあらぬ方向へと飛んでいった。

 

 唯我独尊流・木の型『樹海』

 

 戦闘に於ける殺気運用術。

 相手の五感を乱し、時に幻覚に類似したものを見せる。

 

 大和はクインの一撃を視線だけで無効化したのだ。

 怒鳴り散らそうとする彼女の前に、ジュリアが割って入る。

 

「双方、おやめなさい。この場で争っても何も意味はないわ」

「お姉様退いて。ソイツ挽肉にする」

「血気盛んな嬢ちゃんだ。イイ声で鳴いてくれそうだな」

「野郎ォ……!!」

 

「クイン。私の言うことを聞きなさい」

 

「…………」

「己が使命を思い出しなさい」

「……チッ」

 

 盛大に舌打ちし、クインは大和に背を向ける。

 

「命拾いしたな、糞野郎」

「クックック」

 

 可笑しそうに嗤う大和。

 彼は口パクで「ある事」を姉妹に伝えた。

 

「「!!」」

 

 驚愕する姉妹。

 大和は未だ惚けているシスター達を連れて去っていった。

 

 その背を忌々しげに見つめながら、クインは呟く。

 

「大聖堂の地下で「クスリ」が造られてる、だぁ?」

 

 姉のジュリアもまた、怪訝そうに大和の背を見つめていた。

 

「……貴方は、既に知っているのね。この楽園の真相を」

 

 



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二話「楽園の真実、躍動する影」

 

 

 大聖堂の屋上にある豪華な一室で。

 教皇である老人は、その細い眼を見開いた。

 枯れ木のような壮年である。風が吹けば飛んでしまいそうな……そんな儚さを感じさせる。

 しかし纏うオーラは清らかであり、一宗教の長足り得るカリスマ性を滲ませていた。

 

 純白の司祭服を揺らして、彼は眼前で片膝をつく近衛騎士団の団長に告げる。

 

「それで……マクシミリアン。この国にネズミが入り込んだという件についてですが」

「はい、既に手はうっております」

 

 プラチナブロンドの長髪を揺らす美青年。

 銀縁の眼鏡をかけ、知的な雰囲気をたたえている。

 その肉体は屈強で、法衣の上からでも伺い知ることができた。

 線は細いが、武人特有の無駄のない体つきをしている。

 

 教皇はゆっくりと頷いた。

 

「信頼していますよ。それで……ネズミの正体は判明しましたか?」

「はい。二大宗派プロテスタントの誇る最終兵器、天使殺戮士。中でも冷酷さで知られる死神姉妹です」

「他には……?」

「っ」

「わからないのであれば結構……かなりの手練だ。派手に行動している様で痕跡を一切残していない。……要注意ですね」

「ハッ。現在、捜索対象として国全体を捜索中です」

「よろしい……マクシミリアン。貴方は誠実な信徒だ。その働きに、大いに期待していますよ」

「勿体無き御言葉……!」

 

 深く礼をし、マクシミリアンは部屋を去っていく。

 教皇は隣の窓に視線を移し、西に沈みつつある夕陽を見つめた。

 

 そして、しわがれた声で囁く。

 

「終わらせませんよ……楽園は」

 

 

 ◆◆

 

 

 広大な敷地に建てられたゴシック様式の建築物。これが大聖堂である。

 此処を中心に並び建っている古い遺跡群は1000年以上もの歴史を誇っていた。

 

 何本かの巡礼路には専用の高速鉄道が通っている。

 歩道には照明が完備され、金管楽器を模したホーン型のスピーカーも設置されていた。

 

 何処からか、しわがれた声が聞こえてくる。

 スピーカーを通して、教皇が一日の終わりを告げていた。

 

「民衆よ、お聞きなさい。我々は選ばれた。この争いの絶える日のない混沌の世界で、唯一の救いは『天使様』の存在のみ。平和を祈りなさい、安息を祈りなさい。そして帰依するのです。選ばれし者だけが、この混沌とした世界に理想の世界を見る事が出来るのですから」

 

 民草たちは耳を傾け、両手を重ねる。

 皆、店を畳み早々に帰り支度をする。

 夜がやってくる──静かな夜が。

 

 

 ◆◆

 

 

 大聖堂の扉の前で。

 分厚く頑丈な鉄扉。そこを抜けて、住民たちすら立ち入りを禁止されている螺旋階段をおりていけば……地獄を見ることができた。

 

 地下牢獄。

 今は人ならざるものを監禁、実験する施設に改良されている。

 

 研究員たちを昏倒させたクイン・ギネヴィアは純白のロングコートを翻した。

 その顔は嫌悪で歪んでいる。

 

「……これが楽園の真相かよ」

 

 クインの眼前には培養カプセルに沈んだ天使病の患者たちがいた。

 培養液には強力な麻酔薬が含まれているのだろう、患者たちは微動だにしない。

 

 赤子の腕に女の足、魚の目に虫の羽。

 あらゆる生物的要素を孕みつつ、醜悪の極みに達している化け物たち。

 

 彼等を用いて何をしているのか……ジュリアの口から語られた。

 

「情報は確かだったわ……巷で猛威を振るっている魔薬エンジェルフィン。その材料が天使病の患者で、ここはその生産場」

「ようはケシ畑でしょ、反吐が出る」

 

 クインは盛大に舌打ちする。

 

 最近裏市場に出回るようになった強力な麻薬、エンジェルフィン。

 服用者に多大な幸福感と快感をもたらすが、数度の服用で死に至らしめる……まさしく魔薬。

 

 プロテスタント、真世界聖公教会はこの魔薬の原材料が天使病患者を構成する霊子型ナノマシンであることを突き止め、出所であるこの国へと死神姉妹を派遣したのだ。

 

 ジュリアは冷静に分析しはじめる。

 

「魔薬で稼いだ莫大な資金で信者達の税や物価を抑え、結果、精神的な安息と厚い信仰心を持たせる……考えたわね」

「小さな国を楽園に変えるには一番手っ取り早い方法でしょ。大多数を犠牲にして手の届く極小数を幸せにする……拗らせた偽善者が至りそうな結論だわ」

「国民達には悪いけど……」

「天使病に手ぇ出したのが運の尽きだ。覚悟しろよ……教皇」

 

 死神姉妹は、今夜中にケリをつけるつもりでいた。

 

 

 ◆◆

 

 

 この国で一番豪華なホテルに、大和は泊まっていた。

 夜遅く、彼は受付の男性に告げる。

 

「部屋、少しちらかっちまったから掃除頼むわ」

「かしこまりました」

 

 恭しく一礼した男性はそそくさと大和が居た部屋に向かう。

 マスターキーで解錠し扉を開ければ……そこには淫靡な空間が広がっていた。

 

「ひっ……!」

 

 思わず尻餅をつく男性。

 部屋の至るところに美女美少女達が転がっていたからだ。

 総勢10名ほどか。皆、快感の余り痙攣し白目を剥きかけている。

 

 よくよく見れば、全員この国の誇るシスター達だった。

 

 外を歩いている大和は何時もの一張羅を靡かせながら、クツクツと喉を鳴らす。

 

「いいウォームアップになったぜ」

 

 

 ◆◆

 

 

 静かな夜だった。

 遠くからさざ波の音が聞こえてくる。

 潮を孕んだ夜風が大和の黒髪を靡かせた。

 

 下駄をカランカランと鳴らして歩いていた彼だが、ふと立ち止まる。

 そして路地裏に視線を向けた。

 

「様子見か? マイク」

 

 マイク──そう呼ばれて現れたのは、厳つい欧米人だった。

 サイドにそり込みを入れた金髪に欧米人らしい彫りの深い顔立ち。

 鍛え抜かれた肉体は二メートルを優に超え、大和と並んでいても何ら違和感ない。

 タンクトップから覗く屈強な腕には髑髏の刺繍が彫り込まれており、恐らく背中まで至っている。

 

 見るからに狂暴そうな男は、訛りのある英語で豪快に笑ってみせた。

 

「HAHAHA! 様子見なんて人が悪いぜ旦那! 俺達ぁアンタを心から信頼してる! アンタは世界一のHITMANだからな!」

 

 如何にもアメリカ人らしい。

 大和は笑い返しながら言った。

 

「そっちの首尾はどうだ?」

「おうさ、ボスが最高にCRAZYな後釜を用意してるぜ」

「じゃあ、あとは俺が邪魔な奴等を全員消せばいいんだな。そしたらこの国はお前らのものになる」

「おうよ、俺達ルプトゥラ・ギャングの領地だ。ククク、そんじょそこらのケシ畑より価値があるぜこの国ぁ! ボスも大喜びだ!」

 

 ルプトゥラ・ギャング。

 デスシティが誇る五大犯罪シンジケートの一角。

 メキシコ系ギャングの総元締めであり、麻薬界隈の頂点に君臨している極悪犯罪組織だ。

 

 マイクは武闘派の幹部を務めている強者だった。

 

 ルプトゥラ・ギャングは五大犯罪シンジケートの中でも莫大な財力を誇っており、デスシティでAクラス上位の殺し屋、傭兵、賞金稼ぎを雇い囲っている。

 中にはSSクラスの超越者も混じっており、マイクはその一人だった。

 

 彼はニタニタと下品な笑みを浮かべる。

 

「旦那も味わっただろう? この国の女はベラボウに美味いんだ。FUCKすればすぐ喘いでくれるビッチばかりだからなぁ……ソッチ方面でも稼げる」

「確かにな」

 

 喉を鳴らす大和。

 マイクは機嫌よく言った。

 

「今夜中にキメてくれるってんならありがてぇ。早速ボスに報告しておくぜ」

「おう」

 

 つまりだ。

 この国は五大犯罪シンジケートの一角に目を付けられ、乗っ取られようとしているのだ。

 大和はその先駆け……

 邪魔な関係者達を鏖殺しにきたのだ。

 

 無情な結末がこの国を覆おうとしていた。

 

「で、他には? まだ要件があるんだろう?」

「さっすが旦那……まぁ、他の奴等がしてるかもしれねぇけどよぉ」

 

 マイクは真顔になる。

 

「八天衆のリーダー、帝釈天の暗殺依頼、受けてくれねぇか?」

「…………」

「俺達にとって、いいや五大犯罪シンジケートにとって、あのHERO気取りのGODは目障りでしかたねぇんだよ」

 

 マイクの憎悪のこもった言葉に、大和は灰色の三白眼をスゥと細めた。

 

 

 ◆◆

 

 

「旦那の妹分が最近脱退したって聞いてるぜ」

「耳が早いな」

「俺達にとっては最高のCHANCEだ。なぁ……今なら受けてくれるだろう?」

 

 マイクの懇願するような眼差しを、大和は敢えて流す。

 

「前から言ってんだろ? コレだよコレ」

 

 大和は手で銭のマークを作る。

 

「八天衆のリーダーを殺すんなら、それに足る報酬を払えってこった」

「……」

「テメェらは顧客だ、割引してやる。が……それでも世界最強クラスの武神だ。額は天文学的数値になるぜ」

 

 大和の言葉に、マイクはゆっくりと頷く。

 

「今、五大犯罪シンジケート内で頻繁に会議が行われてるんだ。互いのボスが払えるだけの金を払おうって算段だ」

「ほぉ」

「あと数ヵ月で兄貴の提示する額に届く。だから……聞いておきてぇんだ。正式に依頼すれば、兄貴は引き受けてくれるのか?」

「…………」

 

 大和はうっすらと、不気味に笑った。

 

「受けてやるよ」

「!!」

「きっちり報酬を払うってんなら是非もねぇ」

「Yeah!! なら早速にボスに伝えてくるぜ!! 言質取ったからな!!」

 

 マイクは子供の様にはしゃぎながら屋上に飛び移り、消えていった。

 

 肩をすくめて見送った大和は、「いよいよだな」と嗤う。

 

「こっちとしても、願ったり叶ったりだぜ」

 

 彼もまた、待ちわびていたのだ。

 帝釈天を潰す機会を。

 

「その前に……」

 

 広場前まで歩いてきた大和は、クルリと振り返る。

 その目先には西洋の騎士団らしき団体が列を成していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 その頃。

 天使殺戮士、クインとジュリアは教皇のいる部屋に侵入していた。

 正確には、苦もなく部屋の中に入る事ができた──か。

 あまりの警備のザルさに、クインは懸念を隠しきれないでいた。

 

 最奧で座っている教皇に問う。

 

「アタシ等がこの国に侵入してたのは、わかってた筈だ」

「ふむ……君達が天使殺戮士、死神姉妹か。思っていたよりも若いな」

 

 しわがれた声。

 教皇である老人は細い眼で姉妹達を見つめる。

 まるで枯れ木のような風体──老い先短いだろう。

 

 しかし彼女達は老人相手でも手加減しない。

 する筈がない。

 

 クインはズカズカと歩み寄り、飛びかかる。

 

「アンタに対しては特別に殺害許可が出てる。──大人しく逝っとけ」

 

 手首に収納された鎌刃が鋭利な光を放つ。

 一刀両断。教皇の座していたテーブル席が真っ二つに割れた。

 

 しかし──教皇は無事だった。

 

 代わりにクインの背後に切断された鎌刃が突き立つ。

 

「……何だと?」

 

 クインは思わず呟く。

 教皇は膝上に乗せていた日本刀を納刀した。

 チャキンと、鍔鳴りの音が響き渡る。

 

「昔、剣術を極めた事があってね。……少し錆び付いているが、まだまだ若い者には負けんよ」

「ッッ」

「小野派一刀流免許皆伝──エンデバー、推して参る」

 

 緊急事態──姉のジュリアが思わず叫ぶ。

 

「クイン! 離れなさい! 彼は『咎狩り』のエンデバー、超越者よ!」

 

「~~~~っっ!!」

 

 首筋に閃く銀線をクインは残った鎌刃で辛うじて防ぐ。

 大聖堂の屋上で大爆発が引き起こった。

 

 

 ◆◆

 

 

 白づくめの集団。

 白いフードを被り、白銀の重厚な甲冑を身に纏っている。

 余程訓練されているのだろう、足取りは軽やかだ。

 ヘルムに刻まれた十字架が教会関係者である事を示唆している。

 腰に下げた巨大なバスタードソードが物々しい雰囲気を醸していた。

 

 彼等を前にしても大和は余裕を崩さない。

 よっこいせとベンチに腰を下ろす。

 そして遠くを見てフムフムと顎をさすった。

 

「武術の超越者がいるな。こりゃあ、アイツ等にはキツいか? いいや……しかしかなり弱ってるな。これならワンチャン」

 

 騎士団に目もくれていない。

 有象無象の輩だと決めつけているのだろう。

 

 数名が無言でバスターソードに手を添えたが、ふと左右に分かれた。

 突然の行動に流石の大和も意識を向ける。

 

 現れたのは、プラチナブロンドの長髪を揺らす美青年だった。

 銀縁の眼鏡をかけ、知的な雰囲気をたたえている。

 

 彼──騎士団長マクシミリアンは苦笑をこぼした。

 

「我々の事は眼中にありませんか……世界最強の殺し屋、Mr.大和」

「そりゃあな。お前らみてぇな雑魚ども、わざわざ意識しなくても──」

 

 そう言った大和は硬直した。

 マクシミリアンを見て目を丸めた後、徐々に敵意を滲ませる。

 途轍もない圧が周囲の空間を圧迫した。

 

「テメェ……何でこんな所にいやがる」

「はて? なんの事やら……」

 

 

「とぼけんじゃねぇ!!!!」

 

 

 怒号は衝撃波となって広場を吹き飛ばした。

 騎士団が紙屑みたいに飛んでいく中、マクシミリアン──彼だけはやれやれと前髪を掻き上げている。

 

 そして獰猛に笑った。

 

「そう吠えるなよ、好敵手」

 

 刹那、至上の斬撃が唸りをあげた。

 大和の右腕を断たんとする魔剣──本来、超越者の攻撃であろうとも防御しない大和が明確な回避行動をとった。

 刀体の腹を掌で押して軌道を逸らす。

 

 生じた斬撃波は国を、海を、いいや地球を優に断った。

 世界中の強者達が驚愕する。

 すぐさま黄金祭壇の魔導師達が地球を修復し、超高密度多重障壁で大和がいる国を覆った。

 

 他の超越者達は気付いた。そして驚愕する。

 彼は……容易に地上に出ない存在の筈だからだ。

 

 大和は野獣のように吠える。

 

「答えろ……何でこんな所にいやがる、サタンッッ!!」

 

 その者、別次元に存在する世界「魔界」の統治者。

 世界最強の悪魔であり、悪魔という種族の超越者。

 

 あらゆる種類の魔剣を創造し意のままに操る、無敵の魔剣使い。

 通称『魔剣帝(ブレイドマスター)

 

 EX+クラスの超越者。

 悪魔王──サタン。

 

 常勝無敗の魔剣帝は、唯一無二のライバルに歪んだ笑みを向けた。

 

「老い先短い偽善者に付き合っていただけだよ……しかし、嬉しいな。誰でもない、貴様が釣れたのだから!!」

 

 滑らかな金髪が禍々しい紫色に変わる。

 生っ粋の戦闘狂である彼は、世界の被害など一切考えずに魔剣を振るった。

 

 



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三話「決戦」

 

 時計塔にて。

 時計塔とは、魔術結社「黄金祭壇」の本拠地である。

 表世界のローマやミラノにある支部とは違い、時計塔はあの世とこの世の境目、通称「星幽界(せいゆうかい)」にある。

 

 満天の星空の中、巨大な満月が一際輝いていた。

 巨大な時計塔を中心に複数の都市で形成されているこの場所は、魔術士たちにとって聖地であり、学び舎であり、安住の地だ。

 

 時計塔の最上階、大時計の裏側で。

 荘厳な鐘の音が鳴り響く中、あらゆる総てを睥睨できる玉座から遂に腰を上げた女がいた。

 

 世界最強の魔導師。

 魔法使いの原点にして頂点。

 災悪の魔女──エリザベス。

 

 深紅のドレスが靡く。

 赤みがかった金髪から覗くのは過去、現在、未来で起こる全ての事象現象を見通せる千里眼だ。

 

 突如として確定した世界の破滅。

 

「馬鹿な人──誰が貴方の尻拭いをすると思っているの」

 

 飽きれて囁くエリザベス。

 その眼前には、既に8名の魔導師が待機していた。

 各国の支部長を務めているエリザベスの忠実な僕達である。

 

 エリザベスは彼女達に告げた。

 

「今回の案件、私とリタでどうにかするわ。貴女達は通常業務に戻りなさい」

『はっ』

 

 エリザベスは隣に控えている銀髪のメイド、No.2リタ・リスファーナを見やる。

 彼女は恭しく一礼した。

 

 エリザベスは瞳を濡らして囁く。

 

「ほんと……馬鹿な人」

 

 その囁きは、側近であるリタにしか聞こえなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 天地揺るがす魔闘の奔流。

 大和は地面に両指を突き立てた。

 そして地盤ごと『国』をめくり上げる。

 流動する地形、荒れ狂う海域、歪む時空間。

 倒壊する建造物もろとも持ち上げて、武器として使い潰す。

 卓袱台返し──と言えばわかりやすいだろうが、コレはあまりにもスケールが違いすぎた。

 

 満天の夜空を覆い隠す巨大な一枚岩。

 理屈も糞もない、超広範囲物理攻撃である。

 

 しかし熱線一閃。

 天地逆転を融断したのは、サタンの手中にある灼熱の魔剣だった。

 

 余波で海面が沸騰する。

 刀身で燻る地獄の業火が上空に佇む悪魔王の狂喜の顔を照らし出す。

 

 灼熱一閃。

 兜割りで解放された無限熱量は国だった瓦礫ごと総てを溶かした。

 黄金祭壇の魔導師達が展開した超高密度多重障壁ごと時空間が融断される。

 

 結果、時が止まる。

 

 超絶の剣技と規格外の魔剣が『時』という概念をも切断したのだ。

 

 しかし真っ向から受け止めてみせるのが彼、暗黒のメシアである。

 

 彼は両手で光線を挟みこんだ。

 真剣白刃取りの要領で無限熱量の刃を止める。

 物理法則、理屈を完全無視した出鱈目武術だ。

 

「光線ッッ、白刃取り!!!!」

 

 そのまま背後にぶん投げる。

 指向性を無くした熱線は超高密度多重障壁を溶かし尽くし、夜空の彼方へと消えていった。

 数多の星、銀河、宇宙を消し飛ばし、最終的には数億の三千大千世界を滅却する。

 

 サタンは倒壊した地面に降り立ち、喜悦で口元を歪めた。

 

「流石だ、我が生涯のライバル……出鱈目な武術、極まっているな」

 

 対して大和は、火傷した掌に懸命に息を吹きかけていた。

 

「フー! フーフー! あっつつ……クソが!! 俺が受け止めなかったら地球が消し飛んでるぞ!!」

「知ったことかよ。俺はお前と全力で斬り合えればそれでいいんだ」

「あーそうかよ、俺もどうでもいいけど……後でエリザベスが直してくれるし」

 

「なら全力で斬り合おう……!! 終末論の時の続きだ!!」

「やってやらぁ!! 全力で叩き潰してやる!!」

 

 互いに得物を握り、全力で振りかぶる。

 そうして白刃を削り合わせれば、埒外の衝撃波が地球を揺るがした。

 

 

 ◆◆

 

 

 剣のみで魔界を統一し、悪魔の王になった世界最強の魔剣使い。

 彼は悪魔という種族を愛し、何よりも闘争を愛していた。

 魔界を弱肉強食の貴族社会に変え、終わり無き戦争を誘発した。

 

 しかし近年、悪魔達の間で序列ができあがってしまった。

 

 悪魔の王として、喜ばなければならない。

 だが彼は酷く退屈していた。

 己に敵意を向けてくる存在がいない。

 あるのは畏怖と敬意のみ。

 

 そんなものいらない。

 恨んでくれてもいい。

 もっと闘争を。血湧き肉躍る闘争を──。

 

 しかし世界は存外狭い。

 魔界の外にも彼に挑もうとする存在はいなかった。

 

「今思えば、怠惰だったのかもしれん……待たずとも、俺からお前に会いに行けば良かったのだ!!」

 

 生まれて数億年、未だ負け知らず。

 常勝無敗の魔剣帝が勝ち損ねた数少ない存在。

 

 暗黒のメシア。

 

 何度殺し合おうと必ず引き分ける。

 どれだけ剣技を磨こうが、魔剣の純度を上げようが、決して勝てない。

 

「恋しいぞ……!! この感情、愛に近いッッ!!」

「気色悪ぃんだよバトルジャンキーが!!」

 

 告白と共に放たれた絶剣を大和は脇差でカチ上げる。

 無双の剛力と無窮の剣技の衝突は大気を吹き飛ばし、星を揺らした。

 

 直後に交わる銀閃と魔閃。

 刹那の間に億を越える応酬が繰り広げられる。

 赤柄巻の大太刀が圧倒的膂力からなる質量を以て地を割り、禍々しい魔剣が鋭利な風で虚空を断つ。

 

 神速の歩法で互いに制空権を瞬時に形成。

 苛烈な押し付け合いをはじめる。

 

 剣技に於いては紙一重でサタンの方が上だった。

 しかし速度は紙一重で大和の方が上。

 

 筋力は大和の方が遥かに上であり、万能性はサタンの方が圧倒的……

 

 戦闘センスは全くの互角。

 故に拮抗。戦況はどちらにも傾かず、剣撃は激化の一途を辿る。

 

 制空権が鬩ぎ合う最前線は修羅の領域だった。

 袈裟切り、逆風、逆胴、唐竹、刺突──剣閃と体捌きの応酬はまるで示し合せたかのように互いを傷付けることが無い。

 

 圧倒的戦闘センスと極まった武練が描き出す斬撃予測線は現在(いま)を超越し、遥か未来(さき)にまで及ぶ。

 今起こっている剣撃は既に過去のものなのだ。

 

 互いの体勢、筋肉の動き、視線、速度と膂力、周囲の地形から互いの手札に至るまで──

 ありとあらゆる戦場の要素を捉えることは、両雄にとって至極当然だった。

 

 故に先を出すしかない。

 互いの信じる『最強』を曝け出すしかない。

 

 大和は圧倒的総合力でゴリ押しを敢行した。

 筋力、速度、耐久力、五感、反応速度。

 白兵戦に於ける重要要素を提示し、無理矢理押し付ける。

 

 対してサタンはその万能性を十二分に発揮した。

 大和の攻め方に併せて魔剣を瞬時にオーダーメイド、彼の長所を徹底的に殺し尽くす。

 

 赤柄巻の大太刀が赤熱化し唸りを上げれば、最硬化が施された魔剣が赤刃を滑らせ芯をズラす。

 

 決着は──つきそうにない。

 ならば、更に先を出すしかない。

 

「しゃらくせぇ」

 

 サタンの右半身に突如として鉄塊がめり込んだ。

 

「な、にぃ……!?」

 

 辛うじて魔剣を挟み威力を殺したものの、抗いきれずに吹き飛ばされる。

 後転し着地したサタンは、暗黒のメシアの本来の姿を拝む事ができた。

 

 左手に巨大なモーニングスターを、右手に身の丈を越えるバスターソードを携えている。

 

 大和は獰猛に嗤った。

 

「剣じゃあ何時まで経っても決着がつかねぇ。なら武術家として立ち回るだけだ。テメェも、何時まで怠けてる。テメェは剣士じゃなくて「魔剣使い」だろう」

 

 その言葉にサタンは目を丸めた。

 次には哄笑を上げる。

 歓喜の哄笑だった。

 

「やはりお前は俺の永久の好敵手だ!! 何故こうも昂らせてくれる!! 愛おしすぎて歯止めが効かなくなるではないかッ!!」

 

 禍々しい紫色の魔力が開放される。

 そして見渡す限りに魔剣が突き立てられた。

 その一本一本が世界最強クラスの魔剣である。

 

 サタンは六本の魔剣を指で挟み込み、唇を歪めた。

 

「しかし、いい加減ハッキリさせたいものだな……どちらが強いのか!!」

「俺に決まってんだろ!!」

「ぬかせ!! 俺に決まっている!!」

 

 互いに心底楽しそうに得物を振るう。

 悪魔王と怪物の戦いは佳境に入った。

 

 

 ◆◆

 

 

 何と無情な事か──

 何故、世界はこうも矛盾に満ちているのか。

 

 教皇エンデバーは思わず天を仰いだ。

 夜空が崩れている。

 規格外の怪物達によって、あらゆる事象現象が歪んでいる。

 

 世界各地で天変地異が勃発している。

 海は完全に凪ぎ、山脈は大噴火を繰り返し、野性動物達は本能のままに逃げ惑っている。

 

 地殻変動に巻き込まれた人類は成す術なく死に絶え、崩れた都市の下敷きになっていた。

 

 本来であれば既に世界は終わっている。

 黄金祭壇の魔導師──エリザベスとリタが絶え間なく世界を巻き戻していなければ。

 

 エンデバーは嘆かずにいられなかった。

 己も、巻き戻される側にある。

 

「何もできない──この世界に対して、私は何もできない」

 

 魔導の才能がなく、代わりに剣士としての才能があった。

 だから死にもの狂いで磨き、直接悪人共を斬り伏せた。

 何年も、何十年も。

 

 しかし何も変えられなかった。

 剣では、世界を変えることはできなかったのだ。

 

 後は朽ちていくだけの身。

 中途半端な超越者は老いからくる死を避けられない。

 

 残り僅かな人生、できうる限りの事をした。

 できる限り多くの人を幸せにした。

 憎むべき悪逆も進んで行った。

 

「今思えば……私は間違っていた。老いに急かされるまま、してはいけないことをしてしまった」

 

 エンデバーは眼前に佇む天使殺戮士を見やる。

 瀕死寸前まで追いやった筈なのに、彼女達は立ち上がっていた。

 

 衣服が割け、柔肌が露になり、血潮で汚れていても尚──死神姉妹は戦意を失っていない。

 

 エンデバーは思わず囁く。

 

「君達を見ていると、昔を思い出すよ」

「一緒にすんじゃねぇ……!」

「……そうだな、確かに失礼だ。私は既に咎人」

 

 自嘲しながら、エンデバーは日本刀を携える。

 そして決意を表明した。

 

「……それでも、抗わせてもらう。私なりの矜持というやつだ。楽園は終わらせん」

 

 偽善者は、最期まで偽善を貫き通す道を選んだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 曲がりなりにもエンデバーは超越者である。

 剣一本で理外の扉を開いた天才、表世界の強者とは格が違う。

 

 実際、死神姉妹は絶対絶命の危機に陥っていた。

 膂力、技術、経験──勝てる要素は何一つとしてない。

 

 しかし追い詰められているのは実際、エンデバーであった。

 

(その眼──忘れられる筈もない。……執念だ)

 

 譲れないものがある。

 やり遂げねばならないことがある。

 

(……君達を見ていると、本当に思う。私は道を誤った)

 

 この身朽ち果てるまで戦場に出ていれば良かった。

 理不尽な世界に抗い続ければよかった。

 

「しかしもう、遅い……」

 

 沈んだ想いが余分な力を無くす。

 何も考えずに刀を振るえば、九つの銀光が閃いた。

 万魔断つ斬撃は滑らかで、何より迷いがない。

 

 クインとジュリアは向かってくる光速の刃を辛うじて避ける。

 極限まで研ぎ澄まされた超感覚が二名を一つ上の階梯へと押し上げる。

 

 しかし、まだ若い。

 エンデバーは苦笑しながらも、容赦なく白刃を振るう。

 

 クインが避けられない追撃はジュリアがカバーし、ジュリアの隙はクインがカバーする。

 姉妹だからこそ可能な、見事なコンビネーションだった。

 本来であれば既に終わっている筈なのに、未だ終わっていない。

 

 エンデバーは別に手加減しているワケではない。

 死神姉妹が異常にしぶといのだ。

 

 そして何より──

 

(この程度で限界か……我が肉体よ)

 

 戦場に出ていたのならいざ知らず、長い間剣を握っていなかったエンデバーの肉体は予想以上に老いていた。

 

 もって残り十秒。

 その間にケリをつけなければならない。

 

(であれば一秒でいい、この姉妹を殺すのに十秒もいらない)

 

「……いざ」

 

 身を屈めたエンデバーに姉妹達は鋭い視線を向ける。

 執念をそのままに、クインは冷酷な表情で告げた。

 

 それは、死の宣告だった。

 

「悪ぃな……アンタはもう終わりだ」

 

 クインの言葉にエンデバーは驚愕する。

 瞬間、灼熱の熱線に飲み込まれた。

 

 クインの一撃ではない。ジュリアの一撃でもない。

 全く意識外──真横からやってきた。

 これは……

 

(魔剣帝の灼熱の魔剣──そうか、姉の方が時空間を弄ったか)

 

 第三者の「空振り」を利用した時空間変差攻撃。

 絶え間なく時間が巻き戻されているこの国だからこそ可能な、不可視不可避の一撃。

 

 姉妹達はエンデバーが余計な事を考えている間に準備を整え、起死回生のチャンスを伺っていたのだ。

 

 わかった時には既に手後れ。

 悪あがきで身を捩らせるも半身を消し飛ばされる。

 

 姉妹達は無表情だった。

 勝利に酔うことも、情けを覚えることもない。

 執念すらも敵を欺くために利用する。

 

 力の差など関係ない。

 格上殺しの業が、そこにはあった。

 

 

 ◆◆

 

 

 半身のみとなり倒れたエンデバーは、微かに笑った。

 

「すまないな……爺の悪足掻きに、付き合ってもらって……」

 

 その言葉にクインは首を横に振るう。

 エンデバーの得物を納刀し、傍においた。

 

「爺さん……アンタは立派だった。最期まで信念貫き通して。……悪ぃ、こんな汚い勝ち方しちまって」

 

 クインは珍しく悲哀に満ちた顔をしていた。

 死神姉妹が滅多に見せない顔である。

 

 エンデバーは目元を微かに緩めた。

 

「いい、私は咎人……情けは不要だ。しかし、君達に殺された事が私にとって……最後の救いだった」

 

 静かに、しかし満足そうに息絶えたエンデバー。

 

 彼は報われたのだろうか──

 否、断じて否。

 それは相対した姉妹達が一番よく理解している。

 

 クインは立ちあがり、踵を返す。

 

「だから、人間を殺すのは嫌なんだよ……っ」

 

 傷心している妹に、姉は柔らかい声音で告げた。

 

「帰りましょう、クイン。……任務は終わったわ」

「……ええ、お姉様」

 

 死神姉妹は帰還する。

 やるべき事を果たしたから。

 

 

 哀愁の念だけが、その場に残った。

 

 



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四話「決着」

 

 

 紅蓮の炎が爛々と煌めく。

 極限まで練り上げられた生命エネルギーは一切合切無に還す破滅の閃光。

 強制終焉、幕引きの一撃──その全力。

 

 対するは無限数の魔剣を統合し製造された唯一無二の一振り。

 数多の権能を丸々全て純エーテルに還元し、規格外のエネルギーを発生させる絶滅の魔神剣。

 

 

『真極・天中殺』

『終極剣エスパーダ』

 

 

 互いに全身全霊。

 出し惜しみせず、目の前の好敵手を倒そうとする。

 

 剛拳と魔剣が触れ合う刹那、大和は半身を逸らして拳を引いた。

 極限状態からの脱力。

 サタンの必殺の魔剣が空を切る。

 

 舌打ちしながらもサタンは破格の筋肉繊維、関節強度で魔剣をVの字に斬り返す。

 しかし腋に挟まれて威力を完全に殺された。

 

 サタンの視界が暗転する。

 大和の肘から放たれた強烈なフックが顎先を掠めたのだ。

 脳が揺れ、平衡感覚を失う。

 笑う膝は言うことを聞かず、サタンは思わず苦笑した。

 

 その顔面に下駄の裏側がめり込む。

 埒外の闘気が既に右足に溜められていた。

 大和は嗤いながらそれを解放する。

 

 

『陽の型・天中殺三式・崩天脚』

 

 

 サタンは成す術なく吹き飛ばされる──筈だった。

 自ら後方に回転し、威力の九割を殺す。

 

 瞬時の閃きによる最適の回避行動。大和に匹敵する戦闘センスの持ち主は伊達ではない。

 

 大和は焦ることなく次手へ移行する。

 何故なら一割でも手応えを感じたから。

 

 着地したサタンは瞬時に魔剣を携えるものの、鼻血を吹き出し硬直した。

 一割のダメージでも凄まじかったのだ。

 大和はすかさず渾身のボディーブローを炸裂させる。

 最上位の武神すら悶絶させる臓腑砕きだ。

 

 サタンの脇腹に鉄拳がめり込む。

 しかしあまりの手応えの無さに大和は違和感を覚えた。

 次の瞬間、大和は地面に縫い付けられていた。

 

 まるで戦艦の様な巨大過ぎる魔剣が彼の胸に突き立っていた。

 その質量は虚無空間数億個に匹敵し、大和の動きを刹那ながら止めてみせる。

 

 綺羅星一閃。

 遥か上空から降りてきたサタンは靴底で魔剣の柄尻を操作し、大和の心臓を穿たんとした。

 しかし左手で刀身をキャッチされる。

 全魔力、全筋力を乗せた一撃だったが掴まれれば最早無意味。

 魔剣は規格外の握力で砕かれてしまう。

 

 新たな魔剣を創造し大和の顔面に突き下ろすも、今度はギザ歯で止められ噛み砕かれてしまう。

 

 大和は右手で改造式火縄拳銃を抜き放ち発砲した。

 紅蓮の閃光がサタンを包み込むが、彼は魔剣で両断し距離をとる。

 大和は巨大過ぎる魔剣を殴り飛ばし立ち上がった。

 地に背中を付けられたのが余程気に食わなかったのだろう、眉間に皺を寄せ改造式火縄拳銃を連射する。

 

 サタンは距離を詰めるべく駆けた。

 正確無比な射撃を半月を描く形で避けていく。

 その際、地面に突き刺さっている魔剣を弾き飛ばし牽制に用いた。

 大和は空いた手でヌンチャクを取り、迫り来る魔剣を叩き落とす。

 

 しかし距離は詰められた。

 疾駆した走力と全身の筋力の乗った切り上げが大和を襲う。

 

 彼は咄嗟にヌンチャクを絡めて魔剣を無効化した。

 が、魔剣そのものが意思を持つかの様に変形して大和の頸動脈に伸びる。

 

 直角に折れ曲がり死角に伸びた魔剣の切っ先──

 

 瞬間、サタンは無理矢理側転させられた。

 何か見えないものに足元を掬われたのだ。

 

 超極細の鋼糸。

 大和の周囲に既に張り巡らされていた。

 両手が塞がっている大和は、なんと前歯の先端でソレを操っていた。

 

 無防備になったサタンに銃口が突きつけられる。

 放射された超密度の闘気を、サタンは魔力を全開放することで和らげた。

 しかし完全には殺しきれない。全身から血煙を吹き上げる。

 

 大和は容赦なく追撃を浴びせようとした。

 しかしサタンの顔を見て不覚を悟る。

 

 彼は、嗤っていたのだ。

 

「最初で最後のチャンスだ」

 

 大和の全身に漲っていた闘気が霧散する。

 至るところに切創が奔り、鮮血が迸った。

 

 漆黒の巨体がぐらつく。

 大和は意識を保ちながら、サタンの謎の攻撃を解明した。

 

 視認どころか知覚すらできない、素粒子より尚小さい魔剣の大群。

 限界まで小さく研ぎ澄まされた無量大数の魔剣は、一斉に射出される事でその真価を発揮したのだ。

 

 致命傷だが、大和は決して倒れない。

 サタンの顔面に渾身の右ストレートを叩き込む。

 

 無防備に貰ってしまったサタンは遥か彼方に吹き飛ばされたが、次の瞬間大和の背後に立っていた。

 彼の背後に突き刺さっていた魔剣と己の位置を入れ換えたのだ。

 魔剣はサタンの一部であり、サタンは魔剣そのもの。

 

 サタンは吠えた。

 狂喜のままに──

 

「大和ォォォォッッ!!!!」

 

 呼ばれた大和は血を噴き出しながらも振り返り、笑顔で拳を振りかぶる。

 

「サタァンッッ!!!!」

 

 互いに最後の一手。

 骨肉を断つ音と身体の芯を砕く音が、同時に響き渡った。

 

 

 ◆◆

 

 

 二人は同時に倒れた。

 そんな彼等を支えたのは、各勢力の面々だった。

 

 黄金祭壇のNo.1。世界最強の魔導師エリザベス。

 そしてサタンの忠実なる僕達、七大魔王。

 

 大和は柔らかい魔力に包み込まれ、ゆっくりとおろされる。

 エリザベスは大和を膝枕すると、苦笑いを浮かべた。

 

「馬鹿は何億年経っても治らないわね……大和」

「エリザベスか……サンキューな、世界を維持してくれて」

「いいのよ。それが仕事だもの」

 

 先の闘争で無限数の虚無空間──即ち最上位の世界、終点に深刻なダメージが刻まれた。

 しかしエリザベスなら修復できる。

 

「それより、こんなになるまで喧嘩して……心配させないで頂戴」

 

 慈しみをもって大和の頬を撫でるエリザベス。

 大和は飼い猫の様に目を細めた。

 

「暗黒のメシアも、心開いた女には隙を晒すか……」

 

 サタンは苦笑する。

 彼もまた配下達に支えられていた。

 

「まずは礼を言おう。我が好敵手との闘争を支えてくれてありがとう、エリザベス」

「貴方に礼を言われる筋合いは無いわ」

「フッ……それと大和、お前の武具を製造した鍛冶師に伝えておいてくれ。素晴らしい武具だと」

「ハッ……魔剣帝に誉められたのなら、アイツも喜ぶだろうよ」

 

 互いに笑う。

 サタンは大きな魔方陣に包まれながら告げた。

 

「再び合間見える時まで負けるなよ、大和。……お前の無敗伝説を終わらせるのは誰でもない、この俺だ」

「そっくりそのまま返すぜ、サタン」

「ククク……またな、好敵手」

「おう」

 

 簡素な別れだった。

 サタン達が魔界に帰還すると、エリザベスは指を鳴らす。

 大和を連れで黄金祭壇の本部、自身の寝室へと転移したのだ。

 

 特大のベッドの上で、エリザベスは変わらず大和の頬を撫でていた。

 

「服は元通りにしたけど、身体はそうはいかないわ。暫く安静にしてなさい」

「いや、いい。帰って寝てれば治る」

「駄目よ」

 

 エリザベスは大和の頬を両手で包み込む。

 そして柔らかな笑みをこぼした。

 

「いい機会だからゆっくり休んでいきなさい」

「……わぁったよ」

 

 大和は全身の力を抜く。

 エリザベスはやれやれと肩を竦めながらも、愛おしそうに彼の頭を撫で続けた。

 

 世界の存亡に関わる一騎討ちは、こうして静かに幕を下ろした。

 

 

《完》



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ギャグ短編・世界最強の執事、爆☆誕!!
前編


 

 

 

 深夜、完全安全地帯こと「大衆酒場ゲート」にて。

 何時も通り多種多様な客人達で溢れ返っている中、テーブル席で少女漫画を読み耽っている三人の美少女がいた。

 

 ふと、褐色銀髪の美少女が顔を上げる。

 彼女は真紅の瞳を濡らして言い放った。

 

「いいなぁ……僕もこんな風にトキめいてみたい!!」

 

 アホ毛をピチピチ揺らす彼女は、童顔ながらもボンキュボンのナイスバディをしている。

 チャック全開の漆黒のライダースーツ、その胸元から見える豊満な谷間は男の劣情を否応なしに誘うだろう。

 

 しかし男達は声をかけない。

 何故なら彼女を認識できていないから。

 

 這い寄る混沌。邪神群の誇る最強最悪のトリックスター。

 ニャルラトホテプこと、ナイア。

 彼女は少女漫画の内容に夢中になっていた。

 端から見れば年頃の女の子に見えなくもない。

 

「この漫画に出てくる執事くん! もう完璧っ!! いいなぁいいなぁ! 僕も「お嬢様」って呼ばれたい!! 大和に執事服着てもらって奉仕して貰いたい!! 甘やかされたい!!」

 

 欲望だだ漏れな彼女に微妙な眼差しを向けるのは、給仕服を着た金髪の眼鏡美少女。

 父親譲りの灰色の冷たい双眸を細めている。

 

 彼女──元・世界最強の妨害屋、黒兎は呆れ混じりに言った。

 

「あの人に執事プレイは無理でしょう。大金積んでも絶対にしませんよ」

「だからこそだよ!! してほしいっ!! 絶対似合うもん!! 何より「お嬢様」って言って貰いたい!! キュン死したいぃぃぃっ!!」

 

 妄想を拗らせているナイアに黒兎はやれやれと肩を竦める。

 この二人、相性が悪い様に見えて実はかなり良かったりする。

 

 すると、反対側に座っている金髪灼眼の美少女が囁いた。

 口元を漫画で隠しながら、恥ずかしそうに。

 

「私も、ネメアさんにして貰いたい……かも」

 

 彼女の名はスレイ。

 大和の弟子の一人であり、焔を司る旧支配者クトゥグアの実娘である。

 

 ナイアは瞳をキラキラと輝かせた。

 

「スレイちゃん! 同士よ!! やっぱり好きな人に一回は「お嬢様」って呼ばれたいよね!!」

「その……ネメアさん、意中の人とかいなさそうだから……少しだけ独占したいなぁ、って」

「共感度Max!! 好き!! スレイちゃんのそういうところ好き!!」

 

 ナイアは彼女を抱き寄せよしよしと頭を撫でる。

 スレイは顔を真っ赤にしていた。

 

 驚いている黒兎に、ナイアは問う。

 

「黒兎ちゃんはどう? ネメアに「お嬢様」って呼ばれて甘やかされたくない?」

「…………」

 

 黒兎の脳内で静かに、しかし急速に妄想が膨らんでいく。 

 

『お嬢様、お手をどうぞ』

『口の端にクリームがついていますよ、じっとしててください』

『お嬢様は本当に甘えん坊ですね……いいですよ。このまま抱き締めています』

 

「…………」

 

 黒兎は無言で眼鏡を押し上げる。

 そしてレンズを輝かせ、告げた。

 

「素晴らしい」

「でしょでしょ!? よっしゃーこうなったら否応なしで二人に執事して貰うもんね!!」

「しかし、できるのでしょうか?」

「あの二人に干渉するのは不可能でしょうし……正直にお願いするしか」

 

「いーや! あの二人は絶対嫌だって言う! 僕らが幾ら駄々こねても絶対に譲らない! だからこの世界の法則を変えてやるー!!!! ニャルさんに任せとけぇぇぇぇ!!!! ちょっと時間かかるけど必ず夢を叶えるからぁぁぁぁ!!!!」

 

 完全マジモードになったナイアは世界の改竄術式を早速編みはじめる。

 黒兎とスレイは慌てて参加した。

 

「私もお手伝いします……!」

「私も……微力ながら!!」

「ありがとう……絶対三人で夢を叶えるんじゃーッッ!!!!」

 

 烈火の如き気迫で複雑怪奇な術式を構築していく三名。

 そんな彼女達に声がかかった。

 

「フッ、お困りの様だな」

「面白いことをしとるのぅ」

「お話、聞かせて貰ったよ」

 

 振り返ったニャルは驚愕で目を丸めた。

 

「なっ……君たちは!!」

 

 そこにいたのは、這い寄る混沌すら驚愕させる面々だった。

 

「北欧の古式魔導に精通し」

「神々の権能を魔導に落とし込み」

「アカシックレコードへ干渉できる……」

 

「「「我々の力が必要なんじゃないか?」」」

 

 神滅狼フェンリル。

 魔戦姫バロール。

 堕天使の長ウリエル。

 

 三名の超越者(バカ)は、それぞれ無駄に美しいポーズを決めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ナイアは戦慄しながら、慎重に言葉を選ぶ。

 

「……一人五分、一回限りの交代制で手を打たないか?」

「妥当だな」

「いいぞ」

「僕は構わないよ♪」

 

「よし! それでいこう! 皆手伝って!」

 

 超越者三名の加入は凄まじく、急速に世界改編の術式が編み上げられていく。

 

 そして、遂に完成した──

 

「よっしゃー!! できたー!! それじゃあ早速!!」

 

 術式を起動した瞬間、ナイア達は眩い光に包まれた。

 

 

 ◆◆

 

 

「…………」

「…………」

 

 大和とネメアは大衆酒場ゲート──に似た別空間に召喚された。

 しかも、執事服を着ている状態で。

 

 大和は思わず呟く。

 苦虫を口一杯噛み潰した様な面で。

 

「めちゃくちゃ嫌な予感がするんだが……」

「同感だ。凄まじい茶番に巻き込まれた気がする」

 

 脱ごうにも脱げないネクタイに苛立ちながらも、大和は後ろに振り替える。

 

 凄絶なドヤ顔をかます超越者達がいた。

 彼女達を代表して、ナイアが告げる。

 

「僕たちを満足させるまで帰れません!! ドキドキ!! 執事プレイコーナー!!」

「…………うわぁ」

 

 思わず声を上げてしまう大和であった。

 

 



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後編

 

 

 

「ヤバい、ダルすぎてゲロ吐きそう」

「落ち着け、吐くなよ?」

 

 顔を真っ青にしている大和の背中を擦りながら、ネメアは現状を冷静に分析しはじめる。

 

「まず、俺達はアイツらの創造したワケのわからん空間に幽閉された。OK?」

「おーけー」

「面子が面子だ、術式の強度的に自力で脱出するのは不可能。だからアイツらの要望を叶えるしかない。大丈夫か?」

「ヤバい……無理、帰りたい」

「落ち着け大和、現実逃避するな」

 

 弱っている大和を必死に慰めながら、ネメアは告げる。

 

「俺は黒兎とスレイを注意する。だからお前はナイアと七魔将の面々をどうにかするんだ」

「ふぇぇっ」

「頑張れ、お前ならいける。さっさとこの馬鹿げた茶番を終わらせるぞ」

「…………おう」

 

 大和はフラフラと魔女達の元に歩いていく。

 一度、ネメアに振り返った。

 

「……逝ってくるわ」

「……ああ」

 

 ネメアは複雑な心境で友の背を見送った。

 

 

 ◆◆

 

 

「ふぅぅ……覚悟は決まったぜ」

 

 大和は何時もの凛々しい顔立ちに戻ると、髪をかきあげる。

 

「いいぜ来いよ、お前ら全員満足させてやる」

 

 完全執事モード(?)に入った大和の最初の敵は、氷の女王こと神滅狼フェンリルだった。

 

「ふむ、そうてなくてはな大和。この茶番を終わらせたくば、我らを全員満足させてみろ」

「……」

「最も、私と同じ生来の捕食者であるお前の給仕などたかが知れている。せめて暇潰しにでも……」

 

 傲慢に嘯いているフェンリルに、大和は深く頭を下げた。

 驚いている彼女に、顔を上げて微笑んでみせる。

 

「それで、お嬢様。私は何をすればよろしいですか?」

 

 後光が見えた。

 完璧完全に執事になりきっている。

 

 フェンリルは青みがかかった銀色の狼耳をピンと立てた。

 一度咳払いすると、上擦った声で告げる。

 

「そ、そうだな……まずは髪や身嗜みの手入れをしてもらおう。粗相があれば許さんぞ?」

「かしこまりました」

 

 大和は嫌な顔一つせず作業に没頭する。

 フェンリルの青みがかかった銀色の長髪を丁寧に櫛ですき、純白のコートを整えた。

 

「ふ、ふん……まぁまぁだな。合格点をくれてやらんでもない」

 

 そう言いながら、フェンリルは狼耳をピコピコ動かしていた。

 頬は朱に染まっている。

 

「……執事ぷれい、だったか? 中々いいな。唯一ツガイと認めた雄にこうして奉仕して貰うのは……うむ、悪くない」

 

 一見冷静そうに見えてデレデレなフェンリル。

 彼女の様子を見ていたウリエルとバロールは毒を吐いた。

 

「氷の女王(笑)」

「ニヤけとるぞ口元が、全く情けない」

 

「だ、黙れ貴様ら!! なら私の立場になってみろ!!」

 

 フェンリルはこれ以上醜態を晒さないために、早々にバトンタッチした。

 

 

 ◆◆

 

 

「次は僕だね♪ 大和の執事姿は新鮮だから見れただけで満足だけど……どうせなら楽しんじゃおうかな?」

 

 桃色のショートヘアを揺らして、薄い褐色肌の堕天使は淫靡に微笑む。

 

 彼女の座るテーブル席にはパンケーキが置いてあった。

 

「定番中の定番、あーんしておくれよ♪」

「かしこまりました」

 

 大和は営業スマイルで対応する。

 ウリエルの対面に座ると、パンケーキを一口サイズに切って食べさせた。

「あーん」を忘れない。

 

 ウリエルは本当に嬉しそうにパンケーキを食べた。

 

「美味しい美味しい♪ でも、僕は素の大和の方が好きかなぁ……荒々しい男っぽさが好き♪」

 

 片目を閉じて言うウリエルに、大和は顔を寄せる。

 そして口の端に付いている生クリームを舐め取った。

 

「素の俺のほうがいいのか? このスケベ堕天使め」

 

 獰猛な笑みを向けられ……ウリエルは鼻血を吹き出した。

 

「ギャップ萌え……これは、たまらないね……ッ」

 

 醜態を晒すウリエルに、フェンリルとバロールがすかさず毒を吐く。

 

「鼻から吹き出す無限熱量ww」

「ムッツリすぎワロタww」

 

「お前ら煽りスキルたけーなおい」

 

 大和がツッこむと、ウリエルはふらふらと立ち上がった。

 そしてバトンタッチを申し出る。

 

「僕はもう……満足だ。次、いいよ」

 

 

 ◆◆

 

 

 三番目は極西最強の邪神、大和の師の一人であるバロールであった。

 

「そうじゃな……肩でも揉んでくれぃ」

「かしこまりました」

 

 大和はバロールの結われた濃紺色の髪をずらし、肩を揉む。

 予想以上に凝っていた。

 

「敬語はいい。お主には合わん」

「……わーったよ」

「うむうむ♪ よいぞよいぞ。……気分がいい、昔話でもしようか」

 

 バロールは一人語りはじめる。

 

「儂は昔、お主を従者にするつもりだったんじゃ。しかし、お主は儂の懐に収まる器ではなかった」

「……」

「だか、あれだけ情熱的に愛されて、別れを告げられた女の気持ちにもなってみよ。儂の肩凝りの原因でもあるこの大きな乳房、お主が育てたのじゃぞ?」

 

 意味深な流し目を向けられ、大和は苦笑した。

 

「何だ? 言って欲しいのか? 愛してるって」

「聞かせよ」

「愛してるよ……この濃紺色の肌も、邪悪な瞳も、我が儘な性格も。総て」

「……ふふふ、そうか」

 

 バロールは微笑み立ち上がる。

 そして大和の頬にキスした。

 

「儂も愛しておるよ……弟子としても、一人の男としても」

 

 バロールは踵を返す。

 そして元居た場所に戻っていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 最後はナイア……そう、あのナイアだ。

 大和は腹をくくるが、突如として空間が元に戻る。

 大衆酒場ゲートの外に放り出された。

 

「んん? なんだぁ?」

 

 元の世界に戻ってきた大和は「はて」と首を傾げる。

 同じく戻ってきた七魔将の面々は苦笑した。

 

「潮時だな……まぁ、楽しかったぞ。今度は二人きりで逢引きしよう」

「じゃあね大和。また今度♪」

「何時でも会いに来い。呼んでもいいぞ?」

 

 三名は転移魔方陣で消えていった。

 それを見送った大和は疑問に思いながらも振り返る。

 

 正座させられているナイアと黒兎、スレイがいた。

 ネメアが説教している。

 ナイアは元の姿になった大和を見て泣き叫ぶ。

 

「あーッッ!!!! ほらぁ!! ネメアがお説教してる間に術式解けちゃったァ!! どうしてくれるのさァ!!」

「そういう問題じゃないだろ」

「ふぎゃ!!!!」

 

 拳骨を落とされ悲鳴を上げるナイア。

 黒兎とスレイは反省している様で、シュンとしていた。

 

 ネメアは大和に親指を立てる。

 大和も満面の笑みで親指を立てた。

 

 次にナイアに絶対零度の眼差しを向ける。

 

「暫く喋りかけんな。テメェの顔は見たくねぇ」

 

「び……びえええええん!! そんなァァァァ!! 大和ごめんよォォォォ!!!! お願いだから嫌いにならないでェェェェっっ!!!!」

 

 ガン泣きして抱き付いてくるナイアをふり払おうとするも、大和はふと思い返した。

 

(そういやぁ、フェンリル達はいい思いしたのにコイツだけ何もなかったな…………まぁ、少し可哀想か)

 

 大和はオンオン泣き叫ぶナイアを抱き寄せ、頭を撫でる。

 

「しゃあねぇなぁ……これからは気ぃ付けろよ」

「!!!!」

「オラ、慰めてやるから付いてこい」

「びえええええん!!!! 大和ありがとォォォォ!!!! 大好きィィィィ!!!!」

「あークソ、鼻水付けんなよ汚ぇな」

 

 ナイアを腕に引っ付けたまま、大和は摩天楼の中へと消えていった。

 ネメアは「甘いな」と、腕を組んで見送った。

 

 

《完》

 



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第三十三章「師弟伝」
一話「新たな弟子」


 

 

 

 大和は大衆酒場ゲートで昼食をとっていた。

 天ぷらうどんと野菜ジュースのセットはお決まりのメニューである。

 

 厨房にいるネメアは思わず聞いた。

 

「何時も同じメニューで飽きないか?」

「全然、うめぇし」

「嬉しいが、他のメニューもおすすめだぞ。最近また料理の腕が上がったんだ」

「マジか、じゃあ今度はおすすめ頼むわ」

「任せろ」

 

 気軽な、友人同士の会話。

 締めに野菜ジュースをがぶ飲みした大和は行儀よく両手を重ねると、席を立つ。

 

「さぁて、腹ごなしも済んだし……今日はカジノにでも行くかなぁ」

 

 爪楊枝を咥えながら店を出ようとする大和の前で、小さな騒動が起こっていた。

 

 二人組の女。片方は厳つい美女だ。

 鮮血色の長髪をポニーテイルに結い、金色の瞳を鋭く輝かせている。

 服装は紺色の袴を極太のしめ縄で締め、上半身はサラシ。

 桜吹雪の舞った羽織を肩から羽織っている。

 ボンキュボンのナイスバディだが筋肉質であり、腹筋はバキバキに割れていた。肩の筋肉も凄まじい。

 それでも凄絶な色香を醸しているのは、彼女が人外であるからだろう。

 

 現に、その額には二本の角が生えていた。

 

 彼女は大和に用件があるのだろう、気軽に手を上げる。

 

「おう大和、よかったぜ。鬼狩りのチンチクリンがいない時にいやがった」

朱天(しゅてん)じゃねぇか、どうした」

 

 朱天。本名を酒呑童子。

 平安時代に京都で大暴れした東洋を代表する鬼神。

 現在は強力な妖魔で構成されている暴力集団「朱天組」の組長を務めており、その異常な喧嘩の強さから世界最強の拳法家達「四大魔拳」の一角に数えられている。

 

 鬼という種族の超越者。

 EXクラスの戦闘力を誇るデスシティの真の強者の一人だ。

 

 大和と然程身長が変わらない彼女は、彼の肩を気軽に叩く。

 

「お前に頼みてぇ事があってよ。今暇か?」

「まぁ、暇だぜ。どうした」

「コイツを一人前に育てて欲しいんだよ」

「……はぁ?」

 

 頓狂な声を上げた大和は朱天の隣にいる少女を見下ろす。

 可憐な美少女だった。

 濡羽色のミディアムヘアに深緑色の双眸。

 デスシティの美女達の中でも上位に入るであろう顔立ち。

 服装は白の着物に紺の袴、肩から白銀の羽織を羽織っている。

 その額には角が一本、腰には妖気を纏った刀が帯びられていた。

 

 小柄な彼女は大和を見上げると、深くお辞儀をする。

 朱天は彼女を指差した。

 

「コイツ、鬼なんだけど生来力が弱くてな。俺じゃあどうしても教えられない部分がある。だからお前に期間限定で師匠をして貰いたいと思ってな」

「……」

「報酬はきっちり払うぜ。コイツ、他の奴らから貧弱だって馬鹿にされはじめてな。コイツはコイツで才能あると思うんだが……どうだ?」

 

 そう言われ、大和は鬼娘の頭頂から爪先まで観察する。

 鬼娘は硬直した。

 

 大和の返答は意外なものだった。

 

「コイツ、天才だぜ。武術の素質がズバ抜けてる。ここまでの逸材は中々いねぇぞ」

「……!!」

 

 鬼娘は思わず顔を上げる。

 その瞳には期待と猜疑心、どちらも混ざっていた。

 大和は苦笑しながら彼女を抱き寄せる。

 

「いいぜ、コイツは俺が預かる。暫く暇だったからな。コイツを馬鹿にした脳筋共を見返せるくらい強くしてやるよ」

 

 大和の発言に、鬼娘は思わず声を上げた。

 

「あの……本当に見返せるでしょうか。私を馬鹿にした奴らを」

「任せとけ。だが俺の修行はキツイぞ。耐えられるか?」

 

 鬼娘は迷わず頷く。

 

「はい……! 是非ご教授ください! 師匠!」

 

 そのエメラルドの眼に滾る決意をくみ取り、大和は笑った。

 

「よし、お前はこれから俺の弟子だ。頑張れよ」

「はい!」

 

 礼儀正しく頷く彼女の頭を、大和は優しく撫であげた。

 

 



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二話「育成」

 

 

 大和と鬼娘が酒場を去った後、朱天とネメアは会話を交えていた。

 

「驚いたぜ、半分博打だったんだがな」

「それだけの才能があの子にあったんだろう。大和は才能のある存在しか弟子に取らない。時間の無駄だと言っていたからな」

 

 それでも、とネメアは付け足す。

 

「アイツの指導力は間違いなく世界一だ。何せ弟子の多くが歴史に名を残している。現存する弟子達も強者だらけだ。……あの子も化けるぞ」

「ハッ、そりゃ楽しみだ」

 

 朱天は嗤いながら豪快に酒を呷る。

 

「アイツ……銀杏(いちょう)は努力家だ。鬼は努力なんてしねぇもんだが……頑張った分は報われるべきだよなァ」

「……」

 

 子分想いな鬼の大将に、ネメアは微笑みを向けた。

 

 

 ◆◆

 

 

 所変わって南区の最南端。

 ここは強力無比な魔獣達が跋扈する現世の魔界。

 デスシティの強者達すら入れば帰ってこれない魔の森林地帯だ。

 

 深淵の森。

 

 SSSクラスの魔獣、神獣が縄張りにしている最上級危険地帯である。

 天候の変化も激しく、植物達も意思を持っているため凶暴極まりない。

 

 しかし神代の時代特有の鉱石や薬草が採取できるため、デスシティの科学者達は懲りずに侵入を試みていた。

 

 大和からすれば、邪魔者が一切介入してこない良質な修業場である。

 

 事前にSSSクラスの森の主達は薙ぎ倒しているため、彼はこの森の生態系の頂点に君臨していた。

 

「……凄い」

 

 修業場を目の当たりにした銀杏は思わず呟く。

 質素ながらも頑強な造りの木小屋に天然温泉。

 岩石から削り出された様々なトレーニング器具に適度な広場。

 そして滝場からなる良質な水源。

 

 完璧な修業場だった。

 

「夜になればそこの崖上からデスシティの摩天楼が見える。かなりの絶景だぜ」

 

 大和は衣服を脱ぎながら告げる。

 

「少し待ってろ、修業着に着替える。それまで準備体操でもしとけ」

「……はい!」

 

 力強く頷く銀杏。

 最高の師に最良の修業場。

 彼女のやる気は最高潮に達していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 どんな修業内容なのか、どんな風に強くなれるのか──

 

 考え巡らせながら肉体を解している銀杏。

 そんな彼女の前に着替えを終えた大和が現れた。

 

「うっし、じゃあ始めるか」

 

 気軽にそう言った彼は、本当にラフな格好をしていた。

 上半身裸の、黒のカンフーズボン。

 その巨躯からは考えられないほど軽やかなジャンプを数回すると、銀杏に向かって笑いかける。

 

(……す、すごい。なんて完璧な肉体っ)

 

 瞬発力と持久力、強靭さと柔軟さを兼ね備えた良質な筋肉のみで形成されている。

 無駄が一切無い。

 八つに割れた腹筋は最早芸術。

 屈強な肩はそのまま骨格の強度を表しており、二メートルを優に超す身長でも抜群の運動能力を発揮できるだろう。

 

 戦士が見れば戦慄を禁じ得ない。

 銀杏もれっきとした戦士であるため、戦慄を覚えていた。

 

(人間は、いいや生物は……ここまで戦う事に特化できるのか……っ)

 

 まさしく戦の申し子。

 破壊、殺戮に特化した肉体は決して才能だけでは造れない。

 効率的かつ過酷な鍛練を幾星霜積んで、漸く完成する──

 

 銀杏はうち震えた。

 熱い視線を向けられ、大和は思わず笑う。

 

「見蕩れちまうのはいいが、程々にな。鍛練を始めるぞ」

「……も、ももも、申し訳ありませんっ!!」

「いいって……じゃあ、最初の鍛練だ」

 

 大和は半身を前に出す。

 ファイティングポーズをとった。

 

「組手だ。お前の力を推し量る。……全力で来い、俺は受けに集中すっから」

「……得物を使っても」

「当たり前だ。遠慮せずにかかってこい」

「……わかりました」

 

 スッと、澄んだ顔立ちになった銀杏は腰に帯びた妖刀を抜く。

 洗礼された動作もさることながら、纏う気が静謐。

 揺らぎが一切無い。

 

 大和は期待以上だと微笑むと、消えた銀杏に呼吸を合わせた。

 

 

 ◆◆

 

 

 全部の力を出させて貰った。

 全力を受け止められた。余すことなく。

 

 それでいて、相手は掠り傷一つ負っていない。

 汗の一つもかいていない。

 

 彼我の実力差を痛感した。

 それ以上に、敬意を覚えた。

 

 ここまで違うものかと──

 

 鬼同士の戦いとは全く違う。

 力で捩じ伏せられるのではなく、負けを認めさせられた──

 

 初めての体験に、銀杏は震えていた。

 

 現在、晴天を眼前に大の字に倒れている。

 肺が新鮮な酸素を求めて躍動していた。

 視界がチカチカと明滅する中、大和の声が何処からともなく聞こえてくる。

 

「予想以上だったぜ。中々やるじゃねぇの」

 

 不意に浮遊感に襲われる。

 抱き起こされたのだ。巨大な手が背を支えてくれている。

 

 大和は木造りの杯を差し出した。

 澄んだ水が入っていた。

 

「飲んで一旦落ち着け」

「……ッッ」

 

 銀杏は短く頭を下げると、すぐさま杯を受けとる。

 そして水をがぶ飲みした。

 五臓六腑に染み渡る。遅延していた血行が元通りになる。

 

 大きく息を吐いた彼女は、まず礼を言った。

 

「ありがとう、ございますっ」

「気にすんな」

 

 大和はもう大丈夫だろうと手を離し、銀杏の眼前で胡座をかく。

 そして告げた。

 

「さっきも言ったが、予想以上だぜ。よく鍛練を積んでるな。筋肉も柔らかく骨格も形成されてる。関節の強度も問題ねぇ。種族が鬼だからって慢心してねぇのがよくわかった」

 

 誉められ、銀杏の顔に熱が溜まる。

 彼が、世界最強の武術家が、自身の努力を認めてくれたのだ。

 何よりも嬉しかった。

 

 しかし同時に不安を覚える。

 銀杏はわかっていた。自分に明確な欠点があることを──

 

「ただ……戦闘スタイルがな。鬼ならではの戦闘センスに任せた喧嘩闘法。ありゃあ、お前には合ってねぇ。喧嘩闘法ってのは下地に圧倒的な膂力があって初めて成り立つもんだ。お前にはソレがねぇ」

「~ッッ」

 

 わかっていた。

 しかし、認めたくなかった。

 自分は鬼だから、誇り高き戦闘種族だから。

 どうしてもその戦い方に拘りたかったのだ。

 

 大和は泣きそうになっている銀杏の濡羽色の髪を優しく撫で上げる。

 

「そんな事、お前が一番よくわかってるよなぁ……」

「っ」

「辛い選択だが、選べ。矜持を取るか強さを取るか」

「…………」

 

 ここに来た以上、ある程度の覚悟は決まっていた。

 そして今、完全に決意した。

 

「私は……強さを取ります」

 

 確固とした意思を以て告げられ、大和は力強く頷いた。

 

 

 ◆◆

 

 

「ならその決意に応えてやらなきゃ、師匠なんて名乗れねぇよな」

 

 大和は立ち上がると、銀杏から距離をとる。

 そして自然体の構えをとった。

 

「そのままでいい、だがよく見ておけ。お前なら理解できる。今からする俺の動きを徹底的に観察し、模倣しろ」

 

 大和は俗に言うシャドーボクシングを始める。

 しかし拳打だけでは無い。蹴りや肘撃。更には正拳突きや震脚を用いた寸勁も織り混ぜる。

 

 ボクシング、空手、ムエタイ、中国拳法に総合格闘技。コマンドサンボにシラット。

 更に今は無き古式暗殺術など──

 

 多種多様な格闘技が不思議と調和し、繰り出されていく。

 武芸百般の大和ならではの、天衣無縫なスタイルだった。

 

「……!!」

 

 最初こそ疑問に思っていた銀杏だが、ある事に気付く。

 そして戦慄した。

 

 大和の肉体の操作方法が尋常では無いのだ。

 巧すぎる。

 

 あらゆる格闘技を極めているという事は、とどのつまりあらゆる格闘技に於ける下地が出来上がっているという事。

 

 繰り出される拳打、蹴撃はどれも全身の筋肉を余すことなく用いられている。

 そのおかげで本来の数倍……いいや数十倍の威力になっていた。

 

 パンチは腕の力だけで打つものではない。

 キックもまた然り。

 全身を用いて放つもの。

 

 演舞を終えた大和は、見惚れている銀杏に告げた。

 

「わかったか? 肉体の完全連動による身体能力の強化。いわゆる『操身方』だ。己の肉体を完全に掌握し、扱う。高等技術だが、お前なら……」

 

 そこまで言って、大和は銀杏が未だ惚けている事に気付いた。

 苦笑しながら彼女の頭を叩く。

 

「大丈夫か?」

「は、はいっ! 大丈夫です!! やってみます!!」

 

 少し天然な弟子に、大和はやれやれと肩を竦めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 しかしながら、大和は技術修得について全く心配していなかった。

 何故なら彼女は、武に於いて天稟を誇っているから。

 

 最初こそぎこちなかったものの、徐々に操身方を修得している。

 恐るべき速度だ。観察眼も抜群に優れているのだろう。

 

 開始十分と経たず、彼女は己の肉体を完璧に掌握していた。

 しかしまだ自覚できていない様なので、大和は助言を出す。

 

「銀杏、もうそろそろ大丈夫だ」

「え? ……もういいのですか?」

「演舞だけじゃ実感沸かないだろう。そこにある巨岩、あれを片手で持ち上げてみろ」

「あれを片手で、ですか……」

 

 大和が指したのは20メートルを越える岩石だった。

 トレーニング器具の一つなのだろう。

 以前の銀杏なら両手でも持ち上がらない重量だ。

 

「あと、妖力練るのも禁止な」

「えええっ!?」

「俺を信じろ、必ずできる」

「……っ」

 

 妖力は鬼の膂力の源。

 それを封じられては、銀杏でなくとも他の鬼達でも持ち上がるかどうか……

 少なくとも、同年代の者達では不可能だ。

 

 銀杏は半信半疑で巨岩の下に片手を滑り込ませる。

 そして先程体得した操身法を用いた。

 

 すると──

 

「……あれ?」

 

 ひょいと持ち上がった。二十メートルの巨岩がだ。

 まるで重さを感じないので、銀杏は思わず大和に振り返る。

 大和は笑っていた。

 

「な? 出来ただろう?」

「……~ッッ」

 

 銀杏は嬉しさの余り破顔する。

 試しに地面に下ろし腕力だけで押してみると、ビクともしない。

 しかし操身法を用いて再度押してみると動く。地面を削って動く。

 

 銀杏は嬉しくなって跳びはねた。

 そんな彼女の頭を大和はポンポンと撫でる。

 

「どうだ? スゲェだろ」

「はい!! 凄いです!!」

 

 銀杏は思わず大和に抱き付いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 その後、操身法を身体に染み込ませる訓練を淡々とこなしていると、何時の間にか夜になっていた。

 

 夢中になって鍛練していた銀杏は、ふと天を仰ぐ。

 満点の星空が煌めいていた。長大な天の川が流れている。

 

「気づかなかったか? ここ深淵の森はデスシティとは全く違う空間でな。神代の時代の夜空が残ってんだよ」

 

 大和は崖上まで銀杏を案内する。

 そこから見える景色に、銀杏は思わず感嘆の声を上げた。

 

「……綺麗っ」

 

 遥か遠くに見える摩天楼は、デスシティの中央区。

 都市の様相からは考えられないほど、ここからの景色は綺麗だった。

 

「いい眺めだろう?」

「はい……っ」

「俺は暫く眺めてるから、先に温泉に入ってこい。湯には疲労回復の効果がある。明日もガッツリ行くからな」

「……わかりました!! では、お先に失礼します!!」

 

 銀杏は駆けていく。

 その後ろ姿を、大和は温かな笑みで見送った。

 

 

 ◆◆

 

 

 銀杏は服装一式を妖術で清潔にし、芳香水をまぶす。

 

 そして裸一貫となり、写し鑑の前に立った。

 肩まで伸ばした濡羽色の髪に深緑色の双眸。

 顔立ちは幼さが残っているが、人外の中でも美女の部類に入るだろう。

 そして女らしい肉体──染み一つない白磁の如き肌に大きく実った95センチの乳房、括れた腰回りにいい塩梅で肉の付いた臀部。

 

 この容姿だけで何度求愛された事か──

 朱天がいなければ今頃傷物にされている。

 

 少し前まで、この女々しい体が嫌いだった。

 しかし今は別。この体でも十分な力が発揮できると証明された。

 

 鼻唄を歌いながら体を洗い、汗を落とし、湯船に浸かる。

 大和の言った通り、湯には疲労回復の効果があるのだろう。

 全身から疲れが取れていく感覚を覚えた。

 

「……私は、幸運です。あんな素晴らしい師匠に出会うことができて」

 

 まさか一日でここまで強くなれるとは思ってもいなかった。

 望外の嬉しさに顔が緩む。

 

「噂で聞いていたよりもずっと優しい人でしたし、何よりも……」

 

 妖艶で、逞しい。

 ハンサムな顔立ちと鍛え抜かれた肉体を思い出し、銀杏は口を湯船に付けた。

 その顔は真っ赤だった。

 

(ズルいです……あんな男らしいのは反則ですっ。人外の女の敵ですっ)

 

 本能で雄の優劣を判断する人外の女達にとって、大和ほど魅力的な男はいなかった。

 

 銀杏は煩悩退散、煩悩退散とぶくぶぐ泡を立てていた。

 



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三話「修業の成果」

 

 

 早朝。

 快眠できた銀杏は意気揚々と小滝へ向かっていた。

 冷水を浴びて心身共に清潔にしようとしているのだ。

 

(今日はどんな修業内容なのでしょう。私はまだ強くなれる? 今でも十分なのに? ……ふふふふ♪ 凄いです♪)

 

 鼻唄を歌いながら衣服を脱ぎ、裸一貫となる。

 修業内容に夢を膨らませながら水場に足を付けると、呆れ混じりの声が何処からともなく聞こえてきた。

 

「まだ入ってるぞ」

「……!!!!」

 

 裸体の大和がいた。

 先客がいたのだ。

 

「~ッッ、ももも、申し訳ありませんっ!!」

 

 慌てて背を向ける銀杏。

 あわあわと赤面している彼女に、大和はやれやれと肩を竦めた。

 そして小滝から出る。

 

「寝惚けてんのか、天然なのか……まぁいい。軽く朝食を取ってから修業を始めるぞ。俺は支度してくる」

 

 タオルで身体を拭き、木小屋へと戻っていく大和。

 その背を潤んだ瞳で見送った銀杏は、ふと思い返した。

 

(大和さんの……あれ……凄く大きかったな……)

 

 その後、顔から湯気を吹き出す。

 そして滝の水を頭から浴びた。

 

「煩悩退散、煩悩退散……っ!!」

 

 銀杏、意外にムッツリスケベだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 軽い朝食を取った後、小休憩を挟んで二名は修業場で相対していた。

 

 銀杏の顔は真剣そのもの。

 ムッツリ気質とはいえ、根は真面目な子。

 切り替えができる。

 

 大和もわかっているので、そこら辺は心配していない。

 彼は横に突き立っている木刀を銀杏に投げた。

 

「お前は剣士だ。操身方を剣技に組み込まなきゃなんねぇ。……剣身一体。剣を己の手足の延長線だと思え。できるな?」

「はい!!」

 

 張り切って頷く銀杏。

 剣身一体もまた高等技術、やれと言われてできるものではない。

 天才と呼ばれる剣士でも半生を費やして漸く体得できるかどうかの、剣士の極意の一つだ。

 

 しかし銀杏は披露してみせる。

 先日教えた操身方をいとも容易く得物に染み込ませる。

 天才ならではの出鱈目ぶりだ。

 

 戦闘センスだけなら朱天を越えているなと、大和は微笑んだ。

 

 ある程度慣れてきて、完全に剣身一体を体得した銀杏を大和は止める。

 そして頭を優しく撫で上げた。

 

「よし、剣身一体も体得したな。いい感じだ。流石俺の弟子」

「えへへーっ♪」

 

 銀杏は顔を弛緩させた。本当に嬉しそうにしている。

 大和は頷くと、午前中の修業の本命へと入った。

 

「次は操身方の応用だ。難易度が一気に跳ね上がる。……覚悟はいいか?」

「勿論です!!」

 

 銀杏は元気よく頷いた。

 

 

 ◆◆

 

 

「お前は観察眼が抜群に優れている。あーだこーだ教えるより見せた方が早い」

 

 大和は物干し竿に白布を一枚かける。

 そして木刀を握った。

 

「この木刀でそこに掛けた布を斬る。……今のお前にできるか?」

「……できません」

 

 そもそも、木刀には斬れ味がない。

 斬る、という事が不可能だ。

 操身方を以てしても叶わない。

 

 しかし、大和は言う。

 

「よく見とけ、操身方の応用だ」

 

 木刀を下げ、構える。

 一瞬の脱力の内──刹那に振り抜いた。

 あまりの速度に、銀杏は目を丸めた。

 

 遅れて白布が一文字に裂ける。

 神業──としか呼べなかった。

 

 大和は木刀を肩に乗せ、説明する。

 

「脱力からの全開、一から百を刹那の間に行う事で発生する力の爆発──これが操身方の第二段階だ。攻撃の威力が絶大になることもそうだが、何より特筆すべきは速さと応用性。一瞬で最高速に達するから相手には消えた様に見える。そして振れ幅を調整すれば……可能性は無限大だ」

「っ」

 

「基本を忘れるな。基本から成り立つ応用だ。織り混ぜていけ!」

「はいっ!!!!」

 

 銀杏は戦意を迸らせ、木刀を握った。

 

 

 ◆◆

 

 

 武に天稟を誇っている銀杏でも、この技の修得は困難を極めた。

 何せこの技は武の深奥の一つ……世界最強の武術家達でも未だ鍛練を重ねている超高等技術なのだ。

 

 銀杏は最初こそすっ転び、額を地面にぶつけていた。

 最小の脱力からの最大の開放……言葉にすれば簡単だが、実践すると難しい。

 

 そもそも脱力が難しいのだ。

 これで相手がいるともなれば難易度は跳ね上がる。

 

 しかしながら、銀杏は修得していく。

 仮想の敵を想像し、限りなく実戦に近い演舞を続けていく。

 仮想の敵は決して弱くない。大和には見えていた。

 

 だからこそ微笑む。

 銀杏のストイックな姿勢に感心していた。

 

 昼食も忘れて修練に励む彼女を、大和はずっと見守っていた。

 そして完成する……驚くべき練度で。

 

 銀杏はあらゆる体勢から、全ての剣にこの技を乗せられる様になっていた。

 驚くべき事実である。剣技のみであれば既に超越者の域だ。

 

 後は実戦を積むだけ……しかし彼女であればどんな相手にも対応し、進化していくだろう。

 余程力の差が無ければ……

 

 彼女に教える事も残り一つとなった。

 西日が沈み、景色が橙色に染まる中……大和は唐突に告げる。

 

「応用編も完璧だな」

「はい!!」

「じゃあ最後の鍛練だ。組み手をするぞ」

「……え?」

 

 銀杏は呆気に取られてしまった。

 

 

 ◆◆

 

 

「ま、待ってください!!」

「ん?」

「最後の鍛練って、どういう意味ですか!?」

「そのままの意味だが?」

「っ」

 

 戸惑っている銀杏とは対照的に、大和は木刀を握る。

 そして彼女と相対した。

 

「不満げだな」

「当たり前ですっ!! 私はまだ!!」

「お前に教えるべき事は全て教えた。残すは仕上げのみだ」

「っっ」

 

 大和の言葉の意味が、銀杏にはさっぱりわからなかった。

 戸惑いのあまり、深緑色の双眸には涙が浮かんでいる。

 

 大和はそんな彼女に問うた。

 

「俺はお前に最初、選択しろと言ったな。矜持を取るか力を取るか、と」

「……はい」

「お前は力を取った。だが俺は……一度でもお前に矜持を「捨てろ」と言ったか?」

「……!!!!」

 

 驚愕している銀杏に、大和は笑いかける。

 そして木刀を構えた。

 

「今ならできるんじゃねぇか? 鬼の戦い方が。正面から相手を叩き潰す喧嘩闘法が」

「~~~~ッッ」

 

「矜恃があってこその強さだ。……来い銀杏!! 鬼の戦いぶり、魅せてくれよ!!」

 

「……はいっ!! 参ります!! 師匠ッッ!!」

 

 銀杏は万感の想いを胸に突撃した。

 

 

 ◆◆

 

 

 時間にして30分。

 銀杏にとって濃密過ぎる時間だった。

 歓喜の連続だった。何せ戦えるのだ、矜持に則って。

 

 操身方の基本を抑えた事で思うように身体が動き、応用によって全ての斬撃に絶大な威力が乗る。

 更に重要な場面で回避と脱力を合併すれば、あの大和を騙すことができた。

 

 戦える……戦えるのだ。

 銀杏にとってこれ以上の喜びは無かった。

 

 最後は盛大な駆け引きの末、銀杏が大和の首筋に木刀を当てた。

 

 一本取ったのだ。あの大和から……

 手加減されていたとは言え、思わず放心してしまう。

 そんな彼女の頭を大和は優しく撫で上げた。

 

「もう完璧だな」

 

 夕陽を背に、彼は笑う。

 本当に嬉しそうに──

 

「免許皆伝だ、胸を張れ。……お前は俺が認めた鬼の戦士だ」

「……~ッッ、ありがとう、ございます。本当にっ」

 

 銀杏は顔を俯ける。

 今、彼女は歓喜以上に溢れんばかりの恋慕の念を覚えていた。

 

(……ズルいです、師匠。……こんなの、鬼じゃなくても好きになってしまいます……ッ)

 

 銀杏の顔は夕焼けより真っ赤だった。

 

 

 



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四話「師匠」

 

 

 夜、満天の星空の下で。

 大和は裸一貫で天然温泉にやってきていた。

 鼻唄を交えており、上機嫌な事が伺える。

 

 彼は頭から湯を浴びながら思う。

 

(一週間はかかると思っていたが……マジで天才だったな。将来「天下五剣」に必ず名を連ねるだろう。……師匠として、鼻が高い)

 

 弟子に対して格別の愛情を注ぐのが彼の理念である。

 敵対しない限り、これからも可愛がるつもりでいた。

 

「……俺も、もう少し修業の量を増やすか」

 

 そうぼやきながら身体を洗っていると、背後から戸の開く音がした。

 振り返ると……湯煙の中から銀杏が現れた。

 裸体で、その豊満な肢体を辛うじてタオルで隠している。

 

 彼女は真っ赤な顔で告げた。

 

「あの……師匠! お背中を流させてください!」

「…………」

 

 大和は少し考えた後、彼女に背を向ける。

 

「じゃ、頼むわ」

 

 大和は鈍感ではない。

 彼女の想いを少なからず察していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 銀杏は大和の背中を懸命に洗っていた。

 ふと、呟く。

 

「師匠の背中……大きいです。傷痕も多い」

 

 武の天才である銀杏だからこそわかる。

 傷痕の一つ一つが想像を絶する修羅場を潜り抜けた証だと。

 思わず撫でてしまう。

 大和は呟いた。

 

「くすぐってぇぞ」

「も、申し訳ありません!」

 

 顔を真っ赤にして作業に没頭する銀杏。

 程なくして、大和は言った。

 

「ありがとな、もう十分だ」

 

 立ち上がり、湯を浴びて温泉に浸かる。

 そして振り返らずに告げた。

 

「すぐ出るからそこで待ってろ」

 

 銀杏は目を丸めた。

 大和はあくまで己を「弟子」と見ていた。

「女」として見ていない。

 

「~ッッ」

 

 銀杏は頬を膨らませ、立ち上がる。

 

「お隣失礼しますっ!」

 

 大和の隣にザブンと浸かった。

 大和はやれやれと肩を竦めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 あくまで銀杏を見ない。

 頭上で煌めく天の川を眺めながら、大和は言った。

 

「銀杏。お前は俺がどういう男か……噂で聞いてるだろう」

「……はい」

「お前は可愛い弟子だ。だがこれ以上は……言わなくてもわかるよな?」

「……はいっ、師匠っ」

 

 銀杏は大和の逞しい腕に豊満な乳房を押し付ける。

 視線を合わせると、彼女は今にも蕩けそうな表情をしていた。

 

 大和はその薄桃色の唇を奪う。

 銀杏は嬉々として受け止めた。

 舌を絡ませ合い、唾液をのみあう。

 熱い吐息が重なる中、95センチの乳房を掴まれ彼女は喘ぎ声をあげた。

 可憐な声だった。

 

 大和は言う。

 

「俺の女にするぞ。いいな?」

「はい……この身も心も、師匠のモノにしてください♡」

 

 二名はこの時より師弟ではなく、男と女になった。

 

 

 ◆◆

 

 

 幾日も交じりあった。

 銀杏は大和の要望に全て応えた。

 望外の快楽を染みつけられ、何度も絶頂を刻み込まれる。

 屈強過ぎる肉体に抱かれる度に、銀杏は己が女である事を自覚した。

 

 自ら腰を揺すり、果てる。

 彼の女であれる事が、何よりも嬉しかった。

 

 日が昇った頃……銀杏は息を切らしながら大和に寄り添っていた。

 蕩けきった表情で、厚い胸板にキスの雨を降らせている。

 

 彼女は囁いた。

 

「雄々しかったです……もう、貴方無しじゃ生きていけない♡」

「お前は俺の女だ、銀杏」

「……はいっ、大和さん♡」

 

 銀杏は本当に嬉しそうに笑った。

 

 

 ◆◆

 

 

 翌日、深夜。

 大衆酒場ゲートで大和は酒を飲んでいた。

 

 ネメアは久方ぶりに出会った友人に修業の成果を聞く。

 

「早かったな、どうだった」

「本来なら二日で終わってた」

「……お前が二日で免許皆伝をやったのか? 末恐ろしいな」

「ククク、将来絶対名を上げるぜ。師匠としちゃあ誉れ高い」

 

 本当に嬉しそうに笑っている大和に、ネメアは藪から棒に問う。

 

「……あの子を弟子にとったのは、容姿狙いか?」

 

 親友だからこそ聞ける内容だった。

 大和は嗤う。

 

「俺は女好きの悪人だからなァ。そうかもしれねぇ」

「……そうか」

 

 ネメアは微笑む。

 大和が「こういう言い回し」をする時は、違う時だった。

 

 

《完》

 

 



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第三十四章「陰謀伝」
一話「第三帝国の影」


 

 

 第三帝国ネオナチスが動き始めた。

 最近デスシティで噂になっている。裏側の世界に身を置く者ならば、無視できない内容だ。

 

 何せ第三帝国の首領は最強最悪の王でありEX+クラスの特異点、ソロモン。

 現存している不滅の第五終末論『ムースピリ』の代行者である。

 

 そして、彼を支えている別格の超越者達。

 

 世界最強の槍術家「三本槍」筆頭、『魔槍』ヴォルケンハイン。

 嘗て唯一神に抗った旧人類が創造した『対神仏用終極兵器』ゴグ・マゴク。

 ヒュドラと双璧を成す最強クラスのドラゴン、『魔龍王』ニーズヘッグ。

 世界から無尽蔵に湧き出る負のエネルギーを吸収し最強の祟り神となった『崇徳上皇』。

 西洋最強の妖魔、吸血鬼の始祖であり原点、『神祖』ヴラド・ドラキュリーナ。

 

 以上五名は五師団の大隊長を務めており、個人のランクはEX。

 配下にも多数超越者が存在する。

 

 彼等の恐ろしい点は『世界滅亡』という確固たる野望を掲げているところだ。

 雅貴ら七魔将と違い、世界に対して明確な憎悪を抱いている。

 各々思惑はあれど意思は統一されており、厄介極まりない。

 

 世界政府を始めカトリック、プロテスタントの二大宗教。

 日本の呪術協会に西洋の魔術結社。

 更には世界各地の神話勢力が、ネオナチスの動きに目を光らせていた。

 

 そんな中、超犯罪都市デスシティは平常運行。

 都市の営みに支障は無く、所々で噂が広まる程度。

 五大犯罪シンジケートも警戒こそすれ、注意はしていない。

 

 何故なら、この都市には最強最悪の英雄が在住しているからだ。

 

 数億年前から、世界を破滅の危機から救い続けている二名の英雄がいる。

 

 天使と悪魔による終末論の引き金『ハルマゲドン』

 外宇宙からの頂点捕食者ドラゴンの襲来『カリユガ』

 全神話体系による大戦争『ラグナロク』

 クトゥルフ系列の邪神群との最終決戦『デモンベイン』

 

 以上の四大終末論を踏破し、全人類の守護者にして英雄の冠位資格を誇る両雄。

 片や、正義と礼儀を重んじ、民と平和を愛した万夫不当の勇者王。

 片や、欲望の限りを尽くすも圧倒的な暴力で全てを捻じ伏せた生来の怪物。

 

 勇士と化物。光の闇。陽と陰。

 生粋の英雄である両者は、しかし対極を成す存在だった。

 

『悪鬼羅刹』『暴力の化身』『意思を持つ天災』『神秘殺し』『虐殺者』

 

 闇を司る英雄は、太古の昔から畏怖され嫌悪されてきた。

 曰く「最強」。曰く「無敵」。曰く「無敗」。曰く「必勝」。曰く「頂点」。

 

 存在そのものが人類の特異点であり極致。

 生まれながら最強で在る事を約束された、人類の可能性が生み出した正真正銘の化物。

 

 殺戮と破壊に特化した総合武術「唯我独尊流」の創始者にして、「武神」と謳われた古今無双の兵法家。

 世界最強の武術家にして殺し屋──。

 

 

 大和(やまと)

 

 

 彼の存在はデスシティの秩序そのものだった。

 もう片方の『勇者王』も眠れる獅子としてこの都市に滞在している。

 

 両雄の存在は第三帝国を以てしても驚異だろう。

 故にデスシティの安寧は約束されていた。

 

 しかし時代が乱れ変わりつつある今──遂にこの安寧も破られようとしていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 デスシティに雪が積もった。

 季節は冬──。

 天候が不安定なこの都市にも、一応四季と呼ばれる概念は存在する。

 

 しかしそこは魔界都市。

 降り注ぐ雪には有害物質が多く含まれており、直に浴びれば皮膚が壊死する。

 そのため住民は必ず傘を差し、簡易魔術の施された服を着込む。

 

 何気ない日常の中にも死の危険が潜んでいる。

 ここは魔界都市なのだ。

 

 大衆酒場ゲートは、相も変わらず憩いの場と化していた。

 種族の枠を越えて皆暖を取っている。

 妖精詩人の奏でる温かな音楽に包まれる中、カウンター席で豪快に酒を呷っている褐色肌の美丈夫がいた。

 度数の強い酒だが、彼からすれば湯水と変わらないのだろう。

 

 美丈夫──大和は笑う。

 

「いやぁ、快適快適。あったけぇし、イイ酒とつまみはあるし……雪の日はここに籠るに限るぜ」

 

 その言葉に店主、ネメアは肩を竦める。

 

「ほぼ毎日お前の顔を見ている気がするが?」

「お前も嬉しいだろう? 親友の顔を毎日見れて」

「酔いが回ったか?」

「そっちこそ、照れ隠しか?」

「外に放り出されたくなかったら黙って飲んでろ」

「へいへい」

 

 互いに笑っていられるのは深い絆があってこそ。

 

 大和とネメア──彼等こそデスシティの誇る最強の超越者。

 幾度となく世界を救っている光と闇の英雄王である。

 

 彼等の存在がゲートの安全を磐石なものとしていた。

 故に皆、気を抜いていた。

 

 しかしとんでもない来訪者が現れる。

 彼等を見て皆即座に臨戦態勢に入ったほどだ。

 

 ウェスタンドアを開けて現れたのは二名の軍人。

 見事な金細工の施された漆黒の軍服とコート。

 髑髏のエンブレムが付いた軍帽。

 そして……鉤十字(ハーケンクロイツ)が描かれた真紅の腕章。

 

 第三帝国ネオナチスの軍人である。

 

 ウェイトレスをしていた野ばらと黒兎が殺気を滲ませるも、ネメアが手で制した。

 

 軍人達は大和達の元に来ると、軍帽を取った。

 どちらも獣人。女は虎の、男は狼の亜人である。

 獣色が濃く、人形の肉食動物と言ったほうが正しいだろう。

 

 虎の亜人が、大和に無邪気な笑みを向けた。

 

「旦那、久々だな」

「……ブルーム。お前、ネオナチに入ったのか」

「まぁな。おおっと勘違いしないでくれよ? 別に騒動を起こそうってワケじゃねぇんだ。少し話を聞いて欲しい。なぁ、頼むよ旦那」

「「……」」

 

 大和はネメアと視線を合わせる。

 ネメアは渋々頷いた。

 

 店主から了承を得た大和は、二名に向かって笑いかける。

 

 

「そんで、何の用だよ」

 

 



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二話「祝宴への招待」

 

 

 大和は二名の亜人を見定める。

 そして嗤った。

 

「どっちも超越者か……。成る程、第三帝国が超越者を集めてるって噂は本当らしい」

 

 店内がどよめく。

 そんな中、虎の女亜人──ブルームは愛想笑いを浮かべた。

 

「まぁ、そこら辺はおいおい……な。で、俺達の用件なんだけどよ」

 

 ブルームはチラリと相方を見やる。

 狼の男亜人──彼は深く頭を下げると、純白の手袋を脱いで大和に手を差し出した。

 

「派遣師団隊員、エッジと申します。悪魔王サタンとの激闘には心打たれました。お会いできて光栄です」

 

 真摯な挨拶に大和もこたえる。

 ブルームは苦笑した。

 

「本当は俺一人で来る筈だったんだが、コイツがどうしても旦那に会いたいって言うこと聞かなくてよ。そしたらコイツ以外にも挙手しはじめて……もう大変だったぜ」

「何だ、ネオナチで俺のファンクラブでもできそうな勢いか?」

 

 大和は冗談で言ったのだが、ブルームは真顔で答える。

 

「いや、もうできてるぜ」

「……はぁ?」

「旦那ぁ……アンタ自分の影響力を理解したほうがいい。アンタは暴力のカリスマだ、ネオナチじゃあスーパースター扱い。熱心に崇拝してる奴もいる。ファンクラブなんて今更だぜ」

「……うげぇ」

「ちなみに俺はファンクラブ会員No.34。二桁クラスは結構レアなんだぜ? エッジもサタンとの一戦で旦那の大ファンになっちまったんだよ! な! あとメアド交換しようぜ! 他の女隊員達との約束もあってよぉ!」

 

 ひとしきり言い終わった後に大和がドン引きしている事に気付いたのだろう。

 ブルームは咳払いで誤魔化す。

 

「と、前置きはここまでにして……旦那に話がある」

 

 ブルームは真剣な表情で告げた。

 

「俺達ネオナチスは第五終末論……世界蹂躙の準備を「一段階」終わらせた。今夜はその祝祭だ。旦那には是非来て貰いたい。総統閣下直々の招待状だ」

 

 ブルームが差し出した一通の手紙に、大和は三白眼を細めた。

 

 

 ◆◆

 

 

「いいのかよ。こんな所でそんな告白して」

「これも総統閣下の命令でな。大衆酒場ゲートの店主、ネメアの前で告知しろって」

「大胆不敵なこって」

 

 大和が振り返ると、ネメアは頭を押さえていた。

 苦笑しつつ、彼はブルームから手紙を受け取る。

 そして早々に告げた。

 

「いいぜ、行ってやるよ」

「……マジかよ旦那!」

 

 飛び上がるくらい喜んでいるブルーム。

 騒然としている周囲を余所に、大和は笑う。

 

「久々にアイツの顔が見たくなった。色々と聞きてぇ事もあるし……なぁ、いいだろうネメア」

 

 振り返ると、ネメアはこめかみを押さえていた。

 

「止めても行くんだろう」

「まぁな」

「好きにしろ……俺はお前を信じている」

「ククク。ああ、信じておけ」

「全く……」

 

 溜め息を吐くネメア。

 大和はブルーム達の前に立った。

 

「そんじゃあ、案内してもらおうか?」

 

 

 ◆◆

 

 

 大和達が去った後、ゲート店内は右往左往の大慌てだった。

 先程のブルームの発言はネオナチスの宣戦布告……第三次世界大戦を示唆するものである。

 慌てない方がおかしい。

 

 電子機器や魔術通信を媒体に急速に情報が広まっていく。

 もう一時間しない内にデスシティ全土に広まり、今夜中には世界中で情報共有がされるだろう。

 

 世界を揺るがしかねない一大事を目の当たりにしても尚、店主ネメアは落ち着いていた。

 セブンスターを咥えて新聞を読んでいる。

 

 そのあまりの落ち着きぶりに、流石の野ばらも肩を竦めた。

 

「余裕そうね」

「まぁな」

 

 ネメアは新聞から目を離さずに告げる。

 

「俺は今のところ『ただの酒場の店主』だ。アイツらがどう動こうが関係ない」

 

 ただ……そう言って顔を上げる。

 その黄金色の瞳に宿る憤怒の念に、野ばらは一瞬震えた。

 

「あまりに調子に乗るようなら叩き潰す……営業妨害になるからな」

 

 ネオナチは眠れる獅子を意識させたのだ。

 それがどれほど恐ろしい事なのか……

 ソロモンは理解していて、ブルームに告知させたのだろう。

 

 野ばらは改めて思う。

 ネオナチは危険な組織だと。

 

 ここで、側にいた黒兎がネメアに聞いた。

 

「あの、ネメアさん……本当に大丈夫でしょうか?」

「何がだ?」

 

 黒兎は表情を曇らせる。

 

「糞親父…………こほん、父さんが、ネオナチに入団するなんて事は」

「無いな、断言できる」

「……何故でしょうか?」

 

 純粋な疑問に、ネメアは目を丸めた。

 彼女は実の父親の事をあまり知らないのだ。

 

 ネメアは困った顔をすると、丁寧に説明しはじめる。

 

「黒兎、アイツは誰の下にも付かない。過去、如何なる存在でもアイツを従える事はできなかった。邪神群の王すらも……アイツは縛られる事を極端に嫌う。誰かを縛る事も。……自由を愛しているんだよ」

「……」

「アイツの在り方を言葉にするのは、中々難しい。だから黒兎……徐々でいい。アイツを見ていけ。仲直りしろだなんて言わない。ただ、お前の親父がどういう男なのか……知ってほしい」

「…………わかりました」

 

 頷きながらも、難しい表情をする黒兎。

 その頭をネメアは優しく撫で上げた。

 黒兎は驚くも、次には子猫の様に目を細める。

 

 その一部始終を見ていた野ばらは、何時もの台詞を吐いた。

「その子には甘いわね」と……

 

 ネメアは苦笑で返した。

 

 

 ◆◆

 

 

 南極大陸の地下に巨大な熱源が存在しているのは、昨今のメディアで指摘されている。

 しかしその正体が第三帝国ネオナチスの本拠地であることは、殆ど知られていない。

 

 世界各地域に支部が点在する中、大規模な「世界蹂躙」の兵器開発と超越者育成に力を入れているのがここ、南極大陸本部である。

 

 荘厳なる城と最新鋭の設備の混合。

 元々城だった場所を改良したのだろう。名残があるのはソロモンの趣向か、それとも偶然か……

 

 何にしても凄まじい規模である。

 東京ドームに換算すれば優に万を越えるだろう。

 想像以上の有り様に、流石の大和も溜め息を吐いた。

 

「お前らんところの総統閣下様はマジみてぇだな」

「今更だぜ旦那♪ にしても落ち着くなぁ……暖房もバッチリ効いてるし、空気も魔界都市よりマシだし」

 

 背伸びしているブルームに大和は問う。

 

「お前は派遣師団か?」

「ん? ああそうだぜ」

「スカウトされたのか?」

「まぁな。給料も良いしバックもデカいし、何より気楽に仕事できる。魔界都市で殺し屋してるより遥かにマシだぜ」

「ふぅん……」

 

 元々、Sクラスの殺し屋だったブルーム。

 しかし現在の戦闘力はSSクラスの上位。

 かなりのものだ。以前とは比べ物にならない。

 隣のエッジもそれ位なので、大和は感心した。

 

「効率的と言えば効率的、か。量より質……量は兵器で幾らでも誤魔化せる。……あの坊っちゃんめ、かなり凝ってやがる」

 

 嗤う大和に、二名は愛想笑いを浮かべた。

 暫く歩いていると、豪勢な門が視界を覆った。

 中から多数の気配と陽気な雰囲気が漏れている。

 恐らく祝祭の会場なのだろう。

 

 大和はそれよりも、門前で佇む男に注目していた。

 黒のざんばらば髪に無精髭を生やした野性的な男性だ。

 容姿的年齢は三十代後半ほど。粗野だが野卑ではない。

 その肉体は親衛隊の制服の上からでもわかるほど鍛え抜かれており、碧眼に宿る闘志はまるで地獄の業火の如く。

 傍らには禍々しい魔槍が立てかけられていた。

 

 彼を見たブルーム達は途端に冷や汗を吹き出し、最敬礼をする。

 大和は気にせず笑いかけた。

 

「よぅ、久々じゃねぇか。ヴォルケンハイン」

「来ると思ってたぜ、大和」

 

 歩兵師団大隊長にして世界最強の槍術家「三本槍」筆頭。

『魔槍』のヴォルケンハインは大和に気軽に手を上げた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ヴォルケンハインはブルーム達に愛想なく告げる。

 

「テメェ等、先に会場内に入ってろ。後は俺が案内する」

「「かしこまりました」」

 

 二名は怯えた様子で去っていく。

 大和は苦笑を浮かべた。

 

「随分と怖がられてるじゃねぇか」

「ウチは上下関係を徹底してる。舐めた態度をした奴等を殺していく内にああなったんだ」

「他んところもそんな感じか?」

「概ねな。それよりも……」

 

 ヴォルケンハインは大和に近寄る。

 両者、同じくらいの身長だ。

 彼は大和の肩に腕を回すと、その厚い胸板を叩いた。

 

「見たぜ、サタンとの戦い。やるじゃねぇの。久々に滾っちまったぜ」

「盗み見は感心しねぇなぁ」

「ハッ! あんな派手に戦われたら嫌でも目につくっての!」

 

 ヴォルケンハインは獰猛に嗤う。

 

「まだ強くなってんのな、お前。ククク……」

「そんな熱い視線送んなや、気持ち悪ぃ……野郎は美人以外お断りだぜ」

「美人ならいいのかよ」

 

 素っ気なく腕を外されても、ヴォルケンハインは笑ったままだった。

 彼は大和を会場内へと案内する。

 

「来いよ、総統閣下がお待ちかねだ」

 

 重厚な扉が開き、祝祭会場が露になる。

 とても大きな広間だった。豪華な食事と高級な酒が並んでいる。

 隊員達は制服姿のまま宴を楽しんでいた。

 

 陽気な雰囲気が一瞬で霧散する。

 静寂に包まれた会場内を二名はザクザク進んでいった。

 道を開けた者達は大和に羨望の眼差しを向けている。

 他の者達もだ。

 会場にいる殆どの者達が大和に畏敬の念を向けている。

 

 大和は思わず舌打ちした。

 ヴォルケンハインは苦笑する。

 

「そんなに嫌か? 敬意を向けられるのは」

「大多数から向けられるのは、正直うざってぇ」

「お前にゃあ名誉欲とかねぇのか?」

「性欲の方が遥かに強ぇ」

「ブッ……ハッハッハ!! そういやそーいう奴だったなお前!! クハハ!! ヤベぇツボった!! ハッハッハ!!」

 

 前を歩きながら大爆笑しているヴォルケンハイン。

 大和は肩を竦めつつも周囲を見渡した。

 

(成る程……中々粒揃い。世界蹂躙の前段階が終わったって話はマジみてぇだな)

 

 隊員達の殆どが超越者、または至りかけている者達。

 年齢も若く、まだまだ伸び代がある。

 第三次世界大戦はそう遠くないなと、大和は他人事の様に考えていた。

 

 そんな彼の耳に、不意にピアノの音が入ってくる。

 

「……?」

 

 大和は思わず振り返った。

 壇上でひっそりとピアノを奏でている美少女がいた。

 金髪碧眼で、儚げな印象を抱かせる。

 豪華絢爛なドレスを身に纏っているが、まるで嫌味を感じさせない。

 

 類稀なる美少女だが、大和は違和感を覚える。

 気付いたヴォルケンハインは告げた。

 

「あの方は総統閣下の奥様、エヴァ殿下だ」

「アレが、ソロモンの……?」

 

 表情を曇らせる大和。

 ヴォルケンハインは気になって振り返った。

 

「何だ? 気になんのか? だが手を出すのはやめてくれよ。総統閣下がブチ切れる」

「そんなんじゃねぇよ」

「……?」

 

 ヴォルケンハインは首を傾げた。

 大和は彼女を「女」ではなく「異質なもの」として捉えていた。

 

 察したヴォルケンハインは苦笑する。

 

「確かお前は元・皇子様だったな。教養豊か……とは言わねぇか。俺にはサッパリだが、何かわかる事でもあったのか?」

「……異質過ぎる、奏でている音色があまりにも純粋過ぎる。アレが本当にソロモンの奥さんなのか?」

 

 音色だけでその者の本質を見抜いたのだろう。

 ヴォルケンハインは内心舌を巻きつつ答える。

 

「まぁな。と言っても、総統閣下からすれば単なるお飾り、プロパカンダの一つなんだが」

「……成る程」

「と、そうこうしてる内に来たぜ。御本人様が」

 

 カツカツと足音か響く。

 会場内の浮わついた空気が一瞬で凍てついた。

 隊員達はその場で静かに頭を下げる。

 

 漆黒の豪華絢爛なコートが靡く。

 美少女と見紛うばかりの美少年が現れた。

 容姿的年齢は10代前半ほど。線が細く優美で、儚さすら感じさせる。

 しかしその瞳には想像を絶する狂気と憎悪が渦巻いていた。

 

 彼は壊れている。人間として終わっている。

 だからネオナチスを率いられるのだ。

 

 最強最悪の王にして、神々が最も畏れた人間。

 暴君の代名詞──ソロモン。

 

 大和とエリザベスとはまた違った特異点。

 第三の人類最終試練。半永久的に続く例外的な終末論「ムースピリ」の代行者。

 

 人間でありながら非の打ち所の無い完璧な存在。

 だからこそ人間に絶望し、世界に絶望し、全てを滅ぼそうとしている破綻者──大和とは似て非なる魔人である。

 

 会場内が静寂に包まれる中、妻であるエヴァは演奏を中断し立ち上がった。

 

「……あの、ソロモン様」

「何故演奏を中断した。お前の役目はソレだろう。続けろ」

「…………はい」

 

 泣きそうな顔で演奏を再開するエヴァ。

 大和は鼻で笑った。

 

「誰に対してもそういう態度なのな、お前」

「貴様だけは別だよ、大和。……よくぞ来てくれた。歓迎しよう」

 

 両手を広げるソロモン。

 その瞳の奥に燻る感情を覗いて、大和は思わず笑みを消した。

 

 



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三話「憎悪せよ、謳歌せよ」

 

 

 ソロモンの瞳にかつてない「輝き」を見た大和は、暫くすると面白げに笑った。

 

「何がおかしい?」

「気にすんな」

 

 ソロモンは怪訝な表情をするも、前を向いて歩き始める。

 彼は不意に告げた。

 

「どうだった、隊員達から向けられる羨望の眼差しは」

「仕込みやがったな」

「ああそうとも。「道具」にいらない感情を向けられるのは不快極まりないからな。……くくく、丁度良いスターだったよ。お前は」

「神経質な野郎だ。潔癖症もここまで来ると最早病気だな」

 

 皮肉の応酬、しかし両者笑ったままだ。

 今度は大和が問う。

 

「お前の奥さん、エヴァだったか? ちゃんと構ってやれよ」

「あんなもの、ただの飾りだ。幾らでも替えがきく」

「勿体ねぇ。音楽にしろ容姿にしろ、いい線いってんのに」

「なんならくれてやろうか? アイツから向けられる感情は、正直不快極まりないんだ」

「テメェを本気で愛してんだぜ、アレは」

「それが余計なんだよ。アレはただの広告塔、それ以外の価値などない。アレよりも良いモノがあれば、さっさと交換するさ」

「捨てる時は俺に言ってくれ。可愛がってやるから」

 

 大和の発言に、ソロモンはやれやれと肩を竦めた。

 

「相変わらずだなお前は、まるで獣だ」

「どうとでも呼べや」

「……くくく、そうか」

 

 ソロモンは自室へやって来ると窓を開け、ベランダに出る。

 そして手摺に寄りかかり、艶然と笑った。

 

「今宵はクリスマス、だったか? さぁ……存分に語り合おう、暗黒のメシアよ」

 

 

 ◆◆

 

 

「私は欲しいと思ったものは何が何でも手に入れる……いいや、今まで「何かを欲しい」と思った事が無いから、歯止めが効かないだけなのかもしれない。しかし今となっては些事だ。何故なら、欲しいものが目の前にあるから」

 

 妖艶に笑うソロモン。

 それは大隊長達すら見たことの無い、暴君の欲望の発露だった。

 

「お前は特別だ、大和。私はお前が唯一無二の存在だと気付いた。神代の時代から生きる闇の英雄王? 暴虐非道なる魔人? 武神? あってはいる。だがお前の本質を捉えていない、有象無象はお前の真価に気付いていない!」

 

 ソロモンは笑顔で両手を広げる。

 

 

「お前だけなんだよ! 先天的な超越者でありながら後天的な超越者に至ったのは! 歴史上、お前ただ一人なんだ!」

 

 

 そのまま、熱に浮かされた様に語り始める。

 

 

「お前は第一終末論『ハルマゲドン』にて人類最終試練、『アダムとイブ』のアダムとして生まれた。旧人類を滅ぼす新人類、欠点の無い完成された存在として。しかしお前はソレを否定した! 骨肉が変形するほどの過酷な鍛練と不倒不屈の精神力を以てして! 創造主である唯一神を打破し、世界を救ってみせた!」

 

 ソロモンは心底不思議そうに問う。

 

「何故「権利」を捨てた? 貴様ならなれただろう、新人類の王に。だからこそ大王朝「出雲」の皇子として生まれた。お前は人類の頂点になるべくして生まれた男だ。何故……」

「俺が俺であるために」

「……わかってはいる。だが理解できない。貴様は我を通したい、ただそれだけのために捨てたのか? 新人類の王の地位を、最強無敵になれる才能を」

「全て与えられたもんだ、何の価値もねぇ」

「なっ……」

 

 絶句するソロモンに、大和は笑いかける。

 

「俺の人生は紙芝居じゃねぇ。俺は、神様の人形じゃねぇ」

「しかし……!」

「エリザベスは……まぁアイツ生真面目だから、わざと成長遅らせてるけど。そうでもしねぇと人類滅びるし、かと言って世界を護らなきゃなんねぇし。ネメアに関しては、言わなくてもわかるだろう? 他の奴等も、概ね「先天的な超越者」としての使命を全うしてる。お前にしろ……な」

「……」

 

 黙るソロモンに、大和は穏やかな声音で語りかける。

 

「いいじゃねぇか、好きにしろよ。お前は人類が憎い、世界が憎い。だから滅ぼす。勝手にしろよ、お前の自由だ」

「……論点をすり替えるな、私は」

「俺は人類最終試練の「俺」が気に入らなかった、だから滅ぼした」

「……」

「お前が世界を滅ぼしたい様に、俺は己自身を滅ぼしたかった。だからした。……要は対象の違いであり、事前か事後かの違いだろう?」

 

 大和は懐からラッキーストライクを取り出し、口に咥える。

 

 唯我独尊、天衣無縫。

 彼は既に「完結」している。

 

 ソロモンは未知の感情を覚えた。

 長い時の中で感じた事のない思い……衝動に駆られるがままに告げる。

 

「大和、私のものとなれ。いいや、私の隣に立て。副総統待遇だ、私と同等の権利を与えよう。金銭面、その他あらゆる要望を叶えてみせる。だから……」

 

 私と共にいろ。

 妻のエヴァにすら言った事のない告白だった。

 しかし大和はニヒルに笑う。

 

「NO、俺は俺だけのもんだ。誰にも譲らねぇ」

「どうすれば譲る、明確な条件を提示しろ」

 

 殺意すら滲ませるソロモンに、大和は飄々と答えた。

 

「屈伏させろ。力で捩じ伏せ、無理矢理言うことを聞かせるんだ。野生の獣を家畜にするが如く……平伏させてみせろ」

「…………」

「得意分野だろう? ソロモン」

 

 クツクツと喉を鳴らしながら大和は踵を返す。

 

「じゃあな、ぼちぼち頑張れよ。ああ、あと……」

 

 大和は背後に名刺を投げる。

 ソロモンは指で挟み受け取った。

 

「殺し屋としての依頼なら受け付けるぜ、何時でも言いな」

 

 大和は脇差しで次元を切り裂き、消えていった。

 彼の背を見送ったソロモンは、容姿相応の儚さを顔に滲ませる。

 

「違うんだよ、大和……私はお前を隷属させたいワケじゃない。……隣に居てほしいだけなんだ」

 

 初めて共感し合えた存在を、ソロモンは心より欲していた。

 その感情は、恋に近しいものだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 祝祭会場に直接繋がっている別のベランダにて。

 五師団の大隊長はソロモンたちの会話を盗み聞きしていた。

 盗み聞き、というよりも五名の超感覚を以てすれば聞こえるものを聞いただけなのだが……。

 

 歩兵師団長、ヴォルケンハインはやれやれと肩を竦める。

 

「フラれちまったか……」

「そういう話題だったか?」

「スカウトに失敗したんだ、結果的にはそうだろ」

「……そうなのか」

 

 ふむと顎を擦ったのはストレートの金髪を腰まで流した美男。

 空挺師団大隊長にして最強クラスのドラゴン、「魔龍王」ニーズヘッグ。

 

 彼は鼻で笑った。

 

「どうでもいい。俺が、俺達ドラゴンが望むのは終わりなき闘争と蹂躙だ。それさえ叶えられれば、後はどうでもいい」

「珍しく意見が合うじゃねぇか、ニーズヘッグ。俺もだぜ。戦争ができればいい。血を血で拭う暴力の広場があれば、それでいい」

 

 虐殺者と戦争中毒者。

 空挺師団と歩兵師団の大隊長は、内容に些か違いがあるものの求めているものは一緒だった。

 

 戦争、闘争、そして蹂躙──

 世界の破滅を目論むソロモンは、二名にとって利害の一致する存在だった。

 最も、忠誠心は欠片もない。上辺だけのものである。

 それは他の隊員達にも言える事だが……

 

「…………」

 

 何も語らず、機工師団長ゴグ・マゴグはこの場を後にする。

 ヴォルケンハインは苦笑した。

 

「愛想のねぇやつ」

「アレは兵器だ、愛想など無いに決まっているだろう」

 

 そう言ったのは艶やかな黒髪を靡かせる美男、山岳師団長「崇徳上皇」だった。

 

「しかしソロモンめ……人間臭くなったな。だがこれからだぞ。人間という生き物が如何に業深き存在なのか……知るいい機会だ」

 

 彼はある意味、最も人間の本質を理解している存在だった。

 それでいながらソロモンに手を貸している、特異な存在でもあった。

 

 彼は隣に居る吸血鬼の女王に問う。

 

「お前は何が目的だ、神祖。裏で色々しているようだが?」

 

 派遣師団長、ヴラド・ドラキュリーナは鼻で笑い返す。

 

「アンタに教える義理があるの?」

「無いな」

「でしょう。ならせめてあのお坊ちゃんの行く末を見守ってなさい。私は私で目的があるから」

 

 傲慢不遜に去っていくドラキュリーナ。

 ハイヒールの足音が冷たく響く中、崇徳上皇は小さく囁いた。

 

「世界の混沌化……最早無視できないところまで来ているな」

 

 しかしそれもまた良しと、彼は世界そのものを嘲笑う。

 そうして宴会の間へと戻っていった。

 

 世界の混沌化は激的な速度で進んでいる。

 表と裏の拮抗が崩れる時は、そう遠くないのかもしれない。

 

 それでも、大和という男は「大和」であり続ける。

 物語はより一層濃く深くなっていくのだ。

 

 

《完》

 



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第三十五章「常夜伝」
一話「真祖達の宣戦布告」


 

 

 

 その日、世界は「夜」に覆われた。

 比喩表現ではなく、世界から昼夜の概念が無くなったのである。

 

 理由はすぐに判明した。

 西洋妖怪の頂点、吸血鬼らが世界全土に下克上を叩きつけたのだ。

 

 真祖過半数による世界の法則改変。

 太陽という存在を完全に遮断する、闇の超高密度多重障壁の展開──

 

 夜は吸血鬼が最も力を発揮できる時間帯だ。

 それは他の妖魔、魔獣たちにも言える事であり、世界各地では早くも深刻な被害が出ていた。

 

 カトリック教会率いる武装祓魔士、並びにそのトップである七騎士。

 日本呪術教会所属の退魔士、並びに土御門含める御三家と今代の「日巫女」。

 そして合衆国が抱える異端審問会。

 

 全世界の退魔勢力が一斉に出動した。

 

 黄金祭壇、並びに世界政府はこの事態を深刻なものと捉え、それぞれの最高戦力を敵地ルーマニアへと向かわせた。

 

 突発的に起こった世界の危機に、古今東西の特異点が集いつつある。

 

 

 ◆◆

 

 

 デスシティ、裏路地にある簡素なアパートにて。

 午前中にも関わらず、官能的な喘ぎ声が辺りに響き渡っていた。

 声の主は快楽の只中にいるのだろう、掠れた声を絞り出している。

 

 背中を仰け反らせ、美女は震えていた。

 紫色を帯びた黒髪、どこをとっても柔からそうな極上の女体。

 再度震えた彼女……アラクネは男の厚い胸板に倒れこむ。

 彼女は息をきらしながらも笑ってみせた。

 

「ほんと、絶倫ね……何日やれば気が済むの?」

「お前が満足するまで」

「なら、あと三日はかかるわね」

「どっちが絶倫なんだか……」

 

 苦笑しながら男、大和はアラクネの唇を吸う。

 アラクネは蕩けた顔で舌を絡めた。

 濃密なキスを終えれば、アラクネは大和の胸板を舐め上げる。

 大和はそんな彼女の髪をくしゃりと撫で上げた。

 

 今日で「五日目」になるが、どちらもまだ満足していない。

 互いに底無しの性欲を満たしあっているのだ。

 

 アラクネから潤んだ瞳を向けられ、さぁ再戦といこうとした大和だが……スマホが鳴ったので気分を削がれてしまう。

 頬を膨らませるアラクネに苦笑を向けつつ、彼は枕元にあるスマホを取った。

 

「へいへいどうした努ちゃん、まだ真っ昼間だぜ」

 

 あまりに軽い応答に日本国代表、総理大臣「大黒谷努」は溜め息を吐く。

 

『こっちの世界は夜に包まれていてね』

「おろ? 何でだ? あんま時間差ねぇだろ、此処とそっちは」

『……本当に、何も知らないんだね』

「アラクネと寝てたからな」

 

 大和とアラクネの性質をよく理解している努は、早々に本題へと入る。

 

『アラクネくんもいるのかい? 丁度良かった。今、表世界が酷いことになっていてね』

「ふぅん、依頼か?」

『うん、時間が無いから手短に話すよ』

「おーけー」

 

 要約すればこうだ。

 

 吸血鬼の真祖らが表世界を「夜」で包み込み、その影響で世界各地に混乱が生じている。

 早急に敵の本拠地ルーマニアに赴き、真祖達を撃滅してほしい。

 

 大和はなるほど、と頷いた。

 

「すぐに殺しに行けばいいんだな」

『そう、発端なんて後で幾らでも探れるから……兎に角、現状の早期解決をして欲しい』

「報酬は? アラクネが一緒ってなるとかなり値が張るぜ」

『400億……二人で200億ずつでどうかな?』

「……ま、妥当か。吸血鬼の真祖「程度」ならそんなもんだろ」

『これでも、世界政府が貯蓄している財産なんだけどね』

「へいへい何だよ努ちゃん、言いたいことあるならハッキリ言え」

『……コレが終わったら日本でお金使ってくれない? 国が豊かになるから』

 

 あまりにぶっちゃけた発言に、大和は思わず吹き出した。

 

「ハッハッハ!! いいぜいいぜ!! 銀座でたらふくバラまいてやるよ!!」

『ありがとう、君が友人でほんと良かった』

「その代わり、他に面倒事があったら……頼むぜ」

『勿論、総理大臣としての権限をフル活用させてもらうよ』

「クククっ……じゃあ、さっさと向かうわ。今日中に終わらせるから、確認したら何時もの口座へ振り込んでおいてくれよ」

『わかった、頼んだよ』

「おう」

 

 通話を切った大和に、すかさずアラクネが文句を言う。

 

「何で私まで参加する流れになってんのよ」

「行かねぇのか? なら俺一人で行くぜ」

「行くわよ……そうしないとアンタ、銀座で女買い漁りそうだから」

「あれ、バレた……ったく、そんな拗ねんなよ。仕事が終わったらお前の好きなもんいくらでも買ってやっから」

「マジ買いしてやる、数十億くらいふっ飛ばしてあげるわ」

「おうおう買え買え、俺も買いまくるから」

 

 頬にキスされたアラクネは、嬉しそうな困ったような、複雑な表情をした。

 

「私が言うのもアレだけど……アンタ、金使い荒すぎ。すぐ無くなっちゃうでしょ?」

 

 大和は肩を竦めると、台座に置いてあった札束入れを掴みとる。

 

 そしてポイっと、足元に百万円札を投げ捨てた。

 

「こんなもん、ただの紙だ。女も美味いもんも買えるが……ただの紙の束だ」

「……」

「だから使って使って、無くなったらまた溜めりゃあいい。そうだろう?」

「……全く、もう」

 

 アラクネは呆れていた。

 

 世界政府のみならず、彼があらゆる勢力から重宝されている理由。

 その一つに、稼いだ金をすぐに使い切ってくれるからというのがあった。

 

 ある意味世界に貢献してるわね……その言葉を、アラクネは飲み込んだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、大衆酒場ゲートでは大規模な情報共有が行われていた。

 魔界都市内の情報伝達速度はハッキリ言って異常であり、表世界の状況はリアルタイムで把握される。

 

 しかし住民達は動かない。

 いいや、動けないと言ったほうが正しいか……

 

 五大犯罪シンジケートから圧力がかかったのだ。

 だから皆、大衆酒場ゲートに集まっている。

 

 何時もの陽気な雰囲気はない。

 張り詰めた空気が店内を支配している。

 

「……」

 

 オーダーが無くなったので暇になってしまったウェイトレス、黒兎は厨房前で煙草を吹かしている店主に聞いた。

 

「表世界、凄いことになってるみたいですね」

「ああ。でもまぁ、大丈夫だろう。酒場の雰囲気を見ればわかる」

 

 その言葉に反応したのは黒兎の先輩、史上最強の鬼狩りこと野ばらだった。

 綺麗な花飾りを揺らして、彼女はネメアに問いを投げる。

 

「貴方はこの都市の事情に詳しいわ。いいえ……世界の事情にも、かしら?」

「……」

「五大犯罪シンジケートはそれほどまでの影響力を持っているの? 他にもあるんじゃない? 理由が」

 

 ネメアは淡々と告げる。

 

「吸血鬼、特に真祖は閉鎖的で有名だ。こんな派手な事は絶対にしない。……何か裏がある」

「……五大犯罪シンジケートは、警戒しているという事ですか?」

 

 黒兎の言葉にネメアは頷く。

 

「表世界の退魔勢力と違い、デスシティの勢力はその殆どが犯罪組織だ。たとえ後手に回ったとしても、自分達は痛くもかゆくもない」

 

 それともう一つ、ネメアは付け足す。

 

「世界政府が早々にジョーカーをきった。……大和とアラクネだ。あの二人が動く以上、この騒動は半日と経たず終わる。アイツらはこの都市で、いいや世界で一番腕の立つ殺し屋だからな」

 

 嫌悪する父の名前が出てきたので、黒兎は眉根をひそめる。

 ネメアは思わず苦笑を浮かべた。

 

「まぁ、それを踏まえてだ。五大犯罪シンジケートが様子見に徹してあの二人が動いている以上、ここの住民達は動いたとしても何の利益も得られない。だから店内はこんな雰囲気なんだよ」

「成る程……」

 

 納得している黒兎を余所目に、野ばらはネメアに聞いた。

 

「貴方は出ないの? 一応、世界最強の傭兵でしょう。世界政府から依頼はこなかったの?」

「きたさ。でも断った。……この事件は、あの二人だけで十分だ」

「……」

「俺は、ここを護ることを何よりも優先する」

 

 ネメアの言葉に野ばらは何か感じ取ったのだろう……「そう」とだけ言って、それ以上追求しなかった。

 

 ネメアは内心感謝しつつ、スマホに視線を落とす。

 五分前に、親友からメールが来ていた。

 

『おそらくネオナチの仕業だ。俺とアラクネでどうにかする。お前は何時もどおり酒場の店主をしてろ』

 

 ぶっきらぼうで、しかし親愛に満ちたその内容に、ネメアは微笑を浮かべた。

 

 



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二話「交差・特異点」

 

 

 

 吸血鬼の祖国、ルーマニアは阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 以前天使病に犯されたロンドン、悪魔に蹂躙されたニューヨークと大差無いレベルである。

 

 町中では食人鬼と化した者達が住民らを襲っていた。

 近隣の魔族達も加わって、手の付けられない状況になっている。

 

 生きたまま肉を食われ絶叫する男、魔族に犯され悲鳴を上げる女。

 死の戯曲が奏でられている。救いなどありはしない。

 差はあれど、世界各地が同じ状況になっている今、此処に真の救世主は現れない。

 

 常夜が続く事で、魔族達は更に凶暴化しつつあった。

 吸血鬼の楽園が完成する一歩手前、一部を除く地方全域に灼熱が広がる。

 

 ルーマニアは焔の海に飲まれた。

 

 食人鬼、魔族、住民、野生動物、森林……

 生命を持つ総ての存在が一瞬の内に燃やされる。

 

 ある種の慈悲だった。

 

 焦土と化した場所に、緋色のローブを羽織った女が降り立つ。

 

「敵の本拠地は無事か……面倒だな、真祖共だけの力ではない」

 

 紅蓮色の長髪が靡かせ、女魔導師は犬歯を剥く。

 長身かつ豊満な肢体を誇っている彼女は黄金祭壇のNo.3、ヴァーミリオン。

『紅蓮の獅子』の異名を持つ、黄金祭壇きっての武闘派だ。

 自慢の炎魔導を食らっても原型を保っているブラン城含む崖上を見上げ、盛大に舌打ちする。

 

「……確かネオナチには神祖がいたな。アイツめ、何が目的だ」

 

 鮮血色の双眸に宿るのは烈火の如き怒気。

 濃密過ぎる魔力が漏れだして足元の地盤はマグマと化していた。

 

「おうおう、キレーに掃除されてんな。そんで……やっぱネオナチが絡んでるかぁ」

 

 背後から間の抜けた声が聞こえてくる。

 野太くも艶やかな美声……

 声の主を即座に察したヴァーミリオンは満面の笑みで振り返った。

 

 が……横に付いていた女を見て不機嫌に戻る。

 

「……いらないのがいるな」

「聞こえてるわよ、ライオン女」

 

 両者とも、嫌悪感を隠そうともしない。

 間女……アラクネに対してヴァーミリオンは容赦なく告げた。

 

「帰れ。この案件、私と大和だけで十分だ」

「こっちは正規の依頼で来てんのよ。アンタこそさっさと帰ったら? ついでにエリザベスに伝えておいて頂戴。私の愛人にちょっかい出さないで……って」

「暗殺者風情が……調子に乗るなよ?」

「何? やるの? いいわよ。こっちも都合がいいわ。愛人気取りのバカを一人減らせて」

「……」

「……」

 

 剣呑を通り越して最早殺伐としはじめた空気に、いち早く大和が待ったをかける。

 二人の間に割って入った。

 

「待て、お前らマジで待て。ちょーぜつ面倒くせぇから」

「大和退いて、ソイツ殺せない」

「下がれ大和、ソイツ燃やせない」

「いいから落ち着けって。殺し合うのは勝手だが、俺は仕事しに来てんだよ。邪魔すんな」

「…………」

「…………」

 

 至極もっともな意見に、両者黙る。

 大和はヴァーミリオンの背後にあるブラン城周辺を指した。

 

「まずはアレだ。ほれ、行くぞ」

 

 返答を聞かずに歩きはじめる。

 伊達に七桁以上の女と関係を持っているワケではない。

 修羅場は慣れっこなのだ。

 

 しかしそれは、普通の女に限っての話である。

 彼女達は世界最強クラスの女……我の強さも世界最高クラスだ。

 

 ヴァーミリオンは素早く大和の右腕に抱きつく。

 アラクネもすかさず左腕に絡み付いた。

 

 両者とも、火花を散らさんばかりに睨み合っている。

 ヴァーミリオンは大和に言った。

 

「なぁ大和、コレが終わったら二人で遊びに行こう。お前の欲しいものは何でも買ってやるぞ」

「お生憎様、もう私が予約取ってんのよ」

「知らん、それは大和の返答次第だ。……なぁ、大和。どうだ? 絶対に退屈はさせんぞ?」

「……っ」

 

 ヴァーミリオンから艶然と微笑みかけられ、アラクネから涙目を向けられる。

 普通の男なら迷ってしまうかもしれないが、大和は即答した。

 

「すまねぇなヴァーミリオン。アラクネと約束しちまってんだよ。……約束は守らねぇとな」

「……チッ」

 

 悔しそうに舌打ちするヴァーミリオン。

 アラクネは「あっかんべー」をして挑発する。

 怒髪天になりかけた彼女に、すかさず大和はフォローを入れる。

 

「でも、一週間後は暇だ。数日くらい休暇入れとけ、可愛がってやる」

「……あ、ああ! 一週間後だな! 3日は必ずいれるぞ!」

「クククっ、決まったらメールくれよ」

「勿論だ! ……フフフっ♡」

 

 一変して乙女の様に微笑むヴァーミリオン。

 逆側ではアラクネが頬を膨らませていた。

 執拗に大和の足を蹴っている。

 

 大和は思わず溜め息を吐いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ネオナチ特性の超高密度多重障壁は大和の蹴り一発で粉々に砕け散った。

 

 物理、非物理、実在不実在、有無、その他総てのダメージになり得る現象。

 あらゆる種類、属性魔法を含む特殊能力。

 闘気、魔力、霊力、神力、龍気、闇の力、神々の権能、純エーテルに至るまで……

 

 あらゆる攻撃を遮断する筈の無敵結界は、しかし紙くず同然に崩れ去る。

 

 闘気の純度がまるで違う。

 大和はその気になれば魔導師が放つ超級魔導を無傷で耐えられる。

 最早特異点の極致……理屈を越えたその在り方に、ヴァーミリオンは呆れを通り越して感心を抱いていた。

 

 しばらく崖道を進んでいると、不意に禍々しい神気に覆われる。

 あまりのプレッシャーに三名は即座に臨戦態勢に入った。

 

 常夜が溶け落ちたかの様に、摩訶不思議な美女が現れた。

 濃紺色の肌、多数の腕。

 その一本一本に携えられた規格外の神器たち。

 古代インドを連想させる戦装束は数多の英傑魔神の頭蓋骨によって彩られている。

 その身から迸る禍々しい神気は、最早邪神に近い。

 

 大和は笑った。

 

「八天衆きっての問題児の登場か……今回の任務、一筋縄じゃいかなそうだな。なぁ? 殺戮と狂乱の女神、カーリー」

 

 真名を明かされて尚、彼女は嗤ったままだった。

 ただでさえ濃密な邪気を一層濃くする。

 

「いいぞ……これは退屈せずに済みそうだ」

 

 インド神話きってのイカレ女神は、狂喜のままに口角を歪めた。

 

 

 古今東西の特異点が、集いつつある。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和が何か言う前に、ヴァーミリオンが躍り出た。

 

「行け大和、コイツの相手は私がする」

「……わかっているとは思うが、ソイツは」

「ああ、エリザベス様の特務対象だ」

 

 大和は色々察したのだろう。

 アラクネを連れて先に行く。

 

「なら任せるぜ」

「ああ、任せておけ」

 

 大和たちが去るのを律儀に見送ったカーリーは、クツクツと喉を鳴らす。

 

「酷い扱いだな」

「ほざけ。貴様は……八天衆に所属しているだけの邪神、禍津神だ」

「これはこれは……酷い言われ様だ。一応、世界の秩序を司る守護神なのだぞ?」

「はん」

 

 ヴァーミリオンは鼻で笑うと、灼熱の魔力を解放する。

 瞬間、他の魔導師たちによりこの場が世界から隔離された。

 

 彼女が本気を出せば、世界は一瞬で塵と化す。

 だからこその措置だった。

 

「その立ち位置を利用して悪逆非道の限りを尽くしている事……エリザベス様は看破しているぞ」

「必要な事だった、世界の秩序を護るためには……なァ?」

「……帝釈天め、よくもこんなイカレを野放しにしたものだ」

 

 ヴァーミリオンは明確な殺意を露す。

 両手に無限熱量の業火を宿し、冷酷に告げた。

 

「お前はここで死ね、カーリー。エリザベス様からの特務だ。お前は見つけ次第抹消していいと承っている」

 

 その言葉を聞いて、カーリーは呵々大笑した。

 

「ハッハッハ!! いいだろう!! むしろいいぞ!! 漸く我が業に目を向けたか!! おうともさ!! そうでなくてはなァ!! ……今まで嬲り殺してきた塵共も報われようぞ!!」

「…………」

 

 ヴァーミリオンは無言で距離を詰めた。

 その額には特大の青筋が浮かんでいる。

 

 カーリは狂喜の笑みを浮かべて、彼女を懐に迎え入れた。

 

 

 ◆◆

 

 

 崖道を歩いていく大和とアラクネ。

 何時になく神妙な面持ちをしていた。

 カーリーと遭遇した事で仕事モードに切り替わったのだろう。

 先程までの軽い雰囲気は何処にもない。

 

 眼前のブラン城を見上げながら、アラクネは大和に聞いた。

 

「あとどれくらい集まると思う?」

「特異点がか?」

「ええ。……今回の騒動、仮に黒幕がネオナチだとしたら、真の目的は表世界の勢力図の把握でしょうから」

 

 大和は頷きつつ、三白眼を細める。

 

「黄金祭壇はヴァーミリオン、八天衆がカーリーとなると……俺の知ってる表世界の勢力だと他には無ぇな。個人でなら幾つか候補はあるが」

「ふぅん……表世界にアンタが気に入りそうな奴がいる事がまず驚きだわ」

「そうか? 結構いるぜ。これから世界は荒れる。だから表世界にも面白い力を持った奴が」

 

 言い終える前に大和は片手をかざす。

 眼前まで迫っていたサバイバルナイフを指で挟み、襲撃者ごと背後に投げた。

 

「ほぅら、噂をすればだ。……あとアラクネ、落ち着け。流石に痛ぇや」

 

 大和は逆側の指に絡まっている鋼糸を見下ろす。

 襲撃者を細切れにしようとしたのだ。

 アラクネは「ごめんなさい」と簡素に告げる。

 

 東洋人離れした美貌と暗く輝く銀髪。

 狼を連想させる鋭利な双眸。

 身に纏ったセーラー服、その上から漆黒のコートを羽織っている。

 

 彼女は餓狼の如き双眸を殺意で更に輝かせた。

 そして吠える。

 

「運が良かったわ……漸くズタズタにできる、アンタの事を!!!!」

「久々じゃねぇか殺人姫……不死の匂いに釣られてやってきたか? 相変わらずで安心したぜ」

 

 最上位の神仏すら恐れ戦く殺気を向けられても尚、大和は笑ったままだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は鋼糸が絡まっていた指を回復させると、面白そうに前へと出る。

 

「アラクネ、先に行ってろ。俺ぁコイツと遊ぶ」

「殺す……!! この下劣な筋肉達磨がッ!! あの時の屈辱、忘れはしない!! 今日こそそのニヤケ面、メッタ刺しにしてやる!!」

「吠えやがるぜ、ククク……やれるもんならやって」

 

 大和が言い終える前に、アラクネが更に前へと出た。

 彼女は振り返ることなく大和に告げる。

 

「行きなさい、大和。コイツの相手は私がする」

「……えー、でもよぉ」

「いいから、ちょっとプッツンきたのよ私は……コイツには言いたいことが山程ある。……女同士の戦いよ、わかって頂戴」

「……わーったよ」

 

 こうなったアラクネは止められない。

 わかっている大和はあっさりと引く。

 やれやれと肩を竦めながら、アラクネに言い残した。

 

「殺すなよ」

「それは……わからないわね」

 

 薄く苦笑するアラクネ。大和はふらりと雲雀の横を通り過ぎた。

 それをただ見逃す彼女ではない。

 

「待ちなさいよ屑野郎!! アンタの相手は!!」

「私よ糞餓鬼、いいからこっち向きなさい」

 

 今まで感じた事のない凶悪過ぎる殺意に、雲雀は反射的に臨戦態勢に入った。

 驚いている彼女に、アラクネは満面の笑みを向ける。

 

 額に何本も青筋を浮かべながら……

 

「言いたい事は沢山あるけど……まずは何回か殺しておくわね? 絶望を教えてあげるわ」

「ほざくなよババァ……! いいわ、まずはアンタから殺してやる!」

「やれるものならやってみなさい、生娘」

「……ッッ!!」

 

 憤怒を殺意に換え、雲雀は消えた。

 アラクネは暗い笑みを浮かべながら鋼糸を張り巡らせた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一人になってしまった大和だが、さして動揺していなかった。

 単独で仕事をする事が殆どなので、ある意味何時も通りと言える。

 

 ブラン城の中に入り、末端の真祖達を斬り捨てながら考える。

 

(まぁまぁ強化されてるが、中途半端だな……最上位でもSS程度か? 世界を夜で包み込む大規模な法則改変といい、城周辺を覆っていた結界といい、ネオナチが絡んでるのは間違いねぇ。……目論見は大方予想通り、か)

 

 表世界の勢力図把握──

 世界レベルの緊急事態が発生した際、動く勢力と影響を及ぼす範囲、内容。事後とその他諸々……

 

 真祖という種族を用いて実験しているのだ。

 

(贅沢な使い方だな。これは……ネオナチにいるあの女が真祖たちを見限ったか)

 

 西洋最強の妖魔。吸血鬼の始祖であり原点、『神祖』ヴラド・ドラキュリーナ。

 派遣師団の大隊長である。

 

 彼女の短気な性格を知っている大和は、早々に真実へとたどり着いた。

 

 既に過半数の真祖を消滅させた大和は、思考の海から戻ってくる。

 上位の真祖達は屋上へ逃げている様なので、ゆっくりと階段を上がっていく。

 

(こりゃあ、簡単に終わっちまいそうだな……まぁ、楽に越したことはねぇんだけどよ)

 

 真祖は決して弱いワケではない。

 むしろ表世界では上位クラスであり、カトリック教会でも全勢力を費やして漸く抗えるかどうかのレベルだ。

 

 しかし今回はあまりにも相手が悪すぎた。

 神代の時代から生きる人類最上位の一角、暗黒のメシア相手ではやむを得ない。

 

 大和は少し暇そうにしながらも憤る事なく、さっさと仕事を終わらせようとしていた。

 屋上に続く扉に手をかけ、さぁ皆殺しだと押し開ける。

 

 瞬間、眼前が黄金の神雷に包まれた。

 

 極大の神気と破邪の法力が練り込まれた雷光は大和の迎撃に全力を費やそうとしていた上位真祖たちを一瞬で消滅させる。

 

 本当に一瞬の出来事だった。

 しかし全ての事情を察した大和は、心底面倒臭いといった表情をする。

 

 そんな彼の眼前に男が一人。

 漆黒の縮れ髪を肩まで流し、顎には少々髭を残している。

 頬はこけ、線も細いが、その肉体は限界まで鍛え込まれていた。

 漆黒のスーツを着崩している彼は、パリパリと神雷を纏いながら大和に笑いかける。

 

「よぅ、会いたかったぜ糞野郎」

「…………」

 

 八天衆の頭目、世界最強の武神「帝釈天」。

 大和は彼をまるで汚物の如く一瞥した。

 

 

 ◆◆

 

 

「そんな目ぇすんなや……コッチもイラつく」

 

 その言葉を無視して、大和は周辺を確認した。

 常夜で覆われていた空は晴天に戻り、魔素も薄くなっている。

 各地の混乱もじき治まり、後は黄金祭壇がどうにかしてくれるだろう。

 目の前の「馬鹿」以外に敵対者の気配もない。

 

 故に、大和は軽く頭を下げた。

 

「お勤めご苦労さん、世界の守護神サマ。仕事無くなったし、俺ぁ帰らせて貰うわ」

 

 視線を合わせず踵を返す大和。

 そんな彼の背に帝釈天は吐き捨てた。

 

「逃げるのか? 腰抜け」

 

 下駄の音が、止んだ。

 立ち止まった大和に、帝釈天は更に口撃する。

 

「いい加減決着付けようぜ。……コッチはもう我慢ならねぇんだよ、悟空を籠絡しやがって……いいから向き直れや!! 大和ぉッ!!!!」

 

 怒号は天を貫き、周辺の気候を瞬く間に変化させた。

 最上位の雷神である彼の神気はルーマニアどころが欧州一帯を曇天で包み込む。

 

 当の大和は……振り返らずに懐から煙草を取り出していた。

 慣れた手付きて火を点け、紫煙を吐き出すと……驚くほど平淡な声音で告げる。

 

「テメェには貸しが二つある。大事な妹分が世話になった事、そして糞息子が現在進行形で世話になっている事だ」

 

 だから……そう言って大和は続ける。

 

「俺はテメェを「見逃してやろう」と思ってるんだ。……なァ? 馬鹿なテメェでもわかるだろう?」

「わからねぇよ、ウダウダ抜かしやがって。言い訳か? 俺と戦うのが怖いか? ……やっぱ腰抜けなんだなテメェは」

 

 プッと、大和は煙草を吐き捨てた。

 真紅のマントを投げ捨て、上半身の着物を脱ぎ流す。

 

 そうして振り返った彼は……悪鬼羅刹に変貌していた。

 唯我独尊流、火の型「修羅転身」──

 

 任意で発動しなかったのは吹雪との死闘以来。

 つまり、単純にブチ切れたのだ。

 しかも吹雪の時の比ではない。

 溢れ出す闘気はドス黒く染まっており、大和の心境を如実に表している。

 

『言ったな? 言いやがったな? ……吐いたツバは飲み込めねぇぞ。俺も、もうウンザリしてたんだよ…………ブッ殺してやるッッ』

 

 真紅の稲妻が頭上を駆けた。

 帝釈天は嗤う。

 

「初めてじゃねぇか? 気が合ったのは……ええ? 大和ォ!!!!」

 

 両雄が激突する刹那、黄金祭壇が最大最高の結界を世界に張り巡らせた。

 

 

 特異点達による死闘の幕開けである。

 

 



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三話「それぞれの憤怒」

 

 

 ヴァーミリオンの拳は文字通り一撃必殺である。

 無間熱量が込められたソレは触れただけで最上位の神仏を灰燼にし、クリーンヒットすれば格上の存在をも消滅させる。

 

 拳に宿る焔に退魔の力や龍殺しなどといった特種な力は宿っていない。

 ただただ純粋で、しかし際限無く熱量が上がっていく「炎」という概念そのもの……

 

 余熱だけで無限数の三千世界が消滅していく。

 直撃すればカーリーといえどもタダでは済まない。

 

 現に、カーリーは嗤いながらも冷や汗を流していた。

 

 拳を振り回してくるだけの馬鹿ならいくらでも対処できる。

 狂乱と殺戮の女神とはいえ、カーリーは戦神だ。

 当然、神域の武を修めている。

 

 しかしヴァーミリオンはその武練を優に越える格闘のスペシャリストだった。

 

 四大魔拳……世界最強の拳法家四名に与えられる称号。

 彼女は魔導師でありながら、その一角に名を連ねている。

 

 本能と直感に重きを置いた苛烈な攻め。

 しかし所々に繊細なフェイントを挟み込み、徐々にカーリーを追い詰めていく。

 

 本来、白兵戦が弱点である筈の魔導師だが彼女は例外だった。

 近付けば近付くほど強くなる。

 その熱に、攻めに、誰も耐えきれなくなる。

 

 カーリーの頬に獄炎を纏った蹴りが擦った。

 桁外れの体幹を誇るヴァーミリオンは、どんな体勢からでも一撃必殺の打撃を繰り出せる。

 

 ただ単純な殴り蹴り──ファイターとしてならば四大魔拳内でも最強。

 大和とネメアをも慄かせるレベルである。

 

 カーリーは一旦距離を取ると、神妙な面持ちで言った。

 

「ふぅむ……黄金祭壇のNo.3、魔導師きっての武闘派か。成る程……単純な戦闘力ならばエリザベスを越えているのではないか?」

「戯け。エリザベス様は、真の強者はこんなものではない」

 

 その言葉に、カーリーは何故かほくそ笑んだ。

 

「魔導師の本懐とは何だ?」

「世界の維持だ、それ以外にない」

「だから今回はルーマニア一帯を燃やし尽くしたのか? 後でどうにでもなるからと……まだ助けられる生命も灰にしたのか?」

「そうだが、何だ?」

 

 今度はカーリーが黙った。

 ヴァーミリオンは薄く笑う。

 

「後で幾らでもやり直せる、だから燃やしたんだ。むしろ私なりの慈悲だよ……こんな地獄、はじめから無かったことにすればいい」

「クハハッ!! ほざきよるわ!! 貴様も所詮、弱肉強食を是とする畜生の癖に!!」

「弱肉を糧に強者が育つ、森羅万象の摂理だ。何が可笑しい? あと……貴様のその、私に共感しているといった面持ちが堪らなく不快だ。今すぐやめろ」

「違うのか? うーむ、我等は同類だと思っておったが……」

 

 カーリーは首を傾げる。

 ヴァーミリオンは片眉を跳ねあげた。

 

 カーリーは蛇の様に長い舌を垂らし、凄まじい毒を吐く。

 

「我は似ていないか? 暗黒のメシアと」

「…………」

「肉親であれど容赦なく殺し、気に食わない奴は嬲り殺す。犯して犯して、犯して尽くす……なァ、似ていないか? 我と大和は」

 

 俯くヴァーミリオン。何も言わない。

 それを見て「図星か!!」と、カーリーは哄笑を上げた。

 

「ハハハハハ!! 所詮貴様の愛などそんなものよ!! 本能でアイツに惹かれているに過ぎん!! どうだ!! 貴様が今灰にしようとしている女と愛してやまない男、何が違う!? 何も違わない筈だ!! 己の欲望を満たすついでに世界を救う……そうさなァ、違うとすれば性別くらいか? ハハハハハ!!!!」

「…………」

「成る程どーりで、我に敵愾心を剥き出してくるワケだ……ようはアレだ? 胸糞悪いのだろう? もし大和が女だったら、こんな存在であることが許容できな」

 

 

「よく回る舌だな、短くしてやろう」

 

 

 懐に入られ、舌の大半を握り潰されたカーリーは反射的に後ろに下がった。

 

 ヴァーミリオンは犬歯を剥き出し紅蓮の総髪を戦慄かせる。

 怒髪天とは正にこの事を言うのだろう。

 あまりの熱量に隔離結界が耐えきれず、もう一段階強化された。

 そうでもしなければ彼女の発する熱で世界が融解していたのだ。

 

 ヴァーミリオンは吠える。

 それは天地を揺るがす怒号であり、彼女自身の不満の爆発だった。

 

「貴様等が大和を「ああした」のだろう!!!! 貴様らがどこまでも自己中心的で、世界の状勢になんら関心を抱かないからエリザベス様が黄金祭壇を立ち上げたのだろう!!!! 何が神々だ!! 何が最上位種だ!! 力に溺れた独善者共が!! 世界の守護神? そんなもの必要ない!! 大和とエリザベス様だけで十分だ!! 面倒事や汚い役割を二人に押し付けて「ああ、やっぱり人間って低俗な生き物なのだな」と……上から目線で嗤う貴様等が大嫌いだ!!!! 心の底から憎悪している!!!! 」

 

 あまりの激情の発露に、カーリーは唖然とするしかなかった。

 ヴァーミリオンは明確に告げる。神々の必要の無さを……

 

「貴様等がいなくても世界は回る……舐めるなよ。今更になってしゃしゃり出てきおって……ああいいさ、またとない機会だ。まずは貴様を灰にしてインド神話全域にバラ巻いてやる」

「……ほざいたな小娘ッ、よかろう!! 貴様の頭蓋、生で踏み砕いてやるわ!!」

 

 狂気と殺意の奔流に飲み込まれても尚、ヴァーミリオンは笑ったままだった。

 しかしその瞳には、収まりきらない憤怒の焔が揺らめいていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方、アラクネはというと……

 殺人姫のあまりの不甲斐なさなに肩を竦めていた。

 

「死滅の理に生来の才能……戦闘センスならぬ殺戮センス。それと魔導師クラスの時空間操作能力ねぇ……ま、表世界の住民にしては大したもんだけど、大和が期待するほどのものかしら?」

 

 殺人姫、高梨雲雀は見えない鋼糸に雁字搦めにされ横たわっていた。

 そんな彼女を見下ろし、アラクネはクスクスと嘲笑を浮かべている。

 

「アンタ程度の超越者、神話の時代にはザラにいたわよ」

「ッッ」

「才能はあるけど未熟未熟……井の中の蛙、大海を知らずってヤツね」

 

 射殺さんばかりに睨み上げてくる雲雀の顔を、アラクネはピンヒールの底でグリグリ踏み弄る。

 

 彼女は笑っている。が、目は全く笑っていなかった。

 凶悪過ぎる殺意をそのまま侮蔑に変換し、雲雀を蔑み続ける。

 

「悔しいならもうちょっと頑張ったら? ああごめんなさい、無理よね。アンタはその拘束をほどけない。だからこうして顔を踏まれてるのよね? ごめんなさいごめんなさい♪」

「~~~~~~~~~ッッッッ!!!!!!」

 

 怒髪天すら越えて狂化しつつある雲雀は、全身全霊を以て暴れ回る。

 しかしほどけない。ほどけないどころか動けない。

 横たわったまま何もできない。

 

 アラクネの鋼糸術、その深奥の一つである『束縛』。

 これをほどけるだけの技術を雲雀は持っていない。

 殺戮の寵児も、こうなれば形無しだった。

 

 極限まで練磨されたアラクネの束縛術をほどく難易度は、端的に言えば「大砂漠の中からたった一粒の黄金を探し見つけだせ」と言われているようなものだ。

 戦闘センスは勿論、他の技術や経験、才能が求められる。

 殺戮のみに特化した雲雀には脱出不可能だった。

 

 切り札である死滅の理は機能せず、空間転移もまた同じ。

 雲雀という存在そのものが「拘束」されている。

 

 その鋼糸は精神感応金属「ミスリル銀」製。

 強度、弾力、伸縮が自由自在なのは勿論だが、その本質は使用者の精神命令を忠実に再現すること。

 そして魔金属であることから、魔導の伝達率百パーセントを誇ることだ。

 

 アラクネは暗殺者でありながら魔導師に勝るとも劣らない魔導の使い手だった。

 レパートリーこそ本職に劣るものの、その質は同等クラス。

 

 アラクネはミスリル銀製の鋼糸を通して、雲雀の異能を完全に無効化していた。

 

 唇を噛み千切るほど憤っている雲雀を、アラクネは煽りに煽り続ける。

 グリグリとその頬をピンヒールの底で踏みにじる。

 

「悔しかったら努力しておきなさいよ。今更後悔しても遅いのよ。バッカじゃないの? まぁ、殺さないけど……大和から言われてるしねぇ? 最初に数回殺したから、それでよしとしましょう♪」

「ッッッッ」

「フフフ、本当に悔しそうにして……そそるわぁ。大和がアンタを気に入った理由が少しわかる気がする。弄り甲斐がある子ね……あっ、そうだ。大和に弟子入りでもしたら? 少しはマシになるかもよ?」

 

 

 

「調子に乗ってんじゃねぇぞババァッ!!!!」

 

 

「アッハッハ! 冗談よ! アンタ殺戮以外の才能無さそうだから、大和も弟子に取りたがらないでしょうね! 遊び相手くらいが丁度いいわ!」

「テンメェェェェェッッッッ!!!!」

「ああでも、顔はイイから娼婦になるっていうのも一つの手かも……大和に一回トロトロにして貰えば? アンタ、チョロそうだから即堕ちしそう」

「殺す!!!! 殺す殺す殺すッッ!!!! 絶対に殺してやるからな糞ババァァァァァ!!!!」

 

 

「うっさいんだよ!! 喚いてる暇があんならさっさと拘束解きなさいよ!! ウンザリしてんのよ私は!!」

 

 

 激昂したアラクネの足先が雲雀の腹にめり込む。

 思わず吐瀉した雲雀だが、アラクネは構わず蹴り続けた。

 内臓を潰され、アバラが砕かれ、雲雀の口から大量の血が吐き出される。

 それでもアラクネは蹴り続けた。

 

「口でならなんとでも言えんのよ!! 殺す殺すって、だったら今すぐやってみなさいよ!! 行動で示しなさいよ!! それができないからって一丁前に悔しがって……ザッケんじゃないわよ!! 悔しむのは努力した奴だけの特権なの!! アンタは努力した!? してないでしょう!! わかるのよ私には!! アンタは才能だけでそこまで上がってきた!! さして努力もせずに我儘を通してきた!! ……こんの糞餓鬼!! 憎たらしいにも程がある!! 世界はそこまで甘くないのよ!!」

 

 雲雀は何も言えない……否、言える状態ではなかった。

 肺も潰され、呼吸困難に陥っている。

 むしろ生きているのが不思議なレベルだ。

 死に体の彼女の顔を、アラクネは思いきり踏みしめる。

 

 すると一変し、悲痛に満ちた表情をした。

 彼女は思わず口にする。

 

「アンタら若い世代がいつま経っても腑甲斐無いから……大和が体を張ることになるんじゃない」

 

 雲雀の意識はそこで途絶えた。

 アラクネは拘束を解き、最低限の治癒魔術をかけてやる。

 そして踵を返した。

 

「……憎悪なさい。そして殺しなさい、大和と私を。アンタはたぶん、そのために生まれてきた。今まで通り憤怒と憎悪を糧に、それでも「殺し」とはなんなのか、今一度考えてみなさい……アイツと同じように、私もアンタに期待しておくから」

 

 アラクネの言葉は、意識を失っている筈の雲雀に確かに届いた。

 その言葉は、今後の彼女の在り方を変えていくだろう。

 

 アラクネは振り返ることなくこの場を去った。

 

 

 ◆◆

 

 

 そして……ブラン城の屋上では。

 世界最強の武神が、暗黒のメシアの前に膝を付いていた。

 肝臓を剛拳で打ち砕かれ、苦しみに悶えている。

 

 本来ならその場でのたうち回る程の激痛を、帝釈天は必死に堪えていた。

 大和はそんな彼を見下ろし、嘲笑う。

 

『オラ、どうした帝釈天。立てよ、世界の守護神サマだろう? 目の前にいるぜ、諸悪の根元が』

「……ッッ」

『立てよ!!!! テメェから吹っ掛けてきた喧嘩だろう!!!!』

 

 

 帝釈天の怒りは、妹分を奪われた事から来ていた。

 しかし大和の憎悪は、帝釈天そのものに向けられていた。

 



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四話「悪の怒号」

 

 

 悪鬼羅刹に転身している大和は、帝釈天の思念を読み取り答える。

 

『わからねぇか? 帝釈天。昔は対等だったのに、なんで今はこんなにも差が付いてちまってるのか……』

 

 まるで無知な子供を諭すように、しかし底冷えする様な声音で告げる。

 

『テメェが奥さんと愛を囁きあっている間に、俺も他の女達とセッ○スしてた。だがな……お前が家族ごっこを楽しんでいる間に、俺は骨肉が腐る寸前まで鍛練してたんだよ。お前が小さな命を救い育んでいる間に、俺は大勢の強敵を倒してきたんだよ』

 

 大和は嗤う、酷薄に。

 

『それで? 今日はどうした? 喧嘩か? 世界の守護神サマは世界の危機よりも家族が取られた事に対して怒りを覚えていると、そういうことか……ええ!!? 帝釈天!!!!』

 

 大和の拳が帝釈天の鳩尾を抉る。

 思わず吐瀉する帝釈天だが、大和は構わず殴り続けた。

 

『今回に限った話じゃねぇ!! 何百何千……いいや何万回もあった筈だ!! お前が動くべき場面が!!』

 

 大和は帝釈天を床に叩き落とし、マウントを取る。

 そして一切の手加減なく、本気で、彼の顔を殴り続けた。

 

『世界の守護神、ああ大層立派な称号だな!! 名乗る分には文句ねぇぜ!! 勝手にすればいい!! だがな!! テメェはその称号に見合うだけの働きをしてねぇんだよ!! 極々限られた存在しか救えてねぇ!! 助けられる、いいや助けるべき命を放っておいて、家族ごっこを楽しんでやがる!!』

 

 何か言い返そうとする帝釈天だが、殴られ続けているため口を開けれない。

 口答えは許さないとばかりに、大和は帝釈天の顔を抉り続けた。

 

 彼は吠える。

 

『俺が、俺なんかが「英雄」と呼ばれるくらいテメェらは働いてねぇんだよ!! 殺し屋が英雄? 肉親だろうが容赦なく殺し、湯水みてぇに女を貪り、ありとあらゆるものを犯し尽くしている俺が、よりによって「英雄」!? おかしくねぇか!? なぁおかしいだろう!! 馬鹿なテメェにもわかる筈だ!! だったら何で俺以上に誰かを救わねぇ!! 簡単だろうがテメェの力があれば!!』

 

 帝釈天の鼻を拳骨で叩き潰した大和は、一旦殴るのを止める。

 そして胸倉を掴み上げ、青アザだらけの帝釈天を持ち上げた。

 

 彼は憎悪の根元を吐き出す。

 それは帝釈天の魂に深く刻まれることとなる。

 

『俺は英雄じゃねぇ……俺は本物の「英雄」を知ってる。ソイツは己の総てを世界の平和に捧げた!! 神々の期待に応え、民衆の悲鳴を決して聞き逃さなかった!! 僅かな寝る間も惜しんで鍛練と勉学に励んでいた!! 愛する女がいたのに告白もせず、世界の平和のためにひた走った!! そして成したんだ!! 四大終末論を踏破して、一度は完全に世界を救った!! 代わりにアイツは人間として当たり前の幸せを失った!! 最後まで好きだった女に愛を告げられず、最終的には自ら表舞台を去ったんだ!! 俺ァ見てきたんだよ!! 本物の英雄の生き様を!! ずっと隣で!!』

 

 正義と礼儀を重んじ、民と平和を愛した「勇者王」。

 

 大和にとって彼こそが『英雄』であり、故に自身を英雄だとは思わない。

 だからこそ……目の前の駄神に狂おしいまでの憎悪を抱く。

 

『テメェはどうだ? 世界の守護神サマ……成る程、英雄よりも位が高いじゃねぇか。スゲェなオイ』

「…………ッッ」

『名乗ることは餓鬼にだってできる!! 言葉では何とでも言える!! 行動に移せよ!! 実績で示せよ!! 何なんだよ今の世界は!!』

「~~~~っっ」

『そもそも、ここ最近暴れ回ってる俺を放置してた時点でアウトだ』

 

 大和は心身共にボロボロになった帝釈天を投げ捨て、赤柄巻の大太刀を抜き放つ。

 そして無限大の闘気を刀身に込めた。

 

 万象一切塵に還す滅の絶剣──雷光剣。

 

 大和は本気で帝釈天を消すつもりでいた。

 

『俺はテメェを認めねぇ。誰が何と言おうと、テメェは世界の守護神なんかじゃねぇ』

「……………………」

『消えろ、塵も残さずに。……英雄にしろ守護神にしろ、テメェで名乗っていいようなもんじゃねぇんだよ』

 

 滅尽剣が振り下ろされる。

 最後まで何も言えなかった……いいや、途中から言い返せる言葉が無くなった帝釈天は、潔く目を閉じた。

 

 しかし間に入ってきた第三者。

 帝釈天の前で両手を広げる彼女は……毘沙門天だった。

 

 彼女は大粒の涙をこぼして懇願する。

 

「やめてくれ……っ、もう、わかったから…………頼むっ」

『……………………ッッッッ』

 

 大和は盛大に歯軋りをすると、悪鬼羅刹から人間へと戻る。

 夫を抱き寄せ涙を流す毘沙門天を一瞥し、彼は踵を返した。

 

 下に続く扉の前には、ヴァーミリオンとアラクネが既に待機していた。

 大和は素っ気ない口調で問う。

 

「そっちは終わったか?」

「ああ……しかし特務は失敗だ。あの邪神め、煽りスキルと逃げ足だけは一級品だった」

「私のほうもボチボチね。……それよりアレ、いいの? 今がチャンスよ」

 

 二名を睨むアラクネに、大和は告げる。

 心底呆れた風に……

 

「殺す気も失せたわ、あんな馬鹿共」

「……」

「さっさと帰ろうぜ」

 

 大和は軽い足取りで階段を下りていく。

 アラクネとヴァーミリオンは肩を竦めながらも、その背を追った。

 

 皮肉にも、ルーマニア地域には晴天が戻っていた。

 

 

《完》

 



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「いい加減にしろ」
「テメェらは俺を本気で怒らせた」


 

 

 

 魔界都市では早くも話題になっていた。

 八天衆の解散についてだ。

 捉え方にもよるが、「本格的に神々が現代に干渉しなくなった」ともとれる。

 なんにせよ、目障りな武神達がいなくなったので魔界都市の住民達は大いに喜んでいた。

 五大犯罪シンジケートは殊更である。

 大和に渡すはずだった莫大な金を他に回すことができるのだ。

 まさに棚からぼた餅。

 

 ちょっとしたお祭りムードになっている魔界都市の中央区。

 そこの看板酒場であるゲートにて……

 

 カウンター席付近は一変して重たい空気が流れていた。

 誰でもない、光と闇の英雄王が対面しているのだ。

 今回の事件には闇の英雄王……大和が大きく関わっている。

 同時にあまり知られていないが、八天衆解散の理由も判明している。

 光の英雄王……ネメアもまた無関係ではなかった。

 故に、客人達は静観に徹していた。

 

「……」

「……」

 

 二人は、一見すれば何時も通りだった。

 ネメアは煙草を咥えて新聞を読み、大和は喫煙がてらにブラックラムを嗜んでいる。

 ありきたりな風景……なのだが、その中に何時もと違う重みがあった。

 

「……八天衆、解散したんだってな」

「おう」

「……帝釈天と喧嘩したんだってな」

「おう」

「…………」

 

 ネメアは悲哀に満ちた顔をする。

 何か言おうとした彼を、大和は手で制した。

 

「何も言うな、ネメア」

「っ」

 

 大和は断言する。

 

「この騒動は俺がケリをつける。だからお前は関わるな」

「……っ」

「お前はそのままでいろ」

 

 大和はブラックラムをラッパ飲みすると、灰皿に煙草を押し込める。

 そして勘定を机に置いて、振り返らずに去っていった。

 

 そうして暫く歩いて……辿り着く。

 中央区の裏路地にある自宅、その屋上へと。

 

 既に待機していた女は、真夜中の摩天楼を眺めていた。

 しかしすぐに振り返る。

 

 大和は嗤った。

 

「用件はなんだ。……まぁ、その面見たらわかるんだけどな」

 

 私服姿の女武神……毘沙門天。

 彼女はサファイア色の双眸で大和を射抜いた。

 

 その能面の様な無表情は、彼女の気持ちを端的に表していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 毘沙門天は無言で大和に歩み寄る。

 

 

 パァァァン!!!! 

 

 

 空気の弾ける音が響き渡った。

 特大の風圧が辺りを吹き抜ける。

 

 毘沙門天が大和の頬を叩いたのだ。

 

 並の超越者なら首から上が消し飛んでいる。

 現に、大和の頬は赤く染まっていた。

 

 毘沙門天はようやく口を開く。

 そしてありったけの憎悪を言葉にした。

 

「よくも私の最愛の夫を殴り倒してくれたな……ッッ」

 

 怒りのあまり、その目尻には涙が浮かんでいた。

 大和は……何も言わない。

 毘沙門天はありあまる激情を吐き出す。

 

「お前の言葉は確かに筋が通っていた。だが……私達は私達なりに努力していたんだよ! 貴様の語った理想の英雄はもういない! これからの時代を築くのは今を生きる子供たちだ!」

「……」

「もう二度と、お前に抱かれにこない。不倫ネタを言いふらしたければすればいい。……今度会う時は殺し合う時だ。私は、貴様を絶対に許さない」

 

 そう言って、毘沙門天は踵を返す。

 その背に大和は声をかけた。

 

「なぁ毘沙門天、こっち向け」

「……」

「一度でいいから、振り返れよ」

「ッ」

 

 毘沙門天は振り返るとともに大和を睨みつけた。

 

 

 パァァァンッッ!!!!!! 

 

 

 空気が破裂する音が響き渡った。

 遅れて高層ビル群がドミノ倒しになる。

 

 瓦礫の山に埋もれた毘沙門天は思わず目を丸めた。

 痛みよりも驚きのほうが勝っていた。

 何をされたのか……理解するまでに時間がかかった。

 

 叩かれたのだ。大和に頬を……

 

 呆けている彼女の元に大和は降り立つ。

 彼は住民達の悲鳴をものともせずに告げた。

 

「何驚いた顔したんだよ。殴られたら殴り返す、当然だろう」

 

 大和は次に嫌悪感を露にする。

 

「最愛の夫? ……ハッ、笑わせんなよ。他の男に抱かれて喘ぐ糞ビッ○が」

 

 大和はしゃがむと、毘沙門天の髪を掴んで持ち上げる。

 

 驚愕と、それ以上の恐怖で震えはじめる毘沙門天。

 その面を大和はマジマジと見つめた。

 

「やっぱり甘かった、あん時帝釈天と一緒に消しておくべきだった。でも……ある意味よかったのかもしれねぇ。何せ、死ぬより酷い仕打ちができるんだからな」

 

 灰色の三白眼が暗黒色に染まる。

 縦に裂けた瞳孔は彼の「闇」の発露を意味している。

 

「今からテメェを犯して犯して、犯して尽くして俺無しじゃ生きられねぇ身体にしてやる。帝釈天への想いが消え失せるくらい徹底的に蕩けさせて、俺専用の雌犬にしてやる」

「……~ッッ!!」

 

 恐怖のあまり暴れ回ろうとする毘沙門天。

 が、首を掴まれ持ち上げられる。

 立ち上がれば身長差で毘沙門天が宙に浮く形となる。

 

 呼吸困難に陥っている彼女の顔を、大和はじっくりと拝んでいた。

 そしてクツクツと喉を鳴らす。

 

 その笑みは、悪鬼羅刹のソレだった。

 

 

「テメェらは俺を本気で怒らせた」

 

 

 ◆◆

 

 

 毘沙門天は言葉通り犯され尽くされた。

 一週間、寝食も許されずに肉体を貪られ続けたのだ。

 

 皮肉な事に、精神がいくら拒もうとも身体が反応してしまう。

 毘沙門天の肉は、大和との情事の味を覚えていた。

 

 精力絶倫。更に弱点を知られ尽くされている。

 強引に、執拗に抱かれ続ける事で毘沙門天は快楽の泥沼に沈んでいった。

 

 今や自ら股がり腰を揺すり、幾度となく果てている。

 弓なりにのけ反る背中……張りのある乳房が左右に揺れる。

 

 覆い被されれば、その腰に両足を絡めて淫らな鳴き声を上げる。

 熱く濃いものを奥に注がれる度に、毘沙門天は大和の虜になっていった。

 

 そうして七回目の日が登った頃……

 漸く「雌犬」の調教を終えた大和は、ゆっくりと一服を楽しんでいた。

 久々の煙草は五臓六腑に染み渡る。

 同時に、部屋を満たす濃い淫臭に気が付いた。

 

 どうしようもなく官能的な香り。

 甘酸っぱく、されど豊潤……

 発情した女のみが出せる臭いである。

 

 大和は思わず嗤った。

 

「そう……これだよこれ。コレが俺の生き甲斐なんだ」

 

 大和はおもむろに天井を見上げる。

 

「悪ぃなネメア……俺ぁこういう男なんだよ」

 

 さて……と彼は今後の展開を予想する。

 

「来るな、絶対来る。帝釈天か俺の糞餓鬼、どっちかが必ず来る」

 

 大和は堪えきれず唇を歪める。

 

「楽しみだなァ、俺に向けてくるであろう憎悪の念……それを正面から叩き潰すのが」

 

 そう言って大和は下腹部を見下ろす。

 毘沙門天が自分の顔より長く硬いものをしゃぶっていた。

 頬をすぼめ、下品に先端を吸い上げている。

 

 大和は鼻で笑いながら聞いた。

 

「おい雌犬、お前女神だろう? まだいけるよな?」

 

 毘沙門天は唇を離すと、蕩けた笑みで頷いた。

 

「はい♡ だからどうか……この逞しいもので、また私を……っ♡」

「いいぜ、何度でも抱いてやる」

「♡♡」

 

 頭を撫でられ、毘沙門天はとろけた笑みを浮かべる。

 完全に堕ちていた。

 厳格な女武神の面影は最早何処にもない。

 

「ククク……あーあ、楽しみだなァ。待ちきれねぇ」

 

 大和は確信していた。

 誰かが修羅道に堕ち、自分を殺しに来る事を……

 それが楽しみで楽しみで仕方なかった。

 

 その修羅が訪れるまで、大和は毘沙門天を抱き続ける事にした。

 

 

 

 悪鬼羅刹……ここに再臨。

 

 

 

 

《完》

 



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修羅道に堕つ
前編


 

 

 

 御門翔馬(みかど・しょうま)は嫌な予感を感じずにはいられなかった。

 故に学園を休学し、実家の孤児院から離れないようにしていた。

 幼馴染みであり恋人の世良(せら)も同様だ。

 

 切っ掛けは、そう……姉貴分である孫悟空が行方をくらませてから。

 帝釈天と毘沙門天は言葉を濁し、何も説明しなかった。

 二人が幾ら言及してもだ。

 

 次に、帝釈天が瀕死の状態で帰ってきた。

 二人は毘沙門天にワケを聞いたが、彼女は何も答えなかった。

 

 そして……毘沙門天が帰ってこなくなった。

 かれこれ一週間経つ。

 

 何かが起こっている……翔馬は最大限に警戒していた。

 世良は内心焦りつつも気丈に振るまい、未だ指先一つ動かせないでいる父親を厚く看護している。

 

 翔馬は子供達に優しい嘘を付きながら、決して外に出さないようにしていた。

 何かがあれば命を懸けて家族を護る覚悟を決めていた。

 

 が──やはり未成年二人では心許ない。

 故に翔馬は帝釈天の個室からインド神話への連絡手段を見つけ、救援を求めた。

 幸い、破壊神であるシヴァが対応してくれて手練れの武神たちを寄越してくれる手筈となった。

 

 翔馬はひとまず安心するものの、決して油断はしなかった。

 

 

 しかし、絶望はすぐ目の前まで来ていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 屈強な武神たちの到着に基づき、翔馬は済ませなければならない用事を済ませていた。

 まずは通っている学園へ赴き休学の延長を申請。そして食料を含む日常品の買い溜め。

 

 なるべく孤児院から離れたくない翔馬は、今日中にやるべき事を終わらせるつもりでいた。

 

 そうして日が沈む頃……全ての用を終わらせた翔馬は大量の荷物を抱えて帰路についていた。

 

 途中、色々と考えてしまう。

 何故この様な事になっているのか……

 何故、愛した日常が崩壊しかけているのか……

 

「……やめだ、今は深く考える時じゃない。できる限りの事をするんだ」

 

 考えている暇などない。

 翔馬は駆け足で我が家へと帰った。

 

 しかし、途中で嗅ぎとってしまう。

 途轍もなく濃い、血の臭いを……

 

 一人のものではない。大量の血が流れている。

 そして、わかってしまった。

 

 血の臭いの源が、孤児院のある方角だと──

 

 翔馬は人目も憚らず全力で駆けた。

 瞬く間に孤児院に到着する。

 

 彼は思わず荷物を落とした。

 明かりが付いていない。夜も近い筈なのに……

 何より、生気を感じない……誰一人として。

 そして、血の臭いが漂っていた。

 

「~っっ!!!!」

 

 翔馬は孤児院に突撃する。

 敵がいるとか、罠だとか、そんな事を考えている余裕はなかった。

 家族の安否の確認、彼の頭の中にあるのはただそれだけだった。

 

 しかし……庭園には屈強な武神たちの生首が山積みになっていた。

 

「…………ァっっ」

 

 翔馬は思わず声を漏らすも、すぐさま孤児院内に入る。

 誰でもいい、いいや全員……大切な家族だから。

 生きていて欲しい……!! 

 

 探し回る。部屋の扉を次々と開けていく。

 が、誰もいない。

 

「…………っっ」

 

 冷や汗が頬を伝う。

 リビングの扉の奥から濃厚な血臭が漂っていた。

 翔馬はおそるおそる、ドアノブに手をかける。

 

 意を決して開ければ、そこにはテーブルを囲んで子供達が椅子に腰掛けていた。

 上座には父親と恋人の姿がある。

 

 翔馬は思わず安堵した。

 

「良かった……みんな無事だったのか……」

 

 しかし皆、無表情で押し黙ったままだった。

 不意に、世良がうっすらと微笑みを浮かべる。

 

「待ってたよ……でも、遅かった……みたい……」

「……ぁ、ぁぁ、嘘だろう……っ」

 

 そもそも、叱りつけるほど騒がしい子供達がこんなに大人しくしている筈がない。

 その上、寝たきりで指一本動かせないはずの帝釈天が何故椅子に腰掛けているのか……

 

 ゴトンと、音がした。

 翔馬の足元にスイカの様なものが転がってくる。

 それは、苦悶の表情を浮かべた帝釈天の生首だった。

 それを皮切りに世良の首が落ち、続けて子供達の首がボトボトと転がっていく。

 一斉に血煙が噴き上がり、天井まで真っ赤に染まった。

 

「うわ……っ、ああああッッ……アアアアァァ~~ッッッッッ!!!!!!!!!!」

 

 途轍もない絶望が、翔馬を襲った。

 

 

 ◆◆

 

 

 何度吐いたことだろう。

 何度泣き叫んだことだろう。

 眼前の惨状を見る度に、翔馬は気を狂わせている。

 

 認めたくない。

 こんなの夢だ、ただの悪夢だ。

 

 しかし実際、家族達の生首が目の前にあった。

 翔馬は涙と鼻水でグチャグチャになった顔で、恋人の生首に手を伸ばす。

 両手でそっと、血の気のない頬を挟んで持ち上げる。

 

 お転婆だが可愛らしい娘の姿は、既に失われていた。

 優しく自分を見つめてくれていた瞳はどんよりと淀んでおり、肌は体温を失って冷たくなっている。

 

 何度も口づけを交わした唇は、紫色を通り越してドス黒く変色していた。

 

「うぅぅ……ぐあああああァァァァァ!!!!!!」

 

 恋人の生首を抱き締め、翔馬は吠えた。

 そんな彼に、第三者の声がかかる。

 

「間に合わんかったか……すまぬ」

「……アンタ、は……?」

「我を覚えておるか、小僧。会うのは何年ぶりだ?」

 

 神秘的でありなから邪気の塊。

 狂乱と殺戮を司る禍津神。

 濃紺色の肌、多数の腕。数多の英傑魔神の髑髏で造られた首飾り。

 インド神話特有の戦装束に身を包んだ戦女神……

 

 カーリー。

 

 翔馬は彼女の事をよく知っていた。

 実母の妹……叔母にあたり、その凶暴性から「今後絶対に関わるな」と両親から注意を受けていた要注意存在。

 

 彼女の身から漂う濃い血臭を嗅ぎ取り、翔馬は一変修羅となった。

 

「アンタが……やったのか…………コレはアンタがやったのか!!!!」

 

 灼熱を連想させる神気にカーリーは実姉の面影を重ねながら、首を横に振るう。

 

「仮にも元・八天衆、仲間を殺すような酔狂な真似はせんよ」

「…………じゃあ、一体誰が」

 

 戸惑う翔馬に、カーリーは嗤いかける。

 

「心当たりはあるだろう? 孫悟空を奪い、帝釈天を再起不能にし、毘沙門天を堕とせる存在など……あ奴しかおるまい」

「……ッッ」

 

 思い当たった。

 実の父親でありながらこの世の者とは思えない、最悪の男……

 

 しかし翔馬は首を横に振るう。

 彼は冷静になっていた。

 

「待て。それはアンタが都合の良い様に仕向けているだけじゃないのか? 俺は……アンタの悪評を嫌というほど聞かされている」

「であれば何故、我は『元』八天衆なのか。何故、帝釈天は瀕死の重体で帰ってきたのか。……何故、毘沙門天は帰ってこないのか」

「それは…………っ」

「全てあの男の仕業よ。どれ……口で話すのも面倒だから見せてやろう。アイツの行ないの数々をな」

 

 そうして翔馬の脳内に流し込まれる、悪鬼の所業の数々。

 孫悟空を抱いてたぶらかされ、帝釈天は死ぬ寸前まで殴打される。

 毘沙門天は……散々犯された挙げ句、雌犬に調教されていた。

 

「……ッッッッッ、おえェェッッ」

 

 嘔吐するしかない。

 翔馬にとって、あまりに残酷な映像だった。

 カーリーは邪悪な笑みを絶やさずに告げる。

 

「奴は魔界都市の犯罪組織に依頼され、ここを完全に叩きにきたのだよ。我々八天衆は奴等にとって邪魔でしかないからなぁ」

「…………ッッッッ、~~~~ッッッッッッ!!!!! 

 

 翔馬の怒りは限界を突破していた。

 完全に憎悪に呑まれている。

 その身に纏うドス黒いオーラは、神々すら怖気づくほどのものだった。

 

 カーリーは一変、穏やかな笑みを浮かべる。

 

「復讐したいだろう? 手を貸してやる。曲がりなりにも元、八天衆。この惨劇、やるせない。我が加護を授けよう。貴様の憤怒が、憎悪が、そのまま力となる」

 

 カーリーは翔馬に最大限の恩恵を授けた。

 それは殺戮と狂乱の権能……憎悪を際限なく増幅させ、力に変える一種の起爆剤である。

 

「復讐を果たせ。大切な家族を殺し、奪い、滅茶苦茶にしたあの男を、死も生温いほど後悔させてやるのだ」

 

 

『……ッッ、────────―ッッッッ!!!!!!!!』

 

 

 

 翔馬、修羅に堕つ。

 ドゥルガーの血肉を受け継いでいる翔馬は、カーリーの恩恵を最大限に受けることができた。

 

 存在そのものが憎悪の塊になりつつある彼を眺めながら、カーリーは内心ほくそ笑む。

 

(哀れな餓鬼よ、全て我の仕業だと知らずに……クククッ、実にいい狂気だ。愉しませてくれよ)

 

 カーリーは翔馬は都合のいい映像しか見せなかった。

 しかしそれで十分だった。

 それほど、翔馬は大和を信用していなかった。

 

 カーリーは笑顔になるのを必死に堪えていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 その頃、大和はフラフラと中央区の大通りを歩いていた。

 例の雌犬は気絶してしまったので、暇をもて余しているのだ。

 と言っても、一週間飲まず食わずでセッ○スしていたので流石に腹がすいている。

 彼は大衆酒場ゲートで久々に腹一杯飯を食うつもりでいた。

 

 鼻唄混じりに歩道を歩いていた……そんな時である。

 頭上から得体の知れない何かが降ってきたのは。

 

 光速を遥かに超えた神速……いいや、無間速一歩手前の奇襲。

 大和は難なく大太刀で受け止める。

 そして胡乱な眼差しを襲撃者に向けた。

 

「誰だよ……って、ああ? お前は……」

『ヤマトオォ……ヤマドオオオオオオッッ!!!!!』

 

 咆哮と共に繰り出された斬撃乱舞。

 二刀から織り成される圧倒的な連撃を、しかし大和は鼻で笑いながら弾きとばす。

 

 そして嗤った。

 

「来たのはお前か」

『ヤマドオオオオオオッッッッ!!!!!』

 

 最早言葉が通じない。

 完全に憎悪に呑まれている。

 その身に纏うドス黒いオーラ……そして血涙を流す暗黒色の双眸を見つめ、大和は一瞬考えた。

 

(このドス黒いオーラ、親和性を見る限り間違いなくアイツが関わってる。……ふぅん、成る程。けしかけたってワケか、面白半分に)

 

 大和は口角を歪めた。

 ギザ歯を剥き出し、凶悪に嗤う。

 

「遅かれ早かれこうなってたんだ、是非もなしだぜ」

『ッッッッ』

「オラ!! かかって来い!! お前の人生滅茶苦茶にした糞野郎が目の前にいるぜ!! 本気で殺しに来い!!」

『ァァァァァ────ッッッ!!!!』

 

 大和は脇差しを抜き放ち二刀流になると、我武者羅に突撃してきた翔馬を受け止めた。

 

 親子同士の、救いのない殺し合いか始まった。

 

 

 



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後編

 

 

 その頃、大衆酒場ゲートでは。

 地鳴りと共に溢れ出した狂気と憎悪に、敏感な住民達が反応していた。

 かなり近くで神格クラス……それも禍津神が降臨している。

 大多数が警戒体勢に入る中、ウェイトレスをしていた黒兎は気付いてしまった。

 手を止め、唖然としている。

 

 彼女だからこそわかってしまった。

 禍津神の正体か腹違いの兄妹であり……戦っているのは実の父親であると。

 同じ血を通わせているからこそ、わかってしまった。

 

 黒兎は急いで厨房前に赴く。

 そして店主であるネメアに声をかけた。

 

「あの、ネメアさん!」

「行くな、黒兎」

「……っ」

「お前は関わらなくていい」

 

 ハッキリと、目を見て言われた。

 黒兎は動揺してしまう。

 ここまでハッキリ言われるとは思っていなかったからだ。

 

 どうするべきか……悩んでいる黒兎に、先輩ウェイトレスである野ばらが声をかける。

 

「いいのよ、黒兎。貴女は直接的には関係ないでしょう? 見て見ぬフリをしなさい。店長は貴方を想って言っているのよ」

「…………はい。そう、ですよね……」

 

 黒兎はそれでも納得しきれないでいる。

 ネメアは難しい顔をした。

 黒兎は、見たこともない腹違いの兄妹に同情しているのだ。

 無愛想だか根は優しい子。父親の事をよく知っている分、やるせなのだろう。

 

 しかし、ネメアも譲る気はなかった。

 

 微妙な空気が流れる中、野ばらは助け船を出す。

 助け船……というよりは、純粋な疑問だった。

 

「凄い憎悪ね、肌がピリピリする。……アイツは、大和はそんなに恨まれる事をしたのかしら? 血を分けた子供に対して」

 

 彼女の質問に、ネメアは金色の双眸を細める。

 

「そうか……お前は憎悪に敏感だからな。でも……だからこそわかるだろう? 大和が『恨まれて当然の行い』を日常的に行っている事を」

「……」

「お前もだ黒兎、わかるよな?」

「……はい、よく知っていますとも」

 

 黒兎は苦虫を噛み潰した様な顔をする。

 ネメアはセブンスターを咥えて火を付けた。

 そして紫煙を吐き出しながら言う。

 

「俺も理解しているつもりだ。アイツは英雄じゃない、殺戮者だ。殺し屋なんて稼業を楽しみながらやってる時点で、最低最悪の屑野郎だ」

「「……」」

「でも、俺にとってはかけがえのない親友なんだよ。何度も命を救ってくれた恩人なんだよ。だから──」

 

 ネメアは金色の瞳に冷たい輝きを灯す。

 二人は思わず息を呑んだ。

 

「俺はアイツを肯定するぞ。不快感こそ覚えるが……。俺は酒場の店主だ。英雄だのなんだの呼ばれていたのは昔の話……此処が平和であれば、あとはどうでもいい」

「「……」」

「こういう男なんだよ、俺は。大和ほどではないが、碌でもない人間だ。だから……アイツの生き方に文句を言う資格はない」

 

 ネメアは自嘲しながら続ける。

 

「それに……アイツは自覚しているんだ。自分がどうしようもない碌でなしだって事を。それでも……アイツは目を背けない。自分がやってきた悪行から決して目を背けない。……アイツは狂っているが、最低限のスジは通しているんだよ」

 

 ネメアの言葉は……重かった。

 幼い黒兎には断片的にしか理解できないが、年齢不相応に成熟している野ばらには理解できる。

 だからこそ、呟いた。

 

「やっとわかったわ、アイツが嫌いな理由。……似ているのよ、鬼と」

「……」

「だから『黒鬼』なんて呼ばれているのね」

「……そうだな、その通りだ」

 

 ネメアは灰皿に煙草を押し付け、告げる。

 

「話が大分逸れたな。兎も角……今回の件には関わるな。見過ごせ」

「「…………」」

「アイツが招いた事だ。アイツでどうにかする」

 

 黒兎と野ばらは視線を合わせると、微妙な面持ちで頷いた。

 彼女達はウェイトレスとしての業務を再開する。

 

 ネメアは変わらず厨房前で新聞を読んでいた。

 彼は大和という男をよく理解しているからこそ、線引きができていた。

 

 

 ◆◆

 

 

「ハハハハ!! いい!! やっぱりいいぜ!! これだよ!! 肯定させるのなんてうんざりなんだ!! 俺の行ないを否定しろ!! 憎悪しろ!!」

 

 翔馬の波涛の如き猛攻を、大和は圧倒的な実力であしらう。

 やはり格が違う。

 

 それでも翔馬は諦めなかった。

 剥き出しの殺意は視認できるほど濃く、際限の無い憎悪は二振りの神刀に宿り鋭さを増していく。

 

『──────ッッッッ!!!!!!!』

 

 最早言語にもなっていなかった。

 喉が潰れるほどの大咆哮は魔界都市を震わせ、強固な地盤をも歪めてしまう。

 

 大和は口笛を鳴らした。

 

「へぇ……力だけならEXクラスか? 余程恩恵との相性が良いんだな」

 

 まるでそよ風を浴びるかのように翔馬の猛攻をいなしきると、大和は大太刀を振りかぶって思いきり叩き落とす。

 

 剣術でもなんでもない、ただの振り下ろし。

 しかし余波だけで魔界都市が両断された。

 高層ビル群を薙ぎ倒し、尚伸びていく衝撃波は邪神群の副首領特製の超高密度多重障壁を削ってようやく止まる。

 

 危うく表世界にまで被害が出てしまうところだった。

 

 翔馬は地に足を付け、力いっぱい大太刀を受け止めている。

 そんな彼を見下ろし、大和はあからさまな嘲笑を浮かべた。

 

「で──その程度か? お前の憎悪は」

『……ッッッッッ』

 

 歯を噛み潰す音が響き渡る。

 翔馬は渾身の力を込めて押し返そうとするが、ビクともしない。

 相手は片手なのにも関わらず、だ。

 

 大和は屈んで翔馬と同じ目線になる。

 力が殆ど入らない姿勢になっても状況は変わらない。

 大和は片手、それも手首の力だけで翔馬を押さえ込んでいる。

 

 彼は翔馬の、憎悪に狂った瞳を見つめながら言った。

 

「カーリーから恩恵を授かってその程度なのか? だとしたら拍子抜けだな」

 

 翔馬は一瞬、感情を忘れた。

 体が勝手に動く。

 感性が麻痺し、最適な行動ができる。

 

 それは、感性が麻痺するほどの憎悪を抱いたともいえた。

 現に遅れて爆発した翔馬の怒りは、大和のテンプルにハイキックを入れるに至る。

 

 これ以上ない最高のタイミングだった。

 

 中央区に爆風が吹き抜ける。

 住民が、車両が、建造物が、まるで紙吹雪のように飛んでいく。

 魔界都市を震撼させた一撃は、たとえ百戦練磨の武神であろうとも食らえばタダでは済まない。

 

 しかし大和は……ケロリとしていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔界都市を崩壊寸前まで追い込んだ親子喧嘩は、しかし残酷な世界の真実を露呈する結果となった。

 

「想いの強さ」と「力の強さ」は関係ない。

 幾ら激しい憎悪を抱こうとも、ソレに正統性があろうとも、実行できる力が無ければ意味はない。

 

 想いの分だけ強くなれるのなら、この世界は強者で溢れ返っている。

 想いは所詮想い。

 現実には全く影響を及ぼさない。

 

 現実にするには「力」が必要だ。

 暴力、権力、財力、発言力、統率力、知力、など……

 

「力」は「想い」を現実にする方法。

 中には力に溺れる存在もいるが、それもまた肯定される。

 この世界は強者にはとことん甘く、弱者にはとことん残酷にできているから。

 

 自由とは、つまり弱肉強食。

 あらゆる「想い」が肯定される天道至高天の世界観は、その内容に比例する「力」が求められる。

 

 そして絶対強者と呼ばれる者達は、その力に比例した強大な想いを抱いている。

「想い」と「力」は表裏一体でありながら、全く別ものなのだ。

 

 大和は生まれ持った才能も、日頃の鍛練の量も、背負った宿命も、他者とは別次元だった。

 

 故に、今回の親子喧嘩は傍観者達の予想通りの結果に終わった。

 

 満身創痍の翔馬の腹を踏んでいる大和。

 翔馬は何回も挑んだ。

 その度に憎悪を膨らませ、成長した。

 しかし……及ばなかった。

 

 あまりに隔絶した力量差に理性を取り戻しつつある翔馬に、大和は笑いかける。

 あくまで嘲りを込めて。

 

「その憎悪にいくら正統性があろうとも、お前の憤怒に皆が共感してくれようとも……力が無ければ果たせねぇぜ、復讐は」

『…………ッッッッ』

「勧善懲悪、なんて子供向けのヒーロー番組だけの話だ。現実を直視しろ……今のお前じゃ復讐を果たせねぇ」

 

 大和は踏みつけている翔馬の首元に大太刀を突き立てる。

 そして冷酷無慙に告げた。

 

「出直せ、糞餓鬼。地獄に送ってやるから冥界の奴等にでも修行をつけて貰えよ。……最も、俺にビビって憎悪を忘れるような腰抜けじゃなければの話だがな」

 

 大和は容赦なく翔馬の首をはね飛ばす。

 彼は抗わなかった。

 いいや……今は『その時』でないと割り切ったのだ。

 

 翔馬は最期にありったけの呪詛を吐く。

 

「死んでもお前を許さない……確実に殺してやる。ありとあらゆる苦痛をもって殺してやる……ッッ」

「……」

「覚悟しておけ。俺は何度でも冥界から這い上がり、お前を殺しに来る。何度でも、何度でもだ……!!」

「ククク、楽しみにしておくぜ。その度にぶっ殺して冥界に叩き落としてやるよ」

「…………よく覚えておけ、俺の名は翔馬(しょうま)。お前を殺す男の名だ」

「忘れない内に出てこいよ」

 

 翔馬は大和を睨み付けたまま、冥界の魔の手によって沈んでいった。

 

 最期まで薄れなかった憎悪……

 大和は彼の将来に期待しつつ、踵を返した。

 

 こうして、救いようのない親子同士の殺し合いは幕を引いたのである。

 

 

 ◆◆

 

 

 完全に崩壊した中央区の大通り。

 しかし数分と経たない内に邪神群の誰かが元に戻すだろう。

 何せここは邪神王の無聊を慰める闇の揺り篭だから……

 

「……」

 

 瓦礫を跨いで歩いている大和の先に、世にも稀な美青年がいた。

 大和とはまた違う、美の極致の体現者である。

 

 漆黒色のケープコートには無数の鋲が打ち込まれてあり、足首まで届くほど長い。

 分厚い靴底のコンバットブーツは履き込まれており、淑やかな光沢を放っていた。

 

 虚無を感じさせる灰色の瞳。優美なラインを描く鼻梁。

 朱を引いた様な紅く薄い唇は同性であろうとも惹かれてしまう。

 

 その美しさ……まるで漆黒の堕天使。

 魔界都市の月こと世界最強の請負人──十六夜。

 彼は親子同士の殺し合いを最後まで見ていた。

 彼もまた、大和の血を引く者だから。

 

 大和は肩を竦めて十六夜の横を通り過ぎる。

 十六夜は冷たい声音で囁いた。

 

「貴方の事を知らなければ、勘違いするところでした」

「そうかよ」

 

 大和はカランカランと下駄を鳴らしながら去っていく。

 

「…………」

 

 十六夜は何も言えなかった。

 元に戻りつつある厚い曇天を見上げ、目を瞑る。

 

 渦巻いている鉛曇は、十六夜の心境をよく表していた。

 

 

《完》

 



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第三十六章「刺客伝」
一話「堕淫」


 

 

 肉を食いちぎるための鋭い歯が開けられ、漏れたのは甘い嬌声だった。

 濃紺色の肌は汗で濡れており、六を越える多腕は跨がっている益荒男の腰を誘うように撫でる。

 

 腰がリズミカルに揺れれば腹の奥を削られ、全身に快感が駆け巡る。

 90を越える豊満な乳房が「ぶるん」と激しく自己主張した。

 

 殺戮と狂乱の戦女神──カーリー。

 彼女は何時もの凶悪な笑みを浮かべていない。

 蕩けきった顔で、甲高い喘ぎ声を上げていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 数時間後。

 満足したカーリーは甘ったるい余韻に浸りながら、男の厚い胸板を長い舌で舐めていた。

 彼女は上擦った声で告げる。

 

「我をまるで生娘の様に鳴かせるとは……コッチの方も世界最強だな。神魔霊獣、あらゆる女が魅了されるワケよ……あの堅物が雌犬に堕ちるのも頷ける」

 

 その言葉に益荒男、大和は笑った。

 

「世界最悪の女神も、ベッドの上じゃあ可愛いもんだ」

 

 漆黒の艶髪を撫でられ、カーリーはまるで子猫の様に目を細める。

 大和は聞いた。

 

「で──楽しかったか? 今回の殺戮は」

「フフフ、応ともさ。救いようのない哀れな餓鬼の物語……最高だった。アレが実の甥っ子なのだから堪らぬな。それに、我自身も強化されたぞ。帝釈天の血肉に神格武装、強力な異能力を持つ餓鬼共の魂……いやはや、大満足だ。特に帝釈天と毘沙門天の娘の血肉は最高に美味かった……!」

 

 らしい笑みを浮かべたかと思えば一変、雌の顔つきになる。

 カーリーは瞳を潤ませ、熱い溜め息を吐いた。

 

「ハァァ……貴様も罪な男よ。この逞しく凶悪なモノ、コレで何人の女を堕としてきた? 全く……我もハマってしまったわ。貴様以外の男ではもう満足できぬ」

 

 何本もの手で大和の剛直を撫でる。

 未だ鋼鉄の如き硬さを維持しているソレに、カーリーは思わず生唾を飲みこんだ。

 

「……まだ、いけるよな?」

 

 上目遣いされ、大和は妖艶に笑う。

 

「気が済むまで相手してやるよ」

「ああ……本気で惚れてしまいそうだぞ、大和♡」

 

 

 ◆◆

 

 

 戦女神の昂りを慰められる男など、そうはいない。

 以前までそう考えていたカーリーだが、認識を改めざるをえなかった。

 

 戦女神も所詮女であり、強き雄に抱かれると多幸感に満たされてしまうということを──

 

 神魔霊獣、ありとあらゆる女が『彼』に魅了される理由がわかった。

 

 野性的でありながら妖艶。世界最強を誇る逞しい肉体。そして誰にも屈しない孤高の魂。

 更に精力絶倫、百戦錬磨の床上手ともなれば……最早敵う雄など存在しない。

 

 カーリーは純粋に大和という男に惹かれていた。

 だからこそわかる…………

 

「そう、お前に魅了されている女は全面的にお前を肯定してしまう。善悪の区別すらできないほどに、お前の虜となってしまう。……フフフ、まるで麻薬だな」

「……」

「傾国の美女とは良く聞く話だが、男で……それも世界中の女を惑わす存在など、お前しかおらんよ」

 

 蛇のような長い舌で大和の剛腕を舐めるカーリー。

 余程彼の事を気に入ったのだろう、全身から愛のオーラが溢れている。

 

 大和は鼻で笑う。

 

「俺が麻薬だとして……扱い方はそれぞれだ。溺れて駄目になるのか、程々に愉しむのか……お前はどっちだ? カーリー」

「ううむ、このままでは溺れてしまうかもしれん……我も悟空や他の奴等の事を言えんなぁ」

 

 唸るカーリーに、大和は気になっている事を聞く。

 

「そもそもお前、大丈夫なのかよ。八天衆のリーダーを殺したんだろう? 帝釈天はまがりなりにもインド神話の元・頂点だ。いくらお前が現最高神の嫁だとしても、無理があるだろう」

「フフフ、安心しろ。良い後ろ楯を見つけた。インド神話の平和ボケにはいい加減ウンザリしていたからな……丁度いい」

「つー事は、録な組織じゃねぇな。何処だ? 七魔将か、それともネオナチか?」

「内緒だ♪ 近いうちにわかるだろう……まぁ、惚れた弱みというやつだ。お前が我の男になるというのであれば、教えてやらんでもない」

「ほざけ、淫乱女神が」

「ああんっ♡」

 

 尻を揉まれ、カーリーは喘ぎ声を上げる。

 大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「そんな余裕があるって事は、中々にデカい組織だって事だな。ふん……八天衆が無くなった影響は中々にデカいぜ。アイツらはまがりなりにも世界の守護神だったんだ。これから色々な問題が出てくるだろう。気の早い奴等は、もう動きはじめてるんじゃねぇか?」

 

 すると、大和の傍らに置いてあったスマホが鳴り響く。

 内容を見た大和はクツクツと喉を鳴らした。

 

「ほぅら、噂をすればだ」

「依頼か?」

「ああ、五大犯罪シンジケートからだ。今一番忙しい奴等なんじゃねぇの? 団体からの依頼は久々だな……依頼料は期待できそうだ」

「むぅ……」

 

 カーリーはむくれっ面で大和の腕に抱きつく。

 その乙女っぽい意思表示に大和は苦笑した。

 

「そんな顔すんなよ、生娘かお前は。……ったく」

 

 呆れながらもカーリーの頬にキスを被せる。

 

「仕事が終わればまた相手してやる。……最も、お前がその気ならの話だが」

「待っておるよ、だからはよう帰ってこい。……あと3日はお前が欲しい」

「ククク、チョロい女。……でもいいぜ、他の女共よりはマシだ」

 

 大和は立ち上り、デスシティで流通している簡易魔術札を二枚掴む。便利なアイテムだ。

 一枚目は身体の洗浄。歯に至るまで清潔になる。

 二枚目は着衣。何時もの一張羅を一瞬で纏える。

 

 

 大和は財布とスマホを懐にしまい、ぼやいた。

 

「シャワーくらい浴びたかったんだが……緊急の用件らしい。とっとと終わらせてくる。あと」

 

 大和は財布……札束入れから3つの百万円札を取り出し、カーリーの足元に投げる。

 同時に名刺も投げた。

 

「暇ならデスシティの観光でもしとけ。その金額なら半日は持つだろう。容姿を変化させるのを忘れるなよ? そんでもって、その名刺は俺が贔屓にしてる観光屋の連絡先だ。俺の名前を出せば多少言うことを聞いてくれる。ウォンって名前の胡散臭い男だ。中々腐った奴だから、テメェとの相性は良い筈だぜ」

「うむ……そうだな、少しばかりこの都市を堪能するのもありかもしれん。しかし『半日』と言ったな? 言質はとったぞ」

「ククク……女神はチョロいのに我が儘なところは一緒だな」

 

 らしい笑みを浮かべ、去っていく大和。

 真紅のマントを靡かせるその後ろ姿を、カーリーは蕩けた顔で見送った。

 

 



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二話「五大犯罪シンジケート」

 

 

 大衆酒場ゲートの真裏にある魔界都市最大の高層タワー、『ヘル・サンシャイン』は五大犯罪シンジケートの権力の象徴である。

 そして、あらゆる犯罪組織から畏怖される魔王城でもあった。

 

 分厚い曇天に届かんばかりの偉容はまるでバベルの搭。

 しかし罰する神がいないため、最上階までキッチリと仕上がっている。

 

 今宵、五大犯罪シンジケートによる夜会が開かれる。

 各派閥の頭目が集い、交遊と牽制を含めた談笑を繰り広げるのだ。

 流石のデスシティの殺し屋達も「この機を狙って」……などとは考えない。

 

 各頭目はデスシティの強者達をたらふく抱え込んでおり、その気になれば一国を半日で滅ぼす事ができる。

 

 彼等は裏世界を牛耳る現世の魔王達……

 此度、夜会に集まったのは四つの勢力。

 

「やれやれ……今夜も欠勤ですか。東洋人は思ったよりも不義理な方達ですね」

 

 呆れ混じりに囁いたのは綺麗な男性老人だった。

 白髪、皺の入った顔でも醸し出す色気は女を惑わせる。

 豪華絢爛なスーツとコートを羽織った彼は「セザール・カンデラ」。

 マフィアという呼称の起源になったシチリアマフィア『フロンテ・ファミリー』のドンだ。

 

 フロンテ・ファミリーの活動内容は最初こそ麻薬取引、殺人及び暗殺。密輸、密造、共謀、恐喝及び強要。みかじめ料の徴収、高利貸しなどの所謂犯罪組織然としたものだったが、最近は合法、非合法問わず直接的な金銭の流通……主に銀行業や不動産業に力を入れている。

 最近は流行りの電子マネーに注目しているようだ。

 

 マフィアの王族とも呼べる彼の愚痴に、チャイナドレスを着た可憐な美少女が苦笑をこぼす。

 

「そう言わないであげないでくださいませ、お爺様。彼等は任侠道なるものを貫いているのです。最も、金銭面に於いて全く役に立たないただのプライドですが……彼等にとっては大切なものなのでしょう」

 

 擁護か皮肉か、わからない発言をしたのは華僑系マフィアの総元締め。

 貪狼連合(たんろうれんごう)の総帥「汪美帆(ワン・メイファン)」。

 

 彼女達は臓器や奴隷売買を主な活動内容としている。

 西区の一画を完璧に占領し「人間牧場」なるものを経営しているのは有名な話だ。

 臓器売買に関わる殆どの犯罪者が貪狼連合の傘下にあり、許可なく売買を行った者達には苛烈な制裁が施される。

 他にも北区のカジノ街──特に奴隷市場を取り仕切っており、表世界に於いては本土の経済発展に便乗して電子機器、服飾デザインなどにも手を出している。

 中国政府に対する圧力は絶大であり、莫大な資金を融通して貰っている中国政府は彼女たちの命令に逆らえない。

 

 そんな中華の裏番である彼女は一見、可憐な美少女だ。

 濃紺のチャイナドレス、白磁の如き柔肌。

 発展途上とは思えない豊満な肢体。そして女神もたじろぐ完璧な顔立ち。

 シニョンで纏められた黒髪は艶やかであり、既に男を惑わす魔性の色香を放っている。

 彼女はその容姿に不釣り合いな冷酷な笑みを浮かべていた。

 

 すると、右隣に腰かけていた美男が愚痴る。

 

「そうさな……アレらの任侠道なるものは理解し難い。合理性に欠ける。しかし……それを貫けるだけの力があるのもまた事実だ。この都市にいる若頭やその補佐はともかく、組長とその側近共は歴戦の猛者……現に俺も苦戦している」

 

 忌々しげにそう言ったのは金髪を適度に伸ばした白人男性だった。

 しなやかで鍛え込まれた肉体は百戦練磨の軍人を彷彿とさせる。

 現に、彼はスーツの上から旧ソ連の軍服を羽織っていた。

 ロシアンマフィアの誇る戦闘特化の精鋭部隊『アールミヤ連隊』の隊長、「アレクセイ・ヒョードル」。

 

 彼等は特異な存在だった。

 表向きは一部隊に過ぎないが、実際はロシアンマフィアの総元締め。

 隊長ヒョードルとその配下は元・ソ連の軍人であり、第二次世界大戦に於いてはあのドイツナチス……ソロモン率いる魔軍勢から祖国を護りきった英雄だ。

 

 アールミヤ連隊の仕事は荒事専門。

 しかし影で表世界のロシアンマフィアをとり仕切っている。

大頭目(スレヴィニン)」であるヒョードルを筆頭に「頭目(ヴォール)」が複数存在し、それぞれの仕事に取りかかっているのだ。

 

 活動内容は多岐に渡り、表世界の犯罪、違法売買の殆どに関与している。

 小規模な組織での恐喝、売春から大規模組織による国営企業や民間企業の乗っ取り。薬物売買、マネーロンダリング、武器の密輸など。

 

 活動範囲はヨーロッパ全域、南北アメリカやイスラエルを中心に全世界60ヵ国まで及び、各国に支部が存在しており構成員は百万人を越えている。

 

 表世界で最も権威ある犯罪組織だ。

 

 そんな彼らが煮え湯を飲まされている存在……此処にはいない五十嵐組の組長と幹部たちの強さは、ある意味異質だった。

 メイファンは悪戯半分に問う。

 

「戦闘力、組織の規模。共に我らの中でも随一の貴方が苦戦するとなると……やはり侮れませんね。五大犯罪シンジケートに名を連ねるだけはあります」

「誠に遺憾ながら、な。奴等の縄張りである日本国はまだ北の端……北海道しか制圧できていない。それも少し油断すれば追い返されそうな勢いだ」

「日本国の首相……大黒谷努さんの力を借りても、ですか?」

「ああ、それだけの強敵だ。全く……手の焼ける。考えれば考えるほど忌々しい」

 

 そう言いながらも嗤っているのは、ヒョードルが根っからの軍人……戦士であるからだろう。

 メイファンはクスクスと笑うと、打って変わって冷ややかな視線を横に向ける。

 

「それで……貴方は? ルプトゥラ・ギャングの総帥はディエゴ・コラレス氏。貴方は……一体誰なのですか?」

 

 メイファンの問いに、待ってましたと言わんばかりに立ち上がった美青年。

 癖のある赤みがかかった金髪を肩まで流した彼は服装といい、雰囲気といい、何処か垢抜けなさがある。

 彼は周囲の視線をものともせずに自己紹介をはじめた。

 

「はじめまして、皆様方! 私、父の代理でやってまいりました、ロベルト・コラレスと申します! 若輩者ではありますが、此度は代理として相応しい振る舞いをしたいと思っています! どうぞよろしくお願いいたします!」

 

 慇懃ながら気に障る声音に、メイファンは思わず眉を潜める。

 最後はルプトゥラ・ギャング。

 メキシコ系ギャングの総元締め、麻薬界隈の頂点に君臨している極悪犯罪組織だ。

 

 こうして、現世の魔王達が顔を揃えた。

 

 

 ◆◆

 

 

「……ディエゴ氏の代理が貴方にできると、私は思えませんが」

 

 メイファンの鋭い言及に、ロベルトは恭しく頭を下げた。

 

「確かに、私はまだ経験不足。しかし、だからこそ……それを補うためにこの場にいるのです」

「「「……」」」

「私は自分を才ある者だと自覚しています。貴方達は今はまだ格上です。が……何時か必ず追い付けると確信しています」

「ふっ、口が達者ですね」

 

 メイファンは鼻で笑うと側近から耳打ちを受ける。

 ディエゴ・コラレスは新しい農園……カリブ海にある小さな島を視察中とのことだ。

 

 彼女はやれやれと肩を竦めると、早々に今夜の本題へと入った。

 

「では皆様方、今回集まっていただいたのは今後の我々の方針のおさらい。そして、新たに出てきた問題の解決についてです」

「「「……」」」

 

 皆が静聴の姿勢に入った事を確認し、メイファンは続ける。

 

「世界の守護神たち……八天衆が事実上解散となった今、我々にとってはチャンスの到来であり、同時にリスクの到来でもあります。しかし、我々が望んでいた展開です。これからは頻繁に合同会議を開き、随時方針を定めていく……という事でよろしいですか?」

「「「異議なし」」」

「では次に……やはりと言いますか、この機に乗じる輩が現れました。香港に拠点を置く多国籍企業の社長です。主に私たち貪狼連合に牙を向けてきています。目的は香港マフィアの独立、強化でしょう。八天衆無き今、個人で操れる力が欲しくなったのだと思われます。彼ら自体、商売敵でもあるため非常に鬱陶しい……なので早々に駆逐しようと考えているのですが」

 

 メイファンは眉根をひそめる。

 

「あちらが雇った殺し屋達が厄介なのです。デスシティでSSクラスの殺し屋チーム。『千手の魔拳士』『必殺必中の魔法狙撃手』『見えざる透明刃の剣士』『多彩かつ奇怪な(トラップ)を駆使する幻妖からくり師』。先日、幹部ごと一支部が潰されました。今はとても重要な時期……信頼できる部下は一人でも残しておきたい。故に私は早々にジョーカーを切るつもりでいるのですが……」

 

 メイファンは困惑した表情で一同を見渡す。

 

「依頼料を負担してくれると伺いました……本当でしょうか?」

 

 メイファンの懸念に、各々が答える。

 

「お嬢様にはご恩があります。お気になさらず」

 

 セザール・カンデラは優しげに微笑み、

 

「元々、帝釈天を殺すために集めていた金があるだろう? それを使えばいい」

 

 アレクセイ・ヒョードルは当然の様に頷く。

 そして問題のロベルト・コラレスは……

 

「異議なしですよ、メイファン殿。何なら私共が全額負担してもかまわない。金には困っていませんからね」

「……」

「金よりも大切なものがある。我々が足並みを揃えなければ話は始まらない。今は特に……そう私は愚考いたします」

 

 優雅に礼をしたロベルトに、メイファンは目を丸めた。

 そして、思わず吹き出す。

 

「ふふふっ、驚きました。第一印象とはかなり違いますね」

「印象で人を決めつけるのはよくありませんよ。あと、今夜ディナーでも如何でしょう? ミス・メイファン。絶対に退屈はさせません」

「魅力的な提案ですが……お断りします。私を手懐けられる男性は天上天下、ただ一人なので」

「これは……噂通りでしたか。しかし真正面から断っていただけるとは、むしろ光栄です」

「あら? うふふ……つくづく面白い方ですね。どうでしょう? 今夜はロベルトさんのお話を聞きながら今後の方針を定めていくというのは」

 

 メイファンの意見に、セザールとヒョードルは快く頷く。

 

「私もこの子を気に入りました」

「見所のある坊主だ、ウチに欲しいくらいだよ」

 

 世辞のない言葉に、ロベルトは思わず破顔した。

 

 



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三話「観光案内屋」

 

 

 カーリーは変装を済ませた。

 肌色を変えて腕を二本にしただけだが、十分だと判断する。

 肝心の存在感は権能でどうにでもなる。

 服装は今時のものを着ればいい。

 

 カーリーは考えた。

 先ほど大和に紹介して貰った観光案内屋……ウォンという存在。

 魔術回線で通話したら、カーリーの素性を詳しく聞かずに依頼を引き受けてくれた。

 5分以内に迎えに来るという事で、大人しく待っている。

 

 時計を見て頃合いだと判断したカーリーは大和の部屋から出た。

 二階建ての質素なアパートだ。

 ボロボロで、大和以外は誰も住んでいない。

 足音も鳴り響く安い鉄製の足場に踏み込んだカーリーは、邪悪な気配を感じとり目を向ける。

 

 胡散臭いながらも美形な中国人が佇んでいた。

 歳は20代前半ほど。肩にかかる程度のストレートの黒髪に狐を連想させる糸目。

 きめ細やかな白肌に整った顔立ちと……中々の美男である。

 しかし、どこか不気味な気を漂わせていた。

 それが胡散臭さに起因しているのだろう。

 

 彼は中国の民俗衣装特有の分厚い袖で口元を隠しながら、軽い会釈をする。

 

「ドーモ。私、ウォンという者ネ。しがない観光案内屋……主に雑誌の刊行や旅行プランの組み立てなどをしているヨ」

「…………」

 

 軽い口調だ。客商売に慣れているのだろう。

 しかしカーリーは見逃さない。

 

「邪仙か、それもかなり高位の」

「アイヤー、バレてしまたカ。ハイハイ、私邪仙ネ。と言ても戦闘はからっきし。私、お金欲しいだけネ〜」

「そうか? 中々鍛えている様に見えるが……」

「最低限の功夫(クンフー)はしてるネ。最も、護身術程度だけド」

「……ふん、大和が胡散臭いと言うだけはあるな」

 

 カーリーの言葉に、ウォンはクスクスと嗤った。

 

「大和サン、人使い荒いネー。でも殺戮と狂乱の女神サマ相手にお断りも出来ないし……ま、大和サンには色々とお世話になてるし、仕方ないアル~」

「……」

 

 既に正体を看破されていた。

 やはりかなり高位の邪仙……

 

 カーリーは内心ワクワクしていた。

 何故なら、彼が稀に見る大悪党だからだ。

 魂の先まで真っ黒、良心というものがまるで無い。

 

 邪悪の塊である。

 

 カーリーは早々に彼を信頼した。

 親近感が湧いたのだ。大和からの紹介というのも拍車をかけている。

 

 当のウォンは飄々とした調子で「では、魔界都市をご案内するヨー」と歩き始めた。

 その背に付いていくカーリー。

 

 カツカツと古びた階段を下りていく。

 カーリーは気紛れに問うた。

 

「観光案内屋、だったか? 魔界都市専門のか?」

「そうネー。この都市、娯楽の宝庫。暇を持て余した金持ちには丁度いい遊び場アル。最も、命の保証はしないケド。報酬たくさんくれるお客サンなら兎も角、無知な成り金はイイ鴨ネー。おかげで商売繁盛ヨ」

「ほぉう」

「私、怖がりだから普段はデスシティの外にいるアル。ここで生活してたら何時死ぬかわからないカラ。今日は大和サンからの頼みと、買っておきたい品が幾つかあったから来たネ。勿論、カーリーサンの機嫌を損ねたくない、っていうのもあたヨ~」

 

 階段を下りながらウォンの話を聞いていると、アパートの門前に三名のキョンシーを見つけた。

 キョンシー、とわかったのは額に札を張り付けているからと、生気を感じさせないからだ。

 既に死人である。

 

 しかし三人とも、極上の美少女だった。

 

 一人目は真紅のロングヘアーにスレンダーな体型の剣士。

 纏う気配から察するに恐らく吸血鬼。

 

 二人目は緑のゆるふあヘアーに狼の耳を生やした獣人。

 腰のホルスターに魔拳銃がぶら下がっているので、恐らく銃使い。

 

 そして三人目は濃紺のショートヘアーと豊満な肢体が特徴の娘。

 身体付きからして、生前はかなりの拳法家だったのだろう。

 

 三名はウォンを確認すると揃って頭を下げる。

 生気は感じないが、最低限の知能は搭載されているらしい。

 

 ウォンは彼女達を紹介する。

 

「私のボディーガード、自作のキョンシーアル。右から『甲』『乙』『丙』。何かあれば彼女達が護ってくれるから、カーリーサンは安心して観光を楽しんで貰いたいヨ」

 

 貴様の実力なら護衛など必要なかろうに……

 その言葉をカーリーは発せられなかった。

 衝撃の事実を目の当たりにしたからだ。

 

 彼女は震えながらキョンシー達を指さす。

 

「オイ、この者達は…………大和の血縁者だろう」

 

 カーリーにはわかってしまった。

 彼女達が大和の実娘であることを……

 

 ウォンは分厚い袖で口元を隠す。

 

「ご明察、三人とも大和サンの娘ネ。イヤハヤ、大和サンが抱くレベルの美女から生れた娘はやっぱり美人ネ~」

「……大和は、知っているのか?」

「勿論、全員大和サンが殺した子ヨ。勿体無いから私が買い取って改造したアル。イヤーほんと、大和サンには感謝してもしきれないヨ……おかげで色々「楽しませて」貰てるアル」

 

 その分厚い袖の内側で、きっと邪悪な笑みを浮かべているのだろう。

 カーリーは思わず爆笑した。

 

「ハッハッハ! いい! いいぞ! 実に私好みだ! ウォンとやら、報酬はたんまりと払う。半日、我を楽しませろ」

「アイアイ、お任せくださいナ。退屈はさせないヨ~」

 

 カーリーは愉快愉快と笑いながらウォンの背中に付いていく。

 大和の知り合いは、大和と同じくらい邪悪だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃。

 中央区の大通りを渡り歩き、西区を目指している二人組の男がいた。

 

 一人は漆黒の僧衣に身を包んだ巨漢。

 神聖さはなく、ただただ邪気に満ちている。

 僧衣の上からでもわかる鍛え抜かれた肉体は打撃に特化しており、傷だらけの拳は数多の修羅場を潜り抜けてきた証。

 

『千手の魔拳士』

 

 もう一人は侍装束を着た男。

 無精髭を生やしており、長い黒髪は適当に後ろで結ってある。

 歩き煙草を吹かしているが、つけ入る隙は一切ない。

 腰には異様な刀を一本差していた。

 

『見えざる透明刃の剣士』

 

 彼らは西区にある貪狼連合の資金源、『人間牧場』の壊滅を目論んでいた。

 クライアントからの指示である。

 

 二人は歩きながら会話を交える。

 

「人間牧場は貪狼連合の生命線の一つだ。とーぜん、警備は厳重」

「故に他の二人が別行動をとっている。もしも貪狼連合の最高戦力……天下五剣の『飛龍(フェイロン)』が待ち構えていれば作戦内容変更だ」

 

 魔拳士の言葉に、透明刃の剣士はゆっくりと頷いた。

 

「そこらへんは柔軟に対応だな。天下五剣と真正面からやり合うのは避けたい。まぁ俺達四人が同時にかかれば可能性は無くもないが……割に合ってねぇ」

「それはクライアントも理解している。今回の目的は貪狼連合の壊滅ではない。クライアントの力を知らしめ、香港マフィアの独立を進める事だ。俺達はそのための威嚇行動をとっているに過ぎない……出しゃばるのは厳禁だぞ」

「おーけーおーけー。ま、程々に頑張ろうや。内容に見合った報酬は貰えてる。後は実行するだけだ」

「応」

 

 短い返答に確かな気合いを感じた透明刃の剣士は、薄く笑った。

 

 この調子ならいける。

 何時も通り、問題はない。

 クライアントも馬鹿ではない。

 予め危険因子になり得る存在を買収してある。

 

 この任務は、ようは舞台演劇のようなものだった。

 既に脚本は決まっている。

 後はあらすじをなぞるだけ。

 

 万事順調。そう、彼等の頭の中では……

 

 彼等は決して油断していたワケではなかった。

 単純に、憶測を誤ったのだ。

 

 自分達の『危険因子』となり得る存在の行動力を。

 何より、五大犯罪シンジケートの結束力を……

 

 それが命取りとなった。

 

「おう、やっと来たか。待ちくたびれたぜ」

 

 鮮烈な赤を讃える緋色のマントが靡く。

 白と黒の浴衣から垣間見えるのは粘土を盛ったかの様な見事な腹筋。

 ギザ歯が輝き、灰色の三白眼は見た者を竦ませる。

 

 しかし、何と端正な顔立ちか……

 男らしい太い眉に優美なカーブを描く鼻梁。

 その唇は女であれば吸い付かずにはいられないほど悩ましげな色香を醸し出している。

 

 長い黒髪を革紐で結わえた、2メートルを超える大男。

 最強の称号を欲しいままにしている、古今独歩の益荒男。

 

 世界最強の殺し屋にして武術家──大和。

 

 彼は西区に続く大通りの門前で煙草を吹かせていた。

 途端に漏れ出した凶悪過ぎる殺気に、二名は全身から脂汗をふき出した。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔拳士が反射的に構えを取るものの、透明刃の剣士が手で制す。

 確かめたい事があったのだ。

 

 まず一つ……

 

「世界最強の殺し屋、大和……お目にかかれて光栄だ」

「そりゃどーも。そんじゃ、始めようか」

 

 赤柄巻の大太刀を握った大和に、透明刃の剣士がすかさず待ったをかけた。

 

「待ってほしい。どういう事だ? アンタはうちのクライアントに『口止め料』を貰った筈。アンタは危険因子の中でも特にヤバい存在だった。だから俺達もクライアントも合意の上でアンタに大金を支払った。……俺達よりも高額の報酬を受け取っておいて、アンタは寝返ったのか? 貪狼連合に」

「あんだよ、不義理だって言いてぇのか? 最低限の義理は通してるぜ。口止め料を含めた、テメェらを殺すに足る額を貰ったのさ」

「ありえない!!」

 

 ある意味現実逃避するかの様に、透明刃の剣士は叫んだ。

 

「口止め料だけで百億支払ったんだぞ!! それに加えて……貪狼連合だけでまかなえる額じゃない!!」

「貪狼連合単体からじゃなくて、五大犯罪シンジケートからの依頼だったら?」

「……っ」

「甘くみたな。五大犯罪シンジケートの結束力を、貯めていた金額の桁を。アイツらは帝釈天を殺せる一歩寸前まで金を蓄えてたんだぜ?」

 

 大和はクツクツと喉を鳴らす。

 

「あとはブランドの問題、ってのもあるな。香港の一企業に対して義理を通すのか、 魔界都市を代表する魔王達の要望を叶えるのか……まぁ、考えるまでもねぇわな。俺と同じ殺し屋ならわかるだろう?」

 

 大和は一歩進む。

 付近の住民達は既に退避していた。

 察しのいい事である。

 

 透明刃の剣士は両手を押しだした。

 狼狽しながらも、大和の説得を試みる。

 

「待ってくれ。アンタと殺し合う事を俺達は望んでない」

「お前らが望んでなくても、俺のクライアントが望んでる」

「……っっ、猶予をくれないか? アンタが関わっているなら俺達は依頼をキャンセルする。俺達四人はアンタと戦いたくない。何だったら今のクライアントを裏切って、その首と資産をアンタに献上してもいい。それでも駄目なら、何年かかってでもアンタに金を納めて」

「ウダウダうるせぇなァ、テメェらは既に仕事を始めちまった。貪狼連合の支部を潰して、幹部を殺した……そうだろう?」

「……」

 

 大和は大太刀を抜き放つ。

 冷たく輝く乱れ刃を肩に担いで、ギザ歯を剥き出した。

 

「腹決めろや。殺し屋が殺し屋にビビってどうする……ヤリ返せばいいだけだろう」

「「……」」

「殺るか、殺られるか。俺達が対峙した以上、それ以外の選択肢はねぇ」

 

 透明刃の剣士は諦め、魔拳士を見やる。

 彼は頷き、臨戦態勢に入った。

 透明刃の剣士も同じく刀の柄巻を握る。

 

 彼は媚び諂う笑みを消し、冷酷に告げた。

 

「なら覚悟しろ……タダじゃ済まさねぇ。俺達四人を舐めたテメェは地獄に落ちる」

「ハッ! 今更格好付けんなっての! でも……いいぜ。そうこなくっちゃ面白くない」

 

 本当に嬉しそうに嗤う大和。

 そう、彼はこの展開を待ち望んでいたのだ。

 

 だからくだらない命乞いを最後まで聞いて、切り捨てた。

 

 さぁ、楽しい楽しい死のダンスのはじまりである。

 

 



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四話「死屍累々」

 

 

 阿吽の呼吸で互いの繰り出す技を悟った千手の魔拳士と透明刃の剣士。

 二人とも、思うことは一緒だった。

 

 一撃必殺。

 磨き抜いた最強の奥義を最高のタイミングで放つ。

 それしかない。

 二人は、眼前の怪物相手に五体満足で帰れるとは思っていなかった。

 

 殺すか、殺されるか──

 

 極限状態。

 かつてないほど精神が研ぎ澄まされていく中、先手を取ったのは千手の魔拳士だった。

 両手を重ね、濃密過ぎる邪気を迸らせる。

 そうして背後に魔性観音を顕現させた。

 

 今まで殺めてきた幾万の魂によって形成された、漆黒の千手観音。

 千本ある腕の一本一本に神格レベルのエネルギーが溜め込まれてある。

 

 彼は既に滅んだ邪教一派の出身。

 秘技である『魂の湾曲、再構築』を継承していた。

 

 その真髄にして極意が今、解放される。

 漆黒の千手観音という「存在そのもの」を湾曲、再構築。

 それは今まで溜めてきた全てを捨てて莫大な力を得るという、諸刃の剣だった。

 

 純エーテルとして再構築された漆黒の千手観音はそのまま右拳へと集約される。

 出来あがったのは最上級神仏すら容易く葬れる、SSクラスの枠を越えた必殺の魔拳だった。

 

 彼がどれほどの覚悟を以てしてこの技を発動させたのか……

 わかったからこそ、大和は嬉しそうに笑う。

 

「いいねぇ……出し惜しみしないってのは嬉しいぜ」

 

 余裕を見せた彼の眼前に突如として現れた、透明刃の剣士。

 縮地を用いて一気に距離を詰めてきたのだ。

 大和の認識を掻い潜るほどの速度……無間速を完璧に掌握している。

 

 透明刃の剣士は既に得物を抜いていた。

 大和は一瞬硬直してしまう。

 相手の得物が……刃が見えなかったのだ。

 

 透明刃の剣士──その通り名の由来。

 果たしてどんな形状なのか? 

 日本刀? それとも西洋剣? 

 もしかすると、剣ですら無いのかもしれない。

 

「しゃらくせェ!」

 

 大和は構わず大太刀を振り下ろす。

 刃の形状などどうでもいい。

 大太刀が誇るリーチは並の刀剣では覆せないほど長大だ。

 

 しかし、不可視の刃は大太刀をすり抜けてきた。

 懐に入られた事で大和は一瞬そちらに全神経を向けてしまう。

 それを待ってましたとばかりに距離を詰めてきた千手の魔拳士。

 二人とも、必殺の間合いに身を置いていた。

 

 大和は完璧に虚を突かれた。

 驚くべき連係……何より殺しに於ける技量が、他とはまるで違う。

 

 絶体絶命の危機に対し、しかし大和は笑っている。

 

「……そう、コレだよ。最近味わってなかった」

 

 彼は首筋まで迫る不可視の刃を無視して大太刀を振り下ろした。

 敢えて前傾姿勢になり、首筋を晒す。

 

 透明刃の剣士は瞠目した。

 彼は、自ら命を差し出したのだ。

 

 ……いいや、違う。

 命を晒す代わりに殺そうとしているのだ、自分の事を。

 死を恐れていない。

 

 その証拠に、彼は嗤っていた。

 死ぬかもしれないのに子供の様に笑っていたのだ。

 命の奪い合いを心から楽しんでいる。

 

 一瞬抱いた恐怖心が決定的なまでの遅れを生む。

 透明刃の剣士はそのまま一刀両断された。

 脳天から股まで綺麗に裂かれる。

 

「ッッ」

 

 千手の魔拳士は唇を噛み締めながらも、渾身の拳打を放った。

 生涯を賭けて放たれた魔拳はたとえ大和であろうと当たればタダでは済まない。

 

 そう、当たれば……

 

 大和は無理矢理後ろに下がり、魔拳士との距離を調整した。

 そうして捻れた身体を更に捩じりこみ、渾身の斬り上げを放つ。

 魔拳士のほうが先手を取っていたにも関わらず、大和のほうが速い。

 赤熱化した乱れ刃が魔拳士を断たんと唸りをあげる。

 

「ッッ」

 

 魔拳士は片足を犠牲にして乱れ刃を受け止めた。

 履いていた下駄ごと踵が断たれ、骨肉を抉られる。

 耐え難い激痛は不屈の精神力で耐えた。

 太股の筋肉を締め上げ、股関節寸前で大太刀の勢いを止める。

 

 魔拳士は吠えた。

 強靭な体幹を武器にしている彼はたとえ片足を失っても全力の拳打を放てる。

 

 拳を振りかぶった彼に、大和は吠え返した。

 

「あめぇんだよ!!」

 

 大太刀の峰を下駄先で蹴り上げ、無理矢理魔拳士を両断する。

 金属が潰れる破砕音が響き渡った。

 

 後に残ったのは物言わぬ肉塊のみ……

 大和は得物にこびり付いた血糊を払い、笑う。

 

「それなりに楽しめたぜ。俺に武術の深奥の一つを出させるたぁ……SSクラスなだけはある」

 

 唯我独尊流・奥義──『無念無想』

 

 あらゆる武術家が最終目標とする「武」の真髄、その一端。

「無我の境地」とも謂える。

 人間は歩くのに意識して足を動かさない。

 その様に真の武術家は殺す事を意識しない。

 

 意識という「無駄」を省いたために最速かつ最小限。

 即ち最大効率の攻撃を繰り出せる。

 

 夢想の極致が無二の閃きを生み出す。

 圧倒的経験と武神足り得る才覚か、窮地の中でも「最適の解答」を導き出すのだ。

 

 大和は暴力の天才である。

 武術を「破壊と殺戮に特化した技術」として完成させた忌々しき武神である。

 

 そんな彼に無意識ながらも「武と呼べるもの」を使わせた。

 嬲り殺す余裕を捨てさせた。

 

 大和は満足げに顎を擦る。

 

「あと百年もすりゃあイイ線いってただろうが……まぁ、終わった後だ。何にもならゃあしねぇ」

 

 血の池に沈む肉塊達を一瞥して、大和は背後に振り返る。

 

「さぁて……残りの二人は何処だ? 俺の予想だと、貪狼連合の『人間牧場』辺りに隠れてると思うんだが 」

 

 大和は今しがた殺した者達から匂いを嗅ぎ取る。

 しかし……

 

「チッ……匂いだけじゃ限界があるな。聴いてみるか」

 

 目を閉じる。

 大和の五感はそんじょそこらの魔獣よりも鋭敏だ。

 聴力に関してはその気になれば魔界都市全域で起こっている出来事を把握できるほど。

 

 しかし彼は普段、この力を抑制している。

 何故なら「どうでもいい情報」も聞き取ってしまうからだ。

 陰口など気にする性分ではないが、わざわざ聴いてやるほど暇でもない。

 故に普段は最低限におさめているのだが……

 

 大和は聴力を西区へ傾ける。

 一区だけでも流れ込んでくる情報量は莫大だ。

 しかし最新式のスーパーコンピューターすら凌ぐ演算力で片っ端から処理していく。

 

 大和は目を閉じながら呟いた。

 

「西区は弱者共の吹き溜まりだ。しかし裏区に次いで色々な闇取引が行われている。当然、情報を共有する速度も速い……些細な事でも聞き逃さない連中が多いからな。だからこそ……」

 

 大和は目をあけ、嗤う。

 

「ビンゴ、やっぱり人間牧場の方に向かったみてぇだな」

 

 クツクツと喉を鳴らす。

 

「人間牧場を盾にしやがったな? 中々いい案だぜ…………なぁ? 『幻妖からくり師』」

 

 大和は門前の影に視線を向けた。

 本来であれば視認する事すら叶わない、ナノメートル単位の偵察人形。

 超高度な幻術による気配遮断、完全消音、透明化などが施されている。

 匂いどころか存在感すら消している筈なのにバレてしまい、遠隔操作していた幻妖からくり師は腰を抜かしてしまった。

 

 大和はケタケタと笑う。

 

「バレバレだっての! あとオーバーリアクション過ぎな、おかげで場所がわかった」

 

 大和は遥か遠くを見つめる。

 

「此処から西南西、距離は……15・5キロメートル。ハハッ、いいポジションじゃねぇの。人間牧場をバックにしてやがるな。これは……迂闊に攻撃できねぇ。直接行っても人間牧場を制圧されちまう」

 

 そう言いながら、大和は和弓を取り出す。

 異空間から現れたソレは北欧神話の世界観そのもの、世界樹(ユグドラシル)から削り出された一品だ。

 

 天地を支える巨人族の中でも怪力自慢の豪傑達による五人張り。

 世界有数の鍛冶士、百目鬼村正が彼のためだけに作成した最上級大業物である。

 

 大和は矢をつがえ、綺麗な体勢で弦を引く。

 そして口元を歪めた。

 

「俺が受けた依頼は『人間牧場の護衛』じゃねぇ、『お前らを殺す』事だ」

 

 その言葉の意味を悟った幻妖からくり師は即座に相方の魔法狙撃手に伝える。

 が、遅かった。

 

 鏃に極大の闘気を溜め込んだ大和は、迷わず弓矢を放つ。

 タァンと、弦の弾かれる音と共に辺りに爆風が吹き抜けた。

 

 数秒後、地鳴りと共に遥か遠方が輝く。

 大和の位置からでも視認できる巨大なエネルギードームは、まるで核弾頭の落下……

 遅れて、凄まじい轟音と爆風がやってくる。

 

 真紅のマントをバサバサと靡かせながら、大和は嗤った。

 

「超越者クラスの闘気による広範囲爆撃だ。圧縮された闘気は膨張を始めると純粋破壊エネルギーに変わる……ククク、距離を取ったのは間違いだったな」

 

 世界最強の武術家である彼は数多の武具を自由自在に操る究極のオールラウンダーだ。隙など存在しない。

 

 大和は弓をしまうと、優々と背伸びした。

 

「んー……よし、依頼完了。楽勝だぜ♪」

 

 無邪気に笑った後、打って変わって神妙な面持ちになる

 

「しっかし、人間牧場を吹き飛ばしたのはやっぱり痛ぇな。新規さんなら兎も角、貪狼連合を含めた五大犯罪シンジケートは顧客……あんまり我が儘を通すのもよくねぇ」

 

 そう言って大和は懐をまさぐる。

 スマホを取り出し、「ある存在」へと電話をかけた。

 コールに入ると、一秒跨がず通話へ入る。

 

『はいはい!! 君の愛しいスウィィィト・ハニー、ナイアちゃんだよ!!』

「応対クッソ早ぇなオイ」

『それは勿論!! 大和からの電話だもん!! どんな事象現象も無視して出るよ!! それでそれで!? 何の用かな!! もしかしてデートの約束とか!? いやん照れちゃう!! でも何時でも準備OKだよ!! 何なら今からでも可!!』

「まくしたてんな、お前に頼みてぇ事があるんだよ。貪狼連合の人間牧場あるだろう? アレを直して欲しいんだ。お前ならすぐにできるだろう?」

『えー、そんな理由で……もう!! 僕は都合の良い女じゃないんだよ!! そこら辺のアバズレと一緒にされたら困っちゃうな!! 僕は君を愛しているけど、それは決して俗物的な』

「叶えてくれるんなら一週間後、デートしてやるぞ」

『うんうん♡ 大丈夫だよ大和♡ 僕に任せておいて♡ 事象改竄なんてちょちょいのちょいさ! 何せ此処デスシティは邪神群の恩恵がフルに働くからね!』

「任せた」

『うん! またね大和♡』

「クククッ、おう、またな」

 

 ナイアとの通話を終え、大和は少し思案する。

 そして再度スマホを弄くりはじめた。

 

「五大犯罪シンジケートは顧客だし……ちょっとサービスしておくか」

 

 大和は『ある女達』にメールを送る。

 済ませればやれやれと肩を竦めた。

 そして誰もいない筈の背後に振り返る。

 

「バレバレだぜ、お前の視線はご自慢の呪術じゃ誤魔化せねぇ。何せ……気持ち悪ぃからな」

 

 その顔が嫌悪感で歪む。

 珍しい。普段から大胆不敵、豪放磊落を地でいく彼がここまでの拒絶反応を見せるのは稀だった。

 あの帝釈天にすら見せなかった顔である。

 

 彼にこんな顔をさせた存在は、宙に浮く豪勢な椅子にどっしりと身体を預けていた。

 

 三メートルはあろう、横にも縦にも大きい老婆。

 横綱も驚くであろう体型ながら服装はゆったりとしたもの。恐らく特注品であろう。

 その身を彩る過度な装飾品の数々。全ての指輪にゴテゴテとした宝石が付けられており、首飾りに至っては彼女にしかかけられないであろう重量感があった。

 

 しかしながら、その装飾品全てが彼女自作の呪具。

 神格武装クラスの超兵器……その仮の姿である。

 

 彼女は女とは思えない醜い面で笑った。

 

「全く大和坊っちゃんは……昔はもう少しお転婆で可愛らしかったのに、今では立派な魔人だ。お婆は悲しいですぞ」

「うっせぇぞ糞ババァ、テメェへの義理はとうの昔に返した。……舐める様に俺を観察しやがって、そんなに『コイツらの死体』が欲しいか」

「ええ、超越者の死体は良質な素材故。1体だけでも数多の一級品を造れます。それはもう、喉から手が出るほど欲しいもの」

 

 老婆、無月(むげつ)は「ヒッヒッヒ」と喉を鳴らす。

 

「安心なさってください、「例のもの」は完成いたしました。今まで超越者の死体を融通してくれたお礼はキッチリ返ししますよ」

「……」

 

 大和は相変わらず嫌そうな顔をしていた。

 

 無月……世界最強の呪術師であり、魔導師の中でも別格の存在。

 

 彼女はデスシティ北区の実質的な支配者だった。

 五大犯罪シンジケートですら彼女を無視できない。

 北区で行われている全ての商いは、彼女の合意の元で行われている。

 

 そして何を隠そう、彼女はまだ皇子だった頃の大和の世話係だった。

 

 



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五話「世界の真実」

 

 

 魔界都市の中央区の情景は、殺戮の女神の目に新鮮に映っていた。

 分厚く暗い曇天、それをものともせず輝くどぎついネオンたち。

 聳え立つ高層ビル群の合間を通り抜けていく謎のエネルギーで滑空している車やバス。

 長大に伸びた線路には高速モノレールが走っている。

 数多のサーチライトに照し出されたのは超科学の粋を凝らした飛行船と飛竜種、ワイバーンだ。

 

 往来を闊歩しているのは刀剣を背負った人間、屈強なオーク、リザードマン、一つ目妖怪、サイボーグ。

 彼等の気を引こうとしているのはダークエルフ、狐娘、雪女、サキュバスなど。

 上空では烏天狗や妖精、アンドロイドたちが縦横無尽に飛び交っている。

 

 幻想、科学、魔物、妖怪、アンドロイド、サイボーグ、魔法、超能力、重火器、超兵器。

 何でもこざれな此処、超犯罪都市デスシティ。

 今日も今日とてあらゆる種族、技術でごった煮状態になっていた。 

 中でも一番の活気を見せる中央区は、まさしくデスシティを象徴する場所である。

 

 カーリーはこの渾沌とした世界観を直に体感していた。

 耳鳴りが起こるほどの喧騒に混じっている銃声と怒声、そして怨嗟の唸り声。

 鼻腔に粘りつく香水の匂い。それでも隠しきれない血臭と獣臭、そして発情した牝の匂い。

 

 呼吸をすれば淀んだ空気が肺を巡り、気配を探ればそこら中から狂気を感じ取れる。

 

 カーリーは思わず囁いた。

 

「……闇の幻想卿、か」

 

 その言葉を聞き、観光案内屋……ウォンは振り返った。

 そして分厚い袖で口元を隠す。

 

「この都市、カーリーサンとの相性いい思うケド、いかがかナ?」

「悪くはない」

 

 愛想のない返事に、ウォンはやれやれと肩を竦めた。

 彼は、カーリーの心境に些か興味を抱いていた。

 

 仲間を裏切り殺し、魂を喰らい、甥を修羅道に落とした。

 のみならず、その甥の父親に抱かれて喜んでいる。

 正気の沙汰ではない。

 

 生来の神仏というのは驚くほど傲慢不遜であり、途轍もなく喜怒哀楽が激しい。

 有史以前から最強の存在であるが故に、在り方そのものが人智を逸しているのだ。

 

 人に近しい神もいる。帝釈天などがいい例だ。

 しかしそれは感性が近いというだけであり、本質は全くの別物。

 故に帝釈天は世界の守護神たり得なかった。

 

 種族の壁というは途轍もなく大きい。

 人間ですら住んでる地域が違うだけでまるで別物になるのだ。

 価値観も、肌の色も、言語すらも……

 故に、神と人がわかり合える事は未来永劫ない。

 

 ウォンは何時も通りの胡散臭い口調で聞いた。

 

「カーリーサン、アナタ元、八天衆。なのに仲間殺しタ。こんな呑気に観光してていいアルカ?」

「案ずるな、後ろ楯がある」

「フムフム」

 

 ウォンは適当に頷きつつ、次の言葉を投げる。

 

「恨まれてないカ? 同じ八天衆ニ。世界の守護神、元仲間。コレ、とても一大事に思えるヨ?」

「ふむ……八天衆、世界の守護神か」

 

 カーリーは一人頷き、そして唐突に喉を鳴らした。

 何が可笑しかったのか? 

 ウォンが首を傾げていると、カーリーは言う。

 

「今思えば笑えるな。帝釈天と毘沙門天以外はとても守護神などとは呼べん……我が言うのもアレだが、全員狂っている」

「……と、言うト?」

 

 ウォンが唐突に振り返ったので、カーリーは思わず目を丸めた。

 

「何だ貴様……こんな話に興味があるのか」

「とてもあるネ。八天衆の現状、とても知りたいアル」

「何故だ? 貴様には関係ない話だろう」

「単に興味が湧いただけネー」

「好奇心は猫を殺すぞ?」

「アイヤー、死にたくないアル。なら黙てるネ」

 

 さっと身を引いたウォンに対し、カーリーはやれやれと肩を竦めた。

 

「……焦らしい奴め、そんな反応をされたら話したくなるではないか」

「命はあげられないヨー?」

「いらぬ、貴様の濁りきった魂など。……まぁ、独り言だと思って聞いているがいい」

「嬉しいネー、タダ聞きアル♪」

 

 現金な反応にカーリーは呆れて溜め息を吐くものの、少しずつ語り始めた。

 

「八天衆、世界最強の武神で構成された集団。その目的は世界の守護。しかしソレは帝釈天と毘沙門天が勝手に言い出した事だ。八天衆の真なる使命は世界の守護ではなく、神々という存在の守護。世界的な危機ともなれば自ずと神話が絡んでくる、だから「世界の守護神」という名目で間違いはない。……裏を返せば、世界的な危機であろうとも神話が絡んでいなければ動かなかった。また、役目さえ果たしていればあらゆる行いが許された。如何に悪逆非道な行いであろうとも、だ」

「…………」

「要は神々の武威の象徴だったんだよ、八天衆は。神秘が薄れ、人理が築かれつつある現代……神々は人類の増長を畏れ、楔を打ったんだ。神々に逆らえば我等が出るぞと……ククク、原理は暴力団のソレとさして変わらん」

 

 嘲笑をこぼしながら、カーリーは続ける。

 

「だから我が選ばれた。いいや、我々が選ばれた……か。性質や経歴は二の次。戦闘力だけで選出された。……いいや、我の場合は殺戮と狂乱を司る、という点に魅力があったのだろう。畏怖の象徴にはうってつけだからな。そう思うと、ますます笑えてくる」

「ふーン。神サマいうのは意外と臆病者ネ? だとしたら親近感湧くヨ。カーリーサン八天衆にしたの、中々悪くない案ネ」

「……八天衆が解散になったキッカケが我だとしても、か?」

 

 ウォンはクスクスと笑う。

 

「カーリーサンがそういう神サマ知てて採用した、その結果アル。だからみーんな、管轄してる神サマが悪いアル。扱えない存在を扱おうとしたからそうなタ、完全に自業自得ネ。フフフフフ、愉快愉快♪ 神サマも人間と一緒、お馬鹿サン多いアル」

「ああ……そうだな。我も含めて馬鹿ばかりだ。その癖力が有り余っているのだからどうしようもない。黄金祭壇、だったか? 魔導師どもの組織。あ奴らは上手くやっているな。やはり、人間は人間にしか管理できないのだろう。共感、だったか? それが大切なのかもしれん」

「フフフフフ♪」

 

 ウォンは上機嫌に笑っていた。

 悪意に満ちているがまるで子供の様な笑い方なので、カーリーも釣られて笑ってしまう。

 

「なんだ? そんなに可笑しいか?」

「違うネ。カーリーサン、お喋り上手。聞いていて飽きないネ。アト、思ってた女神サマと違てて驚いてるヨ。いい意味デ」

「からかっているのか?」

「違うネ。私、頭悪いヤツ大嫌い。そーいうヤツ限って災難巻き起こス。イイ迷惑ネ。この世界の事情、何も知らないクセに理想だけ語る……吐き気するアル」

「……」

「カーリーサン、話わかる方。そーいう方大好きネ。だからもっとお話聞きたいヨ。観光案内ついでに色々聞かせて貰えないカ? 」

「ふん……共感でもしたか?」

 

 カーリーの皮肉に、ウォンは相変わらずクスクスと笑っていた。

 

「神サマの考えてる事なんてわからないヨ。ただ、お話聞いてると面白いアル。神サマいうのは案外、人間臭いのカモしれないネ」

「……ふん、物好きめ。観光案内を忘れるなよ」

「アイヤー、お任せアル。カーリーサン、満足させられるように頑張るネ。この都市、娯楽の宝庫。カーリーサンには特別、イイお店紹介するネ。お任せくださいナー♪」

 

 上機嫌に歩いていくウォンの背中を見て、カーリーは思わず笑ってしまった。

 共感ではない。

 しかし話し合える存在というのも悪くはない。

 

 同じ根っからの邪悪同士、遠慮はいらないのかもしれないと、カーリーは思った。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔界都市の中央区の情景を、カーリーは胡乱な眼差しで見つめていた。

 神秘性が薄れた現代社会。そして今の神話の現状と見比べて、何か思うところでもあるのだろう。

 現に、その横顔には憂いが見えた。

 

 邪悪ながらも隆盛を極めている超犯罪都市デスシティ。

 此処はあらゆる存在を容認するが故に、神秘性が薄れていない。

 

(……相性もいいのかもしれないネー。カーリーサンとは)

 

 チラリとその横顔を拝みながら、ウォンは思う。

 殺戮と狂乱の女神……彼女の目にはこの都市がどう映っているのか? 

 

 好奇心をくすぐられたウォンは、何時になく上機嫌に観光案内をはじめた。

 

「中央区は魔界都市の花ヨ。数分歩いてるだけで此処がどういう場所か理解できル。具体的に言えば神秘と超科学の融合……よーするに何でもアリの都市ヨ。だからどんな存在でも受け入れられル。たとえ異世界の住民でモ。……マ、異世界の住民弱いカラ、この都市の住民にとってはいいカモネ」

「何だ、異世界の住民はそんなに弱いのか?」

「例外はいるヨー? でも殆どが雑魚ネ。カーリーサン神仏、この世界の理よく知ってる筈。ここ、天道至高天が創造し居座る最も強靭な世界。余所の世界とは強さの平均値、全く違うアル。アチラでは最強クラスでもコチラじゃSランクなんてザラ。だからいいカモアル。でも異世界との交流、とても大事。お金、沢山入る。そこらへんは五大犯罪シンジケートが中心に切り盛りしてるネ」

「五大犯罪シンジケート……聞いたことがある。此処で最も権威が高い犯罪組織の団体。表世界とも密接な関係にあるとか」

「カーリーサン詳しいネ♪ その通りヨ。本来この魔界都市、はみ出しものの溜り場。でも彼等のおかげで繁栄してるアル。表世界との境界線、維持できてるのも彼等のおかゲ。彼等、魔界都市に必要不可欠な存在アル」

「……魔界都市の根底を支える存在、か」

「でも彼等、タダの人間。この都市の真の強者達には敵わなイ。彼等管理してるの、表世界に通じるものだけ。でもソレ、とても大事。表世界との繋り、ないと困ル。この世界、表裏一体アル」

「成る程……」

 

 ウォンの話はタメになる。

 カーリーは素直に聞き入っていた。

 

 すると、ウォンが唐突に足を止める。

 

「紹介したいお店、到着アル。まずは此処ネ♪」

 

 そこには大層豪勢な旅館が建っていた。

 ドギツいネオンで飾っているわけでもなく、魅惑的な女達を立たせているわけでもない。

 しかし、カーリーにもわかる確かな違和感があった。

 

 まずは綺麗だ。中華然とした外観は淡い赤色で塗装されており、見た者を落ち着かせる。

 旅館の中から流れてくる音楽はしっとりと柔らく、一時ここが魔界都市である事を忘れさせる。

 

 何より、濃い神秘に包まれていた。

 豊潤な霊力からなる独特の空気は神代の時代では当たり前でも、現代では極めて稀。

 

 カーリーが唖然としている中、ウォンは得意気に説明しはじめた。

 

「此処、魔界都市で一番オススメできる旅館。『紅瓢亭(べにひさご)』ネ。すこーし値は張るけど安心安全。ルームサービスもバッチリアル♪ 従業員皆美男美女。食事美味しいし天然温泉も湧いてル。護衛もSSクラスの用心棒が複数名、常に待機してるヨ。あと部屋の内装、お客サンの理想体現できる。和洋折衷なんでもゴザレ。更に、都市内で行われてる犯罪や戦闘を安全に見られるモニタールームとかもあるネ。従業員に頼めば護衛や娼婦の斡旋もしてくれるし、いたり尽くせたり♪ 表世界の住民にもよくオススメしてるアル。カーリーサンにも勿論オススメヨ♪」

「成る程、確かにいい宿だ。しかし隠している事があるだろう? この宿から漂う霊力以上の邪気……只事ではあるまい?」

「フフフフフ♪」

 

 ウォンは分厚い袖で口元を隠した。

 

「ご明察ネ♪ このホテル、絶対に守らなければならないルールある。ソレ破ると大変なコトになるヨ」

「具体的には?」

「大和サン雇われるアル。足りなければアラクネサンも」

「それは……凄まじいな」

 

 魔界都市で、いいや世界で一番腕の立つ殺し屋達をさし向けられる。

 これ以上の恐怖はないだろう。

 

 ウォンは続ける。

 

「でも、ルールさえ守ればホントに安心安全ネ。オススメヨ♪ ネタバレすると、経営者は西遊記に出てくる悪霊、白骨精(はっこつせい)。悟空サンが一度、三蔵法師から破門されるキッカケ作た悪い子アル。でも有能だからドコゾの誰かサンが蘇らせてホテルを経営させてるネ。イヤー、デスシティ怖い場所だからホント助かるアルー」

「……見え透いてるぞ、邪仙め。そんなに長生きだったか」

「サァ、なんの事ヤラ?」

「ただの観光案内屋ではないな……この狸め」

「アイヤー! 狸みたいに丸くないヨー! せめて狐がイイネー!」

「そこが問題なのか……」

 

 呆れているカーリーにウォンは頬を膨らませつつ、次の店を紹介する。

 

「モウ……まぁいいアル。次はアチラ、衣服屋『黒の子羊』ネ。単純にイイ服揃てるアル。けどオススメできる点は世界最強クラスの戦闘に耐えられる衣服造れるところネ。コレ中々貴重。カーリーサン神仏、全知全能。でもプロが造た衣服、興味ないカ? 頑丈さ以外にも色々なオプションつけてくれるヨ。大和サン、アラクネサン、ネメアサンも贔屓にしてるアル」

「ふむ……確かにいいな。満足できる服など中々ない。全知全能とはいえ、職人が造った衣服にはやはり興味ある」

 

 そそられているカーリーに、ウォンはひとさし指を立てて注意した。

 

「でも面倒なトコロアルネー」

「面倒なところ?」

「ココ、夫婦で経営してるアル。でもお嫁サン、大和サンの事大嫌い。あの人の関係者、邪険にする。ホント面倒臭いネ。カーリーサンは入る時間帯に注意ヨ」

「時間帯? 何故だ?」

「夫サンが大和サンの弟子、だから彼が店番してる午前中オススメ。というかその時間帯しか入れないアル」

「成る程……」

「夫サン、ネメアサンの妹サンの子孫。勇者王を輩出した名家の出。でもお嫁サン、もっとヤバイ。何せ大和サンの娘。しかも母親、邪神群のNo.3、シュブ・ニグラス。半端ないアル。関わらないほうがイイネ」

「……それはまた、物騒な」

 

 カーリーでも苦笑しかできなかった。

 ネメアの血族の子孫と大和と邪神の娘が夫婦……とんでもない事実である。

 

 しかし納得もできた。

 大和を毛嫌いしている女など限られている。身内といえば自然だ。大和は身内の殆どから嫌われている。

 更にこの都市で服飾屋を夫婦で営めるなどと……夫妻共に只者ではない。

 

 しかし、ウォンは更なる爆弾発言を投げた。

 

「しかももうお子さんいるネー。大和サンにとっては孫アル」

「孫……!?」

「別に驚く事でもないネ。大和サン数億歳、しかも性欲旺盛。子孫沢山。孫いても全然不思議じゃないアル」

「……言われてみれば」

「重要なのはそのお孫サンの将来ネ。ネメアサンと大和サン、そして邪神の血が絡み合った結果どうなるカ……フフフフフ♪ 怖くてたまらないアル♪」

「……そう言う割に楽しそうだが?」

 

 カーリーの言葉に、ウォンは満面の笑みを浮かべた。

 

「私怖いのキライ。でも見るの別、騒がしいのスキ。外野から拝むの楽しいネー♪」

「……フッ、そういう事か」

「そうネ。今から世界、とことん荒れル。時代の転換期、入ろうとしてル。カーリーサンもソレに関わる……違うカ?」

「まぁ……そうだな」

「フフフフフ♪ イイネイイネ♪ この世界、楽しんだモノ勝ちヨ。神サマも人間も関係ナイ。皆、生きてるだけで苦悩に見舞われル。何デ? 馬鹿らしい。苦しんでまで生きる必要ないネ」

「……」

「でも『何で苦しんでるのか』、それすらわかてない馬鹿多いアル。そーいう奴限って理想やら正義押し付けてくル。……イイネ~、馬鹿はお気楽デ。でも、そうじゃない奴もたまーに居る。苦しんで、それでも己の正義を、信念を、貫き通そうとする奴いるアル」

「……」

「それも『生きる』って事なのかもしれないネ~。私から見たら馬鹿デモ、ソイツら大真面目。……どっちがイイのカナ? 周りを気にせず人生愉しむのカ、周りのために己苦しめるのカ」

「……さぁな」

 

 曖昧な返事をするカーリー。

 ウォンはそんな彼女に意味深な笑みを向けた。

 その笑みは何故か、暗黒のメシアに似ていた。

 

「カーリーサン、両極端の人、知ってるネ」

「……?」

「若かりし頃の大和サンとネメアサンアル」

「!」

「二人トモ、ホント両極端。でも不思議と仲いい。デモ……今の二人見てると考えものアル。果たしてどちらの生き方がイイのヤラ」

「……」

「フフフフフ♪ お話長くなたネ。ササ、次のお店案内するヨ。お次はおでん屋「源ちゃん」。これマタ、美味しいしおでん揃えてくれてるアル。珍味も沢山あるからオススメヨー♪」

 

 歩き始めたウォンの背中を見つめながら、カーリーは一人囁く。

 

「どちらの生き方がいいのか……我にはわからぬよ。所詮人間の生き方だ……ただ」

 

 どちらにも苦悩が伴うものだ。

 そう言って、カーリーはウォンと共に摩天楼の中へ消えていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、西区の入り口で。

 大和と無月は相対していた。

 大和は嫌悪感剥き出しに告げる。

 

「ソイツらの死体持ってさっさと失せろ、妖怪ババァ」

「流れるように罵詈雑言が出ますな。とてもとても、東洋随一の皇族出身とは思えませぬ。あと、対価はよろしいので?」

「対価を置いて、今すぐ、俺の視界から失せろ」

 

 灰色の三白眼に濃密な殺意が宿ったので、無月はやれやれと肩を竦めた。

 彼女は宙に浮く豪勢な椅子に大きな身体を預けたまま、指先だけ動かす。

 

 すると、大和の眼前に鉱物の原石が現れた。

 禍々しい邪気と超重量によってその場の地形が陥没する。

 

 無月は喉を鳴らしながら説明した。

 

「この世界にはない、しかし全世界観で最高の性能を誇る鉱物、「天鋼(あまはがね)」の原石でございます。数多の異世界を渡れど、これほどのモノを見つけるのは困難でしょう。あの氷雨嬢の愛刀「無銘・氷華」と同じ材質です。更に、このお婆が数か月かけてじっくりと呪詛を溜め込んでおきました。きっと、大和坊っちゃんの本当の姿……「闇の型」にも耐えられましょう」

「……」

「百目鬼村正、でしたかな? あのお嬢さんに果たして扱える代物なのか」

「扱えるさ。アイツならな」

 

 大和は異空間の収納ボックスにソレをしまうと、早々に背を向ける。

 

「礼は言わねぇぞ、これは取引だ」

「わかっておりますよ。お婆は大和坊っちゃんの嫌そうな顔を見れただけで満足ですので」

「……チッ」

 

 舌打ちをこぼし、去ろうとする。

 そんな大和の背に無月は告げた。

 

「大和坊っちゃん」

「あんだよ」

「途轍もなく濃い死相が出ておりますよ。何時死んでもおかしくない」

 

 無月の目には、常人なら即死するレベルの『死』が映っていた。

 しかし大和は振り返り、笑う。

 

「長生きしすぎて耄碌したか? ババァ。殺し屋に死相なんて付きもんだろう」

「……」

「肝心なのは死を怖れる事じゃねぇ。触れて、楽しむ事だ」

 

 無月は重たい瞼を見開いた。

 大和は背を向け手をあげる。

 

「あんま食い過ぎるなよ、体調壊しちまうぜ」

 

 それだけ言って去っていく。

 遠くなるその背を見つめながら、無月は囁いた。

 

「……歳をとっても変わらぬものがありますなぁ、大和坊っちゃん」

 

 ヒッヒッヒ、と最後は御機嫌そうに喉を鳴らした。

 

 



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六話「共感」

 

 

 五大犯罪シンジケートの権威の象徴、超高層タワー『ヘル・サンシャイン』にて。

 各頭目達は今後の方針について話し合っていた。

 まだ青いながらも才気溢れる青年、ロベルト・コラレスの存在がいい着火材となっている。

 若い世代の意見を取り入れつつ、各頭目は今後の商いを盛り上げようとしていた。

 

 そんな矢先である。

 

「…………チッ」

 

 舌打ち、それも明確な怒気を孕んだものが響き渡る。

 皆がそちらに振り返ると、そこには貪狼連合の総帥……汪美帆(ワン・メイファン)がいた。

 彼女はすぐに淑女然とした笑みを浮かべると、深く頭を下げる。

 

「申し訳ございません。今しがた部下から入ってきた情報があまりに不快な内容だったもので」

「「「…………」」」

 

 居合わせている他三名は手を上げ「気にしなくてもいい」という意を伝える。

 しかし内心やはり気になるもので、ソレを察した側近達がそれぞれボスに事の顛末を伝えた。

 

 まずは世界最強の殺し屋、大和が依頼を達成した事。

 その際に貪狼連合の資金源の一つ、人間牧場を消し飛ばしたこと。

 

 コレに対してボス達は動揺しなかった。

 何故ならこの程度で舌打ちするほど汪美帆という女は短気ではないからだ。

 現に、大和は邪神の力を借りて人間牧場を元通りにしている。

 原因はソコではない。

 その後にある。

 

 SSランクの殺し屋四名を雇った主犯、某多国籍企業の社長は関係者共々国外へ逃亡。香港にある拠点を完全に捨て去った。

 貪狼連合は早々に企業を買収し香港の裏事業を纏め上げると、首謀者たちの行方を追った。

 追ったのだが……

 

「ほぅ、今日中にケリがついたのかね?」

 

 思わず声に出してしまった『フロンテ・ファミリー』のドン、セザール・カンデラ。

 彼はメイファンから爽やかな笑顔を向けられ、静かに冷や汗を流した。

 

 解決はした。

 したが、その内容がメイファンの気に障ったのだ。

 首謀者らは「神魔霊獣の楽園」へと逃げ込み、そして抹消された。

 場所は「砂漠のオアシス」とも呼ばれるアラブ首長国連邦、通称ドバイ。エジプトの神々「ヘリオポリス九柱神」が商業拠点にしている世界第四位の観光地帯だ。

 

 本来なら引きずり出すなり凄腕の暗殺者なりを差し向けなければならなかったが、その必要はなかった。

 何故ならドバイの守護神である「ヘリオポリス九柱神」が協力してくれたからだ。

 

 ありえない話だが、それを可能とする男が一人いる。

 暗黒のメシア……

 

 メイファンは親指の爪を噛む。

 

「何が『ご主人様の厚意に感謝なさい』よ……あの雌犬姉妹。権能しか取り柄のない女神風情が……ッ」

 

 その言葉を聞いて、一同はやれやれと肩を竦める。

 

 大和による女絡みだ。

 しかし侮る事なかれ。現に五大犯罪シンジケートを揺さぶっていた事件はその日の内に解決し、後始末も済んでいる。

 最も、当の依頼主は苛立っているが……

 

 後始末を済ませたのはネフィティスとイシス──死の女神と豊穣の女神だ。

 彼女達はそれぞれセト、オシリスの妻なのだが、とある事件以降大和に魅了され絶対服従を誓っていた。

 

 メイファン以外のボス達はアイコンタクトをとる。

 

(……MR.大和の色香は強力な武器でもある、という見解でよろしいですかな?)

(間違いありませんよ)

(勘違いするなよ坊主、コレは大和ならではの芸当だ。もしも真似なんてしてみろ……背中から刺されるぞ)

(ええ、それはもう……怖くて真似なんて出来ませんよ)

 

 ロベルト・コラレスは苦笑する。

 女を求めるは男の性だが、ここまでくると命に関わる。

 

 ロベルトは改めて、大和という男の「世界への影響力」を見つめ直した。

 

 

 ◆◆

 

 

 

 一方その頃、中央区から裏路地に続く道の前で。

 カーリーはウォンから見送りを受けていた。

 

「イヤハヤ、楽しかたアル。有意義な半日だたヨ♪」

「そうか。買い物はいいのか? 買いたいものがあったのだろう」

「フフフ、ちゃんと済ませてから帰るネ。カーリーサン優しいヨー♪」

「……ふん、こちらも暇を潰せた。感謝している」

 

 カーリーは指先で虚空を回す。

 すると、ウォンの目の前に巨大な金塊が落ちてきた。

 ウォンはうっすらと糸目を開ける。

 

「報酬だ。足りるか?」

「勿論ネー! アイヤー! たまげたヨー! 女神サマ凄いネー! 羽振りイイアルー!」

「そんなに喜ぶとは……現金な奴め」

「ムフフー!! うれしいネー!!」

 

 子供の様に飛び跳ねているウォン。

 カーリーは背を向けた。

 

「ではな、観光案内屋。また機会があれば呼ぶ」

「ア、カーリーサン。一つだけ言い忘れてた事あるヨ」

「……?」

 

 怪訝な面持ちで振り返ったカーリーに、ウォンは何時もの調子で告げた。

 

「大和サンに惹かれてる女性、とても多いネ。カーリーサンもそうカナ?」

「……まぁな」

 

 曖昧な返事を聞き、ウォンは「フフフ」と笑う。

 

「何で好きになたカ、わからないアル?」

「…………そうだな、その場の勢いというのもある。気分屋なんだよ、女神という存在は」

「おそらく違うネ」

「何故そう言いきれる?」

「私と話してる時以外、大和サンの事考えてた……違うカナ?」

「…………よく喋る狸だ。八つ裂きにして鍋にするぞ」

「鍋アルカ!? ……とと、お話し逸らすのよくないネ、カーリーサン」

「……」

「異性好きにナル。その過程や理由、色々あるヨ。カーリーサン、私と同じ歪んだ性癖持てると思たら、そうでもなかたネ。純情アル」

「ほぅ、詳しく聞かせろ」 

 

 下らない事をほざけば本当に八つ裂きにしてやるつもりだったが、ウォンの解答は斜め上をいくものだった。 

 

「カーリーサン、おそらく大和サンに『共感』してるネ」

「……何?」

「凶悪なところ、ソックリアル。頭イイのにわざと馬鹿なフリしてるトコロも似てるネー。私みたいに都合のイイ『邪悪』じゃない。キッチリと『業』背負てるアル」

「それは…………我は神仏で、狂乱と殺戮が我の司る属性で」

「貴女と対等に話し合える存在、今までイタ? 貴女を抱いて喜ばせる存在、今までイタ?」

「…………」

 

 目に見えて困惑しだすカーリー。

 その面を拝んで、ウォンはクスクスと笑った。

 

「余計なお節介だたカナ?」

「 ……チッ。大和が言った様に、本当に腐った男だな。貴様は」

「それは否定できないネー♪」

 

 カーリーは再度背を向ける。

 疲れてしまったのだろう。何も言わず、手だけ挙げた。

 

 そんな彼女の背にウォンは待機させておいたキョンシー共々深く頭を下げる。

 分厚い袖で口元を隠しながら、お約束の台詞を吐いた。

 

「ご利用、アリガトウゴザイマシタ♪ またのご利用お待ちしてますネー♪」

 

 ひゅう、と乾いた風が吹いた。

 湿気のこもる現在の魔界都市ではありえない、冷たい風……

 

 カーリーは再度振り返る。

 が、そこには誰もいなかった。

 ドギツイいネオンたちが、路地裏を照らしだしていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 共感……

 カーリーはぼんやりと考えながら階段を上がる。

 安い鉄製の階段は異様に足音を響かせた。

 

(神が、よりによって人間に共感……? 馬鹿らしい)

 

 鼻で笑うものの、一蹴しきれない己がいる事に苛立ちを覚える。

 

(何故だ? 人間など下等生物。とるに足らない存在の筈……)

 

 当たり前の様にそう考え、カーリーは思わず苦笑した。

 

「神々特有の傲慢か……これから先の時代、最早古い価値観なのやもしれん」

 

 カーリーは魔界都市の在り方を見て、世界に対する認識を改めた。

 神々が頂点に君臨した時代は本当の意味で終わりはじめている。

 故に……

 

「我も神としてではなく、女として、戦士として生きるか……」

 

 神だから敬われる、神だから畏怖される。

 そうではなくなった。

 

「我が我らしくあるのに神という称号は……邪魔でしかなかった。我は禍津ノ主。忌避され、嫌悪される存在……単なる厄災だ」

 

 神格を保有しているというだけで、その性質は悪鬼羅刹と然して変わらない。

 

 カーリーは何故か、しがらみから解放された気がした。

 神話という檻から、女神という役目から、解き放たれた気がした。

 

「清々しい…………が、複雑な気分だ」

 

 なんとも言えない感情が、胸の中にうずまいている。

 カーリーはその打開策を求めるように男の部屋へと入った。

 

「随分とデカい独り言だったな」

 

 野太くも艶やかな声が耳朶をうつ。

 暗い部屋の中で寛いでいる闇の益荒男。

 彼は紫煙を纏いながら苦笑していた。

 

 窓から入る淡いネオンの輝きを吸い込む褐色肌の体躯。

 限界まで鍛え込まれた肉体は機能美の極致であり、魔性の色香の源でもある。

 堂々たる上半身は惜しげもなく晒されており、下半身は簡素なジーンズのみを着用していた。

 

 卓袱台の上に置かれたブラックラムとグラス、灰皿を見る限り、依頼を終えて暇を潰していたのだろう。

 

 カーリーはぶっきら棒に謝ろうとするも、大和が遮った。

 

「楽しかったか? 観光は。この都市はいいだろう? お前によく合いそうだ」

 

 屈託のない笑みを向けられる。

 カーリーはうっすらと頬を上気させると、無言で服を脱ぎ始めた。

 一糸纏わぬ姿となると、変化の術を解いて元の姿に戻る。

 

 肌が濃紺色に染まり、数多の腕が現れる。

 インド神話特有の多腕は彼女の邪悪な色香を更に際立たせた。

 鋭くなった牙を見せつけながら、カーリーは座っている大和の腹に股がる。

 大和は吸いかけの煙草を慌ててそらし、眉根をひそめた。

 

「あぶねぇだろうが、馬鹿」

 

 カーリーは気にせず、大和の頬を撫でる。

 

「恐ろしくはないのか? 我の容貌は」

「抱かれた後に聞くことかよ」

 

 呆れ顔になる大和に、カーリーは頬を膨らませた。

 

「であれば……貴様は「共感」なるものを覚えた事はあるか?」

「……ったく、ウォンの野郎。色々吹き込みやがったな」

「答えろ、これは我が望む問いだ」

「……まぁ、個人でなら」

「あるのか」

「一方的なもんだ。 逆に、俺に共感する奴は殆どいねぇ」

「……目の前に、いるかもしれないぞ?」

 

 まるで乙女の様な潤んだ瞳を向けられ、大和は大袈裟に肩を竦めた。

 

「他人の妻を寝取って、息子を嬲り殺すようなド畜生にか?」

「お前の目の前にいるのは、甥っ子を修羅道に堕とし夫でもない男に抱かれて喜んでいるド畜生だぞ?」

「……ぷっ」

 

 大和は吹き出した。

 もう大爆笑である。

 そのあまりの笑いっぷりに、カーリーはむくれっ面になった。

 

「そんなに笑う事か? というか笑うな、切り刻むぞ」

「クックック……フハハ! お前告るの下手すぎ! 純情乙女かっての!」

「……~!!」

 

 羞恥のあまり怒髪天になりかけるカーリー。

 牙を剥いた彼女の唇を、大和はそっと親指で撫であげた。

 そして穏やかな……しかしどこか悲しそうな笑みを浮かべる。

 

「共感してくれんのか……俺に」

「……っ」

 

 カーリーは思わず頷いた。

 大和の顔を見た瞬間、怒りなどどこかへ飛んでいってしまった。

 訳もわからず慌てふためいている彼女に、大和は告げる。

 

「ありがとうな、寄り添ってくれて」

「~~っ」

 

 カーリーは大和の唇を己の唇で塞いだ。

 ねぶるように舌を絡め、今の心境を伝える。

 豊満な乳房を厚い胸板に押し付け、数多の腕を背中に、肩に、首に回す。

 決して離さないように……

 

 胸の中でバチバチと散る火花の様な想い。

 不快感はない、むしろ逆だ。

 数億年の歳月を生きてこれほど嬉しく、幸せになった事はない。

 

 共感? 恋? それとも両方? 

 わからない、しかし今はどうでもいい。

 カーリーは目の前の益荒男に溺れていた。

 大和は優しく、されど強引に、彼女を抱き寄せる。

 

 それから三日三晩、妖艶な喘ぎ声が絶えなかったという。

 その幸せに満ちた悲鳴は、とても殺戮の女神のものとは思えなかった。

 

 

《完》



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人造天使とのデート
前編


 

 

 分厚い鉛色の入道雲は彼女にとって見慣れた空であり、故郷の空でもあった。

 昼間の閑散とした風景も、夜間の騒がしい風景も、見ているだけで心安らぐ。

 殺気と狂気、そして怨嗟が常に隣にあって……それが異常だとは思わない。

 逆に、ないと不安になってしまう。

 

 人造天使、アルファは立派な魔界都市の住民になっていた。

 

 現在、中央区の大通りにある休憩場で待機している。

 今日は待ちに待ったデートの日。アルファは精一杯のおめかしをして来ていた。

 

 ツインテールに結われた薄水色の長髪。白いワンピースを着て麦わら帽子を被った姿はまるで本物の天使の様……

 白く柔らかそうな二の腕、華奢な肢体。

 薄くリップの塗られた唇は道行く男共を釘付けにする。

 

 魔界都市にはおおよそ似つかわしくない、天使がそこには居た。

 たまたま傍を通りかかった厳つい男達が思わず口笛を鳴らす。

 彼等の目は獲物を見つけた肉食獣のようにギラギラしていた。

 

 全員、身長190センチを越えており筋骨隆々。それぞれ国籍は違うものの入れ墨やタトゥーを全身に刻みこんでおり、髭やピアスで更に男臭さを増している。

 この都市では変哲もない、しかし表世界に出れば勝手に道が出来上がってしまうだろう厳つさだ。

 きわめつきは全員、何かしらの武器を身に付けているところ。

 魔改造の施された重火器を筆頭に、実戦に特化した数々の得物の携行している。

 

 彼等はとある暴力団の組員、中でも実戦に特化した面々だ。

 その内の一人がねこなで声でアルファに声をかけようとする。

 

「やめろ馬鹿野郎!! 相手を選べ!!」

「す、すいやせん……!」

 

 男共が一瞬で低頭傾首になる。

 現れたのは派手な豹柄のスーツを着た男だった。

 彼はすぐにアルファに頭を下げる。

 

「すまねぇ、無知な部下が迷惑をかけた」

「……いいえ、かまいません」

「何かあったら俺のところへ連絡をくれ。……この件、貸しだと思っておく」

「……YES、わかりました」

 

 名刺を受け取ったアルファ。

 それを見届けた男は部下達を連れて去っていった。

 

 アルファの姿が小さくなりはじめた頃、部下の一人が謝罪を入れる。

 先程、アルファに声をかけた男だ。

 

「すいやせん兄貴、俺のせいで……」

「おう、反省しろや馬鹿野郎。これでアッチがテメェらの首並べて差し出せなんて言ってみろ、本当にすっからな」

「「「「……っっ」」」」

 

 この男、やると言ったらやる男である。

 豹柄スーツの似合う細身の男だが、その正体は半人半魔の怪人。

 単身で一個師団を滅ぼせるだけの力を有している。

 

 部下達が顔を青くする中、彼はやれやれと溜め息を吐いた。

 

「テメェらが魔界都市に来て一年……そろそろ様になってきたと思ったらコレだ。……おいお前、明日中に魔界都市で発行されてる新聞と観光ガイドブック、一通り揃えておけ」

「へい!」

「テメェらまだまだ阿呆だから、俺が一から魔界都市のルールってやつを教えてやる」

「「「「兄貴……!」」」」

 

 野郎共から尊敬の眼差しを向けられ、男は鼻を鳴らした。

 一見ぶっきら棒に見えるがこの男、実は世話焼きで数多くの部下から慕われている。

 今は暴力団の一幹部に過ぎないが、既に五大犯罪シンジケートから目を付けられているほどのキレ者だった。

 

 彼は煙草を取り出す。

 部下から火を着けて貰うと、紫煙を吐き出しながら話しはじめた。

 

「あのお嬢ちゃんは大和の旦那のお気に入りだ」

「「「「!!」」」」

「馬鹿なテメェらでもわかるだろう、アレは『地雷』だ。『大和の旦那のお気に入りには手を出すべからず』……西区の馬鹿どもでも知ってる暗黙のルールだ」

 

 部下達は沈黙する。

 その額には新鮮な脂汗が浮かんでいた。

 

 今現在、大和に関わることすら恐れている組や組織が多い。

 そんな中、気に障る事をするなど論外である。

 

『八天衆』の解散によって世界の情勢が急激に変わりつつ今、その発端である男との関わりを避けるのは至極当然の事。

 親しい関係ならばいざ知らず、赤の他人からすれば彼は『人の姿形をした怪物』であり、『意思を持つ天災』だ。

 故に、

 

「大和の旦那を中心とした今の魔界都市の情勢を完璧に把握しておかなきゃなんねぇ。誰よりも先に無知な輩がくたばる、テメェらみてぇなひょっこ共とかな…………わぁったらとっとと今日の仕事済ませるぞ!!」

「「「「押忍!!!!」」」」

 

 返事だけはいいので、男はやれやれと肩を竦めた。

 

 

 ◆◆

 

 

「あの人が恐ろしいからですか……私を襲わなかったのは」

 

 アルファは遥か遠くにいる男達の会話を聞いていた。

 

「私もまだまだですね……あの人がいなければ襲われていたということになります。これでもSSランクなのに」

 

 アルファは半年前から急激な成長を果たし、現在では純エーテルの操作を完璧に習得……上級純粋天使と同等の力を得ていた。

 本人の努力の賜物でもあるが、何より想いの強さが関係している。

 

 彼を想えば想うほど強くなれる。

 そう、全ては彼のために……

 

(貴方の隣に立ちたい。その背中を護りたい。その心を癒してあげたい……だから私は成長しています。なのに……)

 

 アルファは視線を下げる。

 そこには捨てられた新聞があった。

 魔界都市の新聞、その見出しを飾るのは誰でもない、想い人の顔写真である。

 

「『暗黒のメシア、八天衆を解散させる。世界の守護神すら彼を止められない』……ですか」

 

 都合のいい内容だ。

 この新聞以外も例に漏れず、アルファの機嫌を損ねるものばかり……

 

「誰も、知ろうとは思わないのですね。あの人の本質を」

 

 アルファは足元の新聞を踏みにじり、そして蹴り飛ばした。

 可憐な容姿からは想像もできない、野蛮な行為だった。

 

「確かに短所は沢山あります。でも……何で長所を見ようとしないんですか。何で、短所だけで彼の人柄を判断するのですか」

 

 本当は誰よりも優しい人なのに……

 アルファはそう呟くと、突風で飛びそうになった麦わら帽子を押さえた。

 

 そんな時である。

 中央区が騒がしくなりはじめたのは……

 

 遠くから聞こえてくる悲鳴と怒声、そして地鳴りの豪音。

 どんどん近寄ってきている。高層ビル群がドミノ倒しの要領で傾き、土煙が天高くへと舞い上がる。

 道路も割れ、いよいよ立っているのが辛くなってきた頃……「彼」が現れた。

 

「おーうアルファ! まだ一時間前だぞ! 暇ならデートはじめようぜ!」

 

 朗らかに笑いながら魔導式カスタムハーレーを乗りこなしている褐色肌の美丈夫。

 彼こそアルファの想い人。

 生きる意味を教えてくれた最愛の男性。

 

「……マスター!!」

 

 アルファは固い表情を崩し、大きく手を振った。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和はアルファを抱えて後部座席に乗せると、爆走しはじめる。

 アルファは首を傾げた。

 何故、彼は「巨大な土煙」に追われているのだろう? 

 振り返ると、答えがわかった。

 

「成る程……追われているのですね。バケモノから」

「ハッハッハ! バケモノだぁ? ただのデケェ蛇だろう!」

「NO、マスター。御存知でしょうがアレは龍王の一角、怪龍王『ヨルムンガンド』の眷属です」

 

 土煙を破って現れたのは巨大過ぎる怪蛇だった。

 300メートルはあろう身体をうねらせて追走してきている。

 その巨体から生み出される運動エネルギーは規格外の一言に尽き、大通りはもう滅茶苦茶……

 数多の車両が住民もろとも吹き飛ばされていた。

 

 アルファは迫りくる怪蛇の顔をゆっくりと見上げながら問う。

 

「マスター、何故逃走しているのですか? 貴方ならこの程度の存在、一刀両断できるでしょう」

「その場のノリ!」

「……YES、全てはマスターの意のままに」

「おう! てか住んでたアパートが押し潰されちまってよぉ! 今夜どっかで泊まろうぜ!」

「あっ、えっ、その……はいっ、嬉しいですマスター!」

 

 アルファは興奮のあまり大和の背中に抱きつく。

 真紅のマントから男の薫りと香水の匂いがした。

 

 大和は魔導式カスタムハーレー、スカアハを天高くへ飛翔させる。

 そして振り向き様に抜刀一閃、怪蛇の首を落とした。

 

「ほんとはもうちょい追いかけっこを楽しみたかったんだが……すまねぇな蛇!」

 

 反省も後悔もない。

 命のやり取りを心から楽しみ、一方的に喜怒哀楽を押し付ける。

 周囲の被害などなんのその……

 それが大和という男であり、彼が恐れられる所以だ。

 

「何処か行きたいところはあるか、アルファ! 中央区は午後には元通りになるだろうから、北区らへんで遊ぶか!」

「マスターに全てお任せします……私は、マスターと一緒にいれれば幸せですので♡」

「カッカッカッ! 任せとけ! エスコートしてやる!」

 

 アルファは頬を赤く染める。

 そして後ろに振り返り……フッと冷たい笑みを浮かべた。

 まるで、今死んだ全ての存在を嘲笑うかの様に……

 

 実際に、アルファは思っていた。

 大和を楽しませるために命を差し出せと。本気で。

 

 …………彼女は、静かに怒っていた。

 大和に対する世間の対応に。

 憎悪と、それ以上の疑問を覚えていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方、大和は全く「逆」の事を考えていた。

 

(……成る程、華仙からのメールの内容がようやくわかったぜ)

 

 先ほど届いた一通のメール……

 

『アルファが最近おかしい、目を覚ましてやってくれ』

 

 最初は意味がわからなかったが、アルファに会って、目を合わせてからわかった。

 

(悪い傾向だ。魔界都市の瘴気に浸りすぎてる……あとは『恋する乙女は盲目になる』ってやつか。……ダブルパンチだなぁオイ)

 

 大和はやれやれと肩を竦めた。

 

(教える事は教えるぜ、華仙。ただ教えるだけだ。目ぇ覚ますかはコイツ次第……コイツがこのままでいたいってんなら、俺はそれ以上何も言わねぇ。お前にも言わせねぇ。何故なら……)

 

 俺はコイツの意思を尊重する。

 俺が俺の意思を何よりも優先する様に……

 

 大和は険しい面のままスカアハを走らせる。

 背中にいるアルファには、その表情が見えなかった。

 

 

 



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後編

 

 

 死屍累々、屍山血河(しざんけつが)

 まるで地獄の様な光景がアルファの眼前に広がっていた。

 

 彼女は自然と思い至る。

 これは夢の中……それも、愛しい人の心象風景だと。

 

 アルファは先程まで彼と甘い時間を過ごしていた。

 魔界都市の奇天烈な料理に変なリアクションをしたり、カジノでイカサマ紛いの反則技をしたりと……本当に楽しい時間を過ごしていた。

 

 だからこそ確信できる。

 今見せられている光景は彼の心象風景だと。

 でなければ、こんなにも怒りを覚えることはない。

 

 ドス黒い空に燦然と輝く、漆黒の太陽。

 ソレは大きく、手を伸ばせば届きそうな錯覚さえ覚える。

 地平線を埋め尽くしているのは那由多を越える亡者の群れ。

 皆一様に怨嗟の呻き声を上げて「あるところ」に手を伸ばしている。

 

 小高い崖上の瓦解した玉座の上に、彼は立っていた。

 真紅のマントを靡かせ、胡乱な表情で空を見つめている。

 よくよく見れば、強力無比な呪詛や死の概念がその身を呑み込もうとしていた。

 

「……っっ」

 

 アルファは思わず駆け寄ろうとする。

 やめてほしい……! 私の最愛の人に触れないでほしい! 

 

「何で……!」

 

 アルファは純粋に疑問を抱く。

 何故そこまで彼を恨む? 世界を何度も救った功績を忘れたのか?

 

「ふざけるな……!! ふざけるな!! ふざけるなッッ!!」

 

 救って貰っておいて、平和を与えて貰っておいて、呪うのか? 彼の事を。

 

「お前達は、何もしてないだろう! 何も為していないだろう! なのに理想だけ押し付けて……!!」

 

 アルファは叫ぶ。

 

「救って貰うのが当たり前なのか!! 平和な日常を送れるのが当たり前なのか!! ……ふざけるんじゃないッッ!! その「当たり前」がどれほど尊いものなのか、考えた事はあるのか!! 何も知らない癖に!! それなのに彼を、英雄を貶すのか!! ……~~~~ッッ!!!! 」

 

 アルファは吠えた。

 怒髪天となり、まるで別人の様に叫び散らす。

 

「彼が気に入らないなら自分達が英雄になればいい!! 自分達で世界を救えばいい!! それができないからって、貶め穢して……!!」

 

 アルファは憎悪のあまり顔を歪める。

 

「お前達なんて大嫌いだッッ!! みんなみんな、死んでしまえ!! 人類も神々も一度滅びてしまえばいいんだッッ!!  ……なんで、どうしてッッ」

 

 世界を何度も救った偉業は、無かった事になっている。

 何故なら彼は『英雄に相応しくない性格と行いをしているから』。

 

 

「……認めてなるものか。お前達の基準で『彼』を計られてなるものか。なんだったら世界を滅ぼしてでも彼を認めさせてや…………る…………」

 

 アルファは固まった。

 呪詛の言霊は途切れてしまう。

 何故なら、大和の顔を見てしまったからだ。

 

 壊れた玉座の上に座り、彼は亡者達を睥睨していた。

 嘲笑いながらも……受け入れている。

 全ての負の念を、当然の如く浴びている。

 

「なんでですか……なんでッ」

 

 誰でもない、貴方が認めてしまっているのですか。

 何で……

 

「……アルファ。おい、アルファ」

「!!」

「大丈夫か? うなされてたぞ」

 

 全く、世話の焼ける……

 そう言って大和はアルファの髪を撫でた。

 

 彼女は思い出す。

 遊び疲れて寝てしまったことを。

 普段慣れない事をしてしまったから……

 

 彼に甘えて、膝枕をして貰って、そのまま眠ってしまったのだ。

 そして今……目が覚めた。

 

 起き上がると、黄昏を背に彼は微笑んでいた。

 曇天に沈む暗い夕焼けは魔界都市ならではの光景であり、今いる公園のベンチからもよく見える。

 

 冷たい風が頬を撫でた。夜が近付けばまだ寒い時期だ。

 熱い滴が頬を流れた。

 彼の顔を見ているだけで、止らなくなる。

 

「マスタぁぁ……」

 

 泣きながら抱きついてくるアルファを、大和は無言で抱き寄せた。

 嗚咽で揺れている背中を優しく撫でてやる。

 

 アルファはしばらくの間、大和の厚い胸板に顔を埋めていた。

 そして何か決意したのだろう……顔を上げる。

 

 天使を彷彿とさせる童顔には、悲哀と疑問の色が見てとれた。

 

 

 

「マスター……英雄とは、何ですか?」

 

 

 

 

 ◆◆

 

 

「……英雄か?」

「はい、教えてください。……貴方が想う英雄の形を、教えてください」

 

 アルファの瞳には今も一杯の涙が溜まっている。

 頬を撫でれば零れてしまいそうだ。

 

 大和は彼女の想いに気付いていた。

 彼女の激情の発端を理解していた。

 

 適当にはぐらかせば、言い返されるだろう。

 そのまま道を逸れてしまうだろう。

 

 だから大和は、ありのまま想っている事を彼女に伝えた。

 

「英雄っていうのは、自分のためじゃなく誰かのために戦う奴を指す言葉だ」

「……」

「他者を助けるっていうのは、できそうでできないもんだ。それも自分のためじゃなくてソイツを想って、自分を犠牲にしてまで」

「っ」

「そんな高潔な魂を持った奴を、英雄と呼ぶ」

 

 大和は驚いているアルファの髪を指ですく。

 

「力があるから、偉業を成したから、世界を救ったから……だから英雄じゃねぇんだ」

 

 大和はアルファの小さな手をとり、自分の胸板に添える。

 

「大事なのはココだ。……間違えるな、アルファ」

「……っっ」

「俺は俺のために世界を救っている。だから俺は……『世界を救える力を持つ』だけの、ただの殺し屋なんだよ」

 

 優しい、されど悲しい笑みを浮かべる大和。

 アルファは……ポロポロと涙をこぼした。

 みるみる内に表情を崩してゆき、最後には泣きじゃくりながら謝る。

 

「すいませんマスター…………私はっ」

「気にすんな」

 

 素っ気ない言葉にも慈愛が満ちていて……

 アルファは大泣きする事しかできなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

「落ち着いたか?」

「……YESっ、御迷惑を、おかけ、しましたっ」

 

 まだ震えているアルファを見て、大和は三白眼を細める。

 彼は冷たい声音で告げた。

 

「……今なら、まだやりなおせる」

「……?」

「俺との関係を断ち切って、表世界に逃げれば……お前は歪まずにいられる」

「!?」

「お前がそれを望むなら、俺は何も言わねぇ。華仙の奴にも言わせねぇ。だから……」

 

 

「嫌ですっっ!!!!」

 

 

 アルファは叫び、大和の背中に両手を回した。

 足も絡めて、決して離れたくないと意思表示する。

 

「貴方と一緒にいられないなら死を選びます!! 貴方が傍にいない……そんな、そんな辛いことはありませんっ!!」

「……」

「お願いですっ、傍にいさせてください……それ以上は望みません。だから……っ」

 

 必死になっているアルファ、その細い顎を大和は指で掬い上げる。

 驚いている彼女に、大和は何時ものらしい笑みを浮かべた。

 

「なら俺の女でいろ、アルファ。お前の心も魂も、俺が歪めてやる」

 

 端からすれば傲慢不遜に聞こえるその言葉は……アルファにとっては救いの言葉だった。

 彼女は泣きながら、何度も頷く。

 

「はい……はいっ。私を歪めてください、マスター……貴方だけの形に、歪めてください……っ」

 

 アルファは大和の首に両手を回して、自ら唇を重ねる。

 

 夕陽が静かに沈んでいく。

 夜がやってくる……甘い甘い、夜が。

 

 

 ◆◆

 

 

 数日後、大和は新たな仮宿で羽を伸ばしていた。

 荷解きが終わったので、昼間っから酒を楽しんでいる。

 ブラックラムを嗜んでいると、不意にスマホが鳴った。

 気だるそうに画面を覗いて、「成る程」と頷き応対する。

 

「どうした華仙」

『どうしたって……理由なんてわかりきってるでしょう?』

「さぁな」

 

 とぼける大和に、華仙は電話越しに溜め息をはいた。

 

『アルファの件についてなんだけど……まず貴方、何時から魔法を使えるようになったのかしら? たった数日であそこまで成長するなんて、言葉だけじゃあり得ないわ』

「おあいにく樣、女を誑かすのは十八番なんだよ」

『伊達に八桁の愛人を持ってないって事?』

「そーゆーこって」

『……その割には妙に面倒見がいいじゃない。聞いたわよ、惚気話。随分と甘やかしたのね』

「なんだ、ジェラシーか? らしくねぇ」

『……明後日から二日間、空いてる? あの子には内緒で』

「空いてるけどよ……てか、そんな事のために電話よこしたのか?」

『あら、悪いかしら?』

「勘弁してくれよ」

 

 呆れている大和の声を聞いて、華仙はクスクスと笑う。

 

『半分冗談よ』

「半分ってなんだよ」

『嫉妬してるのはホント。でも……本題は別よ』

「アルファの調子か」

『ええ……良過ぎるの』

 

 電話越しにでもわかる。

 あの華仙が、世界最高の科学者が、戦慄しているのだ。

 

『純エーテルの操作性が格段に上昇している。何より親和性が別次元よ……これじゃあまるで』

「熾天使みたい、ってか?」

『ええ、それも……』

「超越者クラスか? ともなれば四大熾天使と同格……ハッ、スゲェじゃねぇの華仙。聖書の神でも4体しか造れなかった最高傑作だぜ」

『素直に喜べないわ。こんなに強くなるなんて想定外よ』

「いいじゃねぇか、研究が捗るだろう? 俺が首輪かけておいてやっから安心しろ」

『……信じていいのね?』

「任せておけ、だからお前もきっちり仕事終わらせとけよ。時間空けといてやっから」

『……フフフ、なら頑張らないといけないわね♡』

「おう。じゃ、またな」

『ええ、また……』

 

 

《完》

 



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第三十七章「雷切伝」
一話「裏京都」


 

 

 世界が刻一刻と変化し続けている中、特に目覚ましいのは既存勢力の改革と新勢力の台頭だ。

 特に後者は注目されている。表と裏の拮抗が崩れはじめている今ならではのニュースだ。

 

 超犯罪都市デスシティに次ぐ、三つの魔界都市の誕生。

 東洋妖魔の拠点であり京都の霊脈スポットを上手く利用した遊楽街、「裏京都」。

 仙人達の総本山、崑崙山と対を成す妖怪仙人や邪仙達の修業場、「金鰲島(きんごうとう)」。

 悪魔達の世界、魔界の第一階層であり悪魔王サタンの思惑で解放された未知の領域、「第一圏、辺獄(リンボ)」。

 

 この内金鰲島は以前から知れていたが、他二つは最近台頭してきた新拠点である。

 故に注目が集まっている。良い意味でも、悪い意味でも……

 

 今回、大和は依頼で「裏京都」に足を運んでいた。

 観光を楽しむ余裕はあるものの、どうにもきな臭さを感じている。

 依頼内容は正体不明の辻切りの殺害。決まって満月の頃に現れ、名の知れた強者達を斬り捨てているという。

 

 今、世界全体が不安定だ。

 当然、不測の事態は訪れる。

 大和はその「不測の事態」がここ裏京都で起こっている事を予感していた。

 

 大和は着実に進みつつある世界の混沌化を、その目で確かめるつもりでいた。

 誰でもない、自分が引き金を引いたのだから──

 

 

 ◆◆

 

 

(裏京都ねぇ……一昔前の、夜の京都に少し似てるな)

 

 大和は管理者の屋敷の前で待機していた。

 高い石段を上がった所にあるので、街並みを一望できる。

 大和は暇を潰す様に、物思いに耽っていた。

 

(今から1200年くらい前の話か……あの頃はまだ神秘が薄れていなかった。当然の様に妖魔がいて、人間は夜を恐れていた。夜は……妖魔の時間だった)

 

 世界最強の殺し屋であり武術家は、数億年もの間世界の情勢を見てきた。

 その中で1200年前……平安時代の京都には色々と思い入れがあった。

 

(安倍晴明、芦屋道満を初めとした稀代の陰陽師の出現。後は……頼光のお嬢ちゃんがいたな。ククク、懐かしい)

 

 源頼光(みなもとの・よりみつ)

 ライコウとも呼ばれる。平安時代随一の武術家。そして当時最強クラスの怪異殺し。

 現代ならば天使殺戮士や七騎士と同格……つまり人類の枠組みの中では最強クラスの存在である。

 

 既に故人だが、彼女と過ごした時間は中々愉快なものだったので、大和は思わず笑みをこぼした。

 

(数少ない良い思い出だ。……あとは、朱天か。当時は『酒呑童子』って名乗ってたな。あん頃からバカ強かった。鬼という種族の超越者は伊達じゃねぇ。……そうそう、崇徳上皇もいたな。アイツの祟りは半端なかった。今はネオナチの山岳師団大隊長だっけ? ……わかんねぇもんだ)

 

 思い返すと止まらない。

 紫式部と歌謡で盛り上がったり、小野篁(おのの・たかむら)と地獄巡りをしたりと……色々楽しんだ。

 大和と直接名乗らず、偽名を使うこともあった。

 

 時に人の味方をし、妖魔を討滅し。

 時に妖魔の味方をし、人間を惨殺し。

 気紛れに海を渡れば異国で新たな伝説を打ち立てて……

 

 神々と喧嘩し、魔王と杯を交わし、誰に媚びるでもなく己を貫いて……

 

「あれから1200年……やってること今と変わらねぇじゃん!! アッハッハ!!」

 

 声に出して大笑いしてしまう。

 それほど大和にとっては可笑しい事だった。

 

「あーあー……生き方ってのは、そうそう変えられるもんじゃねぇよなぁ」

 

 後悔はない。

 幼少期……屈辱と憎悪の中で叫んだ言葉は今でも守られている。

 大和にとって、それが一番重要だった。

 

 ふと、眼前に桃色の花弁が舞い落ちる。

 

「妖魔桜…………いいな、ここなら何時でも花見が出来そうだ」

 

 振り返ると、桜並木が並んでいた。

 此処だけではない、裏京都のいたる所に植えられている。

 観賞目的もあるだろう。

 しかし真の目的は妖魔に適した地脈の形成……

 

 大和は蝶に変化した花弁を指先に止まらせつつ、チラリと屋敷の方を見る。

 

 厳つい護衛を連れて、細身の青年が歩いてきていた。

 浴衣が似合う涼しげな容姿、腰に差された見事な造りの白鞘。

 長い黒髪を揺らしながら、彼は大和に頭を下げる。

 

「お待たせしました。……お久しぶりです、大和さん」

「おう、会うのは十年振りか。デカくなったな、三代目」

 

 三代目……そう呼ばれた美青年は苦笑をこぼす。

 

「貴方は相変わらずの様で。噂は耳にしていますよ。主に悪いほうの」

「お前らにとっては朗報だろう?」

「間違いありませんね」

 

 ふわりと微笑んだ後、三代目は大和に背を向けた。

 

「さ、どうぞ屋敷の中へ。初代……総大将がお待ちです」

「あいよ」

 

 裏京都を統治するのは妖怪の顔役「ぬらりひょん」とその血縁者達だ。

 大和は花弁の蝶を指から遠ざると、彼の後ろに付いていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 和風然とした屋敷内を進んでいく最中、大和は三代目と話す。

 

「噂では聞いていたが裏京都……中々いい場所じゃねぇか。疑問点はあるが」

「聞いてみても?」

「人間がいねぇ。此処に来るまで一人も見なかった。妖魔桜の量と配置といい……あえてか?」

「はい、ここは妖魔の都ですから……人間は一切、立ち入り禁止です」

「人間嫌いは三代続いてか……」

 

 呆れている大和に、三代目は流し目を向ける。

 彼は若干怒気を交えながら聞く。

 

「可笑しいですかね?」

「いんや、お前らの価値観だ。俺がどうこういうもんじゃねぇ。此処はお前らの領土だし」

「……」

「ただ、客観的に言えば……少し古いと思うぜ。その価値観」

「価値観に古い新しいはありませんよ」

 

 三代目は嗤う。

 

「だっておかしくありませんか? 今の時代……人間は道理を外れている」

「……」

「夜は我々、妖魔の時間だった。それがどうです? 現代では。畏れを忘れた人間共は鼻を伸ばして好き放題している。自然への敬意を忘れ、破壊し、神秘そのものを否定しはじめている……許せませんよ」

「ふむ」

 

 大和は適当に相槌を打つ。

 言い分はわからなくない。筋も通っている。

 しかし……

 

「どうかなさいましたか?」

「いんや、何でもねぇよ。それよりも……」

 

 大和は気になっている事を聞く。

 

「俺は人間だぜ? 普通に表から入ってきちまったが……」

「ああ、それなら大丈夫ですよ。私を含めて……」

 

 皆、貴方の事を人間だと思っていませんから。

 

 好意と悪意を絶妙に絡めて、三代目は笑う。

 大和は驚くことなく鼻で笑った。

 

「いい感じに若い頃の爺ちゃんに似てきたな」

「お誉めに与り光栄です」

 

 

 ◆◆

 

 

「それではこちらに……」

「おう」

 

 襖が開けられる。

 その先には三代目の面影を残す初老の男性が座っていた。

 綺麗な白髪、顔には皺が入っているが涼しげな美貌は損っていない。

 彼は嗜んでいる煙管を置いて頭を下げる。

 

「遠路はるばるご苦労様です、大和さん」

「おう、久々だな初代……いいや、今は総大将か?」

「およしなすってぇ、貴方は俺が豆坊主の頃を知ってるんだ。遠慮は入りませんよ」

「俺が誰かに遠慮する男に見えるか?」

「確かに」

 

 大和はドカリと初代の前に座る。

 裏京都の主の前で無礼極まりない態度だが、大和という男は許されてしまう。

 初代もまた、機嫌を損ねる事はなかった。

 

 大和は初代の背後に控える側近らを一瞥した後、真横に設置されている展望台を見る。

 ここからも裏京都の街並みが一望できた。先程の景観よりも質がいい。

 

 大和は煙草を咥えて火を付けながら、話題を切り出す。

 

「この都で辻切りが出てる、そう聞いたが?」

「ええ。桜の風情に酔ったのか、妖魔の気に当てられたのか……単なる馬鹿であれば、すぐさま部下達が首を持ってきてくれるんですがねぇ」

 

 初代は煙管をふきながら大和に向き直る。

 

「運ばれてくるのは決まって部下の首だ。こりゃ参ったと思って貴方を呼んだワケです」

「斬られた奴の強さは?」

「部下を含めなければ雇っていた用心棒……Sランクが五名、その日の内に斬られています」

「……Sランク五人を一晩で、か」

「最初はソイツ等自体に用があったのでは、と推測しました。だってそれほどの腕前の持ち主です。この屋敷に潜り込んであっしの首を跳ねるなんて、造作もない」

「確かに」

「でも違った。決まって満月の刻、ソイツは現れて腕利きを斬り捨てていく。こちらでも捜索はしたんですが、足取りが掴めず……」

「ふむ……難題だな」

「まったく」

 

 初代は苦笑する。

 

「大和さんは御存知ありませんかね? こういった手合いの輩を」

「知ってるぜ。誰かを斬ることを「目的」としている輩だ。腕の立つ剣士ほどその傾向が強くなる……修羅道に堕ちた剣士、殺人剣の手合いだ」

「成る程、やはりそうですか」

「斬られた奴の一部分とか無いか? できれば断面がハッキリと残ってるやつがいい」

「そう仰ると思って用意しておきました」

「助かる」

 

 初代が目配せすると、側近の一名が退出してすぐに戻ってくる。

 彼は一礼すると、持ってきた白布を置いて開いた。

 

 現れたのは……異形の腕だった。

 見るだけで強者のものだとわかる。

 大和は灰色の三白眼を細めて言った。

 

「まだ生きてるじゃねぇか、この腕」

「……違和感は感じていましたが」

「まだ死んだ事に気付いてねぇぞ」

 

 大和は顎をさすりに言う。

 

「天下五剣クラスだな」

「……っ」

「少なくとも、俺より剣の腕がいい」

 

 動揺している初代に、大和は何時になく真剣な面持ちで言う。

 

「手にとって見てもいいか? 詳細を知りてぇ」

「どうぞ」

 

 許可を貰った大和は腕を取り、まず切断面を見る。

 肩口から斬られたソレは、まるで「最初からそうだった」と錯覚させるほど綺麗だった。

 

 それは、異質さの証明でもある。

 大和は眉根をひそめた。

 

「ヤベェぞ」

「と、言いますと?」

「今の天下五剣でこの斬り口を再現できる奴は正宗しかいねぇ」

「……失礼。今のと、仰いましたか?」

「ああ、『今の』だ」

 

 初代は生唾を呑み込んだ。

 ある意味、最悪の展開だった。

 

 天下五剣は「その時代で」最強の剣客五名に与えられる称号。

 つまり……時代ごとに面子が違う。

 

 大和は忌々しげに、展望台から見える裏京都の景観を見つめた。

 

「冥界からヤベェ奴が抜け出してきた……そう考えるのが妥当だろう」

「最悪ですな」

「ああ、最悪だ」

 

 大和は思う。

 依頼を受けた時に感じた違和感はこれか、と。

 

 今回の依頼、一筋縄ではいかなさそうだった。

 

 



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二話「黒と白、異質な剣客」

 

 

 同時刻。

 裏京都で有名な団子屋に可憐な少女が来訪していた。

 並んでいた客どころか待ち受けの店員までもが見惚れてしまう。

 

 容姿的年齢は10代前半ほど。

 肩辺りで切り揃えられた白髪、小柄な肢体。

 大正モダンを彷彿とさせるハイカラな衣装を身に纏っている。

 ミニスカートであどけなさを残しつつ、機動性に特化した細工を施していた。

 見るものが見ればすぐに戦闘装束だとわかるだろう。

 

 きわめつきは頭に生えた猫耳、そしてお尻で揺れている二本の尾。

 髪と同じ色のそれらは飾りではない。

 

 猫又。

 それも、誰もが見惚れてしまうほどの美貌を持った……

 

 彼女は金色の双眸で並べられた団子を見渡すと、愛想のない声音で告げる。

 

「御手洗団子、二つください」

「…………」

「あの、聞いてます?」

 

 不機嫌だと言わんばかりにジト目になる美少女。

 店員は慌てて我に返ると、注文の品を包装した。

 彼女はピッタリの勘定を置いて去っていく。

 

 賑やかな夜道をぶらぶら歩いて、大きめの広間へとやって来た。

 既に人集りならぬ妖魔集りができていたので、彼女はやれやれと肩を竦める。

 

 騒ぎの中心にいるのはそれはそれは妖艶な美女だった。

 特注であろう黒の着物から豊満な肢体がこぼれそうになっている。

 おおよそ着物を着るのに適きしていない肉づきだ。

 胸元を大胆にはだけさせており、たわわと実った乳房がたゆんたゆん揺れている。

 また、下着類を一切着けていない。

 スラリと伸びたふとものの付け根を見れば一目瞭然だ。

 

 男達を骨抜きにしている蠱惑的な瞳は金色で、奇しくも先程の白髪の美少女と同じだった。

 

 と、ここで両者は会う。

 白髪の美少女はジト目で黒髪の美女を睨んだ。

 

「無駄に注目を集めないでください、姉さん」

「え~? 私ここで待ってただけよー? 言われたとーり、何もしてないから♪」

「気配遮断くらいしてくださいよ……あぁ、面倒臭い」

「にゃはははは! 不細工な面にゃん白陽(はくよう)!」

「…………」

 

 殺意混じりの眼光を向けられ、姉……黒陽(こくよう)はあざとく舌を出した。

 

「……にゃん♪」

「どうするつもりですか、この状況」

 

 

 ◆◆

 

 

 妖魔の男共は劣情を抑えきれないでいた。

 妖艶な姉と可憐な妹……対照的だがどちらも極上の雌だ。

 人外ならではの直接的な口説き文句が口々から放たれようとした、その瞬間……

 

 妹、白陽が絶対零度の声音で告げる。

 

『気色悪いから失せろ。今すぐに』

 

 嫌悪の念は言葉に宿り、耳から直接脳へと伝わる。

 外部からの直接命令……本来であれば反感を買うところだが、観衆達は子供のように素直に頷き散っていった。

 

 暫くして誰もいなくなると、黒陽はやれやれと溜め息を吐く。

 

「白陽、ああいう輩が苦手なのは知ってるけど、ちょっと強引過ぎ。言霊まで使う必要なかったでしょう?」

「姉さんが無警戒過ぎるのがいけないんです。あと、私はああいう輩が苦手なのではなく嫌いなだけです。勘違いしないでください」

「あーはいはい、面倒臭がりと男嫌いがミックスなのね。ハイハ~イ」

「…………身内じゃなかったら蹴り飛ばしてますよ」

「そんな怒らないでよ~、私の分の御手洗団子あげるからさ~♪」

 

 ねこなで声を上げて抱きついてくる姉に対し、白陽はうんざりといった様子だった。

 

「……我が姉ながらマジでウザい」

「にゃっ、そんな汚い言葉を使うなんてお姉ちゃん許さないぞーっ! この柔らかい頬から出したのか! ふにふにー!」

「いや普通に喉から……ってやめろ」

 

 姉の手を叩き、白陽は隣に腰かける。

 黒陽はよよよーとわざとらしく涙を流した。

 

「昔はもっと可愛い気あったのに……お姉ちゃんは悲しいにゃん。しくしく……」

「嘘泣き乙。ほら、私の分の御手洗団子あげますから」

「にゃん! 白陽ってやっぱり優しー! お姉ちゃん嬉しいぞー! お礼に撫で撫でしてあげる~♪」

「ハァ」

 

 そう言いながら撫で撫でを受け入れているあたり、本心から嫌がっているワケではないのだろう。

 

 可憐で無愛想な妹と、妖艶で明るい姉。

 白と黒。性格も体型も正反対だが瞳の色だけは一緒で、仲も悪くない。

 

 姉が御手洗団子を美味そうに頬張っているのを眺めながら、白陽は報告する。

 

「気配探知に引っ掛かりませんでした」

「あたしも。索敵範囲を広げてるけど、手応えなし。……困ったにゃー、こんなんじゃあエリザベス様に怒られちゃう」

「あの御方はそう怒りませんよ。……No.2以降は別ですが」

「私達、下から数えたほうが早いから頭上がらないのよねー」

「仕事をキッチリこなせば問題ない筈です。姉さんがしっかりと働けば、結果は必ず出ます」

「うんうん♪ なら頑張っちゃおうかな♪ ……黄金祭壇の魔導師として」

 

 二名は立ち上がる。

 彼女たちは黄金祭壇のNo.9とNo.8。

 仙術と妖術を極めし者であり、陰陽五行、森羅万象の体現者。

 東洋の魔法使い、仙人の中でも最上位に君臨する女傑達である。

 

 二名は上層部から『とある指令』を受けてここ、裏京都へやってきていた。

 

 

 ◆◆

 

 

「まずは……ここの総大将さんに挨拶でもしとく?」

「挨拶? ハッ……冗談はよしてくださいよ姉さん」

 

 白陽は明らさまなな嘲笑を浮かべる。

 

「ここは非合法の魔界都市……挨拶などする必要がないでしょう」

「うわー辛辣ぅ、でも事実だから何とも言えないわー」

 

 二人とも既に気配遮断を済ませている。

 自然と完璧に同化しているため、道行く者達は彼女たちを認識できないでいた。

 先程の言霊も効いているのだろう。

 

 黒陽は御手洗団子をモニュモニュ食べながら言う。

 

「となると自力で捜索するしかないわね……冥界から抜け出したヤバイ奴」

「今、エリザベス様が冥界の神々に事情を聞いているそうですが……」

「難航してるんでしょう? でなきゃ私達が出向かないって」

「全くです。冥界の神々すら事情を把握できていない……いえ、正確には把握するのを拒まれている」

「神話の時代出身のチートクラスの超越者たちが「修羅道」で幅を利かせてるんでしょう? あーやだやだ」

 

 黒陽は二本目の御手洗団子をとりながら肩を竦める。

 

「それでもやっぱり原初の女神……天道至高天の法則は絶対。いくら最強クラスの超越者といえど、単騎で覆すのは難しいはず」

「単騎でなら……ですよね?」

 

 白陽の言葉に、黒陽は御手洗団子を頬張りながら言う。

 

「現世側にスポンサーがいるっぽいのよねー」

「スポンサー、ですか」

「そ、冥界の住民にはキツい縛りがあるけど、コッチの住民にはあまりないから。行こうと思えば冥界に行けるし。最も……」

「冥界に干渉できるだけの力を持っていれば……の話ですよね?」

「ピンポーン、大正解♪」

 

 気軽に応えた黒陽だが、声音は冷たい。

 白陽は苦虫を噛み潰した様な顔をした。

 

「またあのイカレ陰陽師の仕業ですか」

「そう思い至るのは普通だけど、アイツらは一度冥界を襲撃してるから、再度の干渉は難しいと思うのよねー」

「不可能ではない筈です」

「そりゃあ、アイツら化け物集団だし。でも、それを言ったら世界滅亡を目論んでる『あの集団』も視野に入れないと」

「……第三帝国ネオナチス」

「アイツらも何しでかすかわからないから。この前も散々やらかしてくれたしねー」

「……」

「でも……七魔将にしろネオナチにしろ、やってる事が世界規模なのよ。そう考えるとこの案件」

「……小さいですね」

「ねー」

 

 御手洗団子を食べ終わった黒陽は、串を丁寧に袋へと戻す。

 

「なんか様子見してる感じ? 嫌だにゃー」

「……違う勢力という可能性は?」

「それが一番高いかな。今のところは」

「となると、デスシティの連中ですかね?」

「うーん、微妙。今あっちは大忙しだし。そもそもここは化け狐……万葉の財布の一つ。喧嘩を売るメリットがないにゃん」

「……わかりませんよ?」

「にゃ?」

 

 予想外の返答に黒陽は目を丸める。

 白陽は金色の瞳に殺意を宿しながら告げた。

 

「あの女狐は『あの人』に肩入れしてる。大量の金を貢いで意識を向かせている……財布である此処を潰すのは理に叶っていると思います」

「はーい、お姉ちゃんチョップ」

「いたっ」

「落ち着いて白陽。あの人の事になると視野が狭くなるの、アンタの悪い癖よ」

「それは……」

「アンタの言い分、わからなくもない。でも今回は違う」

「……何故ですか?」

「さっき、色目使ってきた連中の脳内をチラっと覗いたんだけど……」

 

 黒陽は妖艶に笑う。

 

「いるわよ、あの人。この都に」

「!!」

「たぶん雇われたんでしょうね。だから女絡みはNO。確定ではないけれど、可能性は低い」

「……あの人の気配、察知できませんが?」

「たぶん依頼を受けた瞬間から気配を絶ってる。あの人なら私達の気配探知くらい欺けるでしょう」

「……何処にいると思われますか?」

「そりゃ、まぁ、この都の総大将であるぬらりひょんの屋敷にいると思うけど……」

 

 訝しげに思い始める黒陽。

 白陽は一度大きく深呼吸をすると、素早くUターンした。

 

「私達もぬらりひょんの屋敷へ向かいましょう」

「はい?」

「非合法の犯罪都市とはいえ、総大将に挨拶をするのは当然の礼儀。何より今回の事件の危険性を鑑みて、情報を共有しあうべきだと思いました」

 

 

「建前! それ建前でしょアンタ! あの人に、大和さんに会いたいだけでしょ!」

 

 

「違います。私達は黄金祭壇の、それなりの地位にいる存在です。介入するにあたり、その趣旨を伝えておけば余計な混乱を招かずに済みます。更に大和さんの助力を得られれば、万が一の事態にも対応できる(早く大和さんに会いたい抱きつきたい匂いを嗅ぎたい撫でて貰いたい可愛がって貰いたい……っ)」

「顔に出てるっての!! 普段ちょー無愛想で男嫌いな癖に大和さん絡みになると豹変するわねアンタ!!」

「うるさいですよ姉さん!! 私は事実を言ったまでです!! 公私混同はしてません!!」

「よく真顔で嘘つけるわね馬鹿シスター!!」

 

 互いに「シャー!!」と野良猫みたいに威嚇しあう。

 しかし黒陽が早々にギブアップした。

 

「それじゃあさぁ……アンタが公私混同してないとして、大和さんに会って我慢できるの?」

「ッ……」

「アンタもあたしも、あの人にベタ惚れ。しかも最近会ってないから……色々溜まってる」

「それは」

「発情しちゃったら任務どころじゃないわよね? コレは意識的に制御できるものじゃないから」

「…………」

「だから今会うのは駄目……わかった?」

「……はい」

 

 頷きつつも膨れっ面になる妹に、黒陽は溜め息を吐く。

 しかし人の事は言えない。自分も会いたくて堪らない。

 でも会えば必ず任務を忘れて夢中になってしまう……

 

 故に黒陽は心を静めた。

 

「話を一旦整理するわよ。まず裏で糸を引いている存在がいる……ここまでは大丈夫?」

「大丈夫です」

「なら次。思い当たる存在……いいえ、勢力として、謎の第三勢力「リベリオン」が挙げられるわ」

「!!」

 

 白陽の表情が一気に険しくなる。

 それほど、件の組織を黄金祭壇は警戒していた。

 

「組織の規模、目的、首領……一切不明。でも確実に存在していて、世界の混沌化を促してる」

「……成る程、そう考えると今回の事件にも」

「絡んでいる可能性が高いわ」

「するとどうします? これから」

「取り敢えず情報収集かなぁ。裏京都を巡って、できうる限り情報を集める。幸い、件の辻切りは満月の刻にしか現れないらしいから……猶予はあと一日ある。私達なら半日くらいで纏められるでしょ」

「辻斬りには直接関与しないのですか? 一番有益な情報を持っていそうなのに」

「辻斬りは大和さんが対応してくれる。細かい事情は後で大和さんに会って聞けばいいでしょう」

「成る程……了解です」

「よし! そうと決まればがんばろー!」

 

 

 

「ふむ……話半分しか聞けなかったが、中々いい推測だぞ」

 

 

 

「「!!」」

 

 姉妹たち反射的に振り返り、同時に臨戦態勢に入った。

 いつの間にか、背後に見知らぬ少女が佇んでいたからだ。

 

 容姿的年齢は10代後半ほど。まだ若い。

 しかし纏う雰囲気は老境のソレで、一切の揺らぎがない。

 泰然としている。

 

 柔らかそうな黒髪を結って右肩に流しており、瞳の色は群青色。

 顔立ちは東洋系だがまっこと可憐であり、刀を持っていなければ尚美しかっただろう。

 服装は紺色の簡素な着物。手には一振りの日本刀が握られている。

 柄巻は群青色で、彼女のイメージカラーを確立させていた。

 

「ふふふ……試し斬りには丁度良さそうだな。お主ら」

 

 悪意もなく殺意もなく、少女はそう言った。

 

 

 ◆◆

 

 

 彼女はただただ異質だった。

 自然体、その場にゆったりと佇んでいるだけ。

 しかし油断すれば首を落とされる……姉妹たちは直感していた。

 

 殺意もなく、剣気もなく、闘志もない。

 なんなら喜怒哀楽といった感情も抱いていない。

 本当に自然体……

 

 生物は呼吸をするのに意識しない。

 その様に、目の前の少女は自分達を斬る事を意識していない。

 

 そこに在る事と斬る事が同義になっている。

 

 一体どれだけの数の命を絶てば、その境地に至れるのだろうか……

 

 ただただ常軌を逸していた。

 姉妹らは全身から冷や汗を吹き出す。

 

 その様子を見て、少女はクスクスと笑った。

 

「そう緊張せずともよいではないか」

 

 一見すると爽やかな美少女だ。

 しかしその実力は測定不能……

 

 姉妹たちが懸命に取り続けている逃げの選択肢を現在進行形で潰している。

 姉妹たちは諜報と偵察に特化している。

 更に魔導師である以上、事象改編どころか法則改竄、新世界の創造すらも可能だ。

 

 しかしながら、

 

「無駄だよ。二人とも既に(それがし)の刀域に入っている。如何なる異能、権能を用いようとも逃れられはせん」

 

 少女は次に、苦笑をこぼした。

 

「少し残念だよ。現世の魔導師、期待していたのだが……二手と五手で詰みか」

「「……?」」

 

 疑問に思う姉妹たちに、少女はあっけらかんに言う。

 

「黒いほうが二手、白いほうが五手……首を跳ねるのに必要な抜刀の回数だ」

「「っっ」」

「いやはや、残念だ……」

 

 まぁいい、と少女は腰を落とし、群青色の柄巻に手を伸ばす。

 刹那、姉妹たちは首を跳ねとばされるイメージを浮かべた。

 

「ッッ!!」

 

 白陽は咄嗟に姉を突き飛ばし、突撃する。

 彼女は独自の拳法を極めており、魔導師内でもヴァーミリオンに次ぐ武闘派だ。

 

 しかし今回は相手が悪すぎた。

 そんな彼女でも五手で足りるほど、目の前の剣客は別次元だった。

 

 突き飛ばされた黒陽は叫ぶ。

 

「駄目っ!! 白陽ッ!!」

「逃げてください姉さん!! 時間を稼ぎますからッ!!」

 

 白陽は突進エネルギーを全て乗せた肘撃を放つ。

 爆発的な発勁「震脚」によって距離を詰めるものの、少女は既に躱していた。

 

 抜かれた鋭刃はもう白陽の首筋に触れている。

 そのままスルリと、首が落ちる筈だった。

 

「ちょっと待てや」

 

 真紅のマントが靡き、乱れ刃が妖しく煌めく。

 

 火花と共に轟音が迸った。

 7つの銀閃と魔閃が交わる。

 

 降り立った褐色肌の美丈夫は固まっている白陽を強く抱き寄せた。

 

「俺のお気に入りに手ぇ出すな……殺すぞ」

 

 怒気と殺意を迸らせる大男に、白陽は目尻に涙を溜めて叫んだ。

 

「大和さんっ!!」

 

 暗黒のメシア……

 彼はどんな窮地にも間に合う。

 いいや、間に合わせる。

 

 何故なら、そのために力を鍛え上げているからだ。

 邪魔するものは誰であろうが、何であろうが、無理矢理捩じ伏せる。

 

「女か? ……まぁいい。真っ二つにすれば性別なんて関係ねぇからなァ」

 

 

 極悪な面で、彼は嗤った。

 

 



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三話「動と静」

 

 

 異質な存在。

 大和という男の存在感は埒外の剣客である少女の眼にも新鮮に映っていた。

 しかし動揺はせず……

 彼と同等、またはそれ以上の存在感を持つ者は冥界にはザラにいる。

 

 自分が計られている事を悟った大和は、灰色の三白眼をうっすらと細める。

 片手で抱いている白陽を背後に下がらせた。

 

「姉ちゃんを連れて逃げろ。なるべく遠くへ」

「あのっ、私達も……!」

「俺は大丈夫だ」

「……っ」

 

 言外に「足手まといだ」と告げられていた。

 白陽は悔しさのあまり唇を噛み締める。

 

 その会話を聞いていた少女は笑いながら言った。

 

「三人同時でも構わないのだぞ、某は」

「ほざけよ、冥界の馬鹿ども相手にして調子乗ってるみてぇだが……」

 

 大和はあからさまな嘲笑を浮かべる。

 

「所詮負け犬の群れだろう? 切磋琢磨してる暇があったらさっさと成仏しろよ、このマヌケ共」

「……死して学べる事は沢山あった。悔いはない」

「ならなんで現世に出てきた? 未練タラタラじゃねぇか」

「それはな……」

 

 少女は不気味な笑みを浮かべる。

 

「敗北を恐れて生き長らえている老害共が世界最強を名乗っている……そう聞いて、いてもたってもいられなくなったのだよ」

「生きるってのは最も重要なことだぜ?」

「一度死んでみてはいかがか? 地獄は極楽浄土だぞ」

「……アー、話が通じねぇなぁオイ」

「奇遇だな、某も思っていた。……貴殿と我々は根本的に違う」

「俺は武術家じゃねぇ、殺し屋だ」

 

 その言葉を皮切りに、両者は消える。

 同時に凄絶な打ち合いがはじまった。

 巻き起こる突風、吹き荒ぶ斬閃の嵐。

 金属同士が潰れあう破砕音は既に遠い過去のものだった。

 

 呆然と立ち尽くしている白陽。

 彼女の傍に駆け寄った黒陽は無理矢理その手を引く。

 

「行くわよ白陽! あたし達じゃどうにもならない!」

「……ええ、その通りです。今すぐ距離をとって裏京都全体に結界を張りましょう。姉さん、黄金祭壇の本部に連絡をとってくれませんか? その間に私は地脈を操作し、結界の準備を整えます」

 

 白陽の冷静な反応に黒陽は真顔になる。

 白陽は次に悔しげに呻いた。

 

「戦う者としての階梯が違う……私達は所詮魔導師なのだと、痛感しました」

「……」

「姉さん、今私達にできる事をしましょう」

「うん……わかった!」

 

 辻斬りの意識は今、完全に大和に向いている。

 大和もまた、彼女の猛攻を完璧にいなしきっている。

 

 白陽は一度振り返ると、奥歯をギリリと噛み締めた。

 

(本当に次元が違う……武術の深奥の一端である「無我の境地」を両者共、完璧に極めている。尚且つ脱力による緩急差でフェイントを織り混ぜている……)

 

 真の達人同士の凌ぎ合いを見て、白陽は恐怖と戦慄を覚えていた。

 

 何時か自分もその境地に達したい……

 その想いを今は胸にしまい、駆ける。

 自分が今できる最善を尽くす。

 

 彼女は、最愛の人の勝利を信じていた。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 無我の境地……唯我独尊流でいう『無念無想』は、意識を介さず迎撃体勢をとる、謂わば「反射神経と武の統合」だ。

 

 生物は不意打ちを受けると目をつむる、もしくは体を硬直させる。

 それらは戦闘を生業とする者たちにとって唾棄すべき反応であり、まずはその起因である恐怖を飼い慣らし、次に反撃するための技術を徐々に体に染み込ませていく。

 

 そうして一流と呼べる領域へと至った時……一挙一動から無駄が消える。

 最善、最速、最高率。

 意識という無駄を省いた事、何より恐怖を克服した事により、速度の概念を無視した思考力、行動力が常に備わる様になる。

 

 これこそ無我の境地。

 数多の武術家が目指している奥義、その一端である。

 しかし、世界最強クラスになるとここから更に派生していく。

 

 無我の境地に至っているのは当然であり、最善、最速、最高率の行動などわかりきっている。

 だから、敢えて『無駄』を極めていく。

 山頂へと辿り着いた後、崖から転がり落ちていくイメージだ。

 

 無駄……急激な脱力から成る緩急差、そこから昇華していく繊細なフェイント。

 さながら将棋の如く、理想の結果へと至る布石として「無駄」を積んでいく。

 

 武術界隈では「無我の境地崩し」と呼ばれている。

 世界最強クラスの強者たちはこの駆け引きを意識、無意識問わず行っていた。

 武術家ともなればその内容は一層濃いものになる。

 

「……一手、指すか」

 

 辻斬りの美少女は囁く。

 綺麗な青色の闘気が迸った瞬間、大和の眼前に8つの斬閃が現れ螺旋を描いた。

 

 絶技・八刀一閃(やとういっせん)

 

 一度の抜刀で八つの斬撃を放つシンプルな技だが、問題は八つの斬撃が放たれるタイミング。

 ほぼ同時ではなく、全くの同時。

 技が発動した瞬間、その場に8つの斬閃が現れる。

 

 過程を捻じ曲げ、結果だけを残しているのだ。

 神域の武すらも超越した、理外の魔剣である。

 

 彼女が繰り出す斬撃は基本的に絶対切断の概念を帯びており、一太刀でも魔導師が編み上げた超高密度多重障壁を切断する。

 神々の加護や不老不死の概念すら意味をなさない。

 それが八本、同時に放たれる。

 

 となると回避するしかないのだが、それも罠……

 

 この技、次元屈折現象を起こす際に距離という概念をあらかじめ抉っている。

 更に螺旋を描く事で強力な吸引効果を生み出しており、対象を攻撃範囲内へと無理矢理引き寄せる。

 

 防御も回避も不可能……

 放てば必ず対象を殺す、まさしく必殺の魔剣だった。

 

「面倒くせぇなぁオイ」

 

 そう言って、大和は躊躇いなく渦中へ飛び込む。

 そして大太刀を螺旋状に振り回した。

 八つの斬閃を強引に叩き伏せてみせる。

 

 ゴリ押し……古今東西あらゆる超越者の中でも最強の身体能力を誇っている彼は、こういった無茶苦茶な攻略方法もできる。

 

 同時に八つの斬撃が来たのなら、同時に八回叩き落とせばいい……と、言葉にするのは簡単だが、実現するのは至難を極める筈。

 

 大和は片手で脇差しを抜くと、渾身の刺突を放った。

 地面が割れるが、それは途中で踏みとどまったから。

 辻斬りの美少女の前で急停止した大和は、まるで野獣の様な唸り声を上げる。

 

 彼には見えていた。

 絶対に入ってはいけない、彼女の絶対領域が……

 

 目の前で犬歯を剥き出している男に対し、辻斬りの美少女は苦笑を向ける。

 

「凄まじいな……まるで野獣だ」

「調子乗ってんじゃねぇぞ、糞餓鬼ィ……」

 

 至近距離で、両者は睨み合った。

 

 

 ◆◆

 

 

(なんという『野生』……超越者の中でも最高クラスの身体能力と戦闘センスだ。これで更に武芸百般というのだから、堪らぬなぁ)

 

 薙ぎ払われた大太刀を躱しつつ、辻斬りの美少女は思う。

 

(間違いなく感覚派だ。それも、極めて特異なタイプの……)

 

 ありとあらゆる戦いに於いて、各々の性質というのは極端に表れる。

 それらを大きく分けると、二種類挙げられた。

 

 感覚派と理論派。

 武術界隈では「動」と「静」と呼称されている。

 

 感覚派は特定の型に嵌まらず、本能と直感で動く。

 常に変化を止めず、その場に応じて最適な行動を『勘』で導き出す。

 理屈が通じない、所謂「天才肌」タイプだ。

 相手にすると何を仕出かすかわからず、かと言って基礎能力や戦闘センスが高い傾向にあるためシンプルな戦闘には滅法強い。

 また調子が良い場合の勢いが凄まじく、時には格上の存在をも食らってしまう。

 

 しかし理論派に比べると細かい技術を軽視する傾向がある。

 所々で粗が目立ち、またその時の調子に左右されやすい。

 絶好調の時は凄まじいものの、絶不調の時は格下にさえ遅れを取る事がある。

 

 この様に長所と短所がハッキリとしているのが「感覚派」だ。

 

 次に理論派。

 戦闘技術と空間把握能力、場の掌握能力に長けている。

 揺るがぬ精神性が最たる武器であり、常に最大限の実力を発揮できる。

 感覚派と違い隙を殆どみせず、苦境にやたら強い。

 何より自分の勝ちパターン……必殺の型を一つは必ず持っている。

 

 基礎能力と爆発力は感覚派に劣るものの、安定性と型に嵌まった時の勝率はこちらが優れている。

 

 どちらにも優劣は付けられない。

 最終的には根本的な相性と経験値、格の違いが勝敗を決める。

 

 が、何よりも重要な点は相手がどのタイプなのか、早々に見極める事だ。

 性質というのは自分で選択できず、生まれ持った才能や性格で自ずと定まる。

 

 ……先に気取るか、気取られる前に倒すか。

 

 特に理論派の武術家は観察眼が優れており、対峙した際は早期決着が理想とされている。

 

 辻斬りの美少女はガッチガチの理論派だった。

 故にある結論をつける。

 

(慢心していない感覚派か……感覚派特有の弱点を悉く潰している。余念のない鍛練と確固たる信念がなければこうはならないだろう……厄介だな。しかし性質は嘘をつかぬ。この男、武術を『暴力の効率的な運用方法』程度にしか思っておらん……これならば)

 

 勝機は幾らでもある。

 辻斬りの美少女は薄ら笑みを浮かべた。

 

 しかし次の瞬間硬直してしまう。

 大和の表情を見てしまったからだ。

 先程までの憤怒の相が嘘の様に消えていた。

 

 彼は唐突に囁く。

 

「剣術のベースは鹿島神流・裏の型、『迦具土(かぐつち)』。だが他の流派を取り入れて独自の抜刀術にしているな。タイ捨流に柳生新陰流……あとは中条流か。武術家でありながら魔力で肉体強化を行っているところも見過ごせねぇ。五感も鋭敏、何より場の掌握能力に長けている。周囲に薄い魔力の膜を張って、その中で絶対的な力を発揮するタイプだ。魔力の属性は風と雷。風で陣地作成、雷で速度と五感強化。ベースになっている流派の特性上、方術や退魔剣にも心得がある……と」

「……ッッ」

 

 鳥肌が立った。

 全身に耐え難い悪寒が突き抜ける。

 

 何百年もの間眠っていた本能が、呼び覚まされた気がした。

 

「身長153センチ、体重40キロ。リーチは刀剣含めて213センチ。性別は女、利き手は右。生年は……おそらく永禄。師匠は……いねぇな。強いて言えば、技を盗み見た相手か?」

「…………」

「剣聖、塚原卜伝(つかはら・ぼくでん)の直接的な死因を作った童姿の剣鬼。……名前は咲夜(さくや)だったか? ククク、容姿にあった可愛い名前じゃねぇの」

「……貴殿は、一体何を見ている?」

 

 辻斬り美少女……咲夜の問いに、大和は嗤いながら答えた。

 

「そうさな……お前と同じ様でいて、全く別のものを見てるぜ」

 

 

 ◆◆

 

 

(恐怖を覚えたのは何時以来か……)

 

 咲夜は冷静さを取り戻した。

 理論派が感情を乱されるなど論外である。

 

(裏で先程の魔導師たちが情報伝達をしている? これは某を揺さぶるための一手? だとすれば理に叶っているが……)

 

 都合が良すぎる。

 そう思い、咲夜は「もしも」の選択肢を切り捨てた。

 現実を直視する。

 

(この男がそれだけの観察眼を誇る、そう考えたほうがいいだろう。何せ数億年間無敗を貫き、数多の神魔霊獣を殺してきた化物だ。理論派の武術家に比肩する観察眼を持っていてもおかしくない)

 

「戦闘中にうだうだ考えるのはテメェら生真面目系の悪い癖だ。なのに隙を見せないところが、まぁ忌々しい」

「…………」

「来ないならこっちから行くぜ」

 

 大和は大太刀と脇差しを携え突撃する。

 咲夜は迎撃態勢をとった。

 

 静謐の相・山紫水明(さんしすいめい)

 

 理論派の極みに達している彼女は「静」の武術家としての在り方を決して忘れない。

 更に……

 

 魔導外装・纏・疾風迅雷(しっぷうじんらい)

 陣地形成・覆・花鳥風月(かちょうふうげつ)

 

 疾風迅雷は身体能力と五感の超強化。

 特にスピードに振っており、世界最強クラスでも反応できない場合がある。

 更に相手の電子信号を読み取れるようになるため、先見の相に磨きがかかる。

 

 花鳥風月は周囲一帯を自身の魔力で覆い、自分に有利な戦況を造り出す展開型魔導。

 魔導剣士である彼女は、こうした補助技能も修得している。

 

「踊ろうぜ、お嬢ちゃん。楽しい楽しい剣の舞だ!」

「ッ」

 

 跳んだ。

 予測できていても一瞬疑ってしまう。

 それほど、剣術の理から逸脱した動きだった。

 

 大和は回転しながら大太刀を薙ぐ。

 咲夜は迷わず回避を選択した。

 

 カウンターの機会は幾らでもあった。

 しかし大和という男をまだ測りきれていない……

 

 大和は片手で着地すると、足腰を捻り蹴りを放つ。

 その爪先……足指にはなんと、脇差しが握られていた。

 

「そぉら!」

 

 彼は持っていた大太刀を放ると、両手を地面に付き回転する。

 大太刀を膝裏に抱えて、まるでブレイクダンスでも踊るかの様に暴れまわる。

 

 咲夜は思わず吹き出した。

 

「このっ、巫山戯おって! 真面目に戦わぬか!」

「本気も本気だっての!」

 

 大和は下半身だけで刀剣を扱っている。

 飛び跳ねて大太刀を地面に突き立てて、その上に器用に立った。

 かと思えば今度はでんぐり返し……腕力だけで身体を持ち上げ足先で刺突を放つ。

 

 普通に避けられたので、大和は文句を言った。

 

「避けんじゃねぇ!」

「避けるわ普通に!」

 

 ツッコミがてらに抜刀術を放つ咲夜。

 チンと、鍔鳴りの音が鳴れば既に斬撃は放たれている。

 大和の目でも正確には捉えきれない抜刀速度だ。

 

 大和は素早く立ち上がると、片膝を上げて剣戟を受け止める。

 その膝裏には脇差しが握られていた。

 

 咲夜は唸り声を上げる。

 

「曲芸師としては一流かもしれんが、剣士としては二流だぞ……!」

「いいんだよ、俺は剣士じゃねぇ。俺なりの戦い方がある」

 

 大和は膝裏から脇差しを落とすと、足の爪先に移して連続蹴りを放つ。

 咲夜は全て鞘で受け流したが、大和がまたしても奇天烈な行動に出た。

 

 なんと、大太刀を口に咥えたのだ。

 長大な乱れ刃が咲夜を襲う。

 斬撃の威力、精度、共に並の剣士より遥かに高い。

 常軌を逸した咬筋力があるからこそできる芸当だ。

 

 まるで肉食獣の如く、牙に見立てた大太刀を振り回してくる大和。

 それに対し、咲夜は激情のあまり可憐な美顔を歪めた。

 

 豹変して、桃色の唇を開く。

 

「調子に乗ってんじゃねぇぞ、糞ジジイぃ……!!」

 

 大和は驚く事なく大太刀を手元に戻して、大爆笑した。

 

「ハーッハッハッハ! ようやく化けの皮が剥がれたな! このチンチクリン!」

「うるせぇ!! こちとら淑女気取ってんのにおちょくりやがって……もう我慢の限界だ!! 叩っ斬ってやる!!」

「やれるもんならやってみろってんだ!!」

 

 交わる剣閃。

 大和は二刀流で応戦するも、すぐに下がる。

 舞い散る桜の花びらを上手く利用しながら距離をとり、最終的には桜の木の裏に隠れた。

 

 咲夜は怒声を上げる。

 

「真面目に戦え、ボケ!!」

「うるせぇ! こちとら剣士じゃなくて武術家なんだよ! 天下五剣のテメェに剣術で勝てるわけねぇだろうが!」

「だったら槍でも弓でも使えよ!! そのデカイ図体は見せかけか!? この筋肉達磨!!」

「殺し合いにルールなんてありませーん! 俺の好きにやらせてもらいまーす!」

「こんにゃろう……!」

 

 こめかみをひくつかせる咲夜。

 大和はひょっこり顔を出して、更におちょくった。

 

「ていうかお前、さっき淑女を気取ってるって言ったよな? アホ抜かせ、お前処女だろ」

「しょ!? しょ、処女ちゃうわ!!」

「ワッハッハ! その反応は処女確定だね! プークスクス! 容姿と精神年齢は比例してますなぁ!」

 

 

「ブッタ斬る……!!!!」

 

 

 怒髪天になりながらも、明鏡止水の境地に入ったまま……。

 咲夜は大きく後退すると、全身の力を抜く。

 

 青色の柄巻に手が触れた時には、既に大和は駆け出していた。

 

 今放たれようとしているのは、抜刀術の極致。

 絶対切断の概念……その答えの一つ。

 

 

 鹿島神流・我流奥義・一ノ太刀《零楽白夜(れいらくびゃくや)

 

 

 この技は発動した時点で既に対象を斬っている。

 だから『斬った』という事実を抜刀する事で更に強力な概念へと昇華させる。

 

『斬るため』ではなく、『斬ったという事実を拡張するため』に刀を抜く。

 

 鹿島神流が奥義、一ノ太刀。

 それを咲夜が独自に解釈し、完成させた唯一無二の魔剣。

 抜刀術を極めた彼女にしか扱えない、究極の絶技である。

 

「その技はヤベェな、出すんじゃねぇ」

 

 大和は真正面から止めた。

 咲夜の懐へと入り、柄尻を押さえこむ。

 そうする事で抜刀できなくしているのだ。

 

 睨み上げてくる咲夜に対して、大和は屈託ない笑みを向ける。

 

「恐らく発動キーは『抜刀』……だから刀を抜かせなければいい、違うか?」

「っ」

「おー怖い怖い、そう睨むなって」

 

 大和は魔性の色気を醸しながら咲夜の唇を撫でる。

 

「可愛い顔立ちしてんだから、もちっと楽しそうに笑えや。さっきみたいによ」

「うるせぇ!! ナチュラルに口説くんじゃねぇよ変態野郎がッ!!」

 

 咲夜は後退する。

 そして真っ赤になった顔を自覚して苛立ちげに髪をかきむしった。

 すぐに大きく深呼吸をすると…………真顔で大和に問う。

 

「二つ、問いがある。答えろ」

「いいぜ」

「まずテメェ、「動」と「静」の両属性を極めてやがるな?」

「当たりだ」

「聞いた事がねぇぞ、両属性を極めた奴なんて」

「意外と簡単だぜ? 内なる野生を御するだけの精神力があればいい。あとは……才能と努力か?」

「そんな簡単にできるかよ、馬鹿が」

 

 動と静……感覚派と理論派の両属性を極めた者など冥界にも存在しない。

 おそらく古今東西、大和ただ一人だろう。

 

 極めて優れた判断力と戦場掌握能力。

 型に嵌まらない、しかし確かな理がある戦闘技術。

 その精神状態は決して揺るがず、きわめつけは異常な精度の観察眼。

 

 ここまで来れば、もう理論派である。

 しかし彼は最強クラスの感覚派でもあった。

 

 咲夜は最後の問いを投げかける。

 

「二つ目……テメェ、俺が『超絶スーパープリティーギャラクティカデンジャラスウルトラ美少女』だからって……手加減してねぇよな?」

「ぶふゥっ!!」

「笑ってんじゃねぇよ!! 真面目に答えろ!! てかマジで笑ってんじゃねぇだろうな!!? 」

 

 マジギレしている咲夜に、大和は何とか答える。

 

「おうともさ。俺は女子供だからって……っ、手加減しねぇ……ッ、邪魔する奴は誰だろうが、殺……ッ、ダーッヒャヒャヒャ!!!! あーダメだ!! 耐えきれねぇ!!」

「~~~~ッッッッ!!!!」

「ツボッた!! こんなん格好付けらんねぇよ!! 超絶スーパープリティーギャラクティカデンジャラスウルトラ美少女って……ギャーッハッハッハ!!!! ヒーッッ!! 笑い死ぬ!! ダーッハッハッハ!!!!」

 

 

「ならさっさと死ねやぁ!!!!」

 

 

 耳まで真っ赤にした咲夜が渾身の抜刀術を放つ。

 大和は大爆笑しながらもなんとか避けてみせた。

 

「ちょタンマッ!! 反則だって!! ……クーックックック! あーッ……フーッ、……ブホォッ!! ダメだ!! マジでツボった!! ハハハハハハハッッ!!!!」

「この筋肉達磨がァ!! 絶対ぇ殺す! 挽き肉にしてやるウウウウウウゥゥゥッッ!!!!!!」

「ダーッハッハッハハッハッハ!!!!」

 

 

 

 



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四話「喧嘩はふっかけるもの」

 

 

 

 死斬乱舞。

 絶対切断の刃は鎌鼬を纏う事により無制限の射程を誇るようになり、文字通り万物を両断する。

 チンと鍔鳴りの音が響けば大地は裂け、底深き奈落の谷が生まれた。

 同時に遥か遠くの山脈が縦半分に斬り裂かれる。

 吹き荒ぶ爆風。合計千五百にも及ぶ斬撃が現場を覆い尽くし、裏京都を蹂躙した。

 

 常人ならばまばたきをしている間に更地と化してしまった裏京都だが、失われた命共々瞬く間に復元される。

 黄金祭壇の魔導師たちだ。

 特製の超高密度多重障壁と複合魔導を展開している。

 

 世界最強クラスの強者達の戦闘は、その余波だけで世界を滅ぼしてしまう。

 故に黄金祭壇の魔導師達は徹底する。

 まず複数名で超高密度多重障壁を展開、世界から現場を隔離する。

 次に内部で起こっている事象現象を戦闘開始から数秒前まで常に『巻き戻す』。

 これにより死者甦生の手間とリスクを省き、かつ最低限世界を護れる状態を維持する。

 

 これこそ黄金祭壇の魔導師達に課せられた唯一絶対の使命。

 個々の命よりも世界の存続を優先しろという、エリザベスの厳命である。

 

 巻き戻されていく世界の中で、存在を維持できているのは僅か二名。

 咲夜と大和である。

 

 大和は舞い散る妖魔桜の花弁を眺めながら優雅に鉄扇を扇いでいた。

 咲夜は不機嫌そうに舌打ちする。

 

「随分と余裕みたいじゃねぇか、ええ? クソったれ」

「いいや、途中で笑わせてくるからマジで焦ったぜ。さっきのあれ、ナチュラルか? だとしたら天才だぜお前」

「おうともさ、だから本気でキレたんだよ」

「そうか……ククク、面白い嬢ちゃんだ」

 

 クスクスと笑いながらも、一切隙を見せない。

 咲夜は眉間に皺を寄せた。

 

(鉄扇術も極めてやがるのか……引き出しが多い。武芸百般は伊達じゃねぇな。最初はふざけてるのかと思ったが、コイツ……笑いながら俺の斬撃を全て受けきりやがった)

 

 感情を制御せずとも、その武が弛む事はない。

 常住戦陣。彼は常に戦いを意識している。

 如何なる感情に翻弄されようとも、その強さが変わる事はない。

 

 これもまた『動』と『静』の合一の利点なのだろう。

 咲夜が考えている最中、大和は飄々と言った。

 

「風属性の魔導で絶対切断の概念を強化しつつ、射程距離の延長か……強力だが、裏を返せば風属性に左右される。鉄扇でちょいと扇げば簡単に軌道が逸れる。ちょこちょこ混ぜている本物の風魔導も然りだ」

「……観察眼自慢か? うざってぇ」

「違うぜ、素直に関心してるんだ。よくもまぁ、そこまで『斬る』事に特化できたもんだ。余程冥界で鍛練を積んだんだろう。……あとは、相手に困らなかったか?」

「……」

「あーやだやだ、こんなに強いと余裕なくなるぜ」

「寛ぎながら言うな」

「少し休憩中なんだよ。あとは……攻略方法を考えてる」

 

 妖しく瞳が揺らいだ。

 自分を見つめてくる異形の存在に、咲夜は複雑な感情を抱く。

 とある疑問が、心中で渦巻いていた。

 

 大和の本懐。

 唯我独尊流・最終奥義──『天地神明(てんちしんめい)

 

 この流派が大和以外に皆伝者を出していない理由。

『動』と『静』……相反する両属性を極めるという、あらゆる武術家が夢想する最高到達位。

 

 その修得難易度は水と油を扱き混ぜるよりも尚難しく、『水の中で火を灯し続ける』という法則を超越したものだ。

 

『動』を極めた者たちは基本的に精神に於ける起爆剤……殺意や戦意といった激情を昂らせ、それを戦闘力に変換する。

 対して『静』を極めし者たちは激情を一定水準で保ち、合理性の元戦場を俯瞰する。

 

 どちらも極めれば極めるほど片方を疎かにしてしまう。

 いいや、疎かにしなければその道を極める事ができない。

 

 両属性の合一……難易度は最上級という言葉すら生温い。

 しかし実現する方法は言葉にすれば皮肉なもので、意外と容易かった。

 

 激情を冷まさず、制御すればいい。

 強靭な精神力を以てして荒ぶる心を統治すればいい。

 

 要は精神力の強さ。

 しかし求められるレベルが尋常ではない。

 そもそも、戦闘を生業としている者達は皆精神力が強い。

 武術家なら尚更だ。

 

 それでも、できなかった。

 大和を除いて過去誰一人として……

 

 試した者達は廃人になるか修羅道に堕ちた。

 精神が壊れてしまったのだ。

 だから頭の良い者は「不可能だ」と割り切り、試さなかった。

 その境地がある事をわかっていながらも、諦めた。

 

「……よりによってテメェが、自称『殺し屋』が、俺達の目指す夢の果てにいるってのか?」

 

 怒りはない。

 ただただ疑問を覚えていた。

 古今東西、あらゆる武術家たちが届かずにいる最高到達位に、何故彼が至っているのか──

 

 今までの彼の言葉に嘘はない。

 彼は殺し屋であり、武術に対して矜持と呼べるものがない。

 武術を『合理的な暴力の使い方』だと言い張っている。

 

 そんな男が、何故……

 

「取捨選択だよ」

「……何?」

 

 大和はクスリと笑った。

 それはとても魅力的であり、邪悪であり、おぞましくもあり……

 とても人間がしていい笑みではなかった。

 

「情を捨てた。平和を捨てた。正義を捨てた。人類の王になれる権利を捨てた。真の最強に至れる権利を捨てた。……過去も、未来も、全部捨てたその先に、この境地があった」

「…………」

「捨てるもんを捨てたから得るもんを得た。当然の理屈だろう?」

「……理屈が通っていても、実現できねぇもんがある」

「そうさな、俺と同じ方法でこの領域に至れるなら話は早ぇ。だが、そうじゃない。……断言できるぜ。この領域には俺だから至れた。他の奴には無理だ」

「……ッッ」

 

 絶対強者ならではの自負。

 驕りなどない。ただ確固たる自信があるのみ。

 

 咲夜は歯噛みした。

 努力すれば報われる? 何かを捨てれば得られるものがある? 

 

 そんな筈はない。

 だとしたら世の中は成功者で溢れている。

 

 努力が水なら才能は容器だ。

 容量には個人差があり、それを越えてしまうと中身が溢れ出てしまう。

 

 努力するのは誇る事でもなく、当然だ。

 そこから更に才能のある者たちが頭角を現していく。

 

 努力をしたから報われるなどと……そんな甘い話はない。

 

(だとしても……これは……あんまりだろう)

 

 超越者という存在は、例外なく天才の中の天才……異才を持つ者たちだ。

 天道至高天の敷く法則から外れるという事は、生まれ持っている素質が違う。

 

 そんな超越者の中でも更に異質な存在なのが真の『強者』足り得るEXランクの者たちだ。

 

 咲夜はその階梯にいた。

 真の強者と呼ばれるだけの強さを身に付け、そうである自負もあった。

 

 そんな彼女でも自信を喪失してしまうほどの『存在感』……

 彼は、生まれながらに違っていた。

 

 漸く理解した。

 何故、EXランクのその先が存在するのか……

 何故、最強の果てに至る者達が実在するのか……

 

 彼と相対していれば嫌というほどわかる。

 

 絶対強者。頂点捕食者。

 虎が何故強いのか……それは虎だから。

 そうであるように、彼が強いのに理由はない。

 

 ……だとすれば、努力をする意味とは一体? 

 自分が剣技に捧げてきた時間は何だったのか? 

 

 無駄だった、というのか……? 

 

「それが嫌だから、抗うんだろう」

「……?」

「冥界にいるだろう元、天下五剣の奴等……ソイツ等に決まって言われてなぁ。何でお前が最強の武術家なんだ、俺達の存在を馬鹿にしているのか、って」

「…………」

「馬鹿にしてるつもりはねぇよ。ただ……俺は武術に命を懸けてるわけでもねぇし、矜持も持ってねぇ。だから鬱陶しかったんだろう。おかげで何度も殺されかけたぜ」

 

 大和は過去の死闘を思い出しながら、徳利を取り出す。

 そして一気に呷った。

 

「何のために戦うのか、何を懸けているのか、矜恃? 怒り? または別の何か? ……ぶっちゃけ、内容はどうでもいいんだよ。重要なのは、コレと決めた生き方を最期まで貫き通すことだ」

 

 咲夜は聞き入っていたが、大和の軽い態度を見直して機嫌を損ねた。

 

「呑気に酒ぇ呑んでんじゃねぇよ……斬り刻むぞ」

「ククッ、その意気だ。俺を斬り伏せてみせろ。こんな巫山戯た男が世界最強の武術家なんだぜ? 剣士として、見過ごせねぇだろう」

「……殺し合ってる相手に発破かけるかよ、普通」

「面白い、って理由じゃ駄目かい」

 

 大和は徳利を捨てて、ゆらりと体を揺らす。

 真紅のマントが不気味にはためいた。

 

「じゃ、再開だ」

「……!」

 

 咲夜は反射的に構えるが、ぬるりと懐へ滑り込まれた。

 反撃が間に合わない。

 

 咄嗟に風魔導による対物理障壁を幾重にも展開し、落雷を叩き落とす。

 顕現した稲妻は神仏すら魂ごと溶かす超高温を孕んでいた。

 

 しかし……

 

「遊廓巡り・夢想・花札合わせ──」

 

 白煙から出てきた大和は無傷だった。

 

(いの)

 

 それはまるで(いのしし)の如く。

 震脚を用いた強烈な体当たりは風魔導による対物理障壁を咲夜もろとも吹き飛ばす。

 

鹿(しか)

 

 それはまるで鹿の如く。

 二本の十文字槍を豪快に突き下ろす。

 咲夜は軽功で体勢を立て直すと、辛うじて鞘で防御した。

 同時に刀を抜こうとする。

 

(ちょう)

 

 それはまるで蝶の如く。

 咲夜の体を縛り付ける鋼糸……あらかじめ矛先にくくり付けていたのだろう。

 指先一つ動かせない。

 更に……

 

(……毒。ああ、さっきの酒か)

 

 酒は酒でも、デスシティ特産の猛毒酒。

 大和は既売品を更に改良しており、ほんの一滴でも凶悪な魔獣を昏倒させる代物にしている。

 超越者といえども高レベルの毒耐性を有していなければ数瞬動けなくなるほどだ。

 

 大和は普通に飲んでいたが、それは咲夜を勘違いさせるため。

 そして体内で毒素を気化させるためだ。

 放たれる吐息は液体時と同等の濃度を誇り、視認てきない分凶悪性を増している。

 

 咲夜は騙された事を悟りながらも、笑っていた。

 心の底から笑っていた。

 

(ああ……コイツは慢心してても俺の事を舐めちゃいねぇ。一人の剣士として相対してくれている。女だからと侮ってねぇ。……それが今は……何よりも嬉しい!!!!)

 

 柔肌に鋼糸が食い込む。

 刹那、莫大な風が辺りを吹き抜けた。

 あまりの風量に大和も思わず目を丸める。

 

『花鳥風月・改・魔導外装「百花繚乱(ひゃっかりょうらん)」!!』

 

 桜吹雪が巻き起こる。

 妖魔桜の花弁ではない。咲夜が生み出した強力無比な絶対切断の概念そのものだ。

 

 攻防一体の万能刀法……彼女は、風と剣に愛されていた。

 

 咲夜は吠えた。

 喜色を交えたまま……

 

「なら越えてやるよ!! テメェをブッタ斬って、俺が最強の剣士である事を証明してやる!!」

「かかってこいや!! 相手になってやる!!」

 

 咲夜は無邪気な面で大和に突撃していった。

 大和も同じ様な表情で迎え撃つ。

 

 真の戦いはこれからだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 新たに体得した技法──しかし前々から構想を練っていたものだ。

 咲夜は縮地で一気に距離を詰めると、理想と現実の『差』を測る。

 新奥義、百花繚乱が思い描いていた内容であった事に安堵する一方、喜悦で頬を緩ませた。

 

(最高に調子が良い、こんな気分味わった事ねぇ! 極限の集中状態を維持しながら、自分の成長を実感できる……! まるで羽でもついたみてぇだ!)

 

 覚醒。

 咲夜は今、無限成長を続けていた。

 殺し合いの最中だというのに次々と新技が浮かんでくる。

 そして、それらを実用レベルまで押し上げられる。

 

 増え続けていく魔剣達……その全てを咲夜は今、この瞬間に放つ事にした。

 

「しぃィ……ッッ」

 

 独自の呼吸法で体内に残った毒素を抜きつつ、全身に魔力を漲らせる。

 百花を纏いし童姿の剣鬼。

 彼女は修羅の笑みを貼り付けると、構えをとった。

 

『一、二、三、四、五、六、七、八、九、十(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり)!!』

 

 鹿島神流の法儀式、悪鬼を討滅する誅魔剣の真言である。

 

『布留部 由良由良止 布留部(ふるべ ゆらゆらと ふるべ)!!』

 

 群青色の魔力が迸る。

 同時に絶対切断の概念そのものである桃色の花弁が宙を覆った。

 

『百花繚乱・必殺──千本桜・剣鬼十番勝負!!』

 

 今しがた思い浮かんだ魔剣を全て叩き込む、文字通りの必殺技。

 併せて十になる魔剣から成る、圧殺の蓮華である。

 

「一つ、科戸の風(しなどのかぜ)!!」

 

 天高くに跳躍し、兜割りを放つ。

 現れたのは半月状の真空刃だ。

 桁違いの大きさであり、裏京都を易々と両断してしまう。

 大陸どころか星をも両断してしまうこの一撃に、大和は押し潰されてしまった。

 

「……クックック、覚醒しやがったな。いいねぇいいねぇ、面白くなってきたぜ!!」

 

 巨大な真空刃がまるで砂粒の様な何かに押し留められている。

 咲夜はうっすらと碧眼を細めた。

 

 大和が不敵に笑っていた。

 身の丈を越える大剣を肩に担いでおり、首を逸らすだけで真空刃を受け止めている。

 

 彼は大剣を振り上げて真空刃を弾き飛ばすと、大地を砕き跳躍した。

 咲夜は併せて第二の必殺技を放とうとする。

 それに割り込もうとした大和だが、大量の桜の花弁に阻まれた。

 

「チィ……!」

 

 思わず舌打ちする。

 絶対切断の概念そのものである花弁を迂闊に放ってはおけない。

 億を越える花弁の一枚一枚を精密に操る、桁外れの集中力。

 大和は億を越える剣士と戦っている状態だった。

 

「二つ、天の八重雲(あめのやえぐも)!!」

 

 咲夜は四苦八苦している大和の頭上から稲妻を内包した暴風を撃ち落とす。

 旋風を帯びた雷光は桁外れの破壊力と貫通力を誇っていた。

 更に巻き起こる旋風が花弁の軌道を細かく修正している。

 

 度重なる必殺技の連発に、流石の大和も……

 

「しゃらくせぇ!!」

 

 そう言って闘気を込めたアッパーを放った。

 複合魔導は消し飛ばされ、その中に隠されていた真実の鎌鼬も軌道を逸らされてしまう。

 真横で抉られた大地を一瞥した大和は、四方八方で舞う桜の花弁を見渡した。

 

「……成る程」

 

 ──原理は理解した。

 そう言って、大和は手頃な所にあった花弁を大剣で叩く。

 一見、大剣を無造作に薙いだように見える。

 しかし何処からともなく金属音が重なり響き、咲夜は咄嗟に首を逸らした。

 刹那、首筋に切り傷が奔る。

 ナノ一秒遅ければ首が飛んでいた。

 

「なん、だと……?」

 

 思わず呟く。

 絶対切断の概念そのものである桜の花弁、数えて億と数千万。

 その一つ一つが咲夜の意思の通った剣である。

 だからこそわかる……今の攻撃は、それらを利用された。

 

 花弁の形をしているとはいえ、その実は不可視の刃。

 意思を通わせているとはいえ担い手がいない分、一撃一撃が単調になりがちで、丁寧に対処すれば捌けない事もない。

 問題は圧倒的な物量なのたが……大和はそれを逆手に取った。

 

 花弁一つ一つの配置、角度、降るパターンを逆算し、一つを弾いて他にぶつける。

 そうして弾かれた刃は他の刃に当り、弾き飛ばされる。

 跳んでは跳ねて跳んでは跳ねて……まるでビリヤードの様に重なっていけば、最終的に咲夜の元まで辿り着く。

 

 咲夜は自分の技でダメージを負ったのだ。

 

「クソッタレ!! そんなんありかよ!!」

 

 叫んでる合間に大和は迫ってきている。

 桜の花弁を足場にし、まるで韋駄天の如く空を駆けていた。

 

 弾けるならば、足場にできぬ道理はない。

 

 咲夜は次に出す筈だった魔剣を無理矢理中断し、振るわれた大剣を回避する。

 大きな刃の流れに逆らわず宙を回ると、周囲の風を味方につけて撤退した。

 スケーターの様に空を滑りながら抜刀数回、雷光を槍状にして放つ。

 

 無限熱量かつ無限速の雷槍を、大和は指で全て掴みとった。

 そして投げ返す。

 咲夜は舌打ちしながら回避し、雷槍を放ち続ける。

 彼女は、一定の距離を保つようにしていた。

 

 今、大和に近付けば殺される。

 断言できた。

 

 一連のやり取りで理解した。

 大和の戦闘スタイル、その真髄を……

 

 理論派は冷静沈着であり続ける事で『戦場を掌握』する。

 感覚派は常に変化を止めない事で『戦場を掻き乱す』。

 

 ならば両方を極めている大和は……? 

 戦場を、相手を、『攻略』する。

 感覚的に、理論的に。

 

 いうなれば「特注(オーダーメイド)」だ。

 その戦場で、その相手にあった戦闘スタイルを即興で構築する。

 

 ジャンケンで例えるなら、後出し権利。

 グーを出されたからパーを出す、チョキを出されたからグーを出す、パーを出されたからチョキを出す……そのエンドレス。

 相手の性質を見極めて、そこからから最も効率的な「対○○武術」を生み出す。

 

 唯一無二。古今独歩。天下無双。

 世界最強の武術家であり殺し屋である彼にのみ許された、理想の戦闘理論。

 

 圧倒的な戦闘センスは勿論関係している。

 だがそれだけではない。

 鍛え込んだ最強の肉体、限界まで研ぎ澄ませた五感。数億年分の戦闘経験。不倒不屈の精神力。

 それら全てがあって、初めて成立する。

 

 世界でただ一人、大和にしかできない。

 故に彼以外に皆伝者がいない、唯我独尊流。

 

 攻略方法はただ一つ……

 

「……限界を越えるしかねぇ。進化を続けるするしかねぇ」

 

 そう呟いた咲夜は、笑っていた。

 強がりではない。絶体絶命の危機なのにも関わらず、彼女は過去最強の敵に闘志を滾らせていた。

 明鏡止水の境地に入ったままなのに、激情が治まらない。

 しかしそれが余計なものだとは思わない。

 直接的な力に変えられる余裕がある。

 

 斬ること……それが全て。

 あの日、当代随一の剣聖の太刀筋を見たその瞬間から、咲夜は生涯剣士である事を誓った。

 斬って斬って斬りまくって、最後は憧れた剣聖に破れた。

 それでも渇望は薄れる事なく、地獄で研鑽を積み重ね、遂には在ることと斬ることが同義になった。

 

 一種の到達点に着いたと思っていた。

 だがそれは大きな勘違いだった。

 まだ先がある。自分は、まだ強くなれる。

 

 一人の剣客として、何よりも嬉しかった。

 咲夜は狂喜の笑みを浮かべて吠える。

 

「冥界の先達たちがお前に拘ってる理由がよくわかったぜ。テメェは剣士でも武術家でもねぇ。強力無比な力そのものだ……人類どころか神魔霊獣ですら敵わない、意思を持った『暴力』……テメェを越えた先に最強がある!! 盛り上がってきたぜ!!!!」

 

 殺気と剣気を迸らせ、咲夜は力一杯の抜刀体勢をとった。

 

 そして大声で告げる。

 

「俺はお前の予測を越え続ける!! 攻略が間に合わないくらい進化を続けて、最後にはその首切り落としてやる!!」

 

 その宣言に対し、大和は不敵な笑みで答えた。

 彼の目には今、咲夜しか映っていない。

 

 互いに距離感を計り、潰し、そうして必殺の間合いに入って……得物を振りかぶる。

 互いの首筋に刃がめり込んだ、その瞬間……

 

 両者とも同じ方向を向いて、得物を引いた。

 

 妖魔桜立ち並ぶ裏京都の広間、それらを覆い囲む様に異形の集団が佇んでいたのだ。

 鬼、死神、天狗、それらを従えているであろう一際強大な気を放つ牛頭と馬頭の鬼神。

 

 彼等を見た二人の反応はわかりやすかった。

 咲夜は苦虫を噛み潰したような顔をし、大和は微妙な面持ちをする。

 

 そんな二人に対し、馬頭の鬼神が告げた。

 

「そこまでにしてもらおう、我らは地獄の獄卒衆。大罪人、咲夜。貴様を連れ戻しにきた」

 

 

 ◆◆

 

 

 咲夜は可憐な相貌を憤怒で歪める。

 

「ざっけんなよ……今最高の瞬間だったんだ!! 俺にとっては何よりも尊い瞬間だったんだよ!! それを穢しやがって……!!」

「知るか、貴様の事情など」

 

 牛頭の鬼神が鼻を鳴らす。

 

「誰が貴様に手を貸して地獄から脱走させたのか……今は敢えて聞くまい。……冥府の神々からの厳命だ。直ちに地獄へ戻れ。我々も、手荒な真似はしたくない」

「……俺が、拒まねぇとでも思ってるのか?」

 

 酷くドスのきいた声だった。

 風が吹き荒び、雷鳴が轟き渡る。

 EXクラスの魔導剣士を相手に、如何に獄卒人であっても勝つことは不可能だ。

 

 そう、本来ならば……

 

「地獄で斬り合い過ぎて忘れたか? 狂人め。貴様は我々に逆らえない。……いいや、現世から抜け出したという事実が、我々に対する貴様の力を全て無効化する」

「ッッ」

「いくら森羅万象から逸脱した超越者といえど、天道至高天が定めた『生命の法則』は覆せない。……故に」

 

 馬頭の鬼神は持っていた戦斧を地に付ける。

 ズン、とその場の地形が陥没した。

 

「大人しく着いて来こい。貴様のためを思って言っている。これは慈悲だ。……我等含めて総勢2000、全員が精鋭であり貴様に対して特攻を持っている。……魂の根源まで滅されたくはなかろう」

「……~!!」

 

 悔しさのあまり唇を噛み千切る咲夜。

『死』は、この世界観で最も強力な概念だ。

 一度死んだ生命はありとあらゆる束縛を受ける。

 この束縛からは百戦練磨の超越者であろうと逃げれない。

 

 死は、原初の超越神が定めた「生命の終着点」なのだ。

 

 牛頭の鬼神は咲夜を一瞥すると、次に大和を睨み付ける。

 

「干渉不要だ、黒鬼よ。ここから先は我らが領分」

「そうはいかねぇ、俺も仕事できてるんだ。そうやすやすとは下がれねぇよ」

「であれば雇い金を言え。今ここで支払う。慰謝料を含めて倍額でも構わん。貴様の雇い主にも相応の慰謝料を払おう」

「ふむ…………まぁ、理に叶ってるな。殺し屋としては、ここで退くべきだろう。損得を考えるならな」

「……っっ」

 

 咲夜は容姿相応の泣きそうな顔をした。

 好敵手の冷たい反応が悲しかったのだろう。

 

 彼がそういう男だというのは知っている。

 だが……まだ競い合いたいのだ。これからなのだ。

 

 自然と大和の袖を掴む。

 大和は苦笑をこぼすと、彼女の血濡れた唇を指で撫でた。

 

「口紅……まぁまぁ似合ってるぜ。色気がちぃと足りねぇが……十分だ」

「……?」

 

 疑問に思う。

 そんな彼女を大和は強引に抱き寄せた。

 そして大声で告げる。

 

「わりぃなテメェら! 俺はこの超絶スーパープリティーギャラクティカデンジャラスウルトラ美少女とダンスの約束をしてるんだよ!」

「なァ!? テメっ!」

 

 羞恥で顔を真っ赤にする咲夜を抱き寄せたまま、大和は灰色の三白眼を細めた。

 

「だから……失せろや。俺も、無駄な殺しはしたくねぇ」

「……傲慢だな、怪物め」

 

 馬頭の鬼神が吐き捨てると、大和は鼻で笑った。

 

「獄卒人だかなんだか知らねぇが、ぽっと出がしゃしゃり出てくんじゃねぇぞ」

「貴様……!」

「失せろ。これはテメェらを思って言っている。これは慈悲だ。……こんな感じか? テメェら風に言えば」

 

 大和は嗤うと、中指を立てて叫ぶ。

 

「ファック!! ぶっ殺されたくなかったらとっとと失せなクソ雑魚共!! きたねぇ尻を見せてな!!」

「「「「っっ」」」」

「悔しかったらかかってこい!!」

 

 業を煮やした獄卒人達が得物を携える。

 大和は咲夜を離すと、楽しそうにボキボキと拳を鳴らした。

 

 そんな彼の背に、咲夜は焦燥した様子で問う。

 

「おいテメェ、なんで俺なんかを庇って……」

「勘違いすんな。テメェとのチャンバラごっこを楽しみたいだけだ」

「……っ」

「テメェは後で叩っ斬る。だから……そうさな、今のうち休憩でもしとけ。あとは告白の練習とか? 色気がついてたら抱いて蕩けさせてから殺してやるよ」

 

「うっせ!! はぁ!!? 黙れ変態!! さっさと行け!! クズ!! バーカバーカ!!!!」

 

「ハッハッハ!!」

 

 満足したのだろう、大和は獄卒衆の元へ歩み寄っていった。

 咲夜は唇を尖らせたまま、か細い声で囁く。

 

「馬鹿野郎…………」

 

 童姿の剣鬼は、未知の感情を覚えていた。

 

 



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五話「幕切れ」

 

 

 

 拳をバキバキと鳴らしながら歩いてくる大和に対して、牛頭の鬼神……牛頭天王(ごずてんのう)は言った。

 

「我等、仏法の守護神なれば。この問題の責任者として、問いたい事がある。よいか?」

「かしこまんなよ、喧嘩売ったのは俺だ。罵倒なりなんなり好きにほざけ」

「では……」

 

 まずは牛頭天王が問う。

 

「貴様の行いは仏法の……いいや、世界の真理に仇なす内容だと理解しているか?」

「今更。笑わせんなよ、閻魔大王は俺の犯した罪をちゃんと数えてるのか?」

「……」

「死んだら地獄行き確定の屑に仏法なんて説くなよ」

「……貴様は何時か必ず地獄に落ちるだろう。閻魔大王様は貴様の犯した罪を全て把握しておられる……その時が楽しみだな」

「今じゃないのか? 端から勝つ気なんてないと? 阿呆かお前。そら次、馬頭」

 

 馬頭の鬼神……馬頭観音は忌々しげに問う。

 

「何故、我々の邪魔をする。背後の娘を庇う事は貴様にとって損でしかない筈だ」

「……」

「倍額の報酬が約束されていた。貴様の面子も保たれた。こちらも最低限の義理を通した。なのに何故……」

「その場のノリだ」

「……はぁ?」

「コイツとのチャンバラごっこ、意外にも楽しかった。だから邪魔されるのが気に食わなかったんだ」

「……論外だな」

「クハッ」

 

 大和は嗤いながら問い返す。

 

「なら聞くが、お前ら何で俺達に関わってきた?」

「……長く生きすぎて耄碌したか、魔人め。言ったであろう、冥府の神々からの厳命であると」

「そうかい、なら言葉を変えよう。……何で無視しなかった」

「…………」

「放っておけばよかったじゃねぇか。そしたら俺達は勝手に殺しあってた。俺が殺されても、お嬢ちゃんが殺されても、お前らにとって損はない筈だ。むしろ棚からぼた餅だろう」

 

 黙った鬼神達を、大和は鼻で笑う。

 

「俺に仕事を取られるのがそんなに嫌だったか? 冥界の神々の、何より自分達の沽券に関わるから」

「ッッ」

「そうじゃなかったら関わってこねぇよな。ククク……ハッハッハッ! 笑わせんなよ! 糞餓鬼じゃねぇかテメェら!」

 

 大笑いすると、腕を薙ぎ払い、突風を巻き起こす。

 その面に覇気と殺意を混ぜながら言い放った。

 

「だが、世間はお前らの味方だぜ。正義はお前たちにある……勧善懲悪、成してみろよ」

 

 莫大な闘気か迸る。

 あまりの濃度に裏京都を覆っていた超高密度多重障壁に亀裂が奔った。

 

 馬頭観音、牛頭天王は無言で得物を携える。

 背後の部下達もだ。

 皆一様に憤怒で顔を歪めていた。

 大和は邪気たっぷりな笑みを浮かべる。

 

「さぁ、糞餓鬼同士の喧嘩のはじまりだ!」

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は片手を掲げると、意味深な言葉を発した。

 

「実戦で使うのは初めてだが……まぁいい。お披露目会だ」

 

 パチィンと指を鳴らす。

 するとその身が真紅の閃光に包まれた。

 そうして出てきたのは……

 

闘法変化(スタイルチェンジ)・モード・拳法家(カンフー)

 

 髪型はそのままだが、上が純白のカンフー服。下が漆黒のカンフーズボンに変わっている。

 まるで中華の拳法家だ。

 

 彼はその場で単調な演舞を披露した。

 

「セイ! ヤッ……アチョー!」

 

 獄卒衆たちは嘲笑った。

 しかしほんの数名は違う。

 

「貴様ら!! 油断するな!!」

「来るぞ!! 構えろ!!」

 

 馬頭観音と牛頭天王が怒鳴る。

 その合間を風が抜けていった。

 二名はその風が大和だと悟る。

 

 しかし遅すぎる。

 軍勢の真ん中まで通り抜けてきた大和は手頃な所にいる天狗の顔を掴み、地面に叩き付けた。

 

 大地が揺れる。

 紙吹雪の様に吹き飛ばされていく獄卒衆たち……その中で、辛うじて耐えた者たちは大和に得物を振りかぶった。

 大和は薬指と中指を重ねると、視認できない速度で腕を振るう。

 

 すると、戦士たちが静止した。

 まるで時でも停まったかの様に……

 1名が辛うじて呟く。

 

「馬鹿な……、こんな、事が……!」

 

 次の瞬間、全員血飛沫を上げて倒れ込んだ。

 ある者は頭蓋を爆発させ、ある者は口から臓物を吐き散らしている。

 多種多様な死を遂げた彼等を、大和は一瞥すらしなかった。

 

「経絡秘孔・紅蓮血鮮花(ぐれんけっせんか)

 

 地獄が始まった。

 

 

 ◆◆

 

 

「あの野郎ッ、まだ手札隠してやがったのか!」

 

 咲夜は瞳をキラキラと輝かせていた。

 まるで特撮映画に夢中になっている男児の様だ。

 

 彼女は付近にある大屋敷の上に跳び移ると、改めて大和の戦闘スタイルを注視する。

 

(さっきみたいに即興で編み上げたスタイルか? ……いいや違う、型に嵌まり「過ぎてる」。過去に戦った武術家たちの模倣……? アイツにならできなくもない筈だが)

 

 短い間だが、大和という男と剣を交えた。

 だからわかることがある。

 

(見ろ、見て確かめるんだ……! 今、最高の立ち位置にいるんだ! こんな……こんな贅沢な事ぁねぇよ!)

 

 咲夜は昂る胸に手を当てた。

 

 大和は徒手空拳で暴れ回っている。

 まるで流水の如く、振り下ろされた数多の得物を受け流している。

 彼にしては珍しい防御の技術だが、その錬度は圧巻の一言だった。

 相手の力を完璧に受け流し、無効化している。

 超高度な「合気」を体得しているからこそ成せる、受けの極み──

 

『流水演舞』

 

 ある得物は刃先を指先で滑らされ、ある得物は手の甲でコツンと叩かれて軸をズラされる。

 行き場を失った力は暴走し、得物ごと使用者を振り回す。

 バランスを崩し前のめりになった者たちを、大和は貫手で殺していった。

 

 刃物の様に鋭利な指先は鋼鉄すらも容易に貫通してみせる。

 

砕岩指(さいがんし)斬鉄指(ざんてつし)

 

 ただでさえ凶悪な威力を誇っているのに、随所随所で調節して経路、もしくは秘孔を突いている。

 

 経絡秘孔(けいらくひこう)

 人間に限らず、生命という存在は「魂」を持つ。

 その魂から生み出されるエネルギーを循環させる器官を秘孔。

 生命活動にあたり重要なエネルギーの流れを司る位置を経路と呼ぶ。

 

 これらを併せて経絡秘孔と呼び、中国では仙道、医学、拳法に於いて重要視されていた。

 極めれば仙人に近付き、知識を蓄えれば医学を修められ、一変して暗殺拳の秘密を知ることができる。

 

 生命エネルギーは本当に繊細であり、外部からの衝撃に脆い。

 

 また、鋼鉄の如き筋肉で全身を覆っても内部は常人のままなのが普通だ。

 中国拳法には「内功」と呼ばれる鍛練法がある。

 内臓、心肺機能を強化し、気を練る効率を上げる修行方法だ。

 

 ──鍛える術があるのなら、破壊する術があるのが世の理。

 

「人型が多いから見極めが楽だな。ほぅれ脳漿炸裂ぅ♪」

 

 胸を突かれれば頭が爆発し、肩を突かれれば骨肉が粉砕される。

 額を突かれれば内臓が破裂する。

 

 指先で小突かれるだけだが、威力は凶悪に過ぎる。

 生身で受ければ死は免れない。

 

 経絡秘孔の知識が無ければ受けようがなく、仮にあったとしても合計108からなる「致死の点」を一度に防御する事は不可能。

 

 ──柔よく剛に克ち、静よく動を制す──

 

 流水演舞による合気の絶対防御。

 経絡秘孔を織り混ぜた貫手による無敵の矛。

 

 世界最強の拳法家である四大魔拳たちをも唸らせる、この拳法の名は……

 

「柔拳ってんだ、そのまんまだろう?」

 

 屋敷の上に飛び乗り、呟く大和。

 眼下では鮮血の噴水が迸っていた。

 獄卒衆たちは物言わぬ肉片となり散らばる。

 

 余裕を見せている彼の不意を突くように、屋根裏から矛先が現れた。

 大和はなんの抵抗もせずに腹を貫かれる。

 

 しかし、宙に浮かされただけだった。

 まるで棒にでも浮かされているかように、鋭利な矛先がまるで意味をなしていない。

 

「不意討ちは大歓迎だぜ」

 

 大和は矛の腹を撫でる。

 瞬間、奇襲者の天狗が爆発四散した。

 体勢が崩れてしまったので、大和は宙を回り着地する。

 

 その一瞬の隙を見逃さないように、馬頭観音が距離を詰めて戦斧を薙ぎ払った。

 大和は受けをするも、予想以上の力に吹き飛ばされる。

 

「ハハッ! スゲェ馬力だな! 馬だけに、ってか!」

 

 余裕を見せながら着地する大和。

 馬頭観音は破裂してしまった両腕を見下ろした。

 得物を持つ力さえ込められない有り様だったが、神仏の権能で瞬く間に回復させる。

 地に寝ている戦斧を足先で掬い上げると、忌々しげに囁いた。

 

「合気の応用か……」

「ほぅ、詳しいな。流石に獄卒衆の幹部を勤めているだけはある。本当は全身をミンチにするつもりだったのに、上手く両手だけに留めてるしな」

 

 合気。

 相手の力を受け流す、もしくは吸収する高等技術だ。

 この技を極めた武術家はあらゆる物理攻撃を無効化する。

 それどころか、力のベクトルすらも操作してしまう。

 

 大和が見せた技はその応用。

 相手の攻撃を敢えて受けて攻撃エネルギーを体内に溜め込み、ほぼ同時に流し返す。

 その結果、相手は自身の攻撃エネルギーに耐えきれずに爆発する。

 

『流水演舞・泡沫』

 

 刹那的な全方位型カウンター。

 どの部位を攻撃しても返ってくる。

 威力は自身の攻撃力+大和の闘気であるため、対処法が無ければほぼ即死。

 

 実に凶悪な技だ。

 こうなってしまうとそもそも攻撃ができない。

 触れる事すらできない。

 

 遠くで戦況を見つめている牛頭天王は眉間に皺をよせた。

 

(合気の使い手など地獄では珍しくない。類似した技は幾つも見てきている。攻略方法は、なくはない)

 

 合気にはいくつか弱点がある。

 まずは物理エネルギー以外受け流せない事。

 次に受け流せるエネルギー量には個人差がある事。

 最後に、吸収にはリスクを伴う事だ。

 

 吸収はエネルギーを体内に溜め込む行為であり、受け流し以上に負担が大きい。

 内功による体内強化にも限界がある。

 

 これを踏まえた上での攻略方法は、そもそも受け流しを使わせない。吸収をできるだけ使わせる……である。

 絶え間なく攻撃を吸収させ、自爆を促す。

 その者の許容量を越えるくらい、連続で攻撃を浴びせる。

 

 となれば大軍団で袋叩き……というのが理想であるが、

 

(獄卒衆も馬鹿ではない。相手が合気使いだとわかった瞬間に切り替えている。それでも捉えられない。先程、天狗の一人が惜しいところまでいったが、あれで駄目となると……)

 

 打つ手なし。

 今のところは──

 

 獄卒衆が統率のとれた動きで大和を囲い、連撃を浴びせる。

 各々別々の角度から、違う得物で、攻撃する。

 対合気使いに於ける理想の戦法である。

 総勢二十名の精鋭による攻撃は、本来であれば対象者を自爆させる筈だ。

 

 しかし……

 

「教科書に書いてありそうな戦法だ」

 

 全ての攻撃を肌で吸収し、まんべんなく流し返す。

 まるで間欠泉の様に大量の血が吹き出した。

 どぅと倒れた精鋭たちを見届け、牛頭天王は舌打ちする。

 

(やはり、元々の許容量が違う。人体の構造をしていない)

 

 先天的な超越者でありなから後天的な超越者に至った唯一の例外。

 常識が通用しない。

 許容量の底がまるで見えない。

 正面からの攻略は、やはり不可能だ。

 

 苦悩する馬頭観音たちの側に、一体の天狗が寄ってくる。

 彼は片膝をついて報告した。

 

「閻魔大王様、並びに各神話より『権能』の行使を許可されました……!」

「よし……作戦の概要は把握しているな。一気に畳み掛けるぞ」

「ハッ!」

 

 馬頭観音と牛頭天王は戦斧を地面に突き刺すと、早速「とある権能」を発現させた。

 

 一方その頃、大和はきな臭さを感じていた。

 殺し屋特有の第六感である。

 感覚的に、今の流れに不信感を抱いていた。

 

 理論的に戦場を俯瞰すれば、懸念は更に深まる。

 獄卒衆は要所要所で突撃してきているが、総数はあまり減っていない。

 まだ余力を残している。

 

 何かを待っている……? 

 大和が考察を始めたと同時に、その身に襲いかかる超重力。

 あまりの圧力に、思わず片膝を付いた。

 

「なにぃ……?」

 

 ただの重力でない。

 そうであれば簡単に押し返せる筈だ。

 闘気も含めた、全ての力が弱体化させられている。

 

 この魂を縛り付けられる様な感覚は……

 

「罪人特攻の権能かァ……! 効くぜぇ糞ったれ! 冥界の神々はキッチリと俺の犯罪歴を把握してるみてぇだなァ!」

 

 罪人に対する絶対的支配権限。

 冥界の神々、並びにそれに連なる存在が特例で行使できる権能。

 

 その性質上、罪人にしか効果がないが、罪人であるならば効果絶大。

 大和に対しては相性が良すぎる。

 

 大和は自他共に認める犯罪者だ。

 そして罪の内容も総数も、他とは比べものにならない。

 

 これが単純な即死の権能ならば無効化できただろう。

 しかし今回はただの権能ではない。

 人類、人外、そして世界の意を汲んだ「総意」だ。

 

 自分の罪に押し潰されそうになっている大和に、待ってましたとばかりに押し寄せる獄卒衆たち。

 罪を裁く側の彼等にとって、この権能は最上位の加護に等しい。

 自由に動け、力も増す。

 

 一変した戦場を眺めていた咲夜は、思わず息を飲んだ。

 アレは無理だ、抗えない……そう悟ったのだ。

 

 この場にいる殆どの者たちは結末を見ていた。

 しかしただ一人、大和は違った。

 

「いいぜ、端から逃げるつもりはねぇよ。自分がした事を背負うことが『生きる』って事だ。俺は目を反らさねぇ。お前らが、世界がそう判断したのなら、それでいい。…………ただなぁ」

 

 大和は拳骨で空間をぶん殴る。

 すると虚空に亀裂が奔り、最終的には罪人特攻の権能で満たされた空間が破壊された。

 

 唖然としている一同に向けて、大和は吼える。

 

「こんなもんかよ!!!! 軽いんだよ!!!!」

 

 そして両手を広げる。

 

「相っ変わらず口先だけだなぁオイ!! 神サマってのは!! 本気でやってるか!? いいんだぜもっと来いよ!! 受け止めてやるから!! 悪意も殺意も怒りも憎しみも、全部受け止めてやるから!!」

『……ッッ』

「俺は誰よりも自由に生きてきた!! 気に入った女はどんな理由があっても抱いて、邪魔する奴は正義も悪も関係なくぶっ殺してきた!! だから恨まれて当然なんだよな!? 憎まれて当然なんだよな!? お前らにとって、俺という存在は許容できない……だったらほら!! 来いよ!! 俺を殺せよ!! 地獄に落とせ!! 何時になったら俺は罰せられるんだ!? 何時になったら俺は死ねるんだ!?」

 

 あまりに凶悪すぎる邪気と狂気をあびて、獄卒衆は数歩下がる。

 とてもではないが、個人が出していい濃度ではなかった。

 

 ──人間ではない。

 人の形をしたナニカだ。

 

 明らかに引いている獄卒衆を見て、大和は鼻で笑う。

 自嘲も含まれていた。

 

 彼は手にベッタリ付着した血糊を払うと、構えをとる。

 空手に似た型がハマると、一変して荒々しい闘気が迸った。

 

 しかしその表情は……能面の様な無だった。

 

 大和は大地を思い切り踏みしめる。

 あまりの衝撃に獄卒衆は周辺の屋敷もろとも宙に浮いた。

 

「やるんだったら最後までやれよ」

 

 大和は自身の闘気を爆発的に増幅させる。

 

「剛拳・金剛七式…………いや、いい。すぐに終わらせる」

 

 冷たい声音を響かせ、闘気を更に膨張させる。

 あまりの密度にこの場の空間が紅蓮色に染まった。

 

 

『剛拳・絶招──―不動界金剛曼荼羅(ふどうかいこんごうまんだら)

 

 

 ◆◆

 

 

 絶招──中国拳法に於ける奥義だ。

 大和は柔拳の対である剛拳の技を披露せず、いきなり奥義を放ったのだ。

 

 裏京都を瞬く間に包み込んだ曼荼羅模様……それがふと消えたかと思えば、全てが終わっていた。

 大和は動いていない、不動である。

 しかしその両拳からは血煙が吹き上がっている。

 

 獄卒衆たちは跡形もなく消滅していた。

 肉片どころか魂の欠片すら残っていない。

 完全に、この世界から消滅していた。

 

 大和は血糊を払いのけると、元々の和装に戻る。

 そして咲夜に振り返った。

 

「さて……じゃあチャンバラごっこの続きをやろうか、お嬢ちゃん」

「……ぃッ」

 

 悲鳴を上げなかったのは、天下五剣士に名を連ねていたからだろう。

 しかし足は後ろへ、後ろへと下がっている。

 

 彼女は恐怖に飲みこまれていた。

 好敵手だと思っていた男が、今は人型の怪物にしか見えない。

 

 最初こそ、興奮していた。

 大和が見せた『闘法変化(スタイルチェンジ)』は斬新だった。

 

 別の次元の大和が辿り着いたであろう、一つの到達点──

 あらゆる武術をマスターした最強の殺し屋ではなく、拳法のみを極めた最強の格闘家……

 成れる様で、成らなかった姿の再現。

 

 咲夜は感激していた。

 今すぐあの状態の大和と戦いたいと思っていた。

 

 今はどうだ?

 悲鳴を堪える事で精一杯になっている。

 

 大和が垣間見せた本性──

 あまりに規格外な狂気と憎悪。

 

 協調性とか共感性とか、それ以前の問題だった。

 人間として大事な何かが欠落している。

 

 彼は、生まれながらに違っていたのだろう。

 人間でありながら、人間ではなかったのだろう。

 しかしそれが、精神にまで及んでいるとは思わなかった。

 

 明らかに怯えている咲夜。

 そんな彼女を見て、大和は……ふわりと、悲しげな笑みを浮かべた。

 

「なんだ……まだ子供だったか」

 

 咲夜は今、死ぬほど後悔した。

 謝罪の言葉が喉から突き出る。

 その前に手が伸びた。

 しかし、伸びきる事はなかった。

 

 既に首が跳んでいた。

 妖しい乱れ刃が自身の血糊を帯びている。

 

 大太刀を担いで去っていく大和。

 咲夜は必死に何かを伝えようとした。

 しかし、届くことはなかった。

 無情にも、地獄に戻るのが先だった。

 

 桜吹雪になった咲夜に見向きもせずに、大和は大太刀を納める。

 そして、溜め息混じりに囁いた。

 

「……依頼完了だな」

 

 カランカランと、下駄を鳴らして去っていく。

 超高密度多重障壁が解かれ、現実へと戻ってきた。

 

 ……全て、終わってしまったのだ。

 

 



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六話「幼心」

 

 

 事件から間もなくして、大和はぬらりひょんの館へと訪れた。

 直接依頼の完了を伝えると、初代は苦笑を浮かべた。

 

「いやはや、流石ですな大和さん。ここまで派手にやってくれと天晴れとしか言いようがありません」

「皮肉が混じってるぞ。……老けたな」

「貴方が若々し過ぎるんですよ。あっしもそうありたいもんだが……時の流れってのは残酷なもんです。肉体よりも先に精神が老いちまう……こればっかりはどうしようもありやせん」

 

 妖怪に寿命という概念は存在しない。が、老いの概念は存在する。

 初代ほど年月を重ねてしまうと、流石に容姿も変化してしまうのだ。

 

 彼はやれやれと肩を竦め、煙管を嗜んだ。

 

「あああと、先程魔導師のお嬢ちゃん方がきましたよ。ついでに事の顛末を教えてもらいました」

「……あんの姉妹は」

「フラれちゃったんですって? 珍しいですねぇ、貴方ほどの男が」

「予想以上に餓鬼だったんだよ、つまらねぇ依頼だった」

「殺しに愉悦を見出だせる辺り、やっぱり歪んでますねぇ」

「…………」

「いんや、ソレが生き物の本来あるべき姿なのかもしれません。……生きるってのは、どーも難しい」

 

 苦笑しながら紫煙を燻らせる初代。

 千年を生きた大化生の余裕は伊達ではない。

 

 大和は立ち上り、踵を返す。

 その大きな背に初代は告げた。

 

「また何かあればよろしくお願いいたします。……万葉様と、大黒谷努くんにも、よろしく言っておいてください」

「おう、またな」

 

 大和は振り返らず、手だけを挙げた。

 

 

 ◆◆

 

 

 裏京都の町通りを歩いていく大和。

 ふらふらと歩くだけで住民たちが避けていった。

 皆妖怪だが、彼の名を知らない者は殆どいない。

 世界最強の殺し屋は、人外にとっても畏怖の象徴なのだ。

 

 厳つい男たちが怯えている傍ら、女たちは黄色い悲鳴を上げている。

 雄々しい体躯と魔性の色香は、人外の雌にとってこれ以上ない媚薬なのだろう。

 雪女や狐娘、ろくろ首や河童娘たちが声をかけようか迷っている。

 しかし目の前を彼が通り過ぎると、皆陶然とした様子で立ち尽くした。

 

 大和は何を考えるでもなく、ふらふらと歩いていた。

 何時も通りの景色、何時も通りの反応。

 何も思うことはない。

 普段ならば妖怪娘たちを片っ端から宿屋に誘っているところだが、今はそんな気分ではない。

 カランカランと、下駄を鳴らしていた。

 

 そんな彼の眼に新鮮なものが映る。

 チャンバラごっこをしている兄妹だ。

 年も近いのだろう、笑い合いながら木の枝を振り回している。

 彼等は周りが見えていないのだろう、ふらふらと大和に近付き、そしてぶつかってしまった。

 

「あいた!?」

「わわ! 兄ちゃん!」

 

 転んでしまった兄に慌てて駆け寄る妹。

 兄が「何だ」と振り返ると、そこには巨躯の黒鬼がいた。

 幼子でも彼の事を知っている。

 いいや、妖怪の子供たちは「悪い事をすれば彼が来る」と言い聞かされてきたのだ。

 

 兄妹は顔を真っ青にした。

 大和はぼぅと二人を見下ろすと、唐突に表情を崩す。

 

 自然ともれた、優しい微笑だった。

 

「チャンバラごっこ、してたのか?」

「う、うん……っ」

「ああああの、わたしたち、悪いこと、しちゃいました……?」

 

 妹が震えながら聞いてきたので、大和は首を横に振るう。

 そしてしゃがみ同じ目線になると、兄と共に頭を撫であげた。

 

「悪いことなんてしちゃいねぇよ。こっちこそすまねぇな、楽しい時間を邪魔しちまって。……ここは大人が多いから、あっちで遊びな」

「……う、うんっ! わかった!」

「ありがとう! 黒鬼さん!」

 

 兄妹はとてとてと拙い足取りで去っていく。

 その後ろ姿を見つめていた大和は、消え入りそうな声で囁いた。

 

「そうだよなぁ……チャンバラごっこくらい、何も考えずにやりてぇよなぁ」

 

 もう一度笑うと、立ち上がる。

 何時もの大和に戻っていた。

 溢れ出た威風と色香に女たちは正気を失うと、我先にと声をかけようとする。

 

 しかし、全員金縛りにかかってしまった。

 指先一つ動かせない。

 そんな彼女たちを尻目に、大和に抱き付く二名の猫又。

 

「ハロハローっ♪ 大和さんおっ久ー♪」

「こんばんは、大和さん」

「お前ら……少し手荒な」

「一番平和的な解決方法にゃん♪」

「格の違いを教えただけです。……藁でも抱いてろ、畜生どもが」

 

 姉、黒陽は金縛りにかけた女たちを無視し、妹の白陽は冷酷無慙に吐き捨てる。

 

 白陽は一変し、金色の双眸を心配で濡らした。

 

「あの……大丈夫ですか? ……大和さん、凄く落ち込んでそうだったから」

「まったく、困ったもんよねぇ神々の関係者は。何でわざわざ首突っ込んでくるかな。自己主張しないと気がすまない? 普通に考えれば大和さんに任せておけば済む話だったじゃん」

「アイツらにはアイツらなりの「譲れないもの」があったんだろうよ」

 

 二名の頭を猫耳ごと撫でる。

 姉妹は揃って金色の目を細めた。

 

「むふふーっ、安心して大和さん。私達がいーっぱい、慰めてあげるから♪」

「大丈夫だ、何も引きずってねぇ」

「にゃんですとぉ!?」

「流石です大和さん……さ、そこの淫乱雌猫は放置しておいて、私と甘味処でも巡りましょう」

 

「はいブーメラン!! 白陽特大ブーメランね!! しかも誘ってる方角に甘味処ないから! 宿屋しかないから! ブーメラン二本目ね!!」

 

「……チッ、面倒くさい」

「そっくりそのまま返すわ!! この幼児体型猫被り毒舌吐きまくり淫乱クソ馬鹿シスター!!」

「な! なんですか今の罵詈雑言は! 貴女だって大和さんに会った瞬間から雌の臭いをプンプン漂わせてるじゃないですか!! このド淫乱牛乳クソビッチ!!」

 

「しゃー!!!!」

「ふしゃー!!!!」

 

 猫耳を逆立て威嚇しあう猫又姉妹に、大和はやれやれと肩を竦める。

 そして両方抱き寄せると、甘く低い声音で囁いた。

 

「仲良くしてたら可愛がってやるぞ。数日間、丹念に。……気絶するまで」

「「……っっ♡♡」」

 

 二名は即上機嫌になり、発情した様子で大和に擦り寄る。

 そんな彼女たちを抱え、大和は裏京都の繁華街へと消えていった。

 

 

《完》



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終末論身近 規格外集う
前編


 

 

 セミロングの金髪に灰色の瞳が特徴的な美少女、黒兎(こくと)

 彼女は元、世界最強の妨害屋であり、現在は大衆酒場のウェイトレスとして働いていた。

 今もせっせと手を動かしている。

 

 時刻は昼間。

 魔界都市は昼夜の概念が逆転しており、昼は静かで夜は騒がしい。

 客層も昼間の方が「表世界より」の者逹が多かった。

 

 しかし今日は急遽、夜まで店仕舞い。

 既に店先には看板が立て掛けられており、店内には誰一人として客がいない。

 

 黒兎とネメアは、二人でゆっくりと掃除をしていた。

 野ばらを含めた先輩たちは夜のシフトなので、基本的にこの時間は二人きり。

 

 黒兎はこの時間を尊いものだと感じていた。

 意中の男性と二人きりでいられるというのは、やはり嬉しいものである。

 何時も無表情な顔を微かに綻ばせていた。

 

 ネメアがふと言う。

 

「ウェイトレスの仕事、慣れてきたな」

「はい。ネメアさんのおかげです」

「助かってるよ。シフトも午前と午後、必ず入れてくれるしな」

「やる事がありませんからね」

「お前ほどの年頃なら趣味の一つでも持っていそうだが……まぁ、強要はせんさ」

「ありがとうございます」

 

 淡々とした返事に、ネメアは苦笑を浮かべる。

 黒兎は「この時間に変えられるものなどありません」と、心の中で呟いた。

 

「しかしアレだ。俺は仮にもお前の保護者であり師匠、教えなければならない事がある」

「例えば?」

「俺の布団に入り込むのをやめろ」

「嫌です」

「即答か……お前ももう年頃の女の子。もう少し異性との距離感をだな」

「大丈夫です。ネメアさんを信頼していますから」

「信頼とかそういう問題じゃ……」

「駄目、ですか……?」

 

 灰色の瞳を潤まされ、ネメアは唸り声をあげる。

 なまじ年齢が幼いため、強く言えない。

 今はまだ、グレーゾーンなのだ。

 

「……あくまで添い寝するだけだ。抱きついたりはするなよ」

「無理です」

「お前は……」

「無理なものは無理です」

 

 プイッと、顔を背けられてしまう。

 ネメアは頭を抱えながら言った。

 

「……本当に、今だけだからな」

「ありがとうございます、ネメアさん」

 

 黒兎は頭を下げる。

 しかし背後でしっかりとガッツポーズを取っていた。

 

(甘いですよネメアさん、私の父親が誰だと思っているんです? ……ふふふ、覚悟していてくださいね)

 

 ポーカーフェイスを維持しつつ、脳内でほくそ笑む。

 彼女の中では既に未来の設計図ができあがっていた。

 

 ネメアは数年後、酷い目に合うだろう。

 

「さて、掃除もこれ位でいいだろう。朝にもしたし、十分だ」

「……そういえば今日は夜まで店仕舞いなんですよね? どうしてです?」

「……同窓会だ」

「同窓会? 一体誰の?」

「俺達の」

「……!!」

 

 ネメアと同年代と言えば、真性の規格外しかいない。

 ネメア自身がそうなのだ。

 四大終末論を踏破せし、神話の英傑逹……

 

「あと一時間もしない内に全員集まる。だから黒兎、その間中央区を散歩しててくれないか? すぐに終わらせる、なにせ同窓会と言っても……」

 

「そうねぇ、ただの同窓会ならよかったんだけどねぇ……そんな理由で「私達」は集まんないわよ」

 

「彼女」は、既に店内へと入ってきていた。

 黒髪を腰まで流した絶世の美女。

 容姿的年齢は二十代前半ほどか。白シャツに黒のスーツ、漆黒のロングコートという出で立ち。

 白シャツを盛り上げている豊満な胸、括れた腰回り。総じて抜群のプロポーションを誇っている。

 そしてブラウン色の双眸には言い得もしない不気味な輝きが灯っていた。

 

 咥え煙草をしている彼女は甘い香りの紫煙を燻らせながら手を上げる。

 

「おっすネメア、お嬢ちゃんも元気してた? あー、私のこと忘れてるかな。前に会った意地悪なお姉さんよ」

「……覚えていますとも、忘れる筈はありません」

 

 黒兎はその場で深く頭を下げる。

 

「お久しぶりです。『調停者』、朧氷雨(おぼろ・ひさめ)さん」

 

 調停者──特異点の亜種であり、世界の拮抗を「物理的に」整える存在。

 

 世界最強の異能力者──朧氷雨。

 

 大和のファースト幼馴染みであり、彼と並んで神魔霊獣から恐れられる怪物(モンスター)だった。

 

 

 ◆◆

 

 

「覚えててくれたの。嬉しいわ、お嬢ちゃん」

「黒兎です、そう呼んで欲しいです。貴女には大切なものを教わりました。今の私があるのは、貴女のおかげです」

「大袈裟よ。あの時はお節介とい名の嫌がらせをしただけ……初対面の相手に言うことじゃなかったわ」

「それでも私は貴女に救われました。その事実は変わりません」

「んー……どう解釈するかは黒兎ちゃんの自由だけど。勘違いしないでね。私は貴方のパパと「同類」だから」

「……っ」

「……フフ、アイツも馬鹿よねぇ。その癖不器用なんだから、幼馴染みとして苦労するわ」

 

 やれやれと肩を竦めながら、氷雨は黒兎に歩み寄る。

 そして屈んで、彼女と肩を組んだ。

 

「で、調子はどう? なんか発展あった?」

「……!」

  

 氷雨は全てお見通しだった。

 黒兎はボンと顔から湯気を出す。

 ネメアは諌めようとしたが、氷雨はシッシッと手を払う。

 

「野郎はお呼びじゃないわよ。あとチョコケーキとミルクティー、お願いね」

「……」

「はやくはやくー♪ 美味しいの期待してるわ♪」

 

 ネメアは毒気を抜かれたのだろう、やれやれと厨房に入っていった。

 氷雨は彼の背を見送ると、ニヤニヤと笑いながら黒兎を抱き寄せる。

 

「お姉さんに話してみなさい、誰にも言わないから」

「……本当ですか?」

「ええ、約束は守るわ」

 

 豊かな乳房をデデンと張られ、黒兎は驚きながらも意を決する。

 真っ赤な顔のまま氷雨の耳元で囁いた。

 

 内容を聞いた氷雨は唖然とする。

 

「……え? 添い寝だけ? ABCにすら至ってないの?」

「はい……その……ネメアさん、ガードが固いので……」

 

 

「…………くぅぅおおらネメアぁ!! この根性無しがぁ!! 金○付いてんのアンタ!? 女の子に告白されて添い寝されて、手ぇ出さないってどーいう事よ!!」

「うるさいぞ!! その子の年齢を考えろ!!」

「この子はアンタの事を愛してるの!! ライクじゃなくてラブなの!! わかってんの!!?」

「想いを否定した覚えはない!! そういった行為はまだ早いと言っているだけだ!! あんまりうるさいとデザート作らないぞ!!」

「……はぁぁ」

 

 氷雨は項垂れる。

 

「駄目だアイツ。神話の時代出身の癖に貞操観念固すぎ……ごめんね黒兎ちゃん、力になれなくて」

「いえ……その、私はああいうネメアさんが、大好きなので……っっ」

 

 アセアセしながらもハッキリと言った黒兎に、氷雨は満面の笑みをこぼす。

 

「黒兎ちゃん! アンタみたいな女の子大好きよ! ネメアには勿体ないくらいだわ! これ、名刺! もし困った事があったら電話しなさい! すっ飛んでくから!」

「え? そんな……」

「貴女がネメアとラブラブしてるの、見たくなっちゃった。応援してるから、頑張りなさい♪」

 

 ポンと頭に手を置かれ、黒兎は思わず破顔した。

 

「ありがとうございます、氷雨さん……また相談とか、乗っていただけると嬉しいです」

「もー遠慮しないでよー!! 可愛いなー!! 黒兎ちゃんかーわーいーいー!!」

 

 頬をスリスリされ、黒兎はあうあうと慌てていた。

 同性の年上に、ここまで可愛がられた事がなかったからだ。

 

 一通り黒兎を愛でた氷雨は、途端に真顔になる。

 

「あ、でもネメアの奴結構モテるから。そこだけは注意ね」

「肝に銘じておきます。今のところ、同志は一人います」

「今度紹介して。貴女の同志なら絶対いい子だから。二人で伴侶ゲットして、必ず幸せになりなさい」

「はい……!」

 

 固い握手を交わす。

 当のネメアは、あえて聞こえないフリをしていた。

 同志なる子にも心当たりがあるが……

 

 ネメアは、そう遠くない未来を想像して一抹の不安を覚えた。

 

 そんな時である……

 

「おーう、この店は変わらねぇなぁ相変わらず。何十年かぶりだってのによぉ……ってあれ? 時間間違えたか? 殆ど集まってねぇじゃん」

 

 現れたのは白いローブを羽織った男だった。

 フードを被っており、殆ど顔が見えない。

 

 正体不明の彼に、氷雨は気軽に話しかけた。

 

「まだ一時間近く早いわよ」

「うっそマジで? ピッタリ登場してお前らの顔を一度に拝みたかったのに」

「異世界渡りすぎで体内時計麻痺したんじゃないの?」

「かもな」

 

 苦笑しながらフードをとる。

 現れたのは爽やかな美青年だった。

 吹き抜ける風のような澄んだ美貌を持っている。

 

 容姿的年齢は二十歳ほど。氷雨より若干若く見える。

 漆黒の髪は肩付近まで伸ばされており、瞳の色は金色。

 服装は魔法使いが多用する厚めの白いローブ。

 下は黒のシャツとズボンという簡素なもの。

 

 黒兎は驚愕で口を開く。

 彼は存在そのものが「違った」。

 長身痩躯ながら鍛え抜かれた肉体。若い容姿からは想像もつかない濃密過ぎる強者のオーラ。

 

 何より魔力。

 量に関しては底が見えない。

 いいや……底など初めからないのだろう。

 無限に溢れ出ている。

 

 質に関しては、そもそも魔力ですらないのかもしれない。

 純エーテルすら越えた何か……破壊と創造、両方を司る超超高密度エネルギーだ。

 

 端的に言って、化け物である。

 彼もまた、四大終末論を踏破せし神代の英傑……

 

「アンタ、相っ変わらず適当な性格よねぇ……グラン」

「お前には言われたくねぇよ、氷雨」

 

 グラン。別名『星霊王』。

 森羅万象を形成する星々の代行者であり、人類として産み落とされた星霊達の王……巨人族や土着の神々の頂点である。

 

 彼は氷雨と気軽にハイタッチを交わした。

 

 

 



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後編

 

 

 グランの登場。

 その意味は、比較的若い世代の黒兎にも理解できた。

 

 同窓会とは名ばかりの世界の命運を決める大会議。

 逸脱した世界最強──EX+の存在たちによる話し合いである。

 

 黒兎が戦慄している中、グランは彼女に視線を向けた。

 

「ん? ん~? ……あれ? お嬢ちゃん名前は」

 

 そこまで言って、グランは「あちゃー」と頭を押さえる。

 

「氷雨、その子を今すぐ外に出したほうがいい。……呑まれかけてる、意識が曖昧だ」

「ヤバっ! ちょ! ネメア!」

 

 ネメアはすぐに現れて黒兎を抱えると、外へ出ていく。

 

 黒兎は耐えられなかったのだ。この場の者たちの圧力に。

 ネメアと大和は比較的「マシ」なほうだが、氷雨とグランは違う。

 顔を揃えてしまうと世界が『圧迫』される。

 黒兎はなまじ才能があるので、その影響をモロに受けてしまった。

 

 暫くして、黒兎の調子を整え終えたネメアが戻ってくる。

 二人は素直に頭を下げた。

 

「「すんません」」

「いや、俺のほうこそ悪かった。黒兎とお前たちへの配慮が足りなかった」

「いやいや、いいって! お前が謝んなよ!」

「しかし……」

「幸い、あのお嬢ちゃんは無事だった! 被害者はゼロ! そんでもって互いに誠意を見せた! ならばよし! 引きずらないでいこうぜ! 親友!」

 

 笑いながら肩を組まれ、ネメアは複雑そうな顔をした。

 そんな彼等を見つめ、氷雨は顔を綻ばせる。

 

 そうこうしている内に、次の来訪者が現れた。

 

「あら、既に半数は揃っていますね。……雰囲気は昔のまま、変わっているのは各々の強さだけと……フフフ。たまには同窓会も悪くないですね」

 

 天女の如き絶世の美少女。

 容姿的には十代後半ほど。しかし醸す色気は高級娼婦を遥かに上回る。

 艶のあるスカイブルーの長髪をサイドで結ってあり、綺麗な髪飾りが添えられていた。

 よく手入れされているため、宝物なのだろう。

 黄金色の目は切れ長く、絶対零度の冷たさを孕んでいる。丁寧口調が更に拍車をかけていた。

 しかし声音は可憐であり、まさに天女の如く。聞いた男たちは種族問わず腑抜けてしまう。

 服装は面積が極端に薄いチャイナ服。最早布であり、スレンダーながらも出るところは出た魅惑的な体付きがクッキリ浮かび上がっていた。

 ブラジャーを付けておらず、パンツは黒のTバック。服装だけで言えば娼婦かなにかだ。

 しかし下品さはなく、むしろ彼女の色気を際立たせている。

 肩からは水色の半袖コートを羽織っており、腰には自作の宝具(パオペイ)らしき中華剣を二本帯びていた。

 

 天道遥(てんどう・はるか)

 

 世界最強の用心棒であり、嘗て四大終末論を踏破した最古参の超越者。

 全ての神々の始祖──原初の女神、超越神『天道至高天』の転生体。

 

 大和のセカンド幼馴染みである。

 

 彼女を見た氷雨の反応はわかりやすかった。

 嫌悪感を丸出しにして毒を吐く。

 

「半裸の痴女が現れたわ……目が腐る。ああ、目が、目がぁぁ」

「あら、貴女もいましたの。陰険目付きの万年発情期、暴力系ヒドインの自称大和のファースト幼馴染みさん?」

「万年発情期とかww その格好で言われても草しか生えないわ。大和の上でアンアン喘ぐことしか取り柄のない淫乱堕女神がよくもまぁ」

 

「……ハァ? 表出ろやブス。魂ごと滅却してやるから」

「ア? やんの? 死んでも知らないわよ?」

「ア゛?」

「アア゛ン?」

 

 目と鼻の先でメンチを切りあう氷雨と天道。

 調停者と超越神の殺気は、ネメアが本気で展開している超高密度多重障壁とオリュンポス十二神の加護を面白いほど歪ませた。

 

 隣ではグランが腹を抱えて笑っている。

 

「ダーッハッハッハ!! 出た!! 名物、世界最強の痴女喧嘩!! どっちも頭に特大ブーメラン刺さってるっての!! ギャーッハッハッハ!!」

「ハッキリ言うな、お前は……」

「てかこの店軋んでね? 大丈夫か?」

「いいや、ぶっ壊れそうだ。メンチで倒壊とか洒落にならん。力を貸してくれグラン」

「ハッハッハ! 俺よりも適役がいるぜ! ほら!」

 

 グランが指した先では次元の歪みが生じていた。

 現れたのは第三の絶世の美女。

 真紅のドレスと豊満な肢体が凄絶な色香を醸している。

 しかし同時に発せられている不気味なオーラはネメアやグランにすら悪寒を覚えさせた。

 

 彼女は非常に特異な存在だった。

 赤みを帯びた金髪を揺らしてやれやれと溜め息を吐く。

 

「予想はしてたけど案の上ね。このままだと余波で世界が滅びかねないから、この店に最上位の結界を施してもいい? ネメア」

「ああ、助かるよ──エリザベス」

 

 黄金祭壇のNo.1。世界最強の魔導師、エリザベスはパチンと指を鳴らして結界を張り巡らせる。

 そうしておもむろに振り返った。

 

「まだ早いと思ったけど……来て正解だった」

 

 その言葉に全員が振り返る。

 そこには堂々たる体躯を誇る褐色肌の美丈夫がいた。

 彼は野性味溢れるギザ歯を剥き出す。

 

「ハハハ! なんだよ全員いるじゃねぇか! 懐かしい顔ぶれだなぁオイ! 数億年ぶりか? 全員集まるのは!」

 

『調停者』、朧氷雨。

『星霊王』、グラン。

『超越神』、天道遥。

『災厄の魔女』、エリザベス。

『勇者王』、ネメア。

 そして『黒鬼』、大和。

 

 規格外のEX+の存在が今、顔を揃えた。

 

 

 ◆◆

 

 

「で──形式的には同窓会だっけ?」

「そうね、形式上は。……それよりも」

 

 エリザベスは呆れた様子で大和「たち」を見る。

 

「それ、どうにかならない? というか話聞ける状態なの?」

 

 大和の両脇には天道と氷雨が侍っていた。

 二人とも堪らなそうな、蕩けた表情で大和の腕に抱きついている。

 

 大和はカラカラと笑った。

 

「喧嘩されるよりはマシだろ! 濃厚な口付け一発で済むんだ! 安上がりだぜ!」

「そういう問題じゃ……はぁ、いいわ。大人しいに越した事はないし」

 

「ヒュー! 大和ヒュー!」

 

「貴方は黙ってて」

「お前は黙ってろ」

 

「ちぇー、エリザベスとネメアはノリ悪いなぁ」

 

 不貞腐れるグラン。

 まぁまぁ常識人寄りの二人は鈍痛のする額を押さえる。

 

「もう面倒臭いから、簡潔に説明するわ。今、世界の情勢が非常に不安定になっているの」

「んー、確かにヤバそうな集団がいるな。一つ、二つ、三つ……スゲぇな、この三つはマジでイカれてるぜ。どうしたらここまで大きくなる?」

 

 グランの星詠みにエリザベスは頷いた。

 全くもってその通りだからだ。

 

「今まで謎だった第三勢力がようやく明らかになったわ。……総合テロ組織『リベリオン』。首領はバビロンの大淫婦よ」

 

 バビロンの大淫婦という単語に、大和は反応する。

 

「アイツか……なら666、黙示録の獣もいるな。すると、色々不可解だった点も繋がる。……七魔将にネオナチ、そんでリベリオンか。ククク、賑やかになってきたな」

 

 面白そうに笑う大和。

 エリザベスは呆れながらも、この場にいる皆に問いかけた。

 

「じゃあもう締めるけど、最後にあなた逹のこれからを教えてほしい。黄金祭壇のリーダーとして、聞いておきたいわ」

 

 エリザベスの言葉に、グランはおどけた調子で両手を広げる。

 

「俺は何時もどーり、星の管理をするだけだ。必要なら手を貸すぜ? だが……大和とエリザベスで十分だろう。今のところは」

 

 氷雨と天道も同じような返答をする。

 

「私も普段と変わらないわ。調停する必要があればする、それだけよ」

「私は世界を創造しただけです。未来は自分たちで決めて貰います」

 

 そして、ネメアは……

 

「俺も殆ど関与しない。今はこの店の主である事が全てだからな。それに……新しい終末論が来るのなら、それを越える新しい英雄たちが現れる筈。だったら、ソイツらに任せておけばいいだろう」

 

 ネメアの、ある意味深い言葉に、大和も頷く。

 

「ネメアの言う通りだぜ。この時代で起きる問題だ。この時代を生きる奴等が解決する。……そう、本来ならな」

「…………」

「いいんだぜ? 俺達が代わりに解決しても。そのかわり、未来も糞もねぇがな」

 

 大和は鼻を鳴らしながらテーブルに足を乗せる。

 

「世界なんざ依頼をこなすついでに救える。お前も世界を護るついでに人類を救える。つまり──世は事もなし、だ」

 

 笑いかけられ、エリザベスは冷たかった表情を微かに崩した。

 

「そうね……その通りだわ。何だかんだ言いつつ、それが一番安心する」

「そうかい」

「フフフ」

 

 エリザベスは優雅に微笑むと、一変して子供の様な笑みを浮かべた。

 

「ついでに私の面倒を見て貰おうかしら、ストレスが溜まったから♪」

 

 瞬間、大和とともに消えた。

 氷雨と天道がすかさず反応する。

 

「エリザベスあいつ!! 大和を転移魔導でかっさらったわね!!」

「……油断も隙もありませんね、あの狸娘」

「チッ、こっちはこっちで捜すから付いてこないでよ? 淫乱女神」

「こっちの台詞です、自称ファースト幼馴染み」

 

 二人とも長距離転移で消えていく。

 そうして店内は野郎二人だけになった。

 

 個性的な女性陣がいなくなったので、グランは好き勝手言いはじめる。

 

「大和の奴、よくあんなダルい女たちと関係持てるよなぁ……俺ならストレスで吐いてるぜ」

「そういう問題か?」

「娼館とかでパパッと済ませたほうがいいだろ、後腐れないし」

「お前も大概だな」

「だって男だもん、性欲くらいあるさ。……ただまぁ、大和ほどじゃねぇかな。アイツはヤバい」

 

 グランは苦笑しながら立ち上がる。

 彼はフードを被り顔を隠した。

 

「そんじゃ、またなネメア。困った事があったら言えよ? すぐに駆け付けるから」

「ありがとう。お前も星々の管理、頑張れよ」

「サンキュー、バイビー親友♪」

 

 最後に爽やかな笑顔をこぼして、グランは消えていった。

 ネメアは新しい煙草に火を付けると、大きく背伸びする。

 

「さぁて……夜に向けて下準備をするか。いや、その前に黒兎の調子を見に行こう。心配だ」

 

 ネメアも店の外へ出る。

 こうして、規格外たちの同窓会はアッサリ終わった。

 

 

《完》



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歌舞伎町狂乱花
前編


 

 

 東京都新宿にある大歓楽街「歌舞伎町」。

 眠らない街とも呼ばれ、深夜になっても七色のネオンがギラギラと煌めいている。

 飲屋街やカラオケ屋、ゲームセンターや漫画喫茶、キャバクラや風俗店など、大小問わず欲を満たせる施設で溢れ返っていた。

 

 歩いていれば客引きの姉ちゃん兄ちゃんに声をかけられ、酔っぱらいが千鳥足で横を通りすぎる。

 オラついた若者たちが何処らかしこにたむろしており、不用意に関わってしうと睨みつけられ、最悪喧嘩を売られてしまう……

 そんな、日本においては「かなり治安の悪い街」。

 此処に今宵、黒き鬼人が現れた。

 

 歩けば勝手に道ができあがる。

 ギャルもキャバ嬢も関係なく「女」であれば陶然と立ち尽くし、粋がっていた若者たちは本物の風格にあてられタジタジとする。

 

 この世の者とは思えない、美貌と威風。

 

 容姿的年齢は三十代前半。生まれは……わからない。日本人? それとも外国人?

 

 顔立ちは端整で男前。

 灰色の三白眼はどこまでも冷たく威圧的で、黄金比率で整えられた鼻梁、皺一つない褐色肌、瑞々しい唇。そして肉食獣の如きギザギザの歯が異端の美貌を際立たせる。

 美と野生を混同させた、ある意味単純なイイ男だ。

 

 滲み出す色気が尋常ではなく、近くにいる女たちは股を濡らして堪らなそうに吐息を漏らす。

 堂々たる体躯はなんと二メートルを優に超えており、喧騒から頭一つどころか三つ以上抜けていた。

 それでいて筋骨隆々。骨が太く、肉が薄い。

 必要なものだけしか肉体に取り付けていない。

 

 あえて例えるなら日本刀。

 形式的な美の頂点、鍛えに鍛え抜いた業物。

 必要そのものであり、無駄が一切ない。

 

 服装は黒と白の浴衣、そして下駄に真紅のマント。

 カランカランと下駄でコンクリートを鳴らし、艶やかな黒髪が真紅のマントと共に夜風に靡く。

 

 あらゆる種族の女たちが夢想する理想の雄。

 色気と暴力性を兼ね備えた魔性の美丈夫。

 

 何故、彼の様な存在がこの街にいるのか? 

 そもそも、何故自分達は彼の存在を知らなかったのか? 

 

 男たちは戸惑い、畏怖し、最後には僅かに羨望し……

 女たちは性格もなにも関係なく魅了され、ただただ立ち尽くす。

 

 歌舞伎町という街を塗り替えていきながら男……大和はぼやいた。

 

「やっぱり日本は平和だな……治安悪くてコレだろう? 笑えるぜ。イイ意味でな」

 

 彼にはここが極楽浄土に見えていた。

 悪名高いあの魔界都市と比べれば、ここはまるでテーマパークのようである。

 

 

 ◆◆

 

 

 歌舞伎町一丁目に、とある暴力団の事務所があった。

 

「山吹組」

 表向きは善良な金融会社だが、裏で恫喝や売春、武器や薬物の売買などで歌舞伎町を支配しているタチの悪いヤクザである。

 ここ数年で一気に勢力拡大し、元々根付いていた暴力団を一掃。現在、歌舞伎町の商いのほぼ全てを管理していた。

 警視庁も迂闊に手を出せないほどである。

 

 そんな泣く子も黙る山吹組が現在、メラメラと殺気立っている。

 理由は不明。彼等と関わり深いホステスやキャバクラのオーナーらは慎重に、慎重に言葉を選んでいる。

 

 今、歌舞伎町は静かに荒立っていた。

 

 山吹組の本部事務所、組長室にて。

 厳つい男たちを縦に並ばせながら、組長であろう男は机をぶっ叩いた。

 大理石の机がまるで豆腐の様に砕け散る。

 見習いのヤンキーたちはあまりの光景に顔面蒼白となった。

 とてもではないが、人間の力でぶっ壊せるものではない。

 ヤンキーの一人があまりの恐怖に小便を漏らす。

 それを見つけた幹部の一人が怒鳴りつけた。

 

「オイゴラァ!! 床ァ汚してんじゃねぇぞ!! ぶっ殺されてぇのか糞餓鬼ィ!!」

「ひ、ひぃァ……! す、すいません! 俺達で言い聞かせておくんで! ここはどうか!」

 

 リーダー格であろう金髪の青年が庇うように前へ出る。

 涙目で何度も何度も頭を下げた。

 

「大体テメェら!! ろくに働けねぇ癖して……」

「オイ、黙れよ佐川(さがわ)……ブチ殺されてぇのか?」

 

 酷くドスのきいた声だった。

 幹部、佐川は振り返り勢いよく頭を下げる。

 

「すいやせん!! 組長!!」

「はぁ……オイ、糞餓鬼ども。外で暇ぁ潰しとけ。なんかあったらすぐに連絡しろ。……あと、今のことを少しでも言いふらせば親族もろとも……わかるよな?」

「は、はぃい……っ」

「わかったらさっさと出ていけ」

 

 逃げるように出てったヤンキーたちを見つめ、組長は頭を抱える。

 

「俺も逃げれるなら逃げてぇよ……責任を負わない立場ってのはズリィ。羨ましくもある」

「現実逃避してもはじまりませんよ、親父」

 

 スキンヘッドか目印の筋骨隆々の大男……側近、伊達(だて)がオイルライターを手に取る。

 組長は煙草を咥え、火を付けて貰った。

 

 角刈りと逞しい肉体、そしてスーツの首元からでも見えてしまう和彫りがなんとも厳つい。

 この男こそ山吹(やまぶき)……歌舞伎町の事実上の支配者である。

 

 彼は紫煙をくゆらせた後、怒りのあまり煙草の先端を噛み潰した。

 

「デスシティのチンピラ共がァ……ッ、ウチのシマで好き勝手暴れやがって……!!」

「現在の被害はケツモチの、水商売の女が四人……それだけならよかったんですが」

「ああ、それだけならどうにでもなった……問題は警視庁の特殊捜査官とかいう鼠が出てきて、あろうことか拉致られた事だ……バカか!! バカなのか!? クソったれ!! 面倒臭ぇことしかやがって!!」

 

 隣にあった大理石の椅子を蹴り飛ばし、粉砕させる。

 怒髪天とはまさにこのことだ。

 百戦錬磨の幹部たちも何名か怯えている。

 

「どーすんだよ!! 警視庁とは極力関わりたくねぇ!! モグリとも上手く話して距離感保ってたんだ!! それなのに……!!」

「デスシティの小癪な馬鹿ども…… 全くもって忌々しい」

 

 伊達も苦渋で顔を歪める。

 山吹はガシガシと髪を掻き毟った。

 

「始末しようにも悪知恵働かせて逃げやがる!! クソッ!! さっさとしねぇと……こんな失態、『あの御方』に知られちゃぁ……!!」

 

 組長がそこまで言って、話は寸断される。

 下っ端の一人が室内に飛び込んできたからだ。

 組長はブチブチと頭の血管を切らしながらも、極めて冷静に聞く。

 

「オイ、なんの用だ……もしもどうでもいい内容だったら……」

「あ、あああああの、すいやせん!! お客人です!!」

「アア゛ッ!!!? 客人だァ!!? テメェには今の俺達が歓迎ムードに見えるのかよ!!!! なんならその腐った目ん玉ホジクリ返して……」

 

「落ち着けって、うるせぇなァ……耳がキンキンする」

 

 ヌッと、腰を折って扉をくぐってきた大男。

 浮き世離れした美丈夫を目にして、山吹は顔面を真っ青にする。

 

「や、大和さん……っ、なんで、こんな場所に……」

「お前らの「本当の上司」からの依頼だ。ほれ、直接本人から聞け」

 

 大和は自身のスマホを突きだす。

 そこには、彼らの本当の上司が映っていた。

 

 歴戦の横綱を彷彿とさせる巨躯の紳士。

 堀りの深い顔立ちと、仏のような柔和な笑みが特徴的である。

 

 組長はガクガクと震えながら囁いた。

 

「た、大将……っ、なんで……っ」

 

 大将と呼ばれた男……日本国の総理大臣、大黒谷努(だいこくだに・つとむ)は、柔らかい笑みを崩すことはなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

『山吹くん、ダメじゃないか。何かあったら報告しないと。「ほうれんそう」ができてないね?』

「へ、へい!! この件につきましては、本当に何と言ったらよいか……!!」

 

 今までふんぞり返っていた組長が、何時の間にか土下座の体勢に入っている。

 他の幹部たちもだ。

 

 最大限の謝罪の意を示している彼らに、努は変わらない口調で告げる。

 

『怒ってはないよ、怒っても何もはじまらないから。問題はそこじゃない。……わかるよね?』

「……ッッ」

『君達が苦戦しているデスシティの傭兵たち……随分頭が回るようだ。まず、デスシティ関連になったらすぐ僕に報告しなきゃ。君達の忠誠が厚い事はわかってるけど、自分達でどうにかしようとするのはよくない。……今回は典型的な例だ』

 

 微笑みを崩さない努と、脂汗を噴き出す組長たち。

 対照的だった。

 

『今回は僕たちで解決する。だから山吹くん、関係者たちを落ち着かせて、何時も通り歌舞伎町を支配してくれるかな?』

「ん……何だ努ちゃん、殺さないのかコイツら」

 

 スマホを持っていた大和が初めて口を開いた。

 その場の空気が凍りつく中、努は朗らかな声音で告げる。

 

『こんな事で殺していたら人材不足になっちゃうよ。山吹くんは反省してる。何より、頭のいい子だ。二の轍は踏まない……そうだよね?』

「勿論です!! 今後、細心の注意を払います!!」

『ほら、いい子だ。だから問題ないよ、大和くん』

「……ふーん、OK。じゃ、依頼をはじめるわ」

『よろしく頼むよ。既に位置情報はわかっていてね……』

「おう、詳しく聞かせてくれ」

 

 大和はそのまま去っていく。

 ヌッと扉を潜り、階段を下りていく足音が聞こえてくれば……山吹はゆっくりと頭を上げた。

 額を地面に擦り付けたせいで大理石の破片が食い込んでいる。

 しかし彼は安堵のあまり、大きな溜め息をはいた。

 

「テメェら、あの御方はデスシティで潰されかけていた俺達を見初めてくれた恩人だ。だが……日本の治安、経済諸々を一人で纏め上げている怪人でもある。俺も細心の注意を払うから、お前たちも注意してくれ。俺がやらかしそうになったら、遠慮なく言え」

『……へいっ!!』

 

 

 ◆◆

 

 

『全く……困ったものだよ。八天衆の解散以降、勘違いをする子たちが多くてね。今回の件もそうだ。日本は大事件が起きていないから、治安が良いからと、調子に乗る子たちが現れる』

「考えればわかる事なんだけどな。何で日本の治安がいいのかなんて……」

『まぁ、仕方ないよ。僕は温厚な男で通っているから。でも、だからかな? 各国の勢力がまぁうるさいのなんの……』

「苦労してんのな」

『僕の、いいや国民の平和のためだよ。我慢できる。まぁ、その国民にも噛みつかれている始末だけど……』

「全員殺せばいいじゃん。格安で受けてやるぜ? 依頼」

『そうもいかないさ。野党の連中に警視庁、極道「五十嵐組」に日本呪術協会と……必要なカードばかりだ』

「はー、面倒臭ぇ」

『ふふふ。でも僕は恵まれているほうなんだよ? 何せ、君という最強のカードと友達になれているんだから……。僕自身、お金にも娯楽にも愛人にも困ってないしね』

「……蝙蝠(こうもり)め」

『こんな丸々太った蝙蝠なんていないよ』

「ほざきやがる! お前のそれは全部筋肉だろうが! まだ現役でもいけるだろう?」

『んー……まぁ、まだ若い子たちには負けないかなぁ』

「死ぬまで負けねぇよ、お前は。毎度会う度に微妙に成長しやがって。欠かさず鍛練してんだろう?」

『ラジオ体操みたいなものさ』

「ハッ! 何処までも食えねぇ奴! まぁいいぜ! お前みてぇなわかりやすい奴は大好きだ!」

 

 大黒谷努。真名を関太郎吉(せき・たろうきち)

 信濃国小県郡大石村出身の元・大相撲力士。

 四股名は「雷電爲右エ門(らいでんためえもん)」。

 

 史上最強と名高い相撲取りだ。

 

 彼は数十年前、世界最強の拳法家四名に与えられる「四大魔拳」の称号を返上し、日本の総理大臣になった。

 

 愛国者である彼は最強の称号よりも母国の安寧を優先したのである。

 

 大和は嗤いながら告げる。

 

「そんじゃ、俺は『通りすがりの第三者』を貫き通せばいいんだな?」

『そ。僕との関係をバレちゃ駄目。犯人は殺せばいいけど……警視庁の、特務課の子は別。後々面倒になるから』

「OK、黙らせ方はこっちの流儀でいいか?」

『勿論。あと……その捜査官の子、かなり可愛いよ』

 

「写真、写真プリーズ努ちゃん」

 

『はい、送ったよ』

 

 送られてきたのは凛々しい美少女の写真だった。

 美少女に見えるだけで、年齢は二十歳前半かそこら。

 童顔かつ小柄なので、勘違いされやすいだろう。

 どんぐりの様な瞳も重なって、小動物的な可愛らしさがある。

 しかし漆黒色のパンツスーツを着こなす凛々しい顔立ちは、成る程未熟ながらも戦士の面構えだ。

 そして程よく鍛えられた女体、隠そうとしても隠しきれない豊かな乳房のラインは、パンツスーツの上からでも確認できた。

 

 大和は満足そうに頷く。

 

「ベリーグッド。俺流の黙らし方、女バージョンで行かせて貰うぜ」

『全く君は……面倒な女だよ彼女は。立場も、性格も』

「攻略のし甲斐があるってもんだぜ。なぁ、努ちゃん?」

『全部任せるよ。君は失敗しないから』

 

 



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後編

 

 

 

 二丁目にある建設が頓挫した廃墟にて。

 心霊スポットとして有名なこの場所には今、人払いの結界が施されていた。

 入り口にも多数のトラップが仕掛けられている。

 デスシティの住民でも、入ったら生きて戻ってくる事は難しいだろう。

 表世界の者なら尚更だ。

 

 夜の喧噪が遠く感じる、三階の広間にて。

 荒んだ室内には最低限の家具しか置かれていなかった。

 机の上にはカップラーメンの残骸が山となり、隣では同じくらい山盛りになった吸殻とそれを蓄えた灰皿が並んでいる。

 むせ返るような紫煙と微かに残る安物の香水の香り……そして、一番奥の部屋から漂う激烈な血臭。

 

 この場にいる者たちは計三人。

 二人は屈強な男たちであり、もう一人の女性は全身を縛られベットの上に放り投げられていた。

 彼女はキッと涙目で男たちを睨み付けている。

 ありったけの罵詈雑言を吐きたいのであろうが、猿ぐつわをはめられており何も喋れない。

 携行していた銃器、護身具も全て没収されていた。

 

 男の一名は数本の煙草を一気に咥え、至福の一時を味わっていた。

 黒のタンクトップにジーパン、二メートルを優に越える巨躯。堀りの深い顔立ちとくすんだ金髪が海外の者である事を示唆させる。

 見るからに暴力的な男は金髪をかき上げながら相方に聞いた。

 

「もうそろそろいいんじゃねぇの? 潮時だぜ相棒」

「勿論。二兎追うものは一兎も得ず……いい言葉だ。自分達にとって分相応なラインを理解しているのは重用だよ」

 

 応えたのは痩躯の美壮年だった。

 枯れた印象を与えるが、纏う冷気は殺人鬼のそれ……

 

 この二人は長年コンビを組んでいるベテランの傭兵だ。

 今回も抜群のコンビネーションで歌舞伎町を混乱に陥れている。

 相方がビデオカメラを含めた機材を調整しているのを見て、外人は問いを重ねる。

 

「で──どうするよ? この戦士気取りのお嬢ちゃんは」

「前の女たちと一緒だよ。犯して犯して犯し尽くして、ゴミのように捨てる。ただ今回は動画を取らせて貰う。それが今回の本命だからね」

「意味がわからねぇな。SNSを用いて一斉配信でもする気か? 確かにこの国を混乱に陥れる事は可能だろうが……」

 

 昨今、インターネットを通じて世界中の者たちが情報を共有できるようになった。

 今から行われる狂事を多数の媒体でアップすれば、日本どころか世界中を大混乱に陥れられるだろう。

 

 しかし、それが自分達にとって利益になるかは別だ。

 

「我々はお祭り騒ぎが好きな馬鹿どもとは違う。レイプの動画を見たいなら曰く付きのポルノ動画でも漁ればいい。……提供する者を考えなければね」

「具体的には? ハッキリと言えよ相棒」

「警視庁……君達で言うところのFBIに似たような組織さ。そこのお嬢さんが所属している」

「OK、理解した。成る程ねぇ……となると警視庁の奴等は俺達みたいな存在がいる事を知らねぇと?」

 

 壮年は頷く。

 

「上層部の極一部くらいだと思うよ。あくまで表世界の組織だから。そう考えると、効果的だろう? こんな動画を送られたら、面子どころの騒ぎじゃなくなる」

「確かにな、いい性格してるぜ相棒。だが、肝心の金は手に入るのか? 交渉材料としては安物だろう。俺達の命も保障できねぇ」

「安心してくれ。僕たちが直接送るわげじゃない。……こういう動画を欲している組織は、デスシティには山ほどある」

「ヒュー♪ さすが相棒♪ 全部解決じゃねぇか! いくらになりそうだ!?」

「山分けでも億は確実だろう。全く……素晴らしい仕事だ。そう何度も行えないのが欠点だけどね」

 

 二人は笑い合うと、ベッドに放り投げている警視庁のエージェントを見る。

 彼女は気丈に二人を睨み付けるも、微かに体を震わせていた。

 恐怖のほうが勝っているのだ。

 

 仕方ない事だ。日本のみならず、海外でも彼等ほど「危ない男たち」はいない。

 女を犯して殺して捨てて、それを何とも思わない。

 更に国を揺がすほどの騒動の種をビジネスだと言い切っている。

 

 イカれている。サイコパスとか、そういう次元じゃない。

 根底にある価値観が違う。

 人の姿形をした、悪鬼たち……

 

 特殊捜査官……粟野真来(あわの・まき)は恐怖を覚えながらも、今自分ができる精一杯のことをしていた。

 髪止めを何とか落とし、両手足を縛る縄を切っている。

 携行していた武装はほぼ取られてしまったが、幸い五体は無事で、足元には手頃な鉄棒がある。

 

 射撃テストを常に百点、かつ剣道柔道空手合気道の有段者である彼女は、警視庁の誇る戦力の中では最高峰に位置していた。

 女だからと、舐めてもらっては困るのだ。

 

 あともうすぐで縄が切れる。

 そうすれば、足元の鉄棒で犯人たちを無力化できる……

 

 そう考えている真来に対し、外人は笑いながら聞いた。

 

「髪止め、何時取った?」

「……っ」

「肩まで届かなかっただろう、黒髪」

 

 縄が切れたのはほぼ同時だった。

 真来はすかさず鉄棒をとると、前転して距離を詰める。

 そして巨躯の外人の顔面に思いきり振り下ろした。

 殺してしまうかもしれない……が、今はそんな余裕はない。

 

「……かー、やんちゃなお嬢ちゃんだ」

 

 手の甲でガードされた。

 鋼鉄でもぶっ叩いたかの様な衝撃が真来の両腕に奔る。

 暫く両腕が使えない……それでも真来は諦めず、爪先を鋭くして外人の金的を蹴りあげた。

 しかし彼は平然としている。

 

「鋭いが力がねぇ……所詮こんなもんか、女ってのは」

「~ッッ!!!!」

 

 真来はキレて中段蹴りを見舞うも、体勢を崩されベッドに倒れる。

 まるで壁でも蹴ったかのような感触だった。

 相手が巨躯の外国人だからと、そんな次元の話ではない。

 倒れた真来の上に股がり、外人はその動きを押さえる。

 そしてやれやれと肩を竦めた。

 

「無駄な抵抗はよせよ、こんな華奢な体で何ができるってんだ。技術云々じゃねぇ……リスはどう足掻いても熊には勝てねぇ」

「……っっ」

「おおっと、猿ぐつわをしてんだったな。外してやっから、いい声で喘げよ?」

 

 猿ぐつわを取られると、真来はありったけの激情を吐き出した。

 

「ふざけないで!! 貴方たちの思い通りにはならないわ!! 凶悪なテロリストたち!! 五体満足で逮捕してもらえるだなんて思わないことね!!」

 

 その叫びに対し、外人はゲラゲラと嗤った。

 

「いい加減自分の身を心配したほうがいいぜ! お嬢ちゃんは今からレイプされて、ゴミのように処分されるんだからな!」

「ふざけないで!! 女だからと舐めていると痛い目に合うわよ!!」

「実際に舐められてもしゃあねぇだろ? この現状じゃあ……なぁ? 」

「……っっ」

 

 真来は咄嗟にパンツベルトの金具を弄り、隠していたホルスターを展開する。

 そして超小型の自動拳銃を発砲した。パンパンと、乾いた音が響き渡る。

 相手の生死を問わない、本当の意味での最終手段だったが……

 

「こんな豆鉄砲で何がしたいんだ?」

「ウソ……っ」

 

 外人が着ているタンクトップに穴を空けただけで、肌には傷一つ付けられていない。

 破裂した弾頭がベッドの上に転がる。

 分厚過ぎる筋肉が銃弾を無効化したのだ。

 

 ありえない。

 耐えるならまだわかるが、効かないとはどういうことだ?

 超小型とはいえ、銃火器だ。人間の皮膚など容易く貫通する筈……

 

「今のやり取りである程度の実力はわかったが……表世界の基準での話だ。どうやら俺達「裏の世界の住民」の恐ろしさを知らないらしい。故郷のFBIを思い出すぜ……」

 

 真来の口に異物が詰めこまれる。

 外人の手の甲だった。歯と唇を押さえこまれ、喋る事ができなくなる。

 猛烈な血臭と男の臭いが、真来の戦意を恐怖へと変えた。

 

 肩を握られ、体をなぞられる。

 男という存在が大嫌いな真来は、否応なしに生理的嫌悪を覚えた。

 

 外人はいやらしい笑みを浮かべると、携行していたサバイバルナイフで真来の上着を切り裂く。

 下から一気に断たれた事で、シャツどころか下着も裂かれてしまう。

 若い女の香りと共にシミ一つない白い肢体が現れた。

 そして弾み出た豊満な乳房に、外人は思わず涎を垂らす。

 

「ワオ、スゲェ……お嬢ちゃん着痩せするタイプだな? H カップは余裕でありそうだぜ」

「……っっ」

「何だ、まだそんな顔ができんのか……まぁいい。今から犯しまくって歪ませてやるんだから、そそるってもんだ。おー先端も桃色で、肌も白い。男を知らねぇなぁ」

「~!!!!」

 

 真来は思いきり暴れようとするが、完全にマウントを取られているため無駄に終わる。

 外人は涎まみれの舌を垂らし、桃色の先端に吸い付こうとした。

 

「相棒、もうはじめるぜ♪」

「了解。見せしめ感覚でグチャグチャに犯して欲しい」

「任せろ♪」

 

 乳房を吸われる。犯される。その映像を取られてしまう……

 真来は絶望のあまり叫んだ。

 しかしその悲鳴は、声になっていなかった。

 

 だが届いた。

 あの男に……

 

 ふわりと香水の香りが漂った。

 その芳香は真来どころかテロリストたちをも一瞬陶然とさせる。

 

 しかし彼らはすぐ正気に戻り、振り返った。

 多数のトラップを仕掛けた筈の入口の手前に、褐色肌の大男が立っていた。

 和装の、妖異にも似た雰囲気を漂わせる彼は、わざとらしく小首を傾げる。

 

「なんだ? AVの撮影現場かここは?」

「ッッ」

「世界最強の殺し屋、何故ここに……!!」

 

「俺が此処に来た理由? わかりきってんだろそんなの」

 

 大和は嘲笑を浮かべた。

 その嘲笑すら美しくて、真来は呆然としてしまった。

 

 

 ◆◆

 

 

「ふぅん……」

 

 大和は拘束されている真来とその上に股がる外人、そしてビデオカメラを携える壮年を見やる。

 

「仮にAV撮影だとして、男優とカメラマンがなぁ……内容もマニアックすぎる。まだデスシティの安物ポルノ漁ってたほうがマシだぜ」

「……アンタがAVなんて見るのかよ」

「見ねぇよ、そーいう店に入った時に目にするくらいだ」

 

 軽く応答した大和の顔面に、素早く銃弾が打ち込まれる。

 たて続けに発砲音が響き渡った。

 真来は悲鳴にならない声をあげる。

 

 壮年の、精密無比な早撃ちだ。

 

「流石だぜ相棒! ナイスタイミングだ!」

「油断しては駄目だ! 全弾綺麗に入った! そんなの、本来ありえない!」

 

 音速の超射撃は真来には到底理解できない領域だった。

 彼女の目には一度の発砲音で薬莢が複数落ちているように見えた。

 

 まさしく人智を越えた絶技。

 しかし……

 

「比較的柔らかい目玉を撃った後に容赦なく連射か……偶然「まばたき」をしてなかったら危なかったかもしれねぇ」

 

 反らした顔を上げれば、大和は目蓋で銃弾を受け止めていた。

 壮年は思わず呻く。

 

「化け物か……対人用とはいえ、魔獣の甲殻すら貫く強化徹甲弾だぞッ」

「BB弾みてぇなもんだ」

 

 目蓋から弾丸を取った大和へ外人がすかざずタックルをかます。

 その屈強な肉体を生かした豪快な一撃は、読まれていたため両手を掴み合う形となった。

 

 外人は不敵な笑みを浮かべる。

 大和を見上げ、その岩石の如き筋肉を隆起させた。

 

「ハッ、モンスターでも俺の筋力には敵わねぇよ。俺ぁ体内に鬼の細胞を埋め込んでんだ。薬物の過剰摂取も加えてその筋力は……いいィ!!?」

「それがどうした? お前……俺に腕力で勝つつもりなのか?」

 

 メキメキと嫌な音が鳴り、外人の両腕はねじ曲げられる。

 断末魔の悲鳴が上がった。

 

「ぎィやぁアアアアアア!!!! 腕がァァァ!! 骨ごとッッ、ねじ曲げられ……イイイイイッッ!!?」

「あー煩ぇ、男優の喘ぎ声なんざ聞きたくねぇよ」

 

 大和は軽く裏拳を見舞う。

 首が何回転も回った。

 最後には白眼を剥いて、外人は絶命する。

 

 やれやれと肩を竦めて振り返ると、そこにはカメラを携えたまま真来を抑える壮年がいた。

 彼は吠える。

 

「動かないでくれ! 動けばこの娘の命はない!」

「ほぅ」

「最後のチャンスだ、MR.大和……私を見逃せ。でなければこの動画を多数のSNSを用いて一斉配信する」

「……」

「我々の存在が公にバレる……それは貴方にとってもマズい筈だ。世界各国で大騒動が起こるぞ。国内だけには到底収まらない……それが嫌だったら」

「やれよ」

「……!?」

「どうした? やれよ」

「……ッッ」

 

 壮年は一瞬考える。

 一斉配信したとして、世界を混乱に陥れる事はできるだろう。

 だが自分の命は? その先、生きていられるのか? 

 

「どっちみち死ぬんだよ、お前は」

 

 壮年の首が跳ぶ。

 大和は腕を薙いだだけだ。

 鍛え込んだ指先は岩石を穿つこともできれば、鋼鉄を切り裂くこともできる。

 

斬鉄指(ざんてつし)

 

 間欠泉のように吹き出す血から顔を背け、大和は真来と顔を合わせた。

 

「無事か? お嬢ちゃん」

「いえ……あっ……その……貴方は、一体……」

 

 間近で魔性の美貌に当てられ、真来は顔を赤くして惚けていた。

 大和はそんな彼女を抱き上げる。

 

「俺は通りすがりの悪い男だ。お嬢ちゃんが気に入ったから、拐いに来た」

「……っ、え?」

 

 怪訝に思った真来の耳に、複数のサイレン音が入ってくる。

 パトカーのものだ。こちらへ向かってきている。

 

「……!!」

 

 真来はようやく正気を取り戻した。

 羞恥で丸見えだった乳房を隠す。

 そんな彼女の額に、大和はキスをふらせた。

 優しい、心まで溶かすキスだった。

 

「今夜は俺に拐われてくれ……お前を慰めたい」

「あっ…………はぃぃっ……」

 

 真来はゆっくりと頷いた。

 大和は彼女を抱えたまま窓から飛び降りる。

 隣の店に飛び移り、天高くへと跳躍した。

 

 摩天楼が遠くなる。

 二人は夜の帳の中へ消えていった。

 サイレンの音も、遠くなっていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 真来は愛されてしまった。魔性の色香に魅了され、女の悦びを刻み込まれてしまった。

 

 その小さな身体を甘く溶かされ、秘部を開発される。

 繊細で、かつ大胆な愛撫は真来に未知の快感を与えた。

 

 小柄な身体に似合わない豊満な乳房を持ち上げられ、優しく食べられてしまう。

 薄い茂みに蜜がとめどなく溜まり、大和の太い指をすんなりと受け入れてしまう。

 

 潔癖症な筈なのに、男という存在を嫌悪している筈なのに……

 大和という存在を、いとも容易く受け入れてしまう。

 

 真来は翻弄された。しかし恐怖はなかった。圧倒的な快楽と多幸感で支配される……されるがままになることが、とても心地よかった。

 

 最奥を小突かれる度に悲鳴をあげて絶頂を迎える。

 体位を交えて休む暇もなく愛されれば、真来も一匹の牝と化した。

 自らキスをねだり、舌を絡ませる。

 唾液をたっぷり含んて大和のモノを舐めあげ、奉仕する。

 赤ちゃんの部屋に濃厚な液体を注がれる度に、真来は失神してしまうほどの快感を覚えた。

 

 そうして、夜が明けて……

 

 歌舞伎町にあるラブホテルの一室で。

 部屋は汗と愛液の匂いで満たされている。

 まとわりつくような湿気、そこに濃厚な紫煙が揺蕩う。

 

 大和は片手で真来を抱き、煙草を吸っていた。

 真来はまるで子リスの様に彼に抱きつき甘えている。

 彼女は嬉しそうに囁いた。

 

「悪い男に捕まってしまいました……っ♡」

「嫌か? なら離れようぜ」

「もう、意地悪っ……大和さんの馬鹿ぁ♡」

 

 離れたくないと柔らかい身体を押し付ける真来。

 その黒髪を乱雑に撫でてやれば、甘酸っぱい匂いが広がった。

 首すじに舌を這わせてくる真来に、大和は問う。

 

「いいのか? 俺なんかに長く付き合って。もう朝になるぞ」

「……それは」

「……ふむ。一度別れたら二度と会えないかもしれない……そんなところか?」

「っ」

 

 真来は頷き、大和に覆い被さった。

 彼の首を抱き締め、精一杯の意思表示をする。

 

「貴方はたぶん、私と違う世界にいる……だから、もう……っ」

「阿呆、お前が会いたいなら会いに行ってやる」

「!」

「芯が強い癖に何処か脆くて……放っておけねぇよ、お前みたいな女」

「大和さぁん……っ♡」

 

 真来はトロトロの顔で大和と唇を重ねる。

 その後、可憐な童顔に不釣り合いな、妖艶な笑みを浮かべた。

 

「私も離れません……愛しい人……この身も心も、全部捧げたい……っ♡」

「困ったちゃんだ」

「あァ……大和さぁん……っ♡」

 

 か弱き娘は、妖しき獣の王に魅了された。

 真来はまるで情婦の様に、大和を求め続けた。

 

 

 ◆◆

 

 

 翌日。真来と連絡先を交換した大和は、歌舞伎町でもいっとう高いビルの屋上から太陽を拝んでいた。

 

「デスシティに日は昇らないからな……んー、日向ぼっこもたまにはいいもんだ」

 

 呑気に煙草を吸いながら遥か下を見る。

 夜より幾分か活気は少ないが、それでも新宿の一角……多くの人間が行き交っていた。

 

 大和は並外れた視力で一人一人の顔を覗くと、溜め息混じりに紫煙を吐き出す。

 

「誰も殺さず、殺される心配もない世界か……不思議なもんだ」

 

 大和は立ち上がる。

 真紅のマントが、突風でバサバサと音を立てて靡いた。

 

 彼は太陽に背を向け、歩き始める。

 そうして魔界都市……第二の古郷へと帰っていった。

 

 

《完》







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第三十八章「異闘伝」
一話「淫蕩な宴」


 

 

 魔界都市デスシティには数多の人外が存在する。

 その中でもエルフは比較的ポピュラーな種族だ。デスシティで娼婦といえばまず彼女たちが挙がる。

 人間から見ても最高峰の美貌は彼女たちにとっては当たり前であり、更に上もある。

 その淫蕩さは生来のものだが魔界都市の瘴気に長く漬かったせいで磨きがかかっていた。

 

 遠く神話の時代、彼女たちは自然と共に生きる狩猟民族だったが、時が経つにつれ居場所を失い、最終的にデスシティに流れ着いた。

 その後、脈々と子孫を残しつつも生来の美貌を武器に独自の立ち位置を獲得。特別視をされるほどではないが、東洋随一の大化生、九尾の狐「万葉」やメソポタミア神話の愛と戦の女神「イシュタル」の加護を授かり、他の種族よりも神秘性を多く残していた。

 不用意に手を出せば痛い目を見るだろう。

 彼女たちと関係を築くには、大金を貢ぐかその心身を魅了するしかない。

 

SleepingBeauty(眠れる森の美女)』にて。

 此処はエルフ内でも選りすぐりの美女らがポールダンスを披露するダンスバーだ。

 中央区でもとりわけ人気な店である。

 

 店内では虹色のスポットライトが明滅し、辺りは香水の香りと麻薬混じりの紫煙で満ちている。

 様々な種族の者たちがブルージーなBGMに合わせて身体をくねらせていた。

 

 ステージ上では厳選されたエルフの美女たちがポールダンスを披露している。

 観客の男たちは今すぐにでも飛びつきそうな、ギラついた視線を送っていた。

 口笛と野次が飛び交う中、踊り子たちは羽衣の様な衣装を脱ぎ捨てる。

 面積が極端に小さいブラとパンティ姿。

 男たちは歓声を上げ、万札をばらまく。

 踊り子たちが「もっと」と手招きすれば更に万札が降り注いだ。

 彼女たちは笑顔でブラを外すと、それを投げ捨て官能的なダンスを再開する。

 

 この店の目玉、エルフのヌードショーである。

 

 観客の肉欲がみるみると上がっていく中、カウンター席に座っている男が二人いた。

 一人は魔界都市でその名を知らぬ者はいない暴君、大和。

 そしてもう一人は、よれよれの黒のコートを着た男性。

 

 見るからに怪しい男だった。

 短く切り揃えられた黒髪、やや精悍な顔立ち。

 一見すると東洋人に見えるが、サングラスをかけているため上手く判別できない。

 安い煙草を咥えている姿は中々サマになっていた。

 人によっては抜き身の刃物の様に見えるだろう。

 現にその肉体は鍛え上げられており、デスシティの住民「程度」なら軽くあしらえてしまえる。

 隠し持っている武装も凶悪な代物ばかりであり、腕の立つ者は彼を危惧して近寄らなかった。

 

 あの大和と並んでいても違和感のないレベルの強者である。

 そんな者がデスシティで名が知れていないなど、また可笑しな話だ。

 

 肉欲を煽る宴が背後で繰り広げられる中、大和は面倒臭そうにグラスに口付けする。

 謎の男は、ボソリと告げた。

 

「もっと静かな店はなかったのか」

「うるせぇぞ、テメェが「ゲート以外の店で」とか言うからわざわざ選んでやったんだろうが」

「まぁそうだが」

「嫌なら帰れ、むしろ帰れ。俺は楽しんでから帰るから。ほらバイバ~イ♪」

「そうはいかない、お前には頼みたい事がある」

 

 大和は灰色の三白眼を細める。

 歴戦の強者でも怖気付いてしまうほどの殺気を向けられても、彼は平然としていた。

 

「……暫く見ねぇ間に随分言うようになったじゃねぇか。ええ? 寒河(さが)よぉ」

「何度か修羅場をくぐったからな」

「知るか、さっさと用件を言え」

 

 大和はそれ以上の罵詈雑言を飲み込む様に、一気にラムを呷った。

 

 

 ◆◆

 

 

「今、我々の組織でとある実験をしている」

「テメェらんところ、異端審問会は実験ばっかじゃねぇか」

「失礼だな、母国の治安維持くらいはしているさ」

「ニューヨークでの一件、忘れたか?」

「…………」

「まぁアレは悪魔絡みだったからな。お前らの組織的に、動けない理由があったんだろう」

「察しているなら言うな」

「るせぇタコ……と、本題から逸れたな。んで、テメェらがやってる実験と俺、なんの関係があるんだよ?」

 

 大和は不機嫌さを隠そうともしない。

 空になったグラスに雑にラムを注ぐ。

 寒河は安煙草……エコーを灰皿に押し込めた。

 

「とある被験者のテストに付き合って貰いたい」

「……嫌だと言ったら?」

「お前には貸しがある。忘れない内に使っておきたい」

「ケッ……どっかで野垂れ死んでくれりゃあチャラになったんだがなぁ」

「お前を義理堅い男だと信じての頼みだ」

「一度きりだぜ」

 

 睨まれるも、寒河は動じず続ける。

 

「俺は今、デスシティの南区にあるラボで支部長を勤めている。そこでめざましい成績を残す子がいるんだ」

「待て。テメェらは表世界の組織だろう? どうやって南区にラボを建てた」

「表世界の組織だからだ。あっちじゃできない実験もこっちならできる。……ここには法律も邪魔する存在もいないからな」

「後ろ楯は?」

「五大犯罪シンジケートの一角、ルプトゥラ・ギャング。知っているだろう? 我々がかのギャングと友好関係を築いている事を」

「成るほど……胡散臭ぇ話になってきたぜ」

 

 大和は懐から煙草を取り出し、慣れた動作で火を点ける。

 

「異端審問会……明けの明星と合衆国大統領は手段を選ばねぇなァ。もう後戻りはできねぇぞ」

「承知している。事は始り、続いている。理想に至るか、潰れるか、どちらかしかない」

「…………」

 

 大和はモクモクと紫煙をくゆらせながら、寒河のサングラスに隠れた瞳を覗く。

 

「数年前はしがないルポライターだったお前が、今や異端審問会の誇るエージェントで、魔界都市の南区にあるラボの責任者か……わからねぇもんだ、世の中ってのは」

「昔話は嫌いじゃなかったのか? 俺は大嫌いだ」

「人の昔話は好きでな」

「性悪め……まぁいい。受けてくれるか?」

「おう、テメェに何時までも借りを作っておくのはダリぃ……期間を言え」

「およそ一週間。三日後からスタートだ。当日、被験者と軽く手合わせして欲しい。その後の検査期間を含めての一週間だ」

「わかった、三日後だな。変更があったらすぐに連絡しろよ」

「ああ、順次連絡する。また会おう」

 

 寒河は勘定をテーブルに置いて立ち上る。

 大和はわざとらしくおどけた。

 

「遊んでいかねぇのか? 今は支部長さんだろう? 金なんて有り余ってるはずだ」

「……」

「気に入ったエルフを一人くらい持ち帰れよ。ここのは金さえ積めば一晩付き合ってくれるぜ」

 

 笑いながら言う大和に、寒河は忌々しげに吐き捨てた。

 

「お前と一緒にするな、猿め」

「ほざけよ。女を楽しめねぇタマなし野郎はさっさと出ていけ」

「言われなくとも」

 

 寒河は早々に店を出ていく。

 大和はそれを見送ることなく、酒を楽しんでいた。

 

 

 ◆◆

 

 

(異端審問会の実験……そして被験者ねぇ。例の天使病に感染させた強化兵士か? だとすると、前のサイスみてぇに上手く覚醒する奴が現れる? ……いいや、寒河の口振り的にもっと深いものだ。奴等、天使病の源である霊子型ナノマシンの扱い方を覚えてきてやがる……次の段階に進んでるな)

 

 大和はグラスの中で氷を揺蕩せなから思案する。

 

(内容そのものに興味はねぇが……各勢力の関係くらいは把握しておかねぇと。今後の仕事に響く)

 

 大和は適当に各勢力の動向や関係を纏める。

 そしてやれやれと煙草を吸った。

 

(面倒くせぇ、表世界だけでもかなりややこしいのに。……まぁ職業柄、嫌でも関わる事になるだろうが)

 

 無駄に頭がキレる。

 大和はそういう男だった。

 

「あー、グダグダ考えるのはやめだ。程よく馬鹿なほうがいい……そのほうが楽しめる」

 

 刹那的な快楽を求め動く、人の姿をした妖獣。

 無知なフリをして獲物を誘い出す、狡猾な捕食者。

 美貌と暴力て総て塗り潰してしまう、黒き鬼神。

 

 彼は今宵も『欲』を持て余していた。

 それを満たすために席を立つ。幸い、女に困る場所ではない。

 

 大和は盛り上がっている店内を見渡した。

 巨躯の者が多い中でも彼は一層高い。

 何よりも目立つ。

 

 彼を見つけた踊り子たちは精一杯のアピールをしはじめた。

 彼女たちは知っているのだ、大和の『味』を。

 だから熱い視線を送り、身体を大胆にくねらせる。

 

 彼女たちを一人一人拝みながら、大和はとあるエルフを見つけた。

 我関せずといった様子で官能的なダンスを踊っている。

 

 その態度が気に入ったのだろう、大和は観客を押し退けて彼女の元へと向かった。

 

 

 ◆◆

 

 

 広い店内を派手なレーザーライトが交差する。

 ライブ会場さながらの騒がしさだ。

 

 ステージ上では銀髪をショートカットにしたエルフがヌードショーを行っていた。

 巧みにポールに股がり肉感的な肢体を見せつけている。

 厚ぼったい唇を舌で舐めれば、男達は一斉に万札をばら撒いた。

 

 彼女は紅玉の様な瞳である男を捉える。

 褐色肌の屈強な美丈夫。和装と真紅のマント、そして滲み出ている色香を見れば自ずと正体はわかる。

 

 しかし媚びはしない。

 自分はそんな安い女ではない。

 既に魅了されている他の踊り子たちを一瞥して彼女──ルビーは己の仕事に徹した。

 馬鹿な男たちを舞い上がらせ、金を落とさせる。

 それが自分の仕事……

 

 躍り続けていると、大和が舞台前までやってきた。

 軽く目配せすると、笑い返される。まるで子供の様に無邪気でいて、しかし妖艶な笑みだった。

 思わず頬を赤らめてしまうが、まるで何もなかったかのようにダンスを続けるルビー。

 

 ラスト、フィナーレとともに両手を広げた。

 汗ばんだ肢体に喝采と万札が注がれる。

 ルビーは一息つくと大和の元へ歩み寄った。

 雌の香りがムワりと広がり、男たちが一層興奮しだす。

 

 片目隠れの銀色のショートヘアーをかき上げ、彼女は大和を見つめた。

 見れば見るほどイイ男である。

 

 だが……勘違いされては困るのだ。

 

 ルビーは腰を折り、大和と目線を合わせる。

 そしてその形の良い顎をさすった。

 

「世界最強の殺し屋さん、アタシに何か用?」

「新入りが入ったっていうから様子を見に来たんだが……随分といい女じゃねぇか」

「ありがとう。でも勘違いしないで。アタシは、他の子達とは違うから」

「どこが?」

「他の子達はお小遣いをあげればお持ち帰りできるでしょうけど……アタシは違うわ。そんなに安い女じゃない」

「いくらだ」

「十億……一夜限りよ」

「ほぉ」

 

 大和は驚く。周囲の男たちもだ。

 厳選されたエルフの美女とはいえ、一夜に十億も出す輩はいない。

 

 しかしながら、それだけの金額を提示できる価値(美貌)があるのも事実だ。

 彼女はエルフの中でも群を抜いて美女だった。

 その豊満な乳房に、尻に、思わず噛みつきたくなる。

 だが、味わえば十億もの金を一夜で失うことになる。

 男たちは諦めて、他の踊り子たちの元へ向かって行った。

 

 そんな彼らをルビーは鼻で笑う。

 

「ほら、貴方も他の子のところへ行ったら? そもそも、貴方は私たち以上の女をタダで抱けるじゃない。わざわざ付き合うなんて時間の無駄だと思うけど? 私も、早く帰りたいのよ」

 

 呆れながら言うルビー。

 その足下にゴトリと何かが転がった。

 やたらデカいアタッシュケースだ。

 

「十億円だ。なんなら数えるか? オーナーを呼んでもいいぜ」

「ちょ、……待って! 本気!? 初対面のエルフに十億も出すような男じゃないでしょ! 貴方は!」

「お前を抱きたいから、請われた額を出しただけだ。何がおかしい」

「……」

 

 ルビーは足下に転がったアタッシュケースを跨いで、大和に歩み寄る。そしてその首に抱きついた。

 官能的な肢体を押し付けながら目と鼻の先で囁く。

 

「知らないわよ……後悔しても。貴方はたった一夜のために十億を投げ捨てた」

「上等だ」

 

 大和はルビーの厚い唇を奪う。

 ルビーは反抗的に自ら舌を絡めたが、それは逆効果だった。

 強引で、繊細な舌使いはルビーの脳髄を溶かしてしまう。

 片手で豊満な乳房を揉みしだかれ、もう片手でほんのり濡れた秘部を弄られる。

 艶やかな嬌声が響き渡った。

 

 長いようで短いキスが終わると、ルビーは濡れた瞳を大和に向けていた。

 眼前に自分の蜜で濡れた指先を掲げられると、音を立ててしゃぶりはじめる。

 

 大和は彼女をお持ち帰りしようとするも、背後から複数の女に抱きつかれた。

 他の踊り子たちである。

 

「大和さまぁん! ズルいですよ! その子だけなんて!」

「私たちもお持ち帰りしてくださぁい!」

「さっきから凄くアプローチしてたのに、見向きもしないんだから! もうっ!」

「いけずな奴だ……しかしもう逃さんぞ♪」

 

 エルフ、ダークエルフの美女たちに囲まれ、大和はやれやれと肩を竦める。

 そして大声である者を呼んだ。

 

「オーナー! いるか!」

「へい只今!」

 

 厳ついリザードマンの紳士が出てくる。

 この店のオーナーである。

 

「この店の三日分の利益を教えろ。調子が良い時でいい」

「はぁ……うーん」

 

 リザードマンは手持ちの算盤で三日分の売り上げを計算する。

 

「羽振りが良ければザッと3億ほどでしょうか……踊り子たちが個人で稼いでる額を含めれば更に上がるでしょうが」

「よし、なら30億出す。この店を三日間貸しきらせろ」

「30億!? 三日で!?」

「おう、男に二言はねぇ。それとも足りねぇか? なんなら更に上げても……」

「滅相もございません!! 是非是非!! おうテメェら!! 小銭しかバラまかねぇ種無しどもを今すぐ店から放り出せ!!」

『へい!!』

 

 ぞろぞろと現れた獣人、オークの用心棒たち。彼らは喚く客たちを無理矢理外に放り出す。

 

 店内は一変して静かになった。

 ブルージーなbgmが寂しげに響いている。

 

 女たちの吐息がかかり、多数の手が体を這う。

 大和は嗤いながら手を叩いた。

 

「三日間、俺の貸しきりだ!! 好きなだけ飲め!! 踊れ!! 全部奢ってやる!! 俺を散財させてみせろ!!」

「きゃー太っ腹ぁ! さすが大和さまぁッ♪」

「私、飲みたいお酒あったのぉ!」

「取り敢えずロマネ・コンティ! あそこの! 一番高いやつ!」

 

 どれだけ高い酒を頼まれても、大和は笑いながら見守っていた。

 

 そんな彼の唇を甘噛みするエルフ。

 ルビーである。

 彼女は大和の唇を舐めて、自らの秘部に手をあてがわせた。

 髪と同じ色の茂みは、大量の蜜で湿っていた。

 

 ルビーは官能的な声音で囁く。

 

「ねぇ……さっきの続き、しましょう? 二人きりで。……ワンルーム、あけておくから」

「OK、立てなくしてやる」

「あぁ、素敵……っ♡」

 

 蕩けているルビーを抱え、大和は個室へと入っていった。

 他の踊り子たちは羨ましそうにしながらも、自分達の番が巡ってくる事を確信し、酒を頼みまくる。

 

 その後、三日三晩淫蕩な宴が繰り広げられた。

 後に店のオーナーは「男にとっての極楽浄土ですよ……体と財布が保てばの話ですが」と語った。

 



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二話「寒河」

 

 ダンスバー『SleepingBeauty(眠れる森の美女)』で大和から別れてすぐに。

 寒河(さが)はエコーを咥えながら南区にあるラボへ戻っていた。

 

「相も変わらず不愉快な男だ。……まるで変わらない。忌々しい過去を思い出させてくれる」

 

 当時、しがないルポライターだった寒河。

 ここ数年で数多の死地を潜り抜け、飛躍的な進化を遂げていた。

 

 世界の闇を知る事ができた。

 強大な力を手に入れる事ができた。

 新たな夢を見つける事ができた。

 しかし、その代償はあまりにも大きかった。

 

「数年前の、好奇心だけで動いていた自分を呪ってやりたい。……知らなければいい事があった」

 

 自分の手を見つめる。

 ゴツゴツとした人間の男の手だ。

 しかし時折、形容しがたい異形が蠢いていた。

 

 寒河は顔を上げ、紫煙を吐き出す。

 

「……帰るか、ラボへ」

 

 その声には後悔と、歪んだ希望が含まれていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ラボは南区の片隅にひっそりと建っている。

 最新鋭の施設のため窃盗、強襲の危険性があったがルプトゥラ・ギャングの土地になったことで解決した。

 襲撃者といえば野生の魔物がクスリでおかしくなった住民くらい。

 その程度なら常に配備させている構成員と迎撃兵器でどうにかなる。

 更に、定期的にルプトゥラ・ギャングの武闘派集団が巡回しにきてくれるので、デスシティでもかなり珍しい安全地帯となっていた。

 

 不可視のレーザー網と迎撃兵器を生体認証でパスし、寒河は警邏をしている構成員たちに挨拶する。

 青年少女たちは生真面目に敬礼した。

 

「お勤めご苦労様です! 支部長!」

「ラボ内外で目立った異常はありません!」

「ありがとう。お前たちも無理はするな、危険だと思ったらすぐにラボの中に避難するんだ」

「「はい!!」」

「あと……今夜は和食らしい。楽しみにしててくれ」

「ありがとうございます!」

「楽しみであります!」

 

 とびきりの笑顔を向けられたので、寒河は苦笑を返す。

 彼は異端審問会の構成員たちから慕われていた。

 彼を追ってわざわざデスシティに付いてきた者がいるほどである。

 

 寒河としては、当たり前の気配りをしていただけだった。

 異端審問会の実験内容上、構成員は将来性のある若者達で固められている。

 寒河は数少ない年配者として彼らの身を案じ、大切にしていた。

 

 言葉に出さなくても、想いは伝わる。

 此処の支部長に彼が任命されたのも、寒河なら付いていくという者が多かったからだ。

 

 寒河は責任感をほどほどに感じていた。

 感じすぎるはよくない。ただ感じないのは駄目。

 彼らの将来性を第一に考え、適度な距離感を保つ。

 それが寒河の考え方だった。

 

「おかえりなさいませ、旦那様」

「……あ、ああ、ただいま」

 

 第一シェルターの前には、神秘的なオーラを放つ大和撫子が佇んでいた。

 容姿的年齢は十代後半ほど。綺麗な灰色のショートヘアーに濃紺色の瞳、新雪を連想させる純白の肌。

 均整のとれ過ぎた顔立ちは可憐さを通り越して神々しくもある。

 純白の和服を着た慎ましやかな姿は、ある「有名な妖怪」を連想させた。

 

 ──雪女である。

 実際、彼女は雪女だった。

 

 寒河はなんとも言えない難しい表情で言う。

 

「その……雪奈(せつな)。旦那様、という呼び方はよくない。俺達はそういう関係じゃない」

「私は貴方様を敬愛しております。故に、旦那様です」

「いや……」

 

 困惑している寒河に、雪奈は悪戯っぽく微笑んだ。

 

「半分冗談です」

「半分か」

「ええ。当時特務機関から追われていた私を庇い、救い、この心を奪った責任はきっちりと取って貰います」

「……」

 

 一年前にこの娘を救い、それから関係は続いている。

 一線は越えていない。微妙な距離感だった。

 

「……俺の気は変わらないからな」

「変えてみせますとも」

 

 相も変わらず強情な女なので、寒河はかえって安心する。

 漆黒のコートを脱ぐとそれを手に取り、雪奈は三歩後ろを歩いた。

 

「夕食の準備は整っております」

「ありがとう。お前の造る料理はとても美味しい。構成員や被験体の子供たちも喜ぶだろう。彼らに声をかけておいてくれ。俺も、資料を纏めたら向かう」

「かしこまりました」

 

 頭を下げた雪奈を一瞥し、寒河は自身の事務室へと入る。

 山になった資料、複数台設置されたスーパーコンピューター、そして天使病の研究には欠かせない医薬品の数々。

 寒河は処理しなければならない書類の山を一旦端に寄せ、今日の被験体たちの体調グラフを確認した。

 専門用語のオンパレードだが、寒河は手早く処理していく。

 

「やはり覚醒……疑似的な堕天使化は女性にしかできないか。事実、本部に居る覚醒者は例外を除いて全員女性……純粋天使、堕天使問わず性別が女だった事が関係しているのか? それとも女性の方が生来の魔術適正が高いから? ……ううむ」

 

 寒河は眉間を揉みながら思案し続ける。

 

「新たな問題の浮上だ。しかし解決策は複数出ている……仙道を含めた東洋系の術式は実に素晴らしい。特に性別を問わない点が優秀だ。もう少し資料が欲しいところだが……」

 

 寒河はサングラスの奥に隠した「魔眼」を輝かせる。

 

「嫌な気配がする。侵入者か」

 

 即断即決。

 寒河はスーパーコンピューターをとおして警報を鳴らす。同時に警戒レベルを数段階上げた。

 警邏していた構成員たちをラボへ避難させ、迎撃兵器を最大出力に切り換える。

 更にルプトゥラ・ギャングの武闘派集団にメールを送った。

 

 警報が鳴り響く中、寒河は壁に立てかけてあった魔改造アサルトライフルを手に取る。

 部屋を出ると既に雪奈と構成員たちが待機していた。

 

「被験体の子供たち、並びに同調率が低い者たちを最終シェルターに避難させるんだ。戦闘訓練を積んだ者たちは入り口、内部で半々に分かれろ。件の侵入者は、俺と雪奈でどうにかする」

『了解です!!』

 

 若いとはいえ訓練された兵士、迅速な行動ができる。

 寒河は雪奈から漆黒のコートを羽織らせて貰うと、共に入り口まで歩いていった。

 雪奈は問う。

 

「数週間ぶりですね。また馬鹿な暴力団でしょうか?」

「いいや、違うな。動きが速すぎる。無駄もない。既に半数の迎撃兵器が破壊されている」

「なんと……!」

「気を引き締めろ。この気配……間違いなく奴らだ」

 

 寒河は第一シェルターの扉を開く。

 中央区のネオンが遠く輝きだした時間帯、その眩い光を背にしている二名の男女がいた。

 

 寒河は冷たい声音で告げる。

 

「お引き取り願おうか、お二方」

「そうはいかねぇ。無理矢理人ん家に入り込んだんだ、やるべき事を済まさねぇとな」

「……」

 

 片や、軽薄な印象を受けるキザな青年。

 赤茶色の髪に派手なピアス、そして黒一色の服装をしている。

 その手には漆黒の長棒が携えられていた。

 

 もう片方は生気を感じさせない美女。

 青い衣装と水色のスカーフをはためかせている。

 その両手には鉄塊とも呼べる巨大な自動拳銃が握られていた。

 

 寒河はあえてジョークを言う。

 

「宗教勧誘ならお断りだ。生憎、うちは仏教でね」

「つまらないジョークはいいわ。……わたしたちは警告をしに来たのよ、Mr.寒河」

「……参ったな、遂に君たちに目を付けられてしまったか。天使殺戮士」

 

 二大宗教の一角、プロテスタントが誇る最大戦力。

 天使病を疾患した存在を殺戮する、ただそれだけを使命にする八人の魔人たち。

 

 天使殺戮士。

 

 その代名詞ともいえる一組の男女。

 斬魔&えりあ……彼らに対して、寒河は酷く冷ややかな視線を向けた。

 

 その視線には、憎悪すらこもっていた。

 

 



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三話「怪異」

 

 

 天使殺戮士の内、キザな青年、斬魔は軽薄に笑う。

 

「簡潔に言わせてもらうぜ。お宅んところの研究、今すぐ止めてくんね? それ以上やられると、こっちとしては見過ごせねぇのよ。アンタらを『敵対勢力』とみなさなきゃなんなくなる」

「今更だな」

「お互い血を見ずに済む、めでたくハッピーエンドを迎えようや」

「それはお前たちのハッピーエンドであって、俺たちのものではない」

「……だとさ? どうするよ相棒」

 

 バァンと、何かが爆発した音がした。

 特大の薬莢が乾いた音とともに地面へ落ちる。

 えりあが発砲したのだ。

 寒河の首から上が綺麗に消し飛んでいた。

 

 斬魔は思わずジト目を向ける。

 

「いきなりだな」

「天使病の疾患者は殺す、わたしたちの唯一絶対の使命よ」

「わかってるけどさー」

 

 斬魔は寒河に視線を戻す。

 見るに耐えない状態だった筈の顔はいつの間にか元通りになっていた。

 いいや、まだ修復中である。

 その証拠に頬の肉がまだ蠢いていた。

 骨肉を即興で構築しているのだろう、異様な音を立てている。

 

 寒河は隣で激昂している雪奈を制しつつ、冷淡な声音で告げた。

 

「今の発砲も、迎撃兵器の破壊も、不法侵入も、見なかった事にする。……だから引いてくれ。俺は、無用な戦闘を好まない」

「それは貴方の基準でしょう、Mr.寒河」

「…………」

「端から相容れない、だから発砲した……察して頂戴。わたしは無駄な問答が嫌いなの」

「……後悔しても知らないぞ」

 

 携えていた魔改造式アサルトライフルを構える寒河。

 えりあは何も言わず狙いを定めた。

 斬魔はやれやれと肩をすくめる。

 

「おっかねぇ……できれば戦いたくなかったなぁ、アンタとは」

 

 斬魔も、えりあも、寒河という男を最大限に警戒していた。

 何故なら、彼は特別な怪異だからだ。

 

 

 ◆◆

 

 

天使喰らい(エンジェル・イーター)

 

 数年前に現れた正体不明の怪異。

 プロテスタント、カトリック、両宗教から指名手配されている特A級危険生物だ。

 天使病の患者を好んで喰らい、その力を自由に行使できる。

 この存在は何故か、天使病患者を優先的に補食した。

 数年間に渡り補食した患者の数は優に十万を越える。

 ある時は一都市を壊滅させた天使病の大群をその都市諸とも吸収した事があった。

 

 その正体は天使病患者の突然変異種であり、極めてイレギュラーな存在。

 理性を保ちつつ天使病の力を行使できる、ある意味での新人類だった。

 

 超越者ではない。しかしそれに準ずる力を誇っている。

 山河を砕く筋力は鬼神に劣らず、あらゆるダメージを即時回復させる再生能力は真祖の不死性と大差ない。

 

 表世界の住民が勝てる存在ではない。

 そう、極一部を除いては──

 

 寒河が魔改造式アサルトライフルを構えた瞬間、銃身が爆発する。彼の両腕諸とも吹き飛んだ。

 えりあのの放った弾丸が銃口へと侵入し、炸裂したのだ。

 人智を逸脱した射撃精度──

 

 縮地を用いて懐に入ってきた斬魔は即座に抜刀一閃。寒河の首を跳ばす。

 コンマ一秒の出来事……常人には到底理解できない領域だ。

 

 天使殺戮士は人類の中では最強クラスの存在だ。

 世が世なら英雄として讃えられていただろう。

 

 しかし、勘違いしてはいけない。

 寒河は既に人間ではないのだ。

 跳んだ首を修復した左手で掴み、無理矢理くっつける。

 同時に右腕に禍々しい鎌状の長剣を生やした。

 

 振るわれた斬撃は荒々しくも何処か正確で──斬魔は死神姉妹の妹を連想しながら、黒金の鞘でいなす。

 大地が裂け、遥か遠方に聳え立つビルの一柱が両断された。

 斬魔は突風で髪を靡かせながら、ニヒルに笑う。

 

「あーあーやり難いなァ! 人間の形をした患者とやり合うってのはよぉ!」

「だったら笑うな、破綻者か?」

「お互い様だろう? こんな稼業やってる奴ぁ頭のネジが緩んでるもんだぜ!」

 

 斬魔は半身を逸らして、飛んできた迎撃兵器の残骸を避ける。

 寒河が腕を伸ばして引っ張ってきたのだ。

 数トンはあろう鋼鉄の塊は、掠っただけで致命傷を負う。

 

「馬鹿げた筋力だな! おまけにその再生能力──アンタ、一体何人の患者を喰った!」

「お前は、今まで食ったパンの枚数を覚えているのか?」

「ブッ! ちょっ待て! いきなりジ○ジョネタ突っ込むんじゃねぇよ! 俺そういうのに弱いから!」

「ジョ○ョ……? 知らない名だ」

「ナチュラルなのかよやり難ぃ……!!」

 

 斬魔は緩む頬を絞めながら、振るわれる斬撃を凌いでいた。

 一方……

 

「……貴女は、そう、妖怪ね。なら頭だけ残しておけばいいかしら。死なないでしょう?」

「ええ、死にませんとも……ですが私は貴女を許しません。よくも……よくも寒河様に銃口を向けましたね!! 氷付けにして、生きたまま砕いてさしあげます!!」

「ああ……そういう関係なの。化けもの同士、お似合いだわ」

「貴女には……死人にはわからないでしょう。恋する乙女の力など!!」

「わからないわ。そんなもの必要ない」

 

 えりあは躊躇なく発砲する。

 放たれた無数の弾丸を、雪奈は吹雪を纏って防いだ。

 その手には鉄扇が携えられている。

 日本舞踏を連想させる体捌きで、彼女は絶対零度の冷気を操った。

 

「お見せしましょう、雪女の吹雪舞……死ぬ前にせめて美しいものを拝みなさい」

「ナルシストね、貴女とは性が合わなさそう」

 

 えりあは愛銃、対天使病拳銃「Danse Macabre」からマガジンを取り出す。

 何時もの「祝福儀礼済み13mm劣化ウラン弾」から、雪女に適した魔弾へと切り替えた。

 

 

 ◆◆

 

 

 暴力同士のぶつかり合い。寒河は勿論だが、斬魔の剣技も武術のそれではない。

 人外を殺すための、文字通りの魔剣。

 型に嵌まらず、しかし滑らかで、斬れ味は鋼鉄を易々と両断する。

 

 空中で不安定な体勢の筈なのに、銀光一閃を放てば寒河の右半身がストンと分かれた。

 寒河は追撃で触手を伸ばすも、斬魔は異様な操身方で躱す。

 それどころか、触手を足場してした。

 

「えげつねー、めっちゃ腕伸びるじゃん。将来の夢は海賊王か?」

「俺にわかる内容で話せ」

 

 寒河は触手から更に触手を生やして斬魔の足を拘束する。

 そしてたっぷりと遠心力を乗せて近くのビルに放り投げた。

 衝撃で辺りに地鳴りが響き渡る。

 

「……チッ」

 

 思わず舌打ちする寒河。

 あまりにも手応えがなかったからだ。

 触手から目を生やして覗くと、叩き付けた筈のビルの側面は六角形に斬られていた。

 そして斬魔は、鞘で掬い上げたベッドの上で寛いでいる。

 壁に立て掛けられている形のベッドは、衝撃を吸収する緩和材の役目を果たしたのだろう。

 

 斬魔はベッドのスプリングで遊ぶ。

 

「このベッドいいな、女の子と寝る時に疲れなさそうだ」

「お前もそういう男か」

 

 寒河は触手の先端から無数の針を飛ばす。

 斬魔はスプリングを利用して跳躍、針の弾幕を通り抜けた。

 最初から弾道がわかっているのだろう、半身を逸らしながら抜けていく。

 まるでハリウッド映画のアクションシーンだ。

 

 斬魔は、人間の理想の動きをそのまま実現できる。

 故に魔人……

 

 またも伸びてくる触手に黒金の鞘を滑らせて、その上に乗る。

 そしてノリノリでサーフィンごっこをはじめた。

 

「フーっ!!!! 触手の荒波だぁ!! 楽しんでいくぜ!!」

 

 触手を滑っていけばその先に寒河がいる。

 もっとも、殺意満々の迎撃を避けなければならないが……

 寒河は足場にされている触手の中間を爆発させる。

 数多の肉片が飛び散り、強酸性の液がばらまかれる。

 

 斬魔は咄嗟に足先で鞘を回転させ、風圧で防御した。

 そのまま鞘を蹴り飛ばし、寒河の眉間を狙い撃つ。

 神聖文字による障壁で阻まれてしまったが、立て続けに本身を投げて鞘に勢いよく納めた。

 二重の衝撃波が生れる。

 我流の浸透勁だ。直接エネルギーが徹される。

 しかし、寒河にダメージは通らなかった。

 

 咄嗟に見せた武術に驚いている寒河の眼前に羽の様に現れた斬魔。

 彼は重力で落ちかけている黒鞘を握り、濡れた唇を歪める。

 

「その神聖文字の羅列……天使の羽衣(エンジェルベール)か。硬いけど、まぁ」

 

 斬風が吹き荒れる。

 数多の斬線を刻んで崩壊したエンジェルベールを見届け、斬魔は嘯いた。

 

「コツさえわかれば斬れなくはねぇ」

「出鱈目な……近代技術では突破不可能な神域の権限だぞ」

「神秘の名残を斬り捨てるのが俺たちの役目だからな」

 

 事象現象問わずあらゆる攻撃を遮断するエンジェルベールを「斬る」など人間には不可能な筈だ。

 

 これが天使殺戮士かと、寒河は素直に感心していた。

 

 その眼前で抜刀の体勢に入った斬魔。

 寒河は逃げない。右手に発現させた魔剣を本気で振るう。

 

 散る、火花が。

 まるで花火の様に舞い散る。

 超高速の斬撃の応酬は音を置き去りにし、両者の超感覚を覚醒させた。

 一秒が途方もなく長く感じる。

 両者は既に千以上の剣撃を交えていた。

 

 本来であれば本職である斬魔に分がある筈……

 しかし押されているのは斬魔であり、頬と肩に切り傷が走った。

 

 彼は一度下がる。

 衝撃で痺れている手をグッパーして、全身の裂傷を確かめた。

 そして参ったと言わんばかりに両手を広げる。

 

「十七回は殺せた筈だ……ズルいぜその体。素の筋力もそうだが、筋肉繊維を独立して動かせるだろう? あと、人間の手首はそんなグルグル回らねぇ」

「……」

「それとわかったぜ、アンタの力の源が」

 

 斬魔は自分の目を指す。

 その顔は何時になく真剣だった。

 

「その眼、何処で手に入れた。その眼だけ明らかに違う。ソレは、人類には過ぎたもんだ」

「俺は既に人類ではない」

「アンタの体で大量に蠢いている霊子型ナノマシンも、ソレで操作してるんだろう? でなきゃアンタという存在を証明できねぇ」

 

 沈黙は是なり──

 寒河の反応を見て、斬魔はため息を吐いた。

 

「面倒くせぇなぁ──そうは思わねぇか、相棒」

 

 そう言う斬魔の隣にえりあが降り立った。

 片腕が凍結しているが、目立った外傷はない。

 寒河の隣に現れた雪菜もまた、息を切らしているが目立った傷はなかった。

 

 両者の実力は拮抗している。

 今のところは──

 これ以上続けると、どちらかが必ず死ぬ。

 

 えりあは凄まじい速度でやってくる強大な気配を感じて、二丁拳銃を下ろした。

 

「潮時ね。色々と準備が足りなかった。流石に貴方たちの領地で戦うと勝ち目が無い」

「何を言って……!! そう易々と逃がすと思わないでくださいまし!!」

 

 激昂する雪奈を寒河は手で制する。

 

「……疾く去れ、処刑人たちよ。お前たちと俺たちは決して相容れない」

「一つだけ、聞かせて頂戴。貴方は何を成したいの? その身を怪異に堕として、犯罪組織と手を組んでまで……目指すものは何?」

 

 寒河はハッキリと、えりあの目を見て答える。

 

「人類の死因、その一つを減らしたい」

「……それが、たとえ必要なものだとしても?」

「ああ、当該者だけで収まるのならまだいい。しかし「それ」は周囲を巻き込んで滅茶苦茶にする。……だから解明する」

「……そう」

 

 えりあはそれ以上何も言わず、踵を返した。

 斬魔は去り際に言い残す。

 

「その夢、アンタだけじゃ到底背負えねぇ……覚悟しときな」

 

 魔人たちは夜の帳に消えていく。

 直後にルプトゥラ・ギャングの武闘派たちが来た。

 事態は一旦、収まった。

 

 

 ◆◆

 

 

 ルプトゥラ・ギャングの武闘派たちには、バイト感覚で雇われた殺し屋がいる。

 その中には、とんでもない破綻者が混じっていた。

 

「あれー? あれれー? せんぱーい! 殺していい奴がいませーん!」

「逃げやがったな、あのファッキンプロテスタントども」

「うえ゛ーっっ、プロテスタントの連中嫌ーい! 死なない女いるしぃ、妙にウザったいしぃ、もっと殺し甲斐のある奴等とかいないんですかぁ? ヤクザとかぁ、マフィアとかぁ、子供とか♪♪」

「お前も大概CRAZYだな……サーシュ」

「キャハハハハハ♪ デスシティの住民に言うことですかそれぇ♪」

 

 建築物から飛び降りてきたのは、ゴシックパンク風の美女だった。

 肩辺りまで乱雑に伸ばされた黒髪、前髪に少し入った金色のメッシュ。

 端正な顔立ちをしているが、笑顔に途轍もない邪気が混じっている。

 大和以上のものを隠し持っている。

 極めて純粋で単純な、外道畜生だ。

 

 彼女……サーシュは過剰につけたバッチやアクセサリーをジャラジャラ鳴らして寒河に近寄る。

 

「貴方がこのラボの支部長さん? いい感じに歪んでるわねー♪ 好きよ、貴方みたいな男。滅茶苦茶にしてやりたくなる……っ♪」

 

 溢れ出た邪悪な気に、寒河は思わず顔を顰めた。

 そんな彼の頬をサーシュは不意打ち気味にペロリと舐める。

 寒河は思わず一歩引いた。

 

「何の真似だ」

「んんー? 味見ぃ? 予想通りの味でよかった♪ 貴方……優しいのね。真面目で、正義感が強くて……偽善者の典型よ♪ キャハハハハハ!」

「この……なんて無礼ではしたない女!!」

 

 雪奈が吠えるが、サーシュはケタケタと笑うだけ。

 

「いい男にはいい女が似合うわねぇ! 毎度そう。もう何度も見てきて、でも飽きない……♪ 貴方たち、ロクな最期を遂げられないわよん♪」

「……ッッ!!」

 

 冷気を迸らせる雪奈を寒河が制する。

 そして呆れた声音で言った。

 

「知ってるさ、そんな事……だから茶化すな」

「んふふー♪ 枯れてるわねー! そういうのもアリ!」

 

 サーシュは元いた場所に戻る。

 多数の戦闘員を待機させていたルプトゥラ・ギャングの古参……百戦錬磨のベテラン、マイクは訛りの効いた英語で言った。

 

「ヘイ、DOCTOR。もう大丈夫なのか?」

「ああ、アンタたちのおかげて助かった」

「そうかい。じゃあ俺たちはHOMEに戻る。また何かあったら呼んでくれよ」

「ああ」

「あと……おクスリの開発、期待してるぜ。アンタは腕がいい。くれぐれも、期待を裏切らないでくれよ」

「……」

 

 寒河は無言を貫く。

 マイクは鼻で笑うと、部下たちを連れて帰っていった。

 

 寒河の側に雪奈がつく。

 彼女は涙眼で言った。

 

「何で……何で皆、貴方の邪魔をするのでしょう……貴方は、本当に皆の事を思って」

「やめろ、いいんだ……これは俺の選んだ道だから」

「っ」

「……帰ろう、ラボへ」

「……はいっ」

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、天使殺戮士のコンビは……

 

「なぁえりあ」

「何よ」

「さっき見様見真似で鎧徹し、俗に言う浸透勁ってやつをやってみたんだけどよ。これが上手くいったんだわ。ありゃあエンジェルベールじゃなかったら抜いてたね」

「そう、凄いじゃない」

「で、本題はここからなんだが……」

「?」

 

「女の子とのセックスの際、この技術使えないかなって。こう、奥に直接衝撃を徹す! みたいな……」

 

「…………」

「あっヤベ」

 

 その夜、魔界都市の何処かで若者の断末魔の悲鳴が響いたそうな……

 

 







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四話「侘丸」

 

 

「ぬおお大丈夫ですか父上ー!!!! 拙者が今から参戦し、敵を鏖殺してやりますぞー!!!! 何処ですか我々の敵はー!!!!」

「いや、もう終わったから……取り合えず落ち着け、侘丸(わびまる)

 

 ラボの中で、暴れ回る少年を構成員たちが必死に取り押さえていた。

 手軽な和服を着たハキハキとした少年である。

 女の子にも見える端正な顔立ち。艶やか黒髪は侍の様に結い纏めてある。

 全身から生気が漲っており、それをそのまま力に変換していた。

 

 侘丸と呼ばれた少年は途端に暴れるのを止め、満面の笑みを浮かべる。

 

「そうでありますか!! いやはや流石父上!! 我々の親元であらせられる!! その武勇、まこと天晴れです!! これは余計な心配でしたな!!」

 

 ナッハッハと爆笑する侘丸に、構成員たちは揃ってドロップキックをかました。

 

『何笑ってんだテメー!!!!』

「へぶらぁ!!!?」

 

 数名がかりのドロップキックに、侘丸はあえなく吹き飛ばされる。

 構成員たちは何処からともなく鎖を持ってくると、彼をふん縛って強烈なお尻ぺんぺんを始めた。

 

「命令には従え!! 支部長の命令は絶対だ!! 何故従わない!!」

「駄目な子はお尻ぺんぺんの刑です!! 容赦なくいきますよ!!」

「お前の暴走を止める俺らの身になれ!! 馬鹿野郎この野郎!!」

「ギャー!! 何故!? 何故でありますか!!? 拙者は敬愛する父上と母上を助けたい一身で突撃しようとしたまで!! 何故そんなに怒るでのありますか!? ヒギャー!!!! お尻ぺんぺん痛いィィィィ!!!! キツイであります!!!!」

 

 構成員たちは怒っていた。

 が、それも愛故である。

 構成員たちは皆、侘丸の事を弟の様に可愛がっていた。

 猪突猛進なところがあるが裏表なく、礼儀を弁え、笑顔で甘えてくる。

 皆、彼が大好きなのだ。

 故の、お尻ぺんぺんの刑である。

 

 泣きながらも刑を受けている侘丸の前に、雪奈が現れた。

 彼女は穏やかな笑みを浮かべていた。

 最も、その眉間には青筋が立っているが……

 

「侘丸……貴方にはもう一度、躾を施さなければならないようですね」

「母上!! これは拙者の生き様!! 変えるつもりは毛頭ございませぬ!! 家族を、貴女たちを護れるのであればこの命、差し出してでも敵対者を刈ってみせましょう!!」

「命令は素直に聞きなさい!! そして周りの人達の苦労を考えなさい!! 馬鹿は馬鹿でも限度があります!! お仕置、最大出力です!! 氷の鞭でそのお尻、しばいてあげます!!」

「のぉぉぉぉぉ!!!! 駄目であります!! 母上のそれは本当に痛く……ひぎぃぃぃぃぃ!!!!」

 

 鬼の形相で鞭を振るう雪奈。

 現在進行形で泣きっ面をさらしているこの少年こそ、寒河が可能性を感じている天才児である。

 

 しかし、良くも悪くも猪武者な性格のせいで寒河たちの苦労は絶えなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

「拙者、皆を護れる強い男になりまする!!!!」

 

 侘丸が最初に放った言葉だ。

 雪奈から教えられた古めかしい言葉使いで、彼は太陽の様な笑みを浮かべたのだ。

 

 寒河が世話をしている被験体は全員デスシティの孤児である。

 死にかけていたところを寒河が引き取ったのだ。

 三食と寝所、身の安全を保証する代わりに、実験に付き合ってもらう……

「悪魔の所業だ」と、寒河は自嘲していた。

 たとえ子供たちの体に合わせた無理のない実験だったとしても、非人道的である事には変わりない。

 

 だから寒河は、子供たちに「当たり前の幸せ」を与えている。

 自己満足だ。偽善者と罵られても仕方ない。

 しかし、寒河はやめるつもりはなかった。

 自らの野望のために、本当に抱いている感情を押し殺した。

 

 天使殺戮士の襲撃から3日後……

 今日は大和と実力テストの日である。

 寒河はほぼ付きっきりで被験体、侘丸の体調管理をしていた。

 

「ふむふむ……」

 

 施設の一室で。侘丸は東洋系魔術の資料を熟読していた。

 猪突猛進なところがあるが、誰よりも勉強熱心な努力家でもある。

 

 寒河は一瞬表情を曇らせ、聞いた。

 

「……なぁ、侘丸」

「ん! 何でありましょう!」

 

 向けられた無邪気な笑みに耐えつつ、寒河は続ける。

 

「お前は……幸せか?」

「勿論!! 拙者は幸せでございまする!! 拙者だけではない!! 父上に拾われた者は皆幸せ者でござる!!」

「……なんで」

「野垂れ死ぬ運命だった我々を救い、愛してくれた。……当たり前の幸福というものを教えてくれた!! 貴方の事を何も知らない輩はほざくでしょう、偽善的だと……ハッハッハ!! 糞食らえでございまする!! 口だけ達者な阿呆ども!! 奴等は我々を助けてくれなかった!! でも貴方は、貴方だけは、違った!!!!」

 

 侘丸は勢いよく寒河に抱きつく。

 少女の様な甘い匂いがした。顔立ちも可憐なので、変に意識してしまう。

 

 侘丸は寒河の胸にグリグリと顔を埋める。

 

「大好きです父上!!!! 母上も先輩方も子供たちも、みんな貴方が大好きです!! 拙者は幸せ者です!!!! 貴方の息子になれて!!!! だから……ありがとうございます!!!!」

「…………っ」

 

 寒河の頬に、静かに雫が伝った。

 それを隠すように侘丸を強く抱き寄せる。

 

「ああ……俺も、幸せだよ。お前たちみたいな息子を持てて。……愛している。絶対に幸せにしてやるから」

「~っ♪」

 

 侘丸はぎゅうううと、寒河を抱き返す。

 誰が何と言おうと、彼らの絆は、愛は本物だった。

 

「…………!!」

 

 しかし平和な時間は長く続かない……

 寒河は弾かれる様に施設外へ魔眼を向けた。

 

 

 ◆◆

 

 

「……侘丸、少し早いが昼食にしよう」

「んん!! わかりました!! では拙者は皆の衆に食堂に集まるよう伝えて参りまする!!」

「ありがとう」

 

 頭を撫でられ上機嫌になった侘丸は、風の様に走り去っていった。

 その背を見届け、寒河は一度深呼吸をする。

 体が震えていた。

 

 既にルプトゥラ・ギャングには連絡を入れてある。

 しかし返信がない。恐らく足止めされているのだろう。

 今回の襲撃者は今までとは別次元だ。

 ルプトゥラ・ギャングの精鋭たちであろうと、苦戦は必至。

 

 寒河は覚悟を決めて部屋を出た。

 第一シェルターの前まで行くと、雪奈が佇んでいた。

 彼女は震えながら首を横に振るう。

 

「駄目です、行かないでください……っ」

「…………」

「勝敗以前の問題です。此処を出れば、貴方様は死んでしまう……だから」

「俺が出なければ全員死ぬ」

 

 寒河は雪奈の横を通り過ぎた。

 

「子供たちを頼む……決して外に出さないでくれ。構成員たちには既にメールで伝えてある」

「……っ」

「……すまない」

「旦那、様……っ」

 

 雪奈は振り返る事ができなかった。

 彼の覚悟を踏み躙ることなどできなかった。

 

 第一シェルターを開き、外へ出る寒河。

 ラボの周りは襲撃者たちで溢れ返っていた。

 その全てが無人機……俗に言うサイボーグである。

 

 総数100機以上。

 そして服装は、見事な金細工の施された漆黒の軍服とコート。

 髑髏のエンブレムが付いた軍帽。そして鉤十字(ハーケンクロイツ)が描かれた真紅の腕章……

 

 間違いない。

 

「死ぬ時は意外とアッサリしている……せめて最期の一服でも楽しもうか」

「不可解。心拍数を把握したところ、対象の言葉は虚偽に満ちている」

「…………」

 

 寒河は紫煙を燻らせると、声の主を確かめた。

 耳までかかる程度の銀髪と無機質な瞳が特徴的な美男である。

 その在り方は、まさしく無機物。

 欲望も願望も無い。ただただ淡々としている。

 

 第三帝国ネオナチス、機甲師団──その大隊長であり、唯一神に抗った旧人類が創造した対神仏用終極兵器。

 

 ゴグ・マゴグ。

 

 彼は漆黒のコートを靡かせながら告げた。

 

「当方の授かった命令は二つ。魔眼「メタトロンの目」の摘出と優秀な被験体の選別、そして回収だ」

「嫌だと言ったら?」

「対象に当方への命令権限はない。……これよりメタトロンの目の摘出を開始する」

 

 寒河は吸いかけのエコーを地面に吐き捨てた。

 命を懸けた防衛戦の始まりである。

 

 



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五話「アヴァターラ」

 

 

Sleeping Beauty(眠れる森の美女)』から出た大和は、久々の外の空気を堪能しながら寒河に電話をした。

 コールに入ればすぐに通話へと入る。

 

「もしもし、俺だ。今日アレだよな? 約束の日だよな?」

『そうだ』

「それがさぁ、絶賛足止めを食らってんのよ。話を聞けば、このまま大人しくしてれば結構な額を貰えるらしい……俺的にはそっちの方がいいワケ」

『約束はどうなる?』

「内容が違うだろう。てかお前、そろそろ死ぬだろ?」

『…………』

「そんなワケで、もう切るぜ。あばよ、次会う時は地獄だな」

『まだ行くつもりはない』

「無理だって、お前の力じゃ」

『……頼む大和、助けてくれ。後生の頼みだ』

「情でほだされるような男か、俺は」

『この借りは何時か倍にして返す。必ずだ』

「…………はーっ」

 

 大和は大きな溜め息を吐く。

 

「五分……いいや、三分保たせろ。必ず行く」

『……感謝する』

 

 通話を終えた大和は、改めて中央区の大通りを眺めた。

 千を優に越える無人機が殺到している。虎視眈々と、自分の動き伺っている。

 

 一風変わった五名の戦士もいた。ネオナチの軍服を着ているところは変わらないが、彼等は人間である。

 武術を極めた超越者……歩兵師団の精鋭たちだ。

 

 住民たちは既に撤退していた。

 辺りは静寂に包まれている。

 

 歩兵師団精鋭を代表して、見目麗しい青年が大和に問うた。

 

「何故です? 現金100億の一括払い……普段の貴方なら快諾してくれたでしょう」

「どうかな」

「……その場の情に動かされるなど、らしくない。失望しました」

 

 冷たく告げられ、大和はわざとらしく両手を広げた。

 

「失望させちまったか? わりぃわりぃ……三日三晩、酒を飲みまくっててよ。少し酔いが回ってんだ」

「……」

「こんな状態だと、らしくねぇ行動をしちまうかもしれねぇ」

 

 ニヤニヤと笑う大和に対して、青年は忌々しげに吐き捨てた。

 

「後悔しても知りませんよ。無人機には従来の超越者の戦闘データをインプットさせている。総勢千名に及ぶ超越者を、貴方は同時に相手取らなければならないのです。……三分で攻略するなど不可能だ」

「カップラーメンができる時間だな」

「……舐められたものですね」

「そっくりそのまま返すぜ。このひよっ子どもが……調子に乗ってんじゃねぇ」

 

 大和は大太刀と脇差しを抜き放ち、構えをとる。

 そして大声で吠えた。

 

「ぶっ殺されたくなかったら失せなァ!!!! 今回は手加減できねぇぞ!!!!」

 

 暗黒のメシアは、果たして間に合うのだろうか……? 

 

 

 ◆◆

 

 

「……不可解。三分間もの間、我々を足止めする事は不可能だ。その確率、0.001%を下回る。……分析の結果、『この時代の人間』特有の悪足掻きだと判断」

「ああ……そうだよ、ただの悪足掻きさ」

 

 寒河は四肢を千切られた状態で、頭から持ち上げられていた。

 見るも悲惨な状態である。

 大和とは魔眼を通して連絡を取り合っていたのだろう。

 

 自分を持ち上げているゴグ・マゴグに対して、寒河は唾を吐きつける。

 濁った血が彼の頬に付着した。

 

「やらなきゃ何も始まらない……確率どうこうじゃない。俺は、お前を止めなければならない…………俺は、俺の偽善を貫き通す!!!!」

 

 寒河は霊子型ナノマシンを凝縮し、手足を肥大化させる。

 そしてゴグ・マゴグの顔面に渾身の右フックを見舞った。

 山河を容易に砕く一撃は、しかし彼の頬にシワ1つも残せない。

 

 ゴグ・マゴグは淡々と告げた。

 

「これより魔眼「メタトロンの目」の摘出を行う」

「神秘の残滓を、人間の想いを、舐めるなよッ!!」

 

 寒河は文字通り、決死の想いで怪物に歯向かった。

 

 一方その頃、ラボ内は大騒ぎになっていた。

 侘丸が暴れているのだ。無理矢理外に出ようとする彼を構成員たちが必死に押さえている。

 

「何故なのですか皆様方!! 父上が死にかけているのですよ!? 何故止めるのですか!!?」

「支部長の命令だからだ!!」

「お願いですッ! 止まってくださいッ!!」

「この……いいから止まれ馬鹿野郎ッッ!!」

 

「断ります!!!! 拙者は死ぬなら父上の隣で死にたい!!!! 父上のいない世など、生きる価値を見いだせないのです!!!!」

 

 叫んだ侘丸の頬に、張り手が振り抜かれた。

 乾いた音が響き渡る。

 雪奈が見舞ったのだ。

 

「言うことを聞きなさい、侘丸」

「何故なのですか……母上、貴女まで……」

「皆、同じ気持ちなのです……!!」

「っ」

 

 雪奈は堪らず泣き叫ぶ。

 

「私も、他の子達も、すぐに駆けつけたい!! でも、あの人が駄目だと言ったのです!! 命を懸けて、私達を護ると言ったのです!! その覚悟を、想いを、無駄にすることなどできない!!」

 

 ボロボロと涙を流す雪奈。

 他の構成員たちもだ。皆、必死に我慢している。

 

 侘丸も泣きそうになりながらも、しかし全く別の事を考えていた。

 

「父上を想って、見殺しにしろと言うのですか? 父上の意思を継いで生きていけと、そう仰るのですか?」

「……侘、丸?」

 

 侘丸は泣いていた。

 泣きながら、笑っていた。

 

 

 

「それが賢い生き方だと言うなら……拙者は、一生馬鹿でかまいませぬ……ッッ」

 

 

 

 侘丸は吹っ切れた。

 

 瞬間、その精神は時間を超越し、異空間へと飛ばされる。

 第三者により強制的に精神だけを転移させられたのだ。

 

 其処は、途方もない闇の世界だった。

 三千世界のあらゆる災禍の内包する無道の世界……

 

 生き血の滴る地面に、侘丸は座っていた。

 彼の眼前には形容しがたい何かが蠢いていた。

 六つの魔眼を輝かせる、人の形をした黒いモヤだ。

 

「貴方は? ここは一体……」

《面白いもんを見させて貰った、こんなに気持ちのいい馬鹿を見たのは久々だぜ。俺の生きていた時代にも滅多にいなかった。……たまには全知全能で外界を覗いてみるもんだ》

 

 悪意はない。

 この世界は悪意で満ち溢れているのに、『彼』からは一切感じない。

 

《時間がねぇから単刀直入に言うぜ。俺と魂の契約を交わせ》

「魂の契約……?」

《そうだ。お前は父親を助けられる力を求めている、俺はお前の事を特別気に入った》

「……」

《兄弟分の杯を交わそう、関係は五分だ》

 

 提案をしてきた得体の知れないナニカに対して、侘丸は……

 瞬時に土下座した。

 

「ならばお頼み申す!!!! 兄者!!!!」

《…………兄者?》

「はい!! 無力な拙者を助けてください!! そして導いてください!! ご恩は一生を尽くして返します!!」

《クッ……ハッ!! ハーッハッハッハ!!!!》

 

 ナニカは腹を抱えて笑う。

 三千世界が衝撃で震撼する。

 

 ナニカは一頻り笑うと、二個の杯を取り出した。

 その中には得体の知れないものが入っていた。

 

《右は俺の、左はお前の魂だ。これを飲み合う……そうすれば俺達は兄弟分だ》

「はい!!!! 慎んでお受けいたします!!!!」

 

 渡された杯を一気に呷る侘丸。

 

《よっしゃァ!! じゃあいくか弟者!! 親父を助けによォ!!》

「はい!!!!」

 

 そうして、侘丸は現世へと戻ってきた。

 

「…………え?」

 

 その声は雪奈が発したものだった。

 取り押さえていた筈の侘丸が、何時の間にか通り過ぎていたのだ。

 わかった頃には、彼の背中は見えなくなっていた。

 

 第一シェルターが内部から粉砕される。

 ゴグ・マゴグは、瀕死の寒河から魔眼を摘出している最中だった。

 

 侘丸は渾身の体当たりを食らわす。

 ゴグ・マゴグは驚くほど簡単に吹き飛んでいった。

 寒河は致命傷の体を何とか持ち上げて、侘丸を確認する。

 

 何時もの彼ではない。明らかに違う。

 そもそも、超越者の中で最上位に位置するゴグ・マゴグを突進で吹き飛ばすことなど不可能だ。

 

 侘丸は何時もの軽い和服の上から、黄金色の豪勢な羽織を羽織っていた。

 裏地は鮮血を彷彿とさせる赤色で、額から浮き出ている六つの光源と同じ色をしている。

 

 寒河は思わず囁いた。

 

「アヴァターラ……」

 

 インド神話の用語。

 不老不死の存在、究極の生命体。

 超常的な存在をその身に宿す「化身」であり「権化」。

 

 侘丸は力強く叫んだ。

 

「共に死なせてください!! 父上!! 私は、生きる時も死ぬ時も貴方と共に在りたい!!」

 

 

 ◆◆

 

 

「……解析開始」

 

 瓦礫の山を吹き飛ばし、無傷のまま現れたゴグ・マゴグ。

 

「天使病感染による強化兵士の覚醒……NO。似て非なる存在。純エーテルではなく妖力と神力を確認、解析を続ける」

 

 独り喋りながら向かってくるゴグ・マゴグ。

 侘丸と同調している存在は言った。

 

《弟者、俺と代われ。今のお前じゃキツい》

「ではお頼み申します!! 兄者!!」

 

 侘丸の額から浮き出ていた六つの光が消える。

 同時に纏う気が一変した。

 

 侘丸の体を借りたナニカは両手を握り、足を上げ、最後には大きく息を吸う。

 そして満足したのだろう、大地が揺れるほどの大爆笑をはじめた。

 

「ハハハハハハハッ!!!! シャバに出るなんざ何億年ぶりだオイ!! 五感も久々だ!! 摩訶不思議、ってやつだな!! ハハハハハッ!!!! …………にしても、面倒な事になってんなァ。ええ? どうしたよゴグちゃん、神仏殺しはもう飽きたのか?」

「……問おう。名乗れ」

「ハッ!! 数億年前に散々殴ってやっただろうが!! 殴り過ぎて頭のネジが吹っ飛んじまったか!?」

 

 ゲラゲラ笑う侘丸の中にいる存在を、ゴグ・マゴグは知った。

 

「対象、東洋を代表する怪異『第六天魔王「波旬」』と断定。推定ランク、EX最上位。損傷抜きでの捕縛は不可能と判断。出力抑制装置の解除──完了。これより、撃滅体勢へと移行する」

 

 第六天魔王「波旬」。

『天魔』『他化自在天』『欲界王』

 魔王でありながら「天」を司るイレギュラーな存在。天狗と天邪鬼の始祖であり、鬼神王「温羅」と神祖「ドラキュリーナ」と肩を並べる、妖魔の祖神である。

 

 魔王顕現・アヴァターラ。

 偶然と、何より侘丸だからこそ導き出せた、天使病の可能性の最果てだった。

 

 



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六話「可能性」

 

 

 

 覚醒した侘丸こと第六天波旬は……ゴグ・マゴグにぶん殴られてラボにめり込んでいた。

 寒河は思わず呆気に取られてしまう。

 

 分厚い壁から自分を引っこ抜いた波旬は、思わず呵々大笑した。

 

「やっぱ無理!! 正面から殴り合うのは!! 俺本体ならともかく、弟者の肉体は貧弱過ぎる!! 十万分の一の力も出せやしねぇ!! んん? いや、超越者でもねぇ人間にしては頑丈なほうか……まぁ、細けぇ事はどうでもいい!!」

 

 波旬は地面に降り立ち不敵に笑う。

 

「並の超越者「程度」の力は出せる……ならばよし。後は小細工でどうにでもなる。父上とやら!! 救援は呼んでいるか!!」

「世界最強の殺し屋、大和が来てくれる。あと2分だ」

「アイツか!! そりゃ安心だ!! しかし2分かァ……長ぇなァ」

 

 目を細める波旬に対して、ゴグ・マゴグは淡々と告げる。

 

「仮称『アヴァターラ』。推定ランク変更。EX最上位からSクラスへ。宿主の力量不足による大幅な出力低下を確認。撃滅体勢は継続。…………捕縛可能な場合、実行へと移す」

「捕縛!? 俺を!? 舐められたもんだぜこのポンコツがァ!! やれるもんならやってみやがれってんだ!!」

 

 波旬は怒りながらも笑っていた。

 この状況を、どこか楽しんでいるように見えた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ゴグ・マゴグ。

 神仏を終極──即ち消滅させるために製造された究極の殺戮兵器(キリング・マシーン)

 神仏に対しての戦闘力は文字通り破格の一言であり、例外を除けば一神話を単独で滅ぼせる。

 神滅狼フェンリルに匹敵する無敵の神殺しだ。

 各神話がネオナチスに手を出せない最大の理由は彼にある。

 

 波旬とゴグ・マゴグは凄絶な殴り合いを展開していた。

 余波で大地が砕け、天が割れ、魔界都市が悲鳴を上げる。時空間が湾曲し、その影響で様々な天変地異が発生する。

 神魔の闘争──神話を代表する者同士の戦いである。

 

 一見すれば互角に殴り合っているように見える。

 が、実際は波旬が小細工を弄して何とか凌いでいる状態だった。

 ゴグ・マゴグは捕縛のチャンスを虎視眈々と伺っている。

 

 ゴグ・マゴグは神殺しの権能以前に単純な能力を持っている。

 硬さと、重さだ。

 

 世界最強の頑強さと重量。

 旧人類の超化学の粋を尽くして製造されたボディーは門外不出の特殊合金製。更に古代魔導の術式を幾重にも組み込まれている。

 最先端をゆくネオナチの科学班でも未だ解明できていない、オーバーテクノロジーの塊だ。

 

 その硬度は数億年もの間、目立った外傷を負った事がないほど。重量に関しては封印術式を開放すれば世界がぺしゃんこになるレベルである。

 

 世界最強の硬さと重さ。

 即ち最強の盾、無敵の矛。

 防御などしなくていい。適当に殴る蹴るをするだけで万物が砕け散る。

 非常にシンプルで、だからこそ厄介極まりない。

 

 波旬はそんな彼の猛攻を捌き切っていた。

 手加減されているとは言え、完璧に捌ききるのは困難を極める筈──

 両者との間には蟻と象、いいやそれ以上の差がある。

 

 波旬は己が権能の一端を発動させていた。

『反転』『反射』

 天邪鬼の祖神である彼は事象現象問わずあらゆるものを逆さまにできる。

 これによりゴグ・マゴグの剛拳と渡り合っているのだ。

 

「対象、時間稼ぎに集中している模様。制限時間内の捕縛は困難と判断。生死を問わない強制連行を実行に移す」

 

 ゴグ・マゴグがその気になった。もう小細工は通用しない。反転、反射の権能も悉く粉砕される。

 

 無機質な銀色の眼が不気味に輝いた。

 容赦のない貫手が侘丸の胸を穿つ。

 

「クソッ…………タレぇッ」

 

 ゴグ・マゴグは侘丸の心臓を抜き取った。

 亡骸は無造作に放り投げる。

 彼は、未だ脈打っている心臓を確認した。

 

「長期保存可能と判断。第二目的であるメタトロンの目の摘出を再開する」

「ふざ、けるな……ッッ」

 

 歩み寄ってくる殺戮マシーンに対して、寒河は途轍もない憎悪を覚えた。

 霊子型ナノマシンが活性化するが、それでも現状は覆らない。

 

 何十万と集おうが、所詮は神秘の残滓。

 神秘そのものであるゴグ・マゴグに勝てる道理などない。

 

 それでも寒河は立ち上り、己を奮い立たせた。

 

《ま、落ち着けや父上……俺ぁ、この程度じゃ死なねぇよ》

「!」

 

 ゴグ・マゴグの手元から、いつの間にか心臓が消えていた。

 代わりに侘丸が、波旬が懐に入っている。

 瀕死の概念を反転させたのだ。

 

 波旬は豪快に拳を突き上げる。

 

「食らいやがれ!! 弟者の怒りのこもった鉄拳を……!! 人の親父に、何しさらしてんだクソッタレぇぇぇぇッッ!!!!」

 

 渾身のアッパーだった。

 タイミングも角度も完璧。

 衝撃は分厚い曇天を貫き、辺り一帯に特大の衝撃波を発生させる。

 

 しかし──ゴグ・マゴグは不動だった。

 宙に浮きすらしない。

 今の波旬が出せる最強の一撃も、彼には通用しなかった。

 

 ゴグ・マゴグは視線を波旬に定め、告げる。

 

「天使病患者の覚醒の原理、及び仮称アヴァターラのデータを習得。メタトロンの目の必要性を懸念。データを本部に送信。…………新たな命令を受諾。これよりこの場にいる関係者を抹消する」

 

 ゴグ・マゴグの目が不気味に輝く。

 波旬は慌てて叫んだ。

 

「父上とやら!! 救援はまだか!? これ以上は無理だぜ!!」

「残り1分……万事休すか」

 

 ゴグ・マゴグは拳に極大の純エーテルを溜める。

 一撃で全て終わらせるつもりだ。

 あんなものを放たれた暁にはラボどころか魔界都市が消し飛ぶ。

 

 何とか止めようとするが、既に遅い。

 終焉へと導く一撃が放たれる。

 しかしその直後に何かが降ってきた。

『彼』は終焉そのものを片手で受け止める。

 込められていた莫大なエネルギーを全て体内に吸収した。

 余波だけが辺りを吹き抜ける。

 

 彼は嗤う。

 妖艶に、邪悪に。

 

「ギリギリセーフだったな、三分じゃ間に合わなかったぜ」

 

 暗黒のメシア。

 彼はそう言いながらゴグ・マゴグの拳を握り締めた。

 

 

 ◆◆

 

 

「……不可解。歩兵師団の精鋭五名と機甲師団の隊員千名以上。三分で攻略する事自体不可能な筈だ。それをたった二分で」

「俺を誰だと思っていやがる」

「…………」

「数億年前のポンコツコンピューターでこの俺の力を推し量ろうなんざ、失礼にも程があるぜ」

 

 直後、地面が陥没した。

 桁外れの力場が発生し、時空間が捩じ曲がる。

 両者による腕力勝負だ。

 

 地表に亀裂が入り、地盤が大きくズレる。

 高層ビル群が倒壊するほどの地殻活動が起こる中、大和は鼻で笑っていた。

 

「やめとけって、お前と俺は相性最悪だ」

「…………」

「硬くて重い、ただそれだけだろう?」

 

 大和はゴグ・マゴグから手を離す。

 ゴグ・マゴグは弾丸の様に跳んでいった。

 

 彼が一際力んだ瞬間に手を離したのだ。

 結果として、ゴグ・マゴグは自分の力で吹き飛んでいった。

 

「テメェみてぇな能力ゴリ押しの馬鹿は絶好のカモなんだよ。……で、どうする。まだやるか?」

 

 数十キロメートル先まで飛んでいったゴグ・マゴグ。

 彼は瓦礫の山を吹き飛ばすと、何事もなかったかの様にコートに付いた埃を払う。

 

「暗黒のメシアとの戦闘は非効率的と判断。任務を中断し、本部へと帰投する」

 

 ゴグ・マゴグはあっさりと撤退した。

 それに応じてラボをとり囲んでいた無人機たちも姿を消す。

 

 大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「終わったな。……あーあー面倒くせぇ、だから貸し借りを作るのは嫌なんだよ」

 

 気を失った侘丸を必死に抱き止める寒河……それを眺めながら、大和は不機嫌そうに煙草を咥えた。

 

 

 ◆◆

 

 

 数日後、特別医療室にて。

 ラボの修復、改築が終わった頃に侘丸は目を覚ました。

 まずは構成員と雪奈にこっぴどく叱られた。

 数時間にも渡る説教は侘丸を精神的に瀕死寸前まで追い込んだ。

 しかし最後には「無事でよかった」と泣かれた。

 侘丸は改めて、家族の大切さを思い知った。

 

 次に、寒河と視線を合わせた。

 彼は説教に参加していない。

 なんなら侘丸に一言も声をかけていない。

 小犬の様に震えている侘丸を、寒河は優しく抱き締めた。

 

「怒りはしないさ……無事でよかった」

「~っっ」

 

 侘丸は瞳を潤ませ、寒河の胸に顔を埋めた。

 決してこの人の側を離れないと、固く誓った。

 

《あーあー、王道展開だねぇ全く。今読んでる週刊少年誌並にベタな展開だ》

「!」

 

 侘丸は慌てて声の主を確認する。

 隣のベッドには、見たこともない美男が寛いでいた。

 黄金色の癖のある長髪を腰まで流した魔性の男である。

 

 王族を彷彿とさせる豪勢な衣装を纏った姿はサマになっていた。過度に付けた黄金の装飾品も嫌みになっていない。2メートル近い長身痩躯の肉体、妖艶な色香を放つ顔立ち。

 額には六つの刻印が刻まれている。

 

 侘丸は満面の笑みを浮かべて挨拶した。

 

「おはようございます!!!! 兄者!!!!」

《もう昼間だっての。しかし元気そうで何よりだぜ。弟者》

「はい!! 拙者はもう元気です!! 兄者の、そのお姿は……?」

 

 侘丸は疑問に思う。

 その袖を引っ張るものがいた。雪奈だ。

 

「こらっ、侘丸っ。もっと礼を尽くしなさいっ。この御方は怪異の祖神の一角……本来、私たちが謁見に賜る事すら奇跡に等しいほどの御方なのですよっ」

 

 現に構成員たちも寒河も、片膝を付いて敬意を表している。

 しかし第六天魔王は気だるそうに手を振った。

 

《気にすんな、お前らは弟者の家族だ。なら俺の家族みてぇなもんよ》

「しかし……!」

「さっすが兄者!! 懐が深い!! 拙者感服いたしました!!」

《ハハハハハハ!! そうかそうだろう!! ほれ、近うよれ弟者!! 可愛がってやる!!》

「兄者ーっっ♪♪」

《おーよしよしよし!! 可愛いなぁ弟者は!! これからは俺が側にいてやるからな!!》

「ありがとうございます!! 嬉しいですっ!!」

 

 まるで小犬と飼い主。

 しかし波旬が侘丸を気に入っている事は、異端審問会にとっては僥倖でしかない。

 

 侘丸を愛でつつ、波旬は話を再開した。

 

《んで、弟者よ。俺はお前が気に入ったのと、今の世界で遊んでみたかったので、封印を解いて出てきたんだよ》

「なんと!! 兄者は封印されていたのですか!!」

《インド神話の奴等と仏たちにな。まぁ、当時退屈だったから適当に応じたんだよ。出ようと思えば何時でも出れた。ただ、出る気が無かっただけだ》

 

 波旬という存在がどれほど出鱈目なのかがわかる。

 寝そべりながら少年誌を読み、ポテチとコーラーを横に置いている姿はかなり俗物的だが……

 

《そういう訳で、俺はこれからお前たちの世話になるワケだ。インド神話や仏たちから目を付けられる事になるが、利点のほうが多いだろう? なぁ父上》

 

 寒河は頷く。

 

「むしろありがたい。古の魔王の加護を授かれるんだ。まず家族の安全が保証される」

《安心しろ。今度あのポンコツマシーンが攻めこんできたら頭のネジを全部ふっ飛ばしてやる。万全の状態なら負ける気がしねぇ》

「天使病の研究が飛躍的に進む。難題だった男性戦士の覚醒もアヴァターラという方法で解決するだろう」

《まぁ、そこらへんはボチボチだな。俺の配下の天狗や天邪鬼、その他の魔王たちには話を付けておくが、応じるかはソイツら次第だ。絶対とは言えねぇ》

「それでもいい。努力をする意味が生まれたのだから」

 

 波旬はケラケラと笑った。

 悪意はなかった。

 

《お父様は弟者と違って頭がいいな》

「兄者!!?」

《んんー? 弟者は馬鹿でいいぞー、俺が面倒見てやるからなー》

「ううーん?? それはいいのでしょうか? ううん??」

 

 悩んでいる侘丸を取り合えず置いておいて、波旬は寒河に告げる。

 

《俺の部下は俺の部下のままって事で……いいんだよな?》

「勿論だ。そもそも異端審問会の全戦力を投入しても、貴方の抱える総戦力には遠く及ばない」

《だな。明けの明星を含めた堕天使数体くらいしか相手にならねぇ》

「……」

《しかし、俺は父上の命令には従うぜ。何せ弟者がアンタを慕っているからな》

「……感謝する」

《いいって事よ。アンタもアンタで、野望達成に一気に近付けただろう?》

「…………」

 

 寒河は何も言わない。

 この一件を高く評価された寒河は異端審問会の副首領に昇格した。

 これは明けの明星を除けば最高の位である。

 今後、寒河に数々の恩恵をもたらすだろう。

 同時に無理難題も増えてくるだろうが……

 

《つーワケで、俺ぁこれから大和と遊んでくる。久々にそういう遊びもしたくなった》

「兄者!! 拙者もお付きあいいたしますぞ!!」

《弟者にはまだ早ぇ……てか、そもそも寝とけよ。病み上がりだろう? 元気になったら稽古を付けてやる。仮にも俺の契約者だ、もっと強くなって貰わねぇと困る》

「わかりました!! では寝ます!! 皆様おやすみなさい!!」

 

 侘丸は布団に潜って3秒後に鼻提灯を膨らませた。

 あまりにアレな行動に雪奈と構成員たちは頭を抱える。

 波旬はケラケラ笑うと立ち上り、寒河の横を通り過ぎた。

 その際、彼の耳元で囁く。

 

《大和があの時言った言葉……忘れんなよ。アンタはそれさえ忘れなければ必ず成功する》

「……ああ、忘れないとも」

 

 寒河は頷く。

 そして大和が言い残した言葉を思い返した。

 

 ──お前の野望……他の奴等と力を合わせりゃチャンスがあるかもな。神秘の残滓も、積もれば「本物」になれるだろうよ。 

 

(お前の言う通りだよ、大和。俺一人では到底成し得ない夢だ。……でも、この子達とならきっとできる)

 

 寒河は侘丸と、彼を囲んでいる家族たちを見て微笑む。

 それは数年ぶりに浮かべた、彼本来の、柔らかい笑みだった。

 

 

《完》



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第三十九章「妖仏伝」
一話「嵐の前の騒がしさ」


 

 

 日本呪術協会。

 日本の退魔機関の総本山である。

 土御門家や芦屋家などの陰陽師一族、柳生を筆頭とした退魔剣士の家系などが加盟しており、国内の呪術師、霊能者の殆どが所属している。

 霊的な問題から表世界の住民を遠ざけ極秘裏に解決する事を使命としており、その歴史は遥か太古、平安時代初期にまで遡る。

 その時代時代の帝に仕え、表世界の秩序を護ってきたのだ。

 

 それ故に強大な権力を誇っており、その発言力は唯一神教の二大派閥であるカトリック、プロテスタントに並ぶほど。

 頂点である元老院は世界政府への発言権すら持っている。

 

 彼等は現在、世界の混沌化を確認しつつ慎重に動いていた。

 が、此度の事件でいよいよ余裕を保てなくなる。

 日本全土の仏閣で不気味な出来事が起こったからだ。

 

 仏像が血の涙を流す──

 

 ある日を境に突如として起こった怪奇現象は土御門家含む陰陽師らの占術により、途轍もない災禍の前触れだと判明した。

 日本国内に収まらず、いずれは世界を覆い尽くしてしまう神話規模の災禍だと──

 

 

 ◆◆

 

 

「オチありの一発ギャグ、いきまーす!」

「ひゅー! 大和ひゅー!」

 

 腕利きの用心棒の歓声とともに、此度の事件の救世主になる男は伊達眼鏡をかける。

 

「争いはよくありません! 平和が一番です! 皆、菩薩の様な心を持ちましょう! 世界人類、皆家族だと思って! 愛が大切です!」

「wwwwwwwww」

「優しい気持ちになれましたか? そしたら一ヶ月に一度、一円を寄付しましょう。全人類が一円ずつ出しあえば月になんと76億円も貯まります! 凄いですね! これが愛の力です!」

 

 なんとなくオチがわかった店主は呆れながら問う。

 

「で、その金は何処に寄付するんだ?」

「勿論、私の口座です!」

「WWWWWWWWWWWWWW」

 

 用心棒は古傷だらけの手でテーブルを叩いた。

 

「だってそうでしょう! 私の口座に振り込めば私が幸せ! 皆も幸せ! 世界は平和! つまり万々歳!」

「言っている事が支離滅裂過ぎて頭痛くなってきた……」

「腹いてぇ!! ギャーッハッハッハ!!」

 

 額を押さえている店主、ネメア。

 大爆笑している腕利きの用心棒、右乃助。

 そして凄絶なドヤ顔をかましている殺し屋──大和。

 

 3名はカウンターで騒いでいた。

 最も、うるさいのは大和と右乃助だが……

 

 遠くからその様子を見ていた少女ウェイター、黒兎は戦慄した面持ちで言う。

 

「どうしましょう、野ばら先輩……ネメアさんがタチの悪い酔っ払い共に絡まれています……っ」

「片方は貴女の父親でしょう?」

「知りません。あんな下半身と脳が直結しているようなド畜生など……私、一切関係ありませんから」

「あら、そう。わかったわ」

 

 黒髪を揺らしてもう一人のウェイター、野ばらは業務へと戻る。

 彼女もまた、此度の事件に関係していた。

 

 鬼狩りの野ばら──悪鬼羅刹が跋扈していた大正時代を駆け抜けた、史上最強の鬼狩りである。

 

 彼女が関わるという事はとどのつまり、此度の事件は鬼の仕業だ。

 しかし、ただの鬼ではなかった。

 

 デスシティにまたしても鮮血の嵐が吹こうとしている。

 だがそれは、この都市では日常であった。

 







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二話「異世界の鬼狩り」

 

 

「ギャグってのは、真面目にやるから面白いんだよ」

「俺の中では盛大にスベってたが?」

「だとさ、右乃助。どう思うよこの堅物」

「なんつーか、頑固爺?」

「外に放り出すぞ、いい加減にしないと」

 

「「すんません」」

 

 金髪の偉丈夫、ネメアは不機嫌そうにセブンスターをふかす。

 そして読みかけの新聞に視線を戻した。

 

「……最近、妙な生き物がウロついているな」

「ああ、数日前からか? 結構な被害が出てるらしいぜ。仏の姿形をした妖魔だろう?」

 

 右乃助の言葉にネメアは頷く。

 大和は興味無さげにグラスに口付けした。

 右乃助はその話題を掘り下げる。

 

「西区を根城にしてるみてぇだ。何件か護衛の依頼がきたが、断ったよ。……ネメアは仏の姿形をした妖魔って聞いたことあるか?」

「いいや、仏像に取り憑いた妖魔が出たという話は聞いた事があるが、ここまでの規模は始めてだな」

「やっぱり。信頼できる情報屋にも聞いてみたんだが、今回の騒動、どうもおかしい。となると……」

 

 右乃助が思案する中、ネメアが告げる。

 

「新手の生体実験か、新種族の誕生か……あるいは異世界からの侵略者か」

「最後だろう、妥当なのは」

 

 ラムを飲んでいた大和が唐突に言う。

 

「一つ目なら五大犯罪シンジケートが許さねぇ。二つ目にしては規模がでかい。消去法で三番だ」

「そうだな。確かに一番可能性が高い。邪神群の奉仕種族が初めて出現した際も、こんな感じだった」

 

 ネメアの言葉に頷きながら、大和はテーブルにグラスを置く。

 

「詳しくは知らねぇが、話を聞く限りじゃあ侵略者のやり口だ」

「お前らがそう言うんだから、恐らくそうなんだろうな」

 

 右乃助は苦笑する。

 大和とネメアは格の違う存在だ。

 数億年も前から幾度となく世界を救っている大英傑、神魔霊獣も恐れおののく最強の男たち……

 

 その経験値と観察眼は何よりも頼りになる。

 

 大和はブラックラムをトクトクとグラスに注いだ。

 

「仮にそうだとしたら……そろそろ動くな」

「そうだな、何時騒動になってもおかしくない」

「うへぇ……表世界に暫く逃げてようかなぁ」

 

 右乃助の言葉に、大和は喉を鳴らす。

 

「いいんじゃねぇの? 少なくともこの都市よりは安全だろうさ」

「そうとは言い切れないぞ。事の発端は表世界だ。いざという時、あちら側で被害が出る可能性がある」

「ちょっと待て!! なら安全な場所なんてねぇじゃん!!」

「「諦めろ」」

「オーマイガーっっ!!」

 

 悲鳴を上げている右乃助を見て、二人はやれやれと肩を竦める。

 元より安全な場所などない。

 この業界に携わっている以上、大なり小なり命の危機に晒される。

 

 厳つい容姿の癖にウサギ並みの臆病さを見せられ、大和はげんなりした様子でネメアに言った。

 

「コイツ、この酒場に宿泊させてやったら?」

「ふざけるな。従業員ならまだしも……うちはホテルじゃないんだぞ」

「だって一番安全じゃん、此処」

「営業時間外になれば外に放り出す」

 

「酷い!! 酷すぎる!! ネメアの鬼!! 悪魔!!」

 

「ほざいてろ酔っ払いが」

 

 一刀両断され、右乃助は項垂れる。

 大和は面倒になったので、煙草をふかせていた。

 

 すると、店内が騒がしくなる。

 大和はゆっくりとそちらへ振り返った。

 そして、何時ものらしい笑みを浮かべる。

 

「……それなりに荒れそうだな」

 

 深海を思わせる蒼づくめの美女。

 その身から醸し出される得体の知れない雰囲気に、ネメアは眉間に皺を寄せた。

 

 

 ◆◆

 

 

 鍔広の魔女帽子、コルセット、ロングスカート。ラバー製の長手袋に足元は拍車付きのロングブーツ。身に纏うマントも深い蒼をたたえている。

 

 黄金祭壇の魔女でも着ない、時代遅れの正装だ。

 顔立ちは可憐でありながら妖艶と、これまたある意味魔女らしい。

 

 ゲートの客人たちは警戒していた。

 驚くでもなく、敵意を向けるでもなく、ただ単純に警戒している。

 彼女の纏う雰囲気がそもそも「違う」のだ。この世界の存在ではない。

 

 痺れを切らしたオークたちが懐に手を入れた。

 が、大袈裟に紫煙をふかせたネメアを見てすぐに手を挙げふ。

 彼の逆鱗に触れてしまうほうが恐ろしいのだろう。

 

 魔女は大和たちに近いカウンターに腰掛けた。

 そしてネメアに注文する。

 

「ストレートティーをいただけるかしら? アイスで」

「この世界の通貨は持っているか?」

 

 核心を突く問いに、魔女は肩を竦めた。

 

「宝石とかではダメかしら?」

「構わないが、高く付くぞ」

「結構よ」

 

 今の会話でわかった事がある。

 彼女がこの世界の住民ではない事。

 そしてこの様な状況に慣れている事。

 

(ふぅん……それなりにデキるな)

 

 大和は彼女の実力を早々に見極めていた。

 ネメアもである。

 

 微妙な空気が流れる……大和は横でこっそり逃げようとしている右乃助の襟元を掴む。

 ぐぇぇ、と蛙が潰れた様な声が響いた。

 

 魔女は何を思ってか、ネメアに告げる。

 

「私は音殺の魔女。今、この世界を苗床にしようとしている悪鬼『妖仏(ようぶつ)』を殲滅しに来たの」

「それで? 酒場の店主である俺に何の関係がある?」

「……貴方たちの世界が滅びようとしているのよ?」

「関係ないな。少なくとも俺には」

 

 ネメアの反応と、茶化す様な笑みを向けてくる大和を見比べて、魔女は深い溜め息を吐く。

 

「そう……そういう場所なのね、此処は」

「わからないか?」

「確かめたかったのよ。でも案の定だった……とても怖い場所なのね」

「ああ、そうだ」

 

 ネメアは魔女の前にアイスティーを置く。

 彼女はルビー、サファイヤなどの宝石を幾つか置き、アイスティーを飲み始めた。

 

「……お隣さんは、人の皮を被った獣かしら?」

 

 魔女が流し目を向けると、大和はギザ歯を剥く。

 並の女なら魔性の色香に陶然としてしまうだろうが、彼女は違った。

 優々と流してみせる。

 

「大胆な人は嫌いなの。特に貴方みたいな野獣みたいな人は……」

「気持ちよくさせてやるぜ?」

「呆れた……」

「返事は?」

「Noよ、わかりきってるでしょう」

「そら残念」

 

 大和は愉快そうに両手を広げる。

 魔女は相手にするのも馬鹿らしいと考え、ネメアに向き直った。

 

「それで、話の続きなんだけど」

「話す事なんて何もないぞ」

「聞いて頂戴。貴方に関係のある話だから」

「……」

 

 ネメアは仏頂面で腕を組む。

 魔女は微笑むと、視線を移した。

 その先には黒髪の少女ウェイター、野ばらがいた。

 

「先日、そこのお嬢さんが妖仏を何体か斬り捨てているのを目撃してね。話を聞いてみたかったのよ」

「あー……」

 

 ネメアは思わず頭を押さえた。

 予想外の一撃だった。

 

 当の野ばらは素っ気なく告げる。

 

「鬼だから斬った、他意は無いわ」

「そう簡単に斬れる奴等ではないわ」

「鬼なら斬る……それだけよ」

「ふふふ……是非とも協力して貰いたいわ。この世界の鬼狩りさん」

「…………」

「報酬はいるかしら?」

「少し黙ってて」

 

 野ばらはネメアの元まで赴き、その目を見つめる。

 

「店長……いいかしら?」

「止めてもいくんだろう?」

「ええ」

「なら行ってこい。ただし、無茶はするなよ」

「大丈夫よ。……相変わらず心配性ね」

 

 うっすらと微笑むとエプロンを脱ぎ、壁に立て掛けてあった仕込み傘を手に取る。

 そうして件の魔女に声をかけた。

 

「いきましょう」

「頼りにしてるわ」

 

 並ぶ女達は、世界観こそ違うものの最強の鬼殺したちだ。

 その気迫に客人らは恐れ戦き道を空ける。

 

 世界最強の殺し屋は笑いながらその後ろ姿を眺めていた。

 

「面白くなってきた」

 



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三話「憶測と特務機関」

 

 

 右乃助は締まった襟元を緩めながら怒鳴る。

 

「ゲホゲホ……っ! この、大和テメェ!! 何しやがる!!」

「あのまま外出てたら、巻き添え食らってたぞ」

「は……?」

 

 瞬間、外で大爆発が起こる。

 同時にこの世のものと思えない邪悪な気が迸り、断末魔の悲鳴が聞こえてきた。

 外では地獄も生温い光景が広がっているだろう。

 

 現になんとか店内に這って入ってきた獣人が血塗れのまま絶命した。

 右乃助は顔を真っ青にする。

 

 大和はケラケラと笑った。

 

「音殺の魔女、だったか? あのアマ、この世界でいうところの天使殺戮士だ。ソレ専門の掃除屋……当然、妖仏とやらに恨まれてる。近くにいると危ねぇぞ」

「お前、さっき平然とベッドに誘ってたじゃねぇか……」

「イイ女は口説くもんだ。たとえリスクを伴ってもな」

 

 大和は足を組んでテーブルに寄りかかる。

 

 大きな地鳴りが響き渡る。高層ビルが倒壊しているのだろう。

 外では強大な妖気と鋭い剣気、そして軽快な音と共に弾ける破邪の気を感じられた。

 

 大和はブラックラムを飲みながら考察を始めた。

 

「妖仏とやらは鬼の亜種。成る程、あのチンチクリンが出るわけだ。悪鬼滅殺──大正時代の鬼狩りはそれしか考えてねぇ」

「……」

 

 ネメアは複雑な面持ちをしている。

 大和は気にせずグラスに口づけした。

 

「異世界の鬼狩りとこの世界の鬼狩りがタッグを組むか……いいねぇ、夢の共闘ってやつだ。ただそう単純にはいかねぇ。他の勢力が絡んでくる」

 

 大和はブラックラムを飲み干すと、店内を見渡す。

 

「テロ組織も気になるところだが、その前にだ……そぅれ見てみろ。店の中が騒がしくなってきやがった。マッドサイエンティストや暴力団が妖仏に懸賞金をかけはじめたんだろう。ククク、騒がしくなってきた」

 

 大和は面白そうにしながら席を立つ。

 勘定をテーブルに置いた彼に、右乃助は聞いた。

 

「どうしたんだよ、依頼はまだ来てねぇだろう?」

「もう来てるだろうさ。ただまぁ……もう少し伸ばせる」

「うへぇ」

 

 右乃助は思わず舌を出した

 大和の言葉の意味が理解できたからだ。

 

「ようするにアレだ。『僕のブランド的にもう少し報酬額を上げて欲しいなー』って事だ」

「いいねぇその例え、百点満点を上げようじゃないか右乃助クン」

「素晴らしいズル賢さ、さっすが大和サンですわ」

「「ハッハッハ!」」

 

 笑いあう二人。

 ネメアは呆れて何も言えなかった。

 究極的に言えば自分も同じ穴の狢なので、何も言えない。

 

 大和は笑う。

 何時も通りに。

 

「そーいうワケで、俺は相場が決まるまで観戦でもしてるぜ。鬼狩りタッグのアクションシーン、暇つぶしにはなるだろう」

 

 大和は店から出ようとする。

 

 そんな彼の眼前に、魔界都市らしからぬ雰囲気を纏う二人の美少女が現れた。

 彼女たちを見て、大和は口笛を吹く。

 

「ひゅー♪ 実に早い対応で感服するぜ、努ちゃん」

 

 総理大臣、大黒谷努が抱えている秘密組織、特務機関のエージェント。

 彼女たちの登場は、相場が決まったという事だ。

 

 

 ◆◆

 

 

 二人は姉妹だった。その証拠に、顔の造形が似ている。

 それぞれ絶世の美少女だ。あらゆる美が揃うデスシティでも充分通用するレベルである。

 

 姉の方は勝ち気で、何処か排他的な印象を受ける。

 肩辺りで整えられたプラチナブロントの髪、黒色の鋭利な双眸。体型はスレンダーながらも出るところは出ている。服装は特務機関に支給されている制服だ。

 

 彼女は桃色の唇を噛み締めて、大和を睨んでいた。

 

 妹の方は穏やかで、聖母の様な印象を受ける。

 ツーサイドアップにされた黒色の長髪、同じ色のとろんとした瞳。

 体型は姉よりも豊満で、ある意味理想の体型。

 服装は特務機関の制服。

 彼女は姉とは対照的に、柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「依頼よ糞野郎、さっさと準備しなさい」

「それが人にものを頼む態度かよ。クロエ」

「お久しぶりです大和さん……依頼のお話があるのですが、よろしいでしょうか?」

「おう、いいぜマシロ。……ったく、姉ちゃんと違って可愛いなぁお前は」

 

 大和はマシロを抱き寄せる。

 顔を赤くしている妹を見て、クロエは怒りながらその間に割って入った。

 

「ちょっと!! やめなさいよ変態!! セクハラよ!! セクハラ!!」

「るっせぇなぁ……ニャーニャー喚くじゃねぇよクロ猫」

「クロエよ!! 相変わらずムカつく男ね!!」

「へいへーい、クロエさんやーい」

「頭撫でるな!! ぶっ飛ばすわよ!!」

 

 野良猫をあしらう様に彼女をまくと、大和は元いた席に戻る。

 そして隣の席をポンポンと叩いた。

 

「座れよ、話を聞くついでに奢ってやっから」

「……飲み物に媚薬とか入れたりしないでしょうね?」

「ちょ、お姉ちゃん! それは失礼だよ!」

 

 マシロが諌めるも、クロエは怪訝な面持ちを崩さない。

 そんな彼女を、大和は豪快に笑い飛ばした。

 

「ハッハッハ!! エロ本の見すぎだぜ!! このムッツリスケベが!!」

「なっ!?」

「媚薬だのいかがわしい魔術だので女を堕とすなんざ三流のする事だ。……本当の男ってのは自分の力で女を堕とす」

「……っ」

 

 クロエは恥ずかしさの余り顔を真っ赤にする。

 逆にマシロは笑顔で大和の隣に座った。

 

「邪悪ですけど……やっぱり素敵です、大和さん♪」

「カッカッカ! そうだろう!」

 

 上機嫌に笑いながら、大和は聞く。

 

「そういやぁ、外は今どんぱち騒ぎだろう? よく来れたな」

「私たちの実力、知ってるでしょ? 舐めないで頂戴」

「正直、お前らが来るのは予想外だった。候補的には三番目だったんだが……」

「はぁ? 何よいきなり」

「頭使え、馬鹿ネコ」

 

「ふしゃー!!!!」

 

 飛び付いてきたクロエの襟元を掴み、ぶら下げながら大和は続ける。

 

「依頼人の候補だよ。第一に日本呪術教会、第二に五大犯罪シンジケート、三番目が努ちゃんだった」

「離しなさいよ馬鹿ー!!」

「あーうるせぇ、うるせぇよお前。ちょっと黙っとけ」

「むぎゅっ」

 

 クロエを胸板に押し付ける。

 尚も暴れるので、強靭な腕で抑えてしまう。

 マシロは実の姉の暴れっぷりに苦笑いを浮かべていた。

 

 大和はやれやれと肩を竦めながら話を再開する。

 

「で、お前らが来たってことは? どうなった」

「元老院の方々が世界政府に救援を求める……という形で圧力をかけてきたんです。消去法で総理大臣に火の粉が舞ってきて……」

「あーあー努ちゃんかわいそー、そのうち依頼来そうだな。元老院殺してくれって」

「今回は相当癪に触ったみたいで……滅多に怒らない総理大臣が額に青筋を浮かべていました」

「ハハハ! それマジなやつだ! ヤベェぞ元老院! まぁ……度が過ぎればすげ替えるだろうさ。努ちゃんならな」

 

 さらっと恐ろしい事を言った大和に、マシロは純粋に恐怖を抱く。

 

 彼は単純な男である。

 強く、美しく、頭が良い……

 それが美点かと問われれば、悩ましいものだ。

 人間とは複雑な生き物であり、単純も過ぎれば共感性を失い、孤独になってしまう。

 

 しかし、彼は孤高だった。

 強大過ぎる一個人。何人にも媚びず、従わず、思うがままに振る舞う。

 喜怒哀楽を謳歌し、善悪の概念すら粉砕する。

 

 まさしく益荒男。

 マシロが大和に抱いているイメージは、虎であった。

 神魔霊獣を喰らい畏怖させる猛虎……

 

 はじめは恐怖を抱いた。次に羨望を抱いた。

 自分もそう生きられたら……と思った。

 でも無理だった。世界は思ったよりも複雑で、残酷で……

 とてもではないが、彼の様には生きられなかった。

 

 自由とは責任を伴うものだ。

 その責任を背負えるかどうか……

 清濁併呑し、それでも己の信念を貫き通す覚悟があるかどうか。

 

 邪悪でも、その在り方はとても眩しくて……

 マシロは思わず手を伸ばしてしまった。

 その手を大和はからかう様に握る。

 

「どうした、手を伸ばしたりなんかして」

「えっ、あっ……そのっ」

 

 気恥ずかしさで頬を赤らめるマシロに、大和は笑いかける。

 優しい笑みだった。

 

「天然なところあるよな、お前って」

「……~っ」

 

 プシュー、マシロは顔から湯気を噴き出す。

 大和は懐で丸まっているクロエに視線を落とした。

 

「お前は、よーやく大人しくなったか」

「うっさい……マシロに手を出したら、許さないわよっ。あと男臭い……っ♡」

 

 キッと睨み付けるも、目がトロンとしていた。

 大和は彼女の頭をポンポンと撫でる。

 

「依頼は受けるぜ。努ちゃんなら俺の相場を理解してるだろう」

「五十億……」

「妥当だな。そんじゃ、ちょっくら仕事するか」

 

 大和はクロエを抱えたまま立ち上がる。

 そしてマシロに手を伸ばした。

 

「さぁお嬢さん、よかったら抱えていきましょう。この都市は危ないんで」

「……あぅ、その……よろしくお願いしますっ♡」

 

 片手ずつで姉妹を抱えると、店を出ていく。

 その背中を見送った右乃助は、感心とも飽きれとも言える溜め息を吐いた。

 

「アイツの美貌ってアレだな、チートだ」

「美貌だけならあそこまでならない。……全く、天然の女たらしだよ」

 

 ネメアも飽きれていた。

 

 二名の鬼狩りと三名の凸凹コンビによる妖仏狩りがはじまる。

 しかしこの妖仏なる存在、生半可なものではなかった。

 

 後に大和は鮮血に溺れる事になる。

 そんな事、誰も予想できなかった。

 



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四話「愛とは」

 

 

 

 西区に続く中央区、三番通りで。

 異形の怪異で溢れ返るこの場所に、菊の花模様が鮮やかに舞っていた。

 

 右手で抜けば万物を断ち切り、左手で抜けば鬼の首を落とす……武仙、役小角(えんのおづの)直伝の鬼狩りの剣技である。

 その冴えは見事という他無い。

 妖仏たちを瞬く間に細切れにした。

 仕込み刀が納まれば、肉と融合した瓦礫が辺りにばらまかれる。

 

 鬼の亜種、妖仏(ようぶつ)

 その性質を把握しきれていない野ばらは、専門家に聞く。

 

「この鬼……憑依できる対象は無機物、有機物を問わないのよね?」

「ええ、何にでも憑依できるわ。だから根源を叩かなければならない」

「さっき、酒場を出た際に襲ってきた奴等は中々手強かった。強さに個体差はあるのかしら?」

「例外を除いて一貫しているわね。最初は雑魚だけど、吸収した量と質に比例して強くなっていく……長く放置しておくと危険だわ」

「短期決戦ね、了承したわ」

 

 静かに頷いた野ばらに、音殺の魔女は柔らかな笑みを向ける。

 それは信頼の証たった。

 

「本当に助かるわ。……今回は私一人じゃ厳しそうだったから」

「運が良かったわね」

「ええ、本当に」

 

 音もなく忍び寄ってきた妖仏を、野ばらは容赦なく斬り刻む。

 音殺の魔女も特殊なエレキギターで破邪の調べを奏でた。

 群がっていた妖仏は内側から爆発四散する。

 

 野ばらはスッと目を細めた。

 異界の鬼狩りの戦い方は実に面妖である。

 

 甲虫類を彷彿とさせるフォルムのエレキギターから発せられる特殊な音波によって、鬼を内側から破壊する。

 更に物理的な高圧電流を飛ばしたり、弦を外して鋼糸術を披露したりしていた。

 テクニカルな戦い方だが、付け入る隙が殆どない。極限まで洗礼されている。

 

 野ばらは口に出さないものの、感心していた。

 

 西区の前までやってきた二名。彼女たちを待ち構えていたのは、仏の姿形をした悪鬼たちだった。

 皆独自の進化を遂げている。今までの有象無象とは明らかに格が違う。

 

 野ばらは腰を落とし、魔女は弦に指をかけた。

 

「背中は任せて頂戴」

「頼りにしているわ」

 

 飛びかかってきた妖仏を野ばらは無慈悲に斬り捨てる。

 音殺の魔女も破邪の旋律を奏で、同時に高圧電流を叩き落とした。

 

 最強の鬼狩りたちの戦いぶりに、妖仏たちもたじたじとしていた。

 短期決戦……二名は宣言通り、敵の本拠地へと突撃していった。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区でも一等高級なホテル「Elysium(エリュシオン)」にて。

 魔の旅館「紅瓢亭(べにひさご)」より魔界都市らしさは薄くなっているが、それが返って人気の理由となっていた。

 正統派の高級ホテル。この都市に馴れていない、または住民たちと関わりたくない者たちがこぞって泊まりに来る。

 

 此処のスイートルームを、大和たちは贅沢に使っていた。

 本来一泊数千万はするものの、大和は顔パスで通して貰う。

 

 彼はこのホテルの「契約者」だった。

 契約者とは魔界都市ならではの用語。「この店で迷惑行為をしたら○○を呼びますよ」という、いわゆるケツ持ちである。

 

 魔界都市には法律が存在しない。

 弱肉強食という法則がのさばっている。

 故にあらゆる犯罪行為が日常化している。

 

 経営者たちは、自分の城を襲撃されないための「驚異」を金で買うのだ。

 暴力はそれ以上の暴力で黙らせる……

 そうなると、化け物だらけの住民の中でも選りすぐりの化け物が求められる。

 結果、大和という存在がブランドとして輝く。

 

 神魔霊獣が畏れる世界最強の殺し屋。

 桁外れの暴力を誇る人の姿をした怪物。

 彼の名前を聞いただけでデスシティのあらゆる存在が震え上がる。

 契約者として、彼以上に魅力的な存在はいない。

 

 後は経営者たちの争奪戦だ。

 皆こぞって自分の城の魅力を見せ、莫大な契約金を提示する。

 大和も馬鹿ではない。相手を選ぶ。

 結果、彼と契約できた組織は四つ。

 

 魔性の三ツ星旅館『紅瓢亭(べにひさご)』。

 中央区の最高級ホテル『Elysium(エリュシオン)』。

 世界最大の闇オークション『アガルタ』。

 そして闇バス、闇タクシーを始めとした運送業全般を取り仕切る『魔界都市交通株式会社』。

 

 この四社、ないし勢力は大和の名前を自由に扱える。

 その代わり、大和は莫大な契約金を貰っていた。

 

 閑話休題。

 

 三百階建ての超高層ビルの屋上で。

 広すぎるスイートルームの端っこで、妹マシロは物思いに耽っていた。

 窓から覗ける景色を胡乱な眼差しで見つめている。

 

 ワイバーンやドラゴン、飛空車が飛び交い、路地裏では麻薬中毒者と邪教徒たちが争いを起こしている。

 魔導具や護符(タリスマン)を販売する出店がズラリと並び、重火器から戦車まで取り寄せる武器屋が自慢の商品を宣伝している。

 ローブを纏った魔道士に甲冑姿の戦闘士、スーツ姿の殺し屋に帯刀した侍風の若者が通りを歩いていく。

 毒々しいネオンは七色に輝き、硝煙と血と、断末魔の悲鳴と嬌声が魔界都市を彩っていた。

 

 これが世界の本当の姿。

 此処は自分達が住む世界の「悪い部分」をかき集めた場所。

 光と影でいうならば、影──

 

 影は光が無ければ生まれない。

 そして光が強くなるほど、影は濃くなる。

 

 まるで吸い込まれる様に都心部の光景に見入っている妹に対して、クロエは唇を尖らせた。

 

「ダメよマシロ、そんなに見つめちゃ……この都市の在り方は目に毒だわ」

「でもね、お姉ちゃん……私は目を逸らしたくないの」

「……」

「この都市があるから表世界がある……表裏一体だよ。私たちは、知らなきゃいけない」

「……知らなくてもいいのに」

「え……?」

 

 思わず振り向いたマシロに、クロエは既に背を向けていた。

 

「少しアイツと話してくる。数時間の休憩とかマジ意味わからないし。理由を聞いてくるから、マシロは休んでなさい」

「……うん、わかったよ。お姉ちゃん」

 

 マシロは敢えて何も言わなかった。

 クロエが自分の事を第一に思ってくれている事は嬉しい。

 だが……いいや、だからこそ……二人の意識に、違いが出始めていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は煙草をふかしながら魔界都市の掲示板を確認していた。

 

 依頼を受けた後だが、敢えて静観の姿勢を取っている。

 珍しい事だが、これには理由があった。

 

(七魔将、ネオナチ、リベリオン。この三勢力が関わってないとは限らねぇ。もしもの事がある──最悪の場合は俺一人での仕事になる)

 

 この事件、第六感が妙にザワついた。

 もしもの事があれば……

 

「面倒くせぇ……俺も相応の覚悟をしなきゃなんねぇか」

 

 吸い殻を灰皿に押し込め、大和は眉根をひそめる。

 こういう事柄は、大概悪い方向へ進むものだ。

 

「……まぁ、慌ててもしゃあねぇ」

 

 結果は数時間以内に必ず出る。知り得るものは知り得る。

 最悪の事態になる直前に一気にカタを付ける。

 

 兵法、これ全て山津波の如し。

 時を待ち、ありたけ費やし全てを潰す。

 

 それが一番効率的なのだ。

 

 大和は一旦休憩に入った。

 そんな時だった。

 

「大和、今いいかしら? いいなら入るわよ」

「いいぜ、どうした?」

 

 クロエが入ってきた。

 わざわざ別室にしたのだから、寛いでおけばいいものを……と大和は思う。

 

 クロエは何時になく真剣な表情をしていた。

 ソファーで寛いでいる大和の元まで歩み寄ると、歯切れ悪そうに告げる。

 

「マシロがアンタに気があるの……知ってる?」

「なんだよいきなり」

「答えてよ」

 

 潤んだ瞳で睨まれ、大和は仕方なく答えた。

 

「知ってるさ。俺が朴念仁に見えるか?」

「……あの子、アンタに憧れてて、アンタと同じ目線で世界を見ようとしてる。……ダメなのよ、それは。あの子は繊細だから、この世界の抱えている闇に耐えきれない」

「そうだな」

「……っ」

 

 クロエは思わず怒鳴る。

 

「私は……!! あの子に幸せになって貰いたいの!! アンタみたいな碌でなしに影響されて、不幸な目にあって欲しくないの!!」

「それは、俺に言う事か?」

「……?」

 

 大和は心底不思議そうに言う。

 

「俺じゃなくて、マシロに言うべき事なんじゃないのか?」

「っっ」

「わかったならUターンだ」

「アンタさえ、アンタさえいなければ……!!」

 

 クロエの堪忍袋の緒が切れる。

 激情が爆発する。

 

「アンタに何がわかるのよ!! 私にはあの子しかいない!! 唯一無二の肉親……あの子を護るためなら何でもするわ!! アンタみたいな……肉親を平気で殺せる様なド畜生にあの子を穢されるなんて、我慢ならないのよ!!」

 

 クロエはマシロの事を本当に大切に思っていた。

 だからこそ、大和に啖呵をきった。

 

 その言葉を聞いて大和は……悲しそうな顔をした。

 クロエは逆に驚いてしまう。

 

「何で……何でアンタが、そんな顔すんのよ……っ」

「不器用な奴……」

 

 大和は立ち上り、クロエに歩み寄る。

 臨戦態勢に入る彼女を、優しく抱き寄せた。

 その金髪をクシャクシャと撫でてやる。

 クロエは、途端に破顔した。

 泣きそうな子供の様な顔になる。

 

「ちが…………ちがうのよっ、アンタの事、嫌いだけど本当は好きで、でもマシロもアンタの事が好きで……私、どうしていいかわからなくて……それっぽい理由で、アンタを遠ざけようとして……っ」

「いいんだよ、それっぽい理由にも正当性があった。だから戸惑ったんだろう?」

「っ、で、でも、アンタの事を、全く考えなくて……私、最低で……」

 

 大和はクロエを抱き締める。

 強く、優しく……

 クロエは震えながら言った。

 

「……いいの……? こんな面倒くさい女に、好意を抱かれて」

「面倒くさい女? 自惚れんな、お前なんて可愛い子猫みてぇなもんだよ」

「っ……バカ、バカバカ、死ね……この碌でなしっ」

 

 クロエは大和の胸襟を掴んで引き寄せる。

 どれだけ悪口を言っても、もう隠せない。

 想いが溢れ出る。

 

 キスを交わした。

 触れるだけの、初な口付けだった。

 

「……ほんと、可愛いやつ」

「……うるさい、黙れっ」

 

 そう言いながらも、クロエは大和に抱き付く。

 そんな時である──部屋の窓から得体の知れない者たちが顔を覗かせたのは。

 

 仏の顔をした悪鬼羅刹。

 彼等は無慈悲に大和たちへと銃口を向ける。

 魔界都市の戦車でも吸収したのだろう、『99mm/82口径対怪異用徹甲榴弾』が発射された。

 大型怪異の装甲を易々貫き爆散させる、極めて殺傷力の高い砲弾である。

 複数の妖仏によって連発され、大和たちがいたスイートルームは容易く消し飛んだ。

 

 別室のマシロもろとも蹂躙される……筈だった。

 

「この不細工どもが……夜這いの仕方まで不細工とあっちゃあ、庇いきれねぇな」

 

 真紅のマントが翻る。

 クロエとマシロ、二名を抱く事で庇った大和はゆらりと振り返る。

 そして裏拳を放った。

 

 発生した拳圧は破壊の概念そのもの。

 妖仏どころか大気を消し飛ばし、その場の時空間を極端に歪ませる。

 後詰の妖仏たちも巻き込まれて粉々に砕け散った。

 

 大和は鼻を鳴らし、遠く西区を見つめる。

 巨大過ぎる千手観音が顕現していた。一区画で胡座を描いている。

 立ち上がれば曇天を貫いてしまうほどだ。同時に途方もない魂の質量を感じる。

 

 あれはただの妖魔にあらず──

 

「鬼神の、その更に上か……悪い予感は当たるもんだ」

 

 大和は姉妹に問うた。

 

「いけるか? いけねぇなら俺一人でいく」

「……舐めないで! 私たちも戦えるわ!」

「お姉ちゃん……」

 

 マシロは姉の横顔を見て全て悟ったのだろう……嬉しそうに微笑む。

 次には大和に向かって強く頷いた。

 

「大丈夫です大和さん……今の私たちなら、いけます!」

「そうか……なら行くぜ! 鬼退治だ!」

「ええ!!」

「はい!!」

 

 大和は跳ぶ。目指すは妖仏の黒幕。鬼狩りコンビと共に、異世界の悪鬼を打ち倒すのだ。

 



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五話「絶体絶命」

 

 

 多勢に無勢とはこの事か──

 西区を魔界に変えた悪鬼羅刹たちは、いよいよ世界を侵略し始めようとしていた。その数、大小合わせて数千万──西区は完全に彼等の根城となっている。大いなる創造主──仮称「魔性千手観音」も顕現していた。

 

 雷光迸り、斬線煌めく。彼等の進軍を止めるどころか押し返さんとしている二名の女たち。

 多勢に無勢……? 侮る事なかれ。刮目せよ。彼女たちこそ鬼の天敵。鬼を刈り取る刃そのもの。鬼神すら滅ぼしてしまう、当代最強の鬼狩りたちである。

 

 魔絃のエレキギターが苛烈に鮮烈に鬼殺しの調べを奏でる。耳に届けばそれで終わり。肌で感じてもまた同様。百を越える妖仏たちがたちどころに爆発四散する。その効果範囲は留まるところを知らず、前線を構築していた軍勢を瞬く間に鏖へ還した。

 

 単身駆け抜けるのは可憐な女子(おなご)。手にした番傘を傾け、真実の刃を晒す。光速の閃きは悪鬼たちを容赦なく斬殺した。まるで蝶の様にその身を宙へと舞わせれば、同じ目線にいる飛翔体を切り捨てる。

 そうしてふわりふわりと、番傘を開いて揺蕩う彼女の眼下で、音殺の魔女がエレキギターを地面に深く突き刺していた。

 

「悪鬼滅殺・諸行無常……『涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)不動明神(アチャラナータ)』」

 

 それは天変地異の召喚。星と共に奏でる破邪顕正の調べ。

 局地的な大地震、割れた地面から高圧電流がスパークし、結果紅炎(プロミネンス)が発生する。太陽フレア並みの大爆発は数千万度の業火をもって妖仏の大群を焼き尽くした。

 

 数千万はいた妖仏たちが滅却される。西区は一変して静寂に包まれた。

 が、諸悪の根源である魔性千手観音は消えていない。その肌には火傷の痕すらなかった。満遍なく星の怒りを浴びた筈なのに、浮かべる表情は実に穏やかである。

 

『憐れ……その程度の力で我らの天敵を名乗るなど、不遜に過ぎる。絶望を知るがいい』

 

 響き渡る声は憎悪に満ちていて……表情との差に違和感を感じてしまう。

 ここでようやっと着地した野ばらは腰を落とし、番傘を携えた。急激な脱力と共に無我の境地に入れば全身の筋肉と霊力を爆発させる。

 

「悪鬼斬殺──不知火の型、鬼神狩り」

 

 放たれたのは巨大過ぎる斬月波。鬼神すら有無を言わさず滅する、今の野ばらが放てる最大火力の攻撃である。西区すらも両断してしまうほど巨大な斬撃波を前に、魔性千手観音は目もくれなかった。鬼神狩りは霧散する。

 

『憐れ……まっこと憐れ。故郷に戻りて我が力、覚醒せり。貴様らが敵う道理などない』

「……鬼がまるで本物の仏様みたいに。滑稽ね」

「本当に」

 

 音殺の魔女は野ばらの皮肉に頷きながらも、一つの結論を導きだす。

 

「妖仏という存在の真実……ここへ来て漸くわかったわ。アレはこの世界に捨てられた名も無き鬼神……この世界には来るべくして来たのよ」

「力を蓄えて、それから故郷を荒らす? とんだ問題児ね、同じ鬼からも見放されるわけだわ」

『遺言は済ませたか?』

 

 魔性千手観音は微笑を崩さず、千ある巨腕の一つを薙ぐ。すると先程魔女が消し飛ばした数千万の妖仏が復活した。超濃度の瘴気で溢れかえり、西区はまたも悪鬼羅刹の独壇場と化す。

 

 この力……最早鬼という概念を越えている。鬼神すらも超えている。一神話に勝るとも劣らない勢力──鬼狩りたちだけでどうにかできるレベルではない。

 妖仏の大軍に囲まれた野ばらと音殺の魔女、しかし彼女たちは動揺していなかった。

 勝てる勝てない……そんな可能性の話を彼女たちはしない。鬼ならば狩る──それのみである。

 

 波涛の如く迫ってくる妖仏たちに、野ばらと魔女はそれぞれの得物を携えた。

 そんな時である。上空から二人の少女が降ってきたのは……。見慣れない制服を着たプラチナブロントの髪の少女は炎の上位魔法を総身に纏う。

 

「術式掌握──魔術装甲・炎王サラマンドラ!!」

 

 紅蓮を纏った拳で地面を殴れば、灼熱の焔が周囲の妖仏を焼き付くす。次に降りてきた儚げな少女は、制服の上からでもわかる豊満な乳房を揺らしながら得体の知れないエネルギーを頭上で圧縮していた。数十メートルほどの巨大な投擲槍を形成すると、前方に放つ。

 

「消滅魔法──断罪の極槍(ハンニバル)

 

 その名の通り、放たれた巨槍は妖仏もろとも射線上にある総てを消滅させる。事象も現象も有機物も無機物も、時空間も、全てだ。動揺している妖仏たちを尻目に、彼女たちは名乗りを上げる。

 

「特務機関所属のエージェント、クロエ。助太刀にきたわ!」

「同じく特務機関所属のエージェント、マシロ。貴女たちを援護します!」

 

 予想外の乱入者に、しかし魔性千手観音は全く動じていない。潰す羽虫が二匹から四匹に増えただけだ。故に憐れむ。その無謀な行いを──

 

『憐れ、憐れなり……』

「さっきから憐れ憐れうるせぇんだよ、本物の仏様にでもなったつもりか?」

 

 剛腕、解放──

 理不尽極まりない「暴力」が魔性千手観音の鼻っぱしらをぶん殴った。

 蚊ほどの小さき者からの一撃だったが、魔性千手観音は今まで浮かべていた微笑ごと叩き潰される。その勢いのまま殴り上げられれば宇宙の彼方へ消えていった。分厚い曇天に特大の風穴があく。

 

 彼は……大和は鼻で笑いながら腰に手を当てた。

 

「こんなもんかよ」

 

 理不尽は、それ以上の理不尽で叩き潰すに限る。

 最強の男、大和。彼が現れれば最早結末など見えきっている。これにて一件落着──

 

 とはいかなかった。何時もならそうだが、今回は違った。妖仏とは、そんな生半可な存在ではなかった。

 

「まだよ……まだ終わってない」

 

 魔女の乾いた声が静かになった戦場に響いた。

 

 

 ◆◆

 

 

「……ん?」

 

 最初に違和感を覚えたのは大和だった。

 渾身とは言わないまでも対象を格殺できる威力の拳打を放った。手応えもあった。

 

 しかし対象は死んでいなかった。それどころか悠々と自分の前に降り立つではないか。

 姿形が一変している。先程まで巨大過ぎる千手観音だったのが、今は常人並みの背丈しかない。フォルムは漆黒の肉体に純金のメタリックな軽鎧。顔は砕けた仏の面、その合間から凶悪な髑髏を覗かせている。

 背中で燃えながら回転している漆黒色の戦輪は、彼の神威の象徴だった。

 

 ……神々しくも禍々しい、邪神の降臨である。

 

 この場の一同が固まる中、大和は平然と拳を握りしめ、先程より強い力でぶん殴った。なんなら同格を殺してしまう一撃だ。

 

 

『我が名はミトラ──転輪王ミトラ。この世界を破滅に齎すもの也』

 

 

 何気なく上げた指先で大和の剛拳に触れる。すると轟音と共に受け止めた。

 

『悪鬼滅殺──皮肉な事に、我らも同じ事を考えている。故に滅びよ、黒き鬼神』

 

 大和の総身から鮮血が迸る。

 目から、耳から、口から、穴という穴から血が溢れでる。尚もおさまらない衝撃は骨肉を削り、神経を断って皮膚を突き破る。

 まるで体内で爆弾でも起爆されているかの様だった。

 グラリと巨体が揺れる。明らかに致命傷だった。

 

 クロエは我に返ると涙目で叫ぶ。

 

「大和ぉっっ!!!!」

 

 我武者羅に駆け寄る。マシロもだ。必死になって駆け付ける。転輪王は彼女たちを見つけると、ふわりとその指先を向けた。

 

 途端に地面が割れる。倒れかけていた大和が寸前のところで踏みとどまったのだ。無理矢理上体を起こして、血濡れた双眸をギラつかせる。

 

「効いたぜ、クソッタレ」

 

 そう言って壊れた拳を振り抜いた。転輪王もまさか反撃されるとは思っていなかったのだろう、もろに顔面に食らってしまい遥か遠くへ吹き飛ばされる。

 スラム街を粉々にしながら離れていく転輪王を見つめながら、大和は再度血を撒き散らした。

 その足元には既に血の池ができている。とてもではないが立っていられる状態ではない。死んでいてもおかしくない。

 

 駆け寄ってくる姉妹たちを大和は手で制した。その手もまたボロボロで、骨が剥き出ている。

 

「来るな」

「「っっ」」

「あのクソッタレは俺がぶっ殺す。……だから、他の奴等を頼んだ」

「大和さん……でも、その状態は……っ」

 

 泣いているマシロ。その肩を抱き寄せたのは誰でもない、クロエだった。彼女もまた泣いているが、覚悟を決めた面持ちで言う。

 

「任せときなさい、大和。他は私たちでどうにかするから」

「お姉ちゃん……」

「だから、あの糞野郎をぶっ殺してきなさい!! アンタが負けるなんてあり得ないんだから!!」

 

 大和は振り返らず、口元を微かに緩めた。次に鬼狩りのコンビに言う。

 

「鬼狩りの……残りは頼んだ」

「任せなさい。鬼は一匹残らず駆逐する」

「言ってきなさいな、大和さん。……鬼の名を関する、強い人」

 

 大和は跳躍する。

 彼は宣言通り、敵の親玉とケリを付けにいった。

 

 

 ◆◆

 

 

 数千万もの妖仏が一斉に念仏を唱え始めた。

 よくよく聞けば念仏の様に聞こえる怨嗟の言霊である。それを数千万単位で一気に唱えられたものだから、クロエとマシロは耐えきれず耳を塞いだ。

 野ばらと音殺の魔女は動じず、妖仏たちの次の行動を伺っている。これが攻撃的な言霊ならば即時対処するのだが、そうではなかった。

 

 何かを呼び寄せている……? 

 

 音殺の魔女が懸念する。西区で合奏の様に紡がれている負の念仏は他の区にまで轟き渡る。いよいよもってデスシティの「規格外たち」が不快に思い始めた頃、それは一気に止まった。

 たちどころに妖仏たちが瓦解し霊魂となる。数千万もの魂が濃密な邪気と妖気と絡み合い、一つになっていく。

 デスシティ特有の瘴気も吸い込んで、現れたのは……二つの強大な魂だった。

 

『……こうして故郷に戻れたのも何かの縁だな、角行』

『そうですね、飛車。……我ら妖仏の宿願、ここに叶ったり。しかしまだ、邪魔者がいますね』

 

 溢れ出た規格外のプレッシャー。二つの霊魂から放たれる圧力は妖魔のカテゴリーを逸脱している。最早魔神の領域だ。

 

 音殺の魔女は苦々しげに呟く。

 

飛車丸(ひしゃまる)角行咤(かくぎょうた)……何故貴方たちが……数百年前に封印した筈なのに」

『ところが、だ。現存していた全ての同胞がその魂を引き換えに封印を解いてくれたのだよ』

『我が創造主の宿願を果たすために、彼等は命を差し出してくれたのです。……これに応えずして、妖仏の副首領は名乗れないでしょう』

『俺達は覚悟と、想いを背負っている』

『まずは鬼という鬼を滅ぼしましょう。次にこの世界を我らのものにしましょう。それで漸く、我らの怨恨は晴らされる』

 

 その言葉自体が高純度の呪詛の塊だった。生半可な者なら聞いただけで精神崩壊を起こしてしまうだろう。当の鬼神たちはそんな事気にもとめず、相談しはじめた。

 

『どうする、角行。器のほうは』

『貴方は例の素体を用いなさい。同調率は最高でしょう。あとは最低限の改良を施せば……貴方は全力で戦える』

『ありかたい。ならお前は……』

『この世界で奮闘した同胞の亡骸を全て吸収しましょう。その他の余った魂も……塵も積もれば山となります』

『そうか、なら』

『蹂躙開始ですね』

 

 彼等が溜め込んでいた絶望が、慟哭が、憎悪が、悔恨が、殺意が──具現化する。

 

 角行咤と名乗る存在は残骸と化した同胞たちを全て吸収した。途轍もない瘴気が迸る。もろもろ全てを凝縮して現れたのは……左右対象の異形なる鬼神だった。

 

 右半身が肥大化しており、強大な筋力と重装備で固められている。禍々しい巨爪は恐らく最新式の高周波電磁ブレード製。肩には射程無制限のレーザーライフル、超高精度ホーミングミサイルポッド、魔法式プラズマキャノンなどが装備されている。左半身はシャープで最低限の装備しかしていないが、前腕部にオーバーテクノロジーのコンピューターガントレットが装着されていた。

 筋骨隆々ながらも何処か知的で、しかしそれ以上に悪意を感じさせる、妖仏の副首領の肩書きに見合った怪物である。

 

 もう一方、飛車丸は「最高の同調率を誇る素体」なるものを呼び出す。それを見て野ばらが目を見開いた。首から上がなくなっているが間違いない、以前大和が撲殺した肥前の鬼神「宿儺」の死体である。何処からそんなものを取り寄せたのか……あえて聞くまい。今の妖仏の力をもってすれば封印された鬼神の亡き骸を呼び寄せるなど造作もない。

 

 宿儺の肉体をベースに必要部位を数多の妖仏で加工、強化していく。ギチギチと骨肉を改造する音を響かせなから、飛車丸は依り代へと憑依した。そうして最悪の鬼神が降臨する。

 元々の枯れた細身は肥大化し、良質な筋肉繊維で覆われる。肌色は漆黒、胸や腕には妖仏特有の強化術式の紋様が描かれている。髪の毛は獅子を彷彿とさせる金色。額に鋭利な2本の角。

 

 飛車丸は魂と肉体が完璧に合致した事を悟ると、堪らず溜め息を吐いた。

 

『あァ……いいぞ……今までで最高の肉体だ。力が溢れでる』

 

 両腕から虹霓色のリストブレードを取り出し、野ばらたちでも視認できない速度で振るう。中央区に建っていた全ての高層ビルが綺麗に切断された。その断面はまるで最初からそうであったかのようで……リストブレードの凶悪な切れ味を物語っている。

 

 飛車丸は最高の依り代に酔いしれつつ、相方に聞く。

 

『角行。目の前に四人、女子がいる。二人一組、片や我らが怨敵鬼狩りだ』

『では私は関係ない姉妹の方をいただきましょう。とても魅力的な力をお持ちのようだ……鬼狩りは頼みましたよ、飛車』

『任せとけ、これ以上ないほど惨たらしく殺してやる』

 

 思わず身構える四名。

 クロエは目の前の化け物たちの力を大まかに計測した。両方とも推定ランクSS……魔神の中でも上位、表世界のみならず神話の世界でも十分通用する存在である。

 

 この事件の危険性は最早デスシティのみに留まらないレベルだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 矛盾という言葉がある。最強の矛と無敵の盾、決着は付かず。理屈として二つの事柄の辻褄が合わない事を指す言葉。

 

(一度は重症、二度目は致命傷。我が「権能」を直接受けた。如何にアレと言えど……いいや、アレだからこそ、耐えられるものではない。自身の攻撃を二度も体内で爆発させられたのだぞ)

 

 転輪王の権能は究極の同族殺し。それは大和たち武術家にも当てはまる……筈だった。

 

『不可思議。我が権能は衝撃の支配……ありとあらゆる衝撃を掌握する。衝撃とは即ち力の解放……暴力の化身である貴様に勝ち目はない』

「成る程な……俺たちみてぇな暴力バカに特化した力だと。あらゆる異能権能を無効化する闘気も、憎悪から端を成す『想いの具現化』には敵わねぇと」

『……』

「ククククっ、ハハハハハ!! いいじゃねぇかおもしれぇ!! 所詮闘気なんてそんなもんか!! 」

 

 目の前の男は明らかに瀕死だった。

 全身から血を吹き出し、至るところから骨が剥き出ている。両手など見る影もない。

 しかし何故か、その佇まいは堂々としていた。死に体からは想像できないほど活力に溢れている。

 浮かべる笑みに怒りはあるが、妖艶で……まるでこの状況を楽しんでいるかの様。

 

 転輪王ミトラは耐え難い不快感を覚えた。『こういう奴等』を苦しめるために編み出した力の筈だ。暴力そのものを否定し、嘲笑うために練り上げた力の筈だ。

 転輪王は平静を装いつつ、告げる。

 

『二度言う。貴様では我には勝てぬ──最早限界であろう? 貴様は、貴様自身の力に耐えられぬ』

「俺の限界は俺で決める」

『…………』

「ククク、いい顔するじゃねぇか……決めたぜ、テメェは真っ向から叩き潰す」

 

 大和は笑顔で殴りかかる。

 転輪王には彼の考えが理解できなかった。ただ確かな事は、無性に腹が立つ事。転輪王は彼の存在そのものを否定してやろうと思った。

 



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六話「覚醒」

 

 

 

 悪鬼、飛車丸の身体能力はずば抜けていた。その筋力は鬼神を優に超え、軍神と渡り合ってみせるほど。

 戦闘センスも元来が鬼だからか、途轍もない。

 しかし特筆するべきはその瞬間速度。あまりの速さは光速を優に超え無限速に至ってしまう。

 あまりに速すぎるため、時間を遡りすらできてしまっていた。0.03秒というほんの僅かな間だが、過去へと遡れる。

 

 飛車丸は停止している野ばらと音殺の魔女を悠然と眺めていた。

 そして好きに悪態を吐く。

 

『忌々しき鬼狩りの郎党ども……さて、どう料理してやろうか』

 

 まずは音殺の魔女へと視線を向ける。

 

『お前は下劣な手で俺達を封印したな。慈悲はない。絶命しろ』

 

 虹霓色のリストブレードで魔弦のエリキギターごと彼女を切り刻む。

 次に野ばらに視線を向けた。

 

『その矮小な体躯で鬼狩りなどと……笑わせてくれるな。こんな生娘に刈られた同族を想うと、情けなくなる。明らかにただの人間ではないか、一振りで済む』

 

 適当に薙いで、そこから時間の流れを再開させる。

 音殺の魔女は魔弦のエリキギターごと全身を切り刻まれた。四肢をズタズタにされ、無惨な姿で倒れ伏す。

 野ばらも両断される筈だった。が、辛うじて身を逸らす。それでも完全には避けきれなかった。番傘を持っていた左腕が飛ばされる。

 

 野ばらは額に脂汗を滲ませながらも、すぐに帯で止血を施した。そのまま出血多量で死ぬ筈だったが、動脈を縛って無理矢理止める。

 

 これには飛車丸も驚いた。

 

『ほぉ……適当ながらも確実に殺せる一撃だった。それを躱してみせるとは……容姿によらず歴戦だな』

「貴方は存外阿呆ね……私より重傷よ?」

『…………ほぉう』

 

 飛車丸は薄ら笑みを浮かべる。

 途中まで首が斬られていた。言われるまで全く気付かなかった。

 もしも野ばらが万全の状態なら、間違いなく首を落とされていただろう。

 

 飛車丸は傷の修復を済ませると、野ばらに聞く。

 

『異世界の鬼狩り……さぞや名のある剣士と見た。名乗れ、俺は飛車丸。転輪王ミトラ様の右腕だ』

「鬼に名乗る名など無いわ」

『ふん……気に入ったぞ娘。その覚悟と剣の腕──あと少しで至りそうだな、超人に』

「…………」

『しかし惜しいな、あと一歩だ。それが貴様の敗因だ』

 

 飛車丸は嘲笑う。

 ここで、切り刻まれた音殺の魔女が立ち上がった。断たれた肉体を無理矢理修復して野ばらの隣に立つ。

 

「ごめんなさい……痛恨のミスだわ。まさか首領と副首領が一気に出てくるなんて。貴女だけでも逃げなさい」

「……貴女はどうするの?」

「無理矢理にでも殺すわよ、アイツを。……この命を懸ければ殺せはしなくても致命傷は負わせられる。そうすれば、次に繋がる」

「次?」

 

 野ばらの疑問に、魔女は笑った。

 

「私の意思を継いでくれる者が必ず現れる。あの悪鬼たちに殺され、惨い仕打ちを受けた者たちから、必ず次の鬼狩りが現れる」

「……」

「私の母も姉もそうだった……だから逃げなさい。貴女は、私が唯一残せそうな希望なのだから」

 

 優しい、されど儚い笑みを向けられ、野ばらは無言になった。

 痺れを切らした飛車丸は冷酷に告げる。

 

『二人同時に殺せば、後の憂いもなくなるわけか……助かったぞ、音殺の』

「逃げなさい、時間を稼ぐから。貴女だけでも──」

『そうはさせぬ』

 

 飛車丸は動く。そうして世界が停止した。

 しかし音殺の魔女もこの時間軸にいた。

 

『まさしく命懸け、か……』

「この子は絶対に護る」

 

 両者対峙する。

 音殺の魔女は破壊されたエレキギターを再構築し、魔弦を無理矢理引き直した。

 飛車丸も両手から虹霓色のリストブレードを出す。

 

 両者の間に深い沈黙が生まれた。

 何もかも停まった空間の中で、静寂を破ったのは予想外の存在──

 

 

「下らない……」

 

 

 飛車丸は反射的に振り返った。音殺の魔女も呆然とする。

 誰でもない、野ばらが動いていたのだ。

 彼女は淡々と告げる。胸に燻る激情を、吐き出す様に。

 

「至れないのなら至るわ。それで貴方たちを皆殺しにできるのなら……超人にでも魔人にでもなってやる」

『……ふ、ハハハハ!! 想いで至ったか!! その狂おしいまでの憎悪が遂にお前を覚醒させたのか!!』

「勘違いしないで頂戴」

 

 途端に飛車丸の視界が反転した。次に彼が見たのは、首から鮮血を噴き出す自分の肉体だった。

 

「もう嫌になったのよ……貴方たちのために何で犠牲にならなきゃならない人たちがいるの? 家族がいる、愛する人がいる。そんな人達がこぞって貴方たちに挑む。そして惨たらしく殺される……もう嫌なのよ。そういうのを見るのも、聞くのも」

 

 呆けている飛車丸の首を妖刀で細切れにする。

 憎悪と、それ以上の悲哀で覚醒した野ばらは、ここにきてハッキリと告げた。

 

「私の代で終わらせる……何もかも」

 

 サイドテールに結われていた黒髪がほどける。

 時間軸から戻り、風で揺れ動く艶やかな長髪……暗い夕焼けに照らされる可憐な横顔は、不相応に凛々しかった。

 

 音殺の魔女は思わず見惚れてしまった。

 悪鬼を狩り尽くす最強の戦乙女の誕生を、彼女は目にした。

 

 

 ◆◆

 

 

 野ばらが覚醒する数分前──こちらでも、ある意味異常事態が発生していた。

 

 角行侘はどうやって目の前の姉妹を嬲り殺すか考えていた。簡単に殺すのは面白くない、できる限り苛めたい。

 どうすれば殺さずに苦痛を与えられるか……

 

 取り敢えず、釣り道具から考案した鉤爪状の特殊小型機雷を地面に複数植え付ける。

 これは特殊貴金属、ミスリル銀でできており、機動すれば対象の足に食らいつき骨肉を蝕む。

 鉤爪状なので無理矢理抜くこともできず、ミスリル銀製故に形状変化で様々な苦痛を与えられるという、拷問器具に近い代物だ。

 

 角行咤は豊満な肢体を誇る美少女──マシロが苦痛ですすり泣く顔を思い浮かべ、邪悪な笑みをこぼした。

 

 彼はあえて慇懃に、紳士口調で告げる。

 

『それでは踊りましょう、お嬢さん方……私では役不足かもしれませんが』

「そうね、アンタじゃ役不足」

 

 クロエは笑う。

 何処からともなく雷光が迸り、角行咤の巨大な右半身が消し飛んだ。

 角行咤は失った半身を呆然と見つめる。

 そしてクロエに向き直った。

 

 彼女は片手に無限熱量の業火を、もう片手に三千世界すら蒸発させる雷光を揺らめかせていた。

 あまりの熱量……あれはただの雷火ではない。雷火の見た目をした全く別の破滅的なエネルギーだ。

 総てを消滅させ、塵に還す、圧倒的な火力の塊……

 

 クロエはぼやく。

 

「こんな面倒臭い性格をしている私を愛してくれる存在がいた。アイツは、こんな私を好きだと言ってくれた。そのままで良いと言ってくれた。……だから、もうやめたのよ。馴れない事して、自分を偽るのは」

 

 その力はクロエという存在そのものだった。

 炎の様に激情家で、雷の様に苛烈。

 それでもクロエは……そんな自分を好きになれた。

 

 覚醒──

 

 彼女は超高熱の火炎と超電圧の稲妻の化身となった。

 無限大のエネルギーそのものである。

 神仏であろうが不老不死の怪物であろうが、彼女の火力には耐えきれない。燃やし尽くされる。

 

 彼女に睨まれた角行咤は内側から無限熱量で焼き付くされ、断末魔の悲鳴を上げた。

 

 火炙りになって転げ回っている彼を見下ろしつつ、クロエは更に火力を上げる。業火はいよいよ天にまで昇り極大の柱を形成し、迸る雷光は角行咤を構成する物質を一つ一つ丁寧に溶かしていった。

 

 これでも手加減しているのだ。彼女がその気になれば魔界都市のみならず世界が、その上の数多の上位空間が、瞬く間に消し炭になる。

 

 クロエは秘めていた激情を露にした。

 

「よくもアイツをズタボロにしてくれたわね……!! アイツは負けない、絶対に負けない……でもこの憤りの収拾が付かないのよ!! どうしてくれんの!? アンタになら発散してもいいわよね!! この怒り!!」

 

 莫大なエネルギーの奔流に呑まれ、角行咤は自己修復だけで手一杯になっていた。口もあけられない。生命活動を維持するだけで限界なのである。力の源である魔素や邪気も蒸発している。このままでは反撃もままならない。

 焼き殺される。

 

 角行咤は決死の思いで地面に潜った。

 一時撤退である。深く深く潜り炎熱から逃れると、即時肉体を修復しはじめる。

 そして戦々恐々とした。

 

(何ですかアレは……魔法とかそういうレベルではない。人の形をした極大の雷火……こちらの世界観に合わせた計測ではいってSランク、私よりも格下だったのに)

 

 角行咤は焦燥するも、肉体の再構築、武装の再装着を済ませる。

 そして一計を案じた。

 

(ここは飛車と合流し、戦況を立て直しましょう。もしもの事があればミトラ様に進言して一時撤退も……)

 

 そう考えていると、自分を護り隠していた地殻が根こそぎ削られた。

 地中深くから現れた角行咤は、震えながら頭上を見上げる。

 

「駄目ですよ、逃げるなんて。……私に何かするつもりだったんでしょう? なら最後までしないと……できないなら仕方ありません。消えていただきます」

 

 微笑んでいる黒髪の天使、マシロ。

 彼女が纏う得体の知れないエネルギーは姉と同様、物理現象を超越したナニカだった。

 

 彼女もまた、覚醒した超越者……

 

「消えて欲しいんです。お姉ちゃんと大和さんを含めた大切なものを害する諸々は……その根源に至るまで。難しい事を言っていますか? 私は」

『……っ』

 

 角行咤は絶望で顔を歪める。

 咄嗟に射程無制限のレーザーライフル、超高精度ホーミングミサイルポッド、魔法式のプラズマキャノンを掃射した。

 妖仏特有の術式で強化しているため、この世界ごと数多の上位空間を焼き尽くす事ができる。

 

 しかし届かない。マシロの前で全て「消滅」してしまう。

 クロエが雷火の化身ならば、彼女は消滅の化身だった。

 

 マシロは姉に言う。

 

「駄目、お姉ちゃん……私、許せない。どうしても許せないの。目の前の鬼さんが」

「いいのよマシロ、我慢しなくて。……一緒にやっつけちゃしましょう」

「……うんっ」

 

 コクリと頷くマシロ。

 そうして二人して角行咤へ視線を落とした。

 角行咤はプライドも何もかなぐり捨てて媚びようとするも、姉妹たちは決して彼を許さなかった。

 

「炎熱・極致──火之神神楽(ひのかみかぐら)

「消滅・極致──死を想え(メメント・モリ)

 

 

 無限熱量の業火と消滅の概念、その極致を一身に受け、角行咤は消滅した。

 その邪悪な魂も溶かされ滅ぼされた。

 

 

 ◆◆

 

 

 遥か太古、神話の時代。

 ミトラという鬼神は同族に捨てられた。理由は鬼神として相応しくない力を持っていたから。

 個の力が重視される鬼の一族にとって、他者から簒奪した力で強化されていくミトラは一族の面汚しだった。

 故に捨てられた。次元の狭間の奥深くに。封印もされず、ただただ捨てられた。当時の鬼神の王、温羅はミトラを庇いもしなかった。

 

 抗いたくば抗え、復讐したければ勝手にしろ──

 

 彼は、ミトラの存在など眼中に無かった。

 ミトラは誓った。幾星霜、幾億年の年月が経とうとも、必ずや一族に復讐すると。死をも生温い絶望を味あわせてやると。

 深く深く、魂にまで刻んだ。

 

 それから現代──幾億年と経過した。

 数多の部下が出来た。信頼できる右腕と左腕が傍にいた。自分も力を付けた。

 今こそは──と意気込んだ暁にコレだ。

 

 鬼神王、温羅は目の前の黒鬼などと呼ばれる人間に敗れて封印されている。現存する鬼神も当時とは比べ物にならないほど弱体化していた。唯一、鬼神と名乗れるのは酒呑童子こと朱天とその配下くらいだろう……

 

 憤りは限界に達した。

 潰し甲斐がない。当時、あれほど自由に悪辣に暴れまわっていたではないか。東洋にその者たちありと謳われた最強無敵の魔軍勢は一体何処にいった? 

 封印された? 目の前の餓鬼に? やるせない。やるせないやるせない許せない。

 

 まずはこの餓鬼を血祭りに上げ、五臓六腑をここ魔界都市にバラまいてやろう。後に鬼神王、温羅の封印を解き、惨たらしく殺してやろう──

 

 そう、ここは通過点に過ぎないのだ。

 

「オイ、どこ見てんだよ。俺を見ろ」

 

 ミトラの眼前に何度目かわからぬ剛拳が迫る。しかし届きはしない。あらゆる衝撃──いわゆる物理攻撃は、ミトラには通用しない。

 そうミトラは願い続けたのだ。幾億年と、尽きぬ憎悪を権能に注いできたのだ。

 鬼神を、鬼神王を殺すために。

 彼等と同じく暴力に頼っている目の前の人間に、到底覆せる想いではない。

 ミトラは自信を持って言えた。

 

『無駄な事を……我も暇ではないのだ。はよう自滅しろ、人間』

「つれねぇ事言うなよ……こんな気分久々なんだ」

『……?』

「久々に、本気で潰せるオモチャに会った」

『っ』

 

 ミトラは思わず腕を薙ぐ。気色悪さを感じたのだ。

 当の人間は奥歯まで剥き出た頬でそれを受け止める。

 突風が西区のスラム街を粉々にした。

 

 大和は、笑ったままだった。

 

「はじめてだな、手ぇ出したのは」

『気色悪いぞ、人間』

「その人間如きに何時まで時間潰されてんだよ、さっさと終わらせろよ。自信あんだろう?」

 

 大和は両手を広げる。

 辛うじて立っている様にしか見えない。全身血まみれ、肉は剥がれ骨は飛び出て、内臓も機能停止している筈なのに……

 

 何故、この死に体から悪寒を感じる? 

 そもそも、何故倒れない? コイツは一体、何発本気の拳を自分自身で受けたのだ? 

 

 思わず表情に出してしまうミトラに対して、大和は嫌みったらしい笑みを向ける。

 

「肉が裂けて骨が砕けて神経がイカれて内臓が潰れて……だからどうしたんだよ。そんなんで俺は死なねぇよ」

『……っ』

「舐めんじゃねぇ。俺は世界最強の男だぞ。テメェの攻撃で自滅するほどヤワじゃねぇ……そんでもって、名前も知らねぇ鬼神もどきに負けるほど弱くもねぇ」

『鬼神……もどき。今、貴様はそう言ったな?』

「ああ、言ったぜ。鬼神もどき」

 

 ミトラは拳を振り抜いた。衝撃が魔界都市を揺るがす。跳ね上がった大和の顎に更にアッパーを重ねれば、曇天に風穴が空いた。ミトラは怒髪天になりながら大和を殴り続ける。

 

『貴様に、貴様に我等の何がわかる、人間がァァァァッッ!!!! その減らず口を二度と叩けぬ様、徹底的に……!!!!』

「うるせぇぞ……こんの屑鉄がァ!!!! 調子こくのも大概にしやがれ!!!!」

 

 大和の蹴りがミトラの側頭部を穿つ。ミトラは無駄だと鼻で笑ったが……直後奔った衝撃に硬直した。

 立て続けに大和の渾身のアッパーが顎に入る。ミトラの顔が砕け散った。

 

「俺から見たらテメェらは屑鉄なんだよ!! それが嫌だったら俺に膝でも付かせてみせろや!!」

 

 ぶん殴る。殴り殴り殴り殴り、殴る。

 純粋に規格外に埒外に、極めて理不尽な暴力に曝され、ミトラの全身を覆っていた装甲が砕け散った。

 彼はよろめきながら、動揺のままに吠える。

 

『何故ぇ……何故だァ!!!! 我が権能は貴様の様な暴力しか振るえぬ輩に絶対的な優位を保てる筈!! それがァ!!!!』

「優位に立ってるぜ、お前が勝手に追い詰められてるだけだ」

『っっ』

「軽いんだよ」

 

 大和が振るった拳を、ミトラは両手で受け止める。

 全身の装甲が儚い音を立てて崩れ去るも、ミトラは必死に耐えていた。

 

 大和はミトラの顔を両手で掴むと、膝を組ませて首を引き抜く体勢をとる。

 

「数億年間の想い? 笑わせんな。想いは所詮想いだ。……お前は俺を苦しませられても、勝てはしねぇ。絶対にだ」

『や、やめ……っ!!』

 

 大和は無理矢理ミトラの首を引き千切る。断末魔の悲鳴が木霊した。

 手の内にある苦悶に満ちたミトラの首を一瞥し、無造作に投げ捨てる。

 そしてやれやれと肩を竦めた。

 

「鬼神もどきが、手こずらせやがって……」

 

 ボロボロだった肉体は瞬く間に修復する。

 たちまち全快になった大和は、呆れ混じりにこの場を去っていった。

 

 



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七話「万事解決」

 

 

「──で、心配して駆け付けてみればアンタは全快で、親玉もぶっ倒していたと」

「んだな」

「きーっっ!!!! あたし達の心配と覚悟は何だったのよー!!!!」

「ハッハッハ!! 俺様があんなぽっと出の鬼神もどきに負ける筈ねぇだろうが!! 杞憂だったなクロ猫!!」

「ふしゃ──っっ!!!!」

 

 中央区、大通りにある広場にて。飛びかかってくるクロエを大和は笑顔でいなしていた。

 覚醒したクロエの速度は無限速に突入しているが、大和は難なくさばききる。

 

 クロエは抱きかかえられてよしよしされるが、喉を鳴らして首筋に噛みついた。また、背後からも抱きつかれる。

 妹のマシロだった。珍しく怒っている。涙目で頬を膨らませていた。

 

 彼女は大和の背中をポカポカと殴る。

 

「ほんとうに、心配したんですよ……大和さんの、馬鹿ぁ……っ」

「あー、これマジな反応だ」

 

 抱きかかえているクロエもまた瞳を濡らしていた。

 

「そうよ……心配かけさせないでよ、馬鹿っ」

 

 二人から泣きつかれ、大和は「参ったな」と片目を閉じた。

 考えた末に二人纏めて抱き締める。そして優しい声音で囁いた。

 

「悪かったよ、心配かけて」

「「っ」」

「お前らも無事でよかった……」

「あぅ……」

「はぅ……」

 

 姉妹は顔を真っ赤にして俯く。

 大和は笑いながら、二人の髪をくしゃくしゃと撫で上げた。

 

「お前ら二人なら、きっと幸せになれる」

「……幸せって、何よ」

「もしも、その……私達が大和さんを愛していると言ったら、どうします、か……?」

 

 姉妹は顔を真っ赤にしながらも、決意を込めた眼差しを大和に向ける。

 二人からの求愛に対して、大和は……

 

「……もっと良い男を見つけろ、バカ」

 

 額にキスの雨を降らせて遠ざけた。

 尚も抱き付こうとする二人に、大和は告げる。

 

「迎えの闇タクシーが来てるぜ」

「「……」」

 

 姉妹の背後では、仏頂面を披露している死織が絶賛待機していた。

 大和は適当に手を薙ぐ。

 

「戻りな、元の世界へ。……この世界に携わるのはほどほどにな」

「……私達、諦めないからっ」

「絶対、私達を女にしてもらいますっ」

 

 二人はそう宣言して闇タクシーに乗り、去っていった。

 大和はやれやれと肩を竦める。

 

「悪い男に引っ掛かっちまって……あーあーやだやだ」

 

 遠ざかる闇タクシーを一瞥し、大和は踵を返した。

 

 

 ◆◆

 

 

 道中やけに絡んでくる賞金稼ぎや殺し屋を丁寧にかき集めて一ヶ所で鏖殺した後、大和は大衆酒場ゲートに入った。

 店内にいる者達の視線が何時もと違う。

 大和は鼻で笑いながらフヨフヨ漂っている子供幽霊たちに声をかけた。

 

「おい、幽香(ゆうか)

「んん! その声は! 大和かぁ!!」

「兄貴かぁ!!」

「大和さんだぁ!!」

「お久しぶりですぅ!」

 

 大和の体に引っ付く子供幽霊たち。

 死体回収屋『ピクシー』の面々だ。

 親分である幽香は大和の肩辺りで浮遊するとその頭をぎゅーと抱き締める。

 

 桃色の髪が目立つ可憐な美少女だが、その度胸ありあまる性格から子供幽霊たちから慕われている。

 

 彼女の頭を撫でなから、大和は言った。

 

「ゲートを出てすぐ右の細道を真っ直ぐ行くと、空き地がある。そこに死体を沢山積んでおいたから、よければ買い取ってくれ」

「マジか!! マジかマジか!! 人数と種族、あとは大和から見た相場を教えてくれ!!」

「二十人くらいか? デスシティの殺し屋、賞金稼ぎ。後は……喧嘩を売ってきた暴力団の下っ端と邪教徒がチラホラ。種族はバラバラだが、Sクラスも混じってる。売るところに売ればいい値になる筈だ」

「おおー!!!! 素晴らしい!!!! 百点満点だぞ大和くんや!!!!」

「「「「大和くんや!!」」」」

「揃って君付けすんな。安物の護符(タリスマン)で虫除けはしていが、時間が経つとわからねぇ。肉食鼠やら大型の怪物虫が来ねぇ間にとっとと回収するんだな」

「ほんとサンキューな大和!! お礼にほっぺにちゅー♪」

 

 子供らしい口付けを頬にした後、幽香たちは一斉に外に飛び出す。

 

「野郎共!! 荷台の準備だー!! 1号から3号まで展開!! さぁ、お仕事開始だぞーっ!!」

「「「「あいあいさー!!!!」」」」

 

 揃って店を出ていく子供幽霊たち。大和は最後に幽香に口添えした。

 

「あと幽香」

「??」

「いいもんだけ選別しとけ……すぐに追加がくる」

 

 幽香は最初疑問符を浮かべたが、店内を一周見てすぐに察する。

 彼女はあくどい笑みを浮かべた。

 

「ニッヒッヒ、大和さんも悪よのぉ……報酬は後で相談させてもらいまっせ♪」

「おう、いい値を期待してる」

「はいさー!! お前ら追加分の荷台も残しておくんだぞー!! よっしゃいくどー!!」

「「「「らじゃー!!」」」」

 

 魔術改造済みの荷車を引っ張っていく幽香たち。

 大和はその後ろ姿を見届けると振り返った。

 店主であるネメアが微妙な面持ちをしていた。

 大和は思わず吹き出した。

 

「笑わせんなよ、親友」

「お前がもう少し自重してくれたらこんな顔をしなくてもいいんだがな、親友」

「そう言うなって。昔からだろう? もう死ぬまで治らねぇよ」

「はぁぁー」

 

 盛大なため息を吐くネメアの面を拝みながら、大和は何時ものカウンター席に腰かける。

 お決まりの酒とつまみを出して、ネメアはどかりと椅子に座った。

「呆れた」という眼差しを向けられても、大和は何処吹く風である。

 

「血達磨になったそうじゃないか」

「ああ、完璧なカウンターだった。アレは初見殺しだな、俺みてぇな暴力馬鹿はまず食らう」

「油断したのか?」

「まさか、殺す気で殴ったさ。闘気もタップリ込めた。おかげで骨肉削れるわ内臓イカれるわで、大変だったぜ」

「その割には元気そうじゃないか」

「そう見せてるだけさ」

「どうだかな……」

 

 ネメアは煙草を咥えて火を付ける。

 大和は鼻唄混じりにブラックラムをグラスに注いでいた。

 

「そういやぁ、最近多いな。超越者になるのが。こう……条件が緩くなってる気がする。これはアレだ」

「本格的に終末論が近いらしい。何度も言う事だが……」

「四大終末論の時は超越者だらけだったもんな。もう殆どが死んでるが」

「だからこそだろう、数を増やして少しでも踏破の確率を上げる」

「矢鱈滅多だねぇ、世界の意志ってのは」

「ようは防衛本能さ。詳しくは天道に聞け。アイツなら全部知ってる」

「いい。知ってても知らなくてもやる事は変わらねぇから」

 

 大和は煙草を咥えて火を付ける。そして妖艶に、邪悪に笑った。

 

「殺して金を貰って、女をとっかえひっかえ抱いて喜ばせて金を貢がせて、好きなもんを食って寝て遊んで、ムカつく奴はぶっ殺して……その繰り返しだ」

「よくもまぁ、飽きないな」

「これがまた飽きないのよ。もうアレだ、空気吸うようなもんだ。僕が生きるのに必要なのは酸素とお水と、女とお金です。ぶっ殺し甲斐がある奴が適度に絡んでくると尚嬉しいです♪ 絶賛セフレ募集中! 気持ちよくさせてあげるゾ♪」

「死ね、いや本当に」

「死なないんだなーコレが!! オーッホッホッホ!!」

 

 悪役令嬢みたいな高笑いをする大和にネメアはウンザリしたのか、近くで業務をしている野ばらに聞く。

 

「コレを悪鬼扱いできないか、野ばら」

「誠に遺憾だけど、彼は人間よ。でも、そうね……額に角でも生えたら話は別だわ。なんなら外部から取り付けても構わない」

「ほざきやがるぜチンチクリン! カーッカッカッカ!」

 

 大和は一頻り笑うと、テーブルに頬杖をつく。

 そして野ばらに聞いた。

 

「で──どうだ? 超越者になった感想は?」

「至りたくて至ったワケではないわ。……あまりいい気分ではないわね」

「はー、そんな事言ってるとすぐ死ぬぞ」

「……」

「今回は運が良かっただけだ。次もそうとは限らねぇ。……ま、テメェが死んだところで別にどーでもいいんだがな」

「……相変わらずね。吐き気がするわ」

「ハッハッハ!」

 

 適当に笑い飛ばした後、大和は隣で業務をしている一風変わったウェイトレスに視線を向ける。

 クラシカルなメイド服を着た彼女は先日までコテコテの魔女装束を着ていた未知の鬼狩りだ。

 豊満な胸に貼ってあるネームプレートを見て、大和はニヤリと笑う。

 

死音(しおん)ねぇ、物騒な名前だ。異世界の鬼狩り、此処に就職したのか?」

「まぁね。妖仏が滅びた今、音殺の魔女としての宿命は終わった……でも、第二第三の妖仏が出てくる可能性がある。全ての事象現象の元となっているこの世界観なら、それらを未然に防ぐことができるわ」

 

 音殺の魔女こと、死音は大和に微笑み返した。大和は喉を鳴らす。

 

「賢いな。んで、相方はあのチンチクリンか?」

「野ばらよ。名前で呼んであげて」

「嫌いな奴に名前で呼ばれるのって嫌だろう? なぁチンチクリン」

「ええ、あと極力話しかけないで頂戴」

「ほら見ろ、お互いそーいう関係なんだ。野暮ってもんだぜ」

「……貴方はこう、豪放磊落なのね。悪い意味でだけど」

「褒め言葉と受け取っておくぜ。あと、ついでにどうだい今夜……空けておくぜ? 魔界都市のあれこれを教えてやるよ。タップリとな」

「丁重にお断りするわ。また今度にして頂戴」

 

 予想外の返答に、大和は目を丸めた。

 

「……こりゃ驚いた。嫌悪感をまるで感じねぇ」

「お客様は神様、この世界観でも共通でしょう? それなりの対応はするわよ」

「あらいい女、ますます口説きたくなった」

「時間がある時にでも聞いてあげるわ」

「よっしゃぁ♪」

 

 大和は上機嫌に立ち上がる。

 そして飲みかけのラムボトルを掴み、机に勘定を置いた。

 

「ごっそうさん、俺は家でゆっくり休息取るわ。……今回の事件で体がボロボロでよぅ、もう体中がイタイイタイ」

 

 大和が店から出ていくと、殺し屋や用心棒たちが立ち上がる。

 野ばらは呆れながらネメアに聞いた。

 

「止めなくていいの?」

「アイツの三文芝居に引っ掛かる馬鹿が悪い。野ばら、死音……悪いが勘定だけはキッチリ済ませて帰らせてくれ。未払いのまま死なれたら困る」

「わかったわ」

「やれやれ……物騒な都市ね。数多の異世界を渡ってきたけど、これほど殺伐とした場所は無かったわ」

 

 死音はそれでも粛々と業務をこなす。

 店外ではもれなく殺戮パーティーが開催される予定だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 ふらりふらりと店を出た大和を囲んだのはデスシティの殺し屋や賞金稼ぎたちだった。

 中には犯罪組織の構成員もいる。

 種族も性別も所属もバラバラだ。本来団結などありえない筈だが、こうして徒党を組んでいるのには理由がある。

 

 今がチャンスなのだ。

 弱っている大和を殺せる絶好のチャンス……

 

 大和の首には莫大な懸賞金がかかっている。

 それこそ天文学的な数字だ。数多の企業、組織、更には神話勢力まで、彼に懸賞金をかけている。

 彼を倒せばこの場にいる全員が一生贅沢三昧で暮らせる。

 

 故に皆必死だった。即興ながらもできる限りの準備をし、最新鋭の武装と兵器を携えている。歴戦の者たちは前線に出て、虎視眈々と大和の首を狙っていた。

 

 当の大和は、大袈裟に両手を広げる。

 

「先の妖仏の一件で俺のブランドがそこそこ落ちてると見た。こうしてお前らが徒党を組んで攻めてきてる辺り、まぁ見くびられてるんだろう。かまわねぇよ、実際血達磨になったんだし」

 

 そう言う大和の背後に細身の男が忍び寄った。

 彼は得物を正確無比に人体の急所、腋下へと滑り込ませる。

 この部位は神経が集中しておりダメージが大きい。止血できず致命傷になりうる。

 今の弱っている大和なら……

 

「早々に不意打ちかよ」

 

 高周波ブレードが音を立てて折れる。

 振り返った大和に、奇襲者は絶望のあまり破顔した。

 大和はその首をへし折る。

 

 彼は空になりかけのラムボトルを呷りながら計算をはじめた。

 

「十、二十、三十、後ろのも含めれば五十人弱か……こりゃあ幽香たちじゃ足りねぇな。他の奴等にも声をかけておこう」

 

 大和は空になったボトルを投げ捨て、呑気に煙草を咥える。

 火を付けている間にやってきた襲撃者たちは大太刀で一閃した。

 

「今回の報酬とさっきの奴等、そんでもってお前らの死体を換金すると……ふむ、当分は女遊びできるな」

 

 大和は脇差しも抜き放つ。

 そして刺客たちに挑発した。

 

「オラ、来いよ底辺ども!! ボロボロの男一人、どうにかしてみせろ!! でねぇと全員俺の小遣いになっちまうぞ!!」

 

 皆、殺意と怒気を爆発させて飛びかかる。

 大和はその全てを殺していった。

 

 大和が瀕死であり、ブランドが落ちた……という情報は、3日も経たずに消える事となる。

 それは、三桁を優に越える挑戦者がもれなく返り討ちに合ったからだ。

 死体回収屋たちはウハウハだった。

 

 最強最悪の殺し屋は、やはりと言うべきか、微塵も衰えていなかった。

 

 

《完》

 

 



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ギャグ短編 性転換ダイナマイト!!
前編


 

 

 大衆酒場ゲートは今宵も魔界都市での憩いの場だった。

 しかしとある理由で、客人たちはせわしなくなっている。

「彼女」に見惚れるか驚くかの二択で、本来いる筈のない絶世の美女に慌ただしくなっていた。

 それは酒場の常連客も同じで……右乃助は震えながら「彼女」を指さす。

 

「……お前、もしかしてネメアか?」

「ああ、そうだ」

「性別変わってんじゃねぇか完全に!!」

 

 高身長のダイナマイトボディ欧州系美女がそこにいた。

 黄金色の長髪は背中まで伸ばされており、獅子を彷彿とさせる。同じ色の双眸は鋭いがまつ毛か長いせいで凛々しく見えた。

 鼻梁は高く、顔の造形は完璧。美の女神も裸足で逃げ出すレベルだ。アラクネや万葉にも劣らないレベルである。

 そして何を隠そう、ダイナマイトボディ。

 100を優に越えているであろう乳房はエプロンの上からでもクッキリと輪郭が浮かび上がっており、組んでいる腕の上に文字通り乗っている。

 腰回りは細く括れ、尻は途轍もなくでかい。太股もまた肉付きがいい。

 

 男なら誰もが夢想する、最高にエロい欧州系美女がそこにはいた。

 

 右乃助はその美貌にやられかけるも、中身がネメアなので何とかこらえる。

 視線を外しながら問うた。

 

「どうしたんだよいきなり……性転換して客引き、なんて性格でもねぇだろう」

「俺も好きでなったワケじゃない。数百年に一度、こうなってしまうのさ。嫌でもな」

「何で?」

「大昔に華仙に診察して貰ったんだが……なんでも鍛練のし過ぎで染色体が馬鹿になってるらしい。体を壊し続けた結果なのだと」

「染色体が馬鹿になるって……どんな鍛練内容だよ」

「まぁ、数日もすれば治る。前もそうだった。だから、当分はこの姿でいるしかない」

「目に毒だってのぉぉぉぉ……っ」

 

 右乃助は項垂れる。

 まともにネメアを直視できないのだ。

 正直、好みドストライクだった。

 まさに理想のグラマー美女。他の客人もそうらしく、顔を真っ赤にしている。

 

 ネメアはそんな事つゆ知らず、肩を揉んだ。

 

「この姿は異常に肩が凝る。重いし作業の邪魔だ、この胸……どうにかならないものか。アラクネや死織はよくこんなものを年中ぶらさげていられるな」

「やめろネメアテメェ!! 肩を揉むのはいいが持ち上げるのはやめろ!! マジで!!」

「いや……中身は男だぞ。何を言っているんだ?」

 

 むんずと持ち上げている特大の乳房は男にとって致命的な毒だ。

 現に店内の男たちは鼻血を吹き出している。

 

 流石のネメアも気付いたのだろう、やれやれと肩を竦めた。

 

「容姿でここまで変わるものか……呆れるな」

「だったらもうちょい不細工になりやがれぇぇぇ……ッッ」

「人の目を見て言え」

「馬鹿!! 近寄るな!! イイ匂いがした!! ばっか煙草吸えバッカ!!」

 

 挙動不審になっている右乃助を見て、思わず呆れるネメア。

 高鳴る心臓を押さえる右乃助の袖を、不意に掴む者がいた。

 

 太陽の様な可憐な美少女だった。

 南国生まれなのだろう、綺麗な褐色肌をしている。白のワンピースと麦わら帽子がよく似合っていた。

 彼女はぱっちり二重から灰色の瞳を覗かせて、右乃助に聞く。

 

「ねぇおじさん」

「あ? どうした? てか見ねぇ顔だな。大丈夫か? 付き人は? 親は?」

「大丈夫。ねぇねぇ、聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「お、おう……」

 

 こんな可愛い少女から請われると、嫌でも応じなければならない。

 意外に紳士な右乃助に、褐色肌の少女は鈴の音の様な声を響かせた。

 

「おじさんは店主さんと私、どっちが素敵に見えるかな……?」

「はぁ? お前そりゃ、店主に決まってんだろ。中身男だけど。……おら、ませてねぇで保護者んところ帰んな、『お嬢ちゃん』」

 

 

 

「誰がお嬢ちゃんだってェ……アア゛? 調子に乗るのも大概にしろよ右乃助ェ……」

 

 

 

 その頭を掴み、ギザ歯を覗かせた美少女。

 右乃助は顔面を蒼白にして叫んだ。

 

「ぎょえええええええええ!!!! 大和がロリっ子になったァァァァ!!!!」

「うっせぇぞ似非紳士!!!! 黙ってろ!!!!」

 

 鳩尾を膝蹴りで的確に打ち抜かれ、右乃助は堪らずダウンした。

 

 珍事件の始まりである。



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後編

 

 

 

「てか、何で毎度お前とこの期間被るんだよ」

「知らん。偶然か? 鍛練の内容は違う筈だが……」

 

「う、うーん……」

 

 右乃助は目を覚ます。

 鳩尾からの鈍痛に吐き気を催すものの、何とか起き上がった。

 その眼前には、青と白の芸術的な縞模様があった。

 

「おうコラ、なに人のパンツ拝んでんだよ。金払え、金。一秒1000万な」

 

 便所サンダルが顔にめり込む。

 右乃助は堪らず悲鳴を上げた。

 

「ギャー!! 汚ねーッ!! 顔面に便所サンダルとか! ペッペッぺ! あと野郎の下着見て1000万とか、魔界都市でも聞いたことねぇよ!! 悪質すぎるだろ!!」

「黙れ」

「ぎゃー!!」

 

 再度便所サンダルで蹴られて悶絶する右乃助。

 取り敢えずハンカチで顔面を拭きまくった後、恐る恐る顔を上げた。

 

「どうした右乃助クン、そんなお化けを見た様な顔して」

 

 見目麗しい美少女。だが褐色肌に灰色の双眸、凶悪なギザ歯は間違いない……

 

「大和……何の冗談だよ、その姿は」

「ネメアと同じだ。染色体イカれて女体化したんだよ」

 

 

「何でよりによってテメェがロリなんだよ!!!!」

「知るか!!!! むしろ俺が知りてぇわ!!!!」

 

 

 お互い両手を広げて怒鳴り合う。

 大和は不機嫌極まりないといった様子でネメアの巨乳を揉んだ。

 

「俺もコイツみてぇなドスケベボディになる筈だったんだよ!!」

「やめろ、揉むな。気持ち悪い」

「羨ましい……じゃくて、そこ代われよ大和!!」

「何故言い直した?」

 

「お黙り!! このムッツリスケベ!!」

 

 大和に便所サンダルでビンタされ、右乃助は敢えなく崩れ落ちた。

 

「酷い……酷すぎる……ッ。この鬼畜! 外道!」

「ハッ!! 俺に勝とうなんざ百万年早いぜ糞餓鬼が!!」

 

 カウンター席に乗りながら呵々大笑する大和。

 褐色ロリが厳つい男を屈服させるという摩訶不思議な光景だが、今の大和を見て客人たちは改めて目を丸めた。

 滲み出る色気と殺気は何時もと変わらない。容姿だけ、美少女ならぬ美幼女。

 華奢な体付きにうっすら輪郭を浮かべる乳房は中々に蠱惑的である。

 

 ネメアはある推測を立てた。

 

 大和の容姿は彼自身の深層心理に影響を受けている。

 彼の本質は子供だ。徹底的なジャイアニズム主義者、その在り方を年齢として現すなら、今の容姿に違和感はない。

 

 根拠は無いがなまじ説得力があるので、ネメアは頭を押さえた。

 

「あ~あ~糞ダリィ、数日間は仕事できねぇよコレ。こんな容姿じゃあ話になんねぇ。ロリっ子の殺し屋とか需要あんのかよ」

「極一部の変態にはありそうだが……」

「黙れ右乃助、なんで俺が変態どもを喜ばせなきゃなんねぇんだよ」

 

 大和は心底不機嫌そうに煙草を咥え、火を付ける。

 容姿が容姿なだけに、とても危険な光景だった。

 

「その容姿で煙草吸うな」

「中身はおっさんだっての」

 

 大和はうるさい右乃助の背中を踏んで歩いていく。

 潰れた蛙の様な声が響いた。

 

 紫煙をぶはーと吹きながら彼は振り返る。

 

「面倒くせぇのに絡まれる前に家に帰るわ。お前もほどほどにな、ネメア。その容姿だ、絡まれやすいと思うぜ」

「普段のお前みたい奴とかか?」

「そうそう。は~あ~、時期が重なってなかったらデートにでも誘うんだが」

「喜んで付き合うぞ」

「はぁ? 何でだよ?」

「虫除け」

「蚊取り線香かよ俺は」

 

 顔を顰めた大和に思わず噴き出すネメア。

 大和はやれやれと肩を竦め、麦わら帽子を被った。

 

「元に戻ったらまた来るわ」

「じゃあな」

「おう、ばいび~」

 

 ネメアは手を振って大和を見送る。

 その横顔を間近で見て、右乃助は微笑んだ。

 

「ネメア……お前、女になると表情が豊かになるな」

「そうか?」

「ああ、何時も仏頂面だから……こんな感じで大和とやり取りしてるのかって思った」

「……ううむ。男に戻ったら愛想笑いの練習でもしてみるか?」

「いや、いいんじゃねぇの? 男の方はあれ位が丁度いい」

「なら今は?」

 

「もっと笑顔で! はいはい、今スマホ出すから! おじさん張り切って撮っちゃうから!」

 

「やめろ馬鹿が」

「んごぉ!!?」

 

 魔闘気で超強化された新聞で殴られ、右乃助はカウンターに突っ伏した。

 

 ネメアは溜め息を吐きながら店の外を見つめる。

 何やら騒がしくなっていた。

 

 

 

「大和ォォ……っっ、安心していいんだよっ。僕にその身を委ねて、ね?」

「それ以上近付いたら殺すぞナイア、マジで」

「大和がいけないんだよ。そんな姿で無防備に歩いてるから……思わず襲っちゃったじゃないか」

「いきなりスカートの下潜りやがって……変態かテメェは」

「変態で結構。でゅふふふふふ……さぁ、僕と一緒にめくるめく快楽の世界へ行こう!」

「断固拒否する」

「触手で絡めてトロトロにしてあげるから……そう!! エロ同人みたいに!!」

「成る程。ようは俺で遊びたいと? 中身おっさんのロリがあんあん喘ぐのを見たいと? 趣味悪いぜ」

「フフフ……何を勘違いしているんだい? 触手で弄ぶだけ? 愛してやまない君を? そんな馬鹿な……」

「?」

 

 

「今日から君はママになるんだよ!!!! 孕ませてやる!!!! いいからこっち来いオラァ!!!!」

 

 

 

「ひぇ……っっ、ヤバイ!! 目がガチだ!! コイツ、俺を本気で孕ませるつもりだ!!」

「もう名前も決めてあるんだよ男女ともにぃ!!!! 家族でサッカーできるように頑張ろうね!!!!」

 

 

「ダッシュ、本気ダッシュ……! 疾走れ、誰よりも速く……!」

「逃がさねぇぞオラァン!!? 今日からできちゃった婚するんだよ君は!!!!」

 

 

 あまりに酷い会話内容に、ネメアは思わず目眩を覚えた。

 取り敢えず、今は親友の無事を祈るしかなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方、同時刻。大和とネメアとはまた違う理由で性転換事件が起こっていた。

 

 南極大陸の地下深く、第三帝国ネオナチスの総本部にて。

 泣く子も黙る最強最悪の魔王、ソロモン閣下は私室でハニートラップの練習をしていた。

 

「……こうか? ううむ、それともこうか?」

 

 等身大の鏡の前でポーズを取っている。

 容姿は何時もの美少年ではなく、見目麗しい美少女になっていた。

 艶やかな黒髪を揺らして、適度な膨らみを持つ乳房を強調している。

 

「もっと淑やかなほうがいいか? しかしアイツの気を引くためにはもっと色気を磨かなければ……もう少し胸囲を上げたほうがいいか? 男は豊満な乳房に性的興奮を覚えるという。……大和を魅了し副首領にするためには、これくらいしなければな。むしろ抱かれるのもやぶさかでは……」

 

 頬を紅潮させブツブツと呟く。

 彼はとある一件以降、大和を是が非でもネオナチに加入させるつもりでいた。

 そのためなら性転換するのもやぶさかではない程に大和を気に入っている。

 

 鏡の前で何度目かのセクシーポーズを決める。

 しかし納得できない。

 

「うむ……男心を揺さぶるノウハウが今の私には足りぬな」

 

 試行錯誤しているソロモン。

 彼はふと気付いた。窓際から顔を覗かせている、各師団の大隊長たちに……

 

「……コレは放っておくべきだな」

「そうだな」

「……」

 

 歩兵師団大隊長、ウォルケンハインは現場から離れていく。

 空挺師団大隊長ニーズヘッグ、機甲師団大隊長ゴグ・マゴクもまた然り。

 

 逆に山岳師団の大隊長、崇徳上皇は戦慄した面持ちで言った。

 

「色恋を覚える時期か……ソロモンっっ」

「いや、相当拗らせてるでしょうアレ……取り敢えず見なかった事にしましょう」

 

 そそくさと現場を離れていく大隊長たち。

 ソロモンは顔を真っ赤しなからも、底冷えするような声音で告げた。

 

「お前たち……この事は他言無用だ。でなければ、お前たちを殺さなければならなくなる」

 

「へいへい、仰せのままに」

「了解した」

「…………」

「まぁアレだ。影ながら応援しているぞ、ソロモン」

「頑張れー」

 

 

「うるさい、さっさと失せろ」

 

 

 超濃度の殺意を向けられ、大隊長たちは部屋から離れていった。

 ソロモンは鼻を鳴らすと、再度写し鏡で己の姿を確認する。

 

「やはり胸だな……もう少し大きいほうがいい。後は女らしさを覚えれば……フフフ、覚悟しておけよ大和。お前は絶対に私のものにしてやる」

 

 ソロモンは並々ならぬ熱意で女らしさを磨いていた。

 後に彼と再開した大和がどんな反応をするのか……それは近い内に明らかになる。

 

 今の大和はそれよりも、狂った這い寄る混沌から逃げる事で精一杯だった。

 

 数日後、なんとか逃げ切った大和は改めてナイアほど面倒くさい女はいないと痛感することとなる。

 

 

《完》

 

 







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種族偏見粉砕
清潔感があれば基本誰でもOK


 

 

 

 超犯罪都市デスシティは今宵も騒がしい。

 大和は中央区の大通りをぶらぶら歩いていた。娼館で女たちと遊ぶつもりだ。

 中央区にあるメジャーな店に行くか、東区にある高級店に行くか。それとも西区の安っぽい女どもを抱くのか、南区の亜人たちを喜ばせるのか、裏区で火遊びするのか……

 

 悩んでいる大和の前に、厚い外套を纏った何者かが立ちはだかった。

 一瞬殺し屋か賞金稼ぎかと思って獰猛な笑みを浮かべた大和だが、殺意を感じないので首を傾げる。

 

「何の用だ? 依頼なら明日受け付けるぜ。今夜はオフなんだよ」

「いんや、依頼とかじゃないんスよ」

 

 飄々とした女の声だった。

 声に含まれている様々な感情に、大和は三白眼を細める。

 女は質問した。

 

「大和さん……アンタ、綺麗な女ならどんな種族でも抱けるらしいじゃないっスか」

「そうだな、最低限の身嗜みさえ整ってれば抱けるぜ」

「本当っスか? 嘘じゃないっスか?」

「ああ」

 

「なら……ウチを抱けるっスか?」

 

 外套を取って現れたのは、銀色のミディアムヘアが綺麗な美少女だった。褐色肌で、大和と同じ灰色の瞳。顔の造形も整っている。

 周囲の野次馬たちは思わず見惚れてまったが、次には顔をしかめる。

 まるで汚物でも見たかの様に顔を青くした。

 

 彼女は虫の亜人だった。それも原型となっている種類が「害虫」の代名詞……

 

 ゴキブリである。

 

 しかも虫の特性をかなり濃く受け継いでいた。

 頭の上には二本の長い触覚が生えており、背中には昆虫特有の羽が添えられている。腕は六本、鋭角的で細い。

 

 肉体の半分以上がゴキブリだった。太股を含めた各部位が油を塗ったかの様に黒光りしている。服装もまたホットパンツとビキニなので、一層虫としての特性が見てとれた。

 

「うぇぇ……っ」

「汚ねぇ……」

「顔はいいんだが……無理」

 

「臭そう……早くどっか行きなさいよ」

「大和様に言い寄るなんで馬鹿なの? そのまま殺されちゃいなさいよ」

「あーやだやだ、飲み物も不味くなるわ」

 

 周囲の評価は散々だった。男女ともに酷いものである。

 種族問わず、ゴキブリというのは生理的嫌悪を覚えるものだ。

 いくら顔は美人でも、等身大のゴキブリというだけで背筋が凍る。

 

 当のゴキブリ女は慣れきっているのだろう。

 周囲の反応などお構い無しに大和に話しかける。

 たっぷりの嫌味を込めて……

 

「大和さん。アンタ、ウチのこと抱けるっスか? 顔と体には自信あるんスけど、見てのとーりゴキブリの亜人っス。流石に無理でしょ? いやいいんスよ、別に。ただ『自分誰でも抱けます、差別なんてしません』的なアピールはやめてもらえません?」

「……」

「公衆の面前で大恥かきたくないでしょう? どうスか? しょーじきに言ってください。……ウチの友達がね、アンタに妙な期待してて、ぶっちゃけ不愉快なんスよ。無理なら無理ってハッキリ言ってください」

 

 ゴキブリ女は大和に近寄り、その腹に抱きつく。六本の腕を脇腹に滑り込ませた。

 周囲の男たちは思わず震え上がる。女たちは怒髪天になって隠し持っていた銃器を手に取った。が、大和は呑気に聞く。

 

「名前は?」

「ん? ああ、ゼレっていいます」

「ゼレ、ねぇ。……清潔感よし、顔よし。……いいぜ。付き合ってやるよ」

「……は?」

 

 ゼレは頓狂な声を上げた。大和は続けて聞く。

 

「いくらで抱かせてくれる? 額を言え」

「……そ、そっスねー。百万とかどうスか? ゴキブリ女に百万出すとかありえな」

「ほれ」

 

 大和は懐から百万札を取り出し、ゼレに押し付けた。

 ゼレは唖然としたが、最後の抵抗と言わんばかりに口元を開く。頬まで口が裂けた。ゴキブリならではの醜い口元……唯一顔だけは美少女だったのに、これで全て台無しになった。

 

 ゼレは動揺しつつも、自信たっぷりに言い放つ。

 

「流石にこれで引くっしょ! さぁ、どうっスか!?」

「グダグダうるせぇなァ。その口、奥まで舌でねぶってやる。喉が枯れるまで喘がせてやるから……こっち来い」

「……あ、ぅ、うそ……っ」

 

 戸惑っているゼレを抱きかかえ、大和は自宅であるボロアパートへと帰っていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 部屋に入ると同時にゼレはベッドに放り投げられた。

 宣言通り口の中を舌でねぶられる。それだけでも蕩けてしまったのに、全身をくまなく愛撫された。六本の腕も、羽も、慈しまれる。

 秘部に舌を入れられ舐め上げられれば、ゼレは悲鳴にも似た嬌声を上げた。

 

 未だ戸惑っているゼレに、大和はその顔よりも長く固いものを見せつける。確かに興奮していた。反り返っている怒張を間近で見つめ、ゼレは音を立てて唾を呑み込んだ。

 

 一番奥を貫かれ、腹の底を何度もノックされる。

 ゼレは甘い嬌声を上げることしかできなかった。何度も痙攣し、全身をガクガクと震わせる。熱いマグマの様なものを注がれる度に、ゼレは気を失いそうになった。

 完全に、雌として屈服した。

 

 夜が明ける頃には、ゼレは大和の腕の中で幸せそうに丸まっていた。

 煙草を吸っている彼に何度目かわからないキスをねだる。煙草の臭いもまた、ゼレの胸をときめかせた。

 舌を絡めあい、唾液をいやらしく垂れ流して……ゼレは表情を蕩けさせた。

 

「完敗っス……まさか、金まで貰ってこんな情熱的に愛してもらえるなんて……」

「不思議か?」

「そりゃそうっスよ。ウチら虫の亜人は個体差こそあれ、基本的に異性として見られないっス。特にウチみたいなハズレ容姿は、金を払っても男を抱けない。抱けたとしても、嫌な顔をされる……」

「そりゃ、男どもにセンスがねぇだけだ」

 

 頬にキスされる。

 ゼレはたまらず大和の胸板に頬擦りした。

 

「マジで素敵っス、大和さん♡ ほんと差別しないんスね♡」

「俺からしたら人間も妖精も悪魔も一緒だ。まぁ、好き嫌いは勿論あるがな。お前みたいな清潔で可愛い女の子なら、魚人だろうが魔物だろうが大歓迎だぜ」

「な、なら! ウチの友達を紹介してもいいっスか!? 皆一生懸命頑張ってるのに、種族で敬遠されてる子ばかりなんスよ!」

「いいぜ、気に入ったら全員可愛がってやる」

「キャーっ! もう、ガチでイイ男すぎるっス大和さん! ……あの、もう一回、いいスか?」

「ん……一回でいいのか?」

「……ううん、壊れるまで抱いて欲しいっス……大和さぁんっ♡」

 

 ゼレは大和に覆い被さる。

 大和は彼女の後頭部に手を回し、その大きく広い口を舌でねぶり尽くした。

 

 最低限の美しささえあればら種族関係なく抱ける。

 大和はそういう男だった。

 

 

《完》

 

 

 



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第四十章 「煉獄伝」
一話「イスラエル」


 

 

 次元の狭間の更に辺鄙な領域に、雅貴と七魔将の隠れ蓑があった。暗黒の鉛雲に真紅の稲妻が幾重にも迸る。段々と邪悪なる魔城郭の輪郭が露わになってきた。

 

 世界最強の陰陽術師である雅貴が丹精込めて造り上げたこの領域は、例え最上級の神仏であろうと害せない。

 世界最悪のテロリスト達に相応しい拠点である。

 

 最上階、荘厳ながらも薄暗い天守閣にて。

 漆黒色の大日本帝国軍の正装を靡かせ、稀代の大陰陽師は邪悪な金眼を細めた。

 

「ふぅむ……」

「どうしたんだい、雅貴?」

 

 聞く美少女。

 ショートに整えられた桃色の髪、薄く焼けた肌、十代ほどに見える可憐な顔立ち。しかし大きく実った乳房は大人の女性顔負けだ。

 漆黒の羽で編まれた法衣は神秘的でありながら妖艶である。

 

 彼女は頭の上に生えている漆黒の小翼をパタパタとはためかせていた。

 その美貌は天使の様であり、悪魔の様でもある。

 

 元、熾天使の最上位『四大天使』にして天使という種族の超越者。正義の焔を司りながら「とある理由」で堕天した変わり者。無限熱量を司る破滅の戦女神、『堕天使を統べる者』……ウリエル。

 

 この場には雅貴と彼女以外いなかった。

 辺りは静寂に包まれている。雅貴は丁度いいと、彼女に悩みの種を明かした。

 

「世情を少し探ってみたのだが……魔界都市の勢力よりも表世界の勢力の方が目立っているという結果が出た」

「ほぅ……君が望んでいる展開になりそうかい?」

「さぁ、わからんよ。ただ……確実に世界の渾沌化は進んでいる」

 

 雅貴の言葉に、ウリエルは形のいい顎を擦る。

 

「表世界の勢力ねぇ……今のところ、カトリックとプロテスタント。日本呪術協会、あとは異端審問会くらいかな?」

「そうだな。表世界を代表する勢力といえば、その四組織が挙がる。しかし今、それらの拮抗が崩れ始めている」

「と、言うと?」

「異端審問会が力を付けすぎているのだよ。最近は東洋の大魔神、第六天波旬殿を加えたそうな……となると他の三勢力では手に余る。なにせ波旬殿は我が伴侶、鈴鹿御前こと茜の実の父君だ。東洋を代表する大魔王……ククク。合衆国大統領、カール・マーフィー殿は中々に厄介な男だ。いい部下に恵まれる才能がある」

「へぇ……あのルシファーと手を組んでるあたり、只者ではないと思っていたけど」

「彼の目的は天使病の克服、そしてその利益を人類に齎す事だ。……これは終末論の引き金になりかねないと思うが、貴殿はどう思う? ウリエル殿」

 

 雅貴の問いに、ウリエルは思案する。

 

「そうだねぇ……元々、天使病は第一終末論「ハルマゲドン」を踏破した際に唯一神が人類にかけた「呪い」だ。唯一神の思惑は兎も角として、この呪いは上手く人類の増長を防いでいる。これが克服されるとなると……厄介だね」

「そう、このまま行くと人類は道を踏み外す。それは俺にとって看過できない」

「人類讃歌を謳う君らしいけど……ならどうするんだい? 関与する?」

 

 ウリエルの提案に、雅貴は首を横に振った。

 

「いいや、今回の案件……我々が出るまでもない」

「ふむ……一体何が始まると言うんだい?」

「まず、カトリックには最強の聖遺物、聖槍ロンギヌスの適合者がいる。日本呪術協会にも当代の日巫女が控えている。どちらも表世界では最高の戦力だ。しかし、プロテスタントにはこれといった切り札がないのだよ。天使病を駆逐するための組織が、あろう事が一番遅れをとっている」

「なら今回の案件は……」

「新世界聖公教会が「切り札」の覚醒を目論んでいる」

「その最大戦力とやらに当てはあるのかい?」

「貴殿が一番よく知っている筈だ。……イスラエルの末裔だよ」

 

「……へぇ」

 

 ウリエルはうっすらと灼眼を細めた。

 

「あの坊やの末裔かい。それは困るだろう……特に異端審問会は」

「貴殿とは因縁深い一族だ。……話を聞かせてはくれまいか?」

「いいよ。たまには昔話に花を咲かせるのも悪くない」

 

 そう言って、ウリエルは遥か太古……神話の時代を思い返した。

 

 

 ◆◆

 

 

 神代の時代はある意味単純な時代だった。

 男は強く、逞しくあれ。女は美しく、艶やかであれ。

 神々に敬意を払い、自然と共に生き、摂理に則る。

 人間は森羅万象の一部に過ぎなかった。頭が少しいいだけの、数ある生態系の一つでしかなかった。

 

 当時の人間にとって、神々に祈りを捧げる事は至極当然だった。

 元より他種族より非力な身。神々の恩恵なくして生きていけるほど、当時は平和ではなかった。

 男は軍神や魔神に、女は美や好運の女神に、それぞれ祈りを捧げ、恩恵を授かっていた。

 

 恩恵はそのままステータスに繋がった。その者の価値が決まると言っても過言ではない。

 恩恵が大きいほど男は強く、女は美しくなる……故に人々は神々への祈りを欠かさない。

 如何に寵愛という名の恩恵を授かれるか……当時の人間はそれだけを考えていた。

 

 多くの神々は、そんな人間たちを嘲笑っていた。

 まるで餌にたかる犬畜生だと──

 

 神々の傲慢と人間の強欲が交じり合った混沌の時代──それが、神代の時代の最初期である。

 

 この価値観を崩していったのは、当時の超越者たちだった。

 

 東洋の大王朝の第一皇子として生まれながらも家出し、生来持った圧倒的な暴力で神魔霊獣を打ちのめしていった闇の英雄王。

 

 奴隷剣闘士として活躍する内に神々を魅了し、その寵愛を一身に授かる事となった光の英雄王。

 

 代表的な両雄だが、他にも活躍した超越者がいた。

 その一人がイスラエル──またの名をヤコブ。

 イスラエルの民、すなわちユダヤ人の始祖であり、当時熾天使だったウリエルを破壊寸前まで追いやった格闘技の超越者である。

 

 

 ◆◆

 

 

「彼は、そう……オブラートに言えば、大和みたいな子だった」

「ほぅ、それはそれは……随分と破天荒な御人だったのだな」

「若い頃はね。それはもう暴れん坊で、困ったちゃんだった……しまいには実の兄に見捨てられ、唯一神の怒りを買うほどにはね」

 

 これには雅貴も目を丸める。ウリエルは苦笑した。

 

「性格はアレだったけど、人類の可能性を切り開いた偉大な超越者だよ。当時、まだ熾天使だった僕は彼に一度完敗している」

「それでも、太腿(ふともも)は断ったのだろう? 有名な話だ」

「偶然だよ」

 

 ウリエルは自嘲した。

 

「唯一神は彼に「イスラエル」の称号を与えると共に、人類に対して危機感を抱くようになった……それが後に第一終末論「ハルマゲドン」に繋がるんだ」

「……凄まじい御人だな。ウリエル殿を単身で撃破するどころか、かの唯一神に危機感を抱かせるとは」

「相当強かったよ。もしも存命だったら四大魔拳に名を連ねていただろう。神速のフットワークに無限射程のフリッカージャブ、おまけに一撃必殺の右ストレートと……近代ボクシングが健康体操に見えるくらいの、拳闘術の達人だった」

「それでも……死んでしまわれたのだろう?」

 

 雅貴の言葉に、ウリエルは紅色の瞳を潤ませる。

 何か思う事があったのだろう。

 

「そうだよ、最期は人間としてね……。彼は英雄にも怪物にもならなかった。一人の人間として、子孫に見守られながら息を引きとった。その生涯は、とても清々しいものだったよ」

 

 ウリエルの横顔は美しく、同時に儚げだった。

 

「超越者になれば幸せになるとは限らない……むしろ逆。世界の法則すらねじ曲げられる力を持った結果どうなるのか……君ならわかるだろう? 雅貴」

「ああ、わかるとも」

「強大過ぎる力は災いの種になる。そして畏怖の対象となる……あの子はそれがわかっていたから、人として生を終えたんだろうね」

 

 ウリエルは思い浮かべる。最愛の想い人であり、超越者の最果てにいる暗黒のメシアを……

 

 雅貴もまた、同じ事を考えていた。

 

「……難儀なものだな」

「……そうだね」

 

 二人は揃って感傷に浸る。

 

 今から始まるのは、当代イスラエルの覚醒を巡る物語。

 天使殺戮士の原点「イスラエル」の覚醒……これを快く思わない輩は多い。

 

 真世界聖公教会は、当代イスラエルの護衛役として「ある用心棒」を雇った。

 

 

 今回の物語は『殺す物語』ではなく、『護る物語』である。

 

 

 



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二話「手札は揃っている」

 

 

 今更ながら、雅貴の考察は非常に的を射ていた。

 天使殺戮士が戦力不足に悩んでいる事。そして、切り札であるイスラエルの末裔の覚醒を目論んでいる事……

 

 物語は表世界ではなく魔界都市で紡がれる。

 何故なら初代イスラエルが唯一神から祝福を賜った土地……約束された場所こと「ペヌエル」がデスシティに埋もれているからだ。

 

 

 物語がはじまる。

 何時もと違う、魔界都市の物語が……

 

 

 ◆◆

 

 

 ギラギラと眩いサーチライトが所々で明滅を繰り返していた。それらは二百階建ての超高層ビルを舐めるように照らし、果てには曇天の空を映し出す。

 

 その日はやけに騒がしかった。

 上空ではワイバーンやハーピーが激しく飛び交い、巨大怪虫が更に巨大なロック鳥に攫われている。

 路上では傭兵たちが盛大な殴り合いをおっぱじめており、横では街灯娼婦らがイイ男を求めて彷徨い歩いていた。

 新型の窒素カーや電気自動車が不可思議なエンジン音を立てて走り去っていく。

 

 喧騒と退廃が蔓延る此処、魔界都市。

 今宵は騒がしいがまだまだ何時も通りであり、排水溝からガス靄が緩く立ち昇り、物陰から豚虫の群れがガサガサと這い出て歩道を横断していく。

 

 中央区の大通りにて。奇妙な二人組が並び歩いていた。

 たまたま横を通りかかったヤクザたちは暇潰しに突っかかろうとする。

 が、途中で止まった。

 

 その目には、逆十字が施された真紅の腕章が映っていた。

 

 

《天使殺戮士》

 

 

 プロテスタントが誇る最高戦力。一人の腕に巻かれている腕章は、その補佐役の証だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の看板とも言える店、大衆酒場ゲートにて。

 陽気な雰囲気は何時も通りだが、今回は仮りそめのものである。

 その証拠に、殆どの客人たちがあるテーブル席に注目していた。

 

 A級四天王と呼ばれるデスシティの実力者たちが揃っていた。

 

 まずは冷たい美貌をたたえる女性。

 抜き身の刃物を連想させる気配。艶のある漆黒の長髪はツインテールに結われており、鷹の様な目付きから生まれる威圧感はかなりのもの。凝った漆黒の戦闘服は特注品なのだろう、冷たい美貌によくマッチしていた。

 

 A級用心棒、「黒刃」の異名を持つ殺人剣の達人──香月(かげつ)

 

 その横では奇抜なファッションをした美女が楽しそうに魔弾の種類分けをしていた。乱雑に伸ばされた黒髪、先端に入れられた金色のメッシュ。多種多様な缶バッチをジャラジャラ付けたゴシックパンク風の服装。そして何気に魅惑的な身体つきをしている。

 風船ガムをプクーと膨らませている彼女の名はサーシュ。

 A級の殺し屋であり、その残忍性からデスシティの住民たちからも恐れられている筋金入りの悪女だ。

 

 彼女の隣では、見目麗しい美少女が各種武装の点検をしていた。

 対霊金属、緋緋色金製の日本刀。折り畳み式の電磁手裏剣。注射式の猛毒入り小剣。そして魔改造済みの各種銃器。スナイパーライフル、アサルトライフル、ショットガン、ハンドガンなど。

 今丁度、ハンドガンであるM1911、コルトガバメントを分解していた。現役軍人も目を剥くほどの作業速度である。

 

 容姿的年齢は十代後半ほど。肩までで切り揃えられたプラチナブロンドの髪、頭上で揺れる大きな真紅のリボン。死人の様な白い肌、鮮血を彷彿とさせる紅色の瞳。

 

 発育の良い肢体は特注の白の戦闘装束できっちりと隠されていた。同じ色のスカートの下も、黒のニーソックスで覆っている。

 

 A級の用心棒であり最近大和の弟子になった事でメキメキと頭角をあらわしてきた半吸血鬼(ダンピール)の少女……アモール。

 

 3名の女性が戦闘準備をしている中、2人の男性は実に気軽に過ごしていた。

 

 一人は手鏡で身嗜みのチェックをしている。

 橙色の鮮やかな髪、端正過ぎる顔立ち。ネイル、まつ毛に至るまで女性よりも気を遣っている事がわかる。服装はモデル体型に合ったカジュアルな洋服。

 

 A級賞金稼ぎ、「爆弾貴人」ことパンジー。

 

 その隣にいるのは、純白のスーツを着こなしサングラスをかけた大男だった。

 全身古傷だらけでガタイがよく、身長も二メートル近くあるのでそんじょそこらのヤクザよりも厳つい。しかし顔の造形は整っており、よくよく見ればイケメン。

 彼は岩石の様に硬くなった手でオイルライターを弄び、最後には煙草に火を付けた。

 

 A級用心棒、「喧嘩屋」の右乃助。

 

 大衆酒場ゲートの客たちはこの5名を注視していた。

 ……既に駆け引きははじまっている。

 もう、仕事の時間だ。

 

 時刻は正午を過ぎようとしている。

 待ち合わせの時間が迫る中で、右乃助は灰皿に煙草の灰を落した。

 その横顔は、何時もお調子者の彼とは違っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔界都市には右乃助よりも強い殺し屋や用心棒など沢山いる。

 しかし、彼は魔界都市の古株たち……神魔霊獣問わず、あらゆる存在から信頼されていた。

 なんなら五大犯罪シンジケートの各首領、表世界の顔役たちにも顔が通じるほどである。

 その理由はなんと言っても達成率の高さ。なんと90パーセントを越えている。

 自ら仕事をキャンセルしない限り、彼はどんな無茶な内容でも完遂する……

 大和やネメアなどの規格外に隠れがちだが、彼もまたデスシティを代表する強者なのだ。

 

 その秘訣はなんと言っても狡賢さ。

 徹底的なまでの現実主義。そこから成る事前準備と情報収集、そして作戦の数々。

 万難を廃し、予め切る手札を持っておく。

 

 自分の力に決して慢心せず、むしろ臆病なくらい入念に、慎重に、事を進めていく。

 

 ある意味「らしい」そのビジネススタイルは、味方に回せば頼もしいが敵に回せば相当厄介だった。

 

 現に「仕事持ち」の客人は、彼の一挙一動を注視している。

 右乃助はそれらを無視してカウンターの向こうにいる店主に声をかけた。

 

「ネメア、そろそろいいか?」

「ああ、いい時間帯だな」

 

 金髪の偉丈夫、ネメアは時計を見て頷き、パンパンと手を叩く。

 

「お前ら、店の前の看板に書いておいたろう。これから明日の朝まで『臨時休店』だ。外に出ていってくれ」

 

 客人たちの半分は勘定を済ませて外に出ていく。

 しかし、もう半分は違った。

 彼等を代表して、軽薄そうな男が前に出る。

 

「何で右乃助たちはそのまんまで、俺達は出ていかなきゃなんねぇんだ?」

「そういう約束をしている、依頼料も既に貰った」

「納得できねぇ」

「納得なんて求めてない、此処の店主は俺だ。いいから出ていけ」

「……お客様に大してその態度はねぇんじゃねぇの? ネメアさんよぉ」

 

 席から立ち上がったのは殺し屋や傭兵たち。

 二十名ほどだ。人間に妖精、亜人、サイボーグ、妖怪など、種族は様々だがそれなりの腕前を誇っている。

 

 ネメアはうっすらと金眼を細めた。

 

「そういう交渉の仕方をするのなら、俺もそれなりの対応をするが?」

「やれるもんなら。この店で暴力沙汰は厳禁だろう? ……別に暴れたりはしねぇよ。アンタと少し話をしたいだけだ」

「そんな風には見えないが?」

「人数が多いだけだ、他意はねぇ」

「……誠意が足りないな」

「……ハァ?」

「右乃助は見せたぞ。客人としてではなく、一人の男として」

「……ネメアさんよぉ、そういう」

 

 ガィィィンと、硬質な音を立てて男の足元に刃物が突き立った。

 赤柄巻が美しい、見事な拵えの大太刀である。

 

 一同はネメアに近いカウンター席を見た。

 居た。居てしまった。最強最悪の存在が……

 

「グダグダうるせぇんだよ三下ども……ネメアが店から出ていけっつったんだ。いいから出ていけ」

「……そ、そういうアンタはいいのかい? 大和さんよぉ」

「お生憎様、今回はコッチ側だ。俺もネメアも、コイツもな」

 

 褐色肌の美丈夫、世界最強の殺し屋「大和」。

 その隣席には白いドレスを着た毒婦がいた。

 妖しい魅力を醸し出しながら、クスリと笑う。

 

「やめときなさい。ネメアは兎も角、私と大和はそんなに温厚じゃないわよ?」

 

 世界最強の暗殺者、アラクネ。

 

 魔界都市で雇える各分野のプロフェッショナルたち、「デスシティの三羽烏」の完成である。

 

 大和は男の前に突き立てた大太刀を拾いに行き、そして見下ろした。

 

「挽肉にされてぇのか?」

「……この店では暴力沙汰厳禁の筈だが?」

「今は許そう」

「!!」

 

 ネメアの言葉に動揺した男の喉元に、脇差しの切っ先が突き立つ。

 大和はあからさまな嘲笑を浮かべた。

 

「残念。お前の生命保険はなくなった ……さぁ、どうする?」

「~~っっ」

 

 男も、取り巻きたちも、慌てて店の外へと出ていった。

 大和はやれやれと肩を竦めると、大太刀と脇差しを納める。

 そして右乃助に振り返った。

 

「これでよかったのか? 右乃助」

「ああ、いい刺激になっただろう。アイツらのバックにとって、な」

「ククク……「暴れ(ましら)」の復活か?」

 

 その言葉に右乃助は眉をひそめた。

 

「その二つ名、嫌いなんだよ。ただ……猿にしろ人間にしろ、最大の武器は力じゃねぇ。ココだ」

 

 右乃助はトントンと指で額をつつく。

 この男、普段こそ情けないがやる時はやる男である。

 

 

 ◆◆

 

 

「ししょー!!」

「大和さまぁん♪」

 

 アモールに抱き付かれ、サーシュに背中からよじ登られる。

 大和はくっ付く二人の頭を撫でながら右乃助に聞いた。

 

「んで? 作戦会議を始めるのはいいが、肝心の護衛対象はどうした? 既にこの有り様だ。無事この店に辿り着けるとは思えねぇが……」

 

 最もな意見を、右乃助は優々と笑い流してみせる。

 

「安心しろ、エスコートには適役を配備してる。ネメアからの推薦だ」

 

 大和は怪訝な面持ちをする。

 すると、ウェスタンドアが開き件の者たちが入ってきた。

 先頭にいるのは元・世界最強の妨害屋……大和は成る程と頷く。

 

「確かに適任だな」

「だろ?」

「右乃助さん、依頼の第一段階。天使殺戮士への襲撃者の妨害を完了しました」

 

 冷たい雰囲気を醸し出す美少女。

 兎耳を付けた黒いフード、灰色の瞳。最近の若者らしい軽い服装にフチのないタイプの眼鏡。プラチナブロンドの髪と、手に持ったミスリル銀製の長棒。

 

 黒兎(こくと)……大和の実娘であり、大衆酒場ゲートの従業員だ。

 懐かしい姿をしている。

 

 右乃助は彼女に手をあげ礼を言う。

 

「サンキュー、助かった」

「お礼ならネメアさんに言ってください。私がこの仕事をするなんて、本来ありえないんですから」

「そうだな、また改めてしておくよ」

「わかりました」

「で……どうだった? 襲撃者の「具合」は」

「中々面倒でしたよ。なので、サブ依頼であった「助っ人」を呼んでおきました」

 

 黒兎は胸元を広げる。

 すると、浴衣を着た三毛猫が「ミャ」っと出てきた。

 

「右乃助の旦那~、あっしの情報は高くつきますぜ~?」

「わーってるよ、きっちり現金を持ってきてる。一括払いだ、頼めるか?」

「流っ石、右乃助の旦那! 了解でさぁ! あっしに任せてくだせぇ!」

 

 三毛猫は笑うと、二足歩行で華麗に着地する。

 情報屋ミケ、デスシティで三本指に入る凄腕の情報屋だ。

 

 ミャ! と手を上げた彼を抱きかかえ、黒兎は横へと逸れる。

 

「その前に……まずは後ろの方たちに挨拶したほうがいいのでは?」

「そりゃそうだ」

 

 右乃助は立ち上り、件の者たちと向き合う。

 

 二人一組の凸凹コンビがいた。

 一人はどう見ても小学生ぐらいの女の子。髪と目の色は明るい茶色、服装は丈の合っていないブカブカの黒いシャツと黄色いネクタイ……何故か伸縮性のあるエナメル製のタイツを履いていた。

 西洋人形の様な可憐な容姿をしているが、警戒心が強いのだろう……固い表情をして相方の裏に隠れてしまう。

 

 相方は長身痩躯の老年の紳士。

 白銀の頭髪、マリンブルーの瞳。穏やかでかつ気品ある佇まいは思わず見惚れてしまう。燕尾服を着ている姿はサマになっていた。

 

 彼の腕に巻かれている真紅の腕章を見て、右乃助は思う。

 

(成る程……そういう事か。依頼主の心配ぶりが理解できたぜ)

 

 事前に依頼主とある程度話し合いをしていた右乃助は、いざ護衛対象を見てそう思わざるをえなかった。

 

 



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三話「隔たりを越えろ」

 

 

「これはこれは……はじめまして、右乃助様。私、当代イスラエル、ニーナお嬢様の補佐を務めております。クレフと申す者です。此度はよろしくお願いします」

「こちらこそ」

 

 軽く握手を交える老執事、クレフと右乃助。

 この時、右乃助は「ある事」に気付いてクレフに聞いた。

 

「なぁクレフさん。アンタ、この都市で一度でも戦ったか?」

「いいえ。貴方様が雇ってくれた護衛のお嬢さんのおかげで、我々は何もせずに此処へ辿り着けました」

「そうか……よかった。この件は後で詳しく話すよ」

「かしこまりました」

 

 柔らかい笑みをこぼすクレフ。

 右乃助は次に当代イスラエルへと視線を向けた。

 

「はじめまして……って、ありゃりゃ」

 

 ニーナはクレフの後ろに隠れてしまった。

 クレフは申し訳なさそうに謝る。

 

「申し訳ありません。お嬢様は極度の人見知りでして……通訳は私がいたしますので、何卒ご容赦を」

「わかった。依頼主のプライベートに足を突っ込んだりしねぇ。俺の仕事は、アンタらを護ることだからな」

 

 だけど……そう言って右乃助は膝を折る。

 そしてサングラスを取った。

 

「挨拶くらいはしておかねぇとな……右乃助(うのすけ)だ。この都市で用心棒をやってる。碌でもない人間さ。お嬢ちゃんは関わらなくていい。相方さんを通じて、何かあれば言ってくれればいい」

 

 右乃助の目は、青かった。

 まるで蒼穹の様な、澄んだ色をしている。

 思わず見惚れてしまっているニーナに、右乃助は苦笑いをこぼした。

 

「……ああ、目の色か。気にしないでくれ、日本人と欧米人のハーフなんだ」

 

 さらりと流す右乃助。

 当人はニーナの警戒心を和らげる「挨拶」のつもりだったが、ニーナは違った。

 

「…………」

 

 右乃助の頬をブカブカの袖越しに撫でる。

 予想外の反応に戸惑いつつも、右乃助はニーナを決して驚かさないようにひとさし指をさしだした。

 

「その、……よろしく……な?」

「…………」

 

 ニーナは右乃助の指を見つめる。

 そして小さな手で掴み、コクコクと大きく頷いた。

 

 

 ◆◆

 

 

「懐かれたわねぇ」

「懐かれたね~♪」

「むぅ……」

「むむむ……!」

 

 A級四天王、パンジーとサーシュは面白可笑しそうに笑っていた。

 対して香月とアモールは不満そうに頬を膨らませている。

 

 理由は右乃助の膝上にあった。

 なんと、ニーナがちょこんと乗っているのだ。

 まるで特等席だといわんばかりに「ふんす」と鼻を鳴らしている。

 

 当の右乃助は困惑していた。

 

「懐かれてるのか? これは」

「懐いてます!」

「懐いてますね!」

 

 香月とアモールは大きな声を上げた。

 慕っている男性に対してこうも無遠慮に接せられては、恋する乙女は怒るものだ。

 

 右乃助はやれやれと溜め息を吐きながら、クレフに聞いた。

 

「極度の人見知りと聞いていたが?」

「私も驚いております。まさか初対面の男性にここまで懐くとは……初めての事です」

 

 本当に心の底から驚いているのだろう、神妙な面持ちをしている。

 しかし次には柔和に微笑んだ。

 

「これは……イスラエル家に名を連ねる者として、精一杯のおもてなしをしなければなりませんな」

 

 クレフはティータイムの準備をはじめた。

 何処からともなくティーセットを取り出し、淹れたての紅茶をテーブル席へと並べていく。

 最後に砂糖とミルクの小壺、茶菓子を添えて、慇懃に礼をした。

 

「お口に合うかはわかりませんが、是非」

「あらやだ、素敵なお爺様。是非いただくわ」

 

 早速パンジーがいただく。

 香りを数回楽しんでから、カップに口を付けた。優雅な仕草である。

 

 パンジーは感嘆の溜め息を吐くと共に、再度香りをかいだ。

 

「エクセレント……味は勿論だけど、香りが素晴らしいわ。ブランドは……フォートナム&メイソンかしら?」

「いえ、この味はマリアージュフレールのフレーバーブレンド、マルコポーロでは?」

「いいえ香月さん、この気品ある風味はフォートナム&メイソンです。しかし確かにマルコポーロに似ている……もしかしてオリジナルブレンドですか?」

 

 パンジー、香月、アモールの推測に対し、クレフは面食らいながらも頷く。

 

「仰る通りです。フォートナム&メイソン、オリジナルブレンドでございます。我々イスラエル家が来賓の方に出す特別な品物でして……いやはや、まさかこんなにも簡単に当てられてしまうとは」

「紅茶は乙女の嗜みよ。香月ちゃんとアモールちゃんにも、それなりに嗜んでもらっているわ」

「師匠の女になるためと教わったので!」

「右乃助さんの助手たるもの、当然の嗜みです!」

 

「「むむむ!」」

 

 香月とアモールは睨み合う。

 何時もの事なので、パンジーは適当に無視する事にした。

 しかし……

 

「紅茶はミルクティー派!! だからお砂糖ジャボーン!! ミルクどばー!!」

「アーっ!! サーシュちゃんだめぇ!! 紅茶はまず香りを楽しむものなの!!」

 

「ブレンディ、ブレンディ♪ ミルクティーを、ブレンディ♪」

「アアアア゛ア゛!!」

 

 サーシュの凶行()に絶叫をあげるパンジー。

 最早保育園の方がマシなレベルの騒がしさに辟易している右乃助だか、彼にも毒牙が迫っていた。

 

「…………」

「いや、ちょ、待て。サングラスを取ろうとするな」

「っ」

「そんなむくれても駄目だ……って、よしてくれ! 暴れるな!」

 

 余程右乃助の瞳が気に入ったのだろう。

 ニーナは執拗に彼のサングラスを取ろうとする。

 右乃助は初対面の、それも正真正銘の美少女に気軽に触れる事もできず、あわてていた。

 

「クレフさん! アンタ保護者だろう! どうにかしてくれ!」

「ほっほっほ、賑やかですなぁ」

 

「笑ってんじゃねぇよ!!」

 

 右乃助、渾身のツッコミが炸裂した。

 

 

 ◆◆

 

 

 右往左往あって、ようやく作戦会議に移った右乃助一行。ティータイムの件からは想像もできないような真面目な会議が行われていた。

 

 まずはゴール地点である約束された場所「ペヌエル」までのルートの解説。魔界都市の地図を机一面に広げ、作戦内容をわかりやすく書き込んでいく。

 次に危険率が高くなるポイントの予測、指定。予め練っておいた作戦を伝えていく。

 

 綺麗だった地図が文字と矢印だらけになった頃に、右乃助は煙草を咥えた。

 ニーナは既にクレフの横に座らせている。

 火をつけ紫煙を吐き出すど、右乃助は何時になく真面目な表情で告げた。

 

「以上だ。各々役割を忘れないでくれ。相手は基本的に『格上』だ。連携を崩せば即壊滅、なんて事もありえる」

 

 場の空気がジリジリと焦げる様な感覚をニーナは覚えていた。

 先程まで馬鹿騒ぎしていた者たちはもういない。魔界都市で一流と呼ばれている仕事人たちしか、この場にはいない。

 

 ニーナもクレフも、頼もしさを覚えていた。

 

 ここにきて、パンジーが告げる。

 

「ねぇ、まだ伝えてない事あるんじゃないの? ウノちゃん」

「……まぁ、な」

 

 歯切れ悪そうにする右乃助に、パンジーは溜め息をはく。

 

「作戦内容的に無理なポイントが幾つかあるわ。……あの人達の力が必要よ。だからわざわざ呼んだんでしょう?」

「……そう、なんだが」

 

 右乃助は心配そうにニーナを見つめる。

 ニーナは小首を傾げた。

 

 そう……今回の依頼を達成するにあたり、明らかに戦力が足りないのだ。

 右乃助の予測が正しければ敵は一大勢力……それも複数が同時に襲いかかってくる。

 その中には神秘の化身も混じっていた。

 

 故に……

 

「なぁに悩んでんだよ右乃助、らしくねぇ。……面倒事は早めに終わらす、何時もならそうするだろう?」

「……」

「大方、護衛対象が幼すぎて混乱してる……そんなところか?」

 

 見事に心中を暴かれた。

 右乃助の視線の先にはこの世で最も忌み嫌われる英雄……暗黒のメシア、大和がいた。

 彼はカウンター席に寄りかかり、足を組みながら右乃助たちを見つめている。

 

 咥え煙草から紫煙を吐き出しながら、彼は嗤った。

 

「ただ自己紹介するだけじゃねぇの、何をそんなに躊躇う?」

「……何でだろうな?」

「知るかよ、なら勝手にさせて貰うぜ」

 

 灰色の三白眼がニーナを射抜いた。

 ニーナは慌ててクレフの背に隠れる。

 

「大和だ、殺し屋を営んでる」

 

 簡素な挨拶だ。

 彼は視線を逸らして次を促す。

 

「ネメアだ。普段はこの店の主人をしている」

「アラクネよ、職業は暗殺者」

 

 腕を組んだまま告げるネメアに、不気味に微笑みながら手を振るうアラクネ。

 

 右乃助は違和感を感じた。

 三名とも何時もの感じではない。

 ……とても大きな隔たりを感じる。

 敢えて醸し出しているのか、それともニーナと感覚を共有してしまったのか……今の右乃助にはわからなかった。

 

 そのどちらでもある事を彼が理解する前に、大和は嗤った。

 

「俺達三人が助っ人に入る。作戦には既に組み込んである筈だ。誰でもない、右乃助がな」

「……」

「んで、お前が当代のイスラエル……全然似てねぇなぁ、初代と。俺ぁてっきり、斬魔みてぇなキザな兄ちゃんが来ると思ってたぜ」

 

 その発言に、右乃助は辛うじて苦笑を浮かべる。

 

「初代イスラエルと知り合いだったのか……初耳だ」

「四大終末論を踏破した同世代だ。俺もネメアもアラクネも、よーく知ってる」

「……」

 

 改めて、大和たち三名の規格外さがわかる。

 考えてみれば簡単な事だ。彼等は神秘の時代から今を生きる超越者の代表格……世界中のあらゆる歴史に絡んでいる可能性がある。

 

 右乃助は、途轍もなく大きな隔たりを感じた。

 たった数メートルの距離が途方もなく長く感じる。

 

 世界の理を越えているか、越えていないか……その溝が可視化していた。

 

 大和は紫煙をくゆらせながら言う。

 

「右乃助には見えてるな? お嬢ちゃんにも……見えているんだろう。だから怯えてる」

「っ」

「しかしだ。お嬢ちゃんは今からこの溝を越えようとしている。人智を逸脱した超越者になろうとしているんだ……その意味、本当に理解しているか?」

「……」

「大きな力を得るには大きな代償を伴う……お嬢ちゃんがどんな力を得て、どんなものを代償にするのか……楽しみだ」

 

 意地悪そうに喉を鳴らす。

 クレフが思わず詰め寄ろうとするが、誰でもない、ニーナが止めた。

 

「お嬢様……っ」

「…………ッ」

 

 首を横に強く振るう。

 彼女はなんと、大和の元まで歩み寄っていった。

 拙い足取りで、しかし確実に可視化していた溝を越えていく。

 そうして大和の元まで辿り着いた。

 

 大和は彼女を見下ろし、鼻で笑う。

 

「反抗的な目だ、おもしれぇ……言いたいことがあんなら言ってみろ」

「ッ」

「成る程、正論だ。しかし綺麗事だな。そんなんじゃあ初代は越えられないぜ?」

「……ッッ」

「ふぅん…………ククク、あーあーくっそ生意気なジャリだなァおい。俺に啖呵切るたぁ」

「!!」

「……ククク、ハハハッ。いいぜ、やってみろ! やるのは自由だ! テメェの生き様、見せてみろ!」

「ー!!」

 

 ニーナは小さな拳を掲げた。

 大和が拳を突き出すと、彼女は背伸びをして自身の拳と突き合わせる。

 

 興奮気味に帰ってきたニーナをクレフと共に迎えながら、右乃助は聞いた。

 

「何を話してたんだ? 俺にはさっぱりわからなかったが……」

「修行不足だぜ右乃助、もっと観察眼を鍛えろ。……そのお嬢ちゃん、中々のもんだ」

「無茶言うな、これでも限界まで修行してるっての」

「はい嘘つき、超越者になる寸前で止めてるだろ」

「…………」

「だがそのお嬢ちゃんは違う。越えようとしている……確固たる信念を胸に秘めて。……支えてやれよ右乃助。今回の主人公はそのお嬢ちゃんと、テメェだ」

 

 大和も、ネメアも、アラクネも、笑っていた。

 何時もの、らしい笑みである。

 

 右乃助は強張った肩を下ろす。

 

「何だ、何時もの感じに戻ったな。三人とも」

「試してたんだよ。初代には世話になったからな。アイツの遺志を無駄にする様な輩だったらどうしようかと思っていたが……杞憂だった」

 

 大和はアラクネとともに背を向け、ネメアと談笑しはじめる。

 

 右乃助は護るべき存在であるニーナを見下ろした。

 彼女はゴツゴツとした右乃助の手を自分の頭の上に乗せる。

 上目遣いされたので、恐る恐る撫でてみると、本当に嬉しそうな表情をした。

 

 右乃助は思わず破顔する。

 

 準備は整った。

 作戦も十分に練った。

 頼もしい助っ人も加えられた。

 覚悟も、決まった。

 

 後はやるだけだ。

 

 これからはじまるのは、世界の命運をかけた一大逃避行である。

 

 



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四話「start」

 

 

 同時刻、大衆酒場ゲートは完全に包囲されていた。

 中央区を拠点にしている殺し屋、傭兵、賞金稼ぎがこれでもかと顔を揃えている。

 その数、おおよそ300人。中にはそこそこ名の売れているAクラスも混じっている。

 見えているだけでコレなのだ。隠れている、もしくは様子を伺っている者たちを併せれば500は優に越えるだろう。

 現に、即興で立てられた魔界都市専用の掲示板はお祭騒ぎになっていた。コレはそのまま事の大きさを物語っている。

 

 この場にいる面々は全員賞金目当てだった。『とある組織』が右乃助たちA級四天王、並びにニーナ・イスラエルとクレフに莫大な懸賞金をかけたのだ。

 個人ごとの金額が既に掲示されており、総額はなんと100億を越えている。中でも右乃助とニーナには他メンバーより倍近くの懸賞金がかけられていた。

 

 魔界都市において、Aクラスは大したものではない。

 なんならそれ以上の化け物が平然とウロウロしている。

 Aクラスはあくまで人間の常識に当てはまる程度の強さであり、本来なら狩ったところで多額の報酬は貰えない。

 だが、今回は違う。

 古参とは言え、Aクラスの用心棒とその一同を殺すだけで100億も貰えるのだ。この場にいる全員で山分けしてもお釣りが出てしまうほどの金額である。

 

 前線に出ている者たちの士気は高かった。

 皆一様に「まだか」「まだか」とウズウズしている。

 

 しかし、情報収集組は情報屋ともども苦慮していた。

 最低限の情報しか仕入れられない。

 今のところわかっているのは各々の人種と容姿、性別くらいか……。

 今欲しいのはニーナ・イスラエルに関する情報と右乃助たちのこれからの動向なのだが……全くわからない。

 

 デスシティでも指折りの情報屋の力が求められていた。

 しかし一人は「有給」休暇で異世界旅行中、もう一人は大和が直接「甘い言葉」でストップをかけている。

 最後の一人、ミケは右乃助側についた。

 

 実に手際のいい事である。

 攻めはじめは右乃助なので、襲撃者たちはどうしても後手に回ってしまう。

 少しでも隙があれば付け入る事ができるのがデスシティの住民なのだが……今回はできないでいた。

 

 右乃助もまたデスシティの住民だ。下手は打たない。

 このあたり、プロの意識の高さが伺える。

 

 一方、魔術師や魔法使い達も大衆酒場ゲートに展開されている結界にお手上げ状態だった。

 ゲート周辺は最早神域の顕現……神々の領土そのもの。

 現世の者たちでは干渉できない。結界の強度、加護の密度、全てが段違いだった。

 

 悪戦苦闘している魔術師や魔法使いたち。

 その中から一人の女性? が手を挙げる。紺色の厚めのローブを着ている彼女は、マイペースに告げた。

 

「ちょっと席を外すけど、いい?」

「……この場面で、どういうつもりだ?」

 

 一人の魔法使いが怒気を滲ませるものの、彼女は呆れた風に両手を広げた。

 

「お手洗いよ。全く、デリカシーがないわね」

「……さっさと済ませてこい」

「はーい」

 

 適当にその場を離れる。

 暫くして、彼女は監視の目がないかを確認した。ないとわがった瞬間、迷う事なく迷彩魔法を発動して現場を離れる。

 

「あーあー、馬鹿らしい。あの時点で気付きなさいよ。アイツら全員死んだわね……もう顔を見ることもないでしょう」

 

 彼女は魔女らしい箒に横乗りになると、魔界都市の摩天楼を横断した。

 冷たくも血生臭い風が頬を撫でる。

 

「森羅万象の流れを感じて、読み取るのが私達魔法使い……なのに何ででしょうね? アイツらがあの場の流れを読み取れないのは」

 

 フードが風で取れる。

 紺色と水色の入り交じった特徴的なミディアムヘア、そして幼さの残る美少女の顔が現れた。

 彼女は魔界都市の情景を眺めながら囁く。

 

「そう……皆馬鹿になっちゃうのよ。この都市の瘴気にあてられて。……生き残るのは力が強い奴じゃない、心が強い奴。私は、自分の分相応を理解している」

 

 彼女、マリンは中央区の大通りを迂回して今回の騒動とは正反対に位置しているだろう方向へと向かった。

 

 ふと下を見ると同じ様な連中が何名もいたので、彼女は思わず苦笑をこぼした。

 

 

 ◆◆

 

 

 焦りと不満が一帯を支配しはじめる。

 そんな時だ。ウェスタンドアを開いてゲートから「ある男」が現れたのは……

 

「おー、スゲェな」

 

 純白のスーツに厳の如き体躯、傷だらけの顔にサングラスをかけた男……右乃助である。

 彼はゲートに張られた結界の境界線を見極めながら、周辺を見渡した。

 

「かなりの数が集まってるな……成る程、成る程」

 

 右乃助は顎を擦りながら一歩踏み出す。

 

「しっかし、テメェらみてぇな雑魚に手間取っているようじゃあこの先生き残れねぇ。とっとと片付けちまうぜ」

 

 青色の闘気を漲らせ、もう一歩踏み出す。

 瞬間だ、無慈悲な業火が右乃助を包み込んだのは……

 立て続けに現れる紅蓮の焔。周囲一帯を焼き尽くしながら天高くへと昇っていく。

 

 魔法使い、魔術師たちによる対軍用魔法だ。

 個人に使用するものではない。明らかにオーバーキルである。

 

 魔法使いを代表して、壮年の男が吠えた。

 

「魔術師一同は対軍魔法を継続! 魔法使いは対象が消し炭になる前に脳から情報を盗み出せ! 前衛の者たちは襲撃に備えて待機! 狙撃、迎撃組も同じく! 協力してくれ! すぐに終わる!」

 

 最初こそ渋い顔をしていた殺し屋や傭兵たちだが、一応納得して静観の姿勢をとる。

 壮年の魔法使いは対軍魔法が継続されている事を確認しつつ、魔法使いたちに聞いた。

 

「どうだ? 情報を盗み出せたか……!?」

 

 魔法使い達は発狂していた。

 悲鳴を上げてのたうち回る者、泡を噴いて気絶する者、精神崩壊を起こして廃人と化す者など……皆一様に壊れてしまっている。

 

 何故か? 魔術師の上位、魔法使いである彼等が何故、壊されてしまったのか? 

 その理由は、紅蓮の炎を掻い潜って出てきた「右乃助」にあった。

 

 真紅のマントが靡く。

 極限まで鍛え込まれた褐色の肉体には火傷一つない。

 彼……「右乃助」はギザ歯を剥いて嗤った。

 

「どーも、右乃助です♪」

 

 壮年の魔法使いは思わず叫ぶ。

 

「世界最強の殺し屋、大和……!! そうか、他の魔法使いはお前の深層心理を覗いたから……!!」

「最後まで俺だと気付かなかったな。流石、アラクネの変装術式だ……で? 俺の深層心理を覗いた奴等は全滅か……情けねぇ。お前ら本当に魔法使いかよ」

「っ」

「まぁ、此処で生計立ててる時点で二流か。わりぃわりぃ」

「この……っっ、舐めるなよ殺し屋風情がぁ!!」

 

 その言葉に、大和は酷薄な笑みを浮かべた。

 

「舐めてるのはどっちだ? 馬鹿野郎が……」

 

 赤柄巻きの大太刀にそっと手が添えられる。

 

 

払捨刀(ほっしゃとう)

 

 

 それは戦国時代の大剣豪であり一刀流の開祖、伊東一刀斎の奥義を自己流に改良したもの。

 

 本来は無念無想の魔剣……抜刀、斬撃、納刀の一工程を自他共に認識させずに行ってしまう絶技だが、大和はこれを己の技として昇華させていた。

 その内容は意識のパスを通して放つ「殺意」の魔剣。

 自身に敵意を向けた存在、自身の敵意に反応した存在……総じて殺気に関連づいた存在を一瞬で斬り捨てる。

 

 本来なら放てるだけで天下五剣に認定されるような絶技を気軽に放てるからこそ、世界最強の武術家であり殺し屋なのだ。

 

「地獄に行ったら俺に殺されたって自慢しな」

 

 傲慢不遜に嘯く。

 300人弱を斬り殺した大和は、一度納刀した大太刀を再度抜き放ち、蜻蛉の構えをとった。

 刀身に莫大な闘気を込めはじめる。

 

 紅蓮の輝きを放つ生命エネルギーは有形無形関係なく一切合切消滅させる滅の絶剣……

 

『雷光剣』

 

 極太の光柱が中央区を両断する。

 同時に大衆酒場ゲートから右乃助たちが飛び出てきた。

 

 大和は大太刀を担いで叫ぶ。

 

「行ってこいテメェら! この世界に、楔を打ってこい!」

 

 大和からの声援を受け、右乃助たちは駆けていった。

 もう見えなくなりそうな背中たちを、大和は柔らかい眼差しで見送った。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、北区の繁華街から逸れた空き道で……

 

「HAHAHA! そうかい! 大和の旦那たちが……予想通りだ! ……ああ、OK。当初の作戦通り、指定時刻まで時間を稼げ。なんなら下っ端の構成員どもを使い潰していい。……ふぅん、そうかい。いいねぇ……賞金目当ての馬鹿どもはとことん使い潰せ! どーせ皆死ぬんだ! MONEYも糞もねぇ! HAHAHA!!」

 

 呵々大笑しているのは一目でギャングだとわかる厳つい大男。

 

 サイドにそり込みを入れた金髪。欧米人らしい彫りの深い顔立ち。鍛え抜かれた肉体は二メートルを優に超え、漆黒のタンクトップから覗く屈強な腕には髑髏の刺繍が彫り込まれいた。背中にまで至っているだろう。

 

 見るからに狂暴そうな男は、訛りのある英語で話し続ける。

 

「そう、今のところプランBだ。俺達も準備を整える。いいか? 絶対に目を離すなよ。追って連絡する」

 

 どのような環境下、異世界でも機能する超高性トランシーバーをしまって彼……マイクは肩を竦めた。

 

「っと……時間も決まってるし、さっさと交渉するか」

 

 そう言ってマイクはとある一軒家を見上げる。

 北区の片隅にある豪勢な家だ。家主は中々の実力者なのだろう。こんなもの、本来デスシティの北区には建てられない。

 

 マイクは家主の許可無く敷地に入り、インターホンを押さずに玄関を開けた。無礼極まりない行動だが、既に家主は「死んいる」ので無礼も糞もない。

 

 異臭が鼻をつく。

 血と糞と内臓が入り交じった、生の死体の臭いだ。

 マイクは小棚に飾られている家族写真と、その横に磔にされている家主の男を見つめる。

 

 彼はAクラスの用心棒。美しい妻を持ち、可愛い一人娘を溺愛し、ここ魔界都市で仁義を貫き通していた漢である。

 それが今やこの有り様……全身の皮を剥がされ、腹から内臓を無理矢理抉り出されている。

 

 マイクは血で汚れた家族写真を手に取った。

 美しい奥さんと可愛らしい娘さんに抱きつかれ、精悍な男が柔らかい笑みをこぼしている。

 

 マイクは鼻で笑ってソレを投げ捨てた。

 ガラスケースは割れ、写真は床に散らばった内臓に浸っていく。

 

 マイクは嫌悪感を露にして吐き捨てた。

 

「Mother Fucker……いい気味だぜ。前々から気に食わなかったんだ。なーにが仁義だ、くだらねぇ……ンなもん掲げんなら最初から表世界で働けっての」

 

 ペッと、皮の剥げた顔に唾を吐きつける。

 ふと、マイクは死体とは別の臭いを嗅ぎとった。

 とんでもなく嫌そうな顔をすると、玄関を開けて換気する。

 それでもまだ足りないのか、外に出て煙草を咥えた。

 

「HEY、カイン、アベル!! テメェら何時まで楽しんでんだ!! 返事しろ!! この鬼畜ペドフィリアに熟女好きのDV野郎共が!!」

 

 これでもかと汚い言葉が炸裂した。先程のMother Fuckerが綺麗に思えるくらいだ。

 

 マイクが二階の窓を睨み付けると、二人組の男が現れた。

 二人とも同じメーカーの煙草を咥えていた。

 一人は長髪に眼鏡をかけた知的なイケメン。もう一人は短髪のワイルドなイケメン。

 兄弟なのだろう、二人とも銀髪で、顔の造形も似通っている。

 

 彼等は互いに煙草の火を付け合いながら返事をした。

 

「お疲れ、マイクさん。こっらも丁度、「楽しみ」を終えたところだ」

「中々イイ仕事だったぜ。やっぱりルプトゥラ・ギャングから貰う仕事にハズレはねぇな」

 

 長髪で眼鏡をかけているのが兄、カイン。短髪で粗野な口調なのが弟アベル。

 二人揃ってAクラスの殺し屋だ。そして、知る人ぞ知る変態である。

 まるで魔界都市の業が擬人化したかの様な存在だった。

 

 兄のカインは重度のロリコン……10代以上の女に性的興奮を抱けない。弟のアベルはサディストであり、女に暴力を振るいながらでないと性交できない。

 どちらも異常性癖の持ち主だ。

 

 今回の被害者は家主の美しい妻と可憐な娘……マイクからは見えないが、二階の部屋は酷い有り様だった。

 ベッドには血塗れたスーツにくるまったまま息絶えている妻が、床には液まみれの状態で精神崩壊を起こしている娘が横たわっている。

 

 マイクは眉ねをひそめながら告げた。

 

「スッキリしたかよ? ったく変態どもが……。仕事の時間だ、準備はできてるな?」

「勿論。しかしこう立て続けに依頼をこなすんだ、それなりに依頼料は弾ませて貰う」

「兄貴の言う通りだ。最低でも三千万×2の六千万……更に、俺達の性癖に合う女を準備して貰う」

「兄貴のほうはコレを好きにしていい。弟のほうは適当に見繕う」

 

 そう言ってマイクはカインに写真を弾き飛ばした。

 カインはそれを受け取り確認する。

 すると、魔物の様な笑みを浮かべた。

 

 ニーナ・イスラエルの顔写真である。

 

「素晴しい……極上の獲物だ。名前は?」

「ニーナ・イスラエル。今回の最重要抹殺対象だ。最終的には殺すが、捕まえられればお前の自由にしていい」

「受けるよ、マイクさん。……やっぱりアンタからの依頼にハズレはない……ククク、ニーナちゃんか。たまらんなァ」

 

 カインはニーナの顔写真をベロリと舐め上げる。

 マイクも、そして弟のアベルも、内心ドン引きしていた。

 

 アベルは兄から視線を外すと、マイクに告げる。

 

「そんじゃ、俺達は指定されたポイントに向かう。何かあればまた連絡をくれ」

「OK。ターゲットの情報や戦況はリアルタイムで伝える。携帯端末から目を離すなよ?」

「あいよ」

「そんじゃ、期待してるぜ」

 

 手を挙げて去っていくマイク。

 彼は、着実に右乃助たちを追い詰める手札を揃えていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 マイク。本名「マイク・ベルナルド」。

 五大犯罪シンジケートの一角、ルプトゥラ・ギャングの大幹部であり、武闘派集団を纏め上げているカリスマだ。

 元々はアメリカ合衆国の陸軍少尉「兼」特殊暗殺部隊の隊長。しかしその殺しの腕前と狡猾さ、何より内に秘めた凶暴性をルプトゥラ・ギャングの頭目に見初められ、所属していた部隊ごと身元を買われた。

 その後は魔界都市で才能を開花させ、今や知る人ぞ知るギャングの代表的人物になっている。武闘派でありながら政治・経済方面にも明るく、頭目からは絶大な信頼を寄せられていた。

 

 武闘派なだけあり、戦闘力は折り紙つき。

 無音暗殺術(サイレント・キリング)の達人であり、軍隊格闘術を極めている。他にも銃器兵器の取り扱い、戦闘用の西洋魔法、呪詛系の東洋魔法に至るまで、何でもできる、まさしく戦闘のプロフェッショナル。

 

 推定ランクは驚異のSS……

 表世界の住民では絶対に勝てない。彼は超越者であり、人智を逸脱した魔人だ。その気になれば悪魔だろうが鬼神だろうが倒せてしまう。

 

 彼は「ルプトゥラ・ギャング」からの代表者だった。

 数いる襲撃者の内の一人である。

 

 マイクは煙草を咥えながら裏路地を出た。トランシーバーを耳に当てながら、紫煙を吐き出す。

 

「おう、俺だ。……ああ、そうか、わかった。中央区の大衆酒場ゲートから魔道機関車の線路沿いだな。OK……大方予想通りだ。お前らはそのまま監視を継続しろ。5分後、標的と接触する。各々隊形を乱さず、些細な事でも即報告だ。以上」

 

 軍人時代からの部下と情報共有し、マイクはトランシーバーを切る。

 北区の繁華街へと出た彼の眼前に、二名の男女が現れた。

 彼等は対照的な態度を見せる。

 

「ちょっと! 遅いわよ! 駒集めにどんだけ時間かかってんのよ!」

「…………」

 

 騒いでいるのは癖のある金髪を腰まで伸ばしたロリっ子。

 褐色肌にゴスロリ服を着ているので、真っ黒な容貌をしている。

 しかし棘のある態度でも損なわない神域の美貌、時折覗かせる八重歯はどこか可愛らしい。

 彼女はカツカツと苛立ち気にハイヒールを鳴らしていた。

 

 もう片方は異様な雰囲気を醸し出す侍風の大男。

 マイクと並んでも大差ない体躯。紫色の浴衣は何故か所々破けていた。まるで刃物にでも切り刻まれたかのような……。

 侍風というだけあり、腰には刀どころか武器一つ帯びていない。

 無精ひげを生やしている顔は厳かで、黒髪は乱雑に縛って後ろに流してある。

 彼は生気のない瞳でマイクを一瞥した。

 

 当のマイクは褐色ロリに対して嫌そうな顔をする。

 

「ギャーギャーうるせぇよ、イフリート。遅刻したわけじゃねぇだろう」

「誠意の問題よ! アンタ、アタシを呼んでおいてこの対応……何様のつもり!?」

「俺様のつもり」

「キーッ!! 憎たらしい!! ルプトゥラ・ギャングとの契約が無ければアンタなんて消し炭よ!! け・し・ず・み!!」

「うるせ、この面食い火の粉ロリが」

 

「はぁぁ!!? 面食いで何が悪いワケ!? いーじゃない面食いで!! 性格とかどーでもいいのよ!! 顔さえ良ければ全てよし!! ついでに体もイケメンでチ○コでかければ最高だわ!!」

 

「誰も聞いてねぇよンなこと……ほーれほれ、お前が懸想してる大和の旦那のプレミアム動画だぞ~。この間飲みに行った時の動画だ。酔った時の爽やかな笑顔つき~」

「ちょ!!? 何よそれ!! よこしなさいよ!! アンタほんといいご身分ね!? いいからよ・こ・し・な・さ・い・よ~!!」

 

 飛び跳ねてマイクのスマホを取ろうとするイフリート。

 しかし身長150センチではジャンプしても届かない。

 いよいよ暴れだしそうになったイフリートに対して、マイクは冷たく告げた。

 

「この動画はそれ相応の働きをした時のBONUSだ。お前には月一で契約金を払ってて、プラス今回の報酬も前払いしてる。……これ以上はサービスできないね」

「……チッ、わかったわよ。でも約束は守りなさいよ」

 

 納得しつつもフンと顔を背けるイフリート。

 マイクはやれやれと肩を竦めつつ、もう片方の男に謝った。

 

「Sorry、狂十郎(きょうじゅうろう)。待たせちまったか?」

「…………」

 

 狂十郎は軽く首を横に振って意思表示する。

 マイクは彼の肩を叩きながら前へ出た。

 

「んじゃ、行くか。お前らには期待してるぜ。なにせ異端審問会と、第三帝国ネオナチスからの依頼だ。内容は右乃助の兄貴とニーナ・イスラエルの捕縛、ないし抹殺」

「はいはい、カッコつけてないでさっさと行くわよ」

「あークソ、FUCK。狂十郎だけ呼べばよかったぜ」

 

 炎の精霊王、イフリート。推定ランクSS。

 狂剣士、狂十郎。推定ランクSS。

 

 右乃助たちを追う面子「だけ」でコレだ。

 ルプトゥラ・ギャングに異端審問会、そして第三帝国ネオナチス……

 

 大和たちが味方だから楽勝……とはいかない。

 この案件に対して三つの勢力が本気になっていた。

 

 右乃助の想い、そしてニーナの決意を、強大な悪意が蹂躙しようとしていた。

 

 



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五話「真世界聖公教会vs異端審問会」

 

 表世界のとある国、とある都心部にある、超高層ビルの最上階にて。

 最上位の防護魔法と隠蔽魔法が施された多目的ホールに、各国を代表する面々が集っていた。

 首相、大統領をはじめ、彼等と同等の権威を持つ特別な存在……世界的財閥の総帥や大貴族の頭首、石油王など。

 唯一神を信仰する二大宗教のトップもいる。

 

 バチカン・カトリックの最高位、ローマ法王。

 プロテスタント、天使殺戮士の代表取締役。

 

 日本国の総理大臣、大黒谷努もいた。

 彼はニコニコと、何時ものらしい笑みを浮かべている。

 

 敢えて暗くされた室内。仄かな明かりを吸い込んで、プラチナブランドの長髪が輝いた。

 氷の様な雰囲気を醸す男は「ある男」を厳しく睨み付ける。

 

「合衆国大統領、カール・マーフィー。貴殿の行いは我々プロテスタントとの間に重大な亀裂を生みかねない。即刻止めたまえ」

 

 高圧的ながらも礼は損なっていない。

 彼こそ、真世界聖公教会の最高責任者。天使殺戮士を束ねる傑物……レオンである。

 

 容姿的年齢は二十代半ばほど。肩までかかるに金髪にアイスブルーの瞳。服装は所々に金糸銀糸をあしらった純白と紫のケープ。

 

 絶世の美男だが、色気などない。

 毅然と、冷然と。その佇まいは神罰の代行者そのものだった。

 

 彼の発言に対して、カール・マーフィーは鼻で笑う。

 

「今更だな、レオン君。君たちと我々は相容れない……今回はそれが明白になっただけだ」

 

 この男は若くして合衆国大統領に就任した逸材。異端審問会を創設し、裏の世界にまで手を伸ばしている危険人物……

 

 カール・マーフィー。

 

 今回の事件で両雄、両組織の対立は決定的なものとなった。

 

 天使殺戮士、ニーナ・イスラエルの覚醒を異端審問会が阻止しようとしているのだ。

 

 粋なダブルスーツを着こなしているカール。

 彼は氷の様な態度を崩さないレオンを一瞥すると、その隣に控えている絶世の美女を見やった。

 

「その様な美しい女性を連れているのだ。こんなつまらない話は終わらせて、かまってあげたらどうだね」

 

 カールは自然と、そう、自然と、90センチを越える豊満なバストに目がいく。

 他の男たちもだ。大黒谷努もまた、ほぅと感嘆の溜め息を吐いていた。

 美しい女など見飽きている彼等でも、見惚れてしまうほどの女性……

 

 彼女は艶やかな溜め息を吐くと、敢えて上半身を屈める。

 

「あら……嬉しい事を仰いますね、Mr.カール。そんな熱い視線を送られてしまっては、わたくしも火照ってしまいますわ」

 

 フリル付きのブラウスがこれでもかと盛り上がる。

 黒のロングジャケットは乳圧のあまりはだけていた。

 

 カールは思わず喉をならす。

 

 年齢的には二十代半ばほど。その肌は雪に等しい白さを誇り、シミ一つない。腰までかかる程度の黒髪はアップにされており、銀縁眼鏡をかけている。

 瞳の色は黒。推定バストは95センチの、Gカップ。

 華奢な腕には逆十字の腕章を、襟元には逆十字のブローチをかけていた。

 

 眼鏡の奥で切れ長の目が細まる。

 会場内に甘ったるい香りが漂った。官能的な女の香りだ。

 男ならばそのたわわな乳房に飛び込み、食らいついてやりたくなる。

 

 異性をとことん駄目にするこの女の名は、ミス・(フー)

 レオンの専属秘書であり、現段階で最強の天使殺戮士だ。

 

 会場にいる男たちは彼女に魅了されていた。

 立っているだけで異性を惑わす、文字通りの魔女。

 彼女はまるで誘うかの様に豊満な胸を両腕で挟みこむ。

 

 唸ってしまうカールに対し、レオンは冷たい声音で告げた。

 

「つまらない話、とは何だね。事は世界の今後を左右する一大事だ。我々、天使殺戮士の命も懸かっている」

 

 アイスブルーの瞳の奥に宿る憤怒の念を覗いて、カールは思わず鼻で笑った。

 

「だからつまらない話だと言っているだろう。まさか君達は、我々が友好的に接するとでも思っているのかね? 馬鹿馬鹿しい」

「……」

「そもそも、定期的に喧嘩を売ってきているのはどちらだ? 以前のアヴァターラの件といい、とてもではないが友好的に接する事などできない」

 

 カールはつらつらと「事実」を述べていく。

 しかしレオンもまた、事実のみを述べていった。

 

「我々、真世界聖公教会の目的はただ一つ。天使病に感染した者の殲滅だ」

「虐殺、の間違いではないかね?」

「感染者の殆どが人道を外れた犯罪者……無辜の民を害するのであれば、殲滅する他ない」

「極端な考え方だ」

「その言葉、そのまま返そう。貴殿らの行いはあまりにも極端すぎる。天使病は、人間が手を出していい代物ではない」

「手を出さなければ始まらない事もある」

「世界最悪のギャングと手を組んでまで……一体何を始めようというのだ?」

 

「……そっちも世界最強の殺し屋を雇っているじゃない」

 

 凄絶な舌戦に突如として割り込んだ第三者の声。

 レオンが視線を向けると、カールの横に異端審問会のエージェントが控えていた。

 年の頃は十代半ばほど。小柄でスレンダーな体型をしている。服装は異端審問会の特殊な制服。

 野暮ったい銀髪が靡けば、西洋人形を彷彿とさせる可憐な顔立ちが現れた。

 同時に、憎悪のこもった碧眼がレオンを射抜く。

 

 カールは彼女を手で制した。

 

「よしたまえ、サイス君」

「……わかりました」

 

 異端審問会第ゼロ部隊所属、コードネーム「サイス」。

 異端審問会の研究成果であり人類史上初めて天使病を克服した存在。

 霊子型ナノマシンを超克した、第二人類である。

 

 レオンは死神姉妹から「事の顛末」を聞いていた。

 だから驚く事はない。

 思う事はあるが、今話す事ではないと割り切る。

 

 再びレオンから睨まれたカールは、嘲笑を浮かべつつ持論を展開した。

 

「天使殺戮士……君達のしている事は何時も事後処理だ。何故、事前に手を打とうとしない?」

「天使病の真実……貴殿なら理解している筈だが」

「この世に揺蕩う神秘の残滓……霊子型ナノマシンが君達の宗教観でいう七つの大罪を犯した人間に感染、発症する不治の病だろう?」

 

 カールは嗤う。

 

「レオン君、私は明けの明星から天使病の真実を聞いている。私の気持ちが、君にはわかるかい? わからないだろう。信仰者でもない者が天使病に対して何を思うのか……」

「……」

「天使の残滓? 強制的な秩序統制? 唯一神が遺した呪い? ……聞けば聞くほど馬鹿馬鹿しい」

 

 カールは溜まりに溜まった鬱憤を吐き出す。

 

「真実を知る前から思っていた。何故神に祈るのか? 何故、会った事もない存在を敬わなければならないのか?」

 

 神に対する明確な敵意が現れていた。

 

「神とは、強大な力を持つ「だけ」の愚かな存在だよ。……唯一神、奴が最終的に残していったものは何だ? 希望か? 秩序か? いいや違う、呪いだ。天使病という、訳のわからない呪詛の理だ 」

 

 カールは眉間に青筋を立てる。

 誰よりも合理的で、誰よりも優しい「人間」であるが故に……

 

「天使病に明確な治療方が無いというのなら、作るまで。我々は何時か必ず天使病を克服する。そして後に解明し、利用しよう。全ては、人類の繁栄のために」

 

 彼は彼ならではの答えを導き出していた。

 それは浅はかな野望などではない。確固たる「正義」を伴った理想である。

 

 しかし天使殺戮士のリーダー、レオンは首を横に振った。

 

「……我々と貴殿は相容れない。絶対にだ」

「わかってくれて嬉しいよ、レオン君」

 

 レオンは席を離れる。

 ミス・虎を連れて、会場から出ていこうとしていた。

 

「最後に、これは忠告だ。カール殿」

 

 レオンは立ち止まり、振り返る事なく告げる。

 

「あまり、人間を愛しすぎないほうがいい……天使病がどういうものなのか、今一度考えてみたまえ」

 

 レオンは硬質な足音を立てて去っていく。

 ミス・虎は艶然と微笑みながら一礼すると、彼の背中に付いていった。

 

 やれやれと肩を竦めるカールに対して、付き添いであるサイスが訝し気に聞く。

 

「よかったのですか、みすみす逃がして……」

「いいのだよサイス君。この場で争う必要はない。今回は魔界都市で決着を付けようじゃないか」

「……わかりました」

 

 渋々引き下がるサイス。

 カールは既に去ったレオンを睨みつける様に出入り口を見つめた。

 

「お互い譲れないものがある……いいだろう、潰し甲斐があるというものだ」

 

 互いに互いの信念の元、今日ここで真世界聖公教会と異端審問会は敵対関係にある事を明らかにした。

 今後は水面下での争いが激化するだろう。

 

(ふぅむ、面倒だね。できる限り、表世界で騒がないでもらいたいものだ)

 

 内心そう思っているのは日本国総理大臣、大黒谷努。

 彼は早々に自国の安全について考えていた。

 

(幸い、どちらも海外に拠点を置いている。火の粉が降りかかる事は滅多にないだろう……万が一の場合はどちらかに相談して上手く流せばいい。合衆国とは友好関係を結んでいるし、真世界聖公教会は話が通じないワケではないからね)

 

 そう考えつつ、大黒谷はチラリとカトリックの最高責任者、ローマ法王を見やる。

 彼は実に穏やかに微笑んでいた。先程からこの笑みを一切崩していない。

 容姿的には七十代前後の好々爺だが……一切油断できなかった。

 

(真世界聖公教会、つまるところプロテスタントは彼等にとって異端者。断罪対象でしかない。異端審問会は言わずもがな……んー参ったね。彼等とはあまり関わりたくないものだ。話が通じなさそうだから……もしもの場合は呪術教会の老害共か、五大犯罪シンジケートのロシアンマフィア、ヒョードル君を頼ろうかなぁ)

 

 各々、思惑を巡らせつつ此度の会議は幕を下ろした。

 舞台は魔界都市に戻って……

 

 天使殺戮士の切り札、ニーナ・イスラエルの命を狙う者が続々と現れていた。

 

 

 

 



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六話「ネオナチスとユダヤ人」

 

 

 魔界都市交通株式会社。

 闇バス、闇タクシーを始めとした魔界都市の運送業全般を取り仕切っている。

 徹底的に中立の立場を貫いており、相手がたとえ五大犯罪シンジケートであろうとも屈しない。

 それは数多の規格外と「契約」を結べているからだ。

 大和をはじめ、アラクネ、その他魔界都市で著名な規格外たち……

 彼等は魔界都市交通株式会社を特別贔屓にしていた。

 

 先程大和が放った雷光剣は中央区を両断し、とある場所までの道程を造った。

 そこは貨物列車の物資供給場、魔界都市交通株式会社の領地である。

 丁度、西区に出発する予定の魔道機関車が準備を終えたところだった。

 

「おう、右乃助! おせぇぞコラ! もう出発しちまうからな!」

「急かすな、参碁(さんご)。遅刻したわけじゃねぇだろう」

 

 運転室から顔を覗かせた勝ち気な美女に、右乃助は眉をへの字に曲げる。

 

 彼女は魔道機関車の運転手、参碁。

 容姿はタオルに巻かれた桃色の長髪、明るい笑みが似合う顔立ち。タンクトップの上からでもわかる豊満な乳房は汗で蒸れ、その輪郭を露にしている。しかしそれは彼女が誇る筋肉も同様だ。

 バキバキに割れた腹筋、岩石の様な肩。胸と顔を見なければ確実に男だと勘違いしてしまうだろう。

 しかも右乃助と同じ位のタッパと……色気より雄々しさが勝っている。

 

 右乃助は後ろに振り返る。

 そして護衛をしてくれた眼鏡美少女……黒兎に礼を言った。

 

「サンキュー、助かった。何回かスナイパーに狙われて、肝を冷やしたぜ」

「お礼ならネメアさんに……と言いいたいところですが、貴方からの感謝は素直に受け取っておきましょう」

 

 珍しく柔らかい笑みをこぼす黒兎。

 しかし次には細い眉をひそめた。

 

「本当は南区までお付き合いしたいのですが……申し訳ありません。お店のほうを疎かにできなくて」

「いいや、十分だ。ありがとう」

 

 右乃助は手を差し出す。

 黒兎は表情を和らげて、握手で応じた。

 

 右乃助は次に彼女の胸元に収まっている三毛猫を見つめる。

 

「ミケもサンキューな。緊急の依頼なのに受けてくれて」

「ニャハハ! お礼は無用ですぜ! そーいう諸々を含めた依頼料を頂いているんで! あっしはお仕事をしただけでさぁ!」

「そうか……帰り道も黒兎ちゃんと一緒にいろよ。もしもの事があっても、ゲートにいれば安全だ」

「あいあいさー! あと右乃助の旦那!」

「ん?」

 

 ミケはメモ用紙を紙飛行機にして飛ばす。

 受け取った右乃助は内容を確認すると、サングラスの奥にある碧眼を細めた。

 

「……OK、わかった。これはサービスか?」

「サービスでっせ! 好運を祈ってやす!」

「サンキュー。……じゃあな、二人とも」

「はい、御武運を」

 

 黒兎はぺこりと一礼すると跳躍、魔界都市の摩天楼へと消えていく。

 右乃助は再度メモ用紙を確認し、次に自身の腕時計を見つめた。

 

 大きく頷くと、既存のメンバーに告げる。

 

「よし。取りあえず車両に乗ろう、話はそれからだ」

 

 一同は頷き、貨物列車の一両目に配置されている特別乗客車両へ乗り込む。

 それを確認した参碁は高らかに発進の宣言をした。

 

「点検完了! 積み荷の確認もオーケー! 燃料満タン! 今日も絶好調! 行くぜ! 魔道機関車、発っ進!!!!」

 

 瞬間、轟音と共に蒸気が吹き上がる。

 あまりの音量に思わず飛び上がってしまったニーナを見て、右乃助たちは腹を抱えて笑ってしまった。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔道機関車はデスシティに存在する車両の中で特に歴史が古く、そして頑強な代物だ。

 元々は中華の秘境、仙界で製造された車両型宝具(パオペイ)

 当時は崑崙山(こんろんさん)金鰲島(きんごうとう)を繋ぐ重用な役割を担っていたが、数百年ほど前に聖仙人と妖怪仙人との間で敵対関係が確立。それに伴う形で一度は役目を終えた。

 しかし魔界都市交通株式会社の代表取締役が残存していた全車両を買収。結果、現在に至る。

 

 魔道機関車は魔界都市の物流の要になっていた。

 

 中央含めた東西南北の区を行き来し、日々大量の物資を運搬している。

 デスシティは超科学と怪奇現象が混同している未来都市……運ぶものは曰く付きばかりで、しかも量も凄まじい。

 魔道機関車でなければ務まらないといっても過言ではない。

 

 機関車重量500トン、動輪上重量450トン。総重量950トン……本来ならば走行する事すら考えられない怪物機関車である。

 

 ニーナ・イスラエルは特別車両に設置されているソファーに跨がり、移ろいゆく魔界都市の情景を眺めていた。髪と同じ明るい茶色の瞳を輝かせている。

 見る分には綺麗なのだろう、魔界都市の情景は。

 

 右乃助は彼女の隣に座りながら柔らかい笑みをこぼしていた。

 付き添い人であるクレフは驚いた様子で車内を見渡している。

 

「この車両は来賓仕様なのでしょうか? とても設備が整っておりますね」

「まぁ、特別仕様だ。なんて事はない、その時魔道機関車に乗る奴はワケありの連中だ。……本来、貨物列車には乗れないだろう?」

「成る程」

 

 勢力が乱立している魔界都市ならではの事情だ。

 クレフは納得する。

 

 高級ソファーにベッド、洗面器、シャワールーム、机や椅子などの家具、料理台、トイレ、更には液晶テレビまで……

 なんなら宿泊できてしまうほどの用品が揃っている。

 

 右乃助は他の面々を確認しつつ、話を切り出した。

 

「そんじゃ、今後の話に移るぜ」

 

 一同の視線が集まる中、右乃助は現状の説明からはじめた。

 

「予定通り、魔道機関車に乗車できた。これは大きい。魔道機関車は元々宝具……中華の仙人が造ったスーパーアイテムだ。近代武装なんて目じゃねぇ。なんなら魔法レベルの攻撃にも耐えられる。更に、線路沿いには超高密度多重障壁が展開されている。これは魔界都市交通株式会社が東区と北区のトップと契約を結べているからだ。余程の事がない限り安全だろう……しかしだ」

 

 右乃助はミケから渡されたメモ用紙を取り出す。

 

「敵さん、マジみたいだ。五大犯罪シンジケートの一角、ルプトゥラ・ギャングの武闘派集団を動かしてる。アイツらは魔界都市でも特にヤバい連中だ。俺たちが一番注意しなきゃならない連中はコイツらだろう」

 

 右乃助は更に続ける。

 

「次に異端審問会だが……こっちはそちらさんでどうにかしてくれるんだろう? クレフさん」

「はい。異端審問会に関しましてはこちらで手を打ってあります。しかし、油断できない相手です」

「まぁ、天使病で強化兵士なんぞ造る組織だ。魔界都市との繋がりも深い。用心に超した事はねぇだろう」

 

 右乃助は次に、口一杯に苦虫を噛み潰した様な顔をする。

 

「問題のネオナチスだ。こればっかりはどうしようもねぇ。奴等は世界滅亡を目論むガチのテロリスト集団……戦力の桁が違う。これに関しては大和たちを頼るしかねぇんだが……悪い報せだ。ネオナチの奴等、師団を最低二つは総動員させたらしい。その内の一つが、歩兵師団だ」

 

 歩兵師団……それを聞いた他メンバーは目を細める。

 ネオナチスの歩兵師団は別名「闇の梁山泊」。超越者になりながら尚も力を渇望している武術家たちの集団だ。

 彼等は望んで修羅道に堕ちた、人の形をした魔人達。殺戮と破壊のエキスパート。

 いざ戦争になれば、敵う勢力など殆どない。

 その気になれば複数の神話を同時に滅ぼせてしまう、第三帝国の戦力そのものだ。

 

 対峙すれば死は確定する。

 だから、大和たちを頼る。

 

 できないものはできない。

 自分達の領分を弁え、できる範囲でベストを尽くす。

 それが右乃助のビジネススタイルだった。

 

 右乃助はため息を吐くと、クレフに申し訳なさそうに聞く。

 

「あまり言いたくはないんだが……ネオナチスが動いたのは、アンタたちの血族が関係している」

「承知しております。……あの魔王めには、一族を滅ぼされかけましたので」

 

 クレフは苦い顔をする。

 二人の話についていけないアモールは、そっと香月に聞いた。

 香月は端的に答える。

 

(ナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺だ)

(あっ……)

 

 察するアモール。

 少しでも歴史を調べていればわかってしまう、ナチス・ドイツの凶行の一つ。

 第二次世界大戦の際、約600万人ものユダヤ人が虐殺された。

 その背景には欧州に元々根づいていた「反ユダヤ主義」が関係しているとされているが、実際は違う。

 ナチスの黒幕が、ソロモンが、徹底的に滅ぼしたのだ。

 ユダヤ人の血に潜む、イスラエルの可能性を……

 

「気軽に触れていい話題じゃないのはわかってる……ただ、アッチが絡んできてる以上無視できねぇ。だから話させて貰った」

「いいえ。そのお心遣いだけでもありがたいです」

 

 クレフは微笑みながらも、暗い表情で話しはじめる。

 

「あの魔王に殺された同胞を思うと、正直やるせません。反ユダヤ人主義はいわば人種差別……歴史を辿れば唯一神教の成立から始まります。ユダヤ人は救世主○○○の啓示を否定するとともに○○○を殺害した特別な民族。神の冒涜者であり、道徳や秩序の破壊者である、とされていますが……全てのユダヤ人が神の冒涜者である筈がありません」

 

 クレフは悲しげに話し続ける。

 

「右乃助様は、ソロモン王の歴史をご存知で?」

「まぁ……仕事柄、調べた」

 

 右乃助は敢えて視線を逸らす。

 クレフは申し訳なさそうに答えた。

 

「ソロモン王は古代イスラエル王国の第三代国王……我々と同じ、ユダヤ人です」

 

 これを聞いた右乃助やパンジー、香月は浮かない顔をする。

 アモールは驚き、サーシュは何食わぬ顔で風船ガムを膨らませていた。

 

「責任は我々にあります。今ここでどう弁解しようとも、世界が我々を許さないでしょう」

 

 イスラエル家が背負う宿業は、途轍もなく大きかった。

 それこそ何千年と続いている「闇の歴史」である。

 

 泣きそうな顔で袖を握ってくるニーナを見つめ、右乃助は乾いた声で言う。

 

「アンタたちの歴史だ。俺が何を言おうとも響かねぇだろう。俺も、大和たちと比べたらまだまだ餓鬼だ。思い浮かぶ言葉にはなんの説得力もねぇ」

 

 しかし……そう言ってニーナの頭を撫でる。

 優しく、慈しむ様に髪をすいてやる。

 

「それでもいい。アンタたちを護るのに「歴史」はいらねぇ。……大丈夫、護ってみせるよ。お前らの事を」

「……っ」

 

 ニーナは涙を流して右乃助に抱きつく。

 右乃助は彼女の小さな背中をさすってやった。

 クレフは多大な感謝をこめて礼をする。

 

「ありがとうございます、右乃助様。……貴方が護衛についてくださって、本当に良かった」

 

 貰い泣きをしてしまいそうなクレフを見て、右乃助は困った様な、照れた様な笑みを浮かべた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ソロモンは西洋の神秘に終止符を打った、一つの歴史の終着点である。

 史実では唯一神から啓示を受けとり、莫大な知恵と共に十個の指輪を授かった。そして「ソロモン七二柱」なる悪魔を使役し、偉大なる魔術王として君臨したとされている。

 

 しかし実際は違う。

 彼は大和やエリザベスと同じく生まれながらの終末論、人類最終試練の一角。

 あらゆる才能に恵まれ、古今東西の叡知に富み、過去未来を見通せる千里眼を保有していた。

 

 そのために人類の愚かさを忌避し、嫌悪し、魔王に至った。

 

 ある意味仕方なかったのかもしれない。

 そうあれかしと生まれてきた彼は、その様になってしまった。

 

 彼は生まれながらに魔導師の冠位資格を持っていた。

 オリジナルの術式「創法」「滅式」を編み出し、十個の指輪に封印した。

 それが「ソロモンの指輪」である。

 そして彼が使役していたとされているソロモン七二柱。いずれも聖書に名を残す大悪魔たちだが、これも少し違う。

 彼は当時、ある魔神と契約を交わしていた。その魔神は嘗て唯一神と互角に渡り合った『異教の神』バアル・アダド。

 

 嵐と雷を司り、天地の支配者としてカナン・フェニキア、エジプト、メソポタミアに至るまで広く崇拝されていた天空神。豊穣神、太陽神、戦神、予言神としての性質も併せ持つ。

 

 魔神王、バアル・アダド。

 

 彼と契約を結んでいた際に起こった事変は、大和たち三羽烏と黄金祭壇のメンバー、そしてインド神話の八天衆が協力しなければ収拾がつかなかった。

 紀元前950年頃に起きた事件である。

 これを期に、西洋の神秘は急速に廃れていった。

 

 閑話休題。

 

 右乃助はニーナを一旦離して、煙草を咥える。

 先端を噛み潰しながら冷静に合理的に、ソロモンという男を分析しはじめる。

 

(ソロモンという男の歴史、第三帝国ネオナチスという組織、そしてミケの情報……成る程。自慢の師団を動かすのに何ら違和感はない。問題は……)

 

 どのタイミングで仕掛けてくるか。

「イスラエル」の覚醒をどれほど拒みたいのか……

 

 深く考える必要はない。広く浅く……

 

 右乃助は複数の問題を並列思考で解決していく。

 そうして生まれた複数の回答を繋ぎ合わせ、あらゆる角度から見つめなおす。

 すると、自ずと筋道が見えてきた。

 

 右乃助は鬱屈げに紫煙を天井に吐き出した。

 

「常に最悪を想定してるんだが、ここまで予想通りだと現実逃避したくなるな……」

「内容の擦り合わせは終わった? ウノちゃん」

「ああ」

 

 パンジーの問いかけに右乃助は頷く。

 

「起承転結、問題なしだ。相変わらず、命の保証はできねぇがな。……もしもの時は指揮を任せたぜ、パンジー」

「任せない。……と言っても、死なないでね?」

「当たり前よ。俺は誰よりも臆病な男だからな」

 

 カラカラと笑う右乃助。

 彼は車窓から魔界都市の情景を眺めた。

 不意に告げる。

 

「……来るな。お前ら、準備してくれ。俺は参碁に話を……」

 

 瞬間、ガラスが砕け散ったかの様な音が響き渡る。

 右乃助は叫んだ。

 

「敵襲だ! お前ら、車両の上に上がれ! 参碁! 聞こえてるか!?」

「おうさ!! ヤベェな!! やっこさん攻めてきやがったぜ!!」

「今のまま、西区のルートで頼む!」

「おうさ!! てか、マジで行くのか!?」

「おう! 俺達は応戦する! なんとか走行を維持してくれ!」

「任せろ!!」

 

 参碁は蒸気機関のシステムを一斉稼働させる。

 高らかに汽笛が鳴り、煙突から大量の煤煙が排出された。

 

 右乃助は簡易的な転移魔法陣で車両の上に行こうとする。

 その際、心配そうに見つめてくるニーナに笑いかけた。

 

「クレフさんと紅茶でも飲んでな。すぐに戻ってくる」

 

 そう言い残し、転移する。

 車両上では既に戦闘が始まっていた。最後尾から凄まじい勢いで襲撃者たちが迫ってきている。

 

 一名は紅蓮を纏った褐色肌の美少女。精霊特有の高度な魔法によって上空をスケーターの様に滑っている。

 多種多様な炎熱魔法を絶え間無く放ってきており、パンジーとサーシュの遠距離コンビが何とか食い止めていた。

 

 もう一名は異形の侍。所々破けた紫色の浴衣、晒されている肉体が鋭利な刃物に変化すると、一瞬で車体をバラバラにする。

 発する猿声は凄まじく、まるで示現流の剣士だ。

 彼を近寄らせてはならないと確信した香月は、縮地を用いて一気に距離を詰め渾身の袈裟斬りを放つ。

 運動エネルギーを全て乗せた斬撃だったが、異形の侍は手の平を刃に変えて受け止めた。

 そのまま凄まじい剣戟の応酬が始まる。

 

 残った右乃助はアモールと共に最後の襲撃者を睨み付ける。

 

 両腕に凶悪な髑髏の刺青を入れた厳つい欧米人……

 彼は右乃助に気安く喋りかけた。

 

「久々だな、右乃助の兄貴。まさかこんな形で再開するたぁ」

「五年ぶりか? マイク。今はルプトゥラ・ギャングの大幹部なんだってな」

 

 先輩後輩の、他愛のない会話だった。

 アモールが目を丸めている中、マイクは右乃助に聞く。

 

「襲撃者が俺たちだってわかってたみてぇだな?」

「まぁな。ミケの情報もあったが、魔界都市でUAV(無人偵察機)を飛ばすのなんてお前らかロシアンマフィアの連中くらいだ」

「クハハっ、さっすが右乃助の兄貴。一切油断してねぇ。ある意味、大和の旦那より厄介だ」

 

 豪快に笑うマイク、右乃助も釣られて笑う。

 爆風と斬撃の嵐が吹き荒れているのに、二人だけは妙に落ち着いていた。

 

 マイクは右乃助に告げる。

 忠告だった。

 

「兄貴、この案件から手ぇ引いてくれねぇか? 俺と部下たちはアンタに世話になった。多大な恩がある。そっちが大人しく引いてくれるんなら、お仲間さんたち全員の命を保証しよう。約束する」

「全員、か……ニーナとクレフさんはどうなる?」

「諦めてくれ。ソイツらが狙いなんだ」

「なら、交渉決裂だ」

 

 右乃助の返答にマイクは目を丸めた。

 

「……アンタは危ない橋を渡らないタイプだと思っていたが、勘違いだったか?」

「間違ってねぇよ。ただ……今回は特別だ」

「HA! …………笑えねぇ冗談だ。まさか俺達に勝てると、本気で思ってんのか?」

 

 マイクは禍々しいオーラを全身から迸らせる。

 彼は超越者……人智を逸脱した魔人だ。

 対して右乃助は人間……最強クラスと言っても、人間だ。

 

 勝ち目はない。

 しかし、勝つ必要はない。

 

「出し抜く事くらいできる。まだまだひよっこのお前ならな」

「言ったな? もう容赦しねぇぞ」

「ご託はいいからかかってこい」

 

 手招きで挑発する右乃助。

 同時に隣にいるアモールに告げた。

 

「援護を頼んだ。あくまで時間稼ぎだ」

「……了解しましたっ!」

 

 アモールは二丁拳銃を取り出す。

 マイクは両腕を広げて臨戦態勢に入った。

 

 激闘のはじまりだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、大和、ネメア、アラクネはゲートで待機していた。

 大和は膝に股がるアラクネを可愛がりながら煙草を嗜んでいる。

 彼は不意に囁いた。

 

「右乃助たちは上手くやってるか……」

「何だ、心配してるのか?」

「馬鹿言え、アレでも魔界都市の住民だ。そう簡単にやられはしねぇよ。ただ……」

「ソロモンか」

 

 ネメアは逞しい腕を組む。

 大和は美麗な眉をひそめた。

 

「ソロモンとユダヤ人、面倒くせぇ組み合わせだ。右乃助もその事はわかってるだろうが……」

「なら大丈夫じゃない? 右乃助なら多少の戦力差くらい誤魔化せるでしょう」

 

 アラクネはその冷たい肌を大和に寄せる。

 しかし大和は眉根をひそめたままだった。

 

「右乃助だけなら、な。護衛対象を含めるとそうはいかねぇ」

「成る程」

「ああ、わかったわ」

「アイツは……少し甘い。それ自体は構わねぇ。だがその甘さに見合った強さがねぇ」

 

 ネメアは同意する。

 

「残酷だが、正解だな。甘さは強さで誤魔化すしかない」

「アンタたち二人がそう言うんだから、そうなんでしょうね」

 

 アラクネは苦笑しつつ、大和の分厚い胸板を撫でた。

 

「ならどうする? 今からでも救援に向かう?」

「急かすな。右乃助は今回の依頼、起承転結までキッチリ仕上げてる。俺達の出番は後半だ」

 

 大和はアラクネの艶やかな髪をすきなから、紫煙を吐き出す。

 すると、背後にあるウェスタンドアが開いた。

 ネメアが休業の看板を置いている筈だが……大和は訝しげに振り返る。

 

 目先には二名の男女がいた。

 一名はまるで天使の様な美女。濡羽色のショートヘアに紫苑色の双眸。高い鼻梁に絹地の如き柔肌。純白の軍服を盛り上げる豊満な肢体はしなやかさを伴った女体の黄金比率。

 容姿的年齢は二十代半ばほどで、思わず平伏したくなる気高さを纏っている。

 

 彼女は桃色の唇を歪めた。

 

「切り札は後半に切りたくなる……勝負事によくある事だ。ああ、すまない。こんにちは、三羽鳥の諸君。此処にいてくれてよかったよ」

 

 彼女の隣にいる魔性の男は、肩を竦めながら告げた。

 

「話し合いをしたい。戦意はない……って、そういうこった」

 

 黄金色の癖のある長髪を腰まで流した美男。

 王族を彷彿とさせる豪勢な衣装を纏った姿はサマになっている。過度に付けた黄金の装飾品も嫌みになっていない。

 2メートル近い長身痩躯の肉体、妖艶な色香を放つ顔立ち。額には六つの刻印。

 

 天狗と天邪鬼の祖神であり東洋を代表する大魔王、『第六天魔王』波旬。

 

 そして七つの大罪の「傲慢」を司る、最古の堕天使。『明けの明星』、ルシファー。

 

 彼女は芝居がかった口調で言った。

 

「単刀直入に言おう。貴様らを買収しにきた。此度の案件、どうしても成功させたいんだ。貴様らの存在が一番邪魔なんだよ」

 

 大和はしっしと手を振るう。

 

「帰れ、今回はそーゆー気分じゃねぇ」

「報酬は準備しているぞ? 話だけでも聞いてくれないか?」

「だから」

「依頼なら女子供、友人、弟子、血縁者であろうとも殺す……貴様はそういう男だ。大和」

 

 そう言われた大和はルシファーを睨み付ける。

 彼女は大袈裟に両手を広げた。

 

「筋が通っていないぞ? 私達は貴様を頼ると同時に試している……無碍に扱うのか?」

 

 大和は心底嫌そうにしながらも、隣の席を指した。

 

「話くらいは聞いてやる」

「感謝する」

「最悪時間稼ぎでも……とか思ってんだろう?」

「ご明察だ。しかし……この調子だと時間稼ぎ以上の成果が得られそうだな」

「傲慢な糞堕天使め……さっさと座れ」

 

 大和たちの元にも刺客が現れていた。

 

 右乃助たちは無事刺客を躱す事ができるのか?

 大和たちは、買収されてしまうのか? 

 

 

 

 



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七話「誤魔化して」

 

 

 現代から約100年前、十九世紀初期。

 日本は明治時代であり、都会には路面電車が走っていた。が、水は井戸から汲み、明かりは「あんどん」で補っていた。

 何より、第一次世界大戦がはじまる直前だった。

 

 この頃の魔界都市は今よりもテクノロジーレベルこそ劣っていたが、生活水準は高かった。

 電気は勿論、魔術もあった。宇宙人や異世界人との貿易も盛んに行われていた。

 

 この頃の魔界都市は表世界との文明レベルが違いすぎていたため、騒動が絶えなかった。

 物の一つでも表世界に持っていけば各国の勢力バランスが崩れる。それは、近い内に起こる世界大戦に影響を与えかねない。

 

 魔界都市は表世界との繋がりを極力避けた。

 しかし、あちら側から関わってくる。

 当初は住民たちの荷物チェックくらいだったが、すぐに魔界都市専用のパスポートが発行されるようになった。

 両世界の境界線を護る警備も厳重になり、黄金祭壇の魔導師も関わるようになった。

 

 今とはまた違った混沌の時代である。

 

 この時代に『彼』は生れた。

 彼は兎も角暴力的だった。自分の体に流れる父親の……欧米人の血を否定するかの様に暴れ回っていた。

 青年になり、ますます凶暴になった彼は偶然にも魔界都市へ流れ着いた。

 最初は未知の世界に驚きながらも、次第に興奮して片っ端から住民たちに喧嘩を売っていった。

 

 彼には暴力の才能があった。故に喧嘩で全て解決できた。

 相手を殴り倒して、とった金で食べ物を買う……その繰り返し。

 

 しかし数日もすれば悪名が広まる。

 彼は複数の組織の逆鱗に触れてしまい、その日の内に公開処刑される事となった。

 構成員のみならず、殺し屋や賞金稼ぎも駆り出される一大事……。

 しかし、彼は全員殴り倒した。

 

 彼は酔いしれていた。自分の力に……

 俺は強い。誰よりも強い。だから正しい。

 若さ故の暴走を、止められる者はいなかった。

 

 かに思えたが、偶然通りかかった大和に喧嘩を売ってしまったのが運の尽き。

 ボコボコにされた挙げ句、大通りの街灯に縄でくくりつけられてしまう。

 

「自分は悪い子です」という看板とともに……

 

 これが、大和と、右乃助の出会いだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 突風が背中を叩き、殺意が五感を研ぎ澄ませる。

 魔道機関車の車両上で、右乃助たちはルプトゥラ・ギャングの面々と相対していた。

 

 先に仕掛けたのは右乃助だった。

 縮地を用いて踏み込み、マイクに正拳突きを放つ。

 綺麗な空手だった。体幹が全くブレていない。

 マイクには右乃助がいきなり目の前に現れた様に見えた。

 顔面に一撃。続いて両鎖骨の沿って四連撃。最後に鳩尾に深く一撃。

 六連正拳突き……かなりの威力だ。手練の者でも重症は免れない。

 しかしマイクは派手に吹き飛びながらも、優々と受け身を取った。

 タンクトップについた埃を払う。

 

「流石だな。本当にAクラスなのか疑いたくなるぜ」

 

 マイクは腰に嵌めていた大振りのサバイバルナイフを抜き放ち、最小限の動作で振るう。

 

 右乃助の左腕が飛ぶ。

 血飛沫が噴く中でも、両者は至って冷静だった。

 

「でもまぁ、今のを避けられねぇって事はやっぱりAクラスだな。安心したぜ」

「そうかよ」

 

 実力差は歴然だった。今の抜き打ちでわかってしまう。

 しかしマイクは何故か怪訝な面持ちをした。

 

「……どういう事だ? 何で倒れねぇ」

「腕の一本飛ばされたくらいで倒れるかっての、舐めてんのか?」

「そうじゃねぇよ。ったく、相変わらずピエロだな。……俺はナイフの刀身にありったけの状態異常魔法を付与してる。モロに食らった筈だ。何で倒れない」

「自分の頭で考えろ」

 

 右乃助は瞬く間に左腕を再生させる。そして間髪入れずに飛び蹴りを放った。

 マイクは舌打ちしつつも避ける。すれ違い際に右乃助のアキレス腱を断ったが、平然と立ち上がられた。

 

 マイクは答えを導き出す。

 

恩恵(ギフト)の形をした術式付与……アラクネの姐御か」

「正解」

 

 右乃助と、そしてアモールが前後で回し蹴りを放つ。

 マイクは仕方無く両腕でガードした。

 奇襲に近い形だったが、マイクは冷静さを失っていない。

 

(ゴマンといる不老不死の中でも「異質」と謳われているアラクネの姐御の体質か。チッ……面倒だな)

 

「それなら、ネタばらしは早々にしようぜ」

「ッ」

 

 マイクは右乃助たちが知覚できない速度で刃を振るう。

 しかし強固過ぎる障壁によって阻まれた。

 

「ネメアの旦那も、勿論関わってるよな? 内容は任意結界と膂力・五感の強化。アラクネの姐御は不老不死の体質と毒に対する完全耐性と……はー余念がねぇ」

 

 マイクはしかし、不気味に嗤う。

 

「大和の旦那は術式付与に関与してねぇみたいだな?」

「……」

「まぁ、あの人は闘気使いだから術式付与なんてできねぇだろうが……」

「何が言いたい?」

「兄貴……あんま、あの人を頼り過ぎないほうがいいぜ。何時か裏切られちまうぞ!」

 

 豪快な蹴りが炸裂する。

 右乃助は両腕でガードするも、骨まで軋んで顔を歪めた。

 なんとか堪えながら笑い返す。

 

「テメェは何もわかってねぇ。大和の事も、この都市の事も……まだ十年もこの都市で生活してねぇクソ餓鬼が! ナマ言ってんじゃねぇ!」

 

 右乃助は蹴りを返す。

 凄まじいも威力であったため、マイクは油断なく両腕で受け止めた。

 

 

 ◆◆

 

 

(兄貴の手札……まだあんな。心理戦を制してこその戦いなんだが、如何せん相手のほうが上手。下手な真似ができねぇ。墓穴を掘る羽目になる)

 

 マイクは考察する。

 

(……ゴリ押し、か。こうなってくると)

 

 決して右乃助たちを侮っているワケではない。

 むしろ正確過ぎるほど彼我の実力差を理解している。

 だからこその結論……

 

(……しゃあねぇ。迷ったら負けだ)

 

 マイクは一旦戦場を見つめ直す。

 イフリートはパンジーとサーシュのコンビに手を焼いていた。

 狂十郎は香月に押さえられている。

 

 現状は膠着状態……あまりよくない。

 マイクは動いた。右乃助に豪快に拳を振り抜く。

 右乃助は咄嗟に三戦立ちで受け止めた。

 

 しかしマイクは予め拳に付与していた吸着魔法で彼の体勢を崩す。

 素早くサバイバルナイフを振るって人体の急所をさばいた。

 合計7箇所の急所を一瞬で抜かれ、右乃助は倒れてしまう。

 如何に不老不死の恩恵を与えられようとも、完全ではない。

 彼らは、完璧な不老不死ではない。

 

 マイクは倒れた右乃助から吸着させた拳を離し、足元にある頭を思いきり踏みぬく。

 頭蓋骨が砕ける音と共に脳漿が炸裂した。

 右乃助の首から下は何度も痙攣し、次第に動かなくなる。

 完全に息の根を止めた。

 

 念のため、マイクは足元を確認する。

 その背後には修羅の形相のアモールが迫ってきていた。

 涙を流し、雄叫びを上げる彼女をマイクは一瞥すらしない。

 振り返らずにアモールの下腹部をサバイバルナイフで貫く。

 激痛で顔を歪めながらも蹴りを繰り出そうとしている彼女の、顎から脳髄までをナイフで突き上げる。そして頸椎ごと頭をひっこ抜いた。

 可憐だった顔が天高くに掲げられる。

 アモールだった首無し死体もまた、車上に横たわった。

 

 マイクは殺した二名を確認する。

 完全に死んでいる。仮死状態ではない。復活する兆候も見られない。

 

 死からの蘇りは黄金祭壇の魔導師でも困難を極める。

 あの大和でも死んでしまえば為す術が無いと言われているほどだ。

 死とは、生物にとって絶対の理である。

 

 他の面々もケリがついていた。

 イフリートは精霊王の力を解放し、パンジーとサーシュを纏めて焼き尽くす。

 狂十郎もまた香月を一刀両断、トドメに頭を切り刻んでいた。

 

 殲滅完了……

 濃密な血臭が突風に飲まれて薄れていく。肉の焦げた臭いもまた同様だ。

 足元に散らばる臓物を一瞥したマイクは、呑気に欠伸をかいているイフリートに告げる。

 

「死体が残ってる奴等を念入りに焼いておいてくれ。骨も残さずにな」

「んー? 大丈夫じゃない? 確実に殺したっしょ。精霊王の力を解放してるけど、蘇生の術式とか見られないし」

「俺も魔眼を使ってる。だが、念のためだ」

「かーっ! ダル! まぁいいけど」

 

 イフリートは言われた通りに残っている死体を焼く。

 骨も残さず灰になったところを確認して、マイクは漸く安堵の溜め息を吐いた。

 

 しかし、まだだ……

 

「!?」

 

 最初に反応したのはマイクだった。

 右乃助という男をある程度理解しているからこそ、反応できた。

 何もない空間から突如として現れた拳打、蹴撃、爆炎、魔弾、そして斬風の嵐。

 イフリートと狂十郎はモロに食らってしまい、車両上から弾き出される。

 マイクは防御に徹する事でなんとか堪えた。

 

「FUCK……! だからアンタとやり合うのは嫌なんだよ! 一体どうやって戻ってこれた! 地獄から!」

 

 死んだ筈の右乃助たちが現れる。

 まだ、戦いは終わっていなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 マイクは予期せぬ事態に陥っても、まだ冷静だった。

 

(蘇り……スペルを変えれば『黄泉帰り』。魔導師でも死霊術や禁術系統をマスターしてなければできねぇ超高等術式だ。……どうなってやがる。そもそもだ)

 

 自分もイフリートも見抜けなかった。

 疑問が尽きない。

 彼は一度、現場で起こっている事を整理した。

 そしてある事に気付き、喉を鳴らす。

 

「大和の旦那からの術式付与……いいや、術式『譲渡』か。蘇生というより、そのまま「戻ってきた」感じだな」

「どうだかな! テメェに教える義理はねぇよ!」

 

 マイクに渾身の連撃を浴びせる右乃助。

 アモールや香月を含めた総攻撃であるため、流石のマイクも押されて吹き飛ばされてしまう。

 

 右乃助たちは一斉に車両の先頭、操縦室へと避難した。

 

「参碁! 今だ! 今しかねぇ! かっ飛ばせ!」

「ったく!! 綱渡りしすぎなんじゃねぇか!? ちったぁ落ち着かせろや!!」

 

 参碁は操縦席にある巨大なレバーを引く。

 すると、魔道機関車が時空間を歪めて姿を消した。

 長距離瞬間移動……魔道機関車に搭載されている機能の一つである。

 魔道機関車に乗車している存在のみが対象になるため、マイクたちは必然的に弾き出された。

 

 何も無くなった線路の上に着地したマイクは、一度奥歯を噛み潰す。

 しかしすぐに右乃助たちを追跡した。

 滑空している無数のUAV(無人偵察機)から情報を引き出し、即座に居場所を特定する。

 

 ここで、漸く追い付いてきたイフリートと狂十郎。

 マイクは大声で叫んだ。

 

「お前ら!! なりふり構わずにあの糞野郎共を止めろ!! アイツら……那羅柯(ならか)山脈に向かってやがる!!」

「「!!」」

 

 那羅柯山脈……その地名を聞いた二名が露骨に顔をしかめた。

 マイクは両足に力を込めて跳躍の姿勢をとる。

 太股の筋肉がありえないほど肥大化していった。

 

 マイクは跳んだ。

 数百キロメートルも先にいる右乃助たちと一気に距離を詰めようとしていた。

 

 一方その頃、右乃助は小さく安堵の溜め息を吐いていた。

 しかしすぐ緊迫した面持ちに戻る。

 

「なんとか出し抜けたな……しかし相手はその道のプロフェッショナル、必ず追ってくる。那羅柯山脈に辿り着くまであと少しだ。堪えてくれ」

 

 一同は頷く。

 現在、魔道機関車は那羅柯山脈と中央区を繋ぐ大橋を渡っている。

 橋の下はマリアナ海溝より深いと言われている「黄泉の坂」。一度落ちれば二度と戻ってこれないといわれている。

 

 前方に見える瘴気に包まれた山脈……あそこに入れば如何にルプトゥラ・ギャングと言えども追ってこれない。

 東西南北中央区でも三ヶ所しかない「特別指定危険地帯」。

 魔道機関車でも南区への荷物運搬の際にしか通らない、超危険スポット。

 今回はたまたま目的地が南区にあったから利用できた。

 

 マイクたちも既に気付いているのだろう。

 案の定、稲妻の様な殺気を背後に感じて、右乃助は車両の上へと飛び移る。

 

 風の流れで何が来るのかを悟ると、下の車両の連結を解いた。

 手刀で真空刃を発生させ、無理矢理積み荷を離す。

 後で参碁に文句を言われるかもしれないが、やむ無しだ。

 

 右乃助は両足の親指に力を込めて体を固定する。

 眼前に、超高層ビルすら越える高さの斬月波が迫ってきていた。

 一直線に、中央区から、此処まで迫ってきている。

 マイクの仲間である異形の剣士、狂十郎が放ったものだろう。

 余裕で大陸を両断できる威力があった。

 既に橋を破壊して、積み荷を吹き飛ばして、目前まで迫って来ている。

 

 右乃助は独特の呼吸法、息吹(いぶき)で精神統一と肉体強化を同時に行うと、斬月波を真剣白刃取りで受け止めた。

 あまりの威力に体ごど車両が浮くが、震脚を鳴らしてなんとかバランスを整える。

 そのまま叫んだ。

 

「香月! 横から支えてくれ! 参碁は走行を止めて操縦に集中しろ!」

「! わかりました!」

「そういう事か! わかったぜ!」

 

 二名は即座に行動に移る。

 香月は右乃助の横に並んで斬月波を太刀で打った。

 撃つのではなく、打つ。

 右乃助の邪魔にならない様に、絶妙な立ち位置で受け止め続ける。

 

 参碁は動力源を緊急停止。いきなり停車させた事で荒れるエネルギーを水蒸気として車輪から噴出させる。

 同時に搭載されている仙術製特殊合金装甲を開放……耐久力と重量を最大まで上げる。

 本来の姿を現した魔道機関車は正に鉄塊……各所に設置された噴出口から再度水蒸気を噴き出す。

 

 右乃助の狙いは斬月波のエネルギーを利用する事での那羅柯山脈への高速突入だった。

 凄まじい速度で那羅柯山脈に向かっていく右乃助一行に、マイクはいい加減堪忍袋の緒を切らす。

 

「調子に乗ってんじゃねぇぞ……!!」

 

 現在地は対岸。今から飛んでいっても間に合わない

 マイクは激怒しながらも、冷静に、今できる事を考える。

 

「……術式展開・第六禁術『見えざる手』」

 

 術式を編んで、思いきり手を引く。

 すると、右乃助の隣で狙撃銃を構えていたアモールが車外へと放り投げられた。

 まるで、何かに引っ張られた様に……

 

 マイクの会得している禁術の一つだ。

 自身の視覚範囲内に他者が視認できない腕を召喚し、自在に操る。

 一見地味な能力だが、使い方によっては凶悪な力を発揮する、マイクらしい魔法だ。

 

 アモールは黄泉の坂へと落ちていく。

 底が無い常闇の谷……落ちれば二度と戻ってこれない。

 

「あっ……」

 

 アモールは反応できなかった。

 狙撃銃のスコープを覗いていたため、対応できなかったのだ。

 右乃助はすかさず叫ぶ。

 

「サーシュ! 俺と変わってくれ! パンジー! 足場頼んだ!」

「おっけー♪」

「任せなさい!」

 

 サーシュは二丁拳銃から禍々しい銃剣(バヨネット)を生やして右乃助と場所を交代する。

 

 右乃助は迷わず飛んだ。

 黄泉の坂に落ちていくアモールを抱き止める。

 そして宙を駆けた。パンジー爆撃魔法を足場にして、上へ上へと走っていく。

 パンジーの繊細無比な爆撃魔法と右乃助の百戦練磨の経験があってはじめて成り立つ絶技だ。

 

 マイクは見えざる手を無数に召喚し、イフリートは絨毯爆撃を仕掛ける。

 右乃助はそれらを辛くも躱していた。

 

 しかし途中で見えざる手の一つに掴まれてしまう。

 そのまま、焔の海に呑まれていった。

 

「ウノちゃん!」

「師匠ォ!!」

 

 パンジーと香月の悲鳴が重なる。

 イフリートによる焔の上位魔法だ。右乃助が耐えきれるものではない。

 そう、本来ならば……

 

「~~~~ッッ」

 

 ネメアとアラクネの術式付与があって、何とか耐えられた。

 掴まれていた左腕は千切って捨てている。

 全身に大火傷を負いながらも、彼は諦めていなかった。

 

 パンジーはすかさず足場作成に徹する。

 香月は唇を噛み締め、サーシュに吠えた。

 

「サーシュ! 師匠の援護を頼む! こちらはもう十分だ!」

「オッケー♪」

 

 サーシュは体を入れ換え、片膝立ちで二丁拳銃を連射する。

 霊的な存在にもダメージを与える特殊な魔弾で見えざる手と火炎魔法の軌道を逸らす。

 香月は未だ勢いある斬月波を渾身の斬り上げで弾き飛ばした。

 斬月波は空中に向かい、曇天を真っ二つに裂く。

 

 彼女は後転して着地すると、形振り構わず右乃助の方に振り返る。

 丁度、帰還を果たしたところだった。

 

「師匠……っ!!」

「あ~~ッッ、死ぬところだった……!!」

「キャハハハハ! ウノちゃんしぶと~! ゴキブリみたい! あとクッサ~!! 焼死体の臭いがするし~♪」

「もう! サーシュちゃん言い方! 勘違いされるでしょう!? それよりウノちゃん、ごめんなさい。まだ安心できな……」

 

「いや、もう大丈夫だ」

 

 右乃助は対岸を見つめる。

 真紅のマントが靡いていた。

 

 思わず礼を言う。

 

「ありがとうな……大和」

 

 

 ◆◆

 

 

 纏う威風が違う。存在感がそもそも違う。

 

 マイクは顔中に脂汗をかいていた。

 彼がその気になれば、この場にいる面々は瞬く間に殺されてしまう。

 

 マイクは己に渇を入れる意味合いも含めて笑った。

 

「まるでアクション映画のHEROみたいだぜ?」

「ん? お前には俺がヒーローに見えるのか?」

 

 とぼけた風に聞き返す褐色肌の美丈夫。

 漏れ出す色香は魔性のもので、イフリートは顔を蕩けさせて頬を撫でていた。

 狂十郎は鋭い目を細めて一歩踏み出す。

 しかしマイクがすかさず手で制した。

 

 彼は当たり障りない言葉を返す。

 

「そーゆー風に見えるぜ。少なくもと俺にはな……アンタは情で動かない人だと思ってた。まさか、ルプトゥラ・ギャングと異端審問会が合同で出した報酬を突っぱねるたぁな」

「んなもん単純だ」

 

 大和は笑う。

 男の薫り溢れる笑みだった。

 

「普段ビビりなダチが命張ってんだ……こーゆー時くらい助けてやんねぇとな」

 

 単純で、ある意味「らしい」理由だった。

 マイクは表情を露骨に歪める。

 

(異端審問会に期待するんじゃなかったぜ。なぁにが傲慢を司る大魔王だ……ルシファーの腐れアバズレ。まるでわかってねぇ。この人が敵か味方かで、勝敗が決定するんだぞッ)

 

 右乃助は場の流れを読み、それに乗ることに長けている。

 対して大和は場の流れを自ら造り出し、運命を捻じ曲げる。

 

 魔界都市が誇る最強無敵の男は右乃助側に付いた。

 事態は一転し、そして二転三転と繰り返す事になる。

 

 まだ、逃走劇ははじまったばかりだ。

 



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八話「抑え組」

 

 

 青年……まだ名前もなかった右乃助は、当時初めて敗北を味わった。

 殺されたほうがマシだった。

 最後まで子供扱いされた右乃助は、羞恥と憎悪で気を狂わせた。

 

 それから何度も喧嘩を挑み、何度も殴り倒された。

 実力差は歴然だった。大和は世界最強の武術家で、勝てる筈がない。

 しまいには、右乃助がボコボコにされるのが当時の魔界都市の日常になっていた。

 

 ある日の事である。大和は気だるげに彼に聞いた。

 

「物覚えのわりぃ餓鬼だ。まだ犬の方が頭が回る」

「アア゛!?」

「喚くな。……ったく、今日で何回目だ」

「72回目だ馬鹿野郎!!」

「足し算はできんのか」

「ブッ殺してやる!!!!」

「うるせぇ」

 

 頭に拳骨を叩き落とされ、顔から地面にめりこむ右乃助。

 地割れが幾重にも奔り、大きな地震が発生する。

 右乃助はそのまま動かなくなった。

 

 やれやれと肩を竦める大和の横からクールな美女が現れた。

 背中まで伸びた黒髪、ブラウン色の瞳。漆黒のロングコート……朧氷雨だ。

 大和のファースト幼馴染みであり、世界最強の異能力者。

『調停者』の異名を持つ、大和と同格レベルの規格外である。

 

「あらら、また潰しちゃった。毎日来るわね、その子。私がこの都市に滞在してる間に顔を見なかった事がないわ」

「もうそんなに経つのか……」

「殺さないの? 珍しいわね。アンタが餓鬼の喧嘩に毎日付き合ってあげるなんて」

 

 大和は苦笑をこぼした。

 

「俺も驚いてるぜ。自分がここまで辛抱強いとは思わなかった。だが……改めて考えてみるとコイツを気に入ったのかもしれねぇ。諦めの悪い餓鬼は、嫌いじゃねぇ」

「フフフっ」

「ハッ」

 

 二人で笑いあう。

 幼馴染み同士の、緩い空気が漂った。

 

 大和はしゃがんで右乃助の尻を叩く。

 反応が無かったので、その腰に手紙を巻き付けた。

 氷雨は不思議そうに腰をおる。

 

「何してんの?」

「現、四大魔拳の佐久川源二(さくかわ・げんじ)にコイツを預けようと思う」

「サクカワ……ああ、琉球の!」

「今は沖縄な」

「まぁいいじゃない。で、どうしていきなり?」

「なに、コイツの将来性を考えてな」

 

 大和は右乃助を見下ろす。

 

「名無し、家族無し。だが才能も根性もある。育て方次第で化けるだろう」

「ふぅん……それで、四大魔拳のサクカワってわけ?」

「そうだ。弟の方だが、弟子を欲しがってた。やんちゃで、頑丈で、何より根性のある餓鬼を……コイツが丁度いい」

 

 氷雨は怪訝な眼差しを大和に向ける。

 

「アンタが育てればいいんじゃない」

「いいや、俺が育てるのは勿体ねぇ。知識を付けて、肉体を鍛えて、精神を養えば、きっとイイ男になれる」

 

 大和は両切りの煙草を咥え火をつけ、濃い紫煙を吐き出した。

 

「……コイツとは、いい友達になれそうな気がするんだよ」

 

 

 ◆◆

 

 

 乾いた風が吹いた。

 気味の悪い風である。

 

 大和は橋の残骸の上に座っていた。

 マイクたちの前で優々と煙草を吸おうとしている。

 オイルライターで火を付けようとすると、甘い声がかかった。

 

「大和さまぁん♡ そんな汚い火を使うくらなら、私のを使ってください♡」

 

 何時の間にか大和に近寄り、指先に火を灯しているイフリート。

 大和は火を付けて貰うと、彼女に柔らかい笑みを向けた。

 

「サンキュー、イフリート」

「はぅぅっ、名前を覚えていただけているなんて……っ」

「何度か夜を共に過ごした仲だろう?」

「はわわ~~っ♡」

 

 イフリートはメロメロになっていた。

 

 マイクは思わず舌打ちする。

 イフリートは大和に懸想している。

 それも、辟易するレベルでだ。

 

 ここに来て、最悪の展開になってしまった。

 

 大和は膝を叩いてイフリートに座るよう促す。

 イフリートは感極まるといった様子で膝上に座った。

 イフリートの身長は150センチほどで、大和からすれば幼子に等しい。

 

 彼はイフリートの黄金色の長髪を指ですく。

 

「今回はルプトゥラ・ギャングの依頼か?」

「はいぃ……♡」

「フフ、可愛いやつ……」

 

 低く甘い声音は、イフリートの理性を容易く溶かしてしまう。

 

「この後、どうするんだ? こういう場合の作戦は、もう考えているんだろう?」

「それは……ああん♡ そんなっ、強く抱き寄せられると♡」

「少しだけでいいから教えてくれよ……な?」

 

 耳元で囁かれ、イフリートは口を開こうとする。

 が……迫ってきていた不可視の腕を大和は掴んで止めた。

 彼はマイクにからかう様な視線を向ける。

 

「そう慌てんなや、マイク」

「勘弁してくれ、旦那……っ。こっちは仕事でやってんだ」

「奇遇だな、俺もだ」

「ッ」

「いいから話せや、楽になるぜ?」

 

 しかし、マイクは不敵な笑みを浮かべた。

 

「俺も一組織の幹部なんでね……そう易々と情報は売れねぇ」

「いい度胸だ」

「アンタに歯向かえる度胸も、時には必要なんだよ……」

 

 マイクは腰のホルスターに手を伸ばし、サバイバルナイフの柄を握る。

 

「本気になれば、アンタを数分は止められる」

「……」

「その数分が、右乃助の兄貴たちの命運を左右する……それでもやるかい? 旦那」

 

 マイクから挑発を受けて……大和は笑った。

 不気味な笑みだった。

 

「だったら、トランシーバーじゃなくてナイフを握るんだな」

「…………」

「啖呵の切り方、言葉選び、どれも一流だ。しかし、まだまだ」

 

 大和はイフリートの頭を撫でる。

 

「いけ。テメェらに用はねぇ」

「……殺さねぇのか? 俺達を」

「殺しても殺さなくても結末は変わらねぇよ。お前らはこの物語を構成する歯車の一つでしかねぇんだ。無論、俺もな」

「……後悔するぜ」

「しねぇよ、んなもん」

 

 マイクは眉間に特大の皺を寄せると、隣にいる狂十郎の肩を叩く。

 次にイフリートを睨み付けた。

 イフリートは鼻で笑い返すと、うって変わって乙女の顔で大和に言う。

 

「大和様……またいずれっ」

「今夜、生きてたら可愛がってやる。約束だ」

「~っ♡ はい、精一杯頑張りますぅ♡」

 

 マイクは転移魔法陣を描きながら、大和を睨みつけた。

 

「敵に塩を送ったり、見逃したり……アンタは一体、何がしたいんだ?」

「ナイショ」

「……」

「精々頑張れよ」

「……チッ」

 

 盛大に舌打ちをすると、マイクは狂十郎とイフリートを連れて転移魔法陣で消えていく。

 

 それを見送った大和は、咥えている煙草から紫煙を吐き出した。

 

 何かが接近してきている。

 空気が変わった。

 

 最初に反応したのは野生動物たちだった。

 自然は天変地異が近付くとすぐに調和を崩す。

 

 魔獣や妖魔、怪虫らが一斉に騒ぎだす。

 現場から少しでも遠くへ離れようとしている。

 大通りを駆け回る妖魔の群れ、曇天を覆わんばかりに群団移動する肉食怪虫……

 ワイバーンや精霊たちも騒ぎはじめ、いよいよ住民達も慌てだした。

 感覚に優れている者たちは迫り来る「驚異」をいち早く察知し、表世界へと逃亡する。

 中には別次元の異世界に転移する者もいた。

 

 稀に見る大騒動……そういった沙汰に慣れている筈の住民たちでこれだ。

 世界中に散らばっている規格外たちも、事の大きさを理解した。

 

 ──第三帝国ネオナチスが、動きはじめた。

 

 大和の眼前に、歩兵師団の隊員が「全員」顔を揃えていた。

 見事な金細工の施された漆黒の軍服、コート。髑髏のエンブレムが付いた軍帽に、鉤十字(ハーケンクロイツ)が描かれた真紅の腕章……

 各々服装が微妙に異なるものの、成る程……魔界都市が騒がしくなるのも頷ける。

 

 ネオナチス歩兵師団。別名「闇の梁山泊」。

 武術は効率的な殺戮術であり、活人など綺麗事でしか無い──そう豪語する血気盛んな560名の武人達で構成されている。

 師団としての規模は最小だが、一名一名が神仏の権能を無効化できるほどの闘気と想像を絶する武技を身に付けている、真性の武闘派集団だ。

 

 大和はわざとらしく両手を広げる。

 

「これはこれは、随分と豪華な顔ぶれだ。おっかなくてチビっちまいそうだぜ」

「冗談はよせや、大和」

 

 出てきたのは、黒のざんばらば髪に無精髭を生やした野性的な男だった。

 容姿的年齢は三十代後半ほど。粗野だが野卑ではない。その肉体は親衛隊の制服の上からでもわかるほど鍛え抜かれており、碧眼に宿る闘志はまるで地獄の業火の如く。手には禍々しい魔槍が握られていた。

 

 彼は槍術のみならば確実に大和を超えている、真の達人。

 歩兵師団大隊長。世界最強の槍術家「三本槍」筆頭。

「魔槍」のヴォルケンハイン。

 

 彼は大和に聞いた。

 

「で……やんのか? 俺達と」

「やるしかねぇだろう」

 

 大和はゆっくりと立ち上がった。

 

 

 ◆◆

 

 

 所変わって、大衆酒場ゲートでは……

 魔王ルシファーと魔神第六天波旬はその場で封印されていた。

 誰でもない、ネメアによって……

 

 ルシファーは可笑しそうに笑う。

 

「流石だな、人類の守護者。まさか我々が何も出来ずに封印されてしまうとは」

「無警戒に俺の店に入ってきたのが間違いだったな」

 

 ネメアはカウンターに座り、煙草を吹かせている。

 波旬は「参った」と豪快に笑った。

 

「俺達だけならまだしも、配下の堕天使や魔神も纏めて封印されるたぁな! カッカッカ!」

「おかげで今夜は満席だ。大人しく座っていたら客人として扱おう。料理や酒も振る舞うぞ」

「そりゃあいい! 是非頼むぜ!」

 

 手を叩いて喜ぶ波旬。

 ネメアの言う通り、店内は魔神や堕天使で満席状態になっていた。

 最低でもSSクラスの、そうそうたるメンバーである。

 ネメアが無理矢理座らせているのだ。

 

 ルシファーは珍しく眉間に皺を寄せる。

 

「真面目にやってくれ、波旬。我々は捕われているんだ。目的もある。脱出する気概を見せてくれ」

「さっきからやってるっての。でも悲しいかなぁ、ネメアとの相性は最悪……どうしようもねぇ。だから諦めた! ネメア! 特上天丼と刺身の盛り合わせ! あと適当に日本酒を頼む!」

「あいよ」

 

 波旬の開き直った態度に、配下の魔神や天狗たちも感化されはじめた。

 次々にオーダーが入り、待機していた黒兎が警戒する。

 

 そんな彼女の肩を、ネメアは優しく叩いた。

 

「安心しろ。波旬にしろ他の魔王にしろ、単純で気のいい奴らだ。敵対しなければ問題ない」

「ですが……」

「まぁ、堕天使の連中は違うだろうがな」

 

 案の定、堕天使たちは警戒していた。

 少しでも隙を見せれたら……といった面持ちをしている。

 ネメアは面倒臭そうに紫煙を吐き出した。

 

「生来の生真面目さか。中々どうして厄介なものだ」

 

 堕天したとは言え、元は聖なる存在の代名詞。

 手を焼かされる。

 

 ネメアはカウンター席に座っている浴衣姿の猫又に言った。

 

「ミケ、お前も何か頼め。今回は奢ってやる」

「本当ですかい!? なら特上ねこまんまと冷たい烏龍茶をお願いしやす!!」

「わかった」

 

 ネメアは最後に、苦い顔をしているルシファーを見つめた。

 

「お前も何か頼め、ルシファー」

「はぁ……全く、敵わないよ。長年酒場の店主をしていたからか? 以前よりも心の機微に敏くなっているな」

「何時までも無愛想な戦士でいるワケがないだろう」

「ふむ……こうなるなら、もっと早く現世に関わっておくべきだった。そうしたらまた違っていただろうに」

「たらればの話をしてどうする」

 

 呆れているネメアに、ルシファーは取り敢えず注文する。

 

「チョコレートケーキはあるか? あと蜂蜜入りのホットミルクを」

「はいよ。少し時間はかかるが、待っててくれ」

「ああ、待つとも。こうなれば、待つしかない」

 

 ルシファーの意味深な言葉に、ネメアは眉をはね上げる。

 

「どういう事だ?」

「そのままの意味だよ。ここで待つ事にも意味がある」

 

 ルシファーは不服そうにしながらも、足を組んでみせた。

 

「勇者王ネメアをこの手勢で抑えている……そう考えれば、意味はある」

「…………」

「貴様は厄介な男だ。下手すれば大和以上に……まともな感性。つまるところの道徳は、我々にとって邪魔でしかない」

「……ふむ」

 

 ネメアは頷くと、腰に手を当てた。

 

「話が長くなりそうだから、俺は厨房へ行くぞ。……オーダーが殺到してる」

 

 ネメアの言葉に、ルシファーは疑問に思い辺りを見渡した。

 波旬たちが、既にできあがっていた。

 

「鬼が鬼神がなんのその!! 最強は俺達天魔族!! 天狗は天地を災い謳え!! 天邪鬼は天地をひっくり返せ!!」

「「「「「「よっ!! 兄貴ー!!!!」」」」」」

「俺様が天丼が好きな理由は~~?」

「「「「「「『天』の文字が入ってるから!!」」」」」」

 

「あたぼうよ!! んでもってネメアの特上天丼は最高だぜ!!」

 

「海老はデケェしプリっプリ!!」

「かき揚げはサクサクフワっフワ!! 野菜の甘さが滲み出る!!」

「キスの淡白な味が甘めのタレとマッチ!!」

「穴子なんて口ん中に入れたら崩れちまう!!」

「かぼちゃも春菊も最高なんだよ!! 素材の味が完璧に生かされてやがる!!」

「白米がすすむ!! どんぶりから手が離れねぇ!!」

 

「オウおめぇら!! 全員分頼んだかぁ!?」

「「「「「「勿論だぜ!! アニキぃ!!」」」」」」

 

「よっしゃあ!! 天丼以外にも好きなもん頼め!! 酒も飲みまくれ!! 食って食って飲みまくれ~~!!」

 

「「「「「「ひゅー!! アニキぃぃぃぃぃ!!!!!!」」」」」」

 

 野太い歓声が木霊する。

 ルシファーは思わず天井を仰いだ。

 

「ああ……そういえば、コイツら基本的に馬鹿だった……ッ」

 

 哀愁すら漂うその立ち姿に、ネメアはほんの少し同情を覚えた。

 

 

 



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九話「那羅柯山脈」

 

 

 

 当時の右乃助が送られたのは日本、鹿児島の僻地だった。本人は大和から拳骨を貰って以降記憶が無いので、目覚めた瞬間飛び跳ねる。

 

「ハッハッハ!! まるで野兎だな!! おもしれぇ!!」

 

 呵々大笑が木霊した。

 場所は、頑丈な石橋の下だった。傍には小川が流れている。

 水のせせらぎが耳に入り、カラリと澄んだ暑さが身を包む。

 右乃助……と名乗る事になる青年は、盛大な歯軋りをして目の前の男を睨み付けた。

 

「ここぁ、どこだ? テメェ、誰だ? アイツは、あのクソ野郎は、どこに行ったッ!!」

「質問が多すぎんだよクソ餓鬼が……ああ、いや、これから俺の弟子になんのか。なぁ? 弟子13号」

「俺の質問に答えろッッ!!」

「そうさなぁ……テメェ、前髪が右に跳ねてるから、名前は右乃助(うのすけ)だ」

「だから俺の質問に……ッッ!!?」

 

 顔面に神速の飛び膝蹴りが入る。

 右乃助は小川に吹っ飛んでいった。

 仰向けになって気絶している彼を見て、男はまた笑う。

 

「ハッハッハ! 今ので首が飛ばねぇか! 中々頑丈な餓鬼だ! ……ふん、大和の野郎、中々いいのを紹介してくれるじゃねぇの」

 

 男は右乃助に託されていた手紙を見る。

 そして空いている手で特大の徳利を呷いだ。

 

 彼の名前は佐久川源二(さくかわ・げんじ)

 

 容姿的年齢は四十前半ほど。

 落武者の様な中途半端に禿げた頭、男臭い面。

 服装は漆黒の道着、腰には荒縄を巻いている。

 靴を履いておらず、第一印象は飲んだくれの浪人だった。

 

 彼は無精ひげの生えている顎を擦る。

 

「コイツなら、もしかしたら示現の奴等に通じるかもしれねぇ……前の弟子たちはみーんな叩っ斬られちまったからな!! カッカッカ!!」

 

 佐久川源二。通称「鬼殺しの源二」。

 明治維新以降の、示現流の剣鬼たちが跋扈していた薩摩を修行場にしていた当時の四大魔拳。

 空手道の原点、佐久川寛賀(さくがわ・かんが)の実弟で、より原始的な、喧嘩の延長線ともいえる琉球空手の達人。

 

 右乃助の師匠であり、後の彼の人格を構成した人物である。

 

 

 ◆◆

 

 

 那羅柯(ならか)山脈……魔界都市でも特に畏れられている地帯だ。

 巷で有名な暴力団や犯罪組織も、この地に足を踏み入れようとはしない。

 あの五大犯罪シンジケートですら畏れているくらいだ。

 

 そのワケは、那羅柯山脈という地帯そのものにある。

 

 右乃助一行は那羅柯山脈を横断する手前で緊急停車していた。

 

「あっつつ!」

「動かないでください師匠! 解呪が進みません!」

「全く、無茶して。これじゃあ治療魔法(ヒール)が浸透するのも時間かかるわよ」

 

 右乃助は全身大火傷、左腕を肘から断裂と、重体だった。

 特に左腕は無理矢理引き千切ったせいで骨肉の損傷が激しい。

 更に傷口から高純度の呪いを吹き込まれているため、早急な治療が必要だった。

 

 現在、香月が右乃助の体内に気を巡らせて解呪を行っている。

 パンジーは魔法で全身くまなく治療していた。

 

 右乃助はたまらず悪態を吐く。

 

「マイクの野郎……やってくれたな。一張羅を台無しにしやがって、予備が無かったらすっぽんぽんだぞ! あの恩知らずめ!」

 

 原型を無くした衣服を破り捨て、溶けたサングラスを投げ捨てる。そうして傷だらけの肉体が露になった。

 まだ火傷が治りきっていないため、痛々しい光景である。

 

 アモールはその場にへたり込んだ。

 固まった顔のまま、口を開ける。

 

「ごめんなさい……私が、私が弱いから……」

 

 深紅の瞳が潤む。

 堪えきれなかったのだろう、必死に嗚咽を押し殺している。

 そんな彼女の頭を、右乃助は乱雑に撫であげた。

 

「お前はよくやった。……だから泣くな。泣くのは全部終わってからにしろ」

「はい……っ、私は、まだ未熟者ですっ」

 

 至らない自身を恥じながら、アモールは涙を止められない。

 ふと、右乃助の肩に誰かが抱きついた。

 

 ニーナ・イスラエルだった。

 

 彼女はブラウン色の髪を振り乱し、同じ色の瞳に涙を溜めている。

 右乃助に何かを訴えかけていた。

 

 無茶しないで……と。

 

 右乃助は苦笑して、アモールと同じ様に頭を撫でる。

 

「これが俺の仕事だ。言っただろう? 絶対に護り通すって」

「~っ」

 

 ニーナは右乃助の肩をポカポカ叩く。

 か、次には思いきり抱きついた。

 右乃助は黙ってその小さな背中を擦ってやる。

 

 優しく、尊い時間が流れていく……

 しかし、それを踏み躙る者が現れた。

 あろう事が、彼女は「味方」だった。

 

「あれれ~? らしくないんじゃん、ウノちゃん」

 

 色白の、端整な顔が目の前に現れる。

 その瞳には殺意と狂気が渦巻いていた。

 

 撃ち狂いのサーシュ……

 

 右乃助は咄嗟にニーナを下げる。

 付添人のクレフも彼女を庇う様に前に出た。

 

 サーシュは可笑しそうに笑う。

 

「何時もならこんな危ない橋渡らないじゃん? 私の知ってるウノちゃんは臆病だけど冷酷で、自分の分相応を理解してる『魔界都市の住民』の筈なんだけどなぁ~?」

「……」

「最近、ちょっと甘くなった?」

 

 右乃助はサーシュを睨み付ける。

 怯えているニーナを庇いながら、クレフもまたサーシュを睨み付けた。

 

「撃ち狂いのサーシュ……我々天使殺戮士でその名を知らない者はいません。何せ我らが牧師、ジークの仇でありますから」

「んにゃ? 牧師? ジーク? ……んー?」

 

 サーシュは首を傾げていたが、次にはポンと手を叩く。

 

「ああ! プロテスタントの牧師さんだ! 銀髪で色白の、眼鏡をかけたイケメンくんでしょう! アハハ! 懐かし~! ロンドンの時のだ~!」

「っっ」

「いやぁ~、かっこ良かったよジークくん♪ 万を越える天使病患者に孤軍奮闘! 部下を守るために、教示を守るために……何よりお友達を信頼していたから、ああも派手に「散る」事ができたんでしょうねぇ……キャハハ♪ いい死に様だったわよ♪ あの時は堪らなくてオ○ニーしちゃったから、よく覚えてる♪」

 

「この…………忌ま忌ましい魔女めがッ」

 

 クレフは眼を血走らせて一歩前に出る。

 しかし、右乃助が手で制した。

 

「よしてくれ、クレフさん。今は内輪揉めしてる場合じゃない。それに……サーシュの言い分もわかるんだ。特に俺についてのな」

「右乃助様、そんな……っ」

 

 クレフに対して、右乃助は苦笑いで誤魔化す。

 

「気ぃ遣ってもらって悪いな。でも俺は、俺達は、魔界都市の住民なんだよ。自分のためなら平気で他者を殺められる……そんな、人の形をした魔物だ」

「……」

「決して善人じゃない。重要なのは話が通じるか、通じないか……それだけだ」

 

 右乃助は立ち上り、簡易的な魔術で一気に服装を整える。

 そして煙草を取り出し、口に咥えた。オイルライターで火を着ける。

 

「サーシュよぅ、俺は変わったか? 今回はたまたま善人に見えてるだけだぜ?」

「そうかなぁ?」

「報酬は貰った。護りたい理由もキッチリある。それでも不満か?」

「んー、そうねぇ……」

 

 サーシュは後頭部で腕を組む。

 

「いいんじゃない? ウノちゃんが納得してるならそれで。私は同伴して依頼を終わらせるだけだにゃー♪」

「そうか」

「でもでも~」

 

 ヌルリと右乃助に近寄り、その面を見上げるサーシュ。

 

「大和様みたいな真似してたら、何時か死んじゃうよ?」

「…………」

「あの人は線引きができてる。殺す時は殺すし、犯す時は犯す。でも、ウノちゃんはどうかにゃー?」

 

 シッシッシ♪ と笑いながら離れていく。

 クレフは終始苦い顔をしていた。

 ニーナは心配そうに右乃助を見上げている。

 

 右乃助は紫煙を吐きながら囁いた。

 

「いいんだよ、中途半端で……それが俺の選んだ生き方だから」

 

 そんな時である。操縦室から不機嫌そうな声が聞こえてきたのは。

 

「喧嘩は終わったか? ったく、こんな時ぐらい仲良くやれや」

「すまねぇな参碁、もう大丈夫だ」

「くれぐれも頼むぜ。こっから先は、マジの魔界なんだからよ」

 

 参碁はゆっくりと魔道機関車を駆動させる。

 遂に入るのだ。デスシティでも三ヶ所しかない「特別指定危険地帯」……那羅柯(ならか)山脈に。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 そこは鬱蒼とした樹木に覆われた、ドス黒い森林地帯だった。

 樹木たちは捩れた枝を伸ばし、絡まったツタはまるで首吊り縄の様に揺れ動いている。

 人気(ひとけ)など無い。ましてや動物や昆虫の気配もない。

 

 しかし何故だろうか……広大な原生林、その合間から視線を感じるのは。

 

 触れれば質感を伴う濃霧……否、濃密過ぎる瘴気。

 常人なら吸ったたけで肺が壊死してしまう陰の気だ。

 

 アモールの眼が赤光を放つ。鋭い犬歯が剥き出しになる。

 彼女の体内に流れている吸血鬼の血が反応しているのだ。

 

 華月とパンジーは眼を固く閉じ、精神統一を行っていた。

 サーシュはどこ吹く風。

 

 あまりの気によろめいてしまうニーナを、クレフが支える。

 元々の白い顔が、今や蒼白色だ。

 クレフの額にも冷汗の珠が浮かんでいる。

 

「こんなにも禍々しいものか……」

 

 右之助はシャツの袖を捲り上げる。

 逞しい腕の表面には鳥肌が立っていた。

 

 毛穴の一つ一つから侵入してこようとする瘴気を打ち払う様に、右之助は青色の闘気を解放する。

 質の高い生命エネルギーは闇を駆逐する光の属性も兼ね備えている。

 車内の淀んだ空気が浄化されていく。

 

 那羅柯山脈に入った途端の洗礼がこれだった。

 

 那羅柯山脈──別名「煉獄」。

 此処は成れの果て達の無聊を慰める闇の揺り篭。

 この世とあの世の狭間。

 

 どの時代にも英雄偉人は存在する。

 彼等は愛する家族を、友を、異性を護るために力を手に入れた。

 中には見ず知らずの民のために覚醒した者もいた。

 

 彼等は至ったのだ、超越者に。

 愛や勇気を携えて。

 種族の枠組みを超えて、超常的な存在に成った。

 

 しかし、強大過ぎる力の代償はあまりにも大きかった。

 

 愛していた家族や友から見放され、

 護っていた民から畏れられ、

 最終的には世界から拒絶された。

 

 誰かを想い、戦った者の最期は、あまりにも悲惨だった。

 

 彼等は全てを憎み闇に堕ちた。超常的な力のみを残して、怪異に変化したのだ。

 

 そんな彼等が住む場所こそ、那羅柯山脈。

 此処はかつての英雄達の安息場。超越者「だった」怪異が住まう、闇の楽園(エデン)である。

 

「超越者になったら幸せになれる? ……むしろ逆だ。その殆どが悲惨な最期を遂げている。強大な力を手に入れた代償は、途轍もなく大きいものだ」

 

 右乃助の言葉が響き渡る。

 

「高潔な勇者も、慈愛に満ちた英雄も、関係ねぇ。……いいや、むしろそういう奴等が道を踏み外しちまう」

 

 超越者になれる条件は二つ。

 天賦の才能と揺ぎない個我だ。

 

 俺はこうだ、私はこうだ。

 こうでありたい、こうであろう。

 そう強く想う事で至れる。

 

 しかし、個我が揺らいでしまうと途端に力を制御できなくなる。

 

 俺はどうしたかった? 私はどうしたかった? 

 何がしたかった? 何をしたかった? 

 自身の存在に疑問を覚えてしまったら最期、超越者は超越者でなくなる。

 ただの化物になってしまう。

 

 だから那羅柯山脈には元英雄や勇者が集っているのだ。

 彼等の存在理由は他者にあって、その他者に裏切られてしまったから。

 

 長生きしている超越者は、存在意義を自己に置いている者が多い。

 典型的なのが大和だ。

 

「本来なら超越者になんて成るべきじゃねぇんだ。でも此処にいる奴等は……なるしかなかった」

 

 哀愁の念が漂う。

 右乃助が超越者にならない理由がこれだった。

 

「ニーナ……お前はそれでも、超越者になりたいのか?」

「……っ」

 

 ニーナは首を強く横に振るう。

 次に右乃助を見つめた。

 

 右乃助は彼女の想いを悟り、苦笑する。

 

「そうか……なりたくないけど、なるしかねぇんだよな」

 

 右乃助はニーナの頭を撫でる。

 慈しみを込めて。

 

「お前は強くて、優しいな……俺とは大違いだ」

「……っ」

 

 ニーナは顔を俯ける。

 右乃助はそっと手を離すと、車窓に視線を移した。

 

「渓谷か……完全に領地に入ったな。早速見られてる」

 

 低速走行している魔道機関車に横並びになっている巨大百足……カチカチと足の関節を鳴らしている。

 とんでもない大きさだ。まだ尾の先が見えない。

 

 次に映ったのは巨大な女の顔だった。見惚れるほど美しいが、同じ顔が周囲に何十個も貼り付いている。

 皆一様にケタケタと笑っていた。

 これが巨大百足の顔面である。

 

 他にも下半身しかないドラゴン、全身が腐っている巨人、鬼の顔が付いた車輪など……様々だ。

 

 百鬼夜行という言葉が相応しい。

 彼等こそ那羅柯山脈の住民……元英雄たちである。

 

 右乃助は顔を青くしながらも、強く告げた。

 

「畏れるな、呑み込まれるぞ。平常心を保て」

 

 各々、必死に平常心を保つ。

 ニーナはクレフの足に抱きつき、目をつむっていた。

 

 右乃助は濃くなっていく瘴気を祓う様に車内に青色の闘気を巡らせる。

 そんな時である。異物を発見したのは。

 

「!!?」

 

 右乃助は車内にある食器棚を思いきり開ける。

 皿の横に莫大な魔力が込めれている指輪が転がっていた。

 

「この指輪は……そうか! そういう事か!」

 

 右乃助は己の浅はかさに舌打ちする。

 よくよく考えればわかる事だった。

 

 何故、マイク達が魔道機関車を襲撃できたのか……

 魔道機関車の線路沿いには東区と北区の頭領が超高密度多重障壁を展開している。

 

 東区の頭領といえば万葉、北区の頭領といえば無月。

 妖魔王に世界最強の呪術師と、EXランクでも上位に君臨している規格外達だ。

 そんな二人が展開している結界を、マイク達「程度」が破れる筈がない。

 

 しかし、この指輪があれば可能だ。

 

 ソロモンの指輪の一つ、第一滅式「ゲーティア」。

 有象無象一切合切を破壊する、ソロモンの象徴的な術式である。

 

 コレは模造品だろうが、それでも十分過ぎる。

 ソロモンはルプトゥラ・ギャングにこういった物をいくつか渡しているのだろう。

 

 全ては、イスラエル覚醒の可能性を潰すために……

 

 もしもこの指輪の力が解放されれば、タダでは済まない。

 魔道機関車は消滅し、那羅柯山脈の地形が変わる。

 それはなんとしても防がねばならない。

 

 右乃助は考えるも、それを許さないとばかりに指輪が輝きはじめた。

 

「ヤベェ!!」

 

 右乃助は指輪を掴み、車窓を空けて外に飛び出る。

 

「師匠!?」

「右乃助さんッ!!」

 

 車両の上に着地した右乃助は指輪を右手で握りしめた。

 

「さっきの交戦中に「見えざる手」で仕込みやがったか……マイクの野郎、やるじゃねぇか」

 

 苦笑いを浮かべると、右拳にありったけの闘気を込める。

 残り僅かの三羽烏から貰った加護も注ぎこんだ。

 

「派手な花火になっちまうが、しゃあねぇ!!」

 

 右乃助は右手首を手刀で切断し、上空に思いきりぶん投げる。

 数秒後、暗雲立ち込める空に特大の光輝か迸った。

 次元断裂を起こしてしまうほどの大爆発。その威力は筆舌に尽くしがたく、余波だけで魔道機関車が傾いてしまう。

 

 右乃助のありったけの闘気と加護を全て注ぎ込んでもコレなのだ。何の抑えもなかったらひとたまりもなかった。

 

「師匠!! なんて無茶を!!」

「右乃助さん! もう、加護が……っ!」

 

 香月とアモールが駆け付けるも、既に事は終わっていた。

 ……いいや。始まったと言ったほうがいい。

 

「お前ら……今すぐ車両に戻れ。まだ間に合う」

 

 右乃助は唸る。

 完全に包囲されていた。

 誰に? この土地の住民たちにだ。

 

 妖魔達から埒外の圧力を向けられる。

 右乃助は手遅れだと悟り、二人を庇うように抱き寄せた。

 

 絶体絶命だった。

 

 

 







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十話「託す」

 

 

 右之助達を取り巻く妖魔達の包囲網がぐぅと縮まる。

 数え切れないほどの無数の眼球がグルリグルリとあらゆる方向に回る。

 何十本という腕がガサガサと蠢き、蛇体や触手が辺りを這いずり回る。

 数百の女の顔が微笑を浮かべ、腐敗した巨人が全身から瘴気を噴き出す。

 ギィともグォォともつかぬ異様な奇声が発せられた。

 

 強大でおぞましい妖魔など、デスシティにはいくらでもいる。

 だが、那羅柯山脈の妖魔たちは格が違った。

 

 皮膚の下を無数の蛇が這う様な不快感……『邪視』とも言える腐敗毒を纏った視線。

 見つめられただけでこれなのだ。

 もしも直接触れられでもしたら……

 

 香月が片膝をつく。

 腰の刀に手をかけようとしているが、全身が金縛りにあい動けない。

 平衡感覚も狂わされており、立ち上がる事すらできないでいた。

 

 アモールは乱杭歯を剥き出しにしていた。自らの血と葛藤しているのだ。

 目の前の右之助の喉笛を食い破り、熱い血潮を舐め取りたいという吸血欲が刺激されている。

 

 血が、真っ赤な血が欲しい──

 絶対にダメ!! と、握り締めた拳から血がふき出る。

 

 周囲の妖魔達は何もしていない。

 ただ三名を見つめているだけだ。

 超越者たるもの、身に纏う気だけで相手を圧倒できてしまう。

 姿形は違えど、彼等もまた理を超越した存在……

 

 右之助はサングラスの下で固く目を閉じていた。

 右手首の切断面は闘気で止血できているものの、先程の投擲のせいで回復までできていない。

 

 頬に冷や汗が伝う。

 

 何もできない。打つ手がない。

 万事休すか…………

 

 右乃助は香月とアモールを抱き寄せた。

 アモールは反発したが、右乃助は彼女に血を吸われる覚悟で胸元に寄せる。

 

 右乃助は最期に周囲の妖魔たちを睨み付けた。

 それが、今できる最後の抵抗だった。

 

 そんな時である。何処からともなく声が響いたのは……

 

「静まれ。礼儀を失するでない。……仮にも英雄だった者達、品位まで損うつもりか」

 

 その声には確かな気品があった。

 同時に途轍もない圧力が込められている。

 さしもの那羅柯山脈の妖魔達も邪気を潜めた。

 

 右乃助は目を見開く。

 

「まさか……アンタが助けてくれるのか」

「意外か? 人の用心棒」

「いや……助かったよ。ありがとう」

 

 右乃助は心の底から礼を言う。

 彼女は、那羅柯山脈の支配者だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 ロングシガレットケースを優美に蒸している、妖艶な美女。

 びしょ濡れの和服姿が扇情的だ。

 肩を大きく露出させており、濡れた長髪が肌に纏わり付いている。

 しかしその半顔はケロイド状で、額からは透明な角……否、触角が生えている。

 内部で膨れたり萎んだりと脈動を繰り返していた。

 着物の隙間からは百足や蛸の触手、ナメクジ、蛭がゾロゾロと溢れ出てきている。

 なんと、これら全てが美女の身体から発生しているのだ。

 

 奈落姫(ならくひめ)

 死にもできず名前すら忘れられた英雄偉人たちを統べる、神話の時代から生きる生粋の魔王。

 

 彼女の顕現は、即ち右乃助たちの今後の生死が決まるという事だった。

 

 右乃助はまず謝罪する。

 

「すまねぇ、本来なら静かに此処を通るつもりだったんだ。アンタ達に迷惑をかけるつもりはなかった」

「知っておる。先程の爆発……アレはソロモンの指輪だろう? 全く、あの糞餓鬼め……」

 

 忌々しげに呟く奈落姫。

 しかし次に表情を和らげ、右乃助に礼を言った。

 

「感謝する。あんなものを展開されていたら負傷者が出ていたやもしれん。お主の気転で助かったぞ」

「いや、それは……」

「謙遜するでない。一部始終は見ていた」

「……」

 

 黙る右乃助。

 奈落姫は紫煙を吐き出し、車両の下を見つめる。

 

「イスラエルの末裔か……ふぅむ、難儀なものを護っているな」

「それが、今回の仕事なんだ」

「……ふむ」

 

 奈落姫は一考すると、右乃助たちを見つめる。

 そしてなんと、最上級の加護を付与してやった。

 

「これは……っ」

「我々の加護だ。まだ続くその旅のささやかな助けになるだろう……ついでに尽きかけていた加護も補填しておいたぞ」

「何で、そこまで……」

 

 奈落姫は微笑を浮かべる。

 

「お主らは我々を畏れず敬った。否……畏れはせど、礼を損なわなかった」

「…………」

「正しき対応だ。今人にしては珍しい。それに……」

 

 奈落姫は周囲を見渡す。

 右乃助たちも釣られて見渡した。

 

 先程まであれほど畏ろしかった妖魔たちが、今は大人しくなっている。

 否……喜んでいる?

 何に対して? 

 

 右乃助は車両の中の気配を探った。

 なんと、ニーナが祈りを捧げていたのだ。

 妖魔たちを想い、その安全を願っている。

 

 彼等の過去を知ったからこそ、その悲しみに共感しているのだ。

 

 驚いている右乃助に、奈落姫は笑いかける。

 

「心優しく、温かい祈りだ。久方振りだぞ、ここまで癒されたのは……」

「……」

「護り人よ。彼女を護ってやってくれ。……決して、此処にいる者達の様にならぬよう」

 

 右乃助は数瞬置いて、力強く頷く。

 その時、一瞬だけだが怪異たちの本来の姿が見れた気がした。

 凛々しく、逞しい英雄たち……

 誰よりも優しくて気高い、それ故に堕ちてしまった超越者たち……

 

「……わかった、約束する。今回は本当にありがとう」

「フフ……さぁ、ゆけ。次代を担う者達よ。背中は我々が押す」

 

 奇跡が起こった。

 右乃助一行は無事に那羅柯山脈を抜けれた。

 その土地に住まう、規格外の妖魔たちから祝福されながら……

 

 

 ◆◆

 

 

 那羅柯山脈を抜けて、魔道機関車の車内で。

 

「ほんっっっっと、マジで助かったわ右之助」

 

 魔道機関車の運転手である参碁は顔を真っ青にしながら礼を言った。

 パンジーとサーシュも苦笑いを浮かべている。

 

「よく頑張ったわねウノちゃん。正直、死を覚悟したわ」

「ウノちゃんの肝っ玉は特別製だね~♪」

 

 しかし、右乃助は首を横に振るう。

 

「今回は運が良かっただけだ。それに、俺だけじゃあどうしようもなかった」

 

 そう言って隣に寄り添うニーナの頭を撫でる。

 ニーナは子猫の様に目を細めた。

 

「ありがとうな。……お前を護るのが仕事なのに、護られちまった」

「っっ!」

 

 ニーナは両腕を上げる。

 そしてファイティングポーズを取り、シャドーボクシングをはじめた。

 拙い動きだが、見ていればわかる。

 

 自分も戦う、という意思表示だ。

 

 右乃助は付添人であるクレフと視線を合わせる。

 

「強いな、この子は」

「何を仰いますか、右乃助様のおかげですよ」

 

 ホホホと笑う彼を見て、右乃助はそうかと頷く。

 次に、休んでいる香月とアモールの肩を叩いた。

 

「迷惑をかけた。ありがとう、俺を護ってくれて」

「当然です。貴方は敬愛しているお人ですから」

「右乃助さんが死ぬ時は私も死ぬ時です」

 

 右乃助は苦笑して、彼女たちの頭を撫でわます。

 

「嬉しいぜ、男冥利に尽きる」

「師匠……!」

「右乃助さん……!」

 

 感涙している二人に背を向けて、右乃助は参碁に告げた。

 

「よっしゃあ! 参碁! このまま那羅柯山脈と南区を繋いでる橋を渡りきってくれ! もう大丈夫だ!」

「はぁ!? 何なんだよその自信は!! まだ追っ手は残ってるだろう!?」

 

 そう、まだ安心はできない。

 山場を一つ越えただけだ。

 まだ那羅柯山脈を抜けただけ……

 なのに何故か、右乃助は強気だった。

 

「流れは掴んだ!! 後はこの波に乗るだけだ!! さっきまで苦労した分……大逆転といこうじゃねぇか!!」

 

 右乃助は啖呵をきった。

 それは、自分達に敵対するあらゆる存在に向けての挑発だった。

 

「……あんま調子に乗るんじゃねぇよ、右乃助の兄貴。俺達を退けられたのも、那羅柯山脈を抜けられたのも、全部偶然だ。アンタらの旅はここで終わる」

 

 遠くから語りかけてきたのはルプトゥラ・ギャングの武闘派筆頭、マイク。

 彼は眉間に特大の皺を寄せていた。

 傍らにはイフリートと狂十郎が控えている。

 

 彼等は長大な橋の先の対岸で待ち構えていた。

 このままでは接触してしまう……

 

 しかし、右乃助は動揺していない。

 それどころか語り返してみせる。

 

「ほざくな。今までの出来事が偶然だと? ……違うね。お前らの慢心と俺達の悪足掻きが重なって生れた、必然だ」

「OK、なら終わらせてやるよ……Fuck You!!!!」

 

 マイクは中指を立てて術式を展開する。

 その逞しい腕に刻まれた髑髏の刺繍が暗く輝き、おぞましい邪気と共に悪魔たちが召喚された。

 

 四桁は優に越える大軍勢……

 マイクの習得している禁術の中でも一番強力なものだ。

 

 マイクの禁術は悪魔との契約で成り立っている。

 

 悪魔は世界的に有名な魔族。

 神話の時代には天使との大戦争「ハルマゲトン」を繰り広げている。

 その実態は東洋の鬼神、西洋の吸血鬼と同じくらい優れた魔族の頂上種。

 現代になり鬼神や吸血鬼が衰えていく一方、悪魔は「魔界」と呼ばれる別世界で繁栄を続けていた。

 弱肉強食の貴族社会制度を敷き、トップには絶大な力を誇る七大魔王が君臨している。

 

 彼等と契約を結び、相応の対価を支払う事で一部の異能権能を行使できる。

 魔術士や魔法使いがよく使う手法だ。

 

 マイクはそこから更に一歩踏み込んだもの……莫大な対価を支払う代わりに莫大な恩恵を得るという、ハイリスクハイリターンな手法だった。

 正に禁術──

 

 マイクは相応の対価を支払って魔界から悪魔の軍勢を召喚した。

 その代償、数十万人分の人間の魂。都市一つ分に匹敵する量だ。

 マイクは髑髏の刺繍に予め魂をストックしているのだが、それを全て使いきってしまった。

 

 用心深いマイクは最後までこの禁術を使わなかったが、ここまで来ればもう使うしかない。

 

 イフリートは極大な魔力を練り上げており、狂十郎も全身から禍々しい刃を生やしている。

 

 正面衝突は避けられない。

 戦えば勝ち目はない。

 だが、右乃助ははじめから戦う気などなかった。

 

「今更遅ぇよ」

 

 失笑する。

 彼には既に勝ち筋が見えていた。

 

 車両上に何かが乗る音が聞こえる。

 瞬間、大海原を彷彿とさせる爽やかな闘気が一帯を包み込んだ。

 あまりに密度に、来るとわかっていた面々も目を丸める。

 それほど別次元の存在が車両の上に居た。

 

「彼」は右乃助に問いかける。

 

「参上したぞ、兄弟子殿。俺が止めるべきは奴等か?」

「ああ、急な頼み事でわりい。……弱っちい兄弟子を助けてくれ」

「何を言う。貴殿の強さは心の強さ……俺は深く尊敬している」

 

 彼は黒帯を締め直す。

 そして鷹の様な鋭い眼を細めた。

 

「兄弟子殿が命を懸ける時は決まって誰かの為だ。……力を貸さぬ理由がない」

 

 厳かながらも温かい声音……

 

 遠くにいるマイクには「彼」が見えていた。

 だからこそ歯を噛み砕き、思いきり地面を蹴り飛ばす。

 

「クソッ!! クソクソッ!! クソがァッ!!!!」

「ちょ! どーしたのよマイク!? そんなにアイツがヤバいわけ!?」

 

 動揺しているイフリートに、マイクは忌々しげに告げる。

 

「アイツはカオル・ドオザカ……大和の旦那と対等に殴り合える、歴代でも最強クラスの四大魔拳だ」

「うっそぉ!!?」

 

 頓狂な声を上げるイフリート。

 

 年齢的には三十代前半ほどか……

 無駄な肉を一切削ぎ落した武術家として至高の肉体を青色の簡素な空手道着で包みこんでいる。

 綺麗な坊主頭に細い眉毛、鷹の目の様な鋭い眼。

 眉間にはヒビ割れているのではないかと思うほど深い皺が刻まれている。

 

 彼は名乗りを上げた。

 

堂坂薫(どうざか・かおる)、空手家だ。兄弟子にかわり、俺が相手をつとめよう」

 

 右乃助は参碁も連れて転移魔方陣で転移した。

 もぬけの殻になった魔道機関車……

 しかしマイクたちは見逃すしかない。

 

 大和と対等に殴り合える世界最強の空手家を、無視する事などできなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方、中央区と那羅柯山脈をわかつ黄泉の坂の前で。

 ネオナチスの歩兵師団は全戦力を投入していた。

 目の前の「怪物」を倒すために……

 

「成る程、闘気を極めた武術家たちによる部隊編成……アリだな」

 

 何がアリだ、とヴォルケンハインは内心悪態をつく。

 無敵と自負していた部隊編成がまるで通じていない。

 ……いいや、無効化されている。

 

 ありえない。

 あらゆる戦況を想定して編成した部隊の筈だ。

 対地、対空、対海、対異世界。

 対人、対軍、対魔、対霊、対獣、対神。

 どんな戦場でも、どんな相手でも、対応できる力を持っている筈だ。

 

 神や魔王が人間の軍勢を圧倒できるのは、隔絶した力の差があるから。

 格が違えば群は意味を無くす。

 逆を言えば、格が同じなら群は意味をなす。

 

 ならば……? 

 相手が圧倒的な格上だというのか? 

 

 それは無い。

 何故なら歩兵師団隊員は全員が闘気を極めた最高クラスの武術家だからだ。弱い者たちでもSSSクラスの実力を有する。

 

 魔王の率いる悪魔の大軍勢でも、神話群そのものでも、負ける気はしない。

 

 しかし今はどうだろうか? 

 負けてはいないが、勝ててもいない。

 

「足止めだけなら、テメェらくらい相手取れる」

 

 怪物は囁く。

 彼の言う通りだった。

 

 彼……大和は歩兵師団を一人で足止めしている。

 右手に十文字槍と脇差し四本を、左手に大太刀二本を、纏めて握っている。

 右肩には大弓を背負っていた。

 

 唯我独尊流。その真価……

 

 型に嵌まらず、武具兵器の性能を最大限発揮しながら、その相手にあった最善の戦い方を、その場で開発する。

 

 大和は既に歩兵師団に対する専用の武術を完成させていた。

 

 一見適当に見えるその武器選びが、全て歩兵師団を苦しませる要因となっている。

 

 十文字槍で薙ぎ払い、突き刺し、脇差し四本で隙をカバーする。

 絶対に回避できない攻撃も、脇差しを口に咥えたり脇に挟んだりして捌ききる。

 大太刀二本は膝や足指など、至るところに移動させて振るっていた。

 

 武術の達人でも全く予測がつかない。

 

 極め付きは肩に背負った大弓。

 これで遠方から狙撃してくる後方支援部隊を無力化している。

 飛んできた矢をそのまま掴んで撃ち返したり、隊員から奪った剣や槍を矢代わりにして飛ばしている。

 

 部隊の編成が乱れる。

 思うように戦えない。否、戦わせてくれない。

 

 ヴォルケンハインは思わず呟いた。

 

「……怪物め」

 

 その言葉は、ここにいる者全員が思っている事だった。

 常識が通用しない理不尽の権化が、目の前にいた。

 

 当の大和は明後日の方向を向いていた。

 超常的な聴覚で右之助たちの現状を理解したのだ。

 

「第一陣は抜けたか……その調子だ」

 

 笑う大和とは対照的に、隊員から事の顛末を聞いたヴォルケンハインは盛大な舌打ちをする。

 

「ギャングは所詮ギャングか……糞ほど役にも立たねぇ」

「言ってやるな。相手が悪い」

「たかだかAクラスの用心棒相手に苦戦してるんだぞ?」

 

 大和は吹き出した。

 

「ハッ! アイツの強さはランクじゃ測れねぇよ! 」

 

 大和はヴォルケンハインの背後に視線を向ける。

 丁度、援軍が到着したところだった。

 

 合計10000機もの無人戦闘機を引き連れてきた、旧人類が生み出した無敵のサイボーグ。

 

 百戦練磨の上位ドラゴン3000体を従わせてきた、邪龍王ヒュドラと双璧をなす最強の龍王。

 

「救難要請に応じた」

「今回の相手は黒鬼か……」

 

 暗銀の短髪と黄金の長髪がそれぞれ光を吸い込んで輝く。

 

 対神仏用終極兵器、ゴグ・マゴグ。

 魔龍王、ニーズヘッグ。

 

 空挺師団と機甲師団の大隊長の登場だ。

 大和はわざとらしく口笛を鳴らす。

 

 ヴォルケンハインは隣に控えている隊員に告げた。

 

「隊列を組み直せ。他の師団と波長を合わせろ。……俺も前線に出る」

「か、かしこまりましたっ」

 

 十字型の禍々しい魔槍を顕現させ、ヴォルケンハインは大和を睨み付ける。

 

「ネオナチスの誇る三大派閥が相手だ。大隊長も揃ってる……流石のお前でもキツイだろ?」

 

 ヴォルケンハインは莫大な紫色のオーラを迸らせる。

 その禍々しい闘気は成る程、世界最強の槍術家なだけはある。

 彼は優れた指揮官である以上に、世界最強の槍使いなのだ。

 

 大和は何時もの笑みを浮かべると、真紅の闘気を解放する。

 周辺に村正特製の武具兵器を突き立てて両手を広げた。

 

「かかってきなァ!! 本気モードだ!! 全員纏めて相手してやる!!」

 

 対するは第三帝国の最高戦力たち。

 押し寄せてくる大軍を前にして、大和はうっすらと笑った。

 

「……走り抜けろ、右乃助。戦うのは俺達に任せておけ。お前は最後まで走り続けろ」

 

 ゴグ・マゴグが繰り出してきた鉄拳を肘鉄で潰し、ニーズヘッグのミドルキックに同じミドルキックを重ねる。

 そしてヴォルケンハインの放った神速の突きを咥えた大太刀で受け止めた。

 

 大和は右乃助たちを信じていた。

 だからこそ、全力でネオナチの軍勢を止めにかかっていた。

 

 物語は中盤にさしかかる。

 右乃助たちの逃走劇は、ここからが本番だった。

 

 

 



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十一話「ハイウェイでの激闘」

 

 

 兄弟弟子、堂坂薫(どうざか・かおる)がルプトゥラ・ギャングを引き受けてくれて、大和がネオナチスを足止めしてくれている。

 

 自分たちは確かに頑張った。しかし彼等の助け無くして此処まで来れなかった。

 他にも沢山協力者がいる。

 

「サンキューな、皆」

 

 右乃助は曇天を見上げる。

 まだ道半ばだが、それでも感謝せずにはいられなかった。

 

 現在地は南区の西南西、高速道路(ハイウェイ)のド真ん中。

 この事態につき緊急封鎖されているため、この場には右乃助を含めた主要人物しかいない。

 

 香月、アモール、パンジー、サーシュ、参碁。

 ニーナ、クレフ。

 そして……

 

「参碁さんも来ましたね。まぁ、あのまま魔道機関車に乗っていたら危ないですし」

 

 漆黒の制服を着た東洋系の美女。

 闇バスの運転手、死織はピアニッシモを咥えて苦笑している。

 参碁は眉をへの字に曲げて両手を広げた。

 

「お陰様で積み荷が全部パァだ……ったく、社長にどやされる前にルプトゥラ・ギャングの頭領に文句言ってやりたいぜ」

「安心してください。社長もおかんむりですので」

 

 死織は紫煙を吐き出す。

 二人は『魔界都市交通株式会社』に務める同僚だった。

 

「あちらは不可侵協定を無視してきました。大和をはじめとした様々な強者がバックに付いているのに、喧嘩を売ってきたのです。社長はヤる気満々です」

「カー!! 流石社長だぜ!!」

 

 参碁は腹を抱えて嗤う。

『魔界都市交通株式会社』の社員は全員女性だが、それぞれいわく付きの過去の持ち主である。

 喧嘩を売られて怯える女などいない。

 

 死織は闇バスに立て掛けていた二挺の魔改造バズーカを指した。

 

「貴女の武器、「仁王」も持ってきておきました。これがあれば思いっきり喧嘩できるでしょう?」

「おお!! サンキューな!! っしゃぁ!! ルプトゥラ・ギャングの糞野郎共をバーベキューにしてやるぜ!!」

 

 意気揚々と魔改造バズーカを担ぐ参碁。

「仁王」は参碁専用に製造された特殊武装だ。

 魔界都市ならではのトンデモミサイルがこれでもかと詰め込まれている。鉄塊の様な砲身を片腕ずつで担ぐあたり、やはり彼女も只者ではない。

 

 死織は持ってきた闇バスを撫でた。

 

「一番頑丈な子を持ってきました。特殊合金製かつ強化ガラス仕込み。魔術障壁も本来より数十倍近く硬い……これなら安心して移動できる筈です」

「助かる」

「即席ですがエンジンも強化しておきました。速度もそこそこ出ます。……あと、助っ人がもう一人」

 

 死織は闇バスの側面をコンコンとノックする。

 

「桐生さん、桐生さーん。起きてますかー?」

「起きている。……君は私を寝坊助か何かと勘違いしていないかね?」

「さっきまで寝てたでしょう?」

「精神統一だ。全く……」

 

 ブツクサ言いながら出てきたのは、長身痩躯の美男だった。

 年齢は二十歳ほど。緩やかなウェーブのかかった金の長髪に薄茶色の瞳。服装は黒のロングコートに赤のカッターシャツ、胸元を大胆にはだけさせている。

 トップモデル級の美貌を誇る男だ。長時間見つめていると失神者が出てしまうだろう。

 

 彼は右乃助を見て微笑む。

 

「久しぶりだな、右乃助。この前の仕事以来か?」

「おお! 凍牙(とうが)! お前も加わってくれるのか!」

「魔界都市交通株式会社からの依頼でね。これから君たちと共に戦おう」

「ありがてぇ! お前がいれば百人力だぜ!」

 

 右乃助は嬉しそうに凍牙の肩を叩く。

 桐生凍牙(きりゅう・とうが)。A級の殺し屋で、魔界都市でも凄腕と名高いヒットマンだ。

 思わぬ助っ人に右之助は舞い上がっている。

 

 死織はやれやれと肩を竦めつつ、他のメンバーに改めて挨拶した。

 

「A級の方々はお久しぶりです。死織、助っ人として参上しました。取りあえずバスの中へ」

 

 他のメンバーは挨拶しながらバスの中に入っていく。

 ふと、死織は自分を見上げているニーナに気付いて膝を折った。

 

「貴方が件の……フフフ、可愛らしいお嬢さんですね」

 

 ニーナは目を見開いた。

 彼女の瞳には、死織の豊満過ぎる乳房が映っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 闇バスは目的地であるペヌエルへと出発した。閑散としたハイウェイをどんどん進んでいく。

 

 右乃助たちは作戦会議をはじめる。

 

「まずは当初の作戦とのズレを説明するぜ」

「あの、右乃助さん……」

「やはりと言うべきか、想定外はあるもんだ。だが修正していけば問題ない」

「右乃助さーん、聞いてますかー?」

「……その、すまん死織。そのままで頼む」

「いや、困りますよ……」

 

 死織は困惑した様子で目線を下げる。

 ニーナが抱きついていた。

 腰にしっかりと足を回し、豊満な胸に顔を埋めている。

 時折スリスリと顔を擦り付け、満足げな表情を浮かべていた。

 

 右乃助は真顔で考察する。

 

「母性を感じてるのか、それとも単純に巨乳が好きなのか……わからん」

「何シリアスな顔で言ってるんですか、早く引き取ってくださいよ。何かあった時、庇いきれない」

「運転に支障がないなら、そのままでいてくれ」

「そんな馬鹿な……!」

 

 死織は冷や汗を流す。

 当のニーナはおっぱいトランポリンを顔面で楽しんでいた。

 

 右乃助は付き添い人であるクレフに聞く。

 

「なぁクレフさん。アレってどっちなんだ? 母性を感じてるのか、下心なのか」

「下心でしょうなぁ」

「!?」

「初代を含めて、イスラエルの正統後継者は全員好色家です。お嬢様は同性愛の趣があるのでしょう……私もはじめて知りました。ホッホッホ」

「それでいいのか宗教関連者……! ええいクソぅ! 俺も死織のおっぱいパフパフしてぇ!」

 

 純粋な下心を見せた右乃助に、鋭い視線が突き刺さった。

 アモールと香月だ。

 

「右乃助さん……やっぱり巨乳のほうが好きなんですね……」

「私もサラシを取ればそれなりに……!」

 

 右乃助は咄嗟に手で制する。

 

「いや、お前らは違うっていうか……!」

「私も平均以上はあります! ほら右乃助さん! 触ってみてください!」

「師匠! サラシをとりました! どうですか!?」

「悪かった!! 俺が悪かった!! だから落ち着け!! 抱きつくな!!」

 

 ワチャワチャしはじめたバスの中で、他のメンバーはゆるい会話を交える。

 

「うーっ、喉渇いたなぁ」

「そうねぇ……クレフさん、ここでも紅茶、出せるかしら?」

「勿論です。先程のブレンドでよろしいでしょうか?」

「ええ、お願い」

 

 何処からともなくティーセットを取り出したクレフは、鮮やかな手際で紅茶を淹れていく。

 パンジーは感激した。

 

「やだもう素敵なお爺様!」

「やったー!! またミルクティー作れるぞー!!」

「まっ!! 駄目よサーシュちゃん!! 今度こそ香りを楽しむの!! お爺様に失礼でしょ!!」

「え~、別にいいじゃ~ん。味覚は人それぞれだしぃ? あ! 凍牙っちと参碁っちはどうする?」

 

 二人はマイペースに答えた。

 

「栄養補給を済ませたい。砂糖とミルクを山盛りで頼む」

「あたしも砂糖とミルクてんこ盛りで。疲れたからあめーもん飲みてぇ」

 

 二人の回答にパンジーは激怒した。

 

「んもうっ!! 紅茶は香りを楽しむものなの!! それを栄養補給だなんて……」

「三人前ブレンディー入りまーす♪ 」

「アアアア゛ア゛!!」

 

 断末魔の悲鳴が上がる。

 右乃助はアモールと香月を引き剥がしながら叫んだ。

 

「修学旅行じゃねぇんだぞ!! 落ち着けテメェら!!」

 

 それは、心の底からの叫びだった。

 

 

 ◆◆

 

 

「つーワケで、落ち着いたから作戦会議をはじめるぞ」

『へーい』

「やる気のねぇ返事だなぁおい。てか、キャラ変わってる奴いねぇか?」

「細けぇ事はいいからとっとと始めようぜ。で? どうすんだよこれから」

 

 参碁に急かされ、右乃助は渋々ながら説明をはじめる。

 

「このまま目的地までいけたら最高だ。何も無ければ一時間とかからねぇ」

「何もなかったら、ねぇ。含みのある言い方じゃねぇか。まだ追っ手が来るってか?」

「来るさ。ルプトゥラ・ギャングに異端審問会、ネオナチスに現在進行形で喧嘩売ってるんだ。特にネオナチスは、このまま引き下がるワケねぇ」

 

 右乃助は懐から煙草を取り出す。

 

「何かしら手は打ってくる。絶対にだ」

「考えすぎじゃあねぇか? ネメアと大和の旦那が出てるんだろう? あっち側にそんな余裕ねぇと思うけどなぁ」

 

 参碁の言い分も一理ある。

 しかし凍牙が割って入った。

 

「過信はよくない。常に最悪を想定すべきだ。確かにあの二人は規格外だが、考え方を変えればあの二人を封じ込められているといえる」

「その通りだ。俺達は所詮Aクラスの集まり……ネオナチの余った部隊を一つ回されれば終わっちまう」

「つまり、安心はできねぇと?」

「そうなるな」

 

 右乃助は煙草に火を付ける。

 唐突に凍牙が告げた。

 

「敵襲だ。背後から追走してきている。……かなりの量だぞ」

「お前の異能力か」

「ああ、追撃の準備をしたほうがいい」

 

 凍牙の能力、『走査(スキャン)』。

 敵の位置、量、地理、施設構造、罠の有無などを瞬時にサーチできる力だ。

 これにより最適な行動ができる。

 

 右乃助は死織に聞いた。

 

「天井の非常口、開けられるか?」

「勿論」

「ならニーナとクレフさん以外は全員上がってくれ。迎撃態勢に入る」

『了解』

 

 メンバーは全員屋上に上がる。

 右乃助は最後にクレフに言った。

 

「何かあった時は、ニーナと死織と頼む」

「かしこまりました。老骨にできる限りのことはしましょう」

「頼りになる」

 

 右乃助は笑って天井に上がる。

 闇バスの上からハイウェイを見渡せた。南区の特異な建造物が目に映る。

 

 そして、遠くから迫り来る一団もまた……

 

 右乃助は驚愕で目を見開いた。

 メンバーを代表して、パンジーが呟いた。

 

「何アレ? ……世紀末集団?」

「的確な表現だな」

 

 凍牙は頷く。

 迫り来ているのは世紀末を連想させるイカレた集団だった。

 魔改造しまくった車やバイクに跨がっている。スーパーチャージャー、ターボチャージャー装着なんて当たり前。10本単位で付いた排気口からアフターファイアーを噴き出し、我先にと走ってきている。

 合金性の鋭利なスパイクを装甲代わりに纏っており、装飾品として本物の髑髏や既に腐っている聖職者の遺体を吊るしていた。

 

 そんな中でも特に異質なのが二つの特大車両。

 一つは軍用の多目的トラックを改造した移動型ライブ会場。後部席で八人の大男が太鼓を鳴らし、車体上では細身の男が火炎放射器付きエレキギターを掻き鳴らしている。舞台には無数のボックス、ラウド、ホーンスピーカー、サブウーファー、フット・ライトを設置してあり、重低音を戦場に轟かせていた。

 

 もう一つがスパイク塗れの500tモンスタートラック。

 全長50m、高さ20m、全幅15m。計8個のスーパーサイズ・タイヤによって支えられており、ターボコンプレッサー付きの18気筒エンジンは実に3500馬力を叩き出している。スポットライトのハイビームで闇バスを煌々と照らしながら、リーダーを乗せてズイズイと距離を詰めてきていた。

 

 ルプトゥラ・ギャング所属、特殊強襲部隊『シャムハザ』。

 狂気的な者が多いルプトゥラ・ギャングの中でも更に極めつきのイカれ集団であり、自分達は特別に選ばれた戦士だと自負している命知らずの戦闘狂たちである。

 モヒカンや肩パット、革ジャンに得体の知れない鎧を着ており、擬似エーテルを充填したキャノン砲を標準装備していた。

 

 演奏専門の特大トラックからエレキギターでヘビメタが奏でられる。火炎放射付きのギターから炎が噴き出れば、周りの者たちも火炎放射を上空にバラまいた。

 

 焚き付け役の男がマイクを持って戦友たちを鼓舞する。

 

 

 

 俺達は死ぬ! 俺達は死ぬ! 

 俺達は生きる! 俺達は生きる! 

 見よ、この勇気ある者を。

 ここにいる選ばれし男達が再び太陽を輝かせる! 

 一歩はしごを上へ! さらに一歩上へ! 

 一歩はしごを上へ! そして最後の一歩! 

 

 そして外へ一歩! 

 太陽の光の中へ! 

 

 

 

 特攻は美学。死は誉れ。

 

 最後にリーダー格である大男、全身フルアーマの重機型戦士、ベータが叫び散らした。

 

『野郎共ぉ!! ショータイムの時間だァ!! 暴れろォォォォッッ!! 俺にテメェらの輝きを見せてくれェ!! 死に様こそが男の華!! 笑ってくたばれやァ!! 』

 

 野太い大声が戦士たちを歓喜させる。

 

 全身フルアーマの重機型戦士、ベータ。

 ルプトゥラ・ギャングに代表研究者「兼」武闘派の幹部。ランクSSの強者だ。

 本人も優れた戦士だが量産性に優れた「疑似エーテル」の開発者でもあり、やたら頭がキレる。

 情け容赦のない鬼畜外道で有名であり、女子供相手であろうが徹底的に蹂躙する。

 まさしく戦争中毒者……シャムハザを代表する悪の権化である。

 

「Yeahhh!!!!」

「ヒャッフ──!!!! 久しぶりに大暴れだァ!!」

「殺せ殺せェ!!!! 女子供だろうが皆殺しだァァァァ!!!!」

 

 真性のイカれ集団の追走……

 しかし右乃助は冷静だった。

 

「ルプトゥラ・ギャングか……!! それなりにキツいが、俺達ならいける。参碁!! パンジー!!」

「わかってらぁ!!」

「絨毯爆撃ね!!」

 

 参碁は「仁王」の砲身を繋げて特大ビームランチャーを組み立てると、そのまま敵陣に向けて掃射する。

 極太レイザーがシェムハザを縦断した。

 次にパンジーが絨毯爆撃を見舞う。

 

 一面火の海だった。

 市販の耐熱障壁や衣服、クリームなどではどうにもならない熱量……

 しかし、シャムハザの連中は元気よく爆発から出てきた。

 

「ンギモヂィィィィィィっっ!!!!」

「温まってきたぜェェ!!!! ヒャーハーッッ!!!!」

 

 重度の火傷を負いながらも笑っているシャムハザの隊員たち。

 一同を代表してパンジーが悲鳴を上げた。

 

「キんモォォっ!! なんなのアイツら!! 頭オカシイんじゃないの!!?」

「キャハハ!! シャムハザの連中はみーんな痛覚麻痺ってるから、即死させなと駄目よ~ん!!」

 

 サーシュは笑いながら魔弾を放つ。

 改造された車体の内部にうまくさし込み、車ごと爆破した。

 

 右乃助は頷き、メンバーに告げる。

 

「痛覚麻痺ってんなら、サーシュが今やった様に車ごと焼き肉にしてやればいい!! 兎も角、闇バスにアイツらを近寄らせるな!!」

『了解!!』

 

 各々、武装を構える。

 右乃助は一瞬、不気味な影を捉えた。

 

「……勘違いか? いや、確かに今、怪しい奴等が……」

 

 捜そうとするも、擬似エーテルのランチャーやビームライフルを撃たれて集中できない。

 

「チッ……まずは総数を減らすぞ!! 怪しい奴等がいたら報告してくれ!!」

 

 右乃助は目前まで迫ってきたロケット弾を掴み、思いきり投げ返す。

 

 一方その頃、シャムハザの団体の中に右乃助が微かに捉えた存在がいた。

 

「危なかった、流石用心棒……目敏いな」

「あんま出過ぎるなよ兄貴、まだ頃合いじゃねぇ」

「わかってる」

 

 カスタムされた漆黒のオートバイに股がる双子の兄弟。

 一人は長髪に眼鏡をかけた知的なイケメン。もう一人は短髪のワイルドなイケメン。

 二人とも銀髪で、顔の造形が似通っている。

 

 カイン&アベル。

 Aクラスの殺し屋であり、知る人ぞ知る変態だ。

 

 彼等は右乃助が依頼を受けた直後にマイクに雇われた、いわゆる保険。

 マイクもまた、用心深い男である。

 

 長髪で眼鏡をかけた美男、兄のカインは手元にあるニーナの写真を見つめた。

 そしてベロりと顔を舐め上げる。

 

「ククク……もう少しで会える。可愛がってあげるからな。ニーナちゃぁん♪」

 

 その面はとても人間とは思えない、狂気的なものだった。

 弟のアベルは内心ドン引きしているが、彼もまた女に暴力を振るいながらでないと性交できないDV男……

 

 兄弟揃って救いようのない変態である。

 

 隠れた毒牙が二本、闇バスの隙を虎視眈々と狙っていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、南区の一風変わった建造物に三つの影が写し出された。

 日は暮れ、曇天に橙色が混じりはじめている。

 

「本命は未だ逃亡中か……参ったねぇ」

 

 溜め息を吐いたのは長身痩躯の美男だった。

 年齢的には三十代後半ほど……枯れ木のような容姿が印象的である。

 野暮ったく伸びた黒髪、薄く輝く銀色の瞳。服装は王族が着るような豪勢なものだが、適当な性格なのだろう。ただ着ているだけである。顔立ちも端整だがら自ら整えているワケではない。

 身体の線は一見細いが、太いワイヤーを何本も束ねたかようなとんでもない密度を誇っていた。

 戦士によくある、無駄を削ぎ落とした肉体だ。

 

 第六天魔王、波旬の右腕──魔縁(まえん)

 天魔族の参謀役で、波旬に次ぐ実力者だ。

 

「仕方ないとしか言えん。あちらには光と闇の英雄王がついているんだ。むしろよくやっている」

 

 腕を組んでいるのは厳格な雰囲気の美女。

 年齢的には二十歳後半ほど……指揮官というイメージがピッタリあうクールビューティーだ。

 腰まで伸びたブラウン色の髪にサファイアのような綺麗な瞳。服装は白銀のプレートアーマーに濃紺色のローブとスカート。プレートアーマーは動きやすさを重視しており、最低限に留めている。へそを出しているあたり、スタイルに自信があるのだろう。現にグラビア女優も赤っ恥をかくくらい凄まじいスタイルを誇っていた。

 気高さと色香を併せ持つ、魅惑的な女騎士である。

 

 最古の堕天使『明けの明星』、ルシファーの懐刀──ラグエル。

 元熾天使で、公正と調和を司っていた。「ヨハネの黙示録」にも深く関わっている最高位の堕天使である。

 

「……チッ」

 

 舌打ちしたのは異質な美少女。

 年齢的には十代後半ほど……そこに佇んでいるだけで抜き身の刃を彷彿とさせる。

 黒色のミディアムヘアに同じ色の鋭い双眸。服装はネオナチの軍服を動きやすいよう改良したもの。右腕に鉤十字(ハーケンクロイツ)が描かれた真紅の腕章をかけており、首には真紅の長大なマフラーを巻いている。

 

 ネオナチス歩兵師団副隊長、『夜風』の小鳥。

 吹雪款月以降、暫く不在だった天下五剣に加わった新たな剣士。

「無限一刀流」の使い手であり、ヴォルケンハインが太鼓判を押す天才児である。

 

 彼女は仏頂面で呟く。

 

「使えないわね、アンタらのところは……」

「……何だと? もう一度言ってみろ小娘」

「役立たず、って言ったのよ」

 

 ラグエルは額に青筋を立てる。

 

「天下五剣になれた程度で粋がるなよ、糞ガキが」

「ハァ? こっちは実力を証明してなったんですけど。文句ある?」

「ヴォルケンハインの推薦でたまたまなれただけだろう? 全く、現代になって武人の質も落ちたものだ。こんな餓鬼でも世界最強の剣士の一角になれるのだから」

「何ですって?」

 

 小鳥から凄まじい殺気を向けられても、ラグエルは平然としていた。

 一触即発な雰囲気に、魔縁が待ったをかける。

 

「まぁまぁ、落ち着きなさいって二人とも。俺たちが喧嘩したら本末転倒でしょう」

「……」

「……」

「ここはプラスに考えるべきだ。大和とネメア……あの二人を同時に抑えられてる。本来ならありえねぇ」

 

 小鳥はフンと鼻を鳴らす。

 

「言い訳にしか聞こえないわよ。アンタらの上司はお仲間共々、ネメアって奴に封印されてるじゃない」

「それを言うならお前さんらだって。歩兵師団どころか空挺師団と機甲師団まで出してるじゃないの」

「…………」

「生意気言いなさんな……あの二人はマジで別格なんだから」

 

 魔縁はやれやれと肩を竦めると、ポンポンと手を叩く。

 

「はい、喧嘩おしまい。さっさと仕事終わらせようぜ。そしたらこれ以上イライラせずに済む」

「同感だ」

「……わかったわ」

 

 天魔族のNo.2にルシファーの懐刀、そして歩兵師団の副隊長。

 全員EXランクの強者だ。

 彼等は万が一に備えて別の場所で待機していた。

 

 右乃助たちの元に行こうとする三名の前に、一人の美女が現れる。

 

「はぁい、ここからは通行止め♡」

 

 純白のスカートから肉付きのいい脚を覗かせる魔性の女……紫色を帯びた長髪に豊満な肢体。

 間違いない。

 

 一同を代表して魔縁が呟く。

 

「アラクネ……世界最強の暗殺者」

「右乃助はちゃんと考えてるわねぇ」

 

 アラクネは紅の塗られた唇を指でなぞる。

 

「あなた達を足止めできるのは私くらい……頑張らないと」

 

 その言葉に、魔縁は鼻で笑った。

 

「やめときなさいな。アンタは確かに強い。だが突出してるワケじゃない。……俺達を足止めするのは不可能だ」

「そうねぇ。私は大和やネメアみたいにやたら強いワケじゃないし……」

 

 納得するアラクネ。

 しかし次には不気味な笑みを浮かべた。

 

「でも……戦いじゃなくて殺しあいなら負けないわよ?」

 

 アラクネは特異な術式を展開する。

 瘴気を伴った爆風が発生した。

 

「殺しに強さは関係ない。どんな手段を用いようとも、最終的に殺せればいい」

 

 アラクネはカツカツとハイヒールを鳴らす。

 すると、地面から異形の者たちが現れた。奈落の底から這い出てきたのは全身を猛毒で汚染された超越者たち……

 

 開ききった瞳孔、滴り落ちる大量の涎。

 鎧を着ていたり、浴衣を着ていたり、剣を持っていたり、槍を持っていたりしている。

 

 彼等は武術を極めた超越者、その成れの果て。

 超濃度の毒に汚染されながらも辛うじて生きている、ゾンビだ。

 

屍鬼隊(しきたい)……久々に全員出したわ」

 

 アラクネの切り札の一つ、屍鬼隊。

 元、天下五剣、四大魔拳、三本槍の者たちを七名召喚する。

 全員がEXクラスの強者であり、常に全身から神格レベルも即死する猛毒を散布している。

 近寄るだけでも大変危険であり、辺り一帯の生命体は1分と経たず絶命する。

 現に、空を飛んでいた肉食カラスがボトボトと地に落ちてきた。

 

 彼等は全盛の力を保ったままアラクネの激毒に侵されている。

 それでも死なないのは、世界最強の武術家だった強靭な肉体と精神力があるからだろう。

 

 魔縁、ラグエル、小鳥は一瞬で臨戦態勢に入る。

 先程の余裕は消え、今は冷や汗を流していた。

 

 アラクネはそんな三名に微笑みかける。

 

「この子たち、大和がいると暴れちゃうから普段出せないんだけど……あなた達なら問題ないわね♡」

 

 七名のアンデットはアラクネにすり寄る。

 子犬の様に喉を鳴らす彼等を、アラクネはよしよしと宥めた。

 

「可愛い可愛い坊やたち。……今私、命を狙われてるの。助けて?」

 

 潤んだ瞳で告げられ、アンデットたちは無言で得物を担いだ。

 主人に仇なす怨敵を確認すると、全員が途轍もない殺気と呪詛を撒き散らす。

 

 魔縁は思わず呟いた。

 

「……クソッ。デスシティの三羽烏は伊達じゃねぇって事かい!」

「来るぞ! 構えろ!」

「スゥゥ……っ」

 

 小鳥は携えた刀で絶対切断の概念を内包した斬撃を飛ばす。

 余裕で弾かれてしまったが、これはあくまで牽制……小鳥は躊躇なく飛び込んだ。

 魔縁とラグエルも後に続く。

 

 アラクネは、冷たい笑みを浮かべたままだった。

 

「さぁ、死のダンスを踊りましょう……私も久々に本気出しちゃう♪」

 



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十二話「天使殺しの拳」

 

 

 シャムハザの奏でるヘビメタは何も士気高揚のためだけではない。

 音楽を介したバフデハフのオンパレード。擬似エーテルを音波に混ぜているため、右乃助レベルの闘気使いでも無効化できない。

 

 右乃助は舌打ちした。

 

「まずはあの演奏トラックをぶっ潰す。んで……」

 

 右乃助は戦場を見渡す。

 

「闇バスを一旦フリーにするぞ」

「……それ本気で言ってる? ウノちゃん」

「魚釣りだ。釣り針はデカいほうがいい」

「……成る程」

 

 パンジーは頷く。凍牙も理解しているようだ。

 他のメンバーは首を傾げているが、右乃助の作戦に無意味なものはない。信頼し、各々役割に徹する事にする。

 

「アモールと香月は比較的薄い左側を崩してくれ。パンジーとサーシュ、参碁は堅い右側に火力を集中。その隙に俺と凍牙で演奏トラックを潰す」

『了解』

 

 各員持ち場につく。

 アモールと香月は左側の車両群に飛び込んでいった。敵陣をとことん掻き乱す。襲いかかってくる隊員たちを斬り伏せ、撃ち抜き、車両を爆破し横転させ、被害を拡大させる。

 

 パンジーとサーシュ、参碁は右側の先頭に着地し車両を奪った。参碁がスパイクまみれの装甲を無理矢理ひっぺがして運転手を投げ飛ばして交代する。パンジーとサーシュは敵陣めがけて縦断爆撃を行った。パンジーの爆撃魔法はAクラスでも最高クラスの破壊力を誇っている。如何に痛覚が麻痺しているシャムハザ隊員でも、直撃すれば即死は確定。サーシュは参碁の専用武装「仁王」を借りて乱射しまくっていた。内蔵されている高精度ホーミングランチャーをぶっぱなしまくっている。

 

 右乃助と凍牙は中央を正面突破していた。壇之浦の八艘飛びを彷彿とさせる身軽さでみるみる敵陣に食い込んでいく。負けじと応戦する隊員たちだが、彼等の命を軽んじている性質を二人はうまく利用していた。わざと隙を作ってフレンドリーファイアーを促したり、果敢に飛び込んでくる輩を車両の下に投げてもろとも爆破させている。右乃助が自慢の喧嘩空手で隊員たちを鏖殺すれば、凍牙が冷徹に隊員たちの眉間をぶち抜く。

 

 凍牙の武装は魔改造を施したベレッタM92f。マズル、バレル、トリガー、グリップ、全て凍牙が自らカスタムした一品だ。使用弾薬は9x19mm徹甲パラベラム弾。軽量ながら鋼鉄の塊に風穴を空けられる貫通力を誇っている。マガジンは百発装填の超大容量マガジン、フルオートも可能。

 

 凍牙はあえてセミオートにし、一発一発確実に撃ち込んでいた。痛覚が麻痺していても脳を撃ち抜かれれば死ぬ。人間であれば尚更だ。囲まれそうになったらヒラリと他の車両に飛び移り、特製の焼夷手榴弾『サラマンダー』を投げる。サラマンダーは火竜の脂を使用しており、その可燃性は通常の脂とは比べ物にならない。可燃物を目一杯搭載したシャムハザの車両に投げつければ、その効果は目に見えてわかる。

 

 凍牙は淡々と中央の車列を崩していた。

 

 右乃助は鍛え抜いた五体と奪ったあらゆる武装を用いて戦っている。彼は正統派の空手ではなく琉球空手の延長線……喧嘩空手の達人だ。五体そのものが武器であるが、身近にあるものなら何でも使う。銃火器にも抵抗がない。なんなら日用品も凶器に変えてみせる。今も車体からひっぺがしたスパイクでシャムハザ隊員の脳天を貫いていた。擬似エーテル仕込みのショットガンを向けられれば反転させて持ち変え発砲する。弾切れするまで撃ち続けて最後には銃身を投げつけた。

 彼の異名は「喧嘩屋」。しかしその前の異名は「暴れ(ましら)」だった。その所以がよくわかる。

 

 右乃助は戦いながら、ある存在を注視していた。

 シャムハザのリーダー、全身フルアーマの重機型戦士、ベータである。

 彼はあろう事か、何もしていなかった。武器も構えず指示も出さず、隊員たちの死に様を眺めている。

 彼は唐突に嗤った。

 

『猿が、飛び回りやがって……いいさ、派手にやれよ』

「……何の指示も出さないのか?」

『ハァ? 指示ィ?』

 

 ベータはゲラゲラと汚い声で笑った。

 

『猿らしいなァ、小賢しい真似して戦場を引っ掻き回す……滑稽だぜ。そんなに命が惜しいなら表世界に引っ込んでろや』

「……」

『臆病で中途半端、しかも意気地無し……テメェみてぇな玉なしにコイツらの生き様がわかるかよ。好きなだけ飲んで食って女を抱いて、死ぬ時にゃあ笑って死ねる。後悔なんざ微塵ねぇ。最高に人生を楽しんで、最高の死に様を見せる……カッコいいじゃねぇか』

「……イカれもここまでくればドン引きだな」

『どうだかな。最低限のリスクしか背負わず、他者に頼りまくる。そんなみっともねぇ生き方よりマシだ……なァ?』

「……」

 

 右乃助はベータを睨み付ける。

 ベータは飄々としていた。

 

『そぅら。足掻けよ、みっともなく。見てるだけで笑えてくる』

「……ほざけ」

 

 右乃助は怒りを一瞬で飲み込み、平常心を取り戻す。

 そして近くにいる凍牙に告げた。

 

「とりあえず演奏トラックを無効化する。ベータが出てくれば、最悪撤退してもいい。自分の命を優先してくれ」

「わかった」

 

 凍牙は右乃助と共に演奏トラックに突撃する。

 そんな時である。闇バスに一気に詰め寄る漆黒のオートバイが二台現れたのは──

 右乃助は目を細める。

 

「やっぱりいたか……あれはカインとアベルだな。マイクの野郎、趣味のわりぃ奴等雇いやがって……」

 

 右乃助は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 凍牙は忠告した。

 

「いいのかね? あの兄弟は曲がりなりにもAクラスの殺し屋だ。死織君には荷が重いだろう」

「安心しろ。きっちり護衛がいる」

「……ほぅ」

 

 凍牙は遠い闇バスをみつめる。

 

「ならば信じよう」

「おう。俺達は俺達のできる事をするぞ」

 

 右乃助は飛びかかってきた奴の顔面に鉄拳をめり込ませる。

 凍牙はその隙をカバーした。

 

 右乃助たちは一気に跳躍し、演奏トラックに着地する。後はこれを粉砕するだけだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 カインとアベルはシャムハザのお祭り騒ぎを利用していた。爆煙と車両に上手く紛れ、どんどん闇バスに近寄っている。気付いた香月が斬撃を飛ばし、アモールも拳銃を連射した。が、見えない何かに弾き返される。香月は叫んだ。

 

「死織さん!! 襲撃者です!!」

「マジですか……!!」

 

 死織はバックミラーで襲撃者を確認する。

 オートバイに跨がっている銀髪の美男二人……死織は舌打ちした。

 

「魔界都市でも指折りの変態たちですか……これでも食らいなさい!」

 

 死織はハンドル手前のスイッチを押す。闇バスの両サイドからガトリングガンが現れた。毎秒100発の8.62mm専用貫通弾を発射するオートターレットである。嵐の様な弾幕が展開されたが、兄弟たちは並走して手をあわせ、見えない何かを伸ばす。すると弾幕ごとオートターレットがバラバラに切り刻まれた。

 死織は苦い顔をする。

 

「兄弟揃っての鋼糸使い……情報通りですね。それなら!」

 

 死織は闇バスのバックナンバーの上部を開き、大量の特製手榴弾を放出する。如何に卓越した鋼糸使いでも無差別爆撃は防ぎきれまい……そう考えた死織は少し甘かった。足止めはできても倒す事はできない。

 

 兄弟は鋼糸で見えない坂道を作ると跳躍。そのままオートバイすらも土台にして闇バスに急接近した。特殊合金製の装甲、幾重にも展開された魔術障壁、そんなものは関係ない。「空間ごと切り取れば」全て解決する。

 彼等は曲がりなりにもAクラスの殺し屋だ。これくらい、平然とやってのける。後部座席の天井をくりぬいて、魔人兄弟が闇バスに降り立った。

 

「さて、お楽しみの時間だ」

「右乃助の奴がバカで助かったぜ。なぁ、兄貴?」

 

 カイン&アベル……最悪の展開だった。右乃助たちはシャムハザと交戦中のため、すぐには戻れない。割と近い香月とアモールすら妨害されている。

 死織は無言でニーナを離し、近くの席に座らせた。そして自動運転に切り替えクレフに告げる。

 

「ニーナさんをお願いします。私が足止めしますので」

 

 何処からともなく高周波ブレードを取り出し構える。鋼鉄をバターの様に切り裂ける斬れ味に加え、死織本人もそれなりの腕前だ。しかし、今回は相手が悪かった。

 

「やめとけよ、話にならねぇ」

 

 高周波ブレードの刀身ごとバラバラにされ、死織の制服が一直線に裂かれる。ブラジャーごと斬られてしまったため、豊満な乳房が露になった。新雪の様な柔肌に桜色の乳首……男の手でも掴みきれないであろうボリュームを見て、アベルは思わず涎を垂らす。

 

「カーっっ、たまんねぇなぁオイ。あの糞野郎……大和の女はやっぱり上物だ」

 

 死織は頬を赤らめ胸を隠した。それでも隠しきれない巨乳に、アベルは興奮を隠しきれない。

 

「さっさと連れ帰りてぇ……なぁ兄貴、どうだよ。奥にいるチビっ子は」

「あぁ……アァ……いい、素晴らしい……写真とは比べ物にならないッ!!」

 

 カインは既にふやけてしまったニーナの写真を捨て、血走った眼で「本物」に手を伸ばす。

 

「その亜麻色の髪、つぶらな瞳、丈のあってない服装……何て愛らしいんだッ!! さぁ、こっちにおいで!! 怖がらなくていい!! お兄ちゃんがイイ事を教えてあげよう!! 君は、大人になってはいけない!! そのままでいい!! そのままがいいんだ!!」

 

 興奮のあまりパンツ越しに勃起している兄を見て、アベルは内心ドン引きする。

 

「度し難いペドフィリアですね……吐き気を催す」

 

 吐き捨てた死織に対して、カインは露骨に表情を歪める。

 

「黙れ糞ババァ……弟がいなかったらお前なんぞ細切れだぞ」

「兄貴、時間だ時間。そろそろ横の女たちが追い付いてくる」

「……チッ」

 

 確実に距離を詰めてきている香月とアモールを確認したカインは、片手を上げた。

 

「さっさとお持ち帰りするぞ」

「オーライ。じゃあ連れていくぜ」

 

 死織とニーナに幾重もの鋼糸が迫る。死織は悔しそうに唇を噛み締め、ニーナは席の後ろに隠れた。

 

 そんな時である……

 

「やれやれ、黙って聞いていれば……お嬢様を性的対象として捉え、死織様をあらんかぎり侮辱するなど」

 

 それぞれ放った鋼糸が、纏めて純白の手袋に絡め取られる。カインは片眉を跳ね上げた。

 

「誰だ、爺さん……」

「ホッ、呑気な若者たちだ」

「兄貴!! 何やってんだよ!! さっさと切断してくれ!! それとも邪魔してんのか!? 全然斬れねぇぞ!! このジジィの手!!」

「さっきから本気でやってる……ッッ」

 

 カインが表情を引き攣らせためアベルも顔を青くする。空間をも切り裂ける特別製の鋼糸がまるで機能していない。……否、通用していない。

 雁字搦めに縛られているクレフの右手の手袋が破れると共に、種明かしがされる。

 

 岩石の様な手だった。

 傷だらけの拳ダコだらけの手である。どれだけ過酷な鍛練を詰めばこんな形になるのか。どんなものを殴っていればこうなるのか……

 

 戦慄している兄弟にクレフは語りかける。

 鬼の形相で……

 

「覚悟はできているな、若僧共。女子供を犯してきた、その罪を償う準備はできているな?」

 

 クレフは空いている左腕をだらんと下げて振り子の様に揺らす。その腕の形は、まるで死神の鎌だ。

 鬼の様な気迫を感じ取ったカインは叫ぶ。

 

「アベル!! 撤退するぞ!! このままじゃッッッッ」

 

 その顔面に岩石が突き刺さる。否、クレフの神速の左ジャブがめり込んだのだ。まるで大砲……ジャブの威力ではない。ヒットマンスタイルからのフリッカージャブ、遠心力を全て乗せた拳はカインの顔面を容赦なく潰した。鼻が陥没し、眼鏡がそのまま顔にめり込む。全ての歯が砕け散り、白い欠片がパラパラと舞った。

 

「ホゲエッ!?」

 

 美貌が台無しになり、どこから出したともつかぬ声が響き渡る。

 

「なんだこのジジィ!? 聞いてねぇ、ぞッッッッ!!?」

 

 倒れ込む兄を横目にガードしたアベルだが、ガードごと粉砕される。両腕の骨が見事にへし折れた。

 

「ジャブだけで済ませてやる。……でないと殺してしまうからな」

 

 天使殺戮士は天使病の患者以外殺してはならない──ただし、命さえあればどんな状態にしても許される。

 

「ギャアアアアアッッ!! やめろ!! 来るんじゃねぇぇッッ!!」

 

 叫ぶアベルには、目の前の老人が得体の知れない化け物に見えていた。

 兄弟の全身に数百の剛拳が一瞬で叩き込まれる。逃げる隙などない。与えもしない。秒間200発のラッシュが、瞬く間に兄弟の意識を奪った。

 

 神速のステップワークは場所を選ばない。それがバスの中であろうとも、だ。死神の鎌が振り回される。瞬く間に原型を無くした兄弟たちをクレフは天井に打ち付けた。

 更に殴って殴って殴って殴って、ラストに一拍置いて渾身のアッパーを放つ。物理攻撃にめっぽう強い筈の闇バスの天井がいとも簡単に吹き飛ばされた。兄弟たちは天井だったものに磔にされたままハイウェイの下に落ちていく。

 

 唖然としている死織に振り返ったクレフは、何時もの好々爺に戻っていた。

 

「……衣服が乱れてしまいましたね、どうぞ」

 

 ブレザーを脱いで死織の肩に被せる。

 そして申し訳なさそうに謝った。

 

「お許しください。右乃助様の作戦を完璧にするために、ギリギリまで戦闘を避けていたのです」

「……成る程、事情はわかりました。ですが、凄まじい力ですね。流石は天使殺戮士……」

「ホホホ、これでもイスラエルの血族。対天使の格闘術は修めておりますから」

 

 クレフは遠く、ハイウェイの下を見つめる。

 

「あの者たちは殺していません。ですが、死より苦しい生を味わってもらいます。外道畜生は許せないタチなので」

「……恐ろしいですね。ですが、頼もしい」

 

 苦笑する死織の傍にニーナが駆け寄ってきた。そして何故かドヤ顔をかます。自分の付き添い人の活躍に鼻高々なのだろう。

 クレフは困ったような、嬉しいような、そんな複雑な笑みを浮かべた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ハイウェイでの戦闘もクライマックスだった。

 右乃助と凍牙が演奏トラックを完全に破壊したため、バフデバフの効果が消えている。それでもシャムハザの隊員は侮れないが、彼らは単体でBクラス下位程度……ある程度の数なら対処できる。

 そして何より、クレフの実力解放が決め手となった。闇バスこそ半壊してしまったが、ネックだったカイン&アベルを始末できた。

 流れは依然、右乃助たちにある。

 闇バスに戻ってきた右乃助はクレフに笑いかけた。

 

「やっぱり凄ぇな、天使殺戮士ってのは」

「いえいえ、右乃助様が最後まで隠してくださったおかげですよ。死織様に少し被害が及んでしまいましたが……」

「怪我はしてねぇか?」

「大丈夫です」

 

 死織は運転席から手を挙げる。

 そのまま聞いた。

 

「もうそろそろ目的地に付きますが……大丈夫ですか? このままで」

 

 含みのある物言い……彼女は理解していた。シャムハザを含めた敵勢力がまだ余力が残していることを。生死の境目を理解している魔界都市の住民だからこそ、わかってしまっていた。

 

 右乃助は微妙な顔をする。

 

「安心はできねぇな。まずまずってところだ」

 

 右乃助は振り返り、戦場を見つめる。

 シャムハザのリーダー、ベータに対して他のメンバーが総攻撃を仕掛けていた。しかしベータは歯牙にもかけない。

 

『ウロチョロと蝿みてぇに……失せなァ!!!!』

 

 堅牢無比な重装アーマーの合間から擬似エーテルのビームキャノンをぶっ放す。彼の扱う擬似エーテルは他の隊員たちとは比べ物にならない。触れればそれだけで死んでしまう。なので皆、時間稼ぎしかできないでいた。彼の乗っている超巨大モンスタートラックにもダメージが入っていない。

 

 右乃助は腕時計を見つめた。

 

「死織、到着まであと何秒かかる?」

「30秒。ハイウェイを下った先に広間があるので、そこからは徒歩になります」

「わかった。死織、予備の制服は持ってるか? 持ってるなら着替えてくれ。クレフさんはニーナを抱えて走る準備を。他の奴等はその場で合わせられる」

「わかりました」

「かしこまりました」

 

 死織はお礼を言いながらクレフにブレザーを返す。そして予備の制服に着替えようとしたのだが……

 

「…………」

「お嬢様、こちらへ」

「!!?」

 

 死織の胸をガン見していたニーナがクレフに抱えられる。ニーナは頬をハムスターの様に膨らませたが、状況が状況なだけに大人しくする。

 

 右乃助は苦笑すると、改めて前方を見つめた。ハイウェイを降りた先にある広間……ここから先は完全な南区。中央区とは別の世界であり、目的地「ペヌエル」がある。

 

 初代イスラエルが唯一神から祝福を賜った土地……現在は異空間を漂った末に遺跡と共に埋もれていた。

 

 右乃助はここで更に増援を呼んでいた。予め声をかけておいた頼もしい仲間たちだ。人数こそ少ないが、確実に助けになってくれる。

 待ち合わせの時間もピッタリなので、右乃助は前方を注視した。

 

「……は?」

 

 彼は頓狂な声を上げた。予想外の光景が広がっていたからだ。悪い意味ではなく、良い意味で……

 

「右乃助ぇ~! たすけにきたぞ~!」

 

 広間で手を振っている美男。その背後には500を優に越える殺し屋や傭兵、用心棒達が佇んでいた。全員デスシティの住民であり、Aクラスの手練たちである。右乃助が救援で呼んでいたのは10人くらい……なので50倍近い人数が集まっている事となる。

 唖然としている右乃助に、最初に声をかけた美男が笑いかけた。

 

「ネメアさんが呼びかけてくれてよー! 右乃助がピンチだって。そしたら結構な人数が集まってくれたんだ! いや~、お前さんに恩があったり貸しがあったりと、色々理由はあるけど、愛されてるな~!」

 

 のほほんとした口調の美男は八百万(やおよろず)。Aクラスでも上位の強さを誇る何でも屋だ。そして右乃助の親友でもある。

 容姿的年齢は二十歳前半ほど。烏の濡れ羽色の髪で左が長く右が短いアシンメトリーなヘアスタイル。黒真珠の様な綺麗な瞳。顔立ちはデスシティ基準で上の下。表世界では普通にアイドルレベルのイケメンだ。服装は白と青が斑に混じった浴衣。下駄をカランカランと鳴らしながら、肩には鉄の棍を担いでいる。

 

「ヤオヨロズ、誤解される。半数が魔界都市交通株式会社からの報酬金目当て。別に右乃助のためじゃない」

 

 不馴れな口調で言ったのはタイ人の青年。容姿的年齢的は八百万よりも幼い。ボサボサの黒の短髪に焦げ茶色の瞳。褐色の鍛え上げられた肉体。服装は白のタンクトップに黒のズボン。

 彼は殺人ムエタイの達人であり、ムエボラン(古式ムエタイ)の使い手だった。

 

「おまっ、そこは空気読めよトム」

「うるさい。俺、そもそも右乃助とあまり仲良くない。ヤオヨロズは綺麗事で収めようとし過ぎ」

「んでもよぉ? 右乃助の姿見てホッとしてたじゃん?」

「……俺以外の奴にやられたら困る。それだけ」

 

 正直じゃないトムにムフフと笑う八百万。彼は鉄の棍を掲げて右乃助に告げた。

 

「こっからは俺達に任せておけー!! シャムハザの連中なんざこてんぱんにしてやる!! だからお前さんは、お前さんのやるべきことを成せぇ!!」

 

 その言葉に、右乃助は笑った。

 

「ったく、らしくねぇ。……でもサンキューな。助かった!!」

 

 右乃助は死織やクレフと共に闇バスから飛び退いた。

 瞬間である、大乱闘が始まったのは──

 

「総員、かかれーッッ!!!! 魔界都市の住民舐めんじゃねぇぞコンチクショー!!!!」

 

 八百万の号令と共に住民たちが一斉にベータへと飛びかかる。ベータは怪物トラックの上から怒鳴り散らした。

 

『カス共がァ!!!! 調子乗ってんじゃねェェェェ!!!! まだまだ俺のファミリーは沢山いるんだよ!! せめて全員満足させてみろやァァァァ!!!!』

 

 その背後からシャムハザの隊員たちが飛び出てくる。その数、優に3000は越えている……増援がやって来たのだ。シャムハザの総戦力である。ハイウェイからはみ出るほどの大軍勢を前にしても、八百万たちは狼狽えなかった。むしろ叫び返す。

 

「数で勝ったつもりか!! ああ!? ルール無しの喧嘩なら負けねぇぞ!!」

 

 正面衝突……あまりの衝撃に周囲一帯の建造物が吹き飛び、空間が歪む。大激闘の中を、右乃助一同はかろうじて脱出した。

 

「よし!! いい調子だ!! このまま目的地までダッシュだ!! いくぞ皆!!」

 

 一同は力強く頷き、走る。あともうすぐだ。

 希望が、手に届くところまで来ていた。

 

 



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十三話「吹き抜ける黄金の風・序」

 

 

 駆ける。南区の迷宮のような裏路地を駆けていく。

 遠く離れていても聞こえてくる爆発音……八百万たちがシャムハザの軍勢と戦っているのだ。彼等の助力を無下にはしまいと、右乃助たちは走る。

 しかし追っ手がまだ湧いてくる。ルプトゥラ・ギャングもなりふりかまってられないのだろう、下っ端の構成員まで出してきた。一人一人は大した事なくても集団になれば十分驚異。全身タトゥーまみれの厳つい男たちを蹴散らしながら、右乃助はメンバーを確認する。

 

「全員いるか!? はぐれてないか!?」

「大丈夫です!」

 

 顔ぶれを確認した後、アモールの返答に頷く。そんな中、パンジーが神妙な顔付きで告げた。

 

「凄い迷路……本当にこの道であってるの?」

「GPSで現在地を確認してる。それについては大丈夫なんだが……クソッ、所々で待ちぶせしてやがる!」

 

 建物の上から飛び下りてきた構成員たちを思いきり殴り飛ばす。これでは埒が明かない。メンバーの人数的に、狭い場所での戦闘はリスクが高い。

 思いきって通路に出てみると、既に待機していた構成員たちに発見された。彼等の背後にM2重機関銃が固定されたジープがあったので、右乃助は前に出て防御の構えをとる。

 そんな時である。敵陣めがけてスモークグレネードが投げられたのは……

 

「ゲホッ!! ゴホゴホッ!!」

「クソッ!! 前が見えねぇ!!」

「これじゃあ撃てねぇぞ!! ゲフッ! ゴホゴホっ!!」

 

 いきなりの事で唖然としている右乃助たちに、声がかけられる。

 

「こっちです! 早く!」

 

 その声に聞き覚えがあった右乃助は、驚きながらも嬉しさで固い表情を崩した。

 

「お前まで助けてくれるのか。……嬉しいが、無茶するなよ。ラース」

 

 戦闘用のジャケットとシャツ、パンツを着た美青年オークは笑い返した。

 

「尊敬する先輩がピンチなんですよ? 助けるのは当然です」

 

 彼は最近Aクラスに昇格した実力派若手、右乃助を先輩と慕う賞金稼ぎだった。

 

 

 ◆◆

 

 

「俺は南区出身なのでここら辺の地理に詳しいです。なので、最短ルートを教えられます。目的地は遺跡群ですよね?」

「ああ。助かる。……これは一度や二度では返せない恩だな」

「なら、俺が危なくなった時に助けて貰います」

「お安い御用だ」

 

 二人の気軽な会話を聞いて、香月とアモールが瞳を輝かせる。

 

「流石師匠……! 人脈を築くプロですね!」

「尊敬します!」

「一々褒めるな、こそばゆい」

 

 二人の頭に軽いチョップを当てる。二人は嬉しそうに笑っていた。

 

「さて……」

 

 右乃助は明後日の方向を睨む。

 

「……全員伏せろ!!」

 

 右乃助の叫び声に反応して全員が頭を下げる。壁際から火炎放射器をばらまかれた。超熱量の炎が全員の頭上を通過する。右乃助は素早く距離を詰めて隠れていた構成員たちを殴り殺した。

 

「チッ……この追っ手の動き。こりゃあ監視されてるな」

 

 上空を見上げる。今の自分たちの居場所を把握できる手段があるとすれば……それは空。

 

「無人偵察機……パッと視認できないところ、かなり高度な代物とみた。魔界都市製か?」

 

 右乃助の予測は的を射ていた。アドバンスUAV……魔界都市の異常な科学力の結晶である。視認不可、熱源探知にも引っかからず、かつ本来のUAVよりも滑空高度が高い。破壊は困難だ。

 大和がいれば狙撃できるだろうが、たらればの話だ。右乃助は苦い顔をする。

 

「ラース、すまねぇが最短ルートじゃなくて複雑なルートを教えてくれ。なるべく敵側を混乱させられるような……」

「わかりました。では現地人じゃないとわからないルートでいきます。はぐれないでくださいね」

「わかった」

 

 ラースは早速隣の塀を飛び越え、手前の階段を下りる。そして下水路を指した。

 

「ここを進みます。魔獣とか怪虫がわんさかいて厄介ですが、対処法さえわかっていれば問題ありません。現地人じゃないルプトゥラ・ギャングの面々が入ったところで、そいつらに襲われるだけでしょう」

「いいな、それでいこう。って、おおっと!」

 

 屋上から奇襲してきた構成員たちと相対する右乃助。槍を持っていたので半身を反らして躱すと、落ちてきた本体を壁にめり込ませた。ズンと重い音と共に壁に埋まる。後から降ってきた輩も踵落としで同じく地面に埋めた。

 鮮やかな手際にラースは感心する。

 

「やっぱり、Aクラスとは思えないですね」

「お前までおだてるのか? ただの経験だよ」

 

 右乃助は肩を竦めると下水路を見つめる。何故か魔獣たちが出てきていて、こちらに殺意を向けていた。ラースは困惑する。

 

「おかしいですね……普段は滅多に下水路から出てこない奴等が」

「操られてるんだろう。魔獣や怪虫の使役は下級の魔術師でもできる。おそらくルプトゥラ・ギャングに雇われた奴の仕業だ。……全員が味方じゃねぇって事だな」

 

 右乃助は聖人君子ではない。大なり小なり恨みを買っている。そういう輩にとって、ルプトゥラ・ギャング側に付くほうがメリットがあるだろう。ラースは顎をさする。

 

「中々手強いですね。此処を抜けられないとなると、別のルートを探さなきゃ……」

 

 そうこう言ってる間に魔獣たちが襲いかかってきた。迎撃態勢に入った右乃助たちだが……

 

「おおっと足が滑ったァァァァ!!!!」

「「「「「滑った~!!!!」」」」」

 

 下水路の入り口に落石がふり注ぐ。魔獣たちは下敷きになり、入り口も封鎖された。右乃助が何だと視線を向けると、入り口手前でドヤ顔をかましている子供幽霊たちがいた。

 

「足が滑ったからしゃあない!! しゃあないんだ!!」

「でも親びん!! 俺たち足ない!!」

「!!?」

「下半身ふよふよ!! だって幽霊だもん!!」

「なんてこったい!!」

「あわわ~っ、ここは手が滑ったにしましょ~っ!」

 

「それだ!! あ~あ~っ、手が滑ったんじゃあしゃーないなー!!」

「「「「「しゃーないなー!!」」」」」

 

 コントをしている子供幽霊たちに、右乃助は頭を抱えながら聞く。

 

「何してんだよ……幽香」

 

 名前を呼ばれた桃髪ツインテールの美少女幽霊は、無邪気に笑った。

 

「何って、助けに来たんだよ!! 俺達友達だろ!!」

「ともだちー!!」

「助けるんだじぇー!!」

「頑張ります!!」

 

 死体回収屋ピクシーの面々……右乃助が日頃から世話になっている者たちだ。

 

「……いや、ありがてぇけどよ。無茶すんなよ」

 

 右乃助は嬉しさ半分、心配半分といった面持ちだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 幽香たちはてきぱきと準備をはじめる。メンバーを乗せる荷台を出しているのだ。本来死体を運ぶためのものだが、その分数人くらいを乗せるスペースがある。重さも余程ではない限り大丈夫だ。

 

「結構多いなー! 三台くらい用意するか!」

「ああ、頼」

「いや~、その必要はないよ幽香っち♪」

 

 右乃助の言葉を遮ったのは、サーシュだった。

 

「あたしたち残るから、そしたら荷台一つで十分っしょ?」

 

 サーシュの横にはパンジー、参碁、凍牙が並んでいた。右乃助は目を丸める。

 

「お前ら……」

「あたしたちで足止めするから、ウノちゃんたちはそのまま逃げるにゃーっ。その方が効率的っしょ?」

「それは……」

「それにぃ~」

 

 サーシュは両手を広げる。

 

「逃げるのも飽きてきたんだよね~。ここらで一発、でっかい血祭りあげなきゃ気が済まないの♪」

 

 サーシュは、右乃助の後ろにいるニーナとクレフに手を振った。

 

「んじゃ、バイバーイ。よかったね♪ ウノちゃんが味方で♪」

 

 背中を向けて去っていく彼女にパンジー、参碁、凍牙が続く。

 

「行きなさい、ウノちゃん。ここは私たちでどうにかするわ」

「そうだ。あれだけデケェ口叩いたんだから最後まで走りきれよ?」

「君たちが無事ゴールする事を願っている」

 

 四名の背を見つめ、右乃助は何か言おうとした。が、唇を噛んで止める。次には何時もの、らしい笑みを浮かべた。

 

「サンキューな、お前ら。……最後まで付き合ってくれて」

 

 右乃助は今いるメンバー、ニーナ、クレフ、香月、アモール、死織、ラースを確認し、頷く。

 

「よし、行こう。この面子で」

 

 この人数なら荷台一つで足りる。すぐに準備を終えた幽香は彼等を乗せて出発した。

 

「出発しんこー!! 目指すは古代遺跡、ペヌエルだー!!」

「「「「「あいあいさー!!!!」」」」」

 

 子分たちと荷台を引き、猛スピードで空を飛んでいく。暫くして気配が遠のいた事を悟ったパンジーは、サーシュの頭を撫でた。

 

「よく頑張ったわね。えらいえらい」

 

 参碁もその肩を叩く。

 

「お前も成長したなー、昔だったら我慢できずに殺してただろう? あのちびっ子ども」

 

 当のサーシュはぷんぷんと頬を膨らませていた。

 

「ウノちゃんは甘すぎる! ウザったいから殺してやりたかったよ! あのチンチクリンと糞ジジィ! アイツらの身柄ルプトゥラ・ギャングに渡したほうが絶対よかったじゃん! その方が楽だし! 儲かるし!」

「同感だな」

 

 凍牙は頷く。サーシュは激おこぷんぷん丸だった。

 

「でしょー!? それに何あのアマアマな雰囲気! おえ~!! 今思い出しただけで吐きそう!! オエーっ!!」

「確かにアマアマだったわねー」

「臭かったなー」

 

 パンジーと参碁は遠い目をする。

 

「やっぱりあまちゃんよねぇ、ウノちゃんは」

「だからこそ、支えてやりてぇって思う奴等も多いんだろうよ」

「金ではなく情で動くか……右乃助らしい」

 

 一同の意見に、サーシュは唇を尖らせる。

 

「ウノちゃんは友達だから別にいいけどさ~? 友達じゃなかったら絶対付き合わないし。そもそも、友達だからって最後まで付き合う必要ないよね?」

 

 一同は頷く。

 

「それはそうよ。友達だからってその全てを肯定する……そんなの間違ってるわ」

「好きなところもあれば嫌いなところもある、そーゆーもんだろ」

「なればこそ、だ。此処で右乃助たちと別れたのは良い判断だといえる」

 

 此処にいる面子は右乃助ほど甘くない。冷酷で残忍な、本当の意味での魔界都市の住民だ。

 サーシュは笑う。

 

「適材適所、ってやつかにゃー。まぁ、グダグタ言ってるけど自分で乗った船だし? 最後まで付き合うよ!」

 

 そう言って、サーシュは参碁を見つめた。

 

「ねーねー、参碁お姉ちゃん。まだ「現役」の時のまんま?」

「ハァ? 舐めてんのかテメェ。元、後輩だろう? 先輩が衰えてるように見えるのか?」

「ぜ~んぜん♪ むしろパワーアップしてる♪ そんなお姉ちゃんの力見たぁぁい♪」

「しゃぁねぇなァ」

 

 参碁は髪を巻いていたタオルを取る。鮮やかな桃色の長髪がふわりと靡くと、隠されていた二本の角が露になった。彼女は鬼……それも種族最上位の鬼神である。大変稀な年若い鬼神、その力は優に右乃助を越えている。職業元・殺し屋。サーシュの姉貴分であり、超越者になろうと思えば何時でもなれる隠れた天才……

 

 鬼神の超越者、「童子」候補。怪力乱神の再来。

 

 彼女は隠していた妖力を解放し、魔改造バズーカ「仁王」にありったけ注ぎ込む。そして連結させ、空一面に極太ビームを放った。曇天が吹き飛び、紅蓮色の閃光が夕暮れをも飲み込む。堕ちてきた無数の隕石はアドバンスUAVだったものだ。今の一撃で全ての偵察機を破壊したのだ。

 

「さて……ついでに燃やしちゃおうかしら」

 

 パンジーは南区の住宅街を爆破し、燃やし尽くす。殲滅型爆撃魔法だ。小都市規模の範囲を纏めて焼き払える。右乃助はあえてしなかったが、簡単な事なのだ。待ち伏せているルプトゥラ・ギャングの構成員ごと一気に消してしまえばいいのだ。その土地の住民ごと……

 

「……ウフフっ、アハハッ♪ やっぱりコッチのほうが早いわね♪」

 

 ケラケラと嗤うパンジー。その顔は普段香月やアモールに見せるものではなかった。隣では凍牙が得物であるベレッタM92fをカスタムしている。彼は戦況に合わせてパーツをカスタマイズするのだ。

 

 ふと、焔の海をかい潜り現れた者たちがいた。

 サーシュは嬉しそうに嗤う。

 

「でた♪ マイクさん直属の部隊『EL VERDUGO』……絶対に近くにいると思ったのよねぇ。あの用心深いマイクさんがこんなに簡単に進ませてくれる筈ないじゃん? ……キャハハ♪ どーせウノちゃんたちがゴール手前で油断したところをヤるつもりだったんでしょう?」

 

 全身を漆黒色で統一した特殊暗殺部隊。金属製のフルフェイスマスクが特徴的だ。『EL VERDUGO』……マイク直属の部下であり弟子達。重火器、刃物、格闘技、破壊工作、諜報活動、全てにおいて秀でた戦闘員。戦闘力は全員Aクラス。

 数で劣っているが、サーシュたちは動揺していなかった。むしろヤる気満々である。

 

「アナタたちとヤるの、実は楽しみだったのよねぇ♪ ルプトゥラ・ギャング内でも輪をかけて残虐非道って聞いてたから」

 

 サーシュは得物である二丁魔銃をクルクルと指で回す。魔銃の名は「Hate & Scream」。デスシティ製の魔銃で犠牲者の怒り憎しみ、悲鳴を糧にして威力を増していく。ド畜生のサーシュとは相性抜群であり、その貫通力と破壊力は極まっていた。

 彼女は銃身から曲剣状の銃剣(バヨネット)を生やし、金色の瞳を輝かせる。

 

「アナタたちをケバブにすればマイクさん、もっと悔しそうな顔するでしょうねぇ……一瞬だろうけど。キャハハ♪ でもでも~? 手塩にかけて育てた部下たちが調理された状態で届いたら、やっぱりオモシロイよね~っっ♪♪」

 

 サーシュは涎をたらしながら両手を広げる。

 

「調理師は沢山います!! 焼き専門もいます!! さぁて……皆さんお待ちかね!! R30コーナーはっじまっるよ~ッッ!! 良い子は絶対見てね!! カニバル表現もあるからっっ♪♪」

 

 彼女は、魔界都市の狂気そのものだった。

 

 友達だから協力はしよう……しかしその在り方を全て肯定はしない。

 探せば何処にでもある、普通の人間関係だ。

 

 



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十四話「吹き抜ける黄金の風・破」

 

 

 一方、八百万たちAクラスの救援メンバーはシャムハザの隊員たちと激闘を繰り広げていた。擬似エーテル仕込みの弾幕を切り抜け、確実に総数を減らしていっている。兵法を少しばかりかじっている八百万が的確な指示を飛ばしているのだ。

 敵勢は3000余り。陣形を組まず、勢いのまま突っ込んできている。数の理を生かした、ある意味合理的な戦法だ。士気も高く、侮れない。正面戦闘になれば勝てるか五分五分だろう。だからこそ、戦略を用いる。

 

「右翼、左翼は平行して戦場を押し上げてくれ! 中央は武術家が集まって正面突破! 後に三人一組で固まって内部から切り崩し! 空を飛べる奴は敵陣深くに空襲! 一撃離脱を心がけてくれ!」

 

 少数精鋭、故に戦略が光る。全員指示通りに動いてくれるため、みるみる内に戦況が変わってくる。しかし八百万は一切油断しなかった。きちんと最後までやり通す。

 

「ラスト!! 中央にいる奴らは転移魔術符で撤退!! 間を置かず魔術士チームが絨毯爆撃!!」

 

 八百万の背後に控えていた魔術士たちが一斉に爆裂魔術を放つ。数十人かかりでの大規模展開魔術は魔術といっても馬鹿にならない。ハイウェイごと辺り一帯を焼き尽くす。爆風と共に吹き荒れる焔の竜巻……暫くすると、シャムハザの隊員たちはほぼ全滅していた。

 八百屋は拳を掲げる。

 

「よっしゃー!!!! やってやったぜオラー!!!!」

 

 所々から歓声が上がる。ルプトゥラ・ギャングの部隊を殲滅させるというのは、それほど大きい戦果なのだ。

 今だ爆炎に囲まれている中、最後のシャムハザ隊員が息を引き取ろうとしていた。その生き様を見届けていたベータは、何時もと違う優しい声音で聞く。

 

『よぉ……楽しかったか? 好きなこと沢山して、やりたいこと目いっぱいやって……』

「当たり前でさぁ……ハハハ、楽しかったぁ……」

 

 彼は上半身だけになっていた。左腕も肘から先が吹き飛んでいる。

 

「善なんて糞食らえ。悪にこそ自由あり。自由にこそ生の輝きあり……そう教えてくれたアナタに、今でも感謝してますよ……」

『…………』

「最高の人生だった……好きなことして、笑って、馬鹿やって……その先に、この楽しさがあるなら……ヘヘッ」

 

 彼は震えながら右手を天に掲げる。そして中指を立てた。

 

テメェ(神様)なんていらねぇよ、バーカ。……俺達に明日をくれたのは、ベータ様だ…………」

 

 笑って、息絶えた。ベータはその姿を最後まで見つめていた。心臓の音が止まる、その瞬間まで……

 

『俺も、楽しかったぜ……お前らと騒ぐのは』

 

 枯れた声には哀愁の念が含まれていて……一人ぼっちになった狂い者は、そのまま火の粉に紛れて消えていった。

 

「まだだ!! 大将のベータが残ってる!! 油断すんな!!」

 

 八百万の叫びにその場の空気が引き締まる。しかしその空気ごと「別の圧」に支配された。巻き上がっていた焔が飲み込まれ、超濃度の妖気で場が満たされる。辺り一面に紅の薔薇が咲いた。花弁からは血が滴り落ちている。

 元凶は、吸血鬼の神……神祖。

 

「はぁい、お疲れ様♡」

 

 ネオナチス派遣師団大隊長、ヴラド・ドラキュリーナ。

 縦ロールの豪奢な金髪、鮮血を彷彿とさせる双眸、死人の様に白い肌。身に纏う凄絶でありながら妖艶な色香は吸血鬼の神故のものだろう。独自にアレンジされたSS軍服が更に魅力を際立てている。網タイツで強調されている太股に視線が寄るのは男として極々自然なことだが、今はおかしい。命の危機の筈なのに、色気に惑わされるなど……。

 それほどの実力差があるのだ。生粋の魔王だけが纏える、矛盾のオーラ……

 

 八百万は持っている鉄棍で地面を叩いた。硬質な音と共に突風が吹き荒ぶ。一同は我に返り、慌てて臨戦態勢に入った。しかし遅い。全てが遅い。

 苦い顔をする八百万に、ヴラドは感心した様子で聞く。

 

「凄いじゃない、坊や。発破をかけたの? 」

「ベータはどこに行ったんですかい? 魔王さんよぉ……」

「質問を質問で返すのはよくないわ。それに……顔が青くなってるわよ?」

「っ」

「フフフ、可愛い坊や……♡」

 

 紅の塗られた唇を撫でるヴラド。絶体絶命だった。ベータだけならまだしも、ヴラドはマズい。最上位の神仏すら敵わない正真正銘の規格外だ。しかも派遣師団の隊員たちがいつの間にか辺りを囲んでいる。数は、おおよそ500……。八百万が認識できる範囲なので、実際はもっといる。更に無人サイボーグや怨霊怪異などをもいた。機甲師団と山岳師団の隊員たちだ。

 八百万は冷や汗を流しつつも、やれやれと肩を竦める。

 

「弱いもの苛めはみっともないですぜ、魔王の姉さんよぅ」

「と、言ってもねぇ……総統閣下からの厳命なのよ。イスラエル覚醒に荷担する奴等を皆殺しにしろって」

「同族であろうが……いいや、同族だからこそ消しておきたい、といった感じですかい?」

「……へぇ」

 

 ヴラドの紅い瞳が好奇心で輝いた。

 

「この都市は学の無い連中ばかりだと思っていたけど……そうでもないのね」

「少し歴史をかじっていればわかりますよ」

「ますます気に入ったわ♡」

「嬉しくもなんともありませんねぇ」

 

 八百万は鉄棍を両手で回し、構えをとる。ヴラドは不思議そうに首を傾げた。

 

「戦うつもり? やめときなさい。坊やたちじゃ時間稼ぎにもならない」

「わかってらぁな」

「ならどうして? 坊やは頭がキレる子だと思ったけど……」

「頭がキレるキレないは関係ないんだよなぁ」

 

 八百万は戦意を迸らせる。他の面々もだ。全員がネオナチスの隊員たちと戦おうとしている。一同を代表して、八百万が叫んだ。

 

「こっちはハナから死ぬ気できてんだよ……!! 舐めんじゃねぇぞ!! 魔界都市の住民を!!」

「そう、残念……貴方ならいい従僕になったでしょうに」

「糞ババァの介護なんざ死んでもごめんだね」

「そう、なら死になさい」

 

 無間速で鋭爪が迫る。八百万は下がらなかった。視認できなくとも、退く気はさらさら無い。なんなら首だけになっても喉元を噛み千切ってやるつもりだった。

 

「よう言った!! (ぼん)!!」

 

 桜吹雪と共に旋風が巻き起こる。超高速の回し蹴り、遠心力のたっぷりと乗った下駄はウラドの爪先を蹴り飛ばした。

 

 八百万の前に立ったのは金髪の美少女だった。稲穂の如き金髪、豪華絢爛な着物、ヴラドすら霞んで見える世界最高の美貌。先端の白い狐耳と九本の尻尾……間違いない。

 

『白面絢爛九尾狐』、万葉。

 

「それでこそ男児よ!! 天晴れ!! 後は任せておれぃ!!」

 

 魔界都市の東区を治めている大魔王は、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。

 

 

 

 ◆◆

 

 

「西洋の鬼神もどきか……はん」

 

 鼻で笑った万葉は、背後で呆けている八百万たちに告げる。

 

「ここは妾が引き受ける。坊たちは先に行った者たちを助けにゆけい」

「……万葉の姉さん、ありがとう!!」

「カッカッカ! よいよい! 気に入った若人を助けるのも年長者の務めじゃて!」

 

 八百万たちは深く頭を下げ、右乃助の救援に向かう。ヴラドは不機嫌そうに蹴られた爪先を見つめた。

 

「何のつもりかしら?」

「喧嘩を買いに来たんじゃ」

「……意味がわからないわ。今の状況だと、貴女が喧嘩を売っているように見えるけど?」

「魔界都市交通株式会社の魔道機関車、ルプトゥラ・ギャングに襲撃させたじゃろう」

「……」

「アレは妾も重宝しておってのぉ、わざわざ線路沿いに結界を張っておったんじゃ。それが破られた。……で? 喧嘩を売ってきたのはどっちじゃ?」

 

 万葉は鋭い犬歯を覗かせる。

 

「売られた喧嘩は買うぞ、阿呆ども」

 

 彼女もまた魔王……総身から溢れ出るオーラはヴラドに勝るとも劣らない。

 ヴラドは指を鳴らした。派遣師団でも実力派の戦士たちが万葉に襲いかかる。しかし、隊員たちは巨大な金棒に殴り飛ばされた。遥か彼方まで飛んでいき、しまいには見えなくなる。

 万葉の隣に立ったのは筋骨隆々の女傑だった。紅蓮色の長髪はポニーテイル、服装は袴に荒縄、サラシ。肩から桜吹雪の舞った羽織を羽織っている。身長は二メートルを優に超えており、かつ筋肉質。しかし魔性の色香は損なっていない。

 彼女は万葉に笑いかけた。

 

「来たぜ、姐御。俺達がやるのはどいつだ?」

「目の前にいる奴等全員じゃ」

「りょーかい。久々に暴れるぜェ……!!」

 

 朱天。本名を酒呑童子(しゅてんどうじ)

 現存する中で最強の鬼神。鬼の超越者『童子』の代表格。強力な妖魔達で構成されている暴力集団「朱天組」の組長であり、喧嘩の強さだけで「四大魔拳」に名を連ねているフィジカルモンスターだ。

 彼女は万葉の妹分であり、揉め事になった際は組を率いて最前線で暴れ回る、所謂ケツ持ちだ。

 増援を前にしても、ヴラドは余裕を崩さない。

 

「いくら救援を呼んでも私達には勝てないわよ?」

「ほぅ、どこからそんな自信が湧いてくるのやら」

 

 万葉の嘲笑に、ヴラドも嘲笑を返す。

 

「組織として成り立っていない貴女たちに、ネオナチスは止められない」

 

 そう言うヴラドの背後から超巨大ロボが現れた。全長500メートルほどの対軍勢殲滅用マシーンだ。機甲師団の傑作である。その力は超越者すら薙ぎ倒してしまうほど……巨大すぎる腕が万葉たちにふり下ろされる。

 しかし何処からともなく疾走してきた異形の巨人が巨大ロボの顔面を殴り飛ばした。走行の衝撃と殴った衝撃で爆風が吹き荒び、巨大ロボは高層ビルを何棟も倒しながら吹っ飛んでいく。突如として現れた全身から瘴気を噴き出す巨人……存在そのものが超密度の陰の気である。

 万葉は嗤った。

 

「お主は……いいや、お主らは勘違いしておる。喧嘩を売ったのが妾たちだけだと、本気で思ったのか?」

 

 禍々しい気と共に百鬼夜行が現れる。彼等は怪異に堕ちた元・超越者たち……那羅柯山脈の住民である。美女の百面を付けた大百足が高層ビルに巻き付き、全身から触手を生やした蝦蟇蛙が口から超濃度の瘴気を噴き出す。

 ヴラドは眉根を吊り上げた。万葉の横には呪われた魔姫が佇んでいる。半面がケロイド状の彼女は、万葉に笑いかけた。

 

「久方振りよの、万葉」

「久方振りじゃな、奈落。主も喧嘩を売られた口か」

「まぁな……ソロモンの糞餓鬼め、舐め腐りおって」

「フハハ!! 那羅柯山脈に手を出すとは、あ奴も阿呆よの!!」

「喧嘩は買う……我らを蔑ろにする者は誰であろうと許さん」

 

 万葉と奈落は親友同士で、神話の時代から切磋琢磨しあっているライバルだった。同じ男を想い、同じ男に憧れた。そして、それぞれ違う道を歩んだ。万葉は三国を傾けるほどの絶世の美女に、奈落は想い人が唾棄する「裏切られてしまった英雄」を保護した。互いに互いの信念を貫き、今がある。故に、どんな相手でも喧嘩を売ってきたら容赦しない。誇りと自負の元、全力で叩き潰す。

 

 ヴラドの傍に派遣師団の隊員が駆けつけ、慌てて報告した。

 

「ヴラド様! ご報告です! 山岳師団、及び大隊長、崇徳上皇様が襲撃を受けています! 相手は世界最強の呪術師、無月とその一派!」

「……」

「無月はあの「矛盾」コンビと三本槍の「呪詛姫」を傍に置いています! 万葉もまた忍衆「八百八狸(はっぴゃくやたぬき)」と世界最強の忍者「隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)」、更に暴力団「朱天組」を抱えています……我々派遣師団、並びに山岳師団を総動員しても、この面子は!」

 

 隊員の意見に、ヴラドは鮮血色の瞳を輝かせた。

 

「総動員しても、何?」

「ヒッ……」

 

 隊員の体から無数の茨が生えてきた。伸びて伸びて、紅色の薔薇が咲く頃には隊員は干からびたミイラになっている。視線だけで彼を殺したヴラドは、恐怖で固まっている他の隊員たちに告げた。

 

「泣き言なんて聞きたくないわ、さっさと戦いなさい。……でないと全員薔薇にするわよ」

 

 圧倒的な恐怖で支配する。これこそネオナチスのやり方……いいや、彼女は素でコレなのだろう。

 万葉はあからさまな嘲笑を浮かべた。

 

「恐怖で部下を支配するか、魔王としては二流じゃな。……ああすまない。西洋の引きこもり一族の神「程度」に、魔王という肩書きは荷が重すぎたか」

「死にたいのかしら、化け狐」

「クハハハ!! いい!! いいぞ!! ……その歪んだ面、実に妾好みじゃ」

 

 万葉は背後に数億もの仙術と妖術を展開する。朱天は部下たちを連れて我先にと飛び込んでいった。奈落は配下の怪異たちを指示しながら、自身も呪詛の理をばらまく。

 ヴラドは吸血鬼の神たる神祖の権能を解放した。

 遠い場所では世界最強の呪術師、無月と崇徳上皇が呪術合戦を繰り広げている。その証拠に、世界観に歪みが生じていた。天地そのものを変質させ、自身の領域として治めることこそ呪術の本質。その余波が魔界都市全土に広がっている。

 

 各分野の世界最強しか至れないランク、EX。その階梯にいる者たちの大激戦……デスシティが原型を留めていられるのも時間の問題だった。

 万葉は喜色満面の笑みで吠える。

 

「いい機会じゃ! 魔界都市の恐ろしさ……骨の髄まで刻んでやるわい!!」

 



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十五話「吹き抜ける黄金の風・急」

 

 

 幽香たちが運転する荷台の上で、右乃助は唐突に背後に振り返った。途轍もない……いいや、そんな言葉すら生温い超常的な存在の気配を幾つも感じる。遠く離れている筈なのに冷や汗が止まらない。ここまでの存在感を発せられるのは魔界都市でも数少ない。右乃助は主要人物のオーラを探り、成る程と唸った。

 

「東区と北区の頭領が出てきたのか。相手はネオナチス、それも大隊長と師団……グラウンド・ゼロだな。下手したら魔界都市が消し飛ぶぞ」

 

 その事態の中心にいる事を、右乃助は改めて自覚する。よくよく考えれば奇跡に近いのだ。今の状況は。数多の助っ人がいなければとっくのとうにくたばっていただろう。右乃助の表情が自然と険しくなる。

 そんな彼の横顔を見たオークの美青年、ラースは微笑みながら言った。

 

「過度な緊張はよくありませんよ、右乃助さん。ここまで来た貴方自身を信じてください」

「ラース……」

「できます、貴方なら。……だって貴方は、この魔界都市で一番優しくて、勇気のある人ですから」

 

 ラースは自前の棍棒を肩に担ぎ、立ち上がる。世界樹製の棍棒は彼のメインウェイポンだ。

 ラースは荷台から飛び降りる姿勢に入る。

 

「ちょっと足止めしてきます。八百万さんたちの気配を感じるので、合流して暴れ回ってやりますよ」

「……ありがとうラース、助けてくれて。絶対に生き残ってくれよ? これが終わったらゲートで奢ってやるから」

 

 ラースは目を丸めた後、ニコリと笑った。

 

「それは楽しみですね……それでは皆さん! ご武運を!」

 

 ラースは飛び降り、落下エネルギーを全て乗せて棍棒を振り下ろす。大地が震え、並んでいる住宅街が倒壊した。その膂力は山河を砕き、海を割るだろう。魔物として最上位の強さを、彼は既に身に付けている。いずれ抜かされるだろう……そう思いつつ、右乃助は顔を上げた。

 海流が押し寄せてきている。水の権能だ。それも最上位でありながら異端のもの……水の旧支配者、クトゥルフの加護である。この権能を行使できる存在は魔界都市でも数少ない。

 

「右乃助~! また来たぜー! 万葉の姉さんが助けてくれてなー! こっちは任せておけー!」

 

 八百万(やおよろず)、Aクラスの何でも屋だ。彼は右乃助と同じ闘気使いだが、超越者でないため神格から加護を授かれる。彼は非常に稀有な、邪神との契約者だった。彼の他にもムエタイの達人、トムを含めたAクラスの手練たちが海流に乗ってきている。彼等はそのままラースに加勢し、残っているルプトゥラ・ギャングの構成員を蹴散らしはじめた。

 八百万は拳を掲げる。

 

「あと少しなんだろう!! 走り抜け!! 頑張れ!!」

 

 右乃助は思わず破顔した。

 

「ああ、任せとけ!! 必ずやり遂げる!!」

 

 拳を掲げ返す。彼等に任せておけば大丈夫だ。サーシュたちも戦ってくれている。ルプトゥラ・ギャングの面々は完封できただろう。残すところはあと僅か……

 右乃助は荷台に乗っている面々に振り返り、最後の作戦内容を伝える。

 

「既にゴール間近だ。しかし肝心のゴール、古代遺跡ペヌエルは南区でも特異な空間として有名だ。今まで誰一人として立ち入る事はできなかったという……そのあたりは大丈夫なんだな? クレフさん」

「はい。ペヌエルはイスラエルの正当後継者しか踏み入る事ができない神域です。私も血族ではありますが、立ち入る事はできないでしょう。……数億年もの間、資格なき者を拒み続けてきた。あの地は、お嬢様を待っているのです」

「成る程……なら……ッ!!?」

 

 右乃助は生命の危機を感じとり、咄嗟に前羽の構えをとる。その脇腹が螺旋状の何かに抉り取られた。

 

「幽香!! もういい!! 十分だ!! ペヌエルの前で下ろしてくれ!!」

「でもっ!!」

「お前たちを巻き添えにしたくねぇ!! 頼む!!」

「……わかった!!」

 

 右乃助の判断は正しかった。香月が刀を抜いて子供幽霊たちに迫る投げナイフを弾き落としている。アモールは座ったままスナイパーライフルを構え、敵影に発砲した。魔獣の甲殻をも貫く大口径弾だが、いともたやすく受け止められる。不可視の結界……吸血鬼特有の反射神経で反応したアモールはたて続けにハンドガンを連射した。3、4、5発と釘打ちの要領で大口径弾を叩いていけば結界が破れて主が弾を掴み取る。

 

「へぇ、やるじゃん。流石右乃助の弟子」

 

 虎の女亜人がわざとらしく笑った。漆黒の軍服を着ている。ネオナチスの隊員だ。それも、元々は魔界都市の住民……

 禍津風が吹く。風魔法による真空刃は右乃助の頑丈な肉体を容易く切り裂いた。クレフが立ち上がりフリッカージャブを放つが、別のところから現れた狼の男亜人によって止めらる。拳を握り止める埒外の握力に、クレフは思わず顔をしかめた。咄嗟に右乃助が狼の男亜人のテンプルに爪先蹴りを放ち、無理矢理後退させる。

 今のやりとりだけでわかる、絶望的な戦力差……まだいるのか、それほどニーナという存在が邪魔なのか、と右乃助は眉根をひそめた。

 

「こっちも此処まで来たんだ……邪魔はさせねぇ!!」

 

 右乃助は迫ってきた狼の男亜人にタックルをかまして落下する。香月、アモールも続いて飛び降りた。虎の亜人めがけて突撃する。右乃助は筋力の差で剥がされてしまい、右ストレートを貰いそうになる。しかしクレフが舞い降りてきて絶妙なタイミングでカウンターパンチを見舞った。

 少しの間なら止められる……そう悟った右乃助は叫んだ。

 

「走れ!! ニーナァァァァっ!!!!」

「っっ」

 

 バランスを崩しながらもペヌエルの前に着地した荷台、その上から飛び降りてニーナは駆ける。目の前にある倒壊した遺跡……中にはイスラエルの正当後継者しか入れない。何億年もの間、あらゆる存在を拒み続けてきた神域に、少女は足を踏み入れた。

 

「死ぬ気で止める!! 絶対にアイツの邪魔はさせねぇ!! かかってこいやぁ!!」

 

 右乃助は天地上下の構えをとる。攻撃的な型だ。香月とアモールも闘志を迸らせる。クレフは軽やかなステップを刻んでいた。死織は子供幽霊たちを荷台の後ろに隠しながら、ニーナの背中を見つめる。その背に勇気と希望を見いだして、胸に手を当てた。

 

「頑張ってください……ニーナちゃんっ」

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、南区の倒壊したハイウェイの上にジャムハザのリーダー、ベータがいた。辛うじてニーナたちを確認できる位置にいる。

 彼は汚い声で嗤った。

 

『希望、勇気、友情、……下らねぇ。全部綺麗事だ。つまるところのオ◯ニー、自分に酔ってるだけ……そうだろう? 右乃助ェ』

 

 悪意は、脅威は、未だ健在だった。

 彼は狡猾だった。右乃助や他のメンバーの意識を意図的に他に向けさせていたのだ。漆黒の全身フルアーマの重機型戦士……彼はここに来てようやく真の姿を現す。

 全身の装甲をパージし、擬似エーテルではなく純エーテルで粒子化させる。現れたのは、無機質な印象の美少女だった。ダークシルバーの髪はツインテールの縦ロールにセットされており、肌は生気を感じさせないほど白い。髪と同じ色の目はキレ長で冷たい輝きをともしている。服装は黒のゴスロリ服。程よく実った肢体によくあっている。頭には山羊の角と漆黒の羽を生やしており、両腕には重厚かつ豪勢なガントレットをはめていた。

 彼……否、彼女は、本来の力を解放する。

 

「楽しかっただろう? 希望を胸に突き進むのは……イスラエルの覚醒が済めば、お前達の旅は終わる。あと少しだ……だが、そうはならねぇ。俺がさせねぇ」

 

 鈴の音の様な声音から滲み出る、圧倒的憎悪。その粗暴な口調は、やはりベータだった。彼女は堕天使特有の超次元兵装を展開する。八つの山羊型のビット兵器だ。

 

山羊の晩餐会(フレッド・ゲティングズ)

 

 一つ一つが多次元宇宙を超える空間を軽く消し飛ばせるレーザーを放つ出鱈目兵器である。彼女はその全てを古代遺跡ペヌエルへと飛ばした。純エテールを注ぎ込んで、一斉射撃する。

 古代遺跡は跡形もなく消し飛んだ。火の海に飲み込まれペヌエルを眺め、彼女……アザゼルは哄笑を上げる。

 

「ハハ!! ハハハハハッッ!! 希望なんざ脆いもんだ!! そんなもんに縋るからテメェらは何時まで経っても糞雑魚なんだよ!! 絶望しろ!! 泣きわめけ!! テメェらみてぇなカスに希望なんてねぇんだよ!! アーッハッハッハ!!!!」

 

 アザゼル。

 ウリエル、ルシファーに次ぐ最上位の堕天使。通称「荒野の悪魔」。かつて大多数の天使と共に聖書の神を裏切った、元・熾天使である。

 

 彼女はペヌエルごとニーナを消し飛ばしてした。

 

 

 ◆◆

 

 

 右乃助たちは見てしまった。ニーナが入った古代遺跡が爆撃され、瓦礫の山になってしまうところを……

 派遣師団の隊員たちに捕らえられる形で、まざまざと見せつけられてしまった。

 

「嘘だろ……」

 

 右乃助は思わず呟く。あれほど苦労したのに、皆で力を合わせて、色々な存在から助けて貰って、ようやくたどり着いたのに……最後の最後で、打ちのめされるというのか。

 

「お嬢様……ッッ」

 

 クレフも絶望していた。今すぐニーナの元に駆けつけたいところだが、右乃助と共に腕を極められ地に伏している。

 

「クソッ……動けない!」

「魔法拘束っ、ここまできて!」

 

 香月とアモールは拘束魔法によって捕縛されていた。派遣師団のエージェントたちは武技は勿論、魔法や異能力にも精通している。右乃助たち程度、無効化するのは容易い。

 子供幽霊たちを隠している死織もまた、呆然としていた。

 

「そんな……ニーナちゃん……」

 

 絶望が広がっていく。倒壊した古代遺跡、未だ燃え盛る炎の海の中でニーナが生きているとは到底思えない。

 

 自暴自棄になりそうになる。泣きそうになる。怒りに任せて暴れたくなる。

 

 しかし、彼だけは違った。

 

「諦めるなっ!!」

 

 右乃助は精一杯叫ぶ。

 

「信じろ!! ニーナの事を!!」

「……右乃助様」

「俺達が信じてやらねぇでどうする!! 勝手に諦めるんじゃねぇ!! アイツは、そんな弱い女じゃねぇんだ!!」

 

 現実逃避……ではない。彼は、彼だけはニーナの事を信じていた。その信頼と熱意を目にして、クレフは浅はかな自分を戒める。

 

「仰る通りです……私達が信じずして、誰が信じましょう」

 

 クレフは拳に万力を込める。

 

「私も信じます、お嬢様の事を。……あの方は、運命にすら打ち勝ってみせる!!」

「そうさ!! 勝利の女神は誰でもねぇ!! アイツなんだ!!」

 

 一方、二人をねじ伏せている亜人たちはそれぞれ顔を見合わせた。

 

「ギャーギャーうるせぇな、コイツら」

「殺してしまえばいいだろう。首だけ持って帰れば総統閣下も納得してくださる」

「だな」

「死ね」

 

 二名は揃って鋭爪を振り下ろす。右乃助たちにコレを避ける手段はない。そう……このままでは。

 

 次の瞬間、突風が吹き荒ぶ。

 瓦礫を空に巻き上げる強烈な磁気嵐……その中から強い生命の輝きを感じ取れた。

 右乃助は安堵で表情を和らげる。

 

「やったんだな……ニーナ」

 

 焦土と化した約束の地に黄金の光柱が昇る。

 その光は、かつて初代イスラエルが大天使ウリエルを討ち破った時に放ったものと同じだった。

 

 磁気嵐の中で、「美女」が笑みを浮かべた。

 

 

 ◆◆

 

 

「何故……何故だァァァァっ!!!! 俺の兵器を食らって生き延びられる筈がねぇ!! 遺跡ごと木っ端みじんにした筈だ!! ……これも奇跡だっていいたいのか!? ええ!? イスラエルぅぅぅぅッッ!!!!」

 

 アザゼルは憎悪のあまり叫び、

 

「走りきったか、右乃助……クククっ、それでこそだ」

 

 大隊長たちの猛攻を弾き返した大和は明後日の方向に向き、笑みをこぼす。

 どんちゃん騒ぎの店内では、ネメアが感慨深げに紫煙を吐き出していた。

 

「至ったか、超越者に。このオーラ……初代イスラエルと同等。いいや、それ以上か」

 

 同じ店内にいるルシファーは信じられないといった様子で立ち上がる。

 

「しくじったのか、アザゼル。……お前ともあろう者がッ」

 

 一方、ソロモンは癇癪を起こしてテーブルをひっくり返していた。

 

「あの役立たず共が……えぇい!!」

 

 直接事件に関わっていない存在もまた、この結果に満足していた。

 

「お見事!! いやはや愉快痛快!! 良きものを見させて貰った!! これこそ人間!! ああ、素晴らしきかな!! これだから人類讃歌はやめられぬ!! ハハハハハッ!!」

 

 雅貴は喉仏を見せるほど大笑いし、

 

「ニーナ・イスラエルよ、遂に覚醒したか……讃えよ!! 我らがプロテスタント最強の戦士『天使殺戮士』、真の生誕の時来たれり!!」

 

 純白と紫のケープを翻して天使殺戮士のリーダー、レオンは朗々と謳いあげた。

 

 

 

 歴代最強のイスラエルが、覚醒したのだ。

 

 

 

 



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十六話「ニーナ・イスラエル」

 

 

 右乃助たちの眼前に突如として現れた謎の美女。派遣師団の隊員たちを蹴り飛ばして瞬く間に再起不能にさせる。その圧倒的な存在感は、紛れも無い超越者。

 右乃助は彼女の事を知っていた。しかしあまりの変貌ぶりに戸惑いを隠しきれないでいた。

 

「ニーナ……なのか?」

「ええ、そうよ」

 

 凛とした、力強い返事だった。人見知りで無愛想な少女はどこにもいない。丈が合っていなかった服装は今はピッタリと合っている。黒いシャツに黄色のネクタイ、伸縮性のあるエナメル製のタイツ。元々この背丈だったのだろう。

 容姿的年齢は十代後半ほど。亜麻色だった髪は艶やかな漆黒色に変わっており、目も切れ長で黒色に染まっている。均整のとれた顔立ちはそのままだが、より凛々しくなっていた。身体のバランスもとれていて、体操選手を彷彿とさせる。

 彼女は髪をかきあげながら右乃助に微笑みかけた。

 

「ありがとう、右乃助。貴方の声、きっちり届いたわ。おかげで元の姿に戻れた」

「……元々その姿だったのか」

「そうよ。当時は精神がまだ幼かったから力を封印していたの。でも覚悟を決めて、貴方たちと旅をして、生まれ変われた」

「……そうか。まぁ、よかったよ」

 

 右乃助はそのまま尻餅をつく。ニーナはそんな彼に駆け寄り、抱きしめた。彼女の背丈的に、ちょうど右乃助の顔を抱きしめる形になる。

 

「何度でも言うわ……ありがとう。私を護ってくれて」

「そういう仕事だ。礼を言われる筋合いはねぇ」

「あら? 随分と冷たいわね。子供じゃないと優しくしてくれない?」

「……」

 

 右乃助は難しい顔をした。

 

「当たってるぞ」

「当ててるのよ、察しなさい」

 

 何が、とは言わない。年相応に実りがあり、かつ柔らかいものが右乃助の顔面に当たっていた。

 

「異性として誰かを意識したのは、貴方が初めて」

「そうかい」

「ねぇ、また瞳を見せて? 貴方の青い瞳、私大好きなのよ」

「嫌だね。……てかやめろ、顔寄せるな」

 

 右乃助はサングラスを取ろうとするニーナを押し返す。が、力の差で逆に押し返されてしまう。傍から見ればイチャイチャしているようにしか見えない。そのため彼女たちが割って入った。

 

「師匠とイチャイチャするな!」

「ニーナちゃん、ですよね? 右乃助さんから離れてください!」

 

 頬を膨らませて右乃助を保護した香月とアモール。派遣師団の隊員たちが倒れたので拘束術式が解けたのだ。

 ニーナはやれやれと肩を竦める。

 

「愛されてるわね、右乃助……」

 

 そんな彼女に老執事、クレフが涙を流しながら寄り添った。

 

「ご無事で何よりです、お嬢様……っ」

「心配かけたわね、爺や。でも大丈夫よ。私は貴方たちの期待を裏切らない」

「御身がご無事であるなら、私は何でも構いません……っ」

「大袈裟よ……」

 

 ニーナは苦笑しなからも、クレフを抱きしめた。二人の間には親子以上の絆があるのだろう。右乃助も思わず頬を緩める。

 ニーナは次に死織に手を振った。

 

「死織さ~ん!」

「ニーナちゃん……ですよね? よかった……」

 

 安堵する彼女の元にニーナは駆けよる。この時、死織は気付かなかった。ニーナの瞳にハートマークが浮かんでいる事を……

 

「死織さん♡」

「え……っ」

 

 死織の唇が塞がれた。……接吻と呼ばれるもの、つまるところのキスである。

 

「!?」

「!!?」

「!!!?」

「ホッホッホ」

 

 死織も幽香たちも、右乃助たちも驚愕している中、クレフだけが呑気に笑っていた。ニーナは舌を深く絡ませ、死織の唇を貪る。濃密過ぎるキスを終えると、死織は力無くへたり込んだ。赤面している彼女に、ニーナは妖艶な笑みを向ける。

 

「死織さんの唇、甘いわ……もっと貪りたい」

「っ」

「今夜、空いてる? もっと濃密な時間を過ごしたいわ」

 

 頬を撫でられ、死織はぶるりと肩を震わせた。大和とはまた違う、しかし匹敵するかもしれない凄絶な色香……

 

「……なっ」

 

 右乃助は呆然とした後、拳を握って吠えた。

 

「何をするだーッッ!! 許さぁぁんッッ!! (死織みてぇないい女とキスなんて、羨ましい!!)」

 

 いきなり画風が濃くなった右乃助。本音がダダもれなので、ニーナはやれやれと溜め息を吐く。

 

「なら貴方も誘えばいいじゃない」

「ばっきゃろうお前!! さっきまでチンチクリンだった奴が調子に乗ってんじゃねぇ馬鹿やろう!! 死織はアイツのお気に入りなんだよ!! そうほいほいと手ぇ出せるか!!」

 

 ニーナは首を傾げた。

 

「アイツって、大和さんの事? あの人、そういうの気にしないと思うわ。抱くも抱かれるもその人次第……死織さんがその気で、こっちが無理強いしなければ問題ない筈よ」

「何その自信!? どこから湧いてくるの!?」

「ハァ……そんなに女を抱きたいなら私が相手をしてあげる。ごめんなさい、死織さん。あの人がどうしてもって言うから……」

「アホ抜かせマセ餓鬼が!! 俺はな!! 大人の色気ムンムンのアメリカングラマーな美女が好みなんだよ!! テメェみたいな糞餓鬼、ピクりともこねぇわ!!」

 

 盛大に啖呵を切ると、何故かクレフが眉間に青筋を立てる。

 

「右乃助様……今の発言はどういう意味でしょうか? お嬢様では不足だと? ……返答次第では、いくら右乃助様といえど容赦いたしません」

「ええ!? クレフさんそこで怒る!? どうして!?」

 

 目が飛び出るほど驚いている右乃助に、香月とアモールが低空タックルをかました。

 

「おごぉ!?」

「師匠!! どういう事ですか!? 好みの女性について語るなんて……私達という存在が身近にありながら!!」

「そうです!! 配慮に欠けています!!」

「こうなったら今夜、師匠のお家に泊まります!! 拒否権はありませんからね!!」

 

「既成事実☆」

「それな☆」

 

「ふっざっけんじゃねぇ!!」

 

 右乃助は二人を無理矢理引きはがす。その一部始終を見ていた幽香は思わず笑い転げた。

 

「ぷひゃっ、なっはっはっは!! 右乃助の顔おもしれー!! コロコロ変わってやんの!! ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!!」

「モテるなーうのすけ!! 修羅場ってやつだ!!」

「見てる分にはおもしろいにょー!!」

「他人の不幸は蜜の味☆」

「それな☆」

「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!! お前らやめろよ!! 腹いてーっ!!」

 

「笑ってんじゃねぇよ幽霊ども!! マジでキレるぞ!?」

 

 子供幽霊たちに笑いものにされ、マジでキレかけている右乃助。大人げないが、これもまた右乃助なのである。

 次第に笑いは広がり、この場にいる者は大なり小なり笑いはじめた。緊張が解けたのだろう。なんだかんだ言いつつ、右乃助も口元に笑みを浮かべている。

 

 そんな時である。最後の刺客が現れたのは……

 

 一同の前に爆着した異形の存在。爆風を裂いて現れたのは、天使病患者だった。顔が二つ張り付いており、苦悶の表情を浮かべている。グチャグチャに混ざり合った身体からは純白の羽毛が生えていた。異常に発達した筋肉繊維、骨格密度。体長は優に五メートルを超えており、見るものを圧倒する。肩口から生えている捩くれた骨は山羊の角を彷彿とさせ、腰から生えた骨尾はまさに蝎の如く……

 巨大な翼を広げた天使病患者は酷く悍ましい唸り声を上げながら右乃助たちを睨みつけた。

 右乃助は正体を看破し、溜め息を吐く。

 

「堕ちるところまで堕ちたな……変態兄弟」

 

 そう、彼等はカインとアベルだったものだ。ニーナの命を狙っていたAクラスの殺し屋兄弟である。ハイウェイでの戦闘の際、クレフに完膚なきまでに叩きのめされた。

 あれ以降姿を見せなかったが、クレフのあの殴り方だ。死にたくても死ねない状態だったのだろう。

 で、天使病発症の源である霊子型ナノマシンに目をつけられてあえなく発症と……考察するまでもない。簡単なシナリオだ。

 

「山羊と蝎……司る七つの大罪は」

「色欲よ。わかりやすくて笑えもしないわ」

 

 実際に劣情を向けられたニーナは不快げに眉をひそめる。右乃助はやれやれと肩を竦め、死織と幽香たちに告げた。

 

「急いでここから離れろ。……世話になった。ありがとう。後日、改めて礼を言う」

 

 死織は無言で頷き、幽香たちを連れて退避する。ニーナは何故か面白そうに小首を傾げた。

 

「貴方たちは逃げなくていいの? ここから先は私達の仕事よ」

「護衛の任務はまだ終わってねぇ。と、言いたいところだが……実際はもう終わってるんだよなぁ。ただ、まぁ、心配なんだよ。お前の事が」

「……照れるわ。そういう台詞は真顔で言わないで頂戴」

「ハッハッハ」

 

 年相応の反応を見せるニーナに右乃助は軽い笑みを返す。 

 次には真剣な声音で告げた。

 

「俺と香月、アモールで相手の力を削ぐ。後は任せるぜ、天使殺戮士のお二方」

「ええ、任せて」

「かしこまりました。イスラエルの力、お見せいたしましょう」

 

 右乃助たちは前に進む。これで終わるのだ……長い長い旅が。

 今ここで、終止符を打つのだ。

 

 



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十七話「力を合わせれば」

 

 

 二人分の肉体を混ぜ合わせて異常発達した異形天使。

 軽く羽ばたいただけで周囲の瓦礫を吹き飛ばすほどの爆風を発生させる。その力、存在感……なるほど、Aクラスの殺し屋二名を素材にしただけはある。色欲の業も深いのだろう。戦闘力は並の神仏以上。

 右乃助は香月とアモールに言った。

 

「俺が渾身の正拳突きで動きを止める。香月はエンジェル・ベールを、アモールは蝎みてぇな尻尾を頼む」

「お任せあれ」

「了解です!」

 

 二名は精神統一し、今ある全ての力を集約する。二人共、一撃のみなら超越者に届く攻撃を繰り出せる。問題は、一撃しか出せない事。そして、攻撃を放つ前後に多大な隙が生じる事だ。

 彼女たちは右乃助に命を預けたのだ。

 

 右乃助は一歩前に出ると、腰を落として右拳を引き絞る。

 

 ほんの少しの静寂……次の瞬間、異形天使が姿を消した。瞬間移動レベルの飛翔。

 しかし動きが単調過ぎる。フェイントも何もない、ただの移動。喧嘩空手の達人である右乃助が予測するのは容易い。

 何もない空間に渾身の正拳突きを放てば、まるで吸い寄せられたかの様に異形天使がやってきてカウンターヒットした。予想外の一撃に異形天使の動きが止まる。体勢も崩れた。多重に展開されていた天使の羽衣(エンジェル・ベール)にもヒビが入る。

 古今東西の徒手空拳の中で一番の威力と貫通力を誇るパンチ、それが空手の正拳突きだ。洗礼された型から放たれる拳はただただ重く、硬い。

 

 香月が間を置かず斬撃を重ねる。明鏡止水の極致に入り振るわれる太刀は、万物両断する鎌鼬を纏うに至る。

 生粋の殺人剣でありながらその概要、全く不明の斬月流。正当後継者は香月ただ一人。それ以外の者たちにはこの剣技を扱えない。

 そう、あの大和でさえ……

 

 剣術が最盛期を迎えた幕末に突如として現れた謎の流派。開祖は只人でありながら天下五剣に名を連ねた剣客、斬月。

 彼の剣技は理外の法だった。理外の存在である筈の超越者たちよりも、更に深い領域にあった。

 その内容は『技』の極致。柔よく剛を制す。力など不要。性別も種族も体格差も、超越者であるかすらも問わない。技を扱えるかどうか、その一点に尽きる。

 

 門外不出ではなく、誰にも真似できない。だから隠す必要もない。大和ですら「真似できない」と断言した、唯一無二の殺人剣。

 それが斬月流。

 

「斬月流・五の型。乱れ十六夜」

 

 その剣筋を視認できる者は極僅か。たとえ視認できたとしても、理解できる者は世界に数人いるかどうか。真似できる者はただ一人としていない。

 香月は技術だけなら超越者クラスだ。しかし、経験が不足している。そのため格上相手には苦戦する。捉え方を変えれば、技さえ発動すれば超越者でも殺せる。

 不規則な斬撃が四方八方からエンジェル・ベールを斬り破る。斬撃の軌道をしていない。剣術なのかすらも怪しい。

 しかしこれこそ斬月流。数多ある殺人剣の、一つの答えである。

 

巨人の大剣(グランデ・エスパーダ)!!」

 

 砕け散ったエンジェル・ベールの足場に跳躍したアモールは、勢いのまま回転飛び蹴りを放つ。

 彼女はダンピール。吸血鬼と人間の間に生まれた混血児。能力的には生来の吸血鬼より劣り、人間よりも弱点が多い。が、捉え方を変えれば人間よりも基礎値が高く、吸血鬼にはない感受性がある。

 己を知り、弱さを知り、それでも卑屈にならない心の強さ……

 

 実際、アモールは強かった。未だ未熟ながら、その戦闘力はAクラスでも上位に入る。

 今は亡き義父、ボロスから受け継いだマーシャルアーツは短期決戦を想定した超実戦武術だ。大和の指導も加わった事で、繰り出す蹴りは絶対切断の概念を纏うに至る。五体そのものを武器と化す……あらゆる武術に言える基本にして深奥だ。

 

 異形天使の尾は伸縮無限、変幻自在。ダイヤモンド以上の硬度を誇っていたが、関係ない。概念を纏ったアモールの蹴りはコレを根本から切断する。

 

「お見事……技の冴えもですが、何より連携が素晴らしい。この老骨めも、力を振り絞りましょう」

 

 懐から銀のカードを取りだし、宙に投げるクレフ。カードは拳を覆う手の骨型のナックルに変形、クレフの拳を保護した。初代イスラエルの拳の骨から型取った、天使必滅の一撃『イスラエル』を放つための補助装具。名を、セスタス。

 

「熾天使を撃墜した一撃、再現いたしましょう……」

 

 ダランと下げたL字型の左腕ではなく、頬に添えていた右拳に力を集約する。放つのは神話の時代から脈々と受け継がれてきた、伝説の一撃……

 

『イスラエル』

 

 神罰の代行者を完全に破壊するためのインパクト。クレフの長い腕から繰り出される右ストレートは、間違っても他の生き物に打ってはいけない。実際、異形天使の分厚い胸に風穴を空けた。想像を絶する威力だ。

 しかし、死なない。普通の天使病患者ならばこれで完全停止しただろうが、彼等は違う。まがりなりにもAクラスの兄弟たち。耐久力、再生力、ともにずば抜けている。そして、彼等には心臓部分にあたる(コア)が二つあった。これらを同時に破壊しない限り、永遠に復活し続ける。

 

 瞬く間に傷口を塞いだ異形天使は雄叫びと共に大翼を広げる。クレフも右乃助も香月もアモールも、耐え切れずに吹き飛ばされた。

 

 天を舞う瓦礫の山。そんな中、ニーナ・イスラエルは堂々と佇んでいた。

 鋭い目を見開き、獰猛に笑っている。その横顔は、初代イスラエルの生き写しだった。

 

「……お前は私「達」に破壊される」

 

 異形天使は無自覚に膝をついた。ダメージが蓄積していたのだ。右乃助の正拳突きが、香月の斬撃が、アモールの飛び蹴りが、クレフの右ストレートが、異形天使を立てなくした。

 

 ニーナは無限速で距離を詰め、軽く左アッパーを放つ。異形天使の肉体が引き裂かれた。返しの右アッパーが放たれれば、二つの心臓が纏めて消し飛ぶ。

 

 一瞬の出来事だった。視認できた者はいない。当の異形天使でさえ、何をされたからわからないまま絶命した。

 遅れて特大の風圧が天に昇り、曇天を穿つ。閉ざされていた夕焼けが顕わになり、魔界都市を緋色に染め上げた。

 

 彼女はどんな体勢からでも、どんな攻撃にでも『イスラエル』を乗せる事ができる。

 

 ニーナ・イスラエル。

 この時代に生まれるべくして生まれた救世主。初代イスラエルを超える才覚を持つ、人類史の新たな切り札。

 表世界では大変稀有な、EXクラスの強者である。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、ベータ……いいや、アザゼルはとんでもない形相をしていた。憤怒と憎悪で可憐な顔が歪みきっている。

 

「テメェらのそれが!! そういうところがッ!! 他の奴らを『勘違い』させるッ!!」

 

 犬歯を剥きだし、瞳孔を開く。額には何本もの青筋が浮かんでいた。

 

「皆が皆、テメェらのようにいかねぇんだよ!! どれだけ努力しても、できねぇ奴はできねぇだよ!! それを奇跡だなんてもんで勘違いさせて……ッッ。ふざけんじゃねぇ!! 薄っぺらい希望なんか抱かせるんじゃねぇよ!!」

 

 彼女は彼女なりに、人類を愛していた。堕天使は皆そうだ。どれだけ歪んでいても、根底には愛がある。

 

 アザゼルは重厚かつ豪勢なガントレットを薙ぐ。七色の宝石が埋め込まれた手甲は超高性能なモバイルデバイスだ。数多の超次元兵器と全知全能のプログラムが保存されている。

 

「アカシック・レコードに干渉すりゃあ殺せるだろう!! 不安定な今のテメェならなァ!! イスラエルぅぅ!!」

 

 アカシック・レコード。唯一神が開発した全知全能のプログラム。この世全ての事象現象を記録している世界記憶の概念だ。ここにアクセスする事で、思うがままに事象現象を改竄できる。アザゼルはニーナの存在を「初めから無かったもの」にしようとしていた。

 

「そこまでだ、アザゼル」

 

 首筋に添えられた長大な刀身。燃え盛る焔の様な乱れ刃は、一度見れば忘れない。

 アザゼルは隣に座っている褐色肌の美丈夫を睨みつけた。

 

「テメェはもう関係ねぇだろう……すっこんでろ大和」

「ハァ? 何言ってんだテメェ。俺は右乃助に雇われてんだよ。邪魔する奴らを殺してくれ、ってな」

「……」

「首を落とされたくなかったらとっとと失せな、堕天使」

 

 アザゼルは感情の赴くままに超次元兵器たちを展開する。八つのビット兵器、2門のブラスターライフル、そして魔導式超大型レールカノンを向けられても、大和は顔色一つ変えなかった。

 

「やめとけ、テメェの本質は『学者』だ。……どう足掻いても俺には勝てねぇ」

「ッッ」

「ネオナチスは見切りをつけて退いた。異端審問会も諦めた。ルプトゥラ・ギャングは、言わずもがなだ」

 

 アザゼルは憤怒と憎悪、それ以上の悲哀を込めて叫ぶ。

 

「何故だ……どうしてだ大和!! お前にならわかる筈だ!! あいつらが!! あんな奴らがいるから勘違いが生まれる!! 誰も彼もがあいつらみてぇになれるワケじゃねぇ!! 全部綺麗事でおさめようとする、そんなあいつらが!!」

「それもまた、人間だ」

 

 それが、と断言しないあたり、大和らしい。この男は人間の負の部分も正の部分も理解していた。

 アザゼルは唇を噛み締めると、兵装を粒子化させて背を向ける。

 

「本当にそれでいいのかよ、大和……ッ」

 

 泣きそうな声を残して消えていったアザゼル。大和は溜め息を吐いて大太刀をしまった。

 次に煙草を取り出して唇にくわえる。オイルライターで火をつけて、遠い右乃助たちに笑いかけた。

 

「やったじゃねぇか、右乃助……格好いいぜ、今のお前」

 

 そう言って、美味そうに煙草を吸い上げた。

 

 



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十八話「喜劇」

 

 

 長い長い旅が終わりを迎えた。経過したのは半日ほどだろうが、密な内容が体内時計を狂わせている。沈みかけている夕暮れを拝む事で、ようやく心の整理がついた。

 あふれ出る疲労感がとてつもない。長らく用心棒をやっている筈の右乃助が、膝をふるわせていた。彼は思わず苦笑する。

 

 思い返せば、生きているのが奇跡といっても過言ではない。まるで伝説上の神話の時代の戦争。正直、何度死を覚悟した事か……。

 右之助は改めて、自分がただの人間である事を思い知らされた。

 山を持ち上げられても、光速で移動できても、所詮は人間なのだ。

 

 膝を叩いて立ち上がる右乃助。東西南北の区に被害が出ているが、夜になれば元通りになるだろう。此処は魔物の楽園、邪神の王の無聊を慰める闇のゆりかごなのだから。

 

「ねぇ、右乃助」

 

 振り返ると、凄絶な色気を醸している美少女がいた。ニーナ・イスラエル。この時代の救世主になるかもしれない存在……。

 右乃助は適当な言葉を並べる。

 

「お疲れさん。いやはや、救世主はオーラからして違うな。眩しくて見てられないぜ」

「そんな嫌みったらしい性格だったかしら? ああ……もしかして遠慮してるの?」

「依頼は終わった。俺達は帰るぜ。お前も、元いた場所に帰りな」

「嫌よ」

「何故だ?」

 

 右乃助は内心舌打ちした。サングラスをかけているのが幸いだった。

 ニーナは彼に近寄り、その袖を掴む。

 

「まどろっこしいのは嫌いなの。この際ハッキリ言うわ。私の従者になりなさい」

「嫌だ」

「無理矢理にでも連れていくわ。そうでもしないと、貴方はこの都市から離れそうにないから」

「……よせ、ニーナ」

 

 聞いた事もない声に、ニーナはたじろいだ。

 

「どこまでいっても俺は屑だ。誰かを殴って、殺して、金を貰ってる」

「……」

「だがお前は違う……わかるだろう?」

 

 ニーナは黒真珠のような瞳に涙を浮かべた。返す言葉が見つからないのだ。

 

「お嬢様……」

 

 クレフは首を横に振っていた。

 ニーナは認めたくなかった。子供のような我が儘だった。

 右乃助はやれやれと肩を竦めると、彼女を抱き寄せ、頭を撫でる。

 

「泣くな。……また何処かで会えるさ」

「っっ」

 

 涙が溢れてくる。右乃助はそっとハンカチを渡すと、背を向けた。

 

「じゃあな」

「……右乃助!」

 

 ニーナは上擦った声で叫んだ。右乃助は振り返らない。

 

「このハンカチ、必ず返しに行くわ! だから……また会いましょう!」

 

 右乃助は手をあげて応じる。その横に香月とアモールが並んだ。

 

 ニーナは受けとったハンカチを愛おしげに胸に当てる。

 住む世界が違う……しかし、また何処かで会える。

 

 今は、それだけでよかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 今宵、大衆酒場ゲートは祝勝会でおおいに盛り上がっていた。あれほどの激戦を制したのだ。達成感が凄まじい。今は種族性別関係なく、皆で喜びを分かち合っている。

 

「さぁ!! 踊るわよーっ!!」

「やりましょう!!」

「頑張ります!!」

「キャハハ♪」

 

 パンジー、香月、アモール、サーシュの四人は派手なダンスを踊っていた。エルフ、ダークエルフのバンドがヘビーなロックを刻み、吟遊詩人たちがお洒落なジャズを奏でる。互いの長所を潰さず魅力を引き出す、デスシティならではの音楽だ。

 

「舞踊か。俺も心得はあるぜ~!」

「面倒くさ……俺、あっちで肉食ってる」

「なにぃ!?」

 

 慌ててトムを引き戻そうとする八百万だったが、パンジーとサーシュに満面の笑みで捕まり強制連行される。その様子を見ていたAクラスの殺し屋たちは手を叩いて笑っていた。

 

 今宵のお代は魔界都市交通株式会社、並びに東区と北区の頭領がもってくれる。故に皆遠慮しない。疲れるまで踊り、腹が痛くなるまで飲食する。

 

 浮かれて飛び回っている子供幽霊たちをなんとか落ち着かせた青年オークは、彼女たちを見守りながらビールを飲んでいた。

 半ば無理矢理ダンスに参加させられた何でも屋は、諦めてノリと勢いで踊りはじめる。

 寡黙な殺し屋は端っこで一人ワインを嗜んでいた。

 

 厨房は激戦区。どんどん料理を作って運んでいく。癖の強い店員たちがせわしなく店内を走り回っていた。

 

 カウンター席の一角は、驚くほど静かだった。今回の主役である右乃助と大和が並んで座っている。

 

「で、どうだった? 世界の命運を懸けた戦いに身を投じたのは」

「もうやりたくねぇよ。あんなの命がいくつあっても足りねぇ」

「ハッハッハ! 最初だけだ! 何回かやってりゃ慣れる!」

 

 そんな訳ないだろ、と右之助は内心ツッコんだ。

 しかし相手は闇の英雄王。神話の時代から現在に至るまで、何度も世界を救ってきている。

 言ってる事は間違っていないのかもしれないが、到底理解できるものではなかった。

 右乃助は焼酎を口に含む。

 

「空手屋が助けに来てたな。お前の兄弟弟子だったか? 酒場にはいねぇみてぇだが……」

「薫の事か? ……アイツは根っからの求道者だ。こういう雰囲気は好きじゃねぇんだろう」

「ふぅん」

 

 薫……救援に来てくれた四大魔拳、堂坂薫(どうざか・かおる)の事だ。

 

「近代の武術家として、あの在り方は一種の理想像だ。……よくあの頑固者を呼べたな」

「兄弟弟子の縁を利用しただけだ」

「……いや、お前じゃなかったら応じなかっただろうぜ」

 

 右乃助は目を見開く。まさかその様な言葉を貰えるとは思ってもみなかったからだ。

 

「あーん大和さまぁん♡ そんなむっさい男と話してないで、私を見てぇ♡」

 

 猫なで声を上げて大和の胸板を撫でる美少女。

 炎の精霊王、イフリート。ルプトゥラ・ギャングに雇われていた傭兵だ。

 彼女は大和の腹筋に自分の股をいやらしく擦り付ける。

 

「約束通り、無事生還できましたぁ♡ ご褒美くださぁい♡ かわいがってぇ♡」

 

 まるでマタタビに酔った猫の如く、魔性の色香にあてられている。大和は嘲笑を浮かべると、雌猫の頭を撫であげた。

 

「約束通り、可愛がってやるよ」

「はにゃぁぁん♡」

 

 表情を蕩けさせるイフリート。大和はスマホを取りだし、今しがた届いたメールを見た。そして灰色の三白眼を細める。

 

「うまく治まったか……」

 

 同時に、背後から誰かに抱き着かれた。

 

「流石だなぁ、大和の旦那♪」

「参碁か……何の事だ?」

「とぼけんなって。社長から聞いたぜ? 敵勢力、ぜぇんぶ丸めこんだんだって?」

 

 耳元に熱い吐息がかけられる。頭にタオルを巻いた厳つい美女、参碁。

 大和は面倒くさそうに言った。

 

「異端審問会、ルプトゥラ・ギャング、ネオナチス。三勢力とも、根に持つタイプだ。特にネオナチスなんか、何言っても聞きゃあしねぇ。だから売ったんだよ」

「何を?」

「俺自身を」

 

 大和は笑う。

 

「一回限りの、無料の絶対依頼権限をくれてやった。ほんとはもっと高く付く予定だったんだが、三勢力とも納得してくれた。……安く付いたぜ」

「……マジで、どんだけだよ。ここまで出鱈目だと惚れ直しちまうなぁ♡」

 

 参碁は溜め息を吐く。

 一方、右乃助は信じられないといった顔をしていた。

 あの大和が、誰かのために己を売った? 

 言葉も出せないでいる右乃助を傍目に、女たちは喧嘩をしはじめる。

 

「ちょっと、失せなさいよ筋肉達磨。大和様にその汗くささが移ったらどーするワケ?」

「るっせぇぞ火の玉ロリ。テメェこそ失せろや。いっぱしに女気取ってんじゃねぇ」

「ハァ!? 火の玉ロリ!? ざっけんじゃないわよこの糞ゴリラが!!」

「アア゛!? 殴り殺すぞ糞餓鬼!!」

 

「うるせぇ、静かにしろ」

 

 静かな声音だったが、それだけで二人は黙る。

 大和は彼女たちの頭を撫でた。二人はすぐに雌の顔つきになる。

 我に帰った右乃助は大和に聞いた。

 

「なぁ、大和……っ」

「なんだ?」

「……いや、なんつうか、その……なんでお前がそこまでしてくれるのかなって」

「そうだなぁ……」

 

 大和は目を閉じる。

 

「面白ぇもんを見させて貰った、俺なりのサービスだよ。……いい喜劇だったぜ、右乃助」

 

 彼は続けて言う。

 

「人の強さは心の強さ。 今まで築き上げてきた信頼が功を成す……誰かが言ってた言葉だが、あながち間違っちゃいねぇ。お前を見てると、そう思う」

 

 大和はテーブルに勘定を置くと立ち上がる。イフリートを腕に抱き、参碁の肩に手を回して歩きはじめた。

 

「さぁて。やる事は終わったし、お楽しみといこうか」

「やったぁ♡」

「なぁ旦那、死織の奴呼んでいいか? アイツ、なんでか落ち込んでてよぉ。唇奪われたーっ、とかなんとか」

「ハァ? 唇ぅ? ……あぁ、イスラエルの餓鬼か。ご先祖様のそーゆー部分も受け継いでるワケね。面倒くせぇ……。オイ、死織に連絡しとけ。上書きしてやるからさっさとウチに来いって」

「りょーかい♡」

 

 去っていく大和の背中に、右乃助は慌てて声をかけた。

 

「大和っ!!」

「あん?」

「……ありがとうなっ、助けてくれて」

 

 右乃助の誠意のこもった礼に、大和は軽い笑みを返す。

 

「気にすんな」

 

 それだけ言って去っていった。

 右乃助はその背中を最後まで見送る。

 

 ふと、パンジーたちに声をかけられた。一緒に踊ろうと誘われる。最初は断ろうとしたが、肩を竦めてそちらに向かった。

 

 考えたい事、振り返りたい事、山ほどある。

 しかし今は戦友と共に喜びを分かち合おうと、そう思ったのだ。

 ……今宵の大衆酒場ゲートは、何時にも増して賑やかだった。

 

 人の強さは心の強さ。 今まで築き上げてきた信頼が功を成す。

 強さとは、決して目に見えるものだけではない。

 右乃助もまた、強い男だった。

 

 

《完》

 

 



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第四十一章「超装伝」
一話「異世界からの来訪者」


 

 

 走るしかなかった。未知の世界への恐怖が勝手に足を動かす。所々駆け回るも、何もかもわからない。だって、「彼女」にとってここは異世界だから。

 

 超犯罪都市デスシティ。

 悪徳の都。矛盾の坩堝。人外の楽園。世界の闇の清算場。

 

 奇しくも彼女は、数多の異世界の中でも最悪の場所に迷い込んでしまった。

 

 とある理由で逃げ続けなければならない彼女は、懸命に走り続ける。息が切れ、疲労感が肉体を蝕むも、足を動かす。それしかないのだ。何故なら、安全な場所が見つからないから。

 

 楽観視していた。異世界ならある程度の隠れ家があると思っていた。

 しかし違う。此処は違う。此処は、正真正銘の魔界だ。

 昼間だというのに繰り広げられる殺戮の宴。人が簡単に死ぬ。だというのになんだ? 住民たちは平然としているではないか。

 大通りを走っている時に気付いた。此処は、治安という概念がないのだと。

 

 当たり前の様に売られている薬物や兵器、奴隷。刺激臭が鼻を突き、淀んだ空気が喉にへばりつく。

 見たこともない魔物らか往来を闊歩し、他愛のない理由で殺し合いをはじめる。路上で性行為に耽る者も少なくなかった。

 

 イカれている。地獄の方がまだマシだ。

 

 少女は大通りを抜け、路地裏で一息つく。水でも飲みたいところだが、この有様だ。我慢するしかない。

 

「お嬢ちゃんどうしたの? こんな所で」

「困ってるみたいだね。おじさん達が匿ってあげようか?」

「……いえ、結構です」

 

 少女は身構える。三人組の大男が現れた。明らかに不審者だ。

 スキンヘッドの筋肉質と金髪のホスト風、そして刈り上げた銀髪の美男。

 全員腕や首からタトゥーが見えており、一目で危ない連中だとわかる。

 彼等は猫撫で声で告げた。

 

「お嬢ちゃん、この都市に慣れてないっぽいから声をかけたんだよ」

「だいじょーぶ、俺たちが安全な場所に連れていってやるから」

「怖がらなくてもいいぜ?」

「…………」

 

 少女は一歩下がる。男たちはその一挙一動で相手を「素人」だと判断した。

 

 容姿は、あまりわからない。白の厚手のローブを着ていて、フードを深く被っているからだ。

 南区の辺境あたりから来た亜人か、それとも異世界の住民か……

 

 判断材料にかけるが、三人は構わないと判断する。

 言葉では優しく、されど強引に引き寄せる。

 抵抗する少女。意外と力があったので、男たちは思わず手を離してしまった。すると、フードが取れて素顔があらわになる。

 

 絶世……という言葉すら生温い、至高の美貌を誇る美少女だった。

 可愛さと美しさが混同した顔立ち。桃色のミディアムヘアは煌めいていて、桜の花弁に例えるのすら憚られる。髪と同色の長い睫に縁取られた切れ長の瞳は最高級のサファイアの宝石の様で、今は恐怖で濡れていた。厚手の白のローブ、その合間から覗く手指は細く滑らかで、足はすらりと長い。色素の薄い肌は透き通っていて、幻想的な美しさをより際立たせている。

 なによりローブの盛り上がりでわかる発育のいい肢体……さぞやエロい身体をしているのだろう。

 頭には小さな角が二本生えていた。

 

 男たちは一瞬獣欲を滾らせるが、すぐに抑え込む。一時の欲望に身を任せるほど愚かなことはない。

 しかし、思わず唸ってしまう。

 

「スゲェ……とんでもねぇ掘りだしもんだぜ」

「竜人……それも亜種か? これだけ綺麗な個体は初めて見るな」

「……決まりだ」

 

 男たちは頷き合う。甘い言葉での誘導は無しになった。無理矢理にでも連れて帰る。

 

 少女は数歩下がり、両手をかざした。

 

「それ以上近付かないでください!! 近付くと、魔法を放ちます!!」

「ほぅ? 魔法? それが俺たちの知ってる魔法だとエラい事になるが……」

「魔法使いが俺たちみたいなチンピラ相手に怯える筈ないんだよなぁ」

「という事はハッタリか、お嬢ちゃんの周りでは魔法と呼ばれている術式か……まぁ後者だろう」

 

 臆せず近寄ってくる男たちに少女は驚いたが、やむおえず魔法を放つ。

 炎熱系の術式だ。人間どころか一軒家を丸ごと燃やせる規模の爆炎が生じる。

 少女は唇を噛み締め、後悔と焦りの念に苛まれていた。

 

 しかし……

 

「ほらやっぱり。言った通りだ」

「なるほど……炎熱系の魔術に似た術式。安物のタリスマンで耐えれたあたり、お察しだな」

「ちぃとばかし驚いたが……こんなもんか」

「そんな……っ」

 

 まるで効いてない。

 ありえない。手加減はしなかった。摂氏4000°の超高熱の焔が確かに当たった筈だ

 その証拠に辺りの生ゴミや建造物は溶け落ちている。肌に触れる熱波も錯覚ではない。魔法は、間違いなく発動した。

 

 耐えたというのか? 生身の人間が。

 

 驚愕で口をあけている少女に、男たちは笑いかける。

 

「そーゆーことだ。お嬢ちゃんは俺たちには勝てない」

「大人しくついてこい。手荒な真似はしたくない」

「それでも抵抗するってんなら、手足の骨くらいは折るぜ? 後でいくらでも治療できるからな」

「いや……こないでっ!」

 

 拒絶の意を示しても、男たちは下卑た笑みを浮かべて近寄ってくる。

 逃げなければならない。しかし足が動かない。恐怖で竦んでしまっていた。

 尻餅をつく少女に、男たちは手を伸ばす。少女は思わず両手で頭を覆った。

 

 

「ア゙────っっ、やっべぇ」

 

 

 ドバドバと、男たちの頭上から大量の水が降りかかった。

 

「なんだぁこりゃぁ!?」

「ガボッ、うぇぇ……っ!! ただの水じゃねぇぞ!!」

「目が、クソッ、しかも臭ぇ!! これぁ、しょんべんか!!」

 

 強烈なアンモニア臭。ある意味、魔界都市では普通の臭いだ。

 男たちは怒り狂い、頭上を見上げる。

 

「ヤッベぇ、とまらねぇ。ハァァーっ、立ちションとかあんましたくねぇんだけどなァ」

 

 まるで滝のように絶え間無く降り注がれるしょんべん。量と勢いが半端ではない。人間が出す量ではない。

 

 ならば犯人は? そう、人間ではない。

 

 褐色肌の美丈夫が屋上で堂々と逸物をぶらさげていた。灰色の三泊眼は眠たげで、頬は少々赤い。鋭利なギザ歯が並んだ口からは大量の酒気があふれている。

 

 男たちは相手が誰なのかを一瞬で理解すると、真っ赤な顔を青白く染めなおした。そして一目散に逃げていく。

 全身にしょんべんを浴びせられても尚、恐怖が勝ったのだ。

 

「あ……あ……っ」

 

 取り残された少女は口を押さえながら彼を見上げていた。しょんべんはまだ止まっていない。少女の前に特大の水溜まりを作っていく。

 しばらくしてようやく止まれば、逸物がぶるんぶるんと振るわれた。

 

「ふいぃ……いやぁ、危なかった。漏らすところだった。まぁ、立ちションもたいして変わらねぇんだけどな! ガハハハハハ!」

 

 豪快に笑う。その美しい笑顔とぶら下がっている逸物を見比べた少女は、顔を真っ赤にして走り去っていった。

 褐色肌の美丈夫……大和は、下を見て首を傾げる。

 

「誰かいたか? んー……まぁいいや」

 

 簡易呪符で空中から水を取り出し手を洗うと、ハンカチで拭き取る。

 

「まだ飲めるなぁ……こんなに酔うのなんて滅多にないから、気分がいい。ゲートで二次会でもすっか」

 

 フラフラとした足取りでその場を去っていく。

 奇しくも、少女と大和はここで顔を合わせていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大衆酒場ゲート。

 魔界都市で数少ない完全安全地帯だ。

 酒場としても一級で、多くの住民から愛されている。

 

「で、朱天を含めた鬼たちと飲み明かしてたと?」

「そうさ。あーあー、久しぶりに酔っ払ったぜ」

「鬼と酒を呑むなんて、普通ならアルコール中毒で死んでるぞ」

「俺の肝臓は鋼鉄製よ!! ナーッハッハッハ!!」

 

 大和と店主、ネメアは何時も通り他愛ない会話を繰り広げていた。

 

「昼になったら鬼たちが全員酔い潰れちまってよぉ。仕方ねぇから此処で二次会をしてるってワケだ」

「大人しく家に帰って寝ろ。粥でも作ってやるから」

「ヤダね、餓鬼じゃあるめぇし。俺はまだ飲むぜ」

「酒臭い。適当に酒を出すから家で飲め」

「ひっでー、それが客に対する対応かよ」

「酔っ払いに付き合ってられるか」

「カッカッカ!」

 

 無愛想な店主と陽気な酔っ払い。

 彼等に向ける客人たちの眼差しには、畏怖と羨望の念がこめらている。

 

 片や、魔界都市を代表する理不尽の権化。

『黒鬼』『悪鬼羅刹』『暴力の化身』『意思を持つ天災』『神秘殺し』『虐殺者』

 とある伝承では自由気ままに吹き抜け、気に食わなければ善悪関係なく吹き飛ばしてしまう「風神」として描かれている。

 

 闇の英雄王、大和。

 

 数々の蔑称とは裏腹に、その容姿は絶世の美男だった。

 妖艶さと野生味を併せ持った男として究極の美。容姿的年齢は30代前半ほどで、滑らかな黒髪は長く、丁寧に結って肩に流されている。彫りの深い顔立ちは東洋人離れしており、屈強過ぎる肉体も併さり「鬼」に見えなくもない。柳眉に細い睫毛、灰色の三白眼には隠しきれない殺意と憎悪が宿っていた。薄い唇から覗くギザ歯は鋭利で、生き物の肉程度なら簡単に噛みちぎってしまうだろう。それでいて神域の美貌を損なわないのだから、反則的だ。

 世界最強の武術家の名に恥じない屈強な肉体は凡人がどれだけ鍛えても到達できない天性のもの。二メートル半ばの肉体に余すところなく上質な筋肉を詰め込んでいるのだ。その内には強靭過ぎる骨と内臓がある。

 くっきりと八つに割れた腹筋。腰周りは異常なほど細く、肩周りの頑強さと比べたらまるでオオスズメバチ。その形態が極限まで戦闘に特化したものなのは言うまでもない。

 服装は白と黒の着物をダブル。肩から真紅のマントを羽織っている。真紅のマントは魔界都市で彼以外羽織る事を許されていない。

 彼のトレードマークだ。

 

 彼と並ぶと、他の男が案山子(かかし)に見えてしまう。それほど圧倒的な存在感を放っている。

 しかし対面している男は彼と同レベルの存在感を静かに放っていた。

 

 魔界都市で唯一、完全安全地帯を己が力のみで成立させている男。

『勇者王』『黄金の英雄』『人類の守護者』『怪異殺し』『悪魔の天敵』『眠れる獅子』

 とある伝承では無辜の民を害する怪異を黄金の雷で討ち滅ぼし、その亡骸で枯れた土地を耕す「雷神」として描かれている。

 

 光の英雄王、ネメア。

 

 その容姿は大和と比べたら地味だが、見れば見るほど薫る男前である。容姿的年齢は30代前半ほど。綺麗な金髪はツーブロックに刈られており、前髪は軽くワックスでかきあげられている。髪と同じ色の瞳は柔らかく温かい。西洋人らしく彫りが深い顔立ち。体格は大和と同レベルの規格外なもので、あちらより筋肉が若干多く骨も太い。なのに太ってる様に見えないのは、過酷な鍛練で極限まで絞っているからだ。一目見ただけで歴戦の強者だとわかる。服装は白のシャツとデニムパンツ、厚皮のブーツ、焦げ茶色のエプロンと簡素なもの。しかし似合っている。過度な装飾をしていない分、本来の魅力が引き出されている。大和の色香に目がいきがちだが、彼も大変美しい偉丈夫だった。実際、隠れファンクラブが存在しており彼を慕っている異性は多い。

 

 両雄が酒場にいるだけで安心感がまるで違う。

 客人たちはゆっくりと寛いでいた。

 

 そんな時である。大きな地震が発生したのは。

 

 ゲートはそもそもの構造が違うので微かに揺れた程度だが、ネメアは眉をひそめる。

 

「外が騒がしいな。まだ昼間だぞ」

「なんか事件でも起こったんじゃね?」

「……今の揺れ、中々大きかった」

「ふぅむ……久々の『空間震』か?」

 

 空間震。この世界で稀に起きる現象である。異世界との繋がりが強制的に行われた際に起きる、空間異変の一種だ。

 

 大和は顎をさする。

 

「今の時代の流れだ。空間震が起こるのは特別なことじゃねぇ」

「お前が荒らしてるからな。現在進行形で」

「うるせぇ。……まぁ仮にさっきのが空間震で、異世界との繋がりができたとしよう」

「……」

 

「割とどうでもいいな。マジで。ハッハッハ!!」

 

 呵呵大笑する大和に、ネメアは思わず頭を押さえた。

 

「この酔っ払いが……」

「ハァ? シラフん時も同じ事言うっての!! 心底どーでもいい!! ギャーッハッハッハ!!」

「シラフの時はそんな下品な笑い方はしない……って、ああ、クソ、頭痛くなってきた」

 

 重いため息を吐くネメア。そんな彼の視界にふと人影が映った。

 

 漆黒のパンツスーツを着こなした美女。彼女の登場に、ネメアは色々察して煙草を取り出した。

 

 煙草を吸わなければやっていられない。

 面倒事が多過ぎる。

 

 

 ◆◆

 

 

「お前が来るとは、中々面倒事みたいだな。玉風(ユーフォン)

「お久しぶりです、ネメアさん」

「貪狼連合からの依頼か? それとも、五大犯罪シンジケートからの依頼か?」

「後者です。是非大和さんに頼みたい案件があるのですが……」

 

 玉風(ユーフォン)と呼ばれた美女は大和を見て苦笑いする。彼は鼻提灯を膨らませて寝ていた。爆睡である。

 ネメアは肩を竦めた。

 

「生憎と、この調子でな」

「珍しいですね。大和さんが酔うなんて……」

「鬼と一日飲み明かしたそうだ。むしろこの程度で済んでるのが奇跡と言っていい」

「確かに」

 

 玉風は大和の隣に座る。

 絵に描いた様な中国美人だ。薄い化粧が更に魅力を際立たせている。長い黒髪は後頭部で丁寧に結いまとめられていた。

 彼女は微笑みながら大和の乱れた袖を整える。

 

 彼女は貪狼連合の現総帥、汪美帆(ワン・メイファン)直属の従者。金鰲島(きんごうとう)出身の邪仙であり、仙人の中ではかなり強い部類に入る。扱う仙術はどれも魔導クラス。更に中国武術の達人で、拳法剣術槍術、何でもこなす。メイファンから特に信頼厚い人物だ。

 普段は天下五剣の一角、飛龍(フェイロン)と共にメイファンの傍にいるのだが、今回はわざわざゲートに赴いてきた。

 それだけの理由があるのだろう。

 

「大和は今こんな状態だが、依頼内容によってはすぐ動く筈だ。まずは俺が話を聞こう。その後、無理矢理にでも起こして伝えるさ」

「ありがとうございます。ですが無理強いはしたくありません。最終的には本人の意思を尊重します」

「それでいいのか?」

「ええ。総帥も望んではいないでしょう。報酬額を鑑みるに、大和さんほどでは無いにしろそれなりの手練を複数人雇える」

 

 そう言って、玉風は寝ている大和の頬を撫でる。その顔は女のものだった。

 ネメアは溜め息を吐く。

 

 どれだけ女垂らしなんだコイツは、と。

 

 それはさておき、依頼内容を聞く。

 

「貪狼連合単体からの依頼ならまだしも、五大犯罪シンジケート全体からの依頼か……余程大きな案件なんだろうな」

「はい。先ほど起こった空間震に関係あります」

「ほぅ……」

 

 ネメアの目つきが変わる。玉風は続けた。

 

「異世界の住民が巨大ロボットに跨がり中央区で暴れ回っています。同時に、何かを捜しているようで……」

「その何かの殺害か? それともロボットの破壊か?」

「両方ですね。しかし特別なのは、ロボットを完全には破壊しないところ。そして、元凶の抹殺は大和さんに一任するところです」

「……なるほど、確かに特別だな」

「異世界は貴重な資源の宝庫。この機会、絶対に逃したくない。なので五大犯罪シンジケートは絶大な信頼を置く大和さんを指名しました」

「わかった。なら起こそう」

 

 ネメアは爆睡中の大和の鼻提灯を叩いて割る。

 大和は阿呆な声を出して起きた。

 

「ぬぉ! ……寝ちまってたか! ハハハ!」

「おはようございます、大和さん」

「おお! 玉風(ユーフォン)じゃねぇか! 久々だなぁ! どうした? お誘いか! なら夜にしてくれよ! 今は酒臭いからなぁ!」

 

 抱き寄せられた玉風は、頬をほんのり朱に染めた。

 

「なんなら私が酔って合わせますよ?」

「マジで?」

「マジです。酔いに任せて体を重ねるのは悪くない……しかし残念です。今回は五大犯罪シンジケートからの依頼を伝えにきました」

「ほーう」

 

 大和は三泊眼を細める。

 

「俺が寝てる間にネメアに話したか?」

「はい、必要ならもう一度お話しますが」

「いや、いい。ネメア、頼むぜ」

「全く……」

 

 ネメアは呆れながらも丁寧に説明する。全て聞き終えた大和は、ふむふむと顎をさすった。

 

「なるほどねぇ……確かに、五大犯罪シンジケートからすりゃあ異世界は資源の宝庫だ。是が非でも欲しい。で? その何かの殺害は俺に一任すると?」

「はい。それがどうであれ、我々には価値のないものでしょうから。我々が欲しのは異世界の資源です」

「ロボットは最悪破壊しても構わないか?」

「構いません」

 

 大和は頷き、最後に聞く。

 

「報酬は?」

「一兆」

「……羽振りがいいな。どうした?」

「異世界一つから得られる利益を考えれば、安いくらいです」

「……ハッ!」

 

 大和は鼻で笑うと、ネメアに注文した。

 

「ネメア、氷水」

「ですが、鬼と飲み明かしたとなると流石に無理がありますよね? 今回は」

「いいや、玉風。大丈夫だ」

「?」

「すぐに覚める」

 

 ネメアの言葉に玉風は首を傾げる。

 大和はジョッキいっぱいの氷水をがぶ飲みしていた。氷ごと口にほうり込んでいる。

 ジョッキが空になれば、氷をボリボリ噛み砕きながら立ち上がる。

 

「で──そいつらは何処にいる?」

 

 酔いが覚めていた。

 先ほどまでのフワフワした雰囲気が消えている。

 

 氷水一杯で、酔いを強制的に覚ました……? 

 

 玉風は唖然としていたが、次には熱い溜め息を吐く。

 

「此処から西南西、55㎞のところです」

「OK、すぐに終わらせる」

 

 勘定をテーブルに置き、酒場を出て行く。

 

 事の一部始終を見聞きしていた客人たちは、安堵していた。

 動いてくれるのだ、あの男が。

 であれば、今回の事件は一日と持たない。

 

 右乃助たちが起こした大戦争以降、魔界都市の住民たちは警戒していた。

 あれだけ周囲を巻き込んだのだ。部外者たちからすれば厄介極まりない。

 しかし今回は違う。すぐに終わる。

 

 何故なら、彼が暗黒のメシアだからだ。

 

 



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二話「最強の殺し屋」

 

 

 

 少女は全速力で逃げていた。中央区の市街地を走り抜けている。とうとう追っ手に見つかってしまったのだ。

 背後から住宅もろとも吹き飛ばしながら迫ってきている巨大ロボット──

 全高500mを越える、超巨大ロボットだ。最新鋭の装備を大量に搭載しながらもスリムなフォルムを維持している。

 

 恐らく、9機しか製造されていない最新式……

 

 すぐに追いつかれる。それでも止まらない。止まれない。

 ただで捕まるつもりはなかった。捕まるくらいなら、自殺したほうがマシだった。

 

 それでも自殺しないのは、生きなければならない理由があるからだ。そのためなら、どんな汚い手段であろうと用いる覚悟があった。

 

 必死に走る少女の頭上を、巨大ロボットが飛び越える。

 そうして騎乗者が告げた。

 

『これ以上の逃亡は許さん、忌まわしき竜人族の姫よ』

「……っ」

『おとなしく捕まれ。貴様の処刑台は既に準備されている』

「……ふざけないで」

 

 少女はフードを取り、巨大ロボットを見上げた。そして目から大粒の涙を流して叫ぶ。

 

「約束を破って、私たちを駆逐して……それで本当に平和が訪れると思っているの!? 私は忘れない!! 貴方たちの悪行を!! 竜人族最後の一人として、未来永劫語り継ぐ!!」

『異世界で語ってどうする? 我々の所業を』

「それはっ」

『我々を知る者はこの世界にいない。わかっているだろう? 今の我々が「異物」である事を』

「それでも、私は……!!」

『貴様が最後の一人なのだ、竜人族の姫。貴様さえ死ねば、帝国の安寧は約束される。だから……死んでくれ。その記憶共々、消されてくれ』

「……ふざけないで」

『ふざけてなどいない』

「っっ」

 

 少女は叫んだ。万感の怒りを込めて。

 

「私は生きる!! 家族、友、臣下、民……殺された全ての竜人族の憎悪を背負って!! 殺したいのならこの場で殺しなさい!! 私は最後まで抗う!!」

『……異世界の住民を巻き込みながら、よくもまぁ』

 

 巨大ロボットに騎乗している男は、侮蔑の念を隠さない。

 少女はこれが最後の抵抗になる事を悟ると、臨戦態勢に入った。

 勝てなくとも、戦わなければならない。

 

 そんな時である。

 部外者の住民たちが騒ぎはじめたのは……

 

「ヤベェ!! アイツが来るぞ!!」

「逃げろ!! できるだけ遠くに!!」

「巻き込まれたら死んじまう!!」

「走れ!! 全速力で!!」

 

 何か得体の知れないものが接近してきている……

 両名は悟るが、騎乗者は構わず処刑を執行しようとした。

 

 それが、命取りになる事も知らずに……

 

 腰部のホルスターから大剣の柄を取り出し、上段の構えをとる。そうして身の丈を越えるビームソードを展開した。曇天を貫くほど高い、無限熱量を誇る超超高密度エネルギーの剛刃──

 それを、何の躊躇いもなく振り下ろす。

 

 少女は魔法障壁を展開するも、顔を歪めた。

 耐えられない。わかっている。

 それでも抗った。全力で抗った。

 

「ちょっと待てや、なんだこの状況」

 

 少女を抱き寄せた力強い腕。爽やかな男の匂いと香水の匂いが香る。

 少女はワケがわからず頭上を見上げた。

 褐色肌の美丈夫が己を抱き寄せていた。無限熱量の特大刃を素手で掴み止めている。

 

 彼はギザ歯を剥き出して笑った。

 

「女一人にえらくゴツい得物を使うなぁ? ええ?」

 

 少女は刹那に思い出した。

 先ほど遭遇した、あの美丈夫だと。

 

 

 ◆◆

 

 

『何奴!!』

「テメェから名乗れ」

『……ドラン帝国軍大尉、ロッタンだ』

「大和、殺し屋だ」

『殺し屋……?』

 

 騎乗者、ロッタンは騎乗席で眉をひそめる。

 

「おかしな事を言う。殺し屋風情がこの「サンダルフォン」の最新式、それも特大ブレードを素手で受け止められる筈がない」

「ふぅん……なら、誰にならできるんだ?」

『貴様が知る必要はない!!』

 

 ロッタンは特大ブレードを押し付ける。象が蟻を踏み潰す様に。

 地盤が砕け、余波で市街地が吹き飛ぶ。地層が幾重にもズレ、魔界都市が物理的に傾いた。強力な力場の発生により時空間が歪み、突発的な天変地異が発生する。

 中心地は特に酷く、無限熱量のせいで殆どが融解していた。刃の切っ先から先は跡形もなく焼失している。半径数十㎞はマグマの海だった。

 

 それでも、あの男は無傷だった。

 

「しゃらくせぇ。派手な見た目してんのにその程度かよ」

 

 大和は片手で刃を受け止め続けていた。傷どころか、火傷一つ負っていない。

 彼の周辺だけは地形が保たれており、少女は護られていた。

 

 驚くロッタンを無視して大和は呟く。

 

「純エーテル」

『!!』

「うまく加工してるな。これなら手軽に無限熱量を生み出せる。それに高度な科学文明、ロボットのパーツの材質、サンダルフォンという名前……」

 

 

 

 

 ────テメェら、【アイツ】と関係性があるな? 

 

 

 

 

『いぃ……っ!?』

 

 その言葉に含まれていた規格外の憎悪に、ロッタンは情けない悲鳴を上げた。

 まるで蛇に睨まれた蛙だった。絶対的捕食者を前にして抱く、途轍もない絶望感……

 

 今、ロッタンの目には黒き鬼神が映っていた。暴力という概念そのもの。彼が本気を出せば、自身は羽虫の様に潰される……

 

 表面上の大きさの問題ではない。密度だ。

 目の前の男は、強さの密度が違った。

 勝てる筈がない。そもそも、勝負する事が間違っている。

 

 ロッタンは顔を真っ青にして叫んだ。それは、全ての生物が持つ生存本能だった。

 

『緊急転移術式起動!! 対象、騎乗者とサンダルフォン!! 至急』

「させねぇよ」

 

 大和は操縦席の前……胸部にまで跳んできていた。

 先ほどまで灰色だった暗黒色の瞳を不気味に輝かせている。

 

「予定変更だ。徹底的にやる」

『ちょっ、待っ……!!』

「待たねぇ」

 

 そのまま、右拳を振り抜いた。

 天中殺(てんちゅうさつ)。妖魔を滅ぼす曙光の名を関する必殺の一撃。その威力は最上位の規模を誇る時空間、終点に亀裂を奔らせる出鱈目なもの。

 今の大和はこれをノーモーションで、かつどの部位から、どんな態勢でも放てる様になっていた。

 世界最大、最高濃度の闘気を限界まで圧縮する事で放たれる純粋破壊エネルギーは、最早絶対破壊の概念そのものである。

 

 ロッタンのみを対象に絞った一撃だったが、威力そのものは変わらない。ロッタンは魂ごと消滅し、サンダルフォンの胸に風穴が空く。

 風穴の先にある総てのものが消滅し、デスシティの外側に展開されている邪神群特製の超高密度多重障壁に同サイズの穴が空く。

 

 大和は仰向けに倒れたサンダルフォンの上に飛び乗った。

 そして凝視する。

 

 次の瞬間、サンダルフォンが動きはじめた。大和はその全身に村正特製の鎖を巻き付ると、修復されかけていた胸部に闘気の杭を打ち付ける。

 落雷に似た轟音が響き渡り、サンダルフォンは地面に縫い付けられた。

 尚も暴れ続けるサンダルフォンを見下しながら、大和は呟く。

 

「やっぱり自我があったか……自己防衛システムか何かだろうが、天使と同じ素材で造られてるから、そうだろうと思ったぜ」

 

 鼻で笑いながら飛び降りる。そして、取り残された少女に歩みよった。

 

「よぅ、お嬢ちゃん」

「……貴方は、一体……」

「知りたいか?」

 

 戸惑う少女の頬を撫で、微笑を浮かべる。あらゆる女を駄目にする魔性の色香が溢れ出た。

 

「それよりも、どうだ? 一緒に来ないか?」

「……あっ、ぁぅっ」

「可愛い奴……」

「~~っっ」

 

 額にキスをされて、少女は顔を真っ赤に染め上げた。

 

 

 ◆◆

 

 

 わからない、けど安心した。

 

 

 少女の心境はその一言に尽きた。

 追っ手から逃れる事ができ、保護してもらっている。保護者は一騎で世界を滅ぼせるサンダルフォンの最新式を瞬殺した絶対的強者。

 

 安心している。

 本来ならもっと警戒しなければならないのに。これから先の事をよく考えなければならないのに。

 心が凪いでいる。

 

 シャワーを浴びながら、少女は自問自答を繰り返していた。

 懸念や疑問が多く浮かぶ。しかしそれよりも、温水を頭から浴びる快感が勝ってしまう……

 少女は胸に手を当てて、今の気持ちをゆっくりと整理しはじめた。

 

 胸の内に燻る憎悪の念は、未だ消えていない。ドラン帝国の事を思い出しただけで吐き気がする。

 しかし、気分は晴れやかだった。何故かはわからない。

 

 ああ、と少女は囁く。

 彼を待たせたくない、失礼だ。

 早々にバスルームを出て、ふわふわのタオルで身体を拭く。渡されたシャツを着ると仄かに彼の匂いがして、思わず頬が綻んだ。

 

 今いる場所は彼の家。あの強さと美しさからは想像もできない簡素なアパートだ。

 廊下を歩いていき、リビングへと出る。そこで、彼は寛いでいた。

 

「シャツは……やっぱり大きすぎるな」

「お借りしています」

「下着を含めて、服は全部簡易魔術で洗濯しておいた。なんなら下着だけでも着るか?」

「いえ、このままで大丈夫です」

 

 少女は大和の隣に座る。袖を掴み、身体を寄せる。大和は名前を聞いた。

 

「名前は?」

「ピスカです」

 

 頬を赤く染めている少女、ピスカに大和は問う。

 

「異世界人か?」

「……はい」

「何で追われていた」

「……」

「答えられないか?」

「はい」

「ならいい」

「……っ」

 

 ピスカは胸の奥が締め付けられ、そのまま聞く。

 

「どうして、私を助けたんですか?」

「……聞きたいか?」

「……いえ、いいです……っ♡」

 

 ピスカは大和に更に身体を寄せた。

 明らかに発情していた。乳房の先端はいやらしく尖り、秘所は湿気を帯びはじめている。

 その気なピスカに対して、大和は素っ気なく告げる。

 

「少し電話してくる。ここで待ってろ」

「あっ……」

 

 ピスカはまるで捨てられた子犬の様な顔をした。

 大和はやれやれと肩を竦めると、彼女の頬にキスをし、乳房の先端を指で弾く。

 甘い喘ぎ声が響いた。

 

「大人しくしてろ。そしたら可愛がってやる」

「……はいっ♡」

 

 ピスカは満面の笑みで頷く。

 彼女は、既に大和の虜になっていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 大和は屋上で煙草を吸いながら通話している。

 

『相変わらず、女好きですこと。……私という女がいながら』

「そういう男だ。嫌なら関係を絶て」

『もう……いけずな人』

 

 スマホの奥にいるのは汪美帆(ワン・メイファン)。今回の正式な依頼主であり、貪狼連合の総帥だ。中国の裏社会を総て牛耳っている怪物である。

 彼女は溜め息を吐きつつ、本題へと移る。

 

『今回狙いを付けた異世界、中々に資源が豊富なようで……他の頭目たちも目を輝かせています』

「スパイは送っているのか?」

『勿論ですとも。各頭目がそれぞれの狙い目に差し向けています』

「早いな。……で、どうだ? 例の「聖四文字」との関係性は」

 

 聖四文字、これは「とある神」の暗喩である。

 聖書の神。神話の時代で絶対的な力を誇った創造神だ。

 彼は全知全能のプログラム【アカシックレコード】を創造し、当時では考えられないほど高度な文明を築き上げた。

 

 純エーテルの応用。純粋天使の製造。聖書の作成。宗教の創立。そして人類の創造。

 人類の創造は他勢力の創造神と連携して行ったが、彼は間違いなく全人類の父である。

 

 その後、悪魔族との大戦争『ハルマゲドン』が勃発し、最終的に世界を滅ぼそうとしたが、大和を含めた当時の英雄たちに阻止され、封印された。

 

 現代になってもその影響力は凄まじい。

 大和はこの神の事を特別憎悪していた。

 

「あまりその話題に触れたくねぇんだが……内容によっちゃあ話は別だ。すぐに出る。そして殺す。必ず殺す。あの時は力不足で殺せなかったが、今なら確実に殺せる」

『落ち着いてください……憎悪が溢れ出ております』

「……わりぃ」

 

 普段抑えているものが漏れていた事に気付き、大和は謝る。

 メイファンは苦笑した。

 

『元より、この神が貴方様の地雷である事は承知しています。ですので、簡潔に述べますね』

「頼む」

『足取りは掴めませんでした。証拠になるものが一つ残らず消されています』

「……やっぱりか。わかった。サンキューな」

『いいえ。こちらとしても必要な情報でした。あの神が本格的に関わっているのであれば、異世界侵攻どころではない。……関係性が低いのは、こちらとしてはありがたいです』

「なるほど」

『ですが、サンダルフォンでしたか? あの人型兵器は実に素晴らしい。まさしく未知の塊です。我々五大犯罪シンジケートでは手に余る』

「華仙に渡して解析して貰った後、異端審問会に売り渡せばいい。アメリカ……カールの事だ。すぐにとびつくだろう」

『既にその様に』

「流石、華僑の闇の花。……それじゃあ、俺はこれからどうすればいい?」

 

 大和は吸い殻を携帯灰皿に入れて、次の煙草をくわえる。

 

『ご自由にしてくださいませ。対象の殺害は一任します。依頼は完了です。指定された口座に報酬を振り込んでおきます』

「わかった。サンキューな」

『それでは』

 

 早々に通話が切れる。メイファンも忙しいのだろう。

 大和は紫煙を吐き出しながら考えた。

 

 聖四文字……やはり封印から抜け出していた。

 薄々気付いてはいた。きっかけは異端審問会のエージェント、サイスを助けた際に現れた執行者……

 あれは新たに製造された純粋天使だった。

 

「コソコソやってやがるな、あの糞野郎。……いいさ、近い内にぶつかる事になるだろう。その時は殺してやる。死ぬまで殺し続けてやる……」

 

 大和の聖書の神に対する憎悪は、常軌を逸していた。

 

 

 ◆◆

 

 

 部屋に戻ると、ピスカが抱きついてきた。涙目で胸に顔を埋めてくる。

 そんな彼女に大和は毒気を抜かれると、その綺麗な桃色の髪を撫でた。

 ピスカは頬を染め、大和を見上げる。大和が腰を落とすと、ピスカは自ら唇を重ねた。言葉は不要だった。

 

 ベッドの上で身体を重ね合う。ピスカは未知の快感に悶えていた。ハジメテなのに、娼婦の様な甘い悲鳴を上げている。

 90を超える大きい乳房を持ち上げられ、食べられてしまう。痛いほど尖った先端を舌で転がされれば、脳髄に電流が走った。

 毛も生え揃わない秘部からはとめどなく蜜が溢れ、大和の太い指をすんなりと受け入れてしまう。

 大和の逸物はピスカの中を万遍なく満たした。最初は優しくされたのにも関わらず、ピスカは快感のあまり気をやってしまった。組み敷かれれば、もう喘ぐ事しかできない。

 

 甘酸っぱい汗の匂いと女特有の甘い香りが部屋を満たす。何度も何度も絶頂を刻み込まれ、その度にピスカは溺れていった。最終的にはピスカが大和の上に跨がり、腰を揺すっていた。強力な種を奥に吐き出される度に、逸物を口と胸で奉仕する。

 

 気づけば夜になっていた。

 ピスカは大和の胸板に擦り寄っていた。逞しい腕に抱き寄せられると、幸せな気持ちでいっぱいになる。

 

 ああ、愛おしい、なんて愛おしい……

 

 ピスカは大和に跨がり、キスをねだる。大和は応じた。唇を重ね、舌を絡め合う。唾液を掻き混ぜ、互いに互いを貪る。ピスカは大和の首に両腕を回し、大和はピスカの後頭部を押さえた。淫らなキスは、ピスカの息が切れるまで続いた。

 

 ピスカは大和にしなだれかかる。全身で感じる、分厚く硬い雄の肉体。対して、自分の肉体の柔らかさは何なのか……

 やはり、自分は雌なのだと自覚する。

 

 余韻に浸っているピスカに、大和は聞いた。

 

「落ち着いたか?」

「はい……あの、ありがとうございます。こんな、いきなりの事で……」

「寂しかったんだろう? 気にすんな」

「~っ♡♡」

 

 子猫の様に甘えてくるピスカの頭を、大和は撫でてやる。

 彼は頃合いだと思い、話しはじめた。

 

「まずは俺の事について話そうか……なぁに、独り言だと思って聞いてくれればいい」

「……」

 

 ピスカは何も言わない。しかし難しい顔をしていた。

 大和は構わず続ける。

 

「俺は殺し屋だ。今回、お前の抹殺とロボットの破壊を依頼された」

「っ」

「だが、必ずしもお前を殺す必要はなかった。……だってそうだろう? 殺す対象をこんなに可愛がる必要がない」

「はぅぅ……♡」

 

 顔を真っ赤にして、それでも嬉しそうにしているピスカ。

 大和は話を締めくくる。

 

「ロボットの破壊は完了した。お前を殺す必要もない。依頼の達成、その報告をさっきしていたのさ」

「……」

「俺の話はここまで。お前は……話したくないのなら話さなくていい。俺にはもう関係のない事だからな」

 

 その灰色の三泊眼は、ピスカの内を全て見通していた。それでいながら、何も言わない。

 

 ピスカは、泣きそうな顔でぽつりぽつりと話しはじめた。

 

「聞いて、いただけますか……私の話を……」

「ああ、聞いてやる」

 

 ピスカは異世界で起こった事件を話した。

 古来よりその世界に住まい、人類と共存していた竜人族。人類は竜人族に資源と土地を与え、竜人族は人類に魔法の使い方と特産品を与える。互いに近すぎず、遠すぎない距離感を保っていた。人類側で戦争が起こっても、竜人族は絶対に手を貸さなかった。

 

 しかしある日を境に変わった。ドラン帝国が未知の科学兵器を扱うようになったのだ。

 周辺諸国は瞬く間に征服され、竜人族の国も存亡が危ぶまれた。

 

 ピスカの父、当時の国王はドラン帝国への降伏を宣言した。国王はわかっていた。戦争になれば勝ち目がない事を。たとえ戦争をしたとしても、国民が悲しむだけだと……

 将軍や臣下達をなんとか説得し、国王はドラン帝国に頭を下げた。

 ドラン帝国はこれを快く引き受け、竜人族の国で宴を催そうと企画した。国王は了承し、国民に安心して貰うためにその場を借りて演説した。

 

 そんな時である。国王が熱線で消し飛ばされ、ドラン帝国の武装兵団が攻め込んできたのは……

 逃げ惑う国民をサンダルフォンが一掃し、国土を火の海に沈める。

 抗った者たちは全員殺された。女子供老人、関係なく駆逐された。

 ピスカは従者が緊急で編んだ長距離転移魔法陣に入り、偶然この都市へとやってきた。

 しかし半日と経たずにサンダルフォンがやってきて、必死に逃げていた。

 

 全てを話し終えたピスカは、泣いていた。

 

「私たちは、信じなければよかったのでしょうか? あの時戦争することを選んでいれば、少なくともこのような結果には……」

 

 ピスカはハッと、我に返る。

 

「申し訳ありません。関係のない貴方にこんな話をしてしまって……」

「……」

 

 大和は左腕で彼女を抱き寄せると、右手て煙草を取り出した。

 火を付け、紫煙を吐き出す。

 

「今は俺が誤魔化してやれる。……しかし、今しかないぜ。復讐のチャンスは」

「……!」

「この都市でも特に大きい犯罪組織が五つ、お前らの世界に目を付けた。遠征がはじまれば三日と経たずお前らの世界は征服されるだろう」

「そんな……!」

「どうする? どうしたいんだお前は」

 

 大和の問いに、ピスカは……震えながら、今まで隠していた激情を吐き出した。

 

「復讐……したいです。この手で直接殺してやりたい。家族も、女子供老人も、全員。我々がされた事を、あの者たちにもしてやりたい。……一族の無念だなんて、単なる建前です。私が、私個人が……どうしてもあの者たちを許せないのです……っ」

「……」

「ですが、私には力がない。復讐を成し遂げられる力が。だから……」

「だから、諦めるのか? 勿体ねぇ」

「……え?」

「今、お前の傍には都合のいい「暴力」があるのに」

 

 大和はベッドから起き上がり、簡易呪符で正装に着替える。

 そして振り返った。

 

「俺が代わりに果たしてやるよ。復讐を」

「……どうして」

「暴力には暴力を。理不尽には理不尽を。……さぁ、依頼をよこせ、ピスカ。お前の復讐心が、俺を無性に駆り立てる」

「なんで……貴方には、何のメリットもないのに……」

 

 戸惑っているピスカに、大和は暗い笑みを浮かべた。

 

「報酬は既に貰ってる。……寂しがり屋な女の子の身体だ」

「っ」

「極上だったぜ。処女の癖に娼婦みたいに喘ぎやがって……しかもチョロい。最高の女だった」

 

 大和は両手を広げる。

 そして聞いた。

 

「だから、さぁ! お前は俺に何を求める! ピスカ! 暴力しか取り柄のない糞野郎に、何を求めるんだ!!」

 

 ピスカは……泣きながら両手を重ね、懇願した。

 

「復讐……してくださいっっ。無力な私に代わって、どうかあの者たちに、残酷な死を……っっ」

「承った!!」

 

 大和は真紅のマントを靡かせ、部屋を出ていく。

 ピスカは泣き崩れた。

 

 

 暗黒のメシアが動き出す。

 

 

 







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三話「差別意識」

 

 

 部屋を出た大和は、見晴らしのいい高層ビルの屋上である者と通話していた。

 

『きっちり調べてきたぜ、大和の旦那』

「サンキューな、エリカ」

 

 エリカ。デスシティでも数少ない九尾の妖狐。情報屋兼ハッカーだ。

 その情報収集能力はデスシティ随一と名高いミケに勝るとも劣らず、ハッキング能力は五大犯罪シンジケートが最重要警戒対象に指定するほど。

 極めて優秀かつ危険な人物だ。

 

 彼女は電話越しに大笑いする。

 

『高度な科学文明を誇ってるっていうからどんなもんかと思いきや、セキュリティガバ過ぎてで笑っちまったぜ! まだ西区の落ちこぼれ共のほうがしっかりと組んでる!』

「そんなにザルだったのか」

『ああ! まぁ、デスシティ内外のインターネットと比べるのは酷かもしれねぇけどな』

 

 デスシティを中心としたインターネット、ネットワーク界隈は規模、密度、共に異常だ。

 今この時も広がり続けている。

 

 インターネットは現代において最も情報が集まる場所。

 デスシティのそれは群を抜いており、犯罪組織は勿論、ありとあらゆる勢力が目を光らせている。

 

 それらの専門家、ハッカーやクラッカーの需要は極めて高く、人口密度は殺し屋や傭兵に次いで高い。

 

 その頂点に君臨しているのがエリカ。

 彼女は電脳世界の魔王と呼ばれており、その筋の者たちからは大和以上に恐れられていた。

 

『しっかし、今回の調査をミケさんじゃなくてアタシに頼むあたり、旦那もいい性格してるなぁ』

「相手の文明レベルが割れてたんだ。お前はじゃんけんで相手がパーを出してくれてるのに、わざわざグーを出すのか?」

『ハッハッハ! そりゃそうだな! 適材適所ってやつだ!』

 

 大和は今回、敢えてエリカを選んだ。

 その方が効率的かつ正確だからだ。ミケはありとあらゆる情報を独自の手法で集めているが、今回ばかりはエリカが勝る。

 

 エリカは笑いながら言った。

 

『旦那! 携帯端末を耳にあてないで、目の前で平面にしてくれ! 今からホログラム通話すっから!』

「……おいコラ、人のスマホを勝手にハッキングしてんじゃねぇよ」

『カッカッカ! いいじゃねぇの! 寂しい事言うなって旦那♪』

「ハァ……」

 

 大和は溜め息を吐きながらスマホを平面にする。

 すると、ホログラム映像でエリカの姿が映し出された。

 

 妖艶ながら野生味溢れる九尾の美女だ。快活な笑顔がよく似合う。

 容姿的年齢は二十代前半ほど。まだ若い。しかし纏う色香は魔性のもので、流石は化け狐といったところだ。綺麗な褐色肌に対して白銀色の長髪と同じ色の耳と尻尾が目を引く。

 顔立ちは極めて美しい。最低限の化粧しかしていないのに思わず見惚れてしまうほど。翡翠色の目は切れ長で、白銀色の長髪は三つ編みに結われている。前髪には×印のヘアピンを付け、首元には作業用のゴーグルをぶら下げていた。

 服装は白のチューブトップ、上から黒のライダージャケット。迷彩柄のカーゴパンツ、カーキ色のミリタリーブーツと、魔界都市の住民らしい奇抜なファッションスタイルをしている。

 体型はグラビアアイドルも驚くレベルで、筋肉もしっかり付いていた。胸はHカップの特大ボリュームで、ムチムチの、いやらしい身体つきだ。

 

 彼女は装着しているヘッドフォンの位置を調整しながら、大和に笑いかけた。

 

『うぃーっす! 大和の旦那、久っしぶりー☆』

「相変わらず元気そうだな」

『そりゃもう! 楽しい事して生きてるんだから、自然と笑顔になるっしょ!』

「……いいねぇ、好きだぜ。その感じ」

『……っっ♡♡』

 

 エリカは画面越しに顔を真っ赤にする。そしてあわあわと慌てはじめた。

 

『ちょ……不意打ちだって……!!』

「ん? 素直に言っただけだぞ?」

『そういうところが!! ……ああもう!! 旦那のすけこまし!!』

「ククク、可愛い奴」

『~っっ!!♡♡ もう!! この話おしまい!! ほら!! さっさと依頼の話するよ!!』

「はいはい」

 

 苦笑する大和。エリカは専用のホログラムモニターを幾つも展開した。

 彼女は使用する機材やプログラムを自作している。

 曰く、その方が使いやすいとかなんとか。

 

 エリカは途端に眉をひそめる。

 

『あー……そうだ、胸糞悪ぃ内容だったわ。これ』

「話せるか?」

『話すよ。仕事だからな』

「OK、頼む」

 

 エリカは答える。

 

『ぶっちゃけると、旦那の予想通りだった。予想通り過ぎて吐き気を覚えたけどな』

「……やっぱり、種族の違いによる「差別」か」

『ああ、しかもこれはひでぇ。生ゴミ以下の臭いがプンプンしやがる。やっこさん、長い間差別意識を持ちながら、つい最近まで何食わぬ顔で交流してやがったんだ。んで、力が付いた途端に国民諸とも皆殺し……と。カッ、やられた方はたまったもんじゃねぇぜ。同情するわ』

 

 嫌悪感丸だしでエリカは続ける。

 

『……チッ、どうしてだよ。互いにいいところを認め合って、それでいいじゃねぇか。なんで差別なんかする』

「差別は絶対に無くならねぇ」

『っ』

「多種多様な種族がいる魔界都市でも一定の差別があるんだ。表世界なんて人間同士で差別しあってる。個人で仲良くなれても、種族や国になると話が変わってくる」

『……面倒くせぇな』

「ああ、面倒くせぇ。本当に面倒くせぇ」

 

 大和は鬱屈げに煙草を取り出す。

 そして火を付け、特大の紫煙を吐き出した。

 

「さぁて、はじまるぞ……」

 

 上空を見上げる。

 分厚い曇天が裂け、異世界に通じるゲートが開いていた。同時に大規模な空間震が発生する。

 

 戦争が、はじまろうとしていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ゲートを通じて降りてきたのは、以前中央区で暴れ回った巨大ロボットと同機種だった。それも三機。色違いで、それぞれ武装が違う。

 彼等はブースターで着地の衝撃を緩和すると、周囲一帯に粒子状のセンサーフィールドを展開した。

 

『サンダルフォン初号機、ゼクス。異世界への着陸を確認』

『サンダルフォン二号機、ファイン。異世界への着陸を確認』

『サンダルフォン三号機、ギラ。異世界への着陸を確認』

 

 三機はそれぞれのメイン武装を展開する。初号機は近接型、二号機は支援型、三号機は遠距離型だ。

 初号機に騎乗しているパイロット、ゼクスは他二名に指示を出す。

 

『周囲を警戒しながらセンサーフィールドを拡張していく。ファイン少尉は情報処理。ギラ少尉はセンサーフィールドとリンクし、周囲一帯の警戒に当たれ』

『『了解!』』

 

 若い男女の応答。同時に各々が定位置に付く。

 動きは軍人のそれだが、どこか違和感があった。

 二号機が自動演算モードに入ったところを確認したパイロットの少女、ファインは愚痴を漏らす。

 

『まさか竜人族一匹のためにサンダルフォンを三機も出すなんて、夢にも思わなかったわ』

 

 その言葉に三号機のパイロット、青年ギラも同意する。

 

『それな。しかも俺たち三人だぜ? 異世界を滅ぼす気かっての』

『ねー。もういっそのこと、この都市ごと焼却しちゃえばいいのに……。ゼクス様はどう思いますか?』

 

 黒髪の男性、ゼクスは心底辟易した様子で告げた。

 

『私語を慎め、ファイン少尉。ギラ少尉。任務の最中だぞ』

『……はーい』

『……了解』

『それと、任務に私情を挟むな。貴公らはその歳で、しかし帝国の軍人。公明正大、滅私奉公を信条とし、軍人としての誇りを持て』

『『……了解です』』

 

 不服そうな返事を聞き、ゼクスは二人をぶん殴りたい気持ちに駆られた。しかし、何とか抑える。

 

 サンダルフォンの適合者が少な過ぎるとはいえ、軍属経験すらない若者にそれなりの地位を与えるなど、帝国上層部はどうにかしている。

 

 ゼクスは子守でも任されている気分だった。

 実際、そうなのだろう。この若者たちを武力で止められるのは自分しかいないから。

 

 サンダルフォン。

 神の遣いを名乗る謎の存在から授けられた規格外の殺戮兵器。これにより、帝国は長年の夢だった人類統一を果たした。

 

 しかし問題もあった。

 サンダルフォンに対して帝国の科学力が追いついていないのだ。高度な科学文明を誇っていながら、諸々を持て余している。

 しかも機体がパイロットを選ぶ、といういやらしい設定がある。このせいで、軍人でもない者に騎乗を任せなければならない。

 一度の戦争ならまだしも、二度三度と続けていれば、パイロットが変な野望を抱きかねない。

 

 帝国上層部の目論みはわかる。

 この任務で自分たちが死に、サンダルフォンが破壊されれば好都合なのだろう。

 サンダルフォンは、既に用済みだから。

 

 ゼクスは頭痛を覚えた。

 先代帝王の覇気に憧れ、忠誠を誓い、軍人として真面目に働いてきた。しかし今代の帝王は馬鹿過ぎる。擁護できない。

 竜人族への差別意識からはじまり、教育方針の改革。国民の差別意識を増長させ、最終的には竜人族を滅ぼした。

 彼等に親でも殺されたのか、と疑いたくなるレベルだ。

 しまいにはサンダルフォンという未知の兵器を検討もせずに採用してしまう始末……

 

 はっきり言って頭がおかしい。

 

 ゼクスはこれを機に退役し、別の人生を歩もうとしていた。

 

 同時に思う。思わざるをえない。

 何か、全く別の存在が、自分たちの世界を滅ぼそうとしている。

 現帝王のありえない凡愚具合。サンダルフォンという殺戮兵器。

 そして神の遣いを名乗る謎の存在……

 

 全て重ね合わせると、自ずと答えが出てきた。

 

(なるほど……神の遣い。神は神でも、邪神だったか)

 

 全てを察したゼクスは、思わず自嘲した。

 最初から手の平の上だったのだ。現帝王は、おそらく傀儡……

 

 今の帝国に正義はない。それは決して他人事ではなく、自分にも言える事だ。

 

(これが最後の任務だ。これが終われば……贖罪の旅に出よう)

 

 竜人族について、今でも後悔している。

 公明正大、滅私奉公を信条としているからこそ……

 彼等は、何も悪くなかった。

 

 一旦意識を戻す。

 この異世界はサンダルフォンの最新式を一騎破壊できる武力を保有している。

 もしくはそれを可能とする団体、ないし個人がいる。

 

 個人は流石に考えられないが、警戒するに越した事はない。

 ゼクスは神経を研ぎ澄ませていた。

 

 そんな時だった。

 

『あれ? おかしいな? センサーに異常が……』

『何があった、ファイン少尉』

『センサーがおかしいんです。反応はあるんですけど、数も質量もおかしくて……』

 

 ゼクスは胸騒ぎを覚える。

 

『ギラ少尉。貴公はセンサーフィールドとリンクしているな? 何が見える』

『なんて言えばいいんですかね、これ……深い、淀み?』

『っ』

 

 話にならない。

 ゼクスはセンサーフィールドにリンクし、自分の目で確かめた。

 

 そして驚愕する。

 得体の知れない化け物たちに囲まれているのだ。

 目視できないが、確実にいる。四方八方に。

 虎視眈々と、こちらの動きを伺っている。

 

 これはまずい……

 

 ゼクスは他二名に命令した。

 

『ファイン少尉、ギラ少尉。今すぐこの世界から撤退する。センサーフィールドを解除し、緊急転移術式を起動しろ』

『ゼクス大尉? どうしたんですか?』

『何かありました?』

 

『早くしろ!!!!』

 

 かつてない怒声を聞き、二名は驚愕と恐怖ですぐに術式起動をはじめる。

 ゼクスは最大限周囲を警戒した。

 

 だからこそ気付けた。

 微かな、それでいて刃の様な鋭い殺気に……

 

『術式展開!! 天使の羽衣(エンジェル・ベール)×30層!!』

 

 前方にありとあらゆる攻撃を無効化する無敵結界を30枚重ね合わせる。

 瞬間、眼前に真紅の閃光が煌めいた。埒外の衝撃波を受けて、サンダルフォンは吹き飛ばされかける。

 

『キャァァっ!!』

『な、なんだぁ!?』

『……ッッ!!』

 

 無敵結界がどんどん破壊されていく。ゼクスは衝撃波よりも障壁の枚数を気にしていた。

 もしも30枚全て破られたら……自分たちは消し炭になるだろう。それほど破滅的なエネルギーだ。

 

 ガラスが何枚も砕け散る様な音が響き渡る。あと三枚、二枚、一枚……

 ゼクスは反射的にサンダルフォンの右腕を障壁に押し付けた。同時に、大爆発が起こる。

 

 天まで昇る土煙。

 しばらくして晴れると、他二名は慌ててゼクスを確認した。

 そして悲鳴を上げる。

 サンダルフォン初号機の右腕が融解していたのだ。

 

『ぜ、ゼクス大尉っ、それは……』

『あっ、あっ……どうして、サンダルフォンが、天使の羽衣が……っ』

 

 呂律が回っていない二名とは対象的に、ゼクスは酷く冷静だった。

 

 彼は真横にある高層ビルの屋上を見上げる。

 そこには、真紅のマントを靡かせる褐色肌の美丈夫が立っていた。

 彼はギザギザの歯を見せて嗤う。

 

「ただの気弾とはいえ、耐えやがった。素人集団かと思いきや……優秀なのがいるな」

『旦那、五大犯罪シンジケートと情報共有できたぜ。三分くらい時間を稼いでほしいってさ。アタシも手伝う』

「オーケー」

 

 その身から溢れ出る禍々しいオーラ。

 ゼクスは死を覚悟した。

 それでも逃げない。

 背後の子供たちを護るため、大人として最低限の責務を果たそうとしていた。

 

 



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四話「因果応報」

 

 

 ゼクスは早々に理解した。勝てない事を。

 目の前の褐色肌の男には、どう足掻いても勝てない事を。

 であれば、勝つ必要はない。時間を稼げばいい。背後の若者たちを逃がせるだけの時間を作れればいい。

 五体満足で成せないのなら、命を懸ければいいだけだ。この命は、既に価値のないものだから。

 

 明日を生きる若者のために死ねるのなら、本望だ。

 

「ごちゃごちゃと考えてるなぁ、しかし隙がねぇ。……軍人。それも相当場数を踏んでる」

『……貴公は、人間ではあるまい。会話できるのすら驚いているよ』

「カッカッカ! 一応人間だぜ! 一応なァ!」

 

 大和は笑いながら超高層ビルをバットの様に薙ぎ払う。

 誰が想像できるだろうか? 人間が500階建ての建造物を腕力だけで振り回すところなど……

 まるで人の形をした天変地異。

 

 夢でも見ているのかもしれない。しかし体は勝手に動く。戦場で生きてきた肉体が自然と脅威を避けようとしている。

 意識もまた同じだ。夢を見ている、という感想を客観的に捉えている。

 目の前の災害に、ほぼ総ての集中力を使っている。

 

(サンダルフォンを完全自動制御モードにするか? その方が視野を広げられる。……いいや、駄目だ。このレベルの存在にそれは自殺行為。全て読まれた上で叩き潰される。……であれば、要所要所でオンオフを切り替えていくしかない。幸い、サンダルフォンの修復機能は高い。エネルギー残量にも余裕がある)

 

 ゼクスは、異世界では間違いなく最強の軍人だった。経験、才能、頭脳、判断力。おおよそ軍人に必要な全てを持ち合わせている。

 

 サンダルフォン初号機の性能もあり、彼が本気を出せば大和をその気にさせる事ができた。

 しかし足枷がある。それも、酷く重たい足枷だ。

 

『なんで!? サンダルフォンが言う事をきかない!! なんでよぉ!!』

『ハッキングされてんのか!? クソ!! このポンコツ!! さっさと動けよ!!』

 

 背後の若者たちだ。

 所詮、サンダルフォンに乗れる適性があるだけの素人。この危機的状況で、喚き散らす事しかできない。

 

 ゼクスは邪魔だと思いながらも、大人の責務だと押し殺す。

 大和は超高層ビルを担ぎながら、酷薄な笑みを浮かべた。

 

「放っておけよ、後ろの餓鬼共なんざ」

『……』

「お前がその気になれば俺をそれなりに楽しませる事ができる。それだけの力が、お前にはある」

『……彼等は、サンダルフォンに乗れるだけの子供だ』

「そいつら、その兵器で人を殺しただろう?」

『…………』

「だったらそいつらはもう子供じゃねぇ、軍人だ。責任を負わせろ」

『……いいや、すまない。やはり私は、彼等を護るしかない』

「堅物が……後悔するぜ」

『もうしているさ』

 

 ゼクスは笑った。空っぽな笑みだった。

 大和の言う事が真実だとしても、彼は戦うしかなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 丁度三分経った。

 ゼクスは戦い抜いた。文字通り命を懸けて。窮鼠猫を噛むとはよく言ったもので、ゼクスは大和に何度も食らいついた。

 

 最も、猫は猫でも虎であったが……

 

 力の階梯が違う。

 大和は結局、手持ちの武具を一切使わなかった。闘気で強化した超高層ビルや電柱を振り回していただけだった。

 

 そもそも、大和は真面目に戦う必要がなかった。

 今回の目的は誰かを殺す事ではなく、異世界にいる人類に復讐する事だから。

 

 故に、素直に、ゼクスを称賛する。

 有言実行した事に対して。何より、自分相手に三分間も戦い抜いた事に対して。

 

「異世界の住民にしておくのは勿体ねぇ。そこらの自称殺し屋よりよっぽど腕が立つ」

「……褒め言葉として受け取っていいのか?」

「ああ、俺にしては褒めてるほうだ」

「……なるほど」

 

 ゼクスは苦笑する。既にサンダルフォンから引きずり下ろされ、鎖分銅で拘束されていた。サンダルフォンは、同じく鎖分銅で雁字搦めにされている。

 

 ゼクスは焦土と化した周辺を見渡す。

 半径数十㎞が火の海に沈んでいた。その瞳に写る炎は、妖しくも高々と燃え上がっている。

 

 彼は、絶望していた。

 

 何に対して? この都市についてはなんの心配もしていない。そもそもの構造が違う。住民についても同じだ。

 であれば、これから先の事に対して? 

 違う。彼は軍人だ。死ぬ覚悟などとうにできている。

 

「嫌だ……嫌だっ!! 死にたくない!! 助けてください!! ゼクス大尉!!」

「お願いします!! ゼクス大尉っ!! 俺は、まだ死にたくないんです!!」

 

 原因はこれらだ。

 

 彼等はゼクスが奮戦している最中にサンダルフォンから降り、そそくさと逃亡。案の定すぐに捕まった。

 

 それだけならまだいい。

 問題は、揃って死にたくないだの助けてくださいだのと喚いているところだ。

 

 呆れを通り越して憎悪すら覚える。

 悪意をもって竜人族を滅ぼした癖に、命の危機となれば無様に命乞い……

 

 ゼクスは今になって、ようやく自分に素直になれた。

 

「ファイン少尉、ギラ少尉」

「ゼクス大尉!! ああ!! お願いです!! 戦ってください!!」

「俺達には貴方しかいないんです!!」

「最後の命令だ。その汚い口を閉じろ」

 

「「……え?」」

 

「二度は言わん。軍人として、いいや、一人の人間として、報いを受けろ。俺も受ける」

「そ、そんなっ!!」

「嫌ですよ大尉!! 俺たちは!!」

 

 騒ぐ二名の顔面を、大和は下駄の裏で蹴り抜く。子供であろうが女であろうが関係ない。ムカつく奴は蹴りとばす。

 鼻の骨が折れ、歯が何本も弾け飛ぶ。

 あまりの激痛に悶絶している二名を無視して、大和はゼクスに聞いた。

 

「ゼクスとやら。お前は竜人族の滅亡に加担していたのか?」

「帝国の軍人だ。加担しているに決まっているだろう」

「そうじゃねぇ。直接、その手で、竜人族を滅ぼしたのかって聞いてんだ」

「…………していない。職務放棄した。俺にはできなかった」

「なるほど、だろうと思った」

 

 大和は笑った。嬉しそうな笑みだった。

 

「なら見てな、今からはじまるぜ。宴が」

 

 大和は空を見上げる。その笑顔に潜む邪悪さに惹かれ、ゼクスも空を見上げた。

 

 見たこともない異形の大群が異世界に通じるゲートに群がっていた。

 凶悪な殺し屋が、凄腕の傭兵が、人食いの化け物が、重装備のサイボーグが、屈強な軍団が、恐ろしい集団が、ゲートへ一直線に飛んでいっている。

 

 数万、数十万……いいや、それ以上か。

 

 どこにそれだけの人数が隠れていたのか、どうやってあれだけの数を集めたのか、……疑問は多いが、これだけは言える。

 

 自分たちの世界は滅ぼされる。

 それもただの滅ぼされ方ではない。想像を絶する惨い方法で滅ぼされる。

 

 大和は上機嫌に言い放った。

 

「いい光景だ! ハハハッ! まるで砂糖に群がる蟻の大群だな! 全員イキイキとしてやがる! まぁそうだろうさ! 五大犯罪シンジケートが大金をばらまいてありったけ集めたんだ! ククク、これから始まるぞ! 蹂躙が! 楽しい楽しい悪党共の宴が! 異世界は住民もろとも搾り尽くされる! いーい資源になるだろうさ! ハッハッハッハッハ! 絶景だなぁオイ!」

 

 大和は本当に楽しそうに笑っていた。

 その笑みに釣られて、ゼクスも笑ってしまう。

 彼は今まで胸に秘めていた想いを吐き出した。

 

「ああ……確かに絶景だな。因果応報とはまさにこの事だ」

「ほぅ……」

「何の罪もない一族を悪意で滅ぼしたのだ。その罪は必ず償わなければならない。どんな形であれ、だ。だから安心している」

「家族や友人はいないのか? あの世界に未練はないのか?」

「ない。元より戦争孤児。友人どころか恋人すらいない。戦場で死ぬ軍人に、そんなものは必要ない」

 

 ゼクスは、晴れ晴れとした表情で言った。

 

「ありがとう……死ぬ前にいいものを見れた。これで安心して地獄にいける」

「ククク……変わった奴。なぁ、お前らはどう思う?」

 

 大和は振り返る。

 そこには東洋系の美男美女が佇んでいた。

 漆黒のパンツスーツを着こなした歴戦の邪仙、玉風(ユーフォン)

 漆黒のチャイナ服、背中に青竜刀を二本背負った男。現・天下五剣、飛龍(フェイロン)

 

 貪狼連合の最高戦力たちだ。

 

 二名はそれぞれ思った事を口にする。

 

「よく軽んじられていますが、異世界も一つの世界です。様々な人間がいます。彼は一種、軍人の理想像ですね」

「そうあれかしと願い、そうであった。……ただ殺すには惜しい」

 

 大和はわざとらしく両手を広げた。

 

「ならどうする? 殺すのはやめておくか?」

「そうですね。本人次第ですが、ウチに来て貰いたいです。こういう人材は、捜しても中々いませんから」

「同意見だ。もう少し鍛えれば、メイファン様のよき肉盾となるだろう。ただ殺すのならウチで引き取る」

「いいぜ、勝手にしな。俺は今回部外者だ。異世界が滅びるってんなら、他はどうでもいい。……そこの餓鬼共はどうする。顔面潰しちまったけど」

 

 玉風と飛龍は若者たちを見下ろす。

 怯え、助けを求める視線を無視して、二人は冷酷に告げた。

 

「雇う価値がありません。人間牧場に放り込みます」

「他の人間も同様だ。使える者は引き抜き、使えない者は全員「資源」にする」

 

 それを聞いた大和は、腹を抱えて大爆笑した。

 

「ハハハッ! よかったじゃねぇか餓鬼共! 腐って土に還るよりかは幾分かマシだぜ! 四肢切断されて種馬と孕み袋、もしくは挽き肉にされて人肉缶詰の中身だ! 誰かの役には立たぁな! 今のウチに泣いて喚いとけよ! クククッ……ハーッハッハッハッハッハ!!」

 

 この場で、いいや、この事件に関わっている中で一番邪悪なのは大和だ。間違いない。

 彼は五大犯罪シンジケートのためではなく、ピスカのためだけに一つの世界を滅ぼしたのだ。

 

 大和の笑い声が魔界都市全体に響き渡る。

 

 そうして住民たちは悟った。

 全てが終わったのだと……

 



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五話「ノーマルエンド」

 

 

 

 何時もは活気にあふれている大衆酒場ゲートが、今夜は通夜の様に静かだった。

 此処だけではない。魔界都市全体が静寂に包まれている。中央区は勿論、東西南北、裏区に至るまで……

 何時もの風景を知っている者からすれば、不気味に思えるだろう。

 明らかに人口が少ない。

 

 客人が殆どいない店内で、大和は何時も通り飲酒を楽しんでいた。

 

「こういう静かな酒場もありだな! 裏通りのバーみたいでよ!」

 

 カラカラと笑いながらグラスにブラックラムを注いでいる。

 その両隣には、絶世の美女たちが座っていた。

 

「ネメアさん! アタシは獺祭(だっさい)、純米大吟醸! ボトルで頼むぜ!」

「私は仙桃で造られたお酒をお願いします。高くても構いませんので」

 

 褐色肌の九尾の狐、エリカ。中華系の美女、玉風(ユーフォン)

 彼女たちはそれぞれ好みの酒を頼む。

 大和は笑いながら言った。

 

「今夜は俺の奢りだ。酒でもつまみでも好きなもん頼め」

「いえーい! なら追加でだし巻き卵! 大根おろし付きで! あと、焼きほっけと冷や奴!」

「私はそうですね……フルーツの盛り合わせを。あと、他に神造のお酒はありませんか? 魔造でも構いません。なるべく度数が高く、美味しいものをお願いします」

「あ! ならアタシも! 十四代(じゅうよんだい)出羽桜(でわざくら)! あるもんでいいから!」

 

 二人ともノリノリで頼む。

 大和はビターチョコの盛り合わせを頼むと、じゃれてくる二人を適当に可愛がった。

 ネメアはオーダーを確認して厨房に入っていく。

 

 大和はブラックラムを飲みながら、今回の件について話しはじめた。

 

「たまにはこういうのも悪くない」

「異世界一つ滅ぼしといて言うことかよ!」

「まぁ、今回は何時もと違いましたからね」

 

 玉風の言葉に、大和はゆっくりと頷く。

 

「ああ。そういえばあの異世界の軍人……ゼクスだったか? アイツはどうした」

 

 大和の問いに、玉風が答える。

 

「飛龍さんが弟子として迎え入れました」

「ほぅ、あのフェイロンが……」

 

 大和は目を細める。興味があるのだろう。

 玉風は続ける。

 

「彼の才能を高く評価しているようです。実際、何時死んでもおかしくないような修業をさせていますよ」

「ご愁傷様。フェイロンに潰された弟子は数多い。……しかし、アレは中々にいい素材だった。将来化けるかもな」

「ええ、将来が楽しみです。我々の良き同胞となってくれるでしょう」

「ククク、そうだな」

 

 ゼクスは決して若くない。しかし、大和たちからすれば若造も若造だ。

 

 そんな時、入り口のウェスタンドアが開く。

 

 そこには黄金の妖魔王と桃色の美姫が佇んでいた。

 東区の頭領、万葉と先日助けた竜人族の少女、ピスカである。

 万葉は何時も通りの幼女スタイルで、限界まで美貌を隠していた。

 ピスカは清楚でありながら綺麗な着物を着ており、和風然としている。

 

 万葉は大和を見つけると、大きく手を振るった。

 

「大和様~!! この娘、採用じゃ~!! とても美しくええ子じゃのぅ!! これは他の男共が放っておくまいて!!」

 

 万葉は走って大和に抱き着く。

 大和はその狐耳ごと頭を撫でた。

 

「こっちこそ、ありがとうな。無理矢理薦めちまったのに」

「なんのなんの!! こういう子なら何時でも大歓迎じゃ!! ふぉぉ~っ♪ もっと撫でてくれたも~♪」

「よしよし」

 

 一通り撫でられて満足した万葉は、一度離れて報告する。

 

「この子は娼婦ではなく接待専門として迎え入れた。本人の希望でな。まぁ、この美貌じゃ。身体で稼ぐ必要もなかろう」

「そうか」

「しっかし、大和様も罪な男よのぅ」

 

 ニヤニヤと笑う万葉。その額を大和は指で小突く。

 万葉は驚いたが、次にはやれやれと苦笑した。

 

 彼女はピスカから事の顛末を聞いていた。

 

 ピスカは大和に会釈する。

 彼が手をあげると、微笑んで傍によってきた。

 

「ありがとうございます、大和様。何から何まで……」

「気にすんな。俺がしたくてした事だ。これからは好きに生きろ。まずは金を稼いで、やりたい事を見つけるんだな」

 

 微笑みかけてくる大和に対して、ピスカは頬をほんのり赤く染める。

 次には花が咲いたように笑った。

 

 数多の犠牲者が生まれた。

 だが最後には、禍々しくも清々しい風が吹いた。

 

 

《完》

 



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第四十二章「斬鬼伝」
一話「外道」


 

 

 季節は冬……それもクリスマスだ。

 淡い紺色の夜空から粉雪が舞い落ちている。聖なる夜の名に相応しい空模様だ。

 日本の首都、東京の一区、銀座。此処は若者たちを中心に人気がある。

 風情があり、静けさがある。その中に確かな人の温もりがある。

 男女の交際場にはもってこいだ。

 

 とある男女が手を繋いで歩いていた。

 どちらもまだ若い。大学生ほどか……

 青年の方は黒髪を短く切り揃えており、眼鏡をかけている。真面目な性格をしているのがすぐにわかる。

 少女の方は今時のお洒落な子だった。少し明るく染めた髪、薄い化粧。目鼻顔立ちが整っており、服装のセンスもいい。服の上からでもわかる豊満な肢体は道行く男の視線を自然と誘う。

 

 隣の青年は良くも悪くも普通なので、少女の方が悪目立ちしてしまう。

 しかし、少女は青年の事が大好きなのだろう。頬をほんのりと染めながら彼の手を握っていた。

 青年は照れながらも、しっかりとその小さな手を握り返す。

 

 七色のイルミネーションが街を彩っていた。

 商店のあちこちからクリスマスソングが流れていて、道行く人々の心を温める。

 

「すっかり遅くなっちゃったね。ゴメンよ」

「ううん、たっ君と過ごせて楽しかったよ」

「そう? ……ならよかった」

 

 たっ君と呼ばれた青年は安堵の笑みを浮かべる。

 

 卓矢(たくや)瑠美(るみ)は、都内の大学に通う同級生だ。交際を始めて三ヶ月になる。

 

 お互い、今が最高の時間だった。

 

 時刻はそろそろ深夜0時を迎えようとしている。

 成人済みとはいえ、そろそろ帰らなければならない。

 

 それに明日は24日、クリスマスイヴだ。

 二人は名残惜しそうにしながらも帰路につく。

 

 そんな二人の様子を、住宅の屋上から眺めている不穏な輩共がいた。

 

「表世界、特に日本ってのはいいねぇ。武装してない奴らがゴロゴロいやがる。最高の狩り場だ」

「デスシティはともかく、夜中に出歩くなんざ無用心なこった!」

「それじゃあ仕事帰りの一発、キメるとするかぁ。なぁに、つまみ食いするくらいなら別にいいだろう」

 

 下品な笑い声が木霊する。

 家畜を目の前にした卑しい獣の鳴き声だ。

 

「どれ……ふぅむ、あの子にするか。綺麗な顔といい肉付きしてやがる」

「だな! 俺も目に入った!」

「彼氏連れかぁ、いいねぇ……」

 

 悪党三人は瑠美に目を付けた。

 凄惨な悲劇のはじまりだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 外灯のみが道標の、暗く静かな夜道。

 不気味だが、恐れる事はない。

 此処日本はとても治安がいい。不審者など滅多に現れない。

 仮に現れたとしても、すぐに助けを求められる。

 110番でもすれば瞬く間に警察が駆け付けてくれるだろう。

 

 心配はない。

 しかし、用心に越した事はない。

 

 卓矢は瑠美の手を引いて歩いていた。

 その力強さに瑠美は心ときめかせている。

 

 瑠美は大学内ではアイドル的存在だった。

 何故卓也と交際しているのか、疑問に思われることもあるくらいだ。

 しかし、瑠美は本気で彼を愛していた。

 

 容姿端麗、運動神経抜群、成績優秀。

 成る程、魅力的な要素だ。

 しかし、そんなものは必要ない。

 卓也の魅力は誠実な心にある。

 

 きゅっと手を握り返すと、卓也は耳を赤くする。

 そんな初心な反応を見せられると堪らない。

 もっと見たくなる。

 しかし、これ以上彼を困らせたくない。

 今はまだプラトニックな関係なのだ。

 

 だが、何時か本気で向き合いたい。

 本当の意味で男女の関係になりたい。

 

 瑠美は卓也との将来を真剣に考えていた。

 

 それは卓也も同じである。

 彼女を養える立派な社会人になるべく、猛勉強を続けていた。

 今日と明日は数少ない休日だ。

 

 卓也は廃れた公園前に自販機を発見した。

 丁度いいと、瑠美に聞く。

 

「温かい飲み物とかいるかい? 僕はお茶でも買おうと思ってるけど」

「……うん、なら私も、あったかいお茶で」

「わかった」

 

 笑顔で頷く卓也に瑠美も微笑み返す。

 

 粉雪は未だ降り注いでいた。時刻も深夜に入り、いよいよ寒くなってくる。

 

 お茶で手元を温めながら彼女を家まで送り届けよう……

 

 卓也はそう考えていた。

 

 そんな時である。

 目の前に不審な三人組が現れたのは。

 

「こんな夜中に出歩くなんて、悪い子たちだねぇ」

「お仕置きが必要かなぁ?」

「それも、キツイお仕置きが」

 

 素人目でもわかる。

 極めて危険な男たちだ。

 

 一人はサングラスをかけた金髪の派手な男。

 ジャラジャラと全身にアクセサリーを付けている。

 豹柄のジャケットを着ていて、咥え煙草をしていた。

 

 もう一人は銀髪を派手にかき上げた若者。

 革ジャンを着ていて、腰や腕にナイフや拳銃をこれでもかとぶら下げている。

 

 最後は一見普通の男性。

 カジュアルな服装をしていて、緑色の髪を後ろに束ねている。

 浮かべている笑みは温和だが、瑠美を見る目は爬虫類のそれだった。

 

 上から順番にガリル、ルナード、ゼルレン。

 魔界都市の住民だ。

 

 そんな事、二人が知る由もない。

 

 卓也は瑠美を庇う様に前に出た。

 そして三名を睨みつける。

 

「どなたか存じませんが、関わらないでください。もしもの事があれば、警察に通報します」

 

 卓也の言葉に、三名はゲラゲラと笑った。

 本当に汚い笑い声だった。

 

「彼女さんの前で格好つけたいのはわかるけどよぉ。足が震えてるぜ?」

「俺ら、さっさと済ませたいワケよ。お前に用はねぇから、失せろや」

 

 ズイっと、三名が卓也に詰め寄る。

 圧倒的な存在感。地元のチンピラやヤクザが可愛く見えてしまう。

 卓也の身長は170cmほどだが、三名とも190cm以上はある。

 服の上からでもわかる筋肉は、男として力の差を痛感させられる。

 

 それでも、卓也は引かなかった。

 

「やめてください! 貴方たちがしようとしている事は犯罪ですよ!?」

「ハッ、犯罪だとよ? 笑える!」

「まぁまぁ、落ち着けって」

 

 ルナードとゼルレンはニヤつき、おどけてみせる。

 しかしもう一人は違った。

 

「ハァ? んだテメェ、モヤシ野郎が……調子乗ってんじゃねぇ!!」

 

 ガリルは卓也の鳩尾を蹴り抜いた。

 容赦のない一撃である。

 あまりの衝撃に卓也の身体が宙に浮く。

 眼鏡が吹き飛び、激痛で呼吸困難に陥る。

 

 彼は苦しみのあまり地面をのたうち回った。

 顔面は蒼白で、頬には脂汗が伝っている。

 

「ゲホッ、ゲホゴホっ! ……おぇぇッッ!」

「たっ君っ!!」

 

 瑠美は咄嗟に卓也に駆け寄る。

 その様子を見て、三名は嘲笑を浮かべた。

 

「ダッセー、彼氏ヘナチョコじゃん」

「そんな種無しなんて放っておいて、俺たちと楽しもうぜ」

 

 一方のガリルは、うずくまる卓矢に向かってぺっ!! と唾を吐き捨てた。

 

「俺様はなぁ、テメェみたいなモヤシ野郎に指示されるのが一番嫌いなんだよ。なんならもう一発食らっとけや!!」

 

 爪先の尖った革靴が卓矢の横腹に突き刺さる。

 肉の潰れる鈍い音がした。

 

「たっ君!? たっ君っ!!」

 

 瑠美は卓也にすがりつく。

 ガリルはニヤニヤしながら彼女の肩を掴んだ。

 激しく抵抗される。

 

「やめて!! 触らないで!!」

「アア? っせぇぞこのアマぁ!!」

 

 ガリルは瑠美の頬を容赦なく殴った。

 瑠美は呆然とした後、全身を恐怖で震わせはじめる。

 三名は更に興奮しだした。

 

「いいねぇ! その顔だよ! 女ってのはそういう顔でグチャグチャにするのが堪らねぇんだ!」

「さっさと公衆トイレに連れてこうぜ! もう待ちきれねぇ!」

「この女はどれだけ保つかなぁ? 精々イイ声で泣いてくれよ」

 

 捕まり、無理矢理立たされた瑠美は泣いて叫ぶ。

 

「いやぁっ!! たっ君!! たっ君っ!!」

「無駄だっての!」

「俺、公園周りに人払いの結界張っておくわ!」

「声が漏れたら大変だからな」

 

 瑠美はそのまま担ぎ上げられる。

 彼女は最後まで卓也の名前を叫んでいたが、その声が届く事はなかった。

 

 そうして地獄のレ○プショーがはじまる。

 周辺に張り巡らされた結界は公園内の音を完全に消し去る。外部からは無音状態だ。

 

 公衆トイレに響き渡る悲鳴と下種な笑い声が卓也の耳に届かなかったのは、ある意味救い……だったのかもしれない。

 

 

 ◆◆

 

 

 どれほど時間が経っただろうか……

 路上は足首が埋まるほどの積雪に覆われている。

 

「うぅ……」

 

 苦悶に満ちた声が聞こえてくる。

 卓也だ。未だ疼く鳩尾を押さえながら、フラフラと立ち上がる。

 

「る……瑠美……? 瑠美は……? あグぅっ!」

 

 頭が割れそうなほど痛い。

 それでも、よろめきながら彼女を探す。

 

「あれ、は……」

 

 自販機の前に、雪を被ったロングブーツが転がっていた。

 間違いない、瑠美のものだ。

 その先には公衆トイレがある。

 

 卓也は足を引きずりながら、懸命にトイレへと向かった。

 中に入ると、三つの個室がある。

 一つ目をノックしても返事がない。

 ドアを開けても、誰もいない。

 二つ目の個室を開けても、何もない。

 

 最後に、奥の個室。

 嫌な予感がした。全身が震える。

 ねばつく喉。嘔吐感さえ覚える。

 それでも卓也は、意を決して扉を開けた。

 

 そこには無残な姿の瑠美があった。

 個室内には濡れたトイレットペーパーが散乱しており、そこに全裸の彼女が横たわっている。

 

 顔は青痣だらけで、身体にはミミズ腫れと歯型が一面に浮かんでいる。

 特に乳房と太腿は執拗な責めの跡が見てとれた。

 柔らかな腹には白い粘液が飛び散っている。

 

 そして股間には──無数の煙草の吸い殻がねじ込んであった。

 

「嘘だ……嘘だ……っっ、こんなの、あんまりだ……瑠美ッッ」

 

 卓也は崩れ落ちる。

 ふと、壁に何か書き込まれているのが目に入った。

 

『私の処女マ○コは皆さんの灰皿です♪ どうぞご自由に♪』

 

 一面に汚い文字で書き殴ってある。

 卓也は愕然とした。

 

 その背後から、男たちの声が降りかかる。

 

「彼氏クゥン、お前の彼女、マジで良かったぜ。まさか処女だったとはなァ……お陰で五回も中で射精(だし)ちゃいました♪ ヒャハハハハハ!!」

 

 悪魔たちの笑い声が響き渡る。

 卓矢の頭は真っ白になった。

 

「よっしゃ、出すモンも出したし、とっととズラかろうぜ」

 

 公衆トイレの外で、ガリルはサングラスを指で押し上げる。

 

「ガリルっち〜。俺、腹減っちまった。ラーメン食いに行こうぜ」

 

 ルナードが大きく伸びをする。

 

「いいねぇ、ルナード。ゼルレンも行くだろ?」

「ああ。……しかしアレ、どうするんだ? なんなら殺しておいたほうがいいだろう」

 

 汚れた手をハンカチで拭きながら、ゼルレンは公衆トイレの方に顎をしゃくる。

 ガリルは鼻で笑った。

 

「ほっとけ。もしかしたらオ○ニーしはじめるかもしれねぇからなァ」

 

 ドッと爆笑する三人組。

 彼等は転移魔術符を用いて魔界都市へと消えていった。

 冷え冷えとした空間に、無残な姿の瑠美と卓矢だけが残される。

 

「……ぐぅぅッッ。ああ、ああァ、ああああァァァァ……!! グ、ぅぅゥ……ウォオオオオオ──ッッ!!!!」

 

 その叫びは魔獣の咆哮のようであった。

 やりきれない怒りと哀しみに満ちている。

 卓矢の目からは真っ赤な血の涙が止めどなく流れていた。

 

「かーごーめかーごーめ♪ かーごのなーかのとーりーはー♪」

 

 突如として、卓也のいる公衆トイレが異様な結界に覆われる。

 四方を囲む領域展開……何らかの儀式だ。

 

 何処からともなくわらべ唄が聞こえてきた。

 子供のものとも男女のものともつかぬ声だ。

 

「いーついーつでーやーるー♪ よーあーけのばーんにー♪」

 

 卓矢の全身が痙攣し始める。

 血液が沸騰するような感覚が身体中を駆け巡る。

 骨が軋み、肉が肥大化する。

 張り詰めた衣服がビリビリと音を立てて裂けていった。

 

「あああァァァ…………っ」

 

 卓矢のやるせない思いが声になってもれる。

 歯がポロポロと抜け落ち、代わりに鋭い牙が生えてくる。

 爪も剥がれ、捩くれた鉤爪が生えてきた。

 

 今行われているのは禁忌の呪術……

 人を鬼に変えてしまう、狂気の儀式である。

 

「つーるとかーめがすーべったー♪」

 

「ウゥ……ウオオオオオオオ……ッッ!!」

 

 卓矢の額の内側が盛り上がる。

 そうして現れたのは二本の分厚い角──

 

「うしろのしょーめん、だぁーれ♪」

 

 そうして出来上がったのは、人造の鬼。

 現代では生まれてこない筈の、怨念で転身した鬼である。

 

 ユラリと巨体が立ち上がる。

 3メートルを超える巨体の頭部はトイレの天井すれすれだ。

 小山の様な隆起。それは筋肉の束であり、赤銅色の皮膚は油でも塗ったかの様なぬめりを帯びている。

 額から生えた2本の角、血走った眼、あぐらをかいた鼻。

 耳元まで裂けた口元には、岩をも噛み砕きそうな牙が並んでいる。

 

「グルルル……ッッ」

 

 人とも獣ともつかぬ唸り声が響き渡る。

 鬼は無残な姿の瑠美を一瞥すると、トイレの壁をぶん殴った。

 轟音と土煙と共にコンクリの破片が吹き飛んでいく。

 

「グオオオオオォォォォッッッッ!!!!」

 

 咆哮を上げ、卓也だったものは公園から飛び去っていった。

 彼は向かったのだ。怨敵を惨殺するために、魔界都市へと……

 

「クスクス、丁度いい現場に遭遇しちゃったから、ついやっちゃった♪ さぁ、いってらっしゃい。哀れな鬼さん。魔界都市で鬼の名前、広めてきてね♪」

 

 唄を歌った主……若い女の影は、夜の闇の中へと消えていった。

 

 ……今からはじまるのは、『鬼』を狩る物語。

 鬼は鬼でも、どちらの『鬼』を狩るのか。

 

 魔界都市に勧善懲悪の概念はない。

 しかし、暗黒のメシアと鬼狩りの少女であれば……あるいは。

 



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二話「鬼狩りと黒鬼」

 

 

 翌日。

 魔界都市デスシティは夜、つまり活気に満ちる時間帯になっていた。

 

 中央区は特に煌びやかだ。

 ドギツいネオンがギラギラと輝き、妖しい摩天楼を形成している。

 ワイバーンが高層ビルの合間を滑空し、通りを歩く住民の一人をさらっていく。

 

 唐突に地面がすり鉢状に陥没すれば、10人近くが一斉に呑み込まれた。

 悲鳴と共にグチャグチャと骨肉を砕く音が響き渡る。

 その後、ブッ!! と地上に血飛沫と骨のカケラが吐き出された。

 地下を棲家にしている砂鮫(すなざめ)の仕業だ。

 

 なんの事はない。運が悪かっただけ──

 

 大通りでは暴力団同士の縄張り争いが勃発していた。銃弾や魔術が飛び交っている。

 流れ弾に当たった住民は馬鹿にされ、食い物や飲み物を投げつけらる。

 

 高層ビルからは空飛ぶスーパーマンの妄想に取り憑かれた麻薬中毒者(ジャンキー)が飛び降りていた。

 グシャッ、と鈍い音と共に臓物が飛び散らかる。

 

 今夜もデスシティは平常運転。

 どうしようもなく邪悪で、狂っている。

 

 多種多様な種族が行き交う交差点の先に、大きな酒場があった。

 大衆酒場ゲート。デスシティでも数少ない完全安全地帯である。

 店内に入りさえすれば非武装でも問題ない。

 仕事で疲れている者、食事を安全に楽しみたい者、酒で気持ち良くなりたい者、皆こぞってここに集まる。

 営業時間は常に満席に近い状態だ。

 

 ここでウェイトレスとして働いている少女、黒兎(こくと)は店の端で縮こまっているチンピラに白い目を向けた。

 

 開店早々に飛び込んできたきりあのまんま。頭を押さえて時折ボソボソと独り言を呟いている。 

 冷汗をダラダラと流し、親指の爪を噛み潰している。

 周りの客は遠巻きに訝しげな視線を送っていた。

 

 黒兎は思った。

 営業妨害だ。飲み物なりなんなり頼むならまだしも、何も頼まずに店に居座られるのは迷惑でしかない。

 他の客にも悪影響だ。

 

 黒兎は彼を追い出す許可を貰うために、店主の元へと駆けていった。

 

 一方、怯えているチンピラ……ガリルは、一種のパニック状態に陥っていた。

 

 先日の任務以降、仕事仲間が立て続けに惨殺されている。

 

 ルナードは四肢を切断され、首を頚椎から引っこ抜かれていた。

 床に散らばっていた空薬莢は優に三百発を超えていたという。

 抵抗むなしく惨殺されたのだ。

 

 ゼルレンに至っては全身の骨を丁寧に一本ずつ砕かれ、抜き取られていた。

 展開されていた防御術式は低級の妖物程度なら近づく事すら叶わない代物だが、意味をなさなかったのだろう。

 

 二名に共通しているのは、自身の男根を無理矢理口にねじ込まれているところ。そして死因が窒息死であるところ。

 

 彼等は、生きたまま地獄の苦しみを味わったのだ。

 

 ガリルは恐怖のあまりゲートに引きこもった。

 感じるのだ。怨嗟の念を。

 自身を殺すために、化物が魔界都市を飛び回っている……

 

 検討はついていた。

 あの時レイプした女の連れだ。

 しかしわからない。あの時は何時でも殺せるような雑魚だった筈なのに……

 

 ありえない。

 下っ端の殺し屋とはいえ、二人は魔界都市の住民だ。

 表世界の住民が勝てる筈がない。

 

 だからこそ、恐ろしい。

 

 どんな方法で二人を殺したのか。

 どのタイミングで自分のところへやって来るのか……

 

 ガリルに殺された二人ほどの実力はない。

 自称Aクラスの万年Cクラス……つまり下っ端も下っ端だ。

 仲間がいれば強気になれるが、単身になると途端に臆病になる。

 虎の威を借る狐……それが、ガリルという男の正体だった。

 

 用心棒を雇おうにも金がない。

 闇金への返済で使いきってしまった。

 

 無一文。かつ頼れる者もいない。

 ガリルは今、絶望の淵に立たされていた。

 

 そんな彼を、営業妨害だと店主に訴えた黒兎。

 店主、ネメアはガリルを一瞥すると、まるで苦虫を噛み潰した様な顔をした。

 

「やってくれたな……」

「どうしたのですか?」

 

 黒兎は首を傾げる。

 ネメアが明らかな嫌悪感を表したからだ。

 普段なら適当に追い出せ程度で済ませる筈だが……

 

 ネメアは眉をひそめながら答える。

 

「あの男、鬼にマーキングされている。それもただの鬼じゃない。……その種の鬼は、既に絶滅した筈なんだ」

 

 黒兎は色々と察し、灰色の目を細める。

 

「なるほど。……厄介そうですね」

「ああ。それに、余程の事をしたんだろう。でなければ怨嗟の鬼に狙われる筈がない」

 

 ネメアは腕を組む。

 

「……しかし、今日でよかった」

「?」

「今日は野ばらも死音も有給を取ってる。……もしも片方でもいたら、大変な事になっていた」

「確かに」

 

 黒兎は頷く。

 鬼関連になると黙っていないのがあの二人だ。

 特に彼女……大正時代の名も無き英雄は、こういった案件を絶対に見逃さない。

 

 ネメアはどうするか、と唸る。

 

「怨嗟の鬼は周囲にも不幸をばらまく。故に、対処法も複雑だ。……俺は店を空けられない。誰かに頼みたいところだが」

「あっ、ネメアさん」

 

 黒兎は店の出入り口を指す。

 ウェスタンドアをあけて、和装の美少女が入ってきていた。

 濡れ羽色の長髪、抜き身の刀の様な鋭い眼。番傘を携行し、仄かに花の香りを漂わせている。

 

 ネメアは頭をおさえた。

 

「しくじった。……有給だからと油断したな」

 

 彼女は店内を見渡し、ガリルを見つける。

 そうして迷いなくそちらに歩いていった。

 

 彼女の名は野ばら。

 大正時代の名も無き英雄。伝説の鬼狩り。

 

 誰よりも鬼を憎み、誰よりも駆逐してきた、鬼殺しのスペシャリストである。

 

 

 ◆◆

 

 

 野ばらの服装は黒薔薇を散らした、赤を基調とした和ゴススタイルだった。

 黒髪は青い花飾りでサイドテールに束ねてある。

 右側の袖は肩まで剥き出しで、レースの長手袋に包まれている。

 スエードの黒いニーハイブーツがよく似合っていた。

 大正時代の、西洋と和の文化が絶妙な合わさり方をした特徴的な衣装だ。

 

 服装だけでわかる。彼女は鬼を狩りに来たのだ。

 

 周囲の客人たちがざわめきはじめる。

 勘のいいものは気づいていた。

 鬼が絡んでいると……

 

 野ばらはコツコツとブーツを鳴らして歩みを進める。

 そんな彼女をネメアは声をかけて止めた。

 

「待て、野ばら」

「店長、今日は非番だわ。私は個人的な用でここに来てる」

 

 可憐だが、極寒を伴う冷たい声音だった。

 

「わかっている。しかし待て。話を聞け」

「……」

 

 野ばらは足を止め、ネメアに振り返る。

 黒真珠のような瞳に宿る憎悪の念と、全身から滲み出る研ぎ澄まされた剣気に、ネメアは表情を固くした。

 

「俺の店で起こった問題だ。俺が解決する」

「私がしたほうが簡単に終わるわ。わかっているでしょう? 私は鬼狩り、鬼専門の殺し屋よ」

「わかっている。だからこそだ。今回の件は、ただ鬼を殺すだけじゃないんだ」

「……」

 

 ネメアの言葉に何かを感じた野ばらは、彼の瞳を覗く。

 

「なら、どうすればいいの? 私に手を出すな、とでも? 貴方は私の命の恩人。でも、それとこれとは話が違うわ」

 

 右手に持つ番傘に力がこもる。

 傘の柄に仕込まれた妖刀が今か今かと鬼の血を求めていた。

 自然と抜きかかる刀身を、野ばらは無理矢理納める。

 

 ネメアは臆せず告げた。

 

「言っただろう。今回は特別だ。嫌な予感がする……」

 

 ネメアも頑固だった。

 譲らないところはとことん譲らない。

 彼は、カウンター席に座っている「ある男」に話しかける。

 

「大和、緊急だが仕事を頼みたい」

「ハァ? なーんで俺が。チンチクリンに任せとけばいいじゃねぇか。すぐに終わるぜ、たぶん」

 

 特等席に座っているのは褐色肌の美丈夫。

 世界最強の殺し屋にして武術家、大和だ。

 

 彼は心底どうでもよさそうに酒を呑んでいた。

 灰皿には煙草の吸い殻が山積みになっている。

 ブラックラムの入ったグラスをトン! とカウンターに置くと、氷がカランと鳴った。

 

 大和は気怠げに首を回す。

 この女ったらしですら、面倒だからと手を出さない女がいる。

 それが野ばらだ。

 

 ネメアは彼に頼む。

 

「報酬はきっちり払う。正規の依頼だ。受けてくれないか?」

「つっても、内容はチンチクリンのサポートだろう? やだやだ。面倒臭くて吐きそうだぜ」

 

 大和はべーと舌を出す。

 余程嫌なのだろう。

 そんな彼を見た野ばらと黒兎は、わかりやすく嫌な顔をした。

 二人とも、大和が大嫌いなのだ。

 

 それは大和も同じである。

 仲の悪い相手と一緒に依頼だなんで、面倒臭いにもほどがある。

 

 しかし、ネメアはねばった。

 

「頼む、このとおりだ」

 

 深く頭を下げるネメアに、大和も、黒兎も、野ばらも目を丸めた。

 大和は怪訝な面持ちで言う。

 

「そんなに心配ならお前がいけばいいだろう」

「それができないからこうして頭を下げているんだ」

 

 頭を下げ続けるネメアを見下ろし、大和は鬱屈げに髪をかきあげた。

 

「……ハァ、俺は殺し屋だ。餓鬼の護衛なんざ引き受けねぇよ」

 

 懐からラッキーストライクの箱を取り出し、一本咥えて鮮やかに火を点ける。

 そして大きく吸い込み、紫煙を吐き出した。

 

 ネメアは頭を上げる。

 

「頼みたいのは護衛じゃない。殺しの依頼だ」

「……ハァ?」

 

 不思議そうに首を傾げる大和に、ネメアは言う。

 

「鬼を抹殺してほしい。今回の件に関わってる鬼を、全て」

「……鬼、ねぇ」

 

 ネメアの意味深な言葉に大和は顎をさする。

 彼はネメアの真意を読み取ったのだ。

 

「…………ハァ、お前からの依頼じゃなきゃ絶対に受けなかったぞ」

 

 大和はブラックラムのボトルの上部を手刀で切断し、ガボガボと飲み干す。

 続けて吸いはじめたばかりの煙草を一気にフィルターまで吸い上げた。

 特大の紫煙を天井に向けて放つ。

 そうして、ゆっくりと立ち上がった。

 

「報酬には色目つけろよ」

「ありがとう。5000万でどうだ? すぐに準備する」

「いいぜ。なら始めよう」

 

 黒い巨体が動きはじめた。

 数億年間、片時も欠かさず鍛え抜いてきた鋼鉄の肉体だ。弾丸どころか砲弾も弾き返し、魔導や権能ですら傷を負わせられない。

 本物の鬼すらねじ伏せてしまう剛力を誇る巨体が、羽のように軽やかに動く。

 ふわりとなびく真紅のマント。漂う魔性の色香に、店にいる女たちはたまらず熱いため息を吐いた。

 

 ウェイトレスの一人が「もう、ダメぇ……」と失神してしまう。

 客人のサキュバスやエルフ、亜人の娘たちは耳まで真っ赤にしていた。

 

 一方、野ばらと黒兎は眉間にしわを寄せていた。

 女ったらしの極みとも言える彼を、生理的に受け付けないのだ。

 特に、黒兎にいたっては実の父親だ。

 

「最悪ですね……ゲス親父」

「るっせぇぞ、クソ餓鬼」

 

 そう吐き捨てて黒兎の横を通り抜ける。

 そうして野ばらの隣で立ち止まった。

 

「邪魔すんな、チンチクリン。店で茶でも飲んでろよ」

 

 有無を言わさない、絶対零度の声音だ。

 しかし野ばらは臆さず反論する。

 

「こちらの台詞よ、殺し屋。私が全て解決するから、貴方は何処かで女でも口説いてなさい」

 

 目を合わせるのも御免だとばかりに半眼で答える。

 大和は鼻で笑った。

 

「ほざきやがるぜ。……まぁいい。互いに干渉はなし。早いもん勝ちでいいな?」

「構わないわ」

 

 二人は足並みを揃えて歩きはじめる。

 両者の間には強力な磁場の様なものが発生していた。

 超濃度の殺気のせめぎ合いで生じる力場だ。

 

 片方は人間でありながら黒鬼と呼ばれる男。

 もう片方は伝説の鬼狩り。

 

 客人たちは恐れ戦き道をあける。

 この二人が如何に恐ろしいかを、彼等は知っていた。

 

 二人は未だ怯えているガリルの前で立ち止まる。

 そしてその全身を観察しはじめた。

 

「怨嗟の鬼のマーキングか……懐かしいな。もう絶滅したかと思っていたが」

「一目でわかったわ。物凄い濃度よ」

「一体何をやらかしたのか……まぁ、においと見た目で大抵わかるんだけどよ。アー、くせぇ。生ゴミのほうがまだマシだぜ」

「同意ね」

 

 大和と野ばらは嫌悪に満ちた表情をする。

 

 二人が目の前にいる事にようやく気づいたガリルは、絶望の顔から一気に希望に満ちた顔に変わった。

 彼は大和の足に抱きつく。

 

「大和せんぱぁぁい!! それに野ばらちゃんも!! 助かったぁぁぁぁっ!! 俺、今ヤベェ奴に狙われてるんスよ!! 助けてくださぁぁい!!」

 

 普段の高慢な態度とは打って変わり、無様としか言いようがない。

 

「……」

「……」

 

 異様な沈黙が流れた。

 

「あっ!! 野ばらちゃんが来てるって事は鬼っスね!! 野郎、どうやって鬼になりやがったのか……でも、何がともあれ安心っス!! 大和先輩と野ばらちゃんがいれば百人力」

 

 ガリルは興奮しつつ、早口でまくし立てる。

 しかし、

 

「なぁに勘違いしてんだ? テメェ」

 

 大和はガリルの首根っこを掴んで持ち上げた。

 呼吸器官が閉ざされるほどの万力が込められている。

 

「ガッ……ぐるじい……っっ、やめで……ぐらざいっっ」

 

 苦しみのあまり暴れるガリルだが、手足が空を切る。

 片手で宙に持ち上げられているのだ。ガリルは190cmを超える高身長だが、大和は二メートル半ばの人間離れした身長を誇る。

 二の腕を引っかいても、逆に爪が剥がれそうになる。人間の皮膚の硬さじゃない。

 

 もがき苦しむガリルに、大和は吐き捨てた。

 

「誰がテメェを護るって? ふざけんなよ。……話は外で聞く」

 

 大和は一旦ガリルを落とす。

 慌てて呼吸をしはじめるガリルの、その顔面を掴んだ。

 巨大な手の平にまたしても万力が込められる。

 

 引きずられていくガリルは悲鳴混じりに叫んだ。

 

「いでぇ!! いでぇよォォ!! どうしてっスか大和先輩っ!! いぎァァァッッ!! 離してくださいぃぃっ!!!!」

 

 涙と鼻水でグジュグジュに顔を歪めている。

 見栄も恥も外聞もない。

 

 大和はうざったそうに吐き捨てた。

 

「喚くなチンピラ。おら、行くぞチンチクリン」

「ええ」

 

 仲良くする気などさらさらない二人は、しかし並んで店を出ていく。

 ガリルが手足を滅茶苦茶に振り回しながら叫んだ。

 

「だ、誰かァァァっ!! 頼むから助けてくれぇぇぇ!!!!」

 

 ウェスタンドアが閉まる。

 店内は静まり返った。

 

 ネメアはそんな空気など知らんとばかりに煙草をくわえ、火を点ける。

 

「こういう時は店内でも暴力沙汰ありにするか……迷惑な客は客じゃないからな」

 

 その言葉に客人たちは顔を青くする。

 ここでは絶対に問題は起こさないでおこう……そう、多くの者が心に誓った。

 

 

 



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三話「鬼の出所」

 

 

 大衆酒場ゲートの外に出て。

 ここは中央区の路地裏。

 街灯の明かりすら届かぬ、何をしてもお咎めなしの危険地帯──

 

 大和と野ばらはこの場所をあえて選んだ。

 二人の姿を見た路地裏の住人たちは、まるて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 

 ガリルから事の経緯を聞き出した大和は、まずその顔面を殴り飛ばした。

 最低限の手加減のみをした、掬い上げる形での剛拳。

 一般人なら首から上が吹き飛んでいる。ガリルは宙を六回転した後、地面に転がった。

 ひん曲がったサングラスが音を立てて地面に落ちる。

 

 大和はすかさず彼の顔面にサッカーボールシュートを見舞った。

 ゴシャっと、嫌な音と共にガリルはまたしても宙を舞う。

 

「ホゲェッ!!」

 

 生まれて初めて体験する超暴力──

 自らの卑怯でチンケな喧嘩殺法とはワケが違う。

 

「報復が怖いから逃げてただぁ!? ふざけんじゃねぇ!! だったら最初からレ◯プなんてすんじゃねぇよ!!」

 

 大和は眉間に特大のシワを寄せていた。

 地面で痙攣しているガリルを見て、野ばらは少し困った様子で告げる。

 

「怒る基準が少しズレてるように思えるけど……待ちなさい。その調子だと死んでしまうわ」

「死んでもかまわねぇよ!! こんなクソッタレ!!」

 

 大和はうずくまっているガリルの腹を蹴り飛ばす。

 ポキポキと、枯れ木を踏んだかの様な音が響いた。

 

「〜〜〜〜〜っっ!!?」

 

 アバラが何本も砕けた。

 ガリルは声にならない悲鳴を上げる。

 

「待ちなさいと言っているでしょう。ソイツにはまだ聞きたい事があるわ」

 

 野ばらは番傘を振り上げ、先端の天ロクロを大和に向ける。

 大和は目を丸めた後、凄まじい殺気をこめて野ばらを見下ろした。

 

「オイ、調子に乗ってんじゃねぇぞ餓鬼。誰にものを向けてやがる」

「なら私の話を聞いて頂戴」

「ハァ? ならコイツから何を聞き出そうってんだ? コイツは表世界のカップルを襲い、女をレ◯プし、怨嗟の鬼になった連れに追い回されてる。怨嗟の鬼については何も知らないと言った。もう一度聞くぜ? コイツから何を聞き出すと?」

「…………」

「何も考えずに行動に移すんじゃねぇよ。今度そんな真似したらマジで殺すからな」

 

 大和は番傘の天ロクロを手で払いのける。

 その声には絶対零度の殺意がこもっていた。

 次もしも野ばらが同じような真似をすれば、大和は確実に彼女を殺すだろう。

 それほどの怒気だ。

 

 大和の言い分は間違っていない。

 よくよく考えれば、この男から聞き出せる情報はほとんどなかった。

 野ばらは素直に大和の話を聞くことにする。

 

「いいか? 無知なテメェに合わせて一から順番に丁寧に説明してやる。鬼を殺すことしか考えてねぇ脳みそをフル回転させろ」

 

 大和はそうに吐き捨てると、ガリルの顔面を容赦なく踏み付ける。

 そしてゴリゴリと下駄の裏で鼻骨と歯を砕いた。

 大量の鼻血が噴き出て、口内で溢れた血と混ざり大きな血溜まりが形成される。その中に、黄ばんだ歯のカケラが浮かぶ。

 

 あまりの激痛に、ガリルは白目を剥いて失神してしまった。

 みるみるうちにズボンの股間部分に染みが広がる。

 路地裏にムッと嫌な臭いが漂った。

 

 失禁と脱糞を繰り返し、ビクンビクンと痙攣しているガリル──

 そんな彼に唾を吐き捨て、大和は野ばらを睨みつける。

 

「俺はともかく、テメェの目的は怨嗟の鬼を殺す事だ。だが、それ以上に「出所」を知らなきゃいけねぇ。怨嗟の鬼は既に絶滅している。死人が出るのが常日頃、負の感情で地脈か汚れていた大正時代とは違う。現代じゃあ、怨嗟の鬼になりたくてもなれる材料がねぇんだよ。……つまり、後押しした輩がいる」

「……人を鬼にした奴がいるってこと?」

「そういう事だ」

 

 野ばらの半信半疑な表情を見て、大和は肩を竦める。

 

「目ぼしは……まぁ、顔を見たらわかるわ」

「……そうね、知らないわ。私のいた時代でも聞いた事がない」

 

 そもそも、鬼とは東洋を代表する妖魔の最強種。生まれながらの怪物だ。

 大正時代、怨嗟で鬼に堕ちた人間は確かに存在したが、それらは怨霊や地縛霊の類に分類された。

 鬼は鬼でも、全くの別物なのだ。

 

 しかし、鬼である事には変わらない。 

 野ばらの殺害対象だ。

 

 もしも怨嗟の鬼を人為的に生じさせられるということであれば、なるほど、確かに異常事態──

 ネメアが大和を頼った理由がわかる。

 

 悩んでいる野ばらを余所に、大和は盛大に舌打ちした。

 

「未知の現象だ。調べるにしても、俺たちじゃあ手に余る」

 

 あらゆる知識に精通している大和でも、鬼の専門家である野ばらでも、この事態を把握しきれていない。

 

 ただ鬼を狩るだけなら簡単なのだが……

 

 大和は野ばらの目を見て聞く。

 

「とりあえず、聞いておくぜ。……出所が人間だとしても、お前は殺せるか?」

「……無論よ。鬼を生み出す輩は鬼と変わらない」

「そうか、そりゃよかった」

 

 野ばらは当時の鬼狩りでも過激派で知られていた。

 邪魔する者や鬼と協力する者は、人間であろうが容赦なく斬り捨てる。

 

 大和は安心したのだろう、明後日の方向を向いた。

 

「もうそろそろ来る頃合いだ」

「……誰か呼んだの?」

「俺たちは殺し専門だ。情報収集なんざ専門外もいいところ。だからその筋の専門家を雇った。ネメアがな」

 

 大和が言い終えると同時に、目の前に煙幕がたかれる。

 しばらくして白煙が晴れると、二足歩行の三毛猫が現れた。

 しっぽが二本生えており、質素な浴衣を着ている。

 彼はミャ、と手を挙げた。

 

「ネメアの旦那に頼まれ参上しやした! 怨嗟の鬼について調べてきましたぜ! 大和の旦那!」

「助かるぜ、ミケ」

 

 ダミ声で喋る猫又、ミケ。

 デスシティで最も有能だといわれている情報屋。

 彼は既に、怨嗟の鬼の出所を掴んでいた。

 

 

 ◆◆

 

 

 同時刻。

 摩天楼煌めくデスシティの中央区、その大通りになんとも場違いな美少女がいた。

 絢爛豪華な着物を大胆に着崩している。紅桜の花びらを散らした、黒を基調とした和ゴススタイルだ。

 ミディアムな長さの黒髪はかんざしで綺麗に束ねてある。年齢は十代半ばか後半ほど。幼さを残した顔つき。雪の様に白い肌。紅がさした頬。桜貝の様な唇。

 優しげな表情はどこか楽しげで、誰でもこの少女に笑顔を向けたくなる。

 左側の袖は肩まで剥き出しになっており、レースの長手袋に包まれていた。

 スラリと伸びた足はか細く、柔らかな肉付きをしている。

 履いてる一本歯下駄……通称天狗下駄はかなりの厚底だが、それでも背が小さく見えた。

 

 カランカランと下駄を鳴らす様は実に神秘的。

 西洋と和の文化を絶妙に合わせた独特な美しさ……

 

 彼女は雨でもないのに、番傘を開きながら踊るように歩いていた。

 時折クルクルと回転して片足でステップを踏んでいる。

 歩調は軽やかで、上機嫌なのが伺える。

 開いている番傘にしろ、服装にしろ、どこか野ばらに似た雰囲気を感じさせた。

 

 通りの向こうから戦闘服や外套、革ジャンなど、服装もまちまちの男たちがやって来る。

 全員、屈強で凶悪な魔界都市の住人だ。

 その間をカランカランと跳ぶ様に駆け抜ける番傘の少女。

 酸味の効いた、しかし甘い果実のような匂いが男たちの足を止めた。

 全員、その幼いながらも完成された美貌に目を奪われる。

 

 しかし何故か、数名の男たちは顔を青くしてその場を飛び去っていった。

 彼らは一体、何を見たのか……? 

 

 わかる者にはわかる。

 とんでもない邪気を纏っている。

 地縛霊や怨霊などの比ではない。

 とてつもない濃度の邪気──

 逃げていったのは手練の殺し屋や霊能力者たちだった。

 

 彼女は明らかに危険だった。

 しかし、その危険性をわからない者たちがいた。

 

 下駄を鳴らして通りを行く少女に、ガラの悪いチンピラ三名が声をかける。

 

「君、見ない顔だね~。どこから来たの?」

「可愛い服装してるね~」

「お嬢ちゃん、モデルさんみたいな顔だなぁ♪」

 

 猫なで声だが、滲み出る獣欲を隠しきれていない。

 全員、目をギラギラと輝かせている。

 少女は顔こそ幼いが、その肉体は熟れた南国の果実を彷彿とさせた。

 

 チンピラたちは人間ではなかった。魔界都市の住民は人間だけではない。

 それぞれリザードマン、エルフ、ホビット。

 精霊の一種だが、神聖な雰囲気はどこにも感じない。派手な服装をしていて、アクセサリーをじゃらじゃらと身につけ、タトゥーを腕に彫っている。

 精霊とは名ばかりの、人外のチンピラだ。

 

 ホビットが少女の特徴的な衣装を見て顎をさする。

 大きな瞳が全身を舐め回すように動いた。

 

「君、大衆酒場のウェイトレスにどこか似てるね。名前はなんだったかな? ……そう、確か野ばらとかいう」

「え!? 野ばらさん!?」

 

 終始ニコニコしていた少女が、野ばらの名前を聞いた瞬間目の色を変えた。

 

 ホビットの尖った耳がピクリと動く。

 リザードマンは思わず舌舐めずりした。

 エルフがチラリと横目で合図する。

 三名は頷きあうと、少女に対して気味の悪いくらい優しく接しはじめた。

 

「そうそう、野ばらちゃん。何でも大正時代からワープしてきたっていう……」

「詳しい事はわからないんだ。本人に聞くといい」

「俺たちが案内してあげよう。さ、こっちだよ」

 

 先立って歩き出す男たちに少女は迷いなく付いていく。

 三名が案内したのは暗い路地裏だった。「ここを通れば近道だから」と、わかりやすい嘘をつく。

 

 彼らの目的は一つ。そんなもの、わかりきっている。

 そわそわしはじめる三名をよそに、少女は唐突に唄いはじめた。

 

『とーりゃんせーとーりゃんせー♪ こーこはどーこの細道じゃー♪ 天神さーまの細道じゃー♪』

 

 わらべうたの一種だ。

 日本の古い謡なので三名がわかる筈もない。

 ホビットが首を傾げて振り返ると、少女が笑いながら唄を歌っていた。

 広げた番傘を肩に持たせかけながら、背中を見せている。

 

「なんだよ、歌なんかうたい始めて……まぁいい」

 

 待ちきれなくなったリザードマンが鱗だらけの手を伸ばす。

 その先で、少女がクルリと振り返った。

 

 幼く可憐な少女の姿はどこにもなかった。

 笑う口元から見える犬歯は牙のように長く太く、くりっとした目は釣り上がり、瞳孔が蛇のように開いている。

 

 そして、その頭には二本の角が生えていた。

 その姿は──まさしく鬼。

 

『ちっと通してくだしゃんせ~♪ 御用のないもの通しゃせぬー♪ この子の七つのお祝いにー♪ お札を納めにまいりますー♪』

 

「お……おい、なんかおかしくねぇか?」

「さっきと全然違うぞ!」

「ひっ! 来るな! それ以上近づくな!」

 

 怯えはじめる三名。

 今ようやく気づいたのだ。少女がとてつもない邪気を纏っている事を──

 この少女はただの少女ではない。

 少女の皮を被った、化け物だ。

 

『行きはよいよい♪ 帰りはこわい♪』

「や、やめろ〜!!」

 

 咄嗟に魔改造済みの銃や刀を取り出す。だが、それより速く銀閃が煌めいた。

 ボトリと、首が地面に落ちる。

 番傘に仕込まれていた刀が既に抜かれていた。

 

 首のなくなった三名、その首元からは間欠泉のようにビュービューと血が噴き出す。

 少女は仕込み刀を振るい血糊を落とすと、番傘に納めた。

 鍔鳴りの音と共に首無しの胴体たちが倒れる。

 

『とーりゃんせーとーりゃんせー♪』

 

 歌い終わった彼女は、自分の指の先を犬歯で甘噛みする。

 真っ赤な血の珠が指先で膨れ上がり、それを倒れて動かなくなった死骸たちに数滴ずつ落としていった。

 

 死骸が突如として痙攣しはじめる。

 骨格がギシギシと音を立てて軋み、体格が3倍近くに膨れあがる。

 筋肉が異常なほど膨張し、纏っていた布地を音を立てて引き裂く。

 みるみる内に皮膚の色が変わり、首元が沸騰した水のようにゴボゴボと泡立つ。

 

 粘液にまみれた新しい首と頭が生えてきた。

 爪はより一層鋭利な鈎爪に、牙は肉を食いちぎるのに特化した刃物に変わっている。

 服を内側から破るほどの筋肥大は、下手をすれば命に関わる症状だ。

 しかし、彼らは既に死んでいた。

 

 ユラリと、三つの巨影が立ち上がる。

 鬼でもなければ魔物でもない。新鮮な死骸を濃い「鬼の血」が無理矢理活性化させているだけの、ただの化け物である。

 少女を遥か下に見下ろすほどの巨体が、闇に浮かび上がった。

 

「Gruuuu……」

 

 裂けそうなほど巨大な口から呻き声が漏れる。

 彼らは一斉に片膝をつき、恭しく頭を垂れた。

 少女に絶対の忠誠を示している。

 

 完成した三名の化け物を見て上機嫌になった少女は、少しだけ遠くなった摩天楼を見つめる。

 細い瞳孔がスゥと細められた。

 彼女は邪悪でありながら、とろけそうな笑みをこぼす。

 

「ここに来てよかったぁ♪ 本当は鬼さんの最期を見るだけの予定だったんだけど……ここにいるんですね、野ばらさん♪ ……あはっ♪ 噂は本当だったんだー♪ おばあちゃん、喜ぶだろうなー♪ だって元・同期だもんね~♪」

 

 少女は嬉しそうに、両手を広げる。

 

「うふふ、あははっ♪」

 

 無邪気に笑いながらクルクルと回る。

 まるで、野ばらの存在を歓迎しているかのように……

 

 新たな悪意が、魔界都市に紛れ込んでいた。

 

 



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四話「禁忌」

 

 

 一方、大衆酒場ゲートは不思議なほど何時も通りだった。

 多種多様な種族が寛ぎ、飲食を楽しんでいる。

 ある程度オーダーを片付けたネメアは、一服しながら新聞を読んでいた。

 そんな時である。彼の持つスマホの中でも特別なものが鳴り響いたのは……

 

 ネメアに限らず、デスシティの住民は複数携帯端末を持ち歩いている。

 ビジネスとプライベートを分けるためだ。

 

 今のはビジネス用の着信音だった。

 ネメアはすかさず応答する。

 

「かかってくると思っていたぞ、努」

『……という事は、事態は既に進んでいるようだね』

 

 分厚く、しかしどこか穏やかな声音がネメアの鼓膜を揺さぶる。

 日本国総理大臣、大黒谷努(だいこくだに・つとむ)

 彼は打って変わり、鉛のような重たい声音で告げる。

 

『単刀直入に言おう。……今回の事件に携わっている者たちを抹殺したいんだ』

 

 電話越しでも憤怒の念が伝わってくる。

 ここまでのものか……と、ネメアは金色の目を細めた。

 

「何があった」

 

 ネメアの問いに、努は淡々と答える。

 憤怒の念が、いよいよ溢れ出してきた。

 

『今朝、部下が珍しい鬼の気配を察知したんだ。現場に直行させたんだけど、遅かった。場所は銀座にある小さな公園。残っていたのは被害者一名。名前は佐竹瑠美。酷く凌辱された後だった。残念ながら、数時間後に息を引き取ったよ。もう一人の佐藤卓矢くんは行方不明だ。……きっと鬼になってしまったんだろう。現場に巨大な爪痕と破壊痕があった。専門家に調べさせたから間違いない』

「…………」

『全く、舐められたものだよ。前途ある若者が二人も犠牲になってしまったんだ……実に不快極まりない』

 

 ネメアの耳元でピシッと、何かが割れる音がした。

 努の抑えようにも抑えきれない怒りが握力に変わり、スマホに亀裂をはしらせたのだ。

 

 努の眉間には特大の青筋が浮かんでいた。

 漆黒のスーツに隠れている筋肉は膨張と圧縮を繰り返している。

 見る者が見れば恐れおののく事だろう。岩塊のような筋肉がまるで意思を持つかのようにうごめいているのだ。

 スーツの布地がメリメリと音を立てている。

 

 努はハッキリと告げた。

 

『僕は絶対に許さないよ。僕の愛する国で、愛する国民に手を出した。その罪はキッチリと償ってもらう……その命をもってしてね』

 

 努は愛国者だ。

 誰よりも日本を愛し、我が子のように国民を愛している。

 だからこそ許せない。断じて許せない。

 

 燃え盛る業火のような憤怒を電話越しに感じながら、ネメアは言った。

 

「ワケありなのはわかっていたが、案の定だったな。どうしようもない……こちらは既に大和を雇っている。鬼関連だから野ばらが付いているが」

『なるほど……そちらの問題はそちらで解決しようとしているワケだね』

 

 努の言葉に何かを察したネメアは、眉間に深いシワを寄せた。

 

「誰をさし向けた? この魔界都市に」

 

 トーンの落ちた声だった。

 瞬間、今まで陽気だった酒場の雰囲気が冷え込む。

 適温を保っているはずの店内が、まるで冷蔵庫の中のようになった。

 

 努は淡々と答える。

 

『風魔小太郎くんだよ。犯人の処理と回収をお願いしたんだ』

「……よりによって風魔をさし向けたのか」

『それだけ、僕が怒っているという事だよ』

 

 ネメアは頭を押さえる。

 

 風魔小太郎(ふうま・こたろう)……戦国時代に活躍した忍の一人。中でも現代まで生き残っている数少ない者。

 歴戦の超越者であり、暗殺技術はあのアラクネに匹敵するといわれている。

 世界最強の忍者、隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)とも比べられる超凄腕の忍者だ。

 

 努の保有する二大戦力の一つ。滅多に抜く事のない懐刀──

 それを抜いたというのだから、彼の心情も伺い知れるというものだ。

 

 ネメアは唸る。

 今動いている大和と野ばら、怨嗟の鬼とその黒幕。

 そこに風魔小太郎が混ざれば、事態は悪化の一途を辿るだろう。

 

 七年くらい前か……デスシティのとある極道組織が魔改造した銃器を表世界に輸出しようとした。

 表世界に魔界都市の武器が出回れば、世界の治安は確実に乱れてしまう。

 その情報をいち早く入手した努は、配下の粛清部隊に事態の収拾を命令した。

 しかし、相手は仮にも魔界都市の極道。護衛としてA級の殺し屋を数十名雇っていた。

 粛清部隊は苦戦を強いられ、努は最終的に大和に事態の解決を依頼した。

 

 結果、短時間で事は収束した。

 この時、努は大和にこう依頼した。

 

『邪魔する者は皆殺しにしてもいい』と……

 

 結果、15分程度で中央区は屍山血河の有様となった。

 大和は努の要望通り、邪魔なものを皆殺しにしたのである。

 関係者のみならず、野次馬も通りすがりの住民も、全て……

 

 出た犠牲者は優に十万を超えるといわれている。

 

 この事件は『血の15分間』として、今でも語り継がれている。

 魔界都市の住民が大和を恐れている理由の一つだ。

 

 もしも風魔小太郎が介入すればそれと同等……否、それ以上の被害が生まれるだろう。

 

 努は日本のこと以外はどうでもいいと思っている。

 どんなに犠牲が出ようとも、どれだけ被害が生まれようとも、日本が平和ならそれでいいと──

 そう、本気で考えている。

 

 今、まさしく『血の15分間』が再現されようとしていた。

 それはなんとしても避けなければならない。

 

 ネメアは唸り、言葉を選び、口にする。

 

「努……。悪いがこの案件、大和たちに任せてくれないか?」

『僕に諦めろと?』

 

 努の怒気に新たな要素が加わった。

 ネメアはすぐに否定する。

 

「いや、そうは言っていない。事が終わるまで手を出さないでくれと言っているんだ。事が終われば、犯人の死体は必ず引き渡す。約束だ」

 

 ネメアの言葉には不動の重さがあった。

 それだけの信頼、実績が彼にはある。

 努は考える素振りを見せた。

 

『……ふむ、困ったね。あと一人だけなんだけどな。他の二人は死体で見つかっている』

「……」

『……』

 

 重たい沈黙が流れた。

 聞き耳を立てていた客人たちは固唾を呑んでいる。

 

 眠れる獅子といわれる大衆酒場ゲートの店主と、魔界都市でも悪名高い日本国総理大臣が、交渉という名の口論を繰り広げているのだ。

 第三者としては、聞いているだけで冷や汗が止まらない。

 

 静まり返る店内……グラスに沈む氷の音すらよく聞こえる。

 

 この交渉の結果次第では、魔界都市は誰も予想できない危機を迎える事になるだろう。

 

 暫しの沈黙の後、努はやれやれと溜め息を吐いた。

 

『……わかったよ、今回は手を引く。他にもやる事があるからね』

 

 先程までの怒気はどこへやら、何時もの温和な声音に戻った。

 ネメアは謝る。

 

「すまない」

『君が謝る必要はないよ。この事件は僕にも非があるんだ。日本は無害な国だと、デスシティの住民に勘違いさせた』

「……」

 

 電話の向こうで努がどんな顔をしているのか……ネメアは想像したが、一瞬で打ち切る。

 

『ケジメはつけるよ。僕なりの、ね。風魔くんには待機命令を出しておく。介入はさせない』

「すまない、何から何まで」

『こちらこそ。じゃ、また今度』

 

 そうして通話が切れる。

 努はこれから走り回るのだろう。

 遺族への謝罪、賠償金。そして徹底的な情報隠蔽と根回し……

 

 五大犯罪シンジケートとも緊急会議を開くだろう。

 これ以上、デスシティの住人に好き勝手させないために──

 

 ネメアは煙草を吸い、紫煙を吐き出した。

 そして一人呟く。

 

「こんな事件が起こると、どうしてこの都市があるのかわからなくなるな。……なぁ、大和」

 

 その言葉には、虚しさと悲しさがこもっていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 同時刻。

 努から届いたメールに目を通した大和は、なるほどと顎をさすった。

 

「馬鹿だなぁ。なんで日本で犯罪を犯すのか……デスシティでなら日常で済ませられたのによぉ」

 

 大和は、この事件の全てを知ってるであろう三毛の猫又に話しかける。

 

「説明してくれ、ミケ。どこのどいつが事態をややこしくしてる。本来なら、糞野郎どもを殺すだけで済んだ筈だ」

 

 デスシティきっての情報屋、ミケはヒゲを尖らせながら言う。

 

「黒幕は……うむぅ、今話してもいいんですかねぇ?」

 

 ミケは腕を組んで2本の尻尾を絡ませる。

 どうやら悩んでいるらしい。

 

「どういう事だ?」

 

 大和は片眉を上げる。

 この腕利きの情報屋が言い淀むとは、余程の事だ。

 

「野ばらの姉さんと関連深い内容でして……今軽々しく口にしていいものかと」

 

 唸るミケに、野ばらは鋭利な眼を更に細める。

 大和は関係ないとばかりに手を振るった。

 

「知るか。チンチクリンの事情なんざどうでもいい。さっさと話せ」

「ミャー。相変わらずですねぇ、旦那……」

 

 ミケの二股の尻尾がクタクタと萎れる。

 困っているミケに、野ばらはハッキリと告げた。

 

「構わないわ。話して頂戴」

 

 その声は凛としていて、迷いがない。

 

「……いいんですかい? 姉さん」

「私に関係しているなら尚更よ。遅かれ早かれ知らなければならない」

 

 ミケは天を仰ぐ。

 彼は話す覚悟を決めたのだろう、尻尾をピン! と伸ばした。

 

「……では、話させていただきやす」

 

 ミケは一礼すると、丁寧に話しはじめた。

 

「野ばらの姉さん。あなたはこの都市に来る前、大正時代で鬼狩りをしていた……そうですね?」

「そうよ」

「現代では久世(くぜ)という鬼狩りを生業とする家系がありやすが、当時の鬼狩りは寄せ集めの集団だった……間違いありやせんか?」

「あっているわ」

 

 野ばらが生きていた大正時代は平安時代の再来と呼ばれていた。

 鬼を中心とした魑魅魍魎が再び息を吹き返していたのである。

 当時の退魔師たちは自陣の戦力の少なさに頭を痛めていた。

 

 そこで、『大天狗』の異名を持つ山伏にして仙人、役小角(えんのおづの)が鬼専門の剣士を幾人も育て上げた。

 それが、鬼狩りのはじまりである。

 

「鬼狩りは最初、役小角さんのお弟子さんたちで構成されていやしたが、人数が増えるにつれ、お弟子さんたちが下の者を纏めるようになった」

「そうね。……当時は九人くらいいたかしら」

 

 野ばらはあやふやな記憶をなんとかたどる。

 彼女の性質上、仲間にあまり関心がなかったのだ。

 

 そんな彼女に微妙な目を向けている大和。

 ミケは咳ばらいをして続ける。

 

「当時の鬼狩りの最高戦力だった直系のお弟子さんたち。その中に柘榴(ざくろ)という女性がいやした。野ばらの姉さんはご存知ですか?」

「知ってるも何も、妹弟子よ」

 

 野ばらは驚きを含めながら答える。

 他の鬼狩りたちならまだしも、妹弟子ともなれば話は別だ。

 柘榴……彼女の事はよく知っている。

 だからこそ、疑問が尽きない。

 

「あの子がどうして、今回の事件に関わっているの?」

 

 鋭い視線をさらに尖らせて、野ばらは問う。

 

「それがですね……」

 

 ミケはしどろもどろに告げた。

 

「鬼と交わって、子を成したんです」

「……なんですって?」

 

 思わず聞き返した。

 勢いよく身を乗り出したため、ミケは驚いて全身の毛を逆立たせる。

 野ばらは、ミケのつぶらな眼をまじまじと見つめていた。

 

 鬼狩りが鬼と子をもうけた? 

 そんな事がありえるのか? 

 

 ミケは気を取り直してコホンと咳払いすると、再度、強く告げる。

 

「柘榴さんは鬼と子を成しました。詳しい経緯をお話しやしょう」

「……」

 

 ミケの口から語られる内容は、野ばらをもってしても予想外のものだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 柘榴(ざくろ)。彼女は野ばらの妹弟子であり、野ばらと同様鬼狩りのエース的存在だった。

 野ばらに勝る剣才と誰とでも友好関係を築ける協調性。

 優しく淑やかな佇まい。そして柔らかな笑みは、鬼狩りの猛者たちの中でも癒しの花と呼ばれていた。

 剣才に関しては、数年もすれば野ばらを超えるだろうといわれていた。

 将来は、最強の鬼狩りになる筈だった。

 

 しかし、彼女は鬼狩りとして致命的な弱点を抱えていた。

 生来の優しさ故に、人間から転じた鬼に酷く同情していたのである。

 純粋な鬼ならまだしも、怨嗟の鬼は被害者。斬るべきは加害者の筈……そう常々思い、周りに訴えかけていた。

 

 しかし、鬼狩りにとって鬼を殺す事は鉄の掟。決して揺るがぬ暗黙の了解事項。

 人間の処罰は人間が下す。鬼狩りはあくまで鬼を殺す事が使命……

 

 怨嗟の鬼を斬る度に、柘榴は心を痛めていた。

 血溜まりの中で泣き伏すその姿に、同胞たちはかける言葉も見つけられないでいた。

 師である役小角は優しく、しかし厳しく彼女を諭していた。

 

 しかし、人間の悪意は底が見えず……

 鬼を狩る日々を過ごしていく内に、柘榴の精神は歪んでいった。

 

 結果、柘榴の中で怨嗟の鬼は必要悪だという思想が生まれた。

 因果応報。目には目を、歯には歯を……

 報いを受けるべき人間が、必ずしも報いを受けるとは限らない。

 富める者、権力を有する者は鬼の脅威から逃れて高笑い。

 泣くのはいつも虐げられた者と鬼と化した者。

 

 であるならば、鬼狩りが悪人を殺せないのならば、怨嗟の鬼を狩らなければいい。

 

 柘榴は鬼と契りを結び、子を宿し、そのまま逃亡した。

 狂ってしまったのだ。鬼の返り血を浴び過ぎて、獣と化してしまったのだ。

 他の鬼狩りたちは彼女の行方を懸命に捜したが、ついぞ見つからなかった。

 

 鬼の子を孕んだ鬼狩り──その存在は最大の禁忌とされ、関係者でも知る者は少ない。

 

 当時、師である役小角は雅貴の奸計にかかり戦死。

 野ばらも大嶽丸……現在の恋次と相打ちになって行方不明になっていた。

 誰も、彼女を止める事ができなかった。

 

 そうして現代になり、ついに完成してしまう。

 怨嗟の鬼を途切れさせない、『必要悪』となるべき存在が……

 

 名は柘榴(ざくろ)

 祖母から二代に渡り受け継がれる名。

 人間と鬼の混血児であり、鬼の血を三分の二も体内に流す、半妖を超えた怪人である。

 

 ミケは話を終えた。

 

「久世の現総帥が今でも捜し回っておりやす。曰く、鬼狩りの歴史が残した最大の汚点であると」

「…………」

 

 野ばらは無言で拳を握りしめていた。

 あまりの力に血が滲んでいる。

 

「尋常じゃない。やっこさん、久世が誇る歴戦の鬼狩りを既に五人も惨殺してる。その力はもはや超越者……生来の才能と血統が、最悪の異端児を生んだんでしょう」

 

 サァ、と生温い風が吹いた。

 柘榴は、鬼狩りにとっての最強最悪の存在になっていた。

 

 野ばらは最初こそ動揺していたが、今は冷たく目を細めている。

 思い当たる節があったのだろう。

 

 野ばらの胸中に、向日葵の様な明るい少女の笑顔が浮かんだ。

 それらを掻き消し、静かに目を見開く。

 今、彼女の孫を殺す決意をしたのだ。

 

 そんな野ばらとは対象的に、大和は感心したように顎をさすっていた。

 

「なるほどねぇ、理屈としては間違ってねぇ。その柘榴という女を、俺は評価するぜ」

「……正気?」

 

 野ばらに睨みつけられても、大和は意見を変えなかった。

 むしろ反論してみせる。

 

「何がおかしい。怨嗟の鬼の出現理由に心を痛めて、周りを説得しても共感を得られず、結果自分で行動に移した。いいじゃねぇか。口だけの偽善者より百倍マシだ」

 

 大和は懐からラッキーストライクを取り出し、火をつける。

 

「人間は人間を贔屓する癖がある。怨嗟の鬼を生み出したくないのなら、根源である悪人を殺せばいい。なのに犯人は人間だからと同じ人間に任せた。結果がコレだ。結局、お前らのしてた事は事後処理に過ぎなかったんだよ。なんの解決にもなってねぇ」

 

 美味そうにタバコを吸い、紫煙を吐き出す。

 

 彼の言い分はあながち的外れではなかった。

 怨嗟の鬼を駆逐したければ、大元を殺せばいい。

 当時の鬼狩りたちはそれをしなかった。

 

 大和からしてみれば臭い物に蓋をする──単なる責任逃れの言い訳にしか聞こえなかった。

 

「俺は、その柘榴という女が間違ってるとは思えねぇ」

「……」

 

 野ばらは、手に持つ番傘をこれでもかと握りしめていた。

 大和の言い分に反感を覚えつつも、何も言い返せないでいる。

 

 そんな彼女に、大和は告げた。

 

「だが、テメェは違うだろう。チンチクリン……テメェは鬼に加担した奴らは容赦なく殺すと、そう言った。……今回は運が悪かっただけで、やる事は変わらねぇ筈だ」

 

 その言葉に野ばらは目を丸めた後、ゆっくりと頷く。

 

「ええ……私は斬り捨てるわ。怨嗟の鬼も、それを生み出す輩も。それが、私という鬼狩りの在り方だから」

 

 その瞳に嘘偽りはない。

 黒真珠のような瞳には強い意志が宿っている。

 大和は上機嫌に笑い、頷いた。

 彼女ならそう言ってくれる……そう信じていたのだ。

 

 故に託す。

 ちびた煙草を指で弾き飛ばし、真紅のマントを翻す。

 

「柘榴って奴はテメェに任せた。同門の不始末は、同門がつけるべきだ」

「感謝するわ。私は柘榴の孫を殺してくる」

「おうさ、怨嗟の鬼は任せておけ」

「お願いするわ」

 

 互いの方針が決まった。

 大和はミケを見下ろし告げる。

 

「ミケ、コイツに柘榴とかいう奴の居場所を教えてやれ」

「へい。いやしかし、やっこさん物好きなようで……既にこの都市内に入ってきてるんですよ」

「ほぉ」

 

 大和は面白そうに灰色の三白眼を細めた。

 

「因縁ってやつか……どうにもこうにも、話がよく進む」

「好都合だわ」

 

 野ばらは番傘を携え、鋭い剣気を滲ませる。

 大和はケラケラと笑った。

 

「決着は、今日中につきそうだな」

「つけるわよ。必ず……」

 

 そう言い残し、野ばらは歩きはじめる。

 一度も大和に振り返らず、摩天楼煌めく大通りに向かっていった。

 ミケは大和に頭を下げ、急いでその後を追う。

 

 大和はやれやれと肩を竦めると、一変して好奇心溢れる笑みを浮かべた。

 邪悪な笑みである。

 まるで今から弱いものイジメをするかのような……そんな、暗い笑みだ。

 

 大和は足元で転がっているチンピラ……ガリルに視線を落とす。

 今しがた意識を取り戻した彼は、激痛に悶え苦しんでいた。

 

「い……いへぇぇ……っ、ダレか……だじげでくでえぇぇ……っっ」

 

 その言葉を聞いて、大和はギサギザの歯を剥きだす。

 灰色の三白眼がギラギラと輝いていた。

 

「よかったなァ、チンピラ。運がいい。テメェと怨嗟の鬼は俺が担当する事になった」

「ひょェェ……あぐァぇっ!」

 

 ガリルは声にならない悲鳴を上げてはいずりはじめた。

 鼻と口からとめどなく鮮血が溢れる。砕かれた歯でズタボロになった口内では満足に声も出せはしない。

 

 ハァハァと喘鳴をもらしながらひたすらはいずる。

 鼻を含めた顔面の骨をほぼほぼ砕かれているので、泣きたくても表情を崩すことができない。

 涙だけが溢れ、血と混ざり合う。

 痛みで何度も気絶しそうになりながらも、圧倒的な恐怖で逃げる事しかできない。

 

 そんなガリルの背中を大和はゆっくりと、力を込めて踏みにじった。

 下駄の裏で背骨をゴリゴリと鳴らす。

 

「くべぇぇェっ!! たびゅ! たびゅげでぇっ!!」

 

 ガリルは泣きながら何もない空間に手を伸ばす。

 その無様な姿に大和は思わず吹き出した。

 

「オイオイ! テメェを助ける奴が何処にいるよ!」

 

 ジャラジャラと金属音がした。

 大和は懐から村正特製の鎖分銅を取りだし、ガリルをがんじがらめに拘束する。

 その口内に鎖の束を無理矢理ねじ込み、動きを封じると同時に黙らせた。

 

(オゴぉっ!! オゴぉぉぉッッ!!)

 

 ガリルの口からくぐもった悲鳴がもれる。

 大和はうんこ座りをして、彼と視線を合わせた。

 

「ま、安心しろや。殺しはしねぇ。テメェは釣り餌だ。怨嗟の鬼を釣るためのな。生きてねぇと困る」

 

 その言葉に、ガリルは一瞬表情を和らげる。

 しかし彼は見てしまった。大和の顔を……

 

 悪鬼羅刹の笑顔を……

 

「俺は、な。しかし怨嗟の鬼はどうかなァ? そいつには随分とヒデェ事をしたみたいじゃねぇか。鬼の怨みってのは怖いぜェ。死ぬほうがマシだと思えるくらい可愛がって貰えるだろうよ」

「!?」

 

 ガリルの顔面が蒼白を通り越して紙のように真っ白になった。

 大和は堪えきれず大爆笑する。

 

「ククククッ、ハハハハハハッ!! どうした、喜べよ!! 最高の死に方だろう!! 俺が当事者だったら笑っちまうぜ!! 屑らしい無様な死に方だってなぁ!! プッ……アッハッハッハ!!」

 

 腹を抱えて笑う。

 大和は本当にそう思っているのだろう。

 

 中央区の路上裏に黒鬼の笑い声が木霊した。

 その笑い声は、魔界都市の喧騒の中でもよく響いた。

 

 勧善懲悪などこの都市にありはしない。

 あるのは悪と、悪を喰らう悪だけだ。

 

 これからはじまる……殺意と憎悪に満ちた殺し合いが。

 

 



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五話「出会いと、責任と」

 

 

 時刻は0時を回った。

 魔界都市が最も盛んになる時間帯である。昼夜が逆転しているこの世界では、夜の闇こそが生きる時間なのだ。

 

 妖しく輝く摩天楼。頭上を見上げると最上階が見えないほどの超高層ビルが立ち並んでいる。

 最新鋭の飛行艇が暗い曇天をかき分け、無重力で駆動する車やトラックが建築物の合間を飛び回る。飛竜種や有翼種が危うげに車体と交差していた。

 

 大通りは、さすが魔界都市の中央区といったところ。都内でも随一の賑わいをみせている。

 

 対して鼻につく硝煙と濃い血の臭い、汗臭さと生ゴミの腐臭。

 それらを上書きしているのは強烈な香水と女の卑猥な香りだ。

 

 往来を闊歩している多種多様な種族。

 人間、魔族、獣人、サイボーグ、エルフ、妖精、蟲人など。

 

 この都市に法律はない。あるのは暴力至上主義の、弱肉強食の理のみ。

 故に皆武装している。その気になれば何時でも殺し合いをはじめられるようにしている。

 

 これで殺戮の連鎖が起きないのは、巨大な犯罪組織や武装組織、各区を統治する規格外の存在が君臨しているからだ。

 

 ギリギリのところで留まっている。一つ間違えれば大惨事になる。

 しかし、この歪んだ日常は既に何百年もの間継続されていた。

 

「……」

 

 野ばらは無言て大通りを突き進んでいた。

 彼女は魔界都市の在り方を嫌っている。

 当然の様に行われている犯罪の数々。窃盗、恐喝、拉致、奴隷、密売、テロ行為……挙げていけばキリがない。

 ありとあらゆる犯罪が、この都市では日常として完結されている。

 

 吐き気を催すとはまさにこの事だ。

 なまじまともな精神を持っている野ばらにとって、この都市の在り方は酷く歪んで見えた。

 

 しかし、納得せざるを得ない部分もある。

 この都市があるからこそ、表世界の平和は保たれている。

 あらゆる厄災、苦難から護られ、大規模な戦争も起きない。

 国ごとに法が築かれ、互いに協力しあい、平和のために尽力している。

 

 それができているのは、諸々不都合な部分をこの都市に投げ捨てているからだ。

 何かあればこの都市に任せておけばいい。

 魔界都市の住民は押し付けられた不都合をビジネスに変えて金儲けする。

 

 相互、利害の一致。

 世界政府のみならず、業界の重鎮ならば誰もが知っている暗黙の了解。

 世界の闇の部分──

 

 野ばらは酷い不快感を覚えた。

 魔界都市にではなく、自分自身に対してだ。

 

 どこか居心地の良さを覚えてしまう。

 自分の生まれた時代、大正のあの頃に近い雰囲気がこの都市にはあった。

 

 無秩序の中にある繁栄。人と魔の境界線。

 あの時とは全く違うのに、あの頃とどこか重なる。

 

 野ばらは小さな、本当に小さなため息を吐いた。

 所詮、自分も同じ穴の貉。

 今の人間たちから見れば、過去の影に過ぎない。

 

 たかが百年。されど百年。

 時代は、世界は、大きく変わってしまった。

 

「どうかしやしたか? 野ばらの姉さん」

 

 後ろから付いてきていたミケが聞く。

 野ばらは振り向かずに答えた。

 

「何でもないわ。いきましょう」

「はいにゃー」

 

 ミケは何も聞かなかった。

 魔界都市の住民は大小様々な過去を持つ。

 その中には、触れられたくないものもある。

 ミケは情報屋なので、そのあたりよく理解していた。

 

 野ばらは意識を切り替え、元凶のいる場所へと向かう。

 

 もう、すぐそこまで来ていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 中央区の大通りの一画にある噴水広場にて。

 可憐な美少女が水遊びをしていた。

 水面に波紋を広げながら渡り歩き、踊っている。

 時折、石造りの足場に着地してきゃっきゃと笑っていた。

 この一面だけ見れば、まるで天女の水遊びの風景である。

 しかし、噴水広場の周りには死屍累々の山が築かれていた。

 

 元々、此処は数ある噴水広場の中でも有名な場所だった。

 広めの敷地と色彩豊かなグラデーション。大小鮮やかな緑に覆われ、湧き出る水も澄み渡っている。

 観光地としてもデートスポットとしても最適だった。

 

 それがどうだ。今は──

 種族関係なく若い男女の死体が積み上がっている。

 綺麗な形のものなど無く、どれもが鋭利な刃物で断たれ、滑らかな切断面を晒している。

 溢れ出る新鮮な血が芸術的な石畳の線をなぞり、広がり、辺り一帯に鉄の臭いを充満させる。

 噴き上がる水はやがて濃厚な赤に変色し、更に血臭を濃密にさせた。

 

 いくら荒事に慣れたデスシティの住民でも、思わず呻いてしまうだろう。

 それほどの光景だ。

 

 中心にいる美少女は頬を紅潮させ、ウットリとしていた。

 恍惚境の果てを漂っている。

 

 まるで見せつけるように、快楽に酔うがままに躍っている。

 跳ねる水音は何処か淫美で、少女は熱い吐息と共に白い肌に付いた赤い水滴を肌に伸ばした。

 

 地獄に、可憐で腐った毒華が咲いていた。

 

 噴水広場の周囲に積み上げられた新鮮な肉の山。

 本来であれば肉食性の魔獣や怪虫が寄ってくる筈だが、そのような気配は一切ない。

 美少女から微かに漏れ出す邪気を恐れているのだ。

 死体回収屋も顔を出さず、野次馬も一人としていない。

 魔界都市の住民、特に危機管理能力の高い者たちは今此処に行ってはいけないと察知していた。

 現在、此処は濃厚な瘴気に満ちた忌地へと変貌している。

 

 事前に彼女に屍鬼にされた哀れな住民たちは自我を無くしていた。

 彼らは絶えず襲ってくる飢餓を満たすために死体の山を漁り、まだ温かい血肉を貪っている。

 小山の様な巨体が無造作に死体を掴み上げ、首筋に喰らいつく。

 肉を引きちぎり、骨を噛み砕く音が辺りに響き渡る。

 裂けた腹腔から飛び出した内臓を握りつぶし、喉を鳴らして血液を啜る。

 

 そんな地獄とも言える場所に、番傘を携えた和ゴスの少女が現れた。

 ブーツの爪先は既に血の海に浸っている。

 彼女は周囲に散らばる死体を一瞥すると、噴水広場で遊んでいる美少女に殺気を伴った眼光を向けた。

 空気を凝結させたかような鋭さを含んでいる。

 文字通り音を立てて空間が凍りついた。

 

 来訪者に気付いた美少女は、それはもう、満面の笑みを浮かべた。

 白い肌に塗り付けた鮮血がエロティックで壮絶な美を醸し出している。

 

「まさか来てくれるなんて思ってもいませんでした♪」

 

 周囲の光景とは裏腹に、血まみれの美少女の声は甘く軽やかだった。

 

「戯言を……私を誘い出すためにこんな事をしたのでしょう?」

 

 和ゴスの少女、野ばらの突き刺すような言葉に美少女、柘榴はまるで娼婦の様な蕩けた笑みを浮かべる。

 

「半分正解です。半分は……趣味です♪ 私、死体に囲まれながら躍るのが大好きなんです♪ お腹の奥がキュンキュンしちゃって、堪らなくなるんです♪」

 

 ペロリと、桜色の舌が唇の端を舐める。

 可憐な狂鬼がそこにはいた。

 

「…………」

 

 野ばらは絶対零度の眼差しを柘榴に向けると、背後で身を潜めているミケに告げる。

 

「ありがとう、後は私がどうにかするわ」

「わかりやした……どうかお気を付けて」

 

 ミケはそれだけ言い、素早くこの場を退散する。

 柘榴はしばらくミケの逃げた方角を見つめていたが、興味を無くして野ばらに視線を戻す。

 

「あ、自己紹介がまだでしたね♪ 私は柘榴(ざくろ)、三代目柘榴です♪ おばあちゃんからお話は聞いています♪ 当代最強の鬼狩り……こうして会えるなんて奇跡のようですね♪ 感激です♪」

 

 歌う様な少女の声に嘘偽りはなく、心底感嘆しているようだった。

 

「私は、会いたくもなかったわ」

 

 本心からそう吐き捨て、野ばらは番傘を携える。

 殺意を纏い、剣気を迸らせる。

 既に臨戦体勢に入っている彼女に向けて、柘榴はその可愛らしい顔をニチャリと歪めた。

 

「もう少しお話しましょうよ~♪ 私、貴女に聞きたい事がたーくさんあるんです♪」

「私にはないわ」

 

 野ばらが裂帛の気合を込めて一歩踏み出す。

 

「まぁまぁ♪ そう焦らずに……」

 

 笑いながら、ヒラヒラと片手を振るう柘榴。

 

 刹那、銀閃が煌めいた。

 神速の歩方で柘榴との距離を詰めた野ばらは、躊躇いなく仕込み刀を抜く。

 これ以上ないタイミングの抜刀だった。並の鬼なら首が跳んでいる。

 

 しかし、柘榴は笑っていた。

 野ばらの得物、その刀身を二本指で掴み取っている。

 あり得ない。

 野ばらの妖刀は触れるだけで皮膚を灼くほどの熱を帯びている。

 現に、今も退魔の波動が鳴くように迸っていた。

 

「本当に、おばあちゃんから聞いた通りですね♪ 人の話を聞かない、鬼とわかれば即座に斬り捨てる……うふふっ、素敵です♪」

 

 野ばらは刀身を掴んでいる指の腕、その肘を蹴り上げて無理矢理離させる。

 そして一旦距離を取った。

 

「きゃん♪ 痛いじゃないですか〜」

 

 柘榴は頬を膨らませると、まるで何事も無かったかのように話しはじめる。

 

「こんな機会、滅多にないですし……お話しましょう? 私、野ばらさんに聞いて貰いたい事がいーっぱいあるんです♪」

「……」

 

 話など聞くつもりはなかった。

 しかし、柘榴は隙だらけのようでいて全く隙がない。

 野ばらは噴水広場をゆっくりと周りながら、柘榴の隙を伺いはじめた。

 

 屍山血河に美しい花が一輪咲く。

 

 そんな野ばらを見て、柘榴はニンマリと口の端を歪めた。

 

 

 ◆◆

 

 

 魔界都市の裏区に近い路上裏にて。

 裏区から漂ってくる障気と激臭を掻き消すように、大和は特大の紫煙を吐き出していた。

 一吸いでフィルターまで焼けた吸い殻を、転がっているガリルに投げつける。

 そして手早く次の煙草をくわえる。

 

 ジッポーの金属音が響き、仄かに灯った火が大和の顔を照らし出した。

 

 ガリルは全身から冷や汗をふき出した。

 たとえ鎖でがんじ絡めにされていなくても、指先一つ動かせなかっただろう。

 今の大和は、万人に「死」を確信させる貌をしていた。

 冷酷で、しかしながら美しい。

 

 ジッポーの炎が消えれば大和の顔が闇に隠れる。

 その背後から射している光は汚れた摩天楼の輝き──

 

 今現在、大和はそこら辺にある適当な瓦礫の上に腰かけていた。

 ガリルは恐怖に震え、痛みに悶えながら地にふしている。

 

 大和は紫煙を噛むようにゆっくりとふき出すと、ガリルに言った。

 

「殺し屋ってのはな、金を貰って誰かを殺す奴らを指す言葉なんだよ」

 

 ガリルはビクリを身体をゆする。

 しかし砕かれた骨が潰れた肉に食い込み、くぐもった悲鳴を漏らした。

 

 大和はかまわず続ける。

 

「一身上の都合で誰かを殺し、代わりに報酬を受けとる……そういう、割とどーしようとない糞野郎共を殺し屋という」

 

 大和は紫煙を眼前にたゆたわせる。

 

「そんな殺し屋にも暗黙の了解ってのがあってなぁ……無益な殺生はしない、だ。依頼として成立していない以上、殺しは控える。……当たり前だよな。殺しは仕事(ビジネス)であって、趣味じゃねぇ。あまり度が過ぎると、仕事として成り立たなくなる」

 

 大和は片膝を上げて、ゆったりと身を預ける。

 そしてガリルを見下ろした。

 

「魔界都市はそのあたり、けっこー緩いんだが……お前はハシャぎすぎた」

 

 大和はやれやれとため息を吐く。

 

「……今回は特別だ。最後まで付き合ってやるよ」

 

 

 サァと、生温かい風が吹いた。裏路地特有のゴミ溜めから放たれる異臭と大通りの喧騒から送られてくる熱気の残滓──

 

 大和は、まるで無知な子供を諭すような声音で語りはじめた。

 

「殴られたら、殴られる。盗んだら、盗まれる。裏切ったら、裏切られる。殺したら、殺される……当たり前の事なんだよ。これをわからず、わかろうともせず、覚悟も決めず、自分だけ優位な立ち位置にいようとする。そんなの、許されるワケねぇだろう」

 

 たとえ数多の世界観があり、それぞれに法則があったとしても。

 幾度となく善悪の基準が移り変わろうとも。

 理を超える強大な力を持っていたとしても。

 

 変えてはならないものがある。

 

 道理を踏みにじり、真理から目を背ける輩を、大和は決して許さない。

 たとえ相手が神であっても、世界であっても、容赦なく弾劾する。

 

 故に、まつろわぬ者たちから崇拝されているのだ。

 闇の英雄王として。

 

 

 ◆◆

 

 

 ふと、ガリルと視線が合った。

 その瞳に宿っているのは変わらず恐怖だが、ほんの少しの怒りが混ざっていた。

 

 何故自分だけがこんな目に合わなければならない。

 アンタも殺し屋だろう、俺と同類じゃないか。

 何を上から目線で説教垂れてる。

 

 視線に乗せられた感情を大和は完全に読み取った。

 だからこそ吹き出してしまった。

 

「最期まで笑わせくれるな。チンピラから漫才師に昇格だ」

「っ」

 

 ガリルは眼を血走らせる。

 今この時は、恐怖よりも怒りが勝った。

 

 しかし、だからこそ、見えてしまった。

 見てはいけないものも見てしまった。

 

 吸い込まれる。否応なしに。

 大和の瞳の奥底に秘められし、心象風景に。

 

 いや……心象風景と呼ぶにはあまりに悍ましい。

 死山血河、死屍累々。地平線を埋め尽くす那由多を越える亡者の群れ。

 皆一様に怨嗟の呻き声を上げて、「あるところ」に手を伸ばしている。

 

 ドス黒い空に燦然と輝く漆黒の太陽。

 その真下にある、小高い崖上の瓦解した玉座。

 その上に彼は腰かていた。

 真紅のマントを靡かせ、暗い笑みを浮かべている。

 

 強力無比な呪詛や死の概念がその身を呑み込もうとしていた。

 しかし、彼は嗤っていた。

 そんなものかと、その程度かと。

 傲慢不遜に嘯く。

 

 如何に向けられる憎悪が強大であっても。

 如何にその怨念が濃密であっても。

 全て呑み込む。

 当たり前だと受け入れる。

 

「……っっっっ」

 

 ガリルは垣間見てしまった。大和という男の本質を。

 その身、その魂に取り憑く怨霊悪霊の群れを。

 

 耐えられるものではない。

 常人であれば即発狂し、廃人と化している。

 あの質量の負の念を津波のように浴びせれて尚、平静を保っていられるというのか……

 

 人間ではない。

 人の形をしたナニカだ。

 

 またも怯え出すガリルに、大和は冷笑を向けた。

 

「見えちまったら手遅れだ……死期は近ぇぜ」

「!!」

 

 死臭が漂う。

 何時からか、質量を伴う濃霧が辺りを漂っていた。

 桁違いの憎悪がガリルの背中に突き刺さる。

 大和の心象風景を見た後でも慣れない。慣れなどしない。

 

 第三者のを見るのと、直接向けられるのではワケが違う。

 

 ここまでの怨念を抱いているのか、ここまでの怨念を抱かせる事をしたのか……

 

 ガリルはパニックになっていた。

 

「……さぁ、主役の登場だ」

 

 大和はガリルに巻いてる鎖分銅を解除し、手元に納める。

 それをジャラジャラと弄びながら彼に聞いた。

 

「助かりたいなら、「ソイツ」を説得するしかねぇぜ?」

 

 地獄の底から響いてきたかのような唸り声が聞こえてくる。

 大振りの刃物のようの乱杭歯が仄かな明かりに照らし出された。

 ぎっとりと涎が滴り、荒い吐息と共に障気が溢れ出る。

 

 3メートルを超える巨体が、四足歩行でゆっくりと地面を這い歩いてきた。

 ギチギチと音を立てている筋肉の束は、今も異常な発達速度で隆起を繰り返している。

 赤銅色の皮膚は油でも塗ったかの様なぬめりを帯びていた。

 

 額から生えた2本の角は、まさしく鬼──

 その血走った眼がようやく仇敵を捉えた。

 あぐらをかいた鼻が喜悦で歪み、口角が耳元まで裂ける。

 

 ガリルは声にならない悲鳴を上げた。

 

「あぎゃァァァァっ!!!! ぎょえェ!! ひぃあ! がぁぁっ!!」

 

 重傷の筈の身体を全力で動かす。

 しかし立てない。はいずるのが精一杯だ。

 

 間近まで迫ってきた死……

 ガリルは恐怖のあまり失禁し、糞まで漏らす。

 

 鬼はのしり、のしりと、着実にガリルに歩み寄る。

 とうとう目の前までやって来た。

 ガリルは仰向けに寝転ぶと、涙と鼻水、血でグチャグチャになった顔で懇願する。

 

「おにぇがっ!! おにぇがいじまずっ!! いのぢだげば!! たじゅげで!! 何でもずるがらッッ!!」

 

 ガリルの必死の嘆願も鬼には通じず……まずは足を巨大な拳で叩き潰す。

 聞くに耐えない悲鳴が響き渡った。

 鬼の剛力によって殴られた脛からは血に濡れた骨が飛び出している。

 

 鬼は更に両腕を、肩を、腹を、背中を叩き潰す。

 一撃一撃が巨大なハンマーの一振りに等しい。潰れた手足が皮一枚で繋がっており、ガリルが路上で轢き潰された蛙のようになっていた。

 殺そうと思えば何時でも殺せるのに、あえてしていない。

 嬲っている。

 

 あまりの激痛に失神するガリルだが、それは許さないとばかりに鬼は彼の脇腹に爪を立て、肉を握り潰す。

 そうする事で無理矢理目覚めさせた。

 

 ガリルは顔面蒼白どころか真っ白になっていた。

 口の端から泡が吹き出ており、何か言おうとしているものの、言葉になっていない。

 

 その間も鬼はガリルを丁寧に調理していく。

 全身の骨肉を万遍なく潰し、内臓も死なない程度にねじり潰す。

 ガリルは穴という穴から血を噴き出し、過呼吸になっていた。

 

 その後、何度も何度も地面に叩き付ける。

 血と共に飛び散る白い破片は歯の欠片と砕けた骨だ。

 鬼の膂力だからこそなせる荒業である。

 

 またも気絶してしまったガリルだが、まだだと言わんばかりに鬼はガリルの一物を掴み、根本ごと引き抜いた。

 あまりの勢いで腹腔から腸も飛び出る。

 

「あぎゃぁぁぁァァァァァァァァッッ!!!!!」

 

 悲鳴ではない、絶叫だ。

 最期に目を覚ましたガリルは、何も分からないまま口に何かをねじ込まれた。

 

 それが自分の一物だとわかった時、彼は首をねじ切られていた。

 

 ズタズタになった切れ目に顔を寄せ、その苦悶に満ちた顔をじっくりと拝み、鬼は嗤う。

 

 事の一部始終を見ていた大和はパンパンと、大袈裟に手を叩いた。

 

「お見事な復讐だ。さぞやスカッとしただろう」

 

 鬼……否、怨嗟の鬼と化した卓矢はゆっくりと大和を見上げる。

 大和は首を傾げながら聞いた。

 

「で、どうする? 復讐は終わっただろう。さっさと成仏したらどうだ?」

 

 できるのなら、そうしていただろう。

 

 しかし、柘榴の禁術は対象を容易に成仏させないよう仕組まれていた。

 復讐を終えた後も憎悪に蝕まれ、暴れ続けるようにしてある。

 

 ……初めから、そういう術式を施したのだ。

 

 卓矢から見当違いの殺意を向けられ、大和は眉を跳ね上げた。

 

「……なるほど、暴走か」

 

 大和はやれやれと肩を竦め、立ち上がる。

 そして眼下の鬼に告げた。

 

「俺は殺意を向けてきた相手には容赦しねぇ。……たとえそれが被害者であったとしても、だ」

「グゥゥ……っ!!!! ガァァァァッッ!!!!」

 

 卓矢は大和に飛びかかる。

 埒外の脚力で地面を砕き、一気に距離を詰める。

 そうして勢いのまま組み付き、首を噛み千切ろうとした。

 

 しかし、大和は抜いた大太刀を卓矢の乱杭歯にめり込ませていた。

 彼は告げる。

 

「忠告は、したからな?」

 

 大和の顔から笑みが消えた。

 



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六話「鬼狩りの完成系」

 

 

 ありとあらゆる悪行が常日頃から行われているここ魔界都市でも、ここまでの瘴気を感じられる場所は滅多にないだろう。

 殺気とはまた違う。その場にいるだけで肌をグズグズに溶かされていくような、耐え難い不快感が全身を駆け巡る。

 

 異界と化した噴水広場にて。

 野ばらは柘榴の隙を虎視眈々と伺っていた。

 鬼狩りの剣技は鬼の首を斬り飛ばす事に特化している。ほんの僅かな隙さえあれば勝負を決められる。

 しかしタチの悪い事に、柘榴も同じ流派を修めていた。

 多少内容は異なるものの、根本的なものは変わらない。

 両者、必殺の間合いは全く同じ。故に踏め込めない。あと一歩、踏み込めない。

 

 野ばらは焦らず、噴水広場をゆっくりと大きく回っていた。

 血で溢れている石畳をピチャリ、ピチャリと足音を立てて歩いていく。

 

 柘榴は今の野ばらより確実に強い。

 超越者として覚醒した彼女よりも尚強い。

 

 常人より遥かに研ぎ澄まされた感覚で、野ばらは柘榴の実力を感じ取っていた。

 過去に大嶽丸と死闘を繰り広げたあの時に近い。死と紙一重の、触れれば切れそうな程の緊張感……

 

 殺意と剣気を共に研ぎ澄ませている野ばらとは対象的に、柘榴は悠々と自分語りをはじめた。

 まるでクラシック・バレエを踊るかの様にクルクルと優雅に回りながら話しはじめる。

 

「鬼を殺すのが鬼狩りの使命……でも鬼って、どれ位の範囲までを指しているんですか?」

 

 小首を傾げなら問う姿は可憐としか言いようがない。

 そして紡がれた言葉は、心の底からの疑問のように聞こえた。

 

「人に害する鬼を指すのか、鬼という種族を指すのか……それとも、鬼に関連するもの全てなのか」

 

 フワフワと着物の袖を翻し、広場を舞う。

 闇夜に夜桜の柄が美しく映える。

 

 柘榴は唐突に、桃色の唇に隠されていた肉食獣のような鋭い犬歯を剥きだした。

 

「ぶっちゃけ、鬼ならなんでもいいんでしょう? 鬼っていう『都合のいい悪役』をぶち殺してスッキリしたいんでしょう? いいんですよ野ばら先輩、素直になって♪」

「……」

 

 ビキビキと音を立てて口元が避ける。

 鬼の血が活性化していた。

 

 彼女の言葉に野ばらは反応しない。

 聞く耳持たない様子だ。

 切れ長の目が冷たく柘榴を見つめている。

 

 しかし、柘榴はそんな反応を求めていたのだろう。意地悪そうに眼を細めた。

 

「いやーんごめんなさーい♪ 私ったら空気読めなくて♪ 難しい事考えたくないですもんねー♪ 鬼を殺してアクメキメたいだけですもんねー♪ オ○ニーの邪魔しちゃってすいませぇん♪ もしよかったら私の造った鬼ちゃんがいるんで、この場でキメちゃいますぅ?」

 

 左手指で輪を作り、右手の人差し指を入れる。

 性交を意味するジェスチャーだ。

 完全に野ばらをおちょくっていた。

 

「…………ハァ」

 

 野ばらはため息と共に口を開く。

 そして心底嫌悪した風に吐き捨てた。

 

「姿形、声まで似てるけど、中身はまるで別物ね。目と耳が腐りそうだわ」

 

 冷厳と放つ言葉は、珍しく感情が露わになっている。

 

「いやぁん♪ そんな意地悪言わないでくださぁい♪ 本当の事言っただけなのにぃ♪」

 

 柘榴は身悶えする。

 パッと可憐で、しかし悪意をたっぷりと含んだ美少女の顔に戻った。

 

 その言葉遣い、仕草の一つ一つまで不快感しか覚えない。

 野ばらは思わず舌打ちしそうになった。

 

 柘榴はクスクスと笑いながら、足元に転がっている若い女の生首に目をやる。

 それをコロコロと足で転がしながら話しはじめた。

 

「どうして皆、素直になれないんですかねー?」

 

 柘榴は野ばらに流し目を向ける。

 色っぽい、まるで男を誘う娼婦のような眼差しだ。

 彼女は天狗下駄の一本歯で生首を器用に宙へと跳ね上げる。

 

「誰かを助ける自分は素晴らしー! わかります♪ 大義名分の元、悪をブチ殺すー! 楽しいですよね♪ 変に飾る必要なんてないんですよ♪ 正義の形なんて人それぞれ。それをとやかく言うのは野暮だと思うんですよねー♪」

 

 リフティングの要領で生首を足の甲や爪先で玩ぶ。

 

「……呆れた。貴女は自分が正義の味方だとでも思っているの?」

「ええ勿論♪」

 

 屈託のない笑顔がまたも凶顔へと変じる。

 片足を上げ、足元に転がした生首に勢いよく踏み下ろした。

 瞬間的にか細い足が丸太の如く膨張する。

 どれほどの加重がかかったのだろうか、ドォンという轟音と共に石畳に縦横の亀裂が走った。

 踏み潰された生首はスプラッタになり、飛び出した眼球が野ばらの側を掠める。

 

「アハッ♪ ちょっと力込めすぎちゃった♪ ウフッ、アハハッ♪」

 

 血膿に塗れたその足は、何時の間にか白く細い少女のものに戻っていた。

 柘榴は浮かれた様に笑うと、大きく両手を広げて叫ぶ。

 

「鬼になってまで復讐を遂げたい! かっこいい♪ そんな人達を後押ししてあげたい! 私やっさしー♪ 許せない? 復讐したい? でも雑魚だからできないの? うんわかった♪ なら私が力を貸してあげるね♪ だから頑張って♪ ……って、背中を押してあげるんです♪」

「……」

「ねぇ、野ばら先輩……私、間違ってますか?」

 

 ドロりと濁った、正義という名の欲望が柘榴の瞳を満たした。

 

 言葉にならなかった。

 初代は、彼女の祖母は、まだ違っていたのかもしれない。

 彼女は当時の正義の在り方に絶望し、哀しみの果てにその身を堕とした。

 

 しかし、この女は違う。正義を語るだけの悪辣な化け物だ。

 存在し続ける限り怨嗟の鬼を生み出す、禁忌の存在だ。

 

 野ばらの背後に突如として三つの巨影が降り立つ。

 

「さぁ、欲求不満の野ばら先輩の為に用意してあげた鬼さんですよ♪ 即席ですけど、その辺の雑魚とはワケが違うんで♪ たぁぁっぷりと、楽しんで下さいね♪」

 

 柘榴は艶やかに笑いながら自らの指を舐めた。

 

(……これが、貴女の望んだ正義の形なの? こんなものが、貴女という鬼狩りの末路なの? 教えて頂戴……柘榴)

 

 その言葉は、心の奥に露の様に浮かんで、弾けて消えた。

 

 

 ◆◆

 

 

 鬼狩りの剣技の真髄は速さと鋭さにある。

 修験道の過程、山岳での厳しい修練で鍛え上げた足腰と常人離れした肺活量が、凄まじい剣撃を生み出すのだ。

 速さと鋭さの相乗効果。これにより、鬼の強靭な肉体を断ち斬る。

 

 修験道の開祖であり鬼狩りの原点、役小角(えんのおづの)は直弟子たちをこの修業法で鍛え上げ、強靭な肉体と精神力を授けた。

 それは人間が到達できる最高位の力であり、怪力無双の鬼たちに対抗できる稀有な力だった。

 

「我等は鬼を狩る刃。人類を守護せし不滅の刃。忘れるな。人である事に誇りを持て。確固たる信念を抱け」

 

 役小角はそう、何度も弟子たちに言い聞かせた。

 

 弟子たちの中には鬼に人生を狂わされた者もいた。

 当然、鬼に殺意や憎悪を抱く者もいた。

 

 しかし役小角は甘やかさなかった。

 負の感情で鬼を狩るなど、鬼と変わらない。

 

 己を律し、黙々と刃を研ぎ澄ませろ。

 そうして治世を護る断罪の刃となれ。

 

 歴代の鬼狩りたちは、皆誇り高き剣士であった。

 

 その在り方が汚されている。

 誰でもない、鬼狩りの末裔によって。

 

 認めてはならない、断じて……

 

 野ばらは決意する。

 斬り捨てよう。鬼狩りとして……。否、彼女の祖母の姉弟子として。

 務めを果たそう。

 

 野ばらは心に宿る焔の如き怒りを一呼吸で沈める。

 ただ吐き出すのではなく、力に変える。

 殺意と剣気と擦り合わせ、より鋭く刃を研ぎ澄ませる。

 

 相手は圧倒的格上だ。

 鬼狩りの剣術を完璧にマスターし、それを鬼の膂力で振るう怪物……

 

 正面から戦っては勝ち目がない。

 一瞬で決めるしかない。

 

 鬼狩りの剣術は格上殺し。

 たとえどんなに強大な鬼であろうと、勝機を見出だし確実に殺す。

 それで命を落とす事になったとしても、だ。

 

 野ばらは大きく深呼吸をし、超越者としての力を解放する。

 

雪月花(せつげつか)・表」

 

 呟くと同時にチンッ、と鍔鳴りの音が響き渡る。

 野ばらを囲んでいた屈強な鬼たちが真っ二つになった。

 頭蓋から股下まで一直線の唐竹割り──

 遅れて衝撃波が迸り、石畳に深い斬痕が刻み付けられる。

 

 あまりの速さと鋭さに時間が追い付いていなかった。

 

 鬼たちは決して弱いワケではない。野ばらを殺すためだけに改造された彼らは、軽くSクラスはあった。

 歴戦の殺し屋や用心棒でも苦戦するレベルだ。

 

 しかし、野ばらは更に強かった。

 覚醒した彼女は、以前とはまるで別人だった。

 

 ボトリと、生々しい音と共に何かが落ちる。

 柘榴の左腕だった。肩から先が丸ごと落とされていた。

 

「……あれ?」

 

 柘榴は首を傾げる。しばらくして、額にブワリと脂汗が浮かび上がった。

 

 ありえない。絶対にありえない。

 自分の方が遥かに格上の筈だ。身体能力、才能、剣術、ありとあらゆる面で勝っている筈だ。

 それを踏まえた上で、徹底的に優位な状況と立ち位置を築いておいた筈だ。

 

 しかしどうだ? 現実は。

 けしかけた自慢の鬼たちは一瞬で殺され、左腕は根本から断たれている。

 野ばらが動いたと認識した時には、既に左腕の感覚が無かった。

 

 利き腕を失った。

 動揺よりも怒りが勝り、柘榴は血走った眼で野ばらを睨み付ける。

 そして野獣のような咆哮を上げた。

 

「ふっ……っざけんじゃねぇぇぇぇッッ!!!! 何をしやがった糞アマァァァァッッ!!!!」

 

 化けの皮が剥がれた。

 悍ましい悪鬼の面があらわになる。

 

 野ばらは無言だった。

 ただただ仕込み刀を構えるのみだ。

 

 柘榴は怒り狂いながらも、何が起こったのかを全力で理解しようとする。

 

 野ばらが纏う神聖な気はただの霊力ではない。闘気や魔力でもない。

 もっと別の、自分たちにとって致命的な毒になる何か……

 

 柘榴はハッとし、思わず後ずさる。

 

「まさか……テメェが!! 死に損ないのアバズレ風情が!! おばあちゃんですら至れなかった境地に達したっていうのか!!」

 

 柘榴は知っていた。鬼狩りの最終的な姿を。

 役小角が思い描きながらも断念した、鬼狩りの完成系を……

 

 役小角は鬼狩りである以前に修験者だ。そして修験道の開祖である。

 修験道とは日本古来の山岳信仰に仏教、神道、密教、道教などを取り入れた『神仏習合』を旨とする日本独特の宗教。

 

 修験者は時に山伏と呼ばれ、霊山に篭り厳しい修業を行う。

 そうして悟りを開き、超人的な霊力と智慧を得る。

 

 話は変わるが、古来より山伏の姿で現れる妖魔がいた。

 彼等は神として崇められる事もあれば、魔王もして恐れられる事もあった。

 

 その名は、天狗。

 

 鬼と並び、古来より日本で語られる妖魔。

 彼等に対する見解は諸説あるが、現代で伝えられている天狗の服装は殆どが山伏のものである。

 

 役小角の別名は石鎚山法起坊(いしづきやまほうきぼう)

「天狗経」では四十八天狗に数えられ、日本八大天狗の中でも別格の存在として扱われている。

 現在では日本七霊山の一つ、石鎚山の守護神として本物の天狗として奉られていた。

 

 鬼狩りの完成系。

 それ即ち、大天狗に匹敵する力を得ること。

 それは膂力であり、精神力であり、霊力であり、神通力の体得である。

 

 神通力とは、仏教において仏や菩薩が持つとされる6種の超人的な能力。「六神通」とも呼ばれる。

 

 野ばらは現在、一部の神通力を使用できるようになっていた。

 

 その一つが、神足通。

 自由自在に自分の思う場所に思う姿で行き来できる力。飛行や水面歩行、壁歩き、すり抜けなどをし得る力。

 

 野ばらはこれを用いて魔改造された鬼たちを斬り伏せ、柘榴の左腕を断ったのだ。

 

 あらゆる場所にあらゆる形で移動できるのであれば、渾身の斬撃を直接浴びせる事など容易い。

 

 これが、鬼狩りの終着点。

 断罪の刃を振るう、義の天狗である。

 

「チィィ……ッッ、ピエロがッッ!! はじめから狙ってやがったなァ!!」

「…………」

 

 焦燥しきっている柘榴とは対象的に、野ばらの表情は曇っていた。

 

 望んだ力ではない。

 本当は至りたくなかった。この境地に達する事を、師は望んでいなかった。

 彼は弟子に対して特別厳しかったが、それは優しさの裏返しだった。

 彼は、自分と同じ境地に弟子たちを至らせたくなかったのだ。

 だから剣のみを教えた。術式の類を一切教えなかった。

 

(ごめんなさい、師匠……でも、私はこの道を選んだ)

 

 力無くして大義は果たせない。

 野ばらは自分の意思でこの道を選んだ。

 

 野ばらの体から迸る圧倒的な霊力に、柘榴は滝のような冷や汗を流す。

 無自覚に後退りしていた。

 

 鬼の天敵だ。

 今の野ばらは、ありとあらゆる鬼の天敵だった。

 

 鬼の血肉を大量に宿している柘榴は本能的に理解してしまう。

 アレは戦っては駄目な存在だと……

 

 噴水広場にたむろしている鬼たちは、野ばらから溢れ出る霊力だけで浄化されていた。

 

 野ばらは仕込み刀を逆手に持つ。

 泣き喚く妖刀にありったけの霊力を注ぎ込み、身を屈めた。

 瞬間、姿が消える。

 

「ひぃぃッッ!!」

 

 柘榴は恐怖のあまり首を竦めた。

 一瞬で距離を詰められた。

 目と鼻の先、とまではいかないが、完全に懐に入り込まれた。

 鬼狩りの剣術の制空権とか、そういう次元じゃない。

 野ばらは柘榴を斬れる位置に移動し、柘榴を斬れる位置に刀身を置いた。ただそれだけ。

 

 一挙手一投足が鬼狩りの常識から外れている。

 対処できるものではない。

 

 泣いているのか、残った右手で顔を隠している柘榴。

 しかし野ばらは決して容赦しない。

 柘榴は先ほどの鬼たちと同じ様に唐竹割りにされる。

 

 …………筈だった。

 

「なぁんちゃって♪」

 

 恐怖で歪んでいた鬼女の面が、可憐な美少女の顔に変わる。

 彼女は泣いてなどいなかった。

 その眼は冷たく、まるで鮫のような無機質さを保っている。

 

 瞬間、野ばらの身体に三つの斬線が刻まれる。

 一つ目は左腕を肩からバッサリと、二つ目は額を割り、三つ目は野ばらの得物である妖刀をへし折る。

 生々しい音と共に血煙が舞った。

 

 野ばらは大きく後方に弾き飛ばされた。

 ……否、自ら跳んだのだ。

 でなければ絶命していた。

 

 かろうじて番傘を広げ、着地の衝撃を和らげる。

 赤い和ゴスの着物が消失した左肩からじわじわと別の赤に染まりはじめる。

 どうにか体勢を整えようとするも、足元が定まらない。

 

 ふらつく野ばらに対して、柘榴は甘ったるい声音で囁きかけた。

 

「どうです? 迫真の演技だったでしょう? うふふっ♪ ……あれ? 聞こえてません? まぁいっか♪」

 

 野ばらの呼吸が荒い。

 霊力を高めようにも、腹腔から冷気が忍び込んだかの如く生命力を奪われてゆく。

 柘榴の放った斬撃にはとんでもない邪気が込められていた。

 人の身には猛毒に等しい。

 

 額から流れ出る血が、無惨にもその美貌を汚していく。

 

 柘榴は無くなっていた左腕を瞬く間に再生させた。

 そしてにぎにぎと、拳を開いたり閉じたりを繰り返している。

 

 彼女はニヤニヤと笑いはじめた。

 

「雪月花・表……同じ技とはいえ、よく回避できましたねぇ♪」

 

 柘榴は番傘を広げ、上機嫌にクルクルと回り始める。

 

 そう、同じ技でなければ躱せなかった。

 鬼狩りの技、それも今しがた放った技だからこそ反射的に避けられたのであって、もしも他の技だったら躱せなかった。

 

 野ばらは足腰に喝を入れるものの、大きくよろけてしまう。

 視界がぼやける。意識が朦朧とする。

 大量出血と頭部へのダメージが深刻だった。

 

 たたらを踏んでいる野ばらに対して、柘榴は桃色の唇を下品に歪める。

 

「実は、私もその「領域」に至っているんですよ♪ 生まれたその時から♪」

 

 そう、彼女は鬼狩りの天敵。

 鬼狩りという存在を完全否定するために誕生した忌み子……

 

「まぁ、貴女はまだ使いこなせていないようですが♪」

 

 柘榴はたれ目をいやらしく細める。

 そして下品に舌を垂らした。

 番傘を閉じ、先端の天ロクロを野ばらに向ける。

 

「雑魚が調子乗んじゃねぇよ♪ バーカ♪ ねー? 野ばらせーんぱい♪ 天狗っていうのは神であり、魔王でもあるんですよ? 貴女に出来る事を、私が出来ない筈ないじゃないですかぁ♪ きゃっはは♪」

 

 その声は可憐でありながら、弱者如きがと嘲笑っていた。

 

 ケタケタと腹を抱えて笑う童姿の大魔縁。

 結われていた黒髪が弾け、解ける。

 野ばらは力なく膝から崩れ落ちた。

 

 視界が暗黒に閉ざされる。

 そこにあるのは絶望──その二文字だけだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 時は十分前まで遡る。

 大衆酒場ゲートで、ネメアはカウンター越しに腕を組んでいた。

 悩んでいる様だ。

 

「今回の案件、俺が手を出すのは無粋なんだろうが……嫌な予感がする。何か良からぬものが潜んでいる気がする」

「と、言いますと?」

 

 カウンター越しにウェイトレスをしていた美少女、黒兎が小首を傾ける。

 ネメアは煙草をくわえると、その先端を噛み潰した。

 

「時代の流れが急速に変わりつつある。それに伴って今までの常識が通用しなくなってきた。鬼狩りも、その例外ではないだろう」

「……」

「時代の変化は様々な弊害を生む。中でも一番厄介なのが悪人や妖魔の活性化だ。時代の変動によって生じる莫大な負のエネルギーを、奴らはまるでスポンジのように吸収し、力に変える」

 

 ネメアは実際に体験しているのだろう、苦い顔で煙草に火を付ける。

 そして紫煙を吐き出した。

 

「奴らは時として正義を喰らう。……胸くそ悪い話だが、正義が必ずしも勝つとは限らない」

 

 ネメアはふと、黒兎の悲しそうな顔を見てしまった。

 しまったと頭をかき、話を戻す。

 

「話を戻そう。俺が危惧しているのは、野ばらたち鬼狩りを取り巻く今の環境だ」

「環境……」

「鬼狩りと鬼……互いの力が拮抗している間は、まだ問題ない。が、こういう時期にイレギュラーが現れる。そして、そういうイレギュラーは決まって悪い方に生まる」

「……」

「今回の一件、色々と不可解な点が多い。怨嗟の鬼についても、どこか引っ掛かる」

 

 ネメアは紫煙を吐き出すと、腰に手をあてる。

 そして唸りながら言った。

 

「何かあった後では遅い……様子を見に行く」

「なら私が見に行きましょうか? 危険であれば野ばら先輩を援護します」

「いや、万が一がある。俺が行こう。数十分ほど店を空けるが、すぐに戻る。その間、店には最上級の結界を張っておくから、その間客たちを……」

 

「いけないわ、ネメアさん。これは私たちの問題よ」

 

 凛とした、それでいて確固たる決意を秘めた女性の声が響き渡った。

 ネメアも黒兎もそちらに振り返る。

 

 魔女が立っていた。

 鍔広のトンガリ帽子にコルセット、ロングスカート。ラバー製の長手袋に足元は拍車付きのロングブーツ。身に纏うマントは深い蒼をたたえている。

 

 黄金祭壇の魔女でも着ない、時代遅れの装束だ。

 顔立ちは可憐でありながら妖艶と、これまたある意味魔女らしい。

 

 彼女は長い黒髪を揺らしながらネメアに言う。

 

「あの子は鬼を狩る事に生涯を費やした。貴方の言い分もわからなくはない。だけど、信念を抱き、覚悟を決めた者の生き様を邪魔する権利はない筈だわ」

「……そうだな。なら行ってくれるか? 死音(しおん)

 

 死音……そう呼ばれた魔女は、優雅に、そして力強く微笑んだ。

 

「勿論。異世界の鬼狩りとはいえ、今はこの世界の住民。手を貸さない理由はないわ」

 

 死音。

 別名「音殺の魔女」。異世界に跋扈していた鬼の亜種、妖仏を退治していた狩人。

 特殊なエレキギターにより破滅の調べを奏でる、異世界の鬼狩りである。

 

 彼女はつい最近この世界へとやってきて、大きな事件を解決した後、ゲートのウェイレスとして働くようになっていた。

 

 ネメアは彼女に聞く。

 

「やけにタイミングがいいな? 誰からか連絡がきたか?」

「大和さんよ。デートの誘い以外でメールが来るなんて珍しいから……余程危険な相手なんでしょうね」

「なるほど……」

 

 ネメアは納得する。

 決して口には出さないが、大和は野ばらの事を高く評価していた。

 今回の対応は、ある意味大和らしいと言える。

 

 死音は不満げに唇を尖らせた。

 

「あの子ったら、鬼狩りの時は私に声をかけてとあれほど言っておいたのに……本当に困った子」

「お前が今日非番だったから……ってワケではないだろうなぁ」

 

 ネメアは困った顔で頭をかくと、死音に頭を下げる。

 

「すまない、アイツを助けてやってくれ」

「承ったわ。任せて頂戴」

 

 蒼いマントが翻る。

 死音はそのまま大衆酒場を去っていった。

 その背をネメアたちは見送る。

 

「これで問題ない……と思うが」

「問題ないでしょう。この都市で、いいえ世界で、彼女たちに勝る鬼狩りなど存在しません」

「……そうだな。大和も付いてるし、大丈夫だろう」

 

 ネメアは頷く。

 死音の言う通り、この事件は鬼狩りが解決すべき問題だ。

 

 これ以上のお節介は無粋だと、ネメアは干渉するのをやめる。

 どのような結果になろうとも、彼女たちの意思を尊重しようと思ったからだ。

 それが彼女たちの生きる意味であり、覚悟を決めた者たちの生き様だから。

 

 

 



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七話「絶対絶命」

 

 

 

 致命傷だった。

 額への斬撃は比較的浅かったものの、左肩を丸ごと断たれたのが大きい。

 出血多量。筋肉を締めて止血しようにも、断面を蝕む鬼の邪気が阻害する。

 

 野ばらは足元に転がる、左腕が握る愛刀を見下ろした。

 中心から綺麗にへし折られている。あれほど煩かった鬼への憎悪の念も、今は凪のように静まり返っている。

 

 殺されたのだろう。誰でもない、柘榴によって。

 彼女は鬼狩りの天敵。鬼狩りという存在を完全否定するために生まれてきた存在。

 人の悪意が生み出した大魔縁──

 

 このままでは殺される。

 柘榴の性格だ。なぶり殺されるのは容易に想像できる。

 

「…………スゥゥっ」

 

 野ばらは静かに、されど大きく息を吸った。

 五臓六腑に酸素を巡らせて、失われつつあった生命力を湧き上がらせる。

 

 彼女は目を閉じ、ある決意をした。

 

(……この身朽ち果てようとも、この子だけは殺す)

 

 鬼狩りは死を畏れない。

 鬼狩りは、鬼を殺すまで死なない。命ある限り牙を剥く。

 

 まだ右腕が残っている。

 地を蹴る両脚も健在だ。

 まだ、戦える。

 

 たとえ死ぬ事になっても、目の前の鬼だけは殺す。必ず殺す。

 

 命を懸けよう。今この時、この瞬間に。

 過去から現在に至るまで培ったありとあらゆるものを出し切ろう。

 

 野ばらは着物を破り捨て、左肩の根本を帯でキツく縛る。動脈を締める事で無理矢理止血してみせた。

 

 鬼狩りを侮る事なかれ。

 鬼狩りとは憎悪を信念に変えた誇り高き戦士。

 悲憤を胸に抱いて鬼を狩る断罪の刃だ。

 

 野ばらは全身から強大な霊力を溢れ出させる。

 無色透明な霊力は、彼女の鬼狩りとしての在り方の色彩化だった。

 

「シィィィ……っ」

 

 極限まで圧縮された二酸化炭素が口元から蒸気となって漏れ出す。

 

 野ばらは鞘でもある番傘を放り投げ、足元に転がっている左腕を手に取った。

 そして折れた刀を掴み取り、余った腕は放り捨てる。

 

 これには流石に柘榴も苦笑いする。

 

「うっわ、てきとー。いいんですかぁ? その腕。私みたいに元には戻らないでしょう?」

 

 柘榴はまるで見せつけるかのように左手を振るう。

 

「だからこそよ。もう必要ない」

 

 カッと両眼を見開き、目の前の悪鬼を睨みつける野ばら。

 柘榴はニタニタと、湿度の高い笑みを浮かべた。

 

「あれぇ? まさか、まだやるつもりなんですかぁ?」

「無論よ」

「やめときましょーよー♪ 互いの力量差はわかったでしょう? 貴女じゃどう足掻いても私には勝てません♪」

「だから?」

 

 野ばらにとって、この問答こそ無駄であった。

 

「鬼狩りが鬼を狩るのに命を懸ける……それの何が可笑しいというの?」

「……ふっ」

 

 柘榴は明るい笑みを冷たい嘲笑に変える。

 美少女の顔がまたしても鬼の凶顔に変じた。

 

「狂ってますよ、貴女」

「奇遇ね、同類じゃない」

 

 野ばらはその一言を皮切りに、全身全霊を以て飛びかかる。

 命を懸けて信念を果たそうとする熱き魂に、性別など関係ない。

 しかし第三者からすれば、これほど寒いものはなかった。

 

「一緒にしないでくださいよ……貴女たちみたいな鬼を狩る事でしか存在証明できない連中と」

 

 柘榴は白けた様子で左腕を薙ぐ。

 対して野ばらは渾身の力で折れた仕込み刀を振り下ろした。

 互いの得物が重なり、食い込み、その場の空間が一瞬にして圧縮される。

 

 瞬間、特大の爆発が巻き起こった。

 空間すら歪めてしまう両者の一撃は、その場にあるあらゆるものを余波だけで吹き飛ばした。

 

 

 ◆◆

 

 

 放たれている幾千万の斬撃は、予め置かれているものを現実化しているに過ぎない。

 六神通の内の一つ、神足通はあらゆる場所にあらゆる形で移動できる力だ。

 この程度、造作もない。

 

 鬼狩り独自の歩法に神足通が加われば、可能性は無限大に広がる。

 噴水広場だった場所が全て制空権となるのだ。

 届かぬ刃は無く、また避けれぬ刃も無い。

 

 神速かつ不規則な斬撃は、まるで旋風を纏い吹き抜ける鎌鼬。

 

 一進一退の攻防は続き、激しさを増すばかり。

 既に設置されている斬撃は、まるで夜空に煌めく天の川。

 ちりばめられた星の如き斬撃は、しかしその全てに意味がある。

 互いに全く引かない分、同数かつ同質量の斬撃を設置しているのだ。

 

 眩い火花が絶え間なく散り、鉄を潰す音が鼓膜を破る勢いで響き渡る。

 予定調和の如く、全ての斬撃が重なり合う。

 

 一瞬、場が静寂に包まれた。

 

 次の瞬間、爆発と共に噴水広場だった場所が消し飛ぶ。

 当たり前だ。超越者の本気の攻防に、一区画程度の土地が耐えきれる筈がない。

 

 しかし、ここにきて、彼我の実力差が顔を出してきた。

 

「ギア、もう一段階上げますね? 野ばらせーんぱい♪」

 

 柘榴は可憐に笑うと、一変して猛々しい面構えに変わる。

 何時もの醜悪な鬼の面ではない。

 武術家などが見せる、殺意と戦意に溢れた顔付きだ。

 

 柘榴の口元から圧縮された二酸化炭素が蒸気となって漏れ出す。

 埒外の殺意と憎悪を宿した双眸がギラギラと怪しく輝く。

 両腕を広げて全身の筋肉を脈動させるその姿は、ある男を連想させた。

 

 その男を野ばらは嫌悪している。

 が、認めてもいた。

 彼は世界最強の殺し屋であり、世界最強の武術家。

 鬼からも畏れられる鬼……

 

 かつて師が口にした言葉を、野ばらは今になって思い出す。

 

「奴は最古にして最強の鬼狩り。鬼神王「温羅」を打ち倒し、配下の鬼神諸共鬼ヶ島を沈めた魔人。今代まで「桃太郎」の名で伝わる、天下無双の豪傑じゃ」

 

 よく知っている。

 野ばらは彼より強い武術家を見たことがなかった。

 彼より恐ろしい男を見たことがなかった。

 

 故に硬直した。

 予想外だったのだ。まさか柘榴が彼の、大和の面影を感じさせるなど、夢にも思わなかった。

 

 刹那、されど致命的な隙が生じる。

 それを見逃すほど柘榴は甘くない。

 

 次の瞬間、野ばらの顔面に埒外の衝撃が叩き付けられた。

 とんでもない硬さと重さだった。

 あまりの威力に野ばらの意識はトんでしまう。

 

 蹴りだった。

 野ばらの顔面に柘榴が渾身の飛び込み蹴りを放ったのだ。

 

 神足通で野ばらの眼前に移動し、全身の筋肉繊維を一本一本捻り上げる。そうして生まれた規格外の螺旋力を、桁外れの強度の骨格に蓄えて解き放つ──

 

 大和を彷彿とされる凶悪な蹴りだ。

 

 野ばらは一気に数十㎞先まで吹き飛ばされる。

 通過した中央区の大通りを暴力的な風圧で削り、巻き上げる。

 突き抜ける衝撃は高層ビルを何本も押し倒し、中央区の地盤に亀裂を奔らせた。

 

 住民たちは何が起こったのかもわからず巻き込まれていた。

 絶叫が尾を引き、逃げ遅れた者たちは倒壊した瓦礫に生き埋めになる。

 風圧で千切られた手足が乱れ飛び、数秒遅れて大量の血の雨が降り注ぐ。

 一瞬で中央区の大通りが地獄に変わった。

 

 野ばらは高層ビルの一本に叩き付けられる事でようやく止まった。

 額の傷口が大きく開き、止血の為に巻いていた帯も解けてしまう。

 左腕の断面から再び鮮血が溢れ出てきた。

 

 その瞳に生気はなく、完全に意識を失っている。

 

「やっほーい♪」

 

 まるで流星の如く跳んできた柘榴が野ばらの腹に爪先蹴りを突き刺す。

 ボキボキと、骨が砕ける鈍い音が響き渡った。

 

 柘榴は更に蹴り足に捻りを加える。

 へし折れた肋骨がミキシングされ、野ばらの内臓をズタズタに引き裂いた。

 野ばらは致死量の吐血を宙に撒き散らす。

 

「きゃはっ♪ まだまだですよぉ〜♪」

 

 柘榴はそのまま野ばらの頭を掴み、引きずり回す。

 

「フフフ!! アッハハハハハ!!」

 

 哄笑を上げながら爆走し、並び立つ高層ビル群に野ばらを叩き付けて回る。

 時に顔面を地面にめり込ませ、舗装されたコンクリートごと抉りながら中央区を駆け抜ける。

 

 柘榴の通った後には瓦礫の山しか残らない。

 

 野ばらは霊力を練る事で辛うじて致命傷を免れているが、ビルの壁や地面には真っ赤な血の帯と捲れた皮膚がへばり付いていた。

 

「ほらほらほらぁ! さっきまでの威勢はどうしたんですかぁ!?」

 

 倒壊する高層ビル群。巻き込まれる住民たち。

 悲鳴も怒号も、柘榴の齎す圧倒的暴力に掻き消される。

 

 柘榴は天高く跳躍すると、既に満身創痍の野ばらを思いきり投げ飛ばした。

 数十㎞離れた場所で、視認できるくらいの大爆発が巻き起こる。

 まるで核爆弾の投下だ。

 特大の衝撃と風圧が柘榴のところまで伝わってくる。

 

 遠く離れた爆心地で──

 特大の土煙が舞い上がる中、野ばらは無意識に手を伸ばしていた。

 

 まだだ、まだだと手を伸ばしている。

 もう、そこには何もないのに……

 何本も千切れた指では何も掴めないのに……

 

 何と無惨な姿か。

 

 顔の皮膚は大部分がめくれており、頭皮ごと引き千切られている。

 周囲には皮膚の付いた髪の毛が散らばっていた。

 両足も、それぞれ明後日の方向を向いている。

 薔薇の様な少女の面影はどこにも無い。

 

 そんな彼女に、無情にも追撃がやってくる。

 圧倒的質量の何かが飛んできた。

 

 それは、高層ビルだったものだ。

 総重量50万トンを超えるソレを、柘榴は軽々と持ち上げ投げ飛ばしている。

 

 三本、四本、五本と、立て続けに投擲する柘榴。

 まるで投げ槍の様に軽々と放り投げているが、高層ビルと彼女を比べるとまるで蟻と電柱だ。

 

 規格外に過ぎる。

 

 野ばらは立て続けに高層ビルを叩き付けられ、瓦礫の山に沈んだ。

 特大の土煙が舞い上がる中、一瞬で数十㎞を跳んできた柘榴は余波で土煙を吹き飛ばす。

 

 野ばらが沈んでいる瓦礫の山の上に着地すると、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。

 

「ふふふ♪ 鬼狩りの技じゃあ私には勝てませんよ? だって、私は鬼狩りという存在を全否定するために生まれてきたんですから……♪」

 

 故に、悪鬼の闘法。

 大和の武術は武術にあらず。圧倒的な膂力に殺戮の技術を取り入れた総合戦闘術だ。

 しかし、それを再現するには力と技、何より天賦の才を必要とする筈。

 たとえ、それが見様見真似の劣化版だとしても──

 

 大和の戦闘術は大和という「戦いの天才」を基盤に造られている。

 故に凡人では再現する事すらできない筈だ。

 

 しかしどうだ? 今し方柘榴が披露した戦闘術は。

 劣化版とはいえ、明らかに大和の戦闘術だった。

 現に闘志の発露の際、野ばらはハッキリと彼の面影を見た。

 

 柘榴には大和の戦闘術の真似できるだけの膂力と技術、そして天賦の才があるという事だろう。

 

 ……このままでは終わってしまう。

 決着が付いてしまう。

 

 瓦礫の山に視線を落としている柘榴。

 不意に爆発が起こり、中から何かが飛び出てきた。

 満身創痍を通り越した野ばらが柘榴の首筋に噛み付こうとしていた。

 

 柘榴はそれを難無く避けると、彼女の腹を思いきり蹴り飛ばす。

 

 建造物を幾つも倒壊させ、何度も地面をバウンドしてから転がる野ばら。

 美麗な和ゴスは引き裂かれ、鮮血と砂利でボロ布と化している。

 

 その瞳に光はなく、眼窩からは血が滴っていた。

 このような状態でも柘榴に飛びかかっていったのは、ひとえに鬼狩りとしての執念である。

 たとえ満身創痍でも鬼は殺す。必ず殺す。

 

 それは、鬼狩りにとって一種理想像なのかもしれない。

 しかし柘榴をイラつかせるには十分過ぎる理由だった。

 彼女には、野ばらの在り方が酷く歪んで見えた。

 

 柘榴は虫の息の野ばらの傍に降り立つと、ゆっくりと片足を持ち上げる。

 

「さぁ、本物の鬼狩りは貴女でおしまい……不快なんでサッサと死んでください♪ その狂った正義ごと、この世から消えてください♪」

 

 柘榴の太ももが丸太の如く膨れ上がる。

 圧倒的質量の筋肉がメシメシと音を立てて、凄まじい力を溜め込んでいた。

 更に超濃度の邪気と腐敗性の毒気が練り込まれている。

 あんなものを振り下ろされれば、野ばらの肉体は間違いなく爆散する。跡形も残らない。

 

 柘榴は最後に醜悪な鬼の面を見せた。

 

「バイバイ♪ 野ばらせんぱい♪」

 

 そのまま勢いよく足を踏み下ろす。

 天狗下駄の一本歯が野ばらの顔面を潰す……筈だった。

 

 地面が陥没し、凄まじい轟音が響き渡る。

 あまりの威力にその場の地盤が崩壊し、周囲一帯に大地震を齎す。

 特大の風圧が吹き荒び、大きな瓦礫も宙に吹き飛ばす。

 その欠片もグズグスに溶け、崩れ、消失していった。

 

 致命的な一撃だ。

 あの状態の野ばらが耐え切れる筈がない。

 

 しかし、土煙が晴れて現れた柘榴の表情は怪訝そうだった。

 

 ふと、背後から鋭い気配を感じとり、やれやれとため息を吐く。

 

「一瞬、ビックリしちゃいましたよ。あんまりにも感触が無かったから……力を入れすぎて木っ端微塵にしちゃったのかなって」

 

 振り返り、容姿相応の、しかし悪意に満ちた笑みを浮かべた。

 

「誰ですか? 貴女」

 

 その声は可憐でありながら、常人であれば聞くだけで衰弱死してしまうほどの邪気がこめられていた。

 

 質問を投げかけられた女性は、紺色のトンガリ帽子の鍔を指先で持ち上げる。

 その手は黒いラバー製の長手袋で包まれていた。

 

「はじめまして、鬼の娘さん。私は死音(しおん)。異世界の鬼狩りよ」

 

 鈴を鳴らす様な声音で女性……死音は答える。

 

「へぇ……! 異世界の鬼狩りですか! フフフッ♪ 流石は魔界都市! 何でもありですね♪ まさか異世界の鬼狩りを目にする日がくるなんて、思ってもいませんでした♪」

 

 柘榴は驚きこそすれ、警戒はしていない。

 むしろ未知との遭遇に喜んですらいる。

 

 音殺の魔女──死音は背後に転移させた野ばらの状態を確認した。

 最早生きているのが不思議なくらいの状態だ。

 

 死音は彼女をこんな風にした悪鬼に冷たい眼差しを向ける。

 

「私のパートナーに随分と酷い事をしてくれたみたいね。手加減は必要なさそう……全力で殺してあげる」

 

 絶対零度の呟きを投げかけられても尚、柘榴の笑みは崩れなかった。

 

「くふふっ♪ いいですよ♪ 私も貴女を殺してあげますから♪ もう殺して欲しいって縋り付くぐらい嬲ってから殺してあげますから♪」

 

 両者対峙する。

 清廉な気と腐敗した邪気が激しくせめぎ合う。

 柘榴は不気味に笑いながら、歓迎するように両手を広げた。

 

 

 ◆◆

 

 

 所変わって、東区で一番人気を誇る娼館「暗黒桃源郷」の最上階にて。

 鬼狩りたちの戦いを観戦している者たちがいた。

 

「鬼狩りの娘は瀕死じゃな。異世界の鬼狩りが来ておらんかったらそのまま終わっておったぞ」

「あの鬼の紛い物、中々いい線いってんな。うちの下っ端共じゃあ歯が立たねぇ」

 

 美の極致、その体現者である妖魔王「白面絢爛九尾狐」万葉。

 そして現代最強の鬼神にして怪力無双の悪鬼、「酒呑童子」こと朱天。

 

 彼女たちは呪術を用いたホログラムモニターで野ばらと柘榴の戦闘を観戦していた。

 今の発言は、各々思った事を口にしただけだ。

 

 万葉は退屈げに欠伸をかいた。

 それだけで有象無象を黙らせる圧力がある。

 何せ、今の彼女は幼女の姿ではなく本来の姿だから──

 

 その美貌は傾世と謡われ、三国どころか世界そのものを傾けてしまう。

 あまりの美しさに表現できる言葉が見つからないほどだ。

 

 豪華絢爛な打掛を着こなす姿はまるで大奥。

 彼女は鮮血を彷彿とさせる真紅の眼を再度モニターに向けた。

 そして呆れと怒りを交えて呟く。

 

「あの鬼の出来損ない、よりによって大和様の技を真似しよって……気に食わん」

 

 万葉は不機嫌さを隠す事なく舌打ちする。

 

「まぁ、んな怒んなって姐御。たとえ猿真似でも、できるだけ大したもんだ。現に、鬼狩りのチンチクリンには効果抜群だった」

「……」

 

 特大の徳利を掲げて酒を呑む筋骨隆々の女傑。

 彼女……朱天はそう言いながらもモニター越しの光景を冷たく見つめていた。

 

「しっかし、皮肉なもんだな。鬼狩りと対峙するのが鬼狩りから生まれた鬼もどきたぁ」

「蓋をしていた汚物が溢れ出ただけじゃろう。その汚物に溺れるようであれば、所詮その程度の器だったということじゃ」

「厳しいねぇ」

「そういうお主はどうなんじゃ?」

「わっかんねぇよ、俺には。アイツ等が争ってる意味がそもそもわからねぇ」

「そうか」

 

 万葉は頷く。

 生っ粋の鬼である朱天に人間の価値観など理解できない。

 だが万葉は違う。

 

「仮に鬼狩りを正義だと宣うのなら……身内から出た汚物くらい飲み込んでみせろ、と言いたいところじゃのぉ。それすらできぬのであれば正義も何も語る資格なし。理想を抱いたまま汚物に塗れて溺死してしまえ」

「辛辣ぅ」

 

 そう言いながら、朱天はどうでもいいと思っているのだろう。

 早々に話題を切り替えた。

 

「で、どうするんだい姐御。今が調度いいタイミングなんじゃねぇのか?」

「……? 何が調度いいんじゃ?」

 

 心底といった風に首を傾げる万葉に、朱天は大袈裟に両手を広げる。

 

「介入するタイミングだよ! 今なら鬼狩りのチンチクリンを助けられる! そしたらネメアにデカい貸しを作れる! チンチクリンはどうでもいいが、ネメアの腕っ節は金じゃそうそう買えねぇ! 今がチャンスだ!」

 

 朱天の言う事はなるほど、理に適っていた。

 今、柘榴を倒し野ばらを助ければネメアに多大な恩を売ることができるだろう。

 ネメアは誠実な男だ。大事な従業員を助けた恩を決して忘れない。

 ここで野ばらを助ける事は、今後の東区にとって大きなプラスになる筈だ。

 

「……ハァ」

 

 しかし万葉は溜め息を吐いた。

 朱天は眉をひそめる。

 

「何だよ、俺が馬鹿だって言いたいのか?」

「いいや、お主の案は理に適っておるよ」

「なら」

「しかし、違うんじゃ。妾の求めているものは「それ」じゃあない」

「?」

 

 頭の上にハテナマークを浮かべる朱天に、万葉はわかりやすく説明した。

 

「ここで鬼狩りの娘を助ければ、ネメア殿に多大な恩を売れるじゃろう。それは確かじゃ。だが、これから先そういった機会が訪れないワケではない。しかし、鬼狩りの娘を殺せる機会は中々訪れない」

「……なるほど」

 

 朱天は納得して頷く。

 万葉は冷酷に笑った。

 

「あの鬼狩りの娘は危険因子じゃ。今後、我等の障害となりうる。だが、排除しようにも背後にネメア殿が控えておる。あの方の逆鱗には触れとうない。そこで、じゃ。妾達とは一切関係ない第三者があの鬼狩りを消してくれる。そういうのであれば、これ以上の事はあるまい?」

「確かに」

 

 流石、三国を傾けた大化生。考え方が違う。

 そう言いたげな朱天に、万葉はジト目を向けた。

 

「何を阿呆なフリをしておる。お主、わかっておって我に問うたじゃろう?」

「んー? 何の事かサッパリ」

「とぼけるな。大方、あの鬼の出来損ないが気に食わんから自分の手で始末したいとか、そんなところじゃろうて」

 

 万葉の推測を聞いて、朱天は参ったと両手をあげた。

 

「全てお見通しってワケですかい」

「主の立場と性格を考えば容易に想像がつく」

 

 やれやれと肩を竦める万葉。

 朱天はなんとも言えない顔で真紅の長髪をぼりぼりとかいた。

 

「ワンチャンぶちのめせるかと思ったんだけどなぁ……でも、そうだよなぁ。今後の東区の事を考えると、そっちの方が得だもんなぁ」

「まだ結果は出ておらん。わからんぞ?」

「ほぅ?」

 

 朱天は好奇の眼差しを万葉に向ける。

 

「姐御はこの状況で鬼狩りが勝つとでも? 参戦してきた異世界の鬼狩りも中々だが、大分厳しいだろうぜ。あの鬼の出来損ない、まだ余力残してやがる」

「そうじゃろうなぁ。このままだと鬼狩りは両方殺される。そう、このままなら……な」

 

 万葉は色彩鮮やかな扇子を取りだし、口元を隠す。

 そして言った。

 

「この勝負、どちらの猿真似が上手いかで勝敗が決まる。あの鬼狩りはその事に気付けるのか。気付いたとしても、認められるかどうか……楽しみじゃなぁ」

 

 悪辣な笑みを隠しきれない万葉を見て、朱天は思った。

 どっちみち、万葉の思い通りになるのだろうと。

 

 彼女には、この戦いの全てが見えているのだ。

 

 



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八話「英雄を愛した獣」

 

 

 野ばらはまどろんでいた。

 此処が何処なのかもわかっていない。

 

 しかし、ひどく居心地がいい。まるで真夏の日の木陰の中にいる様な……

 先ほどまで全身を蝕んでいた激痛が、まるで嘘のようだ。

 

 何か大切な事を忘れている気がするが、思い出せない。

 

 まぁいいかと、野ばらはあやふやな思考を中断する。

 それほどまでに心地いいのだ。

 あと少し、このまどろみを感じていたいと思ってしまう。

 

 不意に、頭を撫でられた気がした。

 それがまた優しい手つきで、野ばらは安心感を覚えてしまう。

 

 彼女はそのまま気持ち良く眠りについた。

 

 一体、どれほどの時間が経っただろうか……

 

 すやすやと眠っている野ばらに声がかけられる。

 

「おい、起きろ」

「……ん……んんっ」

「起きろ、お嬢ちゃん」

 

 男の声だった。

 飽きれているのだろう。しかし声音から優しさが滲み出ている。

 

 野ばらはこの声に聞き覚えがあった。

 甘く低い、色気のある男の声だ。

 

「まだ休みたいってんなら、もう少し時間を取るが……いいのか? 此処に来たのは休むためじゃないだろう?」

「……ここ、は……どこ……? 貴方は……」

「説明してやる、だから起きろ」

「……っ!!」

 

 野ばらは飛び退くと、すぐさま臨戦態勢を取った。

 しかし、得物である仕込み刀がどこにもない。

 探している最中に、自分の肉体が完治している事に気がついた。

 

 ありえない。

 五体不満足までいった重傷が、まるではじめから無かったかのように治っている。

 

 そもそも、此処は何処なのか? 

 柘榴との決着はどうなったのか? 

 自分はどうなってしまったのだろうか? 

 

 まどろみで霞んでいた思考がクリアになる。

 高速で頭が回りはじめる。

 

 それでも、理解できない。

 

(私は、何時から此処にいたの……?)

 

 今いる場所は魔界都市ではない。

 澄んだ気に満ちた異界だ。

 一面の草原。それを撫でるように吹く心地のいい風。差し込む日差しは温かく、遠くには入道雲が浮かんでいる。

 近くには海があるのだろう、さざ波の音と共に潮の香りがやってくる。

 

 在りし日の、夏の思い出──

 

 人々の中にある普遍的な理想を具現化したような、そんな世界だった。

 

(どういう事……? 此処はどこ? 私は、死んだの?)

 

 表情には出さないが、酷く困惑している野ばら。

 そんな彼女に対して男が声をかける。

 

「安心しろ、ここは現世じゃねぇ。一種の精神世界だ。お嬢ちゃんは精神体になって此処にやってきたのさ」

「……貴方は」

 

 大木にもたれかかる、褐色肌の美青年。

 端正な顔立ちに灰色の三白眼。

 無駄なく絞られた戦士の肉体は派手な、まるで傾奇者の様な浴衣姿で彩られている。

 

 野ばらは彼を知っていた。

 容姿こそ若いが、間違いない。

 だからこそ驚愕していた。

 

 あまりにも綺麗過ぎる。

 その身も心も、邪気の一切を放っていない。

 まるで吹き抜ける一陣の風のような爽やかさ……

 

 驚いている野ばらとは対象的に、青年は落ち着いていた。

 片膝を立て、快活に笑う。

 

「その反応、現世の俺を知ってるみてぇだな。まぁ、あっちの俺とこの世界の俺は別人だと思ってくれて構わねぇよ」

 

 青年は野ばらを見つめる。

 その鋭い、猛禽類の様な灰色の三白眼で……

 

「俺は大和。と言っても、四大終末論を踏破した直後の「記録」だ。ある意味、全くの別人と言える。そんで、此処は阿頼耶識(あらやしき)。全人類が無意識下に共有している心の海……ようは東洋版のアカシック・レコードだ」

 

 説明を終えた彼……大和は片膝に体重を預ける。

 そして野ばらに好奇心に満ちた眼差しを向けた。

 

「俺の元に来たのはお前で八人目だ。「資格」は持ってるみてぇだが、まだまだ未熟。本来なら阿頼耶識に接続できねぇ筈だが……天狗の小僧が繋いでくれたみたいだな。感謝しろよ? お前の師匠はかなり弟子想いだ」

 

 野ばらは目を見開く。

 彼の言葉の意味が、驚くほど自然に理解できたからだ。

 

 風が、また吹き抜けた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、魔界都市では凄まじい激闘が繰り広げられていた。

 

 鬼殺のエレキギターが奏でる破邪の旋律が魔縁の姫を取り囲む。

 しかし彼女は妖しくも美しい舞を踊り、その全てを捌ききった。

 

 一進一退の攻防。

 

 音殺の魔女、死音の奏でる破邪の旋律は特殊な音質で世界の法則に干渉している。

 物理的な攻撃は勿論、魔法に似た属性攻撃、それどころか時間停止や運命操作など、一時的な概念干渉をも可能にする。

 流石に魔導師レベルとまではいかないが、死音自身の百戦錬磨の戦闘経験により、直接的な戦いであれば魔導師にも引けを取らない。

 

 対して魔縁の姫、柘榴は六神通という神々の権能一歩手前の力と、三代に渡り編み出した独自の鬼狩りの剣術と呪術で渡り合っていた。

 本来、この世界において初見殺しの性質が極めて濃い死音とここまで戦えるのは百戦錬磨の超越者くらいなのだが、生まれ持った天性の戦闘センスで全て有耶無耶にしている。

 まさしく怪物。

 

 唐突に、死音が激しいメロディーを奏ではじめた。

 ギタリストが見れば発狂するであろう、見事な指捌きで魔弦を弾く。

 すると、彼女の周りに曼陀羅のような陣が幾重にも浮かび上がった。

 それぞれが火、氷、雷の属性エネルギーが暴発寸前まで溜め込まれている。

 一つ一つが世界規模の天変地異に匹敵するエネルギーの塊を、死音は演奏で導き、混ぜ合わせる。

 そうして生まれた破滅的エネルギーを自身に纏い、突撃した。

 

 柘榴は面白いといわんばかりに口元を歪めると、仕込み刀にありったけの妖力と魔素を注ぎ込み、突撃する。

 

 衝突すれば、二人を中心に次元が歪み、空間が崩壊した。

 遅れて特大の爆発が巻き起こり、周囲一帯を無慈悲に消し飛ばす。

 星を砕かんばかりの衝撃が魔界都市を震撼させた。

 

 一瞬で最高潮に達したエネルギーは余波だけで落雷や暴風雨を発生させ、瞬く間に周辺地帯の天候を激変させる。

 

 地盤が大きく砕け、周辺の建造物を殆ど倒壊させる。

 崩れる高層ビル群の衝撃が甚大な二次災害を生み、荒れ狂う天変地異が畳みかけて辺り一帯を一瞬で焦土に変えた。

 

 住民たちの中には、手を合わせて神に祈る者がいた。

 何故自分たちがこんな目に合わなければいけないのか? 神よ、これは天罰なのか? と。

 逃げ惑う住民たちの中には、諦めて足を止める者もいた。

 

 そんな彼等を見て、嘲笑う者たちもまたいた。

 ちらほらといる強者たちからすれば、この程度の天変地異などそよ風に等しい。

 

 これが魔界都市の本質──

 理不尽のたまり場であり、矛盾の坩堝。適応できなければ死ぬだけ。

 

 救いなどなく、神などいやしない。

 いたとしても、それは宇宙の彼方からやってきた神を語る冒涜的なナニカだ。

 

 周囲が阿鼻叫喚の地獄になっている中、衝突した二人は一旦距離をとっていた。

 柘榴はニヤニヤと、粘度の高い笑みを浮かべる。

 

「いいですねぇ~、素敵な演奏にはギャラリーがつきものですよ♪」

「演奏がなくても、この都市は何時もこんな調子でしょう?」

「あらまぁ♪ それはそれは……素敵な都市ですねぇ♪ 永住したいくらいです♪」

「……こんな狂った宴を楽しむなんて、趣味が悪いわ」

「そうですか?」

 

 柘榴は妖しく微笑む。

 そして死音をなめ回すように観察しはじめた。

 

「しっかし、貴女ほど強い異世界人は中々いませんよ。こんなに強い人が異世界の鬼狩りだっていうのは、素直に嬉しいです♪」

「……その言い草、異世界人の事をよく知ってるようだけど?」

「ええ、お世話になっています♪ 人体実験の材料に最適なので♪」

「……」

 

 死音の唇が引き結ばれる。

 柘榴の笑みに狂気が滲んだ。

 

「表世界だと屈強な実験体が手に入り難いんですよ。その割に厄介な連中が多いですし。かと言って魔界都市の住民だとイキが良すぎる。となると……異世界人が丁度いいんです♪」

 

 柘榴は恍惚とした表情をする。

 人体実験をしている時の事を思い出したのだろう。

 

「異世界人、特に魔術などが日常化している世界の住民は素晴らしいんです♪ そもそもの個体値が優秀なのかな? 仮に駄目になっちゃっても、良質な材料になってくれますからね♪ 足りなくなったらいくらでも補充できますし、本当に助かってます♪」

 

 柘榴の脳裏には、今まで行ってきた凄惨な人体実験の数々が浮かび上がっていた。

 生皮を剥がし、剥き出しになった肉に粗塩をすり込んで悶死させたり、肋骨を一本一本へし折りながら取り出したり、手足を引きちぎって焼けた鉄板の上に転がしたりと、非道の限りを尽くしてきたのだ。

 

 実験という名の悪趣味な拷問。

 悪鬼の所業はまさにこの事だ。

 

「……どうやら、今まで殺してきた鬼の中でもトップレベルに危険なようね。貴女は」

 

 死音は怒りと侮蔑の念を込めて柘榴に告げる。

 彼女は淫美に笑った。

 

「フフフ♪ まずは自分の身の心配をしたほうがいいですよ? この後全身を滅茶苦茶に引き裂いて、剥き出しの神経をいじり倒してあげますからね~? 痛いですよぉ〜?」

 

 拷問の妄想に酔いながら、柘榴は舌なめずりする。

 死音の目にも、可憐な少女が醜悪な化け物に見えはじめていた。

 

「あ、そうだ」

 

 柘榴はふと、死音から視線を外す。

 

「うまーく守っていますね♪ 野ばら先輩のこと♪」

「…………」

「まぁ、ぶっちゃけ守らないと殺されちゃいますからねー♪ 私に♪ 既にボロ雑巾みたいになっちゃってますけど♪ キャハハ!」

 

 柘榴はケタケタ笑いながらも、野ばらを注視する。

 何時の間にか、彼女を護るように霊域が展開されていた。

 その中央には、鳥の羽で編まれた団扇が浮かんでいる。

 

「なるほど……天狗の羽団扇。そして神仏に匹敵する霊力。展開されている霊域の強度。なるほどなるほど……余程、愛弟子が心配なんですねぇ? ねぇ? 石鎚山法起坊(いしづきやまほうきぼう)……いいえ、役小角(えんのおづの)さん♪」

 

 柘榴はその正体を看破すると、軽薄な笑みを浮かべる。

 

「愛弟子の危機には即参上。でも失敗作は無言で放置、ですか……冷たいですねぇ。これはおばあちゃんも絶望するワケだ。……所詮、その程度の正義なんでしょう? 身内贔屓しないと繋いでいけないような極端な思想……そんなもの、滅んでしまったほうが世のためだと思いませんか?」

 

 柘榴はベェーと、蛇のように長い舌を垂らす。

 そしてその半顔を醜悪な鬼のものに変えた。

 

「貴方が、私たちを生んだんですよ? オラ、自分のケツぐらい自分で拭けよ糞ジジィ。それとも、弟子の介護がなかったらなんにもできねぇか? ……クククッ、ハハハっ!! 哀れだなぁ!! アンタもそのチンチクリンも!! 何が最強の鬼狩りだ!! 調子に乗んなよ劣等種族共!! お前らはただの狂った道化師だよ!! 二人揃って仲良く愉快なワルツでも踊っとけばいいのさ!! アッハッハ!!」

 

 喉の奥が見えるほどの哄笑を上げる柘榴。

 

 祖母の師匠、全ての元凶と言っても過言ではない相手。

 彼が間違えなければ祖母は狂わなかった。

 彼がしっかりとケジメをつけていれば、自分のような存在は生まれてこなかった。

 お前は救えない馬鹿だと、どうしようもない偽善者だと、これみよがしに糾弾する。

 

(あぁ、いいわぁ〜っっ。さいっこー♪)

 

 なんと気持ちのいい事か……

 柘榴は絶頂に匹敵する快感を覚えていた。

 ここまで人をこき下ろせる機会など滅多にない。

 

 正直なところ、役小角の事などどうでもいい。

 どうとも思っていない。

 

 しかし、だからこそだ。

 

 自分を意識しているであろう相手を大義名分の元にこき下ろす。

 これが堪らない。

 本当にイッてしまいそうになる。

 

 柘榴はゲラゲラと下品に笑っていた。

 

 コレが彼女の本質。鬼本来の心の在り方。

 弱者に微塵も容赦なく、路傍の石くらいの認識しかない。

 故にいくらでも蔑み、貶められる。

 

 しかしその笑みが、唐突に凍りついた。

 

 彼女の視線の先には、霊域で守護されている野ばらがいた。

 その肉体は時間の巻き戻しのように治っている。

 引き裂かれた和ゴスの着物も、その優美さを取り戻していた。

 ほどなくしたら目を覚ますだろう。

 

 問題はそこではない。

 

「オイ……テメェ、「何処」に接続してやがる……?」

 

 その声は震えていた。

 彼女にとって、信じられない事が起こっているのだろう。

 

 突如、異様な音を立てて柘榴の額に極太の血管が浮き上がった。同時に2本の角が肥大化する。

 紅色に輝く瞳が縦に裂け、爬虫類のような瞳孔が露わになる。

 幼い美貌が憤怒に歪み、耳元まで口が裂けた。

 

 彼女はバリバリッと音を立てて歯を噛み潰すと、信じられない声量の怒声を張り上げる。

 

「ッッッッざっけんじゃねぇぞ仙人崩れの糞ジジィがァァァァッッ!!!! そこに至らせるのはまだ早ぇだろうがァァァァッッ!!!! わ、わたっ、わたわた、わたしですら至ってないのにぃぃぃぃッッ!!!! わたしより先にあの御方の若き日の姿を目にするなんて!!!! そんな事が許される筈ねぇだろうがヨォォォォッッ!!!!」

 

 狂った様に咆哮し、全身から殺意と憎悪を撒き散らす。

 結い上げていた黒髪を乱雑に掻きむしり、血涙を流しながらとんでもない威力の地団駄を踏む。

 その顔面は真っ赤に染まり、吹き出す汗すら血の色をしていた。

 

「やめろ!! やめろやめろォ!! 小便臭い劣等種共どもが、そこに汚い土足で踏み込むんじゃねぇぇぇぇッッ!!!! アアアアアッッ、なんて事してくれやがる!!!! クソ!! クソクソクソ!!!! クソったれェェェェっっ!!!! 糞にたかる便所虫以下の存在がァァァァッッ!!!!」

 

 聞くに堪えない、下劣な悪態を吐く怒鬼がそこにいた。

 髪を振り乱し、頭を激しく振り、憎悪を撒き散らす。

 叫び声だけで空気が震え、噴き出す怒りが熱風となって砂塵を焼き尽くす。

 

 あまりの衝撃に、死音もバランスを崩してしまうほどだった。

 なんとか態勢を立て直しながら、彼女は考える。

 

(詳しくはわからないけど……野ばらの精神体は今別の所にある。その場所に野ばらが至った事が、この子の逆鱗に触れた? ……全くどうして、わからない事だらけだけど)

 

 死音は魔弦のエレキギターを携える。

 ボディー部分に紫電が走り、莫大な魔力が増蓄された。

 

「今がチャンスって事かしら?」

「アア゙?」

 

 死音の発言に柘榴がいち早く反応した。

 彼女は苛立ちを抑えるように何度も、何度も自分の指の骨を砕く。

 ボキボキと、片手で器用に、指の骨を一本一本砕いていく。

 

 彼女は喉から突き出る唸り声をかろうじて飲み込み、死音に告げた。

 

「ア゙ーッ、いやー、すいませんね……予定変更です。貴女を殺すのは後回しにするんで、とりあえずそこ退いてくれません? その糞虫共やれないんで」

「退いてと言われて素直に退くと思っているの? それと貴女……酷い顔よ。鏡で一度確認してみたら?」

 

 死音の挑発に、柘榴はビクリと肩を揺らした。

 

「……アーアー、くそだよ、クソ。マジでクソ。アンタら、クソ以下のゴミ虫共だよ。……いいからサッサと消えろよ」

 

 声のトーンが変わった。

 

 柘榴は解けた黒髪を掻きあげ、死音を睨みつける。

 その顔は、無。まるで能面の様な無機質だった。

 

 生き物は、怒りや恨みが一定値を超えると表情に出さなくなる。

 表情に出す労力すら惜しいと思ってしまうのだ。

 怒りを通り越して、最早絶対零度。

 

 もういい。コイツは殺すから。すぐに殺すから。

 これ以上、感情を表に出さなくていい。

 

 生物として一種合理性が働く瞬間である。

 

 死音はこの状況を好機だと思っていた。

 この状態の柘榴であればいくらか対処のしようがある。

 先ほどまでの状態はどうしようもなかった。

 心にゆとりを持った化け物を倒すのは苦労する。

 今の方が何倍もマシだ。

 

 目の前の怪物は、まさしく『嫉妬に狂った女』なのだから──

 

 と言っても、勝てるかどうかはまた別の話。

 確かに制御しやすくなったが、彼女はまだ底を見せていない。怒りでストッパーも外れている。

 少しでも油断すれば、死は確定する。

 

 ハイリスクハイリターン……一種の賭けだった。

 

 しかし、強敵を相手にリスクを背負わず勝つなど甘えが過ぎる。

 死の危険を伴う事で、はじめて強敵と渡り合う事ができるのだ。

 

 命を懸ける。死を覚悟する。

 それは、決して無謀などではない。

 強敵に勝つための、最低限の心の持ち方だ。

 

 何より、死音には希望があった。

 背後にいる相棒。彼女なら、絶対に切り札を持って帰ってきてくれると。

 そう信じているからこそ、全力で戦える。

 

 死音は魔弦のエレキギターを掻き鳴らし、一瞬で調子を整える。

 指先で尖んがり帽子のつばを上げると、両足を広げて演奏の体勢に入った。

 呼吸を整え、両眼を固く閉じる。

 既に彼女の頭の中では、退魔の調べが出来上がっていた。

 

 突如として、カッと両眼を見開く。

 

「さぁ、Show Timeよ。哀れな鬼のお姫様……わたしの奏でる音色を、その脳髄に焼き付けなさい。言っておくけど、音虐の調べは泣き叫ぶほど痛いわよ?」

 

 死音の浮かべる笑みは冷たく、美しく、しかし妖艶で……柘榴を挑発するには十分過ぎる材料だった。

 

 

 ◆◆

 

 

「ん……接続が妨害されてるな。思ったより時間がねぇみたいだ」

「?」

 

 ところ変わって阿頼耶識の中で。

 大和は透き通る青空を見ながら顎をさすった。

 

 唐突だったので、野ばらは首を傾げる。

 

「お前が対峙してるであろう存在が、阿頼耶識との接続を妨害してるのさ。……中々どうして、厄介な奴を相手にしているな」

「……私の戦っている相手までわかるの?」

「さぁ、そこまで便利な空間じゃねぇよ。ここは。これは単純な俺の経験則。お前の実力と経歴、天狗の小僧の助力。その他、色々な情報を組み合わせて、それっぽい答えを導き出したのさ」

「なるほど……」

 

 野ばらは納得するが、やはり違和感を覚える。

 彼がどうしても大和だと思えない。

 似ているだけの別人と言われた方がまだ納得できる。

 

 それほどまでに澄んだ気を放っているのだ。

 思惑や本性などはいくらでも誤魔化せる。

 が、体から滲み出る気は誤魔化せない。

 

 そんな彼女の心境を読んでか、大和は言った。

 

「疑問に思ってるな? まぁ、その疑問が何なのか、あえて聞かねぇ。今は時間がねぇ。……一問一答だ。お前が聞きたい事を何でも一つ、答えてやる」

「……」

「慎重に選べよ。俺が知りうる限り、どんな事でも答えてやる。ただし一度きりだ」

「……なら」

 

 野ばらは迷わず聞く。

 

「過去と現在の貴方の違いを教えて欲しいわ」

 

 その問いに、大和は灰色の眼を丸めた。

 

「本当にそんなんでいいのか? もっと考える事をオススメするぜ」

「いいのよ。私は鬼狩り。鬼を狩る際に必要な情報しかいらない。でも、これは別よ。私は、もっと貴方を知らなければならない。世界最古の鬼狩りである貴方の、真実を。それは、私たちの根源に繋がっている筈だから」

「……ふむ」

 

 野ばらから向けられる力強い眼差しに確固たる意思を感じた大和は、どうするかと腕を組む。

 次にはやれやれと肩を竦めた。

 

「わかった。なら話そう……しかし、現世の俺と此処の俺は殆ど別人だ。それでも構わないな?」

「構わないわ」

「そうか」

 

 大和は不意に、何もない空間から酒の入った徳利を取りだし、口をつける。

 何回か喉を鳴らして酒を飲むと、ゆっくりと話しはじめた。

 

「お前の反応を見る限り、現世の俺は大分尖ってるみてぇだな」

「そうね……酒と女にだらしない。特に女関係は最悪よ。盛った猿のほうがまだマシだわ。そんな彼に惹かれる女たちも大概だけど……。あと、過去に英雄と呼ばれていたとは到底思えないくらい冷酷で残忍ね。たとえ身内でも、邪魔なら簡単に殺す……そんな男よ」

「ハッハッハ!! 散々な言われようだな!! まぁ、その通りなんだろうさ!! 落ち込むなよ未来の俺!!」

「……」

 

 驚く事もなく、悲観する事もなく、ありのままを受け止める。

 その在り方はなるほど、彼らしい。

 未来の彼もまた、どれだけ悪態をつかれても納得し、笑い飛ばしていた。

 

 やはり、同一人物なのだろう。

 

 だからこそ、納得できない。

 目の前の英雄の威風を纏う青年が、何故あそこまで落ちぶれたのか……

 

「で……どうして俺がそうなっちまったのか、と?」

「ええ、興味があるわ。今の貴方が、何故あのようになってしまったのか」

「んー、そうだなぁ。考えられる理由は一つしかねぇなぁ……」

 

 どこか気の抜けた声音。

 しかし次の瞬間、絶対零度の冷たさを帯びた。

 

「人類か神々か、あるいはその両方か……ネメアたちを裏切っただろう?」

「ッッ」

 

 全身に氷水をぶっかけられたような感覚だった。

 大和から溢れ出た殺気が尋常ではない。

 先ほどまで戦っていた柘榴が可愛く見えてしまう。

 明らかに次元が違う。

 

 その証拠に、野ばらは見た。

 黒き鬼神の憤怒の面相を……

 その可視化したオーラはなるほど、現在の大和と共通している。

 

 固まってしまった野ばらを見て、大和は殺気を霧散させる。

 そしてぎごちなく笑った。

 

「すまねぇなぁ……考えただけで殺意が湧いちまった。ま、それだけやっちゃいけねぇ事だったんだが……どうやら、現実になっちまったみてぇだな」

「……」

 

 野ばらは何も言えなかった。

 そう、神話の時代。四大終末論を踏破した事で世界の平和は約束された。

 その平和のために犠牲になった者たちがいた。

 人として当たり前の幸せを捨て者たちだ。

 

 彼らは英雄。

 無辜の民のため、神々のため。あるいは友ため、愛する人のため。

 命を懸けて戦った、本物の勇者たち……

 

 彼等は裏切られてしまった。

 平和な世界になった事で、次の恐怖の対象になってしまったのだ。

 平和な世界を勝ち取れるほどの圧倒的な力は、人類を容易く滅ぼせてしまう。

 全知全能の神々すら、例外ではない。

 

 それが当時の英雄、超越者たち。

 

 人類と神々は彼等を突き放した。

 役目は果たした、だからもう必要ないと……

 

「少し考えればわかる事だった。……だがそれでも、俺は信じたかった。アイツらが報われる刹那を。幸せになる未来を」

 

 大和は彼等の隣で戦い続けてきた。

 その勇気を、愛を、誰よりも近くで見てきた。

 だからこそ……

 

「裏切るなんて許さねぇ。認めねぇ。たとえ神々がそう法を定めたとしても、俺だけは絶対に認めねぇ」

 

 大和は吐き捨てる。

 ぶつける場所のない怒りを抱きながら。

 

「善なる者には幸福を、悪なる者には不幸を。そうあれと願い、望み、善悪の概念を敷いたのは人間だろう? それを認めたのは神々だろう? なのに何故その開拓者である英雄たちを裏切った? 都合が悪いからか? それとも、その力が怖いからか?」

 

 本当に疑問を抱いているのだろう。

 やるせない気持ち以上に、困惑の念が色濃く出ている。

 

 そう、彼にはわからない。

 人間の弱さを、愚かさを、理解できない。

 

 大和が人間という生き物を真に理解する事は未来永劫ない。

 

「そんな未来を辿っちまった以上、どうする事もできねぇ。……だがこれだけは言わせてくれ。俺は人類や神々のために戦ったんじゃねぇ。アイツら(英雄)という尊い光を守るために戦ったんだ」

 

 それが、大和という男の真実。

 人類の守護者でも、世界の救世主でもない。

 英雄という存在を守るために戦った、一人の男の生き様。

 

「俺は所詮、人の皮を被った獣だ。女を抱き、酒を飲み、命を懸けた殺し合いに満足する。満足しちまう……これを獣と例えずになんと例える?」

 

 だからこそ憧れた、敬った。

 そう言う大和は、まるでヒーローに憧れる子供のような顔をした。

 

「自分にできない事をする、そんなアイツらが眩しかった。その在り方を、心から尊いと思った。俺が唯一好意を抱ける人間の在り方だった」

 

 そこまで言って、大和は鼻で笑う。

 誰でもない、自分自身に対して。

 

「人の皮を被った獣……それが俺だ。だとすると、現世の俺は人の皮すら被ってないただの畜生だな。ぺらっぺらの薄皮一枚……それがどれだけ重要なのか、お前にならわかるだろう?」

「……ええ、今ならわかるわ」

 

 何も変わっていない。

 大和は、何も変わっていない。

 変わったのは人類と神々だ。

 

 この飄々とした英雄の本性を暴いてしまったのは、過去の自分たちなのだ。

 

「人の皮を剥いだのはお前たちだ。……くれぐれも忘れるなよ」

「肝に銘じておくわ」

 

 現に、その灰色の三白眼に宿る冷たい輝きは変わっていない。

 彼は、最初からそういう視点で人間を見ていた。

 

 何を勘違いしたのか、過去の人間は……

 当たり前の事をしていれば、こうはならなかった。

 この獣は人間の皮を被ったまま、ひっそりと死んでいた筈だ。

 誰も真実を知る事なく、歴史の中の偉人として、綺麗な姿で語り継がれていった筈だ。

 

 もう、全てが手遅れである。

 

 やるせない気持ちを抱いている野ばら。

 その複雑な表情を見て、大和は思わず苦笑した。

 

「お前もまた、俺の憧れる英雄(輝き)の一人だ。野ばら……可憐でありながら美しい、悪鬼を断つ一輪の花よ。お前に俺みたいな存在は必要ないだろう。その強い心、気高き信念……尊敬に値する。救うなど、おこがましい話だ」

「……いいえ、そんな事はないわ。貴方みたいな存在がもしも私の時代にいたら、あの子は……きっと道を間違えなかった」

 

 野ばらの脳裏に浮かぶ、妹弟子の横顔……

 彼女を救えなかった事を、野ばらはやはり後悔していた。

 

 所詮、自身は鬼狩り。鬼を狩ることしかできない。

 被害者を救える時もあるが、その殆どが手遅れの状態から始まる。

 

 それに比べて、彼は紛れもない英雄だった。

 たとえ本性が獣だったとしても……

 人類を救い、世界を救い、何より救いたいものを救った。

 

 野ばらは真摯に頭を下げる。

 

「ありがとう、古の英雄。誇り高い獣。貴方の口から真実が聞けて、嬉しいわ」

「……そうか。そりゃあ、何よりだ」

 

 大和は最初こそ驚いていたが、次には優しく微笑む。

 それを見て、野ばらは思わずにはいられない。

 

 彼を、いいや、彼等を裏切った当時の人間たちは、どれほど愚かだったのだろうか。

 きっと、目も当てられないほど醜悪だったに違いない。

 人間とは、時に鬼よりも醜悪になるものだ。

 

 物思いに耽っている彼女に、大和は告げる。

 

「有意義な時間だった。本当はもう少し話したいんだが、時間だな」

「……今度は、私から会いに来るわ」

 

 意外な言葉に、大和は目を丸めた。

 

「そうか……なら期待してるぜ。ここは暇なんだよ」

「ええ。もっと修業を積んで、必ず」

「……あんま、無茶すんなよ」

 

 向けられる笑みは柔らかく、温かい。

 本当に心配されているのがわかる。

 野ばらはぎこちない笑みを返した。

 精一杯の笑みだった。

 

 大和は別れ際に告げる。

 

「目を覚ましたらすぐに戦闘がはじまるだろう。だから忘れるな。此処にやって来た事を。お前の肉体は鬼狩りとして既に完成している。後は技を出せばいい。そしたら、どんな鬼にも負けねぇ」

「技……?」

「俺が当時、死にもの狂いで編み出した鬼狩りの技だよ。お前の頭に知識の一つとして入れておいた。後は実践するだけだ」

 

 野ばらは彼に聞く。

 

「その技の名前は?」

「ああ、そうだったな。その技の名は──」

 

 伝えられる、鬼狩りの原点にして頂点の技の名前。

 野ばらは頷き、そして微笑んだ。

 今度は自然と出た、柔らかい笑みだった。

 

「ありがとう……行ってくる」

「おう、行ってこい。……お前は、お前の為すべき事を為せ」

「ええ」

 

 野ばらは頷き、背中を向けて歩き出す。

 

 もう何も怖くない。負ける気がしない。

 今なら、どんな鬼にでも勝てる。

 

 何故なら、英雄を愛した男から応援されているからだ。

 これほど心強いものはない。

 

 爽やかな風に後押され、野ばらは歩を進める。

 その小さくも頼り甲斐のある背中を、大和は優しい眼差しで見送った。

 

 ふと、空を見上げる。

 入道雲の浮かぶ、夏の快晴の空だ。

 

「英雄たちに幸あれ……お前たちの幸福を、心から願っているよ」

 

 その願いは、野ばらですら感銘を受けるほど純粋で、美しいものだった。

 

 



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九話「決着」

 

 

 中央区に激震が奔った。

 余波で分厚い曇天が裂け、突発的な天変地異が発生する。

 震度七を超える地震が絶え間なく起こり、地盤どころか地層にも深刻なダメージが刻まれる。

 爆風で高層ビル群がドミノ倒しの要領で倒れていく中、破邪鬼滅の旋律が雷鳴と共に轟き唸りを上げた。

 

「悪鬼滅殺・諸行無常……『涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)不動明神(アチャラナータ)』」

 

 それは天変地異の召喚。星と共に奏でる破邪顕正の調べである。

 局地的な大地震。割れた地面から高圧電流がスパークし、結果紅炎(プロミネンス)を発生させる。太陽フレア並みの大爆発は数千万度の業火をもってして「対象」を焼き尽くす──筈だった。

 

「神魔斬殺──不知火の型、魔人狩り」

 

 放たれたのは巨大過ぎる斬月波。中央区を両断できてしまうほどの巨大な一撃は、しかし本来なら鬼神を滅ぼすための技の筈だ。

 

 彼女は、いいや彼女たちは、三代に渡って鬼狩りの技を(みなごろし)の技へと変えていったのだ。

 

 異世界の鬼狩り──死音(しおん)は幾重にも障壁を展開してこの技を耐えている。

 砕けた地盤は更に砕け散り、辺りの大地を隆起させる。しかし鬼神すら上回る膂力には意味がなく──多重に展開された障壁は全て両断され、死音の得物であるエレキギターごと右腕が斬り飛ばされた。

 衝撃で大地が流動し、まるで隕石の衝突時の様な破滅的エネルギーが辺り一帯を覆い尽くす。

 

 時間をかけて大量の土煙が晴れると、中心地には全身から血を噴き出す死音と魔縁の邪姫──柘榴(ざくろ)がいた。

 

 死音は明らかに重症だった。鍔広の魔女帽子はどこかに吹き飛び、濡羽色の長髪も、コルセットもロングスカートも血と泥で汚れている。

 深い蒼をたたえるマントはズタズタに引き裂かれていた。

 しかも、その双眸は固く閉じられている。

 柘榴の攻撃により、両眼から光が失われていた。

 

 対照的に柘榴は傷一つ負っていなかった。

 いいや──ダメージは受けている。受けているが、まるで時間の巻き戻しの様な超回復によって無かったことにしている。

 脳みそが鼓膜ごと溶かされていたが、ビキビキと眉間に特大の青筋を立てて回復している。

 その顔は醜悪な悪鬼のものへと変わっていた。

 

 彼女は手に持っている死音の右腕を見つめる。

 すると、耳まで避けた口に放り込んだ。バリバリ、ゴリュゴリュと、骨まで噛み砕いて飲み込むと、プッ! と残ったラバー製の長手袋を下品に吐き捨てる。

 

「マッズ……まだ脂ぎったデブの肉のほうが美味いわ」

 

 そう言って、柘榴はパッと花が咲いたように笑った。瞬間、見惚れるほどの美少女に戻る。

 先ほどまで筋肉で隆起していてわからなかったが、絢爛豪華な着物を大胆に着崩していた。紅桜の花びらを散らした、黒を基調とした和ゴススタイルである。

 左側の袖は肩まで剥き出しになっており、レースの長手袋に包まれている。

 年齢は十代半ばか後半ほど。ミディアムな長さの黒髪はかんざしで綺麗に束ねてあり、幼さを残した顔つき。雪の様に白い肌。紅がさした頬に桜貝の様な唇。

 醜悪な悪鬼の面はどこへ行ったのやら……

 スラリと伸びた足はか細く、柔らかな肉付きをしていた。

 丸太の様な筋肉質な足はどこにもない。

 

 彼女は履いてる一本歯下駄……通称天狗下駄をカランカランと鳴らして、倒れ伏す死音の前までやってきた。

 そして腰を折り、柔和に微笑む。

 

「やりますね、貴女♪ まさか脳を溶かされるなんて思ってもみませんでした♪」

 

 柘榴は次に、卑しく紅色の目を細める。

 

「あと、私の攻撃を全てギリギリで躱してましたね? 私の攻撃パターン……呼吸を曲にして編んだのかな? いやーすごいすごい♪ 流石異世界の鬼狩りさん♪ 想像以上でしたよ♪」

 

 柘榴はおもむろに瀕死の死音の頭を掴む。

 そして思い切り地面に打ち付けた。

 地面が陥没し、ひび割れる。

 柘榴の腕は肩にかけて、まるで鬼の様に筋肉が束になって盛り上がっていた。

 

「まぁ、想定内だったけどなァ♪ 小手先頼りの雑魚が、手こずらせやがって♪」

 

 柘榴は血まみれになった死音の顔を一本歯下駄の歯で蹴り飛ばす。

 瓦礫を巻き上げて飛んでいった死音は、そのまま高層ビルの残骸に叩きつけられた。

 死音は地面を転がるものの、震えながら起き上がり、折れた鼻をボキボキと鳴らして元に戻す。

 

 そんな彼女に、土煙を纏った童姿の大魔縁が歩み寄ってきていた。

 

「テメェをプチッと潰した後に出来損ないのクソ虫も潰す。それで今回の話はめでたく終了だ。だから、なァ……そのクセェ口から、せめて心地良い悲鳴でも上げてみせろや。仮にも音楽家だろう? 鬼の好みもわかんねぇのか」

 

 ゴリゴリと、異様な音を立てて肥大化した肩を回しながら歩いてくる柘榴。その面は醜悪な悪鬼のものに変わっていた。

 

「醜いわね……」

「ハァ?」

 

 死音の呟きを柘榴は聞き逃さなかった。

 死音は血だらけでボロボロになった顔を上げて、柘榴を見下す。

 その目に、既に光はない筈なのに──

 

「醜い、と言ったのよ。鬼さん」

「…………」

 

 彼女は耳で感じ取っていた。

 目の前の狂獣と化した鬼の姿を──

 柘榴は鋭利になった指先で側頭部をゴリゴリとほじくり返す。

 

「鬼狩りってのは、どいつもこいつも私を不快にさせる。殺した久世の奴らも、あのクソ虫も、テメェも、全員そうだ。……生きてるだけで私を不快にさせる」

「それは光栄ね」

 

 

「だから死ね」

 

 

 

 柘榴の仕込み刀が音もなく死音の眼前に現れる。

 このままでは死音は唐竹割りにされる。

 それでも死音は不敵に笑っていた。その笑顔が眩い刀身に写し出される。

 死音はそのまま両断される──筈だった。

 

 金属同士が食い合い潰れる音が響き渡る。

 

 弾き飛ばされる柘榴。盲目の死音は小さい、しかし頼りになる背中を感じ取った。

 待った甲斐があったと、ため息を吐く。

 

「…………こんのッッ」

 

 柘榴は爬虫類のような眼を見開き、仇敵を睨みつける。

 

 黒薔薇を散らした、赤を基調とした和ゴススタイル。黒髪は青い花飾りでサイドテールに束ねてあり、右側の袖は肩まで剥き出しでレースの長手袋に包まれている。スエードの黒いニーハイブーツが特徴的だ。

 

 彼女──野ばらは、振り返らずに死音に告げた。

 

「ありがとう。もう大丈夫よ。……もう、負けない」

「……そう」

 

 死音は柔らかな笑みを浮かべると、そのまま崩れ落ちる。

 気絶した彼女を庇うように、野ばらは仇敵を睨みつけた。

 

 

 ◆◆

 

 

 恋する乙女というのは野生動物並に敏感な生き物だ。

 現に柘榴は野ばらの体から狂酔する男の芳香を嗅ぎ取り、目玉が飛び出ん限りに彼女を睨みつける。

 

「百歩……いいや千歩譲って、鬼狩り共はどうでもいい。何時でも潰せるウジ虫共だ。ワラワラ湧いて出てきても、その度に潰して回ればいい。だがなァ……ッッッッ」

 

 突如として水蒸気爆発が起こる。

 溢れんばかりの殺意と憎悪が柘榴の身体から水蒸気として溢れ出たのだ。

 

 メギメギと異様な音を立てて肥大化する二本の角。

 縦に裂けた爬虫類のような瞳孔は野ばらを真っ直ぐ捉えており、紅色の瞳は途轍もない激情によって光り輝いている。

 

 幼い美貌の面影などどこにもない──

 

 耳元まで裂けた口。刃物のような乱杭歯。異様なまでに肥大化した全身の筋肉。

 

 鬼がいた。

 

 彼女は歯を噛み潰しながら、呪詛の言霊を吐き散らす。

 

「テメェは駄目だッッ。今殺す。必ず殺す……ッッ!! その芳香はなァ!!!! テメェみてぇな鬼狩りしか脳のねぇ欠陥品のメスが纏っていいもんじゃねぇんだよ!!!! テメェがさっきまで会ってたであろう人はなァ!!!! テメェみてぇな超越者に毛が生えた程度のクソ雑魚が目にしていい御方じゃねぇんだよ!!!! それを……ッッ!!!! それをそれを……ッッ!!!! こんの腐れアバズレがァァァァっっ!!!! 時代遅れのロートル品の癖によォォォォッッ!!!!」

 

 柘榴は叫びながら前傾姿勢になると、丸太のような太ももを更に肥大化させる。

 そして瞬間的に野ばらに飛びかかった。

 光速を優に超える速度だったが、野ばらは難なく弾き飛ばし、突撃──鍔迫りに突入する。

 

 態勢を崩した柘榴だったが、有り余る膂力で押し返した。

 野ばらは回転し、威力を殺す。

 そして揺るぎない信念のこもった眼で柘榴を見つめた。

 その耳に、聞くに耐えない悪鬼の罵詈雑言は入っていない。

 ただただ、目の前の鬼を狩ることに集中している。

 

 全ての力、全ての意識を、柘榴という一匹の鬼を狩ることに費やしている。

 

 その身に風が纏う。

 その風は英雄を愛した獣──古の英雄の残滓だった。

 

「ふざけんじゃねぇェェェェッッ!!!!」

 

 柘榴は怒りに任せて乱斬りを放つ。

 激情のままに振るわれた剣には、しかし確かな技術があった。

 一度の抜刀で七つ煌めいた斬線──野ばらはそれを全て打ち払う。

 そして柘榴を蹴り飛ばした。

 残った高層ビル群を薙ぎ倒しながら吹き飛ぶ柘榴を追走しながら左手で鬼狩りの抜刀を放つ。

 柘榴も応戦し、二人は横並びに走りながら剣戟を交える。

 瓦礫が吹き飛び、余波でバラバラに斬り刻まれ、所々で爆発が起こる。

 柘榴は番傘で野ばらを弾き飛ばして無理やり遠ざけると、目をこれでもかと剥いた。

 

(ありえねぇ!!!! 膂力技術才能、神通力に至るまで、全て私が圧倒的に勝ってる筈だ!!!!)

 

 膂力は勿論、才能も上。神通力の理解も、柘榴のほうが遥かに高い。

 柘榴が必要以上に狼狽えている理由は別にあった。

 

(私の剣技はおばあちゃんから三代に渡って編み出した鬼狩りの剣技の派生──鬼狩り殺しの剣だぞ!!? それなのに、何であのチンチクリンは互角に打ち合える!!!!)

 

 土煙を吹き飛ばして野ばらが現れる。

 唐竹割りを繰り出した彼女に併せて、柘榴も渾身の打ち上げを放った。

 曇天が割れ、大地が流動する。衝撃で魔界都市が揺れる。

 

 柘榴は試しに、今の野ばらでも絶対に反応できない技を放った。

 

 雪月花(せつげつか)無惨(むざん)

 

 鬼狩りの必殺技。雪月花の亜種。表でも裏でもない、柘榴たちが編み出した異端の剣技。

 それは歴戦の鬼狩り殺し。雪月花の表も裏も知っている者に刺さる技。

 雪月花の太刀筋でありなから、鬼の膂力と反射神経を用いて滅多斬りにする。

 

 野ばらには初めて見せた。対応できる筈がない。

 しかし野ばらはその全てを打ち返してみせた。

 それどころか回し蹴りで反撃してみせる。

 攻撃後の隙により、柘榴は番傘で受けるしかなかった。

 しかし予想よりも何十倍も威力が高く、柘榴の右腕が宙に放り投げられる。

 斬光煌めく。野ばらの必殺の鬼首落としを、柘榴は乱杭歯で無理やり噛み潰し防いだ。

 直後に番傘同士をぶつけ合い距離を取る。

 

 ユラリと、幽鬼のように柘榴は揺れた。

 真相を掴んだのだ。

 

(合気、操身法……全部あの人の技だ。何より、私の剣技と互角に打ち合えてる理由……私を殺すための剣技を「今」編み出しやがったなァ……ッッ。私という鬼を殺すためだけの剣を即行で構築しやがったなァァ……ッッ)

 

 特注(オーダーメイド)

 

 相手の技術や癖、性質などを見極めて即興で「対○○用武術」を編み出す技。

 柘榴のいうあの人──大和の十八番だ。

 

 柘榴の額にビキビキと音を立てて特大の青筋が浮かび上がる。

 

「ざけんな……ッッ、ざっけんなよ出来損ないがァァァァッッ!!!! テメェがあの人の真似なんて、できるワケがねぇだろうがよォォォォッッ!!!!」

 

 叫び声は熱波となって砂塵を燃やす。

 

 ──正確にいえば、真似ではない。

 使っているだけだ。

 柘榴を殺すために必要な技術なので使っているだけだ。

 

 野ばらの真骨頂とは、鬼を狩るためならどんな手段も用いること──

 

 たとえ嫌悪している男の技であろうと、使えるなら使う。

 それが野ばらという鬼狩りだ。

 

 ──いいや、正確には違う。

 

 現に、彼女は薄く笑っていた。

 感じているのだ。吹き抜ける清らかな風を。

 英雄の隣で戦い続けた、誇り高い獣の意思を。

 

 負ける気がしない。

 勝てる気しかしない。

 

 自信に満ちたその表情が、柘榴の逆鱗を撫で上げる。

 挑発には十分過ぎる内容だった。

 

 柘榴は言葉になってない叫び声を上げながら野ばらに飛びかかった。

 最早獣に成り果てていた。

 

 一秒でも早く殺したい、抹消したいと、鬼狩り殺しの剛剣が振るわれる。

 対して野ばらは鬼狩り殺し殺しの剣を、まるで舞でも舞うかのように振るう。

 

 両者は対照的だった。

 悠々としている野ばらと必死な柘榴──

 奇しくも、少し前の二人と真逆だった。

 

 野ばらは音を立てて二酸化炭素を吐き出す。

 鋼鉄の肺でめいっぱい酸素を取り込み、体中に力を漲らせる。

 無色透明だった霊力には、今は微かな真紅の色合いが混じっていた。

 

 両者、距離を詰めて何度目かわからない斬り合いに突入する。

 互いに一歩も引かず、また有利な位置を譲らない。

 だからこそ限られた空間で斬り合いながら回り続ける。

 

「シィィィィィ……ッッ!!!!」

「ァァァァァァッッッッ!!!!」

 

 柘榴は鬼狩り殺しの剣技と大和の武術を複合させる。

 対して野ばらは鬼狩り殺し殺しの剣技ではなく「柘榴殺し」の剣技を即行で構築して打ち合う。

 

 力と技、狂愛と信念、憤怒と決意。

 相反するもののぶつかり合いは、魔界都市全土に大地震を発生させた。

 超越者同士の本気のぶつかり合い──それもただの超越者たちではない。世界最強の残滓を纏う者たちのぶつかり合いである。

 

「アアアアアアアアッッッッ!!!!」 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッ!!!!」

 

 流石の規模に黄金祭壇の魔導師たちが反応した。

 すぐさま超高密度多重障壁を展開し、現場を隔離する。そうでもしなければ魔界都市のみならず表世界にも被害が出ていた。

 

 斬線が夜空に輝く天の川のように煌めく。

 幾億幾兆もの斬撃は、しかし過去のものであり、現在進行系で二人は斬り合っている。

 互いに一撃も受けていない。実力が拮抗し過ぎている。

 

 先に体力が切れるのは野ばらだった。

 如何に超越者になったとはいえ、元は人間。鬼人の超越者である柘榴に体力では敵わない。

 

 野ばらは賭けに出た。

 鞘である番傘を投げ捨て柘榴を無理やり掴み寄せる。右腕を犠牲にして決着を付けようとしているのだ。

 

「テメェら鬼狩りの常套手段だ!!!! 腕なんぞくれてやるってか!!? 引っかかるかバーカ!!!!」

 

 柘榴も番傘を捨てて右腕を掴む。そして何もできないようにした。

 互いに目と鼻の先──こうなれば膂力勝負だ。

 柘榴は「勝った」とほくそ笑む。

 

「くれてやらないわよ。貴女にあげるものなんて何一つない」

 

 野ばらは柘榴を片手で持ち上げた。

 あり得ない。柘榴は目を丸める。

 それが合気による力の操作だと分かった時には、既に顔面に膝蹴りを食らっていた。

 吹き飛ばされた柘榴。だがすぐに瓦礫を蹴り上げて現れる。その顔には傷一つ無い。

 

「!!」

 

 柘榴にとって致命的な距離に野ばらがいた。

 必殺の間合いだった。

 現に野ばらは腰を落とし、全集中の姿勢に入っている。

 

 右手に無かった筈の番傘には既に仕込み刀が収まっており、途轍もない霊力と妖刀の魔力が漲っていた。

 

 準備をさせる暇すら与えなかった筈だ──

 柘榴はそう思いながら、瞬時に答えを導き出す。

 

神足通(じんそくつう)かァ……!!」

 

 自由自在に、自分の思う場所に思う姿で行き来できる力。飛行や水面歩行、壁歩き、すり抜けなどをし得る力。

 六神通、最初の力だ。

 

 天狗の化身となった野ばらが一番得意とする力である。

 

 柘榴は嗤った。

 

「テメェにできることを私ができねぇ筈ねぇだろ!!!!」

 

 柘榴も神足通を用いて必殺の距離に身を置く。

 逆手に持った抜き身の仕込み刀にありったけの呪力と魔素を注ぎ込む。

 そうして乱杭歯をむき出した。

 

「神通力で勝負を決めようとした、それがテメェの敗因だァァァァっっ!!!!」

 

 柘榴は思い切り仕込み刀を振り下ろそうとする。

 しかし、途中で全身の動きを止めた。

 

 愛しき雄の芳香が鼻いっぱいに広がったのだ。

 一瞬で脳内が桃色に染まり、表情を蕩けさせる。

 

「あっ……へぇ? ……はへぇ? ふぁぁッッ♡♡」

 

 今まで残滓でしか嗅いだことのない、恋い焦がれる男の香り。

 柘榴は思わず陶然とする。

 

 その様子を見て、野ばらは鼻で笑った。

 

「貴女、あの人のこと好き過ぎよ。酷い恋煩い……」

 

 野ばらの身から英雄の風が、古の獣の名残が消えていた。

 くれてやったのだ。柘榴の顔面に、直に。

 

 野ばらは柘榴がどれだけ大和を偏愛しているかわかっていた。

 

 他心通(たしんつう)

 他者の考えていることを知る力。

 

 そして宿命通(しゅくみょうつう)

 自己や他人の過去のありさまを知る力。

 

 これによって、柘榴がどれだけ大きく歪んだ感情を大和に向けているのかを知ったのだ。

 

(本当は何もあげたくなかったけど……いいわ、英雄を愛した獣の想いは、私の胸の中にある)

 

 野ばらは目を閉じたかと思うと、カッと見開く。

 

 惚けている柘榴、だが数秒もすれば元に戻るだろう。

 絶好のチャンス、決して逃しはしない。

 

 今あるありったけ、渾身の力を振り絞って放つ。

 それは、最古にして最強の鬼狩りの技──

 

「必殺──八重桜(やえざくら)

 

 それは遥か昔、神話の時代に大和が放った絶技。

 自身の生まれである国を侵略してきた邪龍王ヒュドラ──当時の名前、八岐之大蛇(やまたのおろち)を一撃で沈めた技。

 

 ドラゴンの中でも破格の再生力を誇っていたヒュドラは、たとえ首の一つを落としても死ななかった。

 故に、八つの首を同時に斬り落とす必要があった。

 であれば、八つの首を同時に叩き斬ればいい。ほぼ同時ではなく、時間の束縛を無視して八つの斬撃を同時に放てばいい。

 

 この荒唐無稽な技をもってして、当時の大和はヒュドラを退けた。

 

 今野ばらが放った技は、その派生──

 

 

「銘・鬼丸国綱(おにまるくにつな)

 

 

 その技は、鬼の神であり王、鬼神王「温羅」の首を刎ねた技。

 八つの斬撃を八つの同じ場所に、同時に、正確無比に放つという理外の魔剣である。

 これにより温羅は力を失い封印され、鬼ヶ島は海に沈んだ。

 

 桃太郎伝説、その原典である。

 

 八つの斬線が重なり煌めき柘榴の首を跳ね飛ばす。

 衝撃で天地が避け、曇天が吹き飛んだ。

 見れない筈の快晴が魔界都市を照らし出す。

 

 柘榴の、何が起こったのかわからないといった表情の顔が野ばらの視界に入った。

 そのまま首は転がり、柘榴だった首無しの体は切断面からビュービューと血を噴き出しフラフラと倒れる。

 

「あッ……がッ……!!」

 

 野ばらは過呼吸に陥り、奥歯を噛み締めながら膝から崩れ落ちた。

 超越者となり、義の天狗として覚醒した彼女でも、今の技の反動に耐え切れなかったのだ。

 

 彼女は泥のように溶けていく柘榴の死体を確認すると、そのまま気絶した。

 

 燦々と輝く太陽が徐々に曇天に覆われていく。

 微かに残った光──それは陽溜まりとなって、野ばらを優しく包みこんだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 野ばらから遠く、遠く離れた中央区の片隅で。

 未だ残っている数少ない高層ビルの上に、彼女はいた。

 

 彼女は、先ほど野ばらに斬られた筈だった。

 

「いやー♪ お見事お見事♪ 半分の力しか出せないとはいえ、まさか私の特性肉傀儡が撃破されるとは……大正時代最強の鬼狩りの異名は伊達じゃありませんね♪」

 

 彼女──柘榴は鼻歌交じりに一本歯下駄をカランカランと鳴らす。

 

「正直悔しいですけど……最後のはしてやられました♪ まさかあんな手で止めてくるなんて……ビックリしましたよ♪」

 

 柘榴はまだ微かに残っている香りを嗅ぎ、頬を赤く染めるも──それを払いのける。

 

「でも残念♪ 次はありません♪ だって私が好きなのは、英雄でも誇り高い獣でもない……全てを暴力で捻じ伏せる、最強最悪の魔人ですから♪」

 

 柘榴は嗤う。

 

「だから、少しだけ感謝しますよ♪ 野ばらセンパイ♪ おかげで気付けました♪ ……私が会いたいのは過去の彼ではなく、今の彼だって♪」

 

 そう言って柘榴は反対側──遠くにいる彼を見つめる。

 彼は真紅のマントを靡かせ、哀れな鬼を叩き斬っていた。

 

 灰色の三白眼。神すら嫉妬する美貌。そして褐色の肉体。

 それらをまじまじと見つめ、柘榴はよだれをたらしながら頬に両手を添える。

 そして全身から甘酸っぱい女の香りを発した。

 

「あァ……ぁぁ……♡ 大和さまァ♡ 今の貴方こそ私の理想♡ 私の御主人様に相応しい存在♡ どうか蔑んだ目で私を見て♡ 嬲って、犬のように躾けて♡ 最後には喰らい尽くして、種を付けて♡ 貴女の牝になりたい♡ 貴女の子供を、孕みたい♡」

 

 柘榴は容姿不相応に実った乳房を揉み上げながら、愛しき益荒男を想った。

 

 神魔霊獣を暴力で屈服させる魔人。

 気に入らない存在なら女子供でも容赦なく殺し、欲望のままに生きる。それが許される。許されてしまう、唯一無二の存在。

 闇の英雄王。鬼よりも鬼らしい「黒鬼」。

 

 柘榴は彼に夢中になっていた。

 恋い焦がれ、腹に子を宿したいと常日頃から想っていた。

 

 これは何も、自身のためだけではない。

 

 自分の代で宿願を成就させる。

 祖母の代から受け継いできた思想……怨嗟の鬼を絶やさず、見守り、時に手を貸す必要悪。

 大和との間に産まれる子供は、必ずやソレを成してくれるだろう。

 それどころか、鬼狩りという存在(ゴミども)を根絶やしにしてくれるかもしれない。

 

 もしかしたら神や仏すらも滅ぼし、魔にとっての楽園の創造──地獄の再現を成してくれるかもしれない。

 

 女らしい先を見据えた考えと、大和という圧倒的雄に屈伏したい、孕まされたいという歪んだ願望。そして三代に渡る宿願が混じり合い、狂酔の域に達した柘榴を止められる存在は、最早いない。

 

 いるとすれば、それは未だ覚醒半ばの鬼狩りか、或いは──

 

 何にせよ、だ。

 柘榴は戦意を失った。満足したのだ。

 

 今、彼女の目には世界最強の魔人しか映っていない。

 そして、彼は今──

 

 



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十話「過去と今」

 

 

 一方、裏区に近い路地裏で。

 大和は遥か遠くを見つめて鼻で笑った。

 

「あっちは終わったみてぇだな」

 

 大和は正面に向き直る。

 そして暗い笑みをこぼした。

 

「で──テメェは何時になったら死ぬ? 何時になったら成仏するんだ? いい加減にしねぇと……魂まで消し飛ばすぞ」

 

 大和の見つめる先では怨嗟の鬼──卓也が、縦半分に裂けた状態から回復していた。

 ギチギチと嫌な音を立てて肉同士が絡み合い、骨もくっつく。

 少しして内臓も元通りなった卓也は、先ほどと同様暴れ始めた。

 

 大和は鬱陶しいとばかりにそのデカい面を掴み、地面に叩き付けた。

 

 

 ◆◆

 

 

「タイムリミットだ」

 

 冷酷無残に告げて、空いてる拳にありったけの闘気を込める。

 暴走する術式? 異様な回復力? 関係ない。大和からすれば──

 有形無形関係なく一切合切滅ぼす破滅の光が輝く。

 

「……!」

 

 大和は飛び退いた。

 怨嗟の鬼は暴れながら立ち上がると、天に轟かんばかりの咆哮を上げる。

 

 それは、悲しみからくるものだった。

 

 現に怨嗟の鬼は──卓也は、目から血涙を流していた。

 既に意識はない。術式で上書きされている。

 なのに、泣いている。

 魂が泣いているのだ。

 

「……」

 

 大和は卓也の眼を見つめる。

 そして六神通の一つ、他心通(たしんつう)に勝るとも劣らない読心術で卓也の元の人柄を洗い出した。

 

「成る程……他人を殴ったことがない。それどころか殴ろうと思ったことすらない、か」

 

 卓也の性質を理解した大和は、次に鬱陶しげに卓也の後ろを見つめる。

 彼には「あるもの」が見えていた。

 

「…………ハァァ」

 

 大和は大きな、大きなため息を吐くと、卓也を睨みつける。

 

「ラストチャンスだからな」

 

 そう言って、飛びかかってきた卓也の首を大太刀で斬り飛ばした。

 

 

 ◆◆

 

 

 切断面からビュービューと濁った血が噴き出る。

 しかし間を置かずに沸騰でもしているかのように切断面が泡立った。

 回復しているのだ。卓也の意思とは関係なく──

 

 大和は卓也の、筋肉で岩のように隆起した肩を掴む。

 そして言った。

 

「後ろで女が待ってるぞ。そんなんもわからねぇのか」

 

 卓也の動きが止まる。

 回復していた首の断面は恐ろしいほど静かになっていた。

 卓也はゆっくりと背後に向くと、ヨロヨロと、おぼつかない足取りで歩き始める。

 両手を伸ばして、まるで何かを探しているようだった。

 

(瑠美は……瑠美は何処に行ったんだ? こんなに暗くて寒い夜に、一人ぼっちにさせられない……瑠美、瑠美……)

 

『たっ君!! たっ君っ!!』

 

 深く寒い暗闇が晴れたかと思えば、瑠美が涙目で抱きついてきた。

 卓也は朦朧とした意識の中でも彼女の温もりを感じ、安心して抱きしめる。

 

(よかった……瑠美……そうだ、瑠美は大丈夫? あんなに暗くて寒かったのに……)

『大丈夫、大丈夫だよたっ君……っ。もう、大丈夫だからっっ』

 

 瑠美は何故か、ボロボロになるまで泣いていた。

 心配で慌てだす卓也を、彼女は引っ張っていく。

 

『いこう、たっ君っ。あっちの、温かくて明るい場所へ』

(あ、ああ……いや、でも僕は……何か、大切なことを……)

『いいの、たっ君……っ。これ以上は、もういいの。だから、一緒にいこ……?』

 

『…………うん、わかった。瑠美が、そう言うなら』

 

 もう、暗いのも寒いのも懲り懲りだ。

 何か大切なことを忘れている気がする。

 だが、瑠美が傍にいてくれるならどうでもいい。

 

 そう思い始めた卓也を抱きながら、瑠美は温かく明るい場所へ彼を導いていった。

 

 彼女は最後に、褐色肌の美丈夫──大和に深く頭を下げる。

 大和は背を向けると、雑に手を振るった。

 さっさと行けと、言っているようだった。

 

 卓也だった肉体が崩壊をはじめる。

 魂を無くした器は崩壊するのが道理だ。

 

 大和はふと、遥か遠くにある高層ビルの屋上を睨みつける。

 そこには和ゴスを着た可憐で邪悪な美少女が立っていた。

 

「本来ならぶち殺してやるところだが……テメェを殺すのは俺じゃねぇ。鬼狩りの奴らだ」

 

 だから、失せろと中指を立てる。

 美少女──柘榴は顔を真っ赤にすると、舌を出して左手指で輪を作り、右手の人差し指を入れた。

 性交を意味するジェスチャーだ。

 

 すっかり発情している彼女から視線を外した大和は、既に崩れ落ちた卓也だったものを見下ろし、そして天を見上げる。

 

「……」

 

 聖者なら念仏の一つでも唱えるところだが──大和は何も言わない。

 そのまま真紅のマントを靡かせ去っていった。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 三日後、魔界都市は何時も通りの様相を呈していた。

 七色のネオンが不気味に煌めき、分厚い曇天を照らし出している。

 天に届かんばかりの高層ビル群は先の一戦で軒並み倒壊した筈だが、ここは邪神の王を慰める闇の揺り籠──あの程度のことは無かったことにされる。

 そも、魔界都市の有力者たちが更地になった魔界都市など許しはしない。

 その有り余る力をもってして元通りにしてしまう。

 三日もあれば十分だった。

 

 最も、死者ばかりはどうにもならないが──

 今回の死者は軽く十万名を超えた。

 規模的には決して小さくない。現に中央区にある巨大な立体ホログラムに写し出された宇宙人のニュースキャスターが事件の詳細を語っている。

 

 大衆酒場ゲートにて。

 西部開拓時代を彷彿とさせる店内は、今日もあらゆる種族の客人でいっぱいになっていた。

 

 特等席であるカウンター席では褐色肌の美丈夫が寛いでいた。

 エルフやダークエルフ、サキュバスや雪女、獣人や竜人の美女を侍らせ、美味そうに酒を飲んでいる。

 

 彼──大和はすり寄ってくる女たちを可愛がりながら、店主──ネメアに話しかけた。

 

「アイツらにとっては危なかったな」

「ああ、話は聞いてる。鬼狩りの成れの果て……厄介だな」

 

 腕を組んで唸るネメアに、大和は鼻で笑う。

 

「まぁ、死ななかっただけよかったんじゃねぇの?」

「それはそうだが……これから先のことを考えると、どうもな」

 

 鬼狩りの成れの果て──魔縁の姫、柘榴は野ばらと死音にとって宿敵となるだろう。

 直接にしろ、そうでないにしろ、相対する機会は多くなる筈だ。

 

 彼女たちの身を案じているネメアに、大和は言う。

 

「もし本当に心配なら、お前が助ければいい。……だが、アイツらはそれを望むかな?」

「……」

「野暮ってもんだぜ、ネメア。アイツらはそーゆー人種だ。割り切れよ」

 

 大和の、冷たいながらも核心をついている言葉に、ネメアはため息を吐いた。

 

「……そうだな。従業員のプライベートにまで口を出すのは野暮かもしれない」

「そうさ。死んだら天に向かって祈ってやればいい。それで十分だ」

「……まったくどうして、厄介な子たちを雇ったものだ」

「そう言いながら解雇しない辺り、お前も大概だな」

「一度雇ったら最後まで面倒を見る。……例外を除いて、だけどな」

 

 ネメアは大和の前に好物であるブラックラムとチョコレートの盛り合わせを置く。

 大和はサンキューと軽く告げると、チョコを数個口に放り込んだ。

 キスをねだってきた竜人の娘がいたので、桃色の唇を撫でて、貪ろうとする。

 

 すると、背後に和服をアレンジした給仕服を着た美少女が現れた。

 艶のある黒髪のサイドテールが揺れる。

 大和は竜人の娘の額にキスだけ被せて、彼女に振り向いた。

 

「話をしてれば、だ。よう、チンチクリン」

「……相変わらず、女にだらしない男」

「今更だな。相方はどうした?」

「中央区の総合病院に入院してるわ。もっとも、明日には退院するでしょうけど」

「テメェらは超越者の癖に脆すぎる。修行不足だ」

 

 厳しい言葉に、野ばらは何も言えない。

 しかし気になっていることがあるので聞いた。

 

「怨嗟の鬼はどうしたの?」

「勝手に成仏した。叩っ斬ってるうちにな」

「……」

 

 野ばらは目を閉じる。

 ひとまず安心したのだろう。

 そんな彼女に大和は言った。

 

「神通力に目覚めたみたいだな」

「……ええ」

「六神通は今のテメェには余る力だ。普段は封印しとけよ」

「言われなくても」

 

 野ばらは冷たく言うと、次にまじまじと大和を見つめる。

 大和はあえて灰色の三白眼を細めた。

 

「過去の俺と会ったな?」

「!」

「天狗の小僧が阿頼耶識(あらやしき)に接続した。つまりそういうことだ」

「……」

 

 黙る野ばらに、大和は告げる。

 ハッキリと。

 

「過去の俺と今の俺は全くの別もんだ……会ったんならわかるだろう? チンチクリン」

「……ええ、私が改めてお礼を言いたいのは「貴方」じゃない。それがわかったわ」

「そうか。……ま、自惚れずに鍛錬はしておけよ。でないとアッサリ死んじまうからな」

「言われなくても」

 

 野ばらそのまま去っていく。

 彼女は思った。

 

 古の英雄は、誇り高い獣は、今はもういない。

 だったらまた会いに行けばいい。

 改めてお礼を言いたいから。もっと話を聞かせて欲しいから。

 

 今の、人の姿形をした畜生から聞くことなど何もない。

 

 去っていく野ばらの背を見て、大和は鼻で笑った。

 

「……それでいい」

 

 その呟きは、誰にも聞き取れないほど小さなものだった。

 

 

《完》

 

 







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外伝「思春伝」
一話「青春とは」


 

 

 

 東京都、某区にある河川敷にて。季節は春……桜の季節だ。気候は穏やかでそよ風が心地好い。

 

 桜並木の下を歩きながら、少年が地図と現在地を照らし合わせていた。道行く者たちは百花繚乱の桜並木よりも少年の美貌に目を奪われてしまう。

 

 まるで天使の生き写しかの様な、可憐過ぎる容姿をしていた。煌めくプラチナブロンドの髪は小さくポニーテイルに結われており、くりりと丸い碧眼が愛くるしい。

 まつ毛は長く、唇は潤う桜色。

 

 学ランを着ていなければ少女と勘違いしてしまうだろう。いいや……性別など大して問題ではないのかもしれない。

 美の極致とは、性の概念すらも超越するものだ。

 

 小さい身体で、しかししっかりとした足取りで、少年は目的地まで向かう。

 暫くして辿り着いたのは、崖上にある綺麗な校舎だった。

 

 

 ◆◆

 

 

「今日、ここ西条学園に転校してきました。ユリウスです。三年生であるにも関わらず転校してきて、皆さんを不安にさせてしまうことがあるかもしれません。私も細心の注意を払いますので、残り一年、どうかよろしくお願いします」

 

 ペコリと丁寧に頭を下げた金髪の美少年、ユリウス。

 生徒たちは唖然とし、担任の女教諭も見惚れていた。

 

 まるで天使だ……皆、思う事は一緒だった。

 

 そんな中で、

 

「ヒュー! ユリウスヒュー!」

「転校お疲れ様ー!! ほぅらブラザーじゃんじゃん紙吹雪あげるわよー!!」

「任せろシスター!! ヒュー!」

「ユリウスヒュー!」

 

 二人だけ、明らかに違った。

 雑に舞う紙吹雪を見てユリウスは思わず苦笑する。

 我に返った担当教諭はピシャリと告げた。

 

「お前ら、言った通り紙吹雪はちゃんと掃除してから帰れよ」

「「(´・ω・`)」」

「うむ。なら今日のホームルームはここまでとする。皆、放課後だからと居残って彼を困らせるなよ? 質問は明日にしろ。以上、解散!」

 

 生徒たちは暫く放心していたが、各々部活なり帰宅なりで教室から出ていく。

 

 三人以外誰もいなくなった教室。

 ユリウスを置いて、当の兄妹はせっせと掃除していた。

 

「シスター! 紙吹雪作りすぎだっての! 机の裏にも入りこんでんじゃねぇか!」

「馬鹿ねブラザー! 歓迎は盛大にするものよ! ユリウスを少しでも喜ばせるための労力だと思えば、安いものだわ!」

「確かに……!」

 

 別に喜んでないですけど……

 ユリウスは出かけた言葉をのみこんで、掃除用具入れに足を向けた。

 

「お手伝いしますよ。大変でしょう?」

「ありがとうユリウスっ! 心の友よぉぉぉぉ!!」

「やーんありがとユリウス! 大好き! 結婚して!」

「いや抱きつかないでください、二人して暑苦しい……や、やめてくださいッ、やめ……あっ、……この……やめろぉぉぉぉ!!」

 

 

 ◆◆

 

 

 てんやわんやで何とか掃除を終わらせた後、ユリウスは改めて兄妹たちを確認した。

 

 自惚れではないが、ユリウスは自身の容姿に自信を持っている。

 しかし二人は自分と同等の、されど異なる美貌の持ち主だった。

 

 兄の方は長身痩躯のアイドルの様な爽やかなイケメン。

 今時の女子が想い描く理想をそのまま形にしたら、この様になるのだろう。

 身長185センチ、しなやかな筋肉から成る絞られた肉体は猫科の動物を彷彿とさせる。

 服装は学ランの下に白の厚めのパーカー。西条学園は自由な校風で知られているが、ここまでのものかとユリウスは感心する。

 ダークシルバーの髪は肩までかかる程度の長さで、ワックスで軽くかき上げられていた。

 優しい色を灯している真紅の双眸、褐色の肌。現実離れした美貌は成る程、血筋を感じさせる。

 

 彼はユリウスの師匠であり最も敬愛する男性、世界最強の殺し屋「大和」と這い寄る混沌で知られる邪神群No.4、ニャルラトホテプを両親に持つサラブレット。

 生まれながらの超越者である。

 

「改めて自己紹介でもするか? ラグナだ。数年ぶりだな、ユリウス」

 

 握手を求められ、ユリウスは応じる。

 彼からは師匠と似て非なる温かさを感じた。

 

 そして妹の方。こちらも兄に負けず劣らずの美貌の持ち主である。

 歳不相応に実った乳房と括れた腰回りは制服越しでも確認できる。紫色を帯びた黒髪と暗い色の双眸は母親譲りなのだろう、歳不相応の妖艶さが滲み出ていた。

 しかし顔立ちは未だあどけない。

 服装は、一言で言えばずぼら。スカートの下に紫色のジャージを履いており、腰に上着を巻いている。

 

 彼女もまた大和の実子であり、母親に世界最強の暗殺者アラクネを持つ生来の超越者……

 

「堅苦しいかもしれないけど、一応ね。(かえで)よ。改めてようこそ、ユリウス。一緒にダラっと青春を楽しみましょ♪」

 

 彼女の握手にも応じる。

 軽い挨拶を終えた二人は、箒に持たれかかりながら微笑んだ。

 

「まぁ、最初は慣れねぇかもしれねぇけどさ……俺らが精一杯サポートするからよ」

「気楽にいきましょ、パパもそう言ってたでしょう?」

 

 ユリウスは僅かに目を細めながら頷く。

 

「ええ……貴方たちの青春とやらを、勉強させてください」

「んな堅苦しいこと言うなって! そぅら! 掃除終わったから行こうぜ!」

「? 何処へですか?」

「娯楽部! 私達の遊び場ゲフンゲフン部活動よ! ユリウスには是非体験入部して貰いたいの! ほら! 早速顧問に挨拶しに行きましょ!」

「え? 今からですか?」

「「まぁまぁまぁまぁ♪」」

 

 無理矢理引っ張られる形でユリウスは教室を後にした。

 

 

 ◆◆

 

 

 ユリウスという存在は、端的に言って規格外だった。

 

 邪神群の副首領、No.2ヨグ・ソトースを父に、「千匹の仔を孕みし森の黒山羊」こと、No.3シュブ・ニグラスを母に持つ邪神群きっての皇子様。

 

 邪神という種族の超越者であり、邪神の中でも規格外と称されるバケモノ。

 

 それが、ユリウスの正体だ。

 

 彼は転校する前から疑問に思っていた。何故師匠……大和はこの学園に自分を入れたのか。

 彼の命令に逆らう、という選択肢をユリウスは持っていない。行って来いと言われたら行く。しかし疑問に思わないかは別だ。

 ユリウスは学園生活というものに意味を見出だせていなかった。高校を卒業して何になる? 将来は大和の元で助手を務めるというのに。高校のカリキュラムなど助手をする上で全く役に立たない。高卒という肩書きも必要ない。

 

 ならば、やはり青春というものなのだろうか……

 ユリウスは茫然と考えた。

 

 青春……そんなものは必要ない。人間という猿の延長線と付き合う中で何かを感じると? 笑う? 泣く? バカバカしい。

 

 大和以外の人間は総じてゴミだ。家畜以下の存在。生きる価値すらない。

 

 それらを表面上に出さないのは、大和の評価を下げないためだ。そうでなければ付き合う義理もないし、なんなら片っ端から殺し回っている。

 

 ……何故、(大和)は自分に青春を謳歌して欲しいのか。

 

 ユリウスはその綺麗な碧眼で、廊下に差し込む西日を見つめていた。

 

「おーい! ユリウス! こっちこっち!」 

「顧問が来てくれるわよ!」

「……ええ、今行きます」

 

 答えは師匠の子供たちが握っているのか……

 ラグナと楓。どちらも、大和の子供だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 しばらく待機していると、職員室から一人の男性が出てきた。

 年齢は30代ほど。適当に切られた赤みがかかった黒髪に鋭利な黄金色の眼。着崩したスーツから見える肉体はよく絞られている。長身痩躯ながら武術家の肉体だ。ユリウスは一目でわかった。

 端正な顔立ちをしているが不精ヒゲで少し老けて見える。よれよれの煙草をくわえているのもマイナスポイントだ。

 

 彼はゆっくりとユリウスに視線を向けた。

 瞬間、ユリウスの全身に悪寒が奔る。生命的な危機を感じたのだ。

 

 ラグナと楓は彼を紹介する。

 

「娯楽部顧問、斧宮(おのみや)先生だ。先生! この子が前に話してたユリウス!」

「娯楽部に体験入部させたいんだけど、いい?」

「……ん」

 

 男……斧宮はユリウスから視線を外して頷く。

 

「大和から話は聞いてる。ユリウス、だったな。ラグナと楓の言う事をよく聞くように。入部したければまた声をかけてくれ。以上」

 

 早々に職員室に戻ろうとする斧宮に、ラグナと楓は思わずツッこむ。

 

「……え!? そっけな!! 先生そっけな!!」

「体験入部なんだから付き合ってよ!! 顧問でしょ!!」

「うるせぇ、テメェらと違って俺は忙しいんだよ」

「職員室で煙草ふかしてるだけなのにぃ!?」

「付き合ってくださいよ~! せんせ~!」

「やかましい。さっさといけ」

 

 職員室の扉が強く閉まる。ラグナと楓は肩を落とした。

 

「相変わらずだな……」

「そうねブラザー……放任主義もいいところよ」

「まぁでも、いざって時は頼りになるし?」

「そうね。何時もの事ね」

 

 ここでようやく、ユリウスは声を出した。

 

「あの……」

「ん?」

「どしたのユリウス? 凄い顔してるわよ?」

「今の人は……一体……只者ではありませんよね?」

 

 ユリウスの言葉に、兄妹は視線を合わせて苦笑する。

 

「やっぱ気付くか。斧宮先生の本名はパラシュラーマ。インド神話の大英雄だ」

「世界最強ランキング四位の、正真正銘のバケモノよ」

「やはり……」

 

 道理で悪寒を覚えるワケだと、ユリウスは納得する。

 

 パラシュラーマ。インド神話の大英雄にして魔神殺しの聖仙。創造神ブラフマーの神格武装「ブラフマーストラ」を武術の枠に押さえこみ、数多の英雄に教えたインド神話の武術の祖だ。

 彼が放つブラフマーストラは本家を容易く超えており、上位版の「ブラフマシラーストラ」。更に上位版の「ブラフマンダストラ」がある。

 

 何より……

 

「まぁ……あれだ。ユリウスはわかると思うけど、先生を怒らせる様な真似はするなよ?」

「一度怒ると、誰にも止められないでしょうから」

 

 そう……彼の本質は戦士殺し。

 マハーバーラタの大戦争にて、彼は英雄たちを虐殺した。

 

 ビーシュマ、ドローナ、カルナ、アルジュナ、クリシュナ、アシュヴァッターマン……

 

 人間も半神も聖仙も、戦争に加担した者はすべて殺した。

 彼は滅ぼしたのだ。神話の時代の、インド神話を……

 

 ブラフマーストラを戦争に用いた者たちを、決して許さなかった。

 

 戦士殺し、パラシュラーマ。

 大和やネメアと同格の、世界最強クラスの戦士である。

 

「まぁ、アレでも大分マシになったらしいぜ? 親父曰く」

「今は総理大臣さんと個人契約してて、有事の際以外は西条学園で教員をしてるみたい」

 

 ラグナと楓は、うってかわって明るい笑みを浮かべた。

 

「ま、悪さしなかったら普通にいい先生だから、そう心配すんなって!」

「それより部室いきましょ! 自慢の部員たちを紹介するわ!」

 

 気楽な空気に戻った二人を見て、ユリウスはゆっくりと肩の力を抜いた。

 

 

 ◆◆

 

 

 廊下を歩きながら、ラグナは娯楽部について説明をはじめる。

 

「部活内容は、まぁ名前の通り。遊んでなんぼ。各々の楽しみ方を尊重してる。あとは……ああそうだ、今一年生と二年生が不在なんだよ」

「何かの行事ですか?」

「そ。一年生は社会科見学で、二年生は修学旅行。どっちも一週間くらい帰ってこないから、今は三年生だけだな」

 

 ラグナはポッケに手を入れながら歩き続ける。

 

「娯楽部に所属してる三年生は俺たちを含めて五人。ユリウスを含めると六人になるな」

「話が早すぎませんか? 私はまだ娯楽部に入ると……」

 

 ユリウスのほっぺを楓が指でつつく。

 

「ユリウスの意地悪。いいじゃない、他に入る部活なんてないでしょ?」

「部活動に興味がないんですよ」

「あらまぁ……どうするブラザー?」

「部活動に興味は無くても、青春という概念には興味がある……違うか?」

「!」

 

 驚いているユリウスに、ラグナは笑いかける。

 

「親父から話は聞いてるぜ。ま、残り一年退屈に過ごすよりかはいいだろう。な?」

「……」

 

 ユリウスは答えない。冷たい視線を返すのみだ。ラグナは苦笑する。

 

「と……そうこうしてる内に部室の前だ。んじゃ、入るぜ」

 

 横開きの扉を開ける。そこには……

 

「はーい、時間いっぱい。時間いっぱい。はっけよーい」

「っ」

「っ」

 

「のこった」

 

「うりゃぁ!!」

「わっしょい!!」

 

「じゃあ俺はゲームしてるから、勝ち負けは二人で決めてなー」

 

 壮絶な「手押し相撲」を見届けた青年は、椅子に座って携帯ゲームをはじめる。

 

 適当に伸ばされた黒髪、それを纏めているのは大きなヘッドフォンだ。かなり高価な代物なのだろう。髪留めとしても機能している。制服はブレザーを着ていないラフなスタイル。

 顔立ちは端正ながらも童顔で、女装すれば女子に見えなくない。

 

 彼は我関せずといった様子でヘッドフォンをセットしていた。

 

 そして後ろでは……

 

「おらぁぁぁぁ!! 倒れろエセパンダぁっ!!」

「倒れない!! 倒されない!! 何故ならパンダは世界的アイドルだから!!」

「ふざけた事ぬかしてんじゃないわよぉ!!」

「大真面目だよ!! というかパンダに相撲で勝てると思ってるの?」

「なにぃ!?」

 

 少女は容易く吹き飛ばされる。パンダ……のぬいぐるみは勝利を確信し、腰に両手を当てた。

 

「えっへん! パンダは最強! パンダは無敵!」

「甘いわ!」

「なにぃ!?」

 

 なんと、少女は地面スレスレで堪えていた。手を使わず、足の筋肉と体幹だけで自重を支えているのだ。

 

「あたしは天下五剣よ! 身体の使い方なんてわかりきってる!」

「重力に逆らうな!! 背中をつけろ!! 負けを認めなさい!!」

「嫌よ!! 待ってなさいクソパンダ、今から反撃して……」

「させぬ」

 

 なんと、パンダのぬいぐるみは少女にのしかかった。

 少女は悲鳴を上げる。

 

「ぎゃー!! ちょっと何してんのよー!!」

「これしかないと思って……!」

「ふざけんじゃないわよー!!」

 

 そのまま押し潰される。もみくちゃになりながらも、二人はなんとか立ち上がった。

 

「アレ、反則でしょ? ノーカンだから」

「いやいや、背中スレスレで耐えるのも反則だから。素直に倒れて? 可愛くないよ?」

「あ゛?」

「もー! 顔が女子高校生じゃなーい! ナマハゲー!」

「殺すぞパンダ!!」

「プププププ♪」

 

 眉間に特大のシワを寄せている少女。

 黒髪のミディアムヘアに深紅のマフラー、黒のストッキングと、総じて他の部員と同じくらい癖が強い。

 

 そして、パンダのぬいぐるみ。

 デフォルメされた、パンダのぬいぐるみだ。

 この場にいる事自体がカオスである。

 

 目を点にしているユリウスを傍目に、ラグナは手を叩いた。

 

「おら! お前ら! 体験入部だぞー! 挨拶しろー!」

「ん?」

「あら」

「おろろ?」

 

 二人と一匹はユリウスに振り返る。そしてまじまじと見つめた後、各々自己紹介をはじめた。

 

「あー、俺は彼方(かなた)。三年生。趣味はゲームと昼寝。えーと、所属は一応七魔将で、親父は雅貴、母ちゃんは鈴鹿御前だ」

 

 ヘッドフォンの少年は軽く手を振るう。

 

「小鳥。三年生。趣味はゲーセン巡りと修業。所属はネオナチスの歩兵師団。副隊長を務めているわ」

 

 少女は冷たい声音で言い、

 

「僕の名前はアンノウン。ただのパンダのぬいぐるみさ! というのは嘘で、ゾロアスター教の悪神! アンリ・マユだよ!」

 

 アンノウンと名乗る魔神は手をあげる。

 

 個性的過ぎる自己紹介に、ラグナは難しい顔で額を押さえた。

 

「あー……お前ら、所属まで言う必要あったか?」

「「「え、マジ?」」」

 

 盛大な勘違いをした部員たちに、ユリウスは自慢の愛想笑いも浮かべられないでいた。

 

 

 ◆◆

 

 

「よし、んじゃ花見いくぞー!」

「いえー!」

「お菓子とジュースは買っておいたから」

「パンダ! 次はバトミントンよ! 河川敷で決着をつけてやる!」 

「フフフ! のぞむところさ!」

 

「え? 花見? え?」

 

 急な展開に慌てるユリウス。その肩にラグナが腕を回す。

 

「桜は春にしか咲かねぇんだ! 見てなんぼだろ! いくぞ!」

「ええー……」

 

 そんなワケで、ユリウスは半ば強引に花見に連れていかれた。

 

 

 ◆◆

 

 

 花見をする河川敷の景色は綺麗だった。舞い散る桜の花弁が西日を纏って煌めいている。小川のせせらぎも、遠い人たちの話し声も、どこか自然で……ユリウスは妙な温かさを覚えた。

 

「何か感じるもんはあるか?」

「……」

 

 ラグナの問いに、ユリウスはうすら笑みを浮かべる。

 

「平和ですね。犯される事も殺される事もない……あの都市とは大違いだ」

「魔界都市と比べたら、どんな場所でも平和を感じられるぜ?」

「……気に食わないんですよ。当たり前の様に平和を享受している人間たちが。どれほどの犠牲を払ってこの平和があるのか、彼等はわかってない。それが、無性に癇に障る」

「……なるほど」

 

 ラグナは頷き、草原に寝転がる。

 ユリウスの言葉は最早呪詛の言霊だった。常人が聞いていれば発狂しているだろう。

 ラグナはしばらく考えた後に言った。

 

「ならなんだ? この街にも、いいやこの世界にも、魔界都市みたいな『闇』が必要だと?」

「そうですね。その方がスッキリする」

「どうして?」

「だって不公平でしょう?」

「何が?」

「……」

 

 睨みつけてくるユリウスに、今度はラグナがうすら笑みを浮かべた。

 

「この世界の平和は数えきれないほどの犠牲の上で成り立ってる。それを壊す権利はユリウス……お前にはねぇよ」

「犠牲ですか……それが実の父親だとしても、貴方は平然としていられますか?」

「ああ。あの人は望んで『ああなった』んだから」

「っっ」

 

 ユリウスはドロリと、狂気を漏らした。出鱈目な濃度だ。

 今この瞬間、世界中の霊能力者たちが「形容しがたい何か」を垣間見た。

 間近で貰ったラグナは、しかし平然としている。

 

「お前の親父への愛は度が過ぎてる。盲目的で狂信的。何もかもが親父中心で、何一つ共感できない」

 

 ユリウスは絶対零度の眼でラグナを睨む。

 

「貴方に共感を強いた覚えはありませんが? ラグナ」

「強いてねぇよ、勘違いすんな」

 

 ラグナの紅眼も不気味に輝く。

 一触即発の雰囲気……しかし、どこからともなく飛んできたバトミントンの羽根がラグナの頭を打ち抜いた。

 

「いてぇ!!」

「ちょっとブラザー!! 穏便に済ませろって言ったじゃない!!」

 

 河原でバトミントンをしていた楓が頬を膨らませていた。

 ダブルスをしていた他の部員たちも文句を言う。

 

「迂闊に邪気を漏らすなよ。お互い邪神なんだから、そこんところ配慮しろよな」

「喧嘩なら余所でやって頂戴」

「男なら黙って殴り合え!! そして夕日の下で友情を育め!!」

 

「「「お前は黙ってろパンダ」」」

 

「酷い!!」

 

 総スカンをくらっているパンダを見て、ラグナはやれやれと肩を竦める。

 ユリウスも邪気をおさめた。

 

「すまねぇ。……どうやら血の気の多さは父親譲りらしい」

「……フフ、こちらこそ」

 

 二人とも元の状態に戻る。

 ラグナはゆっくりと話しはじめた。

 

「親父、ネメアさん。他にも沢山の人達が求めた平和……それが、今俺たちのいる場所なんだ」

「……」

「だから、無下にしないでほしい。ユリウスは親父の一番弟子なんだろう? ……わかってほしいんだ。親父の真意を」

 

 大和の真意……

 

「ネメアさん越しにだけど、親父は確かに平和を求めていたんだ」

「……」

「当時は叶わなかった。けど……今は違う。ここにあるんだ。確かに。そりゃあ、多少歪んでるかもしれねぇ。けど、別にいいじゃねぇか。歪んでても。だって、不可能なんだから。真の意味で平和な世界なんて」

 

 ラグナは目を細める。その瞳には諦観の念と、確かな希望が相反してこもっていた。

 

「一人一人の意思を尊重する。だとしたら、今の平和の形が一番だ。そもそも、俺たちみてぇな若造があーだこーだ考えてる間に、大人たちは現在進行形で考えて行動してる」

 

 ラグナは鼻で笑う。しかし希望を込めて。

 

「俺たちはまず大人にならなきゃいけねぇ。……ユリウスは将来、親父の助手になるんだろう?」

「はい、そうです」

「だったら尚更、今を大切にしなきゃ。楽しい事も嫌な事も、将来役に立つ。経験は絶対に裏切らない」

「……」

「そんでもって、『今』は今しかない。この一分一秒は、もう訪れないんだ。後一年もしたら、俺たちは卒業する」

「…………なるほど」

 

 ユリウスは頷く。彼ははじめて、本当の意味で、河川敷の景色を眺めた。予想よりも綺麗だった。

 

「師匠が求めた平和……それを私が、味わえるのですね……」

 

 ユリウスはしばらくして、頷いた。

 

「ラグナさん、娯楽部への加入条件は?」

「今を全力で楽しむ事!」

「善処します」

「じゃあ……!!」

 

 ラグナの瞳が輝く。ユリウスは再度頷いた。

 

「娯楽部、加入させてください。この一年間で青春とは何なのか……改めて勉強させてください」

「そうか! そうか! いぃよっしゃー!! シスター! 皆! ユリウスが娯楽部に入ってくれるってよ!」

 

「マジ!? やったじゃんブラザー!! って!!」

「よそ見すんな楓!! くるわよ!!」

「あいさぁ!!」 

 

「くらえ!! ミラクル☆パンダスマッシュ!!」

 

「見切った!!」

「甘いわ!!」

 

「その羽根、消えるよ」

 

「「なにぃ!?」」

 

 アンノウンの放ったスマッシュに対応しきれなかった女子チーム。ゲームセットで、男子チームの彼方とアンノウンはハイタッチを交わした。

 

「やっふー! やっぱアンノウンゲーム強ぇ!」

「娯楽でパンダに勝てる筈がないのさ!」

 

 大喜びしている男二人とは対照的に、女二人は心底悔しそうにしている。

 

「油断したわッ」

「クソぉ!! パンダめぇ!!」

 

「プッ……ハッハッハッハッハ!! やっぱ面白ぇなぁ!! 皆で騒ぐと!!」

 

 腹を抱えて笑うラグナに、ユリウスも釣られて微笑む。

 夕焼けは温かさを残しながら沈みはじめていた。

 

 これから一年、ユリウスは多くの事を学ぶだろう。楽しい事、恥ずかしい事、嬉しい事、嫌な事……

 それら全てが、後で思い返した時に言えるのだ。

 

 あの日々は青春でした、と。

 

 彼等は魔界都市とは遠い場所で成長していく。

 それは、大和やネメアが求めていたものなのかもしれない。

 

 

 

《完》

 

 

 




お疲れ様でした。時折外伝でこちらも更新します。本編との絡みもあるかも?
次回から新章に突入します。

それから、題名を「villain 〜その男、極悪につき〜」にするにあたり、大幅なブラッシュアップを実施しました。特に後半の、大和の性格のブレを修正しています。それによって無くなった章もあります。
次回のお話はソレが顕著に表れるので、もしよかったら見直していただけると嬉しいです。
それでは!


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第四十三章「武装伝」
一話「武器新調」


 

 

 夜。

 デスシティの摩天楼を背にして褐色肌の美丈夫、大和は東区の隅っこまで足を運んでいた。

 人間も妖魔も寄り付かない辺鄙な地帯である。

 此処は大和が特別に「自分の土地」だと主張している場所だ。

 故に、余程馬鹿な者でない限り近付かない。

 

 鋼鉄製の槌を叩き付ける音が響き渡る。

 和製の質素な一軒家からだ。

 合金製の煙突からモクモクと煙が上がっている。

 槌の音も相俟って、鍛冶仕事の最中なのだろう。

 

 大和は扉の前で待機しようと煙草の箱を取り出したが、作業音が止んだので肩を竦める。

 

「村正、大丈夫か?」

「丁度よかった。入ってきてくれ」

 

 木製の横開きを開ければ、濃密な汗と鋼鉄の匂いが鼻を満たした。

 特に女特有の甘ったるい汗の香りが刺激的だ。

 大和はガシガシと頭をかいて煩悩を払い退ける。

 

「よ、約束通り来たぜ」

「待っていたぞ、大和」

 

 頑固そうな美女が微笑む。

 紺色の髪はポニーテイルに結われており、端正な顔はススで汚れている。

 鍛冶師らしい鍛え抜かれた褐色の肉体。腹筋は八つに割れており、そこに甘い汗が滴り落ちていた。

 意外に巨乳であり、サラシで無理やり締めている。

 額にある第三の目は、彼女が人間では無い事を物語っている。

 

 百目鬼村正(どうめき・むらまさ)──大和の専属武器職人だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 今日は特別な日だった。

 村正はまず、何時ものように大和に「武器を全部交換しろ」と言う。

 毎度のことながら、使い切れてない大和は渋るが、頑固な村正は譲らない。

 常に最高の状態の武具を大和に使ってもらいたいからだ。

 

 渋々交換する大和を見て、誇らしげに胸を張る村正。

 大和はやれやれと肩を竦めると、唐突に彼女を抱き寄せた。

 驚く彼女の唇を奪う。

 暫くして口を離すと、笑顔で言った。

 

「何時もありがとうな、助かる」

「……うんっ。でもビックリした。大和のスケベ」

「ハッハッハ」

「あと汗臭いだろ? あまり近寄らないほうがいいぞ」

「お前の汗の匂いは媚薬みたいなもんだ。クラクラする」

「……スケベ」

 

 そう言って村正は背を向ける。

 耳まで真っ赤だった。

 

 彼女は打って変わって、子供のような笑顔で大和に言う。

 

「そうだ! 今日は特別な日なんだよ! 覚えてるよな!」

「ああ、覚えてるよ。やけに嬉しそうだな。自信作か?」

「ああ! ここ百年で一番出来がいいんだ! 是非見てくれ!」

 

 何時もの彼女からは想像できないくらいのはしゃぎように、大和は自然と笑みをこぼした。

 

 

 ◆◆

 

 

 蔵の一つに移動した二人。

 中に入っていたのは大量の武具、兵器だった。

 予備、もしくは試作品なのだろう。

 

 中でも異質な得物が二本あった。

 それぞれ大和が視界に入れた瞬間、莫大なオーラを発する。

 まるで、担い手の到来を歓迎しているかのような──

 

 驚いているのは村正だった。

 

「……余程嬉しいらしい。ここまでのオーラを発するとはな」

「それが……」

「ああ、自慢の三作。その内の二振りだ」

 

 村正はまず、大和の背丈ほどある無骨な人斬り包丁を撫でる。

 

「コイツは『鬼斬り包丁』と名付けた。得物に名前を付けるなんて滅多にないんだが、それほどの一品だ。元々が全世界観で最高の性能を誇る鉱物、「天鋼(あまはがね)」なのに世界最強の呪術師、無月殿がこれでもかと呪詛、強化術式、退魔術式を施してくれていた。おかげで最高の一品に仕上がったよ。強度と斬れ味は勿論だが、何より退魔の力が尋常じゃない。魔族、妖魔の類は掠り傷を負わせただけで殺せる筈だ。形状は以前の試作品と同じ。お前のパワーと戦闘スタイルに合わせてある。多少の技術差なら自慢の怪力で押し切れるだろう」

 

 大和は鬼斬り包丁の柄を掴む。

 青色の退魔の波動がこれでもかと迸った。

 あまりの風圧に目を丸めながら、村正は説明を続ける。

 

「何回も言うが、強度と斬れ味は保証する。それと、凄まじい回復能力を有していてな。万が一刃こぼれ……いいや、根本から折れても瞬く間に元通りになる。どんなに乱暴に扱っても、どんなに強力な力で振るおうとも、問題ない。……これなら、お前の『闇の型』にも耐えられる筈だ」

 

 大和は柄を握りしめる。

 形状、強度、斬れ味、ともに申し分ない。

 しかも途轍もない回復能力に強大な退魔の波動ときた。

 

「スゲェな……前の試作品は闇の型の鍛錬中にブチ折れちまったが、コイツなら……」

「ああ、真の意味で「本気」のお前に耐えられるだろう」

 

 大和は生涯の相棒になってくれそうな得物を優しく撫でる。

 退魔の波動はいつの間にか穏やかなものになっていた。

 

 村正は次に、すぐ横に置いてあった異質な得物を見つめる。

 禍々しいオーラを放つ、骨でできた大剣だ。

 いいや、戦斧か? どちらの特徴も有している。

 顎を擦っている大和に村正は説明をはじめた。

 

「コイツは『龍骨斧剣ダイダロス』。南区のS級冒険者たちが見つけた古龍の遺骨をそのまま削り出したんだ。ある日、南区の鍛冶職人一派であるドワーフたちが泣きながら俺に譲ってくれてな。「俺達じゃ武具に加工するどころか削ることもできねぇ」って。案の定、俺でも最低限の加工しかできなかった」

 

 大和は得物の腹を撫でる。

 溢れ出た緑色のオーラは「ある存在」に対する憎悪と殺意で漲っていた。

 大和は呟く。

 

「暴龍王ダイダロスか……」

「知ってたのか?」

「いいや、風の噂で耳にしたくらいだ」

「そうか」

 

 通称、神仏喰らいのダイダロス。大和やネメアが生まれる前に聖書の神に封印された古の龍王である。

 まさか死んで骨になっているとは、大和も思わなかった。

 しかし骨になっても変わらないらしい。

 現に神に対する飢えと殺意、何より憎悪が半端ではない。

 

 大和以外が振るえば武器に振り回されるだけの神殺しの化け物となるだろう。

 

「ほぼお前専用の武装だ。最初からそういう風に造った。いいや……造らされた、といったほうが正しいか? 声、みたいなのが聞こえたんだ。それに従って造っていたら、今の形になった」

「それ、大丈夫なのか?」

「ああ、問題ない。コレは古龍の遺骨だ。声くらい発するだろう」

 

 村正の鍛冶職人としての鋼の精神に、大和は感心を覚える。

 村正は可変する部分を撫でながら言った。

 

「コイツは大剣と戦斧、二つの形態を有する特殊可変型兵器だ。戦況に合わせて切り替えることで真価を発揮する。意外にトリッキーな奴だが……扱いきれるか?」

「安心しろ。百パーセント使いきってやる」 

「……その感じだと、真名開放もできるみたいだな」

「ああ、誰でもねぇ。コイツが教えてくれた」

 

 大和はダイダロスの柄を握りしめる。

 ゴリゴリ、ゴリゴリと、接合部分が勝手に動いていた。

 

 もっと神を喰らいたい、殺したい。何より聖四文字(アイツ)に復讐させろと、訴えかけてくる。

 任せろ、と大和が意思を込めて握り込むと、満足したのだろう。動きが止まった。

 

 村正は目を丸めながら言う。

 

「ソイツはある意味、究極の神殺しの武器だ。神仏が味方にいる場合は使わないほうがいい。神話の世界にいる時も同様だ」

「ああ、わかってる」

「…………ふぅ」

 

 村正は腰に手を当て、小さく息を吐いた。

 そしてやれやれと肩を竦める。

 

「お前の専属鍛冶職人を自称しているが、どうやら考えを改める機会が来たらしい。コイツらを見てて、確信に変わったよ」

「……どういう事だ?」

「お前は、俺が造った得物以外も使うべきだ」

 

 大和は暫く黙る。

 

「……嫌だと言ったら?」

「そう言うな。俺だって嫌さ。でも、お前の成長を見ているとそうも言えなくなってきた。俺が支えられるのはここまで……お前が普段使う武器は造れるが、それ以上のことはできない」

 

 黙る大和に、村正は告げる。

 

「我慢するな、大和。俺はな、お前には常に百パーセントの状態で戦って欲しいんだよ」

「……村正」

「勿論、お前の専属鍛冶職人の座を譲るつもりはない。ただ大和……もっと可能性を広げられるんじゃないか? 今のお前なら」

「…………」

「これは、『あの方』にも相談して導き出した答えだ。あの方もまた、お前に使って貰いたがってる。一緒にいたい。共に戦いたいって。だから、俺も遠慮なくあの方を戦闘用の傀儡に改造した」

「……本人の意思を尊重したとはいえ、マジでやったのか」

「ああ。あの方は今、別の蔵で眠ってる。……もし使う時が来たら、遠慮なく使ってやってくれ。メンテナンスの方法は巻物に纏めてある」

「……ああ。わかった……わかったよ」

 

 大和は参ったと両手をあげる。

 

「ここまで期待されてんなら応えるしかねぇ。応さ、何でも使ってやる」

「大和……!」

「ただし」

 

 大和は村正を抱き寄せる。

 そして強く抱きしめた。

 

「お前は、これからもずっと、俺の専属鍛冶職人だ」

「あっ……」

「嫌だと言っても遅いからな? ……お前は俺のもんだ」

 

 村正は顔を真っ赤にしながらも、大和を抱きしめる。

 

「嬉しい……っ。俺はずっと、ずっとずぅぅっと、お前だけの鍛冶職人だ」

 

 村正は大和を見上げる。

 背伸びをすれば、大和と唇が重なった。

 そのまま舌を絡ませ合い、情熱的なキスを交える。

 大和が舌を離すと、銀の糸が二人の間に垂れ落ちた。

 

「あっ……♡」

「寝室に行くぞ。お前の身体に直接刻みつける。俺のものだっていう証を」

「……うんっ♡ 刻みつけて♡ いっぱい……♡」

 

 大和は村正をお姫様抱っこして、寝室まで連れて行く。

 それから日が昇るまで、寝室から甘い悲鳴が途絶えなかったという。

 

 

 



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二話「集う武具」

 

 

 翌日の昼、大和は一度自宅に帰ってから買い物に出ていた。

 酒や煙草、つまみを買いに出ているのだ。

 

「メンテナンスの仕方、巻物にしっかりと書かれてたが、まさか原動力が俺の生命力だとはな」

 

 つまるところの精液である。

 大和が村正から受け取った「ある傀儡」は自我を持ち、エネルギーとして大和の生命力がたっぷりと込もった飲み物を欲するのだ。

 メンテナンスが終わった後に独りでに動き出し、大和のものを吸って貪欲にエネルギーを求め始めた時は、流石の大和も目を丸めた。

 

 もっとも、組み敷いて口どころか穴という穴にエネルギーを注ぎ込んでやったのだが……

 

 今は大人しくなっている。

 しかしあの貪欲さだ。定期的なメンテナンスは必須だろう。

 大和はやれやれと肩を竦めた。

 

「ただまぁ、ちっと足りねぇんだよなぁ。なんかその気になっちまったっていうか……」

 

 ようするに、ムラムラしている。

 精力お化けな大和は一人や二人抱いたところで性欲がおさまらない。むしろ悪化する。

 

 大和は独り言を呟きながら頭をかいていた。

 大通りから裏路地に入り、自宅に戻ろうとする。

 ビニール袋に入った酒瓶をカランカランと鳴らして、住処であるボロアパートの前までやってきた。

 

「……ん?」

 

 階段前に見覚えのある女たちがいた。

 一人は二十代半ばほどの美女。濡れる様な黒髪を腰まで流し、桜の花弁を散らした黒色の浴衣を大胆に着崩している。

 彼女は浴衣に収まりきらない豊満な乳房を揺らして、熱い溜息を吐いていた。

 

 もう一人は十代半ばほどの美少女。

 膝裏まで伸びたストレートの銀髪。生気を感じさせない蒼穹色の半眼。慎ましい、しかし柔らかそうな肢体を純白のワンピースで着飾っている。

 彼女もまた、頬を紅色に染めて瞳を濡らしていた。

 

「お待ちしておりました……っ」

「待っていましたよ……っ」

 

 ムワリと、甘酸っぱい牝の匂いが漂う。

 大和は意地悪な笑みを浮かべながら聞いた。

 

「どこで聞いた。俺が何でも使うようになったと」

「風の噂で……。耳にした瞬間、既に足は動いておりました……っ」

「まさか、私達を無視するなんてありえませんよね?」

 

 90を越える乳房を自ら揉みしだく美女は、妖魔刀「紅桜」。

 戦国末期に打たれ、今なお数多くの神魔霊獣の血を啜っている生粋の魔剣。世界最強の妖刀である。

 

 対して桃色の唇をいやらしく舐めているのは聖王剣「コールブランド」。

 精霊の最上位種、星霊達が鍛え上げた至高の聖剣。あらゆる聖剣の原点であり頂点である。

 今は魔剣に堕ち、聖魔両方の属性を有していた。

 

 大和はニヤリと笑うと、彼女たちに歩み寄り、そして両方抱き寄せる。

 

「いいぜ、俺のものになりてぇってんならしてやるよ。ただし……もう他の担い手じゃあ満足できなくなるぞ?」

 

 その言葉に、紅桜もコールブランドも表情をとろけさせた。

 高い体温の肢体をそれぞれ大和に擦り付ける。

 

「勿論です……っ。やっと、やっと貴方様の得物になれる♡」

「どうか私を……いいえ、私達を貴方色に染め上げてください。剣としても女としても、屈伏させて……♡」

 

 擦り寄ってくる魔剣姫たちを、大和は片手で抱きかかえる。

 そうして階段を上がり、自宅へと入っていった。

 

 それから夜になるまで、魔剣姫たちの甘い喘ぎ声は途絶えなかったという。

 

 

 ◆◆

 

 

 武器との適合率を高めるのに、肉体関係を築くというのはある意味最も手っ取り早い方法だ。

 互いに異性として深く想い、繋がることで、本来なら引き出せない力を引き出せるようになる。

 大和の床の技術と精力によって、元々適合率100パーセントだったのが120パーセントを超えた。

 完全に屈伏した魔剣姫たちは、大和に絶対の忠誠を誓うようになった。

 

 二人が満足して気絶するまでに、時間帯は夜になっていた。

 大和は横開きの窓を開けて空気を換気する。

 甘酸っぱい牝の香りが抜けたことを確認すると、パンツだけ履いて部屋を歩き回った。

 冷蔵庫に入れてあった水の入ったボトルを手に取ると、がぶ飲みする。

 

「……ふぅ、スッキリした……のか? んー」

 

 まだ半分といったところか──

 大和は内で騒ぐ煩悩を冷静に分析する。

 

 まだ足りないといえば足りないが、生活に支障をきたすレベルではない。

 

 大和は肩を竦めると、ベッドに座り煙草の箱を手に取った。

 

 そんな時である。インターホンが鳴り響いたのは──

 

 仕事の予定も女の予定もない。

 大和は「はて」と首を傾げる。

 気配を探ってみると、意外な相手だったので目を丸めた。

 

「……なんの用だ、アイツ」

 

 大和は適当にあったズボンを履き、玄関前まで歩いていく。

 扉を開けると、それはそれは美しい女がいた。

 

「やぁ、大和。久々だね」

「なんの用だ、黄龍(こうりゅう)

「立ち話もなんだし、中に入れておくれよ」

「……」

 

 黄龍。別名「黄龍王」。

 中国の五行思想において四聖獣の中央に位置する黄金の龍。

 外宇宙の侵略者、ドラゴン。その中でも最高位の証である「龍王」の称号を持ちながら、平和を愛している変わり者。

 護国の象徴としても扱われる、中国神話を代表するドラゴンである。

 

 

 ◆◆

 

 

 居間までやってきた黄龍は、ベッドに座る大和を見つめた。

 大和も彼女をまじまじと見つめる。

 

 容姿的年齢は二十代半ばほど。

 金色の眠たげな目。ところどころ跳ねたり回ったりしている癖の強い銀髪は踵まであり、長い一本の三つ編みに括ってある。髪と同じ色の長いまつ毛、滑らかでシミ一つない白い肌。大人びた、色気のある端正な顔立ち。

 服装は黄色のチャイナドレス。東洋の龍の刺繍があしらわれている。布面積が少なめで、だからこそ、ムチムチのいやらしい身体が目立つ。

 だらしないほど実った乳房は100センチを超えており、その癖に腰回りはキュッと絞れている。下半身の肉付きは大変よく、脂の乗った尻肉、太もも……男ならば思わず喰らい付きたくなるだろう。

 深いスリッドのせいで生足が丸見えだった。

 

 彼女は大和の獣欲に滾った視線に気付き、身体をくねらせる。

 

「そんな目で見ないでよ……変な気分になっちゃうじゃないか」

「そんな容姿と服装をしてるのが悪い」

「ふふっ……」

 

 黄龍はその場で一回転する。

 まるで大和の視線を全身で感じるように──

 大和は頭を押さえると、ぶっきらぼうに吐き捨てた。

 

「失せろ、襲われたくなかったら」

「僕は用があって来たんだ。帰らないよ」

「……ならなんの用だ」

 

 呆れる大和とは対照的に、黄龍は妖艶に微笑む。

 

「君の武器になりたいなぁ、って思って」

「ハァ……? マジで言ってんのか?」

「マジ、だよ」

 

 目を丸める大和に黄龍は前屈みになる。

 メートル超えの乳房が面白いほど形を変えた。

 

 大和はしかし、黄龍が警戒していることに気づく。

 それについて言及した。

 

「その割には体が強張ってるぜ。……何か目論見でもあんだろ」

「いや……スカアハが、あの暴れ馬が出てこないかと思ってね」

「ああ、そういうことか……」

 

 大和の一番の相棒──スカアハは、大和にこそ従順で礼儀正しいが、その正体は神話の時代で名が知れ渡っていた暴れ馬である。神々すら手懐けることができず、最高位の神であるオーディンすら蹴り殺されかけたことで有名だ。

 魔獣──馬種の中でも、最も凶暴で怪物的な力を誇る。あの神滅狼「フェンリル」ともライバル関係であったのが、魔神后馬こと「スカアハ」だ。

 

 黄龍は彼女を警戒していた。

 しかし大和は杞憂だと手を振るう。

 

「アイツは一昨日「説得」した。ゴネられたが、一日かけてわかってもらったさ。今は疲れて寝てるだろうよ」

 

 わかってもらった。

 それを聞いた黄龍は満面の笑みを浮かべると、大和に飛び込むように抱きついた。

 甘く濃厚な、ミルクのような香りが大和の鼻を満たす。

 同時に柔らかい極上の女体がこれでもかと押し当てられた。

 

「安心した♪ これで君のことを口説けるね♪」

「……ちょっと待て。お前は護国の象徴、四聖獣の長だろう? 俺を口説く意味がわからねぇ」

 

 四聖獣。

 玄武。白虎。青龍。朱雀の四体。

 それぞれ東西南北を守護する霊獣である。

 これに黄龍を加えたものを「五神」と呼び、陰陽五行の法則に深い関わりを持っていた。

 中国の道教、日本の陰陽道では特に重要視されている。

 

 大和の懸念は最もだった。

 黄龍はドラゴンだが、中国では霊獣、神獣として扱われている。

 自分の武器になるメリットはない筈──

 しかし、黄龍は大和に擦り寄った。

 

「近代になって、陰陽五行の思想が薄れてきていてね。信仰と呼ばれるものがまるで無くなってきたのさ。これらを重視してくれる人間と仙人は少数だし、そも、仙人に至っては仙境に引きこもってる」

「……」

「四神の長とか言われてるけど、ぶっちゃけ強いからそう言われてるだけであって……本来なら麒麟とかが丁度いいんだよね。あとはそうだなぁ……理由なんて沢山あるけど」

 

 強いて言えば、身の危険を感じたからかな。

 そう言って黄龍は大和を見上げる。

 眠たげな金色の眼は不安で濡れていた。

 

「どこまでいっても僕はドラゴン……外宇宙の侵略者だ。青龍みたいに蛇から龍に至った子たちは別だけど、僕は生まれながらのドラゴン……それも龍王だ。警戒されてる」

「中華系の神話──道教からか? それとも仏教?」

「両方。プラスしてインド神話から」

「……それはキツいな」

「誰かさんが頼りになる八天衆を解散させちゃったからね」

「……」

 

 ジト目を向けてくる黄龍に、大和は何とも言えない表情をする。

 

「ともかく、今のままじゃ居心地が悪いんだ。最近だとネオナチス? に入ってるニーズヘッグから強引な勧誘を受けたし、かと思えばリベリオン? っていう組織から声をかけられるし……このままじゃ、僕の愛する平和は遠のくばかり」

「で──その平和とは真逆のところにいる俺の元に、何で来た」

「逆転の発想だよ」

 

 黄龍は自信満々に微笑む。

 

「天変地異の真ん中が穏やかであるように、台風に目があるように、大和……君の傍にいるのが一番安全だと思ったんだ」

「……」

「我ながら、いい考えだと思うけどね。君は神魔霊獣、何者にも屈さず、何処にも属さない闇の英雄王。……君の傍にいれば、僕の安全は約束される」

「対価は?」

「僕の武装形態である「黄龍偃月刀」を何時でも、好きな様に使っていいよ。……どうかな?」

 

 黄龍偃月刀(こうりゅうえんげつとう)

 通称「護国神器」。黄龍の魂と力が宿った伝説の長物だ。

 護国といわれる通り、中華の国そのものが危機に陥った時、時の英雄が振るったとされている。

 しかし誰も完璧に使いこなしたことがないと言われている難物だ。

 

 黄龍は大和の顎を撫でる。

 

「君なら使いこなせるんじゃない? 僕を、完璧に」

「……まぁな。俺に使いこなせない武器はねぇ」

「なら……!」

「ただし、条件を一つ追加してもらう」

「……何?」

 

 警戒する黄龍。その突き出された脂の乗った尻肉を大和は揉みしだいた。

 

「あんっ♡」

「得物としては勿論だが、女としても俺に尽くしてもらう。それが条件だ」

「……別にいいよ。武器としての適合率を上げるためにも、男女の関係性は必要だものね」  

 

 黄龍は桃色の唇を舐めると、大和の分厚い胸板を指でなぞる。

 そして大きな手を自分の乳房に誘導した。

 揉まれると甘い喘ぎ声を上げる。

 その全身から甘酸っぱい、発情した女特有の香りが発された。

 

 大和は黄龍を押し倒す。

 黄龍は真っ赤になった顔で、恥ずかしそうに前髪をいじった。

 

「あのね、僕……今更だけど、処女なんだ……♡ だから、優しくしてくれると嬉しい……♡」

「…………」

「やっ♡ 大和、目が怖い♡」

「この雌ドラゴンが、イライラさせやがって……わからせてやるよ。お前にとって、誰が必要なのか」

「あっ、大和ぉ……っ♡」 

 

 黄龍はそのまま唇を奪われる。

 そして三日三晩、抱かれ、愛され続けた。

 

 黄龍はこの日を境に大和にメロメロになり、甘えん坊な雌ドラゴンになる。

 そして武器としても、女としても彼に尽くすようになった。

 彼女は安心かつ頼れる寝床()を手に入れたのだ。

 

 ここ数日で、大和の武装は大きく新調された。

 

 鬼斬り包丁。

 

 龍骨斧剣ダイダロス。

 

 妖魔刀「紅桜」&聖王剣「コールブランド」。

 

 護国神器「黄龍偃月刀」。

 

 そして死傀儡「伊邪那美(いざなみ)」。

 

 元々いる魔導式鏖殺戦車「スカアハ」が加われば、六つになる。

 

 大和はさらなる進化を遂げた。

 これからますます成長していくことだろう。

 

 彼の最強伝説は、まだ終わらない。

 

 

《完》

 

 

 



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第四十四章「幼鬼伝」
一話「再会」


 

 

 夜、魔界都市は何時も通りの様相を呈していた。

 繁栄と堕落を極め、無秩序の中に混沌を生み出している。

 

 七色に煌めくサーチライトに曇天を貫かんばかりに聳え立つ高層ビルの群れ。

 近未来を彷彿とさせる大通りを歩いているのはエルフやオーク、ゴブリン。他にも武装したヤクザ、カジュアルな服装をした妖怪。更にアンドロイド、蟲人に邪仙、獣人、亜人など──

 多種多様な種族がせわしなく行き交っている。

 

 端っこにある屋台には魔改造が施された重火器や魔除けのタリスマン、強力な薬物などが並べられており、すぐ後ろでは犯罪組織の組員たちがルールを守らなかった馬鹿どもを見せしめに蜂の巣にしていた。

 反対側では発情期に入った女獣人のカップルが濃密なキスを交えており、それをオカズに抜いているホームレスが荒い吐息を吐いている。

 

 今日も今日とて平和なデスシティ。

 中でも中央区はあらゆる種族が、ものが集まってくる。

 ここにある唯一といっていい安全地帯、大衆酒場ゲートにて。

 

 店内は何時にも増して活気がよかった。

 屈強な賞金稼ぎたちが派手に金をばら撒き、種族問わず美女美少女を寄せ集めている。対して得物の点検をしながら静かにワインを嗜む孤高の殺し屋もいた。

 妖精や羽付きの怪虫が上空を飛び回り、不意にキリンの獣人の頭にぶつかる。キリンの獣人は自分の首が長いせいだと理解しているため、謝ってもらえれば暴れたりしない。

 

 そも、暴れるつもりはない。この店の中では──

 暴れようものなら店主に店から叩き出される。

 

 せわしなく動き回るウェイトレス、ウェイターとすれ違い、賭博とダンス、祝勝会で盛り上がっている客人たちの合間を抜けていけば、自然とカウンター席までやってくる。

 

 注文を一通り捌き終えた店主である金髪の偉丈夫、ネメアは、半ば指定席になっているカウンター席で暇そうに煙草をふかしている褐色肌の美丈夫に話しかけた。

 

「随分と暇そうだな、大和」

「まぁな。でも、こういう日もアリなんじゃね? こう、空に浮かぶ雲みてぇな気分になる」

 

 大和──そう呼ばれた男は一吸いで煙草をフィルターまで焼き、そして天井に思いっきり紫煙を吐き出した。

 残った吸い殻は横で山盛りになっている灰皿に押し込める。

 ネメアは冗談半分に言う。

 

「ならうちの手伝いでもしてくれ。万年人手不足なんだ」

「じょーだん。俺に接客なんてできるかよ」

「わかってる」

 

 ネメアは椅子に座ると新聞を手に取る。

 すると、店内が微かに揺れた。

 客人たちはどよめく。

 ネメアは形のいい眉を微かにひそめた。

 

「地震か? かなり大きかったな」

「この店が揺れるってことは相当な規模だろうぜ」

 

 大衆酒場ゲートはネメアと縁が深いギリシャ神話の神々の加護が常に最大限働いている。

 核爆弾の直撃を受けても少し揺れるくらいで済むほどだ。

 

 つまり、だ。近くでそれなりの規模の出来事が起こったということだ。

 

 ネメアは顎を擦る。

 

「空間震の可能性があるな……あればかりはどうしようもない。小規模のものでも近くで起これば揺れる。空間そのものが変動しているからな」

「またか。つい最近起こったばっかだぞ」

 

 大和は呆れる。

 

 空間震。この世界で稀に起きる現象だ。異世界との繋がりが強制的に行われた際に起きる、空間異変の一種である。

 

 ネメアは考えた。

 

「今の時代の不安定さだ。空間震が多発してもおかしくない。それに、空間震は空間震でも全く別の内容かもしれんぞ?」

「と、言うと?」

「南区の未踏領域と同じ原理だ。全く別の、異なる文明のものがやってくる」

「ああ、なるほどな」

 

 南区の未踏領域とは、神話の時代、或いは異なる時代にあった空間や地帯、文明の総称である。

 これらは南区を取り仕切るギルドが管理しているが、確かに未踏領域でなくとも、それに近いことが起これば空間震は発生する。

 ネメアの考察は中々に鋭かった。

 

 大和は飲みかけのラムを一気にあおり、トンとグラスを置く。

 そして勘定を置いて立ち上がった。

 

「ちょっと見てくるわ。興味湧いた」

「面倒事なら、首を突っ込むなよ」

「善処する♪」

 

 そう言って、真紅のマントを靡かせ去っていく。

 彼の背をネメアは呆れ交じりに見送った。

 

 

 ◆◆

 

 

 ネメアの考察は的を得ていた。

 今回の空間震はただの空間震ではなかった。

 異世界ではなく、全く別の時代が一瞬ながらも繋がったのだ。

 

 ゲートから少し離れた大通りの真ん中で。

 空間震の発生した現場の真ん中には、なんとも場違いな少女がいた。

 

「ここは……私は、一体……」

 

 年齢は十代後半ほど。可憐な美少女である。ブラウン色のミディアムヘアは小さくポニーテールに結われており、同じ色の丸い目は困惑で揺れている。まだ幼さの残る顔立ち。年相応の肢体。服装は地味な黒の着物、その上から白色の羽織を羽織っている。

 純和装──それだけなら異質ではない。

 

 異質なのは、彼女が纏う気だ。

 穢れを一切知らない純真無垢な気──

 清らかな、聖域を思わせる気を全身から放っている。

 表世界の住民でも、ここまで清らかな気を放つ存在は中々いない。

 

 故に、近くにいた住民たちはヨダレを垂らし、ある者は舌なめずりした。

 悪意ある存在、邪悪な種族にとって、彼女は極上の餌なのだ。

 空間震の余波で吹き飛ばされたことなど頭から無くなっている。

 魔界都市の住民にとって、彼女は甘露のようなものだった。

 

「……!?」

 

 邪悪な気を察知した少女は一瞬で臨戦態勢に入る。

 両手をかざしながら、周りに群がる住民たちに警告した。

 

「それ以上近寄らないでください! 近寄れば、タダでは済みませんよ!」

 

 タダでは済まない──その言葉を聞いて住民たちはゲラゲラと笑った。

 どうやら、本当に、ただの極上の餌らしい。

 魔界都市に迷い込んでしまった、哀れな子羊だ。

 

 住民たちはその場で相談しはじめる。

 生け捕りにするか、するにしても誰がいただくか──

 途中で我慢できなくなった妖物の一匹が少女に飛びかかる。

 自分の獲物だと言わんばかりに──

 

「っ!」

 

 少女は破邪の術式で妖物を丸焦げにすると、そのまま煙幕を張って逃亡した。

 予想外の反撃に住民たちは面食らう。

 煙幕は煙幕でも、ただの煙幕ではない。何らかの術式によるものだ。

 

 騒いでいる住民たちの反対方向に走り抜ける少女。

 彼女はあることに気づく。

 

(右足の呪いが解けてる? どうして……なら、牛鬼は死んだの? ……それより、ここは何処?)

 

 少女は空を見上げる。

 そして、あまりの眩さに手をかざした。

 

「……ここは、どこ?」

 

 思ったことがそのまま言葉として漏れる。

 少女は思わず立ち尽くした。

 眩しいし、うるさい。

 何が何なのかわからない。

 

 夜空を覆い隠すドス黒い曇天も、その曇天をかき分ける超科学の結晶である飛行船も、飛び交う自動車やハーピー、ワイバーンなども、わからない。

 何一つわからない。

 

 ただ一つだけわかることがある。

 ここが、邪悪で狂気的な場所であるということだ。

 

「なんなの、ここ……地脈が、空気が、こんなにも穢れて……こんな場所があるなんて……」

 

 動揺している少女。

 すると、背後から怒声が連なって聞こえてきた。

 まずい、煙幕を抜けられると、少女は逃走を再開する。

 

 今はただ逃げるしかなかった。

 どうにかして安全な場所を見つけて、現状を把握する必要があった。

 

 何より、少女は焦っていた。

 

「早く……早く元いた場所に戻らないと……!」

 

 手遅れになってしまう。

「彼」が「彼」ではなくなってしまう。

 そんな気がしてならなくて、少女は一心不乱に駆けていた。

 

 無事であることを伝えたい。

 安心した彼の表情を見たい。

 

 死を覚悟していたが、別に死にたいワケじゃなかった。

 むしろ逆──生きたかった。

 生きて、ずっと彼の傍にいて、その成長を見届けたかった。

 弟──いいや、それ以上の存在だった。

 

 一刻も早くこの魔境から抜け出さなければならない。

 そう思っている少女を住民たちが囲う。

 

 通りすがりの住民もまた、彼女の清らかな気に誘われ追手に加わったのだ。

 数十名に囲まれた少女は、覚悟を決めて懐から呪符を取り出す。

 そして周りにいる、姿形もバラバラながら、妖魔も恐れる邪気を放つ魔物たちを睨みつけた。

 

 見たこともない種族、見たこともない服装、見たこともない武器……

 

 少女は全力で戦うことを決意する。

 ブラウン色の小さなポニーテールを揺らして、同じ色の丸い目を濡らしながらも戦意を見せる。

 その身から溢れ出た破邪のオーラは、只人ではない証だった。

 

 住民たちが警戒して一歩踏み出せないでいる中、外野が騒がしくなる。

 騒動の主は、すぐ近くまでやってきていた。

 

「ヤベェ!! 黒鬼だ!! 逃げろ!!」

「チィ……! あの化け物、こういう時に顔を出しやがって!」

「このお嬢ちゃんが狙いなのか……!? だとしたら……クソっ、引くしかねぇ!」

 

 外野の恐怖が少女を囲っている者たちにも伝播する。

 続々と飛び去っていく住民たち。

 中には粘る者もいたが、カランカランと、下駄の音と共に圧倒的強者のオーラを感じ取れば、顔を青くして退散する。

 

 何時の間にか、少女の周りには誰もいなくなっていた。

 誰でもない、少女が一番驚いている。

 あの、妖魔も怯えるほどの邪気を放っていた者たちが、恐怖で逃げた? 

 信じられないといった表情をする少女の前に、男が現れる。

 褐色肌の美丈夫だ。

 彼は灰色の三白眼で少女を確認した瞬間、これでもかと目を見開く。

 そして、思わずといった風に呟いた。

 

瑠璃(るり)……なのか? …………どうして」

 

 大和が、あの大和が、目に見えて動揺していた。

 どんな状況であっても笑みと余裕を絶やさないこの男が……

 

 しかし、それは当然だった。

 何故なら彼女は、自分の幼い頃の世話係であり、既に死んだと思っていた初恋の人だから──

 

「大和様……? 大和様、なのですか……?」

 

 少女──瑠璃もまた動揺していた。

 彼は、大和は、まだ十歳になったばかりの筈だ。

 目の前の男は二十代後半、もしくは三十代ほど。

 

 しかし、彼は紛れもなく大和だった。

 その灰色の三白眼、褐色の肌、肉食獣のような歯。そして女神も虜にするであろう美貌。

 見間違える筈がない。

 

 しかし──

 

「どうして……っ、そのお姿は、その邪気は……?」

 

 彼女が知っている大和は、こんなにも雄々しく妖艶で、しかし邪悪で、憎悪に満ちていなかった。

 

 ──運命の歯車が動き出す。

 残酷に、見せつけるように。

 

 



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二話「大和の過去」

 

 

 奇しくも、二人の衣装は色合いが似ていた。

 これは偶然ではなく、大和が合わせていた。

 あの日の怒りを、悲しみを、そして決意を、忘れないために。

 

「…………」

 

 大和は目を閉じ、脳をフル回転させる。

 そして今、現場で何が起こっているのかを、冷静に、淡々と導き出した。

 

「空間震……あの時起こってたのか、気付かなかった」

 

 大和は呟くと、両手で胸を押さえている瑠璃を見つめる。

 困惑で瞳を濡らしている彼女に、事実だけを伝えた。

 

「瑠璃、お前は空間震に巻き込まれて時代をトんできた。今いるのは、数億年後の未来だ」

「数、億……年? 何を言っているんですか大和様……? 数億年もの歳月を、人間が生きられるワケ……」

「ッ」

 

 大和は灰色の三白眼を歪めると、彼女に背を向ける。

 そして告げた。

 

「付いてきてくれ。安全な場所がある。まずはそこに行こう」

「ま、待ってください! 大和、様……なのですよね?」

「……」

「そのお姿は……。いいえ、それよりも、その身から溢れ出る邪気は、一体……」

「俺から話すことは何も無い」

 

 そう吐き捨て、歩き始める。

 そんな大和の背に瑠璃は手を伸ばした。

 

「大和様っ! お願いです! 話を!」

「瑠璃ねぇ」

「……ッ」

 

 その呼び方は、大和しか使わない。

 瑠璃は思わず息を呑んだ。

 

「ごめん、話したくないんだ」

「……大和坊っちゃん……っ」

「……付いてきてくれ」

 

 真紅のマントを靡かせるその背中に、今はただ、付いていくしかなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 ウェスタンドアを開けてゲートの中に入った大和。

 彼が放つ気と、何より表情を見て、客人たちは思わず息を呑む。

 シンと、店内が一瞬で静まり返った。

 

 歩けば勝手に道ができあがる。客人たちは無言で、冷や汗をかきながら道をあける。

 

 何事だと、店主であるネメアが新聞から目を離すと、そこには見たこともない表情をしている大和がいた。

 思わず立ち上がる。

 

「どうした大和、何があった」

 

 純粋に心配してくれる親友に対して、何時もならヘラヘラ笑って言葉を返すところだろう。

 が──今回は違った。

 

 カウンター席までやってきた大和は、表情をそのままにネメアに言う。

 

「頼む、ネメア……高天原(たかまがはら)に、三貴子(さんきし)に連絡を取ってくれ。おそらく、もうあそこしかコイツを庇えねぇ」

「大和、落ち着け。何があった。説明してくれ」

「……ああ、そうだな」

 

 自分が動揺していることに気付いた大和は頭を押さえる。

 ネメアは心底驚いていた。

 彼がこんなに動揺している姿など、見たことがなかったからだ。

 

 大和は後ろで、悲しそうに俯いている少女を親指で指す。

 

「空間震に巻き込まれて現れたのが、俺が子供の頃に世話になった教育係だった。死んだと思っていたが……空間震に巻き込まれただけで生きていたらしい」

「……ッ」

 

 ネメアは金色の眼を歪める。

 察しのいい彼は、全てを理解してしまった。

 

「……わかった。高天原の三貴子と連絡を取る。二時間後には店を空けて、関係者以外入れないようにする」

「……すまねぇ、その分の売り上げは必ず払う」

「気にするな。俺が勝手にすることだ。……しかし、この店がどうこう以前に、三貴子が魔界都市に入って来られるとは思えない。影響が大き過ぎる。……代わりに来れる者はいないか? できれば、後ろの彼女と知り合いのほうがいいだろう」

「そうだな……」

 

 三貴子(さんきし)

 日本神話の天上世界、高天原(たかまがはら)を統べる三柱の神。八百万の神々の中で最も尊き存在である。

 

 天照大御神(あまてらすおおみかみ)

 月読命(つくよみのみこと)

 須佐之男命(すさのおのみこと)

 

 彼ら兄弟とその勢力は神話勢力の中で唯一、今も大和と友好関係を築いている。

 また神話の時代では東側の神話勢力の代表を務めていた。

 東側出身の大和とは切っても切れない間柄だ。

 

 大和は、この緊急事態に彼らを頼った。

 

 しかし、三貴子は一神話のトップ、最高神たちだ。

 直接魔界都市に赴くことはできない。

 表世界も含めて、影響が大き過ぎる。

 

 大和は考えた。

 

「なら……そうだ、雲水(うんすい)さんを呼ぼう。あの人は俺に武術の基礎を教えてくれた人だ。瑠璃とも顔見知りだし、適任だろう」

「雲水殿か……実力的にも申し分ない。なら後ろの──瑠璃、という女性は」

「ああ、雲水さんに連れて行ってもらう。ここは……コイツにとって毒過ぎる」

 

 そう言う大和は、瑠璃と視線を合わせない。

 合わせようとしていないことに気づいている瑠璃は、ただただ悲しそうに目を伏せていた。

 

 彼女は、現状を把握しきれていなかった。

 気付いた時には数億年後の世界にいて、やっと会えた大切な存在は変わり果てていて……

 もう、何が何だかわからないでいた。

 

 三貴子の話も、雲水の話も、右から左に通り抜けていくだけ──

 

 ネメアは大和と相談を再開する。

 

「と言っても、数時間はかかるだろう。……やはりこの店で待機するのが一番か」

「ああ。迷惑をかけるが、そうさせてくれ」

「しかし、その間……」

 

 彼女との距離感をどうするつもりだ? 

 その言葉を、ネメアは飲み込んだ。

 

 彼は彼なりに考えて、大和に提案する。

 

「北区の無月殿は、確かお前の教育係だったよな? その子との関係性はどうなんだ? なんなら会って話してみても」

「いや、アイツは……おそらくアイツは」

 

 大和は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 彼が次の言葉を発する前に瑠璃が反応した。

 

「無月様が!? 無月様も、この場所にいらっしゃるのですか!?」

「あ、ああ……」

 

 食い気味な彼女に、ネメアは相槌を打つことしかできない。

 瑠璃は興奮した……いいや、怒った様子で言った。

 

「会わせてください! あの人なら……絶対に何か知っている筈です! ……お願いです! あの人に会わせてください!」

 

 深く頭を下げる瑠璃。対して大和はガシガシと苛立ちげに頭をかく。

 彼は言った。

 

「無月は、俺の教育係である以前にコイツの師匠だったんだ」

「…………すまん、俺としたことが」

「謝るな、お前は悪くねぇ。……遅かれ早かれこうなっていたさ」

 

 大和はスマホを取り出し、無月と連絡を取る。

 本来なら話すのも嫌な相手だが、今回ばかりはそうも言ってられない。

 要件を伝えると、一時間後、少しなら時間を取れるとのことだった。

 

 大和は瑠璃を連れて、ゆっくりと北区に向かうことにした。

 

 

 ◆◆

 

 

「……」

「……っ」

 

 互いに会話がない。

 瑠璃は何度か切り出そうとしているが、大和の背中を見て言葉を飲み込む。

 

 無言のまま、中央区から北区まで向かっていく。

 大和は瑠璃に「俺から五歩以上離れるな」と強く告げ、瑠璃はそれを守っていた。

 

 近い、しかし遠い背中を見つめて、瑠璃は悲しみで目を細める。

 

(どうして、何も教えてくれないんですか……? 私には、話せないことがあったのですか?)

 

 瑠璃の問いは、胸に落ちて露のように消えていく。

 

(無月様なら知っているかもしれない……私がいない間に何が起こったのかを。どうして大和様が、こんな姿になってしまっているのかを……)

 

 今や見る影も無い。

 あんなにも清々しくて、眩しかった背中が……

 憎悪と殺意で満ち溢れ、穢れている。

 まるでこの世の悪を一身で体現しているかのような、規格外の負のオーラ。

 周りにいる住民たちが小動物に見えてしまう。

 妖魔も、本物の鬼すらも、ここまでの魔気は放たない。

 

 瑠璃は思い出すように感傷に浸る。

 それは、つい最近の出来事だった。

 

 大和は、当時から規格外という言葉がそのまま擬人化したような男だった。

 

 産まれた時から歯が生え揃っており、乳母の母乳を全員吸い尽くしたかと思えば、勝手に歩いて肉を喰らい大笑い。

 

 1歳になる頃には字の読み書きができ、詩人たちを驚かせる詩をいくつも考え書くものの、山を持ち上げるは海を割るはのあまりの暴れっぷりに手がつけられず、親である両陛下は育児放棄。

 

 3歳になる頃には王国で悪事を働いていた者を、皇室の関係者関係なく全員懲らしめて晒し上げにし、報復として致死の呪いをかけられるが笑って呑み込み呪詛師ごと海の彼方まで投げ飛ばす。ついでに良い島を見つけたので泳いで引っ張ってくる。

 

 5歳になれば女であれば全員見惚れる美男子となり、しかし気性の荒さは抜けきれず、王国で懲らしめる相手がいなくなったので外まで赴き悪行を働く妖魔や鬼を退治し、果てには伊吹山を根城にしていた神仏たちも畏れる鬼神たちを全員素手で殴り倒し、八百万の神々を驚かせる。

 

 8歳になる頃には王国の外に自治区を作り、妖魔村と名付け、非力ながらも善意があったり向上心がある妖怪や魔物を集め、物書きや生きるための術を教える。瞬く間に無法地帯から魔の楽園へと変わった妖魔村を恐れて王国から軍を差し向けられるも、腕の一薙ぎで吹き飛ばし、ついでに攻めてきた伊邪那岐(いざなぎ)率いる高天原の神霊軍団も叩き潰し、正式に自治区であることを人神両方に認めさせる。同時に王国を攻めてきた外宇宙の侵略者、ドラゴンである八岐之大蛇を激戦の末退け、護国の英雄となる。

 

 他にも挙げていけばキリがない。奴隷制度が気に入らないからと奴隷たちを無断で一斉開放して耕す土地と人権を与えるは、干魃で干上がった村を救うために大河に山を何個も落としていくつもの小川を形成するは、喧嘩両成敗と仙界を物理的に叩き割って崑崙山と金鰲島に分けるは、母に会いたいと泣き喚く当時子供だった三貴子の須佐之男のために黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)を塞ぐ岩を持ち上げ、会いに行かせた後、また岩で塞いで何事も無かった風を装うは……

 

 それはもう、超が何万個も付く問題児だった。

 人間どころか鬼も神も畏れる出鱈目っぷり……だが、畏れられているのと同じくらい、無辜の民やまつろわぬ者たち、そして異種族から英雄視されていた。

 

 理不尽を理不尽で吹き飛ばす天衣無縫な風神──

 

 それが、当時の大和だった。

 

 王国にある離宮の廊下にて。

 当時の瑠璃は頭を抱えていた。

 

「またですか……またやったのですが、大和坊っちゃん……!」

 

 今度は海を泳いで渡り、山脈を抜け空を跳び、他の神話勢力が治める地帯に不法侵入。丁度そこで劣勢に陥っていた神々の軍勢に加わり、七面八臂の大活躍。魔神とその軍勢の封印の立役者となるが、その地帯の理不尽な奴隷制度が気に食わず、「報酬で全員貰う」と山に全員登らせてそのまま持ち上げ帰還。

 現在、貴重な働き手を失ったその地帯の神々が即刻奴隷を返すよう王国「出雲」と八百万の神々に訴えかけているが、当の大和は「帰りたい奴は返すが、帰りたがらない奴は返さねぇ。そもそもお前らが働けばいいだろ」と喧嘩腰で、一触触発の雰囲気となっている。

 

 今は現皇帝の結婚記念日と大和の誕生日が重なっている神聖な日が近付いてきているため、互いに不可侵条約を結んでいる。

 

 だからいいものを……

 

「おーう! 瑠璃ねぇ! 元気してたかー?」

 

 頭を痛めていれば、だ。

 本人が登場する。

 

 適度な長さでオールバックにされた艶のある黒髪。健康的な褐色肌。灰色の三白眼。サメのようなギザ歯。そして何より、未だ十歳でありながら異郷の女神すら虜にしてしまう神域の美貌──

 

 目鼻顔立ちがハッキリと、かつスッキリとしていて男らしい。

 しかし未だ幼さは抜けず、絶世の美男子といったところ。

 身長は170センチを超えており、瑠璃どころか並の大人より大きい。体付きは筋肉質ながら細身で、最低限の筋肉だけ付けている。

 服装は王族が着るような豪華絢爛な着物を派手に着崩し、帯で締めているだけ。

 胸元や腹、生脚が丸見えなので、異性にとっては目に毒だった。

 

 瑠璃は怒りで顔を真っ赤にして震える。

 

「やーまーとーぼっちゃーんー!?」

「怒ってんのか? あ! さては寂しかったんだな! ほら! ギュー!」

 

 瑠璃は簡単に抱きしめられる。

 力強い肉体と仄かに香る爽やかな男の匂いに瑠璃は別の意味で顔を真っ赤にした。

 

「私は怒ってるんですよ!? はぐらかさないでください!!」

「そうなのか?」

 

 こてんと首を傾げられ、瑠璃はウッと呻く。

 この無邪気な顔を見ていると怒りが霧散してしまう。

 大和はそんな彼女の心境を知らずにキャッキャと騒ぎはじめた。

 

「それより! 新しい民達が増えたぞ! 妖魔村から離れたところに街をつくるつもりだ! 無月のばー様には言語統一の呪術と地脈の浄化をお願いしにきてな! そしたら瑠璃ねぇがいたってワケだ!」

「無月様はともかく、私はそれに関して一言ですね……!」

「でも、アイツらは助けを求めてたぞ? そういう奴らは助けてあげてって言ったのは瑠璃ねぇだぞ?」

「うっ……」

 

 またしても何も言えなくなる。

 大和はしかし、悪戯っぽく笑った。

 

「じょーだん! 瑠璃ねぇに言われなくても俺はやってた!」

「……大和坊っちゃん」

「ほら! 偉いだろー! 褒めろー♪ 頭を撫でるのだー♪」

 

 大和は屈んで頭を差し出す。

 見えない尻尾がお尻辺りでブンブン振られていた。

 まるで大型犬……

 

 彼は規格外の問題児だが、その実、誰かのためにしか力を振るわなかった。

 決まって助けるのは弱き者や無辜の民であり、助けた後も放ったらかしにしない。

 責任を持って自分の民として迎え入れる。

 また、悪さをすれば容赦なく罰する。

 なまじ才能があるので、内政面でも無敵を誇っていた。

 本人の気質故か、人材登用に余念がなく、最近は妖魔村で頭角を現す者が続出している。

 本人は今後のため、内政の深奥を記した巻物を作成中だとか……

 

 天は一体、どれだけの才能を彼に与えたのか──

 まさしく風雲児。

 瑠璃は大きなため息を吐くと、その頭を優しく撫でる。

 

「♪」

 

 大和は気持ちよさそうに身を捩らせた。

 それがまた可愛らしくて……怒りなどとっくのとうに無くなっていた。

 

「あと、大和坊っちゃん……その、ですね」

「なんだ!」

「やっ、顔近いですっ」

「嫌か?」

「あっ、そうじゃなくて……むしろ嬉しいというか、緊張するというか」

「??」

 

 頭の上にハテナマークを浮かべる大和。瑠璃は顔を真っ赤にして一度咳払いすると、提案した。

 

「そろそろ大和坊っちゃんもお年頃……その、瑠璃ねぇという呼び方はやめて、私のことは気軽に瑠璃と……」

「じゃあ坊っちゃん呼びをやめろ!」

「え?」

 

 驚く瑠璃に、大和は頬を膨らませる。

 

「坊っちゃんって付けるの、無月のばー様と一緒だ! なんか違う! 瑠璃ねぇには気軽に「大和」って呼んでほしい!」

「それは……不敬過ぎるといいますか……」

「なら様だけ付けろ! それだけでいい!」

「なら……えっと、大和様?」

「ん! どうした瑠璃!」

「はぅ……っ」

 

 駄目だ、どうにかなってしまう……

 瑠璃は胸を押さえて想いを抑えた。

 

 彼は自分と同じくらいの年齢に見えるが、まだ十歳。

 そも、生まれも育ちも全く違う。

 だから、抑えるしかない。

 

 瑠璃は頭を振って自分に言い聞かせる。

 すると、何時の間にか大和は瑠璃から離れ手を振っていた。

 

「それじゃあ、俺は無月のばー様にお願いしてくるから! またな!」

「あっ、お待ち下さい坊っちゃん! ……じゃなかった、大和様!」

「なんだ?」

 

 首を傾げる大和に、瑠璃は嬉しそうに笑いながら言う。

 

「明日は皇帝、皇后両陛下の結婚記念日であると同時に大和様の誕生日でもあります。十年ぶりの記念祭ということで、大きな宴が催されるとか……」

「……」

「だから、明日は王宮にいらしてくださいね? 私も招待されています。……ふふっ、明日は貴方様が主役なのですから、くれぐれも遅刻しないでくださいよ?」

「……ん! わかった!」

 

 笑顔を浮かべて去っていく大和の背に、瑠璃は小さく手を振った。

 

 彼女はまだ知らなかった。

 明日は大和の誕生祭ではなく、十周年の結婚記念日だということを。

 瑠璃は招待されていても、大和は招待されていないということを──

 

 



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三話「忌み子」

 

 

 瑠璃は王宮に来るのは初めてだった。

 無理もない。此処は皇族やその関係者以外住まう事を許されていない聖域だ。丞相など特別位の高い者でも、離れた場所で暮らしている。

 瑠璃は今回、特別に招待されていた。

 

 瑠璃はまず、あまりの広さと豪華絢爛さに驚いた。

 

 風光明媚な景観を見つめながら迷路のような廊下を歩いていくと、宴の会場である広間へとたどり着く。

 

 広間は既に大盛り上がりだった。

 東西南北から集められた酒や宮廷料理がテーブルにズラリと並び、踊り子たちが淑やかな楽器の音色に合わせて踊っている。

 高官、将軍をはじめとした臣下たち、貴士族や普段後宮にいる妃と侍女たちが一堂に会している。

 

 瑠璃は無月のいる離宮以外は宮殿外にいることが多いため、この場にいる錚々たる顔ぶれに目を丸めた。

 

 互いに離れた場所にいるのが右丞相と左丞相。仲が悪いことで有名で、既に自身の周りを臣下や賛同者である将軍、高官らで固めている。

 間にいるのが皇后に次いで地位の高い三人の寵姫たち、通称「三貴妃」。それぞれ侍女や女官を連れて、静かに牽制しあっている。

 最奥にはこの国の中心であり頂点、皇帝皇后両陛下がいた。

 

 瑠璃は何とも言えない表情をする。

 宮中の事情をまるで知らない彼女にとって、この張り詰めた空気は息苦しさを覚えた。

 とてもじゃないが、宴を楽しむ雰囲気じゃない。

 

 瑠璃はまず、無月と大和を探した。

 無月はすぐに見つかった。両陛下の傍に控えている。

 しかし大和が、肝心の大和が見つからない。

 

 彼は第一皇子だ。目立った場所にいないのはおかしい。

 怪訝に思い始めた瑠璃。そんな彼女を見つけた皇帝は、傍にいる無月に声をかける。

 

「無月よ、あの娘はもしや……」

「はい。大和坊っちゃんの担当をしている教育係です」

「そうか……! 呼び寄せよ」

「かしこまりました」

 

 無月は瑠璃に言霊を送る。

 

 この世界最強の呪術師は、三メートルはあろう横にも縦にも大きい老婆だ。

 彼女は怪訝な面持ちのままやってきた瑠璃に言う。

 

「陛下からお話があるそうだよ。伏して聞きな」

「……わかりました」

 

 瑠璃は大和を探したい気持ちを押さえて、両陛下に両膝を付き頭を下げる。

 

「お初にお目にかかります、陛下。大和様の教育係を務めております、瑠璃です」

「よい、おもてをあげよ」

「……」

 

 瑠璃は顔を上げて両陛下を確認する。

 絶世の美男美女だ。

 互いに黒髪で、瞳の色はブラウン色。肌は白く、服装は特注のもの。贅沢の限りを尽くしている。

 どこか気怠げな雰囲気が印象的だ。

 

(あれ……? この方たちが大和様のご両親……? 全然似てるところがない……)

 

 驚いている瑠璃に、皇帝は薄ら笑みを浮かべながら告げた。

 

「忌み子の目付役、ご苦労。心労溜まっておるだろう。今宵は心ゆくまで楽しむといい」

「…………え?」

 

 忌み子──その言葉を聞いて、瑠璃は目を丸めた。

 放心している彼女を傍目に、皇后は夫によりかかる。

 

「ああ、なんとお優しい……目付役として全く役に立っていない小娘を労うなんて」

「そうとは限らんだろう。この者がいなければ、あの鬼子は更に暴れていたやもしれん……。全く、ただでさえ疎ましいのにまた厄介事を持ってきおって……」

「南側の、デーヴァ神族の神々にはなんとお伝えしましょう?」

「平行線だ。交渉はするが……アレは我々の言う事を全く聞かん。……考えれば考えるほど忌々しい。英雄面して奴隷を全員持って帰ってくるなど」

 

 デーヴァ神族。現代でいうところのインド神話だ。

 大和が奴隷を全員持ち帰ったことで、彼らは怒り狂っていた。

 

「今日は大事な日であるというのに……なぁ、后よ。腹の子の調子はどうだ?」

「はい、もう目に見えるくらいお腹が膨らんできて……もうそろそろ産まれる頃合いかと。正真正銘、貴方様の子です」

「そうか……! そうか! そうだものな! ここ十年、俺以外の男を寄せ付けておらぬものな! 後宮には女しかおらぬ! 正真正銘、我が子だよな!」

「ええ。これでようやく……」

「皇位継承権を奴から奪える」

「そうすればこの子が皇位継承者となり、あの鬼子を追放できる……ああ、待ちに待っておりました」

「俺もだとも。ようやく、奴と縁を切れる……忌々しくも悍ましい、人の形をしたバケモノめ」

 

 忌み子、鬼子、人の形をしたバケモノ──

 ここに来て、ようやく瑠璃は我に返る。

 

 ブワリと、全身の血が沸き上がった。

 そのまま怒りに任せて叫ぼうとする。

 

「貴方達、大和様のことを何だと──」

 

「両陛下!! 今のお言葉は聞き捨てなりませぬぞ!!」

 

 その前に彼等の傍に控えていた男が叫んだ。

 怒髪天を衝く勢いだ。

 あまりの声量に広間が揺れる。

 

 皇帝も皇后も、瑠璃すらも目を丸めた。

 

 声の主は十代半ばほどの容姿をした美男子だった。

 適度な長さで結われた黒髪、丸い黒目。美少女と言われても納得できる可憐な顔立ちに小柄な肢体。

 白の着流しを着ている彼は、そのままズカズカと両陛下の前まで歩いてくる。

 

「それが!! 血を分けた子に対するお言葉ですか!! それが、腹を痛めて産んだ子に対するお言葉なのですか!! お答えください!! 両陛下!!」

「う、雲水(うんすい)殿……? 何をそんなに怒っておられる?」

 

 雲水。

 帝室に古くから仕える武術指南役。

 その歴史は三代まで遡り、現皇帝にとっては祖父のような存在だ。

 

 可憐な容姿とは裏腹に合気柔術を極めた超人であり、王国内で大和を止められる唯一の男。

 世界最強の拳法家たちに与えられる称号「四大魔拳」の代表である天元(てんげん)とはライバル関係にある。

 

 相談役であり呪術師である無月とは対極に位置する存在だ。

 

 皇帝は驚き、そして怯えながら雲水に言う。

 

「雲水殿も知っているだろう? アレは、生まれながらに人間ではない。バケモノなのだ。アレが生まれてから、国の様子はすっかり変わってしまった」

「良い方向に変わりましたな!! グズグズに腐りかけていた王国の毒を一気に洗い流してくださった!!」

「そ、それは言い過ぎではないか……?」

「保身に走り、民をないがしろにし、重い徴税を繰り返し、奴隷を家畜の如く扱う!! 不安定な(まつりごと)によって賄賂が横行し、高官や将軍、その親戚や関係者が私腹を肥やす一方で、民たちの間では憎悪が広がり、革命という言葉すら挙がっていた!!」

 

 簡単に言えば、王国は滅びかけていたのだ。

 

「大和様が一人で全て解決してくださったのです!! それどころか異種族と交友を図り、仲を取り持ち、国の負担を減らしてくれている!!」

「国の負担は、奴が勝手に奴隷を解放したからであって……! そも、異種族共を纏め上げているのは国家転覆を狙っているからであろう!?」

「それが目論見ならば、陛下……貴方様はもうこの世にいません。奴隷で成り立つ国家に未来はない……何故わからないのですか!? 大和様は護国の、いいや、救国の英雄なのですよ!?」

「わからぬのはこちらの台詞だ! 雲水殿! 今更になって、何故あのようなバケモノの肩を持つ! まさか雲水殿は、あ奴の味方なのか!?」

「〜〜〜〜っっ」

 

 雲水は頭を掻きむしる。

 まさかここまでとは思っていなかった。

 気付かなかった自分が何よりも腹立たしい。

 

 すると、後ろより声が上がった。

 左丞相とその臣下たち、そして三貴妃の一人だ。

 

「雲水殿の言う通りです! 陛下、この機に一度考え直してはいただけないでしょうか? 大和様は、この国に必要不可欠な存在です!」

「陛下! どうかご一考を!」

「大和様はこの国に、いいや世界に光を齎す存在! 何卒!」

「私は大和様の誕生日だというから後宮から出てきたのに……話が違いますよ? 陛下」

 

 不平不満が上がる。

 しかしそれを見て黙っている外野ではない。

 右丞相とその臣下たち、並びに他の三貴妃たちが声を荒げる。

 

「なんと無礼な……!! いくら雲水殿でも陛下への無礼の数々、到底許されるものではありませんぞ!!」

「たかだか指南役風情が、調子に乗りおって!」

「一族郎党、首を落とされたいのか!」

「左丞相とその周りは知っていたけど、貴女……仮にも陛下の妃でしょう? 何のつもりかしら?」

「浮気は許されませんねぇ」

 

 宴の広間だったのが、一瞬で舌戦の広場へと変わる。

 現皇帝派と次期皇帝派で分かれた。

 一層騒がしくなる中、雲水は呆けている瑠璃に告げる。

 

「……大和様の所へ行ってやってくれ。ここは我々大人がどうにかする。……瑠璃殿なら、大和様のいる場所がわかるじゃろう?」

「……はいっ」

 

 瑠璃は力強く頷く。

 そうして広間を出ていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 その日は満天の星空だった。

 神話の時代の空気は澄んでいる。夜空を汚すものは何も無い。

 天の川が大きく流れる夜空を、大和は立ちながら見つめていた。

 

 大和はこの小高い丘上を好んでいた。

 王国を一望できる。

 暇があれば昼寝をしたり、こうして星を眺めたりしていた。

 

「ハァ、ハァ……ッ! よかったっ、いた……!」

「……瑠璃か」

 

 大和は振り返り、肩で息をしている瑠璃を見つめる。

 そして苦笑いを浮かべた。

 

「何をしてる。王宮に戻れ。宴の最中だろ?」

「大和様は……ご存知だったのですか? 自分が招待されていないことを」

「ああ、知っていた」

「っっ」

 

 瑠璃は悲痛で顔を歪める。

 

「何で、何で教えてくれなかったんですか……! 大和様が招待されていないのなら、私は最初から……っ」

「……ふぅむ、無月のばー様め。あえて瑠璃に説明していなかったな。アイツは意地悪なところがある」

 

 大和は頬を膨らませると、打って変わって瑠璃に笑いかける。

 儚い、悲しげな笑みだった。

 

「と言う事は……今日知ったのか。父上や母上が俺をどう思っているのかを」

「はい……っ。ですがアレはあまりに! あまりに酷ではありませんか!? 大和様は血を分けた御子息! それをあんな……っ!」

「しょうがないだろ」

「……え?」

 

 瑠璃は固まった。

 予想外の返答だったからだ。

 

「俺は両親の面影を一切受け継いでいない。この褐色の肌も、灰色の眼も、ギザギザの歯も、二人は持っていない」

「それは……!」

「それに、俺は生まれながらに他とは違っていた。歯が生え揃って生まれ、その日の内に肉を食ったという。この力も、人間にしてはあまりに強大過ぎる」

「……っ」

 

 黙ってしまう瑠璃に、大和は言う。

 

「忌み子、鬼子」

「!」

「そう呼ばれていただろう? でも、仕方ないんだ。父上と母上は悪くない」

「……何を、言って」

「客観的に、とでも言えばいいのか? そういう風に見えてしまうんだ。何事も」

 

 瑠璃は絶句した。

 両親から恐れられ、忌み子鬼の子として扱われているのに、悲しんでいない。

 むしろ納得してしまっている。

 

 大和はまだ十歳だ。

 多感な時期の筈だ。

 

 超然とし過ぎている。

 大人でも、こんな考え方をできるものは少ない。

 

 大和はふと、夜空を見上げた。

 

「見てみろ、瑠璃」

「……?」

「綺麗な、満天の星空だ。大きな天の川もまた美しくて……まるで宝石箱のようだ」

 

 大和はゆっくりと語り始める。

 

「生まれ、立場、種族、容姿、考え、価値観……それら全てを、俺は「個性」だと思ってる。星の輝きが一つ一つ違うように。形も大きさもバラバラなように。生き物には必ず個性がある。俺は、ソレを尊重したいんだ」

「……」

「俺はただ、こうやって「綺麗だな」と、各々の輝きを眺めていたいだけなんだよ」

 

 瑠璃はここにきて初めて気付いた。

 彼は、肉体のみならず精神性も規格外なのだ。

 人間の範疇を超えている。

 

 大和は不意に、苦笑をこぼす。

 

「まぁ、好き嫌いはあるがな。それくらいは許してほしい」

 

 そう言って、また星空を見上げる。

 

「最近になって、わかったことがある。……俺は人類にとって重大な試練として生まれてきたんだ」

「……」

「時代を切り拓くための「礎」……そう考えたらこの容姿にも、力にも、精神性にも納得がいく。試練に必要なのは人間性じゃないからな」

「…………坊っちゃん」

「きっと俺は、そのためだけに生まれてきた……」

「坊っちゃん……!」

 

 瑠璃は大和に抱きついた。

 その首に両手を回し、顔を抱き寄せる。

 

「そんなこと、言わないでください……っ。貴方は忌み子でも鬼子でも、ましてや試練などでもない……まだ十歳の、男の子なんです……ッ」

「……瑠璃ねぇ?」

「もっと甘えていいんですっ、もっと我がままを言っていいんですっ、だから……ッ」

「……泣いているのか? 瑠璃ねぇ」

「っっ」

 

 瑠璃の目からはポロポロと、絶え間なく涙が溢れていた。

 止まらない。彼を想えば想うほど……涙が、止まらない。

 

「私は、私だけは、坊っちゃんの味方ですから……っ。もう誰にも、忌み子だなんて呼ばせないっ。貴方は私にとって、太陽のような存在なんです……っ」

「……」

「私がお守りします。ずっとお傍にいます。だからどうか……っ」

 

 そんな悲しいことを言わないでください。

 そう言って自分を抱きしめ続ける瑠璃に、大和は言った。

 

「……これが、愛……というやつなのか?」

「はい……っ。私は坊っちゃんのことを、心の底から愛しています……っ」

「そうか……これが、愛なのか……。温かいものだな、愛というのは」

 

 大和は微笑む。

 瑠璃はそんな彼を抱きしめ続けた。

 

 彼女は強く誓った。

 ずっと傍にいようと。ずっと傍で見守ろうと。

 大人になっても、ずっとずっと……

 死ぬその時まで、傍にいようと。

 

 夜空に輝く星々に、そして神々に誓った。

 

「…………」

 

 瑠璃は現実に戻って来る。

 あれからまだ一週間も経っていない。

 立てた誓いはまだ胸の中で強く輝いている。

 

 瑠璃は思わずにはいられなかった。

 

(でも、この誓いのせいで大和坊っちゃんは……大和様は、牛鬼に苦戦した。本当なら楽に勝てたのに、足手まといな私を庇ったから……)

 

「瑠璃」

「……」

「瑠璃、聞こえているか?」

「……あっ、すいません。大和様」

「俺から五歩以上離れるなと言ったよな?」

「あっ……」

 

 物思いに耽っていたら、何時の間にか距離が空いてしまっていたらしい。

 険しい顔で見下ろしてくる大和に、瑠璃は慌てて頭を下げる。

 

「申し訳ありません。次は注意します……っ」

「……ハァ」

 

 大和はため息を吐くと、真紅のマントを手に取り、それを瑠璃に押し付ける。

 そして背を向け言った。

 

「それを持っておけ。そしたら誰も襲ってこない」

「…………」

 

 歩きはじめる大和。

 瑠璃は目を見開いていたが、次には愛おしそうに真紅のマントを抱きしめた。

 

「……優しいところは変わらないんですね、大和様……」

 

 瑠璃の言葉を、大和はあえて聞き流した。

 そうして二人は北区へとやってきた。

 

 

 



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四話「北区」

 

 

 北区に入った瑠璃は早々に嫌悪感を抱いた。

 この淀んだ空気を、彼女は知っていた。

 グズグズに腐りかけていた、王国のあの空気だ。

 

 北区はギャンブラーの楽園だ。

 大小様々なカジノが自慢の看板を掲げている。

 賭け事に人生を賭す者たちにとって、ここは始まりの地であり終わりの地である。

 

 代表的なのは異種姦、遺伝子組換えなどをして選出された魔馬による競馬。魔改造を施したボートによる競技者の命すらも賭けの対象に入った競艇。一玉十万円の人食いならぬ富豪食いのパチンコ。一等10兆の宝くじなど。

 

 カジノに入ればブラックジャック、バカラ、ポーカーなどのカードゲーム。ヨーロピアン、アメリカンを含むルーレット。シックボー、クラップスなどのダイス系のサイコロゲームを楽しめる。

 

 大金が動きに動きまくる。

 まるで大波のように引いたかと思えば突如として襲いかかってくる。

 ソレに乗って荒稼ぎするか、虚しく呑み込まれるか──

 まさしくサーフィンの如く、だ。

 

 勝者がいれば敗者もいる。そういう輩は懲りずに金貸しから金を借り、また賭け事に心身を費やす。

 金貸しには「一枚目」から「三枚目」まであり、一枚目はまだマシなほうで、二枚目で終わりが見えてきて、三枚目になればほぼ詰んでいるといわれている。

 表世界の闇金が可愛く思えるくらいの法外な利子を付けてくるのだ。しかし、三枚目を頼る輩は一枚目からも二枚目からも金を借りられないドン底にいる者たちなので、頼るしかない。そしてその大半が踏み倒して高飛びする。最後はお約束といわんばかりに一族郎党臓器を抜き取られ借金返済の地獄に落とされる。

 

 話は変わるが、中央区にはどんな種族、経歴を持っていても金を借すが、代わりに金利はトゴ(十日で五割)という北区の三枚目も驚くトンデモな闇金融があるという。

 それはまた別の機会に話そう。

 

 ドン底にいる者たちは一攫千金を狙ってロシアンルーレットや賭け麻雀に身を投じるが、そういったものとは無縁な者たちもいる。

 

 表世界のセレブや石油王、代表取締役や政治家などの成功者たちだ。

 彼等は表世界では味わえないスリルと刺激を求めてここ、北区へとやってくる。

 

 彼等の身の安全は保証されている。

 専用のパスポートを持ち、凄腕の用心棒をボディーガードに置けるのだ。

 用心棒たちのランクは平均してSランク。超犯罪都市の用心棒ランキングでも上位に名を連ねている猛者ばかり。

 彼等は北区のオーナーが管理している警備会社「金城鉄壁(きんじょうてっぺき)」に所属、または登録されているフリーの用心棒であり、専用のパスポートを持つ者は彼等を自由に護衛に付けられる。

 

 専用パスポートはその者の人生(情報)を記録した高次元媒体であり、決して偽装できない。したとしても一日と経たずバレてしまい、北区どころか他の区にいる殺し屋や賞金稼ぎたちを差し向けられる。良くて地獄、悪くて生き地獄を味わうことになるので、頭の悪い者たちでもやらない。

 

 このパスポートを持つ者は選ばれし者たちだ。

 安全が約束させたホテルに止まることができ、北区の一部ではあるが自由に散策できる。また表世界に出回らない非合法の薬物や商品を楽しむことができる。これらは厳密な審査、検品を通過したものであり、中には表世界に持ち帰れるものもあった。

 

 北区は奴隷市場としても有名だ。

 古今東西、様々な種族の奴隷が日夜運ばれてくる。彼等は強固な術式拘束を施されており、人権も剥奪されている。

 買った者は彼等を苛め殺すも良し、犯して調教するも良し、部下達の慰め物にするも良し……

 選ばれた者たちにとって、彼等は便利な道具であり良質な玩具だ。

 望めばこの市場の担当である五大犯罪シンジケートの一角「貪狼連合(たんろうれんごう)」から望みの奴隷を取り寄せることができる。人気なのは、やはりエルフの奴隷か……生来見目麗しい彼女たちは奴隷として最高のポテンシャルを秘めている。その分、値も張るが……。

 

 奴隷では気が引ける、または管理が面倒という場合は世界最大最高峰の傾城町である「東区」へ直接赴くことができる。専用のルートが開通されており、なんなら追加で金を積むことで娼婦を呼び寄せることができる。

 

 といった感じで、選ばれた者たちにとって北区は楽園だ。ギャンブラーたちにとっても、だが。それらはあくまでオマケに過ぎない。

 住民……特に上層部の者たちにとって、ここは金のなる木の森。

 一日で動く金額は中央区よりも多い。

 魔界都市で最も安全で、しかし貧富の格差が最も出る場所──それが此処、北区だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 北区では最近、拳闘大会が流行っていた。

 賭け事としても成立し、かつ野蛮な殴り合いが暇を持て余した金持ちたちの心を滾らせるのだ。

 

 特に北区のオーナー主催の「拳王会(けんおうかい)」は一番の人気を誇っており、種族を問わずノーグローブでの殴り合いが多くの者を魅力している。

 審判(レフリー)無しのどちらか死ぬまでの殴り合いは、拳闘というよりかは野蛮な喧嘩であり、しかしさながら町中で起きた喧嘩のような生々しさがある。だが使えるのは両の拳だけというロマンを内包していて、これが血に植えたセレブたちにぶっ刺さっていた。

 

 興行主である北区のオーナーがまた上手いカードを組み、レベルの高い者同士の殴り合いは勿論、素人に毛が生えたレベル同士の拙い殴り合い。明らかにレベル差があるマッチメイクや種族対抗戦など、観客を飽きさせない工夫を凝らしている。

 最近ではルックスや話題性、拳闘前のオーディションなどにも注目が集まっており、ますます盛り上がっていた。

 

 古代ローマでは見世物として剣闘士による闘技会が流行ったというが、それと同じ原理だ。

 人間は、いいや生き物は、何時の時代になっても変わらない。

 血と闘争を求める。

 

 今宵は異種族対抗戦が白熱したため、北区は異様な熱気に包まれていた。

 血と闘争に溺れた者たちが次に求めるのは、異性との爛れた関係である。

 生殖本能を直に刺激された者たちは、北区にある娼館や大通りにいる娼婦に声をかけ、欲望を発散する。

 金持ちたちは見目麗しい奴隷を買ったり、東区に繋がっている通路を通ったり、今宵の闘技者たちを金で買って直に味わったりしていた。

 

 盛り上がっている大通り。VIPの身辺警護を務めている用心棒たちは、少し気を抜いた状態で業務にあたっていた。

 拳王会が開催された日は半日以上が潰れ、かつ護衛対象の次の動きも予想できる。

 ようは楽できるのだ。開催されていない日は我が儘なVIPに振り回されることがあるので、用心棒たちは拳王会が開催される日を「ラッキーな日」だと思っていた。

 

 しかし、緊急事態速報のアラームが所々から鳴り響くことで束の間の平穏は破られる。

 用心棒たちは慌てて「金城鉄壁」から支給されている専用媒体を取り出した。

 今この時も鳴り響く緊急事態速報のアラームを聞きながら、内容を確認する。

 

「レベル5の震災だと!?」

「詳細内容は! どうなっている!」

「クソッ! よりによって外出中にかよ!」

 

 所々から用心棒の声が上がる。

 VIPたちの中には驚いて悲鳴を上げたり、不安でまくしたてる者もいるが、用心棒たちは冷静に大通りからVIPを遠ざけようとする。

 

 レベル5は震災の中でも最上位。

 レベル3までならアラームすら鳴らない。

 レベル5の判断基準は「北区ですら中央区に匹敵する危険地帯に変わる」というものだ。

 魔界都市が一時崩壊する規模の戦闘が起こってもならない。

 なるとすれば、世界最強クラス同士の戦いが始まったか、或いは──

 

 カランカランと、下駄の音がやけに大きく響き渡る。

 瞬間、バリバリと、電撃のような危険信号が用心棒たちの脳を駆け抜けた。

 

 まずい。ここにいてはまずいと──生死の境目を誰よりも理解している彼等は本能で理解する。

 

 下駄の音の発生源を確認した用心棒たちは、成る程と納得すると同時に顔を歪めた。

 

 世界最強の殺し屋であり武術家、「黒鬼」の大和。

 彼は、明らかに不機嫌だった。

 表情を見ればわかる。灰色の三白眼はより一層冷たく輝いていて、よくよく見れば背後に黒き鬼の幻影が浮かんで見える。

 

 レベル5の緊急事態だというのも頷ける。

 ただでさえ平常時でもレベル3を叩き出すバケモノが、明らかに不機嫌で、今にも爆発しそうなのだ。

 

 用心棒たちは即座に行動に移る。

 VIPたちをできるだけ遠くに運ぼうとした。

 有無は言わせない。これは緊急事態だ。無理やりにでも引っ張っていく。

 

 ふと、少女の声が上がった。

 

「お父様! 私、彼がいいわ! 今まで見てきたどの男娼よりも美しくて逞しい! ねぇお父様! 私、あの褐色の」

 

 喚く欧州系の美少女、その口を担当の用心棒が呪術で無理やり塞いだ。

 口を引き結ばれた美少女は必死に口を開けようともがくが、その前に父親が抱きしめてこの場を去ろうとする。

 彼は用心棒に短く礼を言った。

 

「助かった」

「当然のことをしたまで。さ、お早く。目をつけられたら終わりです」

 

 そそくさと去る一同。

 他の者たちもそうしようとしたが、VIPたちの反応は曖昧だった。

 大和の暴力的でありながら妖艶な、神域の美貌に心奪われているのだ。

 特に女たちがそう。

 彼女たちは今、ああいう男を求めている。

 美しき妖獣に骨まで食い散らかされたいのだ。

 

 熱いため息を吐いている彼女たちに、用心棒たちは舌打ちしかける。

 危機管理能力が壊れている。拳王会の後というのもあり、理性が働いていない。

 

 今の大和に関わるのは自殺行為だ。

 天変地異に自ら走っていくようなものである。

 腕や足の一本で済んだらまだマシなほうだろう。下手したらこの場をにいる全員の命が消し飛ぶ。

 

 用心棒たちはそれぞれ呪術なり魔法なりを用いて担当のVIPを無理やり宿泊先に転移させた。

 後で文句を言われるだろうが、仕方ないと割り切る。命に代えられるものはない。

 

 大通りはすぐに静かになった。

 大和は瑠璃を連れて真っ直ぐに、無月がいる宮殿へと向かっていった。

 

 

 ◆◆

 

 

 無月の住処はまさしく万魔殿だった。

 造りは瑠璃がよく知っているもので、王国「出雲」のものに酷似している。

 ただ充満している邪気が、魔素が違う。

 瑠璃は顔を青くして口元を押さえる。吐きそうだった。まるで全身を舐め回されているような不快感……造りは一緒でも、全くの別物。

 

 一見風光明媚な景観は、しかし全てが色とりどりの宝石で再現されたものだ。

 流れる水は黄金色で、池には純白の蓮のようなものが無数に揺蕩っている。

 生き物の気配はない。

 花ですら宝石でできている。

 

 まるで迷路のような廊下を歩いていった先に、広間に通じる豪勢な扉があった。

 両脇には筋骨隆々で邪悪な赤鬼と青鬼が描かれている。

 大和は振り返り、扉の前で立ち止まった。

 

「この先に無月がいる。聞きたいことはアイツから聞け」

「……っ」

「ただし、聞きたいこと以外は聞くな。でないと──魂が腐る」

「……わかりましたっ」

 

 瑠璃は大和の横を通り過ぎる。

 彼は自分と目を合わせてくれない。

 その理由が……こうなってしまった理由がどうしても知りたくて、瑠璃は大きな扉を開けた。

 

 広間は薄暗い闇に覆われていた。

 テーブルや椅子もない。外にあった過度な装飾品もない。

 ただただ広い、闇に覆われた空間。最奥にだけ仄かに光が差している。

 そこに、瑠璃が話を聞きたい相手がいた。

 

 真っ直ぐ向かっていくと全貌が見えてくる。

 両脇には侍女──いいや、護衛が控えていた。

 見目麗しい美少女たちである。

 

 そして宙に浮く豪勢な椅子にどっしりと身体を預けているのは、三メートルはあろう、横にも縦にも大きい老婆だった。

 横綱も驚くであろう体型ながら服装はゆったりとしたもので、恐らく特注品。

 

 その身を彩っているのは過度な装飾品の数々。全ての指輪にゴテゴテとした宝石が付けられており、首飾りに至っては彼女にしかかけられないだろう重量感を誇っている。

 

 彼女は重い瞼を開けると、分厚い二重顎の溝を深めた。

 そして瑠璃を極寒の眼差しで見下ろす。

 

「大和坊っちゃんが来ると思っていたが……まさかお前が来るとはねぇ。瑠璃。何の用だい? お前の役目はもう終わったよ」

 

 そう言う無月を、瑠璃は睨みつけた。

 瑠璃は確信した。

 やはり彼女は、全てを知っているのだ。

 

 



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五話「英雄誕生」

 

 

 瑠璃は無月を見上げる。

 そして胸に手を当てて叫んだ。

 

「教えてください無月様!! 大和様は、何故あんな風になってしまったのですか!? あんなにも輝いていたのが、まるで深い闇の中に落ちてしまったよう。……答えてください無月様!! 貴女は」

「おい」

 

 瑠璃の言葉を遮ったのは、可憐ながらドスの利いた声だった。

 無月から見て右側にいる従者……彼女は殺気を放ちながら瑠璃に言う。

 

「アンタ、何様のつもり? 無月様が貴重な時間を割いて下さっているというのに、ベラベラとまくしたてて……」

 

 初対面の男なら見ただけで前屈みになってしまうレベルの美少女だった。ありとあらゆる美女美少女が集うデスシティでも、頭一つ抜けている。

 

 容姿的年齢は十代半ばほど。あどけなさと凛々しさを併せ持った顔立ち。濡羽色の長髪は丁寧に団子に結われており、瞳は綺麗な黒真珠色。鼻梁は高過ぎず低過ぎず、絶妙なラインを描いている。唇はみずみずしい薄桃色。胸はメロンのように大きく、腰はくびれ、尻は形のいい安産型。

 服装は青を基調としたチャイナドレス。戦闘用にカスタマイズされており、見た目以上に動きやすいだろう。美も意識しているのか、露出が多い。

 

 彼女の名は(りん)

 二つ名は「最強の矛」。北区が誇る最高戦力「矛盾コンビ」の片割れであり、無月専属の従者だ。

 ありとあらゆる「攻め」の概念を性質として保有しており、体術、剣術、槍術、暗殺術、魔導、権能、異能、その他全ての「攻め」を極めている。それは各分野の専門家を打ち負かすほどであり、ランクはEXを誇る。正真正銘のバケモノだ。

 

 彼女は瑠璃のことをよく思っていなかった。

 主である無月に対する態度もそうだが、何より……

 

「その真紅のマントは、あの方のトレードマーク……アンタ、大和様の何なのさ」

 

 凛は大和に懸想していた。

 心の底から敬愛している。

 だからこそ、気に食わない。

 どこの馬の骨とも知れない輩が大和のトレードマークを持っていることが──

 彼がソレを渡したということは、「誰もこの女を傷付けるな」と言っているようなものだ。

 

 瑠璃に怪訝な眼差しを向ける凛を、反対側にいる従者が諌める。

 

「やめなさい、凛。仕事中に私情を挟むのはよくないわ」

「けど、(あおい)……!」

 

 葵と呼ばれた美少女。無月から見て左側にいる従者だ。

 凛に勝るとも劣らない美少女である。

 容姿的年齢は十代半ばほど。腰まである濡羽色の髪はストレートヘアーで、瞳の色は綺麗な琥珀色。ツリ目気味で、纏う雰囲気は冷たい。服装は白の着物に黒の袴。サラシをキツく巻いているのでわかりにくいが、凛と同じくらいの抜群のスタイルを誇っている。

 

 葵。

 矛盾コンビの片割れ。通称「無敵の盾」。防御という概念そのものであり、守りに関する全てを極めている。武術魔導は勿論、異能権能に至るまで。防御力のみならネメアをも上回る、まさしく守りの申し子だ。

 

 彼女の言葉を無月は肯定する。

 

「葵の言う通りだよ、凛。話が進まないから大人しくしてな」

「……わかりました」

 

 渋々といった様子で殺気をおさめる凛。

 無月は二人に説明する。

 

「この娘は瑠璃。大和坊っちゃんの幼少期の世話係だよ」

「「!」」

 

 凛と葵は驚くと、次にマジマジと瑠璃を見つめる。

 瑠璃はしかし、無月を睨みつけていた。

 他者の見る目よりも、彼女に聞きたいことが山ほどある……

 

 無月はやれやれと目を細めた。

 彼女には瑠璃の心境が手に取るようにわかっていた。

 

「大和坊っちゃんに何が起こったのか……一から説明してたらキリがないよ。アンタ、数億年間の出来事を私に話せって言うのかい?」

「そうは言ってません。私は、どうして大和様がああなってしまったのかを教えて欲しいんです」

 

 瑠璃から確固たる決意のこもった眼差しを向けられるも、無月は鬱陶しそうに流した。

 

「教えてやる義理はないねぇ」

「無月様!」

「小娘が、ピーピー喚くんじゃないよ。……全く、とんだ厄介事だ。過去話なんて一銭にもなりゃあしない。私は忙しいんだ。とっとと帰りな」

「帰りません! 何があったのか教えていただかない限り、決してここから離れません!」

「ハァ。……まぁでも、そうだねぇ。アンタには知る権利があるかもしれない」

「!」

 

 嬉しそうな顔をする瑠璃に、無月はその太く長い人さし指を向ける。

 そして女とは思えない醜悪な面で笑った。

 

「自分がいなくなった直後の出来事くらいは、ねぇ? ……お前の不甲斐なさで起こった事故だ。見せてあげるよ」

 

 無月は瑠璃の脳内に直接流し込む。

 それはあの日、大和が瑠璃を失った前後の話だった。

 

 

 ◆◆

 

 

「チィィ……ッッ」

 

 大和は牛鬼の猛攻を凌ぎながら、自身の肉体を蝕む呪詛に舌打ちする。

 生物──否、人類に対する特攻を秘めている。いくら霊力を体内に巡らせても治らない。肉を、骨を、魂を蝕んでいく。とんでもない呪詛だ。

 

「大和様!! 私の事はいいから、早くお逃げください!!」

「馬鹿言うな!! そんなことができるか!!」

 

 大和は後ろで庇っている瑠璃に叫ぶ。

 瑠璃もまた右足に牛鬼の呪詛を浴びていた。

 大和よりも脆い彼女にとって致命傷に等しい。

 

 数時間前、大和は新しくできた街を襲おうとしている怪異を討伐しに向かおうとした。

 一人で行こうとしたが、瑠璃が「付いていく」と言って聞かなかったため、仕方なく同伴を許した。

 

 もしも危険なようであれば、瑠璃には転移術式で逃げてもらえばいい。

 そんな風に考えていた。

 

 しかし、それは浅はかだった。

 牛鬼は狡猾で機転が利き、人間を餌としか思っていないが、狩る時には一切油断しなかった。

 

 牛鬼は大和を確認した瞬間正面から勝てないことを悟ると、一旦姿を消した。

 そして未熟な瑠璃に狙いを定める。

 

 じっくりと観察して、二人の会話も聞きながら、牛鬼はある策を思いついた。

 

 幼子に化けたのだ。

 近くに街があることを知った牛鬼は、迷子の子供を演じた。

「お母さん」「ここはどこ」と泣き喚いていると、瑠璃が心配そうに近寄ってくる。大和は途中で気付いたが、既に遅かった。

 それほど牛鬼の擬態は完璧だった。

 

 瑠璃を庇った大和は全身に呪詛を浴び、瑠璃もまた右足に呪詛を浴びた。

 

 牛鬼からすれば思わぬ収穫だった。

 まずは一人と思っていたら、二人とも食い殺せるチャンスが巡ってきた。

 

 牛鬼。

 頭は鬼で首から下は蜘蛛の胴体を持つ、全長三十メートルを超える怪異。

 当時の鬼の本拠地「鬼ヶ島」でも異端扱いされていた化け物であり、人間を好んで喰らい、憎み、対人間に特化した存在。現代のランクでいえばSSはあろう、人間殺しの怪物である。

 

「ぐぅ……ッッ」

「あ……ッ!!」

 

 大和は全身を、瑠璃は右足を蝕む呪詛に、それぞれ苦悶の声を上げる。

 牛鬼の口から漏れ出す呪詛──本来なら近くにいるだけで病気にかかり酷い熱を出す代物だ。

 直に浴びた二人は、それぞれ大きなダメージを負っていた。

 

「…………」

 

 大和は考える。

 全身を駆け巡る激痛を無視して、脳をフル回転させる。

 そして、ある答えを導き出した。

 

「瑠璃、今ならまだ転移術式を編めるな?」

「はい……ッ、ですが一人までのが限界で、二人はッ」

「それでいい」

「……え?」

 

 大和は手に持つ大太刀を構える。

 

「お前は宮廷に転移しろ。そして無月のばー様か雲水さんを呼んでくれ。俺はその間に、コイツをできるだけ遠くに追いやる」

「ですが……ッ、それだと大和様は!」

「俺のことはいい。俺は、お前や民が犠牲になるほうがよっぽど嫌なんだ」

 

 大和が本気で戦えない理由は、瑠璃を庇っているというのもあるが、近くに新しい街があるというもあった。

 だから遠ざける。できるだけ遠くに。

 そして被害が出ない状況まで持ち込み、戦う。

 

 瑠璃は大和の考えを読み取った。

 だからこそ、首を横に振るう。

 

「嫌です……ッ、それだと大和様は! 貴方様の命はッ!」

「……まぁ、この状態だ。よくて相討ちだろう」

 

 大和は瑠璃に振り返り、笑う。

 儚い笑みだった。

 

「でも、いいんだ。死ぬにはいい日だ」

「……わかり、ましたッ」

 

 瑠璃は転移術式を編み始める。

 大和は牛鬼に向き直ると、呼吸を整えた。

 狡猾な牛鬼は一切油断していない。

 むしろ今の会話を聞いて口の端を歪めながら力を溜めている。

 

 大和は死んでもコイツだけは殺すと決意した。

 

 そんな大和の足元に転移陣が浮かぶ。

 光に包まれた大和は、思わず瑠璃に振り返った。

 

「瑠璃、何をして……」

 

 瑠璃の顔を見て、大和は絶句した。

 瑠璃は、涙をこらえながら微笑んでいた。

 

「ごめんなさい、大和様……足を引っ張ってしまって」

「今すぐ解除しろ!! お前が残ったところで何も……!!」

「大和様を守れます。……私は、世話係としての責務を全うします」

「やめろ!! 瑠璃!!」

 

 

「さようなら、大和様……。……愛していますっ」

 

 

 慌てて抜け出そうとした大和だが、虚しく転移陣が起動する。

 瑠璃は溢れ出た涙を拭うと、ヨロヨロと立ち上がった。

 最早死にかけている右足を引っ張りながら、牛鬼に歩み寄る。

 

「私が相手です……。大和様も、新しい街も、私が守ってみせる……っ」

『…………■■■■、■■■■』

 

 妖魔の言葉はわからないが、少なくとも馬鹿にされていることはわかった。

 瑠璃は懐からありったけの呪符を取り出すと、今できる最大の攻撃を牛鬼に浴びせようとした。

 

 一方その頃、宮廷前に転移してきた大和は心底狼狽えた様子で叫んだ。

 

「ウワァァァァッッ!!!! 瑠璃ィィィィッッ!!!!」

 

 無月や雲水に声をかける余裕などない。

 一直線に王国の外まで跳んでいく。

 何事だと慌て出す宮廷内や王国内だが、既に遅かった。

 大和は呪詛で悲鳴を上げる肉体を無視して、一心不乱に駆けていく。

 

 一分もしない内に現場に辿り着いた。

 そこに居たのは、牛鬼だけだった。

 

 長く鋭く、そして大きな犬歯に、首飾りが巻き付いている。

 

 それは、大和が先日瑠璃に渡した首飾りだった。

 初めて人に好意を示した証だった。

 

『■■■■、■■■■■■……ッ』

 

 牛鬼は何故か驚いていたが、大和を見つけるや否や喜悦で顔面を歪ませる。

 

 大和の中でブツンと、何かが切れた。

 

『ッ!?』

 

 牛鬼の背中が斬られた。

 大和が視界から消えた瞬間だったので、牛鬼は目を丸める。

 

『ッッ!!』

 

 次に両足を纏めて斬り飛ばされる。牛鬼は転びながらも全身から人類殺しの呪詛を噴き出した。

 呪詛を掻き分けて動くナニカ……それは人の形をしたバケモノだった。

 

『■■■■!! ■■■■!? ■■ッッ!!』

 

 牛鬼の全身が斬り刻まれていく。

 再生しても、その再生力を上回る速度で斬られていく。

 たまらなくなった牛鬼はとにかく暴れるが、動く手足が、顔が、牙が両断される。

 

 牛鬼はワケがわからないままもがき苦しみ、最後はその太い首を叩き落された。

 ビュービューと穢らわしい血を噴き出し、首を無くした胴体は痙攣して横たわる。

 地面に転がったデカい顔に大太刀が叩き付けられた。

 

『■■ッッ、■■■■ッッ!!』

 

 怯えた様子で叫ぶ牛鬼。

 その眼に映っていたのは、人の姿形をした黒い鬼だった。

 

 顔面を縦に両断され、牛鬼は息絶える。

 血の雨が降り注ぎ、しばらくしても、大和は立ち尽くしていた。

 身体を蝕んでいた呪詛が消えたのも気にせず、瑠璃に渡していた首飾りを手に取る。

 そして静かに、涙を流した。

 

「瑠璃……ッッ」

 

 この日を境に、大和は変わってしまった。

 

 

 ◆◆

 

 

「…………」

 

 当時の記録を物語として見せられた瑠璃は、ただただ悲しそうに目を伏せていた。

 彼女は自身の無力を、無知を呪っていた。

 

 自分にもっと力があれば、大和の足を引っ張らなかった。

 自分にもっと知恵があれば、牛鬼の擬態を見破れた。

 

 そも、最初から無理を言って付いていかなければ、こんな結果にはならなかった。

 

 後悔している瑠璃に、無月は追い打ちをかける。

 

「あの日を境に、大和坊っちゃんは変わってしまった。雲水に本格的に弟子入りし、武術の基礎を学んで「闘気」という力を編み出した。……個人の力をより重視するようになったのさ」

「……」

「その力は東側では誰も止められない領域まで至った。……一体、どうしてそこまで「力」を求めるようになったんだろうねぇ? あああと、女遊びをする様になったのもこの頃か……。まるで自分を慰めるような姿は、見ていて痛々しかったよ」

 

 そう言いながら、無月は「ヒッヒッヒ」と笑う。

 瑠璃は後悔の念に苛まれながらも、それでも聞くべきことがあると、無月を睨みつけた。

 

「……大和様が変わってしまったのは私のせいだというのは、わかりました。ですが、私がいなくなっただけであそこまで憎悪と殺意は抱かない筈です。今の大和様の在り方は、まるで世界に対する死兆星……私がいなくなった後に、一体何があったのですか?」

「ほぅ……純粋無垢なだけの小娘かと思いきや、少しは頭が回るようだね」

 

 無月は感心すると、ドッシリと椅子に体重を預ける。

 

「あの後も色々あったのさ。いいや、あの後からが本番か……東側では収まりきらなくなった大和坊っちゃんは、世界へと羽ばたいていった」

 

 無月は語る。無知な瑠璃のために。

 

「四大終末論……世界は最低でも四度、滅びを迎えかけたのさ。そして、その四つ全てを大和坊っちゃんは踏破した。その尋常ならざる力を以てしてね。……まさしく激動の時代だったよ」

「そうであるなら、大和様は英雄としてその生涯を終えた筈です! ……一体何が!」

「裏切られたんだよ。人類に、神々に」

「っっ」

 

 無月は瑠璃の揺れ動く眼を見つめる。

 

「疑問は憎悪に、怒りは殺意へと変わった。……裏切っちゃいけない存在を裏切ってしまったんだよ。当時の奴らは」

「〜〜っっ」

 

 瑠璃は思わずといった様子で叫ぶ。

 

「無月様! 貴女は私と約束しましたよね!? 大和様を立派な英雄にしようと! 支えていこうと! その約束はどうなったのですか!?」

「ああ。よく覚えてるじゃないか」

「なら!」

「約束は、果たされた」

「……?」

 

 無月は不意に頬を赤く染めると、両手を広げる。

 

「大和坊っちゃんはなってくれたさ……! 理不尽を吹き飛ばす理不尽に。善も悪も関係なく「暴力」で捻じ伏せる禍津風纏いし風神に。……最強最悪の益荒男! 闇の英雄王に!」

「……まさか貴女は、最初からそれが目論見で!」

 

 一歩踏み出した瑠璃。その足元に無数の剣、槍、武具が突き立った。

 今まで黙っていた凛が絶対零度の声音で告げる。

 

「それ以上無月様に近寄るな。一歩でも踏み出したら、首を落とすよ」

「……っ」

 

 葵も警戒して構えていた。

 何もできない瑠璃に対して、無月は吐き捨てる。

 

「ああ……久々にこんなに喋ったよ。大和坊っちゃんに感謝するんだねぇ」

「〜っ」

「失せな。お前の役目は終わった。……用済みだよ」

 

 どうしようもない瑠璃は涙を流すと、無月に背を向けた。

 そんな彼女の背に無月は告げる。

 

「呪うんなら自分の無力を、無知を呪うんだねぇ」

 

 ヒッヒッヒと、いやらしい笑い声が木霊する。

 瑠璃には、何もできなかった。

 

 

 

 

 



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六話「別れ」

 

 

 瑠璃は大和に真紅のマントを返した。

 自分にコレを持つ資格はない、そう思ってしまったのだ。

 大和は「それは違う」と言いたかったが、言えなかった。

 数億年の溝は思ったよりも深かった。

 

 大和は瑠璃を連れてゲートの前まで転移してくる。

 もうそろそろ「彼」が来ている頃だ。

 大和はウェスタンドアを開けてゲートの中へと入る。

 

「ネメア殿……(ぼん)の友達でいてくれてありがとう。貴殿のおかげで、坊は最悪の状態を免れている」

「それはこちらの台詞だ、雲水(うんすい)殿。貴方のおかげで、大和は最悪の選択肢をしなかった」

「……それは違うよ、ネメア殿。儂は救えなかった。何度も見逃してしまった。後悔ばかりじゃ」

「……」

 

 ガラガラの店内。

 奥にあるカウンター席の前に、二人の男性がいた。

 一人はこの店の店主、ネメア。

 もう一人は……

 

「おお、来たか。(ぼん)。久々じゃな」

「……雲水さん」

 

 大和の声に安堵が滲む。

 

 容姿的年齢は十代半ばほど。見惚れるほどの美男子だ。

 適度な長さで結われた黒髪、丸い黒目。美少女と言われても納得できる可憐な顔立ちに小柄な肢体。

 服装は白の着流しで、ゆったりと着ている。

 

 雲水。

 大和の最初の師匠であり、祖父のような存在だ。

 

 合気柔術「不死(しなず)流」の開祖であり、活人拳を極めた超越者。

 世界最強の拳法家たちに与えられる称号「四大魔拳」の代表である天元(てんげん)とは今でもライバル関係にある。

 

 現在では日本神話勢力「高天原」に武神として所属しているが、半ば隠居状態だった。

 今回は瑠璃のことを聞いてわざわざやってきたのだ。

 

 大和は礼を言う。

 

「来てくれてありがとう。本当に助かった」

「いいんじゃよ。久方ぶりにお前の顔が見れた。何より……」

 

 雲水は大和の後ろにいる瑠璃を見つめる。

 そして険しい表情をした。

 

「……本当に、瑠璃殿なんじゃな。確かに、あの頃のままじゃ。純粋無垢で、穢れを知らぬ」

「……雲水様」

 

 瑠璃は雲水を確認して目を丸めた。

 ここに来て、彼だけが瑠璃の知る人そのままだった。

 雲水は、数億年経っても雲水のままだった。

 

 大和は頭を下げる。

 

「頼む、雲水さん。瑠璃を高天原で匿ってやってくれ。……アンタらだけが頼りなんだ」

「わかった。儂が保護しよう。三貴子も許してくれるじゃろうて」

「……ありがとう」

 

 大和は安堵で表情を崩す。

 雲水は大和の前まで来て、その手を握った。

 

「あまり、無理するなよ。三貴子も、お前のことを心配しておる」

「…………」

 

 大和は無言で雲水の手を握り返す。

 雲水は何とも言えない表情をすると、その横を通り過ぎた。

 そして瑠璃の前までやってくる。

 

「ゆこう、瑠璃殿。この都市に長居しては危険じゃ」

「でも、あの……っ」

「お主の命を狙う輩は多い」

「……え?」

「坊が傍にいるから大人しくしておるんじゃろうが……」

 

 雲水は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 瑠璃にはわからなかった。

 わかる筈がない。

 

 瑠璃は大和にとって唯一無二の存在なのだ。

 それをよく思わない輩は沢山いる。

 

 瑠璃は自分の価値をわかっていなかった。

 だが、それでいい。

 これ以上は知る必要がない。

 

 雲水は瑠璃の手を引く。

 瑠璃は離れたくない一心で大和を見つめた。

 

「……」

「……っ」

 

 大和は振り返らない。

 それが悲しくて──瑠璃は視線を落とした。

 

 雲水は転移陣の準備をする。

 直接高天原へ転移しようとしているのだ。

 

 大和は少し悩んだ後、二人に振り返る。

 そして瑠璃の名を呼んだ。

 

「瑠璃」

「……!」

 

 瑠璃は弾かれるように振り返る。

 すると、大和が悲しそうに微笑んでいた。

 その儚い笑みを、瑠璃はよく知っていた。

 

「お別れだ。……最後に、これだけは言わせてくれ」

「大和、様……っ」

「初恋だった」

「あ……っ」

「ありがとう。あの頃の俺を、愛してくれて」

「〜〜っっ」

 

 瑠璃は大和に駆け寄り、抱きつく。

 そして涙を流した。

 

「ごめんなさい……っ。私が無力だったから、私が無知だったから……っ」

「お前のせいじゃない」

 

 俺が無力だったから。

 もっと鍛錬しておけば、あんな事には……

 

 大和の胸の内で想いが弾け、露のように消えていく。

 

 大和は瑠璃を抱きしめようとした。

 しかし、やめる。

 

 今の彼女に触れてはいけない。

 純粋無垢で、穢れを知らない……

 そんな彼女を、汚したくない。

 

 大和は精一杯笑顔を作り、言った。

 

「さようならだ、瑠璃」

「うあ……っ」

「俺のいないところで、幸せになってくれ」

「うああっ……うわぁぁぁぁぁんっっ!!」

 

 瑠璃は泣きじゃくった。

 泣くことしかできなかった。

 

 もう、あの頃の関係には戻れない。

 過去には戻れない。

 

 それが嫌で、認めたくなくて。

 瑠璃は泣き続けることしかできなかった。

 

 

 ◆◆

 

 

 数十分後、瑠璃は雲水に連れられて高天原に転移した。

 あそこなら瑠璃に危害は及ばない。

 何かあっても高天原の神々が守ってくれる。

 

「……」

 

 大和は何時ものカウンター席に座り、煙草を吸っていた。

 紫煙を吐き出すその横顔に、何時もの笑みはない。

 

 ネメアは厨房に入り、大和の好きなラムとおつまみを持ってきた。

 大和は改めて彼に礼を言う。

 

「すまねぇな。本来なら繁盛する時間帯だろうに」

「気にするな。俺が好きでしたことだ」

 

 大和は感謝する。

 次に天井を仰いだ。

 

「過去は振り返らない。後悔したくねぇから」

「……」

「でも、ああやって顔を出されるとな……どうしようもねぇ」

 

 やるせない思いを吐き出す。

 ネメアは聞いた。

 

「大丈夫か?」

「大丈夫だ。すぐに戻る」

「……そうか」

 

 ネメアはそれ以上何も聞かなかった。

 大和は静かに煙草を吸う。

 

 一時間後、店が開いた。

 大和は元に戻っていた。

 何時もの、らしい笑みを浮かべていた。

 

 誰にでも、振り返りたくない過去はあるものだ。

 

 

《完》



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