たゆたうラズベリア (早起き三文)
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第1話 「二人のクリス」

 

「もう、この地には馴れましたか?」

 

「どうですかねぇ……」

 

 穏やかそうな顔立ちではあるが、どこか心の底がしれない風の双眸を持つ男が、目の前の青年の顔を覗きこむ。

 

「このカリーライスという食べ物は気に入りましたが」

 

「このラーズから、はるか東南に位置する土地の食べ物ですよ」

 

「旨い」

 

 よほどこの料理が気に入ったのか、青年は米や野菜等と共に練り込まれた香辛料の塊を、その辛さに汗を吹きながらも一心に口へと運ぶ。

 

「旨いものです、オルウェン司教」

 

「オルウェンで良いと言っておりますに、クリス……」

 

「一応、身分や立場の違いには、気を使う方なので」

 

 ラーズ教団の大神殿、そこの中の最も神聖な場所である「太陽の間」へと倒れていた目の前の青年、クリスという名の男は未だにこのラーズの大地には慣れていないようだ。

 

「ボルシチ、お代わりは?」

 

「いえ、これ以上はもう腹には……」

 

「私はいただきますよ」

 

 手を振って食事を断ったクリスに、わざと見せつけるかのようにオルウェンはテーブルの脇へと置いてある手鍋から、自分のスープ皿へとその艶めく中身を注ぐ。

 

「よくそんなに食べれるものですねぇ……」

 

「身体が資本ですよ、政治は」

 

「聖職者でしょう、あなたは?」

 

「宗教はすなわち政治です、クリス」

 

 軽く眉をひそめてみせたオルウェンに、クリスは少し慌てたようにその姿勢を正し、軽く彼に頭を下げる。

 

「すみません、そういうつもりで言ったのではありません」

 

「……」

 

「お許し下さい」

 

 どうやら、彼は自分を保護してくれたラーズ司教であるオルウェンにも完全にはその心を開いていないようだ。

 

「しかしに、まあ」

 

 場を取り持つように、オルウェンは再びその顔へ笑みを浮かべる、その明るい笑顔は昼の日が注ぎ込むその神殿内の一室に見事に調和をする。

 

「私はナルディアにあった料亭の料理の方が好きでしたが」

 

「ナルディア?」

 

 ピロシキ(揚げパン)をちぎりなが自らの口へ放り込むオルウェン司教が舌へと乗せた地名らしき言葉に、クリスはオウム返しのような返事をしてしまう。

 

「一年前まで、このラーズと戦争をしていた王国内にある、一つの公国です」

 

「戦争、ですか……」

 

 ポツリと呟いたクリスの脳裏には、約半年前までに自らが居た土地の風景、人々の姿がその脳裏に浮かんだ。

 

「どこにでもあるのですね、戦争は」

 

「まあ、ね」

 

 ピッ、ピピッ……

 

 その会話は窓へと止まる小鳥達のさえずりには不似合いと思われる。

 

「一応、戦争は終わりましたが、これからもどうなることやら」

 

「不安な情勢らしいですね」

 

 この平穏なラーズの大地、この帝国とあえて戦おうとした国はどのような物なのだろうか、クリスは未だ見知らぬヴェリアとやらの国をその脳内で勝手な想像をした。

 

「行ってみますか、ヴェリア?」

 

「コフッ……」

 

 クリスがむせたのはカリーと言う食べ物の辛さのせいではない。

 

「いや、ナルディアへ」

 

「何をいきなり、オルウェン司教」

 

 カリーを食べ終えた直後のクリスに唐突に投げつけられたそのオルウェンの声、その言葉によりむせたクリスに続くように、彼の胃の中の食べ物が微かに踊った。

 

「また、例によって人の頭を勝手に覗きこんで」

 

「悪い癖でしてね、私の勘の鋭さは」

 

「魔法かと、勘違いをしますよ」

 

「フフ……」

 

 軽く睨むクリスの顔を見つめながら、この相手の考えを先読みをする癖、それが人から、それこそこのクリスから余計な警戒を呼び起こしている事をオルウェンはキチンと自覚はしている。

 

「だが、直せないんだよな、私は」

 

「何がですか?」

 

「別に……」

 

 扉が軽くノックをされ、神殿で働く若い神官がクリス達の食事を下げに来た。

 

「前の戦争、それの最大の激戦地でしたからね、ナルディアは」

 

「フゥン……」

 

「ラーズの帝位継承の内乱を除いてね」

 

 その内乱については、クリスはよくは知らない、単に一年前の敵国との戦争よりもはるかに激しい戦争であったと帝国の人々からその耳で聴いただけだ。

 

「どちらにしろ、私は近い内にヴェリアへ使節として赴きますが」

 

「多忙ですね」

 

「ラーズ教団内のゴタゴタが長引いてね」

 

 空になった食事の器を手押し車へ乗せ終えた神官がオルウェンへ近寄り、軽く耳打ちをする。その彼の言葉に軽く頷いて答えるオルウェン。

 

「私のラーズ教団内での権力維持に、外部の異教徒の助けが必要なのです」

 

 その彼が時々に出す偽悪的な面は、どのような人生の経験から生まれた物だろうか。

 

 トゥ……

 

「オルウェン司教」

 

 その部屋のドアを開くと同時に聴こえた声。

 

「カタリナ……?」

 

 その強く聞き覚えのある声にクリスの表情が強ばる。

 

「お元気そうで、オルウェン司教」

 

「お陰様で、ね」

 

 部屋へと入ってきた少女と入れ替わるかのように、若手の神官がオルウェンへ一礼をし、手押し車を押しながら部屋から去っていく。

 

「嫌みでしょうか、司教殿?」

 

「いえなに……」

 

 皮肉げにその唇を歪めてみせるオルウェンには構わずに、クリスは部屋へと入ってきた、紫色の髪をした娘の顔を凝視し続ける。

 

「紹介します」

 

 どこか遠くから聴こえる感のあるオルウェンの声を耳へ入れたまま、クリスはその腰へ細剣を差した少女の顔からその目を離さない。

 

「ウヌバヌス教皇の御令嬢、ガブリエラ様です」

 

「よしなに、噂に聴く異国の者、クリスとやら」

 

「ハッ……」

 

 その凛とした少女の顔をいつまでも見やるクリスへ、一瞬不快そうな視線を少女は投げつけてから、オルウェンに荒縄で包まれた分厚い羊皮紙の束を渡す。

 

「これが教皇からの、ラーズ教団に伝わる儀礼伝承の書となります」

 

「有り難き幸せであります、神殿騎士ガブリエラ」

 

「教皇は」

 

 自分の父をあえて役職名で呼ぶ少女、それが意味をする事などは教団のお家事情に詳しい者にしか解らないであろうと、クリスは頭の中で勝手に決めつける。

 

「あくまで仮の最高責任者としての任命だ、そう奴には強く念を押せ、と言っておりましたが」

 

「ですよな……」

 

 その少女の言葉に、いつもは穏和なオルウェン司教がその顔に似つかぬ、再度の皮肉げな笑みを浮かべて見せたのに、彼へ視線を戻したクリスは何か居心地の悪さをその表情へと乗せた。

 

「それでは、私はこれで……」

 

「御足労でありました、ガブリエラ様」

 

 用が済んだらこの場にはもはや居る必要が無いとばかりに、少女はキビキビとした足どりで部屋から出ようとする。

 

「先程から、何か?」

 

 ドアのノブに手を掛けたまま、騎士ガブリエラはクリスのその面をじっと睨み返す。

 

「あ、いや……」

 

「失礼ですよ、人に対して」

 

 最後にそう冷たい一瞥をクリスへ与えてから、彼女はやや手荒にドアを叩き閉める。

 

「どうしたのです、クリス」

 

「いえ……」

 

 少女が出ていった扉を、いつまでも見つめているクリスに、オルウェンが怪訝そうな顔を向けた。

 

「似ていたもので、知り合いに」

 

「ホウ……」

 

 オルウェンは別にクリスのその言葉に深入りはしない。所詮、恐らくは異界の者である彼の心寂しさは本人しか解らない物だという事。

 

(私も似たような状況だったからな……)

 

 それを聡明なオルウェン司教は考えるまでもなく理解出来るからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫かしらね、この娘?」

 

「そう思うなら」

 

 崖の中腹へ倒れていた、紫色の髪をした少女をその背に背負いながら、金髪の青年は崖の麓へと張りのある声を張り上げる。

 

「手助けの一つでもして下さいよ、クリスさん」

 

「私は貴方ほど、崖での脚さばきには慣れてないから」

 

「女の子は見かけによらず、重いもんなんですよ、全く……」

 

「フゥン……」

 

 昼の日が降り注ぐ中、青年は異国風の姿格好をした少女を背負い、明るく輝く茶色の壁面を下ろうと、ゆっくりとその脚を延ばす。

 

「その重荷を背負ったまま、飛来する矢弾を避けられる自信はおあり?」

 

「矢は恐くない、音で軌道が解る」

 

「本当に?」

 

 チャリ……

 

 クリスと呼ばれた娘の腰から、短い鉄の矢尻が見える。

 

「嘘です、スイマセン、許して下さい」

 

「無駄口はいいから、早く降りてきて、クレイマー」

 

「見ている方は簡単そうに見えますけどね……」

 

 ブツブツと言いながらも、金髪の青年は素早く崖を下り降りる。時おり背へと触れる娘の胸部の感覚は彼にとっては役得であろう。

 

「ご苦労様、クレイマー」

 

「本当に苦労ですよ、クリスさん」

 

 少し疲れたような声を吐いてから、クレイマーという名らしい青年は静かに娘を地面へと降ろした。

 

「見かけない服装ね、この娘」

 

「東方の者ではないのか?」

 

 クリスと共に、薄い青色の神官衣へと身を包んだ男がその細い目からやや不躾な視線を気を失っている娘へ向ける。

 

「どうでしょうか、ヴォルース様」

 

「とりあえずは、まあ余が……」

 

「余が?」

 

「診てしんぜよう、騎士クリス」

 

 そう呟いた後、たどたどしくに癒しの魔法の詠唱を始めた短い銀髪の青年を、クリスがその青い瞳からジトッとした視線で睨む。

 

「その妙な間が不安にさせますのよ」

 

「そうかな?」

 

 青年は軽く傾げたその神経質そうな面に軽く汗をかいている、あまり魔法には習熟していないのだろう、習いたてなのかもしれない。

 

「私達も他の人達も」

 

「で、あるか?」

 

「貴方を知っている人であればあるほど」

 

「フン……」

 

 そのクリスの言葉にヴォルースと呼ばれた青年は不愉快そうに鼻を一つ鳴らしながら、気を失っている娘へ向けて癒しの魔法による淡い光をかざし続けた。



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