上総謡は異邦者である (ザミエル(旧翔斗))
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第一話

注意。
この作品はのわゆをベースとしているためどうしても暗くなるような描写が多くなります。
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 2018年7月30日。

 その少女、上総 謡(かずさ うたい)は自分が何処にいるのかも分からずにただ彷徨い続けていた。視界に時折映るのは建物や道路の残骸、それだけがかつてこの場所に日本という国の文明があったのだと伝えるような光景を唯々目の中に反射させながら、色の抜けた顔でアテもなく唯々歩き続けていた。

 銀の中着の上に、蜜柑を思わせる橙色が入った白の長着に身を包み、炎天下を歩き回る謡の歩調はブレない。熱を感じていないとでもいうかのように黙々と目の前にある道を進み続けている。

 ピタリと。謡は道半ばで足を止めた。

 

「―――音が聞こえる」

 

 謡はそう呟いて、耳を澄ませた。遠く、遠く、遠く。50㎞は超えるか、超えないかという地点からその音が聞こえているのだと判断した謡は更に耳を澄ませ、それが戦闘音であると、戦っている人間がいるのだと理解する。

 

(人がいるなら、助けなきゃ)

 

 半ば死体の様であった謡の顔に生気が宿り、瞳を力強く輝かせる。戦っている人がいるとすれば、その人を救わねばと働いた思考が、同じ轍をまた踏むなと叫び、足に力を籠めさせ、時速4㎞程度と平均的な速度で歩いていた謡は大地を蹴ったその瞬間マッハを超えんとする速度で音の聞こえた方へと向かった。

 数秒前とは打って変わった様子に『変身』した謡は風を裂き、大地を砕きながら高速で動く、数瞬で、瞳に最初は米粒程度の大きさでそれが映る。

 不自然に白く、人間より大きく、異形の口がついた無脊椎動物のような化物。それは敵だ。人類を滅亡に追いやろうとする存在。交渉の余地など無い異形。

 倒さねば。と、謡は手に力を籠め、交戦距離に入る直前に、思考は過去を想起した。

 

 

 

 

 

―――……

 

 

 

 

 

 2015年7月30日、夜。

小学5年生の少女だった謡は神奈川県にある島、江島神社の辺津宮に避難していた。

 昼間に友人と遊ぶために江ノ島に来た謡は、そこで大型地震に見まわれ、津波の前兆見て逃げるように広域避難場所に指定されている江島神社へと向かい、何とか発生した津波から逃れたものの、江ノ島と本土を繋ぐ橋が津波に流されていくのを眺める事しか出来なかった。

 江ノ島は観光地だ。

 夏の江ノ島は観光客が多く、津波で道が封鎖された今、その大量の人間が救助を待つ事になる。しかし要救助者に対して非常時用の食料はそこまで量がなく、配給はほとんどない。それでも、子供に優先的に食べさせるべきだろうと親切な人々の御蔭で謡は幸運にも配給品を得ることが出来た。

 小さな両手に缶詰と紙パックのお茶をそれぞれ二つ持って、少し離れた所にいる友達へと謡は声を掛ける。

 

「ゆうかー。ご飯貰ってきたよー。食べよぉ?」

 

「ん、ありがと」

 

 床に座り、スマホを触っている友達角谷 優香(すみや ゆうか)は謡を一瞥すると、再び手元へと視線を向かわせる。

 

(……スマホを見てるみたいだし、邪魔しちゃ悪いかな?)

 

 謡はそう思いながら隣に座り、缶詰と紙パックを渡そうか迷う。それを見た優香に座っているブルーシートの上に置いといてと指示され、それに従い置いた後、謡は自分の分の缶詰を開けようとした。力が足りなくて開かなかった。

 

「ゆ、ゆうかー……。ゴメン、開けて」

 

「ん、わかった」

 

「あ、ありがとぉ……」

 

「気にしないで。慣れてるし、知りたい情報はもう確認できたから」

 

 恥ずかしさで謡は顔を赤く染めて、少し俯きながら優香があっさりと開けた缶詰を受け取った。

 

(やっぱり身体が大きい方が力が強いんだろうなぁ……私も大きくなりたい)

 

 それなのにと、謡は視線を下に向ける。胸の辺りに餅があった。そのまま目線を優香に移す。すらりと長い足とスレンダーな体系が美しい。

 

(胸なんかより身長の方が欲しいや……)

 

 身長160㎝を超える優香と比べて謡の身長は40㎝弱程小さい。ご飯は結構食べる方だけれど栄養は偏った成長しか見せないのが悲しかった。

 謡が少しだけ溜息を零して、それを聞いた優香は視線を向けると首を傾げた。

 

「……食べないの?」

 

「え、あ、うん。食べるよ。……いただきまーす! んー! おいひぃ!」

 

 目を輝かせて、にへらと笑いながら缶詰をかき込むように食べ始める謡に、お行儀が悪いと注意しながら優香は缶詰を手に取る。

 

「缶詰で大袈裟すぎ」

 

「いやいや、これは缶詰と侮ったらビックリものだよ! ゆうかも食べたら絶対驚くって!」

 

「……そこまで言われると気になるわね」

 

 手に持った缶詰の蓋を開けて、一口。内容物を口に運んだ優香はゆっくりと咀嚼して飲み込む。

 

「どう? どう?」

 

「……普通だと思うけど」

 

「えー!? 絶対美味しいよぉ!」

 

「缶詰としては中々だけど、今日、本当は食べる予定だったしらす丼と比べると、ねえ?」

 

「そういえばそうだった!」

 

 はっとして、謡はショックを隠せないといった表情になる。しらす丼は江の島の名物であり、二人の好物だった。

 

「うぅ……また今度食べに来ようね?」

 

「そうね。いつになるか分からないけど来ましょう」

 

 地震と津波で江ノ島が受けた被害は甚大だ。唯一の移動経路である橋が崩落している上に島の下部の店の多くが波に攫われるか、土砂崩れなどで潰れていった。

 復旧は何時になるか分からないが、それでもいつかまた来ようと二人は約束をした。

 

少しして缶詰を食べ終わり、お茶を飲み干した所で、謡はそういえばと口を開く。

 

「さっきまでスマホを使ってたけど何してたの?」

 

「ああ、それは―――」

 

 

 

―――優香が答えようとスマホを手にした瞬間に、突如地面が揺れ始めた。

 

 

 

「きゃあ!?」

 

「っ優香!」

 

 スマホへと手を伸ばしていた優香が突然の地震にバランスを崩し、咄嗟に謡は転ばないように優香の手を取る。揺れは酷くなり続け、立つ事さえままならない。

 

(この地震、今までより大きい! それに、何か怖い感じが――――!)

 

 ゾクリと背筋が凍るような、身の毛がよだつような悪寒に優香の身体を抱きしめ、ジッと地震が収まるまで耐える。やがて揺れは収まるが、悪寒は拭えず、寧ろ増していった。

 

「ゆうか! だいじょう―――」

 

 謡が言葉を言い切る前に、空から白の異形、後にバーテックスと呼ばれるそれが何体も降り注いだ。

 

「何……アレ?」

 

謡は目の前で起きた事が何なのか理解できなかった。空から突然化物が落ちてきて、暴れ始めて―――近くにいる人を手当たり次第食い殺し始めた。悲鳴を上げ、逃げようとする人を手当たり次第に殺し、辺り一面に人だったものが転がる。

グチャリと、ビチャリと粘性の音を立て、ナニかが砕かれる音が、地震が収まってからわずか10秒と経たずに起きたこの地獄絵図に、さっきの怖い感じはこれの予感だったのだろうかと現実逃避が混じった思考が頭を過った。

 

「―――っ謡、行くわよ!」

 

 思考が停止しているような謡とは対照的に、優香は機敏に立ち上がり、謡を抱えて走り始めた。

 数拍遅れて、現実に脳が追い付いた謡はバーテックスのいる方角へと手を伸ばしながら言葉にならない声を上げそうになる。

 

「ゆ、ゆうかぁ! ま、まだ人が―――「静かに!」んぐぅ!?」

 

(人が襲われているのに、助けなきゃなのに! なんでなの、ゆうか!)

 

 叫ぼうとした口を優香に塞がれ、狂乱しかけた思考で何をするのかと謡は言おうと優香へと視線を向けた。そして気付く、優香が何処か一点を目指して走っている事に。様子が何処か変わっている事に。

 

(ゆうかの眼が、赤く光ってる?)

 

 謡がそう認識した時には、既に優香の瞳は元の色に戻っていた。謡の混乱は続いている。だが優香の変化に対する驚きによって混乱が一周廻って変な冷静さを取り戻していた。

 

「ゆうか、もう……もう大丈夫、降ろして大丈夫だから、ついて行くから何処に行くのか教えて」

 

「……ん。走りながら言うわ、振り向かず、全力でついてきて」

 

 謡は抱えられた姿勢で一度だけ後ろを見て、未だ続いている惨劇と血の跡に苦い表情を隠せないまま首肯して、降ろされると同時に優香に先導されるまま道とは呼べない木々の間を走り始めた。

 

「……地震が起きた瞬間、声が聞こえたの」

 

「声?」

 

 走りながら首肯して、息を飲みながら優香は口を開く。

 

「聞いたことのない女性の声。その声は言ったわ。私は今、運命の岐路に立たされている。戦う力が欲しければ、生き残る力が欲しければ、此方に来いと」

 

「なんか、アニメみたい……!」

 

「ファンタジーなら二次元で結構! 三次元でなんて御免よ!」

 

(そうだ、アニメじゃないんだ。あの絹を引き裂くような悲鳴は、本物だった。だから助けなきゃいけなくて、でも力がないから、唯殺されるだけだからゆうかは私を連れてきたんだ)

 

 アニメや漫画の演じているものではない本当の悲鳴。だけど助ける力がない事実に謡は唇を噛み締めながら先を行く優香を必死に追いかける。

優香は木々の隙間にあったほんの5m程しかない窪地に辿り着いた所で足を止めた。

 

「ハァ……ハァ……ここが、そうなの?」

 

 謡は乱れた息を必死に整えながら、止まった優香の背中からは見えない窪地の様子を見ようと身を乗り出した。

 

――――その場所には明らかに周りに生えているのとは違う木が、黄金色に輝く実を付けていた。

 

 空間に亀裂が走っているのように、ギザギザと割れている。その場所の中心に生えている木の奥には明らかに江の島とは違う見たこともない樹海が広がっていた。

 

「これが、あの化物たちを倒せる……力なの?」

 

「そうみたい。アレを食べれば、力が手に入ると、声が言っているわ」

 

 謡には優香が言うその声が聞こえない。謡にはその声が言っていることが本当か分からない。だけど優香はその声を信じてこの場に辿り着いた。謡には、この数分間で優香が何処か遠く離れてしまった様な気がした。

 

(まるで、ゆうかヒーロー(勇者)になるのが運命づけられていたみたい)

 

 謎の化物の出現に導かれるように力を得ようとする優香。謡はその光景にどことなく仕組まれたかのような気持ち悪さと、優香が戦おうとしている事に不安を覚えた。

 

「ゆうか……」

 

 果実へと足を進める優香に、謡は声を掛けようとして、言葉が浮かばずに口を噤んだ。

 一瞬、謡へと視線を向けた優香は大丈夫と言って、果実を手に取った。

 

「私が変身して、貴女を護って見せる」

 

 優香は果実を口に持っていき―――。

 

 

 

 果実を口に含もうとした優香を横から現れたバーテックスが腹から下を食いちぎった。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 優香の上半身が惚けたような声を出しながら地面に転がり落ちる瞬間を、謡は真っ白になった思考でただ追いかけていた。優香の地面が手に持った果実が転げ落ち、次いで優香の身体が地面に落ちて、びちゃりと血を噴き出して、バキバキと何かを噛み砕くような音が敵の口から聞こえる。

 

「ゆ、ゆうかぁぁぁぁァァアアアアアア嗚呼!!!」

 

 謡は叫んだ。駆け寄ろうとした。その胸部をバーテックスの尾が貫いた。

 

「かふっ」

 

 謡は尾に持ち上げられ、そのまま吹き飛ばされて木にぶつかる。力なく地面に倒れ込み、血が胸部に空いた穴からどんどん零れ溢れていく。

 

(痛いいたいイタイ。なんだコレ、何だこれ、なんだ、これ。熱くて、痛くて、苦しくて。私、死ぬの? やだ、死にたくないよ。ああ、でも、それよりも―――)

 

「ゆう、か……」

 

(ゆうかが、ゆうかが死んじゃう。誰か……誰か、ゆうかを……)

 

 口からも血を零し、出来ない呼吸に喘ぎながら謡は優香の元へと寄ろうと立ち上がろうとして出来ないと悟り、ならばと必死に手を伸ばそうとする。その手に、何かが触れた。

 

「あ……」

 

 それは優香が手に持っていた果実だった。謡の頭に、今にも消えてしまいそうな意識に、優香の言葉が過る。

 

『アレを食べれば、力が手に入る』

 

(これを、食べれば……力が……)

 

 その時の謡は自分が考えているたのか、それとも無意識だったのか分からなかった。ただ、それでも一つだけ言えるのは、

 

(ゆうかを、助けなきゃ)

 

 もし仮に敵を倒す力を手に入れられたとしても既に手遅れだと、間に合わないという事にすら気付けずに、愚直なまでにそう思った謡は果実を口に運び、齧り、飲み込んだ。

 

 

 

―――ドクンと。潰れたはずの心臓が脈打ったと謡は感じた。

―――急速に身体全身に血が巡るのを感じた。

―――身体が内側から、魂の奥底から作り返られていくのを感じた。

 

 

 

『―――貴女は運命を選択した』

 

 見知らぬ誰かに、そう祝福された気がした。

 

「べ、ん、じ、ん!」

 

 傷が癒えていく身体。喉の奥から、空いていた穴を通じて気管に入っていた血が逆流して噎せ返る中。謡の姿が切り替わる。

 血まみれだった私服は青と橙色の交差した戦装束へと変わり、艶やかだった黒髪は透き通る様な白金に染まる。そして瞳も紅に染まった。

 変化が終わった後の謡の姿は武者を思い立たせるような、出で立ちだった。

 

 謡は起き上がる。先ほどまでは力を籠めても立つ事さえままならなかった両足で。

 

 謡は立ち上がる。いつの間にか持った刀を片手に。

 

 謡は切り捨てる。彼女を敵と認識して、攻撃してきたバーテックスを一太刀で。

 

 あっさりと、感慨も何もなく一瞬で優香を喰らい、謡を突き刺したバーテックスは三枚に卸され活動を停止した。

 ソレに目もくれず、謡は優香へと駆け寄った。

 

「ゆうか! ねえ、返事をして! しっかりしてよゆうか、ゆうかぁ!」

 

「………」

 

 生気のない、比喩ではなく今にも死んでしまいそうな様子の優香は、緩慢な動作で抱きかかえてきた謡の頬に触れた。

 

「何、それズルい。謡が、生きてて。……ああ、ヤダ、死にたくない。よかった。死にたく……ないよ。謡は……生きて。助けて、誰か」

 

 支離滅裂で、纏まってない言葉の中、微かに紛れた二つの言葉。お父さん、お母さん。本来言葉にならなかったその言葉を、謡の上昇した身体能力は聞き届けた。それが、優香の最後の言葉だった。頬に伸びていた腕が力なく落ちて、瞳は空虚に謡の姿を映し返す。

 

「……ゆうか? ねえ、ゆうか、起きてよ! 返事をしてよ!! 笑ってよ!!! 嘘だって、言っても怒らないから! だから……何か言ってよ……ゆうか……」

 

(わかっている。分かりたくない。ゆうかは死んだんだ。ゆうかが死んだなんて嘘だ)

 

 謡は理解していた。だけど理解したくなくて、ひたすら優香の身体を揺すって、優香の胸ポケットから優香のスマホが零れ落ちた。

 画面には緑色の光が灯り、SNSの着信が来たと画面に映る。

 

『ママ:優香ちゃん、化物が現れたみたいだけど大丈夫? こっちも苦しいけど頑張るから、貴女も生き残って』

 

 それを見た瞬間、謡は心の何処かに入っていた亀裂から、砕けるような音が聞こえた気がした。目頭が熱くなって、雫が垂れて、ダメだと思っているのに嗚咽が止まらなかった。

 

「――――――――!」

 

 言葉にならない叫び声が響く。慟哭して、既に事切れている優香を抱きしめて、張り裂けんばかりに泣き叫んだ。

 

(私の、私のせいだ! 私があの時声を掛けなければ、ゆうかを立ち止まらせてなければ、私がいなければゆうかは生きていたはずだった!)

 

「御免なさい! ごめんなさい! ごめんなざいぃ!」

 

 泣いても、叫んでも、優香はもう何も返してくれない。

 それ処かバーテックスをおびき寄せるだけの結果となり、謡の背後から先程まで別の場所で人を喰らっていたバーテックスがこの場に集まり始めていた。

 謡の感覚は、それを感知していた。同時に江の島内で殺されそうになっている人の悲鳴も、断末魔の叫びも聞こえていた。

 

(そうだった、まだ、敵はいるんだ)

 

「……助けないと」

 

 袖で涙を拭って、謡は呟くように言葉を発すると、ゆっくりと立ち上がった。

 

「助けないと、人を」

 

(私みたいに苦しんでいる人が、この敵に苦しめられている人が何人いるんだろう)

 

 振り向いた謡は手に持った刀を構え、腰を落とした。

 

「これ以上苦しんでいる人を出さないように、私が、助けないと」

 

(敵を倒せば、きっと皆助かるはず)

 

「敵を、倒さないと」

 

(そうすれば、きっとゆうかも報われるはず)

 

 死者は何も言わない。謡はそのはずだと信じて刀を強く握りしめ、バーテックスへと駆け出した。

 

 

 

 

 

―――……

 

 

 

 

 

(あれから三年、三年たっても敵の数は減ったように思えない)

 

 謡は手に火縄銃を巨大化させたような砲筒を手に構え、バーテックスへと狙いを定めた。

 

(どれだけ頑張っても、助けようとしても助けられなくて)

 

 謡が最優先で狙うバーテックスは今、まさに鞭のような武器を持って戦っている少女を後ろから喰らわんとしている奴だ。

 

(それでも私は人を探して助け続けると決めているから)

 

 砲撃一発。バーテックスに着弾し、ミンチになって吹き飛ぶのを見る。

 

「ワッツ! 急に何!?」

 

 鞭を持っていた少女が突然の爆風に目を丸くするのを見ながら謡はその前に立った。

 

「助けに来ました」

 

(私は人助けを続けている)

 

 戦いの絶えない地獄、さながら戦獄ともいえるこの世界で、上総謡は戦い続けている。



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第二話

第一章:白鳥歌野は勇者である編始まります。




 白鳥 歌野(しらとり うたの)は勇者である。

 彼女は三年前に起きたバーテックスの襲来の時、神の力を借りて戦う力に覚醒した存在(ゆうしゃ)であり、その力を使ってこの三年間、彼女は長野県の諏訪湖周辺にある諏訪大社と、諏訪大社を護る『御柱結界』を中心として人々を守り続けてきた。

 バーテックスの襲来と攻撃を防ぐ御柱結界の中、諏訪の地において勇者となり戦えるものは集まった人々の中で歌野たった一人しかいなかった。だが彼女は今日までの三年間、一度に数百体を超えるバーテックスが現れようとも全て一人で倒し続けてきた強者だ。

 そんな彼女だからこそ、背中を庇われるという初めての経験にまず困惑した。戦場で助けが来るなど考えてもいなかった。なにより、そんな話を事前に聞いていなかったから。だから助けに来たという声を聴いた時心底驚いて、目を見開いて驚愕を露わにした。

 その声の主の、想像以上の小柄な背中にもまた、少なくない驚きを覚えた。

 

(な、ちっちゃい!?)

 

 救援に来た少女。謡は三年前のあの日より成長が止まっていた。身長158㎝の歌野との身長差は30㎝を超えており、一回りも二回りも小さい。一瞬、歌野の心に救援に来たというその言葉に不安を抱いた。

 

「―――っ、サンクス! 少し手が足りなかったところ!」

 

 しかし、歴戦の勇者である歌野は直ぐに切り替えて、お礼を言うと敵へと視線を戻す。

 謡もそれを聞き届けた上で、戦場を一秒弱の時間だけ子細に観察する。

 そして見た。

 幾つもの柱に囲まれた神社と、その中で不安の色を隠さずに戦場を見つめる少女の姿を。

 

「此処で為すべき事―――何か守らなきゃいけない物とかはある?」

 

「私達の後ろ! この御柱! 破壊されたら、結界内の人たちが襲われます!」

 

「成程―――任せて!」

 

 叫ぶように謡は肯定の意を返して、謡は手に力を籠める。

 対峙するバーテックスが迫ってくる中、謡は先程目に入れた戦況の中で、最優先で行わなければならない事を行う。それは謡がこの三年間戦い続けた中で理解した事であり、最も警戒しなければならない事。

 それは最も多く見る白い無脊椎動物のようなソレ――『星屑』と呼称されるバーテックスが集合合体し強大な姿になる事を阻止する事だ。

 歌野の視線を背に受けながら謡は目の前にいる100を超える数の星屑の中で複数体が集まろうとしている場所を狙い、手に持った砲筒を構え、撃つ。

 

 戦場に轟音が響き、一秒も経たずに直撃。合体の前兆を見せていた十体弱を一撃で粉砕。塵のように消えていく星屑を気にも留めず、謡は手に持った砲のダイヤルを切り替えた。

 

 再び引き金を引く。

 打ち出されたのは火球を吐き出すような重い一撃ではなく、マシンガンを連射するかのように高速の弾。威力は小さいものの星屑を葬るには十分な威力を持ったそれが次々吐き出されて行き、更に十といくつかの星屑に穴を開け、塵に還す。

 

 脅威と判断されたのか、砲筒を支えている左手側から星屑が数体噛み殺さんと高速で迫る。謡はそれを一瞥し左手を星屑へと向ける。

 

 星屑が噛み砕かんと迫る一瞬、謡は左手を開く。

 

 瞬間、手の先の虚空から黄緑色の刃がついた楯が音もなく現れ、星屑の攻撃を防ぐと共にその刃で逆にダメージを与える。星屑が怯んだ一瞬で楯の持ち手を掴んだ謡は右手の砲筒を手放しながら振り向き、投擲する。同時に橙色の刀を出現させ右手で握り、振り向く勢いのままに楯で怯ませた星屑を切り裂く。

 星屑が切り伏せられると同時に、投擲された楯は御柱を狙っていた星屑に直撃し両断する。

 

(この子、かなりストロング! いや、それよりもこの武器の多さは一体?)

 

 歌野は戦いの最中、一瞬だけ謡の方へと視線を向けて、その戦い方に舌を巻くと共に疑問を抱く。バーテックスに通常兵器は効果がない。詳しい理由は不明だが有効打となり得るのは神の霊力の籠められた武器だけであり、歌野であればこの土地、諏訪の戦神の霊力が込められた鞭がそれに該当する。だが謡はこの時点で砲筒、楯、刀の三種を扱っている。それは一つの武器と人でワンセットになっている現状の勇者の仕組みからかけ離れていた。

 

「せい、はぁッ!」

 

 謡は息を吐くように気炎を上げ、左手に新たに持ち替えていた深い青色の銃剣と、橙色の刀を連結させ、薙刀の様にしてから力を0コンマで溜めると同時に剣先から力を放出する。吐き出された光刃は5つ。一撃一撃が星屑を容易く両断し、そのまま空へと消えていく。

 謡がこの戦場で扱った武器はこれ四つ。そしてこの間僅か十秒強。倒した敵は三十を既に超えている。

 だが残る敵の数は未だ百体を割っていない。

 

 それでも、星屑しか敵のいないこの戦場において謡と歌野の背後、御柱に敵が到達し攻撃を加え入れる事はこの戦闘においては起き得なかった。

 

 

 

 

 

(……終わった)

 

 体感時間にして1時間程度。バーテックスの姿が見えなくなり、謡の感覚にも敵の存在が確認出来なくなった時、謡は深く息を吐いた。

 

「よかった……本当に、よかった」

 

(今日は、人を護れたんだ)

 

 謡は肩から力を抜いてもう一度深く息を吐く。ふと上げた両手はカタカタと震えていた。

 

(護れた……はずなのに)

 

 この三年間戦い続けた結果が一人だったという現実が、一抹の不安を過らせた。

 

(これからも護れるんだろうか?)

 

ここもまた、直ぐに懐かしく感じるような、記憶の中の物になってしまうような不安が止まない。

 

(いや、弱音を零している場合じゃない。私は人を助けるんだ)

 

 気弱な予感と、抱いた心を隠すために、両手を強く握りしめる。同じ轍をまた踏まない為に、あの日(・・・)よりも強くなったのだから。だからこそ、今度こそ守りきると決意を一新した謡の耳に、背後から近づく足音が聞こえる。

 謡は振り返る。そして目が合った、歌野と。

 

 大丈夫? そう謡が問いかける前に、近づいてきた歌野が謡の手を取った。

 

「助けてくれてサンクス! いやー助かったよ。私一人でもノープロブレムだったと思うけどやっぱ勇者が二人いると早いわね!」

 

「あ、えっと……どういたしまして」

 

 ブンブンと手を振るわれるがままに、感謝を受け入れる。謡としては当然のことをしたまでだという所感だが、それでも喜ばれるのは悪い気がしないし、心が何処か温まる様な気さえしていた。

 

(……というか物理的に熱い)

 

 歌野は気付いていない様子だが、手を握られた瞬間から、歌野の持つ藤蔓の鞭から熱が流れ込んでくるような気配と共に酷い眠気のような物に誘われる感覚が謡に芽生えている。

 先程まで少しも眠たくなかった筈なのに意識が朦朧としていき、思考がおぼつかなくなる。その感覚が何なのか、謡は知っていた。

 

(ああ……これ、呼ばれてる)

 

 跳ね回るように喜びを露わにする姿に振り回されながら、謡の思考には霞が掛かっていく。そういえば最後に寝たのっていつだっけと若干ズレた思考を最後に、喋る間もなくフッとブレーカーが落ちるように謡の意識は肉体から失われた。

 

「ワッツ!? 急にどうしたの、ねえ!?」

 

 歌野のは謡が倒れこんだ一瞬に何とか抱きかかる。そのまま声掛けを続けるが反応はない。だが変化は起きた。

 謡の戦装束、白銀の中着と橙の意匠が描かれた外套は花が散るかのように解れて消え、ボロボロになったジーンズとTシャツ姿になる。

 

(一体何が……いや、シンギングは後ね!)

 

 予想外の事態に、しかし冷静に安全な場所に移そうと考えた歌野は想像以上にずっと軽い謡を抱き上げ、諏訪大社へと身体を向ける。その視線の先に、駆け寄ってくる友人の姿を見つけた。

 

「みーちゃん丁度いい所に! ちょっとヘルプミー!」

 

 

 

 

 

―――……

 

 

 

 

 

―――その場所は巨大な湖にいくつもの柱が連立している。

 

 謡が、人間が見回しても水平線まで続く水と、黒鉄に輝く御柱が続く世界。淡い七色が輝く白の空間。謡はそんな空間の湖面にふと気付けば立っていた。

 

(ここは……いや、そうか)

 

 謡は何故此処にいるのか数秒だけ考え、直ぐに何があったのか思い返し、同時に肌で感じる感覚でここが何処なのか理解する。

 

「貴方達が、私を呼んだのね」

 

 謡は視線の先に広がる湖面に確信を持って呼びかけた。

 

『――――――――――』

 

 謡の言葉に呼応するように湖面が騒めき立つ。それは音の様に聞こえる、常人には理解しえない土地神と呼ばれる存在の声だった。

 

(やっぱり呼んだのはこの土地の神様、そして呼んだ理由は―――)

 

 人間には本来理解する事の出来ない神の声。一部の巫女と呼ばれる存在は神託としてそれを一方的に告げられることもあるが、謡は対等な立場として(・・・・・・・・)投げられた言葉として理解する。それは日本語訳すれば『お前は何者で、何故この地に来たのか?』という問いかけだった。

 問い掛けに謡は、応える。

 

「私は上総謡。貴方達とは違う神(・・・・・・・・)の力を借りて、人をバーテックスから助ける為に此処に来た」

 

 三年前のあの日手に入れてしまったこの力は、この場にいる土地神達や勇者のそれとは似て非なる力であり、別系譜のものだと謡は理解していた。

 故に、謡は土地神にそう告げ、土地神もまた意思を返す。

 

『――――――――』

 

「―――ああ、わかってる。行きたい明日を選べる希望は、護って見せる」

 

 土地神の言葉、『可能であればこの地に生きる者たちを来るべき時まで守護してほしい』を謡は受け入れる。来るべき時が何時かは告げられずとも、元より人を守ることは当然だと決めていたから。

 嘘や偽り等を、謡も土地神も疑わない。虚偽を述べてもお互いに筒抜けている前提で、意思を交わしているのだから、そういうのは一切ない。

 

『―――――――』

 

 聞きたいことは聞けたと言わんばかりの、土地神からの別れの言葉を最後に謡の意識は緩やかにこの世界から弾き出され――――。

 

 

 

 

 

―――木目の天井が視界に広がった。

 

「……」

 

 パチクリと瞬きして、謡は意識が肉体に戻ったのだと理解する。そして自分の肉体が室内で横になっているのだと気付いて、ムクリと起き上がれば身体に布団が掛けられていたらしく胸に引っかかっていた。

 

(布団で寝るのなんて何時ぶりだっけ……? いや、それよりも服が変わってる)

 

 意識を失ったからか戦装束は解れて私服に戻っていたはずだが、病人服のような、寝間着のような衣装が身を包んでいる。勝手に変えられたのだと理解すると少し気恥ずかしさを覚えた。

 だが、それ以上にここは何処だろうと、今更のように謡は小首を傾げた。地図も何もなく、只生きている人がいないかと歩き続けていた謡は自分が今何処までどの道を歩いていたのか、何処まで歩いていたのか分からなかった。

 

(寒くないし青森とかは違う。というかそこから下ったんだし。……見たことない場所だったから少なくとも神奈川や東京でもないと思うんだけど)

 

 少しだけ考え込む謡、だが、その耳にパタパタと小さな足音を二人分感じ取り、思考を中断して聞こえてきた方向へと視線を向けた。

 

「みーちゃん、神様から神託があったって本当?」

 

「本当だよ、もうそろそろ目覚めるから話せって……あ、ほら!」

 

 扉が開いて、二人の少女が謡の寝ていた室内に入ってくる。その両方に、謡は見覚えがあった。

 

(さっき戦っていた人と、その姿を眺めていた人、だよね?)

 

 衣装は違うけれど、その顔に見覚えがある。快活そうな少女と、控えめな印象を受ける少女。二人の姿に何処か既視感を覚えながら見つめていると、謡が起きているのを認めた二人が駆け寄るように近づいてくる、そして、先程謡と同じ戦場で戦っていた少女は謡の横に座ると、額へと手を当てた。

 

「んー、熱はないし意識が飛んでる様子もなし。ノープロブレムみたいね。大丈夫? 何処か痛い所は?」

 

「特にないから大丈夫。えっと……」

 

 言い淀むような仕草をした謡に、そういえばと歌野は重大なことを忘れていたことに気付く。襟を正して、歌野は頭を下げた。

 

「白鳥歌野です。先ほどは助けてくれて、改めて有難うございました」

 

 歌野の姿を見て、隣にいた少女、藤森 水都(ふじもり みと)も同じように挨拶をする。謡も、それを受けて名乗り返した。

 

「上総謡です。それで、えっと……ここは何処ですか?」

 

「此処は君がさっき守ってくれた諏訪大社の神楽殿の一室だよ。戦いが終わった後に急にスリープしちゃった貴女をみーちゃんと一緒に運んだの」

 

「……? あの、諏訪大社って何処ですか?」

 

 アレ? と、歌野と水都は首を傾げた。この近くの人であるならば今ので直ぐ通じるのに通じないと。

 

「諏訪大社は諏訪市の、えっと、長野県の諏訪湖に面した神社だよ。知らないの?」

 

 水都はもしやと思い、県まで含めて説明する。

 謡は目を見開いた。

 

「長野県!?」

 

 謡は思わず仰天した。

 

「いつの間に北日本から甲信越まで戻ってきたんだろ……」

 

 小さく呟いた言葉を、歌野は耳聡く拾い、好奇心を持って謡を見つめる。

 

「謡君は一体何処から此処まで来たんだい?」

 

「えっと……神奈川から青森まで行ってこっちに戻ってきた感じ?」

 

「ワァオ、予想以上にトラベラー!」

 

「……すごい」

 

 驚きを隠せない様子の歌野と水都。何処かおかしなことを言っただろうかと首を傾げる謡。

 少しズレた空気を修正するかのように、それよりもと仕切り直して水都は口を開いた。

 

「謡ちゃんは、その、うたのんを助けに来てくれたんだよね?」

 

 伏し目がちに、そう尋ねてくる水都に謡はそうだよ。と、返す。

 

「戦っている音が聞こえたから、此処に人がいると理解したから私は来たの」

 

「この地でうたのんと一緒に戦って、くれますか?」

 

 きょとんと、謡は目を瞬かせる。当たり前に考えていたことで、この問いかけに何の意味があるのだろうと謡は数秒考え、少し頭を上げたことで見えた水都の瞳を見てその理由を察した。

 

「勿論戦うよ」

 

 力強く、笑いかけるようにそう謡は言い、それを聞いた水都の表情は、安心したと言わんばかりに安らいだ。そんな水都の様子を見て、少し気恥ずかしそうに、でも嬉しそうに歌野は抱き着き、突然歌野に抱き着かれた水都が頬を朱に染めて慌てている。

 そんな光景を見つめる謡には、先程芽生えた既視感が何なのか漸く理解できた。

 

(この二人、やっぱりそうだ)

 

 じゃれ合う二人を眺めながら、謡の瞳にはその後ろに違う二人の少女の姿が映る。

 

(とら姉さんとまっち、二人の関係に何処か似てるんだ)

 

 昔の友人の姿を二人の姿に重ねて、どこか心が温かくなるようような感覚に謡は少しだけ頬を緩ませると、その記憶を心の奥にそっと仕舞い込んでから改めて二人へと向き合った。

 

「うたの、みと」

 

 謡の呼びかけにじゃれ合っていた二人が視線を向ける。その視線を受けながら、謡はゆっくりと頭を下げた。

 

「これからよろしく!」

 

 言葉を紡ぎながら、謡の頭に意識を取り戻す前、土地神に別れ際に言われた言葉が過った。

 

『勇者を、巫女を、この地に生きるものを頼む。異邦の者よ』

 

(ああ、わかってる。今度こそ、此処にいる人たちを悲しませたりなんかしない)

 

 理不尽な犠牲が当たり前なんて事許容できるはずもない。それに頷いていたら昨日までの日々と、守れなかった日々と、三年前と同じだ。

 それは嫌だと思うから、退路を断つことになるとしても、新たな道を切り開いてみせる。それが、また守れないかもしれないという不安を抱きつつも謡の選んだ変わらない道だった。

 




補足的な何か

・上総謡の戦闘スタイル。
現状はモチーフとなった仮面ライダー鎧武 極アームズであり勇者装束の説明である銀の中着というのもそれである。橙の意匠が入った外套は同姿のマントに橙の花模様が入っているイメージ。
 戦闘方法は作中において登場したアームズウェポンと呼ばれる物全てを状況に応じて呼び出しながら戦うスタイル。
アームズウェポンの種類は様々であり、この話で登場したもののモチーフはそれぞれ、
無双セイバー:銃剣
大橙丸:刀
メロンディフェンダー:楯
火縄橙DJ銃:大砲
である。
これ以外にもアームズウェポンはあり、極アームズはそれを状況に応じて選び、使うのが本来の戦法であり、他には空中に武器を出現させて射出するいわゆるゲートオブバビロン的な戦闘も可能である。

・上総謡は神と会話することが出来る。
知恵の実=黄金の果実を食べたため、既に人の身を逸脱している。
乃木若葉や白鳥歌野といった普通の勇者は神器を武器として手に持っているが謡の場合は肉体にそれを直接取り入れたため、どちらかといえば結城友奈の様に御姿に近い、というより御姿より神霊側に両足突っ込んでいるイメージ。

モチーフとなった仮面ライダー鎧武の主人公の葛葉紘汰は知恵の実を手に入れたことで人間からオーバーロードと呼ばれる存在になり、テラフォーミング、肉体のバックアップデータを取り復元などを行えるようになった。

・謡が歌野と水都に重ねてみた二人
友人(故人)


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第三話

うたのんとみーちゃんの話回。


 水都が謡出会った日の夜、謡は新たな勇者として諏訪に生きる数百名余りの人に公表された。

 バーテックスの襲来より三年が経過した中、諏訪の地に外からやって来た新たな勇者として紹介された謡の存在は、人々に概ね好意的に、小規模なれど歓迎会を開かれる程度には歓迎されていた。

 一部の人々からは歓迎されていない、というよりこんな小柄な少女がといった様子の不安げな視線で見られているものの、それはそれ。謡にとってはそのような人の機微もある種慣れた様子で別に気にしていないように見える。

 水都は、「これから宜しくお願いします」、「歌野様と一緒に頑張ってください」等と様々な人に声を掛けられながらも力強く笑みを浮かべて、嬉しそうに敬礼をする謡をボンヤリと座りながら眺めていた。

 

(元気な子だなぁ……やっぱり、私とは全然違う)

 

 謡と歌野の会話を横で見ていた時、そして珍しく水都が勇気を出して謡に声を掛けてきたときからもう理解しているつもりだった。戦ってくれますかと水都が問いかけた時の表情。柔らかい微笑みと若干舌足らずな口調で、だけど強い意志を秘めた瞳でハッキリと「勿論戦うよ」と、言い切る姿は水都にとって見慣れた憧れの姿とよく似ていて、少しだけ、モヤっとした感情が心の中で膨れ上がっていた。

 

(よくない、よね。こういうの。)

 

 折角戦ってくれる勇者が増えたのに、それに悪感情を抱くなんて。と、自嘲する。だけど、なんで三年以上たってから来たんだろう、なんで苦しくなる前に、もっと早く来てくれなかったんだろう。という身勝手な思いもまた同時に脳裏に過って、膨れ上がり続ける。そんな思考がある事に、自己嫌悪の感情がふつふつと溜まり続けて、水都は溜息を吐こうとした瞬間。

 

「わひゃう!?」

 

 突然首筋に冷たいものが当たる感覚に水都は奇声を上げた。頭の中を真っ白にしてビクリと身体を震わせ、水都はバッと振り返る。

 其処には悪戯に成功したと言わんばかりの笑みを浮かべた歌野が、コップに入れた麦茶を両手に立っていた。

 

「どうしたのみーちゃん、そんな大きな声を上げて」

 

「―――っやった本人が言う、ソレ?」

 

 むっと頬を膨らませた水都に、歌野はごめんごめんと頭を下げながら隣に座り、手に持っていた飲み物を一つ、水都に渡す。

 

「ありがと」

 

 受け取った麦茶を飲んで、水都はお礼を言わないのは悪いような気がして、でも直前の事もあって小さく感謝の言葉を零す。どういたしまして、と笑いながら言葉を受け取った歌野は横に座ると同じように麦茶を飲んだ。

 そうして並んでお茶を飲んでいれば、ささくれ立っていた心がいつの間にか少しだけ落ち着いている。

 

(現金だなぁ、私って)

 

 ほんの少しだけ、また自嘲を重ねながら歌野と共にお茶を飲み始めて数秒。十秒弱と経過する。

 

(……あれ?)

 

 そこで水都は違和感を覚える。普段の様に歌野から話が始まらない。水都は歌野へと顔を向けると、歌野が浮かべている、らしくない表情に小首を傾げて口を開いた。

 

「何かあったの?」

 

「―――っ」

 

 不安気な表情を浮かべた水都の問い掛けに、ハッとするように歌野はお茶から口を離して、笑みを少しだけ浮かべようとするも、ゆっくりと消した。その表情はいつも快活な歌野がするとは思えないほど空虚に近い。

 

「……なんでもないかな」

 

「そう見えないけど……うたのん、何かあったの?」

 

「……ん、少し、話してもいいかな」

 

「え、わ!?」

 

横目に水都を見た歌野はそっと身体を傾けて水都に預けてくる。やっぱりどこか変だと、水都がそう思った瞬間に、ポツリと歌野は言葉を零した。

 

「……私ね、謡君が来てくれて感謝してるわ。一緒に戦ってくれる勇者が増えて、正直安心してる」

 

「……うん」

 

 少しだけ低くなった声に気付かれてないだろうか。水都は歌野の言葉に相槌を打ちながら、謡への悪感情を持っていた疚しさに、少しだけ声が硬くなった気がする。

 幸い、気付かれなかったのか歌野はそのまま水都に寄りかかったまま続ける。

 

「だけど、それ以上にみーちゃんに心配を掛けずに済むって事と、みーちゃんを危ない目にあわせなくても済むかもしれない方に私は安心したわ」

 

「……え?」

 

 言われると思っていなかった言葉に、相槌ではなく聞き返すように疑問の声を上げた。

 気恥ずかしそうに頬を掻きながら、歌野は水都へとより強く寄りかかる。

 

「みーちゃんはいっつも結界のギリギリで戦っている私を見てるよね」

 

「うん、今日の時だって、見てたよ」

 

「私さ、危ないってよく言うけれど、それでも、みーちゃんが見ているって思うといつも以上に頑張れる気がして嬉しいと思ってるの」

 

 でも。と、歌野は少し声を震わせる。

 

「それと同じか、それ以上に。ふとした拍子に結界が割られてみーちゃんが死んじゃうんじゃないかって不安になる。判断ミスで攻撃を避け損なってダメージを喰らった時にみーちゃんの泣きそうな顔が見えて心が苦しくなる。そうならないために頑張っているけれど、増えた敵の攻勢にどうしても間に合わないタイミングがあって、その度に私が死ぬんじゃないか、みーちゃんが殺されるんじゃないかって、みーちゃんを一人にしちゃうんか、私が一人になるんじゃないかって怖さがあった」

 

「うたのん……」

 

 抱き着かれているから、水都は気付いた。

歌野の身体が震えている。恐怖が顔にハッキリと出て、弱音を吐いている。こんな歌野の姿を、水都は見たことがなかった。

 

(いや、違う。弱音を今まで吐けなかったんだ)

 

 水都は、弱音を吐けなかった理由をわかっている。

 

 白鳥歌野は勇者である。

 諏訪の地を今まで一人で守り続けた勇者であり、皆の希望の象徴である。何処で何をしていようと人は歌野を見ているし、その姿に希望を見出していた。だからこそ、歌野が弱音を吐けばそれは諏訪の地に生きる皆に伝染し、取り返しのつかない事態になる。

 新しい勇者が来て、皆の意識がそちらに気を取られている瞬間でもなければ、歌野は弱音を吐くことさえ許されていなかった。

 

「謡君が助けに来てくれた時、背後に迫る敵に気付けていたけど、対処できるかは分からなかった。もしあの瞬間に助けが無かったら、私は怪我をして動けなくなって、結界が破られてみーちゃんが目の前で死んで私もそうなっていたかもしれないと思えば今でもぞっとする」

 

「うん」

 

 水都は、寄りかかってくる歌野をそっと抱きしめながら続きを促す。

 

「本当は戦うのも怖くて。でも、何も出来ずに皆が死ぬのはもっと怖くて、だけど私、謡君に助けられて、謡君の戦う姿を見た時に少しだけ思ったの。もう、頑張らなくてもいいんじゃないかなって」

 

「―――っ」

 

 頑張らなくていいと、水都は衝動的に言おうとして、それがどれだけ無責任な言葉なのかを想像して口の中で止めた。きっと言えば、歌野を逆に追い詰めてしまうと、水都は言葉を探すが、何も言えなくて抱きしめるのを強くして、

 

「私、勇者失格よね……。新しく来た女の子に、あんな小さな女の子に一瞬でも全てを任して放り投げたくなっちゃうなんて」

 

「―――っ、そんなことないよ!」

 

―――それでも、勇者失格だという歌野の自虐を水都は看過出来なかった。

 

 水都自身も聴いたことがないような大声は、幸い集まっていた他の人たちには届いていなかったものの、至近距離で聞いていた歌野は驚いたらしく、目を丸くしている。

 だが、水都はそれを気にも留めず、歌野と向かい合って両手を歌野の手に合わせて口を開いた。

 

「うたのんはこの三年間ずっと頑張って来たよね。一人でも戦って、日常を大切にしたいからって畑を耕して、此処に生きる人たちを励まし続けて、どんなつらい目にあっても人は必ず立ち上がれるって言ってたよね」

 

 その言葉を、歌野は否定しない。言った言葉は事実で、行ったことも事実だから。畳みかけるように、水都は言葉を続ける。

 

「私は……私はうたのんが言ったその言葉を信じてる」

 

(だからうたのんは立ち上がれると信じてる。だけど……)

 

 もし、此処で。

 歌野がほんの少しでも投げ出してしまえばどうなるのか。

 

「もし、今休めばうたのんは一時幸せになれるかもしれない。けれど、きっと―――」

 

 本当は水都だって歌野を戦いに駆り立てたくない。寧ろ戦いの場にどうして立てるのか、それが分からないと思うくらいには歌野が戦おうとする理由を理解しきれていない。      

 勇者だからと、陳腐な言葉にするには歌野の境遇は、三年間の戦いは過酷で。

 だが、それでも水都には理解できている事がある。

 

「うたのんは、戦いを辞めたらきっと、自分を許せなくなる」

 

 歌野は自分を貫いて生きてきた人間だ。そんな歌野が、自身を貫けなくなった時にどうなるのか。水都には想像しきれない。だけど、きっと自分を責めて今以上に頑張ろうと、無理をしかねない。

 これ以上頑張らせない為に頑張ってもらうという矛盾に水都は気付いている。

 だが、歌野の事を理解しているからこそこの矛盾を解消する術がない事にも気付いていた。

 

「そう、だね。……辛いなぁ」

 

「だよね……だから」

 

 ぎゅっと、水都は歌野の頬に伸ばしていた手を降ろして再び抱きしめた。歌野の頭を自分の胸に当てて、強く、強く。ぎゅっと抱きしめる。

 

「……みーちゃん?」

 

「だからせめて、今は誰も見てないから、私が聞くよ。うたのんの思い全部」

 

 辛い思いも、悲しい思いも、苦しい思いも全部聞く。私には、それだけしか出来ないから。その代わり、全部受け入れるから。水都はそう言いきって、それ以上の言葉は紡がなかった。

 歌野はそんな水都を抱きしめ返しながら、また少し、身体を震わせる。

 

「ありがとう。……みーちゃんは凄いね」

 

「私は全然凄くないよ。うたのんが凄いから、私は勇気を貰えてる。だから、うたのんが勇気を出せない時は、私がうたのんを助けたい。そう思ってるだけ」

 

 蚊の鳴くような小さな声でもう一度歌野は感謝を告げる。そうして、ぽつぽつと再び水都に言葉を零していった。

 

 謡はそんな二人の姿を隠すように、周りの目が自身の方に向くように諏訪の人々との会話と保ち続けていた。

 

 

 

 

 

 そんな日が終わった翌日。

 

 まだ早朝も早朝、日の出前の時間帯に謡は一人、諏訪大社の上社本宮のすぐ横に作られている畑の淵に立っていた。

 肌寒く、一寸先すら見えない暗闇の中、謡は迷いなく、畑の中、土へと指を入れる。

 

「さて、と」

 

 謡は目を閉じて、身体の内側にある神器『黄金の果実』へと意識を向けた。

 

「――――っ」

 

トクン。と、脈打つかのように感じる力を極少量引き出せば、謡の瞳が黄金色に発光し、手先から淡い燐光を生み出して大地へと染み渡らせるかのように放出する。

 そのまま数十秒、ジッと大地に力を放出した謡は、もう十分だと判断したところで指をそっと引き抜き、手に着いた土を払った。

 赤色に戻った瞳で大地を改め観察すると、心なしか土の質が改善されたような気がする。

 

「……よし、じゃあ次は湖の方だね」

 

 ここでの役目は終えたと言わんばかりに謡は満足気に頷いたあと、この場を離れて本宮の後ろ、諏訪湖の方へと足を向ける。

 諏訪湖でも一通り同じような行為を終えて、そこで一仕事終えたと言わんばかりに息を吐いた。

 

「これでいいんでしょ?」

 

 呟くように。謡は誰もいない事を確認してから土地神に対して言葉を紡ぐ。大地と、湖に対して謡の行っていたことは土地神に依頼されたものであり、謡の神器『黄金の果実』の力の本質を利用したものだった。

 黄金の果実の力、その本質は創造と破壊。

 戦いにおいては武器や戦装束を形成などに応用して使われるこの力だが、特に変化せずに力をエネルギーとして土地に流せば土地神が変換してこの地にしている祝福を強化し、恵みを増やすという結果になる。

 返答の代わりか、穏やかな風が吹き抜けて髪を揺らす。

 肯定と受け取った謡はよかったと零し、上機嫌にゆっくりと立ち上がり、軽く背筋を伸ばした。

 

「じゃ、ぼちぼち戻るかー!」

 

 振り返って上社本宮へと足を向ける謡。

 急く用事もない為、歩いて本宮の中へと足を進めた謡は、そこで歌野とばったり出会った。

 

「おや、グッモーニン謡君。随分と早いわね」

 

「おはよ、うたの。そっちも早いね」

 

 軽く挨拶を交わしながら、謡は歌野の顔を軽く見つめる。

 少しだけ泣きはらしたように赤く腫れている目の周りに対して、晴れやかな表情。大丈夫そうだ、と謡は少しだけ安心した。

 

「うたの、へーき?」

 

「ん、何が?」

 

「色々。疲れとか、そんなところ」

 

「全然平気、ノープロブレムよ!」

 

 万一の確認として言った問い掛けに対しても、一切の気負いのない返事。無理している様子は一切なく、よかったと、謡はほっと息を吐いた。

 

「嬉しそうだけど何かあったの?」

 

 安心した謡の様子に、少しだけ疑問を浮かべた歌野は問いかける。こてんと首を傾げた歌野に対して、謡は微笑みながら言葉を返す。

 

「何もないこの平穏が嬉しいよ」

 

 平和な一時が、作り物でない笑いを浮かべられるこの状況が謡には喜ばしいもので、歌野は笑みを浮かべて、それを肯定した。

 

「それもそうね。―――私はこれから畑の手入れをしに行くのだけど、よかったら一緒にやってみない?」

 

 歌野の誘いに謡は頷いて、じゃあ行こう、と畑へと向かい始めた。

 




補足的な何か。

・黄金の果実
仮面ライダー鎧武においては神話で語られる知恵の実やアンブロシアなどの元になった果実とされる。
ヘルヘイムの森と呼ばれる場所が宇宙の星々、それこそ平行世界も含めた場所に空間を超えて浸食し、一つの星に一つだけ作られる禁断の果実。
手にするためにはヘルヘイムの森に果実を手に取るに値すると認められた者たちの中から勝ち上がり、勝ち取らなければならない。
その力と影響性は凄まじく、作中において一欠片程度の力で作られた極ロックシードを使い続けた葛葉紘汰は、それだけで人外の存在であるオーバーロードインベスに変貌した他、果実を手に入れた後では『神』と呼ばれるほどの力を手に入れ、意識不明の人間の心理空間に現れ目を覚まさせる、手から衝撃波を放つ、致命傷を負い爆発四散した後にバックアップデータから自身の肉体を復元する、平行宇宙に自力で顔を出す等のライダーというよりラスボス等に近いスペックを得ている。

本作においては謡の神器として登場。
江ノ島の木々の間に空間を侵食するかのように生えていたこの世界の物ではない木に実っていた。
謡が一口、齧る事で体内に溶け込むように取り込まれ、肉体を力を扱うに適した存在へと変化させている。

戦闘の時には創造の力を用いて戦装束や武器の生成している。
また、今話の様に力を流し込むことで土地神に力を受け渡すなどをする事も出来る。


破壊と創造の力を持つとされているが鎧武本編の作中描写を見る限りどちらかと言えば
創造の力に比重が置かれているらしく、極ロックシードの力のみ、『神』になった後の両方の戦闘を見ると単純にスペックが高い相手を苦手とする描写が多い。また、鎧武の本編後の描写としてこの力を使い無人惑星のテラフォーミング等を行っている描写等から農耕神の力、や一人TOKIOの力とも揶揄されることもある。
実際には新しい生態系を作り出している事などから創造神の力と呼ぶのが正しいだろう。


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第四話

 二〇十八年八月六日。

 謡が諏訪に来てから一週間が経過したその日。夏真っ盛りのこの時期は、避暑地と名高い長野の地であっても、平地の諏訪では夜遅くでも熱く、窓を開けていなければ不快感で目が覚めてしまう様な時期である。

 この日もそんな熱帯夜の一日であり、高い湿度も伴って不快感を抱かせるような深夜0時少し前の頃、謡は闇夜に紛れるように上社本宮の一室、自室としてあてがわれたそこから外へと出ていた。

 着ている服は、諏訪に来る前の襤褸の服ではなく、歌野の御下がりの少し濃い蒼色のジャージ。胸部がきつくて前が閉じられない物の手足のサイズは丁度いいそれの落ち着いた色合いは闇夜に紛れ、足音を殺してしまえば目立つ黄金色の髪を目撃されない限り謡だとは分からないだろう。

 目撃されないように気を使いながら謡が足を運んだ先は御柱結界の端、境界として分け隔てられた先の外、即ち敵地。

 謡は外に出る前に一度、ジャージに汚れが付いていないかを確認する。

 夜間、灯り一つない常闇の中でも謡の視界は不自由なく自身の様相を捉え、問題がないとキチンと確認する。その上で、謡は自身の意識を内側へと埋没させ、体内に流れる力へとアクセスした。

 眩い光が一瞬謡を包み込み、光が霧散した所で謡の姿はジャージから切り替わる。

 白銀の戦装束に身を包んだ謡は、肩を軽く回した。

 

「さて。今日も頑張ろう!」

 

 頬を軽く叩いて気合を入れる。されど熱を削ぎ落したかのような色のない表情で謡はそう呟くと、右手に銃剣を作り出して結界の外へと出た。

 結界から足を進め、一度跳躍して御柱の上に乗ったことで見える謡の視界内に、20㎞以内の距離で星屑が終結しつつある光景を捉える。

 その数百を飛んで五百を超えるといった所。それが北、東、南の三方にそれぞれいた。

 

「三日前よりも増えてるなぁ……ちょっと面倒」

 

 倒さねばならない敵の数にではなく、その過程でとれる手段に関して謡はあらかじめ土地神に要求された事を思い出して、そう口にする。

 これから謡が行う行為、バーテックスの数減らしは土地神からの依頼と、人を守るためという謡の意思が合致して行われている事であり、本日で二度目となる。そしてこの遊撃において、謡は土地神から『この地で既に扱った武器と戦い方以外をなるべく扱うな』という事を課されていた。

 

(割と手数が減るから困るんだけどなー)

 

 黄金の果実の力、即ち創造と破壊で戦う謡の持つ武器は自身の脳裏に浮かんだイメージから構成されている。その数15種を超え、一度に複数生成する事も出来、更に空中に作りそのまま自身の意思で射出するなどの行為も出来る。

 というより武器を射出しながら敵の数を減らし、大技で巨大な敵を倒すのが本来の謡の戦闘方法だ。

 だが諏訪の地で謡はその戦い方をしておらず、かつ使ったことのある武器は四種、即ち銃剣、刀、楯、大砲の四つになる。

 大分戦闘の幅を狭めなければならなかった。

 

(ま、やることは変わらないからいっか)

 

 重要なのは敵を倒すことであり、それが出来れば手段はどうでもいい。

 課されたことに関して謡は理由を知らずとも必要な事だろうと、無視するつもりがないため、何故という疑問を一旦思考の外に置き、銃剣を構えて駆け出した。

 大地を蹴り砕きながらものの数秒で交戦距離に入った謡は手に持った銃剣の引き金を引いた。放たれた弾はそのまま直進し、戻る事を知らずに一体の星屑に命中し、破裂させる。

 それにより謡の接近に気付いた星屑達が威嚇の咆哮を上げ、謡へと向かい始めた。

 視界を埋め尽くさんとばかりに広がる星屑の群れ。されど謡は怯まずに、左手に刀を持つと、構わず突進した。

 

「此処からは、私のステージだッ!」

 

 己を鼓舞するように吠え立て、しかし表情の抜け落ちた冷静な顔と思考で星屑へと武器を振るう。流麗に、花弁が風に乗りひらりひらりと流れていくように舞う。

 この戦いで少しでも諏訪の進む明日が良き道へと変わるように願って。

 誰かを助ける、その為になら命も投げ出す価値があると謡は信じ続けている。

 

 

 

 

 

―――……

 

 

 

 

 

 二〇一八年八月七日。

 まだ日の出前の時間帯に水都は目を覚ましていた。

 普段の起床時刻よりだいぶ早い、その理由は花摘みである。

 

(昨日夜中にお茶を飲んじゃったからかなぁ……)

 

 熱帯夜の不快感と喉の渇きに負けて夜遅くに水を取ってしまったからか、当然来てしまった生理現象によってまだ丑三つ時だというのに目が覚めてしまった。

 寝起きが良い方だった水都の意識はバッチリ覚醒してしまい、今から眠れば本来の起床時間を大分過ぎてしまうだろう。かといって、このまま起きているには時間を潰すものがない。三年前のあの日より自給自足で何とか賄っている諏訪では娯楽などに手を回す余裕がないからだ。

 溜息を吐きながら水都は曲がり角に差し掛かり、意識していなかった為に反対方向からやって来た謡に気付かずぶつかった。

 

「わわ!?」

 

「っ! と」

 

 衝撃で水都は転びかけ、謡がそれに気づいて転ぶ前に手を伸ばして掴み止める。そのまま身体を下に滑り込ませて支える。まつ毛とまつ毛が触れてしまいそうな距離まで顔が近づき、ぴぃと水都が小さく喉を鳴らした。

 

「あっぶな……みと、大丈夫?」

 

「あ、う、うん。ありが、とう」

 

 ビクリと身体を震わせて、それでもお礼を言う水都の姿に怖がらせてしまっただろうかと謡は少しだけ申し訳ない気持ちになりつつ、身体に回した手をゆっくりと離し、立てるかどうかを確認しながら離れようとした。

 

「立てる?」

 

「う、うん。だいじょう――――!」

 

 水都に手を伸ばし、おずおずとしながらも水都がそれに触れようとしたところで、水都は表情を引きつらせて無言でその手をジッと見つめた。

 

「えっと……その……」

 

 水都は口を開いてパクパクとさせる。

 

「ん?」

 

「あの……」

 

「みと、とりあえず落ち着こう」

 

 何かを言おうとしている事は分かった。だけど考えていることに口がついて行かないのか言葉に出来ていない様子。

 ひっひっふー。と落ち着かせるために縁側に並んで座った後呼吸に暫く専念して、漸く水都はつっかえながらも言葉を紡いだ。

 

「謡ちゃん、その、さっきまで戦ってたの?」

 

「え」

 

 いや、確かにやっていたけれどなんでわかったの? 特にバレるような事何かしてたっけ、いや、服に汚れが付いてないことは来る前に確認したよな? と、話すつもりもなかったことを突然に言い当てられ、謡は驚愕する。

 

「た、戦ってなんてなないよ?」

 

「……それ、してたって言ってるようにしか、聞こえないよ?」

 

 咄嗟に誤魔化そうとするけれど無理だった。

 もとより謡は嘘があまり得意ではなく。特に、突発的に知られた事を誤魔化すような才能は持っていない。モロバレである。

 

「……なんでわかったの?」

 

 観念して呟くように問いかけた謡に、水都は寧ろ驚きを隠せない様子でそっと謡の掌を指さした。

 

「だって、手に血が付いてる……」

 

「え? ……あ!」

 

 バッと自身の両手を見て、生乾きの血が袖下から両掌まで付着しているのを謡は見た。

 ハッとして、先程掴んだ水都の手の部分を見て、案の定血が少しだけついてしまっているのを発見して、思考するより先に全力で頭を下げていた。

 

「ゴメン! ほんっとうにゴメン! 今から手を洗いに行こう! ね!」

 

「え、あ、そんな、謝らなくても……」

 

 そのままだと頭ぶつけちゃってたしと水都は呟くけれど、謡は意に返さず慌てた様子で水都を手洗い場へと連れて行った。

 

(やっぱりこの子、何処かちぐはぐだよね)

 

 並んで手を洗いながら水都はチラリと謡を見て、胸中でそう呟く。

 謡が諏訪に来て今日で8日目。人付き合いが得意ではない水都が謡と話した回数と時間はそう多くはない。それでも、勇者と巫女という戦うものと神の神託を受ける者として他の人々に比べれば付き合いは多い方だ。

 そんな人付き合いが薄い水都にとって、誰かと話すという事はあまりないから記憶に残りやすく、だからこそ謡が喋る姿を見ていると、先程みたいに見た目相応になったり、硬くになったり、大人びたようになったり、自身を見ているような少なめの言葉遣いに変化したりするのに違和感を覚えていた。

 

(誰かの真似をしているのかな?)

 

 手を洗い終えた水都は水気を拭いながらそんな仮説を立てる。だが、その答えがあっているのかどうかは当然分からないし、その変化について今聞くつもりも特になかった。

 それよりも聞こうとしていたことがあるから。

 

「ホントごめんね、みと。服に血が付いてなくてよかったよ」

 

 申し訳なさそうに頭を下げる謡に、水都は謝罪はいいからと頭を上げさせる。

 

「それよりも、どうして戦ってたのか教えて?」

 

 うっ。と、謡は罰が悪そうに顔を背けた。

 

「話さないとダメ?」

 

「駄目って訳じゃないけど……無茶して欲しくないし」

 

「じゃ、じゃあ無茶してないから話さなくても―――」

 

「でも怪我してたよね」

 

「いやいや、これぐらいかすり傷だよ! もう治ってるし、ほら!」

 

 そう言いながら袖をまくる謡の腕には確かに怪我の痕は見えない。けれど、それはそれで恐ろしいものを水都に感じさせた。

 

「傷跡も、ないの?」

 

「あ―――しゅ、出血量ほどデカい傷じゃなかったんだよ! ほら、勇者って傷の治りも早くなるしさ!」

 

 少しだけ早口に、焦りを交えた表情で弁明をする謡に、水都の思考にこれ以上聞き出せそうにないかなと諦めの色が混じる。

 だが、そんな水都以上に謡は既に誤魔化せないだろうなと思っていた。

 

「えっと……ホントに言わなきゃダメ?」

 

「え、あ、うん」

 

 諦めつつあったから少しだけ驚いて、反応が遅れたけれど水都は頷く。

 少し前までの水都だったら、そう言われたら聞いて欲しくないんだろうと思って聞き出せなかったかもしれない。でも、歌野から初めて弱音を聞いて、奥に隠し抱いている思いを知った時から水都にとって勇者とは唯凄いだけの存在ではない。頑張れるだけの普通の少女だと分かっているから、せめてそれを知っている自分は話を聞ければと思っていた。

 そのちょっとの進歩が、謡から言葉を引き出す。

 

「実は―――」

 

 謡は観念して話し出す。土地神の依頼であるという事と、外に集結しつつある敵を減らして少しでも諏訪の地が楽になればいいという思いが一致した結果だという数時間に渡る戦いの事を。

 

「土地神様からの依頼って……謡ちゃんって巫女の力も持ってるの?」

 

「あ、それは違うよ。私は巫女じゃない。えっと……うん、上手く言えないけどそれはたしか」

 

「あ、そうなんだ。でも、バーテックスがそんなに……」

 

 言葉を濁す謡。しかし水都はバーテックスが集結しつつあるという情報と、その数が五百を超えてなお集まり続けていたという事に恐怖を覚えていたために気付けない。巫女、つまり神の言葉を聞ける存在である水都は土地神からの敵の数、進軍状況を神託という形で言い渡される事がある。

 だが、そんな数のバーテックスの進行準備は聞いたことがなかった。

 今までは多くても百から百五十程で、その五倍から三倍の敵が三方向から襲撃を仕掛けてくる。

 歌野一人では恐らく対処不可能だったであろう敵の数だ。

 

「どうして急にそんな大量のバーテックスが……」

 

 水都の呟くような言葉に、謡は不安にさせちゃったなと眉尻を下げ、しかしそれを取り繕う様に力強い笑みを浮かべて、水都の肩を叩いた。

 

「大丈夫、敵が何体来ようが何とかするって。今日だってちゃんとその集まってた敵はちゃんと倒せたんだしさ。諏訪に生きる人たちは、ちゃんと守ってみせるよ」

 

 だから、大丈夫。

 謡は水都を安心させるために、力強さを見せようと力こぶを作る様な動作をする。

 ジャージに隠れて見えないけれど、少しだけ安心したように水都は微笑んだ。

 

「謡ちゃんは凄いね。こんなにちっちゃいのに凄い」

 

「おっと、それは禁句だぞ、みと」

 

 元々小柄だったのに加えて、三年前より身長に関してはもう伸びないと分かっているぶんちょっと、いや、大分気にしていた。

スッと笑みを消した謡に思わず水都がゴメンと謝るけれど、少し落ち込んだ様子。

 

「そうだよなーちっこいよなー……125位しかないけど14歳なのになー……」

 

「……え? 14歳?」

 

「ん? ああ、言ってなかったっけ? 2004年生まれだから今年で14歳だよ、私」

 

「……年下だと思ってた」

 

「それは知ってる」

 

 信じがたいという表情をする水都。もう慣れたと言わんばかりの謡。

 溜息が一つ増えた。

 

「まあ、それはいいとして。とにかく空いた時間に見回りして、見つけたバーテックスは少しでも削っておくから、みとは安心して普段通り暮らして」

 

「……謡ちゃん、ホントに大丈夫?」

 

「何が?」

 

 首を傾げる謡に、だってと水都は心配事を上げる。

 

「空いた時間て言ってるけど夜中にやってるんでしょ? 眠くないの?」

 

「私は寝なくても大丈夫だから気にしなくてもへーきだよ」

 

「ね、寝ないと駄目だよ! 身体が壊れちゃう!」

 

「そんな軟な身体してないってー。それに、休んでる間にもちょっとずつ増えてるだろうしさ。一応土地神に止められたらその時点で止めてるし大丈夫だって」

 

 あっけらかんと謡はそういうけれど、強がりだろうと水都は判断する。

 人間は長い間睡眠を取らずに生きていけるように出来ていないと知っているから。

 だから、そこまで頑張らなくてもと言うけれど謡は聞かない。

 

(どうして?)

 

まだ会って一週間の人々の為に寝る間を惜しんで頑張って守ろうとする理由が分からない。水都は理解できないものを見る目で謡にそう問いかけた。

 

「戦う力があるのに、何もしないなんて私には出来ないよ」

 

 あっさりと帰ってきた返事はそんな調子。止まるという言葉を知らないかの様だった。

 返答に、なおも不安そうな様子を隠そうとしない水都に、謡は頭を軽く掻く。

 少しだけ言いづらそうに、口を開いた。

 

「私さ、外で人が目の前で死ぬのを沢山見たの」

 

「――――」

 

 突然の告白に水都は目を見開く。だが、その告白の内容は水都にも納得できることだ。

 結界の外は勇者以外生存できるような状況でないことは知っている。

 

「良い人が死ぬのも見たし、悪い人が死ぬのも見てきた。そして、私だけがこの三年間生き延びて、戦い続けて此処に辿り着いた」

 

 それは、当たり前の話だった。

 

「それまで見てきた人の中には、人を蹴落として生きようとする人もいたし、誰かを庇って生かそうとする人もいた。そして、戦っても手数が足りなくて守れなくて私は何人も見殺したんだ」

 

「―――っ」

 

「ずっと、後味の悪さと死ぬ直前の助けを求める声を覚えてる」

 

 この世界にどれくらい人が残っているのだろうか。諏訪に数百人生きている事と、歌野曰四国が無事な事は確かだけれど、世界にどれほど人が残っているのかは謡には分からない。その中に何人良い人がいて、何人悪い人がいるのかも。だけど、謡が守れず取りこぼした命は諏訪に残っている人数よりも多い事だけは謡が知っている事実だった。

 

「そんな風にバーテックスの訳わかんない理不尽な犠牲になった人は沢山いて、でもそれがこの世界の当然だと頷くことが私には出来ない。人が死ぬのを見届けるのはもう嫌だから」

 

 少なくとも三年前まではこの星は人の星だった。良い人間を助けるのも人間、悪い人間を裁き、罪を償う機会を与えることも人間が選べた。だが今は違う。善悪関係なしに人間は滅ぼされていく。それを受け入れるつもりはない。諦めて、死ぬ選択肢を選ぶ事を謡は認めない。

 

「犠牲を諦めたら、頷いていたら前までの日々と同じだから。だったら、退路は断って新たな道を開く為に恐れなく進むしかない」

 

 例え敵が無尽蔵に湧き続けていたとしても、ソレに諦めて膝を折れば人類は終わる。終わる気がないのであれば諦めず、足掻いて見せるしかない。

 

「いつか、バーテックスが敷いたルールをぶち壊すまで、私は戦い続けるよ」

 

 上総謡は異邦者である。諏訪から離れた場所からやって来た人間で、本来救う義理などない。

 それでもそこに人がいる限り、人を救う為に戦う事を選び続けている。

 

「誰も見捨てないって、誓ったから。だから私は戦うよ」

 

 そう言って微笑む謡の思考は常人離れをしていて、水都には、その在り方は勇者とは違う別の何かに見えた。

 だが、それがなんなのか水都にはまだ分からなかった。



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