魔法狂気 マジキチ☆なのは (トロ)
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第一章【マジキチおもちゃ箱】
第一話【それを狂気と蔑んだ】
それは異常極まる光景だった。
夜の住宅街。破砕された街並みの中、巨大な黒い影が縦横無尽に駆け回り、その影を追って津波の如き桜色の鎖の群れが地面に広がっている。時折、黒い影から無数の触手が飛び出すが、津波と化した鎖を押し返すことすら出来ない。
濁流は徐々に、だが確実に影を追い詰めていた。その影が光に照らされてその全貌を露わにする。
数メートルを超える黒色の不定形な謎の巨体。体から触手を生やすそれは、人を襲う悍ましき怪物だ。
現実に存在するなどあり得ない異形は、しかし既に道路を破砕し木々を砕き、まるで戦争でも起きたかのような破壊の爪痕を残している。撒き散らされる破壊の光景、弱きを奪う強者こそこの怪物のはずだった。
「■■■■ッッ!!!!」
しかし、本来ならば恐れられるべき怪物と呼ばれるモノが悲鳴をあげていた。怯えるように、助けを求めるように、吐き出した悲鳴は当然ながら人語ではないが、聞く者の誰もがそこに込められた絶望を汲み取ることは容易だろう。
だが怪物に悲鳴をあげさせる
淡々と汲み上げた超常の力で粛々と怪物の体を削っていく。顕現した桜色の輝きは、手にしたデバイス――魔法の力を現出させる触媒を以て指向性をもたらされ、確実に怪物を追い詰めていた。
否、追い詰めているのではない、いたぶっていると言ったほうが正確だ。
「凄い……これは君の力なの? レイジングハート」
『いいえ』
「じゃあ、これが、私の力?」
『はい』
「そっか」
先端に赤色の結晶を携えた純白の杖――レイジングハートの機械的な応対と変わらぬ機械的な言葉を返す少女は、背を向けて逃走を始めた怪物を無感動な瞳で眺めた。
レイジングハートの外観と同じ純白の衣装を纏った少女は、見た目だけなら十歳にも満たない愛らしい少女のそれでしかない。幼い容姿、弱弱しい肉体、怪物の一撃で容易く引き裂かれ、その牙で食いちぎられる憐れな弱者のはずだ。
だがその能面の如く感情の見えない表情が破滅的だった。
一切の色を見せない無貌の仮面。その恐ろしさに再度怪物が助けを乞うように鳴くが、答えるものはここには存在しない。
夜の暗黒に描かれる唯一の輝きは、怪物すら震わせる悍ましき桜色の鎖の群れ。既に蛇の如く四方に放たれた光の帯は、少女の周りを蛇の如くのたうち回ってその号令を待っていた。
逃げる怪物の周りをいつでも食い掛かれるように並走する鎖の総軍。木々を縫って地面をのたうつそれらは、ズリュズリュと内臓同士を擦りつけるような音を奏で、舌なめずり代わりにその先端を常に震わせている。
どんなに逃げようとしても、最早その触手の檻から逃げ出すことは許さない。
少女の僕は贄を欲していた。
この美しき臓腑結界に取り込まれる贄を求めていた。
少女の無貌の代わりに、美麗の汚物が喜悦を訴え、歓喜の合唱を奏で続けていた。
そしてその合唱こそ、怪物を震え上がらせる異常に他ならなかった。
「■■■■ッッ!!!」
最早逃げられぬと覚悟した怪物が少女へと襲い掛かる。森の木々を砕きながら迫るその巨体は、それだけで恐ろしい凶器である。大地を揺らし、大気を震わせ、渾身の力で突撃する巨躯に対して少女の姿はあまりに小さく頼りない。突進と同時に放たれた怪物の触手も、いずれもが人体など容易に貫く凶器だ。
「防いで」
しかし、怪物の前進は少女の一言と共に真正面に展開された鎖の壁に阻まれて停止した。それどころか、突撃してきた怪物にそのまま殺到した桜色の鎖が、噛みつくようにその肉体へと絡みついた。
「■■■■ッッ!!??」
皮が引き裂け、肉が潰れる。嬲るように締め付けに強弱をつけた鎖の与える激痛に怪物が悶えるが、少女は表情に一切の変化を見せず、暴れる怪物の全身へとさらなる鎖を投じて動きを封じた。
抵抗しようと怪物も新たな触手を生み出すが、それ以上に殺到する桜色の鎖によって絡まった肉が潰れ、粘性の体液が滲み出た。そして絞り出された肉とともに地面へと撒き散らされる。
まるで雑巾でも絞っているようだなぁと少女はどうでもいいことを考るが、すぐに巨木を容易に砕く肉を潰せる己の力への感動に脳内は染め上げられた。
「凄い……凄いわ」
少女が喜悦を声に乗せて、自身が生み出した鎖を見た。その眼には苦しむ怪物の姿など微塵も映っていない。
「これが……こうかな?」
そしてまるで玩具で遊ぶ年相応の子どものように、何本も何本も鎖を生み出しては怪物の肉体にぶつけ、楽しむ。怪物が不定形で再生することもあって、その拷問には終わりがないようにも思えた。
「■■■■ッッ!!!!」
「不思議な感じ。これ、一つ一つを別々に動かせるの。まるで私の腕みたい、千手観音?」
磨り潰される肉が限界を迎え、多重の鎖による拘束に耐えられなかった触手が最初に潰れる。人外の血液と共に、まだ鎖が絡まってない肉より血が噴き出る。その激痛に叫ぶ怪物を他所に、少女は自分が引きちぎりへし折った怪物の触手に、正しくはそこに絡まった鎖を目で追った。
「これを……こうね」
レイジングハートを振るって怪物の触手に絡んだ鎖を縦横無尽に動かす。己の意志に従う鎖を追う目は、きらきらと年相応の輝きを宿し、迸る血潮で白い衣装も顔すらも染めて尚も動じることはない。
「えい……! やぁ……!」
少女の可愛らしい声に合わせて、不気味な鎖の触手が怪物の触手を振り回してさらに無数の肉塊へと分断した。その間にも怪物の残った触手とその肉体が千切られ、少女はそれらを器用に虚空で振り回す。
「綺麗……凄いな、凄いなぁ」
全身を千切られ続ける怪物と、その怪物の肉を粘土のように引きちぎり振り回して遊ぶ子ども。
それはきっと、常軌を逸した光景だった。うぞうぞと蠢く鎖が異形の血肉をぶちまける。そして少女はその行為に楽しみを見出していた。
「これが……私の力なんだ」
繰り返すように呟くその言葉を、魔法によってフェレットへと変化した少年、ユーノ・スクライアだけが聞いていた。
彼の傷ついた体が震えているのは、決して痛みのせいではない。
あまりにも一方的な暴力。自身と殆ど変らない少女が冷徹に暴力を行使する異常。
先程まで
(彼女は一体、何者なんだ)
今や断罪を待つばかりの怪物。ユーノはその怪物が生まれる要因となったジュエルシードという宝石の回収のために、ここまで来て、ジュエルシードの力に取り込まれた暴走体に傷を受けて、現地民の救援を乞うたことがそもそもの発端だった。
自分の放つ念話を聞ける者。つまりは魔法を使う素養を持つ者に、自分が回復するまでの間だけでもジュエルシードの回収を依頼する。自分の不始末を関係ない誰かにさせるというのはユーノも本意ではなかったが、この海鳴市にばら撒かれたジュエルシードは、一刻も早く回収しなければならない危険な物である。
故に、ユーノは念話を聞いて駆け付けた少女に、魔法の行使を助けるインテリジェントデバイス、レイジングハートを授けたのが、つい先程のこと。
「スクライア君、大丈夫?」
「は、はい。僕は、大丈夫……です」
振り返ってこちらを気遣う少女に思わず敬語で答えるユーノ。「大丈夫なら、良かった」と、少女は先程までの無表情が嘘のように優しい微笑みを浮かべ、再び前に向きなおる。その間にも暴走体は体を締め付ける桜色の鎖に悶絶していた。
「ごめんなさい」
その姿を、激痛に悲鳴をあげる姿にようやく気付いた少女が謝罪の言葉を紡ぐ。
痛いのだろう。
辛いのだろう。
楽になりたいだろう。
だけど本当に、ごめんなさい。
ごめんなさい、でもありがとう。
ありがとうと自分に伝えてそこで終わり。
だからごめんなさいに意味は無い。
何故なら彼女は見ていない。
怪物などは、眼中にない。
「私ね、今とっても楽しいの」
その眼は自分以外を見ていないから、謝ることに意味は無い。
少女の顔は楽しさと無縁の冷たい顔のまま。ユーノに向けた笑顔などただの偽り。これこそが、
だが今この時、彼女は生まれて初めて喜びに胸を昂らせていた。
故に冷たい無表情から、ゆっくりと、カッターで切り裂いた傷口が開くように少女の口が弧を描いて開く。目元は一切変わらず、ただ口だけで表す笑み。幼い少女がしてはいけない恐ろしい笑みを向けられて、怪物は最早悲鳴すらあげずにその顔に見入っていた。
それは喜びの笑みだった。
暖かい微笑みの仮面に隠されていた本当の笑顔。
――この体の才能を見いだせた、歓喜の猛り。
「私が私だってわかってから、ずっとつまらなかった。どれもこれも見知ったものばかり、経験したことも、実感したことも無いくせに、あぁ、これを私は知っているってずっとずっと思っていたわ……人生は長いのに、私は楽しむ全部を無くしちゃったの。でもね、仕方ないとも感じてた。それでも生きている、それだけでも嬉しいって遠い誰かが微笑んでいて、私もそれで充分だって」
だけど、とってもつまらなかった。少女は語る。
その意味するところを理解できる者はきっとこの世界には存在しないのだろう。少なくとも言語を解さない暴走体では少女の囁きは意味の無いものだった。
そして、彼女の言葉を聞いたユーノも、彼女が何を言っているのか理解できなかった。
だが少しだけわかったこともある。
彼女は退屈していたのだ。変わらない世界、続いてく日常、意味無く消耗される時間。その尊さに感謝しながら、それでも彼女は退屈していた。
「だから私、楽しいの……だってこんなこと知らなかった。この世界に本当に魔法があるだなんて、私はこれまで知らなかった。大した才能が無いと思ってた私の身体に、こんな力があるなんて思わなかった」
掲げたレイジングハートを見上げ、少女の口から熱のこもった吐息が漏れた。直後、戯れに生み出した新たな鎖がもがく暴走体をより強固に地面へと縫い付ける。
「ありがとう。私の知らないことを教えてくれてありがとう」
少女が歩く。
その周囲に触手の如き鎖を従えて。
「こんなにも素晴らしいことを知れて嬉しいの」
少女が杖を掲げる。
束ねられる力の総量は、異常と呼ぶべきあり得ざるもの。
「だって、私はようやく私を育めるから」
少女、高町なのはがユーノへ振り返り、怪物の撒き散らした肉と血で顔を染め上げながら、微笑んだ。
地獄の如く、微笑んだ。
「う、あ……」
何だ、アレは。
ユーノは言葉を失った。最早、莫大な魔力で強引に消滅した暴走体も、封印処理されたジュエルシードが無事にレイジングハートへ格納されるのも目に入っていない。
あの子は、何者だ。
それは、短いながらも大人に負けない人生を歩んできたユーノですら理解出来ない何か。いや、アレを見て理解出来る存在など、大人ですら存在しないに違いない。
歪に頬を歪ませて、コールタールの眼球を揺らす異端の存在。人の形をしながら、人ではわからない何かを宿したそれは――。
「君は一体、何なんだ」
絞り出すようなユーノの声は、理解できないそれへの問いかけは、己の魔法に酔うなのはへは届かない。
だが、問いかけずにはいられなかった。
だけどきっと、生涯を賭けても自分には分からないものだとユーノ自身が既に分かっていた。きっと、分かるわけがないと確信してしまった。
それは、高町なのはの才能
確かに彼女は凄まじい素質を秘めている。膨大な魔力量と類まれな空間把握能力、手にして間もなくデバイスを操り魔法を行使する腕前、何れもが天才と呼ばれるものなのは間違いない。
だがそれではない。ただの天才であれば、こんなにも恐ろしい何かであるはずがない。
それは、高町なのはに張り付いた、本来はあり得ざる存在。
天才の肉体に憑りついた、前世の知識だけがある異物。
「ねぇ、ユーノ君」
闇夜に狂い咲く■■の花。
「私に
理解出来ぬ才覚を、狂気と人は蔑むのだ。
次回、前日談。
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第二話【転生者、高町なのは】
私、高町なのはは転生した人間だ。
幼少の、おそらく三歳の半ばごろ、私はかつての人格を取り戻した。
とはいえ、私が取り戻したのはあくまで人格だけであり、残念ながら前世の自分がどういった存在なのかまでは覚えていなかった。
例えば、読み書きやスポーツといった知識。これらは残っているのだが、それらをどうやって学んだのかは一切覚えていません。ようは記憶喪失みたいなものだと思っていただければわかりやすいだろう。
そのおかげで、今通っている小学校では常にトップの成績を維持しているものの、残念ながら前世の知識を得ていて得していることなどその程度でしかなかった。
むしろ、私は何故、前世の知識と人格を取り戻したのだろうかと今も尚悩んでいる程である。
理由を簡単に話せば、全てが既知であることにあった。
勉学も、スポーツも、家族の愛情も、学友との友情も、私にとっては記憶にないが知識として存在しているため、どれも自身の欲求を刺激するものではなかったのだ。
子どもは本来、何も知らないからこそ何でも楽しめる強さがある。そして、その知らないことを知り、経験することによって成長していくものだ。
だけど、私には私の成長を促すものが無かった。
あらゆる全てが見知った何か、その飢えを誤魔化すように勉学にも励んだし、スポーツにも積極的に取り組んだ。
しかし、勉強も所詮は初めから知っていた知識を下地にした延長線上、そこに零から知るという喜びは無い。スポーツにしても似たようなもので、しかも私の身体はどうも運動が苦手なため、早々に諦めることにした。
唯一少しだけ楽しめたのは、私の家族が修めている御神流という武術くらいだっただろうか、この武術の奥義に当たる肉体のリミッターを外すという荒業をこっそり修行風景で見ていたおかげで、私はすっかりこの技だけは使えるようになったけど、その程度だ。
ともあれ、私は九才という年齢にして、既に人生を楽しむことを早々に諦めることにした。
だから精々、私は私を育ててくれた家族を悲しませないために良い子を演じる程度しか人生に意味を見出していない。
浅くも広い交友関係、勉学はトップを維持し、苦手なスポーツも努力で人並みには出来る。家族で経営する喫茶店の手伝いは率先して行い、将来はきっと優しい男性と添い遂げて、心を苛む退屈を押し殺して人生を終えよう。
それだけを目標として私は生きている。私みたいな人格を思い出したせいで人生を台無しにされた高町なのはという少女に対して出来る、唯一の贖罪のようなものだったから。
だけど、そんな私の日常は、ある日唐突に砕かれることとなる。
―
「止めて!」
乾いた音をたてて叩かれた手を引っ込めて、なのはは自分の手を叩いた少女、月村すずかを見た。
別に何か特別なことをしたわけではない。ただ、彼女の机の横に落ちていた消しゴムを拾って彼女に手渡そうとしただけのことだ。だがなのはの善意は理由なきすずかの暴力で弾かれ、手から落ちた消しゴムは再び床に転がってしまう。
「ちょ……すずか!?」
すずかの友人、アリサ・バニングスが驚きに目を開く。そこで騒ぎを聞きつけたクラスメート達も集まってきて、次々にどうしたのかと人の輪を作り始めた。
「……ごめんなさい、月村さん。私、余計なことしちゃったみたい」
叩かれた手を抑えながら、なのははいつもと変わらない暖かな笑顔を浮かべた。だが、男女問わず緊張を解くはずの微笑みを見て、すずかの顔は白よりも青く染まる。そしてそれは、すずかの隣にいたアリサも似たような反応であった。
「わ、わたしも、ごめん、なさい……た、体調が悪くて……」
「……あたし達、保健室に行くから」
「あ……うん。気を付けてね……」
逃げるようにその場を後にする二人を、なのはは見送る。クラスメートも二人の様子を不思議がっていたが、すぐにそれぞれの場所へと戻っていった。
「やっぱり私、嫌われてるのかな」
未だにヒリヒリと痛む手をさすって、なのはは呟く。出来ることなら仲良くなりたいものだが、別に無理して仲良くなる必要もないだろう。
合う人もいれば合わない人もいる。あの二人はきっと後者だったのだろうと、少しの寂しさを覚えたが、クラスの女子に話しかけられたころにはもう、なのはは二人のことなどすっかり忘れてしまっていた。
「……大丈夫、すずか?」
「うん、ごめんねアリサちゃん」
「いいのよ。でも気をつけなさいよ、アイツ、外面だけはいいみたいだからさ」
アイツ、高町なのはのことを思い出してアリサは露骨に表情を歪めた。すずかも似たようなもので、表情こそ歪めはしないものの、顔色は青いままだ。
無理もないとアリサは思う。あんな、まともじゃない人間に微笑まれれば気弱なすずかが怯えるのも当然だ。
元々、アリサとすずかはそこまで仲が良いというわけではなかった。むしろ、すずかのカチューシャを奪って嫌がらせをしていたほどである。しかし、その時一部始終を見ていたなのはの介入によって、皮肉にもすずかとは今や親友同士となっているのだから世の中分からないものである。
「……ホント、アイツが同じクラスなんて最悪よ」
今思い出すだけでも嫌悪と恐怖が同時にこみ上げてくる。
唐突に現れたなのはは、優しく微笑みながらアリサに「そんなことは止めよう」と諭してきた。当然、アリサは素直に聞きもせず、むしろいっそう苛烈に食い掛かった。
関係ないから引っ込んでいろ。
余計なおせっかいをするな。
お前もイジメてやろうか。
他にも罵詈雑言の数々をアリサはなのはに、そしてついでとばかりにすずかへと浴びせたもので、今では深く反省しているが全く持って当時の自分は子どもだったと思うばかりだ。
だが問題なのはそこではない。アリサはそうして無数の罵声を浴びせ続け、すずかなどすっかり涙目で意気消沈しているあたりでふと気づいたのだ。
さっきからなのはは優しい微笑みしか浮かべていない。普通、ここまで言われれば怒るか、あるいはすずかのように涙を流すくらいしてもおかしくないというのに。
しかし、なのはは笑っていた。何を言われても微動だにせず、彫刻の如く笑みで固定されたままアリサを見ていた。
自分を見る目。微笑みに隠されて見えなかったが、よく見ればその瞳がまるで底なしの暗黒のようにアリサは感じた。
空虚な瞳。腐臭を放つヘドロを微笑みの仮面という蓋で隠したなのはの本質。それを、この状況で何も変わらないなのはへの違和感を切っ掛けに、アリサは感じ取れてしまったのだ。
そのあたりで泣いていたすずかも違和感に気付いたのだろう。自分をイジメるアリサではなく、恐ろしい何かを見るようになのはを見て、一歩距離を離してアリサの元へと寄った。
そしてアリサも無意識に近寄ってきたすずかの手を握り、異様とも言えるなのはに恐怖の眼差しを送る。
そこでなのはは手を握り合う二人を見て「なんだ、私の勘違いだったんだね」と言うと、頭を下げてからなんでもなかったようにその場を後にした。
数秒の沈黙、言葉では表現できない恐怖に震えたアリサとすずかは互いに目を合わせ――そしてしばらくの間震えを抑えるように寄り添い合って涙した。
そんな過去を思い出して、アリサはブルリと体を震わせる。
「それにしても変わらないわねアイツ。あの気持ち悪い笑顔、変わってないから余計にそう思うわ」
「うん……」
二年前と全く変わらない笑顔。それはなのはの本質が二年前から何一つ変わっていないという証拠に他ならない。
それが、同年代でも遥かに聡明である二人の少女をいっそう恐れさせる。
普通は変わるはずだ。多感な少年時代、些細なことでも自分達は成長していき、変わっていく。今では大人しくなったアリサも、以前よりも自己主張が出来るようになったすずかも、聡明であれ子どもでもある二人ですら変わるのだ。
だが高町なのはは変わらない。誰にでも平等な笑みのまま、変わらない態度で生きている。
アリサとすずかがなのはの異常に気付けたのは偶然だ。彼女達は偶々なのはが笑みを浮かべている
小学三年生にして完成された一個の自我。これを異常と言わずなんと言うのか。
「早く行きましょう。少し休めば落ち着くはずよ」
「ありがとう、アリサちゃん」
「べ、別に感謝されることじゃないわよ」
だが、すずかという親友に出会わせてくれたことだけには感謝しないでもない。そんなことを思いながら、アリサはすずかと連れ添って保健室へと向かうのであった。
(こんな私を心配してくれてありがとうアリサちゃん)
アリサの気遣いに改めて内心で感謝を述べたすずかだったが、その胸中は未だに一瞬だけとはいえ触れてしまったなのはへの
(でもきっと、アリサちゃんは高町さんのことを勘違いしてるよ)
隣を歩く少女は聡明だが、それでも家系的に特殊な事情があるすずかと違って、なのはに感じた異常を正確には理解できていないのだろう。
それを少し寂しく思うのと同時に、彼女が自分と同じ恐怖を感じずにいることに安堵する思いもある。
(違うのアリサちゃん。高町さんは気持ち悪いだけの人じゃない……)
いっそのこと、この胸を苛む思いをぶちまけて楽になりたいとも考えた。
だがそれはこんな自分を親友と呼んでくれる少女を苦しめるだけの結果しか生まないのを知っている。
だから、すずかは顔を俯かせて唇を噛んでグッと堪え、それでも堪え切れずにか細い一言を漏らした。
「怖い……」
「え?」
「あ、ううん! 何でもないよ!」
すずかは誤魔化すように笑みを浮かべ、訝しむアリサから隠すように再び俯いた。
(高町さんが、恐ろしい……)
夜の一族と呼ばれる人とは乖離した存在であるからこそ、すずかに分かって、人間であるアリサには分からないことがある。
今はただの人間にすぎない高町なのは。
だがもしも、もしも何かが切っ掛けとなって変わるようなことがあれば。
(きっと、うん)
あの子はきっと、取り返しのつかない何かになるような気がする。
いつ芽吹くか分からないそれこそ、すずかがなのはを恐怖する理由に他ならなかった。
―
「やっぱりこの年代の子って気難しいのかなぁ?」
帰り道、クラスの少女と途中で別れた私は、夕焼けにそまりつつある空を見上げながら今日の月村さんのことを思い出していた。
彼女と知り合ったのは、二年前にバニングスさんにいじめられていると私が勘違いしてしまった時のことだと思う。だが何故かあの日以来、あの二人からは私は一方的に距離を置かれているみたいであった。彼女達も他の子には普通に接しているので、どうやら私だけが嫌われているらしい。一応、クラスの子にもそれは心配されて「何かあったの?」と聞かれもしたのだが、私自身理由が分からないのだから困ったもの。
「出来れば仲良くなりたいけど……」
私は良い子を目指している。見渡す限りの既知で溢れた世界、せめて家族だけは安心させたいから。
もしも私が二人の女の子に嫌われていると知ったら家族の皆も悲しむかもしれない。だから友達まではいかずとも、せめて嫌われる要因を解消できれば――。
「ッ……何?」
ふと、私は何かよくわからない感覚を覚えた。首筋がチリチリするような、頭に直接訴えかけてくるような不思議な感覚。
頭痛にも似たそれに堪らず両手で頭を抑える。
「ぅ……」
間違いなく、私の知らない異様な何か。ただの風邪と勘違いするには異常すぎる何かを感じて、私は導かれるままに道路を外れた横の林へと足を踏み入れた。
自分でも馬鹿らしいと頭の片隅で思いながら、足は迷いなく林の中を進んでいく。そして進んでいった先で、私は傷を負ったフェレットが地面に横たわっているのを見つけるのであった。
「大丈夫?」
刺激しないように私はそっとフェレットを腕に抱える。フェレットは何かを訴えるように鳴き声を一つあげたが、すぐに意識を失って力無く眠りについた。
「酷い怪我……」
傷ついたフェレットを放っておけばそのまま死んでしまうかもしれない。本当なら家族に連絡を入れるべきなのだろうけど、今は一刻を争う。なので私は記憶にある動物病院へと足を向けることにした。
そして、あっという間に夜である。動物病院にフェレットを届けた私は、その場で電話を借りて両親に連絡して、お兄ちゃんに迎えに来てもらったのだが、一先ず件のフェレットは家で一旦引き取ることに今日の食卓で決まった。
家族に迷惑をかけたことが心苦しくはあったけど、それでも私は何故かあのフェレットが気になって仕方なかった。
というのも、あの時に感じた妙な感覚。何かのノイズみたいなものが聞こえたような気がしたけど、アレは一体なんだったのだろうか?
「面白いことになったら、いいなぁ……」
ベッドに体を預けて天井を見上げる。
別に、劇的な何かを望むわけではない。
少しだけでいいのだ。この世界でかつての人格を取り戻した私の長い人生の退屈を忘れさせてくれれば、それ以上は望まない。
だからこそ、私は夕方に感じたあの特別な感覚を忘れられず、その時に出会ったフェレットを引き取りたいと家族に相談したのだから。
まぁ、期待したところで結局、特別な何かなんて起きるはずが――。
「ッッ……!? ぁぁ!」
瞬間、あの時と同じ、いや、それ以上の頭痛が私に襲い掛かってきた。
――けて。
頭痛に紛れて幻聴すら聞こえてくる。だけどそれは幻聴と呼ぶにはあまりにもリアルで。
――すけて。
聞こえる。
鮮明になってくる声が私の頭に直接叩き込まれてくる。
――たすけて。
――誰か、たすけて。
「こ、れ……」
分かる。
声の主が何処からか助けを求めてきているのが。そしてそれは鮮明になっていく程、私の頭痛も徐々に収まっていく。
まるでピントが合うかのようにずれが無くなれば、助けを求める声はもう方角すらも把握できる。
しかし、これは一体なんなんだろう。こんなこと、私は知らない。人の頭に直接声を届ける方法なんて
「ひ、ひぃ……」
気付けば引きつけのような笑い声を私は漏らしていた。だけど、いつもの良い子の仮面を被り直すような余裕なんて無い。
だって、私はこれを知らない。
こんな非科学的な現象、私は知らないんだ!
「……幻聴って線もあるけど」
高揚の一方で、自分の冷静な部分が落ち着けと告げる。
方角まで気にしてるのだから幻覚すら見えている可能性だってある。頭痛のせいで正しく現実を認識できていないのかもしれない。
だけど、どうしてか私はこれがただの幻覚でも幻聴でもないような気がしてならなかった。
非常識な今に小さな胸が高鳴る。
私の今を変えてくれる劇的なものを思えば、最早居ても立っても居られず。
「ごめんなさい」
家族へ謝罪を一つ。私は寝間着から私服に着替えると、なるべく家族に気付かれないように音を殺しながら家を飛び出した。
「ハッハッ……!」
幼い体がもどかしい。必死に走ってもすぐに息が切れ、逸る気持ちとは裏腹に一向に前へと足は進んでくれない。
だけど私は足を動かした。
まずは一歩、前へと一歩。
既知と未知への境界線を越えるため、前進は止まることなく――。
「危ない!」
「え?」
不意に聞こえた声と、頭上に重なる影。
半ば唖然と空を見上げた私は、次の瞬間には飛来してきた何かに胸部を貫かれていた。
「ぁ……」
悲鳴をあげる暇すらない。胸を貫いた衝撃のまま、私の身体は木端のように吹き飛んで、アスファルトの大地を数度跳ねてゴミのように地面へと倒れた。
「■■■■ッッ!!!!」
「そ、そんな! 君、しっかりして! あぁ……ぼ、僕が助けを呼んだから……」
誰かの声と獣の唸り声が聞こえる。
だけど、返事なんてできない。
真っ赤な色が横たわる私の瞳に映る。
これは私の血、なの?
片隅で助けたフェレットが人間のように慌てふためいていた。その背後で蠢く黒い何かが、おそらく私を貫いた触手でフェレットを薙ぎ払う。
危ないと告げることも、庇うことも出来ない。
だって、もう体が動かなかった。潰れた内臓から逆流した血潮が口と鼻から溢れる。胸の痛みがないせいか、息苦しさのほうが辛い。
そんな、どうでもいいことを考えていると、私の数倍異常はある黒い怪物が徐々に近づいてきていた。
「に、げて……」
私に助けを求めた声が、今度は逃げてと苦し気に呟く。
でももう無理だ。朽ち果てかけの体は一秒の間に加速度的に死滅していき、こうしている間にも四肢はあってないようなもの。
アスファルトで鑢掛けされた顔の感触も分からない。
これが、私の死なのか。
劇的な何かを期待して、好奇心によって私は死ぬ。
折角手に入れた二度目の生を、こんな形で無意味にしてしまう。
「いやだなぁ……」
死への実感。
残される家族への罪悪感。
そんなことよりも、退屈を終えることなく終わることが何よりも嫌だった。
でももう私には何も出来ない。
だからさっさと諦めて――。
『stand by ready』
真紅の地面を転がって私の眼前に赤い宝石が転がってくる。
それはまるで鼓動のように点滅を繰り返し、神秘的な輝きを放つと。
『set up』
光の波に体が飲み込まれる。
その暖かくも力強い輝きの中、私は――。
「ひ、ひひ……」
常識を逸した異常事態に対して、喜びの声を思わず上げてしまうのであった。
次回、魔法使い。
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第三話【らぶりーすまいる】
魔法使いの杖。インテリジェントデバイスと呼ばれる自立思考するAIを内蔵した杖であるレイジングハートは、現在、仮の主であるユーノ・スクライアと、彼の呼び声に応えて駆け付けたことによって死にかけている少女を助けるべく、一つの手段を行使することとした。
対象のリンカーコアより強制的に魔力を抽出することによって変身を完了させるという荒業。通常の魔導師相手では本来不可能であるそれは、倒れた少女、高町なのはが魔法を一切知らない素人であったことが幸いし、どうにか形として成立した。
空すら貫く眩い桜色の魔力が飛びかかってきた暴走体――この暴走体のコアとなっているジュエルシードの回収がユーノの使命である――が魔力の渦に吹き飛ばされる。
その間にレイジングハートは朦朧とするなのはの思考よりバリアジャケットの核を選択。杖の形状は基本的な設計を元にバリアジャケットと同じ白を基調とした杖型に固定。
物理的な圧力すら生み出す魔力の中でなのはの体を小学校の制服に似たバリアジャケットが包み込む。その蒼白とした顔と相まって、まるで死装束のように見えた。
『固定完了。強制治癒に入ります』
「ぁ? ぁああああああああ!!??」
次いで、胸の傷口へと注ぎ込まれる治癒術式による激痛でなのはは絶叫をあげながら意識を覚醒させた。
敵が目の前にいる以上、麻酔をして安全に治癒をする暇などない。魔力量に物を言わせて、欠損した内臓、肉、骨を疑似的に生体組織と繋げて蘇生させていく。それによって瀕死の状態で停止していた痛覚が覚醒、傷口を直接まさぐられるような激痛に、なのはは泡を吹きながら悶絶していた。
「ぃ、ぎ!? ひぃ……! ひぃ……!」
痛みに脳髄がスパークする。痛みで意識が断絶し、痛みで意識が浮上する。時間にしてものの数秒程度のことであったが、大人でも根をあげる拷問のような強制治癒は、体感では数時間にも及ぶ地獄であった。
そして、なのはを中心に渦巻いていた魔力が治癒により使い果たされ淡い残滓を残して消滅する。
「はぁ……! はぁ……!」
支えを失ったなのはは、倒れそうな体を、レイジングハートを杖にすることで何とか支えた。
だが既に失った血潮と痛みによって疲労困憊。蒼褪めた顔と震える手足では、未だに万全な状態を保つジュエルシードの暴走体を前には抵抗することすらかなわないだろう。
一秒後に消えるはずだった命が一分後に伸びただけ。現状は最悪を抜け出しておらず、何よりもなのはは未だに現状そのものを理解しきっていなかった。
そして、そんななのはの状況を黙して待つ程に暴走体は気が長くない。
「■■■■ッッ!!!!」
苛立ちの咆哮をあげて暴走体が再度跳躍する。見上げた巨躯より生み出される触手は数えて十本。
あぁ、あれが私の身体を貫いたのか。などと呆けるなのはを再び貫かんと、触手は勢いよく襲い掛かり、それよりも早くなのはの目の前に飛び出したユーノが障壁を展開するほうが早かった。
「こっちだ! 早く!」
暴走体の触手を全て弾き飛ばしたユーノが痛む体を押して声をかけて先頭を走りだす。
今必要なのは体勢を立て直すだけの時間だ。なのはは攻撃を防がれたことで警戒する暴走体を一瞥すると、先を行くユーノを追って震える足を必死に動かした。
「あ、あの……これって一体、何なのかな?」
「ごめんなさい……貴女を巻き込んだことは謝っても許されることではないけど、今は端的に説明させてほしい。僕はユーノ・スクライア。君の名前は?」
「わ、たしは……高町なのは」
ユーノとなのはは走りながら互いに自己紹介をする。その背後では一定の距離を開けながらこちらに飛びかかるタイミングを狙う暴走体が迫ってきていた。
状況はもう一刻を争う。ユーノは「それじゃなのは、聞いてほしい」と前置きをしたうえで、簡潔に説明を始めた。
「今、僕らに襲い掛かっているあの化け物を君には退治してほしい。お願いします、お礼は必ずしますから」
「化け物、退治? で、でも、私にはそんなことをする力、なんて――」
そこまで言って、なのはは自分が握るレイジングハートへと目を落とす。ユーノもまた、すぐに頷いてみせた。
「滅茶苦茶な契約だったけど、今の君はその杖、レイジングハートを触媒に魔法を使うことが出来るはずです。それを使えば、きっとあの暴走体も封印することが出来る」
「レイジングハート……封印……」
「眼を閉じて。そして集中すれば、君の胸の奥から魔法が紡がれるはずです」
ユーノの言葉に追従して、なのはは眼を閉じて己の奥に意識を飛ばした。
既に暴走体はこちらを射程に捉えている。三度放たれる触手による攻撃、次こそは確実に殺してみせるとばかりに疾駆したそれに対して、なのはは微動だにしない。
「くっ……!」
せめて魔法が紡がれるまでは盾となってみせるとユーノが障壁を展開しようと飛び出る。だがそれよりも早く、ユーノを追い越して無数の桜色の鎖がなのはの前に張り巡らされた。
全ての触手はなのはとの間に展開された鎖を突破できずに弾き飛ばされる。そこで、なのははゆっくりと眼を開いた。
「……これが、魔法?」
己の内側より漏れだした魔法の鎖。ただ無意識に口から吐き出したそれらを見るなのはは、自分が魔法という超常現象を行使したという事実に心を震わせた。
なのはが知り得る科学では決して行うことが出来ない現象。高度に発展した科学は魔法と変わらないというセリフは果たして誰のものだったか。そんなことを思いながら、そういったどうでもいいことをすぐに破却して、ただ自身が生み出した奇跡に魅入る。
「危ない!」
ユーノが突進する暴走体に気付いてなのはに叫んだ。しかし、今やなのははこちらを瀕死にまで追い詰めた存在に対して、全くといっていいほどに興味を示していなかった。
あるのはただ、この身が編み出した未知への歓喜。
それは乾いた喉が最初に口にする水のようになのはの心へと染み渡った。前世の己を自覚してから過ごした、惰性と倦怠の日々。なまじ記憶が無く、知識だけが残っていたせいで、真綿で首を絞めつけられる息苦しさに悶えていた今まで。
「ひ、ひひ、ひは……!」
粘着質な笑い声が溢れる。喜びと楽しさで過剰分泌された脳内麻薬による絶頂すら覚えてしまう。
気が狂ってしまう。こんな面白いものがこの世界に存在していた事実に脳味噌がぶっ飛ぶ心地。
故に、その喜びのままに、なのはは一瞬にして百を超える鎖を生み出して、突進してくる暴走体へと突き立てた。
「■■■■ッッ!!??」
「ひっひひ! 凄い!」
肉を抉った鎖がその身をのたうち回って、抉った傷口からさらに進入を果たそうともがく。傷口をまさぐられる痛みに叫ぶ暴走体を見て、なのははこちらの意に従い動く鎖の挙動にはしゃいでいた。
だがこの程度では足りない。
もっとだ。もっと、私の知らない私が知りたい。
「楽しいわ! 見てスクライア君! キラキラのお星さまが沢山! ううん、尾を引いて走る流星ね! 私は流れ星をいっぱい吐くの!」
リンカーコアが白熱する。なのはの体からレイジングハートを通じて魔力が猛る。構築した術式は、百を数える内に五百を頂く鎖の奔流となってなのはを中心に渦巻いた。
その中心で少女が躍る。くるくると楽しそうに回り、口許を引き攣らせ、口内より泡を吐いて己に酔う。
アスファルトで削れた顔面の怪我さえ見なければ、桜の海で舞う愛らしい妖精だ。そう見えておかしくない光景を見てユーノが感じたのは、暴走体を蹂躙しながら無邪気な声をあげる純粋無垢な異常者ということだった。
狂っている。
くるくると、狂い狂い、ぐるぐると。暴走体が悲鳴をあげる。激痛をBGMになのはが踊る。
「魔法! 素敵な魔法! 甘いお菓子と綺麗なドレス! お星さまの海が私の力!」
蛇だ。ユーノは思った。地面を這う蛇の群れが、邪悪な怪物に殺到し、アスファルトで擦った顔面より溢れる血で純白のドレスを真紅に染めた狂人に怪物の血肉を献上している。
顔半分を血に染めたなのはが己の顔を一撫でする。すると、皮膚が剥がれ肉が剥き出しになっていた顔の傷が一瞬にして治癒されていた。傷が癒え元の美しい顔を取り戻す。だが無貌の表情を見れば、まるで仮面を被り直したようにみえたことだろう。
「でもね、まだまだ私は知りたいことが沢山あるの」
なのはがレイジングハートを一振りすると、鎖の海で全身をズタズタにされていた暴走体が現れた。
即座に回復が始まった暴走体が、動けるまで回復すると同時にその場から飛びずさる。
燃えたぎる殺意の熱で彩られていたその瞳から炎は掻き消え、今や怯える童のような恐怖ばかりがその眼に露わとなっていた。
その眼をなのはは酷薄に見下す。冷酷非情、慈悲なき双眼に映るのは、己の力への欲求のみ。
「だから私に魅せて、レイジングハート」
最早、獲物と狩人の立場は逆転し、これより始まるのは勝敗の決まりきった意味無き闘争。
地獄の如き少女による、一方的な蹂躙に他ならず。
「■■■■ッッ!!!!」
乾いた咆哮と怯えた殺意が暴走体より解き放たれる。だが全霊を賭しただろう触手の群れは、なのはが展開した鎖の総量の一割にすら届かない。
まるで互いに秘めた異常をこそ顕現させたかのような軍勢の優劣、対するなのはが指揮者のようにレイジングハートを振るえば、敵手の群れと同数の鎖が飛翔した。
敢えて同数を選んだ理由は一つ。なのはは打倒を目的とせず、あくまでこれよりは自身の研鑽を前提とした鍛錬にすぎない。
虚空で両者の意志が激突する。しかし、所詮は人ではない者に人の狂気を超える道理はないと言わんばかりに、なのはの魔法は一方的に暴走体の悉くを打倒した。
「ひぃ、ひぇひ、えひっ、えひっ。いひひ!」
肉をぶちまけさせる己の魔法の冴えに、なのはが嬉々として肩を揺らした。
あぁ何たる甘美な光景だろうか。
あまりにも突然の出来事に過ぎて、まるで夢にでもいるような錯覚に陥る。
だけどどうか覚めないでとなのはは願った。この世界に自分の人格を目覚めさせてくれた神へと祈った。
一秒毎に生きている実感がある。この喜びに呼応して揺れ動く鎖の数多へ充足を乗せて操り、感謝を込めて暴走体へと爪立てて。
全てが新鮮だった。
高町なのはに秘められた魔力は、間違いなくかつての自分には欠片も存在しなかった奇跡。
そして多重展開した魔法を平然と操れる地力だって、きっとかつての自分では鎖を二つでも操れれば充分であった程の高み。
単純な地金を見誤った。この身は確かに肉体能力では劣っていたが、高町なのはには目に見えない才能が存在していたのだ。
故に、歓喜の中でなのはは自分自身へ慙愧の念を覚えていた。
ごめんなさいと、この才能に一切気付かずに腐らせていた自分に謝りながら、これまでの鬱憤を晴らさせてあげるべく暴走体を的に魔法を存分に行使する。
千を超える桜色の幻想こそ、彼女が秘めた力。そして、これは未だに加工されていない宝石の原石ですらあった。
だからごめんなさい。
こんな素晴らしい力を秘めているのに、家族に尽くさせるという
君はきっと私の中で憤りを覚えていたはずだ。
私はもっとやれることがある。
もっと素晴らしいことを実現することが出来る。
何故、お前のような凡人が
きっと人格が目覚める前の自分ならそう思うはずだ。凡人たる己を唾棄し、罵倒し、殴り殺しても尚足りぬ憎悪を覚えるはずだ。
だからこそ本当にごめんなさい。
でも、ありがとう。
そんな天才を、天才だと分かる自分に授けてくれてありがとう。
だからこそこれから先は決して君を不安にはさせない。
より強く。
この肉体の赴くままに強く。
高町なのはをもっともっと、この凡夫の身では理解が出来ない全てを賭して磨き上げてみせるから。
どうか安心して、君の全てを私に食らわせてほしい。
その手始めにまずは一つ。
「さぁ、楽しいことを始めましょう」
恐ろしい怪物を、素晴らしき我が身で駆逐してみせようではないか。
無垢なる狂気が怪異を飲み込む。
今や愉悦の赴くばかり、高町なのはは悲鳴へと変わった暴走体に向けて、やはり不細工な笑みを見せたのであった。
暴走体があげる悲鳴が消えるのは、これより一時間後のことである。
次回、修行回。
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第四話【成長期の女の子】
「……というわけでして、貴女には僕と一緒にジュエルシードの回収をお願いしたいのです」
そう言って、ペコリと頭を下げるフェレットことユーノ君――スクライア君と最初は呼んでいたが、私に変化をくれた彼に、敬愛を込めてそう呼ぶことにした――の愛らしい姿にポカポカ陽気な心地になりながら、改めて私は現状を纏めることにした。
怪物――正しくはジュエルシードの思念体、面倒だから暴走体でいいだろう――との戦いから一夜。あの日、戦いを終えた私は家の玄関で待っていたお兄ちゃんにこっぴどく叱られたものの、何とか言い訳をして無事にユーノ君を家に持ち帰ることに成功した。
勿論、私としては一秒でも早く魔法のことをユーノ君から聞きたかったのだが、失った血は未だ戻っておらず、出し惜しみせずに使った魔力の枯渇という問題も相まって部屋に戻ってベッドに倒れ込み、気付けば朝になっていたという始末である。
それで翌日、つまり今日。私は家を出て学校に着いたのも束の間、体調が悪いと先生に告げてさっさと早退して近場の公園でユーノ君から色々と事情を聴いていたのだった。
「ジュエルシードかぁ」
ユーノ君が言うには願いを叶えることが出来る宝石らしい。だが使い方を誤れば昨日のように暴走したり、あるいは次元震という地球も危ない現象すら引き起こすことも出来るのだとか。
確かに、そんなものが私の地元にばら撒かれたと考えると他人事では済ませられないよね。
「あの……どうでしょうか?」
「ん? 回収でしょ? それは勿論いいよ」
むしろ私としては願ったり叶ったり、ジュエルシードという対象が相手なら躊躇なく魔法を使えるし。だけど何故かユーノ君は「あ、ありがとうございます……」とちょっと嫌そうな感じだったのだが……いつの間にか敬語だし、私また何かしちゃったのかな?
「そんなことよりもユーノ君、私に魔法を教えてちょうだい?」
私は身を乗り出してユーノ君にお願いした。
正直、ユーノ君の事情とか、それによって海鳴市が危ないということは
そんなことよりも今は、魔法という素晴らしいものについて学ぶこと、これに尽きる。
「ジュエルシードの回収だったら私目一杯頑張る。そのためにはまず私自身が強くなることが大事でしょう? だとしたら今は一刻も早く魔法を学んで魔法を覚えて魔法を使ってもっともっと知らなきゃダメだよね?」
「あ、う……は、はひ」
「うんうん! ユーノ君もやっぱりそう思うんだね! 良かった、それじゃ最初は何をしたらいいのかな? 私、なんでもするよ。なんだってしてみせるから」
『そういうことでしたら私にお任せください』
胸元のレイジングハートがちかちかと輝いて主張する。そう言えばすっかり忘れてたけど、確かAIか何かが搭載されているんだっけ?
「って、レイジングハートが?」
『はい。僭越ながら、私であれば先日のマスターの戦闘データを元に、より最適な訓練プランを構築することが可能です』
どことなく自信ありげだけど大丈夫なのかな? まあでもフェレットに学ぶか機械に学ぶかってなると……。
「それがいいですよ! 僕もレイジングハートが教導をしてくれるなら安心ですし、何よりも各地に落ちたジュエルシードの探索に時間を割くことも出来るから、ここは僕なんかよりもレイジングハートに学ぶべきです!」
「そうかな?」
「そうですよ!」
何故か凄い勢いでユーノ君がレイジングハートを押してくるけど……うーん、そこまで言うなら。
「レイジングハート、お願い出来る?」
『お任せください』
機械的な声色に込められた自信のほどが伝わってくる。
よし、そういうことなら早速、魔法の訓練に入るとしよう!
「それで、私は一体何から始めればいいのかな?」
一先ず家に帰ったところで――ユーノ君は途中でジュエルシードを探すと言って別れた――お母さんとお父さんには体調が悪いから寝ると言って部屋に引きこもり、机の上にレイジングハートを置く。
私自身、色々と想像の羽根を広げて魔法というものがどういうものなのかを今日一日考えてみた。だけど、そもそも魔法を知ったのが昨日が初めてであるため、どうすればより私自身を磨けるか分からなかったけど。
『マスターの魔力量そのものは、通常の魔導師と比べても尋常ではない量を保有しています。なのでまずはその魔力をコントロールするところから始めましょう』
「コントロールかぁ。具体的には?」
『私を握って、眼を閉じて意識を集中させてください』
言われた通りにレイジングハートを両手で掴み、祈るように胸の前に掲げて目を閉じる。
集中の方法は昨日と同じ。私の中へと沈み込むようにして感覚を研ぎ澄ませていく。
その途中、体の内側から昨日と同じ魔力が溢れる感覚を感じて心が躍った。こんな些細なことが嬉しくて仕方ない。私は魔法を使えるのだと涙してしまいそう。
レイジングハートが私の魔力を汲み取った。その流れをしっかりと把握してレイジングハートが何をしようとしているのか全霊を以て記憶する。
例え一瞬たりとも逃すつもりはない。全てはより素晴らしい私のために、あらゆる全てを糧にするから。
『完了です……眼を開けてください、マスター』
「……わぁ。凄い」
眼を開けると、私の周囲を桜色に輝く小さな球体が浮遊していた。
『ディバインシューターです。付加能力などは無く、自在に操り目標へとぶつけるだけの誘導弾となります。いわゆる基礎的な射撃魔法ですが、魔力の空間への固定、空間把握を行い操作する技量、複数同時展開による魔力消費、及び操作難度の上昇と、これの操作を行えるようになるだけで魔導師としての技量の大幅な上達が見込めます』
「千里の道も一歩からってよく言うからね。うん、素晴らしいわレイジングハート」
これなら部屋にこもって練習できるし、学校でもうまくやればできそうだ。
確かに今となっては学校も家族も友達も全てがどうでもいいが、だからと言ってなるべくなら迷惑だってかけたくないという気持ちはある。
だって私の精神年齢はさておき肉体的には十にも満たない少女だ。大人の庇護、社会のルール、そういった諸々を無視することは難しい。
ともあれ、今は早速このディバインシューターを用いた練習に励もうとしよう。
まずは試しに展開した一球を、脳裏で思い描いた通りに動かしてみる。この念じると動くという感覚は不思議なもので、まるで新しい指先が一つ生えた気分だ。
「そうだレイジングハート。私が昨日使ったあの鎖の魔法はなんだったのかな?」
『あれはチェーンバインドという本来ならば敵をその場に拘束する魔法です』
「ふーん、じゃあ普通は昨日みたいに沢山出してぶつけるんじゃないんだね」
『はい。ですが強制治癒での消耗が激しかった以上、敵手の拘束、防御、いずれにも対応できるチェーンバインドはあの時は最適だったと確信します』
「本当は私がもっと色々な魔法を使えればよかったんだけどね。そう言えば他にはどんな魔法があるの?」
『今練習で使用しているディバインシューターをはじめとした射撃魔法、近接刃を展開する近接魔法、飛行魔法、幻術、召喚、使用できるものからできないものまで多数存在します』
「そんなに沢山……って魔法なんだから沢山あるのも当たり前だよね。でもそれじゃあ私は今後どうすればいいのかな?」
『マスターの魔力量を考えて今後の戦術プランを考案しましたが、まずは射撃と防御の魔法を中心に修め、可能であれば飛行魔法の取得によって中、長距離を主体とした航空魔導師スタイルを目指すのがベストであると具申します』
「航空魔導師……素敵な響き、かっこいいなぁ」
『気にいっていただき感謝します』
ディバインシューターを頭の上でくるくると回しながらレイジングハートとの雑談に興じる。話しながらだと難しいと思ったけど、これが意外と楽にできたので、私は会話の間にもシューターの数を一つずつ増やしてみた。
そして一時間も話している間に、シューターの数は五個にまでなっていた。レイジングハートは凄いというけど、先日、千を超えるチェーンバインドを操った感覚があるせいか、この程度しか操れない自分の情けなさに溜息をつく。
「おっかしいなぁ。昨日はもっと大丈夫だったのに」
『おそらくですが、使用方法の違いによるものかもしれません。先日のマスターが使用したバインドは、その全てがマスターの体より現出して地べたを這うように暴走体に向かいました。あくまで手や足の延長線上であったのであそこまでの量を操れたのかと』
「そしてシューターは私の身体から離れているし、空をふわふわ動くから手足とは違う。そのせいで十八個しか使えないと」
『はい。とはいえ、シューターとバインドの操作難易度は本来そう違わないはずなのですが……』
何故、バインドよりもシューターの操作のほうが苦手なのか、その理由に私は薄々気付いていたが、そこまでレイジングハートに説明する必要はないだろうと口を噤んだ。
今の自分は高町なのはであって、高町なのは本人ではない。あくまで前世の誰かが乗り移った中身の違う者であることが、私がバインドを操れた理由なのかもしれなかった。
常日頃から別の人間の肉体を操っている感覚、ならば、新たに手足が生えたとしてもすんなりとそれを受け入れることが出来る。あくまで仮定ではあるがそんなところだろう。
まっ、一々考えたところで意味無きことなのは確か。大事なのは、今の私ではこの程度が限界であること。
その不甲斐なさに苛立ちすらこみ上げる。
私の身体ならもっとやれるはずだという確信が根底にはあった。そして私という才能を台無しにしているのが、他でもない私であるということも認めざるをえなかった。
本来ならこの肉体に相応しい魂が宿ったはずなのに、記憶すらない人格と知識だけの凡人がこの肉体を今は支配している。
悔しさと申し訳なさが交互に押し寄せる。私ならもっと上手く出来る。なのに出来ない、肉体を十全に活かしきれていない。
だから私はレイジングハートとの会話すら止めてシューターの操作に集中する。
後方で円を描いて動くシューターを二つ。私の目の前で玉突きを繰り返すシューターが三つ。次いで、前方の三つを前と左右に分けて展開、それぞれ別々の動きを行う。
「ふぅ……」
感覚を鋭敏化させろ。もっと周りを意識しろ。この体が感じる空間を私自身が正しく認識しろ。
「……さらに、一つ」
ランダムに、だが意識して動かす五つのシューターにさらに一つ追加。合計六つのシューターが舞う、回る、さらに一つ、私では意味がわからない、七つがぶつからず部屋を動きまわり、もう、一つ……駄目だ、激突した、落ち着け、慌てず八つ、いいぞ、ぶつけず高速で動かせ、思考をもっと加速させて、何だこの世界、時すらも遅くさせて、スローで動くシューターを、楽しい、より鋭角に、癖を読ませないように、私では届かない奇跡、九つ、十……。
《大変だなのは!》
「うわっ!?」
突然、頭の中に響いた声に集中力が切れて、部屋の中を飛び回っていたシューターが一斉にコントロールを失った。
『術式破棄』
すわ、部屋のあちこちにシューターが激突かとも思ったけど、その前にレイジングハートが展開したシューターを全て消滅させていた。
「ありがとう、レイジングハート」
『お役に立ててなによりです』
事務的なレイジングハートの返事を聞きつつ、私は脳内に響いた声、ユーノ君へと意識を向けた。
《どうしたのユーノ君? 私、今、魔法の勉強をしてたんだけど?》
《ご、ごめんなさい。でもね! 今はそれよりも早くこっちに来てください! ジュエルシードの反応を検知したんだ!》
魔法の練習を邪魔された苛立ちは、ユーノ君の報告で一瞬にして消し飛んだ。
むしろ感謝だ。昨日の今日で再びの怪物退治、私はまた私の魔法を存分にぶつけることが出来るんだ!
なんという僥倖!
なんという至福!
全てが私を中心に回っているかのようでゾクゾクしちゃう!
《わかった、すぐ行くよ》
《急いで、今回の相手は前回よりも厄介そうだ》
《素敵ね。昨日のあいつは柔らかすぎたもの》
あぁ待ち遠しい。
願わくば、高町なのはを存分に堪能できる相手でありますように。
私はレイジングハートを手に掴むと、バリアジャケットを纏って勢いよく窓から外へと飛び出した。
次回、動物愛護団体ごめんなさい。
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第五話【星に願いを】
ジュエルシードの反応を辿って走るなのはの肩に乗るユーノは、息を荒げながらも笑みを崩さない少女の横顔をジッと見つめていた。
その瞳に灯した感情は、少女への信頼ではなく、警戒。
理由は昨夜、有り余る魔力と魔法を操る才能を発揮した彼女に対して、ユーノが感じたのは頼もしさよりも、それ以上の不安によるものだ。
ジュエルシードの暴走体という恐ろしい化け物を相手にしても怯えない胆力や初陣にして敵を圧倒する力は、本来であれば頼りにしてもいいはず。だがユーノは単純に恐ろしいと思ってしまった。
もしかしたら自分は、とんでもない何かに助けを求めてしまったのではないだろうか?
例えるなら危険なロストロギアの封印を解いてしまったかのような焦燥。それをユーノは頭を振って心の奥底へと押しやる。
今は目の前の脅威への対処が先決だ。今、自分はなのはをロストロギアに例えたが、事実としてこの海鳴市には解放されたロストロギアが多量にばら撒かれている。
このうちの一つでも完全励起してしまえば、都市はおろか世界そのものへの影響すら甚大ではないものとなるのは想像に難くない。
「この先だねユーノ君?」
「はい……ジュエルシードの反応はこの上です」
そうこうしているうちに、なのはは神社へと続く長い階段へとたどり着いていた。既に覚醒を目前としたジュエルシードの放つ禍々しい魔力の脈動が感じられる。その危険な波動にユーノは気を引き締め、なのはは「いひっ」と喉を鳴らした。歓喜の鳴き声だ。
「行くよ、レイジングハート」
『いつでもどうぞ』
なのはの呼び声に、胸元のレイジングハートが輝きを増した。次いで、規格外とすら思える膨大な魔力を収束したなのはの周囲が光り輝き、その閃光よりバリアジャケットを纏い、杖の状態へと化したレイジングハートを握ったなのはが現れる。
「ひひっ」
爛々と怪しい輝きを湛えた眼光が境内へと続く階段を舐め回す。総身を満たす全能感と、この力をぶつけられる歓喜が体を火照らせ、未だ未成熟の少女の女性が熱くなるのすら感じた。
堪らない。
もう一秒だって我慢できない。
「なのは、まずは相手の様子見から――」
刹那、ユーノの提案を無視して、なのはは足にため込んだ魔力を解放して一足飛びに境内へと飛翔した。
「なっ!? 待ってよ!」
こちらを引き留めようとするユーノが慌てて人払いの結界を発動する準備に取り掛かる。しかし、その時にはもうなのはは境内の中心で肉体を形成し始めたジュエルシードと対峙していた。
どす黒いと言ってもいい魔力が偽りの肉体を構築する。顕現するのは昨夜のように不定形の何かではなく、なのはの背丈を遥かに超えた巨大な漆黒の犬らしき暴走体だった。
四肢で地面の感触を確かめた暴走体の四つ存在する眼が、武者震いと絶頂によって体を震わせるなのはを認識する。
「■■■■ッッッ!!!」
「いいよ! 楽しもう!」
敵と認めた咆哮と、喜悦の叫びが重なった。これより始まるのは互いが滅ぶまで終わらない死闘の宴。遅れてユーノが展開した結界によって、あらゆる邪魔者が排除された世界、先手を打ったのは半ば無意識で展開したディバインシューターによる一撃だった。
僅か半日の修練で手にした新たな力はしかし、熟練した魔導師の一撃と比しても遜色は無い。軌道を読ませないようにジグザグに動くシューターは、目論見通り暴走体の四つある眼球の一つへと激突して爆ぜた。
「■■■■ッッッ!!??」
漏れ出る体液と痛みの二重奏に怯む暴走体。この隙を逃すまいと一気に四つのディバインシューターを新たに展開するなのはは、直後、空間を切り取ったかのような速度で突進してきた暴走体に目を見開いた。
「ッ!?」
咄嗟にレイジングハートを構えてプロテクションを展開するのと、暴走体が激突するのはほぼ同時。あまりの圧に膝が折れそうになるのを堪えながら、なのはは展開したシューターを、左右から暴走体へと強襲させる。
だが一つ潰れたとはいえ三つある眼の視野を掻い潜るには少なすぎる。既にその脅威を知っている暴走体はプロテクションを足蹴に後方へと飛翔。遅れて暴走体が居た場所をシューターが突き抜ける。
抜けられた。
警戒されている。
都合よくはいかない。
だけどやりようは幾らでもある。
なのはが嗤う。獲物を前にどうやって料理しようかとアレコレ楽しく思いを巡らす。生死を賭けた闘争で、彼女の思考は愚の極みではある。だが、この僅かなやり取りだけで、なのははこの暴走体では自分を害するには程遠いことを悟っていた。悟ってしまっていた。
「ひひっ! えひっ、えひっ!」
「■■■■!?」
着地した暴走体の足がいつの間にか発動していたバインドによって拘束される。驚愕に彩られる暴走体と、思い通りの展開に笑い声を漏らすなのは。
何とかその場から逃れようと暴走体が抗うが、一本だけならいざ知らず、拘束に気を取られた僅かな間に、その足を次々と現れた鎖によって束縛されて動きが止められる。
逃げられない。逃がす訳もない。
敵を意のまま思うがまま、対峙より僅か十秒足らずの攻防にて、互いの勝敗は決したと言ってよかった。
「なーにをしよう、なーにをしよう」
まな板の鯉を前と化した暴走体の唸り声すら肴にして、なのはは頬を染め上げてこれから始まる至福の一時に思いを巡らせる。
「簡単に壊れちゃダメだからね」
無論、手加減はしっかりとするつもりだ。
だってすぐに壊れちゃつまらない。
昨日はうっかり壊してしまったけれど、今日はしっかりやってみせよう。
コレの闘争本能が消えない程度に。
コレがまだ私に抗えると錯覚出来る程度に。
慎重に、大切に。
じっくりゆっくり、コトコト煮込む鍋料理。
ギラリ怪しい眼光で、なのははディバインシューターを展開した。
「な、のは……?」
そしてユーノが結界を展開して階段を登りきった時、彼が見た光景は言葉を失うには充分すぎるものであった。
響き渡る獣の雄叫びと、不協和音のように響く下卑な笑い声。殺意に滴る唾液を流す暴走体と、喜悦に塗れた唾液をぶちまけるなのは。果たして、どちらが市井に恐るべき異形かと言えば、間違いなくそれは哄笑する少女に他ならなかった。
「えっえっえっ! 頑張れ頑張れ! もうちょっとで私に届くわ! 喉元に食らいつけるわ!」
「■■■■ッッ!!!!」
四肢を拘束された暴走体がその周囲を動きまわるなのはに食らいつこうと牙を剥いている。だが噛みつこうにもプロテクションやシューターによって悉くがなのはへと届くことは無い。それでも何とか抗うのは、暴走体の四肢に絡むバインドが絶妙に緩く、ある程度動き回ることが出来るためだろう。
獣の思考ではそれがなのはによって制御されたものであることには気づかない。故に暴走体は己の生存のために、その牙でなのはを食らわんと足掻くのだ。
だが届かない。
どう足掻いても、意味は無い。
それが分からない故に尚も暴れる。
その抵抗を嘲り笑い、なのははシューターで徐々に暴走体の肉体を削っていた。
「い、一体何をして……」
「なにって? 見て分からない? 今後のための練習だよユーノ君」
無意識に漏れ出たユーノの独り言になのはが律儀に答える。その間にも突撃してきた暴走体を、プロテクションで弾き飛ばし、返しのシューターでその牙の一本を砕いてみせた。
「だってジュエルシードはまだまだ沢山あるんでしょ? だったら私、もっともっと強くならなきゃダメだよね? だからコレを使って戦う練習してるんだ」
「あ、で、でも」
「でも?」
――こんな、相手をいたぶるようなやり方は……。
「どうしたのユーノ君? 何か駄目だったのかなユーノ君? 私が間違ってたら教えてほしいなユーノ君?」
口を開くより先に、ギョロリとなのはの眼がユーノを見据える。光を飲み込むような黒に変わり始めた少女の眼に射竦められ、ユーノは出そうとした言葉を喉の奥へと飲み込んだ。
あぁ、恐ろしい。
この少女が恐ろしくて仕方ない。
もしもこの疑問を口にして、あの純真無垢な汚物の興味がこちらに向いてしまうと考えると恐ろしくて何も言えない。
「大丈夫だよユーノ君。私、まだまだ自分を上手く引き出せてないけど、頑張って私の全部を引き出してみせるから」
「は、はい……期待、してます」
唾液の糸を伸ばして、なのはが口角を吊り上げた。それを微笑みだと認識できる程ユーノは狂ってはいない。堪らず言葉を濁して、怪しまれないように視線を逸らすだけだ。そして、ユーノは自分に言い聞かせるように繰り返す。
相手は、暴走体だ。正しくは生物ではなく、所詮は仮初の存在でしかない。
肉が弾ける音が聞こえる。
なのはもそれが分かっているからこうして練習しているだけなんだ。
暴走体の咆哮に悲鳴が混ざる。
だからこれは決して虐待でも拷問でもない。
なのはの笑い声が木霊する。とても楽しそうに、ただただ己の成長を実感して。
大丈夫だ。彼女はそれを分かっているはずだ。
ユーノは外界より聞こえる不快な音を遮断して、何度も何度も自分へ言い聞かせる。
怖くなんて無い。恐いという感情は勘違いでしかない。
なのはが自分の成長のために生物を嬲るのに躊躇いを感じないという可能性なんて存在しないから。
そのためならば、あらゆる全てを犠牲にすることを躊躇しないなどあり得ない。
だから大丈夫。
暴走体と同じような悲鳴が、いずれ自分の口から溢れ出す可能性なんて無いから。
「だよね、なのは?」
ユーノの問いかけはとうとう己が結末を理解した獣の絶望に溶けて消える。
「ひ、ひひ」
あぁ、それこそを喜びと変える少女の眼に、今はまだ怯えるユーノは映っていない。
―
空間を掌握し、神経を巡らせる。眼球は敵を追うのではなく、リンカーコアより吸収して周囲に拡散させた魔力の波を見て、その揺らぎをもって相手の動きを理解する。
バインドで縛られた暴走体の突進は私の反射神経では反応しきれない。だけど、何度かの攻防を通して得た魔力の波を見るという捉え方によって、既にプロテクションを使うまでもなく回避が出来るようになっていた。
「ふふっ」
私の横を無様にも通り過ぎる暴走体の姿を後ろに、思わず笑みが零れる。次いでと放った二発のシューターは削ぐように暴走体の肉体を浅く抉った。
この通り、二発程度だったら相手のぎりぎりを狙える程度の操作ができるようになった。残念ながら手の延長線としてしか使っていないのでこれ以上の制御はまだまだ難しいけど、何、一つ一つ丁寧に上手になっていけばいいだけの話だ。
「■■■■ッッ!!」
暴走体の叫びは戦闘が始まった時に比べて随分と弱々しい。
眼球二つ。
牙を八本。
耳を一つに全身に刻んだ裂傷が三十と打撲がその倍以上。
我ながら上手にやってみせたと思うけど、流石に暴走体もここまでやられれば自分がいたぶられていることに気付いたのだろう。残った眼には怯えの色が走り、突撃する足には躊躇いが見える。
それでも私に向かってくるのは、足に絡みついたバインドを解くために私を殺すしかないことが分かっているから。
「えぇ、もうちょっとだけ楽しめそう」
レイジングハートを握る手に力がこもる。
魔法を覚えて二日目にしてこんなに素晴らしい教材が得られるとは思わなかった。おかげで私は高町なのはの基礎的な使い方を把握できたと言ってもいい。
魔法使いとしての才能。これがどの程度のものなのかは、比較対象がユーノ君しかいないので何とも言えない。けれど、間違いなく前世の私には存在しなかった才覚は、得難い才能なのは間違いなく。
あぁ、本当に楽しい。
前世を自覚してから数年、倦怠で彩られた日々に染み渡る才能という水が私の心を潤してくれる。
素晴らしきは高町なのはという肉体だ。こうして魔力の流れを見られるようになると、背後の様子ですら擬似的に見通せる。溢れる魔力は凡人の私からすれば大海をバケツで汲むような代物。他の魔法使いがどうなのかは分からないけど、私にはもうこの力しか見えないし見る必要もない。
凡人の私のままだったら出来なかった偉業の数々。それらを私が学び、操れる喜び。
次は何を学ぼう。
もっと楽しい魔法を学ぼう。
「ねぇレイジングハート、そろそろ新しい魔法を覚えたいな」
『それでしたら……こちらなどどうでしょうか?』
レイジングハートから新たな魔法の構築式が送られてくる。
それはこれまでの基礎的な魔法とは違う、明確な力を示すに相応しい魔法。
砲撃魔法と呼ばれる恐るべき破壊の力が私の手に委ねられていた。
「あはっ!」
いいわ。
とっても素敵よレイジングハート。
バインドもプロテクションもシューターも、どれも素晴らしい魔法だった。だけど、今から放つ魔法は、魔法使いの誰もが使える代物というわけではない。
一握りの才覚が研鑽を経て扱うことを許される魔法。素人だからこそ、これまでとは違う緻密精密な構築式の凄さが分かる。
そして、凡人だからこそ私は確信できるのだ。
高町なのはという天才であれば、この程度は容易いと。
「いいよ! やろう! レイジングハート!」
『いつでもどうぞ』
レイジングハートの返事と同時に、これまでを遥かに凌駕する密度のバインドで暴走体の全身を拘束する。万全の状態であれば食い破ることも出来たであろう暴走体は動くことすら出来ていない。
「魔力、収束……!」
その隙に体内のリンカーコアに魔力を吸い上げていく。
出し惜しみは一切しない、今出来る限界までをまとめ上げ、より強く、もっと上へ。
「ッ……! 凄い、凄いよ!」
だけど、私の思い描く限界を嘲笑うように私のリンカーコアは貪欲に魔力を簒奪し、隷属し、一つの塊へと磨き上げている。
私程度の凡人では天才の肉体は理解出来ない。この肉体には際限など存在せず、膨れ上がる魔力の濁流は、私の中で膨らむ期待のようですらあった。
展開された魔法陣を通して暴走体目掛けて魔力の渦が唸りを上げる。
私の想像の向こう側へ。飛翔し続ける才能が見出した向こう側の景色はもうすぐそこ。
持てる全てを吐き出せ。
有り余る才能に全てを委ねろ。
これが、今の私に出来る――。
「全力……全開ぃぃぃ!」
桜色の光が世界を塗りつぶす。その愛らしい色とは裏腹に、あらゆる全てを破砕しつくす破壊の一撃の名こそ。
『Divine Buster』
「シュート!」
彩られた才能の光が奔る。瞬間、私はこれが私の力だと理解する。
踏ん張らなければ反動で自分すら吹き飛ばしかねない一撃に対して、暴走体は抗うことすら出来ずに一瞬にして飲まれた。
でも、まだだ。
「あははははっっ!!」
さらに出力を上げる。膨れ上がる光の柱は愚直に前へと進み、瞬く間にユーノ君が展開した結界の境界へと激突した。
「なのは!?」
「ごめんねぇ! ごめんねユーノ君!」
ユーノ君が驚愕の声をあげる。
それに対して私は謝ることしか出来なかった。
だってこれは折角秘密裏に全てを終わらせようと頑張るユーノ君への明確な裏切りだ。
結界が軋みをあげる。私の放った全力に耐えられず、
「でもさぁ! 止められないよぅ! こんなに気持ちいいのに止められるわけがないよぅ!」
全力の限界値が今この瞬間にも跳ね上がっているのが分かる。
素晴らしい、素晴らしいと褒め称えはしたが、この二日では輪郭すら見えなかった高町なのはの才覚。
その全貌の一部がこの閃光によって暴かれたと思った。これが、この魔法こそが高町なのはを彩る才能の尖った部分の一つであるのだと。
砲撃魔法。
あらゆる全てを薙ぎ払う破滅の閃光。
「これが私! 私なのね!?」
リンカーコアが捻出した魔力が次々とディバインバスターへと注がれる。衰えるどころか尚も膨れ上がる力によって、未熟な体が軋み、毛細血管が切れて鼻や眼球から血が流れるけれど関係ない。
ここは限界ではない。
私の身体に上限は無く、あぁ、成長しきっていない肉体の弱さが嘆かわしく、鍛えることを諦めた自分のこれまでへの悔恨すらこみ上げる。
それら全てを歓喜で塗り潰してさらに前へ、才能が欲するままに、凡人だからこそ引き出せる才能の美しさをより激しく鮮烈に。
「止めて……止めろぉ! それ以上は――」
「あははっ! もう遅いんだからさぁぁぁ!!」
私に向けて走り出したユーノ君を他所に、最後の一押しを光へ注ぐ。
そして亀裂の走った結界が、遂に私の一撃に耐えきれず崩壊した。
「ぃやったぁぁぁ!!!!」
秘匿された禁忌が空を駆け抜ける。愚直に延びる桜色の流星は、そのまま海鳴市のビルの一部を貫いて遥か遠くへ。
誰か死んじゃったかな? まぁ楽しかったんだから仕方ないよね。
一先ず射角を変えて空へと伸びた光が私達を照らし出す。
「あ、あぁ……」
「いひっ」
茫然と閃光を見送るユーノ君と対照的に、私は鮮血に染まった視界でも美しく空を彩る光の柱に見惚れた。
射出を止めた光が空へと消えていく。現代社会ではありえない異常事態を見つけた者はどの程度いるだろうか?
どうでもいいし、どうだっていい。崩壊した境内の中央。遠くで崩れ落ちるビルの一角と、風に乗って聞こえてくる誰かの悲鳴だって、気にならない。
「あぁ、早く次が来ないかな」
今度はさらに強大な一撃を何度でも。
どうか、存分に私の全てをぶつけられる相手でありますように。
「神様、お願いします」
空を走る桜の流れ星が消えるまで、私は静かに祈りを捧げ続けるのであった。
次回、狩り日和
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第六話【災禍、此処より彼方より】
「なのは!?」
「ごめんねぇ、ごめんねユーノ君!」
「でもさぁ! 止められないよぅ! こんなに気持ちがいいのに止められるわけがないよぅ!」
「止めて……止めろぉ! それ以上は――」
「あははっ! もう遅いんだからさぁぁぁ!!」
なんかNTRっぽいなぁと思ったので更新が遅れました。
『次のニュースです。先日、正午、■■県海鳴市にて発生した謎の閃光によって駅付近のビルが崩壊した事件ですが、現在までに死者八名、重軽傷者合わせて三十八名を出し――』
『目撃者の証言によれば、遠方より突如走った桜色の閃光がビルを薙ぎ払ってそのまま空へと消えて行ったと――』
『日本を対象としたテロという見解もありますが、一部では地球外生命体の襲来――』
『政府は今回の件について未だ発言を控えていますが――』
いつもの朝、私は朝ご飯を食べながら家族みんなでここ数日世間を騒がせている事件についてのニュースを眺めていた。お父さんとお兄ちゃんは真剣な表情で見ていて、お母さんとお姉ちゃんが不安げな表情を浮かべる中、女子アナの人が淡々と告げるその内容を聞いて、居た堪れない気持ちになる。
だって、この事件の犯人は私だ。ユーノ君が外界への被害を防ぐために展開した結界を、あの時の全力でぶち抜いたことで現実世界に溢れ出たディバインバスターが運悪くビルに直撃、その後は見ていなかったけど、ニュースの映像を見る限りわりと酷い事件になってしまったようだ。
申し訳ないと思う。
一時の気持ちに身を任せて、私は取り返しのつかないことをしてしまったのだ。
許されざる罪人だ。
本来、すぐにでも犯人として名乗り出て処罰を受けるべきだ。
「だけど、気持ち良かったなぁ……」
「何か言ったか、なのは?」
「ううん。何でもない」
お兄ちゃんに慌てていつも通りの笑顔を向けて、私は朝ご飯を食べると「ごちそうさま」と一言告げてさっさと自室へと戻った。
確かに私は自分の快楽のために人殺しをした最低な人間だ。
だからこそ、これからはもっと上手にやろうと思う。
二度とこんな悲劇を繰り返させないために、私は強くならなきゃいけない。
丁寧に慎重に、誰かに危害が及ぶ前に、ジュエルシードの暴走体と戦って、それらの全てを封印するんだ。
「だからユーノ君、早く帰ってきてよ……」
戻ってきた自分の部屋には、一緒に居たはずのユーノ君はもう居ない。
胸元で輝くレイジングハート曰く、『もう君とは一緒に戦えない』ということで、本当はレイジングハートも一緒に連れていかれるところだったんだけど、私が肌身離さず持っているために断念して、伝言だけ残していったのだ。
それが今から三日ほど前のこと。あれからユーノ君には念話を送っても返事は無い。
「やっぱり、私がいけないんだよね」
だけど、ユーノ君を責めるつもりは私には起きなかった。
むしろいなくなったユーノ君のことを思えば、より強くこれからの戦いを頑張っていこうと思うほどだ。
それに、彼が私と一緒に居たくないという気持ちも何となくわかる。
「自分の魔法を壊されたら気分良くないよね……」
私はユーノ君の得意とする魔法を呆気なく上回ってしまった。それも、魔法を知ってから数日しか経っていないような素人同然の少女にである。
フェレットを人間と同じに考えることはおかしいかもしれないが、まぁ人語を喋るのだから人間と似たような存在と思っていいだろう。
ともあれ、素人に上回られた事実にショックを受けたに違いない。それはつまり、高町なのはの才能が天才と呼ばれる領域にあるという証明になるので嬉しかったり……っていけないいけない。
あくまで私が凄いのではなくて、高町なのはが凄いだけなのだ。それを自分のことのように思うのは違うような気がする。
「……ともかく今は、次の戦いに向けて魔法の特訓しなきゃね、レイジングハート」
『了解です。昨日の訓練データを元に新たな訓練メニューの設定を行いました。今後は日常生活を阻害しないように、分割思考と仮想空間を用いた訓練となります』
「そう、じゃあ学校にも行けるんだね」
『はい。ちなみに、本日のメニューは飛行魔法の基礎と砲撃魔法のバリエーションとなります』
「あぁ、それはとても素敵ね」
指先に展開したシューターをクルクルと回しながら、レイジングハートの提案する訓練内容に胸を躍らせる。
そう、今はいなくなってしまったユーノ君のことよりも、より素晴らしい力を手に入れることが先決だ。
そうこうしている間に寝間着から私服に着替えた私は、展開したシューターで遊びながら、これまで以上に爽やかな心地でこの数日訓練用に使っている公園へと出かけるのであった。
―
進入禁止のテープの向こう側、ユーノ・スクライアは上半分が崩壊したビルを、かれこれ一時間以上見上げていた。
視線を落とせば、崩れたビルの残骸によって粉砕されたアスファルトの地面が広がっている。既に残骸や、潰された人々と溢れ出た鮮血は拭われているものの、よく目を凝らせば拭いきれなかった血の痕が僅かに残っていた。
なのはの下を出てから暫く、ユーノは当てもなくジュエルシードを探して休憩する度に、ここで失われた命に対して悔恨していた。
――僕の、責任だ。
自責の念にユーノは胸が引き裂かれる心地だった。
あの日、暴走したなのはによる砲撃魔法が起こした惨劇。このような事件にならないように努力した結果がこの始末。しかも、ジュエルシードは未だ殆どの回収が終っておらず、間違いなく次の暴走が起きた場合、高町なのはという怪物が動くことは間違いない。
だからと言って、暴走前のジュエルシードを見つける手段は乏しく、そもそもユーノ一人では暴走体を封じることすら出来ない。
こみ上げる不快感のままなのはの下を去ったユーノだったが、結局なのはと近いうちに再び出会うことは確定していた。
そしてまたこの悲劇は繰り返されるのだろう。
否、同じ規模ではない。天才とも呼べる才能を秘めた高町なのはは段階を飛ばして成長し続けている。こうして出会わなくなった数日で、彼女の力はさらなる飛躍を果たしていることだろう。
結界を貫通されたとはいえ、デバイスを介さずに魔法を行使するユーノの魔法を操る技量は未だなのはを上回っている。
だからこそ言える。あの砲撃魔法はまだまだ成長する余地があると。
高町なのはは決して躊躇うことはないだろう。むしろ嬉々として破壊力を増した砲撃魔法を暴走体ごと海鳴市へと叩き込むはずだ。
「……どうすればいいんだ」
ジュエルシードが暴走すれば海鳴市は地獄と化し、高町なのはが戦えば海鳴市は地獄となる。
なる。
そして、そのいずれも全てはユーノが切っ掛けなのだ。
そもそも自分がジュエルシードを見つけなければよかった。
そもそも高町なのはに助けを乞わなければよかった。
あぁ、認めよう。責任の一端ではない。今まさに戦後最悪の危機に人知れず見舞われているこの海鳴市の悲劇は、自分にこそ責任があるのだと。
「だけど……でも……う、うぅ……」
項垂れて嗚咽したところで現状が変わるわけではない。
それでも、幼い少年が背負うにはこの現実は過酷に過ぎた。願いを暴走させる凶器と、超常により掘り起こされた狂気。この二つを前に抗う方法は殆ど残されていない。
唯一の希望は、事前に救援を送っていた管理局の魔導師が一秒でも早く来てくれることだが、それすらも果たして救いとなるかもわからない。
ジュエルシードはいい。問題なのは、管理局という組織を前にした高町なのはの狂気。
普通に考えれば、ロストロギア案件に駆り出されるような管理局の魔導師が敗北する可能性は考えられない。
だがアレは。
もしもアレが、管理局ですら糧とした場合――。
「ッ……!?」
そこまで思考を巡らせた直後、ユーノはジュエルシードの反応を察して背筋を凍り付かせた。
考えに答えを出す暇すら許されず、そも、今回の事件による被害者への償いすら叶わない。
それでもユーノは行くしかない。
もうこのジュエルシード事件とも言うべき代物が自分の手から離れたものだとしても。
それでもユーノはこの事件の責任者として、地獄のような戦地へと赴く必要があったのだった。
―
――気晴らしにプールにでも行きましょう!
そう笑顔で告げたアリサの気遣いに感謝しながら到来した休日。すずかは照り付ける日光に目を細めながら、アリサと一緒にプールを満喫していた。
「ほらほら! 行くわよすずか!」
「ま、待ってよアリサちゃーん!」
クラスメートではなく、嫌悪の別名として二人の間で暗黙の了解となっている少女、高町なのは。以前の接触によってすっかり気落ちしてしまったすずかのはしゃぐ姿に、微笑みの裏側でアリサは安堵の心地であった。
その心情まで聞いたわけではないが、親友を自称している以上、すずかがなのはに感じている感情は、自分とは少し違うということをアリサは何となく感じ取っていた。
だが無理にそのことを問いただそうという気になれないのは、単純になのはのことを話題に出すことすら嫌だったからである。
別にわざわざ掘り起こすことではない。それでもここ数日の落ち込み具合を察したアリサによる休日デート作戦は概ね上手くいっていると言っても良かった。
「ふぅ……沢山泳いじゃったな」
「ハァハァ……ま、前から思ってたけど、すずかって性格のわりに運動得意よね」
「そ、そうかなぁ? 普通だと思うよ」
暫く泳ぎ回ってから、一度上がって休憩に入る。プールでは家族で来た人たちや恋人同士、あるいは自分達のように友人同士ではしゃぎまわる人々でにぎわっている。
そんな人たちの姿を眺めながら、不意にアリサは「元気になったみたいでよかった」と呟いた。
「そんなに落ち込んでたかな?」
「えぇ、もう毎日心ここに在らずみたいな感じだったし、吹けば飛びそうなくらいに頼りなかったわよ?」
「……心配かけちゃったみたいでごめんね」
「別に……すずかが落ち込んでるとアタシが楽しくないから、それだけよ」
それを心配しているというのではないか。ということを口にするほどすずかは野暮ではない。不器用な親友の気遣いに「ありがとうね」と小さく微笑む。そっぽを向いているが、きっとアリサの顔が真っ赤になっているのがすずかには手に取るようにわかった。
「もう大丈夫だよ。いっぱい遊んだらすっきりしちゃった」
「本当? 無理して抱え込んだりしない?」
「あはは、アリサちゃんは心配性だね」
「だから! 心配してるわけじゃないわよ!」
「それでも、ありがとうね」
「……うん」
か細い返答にすずかの微笑みが深まり、なのはと接触したことによってささくれだった心が癒されるのを感じた。
本当に、彼女には申し訳ないことをしたと思う。そして、たかだか一瞬触れただけでここまで落ち込んだ自分の弱々しさに馬鹿らしさすら覚えた。
「私ね、高町さんが怖かったの」
「怖い?」
「うん。嫌いだとかそういうのよりも、私はすっごく怖かった。上手く言えないんだけどね、高町さんは人間になりかけてると思ったから」
「何それ、アタシだって人間よ?」
「えっと、勿論そうなんだけどそうじゃなくて……何て言ったらいいのかな。アリサちゃんは良い人で、高町さんは人間で……えっと、分からない?」
「分からないわよ、何? トンチでもきかせてるわけ?」
「そうじゃないんだけど……まぁともかく、私は高町さんが怖いけど、でもこうしてアリサちゃんと遊んでたらどうでもよくなっちゃった」
なのはに感じる得体の知れない恐怖は、きっといつまでもすずかから払拭されることはない。
だがすずかがなのはと関わることは殆どないのだ。そして彼女が幾ら恐ろしくても、その本質を発揮させるだけの力が無い。
だからもう気にしなければいい。関わらなければいい。考えなければいい。
それを逃げと呼ぶ人もいるかもしれない。だが時には臭い物に蓋をすることも必要であり、そんなことで親友との大事な一時を棒に振るのは損をするというものだ。
「だからねアリサちゃん。これからはもっと一緒に遊ぼう。次のお休みも何処か一緒に行こう。わたしは、アリサちゃんと一緒ならいつだって笑えるから」
「そっか……えぇ、そういうことなら任せなさい! もう駄目ってなるまでいろんなところに連れ回してあげるんだから!」
すずかの思うこと、言うことがアリサはあまり分かっていない。だが少なくとも、この大事な親友が自分と沢山遊びたいということだけは分かった。そして、それだけが分かれば十分だということも。
だからもういい。
これできっと、二人の間にあった高町なのはという棘も徐々に抜け落ち、いずれは消えることになる。
そしてその時こそ、二人は心の底から笑い合って、変わらない毎日を――。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
賑やかながら穏やかな一時。だがそれは、突如として二人を覆うように現れた影と、先程まではしゃいでいた人達の悲鳴によって一瞬にして砕かれることとなった。
突然のことに困惑するのも束の間。アリサとすずかが、そこにいた誰もが空を見上げる。
それはきっと、暖かな日常を破滅させる最悪の始まり。
少女達の小さくも美しい絆を砕く、災禍の時はここより。
「な、なによこれ……」
「あ、あ……」
二人が見上げた影。それは十メートル以上にはなる巨大な水の竜巻であった。明らかにプールの水量以上の水で練り上げられた竜巻に巻き込まれた人々が最初の悲鳴を最後に水の中に飲まれてもがき苦しんでいる。
その姿を見てアリサとすずかは言葉を失った。
荒波に揉まれる人間を外より見ているような光景。足掻き、苦しみ、抵抗すら叶わず、終わりの間際まで苦悶を表情に張り続ける地獄。
だがそれすらも地獄の始まりに過ぎない。唖然と見上げていた竜巻、その遠心力によって加速した人間の一人が弾きだされ、弾丸の如き勢いで地面に激突した。
かつて人間だった存在の何かが地面を中心にその全身を四方八方へと
「ひぃぃぃ! なんだよこれぇぇぇ!?」
「た、助けてくれぇぇぇ!」
「誰か! ウチの子が! ウチの子があの中に!」
突然の惨劇にアリサ達と同じくプールに居なかった人達が叫び喚く。そしてそれはアリサとすずかも同じだ。だが顔を青ざめさせながらも悲鳴をあげずにいただけでも賞賛される胆力だろう。
だが幾らか周囲の中でも冷静であったところで状況が良くなるわけではない。むしろ冷静だからこそ、今にもこちらに襲い掛かりそうな竜巻を見上げて、どうしようもないという事実に打ちひしがれそうになる。
「すずか! 早くこっち!」
それでもアリサは震えるすずかの手を取って走り出した。遅れて膨れ上がった竜巻が先程まで二人の居た場所を飲み込む。その内側に何か得体の知れない存在が居たように見えたが、アリサは振り返ることなく全速力で出口へと走る。
だが少女達の足では竜巻から逃れることは出来ない。迫りくる竜巻は、二人の抵抗を嘲笑うようにその全てを飲み干そうと迫り。
「ッ……すずか!」
「アリサちゃん!」
せめて離されてたまるかと抱き合った二人が目を閉じた瞬間、綴じた瞼越しでも感じられる閃光と共に二人の小さな体が空を舞った。
「きゃあぁぁぁ!?」
「ッ! うぐぅ!?」
とうとう悲鳴をあげたアリサを庇ったすずかが、地面に激突して呻き声をあげる。二度、三度、水着で打ち付けられた体は至る所が出血していたが、それでもすずかはどうにかアリサだけは庇うことに成功していた。
「う……あっ……すずか? ねぇ! すずか大丈夫!?」
「ぅ、ぅ……」
「あ、あぁ、そんな……どうして……」
どうにか起き上がったアリサは、地面にぶつかり、あるいは擦ったせいで全身が血塗れになったすずかを見て言葉を失った。
一体何がどうなってこうなったのか。
立て続けに起きた異常に対して、聡明とはいえ未だに十を越えない少女のアリサの思考はパンクしていた。
自分を庇ったせいで傷ついたすずかと、そんなすずかの血で濡れた自分を見て震えるしかない。
最早、何かを考えて行動するという選択肢すらアリサにはなかった。
いつも通りの日常だった。
大好きな親友を励ますためのお出かけは、素晴らしい天気と相まって最高の一日となるはずだった。
だがそれはもう全て過去の話。僅か一分にも満たない惨劇の結果、アリサが思い描いた最高の一日は、彼女の人生で最悪の一日と化してしまう。
崩壊したプールの跡地には、謎の衝撃によって吹き飛んだ瓦礫と
未だ渦巻く竜巻は内部に蓄えた人達を窒息させ、弾きだされた水死体が地面に勢いよく激突して奇妙なオブジェと化していた。
「何なのよぉ……何でこんなことになったのよぉ……!」
傷ついたすずかを抱きしめて嗚咽するアリサの声には誰も答えない。答えられる者は何処にも居ない。
そう、答えるつもりすら、そいつにはなかった。
「げひっ」
奇妙な笑い声が惨劇の場に響いた。不意に、アリサは涙で濁った瞳で空を見上げる。
「げひゃ! あひっ! ひひひっ! ひひゃひゃひゃ!」
そこに、それは居た。
恍惚の笑みを浮かべ、糞尿のような笑い声を吐き出して、それは悠然とそこに在った。
「ひ……ぃ……」
引き攣るような悲鳴がアリサの口から漏れた。その眼に発露する感情は恐怖。惨劇への憤りと悲しみすら一瞬にして消え去る程の絶望と対峙したことへの恐れ。
そして同時にアリサは意味不明ながらも直感的に理解した、してしまった。
アレだ。
空に浮かぶアレこそが、あの衝撃と閃光の正体だ。
それは、純白の衣を纏い、両足のくるぶしから桜色の羽根を生やして空を舞う姿は、さながら地上に舞い降りた天使――などではない。
腐敗した内臓を美しい衣で包み、天使のような姿で腐臭を放つアレこそがすずかを傷つけた、白い悪魔。
穏やかな日常に破滅をもたらす悪意の名を――アリサ・バニングスは知っている。
「高町、なのは?」
無意識に呟いた声を聞いて、白い悪魔がアリサへと視線を移す。その伽藍洞の眼に射竦められ体が硬直した。
怖い。
恐ろしい。
今すぐにこの場から逃げ出したい。
そんな思いを抱きしめたすずかの温もりが許さない。今や、アリサの正気を保つ最後の一線は、瀕死となったすずかだけだった。
「……それじゃあ。楽しもうか」
だがそれも一瞬、アリサへの興味を失った悪魔はさらに膨張した竜巻へと視線を戻した。
そして、その手に持つ杖にあの破滅の閃光が再び灯る。それが一度解放されれば、今度こそアリサ達が死ぬという事実すら一切考慮せず。
「すずかぁ! 起きてよすずかぁ!」
アリサは叫んだ。すずかの傷が開くのを知りながら、その体を引きずって少しでも遠くに逃げながら叫んだ。
だがすずかは起きず、破滅の光は今にも解放される瞬間を待ち、それでもアリサは親友を見捨てることは出来ず。
「誰か助けて……! 助けてよぉ!」
どうにもならない現実への咆哮は、ついに解放された光へと一瞬にして飲み込まれるのであった。
次回、頑張れユーノ君。
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第七話【人として】
アリサ「誰か説明してくれよぉ!」
アリサがけなげな!だったので連日投稿です。
早く。早く。
一分一秒でも早く、高町なのはは新たなジュエルシードの反応目掛けて急行していた。
学校側には早退するとだけ告げて、覚えたての飛行魔法を使って空を駆けるその表情は、新たな魔法を存分に操れることへの興奮が現れていた。
飛行魔法と同時にシューターを複数展開。
「ワクワクするわ! ドキドキもするの! きっと初恋だってこんなに夢中にはなれないわ! ずっと待っていたの、一秒だって忘れてなかった! 会いたくて会いたくて、きっとこの気持ちが幸せなの!」
空を描く少女の姿は遥か上空。その姿を隠すことなく飛翔するなのはの心は既に暴走を始めたジュエルシードに向けられていた。
次はどんな怪物が現れるのだろうか。
前回と同じ動物を元にした物か。
それとも最初のように不定形の物か。
もしくはこれまでとはまるで違う怪物なのか。
ドキドキに小さな胸が膨れて弾けそうになる。ワクワクで脳髄が溶けて身体中の穴から染み出そうになる。
「見つけたぁ!」
そして、ジュエルシードの反応が確認されたプールに辿り着いて、なのはは喜びに声を荒げた。
だが未だに暴走まで至っていないのか、眼下では無邪気に遊ぶ人達の
「ちぇ……早く着きすぎちゃった」
子どもらしく唇を尖らせて不満を口にする。
しかし、後どの程度待てばいいのだろうか。
待ち遠しい。今すぐにでも砲火の口火を切って、この世の極上を味わい尽くしてみせ――。
――貴女はまだ戻れるよ。
――いや、まずはユーノが来るまで待機し、結界が張られるのを確認してからジュエルシード暴走体の封印に取り掛かるべきだ。
今から戦えば、何も知らない人々が戦いに巻き込まれる。あの日の悲劇を忘れるな。お前が生んだ地獄を二度と再現するな。これ以上、その手を真紅で汚してはいけない。この世界は自分だけではなく、沢山の人達が生活している。ほら、下を見れば笑い合う人々の暖かな光景がある。これを壊してはいけない。間違ってはいけない。犯した罪を繰り返す必要は無い。
――だから、お願い……!
「黙れ」
――あ……。
ぐちゃりと潰す。桜色の光が一つ消える。
思考停止。
『どうかしましたか?』
「ううん、なんでもない……」
今のは一体なんだったのか。気持ち悪い思考を分離させて脳内でひと思いにすり潰してみせたが答えは出ない。堪ったゴミを処理したような心地よさと、理由の分からない後味の悪さによる不快感で顔が歪む。
そんななのはに対して、レイジングハートが真紅の輝きを点滅させて主張してきた。
『それよりも、一つ提案があるのですが』
「何? つまらないことは聞きたくないよ?」
なのははそわそわと体を揺らし、今にも魔法をぶちまけたいという欲求を我慢しているせいか、語気は荒々しかった。不快感による苛立ちもそこには含まれていた。
早く、早く私を試したい。
この数日の練習の成果を存分に発揮して、さらなる高みへと到達したい。
あぁでも、でもまだ駄目。
私だって少しは我慢できるもん。
――などという可愛らしいことを思ったかどうかは分からないが、『では、こちらを』と告げたレイジングハートからもたらされた提案を聞いた直後、なのはの頬が限界まで吊り上がった。
「ひひっ! なんだ、そうなんだレイジングハート! もう、そういうことならもっと早く教えてほしかったよ!」
『申し訳ありません。
「? レイジングハートの言ってることはたまに分からないわ? ……でも、今はそんなことよりも……」
なのはの目が再び暴走直前のジュエルシードへと向けられる。それに対して、レイジングハートを眼下のプールへと向けた。その先端に魔力の輝きが灯る。だがそれは魔法としての構築をなされていない純粋な魔力の塊。
それをジュエルシードに向けるということ、その意味するところはつまり――。
「あははっ! こういうの、鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギスって言うんだよレイジングハート!」
『勉強になります。――解放、来ました』
哄笑と共にレイジングハートより涙のような魔力が一筋落下する。それは限界まで到達していたジュエルシード目掛けて落下していった。
直後、なのはの魔力で最後の一押しをされたジュエルシードが覚醒する。戦いに赴くために蓄えていた膨大な魔力の殆どを注ぐことで目覚めたそれは、本来の規模を遥かに凌駕する暴走を果たして見せた。
轟と水が膨れ上がる。なのはの狂気で満たされた魔力を受けたジュエルシードは、これまでとは違う正しき暴走。
恐ろしきは、これが悪意ではないことにある。
全ては幼き少女の無垢。穢れなき醜悪によって、晴天の空の下、狂気の意志が鎌首をあげる。
空を突く膨大な水の竜巻。
あらゆる全てを巻き込み貪る、高町なのはの
「ぎゃはっ! 見てよレイジングハート! ジェットコースターみたい!」
『楽しんでいますね』
「えぇ、えぇ! だってこんなにも面白いもの! 素晴らしいわ! 私の想像なんて簡単に超えちゃった! 分からないよぅ! 分からないことだらけだよぅ!」
それでも、逆巻く竜巻は高町なのはという狂気の一部に他ならない。
無辜の人を守る。
平和な日常を守る。
そんな建前など一瞬にして消し飛ばして、早く戦いたいからという理由だけで、レイジングハートの提案を聞き、ユーノを待たずにジュエルシードを暴走――起動させたのだ。
結果、笑う少女の直下にて、平和な日常が地獄と化す。
荒れ狂う水に飲まれて悶死する人が居た。
弾きだされた勢いで地面に激突して内臓をぶちまけた人が居た。
恐慌する人に倒されて涙する人が居た。
現実を認識できずに発狂する人が居た。
笑顔と安寧は何処にも無かった。
恐怖と混沌だけがそこにはあった。
そして最悪なことに、罪悪感など彼女には無かった。
喜びだけが、彼女にはあった。
「始めましょう、レイジングハート」
『いつでもどうぞ』
なのははその渦に巻き込まれた人々を一切考慮せずに、レイジングハートの先端を差し向ける。猛りを孕んだ魔力が異常な肥大を示した。ユーノの予測通り以前の倍にまで威力を増したディバインバスターを放つことへの躊躇いは存在しない。
少女の瞳に映っているのは、
のことだけだ。
それ以外の有象無象を彼女の世界は許容しない。
叫べばいい。
嘆けばいい。
その悉くを己が糧とし、この身はさらなる高みを頂く。
「まずはお試し」
収束は僅かに数秒、先端に展開される魔法陣が束ねた魔力を破壊に変えて、ここに極限の災禍を解き放つ。
「耐えてほしいな」
『Divine Buster』
なのは本人としては多少の加減を行ったディバインバスターが遥か空より神罰の如く竜巻へと振り下ろされた。
しかし、空と地面を繋げる桜色の柱は、プール一帯を丸ごと飲み込む程に強大。その余波だけで周辺一帯に衝撃波が奔る。
体の底から響く重低音が心地よい。胎の奥が熱くなる感覚に頬を染め上げて、数秒の掃射の後に広がった煙幕の向こう側、未だに規模を衰えさせない竜巻を見てなのはは「あはっ」と小さく笑った。
「いいわ。とっても素敵よ君。そうでなきゃつまらないもの」
『対象、魔力減衰ならびに肉体損傷は殆ど見られず……戦術プランの更新を行いますか?』
「要らないわ。戦うのは試したいことを試してからよ」
『了解、気を付けてくださいマスター』
「ありがとう、レイジングハート」
こちらの意を汲み取ってくれる素敵な相棒にキスを一つ落として、なのははこちらを脅威と認めた暴走体へと降下していく。
近づくにつれて、対峙する暴走体が発露する魔力の猛りに声を抑えきれずに笑ってしまう。この数日、なのはは何度とだって心の底から喜びを露わにしていた。それでも毎日更新される喜びの最高値は、新たな敵を前に再び更新を果たす。
「げひっ!」
抑えられない。衝動は幼い体を引き裂くように、流れた血潮の雨に濡れ、至高の一時に酔いしれる。
「げひゃ! あひっ! ひひひっ! ひひゃひゃひゃ!」
悪ではない。善でもない。
どこまでも己のみ。あらゆる全てが己が糧。ご馳走を前に打ち震える歓喜に酔って、なのはは暴走体と対峙する。
「それじゃあ、楽しもうか」
対峙の最中、自分を呼ぶ声が聞こえてきたが、相手がクラスメートだと分かった時点でなのはの脳内から相手への興味は一切無くなった。
いや、この最高の体験に横やりを入れられたようで少し不愉快ですらあった。
何故あそこにクラスメートが居るのか。マルチタスクのおかげで暴走体を警戒しながら確認できたはいいものの、うっかり意識を奪われたら暴走体に先手を打たれる隙を見せてしまったかもしれない。
「ん?」
なのははふとクラスメートを見ただけで不快感を覚えたことに首を傾げた。
何を苛立つことがあるのか。あれらはそもそも見る必要すらない存在でしかないというのに。
何かがおかしい。自分の中の何かがずれている。
「あはっ」
知らず、なのはは笑った。
魔法という未知の技術はおろか、こうして発露した肉体との乖離による異常すら楽しく思える。
知ることが未知で、己すらも未知。知り得たこと以上に知らないことは積み重なり、もっともっとと体が欲する。
「でも今はこの戦いだよねぇ!」
チャージは一瞬、なのはは抜き打ちでディバインバスターを暴走体目掛けて撃ち放った。
先程よりも威力で劣る一撃は竜巻に弾かれて周囲に拡散する。桜の光が乱反射して散る様は幻想的ではあったが、その輝きによって破砕された瓦礫が周囲に飛散し、生き残った少ない人達が悲鳴をあげる。
当然、なのははこちらの一撃が弾かれた事実に笑みを深めるばかり。一方、暴走体も受け身に回るばかりではない。反撃とばかりに内部にため込んだ水の塊はおろか、瓦礫や溺死体といった物に至るまでなのは目掛けて飛ばしてきた。
「ふふっ、まるでシューティングゲームね」
飛来する質量弾の数々の合間を掻い潜る。先日の暴走体との戦いで掴んだ魔力の流れをなぞるように、今日覚えたばかりの飛行魔法で飛翔する。ただのゲームでは味わえない三次元戦闘の粋。時に避け、シューターで逸らし、プロテクションで防ぎながら、なのはも返礼とばかりにシューターを四方から暴走体へと差し向けた。
「行きなさい!」
加減したとはいえディバインバスターですら一撃では致命傷には届かず、生半可な魔法では弾かれるのが関の山。しかし、あらんかぎりの魔力を込めたシューターは竜巻の内側に沈みこむと、その内側に居た暴走体の本体にすらダメージを通してみせた。
『敵、暴走体の魔力減衰を確認』
「竜巻に魔力を使っている分、本体は案外弱いのかな?」
『警告、断定するには情報が足りません』
「そのとおりねレイジングハート。えぇ、油断せずにいこう!」
なのはと暴走体の射撃戦は過熱する。
前面に高密度の弾幕を展開する暴走体と、少数ながら威力のある一撃を当てていくなのはのスタイルは対照的だ。
一撃が直撃すれば倒れるなのはと並大抵のダメージは無視できる暴走体とでは戦闘スタイルが違うのも当然。それでも、攻撃にのみ集中できる暴走体と回避にも意識を割かなければならないなのはとでは積み重なる疲労の度合いが違う。
今は冷静に暴走体の攻撃を受け流し続けているが、なのはは笑い声をあげて戦いながらも、思考の片隅で冷静にこのままでは押し切られると判断していた。
勿論、逆転の手は幾つか思いついている。相手は鈍く、大きく、面制圧力が高いけれど、所詮はそれだけだ。
狙いは一点。耐久力を上回る特大の火力を叩き込むことのみ。
「私が消し飛ぶか、魔力が溜まるのが先か。ときめくわ、ゾクゾクしちゃう」
思考を寸断し、それぞれに独立したシューターの操作権限を与える。
三つ、四つ、五つ、六つ―何故最初から二つあった?―七つ、八つ、九つ、数えて十八のマルチタスクによる並列思考。
合わせて十七の光弾がなのはの周囲に展開される。
いずれもが回避の最中に溜めに溜めた魔力を注いだ特注品。
これらを防衛に回し、消滅までに全力の魔法を構築してみせる。
「それじゃ――」
「なのはぁぁぁぁ!!!」
だが、動き出そうとしたなのはは、世界が裏返るような感覚と自身を呼ぶ声によって止められた。
「ッ!?」
慌てて緊急回避に移りながら声の主を探す。そして瓦礫の隙間を縫うようにしてこちらに駆け寄るフェレット、ユーノ・スクライアの姿を捉えた。
「あ、ユーノ君。遅かったね」
「なの、は……! 君は! 君はどうして!」
「? あぁ、ごめんなさい。我慢出来なくて先に始めちゃってたわ。うん、結界ありがとう、これで犠牲者がこれ以上でないように戦えるね!」
にこやかにそうのたまう少女の異形に、ユーノは戦慄した。
どの口で、犠牲が出ないで戦えると言った?
崩壊した施設。そこら中に散乱した人間の部品と鮮血の花。結界を貫いたあの日以上の光景がそこにはあった。どんなに後悔しても、足りない絶望がそこにはあった。
だが、高町なのはは言った。
これ以上、被害は出ないと。
災禍を生んだ張本人が、のたまいやがった。
「ふざけるな……! ふざけるな! 君はイカれてる! こんなこと……まともじゃない!」
最早、言葉を繕うことすらしなかった。
高町なのはは狂っている。ここに来るまでの途中、なのはが意図的にジュエルシードを覚醒させたことを知っているが故に。
コレはもう放置してはいけない災禍と同類に成り下がった救いようのない悪魔だ。
だが、それでも。
それでも、今はこの怒りをぶつけるわけにはいかなかった。
ユーノの口から溢れだした怒りは、結界の展開で一時的に止まっていたが、再度活動を開始した暴走体の竜巻が奏でる轟音に掻き消えてなのはの耳には届かない。
そして、なのは自身ももうユーノのことを見てはいなかった。その底なしの漆黒が空けられたような眼球の先に映るのは暴走体のみ。
加速する狂気と作り出された脅威が再び激突する。
最早、先日までユーノが介入出来た領域を逸脱した戦いを、彼はただ見守ることしか出来なかった。
「どうして……どうして僕は……!」
己の力不足に打ちひしがれる。
だが出来ることをしなければならない。今度こそなのはが放つディバインバスターを完全に遮断するために、ユーノは術式の構築を始めるが――。
「う、うぅ……誰か、助けてよぉ……」
「え?」
本来、結界内部に存在するはずの無い声にユーノが振り返った先、そこに居たのは、血塗れのすずかを抱いて震えるだけのアリサだった。
その周囲を守るように、薄い障壁が展開されている。この絶望の中、それでも誰かを守りたいと抗った細やかな奇跡を見て――「ありえない」とユーノは戦慄いた。
「なん、で?」
二人の少女を取り囲む桜色の障壁。それは間違いなく、この惨劇を生み出した張本人である高町なのはの魔力によって構成されていた。
化け物同士の戦いによって摩耗した障壁は殆どの力を失っている。
しかし、なけなしの魔力はそれでもアリサとすずかを見捨てることは無く、この脅威に必死の抵抗を示していた。
儚く、健気で、だが美しい
「後ちょっとぉ! もう少しだよ! もう少しだけ我慢すればさぁ!」
「ッ! そこの君! そこから動かないで!」
だが上空より響き渡る最後通牒によって我に返ったユーノは、アリサとすずかに駆け寄りながら障壁を補強するようにプロテクションを展開した。
「え? フェレットが、喋って?」
「ごめん! 説明は後でするから今は頭を低くして踏ん張って! ――特大のやつが来る!」
そう言い放つのと、遥か上空で桜色の太陽が顕現するのは同時だった。
その威容に愕然とする。ユーノはおろか、魔法という存在すら知らないアリサすら涙することすら忘れて呆けていた。
「私達、死んじゃうの?」
アリサがそう口走るのも仕方なかった。
それは、試しに放ったディバインバスターでは比較にならない。本当の全力全開、珠玉の閃光。
命を飲み込み、溶け爛れさせる破滅をここに。
少女の無垢が世界を穿つ。
「いや、僕が守る」
だが、ユーノはアリサの絶望を否定した。
何としてでも耐えてみせると誓いを新たにしてみせた。
「僕が、君達を守るから!」
しかし、少年の美しい誓いすら閃光は飲み込む。
彩られた破滅。顕現した狂気。
発露させるは異常の力。
「受け取って! 私の本気を!」
『Divine Buster』
「シュート!」
そして二度、天より注ぐ極光が再び暴走体を丸ごと飲み込んだ。
これ以上ない程崩壊したプール施設が、さらなる破壊に飲み干される。戦場で発生する爆撃ですらこの規模に到達するにはどれほどの火力が必要か。
一個人が持つには危険すぎる力によってもたらされる壊滅は、一瞬の抵抗すら許さず暴走体を消滅させた。
だが終わらない。
ここで終わるなら、高町なのはが狂っているとは言われない。
「あはははは!」
膨れ上がる我意。増長する狂気。底の見えない異形の意による破滅の光は、当然の如くすぐ傍にいたユーノ達にすら襲い掛かってきた。
「きゃああああああ!!??」
「ッ……ぅぁぁぁああああああ!!!」
ディバインバスターが発生させた余波でユーノのプロテクションが軋みをあげる。結界を維持する余裕すらない。持てる全てをプロテクションに注ぎ、ユーノは背中越しで震えるアリサとすずかを守るために叫んだ。
もう、他の全てを救うことは出来ない。
そこに居た誰も彼もが死んだのだ。
微笑ましい家族も。
笑い合う友人も。
愛し合う恋人も。
誰も彼もが光の渦へ。飲まれて溶かされ消えて失せた。
「でも……! それでも僕は……!」
この世界に来てから未だ半月も経っていない。たったそれだけの間に多くの人が死に、こうして今も誰かが死んだ。
だがユーノは踏み止まった。体力と魔力の温存のために変身していたフェレット状態も解除して、一人の少年の姿に戻って体を張り、守るために抗った。
未だに体調は万全とまでは言えず、精神面は絶不調。展開したプロテクションも常より精細が欠ける。
だが耐える。
ここで耐えなければきっともう
「これ以上……誰かを……殺されてぇ……! たまるかぁぁぁ!」
ユーノが吼えた。
しかしその咆哮すら飲まれる。
気高き抵抗すら消え去っていく。
どんなにそれでもと叫んでも、全てを飲み干す狂気に届かず。
――もう、これ以上は……!
精神論では持ち堪えられない限界。口惜しさに涙を流し、背後の二人に守れなかった懺悔を口にしようとして。
「……させない!」
桜色の破滅を、横合いより放たれた金色の閃光が貫いた。
「誰ッ!?」
突然の乱入に、ここまで一切見せなかった焦りの表情をなのはが初めて見せた。
そこにはこれまでの余裕は一切存在しない。いや、天才という肉体を余さず堪能する凡人だからこそ、この乱入がもたらす意味を誰よりも理解していたのかもしれない。
敵だ。
これまで口にしていた建前としての敵ではない。
本物が来たのだと、なのはの全身が感じ取る。
その間に、ユーノが破棄したはずの結界はいつの間にか再展開されていた。そのことに気付くのに遅れて僅か、ユーノもまた遠間に存在する誰かを認識する。
それは、なのはと同じく幼い少女であった。
漆黒のマントを羽織った金髪の少女が、なのはと向かい合うようにして浮遊している。その手に握ったデバイスは先端より黄金の切っ先を展開しており、さながら死神を彷彿とさせた。
「名乗りたくない」
誰というなのはの問いを、少女は静かに拒否する。その瞳には、この惨状を起こしたなのはへの明確な敵意が灯っていた。
「貴女のような人殺しに教える名前なんて、無い」
淡々と怒りを告げた少女がなのはへと刃を向けて、敵意を隠さず続けて叫んだ。
狂気に対して、幼き正義が鋭く吼えた。
「絶対に、教えてたまるもんか……!」
次回、頑張れフェイトちゃん
例のアレ
マルチタスク
いわゆる思考を分割させて別々のことをやろうっていうやつ。オリ主はこれを覚えて、思考が複数になった。つまりはそういうこと。
ディバインバスター
アニメ本編よりも威力がやばい。理由は常時リミッターを無視して魔力収束しているせい。意図して無視しているが、体にだいぶガタがきている模様。そのため隙が生まれている。つまりはそういうこと。
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第八話【まいりとるれでぃ】
オリ主「お前は誰だ」
■■■「私の中の私」
さっきまで命だったものがプールに転がっているので連日投稿続行です。
黒衣の少女、フェイト・テスタロッサがその場に居合わせたのは、ある意味では高町なのはの暴走が一つの要因だった。
ロストロギア・ジュエルシード。端的に言えば次元干渉型のエネルギー結晶体とも呼べるこの物質の回収を、母親であるプレシア・テスタロッサに命じられて彼女はこの管理外世界と呼ばれる世界の一つである地球へと来訪していた。
いつの間にか性格が豹変し、虐待ともいえる扱いをプレシアから受けるようになったフェイト。そんな彼女が、母親からの愛を再び得るために赴いた任務への覚悟は悲壮であり、同時に強固なものだ。
――必ずジュエルシードを集めて、記憶に残る優しい母さんともう一度やり直すんだ。
そのためならば可能な限りのことをしようという覚悟をしていた。あらゆる苦難を踏破すると誓っていた。
それでも、これを許すことは出来ない。元が優しく穏やかな性格だから、フェイトは地球への転移直後、結界すら張らずに魔法での蹂躙を行うなのはの非道に耐えられず、何も考えずにそこへと飛び出していた。
――フェイト! 言われたとおり結界は張り直したよ!
「ありがとうアルフ。無理言ってごめんね」
――それよりも、気を付けておくれよ。
「大丈夫……絶対に、負けないから」
大事な家族であり、命を共有した使い魔でもある狼の使い魔、アルフへ決意と感謝を告げて数瞬、フェイト・テスタロッサは地獄の権化たる高町なのはへ眼光鋭く向き合った。
「貴女、は?」
「言ったはず……答えたくはない!」
初め、この世界で何が起きているのか様子見していたフェイトは、高町なのはがこの日犯した罪の殆どを見ていた。
もっと早く介入するべきだった。意図が分からないからと見に徹したのは間違いだった。
こみ上げる悔恨をグッと堪えて、代わりに魔力をかき集める。
それでも高町なのはの所業を許すわけにはいかない。この人の皮を被った悪魔の一部始終を見ていたからこそフェイトは確信していた。
相互理解は不可能。アレは、人の姿をしているだけで、自分とは別の生物だと。
「撃ち抜け轟雷……!」
故にフェイトは即座に戦闘態勢へと移行した。
振りかぶったデバイスが魔力を変換した紫電を放つ。秘められた奔流は一切の躊躇もなく、未だ混乱の中にあるなのは目掛けて解放の号を待っていた。
初手より小細工も加減も無し。相手が動揺している今に付け入り、一気に決着をつけて見せる。
「サンダースマッシャー!」
「ッ!? プロテクション!」
詠唱と共に放たれた金色の紫電を前に、なのはは咄嗟にプロテクションを展開することしか出来なかった。
魔力を読む余裕も暇もない。問答無用の雷は桜色の障壁と激突し――付加された雷によってなのはの全身に激痛を走らせた。
「ぎぁぁぁあああ!!??」
直撃を耐えたというのに、迸る雷の痛みでなのはが苦悶の声をあげる。
痛みと驚愕。焦燥と混乱。
混沌とした感情と思考が隙を生む。しかし、ディバインバスターと似た性質の砲撃を受けても未だ健在。どうにか飛行魔法を崩さずに意識を保ったなのはだったが、それを見越して既にフェイトは行動に移っていた。
「バルディッシュ!」
フェイトの命と魔力を汲み取って、その手のデバイスが魔力の刃を形成する。直後、痛みに顔を顰めながらもフェイトと向きなおったなのはの視界からフェイトの姿が一瞬にして消え去った。
「速ッ!?」
「はぁぁぁぁぁ!!」
勇ましく気勢を発してなのはの頭上からバルディッシュを振り下ろす。辛うじて魔力の流れと声で反応したなのはがバルディッシュをレイジングハートで受け止めた。
だが鎌形の形状をした魔力刃のため、バルディッシュ本体を受け止めても、魔力刃はそのままなのはの左肩へ深々と突き刺さる。
初めて受ける魔力ダメージによる痛み。バリアジャケットを貫いた刃はため込んだ魔力を根こそぎ奪い、体の内部に感じる異物が痛みを発して脳髄を焼く。
「いぃぃあぁああ!!??」
暴走体から受けた物理的痛みとは別種のものになのはの両目が見開き、奇声と共に口から泡を吹いて苦悶に表情を歪める。
「ぁぁぁあああ! バインドぉぉぉ!! 」
痛みで白熱する思考の中、咄嗟に選択したのは最も手慣れた始まりの魔法。その背中より吐き出せるだけの鎖を顕現させて、一気にフェイトへと襲い掛からせる。
だがそれらを即座に察したフェイトは、鍔迫り合いからなのはの顔を蹴り飛ばして距離を取ると、再び信じられない速度で一気にバインドの波から離脱した。
「痛っ……! 顔を足蹴にするなんて!」
「だからどうした! これまでもこれからも! 貴女に与える痛みの全ては踏みにじられた誰かの分だ!」
「誰か? そんなの知らないよ!」
フェイトの叫びに、なのはは理解の色を示さない。まるで、自分は誰も踏み躙っていないとでも言わんばかりの表情に、フェイトの表情がより一層険しくなった。
そうやってこの悪魔は一体どれほどの人間を己が快楽の糧としたのか。悲鳴と怨嗟すら舐めしゃぶる外道の精神を、フェイトもまた理解しようとは思わなかった。
「貴女はここで私が止める。絶対に止めてやる……!」
「あのね貴女、さっきからさぁ……言ってる意味が分からないのよ!」
「どの口でぇぇぇ!」
展開された金色に輝くシューターが間隙を置かず怒涛となのはへ襲い掛かる。フェイトの速度と同じく目で追うのは至難なその軌道を、なのはは魔力を読み、バインドの膨大な量による物量差で迎撃した。
虚空で魔法が弾けあって金と桜の花が咲く。互いの存在を否定するために撃たれる弾丸豪雨は戦火の如く。
互いに互角。
否。
戦場を走る金色の輝きが、形勢を傾かせている。
「押されてる……!? 私の魔法が知らない誰かに!?」
なのはは自身のバインドがフェイトのシューターに食われ、どうにか辿り着いた鎖もことごとくをバルディッシュに薙ぎ払われていることに歯噛みする。
そしてなのはを中心に円を描いて飛翔するフェイトの速度は徐々に加速している。隙を見せれば、一瞬にしてあの魔力刃に貫かれるのは明白。
「このぉ!」
苦し紛れにシューターを放つが、適当な散弾ではフェイトの影すら捉えられない。それどころか、その隙を縫って突進してきたフェイトの擦れ違いの一撃が、なのはのバリアジャケットを大きく引き裂く始末。
辛うじて追撃を試みても、振り返った先にはもうフェイトは存在しない。
「また消えて……!?」
「やぁ!」
今度は真下から奇襲したフェイトの刃を後ろに倒れ込むように身を引いてどうにか回避する。今度は追撃を考える暇すらない。体勢を整える間に再び魔力刃の輝きは眼前。顔面を狙った刃はなのはの頬を引き裂いて、魔力ダメージが苦痛となって体を揺さぶった。
「だったらこれ以上の数でぇ!」
全身を取り囲むようにバインドを放つ。狙いすらつけてはいない。触れた瞬間に絡みつくことだけを考えた触手は、暴走体ですら一瞬にして絡み取る規模の量。
だがその悉くが空を裂き、バルディッシュに切断され、シューターに砕かれ、悪戯に魔力を消耗するばかり。
培った技術が、才能が生んだ力の数々が全て届かない。
「駄目、駄目なの?」
確実になのはは追い込まれていた。
認める他ない。
高町なのはという天才が、届かない。
必死になって磨いた全てを上回れ、耳元まで敗北の足音が聞こえている。
負けてしまう。
何としても勝ちたいのに、どうしようもなく惨めに負けてしまう。
それはなんと――なんと、甘美なことだろうか。
「げひゃ! いひひひひ! 貴女こそがそうだった!!」
この僅かな戦いで、なのはは認めざるを得なかった。
名前も知らない好敵手、フェイト・テスタロッサもまたこの身に届く天賦の持ち主。
故にこのままでは届かない。凡人の操る天才の肉体では、天才が操る天才の肉体を越えられない。
勝敗を決するのは中身の差。肉体の才覚が同等であるならば、勝敗を決するのは経験と才能。
しかし、だからこそなのはは笑った。
「見つけたわ! 貴女なのね!? 貴女こそ私に必要なものだったのね!?」
足りなかったのはこれだ。天才の扱い方の手本となる存在。たとえ、才覚の方向性が違っても、天才の運用方法には必ず何かがあるはず。
もっと私に魅せろ。
頭の天辺から足の先までしゃぶりつくし、引き裂いた腹の中まで味わい尽くしてやる。
「好きよ! 大好きになってしまったの!」
それは、暴走体にもユーノにも感じなかった情動。口にすればなんとも容易い言葉で済ませられる気持ち。
今思えば、出会った瞬間の動揺は胸のトキメキによるものだったと断言できるから。
「これは愛よ!」
胸が高鳴る。
思いが弾ける。
「愛しているわ!
これぞ恋慕と呼ぶに相応しい。僅かな会合でなのははフェイトを生涯を賭すに足る存在だと認めた。認めてしまった。
それはつまり、フェイト・テスタロッサへの恐ろしき宣誓に他ならなかった。
「ッ……気持ち悪い!」
なのはの狂言をバインドごと一言で断ち切り、フェイトがシューターでなのはを攻めたてながら加速する。
「あはは! もっと遊びましょう! 私に素敵な貴女を見せてちょうだい!」
バインドを維持したままなのはもシューターを展開して迎撃を開始した。フェイトと同じく十の光弾は、腐肉に殺到する害虫の如きバインドを引き連れて再度フェイトへと吶喊する。
だが単純な速度が違う。なのはが操れる限界では、フェイトの神速を追うには遅すぎた。
「だったら!」
レイジングハートの砲塔が唸る。この日、三度目となる砲撃魔法を前に、リンカーコアを中心に鋭い痛みが体を駆け抜けた。
しかし、なのはの笑みは崩れない。むしろこの痛みすら喜びに変えて、悪魔は三度、破滅の光を現出させるべく力を溜める。
捉えられないなら、逃れられない火力を以て打倒する。
フェイトに速度で勝つという考えは端から無い。
なのはに出来るのは、己が才覚の極地で全てを薙ぎ払うこと、ただそれのみ。
「させるかぁ!」
だがそれを黙して待つ程フェイトは優しくない。方向を一転、真正面からなのは目掛けて疾走する。
彼女もまた、なのはの火力に勝ろうという思いは無かった。先の横やりも、暴走体に威力の殆どが注がれたおかげでどうにか貫くことが出来ただけであり、遠距離戦では分が悪いことを認めている。
だからこそ決着は迅速に。フェイトは接近させまいと四方八方から襲い掛かるバインドとシューターの群れを、体に触れるぎりぎりを見切って掻い潜り、その切っ先を振りかぶった。
「はぁぁぁぁぁ!!」
「いいわ! おいで! 貴女を思いっきり抱き締めさせて!」
今度はレイジングハートで受けるような真似はしない。事前に構築していたプロテクションを解放して、フェイトの斬撃を真っ向から受け止めた。
火花を散らす両者の魔力が大気を弾き、高音を響かせる。
込められた魔力量は互角。押し切ることも押し返すことも出来ず、二人の視線が交差した。
「うふふ! 見れば見るほど綺麗な瞳。その眼にずっと、私を映して?」
「ッ……ふざけるな! 誰が、誰が貴女なんかを……!」
「そう……だったら私の精一杯で、貴女を夢中にさせてあげる!」
プロテクション越しになのはがレイジングハートをフェイトに突きつける。
まるで発射直前の大砲の中身を覗きこむような感覚にフェイトの顔が青ざめた。
暴走体を薙ぎ払った一撃が――来る。
『Divine Buster』
レイジングハートの宝石にその名が灯ると同時、二人の間に広がった魔法陣の中心からなのはの思いが放たれた。
幼いながらも抱いた情欲を秘めた一撃は、なのはの愛。フェイトの全身に余すことなく吐瀉した魔力を見て、天才を汚すという快楽に頬を染めて顔を綻ばせた。
しかし、光が収まった直後、その眼が驚愕に見開く。
本来だったら、猛る想いに塗れて煤けたフェイトの姿が見られるはずだった。
なのに、光の向こう側には、誰もいない。
そして、なのはの全身が一際大きく揺さぶられた。
「え?」
何が起きたのか。唖然と体を見下ろすと、胸の中央から金色の魔力刃が伸びている。
振り返れば、義憤に燃える少女の瞳が鋭くなのはを映していた。
「これで、終わりだ……!」
そして、羽織ったマントの八割が焼けこげながらも無傷のフェイトがバルディッシュの刃をさらに深くねじ込んだ。
瞬間、駄目押しに刃から放出された雷が、なのはの体を内部から焼き尽くした。
「ぎゃああああああああ!!??」
最早、何も考えることが出来ない。非殺傷設定であっても、心臓から直接叩き込まれた魔法と雷の合わせ技による痛みは、いくらなのはが狂っているとはいえ耐えきれるものではなかった。
頭が沸騰する。血潮が蒸発する。
四肢の末端まで痛覚が剥き出しになり、全身の神経をくまなく針で突かれているような錯覚に陥る。
痛みで消えた意識が痛みで復活し、再度消えた意識がやはり浮上する。繰り返される連鎖地獄は、発狂してもおかしくない煉獄。
およそ一分間。完全になのはの意識が断絶するまでその痛みの荒波は続き――フェイトが刃を引き抜くと、なのははゆっくりと地面へと落ちていった。
「ッ……危なかった……!」
――フェイト!? 大丈夫かいフェイト!?
「うん……心配かけてごめんね、アルフ」
最後の一合。放たれたディバインバスターは再度展開された結界を貫いていた。
辛うじて反応してマントを盾に回避したが、僅か一瞬触れただけでバリアジャケットはこのあり様。もしも直撃していた場合、地面に倒れていたのは自分だった。
いや、そもそも暴走体との戦いで疲弊していたことを考慮すれば――。
「……ッ」
実感を噛みしめる余裕すらない紙一重の勝利。消耗で顔を青ざめさせながらも着地したフェイトに、同じくボロボロの少年――人間体に戻ったユーノが歩み寄ってきた。
「あ、ありがとう……おかげで、助かったよ」
「……気にしないで。これは、私の我儘だから」
プレシアの命令ではなく、己の怒りに従って戦ったのだ。それは恥ずべきことだとフェイトは思うが、ユーノは頭を振ってみせた。
「だけどありがとう。君が来たから、あの子達だけは助けられた」
ユーノが振り返った先、治癒を済ませて何とか一命をとりとめて穏やかに眠るすずかと、自分達が助かった安堵で再び泣き出したアリサが居た。
犠牲者は数えきれない。だが、助けた命を誇ってもいいはずだ。
「自己紹介がまだだったね。僕はユーノ・スクライア。君は?」
「フェイト……テスタロッサ」
「フェイト、か。うん、よろしくねフェイト。さて、一先ず今の内になのはを拘束してレイジングハートを回収しないと……そういえば君達は一体……もしかして、ジュエルシードを確保しにきた管理局の魔導士?」
「えっと、私達は……」
どう答えるべきか。正直にジュエルシードを取りに来たということは出来ない。ここに居る以上、彼もまたジュエルシードに何かしらの関わりを持つ人物なのは察していた。
そうして答えに窮していると、フェイトは「そう言えばジュエルシードが」と先程消滅した暴走体を思い出して周囲を探り。
ふと気づく。
倒れていたはずの高町なのはが、何処にも居ない。
「そっかぁ。フェイトちゃんって言うんだね」
声の方向、レイジングハートを地面に突き立てて何とか立っているなのはがそこには居た。その手には、封印処理をされたジュエルシードが握られている。
非殺傷設定だったために見た目には殆ど怪我は見られない。それでも魔力を消耗しつくし、筆舌し難い痛みを受けたなのはは本来起き上がることすら出来ないはずだ。
いや、この化け物を常識で考えるのが間違っていた。フェイトがバルディッシュを構えユーノが魔法陣を両手から展開する。
今度こそ、確実にトドメを刺す。
その覚悟で踏み込もうとした瞬間だった。
「遅いよ」
残された魔力をジュエルシードに注ぎ封印を解除する。
一時的な眠りから覚醒したジュエルシードは、現在の所有者であるなのはの願いを汲み取って、その内部に秘められた膨大な魔力を暴走させた。
「君は……なんてことをしたんだ!? ジュエルシードを意図的に暴走させればどうなるかなんて――」
「だって、ユーノ君は、私から魔法を取り上げるつもりだったんでしょう? そんなの嫌よ。絶対に嫌」
幼稚園児のような、まだ遊び足りない子どもの我儘。
ここで意識を失えば、レイジングハートを取られ、再びあの倦怠の日常に逆戻りとなる。
そんな恐ろしいことをしようとしているのだ。ならばなるべく守ろうとした約束など取るに足りないものでしかない。
「君は……一体どこまで……!」
「分からない? ううん、分かるわけないわ。ユーノ君に私の気持ちなんて」
ずっと、退屈していたのだ。
知らないことを知れるという感動を、人格が形成されてからこれまで味わったことがない異常。
記憶が無いのに、知識だけが蓄えられた現実。
狂わないわけがない。彼女の本質を知れば――ただの凡人が、こんな異常極まりない現実に耐えられるはずがないと分かるのに。
きっと、なのはの孤独を理解できるものはいない。
それこそ彼女自身以外に存在しないのだ。
「だから私は楽しいことを続けるの。えぇ、もう繕うのは止めましょう。私はねユーノ君、私以外の誰がどうなろうがどうでもいいんだ」
ふわりと浮き上がり、こちらを睨みつけるフェイトになのはは精一杯の微笑みを向けた。
天才の力を操る天才の人格。
あるべき器に相応しい中身が注がれた美しき少女がまぶしくて。
「さようならフェイトちゃん。私の名前は高町なのは、絶対に忘れちゃだめだよ?」
――次はもっともっと、楽しみたいもの。
そう言い残して、なのははその場を後にした。
「待て……ッ!?」
咄嗟に取り押さえようとしたフェイトだったが、直後、ジュエルシードの発露する魔力が際限なく膨れ上がり動きを止めた。
青い宝石を中心に、散乱した周囲の瓦礫が集められて巨大な人型を形成している。
最早、再度の封印を行うには、もう一度戦うほかなく、勝利したとはいえ、疲弊した今、逃走した高町なのはに構う余裕は何処にも無かった。
「……とりあえず今は戦おう」
「そうだね……アルフ、結界の再展開をお願い!」
何よりも今は、目の前の敵を叩くのが先決だ。
半壊したマントを脱ぎ捨てて、余剰魔力をバルディッシュへと回す。
いずれまたあの狂人とは激突するだろう。
もしかしたら次は勝てないかもしれない。
だけど、勝つ。
絶対に勝ち続ける。
――そうだ。我儘よりも、母さんのために今は……!
刃を振るい、優しき日々を取り戻す。
儚き夢を手にするため、フェイトは疲弊した体に鞭を打ち、この日最後の戦いへと赴くのであった。
―
「う……ぐ……!」
どうにかこうにかあの場を逃げ出した私は、近場の林に身を隠すと今度こそ限界を迎えてその場に崩れ落ちた。
もう指一本だって動かせる気がしない。
ジュエルシードの励起での消耗。
目覚めた暴走体との戦いでの消耗。
そして、フェイトちゃんとの戦いでの敗北。
自分でもよくぞまぁ負けたものの逃げおおせられたものだと感心してしまう。
「強かったなぁ、フェイトちゃん」
だけど思い出すのは先程の戦い。結局本人からは名前を聞けなかったけど、フェイト・テスタロッサと名乗った愛し子は、暴走体との戦いですら色あせるほどに素晴らしいひと時だった。
私とは違う才能を秘めた別種の天才、だけど、天才の扱い方を未だに理解できていない私にとって、彼女は良き指針になると思った。
『申し訳ありません。連戦を考慮しなかった私のミスでした』
多分、ジュエルシードを覚醒させたことを言っているのだろう。だけど、そのことについてレイジングハートを責める気はなかった。
「いいの、レイジングハート。それにね、きっと私はここで負けて正解だったの」
『それは何故でしょうか?』
「今までがご都合展開過ぎたのよ。魔法を覚えてまだ一週間程度の素人が、ここまで上手く戦えすぎた。戦えちゃったの」
しかも、高町なのはのスペックによるゴリ押しでこれまではどうにかなった。
だけど今日、私の身体と同レベルの力を秘めた強者と出会えた。出会い、負けたおかげで私の伸び切った天狗の鼻はすっかりへし折れたというわけだ。
「上がいるのは当たり前だよね。でもレイジングハート、最初からレベル100で一方的に戦うのはつまらないと思わない?」
私は蹂躙したいのでも、勝利したいのでもない。
あくまで私の願いは、高町なのはという才能を存分に味わい尽くすこと。
そのためだったら何だってしてみせる。地べたに落ちた糞だって食べてみせよう。
だがそれは、最初から完成した力を得たいということではないのだ。
「私は見たいの。私がどこまでいけるのか。全部を育て上げた時、きっと素敵な世界が広がっているに違いないわ」
鍛え、練り上げ、強くなる。
その果てに待つ道の終わり、凡人では届かない領域で見られる景色とは何なのか。
自分以外の全てを糧とし、自分以外の全てを削ぎ落し、自分だけで頂く極地。
未知の終焉。あぁ、それはきっと――。
「なんて様を、晒すのかしら?」
■■と呼ばれる、狂気の骸に違いない。
―
例のアレ
チェーンバインド
なんか相手とか拘束する魔法。オリ主はなのちゃんを操るのと同じラジコン感覚で複数同時に操っている。そう、操っているのである。
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第九話【涙】
―
戦いは熾烈を極めていた。
高町なのはとの戦いで消耗しきったフェイトとユーノは、なのはの願望を叶えて
リンカーコアは軋み、蓄積した疲労によって判断力が鈍る。
だが即席ながらも互いに協力し合うことによって、二人は徐々に暴走体を追い詰め、戦いより半時、遂に決着の時が来た。
フェイトが攪乱している間に練り上げた術式をユーノが展開する。瓦礫で構成されたゴーレム型の暴走体の四肢を、虚空より放たれたチェーンバインドの群れが縫い留めた。
だが暴走体の動きを完全には止められない。一秒もせずに千切られ始めるバインドは、持って数秒といったところだろう。
「今だフェイト!」
しかし稼ぐ時間はそれだけでいい。飛翔する雷の化身には、数秒あれば数十の斬撃を放つに十二分。
すなわちこここそ、残された全てを賭す瞬間。
勝敗を決する運命の時。
「やぁぁぁぁ!!」
上空から地面へと走るフェイトの、神速より放つ一閃が暴走体を斜めに裂く。返す刀で裂いた傷をなぞるようにバルディッシュを走らせて飛翔。次いで深く開いた傷口に魔力刃を突き立てた。
「ここでぇ!」
フェイトの全身より放電現象が起きる。リンカーコアに残された全魔力。
その全てを雷に変換し、その全てをジュエルシードへと直接ぶつけた。
思わずユーノが目を閉じる程の放電現象。なのはを倒した時と同等に近い雷によって、ジュエルシードは再び封印状態へと移行し、その体を構成していた瓦礫の肉体が地面へとばら撒かれた。
「ッ……!」
辛うじてバリアジャケットは維持しているが、もう飛行魔法を使う程の魔力すら残っていない。
積み重なった疲労。冷静な思考すら保てず、それでもフェイトはジュエルシードだけは己の手にしっかりと握り締めた。
「フェ……」
「フェイトぉぉぉ! 大丈夫かい? あぁ、こんなボロボロになって……!」
ユーノが声をかけようとする前に、戦いの終わりを察した真紅の狼――フェイトの使い魔であるアルフがフェイトの名を叫びながら地面に墜落しようとするその体を大きな背で庇った。
「心配、かけちゃった、ね……」
「いいんだ。あたしはフェイトが無事だったらそれで……」
「そ、っか……」
誰よりも主人の身を案じるアルフの優しさが、疲労困憊の身に染み渡る。
いっそこのままこの柔らかな体に身を委ねてしまいそうになるが、フェイトにはまだやるべきことが残っていた。
「アルフ、降ろして」
「……分かった」
地面に着地したところでアルフの背中から降りたフェイトは、こちらに歩み寄ってきたユーノと対峙する。
今回、なし崩し的な形で共闘し、事実として彼のサポートのおかげで暴走体を封じたため、フェイトはユーノに好感を覚えていた。
もしも立場が違えば同年代の友達になれたかもしれない。
だが残念ながら彼もまたジュエルシードを追っていると分かった以上、フェイトとユーノは共に居ることが出来ないのだ。
「……ジュエルシードは、貰っていく」
「え? ……い、いや待ってほしい。そのジュエルシードは危険なロストロギアで、封印処理をして厳重に保管しないと――」
「分かってる。でも、ごめんなさい。私にはこれが必要なの」
「そ、そんな……フェイトは、管理局の魔導士じゃ……」
「違うよ。私は、私の目的のためにここに来ただけ」
ユーノの表情が歪む。
彼もこの短いやり取りで分かった。分かってしまった。フェイトは確かになのはの暴挙に憤り、誰かを守るためにその刃を手に取った優しく強い少女だ。
だが、
そしてふと気づく。管理外世界に落ちたジュエルシードの所在を知っていてそれを欲しているということは。
「まさか……君が、君達がジュエルシードの護送艦を……」
元の発端はユーノであることは間違いない。
だがこの恐るべき事件の要因の一つに、フェイトが大きく関わっていることは容易に想像できた。
ユーノの中で決定的なものに罅が走る。窮地を救ってくれた人こそが、この惨劇の一因である事実。
つまり、また――間違えたのか?
「なんで……なんでこんなことを……!」
もう何も信用出来なかった。出来るはずがなかった。
ジュエルシードを発掘してしまった自分も、助けを求めた高町なのはも、そして今目の前にいるフェイトとアルフも。
誰も彼もが正義ではない。
誰も正しさを誇ることが出来ない。
「……私達は行くよ。ごめんなさい、それと……いや、なんでもない。行こう、アルフ」
ありがとうとは口に出来ない。ジュエルシードを欲する理由だって言えるわけがない。その権利はフェイトには無かった。
ジュエルシードが散逸した事実。
自分の母がそれを知っていた事実。
彼女も、薄々と気付くことがあった。だが、あの日々を取り戻すため、もう引き返すつもりはなかったから。
フェイトはアルフに跨ると、膝をついて項垂れるユーノへの未練を断ち切る様に視線を切った。
次に会う時には、なのは同様彼とも戦うことになるだろう。
その苦しさを胸に、フェイトは転移魔法を使ってその場を後にする。
「あ……」
残されたのは大量の死骸と瓦礫の山。その跡地に残ったユーノは、遠くより聞こえるサイレンの音を聞きながらどうしようもない現実に打ちひしがれた。
「あ、あの……!」
己を呼ぶ声に光を失った眼でユーノが振り向いた。
そこにはこの戦いでの唯一の生き残り。アリサが背中にすずかを背負って立っていた。
「あの……私達、えーっと」
「……ユーノ」
「そう、ユーノ、ユーノのおかげで助かったわ。だから、あの……ありが……!」
「やめてくれ!」
感謝の言葉なんて聞きたくなかった。自分にはその権利が無かった。
ジュエルシードがばら撒かれた原因は自分だ。
高町なのはの狂気を咲かせたのも自分だ。
結果、生み出された惨劇の全ては自分の責任だ。
そんな自分が巻き込まれた被害者に感謝される?
あり得ない。許されるわけがない。
「駄目なんだ……! 駄目なんだよ!」
行う全てが裏目、動けば動く程に悪化する状況。その中でもう一度信頼しようとしたフェイトですら、その目的は正しさとは無縁のもの。
ユーノは折れてしまった。歯を食いしばり、それでもと抗ってみせたけれど、もうどうにもならないと諦めてしまった。
「僕は、屑だ……!」
もう何も見たくない。動きたくない。
その結果、再び行われるだろう悲劇があると知っていても、ユーノは自分の足で立ち上がろうとする気力が一切湧かない。
涙すら流れることのない絶望に浸る。
ユーノ・スクライアはここで終わりだった。
「……なんで、そんなこと言うのよ」
そんなユーノに、アリサはポツリと声をかけた。
ユーノの治癒によって穏やかな寝息をたてて眠るすずかを優しく降ろし、俯くユーノに歩み寄る。
視線を合わせるように屈むが、ユーノは反応すらしなかった。自責の念から自分の殻に閉じこもり、周囲に一切の関心すら見せていない。
「ねぇ、なんでそんなこと言うのよ!?」
それがアリサには許せなかった。
彼女はユーノの事情を知らない。それどころか、今日の惨劇で起きたあらゆる出来事をアリサは知らなかった。
だがアリサは知っている。
ユーノ・スクライアが、その身を賭して二人を守り、死にかけのすずかの傷を治してくれたことを知っている。
「あなたが助けてくれた! とっても怖かった! もうここで死んじゃうんだって諦めた! だけどあなたが助けてくれたじゃない! 私達を救ってくれたのはあなたなの!」
自然とアリサの瞳にも大粒の涙が浮かんでいた。
ぶつけた思いは際限なく胸の内からこみ上げて、言葉に出来た思いも、言葉に出来なかった思いも全てが一気に口から出てくる。
「嬉しかった。ホッとした。私達だけ助かったことが辛くて、だけどすずかも私も生きてるの! まだ怖いし、これからもずっと怖いんだって思う。だけど、だけど!」
ユーノの頬を両手で挟んで無理矢理自分へとアリサは向けた。
意志を灯さない瞳に反射して自分の泣き顔が覗けるような距離。その魂が抜けきった顔が悲しかった。命の恩人が折れてしまったことが辛かった。
「ありがとうの気持ちは本当よ」
「止めてくれ……」
「来てくれてありがとう」
「止めてくれ……!」
「助けてくれてありがとう」
「もう止めてくれ……!」
「私達を守ってくれてありがとう」
「だからもう――ッ!」
ふわりと、ユーノが柔らかさに包まれた。幼い少女に抱きしめられていた。
「だから、私で良いならここで泣きなさい」
「あ……」
「私は何も知らないわ。だけど、命の恩人が傷ついてるのに何も出来ないなんて嫌」
だからせめて、張り裂けそうな思いを受け止めることくらいはしたかった。
優しさが胸に染みる。絶望に潰れ、狂気に折れ、現実に砕けた心が繋がっていく。
激しい痛みがユーノを襲った。物理的な痛みではない。罪への思いが、形を戻した心をもう一度傷つける痛みだった。
だけど、今はアリサがここに居た。
どうしようもないけれど、アリサ・バニングスは優しく抱きしめてくれていたから。
「僕の、せいなんだ」
「うん」
「僕が間違えて、僕に力が無かったんだ」
「ううん」
「でも、頑張ったんだ。こんなことにならないように、僕に出来る精一杯をやったつもりなんだ」
「うん」
「だけど、だけど……! 僕は、誰も守れなくて……!」
「ううん。違うわ」
アリサは微笑んだ。それだけは違うと教えてくれた。
「あなたは、私達を守ってくれた」
惨劇は起きた。
これからも惨劇は続く。
少なくともジュエルシードが集まり終わるまで、この惨劇は繰り返されることになる。
だがアリサは言うのだ。それら一切を知らずとも、きっと、知ったうえでも言えるのだ。
「ありがとう、ユーノ」
「う、うぁぁぁぁ! あぁぁぁぁあああ!!」
ユーノは泣いた。己に溜めこむのではなく、その罪を涙として吐き出した。
罪が消えるわけではない。今後も罪は重なり続け、何れ罰せられる日はくるだろう。
だが、ユーノは守ることが出来たのだ。
あの地獄の中で震えるだけだった少女達を、守ったことは確かな真実だった。
一つの戦いが終わり、次の戦いはすぐ始まる。
これからも先、ユーノは何度だって間違えて、折れることだろう。
だけどもう一度、何度だってもう一度。
少年は、この現実と戦うのだと心に決めた。
―
次元空間。平行世界とも呼ばれる様々な世界を渡り歩くための道とも言えるその空間を航行する船、次元航行艦アースラ。時空管理局、平たく管理局と呼ばれる数多の次元世界の平和維持を目的とする組織に属するこの船は今、重苦しい空気に満たされていた。
「……事態は最悪と言っても過言ではないわね」
深刻な口調で呟くのは、アースラの艦長であるリンディ・ハラオウンだ。彼女の視線は、偶然キャッチした小規模の時空震の調査として先行して飛ばした探査機よりの映像へと向けられていた。
第97管理外世界。魔法という存在が認知されていないこの世界では通常、魔法の使用や、ましてやその存在が露呈することなど起きてはならないはずだった。
だが今リンディを含めたアースラの船員が見ているのは、魔法の行使、露呈はおろか、意図的なロストロギアの暴走と非殺傷設定を解除した魔法による一般人の殺戮の映像。戦いに慣れているはずの船員の一部が思わず目を逸らしてしまうほどに凄惨な光景がそこには映っていた。
「ロストロギアの散逸と暴走による次元震の多発。ここまでならあまり喜ばしくないけれどまだ許容できる範囲だった」
「……ですが、これ以上後手に回るわけにはいかない」
リンディの言葉を継いだのは、黒のバリアジャケットに身を包んだ、未だ幼さの残る少年、クロノ・ハラオウン。リンディの実子でもある彼は、同時にアースラにおける実働部隊の最大戦力であった。
先日、次元空間の航行中に偶然察知した次元震反応。よもやそれがここまでの事態になっているとは誰が想像できただろうか。
これは魔法の露呈云々の話ではない。指名手配されている次元犯罪者と同等、あるいはそれ以上に危険な人物による大規模テロ事件。今すぐにでもこの凶行を止めなければ、事は管理外世界だけではとどまらない。
「一刻も早く現場に急行します。クロノ、到着次第、貴方はすぐ出撃を」
「了解しました。……必ず、止めてみます」
いつものような気楽さはリンディとクロノには無い。
それほどに今回の事件は危険だ。迅速な対応をしなければ、この危険な少女はさらに過激なテロ活動を行うだろう。
「……それにしても、こんな少女がなんで」
映像に映る犯人の姿を見て、リンディは恐ろしさと痛ましさを感じていた。
天使の如き白いバリアジャケットを纏い、悪魔の形相でジュエルシードを暴走させる少女は、どう高く見ても精々クロノと同年代にしか見えない。いや、それはリンディの願望だ。彼女の冷静な部分は、この少女が未だ十歳にも満たない少女だと見抜いていた。
その事実が恐ろしい。恐ろしくないわけがない。
未だ人格形成すら危うい少女が、人が虐殺されている光景に歓喜し、嬉々として魔法をばら撒き周辺一帯を破壊しつくす。
狂っている。間違っている。現実を信じられない。
だがこれは全て事実であり、ならば最早、躊躇う理由は無かった。
「クロノ、非殺傷設定は解除しておきなさい」
「それは……! 分かりました。そういうことで、よろしいのですね?」
「えぇ……ごめんなさい」
「それは言わない約束だよ、艦長」
クロノは気丈に笑ってみせた。リンディが申し訳なさに顔を顰めているが、大丈夫だよと主張するように力強く胸を張る。
非殺傷設定の解除。それが意味することは一つ。
――あの少女は、
ジュエルシードは複数存在し、例の少女――高町なのはが保有していないと楽観することは出来ない。
下手に非殺傷で無力化した結果、隠し持っていたジュエルシードを起動させる可能性が無いとは言えない以上、これは当然の処置と言えた。
葛藤が無いわけではない。自分よりも一回り幼い少女をこの手にかける意味が分からない程クロノは幼くない。
だがそうしなければ、なのはにやられるのはクロノなのだ。
「やるさ、必ず」
舞台に役者が揃うその時は、近い。
例のアレ
Q.管理局もフェイトそんも来るの早くね?
A.なのはさんが(虐殺を)頑張りすぎたせいです。
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第十話【妄愛・盲執】
「封印、完了」
深夜、結界によって外界より遮断された世界で、フェイトは暴走体との戦いを危なげなく終えてジュエルシードを手に入れた。
「これで二つ目……!」
二十一個存在するジュエルシードの数を考えれば、先はまだまだ長い。それでも安堵の溜息が漏れたのは、間違いなく高町なのはの乱入が無かったことによるものだった。
「大丈夫かいフェイト」
「うん。怪我もしてないし、魔力の消耗も殆どないよ」
戦いの後、寄り添ってきたアルフの体を優しく撫でながら、安心させるように微笑みを返す。だがフェイトとの契約を介して彼女の不安も伝わってくるアルフは気が気ではなかった。
それほどに高町なのはの存在は危険だった。
確かに前回は辛くも勝利を収めた。彼女が一人である以上、アルフも戦いに加わればかなりの確率でフェイトはなのはを制することが出来るだろう。
――詭弁だ。楽観的な思考であることはアルフですら理解している。
高町なのははフェイトと戦う前からかなり消耗していた。そのうえで、彼女はフェイトとほぼ互角の戦いを繰り広げ、あわや勝利という直前まで迫ったのだ。
「今日は、アイツは居ないみたいだね」
暴走体とフェイトが戦っている間にも気配を探っていたアルフだが、今もなのはの気配は感じ取れない。
嫌な予感がする。あそこまでフェイトに執着を見せ、ジュエルシードとの戦いに喜んでいたなのはが、今回に限って現れない違和感。フェイトとアルフは今回もなのはとの決死の戦いを覚悟していた分、戦いが終わったというのに心穏やかとはいかなかった。
「……待って、誰か来るよ」
周囲の警戒を行っていたアルフがこちらに近づく気配を察して低い唸り声をあげた。フェイトもバルディッシュを構え直して警戒する。
「ま、待ってくれ! 僕だ、ユーノ・スクライアだ!」
だがそんな二人の警戒心は、両手を挙げて暗がりより現れたユーノを見て僅かに無くなった。とはいえ、彼もジュエルシードを奪い合うという点では相容れない敵同士なのは確か、決して隙を見せていい相手ではない。
「何?」
「えっと……話がしたいんだ。幸い、今日はなのはがいないみたいだし、どうだろうか?」
「話すことは無い。私はあなたの敵で、あなたも私の敵のはず」
「言っていることは御尤もだ。だけど、僕らは現状ある一点だけにおいては協力できると思うんだけど、どうだろう?」
ある一点。それが指す言葉を察せない程、フェイトは疎くはない。
高町なのは、あの恐るべき狂人はフェイトとユーノ、共通の敵である。
「……極端な話だけど、僕はジュエルシードによって起こされる災害を未然に阻止出来ればいいんだ。それこそ、君達の目的がジェエルシードによって他世界に危害を加えないものだったなら、管理局が来るまでは黙認だってする」
「その話を信じろと?」
「信じてもらえないのは重々承知だ。だけど、僕には今回の件に対しての責任がある。特に――高町なのは、彼女に魔法を教えた責任が」
「え? ユ、ユーノがアレに魔法を?」
「……そうさ。僕が彼女に魔法を、正確にはインテリジェントデバイス、レイジングハートを与えた。与えてしまった」
結果、今日に至るまでに二桁を超える死傷者と三桁に及ぶ重軽傷者という、近年まれに見る管理外世界での魔法による大規模テロが行われた。
ジュエルシードに関しては、突き詰めればユーノの責任はあるものの、ロストロギアの運搬という重要案件に対して対応を怠った運搬側の責任。そして運搬を阻害して海鳴市にジュエルシードをぶちまけたプレシアに殆どの責任があると言ってもいい。
だが高町なのはに関しては間違いなくユーノに責任があった。彼が安直にも管理局の応援を待たずにジュエルシードを封印しようと海鳴市に赴き、呆気なく返り討ちにあって救助を求めたのが彼女。
ユーノの安直な行動が無ければ、あるいはここまでの事態になることはなかったのだ。
「だから僕は彼女を止めなければならない。でも、既に彼女の力は僕一人では止められない」
故に、共闘。高町なのはの打倒という一点のみでユーノとフェイトは協力し合える。
「……もちろんタダでとは言わない。今後、ジュエルシードは君達が持って行っていい。封印にも協力する」
「それは、管理局が来るまでということ?」
「あぁ、その時は僕も管理局に洗いざらい全てを伝え、改めて君達とも戦うことになる……そして、全てが終ったら罪を償うつもりだ」
人が死んだ以上、償いきれない罪だ。しかも一時的にとはいえフェイトに協力することで、さらに罪は積み重なる。
だからといって償おうともしないのは現実から目を逸らしているだけだ。
全てが終ったその時は、残りの一生を賭けて罪の償いに身を投じる。十歳程度の年齢でユーノはその覚悟を決めた。
あの日、こんな自分にありがとうと言ってくれた彼女のためにも、全てから逃げない。
その覚悟が決まった目を、フェイトは信じてみることにした。
「……分かった。応じる」
「フェイト!? こんな奴を信じるのかい? 駄目だ、こいつの言うことが本当なら、あの狂人を解き放った張本人なんだよ!?」
アルフの疑問は当然だ。
それでもフェイトはユーノを信じたいと思った。その身を挺してアリサとすずかを庇った彼の姿を知っているから信じようと。
「アルフ。私達にはアレと戦いながらユーノを気に掛ける余裕はないよ。それなら、一時だけでも一緒に戦えるならそっちのほうがいい」
「でも……」
「お願い、アルフ」
「……うぅぅ。わ、分かったよ……」
渋々納得したアルフに、ごめんねと内心で一言。
「ユーノの話が本当なら、全面的には信じられない」
「うん。君の言う通りだ」
「でもユーノと一緒に戦ったあの時、私はあなたを信じた……それだけ」
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
「だけど勘違いしないで。私はあくまでユーノの敵、それ以上でも以下でもない」
「うん。でも、嬉しい」
屈託ない笑顔を向けてくるユーノに、フェイトはどうしていいのか分からず思わず視線を切った。
「と、ともかく、私達はアレを倒すか、もしくは管理局が来るまでの共闘でいい?」
「うん。それと早速で悪いんだけど、作戦会議をしないかい?」
「作戦会議?」
あぁそうさ。フェイトの疑問にユーノは顔を引き締めて頷きを一つ。
「次会ったときは必ず……
どうせ地獄に落ちるのだ。
ならば、あらゆる非道に手を染めてでも災禍を止める覚悟すら、ユーノはもう決めていた。
決めて、しまったのだ。
―
神速の黄金が私の思考を超えていく。単純な反応速度では追いつかない。当たり前のように見ることすら叶わない。
単純な性能が違う。突き詰められた速度はそれだけで脅威。死角より襲い掛かる一撃にはプロテクションで食らいつく以外になく、反撃の糸口すらつかめない。
「ッ、しまっ!?」
そして集中力が途切れた瞬間――脳内の仮想空間で再現したフェイトちゃんの幻影の一撃が私の首を真一文字に引き裂いた。
これでかれこれ384回目の仮想空間におけるフェイトちゃんとの戦いで、302回目の敗北である。
「駄目だ……駄目よ、駄目駄目! ふふふ! まぁったく見えないわ!」
『楽しそうですね、マスター』
「当然じゃないレイジングハート! どんどん成長しているのに、全く追いつける気がしないなんて堪らないわ。蕩けてしまいそうよ!」
目を開けて現実世界に戻ってきた私は、際限なくこみ上げる気持ちを遠慮なくぶちまける。そうやって熱を逐一吐き出さなければ、今すぐにでも飛び出してしまいそうになる体を抑えられそうになかったからだ。
『やはり、訓練メニューの変更を推奨いたします。相手の戦闘態勢が整う前に、超長距離からの狙撃を想定した――』
「駄目よ。そんなつまらないこと」
確かにジュエルシードという恰好の餌がある以上、その反応を察して遠くから狙撃を行えば、勝利するのは容易だ。
レイジングハートに格納されたジュエルシードを餌にすれば勝率はほぼ100%になる。
だけどさっき言ったようにそれではつまらない。
私は戦うのが好きではないし、自分勝手な人間だ。だからこそ、互いの手札を使い切っての戦いを所望していた。その末で負けたのならあらゆる手を使っても逃げるつもりだが、折角の好敵手を一方的に蹂躙するのは違う。
「私は全力のフェイトちゃんと愛し合いたいの。大好きなの、外から見るんじゃなくて、抱きしめたいの」
『……ですがマスター、昨日の夜、ジュエルシードが封印処理されてしまいました』
レイジングハートの焦りの理由はそこか。
まぁ私も実戦での練習相手がとられちゃうのは残念だけど、でももうジュエルシード単体の暴走体の力は見切っちゃったからなぁ……。
「まぁフェイトちゃんとユーノ君にジュエルシードは任せちゃっていいよ。それよりも今は真正面からフェイトちゃんの速さに反応できるようにならなくちゃ。今の私じゃフェイトちゃんに飽きられちゃうだけよ」
一方的な愛では駄目なのだ。フェイトちゃんに相応しい立派な女の子にならなきゃ失礼でしかない。
そのために必要なのはより高度な先読み能力だ。
魔力の流れだけではない。マルチタスクによる予測演算でフェイトちゃんの動きを、動く前から予想。反応ではなく、事前の対応によって真っ向から打ち勝ってみせる。
だから再び仮想空間に入ってフェイトちゃんとの模擬戦を行う。
脳内で展開される障害物の存在しない広大なエリア。いつも通りにレイジングハートを構えて浮遊する私の十メートル程前にフェイトちゃんが現れる。
「あはっ」
同量の金よりも美しい金色の髪。意志の強い瞳。黒いバリアジャケットより覗く白い四肢は頬ずりしたくなる程に綺麗で、刃を構える姿は雄々しく気高い。
何度見たって飽きない。
何度だって感嘆してしまう。
頬を染めてブルリと体を震わす。フェイトちゃんを見る度に絶頂してしまう癖がついてしまったみたいだけど構うものか。私と同等以上の素敵な子を見て、達しないほうがどうかしている。
頭の中で気になるあの子とくんずほぐれつ。まるで自慰行為のようではしたないと思いつつ、どのシチュエーションも止められない。
「素敵。大好き」
「わたしもすき」
「えへへっ、嬉しいなフェイトちゃん」
『余計な機能は不要かと』
空想のフェイトちゃんとの睦言に浸る私を、レイジングハートの一言が現実に戻す。
うるさいなぁ。ちょっとしたモチベーション向上のためのアクセントじゃないか。私の頭の中なんだし、私の好きに喋らせたってバチは当たらないでしょう?
「なのは、すき」
刹那、耳元でささやかれた言葉に浸る暇もなく私は体を屈めた。
さっきまで私の首があった箇所を黄金の軌跡が走っていく。一瞬の思考の遅れが命取り。危うく一秒で終わりかけたことにごめんなさい。
でも何度も同じ手を食らうつもりはないわ。たっぷりと味わって、私の気持ちも。
「バインド!」
振り返らずに放ったバインドが悉く空を裂く。しかし焦らない。フェイトちゃんの速度を考慮すればこの程度は予想の範囲内だ。
遠慮なしに私を追い込むその姿勢が大好き。本物のあなたじゃないのに、何度だって惚れ直しちゃう。
って惚けるよりも今は集中しないと。
「シューター展開……!」
度重なる戦闘を経て、五十に届くシューターを今の私は制御できるようになっていた。一発の威力は低いけど、速度に重きを置いたフェイトちゃんにならば一撃当てるだけで充分の脅威になる威力。
放たれたシューターは演算されたフェイトちゃんの予測軌道ルートに沿って飛ぶ。だけどシューターを余裕で追い抜くフェイトちゃんには悉くが避けられ、置いていかれ、突破される。
だけどシューターによって複数存在した予測ルートが制限され、さらに私の思う通りの軌道に彼女の体が重なった。
「ディバインバスター!」
『Divine Buster』
同時、極大のディバインバスターをぶっ放す。どんなに速くても、シューターによって誘導されたフェイトちゃんでは逃れる術はない。今度こそ確実に直撃したと確信するタイミング。全霊の一撃に感じる手ごたえに笑みが深くなった。
「ッ……違う!」
だけどそんな喜びも光の軌跡が消えた後に残ったマントの残骸を見て苦いものに変わる。あの時の焼き増しの如くマントだけを残して消えたフェイトちゃんは……後ろ!
「バインド!」
背中から羽を広げるように大量のバインドを放つ。確かな手応え、振り返れば避けきれずに右手をバインドで掴まれたフェイトちゃんがこちらを無機質な瞳で見ていた。
瞬間、昂っていた気持ちが一瞬にして冷めきった。
「だいすき」
「えぇ、私も好きよ……本当のあなたのことはね」
だから、死ね。
再度、全力のディバインバスターをゼロ距離で放つ。バインドで掴まれた以上、今度こそ逃れられずに下半身が消滅したフェイトちゃんの残骸を見て――違う、と思った。
「本物のフェイトちゃんはもっと強かった。こんなの……こんな! こんな簡単に壊れるわけがないじゃないかぁ!」
こんな、私のバインド程度で掴まる程に弱くない。
あぁまただ。また私は自分の想像だからってフェイトちゃんを弱く作ってしまったみたいだ。
これまで重ねた仮想フェイトちゃんとの模擬戦。その戦いでの勝利は全部、私がフェイトちゃんを弱く作ってしまったことによる勝利でしかない。
初めての勝利の時、フェイトちゃんは遅すぎた――だからもっと速くした。
何度目かの勝利の時、フェイトちゃんは脆かった――だからもっと固くした。
今回の勝利、フェイトちゃんの動きは単調だった――次はもっと複雑にする。
本物ならバインドを切り裂いて私のお腹も貫いてくれたはずだ。その勢いであの紫電で全身を焼き尽くしてくれた。
だから違う。
こんなもの、フェイトちゃんじゃない。
「死ね」
「なのは、すき」
「うるさい、偽物が」
「なのは、だいすき」
「うるさいって言ってるでしょ!?」
その汚い口にシューターを突っ込んで中から破裂させる。風船のように破裂したフェイトちゃんの偽物は、完全に機能停止して砂となって消滅した。
……はぁ。ホント私って駄目な子だ。
「またやっちゃった……」
私はなんて愚かなんだろう。
私を倒してくれたフェイトちゃんを倒したいと思うあまり、無意識に弱く設定するなんて最低だ。
なんだかんだ言いながら、結局は勝ちたいだけなんじゃないか?
だからあの程度の出来の偽物しか作れない。私なんかに呆気なくやられる雑魚しか出来上がらない。
恥ずかしい。
浅ましい自分の考えに死にたくなる。
脳裏に焼き付いたフェイトちゃんに、百万回の謝罪を重ねたって足りない愚かさ。
「やり直さなきゃ。強くてカッコイイ
だから修正を重ねる。
次に会った時にがっかりさせないために。完璧なフェイトちゃんを模倣して、しっかりと対策を立てなきゃ。
もっと強いフェイトちゃん。
もっと可愛いフェイトちゃん。
もっと美しいフェイトちゃん。
私の中の才能を体現したフェイトちゃん。
「フェイトちゃん、大好きよフェイトちゃん、愛しているのフェイトちゃん」
修正を。
もっと修正を。
もっともっと修正を。
私の理想の愛する人をこの手で作って――壊すのだ。
―
――なんと、憐れなことだろうか。
「ふふふ、フェイトちゃん。楽しいね、フェイトちゃん」
ニタニタと歪な歓喜を湛えながら再び
再度、設定を直されたフェイトは一方的になのはを蹂躙する。仮想訓練とはいえ非殺傷設定すら解除されているため、魔力刃によって腕が千切れ、足が飛び、眼球が抉れ、腸が零れ落ちていた。
「痛ぃ! あひっ! ぎぃ! ひぃ!? たす、たずげ……! ひひっ! ぎゃ! ぎぃぃあぁああ! 止めて! 死に、死にだぐないよ! ぎぃぃぁぁぁああぁぁあひゃひゃひゃひゃ!!」
想像を絶する痛みに耐えずなのはが絶叫する――絶叫しながら哄笑する。
これが欲しかったのだと。蹂躙され、地べたを這いずり、泣いて命乞いをしながら愛を囁く。興奮に気をやりながら、高町なのはは己の生み出した
――……それ以上は、悲しいだけですよマスター。
その姿をレイジングハートは見ていられなかった。
だが思うだけで口にはしない。なのはが自分の言葉を聞くとは思えないこともあるが、残酷な真実を告げることをレイジングハート自身が躊躇っていた。
レイジングハートの主は比較対象が思いつかない程の才覚を秘めた魔導士だ。ユーノも優秀な魔導士だが、なのはと比べた場合ではやはり見劣りしてしまう。
それこそ、ゆくゆくはあらゆる次元世界で頂点と言われるような存在になることも容易に想像できた。そして素晴らしいことに―大衆にとっては恐ろしいことに―、彼女は自分が天才であることを自覚している天才でもあった。
本来、自分に才能があるからと言って愚直になれる人間、ましてや己を天才だと思える人間など存在しない。天才だと自負する人間だって、そうやって自分を鼓舞しているのがほとんどだ。その中で高町なのはは魔法を覚えてすぐに、自分が天才だと確信した稀有な存在である。
自惚れではない。正しく、明確に自分の才能を自覚する。当たり前のように見えて、これがどれほど異常なことかを理解できる人間がどの程度いるだろうか。
しかも、魔法を覚えてすぐに才能を自覚したため、彼女はひたすらに魔法へ没頭した。
マルチタスクを覚えてからは、例えではなく事実として彼女は24時間休み無しで鍛錬を続けている。故になのはの実力は一日毎に段飛ばしのレベルで成長していた。
そんな彼女を――デバイスという身だからこそ、レイジングハートは素晴らしいと思っていた。そして、彼女を誰よりも近い場所で見続けられる今に感謝すら覚えていた。
その才能が進むべき方角を示し、その戦いを共に戦うことを許される。魔導士の杖として作られた存在にとって、これ以上やりがいのあることはない。
インテリジェントデバイス――思考する
――可哀想なマスター。
だからこそ、あの日の敗北がなのはに刻み込んだ衝撃は計り知れないのだとレイジングハートは思う。
天才を凌駕する個人。
新たなる天才の登場。
順当に成長していく先、いずれぶつかることになる個人では超えられない壁を超えるために必要な好敵手。
なのははフェイトをソレだと思ってしまった。孵った雛が初めて見た生物を親だと思うように、信じてしまった。フェイトこそ高町なのはが理想とする好敵手として永遠に立ち塞がってくれるのだと神聖視した。
だから成長途中の自分に負けるフェイトは偽物だと、あの日の戦闘データを元にしたフェイトを
こんなものは私を倒した彼女ではない。
こんな弱い存在が私を倒せるはずがない。
彼女はもっと強かった。
私なんて手も足が出ないほど強かった。
だからもっと。
より強い彼女を。
あの日に出会った素晴らしい彼女を再現してみせるから。
そうして今や、フェイトに勝つたびに違うと修正。繰り返し続けた結果、今、なのはが戦っているフェイトは、あの日と比べて速度が2.6倍、耐久力が1.8倍、火力に至っては3.2倍という恐るべき怪物となっていた。
だからこそレイジングハートは仮想訓練を敗北で終えたなのはに提案する。
これ以上はもう、高町なのはを落胆させるだけだと。
――もう遅いと知りながら、告げるのだ。
『マスター、次のジュエルシードの反応を確認次第、向かいましょう』
「えー。まだ早いと思うんだけどなぁ。もうちょっとフェイトちゃんに楽しんでもらえるように頑張らなきゃ」
『これ以上の仮想訓練はかえって変な癖をつけてしまう可能性があります。いざとなれば私に封じられたジュエルシードを暴走させて撤退できるので、再度当たることを推奨します』
「うーん……でもなぁ」
『新たな戦闘データがあれば、仮想訓練もいっそう現実味が増します。一度ぶつかるほうがよろしいかと』
「……レイジングハートがそこまで言うなら」
渋々納得したなのはの同意を得られて、レイジングハートは内心で安堵した。これで、多少はマシな戦いができるはずだ。
普通の人間はすぐに成長はしない。フェイトは先日の戦いから殆ど成長しないまま、なのはと今一度戦うことになるだろう。
――いくつかの想定される不利な状況を踏まえて……マスターの敗北する確率は5%にも届かないでしょうが。
仮になのはと同等の成長をしていたとしても、勝率はほぼ五分。
いずれにせよ、次の戦いで決着はつくだろうとレイジングハートは考え。
『……我がマスターのために、楽しませてあげてくださいねユーノと使い魔の誰か』
「何か言った、レイジングハート?」
『いえ、お気になさらずに』
不確定要素であるユーノ・スクライアとフェイトの使い魔であるアルフが、せめて少しでもなのはの退屈を癒してくれることを願うばかりであった。
次回、激突。
例のアレ
レイジングハート
良くも悪くもデバイスであるため使い手の在り方に影響を受けやすいので、武器としての側面が強く出ている。ただ、オリ主がマルチタスクを覚えた直後に出たバグの処理にまだ手間取っている模様。
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第十一話【死闘、開始】
――時間はユーノがフェイトに一時的な同盟を持ち掛けた日に遡る。
「……手を組むことには納得した。だけどユーノ、アレを相手にどうするの?」
「それに関しても考えている。今回は来なかったけど、次のジュエルシードの暴走で来ないという可能性は少ないからね。……明日、いや、君の消耗を考えて明後日、僕と君達でなのはを止める」
現状、海鳴市で最も危険な存在が誰かと言えば、いつ爆発するか分からないが、爆発の予兆が分かる不発弾とも言えるジュエルシードではなく、その気配を察して絨毯爆撃を仕掛けてくる殺戮兵器と化した高町なのはだ。
そのため、おのずとどちらを優先すべきかの判断は明確だ。――この判断が外道のソレと分かりながらも、ユーノはその覚悟を決めていた。
「だからこそ、これを手に入れられたのは僥倖だった」
そう言って、ユーノが服の内側から取り出した物、ジュエルシードを見てフェイトとアルフの表情が驚愕に彩られた。
「これは、どこで?」
「君達が居なくなった後、とある人のところに匿われてね。その時、奇跡的に暴走前のジュエルシードを回収できた」
とある人と言うのは、治療を施した月村すずかのことである。あの後、意識を取り戻したすずかにも簡単ながら事情を話したユーノは、一時的な宿としてすずかの家へと匿われたのだ。
そしてそこで偶然―あるいは必然だったのかもしれないが―ジュエルシードを見つけることが出来た。
「……これを明後日、人気のない場所で使う」
幾ら人気が無い場所とはいえ、ジュエルシードを使う危険性をユーノは重々承知している。
だがなのはを誘いだして戦うための場を整えるためには、この手しかないのだ。非殺傷設定を解除し、展開した結界すら撃ち抜くなのはが相手では未だ眠っている場所が不確かなジュエルシードを餌とするのは不安が残る。
下手したらそれこそ海鳴市の中心で暴走したジュエルシードを巡って、先日のプール以上の災厄がばら撒かれる危険性すらあった。
だからこそ、手持ちにあるジュエルシードを使うしか手はない。
「……いいの?」
「いいんだ。どのみち、僕の手はもう汚れきっている。今更この程度、どうってことないよ」
無理矢理笑ってみせるユーノが強がっていることくらい、知り合って日が浅いフェイトですら感じ取れた。
だがフェイトはユーノに何も言えない。彼女もまた非合法な手でジェエルシードを求めている。彼女も同じく罪人だった。
「その代わり、今度こそなのはを止める。一緒に戦ってくれるかい?」
「私にとってもアレはジュエルシード回収のために排除しなければならない敵だから……」
互いに罪人。
それでも倒さなければならない敵が居る。
決戦は二日後、互いの目的のために今は手を取り合うのだった。
―
脳裏を走る魔力の気配に顔を起こす。
すっかり慣れ親しんだこの感覚は新たなジュエルシードの反応だ。
時刻は既に夜。夕飯を食べてお風呂にも入り、すっかりおねむ気分だった私の思考が一瞬にして冴えわたる。
『マスター』
「えぇ、行きましょう、レイジングハート」
バリアジャケットを纏い、レイジングハートを片手に窓から外へと飛び出す。夜の帳を引き裂いて飛ぶ私の頬を冷たい風が撫でた。火照った体が僅かに落ち着き、目くるめく戦いを思い描いた脳髄が冷静さを取り戻す。
だけど堪らなかった。一秒でも時間が惜しい。きっとこの先には彼女が待っていると考えるだけで胸が高鳴った。
フェイトちゃんにもうすぐ会える。
フェイトちゃんともうすぐ戦える。
フェイトちゃんに私の全部を曝け出せる。
だけど不安でもあった。今の私はどの程度フェイトちゃんと戦えるだろうか。脳内での仮想戦闘は五百に届くまで行ったけど、私がフェイトちゃんに勝てた91回は全部、私がフェイトちゃんを弱く設定した結果。どう考えても私なんかじゃフェイトちゃんに勝てる想像が出来ない。
魔力刃を胸に突き立てられ、心臓に直接電流を流される私。
砲撃魔法を受けきれず全身を熱で炙られる私。
四肢を切断され、命乞いする舌を顎ごと斬られる私。
神速で迫るシューターが捌けず、顔面に直撃を受ける私。
あらゆる方法。あらゆる結果で殺し尽くされる自分を思い描き、ゾクゾクと背筋に興奮が走り抜けた。
あぁでもどうしよう。私はそれでもいい。だけど、高町なのはという天才と出会えたフェイトちゃんが、この程度しか才能を引き出せていない私にがっかりしないだろうか?
それだけが怖くて、申し訳ない。
私は私が天才だと知っているけれど、天才だと自覚している私自身がどうしようもない凡人であることも知っている。
だからこそ必死で鍛錬を積んだけど、この努力がちゃんと天才の成長に見合っているのか心配だった。
失望されたくない。
この素晴らしい肉体を残念だと思われたくない。
「怖いなぁ……怖いよぅ……」
『大丈夫ですマスター』
私の不安を汲み取って優しい言葉をレイジングハートがかけてくれるけれど、前世の存在を知らないレイジングハートでは根本的に私の葛藤は理解できていない。
まるで自分だけがこの世界で一人ぼっちのような気持ち。お前は本来必要なかったと言われているように時折感じる。
あぁ、魔法を知ったことは喜ばしいけど、そのせいで私の精神は魔法を知る前よりも不安定になってしまった。
この疎外感もいつか消えるのだろうか? 高町なのはを味わい尽くした果て、才覚が行き着く終点に到達した時こそ寂しさは消えるのか?
分からないことは増え続けている。
知り得たことと知らないことのつり合いが取れない。
嬉しいな。―悲しいよ―。
『どうしましたかマスター?』
「え?」
『心理グラフが不安定です。一度止まって落ち着くことを推奨します』
「……ううん。大丈夫よ、私は嬉しいだけだもの」
心に差し込む言い知れぬ何か。
悩みと言えばコレこそがもっぱら一番の悩みかもしれない。
仮想訓練中にも時折割り込む謎の思考。まるで私じゃない誰かが頭の隅に居るような気持ち悪さ。
日に日に出てくる回数が増えているソレを、私は出てくるたびに踏みつけ、引きちぎり、脳から吐き捨てていた。
『接敵まで十秒』
だが思考はすぐに戦闘へと切り替わる。魔力で強化した視線の先で、まるでこちらが来るのを待っていたかのように暴走を開始したジュエルシードを見て、悩みなんて些末なことは一瞬で消え去った。
「やるよレイジングハート……シューター展開!」
周囲の樹木を吸い取って巨大化したジュエルシードの全長はちょっとした高層ビルと同じかそれ以上。単純な質量の怪物へ向けて、様子見に放った五十個のシューターを差し向けた。
応じて暴走体の枝がバインドのように伸びてシューターを迎撃する。数だけは多量のそれらだけど、私のシューターを止めるには威力も数も耐久力も足りない。
迎撃などないようにシューターが、枝を砕きながら一直線に暴走体の幹へと着弾した。遅れて無数の発光現象が暴走体を彩る。対象への着弾を確認次第、内包した魔力を爆発させる一撃によって、暴走体の幹に無数の穴が開いた。
「つまんない。この程度なの?」
かつてはあれ程苦戦した暴走体だったけど、フェイトちゃんとの訓練を重ねた私にとって、最早片手間で相手する存在でしかない。
これならディバインバスターを使う必要もないかな? まぁ暴走体を相手に魔力を消耗させちゃったら駄目だもんね。
だって、私の目的はジュエルシードじゃなくて、この暴走体の反応を辿って現れる――。
「来たっ!」
広域展開した私の索敵エリアに引っかかる魔力反応。夜を照らす黄金の閃光はさながら流星。地表より飛び出した光に心が躍った。心臓が白熱した。脳髄が爆発し、愛情が溢れ出た。
会いたかったよ。一秒でも早く、一秒でも長くあなたと会って戦いたかった。
「フェぇぇイトちゃぁぁぁぁぁん! なのはだよぉぉぉぉぉ!」
「ッ!」
一直線に向かってくる愛しい貴女を歓迎する。
今宵、最高の一時を一緒に――素敵な夜を、彩りましょう?
―
――ゲラゲラと不愉快な音が鼓膜を揺らす。欲情で蕩け切った視線が小さな体を上から下まで舐め回し、口より唾液を滴らせて興奮を露わにしていた。
人生でこれ以上ない不快感に逃げ出したくなる。だが弱気になる体をグッと抑えて、全ては母さんのためにという決意を漲らせてフェイトはなのはへと突撃した。
「やぁぁぁ!!」
閃光と化したフェイトの一撃は鋭く速い。獣の反射神経ですら捉えられない一撃は必殺の域。
しかし、相手は恐るべき狂人。たった一日、否、半日もあれば劇的に成長する狂気の産物。
「あはっ」
真正面からと知っていても受けきれないソレを、なのはは軽く身を引いて皮一枚のところで回避した。
呆気なく空ぶった一撃を見てフェイトが驚愕に目を剥く。初手、なのはの対処は幾つも想定していたつもりだった。プロテクション、バインド、シューター、あるいは砲撃魔法。
だがフェイトは皮一枚で攻撃を見切られるとは思ってもいなかった。それだけ彼女は自分の速度に自信があり、事実、以前の戦いでなのはは殆ど反応出来ていなかった。
しかし彼女は知らない。今のフェイトが出せる全力の速度の三倍域でなのはが仮想訓練を行っていることなど。
ましてや、ここに来る直前で三倍の速度すら対処し始めていたことなど。
知るはずもない。
知っていたら、戦おうとすら思わなかっただろう。
「うふふ、じらすのが上手ねフェイトちゃん」
そしてなのはもフェイトが
「そんなところも大好きよ?」
「ッ……うわぁぁぁぁ!!」
奈落の如き漆黒の眼。底すら見えないなのはの眼球に対する恐怖を払うように、フェイトがバルディッシュを怒涛の勢いでなのはへと振るい始めた。
だがなのははプロテクションはおろか飛行魔法以外の魔法を使わず、速度で勝るフェイトの魔力刃を肌に触れないギリギリを見切って躱し続ける。最小、最適の回避に速さは要らない。
バリアジャケットを掠め、頬を撫で、髪の数本が斬られるものの、決して直撃はしなかった。あの日、通用していたはずのフェイトの速度が全く通用しなかった。
刃がさらに加速していく。当たらない。真正面からではなく周囲を飛び回り、刃を振るう。当たらない。シューターを使って攪乱する。当たらない。バインドすら使った。当たらない。砲撃魔法を隠れ蓑にした。当たらない。
悉く空を裂く。
当たらない。
悉く夜を裂く。
当たらない。
夜空を金色が走る。
当たらない。
線を描き、千を彩る。
だが、どんなに刃を振るっても、高町なのはを裂くことは出来ない。
飛行魔法しか使っていないなのはを捉えることが出来ない。
「な、んで……」
「んー? どうしたのフェイトちゃん? あっ、もしかして以前の私が弱っちかったからこの程度でいいと思ったのかな? ……そっか。でも、仕方ないよね」
超至近距離でおよそ一分。一撃も与えることが出来ずに息を荒げるフェイトに、なのはは申し訳なさそうに顔を伏せた。
――何を言っているの?
フェイトはなのはが言っている意味が分からなかった。全身全霊、油断も慢心も無く全てを叩き込んだ連撃だった。
その全てを上回って、無傷のなのはが立っている。本当に目の前に立つコレはあの日と同じ人間なのか。姿形が似ているだけで、実は双子の別人ではないのか。
こみ上げる疑問は、背中に圧し掛かる絶望を誤魔化す言い訳だった。
だがどんなに否定を重ねても、フェイトの前に立つなのはが消えるわけではない。
「私ね、ちょっとだけ成長したんだ」
なのはが照れくさそうに頬を染めて呟く。
「次フェイトちゃんに会ったら、いっぱいいっぱい楽しんでもらえるようにって、頭の中でずっとあなたと戦ってたの。ふふふ、寝ても覚めてもあなただけ。大好きよ、本当に。嘘じゃないわ」
顔を上げたなのはが顔を蒼白く染めたフェイトを見つめている。
そこでフェイトもようやく察した。確かになのはの視線はフェイトを捉えて離さない。
だが、
この狂人は自分への愛を囁きながらその実、フェイト・テスタロッサそのものを一切見ていなかった。
「愛しているの、
「ひっ……」
喉が引き攣る。体が無意識に後ろに下がる。一秒だって対峙したくなかった。たった一分の間で、フェイトの心は折れかけていた。
「だから、ね? フェイトちゃんがもうちょっと力を見せてくれるように……私の成長、見てほしいな」
直後、なのはの頭上に桜色の華が無数に咲いた。
なのはを中心に半径十メートル規模で円形に展開されたシューター。一瞬、見惚れる程の幻想的な光景に照らされたフェイトは、数秒後に訪れる己の死を幻視する。
桜は、根の下に埋まった人間の死体を養分として美しい花を咲かせるとは誰が言った言葉だろうか。
これこそまさしくその様。これまで積み重ねた死骸を養分として美しく咲き乱れる桜色幻想。
咲く花々の祝福を以て、運命の少女に恋慕を込めた花束を。
「受け取って、フェイトちゃん」
回避も迎撃も不可能。フェイト・テスタロッサの最高速度の三倍を前提とした魔法群が、なのはの号令を皮切りに殺到しようとして――それよりも早く、なのはの直下の大地より伸びた無数のバインドが彼女の四肢を拘束した。
「フェイト!」
地表でここまで隠れていたユーノが吼える。その声で我に返ったフェイトが慌てて距離を取るが、危惧していた追撃は一切なかった。
「……何コレ?」
なのはは距離を開いたフェイトではなく、体を拘束するバインドを見ていた。
肉を食み、地表へと引きずりおろそうとする鎖がなのはの動きを阻害している。何が起きたのか。一瞬の疑問と、地表に居るユーノ。それらが合わさり導き出された解答に気付いたなのはの顔が、これまで見せたことのない色に染まっていく。
「ねぇ、どういうことかなユーノ君?」
バインドが千切れていく。展開していたシューターの幾つかがなのはの体を飛び回り、一瞬の抵抗すらさせずバインドを砕いていた。
その間にもなのはの表情が変わっていく。
それは、怒り。
愛しい少女との一時を台無しにされた怒りがなのはの表情を歪めていく。
「どうして邪魔をするのかな?」
淡々と語る口調が恐ろしい。
そうしている間にユーノが事前に設置していた渾身のバインドがなのはを止めていた時間は数秒しかなかった。本来であればフェイトとなのはの戦いの最中、隙を突く形で使うはずだった一手。逆転の一手となるはずだったユーノの魔法が、まるで飴細工のように砕けて消える。
「ッ……フェイト! アルフ! こうなったら総力戦だ!」
「あぁ! フェイト、アタシもやるよ!」
「ッ……分かった。二人とも、頑張ろう」
戦いを察して人間体に変身したアルフがユーノの声を聞いてフェイトの隣に飛び出す。彼女も本来なら奇襲の一手を狙って身を隠していたが、想定を遥かに上回ったなのはの戦闘力を見て無駄を悟っていた。
奇襲を狙って待つ間に各個撃破される。それならば三人揃ってなのはに当たったほうがまだマシだと考えてのことだった。
だがそれでも彼女達はまだ高町なのはを侮っていた。いや、その恐ろしい進化を想像しきれていなかった。
「許せない……」
戦いを妨害したユーノも、フェイトの隣に立つ邪魔な女も、どちらも気にいらなかった。
こんな気持ちは初めてだった。魔法を知ってからこれまで、痛みに苦しみ悶えることはあっても、なのはは憤怒を覚えたことはなかった。
だがこうして蜜月を砕かれ、こみ上げてくるのは憤怒しかなかった。
――邪魔だ。
――どいつもこいつも、私とフェイトちゃんの邪魔だ。
沸き立つ憤怒―一怒りすら楽しむ自分もいた―が心を染める。
殺せと囁く自分が居た。
この二匹を跡形もなく消し飛ばさなければ怒りで発狂しそうだった。
「ころしてやる」
生き恥を、醜態を、最期に醜い死骸を晒せ。
展開したシューターがなのはの心で荒れ狂う激情を表すように乱舞する。
ユーノ達は息を呑んだ。戦おうと思う心が既に折れそうになる。
「だけど……!」
それでもとユーノは歯を食いしばって震える足を叩き力を込める。
この力が無秩序に解放されれば、今度こそ海鳴市は無人の更地となるのは想像に容易い。だからここで全てに決着をつける。つけなくてはならない。
「だけど、ここで!」
そしてユーノは切り札を切った。二人が戦い始めてから沈黙していたジュエルシード暴走体――否、ユーノの願いを受けて起動したジュエルシードをぶつける。
ユーノのバインド。アルフのバリアブレイク。これらの奇襲が通じなかった場合も想定して、ユーノは正規の手段でジュエルシードを起動させ、それを暴走体と錯覚させるという一手も打っていたのだ。
もしも戦う前に封印処理されてしまえば終わりとも言えた諸刃の一手。だが今このときだけは、暴走体すらもユーノ達の味方だった。
そしてなのはに気付かれないようにこっそりとその背後まで伸ばした枝がなのはへと奇襲を仕掛ける。
完全に虚を突いた一手に、なのはは微塵も反応を示さない。
――取った!
ユーノが勝利を確信した刹那。なのはを束縛するはずだった樹木が見えない何かに弾かれて消滅した。
「え?」
「……あぁ、まだ居たの?」
困惑するユーノを他所に、暴走体もどきの攻撃に気付いたなのはがレイジングハートを一振りする。
刹那、何の前触れもなく暴走体もどきの全身が、無数の桜色の光に飲まれて消滅した。
「な、にが……?」
「あなたには分からないよユーノ君」
当惑するユーノに対してなのはが無表情に告げて再度レイジングハートを振る。
直後、ユーノの周囲を取り囲むようにディバインシューターが現れた。
「……フェイトちゃん対策に、シューターに幻影を張り付けたの。魔力反応をしっかりしていれば簡単に分かる代物だけど、ユーノ君如きじゃ気付かないよねぇ?」
薄らと笑いながらユーノを蔑む。一方、ユーノはなのはの言葉を聞いている余裕などなかった。
目の前で一瞬のうちに消滅した暴走体もどき。その閃光を彩ったシューターが自分の周りにある恐怖。何とか踏み止まって掻き集めた勇気が一瞬にして霧散し、己の死を察した顔には絶望の色が濃く現れる。
「げひゃ」
その顔が堪らなかった。
「げひっ、いひひ!」
胸がすく心地だった。大事な一時を無駄にした邪魔者に相応しい絶望の表情に笑いが止まらない。
「あははっ! あひひひひひ!! どぅしたのかなぁユゥゥゥノ君! 死んじゃうよぉ? 早く何とかしないと死んじゃうからさぁぁ!!??」
「あ……ぁ……」
「ほらほら早く早くぅ! 何もしないのかな? じゃあ爆発させちゃおうかな? どれがいい? 直ぐに死にたい? ひひひひ! でも残念! 私の邪魔をしたんだから楽に死ねるわけがないよねぇ!?」
生かすも殺すも、いや、すぐに殺すもじっくり殺すもなのは次第。
プロテクションを全方位に張ったとしても、耐えられるかは分からなかった。最早、ユーノに残された手は一切無い。
ここで死ぬのだという現実がそこにはあった。
「やらせるかぁぁぁぁ!!」
だがそれを簡単に許すフェイトではなかった。ユーノになのはの意識が向いた僅かな隙。その間隙を縫う形でフェイトが再びなのはとの距離を詰めて薙ぎ払いを行う。
「あはっ、だけどこの程度じゃ――」
「はぁぁぁぁ!!」
だが当然のように刃を躱したなのはをアルフが追撃した。フェイトの陰に隠れてなのはの頭上を取ったアルフの拳が雷の如くその脳天へと落ちる。しかし、その姿を一切見ていないというのに、なのははフェイトを見たままシューターの一つをアルフの脇腹へと直撃させていた。
「がふっ……!?」
「アルフ!?」
爆発はしなかったものの、鉄球がそのまま腹に突き刺さったような衝撃でアルフの肋骨が折れて臓腑を傷つけ、その口から逆流した血が吐き出される。
たった一撃で致命傷まで追いやられたアルフを助けようとしたフェイトだったが、「ねぇ、私を見てよ」というなのはの声と死への予感から咄嗟にプロテクションを展開した。
「ぐぅ!?」
無数のシューターがフェイトのプロテクションに殺到する。一撃一撃は何とか受け止められるが、数が多すぎる。そのまま気圧される形で後ろに吹き飛んだフェイトが追撃を警戒するものの、なのははニヤニヤと笑ってこちらを見るだけだった。
――一どうして?
フェイトの疑問になのはは笑う。笑い続ける。
これでようやく、舞台が整ったのだと嗤っていた。
「じゃあ、これで邪魔者はさよならだ」
そして三度、レイジングハートが振るわれる。その号令に従って、フェイトの視界の隅で二つの光が輝いた。
あまりにも呆気ない結末だった。
「あっ……」
何が起きたのか見たくなかった。空と大地で起きた二つの輝き。脳裏を過る暴走体が削られる光景。考えたくなかった。あの光の中に誰かがいるなんて――。
「やっと二人っきりだね、フェイトちゃん!」
後ろ手を組み、愛らしく小首を傾げてなのはが微笑んだ。そこだけを切り取れば、恋人との一時を待ちに待った少女の愛らしい姿でしかない。
だが状況が最悪だった。道端の石ころを蹴り飛ばすようにして―アルフとユーノを消し飛ばした―考えたくない。これ以上考えられない。
「う、ぁ……」
だが認めざるをえなかった。
呆気なく、何のドラマも意味も、最期の言葉すら残せずに二人は消えたのだと。
「もう、邪魔は入らないよ?」
――だって、あの
平然と言って退ける狂人の言葉を信じたくない。
だけどもう、あぁ、残酷なことにもう、認めよう。
アルフとユーノは、死んだのだ。
「う、うあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁ!!!!!」
こみ上げる涙を拭うことすら忘れてフェイトが吼えた。怒りと悲しみの入り混じった絶望の怨嗟を吐き出した。
分かっていたつもりだった。
高町なのはを打倒するために犠牲が出ることも、それが辛く苦しいことだとも。
だけど。
それでもこれは許せるものか。
命を賭して戦った二人を、ゴミとのたまったこの狂人を。
「殺す! 殺してやる! 絶対に! 殺してやる!」
「いいよぉ! もっともっと! 私だけを見てよフェイトちゃぁん!」
その怨嗟すら己への愛と錯覚した狂人が、これより始まる素晴らしき一瞬を思い描いて笑い、限界を超えた速度で突撃してきたフェイトを迎え撃つ。
そして、激突する殺意と歓喜が光を生み、弾ける火花が夜を彩った。
相対するは二つの輝き。
一つは、悲しみと怒りを植え付けられて狂わされた狂人。
一つは、己の歓喜と自己愛のみで構成された狂人。
今や狂いし二つの星よ。
「高町ぃ! なのはぁぁぁぁ!」
「あはは! おいで、フェイトちゃぁぁぁん!!」
――この冷たき修羅場の果てに、お前たちが行き着く末路がある。
次回、不屈の心は砕けない。
例のアレ
高町なのは無力化作戦(仮)
ユーノ発案。ジュエルシードを起動させることでなのはを呼び、まずは暴走体との戦いである程度疲弊させる。そこで暴走体が倒される前にフェイトが飛び出して戦闘続行。さらに疲弊したところでユーノがバインドで捕縛してフェイトがトドメ。それが駄目ならなのはの知らない魔法であるアルフのバリアブレイクで直接なのはをぶっ叩く。これもダメなら暴走体と見せかけて実はユーノがある程度掌握していたジュエルシード活動体とでも言うべき代物をぶつけ、動揺しているところを三人で畳み掛けて倒すという作戦。
フェイトと初めて会った時のオリ主憑きなのちゃんであったならアルフのバリアブレイクで普通にやられていたが、現実は非情である。
主な敗因は殺意不足。
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第十二話【狂気の片鱗】
リンカーコアが限界を超えて魔力を捻出している。体内で爆竹が破裂し続けているような激痛が絶え間なく体を苛むが、フェイトはその程度の痛みなど意に介さず、楽しそうに笑い続けるなのはを追い続けていた。
「嬉しいよフェイトちゃん! ようやく私を敵として認めてくれたのね!?」
「うぁぁぁぁぁ!!」
全身から紫電を放出して、雷そのものと化したフェイトの速度は既に先程と比べて二倍にまで跳ね上がっていた。
この土壇場で常の倍となる力の解放はやはりなのはが認める天才に相応しいものだ。そしてこれは、なのはの中に潜む凡夫の限界を証明するものでもあった。
高町なのはの成長は凄まじい。だがそれはあくまで
むしろ、肉体を操る魂が凡夫であるため、費やした時間に対して
本来、天才の成長とはフェイトのようなことを言う。
極限の精神状態と絶望的な戦力差を前に、常ではありえない一歩を踏み出す者。
こみ上げる激情に応じることが出来る才覚。論理的に説明できない飛躍を見せる異能。
フェイト・テスタロッサは天才だ。だがそれすら――レイジングハートの予想を超えていなかった。
――せめて、あなたがマスターの行った鍛錬の半分でもしていれば結果は違っていたでしょうに。
火花散らす両者の死闘を見守る。防御を限界まで無視して、魔力刃と速度にリソースを注いだフェイトの力は、最高で三倍速に対応し始めたとはいえ、あくまで仮想訓練しかしていないなのはも苦戦を強いられている。
だがこの実戦と訓練の違いももう暫く戦えば対応出来る。現に、徐々にだがなのはのシューターはフェイトを捉え始め、その白い肌にはシューターの殴打による青痣が幾つも浮かび上がっていた。
もって一分か二分か。
「ッ……ぁぁあ!」
構わず、フェイトは苦し気な表情で、尚も尽きない殺意を原動力に空を駆けていた。
だが彼女の殺意は哄笑する悪魔に触れることすら出来ない。
限界の向こう側。一時的なブーストを行っても届かない。それでもフェイトは必死に距離を詰めようと足掻いた。そんな彼女を嘲笑うように、行く手を無数のシューターとバインドが阻む。
しかし止まらなかった。止まればそこで二度と立ち直れないから止まるわけにはいかなかった。
雷光が僅かな隙を縫って桜の花を従えた魔人に肉薄せんとする。
百花繚乱咲き誇る夜の華、その網を駆け抜ける稲光を迎え入れるなのはの心は喜びに満ちていた。
既にフェイトの動きは人類の反射神経では影を追うことしか出来ない。走ったという認識の直後にはもう遥か先へと動いた後、フェイトの神速は次元世界広しといえ、一握りしかいないと言える領域に手をかけていた。
故になのははフェイトを見ない。空に描かれた魔力の残滓、線を敷く光の軌跡、僅かに見える動きの癖、それらをマルチタスクによって分割演算。算出した軌道予測に沿ってシューターを展開。さらに想定外の動きを止めるためにバインドとシューターを配置。
「さぁ、どうするのフェイトちゃん!」
「押し切る……!」
マルチタスクで予測演算するなのはに対して、フェイトは魔法によって思考速度を加速させることで対処していた。
一秒を十秒へ引き伸ばす。十秒に伸びた世界を一分にすり潰す。世界の遅延、自身の加速、合わさる刹那を認知して、停止空間で魔法陣が描かれる。
「撃ち抜け轟雷……サンダースマッシャ―!」
なのはへの最短距離を金色の極光が照らし出す。
配置されたシューターとバインドを根こそぎ焼き尽くした光だったが、以前と違ってなのはのプロテクションを超えて雷を波及させるまではいかない。
それでも行くべき道は切り開かれた。フェイトは迷いなくなのはとの距離を詰めようと飛び出し――咄嗟に横へと飛びずさった。
遅れて突如桜色の光がフェイトの視界を焼く。迷彩を施されたシューター、サンダーススマッシャーの後、空いた空間を埋めるように再配置し直したのだ。
「あはは! やっぱりネタが割れると避けられちゃうね!」
もしもユーノがこのシューターにやられていなければ、今頃フェイトはシューターの爆発に全身を炙られていたことだろう。
過程はどうであれ、フェイトの窮地を救ってくれたユーノの行動が、彼の死という現実と共にフェイトの心を軋ませる。
「全く、ユーノ君ってば死んでも邪魔をするんだね。フェイトちゃんをびっくりさせたかったのにさ」
そんなフェイトの怒りを再燃させるなのはの一言。
ユーノが居なければフェイトを驚かせることが出来たというその悪辣極まる言葉に、食いしばった歯の間から醜い唸り声が漏れ出した。
力が足りなかった。
覚悟が足りなかった。
死した彼に足りなかったものは幾らでもある。だがそれでも、覚悟を決めていた少年を踏み躙ることだけは許さない。
「なのはぁぁぁぁぁ!!!!」
注ぎ込まれた憤怒の熱を魔力へと変えてフェイトが飛んだ。さらなる加速と進化、限界を数段階超えた先の刃は、道を遮るシューターとバインドを一秒も経たずに根こそぎ斬り捨てた。
「ッ……あはっ、そうよ、素敵よ!」
刃の圏内になのはを捉えた瞬間、非殺傷設定を解除したフェイトの一撃がプロテクションと激突した。
互いの魔力が光となって両者の間を照らし出す。交わした視線は表裏、憤怒と歓喜が交差して入り混じる間。必然として弾かれた両者が同時に動き出した。
これまで不動だったなのはがシューターを引き連れてフェイトとの距離を離すべく後方へと下がる。
その影を追って疾駆するフェイトの行く手をシューターが阻むが、一刀の下に斬り伏せた。限界を超えた負荷をかけられた筋線維が引きちぎれる。魔力で強引に補強しているが、痛みと疲労は着実にフェイトの心身を擦り減らしていた。
「ハァ……ッ……」
眩む視界。激痛を訴える身体。絶えず劣化を続ける全身を奮い立たせて、それでも尚、フェイトの一撃はなのはを捉えられない。
単純な実力が違う。異常とも言える鍛錬で培った経験値による地金がフェイトとなのはの差として現れていた。
だがフェイトは引くつもりはなかった。この一瞬だけ、プレシアから託された命令すら忘我する程、フェイトの心は怒りで染まっていた。
許してたまるものか。必ずや渾身の一刀にて彼の狂気を斬り捨てる。願うのはたった一つの殺意の成就だ。
死を以て、死を贖わせる。
断頭こそを望む死神の執念に、なのはも嬉々として応じてみせる。
上空に飛びながら構えたレイジングハートの前に描かれる魔法陣。際限なく加速する雷光の動きをシューターで制御しながら、これ以上ないタイミングで神罰の光を振り下ろす。
『Divine Buster』
「シュート!」
「ッ!?」
空より降り注いだ神の鉄槌がフェイトを飲み込み地面を焼く。轟音を響かせて周囲に飛び散った破壊の余波で、寝静まった野生動物が一斉に悲鳴をあげて逃げ出した。
ミサイルが着弾したようなクレーターの跡地を見れば、直撃が意味する事実は一つしかない。
だがなのははディバインバスターの輝きが消えるよりも早く、真上より飛来した小さな光を捉えていた。
「流石フェイトちゃん!」
「ちぃ……!」
多少マントの端が焼けこげながらもディバインバスターから逃れたフェイトの刃とプロテクションが再び激突。先日の焼き直しは、なのはを貫くには至らない。
だが舌打ちをしながらもフェイトに動揺はなかった。この僅かな間に生み出したシューターを、なのはの背後から襲い掛からせる。
「はっ! これくらいならさぁ!?」
だがフェイトのシューターはなのはのシューターと激突して四散する。まだ届かない。後一歩の距離が彼岸よりも遠い。
しかし殺す。
故に殺す。
「殺す……!」
「いいわぁ。もっと私だけを見て。私だけを愛してほしいの!」
「誰がおまえを愛してやるかぁ!」
バルディッシュから片手を離して掌に魔法陣が浮かび上がる。これまで考えられなかった動きに初めてなのはに動揺の色が浮かんだ。
咄嗟にバインドで拘束しようとするが、もう遅い。
「サンダースマッシャ―!」
プロテクションに叩きつけた掌を通じて、前半の詠唱を破棄した雷光が奔流となってなのはを飲み込んだ。
「うぅぅぅぅぅ!?」
ゼロ距離射撃。しかしデバイスを通してない一撃では威力は半分以下。それでも魔力刃を受けて減衰したプロテクションを揺らがせ、なのはを後退させるには充分。
「バルディッシュ!」
『了解、いつでもどうぞ』
そして遂に到来した機会を逃す訳にはいかない。直接プロテクションに触れてグズグズに火傷した掌でバルディッシュを握り直すと地面に落下していくなのはをフェイトも追った。
「レイジングハートぉ!」
『Divine Buster』
緊急時のために溜めていた魔力を注ぎ込み即席のディバインバスターで牽制するが、その程度ではフェイトの影すら穿つことも叶わない。
だが回避に動きを割いたことで一呼吸分の余裕が生まれる。その間に体勢を整えたなのはだったが、即座に背後へと回り込んだフェイトの斬撃は落ち着く余裕すら与えない。
首を狩りに来た刃を大きく屈んで回避して、レイジングハートを振り向きざまに薙ぎ払う。もうフェイトはそこには居ない。だが予測した軌道に沿ってなのはが動き、刃を避ける。応じてシューター、魔力刃に受け流されフェイトが消える。次いで演算、新たな予測、零秒後に回避、反撃、さらなる加速。
――足りない!
なのはの牙城を崩せない。崩したと思ったところで放った刃が、決定的な一撃を与えられない。
理由は既に分かっていた。ここまでの一連の流れ、驚きを見せたりしているものの、フェイトは未だになのはの気持ち悪い笑顔を崩すことが出来ていない。
つまりこちらが限界を突破して食らいついているにも関わらず相手には余裕があった。
それでもフェイトは軋む体と全身を蝕む激痛を堪えて刃を振るい続けるしかない。
――もっと、もっと私に力を!
高町なのはを貫く一撃をこの手に。そのためなら、この身がどうなっても構わない。
死へ向かって落下を続けることで、限界を超えた力を行使する。残された時間は後一分か、それとも二分か。
だが戦えていた。勝てないと思えていたなのはを相手取って、ぎりぎりで踏み止まっていた。
ならばもっと力を集める。既にリミッターなど砕け散ったフェイトにとって躊躇は無かった。
ここで越えて、ここで死んでもいい。
その狂気こそが原動力。憤怒と殺意で塗り固められた意志を支えにフェイトはさらに己を削り、力を振り絞った。
「はぁぁぁ!」
「やぁぁぁ!」
中空で二人が激突した。そして弾かれた両者の距離が開く。
想像通り、フェイトは徐々にその力を見せてくれた。そのことがなのはには嬉しかった。
「でも足りない」
互いにまだ余力が残っているここまでの戦いは、フェイトにとっての死闘であっても、なのはにとってはただの前座。
この先なのだ。ここから先、全てを曝け出した先に、本当の死闘が待っている。
「やるよ、レイジングハート」
『……了解しました』
なのはの覚悟を聞いて、レイジングハートも観念した。
そして、これより始まる一方的な蹂躙劇を考えて、戦えていると勘違いしているフェイトのことを憐れにすら思っていた。
最早、これより先、フェイト一人での勝率は5%どころか完全なる0%。戦いに夢中となっているなのはの代わりに、冷静に状況を分析していたレイジングハートの結論は残酷な事実だ。
そんな相棒の考えなど知らず、肩で息をしながらも闘志は衰えず立つフェイトをなのはは愛おしそうに見つめていた。
「あったまってきたねフェイトちゃん」
「ッ……!」
「少しずつ、すこーしずつ。あなたの強さを魅せられるたびに、私の成長を感じ取れるわ……私はやっと、あなたの領域に手をかけられたんだって」
「戯言は、聞きたくない……!」
「ふふ、ツンツンなフェイトちゃんも大好きよ。焦らし上手なところもキュンキュンしちゃうわ……でも、まだだよね?」
直後、フェイトは己の眼を疑った。
なのはの体に周辺に散らばった魔力が集まっていく。それはこの戦いで戦場全体にばら撒かれた魔力の残滓。四散し、爆散し、無色の力に還元された力が再びなのはの下へと集い、束ねられ、一つの塊となっていく。
「……バルディッシュ」
『今すぐ撤退を』
頼りとする相棒はたった一言で絶望を突きつけた。そしてフェイトも、これから起きる絶望を予知して顔面を青ざめさせる。
そうしている間にも収束する魔力がなのはの全身を満たしていく。通常なら考えられない膨大な力は、リンカーコア一つでは抑えきれない力。さながら、体内で爆弾を生成しているような危険な行為。
「だからねフェイトちゃん。私が先に、積み重ねた全部を見せてあげる」
抑えきれない魔力が体から漏れ出て、桜色のベールを纏っているようだった。
フェイトが限界を超えて手にした力。だがこれは最早、限界を超えたという領域の話ではなかった。
「何、これ……」
術式を介して常よりも異常な魔力を集める凶行。堪え切れなかった体の所々で毛細血管が千切れ、なのはの全身に内出血の青痣が幾つも生まれ鼻と眼から血が流れだした。
大気が悲鳴をあげる。空気すら蒸発する濃厚な密度の魔力。魔力だけで発狂して悶死しそうな状態で、なのはは笑う。
尚も笑える、狂気の骸。
「これが……レイジングハートと一緒に考えた……今できる最強の、戦術形態……! 戦場にばら撒かれた魔力を私自身に貯蔵してぇ……再、利用する……!」
過剰魔力によるブースト。この瞬間のみ、器の総量を上回る力を行使する禁呪。
散らばった魔力を束ね、その魔力を呼び水としてさらなる魔力を際限なく集め続けるという暴挙。
これぞ高町なのはが対フェイト・テスタロッサ戦に向けて生み出した
「全力全開」
星屑を貪り食らう、狂気の産物の名を――。
『Divine Madness』
神の狂気を謳う災厄が、漆黒の空に禍々しき光を放ちながら顕現した。
レイジングハートがその名を告げるのと同時、暴走しかけていた魔力が高町なのはの下にひれ伏した。そして余剰魔力がうねうねと動く無数の触手となって、背部のバリアジャケットを突き破って現れる。しかも背中からだけではない。腕からも腹からも、孵化した寄生生物のように皮膚を突き破って出てきた桜色の触手は、生理的な嫌悪感を覚える気持ち悪さを相対するフェイトへと覚えさせた。
「あ……あぁ……」
だがそれ以上の恐怖に、フェイトは全身を震わせた。
最早、高町なのはは人の形を保っているとは言えなかった。全身の至る所を突き破った触手を愛おし気に撫でる姿は常軌を逸していた。
確かにフェイトもユーノとアルフを殺されたという憤怒と殺意で狂気に陥ってはいた。だがそれはあくまでメッキのように脆いもの。純正そのものの狂気を前にしてメッキは剥がれ、ただのフェイトが姿を現した。
だから怖かった。人の身で、人を踏み外す狂気が見ていられなかった。
しかしこれもまた人間なのだ。ただ愚直に己のみを見て、己のみに腐心した人間の根幹。そしてこれは片鱗なのだ。
狂気は肥大する。
天才は成長する。
際限なく、上限無く、果てを求め、果てを欲し、その果てに手にする力こそ。
「なんて、様」
無意識に口より零れた言葉は――いずれ至る人の終わりを予期したものに違いない。
次回、蹂躙。
例のアレ
『Divine Madness』
神の狂気を冠するオリ主憑きなのちゃんがフェイト用に編み出した切り札。一言で説明すると、スターライトブレイカーに使う魔力を体にぶち込み、その魔力を呼び水としてさらに魔力をかき集めるという魔法、分類上は自壊魔法というおバカな分類に入る。
その名の通り己の体が崩壊する代わり、戦略規模の魔法を行使できるようになるうえ、放った魔法によって四散した魔力を用いて再び魔法を放つといった擬似的な永久機関となる。ただし弱点として発動できる時間は一分弱と短いうえ、寿命がザクザクと削れる。
見た目は全身からぶっといミミズが皮膚を突き破ったような感じ。ガチでグロい。
当然だが、今のフェイトに使う必要は無い。
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第十三話【散華】
ジュエルシード戦
なのは「そうよ!あなたは九歳の子どもにコテンのパーにやられちゃったのよ!」
お邪魔虫ユーノ君へ
なのは「お前は電子レンジに入れられたダイナマイトだ! シューターの閉鎖空間の中で分解されるがいい!」
大好きフェイトちゃん戦
なのは「月光蝶である!(触手)」
ラストで唐突に御大将が憑依したので投稿が遅れました。
誕生の喜びに蠢く桜色の触手。主の体を餌としたそれらの一つを一撫でしたなのはは、悍ましき異形と成り果てたこちらを見て恐怖に震えるフェイトを見据えた。
『カウントスタート』
レイジングハートの真紅の宝石の表面に71という数字が浮かぶ。徐々に減っていく数字は、なのはがこの状態を維持できる残りの時間だ。
だからこれまでと違ってなのはは言葉を告げることなく行動へと移る。
我が渾身。己が身を賭して謳う愛の証明を愛しき少女へと。
これよりは、一の言葉に勝る千の魔法を奏でよう。
「魔力、解放」
なのはより生まれた触手が主の命を受けて空を仰いだ。その先端がゆっくりと開くと、そこから漏れ出た光が空を彩り、大量の魔法陣を夜空に描く。
一つ二つではない。フェイトが茫然としている間に五十を超えた魔法陣のどれもが、高町なのはが得意とする魔法の砲口。
一撃だけでも脅威となる破滅が、瞬く間に百を超える砲火となって顕現した。
『Divine Buster』
「一斉射撃」
瞬間、フェイトの視界を光が埋め尽くした。
百の魔砲が火を放つ。夜が一瞬にして消えて、桜に満たされた美しい光の乱気流は、一秒の時も無く等しき災禍を撒き散らした。
そして、世界の全てが豪雨の如く放たれた神罰によって焼き尽くされる。
「ひ……ぃ」
咄嗟に砲撃の隙間に逃れて直撃を避けたフェイトは、直後に広がった惨劇に引きつった悲鳴を漏らした。
突き抜けた砲撃が遠くの山を貫いた。森の木々を破砕し、炎が無数と森に撒かれた。野生動物が悲鳴をあげ、逃げ遅れたものから光と炎に焼かれて息絶える。
着弾では止まらず地面をなぞった幾つもの光が地表を割った。
空気が泣いた。
大地が震えた。
世界そのものが狂人の狂気に恐怖した。
「いや……いやぁ……!」
この世の地獄をあの日のプールでフェイトは見たはずだった。
だが、あの程度はただの児戯。真の地獄がここに生まれていた。
「次弾、放射」
しかしこの程度では終わらない。地獄の宴は未だ序章。体感にして一時間を超えるとも思われた地獄はその実、未だ十秒にも満たない時間の出来事だった。
そして再度、なのはの号令の下、ディバインバスターの斉射が行われた。
光に溶ける。
消えないと思われた感情が悉く溶ける。
フェイトは己の死に恐怖した。
「ッ……ぁぁああああ!!??」
気付けば、一撃を受ければ死が訪れる破滅の中を、フェイトは絶叫をあげながら逃げていた。
何だこれは。
何が起きたというのだこれは。
戦うどころではない。一秒後の生存すら保障されない地獄で、フェイトに残されたのは涙を流して逃げることだった。
「嫌だ……! 嫌だ嫌だ嫌だ!」
誰か助けて。
誰でもいいからこの地獄から助けてほしい。
「ユーノ! アルフ! 母さん!」
しかし、少女の助けに応じる声は無い。ここには誰も居ない。手に持ったバルディッシュも助けてはくれない。
たった一人の戦場でフェイトはようやく己の死と向かい合った。
一つは母親のために。一つは罪悪感からの義憤のために。そして呆気なく死んだ二人のために。
フェイトを突き動かしていた戦う理由はもう彼女を奮い立たせるには足りなかった。それほどの狂気、災禍。束ねられた悪夢は心を砕き、年相応の少女を剥き出しにした。
その身を焦がしていた怒りと殺意すら消え去る程の悪夢。
そして、狂人は笑う。
たった一人の人間に放つには過剰すぎる爆撃をばら撒きながら、なのはは逃げ惑うフェイトを見て喜びに打ち震えていた。
「あははははっ! 私は私の全部を見せたわ! だからあなたも見せてちょうだい! あなたの力、あなたの全て! 良いところも悪いところも、まとめてたっぷり愛してあげる!」
桜の雨が世界を焼く中、たった一人の狂人だけが笑い続ける。
この世の悪夢が具現化していた。不幸中の幸いと言えるのは、この悪夢が海鳴市の街中に顕現しなかったことだろうか。
数十秒もあれば街を更地に出来る圧倒的火力。戦略兵器に匹敵する個が、己が欲望のためだけに破壊を振りまく姿は、見る者全てに等しき終わりを予期させるに足る。
この力の猛り、研鑽した技術の結晶、高町なのははこんなにも素晴らしい。
「私がぁ! 私だけの全てでぇ!」
砲火は広がる。地獄も広がる。なのはの体を貫く触手も数を増し、初めに触手が生まれた背中の部分は殆ど触手の群れで見えなくなり。
ぐちゃりと、遂にその柔らかな頬を突き破って触手が生まれた。
遠目で見たそれが、美しさに咲く汚物が、フェイトの心にトドメを刺した。
あんなものが、人間なのか、と。
フェイトはその事実に怯え竦んだ。
「私を見てよぉ! フェイトちゃぁぁぁぁん!!」
「ひぃ! いやぁぁぁぁ!!??」
勝ち目など存在しない。あの狂気に立ち向かえる勇気はない。思考を介さず、ただ生存本能に突き動かされてフェイトはなのはに背を向けて逃げ出した。
一歩でも遠く。
一秒でも早く。
あの狂気から逃げなければならない。
あんな様を晒した人間と相対したくない。
しかし、そんなフェイトの願いを砕くように、彼女の進路上を大量のシューターが埋め尽くしていた。
逃がすつもりはない。
今、この場で、高町なのはの全てを賭してフェイト・テスタロッサを愛し尽くす。
「私だぁ! これが私! ひひゃははは! 最高の高町なのはがぁ!」
最早、言葉として意味をなしていない。体内で暴れる魔力の脳髄すら汚染されたのか、狂ったように整合性の無い言葉を叫び散らし、三度目の砲撃魔法の斉射を行おうとしていた。
「……ぁ、ぁ」
一射目が百、二射目が百五十、そして三射目の今、総数二百弱の砲門。
逃れる術はない。フェイトはもう限界を遥かに超えた力を使い続け、死を前にした生存本能によって絞り出した底力すらも使い果たした。
逃走に失敗した時点でフェイトに抗う術は残されていなかった。リンカーコアは限界を超えた行使に傷つき、蓄積された魔力は少なく、魔力を集めることすらおぼつかない。
あらゆる全てを出し尽くしても届かないことは存在する。
もっと緻密な作戦を立てればよかった。もっと鍛錬を積めばよかった。そもそもあの日、高町なのはを殺してさえいればこんなことにはならなかった。
だが過去は変えられない。どんなにもしもを考えても、突きつけられた現実に対してはあまりに無力。
逃げられないと悟ったフェイトの全身から力が抜けた。辛うじて手にバルディッシュが引っかかっているだけ。戦う意志などそこにはない。
「残り一分! 私とあなた! 夢のように楽しみましょう!」
高町なのははこの時点でなお、フェイトを見ているようで見ていなかった。誰が見てももうフェイトには戦う意志も力も残っていないのは明白だ。
だがなのはは己が口にした通り、夢の中で戦っていた。自分が妄想した何処にもいない誰かを相手に踊っている哀れな道化。
高町なのはには他者への愛など存在しない。徹頭徹尾、あらゆる全ては自分のために、天才を楽しむことだけしか考えていない自己愛の化身。
世界にはただ己一人。
そのことに気付きもせずに、フェイトへの愛を高らかに歌い上げて、号令を下す。
幕引きの一撃にて、空想ごと震える少女を焼きつくせ。
「レイジングハァァァトォォォォ!!」
『Divine Buster』
残り、五十五秒。渾身の斉射から逃れることは出来ず。
高町なのはの全力からたった十秒、フェイトの結末はここで――終わらなかった。
「なのはぁぁぁぁぁ!!!!」
ディバインバスターが放たれる寸前、今だ燃え広がる森の中から緑色の閃光が飛び出した。戦場を埋め尽くす桜と比べてあまりに矮小なその光――ボロボロの姿のユーノが一瞬の不意を突いてなのはへと肉薄する。
「ッ!?」
「うぉぉぉぉ!!」
男らしい叫び声をあげて、あり得ぬ奇襲に目を剥くなのはの体に抱き付く。
そしてユーノは己の体ごとバインドでなのはを拘束した。さらに、直接触れた箇所から際限なくバインドを放ち続けて密度を濃くしていく。
「なんで生きて……!?」
「僕も驚いているよ! だけど君のおかげで僕はこうして生きている!」
全身がシューターの爆発に炙られたせいで傷ついているが、それでもユーノが生きていたのは、あの日のプールでアリサ達を守った小さなシューターと同じ物だった。
大量のシューターの中、たった一つの小さな光は無数の爆発の衝撃を限界まで軽減し、ユーノが起きるまでずっとプロテクションを張り続けた。
それでもディバインバスターの掃射の中で生きていたのは殆ど奇跡と言ってもよかった。さらに、偶然にもなのはの真下だったことも奇跡と呼べた。
重なった奇跡。必然足りえる偶然とも呼べるものを掴み取って、ユーノはこうしてなのはを捕縛出来ていた。
「何を訳の分からないことを……! ッ、離せぇ!」
ユーノが離れた場所にいたならばディバインバスターの掃射で消し炭に出来たが、密着している以上、過剰な力はなのはすら巻き込みかねない。
故にシューターと体の触手でバインドごとユーノを外そうと暴れるが、ユーノは決して離れない。なのはの体から伸びた触手がバインドを砕く度に新たなバインドを生成し、触手そのもので体を貫かれながらも、ユーノは血を吐いても離れなかった。
「ぐぅ……! 離さない! 迷わない! 決めたんだ、ここで君を止めてみせるって決めたんだ! だから!」
「ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃうるさいなぁ……!」
しかし、奇跡はもう起きない。ユーノが生成するバインドの数を、殺到するシューターと触手が凌駕した。そしてバインドが砕けた瞬間、なのははユーノの顔を掴んで強引に引きはがす。
「さっきから何度も私とフェイトちゃんの邪魔をしてさ」
「君を、僕は……!」
「鬱陶しいのよ、お邪魔虫」
そして、殺到した無数の触手がユーノの全身を貫いた。
ユーノの腹を貫き背中から突き出た触手が、全身に浴びた鮮血を払うようにうねうねと蠢く。そのいずれもが、今度こそユーノの決定的な終わりの証拠。
もう先程のような奇跡は介在しない。
致命傷を受けたユーノの体から力が抜ける。その体を、なのははゴミのように投げ捨てた。
「ユーノ……ユーノぉ!」
なけなしの力で飛んだフェイトが落下するユーノを受け止める。
その姿はもう見るに堪えないものだった。全身の火傷と裂傷、貫かれた穴から止まることのない鮮血がフェイトの両手を真紅に染める。
「なんで? なんでこんなことしたの?」
助かったのなら逃げればよかったのだ。
現にフェイトは全てを投げ出して逃げ出そうとした。アルフとユーノの仇を取ることも忘れ、醜態を晒して、情けない悲鳴もあげた。
ユーノもそうすればよかった。降り注ぐ神罰の雨から身を守り、厄災が消えるまで息を潜めていてもよかったのだ。
だって、勝てるわけがない。
そもそもアレを相手に戦いと呼べるものを演じられる訳もない。
「だって、僕、は……決めた、か、ら」
何度も間違えて、何度も失敗した。だからこの誓いだけはもう裏切らないと決めたのだ。
この手で生み出した狂気を止める。たとえここで死んだとしても成し遂げてみせると。
「なのはを、止める、って……」
「ユーノ……!」
フェイトはユーノの覚悟に言葉が出なかった。
そこまでの覚悟なんてなかった。フェイトはただ穏やかだった日々を取り戻せればそれでよくて。
そのための障害程度にしか高町なのはのことを考えてなかった。
だが、この戦いに赴いた者達は違う。
ユーノは覚悟をして戦いに赴いた。
アルフもフェイトを何としても守る覚悟をしていた。
それこそ、なのはも自己愛のために全てを捨てる覚悟を決めてさえいる。
この場で唯一、覚悟という点で一番劣っていたのはフェイトだった。
「でも、も、う……」
「あ……駄目、逝っちゃいやだ!」
力の抜けていくユーノへ必死に呼びかけるが、もうどうしようもない。治癒魔法を使ってもユーノの傷を癒すまで間に合わない。
明確な形で訪れる死の足音。
徐々に薄れていく意識と狭まる視界の中、ユーノは涙を流して自分を見つめるフェイトをぼんやりと眺めた。
「ごめ、ん、ね」
「嫌だよ……! 一人にしないで……こんなところに一人ぼっちなんて……!」
「だい、じょうぶ」
ユーノは最後の力を振り絞って、フェイトへと思いを託す。それが、どれだけの苦難を彼女に強いるのか知りながら。ここで勝手に楽になる自身の愚かさと弱さを嘆きながら。
「君、なら、出来る」
自分の中で零れ落ちる命を感じながら、ユーノが思うのはフェイトへの慙愧の念だった。
ごめんね。
だけど、僕はもうここまでだから。
君に全てを任せていなくなってしまうことを、許してほしい。
「だから、なの、はを……止め、て」
――その言葉を最期に、ユーノは今度こそその短い生涯に幕を降ろした。
やはり、呆気ない。命の終わりに感動は無く、伝えたい言葉の一割すら伝えられず消え去るのみ。
「……私には無理だよ、ユーノ」
開かれたユーノの手を握ったフェイトの瞳からとめどなく涙が溢れた。
なのはへの怒りは無く、胸を満たすのは冷たいだけの悲しみ。このまま全てを投げ出してしまいたくなる虚無感。
今度こそ、疑い様なく死んだ少年が託した願いを叶える力はフェイトには残っていない。
「無理だよ、ユーノ、アルフ」
地面に降り立ったフェイトはそっとユーノの遺体を横たえると、握っていたユーノの手を離した。
力を失った手が地面に落ちる。もう二度と動くことは無い。二度と、彼が言葉を発することは無い。
死は何も残さない。
死者は黙して語らない。
「……ねぇ、早くやろうよフェイトちゃん」
フェイトは朦朧と空を見上げた。
頭上では、発動していた自壊魔法を停止させて、穴だらけのバリアジャケットを着たままのなのはがつまらなそうに眉を顰めている。
折角の時間を台無しにされた。
彼女にとってユーノの死などその程度のことでしかなかった。フェイトが何故かユーノを受け止めたため、これでは戦えないと一旦動きを止めただけ。二人が話していることにも興味を示さず、さっさとそのゴミを捨てろとすら考えていたほどだ。
高町なのはをある意味では救済したとも言える恩人に対してゴミとしか思わない傲慢、非情。
「そんな奴は放っておいて、ね?」
「どうして?」
フェイトはなのはの考えが分からない。
「なんでそんなに簡単に人を殺せるの? 私は殆ど事情を知らない。だけど、ユーノがあなたの知り合いだってことは知っている。なのに……どうして殺せるの?」
「だって、邪魔じゃない?」
たったそれだけのことで、なのははユーノを殺した。
そこに罪悪感は一切なかった。
「私だって殺したくはなかったの。だけどユーノ君は何度も私に意地悪したわ」
なのはの語る言葉に悪意は微塵も感じられなかった。
「いっぱいいっぱい頑張ったのよ? 暴走体と戦えるように努力して、ちゃんとジュエルシードだって封印したわ。それなのに私から魔法を取り上げようとして、あまつさえ今日はフェイトちゃんとの戦いも邪魔したの」
邪魔だから殺し、好きだから一生懸命没頭し、愛しているから必死に自分を見せびらかす。
「私がフェイトちゃんのことを大好きだって言ったのを聞いてたはずなのに。私が魔法を学ぶのを楽しんでることも知ってたはずなのに……」
「だから、殺したの?」
「えぇ、私だって心が痛いの。酷いことをしたわ、悲しいことだって思う。でも……仕方ないよね?」
それを邪悪と知っている。それが外道だと理解している。
それらを悪であることを知りながら、本心から仕方ないと言う。
悪と思いながら、悪いと思っていない。――子どもの如く、その解答は矛盾していた。
「……そう、そうか」
フェイトはようやく、高町なのはのことが少しだけわかったような気がした。
どうしてここまで悍ましく、恐ろしく、今も本能のまま逃げ出したいと思える相手なのに、フェイトも含めた誰もがなのはを化け物と
彼女は子どもなのだ。それもただの子どもではない。生後数年の精神状態から、まともに成長していない幼児。
力をもった幼子。だから恐ろしく感じながら、化け物とは思えない。
フェイトは一部とはいえ高町なのはを理解した。そして、理解したからこそ改めて思う。
――あぁ、コレは……殺さなきゃダメなんだ。
高町なのはは周りの意見には決して見向きもしない。楽しい玩具を手放さず、喚き散らす代わりに破壊を振りまく彼女を導ける者はいないから。
いつの間にか震えが止まっていた。
死への恐怖は、この狂気を世界に残すことへの恐れを上回るほどではなかった。
だからもう、殺す以外になかった。
殺す以外にその純粋な狂気を静める術は存在しないから。
フェイトは思う。自分がここで死んだ後――高町なのはと相対するかもしれない母を思えばこそ、その思考に至った。
―
だがフェイトはやはり高町なのはについて勘違いしている。
何故、彼女を化け物ではなく人間と思えるのか。
フェイトは彼女が子どもだからと考えた。
しかし、違う。
彼女は根底の部分を違えている。
純粋無垢が成長しない理由の意味。
己の肉体にしか成長する意義を見出せない人間の末路。
全てを捨てて行き着く、人間の可能性の完結。
いずれ、■■■■と呼ばれる人の性。
だがその勘違いに気付くための時間は、フェイトに殆ど残されていなかった。
あるいは、人を外れた
故に、この二人はここで終わりだ。
フェイトとなのは。相対する二人の天才は、同等の才を秘めながら、その認識は悉く擦れ違う。
―
そしてフェイトは全てを捨てた。
「……もう、いい」
フェイトは地面に膝をついた。訝し気にこちらを見るなのはを他所に、バルディッシュより取り出した宝石――ジュエルシードを掴む。
もう、彼女を止めようとは思わない。
ユーノの遺志を継いで、戦おうとも思わない。
逃げようとも思わない。
逃げてどうにかなるとも思わない。
だから全てを捨てよう。
「もう、どうなってもいい」
握り締めたジュエルシードが淡く輝く。フェイトに残された魔力をによって火の点いたジュエルシードは際限なく輝きを増していき。
「私がどうなっても、構わない」
暴走直前のジュエルシードを、フェイトは躊躇なく自身の腹部に
「ぐ、ぁ……ぎぃ!?」
激痛に呻き声が漏れ出た。だがフェイトは鬼の形相を浮かべて先程以上の痛みに耐える。
耐えられるなら何を捨ててもいいと思った。
こちらを案ずるアルフを思い出す。―ごめんなさいと磨り潰す―
止めるのだと最期まで足掻いたユーノを思い出す。―無理だよと踏み砕く―
母の優しい笑顔を思い出す。―今は不要と、斬り捨てて―
全てを賭して、願うのは。
「あなたを……! 殺す!」
擦り切れたリンカーコアを補填するように、体内に埋め込まれたジュエルシードが魔力を生み出す。
飽和する力。金色に染まった魔力は、その肉体から漏れ出し周囲一帯を埋め尽くし。
瞬間、世界が震えた。
「あはぁ」
なのはは嗤う。やはり嗤う。
眼下で膨れ上がる魔力量。なのはの思い描いた彼女へと近づいていく。
体内からの放電現象で焼けただれていく肉体を無視して、フェイトはバルディッシュより数倍に膨れ上がった魔力刃を展開した。
「この先は、要らない」
全てを捨ててでも、終わらせる。
増大する力の奔流。届くとは思えない異次元の力の粋。
これこそを高町なのはは望んでいた。
音速すら遅くなる神速の化身。雷神と称するに相応しき天賦の才よ。
「レイジングハート」
『Divine Madness』
停止していた狂気の魔法が再点火する。桜色の触手は、なのはの心を表すようにフェイトの覚醒を歓喜乱舞で祝福していた。
互いに己の死すら厭わぬ狂気。
才覚により編み出した超常の魔法。
才覚により取り込んだ超常の魔力。
この時、この刹那。僅か一分にも満たない決着の時。
「あーそびーましょ」
まるで、友の家に呼びかけるような気楽さで。
高町なのはの言葉を皮切りに、最後の時が始まった。
次回、一分。
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最終話【マジキチ、始まります】
立ち合いより零秒。まず、高町なのはの予測演算をフェイトは一瞬にして追い抜いた。
それはつまり、なのはが仮想敵として想定していた三倍速の領域をフェイトが超えたという証明だった。
加速をせずに初めから最高速、目の前より消えさったフェイトを追う手段は無い。
想像を超えたフェイトの執念が結実する。この日、遂に狂気を超えた一撃を一つ。フェイトはその事実を誇るでもなく、ただ葬れる事実を粛々と決行する。
そして背後より振りかぶられる断頭の刃。
金の死神が必殺を誓って放った首狩りの一振りは――なのはの体より発生した触手の群れによって受け止められた。
「ッ!?」
魔力刃を受け止めた触手が刃を這うようにバルディッシュへと延びていく。咄嗟に刃を消滅させて逃れたフェイトを、広域展開された魔法陣が捕捉した。
「ひぃ……ひひ、へへひゃぎゃ!」
死んでいたという恐怖を、これを望んでいたという歓喜で染め上げたなのはがフェイトを追撃する。
業火が空間を焼く。それよりも早く上空へと逃れたフェイトを既に二百を超えた砲門が追い、主の号令を待たずにその砲口から破滅を轟かせた。
轟々と桜色が世界を彩る。
しかしか細くも眩い金色の閃光は健在。
物理法則を改竄したような鋭角な軌道を描いてディバインバスターの雨を掻い潜り、再度フェイトは落雷と化してなのはへと吶喊した。
次は触手ごとその首を切断する。巨大な魔力刃を圧縮して密度を濃くした斬撃、次は触手では防ぎきれない一撃を、なのはは無意識に展開したプロテクションで迎え撃つ。
「なのはぁ!」
「フェイトちゃん!」
両者の間で紫電が散った。
互いを呼び合う声に込められているのは愛も殺意も超越した純粋なる戦意。ここに至って余分な思いはどちらにもなく、自滅よりも早く敵手の命を食らうことしか残っていない。
直後、想定を超えたフェイトの一撃がなのはのプロテクションを切り裂いた。咄嗟に体を退いたものの、胸より生えた触手もろともバリアジャケットが袈裟に斬られ、真紅の血潮が噴き出す。
命を賭した切り札でも届かない。
何をしても勝てないのか。
この体を超える天才に討たれるのか。
「でも、ただじゃ殺されない……!」
しかしなのはの瞳は狂気の炎を絶やさない。むしろ、この窮地にいっそう燃え上がる喜びを覚える。
だから動く。
ここで動かなければ、フェイトに対して申し訳ないから。
非殺傷設定の解除による肉体への痛打。悶え苦しみたくなる痛みを喉元までせり上がった熱血と共に飲み込み、なのははレイジングハートを一振りした。
「次は私の番よ!」
瞬間、僅かな拮抗の間にフェイトを取り囲んでいた見えないシューターが爆発する。発生する衝撃を触手で防ぎながら地面へと落ちるなのはは、駄目押しとばかりにディバインバスターを掃射する。
だが桜の花火を突き抜けてフェイトがなのはを追って飛び出した。
左腕の表面がグズグズに焼けただれ、バリアジャケットも煤だらけではあるが健在。シューターの直撃を、左手一本を犠牲にして耐え凌ぎ、衰えぬ戦意は揺らぎなくなのはを貫く。
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
こちらに向けられた意志の猛りを受けて、なのはの脊髄を快感の波が駆け抜けた。
互いに死をぶつけ、死を受け入れる。肉体に秘められた全てを引き出して、さらに一歩。幾度となく限界を超え続け、果てなど見えない天才の激突が堪らない。
もっと私を魅せてくれ。
名前すら失ったこの凡愚に、
止まらない成長が行き着く場所が知りたい。どこまで強くなれるのか証明したい。
これ以上無い領域へ、この体が見出す答えを教えてほしいから。
「あなたが欲しい! あなたが好きなの!」
この身の踏み台となれ、愛しい少女。
言葉の裏に隠された自己愛。なのははそのことに気付こうともせず、怒涛と襲い掛かるフェイトの斬撃を掌に集中させたプロテクションで受け止めた。
「こいつッ、もうこの速度に!?」
ここに来て、まだ実力を隠していたのか。
見えてすらいなかったはずの刃をピンポイントに受けるという荒業に、流石のフェイトも驚きを隠せない。
だがそうではない。
実力の底を既になのはは見せていた。だがそれは、数秒前までの高町なのはの話。
届かないなら強くなる。
強くなれるなら止まらない。
そもそもなのはは己を知らない。
この身の底は、凡人では計り知れない奈落の器。
その底知れなさを信奉していたからこそ――成長する。
「見えたぁぁ!」
この土壇場で、なのはは遂にリンカーコアのリミッターだけではなく、肉体のリミッターすら外してフェイトの速度へ対応していた。
だがこれはマルチタスクを覚えたために一時的に使えなくなっただけで、魔法を覚える前からなのはに備わっていた力。
無味乾燥な人生に、僅かな彩りをくれた大事な思い出。
フェイトは知らない。高町なのはがかつて、彼女の家族が修めていた武術の秘奥を手にしていたことなど。
永全不動八門一派・御神真刀流小太刀二刀術。
御神流と呼ばれるこの古武術における奥義、神速。反射神経、身体能力、肉体の全能力を脳のリミッターを外すことで限界まで引き出す技が存在する。
なのはの身体能力が常人程度であったため完全な習得は出来なかったが、なのはは知覚力強化、つまりは脳のリミッターを外すことだけは修めていたのだ。
その奥義をここで行う。極限の集中状態に入った視界はモノクロに染まり、己の動きも含めた全てが遅くなる。
それでもフェイトは速かった。神速の知覚域ですら実体を何とか捉えられる程度の速度域。まさしく神速の名に相応しきフェイトの速度に驚嘆しながら、なのはは再び予測演算を行って、フェイトの動きを捕捉したのだ。
持てる全てを引き出した正真正銘の限界駆動。残り30程度のカウントが尽きるよりも早く、ただでさえマルチタスクと予測演算で限界近くまで使われていた脳髄が負荷に耐えきれずに意識が失われるのは明白。
なのはは己の冷静な部分が、厳しすぎる事実を算出する。
残された時間はおそらく――二十秒。
この二十秒でフェイトを凌駕出来なかった場合、なのはの敗北は決定する。
「押し切る!!」
だが、一撃を受けられた事実に怯まず刃を振るい続けるフェイトは止まらない。どんなに知覚が鋭くなったとしても、フェイトの速度が遅くなったわけではないのだ。
無数の刃を両手に展開したプロテクションと体捌き、触手で速度を軽減させて逃れつつ、なのはは浮かべている笑みとは裏腹に、必死にフェイトの隙を見つけようと足掻く。
一方、フェイトも自身が追い詰められている自覚があった。
次元震すら起こせるジュエルシードの力。際限なく全身を満たす魔力は、余剰魔力として体の外に吐き出し続けたうえで魔法を行使しているのに、有り余る魔力でフェイトを瓦解させていた。
刃を繰る腕が血を噴き出し続けている。肉体能力を100%近くまで引きずり出したうえで強化された骨格と筋肉は想定される限界値の遥か上。瞬間的に底上げされた力が保てる時間は残り何秒あるか。
――構うな。
――躊躇うな。
歯に罅が入る程に食いしばった口の奥で、獣の唸り声を漏らして追撃を続ける。
死を前提とした激突。
空を彩る二つの光は、絶えない輝きで炎上する世界を照らす。
苛烈な攻防は続いた。
左右同時に放たれたように見える光速の斬撃を見切り両手で受ける。止められなかった衝撃でなのはの両腕の骨に罅が走り、続く上段からの一撃を受けた両手の骨が完全に砕けた。
即座に体内に埋め込ませた触手で骨の代替を行う。その一瞬をカバーするようにフェイトを飲み干すシューターの光が瞬いた。
全身を炙られながらフェイトは距離を離そうとするなのはを追い続ける。
零秒後の接敵。交差した防壁と斬撃が散らす火花が消え、砲撃魔法を縫う黄金が駆け抜ける。
幾度と続く魔法の応酬。打倒には至らぬ必殺は、凡人の届かぬ神域の攻防。
刹那で交わされた砲火と一閃はこの時、遂に拮抗していた。
一秒後の斬撃豪雨、砲撃惨禍。
たったの一秒。されど、両者にとってこの一秒は十分にも及ぶ。
「なのはぁぁ!」
「フェイトちゃん!」
何度となく互いの名を呼んだのだろう。
これが長年の宿敵であったならば、交わすべき言葉もあったかもしれない。だがこの二人はここまで互いを削る程の力で戦いながら、他人と殆ど変わらない認識しかなかった。
どちらも互いを全く知らない。
なのにこうして自分の命を削ってでも相手を殺そうと足掻いている。
理由はあった。
フェイトは初め義憤から、そして二人を殺されたことへの殺意を経て、純粋な狂気にいたっている。
なのはは初め憧憬から、そして空想への錯覚と妄執を経て、純粋な狂気にいたっている。
理由は無いに等しかった。
どちらももう最初の思いも、途中で抱いた思いも、全てを忘我していた。それでも最後まで懐いた感情だけを意識を保つ命綱にして戦っていた。
血潮が狂う。
意識が狂う。
臓腑が捻転し、肉体は発狂している。
だが刃は奔る。光弾も飛ぶ。
溶けて伸びた一秒で存分にぶつけ合う互いの力は、この戦いに果てなどないことを告げているようだった。
――あぁ。
フェイトは下衆な笑いを浮かべるなのはを改めて見直した。
許せない。残りの人生を全て注ぎ込んで殺したい。理由は忘れたがそうしなければならないと魂が訴えている。
それでも、フェイトはふと思った。思ってしまった。
――きれい。
笑いながら必死の形相でこちらの渾身を捌き続けるなのはが美しいと思ってしまった。たった数十秒、しかし無限にも等しい打ち合いを経て、フェイトはなのはが魔法というものにどれだけ己を注ぎ込んだのかを知る。
彼女は純粋だ。自分にとことん正直で、自分だけが大好きなのだ。だから平然と周りを犠牲にすることを躊躇わないが、それは真っ直ぐすぎる思いの結果でしかない。
狂っているのだ。真っ直ぐに捻じれ狂った狂気なのだ。その歪さが恐怖を振りまき、そしてその歪さこそが人の本質。
常識という枠を捨て去った人間は、知識欲の権化と化す。
これは剥き出しにされた人間性が行き着く一つの結果だ。どうしてそうなったのかは分からないが、フェイトはなのはに対する子どもという認識を改めた。改めることが出来たことが、嬉しかった。
「でも、殺す」
そして、なのはを分かるということは、フェイトもまたその狂気に至ったということ。その事実に気付かぬまま、
――素敵、素敵よフェイトちゃん。
その笑みを見て、ようやくなのははフェイト・テスタロッサを
これまで自分以外の全てをどうでもいいと思っていた少女が、空想と現実のイメージが合致したことにより、他者の存在を初めて認めたのだ。
もう彼女は自分の体だけに腐心する自己愛の権化ではない。他人を意識し、他人を愛する。この世に二人といないたった一人の自分の理解者。
――心から、愛してるわ。
初めて会った時から感じていたシンパシー。
自分に勝利したから?
違う。倒されたことも、互角に渡り合ったことも後付けの理由にすぎない。
――あなたも私と同じなのね?
唐突に、何の脈絡もなくなのははその答えに行き着いた。
同類というのは、前世を宿すという意味での同類。あり得ないと一笑に付すはずのその答えが、なのはにはこれ以上ない答えに思えた
「でも、壊す」
瞬きの攻防の果て、死を与えることだけは変わらない。
互いが互いを滅ぼすことでしか通じ合えない愚者の交わい。戦いを経て繋がった両者は、戦いをもって互いの全てを消し潰す。
それでも願うことがある。
体感時間は無限を訴えかけていた。
互いしか見えない二人は同様の思いを抱いていた。
――永遠に続けばいい。
この永劫刹那が生涯の価値ならば、無限と続けと願うことに何のいわれがあるだろうか。
互いに死ねと思っていながら、互いに永遠を望み合う。矛盾した思考は共感という祈りを通すことで矛盾なく成立していた。
だが終わりは一刻と近づいている。
最早、どちらも満身創痍。
この戦いを勝利したところで再起不能は明白。
残りの人生を圧縮した一分が二人に残された最期の一時。この刹那の先、勝利を収めたところで二度と動けなくなる。
しかし、それはあくまで凡人の想像でしかないのかもしれない。
自壊していたフェイトの肉体の損壊速度が遅くなっている。
触手に飲み込まれかけたなのはの肉体が暴れるだけだった触手を制御し始めている。
改めて、ここに記そう。
この二人は天才だ。人の可能性の終わりに届く、珠玉の天才だ。
だが奇しくもこの二人、真っ当な人間であるかと言われればそうではない。
フェイトは知らない。彼女がプロジェクト・Fという計画で人工的に作られた人間であることを。
なのはは知っている。自分が前世の知識という異常すぎる前提で成長した天才であることを。
性質を同じとしながら、二人は真逆だった。
天才を知らぬ者と、天才を知る者。
唯一一致するのは、二人ともまともな人間ではないということ。
偽りの記憶と、定かではない知識。互いに備わるはずがない記憶を持つという共通点。
人に非ざる、純粋な人。
故に二人はこうして人の限界に至ろうとしている。
向上し続ける自壊、成長するための失墜。
それでも、可能性に終わりがあるように、この戦いにも終わりがある。
残り、十秒。
永劫と思われた二人に残された僅かな時間。たった一つの深呼吸すら許されない一滴の時を駆ける。走る。激突する。
そして互いの力に押されて反発した二人の距離が大きく開いた。
確殺の時。
確壊の間。
両者共に感じた確定した自我を貫く時。劣化し続けながら成長を止めない肉体の猛りの全てを最後に注ぐ。
「ッ……今ぁ!」
「ッ……ここが!」
開いた距離は最後の溜め。残された全ての時間を必殺の一撃へ注ぎ込むべく二人が動きを止めた。
「私のぜぜぜぜんぶぶぶで! ぎぃぃぃぁぁぁぁ! かき集めた力をぉぉぉぉぉ! レェェェェイジングハァァァァァァトォォォォォォ!!!!」
フェイトへと突き出したレイジングハートを握る両手から伸びた触手が、杖ごとなのはの両腕を飲み込む。蠢く肉塊の砲口がそこに生まれた。その砲火をより強靭にさせるべく、虚空に浮かんでいた五百に届く魔法陣が突き出した肉塊の先端に集まり、束ねられ、一つの極地へと到達する。
さらにここまでで大気中に散った魔力が、桜の花びらのように舞い、展開された魔法陣へと吸い込まれていく。
狂気の渦の中へ注ぎ込まれる星の輝き。破滅を彩る極光の火。
本来想定されていた空間に散った魔力を一つに束ねる魔法。高速戦闘では射出不可能だと却下された名を。
『Sssstarrrrlighttt Breeeeakkkker』
星光の破滅。神罰を超えた全てを貫く光の結晶。
放たれれば一撃で街を灰燼とする究極の一が、暴食者の手により顕現する。
そのあらゆる防御を根こそぎ貫くことのみに専心した光の束を向けられたフェイトもまた、己の持てる全てを賭す。
「これが私の願いを叶えるなら!」
腹のジュエルシードの輝きが徐々に小さくなっていく。
力を失った?
否、その力の全てをフェイト・テスタロッサに吸い取られているのだ。
奪い尽くされた力がフェイトを通して千を超えた雷の塊となる。たったひと振りの極み。敵が落ちてくる流星ならば、その一切を斬り捨てる刃を練り上げる。
「ぐぅぅぅぅぅぁぁぁぁあああああ!!!! 私に! アレを討つ力をぉぉぉ! バルディィィィィィッシュ!!!!」
フェイトの体から迸った雷がバルディッシュごとフェイトの腕を飲み干す。発生する磁場で空気が焼け、空を覆っていた雲が消え去った。
黄金の刃が天空高く掲げられる。剣身合一の極み。バルディッシュはおろかフェイトの両腕を丸ごと飲み干した刃は、ただそこにあるだけで周囲の全てを焼き斬る威容を放っていた。
これもまた一つの究極。高町なのはが世界の全てを隷属させるならば、フェイトは人知を超えたロストロギアの全てを隷属させる。
天を斬り裂く雷の牙。星すら断ち斬る無双の一閃の名を。
『Pppplazzzma Zzzzzaaaamberrr』
世界を断つ一振り。雷神の一撃を以て、星を貫く光すらも斬り裂かん。
そして互いの全霊を込められた魔法が発動を前に空と大地を震撼させた。二人の周囲はおろか、海鳴市全域の魔力をかき集めて練り上げた魔法は、人が行使することを許されない戦略規模の兵器と互角。
互いの魔法の間の空気がプラズマ化して弾ける。魔法の準備段階で生み出された落雷と魔力爆撃で周辺の被害がさらに加速した。
もうこの戦いには誰も干渉出来ない。誰もが神々の激突に等しい両者を前にすれば、ただ膝を折って祈ることしか許されない。
そして死の一歩手前まで魔力の充填を終えた二人の視線が互いを貫いた。
残された時間は引き金を引く力と刃を振るう力のみ。
これをもってして、自身の死亡を確信しながら――二人は同時に、崖からその身を投げ出した。
「全力、全開ぃ……!」
「雷、光……一閃……!」
二つの眩い光芒が夜を昼に変えた。恐れ戦く全てを他所に、二人の天才が同時に行き着いた頂が最後の時を刻む。
「スターライトォォォ!!」
全てを貫く光か。
「プラズマザンバァァァ!!」
全てを斬り裂く光か。
最強の矛と最強の矛。どちらの意志が上回るか。睨み合う両者はこの先の全てすら注ぎ込んだ一撃を
「「ブレイカァァァァァ!!!!」」
交わり合う金と桜。
互いに消滅を確約された光は混じり、眩い白光が互いの体を飲み込んで――世界が割れた。
―
炎上する森の中、静寂に包まれた夜空を見上げる少年が居た。
戦いの終わった戦場。どこかへと消えた二つの災禍がどこに消えたのかは分からない。
その中で、傷だらけの真紅の狼の頭を労わるように撫でて、少年は悲しそうに眉を顰めた。
しかし、決して悲しみばかりに沈んではいない。
血だらけの金の髪を揺らし自身も傷だらけながら、少年の瞳に宿るのは小さな灯。だが、この絶望を前にしても決して揺らぐことのない不屈の炎。
「……分かってる。今の私じゃ届かないことくらい」
そっと穴だらけの胸に手を当てて少年が悔し気に呟く。
だが言葉とは裏腹に、少年に諦めの色は一切なかった。
「でも頑張るよ。あなたの気持ちを引き継いだから」
胸より離した掌より溢れだすのは、緑色と桜色の重なり合った不思議な魔力光。
胸元に埋め込まれた青き宝石――ジュエルシードをコアとして動く、奇跡の屍。
「だから見ててね……ユーノ君」
奇跡を束ねてここに立ちながら、奇跡で届かぬ狂気を見据え。
あぁそれでも、その不屈の心は決して折れず。
「
新たな魂を胸に宿した少年は、決意を新たに紅蓮の森を踏みしめた。
―
そして一つの戦いが終わる。
だが忘れるな。これはまだ、始まりにすぎない。
災禍は途切れず。
絶望は繰り返し。
狂気の歯車を増やし続け。
――次の悲劇を始めよう。
次回より、A's編スタート。
後書きというか間書き。結構長いので興味ない人は読み飛ばし推奨。
これにて一先ず導入部分のマジキおもちゃ箱は終了となります。
本作品ですが、なるべく自分の書きたいところだけを優先して書き、読者の皆様には不親切なのは承知で、色々と書くべき部分をかなり削っています。そのため、読みづらいところが多々あったかもしれませんが、これに関してはただただ謝罪するしかありません。
というのも私、かれこれ二年か三年以上小説書くことを止めていたため、自分でもびっくりしたことに文章の書き方をすっかり忘れていました。この作品もプロットだけ組んで導入部分を書いて、当初はそのままお蔵入りも検討していたりしていた次第だったりします。
とはいえ、ここ数年書いてはお蔵入りの繰り返しだったためいつまでもこれでは駄目だと、本作品を投稿するにいたりました。
正直、読み直しても全体的に描写不足場面不足が多いので、機会があれば書き足したいとは考えています。ですが今はまず全体を書ききることを目標にやっていきたいところ。
などなど、私個人的なアレコレはさておき、以前、最強オリ主系を書いていたので、本作は最強オリ主になるまでを描く作品となっています。その間にフェイトと本物のなのはを織り交ぜて、どんだけ酷いキチガイが出来るかがこの作品のオチとなりますので、次回からのA's編ものんびりお待ちしていただけたら幸いです。
では、また次の章で。
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