双璧の事件簿 (怪傑忍者猫)
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双璧
公園の丸木小屋


 これは、ウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールとが、まだ少佐だった頃の話である。

 

 

 戦場に程近い、とある補給基地に二人が所属する艦隊が立ち寄った時の、小さな騒ぎである。

 

「……暇だな」

 

 とうの昔に書き上げてしまった書類を、恨めしげに睨みながらミッターマイヤーは呟いた。

 その横で、やはり手元の仕事を終わらせてしまったロイエンタールが、端末で艦隊シュミレーションを始めている。

 その端末の、小さな画面を横から覗き込んで、蜂蜜色の金髪の若々しい士官はうんざりとした口調でもう一度呟いた。

 

「暇だ、ロイエンタール」

「仕方がない、ここの基地司令官殿と、我が艦隊長殿は竹馬の友だそうだ。積もる話があるから、出立は明日の夕刻になるのだそうだ」

 

 片手で器用に打ち込みながら、金銀妖瞳の親友は努めて冷静な声で返答したが、その声に滲む苛立ちにミッターマイヤーは気付いていた。

 ここを出立したら、えらいさんである貴族の坊ちゃんが作ったタイムロスを、自分達幕僚が尻拭いとして縮める努力を求められるのだ。

 

カランコローン、カランコローン……

 

 正午を告げる鐘が鳴り、律儀に机に向かっていたミッターマイヤーはほっと息をついて、大きく両腕を広げながら背を伸ばした。

 

「ロイエンタール、食事へ行こう」

「良かろう」

 

 シュミレーションの情報を保存すると、ロイエンタールもそそくさと端末の電源を落とした。

 暖かな日差しに誘われるように、蜂蜜色の髪の士官が、頭一つ分くらい背の高い士官の手を引く。

 二人は揃って軍基地のオフィスビルから出ると、やはり食事に出る多くの士官や下士官に紛れ込んだ。

 戦場に近いと言う事は、即ち辺境地と言う事である。

 当然の事として、基地の外には鄙びた田舎町があるだけだ。だが、辺境だろうと、田舎町だろうと、艦隊勤務の人間にしてみれば、久方振りの地上には違いない。

 故に、基地の外の食事処へ繰り出す者は多いのである。

 

 

 二人が選んだのは、店の外観は少々古びていたが、公園に面していて店内そのものは掃除の行き届いた一品料理屋である。

 二人が入って間も無く、土地の人間で満席になり、何人かの兵士達が入り口で残念そうに中を見ては、別の店へと流れて行った。

 素朴な肉の煮込み料理と、焼きたての丸パンと山羊のミルクのチーズにフルーティなワインとで二人が食事を終えた頃、その騒ぎは始まった。

 公園の奥の方から、何やら人々の歓声が上がっている。

 訝しげに立ち上がった小柄な親友に、優雅に口元を拭いながらロイエンタールは諌めの言葉を掛けた。

 

「どうした、ミッターマイヤー。平民の集まりに軍人が寄って行っては、嫌われるだけだぞ?」

「軍人に見えなければ大丈夫だろう?」

 

 そう言うなり、ミッターマイヤーは上着を脱ぎ捨てまだ座ったままの親友に押し付けると、身軽に店の外へと走り出した。

 その、どう贔屓目に見ても士官学校を出たくらいにしか見えない背中を見送りながら、ロイエンタールは口元にこっそりと笑みを浮かべた。

 昼休み終了まで、後一〇分有るか無しかの頃になってやっとミッターマイヤーは戻って来た。

 灰色の瞳に、うっすらと紫に近い翳りが浮かんでいるのを見て取り、長身の青年はその双色の瞳を軽く眇めた。

 一年ほどの短い付き合いだが、この小柄な親友の目の色が変わる時には大概何事かを考え込んでいたり、何か納得しがたい事態に行き当たった時であると、ロイエンタールも知っている。

 故に、ロイエンタールは上着を返しつつ、話を聞く態勢を作った。

 

「どうした、ミッターマイヤー。何処かの貴族のどら息子の悪行でも見てしまったのか? それとも、何か気不味くなる様な事でもあったのか?」

「いや、そんなことは無かったよ」

 

 言葉を裏切る声音でそう言うと、ミッターマイヤーは肩を竦めて、公園を視線で示した。

 

「あそこの公園の奥に、手作りらしい木造の小屋が有るんだ。扉はがちがちに幾つも鍵を掛けてて、窓らしい窓は無くてその代わり壁の一面が填め殺しのガラスになっている。その小屋の中に、一人若い青年が篭っている」

「ほう? 何者だ、その男」

 

 ロイエンタールが聞き返すと、よく判らないと身振りで示しつつ、ミッタ―マイヤーは騒ぎの現場で人々が話していた事の切れ切れを集めて、何とか説明する。

 

「何でも、『神の恩寵』とやらで、もう一〇日もその小屋の中で飲まず食わずですごしているらしい。何とかという新興宗教らしいのだが。その、導師様とやらの奇跡に感動して、寄進と称してなけなしの蓄えを差し出す老人もいるらしいのだ」

 

 『新興宗教』と聞いて、ロイエンタールの眉があからさまに寄せられる。

 そんな親友の反応に、ミッターマイヤーはにっと悪戯っ子の笑みを浮かべた。

 

「ロイエンタール、今晩手伝ってはくれないか?」

「何をするつもりだ、ミッターマイヤー」

「大した事ではない。だが、俺はああいう他人の善意や信心に胡座を掻く輩は嫌いだ」

 

 すうっと、灰色の瞳が鋼色に変わる。

 その色と生真面目な声に、ロイエンタールは黙って協力を約束した。

 

 

 その晩、飲酒と称して基地から出た二人は、町のほぼ中心である公園に足を踏み入れた。

 大して広い訳でも無い、広葉樹ばかりの緑地帯を進むと、篝火に照らされたちょっとした広場に出た。

 見ると、一見重厚そうなログハウス風の小屋が有り、中が見え難いように白い布がカーテンのように掛かっている。

 周囲にはに、三人の警備らしい人間の姿が有り、情景をちぐはぐとしたものにしている。

 

「あれが、導師様とやらのいる小屋か」

「いる『事になっている』小屋さ」

 

 そう言うと、ミッターマイヤーは黒い帽子を被り、長身の親友に手を合わせてこう続けた。

 

「五分でいい、見張りの連中の注意を引き付けてくれないか?」

「それは構わないが、何をするつもりだ、ミッターマイヤー」

 

 質問にウィンクだけ残し、ミッターマイヤーは緑地帯の暗がりにあっと言う間に紛れてしまった。

 小柄な背中が闇と梢の向こうに消えるのを見届けて、ロイエンタールは首を振り振り、路に迷った余所者の酔っ払いの振りをして、小屋の正面へと近付いて行った。

 正面の方で、酔っ払いにしか見えないロイエンタール相手に、信者達が集まってわいわい騒ぎ出す。

 親友が巧く見張り達を引き付けているのを見届けて、ミッターマイヤーはログハウスの裏側に回り込んだ。小屋のある部分を調べ、自分の予想通りであるのを確かめると、何やらポケットから掴み出す。

 

「こんな事だと思った」

 

 そう独り呟き、取り出した手袋を着けると、ミッターマイヤーは小屋に近付き、何やらごそごそと細工を始めた。

 

 

 宗教関係者特有の、支離滅裂で異様な論法に頭痛を感じつつも、何とか一〇分近い時間を稼いだロイエンタールが緑地帯の奥に引っ込むと、細工を終えたミッターマイヤーが待っていた。

 夜目にも鮮やかな蜂蜜色の金髪に、長く優美な指を差し入れると、ロイエンタールは金髪の所有者に宣告した。

 

「卿の悪事に加担したのだ、当然今夜は卿の奢りだろうな?」

「判っている、俺が奢るよ。すまなかった、あんな連中の相手をさせて」

 

 青と黒の瞳の親友にそう答え、ミッターマイヤーは先に立って歩き出した。

 ふわふわと揺れる蜂蜜色の毛先を見詰めていたロイエンタールは、公園を抜けた所で口火を切った。

 片棒を担いだ以上、自分には先程の顛末を聞く権利があると思ったからだ。

 

「何をしてきたのだ?」

「うん、こいつでちょっと」

 

 ミッターマイヤーが見せたものは、ほぼ空になった強力接着剤のチューブだった。

 呆気に捕らわれた親友に向かって、ミッターマイヤーは口元に指を当てながらこっそりと言った。

 

「あの小屋は、実は屋根がきちんと釘付けされていない。だから支えがあれば、屋根と壁の間の隙間から外に出られるようになってたんだ。

 飲まず食わずなんて無理だと思ったんだ、あの導師様とやら、うちの上官そっくりのビール腹だったし?」

「呆れた導師様だな。ではもしや卿は」

「ああ、屋根と壁の間にこの接着剤を流し込んでくっ付けて来た。釘では音でばれるだろう?」

 

 そう言って笑い掛けると、ミッターマイヤーは通りすがりのゴミ箱にチューブを捨てた。

 

「しかし、良くそんな事に気が付くな」

「ははは、俺もあの手で脱走した事があるからな」

 

 蜂蜜色の髪の親友の思わぬ発言に、ロイエンタールは足を止めた。

 まじまじと見返してくる青と黒の瞳に、ミッターマイヤーはくすぐったそうに首を竦めて見せた。

 

「子供の頃の話だ。悪戯して親父に捕まる度、反省しろって庭の物置に放り込まれたものさ。

 でも、その小屋、親父の手作りだったものだから、釘が足りないのか、釘を打ち忘れたのかで屋根が固定出来ていなかったから、俺はしょっちゅう屋根を押し上げて逃げたものさ。

 最も、お袋に見付かっておやつ抜きの刑を食らいもしたがな」

 

 両手をポケットに入れ、軽くしかめっ面を作るミッターマイヤーの金髪が、ふわりと夜風に揺れる。

 その月明かりよりも美しい金髪を、ロイエンタールは目を細めながら追った。

 

「やれやれ、五つ六つの子供が思い付く事で、人を騙す奴がいるとはな」

「……いや、別に五つ六つだった訳では」

 

 口の中でぼそぼそと呟くミッターマイヤーを見ないようにして、そっと忍び笑いをかみ殺したロイエンタールは、見付けた酒場の扉を指差した。

 

「では、あの店で戴くとするか」

「判った、判った」

 

 明々と光の灯る、雑然とした空気と音が漏れる酒場に、二人は肩を並べて入って行った。

 

 

 二人の所属する艦隊が出立した後、新聞のべた記事に彼の星系の新興宗教団体が、別の宗派に吸収統合されたと小さく載った。

 二人はそのまま忘れてしまったものの、その吸収統合した宗派こそ、後々銀河全体を謀略で掻き回し、二人を引き裂く事となる『地球教』である。

 



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魔女の肖像

 出撃前に、婚約者が己の肖像画をくれたのだと、彼は言った。

 美しい金髪の、整い切った目鼻立ちのそれは確かに美人だったが、その背景の厭に鮮やかなグリーンが不釣合いだと思ったものだ。

 

『どうだ、美人だろう? ロイエンタール、貴官は近付かないでくれ、頼むから』

 

 自慢げに、狭い私室に飾った大きな額の前で、惚気たり嘆願したりしていた男はもういない。

 彼の乗っていた巡航艦は、イゼルローン回廊での小規模戦闘に参加し、叛乱軍側の砲撃で少なからぬ死者を出した。

 公式発表された戦死者の中に、ヨハン・パッサオ『少将』の名はあった。

 

 

 同僚だったヨハン・パッサオの婚約者、それが彼女、アンネ・シュナーベルだった。

 肖像画で顔は知っていたが、彼女に会うのはこれが初めてだった。

 近々田舎に帰ると言う彼女の許へ、ウォルフガング・ミッターマイヤーと親友であるオスカー・フォン・ロイエンタールは、パッサオの遺品を届けに出向いた。

 イゼルローン回廊での小競り合いは、世間には大々的な会戦として発表され、大勝と言う見出しが新聞や街頭テレビに躍っている。

 そんな中を、二人は女性の住む集合住宅に向かった。

 肖像画そのままの笑顔で、彼女は二人を出迎えた。

 その姿は、婚約者を失った女性と言うより、邪魔な粗大ごみを片付けた後と言った印象を与え、女嫌いの漁色家に失笑をもたらした。

 美男で知られた親友に、自分の美貌に自信を持つ女性の常でそれとなく(らしい)秋波を送っていた彼女にむかって、ミッターマイヤーは控えめに、

「ヨハン・パッサオの遺品を引き取って欲しい」

と切り出した。

 途端に豹変した女性の目の色に、二人は自分達の推測が正しかった事を悟った。

 

「貴方に渡す方が、彼も喜ぶと……」

「何故ですの? 私、彼から物を貰う謂れなどありませんわっ」

 

 居丈高な女の声に、静かに話を聞いていた親友が、携えていた荷物の包みを解いた。

 荷物に目を向けた、彼女の白い頬が微かに引き攣れたのを見ながら、ミッターマイヤーは本題に入った。

 

「公式発表では、ヨハン・パッサオ大尉は戦死者に名を連ねています。でも、それは真実では無いのです、シュナーベルさん」

 

 ミッターマイヤーの言葉に合わせるように、長身の親友が見せた物。

 それは毒々しい程の緑の中に座る彼女の絵を、ポリフィルムで密封した物であった。

 声も無い彼女に、ロイエンタールは検事の如き冷徹さで問い質す。

 

「この緑色、砒素と酢酸銅で作った『シューレグリーン』に間違い無いな?」

 

 凍り付いたように絵を見る女は、美丈夫の問いに答えない。

 毒々しい緑は、ぶつぶつと小さな穴がそこここに開いていて、異常を悟らざるを得なかった。

 

「パッサオは極度の寒がりで、巡航艦内の私室でも、室温を二八度より下げませんでした。そこにこの絵を置けば、何れ砒素入りの水素ガスが出る事になる。

 シュナーベルさん、彼は急性の砒素中毒で亡くなりました。貴女の思惑通りに。

 でも、貴方は考えなかったのですか? 貴方の事を愛していた奴の事も、軍艦内に毒ガスを仕掛けると言う事が、どんな事態になるのかも」

 

 ミッターマイヤーの言葉に、彼女は何も答えなかった。

 下を向き、顔を見せない彼女に向かって、ロイエンタールが言葉を突き付ける。

 

「貴女が大学で古代美術史を専攻している事も、新しく上流貴族の男と付き合い始めたので、下級貴族のパッサオと別れたがっていた事も証言を得ている。何か弁明は?」

 

 そのまま、彼女は憲兵隊に拘束された。

 その細い背中に、ミッターマイヤーは小さく嘆息を洩らす事しか出来なかった。

 



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ユダの窓より

 その日、高級士官用クラブ『海鷲』《ゼー・アドラー》で、ウォルフガング・ミッタ―マイヤーは電子新聞の端末をいじりつつ時間を潰していた。

 親友が何やらトラブル発生とかで、こちらに来るのが遅れているからだ。

 何気なく端末を操作していたミッタ―マイヤーは、とある記事に目を止めるとグラスを置いて、熱心に記事を読み始めた。

 

「随分熱心ではないか、ミッタ―マイヤー。

 卿の関心を買うような記事でもあったのか?」

 

 三〇分ほど遅れてやって来たオスカー・フォン・ロイエンタールは、自分に気付かず記事に没頭している様子の親友に向かって、半分揶揄るように声を掛ける。

 その声に、片手を上げて答えたミッタ―マイヤーは、眉を顰めたまま端末に目を向けている。

 そんな親友の態度に軽く眉を顰め、席に着いたロイエンタールは給仕に注文を出す。

 ミッタ―マイヤーの方はフィルム状のニュース端末を広げ、見ていた記事を拡大して見せた。

 

「ゴシップ記事って奴なんだが、ちょっと納得のいかない話が乗っていてな」

「ほう?」

 

 記事は二日前のもので、とある劇団に属する下級貴族出身の舞台女優が、パトロンであり愛人関係にあったとある権門貴族に連なる脚本家を、老舗劇場の事務所で刺殺したというべた記事であった。

 男女で事務室に籠り、二時間立っても帰ってこない二人を探しに行った団員が、事務所のソファーでぐったりしている二人を見付けたのだが、扉の方を向いた座っていた脚本家は、そのままの姿勢で凶器を胸に突き立て、息絶えていたと言う事だ。

 鍵の掛かった密室で、二人っきりでいて男が死んでいた為に、女優に容疑が掛かりほぼ確定的に扱われていた。

 尤も、女優の方は脚本家が殺される前に自身は睡眠薬を飲まされていたので、何も判らないと主張しているらしいが。

 脚本家とは名ばかりだったらしい貴族のボンボンと、同じく名ばかりの女優だったらしい貴族の娘の起こした事件に、ロイエンタールは双色の瞳を不快気に細めた。

 

「こんなものに興味を持つとは、随分な野次馬ではないか、ミッタ―マイヤー」

「だって、納得いかないじゃないか、こんなの」

 

 瞳を鋼色に染めて、ミッタ―マイヤーは記事を指で突きつつ疑問点を上げた。

 

「まず、何で二人で密室に居たかだが」

「男と女が密室を作ってやる事など、一つだろう」

「茶化すな。

 だとしても、どうして殺した後彼女は逃げなかった? 職員や他の団員が室内に踏み込むまで、彼女はその場にいたと言うんだが」

 

 親友の疑問に、ロイエンタールは冷笑と共に切り返す。

 

「決まっている、女なんぞと言う生き物は、感情のまま行動するからな。一時の激情で、男を殺したんだろう。

 案外相手に、浮気相手でも居たのではないか?」

 

 親友の女性への偏見にこめかみを押さえつつ、ミッタ―マイヤーは端末を操作し凶器の写真を呼び出した。

 そこに写っているのは、おそらくはボウガン用だろう軸が太く短い矢だった。

 矢羽の派手なそれは、殺傷力を上げる為に切っ先をわざわざ削った跡が視て取れた。

 

「最初から殺す為に事務所に来たとして、それなら寧ろもっと殺傷力のあるものが用意出来るだろう。本気で殺す気なら、銃なりもっと鋭いナイフなり、幾らでも用意出来た筈だ。

 大体、事務所内には弓もボウガンも無かったって話だ。これを手で突き刺すなんて、俺達でも大変だろう」

 

 一旦言葉を切ると、ミッタ―マイヤーは端末に凶器に代わって、被疑者と被害者の写真を呼び出した。

 脚本家の肉の弛んだ顔――年齢的には自分達とあまり変わらなかった筈だ――と、女優の磁器人形《ビスクドール》のような白い顔を示しながら、収まりの悪い蜂蜜色の髪を掻き上げながら溜息を吐いた。

 

「俺には、この女に肉玉を串刺しにする腕力があるとは思えないんだ」

 

 色の異なる双眸が、酔狂だと言外に詰《なじ》って来る。

 それに向かって、冬の空を思わせる瞳が否を唱える。

 『正論家』ミッタ―マイヤーの本領発揮である。

 

「俺はそれがどんな馬鹿に対してであっても、冤罪は間違っていると思う」

「ふん」

 

 そこはかとなく不機嫌に鼻を鳴らすと、ロイエンタールは記事を斜め読みして、現時点での問題点を上げる。

 

「だが厄介だぞ?

 折角の監視カメラは、当の被害者が切っていたと言う話だ。地上三階と言う事もあるが、そもそも窓は内側から鍵が掛かり、ガラスも綺麗なものだったそうだな。

 しかも、あの劇場はオーナーの趣味であちこちアナログ仕立てで、電子ロックは金庫にしか設置されて無いと言う為体《ていたらく》だぞ?

 事件のあった事務室に至っては、室内の閂錠以外鍵がないので、扉を斧でぶち抜いて開いたとあるが」

 

 親友の言葉に、ミッタ―マイヤーは弾かれたように顔を上げた。

 

「ロイエンタール、ここは密室じゃない、憲兵達が見落とした穴があるぞ!」

「何だと?」

 

 怪訝そうに眉を顰める親友に向かって、ミッタ―マイヤーはドアノブを捻る仕草をして見せた。

 

「ドアノブだ。樫の一枚板を使ったって言うなら、絶対ノブがある筈だろう?

 ノブを外して、室内側のノブが転がらないよう紐を結んで垂らしておくんだ。ドアの正面に座ってる被害者にボウガンを撃ち込んで、またノブを戻せば密室の完成だ!」

 

 パズルを解いた子供のように話す親友に、ロイエンタールは納得と共に唸る。

 

「成程、劇団員なり、劇場職員なりがボウガンを携えていたとしても、小道具と主張されれば疑う者はまずいないな。

 しかし、まるで『ユダの窓』だな」

 

 『ユダの窓』とは、刑務所の独房などの扉に付いている、囚人を監視する為の小窓を指す言葉である。

 その一言に何か返そうとしたミッタ―マイヤーの肩を、ポンっと叩く者がいる。

 

「え?」

「協力感謝する」

 

 通り抜け様にそう言って、店から速足で出てくのは僚友であるウルリッヒ・ケスラーである。

 その広い背中を見送ったロイエンタールは、有るか無しかの笑みを浮かべ蜂蜜色の髪の親友を見た。

 

「どうやら、憲兵隊に手柄をやったようだな」

「……いいさ、無実の人間が救われたなら、それは世の中がマシになったって事さ」

 

 そう開き直ったように言い切ると、ミッタ―マイヤーは飲み掛けのワインを喉に流し込んだ。

 そんな親友の反応に苦笑を隠さず、ロイエンタールも注文したワインを口に運んだ。

 

 脚本家の私設秘書であった男が、事件の真犯人として新聞に載ったのはその二日後の事。

 脚本家に弄ばれ捨てられ、自殺した妹の敵討ちだったらしい。

 

 



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猪のなぞなぞ

 年の瀬も押し詰まったその日、ウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタール、いわゆる双璧の二人は元帥府内の食堂で、慌しく食事を取っていた。

 年末の休みに加え、艦隊編成と近々行われる大規模艦隊演習の準備で、ここ数日二人は満足に家にも戻っていなかった。

 

「おー、お前らも今食事か?」

 

 食堂全体に響き渡る大声は、当然フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトのものである。

 目を丸くするミッターマイヤーと、同期ゆえの慣れで無言でいなすロイエンタールの座るテーブルに、トレイを抱えてビッテンフェルトが腰を下ろす。

 因みに、昼時を幾分過ぎているので席に余裕はあるのだが、何故かビッテンフェルトは二人のテーブルに陣取った。

 

「何か用か、ビッテンフェルト」

「おう、ミッターマイヤーにな。お前には何も無いぞ」

 

 冷たいロイエンタールの言葉をばっさり切り捨てると、ビッテンフェルトはマッシュポテトとザワークラウトとボイルドソーセージをてんこ盛りにした皿を引き寄せながら、ちろりとミッターマイヤーを見た。

 

「何かあったのか?」

「いやあ、ケスラーから、お前がなぞなぞを解いてくれると聞いたものでな」

 

 次期憲兵総監と囁かれる男の名に、ミッターマイヤーの灰色の瞳が見開かれた。

 

「あ、誤解するな、特に事件と言う訳ではない。ただ、なぞなぞを解いて欲しいだけだ」

 

 ざかざかとポテトを掻き込むオレンジ色の髪の男は、金銀妖瞳の伊達男の凍り付くような視線には一切堪える様子が無い。

 

「どんな、なぞなぞだ?」

 

 あまり時間無いぞ、と前置きしたミッターマイヤーに、止めておけとロイエンタールの視線が告げる。

 だが、そんな視線には一切気に止めず、ミッターマイヤーはビッテンフェルトに向き直った。

 

「お、すまんな」

 

 さらりとそう答え、ビッテンフェルトはこう話し始めた。

 

「いやもう、本当にちょっとしたなぞなぞなのだがな、もう三日も悩んでいるのだ」

「卿、確か次の演習に参加する筈では無かったか?」

 

 ロイエンタールの突っ込みを綺麗にスルーすると、ビッテンフェルトは手近なナプキンに愛用のボールペンでがりがりと数字を書き込んだ。

 

『 D 1 7 2 4 3 1 7 』

 

「これは?」

「こいつ、ある法則のもと並んでいるらしいのだがな、俺にはトンと見当も付かぬのだ。この後来る数字があるのだがな」

 

 ビッテンフェルトの言葉に、ミッターマイヤーは無意識に親友を見返していた。

 ロイエンタールの方も、呆れた表情でビッテンフェルトに向き直る。

 

「おい、まさか本当にこれが判らないのか?」

「お、判るのか、ロイエンタール」

 

 やはり大盛りのグリーンサラダを掻き込むビッテンフェルトに、ミッターマイヤーが指差しながら解説してやる。

 

「最後の7以外は、二つづつ見ればいい。つまりDの後は17、24、そして31だ」

「ほほう」

 

 親友の説明に対して、興味深そうな同期の男に頭痛を覚えながら、ロイエンタールが言って寄越す。

 

「そこまで聞いて判らないのか、卿は? 要するにカレンダーを縦に見ればいいのだ」

「んあ?」

 

 未だ要領を得ないビッテンフェルトに、根気良くミッターマイヤーは言葉を続けた。

 

「だから、七日の次は一四日、だから答えは一四だよ」

「察するところ、Dと言うのはDezember(12月)のDだろう。一月一四日なのではないか」

 

 ロイエンタールの指摘に、ビッテンフェルトは突然椅子を蹴った。

「そうかっ! 一月一四日か! よおっし、オイゲンいるかっ!」

 

 そう叫ぶなり、ビッテンフェルトはトレイを抱えて飛び出して行った。

 後には、突然の事に絶句しているミッターマイヤーと、やれやれと言いたげなロイエンタールとが残された。

 

「何事だ、あれは」

「うちの幕僚が聞いたところによると、参謀長とビッテンフェルトの間で、なぞなぞのやり取りがあったそうだ」

「それがあれか? しかし、何もあれほどムキにならなくても」

 

 ミッターマイヤーに向かって、ロイエンタールは食後のコーヒーを飲み干してこう言った。

 

「それがな、このなぞなぞが解けなかったら、奴は演習に参加しないと言う約束を、元帥の目の前でやらかしたらしいのだ」

 

 一瞬、あまりにも子供じみた騒ぎに毒気を抜かれたミッターマイヤーは、ある事に気付いて表情を改めた。

 

「なあ、確かこの一月一四日と言うのは、演習の実行日ではないか?」

「……念を押されたと言う事か」

 

 顔を見合わせた二人は、どちらからともなく嘆息すると、一斉にテーブルから立った。

 

 

 それは、リップシュタット戦役前の話である。

 



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午後五時過ぎの晩鐘

 それは、高速道路で起きた、ありきたりな事件の筈だった。

 夕方五時一五分頃、空が赤く染まる頃に一台の地上車がハンドル操作のミスで中央分離帯に激突し、大破炎上した。

 本来なら起こりえない事故であったが、被害者はスピード狂で知られた貴族のどら息子で、常日頃から自動操縦を切って運転しては、速度制限違反と器物破損、及び人身事故の常連として警察のブラックリストに名を連ねていた。

 最も、親が所謂権門貴族の甥の一人であった為、検挙される事無く今日まで来ていた口である。

 

「来るべき時が来た」

「何時かはやると思った」

「奴一人で良かった」

 

等と、囁かれる半面、

 

『馬鹿な子ほど可愛い』

 

を地で行く被害者の親は、札束で警察高官と憲兵を張り飛ばして、犯人の捜索を命じていた。

 だが、高速道路の監視カメラ、そして大破した地上車の車載コンピュータを幾ら調べても、被害者の急ハンドルが事故の原因としか判らなかったのである。

 

 

「地上車の事故に見せ掛けて、人を殺そうと思ったらどうします?」

 

 事件から一週間後、遅れている親友を待つウォルフガング・ミッターマイヤーにそう尋ねる男がいる。

 肩に付いている記章は大佐の物で、親しげな口調と笑顔とは裏腹に、銀髪の下の目は何か底知れぬものを秘めている、そんな感じである。

 図々しくミッターマイヤーの横に腰を下ろすと、その男はもう一度言葉を繰り返す。

 

「貴方なら、事故に見せ掛けて人を殺すなら、どう言う手段をとります?」

「……俺は、そう言う事は考えた事は無いな。それに貴官は何者だ? 随分不躾な質問ではないか」

「失礼、私はアントン・フェルナーと申します。高名な名探偵、ウォルフガング・ミッターマイヤー氏に、少々質問してみたかったのですよ」

 

 柔らかな言葉に包まれている棘を敏感に感じて、ミッターマイヤーは軽く眉を顰める。

 

「小官は名探偵などと呼ばれる覚えは無いな。それより、一応人を待つ身だ、用件があるなら早めに片付けて貰いたい」

「ですから、ご意見を賜りたいのです。貴方なら、事故に見せ掛けてどうやって人を殺すのか」

 

 フェルナーを不審そうに見ると、ミッターマイヤーはふうと溜息を吐いた。

 

「方法なら色々あるだろう。車に細工したり、被害者に睡眠薬を飲ませたり」

「それは駄目です。それは完全犯罪にならない」

 

 にべも無い相手の言葉に、ミッターマイヤーは考え込むように顎に手を添えた。

 半分は、相手の意図を考えて、もう半分は事故に見せ掛ける方法について。

 

「後は……駄目だな、思い付かないな」

「おや、意外ですね。何かあると思ったのですが」

「時間によっては、起こせなくも無い。光で視界を潰して、運転ミスを引き起こさせる。でも、計画的にやるにしろ、偶然に任せるにしろ、確実性に劣るから実行不可能だ。さあ大佐、俺の答えは以上だ。どうやら待ち人も来た様だ、これで引き取って貰えないだろうか」

 

 その言葉に吊られる様に、長身の美丈夫が店内に現れる。

 片目でその姿を捉えると、フェルナーは軽く肩を竦めて腰を上げた。

 

「仕方がない。ではまた何れ」

 

 そう言って、離れて行く銀色の髪の士官をミッターマイヤーは複雑な表情で見送った。

 入れ替わりに席に着いた、オスカー・フォン・ロイエンタールは些か不機嫌にグラスの中身を空ける親友を見下ろしこう聞いた。

 

「どうした、ミッターマイヤー。随分気分を害しているようだが」

「うん。……ちょっと、な。揶揄されたみたいだ」

 

 双色の瞳を細める親友に、ミッターマイヤーはフェルナーとのやり取りを手短に話した。

 

「なんか、畑違いの事に首を突っ込むなって、釘刺されたんだと思う」

「そうか? 俺はそいつが、お前に犯罪の片棒を担がせるつもりだったのだと思ったぞ?」

 

 思いもしなかった応えに、灰色の瞳が丸くなる。

 だが、表情を改めてミッターマイヤーは手にしていたグラスをテーブルに戻した。

 

「だとしたら、言わなくて良かったな。一応、思い付いていたんだ、完全って訳じゃないけど、限りなく完全犯罪に近い事故の起こし方」

「ほう、随分剣呑な話だな、どんなものだ?」

 

 聞く体制になった親友に向かって、ミッタ―マイヤーは話し始める。

 

「時間は夕刻、または早朝。理想的なのは朝かな。朝なら東、夕刻なら西に向かって走っているのが良い」

 

 その言葉に、ロイエンタールは形の良い眉を軽く寄せる。

 

「それは、先程の方法ではないのか?」

「うん、要はね。だが、それだけじゃない。散瞳剤を使うんだ」

「さんどうざい?」

「瞳孔を開かせる薬だよ。一般ではそうそう手に入らないけどな。普通でも、太陽に向かって走る事になればかなり眩しいけど、散瞳剤を使われれば、フロントガラスを遮光モードにしていても光の洪水と変わらない」

 

 ミッタ―マイヤーの言葉に、金銀妖瞳《ヘテロクロミア》の美丈夫は顎に手を当てた。

 

「入手経路が問題だが、即死すれば瞳孔は開いたままだ、薬の所為かどうかなど判らんな」

「目薬だと、まず検出は望めないしな。最も、事故の直前に被害者と一緒にいるところを見られたらそれまでだけど」

 

 そう言って軽く溜息を吐く親友のグラスに、酒を注いでやりながらロイエンタールは質問して来た。

 

「しかし、散瞳剤なぞ良く知っているな」

「父方の親戚に、医師免状を持っている人が多いんだ。子供の頃に、大叔父達の鞄で遊んでて叱られた時に、薬品とかについて色々教えて貰った事があってな」

 

 平民育ちと聞いていた親友の言葉に、ロイエンタールは驚いた。

 それに向かって、ミッタ―マイヤーは苦笑いと共に、身内で父だけが早々に退役して造園業を始めたのだと答えた。

 

「では、元々は医者が多いのか?」

「ううん、辺境軍には軍医より、医師免状を持つ軍人の方が多いんだ」

「……そうなのか?」

 

 親族からそう言われて育ったミッターマイヤーはともかく、中央育ちのロイエンタールには良く判らない。

 何か言いたそうな長身の親友に酒を注ぎ返してやりながら、ミッターマイヤーは彼に相談したかった懸案の方に話を切り替えた。

 

 

 指向性の集音マイクから、目的とは関係のない話が零れるのを確認すると、フェルナーはポケットの中の小型レコーダーを止めて、イヤホンを外した。

 

「ひゅう、危ない危ない、やっぱり判ったんだ。たまんない将官様だな、何で軍人やってんだか」

 

 伸縮型のマイクを縮めてポケットに納め、潜んでいた物影からそっと離れて店を出ると、大急ぎで地上車に乗り込む。

 そこでやっと息を吐くと、フェルナーは一人だから言える愚痴をこぼした。

 

「全く、あの人の性格なら、お貴族様にわざわざ注進する事も無いと思うけど。それしたって、ちょっと自信無くしちまうな」

 

 そう言いながら、取り上げた煙草の下から、点眼剤のケースが落ちる。

 足元に転げたそれを拾い上げ、元に戻そうとしたものの、フェルナーはそれをゴミ入れの中に放り込んだ。その中には、二つに破られた古めかしい光学写真が入っていた。

 フェルナーと、幸せそうに微笑む女性と、頬を赤らめた青年の、三人が写った写真だった。

 

 

 アントン・フェルナーが、紆余曲折の末ローエングラム元帥府はオーベルシュタインの部下になるのは、これからほぼ半年後である。

 



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空飛ぶ災難

 ナイトハルト・ミュラーが、元帥府の中庭で昏倒しているのが見付かったのは、年明けの五日、年始の休みが明けた午前中の事だ。

 ショートカットしようと、書類を抱えて走っていたミッタ―マイヤー艦隊のカール・エドアルド・バイエルラインが、倒れ伏す彼に蹴躓いたのだ。

 医師の診断によると、後頭部強打による脳震盪とこけた際の打撲に、バイエルラインが蹴り込んだ脇腹の痣だけですんだらしい。

 部下からの知らせで、医務室にミュラーの副官を連れてやって来たウォルフガング・ミッターマイヤーは、手当てを受けて温かいコーヒーを受け取ったミュラーと対面した。

 

「すまなかったな、ミュラー」

「いえ、バイエルライン准将が通り掛らねば、小官はあのまま更に放置された可能性がありますから」

 

 気温五度の屋外に一時間近く倒れていた所為か、少し掠れた声でミュラーは改めて礼を言い、上官の後ろに控えていたバイエルラインを恐縮させた。

 

「しかし、一体誰に襲われたと言うのだ? ミュラー」

 

 蜂蜜色の髪の一年先輩の問いに、あたふたと世話する部下を宥めながら砂色の髪と瞳の年若い将官は、痛む首を庇うように目を伏せた。

 

「いえ、それが人が近付いた気配は無かったんです。本当に急に後ろから襲われて。ただ……」

「ただ?」

 

 聞き返したミッターマイヤーに、ミュラーはうろ覚えなのだと前置きしてこう言った。

 

「ビッテンフェルト提督の声を聞いたような気がするのです、意識を失う寸前に」

「ふむ……ん? ちょっといいか、ミュラー」

 

 彼が寝ていたベッドの、ピローカバーの上に落ちている粉に気付き、ミッターマイヤーは指に取った。白くて、微細な粒子には特に匂いも無い。

 上官の手元を覗きながら、バイエルラインが首を捻る。

 

「打撲治療の薬品ではありませんか、閣下」

「いや、違うな……。取り敢えずミュラー、今日は大事をとって早退した方が良い。元帥閣下には、軍医から連絡が行っている筈だ」

「はい、キルヒアイス上級大将から連絡がありました。今日は午後から休んでよいと」

「ああ、こう言う事には理解のある方達だ。ゆっくり出来る間に治して置く事だ」

 

 医務室から出ると、書類を抱えたバイエルラインを執務室に帰らせ、ミッターマイヤーは別方向に歩き出した。

 彼が向かったのは、ミュラーが倒れていた中庭である。

 

 

 ローエングラム元帥府の現在の建物は、実は正規のビルが出来るまでの仮住まいである。

 今使っているのは、物好きな貴族の建てた別邸を帝室が徴収していたもので、コの字型の邸宅に庭を抱えた美しい建物ではあるが、実務的には無駄で不便な建造物である。

 噂では、Lと言う貴族の嫌がらせらしいが、一時の仮住まいと言う事で、当の元帥は気にしていないらしい。

 庭に出て見ると、石畳の通路と薔薇の生け垣が広がっている。

 これを三階の窓から見ると、ちょっとした幾何学模様を造っているのだが、中央棟一階の扉から見ると裏門に通じる通路以外は、生け垣自体が一.八メートルもある立派な障害物で良く見えない。

 ミュラーが倒れていたのは、ここから死角になる西棟と東棟を結ぶ直線通路のちょうど三分の一の場所だった。

 東棟から、彼の執務室のある西棟に戻ろうとして、中央を過ぎたところで襲撃を受けたらしい。

 恐らくは、肝心なものは一切写っていないだろう監視カメラの取り付け位置に額を押さえつつ、建物の中に戻ったミッターマイヤーを呼び止める声がする。

 振り返ると、彼を探していたらしいオスカー・フォン・ロイエンタールの長身がこちらへと近付くところであった。

 

「何処に行っていた、ミッターマイヤー。執務室にいなかったようだが」

 

 微妙な棘は、心配していた所為であろう。

 判っているので、ミッターマイヤーは手短に事の次第を語って聞かせた。

 中庭で、上級士官が襲撃されたと言う話には流石に眉を動かしたものの、それを調べていると言う親友に対して、ロイエンタールは金銀妖瞳を細めて渋い顔を作った。

 

「そう言う事は、警備の者に任せておけばどうだ、ミッターマイヤー」

「いや、どうにも気になってな。それに、凶器にはちょっと思い当たるものがあって」

 

 そう言いながら、ロイエンタールを引き連れた形でミッターマイヤーが立ち止まったのは、とある艦隊の司令官の執務室前である。

 

 

 ノックすると、扉一枚挟んだとは思えない声量で、

「どうぞっ」

と、言う声が返って来た。

 扉を開くと、部屋の主がホクホク顔で二人を迎えた。

 黒色槍騎兵艦隊《シュワルツランツェンレイター》司令官、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトは、執務机の上に置いた小さな電気コンロで、何やら焼いている真っ最中であった。

 その周りには、木槌と小皿と、スティックシュガーとパック入りのソースらしいものが幾つか散乱している。

 そして、叩き砕かれた白い塊があり、ビッテンフェルトは砕けた白い塊の幾つかを、焼き網を乗せたコンロの上で盛んに引っ繰り返しているところであった。

 

「何をしているのだ、卿は」

 

 珍妙なものを見たと言う顔をしたロイエンタールの問いかけに、返った答えはあっさりとしたものだった。

 

「餅だ」

「もち?」

 

 聞き返す親友の横で、ミッターマイヤーはやっぱりと言う顔をした。

 

「鏡餅だな。どうしたんだ、これ」

「おう、元帥閣下から拝領したものだ」

 

 胸を張ってそう答えるビッテンフェルトの弁によると、かれこれ一時間ほど前に息抜きに中庭に出たところ、目の前にころころとこの鏡餅が転がってきたのだそうだ。

 一体何処からと思案する間も無く、頭上から元帥閣下に呼び止められ、落したものだがよければ食べて欲しいと言われたと言うのだ。

 

「と、言う訳で、俺は昼飯としてありがたく餅を食っているのだ」

 

 焦げ目からぷっくりと膨らんだ餅を、慌てて皿に取りながらそう言ったオレンジ色の髪の、元気な提督の部屋から出て二人は歩き出した。

 

「ミッターマイヤー」

「何だ?」

 

 何やら納得がいかないと言う顔で、ロイエンタールは眉間を軽く摘まんだ。

 

「餅と言うものは、四角くなかったか?」

「そうじゃないよ、丸く作る丸餅と、平らに伸ばしてから切り分ける切り餅と、二通りあるんだ。前に卿に食べさせたのは、父方の祖母が送ってくれた切り餅で、奴が食べていたのは新年の装飾用の、大きく作った丸餅なんだ。

 尤も、あの餅を割るのはもっと先なんだがなあ」

 

 辺境暮らしの親族がいて、そこで帝国式とかけ離れた生活に馴染んでしまったミッターマイヤーはそう言うと、手早く食事を済ませるべく食堂へと向かった。

 食堂に入るなり、二人を呼び止める声がする。振り返ると、ちょうど食事を終えたらしいアウグスト・ザムエル・ワーレンが近付いて来るところだった。

 

「遅いじゃないか、二人とも」

「ちょっとな。ところで、ミュラーの事は聞いたか?」

 

 ミッターマイヤーの言葉に、ワーレンは赤銅色の髪を指で掻き混ぜながら頷いた。

 

「ああ、見えない襲撃者だそうだな。そう言えば、リュッケ少尉が変な事を言っていたな」

「変な事だと?」

 

 聞き返すロイエンタールに、ワーレンは肩を竦めながら答える。

 

「中庭で、三階の窓から飛び出す白い円盤を見たそうだ。最も、一瞬だったそうだがな。ケンプの奴に絞られて、半泣きだったよ」

 

 執務室に戻るワーレンを見送った後、席に着きながらミッターマイヤーは大きく嘆息した。

 

「多分、リュッケが見たのは誰かが投げた鏡餅だ。フリスビーや円盤投げの要領で投げられた餅が、たまたまミュラーの頭に当たった後、ビッテンフェルトの前まで転がったんだと思う。ミュラーの髪に、餅をくっ付けない為の澱粉粉が付いていたからな」

「確かに、加熱前の餅と言うものはやたらと硬い代物だったが、では、誰が投げたと言うのだ?」

 

 二人は黙って互いの顔を見合わせると、そのまま黙って運ばれて来た食事に手を伸ばした。

 

 

 その頃、ラインハルト・フォン・ローエングラムの執務室。

 

「私は、ものを、外に、投げませんっと。キルヒアイス、一〇〇回書けたぞ」

「ではラインハルト様、今度はこちらの用紙に、『私は二度と食べ物を粗末に致しません』と、一〇〇回書いてください」

 

 ばさりと出されたレポート用紙に、華麗な美貌が下町の少年の如き表情を作る。

 恨めしげに赤毛の親友を見上げるが、小姑と化す事を心に決めた親友は駄々を許さない。

 

「どうかなさいましたか、ラインハルト様」

 

 にこやかな表情とは裏腹の圧迫感が怖い。

 深く嘆息すると、ラインハルトは覚悟を決めてレポート用紙に手を伸ばした。

 その向こう側には、元は二段重ねだったらしい鏡餅が一枚、裏白と橙とを載せて侘しげに鎮座していた。

 



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浅知恵は身を亡ぼす

 帝国では、ゲルマン神話以外神話ではないとされている。

 だが、世間には風潮に逆らう奴はいるもので、エッシェンバッハ伯爵はそう言う無法者《アウトロー》であった。

 彼は北欧神話には目もくれず、ギリシャ神話の彫刻収拾に明け暮れている人物だった。

 

 

 そのエッシェンバッハ伯爵の屋敷で、ダンスパーティが開かれた。

 尤も、内実は彼が辺境で手に入れた彫刻の、お披露目パーティだったのだが。

 こう言う事に極めて興味を持てない上司に代わって、パーティに出席したのがオスカー・フォン・ロイエンタールと、ウォルフガング・ミッターマイヤーである。

 まあ、帝国騎士とは言え、美男子で金持ちであるロイエンタールに女性が群がり、ミッターマイヤーは壁の花に徹していたが。

 元々、こう言う場所に縁が無いミッターマイヤーは、ぼーっと壁際に立って発泡ワインを舐めつつ、ダンスホールのそこここに並べられた彫刻を眺めていた。

 辺境住まいの祖父から、情操教育として様々な物語を語り聞かせて貰った事もあり、そこら辺に並んでいる彫刻が何を現しているのかは、大体見当が付いた。

 

 身体から若木の枝葉を生やした少女を抱き締める青年の像。

 その横には、大きな牛に乗る少女像。

 林檎を掲げる女性と、三人の女性の像は、林檎を持つ女性像の前に、不自然に大理石が抉れているところがある事から、本当はもう一人立っていたのかもしれない。

 その更に横には、翼の生えた靴を履き、蛇の巻きついた杖を携えた少年像がある。

 そして一番奥は、慈しむように少年を抱き抱える青年の像だった。

 足元に、欠けているが円盤が置かれている事から、これがヒアシンスの花の故事を現している事に気付いた。

 

 幾ら何でも、本当に地球で創られた物とは思えないが、なかなか美しい出来栄えの像が並べられている。

 ふと気が付くと、ミッターマイヤーの横に小柄な白髪の老人が寄って来ていた。

 

「お若いの、女子《おなご》を誘って踊ってはどうかね?」

「いえ、小官は上官の代理人の護衛のようなものです。それに、小官は平民ですし」

 

 そう笑ったミッターマイヤーは、気を取り直すように彫刻へと目をやった。

 

「立派な彫刻ですね」

「そうかの?」

「どんな人が創ったのかは知りませんけど、本当に素晴らしいと思います。でも、エリスの前にあっただろう、パリス像が無くなってるのが残念ですね」

 

 そこまで言ってから、ミッターマイヤーは喋り過ぎたと思った。

 ギリシャ神話なぞ、知らない者の方が圧倒的に多いのがオーディンなのだ。

 だが、老人の方は目を丸くして、そしていきなり大笑いしながらミッターマイヤーの肩をどやしつけた。

 

「何と、お若いの。ギリシア神話を御存知か?! 何と何と、嬉しいのお、像を見て場面が判る人間がおると言うのは!」

 

 そう言われて、今更のようにミッターマイヤーは、この老人がエッシェンバッハ伯爵であると悟った。

 咄嗟に反応出来ないミッターマイヤーの手を掴み、エッシェンバッハ翁はかんらと笑った。

 

「ギリシャ神話が判るなら、もっと良い物がある。こっちに来るがいい、秘蔵の品があるんじゃ」

 

 そう言って、老人はミッターマイヤーを引っ張って行った。

 その背中を、憎々しげに睨む目があった事に、ミッターマイヤーは迂闊にも気付く事が出来なかった。

 

 

 その日、結局ミッターマイヤーは伯爵のごり押しに負けて、伯爵邸の客間に泊まる事となった。

 ロイエンタールの方はと言うと、当初は早々に帰るつもりだったのが、途中で姿の見えなくなった親友が道楽爺の相手をしていた事を知って、内心の暴風雨を押し隠して彼ミッターマイヤーと共に泊まる事を申し出た。

 伯爵家側としても、同じローエングラム元帥の代理人、しかも寄りにもよって貴族号を持つ者を帰らせて平民を留めたと言うのは外聞に触ると、彼の滞在を許した。

 尤も、そう言う事を気にしているのは、老エッシェンバッハの甥と孫達だけで、当の当主はミッターマイヤーを連れて、屋敷の地下に造った収蔵品の倉庫に篭ってしまった。

 

 

「どうじゃ、素晴らしかろう。残念ながら、今の帝立芸術家協会《ライヒス・キュンストラー・フェアアイン》とやらでは、ただの人物像として二束三文の価値しか付けられてはおらんがのう」

 

 そう言ったエッシェンバッハ翁は、メデューサの首を掲げたペルセウス像に手を当てた。

 周囲には、作者が違うらしい一〇〇体を越える大小様々な彫刻が、所狭しと並べられている。

 

「これらは、儂が見付けた彫刻家の作品なんじゃ。どうじゃ、生き生きと彫っておろう? たまたまモチーフがゲルマン神話でないと言うだけで、あれほどにけしょけしょに言わんでも良いと思うんじゃがのう。じゃが、何分権門の連中が一度けちを付けた芸術家には、あっと言う間に道が閉ざされてしまう。それが、今の帝国の芸術界じゃからなあ」

「古いものじゃあ、無いんですか?」

 

 少し途惑ったようにミッターマイヤーが問うと、老人はからからと笑った。

 

「まあ、大広間のは、『一応』な。だが、儂ゃ文化振興とやらを狙っておっての」

 

 その言葉に、表情を改めたミッターマイヤーに向かって、老エッシェンバッハは目を細めて言った。

 それは、祖父が孫を見る目だった。

 

「もうすぐ、嵐が来るからのう。どうせ儂が死ねば、碌で無しどもが奪い合うだけの金じゃ、それなら生きとるうちに使い切ってやるわい。どうせ、その嵐で老木は倒れるんじゃしのぉ」

 

 そう、かんらと笑う老人に、ミッターマイヤーはただ黙って後ろから着いて行く事しか出来なかった。

 

 

 宛がわれた客間に入ると、ミッターマイヤーは足を止めた。

 低気圧を身に纏ったロイエンタールが、ベッドに腰を降ろして待っていたからだ。

 

「今まで、徘徊老人に付き合っていたのか?」

 

 その言葉に、カチンと来たミッターマイヤーの目がすっと細くなる。

 

「何処の誰から吹き込まれたかは知らないが、御老に対してそれは失礼だぞ、ロイエンタール」

「愚にも付かない石膏の固まり、それも無名の駄作家にばかり湯水のように金を注ぎ込む、極楽蜻蛉のぼけ老人。社交界では有名だぞ」

「……エッシェンバッハ伯爵は、権門貴族に蔑ないがしろにされている新進気鋭の作家達を支援なさっているんだ、それをそんな風に言うな」

「ほう、ものは言いようだな」

 

 次の瞬間、一瞬でロイエンタールの鼻先に飛び込んだミッターマイヤーの拳が、彼の顔面へと繰り出される。

 それを紙一重で受け止め、ロイエンタールは双色の瞳で、鋼色に変わった友の瞳を覗き込む。

 

「迂闊だぞ、ミッターマイヤー。此処の連中に、難癖を付けられる様な事をしてどうする?」

 

 その言葉に、ミッターマイヤーは肩から力を抜いた。

 

「連中が凋落する事を、御老は判ってらっしゃるようだぞ? 『嵐の前に使い切ってやる』って仰ってた」

 

 その言葉に、ロイエンタールも眉を上げた。

 

「そう言ったのか?」

「ああ。『文化振興』だって」

 

 その言葉に、ロイエンタールは不思議なものを見る目をした。

 

 

 翌朝、客間のある二階から降りて来たミッターマイヤーを、ざっと憲兵の集団が取り囲んだ。

 呆気に捕らわれているミッターマイヤーを庇うように、ロイエンタールが前に出た。

 

「一体、これは何事だ? 我らがローエングラム元帥幕下の提督と知っての行動か!」

 

 その一喝に、何処となく小役人めいた小隊長が、おどおどと応えた。

 

「はあ。しかし、ミッターマイヤー中将には、エッシェンバッハ伯爵殺害の容疑が掛かっておりまして」

「俺に?!」

 

 ミッターマイヤーの声が跳ね上がると、それを待ち構えていたように三人の男女が現れた。

 一人は、エッシェンバッハ伯爵の甥であるエーデン子爵、険の高そうな銀髪の女性が孫娘のカロリーネ、そして典型的な貴族の子供と言った感じの底意地の悪そうな目をした少年が、一応次期エッシェンバッハ伯のヨハン少年である。

 三人を、目を丸くして見詰めるミッターマイヤーに、ヨハン少年が勇んでビニルに入れられた血染めのハンカチを突き出した。

 それは、彼の妻がイニシャルを刺繍した素朴な木綿のハンカチで、夕べから探していたものだった。

 

「お爺様の死んでいた場所に落ちていたものだ! お前がお爺様を殺した時に落としたんだろう!」

 

 その言葉に、呆気に捕らわれるミッターマイヤーを背中に庇い、ずぃっとロイエンタールが前に出る。

 その押し出しに気圧され、ヨハン少年はじりっと後ろに下がった。

 

「ほう、それは夕べ、我が親友が探していたものだが。何処で拾ったか、それと老エッシェンバッハが何時亡くなられたのか、教えて貰おうか」

 

 じろりと金銀妖瞳で睨まれ、憲兵隊のヴィッツレーベン少佐は小さくなって、まだ特定出来てはいないが、恐らく午前一時前後だろうと告げた。

 それを聞くと、ふっと笑ってロイエンタールは顎で背後の友を示した。

 

「その時間帯なら、俺がミッターマイヤーのアリバイを証言してやろう。同じ部屋に泊まったのだからな」

「ふざけるなっ!」

 

 そう叫んだのは、エーデン子爵である。

 

「お前が偽証していないと言う、証拠が何処にある! 第一爺様の死体の側に書かれていた言葉が示した場所に、このハンカチが落ちてたんだ! この平民士官以外に、こんな安物を持ち歩く人間がいるものかっ!」

 

 子爵の言葉に、二人の表情がピシッと凍る。

 ミッターマイヤーは、妻の真心を安物呼ばわりされて。

 ロイエンタールは、無二の親友を士官呼ばわりされて。――ミッターマイヤーは将官である。

 

「と、取り敢えず、調書を取らせて戴きたく」

「その前に」

 

 今にも泣き出しそうなヴィッツレーベン少佐に、ミッターマイヤーが声を掛ける。

 

「御老の亡くなられた場所を見せて欲しい。御老の書き残した文字とやらが見たいんだ」

 

 声は優しいものの、鋼色の瞳には有無を言わせぬ迫力があった。

 結果として、少佐は彼らを現場に案内するしかなかった。

 

 

 エッシェンバッハ老が殺された場所は、あの地下の収蔵庫の中だった。

 既に死体は、司法解剖の為に運び出されていたが、倒れていた辺りには、結構な血溜まりがまだ残っていた。

 その、死体の右手の辺りに、確かに血文字で『エロス』と書かれているのが見て取れた。

 

「ここで見つけたんだ、そこに書いてある言葉でぴんと来た」

 

 エーデン子爵は、勝ち誇ったように壁際の石膏像を指差した。

 それは端正な青年に向かって、鏃の違う矢を二本持った羽根の付いた子供が弓を引く姿を表現していた。

 だが、それを見てミッターマイヤーは眉を顰めた。

 

「どうしてそれだと思ったんです?」

「決まっているわ、『エロス』はアフロディテの使者で、羽根の生えた子供の姿をしているわ。だからこれがエロスの像に決まっているでしょう!」

 

 カロリーネの言葉に、ミッターマイヤーはその像から三つ離れた、眠る女性の手を取る、有翼の青年像を指差した。

 

「残念だが、『エロス』の像は必ずしも子供の姿をしていない。この像も『エロス』像になる」

 

 言葉が出ない三人に、何気無い風を装いロイエンタールはこう聞いた。

 

「ところで、エッシェンバッハ老は左利きだったかな?」

「右利きだよ。ちゃんとそれくらい確認して、血文字書いたもの」

「! ヨハン! この馬鹿!!」

 

 カロリーネが殴っても、それは流石に遅かった。

 

「詳しいお話を聞かせて頂きたい。御同行を願います」

 

 少佐のその言葉と共に、今度は三人が憲兵に取り囲まれた。

 

 

 結局、意味の無い石膏像に金を注ぎ込む老エッシェンバッハを殺して、資産の山分けを狙った三人による犯行だった。

 尤も、当の昔に遺言状が作られており、全資産は美術大学設立資金として総て寄贈される事にされており、貴族号も皇室に返還するようになっていた為、あの三人がやった事は無駄に自身に犯罪歴を付けただけに終わった。

 後に、ローエングラム王朝となってから、このエッシェンバッハ美術大学の卒業生が画壇やデザイン部門で名を成して行くのだが、それはずっと未来の話である。

 尚、その大学の名誉理事として、メックリンガーと共にミッターマイヤーの名が入っているのは、ごくごく一部の者しか知らない事である。

 

 



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有り得ない自殺

 今まで、色々新聞を見たり、人から話を持ち込まれたりはしていたものの、直接目の当たりにするのはやはり嫌なものだ。

 それが、ウォルフガング・ミッターマイヤーの本音である。

 とにもかくにも、憲兵が来るまで、そこから動けなくなってしまった。二月の頭の寒い夜の事だ。

 

「ミッターマイヤー」

「連絡してくれたか、ロイエンタール」

 

 表通りから、路地裏の袋小路であるそこに戻って来た長身の高級軍人に、同じく高級士官の軍服を纏ったミッターマイヤーが声を掛ける。

 親友に頷いて見せながら、オスカー・フォン・ロイエンタールは路地一杯に停められている、旧式のバンタイプの地上車を眺めた。

 車内には男女が二人、倒した座席に横たわっているのが見える。そしてその頭上にはキャンプ用燃料が燃え残っており、更に周囲には薬瓶と、それを流し込むのに使ったらしいアルコール飲料の空き缶も転がっている。

 遮光ガラスの為、よく見えないが恐らく一酸化炭素中毒で亡くなったであろう二人を思い、ミッターマイヤーは両の拳を固める事しか出来ない。

 

「まさか、こんな事になっていたなんて」

 

 この地上車の事は、数日前からミッターマイヤーは気に掛けていたのだ。

 使われなくなった店舗の、通用口に繋がっている路地であった為か、あまり警邏の者にも注意を払われていなかったようなのだ。

 一週間目にして、意を決して覗き込んでみたら、この惨劇だったと言う訳である。

 

「憲兵や警察の仕事だろう。お前が気にする事ではないと思うぞ」

 

 沈んだ顔の親友を、ロイエンタールは嘆息交じりにこう諌めてみる。どうも彼の小柄な親友は、いらぬ節介を焼かずにいられない性分の持ち主で、そんな彼を歯痒く思いつつ、愛しく感じる己には気付かない振りを押し通している。

 

 

 憲兵の者が及び腰で駈け付けたのは、連絡を入れて一〇分以上も経過してからだった。

 その取り掛かりの遅さに、胸の内で罵詈雑言を並べながら、二人は黙ってバンの後部扉がこじ開けられ、遺体が運び出されるのを見守った。

 その時だ。

 運び出される女性の手から、彼女のものらしいハンドバッグが落ちた。

 中から、化粧品らしい小さなポーチと共に、女物らしい小振りな携帯電話と何かのカードらしいものが転がり落ちた。

 慌てて拾い集めた若い憲兵の手の中で、突然携帯が鳴り響いた。

 目を見張ったミッターマイヤーの横で、カードを憲兵に渡してやりながらロイエンタールは双色の瞳を不快そうに細めていた。

 そんな上級士官二人の様子に気付かず、小隊長とおぼしい中堅どころの憲兵が欠伸と共にこう言って寄越した。

 

「まあ、状況から見て、自殺でしょうな。取り敢えず、調書を作りますから、ご足労願えますかなあ」

「役立たず」

 

と、胸の内で罵るのに留めたミッターマイヤーとは違い、ロイエンタールは真っ直ぐ、

 

「貴官の目は節穴か」

 

と、吐き捨ててしまった。

 訳は判らぬものの、突然の侮蔑に顔を歪めた小隊長に向かって、先程の若い憲兵を指差しながらロイエンタールはこう言った。

 

「遺留品の調査もせず、いきなり自殺と断定するのはどうかと言うのだ」

「状況から判断すれば、まず自殺しか当て嵌まりませんな。何しろ、この車は一週間以上ここにあったと報告されていますし、わざわざ一酸化中毒死を選んでいるでは有りませんか」

 

 憲兵の言葉に否を唱えたのは、ミッターマイヤーだった。

 

「確かに、車は前からあったけど、彼らはせいぜい二、三日前に死んだ筈だ。それも、死ぬつもり無く」

「どう言う意味ですかな」

 

 不愉快そうに聞き返す男に、ミッターマイヤーは鋼色の瞳をひたと向けて言葉を続けた。

 

「たった今、遺留品の中の携帯が鳴っただろう」

「それがどうかしましたか?」

「軍用品ならともかく、市販のそれも女性用の小型なものなら、充電はせいぜい三日で切れる。一週間前からここで死んでいたとするなら、とうに切れている筈だ。それに自殺するつもりなら、携帯の電源くらい切って置くんじゃないか?」

 

 ぐっと詰まった憲兵に、ロイエンタールが追撃を掛ける。

 

「更に言わせて貰うなら、先ほど歯医者の診察券を見た。そも、自殺する人間が、明日の日付の診療予約をしたりすると言うのか?」

 

 黙りこみ、下を向いてしまった憲兵隊小隊長に、二人は軽く目配せすると相手の肩を軽く叩いてその場を離れることにした。

 

「調書を作るのだろう、吾々は先に詰め所に向かわせてもらう」

「遺体の検死と、車内の徹底調査をする事だ。以前ならいざ知らず、これからは貴族が関わっているからと言って、調査に手を抜く事は許されないぞ」

 

 歩き出す二人を、慌てて憲兵の一人が追い掛ける。

 その姿を視界の端に納めながら、ミッターマイヤーは小さく嘆息する。

 

「ケスラーの苦労が伺えるな」

「仕方あるまい、大貴族たちが倒れたと言っても、長年の腐った組織体制はなかなか改善されんだろう。それよりも、すっかり体が冷えてしまったな」

 

 白い息を吐きながらのその言葉に、ミッターマイヤーも小さく頷く。

 

「残念だが、憲兵詰め所には不味いコーヒー以外のものは無いと思うけどな」

「是非も無い」

 

 小さく笑い合い、二人は音すら凍りそうな街の中を、足早に歩き出した。

 



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雨、ところにより殺人

 それは、とある星系の士官学校へ、二人揃って――と言っても、その星には幼年士官学校と士官学校の二校があったので、それぞれ別れてではあったが――公演に行った時の事である。

 そこの惑星は大規模な艦隊基地が造られていた為、二人も過去に何度か逗留した事があった。

 それが懐かしかった訳でも無かったが、二人は――もっぱらロイエンタールの主張で――滞在を一日伸ばして、そこで小旅行と洒落込む事となった。

 リップシュッタット戦役で没落した、お貴族達の残した保養用の山荘が現在士官用保養施設として機能しているので、そこに泊まる事にしたのだ。

 

「そう言えば、佐官の頃だったっけ」

 

 山荘への道すがら、赤くなり始めた空を眺めながら、ミッターマイヤーがぽつりと切り出した。

 

「フォン・ゴットヘルフ少将の事覚えてるか?」

「ああ、見た目偏屈の、賑やかし大好き老人だったな」

 

 たっぷりとした白い口髭で、矍鑠《かくしゃく》と杖を付いた老人を思い出し、ロイエンタールの口元に苦笑めいた笑みが掠める。

 一応名門の末席にあったこの老人は、その癖所謂貴族の子弟達よりも、平民階級の士官を可愛がる事で上官からうざがれていた。

 第二次ティアマト会戦に参加して、生還を果たした人物である。決して無能ではないが、その分口がさなく、好き嫌いがきっぱりと決まった人物でもあった。

 年を取った事で彼なりに後進を育てようとしたら、目に適うのが貴族の子弟に居なかったのだと、屋敷に招いた士官達に向かって当人は話していたが。

 酒好きで、機嫌が良いと盛んに白い髭を扱いていた老将官は、彼ら二人が大佐に昇進したその年の冬、風邪からこじらせた気管支炎の為に七五歳の生涯を閉じていた。

 だが、ミッターマイヤーが思い出していたのは、彼の事を実の孫のように可愛がっていた老人の事だけでは無かった。

 

「そう言えば、あの時ロイエンタールは遅れて来たんだったけ。二度目に少将の館に呼ばれた時、事故があったんだ」

「事故? ――ああ、ヨハン・クレーガーの。そう言えば、俺達後発の連中を迎えに来る途中で、振り出した雨でスリップを起こして事故死したんだったな。そう言えば、このルートの途中では無かったか?」

 

 言う間に、二人の乗った地上車は湾岸沿いの道路から、崖の上に向かう道筋へと折れた。

 この道は、山荘の立ち並ぶ山上に向かって崖を削って作られた九十九折りの道である。

 辛うじて二車線をキープしているものの、片方は壁の如き岩盤、もう片方は海へまっ逆さまと言う非常に危険な道筋となっている。

 潮風で薄汚れたガードレールの一角が、不自然にきれいな場所があって、そこがかつての事故現場であろうと知れた。

 そこは九十九折りの入り口――上からは終点近く――に当り、大きくヘアピン状に曲がっている部分だった。

 

「ここか」

「ああ」

 

 速度を落として通り過ぎ、親友と短く頷き合うと、ロイエンタールは軽く肩を竦めた。

 

「自動操縦に任せていれば、先ずはスリップなどはありえないのだがな」

「まあ、あいつ、運転技術には自信があるって嘯いていたな。その代わり、山荘に行く時偉い目にあったけど」

 

 あの時の事を記憶の底から掘り起こし、ミッターマイヤーは渋い表情になった。

 あの日、少将を加えて五人で乗った地上車をクレーガーが運転する事になったのだが、ラリーカーのような滅茶苦茶な発進加速急制動をやらかしてくれたお蔭で――しかも、乗ったのは彼が趣味で所有している四輪型で、盛大にタイヤを軋ませて走ったのだ――着いた途端に全員がへたり込んでしまったのだ。

 あの時には流石に若者の無茶――あくまでも無茶であって無制御ではない――に寛容な老少将から、かなり厳しく叱責されたのである。

 

 

 ずるずると続く九十九折りにうんざりしながら、だがミッターマイヤーはあの日の事をぽつぽつと思い出していた。

 

「あの日、俺とご老体とクレーガーと、フォン・ヘルダーリーン、シュトップクーヘンだったっけ」

「ヘルダーリーン? 奴が一緒だったのか?」

 

 意外そうなロイエンタールの声に、ミッターマイヤーは頬を掻きつつ「そうだ」と答えた。

 

「ふむ、そう言えば先に行っていたが。だが、揉め事にならなかったか? 確か奴とクレーガーとは、その数日前に女の事で揉めていたらしいのだがな」

「え? ……いや、そんな節は無かったな」

 

 首を振って見せる親友に、ロイエンタールは金銀妖瞳《ヘテロクロミア》を細めてこう言った。

 

「まあ、クレーガーは都合の良い記憶力の持ち主で、自分に都合の悪い事はすっからかんに忘れるし、ヘルダーリーンはヘルダーリーンで、悉く胸に納める性質だったから、傍目には判らなかったかも知れぬな」

「ふうん、あの二人が……あっ!?」

 

 泊まる山荘――それはロイエンタールの交渉によって、かつてのゴットヘルフ邸が選ばれていた――が見えたところで、ミッターマイヤーは飛び上がった。

 車庫に入れる為に自動操縦を切ってハンドルを握っていたロイエンタールは、親友の不意の大声に思わず急ブレーキを掛けていた。

 

「何事だ?」

「そうだ、あの時、ヘルダーリーンの奴、クレーガーにタブレット食べさせたんだ、ビタミン剤だって言って」

 

 あの日、夕食待ちのリビングで、ヘルダーリーンが最近始めたのだと称して幾つかのピルケースを広げて見せた。

 

「腹に溜まらないのが難点だが、ビタミンCとかDとかはストレスで大量消費するからな、食べても問題無いさ」

 

 そう言ったヘルダーリーンは、側で覗き込んだミッターマイヤーの口の中に、レモンイエローに染められたシャツのボタンくらいのタブレット――味はビタミンCらしく酸っぱいものだった――を放り込んだ。

 シュトップクーヘンには薄桃色のタブレット――鉄剤だったらしい――を食べさせ、そして後続の出迎えに行こうとしたクレーガーを呼び止めた。

 

「ああ、クレーガー。総合ビタミン剤があるよ。九十九折りを走るんだ、集中力維持に飲んどけよ」

「お、悪いな」

 

 他の二人が飲んでいた所為か、クレーガーは差し出された二錠の小さなタブレットを何の迷いも無く飲み込み、そのまま地上車の鍵を持って山荘から出て行った。

 それが、彼らがヨハン・クレーガーを見た最後となった。

 三時間後、夕刻から降り出した雨の音を聞きながら、流石に遅いと言い合っているうちに後続の連中からの、

「何時迎えに来るつもりだ」

と言う連絡が入って、全員顔を見合わせたのだ。

 そしてその直後に、沿岸警備隊から九十九折り途中での事故の知らせが届いたのである。

 

 

「もしかして、数日前の諍いを根に持って、ヘルダーリーンは奴に睡眠薬でも飲ませたのか?」

「それは無いな」

 

 ミッターマイヤーの沈痛な呟きを、美丈夫の親友はあっさりと否定した。

 あの時、後続の連中の総代として憲兵の方に連絡を入れたり何やらかにやら走り回る羽目に陥ったロイエンタールは、クレーガーの司法解剖の内容を覚えていた。

 

「曲がりなりにも、奴も少佐だったからな。司法解剖は徹底的に行われたが、毒物、睡眠薬の類は一切検出されていない。今は流石に消えていたが、あの当時は路面にはっきりとスリップ痕があって、スピードの出し過ぎて雨にハンドルを取られたのははっきりしていた」

 

 だが、そこまで言ってから、ロイエンタールは「しかし」と付け足した。

 

「プロバビリティという言葉を知っているか、ミッターマイヤー。訳すると、『蓋然性』と言うのだが」

「『蓋然性』《プロバビリティ》? 確か、『事柄の起こる確かさの度合い』って意味だよな」

 

 親友の答えに頷き返すと、ロイエンタールは地上車を車庫に納めて鍵を抜いた。

 

「つまりヘルダーリーンがやった事は、揃えた条件下で、望んだ状況が成立する事を頼みにした犯罪だった訳だ。お蔭で立証は不可能、殺人罪での訴追もな」

「それはつまり、クレーガーにスリップ事故を起こさせるように仕向けたと言う事か? でもどうやって?」

「答えは殆ど自分で言っただろう、ミッターマイヤー。ヘルダーリーンはクレーガーに飲ませている、スリップを起こしかねないほど焦る事態を呼ぶものをな。何しろ、あの九十九折りには、用を足せるような場所も無い」

「! まさか下剤?」

「多分。経口型の強烈な奴を二倍量飲ませたのではないか? 便秘持ちでないなら、それは猛烈な差し込みになるだろう」

「そうか、それで焦って用足しの出来る所まで行こうとして……。やれやれ、こうして聞くと完全犯罪だな、誰もあいつが犯人とは思わなかったし」

 

 そう言いながら、ミッターマイヤーは玄関先で空を振り仰いだ。

 すっかり日の暮れた空は、満天の星空になっていた。

 

「でも、ヘルダーリーンが戦死したのは、その直後の戦闘だったっけ」

「あれは戦闘とは言わんな。叛乱軍の哨戒艇とぶつかって、威嚇射撃をしようとして艦内で事故を起こしたのだ」

 

 その時、弾薬の信管不良が起こした爆発事故で吹き飛んだ士官詰め所に、残っていたのがヘルダーリーン唯一人だったのだ。

 二人はちょうど艦橋に詰めていた為、難を逃れたのだ。

 彼はあの戦闘唯一の戦死者として、名簿に書き込まれたのである。

 

「こうしてみると、世の中って、本当に何が起きるか判らないよな。俺達がもうすぐ元帥になるって聞いたら、皆びっくりするだろうな?」

「そうでもあるまい?」

 

 不思議そうに見返してくる銀灰色の瞳に、双色の瞳がちらっと笑い返す。

 

「ゲアハルト・フーゴー・フォン・ゴットヘルフ少将は、吾々は大成すると言っていただろう。今頃、それ見た事かと髭を扱いてらっしゃるさ」

「……そっか。それもそうだ」

 

 やっと笑顔を見せたミッターマイヤーの肩を抱いて、ロイエンタールは山荘の扉を開いた。

 数年振りの屋敷の中で、二人がどんな夢を見たかは、秘密である。

 



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青二才に愛の鞭?

 その日、カール・エドアルド・バイエルラインは舞い上がっていた。

 彼の敬愛する――周囲からは、敬愛と言うレベルには見えなかったが――上司たる、ウォルフガング・ミッターマイヤーに夕食に誘われたのだ。

 残念ながら奥方は旅行中とかで、上官行きつけのカフェレストランでの食事だった。

 空は生憎の曇り空だったが、彼の心はドぴーかんだった。そう、ここまでは、彼はとても幸せだった。

 退庁直前に、書類の再チェックがあるとかで捕まっていたバイエルラインは、十分ほど遅れて会食先のレストランに向かった。

 その店は、オーディンで近年増えて来たオープンカフェスタイルのレストランで、生け垣で囲った庭に天幕を何枚か張り渡し、その下に席を並べているものだった。

 そして、奥の方にある四人がけの丸テーブルに、愛しの上官と、その横に座る金銀妖瞳の上級士官の姿を見付けた。

 

「すまんな、私も今日は、予定が無くてな」

 

 そう言って、気障ったらしくにやりと笑うオスカー・フォン・ロイエンタールに一瞬どっと落ち込んだものの、上官の前の席が開いているのに気が付いた。

 見れば、ロイエンタールの前になる、上官の隣りの席に二人分のコートと書類ケースが纏めて置いてあった。

 

「バイエルライン、座らないか?」

 

 ミッターマイヤーからのその言葉に、じんわりと感激しながらバイエルラインはコートを椅子の背に掛け、鞄を下に入れて柱を背にするミッターマイヤーの正面に着席した。

 光源が近いのか、ミッターマイヤーの金髪が白く光って見えて、バイエルラインは眩しさから目をちょっと細めた。

 

 奇妙と言えば、奇妙な会食だった。

 普段、バイエルラインの言動の一つ一つに厳しいチェックをかますロイエンタールが、静かに黙々と食事を取っているのだ。

 敢えて言うなら、レストランの出すワインの冷やし方に注文を付けたくらいで、その他についてはバイエルラインが怖くなるくらい静かだった。

 

「どうした、バイエルライン。ここの料理、口に合わないか?」

 

 緊張の余り、食事が余り進まないバイエルラインを、ミッターマイヤーが気遣う。

 普段なら、絶対零度の視線で彼を睨み付けてくる筈のロイエンタールは、何故か静かに鱸のムニエルを口に運んでいる。

 

「いえ、美味しいです、これ……!?」

 

 返事の途中で、声は掻き消されてしまった。突然の大雨に、バイエルラインは頭っからスラックスの中までずぶ濡れになってしまったのだ。

「あわわわわっ」

「バイエルライン、こっちに入れ」

 

 雨の冷たさと上官の声に、慌てて立ち上がろうとしたバイエルラインは、椅子の下の鞄の存在を忘れて無理やり立とうとした為に、そのまま椅子ごとひっくり返って濡れた芝生の上に転がってしまった。

 当然、コートも芝の上に出来た水溜りの中に広げる事となり、バイエルラインは全身本当に濡れ鼠となってしまったのである。

 

「ほほう、今夜は雨だとは聞いていたが、随分凄いな」

 

 添え物の人参のグラッセまで綺麗に食べ終えたロイエンタールは、口元をナプキンで拭いながらそっと笑った。

 

 

「これはひどいと思うぞ、ロイエンタール」

 

 店からバスタオルを借り、無人タクシーを呼んで部下を送り出したミッターマイヤーは、店を出て駐車場に向かう間に、まだ人の悪い笑みを浮かべる親友に抗議した。

 雨は、弱まったもののまだ降り続いている。

 

「何がだ?」

「とぼけるな」

 

 ぴしゃりとそう言うと、雨に濡れた金髪をうっとおしげに掻き上げた。

 

「バイエルラインが来る前、俺がトイレに立っている間に、お前テーブルをずらしただろう」

「ほう、どうしてそう思う?」

 

 おかしそうな黒と青の瞳を軽く睨み、ミッターマイヤーは不機嫌そうに言葉を続ける。

 

「普通、天幕の下に席は造ってあるものだ。それなのに、バイエルラインは雨に降られたんだ、テーブルの位置がずれていたに決まっている」

 

「だがミッターマイヤー、あそこに座ったのは奴自身だろう?」

 

 その言葉に、灰色の瞳がぎっと眼光を増した。

 

「そう誘導したのはお前じゃないか。俺の隣りの片方に荷物を置いて、もう片方にお前が座ったら、後は俺の正面しかないだろう?」

「ほう、ではどうして、それをあの青二才に教えてやらなかった? そうすれば、奴は濡れずに済んだだろうに」

「……俺も、雨が振って来てから気付いたんだ。それにあそこでそれ言ったら、なんだかバイエルラインが可哀想な気がしたし」

 

 そう言いながら、ミッターマイヤーは駐車場を通り過ぎようとした。

 てっきり、自分の地上車に同乗するのだと思っていたロイエンタールは、慌てて引き戻しに掛かった。

 

「待て、ミッターマイヤー何処に行く!?」

「何処って、帰るに決まっているだろう」

「違う、車に乗らないのか?」

 

 その言葉に、ミッターマイヤーはつんっと背中を見せて歩き出した。

 

「折角食事に誘った部下に、あんな思いをさせてしまったんだ、俺もずぶ濡れになるのが筋ってものだろう? このまま帰るよ」

「待て、ミッターマイヤー、それは違うぞっ! 第一、今夜はフラウエヴァンゼリンはいないだろう!」

 

 こうして、七月のオーディンの夜は更けて行くのであった。



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薔薇よ、薔薇よ

 その劇場は、実を言えば因縁が有って、あまり来るつもりは無かったのだ。

 だが、かたや妻の付き合いで、こなた現在の情人未満の顔を立てに、そこで観劇せざるおえなくなったのだ。

 だが、そうしてやって来たその劇場で、事件が起こってしまった。それも、満場の観客が見ている舞台のすぐ側でだ。

 

 

 ウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールとは、二人仲良く劇場内のラウンジでコーヒーを啜っていた。

 チェック柄のネイビーカラーのジャケットがまるで新社会人のようなミッターマイヤーと、それしか着たことが無いようなタキシード姿のロイエンタールが、一つのテーブルで並んでコーヒーを啜る姿は妙にちぐはぐしていたが、二人は特に気にしていない。

 彼らの背後では、不安そうな人々と、現場保持と調査で右往左往する憲兵と私服警官の姿がある。

 

「しかし、」

 

 そう切り出したのはロイエンタールの方だった。

 

「どうした?」

「何、この劇場も気の毒な話だと思っただけだ」

 

 親友の言葉に、まとめる努力だけはした蜂蜜色の金髪に指を入れて、ミッターマイヤーも小さく頷いた。

 

「そうだな、あの事件から半年ばかり経って、やっと客が来るようになった矢先だったそうなのに」

 

 『あの事件』とは、以前この劇場の楽屋で起こった、私設秘書による脚本家殺人の事である。その場に居合わせた女優に容疑が掛かったものの、間接的に推理する事になった二人によって、真犯人が判ったと言うものである。

 最も、その事実はほんの一握りの人間しか知らないのだが。

 

「何にせよ、早く帰らせて貰いたいものだ」

 

 ロイエンタールの言葉に、ミッターマイヤーは灰色の瞳をそっと伏せた。

 

 

 今日の演目は、古典を現代風にアレンジしたものだと言う話だった。

 パンフレットと妻からの解説によると、母と叔父の姦計で父を殺され、自身も命を狙われた主人公が、婚約者を自殺に追い込み恩師も誤解から殺した挙句に、敵の二人を殺してしまうものの、実は総て父親の妄想から来た誤解だったと言う、『悲劇』なのだそうだ。要は『ハムレット』らしいが、落ちがひどくなっていると思ったのはミッタ―マイヤーだけの秘密である。

 事件は、劇の中盤から終盤に掛けて、婚約者の葬儀中のシーンに起こった。

 そこは、恩師でもある婚約者の父に、主人公が自分の亡父の遺品を突き付け、姦計の共犯か否かを問い質すシーンだった。

 当然、妄想の産物の姦計なのだから恩師に答えられる筈も無く、逆上した主人公は彼を骨董品のリボルバーで撃って殺してしまうのだ。

 そのシーンが終わり舞台が暗転した後、急に緞帳が降りて場内の照明が次々に点いた。

 そして、ざわめく観客席に館内放送で『事故が発生した為、指示が出るまで動かないように』と言うアナウンスが流れたのだ。そして三〇分以上経ってやっと、緊急閉鎖のため全員退場するようにと放送が掛かり、観客達は憲兵に追い立てられるように場内からロビーに移された。

 ロビーに出来た、臨時カウンターで氏名と住所を記録された観客は、一部抗議していた者もいたようだが、皆憲兵によってつまみ出されたようだ。

 前評判の高かった劇ゆえに、かなりのブーイングが上がっていたが憲兵達に押し出されてしまったのだ。

 

 

 二人は本当なら帰っているところだが、ミッターマイヤーは妻がまだ尋問中の友人――今日が初舞台だった女優である――に付き添っている為、ロイエンタールは親友に付き合っていたら、出演者の招待客であった事が知られて足止めを受けたのだ。

 三杯目のコーヒーを空ける頃、憲兵総監となったウルリッヒ・ケスラーが二人の前に現れた。

 

「ケスラー、どうしてお前が?」

 

 不思議そうなミッターマイヤーに、大柄な憲兵総監は眉をハの字にしてこう答えた。

 

「上級大将が二人、事件現場で雁首揃えていればな。対応できないと現場から泣きつかれたから、首検分を兼ねて来たんだ」

「あ……」

 

 ケスラーの言葉に、ミッターマイヤーは納得した様子だが、優雅にカップをテーブルに戻した金銀妖瞳の貴公子は、同僚を不機嫌そうに見上げただけだった。

 

「で? 一体何が起こっているのか、報告を受けたのか?」

「ああ。ここではなんだ、別の場所に移って話すとしよう」

「待ってくれ、俺は妻と一緒に来ているんだ、悪いが離れる訳には」

 

 ミッターマイヤーがそう言った、その時である。憲兵と劇場関係者らしい人間が、大挙して出口に向かうのが見えた。

 どうやら、誰かを病院に運ぶらしい。

 その人ごみの中に妻を見付け、ミッターマイヤーは思わず立ち上がった。

 エヴァンゼリンの方も夫とその親友とに気付き、小走りでラウンジへと走り込んだ。

 

「エヴァ?」

「ああ貴方、ロイエンタール様、それからケスラー様も。ごめんなさい、ロジーが倒れてしまったの」

 

 『ロジー』とは、妻の友人で、今回の劇で初舞台というロジーナ・キーンの愛称である。

 ショーカットのブルネットと、大きな緑玉色の瞳が印象的な女性で、女優より看護婦か保母の方が似合うとミッターマイヤーは思っていた。

 

「ロジーさんが?」

「舞台のお稽古で根を詰めていたところに、せっかくの初舞台がこんな事になってしまって、しかも被害者が彼女の尊敬していた先輩だったものだから耐え切れなくなってしまったらしいの。私、彼女に付き添って病院に行くわ、貴方はどうします?」

「……俺は、ロイエンタールと飲むから大丈夫。朝方、着替えに戻るから、君の方こそ気を付けて」

 

 軽く夫とキスを交わし、エヴァンゼリンは大急ぎで劇団員を追って行った。

 その背中を見送ると、ミッターマイヤーはそこはかとなく所在なげなケスラーと、軽く肩を竦める親友とに向き直った。

 

 

 三人が移ったのは、劇場に程近い小さな酒場だ。

 どうやらケスラーはここの常連客らしく、軍服姿を見てもバーテンもボーイも特にうろたえもせず、ボックス席に酒とつまみの皿を運んで来た。

 軽くグラスに口を付けると、ミッターマイヤーは促すように口を開いた。

 

「妻の話では、俳優に何かあった様だが?」

「……殺人事件だ。被害者は、ゾフィー・フォン・カネッティ。今夜の舞台で、主人公の母親を演じていた劇団の看板女優だ。一年間の病気療養からの、これが快気興行第一弾だったそうだが」

 

 そう言うと、ケスラーは気不味げにロイエンタールを伺う。

 当然と言うか、彼を招いていたのは被害者だった。

 だが、ロイエンタールの方は軽く眉を顰めただけで、特に反応を示さなかったが。

 

 状況はこうである。

 あの、暗転して舞台の大道具の入れ替えが始められようとしたその時、急にフロイライン・カネッティが倒れたのだと言う。

 一瞬、貧血を起こしたのかと思った周囲の目の前で、彼女は呼吸困難を起こし、そしてそのまま事切れたのだ。

 その時、彼女の周囲にいた人間は四人で、そのうち同じ劇団の役者は三人、もう一人は劇場の職員だった。

 一人は、劇団の団長でもあるシグムント・ドルスト。

 被害者とは劇団創設以来の付き合いで、今夜の演目では、主人公に殺される恩師の役を演じていた。

 もう一人は、この劇の主役を演じたクリスチアン・レッシング。

 この劇団の若手ナンバーワンである。とある筋では、国立劇団から引き抜きの打診もあると言う。

 そして三人目の劇団員が、先程病院に運ばれたロジーナ・キーンであった。

 彼女はゾフィーの親族の経営する学校の卒業生である。在学中に引き抜かれて劇団員になった女性で、舞台では母親付きのメイドの役を演じていた。

 因みに、最後の劇場職員はトマス・ヴァルサスという臨時雇いの少年である。

 彼はたまたま、劇団員宛ての届け物を運んで来ていたらしい。

 

 この中で、一番憲兵側が嫌疑を抱いているのは、その時ゾフィーにコーヒーを渡すべく側に近付いたロジーらしい。

 それを聞いて、ミッターマイヤーが激しく眉を顰めた。

 

「いきなり無茶苦茶だな。死因も特定出来ない内に、いきなり犯人扱いか?」

「勿論、いきなり逮捕などと言う軽率な真似はしないよう言ってある。それに、今上げた他の三人も、一度は彼女に接している」

 

 ドルストは彼女からタオルを手渡され、ヴァルサスは運んで来た荷物を渡し、そしてレッシングは、彼女からその荷物を受け取ったのだと言う。

 

「荷物? 何だ、それは」

 

 ミッターマイヤーの問いに、端末から情報を引き出しながらケスラーが頭を掻く。

 

「ふむ、レッシング宛の薔薇の花束らしい。香りの良い、見事な赤い薔薇だったそうだが」

 

 薔薇と聞いて、ミッターマイヤーは顎に指を当てた。

 

「薔薇か。そう言えば、前にエヴァとロジーが、薔薇の事で話していたような気がする」

「……ゾフィー・フォン・カネッティは、結構な薔薇フリークだったな。最も、『自分は《緑の指》を持っていないから』と、造花や雑貨を集めていたようだが」

 

 そう言って、黙々と酒を飲む双色の瞳の親友をちらりと見ると、ミッターマイヤーは状況を確認するべくケスラーに向き直る。

 

「劇団内や被害者自身に、何か問題とかは無かったのか? 俺が妻から聞いた限り、ロジーは彼女に特に悪い感情など、持っていなかったと思うんだが」

「ああ、それも問題なのだ」

 

 途方に暮れたように、ケスラーは下を向いた。

 

「あの劇団は、はっきり言って彼女が纏め役と言って良い。レッシングを見出したのも彼女だったし、脚本も彼女の手によるものだったそうだ。しかも、かなりの世話好きだったそうで、今は彼女曰く、『甘え方を知らない男の子の愚痴相手を勤めている』と言う事だったそうだが」

 

 ケスラーの言葉と、ミッターマイヤーの無言の視線に、居心地悪げにロイエンタールはグラスを降ろす。

 そこに、短いアラームがなった。病院からの検死報告が届いたのだ。

 三人で、肩を寄せ合うようにして画面を見ているうちに、ロイエンタールは怪訝そうにこめかみを押さえた。

 

「この症状……、もしや『アナフラシキーショック』か?」

「アナフラシキーショック? 何か聞いた事があるな」

 

 ミッターマイヤーが聞き返すと、小さく頷いてロイエンタールは簡単に説明する。

 

「詳しい仕組みは医学書に載っていると思うが、ある種の薬品や蜂毒などを長期間摂取していると、身体の中にある種の免疫抗体が出来る。だが、この抗体は厄介な事に抗原と結び付いて激しいアレルギー症状を起こすものがある。それを『アナフラシキーショック』と言うのだが」

 

 それを聞いて、ミッターマイヤーは唐突にロイエンタールに向き直った。

 ロイエンタールも、酷く不快なことに行き当たったように眉を顰め、ケスラーの方に視線を向ける。

 

「ロイエンタール、彼女、何の病気か聞いていたか?」

「ああ、一応な。ケスラー、今すぐ彼女の周囲で揉め事が無かったか、調べてみてくれ。……恐らくは、事故だと思うのだが」

「それは一体……」

 

 怪訝そうな同僚に、二人は軽く視線を交わしてこう切り出した。

 

「確認とって見てくれ。彼女は、辺境で結核を患っている。恐らく、古めかしくもストレプトマイシンの大量投与と言う治療だった筈だ」

「後、薔薇の花を扱った店も。バクテリアの繁殖予防に、きっとストレプトマイシンが使われた筈だから」

 

 そこまで聞いて、ケスラーにも事態が飲み込めた。

 二人に一礼して席を立つと、そのまま端末を抱えて店を出て行った。

 残された二人は、ぐったりとソファーに凭れ掛かった。

 

「なんて事だろう。彼女は好きな花の香りを楽しむ為に、花束を受け取ったんだろうに」

「人生、何があるか判らんさ。さあこれからと言う時に、足元に穴があるなんてよくある事さ」

 

 悟ったような親友の言葉に、些かむっとした表情で向き直ったミッターマイヤーは、そのまま喉元まで出掛かった罵倒を飲み込んだ。

 

「どうした、ミッターマイヤー」

「ロイエンタール、泣いているのか?」

 

 ミッターマイヤーに言われて、初めてロイエンタールは自分の右目から一筋、涙が零れている事に気が付いた。

 

 

 翌朝、演劇ファンに復帰を祝福されたばかりの女優の死亡記事が、新聞の芸能欄を賑わせた。

 その数週間後、様々な花に飾られた墓に、彼女の愛した薔薇の花束を抱えた一組の夫婦と若い女性、そして一人の高級軍人が訪れた事を、知る者はいない。

 



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防犯心得、の心得

 その日も、オスカー・フォン・ロイエンタールは機嫌が悪かった。

 何故なら彼の目の前で、親友であるウォルフガング・ミッターマイヤーが、彼以外の人間と話し込んでいるからだ。

 その日高級士官用クラブ『海鷲』ゼー・アドラーでは、この間退院したばかりのナイトハルト・ミュラーと、帝都防衛司令と憲兵総監を兼任するウルリッヒ・ケスラーとが、額を突き合わせて話し込んでいた。

 そこに、親友が引き込まれたのだ。

 

 

 話は、宇宙港の民間人用ターミナルでの、すり多発に付いてだった。

 ローエングラム公が政治実権を握って以来、こう言う表現は何だが犯罪発生率が多くなった。

 これを指して、貴族の何人かは眉を顰めているが、実際のところはこれまで貴族達が地位と金に明かせて握り潰していた犯罪が、犯罪としてカウントされるようになっただけである。

 だが、そんな中で、本当の意味で犯罪が増加しているのが民間用の宇宙港である。

 所謂財布、身分章の類が掏り取られる、『すり』の被害が爆発的に増えていると言うのである。

 

「あそこは確か、先月防犯強化と称して、色々行ったんじゃあ、ありませんでしたっけ?」

 

 入院していてどれだけの情報を集めていたのか、少々気になるミュラーの発言に、ケスラーは不承不承と言った態で頷いた。

 

「うむ。フォン・クラーマー少佐の発案でなぁ」

 

 このフォン・クラーマーと言う男、祖父がフリードリヒ四世の時代に憲兵総監をしていたと言う事があってか、上官であるケスラーに非常に敵愾心を持っていた。

 今回、ケスラーに対する示威行為と、次期総監への布石として、宇宙港の犯罪率低下を狙ったらしい。

 その対策と言うのは、

 

  チケットに、すりへの警告文を入れる。

  ターミナルのあちこちに、金品の無事の確認を促す、警告文を大きく張り出す。

  そして警備員を随所に配置する。

 

と、言うものだった。

 ところがだ、これを行った途端、ターミナルでの犯罪発生率はその前の月の数字を一週間で追い抜き、月末にはこのターミナル開設以来最悪の件数を叩き出す不始末となったのである。

 ……尤も、当人は「上司が自分の昇進を邪魔しようとしている」と吹いて歩いているらしい。無論、ローエングラム体制下で、それを受け入れる者は少数派でしかなかったが。

 

「まあ、そこで自分の失敗を認められない莫迦は一端脇に置くとして、何が良くないのかな?」

 

 ミッターマイヤーが首を捻ると、ミュラーも頬を掻きつつ首を傾げる。

 

「そうですねぇ、警備員が増えて、犯罪まで増えるなんて、洒落になりませんよねぇ」

 

 そこまで聞いて、ロイエンタールは溜め息交じりに年上の同僚に向き直った。

 

「ケスラー、この防止案の穴に気付いていて、やらせた訳では無かったのか?」

 

 金銀妖瞳の上級大将の、言外に滲む付き合いきれぬと言う空気に、大きな背を丸めながらケスラーは本音を言った。

 

「実は、はっきりとは言えないが、これは駄目ではないかと思った。だが、俺自身何処が駄目かはっきりしないのに、駄目出しをするのはどうかと思ったんでな……」

「そしてしわ寄せは平民か?」

「ロイッ!」

 

 親友から強く言われて、しぶしぶロイエンタールは口を噤む。

 だが、そこに知りたがりの後輩が疑問をぶつけて来る。

 

「じゃあ、ロイエンタール提督はこの作戦の何処が悪いのか、判ったんですか?」

 

 その問いに答えず、ロイエンタールはしれっとした口調で、ミュラーに問い返す。

 

「ミュラー、あそこに落ちた手帳は卿のか?」

「え?」

 

 ばばっと、懐中に忍ばせている手帳の位置に手をやったミュラーを見て、ミッターマイヤーがあっと声を上げた。

 事の次第を悟ったらしいミッターマイヤーと、ケスラーが「そう言う事か」と目を交わす。

 

「警告文を見た利用者が、金品の位置確認をしたのを見届けている訳か」

「確かに、つい手をやって確認してしまうものな。つまりクラーマーの警告文が、すり達に情報を与えてしまっているんだ」

 

 腕を組むケスラーに、ロイエンタールはちろりと双色の瞳を向ける。

 

「判ったのなら、とっととその百害あって一利無しの警告文を取っ払う事だ。ついでにあそこのロビーは見た事があるが、警告文の看板がいい感じに見晴らしを阻害して、そこに隠れるように立っている連中も見掛けた。犯罪者に、隠れ家を提供する様ではどうかと思うが?」

「判った、判った。ミッターマイヤー、すまなかった」

 

 ロイエンタールの傾ぎ具合の限界を感じて、ケスラーは同じく身の危険を感じたミュラー共々席を立った。

 後には、もの言いたげなミッターマイヤーが残った。

 

 

「ロイ、あんな言い方するなよ」

「ん?」

 

 二人が立ち去って暫くして、ミッターマイヤーはぽつりとこう言った。

 クラーマーの事かとロイエンタールは思ったが、あれの事はミッターマイヤーも庇ってやるつもりはさらさらなく、彼が口にしたのはケスラーの方だった。

 

「ケスラーだって、部下に平等に接しようとした結果だったんだ。それに、あいつもこんなに酷い事態を想定してなかったんだ、責めてやるなよ」

 

 ミッターマイヤーの言葉に、ロイエンタールは口を開き掛けて閉ざした。

 あのクラーマーと言う男は、事有る毎にこう言っていたのだ。

 

「平民なんて、牛馬と大して変わりはしない。吾々貴族がきちんとなすべき勤めを示してやらねば、賢く生きる事など不可能だ。何故なら平民は、貴族に使えるよう愚鈍で愚かに生まれ付いているから、そのつど言い聞かせてやらねばならないのだ」

 

 そう言う男だから、思いついただろう防止案だとロイエンタールは知っている。

 だが、そんな事を親友に向かって語る気はさらさらない。

 大体これ以上不愉快な事があるだろうか。

 現にあのクラーマーと言う男より二、三歳若い我が親友は、当の昔に上級大将の地位に昇っていると言うのに!

 

「ロイエンタール?」

 

 返事を返さない一歳年上の親友を、蜂蜜色の金髪の勇将は怪訝そうに窺っている。

 それに向かって、ロイエンタールは黙ってワイングラスを掲げて見せた。

 



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天罰覿面?

 その日、ウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールの二人は、仲良く高級士官用クラブ『海鷲』ゼー・アドラーで酒を酌み交わしていた。

 そこに、コルネリアス・ルッツとアーダルベルト・フォン・ファーレンハイトの二人がやって来た。

 

「金が勿体ない」

 

と、滅多にこう言う場所に来ないファーレンハイトが来たと言う事は、どうやらポーカーか何かでルッツを負かして、奢らせる事に成功したらしい。

 現に、まだ薄らとだが目の色が変わったままのルッツは、何処か不服そうに眉を微かに顰めている。

 

「ほう、今日もつるんでいるようだな、二人とも」

 

 遠慮もへったくれも無い言葉に、ロイエンタールは眉を片方、器用に上げて見せ、ミッターマイヤーはにこやかに「やあ」と返事した。

 

「そう言えば、聞いたか? 連続宝石窃盗犯が捕まったそうだぞ」

 

 勢い込んでそう言う年上の同僚に、ミッターマイヤーは親友との待ち合わせの間に呼んだ新聞記事を思い出した。

 確かにそんな記事はあったが。

 

「ファーレンハイト、あれは容疑者が特定されたと言うだけで、まだ確定では無かったと思うが」

「いいや、ほぼ決まりだろう」

 

 妙な自信と共に、ファーレンハイトは断言した。

 

「何しろ自称『芸術家』だからな、宝石類を隠すような物は幾らでもあるし、幾らでも作れるさ。何、最悪造っている陶芸の置物の中に包み込むって方法もあるしな」

「随分、その盗人に恨みがあるようだな、ファーレンハイト」

 

 ロイエンタールの声に、ファーレンハイトは当然とばかりに胸を張った。

 

「奴は、一つ数万帝国マルクに及ぶ宝石を三桁も盗んでいるんだ。そのうちの一つでもいい、俺にくれたらいいのに。奴は大昔の東洋にいたとか言う、鼠小僧《ラッテンシュティフト》と言う盗賊を見習うべきなんだ」

 

 随分な物言いに、横にいたルッツが目を逸らす。

 色々文句を垂れつつ、二人のボトルからちゃっかり一杯相伴すると、ファーレンハイトはルッツを引き連れ向こうのカウンター席へと移動した。

 その対照的な背中を見送って、ミッターマイヤーはやれやれと溜め息を吐いた。

 同じく、視線だけで年上の同僚の背中を見ていたロイエンタールは、ぽつりと同情した訳でもなくこう言った。

 

「まあ、実際のところ、その件の盗人が捕まるかどうかは難しいだろう」

「……ロイエンタールもそう思うか?」

 

 軽く鼻を鳴らすと、ロイエンタールはグラスにワインを継ぎ足し、肩を竦めてこう続けた。

 

「幾ら疑わしくても、盗品が出てこなければ立証出来まい。例え、それが当人にとって不本意な事であってもだ」

 

 その言葉に、ミッターマイヤーはやっぱりと頷いた。

 

「卿もそう思うか」

「ダイヤモンドは高密度に結合した炭素の結晶、鋼玉《コランダム》は大抵が酸化アルミニウムだった筈だ。例え素人向けの小型炉であったとしても、焼き物を作る以上一千度くらいの温度は出るだろう。

 それだけ熱すれば、炭素は燃えるし、酸化物は還元される」

 

 そう言ってグラスを空けた親友に、これは無知な泥棒への同情を込めてミッターマイヤーはグラスを掲げた。

 

「そして、取り出そうと焼き物を割った時、奴の目の前に出て来るのは一掴みの灰と、アルミの塊ばかり、か」

「宝石泥棒を気取るには、あまりにも宝石を知らなさ過ぎたな」

 

 そう笑ったロイエンタールは、ほんの少し残念そうだった。

 そんな間抜けが、母の残した宝石を盗み出し、それこそ灰にしてくれれば、すっぱり忘れる事が出来ただろうに。

 口に出来ない思いを知らずか、ミッターマイヤーは苦笑いと共に締め括った。

 

「聞けば、国宝とは言わずとも、貴族の家宝だったような石も幾つか盗まれていたらしいけど、それらも皆永遠に消えてしまうんだなあ」

「……そうだな」

「ファーレンハイトではないが、確かに一つくらいくれたら良かったのに」

 

 子供のように笑って、そんな事を言う親友の癖の強い蜂蜜色の金髪を、ロイエンタールは軽い嘆息と共に掻き混ぜた。

 

 

 それから三日後、件の自称芸術家が自分のアトリエで拳銃自殺をしたと新聞は報じた。

 彼のアトリエにあった、全ての自作の陶器の美術品全てが叩き割られ、その瓦礫の中で死んでいたと言う。

 



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橋の上にご用心

 その日、ウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールの二人は、帝都の湾岸開発区に視察に来ていた。

 本来ならそういう部署の人間か、さもなければ宰相であるラインハルト・フォン・ローエングラム本人が行くべきなのだろうが、殺人的に忙しく、さらに言うなら余り内政関係者を信用していないローエングラム公の命令で、軍部の二大巨頭が視察に向かったのである。

 貴族相手のヨットハーバーと、何者かは知れないが『泰帝廟』と呼び習わされる人工島だけしかないこの湾岸部に、現在開発事業が展開されつつある。

 取り残された貴族達の東屋を、喫茶店やショッピングモールに改装して、観光産業を振興しようというものである。

 元々、『泰帝廟』自体が数少ない平民達の観光地――と言うのとは、ちと違うかもしれないが昔からここによく集まっていたし、ここには貴族達も何故か手出し出来なかった――であった為、近くに気軽に立ち寄れるアミューズメントスポットを作れば、もっと産業振興になる……と、ローエングラム公に進言した者がいたのだ。

 何より『貴族達の持ち物を平民に開放する』と言う事に、心動かされたローエングラム公はその事業にGOサインを出したのだった。

 

 

「思ったより、新しいな」

 

 そう呟いたのは、ロイエンタールだった。

 湾岸沿いに立ち並ぶ東屋――そう言い張るのは貴族達だけで、十分店舗として活用出来そうな代物ばかりなのだが――を眺めながらの言葉に、周囲の平民出身の開発担当者達がこっそりと失笑する。

 その中で、これはわざと大きな声でミッターマイヤーが親友に答えてやる。

 周囲への牽制も兼ねてだ。

 

「この辺に、貴族達が関心を寄せるようになったのは、せいぜい一四、五年位前からさ。それまでは、あそこの『泰帝廟』に平民が来るくらいしかなかったんだよ」

「ほう? 詳しいのか、ミッターマイヤー」

「うん、『泰帝廟』には良く来たから、この辺の変遷は見てきた口さ」

 

 そう言いつつ、ミッターマイヤーは河口から海岸線に向かってをすっと指差した。

 

「このあたりは、貴族の休憩所が出来るまでは良い釣り場でさ、俺も良くここで親父や友達と釣竿降ろしたものさ。それなのに、いきなり貴族達が立ち入り禁止にしてしまったものだから、せっかくの釣りポイントが台無しさ」

 

 その言葉に、釣竿を担いで走るサロペット姿の小さなウォルフを想像して、思わずロイエンタールの口元に笑みが浮かんだ。

 その様子にちょっとだけ口を尖らせ、ミッターマイヤーは堤防の上に飛び乗った。

 堤防から、帝都の端を掠めて海に注ぐフギン川とその河口を眺めると、丁度引き潮なのか水面が遥か下の方にある。

 日差しを反射する水面を見つめながら、ミッターマイヤーはゆっくりと堤防の上を歩き出した。

 そんな子供じみた親友の行動に、小さく微笑んだその次の瞬間、

 

「救急通報を頼む、誰か川の中に落ちてる!」

 

と叫んで、ミッターマイヤーが走り出した。

 彼らが立っているところから二百メートルほど先の橋の下、水量計を兼ねた鉄の梯子の所に、人にもマネキンにも見える何かが引っ掛かっていた。

 

 

 報告を済ませ、士官用クラブ『海鷲』ゼー・アドラーに現れた二人に、いきなり声を掛けたのはフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトである。

 

「よっ! また事件を引き当てたって? お前ら、本当に当りが良いよな」

 

 その言葉にミッターマイヤーは苦笑いを浮かべただけだが、ロイエンタールは露骨に眉を顰めた。

 

「好きで行き当たっているとでも、思っているのか」

「お前はともかく、ミッターマイヤーは懐かれてるのかもな」

 

 真顔で言われて、ますますロイエンタールは苦虫を噛み潰した顔になる。

 思い当たるのが、さらに腹立たしい。

 そんな顔の親友に気付いているのか、いないのか、ミッターマイヤーの方は別の同僚に声を掛けられていた。

 

「しかし、『泰帝廟』の近くであんな事件が起こるとは、よほど度胸がある犯人なのか、それとも死んだ人間が黙認されるほどの悪党だったのか。どちらにしろ、凄い事だな」

「うん……。取り敢えず、憲兵の報告を待たないと何とも」

 

 アウグスト・ザムエル・ワーレンにそう答えると、ミッターマイヤーは機嫌がものの見事に傾いでいる親友に向き直った。

 

「ん? どうしたんだ、ロイエンタール」

「どうしたも何も、どうして卿は……」

 

 叩きつけようとした言葉は、入って来たウルリッヒ・ケスラーのお蔭で宙に浮いてしまった。

 

「ああ、ミッターマイヤー提督、ロイエンタール提督、こちらでしたか」

「何か判ったのか、ケスラー」

 

 ロイエンタールと同じテーブルに着きつつ、しかしミッターマイヤーは真っ直ぐケスラーに顔を向けた。

 

「死亡者の身元と死亡原因、そして容疑者が逮捕されました」

 

 ケスラーの言葉に、ミッターマイヤーは訝しげに眉を顰めた。

 

「容疑者が?」

 

 ケスラーの報告によると、死亡したのは仮名A中佐。

 所謂貴族の末端の人間で、最近とある女性の事で、謹慎処分を言い渡されるほどのトラブルを起こしていた。

 死因は、川の水による溺死で死後五、六時間経過しており、誰かの手で水の中に押し付けられたと言うよりは、溺れてそのままと言うのが捜査サイドの視点らしい。

 端末のモニターに映し出されているA中佐とやらは、結構恰幅の良い大柄な男で微笑めば優しそうにも見えるが、目つきの陰険さで全て台無しと言う印象の男であった。

 

「川の水?」

 

 聞き返したのは、ロイエンタールだった。その言葉に、ケスラーは頷いて手元の端末に目を落とした。

 愛用の端末には、憲兵隊から引き出した情報を収められている。

 

「ええ、フギン川特有の淡水プランクトンが大量に検出されたそうですが」

 

 その言葉に顎を擦る美貌の親友の横で、ミッターマイヤーの方が身を乗り出した。

 

「それで、容疑者と言うのは?」

「容疑者は、被害者が付き纏っていた女性の兄です」

 

 この容疑者は仮名B少佐、死体発見から間も無く憲兵隊詰め所に自首してきた人物であった。

 謹慎を言い渡された後も、妹に付き纏うA中佐に腹を立てたB少佐は今日の朝早く、中佐をフギン川の海岸近くの橋の上に呼び出し、そこで口論するうちに誤って彼を突き落としてしまったのだと。

 

「その橋と言うのは、俺達が視察に行った湾岸部の、《ヴィオラ》橋の事か?」

「ええ」

 

 その言葉に、最初に否を唱えたのはロイエンタールの方だった。

 

「無理があるな」

「え?」

「俺達が、あの騒ぎに行き当たったのは正午を過ぎていた。その間、死体がずっとあそこに引っかかっていて、誰も気付かないと言うのはおかしな話じゃないか」

 

 「それに」と、その言葉に続いてミッターマイヤーも口を開いた。

 

「ケスラー、自分で言っただろう? そのB少佐が犯人になり得ない理由」

 

 途惑ったように頭を掻く、少壮の弁護士のような同僚に向かって、ミッターマイヤーは蜂蜜色の金髪を軽く掻き混ぜながらこう言った。

 

「だから、おそらく被害者が亡くなった頃は、満潮で《ヴィオラ》橋の辺りまで海水が上がっていた筈だから、検出されるのは汽水の筈じゃないかな? でも、検出されたのはフギン川の水だけだったんだろう?」

 

 『汽水』とは、要するに海水と川の淡水が混じったものを指す。

 

「つまり、もっと上流でA中佐は川に落とされたと仰るんですか、ミッターマイヤー提督」

 

 そう確認したその時、ケスラーの端末に緊急呼び出しが入った。

 慌てて取ったケスラーは、途惑いつつもミッターマイヤーに向き直った。

 

「B少佐の妹と言う人物が、憲兵隊に出頭して来たそうです。その、自分に迫って来たA中佐が、橋から落ちたと」

 

 その言葉に、ミッターマイヤーは一瞬何事かを考えたようだったが、黙って頷いた。

 ミッターマイヤーの方からは、ケスラーの端末のモニターが見えていたからだ。

 

 

 忙しそうにケスラーが出て行った後、黒ビールを片手にビッテンフェルトが寄って来た。

 

「やっぱり、あれか?」

「うん」

 

 どうしようもないなと声を掛けるビッテンフェルトに、ミッターマイヤーも仕方がないと頷く。

 その、自分が入り込めない会話にいらいらしながら、ロイエンタールは無理やり話に割り込んだ。

 

「しかし、いい性格の女だな、その被疑者の妹と言う奴は。本当はそのまま口を拭う予定じゃなかったのか?」

「……彼女は、本気で怖くて逃げただけだと思うぞ」

「ほう? どうして言い切れる?」

 

 こと女性が絡むとどんどん斜に構える親友に額を押さえながら、ミッターマイヤーは仕方の無いとこう言ってやった。

 

「あのな、B少佐の妹さん、さっきケスラーの端末で見たけど、どう見ても十歳かそこらの、ちっこい女の子だったぞ?」

 

 その言葉に、思わず黙り込んでしまったロイエンタールの頭の上で、ビッテンフェルトとワーレンが話し込む。

 

「ロリコンか。よっぽど嫌われているか、目に見えて無体なことをしようとしたんだな」

「しようとしたというより、酷い事やっちまったんじゃねえの? でなきゃ流石に死ぬまで放置しないで、親父どものところに投げ込むだろ、あの方なら」

「……暫く、親父に近付けんな。きっと殺気立ってるぞ、叱られたってんで」

「何の話だ?」

 

 胡散臭そうに顔を上げたロイエンタールに向かって、こちらも黒ビールを啜りながらワーレンが答えた。

 

「何、憲兵の代わりに、ミッターマイヤーの祖父君が蹴りを付けちまったなって話さ」

「気を付けろよ、ロイエンタール。ミッターマイヤーの爺様は、それは有名な怖い人だからな」

 

 その言葉に、流石にミッターマイヤーの眉が顰められる。

 

「卿ら、俺の祖父に対して何か含みでもあるのか?」

「無い無い、そんなものは無い」

「単に尊敬しているだけさ。何しろ、亡くなられて二〇年以上経つが、未だに親父が最敬礼する相手だ」

 

 そう言って、なあと肩を竦め合う同期二人を、ロイエンタールは本当に珍妙なものを見る目で見詰めた。

 自分の横で、軽く溜息を吐く親友に、少し物思うこともあったのだが。

 

 

 A中佐が、《ヴィオラ》橋の上流にある《タウリス》橋に向かって、嫌がる十歳くらいの女の子を引き摺って歩いているのを、近所の人間が目撃していた。

 また、『泰帝廟』の近辺には、時折記録的な突風が吹くことがあり、それに煽られて川に人が落ちるのは良くある事であった。

 その為、調査していた憲兵達は今回もそのケースであると結論し、捜査を終了させた。

 但し、貴族出身の若手は詳しく調査しようとしていたが、平民出身の中堅どころの佐官達が、揃って終了を決定したのである。

 

 

 オスカー・フォン・ロイエンタールが、ウォルフガング・ミッターマイヤーの祖父について知ったかどうか、それは誰にも判らない。



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忘れじの庭園  ~庭園の惑星~

 サルガッソー宙域を無事抜けて、ミッターマイヤー艦隊とロイエンタール艦隊とは、艦隊集合宙域である『トール星系』の最外周に達した。

 ここからは、双方とも旗艦と六隻の護衛艦のみで中心都市のある第三惑星スールドに向かう事になる。

 旗艦の艦橋で、ウォルフガング・ミッターマイヤー大将は親友にして僚友であるオスカー・フォン・ロイエンタール大将と、通信回線越しに労をねぎらい合っていた。

 

「オーディンからトール星系まで二週間か。サルガッソーを三ヶ所抜けた割には良い成績だな」

『どんどん先行する卿の艦隊に合わせるのは、骨だったぞ?』

 

 薄く笑いながらのその言葉に、ミッターマイヤーは不当な事を聞いたと言いたげに口をへの字にした。

 

「何を言う。卿なら付いて行けるから、俺と一緒になったと聞いたぞ」

『判っている。そう向きになるな、余計からかいたくなる』

 

 言葉面はあんまりだが、親友の双色の瞳が柔らかな光を放っているので、ミッターマイヤーはそれ以上追求するのを止めた。

 その代わりでも無いが、別の事を口にした。

 

「それにしても、元帥閣下は今頃、書類の山と格闘中だろうか?」

『そうだろうな。しかし、まさか爵位継承後、行政官に残留を命じてそのまま丸一年放置していたとは』

 

 領地こそ持たぬものの、事業家だった父の死後遺産やら事業の整理等で、色々弁護士に引っ張り回された記憶のあるロイエンタールは、若い上官の行動に嘆息する。

 その点、裕福とはいえ自営業の一人息子であったミッターマイヤーには、想像も付かぬ世界の話である。

 

 

 話は、ほぼ五週間前の事。

 雪は解けたものの未だ寒い、二月の末の月曜日に遡る。

 その日、元帥府にいた二人は互いに報告事項があって、上官であるラインハルト・フォン・ローエングラムの執務室に連れ立って向かった。

 ちょうど二人とも近々艦隊演習があり、道々艦隊編成について軽く話し込みながら元帥の執務室へと歩いていた。

 だが、目的地に着いて、警備の士官に観音開きの扉を開いて貰おうとした、その時である。

 

「本当ですか、ラインハルト様!」

 

と言う、ジークフリード・キルヒアイス少将の常にない悲鳴じみた叫びに行き当たり、二人は顔を見合わせた。

慌てて入室した二人が見たものは、スルト杉の大きな机を挟んで、きょとんとしているラインハルトと、机に手をついて息をする、珍しいキルヒアイスの姿だった。

 

「如何なさいました、今、キルヒアイス少将が声を張り上げておいでのようでしたが」

 

 戸惑いを隠せぬままミッターマイヤーがそう問うと、ラインハルトは良く判らないと指を組んだ。

 

「大した事ではないのだが」

「拝領した荘園の、視察も監査もなさっていないのが、大した事ではないと仰いますか?」

 

 腹に据え兼ねるのか、書類を整理しながらキルヒアイスの詰問が飛ぶ。

 その言葉に、今度はラインハルトの白磁の頬に朱が上った。

 事情が飲み込めないミッターマイヤーと、大方の予想を立てたロイエンタールの前で、幼馴染二人組の攻防が始まった。

 

「欲しくて貰ったものではない!」

「欲しい、欲しくないではなく、責任問題だと申し上げています!」

「今まで務めていた行政官に、業務を継続するよう辞令を出しておいたのだ、何も問題なかろう!」

「問題だから申し上げております!」

 

 齢一〇歳からの親友の剣幕に、たじたじっとラインハルトは椅子の背に凭れ掛かる。

 一旦、息を整えるべく言葉を切ったキルヒアイスに、従卒の幼年学校生がそっと水を差し出した。

 受け取って一気に呷る赤毛の若者を見ながら、少々困惑した面持ちでロイエンタールが切り出した。

 

「失礼ながら元帥閣下、昨年拝領したローエングラム伯領を、帝領の時の行政官に引き続き管理させていると、言う事でありますか?」

「ああ、そうだが何か問題があるか?」

 

 あっさりとした答えと問いに、さすがに痛いものを感じながらロイエンタールはこう答えた。

 

「法律上はございません。しかしながら閣下、閣下はその行政官の人となりを御存知でしょうか?」

 

 そう言われて、初めてラインハルトの眉が跳ね上がった。

 従卒からコーヒーを受け取りながら、ミッターマイヤーの方も灰色の瞳を細めて呟く。

 

「中央では滅多に記事になりませんが、辺境の新聞には行政官の不正が切っ掛けの事件が、良く報じられていますから」

「税金を余剰に徴収して着服とか、権力を嵩に来て他人の資産を奪うなど良くある事ですな。中には公金横領の挙句に部下に罪を被せて、一家心中に見せかけて殺して口を拭うような者もいたようですが」

 

 続くロイエンタールの言葉に、姿勢を正したキルヒアイスは我が意を得たと大きく頷いた。

 

「ラインハルト様、確かに遠征があった為、気を回さなかった私にも非はあります。しかし、喩え昇進の余禄であったにしろ、領民に対してそれは余りに誠意の無い態度とは思われませんか?」

「……判った、早急に領地の監査を行う事にする。それでいいな、キルヒアイス」

「はい、ラインハルト様」

 

 どうにか丸く収まったらしい上官とその親友のやり取りに、ミッターマイヤーは胸を撫で下ろし、ロイエンタールは表面上冷静に黙っていた。

 それから、一週間経たずにキルヒアイスにカストロプ公の討伐命令が下った為、ミッターマイヤーとロイエンタールはその日の騒ぎを、他愛ない騒ぎとして記憶の底にしまい込んだ。

 だから、キルヒアイスの帰還後いきなり、演習を兼ねて『トール星系』に向かうと発表され、二人は思わず互いの顔を見合わせていた。

 

 

 トール星系は、名門といわれたローエングラム伯爵代々の領地であり、第二惑星『マグニ』、第三惑星『スールド』、第四惑星『シフ』の三つもの居住可能惑星を持ち、先代ローエングラム伯が遺した延べ二〇〇ヘクタールもの大庭園を中心とした観光産業で成り立っている。

 そんなトール星系へ、ローエングラム伯となったラインハルトが爵位継承以来、初めて足を踏み入れる事となった。

 ローエングラム伯爵家が断絶してから、八〇年余りの突発時であった。

 艦隊の運行予定としては、第一陣としてローエングラム、キルヒアイス、ワーレン、ケスラーの四艦隊、その後ミッターマイヤー、ロイエンタールの二艦隊、ビッテンフェルト、アイゼナッハの二艦隊、殿として、メックリンガー、ミュラーの二艦隊が到着する事になっている。

 ミッターマイヤー、ロイエンタールの両提督の旗艦が第三惑星スールドの軍用港に入港したのは、現地時刻の午前七時の事である。

 だが、艦隊司令官である両名が行政府へと出発出来たのは、それから一時間近く懸かった午前八時前であった。

 海に面した軍用港から地上車に乗り込んだ二人は、漸く目覚めた町を眺めながら行政府へと向かった。対面型シートの向かい側に腰を下ろした親友に向かって、ミッターマイヤーは困ったように呟いた。

 

「なあ、ロイエンタール、ここ、ちょっと整備が行き届いていないな」

「ミッターマイヤー、あれは行き届いていないのではない、なっていないと言うのだ」

 

 控えめな友の表現を、静かな声に渋いものを滲ませつつ、ロイエンタールは切り捨てた。

 観光惑星である事を考慮して、最小艦数で降下したにも拘らず、(軍用港でありながら)管制塔の指示は錯綜し、港湾部の現場も右往左往の有り様であったのだ。

 しかも施設自体も二〇年三〇年経過した、耐用年数すれすれの中古品の寄せ集めで、果てしなくお粗末な状態であったのだ。

 

「まあ、元帥閣下が爵位を継がれるまで、七、八〇年もの間帝室直轄地だったから、軍施設が機能する必要も無かったのだろうし」

 

 あくまでも好意的に解釈しようとする友に、ロイエンタールは大きな溜息を返した。

 

「それは違うな。むしろ直轄地だからこそ、軍施設が機能して然るべきではないか?」

 

 金銀妖瞳の親友の言葉も尤もで、ミッターマイヤーは収まりの悪い頭髪に指を突っ込んだ。

 ロイエンタールの方は、ふわふわと毛先が跳ねる蜂蜜色の金髪を見ながら、手持ち無沙汰そうに長い足を組み直した。

 

「何やら、面倒な事になるのではないかな」

 

 ミッターマイヤーの呟きは、ロイエンタールの内心でもあった。

 

 

 市内の移動は順調に進み、両名は午前八時四〇分には行政府に到着した。

 一星系の中央行政府としては華美過ぎる建物と、始業時間をとっくに過ぎたにも関わらずやる気の無い職員達の姿に、二人揃って眉を顰めながら貴賓室に入った。

 中では、そこを臨時執務室に定めた若き上司とその忠実な友人とが、参謀長を連れて来なかった事を悔やみながら書類の山を崩しに励む姿があった。

 

「こう言う事を頼むのは、公私混同しているようで心苦しいが仕方がない」

 

 不機嫌にそう言ったラインハルトから書類を受け取りながら、キルヒアイスが別の書類を差し出した。

 

「申し訳ありません、両提督に市内にある『ローエングラム庭園』の視察をお願いします。本当は今日行う予定でしたが、とても滞在中にこなし切れそうに無いもので……」

 山積みの書類の向こう側で臨戦態勢の、ラインハルトとキルヒアイスの二人から仕事を託され、二人は足早に行政府政庁から出る事にした。

 二人が出て行くのと入れ違いに、のんびりと玄関ホールに入って来る男がいた。中肉中背の見るからに小役人と言った風情だが、ロイエンタールの見立てでは、身に着けているものは総て、彼の本来の年収では不釣合いな高級ブランド品ばかりだ。

 ちらりと一瞥しただけだが、赤茶けた頭髪の下で小狡そうな茶色い瞳が笑っているのが、殊更嫌な印象を与える男だった。

 そんな中年男を、長い銀髪の白面の優男が腰低く出迎える。見た目は本当に綺麗な男だが、ミッターマイヤーは白い蜥蜴が立ち上がっているように見えて、思わず鳥肌を立てていた。

 

「あれが、件のエドマンド・フォン・ツィーテン行政官と、腹心のカーチス・ウィル・クレバー行政次官だな。当主より遅れて出て来るとは、なんとも優雅な事だ」

 

 地上車が走り出してから、面白くも無いとロイエンタールが呟いた。

 親友しかいない気安さで片足を対面側のシートに載せると、ミッターマイヤーはしかめっ面を作ってこう言った。

 

「あの男、一体どれほど私腹を肥やしたのか」

「まあ、あの手の小役人風情としては、かなり大胆な事をしているかも知れぬな。だが、閣下の事だ、徹底的に旧悪まで掘り起こして、二度と公職に就けぬ様になさるおつもりだろう」

 

 親友の言葉に、なるほどとミッターマイヤーは大きく頷いた。

 

「閣下とキルヒアイスが書類を山積みになさっていたのはその為か。ところで、ワーレンは旧ローエングラム伯の別邸の視察だそうだが、ケスラーは何処に行ったのだろう?」

「決まっている。行政府があのていたらくなのだ、治安警察の状態も押して知るべし、だろう」

 

 二人を乗せた地上車は、中央市街地を南北に走る主要幹線道路を南へ下り、塀に囲まれた広大な緑地の側に建つ総三階建ての瀟洒な建物へと滑り込んだ。

 ここが帝国有数の高級ホテル、ホテルハイデクラオトのスールド支店である。

 中央市街内のホテル群の中でも、交通の便とサービスにおいて最高の評価を受けたホテルであるここは、グループ会長がグリューネワルト伯爵夫人と懇意である事もあって、宿舎として別館が開放されていた。

 本来、元帥以下、全員軍基地に投宿する予定だったものの、基地側の施設の老朽化と狭さを理由に基地側から拒否されてしまい、急遽ホテル・ハイデクラオト側に宿舎の提供を求める事になったのだ。

 姉の、数少ない友人の手を煩わせた事をラインハルトは嫌がったものの、現地のお粗末さに彼女の好意に甘える事に決めたのだった。

 

 

 ホテルに落ち着いて三〇分後、二人は私服姿で、通りの向こうに広がる庭園の門を潜った。

 

「私服の方が一般客を威嚇しないし、管理人も取り繕わないだろう」

 

と、言うミッターマイヤーの意見が通ったからである。

ロイエンタールのほうには反対意見があったようだが、生成りの薄手のセーターを着込んだミッターマイヤーの笑顔に丸め込まれ、反論を諦めてしまった。

 温帯糸杉の林の中を歩きながら、ガイドブックさながらの知識を披露するのはロイエンタールの方である。

 

「そも、この庭園は旧ローエングラム伯最後の当主が、生涯の道楽として造営させたものだそうだ。特に、このスールドに残された庭園は、市街内に造られていた庭園群の一部を集めさせたもので、言わば庭園の見本場と称するべき場所だ」

「俺も、親父から聞いた事がある。最も多い頃には、市内だけで五〇ヶ所もあったから、航空写真は緑のパッチワークの様だったそうだが」

 

 スールドは公転軌道の関係で、オーディンより約一月分季節の巡りが遅い。

 まだまだ花も若葉もまばらな広葉落葉樹と、濃い色の葉ばかりの常緑樹の下を、薄手の大振りなニット姿の二二、三才の青年と、暗めのジャケットを羽織ったサングラスを掛けた二七、八才の長身の青年とが連れ立って歩く。

 無論、ミッターマイヤーとロイエンタール、衆目を引く容姿に、若葉より疎らな観光客の目を集める事この上ない二人である。

 

「旧ローエングラム伯の遺言で、庭園の九割が統廃合されてしまったから、現在公開されている所謂『ローエングラム庭園』は、ここと惑星シフの大薔薇園、そして惑星マグニの熱帯植物園だけだ」

「ふうん……うわっ」

 

 かくんと、何かに足を取られ、ミッターマイヤーは倒れそうになった。

 咄嗟に差し出された友の腕に縋って、辛うじて足を痛めるような倒れ方は免れたものの、足元を見たミッターマイヤーは眉を顰めた。

 

「酷いな、ここの管理は、一体どうなっているのか」

 

 煉瓦敷きの遊歩道の一部から、ごっそりと煉瓦が抜け落ちている。

 ミッターマイヤーが足を取られたのは、そういう穴の特に大きなものだ。

 かれこれ歩いてみたが、遊歩道のあちこちに土埃が溜まって雑草が伸びていたり、敷石代わりの煉瓦が欠けていたりと、とても管理が行き届いているとは言えない状態である。

 

「つまり、閣下はこう言う状況を見て来いと、言う事なのだろうよ」

「それにしたって、酷過ぎるとは思わないか? ロイエンタール」

 

 時折、観光客や地元の人間と擦れ違ったりしながら、二人は遊歩道を道なりに歩いて行き、北欧風の庭園から中華風の水上庭園へと進んだ。

 エキゾチックな植物素材の水上の小路を歩き、石造りの東洋の古代船を模した石造りの物見台に上がると、ミッターマイヤーは一二センチ上の金銀妖瞳を見上げた。

 

「景色はいい、噂通りだ。だが、どうしてこんなに行き届いていないと思う? ほら、あの橋なんて壊れてかなり立つだろうに、未だに応急処置のままだ」

 

 ミッターマイヤーが言っているのは、先程通った小路の欄干の一部分である。

 日に焼けた木材の状態から、補修されたままかなり長くそのままになっているのが知れた。

 

「それだけではない、糸杉などはまめに枝打ちをしなければいけない種類の樹の筈だ」

「……それだけでは無さそうだぞ」

 

 憤懣やる形無しと言った小柄の親友に見えないように、ロイエンタールは形の良い眉を顰めていた。

 不自然に木々の間に隙間が空いているのを、何ヶ所か見たのだ。

 察するところ、園内の良木や希少種の植物を勝手に持ち出した跡らしい。

 高名な庭園の現状に、溜息を隠せないまま二人は歩き続けた。

 人造湖を通り抜け、極彩色のオブジェの並ぶ空間を横目に進むと、まだ蕾の多い桜並木に出た。

 長い並木道を歩いて行くと、椿の生け垣に囲まれた区域に出た。

 真っ先に目に入ったのは、純白の砂利を敷き詰めた幅三〇メートル、奥行き一〇メートル程の空間であった。

 その中には、大小一〇数個の岩がまばらに並べられ、砂利には一面にまるで細い風紋のように筋目が引かれている。

 

「ほう、『枯れ山水』か。先代ローエングラム伯の庭園道楽は、なかなかに本格的なものだったのだな」

「なあ、ロイ。カレサンスイって何?」

 

 顎に指を当てて感心するロイエンタールに、不勉強を恥じつつミッターマイヤーは聞いてみた。

 

「ああ、人類が、宇宙どころか海を粗末な船でおっかなびっくり渡っていた頃に、東洋で生まれた庭園様式だ。水を用いずに、水辺の風景を表現する事から、『枯れ山水』と称するのだそうだ。まあ、主に宗教施設や学校の庭園に造られていたそうだが」

 

 うろ覚えだと微苦笑するロイエンタールに向かって、素朴な尊敬の目が向けられる。

 その春霞の色の瞳に気恥ずかしさを覚え、ごまかすように周囲を見回したサングラス越しの目が、緑に埋もれる様な草葺きの東屋を見付けた。

 

「ミッターマイヤー、あそこに東屋があるぞ」

「本当だ、行って見よう、ロイ」

 

 言うなり、子犬のように駈け出した小柄な親友に苦笑して、ロイエンタールもゆっくりと東屋に向かった。

 近付いてみると、竹林を背にしたその東屋は随分変わった形をしていた。

 木と土で作られたその東屋は、不思議な事に出入り口らしい場所が板戸でぴっしりと閉ざされており、床も地面から四、五〇センチほど高くなっている。

 そんな不可解な小さな建物を、ミッターマイヤーは子供のように見上げた。

 灰色の瞳がきらきらしているのを、ロイエンタールは小さく吹き出しつつ見た。

 その微かな声を聞きつけ、ミッターマイヤーは視線より高い位置の親友の顔を睨み付けた。

 

「なんだよ」

「いいや」

 

 笑みを噛み殺すロイエンタールに、ミッターマイヤーはむっと来るのを押さえ切れずに詰め寄ろうとした。

 そんな二人を、快活な少女の声が呼び止めた。

 

「はあい、そこのお兄さん方、教えて欲しい事があるの、いいかしら?」

 

 振り向いた二人の前に、サロペットとデニム地のジャケットと言う出で立ちの、明るい茶色のショートヘアの少女が走り込んで来た。

 年の頃は一六、七と言うところだろうか、汗だくで走ってきた彼女は、二人に入ってきた門の位置を尋ねて来た。

 

「えーと、ホテル・ハイデクラオトの側の門からだったけど」

「あ、南門側ね。ねぇ、七〇歳位のちっこいお婆ちゃん見掛けなかった? ニットのお兄さんの胸くらいの背の、背中の丸い元気なお婆ちゃんなんだけど」

 

 そう問われて、ロイエンタールは首を振って見せ、ミッターマイヤーは灰色の瞳を眇めながら少女に向き直った。

 

「いや、道なりに歩いて来たけど、そう言うお婆ちゃんには会わなかったよ。力に慣れなくてごめん。ところで、そのお婆ちゃんはご身内の人かい?」

 

 ミッターマイヤーのその言葉に、少女は声を立てて笑った。

 

「うーん、みたいなもの、って言うのが正しいわね。エリス婆ちゃんは、私達民営管理人の代表だから」

「民営管理人? なんだい、それ」

 

 驚くミッターマイヤーと、無言のまま視線で問うロイエンタールの二人に向かって、少女は努めてあっけらかんと答えた。

 

「行政官の御意向とやらで、三年前に廃止された庭園管理局の代わりに、昔造園に参加した人やその身内が、庭園を守る為にお金と労力を出し合う事になったの。それを私達参加者は『民営管理人』って呼んでいるの。

 今探しているエリス・コーダお婆ちゃんが、私達『民営管理人』の総代なの。あ、私、最年少管理人のリーナ・ガーラント」

 

 少女の言葉に頷きつつ、ミッターマイヤーは渋面を作らないように努力していた。

 本来、率先して庭園の保持を行うべき行政官の怠慢と不正に、爆発しそうになるのを必死に堪えているのだ。

 そんな親友の肩を、ロイエンタールが労わるように叩いてやる。

 その手に励まされるように、ミッターマイヤーは話題の転換を図った。

 

「そんな事があったのか。……ところで、この東屋珍しいね、窓の無い造りなんだ」

「え? ああ、これは西暦代の東洋の建築物で、『お茶室』って言う建物ですよ。窓は……あれ」

 

 首を傾げながら東屋へと走ったリーナの様子に、ミッターマイヤーも気にしてついて行く。

 

「どうしたんだい?」

「何時もは、お婆ちゃんが朝六時には風を入れる為に、『雨戸』って名前の窓の扉を開けているの。だけど未だ開いてないのよ」

 

 そう言って、板戸がきっちり嵌まったままの東屋の右手側に回り込んだ少女は、サロペットから引っ張り出した鍵束を手に、困惑したように呟いた。

 

「変ね、南京錠が外れているのに、潜り戸が開かないわ」

「どうしたんだ?」

 

 ついて来たミッターマイヤーの目の前で、リーナは蹲り何かを引き開けようとしている。

 よく見ると、地面から五〇センチばかりの位置に、人一人が蹲ってやっと潜り抜けられそうな板戸があり、そのささやかな取っ手に彼女は手を掛けていた。

 近付いて背後に立ったミッターマイヤーを、リーナは困惑した表情で振り仰いだ。

 

「鍵が外れているのに、ここが開かないの。中には一応差し込み錠が付けてあるけど、自然に掛かる筈無いのに。……まさかお婆ちゃん、ここにいるのかしら?」

 

 不審そうなリーナの呟きが、ミッターマイヤーの勘に引っ掛かった。

 

「すまない、後で弁償するっ!」

 

 そう言うなり、リーナを板戸から引き離したミッターマイヤーは、短いバックスイングからの鋭い蹴りを叩き込んだ。

 白兵戦では一家言持つミッターマイヤーの脚力の前に、一センチ足らずの厚みしかない杉板は真っ二つに割れた。

 

「あーっ、なんて事を!」

「だから、後で弁償するから」

 

 後ろから掴み掛かって来るリーナを、騒ぎを無視出来なくなったロイエンタールに任せると、ミッターマイヤーは割れ目に手を差し入れようとして、見えた物に全身が総毛立った。

 必死に板戸の周囲を探って差し込み錠を外し、成人男子が身を捩ってやっと潜れる小さな戸口に滑り込む。

 板戸の上部にある通気用らしい飾り板の隙間と、ミッターマイヤーの背後から差す光で、中は薄ぼんやりとしか物を見る事が出来ない。

 そんな室内の剥き出しの梁から、何かがぽつんと吊り下げられている。

 

「……っ」

 

 膝を付いたまま、ミッターマイヤーは唇を噛んだ。

 暗い部屋の中に、まるで蓑虫のようにぶら下がっていたのは小さな老婆の身体だった。

 見開かれたままの目と、頸部圧迫で飛び出した舌が、老婆の無念を雄弁に語っていた。

 

「ちょっとお兄さんっ! お茶室は土足厳禁よっ!」

 

 ロイエンタールを振り払った少女が、ミッターマイヤーを中から引っ張り出そうとする。

 その細い手に掴まれたまま、ミッターマイヤーは艦橋もかくやの大きな声で親友を呼んだ。

 

「ロイ、ロイエンタール! 今すぐケスラーを呼んでくれっ! 早くっ!」

 

 その声の前に、異変を感じたロイエンタールに呼び集められた部下達が走り出していた。

 それから間も無く、治安警察の捜査員を引き連れて、ウルリッヒ・ケスラーが駆けつけた。

 



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忘れじの庭園  ~庭園の中で~

 捜査員の中にいた、民営管理人のメンバーによって板戸を外された東屋の中から、梁から下ろされたエリス・コーダの遺体が、白い布に覆われて運び出されて来た。

 その小さな遺体を見て一瞬の絶句の後、リーナ・ガーラントはそのまま泣き崩れてしまった。

 知人である管理人仲間達に気遣われながら、遺体と共に庭園の外に向かうリーナの後姿を見送りながら、二人はウルリッヒ・ケスラーに向き直った。

 

「災難でしたな、お二人とも」

 

 耳の上が白い、黒髪を手で撫で付けながらのケスラーの言葉に、サングラスを掛けたまま肩を竦めるオスカー・フォン・ロイエンタールがいる。

 

「見て歩くだけで終るとは、初めから思ってはいなかったがな」

 

 互いに、この後を考えてうんざりとした表情を浮かべる横で、ウォルフガング・ミッターマイヤーはじっと老婆が死んでいた東屋の中を見ていた。

 その顔に浮かぶ表情に、ロイエンタールの形の良い眉が顰められる。

 

「どうした、ミッターマイヤー」

「何か、気になる事でもありましたか?」

 

 自分の言葉に被せて質問したケスラーを、金銀妖瞳が不機嫌に睨む。

 親友の機嫌が急降下している事に気付かぬまま、ミッターマイヤーは蜂蜜色の金髪を掻き混ぜてうめくように呟いた。

 

「暗い部屋だった」

「え?」

「あの小屋の中は、こんなに日の高い時間帯なのに、上の方の細い隙間しか光の入る場所が無くて、ぼんやりとしか物が見えないような、暗い部屋だったんだ……」

 

 意味を計りかねるケスラーと、おおよその察しを付けたロイエンタールの前で、彼は唇を引き結んだ。

 

「あの御老体の死に顔、俺には、とても覚悟の死には見えなかった」

「ミッターマイヤー、今回はケスラーが直々に指揮を取るのだ、素人の出番は無かろうよ」

 

 そう言いながら、ロイエンタールは熱くなっている親友の肩を叩いた。

 だがその直後、庭園の出口の方の騒ぎに二人は顔を見合わせた。

 弾かれるように駆け出したケスラーに続いて、騒ぎの方に向かったミッターマイヤーが見たものは、捜査員達に引き留められているリーナと、薄ら笑いを浮かべた一八歳くらいの若い男の姿だった。

 ケスラーに何事か言い渡され、それにも薄ら笑いで答える赤っぽい茶色の髪の体格の良い少年に、ミッターマイヤーは見覚えがあるような気がして灰色の瞳を細めた。

 少年はいやらしく笑ったまま彼の方へと歩いて来るとその肩にぶつかった。

 驚くミッターマイヤーに向かって、さも邪魔だと言いたげに睨み付けた少年は、そのまま一言もなしに通り過ぎようとした。

 が、その彼の肩を、遅れて来たロイエンタールが掴んだ。

 

「失礼の一言も無しか」

「ふん」

 

 そのまま振り払おうとした少年だったが、相手の握力の強さに頬に赤味が差した。

 ロイエンタールも、この鼻持ちなら無い礼儀知らずをそのまま帰すつもりはなかった。だが、

 

「いいよ、ロイ。気にしてないから」

 

と言うミッターマイヤーの言葉で、ロイエンタールはごみでも捨てるように彼から手を離した。

もう一度鼻を鳴らして、少年は二人の横を通り過ぎると庭園の奥へと消えて行った。

その背中にサングラス越しに視線を投げ掛けていたロイエンタールが、思い出したように鼻先でせせら笑った。

 

「どうした?」

「何、あの男頭に蜘蛛の巣を付けていた。いい年をして、何処の隙間に収まっていたのやら」

 

 それに向かってミッターマイヤーが何か言う前に、制帽で首筋を扇ぎながらケスラーが戻って来た。

 『頭が痛い』と大書きされた彼の顔に、二人は顔を見合わせた。

 

「何があった? ケスラー」

「大した事ではないのですが」

 

 言葉面を裏切る口調で、ケスラーが語る。

 

「遺体を運んでいる最中に、あの少年が寄って来て、迷惑だの、当て付けがましいだの、付き添っていた少女や、被害者の遺体に向かって言ったそうで」

 

 ぽかんっと口を開けて聞いていたミッターマイヤーの頬に、見る見る怒気が上がって来る。

 そうでなくても、先程の老婆の哀れな姿にいい加減逆上していた彼の、細くなった堪忍袋の緒にはさみを入れた馬鹿を呪いつつ、ロイエンタールはかの馬鹿者の素性を問うた。

 その答えは、ロイエンタールの予想通りだった。

 

「名前はヘルムート・フォン・ツィーテン。ツィーテン行政官の一人息子だそうです」

「……なるほど、父親そっくりだな、あの男」

 

 苦々しく唸るミッターマイヤーに頷くと、ロイエンタールは制帽を直した年上の臨時憲兵長に向き直った。

 

「吾々は、これからどうすればいい? 視察は未だ半分しか進んでいないのだが」

「申し訳無いが、視察を切り上げて宿舎で待機していただく事になります。不本意でしょうが、卿らは第一発見者になりますので、捜査に協力していただきたいのです」

 

 ミッターマイヤーはその言葉に異存は無く、ロイエンタールも重々しく頷いた。

 そして幾つか打ち合わせを行い、二人は、共に宿舎へと戻る事となった。

 

 

 宿舎であるホテル・ハイデクラオト別館のラウンジで、ミッターマイヤーとロイエンタールは三次元チェスを行っていた。

 艦隊シュミレーションほど集中せずに、時間を潰せるものと言う事で、ホテルから借り出したのだ。

 宿舎に戻って、ラインハルトに事の次第を報告したところ、見た範囲内の報告書の製作と、事件捜査の協力とを殺気立った声で命じられた。

 どうやら、噴出する書類不備と業務怠慢とに、さほど太くない堪忍袋の緒が切れる寸前なのだろう。

 そこで報告書を作成して部下に運ばせた後、ケスラーを待つ事になった二人はチェスを始めたのである。

 

「しかし、これだけ酷いのなら、ツィーテンの奴はとっとと罷免してしまえるのではないか?」

 

 ポーンを動かしながらのミッターマイヤーの言葉に、ロイエンタールは軽く首を振って見せた。

 

「そうもいかぬさ。何しろ、可も無く不可も無くと言う事で、奴に継続を命じたのはローエングラム閣下だ。権門貴族の馬鹿息子どものように、ものの好き嫌いで首を切るのは、あの方の矜持が許さぬだろう」

 

 盤面を動く黒のクィーンを見ながら、ミッターマイヤーは蜂蜜色の金髪を大きく掻き混ぜた。

 

「だから、徹底的に改善しようとしていた矢先のこの事件、か。まさか、調査の邪魔の為に人を殺したなんて言わないだろうな」

「判らぬぞ。世の中、金の為なら人の一人二人殺しても、眉一つ動かないなどと言う化け物も、多々いるからな」

 

 世間ずれした親友の言葉に、『誠実な平民』は黙って投了のキーを押した。

 

 

 治安警察の本部からケスラーが戻って来たのは、夕日が落ち切った刻限だった。

 二勝二敗三引き分けでチェスを終らせた二人が、ラウンジでクリームコーヒーを啜っているところに、愛用の端末を抱えたケスラーが姿を見せたのだ。

 

「面倒な事になった」

 

 苦り切って、ソファーに腰を下ろしたケスラーのそのぼやきに、二人は顔を見合わせた。

 

「何事だ、ケスラー」

「何か、調査の上で行き詰まるような事でもあったのか?」

 

 ミッターマイヤーの問いに、少壮の弁護士を思わせる憲兵経験者は、「頭が痛い」と洩らしつつ携えていた端末を広げた。

 

「本日午前一〇時五〇分、『ローエングラム庭園』内の東屋で発見されたエリス・コーダ老婦人は、検死の結果他殺であると断定された。

 ただ、あの施錠された小さな小屋から、加害者がどうやって出て行ったのかが疑問だが」

 

 そう言いながらケスラーが開いたファイルには、老婆の詳しい死因と推定死亡時刻とが記されていた。

 死因は、予想通り頸部圧迫による窒息死。しかも実際の圧迫箇所の索縄痕と、吊り下げられる事で出来る索縄痕にずれがあり、絞め殺されてから首を括ったように偽装された事が確認された。

 死亡推定時刻は昨夜の午後九時四五分前後で、殺害後、一〇時間ばかり床に転がされて放置されていた事も検死で判明した。

 それらのデータを指して『杜撰に過ぎる』と、ケスラーは犯人を評した。

 

「この老婦人、気丈な方だったらしくてな、加害者に抵抗して相手の毛髪を引き抜いて手に握り込んでいたのだ」

「あ、じゃあもう容疑者は」

 

 ほっとしたミッターマイヤーの向こうで、足を組み直しながら金銀妖瞳の親友はこう言った。

 

「見付かったが、容疑を否認している。そうだな、ケスラー」

「ああ」

 

 憮然と、知人にしか使わない砕けた口調で肯定しながら、ケスラーは別のファイルを開いた。

 それは、長い銀髪と爬虫類を思わせる黄色い瞳の、白面の優男の立体画像だった。

 二人が行政府を出る時に見掛けた、クレバー行政次官の姿に違いなかった。

 

「こいつかっ!」

 

 思わず声の上がったミッターマイヤーを、ロイエンタールがたしなめる。

 慌てて口を押さえた年下の上官に苦笑しながら、ケスラーは制帽を脱いだ。

 

「毛髪の遺伝子チェックで、完全に奴と一致したのだがな」

「濡れ衣とでも言ったか、この蜥蜴男は」

 

 ロイエンタールの言葉に頷くと、疲労感も露に端末からクレバーの供述を引き出し、表示する。

 

「奴の言葉によると、老婦人の死亡推定時刻である午後九時四五分前後の時刻には、ローエングラム閣下とキルヒアイス提督と同席して、ツィーテン行政官主催の音楽ディスク鑑賞会に参加していたとの事だ」

 

 容疑者の思わぬ発言に、ミッターマイヤーとロイエンタールは唖然と顔を見合わせた。

 画面の中でも、嫌らしい笑みを浮かべた白面の優男が、何やら供述している映像データが再生される。

 

「閣下とキルヒアイスには、事実関係を問い合わせたのか?」

 

 ミッターマイヤーの問いに、ケスラーは苦々しげに頷いて見せた。

 

「ああ、キルヒアイス卿に問い合わせたところ、確かに奴は昨夜午後七時から一二時まで、鑑賞会に参加していたそうだ」

「奴は一度も中座しなかったのか?」

「それも確認した。時刻の確認は取れていないのが辛いのだが、ディスクの三枚目と四枚目を交換する時に、五分ほど席を立ったそうだ」

 

 ロイエンタールへのケスラーの答えに、蜂蜜色の金髪を掻き回しながらミッターマイヤーは聞き返した。

 

「五分あれば、奴が青瓢箪でもあの小柄な御老体を絞め殺せるだろう。大体あの小屋で殺したとは思えない」

 

 その言葉に、ケスラーは首を縦には振らなかった。

 

「それが、そうとも言えなくてな。これが、そのとき鑑賞会に出されたディスクの題名なのだが」

 

 端末に表示された音楽の題名に、ミッターマイヤーは首を傾げ、ロイエンタールは双色の瞳を眇めた。

 

「ええっと、『酒神の午睡』、『女神の庭にて』? 何だ、これ」

「ふむ、一〇〇年前の新古典主義の旗手、《長いだけの》マンフレート・ボッシュバーンの代表作か。『軍神の出陣』、『知識の泉に巨人は立ちぬ』、そして『大神に捧げる聖譚曲』……。なるほど、これでは三曲目と四曲目が九時四五分前後になるのはありえんな。オーディン・フィルの演奏ならば、長いのが当たり前だ」

 

 ロイエンタールの言葉に頷きながら、ケスラーは何度目かの大きな溜息を吐いた。

 

「とにかく奴のアリバイを崩せない事には、奴にもツィーテン行政官にも出頭させる事が出来ない」

「……そこで、何故行政官の名が出る?」

「行政官には、コーダ老婦人を殺害したい動機がある」

 

 ケスラーの言葉に、ミッターマイヤーの見開かれた瞳が鋼色に透き通る。

 

「被害者は、このトール星系内総ての庭園の造園に携わった、造園技師の最後の縁者で、庭園資料の類を総て保管していたそうだ。ツィーテンはその資料を買い上げようとして拒絶され、ローエングラム伯の命令書まで偽造して取り上げようとしたらしい。

 最も、それはさすがに公文書偽造で罰金を食らったそうだが、奴はその庭園資料をフェザーン商人に売り渡す約束をしていたらしい」

「まさか、そんな事で」

 

 拳を固めるミッターマイヤーに、ケスラーは目を伏せながら言葉を続けた。

 

「噂の域を出ないが、行政官を失脚させうるだけの情報を持っていて、領主であるローエングラム伯に直訴すると言う話もあったそうだ。

 ただ、本当に被害者の手元に、そんな情報があったのかは判らないのだがな」

「それで先手を取ったと言う訳か」

 

 渋い顔を作るロイエンタールに、臨時憲兵長も苦い顔で頷いて見せた。

 

「……そんな」

 

 搾り出すような親友の呟きに、ロイエンタールは何も口にしなかった。

 守銭奴や拝金主義者の物の考え方など、ミッターマイヤーには判って欲しくも無かったのだ。

 

 

 翌朝、自室で一人朝食を取っていたミッターマイヤーは、何気なく目を通していた電子新聞の、フィルム画面で踊っている老婆の名に目を剥いた。

 治安警察が調査中の為、マスコミに一切公表されていない筈の老婆の名に、慌てて画面に触れて記事を呼び出して見る。

 そこには、昨夜老婆の家が全焼したと言う事件が、妙に大きく載っていた。

 どうやら行政官寄りの新聞らしく、管理人を自称する痴呆症の老婆の家が不審火で焼失し、老婆自身で火を付けたのではないかとまで書かれていた。

 新聞記事の無責任さに、頬を引き攣らせながらフィルム端末を畳んだミッターマイヤーは、昨夜の話を思い出して唇を噛み締めると、昨日のニットを羽織って宿舎を抜け出した。

 昨日、ロイエンタールと二人で歩いたコースを足早に辿り、ミッターマイヤーは茶室のある広場にやって来た。

 午前七時になるかならないかの刻限だったが、茶室の雨戸を開けるリーナの姿があった。

 ミッターマイヤーが彼女に気付いたちょうど同じ位に、リーナも生成りのセーターを着た青年に気付いて手を振った。

 板戸の外れた大きな戸口には、ガラス戸の代わりに木と白い紙とで作られた、軽くて薄い引き戸が填められている。

 因みに、昨日ミッターマイヤーが蹴り抜いた小さな潜り戸の方は、急場しのぎに裏からベニヤ板で補修してあった。

「昨日はどうも」

 泣き腫らした赤い目だが、それでも気丈に笑顔で挨拶して来たリーナに、敷居の上に腰を下ろしたミッターマイヤーは、先程見た新聞の記事について、どう話すか迷った。

 それを見越してか、リーナは努めて明るくこう言った。

 

「夕べ、お婆ちゃん家燃えちゃったんです。きっと、家捜しして見付からなかったから、荒らした痕跡消す為に火を付けたんですね」

「……そう、思うのかい?」

「あの人達、お婆ちゃんに悪事の証拠掴まれてますから。お婆ちゃん、それらを総て新しいご領主様に渡すつもりだったから」

 

 そこまで言うと、リーナはそのまま黙ってしまった。

 居心地の悪い思いをしながら、話題の転換を図ったミッターマイヤーは、ふと目に入った茶室の床を指差した。

 

「この敷物、草を編んであるのかい?」

「これ? お婆ちゃんは『畳』って呼んでいたわ。この『障子』って言う名の引き戸と一緒に、東洋の湿度が高くて冬寒い地方で生まれた、とても優秀な床材だって言っていたわ。板敷きの床に敷き詰めて使うんですって」

 

 はたと、ミッターマイヤーは『畳』を見た。昨日、ロイエンタールが口にした言葉が、何かを引っ掻いている。

 

「リーナさん、この『畳』という床材、持ち上げられるのか?」

「え、ええ、厚みの割りに重いけど。年二回、外に運び出して埃を落としているし」

 

 そう言ったリーナに頼み込み、ミッターマイヤーは二人で畳を剥がして見る事にした。

 リーナが植物の移植用に使っているこてを使って、畳同士が接する場所から引き上げる。

 厚み五センチ、縦九〇センチ、横一八〇センチの植物製の床材は確かに予想より重たかったが、一人で動かせない程のものではなかった。

 一枚、二枚と剥がして三枚目。壁際の畳の下から、ぽっかりと人一人やっと潜れるだけ床板が剥がされているのを見付け出した。

 

「これは……」

(やっぱり。御老体は他の場所で殺され、ここに連れ込まれて吊り下げられたのか)

 

 息を飲む少女の隣で、ミッターマイヤーは奥歯を噛み締めた。

 老婆の遺体を吊るし、戸口も窓も締め切って密室を作った人間は、床板の穴から床下へと逃げたのだ。

 これだけ丈夫な床材なら、自重で元の位置に戻るだろうし、多少人が乗っても少々の事では床板の穴に気付かれはしない。

 

(奴だ)

 

 胸の中で、ミッターマイヤーは唸った。

 ヘルムート・フォン・ツィーテンの頭に付いた蜘蛛の巣を、ロイエンタールが見ている。

 つまり、奴は彼らがここに来たあの時、未だ床下で息を殺していた可能性もあるのだ。

 どれだけ床板の穴を睨んでいただろうか。

 横に居たリーナが、何かを見付けて身動ぎした。

 それに気付いて顔を上げたミッターマイヤーに向かって、軍服に身を包んだ金銀妖瞳の美丈夫が近付いて来る。

 胸に下がっている将官を示す飾り紐に、リーナの方はすっかり度を失っている。

 だが、軍人の方はおたつく少女には一瞥もくれず、金髪の青年に向かって声を掛けた。

 

「ここに居たのか、ミッターマイヤー」

 

 事情が飲み込めずにおたおたする少女の横から、ミッターマイヤーは鋼色の瞳を親友に向けた。

 

「ロイエンタール、密室のトリックを解いたぞ」

「そのようだな」

 

 東屋の床を見たロイエンタールは、形の良い眉を軽く顰めた。

 彼の合図で集まってきた部下達が、連絡したり証拠写真を撮ったりしている。

 その様子をぼんやりと見ているリーナの横で、どう見ても貴族階級出身の高級軍人と、彼女よりせいぜい三、四才しか変わらぬだろう青年とが話し合う。

 長身の美丈夫の方が、出入り口と変わらぬ大きな窓から室内を覗き込み、板敷きの床でぽっかりと口を開けた四〇センチ四方の穴に失笑を洩らした。

 

「なるほど、床下か。どうやら、蜥蜴男の相方はヤモリの大将らしいな」

「笑い事ではないぞ、ロイエンタール。この後は、死亡推定時刻の問題だ。元帥閣下と検死官、奴らが一体どちらをごまかしたのか」

 

 厳しくそう言ったミッターマイヤーに向かって、おずおずとリーナは声を掛けた。

 だっと気配の変わった周囲の軍人達に一瞬気圧されたが、必死に背筋を伸ばしたリーナに、ミッターマイヤーが振り返る。

 

「あ、ごめん。もう少し待っててくれるかな。治安警察が来て、正式に調査したら、必ず元に戻すから」

「い、いえ、いいんです、あ、あの、お兄さん、軍人さんだったんですね」

 

 へどもどしている少女に、ミッターマイヤーは薄く苦笑いしながら頷いた。

 

「ああ、ごめん。俺達は、ローエングラム元帥閣下から、この庭園の視察を行うようにと御命令を受けたんだ。その際、軍服では観光客に余計な心的圧迫を掛けてしまうと思ったから、私服で視察する事にしたんだけれど。……却って、迷惑を掛けたような気がする、本当にごめん」

「いえ、そんな……あの、お名前をお聞きして構いませんでしょうか?」

 

 明確に一歩引かれてしまったのを感じて、ミッターマイヤーは先ほどよりも明確に苦笑しながら、向こうに立つ親友に視線を向けた。

 

「俺はウォルフガング・ミッターマイヤー。階級は大将。あちらはオスカー・フォン・ロイエンタール、同じく階級は大将だ」

 

 一瞬、ロイエンタールの色違いの瞳が、非難がましく小柄な親友を見る。

 だがミッターマイヤーは、それに動じず少女に微笑みかける。

 

「ミッターマイヤー、提督なんですね……」

 

 リーナの方は暫く何かを考えていた。

 だが、それを口にする前に、彼女は茶室から離れなくてはならなくなった。

 ケスラーと捜査員の一団がそこに到着したからである。

 



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忘れじの庭園  ~白い海~

 それから一時間後、二人は宿舎に戻っていた。

 戻った宿舎には、アイゼナッハ・ビッテンフェルト組より先に、メックリンガー・ミュラー組が到着したと言う知らせが届いていた。

 

「うーん、アイゼナッハにビッテンフェルトの相手は辛いものがあっただろうか?」

「そう言うものでもあるまいよ。それよりも、ここまで徹底して金の亡者に徹してくれると、いっそ天晴れだな」

 

 ロイエンタールが差しているのは、件の行政官の事である。

 今回の改めての調査で、庭園内に設置されていた監視カメラとそのシステム丸々総てが、撤去され売り払われてしまっている事が知れたのである。

 

「中古とは言え、あの広大な園内をフォローするだけの数のカメラを売れば、それなりの金額になるだろう」

「それだけじゃない、園内の希少植物を盗み出しても、記録が残らないから知らぬ存ぜぬが通る、か」

 

 そう言うと、ミッターマイヤーは蜂蜜色の金髪を掻き混ぜた。

 金色の毛先が跳ね回るのを見ながら、ロイエンタールも大きく嘆息する。

 と、その時、ラウンジに流れる曲が切り替わった。眠気を誘うその曲に、ロイエンタールが苦笑する。

 

「やれやれ、ボッシュバーンの『軍神の出陣』か」

「『軍神の出陣』? 随分と間延びした出陣だな」

 

 暫く、曲に耳を澄ましていたミッターマイヤーの頭がかくんっと落ちた。

 テーブルに額がぶつかる前に、ロイエンタールの大きな手が受け止める。

 

「わっ」

「大丈夫か? これで寝入ってしまっては、『酒神の午睡』、『大神に捧げる聖譚曲』など聴く事が出来ぬぞ?」

「うわあ、新古典主義って」

 

 頭を抱えたミッターマイヤーに、温厚な声が訂正を求めて来た。

 

「いや、ボッシュバーンが特殊だっただけで新古典主義が皆こうとは思わないで戴けませんか、ミッターマイヤー提督」

 

 振り向くと、エルネスト・メックリンガー、ナイトハルトミュラーの二人がラウンジに入ってきたところだった。

 ソファーに腰を下ろしているミッターマイヤーの側にミュラーが座った。

 

「キルヒアイス提督から聞きました、大変な事態になっておられるそうですね?」

「ああ、参った。戦場の略奪で殺された死体は山ほど見たが、こんな平和な市街地で、しかも首吊り死体なんて見るとは思わなかったからな。それも、あんな小さな御老体が、あんな死に方をしなくてはならないなんて」

 

 コーヒーを啜りながら肩を落とす小柄な先輩に、ミュラーは掛ける言葉を捜して視線を泳がせた。

 その向こうで、流れている曲に暫く耳を済ませていたメックリンガーが、軽く口髭を撫でてこう言った。

 

「ふむ、四六〇年にフェザーンフィルハーモニーが録音したものですな」

「え、フェザーン?」

 

 不思議そうに首を傾げたミッターマイヤーの横で、ああと言いつつ長身の親友が頷いた。

 

「確か、オーディンとフェザーンの交響楽団が、新古典主義の二強だったな」

「ええ、バルドル星系の方は最古典のみしか扱いませんし。フェザーンは最古典も新古典も扱いますから、楽団の技量としてはあそこが一番でしょう。

 ただ、あそこはアレンジが過ぎますからなあ」

 

 そう言いながら音楽談義に(一人で)入ってしまったメックリンガーの言葉に、ぱっとミッターマイヤーが顔を跳ね上げた。

 

「アレンジ? 何だ、それ」

「ええ、フェザーン・フィルは、特に新古典主義の曲にアレンジを加えるのです。

 例えば、単調なリッテンヘルムには、曲調を壊さぬ程度に強弱をつけてメリハリを与えるように。確か、ボッシュバーンの曲は必要以上に長いものが多いので、長いものでは一〇分前後の短縮を掛けておりますな。

 この『軍神の出陣』も、単調なリズムが一五分以上続く第三楽章を切り詰めて、元より五分は短くしてある筈です」

 

 その言葉に、ミッターマイヤーの瞳が鋼色に変わった。

 振り返った親友に頷くと、ロイエンタールは口髭の芸術家提督に向き直った。

 

「メックリンガー、ボッシュバーンの音楽ディスクを幾つ持っている?」

「持っては来ていませんが、ホテル・ハイデクラオトでしたら、オーディン・フィル盤もフェザーン・フィル盤も揃っているでしょう」

「悪い、ホテルからディスクを借りて、ローエングラム閣下とキルヒアイス卿に、ディスクの確認をして貰ってみてくれ。

 後、フェザーン・フィル盤とオーディン・フィル盤とで、『酒神の午睡』、『女神の庭にて』、『軍神の出陣』、『知識の泉に巨人は立ちぬ』、『大神に捧げる聖譚曲』の五枚を掛けた時に、三枚目と四枚目の境目が何分後に来るかを確かめて欲しい」

 

 不意の言葉に戸惑いつつも、戦場に立っている時並みに緊迫しているミッターマイヤーに、メックリンガーは頷いた。

 

「音楽ディスクで時間操作か。わざわざご苦労な事だ」

 

 出て行く年上の同僚を見送りながら、呆れ口調でそう言ったロイエンタールに砂色の瞳と頭髪を持つ、元帥府の事実上の最年少幕僚も頷く。

 

「元帥閣下は、あまり芸術などには興味をお持ちではないでしょうから、ごまかせると思っていたのでしょうか」

「ごまかせると思っていたから、こんな大それた事をやったのだ、奴らは」

 

 吐き出すようにこう言うと、ミッターマイヤーはミュラーに向き直った。

 

「ミュラー、ケスラーにツィーテン行政官が鑑賞会に使ったディスクを差し押さえるように伝えてくれ。もしかしたら、フェザーン・フィル盤とオーディン・フィル盤、両方残っているかもしれない」

「判りました」

 

 通信の為、ミュラーが出て行くのを見送ると、ミッターマイヤーとロイエンタールは顔を見合わせた。

 

「恐らく、元帥閣下の生家の窮状は、社交界でも充分過ぎるほど流布しているからな。こう言う教養的な知識は無いと踏んで、経過時間の錯覚に用いたな」

「つくづく見下げた奴らだ。クレバーもツィーテンも、そこまでやっても金が欲しいか?」

 

 吐き出すようにそう言ったミッターマイヤーに、彼の親友は答えなかった。

 彼の父親は、妻と金にしか愛情を示さない男だったので。

 短い沈黙は、ホテルのボーイが破った。

 

「ミッターマイヤー様、お客様です。本館ロビーのカフェラウンジにお越しください」

「客? 俺に?」

 

 己を指差す蜂蜜色の金髪の高級士官に、彼と余り歳の変わらない、落ち着いた物腰のボーイは笑顔で頷いた。

 

「はい、リーナ・ガーラントと仰るお嬢さんですよ」

 

 その言葉に、ロイエンタールは軽く眉を顰め、ミッターマイヤーはああと得心した。

 

 

 ホテル・ハイデクラオトは高級ホテルである。

 その内装は伯爵家当主であるオーナーの趣味で、アールデコ風で尚且つ機能的に纏められている。

 花を生けた花瓶の乗せられた、丸テーブル一つ取っても非常に機能美と高級感溢れる、そんなラウンジの片隅でサロペット姿のリーナは、殊更心細い思いをしていた。

 ここが桁外れに高級ホテルであるのは判っている。だが、どうしてもあの蜂蜜色の髪の人に会わなくてはならなかった。

 しかし、警備兵の建つ別館側に近付く事が出来なくて、うろうろしていた彼女を本館側のドアボーイが呼び止めた。

 彼女がミッターマイヤーに会いたがっていると、ドアボーイから知らせを受けた支配人の判断でリーナはカフェラウンジに通され、ミッターマイヤーに知らせが入ったのだ。

 無論、VIPであるミッターマイヤーに見も知らぬ娘を会わせるのだ、彼女には判らないように周囲に警備員を配置した上で彼女を待たせていた。

 

「こちらです。遠距離からのスキャニングでは、火器爆発物の反応はございません」

 

 ボーイの言葉に頷きつつ、ミッターマイヤーは観葉植物の陰でこじんまりと座る少女の方に向かって歩き出した。

 その後ろから、彼を何時でも庇える態勢を作りつつロイエンタールが続く。

 

「リーナさん?」

「あ、ええっと、その、ミッターマイヤー、提督様」

 

 立ち上がり、もじもじとそう問い掛けたリーナに、ミッターマイヤーは気恥ずかしげに微笑んでソファーに座るよう勧めると、自らもその正面に座った。

 当然のように、ロイエンタールがその隣に座る。

 

「様なんていらないよ。それで、俺に何か用かな?」

「は、はい、実は私、お婆ちゃんから貴方様宛てに伝言を預かっているです」

 

 リーナの言葉に、ミッターマイヤーは隣の金銀妖瞳の親友と顔を見合わせた。

 彼女が『お婆ちゃん』と呼ぶ人間は、死んだコーダ老婦人しかいない筈だ。彼らの不審に答えるように、リーナはサロペットの胸ポケットから使い込まれた手帳を取り出した。

 

「お婆ちゃん、不思議と勘がいい人で、今回新しいご領主様がいらした時に、行政官達に何かされるの察していたみたい。それでお婆ちゃん、私に伝言したんです。ご領主の部下の中に、ミッターマイヤーと言う方が必ずいらっしゃるから、この方に伝えてくれって」

 

 名指しされて、不可思議そうに己を指差すミッターマイヤーに頷くと、手帳を開いてそこに書き止めた数行の言葉を読み上げる。

 

「えっと、『わが道行きは、水辺に問え。主に向かいて左手に並ぶ、三つ子の長子が総て知る』……以上です」

 その言葉に、ミッターマイヤーは腕を組んだ。

 顎に触れながら、ロイエンタールがボーイを呼ぶ。

 

「すまないが、近郊の地図を出してもらえるか?」

「お待ちください」

 

 そう言ってボーイが下がった後、ロイエンタールは手帳をしまうリーナに向かって、事実確認の為に質問する。

 

「ガーラント嬢、コーダ夫人が良く出掛けた場所で、水の多い場所は何処になる?」

「さあ、私、お婆ちゃんが庭園以外に出掛けるの見た事無かったし、公園の中でも水のエリアはむしろ私達が受け持って、お婆ちゃんはお茶室の周辺の手入れの面倒な区域を受け持っていたし」

 

 その応えに、ミッターマイヤーは顔を上げた。

 

「そうか、なんだそこか」

 

 そう言うなり、ばっと立ち上がったミッターマイヤーに、リーナとロイエンタールも慌てて立ち上がる。

 

「どうした、何処に行く気だ、ミッターマイヤー!」

「庭園だ」

 

 それだけ答えて走り出したミッターマイヤーを、慌てて二人は追った。

 

 

 ホテル側の門から入って、見慣れた区画を走り抜けた二人が見たものは、『枯れ山水』の白砂利の前に立つミッターマイヤーだった。

 それを見て、ロイエンタールが得心したと大きく頷いた。

 

「そうか、『枯れ山水』は水に見立てた空間だ」

「ああ。そして主が座っているのは西だ」

「待て、根拠は何だ?」

 

 ミッターマイヤーは、東屋――茶室――を指差した。

「あの建物がヒントだ。確か主賓席と言うのは、出入り口から遠い筈だ」

 

 その言葉に、リーナが手を叩いた。

 

「そうだ、よく皆さん間違うけど、あの建物の南側はあくまで窓で、出入り口は東側の小さな潜り戸の方なんです」

 

 彼女の言葉に頷くと、ミッターマイヤーは『枯れ山水』の東側に立ち、南側の三つ岩が並んでいる場所に向き直った。

 

「御老体の言う、『主に向かって左手』とはつまり、『西に向かって左』、つまり南だ。そして『三つ子の長子』は、『三つの岩の中で、一番長い岩』、つまりこの岩」

「では、そこから書類を取り出して頂きましょう」

 

 その言葉にはっと振り向くと、薄刃のナイフがリーナの喉元に突き付けられている。

 そしてそのナイフを握っているのは、異様なほど白く細い男の手で、その先では白面の優男が邪悪に笑っていた。

 

「貴様はクレバー」

「やれやれ、あの婆ぁ。こんな目と鼻の先に隠しているとはね。近くの小島を虱潰しにしたのに、何処にも無いから参りましたよ」

 

 にんまりと、白い爬虫類が笑ったような顔に、ミッターマイヤーは露骨に顔を顰めた。

 

「やはり、貴様があの御老体を殺したんだな」

「まあ、そうなりますかね。仕方がないでしょう、すかしても脅しても、資料のありかを吐かないんですもの。まあ、腹立ち紛れに首を絞めてやったら、簡単に死んでしまって参りましたよ」

 

 くつくつと笑うクレバーの腕の中で、リーナが蒼白になる。

 目測で彼我の距離を測りながら、ミッターマイヤーは男に話し掛ける。

 

「はなから、御老体を殺すつもりだったろう? 自分のアリバイを作る為に、キルヒアイス卿と元帥閣下を巻き込んで」

 

 その言葉に、一瞬眉を上げたクレバーだったが、ちらりとロイエンタールを見ると大げさに嘆息して見せた。

 

「やれやれ、没落貴族と成金帝国騎士の間に生まれたのは、伊達ではありませんでしたか。同じ帝国騎士でも、『スカートの中の将官』閣下なら絶対判らないと思ったんですがねぇ」

 

 地雷二つを思いっ切り踏み込まれて、ロイエンタールの形の良い眉が吊り上がる。

 時間稼ぎから、思い切り私情に走りながらミッターマイヤーはクレバーを問い質す。

 

「狙いは、御老体が隠した庭園資料と、お前達の悪事の告発資料か?」

 

 その問いに、カーチス・ウィル・クレバーは喉の奥で笑った。

 

「告発資料? そんなものはどうでも良い。私が欲しいのは、旧ローエングラム伯から全権を託されて全庭園を手掛けた、ヨゼフ・コーダの庭園資料だけですよ。

 あれには学術資料としても価値がある。フェザーンでオークションに掛ければ、好事家や園芸関係者が大金を積むのは判っている」

「どういう意味だ?」

 

 クレバーの動きを伺いながら、ロイエンタールが低い声で訊く。

 それに向かって、クレバーはにたりと笑って胸を張った。

 

「私はね、お金が欲しいのですよ。ある崇高な活動の為に、ね」

「崇高な活動? 人殺しをしてまで金が欲しいかっ!?」

 

 ミッターマイヤーの叫びに、返って来たのは蜥蜴男の嘲笑だった。

 

「人殺し? これは異な事を。貴方が、その肩書きを得るために殺した人間の数に比べたら、お迎えの近い婆ぁ一人くらいがどうだと言うんです?」

 

 その言葉に、一瞬ミッターマイヤーは詰まった。

 だが、クレバーの嘲笑をロイエンタールの方が切り捨てる。

 

「軍人が人殺しなのは、貴様如きに言われずとも知っている。だが、あくまでも吾々は職業であり、貴様のような犯罪者に、こき下ろされるような事は一つもしてはいないと言う事だ」

 

 その言葉に、クレバーの黄色い瞳が見開かれる。

 

「黙れ、共食いするどぶ鼠に等しい軍人風情が! 大いなる母の下に戻る、我らの崇高な活動の邪魔はさせん……痛いっ!」

 

 喋り続けているうちに、興奮の余り突き付けていたナイフを振り回そうとしたクレバーの腕に、リーナがお返しとばかりに喰らい付く。

 痛みに慌てて、彼女を突き飛ばそうとしたクレバーに向かって、ミッターマイヤーは引っ掴んだ岩の一部を投げ付けた。

 見事に額にヒットし、よろめいた白面朗から少女をもぎ取ったロイエンタールは、リーチを良い事に思いっ切り蹴り付ける。

 軽く五メートルも地面を転がったクレバーがやっとの思いで起き上がると、その周囲をざっと兵士達が取り囲む。兵士達に、ロイエンタールが固い声で命じる。

 

「殺人容疑、公金横領容疑、及び恐喝と強盗の現行犯だ。ケスラーが来るまで押さえて置け」

 

 やや乱暴に引き起こされながら、クレバーはにやりと笑った。

 その爬虫類じみた顔に、兵士達が一瞬ひるむ。

 だが、ミッターマイヤーの強い声が彼らの背を叩く。

 

「決して逃がすな」

 

 威圧している訳ではない、だが凛とした声が兵士達を支える。

 程無く、治安警察が到着し、クレバーの手に手錠が掛けられた。

 捜査員達に連行されるクレバーの背中を見ていたミッターマイヤーを、ケスラーが気遣った。

 

「御無事でしたか」

「ああ、なんとかな。ロイエンタール、彼女は?」

 

 親友の問いに、ロイエンタールは双色の視線で指し示す。

 リーナの方は、何事も無かったとアピールする為に両の手を広げて見せた。

 その様子に頷くと、ミッターマイヤーは目の前の大岩に向き直った。

 あの時、咄嗟に掴んだ岩の欠片の下に、ぽっかりと人の握り拳ほどの穴が開いている。

 そこに手を突っ込み、ミッターマイヤーは二つの物を掴み出した。

 一つは、一〇数枚の情報ディスク、もう一つは軍用端末仕様の小型情報ディスク。

 エリス・コーダが隠していたもの、だった。

 小型ディスクをケスラーに渡すと、ミッターマイヤーは情報ディスクの束をリーナに渡した。

 

「え、これっ」

「御老体が亡くなった今、これは君達『民営管理人』にとって一番必要なものの筈だ。いや、たぶん庭園維持の為の予算が組まれる事になるから、君達だけに負担を掛ける事は無いと思う。

 だけど、今まで庭園を守って来てくれた君達に、ローエングラム閣下はこの庭園をお預けになると思う。その時、これが絶対必要だ。そう思わないか?」

 

 ミッターマイヤーの真面目な言葉に頷きつつも、リーナはクレバーの言葉を思い出した。

 

「でも、この資料は高く売れるって」

「閣下はそんな事はなさらない。心配しなくても良いよ」

「吾々は、そんなさもしい物の考え方をする人間に仕えたつもりは無いな」

 

 ロイエンタールの言葉に、リーナは手渡されたディスクの束をきゅっと抱き締めた。

 

 

 ミッターマイヤーの予想通り、音楽ディスクにはオーディン・フィル盤とフェザーン・フィル盤の両方があり、オーディン・フィル盤のケースにフェザーン・フィルのディスクを入れたまま放置すると言うお粗末な状態で発見された。

 メックリンガーの検証で、例の三枚目と四枚目の区切りが、ちょうど九時四五分頃に来る組み合わせも確証が取れ、行政官達のアリバイ工作は崩れる事となった。

 発見された資料とディスクの小細工、そしてクレバーが逮捕された事を突き付けられると、ツィーテンは萎んだ風船そのままに打ちひしがれ、総てを自白した。

 これによって、新興宗教団体に所属するクレバーにおだてられ、言いように操られて公金横領に走ったツィーテンの内実が明らかになった。

 又、ヘルムートの方はクレバーに弱みを握られており、そのためにコーダ老婦人を茶室に吊り下げる作業をしたと自白した。

 

 

「やれやれ、漸くオーディンに帰還かあ」

 

 予定から二日遅れて、ミッターマイヤー、ロイエンタールの二人の艦隊はトール星系を離れる事になった。

 あの騒ぎの後、視察や書類整理に走り回った二人は、遅刻したアイゼナッハ・ビッテンフェルト艦隊の分も動き回る事となったのだ。

 己の旗艦の私室で、通信機越しにミッターマイヤーは苦笑いを浮かべた。

 その蜂蜜色の金髪の親友に、ロイエンタールは呆れたようにこう切り返した。

 

『庭園管理者達の組合に、別に行かなくても良いのに何度も顔を出していたのは誰だ?』

「仕様が無いだろう、切っ掛けを作ったようなものだし」

 

 旧ローエングラム庭園は、これまでの活動を認められた民営管理人達に託される事になった。

 内実として、新当主のラインハルトが庭園に興味が無い事もあって、産業振興を民間に託すテスト・ケースも兼ねてでもあったが。

 

『しかし、あのクレバーと言う男、喰えん男だったな』

 

 その言葉に、ミッターマイヤーは黙り込む。

 あの男の言葉に、まだ傷ついているらしい親友に向かって、金銀妖瞳の美丈夫はあえて厳しくこう言った。

 

『ミッターマイヤー、吾々は奴に貶められる覚えは無い。軍人と言う道を選んだ以上、【人殺し】のそしりは覚悟の上の筈だ。だが、それでもこの道を進み、世界を変えると決めたのではないか?』

 その言葉に、暫く目を閉じてからミッターマイヤーは小さく頷いた。

「そうだった。悪い、ロイエンタール」

『判ればいい。さあ、又サルガッソー宙域が待つ旅だ、気を抜くなよ、ミッターマイヤー』

「ああ、せいぜい航行時間を縮める事とするか」

 

 笑い合い、軽く挨拶を交わして通信を切る。

 この艦隊を率いて戦う日が、もうすぐそこに近付いていた。

 

 

 

 

……あははははは、母なる星が復権するその日がもうすぐやって来る。その日の為に、せいぜい殺し合え、どぶ鼠共。総ては母なる地球の為に……。




 舞台になった旧ローエングラム伯爵領『トール星系』は、かなり御都合的に作ってしまいました。
 でも、原作には伯爵になったラインハルトの領地の事はこれっぽっちも書かれていなくて、だったらいいかと無茶な設定をつけてしまいました。
 でも、こう言う無法も無茶もまかり通るのが、末期症状を呈していたゴールデンバウム朝だったのではないかと私は思います。

 後、コーダ婆さんがミッタ―マイヤーを待っていた理由は、彼が平民出身の高級軍人であると官報で知っていた事、そしてとある彼に付けた設定によるものですが、これは私設定と言う奴なのでここでは書きません。


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雨に託す 前編 爆破事件

 それは、オーディンに春先の長雨が続いたある日の事だった。

 裕福な平民や、下級貴族のセカンドハウスが多い地区で、爆発事件が発生した。

 吹き飛んだのは古い小さなアトリエで、そこに泊り込んでいた画家が爆死した。

 夜もそろそろ深夜という時分で、周辺住民の度肝を抜く騒ぎとなった。

 

 丁度、高級士官用クラブ『海鷲』ゼー・アドラーから出て来たところであったウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールの二人も、その轟音を耳にしていた。

 

 

 翌日の昼、士官食堂で食事をとるミッターマイヤーをナイトハルト・ミュラーが捕まえた。

 勿論、ロイエンタールがいないのを確認してだ。

 

「昨日の爆発、ミッターマイヤー上級大将も目撃なさったそうですね?」

「目撃まではしてないよ」

 

 勢い込んで聞いて来る年下の同僚に、ミッターマイヤーは困惑半分、苦笑半分で答えた。

 

「別の場所で飲み直そうとしたら、突然だったから。驚いて取り敢えず現場まで行ってみたけど、俺が行った時には、もう消防隊や憲兵隊の連中で一杯だったから、何も見えなかったよ」

 

 だが、ミュラーは端からミッターマイヤーから、火事場の状況を聞くつもりは無かったようだ。

 ちゃっかり向かい側の席に座ると、覚え書きのメモを取り出した。

 

「あの爆発、ガス漏れとかじゃなかったようですよ?」

「そうなのか!?」

 

 そう言ったミッターマイヤーの表情は、かなり硬いものがあった。

 実を言えば、あの爆音を耳にした時、軍で使用している高性能爆薬の炸裂音に似ていると思ったのだ。

 だが、幾らなんでも市街地でと思っていたのだが。

 

「まだ、確認の途中らしいんですけど、以前横流しされた軍需物資の一つじゃないかって。只、あそこの建物の持ち主は、軍籍に入っていた事無かったらしいんですけど」

「建物の持ち主と言うと?」

 

 思わず聞き返したミッタ―マイヤーに、ミュラーは勢い込んで頷いた。

 

「ええ、あそこで死んだ、ステファン・ボルターノと言う画家ですよ」

「ボルターノが、どうかしましたかな?」

 

 不意に入って来た第三者の声に、ミュラーの体が跳ね上がった。

 尤も、声の主は彼の懸念した相手ではなく、『芸術家提督』ことエルネスト・メックリンガー大将だった。

 

「メックリンガー」

 

 ミッターマイヤーに目礼して、メックリンガーは軽く髭を撫でた。

 

「夕べはびっくりしましたな。折角調律したピアノが、あの振動のお蔭で又技師を呼ばねばならなくなりました」

「それはそれは……」

「そう言う問題ではないと思うが、メックリンガー。ところで卿は、亡くなった人物に付いて何か知っているのか?」

 

 ミッターマイヤーの問いに、メックリンガーは眉を顰めてこう言った。

 

「知っているというか、まあ不行状で知られた男ではありましたな、あのステファン・ボルターノは」

 

 メックリンガーの語ったところによると、このステファン・ボルターノと言う男はモデルとして――美しい少年を、あのアトリエに引き込んでいたらしい。

 この男、どうも何処かの権門貴族の末席にいたらしいのだが、男色趣味が講じて芸術家となり、家を出たらしいのだ。

 その筋の人間ゆえに、モデルとなった少年に肉体関係を強要するのは何時もの事で、酷い時には兄弟や友人まで連れ込ませていたらしい。

 但し、実力的にはなかなかで、所謂神話や伝承に出てくる美少年の再現に関しては、画壇で一定の評価を受け続けていたそうである。

 うわすっぱいと、口をへの字にするミュラーと、硬く眉を顰めるミッターマイヤーに向かって、メックリンガーは溜め息と共にこう付け加えた。

 

「まあ、何れはこうなるのではないかとは、画家仲間の間で囁かれてはいましたが、まさかこう言う形で現実になるとは」

「何が『何れこうなる』と?」

 

 割って入って来たドスの利いた低い声に、メックリンガーとミュラーが飛び上がる。

 この声に、めげも怯えもしないのは、付き合いの長いミッターマイヤーだけである。

 辞意を述べて、そそくさと立ち去る二人を色の違う両目で睨み、ロイエンタールは食後のコーヒーを口に運ぶミッターマイヤーの前に座った。

 音楽の音に負けじと、窓ガラスを雨粒が叩いている。その音に苛立ちを書き立てられてか、ロイエンタールは何時にも増して低気圧で口を開いた。

「……何を、話していた」

「夕べの、あの爆発の事だよ」

 

 事実なので、簡潔に話す。

 それを聞くなり、ロイエンタールの表情がバリバリと硬くなった。

 何時もの事ながら、ロイエンタールはこう言う騒ぎにミッターマイヤーが噛み込む事を嫌っていた。

 『餅は餅屋』、憲兵隊が片付けるべき事に噛み込む必要は無いと言うのが、彼の持論である。

 尤も、ミッターマイヤーが謎解きに夢中になって、自分に構ってくれなくなるのが嫌なだけであるが、ロイエンタールは絶対認めないだろう。

 

「あの爆発音、おかしいと思っていたが、やはりガスではなく爆薬だったらしい」

 

 今、ミュラーから聞いた事を告げると、

「ミュラーの声なら聞こえていた」

 

と、いっそくだらないと言いたげにロイエンタールは切り捨てようとする。

 とにかく、親友がそう言う話をするのを止めさせたいと思っているらしく、ロイエンタールはまず正論で止めに入る。

 

「ミッターマイヤー、だから憲兵どもの仕事を肩代わりしてやってどうする? お前は恐れ多くも、宇宙軍の提督なのだぞ?」

 

 その口調に、些かむっとしてミッターマイヤーが抗議しようとした、その時であった。

 僅かではあったが、カップの中身がパチャンっと跳ね、衝撃を感じ取った防弾窓ガラスがワンっと撓たわんだ。

 それは昨夜と同じ爆薬特有の衝撃で、食堂に居た士官達の何人かが椅子を蹴って立ち上がった。ミッターマイヤーとロイエンタールも、同時に椅子を蹴って窓に飛び付いていた。

 雨で霞むオーディン市街の、更に向こうで黒い煙が雨に負けずに天に昇って行っていた。

 



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雨に託す 中編 故買屋

 昼中に起こった爆発事件は、ローエングラム元帥府近辺で起こった。

 その事もあり、その日の午後の会議は、爆発事件に付いての話し合いのような様相を呈していた。

 なり上がりで、しかも寵姫の姉の威光で元帥に付いたと未だに囁かれるラインハルト・フォン・ローエングラム――無論、それは時流を認めようとせず、実際に戦場に立ちもしない貴族達のやっかみと思い込みに過ぎないが――の元帥府ビルは、所謂軍関係のビル群の中でも尤も外れに設立されている。通り一本向こう側に広がるのは、歓楽街と平民の居住区と言う場所で、貴族たちが嫌がった敷地である。

 尤も、平民出身の将官が圧倒的に多いローエングラム陣営には、わりと好評な立地であったが。

 

「しかし、二日続けて爆発事件とは」

 

 会議が始まると、些か気分を害した表情でラインハルトがウルリッヒ・ケスラーを見た。

 憲兵経験者と言う事もあり、ケスラーは元帥府、憲兵隊双方の連絡係的な立場にある。

 

「ケスラー、憲兵の方から何か連絡があったか?」

「いえ、まだ調査中との事ですが」

 

 ケスラーの言葉に、頭を掻きつつビッテンフェルトが口を挟む。

 

「塹壕潰しに使う、高性能爆薬の音だったな」

「ああ、しかもあの音の響き方なら、二〇キロは使っていたな」

 

 同じく、白兵戦部隊を率いていた経験からアウグスト・ザムエル・ワーレンも低く唸る。

 そんな二人に、やはり白兵戦経験のあるジークフリード・キルヒアイスが、眉を軽く顰めながら問い掛ける。

 

「ですが、どうやって手に入れたのでしょう。曲がりなりにも軍需物資、それも爆薬では有りませんか」

「いや、金とちょっとしたコネさえあれば、大抵の物は手に入る」

 

 そう切り返したのは、コルネリアス・ルッツである。

 視線で問うて来る年下の上級将官に、短く刈り込んだ白金髪に指を差し込みながら、ルッツは「つまり」と言葉を続けた。

 

「まあ、所謂闇マーケットと言う奴だ。士官の中には、官給品をごまかして定期的にフェザーン商人に売っていた奴もいたそうだ」

 

 ルッツの言葉に、一瞬ビッテンフェルトの眉が動いた。

 それに気付かず、今度はナイトハルト・ミュラーが聞き齧りの情報を口にする。

 

「貴族達なんて、丸々一部隊分の装備一式を売って着服し、補給を申請していた部隊を見殺しなんて事ざらですし」

「……死んでも死に切れませんな、そこまで来ると」

 

 端に座っていた、壮年の将官が悲しげに溜め息を付いた。

 

「しかし、昨日の事件も考え合わせれば、少なくとも五〇キロ近くの爆薬が使われたと言う事になる。個人で購入したとしたら、かなりの額になるのではないか?」

 

 ワーレンの言葉は尤もで、暫しその場に沈黙が降りるかと見えた。

 だが、それに「おそらく」と、今まで黙っていたロイエンタールが口を開いた。

 

「一番手っ取り早いのは、闇マーケットに流す予定だったものを、別の者が更に盗んで、と言う事ではないか?」

「それに、もっと肝心な事がある。誰が、こんなもので爆殺など試みた? どんな方法で? 自殺の筈はあるまい」

 

 ロイエンタールの表情が一瞬顰められるが、お構い無しにミッターマイヤーは言い募る。

 

「何にしろ、あんなもので吹き飛ばす以上、相当の恨みだろう」

「一般的に考えるなら、時限装置タイマーか遠隔操作装置リモコンでしょうけど。その辺り、昨日の事件の方では何か憲兵は掴んだのでしょうか、ケスラー提督」

 

 キルヒアイスの問いに、ケスラーはぱらぱらとメモを確かめ、軽く眉を顰めた。

 その様子に、ミュラーが好奇心を隠し切れずに声を掛けた。

 

「何か、あったんですか?」

「いや、妙な情報がある。タイマーやリモコンに用いられたと思われる電子部品の類は、一切見付からなかったらしい。有線式の、起爆スイッチは見付かったらしいのだが」

「有線? あの、長くてもせいぜい百メートルのあれですか?」

「建物が吹っ飛ぶような代物にか?」

「あれ使うとなったら、決死隊じゃねぇか」

 

 呆気と言うより、唖然とした面持で陸戦隊指揮経験者が呟く。

 同じく、最前線で地上戦指揮を取った事があるラインハルトも、赤毛の親友と顔を見合わせる。

 そう、地上戦の実情を知らない貴族の子弟達が、「経費が安い」の一言で補充物資に入れる有線式遠隔起爆装置《ワイヤードリモコン》は、確かに一部の星系では重宝されている。

 有線ゆえに、妨害電波《ジャミング》や黒点発生時の電波障害の影響を受けないからだ。だが、問題は、工業用のものより遥かに短い導線の為、それを使用するとなると爆発か、敵の攻撃かに確実に晒される事となるのだ。

 無論、尤も危険な箇所にわざわざ出向く高官や貴族の子弟は無く、無理と危険を強いられるのは下級貴族以下の士官や兵士達であった。

 

「つまり、爆破された家の中にいた人間が、起爆スイッチを入れたって言う事か?」

 

 ワーレンの呟きに、「それは無いだろう」とルッツが続ける。

 

「聞いた話では、昨夜吹っ飛んだ家にいたのは、曲がりなりにも画壇で評価された画家と聞いたが?」

 

 そこに、今まで席を外していた参謀長のパウル・フォン・オーベルシュタインが入って来た。

 睨まれる事を想定して、居並ぶ提督達は居住まいを正したが、意外にも義眼の参謀長は手にしていたファイルをケスラーとラインハルトに手渡し、雑談には特に言及せず席に着いた。

 

「先ほど、午後一二時四七分に発生した爆破事件の第一次報告が届いた」

 

 その淡々とした言葉に、ロイエンタール以外のものが身を起こした。

 幕僚達が注視する中、ファイルを開いたラインハルトとケスラーは、書かれている内容に一様に眉を顰めた。

 

「ケスラー、何て書いてあるのだ?」

「うむ」

 

 小さく頷くと、ケスラーは顎を擦りつつミッターマイヤーに答えた。

 

「今回爆破されたのは、とあるモデルのセカンドハウスだそうだ」

「モデル?」

 

 聞き返す周囲に、渋い表情でケスラーは言葉を続けた。

 

「尤も、モデルとしてはかなり落ち目の女性だったらしい。だが、ここ数年は仕事も無いのに、妙に金回りが良かったらしいが」

「まあ、本人は無事だったそうだ。代わりにペットが家と一緒に吹き飛んだとかで、かなりヒステリーを起しているそうだが」

 

 これは、興味薄げにラインハルトが読み上げる。

 

「芸術家とモデルか」

「この辺、何か繋がりでもあるのか?」

「だが、先に吹っ飛んだ奴って、確かあの線だろう?」

 

 言い難そうなルッツに、メックリンガーも髭を弄りつつ頷く。

 

「まあ、後は憲兵の調査待ちだな。この話はここまでとしよう。キルヒアイス、皆にデータを回してくれ」

 

 上官の言葉によって、会議はやっと本題に入る事となった。

 

 

 その日の夕方、小振りながら雨は続いていた。

 親友より先に職場を後にしたミッターマイヤーは、傘を差したままメモと地図とを突き付けて何やら調べる、オレンジ色の髪の同僚に気付いた。

 

「どうした、ビッテンフェルト。何処かに行くのか?」

「わっ!?」

 

 余程驚いたのか、ミッターマイヤーが思わず手を引っ込めるほど飛び上がったビッテンフェルトは、その次の瞬間小柄な一年後輩を小脇に抱え、一気に元帥府前から二百メートル先のビアホールの看板の陰まで突っ走った。

 

「な、何?」

「驚かすな、馬鹿。何事かと思ったじゃねぇか」

 

 はあと溜め息を吐く相手に、ミッターマイヤーは軽く眉を顰めた。

 

「それは、こちらの台詞だ。何だ、一体」

 

 その言葉には特に反応せず、オレンジ色の髪の猛将は頭を掻くと、「付いて来い」と言って歩き出した。

 所謂歓楽街を突っ切り、ビッテンフェルトは薄汚れた雰囲気の路地裏へと入る。

 その背中を追い駆けつつ、ミッターマイヤーは取り敢えず当然の権利と、行く先を問うた。

 

「一体何処へ行くと言うのだ?」

「うむ」

 

 頷いた『猪』は、歯切れ悪く鼻を掻いてこう答えた。

 

「用事があるのはこの先だ。あそこに、馴染みの故売屋がいる」

「故売屋?」

「あー。ルッツに言わせると『闇商人』って事になる」

 

 ぽかんっと、ミッターマイヤーは一年上の同僚、そして上級生である男の顔を見た。

 ビッテンフェルトの方は、前を向いたまま言葉を続ける。

 

「『黒色槍騎兵』シュワルツ・ランツェンレイター艦隊ってぇのが、かれこれ百年ばかり続いている、下級貴族以下の提督に許された名称だってぇのは、お前も知っているだろう?」

「ああ」

 

 それはフォン・オッペンハイマーと言う、下級貴族から提督となった人物に与えられた名称であった。

 その後、当時の皇帝の好意から、この艦隊名は艦隊長が選んだ人間にだけ継承が認められると言う、帝国軍内でも特殊な扱いが許されている。

 因みにビッテンフェルトは、五代目の艦隊名継承者と言う事となる。

 そう言う特殊な艦隊な所為か、他の艦隊ではあまりやらないような事を隠れてやって来ていた。

 その中でも、先代艦隊長アルノルト・フォン・ハノーヴァ提督の時代は、特に権門貴族達との折り合いが悪かった事もあり、盛んに闇商人による故売屋に出入りしていた。

 

「何の為に?!」

「そりゃ、貯金の為さ」

 

 さらりと言われて、ミッターマイヤーは面食らう。

 ビッテンフェルトの方は、昔を思い出すように目を細めてこう続けた。

 

「言っとくが、私服を肥やしてた訳じゃない。

 お貴族って奴らは頭悪いから、俺達みたいな突撃艦隊に、白兵戦用装備廻して来やがったりしやがるからな。そう言う使い道の無い装備やら、旧式で使い勝手の悪い備品を消費した事にして、故売屋に転売してもっと質の良い物に買い換えてたのさ」

 

 そう言って、だがにっと複雑な笑いを浮かべてビッテンフェルトは言葉を続けた。

 

「尤も、俺が艦隊名継いで、程無くローエングラム候に招聘されたろう? 以来必要無かったから、ここ半年来てなかったんだが」

 

 そのうち、行く手に古ぼけた倉庫が見えて来た。店の看板なのか、ピエロの姿をした木目人形が軒先の箱の上に座っている。

 店舗兼用の色褪せた煉瓦造りのそこが、どうやら目的地らしい。

 見ると、先に来ていたらしい見覚えのある士官が彼らの方へと走って来た。ビッテンフェルトの副官、リヒャルト・オイゲン大佐だ。

 

「閣下、どうやらボナパルトは不在のようですよ?」

 

 副官の報告に、ビッテンフェルトは盛大に眉を顰めた。

 

「本当か?」

「今見てきましたが、シャッターが閉じられたままですし、声を掛けましたが返事もありません」

「あの商売人が、この時間帯に店を閉めているって言うのが変な話だが……」

 

 傘を肩に担いで、ビッテンフェルトがそう言った次の瞬間だった。

 腹に響く鈍い音と、全てを薙ぎ倒す衝撃波とに三人は弾き飛ばされた。

 

「何!?」

 

 悲鳴を上げる鼓膜に首を振り、やっと身体を起こしたミッターマイヤーは、砕け散り、炎上する故売屋の店舗を呆然と見遣った。

 

 

 そう、事件はまだ続いていたのである。

 



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雨に託す 後編 爆破したのは

 夕刻に起きた店舗爆破事件によって、事件はより深刻な事態に陥った。

 爆風に煽られ、路面に叩き付けられた三人はそのまま軍病院、ではなく憲兵隊詰め所に引っ立てられた。

 尤も、急を聞いて駈け付けた黒色槍騎兵《シュワルツ・ランツェンレイター》艦隊の幹部と、オスカー・フォン・ロイエンタールの迫力に脅され、早々に開放されはしたが。

 背後からの爆風で、強かに石畳に叩き付けられたリヒャルト・オイゲン大佐はそのまま検査入院する事となり、ミッターマイヤーとビッテンフェルトの二人は鼓膜などの検査を受けると、ディルクセン准将に後を任せて早々に軍病院を後にした。

 

 

「さて、説明してもらおうか」

「何をだ?」

 

 『海鷲』ゼーアドラーの奥にある防音仕様の個室に入るや、金銀妖瞳《ヘテロクロミア》を光らせてねめつける同期の首席に、成績中の中はどかりと座って聞き返した。

 

「何故、あんな場所にミッターマイヤーを連れて行き、騒ぎに巻き込んだりしたっ!」

「俺だって、あんな事になるは思わんかったわいっ!」

「大体何であんな所にいたっ!」

「あそこは、うちの馴染みの店だったんだよっ!!」

「落ち着けよ、二人共。ロイエンタール、俺が付いて行ったんだ、そう言わないでくれ」

 

 取り敢えず親友を宥めると、ミッターマイヤーは腕を組んで鼻を鳴らすビッテンフェルトに向き直った。

 

「あの時聞きそびれたんだが、『ボナパルト』とか言う人物は何者何だ?」

「ボナパルトは、『ボナパルト・ル・ブラン』と言う名前のフェザーンの商人だ。さっき言った通り故売屋で、多分帝都でも一、二を競う規模だろうな。黒色槍騎兵艦隊《うち》とは先々代からの付き合いだ。

 尤も、俺の代に入ってからここ半年、付き合いが無かったんだがな」

 

 オレンジ色の少し長めの髪をがりがりっと掻き回しながら、ビッテンフェルトは店の奥で古風に帳面に書き込みをしていた、小柄な老人の後ろ姿を思い浮かべた。

 

「その故売屋で、何をするつもりだったんだ、卿は」

「……高性能爆薬を売った相手を、確かめようと思ったんだ」

 

 がりがりと頭を掻きつつ、ビッテンフェルトは最後に取り引きをした際、荷物の中に高性能爆薬二百キロがあった事を明かした。

 

「だから、もしかしたらと思ってな。だが、その爆薬を奪われて、爆殺されたのかも知れん」

「そんな事が」

 ミッターマイヤーはそう呟き、ロイエンタールの方はむすりとソファーで足を組んだ。

 そこに、給仕の幼年学校生が遠慮がちに来客を伝えた。

 入って来たのは、渋い顔を隠せないウルリッヒ・ケスラーだった。

 

「全く、随分な騒ぎに飛び込んでくれたな」

 

 入ってくるなりの言葉に、ミッターマイヤーは恐縮し、ビッテンフェルトはふんっと鼻を鳴らした。

 ロイエンタールの方は、金銀妖瞳に怒気を纏わり付かせて、憲兵側の情報を持って来ただろう同僚を睨み付けた。

 

「で? 何か向こうからの情報でもあるのか、ケスラー」

「ああ、かなり渋られたがな」

 そう言いつつ、持って来たノート型端末を広げたケスラーの横に、ミッターマイヤーとビッテンフェルトが寄って来る。

 その姿にむっとしつつ、だが顔に出さぬ努力と共に、ロイエンタールはミッターマイヤーの横に移った。

 ケスラーが、憲兵側を宥めすかして入手して来たのは、これまでに起きた一連の事件の現場写真と、警備システムに残っていた爆発数日前の映像だった。

 ただ、三件目の故売屋の方は、どうやら商売柄客の記録を残す事に抵抗があったらしい主人の手で切られていて、残念ながら残っていなかったのだが。

 画面を見るとも無く見ていたロイエンタールは、突然ぼそりとこう言った。

 

「あの芸術家とやらと、そこのモデル、付き合いでもあったようだな」

「どう言う事だ?」

 

 聞き返す親友に、面白くも無いと言いたげにロイエンタールは二つの記録映像を呼び出し、拡大して見せた。

 

「アトリエの、端にあるこの人形と、このベランダ脇の人形、おそらく同じ作者の作品ものではないのか?」

 

 示されたのは、木彫りの素朴な風情のあるピエロの人形で、人形の素朴さに対して、座っている椅子がいやに重厚な造りになっている物だった。

 その画像を見ていたミッターマイヤーが、突然頓狂な声を上げた。

 

「これ、あそこの店先にもあった!」

「ミッターマイヤー?」

「ビッテンフェルト、判らないか!? この人形に良く似たものが、あの故売屋の軒先にも置いてあったんだ、俺はてっきり店の看板かと思ったんだが」

 

 そう言われたものの、ビッテンフェルトは良く判らないと言いたげに頭を掻いた。

 だが、ミッターマイヤーのほうは画面の中の人形を見ながら、「間違いない」と言い切った。

 

「この二つのように、ピエロの格好なんかはしてなくて、木目剥き出しの人形が雨を避けるように、軒先に座っていただけだったんだが」

「ふーん、木の人形か」

 

 そう呟きながら、ビッテンフェルトは届けられたままになっていたワインのコルクを抜いた。

 その横で、情報データを弄っていたケスラーが声を漏らした。

 

「どうした、ケスラー」

「どうやら、この人形の位置に爆薬が仕掛けられていたらしい。現場写真と映像を重ねてみたら、ここが最も損傷が激しい」

 

 その言葉に吊られてモニターを覗き込むと、確かに尤も炭化し、かつ損壊が進んでいるのは人形のあったらしい位置だった。

 

「……ボナパルトのとこは、床に埋められてた様だが、この二件は要するに人形のこの椅子に爆薬が仕込まれていた訳だな」

 

 パンっと、指で液晶画面を弾いて、ビッテンフェルトが唸る。

 すると、彼から二人挟んだ向こう側から、ロイエンタールがつまらなそうに呟いた。

 

「しかし、お互い粗雑な場所に置いていたようだな。男の方は雨漏りしている部屋の隅で、女の方はペット用にガラス戸を固定している窓際か。水が掛かって、人形が傷むだろうに」

 

 言われて、ミッターマイヤーも画面を見直した。

 確かに、画家のアトリエ側は天井からの雨垂れが人形の上で跳ねており、モデルのセカンドハウスの方は、時折吹き込む風と共に人形に雨粒が掛かっているのが見て取れた。その様子に、何かがミッターマイヤーの勘を引っ掻いた。

 そこに、いきなりビッテンフェルトの素っ頓狂な声が上がった。

 

「わっ、しまった!」

「何事だ、ビッテンフェルト」

 

 声の主に目をやると、ビッテンフェルトは半分に割れたコルクを持って、困ったように頬を掻いていた。

 

「参ったな、ワインに蓋をしようとしたら、こんなになっちまった」

「大方、テーブルに零れていた水滴か何かのところに転がしていたな。だが、随分粗悪なコルクだな、すっかりふやけている」

 

 親友の言葉に、ミッターマイヤーはあっと声を上げた。

 もう一度、二件の現場の映像を呼び出し見詰めると、確信したと言いたげに頷いた。

 

「そうか、この人形が時限装置だったのか!」

「どう言う事だ、ミッターマイヤー」

 

 異口同音に聞いた三人に、ミッターマイヤーはつまみ用のフォークを握って見せながら、自分の推理を語って聞かせた。

 

「多分、この人形達は、ワックスもニスも塗られていない磨かれただけのもので、しかも素材は水を吸ったらかなり膨らむ物じゃないかと思うんだ。その人形の手の中に、有線式遠隔起爆装置《ワイヤードリモコン》を仕込んであったんだと思う」

「人形の手に?!」

 

 聞き返したケスラーに頷くと、ミッターマイヤーは握った手の甲に側にあったグラスを傾け、水を零す仕草をして見せた。

 

「リモコンによっては、ボタン型ではなくてグリップ型のもあっただろう?

 そう言うのを使っていたと思うんだ。そして雨漏りや水の掛かる場所に、この人形を置いて置くんだ。

 何時になるかは判らないが、人形に仕込んだカラクリに気付かれない限り、何れ必ず起爆装置が作動する」

 

 その言葉に、ビッテンフェルトが手を打った。

 

「そうか、水を吸って膨らんだ木材で圧迫させて、握ったのと同じ状態にするのか」

「確かに、遺留品の中にある起爆装置はグリップ型だった」

 

 ケスラーの言葉に頷くと、ミッターマイヤーは小さく溜め息を漏らした。

 その様子に、がりがりと頭を掻いてビッテンフェルトが呟いた。

 

「運命を、雨に託したって訳なんだな」

「ああ」

 

 頷いたミッターマイヤーに謝意を述べると、ケスラーは立ち上がった。

 

「オイゲンの様子を見て来る」

 

と、言い遺してビッテンフェルトも出て行き、個室にはミッターマイヤーとロイエンタールだけが残った。

 

 

 ケスラーからの情報提供を受け、憲兵隊が調査した結果、判明したのは痛ましい事実だった。

 犯人は、ステファン・ボルターノによって弟を死に至らしめられた、元補給部の軍人であった。

 ボルターノと言う男は、写生は上手いがそこから創造性を引き出すと言う芸当の出来ない男であった。

 結果として、モデルとなる少年達にかなりの無体を強いて、題材によっては死ぬまで放置する事もままあったのである。

 犯人の弟は、木に縛り付けられ矢を射掛けられた殉教者のモデルとして、実際に同じ事をされて殺されたのである。

 モデルの女が狙われたのは、その女がボルターノのエージェントとして、モデル志望の平民や下級貴族の少年達を物色し、送り込んでいた為であった。

 又、ボナパルト・ル・ブランに関しては、爆薬購入時のいざこざで殺してしまい、死体処理の為に爆破したものと判明した。

 最後に、犯人は捕まらなかった。

 判明した時点で、彼は鬼籍に入っていたからである。

 とある星系での治療で、軍医の手抜きで風土病に罹り、事件の一月前に亡くなっていたのである。

 

 

「これで、終ったのだろうか」

 

 あれから数日後、又降り始めた雨を恨めしく見上げて、ミッターマイヤーは呟いていた。

 日中晴れていた為に、傘を持って来なかった彼は、軍用コートの前を合わせ直した。

 

「又その話か?」

 

 同じくコート姿のロイエンタールが、憮然と振り返ったその時だった。

 

   ガシャーンッッ!

 

と、二人の耳を大きな音が叩いた。

 すわ、爆発かと振り返った二人が見たものは、軽トラックに詰まれた鉄パイプが荷崩れを起し、路面に広がっている光景であった。

 表情に出さずに息を漏らしたロイエンタールの向こう側を、ぱっと鳥が飛び立つようにミッターマイヤーが走り出す。

 その後姿に嘆息し、ロイエンタールは走りつつ携帯端末を取り出した。

 暦の上では、オーディンにも夏が来つつあった。

 




 以上、連続爆発事件の顛末でありました。
 因みに、トリックの元ネタでは、人形の手に銃を持たせると言うものでしたが、流石に部屋にある人形が拳銃を握っていたら警戒するだろうと、こう言う形にしてみました。

 なお、犯人を故人にしたのには、特に理由はありません。ただ、ミッターマイヤー達は軍人で、警官では無いと言う事、彼らは起こってしまった事の謎解きをしていると言うのが、初めて書いた時からの基本スタンスですので。



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グロックブリュームヒェン  Ⅰ

 それは、季節狂いの暑い一日で、皆汗だくで働いていたのだ。

 貴族たちの思い付きで、平民士官総出で軍務省ビル周辺の大掃除となった。

 ビルとは言え、貴族趣味で飾られたビルにはいっそ不経済なくらい広々とした庭園があり、それをこれまた不必要なくらい高い生け垣が囲っている。

 基本的に温暖と言うより寒冷なオーディンの都市部にも拘らず、その日は貴族に太陽が加担しているかのようにぎらぎらと照り付けていた。

 一応の気遣いなのか、飲み物の無料サービスは行われていたが、平民階級は例え将官と言えども全員参加を命じられていた。

 そんな嫌な作業に、ウォルフガング・ミッターマイヤーは黙々と参加していた。

 親友たる金銀妖瞳の持ち主は仮病を使う事を勧めたが、根っから真面目な彼は部下達もいるからと、朝からそれに参加していた。

 業務上は出勤扱いだったが、肝心の仕事は滞る。が、明日取り返すつもりで出て来たのだ。

 ミッターマイヤーは、実家から持って来たサロペットと固い生地のシャツを羽織り、帽子で頭を守って背の高い連中が切り落とす枝葉を、熊手で延々と集めていた。

 

「お、ミッターマイヤー、お前も出てたのか?」

 

 不意に声を掛けられ、ミッターマイヤーは埃避けのタオルとサングラスをずらして声の主を見た。

 そこには、ニッカポッカにTシャツ、捻って頭に巻いたタオルと言う、りっぱな土方の兄ちゃんスタイルで反重力キャリアを引くフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトが立っていた。

 軽く周囲を見回すと、納得したように呟いた。

 

「ふむ、流石に出て来てないか、奴も一応貴族だものな」

「ビッテンフェルト、お前も出て来たのか?」

 

 士官学校時代の有名人の一人で、学生時代はタメ口を許して貰っていた相手である。

 つい昔の調子で話し掛けてしまったミッターマイヤーに、からから笑いながらオレンジ色の髪の青年は片手を振った。

 

「つうより、行かなかったら降格だっつうんで面倒くせぇから来た。せっかく艦隊指揮官まで上り詰めたって言うのに、いまさら一艦長に何ぞ戻りたくないしな」

 

 そう言いながら、積み上げてあった木っ端やゴミをキャリアに積み込みながら、ビッテンフェルトは一年下の実質主席だった男を見た。

 

「そう言やお前、去年のお貴族の遠足で、馬鹿を軍規で裁いてもうちっとで謀殺されるとこだったって本当か?」

 

 『お貴族の遠足』とは、ちょうど一年前のクロプシュトック候討伐の事である。

 ミッターマイヤーはそこでブラウンシュバイク公の甥の子だとか言う若い士官の悪行を軍規に乗っ取って裁き、それを不服とする貴族の馬鹿息子にあわや殺されるところだったのだ。

 それを、彼の親友であるオスカー・フォン・ロイエンタールが、彼らと敵対する若き天才ラインハルト・フォン・ミューゼル大将を味方に付けて救い出したのである。

 そしてその後の戦闘での戦い振りを評価され、ミッターマイヤーは近々開かれるだろう元帥府に入る事になっている。

 流石に、人目があるところで事態の説明をする気になれず、ミッターマイヤーは曖昧に笑って済ませようとした。

 その時である。二人の間を突っ切って、一人の男が走り抜けた。

 まるでビッテンフェルトの長身も、帽子に半分隠れているとは言えミッターマイヤーの金髪にも目に入らないかのように、男は狂ったように走っていた。

 

「何だ、あいつ」

 

 ぽかんと見送ったミッターマイヤーの横から、木っ端をすくっていた鋤を投げ出し、ビッテンフェルトが駆け出した。

 慌ててミッターマイヤーも、先を走るオレンジ色の髪を追い掛ける。

 体力自慢のビッテンフェルトの二メートルほど前を、野戦服姿のその男は走り続けている。

 

「ビッテンフェルト?!」

「おかしいぞ、あれ! あんなになった奴、見た事がある!!」

 

 二十代半ばのその男は、心臓が裂けるのではないかと思うほどの全力疾走を続けている。

 どれだけ走って来たのかは判らないが、まだまだ速度を上げ続ける相手に、ミッターマイヤーは胸の内で舌を巻いた。

 だがビッテンフェルトの方は、常に無く厳しい顔付きで舌打ちした。

 

「一体どれだけ回っちまってんだ、このままじゃ心臓麻痺を起こして……ああっ!」

 

 前方に見えたものに、ビッテンフェルトは懸命に前を走る男にタックルを掛け、その足を停めようとした。

 ミッターマイヤーの方も、目に入ったものに驚き、必死に先を走る男に手を伸ばした。

 だが、二人の努力は空を切った。

 ミッターマイヤーとビッテンフェルト、そしてそこに居た十数人の下士官達の目の前で、その若い男は刈り落とした木の葉や枝を粉砕するダスト・チョッパーにぶち当たり、その中に転がり込むように消えた。

 ぐしゃっとも、ぐちゃっとも付かない音と、がりがりがりっと固いものが砕かれる音とが同時に響き、チョッパーからばっと血煙が上がった。

 

「止めろっ!」

 

 一瞬の自失の後、ミッターマイヤーは機械の側で凍り付く下士官を怒鳴り付けた。

 その声に、やっとの思いで士官の一人が機械に取り付き、唸り続ける動力を切った。

 だが、タングステン鋼製の刃が五本回っていたチョッパーは、哀れな男を切り刻むと木っ端屑とおがくずの中に混ぜ込んで、赤黒い湿った鉄臭い塊にしてしまったのだ。

 

「現場監督と、憲兵呼んで来いっ! 急げっ!!」

 

 良く響くビッテンフェルトの声が、塩の柱のように動けなかった兵士達の背を叩き、走らせる。

 その間に、ミッターマイヤーは人間ミルサーと化したダスト・チョッパーの中を覗き込んだ。

 ふと、硬いものを踏みつけた気がして、ミッターマイヤーはそっと下を見た。

 そこには、野戦服に付いていたらしい少佐の階級章が、服の布地ごと転がっていた。

 

 

 重役出勤よろしく、憲兵隊が来たのは三十分ばかり経ってからだ。

 平民士官が出払っている為、所謂下級貴族の部隊が来たのだが、彼らに仕事をする気は無さそうだった。

 

「ダスト・チョッパーに飛び込んだ? それなら自殺だろう。遺書があれば計画的、無いなら発作的なものだろう。そんな事で我々を呼び出すな」

 

 欠伸しながらそう言った、大尉の階級章を付けた男を、ビッテンフェルトはなんじゃコリャと言いたげに見つめ、ミッターマイヤーの方は溜め息と共に目を反らした。

 その姿に、貴族の矜持を傷付けられたと思ったか、男はミッターマイヤーの襟首を掴もうとした。

 

「やい、平民、貴様何様のつもりだ!」

「そう言うお前さんこそ、何処のお貴族か知らんが何様だ。こいつは私服だが、帝国軍中将様だぞ? 親の脛齧って大尉止まりのお前が楯突ける相手じゃねぇぞ」

 

 そう言うビッテンフェルトも中将だが、それを言うつもりは無いらしい。

 ビッテンフェルトに腕を捕まれた男は、カッと頬に朱を散らすと、その手を振り払って歩いて行ってしまった。

 

「良いのか、今の……」

「気にすんな」

 

 オレンジ色の髪を掻き混ぜながら、一年上の友人は先ほどの男の背中に向かって舌を出してこう続けた。

 

「あいつは体力で俺、人望でワーレン、実家の財力と顔と頭でロイエンタールに喧嘩売って、悉く返り討ちに会った同期の馬鹿だ。リッテンハイム候の縁者らしいが、帝国騎士でそれ言ってもなあ」

 

 その言葉には特に返そうとはせず、ミッターマイヤーは先ほどから感じていた疑問をぶつける事にした。

 

「なあ、そう言えばさっき、あいつを追い掛けてた時」

「ん?」

「あの、走り狂ってた奴の事追い掛けながら、何か言ってただろう?」

 

 ミッターマイヤーの言葉に、ビッテンフェルトは軽く鼻を掻いて頷いた。

 

「ああ、あれか。俺、もしかすると何か食ったのか、食わされたのかしたんじゃねぇかと思うんだ」

 

 ビッテンフェルトは、何かを思い出そうと眉根をきつく寄せた。

 

「花の名前は忘れたんだが、確か物凄くヤバイ草があるんだ。走り回っちまって、最後には心臓麻痺やら呼吸不全で死んでしまうって。俺、餓鬼の頃、それを食っちまった所為で死んだ奴見たんだ」

 

 ミッターマイヤーは、ぎょっとしたように少し上にある一年先輩の顔を見た。

 勇名と性格の割に優しげなほっそりとした顔に、何処と無く渋い色を浮かべてビッテンフェルトは呟いた。

 

「取り敢えず、事故だの自殺だの、調べもしないで言うのだけは止めさせんとな。間違っても事故は無い筈だし、自殺にしたってこんな事までは狙っちゃいないだろう?」

 

 確かに、とミッターマイヤーも頷いた。

 あの、チョッパーに入る瞬間、被害者は意を決して飛び込むのではなく、また躊躇を一辺たりとも見せる事無く、走って来たその勢いでチョッパーにぶち当たり、そのまま頭から飲み込まれて行ったのだから。

 

 

 ビッテンフェルト、ミッターマイヤーの二人がねじ込んだ為か、死体の残骸は何とか司法解剖(と、言って良いのだろうか)に掛けられた。

 その結果、ビッテンフェルトの危惧通り、その体液からアトロピンが検出された。

 アトロピンとは、要するにアルカロイドで、中枢神経ホルモンの働きが狂った被害者――エルウィン・シューベルト少佐と言う平民士官だった――は、あのままチョッパーに飛び込まなくても心臓麻痺か呼吸麻痺を起こして死ぬ確率が非常に高かった。

 このシューベルト少佐と言う男、調べてみると下手の横好きなギャンブルのおかげで多額の借金を抱えており、また当てにしていた婚約者の実家が破産したとかで、いよいよ首が回らなくなって来ていたらしい。

 その為、自殺の為にアトロピンを飲んだのかとも思われたが、その日朝八時から作業に従事していた彼は、昼時まで何も口にしておらず、昼食は人目の多いところで、配られた野戦食《レーション》を取っていたのだ。

 他に口にしたものといえばパック飲料だが、残っていた中身からアトロピンは出て来なかったのだ。

 カプセルに入れて、先に飲んでいたのではと言う憶測も立ったが、家宅捜索した彼の官舎からは、空のカプセルもアトロピンも見付からなかった。

 むしろ薬で見付かったのは人造マリファナやサイオキシンといった、ご禁制品ばかりだったのだ。

 憲兵隊の調査は、ここで麻薬の入手ルートの捜査に移ってしまい、シューベルトの死の真相はそのまま暫く捨て置かれる事となったのだ。

 

 



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グロックブリュームヒェン II

 あれから二週間が過ぎたが、エルウィン・シューベルトの事件は解決どころか、調査の進み具合すら判らない状態に陥っていた。

 ビッテンフェルトとミッターマイヤーの二人は、今更ながらに憲兵隊の腰の重さに辟易していた。

 そうこうする内に、先の会戦の功績でラインハルト・フォン・ミューゼル改めローエングラム上級大将は元帥に昇進し、二人は共にその幕下に移った。

 

 

「おい、何か連絡あったか?」

 

 もうすぐ三月も終わろうというある日、親友が出て来るのを待っていたミッターマイヤーに、退庁途中のビッテンフェルトが声を掛けた。

 主語を抜かしたビッテンフェルトの問いだったが、理解したミッターマイヤーは首を振って否と伝えた。

 

「これっぽっちも。案外未解決として、もうファイル処理されてしまったのでは無いか?」

「ち、どうせ調査なんて平民士官にさせてる癖に、いよいよ使えねぇな、ホルヴァートの奴め」

 

 盛大に舌打ちして頭を掻くビッテンフェルトに、一年後輩は困ったように頬を掻くだけだ。

 そこに、すらりとした長身の美丈夫が入って来た。

 ダークブラウンの頭髪と整った顔立ち、それに異彩を加える青と黒の金銀妖瞳。

 オスカー・フォン・ロイエンタールは親友と並んで顔を顰めている同期の男を、一抹の疑問と大多数の不愉快さと共に睨み付けた。

 だが、睨まれたくらいで引くようなビッテンフェルトではない。

 何しろ、今よりもっと人嫌いの風があった士官学校時代の彼に、話し掛けていた数少ない人間の一人なのだから。

 

「おう、今帰りか、ロイエンタール」

「……ミッターマイヤーに何か用か、ビッテンフェルト」

 

 少し諦めたようにそう聞いて来た同期の主席に、ビッテンフェルトは頷きながらこう言った。

 

「何、この間の事件の事をな」

「この間の? ああ、お前とミッターマイヤーの目の前で起きたと言う、あれか」

 

 些か不機嫌なのは、自分の知らないところで又、親友が危ない事に関わった所為だろうか。

 緩やかに機嫌が下降線を描く親友に気付いているのか、ミッターマイヤーは軽く溜め息を付いた。

 

「俺達がねじ込んで、何とか司法解剖に回させたんだが、それから先が動かない。被害者が麻薬常用者だった所為で、どうも捜査が麻薬の追跡捜査の方に切り替わったらしいんだ」

「全く、確かに碌でも無い奴だが、殺された以上はきっちり調べろってんだ。ったく、もしこれが凶悪な連続殺人鬼だったらどうするってんだ」

 

 ビッテンフェルトのぼやきに、金銀妖瞳の美男子は放って置けと冷たく言い放った。

 

「仕事をしないで上から睨まれるのは、奴らの勝手だ。そんな事にまで、気を回してやる必要が何処にある?」

「ロイエンタール」

 

 どうしてこいつはこうなんだろうと、肩を落し気味にミッターマイヤーは親友の裾を引いた。

 だが、猪と異名を取る事となる同期の、直観故の一言にロイエンタールはその双色の瞳を剥く事になる。

 

「お前な、五つや六つのガキじゃねぇんだから、ミッターマイヤーが俺や他の奴と話してるからってぐれるなよ。お前だって、仕事でこいつと別行動取らざるおえない事あるだろう?」

 

 その言葉に、一瞬虚を突かれた顔が、取り繕うように憤然とした物になる。小柄な親友に、

 

「先に『海鷲』ゼー・アドラーに行っている」

 

とだけ告げると、ロイエンタールは振り返りもせずに歩いて行ってしまった。

 その背中が扉の向こうに消えたのを見届けて、ミッターマイヤーは困ったように一年上の同僚を振り返った。

 ビッテンフェルトの方は、予測と違いそのまま出て行ってしまった同期に驚きを隠せない様子だった。

 

「ありゃ、ビンゴか。なんか、近所の独占欲の強いガキに雰囲気が似てたから、突っ込んで見たんだがな」

「おいおい」

 

 それだけ言うと、ミッターマイヤーは思い出したように上着の内ポケットから、一枚の紙切れを取り出した。

 それは雑誌か何かをコピーしたものらしく、説明文と共に楕円形の葉と、葉の付け根から一個ずつ垂れ下がる暗紅紫色の鐘状の花を付けた草の写真が描かれていた。

 

「取り敢えず、親父がいなかったから、俺が探したんだけど。こいつが使われた毒じゃないかな、『ハシリドコロ』って言う奴で、目薬生産用に辺境では大量栽培されているらしい。最も、アトロピンを大量に含んでいるから、劇薬扱いでそうそう手に入るものじゃないらしいけど」

「ふーん……。『ハシリドコロ』かあ……」

 

 何か腑に落ちないらしく、ビッテンフェルトはオレンジ色の髪を掻き回しながら紙切れに目を落とした。

 

「どうした?」

「いや、ちょっと違う気がしてな。俺が昔、親父に連れられてチュール星系の惑星ロンブスでビバーグしてた時に見たからな、こないだの」

「ビバーグって?」

「あ、俺の親父、白兵教練の教官なんだがな、暇があると鍛錬兼ねてあちこちで野営してるんだ。

 ガキの頃はそれこそ、学校が休みになる度連れ出されて大変だったぞ。しかも、お蔭でなんか気が向くと、山歩きに俺も出るようになったし」

 

 そう言うと、ビッテンフェルトは不意に腕時計に目を落とした。

 

「おっと、そろそろ行かんとな。今日は士官学校の頃の、同級生に呼ばれてんだ」

「へえ、同級生?」

 

 聞き返したミッターマイヤーに、ビッテンフェルトは少しだけ恥ずかしげに頬を掻いた。

 

「んー、奴とは大した付き合いは無かったんだが、奴の妹が、実は山歩き仲間でな」

 

 そう言って、ビッテンフェルトはそれ以上話さず駆け出した。

 まるでそれ以上突っ込まれるのを怖がるように、そそくさと立ち去る背中をミッターマイヤーは微笑ましく見送った。

 

 

 ミッターマイヤーが『海鷲』に着くと、独占欲の強い親友は少し強引に彼を席に着かせた。

 

「おい、ロイエンタールどうした?」

「別に」

 

 不器用にそう言うと、ロイエンタールは小柄な親友に酒を勧めた。

 暫く飲み交わすと、ロイエンタールは目一杯の何気なさを装い――残念ながらそれは失敗していたが――、ミッターマイヤーに事件の事を聞いてみた。

 一応、二週間前にも聞いていたものの、興味が薄かったので聞き流していたのだ。

 だが、それを切っ掛けにビッテンフェルト――昔の同級生の中でも問題児と知られた――が、この親友と親しくしていると言う事に不満を感じた末の行動である。

 

「結局、どう言う事態になっているのだ?」

 

 ここで、

 

「俺の話を聞いていなかったのか!」

 

と、言わないのがミッターマイヤーの優しいところである。

 二週間前の清掃作業中に起きた事を、自分が見た範囲で詳しく話し、アトロピンで暴走した事、彼の身の回りから麻薬以外の薬物が出て来なかった事を告げると、ミッターマイヤーは肩を竦めてこう言った。

 

「俺は、シューベルト少佐に毒を盛った方法を一応思い付いてるけどな」

「ほう、憲兵どもが判らないものをか。一応聞いておこう、どうするのだ?」

 

 ミッターマイヤーは自分のグラスとロイエンタールの手からグラスを借り受け、両方に同じだけ同じ酒を注いだ。

 但し、自分のグラスの方には、目印としてつまみに添えられていた食用花の花弁を一枚浮かべて。

 

「先ず、ロイエンタールのグラスがここにある。そこに、そのグラスよりお前よりに俺のグラスを置く。勿論、毒物が入っているのは俺のグラスだ」

 

 そう言いながら、ミッターマイヤーは自分のグラスを置くと、そっともう一つのグラスを引いた。

 

「このとき、お前に気付かれないようにもう一つのグラスを引いて置く。

 取り上げても良いな。この時気を付けなければいけないのは、お前のグラスに俺の指紋を付けないこと、それと変に触り過ぎてお前の指紋を潰さない事、だな」

 

 促されて、ロイエンタールはミッターマイヤーのグラスを取り上げ、軽く中身を舐めた。

 グラスを戻すと、ミッターマイヤーは引いたグラスをその横に置き、花弁の浮かぶグラスを取り上げた。

 

「その後、今回の毒物ならいきなり走り出して騒ぎになっている間に、すり替えたグラスを戻しておく。

 後は人目につかないところで毒入りグラスの中身を捨てて、綺麗に洗って戻しておけば判らないと言う寸法だ」

「そうは言うが、毒物なんぞ混ざっていては、一口飲めばばれるのではないか?」

「確かに、今回使われただろう毒物は苦いからな、下手な飲み物に入れるとすぐ判ってしまうけど。

 でも、あの時の飲み物は水とコーヒーしかなかったからな。ブラックのまま飲んでいたとしたら、ある程度はごまかせると思う」

 

 グラスの中身を飲み干しながら、ロイエンタールは軽く肩を竦めた。

 

「となれば、シューベルトとか言う奴が座っていた時に、その側にいた奴が犯人と言う事になるな」

「ああ。ただ、憲兵はそれを調べていないらしいんだ、どうもすっかり、麻薬調査に終始しているらしくて」

 

 意味合いは違うが、お互いに肩を竦め合い、二人はグラスに酒を注ぎ合った。

 

 

 その晩、新たな惨劇が起きた。花冷えのその晩、道路の真ん中に蹲っていた軍人が、大型トラックに跳ねられたのだ。

 それが、一体何を意味するのか、まだ誰にも判らないが。

 

 



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グロックブリュームヒェン III

 その晩、オーディンはそれまでの陽気が嘘のように冷え込んだ。

 春先の薄い上着しか持っていなかった人々は、前を掻き合わせて家路を走った。

 そんな、息が白く凍る晩、機材搬入の為に軍直轄の資材倉庫に向かっていた大型トラックを運転していた下士官と、助手席に座っていた少尉は、路上に蹲る人影に気付いた。

 だが、資材を満載して重くなった車体は、法定速度内で走行していたものの彼を避ける事は出来なかった。

 悲鳴を上げ、合成ゴムを焦がしながらのブレーキにも拘らず、蹲ったまま動こうとはしなかった男の引き連れた顔を二人は見ていた。

 引き倒され、ずたぼろに引き摺られた男は、病院に運ばれる前に絶命していた。

 死亡した男の名は、デートレフ・フォン・ハウプトマン。

 トラックが向かっていた資材倉庫に勤務している――と、言うよりそこに籍を置いて遊び歩いている伯爵家の次男坊だった。

 遺体から大量のアルコールが検出された為に、泥酔した上で路上に座り込んでいた為に起きた事故と結論付けられたが、ハウプトマン側の親族は納得しなかった。

 但し、運転していた下士官はともかく、彼を庇う士官――この少尉は、ロイエンタール艦隊所属だった――にねじ込んで『金髪の小僧』まで話が行くのを嫌ったハウプトマン伯爵家は、憲兵側に金を積んで、徹底検証を申し込んだのだった。

 

 

 それから数日後、暦は三月から四月に変わった。

 仕事帰りに『海鷲』ゼー・アドラーを訪れたミッターマイヤーは、憲兵隊の制服を着た若い士官と話し込む同僚の姿に気がついた。

 黒髪に、耳の近くに少し混じった白い髪と、立派な押し出しの体躯と言えば、辺境から戻って元帥府に入ったウルリッヒ・ケスラーに違いなかった。

 

「ああ、これはミッターマイヤー中将」

 

 若い士官が立ち去った後、己を見ている蜂蜜色の髪の持ち主に気付いてケスラーは片手を上げた。

 

「何かあったのか?」

「いえ、大したものではないのですが。……そう言えば、ミッターマイヤー中将は推理物がお得意とか。少し力になってはいただけませんか?」

 

 深刻にそう頼まれ、ミッターマイヤーは軽く眉を顰めながら話を聞く態度を作った。

 あの士官が持って来たのは、例の数日前に起きたハウプトマン少尉の事件についてだった。

 

「憲兵側の報告を、親族側が断固として聞き入れないとかで。こちらに見落としがあるに違いないと、向こう側が遺体の精密な解剖結果を出して来たのですよ」

「解剖? 向こうは医者か何かなのか?」

 

 貴族の医者など聞いた事がない。

 そう言いたげなミッターマイヤーに、年上の新たな同僚は資料を端末に入れて、署名のところを見せた。

 

「ハウプトマン伯爵家は、帝国内シェア第三位のオーステルン製薬の会長ですよ。最も、ここ数年製品トラブルですっかり信用を落していますがね」

 

 そう言えば、点滴薬に異物が混入していて、しかもそれが何処ぞの公爵の当主に使ってどうこうと言う騒ぎがあったのを思い出して、ミッターマイヤーは眉間の皺を深くした。

 確かその時の病院は、オーステルン製薬から逆に責められて、閉鎖に追い込まれた筈である。

 

「……それで?」

「結論を言わせて貰うなら、結果は憲兵側のものと一緒です。ただ、憲兵の司法解剖では取り上げなかったものが一つ入っていて」

 

 ケスラーがそう言った時である。

 

「何が取り上げられなかったと?」

 

 極めて不機嫌な声が、ケスラーの話しを遮った。

 声の主を振り返れば、剣呑な光を浮かべた金銀妖瞳《ヘテロクロミア》の美丈夫が立っている。その身に纏った低気圧に、ケスラーは困ったように年下の同僚を見るが、ミッターマイヤーのほうは笑って自分の隣りを空けた。

 そしてロイエンタールを座らせると、何事も無かったように目の前の同僚に向き直った。

 ケスラーはまだ機嫌の傾いでいるもう一人の同僚を気にしつつ、端末に問題の箇所を呼び出し二人に見せた。

 

「被害者である、デートレフ・フォン・ハウプトマンの軍靴に、メタノールの付着した痕跡があったと」

「メタノール? ああ、メチルか」

 

 メタノールとは、メチルアルコールの事で、無色ながら刺激臭がある可燃性の液体である。

 燃料、用材、ホルマリンの原料として広く利用されているが、同時に有毒で、取り扱いには資格を要するものだ。

 だが、あの倉庫にはそう言うものは置かれていなかった筈なのだが。

 だがそれを聞いて、ロイエンタールが不愉快そうにこう告げた。

 

「ふん。どうやら殺人かも知れんな、その話」

「ロイエンタール、どう言う事だ?」

 

 運ばれて来たグラスを取り上げると、ロイエンタールは低い声で、

 

「化学反応」

 

と言った。

 

「過冷却反応と言う奴だ。メタノールにドライアイスを混ぜると、マイナス七十七度の超低温液体が出来上がる。これを掛けられたら、軍靴が路面に凍り付くだろう。

 それを剥がそうともがいている間に撥ねられたと、そう言う事では無いか?」

「だとすれば、犯人……は、少なくとも化学や劇薬物に詳しい人間と言う事だな」

「そうなるな、危険物や劇薬物取り扱いの資格を持つか、そう言うものに慣れている人間と言う事だ」

 

 二人の言葉をメモに取ると、ケスラーは席を立った。

 

「感謝します。これで少しは進展するでしょう」

「「ああ、それなら良いが」」

 

 意味合いは違うが、二人は同時に同じ言葉を返していた。

 去り際、そう言えばと言いながら、ケスラーはメモ帳の前のページをさらった。

 

「三週間前の、エルウィン・シューベルトの件ですが、調査の途中で関わり合いのありそうな人物が見付かりました」

 

 写真は無いのだがと前置きして、身を乗り出すミッターマイヤーに参考人の名を告げた。

 

「シューベルトの元婚約者で、ハンナ・ウィーラントと言う二十代の女性です。オーディン市内で小売店の店員をしています」

「元婚約者?」

「ええ、彼女が十代の頃に婚約したものの、二年前に彼女の実家が破産した為に解消したとか」

 

 その言葉に、ミッターマイヤーは強く眉を顰め、ロイエンタールはあからさまに冷笑を浮かべた。

 対照的な二人の表情にうろたえつつも、ケスラーはメモ帳を仕舞い込んだ。

 

「取り敢えず、今の段階ではこれだけですが」

「いや、教えてくれてありがとう、ケスラー中将」

 

 三色の瞳に見送られて、憲兵上がりの提督は店を後にした。

 

 

「しかしあの事件、顔見知りの犯行と言う事になるな」

 

 何時もの席に移って、ワインを口に運びながらミッターマイヤーがそう呟くと、美丈夫の親友は苦虫をつまみに酒を飲んでいるような顔を作った。

 判じ物や推理物が嫌いと言う訳ではないが、人が持ち込んだ厄介事にこの最愛の親友がのめり込むのが嫌なのだ。

 

「そうか? まあ、あっと言う間に凍結するから、あまり時間は掛けられないとは思うが」

 

 親友の言葉に、ミッターマイヤーは顎を擦りながら呟く。

 

「細工自体は急がないと……そう、人に気付かれないようにする必要があるけど、それを被害者に確実に当てる為には、すぐ側に立つのが一番だろう? ……この間の毒だってそうだ」

「飲み物のすり替えか? そう言えば、奴の横には誰もいなかったが、奴と背中合わせに座っていた奴がいたそうだが」

 

 何時聞き出してきたのか、そう切り出したロイエンタールに向かってミッターマイヤーはそれだと言いたげにグラスを置いた。

 

「どう言う奴か判るのか?」

「ああ、俺やワーレン、ビッテンフェルトの同期の奴らしいが、俺は奴の事はよく覚えていない」

 

 正確には、執拗に絡んできたビッテンフェルトと、クラスの副委員長(当然委員長職が当ったのはロイエンタールの方だ)だったワーレンくらいしか覚えていないだけだが。

 

「マルティン・ウィーラント。確か医療大尉とか言ったな」

「医療大尉? ああ、軍医と言う事か。……でも、軍医だからって、ハシリドコロが手に入れ易いって話は無いよな」

 

 かつての地球では、普通に自生している劇毒植物だったが、宇宙時代の現在において、『ハシリドコロ』はあくまでも薬剤生成原料として栽培され、厳重に管理されているものである。(無論、あくまでも建前で、抜け道はあるのかもしれないが)

 一介の、しかもあの作業に参加していた以上は平民であろう、ウィーラント大尉の手に入るものだろうか?

 そこまで考えた時だった。

 

「ミッターマイヤー、話がある」

 

 微妙に低音の響く声で声を掛けると、ビッテンフェルトは空いた席にどっかりと腰を降ろした。

 あからさまに嫌そうに睨みつける、金銀妖瞳の同窓生には目もくれず、オレンジ色の髪の将官はミッターマイヤーに向き直った。

 

「どうした、ビッテンフェルト。何かあったのか?」

「ああ、ミッターマイヤー、俺ぁ嫌な事が判っちまったよ」

 

 そう言ったビッテンフェルトは、何時になく落ち込んで見えた。

 

 



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グロックブリュームヒェン IV

 グラス一杯の水を飲み干すと、ビッテンフェルトはミッターマイヤーに向き直った。

 

「あれから、何処まで判った」

「大した進展はない」

 

 そう前置きしてから、シューベルトに婚約者がいた事と、あの事件当時、シューベルトの後ろにマルティン・ウィーラントと言う男が座っていた事を話した。

 それを聞くと、ビッテンフェルトはもう一杯水を飲んでから、手持ちの鞄を開き、その中から、三十センチほどの長さの細い箱を取り出した。

 ちょうど、花一本を収めるのにちょうど良さそうなその箱を開くと、楕円形の葉っぱと淡い紫の鐘形の小さな花をたわわに付けた、可愛らしい草花が一本収まっていた。

 

「あれ、どうしたんだこれ」

 

 箱ごと手に取って、だがミッターマイヤーはふと何か妙な気がして眉を顰めた。

 ロイエンタールの方は軽く一瞥してから、意外性半分、からかい半分にこう言った。

 

「ほう、変わった花だな。お前に花をくれる、奇特な女性がいるのも不思議なものだが」

「……そんな、いいものじゃねぇよ。こいつは、チュール星系の惑星ロンブスに自生する花だ。学術名なんぞは知らんが、登山者や土地の人間は、これを『グロックブリュームヒェン』と呼んでいる」

 

 惑星ロンブスと聞いて、二人は顔を見合わせた。

 確か、牧畜と森林資源と、登山フリークの集まる星として知られている。

 二人が口を開く前に、ビッテンフェルトはオレンジ色の髪を盛大に掻き混ぜながら、噛み締めていた苦虫を吐き出すようにこう続けた。

 

「こいつには、あの星に集まる登山狂の間でだけ呼ばれている名前がある。『ロンブスハシリドコロ』ってな」

 

 その名に、ミッターマイヤーは表情を凍りつかせ、ロイエンタールは心持ち眉を上げて箱の中身を凝視した。

 

「こいつによく似た、鐘形の紫の花で、もっと大きな楕円形で裏に白い毛の生える『グロックブルーメ』って言う草がある。

 こいつは、地下茎がアク抜きしなくても食えるものだから、よく登山者やキャンプ客が手軽な山菜として食っちまうんだがな」

 

 溜め息と共に箱の花を指差すと、ビッテンフェルトは額を押さえながら言葉を続けた。

 

「中には、こいつをそれと間違えて食っちまう奴がいる。

 そしたら、この間のシューベルトのように心臓発作を起こすまで走り狂うか、崖から死のダイブかのどっちかだ」

「じゃあ、この間の事件に使われたのは」

「こいつだろう。医者とかだと、研究材料といえば結構持ち出せるようだし」

 

 ビッテンフェルトの言葉に、二人は軽く顔を見合わせた。

 

「つまり、ウィーラントはそれを使って人を殺したと?」

「ああ」

「妹の為、か?」

 

 ロイエンタールの冷笑交じりの一言に、ビッテンフェルトの眉根が強く顰められた。

 

「同じ姓だ、つまりはそう言う事だろう? なんとも浅はかな男だな」

「浅はかなだけなら良い。奴は碌で無しだ」

「ビッテンフェルト?」

 

 噛み締めるようにうめく、オレンジ色の髪の勇将に向かってミッターマイヤーは声を掛ける。

 それに対して、ビッテンフェルトは半泣きの態で一枚の手紙を差し出した。

 

「ハンナから届いた。その花と一緒にな」

 

 手紙を開くと、丁寧な女性の文字が飛び込んで来た。

 

 

 

『親愛なる山の兄、フリッツ・ヨーゼフ様。

 

 先日は兄が申し訳無い事を致しました。

 私の名前で自宅に呼び出し、不快な思いをさせた事と思います。

 あの日、私は兄に命じられ、軍基地の方に行っておりました。

 とある人物の足に、ドライアイスとメタノールの混合液を掛ける為です。

 彼は、私どもの家が医者を続ける事が出来なくなった元凶である、オーステルン製薬会長が、尤も溺愛している息子だったそうです。

 私は相手に顔を知られていないとの理由で、兄に実行を命じられてしまいました。

 

 今の兄は狂っています。

 正確には、三年と五ヶ月前、オーステルン製薬の負債を押し付けられる形で我が家の病院が閉鎖に追い込まれ、両親が心労で立て続けに亡くなってから。

 艦隊勤務から外れ、家から通う軍病院勤務に移ったのは、私は最初私の為だと思っていました。

 でも違いました。兄は、勤務先の病院で毒物を、人を殺す方法を考えていたのです。……兄の勤務先を調べれば、死亡者が増えている筈です。

 兄は、私にグロックブリュームヒェンの生えている場所を執拗に聞いてきました。

 あの時、私はてっきり薬効検査の為に、欲しがっていると思っていました。しかし、あの日――そう、貴方の目の前で、私の元婚約者が死んだ日に、兄は呵呵大笑して私に語ったのです。

 

『すばらしい、本物のハシリドコロと大差ないじゃないか! しかもハシリドコロと違って、入手が容易だ。どうして貴族の間で流行らないんだろう!』

 

 あの言葉で判りました。兄は、彼が私を裏切った男だから狙ったのではなく、たまたま自分の側にいたから毒を使ったのだと。

 そして、それでオーステルン製薬の人間を狙うつもりだと。

 

 デートレフ・フォン・ハウプトマン様をあのような死に方をさせたのは、あちらの方への警告だと言っていました。尤も、

 

『貴族が判る筈も無い』

 

と、嘯いています。

 フリッツ・ヨーゼフ様、いえ、フリッツ先輩、私は兄を止める事にします。

 でも、私が止め切れなかったその時には、この手紙とあの花を憲兵隊に持ち込んでください。

 ごめんなさい、ロンブスの虹を見に行く約束、守れないかもしれません。

 

貴方の、山での妹である

          ハンナ・ウィーラント』

 

 

 顔を上げたミッターマイヤーに、苦虫を十匹纏めて噛み潰した顔でビッテンフェルトは呟く。

 

「それが届いたのは今朝だ。それを受け取って、すぐ俺はウィーラントの住む集合住宅《アパート》に行った。

 だが、家財道具も何もかも、そこには無かった。管理人の話しで、前の日に業者が来て、全部持ってったらしいんだがな、それが何処の業者かは判らん」

「判らないって?」

「オーディンの業者ではない、もしくは夜逃げ業者の可能性もあるな」

 

 冷静なロイエンタールの指摘に、ビッテンフェルトは頷いた。

 

「で、どうするのだ。それを憲兵に持っていくのか?」

「まさか」

 

 金銀妖瞳の同期生にそう言うと、ビッテンフェルトは手近にあったボトルを取り上げた。

 

「あの能無しのホルヴァートに、手柄をやる言われは無い。後でがたがた言われるのを覚悟して、親父のつてを頼る事にした」

「親父さんの?」

 

 これは意外そうに、ミッターマイヤーが向き直った。

 その様子に、見咎めるようにロイエンタールが眉を上げる。

 

「俺の親父は、今は放浪の白兵戦技教官なんぞと名乗っているが、昔は辺境警備軍の部隊長でな。その頃の部下とか、同僚とかがあちこちにいるそうだから、その情報網に頼る事にしたんだ」

 

 そう言って、祈るように手を組んだビッテンフェルトに、ミッターマイヤーはそっと肩を叩いてやる事しか出来なかった。

 

 

 その後、ウィーラント兄妹の情報は何処にも流れず、憲兵隊は大規模なサイオキシン麻薬の販売シンジケートの摘発と検挙に成功したと発表した。

 そのシンジケートと結び付いていたとして、オーステルン製薬とハウプトマン伯爵家に司法の手が及んだ事に、世間は大騒ぎとなった。

 ビッテンフェルトは何も語らず、ミッターマイヤーも口を閉ざした。

 

 

 ただ、その年の夏、惑星ロンブスへビッテンフェルトは一人で向かった。

 

 




実は、これは途中の内容を変えようと、一旦下した作品でした。

でも、この話はこれでいいかもしれないと思い、ここに公開する事にしました。



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籠の鳥の冒険

 それは、まだウォルフガング・ミッターマイヤーが士官学校生だった頃の話だ。

 同級生であり、同じ学生寮の住人であり、ついでに言えば学年の事実上の一位二位であったホルスト・ジンツァーと共に上級生のお使いに出ていたミッターマイヤーは、少し早めに用事を済ませると近くの公園に寄り道していた。

 季節は初夏で、つつがなく昇級試験を終わらせていた二人は、少し浮かれた気持ちで公園の芝生で寝転がっていた。

 だが、急に跳ね起きたジンツァーが、何かに引っ張られるように走り出した。

 慌てて追い掛けると、友人は何かを手にとり痛ましげに眉を顰めていた。

 

「どうしたの?」

「可哀相に、何かの罠にでも引っ掛かったのかな」

 

 彼の手の中にいたのは、片足を失い、すっかり衰弱しきった小さな小鳥だった。どう見ても、貴族の家で飼われる類の鳥であった。

 誤って籠から飛び出し、野良猫か何かに襲われたか、それとも心ない子供の悪戯で足を切られてしまったのか、どちらにしろ小さな黄色い小鳥は、ジンツァーの手の中で動かなくなった。

 

「・・・・・・随分、もがいたみたいだ」

 

 農場育ちで、それこそ馬も牛も鶏も世話していたと言うジンツァーは、手の中の小鳥をそっと撫でてやってから地面に下ろした。

 友人がやろうとしている事を察したミッターマイヤーは、墓石代わりの石とひこばえの野菊を取って来て小鳥を埋めた上に乗せた。

 

 この、記憶の片隅に眠る出来事が、何を意味するのか、神ならぬ身に判る筈も無く。

 

 

「何でも、憲兵隊を出し抜いておられる名探偵とか」

 

 時代は、リップシュタット戦役後、ローエングラム公ラインハルトの名代として参加した、とあるガーデンパーティでの事。

 貴族の男の言葉に、ミッターマイヤーは困惑しオスカー・フォン・ロイエンタールはあからさまに相手を睨み付けた。

 確かに、酒の勢いでべた記事を推理したり、友人に頼まれて推理まがいの事をしたりもしたが、ミッターマイヤーは自分は職業軍人であると言う意識がある。『名探偵』などと言われて舞い上がる程、ミッターマイヤーはおめでたい性格ではなかった。

 

「オッペンハイム男爵、小官は」

「いやいやご謙遜めさるな」

 

 最も、通用する相手としない相手はいて、目の前のふくふくした男には通じない様子だった。

 困惑を謙遜と取り、ロイエンタールの氷点下の視線にも動じず、かなり辺境の小さな領地を持つと言うその初老の人物はミッターマイヤーに頼むと言った。

 

「友人の、一二年に亘る懊悩を、何とか解してやりたいのですよ」

 

 その言葉に、ミッターマイヤーの見えない狼の尻尾と耳が反応したのを感じ取って、ロイエンタールはそれこそはっきりと嘆息した。

 

「力になれるかどうか判りませんが、小官でよろしければお話を聞かせて下さいますか?」

 

   そんな事を言って、もう何かしらの協力をするつもりでいる癖に。

 

 ロイエンタールはそう苦りつつ、男爵と話すべく歩き出したミッターマイヤーの背を追った。

 

 

 エドマンド・フォン・オッペンハイムの親友、仮称A伯爵には一二年前一六歳の娘がいた。

 仮称B嬢は要するに美少女で、当時皇宮に召される事になっていたと言う。……そう、ちょうどローエングラム公の姉、アンネローゼが召し上げられる少し前の話である。

 父親としては、出来うる事なら娘を要するに皇帝の寵姫として皇宮に上げるなど、これっぽっちもしたくはなかった。

 しかし、A伯爵には、申し出を断れない事情があった。

 

「事情ですか?」

「ええ、まあ辺境貴族の私としては、馬鹿馬鹿しい話なのですが」

 

 コーヒーを啜って、男爵曰く。

 A伯爵の家系と言うのが、あのブラウンシュバイクとリッテンハイム両家の両方と関わる為に、『帝家の血が入っていない、手頃な娘』として両方から差し出す事を強要されたのである。

 

「ありがちな話だ」

 

 そう言った友人の足を一発踏んでから、それでとミッターマイヤーは話を促す。

 何しろ、アンネローゼ以前の――そして某夫人以外の――寵姫など聞いた事が無かったからだ。

 結論から言えば、B嬢は皇宮に上がらなかった。

 その一週間前に、謎の死を遂げたからである。

 

 事件当日は、初夏の快晴の日だった。

 皇宮に向かう日が近付き、ナーバスになっていたB嬢はその日も自室に籠っていた。

 そして、その日の午後三時を幾らか過ぎた頃、ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家から教育係と称して女たちが伯爵家にやって来た。

 要するに、寵姫としての心得とやらを長々しゃべり、伯爵家で夕食を食べて帰る気満々の小母様達は、しかしメイドに開けさせた室内の惨状に金切り声を上げて逃げ出した。

 B嬢は、自室のベッドの上で首を切り裂かれ、己の血の海の真ん中で死んでいたのである。

 

「警察の調べでは、亡くなったのは午後三時前後。床に落ちていた剃刀によって、頚部大動脈を切断した事による失血死でした。ただ、問題は一体どうやって彼女を殺害した犯人はあの部屋に入ったか、そして出て行ったかと言う事です」

「と、おっしゃいますと?」

 

 オッペンハイム男爵は、徐ろに一枚の2Dフォトを差し出した。

 そこに写っていたのは、いかにも頑丈な鉄格子の嵌まった窓であった。

 レースのカーテンや繊細な細工の鳥篭と言った女の子らしい装飾を、その鉄格子が台無しにしているそこは件のB嬢の部屋であった。

 

「この通り、ご親族の皆さんは彼女の身を案じて、こんなに立派な鉄格子を嵌め殺しにさせましたからな。まあ、流石に電流までは流さなかったようですが、いかに細身の人間でも、こんな一五センチ程の隙間を抜けられるとは思えませんからな」

 

 絶句するミッタマイヤーの横で、顎に指を当てつつロイエンタールは思った。

 

   状況的に、自殺としか思えない。だが、何故にそう判断されなかったのか?

 

 その答は、親友が相手に確認した。

 

「彼女が、何時頃まで生きていたのか、確認は取れているんですか?」

「午後三時過ぎ、所謂《教育係》達が押し掛けて来た時に、屋敷のメイドがB嬢に彼女達が来た事を伝えて、『逢いたくない』と応えたのを聞いています」

 

 そして、礼儀として三〇分間彼女の気が変わるのを待った女達は、自分達を待たせるB嬢の事を『礼儀知らず』と罵りながらメイドの制止を(文字通り)薙ぎ払って、彼女の部屋に行き惨状を目の当たりにしたのである。

 状況的に、メイドが偽証している可能性を感じたものの、その時はメイド数人と彼女の(親族側が用意した)家庭教師も聞いていた為、それは無いと男爵は言った。

 そして、彼女がホテル・ハイデクラオトのティーサロンをひいきにしていた、読書と小鳥の好きな少女であった事を話すと、エドマンド・フォン・オッペンハイム男爵は帰って行った。

 

 

 翌日、ミッターマイヤーの執務室に顔を出したロイエンタールは、案の定考え込んでいる親友の姿を見い出し隠す事無く溜息を吐いた。

 ミッターマイヤーの方はと言うと、親友の懸念通り書類片手に、全く仕事と関係の無い事を考えていた。と言っても、考えていたのは事件の事と言うよりは。

 

「ミッターマイヤー、まだ考えているのか?」

「ん? ああロイエンタール、いや違うんだ。少し引っ掛かる事があってな」

「引っ掛かる事?」

 

 ミッターマイヤーは元々好き勝手跳ねがちの、蜂蜜色の金髪に指を突っ込むと苛立ちを隠さず呻いた。

 

「何か、凄く引っ掛かってるんだ。凄く事態に関わる事が、ここまで出掛けてるんだが……」

 

 その時である。

 がこんっと、扉の向こうから派手な音がして、その後控えめにノックされた。

 入室を許可すると、数冊のファイルを抱えたジンツァー中将が入って来た。

 

「閣下、書類にサインをお願いします」

「なにやら派手な音がしたが、虫でもいたのか?」

 

 ロイエンタールの揶揄に、ジンツァーは冷静にこう言った。

 

「はい、アメフラシの様なゴキブリが扉に張り付いておりましたので、一発叩き落としましたが」

 

 その言葉と、一緒に持ち込まれた『K.E.バイエルライン』のサインの入った書類に、大体を悟ってロイエンタールが軽く眉を上げたその横で、急にミッターマイヤーが立ち上がった。

 

「思い出した! カナリヤだ!」

「ミッターマイヤー?」

「閣下?」

 

 ミッターマイヤーの方は、入って来た部下――そしてかつての同級生の方を見て、勢い込んでこう続けた。

 

「ジンツァー憶えているか、昔士官学校時代に、カナリヤを拾った事あっただろう?」

 

 その言葉に、少々面食らいつつも部下は頷く。

 

「どう言う事だ、ミッターマイヤー」

「奇妙だと思ったんだ、小鳥のいない鳥篭、つまり、小鳥に何か、多分小型のボイスレコーダーか何かを付けていたとしたら!」

 

 ミッターマイヤーの言葉に、一瞬深緑色の瞳を見開いたジンツァーは「時間を下さい」と言って、足早に出て行った。

 

 

 その夕刻、連絡を入れたミッターマイヤーを、オッペンハイム男爵はとある墓地に呼び出した。

 ミッターマイヤーはオッペンハイムに、小さなボイスレコーダーを差し出した。

 

「一二年前、小官はとある公園で学友と二人で、一羽のカナリアを見付けました。

 片足を失い、その小鳥は暫くして亡くなりました。

 その後で、友人はその公園で小鳥の足の繋がった、小さなボイスレコーダーを見付けて保管していたそうです。

 この機械そのものは当時の物ではありませんが、中に入っているのは当時のデータだそうです。

 つまり、B嬢を殺した犯人は存在しません。彼女は、三時前に亡くなっていたのでしょう。

 ノックか、メイドの誰かの声に反応して再生されるようにセットしたボイスレコーダーでアリバイを作り、教育係の女性陣が踏み込んだ時に、驚いたカナリヤが逃げるよう籠の戸を開けておいて」

 

 再生された、澄んだ声を耳にしながら男爵は小さく頷いた。

 

「確かに、あの子の声です。ありがとう、やはり覚悟の自殺だったのですね」

 

 男爵の言葉に、ミッターマイヤーは顔を上げた。

 

「見当は付けていたんですよ、私も友人も。

 只、外聞を憚った親族に握り潰されましてね。挙句に、あいつは色々無理難題を吹っかけられつつこの間の戦役に引き込まれ、そのまま、ね」

 

 墓地の方を見ながら、そう言った男爵はこう付け加えた。

 

「あの子は、確かに死ぬと言う短絡的な方法とは言え権門貴族達に抗いました。奴に、それだけの度胸があれば、きっと」

 

 そう言うと、頭を下げてエドマンド・フォン・オッペンハイムは墓地に入って行った。

 小柄な背中を見送ると、ミッターマイヤーも踵を返し、彼を待つ親友の方へと歩き出した。

 

 

 エドマンド・フォン・オッペンハイムが領地に帰った後どんな余生を送ったのか、知る者はいない。

 



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番外編
水を味方に


 一つ溜め息を吐くと、ウォルフガング・ミッターマイヤーは横を見てみる。

 小さなポケットライトに、弱々しく照らし出されたのは、つるつるとした壁だけだ。上を見上げれば、六メートルほど上方に、ぽかりと一つ窓が開いている。

 尤もあれは窓ではなく、サイレージを詰め込む為の入り口なのだが。

 

「ミッターマイヤー、やっぱりあいつ等鍵掛けてやがる」

 

 暗がりの中、声がした。

 同級生で寮の同室者であるホルスト・ジンツァーの声だ。

 

 

 二人は今、屋外研修二日目である。

 まあ、一年の基礎科目であるため、初っ端からナイフと方位磁石だけでヘリから突き落とされるなどと言う事にはならなかったが、長距離オリエンテーリングはやらされた。

 その班分けは、貴族の子弟ばかりと、平民出身者ばかりと言うものであったが、その中で一番に全チェックポイントを回り切ったのがミッターマイヤーとジンツァーのいる班だった。

 本来なら、総ての位置と順路まで明記されている貴族の班が一番になる筈が、地図上の位置を確認するや、道筋無視して強行軍をやらかした(と言うか、本来そうあるべきなのがオリエンテーリングではなかろうか?)彼等がぶっ千切りで一位になったのだ。

 その事に収まりが付かなかったのが、彼らのクラスの貴族の子弟達である。

 就寝点呼後に二人を呼び出すと、彼らはある場所に閉じ込めたのだ。

 それは、とある貴族が道楽で作らせた酪農施設であったものの、完成と前後して当人が亡くなった為に、使われずに放置されていた施設であった。

 そこの、やはり放置されているサイロに、二人は閉じ込められたのだ。

 

 

 サイロの中は、直径三メートル、高さ六メートルの円柱になっている。上部にある直径一メートルほどの丸窓と、サイレージを掻き出す為に使うのだろうしっかり密閉された鋼鉄製の扉以外は、本当に何も無い場所である。唯一、足元に一つ小さな排水口があったが、彼らの握り拳ほどあるかどうかである。

 

「どうする? 明日の朝までには何とか出ておかないと、校旗掲揚に間に合わなかったら減点ものだぜ?」

 

 がりがりっと、ミルクチョコレートに似た色の髪を掻き毟っているらしい気配がする。

 そう、明日の朝、二人は朝礼前に校旗を揚げる当番に当たっていた。

 これをサボると、後期の成績に多大な損害を出すのである。

 

「まずは、ゆっくり考えよっか。慌てても仕方がな……えっ!?」

 

 その場に座り込もうとしたミッターマイヤーは、突然の水しぶきに驚いて立ち上がった。

 振り仰ぐと、丸窓から消火栓らしいホースが差し込まれ、そこから大量に水が注ぎ込まれている。

 ついでに言うと、丸窓からは三つ少年の頭が覗いており、それは二人を陥れた貴族の馬鹿息子とその腰巾着達だった。

 

「いい気味だなあ、平民ども」

 

 耳障りな甲高い声でそう言った馬鹿息子は、けたけた笑いながらこう続けた。

 

「私の慈悲だ、水でも飲んでいてくれたまえ。そうそう、一時間もしたら止まるし、泳げないと言う事もあるまい? 明日の朝まで、そこにいるがいいよ」

 

 ごとりと、窓を塞ぐ鉄の扉が閉ざされた。ホースを差し込んでいるので完全に閉じられていないが、内部は一気に暗くなる。

 あっはっはと、笑いながら三人が去っていくのを聞きながら、二人は呆気半分、憮然半分に顔を見合わせた。

 無論、より暗くなったので、全く見えなかったが。

 

「あほか、あいつ。ここ、排水口付いてるの知らないんだぜ?」

「この勢いで水溜めたら、一時間後には天井に着いちゃうだろ?」

 

 そう言い合った時、ピンっという顔になったのはどちらだったか。

 

「いい事思い付いた」

「俺も」

 

 見えないままに笑い合い、二人は着ていたシャツを一枚脱いだ。

 

 

 翌朝、二人の泣きべそを予想しながら扉を開いた三人は、そこに誰も居ないのを見て取って青くなった。

 更に言うなら、溜まっている筈の水は跡形も無く、がらんとした空間だけだった。

 慌てて、下の入り口に走った三人は南京錠を開けて中を覗いて見たが、湿った空気が三人の蒼褪めた頬を撫でただけだった。

 引き攣りながら戻った三人は、結果的に朝礼をサボったことになり、流石に教官達から訓告を受ける事となった。

 そんな三人の背後を、校旗掲揚を済ませたミッターマイヤーとジンツァーの二人は、素知らぬ顔で歩いて行ったのである。

 

 

「つまり、その時卿は、シャツを排水口に詰めて水を溜めたと言う事か」

 

 あれから12年後。

 士官用クラブ『海鷲』ゼー・アドラーの片隅で、グラスを揺らしながらオスカー・フォン・ロイエンタールが聞く。

 ひょんな事から、士官学校での屋外実習の思い出話で盛り上がった同僚達に引っ張り込まれる形で、ミッターマイヤーも思い出披露と相成ったのだ。

 

「ああ、二人のシャツを裂いて七メートルほどの紐と、排水口をしっかり潰せるだけの塊を作って」

「何で紐なんだ?」

 

 聞き返したのは、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトだ。

 彼も、オリエンテーリングの際、何処までもまっすぐ歩いてポイントを回った口であった。

 

「ジンツァーの案だったんだ。溜まっている筈の水が無いとなったら、きっと驚くだろうって。

 案の定、どうやって俺達があそこから逃げたか判らなくて、大騒ぎしてたけど」

 

 こう言う事である。

 長い紐の先に括り付けた、固く締めた布の塊を排水口に詰めて置き、二人は水が溜まって行くのを待つ。

 そして天井の窓まで達したら、片方に足場になって貰って扉を押し開けて外に出る。

 そうして、もう一人をサイロから引き出した後、紐を引っ張って水を抜いたのである。

 

「まあ、シャツを駄目にしたのは勿体ないと思ったけど、成績には代えられなかったし」

「しかし、あのサイロでそんな事をする奴がいたとはな」

「ああ、だから私達の時は、あの近辺立ち入り禁止だったんですね」

 

 アウグスト・ザムエル・ワーレンが顎を擦る横で、納得したとナイトハルト・ミュラーが笑った。

 因みに、ワーレン、ビッテンフェルト、ロイエンタールが同学年、その下がミッターマイヤー、その更に下の学年がミュラーになる。

 彼等は全員、同じ第一士官学校の卒業生である。

 

「で、その一緒に閉じ込められた同期は、今何している?」

 

 ロイエンタールがそう聞いたそこに、書類を抱え少将の階級票を着けた青年士官が現れた。

 

「終業後に申し訳ありません、閣下。至急サインを戴きたい書類がございます」

 

 そう言ったミルクチョコレート色の髪の士官に、ミッターマイヤーは笑って顔を上げた。

 

「いや、構わない。

 あ、そう言えばジンツァー、あの時のシャツ、どうしたっけ?」

 

 いきなり話を振られ、暫く考えていたホルスト・ジンツァーはやがてああと頷きこう答えた。

 

「実家を探せば、見付かるかもしれませんね。捨てる訳にも行かないから寮まで持って帰って、そのまま実家に送り付けた覚えがありますから。まあ、親父が捨ててなけりゃ、ですけど」

 

 そう言って、彼はにっこりと笑った。

 

 

 




私設定として、ミッターマイヤーの士官学校時代の学友を原作登場人物に割り当てており、この話は彼とミッターマイヤーの学生時代の話になります。


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