雛鳥は誰の歌をさえずるか (サイダー党)
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退屈な世界

 私の知る限り、こんなにも強大な国はここ”ヤマト”を置いて他にはない。豊かな資源に発展した技術。これだけを見ても他の国とは一線を画しており、軍事力においては比肩するのも馬鹿らしいほど圧倒的だ。

 何よりも民の暮らしが平和そのものであり、小さな不満はあれど誰も政について反対しないほどである。圧倒的な権力者に対する畏怖ではなく、それこそ神と崇め奉らんばかりの存在。それがここヤマトにおける最大の強さだ。

 ただ、私には小さな不満が多すぎたらしい。

 平和なこの国において、不幸だとのたまって生きているのは私くらいだろう。

 手元で黒く塗れた紙が反射し、それを丸めて捨てた。

「あぁ、やってられないねぇ」

 見慣れた天井を仰ぎ見て、小さく言葉を漏らす。

 掃いて捨てるほどある資金に、国の根幹を成す八柱将と呼ばれる者の子供という地位。何も困る事はなく、誰よりも贅沢な毎日を過ごしているというのに、なぜこんなにも億劫なのだろうか。

 それもそのはずで、誰もそれを望んで得たのではないというのが、唯一の理由になる。

 少なくとも、政略結婚の道具として文をしたためる最中であれば、愚痴の一つこぼしても罰は当たらないはずだ。

「そもそも、養子で政略結婚なんてありえないだろう。嫁なんて貰えないのは分かるけど、いくらなんでも納得しかねる」

 私の父はデコポンポという男で、その醜悪ぶりであればヤマトの心臓にあたるここ、帝都では知らない者は居ない。商才だけであれば確かに称賛に値する男かもしれないが、その手段と性格があまりにも酷い。

 同じく八柱将である七人も、こんな男と同じ台に立たされるのは我慢ならないのではないだろうか。

 とはいえ、戦争孤児であった私を引き取って育てたという事実は変わらず、憎み切れない自分がまた腹立たしい。

「仕方ないのかねぇ」

 なんとも贅沢な一室で、しけた声だけがこだまする。しかし、やらずに居るという事にもいかず、仕方なくまた筆を走らせた。

「たしか、相手は武士の家系だったかねぇ。適当に強い男が好きだとか書いておけばいいかね」

 どうせ相手も八柱将とつながりが欲しいだけなのだから、私がどんな事を書いていようと関係ない。相手にとって私の存在は、この書面と何ら変わらないのだ。

 中身の薄い駄文を適当に間延びさせて筆を置くと、足音が近づき障子に顔を向ける。

「ユエル殿。恋文の方を預かりに参りましたぞ」

 現れたのは金魚の糞。もといボコイナンテという男で、その長躯にお似合いなほど顔も長い。父の腹心に当たる男ではあるが、その才覚は主人に準ずる所だろう。

「お勤めご苦労様です。こちらを」

 しかしながら、この男は権力という物に対して非常に弱い。養子とはいえデコポンポの娘が相手では、その反応は何となく予想が付く。

「おぉ、なんと素晴らしい! 流石はデコポンポ様のご息女。男心を熟知しておられる!」

「いえ、そのような事は。私はただ、お相手に対する素直な気持ちをしたためただけですので」

 おかげで、それに対する返事も即答できるというのは非常に楽である。定型文には定型文で返すというのが礼儀であろう。

「おぉ、なんと奥ゆかしい。こちら、責任を持って届けさせていただきます」

 ボコイナンテは私の差し出した文をうやうやしく受け取り、そのまま障子を閉じて行ってしまった。おそらく、内容の半分も読んで居なかった事だろう。

 それを見送ると小さく伸び、外出の支度を始めた。

 棚に入っている手頃な衣類を引っ張り出し、それを着てから無駄に精緻な細工を施された立ち鏡を見る。

 鳥の翼にも似た耳に、全体を短く切りそろえた髪。それらと燃えるような瞳は合致し、自分がまだ武士の心を忘れずに居る事を鮮明に思い出させてくれる。その事にふと口角を綻ばせ、瞳と同じように赤い服に黒い外套を羽織った。

「誰を相手にしても素顔を出せないというのは、息苦しいな」

 人によれば見ただけで高級品の物と分かる服で、しかも貴族以上の身の上でこのエヴェンクルガ族の耳を持つ者は居ない。そのため、自分が誰であるか知っている者が居てもおかしくないのだ。

 面倒事を避けるためにもそれを隠さなくてはならず、羽織っていた外套のフードを深く被る。

 口元しか見えないようになっている事を確認し、ようやく財布の確認をした。

 中身はその重みだけで分かるほどで、それを懐に入れると刀を腰に下げて部屋から出ていった。

 実用性を感じない綺麗な装飾のされた刀は小銭の跳ねるような音がして、非常に耳障りである。しかし、外出の際にこれを置いていった事もあったが、父に叱責されてからは仕方なく持ち歩くことになった。

 そもそも、刀は使えないというのになぜ持ち歩く必要があるのか。護身用であれば槍を持たせて欲しいと今でも思う。

「どちらへ?」

「少し散歩ですよ」

 家の門から出ていくと見知った門兵が声をかけてきて、それに返事と一緒に幾ばかりの硬貨を袖口から渡す。

 門兵は何事もなくそれを懐に収めると、何も見えていないかのように元の位置へと戻っていった。

 袖の下は末端の兵であればあるほどよく効いてくれる。主人があのデコポンポなのだから、なおの事だろう。

 そうして立ち去って向かうのは、帝都の大通りだ。

 この帝都は真四角の敷地に規則正しく家屋が並んでおり、各門からは最奥にある聖廟へと続く大きな通路が敷かれている。基本的には聖廟から南へと伸びた道を大通りと呼称して、その他の道には各方角を頭に付ける形となっている。

 大通りには多くの出店が並び、行商人の通り道にもなるため商いが一層豊富なのだ。暇つぶしに行くにはここ以上は娯楽施設くらいのものだろう。

 商才だけは確かなデコポンポ邸からもそれは近く、少し歩けばすぐに喧噪の波が押し寄せてきた。

「そこの人、お一つどうだい!」

「宿まだ空いてるといいんだけどな」

「へちゃむくれとか言う筈です」

 あまりの情報量の多さに一瞬たじろぎそうになる。車が六台は置けそうな広い道に、ありったけの人がぶちまけられたような景色。いつ見ても感嘆する盛況ぶりに、自然と浮足立つ。

 それをいさめるように一度足を止め、小さく深呼吸をしてから一歩を踏み出した。

「おぉ、オシュトル様だ……」

 しかし、二歩目は出る事なく、声のした方へと顔を向ける。

 そちらには遠くから馬にまたがりやってくる一団の姿があり、見えない壁に押し出されるようにして人々は道の隅へと引いていく。

 例え離れていようとも、その中心に居る男を見間違える者は居ない。無駄のない筋肉による細身の体躯に、鼻から上を覆う仮面。一見して怪しい姿なのに、悪意という物を欠片ほども感じさせないその男こそ、右近衛大将オシュトルだ。このヤマトにおける双璧と称されるほどの武士であり、八柱将に勝るとも劣らない権力者の一人。

 それには熱狂的なファンが居るほどで、特に女性陣のうるささはちょっとした祭りのようだ。

「オシュトル様ー!」

 彼はどうにも取り入るのが上手く、熱狂的な声がそれをよく表している。噂では姫殿下のお気に入りらしく、この国を統べている帝からの信奉も厚いらしい。

 情に厚く民を案ずる男と言われるようだが、私はこれが気に入らない。

 このような騒ぎを出すだけの見回りに何の意味があるというのか。それを理由に高い位置から見下ろしているだけであろう。この男に対しての印象においては、父に少なからず同意する。

 声には出さず悪態を吐くこと数分。ようやくオシュトルの一団が通り過ぎていき、つい口を滑らせてしまった。

「ふん、真に民を想う男なら他に居るだろうに」

「そうとも! お嬢ちゃんは分かっておる!」

 唐突に飛んできた同意の声に心臓が飛び跳ねそちらへと顔をむけた。

 どうやら飴細工の出店の隣に居たようで、その店主らしき老人が声の主らしい。

「やはり、ミカヅチ様こそ我が国の宝よ」

 老人は自信のある様子でそう続け、こちらの返す言葉もなくなてしまった。

 ミカヅチというのは左近衛大将の名前であり、オシュトルと対になる実力者の事だ。たしかにミカヅチ様には尊敬してもしたりないが、私の思う相手とは違い反応に困ってしまう。

「そ、そうだな」

 しかし、老人には妙な勢いと迫力があり、つい同意してしまった。

「うむうむ。話の分かる嬢ちゃんは珍しい。見たところ貴族の方のようじゃが、なぜ顔を?」

 どうやら世間話の流れになってしまったようで、少し悩んだものの付き合う事とした。年老いた職人というのも、寂しく感じるのだろう。話し相手くらいにならなってあげられる。

「その、あまり見せたくないんだ」

 ただ、顔を見せることはできず、苦笑いを浮かべて答えを濁す。わざわざこういった話しをするという事は、それなりに情勢を気にかけているはずだ。そうなると、顔を晒しただけで分かってしまうやもしれない。

「なぁに、老いぼれの頭じゃその日見た顔すら思い出せんよ」

 老人はそれに気分を害した様子はなく、むしろ楽し気に笑って見せた。人の良い笑顔というのは、まさにこういう物を見て言うのだろう。見なかった事にしてくれるという事であれば、私の事を知っていようとも問題は無い。

「目の保養になるかは保障できないぞ?」

 言葉を違えるような人にも見えないため、躊躇することなく外套を持ち上げた。

「ほう、綺麗な瞳をしておる。それに、エヴェンクルガ族を見たのはいつぶりか」

 老人は顔を覗き込んでくると、試案顔で首を傾げた。どうやら私を知らないようで、少しばかり安心する。

「可愛い顔をしておるというのに、隠すとはもったいない。何か事情でも?」

 老人はひとしきり顔を見て満足したようで、顔を引いたのを見てこちらもまた顔を隠した。

 続く質問には少し答えを迷い、顎に手を添える。

 この様子であれば、こちらが誰だと分かっても構わないだろう。しかし、もしもを思うと素直に口が開かない。これは、臆病が原因なのだろうか。

「……なに、人見知りが過ぎるだけだ。こう見えて外套がなければ外に出られないほどでな」

 明らかな嘘を答えてしまった。どうにも嘘を吐く事にはあまり慣れない。胸に暗雲が舞い込んだような複雑な感覚に、つい口元がへの字にまがってしまう。

「ほっほっほ、それは悪い事をしたのぅ。であれば……お詫びにサービスじゃ」

 老人は少し商品を見て一考すると、鋭い瞳をした鳥を象った飴を差し出してきた。羽の一枚一枚まで作り込まれており、何の鳥かは分からないものの完全に再現している事は想像に易い。

「い、いや。これほどの物なら値も張るだろう。このくらいはする筈だ」

 流石にそれを受けとる事はできず、つい懐から銀貨六枚を取り出してしまった。

 すると、老人は静かに首を振り、また人の良い笑顔を浮かべる。

「いんや、こいつの値段はこれだけじゃよ」

 老人は私の差し出した銀貨から一枚だけを拾い上げ、代わりに飴を押し付けてくる。

 これでも商人の娘なのだから、それでは利益にならない事くらいすぐに分かった。ただ、それを言う事すらできずに飴を受け取らされる。

「それでは利益どころか赤字だ。こちらの気が済まない」

「カッカッカ。老いぼれに付き合ってくれたお礼じゃ。それでも気が済まないなら、残りでまた次も来てくれればよい」

 老人は言って聞くような相手ではなく、仕方なく銀貨を懐に戻した。しかしながら、これは厄介な相手だ。遠まわしに”気を悪くしてないならもう一度来い”と言っているのだ。こう見えて、やはり商人のはしくれという事か。

「仕方ない、必ず来る」

 そうとだけ言い残して、大通りを進み始めた。ふと口に含んだ飴は、大味な甘さで何となく心地よい。先ほどの事とは別に、それなりに通う事となりそうだ。



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