不朽のモウカ (tapi@shu)
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第一話

※技術向上のため、低評価をつける際などには是非とも理由を教えて下さい。次回作以降に反映できるように鋭意努力致します。ご協力をお願いします。


 人間の一生というのは長くもなく短くもなく、それでもやはり短いのだと思う。過去を遡れば人の一生はほんの50年が平均だったりもするし、さらに時代を逆行させれば50年も生きれば長生きに含まれてしまう。

 現代を生きれば、50年は中年かちょっとしたおじさん程度で、長生きというのには若すぎる。そんな現代では人生とは80年が指標だ。もっともこれは、日本という長寿大国での人の一生であり、世界規模の平均を取ればうんと下回るらしい。

 少なくとも自分は学校でそのように習い、19歳になった今も覚えていた。

 ある種の生きるという事に執着、あるいは執念が俺にはある。だからと言って、人一倍健康に気遣ったり、栄養を考えたりするわけではないのだが、せめて、普通に生きて普通に死ぬ程度の人生は堪能したい。普通でいいから、不幸の事故とか不幸の病気とかそういうのは是非とも避けたいものだと常々に思ってきた。

 もちろんそれらは、不可避で理不尽な出来事だからこそ『不幸』などと呼ばれるのだが。そんな世界という大きな規模では些細な。

 されど、『不幸』にも自身の人生にとっては最悪な出来事に出くわしてしまったのだ。

 不慮の事故、とニュースには流れたらしい。

 スローだった。これがテレビでよく見るスーパースローというやつなのか、などという他人事のような感想を抱いた。あまりにも現実離れしているため、自分の出来事だと認識できなかったかもしれない。それとも、死ぬかもしれない現実から咄嗟に逃避を始めたか。

 貴重な経験だな。

 全く、暢気にそんな事を考えられる自分が恐ろしい。だがしかし、スーパースローを体感できるなんてやっぱりあまりない経験であった。

 視覚の情報に遅れて今度は聴覚の情報が脳へと電気信号で送られ、耳から聞こえてくる。

 ひゅーん、どしゃん。

 飛ばされた俺に聞こえたのはその音だけ。何かが飛ぶ音と何かが潰れる音。恐ろしく鮮明に聞こえた。

 こんな音、聞きたくない。聞いても楽しいもんじゃない、むしろ不快だ。止めてくれ。

 しかし、音はいつまでも耳に残る。

 ひゅーん、どしゃん。

 さっきまで聞こえていた、鮮明な音は遠く聞こえ始める。それと同時に、ノイズのように何かが聞こえる。だけど、分からない。悲鳴のようにも聞こえるし、ただの雑音のようにも聞こえる。

 意識が遠のく。自然と、ああこれで死ぬんだなんて事を考える。これで全て終わり、自分はなくなる。

 

──なくなる?

 

 何が? 命が。

 何が? 俺の人生が。

 何が? 俺の全てが。

 何もかも無くなる。

 いい、それはいい。だけど……俺はこんなところで死にたくない。

 普通に生きて普通に死ぬまで、俺は人生を謳歌したい。まだまだやりたいことがある、やりのこしたことがある。

 だから、俺は……まだ死ぬわけにはいかない。

 生きたいんだ!

 

「ぅ……うぅ……はっ!」

 

 視界がわずかながらに開ける。瞼の僅かな間から入ってくる蛍光灯の光が刺すように痛い。

 痛みがまさしく物体として存在しているかのように、感じられるほどに身体が痛く、自由に動かせない。だけど……

 

「俺は今、猛烈に生きている!」

 

 死の淵から俺は生き返った。

 一回目の生き返りだった。

 

 

 

 

 

 一回目というからには二回目がある。

 病院から、俺の担当の先生から俺への一言、

 

「もう二度と自分の足で立つ事はできない」

 

 衝撃的過ぎた。あまりにも驚きすぎて、その日一晩は口が閉じなかった。顎が外れるほどというのを経験した瞬間とも言える。貴重な体験だ。

 その体験は一晩寝て起きれば終わっていて、自分の足で立つ事ができないという現実を思い知る事になる。驚きは……無いわけがない。だが、同時になるほどとも思った。

 確かに、足は全く動かない。確かに、足からは痛みを感じない。確かに、足は……存在しなかった。

 正確にはある。在るが有るだけ。使用不可。行動不可。全くもってあるという感覚すらも無く、あると分かっても動かせるという認識は無い。

 

「あれだ……理解できなくても、納得するしかない現実ってやつか」

 

 ははは、と空笑い。もしくは無い元気を振り絞って笑う。盛大に。大袈裟に。

 自分の笑い声と共に聞こえたのは啜り声。親の……母さんと父さんの涙を流し、声を出して泣いている声。

 俺は足をなくしたのを知って泣く事はできず、親は足をなくした息子を見て笑う事ができなかった。

 その日、病院の中は笑い声と泣き声で満ちていた。

 目を覚まして三日目。

 笑いに笑った日の後は、すごく清々しい気分だった。なんだろう、毒が全て抜け切ったというべきか、それとも心の整理がついたというべきか。あるいは……全てに決着がついたというのかもしれない。

 俺の心はここにきてすごく落ち着いてた。まさに無我の境地。悟りを開けた気がする。今なら神様の声が聞こえても可笑しくないし、明日には孟家教なんていう、俺の名前がついた新しい宗教が起きてもなんら不思議じゃない気がする。

 

「よし、新しい神様にでもいっそなってみるか」

 

 足の無い神様。神様というよりもまるで幽霊みたいだ。

 実際には足があるが、あってないようなもんなのである意味では俺の足の存在は幽霊みたいなものか。生への執着からこの世に残るという意味だと、まるで俺自身も幽霊そのものみたいな存在だ。

 

「実際、亡霊だったりして」

 

 それはそれで面白いな。この病院の怪談話になって、未来にも語られるのなら……なるほど、それなら死んだ後の世界にも魅力があるかもしれない。

 でも、簡単に死ぬ気は無いけどね。

 太陽がてっぺんに達する頃になると、母さんが面会に来た。

 猛家と自分の名前を呼びながら眼から涙をこぼし、謝ってきた。

 母さんが何故謝るのかわからない。代わってあげられるなら代わってあげたいと何度も言いながら、泣く。

 気持ちは……理解は出来ないが、分からなくもない。

 それなら、今この母親を元気に、昔のように茶目っ気たっぷりの母親に戻すには俺が一肌脱ぐしかないだろう。

 

「大丈夫だよ、母さん。俺は生きてるから。こんな状態でも生きてるからさ。人間生きてればなんでも出来るって、そう言って教えてくれたのは母さんでしょ? だからさ、泣き止んでよ」

 

 よりいっそう泣き始める母。俺の足だった物に、必死にしがみつきながら撫でながら泣く母さん。

 病室が個室でよかった。もし、これが個室じゃなかったら、母さんの本来の姿じゃない姿を見せる羽目になってたから。母さんには、是非とも元気な姿を皆に振りまいて欲しい。

 

「……うん! もう大丈夫。ごめんね、もうか。慰めに来たはずなのに慰められちゃったね。ふふ、いつからこんなに男気溢れるようになっちゃったのかな? 今のもうくんはお父さんより少し格好いいよ」

 

 さっきまでの泣いている姿とは打って変わって、いつもの母さんの姿がそこにはあった。

 もう大丈夫とは、俺のセリフだよ。

 これで全ては元通りとは行かなくても、俺は大切な立ち上がるための足を失ってしまったけれども、元の暖かい場所に戻ってくれたのだから。

 やっぱり生きているって素晴らしい。

 改めて自覚した。

 足が無くても出来る事はたくさんある。

 そうだ、読書もいいかもしれない。このきっかけを利用して小説を書いてみるのもいいかもしれない。そう考えれば……うん、あながちこの経験も無駄じゃないようにも思える。

 じゃあ、明日からは……

 今後の人生計画を寝ながら考え、夢を見る。

 人生生きていればなんとでもなる。

 

 

 

 

 

 俺が都合よく、前向きにポジティブに人生を考えていたときに、俺に会いたいという人が面会にやってきた。

 若い青年。下手すれば俺と変わらないぐらいの人だった。

 俺は車椅子に乗って彼と屋上で話す。お話。それは和解の為のお話なのか、謝罪の為のお話なのか……

 彼は俺を轢いてしまったトラック運転手だった。トラック運転手だった人だった。

 彼の謝罪を俺は受け入れ、いつのまにかお互いの人生を語り合っていった。

 こうやって人に自身の短い人生、語るにも値しない人生を語るとちょっとした感傷に浸れた。どんなに短くても、やはり自身の人生とはこれは中々に興味深いものだ。

 興味深いといっても、俺は彼ほど壮絶な人生ではなかった。

 普通に友達と笑い、家族と泣き、仲間と戯れた普通の人生。しかし、そんな人生こそが俺の好きで、生に執着する理由だ。

 彼の人生は……俺が語ることは出来ないような人生だった。俺のような普通とは程遠いような、そんな人生だった。

 だからと言って、俺は人の人生に同情できるような高等な生き方はしていない。なので、黙って聞くしかなかった。

 

「僕は……僕は! どんな思いであの親元を離れたかは分かるまい? そしてようやく職に就けた! そう、これでやっと普通の人生が歩めると思った! なのに! なのに!」

 

 途中から空気が怪しくなったのには気付いた。だけど、彼のその言葉に、語りに口を挟むことはできず。結果この嫌な空気を甘んじて受けるしかなかった。

 どうすればいい。なんか、なんかとてつもなく嫌な予感がする。

 逃げ出したい。誰か、他の人が傍に来て欲しい。このまま二人でいると俺が──

 

「君が……君がいたから!」

 

 体が強引に彼に持ち上げられる。

 ああ、足が使えない事で弊害がでるなんて、思いもしなかった。

 これじゃ、俺は……

 

「ごめん。でも、もう限界なんだ……」

 

 ひゅーん、どしゃん。

 

 ああ、またこの音だ。

 こうして、俺は二回死んだ。

 

 

 

 

 

 二度あることは三度ある、なんていう言葉は小学生でも知っているだろう。つまりはそういうことだ。

 死ぬ事が二度もあれば、生き返ることも二度あった。それだけの話。ただ、今回は生き返った先がこれがなんともまぁ……不思議だ。

 俺が生きていたのは確かに、平成の日本。戦争なんていうものは現代人には遠く感じ、目に見えるお金という価値に左右され、人生までも左右されるそんな世の中だったはずだ。俺はそんな世の中に、それなりに愛着も沸いていたし、好きだった。

 その現代の言葉にはお金が全てじゃないという言葉があるように、いや言葉通りにその通りだ。

 友情? 愛情? 慈愛? なんでもござれ、目に見えない形なんてものはいくらだってある。

 もちろん、その目に見えないものはこのローマにだってあるが……。むしろ、目に見える物が難しい、なんだあの抽象的な文字は。いや、文字といえるのか? 否、少なくとも俺の中の概念では文字とは言えない代物だ。

 なんだ、この生活環境は。ネットなんてものは存在しないし、まして平和なんてものとは無縁に近いじゃないか。

 健康なんてものが存在するのか? 埋葬というものは存在するが、俺は死後の事より生きている今を重視して欲しい。

 こんな生活で現代っ子育ちの俺が生きていけるのか?

 生きている。生きていけている。

 

「そうか、生きてるのか……」

 

 どんな形であれ、俺は生きているのか。

 なら文句は言うまい。いや、文句は言うし言いたい放題に愚痴も呟くが、生きてみせようじゃないか。何、これも貴重な体験だと思えば、何のその。

 人間生きていればやれないこともないし、どうとでもなる。生きてさえいれば何でも出来るのさ。

 そう決意したのは過去に逆行して、ある意味、生まれ変わってから19年が経ったころだった。

 今回は心にけりをつけるのに多少時間がかかってしまった。

 こんなに時間がかかってしまったのは、この世界に順応するためじゃなくて、かつての自分と家族との別れとの心の整理に手間取ったから。

 やはりあの愛おしい家族と別れたのは普通の人として、かなり心に来るものがあった。

 しかし、そんな苦労は意味があったのかなかったのか。この慣れ始めた生活すらも終わりを告げることとなる。

 俺の住んでいる村から丸ごと、まるで魂が吸われるかのように存在が消えてなくなろうとした。

 なんと言うべきか分からないが、言葉にするなら

 

「な、なんか……存在が、自分という存在が吸収され……て、い」

 

 二度あることは三度ある。それは当然死ぬ事にも当てはまったという事だ。

 しかし。だがしかし、それは……

 

──生きたい? まだ生きたい? どうしようもなく生きたい?

 

 同時に生き返る事にも当てはまった、はまってしまったというだけの話だ。

 

──俺はまだ死にたくない!

 

 これがきっかけになり、俺は異能の世界へと足を踏み入れる事になった。フレイムヘイズ、そう呼ばれるものになった瞬間だった。



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第二話

 視界は相変わらず見えないが、何かに包み込まれている感覚が分かる。これだけで十分に自分が死んでいないことを自覚できた。もしかしたらこれすらも幻想で、現実離れした体験であり、実は天国への導きなのかもしれない。

 どのみち経験した事のないような感覚。判断のしようがない。

 温かい炎に包まれたような感覚? 実際に包まれたことはないが。炎に包まれるなんて激情でとてもじゃないが普通の人なら耐えうるものじゃない。

 なら温水? まるで日差しに暖められた海に沈んでいる心地よい感覚だろうか。こっちのほうが現実味がある。

 

──ねぇ、生きたい?

 

 この声を聞くのは何度目だろう。さっきから頭の中に聞こえてくるこの声は一体何なのだろう。

 ただ一つ出来ることは、その問いに答えることだけ。

 

──生きたい? まだ生きたい? どうしようもなく生きたい?

 

──生きたい! 俺はまだ生きたい! まだこの世界に未練がある! やりたいことがある! やってみたいことがある! だからまだ……俺は死にたくない!

 

 

 心の底からの、それこそ俺の中にある本能のような根本的なところからの願い。

 生きる。

 別に長生きじゃなくてもいいが、少なくとも普通に生きて、普通に死ぬぐらいの人生は送りたい。

 一度目の死は不慮の事故。

 あんな死に方なんて嫌だ。理不尽極まりないじゃないか。俺が何か悪い事をしたのか? いいやしていない。ただ普通にバイクに乗って普通に法律を守って、丁寧に生きていた。

 それを一瞬で、情け容赦なく俺の命を捥ぎ取るなんて……死んでいくなんて嫌だ。

 二度目は殺された。

 自身の人生の不条理に泣いた青年が。せっかくの普通が手に入る直前で壊れてしまった、壊してしまった青年が。その原因たる俺を屋上から突き落とし、俺を殺した。

 なんだよそれ。俺が一番不条理じゃん。勝手に巻き込んで、勝手に殺して。そんなの……誰も救われないじゃないか。

 俺を殺した青年(犯人)は、この後に人を殺した罪を問われることになるだろう。自身の人生を棒に振るだろう。俺に限ってはすでに亡き命。そもそも救われていない。俺の母さんや父さんにしたって、青年の家族や友達にしたって……救いが遠すぎるじゃないか。

 三度目は謎の死。

 わけが分からなかった。その一言の尽きる。

 何故に時代をトリップして慣れない環境で生きていかなくちゃいけなくなるし。身体は小さくなって、今になってようやく前と同じ年齢の19歳になったばっかしだし。

 それでもようやく、色々とけりをつけたのに、今は謎の死を迎えようとするなんて。

 どちらにしろ、俺の今いるこの場所は、ローマ帝国の最後の残りかすである東ローマ帝国。まもなく滅ばされるから死ぬ可能性はあったにしろ、もう少し長生きしたかった。

 だからといって、謎の死なんて洒落にならないが。

 もう理不尽に殺されるのも謎の死を遂げるなんてのも懲り懲りだ。

 俺は普通に死にたい。死なないに越したことはないが、それでも死ぬというのなら普通の死を迎えさせてくれ。いや、どうせ最後なら我侭に自我を通そうじゃないか普通に生きるためにも、俺はまだ死にたくない! と。

 身勝手だけど当たり前の願いだ。

 

──なら契約成立よね

 

 その瞬間だった。身を包んでいた(海水のような)炎が、身の内へと入ってくる。中に入っていたはずの何かが、洗い流されていく感覚がする。それは人として何か大切なもので、人というのに決定的なもののように感じるが、それを感じたときには綺麗さっぱり洗い流された後だった。

 その後、そこから溢れるように出て来たのは今まで感じた事のないもの。もしかしたら、人はこれを力と呼ぶのかもしれない。

 

「よろしくね。私は``青嵐の根``ウェパル。``紅世の徒``にして、大きな力を持つ``王``よ」

 

 今度は頭の中に響くのではなく、耳から聞こえてきた。その音の元は、この村の住民である事を表す無骨な首飾りからであり。その無骨な首飾りには似つかわしくないような、鈍く青く光る球がついていた。

 光る球の名を神器『エティア』と言い、私との意思疎通の道具だとウェパルが説明した。

 俺はとっさに思った。

 これはもしかしたら悪魔と契約してしまったのかもしれない、と。

 でもまあ、それはそれで貴重な体験。生きているという事を実感した瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 西暦約1400年。約というのは、詳しい日時が現代的に考えていまいち分からなかったから。でも、ウェルと契約して、その後比較的すぐに東ローマ帝国の繁栄が終わったのだから大体そんなもんだろうと予想した。

 三度目の生き返りにしてついに、俺は人間じゃなくなった。

 

 

「そもそも、二度目の生き返りの時点で人じゃないよ? 普通は過去の世界に来るなんてありえないし」

「でも、人の形をしてたから問題ない」

「なら人の形というだけなら今もそうじゃないかな?」

「変な力を今までは持たなかったから人ではあった、なら合ってる」

「それも怪しいかな。もしかしたらその変な力、存在の力を昔から人としてはおかしいほどに持っていて、過去に行っちゃったとかも。実はミステスだったとか」

 

 ミステス。宝具を身の内に蔵したトーチのことであり、トーチとは``紅世の徒``が人間から存在の力を絞りとり、その存在を無くしたことによる世界の歪みを軽減するための人間の代替物。

 フレイムヘイズとしての基礎知識の一つだそうだ。

 トーチのあるところに``紅世の徒``あり。それを見つけて討つというのは、基本的な討滅の方法らしい。

 俺には関係ないが。

 

「それを言い出したらきりがなくない?」

「それもそうか。そんなのはどうでもいいことなんだよね? モウカからしたら」

「生きていれば十分」

「……まあこの世界で生きていくのにも、それなりに大変だと思うけど」

「その為にも色々と教えて欲しいな」

「手っ取り早いのは自身を磨いて、素の力を上げることだけど。私の特性を鑑みるに自在師の方がいいかもね」

 

 

 人と``紅世の王``とが契約することによって成り立つ『フレイムヘイズ』へとなった。この世に存在する根源的なエネルギーである、存在の力という異能の力の源を操り、寿命だけで考えれば不老不死に近い元人間。

 それがフレイムヘイズ。

 しかし、最も当てはまる意味は復讐者としての一面。

 

『フレイムヘイズになる人の大抵は、``紅世の徒``に自身や親しい人を殺された人たちが多いの。つまり、やられた``紅世の徒``に復讐する為にフレイムヘイズになる。たまに、それとは違う目的の人もいるけど、ほとんどが大抵これに当てはまる。だからフレイムヘイズは復讐者。さあ、貴方は貴方をこんな風にしたあの``徒``をどうしたい? やっぱり復讐したい?』

 

 契約したばかりの頃、まだ俺の名前をウェルに教える前の話であり、ようやく自分の状況が分かり始めたときに聞いた言葉。

 この言葉を聞くと、どこからか沸々と暗い何かが、もしくは熱い何かが湧き上がるのを感じた。だが、あえてその感覚を無視する。

 

『いいや』

『……』

『復讐なんて崇高な真似は俺には出来ない』

 

 復讐を実行できる人はすごい、と本気で思ったことがある。崇高なという言葉はそんな事を思ったことがあるから出た言葉だ。

 俺はただ生きていく事だけにも必死なのに、復讐だの恨みだので他の事に気をとられながら生きていくのはすごい。復讐をすれば自分も恨まれることになるのを知っていながら、出来るのがすごいことだと他人行儀に思う。

 復讐は復讐を呼ぶというけれど、それは確かに人の強さでもあると思った。同時に弱さでもあるとちょっとカッコイイなと思いながら愚考した。

 だけど、俺には到底出来ない。やはり、普通に生きていくにはそんなもの必要ない。まして、復讐なんて現代チックじゃないし、漫画やドラマの世界だろうと考えてしまう。

 

『そんなことないよ。私が力を貸すし、あの程度の``徒``なんてこの小規模な人を喰ったって力は変わらない。むしろ、逆効果。阿呆らしい行為。今の貴方なら十分に復讐できるよ』

『それでも、だよ』

『そう、なら別にいいよ。私が貴方を選んだのだし。それで、じゃあどうするの? このままじゃまた襲われるよ?』

『そっか、なら……』

 

──逃げちゃえ

 

 これが『不朽の逃げ手』の一回目の逃避行だった。

 

「逃げるための自在法とかは?」

「いいと思うよ。そういうのって意外と応用きいたりするしね」

「あとは逃げ足を早くする為に鍛錬、かな?」

「結局そこに繋がるんだ……でも、いいと思うよ。結局最後に頼れるのは存在の力のような不思議な力より素の自分だろうからね」

 

 これからの方針が決まった。

 普通に生きるためには、まずその基盤を作るために自身が強くなる。どんな理不尽(徒との戦い)に遭っても、生きられる強さを、跳ね返す力を手に入れる。

 全てはまずそこからだ。

 

 

 

 

 

 と、都合よく修行イベントをこなし、よっしゃー! これで平和に生きれるぜ! 何て事になればよかったのに。心底そう思ったのに、事態はそうも行かないらしい。

 フレイムヘイズになって一ヶ月ほど。長生きすればきっと一ヶ月なんて単位は小さく感じる様になるのだろうけど、今の俺には十分に長い時。

 この一ヶ月でやってきた事といえば、緻密な自在式を計算したり編み込んだり、自在法を自由に使えるようになるためにそこらじゅうを駆け回ったり。人間だった時よりも愉快爽快に走れるので、思わず気持ちが高ぶったりもする。

 特に雨の日はすこぶる調子がいい。これはおそらくウェルの特性から来るものだと思われる。

 しかし、世の中物騒だ。盗賊が出るのはあたりまえ(しかし、盗賊が貴重な資金源だった)、それ以上に、食べ物や衣服を求め町に出ると、最近都市伝説をよく聞く。雨の日に笑いながら駆ける悪魔がいるとのことだ。悪魔ってもしかして``徒``じゃないだろうな。

 もしそうなら、俺は早急にこの町を離れたい。

 多少の徒なら打ち倒せるとウェルは言うけれど、やはりなるべくなら戦闘は避けたい。それでも避けられない戦いというのはここ数日よく起きている。

 でも、大体そのときは頑張って習得したウェル特有の自在法『嵐の夜』を使って撹乱の後、戦闘区域から脱出というのを繰り返している。

 『嵐の夜』は、その名の通り空間に雨嵐を引き起こすことによって、存在の力の在り処自体を闇に紛れ込ます自在法。これを応用すれば奇襲なんて真似もできるだろうが、それをするぐらいなら逃げる。尻尾を巻いて逃げる。

 もし、奇襲して何らかの攻撃察知能力なんて持ってたら危ないじゃないか。そんな事を考え出せば、いくらだって思い浮かんでしまうのは仕方ない事だけれども、しかし保身的な日本人な俺はどうしても考えてしまう。

 そんなわけで、何度も徒をやり過ごしての一ヶ月だった。使える様になった自在法は『嵐の夜』と他一点のみ。あとは存在の力をある程度自由に使えるようになった程度。とてもじゃないが巨大な力を持つ王と戦えるような力じゃないと思う。

 ああ、早く平和に生きれるような力が欲しい。

 にしても、あの徒は変に語尾を延ばしてよく分からない言葉を放ちながら近づかないで欲しい。今のところは逃げれてるけど段々追い詰められている気がするし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最近、``紅世の徒``はあるフレイムヘイズの噂で持ちきりになっている。正確には、``紅世の徒``の巨大組織である``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``と``仮装舞踏会(バル・マスケ)``の組織の中の一部の``徒``が、である。

 この二つの組織はかなりの数の``紅世の徒``を管理、もしくは臣下に置いている為、自然にここからでた噂話はこの世に来ている徒の話題となっていく。

 そして、その噂とはあの教授にストーカーされている悲劇の新人フレイムヘイズの話だった。

 

『若いのにかわいそうに』

『あの教授から未だに逃げられてるってすごいよな』

 

 そんな会話がそこらから聞こえてくる。

 その新人フレイムヘイズに他の徒が近づかないのは、教授が彼を着け狙っているからだ。あれに関わらずに済むなら関わりたくない。これは、フレイムヘイズにしろ``紅世の徒``にしろ、大半の考えだったりする。

 さて、ここで注目されるのは教授が何故彼を狙っているかだ。

 新人といえどもフレイムヘイズ。``徒``の中にはその理由だけで襲うような輩もいるが、当然彼はそんな理由程度では動かない。むしろ、そんなんで教授が動いていたらこの世界のフレイムヘイズの大半はとうに消えてしまっているだろう。

 それほどまでに教授は強く、そしてあらゆる意味で鬼畜だった。

 だが、その噂もある程度の時が経てば自然と消えていった。彼らはその謎めいた行動の議論をしたが結果として、あの教授の事だから考えても無駄という結論に至ったのだ。

 当の教授はと言うと、興味の対象だからという理由に過ぎない。しかし、その興味の対象はフレイムヘイズの彼にあらず、``紅世の王``である``青嵐の根``ウェパルにあった。

 ウェパルの王としての特性の一つである``宝具探し``を利用できないかと考えていたのだ。徒が用いる宝具には何かと面白い能力が多い。また、とある機関に頼まれているあの宝具を探すのにも適している。

 後者は完全に教授にとってはおまけのようなものだが、前者は完全に興味の対象に当てはまる。だが、着け狙われているのがあの教授というのは、別の意味で救いでもあった。

 これがフレイムヘイズに固執するような``徒``なら追い返すことも無駄な事となってしまう。

 教授は他に興味のあるモノが見つかれば、すぐにそちらへと気の向くままに移り行く存在。全ては己が欲望のままに。ダンタリオンが故に追いかけられたのは不幸であったが、ダンタリオンが故に幸いにもしつこく追い掛け回される事はなかったのである。

 それは幸運な事なのか?

 否、そもそも教授に一時的にとはいえ、直接的に遭わずに済んだ事とはいえ、彼と出くわした事自体がある種の災厄とも言える。なので、決して幸運な事ではなかった。だが、同時にその新人のフレイムヘイズは貴重な経験と自らの自在法の実験ができたのは、不幸中の幸いとも言えるのかもしれない。

 結局、彼にして彼女の二人で一人のフレイムヘイズは、一週間狙われた後、ようやく開放される事となった。

 その理由は彼がとある計画をふと思いついたからである。

 この後大きな戦となる原因の一つであるとある自在式の発明。

 真に教授はフレイムヘイズにとっても``紅世の徒``にとっても迷惑極まりない存在であった。



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第三話

「いつまでそうやって戦いから逃げ続けるの?」

「いつまでも逃げ続けられるものなら逃げ続けるさ」

 

 ただし逃げているものは、正確には戦いからではなく死からであり、本質的に戦いとは人の死を大量に生み出すものなので結果的に避けているに他ならない。

 人の死なない戦いなら率先して戦う……なんてことは天と地がひっくり返ったとしてもありえないが、ただ、貴重な人生の経験だというなら一度や二度は味わってみるのも悪くないかもしれない、と思うところはある。

 現代に生きていたときはそんな争いなどは無縁だったが、過去に来て以来、争いはとても身近に感じてきた。実際にフレイムヘイズになった今だって、今まで以上に争いに近い場所に身を置いている。だからと言って慣れたなんてことは無く。根では争いが苦手な現代っ子的な感覚は抜け切れていない。

 死んでも『俺』という深層があるという証明のようなもので、言うならば存在証明そのものとも言える。

 

「思ってないけどさ。死にたくないじゃない?」

「うーん、私もできる限りこの世界を堪能したいというのはあるんだけど。別にモウカが死んでも新しい契約者を見つければいいだけだしという感覚だったんだけどね」

 

 息継ぎをするように一瞬間を置いてから、

 

「でも、残念ながら今はそうは思わないんだよね。変わった人間と契約できたし」

 

 カラカラと笑うように言った。

 

「変わってる?」

「とっても。他のフレイムヘイズと会えばすぐに分かるよ。会う前に殺されなければの話だけどね」

 

 フレイムヘイズの生存率は特別低いわけじゃない。それは己が内に巨大な``紅世の王``を持ってるからであり、それは並大抵の``紅世の徒``程度では存在の力の物量自体は到底及ばないからだ。

 俺の力も例に漏れずそうらしいのだが。問題はその力をしっかり使いこなせるか否かであり、存在の力を使いこなせるものは優に千をも越える月日を生きることも可能らしい。長生きすればするほど生存率は上がる。

 逆に、使いこなせないものはあっという間に消えて無くなる。

 存在が無くなるのだ。全ては無かったことになる。

 嫌だ。ある意味死より怖い。存在が無くなるということは、この世界に生きた証が無くなること。

 普通の死を求める俺にとってそれは……普通では無い死を迎えるのと同義だ。死に場所を探しているのではない、単に理不尽や不条理に負けて死ぬのが嫌なのだ。

 

「それなら長生きしようよ。私がしっかり補佐してあげるよ。そして、生きるのに疲れたときに死ねばいいじゃない」

 

 精一杯生きて、老衰で死ぬというのは一種の憧れだ。

 天寿を全うできるのはとてもいいことのように思える。

 

「でも、正確には死ぬのは俺だけだよね?」

「さあ、わかんないよ。私が一緒に死んで上げるかもよ?」

「冗談を言うなって。恋人じゃないんだから」

「もしかしたら恋心を抱くかもしれないよ?」

 

 それこそ冗談を、という話だ。今こうしてウェルと話している間も、彼女は楽しそうに笑いながらしゃべるだけ。そこに真面目さや誠実さは全く感じられず、ただ会話を楽しんでいるだけだった。

 会話を楽しむ……という点に関しては俺も一緒だったりもする。

 過去に遡って以来。奴隷のような待遇に近い肉体労働を強いられていたので、こうやってしゃべるのは楽しい。とても久々の経験だ。

 もっとも、その奴隷のような肉体労働さえも、貴重な体験だったのかな? と今では思っている、思うことができる。それを強いていた人たちはすでに亡き人なのだけれども。

 

 

「そういえば、俺を喰おうとしてた``徒``はどうなったのかな?」

「知らない。別に向こうでの知り合いというわけでもなかったし、勝手に消えればいいよ。関係ないし。どっちにしろあんなに人が消えたら他のフレイムヘイズが黙ってないから大丈夫」

 

 トーチも置かないような``紅世の徒``じゃ長生きはできない。とウェルは呟いた。

 これぞ弱肉強食の世界というべきか。弱きものは消え、強きものは生き残る。しかも、その単位は桁外れであり、強ければ未来永劫──なんてのも夢じゃないのだろうか。

 「長生きなんてするものじゃない」そんな言葉を聞いた事はあるが、なら実際に俺が経験してみて判断してみたいものだ。ちなみに今の俺が出す答えは、長生きできるなんて羨ましいだ。

 

「そんなことより、ほら鍛錬鍛錬!」

「鍛錬のどこが楽しいのだか……」

 

 文句を言いつつも、自らの存在の力を自在に操る鍛錬を始める。文句は言ってるが、実は楽しんでいたりもする。今までは出来なかったような未知の力を操れるのだ。楽しいと思わないはずがない。さらに鍛えて上手くいけば、生き残る確率も上昇するのだ。逃げるためには止めるわけにはいかなかった。

 存在の力を自在に操る事ができれば、身体の強化はおろかありとあらゆる自在法を使えるようになる。現在使えるのは、すでに実戦で実証済みの『嵐の夜』と『色沈み』の二つのみ。

 両方とも攻撃系の自在法ではなく、まさに逃避用の自在法だった。これはウェルの特性の助長もあって可能となる自在法。自在法は基本的に術者の意思を反映し、具現化する力だが、ある程度の``紅世の王``の特性も関係してくる。その点ではどうやら、俺とウェルの相性は絶妙らしい。

 俺が死から逃げる手段になるという意味で。

 

「やっぱり変わってる」

「何が?」

「フレイムヘイズは徒から逃げるための自在法を、わざわざ編んだりしないから」

「やっぱり復讐のため?」

「それも一つ。もう一つは私には無いけど、``紅世の王``は同胞の暴走を止めるための使命とやらをもってフレイムヘイズになるものもいるのよ。つまり……」

「両方共に敵を倒すことを前提としている?」

「そういうこと。それを使命としてやたらに燃えてるのが……有名なのであの堅物だけど。あいつの事語ってもしょうがないかな。こっちにきて幾らかは丸くなってれば良いけど」

「ふーん、ようするにウェルは不真面目ってことでいいのかな?」

「どうしたらそういう見解になるのかな。別にいいけどさ」

 

 そのセリフは暗に認めたという事になるのでは無いだろうか。

 ウェルと他愛のない話をしながらも、存在の力を練る。まだまだ完全に扱い切れはしないけど、日々その成果は出ているように思える。それも全て、邪魔者がいないからだ。

 三ヶ月ほど前まで追いかけられていた``徒``の姿はもう無く、安心して海のそこで練習が出来る。

 

「この間まで追いかけてきたあの徒はなんだったんだろう……」

「……口に出すのも嫌な奴、ということよ」

「意味が分からない」

 

 自在法『色沈み』は、自らの炎の色である海色と一緒の色のところに沈む事ができる。つまるところ、海の中に沈み、身を潜める事ができる。海の中では地上と同じように身動きが出来る便利な自在法なのだが、身を潜めるといっても決して存在の力の発現を阻止できるわけでは無い。

 よって海の中で自在法を使えば気付く輩はいる。だが、わざわざこんな所まで討ちに来るような奇特な奴はそうそういないので、比較的安心して鍛錬できるというものだ。

 安全第一。我が身が一番。保険は大切。

 二重三重の守りを固めて身を固める事に集中する。

 安全な海の中での鍛錬。

 とは言うものの、ずっと海の中で鍛錬というわけにも行かないのが現実である。フレイムヘイズである俺が海の中で行動できるという事は、当然ながら徒だって出来る可能性があるのだ。

 フレイムヘイズに安住の地は無い。といえば嘘になる。別段、徒だってフレイムヘイズと戦いたいわけではなく、自身の欲望を満たす為に人を喰らう。ただ、それを妨害しようとするフレイムヘイズがいるから、あえなく向かい撃つ。

 中には、その同胞殺しを逆に殺してやろう何て考えるようだが、そんな奴は少数に過ぎないらしい。

 人と同じ。人の数だけ考えがあるように徒の数だけ考えがある。たくさんの考えがあれば対立を生み争いが起きる。人の戦争と同じ。

 

「姿形は人とは違うけれど、私たちと貴方たちは非常に似通った存在なのよ」

「中には契約した人と恋仲になってしまった徒だっているし、普通の人間と徒で恋に落ちたのもいる」

「徒と徒同士ってのも、普通にありえるしね」

 

 

 本当に近い存在。ただ規模が違うだけ、存在の在り方が違うだけでほとんど同じような存在。

 なら、逆転の発想もあるのでは無いか。

 

「つまり、その徒と人間から成り立つフレイムヘイズもまた同じような存在だと?」

「全くもってその通り」

「なら、フレイムヘイズの俺が普通に生きるのもおかしくないのか」

「理屈はそうだけど……色々と壁はあるよ」

 

 それはそれで、とある種のやる気が溢れてくる俺はやはり変わり者なのだろうか。

 

 

 

 

 

◆   ◆   ◆

 

 

 

 

 

 ここ数年。これといって``徒``との大規模な戦闘は無いが、いくつかの衝突は経験した。だが、どの戦闘でも基本的に逃げに徹する事で大した怪我も無く、無事に生にしがみ付く事ができている。逃げた数は数知れず、海の中で襲ってくるタイプの``紅世の徒``達、``海魔(クラーケン)``に襲われては逃げるを繰り返す。

 逃げてはいるものの活動場所は以前と変わらず、拠点をヨーロッパ内としている。もっと詳しく言うならば神聖ローマ帝国の付近である。

 理由の一つが、ローマ帝国の付近に入れば時代を感じ取れると考えたからだ。本来のフレイムヘイズは時間を気にしないものらしいが、俺はそこら辺を自分の年齢が分かるうちはきっちりかっちりやりたい。

 ローマ帝国付近で戦った徒の内、いくつかは巨大な力を持つ王だったようだが、その王を相手でも逃げ切ることが出来るということは、自在法『嵐の夜』は逃走用としてはかなりの性能を持つのではないかと自負している。

 だが、逃げることが出来た一番の理由は徒が『逃げるフレイムヘイズ』というのを知らなかったのが大きいとウェルは高くなりかけていた俺の鼻を折った。

 未経験。未体験。前例の無い行動を直前にして、最大限で最高の対応を出来るものはそうそういない。

 フレイムヘイズになって数十年。それでもフレイムヘイズとしては赤子同然の俺が、この世界を平然と闊歩しているような王を相手に普通は対抗できるはずも無いということ。まして俺が稀代の自在師ということでもなく、天才的な武を持つ一騎当千でもない。そういった理由(条件)があったからこそ、俺は無事に逃げ切ることが出来たということ。ただそれだけに過ぎないのだ。

 

「結局のところ、自分の力がこの世界でどの程度のものなのかは分からない」

「それこそ徒を相手に戦えば嫌でも分かるよ?」

 

 確かにその通りだが……戦ったら負ける可能性もあるわけで、死ぬ可能性もあるわけで、やはり無理に、無茶に戦う必要は無い。

 さすがに自身の安全が揺らぐような事があれば、戦わざるを得ないかもしれないが。あくまで自衛。謙虚に堅守を貫くべきだ。

 やはり日本人は謙虚につつましく保守的に考えるべきだ。俺ほどの保守的な日本人も珍しいかもしれないが。

 まぁ本当に戦いからは身を遠ざけ、ただ長生きしたいだけなら表で活動することなく隠居生活を楽しめばいいだけの話。

 しかし、そんなの楽しいと言えるのか?

 そんなヒソヒソ隠れて怯えるのが普通といえるか?

 普通に生きるなら自分が生きていることを誇って、胸を張り、堂々と生きるべきじゃないのか?

 つまりそういう事なのだ。心の奥底ではそこはかとなく平和を望んでいるものの、多少のスリル感を味わったり色々な経験をして退屈ではない人生を送りたいのだ。

 矛盾しているような二つの複雑な気持ち、とで言うべきか。

 

「じゃあさ、``徒``と戦うのに別の目的をつけない?」

「というと?」

「``徒``が作る宝具という便利な道具があるのは教えたよね」

「正確には``紅世の徒``と人間が共に望んだときに出来る物体、だっけ?」

「大体そんな感じ。宝具とはまさに神秘の塊。この世界に数多くの宝具があるけれど、その全てを知るものはいないし、全てを活用できるモノもいないんだよ」

「……それで」

「その貴重な物を集めるのはどう? 私個人としてはとても興味があるのだけれど」

 

 神秘な道具、この世界に数多にあるのだからその中には俺にとってもありがたい力を持つものも存在しているかもしれない。そう言われれば、確かに宝具を集める為に``徒``と戦うのは理に適っているように見えるが、その実はそうではない。

 これは俺と同じように宝具を狙う物もいるという事を示しており、俺が仮に``徒``から宝具を手に入れたとしても、逆に狙われる可能性もある。

 新たな戦いの火種となりかねないもの。

 

「それこそ逆のことも考えるべきじゃないかな。その戦いの火種を手に入れる(奪う)ことによって、新たな火種を消すことだってできるかもしれない」

 

 火種は新たな火種を生むだけでなく、より大きな火種を生む前に消せる可能性も秘めている。そうウェルは語ったのだ。

 正論ではある。

 現状では、今のような情勢なら俺はいつまでも逃げ続けることが出来る可能性は高い。その自信も少しずつ出てきている。だが、これから先に大戦が起きてしまったのなら、そうはいかなくなるのは明白。

 もし大きな戦いでフレイムヘイズが負ける事になれば、生きづらくなるだろう。それだけならいい。しかし、予期せぬ自体、この世界そのもの消滅とかに繋がる可能性だってあるのだ。

 ``紅世の徒``の暴挙によってそれが起こり得る可能性があるからこそ、フレイムヘイズは同胞を殺している。

 仮にも世界が消滅したら、生きるどころじゃなくなる。そうなると、自然と大戦にはフレイムヘイズとしては参加せざるを得なくなり、よって死の影が付き纏うようになる。

 俺としてはそれも望んでいない事。

 となれば……

 

「別に今考える必要も無いよね?」

「そうね。時間はたくさんあるのだし、ゆっくりと考えたらいいかも」

 

 保留、という結論を出す。

 何も今すぐ決めるべきことじゃないさ。

 そう軽く考えた。時間はまだまだいくらでもあるんだから、と。

 

 

 

 

 

 

 だがしかし……時代がそうはさせてくれなかったのである。



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第四話

 いよいよもって、きな臭かった雰囲気を神聖ローマ帝国で感じていたのだが、やはりと納得するべきか、馬鹿なと驚くべきか、どちらにせよ静かに傍観あるいは逃避なんて出来る状態ではなくなった。

 ブロッケン山。意外にも俺たちの活動地点の近くにそびえる``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``の総本山がそこにはあった。

 オストローデという町がある。こちらは先の山よりもさらに俺たちの活動拠点に近い町。なにより、時々訪れる事すらもある町だった。何故か、その町での``紅世の徒``との遭遇率は高く幾度となく戦う羽目にはなった。

 こちらとしては戦う意思は無く、``紅世の徒``と出会うもしくは気配を察したときには撤退を繰り返していたが、これまた何故か追い掛け回された。敵は無駄にこちらへの敵対心が高かったようだ。それ以上にしつこいのが嫌だった。ただ``紅世の徒``の力も大した無かった為に、逃げるのは容易でありその度に嵐を起こしては逃亡する。

 嵐は街をも巻き込むことがしばしばあり、申し訳ないという気持ちでいっぱい。だけど、俺も生きるためにはしょうがないことだと吹っ切るより他ない。例え、俺が嵐を起こさなくても``紅世の徒``に殺されている可能性もあるのだから……

 こんな俺一人のためだけの我侭な理由は、人にとっては理不尽なことだろうと思う。

 今度、謝る機会があれば、謝りに行くべきかもしれない。

 でも、俺が「実はこの嵐は自分のせいなんです」と言ったところで信じてもらえるかどうかが問題。無理なのは百も承知だが。

 だけど、その機会は一生やって来なかった…… 

 何かがおかしい。何かがずれている。何かがこの町に起こっている。そう気づけたのは、自分の自在法に巻き込んでいる罪悪感から、せめて街の被害状況だけでも責任と知っておくべきかと思い、街に訪れたからだ。

 最初、自分が引き起こす嵐が原因で街を去っていく者が出てしまったのかと思った。実際にそういう人もいた様だ(これは実際に街の人に聞いた)。が、どう考えてもそれだけではない。人の存在がまるで過疎っているような感覚はある。存在の力が希薄とでも言うべきなのだろうか。そんな違和感を感じているのだが明確な答えは出てこない。

 どうするべきなのだろう。俺には出来る事など限られている以前に思いつきもしない。考えられる可能性すらも分からない。疑問はあるのに明確ではなく、あるはずの答えは全くの検討不能。手も足もでないとはこの事だ。

 

「何かが起きる兆しでは間違いないのだろうけど……」

「それを起こそうとしているのは間違いなく``紅世の王``なのも確かだよ。規模がこの都市とも言える街全体に及ぼすんだから。それ相応の力の持ち主だね」

「となるとやっぱり怪しいのは……」

 

 ``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``という結論に至るだろう。どんな事件が起きるかは分からないが、容疑者となりえる可能性を秘めている力を持つ``王``が巣くう軍団。

 この町で戦った事のある数ある``徒``はこの軍団所属でもあった。これはただの偶然とは言えないだろう。まして近くにはその軍団の総本山がある。

 たまたま通りかかっただけ、という可能性も否めないが、どうもそれだけだと腑に落ちない。この町で出会った``徒``の全てが軍団所属だったなんてことは偶然とは言えない。そして、それ以上に``王``との接触が無かったことも。

 こうは考えられないだろうか。何かしらをここで成そうとする巨大な``王``がいる。そしてそれを助力する``徒``がいて、その``徒``が駆けつけている時に俺と遭ってしまった。秘密を知られる可能性があった。また、あの軍団はフレイムヘイズを消す事を主としているのでしつこく追いかけ処分しようとしたが逃げられた。

 本来ならもっと上の力を持つ``王``が出てくる場面だが、それをやってしまうとそれこそ怪しまれる。フレイムヘイズに計画をばらさない為にもここに巨大な``王``は自らでは出てこなかった。よって出会うのは``徒``のみ、それも軍団の。

 

「面白いけど、もしそれが本当なら洒落にならない事を企んでるって事になるよ」

「しかも、少なくとも近場で引き起こされるから俺は巻き込まれると。冗談じゃない話だ」

「仮に``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``が敵だとしたら……うわ、``棺の織手``とか本当に洒落にならないよ」

「``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``については聞いたけど、その``棺の織手``ってのはそんなにやばいのか? というか名前的にフレイムヘイズ側っぽい感じだけど……」

「``王``と人の恋の代表例かな。愛は人をも狂わすって話を聞いたけど、古の``王``も例外じゃなかったってことよ」

 

 ウェルの言ってる事はあまり要領を得ないが、相当やばいというのはウェルの焦る口ぶりから分かった。何より愛に狂った``王``ってのは確かに厄介かもしれない。

 愛は人を強くする、とはある種の常識みたいなものだ。熱血漫画にありがちだが。

 一に愛を、二に友情を。心の力はそのまま自身の力へと変わり、``紅世の徒``はそれを顕著に表す。心の力は愛であれ欲望であれ、強く想う力。多くはその心の力とは反したように自身の力が弱いものが多いが、中には元の力が強くて目覚めるものもいる。今回がその例のような王らしい。

 やはり厄介な。

 

「やっぱり逃げちゃう?」

「……それが最善っぽ──」

『よもや我が『壮挙』を邪魔しようとする輩が現れようとは』

 

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 噂をすれば影がさす、何て事を身をもって経験したところだが、その言葉自体いつも間が悪いときに使われるような言葉だ。この場合も例外ではなく、間が悪いなんてレベルではなく最悪といえる状況。

 しかし、向こうからすれば飛んで火にいる夏の虫なのだろう。まんまと、と言う所か。

 遠話の自在法だろうか。いきなり現れた姿の見えない、巨大な存在の力の主であろう人物から声が聞こえてきた。

 重い。

 言葉をこんなに重く感じたのは初めてかもしれない。まさに圧倒的な存在とでも言い表すべきなのか。ただ幸いなのが目の前ではなく、どうやらある一定上の距離があること。そうでなければ遠話の自在法は使わない。

 

(これって……)

(うわっ……なんて言ってられる状況じゃないかな)

(噂をすれば何とやらか)

(なにそれ? そんなことよりどうするの? 力の差は──)

(分かってる!)

 

 これが``棺の織手``。今まで遭った``王``の中では最も強いと思われる``王``。それほどまでに、これほどまでに距離が開いているのに感じさせる。

 一対一では勝てるわけが無い。

 元より戦いにおいて牽制以外の``攻撃``をしたことが無い俺にとっては勝つ手段など無い。どんな``紅世の徒``であっても。だが、そのおかげでこそ今の今まで逃げ切ることが出来た。逃げるための自在法は磨かれてきた。

 ただその一点のみ。それのみに時間を費やしたから。

 だが……

 

(これは……逃げ切れるのか?)

(相手の首領がわざわざ一人で来る、何て馬鹿なことはないよ。出て来たのはここが何より何らかの計画『壮挙』とやらに重要だからかな。でも、だからこそ)

(今は感じないだけで他にも敵がいる)

 

 逃げ切れるのか。いや、違う。俺の臨んだ物を手に入れるまでは死ねないんだ。逃げ切るきらないじゃない。別に逃げ切れなくても生きていればいい。となれば、降伏宣言は……駄目か。元よりこの軍団は『フレイムヘイズを倒すべく作られた』と言っても過言じゃないんだった。

 ならやはり、逃げるしかない。逃げきる他に無い。

 その為に編んだ自在式がある。その為に経験した戦いがある。その為の自在法を完成してきた。

 俺だからこそ逃げ切れる可能性がある。普通のフレイムヘイズなら……もっと早く危険を察知して逃げたかもしれないな。

 はは、鍛錬するところを絞りすぎたかもしれない。出会ったら逃げればいいや、ほどよいスリル感も楽しめるし丁度いいや、なんて言ってる場合じゃなかったわけだ。この危機を脱したらもっと他の事も鍛錬しなくちゃいけないかもしれないな。

 戦うという選択肢がない以上逃げるしかない。

 相手の様子を見る。ここからではそこに巨大な力を持つ``王``がいるという事しか確認が出来ない。ただ、そこからこちらに近づかないのは余裕なのか、なんらかの意味があるのか。もしかしたら、この間にも着々と包囲されているのかもしれない。

 

「猶予は無い、か」

「逃げるなら早めだね。空もなんだか暗くなってきたし」

 

 暗い? いや、これはどちらかと言うと黒いじゃないか。

 

「蝿の大群?」

「ううん、違うよ。よく感じてこれは……」

 

 その蝿の大群に存在の力のような物を感じる。いや、虫自体も存在の力が存在しているのだから感じるのは当たり前だが、本来フレイムヘイズはそこを感じることはできない(仮に出来てしまったらこの世に存在する有象無象をすべて認知する事になる)。

 よってこの感覚は……なんらかの自在法。

 だが所詮は蝿の群れ。どんな自在法かは知らないが、直接的な攻撃の類でないのは確かだろう。これがもし、蝿ではない黒くてガサガサ動くあの黒い魔物なら恐ろしい精神攻撃だったが、蝿だけなら羽音が鬱陶しいだけだ。耳栓をすればいいだけだ。今は無いから相当鬱陶しいが。

 だが、この程度なら逃げ切れるだろう。

 さらに研ぎ澄まし存在の力の流れを読み取る。うん、確かに極小で無数の虫の存在の力だけ──じゃない……

 

(気付いた?)

(何とか)

(これは多分``燐子``だと思う)

(こ、こんな数の``燐子``て、ありえるのか?)

(何らかの自在法の一つと考えるべきだね)

 

 逃げ切れる可能性がまた低下したようだ。しかし、逃げ切らなければならない。

 逃走路はどう通るべきか。とりあえず、正面の方にいるであろう巨大な王に出くわさない為にも正面からの逃走は不可能。普通に考えるなら背後への逃走だがあまりにも安直で単純すぎる。

 単純すぎるが故に敵が裏をかこうとしていたのならば逃げられるだろうが、可能性は低い。敵がこちらに話しかけてきた時点で、退路を塞ぐために迂回し先回りされてても不思議では無い。

 ならば……一番意表をつけ、隙を狙える場所がいいだろう。

 

(上か……)

(あえて難しいところを突破するということかな。悪くないよ。むしろそれがいいかも)

 

 敵の上空に構える自在法の効果範囲はどれ程のものかは分からない。そのためどれほど遠く逃げればいいかは分からない。それなら、

 

「全てを巻き込んで逃げるほか無い」

『ふむ……作戦会議は終わったのか?』

 

 全くもって余裕ぶっている。だが当然だろう。力も上、数も上で、経験も上で負ける要素は無い。だが、俺には巻ける自信がある。

 尻尾を巻いて逃げる自信がある。可能性がある。ああ、しがみつくさ。フレイムヘイズらしくない生にしがみつくさ。

 

「ウェル!」

「うん、大丈夫!」

 

 さあ見せてやろう。俺がフレイムヘイズになって以来、ずっと磨きに磨いてきた自在法を。

 俺のこの力は。この自在法は全て……

 

 

「理不尽な死から逃げるためなんだからな!」

「自在法『嵐の夜』発動。命一杯の力を振り絞ってこの町の全てを巻き込んで逃げるよ!」

 

 その時、町に海色の光が満ち、やがて嘗て無いほどの大嵐が訪れた。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 その日。歴史上でも前例が無いほどの嵐がオストローデに襲い掛かったのを、フレイムヘイズたちは感知した。同時に、この嵐が自在法であると理解し警戒をした。

 自在法を使った者の色は海の色。今まで見たことのない色から、新たな巨大な``王``がこちらに来た事を悟った。それは、敵か味方か。しかし、ただ見過ごすにはあまりにも大きすぎるその嵐(力)にフレイムヘイズたちは危機感を感じやがてオストローデに一人、また一人と集まっていく。

 されど、彼らがそこで見たものは嵐の後の残骸だけではなかった。

 異様な数のトーチの存在だった。いよいよもって不信感と警戒は高まる。まして、そこはフレイムヘイズに異様な敵対心を持つ``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``の総本山のお膝元と言ってもいい場所であった。

 不審は確信へと変わり、危機は焦燥へと変わる。

 やがて数多くのフレイムヘイズが終結し、``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``はその本性を明らかにする。

 頭領たる``棺の織手``アシズはやがて己が壮挙を語り。

 

 

 

 

 『大戦』が幕を開ける。

 

 

 

 

  暴挙を止める第一戦、一つの都市を防衛し、世界の崩壊を防ぐための大きな戦いが始まった。



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第五話

「この子が発生源、ということかしら?」

 

 燃えるような赤い髪と眼を持つ女が、ボロだらけの衣服を着た地面に横たわる黒髪黒目の少年を見ながら言う。

 彼女がここに来たときにはすでに少年はこの状態であり、``紅世の徒``に囲まれた上で瀕死の状態だった。仮にこの場に誰も現れなかったら。現れたとしても彼女ほどのフレイムヘイズじゃなければ、この少年は命を落としていただろう。

 

「助けてくれた事は感謝するよ。でも、発生源なんて随分な言い方かな」

「ふふ、ごめんなさい。別に悪気があって言ったわけじゃないの。ただ、まだ新人の彼がこれほどの力を示した事にちょっと驚いただけ」

 

 これだけの力を示しているのだから、さぞ名のあるフレイムヘイズだろうと思ったが、実際に見てみれば、ここらでは見当たらないような容姿で特徴的なのに誰も知らなかったのだから。

 

「それだけが……それだけが彼の特権だからね」

「逃げるフレイムヘイズ、てのもなんだか変な感じよね」

 

 ここいらではよく嵐が起きるらしい。自在法ってことだけは分かるのだが、嵐が収まったときにはフレイムヘイズがいないんだ。それだけじゃない、そこにいたはずの``紅世の徒``も討滅されずにそこに呆然と残っている。呆気に取られたんだろうな。だって、フレイムヘイズがまさか目の前から消えるなんて思わないからな。

 こんな噂話だけは、ヨーロッパの一部で最近、聞くようになった。

 

「私も同意するけど。だからこそ、私の契約者たるものと言えるのよ」

「確かに、まさかあの``晴嵐の根``が契約する時が来ようとはな。時代も変わったものだ」

 

 ひどい言われようだとウェパルは思うものの、そう言われても当然かと思い直す。変と言えば自らの契約者もウェパル自身も同じ類に入るだろうことは当の昔に分かっていたし、そうじゃなければ契約する事もなかっただろう。

 しかし、それを言うならお前もそうだろうアラストールと心の中だけで悪態をつく。これは言葉にしたってあの堅物には解りっこない。あるいはその契約者ならとは思うけど、わざわざ言うほどの事でもないかと改めなおす。

 おそらくは、この契約者だって分かっているだろうから。この真正の魔神が如何に変わっているかという事を。

 

「そんなことより、私はモウカを早く助けてあげたいのだけど?」

 

 ここで強引に話を戻す。このままアラストールをからかうという事も選択肢としてはないわけではないが、そんなことより優先すべき事があった。自らの契約者の安否である。

 敵の第一陣はモウカの嵐により一時的な撤退を与儀なくされ、第二波の攻撃陣は『炎髪灼眼の打ち手』によってほとんど壊滅された。もっともこの追撃の一波の中には、敵の主要な王らがいるわけではなかったので、容易く追い払う事が出来ただけだが。

 何れはさらなる追っ手が来るだろうから、早くこの場から逃げたかった。戦場から逃げることは出来なくとも、一時的な休養の場がモウカには必要だった。

 

「契約者想いというかなんというか……。今まで見てきた人間と契約した``紅世の徒``の中でこんなにゆるいのはいたかしら」

「褒め言葉ありがとう。喜んで受け取るよ」

「……はぁ」

「こういう奴なのだ。だから我もこやつがまさか契約するなどとは──」

「早くして欲しいな」

「分かってるわよ。何より、将来有望なこの子の為にね」

 

 彼女はそう言うと紅蓮の翼を羽ばたかせ、少年を背負い、嵐の前の静けさを表すような雲一つない青空へと飛んでいった。

 

「大きな戦が起こるわ」

 

 『炎髪灼眼の打ち手』はどこか燃える様な使命感と闘争心を心に抱きながらこれからの戦いを予期し、

 

「うむ。それも近年では稀に見るほどの大きな戦いがな。被害も少なくないだろう」

 

 その契約したる``天壌業火``アラストールはこの戦いで消えていくであろう同胞や仲間たちを想いながらそれを肯定し、

 

「モウカもこんな時期じゃなければ、戦いから逃げ果せたのかもしれなかったのに」

 

 ``青嵐の根``は己が契約者の果たせぬ思い(戦いから逃げる)と身体の傷を心配しながら気だるそうに答えた。

 その合間にも徐々にフレイムヘイズは終結し、やがて``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``の野望を阻止するべく兵団を結成し、大戦の火蓋は切られた。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 自分の体質を幸か不幸かで判断する時。自身の今までの人生を振り返るのは言わずもがなのことだが、なら俺の人生はどちらかといえば……なるほど、判断つかない。

 そもそも何をして幸せとなし、何をして不幸と見るのかが定まっていなければ判断のしようがないものではある。しかし、俺の判断つかないとはそういう意味ではない。単に幸せもあれば不幸もあり、特上な不幸せも味わった事があれば、これ以上ないほどの愛情を注がれ幸せに満ちたことがある。

 事故に遭ったのを不幸とするならば、事故後の父母の愛情は確かに幸せを感じ。屋上から落とされた事を不幸と言うならば、その後に再び人生を歩めた事を幸せなことと判断できる。三度命が失われたのに、それでも生き残れたのであればやはりそれは幸運だったのかもしれない。

 因果応報とでも言うべきなのか、それともある種のギブ&テイクとでも言うべきなのかは分からないが、人生山あり谷ありなのは言うまでもなく分かった。

 理解するのではなく分かった。経験する事で分からされた。分かってしまったといっても過言では無い。果たしてそれに気づけたのは不幸なのか幸なのか。 

 そんな事を沸々と考えながら、はあやっぱりと溜め息をつかざるを得ない。山を登りきったと思ったらさらに高い山が待っていたのだ。いや、もしかしたら山の頂上を読み間違えたという可能性もあるが。

 

「それで『不朽の逃げ手』モウカ。貴方はこの状況をどう見ますか?」

「どう……と言われましても。分かりかねますよ、サバリッシュさん。こういった経験は初めてなんですから」

「自分の思った事を口にしてもらえればいいのですぞ」

「と、言われても」

 

 修道服を着た見た目はどこにでも居そうな、面倒見の良さそうな雰囲気を醸し出しているのは『震威の結い手』ゾフィー・サバリッシュ、``仏の雷剣``タケミカズチの契約者たるフレイムヘイズ。音に聞こえた歴戦のフレイムヘイズ。

 俺なんかでは足元にすら及ばないだろう存在感を解き放っている。そのあまりの存在感に萎縮すらもしてしまっている。だが、それもしょうがない事だと思う。書いてその通り年季が違うのだ。格が違うともいえるかもしれない。

 

「先ほど目覚めたばかりだから、それも仕様がないことかもしれませんね。あまり時間は無いのですが、今はゆっくり養生してください」

「迫る戦はあまりにも大きいですからな」

 

 二人にして一人はそう言うとあまりにも簡易に建てられたテントから出て行った。このテントは簡易といえども、特設用のテントである。怪我人用という意味のテントでもあるが、今は俺のために使われている。

 

──曰く、この惨事を生み出したのも貴方なら、この惨事を見つけることが出来たのも貴方

──曰く、事前の対策を考えられたのが貴方だけなら、打開できる状況に発展させたのも貴方

 

 もっと直接に教えてくれ、抽象的過ぎてよく分からなかった。その心中を察してかウェルからの解説が入る。

 ただ、わざわざ大将自らで迎えたのは、噂の人というのを知って直接目で見てみたかったからだそうだ。

 その噂のことについては教えてくれなかった。

 

「つまり、この町の被害がモウカの『嵐の夜』のせいで、それはフレイムヘイズとしては少し外れた行為ではあるけれど、そのおかげで敵の野望を見つけられたのもモウカのおかげ。

この絶望的な状況に気付き、事前の対策を立てられたのはモウカだけだけど、現状の打破しうる状況になったのもモウカのおかげだ、と言う事よ」

「ようするに怒られたの? 褒められたの?」

「呆れられながらも褒められた、て感じかな」

 

 プラスマイナス、むしろプラス! という結論らしい。なら良かった、あんなにすごそうな人に目をつけられたらどうしようかと思った。少し胸をなでおろしホッとする。

 その上、どうやら俺は生き延びる事が出来た。

 九死に一生を得た。千載一遇のチャンスを掴んだとでも言うべきなのだろうか。そんな表現よりも何はともあれ生き残り死なずに済んだと簡単に、単純に喜ぶべきか。

 喜ぶべきかな? 喜ぶべきだよね? 喜んでいいんだよね?

 

「ふふ、ははは! はーっはーっはっは! 見よ! 俺は生きているぞ! 五体不満足、四肢の欠損すらも覚悟し死ぬかもしれない、今度こそ駄目かもしれないのに! 生き残ったぞーー! 俺は猛烈に今を生きている!」

 

 危機を脱した事を嬉々として、身体で表現できうる限りの最大限の喜びをここに露わにする。普段なら恥ずかしくて死にそうになるくらいの歓喜の声をあげて、その場に身体を留めて置くのは勿体無いとばかりに、ジャンプをしながらガッツポーズをし、スキップをしてテント内を動き回る。

 最高の気分だ。今まで嘗てない程の気分だ。史上最高と言い換えることも出来るかもしれないほどの喜びだ。この世界はなんとも生き辛く生きていくのも一苦労どころか大変なことばかりで。死に溢れているのに俺はようやく、やっと自身の命を自身の力で生を掴み取った瞬間とも言える。

 

「何度も成すがままに殺されたが、俺は初めて自分の力で生き残った!」

「正確には違うけど……言うのは無粋かな。それは兎も角、今更だけど生還おめでとう、モウカ」

「ありがとうウェル! 君のおかげだよ!」

「私のおかげであるという事は自分のおかげという事もでもあるんだよ。私たちは二人で一つなんだから」

「そうか、ならお互いに生還おめでとう、と言うべきか」

 

 なんと生きているというのは良い事か、なんと逃げるとは正しい行為か。それが証明された。逃げ切れれば生き残れる、俺はあの大群ですらも逃げ切ることが出来た。これは確実に自信へと変わる。

 逃げ切れたからこそ味わえる生の感覚。普通に生きているだけでは決して手に入らないこの感覚。なんとも甘美なこの感覚だろうか。貴重な体験は色々と経験してみたいと思っていたが、実はこの感覚を知る為にそう思っていたのかもしれない。

 むしろ、大袈裟に言うならばそのために生き返ってきたのかもしれない。

 まあいい。そんなことよりも早くこんな所から逃げ出したい。俺は一刻も早くこのどうしようもないほどの戦場から逃走したい。

 しかし、その思いは簡単に打ち砕かれる。次の登場人物のせいで。

 

「お喜び中のところ、ごめんなさいね」

 

 そう言って、俺しかないない(正確にはウェルも居る)テントに入ってきたのは、これまた存在感溢れ返るような圧倒的存在を放つ、燃えるような赤い髪と眼を持つ女性だった。

 嗚呼、なんと美しく凛々しく綺麗な人なんだろう。きっと誰もが彼女の姿を見たら惚れてしまうのだろう、そう真剣に思った。そう思わせるほどの女性だった。

 だが、それ以上にあの喜んでいる姿を見られて恥ずかしくなり、羞恥心で一杯になってしまったのは言うまでもない事。

 

 

 

 

 

 運命の神様が存在するなら、そいつの首根っこを掴んで殴ってやりたい。殴れなくてもいいから平手でもいいから、もう運命の神様じゃなくてもいいから神様なら何でもいいから殴りたい。

 そんな心持ちだった。

 理由は簡単。死地から蘇り生還を果たして、ならば早く逃げるための心算をと思ってる矢先に現れたのは``天壌業火``アラストールの契約者『炎髪灼眼の打ち手』マティルダ・サントメールだった。

 何なんだろう。俺は今まで自分以外のフレイムヘイズとは会うことは無かったのだが、初めて出会ったフレイムヘイズのサバリッシュさんもすごかったけど、サントメールさんもこれまたすごかった。あれなのか、フレイムヘイズってあれぐらいすごいのが普通なの?

 俺みたいのはむしろ弱小で、異常に弱いのは俺だけなのか。あの大群から必死に生き残って、俺って実は逃げる分野だけならすごいんじゃないかと思ったのに、実は大したことがないということなのか。

 閑話休題。

 つまりあのサントメールさんが原因だ。

 彼女の訪問によって知らされた事実それは、

 

「ああ、良かった。せっかく助けた人が結局眼を覚まさなかったら助け損だもの」

 

 彼女から発せられた言葉それだけだった。そう、これだけ。

 なんとも呆気のない言葉であり、彼女にとってはなんの深い意味の篭っていない言葉だった。安否を確認しただけ、それだけ。たったそれだけの為にここに来たのか。否、俺にとってはそれだけで十分ではある。

 助けられたという事実だけで、俺には十分すぎる理由だ。

 さっきまでの驚きは何だったのだろうか、さきほどまでの喜びはどこへ行ったのだろうか。自らの力だけで助かったと思ったのに、それは思い過ごしで実は人に助けられていた。

 喜びとは真反対の感情が沸きあがる。悔しさ、後悔、惨めとでもいうべきなのかは自分でも分からない。

 

「助けられる状況まで持って行ったのは間違いなく、モウカの力だよ」

「それでも、それでもだよ。ウェル。俺は一人で逃げ切れるほどの力を欲してるのに」

 

 結局まだ俺はそれほどの力を有してはいない事が証明された。そして、さらには命を助けられた。

 ありがたいことではある。これ以上ない程の恩義でもある。

 そう恩義、借りだ。これは借り以外の何物でもない。自分の命を最も重く見ている俺にとっては何物にも変えがたいほどの恩義と借りとなる行為だった。

 借りは返す。男として、何よりこの先の面倒ごとを無くす為にも。助けてくれた本人はたとえ何も思っていなくとも、俺はそれでは気が気でいられない。俺は恩義を返せないほどの不義理者でもない。

 

「……はぁ、結局巻き込まれるのか」

「なら気にせず逃げればいいのに」

 

 尤もここから逃げ切れるのならばとウェルは言う。

 なら仕方ない。俺は俺の意思で。恩義と借りを返すため、何より死地から逃げるためにこの大戦を戦う事にしよう。しょうがないのだ。どちらにしろ、この戦いを見逃して結果、フレイムヘイズが負ければ俺だって生きづらくなるのだから。

 渋々、嫌々ながらも俺はこの戦いに参戦することを決意し、とあるテントを訪ねて告げる。

 

「サバリッシュさん、俺にも何か出来る事はありますか」

 

 彼女は待っていたかのように、分かっていたかのように、にやりと笑い言った。

 

「ええ、貴方『不朽の逃げ手』モウカにしかできない役割が。お願いできるかしら?」



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第六話

 最前線では紅蓮の炎が巻き上げ、天に届かんばかりの雄たけびがこの遠く離れた本陣にまで聞こえてくる。敵味方が入り乱れ最前線は、嵐、まさに乱戦の様子だった。

 俺に分かるのはせいぜいその程度のことで、大戦、ましてやこのような大規模の戦いに巻き込まれるのが初めての経験のため全体の見通しがつかない。抗争程度なら、村で生きていた頃経験した事があるが、まるで規模が違った。

 現状はどちらに傾いてるのか。

 

「まずいわね。もともと数で圧倒されてるから、質でって思ってたのに乱戦にされたら意味がないじゃない」

「敵だって分かった上での乱戦でしょうな」

 

 まずいらしい。

 実感が沸かないというよりは、理解の範疇に入っていないというのが俺の現状だ。

 この様子じゃ俺は指揮官には向かないな。

 もっともだからといって、最前線で身体を張る事が向いているかといえば、それも違う。俺に最も似合っている事といえば、敵に背を向けて逃げ出すことぐらいなモノだと自負している。ただ、その時の逃げ足の速さは誰にも負ける気がしない、という筋金入りの逃げ腰。

 

「向こうが主力を出さないのに、こちらが出すという訳にはいかないわね」

「消耗戦と長期戦になりかねないこの戦いでの先出しは、負けを意味しますからな」

「だからと言って出し惜しみしたままでも、負けちゃうしね。違うか、出し惜しみする前に彼女なら突っ込みかねないわ」

「それすらも確りと統制下に入れるのが司令官の務めというものですぞ」

「あーやだやだ、なんでフレイムヘイズは皆一癖も二癖もあるのかしら。使いづらいったらありゃしないじゃない」

 

 非常に面倒だという事を、隠そうともしないサバリッシュさん。そのさばさばした性格と面倒見の良さそうな性格が『肝っ玉母さん(ムッタークラージェ)』と呼ばれるが所以なのか。こうやって、傍にいて心強いのもまた理由の一つかもしれない。

 にしても、そんなに現状は酷いのか。俺が見る限り、素人から見る分には十分に拮抗していて五分の戦いをしているように見えるが。

 いや、五分というのが駄目なのかもしれない。サバリッシュさんが言うにはこちらもあちらにも奥の手がまだ残されていると言った様子だが、そこが関係しているのかもしれない。

 

「ということなので、モウカさん」

「え? あ、はい」

「お願いしますね」

「……は?」

 

 何がどういう訳なのかさっぱり分からない。今までの流れの中に俺が必要とされるような会話があっただろうか。

 

 戦線──状況酷い。

 乱戦──もっとスマートに。

 奥の手──まだ出したくない。

 

 つまり、こちらとしては特に問題ない戦力でこの状況を打開したい、ということだろうか。そこで、俺にスポットが当たった? だけど、俺がサバリッシュさんに頼まれたのは撤退時の協力と牽制……。

 察するところ……

 

「撤退ですか?」

「近くも遠くも無い感じね。撤退ではなく、一時的な後退とでもいうのかしら」

「『嵐の夜』の使い道は意外にも広い。それはその自在法の効果範囲と応用性という事ですぞ」

「……分かりましたよ。一時的な停戦状態でも作ればいいんですね」

 

 乱戦全体を覆うとしたら、これはかなり広い範囲になりそうだ。それでなくても、空では蝿が舞い、空中で移動中も小さい規模の『嵐の夜』を展開しなくてはいけないというのに。

 『嵐の夜』自体には攻撃性は含まれない。だが、イメージとしてはハリケーンが襲い掛かってくるようなものと考えれば分かりやすいのではないだろうか。ハリケーンだからこそ蝿の群れなど屁でもないが、だからと言ってこの程度の攻撃性では徒に対する攻撃へとはなり得ない。

 人にとっては災害。脅威ではあるが、人とは似て非なる徒には無意味に近いもの。だが、中にはそれでも消え入ってしまうほどの弱い存在なら倒せる可能性もあるかもしれないが。自身の感覚としてはやはり攻撃手段では無い。

 あくまでも撤退、逃げの為の自在法。セーフティに安全にがもっとうだ。

 この自在法。実は集団戦においては、微妙に使える。本来の使い道は自分が逃げるためのものであり、敵味方無関係に能力の対象になってしまうが、撤退するだけなら『遠話』の自在法を使えば済むだけの話である。

 『嵐の夜』の付属効果として、存在の力の位置をそこはかとなく把握できるのも、また微妙に集団戦に使える理由だった。ただ、そこはかとなくである。おぼろげに、大体、おおよそ程度。一騎打ちならそれで十分だが、複数になるとやはり微妙だ。

 辛うじて敵味方の判別が出来る程度。それでも、それを使えば相手を奇襲できるが、噛み付いた相手が思わぬ強敵だったなんて事にもなりかねないので、手を出さずに大人しく撤退が安全だろう。

 撤退の為に相手に一当てという戦法もあるが……今回は後退だから、関係ないと決め付ける。

 もちろん『嵐の夜』自体にも欠点がある。それを見破られれば、こちらは逃げる手段をなくしあっという間にヤられてしまうだろう。だが、この短い回数でそれがばれるとは思わない。その程度の自信はある。

 しかし、これが幾度となく繰り返し、または相手にそういうのを見抜くの力を持つものがいれば、下手したら今回も危ない。

 ……考えれば考えるほど逃げたくなってきた。いつでも死と隣合わせとはまさにこのことなんだろう。

 

「もうすぐ、最前線だよ。どう気持ちは? やっぱり逃げたい?」

 

 ウェルが試すようとも挑発するようにも聞こえるふうに俺に尋ねる。

 なんだその質問、あまりにも無意味だ。まさに愚問。そんなの考えるまでも無い。俺の気持ちはいつもいつだって、この先変わるかもしれないが、本質的には決まっている。

 

「逃げれるもんならね。逃げたいさ。地の果てまで逃げて、適度な緊張感やスリル感を味わいつつ、リアルに飽きない様にね。でも、今回はそうはいかないでしょ?」

 

 無視すれば俺のこの座右の銘とも言える「逃避行」に、支障をきたすかもしれない。何れは壁となって、もしくは人生の決定だ──死という現実となって、現れるかもしれない。

 それなら、今駆除するべきだろう。俺一人では無理だ。だからこそ大戦を利用して、利用されて、この弊害を乗り越えなければならない。

 そして、それ以上に、

 

「命を助けてもらった人がこの大戦に参戦している以上、ただ観戦、傍観してるだけでは駄目でしょ。その為にも命を助けてもらったという大恩を少しでも返さなくてはね」

 

 はぁ……この大恩、この大戦だけでしっかり返しきれるだろうか。

 俺は今、そのことが何よりも気になりながら、大戦の最前線へと行き着く。

 さて、大きな恩も小さい恩返しから。塵も積もれば何とやらだし。

 渋々と、それでも面倒だなと思いながら『嵐の夜』を発動させ、味方に後退の旨を伝える。

 

『えー、皆さん。一時後退してください!』

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 この戦いにおける勝利条件は、最高の形で``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``の殲滅。ひいては、``棺の織手``の消滅。最低でも『都喰らい』の阻止という形。否、最終的に``棺の織手``を討滅する事が出来れば、『都喰らい』を打ち破る事ができるので、アシズの消滅こそを最善とする。

 アシズは所謂敵の総大将であり、それの首を取ることは戦いの勝利を意味する。それは、本来であれば双方の総大将に適応されるものであるが、フレイムヘイズにとってはそれは敗北へとなり得ない。一党一派がフレイムヘイズの短所であると同時に長所でもあると言えるのかもしれない。

 逆に敗北条件。これは極めて単純。勝利条件を満たせなかった時が、フレイムヘイズの負けになる。この負けはこの戦いに挑んだほとんどのフレイムヘイズの死、長く見るならそれ以上のフレイムヘイズの死を意味する可能性もある。

 例えアシズ本人が、フレイムヘイズを倒す事なんかの為ではなく、愛しき人の為にと戦い壮挙を達成し勝ったとしても、それが徒の総意であるはずも無く。結果的に徒の士気を上げる事となる。

 そして「なんだ。俺たちでもフレイムヘイズに勝てるんじゃないか?」と、徒に思わせることが問題だった。

 そんな事を思わせてしまったら、最後。今の対立のバランスと均衡があっという間に崩れ去り、今度こそフレイムヘイズと``紅世の徒``の総決戦となるやも知れない。それも、フレイムヘイズの圧倒的不利な立場でだ。

 そこに平穏は存在せず、平和などありもせず、安全な場所は確保できず、安住の地を求める事すらできない。

 人にとってもフレイムヘイズにとっても。そして、そんな世界では何が起きても不思議じゃなくなる。挙句の果てには世界の滅亡と言うバッドエンドを迎える事だってあるかもしれないのだ。

 

「いや、そもそもこの『都喰らい』自体も、世界の滅亡の危機の可能性があるんだった」

「ん、今更だよ? こうやって普段は徒党を組まないフレイムヘイズが集まってるのは``棺の織手``の『都喰らい』の影響による世界の歪みに危機を感じてのこと何だからね」

「それはもちろん知ってるけど、ちょっと先読みしすぎた」

 

 そもそも難しい事を考える必要は無かった。この戦いは``棺の織手``を倒すための戦いなのだからその事だけを考えれば良い。単純にして明快。

 戦うといっても俺の役割はどちらかというと非戦闘要員だけども。

 

「ま、そんなの私にとってはどちらに転んでもいいんだけど」

「聞き捨てならない事を聞いた気がする」

「気のせい気のせい。世界平和って何だっけ? 偽善者による弱者の蹂躙だっけ?」

「あながち否定できないね」

 

 この戦いがどちらに転がるかは俺にとっては死活問題になりかねないが、世界平和という話については、そこまで重要では無い。自分の命が俺にとっての最優先事項である。

 尤もだからと言って、俺がこの戦いに積極的に参加できるかどうかは全くの別問題。自分で思うに、戦闘要員としては全くと言っていいほど使えない俺の存在は大したフレイムヘイズ側の利益にはならないだろう。そして、特別頭脳明晰の名軍師という訳でもあるはずが無いのは、自覚しているのでそちらの方面での活躍も無に等しい。

 それでもサバリッシュさんなら、使い道があると言って俺を利用するだろうが。

 利用されるのは大歓迎だ。使い走りは断固拒否だが。上手く使いこなしてくれるなら楽な事この上ない。死地に向かわされるのは御免こうむりたいが。

 言うならば俺は一般兵その1というレベル。大将であるサバリッシュさんにあれやれこれやれと言われれば、はいと一つ返事で答え命令に忠実に仕事を果たすのみ。それで、今後の自由が保障されるのであれば、ああ何て簡単な事だろう。

 色々と考えるのも時に必要になることは重々承知。だがそれは時と場合による。ケースバイケースである。戦いなんて戦略、策戦、策謀、謀略などが行き交う複雑なものに関わるのであれば、それについて考える頭の位置よりは、身体を動かす胴のほうが楽というものだ。

 言われた事しかやらない、言われないとやらない。ああ、なんというゆとりだろうか。ゆとり最高!

 そんな事をブツブツと考えていると、かなりの時間が経過してしまったのだろうか。一時後退してから戦況が変わりつつあった。

 『嵐の夜』によって後退し、一時的に停戦状態へと陥り睨みあいの場と化していたのだが、お互いの陣がどよめき始める。

 サバリッシュさんの命令どおりにした後、元の本陣の場所にまで戻ったのに前線のどよめきがはっきりと音となって聞こえるのだからかなり大きな騒ぎとなっていた。

 やがてどよめきの理由が分かる。

 味方陣営には、紅蓮の騎馬を跨ぎ輝く可憐な姿と白きに舞う姫とでも言うべき姿が見え、敵陣には見えなくとも然りと大きな存在の力を感じる。いや、一人はよく見えるほど大きいのだが……。

 なんとしてもあの大きな存在の方とは戦いたくないものだ。いや、俺は非戦闘要員だから、敵と直接戦うなんて事は無いはず。なら大丈夫。この心配は杞憂に終わるはずだ。

 

「あのじゃじゃ馬娘、勝手に出て行ったわね」

「そのような者も確りと手中に収めるのも総大将たる務めと申し上げましたぞ?」

「分かってるわよ。嬉しい事に向こうも主力を出してくれたから、これで五分。だったらもう一押しで勝てると思わないかしら?」

「戦いはそんなに甘いものでは無いですぞ。それに後もう一押しとは……はっ、まさか!」

「違うわよ。あら、こんなところで奇遇ね、モウカさん」

 

 なるほど、この大戦ただでは勝たせてくれないようだ。

 サバリッシュさんは俺に仕事をしろと言ってきている。しかも、命を張ったお仕事である。なんとも自分向けじゃないお仕事だ。荒事は回避して平和を得たいのに。

 

(はあ、なんかサバリッシュさんは俺を便利屋か何かと勘違いしてないかな? 自分の私兵みたいな……)

(私兵なんじゃない。この展開は私的に面白いからいいけどね)

(他人事じゃないんだからウェルも協力頼むよ)

(分かってるよ。お互い、まだまだ長生きしたいもんねー)

 

 自身の内にいる相棒と声なき会話をする。ウェルはどこか楽しそうだ。彼女自身は戦闘が好きというよりは変化を好むと言った気質がある。そういった意味では俺とも気が合うのだが、何分彼女の場合はどんな変化でも良いという大雑把なもので、俺は自身の身の安全があればという前提がある。そこの違いを感じさせられた会話だった。

 だが、まあこれも運命というものなのか、何よりもこれで俺は彼女と同じ戦場に立つということだ。命を助けてもらった大恩を返すチャンスであるかもしれない。

 そう考えれば悪くないかもしれない。俺は命を狩られないように逃げ回り、彼女がピンチとなったら助ければ命の恩義の借りを返す事ができるだろう。それこそ、ヒーローも夢では無いかもしれない。ピンチは最大のチャンスとはよく言ったものだ。

 ……あー、やっぱりヒーローは危険極まりないポジションになりかねないので、ヒーローは願い下げだな。

 ということで、そんな訳で、

 

「マティルダさんと、えーと……ヴィルヘルミナさんお願いしますね」

「ふふ、借りを返すような仕事ぶりを期待してるわ」

「お互い全力を尽くすのであります」

 

 全く、この二人の豪傑、英傑と戦う事は一体光栄に思えばいいのか、それともこんな状況になってしまった事を悲観すればいいのか。俺には分からないよ。

 それにしても、この二人ってまるで龍虎並び立つという具合いに俺と存在感が違う。二人に挟まれたら俺なんて子猫ちゃんだ。なんで、こんな所にいるんだろうって思うよ。というか、こんな二人を最前線に出してなお勝ちきれない戦いって……

 いかんいかん、俺は今、生きることだけ考えなくては。

 勝つことよりも生き残ることを、ね。



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第七話

 結局のところ、大戦などと大事に巻き込まれてもモウカのやる事は変わらなかった。

 マティルダに借りを返さなければいけないのだが、彼はそんなことなどお構い無しに逃げた。そして、隠れた。隠れても存在の力のせいですぐに見つけ出され、攻撃されては必死に避け小規模の自在法を使用し逃げ延びる。

 一騎打ちなら彼はそうやって逃げ延び、複数相手のときは『嵐の夜』を発動させた。

 なるべく自身のあらゆるエネルギーは使わず、効率よく逃げようとした。時には味方をまるで盾にするかのように動いたが、復讐に燃えるフレイムヘイズは盾にされた事に気付かず、突っ込んでいく。

 モウカはその後は機を見計らい、盾にされたフレイムヘイズが危なくなったら助けて恩を着せ、次は自分を助けさせるという行動を繰り返した。

 余裕がある限りそれを繰り返し、なるべく恩を作り、自分の身を護る盾を増やそうとしたのだ。

 もし、この戦いを客観的に全てを把握するものがいれば、外道と呼ばれ罵られるようなやり方も平然とこなす。

 

(こうでもしないと生きられないしな。別に外道でもいいし)

(生きるのに意地汚くかな。私の中のモウカのイメージが色々と変わりそうだね)

 

 しかし、このやり方も所詮は余裕があればこそ出来るものだった。

 戦いが混戦になったり、大物と当たるようになると盾や外道といった事をモウカは考える余裕が出来ずに慌てて、強引に自在法を発生させて逃げに徹した。

 それでも幾度かはヤられそうになる。

 

(ああもう! なんでこんな目にあわなくちゃいけないんだよ! 普通に生きたいだけなのに! 少しハラハラした生活が送れればいいだけなのに!)

(今出来てるよ?)

(こんな危機感はいらないの!)

 

 攻撃を右によければ、右から新たな敵が出てくる。慌てて軌道修正して上に逃げれば、大群が。再び攻撃が飛んできて避けたと思いきや、謎の変化を遂げ追撃してくる。怪我を覚悟で、致命傷だけを避けるようにかわす。

 これが、これ以上のことが幾度となく止まることなくモウカに降りかかる。

 モウカにとって災厄であり最悪な状況だった。

 早くも後悔が彼の心の中で渦巻く。借りだとか恩義だとか、誠実な事などそもそも自分には合わなかった。これをいい教訓にして、今後はそういうのを控えよう。モウカはそこまで考えさせるほどに追い詰められていた。

 だが、全ては後の祭りであり、何にせよこの状況を打破しない限りは生き残らない限りはその教訓も活きる事は無い。

 モウカはそのことは十二分に理解していた。生きているからこそ出来る事があり、やりたいことができる。何度も死んだ男の言葉は以外にも重く、真実味があった。

 ウェパルはその良き理解者──と言えるわけでは無いが、ただそんなモウカを面白く見守るように共に多少の時をモウカと生きようと考えている。ウェパルにとってはモウカと共に居た期間すらも短い時間かもしれないが、出来るだけ多いほうが面白いなと思える程度にはモウカの事を想っている。

 なんだかんだで良いパートナーであった。

 モウカはそんなウェパルの心情を知ってか知らずか、生き延びる為に逃げ惑う。必死に生にしがみつこうとして、死から逃げる。

 多少の傷を負いながらも命だけは失わないよう逃げる。

 

 片腕ぐらいなら失ってもいいから命だけはと逃げ狂う。

 何が何でもまだ生きるんだと悪足掻きをするかのように逃げ走る。

 逃げる、逃げる。どうやってでも、なんとしてでも、絶対に確実に逃げる。

 

──死という絶対の恐怖から。

 

 モウカの頭にはまともに戦うという考えは存在せず、ただ逃げることだけを考え続けていた。

 逃げに徹してるモウカでさえ戦乱の嵐に巻き込まれている現状、戦いは困難を極めていた。乱戦となってしまえば、有利なのは量で勝る``紅世の徒``である。フレイムヘイズ陣は苦戦を強いられていた。

 しかし、その状況でも華々しい活躍を魅せているのが、『炎髪灼眼の討ち手』マティルダ・サントメールと『万条の仕手』ヴェルヘルミナ・カルメルだった。

 先陣を切り己が騎士を率いて戦場を荒らすように戦っているマティルダ。そのすぐ横で、後ろで、前で、縦横無尽に舞う様に戦うヴェルヘルミナの両者はまさに欧州最強のフレイムヘイズの名に勝る活躍ぶりだ。

 もちろん、それに負けず劣らずの周りの名のあるフレイムヘイズたちも共に戦場を駆ける。最前線だけを見れば、フレイムヘイズが圧倒しているといっても過言では無い。

 だが、その勢いも所詮は初手までだった。その後は少しずつ押し込まれていってしまう。その結果少数であるフレイムヘイズが大群に飲まれていってしまう。つまりは絶対的不利な乱戦へと持ち込まれてしまう。

 強いフレイムヘイズはそんなのお構い無しに力を振るい、敵に猛威を振り撒くが、弱いフレイムヘイズたちはたまったものじゃない。次々と無残にもヤられていく。

 これはモウカにとっても例外じゃなかった。単体の力では、敵に勝つ手段を持っていない上に、戦うという志を持たず持てるような強い力もなく、いつも逃げ腰のモウカには押し込まれた状況では成す術がなかった。

 だからこそいつも通りに、自分が生き残る為に、自身の最高の自在法である『嵐の夜』を用いて撤退を試みる。乱戦のため自身のみの自在法の範囲にしても意味はあまり無いため、なるべく戦場を覆うようにして発動させる。

 いわばモウカにとっての最終手段である。

 

(こ、これで俺だけはなんとか逃げれるかな?)

(あくまで自分の為、という辺りモウカらしいね)

 

 モウカの思惑とは違い、この発動により弱きものは自在法に乗じて一時撤退。強きものは自在法範囲外へ一旦出て、奇襲をかけようとする。

 これによりフレイムヘイズ兵団は完全に崩れることなく、二度三度と戦う事ができた。

 しかし、それでも徐々にフレイムヘイズ兵団の兵の数は減っていく一方であり、アシズを討滅することはおろか、戦線をひっくり返す事すらもままならない。

 このままでは『都喰らい』をさせてしまうのも時間の問題だった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「状況は変わらず芳しくありませんね」

「元より厳しい戦。焦りは禁物でありますぞ」

 

 フレイムヘイズ兵団の本陣では、戦況をずっと見つめるゾフィーの姿があった。見るだけではなく、ドゥニやアレックスの戦況報告を聞きながら、目と耳で戦況を解析していた。

 

「前線で変わらず『炎髪灼眼の討ち手』が暴れています。そのおかげで戦線は崩壊せずに保たれています」

「ここから見てもあの『不朽の逃げ手』の自在法も確認できるし、案外大丈夫なんじゃないか?」

「彼の自在法をすでに何回見ました?」

「少なくとも三回は大規模で」

「ふむ、まずいですぞ」

 

 ゾフィーと契約する``紅世の王``タケミカヅチは懸念を抱く。

 

「ええ、そうでしょうね。そろそろ見破られても可笑しくない」

 

 ゾフィーが彼を前線へと送ったのにはいくつか理由がある。一つは、将来的に有望であると思われる彼に、多少死の可能性があっても経験を積ますこと。戦いが長期に渡るのを予想しているゾフィーは、この戦いを通してただ消耗するのではなく次世代の力もつけようとしていた。

 

(もし、潰れてしまっても。確かにもったいないかもしれないけども、所詮それまでだったってことよね。もちろん、この期待に答えてくれないと困るんですけどね)

 

 そしてもう一つの理由が今現在モウカがしている様に、『嵐の夜』による戦線回復の為の一時的撤退。ゾフィーはその働きに期待して、彼を前線に送ったがその方針がまさにものの見事に的中した結果となる。

 もちろん、ゾフィーはまだモウカが極度の逃げ性である事を知らない為、自分の思惑を知った上で理解した上でのこの行動だと思っている。それ故に、モウカへの評価は右肩上がりである。

 

「ちょっと仕事しすぎね。彼を一旦戻したほうがいいかしら?」

「ふむ。今後も必要になる力ですからな。今使い潰してはそれこそ勿体無いですぞ」

「都合よく新しい自在法でも作ってくれればいいのに」

「ははは、彼も大変ですね」

「『肝っ玉母さん(ムッタークラージェ)』に目をつけられた時点で、結末は決まってたな。かわいそーにな」

 

 ドゥニとアレックスが、今は最前線で顔を引きつりながら頑張っているであろう彼を思い出しながら同情する。二人は彼と直接しゃべったことは無いが、彼が気絶しているときに顔だけは見ている。まだ名も知れていないような──つまりは、まだ長く生きていない若くて新人で素人のフレイムヘイズの姿。フレイムヘイズの見た目は生きた年の参考にはならないが、彼は見た目も若かった。

 ほんの少しだけ、本陣が和やかになった。

 ずっと張り詰めた緊張感というのも戦場では大切、または戦場ならではというべきではあるが、ずっとそのままでは身体が心が疲れてしまう。何時如何なる時でも、時には気持ちを軽くする時間は大切だ。

 和やかになってもすぐに緊張感を取り戻す。

 この切り替えもまた戦場では必要とされるものだった。

 

「では、さっそくモウカさんにはこちらに戻って頂きましょう。多少前線は厳しくなりますが……その分カールに働いてもらいましょう。先程から戦いたくてうずうずしてるみたいですしね」

「はい、ではそのように遠話の使える自在師に」

「俺もその切り替えの間は前線に出るな」

「よろしく頼みますぞ」

 

 ドゥニとアレックスが本陣より出て行く。

 戦況は確実に動く。これがフレイムヘイズ側にとって有利になるか、不利になるかは今はまだ知らぬところ。ただ、このままの状態であればフレイムヘイズ兵団の敗走は確実に起こりえること。

 ゾフィーはこの有利となるタイミングを見測らなければならない。今のところはゾフィーの采配と、前線のフレイムヘイズ(主にマティルダやヴェルヘルミナ)の活躍により不利な戦況を一時的にとはいえほぼ五分までにもち直したりもした。

 この武功は非常に高いもの。彼女以外が大将をやっていたらすでにフレイムヘイズの負けは決まっていたかもしれないほどに。しかし、かといって未だに戦いは終わってはいない。

 

「本当の戦いはこれからね。はあ、早くいつも通りの生活に戻りたいわ。戦い戦いって別に私はそこまで望んでいないもの」

「ゾフィー・サバリッシュ君が望もうが望むまいがこれが現実、確り気を持つのですぞ」

「分かってますよ」

 

 ゾフィーはどうもこの戦いに嫌な物を感じていた。もし、今のまま均衡を保てばあるいは敵は引いてくれるのでは無いか、と世迷いごとを考えたいほどの不安だった。

 その不安はこの戦いが最悪の結果と成りかねないのではないか、という気持ちである。指揮官なら誰でも思うことではあるが、ゾフィーはどうもこのイメージを払拭できないでいる。何か、心に引っかかるものがあるとでも言うのだろうか。

 これは彼女の長年の経験から来るものなのか、それとも誰もが感じる正常な気持ちなのか。

 ゾフィーは遠くを見つめながら一言呟く。

 

「長い戦いになります。でも、絶対に負けるわけにはいかない」

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 長い均衡状態が両陣営に訪れた。その均衡は優に十年もの時が経る。

 フレイムヘイズ兵団はすでに疲労困憊状態であり、かなりの数の討ち手らが死んでいってしまっていた。同じく、``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``も結構な数の兵を失ったが、大群と言えるほどの数は保ってあり、時間が経つにつれやはりフレイムヘイズたちは追い込まれていった。

 モウカは何とかこの十年を生き延びる事に成功した。それもやっとの思いでだ。

 失ったものは大きい。彼の盾となり死んだものが数多くいた。見た目の上ではモウカが盾にしたとは誰もわからないが、本人だけは分かっている。自分のせいで死んだという事を。

 最初の頃は葛藤はあった。いいのかと。これで本当にいいのかと。相手の命を犠牲にして自分だけが助かり、今も抜け抜けと生きていて。

 だが、繰り返すうちに割り切る事にした。

 それは味方の些細な彼への言葉が、彼をその事から割り切らせる結果へともたらした。

 

「お前のおかげで助かったよ」

 

 モウカにとっては予想外の言葉。自分を助ける為に使った自在法で自分以外のフレイムヘイズも助かり、彼に救われたというものがいた事実。いや、これ自体は予想の範囲内であり、この恩義を利用しようとさえしていたのだ。

 だが、それを改めて言葉によって伝えられた教えられたという事実がモウカの大きな支えとなった。利用したという罪悪感、犠牲にしてしまったという罪深さから多少なりとも彼を救ったことになった。

 そして、十年の時。初戦の出陣からゾフィーの指令によりあまり表立って活動してなかったとはいえ、その時間は彼が戦場に慣れるのに十分な時でもあった。

 

「あー、本当に何度死んだかと思ったよ」

「最後の方はほとんど自分で何もしてなかったよね?」

「助けてもらっちゃったね。でも、それ以前に助けてたから貸し借りなし。序盤の自分に感謝」

「あの時はまだ余裕だったもんね」

 

 

 気が付けば回りに助けられ支えられ救われて、モウカは激戦を生き残る事ができていた。その影──戦闘面においてはマティルダたちの活躍が大きい。彼は今更ながら、マティルダと知り合いになった事を自身の幸運であったと理解した。

 借りが増えたということもあるが、モウカはそこには全く触れなかった。

 

「だけど、まだ戦いは終わっていない」

「そうだね。もうかなり長く戦ってるけど、決着はついてないよ」

 

 終わりの見えない戦い。否、確実に終わりは近づいている。フレイムヘイズ兵団の負けというあまりにも明確すぎる結末が近寄ってきている。この線はあまりにも濃厚で、誰もが考え始めている事だった。

 モウカにだって分かっている。今すぐに逃げ出したいと心の中で嘆いている。

 大将たるゾフィーだって理解している。このままでは全滅だってありえる可能性も。

 その従者の役割を担っているドゥニやアレックスだってゾフィーの傍で知っていた。非常に危機的状況であることを。

 ヴィルヘルミナも前線でそれを感じていた。負ける気はしないが、勝てる気配もしない事を。

 マティルダは理解した上で未だ余裕を保っている。誰よりも絶対的な王と契約し、王との間の信頼と、強い力であることの自信があるからだ。

 カールは自信に満ち溢れていた。自分の力でこの状況を打破できると張り切っている。

 それぞれが各々が感じ考え理解していた。

 そして、ゾフィーが決断を下す。

 

「次の接触を『オストローデ攻防』の最終決戦と見定め。総戦力をかけて戦います!」

 

 その言葉を誰もが頷き、背中や顔に身体中に冷たい汗を流した。高まる緊張感。

 そしてその決戦は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フレイムヘイズの抵抗むなしく双方に多大な被害を残して『都喰らい』を成功させてしまう。

 だが未だ戦いは終わらず、次なる舞台へと動き始めた。



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第八話

 五体満足で生き残る事ができたのはまさに奇跡の結果と言えよう。もう二度は無いラッキーな奇跡。長きに渡る戦い、十年もの時を必死に戦ったことになる。

 しかし、結局のところ未だに戦いが終わらないどころか、

 

「最悪の展開になってない?」

「『都喰らい』成功させちゃったからね。でも、予想よりは奮闘したほうだと私は思うかな?」

「最初ってそこまで酷かったのか……」

「今モウカが生き残ったことが何よりも奇跡かな」

「それは同じそう思うけど」

 

 サバリッシュさんの下した最終決戦は、こちらの奮闘虚しくも敗戦した。向こうの主軸を何人かを打ち破る事には成功したが、本命の『都喰らい』は防ぐ事はできなかった。これにより、アシズの存在の力がありえないほどの増幅を果たし、今この世界に居るどの``紅世の王``よりもあるのでは無いかと思うほど。

 『都喰らい』が成功したためフレイムヘイズ兵団は一時撤退を余儀なくされた。今は、その撤退後であり今後の方針をほとんどのフレイムヘイズが集まって決めているところである。

 フレイムヘイズ兵団の大将であるサバリッシュさんを中心とした、意欲あふれるフレイムヘイズ達の会議。各々が言いたいことをぶっちゃける場であり、強制的なものではなく自由意思による参加。兵団とはいえ一人一党のフレイムヘイズだから、強制は難しいというのが背景にあるようだ。

 なんという身勝手さ、自由気ままさとは思うものの、参加していない俺に言う資格はないんだろうな。ただ、最終的に決定された作戦には余儀なく参加は強制である。今、会議に参加していないということはどんな方針であろうとも構わないという意思表示と同義ということ。

 しかし、フレイムヘイズ側にとっては絶望的なこの状況。俺ももちろん他人事ではなく、この危機的状況からどうやって逃げるべきかを算段し始めている。このまま状況に流され続けても俺に生きる術はなさそうなのが一番大きい。

 

「『嵐の夜』も見破られかけてるし」

「さっきの撤退の時は冷汗かいてたよね」

「そりゃ、あんな対策とられたらビビるよ」

 

 撤退作戦時、俺はサバリッシュさんの言うとおりに『嵐の夜』を発動させて撤退の手助けをした。サバリッシュさん曰く、俺のこの自在法のおかげでかなり生存率が高まったのはいい誤算であったとのこと。このこと自体は俺も素直に嬉しい。味方が死なない減らないということは、俺自身の生存率にも直接繋がる。

 だが、先程自在法を発動した時に相手が今までにない対応をとり始めた。

 『嵐の夜』発動時に起きる風を遮ろうと動いたのである。

 この自在法で起きる風には相手の進行を妨害できるほどの威力は無い。台風並みの風は出るが、それはフレイムヘイズや徒にとっては大したことではないものだ。

 しかし、それをあえて防ごうとした。

 つまり……『嵐の夜』の正体に気付きかけていることを表している。

 『嵐の夜』の範囲内では風と雨が発生する。雨には俺の存在の力が紛れ込んでおり、それが直接相手に当たることによって存在の力を感知させづらくさせている。その雨を四方八方から相手に当てる為の風がある。

 重要なのは風ではなく雨でもあり、雨だけでもなく風も。風と雨の双方を防ごうとされていたら、こちらは成す術がなかった。

 だってこの自在法だけが俺のまともに戦闘に使える唯一の自在法なのだから。

 俺自身は決して身を呈して戦っているわけじゃないんだけどね。

 

「お先真っ暗な気分だ」

「最初から負けが決まりかけてる戦だけどね」

「そうじゃなくて、自在法の方」

「新しいのはまだ身にならないし?」

「それもだけど」

 

 この大戦は経験をたくさん積めた。最初は最前線で後半はほとんど撤退要員と斥候扱いだったが、それでもちょくちょく戦闘には参加した。それでここまで生き残れたのは大きな成果と成長といえると思う。

 それはいい。貴重な体験だった。スリルに溢れてた。迫り来る死の恐怖はすでに幾度となく経験したが、ここまでのことは無かった。この経験はこれからの人生に大きく影響するだろう。

 しかし、重要なのは……

 

 

「ここで生き残るには。今後またこんな事が起きて生き残る保障は」

「どこにもないよ。生き残りたいなら──」

 

 ──もっと強くならないとね、モウカ。

 

 弱肉強食? そんなのは糞喰らえ。俺が弱いのをこの戦いで痛感した。もとより知っていたが、俺が考えていた以上に思い知らされた。俺はこの戦いの中で最弱かもしれない。

 逃げる事のみを考えてきた結末でもある。

 だがそのおかげで生き残ってもいる。

 人間生きている間に何が功を奏するか分からないものだ。その偶然が身を救ったというか、自分で自分を救ったというか。何にしても、生きていることの素晴らしさをここに感じる。

 

「平和に暮らしていくためには、力が必要なんて物騒な話だよ。今は力を持っていても殺される可能性もあるし。いや、生存率のほうが低いのか」

「このまま戦闘に参加しても勝てる見込みは少ないと考えるのかな?」

「この状況に持ってきただけでも多大な被害を被ってるんだよ。敵がさらに力をつけた今は、さらにその厳しさも増しているし」

 

 正直言ってもう逃げ出したい。こんな死と隣合わせな戦場など俺には向いてるはずがない。元日本人かぶれだし、なんやかんやでもうフレイムヘイズになってから数十年だがそれでもやはり慣れきれない物は多い。

 その一つが戦闘であり、敵と自分の命を賭ける駆け引きであったりする。

 ただ、ひたすらに生き残るだけなら今までもしてきたように、姑息で、卑怯で、悪質な戦い方が出来るが、それはそれで俺の中で何かが駄目になって行ってるような気がしなくもない。

 でもまあ、それを含めて

 

「逃げるという選択をとる」

「行き着く先はいつも一緒だね、モウカは。でも、私はそこがモウカのいいところだと思うよ」

 

 ある意味一途で惚れ惚れするよ、とウェルは褒めてるんだか貶してるんだか分からない事を言う。

 どちらにしろ、俺には強くなる事を求められているようだ。逃げるだけではなく時には戦うことを選ばなければならない。敵を討ち倒す力が必要となり今後生きるに当たって重要になるということだ。

 だが、肝心なのは何故俺がフレイムヘイズになってすぐに『逃げる』を選択したか。

 

「もとより戦いは好きじゃないとか、争いは苦手とかじゃなくて感性の問題何だよなぁ」

 

 平和ボケしていた元日本人故の弊害でもあると思っている。あるいは俺の今を支えるアイデンティティ。基本は逃げの姿勢を崩さない。それこそよほど追い詰められれば戦いに重んじる事はあるだろう。今がいい例だ。だけど、そうじゃない限りは戦いなんて真っ平ゴメン。

 俺は平和を愛し、安全に生きたいだけなんだ!

 というのが本心にある。

 奥底にスリルも味わう充実な日々を!

 というのもあるが、生死にかかわらないところでスリルを味わいたいものだ。言うならば、ジェットコースター気分だろう。あれは、わざわざ自分の身を危ないと思わせられる場所に置き、楽しむという象徴のようなものだ。

 俺はそれでも安全性がどうも信じられなかったから、コーヒーカップをグルングルンに回すという選択肢をとっていた。

 

「それでどうするの?」

「んと、何が?」

「これからだよ。強くなりたいんでしょ? なら戦闘の特訓とかこれからするのかな?」

「戦闘ねぇ」

 

 向かない、とは思う。

 これこそ俺がそういった争いごとに無縁に限り無く近い日本人だからというのもあるが、そもそも性にあわない。これも同じく『逃げる』という選択肢に至る理由の一つである。

 だが現実を見るとそうは言ってられないのも事実。この大戦中も何度も逃げることが出来ずまともに正面から戦う事だってあった。その際にはこちらは攻撃は蹴り殴りしか出来ず、もちろんその蹴り殴りだって素人のものだ。通用するはずがない。

 味方が救援に入るのを待つまでひたすら回避というか、逃げ回った。

 こうやって振り返ってみると、戦闘場面で正面からの戦いらしい戦いはやっていないような気がする。端的に言えば、味方が戦い役で俺が補佐役みたいなものだからこの大戦中はそれでいいかもしれない。言い訳じゃないよ。そういう役回りだから仕方が無いのさ。

 だけど、その先は? 一人になったら? 避けられない戦いを一人で乗り越えなければならなくなったら?

 

「その時は死ぬかも……」

「モウカってあまり格闘とか得意そうじゃないもんね。苦手とかじゃなくて嫌いそう」

「平和主義者だからね!」

「嵐の発生源が何をおっしゃるって言ったらダメなんだよね」

 

 そう言われても本心からの言葉には違いないので否定はしない。

 格闘が駄目なら、自在法を使っての戦闘の参加ということになる。この戦い中に見て印象に残ったものはやはり「――だぁらっしゃ――っ!!」と言いながら雷の様なというか雷キックを繰り出す。次に雷を落としての攻撃など、サバリッシュさんの攻撃にはやたらと迫力のあるモノがあった。

 が、到底真似できるものでは無いのであまり参考には出来ない。天候を左右するという意味では俺の自在法とも多少通じるものがあるような気もするが、俺の自在法には攻撃性が皆無に近い。

 そもそも自在法とは、基本的に術者の考えや気持ちを反映したり、契約した``紅世の徒``の性質に左右される。その為他のフレイムヘイズは基本的には参考にはならないが、イメージ的な問題なら十分考慮する余地はある。

 アイディアの元になる程度は出来る……と思う。

 

「そういえば、昔に攻撃性がある自在法を作ろうとした事あったっけ?」

「大した攻撃性を出せずに失敗しちゃったよね」

「そうだったっけ……」

 

 本能的に手加減を加えちゃうというか、敵といっても相手を躊躇せずに攻撃するというのに抵抗感があるからかもしれない。

 だから攻撃を思い描いてそれを自在法で表現しようとしても、大したものができないかもしれない。相手は``紅世の徒``人では無い、人では無いのだが……中には人型のやつがいるから扱いに困る。

 全員が全員、異形の形ならまだやり易かったというものなのに。ああ、でも、どいつもこいつもひと癖もふた癖もあって、人間味に溢れているからそうも言えないのか。

 

「自在法が駄目、直接攻撃もセンスなし。優れているのは逃げ足のみ……これってもしかして詰んでる?」

「自在法ってのは可能性が無限にあるから、塞ぎこむのはよくないよ」

「前向きに考えて打開策を見つけろってこと?」

「打開できる力があればの話だけどね」

「結局俺の生き残る道は逃げるしかないのか。それならそれで本望だけど」

 

 現実からの逃避行は比較的得意なほうだ。

 争いの危機察知能力は人よりも優れている自信はある。同じように、争いごとの巻き込まれ率にも定評がある──あった。過去の自分はよく友達の喧嘩に巻き込まれ、仲裁に一所懸命になったこともあれば、机の下で震えて隠れていた事もある。

 そんな時はよく現実逃避したものだ。しなくちゃやってられない。

 まあその時は必ず最初に「何で俺が」と呟くのを忘れない。

 いつだって被害者は平和主義者だ。

 

「一つ提案」

「どぞ」

「前にも言ったけど、宝具という手があるよ。あれの中には攻撃性のものはおろか、ありとあらゆる自在法でも紡ぐ事のできる優れものすらもあるんだよ」

「それはすごいね」

「もちろんそれだけじゃなくて、他にも想像できない様な物がたくさんあるし、宝具を使う事によって力を補うのも珍しい話じゃないしね」

「でも、そんな宝具を手に入れるなんて難しいんじゃないのか?」

 

 この難しいには二つの意味がある。

 優れた物があるということは、それを求めるものも無数に存在し、所有している可能性すらある。その場合は奪ったり盗むしかない。もちろんそんな行為が穏便に済むわけがないので、結局は奪い合いとなり支離滅裂。

 もう一つは、貴重だからこそ宝具なんて言われるのだから見つけるのが困難なのでは無いかという話。

 この二つ、どちらも俺で成し得ない厳しい条件だ。戦う事ができないから宝具を求めたのに戦わなければ手に入らず、使える自在法がないから``宝具``を求めたのに見つける術がない。

 それに、こんな便利な宝具なのだから本来ならそれの探索用の自在法があってもおかしくじゃないのではないか? しかし、そのような自在法の話は聞いたことがない。

 聞いたことがないだけである可能性もあるが……

 

「ふふ、モウカ。ねえ、モウカは何を望むの?」

「なんだよ急に……望むものね。そんなの決まってる」

「そうだよね。そうじゃなくちゃね! なら、話は簡単だよ。思いは力に出来る。強い思いは自在法に出来るんだからね」

「……出来るのか?」

「それはモウカ次第だよ」

「そっか」

 

 なら必死に願ってみるのもいいかもしれない。

 生き残る。

 なんとしても生きて人生を謳歌する。

 戦争を逃げ切り、生き延びて。

 理不尽な戦いから自らの力で脱却する。

 俺に力は無いのだから、力のあるモノを借りればいい。

 望むのは力のある物。

 俺が利用することによって自分自身の命が救われるような夢のような宝。

 薄い、目視の不可能な霧が発生する。自分だけが感じ取ることのできる、全く攻撃性のないただの探索を目当てとした自在法。

 夢の宝探しの海色からなる自在法。

 

「うん、さすがだね。こういう姑息さというか、生きるのに必死なのがいいね。ゾクゾクするよ」

「……うるさい」

「褒めてるのに」

「褒めてるのか? まあいいか、そんなことより」

「感じるね」

「ああ、近くに……」

『とんでもない宝具がある』

 

 生き残るための一つの方法と可能性が、その宝具にはあると信じて。

 

「でもさ、もしもだよ。その``宝具``の保持者がいた場合は?」

「隙を見て盗む!」

「隙のないような巨大な王がいたら?」

「隙を見て逃げる!」

「さっすがー!」

「当たり前じゃないか!」

 

 命を賭けてまで宝具を手に入れはしないさ。

 命あっての、だよね。



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第九話

 とんでもない宝具があるのに気付けたまではいいが肝心の手に入れる方法は無い。それほどの宝具という事はすでに持ち主がいるだろうし、その持ち主は大抵``紅世の徒``である。それも決まって巨大な王である事が相場というものだ。

 それなりの力を手に入れるならそれなりの努力と対価を。

 大きな力を手に入れるなら大きな危険と犠牲を。

 物事には大抵裏の事情や見えない筋書きがあり、どんなものでも無償なんて物は無い。タダが最も高いという意味は、高いというのに相応しい事情があるということだ。タダが怖いというのも頷ける話である。

 ならば多額な物を支払って手に入る物は逆に表立って、その対価や犠牲というのが分かるのではないかとは自論。目に見えないものは怖いが、目に見えるものの方が人間は恐れを抱きにくいのかもしれないし、またその逆も然り。

 結局、どちらを恐れるかなんて人次第だが、俺の場合は目に見えないものの方が怖い。なんてこともなく、俺は両方とも怖い。

 見えるものをそんなものと正面から叩き潰せるほどの実力と度胸を持ち合わせていれば、見えるものなんて怖くないのかも知れない。けれども、俺にはそんな度胸も力もないことを胸を張って言える。

 見えない物をありえないと切り捨てるほどの楽観性を持っていれば、こんな事はなかったのだが、生憎と俺は小心者で臆病者で逃げ癖のついている姑息な人間──フレイムヘイズだ。

 そもそも目に見える現象ならまだ対処のしようがあるというのに、目に見えないものなどどうやって対処しろというのだ?

 経験か?

 力技か?

 それとももっと別の、相手より上の不思議な力か?

 どちらにせよ、いづれにしろ俺には持ち得ない力の数々。それでも、もしそんな状況。どうしようもない何かの力が襲ってくるのならば、俺は仲間に助けを求めて、その間にいそいそと逃げる事を選択する。

 実際に、そうやって先の大戦を乗り越えたのだから他の方法は無いだろう。……その大戦はまだ終わっていない上に、窮地に立たされているともいうのだが。

 大量の仲間が死に、同時に敵にも大きなダメージを与えたが圧倒的不利は覆す事はできず『都喰らい』が発動し、敵はさらに巨大となった。

 ただでさえ、自分では敵いっこない大きな力に、倍率さらにどん、ならまだしも十倍、二十倍、下手したらそれ以上の超える力を相手は手に入れてしまったのだ。そこからどう逆転しろというのだ。少なくとも、自分ではそのアイディアは思いつかない。

 同じく、逃げる手段、これからこの力が存分に振るわれ、``紅世の徒``がこの世を堂々と闊歩するようになれば、我々フレイムヘイズが生きるには窮屈となる。力のない俺には窮屈なんて生やさしいものではなく、それは直接三度目の死を意味する。

 

 『死ぬのが嫌だ』

 

 そんな果てしなく情けない理由、いやある種、``紅世の徒``に殺されて終わるのは嫌だ、つまりこのまま死んで終わるのは嫌だというフレイムヘイズとしてはよくある理由でなったとも言える訳だが、せっかく生き返ったのに``紅世の徒``に狙われ死ぬようになったら支離滅裂、なった意味が皆無じゃないか。

 大抵のフレイムヘイズなら復讐さえしていれば、それで命果てようともいいのかも知れないが、俺はそこらの事情が違う。

 復讐? そんなのはどうだっていいんだ。俺を殺した奴と言ったって前世を辿れば一回、今世で一回、前者は復讐を達成できたとしても、後者はどう考えたって無理だ。そもそも考えないからこの考察は無意味だし。

 だから、俺にとっては``紅世の徒``に向かって死んでいったのでは意味が無い。多少死ぬのが長引いただけで、結局は大して人並みに生きることもできず死ぬことになるのなんてもってのほか。

 

 『そんなもの嫌だ』

 

 不条理じゃないかそんなの。絶対に俺は認めない。

 

 『生きる』

 

 絶対に生き残る。

 

 最初から最後まで俺の人生はこの言葉に表されて、俺のフレイムヘイズ足る理由もこれに表されるのだ。

 ならば、この生き残るために僅かな可能性を含め、これから可能性を導きだすためにも、努力をし力をつける。最終的には絶対的な安静と平穏と平和を手にするために。

 フレイムヘイズの使命?

 ``紅世の徒``を排除し、この世とこの世の隣を歩いていけない二つの世界を守る?

 勝手にやってくれ、むしろ大いに助かる。

 それは結果的に俺の安全というのに繋がるのだから。

 ならばこの戦い。この大戦はやはり……

 

「負けるわけにはいかないんだよな」

「覚悟の再確認かな。方法としてはどんな敵からも逃げれる技術とかが手に入れば、勝つ必要もないんだけどね。 モウカ的な考え方だと」

「それが出来れば苦労はしないよ。その為の``宝具``であり、その為の自在法でしょ?」

「だからこうして``感覚``を頼って、``宝具``の在り処を探してるんだもんね」

 

 現在、争いは嵐の夜の前かのように静まっている。

 お互いが睨み合っている状況と言える。

 数の差では現在、圧倒的に``紅世の徒``が有利な状況であり、それにも関わらず向こうは未だに攻めて来ていない。これは恐らく、攻めあぐねているのではなくて真の目的を達成する条件を考慮してのことだろう。

 『都喰らい』は真の目的にあらず、本来の``棺の織手``の目的──死者の復活。

 なんとも魅力的な言葉じゃないか。

 人は誰しも大切な人を失った時、その喪失感から、また絶望感からその人がまた蘇ってくれることを意識的にであれ、無意識的にであれ、望むものだと思う。

 自身、なんども死んだ身からすれば、そりゃ生き返れるものなら生き返りたいし、そんなのが無理なことも分かっている。

 なによりも、その死者の復活とは自然の摂理、宇宙の真理、森羅万象からかけ離れている。出来たとしてもおそらく背徳感だとかを感じたり、これを世に知られたら何かの実験材料にされるんじゃないかと、ビクビクとして肩を震わせて、恐怖を感じながら生きていくしかなくなると妄想する。

 事実、そんなに外れた妄想ではないと思う。

 死者の復活は、ある意味では不死を意味し、人の中には必ず不死を望むものが多かれ少なかれいるからだだ。

 恐怖に怯えて生きるなんて生きた心地がしない、と誰しもがいうだろうし、確かにそれは俺の望む生き方とは違う。俺の考えを別としても、そんな生き方は損な生き方で、誰しもが望まないだろう。

 『生きていることに意味がある』と誰かがいうかもしれないが、『ただ生きていることになんて意味はない』と異論を唱えるものもいるだろう。

 俺は後者の考えであり、生きているからには、もちろん安全だとか安泰だとかは欲しいが、それと同じようにある一定の緊張感だとか、スリル感だとかの刺激がほしい。

 今の俺はたしかにそういった意味では刺激に溢れているが、

 

「ちょっと死の匂いが強すぎる。こんな匂いとは今後永遠におさらばしたいね」

「無理、じゃないかな……」

 

 現状は異常なものだった。

 そんな誰しもが憧れる死者の復活を目指して、力を奮っている``棺の織手``は狂っていると言える。そして、それが不可能ではない、と今にも言われかねない認めかねない状況もやはり狂っていると言えた。

 どうやって死者の復活をするのかは知らないが、サバリッシュさんを含む、幹部級の人たちはなんとなくは情報は掴んでいるようだ。聞けば教えてくれるだろうが、死者の復活のやり方なんて教えてもらってもね。これからの作戦に必要ならちゃんと教えてくれるだろうし。それをわざわざ知ろうとは思わない。

 それに今、サバリッシュさんたちは俺に構っている暇ではない。

 すでに敗戦状態といえる現状はフレイムヘイズの士気はガタ落ちしている。まだ完全な敗北ではなく、逆転の手はあるらしいがそれを安易に受け取ることはできず、自分を含むか弱いフレイムヘイズたちにはすでに絶望の色が見え始めていた。陣内もその色に染まりつつあった。

 その空気にいち早く気づいた猛者は、弱気になっているものを叱咤していたが、あれは明らかに逆効果だった。そんな叱咤で希望の光を見つけ出し、再び立ち上がることができるのであればそもそも絶望なんてしないだろう。せいぜい失望かな。それはそれでなんかダメダメだが。

 陣内の空気が悪いとして、一人抜け出したりするフレイムヘイズも出てきている。中には一人で立ち向かおうとするものさえ。

 悪い意味で、フレイムヘイズは独りよがりだった。人はそれを自己中心的というのだが、誰も否定出来ないあたりが悲しい性だ。そして、新たな犠牲が生まれ、さらにフレイムヘイズを失い力の差が生まれ、絶望の色が濃くなる。見事な負のスパイラル。死のスパイラルだ

そんな俺も愚痴愚痴と、フレイムヘイズについて愚痴ってるくせにその本人もフレイムヘイズ。しかも、逃げることしか考えてない。それだけじゃなく、今は自信で勝手に動いているとなれば人のことは言えたことじゃないのは分かってる。分かっているが……

 

「生きるためには死力を尽くさないとね。矛盾しているようで矛盾してないけど」

「今までは尽くしてなかったのかと、私は問いたいね」

「人の死力を利用して頑張りました」

 

 嘘は言ってないよ、嘘は。ちょこちょこっと他の人に頑張ってもらっただけ。ただそれだけ。

 現状を確認しながら、感覚を頼りに宝具を感じる方向へと警戒を緩めず飛んでいく。

 見渡すかぎりは``紅世の徒``はみえない。

 存在の力を巻いて最初に使ったような探知モドキもできなくはないが、下手な行動は逆探知となりえるので使わない、使えない。これはお忍びの旅であると言えるだろう。

 ``紅世の徒``に見つかることは絶対にできないのだ。

 いくらこちらには逃げる専用の自在法がある(しかない)とはいえ、トリックに気づかれ始めているのだ。下手な乱用はできない。もちろん、使ったからと言って必ず逃げれる保証だってないのだ。

 惰弱で脆弱なフレイムヘイズ、それがこの『不朽の逃げ手』モウカだ。

 あまり誇れるものじゃないけど。戦いの度に目から汗が出るけど。

 ここは戦場となっていた都とは少し遠く、また互いの陣地も遠いために警戒はさほど厳しくなく、探知といった自在法も仕掛けられていない。

 見晴らしがいい平原。

 

「天気がよくて平和なら寝っ転がりたいね」

「叶わない夢だね」

 

 叶わないと言われてしまった。

 儚い夢なのかな……否定できないあたり嫌気が差す。

 

「戦争なんてなければいいのに」

「切実だね」

「懇願だよ」

 

 フレイムヘイズになったら願いが一つ叶うとかあれば良かったのに、と思う。

 あーでもそうか、そうすると俺は『命がある』という時点で願いは叶っちゃったのか。

 自分の持つこの``存在の力``は、自分の平和という願いのため、生き残るという、生きるという欲望のための力。

 それはフレイムヘイズも``紅世の徒``も変わらない。

 今、大戦を引き起こしている``棺の織手``も結局は叶わぬ願いを叶えるための力を欲して、欲した結果これが起きている。

 戦いが起きている。

 なんだ``紅世の徒``もフレイムヘイズも人も変わらないじゃないか。

 

「それでも互いに理解できず、しようとせずに争いは続くと、ね」

「うん? どうした?」

「気にしなくていいよ。ただ欲ってすごいなって話」

 

 なんだか哲学者になった気持ちだ。

 一纏めに変わらないとは言ったけど、その欲も目的も千差万別だし、手段や方法だって違う。こうやって争わずに叶えられる願いだってある。

 そう、それはまさに俺の願いのように。

 詩的な気持ちになっていると、先程まで感じていた感覚が近くなる。

 ``宝具``が近くにあるという証明であると信じたい。この宝具がなんであるかは知らないが、己の力になるということを切に願いたい。宝具に持ち主が存在せずフリーであって欲しいと淡い期待を抱く。いたとしても譲ってもらえないかと無駄な希望を仰ぐ。

 だが、もちろん。

 当たり前のことだが。

 分かりきっていたことだが。

 やはりこの世は思い通りにはいかない。

 

──希望は絶望に

 

──期待は裏切られ

 

──願いは叶わない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その宝具は元は``紅世の徒``であったという。

 自由奔放なその``紅世の徒``はある人間にとある感情を抱いていたとか。

 その感情はとても人間らしく、そしてそれは``紅世の徒``らしくもあった。

 それは決して叶わぬ願いではなく、可能であればその感情はお互いに一緒に持ち続けることが出来ただろう。

 なにせその``紅世の徒``にはそれだけの自由になる力があったのだから。

 だが、その力は決して有益に働くとは限らなかったのである。

 ``紅世の徒``は恋する少女だった。

 しかし、その恋は実らずに。

 自由になる翼を持っていた少女はやがて翼をもがれ、地に鎖をつけられる。

 翼をもがれた少女──``紅世の徒````螺旋の風琴``リャナンシーは宝具『小夜啼鳥(ナハティガル)』と名付けられる。

 少女は『それ』へとなる。

 それを手に入れ、力を注いだものは``自在法``を自由に操り、叶わぬ願いなどないのだという。

 それを欲するものは多く、そこに再び争いが起きる。

 

 ここに『大戦』の最終幕。



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第十話

「分の悪い賭けじゃない分だけマシというものなのかしらね」

 

 ゾフィーは今も戦場となっている草原を遠く見つめる。

 そこには『嵐』が吹き荒れていて、とある自在法──空権を勝ちとりフレイムヘイズの妨害となっていた『五月蠅る風』を完全に封じている。

 これにより予定していたよりも行軍と統率が行き渡り、なんとか大群にも耐えている状況である。

 そこには青い球体が生まれていて、外界との接触を完全に防いでいる。

 巨大な王を何体も包みこみ、実質上機能させていない。

 先手大将である``巌凱``ウルリクムミと``焚塵の関``ソカルを包みこみ、さらに中軍首将``天凍の倶``ニヌルタまでをも押さえ込んでいる。

 ゾフィーからすればよくやってくれるわねと高い評価をするところである。それで持ちこたえれればなお良しで、無理でも現段階でも十分に時間稼ぎとしての役割は担っている。

 

「楽観視はいけませぬぞ。敵はついに``九垓天秤``までもが出陣してきたのですからな」

「どれくらい持ってくれるか。場合のよっては私の出陣も仕方ないわね」

「総大将自らというのは些か冒険しすぎですぞ」

「そうは言っても、あのカールがこの状況で我慢できるかしら」

 

 敵の指揮系統は大将である巨大な王らが抑えこまれ、伝令が伝達出来ていないために完全にバラバラと化していた。

 一刻の混乱に過ぎないことは、重々に承知しているものの、これ以上にないチャンスではあった。

 ゾフィーは予想より早まった最終決戦をどちらかといえば、フレイムヘイズが有利であるとさえ考えている。

 それでも確率は六割程度と睨んでいる。今までの賭けの中では最もマシな賭けだった。

 

(あとはあの二人が成功してくれることを祈るばかりね。ただあのじゃじゃ馬は何をしでかすか分からないから、安心はできないわね)

 

 フレイムヘイズ兵団においては最終兵器とも言える、当代最強のフレイムヘイズの名をほしいままにしている『炎髪灼眼の討ち手』、そしてその傍らに立つ『万条の仕手』の二人。

 ゾフィーのこの二人への期待は大きい。信頼も大きい。

 だが、総大将としてはそれだけに頼るわけにはいかない。ただ頼れるだけの味方でもない。

 それにこれは絶対に負けられない戦いであり、必ず勝たなければいけない戦いなのだ。

 

「時期尚早だったかしら?」

「それこそ今更どうしようもないこと。後は皆で掴みとるしか道は残されていないのですからな」

「皆で、ね」

 

 この瞬間にも数多のフレイムヘイズが``紅世の徒``を討っては、殺されている。終わらないように思えたこの戦いもついに最終局面。こっからさきどうなるかを握っているのはやはりあの二人。

 だけではなく、

 

「あの子も死ななければいいけど」

「ふむ、それこそ心配無用というものですぞ、ゾフィー・サバリッシュ君」

 

 見た限り、あれはこんなところで死ぬようなタマではないですぞ。

 タケミカヅチの最大限の称賛だった。

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

──本作戦はこれより先陣に出てきた``九垓天秤``の時間稼ぎを目的とします。``不朽の逃げ手``の自在法『嵐の夜』を中心とした足止めをお願いします。

 遠話の自在法より聞こえてきたのはゾフィーの作戦司令。

 偶然見つけてしまった宝具『小夜啼鳥』の争奪戦のまっ最中に飛んできた指令でもあった。

 単騎での戦いは困難を極め、言われるまでもなく逃げの手を失った瞬間には『嵐の夜』を発動させていた。見破られかけているとは言え、使わなければ死ぬという状況では、使わないわけにもいかなかった。

 

「て、敵多すぎ!」

「本当、不運だよねーモウカ。運命の女神様とやらに嫌われてるんじゃない?」

「の、呑気に話しをしてる暇なんかッ!」

「そこかあああ。この面倒極まりない自在法の自在師はあああ」

「ひぃっ! あんな巨体とやってられるか、逃げるよ!」

「あいあいさ。ん、後方向より援軍、かな?」

「味方!?」

 

 この突出は自分が力を手に入れたいばかりにつついてしまった蛇だった。その為、モウカからすればこの状況になった事自体が全て自分の責任であり、自分一人で切り抜けなければならない戦況だと思っていただ。それだけに、援軍の気配というのは心強い、と共に、

 

(もしかして、かなり厄介な宝具を引き当ててしまったとか?)

 

 モウカからすればこそ泥沼気分の宝具争奪戦。

 強い``宝具``は、強い意味の持つ宝具は大抵は所有者がいる。使えれば使える宝具ほど所有者が強いというのも理にかなっていること、当然ながらモウカはそれは計算内だった。

 同時に、初見ならこの『嵐の夜』を見破られない自信が、この大戦中に出来ており、自在法をフル活用して盗賊まがいのことをしようと思っていたのだ。

 成功率が低いのは重々承知。だが、強力な宝具を手に入れた時のメリットと生存率の上昇は諦められるようなものではなく、普段の逃げ腰を無理矢理に戦場へと向けたのだ。

 リスクはあったが、それほど大きなものではないはずという心算であったのに、いつのまにやら自分を中心として騒動が生まれていることに気付いた。

 なんでいつも俺ばっかりこんな目に! とは思わずにはいられない。

 

「つまりこの自在法の自在師は貴方ですね!」

「違う! 人違いだ!」

 

 ``紅世の王``に接近しすぎていて、居場所がバレてしまったが、すぐに離脱を計ったおかげで攻撃を食らう前に再び姿を眩ませる。

 かなり警戒をしているのだが、それでも敵の数が多いからなのか、見破られかけているのかは判断ができなかったが、先程から何度も危うい場面に遭遇してしまう。その上、遭遇した相手がモウカの見たことがないようなほどの大きな存在の力がある相手。

 不運もここに極まっていた。

 モウカもこう何度も危険な目に遭うとそろそろ逃げ出したい気持ちが心の許容量を突き抜けそうだった。

 そんな時だからこそ、走馬灯のように過去のことに浸りかける。

 あの頃は良かったなとか、今度生まれ変わるならもっと平和な世界がとか。

 

(せめて、水の中にいた頃なら……)

 

 陸はこんなにも危険に満ち溢れている。

 水の中にいた時は、``紅世の徒``に遭うことこそあまりなく、自身の鍛錬ばかりに主を置けたあの時代が懐かしい。あの時は、適度なスリリングがあった方がいいなんて馬鹿な考えをしたが、今なら自信を持って言える。

 緊張感なんていらない。

 人生つまらなくていいじゃないか。

 平凡? 最高だね。

 フレイムヘイズの使命? クソッタレ、俺は死にたくないんだよ。

 胸をはって言えるだろう。

 そんな馬鹿な事を考えていた。

 

「なら水の中にすればいいんじゃない?」

「え?」

 

 だから、ウェパルの思いがけない提案にモウカは戦場に似つかない間抜けな声を上げてしまった。

 いやいや、そんな単純に言わないでよ。

言葉にしなくてもそんな表情を作っていた。驚愕のあまり目が丸くなり、先程までの警戒心すらもどこか消え去っている。

 ここが戦場だというのに。

 

「そこかあああ」

「そこには誰もいませんよッ!」

 

 大降りの攻撃を紙一重でかわす。モウカの姿がしっかりと認識が出来ていないため甘い攻撃だったが、一撃が必殺の攻撃。当たるわけにはいかない。

 敵の大きな声と攻撃によってかろうじて緊張感を取り戻す。

 

「ウェル! そんな簡単に言うけどさ」

「自在法。何も難しいことを言ってるわけじゃないんだよ」

「でもさ。この自在法を編み出すのだって一体どれだけの時間がかかったと思ってるのさ」

 

 人間の感覚で言えば、一生分は費やすほどの時間。

 フレイムヘイズだからこそ、諦めずに根気よく作ることの出来た自在法。

 一から考えた完全オリジナル。

 攻撃のためではなく防御でもなく、逃げるためだけの自在法『嵐の夜』。完成するにはイメージにイメージを重ね、実験に実験を繰り返した努力の賜物。

 自在法一つを作るのが、どれほど大変なことかをモウカは身を持って知っている。それだけに、ウェパルの簡単に言った発言は少し腹が立った。

 

「『嵐の夜』は特別だよ。これは確実にモウカの実力を現す物。でも、モウカが使える自在法ってそれだけじゃないでしょ? 例えば『色沈み』は青(海や川)という空間の中を自由に動き回れる。それを考えればさ……ほら、ここを水場に変えればモウカの天下じゃない?」

「天下って俺にはもっとも縁の遠いものだよ。柄じゃない」

「柄じゃないとか! 無理だとか! 出来ないだとか! 難しいだとか!」

 

 急にウェパルが大きな声を上げた。

 今まで聞いたほどがないほど荒々しい声。いつもの優しく子どもを諭すような声じゃない。言っても言うことを聞かない子どもを叱るような声だった。

 突然のその声に、モウカは身体を今度こそ完全に硬直させた。

 先程までとは違う緊張感を感じ始めた。

 

「フレイムヘイズってさ、可能性の塊みたいなものなんだよ。私たち``紅世の王``を身に無理矢理宿してさ、ありえない力を使ってる。面白いと思わない? だって元は自分の力じゃないのをさも自分の力のように扱ってるのがさ。ありえないよね、普通なら」

 

 説教かと思って、身構えていたモウカが少し体の緊張を解く。

 説教ではないらしい。

 

「私はね、フレイムヘイズの使命だとかどうでもいいの。人間が復讐に燃えている姿も面白いとは思うけど、正直そんな人種多すぎて、普通の範疇。私は面白いことが出来ればいいの。楽しいことが体験出来ればいいの。それなら、フレイムヘイズじゃなくて``紅世の王``として顕現しろって思うでしょ?」

 

 モウカは頷いて見せる。

 自由奔放に生きて行くだけなら``紅世の王``では十分じゃないかと。当然の疑問をいだいた。

 

「しようと思ってたの。本当にもう顕現までもう少しというところだったの。でもね、そんな時に面白いのを見つけたのさ。モウカ、貴方をね」

 

 だって面白すぎでしょ。死んだのに新たな生に生まれて、それも未来から来たなんて。なのに再び受けた命もすぐに消えそうになるし。

 優しい笑みを零しながら言った。

 

「だから思ったのよ。ああ、この人とならきっと楽しいことたくさんあるんだろうなって。それが私の契約の理由。話したこと無かったよね?」

「ない」

「うん、私としてはモウカの可能性に賭けてるの。面白味という可能性にね。だから、こんなところで終わりだなんてちょっとつまらないかな」

「理不尽だね」

「この世なんてそんなモンでしょ」

「自己中心的だ。巻き込まれる方の気持ちを考えて欲しいよ」

「``紅世の王``なんてそんなモンだよ。ほら、今日の敵だって結局は自分のためでしょ?」

「本当に、どいつもこいつも俺は平和に行きたいのに争いに巻き込みやがって」

「アハハ、私は楽しいよ」

「ふざけてるな。ああ、ふざけてるよ」

「ならさ」

「分かってる。こんなふざけたお遊びに付き合ってられない。とっとと逃げて、平和にしがみつくぞ!」

「了解!」

 

 組み上げるのは自在式。

 目的は自分に都合のいい世界を作ること。

 海色の炎が燃え上がり起こる事象は自在法。

 

「──青い世界」

 

 海色の炎が一つの球体を作り、この場の全てを巻き込んだ。

 自己中心的な``紅世の徒``も、理不尽なこの戦場も。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 あくまでもフレイムヘイズ兵団の勝利条件は``棺の織手``の討滅であることは変わらない。これさえ出来れば、あとはどうにでも出来るというのが総大将のゾフィーを始めとする、フレイムヘイズ兵団の総意だ。

 ``九垓天秤``の討滅はおまけであって、主ではないのだ。彼らは目標の邪魔となる壁なので排除できるに越したことはないが、それをせずとも倒せるのなら、それで十分な戦果といえよう。

 ならば、ゾフィーの考える作戦は最終的には``棺の織手``の討滅という言葉が付く。今回もその例に漏れない。

 だが、この作戦は全面戦争と言う割には、お互いに全戦力を注いでいない。一度として。

 ``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``はその将たる``九垓天秤``を。フレイムヘイズ兵団はその秘策たる二人のフレイムヘイズを。その互いの全ての力ではぶつかり合っていない。

 ぶつかり合ってしまえば、戦いは完全に方向の見えぬものとなり、運任せとも言える戦いに成り下がることが眼に見えている。決着がつかず双方に大きな傷跡を、もしくは一歩的な傷跡を残すことが予期されるため、牽制しあい、避けてきた。

 これが圧倒的に有利に立っているはずの``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``が攻め込めない理由でもあった。せめて、あの化け物の二人のフレイムヘイズと総大将さえいなければという思いだ。

 一方で、ずっと不利な状況下でありながらも、ようやく勝機が見えてきたフレイムヘイズ団の今の勢いはすごかった。

 先の戦いで相手に『都喰らい』こそされてしまったが、戦いでは先陣で猛る二騎のフレイムヘイズの雌雄を見せられれば、奮い立たないはずがなかった。

 ただの人間であれば、自分の才能と彼女らの才能を比べ『ああ、なんと自分は低いのだろうか』と嘆くこともあったかもしれないが、彼らはフレイムヘイズ。この世の超越者にして真に不可能などはない存在だ。

 フレイムヘイズはそれを誇示しているし、やってやれない訳がないと信じている。

 だからこそ成り立つ。

 ゾフィーが考え、最強のフレイムヘイズが実行するこの作戦が。

 表では、一つの宝具の取り合いという今正しく眼の前で行われている戦い。しかし、これに勝つ必要はない。そこには敵総大将がいないのだから、あくまで大きな戦いの一幕にすぎない。

 その一つの宝具というのがとても重要。後の長期戦を見るなら相手に奪われるのはあまりにも痛手ではあるが、もう一つの水面下の戦いが上手くいけば全くもって問題はない。

 水面下の戦い。

 それこそがこのあまりにも長すぎた戦いの幕下ろし、最終決戦である。

 

「勝率は六割。目の前の戦闘の長引きによってはもっとあがるかしら」

「何も、高く望めばいいというものではないですぞ。最終的にそれをもぎ取るのは」

 

 タケミカヅチの言葉を遮ってハッキリと強く言う。

 

「私たちフレイムヘイズ。勝てれば官軍、でしょ」

「勝てればではなく、必ず官軍に、ですぞ」

 

 場違いにも和やかな雰囲気になったが、それもほんの一瞬のみ、すぐにばたつかせた足音共に、喧騒が舞い戻ってくる。

 足跡の正体は遠話の自在師からの報告を聞き、総大将のゾフィーに伝令をしに来たドゥニだった。

 

「カール殿は何とか“焚塵の関”を討ち取ったようですが、その後あえなく残りの二対の``九垓天秤``が相手になり敗れてしまったようです」

「……そう、で、軍の指揮は?」

 

 カールが自分の力に自信を持っていて、先行しがちなのをゾフィーは分かっていた。けれども、彼の実力からすると下に付けるという訳にはいかず、一軍の将として指揮を頼んでいた。事実、巨大な王の一人であるソカルを討ち取ることには成功しているようだったが、その後に将が倒れてしまっては兵団の士気に関わる。

 ただでさえ、今回の大戦で多くの実力のあるフレイムヘイズが死に、この戦いを契機に大量のフレイムヘイズが生まれたが、誰もがひよっこ。

 誰かが指揮しなければ軍が持たない。

 

「現在、自在法を展開させて``九垓天秤``と互角に渡り合っていると思われる『不朽の逃げ手』のモウカ殿になんとか」

「厳しいわね」

「将来有望とて、彼もまだ若造。一軍の将はあまりにも荷が重いですな」

「やはり場合によっては私たちも参じることを考えないといけないかしらね。あの子に期待を込めて任せたいという気持ちはあるのだけど」

「どちらにしろ、今動くわけにはいきませぬぞ。これから戦は転換と終局を迎える。その時に大将がいなくては」

「分かってますよ。でも、本当にあの子は不運よね」

 

 生まれてくる時代が違えば、もっと確実に名を広められたでしょうに。

 言葉にはならなかった。

 

「で、伝令! 例の``宝具``が奪われてしまった模様!」

「あらま、どうしようかしら」

「ふむ、場は終局ですぞ。もはや猶予はなるまい」

「なら」

「ゾフィー・サバリッシュ君」

「全軍に通達。これをもって全軍進軍、最終決戦と定めます。あと、例の``宝具``に関してなんとか別働隊の二人に伝えてください。これで、勝てればようやくこの長い戦いも終わりですね」

 

 ようやく見えた、戦いの終わりの兆しだった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 

「み、水の中だぁあ!?」

「まるで海の中、いや川の中のようだ!?

「身体が自由にならない。水の中ってこんなに動きにくかったか!?」

 

 

 青い世界の中では怒声が最初は鳴り響いていた。

 何が起きた分からず右往左往するのは、何も``紅世の徒``だけでなく、フレイムヘイズも困惑を隠せなかった。一部は、息ができないと苦しみだしたが、気付けば普通に呼吸ができるようになっていた。

 何が起きたか分からない。

 誰もがそう思っていたとき、唯一というより、誰よりも先に動き出す影が見えた。

 影はフレイムヘイズ兵団の先頭に立ち、暗く真っ青な世界なはずなのによく見えた指は前方を指した。

 聞こえるはずのない声が聞こえた。

 

 (俺の代わりに)『ススメ』

 

 と。

 それだけで皆が理解した。

 誰もが我先にと一歩を踏み出す中、先に二歩も三歩も脚を出すものがいた。

 

「先手必勝! この俺``極光の射手``カールが貰ったぁぁああ!」

 

 それは同時号令となった。

 水の中で未だに``紅世の徒``には戸惑いを覚える中、遅れながらも先に攻撃を仕掛けられたのはフレイムヘイズ兵団だった。

 水の中だというのに嵐の日の海がごとく吹き荒れ、神速の攻撃が``紅世の徒``を襲った。

 ``紅世の徒``が青い世界から解放されたときは、すでに勝敗は決していた。

 ``炎髪灼眼の討ち手``の『天破壌砕』による``棺の織手``の討滅と``九垓天秤``の壊滅により、この長きに渡り、失うものの多かった戦いはフレイムヘイズ兵団の勝利という形で幕を閉じた。

 

 

 

 

 

「お、終わったーーーーっ!」

 

 青い世界から解放されたとき、この声が神聖ローマ帝国中に響いたという……



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閑話一

「それにしても、予想以上に早く片付いてしまったね」

 

 あらゆるフレイムヘイズに全く存在を察知させずに、常として星空にあり続けるのは『星黎殿』。ここは``紅世の徒``の集う巨大組織の一つ``仮装舞踏会(バル・マスケ)``の人には知られざる本拠地である。

 この本拠地の、とある変人の部屋の前で三つ眼の妙齢の美女がただ一人佇んでいた。

 彼女の名は``逆理の裁者``ベルペオル。この``仮装舞踏会(バル・マスケ)``の大幹部、『三柱臣(トリニティ)』の一角である。彼女は三つ目を使い、ありとあらゆるものを見極め、``仮装舞踏会(バル・マスケ)``内においては軍師の役割を担っていた。

 その彼女が先んじて考えていたのが、つい先日ばかり起きた『大戦』のことだった。

 十六世紀末。勝者はフレイムヘイズ。

 本来であれば巨大な力を持つ``紅世の徒``である``紅世の王``のベルペオルは、同朋の負けに怒りなり、悲しみなりを思う必要性があるのかもしれないが、そのような念はない。

 むしろ、自分たちが出向く必要がなくなり、皮肉にもフレイムヘイズに感謝しているほどであった。決して口には出さぬところではあったが。

 無論のこと、この感謝すらも彼女にとってはあまり意味のないものである。

 

「もっとも、長引いたとしても私たちが参戦する必要は義理でしかなかった。大変喜ばしいことにこちらで先に必要だった事実を掴むことが出来たからね。よく捕まえられたと自分ながら褒めてやりたいね」

 

 あらゆる現象を読む彼女にとってそれは誤算であったが、喜ばしいこととした。

 今も、先ほど出たばかりの部屋からは奇声が飛び交っている。やけに語尾の長い、うざったらしい奇声が。

 ベルペオルはこの声にはいつも二重の意味で悩まされていた。

 

「まあ、いいさ。あとは巫女が何とかやってくれるだろう」

 

 何も、いつも自分が相手する必要がない。その気楽さからほぼ全ての責任を巫女へとなすりつけた。別段問題があるわけではない。急遽調べなければならなかった事は既に、ベルペオル自身が彼とお話をした後なのだから。

 その際になんだか色々文句を言われたので、つい必要以上のこともしてしまってはいたが、自業自得だろうと割り切っている。

 ベルペオルは次に思考するべき事柄があるので、変人の話を思考の外へと追いやる。

 考える事自体は先程から、変わらずかの『大戦』のことではあるが、今度は同朋の事ではなく、討滅の道具と忌み嫌うフレイムヘイズの事だった。

 ここ``仮装舞踏会(バル・マスケ)``では訓令と称し、新しく来た``紅世の徒``達には、色々な教えを施している。

 それはこの世界で生きるための常識的なことであったり、教訓であったりする。

 人を喰った後はトーチを残せ。さすればフレイムヘイズから逃れられん。などの、同朋に無駄な被害者を出さないための所謂、処世術である。

 これは無駄に人に被害を出し、自分たちにその火の粉が降らないようにするための術でもあった。

 ``仮装舞踏会(バル・マスケ)``はかつてより、訓令を広げることで巨大な組織を維持し続けていた。その行いを見れば、先の『大戦』の``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``の『都喰らい』を含む、数々の行動は``仮装舞踏会(バル・マスケ)``にとっては真逆とも言える暴挙にしか見えない。ベルペオルにとっては愚挙の一言に尽きた。

 数々の同朋も失ったが数々の討滅の道具も消すことが出来た。

 ``紅世の徒``の一人としてはこれは悲しみ、そして喜ぶべきことでなければならないが、真の目的を考えるに素直にそう感じることは出来ない。

 

「それに懸念事項も増えた」

 

 これが何よりも面倒だと考えている。ただの苦難であればベルペオルは望むところだと、心を弾ませるものなのだが、噂話では少し理由が違ってくる。

 

「いやだね、この噂話が誰かの知略某策なら楽しいのに」

「所詮は噂話、その程度ではやはりベルペオル様相手では役不足ですか」

「おや、珍しいね。あんたから話しかけてくるなんて」

 

 ベルペオルの呟きに反応したのは、蝙蝠のような羽を背中に一対はやし、尻尾が後ろに細く伸び、二本の角があり、角のように尖る耳のある黒髪の男。一見でこの世の者ではないのが分かる容姿だった。

 ベルペオルに媚を売るように低姿勢だが、その紳士な雰囲気からは取り入ろうという気配はなかった。

 

「フェコルー」

「いえ、私も多少ながら興味がありまして」

 

 フェコルーと呼ばれた異形の者は、この『星黎殿』を平時から防衛と管理を担当する。実質は現在会話の相手をしている『三柱臣(トリニティ)』の一角のベルペオルの副官で、十分に『三柱臣(トリニティ)』次ぐ``仮装舞踏会(バル・マスケ)``の権力者と言える。

 声色は優しいというよりは弱気に聞こえる。

 当人の姿勢を含め、とてもじゃないが巨大な力を持つ``紅世の徒``の王には見えない。

 

「いやね。噂話は噂話で実に面白気はあるんだよ。一部の同朋の中じゃ、誰が一番に狩れるかなんて言い出す奴もいるぐらいだ」

「そのようですね」

 

 フェコルーも興味を多少ながら持っていたので、ある程度のそこらの話は聞いている。初めに聞いたのは約百年前で、当時では嵐と共にやって来て嵐のように去っていく変わり種のフレイムヘイズがいたという程度のものだった。

 今では、その噂がどう飛んだのか、その嵐に巻き込まれればフレイムヘイズに傷を誰としてもつけることは叶わず、かの``九垓天秤``をも退けたという物。

 あまりにも飛躍しすぎている。

 この話自体を信じるものは少ない。フェコルーもベルペオルも信じている訳ではなかった。

 ただ事実として『大戦』の立役者の一人であるということは否定出来ないというのが、両者の見解だった。決定的な違いは、フェコルーは噂の自在法を聞いて自身と何かが重なったのか興味を持ち、ベルペオルはこの噂の行く先を見つめていること。

 

「これで私たちの大命がブレることでもないし、本当に些細な事ではあるんだけどね」

 

 憂いは無いが最近のフレイムヘイズにしては、やはり変わっているので注意は必要だろうがとベルペオルは心中で付け加える。

 

「わざわざ刺客を向けるほどでもないさ。今は、目立つべきでもないしね」

「私見ですが、自在法自体は非常に興味の対象です。話しに聞いたら自在法の名に``嵐``がついてるのが実に」

「ああ、真名かい``嵐蹄``フェコルー」

「なんとなく通じるものがあるかなと。ほんの戯れですが」

 

 同じ嵐を冠る者として、なんとなく興味があった。さして重要性はないが、長きに渡る生きる道のりには些細な遊び心も、自分の心に余裕をもたらす処世術でもある。退屈は``紅世の徒``をも殺す。

 楽しまなければこの世にわざわざ危険を冒して顕現する必要もない。

 ``紅世の徒``の誰もが、この世界の一つ以上の理由と目的を持ってやってくるのだ。それは、温厚に見えるフェコルーだって同じである。

 目的達成までの道のりと時間は非常に長く、こういった小さな面白味も長く生きている醍醐味の一つでもある。

 小さな話題や噂話も紅茶のシフォンケーキに、ビールのおつまみに、お茶の和菓子となる。

 だからこそ、かの噂話もこうやってベルペオルやフェコルーの耳にも届いた。

 

「今、対処を決めるようなことでもないね」

「そうですね」

 

 二人の間に沈黙が訪れた。

 静かな時間で、二人は自分の考えに耽っていると、ベルペオルに一つの疑問が浮かぶ。

 静かなというのが引っかかった。

 フェコルーが訪れる前までは、奇声が目の前の奇っ怪な部屋から常に出ていたはずなのだが、それが全く聞こえない静寂だった。

 問題に気がついたときには、部屋のドアが開き、中から一人の少女が現れた。

 

「おじさまは行ってしまわれました」

 

 全身を完全に包みそうな大きなマントを纏い、大きな帽子を被っている少女が、無機質な声で言った。声と同じように無機質で感情の読み取れない表情だった。

 

「新しい実験が呼んでいるとか」

「はあ……教授は全く、それでは巫女に監視を頼んだ意味が、いや、それは責任転嫁か。そもそも絶対に逃がすべきじゃないなら私が監視するべきだったね」

 

 深い溜め息はしたものの、さほど失敗とも思っていないかのように明るく言った。

 

「ま、別にいいさ。一仕事はやってくれたんだしね」

 

 ベルペオルの顔は一つの目的を達成できたかのように晴れ晴れしたもので、今回に限り教授にお咎めはなかった。

 

「さて、これから先どうなるか」

 

 楽しそうな笑みを零し、その鋭い瞳は遥か彼方を見つめていた。

 ``炎髪灼眼の討ち手``はもういない。その相方だった``万条の仕手``も行方不明。

 数多くのフレイムヘイズにとって英雄で、``紅世の徒``にとっては最悪の討滅の道具は先の『大戦』の終と共に命の灯火を消した。

 イレギュラーだって少なくないのだが、ベルペオルはその事象の全てを本当に楽しんでいるようだった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 強大な国が一つ滅びかけようとしていた。

 時代の流れというのにはあまりにも呆気無さ過ぎたが、その国はただでさえ長すぎる歴史を刻んでいた。近年にいたっては、``嵐``が突如と巻き起こったり、いきなり``何も存在しない``場所が領内に現れたりと、散々な目にあっていた。

 崩壊するのは時間の問題となっていた。

 兆候こそ数百年前からあったが、十七世紀から雲行きがさらに怪しくなっていた。そして、十八世紀になると千八百年もの栄華を極めていたローマ帝国はついにその長い歴史を閉ざすこととなる。

 しかし、それよりも少し前。国が倒れるには数多くの理由がある。

 人が倒れてしまえば、国が倒れる。国と人とは運命共同体。

 十七世紀には多くの人々が死に、また生活が困難となった。それの多くの理由は再建を図ろうとした国の重い税金と、重なるようにやってきた長い飢饉の幕開けだった。

 人一人が生きて行くのすらも厳しくなり、とてもじゃないが子供を育てるなんてことが出来る余裕がなくなる。自分の命一つでさえ保つのがやっとなのである。育てるのにも、生むのにも時間もお金もかかる子供なんて面倒が見られるわけがなかった。

 口減らしの始まりである。

 大人は自分たちだけが生きるために、幼い子供を殺したりすることによって、なんとか食を得ていた。

 そんな時であった。噂が流れるようになったのは。

 

『森に人を捨てると消えてなくなる』

『これは妖精の仕業だ。悪しき心を持つものが消えてなくなる』

 

 森を探索しれども死骸は見つからず。足跡さえも見つからない。時折、狂ったような声が森から聞こえてくる。

 そんな摩訶不思議なことが起きるようになった。

 それは神隠しなのか、それとも何か人の知れない化け物でも存在しているのだろうか。

 分かっているのは人が消えることだけ。絶対に消えて無くなってくれるので、後腐れなく別れることが出来るので、そこに人を捨てるものが後を絶たなくなったことだ。

 誰の陰謀かも分からないのに、人は無知ゆえにそれをいいように利用した。

 次々に森の中に消えて行く子供。騙されて、森の中へと置き去られた大人もいた。中には、領主に罰として、魔女でないことを証明したくば、森に行き帰ってくるという一種の魔女狩りもあった。

 そして、一人の少女と少年の人生もまた、そんな不条理なものの礎となろうとしていた。



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第十一話

 例えば、城下町。

 俺が今までいた二十一世紀とは比べものにならないほど雑とも言える町並みで、綺麗という言葉からは程遠いが、人の温もりはここも変わらない。

 人の形も有り様も、街の形も文化も、何もかもが全て違う。

 ここは十八世紀初頭で、俺がいた時代とはおよそ三百年もの差がある。これはあまりにも違いすぎる。だが、良く考えてみると、俺がこの世界に来たのが大体十五世紀頃だとすると、すでに二百年以上生きていることになる。

 最低でも、近代まで生きてみようと思ってた俺にとっては折り返し地点はとうに過ぎていたのだ。

 物凄く長かったように感じる。

 特にあの『大戦』がいけなかった。

 俺があんないつ死んでもおかしくない場所にいるというのが、今考えても夢のようにしか感じられないし、夢であって欲しいと何度願ったか。

 願ったけど、どうせ俺の願いを叶えてくれる神様も悪魔もいないのはもう学習しているのでないものねだりはせず、素直に俺は感傷に浸ることにするのだ。

 え、俺、あんな危険な場所にいて、今も生きてるよ? すごくね? と。

 だからと言って、平和が訪れるわけでもなく、俺はこうやって今も戦いの匂いが体中に付着するほどの至近距離に身を置いている。

 ある種、フレイムヘイズの宿命である。

 でも、俺はフレイムヘイズの宿命なんてクソくらえと思ってる。

 俺って``紅世の徒``の中で賞金首でもかけられてるの、と思っていた時期もあった。引っ切り無しに``紅世の徒``が俺を襲ってくるのだ。ようやく戦いが終わり、これで一息という時にだ。何が一息か、一息ってどんな意味だっけと忘れるラッシュで、なんで俺が連戦しなくちゃいけないんだ、と己が運命を呪ったのは当然だ。

 勘弁。戦いとか、死闘とか、死合いとか、本当にやめて。

 おかしいな、俺って誰も討っていないはずなのに。恨まれるような行為したっけ?

 ``紅世の徒``に追われる、本来とは立場が逆転している状況が百年ほど続いた。

 何度も自分の今までの行動を振り返ったものだ。一番振り返ったのは、というよりは記憶に新しいのは、``九垓天秤``とか言われる``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``の幹部の``紅世の王``の三体に追われていたという大戦後に知った事実だ。

 俺は彼らについては知らないが、今もよく覚えているのはたった一人だけで語尾を「おおお」などと伸ばしながら、大降りの攻撃で迫ってくる頭部のない鉄の巨人だった。``巌凱``ウルリクムミというらしい。

 その見た目に違わない破壊力のある攻撃と、身体の大きさにビビって必死で涙目で避けていたので忘れられるわけもなかった。

 彼は先手大将と呼ばれ、ただ一人でフレイムヘイズ兵団の攻撃を受け止めて、殿をするほどの猛者だったという。大きな身体も相まって、さながら鉄の壁だったのではなかろうか。しかも、反撃してくる鉄の壁。その上、戦術にも長けていたらしい。

 ……嫌過ぎる。

 下手に攻撃したり、まともに俺が相手したら、その攻撃力と防御力だけでも危険なのに、知略で簡単に追い詰められてしまうところだった。

 身体が大きいため、水の中で抵抗も激しくなり、攻撃がさらに単調化したのが俺にとって幸運だったのかも知れない。平地で戦ってたら死んでただろうに。

 こんな化物を相手にしていたようなのだ。しかも、こんなのが三体もあの場にいたといえば、そこでの生存率の低さが浮き彫りになるだろう。

 感じたくもない殺気やら、自在法の気配やらを直に身に受けて、それだけで心はズタボロになっていた俺だが、今こうやって生きているのはやはり奇跡なのだろう。ああ、奇跡。最高だね。

 俺は彼らを討滅出来ていない。

 討滅したのは、その後に掃討戦だといい前線に出てきたサバリッシュさんや、仮面をつけて顔の表情が分からないはずなのに悲しそうに感じたヴィルヘルミナさんだった。

 俺がしたのは舞台の設置だけで、他はいつも通りに逃げまわったり、隠れ回ったり、他人のふりをして頂けだ。

 ほら、これだけ聞けば、尻尾を向けて逃げた愚かなフレイムヘイズにしか聞こえない。情けなくてダサいフレイムヘイズを殺そうとする``紅世の王``の目的は一体なんなのか。

 俺には到底理解出来ない。

 理解出来ないことで俺は百年もの月日を逃げるという行為で棒に振ってしまったのだ。

 全くかなわない。

 復讐してやろうかと思ったが、俺程度の実力でどうにかできる``紅世の王``がいるとは思えないので諦めた。

 ならばと、追いかけられる理由について検討したのだが、全く分からず。ウェルに相談したのだが、返ってきた答えは、

 

『うーん、分からないってことでいいや』

 

 顔は見えなくてもおそらくにやけながら言ってたに違いない。

 ウェルは分かってますよ雰囲気を出しながらも、面白いから教えなくてもいいやと言った経緯でにやけていたに違いない。長い付き合いなのだ、それぐらいは分かる。だから、こういう時は絶対に教えてくれないことも分かってた。ちくしょーめ。

 結局、解放されたのは最近で、気分転換にと城下町へやって来た。

 

「ん~~、懐かしい普通の人間の匂いがする!」

「人間に会うのがご無沙汰だもんね」

 

元は無骨な首飾りだった綺麗な青い球体、神器『エティア』から内に蔵する``紅世の徒``の``王``。``晴嵐の根``ウェパル──ウェルのいつもどこか笑っているような声が聞こえる。

 人目のないところでは、脳天気さが伺えるお調子者の声だ。

 百年の間には、知り合ったフレイムヘイズやら``紅世の徒``やらは居たが、そこには異常者しかいない。普通の人間とは、本当に久しぶりだった。

 

「誰のせいか、誰の」

「私が追われる理由を教えたところでどうにかなる問題じゃなかったよ。だから、気にしない気にしない」

「そうかも知れないけどさ。ただ追いかけられるのって釈然としないというか、理不尽を感じるというか」

「いいじゃん、生きてんだから」

 

 なんて脳天気な反応なんだ。

 生きてるからいい? それは結果論であって、死んでいたらそんな事は言えないじゃないか。

 

「でも、ま、いっか」

「その脳天気さこそ、モウカだよ!」

「褒めてないよね」

「褒めてるよ。長い時間を生きるフレイムヘイズが、いちいち何かに気を取られてちゃダメだよ。そんなの身を滅ぼすだけさ。なんて私は思ってる」

 

 自らの持論を展開し始めた。

 俺にとってはぶっちゃけたらどうでもいいので、軽くウェルの言葉を流しつつ、周囲の街並みを見る。

 俺が元いた年代との比較は、そもそも国が違うのであまりできるものじゃないが、風流があるとは思う。まあ、彼らにしてみれば今のこの石造り、レンガっぽい造りこそが普通なのだが、未来のコンクリートの町並みを普通としている俺には感慨深いものがある。

 出ているお店はさながらキャンプ場で見るテントの簡略版みたいなイメージだったが、意外と近代と変わらないかも知れない。日本の古きよき八百屋さんみたいな売り方を彷彿させる。

 実際に『安いよ安いよ』という意味の言葉が聞こえるし。

 自在法『達意の言』を利用することによって言葉の壁がない、というのはこれこそ今さらの話かもしれない。息をするように自然に使えるそれこそ世界共通の常識的な自在法の一つだ。これが使えないフレイムヘイズはどうやってコミュニケーションをとっているのだろうと思う。出来ない奴なんていないとは思うが。

 話す行為には問題はないが、自分が理解できるように翻訳しているだけで、真にその国の言葉を理解している訳ではないので、文字は理解出来ないのが唯一の欠点か。

 この時代では、文字なんて読めなくても苦労はしないからいいけど。

 店に何を売ってるかは店頭で確認すればいいし、この時代にカフェなんて贅沢なものはない。酒屋はあるが、メニューやおしながきという洒落たものがあるわけでないし、そもそもそこは食べる場所ではなく飲む場所だ。『酒をくれ』『肉をくれ』『何か飲み物と酒を』この三つが言えれば十分なのだ。

 過去に酒屋には一度だけ顔を出したが、何というかとても場違いな雰囲気だった。俺みたいな若造が来る場所じゃないというか、そういう視線を受けた。

 そりゃね、見た目は十代だけど、実年齢は結構なもんなのよ?

 

(そういえば、俺の実年齢ってどれくらいなんだろう)

(フレイムヘイズは年齢を気にしないよ)

 

 人通りが多いため、二人だけでの意思疎通に切り替える。

 普通に話していたら、謎の腹話術をする危険人物に見られかねない。

 

(俺はフレイムヘイズとしてズレてるから気にするの。とりあえず二百年は過ぎてるんだよな。実感湧かないけど)

(時間間隔が常人だとおかしくなるからね。そこら辺もフレイムヘイズが時間を気にしない理由なんじゃない)

(自己防衛みたいなものなのか。それはさておき、年齢の計算を……あ!)

(どうしたの?)

「自分の誕生日って何時だっけ……」

 

 思わず声に出してしまった。

 あれ、これってボケですか、と自分に突っ込む余裕など無く、本当にからっきし忘れてしまっていた。人間は必要のない情報から切り捨てていくと言うが、実際には脳の奥底に封印されるだけなので、何かのきっかけがあれば思い出すことが出来ると思うが、自分の誕生日を忘れてしまうというこの現実が、心に痛い。

 他人の誕生日を忘れるなんてことは常日頃。日常茶飯事で、「ええ、お前の誕生日今日だったの!?」なんて会話には平和を感じさせてくれる。だがまさか、自分のことすら忘れてしまう日がくるなんて夢にも思わなかった。

 衝撃は大きい。

 これがとどまることのない月日の影響だというのか。

 俺は思わず膝をついて、悲劇のポーズを取りかけた。

 

(え、何、そんなにショックだったの!?)

(……うん)

 

 落ち込みを隠さず、しゅんとした声で俺は答えた。

 

(分かんないな。モウカって本当によく分からない。でも、そこが面白い)

(ウェルはあれ、ミステリアスな子に惚れるタイプ?)

(ミステリアス? 別に惚れるわけじゃないんだけど、そういうのは好みだよね。でも、モウカはミステリアスとは違う)

 

 まっ、私にとって娯楽みたいなもんさ、と小気味良く答え、されどこの答えはウェルが俺のことを娯楽だと暗に直喩していた。

 いいけどね、別に。今更な感じがあるし、この俺の人生って言わば暇つぶしみたいなものだって言ってたからね。その暇つぶしのおかげで生きながらえている俺は別に怒らないさ。ああ、怒らない。

 俺だって人生は道楽のように生きたいんだ。共感だってしてやる。

 だけど、紛争に巻き込まれたり、命狙われたりされるのは俺の思っている道楽とは違うんだ。そういったモノに興奮を覚えるような奴は変態とかドMな方々だろう。なんで、``紅世の徒``と出会って狩りだと言いながらハッスルできるのか。不思議で仕方ない。

 俺は逃げるのに必死だというのに。

 

(それで、何で今更年齢なんて気にしたの?)

(え、ああ、それはね。酒場に言ったときにこの若造が、という視線が気になって、実年齢はすごいんだぞという事を考えてたから)

(その考えに至るまでがすごく気になる……)

(別にいいじゃないか。気にすることはない。それよりもせっかく街に来たんだから、何かしなくちゃね!)

(子供みたいに楽しそうにしちゃって)

 

 だから若造だと言われるんだよ、なんてウェルが呟く。

 確かにそれも原因なのかもしれないけど、もういいじゃないかその話題は。じじいなんて言われるよりはマシなのだから。

 そんな事よりも、日常を満喫しなくちゃ。

 フレイムヘイズになってから初めてではなくて、この時代にトリップしてから初めての安心出来る日常だ。

 今まではその日を生きるだけで必死で、ようやくある程度生きれる力が付いてきたと思ったら『大戦』に巻き込まれて、それも抜けたかと思えば、俺を狙って襲ってくる``紅世の徒``達から逃げる日々だ。平和なんて言葉が宇宙の果てよりも遠く感じた毎日。

 肌に感じるのは常に敵意と殺気で、安全を確保なんて絵空事だったのも昔の話。

 今はこんなふうに呑気に無防備にも城下町を歩き放題。

 自在法を展開する必要もなく、常に周りを警戒する必要もないので、気軽に気楽でいることができる、マイライフ。非日常から抜けだしたら、そこには素晴らしい日常が存在していて、いつまでもこんな日々が続いたらいいなと思える現実があるのだ。

 喜ばないはずがない。

 楽しくない訳がない。

 待ちに待った俺の平凡な日々がようやく始まったのだ、と思いたい。

 

(それでも、武器の前に自然と足が運ぶと)

(ほ、ほらだってさ! 俺っていつも手ぶらじゃん。手持ち無沙汰じゃん。これがいけないと思うんだよ!)

 

 逃げてばかりの俺には文字通り武器がない。

 戦うという選択肢を選ばない俺には、武器なんて必要がないのかも知れないのだが、それでももしもという時がある。この間の戦いがどう考えても、そのもしもの時だったが、やはり俺は最悪の場合は素手で戦っていた。いや、正確には殴るふりをして逃げてただけだが。

 俺が実際に戦うという、とてもじゃないが想定したくないシチュエーションだが、考えておくに武器は無いよりはあったほうがいいとは思うのだ。

 素手で脅すよりも、武器を持って脅したほうが効果的かもしれないし。

 俺には武器を扱う才能はないのは、既に検討済みなため、武器を持って振り回すということは余程のことがない限り無いが、やはり無いよりはあったほうがいい。

 武器を存在の力で形造るという手もあるのだが、俺はどうもイメージ力が足りないのか、はたまた適性がないのか形を留めることが出来ない。

 防具は青い色に溶け込むために、青いローブを顕現させて身体のほぼ全身を覆い隠し、それを防具としての効果も持たしているので、必要はないので防具を買う必要はない。

 お金は貰った分しか無いのだ。

 いや、悪いのはあいつらなんだよ?

 多分、盗賊の類だと思うのだけど、俺が子供の容姿で、何も武器を持ってないからって油断して襲ってきたのだから返り討ちにしただけ。ただでさえ、``紅世の徒``に終始追われていて苛立ってた俺の睡眠時間さえも奪ってくる奴らに、温厚な、非暴力を訴えている俺にだって容赦は出来なかっただけの話だ。

 何も持ってないのに、なんで襲ってきたのだろうという疑問はあったのだが、身なりだけは綺麗だったので、どこぞの坊ちゃんが家出したもんかと思ったらしい。

 青いローブを着て家出する坊ちゃんが存在するなんて考える盗賊は馬鹿だね。

 そんな訳で、彼らが笑顔で渡してくれたお金を元手に、ストレス解放がてらこの街でお買い物に来たのだ。ようやく追跡者も減ったから、一般市民を巻き込む可能性も減ったしね。

 まずは街をぐるりと一周を見て回り、観光をした後、今来ている出店が並ぶ場所で、お買い物をした。

 なんというか、いたいけな少女がお兄さん買ってってとか涙目で言われてつい甘くもない果物を買ってしまった。簡単に詐欺に引っかかりそうだよね、とはウェルの一言。

 うるさいよ。しょうがないじゃないか。フレイムヘイズになってからまともに普通の人間としゃべる機会はほとんどなく、ボロボロの服を着た少女の頼みときたら断れるはずがない。

 断ったら俺の中の良心が傷つくのは眼に見えているし。必要な出費だったんだと思いたい。せめて、美味しい果物だったら、こう少し後腐れが残るような結果にならなかったと思うんだけどな。品種改良の出来ない時代じゃそれも仕方のないことなのかもしれないが。

 酸っぱいりんごっぽい果物をかじっては、顔をしぼめつつも辿り着いたのは一軒の鍛冶屋。

 この街には武器屋もあるが、そこはどちらかというと騎士専用。ようするに軍御用達のお店で、俺のような無力な市民には買えないような値段だけでなく、売ってくれさえしない。

 まあ一般市民に安易に力を与えないようにするための対処の一つなのかも知れないが、売ってくれないのであれば話にならないので、たまたまほっつき歩いていたら見つけた鍛冶屋へと足を運んだのだ。

 ぶっきらぼうに店の入口には、武器が置いてあるだけ。斧とサーベルだろうか。俺には判断がつかないので適当に剣とする。

 出店ではないので、入り口のドアからお店の中へと入る。店の中はねっとりとした肌に粘り着くような暑さが充満していた。工房と思われる二つの釜が原因だろう。二つも工房が必要なのか、と疑問に思うのだが、片やには職人と思われる男が釜と向き合っているが、方や年端もない少女が似合わない釜と向き合っていた。

 釜二つにも驚かされたが、何だこの光景はと感想を持ちちつつも、職人兼店主である主人に勇気を出して話をかけてみた。

 

「あ、あのー、すみません」

 

 若干及び腰なのは、主人の体格もさることながら、入店したときに一瞥してきた眼光がかなり鋭く、少し怖かったからだ。あの目は普通じゃない、明らかに歴戦の猛者の眼だった。

 しかし、一瞬だけ目を合わせただけで、その後は完全に無視されている。

 今も話しかけたにも関わらず無視されている。

 ひどくない、ねえひどくない。

 でも、口に出す勇気はなく、ジッと俺はその場で突っ立ってることしかできなかった。職業体験に来たわけでもないのに、漠然と刀を打ったり鉄を流し込む作業を見つめるばかりである。

 ウェルも俺にしか聞こえない声にならない声で、なんだか無愛想だよとぶーたれている。

 どうしたものかと俺が途方に暮れていたとき、ようやくこちらに店主が向き一言放った。

 

「俺は強者にしか、俺の刀は使わせない」

 

 フレイムヘイズだって射殺せるんじゃないかと思えるぐらいの気迫を交えてそう言った。

 気の弱い俺は腰を砕けないようにするのが精一杯で、逃げるようにそのお店を後にした。

 

「こ、怖かった」

 

 店から距離を取り足を止めて呟いた後、俺の服を引っ張る感触があった。

 引っ張られた背後に振り返ると、そこにいたのは元からそういう色合いなのかは分からないが、焦げた金色のような腰にかかるほどは長くない程度の髪を持ち、こちらもまるで焼け焦げたようである意味淫らな服装になっている一人の少女。

 真っ直ぐに俺の瞳を見つめるのは青い瞳。淡々と見つめ、そして淡々と一言、

 

「よかったら、これ」

 

 差し出されたのは出来のあまり良いとは素人の俺から見ても言えない一本の刀。

 

「使って」

 

 この刀と少女からは厄介ごとの匂いがするのは気のせいだろうか。面倒事がネギではなく刀背負ってやって来たみたいな。

 

(これは……楽しくなってきた!)

 

 んなわけないじゃないか、全く。



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第十二話

 厄介ごとは遠ざける。

 危険なこととは縁を切る。

 これは当然のことながら長く生きるためのコツのようなものだ。人間の頃の長寿なら、栄養に気をつけて、運動をして、健康体に保つ、なんていう回答になるのだろうが。フレイムヘイズだって、調子の良い悪いこそあれど、そこまで気にすることではない。

 身体を清潔に保つのなら、『清めの炎』があればいいし。食べ物に関しても寄生虫や毒があっても、こちらも同じく体内に入った異物なら『清めの炎』で何とか出来てしまう。

 自在法の便利さはここに極まると言った感じだが、個人によって扱えるものは千差万別なのは言うまでもなく。『清めの炎』や『達意の言』、『炎弾』などの広く知られていて、誰にでも簡単に扱える初歩の自在法を除いたら後は個々の特殊なものになる。

 本人以外には扱えない自在法だ。長く生き残るための生命線とも言える。勿論、それは俺にも言えることで、俺も基本的には『嵐の夜』を主軸とした、逃げの自在法が俺の身も心も支えてくれている。

 さて、ここで問題があるのだが、厄介ごとというのは自在法で逃げられるものなのか。

 厄介ごとが目に見えて襲ってきたのであれば、それに対して俺も対処の仕様というのがあるのかもしれないが、そんなモノが見えるはずがない。頼れるのは第六感のみ。

 あ、危ないかも。と思った時が厄介ごとであり、危機である。

 しかし、思ったときには既に遅く、

 

「驚いたでしょ。いつもあんなんなんです、わたしの父は」

 

 厄介ごとに巻き込まれた後である。

 うわ、俺の第六感って使えない。でも、こういうのは経験で補えるようなものだと俺は信じているので、数百年後も生き残っていたら、きっと『これは!?』という緊急回避が出来るようになれると信じたい。

 

(ねえ、ねえ、モウカ)

(なんだよ。俺は今激しく後悔してるんだ。ちょっとくらい格好つけてみようかなと武器など買おうと思わず、大人しく露店のみをのんびりと眺めて幸せに浸っていればよかったんだって)

(すっごく面白そうな気がするよ!)

(無視かよ)

 

 ウェルは好奇心旺盛な子どもみたいなものだ。

 楽しいからという理由で、いつか俺を裏切る日も遠くないと感じることも度々あるのだが、案外誠実さもあるので、見切りがつけられない。まあ、裏切られる可能性があるからって俺から裏切るなんてことが出来るはずもなく、俺とウェルは運命共同体な上、本当の危機にはウェルもアドバイスをくれるので、今、こうやって彼女が楽しんでいるのはある意味まだ大丈夫だという証明かもしれない。

 単に、面白くて前後不覚になっている可能性もあるのかもしれないが。

 未来のことを心配しすぎても仕方ない。

 どうせ、俺がどんなに警戒したって巻き込まれるときは巻き込まれるのだし、ここは諦めて少女の話を聴くのがいいのかもしれない。時代の流れに身を任せる、という風に。

 俺は今、この現代の公園の成り損ないのようなただスペースが広がっているだけの大広場に腰を下ろして武器屋の少女のお話を聞かされている。

 どうしてこうなってかというと、刀をあげると言われ、さすがにただというのは悪い気がしたので、お金を払うといったら、こんな鈍らにはお金を払う価値なんてとか言い出したので、せめてじゃあご飯だけでもと俺の親切心でこうなった。

 食べ物を買ってはいさよならの予定だったんだけどね。

 いくつか気になることがあったから、話をすることになった。

 それは俺が何気なく振った、そういえばお母さんは? という質問に対して少女が答えた『あ、嵐が』の一言だ。

 こんな時だけ働く第六感が俺に告げた。

 もしや、それは俺のせいではないかと。

 だから、この話は免罪符のつもりでもある。罪悪感はすでに薄い。人害に関して言えば、俺の自在法は確かにたくさん出るだろう。人がいるところで使えば死者だって出てもおかしく無い。だが、それに構っている余裕が俺にもない。

 自分勝手だ。

 俺が生きたいから他を犠牲にするなど、自分勝手以外の何ものでもないと言える。

 だから、せめてもの自己満足として、この少女の話を聴くことにした。

 

「刀を打つことにしか頭がいかないんですよ」

「職人だね、と褒めるところ?」

「ふふ、そう言ってもらえるとわたしとしても気が楽です。わたしもそんな父を尊敬してますから」

 

 てっきり構ってくれない父親に対する愚痴のお話かと思ったら、本人も父親を尊敬しているらしい。俺も見た限りじゃ、刀を恋人にしているという点を除けば、尊敬できるところは多々ありそうだとは思う。ああいう職人肌の男はモテるとも思うしね。羨ましいことだ。

 しかし、あのような人物はどうやって結婚したのだろうか。今でこそはあんなんだが、昔はもっとアグレッシブだったとかなのかな。

 

「父は、母が死ぬ前まではあそこまでではなかったんですよ」

「そう、だったのか。なんだかごめん」

「いえ、もうわたしも母の死も父のあの状態も全て受け入れてますから、気にせず」

 

 強いな、と思う。

 

「そういう意味じゃないんだけどな」

「え?」

「いや、気にしないでくれ」

(まさか、モウカのせいの可能性があるだなんて言えないもんね)

 

 言えないことはないとは思う。

 謝罪をするのであれば、全てを明かせばいいだけの話なのだ。

 ただ、その場合にはこの世の本当のことを教える必要があるのだ。それは真に残酷な話でもあり、常人では決して信じられないような夢物語に過ぎない。もしかしたら、この子は強いからありのままに受け止めることが出来るかもしれない。

 だが、こちらの世界に入るのはやはりオススメは出来ない。

 本人が望むならその一端を見せるだけくらいなら、俺は罪滅しのためにも出来るが、こんな生きるか死ぬかの殺伐とした世界に入ることなど、俺だったら絶対に嫌だ。現実は、そんな世界に片足を浸かるところがどっぷりと嵌っているわけだけど。

 

「騎士だったら、わたしが騎士だったらよかったのに……」

 

 沈んだ声だった。

 顔にも悲しみを全面に出し、先程まで気弱ながらも笑顔を保っていた顔が崩れた。

 これが彼女の本音なのだろう。彼女は騎士になりたいという感情を、夢を抱いていながらもなれないという現実も冷静に見ているようだ。だからこそ、悲しい顔をした。自分が騎士になることなど決して出来ないから。

 この時代は、男尊女卑のように思われやすいが、意外とそうではないのだ。女性が政権に顔を出せるようになるのは、民主主義が主流になる頃、近代だが、この時代でもないことにはない。

 それは女王の権力であり、女性騎士の存在である。

 女性は強い生き物である、というのはよく知っている。

 戦技無双の姫などと呼ばれる『大戦』の助けてもらった一人のヴィルヘルミナさんもいるし。死んでしまったがヴィルヘルミナさんの共の``炎髪灼眼の討ち手``のマティルダさんはフレイムヘイズとは言え女性騎士の鏡のような存在だった。総大将を務めていたサバリッシュさんだっている。

 フレイムヘイズに限らず、女性騎士団だって実在している。女性が騎士になれないなんてことは可能性が低いが、絶対にありえないわけではないのだ。

 しかし、目の前の少女を見るに、それはほとんど不可能である。

 どこに刀を打てるほどの筋肉があるのか疑いたくなるような、もやしとまでは言わないが女性らしい細い腕は、あまりにも頼りないのだ。騎士になるのなら女でも男に勝てるほどの力は必要だ。力で勝てなくても技量が必要だろう。

 身長だって高くない。

 俺も決して高くない方だが、百七十センチメートル程度しかない俺よりも低く、高く見ても百六十がいいところだ。体格差、リーチという部分においても劣ってしまっている。

 それに、やはりこの時代では平民が騎士になるようなことはまず無い。女性騎士は存在するが、彼女らは由緒正しき家の出だ。この時代の差別といえば、貴族と平民の差で、男女の差別なんかより酷い。まあ、俺たちフレイムヘイズにはそこまで関係はない話ではあるが。

 

「父が求めているのは強者だけで。自分の剣を振るうに相応しい人物だけにしか今は目がいかないんです。だから、わたしが騎士だったら。強かったらって、そう思ってしまうのです」

「子の心親知らず、って奴か」

「いいえ、理解出来ていないのはわたしの方かもしれないですし」

 

 健気だねという感想もあるが、この問題。俺が関わる必要ないよね、という思いが沸々と滲み出てくる。

 聞けば聞くほど俺にどうにかできる問題でもなく、一個人の問題のようだ。少女も、そんな父親を鑑みるに不遇の待遇を受けているようだが、なんだかんだでやって行けているような感じではある。

 どうやって生活してるんだと聞いたところ、家計は火の車であるという。父親がまともに仕事をせず、ただ刀を作り続けているだけ。お金も尽きており、近年の飢饉で多少の蓄えがあったのだが、それももう底を尽き始めているのだという。そこでの、この施しはとてもありがたいですと、涙ながらに語ってくれた。

 浮くのは僅かな罪悪感。

 もし、彼女の母親が生きていたらとは考えてしまうと、彼女がこうなってしまったのは自分のせいではないかと思ってしまう。決して要因はそれだけではないはずだろうと思うのにだ。だからつい彼女にお金を少し渡し頑張りなと言ってしまった。

 これも僅かな免罪符だ。

 少女の失ったものからすれば、到底打ち消せるようなものでもないが。それを気にしていたら、フレイムヘイズとしてやっていけなくなる。

 この時の行為の、『どうせ奪ったお金だし』という言葉は聞かなかったことにする。今は、俺のお金だよ。

 フレイムヘイズとして、何かできることといえば、誰かがいつか自在法か何かで、戦いが起きたときに人間に被害が及ばないような物を開発してくれと願うばかりだ。

 願うことしか出来ないけどね。

 俺は俺のことだけで精一杯だ。

 これ以上は何も出来ない。

 

「なんだ。俺の関われるようなことじゃないね」

「あはは、すみません。本当に個人的なお話で」

「いや、いいよ。どうせ、暇だったし」

(本当にやることないもんね。私もいい加減飽きてきたよ。あーあ、``紅世の徒``に追われてたときは毎日が楽しかったのに)

(俺は楽しくなかったよ)

 

 充実は、していたかもしれないけど。

 何か一つのことに必死になるということは、人生を謳歌しているとも取れる。なれば、俺が追われていた時期もそれはそれで悪くはない……なんてことはやっぱりないよ。全くない。

 人生一生分を謳歌するのは、俺の人生の目標みたいなものだが、それとこれとは違う。謳歌というのは、あくまで気ままに楽しくであり、泣きながら、逆に笑ってしまうような程、精神的に追い込まれるような生活のことは決して指さないだろう。

 

「それに、これからすることもないしな」

「そうなのですか?」

「うん、そうなんだよ」

 

 この時代に来て余裕が生まれたのは初めてだ。

 生きるのに必死だった頃に比べ、周りが見えるようになり、これからのことを考える時間が出来た。俺はフレイムヘイズだ。時間は半永久的にあるので、やりたいことがあれば、全部することだって出来るかもしれない。

 自在法を使えれば、不可能だって可能にできるかもしれない。

 何もやることがないなら、フレイムヘイズとやらの使命に時を費やすのもいいかもしれない、はないな。危険だし。死ぬかもしれないし。

 なにはともあれ、今はするべきことが見つかっていない状態。

 この城下町に来たのだって完全に気の赴くままにというやつだ。これからもそうやって適当に生きながらえながら、人生を歩んでいくことになりそうだ。

 特にやるべきことも決めず、見つけたことからなんとなく。

 ……いい。

 実にいいなそんな人生。

 平凡って感じがいいね。

 

「でも、なんだ。力になれなくてすまないね」

 

 フレイムヘイズになれば女性騎士なんてのも夢じゃないんだろうけど、それだと父親に忘れ去られてしまうから本末転倒だし。何より、フレイムヘイズにはならなくていいのなら、ならないほうがいいというのは当然のことだ。

 

「気にしないでください。もう、大丈夫なんで」

「そう?」

「はい、だって、もうすぐ……」

 

 今までとは違うどこか希望に満ちた眼だった。

 

「では、わたしはこれで」

「うん、じゃあね」

「あの……ご馳走さまでした。美味しかったです、あのパン」

「どういたしまして」

「また、いつか」

「……うん」

 

 多分、もう会うことはないだろうけど。

 フレイムヘイズにだって、会わなければそれに越したことはないんだから。

 少女が立ち上がり、鍛冶屋のあった方へと駆けていく。一度こちらに振り向き、大きく手を振ってきたので振り返して本当のお別れとした。

 そして、俺の手元には一振りの刀身合わせても七十センチメートル程の無骨な刀が残った。

 少し黒ずんでいてとても綺麗とは思えない刃。切れ味は見た目からでは分からないが、鋭さを感じられず、あまりいい感想を持てない。鞘すら無い、抜き身の剣だ。

 この剣を戦闘で使うことはないだろう。俺には刀を扱う心得も持ち得ていないし、何より扱える気がしない。俺が戦闘に出て、まともに戦うということも考えられないので、この剣はただのお飾りとなるだろう。謂わば見せかけの剣。ただの脅し道具。

 彼女には申し訳ないかもしれないが、貰ったのものだし、どう扱うかは俺次第だろう。

 

「どうやって、持ち運ぼう」

「なんかそれらしいものでも顕現させてみる?」

 

 首元から陽気な声が聞こえる。

 人がいないので周りを気にせず、普通に声を出している。

 

「あれって自分の思っている姿で写し取る物だから、俺には無理かな」

「剣を扱っているモウカなんて、モウカじゃないもんね」

「うるさい。仕方ないじゃないか。出来ないものは出来ないのさ」

「褒め言葉だよ。じゃあ、これでお買い物が決まったね」

「そうだね

 

 この剣を仕舞える何かを買いに行くとしようじゃないか。

 

「ほら、なにか聞こえてこない? オーケストラがどうのって聞こえるよ」

 

 耳を澄まして聞いてみると、遠くの方から告知が聞こえてくる。

 クーベリックというオーケストラの講演会が今日から講堂であるようだ。

 

「ん、オーケストラの講演があるのか。暇つぶしにはいいかもしれないね」

「ねえ、行ってみようよ!」

「うーん……」

 

 でも、こういうのって多分、貴族向けだからお金がかかるんだよな。

 結局は、どの時代もお金であるのかもしれないと疑問を抱いた今日の一時。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「あんなに簡単にご飯にありつけるなんて思いもしなかったよ。しかも、お金まで。幸先いいな、私」

 

 焦げた金色のような髪を持つ少女、リーズ・コロナーロはお道化たような声で既に遠くに見える公園を見つめながら呟いた。眼つきもどこか鋭くなり、笑も嫌みたらしい邪悪なものとなっている。その表情のどこにも温和な影はなく、彼女を知らない者が見たら思わず距離を取りたくなる程のものだった。なのにも関わらず様になっている表情でもあった。

 

「このご時勢にお金なんてあるわけ無いのに。常識を全く知らないんだね、あの人は」

 

 無知な自分と同年代くらいに見えた青年を嘲笑うような言葉だった。

 

「でも、これであの日まで生き長らえるってもん。変なリスクを背負う必要はもうないんだし」

 

 

 もうすぐ夢の騎士になれる。

 リーズは今度は自然な笑顔を浮かべていた。



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第十三話

 彼の手に掛かればこの世の全ての現象は実験の対象へと移り変わる。

 彼の目からはこの世界のありとあらゆるものに興味は尽きることなく、研究対象にも困らない世界である。

 彼もまた、彼以外の彼と同じような存在と同じで自分の思うがままに自由気侭に、自由奔放に、傍若無人が如く一生を生きている。やりたいことを思うがままに出来る人生が楽しくないわけがなかった。

 自身に力があったのも彼にとっては幸運だった。

 彼以外にとっては不幸だった。

 無駄に力があるから彼の暴走を止められるものはこの世界には少なく、ついには同朋からすらも嫌悪されるようになっていた。

 だが、そんなのは彼にとっては関係なく。

 ただ自分の研究のみに、己の強大な力を費やし、時間を振った。

 今日もまたある一つの実験へととりかかる。

 奇っ怪で耳障りな声を奇声のように叫ぶように。

 助手の``燐子``と共に。

 

「ェエーックセレント! ようやぁーく、この素ん晴らしぃー実験にぃー手を出ぁーす事が出来ましたっ! あんのどっかのまぁーずいっ、こんの世にぃー存在すら認めたくない、栄養のなぁーいっキノコのように、嫌いなベルペオルから逃れぇー、この日ぃーがやってきましたっ!」

 

 声の主、``探耽求究``ダンタリオンは、喜色の目と、今より少し古い親方のような職人のエプロンを付けた身体全体で奇妙な動きをしながら喜びを表した。

 奇妙な動きというのは、人間的な身体をしているのに、ありえない方向へとネジ曲がっていたり、首をなんども回している。百八十度周り背中の方を向き、さらに同じ方向へ百八十度周り元の位置に戻る。それだけでなく、先程まで普通の手だった物が、何故かドリルに変形し、ギュインギュインと唸らせている。

 その光景だけで、彼が異常者であることが目に分かる光景であった。

 

「長かったですね、教授。ベルペオル様と毎日会っていた時なんてぐっひひはひ(ちばかり)」

「嫌ぁーな事を思い出させるんじゃぁーないですよー?」

「ふひはへんふひはへん(すみませんすみません)」

「科ぁー学者は、過去は振りぃー返らないのですよー? 明日はいぃーよいよ、待ちわびた実験の日っ! いつにもましてこのドリルゥーが回るというものですねぇ」

「教授のドリルは別に実験に関わらずいつも回っていっはふひはへん(ますみませんー)」

「余計ぇーな事は言うんじゃないですよ」

「…………」

「ドォーーーミノォーーー!! 返事をしなさぁーいっ!」

「ひははひひひ(いたたいいい)」

 

 ``教授``と呼ばれているダンタリオンは大きさにして二メートルを越し人ではない機械で出来た身体をしているドミノが何かを言う度に、手についているドリルで何度もつついた(抉った)。

 ドミノは``燐子``である。``燐子``は``紅世の徒``が、この世の物体に存在の力を吹き込むことで生み出す下僕であり、このドミノは``燐子``でありながらにして、自らの主であるダンタリオンの助手でもあった。

 このドミノ自体もダンタリオンの実験の成果の一つであり、正式名称を『我学の結晶エクセレント28-カンターテ・ドミノ』と言った。

 

「それにしても、たくさん人が集まりましたね」

「んんんんなぁーに、世の中に不満をもぉーつ人間は多いですからねぇ」

 ドミノが今回集まった人間のリストを見て言った。

 そのリストにはかなり多くの人間の名前が書かれていおり、一人一人の詳細事項までもがあった。身長や体重に始まり、この実験に参加することになった理由や、理由に至るまでの経緯など、よくここまで調べたものだと感心するほど事細かに載っていた。

 年齢は生まれたばかりの赤子から、死ぬのを待つしかない老人まで男女関係なしに。理由は千差万別で、捨てられたところを拾われたや、興味関心でなど様々。

 あまりにも多すぎるので、パッと見で分かるのはたくさんの人間の協力者が集まったという結果だけだった。そして、それは尚も増え続け、ドミノは引っ切り無しにそこへと追加分の人間の情報を書きこんでいく。

 中には人間ではなく、単語で『犬』『猫』などと書かれたものさえもある。

 本当に誰かれ構わず実験に協力してもらうようだった。

 

「なぁーにが、原因で要因になぁーるか、わからないですからねぇー?」

「失敗は出来ないということますですね」

 

 ドミノがリストを作成する傍らでは、ダンタリオンは謎の機械を弄る。その機械は彼とドミノ以外の者が操作することが絶対にできず、また説明することも不可能な物。なにがどうなってああなっているかは、下手すればダンタリオンですらも理解しきれていないかもしれないものだった。

 本能で、こうすれば出来るという半ば直感でそれは形作られていく。

 なおも、誰も寄り付かない森の中でこの二人の作業は続く。

 誰にも気づかれることもなく、ひっそりと。けれど確実に、その日は近づいていた。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 十八世紀、ボルツァーノは神聖ローマ帝国の南の端に存在する都市だった。次々と領土を失っていく神聖ローマ帝国の中でボルツァーノは、ハプスブルク家の歴代当主に継承される城下町でもあった。

 ハプスブルク家は神聖ローマ帝国内だけに留まらず、各方面のお受け取親密な関係であり、次々と後継者を輩出する大貴族であった。そんな王家にかなり近い者が治める街として貴族も多く、比較的賑やかな街。

 近辺を敵対国に挟まれているからこそ、あらゆる人物が流れつく街でもある。それは世を賑わすオーケストラであったり、大道芸人であったりした。

 貴族たちの娯楽には困らず中にはやって来た芸人を子飼いにするものまでいた。彼らにしてみれば、周辺が敵国に囲まれている危機感よりも、遊び場としての認識でかなり楽観視していた。だから、備えなどしているはずもなく、いざという時の行動は全くできない。唯一の救いは、その貴族の重要さから常に軍が在中していて、守兵には事欠かないことくらいだった。

 だが、飢饉が起きてしまうとその利点の全てがまるまる裏返ってしまう。守兵の多さや裕福な食事を取る貴族、この街の人の多さが余計に食料の危機を招いてしまう。

 飢饉を襲ったのはこの街だけでなく、ヨーロッパ全体であるためどの商人も余分な食料は持ち得ていなかった。食料が少ないので僅かな食料をめぐることとなり急激な値上がりが始まる。

 いくらお金を沢山持っている大貴族と言えども、これには堪えた。最初は市民の血税によって、今の贅沢を保ち続けようとしたが、国は元から疲弊している。国が疲弊しているということは市民も既に疲弊しきっているということだ。もはや市民からは絞りつくした状態となり、いくら横暴の限りを尽くしていた貴族といえども一時的にとは言え多少の裕福を抑えざるを得なくなった。

 そうなると、節約術として口減らし使われたのだった。食料を必要として、お金がかかるのだから、元から絶ってしまおうと考えたのである。

 その対象は子飼いにしていた芸人であったり、次男以下、長女以下の家の後継者以外の子どもたちであったりした。

 芸人は主に貴族からのお金が収入源であり、子供たちは親がいてこそ生きていけるのであって、貴族たちが彼らに施しをしなければ彼らは生きてはいけない。

 

「これがローマ帝国内における今の情勢らしいね、モウカ」

 

 一人にして二人の異能者が大広場で一息をついていた。大広場には彼らを置いて他に人の姿は無く、人目を気にせず話をしていた。

 

「さっき俺が話してたしゃべりたがりな酒屋の店主によるとね」

 

 首元から聞こえるウェパルの陽気な声にモウカは答えた。

 

「庶民が未だにこの地を離れてないのも貴族のおかげね。なんというか皮肉なものだ」

 

 十八世紀は貴族が衛生に一際、注目を置いている時代である。そしてこの街は衛生に気遣う貴族がいるおかげで、他の街のように道に死体が転がっているなんてことはなく、人が死んで臭う腐敗臭もない。今のこの街に残る唯一と言ってもいい、庶民がこの街に残る理由でもあった。

 尤も、お金もない、職すらも失いかけている庶民にはここを脱して一からやり直すという気力も尽き始めている。元は活気があった街も、段々と廃れてきている。

 普段は人が絶えず、お客さんに困っていないはずの酒屋でさえも、がらんとした様子だった。お客さんがいないせいで、店主も暇だったようでモウカにいろんな世間話をし、モウカは暇つぶしと情報を手に入れることが出来た。

 物価が上昇して、残り少ないお金だけに料理や飲み物の値段が高かったことだけがネックだったが、情報料と思い込むことによってモウカは自分を納得させる。

 現地の情報を得るというのは非常に大切な事だ。フレイムヘイズだからという理由だけでなく、モウカは基本的にはお淑やかに人生を送りたいので目立つことが厳禁である。常人とは逸した力を持っていることがバレてしまえば、騒ぎとなってしまう。

 騒がしい人生はとてもじゃないが、モウカの目指す平穏無事とは遠い

 モウカが懸念していることの一つは、自分自身がトラブルメーカーになることだ。

 過去の『大戦』では、直接の要因と今では言わないが、引き金を引いてしまった一人であるのは間違いない。何れは起き得たものではあるが、やはり偶発的に発覚するのと、人為的に発覚するのでは大きな差がある。責任感の問題も変わってくる。

 モウカは自身がそう言ったトラブルに巻き込まれやすい体質であるのは自覚している。そのトラブルも大体が生死に関わるもので、容易な覚悟で乗り越えられるような物じゃない物ばかりだった。

 

「私たちみたいなのが言えることじゃないけど、本当に人生どう転がるもんか分かったもんじゃないよね」

「本当に全くその通りだ」

 

 モウカは力強く何度も首を縦に振った。

 その姿はどこか切なさを感じさせ、過去の出来事に思い浸っているようにも見えた。充実はしていたかもしれないが、決して楽しいわけではなかった過去を。

 思えばずいぶん遠くへ来たものだとありきたりな台詞を内心浮かべた。

 

「ん! なに!?」

 

 ガサッという物音で、現実に引き戻されたモウカはかなり慌てふためきながら、周囲を警戒する。

 立ち上がってキョロキョロしながら、戦闘態勢ではなく逃走態勢を取り始める。キョロキョロしたのは、音の発生源を確かめるという要素よりも、この場から逃げるルートを確認するための意味が強い。

 

(モウカ、落ち着いて。ただの人間だよ)

「え、ああ、なんだ。ビックリした」

 

 ただの酔い潰れかとホッと息を吐き、ようやく落ち着きを取り戻す。モウカはそのまま目線をやって来た酔い潰れていると思われる、人物へと移した。

 風貌はまるきり旅人である。コートを羽織り、帽子をかぶり、暗闇のせいでいまいち顔は見えないが、体つきから男であることが分かる。ただ、一つ奇っ怪なのが、彼のコートから何やら木のようなものがはみ出している。

 興味本位で近づき、それを確認すると人形だった。木で作られて、上から糸で操るタイプの人形である。人形劇に使われる物で、この旅人風の人間は人形劇を旅して回る芸人なのかもしれない。

 

「この不況な世の中で酔い潰れるって相当のお金持ちか」

「やけ酒だよね」

 

 相手が平常ではないので、ウェパルは警戒せずに神器『エティア』より声を発する。

 彼女からすれば声を聞かれても面白いことが起きそうなので、構わないのだがモウカがうるさいのでたまには彼の意思を尊重しているに過ぎない。

 ウェパルはどこか面白気な雰囲気を漂わせ、彼女の顔を見ることが出来ればにぃっと楽しい玩具を見つけたような悪戯な顔をしていることが安易に想像できる声だった。

 

「うーん、やけ酒ぽいよね。なんか呟いてるし」

「ええと、なになに……」

 

 

 俺はあいつらにとってなんだったんだ。都合のいい時に呼び出し、大量のお金を与えてもらったから相応にお返しをして、住み込みまでして子飼いになったのに、自分たちの生活がちょっと苦しくなったからって切り捨てやがって。俺は使えなくなった人形か。

 と酔い潰れている男は丁寧にぼやいた。

 一回一回はごにょごにょとしていて、何を言っているか理解できなかったが、永遠と同じことを繰り返すので翻訳をすることが出来た。内容が無いようだっただけに、モウカとウェパルはやっぱりねと声を合わせて言った。

 一人にして二人は、この人物に同情を抱くが、

 

「転落人生には同情するけど、俺も似たようなもんだよ。殺されたり、死んでないだけマシだというのに」

「普通の人間はこんなもんだよ」

 

 今にも欝だ死のう、と聞こえてきそうな男の前でモウカは自分よりも弱い人間を見るような眼つきで言った。

 

「生への執着の強すぎるのと、果たしてどちらの方がまともなのか……」

 

 二人は居心地の若干悪いこの場を後にした。『まあ人生色々さ』という言葉を残して。

 

 

 

 

 

 彼らが去った後、酔い潰れた男の脳に直接声が流れる。

 語尾を無駄に伸ばした聞く者が聞けば、その声だけで嫌味を言いたくなるこの世の者ではないものの声。

 

 そして、彼はまた一人の人間を誘う。



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第十四話

「武器の収納って青いローブの内側にでも剣を入れる収納スペース作って、そのまま武装解除したら収納できるんじゃない? ……て、ほら出来た」

「おおー、便利なもんだね」

「ウェルも知らなかったのかよ」

 

 前日の丸一日と今日の半日の計一日半を費やして、どうにか剣をしまえる鞘みたいなのはないかと探しても見つからず。どうしようかなと、困っていたところに頭に一筋の閃きが煌めいた。

 青いローブはたまに服に困ったときにも着るが、基本的には戦闘服である。俺専用とでも言うべき防具で、自在に顕現させたりすることが出来る。オンオフを意識的に使える非常に優れたものだ。

 これを利用して、ローブを一種の収納スペースに出来るのではないかと考えた結果、見事に成功を収めることができた。これなら今後もローブに入る程度のものなら収納していくことが出来る。食べ物も出来ればしたいが、腐ったりしたらローブに匂いがつくかもしれないし、怖いのでそれは避けておく。生臭い匂いのローブなんて嫌だもんね。

 いや待て。その臭いの効果で敵を寄せ付けない補助効果なんてものが……さすがに無理か。

 たくさんしまい込んでも動きづらくなったりもするので、意外と活用はしにくいかもしれない。剣一つくらいなら重さ的にも仮にもフレイムヘイズな上に今だって鍛錬を怠ったりしないので、逃げるときの邪魔にはならないので問題ない。

 剣は言わば脅しの道具だ。

 俺は剣術だけに限らず色々な武術の心得は未だに上手くいかず、それなのに避けることばかりが上達している。それはそれで問題ないというか、俺の本質には適っているのでいいのだが、剣は結局扱うことはできない。

 適当に力任せに振るのが限界だろう。

 剣を持って、危ないんだぞーと俺は強いんだぞーと見せびらかす。

 剣を持って、自分が戦えることをアピールして逃げ易くする。

 剣を持って、時にはそれで敵の攻撃を受け止める。たまに投げつける。

 主な利用法はこんなもんで、まともな使い方などしない。することができない。

 剣を華麗に扱って敵をぶった斬っている俺を思い浮かべるよりは、投げやりに剣を扱う俺の姿は想像に容易く、俺にとっては最も有効な剣の使い道だろう。自分で言ってて儚くなるが、死ななければいい、敵を倒す必要のない俺にとってはこれが精一杯な生き方だ。情けなくは思うが後悔はしていない。後悔するような生き方はしたくない。

 こんな使い方をしたら剣を作って俺に譲り渡してくれた彼女には悪いかもしれないが。

 

「まあまあ、いいじゃない。なんとかなったんだし」

「そんなお気楽でいいのかな。何というか、二百年もフレイムヘイズやって今さら新しい事を知るってどうなのかなと」

「モウカは、フレイムヘイズだけど、フレイムヘイズらしくはないからしょうがないよ」

「しょうがない……のか? それは」

 

 もしかしたら、他にも便利な力が自分の内にあるとしたらそれも知っておきたいところだ。そこから、なにか生存への糸口を手に入れることが出来るかもしれない。

 今も昔に比べれば大分生きるのが楽になったが、それでも余裕を持ってはいない。もっと気楽に、もっと簡単に安全に生きるための術が欲しい。

 

「ま、いっか。生きていられれば」

「そうそう、今ある命があればいいじゃない。モウカ的に」

「それもそうか。うん、命あれば食べることも必要と。何か食べたいな」

 

 ローブと剣の実験をするために人目のつかない森へと入って、そこそこに時間が経っている。生い茂る木のせいで日差しはあまり入ってこないが、森の中はそれでも十分にまだ明るいので時間はそれほど遅くなっていないはずだ。

 腕時計がまだ存在しないが、とある歌のような大きい時計などは存在する。現代ほどの正確さではないが、電気を使っていないのに大した精密さだと初めて見たときは感心したものだ。

 だが、持ち運べるようなものでなければ、買えるような代物でもない。今の時代では高価なものなのでお金をあまり持ち合わせていない俺みたいな小市民には到底買えないような代物だ。その時計がわりにやはり重用するのが腹時計だと俺は思っている。

 フレイムヘイズの腹時計は酷く鈍いものだ、というのは一つの私見だ。というのも、他のフレイムヘイズに『お腹ってよく空く?』などと軽々しく謎の質問を聞けるわけもなく、彼らは大抵そう言うのには興味を持たない。彼らの殆どは、『そんなことより、復讐しようぜ』な奴らだ。全くおっかないったらありゃしない。

 しかし、フレイムヘイズだって根本的には人間と変わらないのだからお腹は空くはずだ。ただ、それが人間と比べるとすごく曖昧な物になっている気がする。

 フレイムヘイズと人間はフレイムヘイズだって元人間なのだから当然ながら身体の作りは同じだが、中身は全然違う。能力面で言えば、身体能力、治癒能力などは人間と比べものにならないほど優れている。それは生きることだけに猪口才な俺が、無事に生きていられているのが何よりも証拠だ。

 より戦闘的な身体になったため、身体の耐久性が極端に上昇し、飢えというのにも強くなれたのではないかというのが俺の考えたことだった。

 実際のところは分からないし、この手のことはどっかの誰かがその内興味本位で研究したりしてくれるだろうから俺は放置するが、なんとも便利な身体だ。

 何よりも食費が浮くのがいい。素晴らしい。お金を節約できる。

 街や人里に寄れない時は、野にあるキノコや草、魚を取って自身の炎で焼くが、やはり調理されたものは味がいい。現代に比べたら味は劣るのかもしれないが、すでにこの時代に二百年もいるのだから違和感を感じるはずがない。

 食べることは娯楽の一つ。死ぬ前まではあまりそうは思っていなかったが、今はハッキリと言える。食べることって素晴らしいと。

 全世界の食べ物を食べ歩くというのも、今後の人生の目標でいいかもしれない。全然フレイムヘイズらしさの欠片も無いような気がするが、気のせいだろう。

 俺は基本的には一日一食は最低でもとるようにしている。我慢すれば一週間とかも耐えられそうだが、俺に取っては娯楽なので、やはり食べられるに越したことはない。美味しい物が食べられるときには美味しい物を食べる。生きがいは一つでも多くあったほうがいい。

 

「今日の飯はどうするかな」

 

 お昼のメニューを考えながら今日も城下町を目指す。

 なんだかんだ言って、ここら辺で一番食べ物が揃っているのはあの街だ。旅をするのもいいが、もう二・三日はあの街に留まっているのもいいだろう、食べ物のために。それ以上だと、目立ったり、俺の臭いを嗅ぎつけた``紅世の徒``がやってくる可能性があるのであまり長居はできない。

 最近こそ平和な日々だが、いつまた出会うか、襲われるか分かったもんじゃない。

 

「いくつか酒場あったよね?」

「あったけど、覗いた限りだと昨日の酒屋がいちばん綺麗だった」

 

 店の内装は大切だ。

 汚すぎれば食欲がなくなってしまうし、綺麗すぎれば緊張してしまう。後者については、この時代では心配することではないが、やはり前者は気になってしまう。臭い、雰囲気、清潔感。酒屋独特の酒の匂いや、うるさい雰囲気、少しうす汚れた感じならいいが、人の吐いたもののような臭がするような店もあるから油断はできない。

 そんな店があれば、入らなくても雰囲気で分かるものではあるが。

 

「こだわり過ぎというか贅沢なんじゃない」

「そんなことはないけど、せっかく食べるならしっかり美味しい物を食べたい」

「あと、お腹を壊す心配のない物?」

 

 笑いを抑えるようにウェルは言う。

 俺は多少腹を立てながら、それを隠そうとしていつもより若干低めの声で答える。

 

「……そうだよ」

 

 フレイムヘイズだって人間だもの、変な物を食べたらお腹だって壊すさ。『清めの炎』を使えば、病気諸共治すことが出来るが、ウェルが俺が腹を抑え苦しんでいる状況を笑っていたために、すぐに直してもらえず、ちょっとトラウマになっている。

 だから、少し八つ当たり気味に声を大にしてしまった。

 悪いのはウェルだ。

 『フレイムヘイズだから何食べても大丈夫』と自信満々に言ってたから、明らかに危険色のキノコを食べたのに、案の定お腹が抉られるような痛みに苛まれた。

 死ぬかと思った。未だにあの時の痛みは忘れられない。

 フレイムヘイズに成り立てだった頃の百年以上昔の話だが、忘れられない程の痛い思い出だ。

 

「もうっ、悪かったって謝ったじゃない」

「笑いながらだったけどな」

「そうだっけ、忘れちゃった」

「反省してないな」

「``紅世の徒``は反省しない生き物なんだよ」

「違う、と俺は信じたい」

「さあ、どうだろうね」

「くそー。思い出したら腹に立つな。今日も絶対に美味い物を食べてやる」

 

 やけ食いか、モウカらしいね。という相方のおちょくるような声を無視して、歩を大にして森を突き進む。目指すは、美味しい食べ物が食べられる娯楽場。

 やっぱり人生は食道楽だよね、とか思いつつ。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 お菓子の家があったとさ。子どもだけじゃなく、大人にとってもまるで夢のような家なんだ。その家に行けば望む限りの食べ物が手に入るというのだ。現実離れしすぎて眉唾ものだが、そんな魅力的な話が噂になるのだから、本当にあるのだろうと駆けつけた者がいたらしい。

 そうやって何人も駆けつけたが誰一人も帰って来なかったそうだ。

 そのうち気味悪がられてその家があるとされる森からは人が離れていった。

 それが気付けば人を、邪魔者を消す場所になっていて、迷いの森だとかそんな風の名前が付いていた森がいつの間にか、人捨ての森や人喰いの森と呼ばれるようになっていたとさ。

 これはお話だ。

 噂話ですら無い。友達同士の雑談のネタであげるようなそんな他愛もないお話。話している本人たちからすれば、都市伝説を話しているような感覚なのだろう。笑いながら、冗談を言いいながら、そんな馬鹿話。

 しかし、それは違う。と、酒屋の気のいい店主のおっちゃんは言った。

 昨日もお世話になり、色々な情報をくれた店主だ。

 話の信憑性は全く分からない。おっちゃんからすれば、あまりにも暇だったので一つの雑談を持ちかけた程度の気安さだったのかもしれないし、何か積もる話があって俺に託したい話なのかもしれない。

 最初はお互いに笑いながら、そんな家があったらいいのにね、なんて冗談を言いながらの軽いお話だったのだが、しかしと逆接を置いたときのおっちゃんの顔は真剣そのものだった。

 彼は言うのだ。

 人が帰って来ないのも、消えてしまったのも本当の事だと。

 ありえない現象ではない。人が帰って来ないのも消えてしまったのも``紅世の徒``に食われてしまったと考えれば不思議じゃない。その森には``紅世の徒``が存在していて、人間を捕食しているのだとそう考えられる。

 けれども、話は違う。

 帰って来ないという実証がある。消えてしまったという記憶がある。これは``紅世の徒``に存在を食われて存在が欠落していないことを証明している。

 

「不思議だね」

 

 実に不思議な現象だ。

 ``紅世の徒``が絡んでいないという前提のもとだと、こんなのはファンタジーの世界の話だ。漫画や小説のフィクションの世界。ありえないことが現実に起きてしまうという、難攻不落の大事件とも言える。

 主人公が登場して、初めて解決するとも言えるだろう。

 主人公は大変だねぇ。そんな大事件と真剣に向き合って解決しなくちゃいけないんだから。同情するよ、本当に。俺は勘弁だね。

 俺なら無関係を貫き通すね。

 だって、厄介ごとっぽいんだもん。これは明らかに危険な匂いがするんだよ。俺じゃなくても分かるほどの悪臭だ。確実に裏がある話。

 不思議というのは``紅世の徒``が関与していない場合の最前提。

 存在の欠落がない、ということはこの世のバランサーであるフレイムヘイズが動くことはまずないだろう。使命とは関係ないと切り離すに決まっている。

 だが、``紅世の徒``が全く関与していないという証明も未だない。

 存在を食ってないだけで、食料を貯蔵しているのかもしれないし、人知れず自在法が発動し、何かが仕組まれている可能性だってある。あの『大戦』の時のようにトーチが大量に出来ているのかもしれない。

 他のフレイムヘイズの援軍は期待できず、この事件を解決するとしたら俺の単独の行動となる。

 戦えない俺が、だ。

 ウェルなんかはこの話を聞き始めた当初からしきりに俺に話しかけては、楽しそうだよ行ってみようよ、と子供のようにはしゃいでいる。俺はいつものごとく無視を決め込んでいる。

 

(お菓子の家だよ、美味しいもの食べ放題だよ)

(か、関係ないね!)

「どうした、兄ちゃん」

「何でもない。話を続けて」

 

 お菓子、美味しい物、食べ放題、という三種の神器にクラっとは来たものの、これは明らかにお誘いだ。悪魔が俺に囁いているとしか言いようがない。やめろ、これ以上俺を誘惑しないでくれと叫んで、耳を塞ぎたいが、そんなことをすればおっちゃんが俺を変人認定。しかも、耳を塞いでも聞こえなくなるわけじゃないからたちが悪い。

 俺の天使はどこだ、と探そうにも悪魔の声があまりにも大きすぎるのか天使の声は聞こえない。

 最終手段として、『エティア』を強く直接握ることによって声の元を断つ。

 ウェルが音源を塞がれてモゴモゴ言ってるが、俺の心は澄んだ青い空のように晴れやかだ。

 これいいな。二百年経って新たな発見だ。これからはウェルへの対抗手段とさせてもらうとする。

 そんな俺の葛藤とは別におっちゃんは話を続け、期待を込めた目を向けて俺に言い放った。

 

「これはチャンスだと思わねえか?」

「チャンス?」

「そうさ。この事件を見事にババーンと解決してこの国に名を広める。くぅ~っ! 男なら燃える展開だと思わねえか!?」

 

 演技染みた大きな身振り手振りだった。

 なるほど、おっちゃんの真意はっこれだったか。

 どうやら本当の悪魔の囁きはウェルではなくこっちだったようだ。

 しかし、残念だったなおっちゃん。

 俺の答えは考えるまでもなく決まっているんだ。

 

「思わないね」

 

 名を広めたってこの世界には危険しか無いんだよ。



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第十五話

「なんだよ、つれねえな。男じゃないのかい?」

「そうは言ってもね。危険な橋は渡るべからずってね」

 

 おっちゃんが少し苦渋の顔をする。

 石橋を叩いて渡るということわざがあるが、俺はそれでも安心出来ないので、尚も慎重に慎重を期す。一パーセント程度の危険だと判断出来れば渡ることもあるだろうが、危険な可能性が二桁もあればお腹いっぱい。その橋をわたることはしないだろう。

 十パーセントなら多少は考えるのかもしれないだろうが、十回に一回落ちる可能性があるって、なんだかんだで高い確率だと思うので、迷いはするだろうが渡ることはない。

 そんな俺がおっちゃんの言うあからさまな危険に自ら飛び込むなんてことはまさに自殺行為である。分かり得る情報を元に考えると、この仕業は仮に``紅世の徒``じゃなかったとしても、厄介ごとには変わらない。

 おっちゃんはなおも、栄誉、名誉、地位、男のロマンだろうと俺を必死に説き伏せようとするが、そんなのはのれんに腕押しである。

 有名になれる? そんなものはいらないんだよ。有名になった結果が、百年に及ぶ逃走劇になったのだから、もう懲り懲りだ。

 地味だっていいんだ。そこに安全があれば。

 危険だって本当は歓迎なんだ。命の心配がなければ。

 ちょっとのリスクは背負うべきだ。人生に刺激は大切である。

 ローリスクローリターンこそが理想的だ。

 俺はおっちゃんの言うことはもはや半ば無視を決め込み、食事に手をつけることにする。これ以上の話は無駄だ。危険が俺のすぐ隣を歩いていることを教えてくれたことには感謝するが、どうしてそれに首を突っ込む様に誘導するのか分からない。

 これ以上は俺が聞く耳を持たない事を悟ったのか、おっちゃんも自分の仕事に戻っていった。

 すでに配膳されているご飯を頬張る。

 少し冷めてしまったようだが、それでも美味しいのは本当に美味しい料理の証なのだろう。パクパクと食べ進めていき、並べられていた料理の大半を食べ終わると、正面には神妙な顔をしたおっちゃんが座っていた。

 雰囲気が少し変わっていた。

 また懲りずにとは思う。

 

「散々、同じ話ですまねえが、本当に興味はないかい?」

「悪いね。興味はあるが、冒険はしない主義なんだ」

 

 藪をつついて出てきたのが蛇ならまだマシなのだが、今回は虎が出てくる可能性だってある。それは何としても避けたい。

 この場合の蛇というのは``紅世の徒``で、虎は``王``の事だ。今までの経験上、並大抵の``紅世の徒``なら俺は比較的余裕に逃げられることが分かっているが、``王``となるとどんな不足な事態になるか分からない。強力な力を持つ``王``というのはそれ程に厄介な相手なのだ。

 それだけに出会う確率も低く、追われていた百年の中でも``王``との遭遇は二・三回程度だった。しょっちゅう遭っていたら身が持たない以上に、フレイムヘイズだってもっと激減しているだろう。``王``だってフレイムヘイズに会わなければ、それに越したことがないのだからお互い様な話だ。

 今回の件だって一緒で、俺はこの世界を荒らす``紅世の王``を倒す使命感は無いどころか、あったとしても討滅できるだけの力がない。

 逃げることにしか能がない無力なフレイムヘイズであることは百の二乗倍、万も承知だ。あまりにも自分の力に理解が及び過ぎているくらいだ。

 

「そうか……なら兄ちゃん、もう一つ話を聞く気はないかい?」

「ん? その消失事件のか?」

「全く無関係じゃないがそれじゃない。とある少女のお話しさ」

 

 俺はきっと今すごく嫌そうな顔をしているに違いない。対照的に、ウェルははなまるな笑顔を浮かべていそうだ。

 これは面倒そうだな。非常に面倒そうだ。

 その話を聞くと後に引けなくなる可能性があるような気がするのは気のせいだろうか。

 

「聞く気がないといったら?」

「兄ちゃん、お金持ってないんだってな。このお店は良心的でな。俺の気持ち次第で、値段が変わるのさ。コロコロとな。まるで俺の気持ちと同じでだな」

 

 足元をみるぞ、と半分脅しのようなものだ。

 なんだよこのおっちゃん。さっきまでのとても人の良さ気ないい人だと思ってたのに、とんだトラブルメーカーじゃないか。美味しい物を作ってくれる人は例外なしにいい人だというのが俺の持論だったのに、それを否定しなくちゃいけないじゃないか。

 俺がこの世で警戒する人種が幾つかある。

 一つは、言うまでもなく主人公のような奴。

 物語の中心になる人物は確実に迷惑なトラブルを首から引っさげていたり、ゴキブリホイホイのように厄介事を誘い引き付けてしまう。ゴキブリも厄介事も似たようなものだ。幾つ解決しても、引っ切り無しに次から次へと生まれてははい出てくる。一つ、事件があったらもう一つ事件があると思え。一つの出来事が起きたら、一つで済まないと思え。

 主人公が側に入れば必然と脇役も数々の難事件に巻き込まれるものなんだ。俺はそんな主人公の相方は御免被るよ。勿論、主人公なんてのも最悪だ。逃げてても奴らは追いかけてくるんだからな。

 もう一つ、厄介事を持ってくる奴。

 自身の抱えている事情を説明し、手伝ってくれなんて言う奴だ。恋愛相談がそれの最たるもの。今回は恋愛相談ではないとは思うがこれが当てはまるだろう。

 面倒なこと極まりないのだが、そんな最初からあからさまに面倒事を掛け持っているのはまだマシで対応の仕様があるのだが、お助けキャラだと思ってたキャラが気付いたら厄介事の種、胞子だったなんてことは最悪だ。気付いたら自分が巻き込まれていたなんてことになっていやがる。主人公さん並に面倒くさ言ったらありゃしない。

 そして、今回はまんまとこのパターンだった。

 便利な料理を作ってくれる情報屋だなんてとんでもない。とんだ厄病神だった。

 でも、お金が無いので逆らえないのもまた事実。死んでも生き返ってもお金に縛られる人生って悲しいを通り越して笑えてくるよ。

 

「分かったよ。聞くだけ聞く」

「おう、ありがとうよ」

(こうしてモウカは巻き込まれていくのであった)

(変なナレーションをつけるな。縁起でもない)

 

 おっちゃんの都合の良い返事が帰ってきて笑顔になったが、すぐに真剣な表情に戻り、口を開く。

 

「これは不幸な鍛冶屋の娘のお話さ」

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 少女の話は最後にこう締めくくられていた。

 『やっと夢が叶う』と。鍛冶屋の少女と言われた時点で、誰かは分かってはいた。この街に来て初日に出会った子のことで間違いはなかった。少女の名前をリーズ・コロナーロという事は初耳だったが、もともと浅い付き合いになる予定だった。

 俺にとっては、たまたま訪れた先の少女Aにすぎなかったのだから。知る理由すらもなかったのだ。

 おっちゃんにとっては我が娘のように可愛がっていたというのは、彼女の事を真剣に話す様子からも十分に伝わってくる。彼の言葉で言うならば『娘を愛さなかった父親替わり』のつもりであり、本当にそう思っていたのだろう。育ての親という奴だ。

 深い愛情が言葉の中に感じられる。

 昔話のように、または思い出話のように語った少女の話は、なるほど確かにお涙頂戴だったのかもしれない。俺が泣くということはなかったけれど、聞く人が聞けば泣いてしまうようなそんな話だった。

 悲劇のヒロイン、なのだろうか。

 まあそんなのはぶっちゃけどうでもいいんだ。

 重要なのは、そんなおっちゃんの長話に付き合わされておっちゃんは一体俺に何を伝えたかったのか。俺に一体何をさせたいのかだ。

 おっちゃんの顔を睨む。

 食事も終わったし、この街にはなんだか厄介事が付き纏っていそうなので、そろそろ潮時だろう。今日中にと言わずに、今からでも早急に撤退したい。

 そんな俺の思惑を知らずに、おっちゃんの話はまだ終っていなかった。

 過去話を終えて一呼吸を入れてから、睨む俺の目線に重ねるようにして真剣な眼差しで俺を見つめ返して言った。

 

「おかしいとは思わねえかい」

 

 何が、とは返さない。

 それくらいの理解力は俺にだってあるつもりだった。おっちゃんの言いたいこととは彼女の『夢が叶う』というのがおかしい事だということ。あまりにも不自然すぎるということだった。

 おっちゃんの娘溺愛の様子からしたら、夢が叶うという娘の言葉には肩を抱き寄せて、一緒に涙を流し合うくらいのシチュエーションが合ってもおかしくなさそうなもんだろうが、彼はそれを素直に喜べないでいた、というよりは訝しんでいた。

 彼女の夢とは『女性騎士になる事』であり──そこの夢に到るまでの経緯は先ほど散々聞かされたので記憶に新しいが一先ず置いておき──それは俺が以前会って上から目線ながら見立てた上では、ほぼ実現不可能な事だ。まして、会った日から大して時間も経っていないのに、劇的な変化がない限りそんなのは無理だ。いや、劇的なんて言葉でも無理。到底到達不可能な領域。

 それこそフレイムヘイズにならない限り。フレイムヘイズならその程度は余裕で出来る。

 でも、俺には無理だけどね。説得力ないな。

 ならば夢が叶うというのはどういう事だというのだ、という疑問が浮かぶ。

 おっちゃんだって何も馬鹿じゃないだろう。いくら愛する娘だとしても出来ることと出来ないことくらいは常識的に見極めることが出来るはずだ。出来るからこそ、今違和感を感じている。

 彼女の『夢が叶う』ということはそれだけおかしな事なのだ。

 

「おかしいだろうね。絶対に何か裏があると言って間違いはないと思うけど、それが俺にどう関係するのという話だよ。何かな、そのリーズとか言う子をつけて裏を調べろということ?」

「そういう訳じゃないんだが、ここで絡むのがあの話だということだよ」

「あの話?」

「そう。人が消えるという森の話さ。この森に消える前の人の中には、前日までまるで浮かれ気分でいる奴が居たそうだ。そんな奴が急に次の日には消えて皆驚いたのだとよ」

「浮かれ気分、上機嫌でね。次の日に失踪。失踪しそうにない奴が消えるのが不可思議ということか」

 

 昨日まではあんなに笑っていたのに、次の日に自殺していたみたいな話だろう。

 それは確かに驚くが、だからどういう……ああ、そうか。

 

「その失踪自体が目的。森の中に用事があったらとしたら、と言いたいのか」

「そうなんだ。リーズの奴が帰って来ないんだ」

「帰ってこない? いつから?」

「昨日から。あいつにとって身内ってのは俺と親父しかいない。寝泊まりできるのは実家とここというわけさ。そのどちらにも昨日一回も顔を出していない。なら、正確には一昨日から行方知らずということか」

「ん、一昨日?」

(モウカが会った日だね)

 

 これは本当に色々やっちまった感がある。

 全てはこの街に訪れた時から始まっていたとしか思えない。初日の鍛冶屋がその原因の最たるものだが、まさかあの少女がここまで俺の旅路に影響するなんて思いもしなかったよ。せいぜい、出来の悪い刀をくれた女の子程度の接点だったのに。

 いつの間にやら事情は絡まって、俺にもこの事件というか厄介事の粉が降りかかり始めている。

 危険だ。これは危険色。赤色、レッドゾーンなんてレベルじゃない。

 いやいや、まだ他人事だ。今のうちに回避をすればなんとかなる。

 

「何か、心あたりがあるのか!? そ、それなら是非教えてくれ!」

「ないよ! 全然ね! それよりもう帰らなくちゃいけないんだ。悪いね、この話はここまでだ」

「そういえば、昨日来たときは刀を持ってたな。どっかで見たことある下手くそなものだったが……」

「気のせいだよ。気のせい。ほら、今持ってないじゃん」

「持ってた気がしたんだが。そうか、引き止めて悪かったな。本当はさがすのを手伝って欲しかったのだが」

「それは俺じゃなくてもっと他の人にでも」

「この街で……この街であの子に関わろうとするものはいない、からな」

 

 おっちゃんの顔に影が指す。寂寥感を感じさせる。

 この暗い表情を見ると並の人間なら助けてあげなくちゃとか、手伝ってあげたくなるのだろうが、そんなのは俺にとっては知ったこっちゃないというのだ。罪悪感だのはとうの昔に置いてきた。そんなことよりも、今は自分に襲いかかろうとしている厄介事のほうが重大だ。

 俺はもうフレイムヘイズだから関係ないよね、ということではない。

 自分の持っている厄介事は自分で解決してね、と事故解決をおっちゃんに求めているわけだ。

 

「ごめんな。おっちゃん」

 

 一応心からの謝罪の気持ちだが、自分で言ってても白々しい言葉だと思う。本当の所は、こんな厄介事押し付けるなと思っているのだから。この瞬間にも少女を見殺しにしようとしているのだから。

 だからといって俺が何か出来る問題じゃなかったのだ。

 少女がまだ唯の家でだというのなら、俺も探し出すだけなら吝かではなかったかもしれない。あくまでももしかしたらの話だ。断言はできない。だが、今回はおっちゃんの言うとおりにあの不思議な、不自然な現象が関わっているとなれば、俺は自分の身をまず護らなければならない。

 あの現象は``紅世の徒``による可能性が少しでもあるのだから。そんな可能性があるのなら、迂闊な行動は取れない。

 誰だって自分の身は可愛いんだよ。俺にとってはそれはより顕著に、ね。

 

「ああ……ああ! いいってことよッ。初めから期待なんてしてなかった。そうだよなあ。こんなご時世、簡単に手を差し伸べてくれる奴なんていないよな」

 

 刺のある言い方だったが、不思議とその言葉は俺の心に突き刺さらない。

 それよりも何を今更と思ってしまった。

 昔なら、それこそフレイムヘイズになるよりも昔、この時代に逆行するよりも昔だったなら、一体その言葉はどれほど俺の胸に痛みを味合わせていただろうか分からない。決して、善人で、良い奴だったなんて自信はないけども、痛かったに違いない。

 だが、俺に、今、その痛みは分からない。全く伝わない。

 残るのは胸糞悪さ。自分のこの慈悲のない行動からくるものではない。何で、おっちゃんにここまで言われなくちゃいけないんだと攻める心。

 少し余分にお金を渡し店を出る前に、もう顔をそちらへ向けることもなく、背を向けたままで「悪いね」とだけ言葉を残して店を出て行く。

 出た直後、店の中からテーブルを強く殴ったような音が耳に届いた。心には全く響かなかった。

 

「行くよ、ウェル。これからはしばらく気ままに旅でもしようかな」

「後悔は?」

「ない」

「うん。じゃあ、行こう。どこまでも生き続けて、どこかへ行き続けよう」

 

 しかし、その旅路は初っ端から躓くこととなる。



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第十六話

 行く道を塞いだのは、声だった。

 

『むむ、むむむむむーっ! フレイムヘイズですねぇ? それもまさか私が昔ぃーに、追っていたあぁーの``晴嵐の根``の契ぇー約者ですかぁ?』

 

 妙なところで溜めて伸ばすこの口調、忘れるはずもないあの男の声だ。大嫌いな男。

 ``紅世の徒``は基本的に皆嫌いだ。どいつもこいつも血気盛んで、見ていてその溢れる活気と存在感に恐れるというよりは、俺が巻き込まれないか否かを恐れるのだが、総じて奴らはフレイムヘイズを見つけたら撃って出るんだ。

 『討滅の道具がッ!』『俺の野望を阻止しようというのかッ!?』と血走った目(持っていない奴が多いが絶対に血走っているだろうと俺は思う)をして、恨めたらしく、憎らしく、時にはいい獲物だと喜色を混じらせて言うのだ。叫んだ後は、後は簡単だ。俺を襲って野望を阻止、または討滅させられるという危険性を消し去ろうとする。

 撃って出なければいいのにと心底思う。普通のフレイムヘイズなら確かに、``紅世の徒``の野望を阻止しようとするだろう。復讐者が多いフレイムヘイズは``紅世の徒``の良し悪し関係なしに逆恨みで全て滅するという危険思考の奴も多い。使命を一番にしてる奴は、危険ではない``紅世の徒``を見逃したりするが、歯向かえば勿論討滅する。

 こうやって客観的に見てみると``紅世の徒``がなりふり構わずフレイムヘイズと知ると否や襲ってくるのは分かる気がする。彼らにしてみれば、フレイムヘイズがどんな動機で動いていても関係なく、単純に自分たちを襲ってくる敵に違いないのだから。

 俺が``紅世の徒``と見るやいなや、面倒事と決め込んで逃げるのと大差はない。中には善良で、俺の手助けをしてくれるようなのも存在しているとは思うのだが、それを確認するよりはなりふり構わず逃げるほうが手っ取り早いのだ。

 そう、手っ取り早い。

 フレイムヘイズにとっては``紅世の徒``を巨悪として討滅すると定めてしまったほうが手っ取り早いし、``紅世の徒``からすればフレイムヘイズを敵と定めて攻撃して撃退するほうが手っ取り早いのだ。

 でも例外というのは存在するわけで、

 

『困りましたぁー、実験をやぁめる訳にいぃーきませんからねぇー。妨害されたらたぁーまったもんじゃないし、でも、目ぇーの前には、今すぐにでも実験してみたい対ぁ象がいますからねぇ。んーんんんん?』

 

 遠話の自在法を用いてどこからか話しかけているようだ。

 すぐ近くにいないということで、少しほっとした。どんな``紅世の徒``にも勝つ手段の持っていない俺では、戦闘になるという状況そのものが最悪だ。戦闘は事前に避けて、未然の行動が俺にとって重要なのだが、事この``紅世の徒``の前ではそれが通用しない。

 予想、予期、読みというのが全く通用しない奇天烈過ぎる存在。超が付くほどの変態。

 ああ、こんなヤツにであってしまうとはなんとついていないのだろうか。神はこの俺を見放した、と割と冗談ではなく大声に空に向かって叫びたい。本当に最悪。最低最悪だ。

 

「モウカ、逃げるなら早くしないと」

「逃げた先に変な罠ないとは限らないよ。経験上」

「経験上はここで立ち止まっている方が危険だってば!」

『だめでぇーすよー? 逃げられて仲間を呼ばれたぁーら、私の偉ぃー大なる、今世紀最大の崇高ぉーなる実験が『強制契約実験』が失ぃー敗するかもしれないのですからねぇ?』

 

 失敗したほうがこの世界の為なんじゃないか?

 この疑問はこいつが行う実験に関わってきたフレイムヘイズや``紅世の徒``の双方が抱く感想だと思う。出来れば失敗して、存在ごと消えて欲しい、この世から跡形もなく、居た事実すらも無くなって欲しいものなんだが。そこまで贅沢は言うまい。誰かこいつ討滅してくんないかな。

 この時ばかり、本当に今だけは真剣に思う。

 こいつを倒せない自分の力が憎い、と。力なんて贅沢かもしれない。なら、こいつとだけは最悪でも出会わないような遭遇率でも操作する自在法が欲しい。欲しいけど、その為だけに時間を費やすのも馬鹿げているというか、負けた感じがするから嫌だけど。これも同じく誰か作ってくれないかな。

 

『ェエーキサイティング!! ェエークセレント!! 素敵でぇービューティフルーな、素ん晴らしいことが今、頭の中にぃー思い浮かびましたよー! あぁーとは、このボタンをポチっと押すだけでぇー』

「ウェル」

「……何?」

「すごく嫌な予感がする」

「奇遇だね。私もだよ」

 

 何だこの茶番は、ボタンを押したらどうなるって言うんだ。禄でもない事が起きるのは既に確定事項ではあるが、何が起きるか分からない恐怖が身と精神を蝕む。

 こんなにもボタンという響きが危険だったなんて知らなかった。俺が思いつく限りでボタンといえば、玄関のチャイムや、アニメや漫画の緊急脱出装置や、爆発ボタン……ば、くはつ?

 爆発オチなんて言葉が頭によぎり、敵がそう言ったのが好きなタイプの輩というのだけに真実味が増す。

 冷や汗がたらりと額からこぼれ落ちる。

 あのギャグは捨て身のギャグだ。ギャグ補正という天からの贈り物があってこそギャグとして成り立つものであり、ギャグ補正も無しにそんなオチを持ってこようものなら、それは笑いを起こすようなネタにはならない。起こるのは笑いではない惨劇だ。

 付き合ってられるかそんなもの。

 俺はまだ死にたくないんだ。まして爆発オチで死ぬなんて、絶対に嫌だ。

 ウェル急いで退散を、と言おうとした時だった。

 時は既に遅く、間に合わない。

 俺が行動しようとするよりも早く敵はボタンを、

 

『ポォーチット!!』

 

 押してしまった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 良い話には裏があるとか誰かが言っていた気がする。この良い話というのは、おそらくは利益の出るような話を指すのだろうが、今回の件で思い知ったのは、良い物語にも裏が存在することだ。文面では綺麗で、とても透明感のある世界なのに、裏ではドス黒く、ドロドロだったと言った風な話だ。

 

「俺はどんな話でも半信半疑で、まるまる信じるなんてことはしないけどな」

「捕らえようによれば慎重だけど、裏をとると全てに怯える子犬みたいな存在だよね」

 

 ウェルは俺のことを面白おかしく子犬などと表現したが、それは違う。

 子犬は時に、主人のために、自分の為に吠えることもあるが、俺は吠えない。黙って無言で、その場をそっと離れて自分の身を護ることに専念するだけだ。相手に逆らうほどの勇気など持ち合わせていない分、犬のほうが余程俺より立派だ。

 勿論、この話も裏をとると『身を弁えている』という都合のいい解釈になる。

 物は言いよう、なんという素晴らしい言葉だろう。まさに俺のような弱者に相応しい言葉だ。

 そして、俺は弱者だというのに、

 

「自在法が発動するというか最後のあれまではまだ疑い半分で、そうじゃなければいいのにと思ってたのにやっぱりあれだよね。名前すら言いたくないな、あれは」

「約二百年振りだよね。前にあったフレイムヘイズ……ええと、名前忘れたけど言ってたよね『百年に一度会えばもう懲り懲りだ』って」

「二百年間会わなかったことに感謝するべきなのか。たった二百年でまた会ってしまったことを嘆くべきか」

 

 彼──面倒、厄介、うざいの代名詞とも言える``紅世の徒``の``王``。それがここにいるのが確実と分かった。分かってしまった。分からされてしまった。

 

「違うか。``紅世の王``に会っただけですでに嘆くべきなのだから、どう考えても感謝するべきことじゃないね」

「私としても濃すぎるのは、ちょっと……ね」

 

 ウェルが珍しく萎えた声をあげた。

 あらゆることに興味を持ち、面白そうなことには猪突猛進で、今回の``紅世の王``との違いが俺からすればあまりないように感じるウェルだが、そのウェルすらも今回は白旗のようだ。それほどまでに厄介な相手。厄介という範疇に収まるのかさえ怪しい相手だ。

 かの``紅世の王``の名を``探耽求究``ダンタリオン。通称、教授

 この世界でも歩けない隣の世界でも奇人変人の名を欲しいままにしている巨大な力を持つ``紅世の王``である。

 幾度も奇っ怪で、他人には理解しがたい実験を行ってはあらゆる人物に迷惑をかけては懲りずにまた繰り返すという、俺にとってはこれ以上ないほどに最悪な相手。

 絶対に関わりたくない人種に新たに『ダンタリオン』の枠を別枠で設けたいくらいに、嫌だ。嫌いだ。こっちくんなな奴。

 二百年前のことがトラウマとして蘇るあの声は絶対に忘れられない。まだフレイムヘイズになって早かった時期に出会って、逃げ切れた自分を今からでも褒めてやりたい。褒めたからと言って現状が変わるわけでもないが。

 最悪だ。本当に最悪。下手したら大戦なんかに巻き込まれるよりも、教授の実験に巻き込まれる方が何が起こるか分からない分嫌だ。大戦はよかったよ、明確だったからね。何がしたいのか何が起こるのかも分かることができたし、意図がつかめた。

 でも、今回の敵はそうはいかない。誰にとっても訳がわからないと匙を投げる超ド級変人だ。

 事逃げる、戦うという点において重要なのは相手の意図を汲み取ること。逃げる際に敵の思惑を知ることが出来れば逆鱗に触れたり、妙なことを知らなければ敵も下手に追いかけたりもしないものだ。戦う際には逆にその意図からどうやって阻止をすればいいかを考えればいい。

 どちらにとっても相手の思考を多少なりと読むということが重要だ。

 戦うことも逃げることも強引に力技で出来ないこともないが、スマートにやれるのならそちらの方が楽ができるってものだ。しかし、目の前の敵はそれが通用しない。

 

「さて、どうするか。本当にどうするの? どうすればいいの?」

「私に聞かないでよ……」

 

 二人して困惑を隠せないでいる。

 今すぐこの場を早急に逃げて、あの声が聞こえない安全圏まで行きたいのだが、現在逃げ道は謎の自在法によって見つからない。

 ボタンを押しても爆発することはなかったので、ある意味では最悪の事態を避けることは出来たと言えるのかもしれないが、今はそれ以上の面倒事になっていると言っても過言ではなかった。

 発動した自在法はおそらく強制転移系の物と、結界系の空間掌握型の自在法。

 強制転移によってこの森へと連れてこられて、森自体が教授の自在法の中となっているようだった。

 迷いの森とでも言うのだろうか。この出口のない迷路のような森の中をグルグルと迷うことしか今は出来無いでいる。

 脱出方法は幾つか試してみた。

 空を飛んで空中からの脱出を試みたが、空に上がれば上がった分だけ木が伸びていき、そもそも森という存在そのものか抜け出せなくなっている。ならば自在法『嵐の夜』で森ごと吹き飛ばしたろうか、という俺にしては珍しい攻撃的思考で自在法を発動させたが森は無傷。

 全くもって対策が分からない。結果として歩いて出口を探すより他ないのだが、この森に本当に出口があるのだろうか。

 名のある自在師でも教授の自在法を紐解くのは骨が折れるどころか、理解すら出来ないことも多々あるというのに、こんなフレイムヘイズの端くれのような俺に解決出来る問題ではなかったのかもしれない。

 せめて、教授の目的が分かれば、などと不可能だと思っていながらもやけになって相手の心理を読もうとしたが、教授相手にそれは馬鹿のする行為、全くの無意味だった。教授の行動パターンが分かれば誰も苦労しないのだ。

 どうしよう、なんとかしなくちゃという思いだけが募っていく。

 相手の術中の中というのは、本当に居心地が悪い。これでは、敵が俺に対して奇襲のし放題どころか、この謎の自在法によっていつ殺されるかも分からないのだ。この自在法はおそらく攻撃性は無いとは思うのだが、教授だから人食いの植物がいてもおかしくないような気もするので警戒は緩められない。

 常に『嵐の夜』を小規模周りに発動させ、守備の要とする。これならば敵の奇襲には最も早く反応できるだろう。

 しばらくの対応はこれでいいとしても解決策が思い浮かばない。

 普通のフレイムヘイズなら自在法を発動させている``紅世の徒``の討滅が当分の目標になるはずなのだが、

 

「俺に教授が倒せるはずがないし」

「ただの``紅世の徒``すらも討滅できないモウカが``探耽求究``なんて無理だよ無理。屈指のフレイムヘイズだって撃退がやっとなんだから」

 

 相手を倒して解決というフレイムヘイズの選ぶ解決手段は俺には選択できないとなると、自力によるこの自在法の脱出を試みるより他ない。一番脱出の可能性が高かった『嵐の夜』はすでに失敗している。

 残った自在法は『色沈み』と『青い世界』と『宝具探し』だが、どれも意味がなさそうだ。

 なんだこれは酷いもんだな。一度罠に嵌められたらこんなにもあっさりと俺の人生は詰んでしまうのか。

 敵の自在法に対する抵抗力の無さが一番の原因かもしれない。今後の自在法の模索はここらへんからするとしても、まずはこの状況を打開しなければ次はない。

 

「どうしてこんな目に合うのか。やっぱりあの時おっちゃんの話を聞かなければよかったよ」

「聞かなくても変わらないんじゃない? むしろ、最後まで話を聞いたからこそ``紅世の徒``の存在には気付けたようなもんだし。それにしても、モウカっていつも後悔ばかりしてるよね」

「いいんだよ。人生なんて後悔で出来てるんだから。後悔して、後悔して、後悔して最後は悔しい思いをしながら死ぬんだよ。でもさ、一度いいからそんなのとは無縁で死んでみたいんだよ」

「それがモウカの生きる理由ってわけね」

「色いろあるまだまだ生きたい理由の一つ。だから今、俺はここで死ぬわけにはいかないんだよ」

 

 ここで死んだら後悔が残るじゃないか。

 あの時おっちゃんと話さなければよかった。あの時鍛冶屋によらなければよかった。あの時街に行こうなんて思わなければよかった。あの時だって……

 そんな思いを残して死ぬなんて冗談じゃないんだよ。

 俺は何からだって逃げるさ。

 後悔だって振り切って逃げてやる。

 

「だから、絶対に教授からも逃げてやる! 俺の逃走力をフル活用にしてな!」



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第十七話

「昔は可愛い女の子だったんだよ」

 

 どこか遠く見る目で彼は懐かしげに呟く。

 心も同じように遠くにいってしまっているようで、心ここにあらずというのが周囲の人物からは見て取れるほどだった。

 彼は当然のことながらそれには気づかず、さらに過去へ過去へと記憶を遡っていく。

 それはその女の子が生まれたばかりの頃まで遡る。

 

「生まれた日は、お天道様がリーズが生まれたのを祝わんばかりにキラキラと輝いてた日だった」

 

 太陽は雲に隠れていない限りは輝いてるだろうと、その少女とやらのお話を嫌々聞かされている少年──モウカは、思うものの下手に突っ込んで話を長引かされるよりはさっさと終わらせるに限るので、突っ込まない。あくまでも無言で、ノーリアクションを貫く。

 モウカの気遣いなど露知らず、女の子の可愛かった点を次々にあげていく。

 あのつぶらな瞳がな。あのふっくらとして薄く赤みのある唇がな。この歳でもうこの俺を虜にするうなじが。と彼の言葉は留まるところ知らない。

 褒めている相手が彼と同じ程度の年齢か、少なくとも女性として見える相手ならまだしも、これがまだ生まればかりの赤ん坊に対する褒め言葉というのは些か以上に聞いてる少年の寒気を感じさせる。

 え、何、まだ続くのこの自慢話。というか、お前は親じゃないんだろ。言いたいことは山ほどあったが、モウカはグッとこらえて、己の内に存在するウェパルに愚痴を零すことで留める。勿論、溜息を幾度も吐きながら。

 

「おっと、これじゃあまるで俺が変態みたいだな」

 

 誰も突っ込みは入れない。

 

「まあそんな可愛らしい子だったんで、今でこそあんなクズに成り下がっちまったが、父親も母親もそれはもう溺愛してたんだよ」

「身内贔屓を除いて本当に可愛いかどうかは置いておき、自分の娘が可愛くないはずがないじゃないか」

「いやいや、身内じゃない俺が可愛いって言うんだから間違いねえって」

(怒っちゃだめだよ。辛抱だよ、モウカ)

「(……分かってるよ)……それでいいから、話し続けて」

 

 ウェパルの声がモウカの怒りの爆発を一時的に踏み止まらせた。

 話し手はそんなモウカの内心の葛藤なんて当然知るはずもなく、ケロッとした表情で、そうか? と少し話したらなさそうな返事をする。

 あまり時間を取らすのもあれだからなと前を置き、ようやく話が進み始める。

 もうすでにタイムオーバーだと心中モウカは突っ込む。今すぐにでも逃げ出したい気持ちだった。

 食事代という弱みを握られていなければ。

 

「母親が死んで全部変わっちまったんだ。何年前だったかな……確かリーズが十歳になる前だから、八年前か」

「ということは今は十八歳か」

 

 見た目の年齢ならモウカとリーズは差がない。

 モウカは十九の時に契約したのだから、リーズが同年代くらいかなと予想したのは見事に的中していた。生きた年数では彼女の年齢に十倍しても届かないほど生きてはいるが。

 十歳の時に母親を亡くすというのは一体どんな心境だったのだろうか。

 モウカの今までの人生はあまりにも死と密着しすぎたものではあったが、他人の死というのはあまり縁の無いものだった。いつも命の危機に晒されるのは自分の命で、他人の命など構っていられるものじゃなかった。

 モウカには自分の親しい人が死ぬという感覚は検討もつかない。

 フレイムヘイズの死ならまだしも、普通の人間の普通の死などは特に。

 

「それで父親があんなんになっちゃったと」

「ん? 知ってるのか?」

「え、あ、いや、ほら風の噂という奴ですよ」

 

 ここで下手にリーズとの関連性を出すのは後に危険と判断し、強引な言い訳に出た。

 顔に見えない汗を掻きながら、バレてないかなと相手の顔を伺うが、その心配は杞憂になる。

 

「ああ、そうだよな。あの家の没落ぶりはこの街ではあまりにも有名だからな」

(ここでやっぱり知らないと言うと、また話が長引きそうだから知ったかを貫くしかないか)

(名案だよ。私はもう無理。限界。退屈。死にそう)

(ウェルは本当に退屈が嫌いだよね。にしても没落か。昔は偉かったって奴なのかな)

 

 貴族か何かかとモウカは勘違いする。けれど、これはさしたる勘違いではないので話の内容を理解するのに差支えはなかった。

 まだまだ話が無くなりそうな雰囲気にげんなりしつつもモウカは話を促す。

 

「それで?」

「そう焦るなって。ここで当時の小話を一つ」

(モウカ。こんな時に小屋に嵐が襲ったら、この話を聞かなくて済むような気がしない?)

(ウェル、待て。それは最終手段だ)

 

 語り手による焦らしプレイはモウカとウェパルの心を蝕んでいく。

 蝕まれる度に、心はどんどん廃れていき、どうでもよくなっていく。意識せずに目は自然と虚ろになり、話を聞くどころの精神状態ではなくなっていく。

 そうな状況下で二人は話を聞けるわけもなく、当時のリーズの可愛いかったところ集など頭に入ってくることもないので、

 

「いつしか荒れてた。昔は素直で可愛い子だったんだけどな……」

 

 意識を取り戻したときには話は大詰めになっていた。

 あれ、こんなんでいいのかなと良心が多少痛めたが、元よりそんな聞く気のなかった話なのでいいかとすぐに良心を引っ込める。保持する。

 話の前後が全く掴めてなっており、尚更お話を楽しめなくなったが、最初から楽しむ要素なんてなかったかと思い直す。

 

「荒れてた?」

 

 なんとか会話についていこうとする。

 

「父親に自分を見てもらいたかったのかもな。俺じゃなくて本当の父親にさ。わざわざ犯罪になるような事をして、注目を集めたかったんだろ」

(そういうことか。納得)

 

 現代じゃないが、親に自分を見てもらいたくて非行に走るようなもんかとモウカは納得する。よくある話だなと感想を抱いたが、待てよと前に会ったときの彼女を思い出す。

 あの時見た彼女はどこか心に強いものを持っていながら、儚げであった。それでもありながらも純真そうで、必死に真面目に生きているんだな、などと思ったいたが。

 

(もしかして騙された?)

(かもね。女って怖いねー)

 

 ウェパルの他人行儀な言葉だった。

 

(ま、別にいいけど。騙されたって生死に関わるわけじゃないし)

(最近思うんだけど、ある意味モウカって心広くない?)

 

 生への執着は人並み以上、フレイムヘイズの中なら屈指とは言わずにトップを張れるほどである。モウカ自身もう自負していた。死事への対応は並々ならぬ神経を向けて、何が何でもという必死さを感じさせるが、死が関わらないとそんな熱意は跡形もなく消え去る。

 何が起きてもなんとかなるさ、という緩さや鈍さが目立ち。不祥事が起きても、死ぬわけじゃないから別に構わないという寛大な心が垣間見える。

 これが本当に寛大なのか、ただの無関心なのかはウェパルには判断がつかなかったので、自らの契約者という身内贔屓だけでとりあえずは心が広いという事にした。

 

「そんな訳があってな、少し歪んだ性格になっちまったんだが……それはそれで可愛いだろ?」

(もういいよ。その娘自慢。愛してるのは十分に伝わったから)

 

 突っ込む気力はすでにモウカにはなくなっていた。心情としてはもう疲れたから放棄していいよね。というか寝ていい? という投げやりなものになっている。

 

「不良娘になっちまったんだが、それでも毎晩ちゃんと帰ってたし。評判は悪いが、なにか不祥事を起こしたわけでもないから、俺も娘を愛さなかった父親替わりのつもりだったしからな、多少は注意はしたんだが。そんでも、なんというか、毎日自分の父親の横で剣をうってるのに全く絡んでもらえず。騎士になって父親の剣を振るうだけの価値になって、目を引こうと特訓するのを見て、いたたまれない気持ちになっちまってよ。下手に口出しが出来なかったんだ」

 

 だからリーズのことをちゃんと見ているようで、実は可哀想だなんて思って目を逸らしちまっていたんだろうなと後悔しているように言った。

 ここらへんの話からは、彼女自身も言っていたことだからモウカも知っていた。

 この話を聞いたのが正義の味方なら、良識ある、善意ある人間ならば、彼女のために何かしようと思い行動するのかもしれないが、モウカがこんな時に取る行動は距離を取ること。

 至極当然、一般的な行動だった。大衆的でもある。

 この話を聞いて同情するが、そこ止まり。わざわざ自分から厄介事に顔を突っ込むような事はせず、傍観ですら無い。無関係だと決め込み、他人になりすます。

 下手に物事に関わりを持たないように。モウカは細心の注意を払って、道を歩む。だが、どこを間違えたのか今はこうして巻き込まれかけていた。

 

「でも、そんなある日に上の空のようにボーッとしてたリーズがボソリと言ったんだよ。『やっと夢が叶う』って」

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 その力は実に魅力的であった。力を求めていたリーズにとってはまさにうってつけであり、救いのような誘惑。誰がその言葉を悪魔からの誘惑だと判断することができようか。少なくともリーズにはそれを判断するほどの冷静な頭は持ち得ていなかった。

 提示された好条件にまんまと誘い出される。否、彼女からすれば自ら進んで協力者となった。

 心の中を支配するのは『願いが叶う』という言葉ばかり。

 

(願いが叶えば私は……私は!)

 

 お父様が私を見てくれる。

 私のために刀を打ってくれる。

 私を──

 

 淡い希望の光が見えて、今まで抑制していた感情が胸を張り裂けそうなほどに溢れて返っていた。

 この感情はただの家族愛。それ以上でもそれ以下でもない。

 父親から愛というのを感じられなくなって、それでも昔のように求める心はあったのに我慢して、我慢しすぎて少し常軌を逸してしまっただけ。それ自体は全く不自然でもおかしな事などなく、もう一度昔みたいな家族に戻れたらいいと思っているだけ。

 欲しいのは一家団欒と平凡な家庭。

 だけど、それは途方もなく遠いものとなってしまって、取り戻すには並大抵のことでは出来なくなってしまった。

 だったら、並大抵ではなくなればいい。

 彼女はそう考え、父親に認められるべく騎士を目指した。

 

(叶う。叶う。叶うんだッ!)

 

 取り戻せる。

 あの日を!

 戻ってくる。

 あの時間が!

 リーズは願いを叶えてくれるという人物にすがるように見た。

 リーズと同じような目をしている人間は他にもたくさんいる。虚ろな目をしてどこを見ているのかさえも分からない人もいる。生きているのか、死んでいるのかも分からない人もいる。様々な人間がそこにひしめきあっていた。

 

「教授! 例のフレイムヘイズが逃げようとしていまふひはひひ(すいたいい)」

「焦るんじゃなぁーいですよー? 『我学の結晶エクセレント12934─不変の森』は絶対に絶望的に脱出不可能なんですからねぇ」

「元の世界と隔絶させて、絶対不変の森の構築によってどんなことをしても絶対に抜けることのできないのに、フレイムヘイズは馬鹿ですね。弱点は発動したら教授も外に逃げられないというおまぬなしよふひはひ!(ういたい!)」

「余計な事を言うんじゃないですよー?」

 

 この狭く機械だらけでおそらくは研究所と思われるところに集まった数多くの人間が、全員がこの男を見ている。誰一人として怪しげな服装と口調に疑問をもつものがいない。そして、彼の言葉を理解しているものもいなかった。言葉すらも聞いていないかもしれない。

 誰もが自分の想いにふけっていた。

 ダンタリオンはそんな彼、彼女ら、もしくは人ではない動物を見渡す。

 彼にとっては彼らの想いは今回の実験における重要な役割を担っていた。

 

「いぃーよいよっ! この時がやてきましたーっ! 契約時に感情の趣で契約後どんな自在法を扱うようになり、どんな力を持つようになるか、知る時がっ!」

「正確には契約時に『人としての全存在』のどういった物がどれほどの代償となって、その後にどう影響するかの実験でありますです」

「ふっふふーん。では、始めますよっ!」

 

 ダンタリオンの悲鳴にも似た叫び声は人間の誰一人として聞こえていない。まさに彼に一人舞台であった。

 だから、彼らにとって変化は突然起こったかのように感じた。

 炎が揺らめいた。

 その瞬間、一人が炎に包まれ、

 

「う、うわあああああああああ。な、なんだこの感覚はッ!?」

 

 まずは一つ目の叫び声が上がった。

 二つ目もそれに数瞬ほど遅れてやってくる。

 三つ、四つ、五つと叫び声と炎を身体に包まれていくものが増えていく。

 声だけを聞くならそこは地獄絵図のようにも見えたであろう。一人は叫びを上げて身体を疼くませて熱い熱いとぼやき、一人は訳も分からないまま自分の体を抱き恐怖に震えながらも体内を燃やされる。

 他人が狂い荒れる姿を見てリーズは初めて意識を外へと向かした。

 

(え、何!? なんなのよ!?)

 

 声を出すことが出来ない。

 当然、彼女にとってはいきなりの出来事のように感じ、何が起きたかも分からず混乱し慌てふためくだけ。

 状況から感じ取って分かったのは、今起きていることはこの世ではありえないことであること。そして、自分が誘われて訪れたこの場所は危険な場所であることだけだった。

 逃げなきゃいけないという感情が発作的に起こるものの手足は自由に言うことは聞かない。驚きと恐怖のあまり身体は硬直してしまっていた。

 

(おかしいわよ、絶対。何が起きたっていう──あっ)

 

 明るい灰色の炎がリーズの全身を覆った。

 身体の内が燃やし尽くされ洗われていくの感覚がリーズを襲った。味わったことのないその感覚に戸惑いながらも身を委ねるしかない。

 何も理解できず、何が起きているのかさっぱり分からない中で、リーズは声を聞いた。

 自身の耳から聞こえた声ではない。頭というより自分という存在そのものに語りかけられらたような声。

 

 『うんむ、絶対的な運命か』

 

 鈍くしわがれた声。どこかすべてを諦めてしまったような声でもあった。

 その声でリーズはようやく不可思議な感覚から解き放たれると、また違う感覚に襲われる。

 

「ち、力が溢れてくる? なに、これ。話は本当だったの? それに今の声って」

 

 首を傾げながら自分の拳を握ったり開いたりする。

 先程から続く理解不能な事態だったが、理解こそは未だ出来ないものの認識が追いつき始めていた。

 これなら騎士にだってきっとなれる、そう思った時にまた声が聞こえた。

 

「契約者よ」

「だ、誰よ!? って、え、嘘。お母様からもらった耳飾りから声が聞こえる」

「説明をしている暇はない」

「だから、どういう……嘘!」

 

 リーズが目を向けた先には惨事が広がっていた。

 真っ黒に焦げている元が人だと分からないような死体。

 誰かに腹を貫かれたかのようにポッカリと穴をあけている死体。

 歓声が聞こえる。

 人を殺して狂気に触れている人間とは思えない高笑いにも似た声が。

 本当の地獄絵図と化していた。

 

「な、何が一体」

「普通的人間だったものが異能的力を手に入れんとしているのだ。今的にもまた新たに生まれようとしている」

 

 菫色の炎が揺らめく場所を見る。

 そしてさらに遠くには、怪しげな眼つきでこの有様を悠然と見やる人物がいた。

 見間違うはずもない。リーズをこの場へと誘いだした張本人だった。

 

(あ、あいつらっ!)

 

 逃げるというダンタリオンにリーズは黙っていない。

 こんな状況を勝手気ままに作りだしておいて、一人で安全にお暇されるなんてもっての外だった。復讐をしたいという訳ではない、せめて場を収めてからいけと言いたかった。

 全く見当外れな彼女の言い分だが、今の頭ではそのことを考えるので精一杯になっていた。

 だから、自分の状況というのを疎かにしてしまっている。

 

「余所見している暇ではない」

 

 声に引き戻され、遠くを見ていた目を近くへと向けたその先には、獰猛な表情をした血だらけの男が立っていた。

 右手には人の頭を持ち、左手は胴体を持っている。

 異様なんて言葉じゃ足りないほどの、恐怖が目の前に立っていた。

 リーズを壊れた笑みをして見つめている。

 心内から恐怖と焦りが湧き上がる。

 これはやばいと警告音が鳴り響くが、身体がすくんでしまう。

 耳からも何か声が聴こえるが何を言っているのか全く把握できない。

 とにかく逃げなくちゃ殺される。

 その思いに押し潰されてしまう。

 恐怖の悲鳴さえも出せず、あ……あっと喘ぎ声しか出ない。

 

──一歩、血だらけの男が近づいた。

 

 尻餅をつき立ち上がることが出来ない。

 

──また一歩近づいた。

 

 足が言うことを聞かない。

 匍匐前進のように、身体を強引に引きずりながら遠ざかろうと試みる。

 だが、ここはスペースの限られた部屋の中。

 すぐに逃げ場所がなくなり目の前には壁が──

 

「つ、か、ま、え、た」

 

 ──壁ではなくそれは男の二本の足だった。

 

「あ……」

 

 リーズの心は今にも壊れそうだった。

 もうダメだ。逃げられない。ここで終わりだ。

 全て、何もかも、失ってしまう。

 そう思うと最後に少しだけ、ほんの少しだけ楽になった。

 

「く、くししし。あーあ、ダメだったなぁ、本当に……お父様、ごめんなさい」

 

 最後に出た言葉は彼女らしくない懺悔の言葉。

 目を瞑る。

 それは静かに死を待つ全身に力を全く入れていない謙虚な姿勢だった。

 が、その時、

 

(嘘、身体浮いて……る?)

 

 リーズの身体が飛ばされそうになるほどのとてつもない強風が吹き荒れた。

 吹き飛ばされそうになったがリーズは飛ばされずに何者かに支えられる。

 するとリーズの周囲だけ風がなくなった。

 

「教授のことだろうから宝具の一つでも持ってるだろうと思ったら、見つけちゃったよ。どうしよう」

「モウカが言ったんじゃない。あのままじゃキリがないからとりあえず元凶探すって。どうするの?」

「え、ええと、貴方達は?」

 

 リーズの身体を抱くように支えている青いローブの男(?)に恐々と尋ねた。

 しかし、リーズの問いは思わぬ所から答えが出る。

 

「同業者のようだ」

「え?」

 

 耳飾りから聞こえる声に再び慌てふためくが、そんな彼女をよそに青いローブの男は律儀に彼女の問いに答えた。

 

「ん、ああ、俺ね。``晴嵐の根``ウェパルの契約者『不朽の逃げ手』モウカ、フレイムヘイズだよ。よろしくね、新人さん……でいいのかな?」

 

 少しおどおどした、それでもどこか誇らしげに彼はそう名乗った。



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第十八話

「ふれいむへいず?」

 

 助けた女の子が聞きなれないだからなのか言葉を反芻させた。

 普通なら無理もないことだ。俺もウェパルに出会っていなければ絶対に無縁だった存在だろう。

 無縁でありたかった存在でもあるし。

 しかし、彼女はさも自分はそんな言葉は知らんと言う感じだが、肝心の彼女もフレイムヘイズになってしまっている。もしかして現状を全く把握出来ていないのだろうか。

 

「済まぬ。この子はまだ契約を終えたばかりなのだ」

 

 ひどくしがれた聞きづらい声が聞こえた。

 声が聞こえた先は彼女の耳にある骨董品のような耳飾りからだった。ということはつまり、この声の主が彼女が契約した``紅世の王``ということになるのだろう。

 ウェルが「うーん」と言いながら心当たりを探っていると、急に声をあげた。

 

「あ、分かった。このしわがれた感の激しい声は、いけ好かないあの老人よね。モウカ、こいつは``盾篭``フルカスよ。間違いない」

「へえ、どんな``紅世の王``なんだ? あと、ウェルはいけ好かない奴があまりに多いのでいけ好かない発言は参考にならない」

「ふんむ、我が印象などお主が決めることだ。それよりも先に」

「悠長にしゃべってる場合じゃない、か。呑気に自己紹介してる場合でもないしね。いくら『嵐の夜』で他の奴らがここに近づけなくても、教授なら難なく出来そうだし」

 

 ここにはかの大嫌いな教授がいて、俺の命は今この瞬間にもすり減ろうとしているのに。現実にはすでに精神はガリガリに削り取られてしまっているけど。

 嵐を引き連れて、教授の気配を辿り、ようやく行き着いたらこんな鉄臭い機械だらけの部屋の中。見知った顔がいたので、強力な風圧の不意打ちで彼女を襲うとしていた輩は吹き飛ばすことが出来たが、フレイムヘイズとなったものはあの程度じゃ死にはしないだろう。

 俺の攻撃は所詮、相手に怯ませる程度の物でダメージを与えることなんて出来るはずもないのだから。

 助けた女の子、俺の記憶が正しければこの子がおっちゃんの話していたリーズという子のはずだ。まあ、おっちゃんはもうこの子のことを覚えていないはずだが。

 

「ウェル」

「うん、モウカ。やっぱりここが出口みたいだね」

 

 教授の忌み嫌われる理由はかなりの数があるが、その一つが逃げ足の速さである。彼がこれほどまでにフレイムヘイズやはては``紅世の徒``にでさえ嫌われているにも関わらず生きてこられたのは単に力が強いというだけではない。

 強いというだけの者はいつか滅びが来てしまう物であり。それは史実が物を言っている。

 つまり、どんな状況下でも自分だけは生き残れる、逃げ切れるというのが彼の本当の強みであるのではないかと俺は睨んでいる。そういった意味では方向性では実に嫌だが俺と全く一緒。

 教授の『逃げる時』の心理を探った結果、俺ならこうすると思ってある程度の目星をつけていた。勿論、それはあくまで俺の推測であり実際にはどうなのか分からないため、教授ととりあえずで危険を承知で出向かう必要があった。

 虎穴に入らずんばというやつだ。

 そして、今回に限っては見事に成功した。

 俺が考えた教授の逃げ道であり得る可能性はいくつかあった。

 一つは、そもそもこの場にいない。

 逃げるも何もこの場にいなければ危険に身を晒す必要がない。その場合、この自在法の自在式が未知数でどうやって保持しているのか分からないが、相手が教授だからということで低い可能性ではあるものの考慮に入れた。実はこの可能性が一番どうしようもない場合だったが結果はそんなことはなかったので安心した。

 二つ、移転系の自在法による脱出。

 俺をこの場所へと強制転移させたのと同じ理屈だ。

 自由自在に瞬間移動できる自在法など存在しているとは思えないので(自在法はそこまで便利なものじゃないし、出来てしまえばすでに噂になっているはずだ)、特定地から特定地に移動出来る類の物。この場合は教授に移転系の自在法を使わせ、抜け出せない森の自在法の制御をやめさせるのが目的となる。手段は撃退とほぼ変わらないので、俺にとってはハイリスクとなる。

 そして三つ目、

 

「出口のない迷宮なんて無い。つまり、教授自身が出口である可能性。教授のいる場所が逃げ道の可能性」

「さすが、モウカだね! 逃げる事に関してはあの教授さえも右に出れないんじゃない?」

「それは褒めてないよな!」

「うむ、仲がいいな、お主ら」

「まあね。二百年以上一緒だし」

「に、二百年……!?」

 

 新人さんは驚きの声を上げた。

 驚くのも無理は無いと思うけどね。外見は自分と変わらないのにとか思っていそうだ。でも、ほんとうのところは二百歳も年上なんだよ。フレイムヘイズに年齢は関係ないけどさ。

 そんなことは置いといてだ、つまりここが出口である可能性を俺は疑っていた。それ以上にそうであって欲しいと思っていた。それならば戦闘にならずに逃げれる可能性だってあるのだ。

 わざわざ教授を倒して、なんていう死地に足を踏み入れる必要なんて無いのだから。

 そして、それはほぼ理想の形で現実となった。

 俺が入ってきたのとは違うドアがこの部屋にはあった。

 それがおそらく、出口なのであろう。

 だけど、

 

「複数個あるとか、なんなんだよ。鬼畜というか意味不明というか」

「うん、さすが教授だよね」

 

 色や形、大きさの全く違うドアが、壁に地面に天井にとたくさん形振り構わず存在している。これはダミーとでも言うべきなのか、間違い探しだと言いたいのか、それとも全てが本物だというのか、それが分かるのは教授のみというのか。

 猪口才な仕掛けというか……ああ、違うな。これはちゃちとかそんな表現の仕方じゃない。うざい。とてもうざい仕掛けだぞ。

 そんなことを思っているとそれに輪をかけるように、

 

「んんんんんー? 今、強制的に作ったフレイムヘイズの他に妙ぉーな虫が一匹巻き込まれてますねー? むむむー? おかしいですねぇ。あなたは『我学の結晶エクセレント12934─不変の森』からは出られないはずなのに、なぁーぜここにいるのですかねぇ」

「ききき教授! さっきから観測を邪魔しているこの風と雨もこのフレイムヘイズがひはひ!(いたい!」

「そぉーんなのは、とっっっくに分かっていますよー?」

 

 苛つく声が聞こえてきた。

 もう二度とこの声は聞きたくないな。今日限りで金輪際一生付き合いたくないな。

 教授がこうやって動き出したということは俺たちに時間はあまり残されていないということだ。下手すれば、このまま戦闘になるということも十分に考えられる。多少の時間稼ぎ程度の戦闘なら生き残ることは出来るだろうが、辛い戦いになるのは眼に見えている。

 早く逃げる算段を思いつかなければならない。

 逃げ道は複数あるドアのどれか出ることは間違いないだろう。

 ただ、一つ一つチェックするような猶予はないし、させてくれるとも思えないしな。

 この中のどれが本物か……いや、ここは教授の心理を紐解いて、逃げる際に同した方がいいかを考えるべきか。うぐぐ……いや、待てよ。

 

「これがフレイムヘイズの力、か」

「この世の不思議たる異能の力だよ。存分に扱ってくれよ」

「にしても、この雨風は何とかならないか? 視界が悪くてね」

「これこそが異能の力の自在法さ。誰が発現させたか分からないけど、撹乱と奇襲には向いてるね」

 

 俺が停滞し行動を起こしかねていたとき、二つの声が上がった。

 声の方向を見ると、そこには一人のフレイムヘイズがいる。というか、この空間には何人もフレイムヘイズがいるのだが、まともに意識を保っているのが僅かしかいないため、協力は無理だと諦めていた。

 しかし、これならば、

 

(協力を求めず、上手く教授のもとに導かせれば囮になるよな)

(こういう時のモウカって一切躊躇いないよね。『大戦』の時といい、今回といい)

 

 生きるためには手段を選んではいられないということさ。どこかで見た事あるような人物だが、背に腹は代えられないという奴だ。

 『嵐の夜』の細かい制御はもはやお手の物で、彼らの前に風も雨もない一本道を創り上げて見せる。その道は教授へと繋がるデッドロードだ。同業者を犠牲にするのは心が痛い、ああ、すごく痛いが俺が生き残るためには仕方ないだろう。

 運がよければ彼らだって生き残れるさ。

 得てしてフレイムヘイズは生まれた瞬間から持つものと持たないものに別れる。それは人間の才能なんかと変わらず、最初から強い奴は存在する。俺は残念ながら最初も現在も弱いままだけどね。フレイムヘイズだから才能がないというよりは器が小さかったのかな。ウェルが言うには大きい方なんじゃないとか慰めてくれるんだけど。ぶっきらぼうで適当な言い方だから信用はできない。

 しかし、彼らは才能ゼロの俺とは違って、どことなく強者の風格がある。

 こういったものに特に敏感な俺が言うのだから間違いない。上手くいけば、彼らだけでも教授を撃破することが出来るだろう。

 デビュー戦が教授というのには同情をせざるを得ないけど。応援してるよ。その方が逃げる時間を稼いでもらえるし。

 そうこうしていると、戦闘が始まったようだ。

 ようやく巡り巡ってきたチャンスだ。逃すわけにはいかない。

 

「よし、逃げるとしよう」

「でも、まだどのドアが逃げ道か分かってないよ?」

「それがもう目星はついたんだな、これが」

「うむ、それは本当か」

 

 フルカスが驚愕の声を上げた。

 当然のことだろう。

 俺がまさか味方を犠牲にしている間も、全くそちらへ意識を逸らさず逃げることだけを考えているなどとウェル以外には分かりっこないのだから。

 

「本当だよ」

 

 俺がもしこのような状況で逃げ道を確保する場合どうするか。

 まず間違い無く一つの手段ではなくあらゆる手段の逃げ道を用意しておくだろう。一つ潰れても二つ目で逃げれるように。二つ潰れても三つ目で確実に逃げ切れるように。複数個の逃げ場所を用意しておくだろう。

 教授が同じような発想をするとは一概には言えないが、考え方としては十分に妥当だろう。だとすれば、この大量のドアは実は、

 

「全てが出口だったりする」

 

 一番近くにあった地面に喰い込むように設置されているドアを開けた。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「まさか、俺が他のフレイムヘイズにフレイムヘイズとしての心得を諭す日が来るとは」

「感慨深いものだね。一人一党のフレイムヘイズの中で異質であると断言できるモウカがね」

 

 フレイムヘイズはとてつもない個性的な方々ばかりだ、と言ってるわけではないのだが、確たるものを皆持って、使命やら復讐やらの戦いに身を晒している。特に復讐なんてものは完全に私事である。そればかりか、これは自分の問題だと言い、他人が関わることをよしとしない奴も多い。だから一人で一党になってしまう。

 そんな彼らだけど、俺はその中でもやっぱり違うというか。本当の意味で一人一党だよね。

 ある種彼らは復讐者、使命を背負う者という概念では一緒くたにすることが可能ではあるが、俺はそのどちらとも外れてしまっている。

 契約した理由はと問われれば、もっとたくさん生きたいからと答え。

 なんで戦うのかと問われれば、別に戦いたくないし、戦っても逃げるだけと事実を告げる。

 本来のフレイムヘイズとしてはダメダメというよりは、お前は本当にフレイムヘイズなのかと問われるレベルの外れっぷりだ。

 そんな俺が新人のフレイムヘイズ語って聞かせる時が来るなど、誰が予測できただろうか。

 どこからかお前が語るなという言葉も飛んできそうだ。

 

「それでも説明を求められれば答えるまでだけどね。でも、その前に自己紹介しょうか。俺の名前はモウカね。初めましてではないと思うけど。それで『不朽の逃げ手』としての相方は」

「よろしく。``晴嵐の根``ウェパル、ウェルって読んで貰って構わないから」

「私はリーズ・コロナーロって言いま──」

「あ、いい忘れたけど、もう丁寧に話す必要ないよ。どうせ、それは素じゃないんでしょ?」

 

 ウェルの少し刺のある言い方だった。

 彼女からすれば意外と珍しい反応だったが、その理由はどうやら『私を利用しようとするなんていい度胸じゃない』という子供っぽいというか、すごくウェルらしい理由だと納得する。

 俺はどっちでも構わないんだけどな。どうせ、これから一緒に旅をするわけでもないし。

 フレイムヘイズが徒党を組むなんてのは滅多にない話だ。それこそかつてのようにフレイムヘイズが皆集まって、何かをしなければならないような事態に陥らない限りは。そんな事態はもう二度とごめんだが。

 例外として、フレイムヘイズも組織のようなものを作りシステマチックになれば別の話だが、なんてったってフレイムヘイズだしな。そんなことは夢物語に過ぎないだろう。

 

「別に……好き好んで利用したり、媚を売ってたわけじゃない」

「利用されること自体は別にいいんだけどね。死ぬわけじゃなければ。ま、そんなことはどうでもいいじゃないか。自己紹介頼むよ」

「あっさりしてるわね。でも、その方が私としてもやりやすいわ。何故かご存知のようだけど、私はリーズ・コロナーロ。よく分からないんだけど『堅槍の放ち手』って言うらしいわよ」

「すでに知られていようだが我は``盾篭``フルカス。この子に力を与えし者」

「リーズにフルカスね。まあ今日の説明だけで、お別れだと思うがよろしく。じゃあ早速だけど、何から話したらいいものかな」

 

 新人には教えるべきものが多い。

 成り立てのフレイムヘイズは、フレイムヘイズの何たるかをその契約者たる``紅世の王``に教わる。俺も珍しく例外に漏れずそうだったが(色々欠けていた部分は多かったにせよ)、フルカスから、

 

『お主らの名は遠き``紅世``にも響いておる。是非にお主らからその多き経験則を含め、ご教授を願いたい。『大戦』の立役者よ』

 

 と、是非教えてくれと言われたので、俺としてもなんとなく後輩を持つというのは悪い気分じゃなかったので引き受けた。我ながら慣れないことだなとは思ったけどね。

 ……て、え、待てよ。

 なんだよ、その大戦の立役者って!?

 初耳だぞ。

 俺はどうやらフルカスとは少し詳しい話をしなくちゃいけないらしい。



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第十九話

「えー、ごほん。フルカスにはあとで聞くことがあるとしてだ。フレイムヘイズについて俺が少しだけ教えよう」

「私としては今すぐにでも``盾篭(じゅんろう)``の言ってた『大戦の立役者』について聞きたいんだけどなー。面白そうだし」

 

 俺は面白そうというよりはその話の発生源を確かめたい。もし仮に、そんなまるで称号のようなものがこの世界に広がっているのだとしたら迷惑千万。やめて欲しい。俺はあの戦いでは自在法を使って自分が生きるのに必死だっただけで立役者となるような活躍なんてなかったはずだ。

 それだけじゃない。

 あの大戦においての最も目立ったのはかの『炎髪灼眼の討ち手』マティルダさんと『万条の仕手』ヴィルヘルミナさんだ。その他にも強力な打ち手がいてサバリッシュさんやカールさんなど、そんな恐れ多い人物たち、猛者たちと同列に並べるような『立役者』だなんて勘弁して欲しい。

 無益な戦いを生むだけだ。

 ……いや、待てよ。

 上手くいけば、その恐れ多い活躍のおかげで``紅世の徒``が俺から遠のくということも可能なのではないだろうか。これは一考の余地ありか。

 この称号を利用するか、それとも破棄するか。

 どちらにせよ俺の真の実力がバレれば仮染の脅しも出来ないし、必然と破棄されるのでとりあえず静観がいいところなのかもしれない。ウェルなんかは喜んで言いふらしそうだけど。

 

「ウェル、話を進ませてくれないか?」

「あ、ごめん。滅多にないモウカの活躍できる場面だもんね」

「うっさいわ」

「二人は本当に仲がいいのね。なんだか羨ましいわ」

 

 独特の含み笑いをしながらリーズが言った。

 顔にはそんな羨ましいそうな表情なんて浮かんでいなのに、言葉だけは真実性が帯びている。

 仲がいいことが羨ましいね。あのとある鍛冶屋の少女の話によれば、今まで彼女にはそんな人がいなかった、だから彼女は人との交流を、愛を父親に家族に求めたという話だったからな。

 これは当然の羨望なのかもしれない。

 ま、俺にはそんなの関係ないんだがな。

 彼女は所詮は他人。俺はいつだって自己中心的で、いつだって自分の命が一番惜しいんだよ。悲しい過去を持ってるからって同情する余裕は俺にはない。

 

「リーズだってフレイムヘイズなんだし、長く生きればいつかフルカスとそんな仲になれるかもしれないんだから気にするな」

「そのフレイムヘイズというのをそろそろ教えて欲しいんじゃない」

「そうだった……簡単に言うなら、どう言えばいいのかな」

 

 不死者という言葉が浮かび上がったが、これは少し話が突拍子すぎるかもしれない。俺ならそんなことをいきなり言われても、はあ? と気の抜けた返事をしてしまうだろうな。どうすれば伝わりやすいか。

 この世界のバランサーだと言ったほうが早いのかもしれない。あのとんちんかんな``紅世の徒``の``王``である教授を見た後なら、ああいうのを倒すのが仕事だよといえば理解しやすいだろう。あれほど分かりやすい``紅世の徒``の典型は俺の知っている内ではいない。

 あれの場合は典型的であると同時に、異端でもあるのだけどね。

 

「``紅世の徒``っていう、ついさっきまでへんてこな奴がいたの分かるだろ?」

「うん。私を騙した奴でしょ。許せないわね。この私を……」

「……なんか怒ってる場所がおかしい気がするが、置いといて。ああいうこの世界で自由気侭に遊びまわっては迷惑かけてる奴らを討滅するのがフレイムヘイズの役割なんだ」

 

 ここからさらに具体的に教えるには``紅世``の解説と、``紅世の徒``の有り様や『フレイムヘイズ』の生き様の解説をする。``紅世``とこの自分たちが生きている世界を平和に保つためのバランサーであることや、彼らが何のためにこの世界へと渡り、どうやってこの世界で好き勝手暴れるのかを教えれば、大体のレクチャーは終了する。

 俺がメインで話をしながら、ウェルやフルカスが補足をする形で話を進める。リーズは時折、疑問に思ったことを質問をして、返すというやりとりが行われた。

 実に円滑かつ効率的なフレイムヘイズ講座であったと俺は自負する。

だというのに、肝心の生徒役のリーズはこの話を聞く前の少し期待するようなそれでいて強気な表情など欠片も残っておらず、今は暗い表情をしていた。まるで今までのすべてが無駄だったかのようなそんな諦めきった顔。そんな顔をした原因はだいたい予想はできていたが、それを気にせず俺は最後の締めに入る。

 

「──だからフレイムヘイズはある種の正義とでもいうのかな。そこまで威張れることじゃないけどね」

「使命を背負ってとか言っては自分たちが正義だって掲げてる。でも、実際はほとんどが復讐者なわけだし。フレイムヘイズが本当に生真面目に正義だって主張するなら笑っちゃうよ。ね、モウカ?」

「それを俺に言うか、俺に。最もフレイムヘイズの使命に縁遠い俺に」

「ふむ、我も例外になるわけだ。あの``探耽求究``のおかげでな」

「強制的な契約だっけ?」

「たくさんの同朋が死んでしまった」

「それは……」

 

 かなりの悲劇だったのではないかと思う。

 ``紅世``からこの世界に来るのは賭けの要素がかなり大きい。どんな``紅世の徒``であろうとも強大な力を持つ``紅世の王``であっても無闇にこの世界へと渡ろうとすれば彼らの存在が消えてしまう。

 教授のこの実験は、自分たちと同じ種族である同朋を大量に死に至らしめた実験であり、単純に巻き込まれた人間だけでなく``紅世の徒``にとっても悲劇そのものではないか。

 

「嫌な出来事だっただろうね」

「我が契約者は自身のことで目を塞ぎ耳を塞いで知らなかっただろうが、無事契約した者もまともなことになってなかった」

 

 俺が来た頃にはすでに死屍累々。

 そこらに丸焦げの死体が転がっているし、首がない死体や、明らかに自分で首を閉めて死んだ死体まであった。

 俺が吹き飛ばした人物も発狂していた。教授が撤退して見逃してくれたなら、彼も生きているだろうがあの様子じゃフルカスの言うとおり、まともな事にならないだろう。目を見て分かったのは、自分の異常たる力に取り憑かれていた。あの様子じゃ、フレイムヘイズとしての使命は愚か、バランスを保つどころか崩してしまう行動に出るだろう。

 己の力を思う儘に振りまいては被害を出して、``紅世の徒``同様にフレイムヘイズに討滅される。

 簡単に思い浮かぶ末路だ。

 

「今となっては俺たちに出来ることはないからね。被害にあった彼らには悪いけど、どうしようもないの一言に尽きるよ」

「ふんむ、我もどうかしようという訳ではない。こうして契約してしまった以上は、彼女が望む限りはそうあるべきと定めるべきだ」

 

 とても潔よい回答というか、物分りのいい``紅世の王``のようだ。

 これが滅多にいないが教授みたいな偏屈だったり、ウェルのような異端だったらリーズも大変だろうが、これなら特に問題もなくフレイムヘイズとしてやって行けるだろう。

 彼女がどれほどの器を持っていたかは知らないが、俺より下回る討ち手にならないのは確実だ。俺は自分こそがフレイムヘイズの強さでは最底辺だし。

 討ち手としては絶対に弱い俺でもこうやって生きて行くことが出来るのだ。強い生への執着と、諦めないことが何よりも重要。結局、心のありようなんだと思う。

 人間もフレイムヘイズも``紅世の徒``もそれはなんら変りない。

 

「私の望む形……ね」

「使命に熱心になってもいいし、あの教授を一発ぶん殴るとかでもいいと思うよ。好きにするといいさ。世を乱さない限りはね」

「そうそう! 自由に我侭にありのままにってね! モウカを見習いなよ。本当にフレイムヘイズかって疑問を持ちたくなるから」

 

 そういうのはほっとけよ。

 いいんだよ俺は。契約した時から俺の揺るぎない信念「死なない」と「人生の謳歌」は、未だに変わらず存在しているんだから。死なないはこうして生きていることで信念を貫いてはいるけど、未だに謳歌はしきれてはいない。

 謳歌する前にいつもこうやってなんらかの事件に巻き込まれてるせいなんだけどね。

 いい加減対策を考えたほうがいいかもしれないな。

 ``紅世の徒``に絡まれるということにしてもそうだけど、敵の自在法とかに対しても。教授との戦いで痛感したのは、ただ逃げるためだけの自在法だけでは相手から逃げられないこともあること。時には敵を妨害して、敵の自在法を封じて、完封して逃げる必要性が出始めてきた。もしくはその前に段階、巻き込まれたり敵に見つかる前の段階でやり過ごすという手を考えたほうがいいかもしれない。

 課題は多いな。この歳になってこうもやるべきことが多く、フレイムヘイズとして完成されていないのは珍しいのではないかと思う。普通のフレイムヘイズと比べようがないんだけど。

 

「本当はこの力で騎士になりたかった。父様はもう私のことを覚えていないから、それは意味を成さない。私は……私はどうやって生きたらいいの?」

 

 言葉こそ荒らげてなかったが迫真のものだった。

 どうしようもない気持ちの掃き溜めを吐いたような。さっきまでの溜まっていた鬱散を言葉にしたような言葉。

 俺は彼女がこうなることは予測できていた。いたのだが、思わず声を失ってしまう。他人の絶望を目の辺りにするということを初めて形にして見た気分だった。

 

「…………」

「それは我が契約者が決めることだ」

 

 不純な動機というわけではないけど、俺よりはロマンのある契約だったのは間違いない。ロマンのあった彼女の契約のケースもまた異例中の異例。元来のフレイムヘイズの有様とは遠すぎる壊れた形の契約。

 リーズがフレイムヘイズになりたかったのは騎士になれると思ったからで、その騎士になりたいというのは一心に父に認められたかったから。けれどもフレイムヘイズとなってしまったら騎士になることは出来ない。フレイムヘイズになることはつまり、この世の理とは別れを告げて別の存在となってしまうこと。こうなってしまったら今までと同じ世界で生きて行くことは不可能だ。無理に生きていこうとするなら、その異質なフレイムヘイズ故の特性がいずれ壁となって現れるだろう。

 不変にして普遍ではない存在なのだから。

 

「時間があるんだからのんびり決めればいい。んと、俺の役割はここまでかな」

「…………」

 

 元より深く関わり合うつもりもない。

 それが俺のポリシーだといえば、なんだか格好良いがそういう訳ではなく、単に俺の生き様というのもまた他人には理解しがたいものであるだろうことだと思ったからだ。

 それ以上に、俺が生きる上で他人がいたら非常に俺が生きづらいというかやり辛いというか、兎に角俺が窮屈な生活を強いられることだってありえる。俺は自分が一人でこうやって生きているからこそ、こうまでして自由奔放にやって行けている可能性は多分に含まれているだろう。

 

(それでどうするのこの子は?)

(ん? ああ、別にここに置いていくというか、放置?)

(ふーん、それでいいんだ。ここで慰めの一つや二つしたら、好感度上がるかもしれないよ?)

(俺がそういうのをしないって分かってて言うんだよね、ウェルって。でも、そうだね)

「何か、困ったことがあったら『外界宿(アウトロー)』に行ったらいいと思うよ。フレイムヘイズの先輩方もいるしね」

「体よく追い払う、と」

(言葉を濁したのにそういう事言うなよ)

 

 否定はしないけどさ。

 復讐をし終えたフレイムヘイズのたまり場のような場所。それが外界宿だ。

 俺も数度か寝る場所を提供してもらえると思って尋ねたことがある。俺が行った外界宿が悪かったのか酷く寂れていている場所で、これなら安い宿屋を普通に借りた方がましというような場所だったが、フレイムヘイズとしての知識程度なら手に入るだろう。他のフレイムヘイズとの交流という意味でも十分の意義を持つ。

 たとえほとんどのフレイムヘイズが一匹狼で、こちらと友好的に接してくれなくても、見も知らない他人よりは顔程度は知っている仲のほうがあとあと何かの助けになるかもしれない。打算である。

 斯く言う俺はあまり外界宿とは関わっていない。初めて行ったときの印象が悪かったというのもあったが、俺の戦闘スタイルというか生き様が普通とはズレているので、下手に他のフレイムヘイズと交流を持って齟齬を持つと面倒だからだ。無駄に知名度が高くなってるらしいというのも理由の一つであったりもする。

 

「それじゃあ俺達はそろそろ旅立たさせてもらうよ。一箇所に留まってたんじゃ、いつ誰に襲われるか分かったもんじゃないからね」

「もうすぐ他のフレイムヘイズたちも騒ぎを聞きつけてやってくるだろうしね。私も厄介事は勘弁だよ」

 

 教授の件はおそらく近いうちにフレイムヘイズ、``紅世の徒``の双方の元へと通達が送られるだろう。

 そうなれば、使命を持たず世を荒らすだろうフレイムヘイズが生まれる可能性を考慮して、それを討滅しにくるフレイムヘイズがやってくるのも時間の問題。``紅世の徒``に限ってはその状況を興味本位で近づいてこないとも言い切れない。

 ここら一体の街はしばらく荒れるのが眼に浮かぶ。そして、争いの元になりそうなこんな場所に身を置くという選択肢は俺にはない。

 さっさと身を隠して今回の事件とは無関係を装うのが、安泰への一番の近道だろう。

 

「どいつもこいつもさ、私がフレイムヘイズとしてこの世にいるのが不思議でならないみたいな事言うし」

「そりゃ……ウェルを知ってるやつだったら皆そう思うだろ」

「それをモウカが言う資格はないんだよ?」

「そうかもしれないけどさ。まあいいや。そんな訳でここでおさらばだ。リーズにフルカス」

 

 ウェルのは愚痴が始まったらいつ終わるか分からないので強引に話を切りつつ、別れを告げることにした。

 

「お主らとまた会える日を楽しみにしてるぞ」

「またいつかね。ほら、ウェルからも一言」

「──え。ああ、別れね。リーズ、フレイムヘイズだからってあまり気負う必要ないんだからね。モウカを見れば分かるけど自由に生きればいいんだよ」

 

 ウェルが珍しく真っ当な事を言っている。

 これは明日は雪どころか嵐がやってくるな。

 ウェルは``紅世の徒``には意外と辛辣なことを言うが、実は人間には優しい一面を持っていたりする。その一面を見せるのは滅多にないことだけどね。

 本人が言うには『暇つぶし相手にはちゃんと好意を返さないとね』だそうだ。

 

「``盾篭``は……頑張れば?」

 

 うん、辛辣だ。

 単に言葉が思いつかなかっただけかもしれないが、平坦で感情のこもっていないその言葉はやはり投げやりなものだろう。ある意味、``紅世の徒``と敵対するフレイムヘイズには向いていたのかもしれない。

 契約者たる俺が俺なので討滅するなんてことはなさそうだが。

 

「…………」

 

 リーズは無反応だった。

 何を考えているのか、もはや意識がどこか遠いところへいってしまっているのか。それは彼女本人以外は知ることは出来ない。勿論、俺やウェルがそこへ干渉しようなどとは考えない。彼女がこのまま何も目的も見い出せず、ただ惰性に生きて行くとしても知った事ではない。

 今この場で慰めようとも思わない。

 一人できちんと考えなさい、お母さんじゃあるまいしそんな丁寧に律儀に答える必要はない。

 リーズは運が悪かったのかもしれない。

 助けられたのが俺ではなくて、サバリッシュさんならこんな時に助け舟を出していたのかもしれない。

 でも、現実ってやつは不条理で理不尽なんだよ。俺がそうであったようにね。

 別れはすでに告げた。

 だから、『堅槍の放ち手』には背を向けて、この街を出て行こうと一歩踏み出した時だった。

 今までずっと無反応だったリーズがぽつりと言葉を零した。

 

「そっか。そうだよね。自由に、だよね」

 

 何かを悟ったかのような言葉だった。

 明るいようなそれでいてどこか切なげな声色。

 

「ならさ……私にその生きる意味っていうのを教えてくれてもいいんじゃない? ねえ、生の亡者さん?」

 

 振り返って見た彼女の瞳は、先程まではなかった忌々しい光が宿っていた。

 そして、同時に確信する。

 これはどう考えても面倒事に巻き込まれたなと。

 

(なるほど。あの教授でさえも向こうへ回して、彼女が真のラスボスだったわけね)

(うっさいわ!)

 

 なんでいつもこうなるんだと頭を抱えたいよ……



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第二十話

 すでに使命を終えて腐れてしまったフレイムヘイズの溜まり場と化しており、大した機能性もない『外界宿(アウトロー)』ではあったが、各地のフレイムヘイズが時々立ち寄ったりするので自然と``紅世の徒``絡みの情報は集まるものだった。そうやって手に入れた情報を取り纏めたりするわけではなかったが、求められれば資料を作り情報を提供してくれたりもする意外と善良的な組織ではあった。

 片手間で作られた程度の資料であるため、また元の情報がここのフレイムヘイズの主観性に基づいた物のために、上手く纏められておらずに情報錯誤が起こっていたり、信憑性を欠くものであったりしていて無いよりはマシというものではあるが。

 普段ではあればモウカもあまり外界宿を使わないタイプのフレイムヘイズではあったが、さすがに自分が大きく関わり今後が気になる事件ではあったので、わざわざ資料を取り寄せた。

 モウカは教授が行った『強制契約実験』における被害とちょっとした伝記となりかけている取り寄せた資料に目を通す。

 眉間に皺を寄せて低くうーんと唸る姿は、外見に似合わない老練さがあり彼の実年齢が見た目相応でないことを珍しく表していた。

 

「やっぱりすぐにあそこを離脱して正解だったか」

 

 ボルツァーノを離脱して一月程経過してようやく情報が手に入るようになり、書かれた資料の芳しくない内容に人知れずモウカは唸っていたのだった。

 その芳しくない内容とは『フレイムヘイズ』による一般人への荒らしと、荒らしたフレイムヘイズの討伐状況。強制契約実験時に無理矢理契約させられて、フレイムヘイズとなった者たちの末路が描かれている。

 その一つ一つは、世を乱すフレイムヘイズを討伐してやったという討滅した側の自称正義の鉄槌自伝だが、主観であるがゆえに戦いの有様をありありと知ることが出来た。誇張だと思われるものもしばしばあったものの現場の雰囲気を掴むには十分なものだった。

 

「みたいだね。モウカの逃げ足の速さも中々のものだったけど」

 

 モウカの首に下がる青い球体のみが高価そうに見える、無骨な首飾りから彼に異能を授けた``紅世の王``であるウェパルがいつもの陽気でちゃかすような言葉を告げる。

 モウカは内心自分の好判断に満足気に頷かせながらも、逃げ足は褒め言葉さとウェパルに誇らしげに返した。

 相変わらずの光景。数百年と乱れのない二人の遣り取りが、この場が平和であることを示していた。

 モウカとウェパルがゆったりと過ごしている横では、一人の少女が剣を上から下へと剣を振っていた。飽きずにそれは何十何百何千と数時間に及び続いている光景。

 モウカはその少女へと全く目線を向けようともせず、無いものかのように扱っている。

 

(ねえ、モウカ。そろそろ何かしてあげてもいいんじゃない? さすがにこの私でもちょっと可哀想に見えてきたよ)

(何かって何さ。彼女本人に俺は『自由にしたらいいんじゃないかな』と言ったら、彼女が勝手に『俺に生きる意味を教えてもらう』とか言い出しただけじゃないか。だから俺は否定はしないよ。でも、俺が素直にそれに答える必要はない)

 

 そもそも生きてるだけで素晴らしいことだというのに。

 声にならない声でモウカは愚痴を零した。

 彼女、強制契約実験で偶然助けたが為に着いて来た厄介者のリーズというフレイムヘイズ。生きる意味を失ったというリーズにモウカは何も示さず、自分で見つけろと自分は無関係を決め込むつもりだった。

 だのに、モウカは非常に面妖な事に付き合わされていた。

 ここ一ヶ月、モウカとリーズの間に一言の会話もないほど他人と言えるのにも関わらず、まるで一緒に旅をしているかのような状況下に置かれていた。何度となく着いてくる彼女を振り払おうとしたがピタリと着いて来て離れず、かといって下手な自在法の使用は無益な争いを生む元と成りかねないので使うことに踏み切れずにここまで来てしまっていた。

 モウカに言わせれば面倒の一言で、ウェパルに言わせれば早く面白い展開にならないかな、楽しみなのにの二言。

 彼からすればウェパルとの気楽な旅(こういうとウェパルが調子にのるのは眼に見えているので口には絶対に出さないが)をこれからもして行きたい。という建前はさておき、リーズが足手纏いになることを危惧していた。

 言わずと知れたモウカの生き方というのは、一部の大戦などの例外を除き殆どの場合が一人でいた時分に成功している。今更、逃げるときの人数をたった一人とはいえ、増やすことはリスクを背負うことに繋がる。下手を打てば、一人では逃げきれた事象が二人に増えたことによって逃げれないことが出来てしまうのかもしれないのだ。

 

(二人になったときのメリットだってあるのは分かってるけどさ)

 

 逆に、人数が増えれば今までになかった逃げ方というのが出来る可能性だってある。一人では逃げれなかった事象を協力することによって逃げきれるように、というのも十分にありえることだった。

 モウカからすれば重要なのは、平和に生きることが出来るか否か。生活臭があり、時々危機に面して人間味あるスリルと人生を送ることが出来るかである。

 この条件が満たされるのであれば、リーズが居ようが居なかろうが今のところはモウカには不満はない。けれども、目の前の存在はその条件を満たすかどうかを当てはめて考えてみると、満たす可能性もあれば満たさない可能性も考えられ、思考はいよいよ深みにはまり判断がつかなくなっているのをモウカも感じていた。

 これが俗に言うマンネリ化とかいう奴なのか、と資料に目を通し終わり御礼の手紙を書きながら何度目か分からない溜息も零し、今日初めてリーズを見る。

 会った時と変わらない焦げたような金色の髪は『清めの炎』で、元の色を取り戻したからだろうか以前に比べて少し輝いていた。白人らしさに少し欠けた白すぎない肌。顔は幼さを残す造りで、いつも温厚そうな柔らかい表情をしているが、時折思い出したかのように意地悪そうな笑みを浮かべたりするが、今は剣を真面目に振っているため顔の表情は真剣そのもの。身長はさほどモウカと変わらないはずだが、華奢な体が幾分か小柄に見せていた。

 モウカには慣れ親しんだ人のいない森の中は、リーズにとっては絶好の鍛錬場なのかもしれない。

 リーズを見やって再び溜息をし、モウカはようやく重い腰を上げてリーズと決着をつけようと決心をしたその時だった。

 

「これは……!?」

「一ヶ月平和だったのにお疲れさん、モウカ」

「本当だよ。ま、仕方ないさ。それならまた逃げるだけ。どうやら気付いたのはこちらだけみたいだから」

 

 人一倍敏く、フレイムヘイズ二倍も``紅世の徒``に警戒心を抱いているだけあって先に敵を感知した。

 規模は? 大したことない。場所は? まだ遠いね動いてない。と流れるようなやりとりをモウカとウェパルは交わし、今のうちにと逃げの体制を整えた。

 

「今なら自在法も必要な──」

「待って!」

 

 ウェパルとの最終調整の相談をしようとしたモウカの声を遮るように、張りのあるやや甘めの声が遮った。一ヶ月前に助けた時の最後に言った『ありがとう』という言葉以来に聞いたその声はどこか新鮮さを感じさせ、そういえばこんな声だったっけと懐かしさも呼んだ。

 声のした方向へと目線を配ると、しかとモウカの黒い両目を見つめる琥珀色の瞳があった。

 

「待つって?」

 

 試すかのように先を促す。

 

「私に実践をさせてほしい」

「それはつまりリーズが``紅世の徒``と戦うということだよね。別にそれは構わないよ、勝手にやってくれたまへ。俺達はその間に逃げるから」

 

 モウカの答えは非常に冷たいものだった。

 だが、その答えもリーズは予想をしていたのかすぐにモウカの逃げ道を塞ごうとする。

 

「相手は強くないのでしょ?」

「そうだね。モウカなら余裕で逃げれるレベル」

「余計なこと言うなよ」

「なら、私が戦うのを見てから逃げるのも可能じゃない?」

「……ウェルが余計なことを言うから」

 

 ウェパルの先走りの発言に文句を言いつつも、逃げれることを肯定をする。

 その程度は訳ないと誇ることでもないのに誇らしげに。

 

「ここ一ヶ月見て分かったけど、貴方は自分自身は戦いたくないタイプの人でしょ」

「争いなんて大っ嫌いさ」

「それなら自分の代わりに戦う相方って欲しくない?」

(これはあれか、売り込みって奴なのか?)

 

 経験したこと無い彼女の言い振りに動揺しつつも思考する。

 モウカは戦いたくないというのは勿論だが、戦う力が自身にないというのも理解している。攻撃手段は素人丸出しの蹴りや殴り、切れ味の無く叩きつけることにしか使えなさそうなリーズから貰ったショートソード。攻撃の自在法は辛うじて『炎弾』が出来る程度だが、彼の属性に合わないのかひ弱で、これに力を注ぐなら他の自在法に力を回す。

 ``紅世の徒``に合えば自然と選択肢は巻くというもので、正面から戦い合うということをしない。

 だが、もし自分の代わりに戦える人材が手元にあったとしたら?

 

(なるほど。それならリーズと一緒にいる利点はある。だけど……なぜ、俺と一緒にいる必要性がある? 前に言ってた生きる意味と関係あるのか?)

 

 リーズの提案に頷きつつも、不可解な点に頭を傾げた。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「ど、どうよ!」

 

 ぜえぜえと息を切らしながらリーズは誇らしげに言った。

 彼女の戦闘時のイメージだろうと思われる騎士甲冑には大小多数の傷が多くある。左手には大きな盾を持ち、右手にはサーベルを持ったその姿だけは騎士そのものであったが、盾にも大きな傷があり、サーベルは折れている。

 見るからに壮絶な戦いの後そのもので、苦戦しましたと自ら明かしているようなものだった。

 だというのに、彼女はやりきった感を出して、良い戦いだったわと今にも言いそうな表情だ。

 勿論、``紅世の徒``をしっかり討滅したのを自身の目で久々に見届けたモウカは、自分には出来ないことをやった彼女には一応の称賛は送る。

 

「で、デビュー戦にしては中々なんじゃないかな!?」

 

 引き攣った顔で言葉もしどろもどろになりながら。

 リーズの戦い方はモウカの見てきたフレイムヘイズ、``紅世の徒``を問わず一番荒々しいものだった。

 鎧の中が女の子とは思えないような攻撃方法。まずは左手に構える盾を全面へと押し出しながら敵へと接近する。当然敵は抵抗するために、最も簡易な攻撃の自在法である『炎弾』を放った。

 盾はその『炎弾』を見事にリーズの身体を守る。『炎弾』が存在の力が分解されたように消えたため、盾には自在法に対する何らかの自在式が打ち込んであるのかもしれない。

 接近してからは盾で相手の視界を封じ、敵の攻撃を盾でうまく牽制しながら、盾で殴りつけたりサーベルで刺すような確実に攻撃を与えていく地味な戦い方だった。それだけに時間がかかり体力消費が激しく、盾や甲冑やサーベルの傷が多く見られた。

 武術の心得のないモウカから見ればその戦ってる様子は、盾やサーベルで無理矢理攻撃してボコしているような力任せな戦い方。

 実際は地味ではあるが意外と高度な戦いをしているのに、かつて見た『炎髪灼眼の討ち手』のような派手な戦い方ではなく、理解できるような戦い方の知識も大してなかったので、「こんな強引な戦いが女の子の戦い方かよ」という見当違いな感想を抱いていた。

 

「……そう。なんか反応が怪しいけどいいわ。それなら相方としては合格点でいいということでしょ?」

 

 息を既に整え、フルカスにもう装備はいいわと声をかけて戦闘態勢を解くといつもの服装に戻る。簡易でいてあまり清楚とは言えない当時の小市民の服装。

 それを確認して、一応青いローブを纏っていたローブを消し、モウカも普段の旅人のような服装になる。

 

「え……ああ、そういう事になっちゃうのか。でも、あれじゃね」

「戦い方は置いとて、``紅世の徒``しかもあんな弱小相手にそれだと気が思いやられるよね」

 

 正直言えば期待はずれだったと言外に二人は言った。

 しかし、忘れてはいけないのはそんな弱小相手にも逃げる気満々だったのは、このフレイムヘイズである。

 

「お主らは我が子に少し期待しすぎじゃないのか?」

 

 まだたった一ヶ月前にフレイムヘイズになったばかりだというのに。まだ自在法もまともに使えるようになっていないフレイムヘイズにそれは酷なものだと、リーズに異能を与えているフルカスが擁護をした。

 フルカスの言い分は二人にも十分理解していることではある。自分たちのフレイムヘイズになりたての一ヶ月は、ずっと``紅世の徒``から隠れ潜んでは逃げるための自在法を編んでいたのだから。

 隠れ潜んでいるのは今も変わらないが。

 

「だからといって足手纏いが一緒だと困るのは俺たちだからさ」

「うん、困るのはモウカだけだけどね。私は中立だよ。むしろ面白い方の味方」

「おい、裏切り者。ここは『私も無理』とか言って話を合わせろ」

「無理だよ、モウカ。それは私には絶対にできない! だってそれが」

「ウェルの存在意義、か? なんで、こんな厄介なのと契約しちゃったんだろ」

「私じゃないとモウカと契約しようなんていう``紅世の王``はいないと思うな」

 

 気付けばリーズとフルカスのことなどお構いなしに二人だけで会話をし始める始末だった。

 

(本当に仲いいわよね)

(ふむ、我が子もこういった関係を望むか?)

(私は別に……でも)

 

 こうやって楽しく生きていけたらどんなにいいだろうか。

 リーズがモウカと一緒にいてみようと思う意味は、この二人の有り様というのが最も大きかった。

 リーズが求めるものは、目の前のこの二人のような理解し合える存在なのかもしれない。

 だから、少しこの二人を、もう少しこの二人を、

 

(見てみるのもいいかもしれない。そうすれば生きる意味も……)

 

 それは純粋な憧れかもしれなかった。

 ただ、

 

「あ、ちなみに私は賛成だよ。少しハンデがあったほうが緊張感があって楽しいと思うしね。最近のモウカは逃げるのに手馴れてきてつまらないし」

「私は足枷扱いなのね……」

 

 ウェパルとはあまり仲良く出来る自信はリーズにはなかった。



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第二十一話

 ``紅世の徒``に追われていない期間というのは結構ある。

 フレイムヘイズの多くは自身の復讐相手を見つけるために、次から次へと``紅世の徒``を探したり追ったりするものだが、それは復讐心に身も心も支配されて、それにしか頭の回らない者がすることだろう。そうではないフレイムヘイズ達はのんびりという訳ではないにしろ、比較的自由気侭に過ごしている輩は多い。

 見た目が変わらなかったり、容姿が幼い頃に契約して幼かったりするので一つの街に違和感なくいられる時間は平均して十年程度らしいが、それは俺も変わらない。

 俺の旅路とは死なないための逃亡記そのものだが、本当に死から逃げたいのなら誰もいない孤島ででも過ごせばいいし、自分の力をフル活用して海の中にでも住めばいい。

 いずれは海の中に自分のための都市を作りアトランティカ伝説……なんてのはさすがに冗談だが、そういう生き方も選べないでもないということ。

 そんな生き方なら俺は迷わず死を選ぶけど。生きているのに死んだような生活は、俺の生き方ではない。選ぶことはないだろうけど。

 ともすれば、俺の日常というのは人間のそれと全く変わらないというのが実態である。

 不眠でも大丈夫だが睡眠をとる。夜に寝て朝に起きる。

 最近ちょっと挑戦したみたが、食事を全くとらないでいても大丈夫だった。だけど食事をとる。これは娯楽なので外せない。

 時々得体のしれない奴らと戦うことを除いたり、ちょっと人外な能力を除けばこんなにもフレイムヘイズは人間らしいというのが分かる。だから、そんな俺の日常は人間と変わらないのだ。

 今日も今日とて朝早起きして、何も開拓されていない忽然と広がる草原へと赴き、優雅にコーヒー……は少し苦手なので紅茶を飲み、大変平和で好ましい日を送っている。

 草の匂いが感じれるほどに俺の心はとても安らかだ。

 

「ああ、なんという素晴らしい平和。``紅世の徒``に会わなければこんなにも幸せになれるのだから」

 

 ビバ平和。最高だぜ平穏。なんて今にも叫び出したい気分だ。戦い戦い戦いの日々は俺の望むものとは程遠いのだから、こんな日が毎日続けばいいのにと思う。結構切実にだ。

 今日は珍しくウェルを、借りていた宿に置いてきてある。彼女といるのは退屈はしないのだが、なんというのか女性独特のうるささがあるというか、たまにはちょっと距離を取りたくなる時もある。

 倦怠期か、などと一瞬思ってしまった自分にちょっと自己嫌悪。俺たちは夫婦じゃねー。

 俺とウェルは共犯者であり、協力者であり、相棒であり、相方であるが、夫婦でもなければ、愛しあった仲でもないのだ。誰が嬉しくってあんなヘンテコな奴。

 

「そうよね。あのウェルっていう``紅世の王``はちょっと変よ」

「ふむ、あれは遠き``紅世``でも特上の変わり種だった」

「かわりだねって、どういう意味?」

「変わり者っていう意味だよ。てか、なんでいるし」

 

 スコーンをつまみながら独り言を呟いてたら、それに対する返事が俺の後ろから返って来た。

 後ろも振り返らずに実はそんなに頭の良くない彼女の疑問に答えると、彼女はふーんと特に関心も示さずに、貰うわねと軽く断ってから俺の隣りに座りスコーンを一つ取り一口で食べた。

 せっかく一人で平和を浸っていたのに。

 不満気な顔を顕わにしながらも、口には出さず、疑問の言葉のみを投げかける。

 

「それでどうした?」

 

 俺が知っている限りのリーズは、あまり自分から何かを行動しようという類の性格じゃない。余程のことがあるか、なにか気になることがない限りはいつも傍観の姿勢を保っている。一緒にいるようになってからもそれは変わらず、時々ぼそりと呟くことがあっても積極的に俺とウェルに絡んでくるなんてことはなかった。

 俺とウェルも別にリーズを遠ざけていたわけではないが、気付いたらそんな形で落ち着いていた。

 その彼女が俺が一人になっているところに、顔を出すのが珍しい。

 お金が裕福というわけではないので同じ宿屋の同じ部屋に泊まっているのだから、俺がわざわざ一人になっているというのを知らない訳でもあるまいに。

 ウェルには聞かれたくない理由でもあるのだろうかと無駄な詮索をしつつ、彼女の言葉を待つ。

 

「ここ一年ほどだけど一緒にずっといたじゃない?」

「そうだな。最初の頃なんて、こんな強そうじゃないフレイムヘイズが何の役に立つかと思ってたんだけど。意外な使い道ってのがあるんだな」

 

 リーズの契約したフルカスの能力の一つなのか、彼女は存在の力自体から武器を創り出すという力──自在法がある。作れる武器はたった二種類の剣と槍だったが、それを元にお金を手にするのは容易かった。

 武器が売れるのではなく鉄が売れるのだ。

 地域によっては鉄が取れず高く売れる。強国が列強し、いつ戦争が起きかねないこのご時世は、特に売れる。ある程度同じ場所で売りすぎると訝しがられるが、限度を弁えていれば問題は起きない。現に起きないでいた。

 そもそもこの創り出す自在法だが、彼女が戦いの度に剣を消費するせいで生み出された自在法であった。その創り出された剣自体も大した性能ではないのですぐに壊れてしまう。

 あれだ。リーズにはあまり刀を打つ才能がなかったからだろうな。絶対に口には出さないが。

 

「酷い言われようじゃない。貴方にとって私はそれだけの価値なの?」

「正直に言えばそうなるな」

 

 本当に酷いわねと大して気にした風もなくリーズは笑った。

 俺も少しはそんな待遇ばかりで悪いとは思っている。少しだけど。変える気はないけど。

 

「で、それは今日の目的とは関係ないんだろ」

「え、分かる?」

「これでももう二百……三百年だったかは覚えていないが数百年生き続けてきたんだぞ」

 

 それぐらいの観察力は嫌でも上がるさ。ま、それ以上にリーズの、ふふこれはまだ前夜祭みたいなものよみたいな顔してたから、俺じゃなくても見抜けただろうが。

 長い年月で鍛えた観察力というが、実際にはその数百年もの日時は全て逃げるという一つのみに費やしてきたもので、時にそれなりには人とも関わってきた程度のものであった。特にこれといった語るべき日々というのはその中にはなかったが、意外と平凡で、普通っぽい日々がそこにはあった──にはあったが、どこか馴染めていない感じもあった。それはなんとも言えない感覚で、今までの日々はあんなにも忙しなく、生命の危機にひんしていたものだったが充実だけはしていたのだろう。適応力半端ないななんて呑気に思ったが、これってこのままこの世界で生きて言ったら戦いがないと生きれない身体に……

 それってヤバイよねと思い始めたのが最近だった。

 数百年という年月は下に恐ろしきかな。

 

「実は貴方を……ころ──」

「あー、殺すためとかそういう冗談いらないから」

「……フルカス、私ってそんなに分かりやすい?」

「ふむ、とりあえず驚かしてやるぞという思いは我にもかなり伝わってきてたな」

 

 この子ってそういうタイプの子だったっけと今までの彼女の行動を思い起こすが、そういえば全然しゃべったことがないな。まともな会話がないというか、自在法の練習を教えてくれといった時も、俺は分からんからとウェルに丸投げしたり。

 今までの戦いとかを教えて欲しいとか言われた時も、覚えてない、思い出したくないからと全部ウェルに丸投げしてたような気がする。

 もしかして、これってコミュニケーション不足というやつなのか。思えば、俺はフレイムヘイズになってから人と(ウェルは人ではないので除外)会話することが非常に少なくなっていた気がする。

 余程の理由、例えば情報収集だとか、話しかけられればという受けの態勢ばかりで、自分からというのシチュエーションがあったかどうかを思い出せない。思い出せないほど過去にあるのか、そんな場面はなかったのか分からないが。

 これは駄目だ。

 そうか、俺が平和に帰路して、人間社会に馴染めなかったのはこれが理由かもしれない。

 つまりリーズはそのことをなんとなしに伝えようとしてくれたという可能性がある。

 今日、ウェルを除いて会話してきたのは、俺がウェルにからかわれない様にする対策か、はたまた俺がウェルに頼らない様にするための対処法なのか。

 

「ま、まあいいわ。そんなのは関係ないのだから。今日こうやって貴方一人に聞きにきたのは純粋に、私はあいつが苦手だから。何か言ったらからかわれそうじゃない。貴方みたいに」

「内容によると思うけどな。リーズをからかうかどうかは俺には分からんよ」

 

 ただ、面白そうな展開にするのは間違いないと思うけどな。

 口には出さなくても伝わる彼女の含み笑いの声。

 ププ、という笑い方が嫌に似合うのは、果たしていいことなのかどうなのか。

 

「私ってさ。フレイムヘイズとして──」

「どれくらいの強さなのかなって?」

「え、もしかしてモウカって未来予知か何かの自在法があるの?」

「ふむ、我が子よ。おそらくだが、以前からしばしば自在法の練習中に呟いてたの聞かれてただけじゃないのか?」

「フルカスの言うとおり、練習中に『私の力はどれくらい……』なんて言ってたのがたまたま聞こえたから」

「盗み聞きじゃない」

「一緒にいるんだから聞こえちゃうんだよ。知られたくないことなら油断しないこと」

 

 やっぱり、リーズって分かりやすいよ。

 顔に出ている云々よりは、行動と言動が真っ直ぐで筋が通っているから簡単に先が見通せてしまう。初めて出会った時のあの街では、きっと完全に警戒仕切っていて、誰にも心を許さない状態だからあんなふうな演技(?)が出来ていたのかもしれないが、今はそんな厚い壁を感じなくなっている。

 リーズが完全に俺に心を開いてくれたというわけじゃないと思うが、それなりに気安い関係にはなったということだろう。あまりしゃべらないけど、お互いに一緒にいても違和感を感じない程度には。

 いつまでも違和感を感じていたんじゃ一緒に旅なんてできるわけ無いしね。フレイムヘイズにとって男女間というのはそこまで意識することじゃない。特に年行った長年者なら。それでも、人間とは全く違うわけじゃないから、出来る時には出来るらしいけどね。

 過去の例でフレイムヘイズ同士じゃないが、``紅世の王``と契約者たるフレイムヘイズ間の恋なんてものはある。傍迷惑だった大戦が、最高にして最悪の例だろう。

 もうあんな戦い二度と起きちゃいけないよ。起きても次回は参戦しないで済む方法を必死で模索するさ。

 リーズにも教えてやりたいよ、あの大戦の戦場を。

 どんな強さがあっても生き残れないかもしれないあの戦場を。

 

「強さなんていらないさ」

「それはなに? 強くない私への慰めっていう意味?」

「純粋な強さなら、リーズは既に俺より強いよ。というか、最初から強いし。俺なんて``紅世の徒``を一体も討滅したことないからな」

「え……そうなの?」

「そうなんだよ。別に強くなくたって生きる分には今のところはどうにかなってるからね。今後は分からない」

 

 攻撃手段を作らないといけないというよりは、相手の自在法に対抗する手段を探さないといけない感じだ。

 自衛するための自在法を今もなんとか形にしようと試行錯誤しているが、当然のことながらあらゆる自在法に対抗できる万能な物が出来上がらない。

 攻撃に対する自在法なら防御できる自在法や命中させなければいいので、『嵐の夜』があれば十分に補えるが、妨害系の自在法には相性が悪い。この間の教授のような特定の区域や、特殊な能力を持つ自在法の類に対処できない。

 今ならばと、リーズを見る。

 

「なにかしら?」

「うーん」

 

 彼女の力をうまく使えば``紅世の徒``の討滅だって可能になる。

 俺の自在法は奇襲と相性がいいのは既に大戦にて実証済みだ。俺が環境を整えることによって他のフレイムヘイズが獅子奮迅の活躍をし、俺が影から応援するのが当時の戦法だった。大戦以降は逃げることにしか使用をしていなかったが、彼女が強くなれば俺にも利益が巡ってくるわけか。

 ともなれば『リーズ育成プロジェクト』の発動も頭の隅に置いておく必要があるな。一番はやはり『リーズ盾化プロジェクト』だが、彼女にもう少し役に立ってもらうという意味では少しも変わらない。

 

「そうだな。やっぱり強さは必要だよ。ああ、言わなくてもいい。『一体どっちなのよ?』だろ。つまりだな、ただ生きていくには強さはいらないが自由に生きていくには強さは必要なんだよ。『分からないわ』って顔だな。いちいち驚かなくていいよ。本当に分かりやすいな。だからな、何が言いたいかと言うと──」

 

 ──俺はリーズに期待してる。

 俺がこの先も安寧に生きて行くためにね。

 強力な討ち手が生まれるのは実にいいことだしね。

 その分、俺への負担が減るんだから。

 

「そうね。期待に答えるのはやぶさかじゃないわ」

 

 リーズは誇らしげに、自信ありげにはっきりと言った。



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第二十二話

 逃げ時かどうかを判断するのはとても重要だ。逃げ時を誤れば、敵に逃げ道を塞がれ否応なしに戦闘に巻き込まれてしまう。だが、強引に逃げに徹することも時には必要となる。いつ逃げるかを考えているよりも先に、逃げる行動に出てしまったほうがいい時というのは多い。

 また、逃げ方なんて言うのは色々あり、情報を手に入れて事前に逃げ場所を確保しておいたり、罠を仕掛けておいていざ逃げるときの時間稼ぎを出来るようにしたりと手段が多い。

 俺の場合は事前準備というのはあまりしない。というのも、俺は自身が頭の良い方ではないのは自覚しているので、逃げる戦略戦術を考えるよりはそういった危機に瀕した時にすぐに行動する方が手っ取り早いからだ。

 逃げ道をチェックする程度のことはよくするが、事前準備というほどの大業ではなく、こじんまりとした小癪な豆情報のようなもの。実際にそこを活用するかと言われれば、あまりせず。大抵の事は自在法を使って強引に切り抜けてしまうことが多い。

 逆に言うならば、今まではその形で逃げ切れていたので、この戦法を慌てて変える必要もないと思っている。

 現状に甘んじて、現実に甘えて、余計な事をなるべく考えないようにして、脳筋な逃げ方だったわけだ。

 ただ最近では『嵐の夜』に頼り切った逃げ方ではいけないと新たな自在法を考える毎日。

 自在法を考えるのは人によっては簡単なことだ。俗に言う自在師などと呼ばれるようなフレイムヘイズは、次から次へと自在法を思いついては戦闘に使用していく。なんとも羨ましいものだ。俺なんて自在法のアイディアが全く思い浮かばず、四苦八苦しているというのに。

 とは言うものの、ようやっと形になってきた自在法ではあった。完成するのはまだ先にはなりそうだが。

 一歩一歩確かめるように自在法を編んでいく俺と比べてリーズは、俺の期待に答えるように成長をしてくれている。

 

「若い者が成長していくのはいいものだ」

「年取ったみたいな言い方だね。あ、違うか。年取ったね、モウカ」

 

 年齢云々を言うならば、ウェルなんかは俺の比じゃないだろうに。俺が生きる、生まれるよりも前から生きていたであろうウェルは俺の数倍、数十倍は生きてきていたはずだ。少なくとも、俺と共に生きてきたので、彼女だって十分に年を取った。

 ``紅世の徒``のそこらへんの概念はどうなのだろうか。それをウェルに問おうとしたところで、彼女がまともに返すことはないのは分かっているので聞くこともないが。聞いて知って、どうしたという話もでもある。

 『俺がおじいちゃんなら、ウェルは仙人かな』なんて言葉を吐こうものなら、どうなるかも分かったものじゃないし。

 リーズもフレイムヘイズになってから十年が経つので少女という年齢でもない。

 あのフレイムヘイズとして初心者だった頃が懐かしいよ。今だって十分に若いフレイムヘイズだが、戦い方そのものは当時と大違いだ。

 

「今、私の年齢の事言ったわね? 槍投げつけるわよ」

「フレイムヘイズは歳を気にしない!」

「女の子はいつまだ経っても年齢を気にするものなの」

 

 女性の勘のようなもので俺の思考を読んだリーズが、殺気混じりに俺を脅した。

 覚えときなさいとはこちらの言葉だ。果たしていつまでリーズは自分の年齢を覚えていられるか、カウントできるか見ものだ。

 きっとそのうち、大体とか約とかいう言葉が年齢の前に付くはずだ。そして最後は、永遠のとか言い出すんだろうな。

 目に浮かぶ有り様だ。

 数百年後が非常に楽しみだ。その時まで死ねないね。こうやってまた一つ死ねない理由ができた。

 地面に這いつくばってでも、生き恥晒してでも生き残るさ。

 

「街に着くから、そろそろ殺気引っ込めてね」

 

 しょうがないわねという顔をしつつも、殺気を引っ込めてくれる。

 街で殺気を振りまいたら剣呑な雰囲気になって、溶け込めなくなってしまう。ただでさえ最近の西欧ではローマ帝国が滅ぶかどうかの瀬戸際で、どこもかしこも緊張感が漂っているので下手な雰囲気や印象をつけてしまうと厄介事が舞い込んできかねない。

 ここ東欧もそれは変わらない。むしろ、緊張感は西欧よりあるかもしれない。

 東欧は西欧と比べてあまり街が発展しておらず人が少ないためか、``紅世の徒``との遭遇も少なくなっている。

 ``紅世の徒``は存在の力を消費しないとこの世に顕現を維持し続けられないため、自然と人がいる場所に現れる傾向がある。だが、多かれ少なかれ人はどこにでもいるものだし、たとえいなくてもそういう場所に隠れ家を設けていたり、隠れ潜んでいる``紅世の徒``もいるので油断はできない。

 分かりやすく言うなら、``紅世の徒``が全く出てこない場所なんてものは存在しないのである。どこだって確率の差はあれど、現れる可能性はあるのだ。

 限りなくゼロに近い場所は存在するとは思うけど、そんな場所はそもそも見つけることが出来ないというのがオチだろう。

 

「今度はこの町でどれくらいいるつもり?」

「今回はちょっと長めにいようかなと思ってる。長居ってあまりしたことないしね」

 

 俺は一箇所に留まると厄介事が向こうからやってくるなんてことを経験しているため、一つの街に今まではあまり留まらなかった。長くても二・三年という短い期間。

 基本的には人があまり来ない森や川などの水辺の近くで呑気に暮らすというものだったが、そろそろそんな生活は終わりにしていいだろうと思う。俺の代わりに戦えるリーズがいるからというのもあるが、何より追われるようなことが少なくなったのが一番だ。

 熱が冷めたのかどうかは知らないが、たまたま出逢ってしまうことはあっても、故意な接触というのはなくなっているように感じられる。

 ならばとここは思い切って一箇所に長居してみようと思い経った。

 フレイムヘイズからすれば十年という月日は決して長いものじゃないが、俺にとっては十年もの期間を一つの場所で安全に過ごすというのは大きな意味がある。

 夢にも見たというほど大事ではないにしろ、俺の平凡な生活への第一歩には違いない。

 

「だからお金をなるべく使わないようにしてたのね。女性に野宿を強要させるとか非常識としか思えなかったわ」

「フレイムヘイズに性別は関係ない!」

 

 むしろ、俺のあったことがあるフレイムヘイズは誰も彼もが天下無双で、男を圧倒するような人だった。

 決して悪いことじゃないが、そんな人達と関わっているとなんだか男が愚かな生き物に見えてくるのが不思議だ。女は猛々しい生き物で、男は欲望まみれた醜いものみたいな。

 完全な俺の被害妄想だけど。

 その分、リーズはまだほっとする。

 見ていて可愛いやつだなと思えることがしばしばあるのが要因だろう。

 俺と同じ部屋の時、男と一緒なのは初めてなのかずっとそわそわしてたのはいいものだった。

 

『お、襲わないでしょうね!?』

 

 なんて涙目で訴えられたら、それは振りなのかと思ってしまう。

 思うだけで、その手のものはからかうネタに早変わりさせてしまうのがウェルで、勝手に『モウカが百年早いだってさ』などと言う。

 百年経っても容姿は変わらないじゃないかという突っ込みすらも無視されて、リーズの怒りがその分かりやすい表情から見て取れて、それすらもからかいのネタにするのがウェル。

 そして、怒られるのは俺だ。

 宿なら宿で怒り、野宿なら野宿で非常識と罵られる。

 男の立場って一体。……あれ、俺はリーズ相手にもなんか不利になっていないか。

 そんな俺の悩みを知るはずもなく、リーズはいつもの調子で少し甘く落ち着いた声で言葉を発する。

 

「あるわよ。でもいいわ、もうあまり気にしないことにしたから。今度は宿じゃなくて住居でも構えるつもりなんでしょ?」

「住居だと税を取られるから、悩みどころだけど」

「存在を割り込ませるという方法もあるんだけどね。モウカってあまりそれをしたがらないし」

「成りすますのが嫌だ。自由っぽくない」

「成りすます必要はないと思うんだけど、固く考えすぎだよね」

 

 俺とウェルの会話についてこられないのか、リーズはぽかんとした表情だったが、一つの見知らぬ単語に反応して、小首を傾げる。

 

「存在の割り込みって何?」

「フルカス説明!」「``盾篭``説明!」

「お主らは……ふむ、存在の割り込みとは──」

 

 面倒事は他人に任せるのが流儀なのさ。

 その名の通り、存在の割り込みというのは他者の存在に自身の存在を割り込むことによって、他者の立ち位置に自分が成り代わること。その際には、世界への影響が少ないトーチに成り代わるのが通例である。これは割り込んだものの役割を割り込んだ側であるフレイムヘイズが代わりに担うということになる。

 これが俺が割り込みが嫌だという理由でもある。

 だって、他人の立ち位置とか役回りとか考えるだけで面倒だし、束縛感があって嫌だ。

 ウェルはそんなの関係なしに自由にやればいいと言うんだけどね。

 どうせ自分の子供が、親が、知り合いが変わったところで人間は不思議だと疑問は持っても最後は受け入れてしまうのだから、と。

 この有り様は今のこの世界と同じだ。

 異能や異常が常日頃起きているはずなのにそれが公表されずに誰も知らないでいるのは、おかしいおかしいとは、思ってもありえないことだと信じられないことだと自身の常識で測ってしまい、現実を直視できないこの世界の仕組みと同じなのだ。

 だが、そうとは分かっていてもやっぱり気にしてしまうのが人の性。というよりは、心配性な俺の性。

 不便だと思うなかれ、これでもその心配性がたたってこうやって生きている。

 

「そんなことが出来たのね。じゃあ、私の知り合いも気付いたら、違う人になってたなんてことも」

「いや、リーズに知り合いはいないんじゃ──ああ、そんな怒った顔するなって。悪かった、悪かったよ。や、やめろ。槍だけはマジ勘弁。あぶないって!」

 

 相変わらず顔の表情や思考の読みやすいリーズだが、行動が昔に比べて過激になった気がする。昔の反応は可愛い物で、表情を読み取られても苦渋の表情で、なんとか隠そうと必死になっていた。その必死さも容易に伝わるからもっと面白──可愛かった。

 だというのに、月日は残酷で純粋な少女は穢を知ってしまった。

 隠せないなら脅せばいいじゃない。

 きっとそれが今のリーズの思考回路だ。

 真の恐怖は身内にいるとは。

 ``紅世の徒``に殺される前に、リーズの槍で突き刺される日のほうが近いんじゃないかと思う今日この頃。

 今のリーズの実力では、逃げる俺をそのご自慢の槍で貫けるかは疑問だけど。数百年の歴史は伊達ではない。

 逃げたことしかないけど。

 

「それでどうするの? ウェパルの言ったとおり、割り込ませるのが一番順当だと私も思うわよ?」

「ふむ、我が子のいい経験にもなることだしの」

「賛成二票だよ。どうする、モウカ?」

「そうみたいだけど俺はやっぱり遠慮したいな。ということで、二人の意見を無視して当初の予定通り宿屋の一角を借りる方向でいきます」

「結局、宿屋じゃない」

「モウカは宿屋好きだからねー」

 

 リーズが溜息をしながら呆れた声を上げて、ウェルはやっぱりねと理解の声を上げた。

 だっていいじゃん宿屋。お金を払っとけば食事も出るし、部屋も自由に使えるし、今の時代は身分証明もいらない。

 俺の中では住居を構えるなんてよりよっぽど楽で冴えたやり方だ。

 

「そうと決まれば、今夜侵入だな」

「門番を介さずに夜中に侵入……さすがモウカ、行動がものすごく姑息だよ!」

「なんか板に染み付いてるって感じよね」

「ふむ、やけにその言葉が似合っておるしな」

「ここはきっと、『すごく言いたい放題言われてるよ!』と怒るべきなのかもしれないが、残念だったな。もはやそれは褒め言葉だ」

 

 逃げることは悪いことじゃない。

 姑息なことが卑怯なことじゃない。

 どれもこれもが俺の性質なのだから。

 言いたいだけ言えばいいじゃないか。ウェルにいたぶられ続けたこの心は容易な言葉じゃ折れることを知らないのだからな。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 街の中を探検と称して散歩するのは、旅の醍醐味であると密かに俺は楽しみにしている。今まではおおっぴらに世間を歩けないような立場だっただけに、余計に普通に歩けるのが嬉しくて浮かれ気分になる。

 街に活気がなかろうが俺の気持ちに変化などあるわけもなく、俺は今この時を充実であると断言して、街中を陽気に歩く。街並みをキョロキョロと田舎者のように、不慣れな街を見て回る。

 この街の変わった様子は何であろうか。この街で面白そうなものは何であろうか。危険な場所は。厄介事になりそうな場所は。

 しばらくの拠点にする場所なので念入りな確認作業も同時に進行していく。

 だから、ついつい前方が不注意になりがちで人と当たってしまうなんてこともあった。

 ウェルはあえて教えてくれず、リーズはそれでもフレイムヘイズかと少し面白可笑しく言う。フルカスは無言を貫く。

 誰か親切な人はいないのだろうかと思いつつも、原因は俺にあるのでぶつかった相手に頭を下げて謝る。

 大抵の相手は無愛想に、それに返事もせずに完全にスルーされたが、

 

「おっと! こっちこそすまねえな」

 

 この人物だけは比較的気さくに返してくれた。

 がっしりした体格の大男だった。

 見た目とは裏腹な友好的な態度なのだが、とても温かい何かを感じさせてくれた。おそらく、この街に来て宿屋以来での冷たい態度以外の態度だったから余計にそう感じたのだろう。

 これは……この人との友好を結べられればこの街でうまくいくきっかけを作れるのではないだろうか。

 そう思ったのだが、

 

(モウカ、こいつ!)

(みたいだね。残念極まりないよ。でも、向こうがこっちをフレイムヘイズだと気づかれなければ)

 

「あークソ。なんでこんな所にいるんだ。それもよりにもよって『荒らし屋』の『不朽の逃げ手』に会っちまうなんてよ。こりゃあ俺ら``百鬼夜行``東欧便も引き上げ時か」

 

 運命はなんと残酷なことだろうか。



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第二十三話

『ふむ、詳しいことを教えてくれと言われてもな』

 

 俺が何故に『大戦の立役者』などという仰々しく決して似つかない二つ名が付いたのかを、二つ名の存在を教えてくれたフルカスに問いただしたのだが、本人はもっぱらそういう噂があったと言うだけで、発生源を俺が知ることは出来なかった。

 その代わりに理由は予想がつくらしく、その理由とはあの大戦において俺の自在法である『嵐の夜』がかなり目立ってしまったことが挙げられるらしい。

 なるほど、確かに目立つといえばあれは相当に目立つ自在法であるのは間違いない。嵐という名前をつけたことからも、十分に伺い知れることだろう。規模は俺自身を纏う程度の超小規模から、戦場をまるまる包み込む超大規模まで、存在の力の入れ具合で様々な変化を遂げさせることが出来る。

 大戦の時ほどの広域を嵐で覆うなんてことはこの先ありはしないだろうが、一度やって見せたので相当インパクトがあったのかもしれないとは思う。

 噂が噂を呼んで肥大化、だなんて話はありがちではあるが現にそうなってしまっていると考えられる。

 そうでもなければ、俺が『立役者』などという、いかにも活躍しましたという称号を手に入れることなど無いのだから。

 『大戦の立役者』については、この``紅世``の``隣``のこの世界でも噂がどこまで広まっているのかどうかまでは分からないが、少なくとも``紅世``には多少なりと顔が知れてしまったことになる。これは、今後に敵として現れる``紅世の徒``や味方として現れるフレイムヘイズにも影響が出かねないということを示すが、正直言ってこの影響を止める手立てはない。今の俺には思いつかない。

 なるようになれとはまさに自暴自棄な考え方かもしれないが、俺の考え方なんてそんなもんだ。

 俺への影響というのもきっと計り知れないのだろうが、それだけに予測できないのだから、その噂の肯定も否定もできない。

 本当に鬱陶しいな、この噂は。

 もっとマシな噂はなかったのだろうか。

 俺を敵に回すのは絶対にやめたほうがいいとか、そっとしておいてやれよとか。

 ついでとばかりにフルカスに尋ねたら、『ふむ、我はそれほど噂に頓着しないのだ』と答えた。遠まわしに噂話などあまり知らない、特に知る気もないし調べたこともないというものだった。

 それならしょうがないかと簡単に俺も諦めた。

 そんなやり取りが十年ほど前に行われて、十年の時を超えて今、真実を知ることができそうだった。

 

「そりゃあおまえ、大変だな!」

 

 がっはっはと今にも大声で笑い出しそうに大柄な男──人化の自在法を使っている``深隠の柎``ギュウキ。この世をありのままに跋扈し、欲望のままに生きる``紅世の徒``の一人。

 ``紅世の徒``といえば、フレイムヘイズの討滅の対象であるが、しかしこの``紅世の徒``は、この``紅世の徒``の所属している小さな集団``百鬼夜行``は変わっていた。

 それはまるで俺自身の鏡のような、そんな有り様に近い存在だった。

 ギュウキは嬉々として語ってくれた。

 

『俺たち``百鬼夜行``つうのには、一つのモットーがあるんだ。「安全運転、安全運行! 危機に対さば、即退散」てな』

 

 だから俺のような、俺の鏡のような存在だったという訳だ。

 これは彼らの本質ではない。

 彼らの本質はあくまでも運び屋であり、逃げることではない。

 俺の本質はあくまでも生きることであり、逃げることではない。

 ただし、俺も彼らも同じくとしてその本質を保つために、固持するための手段として『逃げる』を選択している。

 まさか同じ信条を持っているお仲間に出会えるとは思ってもいなかったが、そのお仲間が敵である``紅世の徒``というのはなんという皮肉なのだろうか。

 だがもちろん俺にとって``紅世の徒``とは、

 

『俺の命を奪わないなら特に問題はない』

 

 の一言に尽きる。

 だからこそ、リーズを先に帰らせ警戒心を下げさせて、こうやってお互いが顔を面と向かわせる会談へと漕ぎ着けることが出来た。

 仮にこの場にリーズがいたら、討滅するという選択肢がもしかしたら彼女の中には出来たのかもしれないが、俺に限って言えばそんな選択肢はないので``百鬼夜行``にとってもこの会談は悪くはないものだろう。

 だが、お互いに立場が立場なので、お互いがお互いの意見や言葉の信憑性を信じるか否かは実に怪しいところだった。

 向こうの信条が実は偽りかもしれないし、俺の信条が偽りだと思われているのかもしれない。

 真実を掴むというのには壁があまりにも分厚すぎるが、こういった機会は中々に得られないものなものであり、通常ではありえないことなので訝しんでばかりはいられない。

 この場はただの談笑ではなく情報のやり取りのための場。元よりそういうつもりで向こうも話しに乗ったのだろうから。

 俺が最初にギュウキに聞いたのはやはり数々の異名のことだった。数々とは言うものの一つはフルカスが呟いた『大戦の立役者』という言葉。もう一つは俺との出会い頭に自身の不遇の出会いに文句を垂れたときに言った『荒らし屋』という言葉。この2つの真偽についてだった。

 真偽とは言ったが、ギュウキがとっさに呟いたことからも、こっちの世界でも一定以上の知名度を持ってしまっていることは確かな事実であることが分かった。問題はその広まり具合だ。

 

「まさか、あの『不朽の逃げ手』がその名の通り、単に逃げることに長けた自在法が得意だとは。面白いものだ」

 

 俺の言葉をそのまま鵜呑みにしてはいないだろうが、一応は信じてくれたらしい。

 

「フレイムヘイズが平和に生きたいだなんて願うのは、到底信じられねえがな」

 

 やはり全てを信じるわけではなく、その言葉には疑いの色が混じっていた。

 俺の目を見つめ、その信憑性を図っているところも抜かりない。

 どうやらこういった情報のやり取りには、手馴れているようでもある。

 

「信じてもらえないでも結構。重要なのはその先の情報だ。どういった話が``紅世の徒``間で広がっていて、どの程度広がっているのか」

「それを知ってどうするんだって思うんだがよ。まあいい、それを教えたところで不利益があるわけでもねえし」

 

 彼はどちらかというと守銭奴のようだ。利益不利益を考えて行動する性質。

 ``百鬼夜行``という集団の中で頭目という役割をこなしている人物としては当然の考え方なんだろう。

 何が利益につながって、何が不利益になるのか。

 会社となんら変りないな。

 

「俺らの間での共通の認識はまず珍しい奴だな」

「それは自在法の観点? 戦い方?」

「性格に一票」

「俺の性格を知っている``紅世の徒``なんていないだろ。というか、余計な口をだすなよウェル」

「色んな意味でだ」

 

 場と時を弁えないウェルの冗談交じりの言葉は、場を微妙な温度にする。

 冷え切っているよりはいいと思うが、緊張感を完全に無くすのはちょっと困りものだ。

 リーズなんかが彼女を苦手とするのはこういったところかもしれないな。あいつは自分のペースが乱されるのを嫌がるから。

 ギュウキは俺の先を促す言葉を神妙に受け止めながら、これはあくまで乗客から聞いた話だがと前置きをしてから語ってくれる。

 

「『大戦の立役者』についてだが、あの戦いを生き残った``紅世の徒``たちの一部が発生源だ。これまた噂だがあの``仮装舞踏会(バル・マスケ)``もおまえに関して興味を持ったとかいう話もあったな。信憑性はハッキリ言って皆無だが」

「``仮装舞踏会``か……これまた大きなところが」

 

 事実上``紅世の徒``の最大組織である``仮装舞踏会``からも、目をつけられている可能性が低くくはあるがあると言う。

 一体俺が何をしたっていうんだと、公の場で公言して俺が無実であることを訴えたいところなのだが、思った以上のその異名の広がりあるようで、撤回が非常に厳しい状況にあると言える。

 そうなると撤回をするという選択肢がなくなり、この二つ名を逆に利用する方が良さそうだと思考を切り替える。

 諦めも肝心だというしね。

 ことこの二つ名に関してのメリット・デメリットはすでに熟考済み。

 メリットといえば、二つ名の効果で俺に対して畏怖を抱き近寄りがたくする効果。結果として戦いを少なく出来る。

 デメリットは、この世界に名を馳せたくて俺のクビを狙ってくる可能性があること。その為だけにわざわざこちらの世界に``紅世の徒``が来るとは思えないが、何かしらの組織で、何らかの意図を持ってということなら十二分にあり得る。

 戦いを避けられるようになる可能性と戦いに巻き込まれる可能性の二面性を持っている。

 もしかして最近、俺目当ての戦闘が無いのはこの異名のせいなのか?

 

「それに加えて、おまえは自在法を使わせたら場をかなり荒らすんだってな? それが『荒らし屋』なんて言われる原因なんだろうよ。俺たち``紅世の徒``は見たまんまにそういうのをつけるからな。分かりやすさ重視ってやつだ」

 

 嵐だからねーとウェルは声にならない声で俺に言った。嵐だもんねーと返答。

 街を巻き込んだら民家とか平気でかっ飛ばします。人なんて軽々と吹っ飛びます。手加減はできるので、人の居そうな場所では最低限度の嵐にして、居ない場所での戦闘では可能な限り全力で雨風を展開する。

 ``紅世の徒``が風で飛ぶことなどまずありえないが、多少の妨害にはなっているとは思う。鬱陶しいな程度には。

 そういう意味では俺の戦闘スタイルというのはかなり過激なのかもしれないと少し反省した。

 今更過ぎるような気もしなくはないけど。

 

「そんなおまえは俺らにとっては厄介なフレイムヘイズの一人。『そのフレイムヘイズに傷つけること叶わず』なんて言葉が一時期あったぐれえだしな。勝てない敵としては有名だ」

「けったいなことで」

「私のモウカがいつのまにかこんなに成長しちゃって。私は嬉しいよ!」

「ウェル。笑いを抑えきれずに「ぷぷっ」とかいう不快な笑い声を入れながら言うな。笑うか、からかうかどちらかにしろ」

「……おまえらは仲がいいな」

「長い付き合いだから。情報ありがとう。いやはや、まさか直に``紅世の徒``から聞けるとは思わなかった」

 

 俺の出会ってきた``紅世の徒``は、戦闘を好き好んで嗜むヤツらばかりで、何を勘違いしてか襲ってきた奴ばかりだ。俺なんて``紅世の徒``がどんな計画を企てていようが、俺に被害なければ無視してやるというのに突っかかってくる。

 わざわざ道の真中を歩いて、自分から事故に遭いに行くようなものなのに、事故に実際にあったら喧嘩腰になる不良かと言いたい。

 彼らにも言い分はあるだろう。

 俺のように自分から遠ざかるフレイムヘイズなんて、今まであったことも聞いたこともないのだろうから対処が分からないのだろう。

 でも、まずは会話を成立させて欲しい。

 名乗り合うことはあっても、``紅世の徒``が己の欲望を顕わにすることがあっても、俺の都合を聞いてはくれない。

 なんという一方通行だろうか。嘆かわしい。

 

「いや、いいさ。こちらとしても有益な情報が手に入ったしな。現在『不朽の逃げ手』は戦いを望んでいないってな」

「ああ、今は甘んじて平和に暮らしたいんでね」

 

 どんなに相手に共感を得ても、どんなに相手がいい奴でも、フレイムヘイズと``紅世の徒``という立場は変わらず、最終的には敵同士という立ち位置は変化しない。時には味方をする``紅世の徒``もいるらしいが、それでも結局は一時的にすぎない。

 だからこの会談上はお互いに友好的に接しながらも、終わってしまえば敵対関係へと逆戻りしてしまう。

 俺が彼らへ与えた情報は『今は平和が一番と考えている』という、かなり制限したものになるのも、敵となる相手に弱点を作らないため、余計な情報を与えないためのもの。

 大層な二つ名も否定もせず肯定もせず現状保持したのも同じ理由。

 

(モウカの慎重さは臆病からだもんね。ここで、『俺は戦闘を否定するーッ!』何て言えば、今後は戦闘になることがないかもしれないのに)

(かもしれないじゃ危ないだろ。それにその発言は下手したらフレイムヘイズも敵に成りかねないんだし)

 

 戦闘をあくまで望んでいるのは復讐者たるフレイムヘイズ側だ。

 その原因は確かに``紅世の徒``であるのだが、喧嘩をふっかけるのは大体はフレイムヘイズと相場が決まっており、それゆえに戦闘狂などと呼ばれる輩もいる。

 ここ数百年になって頭角を現し始めているという『弔詞の詠み手』なんてものが代表格だ。

 きっとえんらい鬼の形相なんだろうな。くわばらくわばら。

 

「相互不干渉。この言葉に偽りは?」

「ない」

 

 漕ぎ着けた先は、百鬼夜行とのこの地域での相互不干渉の取り決め。

 お互いに口だけのものだが、この会談にてお互いに信用度を測り終えた上での決まりだ。

 どちらかが先に破らない限り、しばらくの安全が``百鬼夜行``という集団に関しては確保された瞬間だ。

 情報を得るだけでなく、安全までも手に入った実に有意義な会談。

 

「ではでは、お互いの安全を祈って」

「ああ、今日ばかりは食を共にしよう」

 

 立場など忘れて、晩餐会へと会談は変わった。

 食事の話題は``紅世の徒``とフレイムヘイズに友情と愛はあるか。

 実に楽しい夜となった。

 後にこの事を知ってリーズがウェルから聞き、『何故誘ってくれなかったのよ』と膨れっ面で怒り、槍投げ千の計に俺が処されたのは後日談である。

 ますますコントロールが良くなってきて、変化球も夢じゃないだろう。



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第二十四話

 その存在は、と問われたときにリーズは第一に命の恩人であると答える。

 彼の本意はどうあれ、命を救われたのは間違いのないことであった。十年以上経った今でもその気持ちは変わらず、言葉に出さないが感謝の念も忘れことがない。

 だが同時に、リーズは生きる意味を失ってしまってもいた。

 彼女が真に願っていたことは何一つとして叶うことも無く、自分の命のみが手元に残ったのが彼女の現状であった。

 生きている意味なんて無いのに。

 そう考えたのも一度や二度ではないが、自殺を図ることは命を助けてくれた恩人の事を考えると出来るはずもなく、無闇矢鱈に命を持て余すことになった。それもほぼ永遠という時を。とても、とても長い時間だ。

 はや十年という時を過ごしたことになったが、人間にとっては長い時間でも、彼女らにとってはこの十年という年数も短い時に含まれる。

 

(退屈な十年ではなかった)

 

 どう生きればいいの、と生きる意味を求めて彼と共に歩んで来たがその答えは今も見つかっていない。

 だというのに、この十年は不思議と生きていることを満喫できたかのように思える。

 ふとした拍子に楽しいと思える時間があった。

 暇つぶしにと始めた素振りが、戦闘技術が、自在法が思ったよりも楽しくて夢中になることもあった。

 ただ、これが生きる意味かと問われれば疑問に変わる。

 楽しいから生きるというのも、それはそれでありだとは考えるもののその考え方はすごく適当で、曖昧なもので崇高と言えなかった。崇高だからいいという訳でもなく、崇高さを求めるならそれこそ世界平和を生きる理由とすればいい。リーズはフレイムヘイズなのだから、使命を負って、``紅世の徒``を討滅すれば晴れて世界を守るヒーローの仲間入りだ。

 何度か``紅世の徒``も討滅している。

 リーズ一人の力ではなかったが、最低限の使命は果たす程度には働いた。

 深く考え過ぎなんじゃないだろうかと思うこともあった。

 そんないちいち細かいことなど気にしないで、好きなように、自由にありのままに彼のように生きればのではないかと何度も思った。

 彼の生き方はリーズが隣で見ていて実に清々しいものだった。

 純粋に生きることのみに力を注ぎ、人生そのもの全てを生に賭けている。死ぬということに人並み以上の恐怖を感じていて、死から逃げようと必死に足掻く。見る人によっては醜いものなのかもしれないが、リーズにとっては美しいとすら感じさせてくれる。

 それこそこんな『生きる意味』なんてものに拘っている自分が馬鹿に思えるほどに。

 その当の本人はというと、

 

「この食べ物の食べ方ってどうやって食べるんだ」

「殻ごと食べれば? フレイムヘイズだから何食べたって大丈夫、大丈夫」

「あの悲劇を繰り返すぞ……」

 

 初めて見た海鮮料理の食べ方に四苦八苦しているようだった。その姿からは到底数百歳になるフレイムヘイズには見えない。

 長い貸切状態を続けている宿の一角のため、普通のお客とはちょっと違う待遇を受けつつある。料理は食堂ではなく個室に運ばれ、時間の融通が効き、メニューの注文まで受け付ける。こと料理だけでもこれだけの優遇であった。

 十年分の宿代を一気に払った前代未聞の行動で、驚きのあまりなのか嬉しさのあまりなのかは分からないが宿屋の長の女将はリーズとモウカに破格の待遇をしている。

 優遇されること自体は困ることでもないので、こうやって部屋で気兼ねなく暮らせるのは相当の得ではあった。

 最初の頃こそ、警戒してからか極力ウェパルもフルカスも声を出さずにいたが、今ではこうやって平然と声を出していた。

 この場所が人目を気にせずリラックスできる証明のようなものでもある。と言っても、リーズの記憶の中では切羽詰まったウェパルの姿というのは思い浮かびもしない。いつも呑気に、それこそ契約者のモウカよりも気ままにやっているイメージが強い。

 ウェパルの天真爛漫ぶりはリーズの苦手とするところではあった。

 

「悲劇って何かあったの? 昔に」

「あー、それはね。モウカが」

「何でだろう。この話にデジャヴを感じる」

「数百年も一緒に生きてたなら同じ会話くらいあるんじゃない?」

「いや、ウェルの場合はわざと俺に傷心を与えるためにという可能性があるからな」

「酷い``紅世の徒``も居たもんだね!」

「お前だよ!」

 

 リーズは、あははと思わず苦笑した。

 こんな会話が、平和な日常が楽しいと感じられているのを自覚していた。もし、フレイムヘイズになっていなければ、こんなに楽しいことは体験できずに死んでいたかもしれない。楽しいという感覚を得られないまま、ひたすらに家族愛を求めて狂っていたかもしれない。

 私もいよいよ毒されてきちゃったかなと少し嬉しくリーズは思う。

 今はもう何も無いわけではないと自信を持って言える。

 だからリーズにとって、この関係はいつまでも続いていて欲しいものだった。

 

(なら、私の今生きる意味は)

 

 答えは朧気ながらも見つかり始める。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 気候が厳しい場所でも木は根強く根を生やし、壮大な林や森を作り上げている。シベリアも遠いわけでもないこの地域は冷え込みが激しく、この地方の気候に慣れている人間ではないと、とても生きづらい地域である。その為訪れる人は少なく、そういった意味ではモウカたちフレイムヘイズは十分に浮きやすい存在ではあった。

 ただでさえ、欧州では珍しい容姿を持つ日系のモウカは目立ちやすい要素が多い。

 それなのに余り目立つこと無く、ほどほどに馴染むことができているのは、己が内にある存在の力を制御することによって他者にあまり干渉されないようにしているからである。

 不老であるフレイムヘイズは年月が経てば周りから訝しがられるが、十年という人間にとっては非常に長い年月を誤魔化せるのはこういった処世術があるためだった。もちろんそれだけではなく、モウカは目立たないように目立たないようにと慎重とも臆病とも取れるほどに、細心の注意を払っている。そして、これがモウカの日常でもあった。

 前までは、そんなモウカの行動を行き過ぎなんじゃないかと疑問を抱いていたリーズだが、今となっては彼の理解者となり、彼女自身も目立つ行動を取らないようにしていた。

 彼らはただこの平穏な日常で生きているわけではもちろん無い。いつか来るであろう戦いに備えて、いつも準備は怠らない。その準備の光景は主に、生い茂る森の一角にて見ることが出来た。

 

「うん、すっかり練習場っぽくなったな」

「あんだけ私が作った刀で木を力任せに斬ってたらそうなるわよ……無理な使い方して何本折ったことだか分からないじゃない」

「いいじゃん。いくらでも作れるんだし」

「存在の力を浪費するでしょ!」

「大したことないじゃん。それに俺って実はあまり存在の力を使い切った試しないよね」

「モウカは色んな意味で特別だったからね。この世界への影響が意外と大きい存在だったのかもね」

 

 過去へのトリップという前代未聞の出来事を体験したモウカは確かに特別とも言えるのかもしれない。その事象が起きた理由が未だに明白となっていないが、自在法という存在の力を使えば出来ない事の無い自由な世界において、可能性は無数に存在はしていた。

 自在法だけに限らず宝具というこの世の神秘の塊もある中で、不可能という言葉はあまりにも軽率過ぎる。逆に言えば、追求しようとしても簡単に検討がつくことでもないことを表している。

 モウカ自身は、そのことにはフレイムヘイズになる以前に諦めはついていたが、理由を知ることが出来るのならば、知ってみたいとも思っていた。未知なる体験をモウカに経験させてくれたものへの興味からである。けれども、当然ながらそれを知ることに危険があるのならば、いとも容易く諦めるだろう。

 

「羨ましい限りね」

「羨ましい……羨ましいね。俺は逃げることをせずに、正々堂々と生きていけるリーズのが羨ましいんだが」

 

 モウカのその言葉に、はてとリーズが小首を傾げた。

 逃げることでしか生を掴み取れないモウカと、逃げることも戦うことも選択できるリーズ。モウカには最初から選択肢など存在しない。生きたいのならば逃げるしかないという現実があった。

 戦い方に優れた力を持っていれば、戦うことに恐怖を抱くような性格でなければ、人を本気で殴った経験があれば、モウカはもしかしたら``紅世の徒``と正面から渡り合っていたかもしれない。今頃は内に眠る存在の力の総量から、今世最強のフレイムヘイズだって夢じゃなかったのかもしれない。

 しかし、現実は彼に戦う術をもたらさなかった。

 武具の扱いや立ち回りはどんなに目で見ても素人以下で、死ぬという恐怖をいつも背負い、人を本気で怒ることすらも躊躇する。

 

「全く分からないわけじゃないだろ?」

「うん、なんとなく検討はついてる」

 

 いつだったかリーズは一度だけモウカと戦ったことがある。``紅世の徒``との戦いの前に、少しでも実践に慣らしておこうとリーズが模擬戦を提案したからだ。

 当たり前だがモウカは嫌な顔を隠そうともせず、そんなのいらないよの一点張りだった。俺はいきなり本番だったしと実体験を含めてリーズを諭そうとするが、あきらめの悪いリーズを見かねて一度だけねとやったことがあった。

 モウカの自在法の特性上、下手な行動は``紅世の徒``に見つかる可能性を考慮して、大規模な実践さながらの模擬戦ではなく、こじんまりとした鍛錬のような模擬戦となった。

 勝敗条件はどちらかが決定打を打つことで、時間制限付き。

 リーズは自分で提案したものの、本当の所は相手としてモウカは不服だった。

 彼女がモウカの力の一端を見たことがあるのは教授の一件だけであり、実際に戦ったところはおろか、力を振るっていることすらも見たことがなかった。

 フルカスが言うには大した力の持ち主らしかったのだがイマイチ納得は出来ず、これを機に実力すらも見極めようといった一面もある。

 予想は良い意味で裏切られた。

 モウカの自在法の汎用性の高さのせいで攻撃が全く当てられない。煙で巻かれるような錯覚に陥られる彼の戦闘スタイルは厄介以外の何物でもなかった。

 モウカは自身のことを俺はフレイムヘイズの底辺の中の底辺、最弱のフレイムヘイズだと言う。

(弱いと言うには弱かった。でも、弱いからって勝てる相手でもなかった)

 

 たまに牽制のためなのか反撃をしてくるが、その攻撃は全く脅威となりえない。本当に牽制以外の用途のないようなものだった。リーズが嘗て作って渡した剣を投げてくるなんてお粗末な剣の使い方だった。

 自分のあげた剣が無様な扱われ方をして少しリーズはイラッとし、その苛々を発散しようと繰り出した攻撃はモウカに当たることついにはなかった。

 タイムアップによる結果は引き分けだったが、内容としては必死に攻撃に出て全く当てられなかったリーズの負けだった。 

 

『今回引き分けだったのは、時間制限があったからね。逃げ切ればいいだけだし。これが時間のないものだったら、途中で諦めて降参してるよ』

 

 やれやれと言った顔でモウカはそう言ったのだ。

 その言葉に嘘がないのは、当時まだ共に旅を始めたばかりのリーズでも分かった。

 だが、リーズにとっては簡単に超えられるはずだった壁だったのだ。それが予想だにせず大きくそして分厚かったことを知ったことになった一件である。

 

「よし、雑談もそこそこに練習するか」

 

 この空間を作ったのは自在法の練習をするためである。街中ではもちろん、人の目に付く場所ではあまり見せられないことをするには、森の中など人が立ち寄らない場所にスペースを作る必要があった。ここはただでさえ気候が厳しい場所なので、少し人里から離れれば人影は極端に減る。まして陽の当たらない鬱蒼とした森林の中は冷え込む。

 人間の誰が好き好んでこんな場所に来ようかという場所は、フレイムヘイズにとっては絶好の場所だった。

 最初の頃はリーズの自在法の練習などは全てウェパルに投げていたが、今はモウカも一緒になって教えたりしている。

 ちょっとした心変わり。

 

「現在のリーズの戦い方に関して文句はないから、根本的な自在法の質の上昇が一番の課題だ」

「重装の騎士装甲に左手に盾を持って押しつぶす。右手に剣や槍を持って直に斬りつける、貫く、投げる。戦いに文句を言う言わないじゃなくて、自分に出来ないことだから言えないんだよね」

「うるさい。戦い方なんて知るか。攻撃が当たらなければいいんだよ! ああもう、ウェルがいると話が横道に逸れる」

 

 モウカが地団駄を踏みながらも、邪魔をするなよとウェパルに無駄と分かりながらも忠告をすると、ウェパルは笑いながらもハイハイと適当に了承する。

 絶対に分かっていないだろとウェパルを除く三人が内心で突っ込みつつも、モウカが咳払いをして続きを話しだす。

 

「まずは創りだす武器の強度を上げること。木をぶった斬った程度で折れるなんて話にならない」

「それは貴方の使い方が悪いだけじゃない。私が使ったら三本まで折れずに行けたわ」

「三本で折れる刀なんて使えるか! 折れる理由は自在式に無駄なものが多いのと、イメージの固執だと思う。もっと強い刀をイメージすればいいんだ」

「ふむ、自在式の無駄に関してはこちらも同じく余計な念があるからだな」

 

 リーズは分かったわと返事をしてから、目を瞑って刀を思い浮かべる。

 強い刀を打つ自身を想像して、どういった形状をしているのか、どんな風に扱うかまで明確に定めていく。イメージが明確に定められた刀を存在の力で具現化させようとするが、その前にモウカの声が待ったをかける。

 

「そういえば、自分の父親が作った刀とかを想像したらいいのが出来るんじゃないか? 幼い頃から見続けただろうし、明確に思い浮かべられると思うぞ?」

「やってみる」

 

 作りかけた刀のイメージを分解し、再度創り上げる。

 リーズの思い描く父親が作った最高峰の刀。貴族が寄ってたかって買いたがった本当に作られた至高の作品を思い浮かべる。

 簡単に浮かんだその刀の形や性能を存在の力で具現化させて出来上がった刀は、今までとは見た目だけでも十分に今までと違うと分かる逸品が出来た。

 その出来に思わずおおと唸り声を上げたモウカは次に、

 

「いい出来だね。記念にその刀をくれないかな。今のなまくらじゃちょっと役に立たな──」

 

 リーズの投げ槍で、口を塞がれた。

 

「私の作った刀がなまくらで悪かったわね!」

 

 拗ねてリーズは先に宿へと帰ってしまった。

 一人ポツンと残されたモウカはほんの冗談だったのにと言葉を零したが、さすがにそれはモウカが悪いとウェパルがモウカを非難した。

 

「でもまあ……」

 

 実に平和な日常風景だなと感慨深げにモウカは思った。



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第二十五話

「初めまして、というのは些かながら変かもしれないが」

 

 突然の訪問者だった。

 何の前触れもなく、いきなり現れたそれは俺の旧知の知人だと名乗り、この宿の女将さんに通されてやってきた。

 油断はしていない。すでに平和な日常が五年間もやってきて、戦いとは遠ざかっているものの、数百年間も今まで戦い続けたのだ。そう簡単に鈍ってもらっては困る。平和な日常でも、常に注意と警戒を怠らず、いつでも逃げる支度を欠かさない毎日だった。そんなんで気が完全に休まるのかと聞かれれば、嘘でもハイとは言えないが、それだって俺の中ではすでに日常なのだ。

 誰にも襲われること無く、誰かを襲うこと無く、非常に有意義な時間なのだ。その時間を俺は決して失いたくない。だからこそのいつでも忘れない警戒心がモットーだというのに、あまりにも簡単にその訪問者は──``紅世の徒``は俺の元へとやってきた。

 それも無防備に、何の敵意すら無く、むしろ友好的に接してきた。

 俺は何が起きたかも状況を把握できずに、ぽかんとただ彼女を見つめるばかりだった。隣ではリーズが俺に顔を向けて誰と言いたげだった。

 誰だこいつとは俺の言葉だろうに。

 見たことのないその``紅世の徒``は女性の姿をしており、とても希薄な存在。触れてしまえば簡単に崩れて消え去ってしまいそうな感覚に陥られるほど。まるでトーチのように軽い存在だった。

 トーチ。そうだ、まるでトーチのようなのだ。

 いくら存在が希薄でも``紅世の徒``である異常は、何よりも敏感な俺が全く気付かないなどというのはありえない。ありえてはいけない。自信過剰というわけじゃない。先に発見して、先手を打たなければ簡単に消し去られてしまうほど弱い俺には、当たり前の自衛力なんだ。取り柄とも言える。

 それがいとも容易く目の前に``紅世の徒``に取り柄を潰されてしまった。

 急に現れたことへの驚きだけではない。数百年で築きあげてきたプライドも一緒に完膚なきまでに打ちのめされたのだ。

 

(モウカしっかりして!)

(え、あ……ああ)

 

 言葉が出ずに呆然としていた俺にウェルに呼びかけられて何とか意識を相手に向けて、警戒を再開する。これが敵対的な``紅世の徒``なら俺は死んでいただろう。

 そう思うと大したこともないプライドが打ちのめされただけで呆然としてしまった俺は俺に腹が立つ。こんなことで、こんな簡単なことで命を失っていたかもしれないと思うと後悔が絶えない。

 自分では衰えていないつもりだったのだけど、ここ五年でたるんでいたのかもしれない。

 リーズが仲間になり戦闘要員が出来て、ますます上昇した生存率に甘えていたのかもしれない。

 反省点は多いが、しかし、まずは目の前の相手を見なくちゃいけない。

 せっかく敵意無しに友好的に接してくれたのだ、無下にはできない。だからと言って警戒を解く訳にはいかないが。

 

「初めましてが変だなんて言うんだから、過去に会ったことがあるってことだよね? ウェル、記憶にある?」

「ない。そもそも``紅世の徒``なんていちいち覚えてない」

 

 ずぼら過ぎるウェルに聞いた俺が馬鹿だったかもしれない。リーズは端から頭にはてなマークを浮かべているので聞くまでもないだろう。それに、ずっと一緒だったのだから彼女が知ってるということは、直接俺も知ってるということだし。

 ``紅世の徒``が何しに来たかは分からない。もしかしたら慢心していた俺に警告しに来たのではないかだなんて思考したが、すぐに却下する。何でわざわざ``紅世の徒``がそんなことをするんだ。

 それならわざわざこんな辺境の地にこの俺になんの用だというのだ。

 疑問は尽きないが、相手の真名を聞けば分かるかもしれない。五年前の``百鬼夜行``という集団の一味の可能性だってある。

 それじゃあ自己紹介でもと俺が切り出そうとする前に彼女が言葉を放つ。

 

「そう言えば、名を名乗るのは初めてだったかもしれないな。今は``屍拾い``ラミーと名乗らせて貰っている」

「聞いたことがないな。俺のことは訪ねて来たくらいだから知っているとは思うが『不朽の逃げ手』モウカ。契約した``紅世の王``は``晴嵐の根``ウェパル」

 

 俺が紹介するとどもーとウェルが気軽に挨拶をする。

 続けてリーズを紹介しようとすると、リーズが俺の声を遮って自ら名乗る。

 

「私が『堅槍の放ち手』リーズ・コロナーロ。``盾篭``フルカスの契約者よ。よろしく」

「よろしく頼むよ。聞いたことがない名だ」

「ああ、十五年前に契約したばかりのひよっこだよ」

 

 ラミーの問いに俺が答えると、十五年前と呟いてからそうかと頷いた。

 もしかしたら強制契約実験の時の生き残りだというのが今ので分かったのかもしれない。だとすれば、相当に頭の回る``紅世の徒``だ。

 敵にしたら厄介そうだ。

 しかし、それほど頭の良い``紅世の徒``なら、少しぐらい名が売れていてもおかしくないというのに、皆目検討もつかない。

 

「ラミーでは通じぬか。なら、君ら相手では本当の名の方が都合がいいだろう。信頼も出来るフレイムヘイズなことだからな」

「それは……買いかぶり過ぎじゃないか?」

 

 俺の言葉にウェルとリーズがそうそうと同意の声。

 そこまで首を縦に振られるのは、若干ながら心が痛くなるのだが、そんな二人は置いといて俺が信頼できるフレイムヘイズ? それはどこの誤情報だ。最弱なフレイムヘイズという情報ならあまりにも的確すぎて涙するのだが、信頼された全くない覚えはない。

 俺が他のフレイムヘイズや``紅世の徒``との接触が他のフレイムヘイズに比べてかなり少ないというのも理由の一つだ。

 信用、信頼を置ける中なんて隣にいるリーズくらいしか思い当たらない。

 しかし、そんな俺の疑念を振り払うようなことを、一言ずつラミーと名乗った``紅世の徒``は言う。

 

「『大戦』

「……!?」

「『強制契約実験』」

「ぬぐぐ…………」

「``百鬼夜行``」

「よし、分かった。そろそろ俺の胃を虐めるのはやめてくれないか! フレイムヘイズとはいえ内蔵器官系はすぐには治らないんだ」

「それはすまなかった。君があまりにも心当たりがないなんて言うもんだから、ちょっと思い出させてあげようと思っただけなんだ」

 

 こいつ……意外とS気があるぞ、という言葉は飲まずにウェルに声ではない声で悔し紛れに言う。ウェルからは本当にいい性格してるよねという返答をもらったが、その言葉はそのまま彼女に投げ返したい。

 矛先を目の前の口では敵わないと理解できた相手から相棒へと向け、あくまでも外面は笑顔を保つ。リーズは俺がどんな心境なのかまるで分かっているかのように含みを笑いをするが、この際は無視。

 

「君たちの噂はかねがねと言ったところだ。尤もそれとは違う予測も私の中では構築されてるんだがね」

「噂とは違う?」

「あえて語るほどのものでもない。確信のない予測だよ」

 

 話が横に逸れてしまったねと微笑みながら、ラミーは軌道修正を計った。

 俺とウェルの会話なら確実に横道から帰ってこれず、気付いたら獣道に入っていたなんてことが多々あるからありがたい。

 君との会話はなんだか楽しいねと嬉しいことを前置きにしてから、彼女はもう一度自己紹介した。

 

「``螺旋の風琴``という名前に聞き覚えは?」

「リャナンシー……そうか、貴女が」

 

 あまりに有名過ぎる``紅世の徒``の名前だった。``屍拾い``という名前では全く分からなかった彼女との共通点は、``螺旋の風琴``の名において簡単に思い当たる。

 忘れられるわけがないじゃないか。

 あの大戦の引き金の一つとなった宝具だった、宝具にさせられた``紅世の徒``の名前がリャナンシー、つまり彼女だったのだから。それを知ったのは大戦後ではあるが、彼女を見つけ、そこを戦場へと変えたのは他ならぬ俺自身。

 言わばお互いにあの時の当事者同士という訳だ。

 初めましてと挨拶することが変だというのも頷ける。

 俺からすれば彼女が俺のことを覚えていたことのほうが驚きなんだけどね。

 大戦の件がなくとも彼女の名前は``紅世``最高の自在師として馳せている。彼女に並び立てる他の自在師といえば俺の天敵とも言える教授を他に置いていないと評されるほど。

 ……え、これって褒め言葉なのと一瞬思ってしまうが、これは想像以上にすごいことだ。教授というと、どうしても変人で奇天烈な奴と安易に思い込みがちだが、奴の発明は、自在法は他を寄せ付けない独創性や多種多様に渡る圧倒的な数がある。それの一つ一つに実用性があるとは言い切れないが、自在法を編み出す自在師としての観点から見れば、彼は間違いなく天才だ。

 そんな変態と同列に並ぶのが彼女、``螺旋の風琴``リャナンシーである。

 彼女は、教授の実用性を問わず好き放題に量産するスタイルとは異なると言われているが、実際のところは俺は知らない。

 彼女の姿の目撃情報すら最近では全く聞かなかったのだ。

 

「大戦の時には世話になった」

「世話したつもりもなければ助けた覚えもないからいいよ」

「そうそう。モウカはただ逃げるのに必死だっただけだから」

 

 相手が今では無害とされる``紅世の徒``と分かるや否やウェルの軽口が飛ぶ。

 こいつは少しくらい俺への配慮というのを知らないか。

 それなりに俺にだって体面があるんだ。

 とは言うものの事実だから否定する気にもなれない。

 だから、こういう時はだいたい調子にのってもう一人の相方が、

 

「そうね。大体予想につくわ。戦場を飛び逃げ回っている貴方の姿が」

 

 ふふ、と優しいほほ笑みにも、哀れみを含んだ笑みにも見える笑いをリーズが零す。

 絶対に言うだろうなと思っていたことだから俺の心へのダメージは少ない。

 無いわけではないということを彼女らには是非とも知ってほしいところだが。

 

「こちらも想像はついている。最初から過大評価していないつもりだ。その上で頼みたいことあり、訪ねさせてもらった。時間は大丈夫か」

「ん、俺に関しては大丈夫だけど。リーズは?」

「私も平気よ。面白そうな話も聞けそうだし」

「ということらしい」

「そうか。では、私から君たちに頼みたいのは討滅をしないでもらいたいということが一つ」

 

 これはまた大胆なことを言うな。

 普通の``紅世の徒``ならこんなことを言わない。というか、こうやって面と向かって話し合う機会そのものが稀有なことだから、心では思ってるかもしれないが聞くことはない。

 だがまあ、

 

「相互不干渉というのなら別に構わないさ」

「あの``百鬼夜行``と同じ条件ということか?」

 

 そこもすでに接触済みということらしい。

 いや、もしかしたら彼らから俺の情報を手に入れここに来たという可能性もありえるか。相互不干渉というのは、あくまでも彼らと俺との間であり他の``紅世の徒``全てに当てはまることじゃない。

 彼らの場合は下手したら、事業の邪魔に成りかねないので下手なことは打たないとは思っているが、無害な``紅世の徒``をここへと誘導するなんて誰が想像できるか。

 

「貴方はいつの間にそんな約束を取り付けたの」

「あれ、話してなかったっけ?」

「会った、ということだけ」

「そうか……まあそれはあとでいいとして」

「え……え?」

 

 今はリーズと話をするよりも、リャナンシーとの話を進めるべきだと判断してリーズをスルーする。

 スルーされた本人は、狼狽して「え」と何度も繰り返してキョドっているが、それも放置する。

 リャナンシーは俺とリーズのやり取りに苦笑するも俺へと向き直し、

 

「話を進めても?」

「いいよ。それで、相互不干渉ということでいいの?」

「私としてはそれにもう一つだけ付け加えて欲しい、というよりは許可を出してもらってもいいか?」

「どんな?」

 

 リャナンシーは一呼吸を置いてから、告げた。

 

「ここ付近のトーチを摘ませて欲しい」

 

 そういうことか。

 だから``屍拾い``なんていう通称を名乗っている訳かとようやく納得することが出来た。彼女が偽名とも言える名を、今通称にしているのは、彼女の身の安全を考えれば当然のことだとその事についてはすぐに納得が出来た。

 ``紅世``最高の自在師と言われているがその実は小規模な力しか持たない``紅世の徒``だ。どんなに効率良く存在の力を扱おうが、結局扱える存在の力の絶対量は``王``に比べてかなり見劣りしてしまう。

 ``王``の中でも、相当大きな力を持っていれば、それこそアシズ並みに力を持っている``王``がいれば力技で彼女を捉えることだって可能かもしれない。相当に骨が折れるとは思うが。

 だが、過去に彼女は囚われて宝具へとその身を変えられていたのだ。それに到るまでの経緯は色々あったようだが、そんな過去がある以上は迂闊さは彼女にとって致命傷に成りかねない。まるで俺みたいだなと感想を抱いだ。

 フレイムヘイズにとっては限りなく無害に近い存在でも、``紅世の徒``にとってそれだけ彼女は利用価値のある存在なのだ。

 なら身を隠すために偽名も止むを得まいと思うが、それとは別に``屍拾い``の名の意図は不明だった。だったのだが、トーチを摘むという言葉で理解できた。

 屍とはつまりトーチのこと。トーチは人間の存在の力を吸いつくされ残された吸殻の滓のようなもので、本当の人間は既に死んだのと同義。屍である。

 それを摘むということは残ったトーチの滓を拾い集めていると彼女は言っているようなもので、それの許可が欲しいと言っている。

 重要な話をしているのに、リーズはさっきからなんなのよあいつと、全くその言葉を気にしていない、というか聞いていないんじゃないかと思う。

 

「今までもそうしてきたなら言うまでもないと思うが、影響がでない程度なら。影響が出るようだと面倒なことに成りかねないしね」

 

 暗に別に構わないよと答える。

 存在の力が多分に含まれているトーチを摘むのではないのなら、世界への影響はほぼないと断言できるだろう。トーチという時点でかなり影響は少ないが、念には念をということだ。

 世界の影響とかなんだかフレイムヘイズらしいこと言ってるな、俺。

 

「助かるよ」

 

 ``螺旋の風琴``リャナンシー。

 珍しい``紅世の徒``との接触だった。

 この際だから自在法の天才に色々と尋ねるのもいいかもしれないな。



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第二十六話

 翌日。

 昨日のうちに明日会う約束を取り付けていたので今日はリャナンシーと共に、比較的もう見慣れた街並みを背景に街に散歩に出ていた。陽もまだ完全に上がり切らない早い時間のため人通りは多くはない。

 これが農業が盛んな街ならば、早朝より田畑を耕す農民の人を目撃するのだろうが、ここは寒く農業にはあまり向かない土地。必要最低限の田畑がある程度で、早朝の寒さは普通の人間には厳しい寒さというのも人通りが少ないことに影響している。

 人目を気にしない気軽な散歩をするには適した時間である。

 夜は灯りが乏しいため人通りが少なくてもあまり散歩には向かない。

 ちなみにこの時間だとリーズがまだまだおねむなので、彼女がついてくるということもない。

 

「名のあるフレイムヘイズ自ら街案内とは痛み入る」

 

 茶化すように言った。

 ふざけた感じというよりはちょっとした冗談、フレンドリーな話しかけ方。

 昨日までの少しお固い感じとはまた違っていた。

 俺もその雰囲気に従って軽い言葉で答える。

 

「名があるかどうかはさておき、こっちもあまりない機会だからね。名のある``紅世の徒``さんとのお話の機会は」

 

 昨日の内はなんだかんだで結構堅苦しい話ばかりになってしまっていた為、今日という日を用意した。あの後、そのまま会話を続けてもよかったのだが、時間もそれなりだったし、何よりも俺が結構疲れてしまったというのがある。

 普段はあまりしない(生死がかかる時を除く)緊張感だし、柄にもない相手を伺うような、また疑うような姿勢は俺には非常に疲れることだった。そんな時に限ってウェルが絶好調だったりするので余計に疲れる。

 その疲れも一晩ぐっすりと寝れば取れるというもので、緊張感も昨日に置き去りにして、今日は単純にリャナンシーとの会話を楽しむ予定だ。

 楽しむというのは俺の一方通行なものに成りかねないけど。

 

「私なぞそんな大したものではない」

「``紅世``最高の自在師が大したことが無かったら他の自在師は皆涙するよ」

 

 俺は彼女の実演は見たことがないものの、あの『小夜啼鳥』だったという現実を知り、あれの価値を身を持って知っている者としては、やはり彼女は最高の自在師なのだろう。

 『小夜啼鳥』はありとあらゆる自在法を紡ぐことが可能とされた宝具。原理は簡単で、捕らえられた``紅世の徒``がそういった性質を持つ自在法の天才だったから。その``紅世の徒``を支配することで自在法を啼かせることが出来た。

 その``紅世の徒``の正体が``螺旋の風琴``リャンナンシー彼女である。

 俺がそれを知ることが出来たのも、大戦当時は余裕はなく終わり収束をしてからの話だったが。

 

「それだと、同列に並べられているあの教授も大したことがない、と言っているようなもんだよね」

「それだったら俺が泣く」

 

 号泣さ。涙が枯れるまで泣き続けるだろうね。

 教授で大したことがないとか言うと、この世界に跋扈する``紅世の王``は一体どれだけフレイムヘイズ泣かせになるのだろうか。あれ以上の鬼畜がこの世界に多くいるということになるのか、それともあれ位の実力者がこの世界の平均だとでも言うのか。どちらにせよ、そんな世界だったらとうに滅んでいるに違いない。

 あいつ一人でも下手したら滅びかねないというのに。

 ああ、駄目だ。こんな話をしてはいけない。

 噂をすれば影とかいうし、奴ならひょっこり地面から顔を出してもおかしくはない。

 出てきたらもぐら叩きよろしく力加減などなしに全力で叩き潰すが。

 俺が滅多にしない全力の攻撃だ。ありがたいと思えとか言いながら。

 

「私の友人も嫌われたものだ」

「友人?」

「え、嘘、あいつなんかと!?」

 

 俺は友人という言葉に疑問を持った声だったが、ウェルはその事実を聞いて率直に驚いた。

 え、あいつって話が通じるの?

 俺が過去何度か話し合いという解決方法を模索したものの、いつだってあいつは俺以上の声量で言葉を遮るばかりか、自分の主張を言いたいだけ言って一方的に会話を終わらせたり、自在法を使い始めるなどという暴挙ばかりだ。

 気がつけば俺は「ああ、こいつってコミュニケーション障害か」と内々に納得して、会話という人類史上最高のコミュニケーションを教授には諦めていたのだ。あいつに通じるコミュニケーションはボディタッチ(自在法による攻撃)だけだと思ってたのに、彼女はあいつと友達だという。

 ならば、まさか会話なんてしちゃったりするのか聞いたら、普通に話をするとのこと。

 これはもしかしたら今世紀最大の発見かもしれない。

 

「そんなに信じられないことか?」

「教授に友だちがいるようなキャラかと思ってさ。リャナンシーは──と、こっちの名前は伏せていたほうがいいのか?」

 

 姿を変え、名前まで変えてまで、この世に顕現しているリャナンシーはその名で呼ばれるのはあまりよくないのかもしれない。

 どこでどう噂が流れるか分かったものじゃないからね。俺の時もそうだが、本当に大したことがないことでも簡単に膨れ上がってしまったりするし、誰がどこで噂を知るかも分かったものじゃない。

 一応、この周辺には``紅世の徒``がいないことは把握しているが、``螺旋の風琴``が訪れた時のように俺の``紅世の徒``レーダーを欺くような奴もいかねない。怖い世の中だ。

 

「出来れば、な。しかし、親しい者は既にこちらの名も知っているからな。どちらで呼ばれようとそこまで問題ではない。どちらかと言えば」

「姿が違うことのほうか。気配を知っていれば、姿だって意味ないけど」

「欺く術は数多くある。だからといって追われるのはやはり面倒だが」

「それには同意するよ。追われるのは面倒」

「トラウマだよね。モウカにとって。あの頃は」

 

 教授に追われた日々がトラウマにならないわけがない。

 新人だった頃から巨大な``王``を相手にするだけでも危険だというのに、相手はあの変態王だ。心の髄から精神が削られていく思いだった。思い出したくもないかこの一つ。

 俺があいつを天敵だと思うのもその頃の出来事が相当に大きい。

 しかしあれだ。そんな教授の友人だと自ら名乗った有名な``紅世の徒``の``螺旋の風琴``と、こうやって方を並べて街を散歩するなんて夢にも思ってなかったな。

 ``紅世の徒``と一緒に呑気な会話をしつつというだけでも、十分に現実離れしているのに、相手は自在法の天才だし。思うところが多すぎるな。

 感覚的には敵国の有名武将と一緒に茶を飲んで笑い合っているとでも言うのだろうか。しかも、化かし合いで表面だけ笑っているのではなく、心底楽しく笑っているのだ。

 いかに今の境遇がおかしな日常になっているかが分かる。

 戦闘が起きず平和なのは願ってもいないことだけど。

 

「過去、幾度もあらゆる``紅世の徒``に追われて歯牙にもかけなかったと言えば『不朽の逃げ手』は有名だったはずだ。幾度も追われるというのには心情察するところもある」

「逃げ手だからね。逃げるのだけは得意さ」

「心情は『逃げてぇ。どこか遠くに』だもんね」

「お互いに苦労は絶えないようだな」

「みたいだね」

 

 お互いに大変なご身分なことだ、と愚痴にも似た感想。

 もっとお気楽で、誰も歯牙にかけないほどの強烈なフレイムヘイズか、歯牙にもかけないほど最弱のフレイムヘイズだったらよかったのに……あれ、今だって最弱を名乗っているのにこんな待遇なんだ?

 どこで一体選択肢を誤ったのか。後悔は絶えないよ。

 あえて過去を辿ってその原因を追求するというのなら、思い当たる節が多すぎて困ったものだ。例えば大戦であり、例えば強制契約実験であり、例えば教授であり。

 教授が関わることが二度も出ていることこそ、心情を察して欲しい。同情するなら安寧の地をくれと俺は言うだろうが。

 

「でも、俺は巨大な存在の力があるから逃げれるけど、そこら辺はどうなのさ?」

 

 ``王``と契約した俺と素質的に``徒``であるリャナンシーとでは存在の力の多さが根本的に違いすぎる。

 

「質問が抽象的すぎだな。言いたいことは分かるが。伊達に自在師と呼ばれていない、ということだよ」

「頭に天才を付けるべきだね。部類的には俺も自在師なのかな? ウェルどうなの?」

「モウカは……分かんないや」

 

 ためといて結局わかんないのかい! とは突っ込まない。どうせいつも通りのやりとりだ。

 自在師の概念は俺もあまりハッキリとした明確なものは知らないが、一に本質から発現する力以外の多種多様な自在法を扱うこと。これはまさに教授やリャンナンシーのようなタイプのその場で編み出したりする天才的なタイプが多い。フレイムヘイズでは戦闘狂で有名な『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーがこの手のタイプらしい。また、この手の自在師は、自在式に関する知識や技術が当然ながら長けている。

 本質から発現する力とは、俺で言うなら『嵐の夜』など、契約した``紅世の王``自身の特性を現す自在法のことを指している。

 そして、もう一つが複雑で大規模な自在法を操る者。

 過去で言うなら『都喰らい』という、都市をまるごと一つ飲み込む自在法を扱った``棺の織手``なんかのタイプだ。

 『嵐の夜』もここに分類されるようなことになれば、俺も晴れて自在師の一員ということになるのだが、なんとも言えない。

 『嵐の夜』自体の知名度は俺の代名詞と言えるほど広がっているようだし、それこそ、これ以上に二つ名的な他の呼び方をされれば余計に目立ってしまうではないか。

 個人的にはこういった二つ名や代名詞が付くのはなんだか格好よくて嬉しいのだが、素直に喜べない環境なので気持ちは複雑だ。普通のフレイムヘイズなら手放しで喜ぶのだろうけど。

 

「ならこの私がモウカに自在師と称されるようにしてあげるのはいかがかな?」

 

 ニヤリという表現が似合うような笑みを浮かべて、面白そうにリャナンシーは言った。

 その言いようはまるでウェルを真似たような言い方だったが、何故だかそんなに不快に思わない。

 ああ、そうか。

 これが貫禄ってやつなんだ。

 俺は彼女の言葉に苦笑しながら、遠慮すると返事する。

 リャナンシーに認められた自在師だなんて異名は懲り懲りだ。

 

「``螺旋の風琴``に認められたなんて言われたら、それこそモウカは色々と後戻りできないよね」

「ああ、思考回路がウェルと似通ってしまっているよ……」

 

 ショックを隠し切れないで、頭を垂れる。

 

「夫婦は似ると言うからな」

「言わない! ていうか夫婦じゃない」

「え、そうだったの!?」

「その驚きは似るという単語に対してなのか、本気で夫婦だと思っていたのか分からないからやめろ」

 

 後者だったら吐き気をもよおすくらい俺が萎える。

 自殺したいなどと考えたことが微塵もないのに、考えさせられるほどの衝撃が来るかやめて欲しい。

 ウェル、俺に人生を諦めさせないでくれ。

 

「私とモウカの思考回路が似通ってるだんてショックだよ……自殺しようかな」

「そこか。というか、ショックなのはこっちだ」

 

 それに自殺だって出来やしないし、させない。

 いや、正確には俺の器を食い破ってウェルがこの世に顕現させれば、自殺も出来ないこともないのだが、これは本来はフレイムヘイズの最後の``紅世の徒``への最期のしっぺ返しであり、自殺なんかの用途には決して扱わない。

 本来というか、常識的にはそうなんだけど……ウェルだからな……

 一抹の不安を感じる。

 俺の心内の正直な部分はこう告げている。

 『奴はやりかねない』、と。

 

「愉快だな。君たちのようなフレイムヘイズを見ているのは」

「そりゃー私のフレイムヘイズだからね」

 

 誇らしげにウェルが言った。

 その言葉に疑う余地など無く、彼女の俺への想いよく分かる一言。

 嬉しいような、でもやっぱりあまり嬉しくないようなそんな気持ちになる。表面的にだけ聞けばなんだか凄く良い台詞なのだが、その裏のウェルの本質。自身の欲望を満たしてくれる相手──愉快で、面白可笑しくて、変わっていて、そんな俺だからこそ契約したという事実を知っている俺としてはやはり複雑だった。

 ウェルの心境の変化という線は絶対にありえない。俺が俺である以上、生きることに固執するのと同じようにウェルにとっての面白いことを求めるというのは彼女の心理である。

 だから、通常であれば彼女のその誇った言葉には曖昧な表情を俺はするべきなのだろうが、

 

「そりゃー俺と契約しようなんて考えた``紅世の王``だからな」

 

 俺も誇らしげに返してやろうじゃないか。

 なに、これは当然だ。

 だって、ウェルじゃなければこんな俺の酔狂な願いなど叶えてくれようとする``紅世の王``はいないのだろうからね。

 お互い様ってやつさ。

 

「君たちは実に面白いな」

 

 リャンナンシーはそんな俺らを見て、大きく頷くと満足した顔で言った。

 そう、きっとこの俺たちと彼女との朝の散歩は絶対に必要なものじゃない。これからも俺の身に降り掛かるであろう不幸な出来事、面倒な厄介事のなんの為にも予兆にすらならない、何の意味もないものだろう。

 これは日常に溢れている楽しい出来事の一時にすぎない。

 でも、変に凝り固まった考え方をせずに純粋に会話を楽しむ。そういった俺にとってはこれ以上にない有意義な時間の過ごし方だった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「ええ、ありがとう。どっかの誰かさんとは比べものにならないほど為になる時間だったわ」

 

 リャナンシーが他に用事があると言い、リャンナンシーと別れた後も俺は珍しく街の散歩を続けてた。

 かなりのんびりとした時間を過ごし、例の練習場で少し気分転換に自在式でも弄ってみようと顔を出したところで、先客が居た。先客というものここに来るものは俺を除いたら一組のフレイムヘイズしかいない。

 しかし、そこには先程までの有意義な時間を過ごしてた本当の意味でのお客さんもご一緒だった。

 しばらくは、その練習を影から見守る恋人のような心情で見守っているところでの先のリーズの言葉だった。

 無論、俺が見学していることなどずっと前に三人は気付いている。

 

「誰かとは誰か」

「あら、居たの? 誰かさん」

「気付かない振りならもっと上手い振りをしな。チラチラ見て気にしてたのが丸分かり。リャナンシーを見習え」

「ふむ、だから言っただろう。それではバレているとな」

「しょうがないじゃない。演技することなんて忘れたわよ」

 

 十五年もの月日が経てば硬派だったあの人も軟派になる、ということはフレイムヘイズには当てはまらない。人間とは比べものにならない時を生きるための術なのか、はたまたそれは防衛本能なのかは知らないが、フレイムヘイズの精神的な成長というのはあまり見られないと言われている。

 俺がとてもいい例であると言えよう。珍しくもフレイムヘイズの典型例が俺に当てはまった。

 だが、例外というのはどこにもいるようで、リーズがその例外というのに当てはまるものだった。彼女の場合は、契約があまりにも異質過ぎたというのが大きいのだろう。

 それにしても、

 

「それにしても、色々と世話になりすぎたね」

「暇つぶしに付き合わさせたモウカが言えたことじゃないけどね」

「この程度は世話に入らない。恩に着る必要もなしだ」

 

 暗にお礼を言う必要性はないと諭されている。

 お互いに楽しく、いい時間を過ごしたということを言っている。

 こういう関係は好ましい関係だ。利用し利用されの関係というのもある種では明確で楽といえば楽なのだが、やはり何のリスクも背負わず、何の懸念も無い気軽な関係というのは精神的負担がなく済むのならそれに越したことはない。

 そんな関係を友、または仲間という……と俺は思いたい。

 『不朽の逃げ手』と愉快な仲間たち。ああ、なんと理に適った名前だろうか。我ながらネームセンスが恐ろしいな。

  

「『愉快』の中に私を入れ込まれるのは些か遠慮したいが」

 

 あ、そうですか。

 ささやかな拒絶が心に痛い。

 そんな心の痛みすら心地の良い日常だった。

 

「私も断るわよ」

 

 ははは、リーズそれは無理ってものだよ。

 君は既に愉快な仲間の一員なんだからね。



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閑話二

 その一団を襲ったのは``紅世の王``であった。

 人間は``紅世の王``に対する抵抗手段など持ち得なく、否応なしに一人、また一人と存在をまるごと喰われていく。

 気づけばものの数分で一団は壊滅と化してしまう。

 名誉も地位も、今まで築いてきたものの全てと一緒に全てが喰われてしまう。

 ``紅世の徒``は人間の築きあげたものなど簡単に引き裂いてしまうような存在だった。

 しかし、人間もまたずっと為す術もなくただ喰われるだけではなかった。数多の存在の欠損によって世界に歪みを発生させると、危機感を持った``紅世の王``がそれを防ごうとこの世の``歩いていけない隣``からやってきた。

 彼らはただこの世界に顕現するだけでは、存在を維持できない。その為、この世の``歩いていけない隣``である``紅世``にも届くほどの、``紅世の徒``に関する強い感情を抱いた人間に自らの力を与え、使命をも与えることによって世界の歪みを広げてしまう同朋を伐とうと試みた。

 強い感情、その多くは憎しみであり悲しみである。

 ``紅世の徒``によって不幸にも消し去られてしまった存在を認知し、不条理な``この世の本当のこと``を目の当たりしてマイナスの感情を抱く。

 そして、そんな人間の感情を辿り着いた危機感を抱いた``紅世の王``と契約した、この世の不条理に対抗する手段を持ったものを『フレイムヘイズ』と呼んだ。

 フレイムヘイズの成り立ちはとても歪で、その誰も彼もが世界の危機感ではなく、己の復讐心にて成り立ってしまっている。

 フレイムヘイズが復讐者の代名詞と言われる所以である。

 成り立ちこそ強力な感情の起状によるものだが、彼らフレイムヘイズは復讐者と言われると同時にバランサーとしての役割も担っていた。尤も本来のフレイムヘイズの存在理由はその役割の``紅世の徒``による世界の歪みを防ぐためある。

 これはあくまでも契約した``紅世の王``のこの世界での目的であってフレイムヘイズとなった人間にはあてはまらないことが多々ある。

 大体の人間は自身の不幸から自ら望んで``紅世の王``と契約したので、自分と同じ不幸を味合わせないようにと考えるフレイムヘイズも多いが、兎にも角にも敵を討ちたいと考える者も少なくはない。

 いつだって考えるのは自分の身の回りのことで、自分のことばかりに囚われた考え方をする。彼らが一人一党と言われる理由の一つでもある。

 過去、幾度かの災厄には手をとりあって戦ったことこそあるが、それ以外での組織だって行動というのは皆無であった。

 そこまで追い詰められないと手を握ろうとしないフレイムヘイズだったが、その彼らが近い将来に皆で情報を共有し組織として機能することが可能になるとは、フレイムヘイズが生まれてから数千年、誰も夢にも思わなかったのである。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 ドレル・クーベリックは祖父の代より受け継がれるクーベリックオーケストラに誇りを持っていた。彼の祖父も父も彼も揃ってヨーロッパ中に名の知れた指揮者であった。

 しかし、欧州に鳴り響くオーケストラは父の代を最盛期として、ドレルの頃には酷い経営難であった。彼の親たちに比べてドレルが指揮者として劣っていたわけではない。オーケストラとしての質自体も下がったという訳でもなく、彼らの演奏を見た観客はいつだって大喝采だった。

 だというのに、何故経営難に陥ってしまったのか。

 誰も彼もが音楽だけでお金を手にしているわけではない。オーケストラを副業としているものだって幾人かは必ずいた。ドレルのように一家揃って職がそのまま音楽家というのも決して少なくない訳ではない。

 どちらにせよオーケストラとして活動するには何事もお金が必要になる。

 ドレルは一人の音楽家、指揮者としてならお金を貰って生きて行くことは出来るが、クーベリックオーケストラとしては、厳しい立場に立たされるようになった。

 全ての原因は神聖ローマ帝国の崩壊である。

 十八世紀までは国こそ衰えたものの、なんとか欧州周辺の王権を握ってはいたが、十九世紀にはついには耐え切れずに国が落ちてしまった。

 国の崩壊における影響は様々なところに出る。

 まず、国が崩壊する要因、正確には解体された要因だがこれは戦争による敗戦である。

 俗に言うナポレオン戦争で敗れた神聖ローマ帝国はフランスの属国とされ、解体された。

 戦争が一つ起きれば、お金は全て国に行く。民は疲弊するのはもっての外で、最終的には国自体も疲弊していく。困難な戦争ほど追い詰められていくものだ。

 当然ながら娯楽にお金を費やすことなど出来なくなる。

 ドレルもその荒波に飲まれる形となったが、彼は自らの経営術を用いてそれを乗り切ることに成功する。

 オーケストラという大規模の集団、音楽というお金の排出度を考えると相当に儲けなくてはいけないが、それをものの見事に乗り切るほどの神がかり的なオーケストラという職業に付いているのが不思議に思えるほどの経営術だった。

 この経営術は、元より大きな集団を取り仕切る者として責任感の強いドレルが、組織の扱い方や運営の方法を生真面目に勉強し、オーケストラを使って試して身についたものであった。

 

 『人間は必死になれば、何事もなす力がある。ようは使い方次第ということ』

 

 とは、人間としての生前にドレルが残した言葉であった。

 一世一代の逆転劇を見せ、ドレルは自身の誇りであるオーケストラを守り抜いた。

 彼にとっては大切で、この世で二つと無いかけがえの無い場所を。

 もし、ここで、このオーケストラで一生を指揮棒を振るだけに生きていけたのであったら、彼にとってはこれ以上無いほどの幸せであっただろう。彼の憧れて尊敬した父や祖父のように、最期まで拍手喝采を好み全身に受けて、命を見送られたら本望だったであろう。

 

「な、なんだこれは」

 

 この世は不条理な物に溢れかえっている。どこもかしこもが不幸だらけで、人生の最後までを幸せで居られる人物など居ない。それどころか、人生の最後こそが不幸で終わるものばかりだった。

 本望で死ぬことなど叶うわけはない。

 幸せな死なんてものは存在すらしない。

 不都合がまかり通って、ありえない現象が平気で起こり得る。

 人の常識など、ないも同然だった。

 

「ありえないありえない。人が喰われるなんて……ッ!?」

 

 いただきますの言葉も無しにそれは平然と人を喰い散らかす。散らかって残るのは存在の滓だけで、人間味は全て飲み込まれて消えてなくなっていく。

 ドレルが目にしたものは、その人がその人である存在証明が喰われるという現象。

 起こったのは今夜の公演のためのリハーサル中だった。

 最初に気付いたのは指揮者であるドレル。突如として一つの音が無くなったの気付き違和感を抱き、次に気付いたら人が存在ごといなくなっていた。

 周りは違和感を感じていない様で、平気で演奏を続けている。その様子におかしいのは自身の耳かと一度疑うことをやめた。

 内心では歳をとったものだとややショックを受けながら。

 だが、次に目にしたのは、ボヤけた何かが自分の友人を丸呑みしている姿だった。

 それを見て狼狽し、思わず指揮を止めてしまった。

 急に止まった指揮に彼の友人は、訝しげにドレルを見る。

 不可思議な現象には全く気付いていない。逆に気付いたのは、

 

「貴様……見えるのか……」

 

 姿も満足に見えないが、恐怖の対象となっているボヤけた何かだった。

 言葉を発し、確かにドレルを見ながら言った。 

 

──化物だ

 

 ドレルは自分の中にある語彙からその言葉で何かを表した。

 人によっては悪魔や妖精、中には神や天使と言い出すものもいるかも知れないが、ドレルは確かに『化物』とそれを認識した。

 人を存在事丸呑みをする真正の化物であると。

 化物はまるで笑ったかのような気配で、言葉を続けた。

 そこで見ていろ、と。

 貴様の友が、仲間が、家族が死んでいく様をじっくりと見ているがいい、と。

 眼の前の出来事の衝撃で、ドレルは身動き一つとれないどころか、言葉すらも出せないでいた。

 あまりにも現実離れしたその光景を見て、平然としていられる人間なんて居ない。

 化物は見せつけるかのように、一人ずつ丁寧に、丁寧にドレルの仲間を葬っていく。

 時には、頭から、腕から、足から、上半身から、下半身から、左半身から、右半身から、内臓から、分解してから。

 演奏会場はたちまち血が飛び散ることはない人間の解体ショーかのようになっていた。存在そのもの解体だから血がでないだけで、その様子がありありと見えてしまうドレルにとっては、想像を絶する最悪な光景。

 彼の居場所が無残にも消えていくさまを見せつけられ、最後にはドレルがただ一人残されてしまう。絶望に陥っているドレルを化物はほくそ笑むように眺めてから、満足したのかその場を離れていく。実に愉快な公演だったと言葉を残して。

 

「く……くそ……」

 

 絶望の淵から意識を取り戻したドレルを襲ったのは、当然ながら深い悲しみと喪失感だった。

 彼は自分の力で維持していた自分の場所を全くの無抵抗で明け渡してしまった、自身の無力を嘆き。今まで築きあげてきたものを簡単に失った喪失感に囚われた。自身の人生の全てを賭けてきた場所が奪い攫われ壊された怒りは小さなものじゃなかった。

 

『聞こえたわよ! 貴方の想いが!』

 

 耳に障る甲高い声が怒り心頭のドレルの耳に届いた。

 不思議とその声がドレルに冷静さをもたらしてくれる。

 そして、彼女はもたらす。

 

『くー、あんな奴むかつくわよね! どう!? 貴方さえ良ければ力を』

 

 半永久的な時間と、彼の理不尽な運命を覆す力を。

 これが後の世に響き渡る異形のフレイムヘイズ『愁夢の吹き手』の誕生だった。

 

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 復讐者が復讐を完結することは容易ではない。

 その理由は単純な復讐者の力量の問題でもあるし、巡り合わせという意味合いもある。

 ``紅世の徒``はこの広い世界で自由に歩き回っている。その自由気ままな彼らに、復讐相手たる``紅世の徒``の一人をピンポイントで見つけるなどという行為は、難儀という言葉でも足りないほど難しい。それだけでなく、自身の手での復讐となると難易度は格上げされる。他のフレイムヘイズによって討滅されてしまっている可能性が高いからだ。

 その``紅世の徒``が復讐相手だから譲ってくれ、なんてことはもちろん出来るわけがない。そもそもフレイムヘイズ同士でのやり取りは最低限以下でしか行われていないのだから、復讐相手が今も現存しているかさえも知るのは困難だ。

 外界宿でも知名度の高い``紅世の王``なら、もしかしたら居場所を特定できるかもしれないが、その手の輩はフレイムヘイズを多く殺して名が知れている事が多いので、討滅するのも一苦労な上、他のフレイムヘイズと復讐相手が重なっていることだってありえる。

 フレイムヘイズの中には復讐相手すら分からないというのも居たりする。

 

「埒があかないかな」

 

 ため息混じりに言ったのは『愁夢の吹き手』ドレル・クーベリック。

 まだまだここ数年で契約したての新人フレイムヘイズだった。

 その彼の呟きに反応するように、ステッキ型の神器『ブンシュルルーテ』から耳に障る声が聞こえる。

 

「くー、全然見つからないわね! どこに隠れてるのやら! 隠れてるんなら出てきなさいよ!」

 

 ドレルに異能を与えし``紅世の王``である``虚の色森``ハルファスが、挑発混じりに言った。

 いい加減変化のない現状に苛立ちを隠せないでいる態度だった。

 ハルファスのそんな態度とは裏腹に静かな姿勢を保っているドレルは、そうだねと軽く返事をしながらも考える。

 ドレルもこのままではいけないと思いながらも、対策を思いつけないでいた。最初こそは力を上手に扱う練習をしながらも、ヨーロッパを探索していれば見つけられるだろうと高を括っていたが、そう易々といかないことをここ数年で思い知る結果となった。

 だが、それでもただでさえ実力不足で復讐相手にも勝てない可能性もあったので、鍛錬期間ということで納得させていたが、それもだんだん限界へと近づいてくる。

 そこで、フレイムヘイズの組織であるという外界宿の力を借りようとしたものの、これがてんで役に立たなかった。

 ドレルはそもそもあれは組織には値しないと声を高らかに文句を言い、フレイムヘイズももっと協力しあえば復讐も簡単になるだろうにとぼやいた。無論、自身の復讐にしか目のいかないフレイムヘイズの耳には届かなかった。

 ドレル自身も復讐者であるからあまり強くは言えず、彼自身もとにかく今は自分のことに集中することにした。

 ただドレルの目は明らかにその先を見ていたが。

 

「外界宿も組織としては全然意味がなかったけど、一つ面白い話は聞けたよ」

「珍しいフレイムヘイズの事よね?」

「そう、遭遇することすらも珍しいと言われてるフレイムヘイズ」

 

 そのフレイムヘイズに会うことは至極困難だと言われている。

 ``紅世の徒``が近づけば意図も容易く討滅すらもせずに追い払うことが出来る実力者。されど、同じフレイムヘイズですら彼の名が上がることになった大戦以降見ることが出来ず、百年前に手紙が外界宿に届いて以来音信不通。ヨーロッパにいる可能性が高いということのみが分かっている。

 ある意味では幻とも言われてるが、その本人の性格はどうやら風変わりであると言う噂がある。

 曰く、大戦でたくさんの仲間を救うためだけに力を尽くした心優しきフレイムヘイズだとか。

 曰く、教授の被害にあったフレイムヘイズを保護したとか。

 憶測はとどまることは知らないが、この噂だけでも他の復讐一辺倒のフレイムヘイズより期待が持てるとドレルは睨んだ。

 

「アテもなく探すよりは誰かに協力を求めたほうがいい。尤も、その協力者に会えないかもしれないけどね」

「でも、やるのよね?」

「うん、そうしないと彼らは報われないから」

 

 ドレルは彼を探すことへと方針を変える。

 彼──『不朽の逃げ手』と呼ばれるフレイムヘイズを。



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第二十七話

 ローマ帝国の終りが来る頃といえば、時期的にフランス革命が起きる頃である。皇帝ナポレオンをこの目で拝んで見てみたいななんて言葉を零したら、リーズが皇帝ナポレオンって誰よと疑問を口にした。

 よく考えればフランス革命中は市民の味方で帝なんて文字はついてなかったんだよね。彼は市民の味方をしたことによって絶大な支持を得た、この時期には珍しいお方だった。しかし、結局革命後は自ら皇帝を名乗ってしまい、いろんな人を失望させたとかいう話があったな。

 例えばフランス革命の後に、ナポレオンに共感を抱いたことでベートーヴェンが『英雄』を作曲したこととかで有名で、後にナポレオンが皇帝に即位して、激怒のあまりナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てたというのはあまりにも有名だ。

 ベートーヴェン作の『運命』の有名なダダダーンという音は、弟子の質問に対して運命の扉の叩き方であると伝授したエピソードも有名だが、諸説にはナポレオンの皇帝即位に絶望した音でもあると言うものがあった気がする。記憶違いかもしれないが。なにせ、学校の勉強で習った以来だからね。

 どれも真偽は確かではないが、今なら調べられるのではないかと思う。

 今はようやっと十九世紀に入り、ベートーヴェンが直接に享受した弟子はまだ生きているだろうし。

 ナポレオンだってたぶん生きていると思う。

 俺は戦争に巻き込まれるのは嫌で、東欧に身を隠していたから、最も見れる確率が高いであろう一兵士であった戦時中のナポレオンを見ることは叶わなかった。

 一応は人外的な存在だから人間の戦争に巻き込まれたって余裕で生きれるだろうけど、もしもを考えるとやっぱり怖いものだ。

 というか、もうこの時代だと鉄砲は戦争の通常戦法なので流れ弾で一発お陀仏だってありえない話じゃない。現にサバリッシュさんも大戦で``紅世の徒``に向かって大砲を使うなんて言う戦法を用いたくらいだ。``紅世の徒``に有効ならフレイムヘイズだって十分に有効だ。なまじ身体は人間なわけだし。

 丈夫な騎士装甲に覆われて盾を持っているリーズならまだしも、俺は鉄砲なんて一溜まりもないのだ。最悪はリーズを盾にすればいいだけの話だけどね。

 また変なコト考えてるわね、と妙な勘の良さを隣で発揮しているリーズはともかく、ようやく西欧へと帰還を果たした。

 東欧にはあまりの平和さに百年という月日を過ごしてきたが、時代の発展とは少し遠い場所だけに変化が少なくこじんまりとした面白味のない場所でもある。

 平和を心から望む清く正しい心を持っている俺にとってはその場所もいいのだが、同時に適度のスリルと緊張感も味わいたい腕白な心も、持っている俺には物足りない場所でもあった。

 平和がやや欠けてしまう西欧か、楽しみがやや欠けてしまう東欧かは非常に悩む二択で、思わずリーズに相談した結果、ちょっと里帰りしたいかもと答えたリーズの意に沿って西欧へと再び帰りみた。

 選択肢がヨーロッパな理由はフレイムヘイズがヨーロッパ周辺に居ることが多く、いざとなれば仲間がいるのでそれなりの危険は仲間に放り投げることが出来ると考えたからだ。同時に``紅世の徒``も多いのだが……考えないようにしよう。他にも歴史的な動きが盛んなヨーロッパのほうが元現代人として面白味のある時代だよなとか理由もある。

 決して鎖国時代である日本に今行って迫害されたら怖いなとか考えたわけでもない。戦国時代だったら面白そうだったのになと少し残念には思った。

 しかし、西欧は西欧でいい所は多いのだから、悲観してばかりはいられないのだ。

 フランス革命が終わったのは今から数年前。産業革命も最盛期に入り、時代はますます近代化していく情勢市場。時代の流れとは無縁に近いフレイムヘイズもそれなりに人目を気にするようになっていく。

 なんでもかんでもフレイムヘイズが好きやって人々が勝手にオカルト現象だと思って終わる時代が過ぎ去ろうとしているのを、誰も彼もが感じていた。どこに行っても人の目があるように感じ、今までは馬での移動手段が基本だったのが、蒸気機関の発達と共に蒸気機関車などという機械による移動が可能となる。

 ある意味未来人である俺からすれば、これらの発明により地球温暖化が進むのだが、この先にどんどん便利なものが生まれるのも同様に知っているのだから結局は文句を言えない。というか、時代への干渉というのは色々やばそうだ。時代トリップものの地雷とも言うべき、もしくは肝とも言えるものなのだが、俺に踏む勇気はない。

 過去に来て数百年経って何を今更という話と思うかもしれないが、余裕が出たのがここ数百年というのを考慮するとしょうがない話だ。

 ちょっとした興味で、頑張って機関車のチケットを手に入れて乗ってみたのだが、乗り心地は悪いし、無駄に人が大量に乗ってるから座ることもままならなかったりするのだが、徒歩や馬に比べると早く移動できるというのを肌で感じることが出来る。

 

「でも、やっぱり無理して買って乗るほどの価値はなかったな。正直お金がもったいなかった気がする」

「そう? 私は初体験で面白かったわ」

 

 未来の快適な乗り物を知っている身としては、あまり満足の行くものではないが、未来を知らない者からすればやはりいいものなのかもしれない。

 あまりにも昔のことだから感覚を忘れてるもんだと思ったけど、そんな時を超えても分かるほどこの時代の機関車の乗り心地の悪さだったということだ。

 

「私はモウカと一緒に風でビュアーッ! と飛ぶほうが爽快だったね」

「え、貴方って空を飛べたの?」

「浮遊の自在法だよ。地に足ついてないと落ち着かないから、あまり空に飛ばないけどね」

 

 実は空を飛べるんだぜ俺と言うと目を丸くしてリーズは驚いた。

 浮遊の自在法は出来るには出来るけど、あまり必要とはしない。逃げるときに陸上からでは無理そうだったら最終手段としてというだけのもので、移動手段としては用いない。

 スピードも結構出るし、存在の力の燃費も決して悪くないが、俺が怖い。空を生身で飛ぶという感覚はどうも無理だ。普段から空に浮いて慣れておけばいいのかもしれないが、やっぱり人間は地面に足を着けてこそだろう。変なこだわりではなくて人間は陸上の生物なのだから仕方ない。

 まあ、俺は陸上よりも水上や水中のほうがウェルの特性とも相まって得意だったりするけどね。そこは気持ちの問題だ。

 

「今度、私を空のお散歩させてくれない?」

「別にいいけど。暇があったらね」

「ふむ、我も是非とも味わいたいものだ」

「あんまいいものじゃないと思うけどな」

「そんなことないんじゃない? きっと気持ちいいと思うわ」

 

 ロマンだねーとは口に出さない。

 俺も空を飛ぶ前にはそう思っていたから。未来(過去)で飛行機に乗って空を飛ぶというのは、自分の身一つで飛んでいたわけではないので、あまり実感の持てるものではなく、皆が皆、自分の力で飛べたらいいのにななんて考えるような時代だった。

 いや、今もそうか。空に憧れてライト兄弟は空を飛んだのだから。

 鳥になりたいとは上手い言葉だ。

 もっとも、俺にとっては鳥とは空を飛ぶ存在というよりは、自由の象徴のようなものだったが。

 鳥は空を自由に飛び回るが、魚は海を自由に泳ぎ回るのに、魚を使って自由と表現する人は聞かないな。やはり、人間が生身で海を泳げるからだろうか。達成できない、ありえない幻想抱いて理想を言うことにロマンがあるというのか。

 ロマン、大いに結構だ。

 人間は願望を抱いてこそだろと思うところがあるからね。斯く言う俺もその類だし、叶わなかろうか、無理だろうがロマンも無理もやってみなくちゃ分からないというものだ。

 ああ、してみせるさ。世界平和。

 俺はよく分からない思考の果てによく分からない結論に至ったが、俺はきっと自分から世界平和を望むけど、何もせずに待つだけの人間だろうな。力ないからしようがないのさ。

 

「そんなに空に飛んでみたいならモウカに頼らず自分で飛べば?」

「出来るの? フルカス」

「ふむ、不可能ではない」

「そう、厳しいのね」

 

 ちょっと拗ねながらリーズが言った。

 フルカスの遠まわしな言い方を即座に理解したようだった。

 不可能ではないということは、無理ではないけど、ちょっと無茶をすると言ったところだろうか。俺の知る限りのフルカスのイメージだと、確かにあまり空のイメージはない。どちらかという騎士で、陸で活動するイメージのほうが強い。

 サバリッシュさんがじゃじゃ馬と言い褒めていた女騎士は、空も飛んでいたけどね。あの人は規格外だったので比較対象にはならないけど。

 俺からするとリーズは槍とか剣を飛ばして乗ったりする姿が思い浮かぶ

 一種のホラーのような描写だが、これがなかなかしっくりきそうだ。自ら存在の力で乗ることが出来そうな形の物──大剣なんかが適しているかもしれない──を作成して、俺が投げ飛ばすのに乗るといった感じに出来そう。

 そこまでお膳立てしたら、俺が直接飛ばすのも、俺の自在法でリーズも一緒に飛ぶのも変わらない気がするな。どれも空の快適な旅とは程遠そうだ。

 

「陸路も悪いもんじゃないさ。……と、ようやくついたか」

 

 東欧からイギリスに遠回りしてようやく返って来たこの地。

 俺にとっては厄介事に巻き込まれて、面倒なやつを旅の道連れすることになった、良い意味でも悪い意味でも色んな思い出いっぱいの場所である。

 あれ、良い意味なくね。

 リーズにとっては全ての始まりの地。

 

「ええ、懐かしいわね」

 

 イタリアの北東部に位置するボルツァーノ、その街である。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「生まれ故郷が変わっているというのは複雑な気持ちね」

 

 リーズが感傷に浸りながら呟いた。

 変わっていないというのも違和感を感じるものだが、全てが変わってしまっているのもまた寂しいもの。街と人は移りゆくものだとか誰かは言ったが、全くその通りで、革命の影響なのか百年前の街並みというのはほとんど残っていなかった。

 リーズからすれば、故郷に帰って来たというよりは新しい街に来たという感覚しかないだろう。

 

「私の家だったものもない。お世話になったおじちゃんの家もないわね」

「ふむ、不変の我らと違い、常に変化し続けるものだからな。致し方あるまい」

 

 生まれ育った家もない。それは、彼女が愛しかった父親の跡さえも全く分からないと同義だ。

 リーズの家があったと思われる場所にあったのは、なんにもないさら地のみ。この街自体も昔はもっと活気があったというのに、今はそれを感じられない寂れた街となっている。

 月日の流れが残酷であることを今頃は痛感しているだろう。

 

(モウカは生まれた村自体がもう無いようなもんだもんね)

 

 リーズが空気を読んでなのか声にならない声で俺へと話しかける。

 書く言う俺も無言で、街中を歩いて行くリーズに同じく無言で後ろからいそいそと着いて行くだけで、一言も声をかけられないでいた。

 百年で成長した(鈍くなった)彼女の精神なら、こんな配慮などは必要ないのかもしれないけど。

 俺には彼女の気持ちはなんとなく察することが出来ても、理解することはあまりできない。ウェルの言う通りに俺の村は、その住んでいた営みを残して人を一人残らず``紅世の徒``に喰われてしまったのだから。

 残ったのは無人の村。

 そして、俺にはその村には何のしがらみも、思い出もないのだから、消えてしまっていても感傷には浸れない。どうでもいいの一言で足りてしまう。

 あえて未練があるとすれば、死ぬ前の現代の頃まで遡ることになる。けど、それこそどうしようもないことだった。

 俺にとっての今はここにあるし、生きている。幸せじゃないか。これ以上を何を望む。

 あ、楽しめることがあるならこれ以上を望むけど。だからって、あの頃に戻りたいなんて思わない。

 それに、現代がいいというのならトリップする前の過去(三百年前)に戻るより、未来(二百年後)に進むほうが早い。

 

(リーズはどうなんだろうな)

(どうって?)

(今がいいのか過去がいいのか)

(ありゃ、珍しいね、モウカがそんな事言うの。普段なら『生きていれば最高なんだから、リーズは生きている事実に感謝するべきだ』って言うだろうに)

(なんで、そんなに具体的なんだ)

 

 でも、そう言うだろうなという確信はある。

 

(もちろんそう言うが、それはもはや大前提だろ?)

 

 言うまでもないことだろうが。

 もうどれほど長い付き合いだと思ってるんだよ、これぐらいはきちんと察してもらわなくちゃ困るぜという期待を込めて言う。

 

(そっか。それもそうだよね)

 

 ウェルも何が面白いのか、カラカラと笑いながら肯定した。

 さて、感傷に浸るのもそこそこに活動を再開してもらわなくちゃ困るね。

 リーズに声をかけようと肩に手を触れようとしたら、勢い良くこちらに振り返った。

 めっちゃ近い距離だ。息遣いさえも聞こえてきそうな程に。

 

「さあ、行くわよ! 今、私の居るべき場所はここじゃないんだから」

 

 やけにハッキリとした凛とした声だった。

 顔には影などなく、彼女の金色の髪と同じく輝く笑顔があった。

 なんともまあ……いつもぶっきばらぼうな彼女には似合わないな何て思いつつ。

 

「そうか。じゃあ行くか」

 

 ここに留まる理由はもう何も無い。

 リーズもようやくしがらみから解放されて、晴れて自由の身となった。

 俺が先頭に立ち、次の目的地の場所を定める。

 そうだな……次はこれから歴史の中心になるであろうヴェルサイユ宮殿でも見に行くのがいいかもしれない。

 

「ありがとう」

 

 その言葉を聞いても返事をせず、後ろも振り向かずに俺はただ真っ直ぐに歩を進めるだけだった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 ようやく見つけることが出来た。

 確かに珍しいと言われるほどには見つけるのにだいぶ時間がかかってしまったが、不可能ではなかった。

 

──これでようやく、私も前へ進むことが出来る。

 

 彼は見つけることが出来た。

 自由に飛んでは逃げてしまう鳥を。

 ただ、捕まえるのは至難の業であることを、彼はまだ知らない。



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第二十八話

「やっぱりつけられてるな」

「だーね」

「そうなの? 私には分からないのだけど」

「ふむ、我にも分からん」

 

 そこは数百年という決して無駄ではない時間のおかげで分かるようになった、鋭敏化された感覚のおかげだろう。主に役に立つのは逃げる時のみだけど。その時だけ使えれば俺としては十分だね。贅沢は言わない。

 具体的な距離が分かるわけではない。

 この感覚で判るのは相手が何者であるかということと、相手のいる方向となんとなくの距離感だけ。今俺たちをつけているのは、今まで感じたことのないフレイムヘイズの気配だ。知ってる気配のフレイムヘイズのほうが圧倒的に少ないのだから当然だ。

 本当は『つけられている』という表現も少し違っていたりする。

 最初は近くにフレイムヘイズがいるというのはすぐに察知できた。ここらは完全にお手の物だ。相手が探知系の自在法を使ってこない限り、俺は気配察知に関しては負ける気がしない。

 察知して、さてどうしようかと悩むこともなく、いつも通りに下手に触れることを避けることにした。

 フレイムヘイズ同士の諍いは珍しいことじゃない。どいつもこいつも自己中心的なヤツらなのだから、ぶつかり合いは必然と言える。お互いの主義主張を譲らずに喧嘩、なんてものはどの時代も共通と言える。

 俺はもちろん他のフレイムヘイズがやって来ても謙虚な姿勢を崩さず、下手に出て、相手の琴線に触れることを避けようするだろう。だが、世の中が理不尽であることをよく知っている俺は、その謙虚な姿勢が時に無力であることもよく知っていた。ようするに、どんなに避けようとしても争いは起きる時には起きてしまうという物だ。実に嫌な事実だがね。

 俺はその根本から面倒事を避けるために、接触自体を拒むというのは当たり前の防衛手段だろう。

 なんで俺が自ら争いの火種(フレイムヘイズ)と関わらないといけないんだ。

 だから、俺のこの選択は必然。考えるまでもないこと。当然の結果。

 フレイムヘイズが近くにいる?

 あー、はいはい、面倒事は嫌なのでこちらから避けますよーっと。だからこっちに来ないでね。という訳だ。

 馴れ合いを戯れや弱みとか馬鹿な事を考える奴が多いフレイムヘイズは、こっちから遠ざかってやればわざわざ追いかけてくるような真似はしない。

 コミュニケーションを取ろうと近寄ろうとするものがいれば、そういう時は時と場合を考えてこっちも接触をしたり、しなかったりするのだろうが、そんな例がないので判断がつかない。とりあえず、逃げという手を取るのが安全だろう。

 そんな時に役に立つのが、人間の誰しもが平等に持つ感覚。視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚という五感もつぐ感覚。

 

「ああ、面倒事の臭いがする」

 

 第六感つまりは勘。時にはこれを嗅覚とも言うことがある。

 経験に基づいた結果から、脳がパターンに基づき結果を予測しているとも言うが、嫌な経験ばかりを詰んできたような気もしなくはないので、面倒事の時はきっと頼りになるだろう。

 俺はそう信じている。

 触らぬ神に祟りなしとも言うし、やはり関わらないのが一番の方法だ。

 ウェルも俺の考えていることが分かっているようで、そうだねーと俺の言葉を肯定する。リーズは何も言いはしないが、俺の方針がなんとなく分かっているのか無言で俺についてくる。異論はないようだ。

 俺たちは近づいてきたフレイムヘイズの気配から遠ざかるということで満場一致し、行動に移した。

 ……だというのになんてことだろう。フレイムヘイズの気配が遠ざかるどころか近づいているではないか。

 最初は進む方向が一緒なのかな、あら偶然と呑気に構えていたのだが、近づいてくるスピードが上がっていることから、その考えが的はずれであることを悟った。

 そこで出た発言が、『つけられている』である。

 俺のその発言にウェルは肯定したので、とりあえずは俺たちは今つけられていると仮定する。

 ただ、相手さんはあっちへふらふら、こっちへふらふらという気配の感じ方。ここから想像するになんとか距離を詰めている感じなんだろう。俺未満リーズ以上の探知の才能があると思われる。将来有望だな。

 今ならまだいっきに距離を離せば撒けるかもしれないな。

 

「リーズ」

「うん、逃げるのね」

「正解」

 

 ウェルのみならずリーズまで俺の行動を察せるようになったか。俺と共にした百年は無駄じゃなかったというわけだな。というか、俺の行動概念が明白で分かりやすいからなのかもしれないけど。

 逃げると決まれば、ここからは俺の独壇場である。

 いくら目立たないように自在法は使えないとはいえ、こちとら残念ながら追われることに慣れてるんだ。そうそう簡単に捕まったりしはしないぜ。

 言ってて情けなくなるときはよくあるけどね!

 あばよとっつぁんなんてお決まりの台詞は吐かずに、無言でひたすら速度を上げて逃げることに集中する。

 これでまた俺の秩序は保たれる。

 そう信じて。

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 対フレイムヘイズや``紅世の徒``を相手に逃げる際に重要なのは、気配を察知できない距離まで逃げることだ。気配を消す自在法という便利なものもあるが、その手のものは燃費が悪い上に、突然気配が消えたりすると怪しまれる節がある。

 逃げる時には逃げられたということを相手に気付かせないのも大切だ。

 仮に自分が復讐相手とされた場合、逃げられたと分かった途端にがむしゃらに追われたり、ありえないとは思うが空間ごと強烈な自在法を使われるという可能性もある。

 何より、逃げられたと気付けば、その場で即座にもう一度見つけようとするため自在法を使う場合が多い。これが相手に勘付かせることを遅らせることが出来れば、相手の自在法の範囲外へと俺が逃げることだって叶うのだ。そうすれば撒けたも同然。俺の勝ち。

 それに故意に敵に逃げられるのは逃げられた人物の誇示に関わることもあるが、故意でもなく気付けばいなくなっていたと思えば諦めもつくというものだ。たぶん。

 まあ、俺が逃げる際の鉄則はなるべく自在法は使わないことに限る。俺の自在法は目立ってしまうという大きなデメリットのせいでもあるが、何よりも存在の力をいざという時のために温存しておきたい。

 どうしようもなく戦闘になった時に、存在の力が空っぽでしたでは済まされないのだ。

 なので、存在の力をケチって使わずに、逃げるのは己の足で、である。近代なら車とかバイクとか、いくらでも交通手段やら足やらがあるが、この時代では車はあっても高いだろうし、機関車なんてチケット買うだけで日が暮れてしまう。

 最後に頼れるのは自分の体。俺の人生経験談の結論だ。説得力は十分だろう。

 俺の横を一緒になんとか逃走するリーズを横目にして、ペースを合わせられるように調整しながら走っていると、ウェルがぼそっと呟いた。

 

「誰だか知らないけど、モウカを相手にするなんて命知らずだよね」

 

 逃げることのみに特化しているフレイムヘイズだからな。これで追いつかれたんじゃ、逃げ手の名が泣いてしまうというもの。更に言うなら、俺の今までの努力の全てを否定されるようなもんだ。相手が天上天下唯我独尊なありえない存在ではない限りね。そんな奴が相手なら俺の命運も尽きたということ。

 それでも精一杯に悪足掻きはさせてもらうがね。

 あー、でも前はそんな奴を相手にしてたんだよね。

 ``棺の織手``アシズはなんだかんだ言って俺が今まで相手した``紅世の徒``の中では間違いなく一番の畏怖の対象だった。俺の相手にしたくなかった``紅世の徒``ランキングで堂々の第二位だ。もちろん一位は、言わずとしてあいつ。言葉にもしたくないやつだ。

 アシズはすでに亡き者だが、あいつは生きている分なお憎らしい。恨みで``紅世の徒``が殺せたらな……

 誰かそんな自在法を編んでくれないだろうか。いや、よく考えるとその手のネタ物は逆にあいつの取り分かもしれない。やっぱり誰も考えなくていいや。自分が恨まれてたら怖いし。

 

「俺は命を奪わないけど、俺を追うと命知らずになるとは。愉快な表現だ」

「でしょ?」

「だからって威張る必要はない」

 

 褒めたらすぐに調子に乗るお調子者だった。

 胸を張って威張っている様子がありありと目に浮かぶ。

 一度でいいからウェルの顕現した姿を見てみたいな。美人だったらいいなとか思うけど、それはそれでなんか調子付きそうだから、適度にブサイクでからかう場所があるといいななんて思ったり。

 フルカスは騎士だ。リーズのイメージからそれしか湧かない。

 

「ね、ねえ、いつまで逃げるつもりなの?」

 

 額に滲みでている汗を拭いながらリーズが、息も絶え絶えになりながら聞いてきた。

 俺と並走するのもやっとというのが、その顔の表情からよく分かる。逃げ始めてから数時間は経っているからな。常人にはちょっときついかもしれない。

 急な方向転換や障害物のある方向へとわざと進んだり、人通りのある街をわざと通過したりして撒こうとしているので、後から付いて来るリーズの負担が大きいようだった。

 最悪は俺が彼女を背負って逃げるというのも出来るには出来るが、それは最終手段だろう。

 ここまで長く続くことは予想していなかったので、最初の方に少しペースを上げすぎたかもしれないな。思ったよりもしつこいフレイムヘイズのようだ。ここまで来ると俺を追っているのはまず間違い無い。

 さて、ただスピードを上げる、障害を設けるだけではこれを撒くのは厳しそうだ。時間をかければどうにかなるかもしれないが、リーズが根を上げそうだし。

 うむ、ここに来てリーズが足手纏いになるとはな。ここで見捨てるというのも悪くない選択肢だが、せっかくここまで俺が育てた戦闘要員を手放すのはもったいない。彼女はもっと有意義に利用するべきだ。使い捨てをせずに再利用がモットーの俺は無駄にものを捨てたりはしない。

 

「そうだな。難しいところではあるけど、ウェルはこの調子なら後どれくらいかかりそうか分かる?」

「うーん、微妙に距離が離れつつあるから、今の時間の倍くらいかな……って、思ったけどすごく面倒だよ。そんな時間も逃げまわるの。こうなったら自在法でパーッと一気にさ」

「リーズなにか良い案はない?」

 

 ウェルの意見は基本的に俺には通らない。

 どう考えてもここで自在法を使って逃げるのは相手の目的が分からない以上、敵対する原因にしからない。`紅世の徒``なら遠慮無くぶっ放せるのに。

 悪手というよりは、そうやって面倒事が発生して俺の苦しむ姿を見て楽しみたいウェルの思惑が丸見えだ。俺は見え見えの罠に突っ込む猛者ではない。

 

「この、状態で……何か、考えろ、と?」

「ふむ、我が契約者は先程、もう無理、限界と我に言っておるぞ」

「……了解。俺が頑張って考えるよ」

 

 頼りになるのは自分だけだ……

 とほほと嘆きたくなるが、今は嘆く暇は無く。逃げる方法を考えつかなくてはいけない。

 追い詰められた時こそ、俺の真価を発揮するときぞと自分を必死に鼓舞しつつ思考を張り巡らす。

 まずは現状整理。遭遇時を一回目の分岐点だとすると、ここは二度目の分岐点だろう。

 選択肢は逃げることと打って出ることの二択。最良はこのまま逃げ切ることではあるが、打って出ることにメリットもあるにはある。出向かうということは、待ち伏せすることでもあり、地の利を生かせる。予め自身の逃げやすい状況を作り出すことが可能となる。また、話し合いによる無意味な対立も防ぐことができるかもしれない。

 メリットを並べると、これも悪くない気がするが、デメリットはいざこざに巻き込まれる可能性が高いことだ。俺を特定し近づいていることは確定なので、何かしらの用があるのだろう。その用事がどんな内容だとしても俺は面倒事であると断言できる。まして、命を普段から賭けているフレイムヘイズの頼みごとなんて、考えただけで悪寒がする。

 頼まれても断るということも可能だ。しかし、そこは血気盛んなお方が揃うフレイムヘイズ陣営。ならば、力尽くでなんてことは想像に難くない。

 

「はあ……」

 

こんなことを考えたら思わずため息も吐きたくなる。

 

「おや、深いため息だねー。若人よ悩めってね」

 

 こいつは……まあいい。普通の感性を持っていたら頭に来るような台詞だが、ウェルだしな。いちいち苛立っていられない。

 なんで、俺ばっかり頭を悩まなせなければならないんだ。俺は逃げる経験が豊富なだけで、頭は特別良いわけじゃないんだから。

 俺のため息を聞いてリーズは「大変ね」ととても他人行儀な言葉を俺に投げかけた。

 お前も考えろよと愚痴をこぼしたい。

 俺の心の声を拾ったのか、リーズは更に一言告げる。

 

「お前も考えろって言いたいの? 嫌よ」

 

 だって私、自慢じゃないけど頭は良くないでしょ?

 自分の頭の悪さを逆手にとって、考えることを放棄する宣言。

 もうヤダ、このコンビ。解散だよ解散。

 俺はそろそろ怒ってもいいよね。

 

「ふむ、同情するぞ」

「同情するなら、なにか考えてくれ」

「…………」

「ああ、もういいよ。とりあえず、現状維持ね。現状維持。足で逃げるよ」

 

 困った時は保留だ保留。

 しょうがないじゃないか。誰も何も考えないし、思いついてもくれないんだから。

 

「私はもうきついんだけど?」

「ギブアップしそうになったらすぐに俺に言って。俺が背負って逃げるから」

「え……あ、そんな……それは恥ずかしい……」

「恥じらいなんて捨てちまえ。それが嫌なら置いてくだけ」

 

 プライドなんて持ってたら何時かそれが重荷になって逃げられなくなるんだよ。

 だから捨てちまえ。

 プライドも、恥らいも、地位も名誉も。最初からそんなのとは無縁な俺にはどれも関係のないものだけどね。

 

「早く諦めてくれよ」

 

 俺の心からの願いだった。

 苛烈な逃走劇は久しぶり過ぎて心臓に悪い。俺の寿命の縮んでしまいそうだ。寿命ないけど。不老だけど。

 俺の嘘偽りのない呟きに、さすがに気の毒になったのかウェルが、でもと前置きをしてからちょっと真剣な赴きで言う。

 

「真面目な話。モウカ以上にフレイムヘイズや``紅世の徒``の異端の気配を、自在法無しで具体的に察知できる人はいないと思うよ」

「そうなのか?」

 

 確認を含めた意味で俺以外のフレイムヘイズ、今にも倒れそうな形相のリーズに問う。

 

「私、なん、て、さっぱりよ」

 

 呼吸の限界になりながらも正直に答えてくれた。

 そうか、リーズが一般的なフレイムヘイズの感覚だと仮定すると、相手が俺を追える理由は俺と同じくらい感覚が鋭敏で臆病な心の持ち主か、あるいは小心者か、もしくは、

 

「何か、自在法を使ってる可能性があるな。それも隠蔽に長けたタイプの」

「そう考えるのが妥当っぽいよね。発動時の存在の力の発現を感じ取れなかったことから考えると」

「自在師、ってことで、しょ?」

「ふむ、厄介だな」

「リーズ大丈夫か」

 

 息するのさえきつそうになってきている。

 自在師の厄介さというのは極めつけだ。

 何も自在法は自在師しか使わないというわけではないが、敵に発現を感知させないようにする程の高度な自在法を扱うとなると、自在師という線が高い。

 ただの戦闘特化のフレイムヘイズ(大半がこのタイプ)でも自在法は使うが、わざわざ自在法を発動するために隠蔽などするはずもない。むしろ、自在法で自己主張をするぐらいだ。俺はここに居るぞかかってこい、みたいな感じで。

 相手が自在師と決まったわけではないが、自在法に長けていると考えるのがこの場では普通だろう。

 

「もう……無理」

 

 今度こそリーズが根を上げて、足を止めてしまった。

 俺はしょうがないなと言いながらリーズを背負う。

 意外と軽いな。

 

「ごめんなさい」

「いいよ。この程度なら大して重くない」

「優しいねー。その優しさを私にももう少し分けてよ」

「茶化すな。あとそれは無理」

 

 これは本気でご対面も考えなくちゃいけないかもしれないな。

 でも、その事の意味は『逃げ手』である俺が、逃げ切れなかった敗北の証でもあるんだよね……

 はあ、なんで俺なんかを追い掛け回すんだよ。俺には理解できない。



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第二十九話

「追われれば逃げるさ。普通の人間ならね」

 

 普通とは逸脱した存在であるフレイムヘイズが普通という言葉を声高々に言った。

 彼の存在は見る人が違えばまるで変わって見えてしまう。

 戦うことに誇りを持ち、戦いから逃げることを卑怯と捉える者がいたなら、彼は指を指されて笑われるような生き方だろう。意地汚いとさえ言うかもしれない。生きることに意地を張り、死を拒む姿を滑稽と感じて哀れみの視線すら向けるかもしれない。

 だが、彼は指を指され笑われて、哀れみを受けたとしてもその生き方を変えることはない。誰に何と言われようとも『生』を選ぶ。たとえ醜くともね、と彼は胸を張って答えるだろう。

 自身の生き様を貫き通すことに美を感じる者がいたならば、その者の目からは素晴らしい生き方に見えるだろう。これも一つの偉人だと称えるかもしれない。生にしがみつく姿を美と捉え、そこがいいと褒めるのかもしれない。

 けれども、これはまだ彼の経験したことのない事。自分の生き方が人から見て美しいものに見えるだなんて考えたこともない。

 彼はただただ生きるのに必死で、がむしゃらで、それだけで精一杯で、外見なんて気にすることすら出来ないのだから。

 

「追われなくても逃げるんでしょ? 貴方の場合」

 

 フレイムヘイズの中で彼の一番の理解者が、彼の性質を十分に分かった上できっぱりと言った。その言葉に彼は一も二もなく即答でそうだよ、と彼女の正解に満足そうに笑顔で答える。

 でも、最善は追われるまでに先に逃げることだけどねと付け足して。

 彼は何よりも先手必勝というのを行動にする。

 どんなことも敵よりも先に動くことが出来れば、事前の対策で簡単に命の危機を脱出することが出来ると彼は語る。

 忘れてはいけないのは、彼にとって逃げるというのはあくまで生きるための手段で過ぎないことだ。生きるということに一番重きを置いている彼は、自分が生きるためにはどうすればいいかを考えた末に、最も簡単で現実的だと思った逃げるという手段を選択した。

 いつだって念頭におくのはどうやって生きれるかで、そのためにはどうやって逃げればいいかを考える。

 逃げるものはいつだって同じ。単純に生の反対──死だ。

 でも、彼は人並みに強欲で、我侭だった。

 ただ死から逃げるというのも人間味もないと言うのだ。

 

「モウカはさ、結局はどのフレイムヘイズと変わらないほど我侭で、自分のことを貫き通そうとするんだよ。あ、違うね。他のフレイムヘイズ以上に、傲慢だ。でも、そこが私にとってモウカが私の契約者たる理由だね」

 

 最初は生きられればいいって言う。生を求めた。

 次はそれなりにスリルも欲しいって言う。危険を求めた。

 次は命の危険があると怖いから危険から逃げるって言う。安全を求めた。

 逃げる隠れるじゃ人間味がない、つまらないからやっぱり面白味が欲しいと言う。変化を求めた。

 

「ほら、こんなにも強欲で、いつも心が移ろいでばっかしだよ」

「しかも、その度に何かに巻き込まれる。自分の事ながら悲しい性だ……」

「自業自得だけど思うけどね。でも、だから面白いよね。だって、こんな経験は」

 

 他のフレイムヘイズでは絶対に出来ないんだからさ。本当に嬉しそうにウェルはそう言うのだ。

 フレイムヘイズは生を求めない。フレイムヘイズは危険を求める必要もないぐらいに危険に常で身を置く。フレイムヘイズは安全を要らぬものだとする。フレイムヘイズは不変者だ。

 そんなフレイムヘイズと比べれば、モウカの在り方はフレイムヘイズとは遠く、むしろ普通の人間に近い在り方。

 だが、それ故に、

 

「そうね。貴方は見ていて飽きないわ」

 

 彼は人間としては強かった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「何故逃げるのかな。私には少し、理解出来ない」

 

 『不朽の逃げ手』を追いかけ始めた数時間前に『愁夢の吹き手』ドレル・クーベリックが虚空に呟いた。その声色には理解の色はなく、疑問の色が強かった。彼は少しと言ったが、実際には全くもって理解できていない。

 若き御老人である彼は、つい十数年前までは協力しあわなければ生きていけない人間の輪の中で生きていた。人間は人間同士で貶め合うことも多いことを、音楽団という少し色の違う集団の中ではあったが彼はよく知っていた。

 音楽の世界は一つ舞台に上がるために個々で必死の努力をし、相手を蹴落としてでもスポットライトを浴びなければならない。その世界の中では貶め合うのはむしろ普通の事だった。

 しかし、相手を蹴落とすばかりでは決して自分たちが上に行けるわけではなく。時には協力し、一つの音楽を作ることも必要であった。

 ドレルの理念で言えば、その協力こそが人間の強みの一つであると信じている。

 人は一人では生きていけないを地で行く考え方だった。人はもちろんのこと元人間である超越者とも言えるフレイムヘイズだって例外ではないと考えていた。一人で出来ないことは二人で、二人出来ないことは三人で、少数で無理なら集団で、組織で、と。

 フレイムヘイズの実態を身を持って知った今でもその理念は変わらず、ドレルとしては変えていかなくてはならないとさえ思っていた。

 これはその足掛かりともなる一歩でもある。

 

(彼に協力してもらえれば、心強いだろうね)

(んー、でも噂だけじゃ分からないわよ)

 

 ドレルの心の声に律儀に彼に異能の力を与えた``虚の色森``ハルファスは、耳に残るような高い声で返す。

 

(そうだろうね。復讐を手伝ってもらうには強くなくてはならないから、噂が一人歩きしてしまったなら、心強くないだろう。でも、私にとっては同時にそれは理由にならないんだよ)

 

 フレイムヘイズという存在概念は強さというに大きな意味を持たせている。

 強ければ正義という言葉は、ドレルには好きになれそうにはないが、そういった社会性を持ってしまっている理屈には十分に理解はできる。

 簡単に言えば弱肉強食の世界だ。

 強ければ``紅世の徒``を撃退、もしくは討滅して名を馳せることができる。弱ければ``紅世の徒``に殺されて存在を失ってしまう。とても単純でこれ以上無いほど分かりやすい世界観。

 悪いとはドレルは思わない。

 単純であれば簡単に生きる意味を見つけられるだろうし、強ささえあればいくらだって生きられるのだから。まさに強者にとっては理想的な世界だろう。

 だが、弱者はどうすればいいのだろう。

 ドレルはそこに一石を投じる。

 どうやって生き残ればいい?

 一回目の戦闘を乗り切って生き残っても、二回目には死んでしまうかもしれない。

 自分のような攻撃性に欠けたフレイムヘイズはどうやって復讐を果たせばいい?

 復讐をしたくて``紅世の王``と契約したのに肝心の力は復讐に向かず、自己矛盾を抱えたらどうすればいいのだ。

 復讐相手をどうやって見つければいい?

 この世界中を隅から隅を探したって見つからない可能性だってあるんだ。

 これは決して弱者だけに当てはまるものではない。

 ドレルはあまりにも低水準なフレイムヘイズの構築する社会に言いたいことがたくさんあった。

 

(どういうこと?)

(未来(さき)のことだよ。それよりも先にやるべきことが私にはあるからね。両方協力してもらえれば、私にとっても願ってもいないこと)

(もーッ、どうして逃げるのかしらね!)

 

 逃げるという行為に全く理解は出来てはいないが、名前からしてそれが彼──『不朽の逃げ手』の本質なのではないかと熟考する。

 仮にそれが本質なのだとすれば、逃げるという分野において特質した能力の持ち主である可能性が高い。ならば、ここまで自在法を使い巧みにモウカを追っているが捕まえるのは至難の業の域を超え、不可能の領域へと達するかもしれないと、最悪の事態までドレルは予想しだす。

 幻術による広域探索によって、ちょくちょくモウカの気配を察知して近づけば、『不朽の逃げ手』はドレルが更に近づくよりも遠ざかる。

 『不朽の逃げ手』が今まで一度も得意の自在法を使っていないことは確認済みだった。

 有名なあの自在法はその強力さの反面、あまりにも目立つため使わせれば逆に近づき、見つけるチャンスが増えると睨んでいたのだが、それすらも使わずに逃げられてしまっている。

 ドレルが自在法を駆使し巧みに扱ってもなお埋まらない距離感に、フレイムヘイズとしての格の差をドレルは今感じていた。

 『不朽の逃げ手』を探してはいたが、見つけることが出来たのは完全なる偶然だった。最も困難であると考えていた存在の目撃情報を手に入れることが出来てからは、これはいよいよ風が自分に向いて来ていると思っていたので、この展開は流石に予想外だった。

 

(まさか近づこうとしただけで逃げられるとはね。まるで人間から逃げる猫。いや、鳥のようだ)

 

 予想だにしない展開ではあったが、素早く頭を切り替え、逃がさないように自在法を使い現在に至った。

 見つけてご対面するのも時間の問題だと当初は考えていたというのに、ドレルの予想をはるかに上回る逃亡にドレルは苦笑いを隠せない。

 考えてみれば、自身の考えの右斜め上をずっと突っ走られているような気さえもしてきていた。

 だからと言って、逃すつもりは微塵もなかったが。

 

(向こうの動きがこちらの考えを超えてくるということは、非常に辛い状況だ)

 

 本来は追う側は逃げる側の意図を察して、道を塞ぐというのが最も有効な手段となる。どこかに目的地があるなら目的地に先回りをして、待ち伏せをする。行き当たりばったりで逃げるのなら、逃げる方向を誘導して徐々に追い込んでいき、行き止まりへと誘い込む。

 どちらも相手の動きを予測するというのが重要になるのだが、ドレルの現在追っている相手はその予測を平然と上回っていくので、予測事態が成り立たず、追う側も行き当たりばったりになってしまいがちだった。

 それだけではなく性質が悪いことにご丁寧に障害物まで設けている。それは時に人であったり、直接的な壁であったりと、ドレルの追いかけ方が巧みなら、相手の逃げ方もまた匠だった。どう考えたって、逃げ慣れているとしか言いようがない。

 

「ねー、ドレル」

 

 ドレルがどうやって捕まえるべきかと悩んでいると、神器『ブンシュルルーテ』より声がかかる。

 いつもの高揚した言葉ではなく少し落ち着いた声だった。

 

「もう諦めた方が……」

「いや、それは出来ない」

「でも、別に『不朽の逃げ手』じゃなくちゃいけないというわけじゃないわよね? なら!」

 

 ハルファスからするとドレルがここまで『不朽の逃げ手』にここまで固執する理由が分からない。

 フレイムヘイズはこの世に数多といるのだから、中にはドレルに協力的な者がいてもおかしくないじゃないかと思っている。だったら、わざわざドレルから逃げるような腰抜けではなくてもかまわないじゃないか、と。

 仮に捕まえることが出来たとしても、ここまで猛烈に逃げて、ドレルと会うことを拒絶しているフレイムヘイズが、いざ会ってみてドレルの頼みに協力してくれるとは思えない。断られるのが眼に見えている。

 そして、ドレルには頼み事を無理矢理聞かし、行動を起こさせられるような力もなければ、そんな性格でもない。

 力に関してはハルファスの力不足な部分もあるので、彼女は申し訳なくは思っているが、それとこれとは話が別だ。ドレルが武器を片手に相手を脅している姿など、ハルファスには想像がつかない。

 考えれば考えるほど、今ドレルが行っている行為が、無意味なものに変わってしまうのではないかと疑念を抱えずにはいられなかった。

 ハルファスはドレルがこの追いかけるという行為に少しでも弱音を見つければ、止めるべきだと強く押そうとだいぶ前から決心していた、が実際にはその様子は一切見せず、逆にヒートアップしているようにさえ見えた。

 

(ドレルったら、意地になってるのかしら)

 

 フレイムヘイズになってからの十数年間という月日は、初々しかった者にプライドを与えるのには十分な期間であり、またそれに見合う力をつけるのにも十分な時間であった。

 ドレルの場合は戦闘力という力にこそは恵まれなかったものの、ハルファスの特性である幻術を駆使した力には優れた能力を発揮した。

 復讐者であるドレルはその幻術の力をまずは捜索能力へと発展させた。復讐するためにはまずは敵を見つけることから始めなければならない。その道理を考えれば力を注ぐ部分が探索分野になるのは当然の結果。堅実な考え方とも言える。

 自在法とはまさに音楽のように自由だ。その自由の中にも、ある一定の方式や決まり(限界)がある。フレイムヘイズや``紅世の徒``が己が望む形に自在法は形作られていき一つの音楽が完成する。

 生を望む者が自在法を編めば逃げる手段に。未練を残した者が自在法を操れば未練を追う手段を。全てを恨み復讐を望む者が自在法を扱えば殲滅をする力に。

 自在法は``紅世の徒``の本質に大きく左右されはするものの、最後に形にするのは結局は契約者たるフレイムヘイズであり``紅世の徒``自身でもある。

 ドレルが望んだ形は多いものの、その中でも特に形になっている幻影の自在法は探索や撹乱に使える非常に優れたもの。それを駆使すれば、何も『不朽の逃げ手』に限らずフレイムヘイズを見つけることは容易いだろう。まして、最も困難であると考えていた相手を今もこうやって膠着状態とは言え、五分に渡り合っているのだ。数百年を生きて、名も十二分に知れ渡っているフレイムヘイズ相手にはこれ以上はないほどの十分な成果だ。

 だから、未だに諦めずに執拗にドレルが追いかけているのは意地が絡んでいるのではないかとハルファスは思った。

 

「いや、彼じゃないといけないんだ。私はこうやって数時間も追いかけて確信したよ」

「え、それはどういう……」

 

 ハルファスはドレルの言葉に全く理解が追いつかない。

 ドレルはそんなハルファスの様子を分かっていて、あえて無視する形で自分の確信を言う。

 

「彼は決して戦いを望んでいない。もしかしたら、唯一のフレイムヘイズなのかもしれないのだからね」

 

 ハルファスはまだその言葉の意味を理解出来ない。

 

「それに、どうやら運命の女神もこちらを味方してくれているようだ」

 

 追っていた『不朽の逃げ手』の動きが止まった。



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第三十話

 天は俺に味方することなんて絶対にないのだ。これから過去の経験という偉大な実証を持って、断言できる、大変認めがたい現実ではあるが、俺は受け入れなくてはいけない。都合のいい時だけ神頼みをしてきた俺だが、こればっかりは自分の実力でなんとかしなくてはいけない。ああ、なんと慈悲のないことか、とは思うまい。

 古来より、神や悪魔といった非現実的な生き物、もしくはありえない存在というのは存在していた、とウェルは言う。その多くは自分たちのような``紅世の徒``であったとしても。

 キリスト教の神であるイエス・キリスト(キリスト教内では、キリストを神と崇める宗派とただの使いであるとしている宗派がいる)は奇跡を見せたというが、ウェルの言うことが正しければイエスはただのフレイムヘイズであったか、人化した``紅世の徒``であったかもしれないということになる。

 ここで驚きの歴史の裏側の暴露。イエスがフレイムヘイズであったという信憑性は甚だ怪しいが。

 しかし、ウェルたちが神や悪魔と称されるのは、なんとなくではあるが納得しやすい。

 人に駆け寄り、その者の全てを代償に力を与える『契約』といった行為なんて悪魔の『契約』と大差ない。また、人の存在を食らう行為も俺の知っている悪魔の行為を変わりない。自在法を扱い、ありとあらゆる現象を起こす姿など神と讃えられてもおかしくはないではないか。

 となると、神頼みなんて行為は、自己中心的で自身の興味や関心ばかりに注意がいくどうしようもない奴らである``紅世の徒``に、無償でお願いすることと同義になるではないか。

 なんという無意味さ!

 そりゃー慈悲だってないさ。

 だって普通の人間のことなど``紅世の徒``は歯牙にもかけないのだから。

 

「モウカ、待ち伏せするって言うけど作戦はどうするの?」

「作戦って言う程のものじゃないよ。簡単な話、地の利をこちらに働かせればいい」

 

 本当なら待ち伏せという方法は取りたくなかった。あくまでも最後まで逃げ切りたかったのだが、そうもいかない状況へと追い込まれてしまった。リーズが限界に達したというのもあるが、その程度の理由なら俺は足を止めることはない。

 気配が増えた、というのが答えだ。

 もう一つの気配はフレイムヘイズではない別の気配、つまりは``紅世の徒``である。こちらは和解が出来ない正真正銘の敵だ。

 ずいぶんと長い距離を通常ではありえないスピードで逃げまくってたせいで、エンカウントしてしまったようだ。

 軽く言ってはいるけど、内心では``紅世の徒``との遭遇かフレイムヘイズとの邂逅かの二択を強制的に強いられて、うつ状態とも言える。

 なんでいつもこうなるんだよと、己の運の無さに文句を言いたい。

 前を向けば``紅世の徒``で後ろを見ればフレイムヘイズ。ならば右か左を選択するというのもありなのだが、どうもきな臭い。いや、俺が下手に考え過ぎなのかもしれないが、罠の臭いがする。

 相手のフレイムヘイズはこの俺を相手にずっと追いかけてきた奴だ。この``紅世の徒``との遭遇だって実は偶然ではなく、ここにまんまと誘導されたということだってあり得るかもしれないのだ。

 これでは疑心暗鬼になってしまいそうだ。

 こんな事なら最初からウェルの言うとおりに、『嵐の夜』でふっ飛ばして解決の方が楽だったかもしれない。

 後悔しても仕方ないが。

 

「地の利をこちらにねー? リーズを上手く使うの?」

「それもあるが、ちょっと試したいこともある」

「試したいことって何? 私も関わってくることなんでしょ?」

「ふむ、お主に一計があると?」

「説明はちゃんとするさ。でも、あまり時間もないしね」

 

 俺を追っているフレイムヘイズとの距離はそこそこに開いているが大した距離ではない。フレイムヘイズならほんの数分で埋めることの出来る短い距離だ。呑気に作戦を教えている暇はないので、ささっと準備をして見て理解してもらうほうが早い。

 

「それじゃ、始めるか」

 

 リーズが興味深そうな目をこちらに向けている中で『嵐の夜』を発動させる。いざとなれば、近づいてきているフレイムヘイズも、この先に居る``紅世の徒``をも巻き込むことが出来る大規模な自在法だが、そんな無茶なことはもちろんしない。

 存在位の力を最小限に節約すると、小規模な高さ二メートル程の小嵐(こがらし)が発生する。小嵐というものの、俺の『嵐の夜』の性質をしっかりと受け継ぎ、雨と風の双方が発生して、雨に当たったモノの存在認知をさせない効果もしっかりと発揮している。小規模故に公開範囲は極狭だが。

 小嵐という名前より超局地的な台風と言える。

 普段の『嵐の夜』の発生範囲なら、その雨量と風によって相手の視界をも塞ぐことが出来るが現状のものではそれが出来ない。ただ、その分目立つことがないというメリットが増える。

 この小型の『嵐の夜』を複数を一度に発動させる。

 

「へぇ、そういうことも出来るの。器用じゃない」

「制御が少し難しいんだけどね。なんとか出来るようにはなったよ」

 

 リーズは驚きの声とは裏腹に「で、これでどうするの」という顔をする。

 確かに、このままでは単なる曲芸だろう。こんな小さな嵐が幾つ発生しようとも、フレイムヘイズの前には大した弊害にはなりもしない。『嵐の夜』の本来の性質は妨害というのが一番顕著だ。大規模な自在法を展開することにより、相手の自在法を関係なしにこちらの存在を分からなくする、と同時にこちらは相手の位置を把握できる。さらに、視界も封じ、動きも多少は制限させて、味方が敵を奇襲させ易くするという補助効果がある。だが、このちっちゃな『嵐の夜』ではどれもあまり期待できそうにはないとリーズは思ったんだろう。

 そうだ。そう思うだろう。

 だがな、こうやって小規模にすることにだってしっかり意味がある。

 自在法というのは、存在の力を消費し、自在式に則った形で構築される。言わば、存在の力の塊そのモノだ。フレイムヘイズもまた同様に``紅世の王``を内側に灯した存在の力そのもの。

 ならば、自在法とフレイムヘイズの気配をごちゃ混ぜにすることは容易い事ではないのだろうか?

 例えるなら、フレイムヘイズが他のフレイムヘイズや``紅世の徒``を感知できるのは自身と同じような存在の力、血の匂いを感じることが出来るからで、その血から構築された自在法もまた血そのものというわけだ。分かりにくかったかもしれないが。

 隠蔽の自在法がその血の匂いを消す自在法なら、俺のやろうとしていることはその真逆。木を隠すなら森の中と一緒で、周囲一帯を気配だらけにすればいい。

 そのための複数の自在法の発生。それも同じ自在法だ。

 それだけではない。

 『嵐の夜』の特性も受け継いでいることで、相手をコレで囲ってしまえば、元の規模には多少劣るが同様の効果がみられるだろう。相手を雨に当たらせていることになるので、複数ある小さな嵐の雨一粒でも触れれば相手の位置の特定も可能だ。相手だけでなく、俺とリーズも『嵐の夜』で囲んでしまえば隠蔽度も増す上に、守りにも使えるだろう。自分の周りを囲っている嵐に近づけば相手の気配も察せられる。

 大規模で目立ってしまうというデメリットを解決し、地の利をこちらにつける有効な手となる。

 これが俺の作戦だ。

 

「この小さい嵐を予めリーズと俺を囲っておき、周りも小さい嵐だらけにする。その嵐の一つにでも追ってきているフレイムヘイズが引っかかれば、そこを囲いこちらの気配を察知できないようにする。そうなれば」

「私たちは奇襲し放題ってことよね? 貴方の自在法って本当に便利ね」

「モウカが百年もかけて完成させて、常日頃から改良を試みている努力の結晶体だからね」

 

 ウェルの言うとおりだ。

 俺には他にも自在法があるとは言うものの、ここまで重用しているものはないだろう。そして、これ以上に逃げに適した自在法もないと俺は自負している。過去の俺にこれを考えたことを褒めてやりたいほどだ。

 何度も窮地を脱してきた心強い力でもある。

 

「正確には奇襲し放題ではなく」

「逃げ放題だ、だよね? モウカ」

「ああ、その通りだ」

 

 きっと俺はいい笑顔をしていただろう。

 リーズはそんな俺の顔を見ながら、つられたのか面白そうな顔を浮かべて一言。

 

「ええ、とても貴方らしいわね」

 

 ここに一つの作戦の決行が決まった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「罠に引っかかるとは」

「キーッ、こんな小細工に! ドレル何とかならないの!?」

 

 釣り餌に引っかかったのは初老と言っても差し支えない男だった。おそらくはこの甲高い声の持ち主が彼に異能の力を授けた``紅世の王``だろう。男の名前はドレルというらしい。

 小細工だなんて言われようだが、間違いではないので修正する必要もないな。うん、これは作戦というよりもせこい小細工以外の何物でもないだろう。でも、それに引っかかったのはお前らなのだから、素直に捕まっててほしいな。出来れば敗北宣言もして、俺たちを追わないで欲しい。

 

「噂に聞く自在法とは少し形が異なるようだが、同分類のものっぽいね」

「早く術者出てきなさいよッ!」

 

 沸点が低そうな契約した``紅世の王``とは違い、契約者の方はかなり聡明な方のようだ。あっという間に小細工の正体にたどり着いている。自在法の性質も見破っていることから自在師なのも間違いなさそうだ。

 厄介な相手は嫌だな。

 この自在法の正体を完全に見破り、拘束を解くことが出来る可能性だって低くない。最悪の場合を考えて長期の拘束は不可能であると考えていたほうが良さそうだ。

 となれば、一目散に逃げるのが最も賢い選択だろう。

 別に悪いとも思っていないが悪いなドレルさん。どんな理由で俺を追ってきたかは分からないが、あんたの追跡もここまでだ。俺はすぐにでもあんたの手の届かない場所へと逃げさせて貰うよ。

 俺はドレルに別れの言葉も言わずに、リーズへと撤退の言葉をかけようとしたとその時だった。

 

「私は``虚の色森``ハルファスの契約者『愁夢の吹き手』ドレル・クーベリックだ。私はこの世界に名高い``晴嵐の根``ウェパルの契約者『不朽の逃げ手』に会いに来た。ただそれだけなんだ」

 

 ドレルが先ほどの自身の契約した``紅世の王``との会話でみせていた落ち着いた声ではなく、近くにいるであろう俺に呼びかける叫び声を出した。

 鬼気迫る。必死さを顕著に表すような声だった。

 その内容は自己紹介と、俺を追っていた理由。

 俺にただ会いに来ただけ、という言葉だ。

 なんだ、そうだったのか。必死に逃げたのが馬鹿みたいだったよ。もっと早く話し合う選択肢を選んでいれば、余計な労力を使っちまったじゃないか、あはは。

 とでも言うとでも思ったか。

 ただ会いに来ただけ? それが本当なら俺だって喜んで彼とは会おうじゃないか。一晩使って色々な情報を交換してもいいし、なんだったら命に関わらないことなら何かを協力をしてあげてもいいじゃないか。その場合はもちろんギブアンドテイクだけどね。ファンならサインだって握手だっていくらでもしてあげよう。

 だがしかし、その『会いに来ただけ』という言葉を証拠付けるものはあるのか。俺にその言葉を信じさせるほどの信頼は俺と彼の間にはあるのか。

 どちらも無いと即答できる。

 今まで自在法を使ってまで強引に追いかけてきた敵の言葉の『会いに来ただけ』なんて言葉は信用できないし、初対面なのだから俺と彼の間に信頼なんて育まれているはずもない。むしろ、追っかけてきた分だけマイナス印象だ。

 俺がドレルの言葉に耳を傾ける必要はない。

 俺がすでにドレルを見限ってこの場を離れようとしていることは、彼は気付くことはできないので彼の心からの叫びは更に続く。

 

「私は貴方に協力してもらいたいことがあって、貴方に会いに来た。一つは復讐のため」

(復讐を協力してくれだってさ)

 

 ウェルが懸命に笑いを堪えながらドレルの言葉に毒づいた。

 俺からすれば、ほらねって内容だ。

 復讐を協力は流石に予想外だったけど。それに準じた俺にも危険が及ぶ内容であるのは予想が出来ていた。

 復讐は個人の私怨の問題であるため、他の人物が復讐に横槍を入れられるのを普通は快く思わない。特にフレイムヘイズはその傾向が強いというのは必然の結果か。俺のような特異の性格のフレイムヘイズやリーズのような特殊なケースを除き、フレイムヘイズは``紅世の徒``への深い憎しみによって生まれるのだから。復讐自体が存在意義みたいな連中だし。

 その存在意義を他人に任せることなんて復讐者(フレイムヘイズ)はしない。それを目の前のドレルはするというのだ。俺が少し驚いたのもしようがないというもの。

 それにしても、復讐者たる彼が俺にこうやって協力を求めるということは一体どういう経緯があったのだろうか。

 パッと思いつく理由は、復讐相手が自分より圧倒的に強くて協力を求めたからと俺のようにフレイムヘイズらしからぬフレイムヘイズであるからの二つ。

 前者はプライドもクソも関係なくなるほどの敵が復讐相手という可能性がある。俺はせいぜい頑張れよと投げやりな言葉を送るしかないな。いや、言葉すらもかけずにこの場から退散するが。

 後者なら、復讐はしたいがとりあえず成せばいいとだけ考えているフレイムヘイズにしては奇特な考えを持っている御仁である可能性。珍しいねとは思うけど、俺ほどじゃないな。たぶん。

 どちらにしろ復讐が前提に来ている時点で、数多くいるフレイムヘイズたちとそこまで色が違う訳じゃないな。俺なんて契約した当初から今も復讐という言葉は頭のどこにもないんだし。

 俺の思考と逃げようとする行為を知らないドレルの語りは止まらない。

 

「一つ目は協力してもらわなくても最悪構わない」

「え、ドレル!?」

 

 俺の足が止まり、ウェルが興味深そうにへぇ~と言ってる。

 相方の驚きなんて知ったこっちゃないとばかりにドレルは最後の言葉を言う。

 

「二つ目、貴方には『外界宿』の再建に協力してもらいたい! 私が貴方に会いたかった理由はこの二つだ。どうか話し合いの場を設けて欲しい……」

 

 どうやら彼も復讐者という仮面をつけているだけで俺と同じ部類の変人らしい。

 『外界宿』の再建か。果たしてどんな内容なのかな。

 

「ねえ、モウカ」

「うん? どうした?」

 

 一呼吸間を開けて、ウェルは久々にとても愉快そうに言った。

 

「面白そうじゃない?」

 

 いやはや、数百年一緒にいるとあれなのかな。

 犬が主人に似るのと一緒で、フレイムヘイズと契約した``紅世の王``も、

 

「そうだな。俄然興味が湧いてきた」

 

 似るのかもしれない。



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第三十一話

 モウカにとってこの状況はかなり敗北に近い形と言えた。というのも、今までの経験から逃げることへの自信はそれ相応にあったのに、今回に限って言えばただ単に逃げるだけではなく、一度相手を罠に嵌めて、自ら近づいて処理しなければならないほどに追い詰められたからだ。相手に近づくことの意味は、単純に命の危険が増すのだから、モウカとしてはあまり使いたくない手段だった。それはたとえ、逃げている時にお得意の自在法を使っていないという事実があったとしても変わらない。

 昔であれば、どんな時であっても『嵐の夜』というとても便利な自在法を使って力技で逃げ出すことが出来ただろう。こと逃げ出すだけなら今回も出来たに違いなかった。しかし、今と昔ではモウカの立場が違っていた。

 名が知れていなかった過去と名が知れてしまった現在では、『嵐の夜』の影響力が違う。過去ならば、どんな自在法を使おうが誰が使ったなどと特定もされず、追う者だっていなかっただろうが、現在ではモウカの代名詞と言えるこの自在法を扱ってしまえば誰が使ったかなど一目瞭然。使えば自分の居場所を暴露するようなものだ。『嵐の夜』という自在法が逃げることに有利な大規模な自在法である利点が、同様に欠点へと変わってしまう。

 モウカからすればバレたとしても逃げ切る自信はあるし、未だ知れていないリーズという切り札だってある。つまりやりようはあるのだが、安易に居場所を晒す必要だってないのだ。

 これが過去に自身が追われた経験がなければ、名が知れて居場所を暴露したところで、フレイムヘイズをやっかみして追いかけてくる``紅世の徒``は滅多に居ないのだから(とは言うもの、少数とはいえ居るのだからモウカは使用に躊躇う)追い詰められれば、多少は考慮するものの『嵐の夜』を使うことになっただろう。

 だが、実際には多くの``紅世の徒``に追われた経験があり、また自身の名がいい意味でも悪い意味でも知れ渡ってしまっている。

 『嵐の夜』という自在法を使うことにより、相手がモウカに畏怖の感情を抱くだけならまだしも、そうではなく逆に強い敵対心などの命の危険に関する気持ちを抱かないとも限らない。

 下手に名が知れてしまったメリットとデメリットであったが、このデメリットは普通のフレイムヘイズにとってはデメリットになりえず、そのまま利点や美徳(名が知れた事自体に誇りを持つため)とも言えるのだが、モウカという生きることにのみに執着する変わり者には要らぬ要素そのものだった。

 そして、この要らぬ要素が決定的で、モウカが現在あまり『嵐の夜』を使えない苦しい状況であった。

 今回のドレルに追われたことに関しても、ドレルが相手に『嵐の夜』を使わせて特定させたかったことからも、モウカの『嵐の夜』を使わずに逃亡するという行動は苦肉の策ながらも適していたと言える。

 けれども、今回に限って言えば相手が悪かった。

 追うことに特化するという奇特なフレイムヘイズを相手で、相手は自在法をいくら使っても構わない(居場所がバレても問題ない)のに対して、モウカは自在法は使ってはいけない(居場所がバレては駄目)。

 最初からモウカに不利。ビハインド状態。ハンデを負った状態では、流石のモウカも逃げるのは厳しいの一言に尽きた。無論、常の相手なら逃げられただろうが。

 追うプロフェッショナルと追われるプロ──逃げるプロフェッショナル。天秤はどちらにも傾きかけたが、やはり最初から重りの付いているモウカには勝ち目がなかった。トドメになったのは、未だモウカ以外の誰も気づいていない新たな存在ではあったが。

 勝機をしっかりと見極めていたモウカは、天秤自体を取り除く、つまり『嵐の夜』を使えないという前提自体を覆す結果により、最終的にはこの追う追われるという現状に終わりをもたらした。

 何も前提を覆してきたのはモウカだけではなかった。

 

「詳しい話を聞かせてもらうか」

 

 モウカの逃げるという前提は、相手が害ある存在であるというものが成り立つゆえである。害というのは、当然のことながら命の危険という風に訳すことが出来るが、ドレルは己の内に秘していたことを公開することによって、己の身が無害であることを強調、ないしは利ある者であることを公言した。

 さしも極度の逃げ腰のモウカとて自身にとって有益であるならば、その逃げそうになる腰を抑えつけ、我先にと逃げ出そうとする足を止め、耳を傾ける。

 自分が安全に生きれる可能性がそこに見出すことが出来るのであれば、協力だって命の危機がない限りはする。

 リーズをこちらに呼び寄せてから全ての自在法を解く。

 

「どういうこと? 作戦はどうしたの?」

 

 モウカの不可解な行動にリーズは驚愕し困惑するものの、疑問の色を強く宿した目をモウカに向けながら言われたとおりにモウカの傍らへと立ち、目の前の存在へと目を向ける。 

 

「どうやら信用してもらえたみたいだね」

 

 リーズは深く皺のある老人の姿にまたしても驚きながらも、これが追ってきたフレイムヘイズであることを確認する。

 見たところは覇気なんてものは存在せず、見た目ではただの老人にしか見えないが、異様な存在感がただの老人であることを否定していた。その上、その存在感があまり年老いた雰囲気も感じさせない。

 モウカの逃げる特性や逃げる実力の一部を垣間見ているリーズは、老人のモウカを追うという無謀に近い行動力に舌を巻きつつ、それが功を奏した現状にもやはり驚いた。

 モウカとはここ百年来の付き合いとなっているリーズだが、それだけモウカを近くで見る機会は多分に多かった。

 モウカが話していたかつての大戦や、リーズ自身が契約するハメになった教授の強制契約実験などの大きな事件に巻き込まれることもなかった。かといって全く``紅世の徒``との接触がなかったわけではなかったが、比較的平和な百年だったと言えるだろう。少なくともリーズがモウカという一人のフレイムヘイズを理解するには十分な時間ではあった。

 その時間を通してモウカの力や人柄を語ることはいくらでも出来るが、どれを語るにしろ色んな意味で言葉や尊敬は尽きない。

 そのモウカをよく理解している唯一のフレイムヘイズのリーズをして、逃げるモウカを追うことの無謀さはよく分かっていた。

 だが、同時にモウカを追いかけ見事に捕まえることが出来た目の前の老人の執念深さに驚愕をせざるを得ないだろう。なんといっても捕らえたのだ。フレイムヘイズとしてのありったけの力を逃げることに費やしているあのモウカを。

 二重三重にも驚いたが、すぐに現状を理解しようと冷静に努め、頭を回転させようとするが。

 

「で、どういうことなの?」

 

 結果、考えることを放棄した。

 だって私は学を学んだわけでもなければ、知識を持っているわけでもないから、考えられるわけないじゃない。と、いっそ清々しいほどに開き直る。

 その態度は誰の目にも傲慢にも我儘にも見えなかったが、怠慢には十分に見えた。

 リーズのその当たり前の態度に、モウカも当たり前のように理解を示し、現状の説明をしようと口を開いたが、

 

「説明するのは面倒だから、後でだな」

「そ、後ででも教えてくれるなら別にいいわ」

 

 面倒になり説明を放棄した、というよりも今は他に聞くべき優先順位、先にやるべき行動があるからリーズへの説明を後回しにしたに過ぎない。

 リーズも興味はあるものの、そこまで急を要する訳でもないからいいかと楽観的に捉え、ちょうどいい木陰を見つけると一人で歩いて行く。

 

「それじゃ、話が終わったら起こして。ずっと走りっぱなしで疲れちゃったから少し休憩してるわ」

「はいよ、ゆっくり休みな」

「風邪引かないようにねー」

「フレイムヘイズが風邪引くわけないじゃない。おやすみ」

 

 すやすやと眠りに落ちていった。

 その姿は見かけ通り十代前半の少女のものと何ら変わらない。こうやって寝ている姿は百年も生きたフレイムヘイズであることを全く感じさせなかった。

 尤も、大人っぽさや色気というものから程遠く、むしろ未だ子供っぽさの残る言動が多いリーズに百年の貫禄を出せという方が無茶な話ではあるが。

 リーズが寝る様子を子供を見守る親のような気持ちで見送ってから、珍しい真剣な眼差しをドレルへと向ける。さてと、といういつもに比べて幾分重い声色で前置きをしてからモウカがだいぶ前のドレルの言葉に返答する。

 

「まだ信用したわけじゃない。けど、面白そうな話だとは思ったから話だけは聞いてみようかなって」

「あのフレイムヘイズの吹き溜まりのような外界宿の再編しようなんて、変人の考えだよね」

 

 モウカは言外に協力するかどうかは分からないと言いつつも、具体的な内容をドレルにするように促し、ウェパルはいつもと変わらない調子で、思ったことを適当に口にした。

 ドレルは眉間に皺を作りながらも、温和な顔を保ちながら、キーキー言い出しそうな自身の相方を抑えつつ、まずはゆったり話そうじゃないかと、近くにある椅子の代わりになりそうな丸太と大きな石に座るように進めた。

 モウカはそれに逆らわずに、石よりは座り心地が良さそうな丸太に腰を下ろす。その様子を確認してからドレルも残ったでこぼこの石へと座る。気遣いの節々に紳士の心得を感じる瞬間だった。

 

「ようやっと落ち着けたね。まずは失礼ながら追い掛け回したこと詫びさせて欲しい」

 

 落ち着いた丁寧な謝罪だった。

 言葉には気持ちがしっかりと込められていることが、モウカの心にまで届く。

 言葉に含まれた力と意味にモウカは、礼節を忘れないドレルに好感を覚えた。

 

(英国紳士の嗜みってやつか。英国出身かどうかなんて知らないけど)

 

 眼の前のジェントルマンに感心を抱きつつ、日本男児たるもの意には好意を返さなくては。と、よく分からない張り合いをする。

 モウカが行った時の英国は産業革命の最盛期で、とてもじゃないが落ち着いた雰囲気ではなかったので、ジェントルマンを見るのが初めてだった。

 ドレルの対応に、どう返せばいいかよく分からず、いえいえこちらこそかたじけないと、これまたよく分からない対応を返すと、ドレルはモウカの行動に笑わずに、許しをもらえたことに感謝をした。

 

(これがウェルならここぞとばかりに笑うのに……いい人だなあ)

(プッ……く、く、かたじけないって……どこの言葉よ、くふふッ)

(ほら、これだよ!)

 

 ウェパルの予想通りの行動に若干嫌気がさすも、顔の表情にはおくびにも出さないところが流石の一言だった。

 ウェパルとの絡みもほどほどにして、和やかになった雰囲気そのままにモウカは件の話を持ち出す。

 

「モウカ、君……というのは失礼か」

「あー、呼び名は自由に。フレイムヘイズに歳は関係なし、だ」

「歳を気にしたらモウカをおじいちゃんって呼ばなくちゃいけないからねー」

「そういう訳だ。俺はドレルと呼び捨てにするから、ドレルも俺のことは好きに呼べばいいよ」

 

 モウカはそう言うと愛想よく屈託の無い笑顔を向けた。

 敵意のない証明。

 ドレルの今までの態度を見れば、警戒心が人の数倍も高く、極度の臆病者のモウカとて、ドレルがモウカに敵対するような人物ではないことは見抜くことが出来る。否、それほどまでに慎重だからこそ、相手の身なりを見抜くのは経験を含めて、それなりに得意ではあった。

 絶対ではなく、時折外すこともあるが、それならそれでしょうがないと割り切っている部分もある。この笑顔は、とりあえず現状は問題なく接することが出来るであろうという心の表れだった。

 多少は信用したということでもある。

 

「ならば──」

 

 モウカのスマートなやり取りにドレルも意外とモウカに好印象を持ち、どう呼びかけるべきか悩む。

 相手が正確にはいくら上かは分からないが、かなりの人生の先達者で有ることは間違いなく、見た目通りの年齢ではない。年上に対して礼節を忘れず、というならさん付けなどの敬称をつけるべきだが、なんとなく似合わない気がする。

 歳のいったドレルが、さん、で呼ぶにはモウカの見た目の年齢が少し幼い。だからと言って、見た目通りなら君付けが非常に似合うのだが、実際には年上だ。

 この2つのジレンマに悩まされていると、それに気がついたのかモウカが自ら手を差し伸べる。

 

「少し意地悪だったかも。君でいいよ。年齢なんて気にしないし、どうせ精神年齢はそう外見と変わらないから」

「そうそう。モウカはあの頃からまーーっったく成長してないからね!」

 

 それにしては肝が座っていると、さらにモウカの評価を内心であげた。と同時に、彼のフレイムヘイズらしからぬ殺気や好戦的な感情を全く見せない気さくなやり取りにもドレルは好意を抱く。

 自分自身も復讐者の代名詞にこそは外れてはいないものの、フレイムヘイズとして多々外れていることは認識していたが、目の前のフレイムヘイズはそれを軽く凌駕していた。

 らしからぬ、という言葉では足りない。本当に復讐を願って契約したフレイムヘイズなのかと疑問をもつほどだ。先の自在法や、逃げる際の手際を見ていなければ信じる事は出来なかったであろう。

 

(やはり、これは運命というなの思し召しかもしれないね)

(ドレルの希望通りの人だったのかしら?)

(まさしく、その通りだよ。ハルファス)

(そう! それは良かったわね、ドレル!)

 

 今この時ばかりは、ドレルはモウカとの出会いに感謝して、今まで内に秘めていた思いをモウカに明かす。

 

「モウカ君。君にこれから話すのは、外界宿の再建、もとい全てのフレイムヘイズの安全と復讐が叶うかもしれない革命だ」

 

 フレイムヘイズの安全という言葉にモウカは目を光らせた。



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第三十二話

「起きろ、リーズ」

「ん……ぅうん? 終わったの?」

「無事に終わったよ」

 

 眠そうな目を指でこすりながらリーズが目を覚ます。

 それほど長く話をしていたわけではないが、そろそろ日も沈みだす頃合い。 木に腰をかけているリーズに手を差し伸べて、立ち上がらせる。リーズは「ん~」と言いながら、一度思い切り背伸びした。

 

「それで、話の内容ってなんだったの?」

「話はそれなりに長くなりそうだから、宿でゆっくりとしたいんだけど……」

「モウカの大嫌いな``紅世の徒``が近くにいるんだよねー。どうする?」

「ふむ、それならいつも通り逃げに徹するのではないのか?」

「いつもなら我先に逃げるけど、今回はそこまで焦らなくて平気なんだよね」

 

 ここから近くにいるというものの、俺の気配察知の感覚がさっきまでの鬼ごっこのおかげか鋭敏化されているので、``紅世の徒``はまだ気付けない距離のはずだ。動く気配もないため、現状維持でも十分に危険は少ないと言えるが、念には念を入れたい。

 まあ、自らを復讐者と名乗っているドレルにもこの情報を渡しているので、あわよくば彼が頑張ってくれるだろう。持つべくは友人だな、うん。

 ドレルが倒す倒さない関係なしに、早いところ休むためにも宿には行きたい。俺もなんだかんだ言いつつも、久々のハードワークだった。肉体的疲労もそこそこに、それ以上に精神面に休憩が欲しい。

 追われる側にとって最も辛いのは、追われているという緊迫感。プレッシャーだ。

 俺が絶対というほどの自信があるわけではないが逃げ切れる自信があっても、追われていると思うだけで精神的負担は増える。ましてそれがすぐに振りきれずに絶えず、数時間にも及んで追いかけ続けられれば、追われ慣れている身でもきついのだ。最近はこんなこともあまりなかったので、余計に。

 一風呂浴びて、極楽気分になりたいが、欧州にお風呂の概念はない。お湯ではなく水につかる文化はあるが、やはり気持の良いお湯に程よくつかるあの気分が懐かしい。温泉入るためだけに日本にでも飛んで行こうか真剣に悩むぐらいに。

 お風呂は身体を清めるのが本来の用途だが、それだけなら『清めの炎』で十分。俺が温泉に求めるのは癒しだ。

 いざとなとなれば、俺の力をフル活用すれば温泉ぽくすることはできる。『青い世界』で、水の性質を温泉にすればいいだけの話。なんという自在法の無駄遣い。強いて言うなら、天然ではないのが惜しまれるところだ。

 

「それなら焦らずにのんびり宿に向かうの? 日没までそう時間もないようだけど」

「うーん、リーズもそれなりに疲れてるだろ?」

「それなりに。でも大丈夫よ。さっきはぐっすり眠れたから一日ぐらい歩き続けても」

 

 俺は一睡もしてないけどね。

 寝てないからすぐに倒れてしまうような柔な身体をしているわけでもないし。歩きながらも体力は回復できるから、リーズに不満がないようなら問題はない。不満があっても俺が聞くかどうかは別問題だけどね。

 ウェルの「それじゃ近くの街に出発!」という言葉を合図に夜通しで街へ歩いて向かう。

 木々生い茂る中、ここは整備された道でもなく獣道のような鬱蒼とした道なので、灯り一つもない。フレイムヘイズの強化された眼なら多少の暗さは全くもって障害とならないが、ここはやはり灯りがあるに越したことはない。自らの手のひらに少量の存在の力を集めて、炎弾を構築する要領で手に炎の塊を作る。俺の炎の色は海色なので、青色の炎がそこに灯りちょっとした提灯代わり。

 景色の全てが黒で塗りつぶされる自然界では、青色の炎は十分に明るい。

 俺はこの炎の色は普通の赤色の炎より風情を感じるので、ちょっとした自慢だったりする。俺の色というよりはウェルの色なんだけど。

 炎の色と言えば、例えば七色の炎を持つ``紅世の徒``なんていればどうなるのだろうか。炎弾を作ると、その炎弾は七色に光るっていうことだよな。うん、綺麗な炎弾になりそうだな。七色の炎弾なんて、見るからに特殊能力が付いてそうだけど。

 ちょっと面白そうなので見てみたい。危険がない程度に。

 炎を見ながらも歩みを止めず、俺たちは無言で道を進んでいく。やがて森が開いていき、人の通る道が出来ている場所へと出る。道があるということは街があると同義だ。あとはこの道を頼りにひたすら歩いていけばどこかしらの街にたどり着くことが出来るだろう。

 地図は目的があるときにだけ用いればいい。どうせ、そんなに正確ではないのでコンパスがあれば十分だ。

 気分はまさに旅人。

 ``紅世の徒``やフレイムヘイズじゃない限り、獣に教われても身の安全がほとんど保証されているのだから、これほど気楽な旅もないだろう。いざとなれば食べ物も飲み物も要らず、疲労知らず。歳に負けることもない。

 コロンブスが聞いたら泣くほど羨むに違いない。

 船だって要らないだろうしね。飛べばいいから。

 人間がフレイムヘイズの力を知ったら羨ましむことを列挙しながら、無我夢中に歩いていると日が昇り始める。

 

「いい天気になりそうね」

 

 リーズが曇一つない金色に染まり始めている空を見上げてボソリと呟いた。

 俺もつられるように空を見上げる。

 この日が昇りは落ちて行く様を何度も何度も何度も見送って、過ごしてきたと考えると実に感慨深い。数えるのも鬱陶しいほどの日時を俺はあの頃より命を落とさずに過ごしてこれた。

 願わくはこれからも見送ってきた数の倍、許される限りの日々を生きていきたいものだ。

 まだまだ生きることに満足はしてない。死にたくはないものだ。

 

「もうこれはいらないね」

 

 近辺一帯が明るくなり、容易に見渡すことができることを確認してから、手のひらに灯していた炎を消す。

 

「見て! モウカ!」

「持ったより近くにあったみたいだね」

 

 街がある証拠である煙が立つ場所を見つけて、はしゃぐウェルの声。

 煙は高く、街の城壁も関所もまだ見えないだろうが、予想よりも早く街を見つけたことが出来た事実に変わりはない。

 リーズがふうと息を零して気を抜いた。特に張り詰めていたわけじゃないが、いつ着くか分かったもんじゃないからな。場所が明確に決まってリーズもホッとしたんだろう。かく言う俺も、思ったよりも早く安息できることに一安心だ。

 

「それじゃ改めて、あの街に向かって」

「ふむ、行くとしよう」

 

 うわ、私のセリフ取られたというウェルの声が街に着くまでやけに耳に残ったのは余談だ。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「外界宿についての知識? どこまで教えてもらったか忘れたわ」

 

 ドレルとの話で何よりも重要になるのは外界宿という一応はフレイムヘイズ唯一の組織だ。一応とつけるのは、組織として成り立っているかもかなり微妙な線であり、存在そのものの意義もあやふやだからだ。

 組織という言葉よりも、変わったフレイムヘイズの集まり場所、復讐を終えたフレイムヘイズのたまり場所と言ったほうがピンとくるかもしれない。

 俺の記憶では百年前に説明した記憶が微かではあるがもあるので、面倒な説明を省くため、フレイムヘイズのたまり場であることを簡単にリーズに説明する。

 すると、リーズもそんなこともあったわね、と懐かしい記憶を掘り起こしたような表情をした。多少は覚えていたようだ。

 

「そのたまり場であるところの外界宿は、本来秘匿の場所だ」

「``紅世の徒``に襲われないためってことよね。仮にもフレイムヘイズの組織なんだから襲われたらたまったものじゃないってことでしょ?」

「そう。仮にも組織だからね。仮にも」

「変なやつらばっかり居るところだったよねー」

 

 私たちが言えたセリフじゃないのかも知れないけどね、とウェルは愉快に笑いながら言う。

 彼らからすればそれでも俺たちのほうが異端だろうけどな。

 外界宿が組織として機能しているかは微妙とは言え、そこにはしっかりと世界各地のフレイムヘイズの情報やら、``紅世の徒``やらの情報が集まる。それだけでなくフレイムヘイズだってそこに居るのだから、外界宿の場所が簡単に``紅世の徒``に漏れればフレイムヘイズに復讐の念を抱く``紅世の徒``にとっては絶好の狩り場と化してしまう。もちろん、秘匿とするのは敵である``紅世の徒``からだけでなく人間からも隔離するためでもある。``この世の本当のこと``を知られるのを防ぐための手段でもあるということだ。

 となれば外界宿の存在がバレてはいけないのは、もはや語るまでもないこと。実際、俺も全ての外界宿の場所を把握できているわけではない。

 西欧ではイギリスとイタリアにあるのは確認しているがその他は未知数。どうやって知ったかといえば人伝えにという非効率な方法だった。

 ここから言えるのは他の存在の気配に鋭い俺ですら、数多のフレイムヘイズが居るであろう外界宿の場所を察知できないという事実だ。無論、自在法を使っても見つけられる保証はどこにもない。

 それほどまでに隠密性の高い場所が外界宿だ。

 

「どうやって隠しているかは分かるか?」

「自在法か宝具ってところでしょ」

「自在法を使って秘匿しているなら常に存在の力を放出していないと無理だよ」

 

 そんなことが出来るのは、かの有名な『約束の二人(エンゲージ・リンク)』の片割れのミステスが宿す宝具『零時迷子』くらいなものだろう。存在の力を一定時で回復させる永久機関でもないと、いくらフレイムヘイズでも毎日自在法を維持し続けるなんて無理だ。

 つまり、答えは宝具を使っているということになる。

 所持することによって存在そのものを隠すことが出来る秘匿の宝具『テッセラ』。

 

「ふーん、そんな便利なものがあるのね。平和を求むどっかの誰かさん向けじゃない?」

「それがそんなことがないのさ。世界で最も数が多いとされている宝具である『テッセラ』は、秘匿を維持するには幾つかの条件が必要なんだよ」

 

 一に断続的な力の供給。

 この条件は複数のフレイムヘイズがいれば容易にクリアできる条件だし、強大な存在の力を持つ者が一人でもいればそれだけクリアできる緩いものだ。これだけなら、確かに俺でも扱うことが出来るだろう。自在法ほどの消費もなく、効率的に存在を隠すことが出来る。

 だが、もう一つの条件が厄介なものだ。

 ニに一箇所に据えておかなくてはならない。

 発動させたら絶対に移動させてはならず、もし片方でも条件を破れば、再起動まで相当な時間を使ってしまう。その時間は数十年にも及ぶとも言われている。

 ニつ目の条件は論外だ。一箇所に据えるということは、俺の行動が縛られるどころか、一箇所に留まるということは危険性が高まることに比例する。

 いかに高性能な隠匿とはいっても、所詮は存在を隠しているに過ぎない。バレる時にはバレてしまうのだ。とは言うが、バレたら逃げればいいだけの話なのだが。組織なら逃げるのは至難の業ではあるが、個人での所有ならそれが容易い。まあ、それならわざわざ道具に頼らず、隠匿の自在法でも覚えてたほうが効率的だろうな。

 色々と俺が使うには躊躇する理由があるが、結局のところは行動制限がかけられることが使わない決定打。道具を使うために不便を強いられるなんて冗談じゃない。

 隠居を決めた時には便利かもしれないが、俺はまだまだ若いよ、現役だよ。

 

「それを聞くと貴方向けじゃないわね。それで、その話がさっきまで話してた老人の話とどう繋がるのよ」

「焦るなって。知識はちゃんとないと理解出来ないだろ? 特にリーズの場合は」

「バカにしないで頂戴。知識があっても理解できるかは別よ」

「……威張るなよ。分からなかったらその度に、声に出さない会話でフルカスに解説してもらいな」

「ふむ、任された」

 

 フルカスの援護射撃に期待して、外界宿自体の説明もほどほどに本題へと入ることにする。

 ここまでは前座。

 

「ドレルが目指したいといったのはこの外界宿という組織を使って、フレイムヘイズの援助や補佐をすることだった」

「機能をしていない現状の打破ってこと……?」

 

 自信なさ気に答えたリーズに首を縦に振って肯定する。

 ドレルは非常に人間らしい考え方をするフレイムヘイズだった、なんて言うと普通のフレイムヘイズがまるで人間らしくないように聞こえるが、どいつもこいつも脳内が復讐という言葉でいっぱいなヤツらばかりだからな。``紅世の徒``が現れたら頭の中の選択肢には、殺す・殴り殺す・ブチ殺す・皆殺し、しかなさそうだし。

 ドレルの言う協調性や尊重性なんてものは欠片も持ち合わせていない者たち。いや、それらを捨ててしまった者たちか。

 そんな自分のことしか考えられないような奴らの中で、ドレルは一人孤独に叫ぶのだ『助けあい、励まし合い、手をとりあって殺しあいましょう』と。

 ドレルの話を端的に摘んで話すならこういうことになる。

 彼は俺には『フレイムヘイズの安全と復讐が叶う』と言ったが、どうしたって対象がフレイムヘイズならメインは復讐になってしまうだろう。

 けれど、これが組織だって復讐をするというのなら話は別となる。

 復讐の援助とは、復讐相手を見つけて舞台を設置するということ。それは``紅世の徒``の行動を予測し、それを援助して、``紅世の徒``の討滅を目指すということになる。

 

「ドレルが言った理想の外界宿の役割は『復讐の手助け』をすることが出来る組織にすること」

「それだと、復讐なんて些事にもかけない私たちにとっては関係ないことじゃない?」

「ところがどっこいそうじゃないんだ」

 

 復讐相手を見つけられ行動が予測できるようになるということを逆手にに取る──``紅世の徒``の居場所を予め予測でき、回避できるようになることになる。

 それ則ち平和への道しるべ。

 そして、ドレルの第二の目的でもある。

 ``紅世の徒``を知ることにより、味方の安易な死を避けることが出来るようになる。新人のフレイムヘイズが順調に成長させることができ、後には一騎当千の完成ができる。

 考えてみれば誰でも思いつきそうなことだった。

 簡単にまとめると。

 外界宿は復讐を成功させるために金銭援助などをし、情報提供をする。援助を受けたフレイムヘイズは、復讐を達成できるようになり、援助をしてもらった外界宿に恩が出来る。ここに協力関係が築かれ、さらに情報の幅が増え、協力者や復讐達成者が増える。それと同時に、フレイムヘイズの育成にも手を出すことによって強力な討ち手の誕生が出来るようになり、ますます強力な協力者が増える。

 そのまま外界宿が発展することが出来れば、当然、平和にも近づくという訳だ。

 ほら、俺にとっても美味しい話になった。

 

「これは……すごいわね。あの老人って実は賢者だったの?」

「ふむ、言い得て妙だな」

「……この時点だと理想論でしかないけどね」

 

 ここに至るまでには大きな壁が幾つも存在するが、どれも前提が『協力』がきている。そもそも、フレイムヘイズが協力し合えていたのなら、現状のようにはなっていない。

 俺も当然そう思ったので、ドレルにもそう指摘した。

 フレイムヘイズは単純なヤツらばかりだが単純じゃない。ほとんどの奴らが自分のことにだけ重きを置くし、それが当然だと思っている。むしろ、他人の都合に手出しをすることこそ邪道と思っているような奴らだと。

 そう言ったらドレルは不敵に笑い、俺に向かって言った。

 『だから貴方の存在が必要になる』と。これは失礼かもしれないがと先に謝辞をしてから、『厳密には貴方の名が重要だ』先の言葉に付け足すように言ったのだ。

 一体何をどう考えたら、こういう結論にたどり着くんだ。疑問が沢山思い浮かんだ。

 リーズもこの話をすると訳がわからないわ、と即答。考える素振りすら見せてくれなかった。彼女にはもう少し教養という言葉と、考えるという意味を知ってもらった方がいいかもしれない。

 でも、こればかりは仕方ないことか。俺にだって答えを聞かされるまで分からなかったのだから。

 このままだとあまりにもリーズが不便なので、俺がドレルに言われたことと同じヒントを出す。

 まんま答えなような気もしなくもないヒントだが。

 

「フレイムヘイズ内では強い者や名を多く知らしめている者の発言力が増すといった風潮があるのは知っているよな?」

 

 俺のこの言葉を聞くとリーズは閃いたかのように、ぱあっと明るい笑顔になった。

 これはさすがに分かったのかな。

 リーズの次の言葉を期待して待つと、間を十分に置いてからリーズは言葉を発した。

 

「全然、分からないわよ。その風潮がなんなの? どう関係するのよ?」

 

 閃いたのではなく開き直ったようだった。

 心のどこかでやっぱりなと思ったのは、リーズには内緒だ。ウェルはもちろん隠そうともせず、ここぞとばかりに大爆笑だが。

 なんか、もうこの子はこのまんまでもいい気がしてきた。

 ウェルの大爆笑がうるさいので、強引に神器を握り強制的に発言権を無くす。

 声に出せないからって、声にならない声で俺に話しかけるな。ウェルを無視をして話を進める。

 

「俺は実態はどうあれ、噂はなかなかにすごいだろ?」

「そうね、噂はすごいわね」

「ふむ、我も噂を聞いた時にはかなり驚いた」

「ドレルはそれを利用させてくれと協力を頼んだんだよ」

 

 どんな噂があったかな。

 『大戦の立役者』や『荒らし屋』だっけ。他にも色々な噂があったとドレルは言っていたが、少し呆れて口も閉まらない状態だったので覚えていない。

 ただ、これは使えるとドレルは睨んだのだ。

 これほどまでに『強力な討ち手』として、知名度の高い俺がドレルに協力を煽ったと知れれば。どうなることか。

 暗に有名なフレイムヘイズが『協力』の有効性を示したようなもんだ。

 少なくとも弱小なフレイムヘイズはドレルに頼ってみようと考えだすに違いない。

 弱い彼らは(俺も含めだが)他人の力を借りないと復讐の一つも完成させることができない。だが、決してそれは悪いことではない。時には手段を選び、より有利な方法を選択するのは、臆病のやり口ではなく、賢明な判断。英断にだってなり得るのだ。

 最初、自らを強者だと思っているもの、雑魚が慣れ合っているとしか思わないだろう。だが、時間が経てば徐々にその風潮は広がっていくことは間違いなしだ。

 確信できる。

 だって、当たり前じゃないか。

 フレイムヘイズは皆、復讐するためにフレイムヘイズになったんだろ。なら、その復讐が簡単に出来るようになるとなれば、食い付かないはずがないのだから。

 かくして、ドレルは俺に協力を求めた。

 

「なるほどね。それで貴方の返事は……」

「もちろん──」

 

 ──未来の平和を拾うため。努力も止むなし。



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第三十三話

 道を間違えてはいけない。一歩間違えれば戻ることすら叶わず、永遠の迷宮へと迷いこむことになるかもしれない。迷宮へと迷い込んでしまえば、もう二度と太陽のある明るみのある世界への帰還は叶わず、ついには目覚めることすら出来なくなるだろう。

 道とは生であり、判断を間違えれば簡単に生を失ってしまうということ。

 俺が今まで生きていけたのは、道を完全に踏み誤ったことがないから。常に一歩一歩を確認するように前進し、臆病風に吹かれては歩みを止める。ひたすらそれの繰り返しだった訳だ。

 だから、ドレルに協力すると言ったのも、俺が道を違えないことを必要に考えた上での判断。この判断が正解だと判るのは数十年後、もしかしたら数百年後にもなるかもしれない。けども、未来への投資と考えれば、悪くない選択だったと俺は断言しよう。

 世界平和が欲しいわけではない。俺一人分の安全が保証される程度の未来があればいい。

 こんな俺の大前提の基で、ドレルの協力要請に承諾したに過ぎない。

 安全、安泰、平和、平穏を目指す鉄壁の意思があればこそ俺は長生きできたんだと、俺の数百年の人生を回想する。決して崩されることない俺の第一優先順位でもある。

 ドレル本人にこのことを話してはいないのだが、彼もそれとなく勘づいたのか、話の最後に『特別にモウカ君に動いて貰う必要はない』という言葉で締めくくった。

 これはいい。

 俺はいつも通りの行動と判断で、生きていけば勝手に将来的に安息の地が出来上がるというのだ。にやけずにはいられないな。気分が高揚していれば高笑いもしたいほどだ。

 無論、安息の地が確約されたわけではないので、油断は禁物なのは分かっている。それでも、今までの途方も無い危険から、毎日逃げのびる生活に比べたら救いのあるというもの。暗闇に見えた一筋の光なんだ。縋りたくなるさ。

 ドレルとは、まるで外交が成功した時の握手のように堅い握手をしてしまった。もしかしたら、涙も見せていたかもしれない。

 それほどまでに嬉しいことだったのだ。

 ……まあ全部ドレルに丸投げしといて、勝手に喜ぶ俺は何なんだという感じなんだが。それはそれ、先輩フレイムヘイズだからいいよね。

 あれだよ。ドレルは軍師みたいなもので、現場で必死にいそいそと働く実行者なんだ。俺はでんと構えていればいい殿様みたいなものさ。そう考えれば、俺が勝手に動くのはドレルに迷惑かけるからな。大人しくしているに限るね、うん。

 俺ってなんだか、歩くたびに厄介事に絡まれているような気もしなくはないし。考えすぎだよな?

 兎も角、俺は今まで通りに目立たないように慎重に行動する。

 ドレルが俺の噂を利用して、体制を整えると言っていたのだ、しばらくの間は俺の名前だけは目立ってしまうだろうが。致し方あるまい。この際、デメリットよりもメリットのほうが遥かに上なのだから。この程度の危険は承知で了承したのだからな。

 危険、と言っても所詮広がるのは俺の名前だけだ。

 俺の風貌を知っている人物はかなり少数だろうし、知らない人物が俺を『不朽の逃げ手』だと認識できる唯一の方法は、俺の代名詞たる『嵐の夜』ぐらいだろう。つまり、『嵐の夜』を使わなければ周りは俺のことを『不朽の逃げ手』だと認識できないわけだ。

 ここに来て名ばかりが先行して広がったのが功を奏したと言える。全く予想外だったが。

 しかし、『嵐の夜』が使えないとなると俺は脆弱なフレイムヘイズとなる。いや、使えたからと言って強くなる訳でもないけど、ないよりはあったほうがいいに決まってる。

 目立たないことを考慮しすぎるあまり、自分の首を少し絞めてしまったかもしれない。窮屈な想いをするのは本当に、誠に嫌なんだが……

 これも明るい未来のためだと思えば頑張れる。

 目先の幸ばかり追ってても、幸になれるとは限らないのだし、ここは思い切って自重しまくるしかないな。

 ただ、そうなると自衛という面で大いな問題が浮上する。

 普段は敵よりも早く察知して逃げれればいいのだが、そうはいかないこともある。俺がいくら鋭敏な感覚を持っているとは言え、俺が一番であるわけでも無いし、そもそもフレイムヘイズに見つからぬように、気配察知に何らかの対策をしているのが``紅世の徒``の大半だ。だからこそ、フレイムヘイズはトーチを頼りにして``紅世の徒``を追ったりする。横柄に気配を隠さない自信家の方も少なくはない。俺としては逃げやすいので大いに結構だしね。

 という話は前にもしたことがるので、結論から言えば、

 

「そんな訳で、しばらくリーズが俺の代わりに頑張ってくれ」

 

 そのために今まで面倒も見てきたもんだしね。

 今の彼女の実力はどれほどかは分からない。俺がフレイムヘイズ全体の能力の平均を知らないのだから当たり前だ。一番上と一番下は知っているが。一番上はどっかの『炎髪灼眼の討ち手』さんだ。今は亡き人だから、その相方である『天衣無縫』さんが現在一番かな。その他の候補にはサバリッシュさんなども上がる。一番下は……言うまでもないだろう。

 正直に言えば、上を見上げればキリがないし、下を見下せば俺が居る。この事からもリーズは俺よりは上であるのは分かる。比べるまでもなかったね。

 現実逃避するつもりはさらさらないので俺はこの現実を知っても泣きはしない。いいじゃん、最弱でも生きていられるんだから。それで。

 

「いいわ。任せといて」

 

 艶のある甘い声で自信満々に即答した。

 

「あれ、理由は聞かないの?」

 

 自分で言うのもなんだけど、かなりのムチャぶりだったと思う。

 俺の心の声なんて聞こえているはずないし、彼女からすれば『今日晩飯何食べる?』という俺の発言の後の全く脈絡のない会話だったから、唐突に何を言ってるの? という呆けた表情になるのを期待したのに。

 あまりの順応性に俺が驚いてしまったではないか。

 腰に掛かりそうなほど長い少し焦げたような金色の髪を一度掻き上げてから、何を今更という表情をする。

 

「理由なんて必要ないわ。それに貴方が私に頼るなんて思い当たることが一つしかないじゃない」

 

 ``紅世の徒``でしょ?

 見事に俺の核心をついた言葉を言う。俺は言葉を失ってしまったよ。

 ウェルは、若い子の成長っていいもんだねーなんて呑気なことを言っているが、これは成長しているというか、俺を正しく理解しているというか。いや、どちらにしろ俺にとっては素晴らしいことか。

 彼女との旅は俺にとっては苦難の連続だったが、なるほど。俺はどうやら得難い仲間を手に入れた良き旅だったようだ。

 これからはもうこんなことは思えないな。

 俺のお財布だなんて……

 うん、我ながらひどい事を密かに思っていたわけだな。

 仕方ないんだよ。やっぱり逃げるなら一人のほうが楽ちんだし、そういう意味じゃ彼女が俺に付いて来て生まれる俺のメリットなんて、旅費に困らないことぐらいだったんだから。

 

「うん。俺の盾や矛となって頑張ってくれると助かるよ。『堅槍の放ち手』リーズ・コロナーロさん?」

「ええ、存分に楽をさせてあげるわよ」

 

 思わず見惚れる程のリーズの満面の笑みを浮かべる。

 かなり上から目線ぽかったのに、こんな笑みを浮かべられるリーズが謎だった。

 ウェルは横から物好きだねーなんて言ってるが、確かに俺の手足に成れと言って喜んでるリーズは物好きだな、とウェルの発言に肯定しとく。

 俺にずっと付いて来ている時点で、物好きなのが今更の話だと気付いたのは次の街についてからだった。

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「あら、懐かしい方に会いましたね」

「懐かしいというよりも、珍しいという方が少々適していますかな?」

 

 ドレルは十年という時を使うことにより、スイスにある外界宿の管理者となった。彼がどのような策や思惑で、そういうことになったのかは知らないが、ドレルがスイスの外界宿の座に座ったというのを耳にしていた。

 彼とはあの日──協力を結んだ時以来、会うことはなく成果を知ることはなかった。風評ではどこかのフレイムヘイズが面白い事、変なことをのたうちまわっているというのは聞こえたが、それが果たしてドレルのことだったかどうかは確証はない。なかったが、十中八九は彼だろうなと俺は睨んだ。

 上手く行ってるのかさえ分からないが、俺としては失敗しても今まで通りに生きて行くだけなので問題はないのだが、成功するに越したことはない。いや、出来れば成功を収めてほしいが、それが難しいことであることは、なんだかんだで自分もフレイムヘイズ社会で生きてきたのでよく分かっているつもりだ。

 それでも一体どこまで進んでいるのか、興味は非常にあった。リーズを盾にして十年。いい加減に戦いから身を遠ざけまくった日々も飽きてきたので、ドレルに顔見せがてらスイスの外界宿へと出向いた。

 

「これはお久しぶりです。サバリッシュさんに、タケミカヅチさん」

「懐かしい顔ぶれだね」

 

 俺はなんとか嫌な顔をせずに受け答えをすることが出来た。

 ウェルになんとか「まだ生きてたんだ」という言葉を飲み込ませるのに成功した。

 俺だって、思わず『げッ』なんて言いそうだったよ。

 サバリッシュさんに会うのはあのトラウマに近い大戦以来。特に知人でも友人であるわけでもないので、当然だろう。会ったのが奇跡のようなもんだった。

 そして、俺にトラウマを産みつけたのも遠まわしにはサバリッシュさんのせいとでも言える。総大将として、躊躇なくこの俺を死地へと追いやったのだからある意味当然だろう。

 ああ、嫌な記憶が蘇る……

 

「お隣りのお嬢さんは誰かしら?」

 

 サバリッシュさんの疑問に答えるべく俺がリーズを紹介しようとしたら、俺の言葉を遮って毅然とした態度で自己紹介をリーズが始める。

 一通り自己紹介を終えると、サバリッシュさんも改めて自己紹介をした。

 サバリッシュさんに関しては本人が言うまでもなく、リーズは知っているんだけどね。現代のフレイムヘイズを語る上で外せないフレイムヘイズの一人のため、リーズには教えてある。

 俺がフレイムヘイズの引き合いによく出す一人でもあるしね。

 とはいっても、知っているのは名前と偉業の数々や力ぐらい。調べようと思えば簡単に調べられるような内容だけ。俺だって個人的な付き合いがあったわけじゃないから、それ以上のことは知る由もない。

 数いる戦友の一人でトラウマな人というのが俺のサバリッシュさんにおけるイメージだ。

 なんとなく、本当になんとなくなんだが、嫌な予感がするのは気のせいかな。

 たぶん、前回までの人をこき使うイメージが払拭しきれていないから、勝手に身体が拒否反応を起こしているだけだとは思うのだが、俺の勘とか嫌な予感は当たるのが怖い。

 当たらないでくれよ。

 

「そういえば、聞いてますよ。モウカさん」

 

 え、何? 何を聞いているだ。

 次の言葉がすごく怖いぞ。

 内心でビクビクしながら、背中には冷や汗を流して、何をですかと尋ねる。

 サバリッシュさんはふふと母性あふれる笑みを浮かべる。

 

「あの大戦以降、活躍しているそうですね」

「例の教授の妙な実験の暴露はあまりにも有名な話ですぞ」

 

 あーやっぱりそう来たか。うん、予想通りだよ。

 聞いているといえば数ある噂のことだと思ったが、中でも群を抜いているのは教授の強制契約実験であることは眼にも明らかだ。あれはフレイムヘイズの長年の歴史の中でも、奇っ怪な事件として有名らしい。

 そして、その事件に深く関わったフレイムヘイズの名として俺の名前が上がるのも度々だとか。迷惑極まりない。別に暴露したのではなく、教授に勝手に巻き込まれただけだし。

 ちなみにその事件で真っ先に名の挙がるフレイムヘイズは、実験によって生まれたフレイムヘイズ。リーズ・コロナーロの名──ではなく、名を馳せている『鬼功の繰り手』サーレというフレイムヘイズ。相当のやり手らしいが、もしかしてあの時に俺が教授の相手を押し付けたやつかな。才能があるとは思ったが、まさかそこまで行くとは。サーレは俺が発掘したと言っても過言ではないな。正確には俺ではなく契約させた教授だが。

 リーズはずっと俺に付き添ってきていたので無名のままだ。俺は事件に巻き込まれて名が知れているだけだから、事件に巻き込まれていない時に仲間になったリーズが無名のままなのは頷けることだ。特に有名な``紅世の徒``を討滅したわけでもないしね。

 

「それは、恐れ入ります。でも、サバリッシュさん程じゃありませんよ」

 

 あははと苦笑しながら答えた。

 ついでに謙遜もしておく。これ以上の過剰認知されたらたまったものじゃないからね。

 サバリッシュさんは謙虚ですね、と温かい笑みを俺に向ける。

 あれ、まさか逆効果?

 

「大戦での経験が役に立ちましたよ、ええ、本当に」

 

 主に戦闘には碌なことがないということと、変なモノは見つけるべきじゃないということをね。教授の時は、いや、教授を例に上げるのは間違いだな。色々と規格外すぎるから。あれは避けようとして避けられるようなものじゃない。自然災害のようなもんだ。どんな対策も無意味になる。

 けれど、それを除いたらあの大戦のような追い詰められた死地は経験していない。しょっちゅうあったらフレイムヘイズがとうに滅んでいるし、俺も死んでいることだろうが、いやはや、本当によかった。

 戦闘は、戦闘になる前に逃げるもの。戦闘そのものを避ける。自らは戦わずに、他の者に戦わせるなどなど、教訓は多かったね。

 

(いい経験だったよね)

(本当に、全くな!)

(モウカも心から楽しんでたもんね)

(ウェルがの間違いだろ)

 

 ケラケラとおどけて言うウェルはどこまで言ってもウェルだった。

 リーズはというと、会話にあまり興味がないのか周りをうろちょろしている。初めての外界宿で落ち着かないんだろう。

 特に変わった点がある場所でもないが、存在の力がそこらに満ちているから雰囲気が違ってみえるんだろうな。

 俺の言葉にうんうんとサバリッシュさんは頷き、何かを思いついたのかポンっと手を叩いた。

 ウェルが言う、面白い事が起きそうな予感がすると。ウェルにとって面白いこと、俺にとっては面倒なこと。嫌な予感が絶えない。

 

「大戦の時はカールの部隊にいましたよね」

「あの危なっかしい『極光の射手』を見事に手綱とっていましたな」

「いやいや、カールさんが一人で頑張ってくれたお陰ですよ」

 

 軍としては猪突猛進だと、いかに優秀なフレイムヘイズでも突っ込んでばかりでは死んでしまう。カールさんはその典型例だったが、俺としてはまさにうってつけの前戦兵だった。カールさんが矢面に立っていてくれるおかげで、俺が戦場を嵐に巻き込むだけでなんとなかってしまっていたのだから、感謝してもしきれない。

 バカとハサミは使いようというが、猪も使いようだと心底思った。こんなことを思っては失礼だが、事実そうなのだから仕方ない。

 俺は助かったんだけどね。

 

「その戦友のカールが最近行方不明になったとか」

「え、そうなんですか?」

 

 大戦のような団体での戦いならいざしらず、個々の戦いになる常の戦いではカールさんような強いフレイムヘイズが負け知らずだと思ってた。搦め手には絶対に弱いだろうけど、それをもろともしないほどの実力者でもあった。

 上には上があるという言葉が示す通り、カールさんより強いものも居るとは思うが、それを差し引いてもそんな話は初耳だった。

 誰が死のうが別に構いやしないが。

 

「死んだのかどうかすらも分からない。しかし、いなくなった場所は特定できたのでしたな」

「ええ、東の島国。日の本の国」

 

 なんとなく言いたいことが分かった気がする。ウェルのテンションが上がっていることから、さらによく。

 嫌だな。何言われるのかな。

 俺の顔が見る見る青くなっているだろうに、そんなことは知らないとばかりにサバリッシュさんは言葉を続ける。

 

「そういえば、貴方の容姿はその国特徴に似ていますね」

「ほう! これは奇遇ですな」

「ぐ、偶然ですね!」

 

 そりゃ似てるよ。元その国の出身だもの。本当は未来人だけど。

 タケミカヅチさんがどんどん芝居くさくなっているな。

 まるで予めこういう展開になると予測されていたかのような。

 それはないと思うけどね。よもや、俺の行動を予測できる人がいるとは思えない。音に聞こえたフレイムヘイズであるサバリッシュさんでも流石に無理だろう。

 

「これは全く関係ないですけど、最近面白いことを風説している『愁夢の吹き手』さんの意見に賛成しているだとか」

 

 全く関係ない? 嘘をつけよ!

 あれ……この人、まさかここで張ってたんじゃないよね。

 すごく怖いな。さっきまでの自愛に満ちていた顔が、いつのまにかどす黒いオーラを纏い始めているのは錯覚だよね。

 あと、ウェル。高笑いやめて。

 これは日の本行き確定ね、なんて言わないで。まだ、それだけならいいけど、本当にカールさんが死んだ──殺されたとしたら、その付近に相当の強者がいるということになるんだぞ。

 日本が第一級危険地帯である可能性があるんだ。

 

「協力をし合うでしたかな? 実に良きことではあるが、我らフレイムヘイズには些か難儀なことですぞ」

「そうですよね、タケミカヅチ氏。でも、それは素晴らしいことでもあります。私も出来れば協力をしてあげたいのですよ。あの、大戦で立役者となったモウカさんのように、ね?」

 

 終わった。

 これはどっちの選択肢を選んでも終わったよ。

 カールさんの真相を解きに行けば俺の人生が終わる可能性があるし、拒否すればドレルの作戦が終わる可能性がある。ドレルと一緒に協力し合うことを掲げている俺が協力を拒否したのだから当然だろう。

 結果、未来の安全が終わる。

 逆に、俺がカールさんの真相を時に日本に行けばサバリッシュさんの名まで借りることが可能となる。それは俺の名なんかとは比べものにならない効果を及ぶだろう。

 結果、未来の安全の可能性が非常に高まる。

 今一時を取るか、遠い未来を取るかを迫られた訳だ。

 サバリッシュさん。

 貴方はやはり俺にとっては嫌な人だよ。

 最高に、最悪にね。



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第三十四話

 嫌々ながらも移動手段を考える。

 時は未だに十九世紀前半。海を渡る手段と言えば、船が一般的だ。少しの距離なら気球を使って空路もありだったのかもしれないが、どう考えても今に時代の技術が日本まで届くことはないだろう。となると選択肢は船一択となるの。

 海は危険がいっぱいだ。何を常識的なことを言っているだと思われるかもしれないが、想像している以上に危険であるのを理解してほしいところ。

 船の技術は、現代社会に比べれば劣ってしまうのは当たり前なのだが、すでに蒸気機関は完成しているのだ。沈没などの、船の技術そのものによる危険性というのは薄い。

 危ないのは、そう、``紅世の徒``だ。

 海を縄張りとしている総称``海魔(クラーケン)``と呼ばれる``紅世の徒``たちが、海には放たれている。クラーケンは海の怪物という意味合いなので、まさにそのまんま。奴らは人間の乗る船を襲うことを主としている、海賊紛いのような厄介な奴らだ。

 船が沈没しようが、俺は無傷でいられるだろう。何と言っても『水』という性質の濃いことが、海色という炎の色にまで反映されているフレイムヘイズなのだし。過去、数年にも渡って水の中を棲家にしていたことだってある。正直な話、船に乗らずに海の中を歩いて行くなんてのも容易な訳だ。

 『色沈み』を使えば比較的安全に日本に渡ることだって夢じゃない。

 ならば何故そうしないかといえば、理由は一つ。リーズを連れていくことが出来なくなる。俺一人なら、確かに海の中を行進しようが、浮遊の自在法で空を飛ぼうが安全策は幾つも練られる訳だが、リーズがいるとどうしても交通機関に頼らざるを得ない。

 海の中はまだしも、空ならリーズをずっと背負っていくのも出来なくはないのだが、不慣れな空をいきなり荷物を背負ってというのは危なすぎる。リーズの安全、だけなく自分にとっても安全性を求めるならやはり空はないだろう。長距離を移動するのにも向かないしな。

 これで海路で行くのは決定的。

 残すはリーズの問題だ。

 今回、俺が日本に行く理由は謎の失踪をしたフレイムヘイズ──大戦の時にも大変世話になった戦友『極光の射手』カール・ベルワルドの行方と原因を調べるためだ。

 大戦では一番槍として、勇猛果敢に戦い。フレイムヘイズの中でも指折りの一人だ。俺なんて足元にも及ばない強い人、である。

 それほどまでに名を馳せた強い人の行方が知れないということは、ほぼ確実に殺されたと考えるのが普通だ。フレイムヘイズを殺し得る存在は間違いなく``紅世の徒``。人間の可能性もあるが、彼ほどのフレイムヘイズなら手違いがあってもその可能性はゼロだろう。

 残るは必然と``紅世の徒``になる。それも``王``である可能性が極めて高い……というか絶対そうだろう。他に考えられない。

 ドレルにも``紅世の王``で確定だよと意見を申し立てたのだが、彼が言うには、

 

『現在、日の本において強力な``紅世の王``が出現したとの情報は得られていない』

 

 とのことだった。

 ドレルの情報網が、今現在どの程度のものか分からないが、嘘を言っているようには見えなかった。

 ここから分かるのは、如何様なフレイムヘイズを相手にしても隠匿し得る実力を持つ``紅世の徒``がいる可能性と、それ以外の可能性だけ。

 そして、ドレルはそれ以外の可能性が高いだけに、調査をして欲しいとのことだった。これは外界宿からの命令のようなものだった。

 あれ、ドレルは俺に余計なことをしなくていいと言ったじゃないかと俺は彼に異議を唱えたが、これは余計なことじゃない、必要なことだと押しきられてしまった。

 俺がゾフィーさんに究極の二択を突き付けられて、どうしようもなくて困ったから軍師のドレルに解決策を教えてもらおうと思った矢先の裏切り。つまり、俺にとってトドメみたいなもの。

 

(これだからフレイムヘイズは! もうリーズしか信じられない!)

(あれ? 私は?)

(何を言ってるんだ、ウェル。お前が一番信用は出来ないんだぞ?)

 

 信頼関係はあるけどね、と言外にだけ匂わせておく。余計なことを言うと調子づくから暗喩しかしないのさ。

 信用ならない人ばかりで、疑心暗鬼になってしまうのもしょうがないことだ。

 とはいえ、ドレルの言うことだって本当は理解している。

 今回の件で、有名なフレイムヘイズ(誠に遺憾ながら俺のこと)が外界宿の言う通りに動いて、成果を残した暁には、外界宿の有能性というのをこの世界に示すことが出来る。

 ドレルの野望にまた一歩近づき、俺の平和な未来への一歩ともなる。

 だから、日本行きはかなりの危険は孕んでいるとは言え、将来に向けた有効打でもあったわけだ。ハイリスクハイリターン。虎穴に入らずんば虎児を得ず……は、少し違うかもしれないが、虎穴というのは絶妙だな。一騎当千のフレイムヘイズを食う虎なんて相手にしたくないが。

 とりあえず、日本に行って無理そうならでっち上げでもいいから、危険地帯からの早期撤退が俺の生存への道だ。

 そして、ここでリーズの問題が出る。

 十九世紀前半。千八百年代ということは、

 

「日の本って、鎖国してなかったかな」

「さこくってなによ? 食べ物じゃないことだけは分かるけど」

 

 聞いたこともない言葉に頭を傾げるリーズ。

 少し考える素振りをしてもすぐに諦める様子を見て、諦め癖がリーズにつき始めてるんじゃないかと、育ての親(フレイムヘイズとしての)はすごく不安だ。

 全く、誰を手本にして生きてきたんだか。

 

「政策であることまでは察せなくてもいいけど、もうちょっと察せるようになろうな」

 

 鎖国とは日本の江戸幕府が日本人の海外への流出を禁止し、外交や貿易を制限した対外政策の事。外国が日本へ行くには江戸幕府が許可した国からいくしかない。どちらにしろ、海路で行くなら陸繋ぎで中国に行ってから海に出るので、入国制限はあまり気にする必要はない。

 ドレルもこの事については、コネがあったのか問題ないと言っている。むしろ、交通手段までも援助できる、というのを宣伝できるので是非とも利用して欲しいとも言われたぐらいだった。

 安全が確保されているなら海の旅も大歓迎なんだけどね。

 ドレルのおかげで入国自体に問題はない。だが、リーズはここからが問題なのだ。本人が船がダメかも知れないと弱音を吐いていることがじゃない。鎖国という閉ざされた空間においての外国人という存在が問題なのだ。

 俺が欧州にいると容姿に違和感を感じられるように、リーズが日本へと行けば同じようなこと、もしくはそれ以上のことが予想される。

 欧州内では、肌が黄色のは珍しいが、黒い髪はさほど珍しいわけではない。普通にありえる髪の色だが、日本ではリーズのような金色の髪をした人などまずいない。いや、絶対いないかと聞かれても俺には答えられないが、俺が知っている限り金色が地毛の日本人は見たことがない。

 これが国際化された日本なら、リーズの髪の色に多少は興味の対象で見られるかもしれないが、今の日本だとどうなるか分かったものではない。

 物珍しいで済めばいい。目立つだけならまだいい。個人的には良くないけど。

 奇異の目で見られるのは当然として、異国の民と言われ数々の問題が起こるかもしれない。

 俺が知っている江戸時代の日本では、外人と日本人の間で大きな事件が幾つも起きている。それも外交に影響が出るだけでなく、歴史に影響が出るほどの、だ。

 リーズが今の日本に行き、どういう扱いを受け、どういう影響を日本が受けるかだなんて想像つかない。

 ある意味``紅世の徒``よりも危険性が高いかもしれない。

 

「リーズはここに残った方がいいかもし──」

「断るわよ」

 

 俺が言い切る前に、リーズが確固たる意志を含んでいる言葉で俺に迫った。

 リーズの行動に眼を丸くしていると、リーズが言葉を続けた。

 

「絶対に連れて行ってもらうわよ」

 

 リーズは離さないとばかりに俺の手を握る。

 

(ありゃりゃ、モウカもずいぶん好かれたもんだね)

(茶化すな)

 

 愛着、みたいなもんなんだろうな。

 百年間以上も一緒というのは、半永久的に生きることが出来るフレイムヘイズとはいえども、十分に長い期間だ。

 愛着の一つや二つ湧いてもおかしくはない。

 俺は頭を掻きながら、

 

「……うん、よし、分かったよ」

 

 リーズを連れて行くことにする。

 まあ、足手纏いになるようなら、愛着だとか今までの思い出だとか関係なしに容赦なく置き去りにするけどね。生きるためにはどんな非常な選択だってするさ。

 だが、元より俺にとってリーズは戦力として必要なのだ。今回はもしかしたら回避の出来ない争いが起こるかもしれない。俺はなんとしても回避しようと行動をするが、任務が任務だけにそうはいかない。

 ……最悪は途中で任務を投げ出すということまで考えてあるので、万が一にはならないようにはするが。

 戦闘になる恐れを考えれば、やはりリーズの存在は欠かせない。俺の盾にも矛にもなる貴重な存在だ。決して捨て駒じゃないよ?

 本人も断固として着いて行きたいようだし、ここは彼女の意思を通してもいいだろう。

 そうなると、現地での対応を考えなくてはいけない。

 髪の色を誤魔化す自在法でもあればいいのだが、そんな需要のないような自在法はないだろうな。あとは姿そのものを誤魔化す自在法か。幻術を得意とするドレルの自在法にはその手のものがありそうだが、日本にいる間ずっと保持は不可能だろう。となれば、帽子を被ったりして隠すしか、そもそも人目につかないように行動するか。

 カツラでは今の技術じゃ完全に隠蔽は無理か。上から被せる程度のものだろう。髪の色を染めるのは、こっちのほうがカツラより完成度が低いかな。

 

「あー、そうか。隠すなら瞳の色もか」

「モウカの言う通りに、黒黒な人ばかりだったら、リーズの青い瞳も目立っちゃうね」

「目立っちゃ駄目なの? ……って、聞くまでもなかったわね。貴方は目立つの嫌いだったわね」

「あってるけど違うぞ」

 

 会話が一応成り立っているので、訂正は面倒なのでしないでおく。リーズに一から理由を説明してたら日が暮れてしまう。

 瞳の色を誤魔化す方法なんて、自在法かカラーコンタクトしか思いつかないよ。サングラスはまだないし、かけてたらかけてたで目立つし。

 俺の頭では八方塞がりだ。

 こうなったら諦めてお忍びの旅をするしかないようだ。闇に紛れ、人の目を欺く、隠密の旅。なんだか忍者みたい。久々に新しい経験出来そうだな。

 あんまり楽しみじゃないけど。そんな無謀な事はしたくなかったけど。

 しょうがないなとボソリと呟いてから、リーズに真剣な表情を向ける。

 

「大変な旅になるけど、それでも?」

「行くわよ。どこにだって、どこまでだって」

「ふむ、今更だな」

「そうそう、いまさらいまさらー」

 

 とは言うものの、すぐに出発できるというわけではない。

 船の準備などの手続きや、そもそもその船の出航する港までいかないといけないし、海に出た後の対策だってまだ決まっていないのだ。やるべき事が多々あって、それら全てが完了してようやく日本へと旅立つことが出来る。

 今までのお気楽な旅ではなく、今回は正式な外界宿からの任務、依頼だ。言うなれば、確たる使命を持って、目的と目標を持った旅だ。

 手続き自体はドレルに任せて、俺は海上での``紅世の徒``の対策を考える。

 無論、撃退ではなく逃げることを前提に考えた対策だ。

 一に遭遇しないように工夫し、二に出会っても逃げられるように作戦を練り、三に最悪のケースにおける対策を考えておく。

 遭遇しないようにするには存在の存在そのものの秘匿が最も適切だろう。船自体が奴らにバレなければ襲われることは絶対にない。だが、俺にはそのような自在法はない。『青い世界』と『色沈み』の連続技を使えば隠匿率は高いのだが、実物を消す訳ではないので視認されれば関係ない。なおかつ船は一応人間の物。自在法に巻き込んでいい通りはない。巻き込むのは自分のみが本当に危なくなった時の最終手段だ。

 ドレルから、船の責任者の中にフレイムヘイズ側の人間も仕込んでおくので、ある程度は許容できるという話は聞いている。となれば、俺が敵の位置を知らせて、予め迂回するというのは無難なところだろう。

 燃料や海流の問題もあるので絶対に迂回できるとは限らないし、向こうが本気で襲ってくれば回避は不可能。

 そうなれば逃げるための手段に出るしか無い。

 船を巻き込むわけにはいかないので『嵐の夜』の複数発生型で、対応するしか無いだろう。この場合は、``紅世の徒``だけに被害を被るような精密なコントロールを必要とするが、自信があるから大丈夫だろう。

 海上じゃなければ、リーズに打って出てもらうのが一番の安全策なのかもしれなかったが、出来無いものはしょうがない。

 そして、最悪のケース。『嵐の夜』で防ぎきれなかった場合は……何もかも捨てて、単身逃走。

 これしかないね。

 これなら絶対の自信を持って言える。逃げ切れると。

 リーズは余裕があれば回収する。

 たぶん、こんな状況にまで追い込まれるようなことがあれば、リーズの生死は分からないと思うが。

 しょうがないんだよ。生きるためには多少は意地汚くならないと駄目なんだ。そうしないと、この不条理な世界では、あまりにも死は近すぎるのだから。

 無論、日本についても厄介事が起きそうなら、率先してリーズに押し付けるよ。

 今回の旅は、それほど切羽詰っているし、危険なんだと俺は思っている。

 なんで、わざわざ強敵がいる場所へと突っ込まなくちゃいけないんだか……

 ため息ばかりしてしまう。

 

「何も起きなければいいけど」

 

 俺の言葉にこの場にいる全員が頷いた。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

「最近おっかねえだよ」

「んだ、どうしたんだ?」

「いんやさ、偶然耳にしたんだけんども、人を斬っては捨てる鎧武者がいるという話があったんだ」

「侍様かね?」

「違う違う。なんでも、今の将軍様の繁栄を恨んで現れた織田信長の怨念だとか言うんださ」

「ほほお、怖かね、怖かね。それよか、俺んの娘のちかちゃんが可愛かねー」

 

 畑の耕す作業の休憩中に世間話に花を咲かす二人の影で、スカーフのような物を付けた老境の男が盗み聞きをしていた。

 所々に出てくる名刺の将軍や鎧武者という言葉には首を傾げつつも、人を斬るという鎧武者の話に必要以上の興味を示していた。

 

(軍師殿の命令が来たと思ったらこんな極東にまで飛ばされるとは。いや、それでも軍師殿直々の命令。ようやく回ってきたこのワタクシどものチャンス)

 

 逃すわけにはいかないと胸中で決死の思いを込めて呟く。

 『三柱臣(トリニティ)』の一角であり、彼らのような役割の直属の上司からの命令で、彼はこの地へとやってきた。わざわざ、その軍師が気にしなくてはならないほどの事件がこの辺境の地で起ころうとしている。

 命令を受けた男は正しくその意味を理解し、そしてその危険性をも理解していた。

 それ故に、慎重に慎重を重ね、いつも以上の警戒を持って、その五体にまでなる自分自身を利用し尽くして情報を得ようとしていた。

 

(それにしても、何が起きるというのですかね)

 

 彼は知らない。

 後に起きるであろう``紅世の徒``とフレイムヘイズの双方を巻き込むことになる、嵐が起きることを。何も、まだ……



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第三十五話

 時は江戸幕府。将軍は家斉公。

 家斉公って誰だっけ。全く覚えていない。第何代目かもさっぱり分からないし、今の江戸幕府がどういった時代に突入しようとしているのかは予測もできない。俺が覚えている将軍なんて、せいぜい家康、家光、家茂ぐらいなものだ。あとは異名で、犬将軍とか言われた将軍がいたのを知っているぐらいだった。

 よくもこんなに悪政も続いていたのに長く続いたものだと感心する。

 なんて言っているが、江戸幕府は現在進行形で盛んであり、俺の知っている歴史とは異なる可能性だって少なからずある。この江戸幕府がどうなるかは正確には分からない。

 さて、江戸幕府や将軍はどうでもいいとして、ようやく辿り着くことが出来た俺の生まれ故郷の日本である。文明の発達具合が違うので、いまいち懐かしいという気持ちは湧いてこないのだが、特別な感情がないわけでもない。

 ただ、今はまだここに留まる訳にはいかない。今の俺達は彼ら日本人にとっては異邦人であり、人間にとっては異能者だ。

 いずれ近い未来、昔のように穏やかで平和な日常が訪れるのを期待して、その時を待つしか無い。その時がくれば、俺も再び日本に返り咲いて生きていきたい。なんだかんだで、一番肌に合う生活は未来の日本にある、そう信じて。

 日本までの長旅だったが、``紅世の徒``に襲われずに来れて本当に良かった。

 船の上の旅は決して居心地の良いものではなかった。

 船が転覆するような荒れ狂う波はなかったが、船の揺れ自体はかなりのもので酔うのが普通だった。リーズも夜な夜な酔っては俺が看病するという日が続いた。かれこれ一ヶ月近くの航海で、ずっと、ずっとね。

 この借りは大きいよ。いつかリーズには身体で返してもらわないといけないね。深い意味はないさ。単純にその身を犠牲にしてね、とラブコールに過ぎない。

 俺はというと、ドレルが気を遣ったのかフレイムヘイズには専用の個室を用意してくれたので、人目の付かない個室にいる時は常時浮遊していた。ほんの少しだけ浮くことに寄って存在の力を極力省エネして、無駄を省く。硬いベッドで横たわっているリーズの恨めしそうな視線が痛かったが、そんなのお構いなしだ。リーズの分も浮かせてたら存在の力が通常の二倍も使ってしまうからね。そんな余裕は俺にはない。

 その代わりに寝ずに看病してやったのだから、感謝される覚えはあっても恨まれる筋合いはない。

 これを言葉にして言ったら、リーズは苦しそうな顔をしながらも『そうよね、貴方はそういう人だったわね』と納得してくれた。なんか俺がリーズを苦しめているような罪悪感が、沸々と湧き出るような言葉だったが、その程度では俺の鋼の心は傷つかない。

 こんな平和な日々が続いて、日本に辿り着いたわけだ。

 幕府のある江戸が遠い場所であるここは長崎。今回は中国の商船を介しての日本への上陸だったので唐人屋敷に通された。

 唐人屋敷とは鎖国対策で幕府が中国人のために作った住居地区である。オランダで言う所の出島みたいな存在だと説明されて、簡単に理解することが出来た。簡単な歴史は覚えてても、こういうことは全然分からんね。

 この時代の長崎は、外国人をそこに押しこむための鳥かごのようなものだ。中国人はキリシタンではないので、オランダ人ほど束縛はされていないが、かなり窮屈な思いをしていそうだ。

 こういった不平不満が、後の開国騒ぎに乗じて爆発したりするんだろうなと思ったのだが、案外そうでもないらしい。彼ら商人からすれば、現状の鎖国状態なら、貿易を中蘭朝の三ヶ国だけで牛耳切っているので、利益としては十分で不満はないという。

 商人は逞しいな。

 

「俺も君たちみたいにお金を稼ぎたいよ」

 

 お金に困らない生活は憧れだ。ロマンとも言う。

 フレイムヘイズはいざとなれば、お金とは無縁の生活も送れるだろうが、そこには人間味なんてないだろう。食事も取らず、寝る場所を選ばず、娯楽もなく、ただ生きているに過ぎない。

 俺ならそんな人生、つまらんの一言で蹴散らしてくれる。きっとウェルも同意見だろう。

 

「お金を稼ぐのは大変ですが、商人になるのは簡単ですけどね」

 

 身につけてるものを売って捌いて買うそれだけですからな。

 俺を船からここまで案内してくれた商人が苦笑しつつも答えてくれた。

 しかし、と商人は前置きをしてからやや真剣な顔で俺に忠告をした。

 

「ことこの国ではそうはいきますまい。士農工商という言葉はご存知で?」

 

 リーズは分からないという顔を隠さずに俺に向け、視線だけで知っているかと聞いてきた。

 もちろん、これくらいの知識なら覚えている。

 これもまた江戸幕府とは切っても切れない政策の一つで、もはや俺が語る必要もないくらいに有名なものだ。

 いちいち説明されるのも面倒なので、知っているとだけ答えると、商人は一度大袈裟に頷いてから、嘆かわしいことかのように言う。

 

「ええ、これがあるとこの国では商人に成ることは出来無いのです。生まれながらの格差のせいで。本当に、この国で生まれなくて良かった。かく言う私も──」

 

 このあとは、ひたすらこの商人のこれまでの人生話が始まったので、適当に相槌を打ちつづも受け流す。最後には彼の家にまで通されて『──で、この娘が私の自慢の娘です。可愛いでしょ?』と親馬鹿まで発揮された。可愛かったけどね。

 家の中に通され、お茶を啜りながら舌っ足らずな商人の娘の相手をしていると、商人が巻物を手にとってこちらに差し出す。

 

「こちらが地図です。驚くほど完成度の低いものですが、無いよりはいいでしょう」

 

 何の目的もなくこの商人に案内されていたわけではない。

 日本での行動を少しでも無駄なく、無茶無く行えるように地図を貰いにきたのだった。

 さぞお高いのでしょう、と聞くとお題はすでに貰っているのでと笑顔で答えてくれた。追加報酬なら喜んで承りますが、と言う当たりすごく商人らしいなという感想を抱く。このちゃっかり物め。

 娘の相手をしてくれたお礼としておにぎりを貰い、いい笑顔で手を振ってくれる商人の娘に手を振り返しながら商人の家を後にした。

 予め援助で貰っていた金銭、国に馴染むように用意された衣類、そして今貰った地図と食料。旅の準備は大方終わったと言ってもいい。本当なら移動時間を短くするための馬なども用意したかったが、あいにくと今回はお忍びの旅。頼りになるのは己の足だ。

 馬を貰ったところで乗れないのでリーズ専用か、リーズの背中に乗ることになっただろうし、馬の分の食料を考えると馬を養うほどの余裕もない。

 今の備えが最善であると言える。文句は言ってられない。

 

「うし、準備も出来たから、行くか」

「ええ、それで目的地ってどこなの?」

「『極光の射手』が居なくなった場所に行くんだよね、モウカ」

「そう。場所は土佐」

 

 四国は土佐藩。

 幕末、動乱の中心の一角となるあの国である。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 道中は険しい。

 常に人の気配に敏感になり、人目を避けるように移動しなくてはならない。そうなると、自然に通る道は道ではなくなってしまう。人の手が入っていない自然の中を通る。慣れているのでどうってことはないが。

 これが現代社会ならどこへ行っても人の視線を感じようものだが、今は現代から程遠い時代。まして閉鎖され時代の行き遅れた日の本の国は真に大地の国と言えよう。

 欧州ではすでに蒸気機関がもっとも有力とされている技術なのに対して、こちらは絡繰人形で唸されるというのでは比較のしようがない。

 いやね、絡繰人形も思わずおー唸ってしまう逸品ではあるのだが、蒸気機関車を見た時の感動に比べると些細なものだ。迫力や物量があまりにも違うので比べる対象が間違っているのかもしれないが、致し方あるまい。

 現代ほどではないにしろ、かなり開拓された欧州よりは日本は非常に忍び易い。いずれこの国も大都市に変わってしまうんだなと思うと言い知れぬ思いがこみ上げるが、果たしてどちらの方がいいのが。

 俺としても人間として生きやすいのは現代だが、フレイムヘイズとして忍び易いのは今だな。忍ぶと言ってる時点で今よりも、普通に生きれる現代を選びたいのだが、当時の社会問題を知っている身としてはいかんともしがたい。

 当時からすれば、自分はいずれ死ぬんだからそこまで深く考える必要ないと思って、先よりも今の問題を解決しようと必死だったが、フレイムヘイズになったこの身だと未来のことも視野に入れざるを得ない時が来るだろう。

 フレイムヘイズの力を使って環境問題を何とかできないだろうか。

 誰か考えてくれないかな。

 他人行儀だが、悪く思う事無かれ。俺は今だって自分が生きるのに必死だ。未来のことも当然ながら考えるが、それ以上に自分可愛さ故に現状打破について考えなくてはいけないのだ。

 その現状打破の一つとなる土佐、後の高知県への行き方だが、主に二種類ある。一度海に出て中国地方より入る方法か、このまま九州から行く方法の二つだ。俺は至極当然ながら最短距離を選ぶ。つまりは九州から土佐へと入る方法だ。九州から行くには、豊後国、後の大分県を拠って、海を渡り四国へと入ることになる。

 

「海か、どうやって渡るか」

「船じゃないの?」

「残念ながらドレルの援助はここまでさ」

 

 ドレルの援助は日本に来るまでと、日本に着いてからの下準備までだ。

 本当に割の合わない仕事だな。これで本当に将来的に安全が手に入らないものなら暴動ものだ。全世界に脅威の嵐を振りまいてやる。困るのはフレイムヘイズじゃなくて、人間だけど。

 ドレルの援助を受けられない日本国内の移動では、各自の責任となっている。つまり俺に全てが丸投げされているわけだ。

 これは俺が下手なことをすれば俺の名誉(別にどうでもいい)やドレルの今後の作戦(かなり大切)に響いてしまうという事。そうなれば今までの努力だって水の泡になってしまう。

 そんなのは絶対に嫌だ。

 嫌なのだが、背に腹は代えられない。本当にこの依頼が不可能だと判断した時は、素直に帰国する手筈になっている。触らぬ神に祟りなしということ。馬鹿な行動は慎めよと受け取ることが出来る。

 これが、日本に外界宿があるのならば、ドレルとしても何かしらの対応が出来たのかもしれないが、日本に外界宿があるという話は聞いたことがない。

 そもそもよくいる西欧の外界宿の場所すらも正確に把握していない俺が、『日本に外界宿がない』と言っても、何の証明にもならないが、知らないのだから利用しようもないのは事実なのだ。

 探すということも視野に考えたりはしたけど、アテがないのでは見つけるのは不可能に近い。せめて、地元のフレイムヘイズがいれば変わってくるんだけど……日本で有名なフレイムヘイズは聞いたこと無いしな。

 逆に厄介事の種にだってなり得る諸刃だし。下手に行動しないほうがいいと判断した。

 どちらにしろ、``紅世の徒``を警戒するために常にアンテナは張っているので接触しそうになった時に改めて考えればいいだろうと結論づける。

 

「それじゃ、どうやって海を渡るの?」

「ふむ、察するにお主の自在法か?」

「本当なら渡船を使いたいところなんだけどね」

 

 俺一人なら行けただろうが、リーズ連れだとそうは行かない。

 俺だけ船に乗って、リーズだけを浮かすなんて手段も考えたが、船が九州から四国まで数時間で行ける保証もないので、無茶な自在法の扱いはしたくはない。この先、どんな強敵が待ち受けているか分からないので、存在の力を一滴も無駄にしたくないところだ。

 

「自在法の使用は却下したいところ」

「モウカはケチだからね。もう、泳げばいいじゃん」

 

 ウェルの言葉の語尾にはププッという笑い声が追加される。

 こいつはいつも通り真面目に考える気が全くない。最初からアテにもしていないので無問題。もはや溜息すらもでない領域だ。

 

「こればかりは仕方ないか」

 

 ケチケチ言っててもしょうがない。進展がなければずっと立ち往生を食らってしまうのだから。それは、早く帰国したい俺にはあまり好ましくはない。

 自在法を使う方針に切り替えて、どうすればお金なり存在の力なりを一番節約できるかを考える。

 最初に浮かんだ渡船の方法か? それともリーズを背負って飛んでいくか。しかし、飛ぶとなると人目に付く可能性も考慮すると、少々選びづらい判断だ。人の完全に視界外まで飛ぶとなると超高度となるが、こちらは危険性を考慮すると厳しい。何よりも、俺は空の旅は全然全く毛程にも慣れていない。

 すると残るのは、海路となる。

 うーん、渡船のお金ぐらいは妥協するべきか。そもそも、俺が渡船に乗っている間にリーズを安全に運べるかと言われると疑問だし。途中で落っことしそうだし。

 こうなったら思い切って泳いでいくか? 正気の沙汰とは思えないけど、お金は使わないし、存在の力もいらない。ただ、精神力と体力はたくさん削られそうだ。俺に限って言えば、泳ぐよりも海の中を歩いたほうが楽だし。

 

「泳──」

「嫌」

「……だよね」

 

 取り付く島もなく断られてしまった。

 俺だって嫌だ。

 リーズの言葉に不満の声を上げるのはウェルだけだ。何が面白そうなのにー、だ。お前自身は泳がないだろうが、苦労するのは俺たちなんだ。たまには自己欲求以外のことも考えて欲しい。

 

「たく、しょうがないな。最後の手段に出よう」

「あるんじゃない」

「ふむ、それを何故もっと早く言わなかった」

「いやね。これを真っ先に最初に挙げてたら俺の人間性が疑われるじゃないか」

 

 俺だってなるべくしたくなかったんだよ。

 

──人の船を奪って行くだなんて、非人道的行為じゃないか

 

 リーズの貴方って結構外道よねという言葉がやけに耳の中に残った。

 リーズの言葉に少々傷つきながらも、渡船(和船)を無事にお借りすることに成功する。和船の素材は木製で、大きさは人間が数十人ほど乗れる程度。特別大きいものではないが、小さいとは決して言えないサイズだ。

 どうやって借りたかというと、嵐を局地的に発生させて人間を避難させ、沖にある和船にリーズを侵入させて帆を張り、風を操作してちょちょいっと人目の付かないところまで移動させ、乗り込んだ。とても鮮やかな手際だった。もしかしたら、船泥棒として名を馳せられるんじゃないかと思ったぐらいに。

 あとは時々風を操作して土佐へと入れるようにすればいいので、目的地に到着するのは時間の問題だ。

 海賊や巡回船は全て『嵐の夜』で誤魔化すつもりだ。いざとなれば、相手の船を沈ますことだって考えている。

 帰りもこの船を使いたいので、隠す場所も見つけなくちゃいけないな。

 まだまだ『極光の射手』が死んだ原因探しのスタート地点にすら立っていないというのに、苦労しっぱなしだ。

 本当に嫌になるな。

 日本に来てから、溜息が癖になりそうだった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「帰りの船が用意出来ない可能性がある?」

「えーッ、どういうこと!?」

 

 スイス、チューリッヒにある外界宿の専用の執務室にて、その外界宿の主が苦渋の顔をした。

 この外界宿に就いたのも、全ては全てのフレイムヘイズのためという奇特な考えの元であったドレルにとって、この事実は非常にまずいものであった。

 ここまで築きあげてたのですら十年という月日、さらにはその前からの下積み時代があってのこと。それが一瞬で水の泡になる可能性を含む内容と聞けば、苦い顔もするもの。

 それ以上に、あの『不朽の逃げ手』に無理言ってまで頼んだのに、こちらに不手際があって失敗したとなれば申し訳が立たない。

 日の本に行く前に、彼のフレイムヘイズは『震威の結い手』にも渡りをつけてくれるという協力までしてくれたのにも関わらずだ。

 

「はい。その……今の江戸幕府の将軍、家斉公の先も長くないのは知っているでしょうか?」

「話には」

「ええ、清との貿易には比較的問題はなかったのですが」

「次の将軍候補に問題があると?」

「いいえ、幕府ではなく。他の国が動き出すおそれがあるということです」

「それがどう繋がる? いや、待て」

 

 いまいち要領を得ない部下の言葉であったが、他の国が動き出すと言われ、思考に入る。

 日の本は現在鎖国をしている。貿易が許されているのは数少ない国ではあるが、ドレルはその国の全てと友好を結ぶことには成功していた。だから、行きこそは清に頼ったが、それが無理なら朝鮮やオランダに頼ることも出来る。二段、三段構えの姿勢のはずだった。

 それが今崩壊しようとしている。

 

「他の国の侵攻……武力による開国を迫っている?」

「はい……」

「なんと……愚かな……」

 

 ドレルは状態の悪さに嘆いた。

 

「つまりはそれに恐れた商船が」

「船を出すのを渋ってることね! ドレル!」

 

 ハルファスの明るい声とは裏腹に、低い声でハルファスの言葉にドレルは肯定した。

 部下はそのドレルの様子を見て、深い皺がまた増えそうだと同情する。

 ドレルは苦しい思考の果てで、溜息をして虚空に呟く。

 

「上手く行かないものだな」

 

 深い皺と同時に、溜息癖が付きそうだった。



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第三十六話

 日の本における刀とは、一種の芸術品と言ってもなんら遜色の無い日本刀を指す。日本刀は人を斬るためだけに作られた武器であり、その切れ味は脆さを引き換えにして世界でも最高峰。まさに人を殺すためだけに生まれた道具だった。

 刀に誇りを持って振りかざす者を武士と言えば、魂を込めて刀を打つものを刀匠と言う。武士は刀を扱う者で、刀匠は刀を作るもの。この関係は揺るがないもので、これこそが理想的な関係だった。

 本来であれば刀匠が刀自体を振りかざし、人を殺すことなどはしない。狂気に触れない限りは。

 筑前の国は全国で幾つかある鍛冶町の一つがあった。

 鍛冶町には大量の鍛冶屋が寄り集まり、お互いに切磋琢磨して名刀を作ろうと、日々鉄の打つ音が鳴り止むことがない。

 とある鍛冶屋もその例に漏れなかった。

 

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 土佐は四つの国が集まる四国の一つ。南部に位置し、四国の中では最も大きい領地がある。東西南北を海に囲まれた島でもあり、西には九つの国、北と東には日の本で最も大きい島である本州が広がっている。

 花の京都、将軍のお膝元である江戸などに比べると、どうしようもなく活気が少なくはあるが、四季彩豊かな森や、綺麗な海はこの土地が十分に素晴らしいところであることを教えてくれる。

 その土佐の国にとても似つかわしくない男が居た。

 髭を生やし、浅くない傷が多くある時代遅れの西洋甲冑を着けた男。彼は自らの傷がついた甲冑に自身が騎士であることの誇りを持ち、戦いには我先にと馳せんじる騎士道が刻み込まれている。知らぬ者でも、一目見ただけで彼のことを歴戦の勇士であると分かるだろう。そう感じさせる重みもあった。

 

「カール」

 

 艶っぽい女性の声でカールと呼ばれた男は無愛想に問い返す。

 

「なんだ、ウートレンニャヤ」

 

 カールは傍目から見れば独り言をしゃべっているようにしか見えない。

 しかし、カールの声には彼以外のウートレンニャヤと言われた異性の声が返事を返す。

 

「なんだって、こんな辺境の地に来たの?」

「そうそう。全然面白いものなんて無いじゃない。つまらない」

 

 今度はウートレンニャヤに続いて、意気消沈しているような少女の声が聞こえる。

 普段ならはしゃいでいるように明るく聞こえるはずの声に、カールは疑問を抱きつつも、ウートレンニャヤの問いに答えた。

 

「最近つまらないと思わないか? ヴェチェールニャヤ」

「つまらない。すごくつまらないわよー」

 

 神器『ゾリャー』から発するヴェチェールニャヤの少女の声は、不満気なのを隠そうともせずにカールの言葉に直ぐに反応した。

 その言葉にカールは、そうだろとどこか得意げに頷き返す。その傲慢にも見える動作がやけに堂に入って、彼の為人を見事に表しているかのようだった。

 それも当然のことだった。

 実際に彼は歴戦の勇士であり、神速を得意とする『極光の射手』カール・ベルワイドと言われればフレイムヘイズと``紅世の徒``の中で知らぬものがいないほどの強者の一人。``紅世の徒``の撃破数だけを見れば、かの有名な『炎髪灼眼の討ち手』や『万条の仕手』を上回るほどの打ち手である。

 まして、かつては欧州最強とまで呼ばれた『炎髪灼眼の討ち手』が消え、その相方の『万条の仕手』が行方不明の今、彼は己が欧州最強と呼ばれても何ら不思議ではないと自負している。この自負は決して自信過剰なものではない。大戦での戦果も考えれば至極当然とも言えるもの。

 だから、そんな彼が多少は鼻が高くなっていても可笑しくはなかった。

 むしろ、典型的なフレイムヘイズとしてこれが普通のフレイムヘイズの姿とも言える。

 

「そうだ。俺たちに敵う``紅世の徒``はそうはいない」

「全然見ないよね」

「私たち強いからねー!」

 

 圧倒的速度を誇る鏃型の神器『ゾリャー』に乗っての高速戦闘をし、極光の翼を築き、攻守ともに優れている自在法『グリペンの砲』と「ドラケンの哮』の連続攻撃を必殺戦法とすれば、``紅世の徒``は逃げることは叶わず『極光の射手』の贄となる。

 この二つの自在法の前には多くの``紅世の徒``の屍が築きあげられてきた。その中には、``紅世の徒``の一大組織であった``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``が九蓋天秤の将もある。

 彼の戦い方は攻撃が最大の防御を地で行く自在法と共に空を駆けるもの。元来、そのような猪突猛進な戦い方では、いくら強いと言ってもいくら命があっても足りないものなのだが、カールの実力はそんな世間一般論を軽く覆す程に圧倒的だった。

 『極光の射手』が自分自身を強いと称しても、誰もそれを否ということができない。自他共に認める強さ。

 そこまでの強さを持っていれば、敵は畏怖するものだ。

 彼が縄張りとしている欧州では、彼の名はあまりにも広まりすぎ、弱小の``紅世の徒``は名を聞いただけで怯え、強力な``紅世の徒``は無傷で済まない戦いを避けようとする。

 その結果、戦いを愛してやまないこの男にとって欧州はつまらない場所となり得た。

 戦いを望んでいるのに戦えずにいる。

 

(俺の強さが招いちまったものはしょうがないが、戦えないのはちっとばっかしつまらない)

 

 自分を避ける``紅世の徒``に舌打ちしながらそう思った。

 罪深きは俺の強さか。

 高慢とも取れる考えの元でカールは思考する。

 カールが求めるのは血沸き肉踊る戦いではなく、``紅世の徒``の一方的な虐殺。カールが自分の全てを``王``に捧げる前、フレイムヘイズとなる切っ掛けになったのはやはり復讐心からである。

 人間であった時は、自慢の万人に好かれる顔で幾多の女性を公司として誑かしていたが、一人の女性と出会うとカールの心は変わった。

 カールにとって愛しの女性。

 

(強く、美しく。彼女の奏でた自在法もまた芸術であったな)

 

 カールが生まれて初めて愛した女性は、人間ではなくフレイムヘイズと呼ばれる異能力者。カールの持っていない力で``紅世の徒``をも魅了するその力強い存在にカールは惚れたのであった。

 ありとあらゆる感情をすっ飛ばして、稲妻が走ったかのようにカールはそのフレイムヘイズとの恋に目覚めた。

 どんな縁からだったのか、カールはそのフレイムヘイズの女性とそれとなく近づくことが出来るようになる。少しずつ、少しずつ、牛歩の歩みではあったが確実にカールとフレイムヘイズの距離は縮んでいった。

 一定の距離感になると、彼女はカールに``この世の本当のこと``を話した。それを話すに値するほど、彼と彼女の距離が縮まったということの証明。

 フレイムヘイズと人間では生きる時間が違うこと、生きる世界そのものが違うことをフレイムヘイズは優しくカールへと諭す。カールはその言葉の一つ一つに頷きながらも、それでも彼女と共に短い時間を過ごすことを告白する。

 フレイムヘイズはそのカールの告白に驚きこそはしなかったが、何度もそれでいいのかと尋ね、カールは尋ねられるごと真摯に返した。

 この一時、その一時がこの二人にとって幸せな時間であったのは間違いなく、復讐者であるフレイムヘイズもすっかり争いということを忘れそうになってしまうほどの、ほろ甘い時間だった。

 だったのだが、

 

(そうだ。忘れてはいけない。アイツらが彼女を殺したということを)

 

 フレイムヘイズが``紅世の徒``を殺すのも摂理であれば、その逆もまた摂理だった。

 自在師とまで謳われたフレイムヘイズは``紅世の徒``の前に散る。

 カールという片割れを残して。

 ``この世の本当のこと``を知っているカールが黙っていられるだろうか。そんな理不尽な現実に。残酷な結末に。

 ありえない。

 彼は強烈なまでに抱く。

 殺意を。

 この世界に限らず、この世の歩いていけない隣にまで届くほどの殺意を。

 そうして、また一人``紅世の王``と契約したフレイムヘイズ──復讐者が生まれた。

 

「極東なんかに来たのは、カールを知らない``紅世の徒``を殺すためね」

「また楽しい日常が私たちを待ってる……愉しみねー!」

「おう! 実に楽しみだ」

 

 この身を``紅世の徒``の返り血で染めてやる。

 カールは内心で舌なめずりをした。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

──人が魅せられるのはフレイムヘイズの奏でるその力だけではない。

 

 元人間だったフレイムヘイズに、自分も彼らのように強く成れたら、そう思って拳を強く握りしめた者も居ただろう。

 強さとは一つの魅力であることは、古今東西変わらぬ事実。強さがあれば、大切な人を守ることができるかもしれない。強さがあれば、それに魅せられた人物が自分に寄ってくるかもしれない。これらの幻想はとどまる事はない。

 幾つも思い浮かんで羨望しては、結局は叶わぬ夢であることを悟り、後悔をするのは眼に見えているとというのに。

 人とは夢をみる生き物である。それは愚かなことではなく、夢をみることはある意味では幸せなことかもしれない。目覚めてしまう夢だったとしてもだ。

 しかし、中には夢から目覚めることをよしとせず、後悔をしても諦めない者もいるのもまた事実だった。

 

──人が魅せられるのはフレイムヘイズだけではない。

 

 彼らと同様に存在の力を自由自在に操り、自らの夢を我侭に叶えようとする輩も存在する。

 フレイムヘイズとは基本的に敵対関係にある``紅世の徒``である。

 その刀匠は``紅世の徒``を偶然目にした。

 その強さを目にしてしまった。

 彼らの強さは、``この世の本当のこと``を知らない人間にとっては幻想的な世界だ。自在法という不可思議な現象は魔法のように見え、なんでも出来るのではないかという妄想をさせる。妄想はいずれ憧れへと変化し、過ちを犯すことも少なからずあった。

 刀匠の場合は憧れではなかったが彼らの強さには見事に魅せられた。

 

(あのような強き者にこそ我が刀を使って欲しい)

 

 職人として、自分の作品をそれに見合う人に扱って欲しいというのは正当の願望だ。

 刀匠と言う武器を取り扱う職人にとっては、それが最も強いもの、最も上手く扱えるものこそに使って欲しいという欲望になる。

 そして、彼は知ってしまったのだ。

 本来であれば、その扱う者は人間で十分だったのに、それを凌駕する存在が居ることを。不幸にも知ってしまった。

 一心不乱に彼は刀を打つ。

 最高の刀を、最強の刀を。

 いつしかそれを作るのに興味を持った彼らの一人が近づき、協力を申し出た。

 勿論、断ることなどするはず無く、その``紅世の王``を相槌に刀を打つ日々は続く。

 やがて彼の元に一つの宝具が完成する。

 ``紅世の王``は契約通り、その宝具が完成したと同時に刀匠を、隻眼鬼面を付けた人ではない``ミステス``へと変化させた。

 これは刀匠は望んだのだ。自らが、この作った刀『贄殿紗那』に相応しい人物を見極めると。

 こうして生まれた``ミステス``はその立会人となった``紅世の王``自らが日の本の神を用いてこう呼んだ。

 

──``天目一個``と

 

 ``天目一個``が求めるは強者。

 最初は兎に角、誰彼構わず襲ったが後に気付く。やはり人間では己の武器を渡すに値しないと。

 そうして彼は見つけた。一人の甲冑を付けた他を圧倒する存在を。

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「ここらで不可思議なことは起きてないか?」

 

 カールの姿に村人は訝しながらも、そういえばこんな噂を聞いたことがありますと恐々としながら答えた。

 

(人を斬る鎧武者ね)

 

 果たしてそれは``紅世の徒``による犯行なのかを検討する。

 怪しいといえばこれ以上なく怪しい噂ではあるが、この国の普通というのを知らないカールにはこの噂の異常性を見極めきれない。もっと極端な不可思議現象、人が誰もいない村が存在するなどがあれば確定的で、文化の知らない国でも``紅世の徒``による犯行と断言できるものを、と苦笑。

 とはいえ、他に有力な情報も無く、周囲に``紅世の徒``やフレイムヘイズの気配すらもないので、この噂を頼りにするしかないと判断し、行動しようとしたその時。

 

「わざわざ向こうからの出迎えとはね。恐れ入るな」

 

 隻眼鬼面の鎧武者が音も無くいきなり木の影より現れた。

 周囲に``紅世の徒``の気配がないかどうかを調べたばかりだというのに、そんなのを無意味だと言わんばかりの登場だった。

 雰囲気は人間とは程遠く、鎧武者が常のモノではないことを表している。

 

「カール、こいつは``紅世の徒``じゃないね」

「でも、フレイムヘイズでもないわよー!?」

「確かにそのようだ。が、しかし」

「私たちには関係ない」

「``紅世の徒``じゃないって言うなら、こんな雑魚には付き合ってられないわよ!」

「気配すら『感じられない』雑魚には俺にとっても用なしだな」

 

 それは完全なる油断だった。

 普通の手段では倒せないと気付いた時には時すでに遅く、警戒心を最大にし、己の最強の自在法を用いたものの鎧武者は一本の刀で平然と振り払い、そのまま……

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 カールの失踪から一年の間、鎧武者は己の欲望を満たすものを見つけられずにいた。

 僅かな可能性の元、人間にも手を出したりもするが、全くもって話しにならず。むしろ、ますます強者への想いは強くなっていく一方であった。

 そんな時だった。

 一つの巨大な存在の力の気配を察知したのは。それも自ら``天目一個``の方へと向かってきているではないか。

 ``天目一個``はこれ幸いとこの巨大な存在の力の主へと力を試すことを決行する。

 忍び寄るわけでもないのに、静かに素早く、目標へと近づいていく。

 そして``天目一個``は旅人風の青いローブを着た軽装の男に『贄殿紗那』を振りかざす。



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第三十七話

 迂闊だった。

 警戒を怠っていた訳ではない。

 いつも通りに気配をできる限り悟られないように薄く儚くし、物音や周囲にだって常に気を張り巡らせてはいた。俺の大本の生まれ故郷である日本とは言え、四国へは一度も来たことがなかったから、慎重に行動はしていたはずだ。

 それでも、接近を許してしまったという事実は覆らない。

 土佐で早速、『極光の射手』の情報を得ようと人間の気配を辿り、幾人かに聞くと、実際に見たという人物に会うことが出来た。

 西洋かぶれの甲冑を来た男だったからよく覚えていたらしい。

 カールさん、そりゃあ未だ鎖国で武士が徘徊する中で西洋のような分かりやすい別物の甲冑を着てたら目立ちますよ、もっと考慮してくださいな。

 あまりにも都合のいい展開にお調子づいて、こともあろうにあの『極光の射手』にダメ出しするほど気分が良かった。思ったよりも早く消息が掴めそうで気持ちが高揚してしまっていたのだ。気持ちは分かってほしい。

 リーズもこの時は『しょうがないわね』と言いながらちょっと優しげな視線を俺に向けるぐらい、ほのぼのとした空気だったんだから。

 とは言っても、たった一人の目撃情報、ましてやそれが一年以上も前のものとなると、他にも多数の情報を見つけない限りは消息はつかめない。あくまでも、一番難しいと思われていた第一歩を踏めたにすぎない。ここからはリーズを人目から隠しながら、俺が地道に人伝えに消息を探すしかない。

 リーズはともかく、俺は未来人的な立場とは言え、日本人だからさほど怪しまれずに済むだろうと考えた。これは、もしかしたらすぐに消息が掴めるのではないかと甘く考え、厄介事に巻き込まれる危険性を無視してでも、速度を重視した結果だった。

 おそらく、結果的にはこれが失敗だったのだろうが怪我の功名で``紅世の徒``の気配を見つけることが出来たのも事実だった。

 一箇所では有力な情報を得られないので、もっと範囲を広くして情報を集めようと、周りの村の人間の気配を探そうと、少し集中した時に違和感を感じる気配があった。

 数にして五つ。

 同じような性質の気弱な存在が感じられた。

 似たような気配は珍しいものではないのだが、全く同じというのはありえないのだ。

 存在の力は人の個性や姿と同じように、人それぞれが完全に別物であり、同じものなど通常はありえない。

 もし同じような個性と姿を持つもの実際に見たら少なからず違和感を感じるのと同じで、俺にも似たような現象が起きた。

 つまり、ありえない現象がその場に起きたということ。

 ありがたい事にありえない現象というのはとても分かりやすい。人間には到底不可能なことが起きたのだから、逆に考えて、人間以外には引き起こすことが出来るであろう現象が起きたと認識することが出来る。

 ``紅世の徒``かフレイムヘイズによるありえない現象が。

 

「五つの同一人物。確実に自在法の類と考えるべきだろうな」

 

 五つ内、三つはかなり近いところに存在があるので、警戒を最大限に上げる。いつ戦闘が起きてもおかしくないので、戦闘服である青いローブを着て、いつどんなことが起きても対応できるような体制になる。

 偶然なのか、ここは山の中の唯一の細い道だというのに人通りが少ないので、リーズも人目を気にせずに、盾と槍を構えて守りの姿勢に入る。

 

(偶然……と考えるよりは、ここに誘導されたと考えた方がいいか)

(楽観は死に直結だもんね。私は常に楽観的に捉えるように努力してるけどね)

(だから、ウェルの言葉はいつも俺にとっては意味が無いんだな)

 

 俺の慢心のせいで、最初から不利を強いられてしまったのだ。三つもの同一存在が近くにいるという不自然さも考えると、すでに敵の術中である可能性もある。

 相手がこちらに気付いていないと言う可能性もあるし、フレイムヘイズなら戦闘を避けられる望みだってあるかもしれないが、この場ではウェルの言うとおり楽観的に捉えるよりは最悪の事態を想定する方が理にかなっている。

 幸い、今感じれる``紅世の徒``の存在の力はかなり少なく、五つの全ての希薄な存在の力をかけ合わせても俺に到底及ばない。

 弱小の``紅世の徒``の可能性もある。

 無論、俺のように存在の力を薄くバレないようになるべく隠蔽しているのなら、この予測は全く当てはまらない。存在の力の総量を欺いているとも限らない。

 数ある憶測が飛び交う。

 相手の力量、人物像、立場。どれもこれも戦闘を有利に運ぶには知っておくに限る情報だが、やはりそんなことよりも、

 

「リーズ、いつでも逃げられるように準備しておくように」

 

 どんなことよりも逃げることが最優先。

 戦わずに、怪我をせずにいられるならそれに越したことはない。

 勝利は名誉や栄光を手にすることが出来るのかもしれないけど、同時に危険も手にすることにもなる。勝利して討滅した``紅世の徒``の知り合いや組織が報復に出たり、変な名が売れて知名度が上がって、追い掛け回されたり。

 勝利が良いことばかりではない。

 敗北は考えるまでもない。

 死が目の前に転がってくるだけだ。

 それに比べ、引き分け。痛み分けと言う意味の引き分けではなく、戦わずに終わると言う意味に引き分けはいい。双方共に現状維持状態。保留状態。恨み言も妬みごとも一切なしだ。

 

「分かってるわ。分かってるけど……敵は弱そうじゃない? これなら私にだって」

「弱そうじゃ駄目なんだ。絶対に弱いって保証があるなら、リーズだけで戦ってもらうのも吝かでもないんだけど」

「ふむ、未情報の相手に立ち向かうのは、危険だから、というところか?」

「つまりモウカはどんな相手でも臆病風に吹かれてるということよね」

「間違いじゃないねー。書く言う昔にも」

「昔話をしている暇はないよ。俺たちに気付いているのはほぼ確実だ。近づいて来てる。それもさっきまで近かった三つだけじゃなくて、囲むように五つ全てで」

 

 実を言えば現状はそこまで最悪の状況ではない。

 俺が想定した最悪は俺が気配も察することが出来ずに、相手の全力の奇襲を受けること。これに関して言えば、偶然とは言え相手の気配に遅れながらも気付けたのは御の字だ。

 ただ、ここで問題になるのは俺に気付いたから奇襲を止めたのか、それとも奇襲する気自体が端から無かったのか。ここに到るまでの成り行きが重要だ。

 これが分かれば、相手の性格と性質を見極めることも出来るかもしれないのだが、圧倒的な情報不足だ。予測は立てられても見極めることが出来るは出来そうにない。反対に変な憶測は、相手の予想外の行動に出た時に隙となるので考えないほうがいいだろう。

 それでも一つだけは分かる。

 

「敵も慎重な人物のようだ」

「……なんで、そんなの分かるのよ?」

「俺の知っている``紅世の徒``やフレイムヘイズで慎重じゃない奴は、敵が誰だろうがなりふり構わず突進してくるよ」

「ちょうど私たちが探している『極光の射手』みたいな奴らのことね」

「ふむ、``紅世``においても思慮が足りんのが多いからな」

「私も貴方に会ってなければそうなっている自信があるわね」

 

 首を縦に振って納得をするリーズ。

 どこか開き直っているようにも見えるが、きっと気のせいじゃないだろう。

 どこからその良くもない自信が出てくるのかは知らないが、俺も納得するぐらいリーズは考えなしであるのは確かだ。

 バカとかアホとか、天然だとかじゃなくて、浅慮。考えることをあまりせずに、本能のまんまに動くタイプなんだろう。

 フレイムヘイズに限って言えば慎重なようのほうが、希少種だったりするので、笑い事ではないんだけど。

 浅慮な奴が多いわけじゃない。『正面から戦って勝てばいい』と考える奴が多いだけだ。猪突猛進バカが多いというのだろうね、こういうのは。

 どちらにしろ、俺から言わせれば浅はかで、死にたがりにしか見えないが。

 

「ここは一つカマをかけてみるのもいいかもしれないな」

 

 敵が慎重な性格であっていれば、こちらと向こうで実力差があれば、慎重な敵のことだ戦闘を避けてくれるかもしれない。

 これは、俺のほうが存在の力が大きいことが前提ではあるが、戦闘を避けるのには逃げるに匹敵する有効な手段であると思う。

 敵のほうが存在の力が大きく強いと『思われる』なら、俺なら一目散に逃げる。

 俺の場合は、今みたいに敵の存在の力が低かろうが、逃げるの一択、戦闘回避の一つ覚えなんだけどね。存在の力が少なくても、リャナンシーのような自在師だったりすれば、厄介なことこの上ないというもの。

 

「『嵐の夜』の知名度で脅すということよね」

「惜しいが違う。『嵐の夜』は使えないよ」

 

 あれは周囲に人がいなくても、文字通り嵐を起こすのだから予想以上に目立ってしまう。だからと言って、この間のような小規模にしてしまえば『威厳』がなくなり、『脅し』になりえない。それに、俺のことを知らなければ、自在法の無駄遣いにもなり得る。その場合はしっかり逃げ切れるだろうが、このあとの日本での行動がかなり制限されると言える。

 あまり使いたくない手だ。

 これに対し、存在の力の開放なら、ここに来るまで全く``紅世の徒``の気配を感じなかったことからも、国内に``紅世の徒``が非常に少ないと考えられる。最低でも、九州・四国間においては。

 となれば、目の前に居るのが唯一の``紅世の徒``なら、逆に存在誇示だけで、向こうが去ってくれるのではないだろうか。何かしらの使命や野望があり、すでに計画に出ているのなら、それは無理だろうがその場合は最終的にはぶつかるのだ。それは今の状況となんら変りない。

 自分を大きく見せて、相手が怯えて消えてくれるならそれで良し。それが無理で、ぶつかり合うのなら四国は諦めよう。

 諦めて『嵐の夜』で確実に逃げてしまおう。

 四国を諦めるとなると、『極光の射手』の探索は難航極まるが……しょうがない。命と比べたら背に腹は代えられない。

 

「ならどうやって?」

「こうやって、さ!」

「久しぶりの全力全開だね!」

 

 普段は身の内に隠している存在の力を、これでもかと我侭に、大胆に自己主張をする。

 俺はここに居るぞ、どうだ強いだろとハリボテの脅し。

 これで敵が引いてくれば、万々歳なんだけど。

 相手の位置を精密に計算して、動きを正確に図ろうと、先ほどまで感じていた五つの存在に集中する。

 まだある。

 動かない。様子を見ているのだろうか。

 少し遠ざかった……か?

 上手くいったのか?

 そう考えた時、リーズがいる反対側。存在の力の察知に集中していて、死角となっている左側から、

 

「も、モウカさん!?」

 

 リーズが初めて俺の名前を呼んだことが、分からないぐらいの激痛が俺を襲った。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 後に、``仮装舞踏会(バル・マルケ)``の構成員であり、捜索や情報収集の担当を司る兵種の捜索猟兵(イエーガー)である、当時日の本において失踪事件を任されていた``聚散の丁``ザロービは、五つの体とトレードマークの五色のスカーフをそれぞれ着けて自身の身に起きたことを、人生で最大の修羅場と位置づけた。

 

 ──``紅世の徒``の失踪は、``紅世の徒``に限らずフレイムヘイズにも及んでいた。それも``紅世の徒``とフレイムヘイズの両者とも決して弱小とは言えない、実力者すらも無抵抗に殺されている。その内、一人は自身の最大の自在法を活用したにも関わらず、自在法を物ともしないどころか、術者ごと斬ってみせた。

 これはザロービ自身が見たことではないが、不思議な光を刀が斬ったとの情報で判断する。この時の様子を、熱烈と語った人間の様子からも証拠として十分と判断するに至った。

 その後、失踪事件の犯人であると思われる人物が現れた周辺を調査しているところに、巨大なフレイムヘイズを認知した。

 自己主張の激しく、ザロービの過去の経験では最も巨大な海色の存在の力にザロービは畏怖し、戦線の離脱を図ろうとしたところに奴が現れる。

 気配は全く感じられないのに、その雰囲気から分る存在感。まさに異物といったそれは、``紅世の徒``でもなく、フレイムヘイズですらないことを即座にザロービは理解する。

 これらのことからザロービは、失踪事件はこの異物、おそらくはミステスであろう物の犯行であることを確信した──

 

「つまらんな」

 

 自身の執務室にて、右目に眼帯をした三眼の妙齢の女性、``仮装舞踏会(バル・マルケ)``の軍師であるベルペオルは報告書に一瞥して呟いた。

 

「信憑性も何もかも不確定だらけではないか」

 

 書かれていることが事実だとすれば、これは勲章物の仕事ぶりだった。

 だが、実際には書かれていることがどれもこれもが簡単に信じられるようなものでもなく、信じさせてくれるようなものもなかった。

 しかし、と彼女は前置きをし、

 

「頑張った部下には褒美をやらねばな。なに、これをまた策へと昇華されるのには面白味は感じる」

 

 これは私の娯楽のようなもんだがな、とベルペオルは愉快気に一人笑った。

 彼女にとってはこれはまだ遊びの範疇。

 彼、ザロービは駒にすぎない。それも所詮はポーン程度の。

 ``紅世の徒``の間では、ベルペオルの策によりこのミステスの話は半信半疑に広がった。

 今、その真相を知っているのはたった二組のフレイムヘイズと弱小な一人の``紅世の徒``のみである。



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第三十八話

 隻眼鬼面の鎧武者が俺に一太刀入れる姿が、一瞬一瞬が細切れのような時間でとてもスローに明確に見える。

 これがスーパースローってやつか、貴重な体験だな、うん。なんて言う余裕こそはないものの、思う余裕だけは残されているこの数瞬は、俺にとっては万の時間にも値するほど長い時間だった。

 懐かしきは死の体験というところだろうか。

 嫌だな。こんな体験はもうしたくなかったというのに。その為に逃げて、その為に生きる事にしがみついていたのに。これではまるで無意味だったみたいじゃないか。

 こんなにもあっさりと、数百年ぶりの感覚に襲われるなんて、夢にも思っていなかったよ。

 痛いのは嫌いだし、怖いのも好きじゃない。

 平和と安全をなによりも愛するのに、なんでこんな目に遭うんだろう。

 本当に嫌になる、この世の中。

 ただフレイムヘイズの世界に限らず、生と死は必ずつきものであり、始まりがあれば終わりもあるのは宇宙の真理とも言うべきものだ。半永久的存在のフレイムヘイズもその理に漏れることはない。

 常日頃から、この世界は弱肉強食であることを知っている俺は、好みが弱肉に入る方であることも正しく理解はしていた。

 その上で、生きる術を必死に模索した挙句に『死から逃げる』の結論に至り、危機から身を離すために『逃げる』という手段を用いた。

 間違っていた選択ではなかった。この選択を選んだからこそ、今まで生きてこれたんだと胸を張れるし、俺の本当に目指すところの平和な日常は未だに手に入れていないのだから、それを手に入れるまでは生きていたい。というか、むしろそれを手に入れてからこそ生きていきたい。

 あ、だったらこのまま死ぬ訳にはいかないじゃないか。

 鉄と鉄がぶつかり合う音がしてから、すぐに音を追うように痛みが脳へと伝わってくる。

 左の脇腹がとても熱く、身体を多少動かしただけでも痛みが全身に伝わる。痛みは尋常ではなく、早く気絶してしまったほうが楽に思え、それが甘美な響きなのだがここで気絶する訳にはいかないと、必死に意識を保つ。

 倒れそうになる体に鞭を打ち、脇目に見える刀を持った恐ろしいやつからなんとか距離を取る。

 

「だ、大丈夫だ」

「大丈夫には見えないわよ!」

 

 我ながら消え入りそうな声で、よくもいけしゃあしゃあと大丈夫なんて言葉が出たなと思う。

 リーズの少し甘い優しい声の響きでさえも、左の脇腹の怪我に響きそうだ。そんなことはさすがにないとは思うが、そう思わせるほどに痛かった。

 こんな状態でも思考を保っている自分に驚きながらも、冷静に逃げるを事を考える。

 

「ふむ、早く逃げたほうがよかろう」

「どうやって逃げるのよ?」

「ウェル……」

「炎弾くらいはできると思うけど、『嵐の夜』を含む、繊細な自在式が必要な自在法は出来ないよ。モウカは今意識保つので精一杯なんだから」

 

 手っ取り早く『嵐の夜』で引き上げようと考えたのに、ウェルはそれは不可能だと否定した。

 ウェルの言っていることは珍しく正しい。今の俺の状態では思考を保ち、立っているのがやっとであるのは間違いない。本当は痛くて痛くて、泣きたいんだ。本当に打たれ弱いんだから……でも、事態がそれを許してくれない。

 隻眼鬼面の見るからに怪しい雰囲気を醸し出している何かから、なんとか膠着状態を保っているに過ぎない。

 口々に「──強者、望む──」とか言っているが、そんなのは俺は望んでいない。そういうのは俺の役目じゃなくて、欧州一位を名乗っていたりした『極光の射手』とかにしろよ。何を勘違いしたのかしらないが、俺は強者じゃない!

 ここに断言しよう。

 だから俺を逃してよ、ね?

 心内でそう愚痴るも届いているはずもなく、また言っても見逃してくれないのは、あのリーズの刀とは違ってすごく切れ味のよさそうな刀を構えていることからも予想できるけどさ。

 

「……ああ、どうしてこうなっちゃったのかな」

 

 どうしようもない後悔が口に出る。

 どうしてこうなってしまったのだろうか。たぶん、最も戦場では口にしてはいけない言葉かもしれないが、これぐらい身の内から吐き出さないとやっていられない。

 

「だから、日本行きは嫌だったんだよ」

「なに? この状況に面して愚痴? 弱気? そういうのって最低だと思うわ」

 

 リーズから心抉るような正論を俺に言う。どこか非難めいた声色を含んで。

 肩を貸してもらっていて、こういう事言うのは……最低なんだろうな。でも、許して欲しい。過去に幾度も命の危機があったといえども、本当に死の淵に立たされたのはこれで四度目。内二度は本当に死んだようなもんで、残りの二度は奇跡の生還のようなものなんだ。

 あの大戦でだって、俺は致命傷は負ったことはない。それどころか大怪我すらもしなかった。小さな怪我はいくつもあったし、泣きたくなるような場面は数多くあったけど、本当の意味で死が迫ったのは今回は初めてだった。

 本心では、もう二度とこんな目に遭うまいとしてたのに。

 

「反省も後悔も後にして頂戴。それよりどうするのよ」

「逃げたいけど、リーズは戦える?」

「貴方に傷一つ付けられないフレイムヘイズが相手になると思う?」

「ふむ、それにあの者、強者を求めているようだからの。我が契約者では些か力不足じゃないか?」

「モウカだって十分力不足だよ。ね?」

「ああ、全くその通りなんだけどな」

「──我、強者、求む──」

「ほら、相手してあげなよ、モウカ」

「だから、俺は違うって! ぐっ」

「馬鹿。大声出しちゃ駄目じゃない。もう、世話が焼けるわね」

 

 リーズがそう言って、自在法で作った鉄で傷口を強引に塞ぎ出血を抑えた。

 正直、硬いのが痛い。せめて、その着ている服の裾とかを破って止血じゃないのか。

 行為自体はありがたいので、甘んじて鉄の塊を受け付けるけど。

 こういうやりとりをしながらも、ジリジリと交代していき、距離を開いていく。

 まるで熊にあった時の対応法みたいだなと、我ながらの苦肉の策に苦笑する。

 というか、一撃加えたんだから、分かるものじゃないのか。俺が強いかどうかなんて。どうやって俺が強いかどうかを判断してるかしらないが、どうにか俺が弱いことを証明して、去ってもらうか。

 もう一つは……逃げるしかない。

 逃げる、しかない。

 ……逃げたいな。

 逃げて早く傷の手当てをして、この生々しい痛みとはおさらばして、剣と自在法の世界からもバイバイしたい。

 あと一歩、もう一歩、さらに一歩、もっと一歩。

 本当に少しずつ、少しずつだが距離を取る。隻眼鬼面の鎧武者は、こちらが飛び掛ってくるのを待っているのか、未だに刀を構えたままで、襲ってこない。

 はて、おかしい。これは一体どういうことなんだ。

 疑問が思い浮かぶものの、これ幸いとどんどん距離を離していく。

 

「──我、刀匠なり、我──」

 

 そこから始まったのは、自白だった。

 この鎧武者がなぜこうなったのかを示すヒントがあるであろう、語り。

 だが勿論、俺にとっては、

 

「今だ、逃げるぞ!」

「りょーかーい」

「言うと思った。貴方はしっかり捕まってなさいよ」

「ふむ、彼の者の過去を知れるまたとない機会で名残惜しいが去るとしよう」

 

 こうして、謎の危険な鎧武者、辻斬りとの邂逅は意外とあっさりとした膜引きであった。

 

「──我、逃げる者、追わず──」

 

 去り際に聞こえた、その声はどこか寂し気だった……気がする。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 鎧武者から和船まで逃げた後、俺は傷の治癒のために身体を横にして安静にした。

 傷は思ったより深くはなかったが、出血が酷く、なんとか布で縛って止血をする。消毒することも出来ないので、傷口から入ってくるであろう細菌に対しては、ウェルが定期的に『清めの炎』で身体を清めて、いい状態を保つ。傷に対しては、存在の力が人間より並外れているフレイムヘイズなので、治癒能力が高いので、自然治癒に任せた。

 その横になっている間。リーズが甲斐甲斐しく世話をしてくれたのは本当に助かった。フレイムヘイズは特に食事を必要としてはいないが、気力の補充という点では食事は十分な意味を持つ。

 

「どう美味しい?」

 

 少し自信の見える笑みで、優しく俺に聞いてきた。

 美味しいとは言えない生の野菜に塩を振り掛けたものだが、食べられないことも無いのでまずくないと無難に答える。

 美味しくないと言っているようなものだが、リーズはその言葉を聞くと『そう、じゃあ次はもっと美味しい野菜を取ってくるわ』としっかり言外の意味を理解して答えた。

 農家の人には済まないと思いながらも、もっと美味しいのを作ってくれと俺は自分勝手に鼓舞した。

 リーズには料理という概念はないのか疑問に思ったが、口には出さない。世話になってるから文句は言えない。だけど、せめて怪我が治った後、少し料理を教えたほうがいいなとは思う。

 俺も特別出来るわけではないが、さすがに煮る焼くして、簡単な炒め物やスープの類は出来る。

 サバリッシュさん辺りなら、世界各国の料理とか教えてもらえそうだ。

 こんな目にまであわされたのだ。一つ二つは、俺の我儘を聞いて欲しい。リーズが旅先で美味しい料理を振舞ってくれれば、さぞかしこれからは楽しい旅になるだろう。

 でも、そうすると材料にも拘らないといけなくなるな。

 ……そうだ。それはドレルに頼むとしよう。こんな危険な目にあう可能性があって送り込んだのだ、いくら未来のユートピアの為とは言え、この代価は大きい。足りない分の代価は現金で払ってもらうか、何れ繋がるであろう各地の外界宿から名産品を集めてもらおう。

 それがいいな。

 

(さて、そろそろ反省会だな)

 

 一日目には、昨日までの直視したくない現実から逃避するように、明るい未来を想像し。まだまともに身体を動かせないが出血が止まった二日目には、現実を見つめる。

 こうやって熟考する機会は多いが、せっかくつい最近に貴重な経験を出きたのだから、それを生かさない手はない。

 

(別に過去に無理に向き合わなくてもいいのに)

(それじゃ駄目だろ。同じ目にあわないようしないと、いつか死んでしまう)

(そう言われると、私も真面目に考えないと駄目かな。モウカにはまだ死んで欲しくないし)

(嬉しいことを言ってくれるじゃないか)

(え? だって、モウカほど面白い生き方して、無残な死に方しそうな人いなさそうだし。今はまだ、モウカで楽しみたいかな)

 

 ウェルに感動して、少し出た俺の涙を返して欲しい。

 たまには、心温まる言葉をかけてくれてもいいじゃないか。

 そうは思うものの、こいつがこいつらしいことを言うのが、どこかホッとする自分がいるのを否めない自分が憎たらしい。

 声に出して反省会をしないのは、今は夜。俺もいい加減、怪我を負っているとは言っても寝疲れて、もしくは寝すぎて目を覚ましてしまったからであるのと。

 リーズは付きっきりで看病してくれていて、疲れたのか俺の足を枕がわりに寝ているから。太股部分とは言え硬いのによく寝れるものだ。

 お互いに旅用のござのようなものを敷いているので一応ざこ寝ではない。

 すやすやと幸せそうに寝ているリーズを起こしてしまわないように、考慮した結果、音にならない声で反省会をすることにした。

 反省会、とは言うものの一方的な俺の反省にすぎない。ウェルには何かを求めるようなことをしても、まともな答えは返ってこないのは知っているので、俺が一人で考え、反省するだけ。

 一応、形の上ではウェルも参加しているので反省会だ。

 

(実は反省することも決まってるんだけどね)

(どんなこと?)

(やっぱりね、相手を脅すというのは良くなかったよ)

 

 どこか甘えた考えがあったんだろう。

 こうしたほうが楽だと分かった瞬間に、いつもの警戒心や慎重さが欠如してしまった。

 誰しも、楽な道があれば楽な道を選びたくなってしまう。俺にとっては、あのとき``紅世の徒``に対して行った行動は、逃げるための手段ではなく、ただその場を助かるためだけの偽りの平穏だった。その場しのぎ。この後のことを顧みない、あまりにも危険な行為。

 それが楽な道に見え、選んでしまったことが、今回の鎧武者による死の危機を招いてしまった。

 あの時、それこそ己の存在を誇張するなら、自在法を使って逃げるべきだったのだ。

 『嵐の夜』を使えば、自分の力を相手に思い知らせることも出来たし、逃げることも出来た。もしくは、リーズと協力して一点突破による逃げに徹すればよかった。

 思えば、この旅自体、どれもこれもが俺らしくないものだった。

 ``紅世の徒``に気付くのが遅れたのもそうだが、それ以上に日本に来るという選択を選んだこと。

 俺は選んだ時こそは、明るい未来に生きるためだと言ったが、結局それは俺の力の本質とは違った選択。却って真逆。攻めの姿勢。

 自分自身の手で未来を掴みとろうとする、逃げという後ろ向きとは逆の方向である前向きの方向性。

 この選択が間違っていた。

 俺は勘違いしていたんだ。

 自分が思ったよりも長く生きて、自分にはある程度の力があると。少なくとも大抵の敵から生きながらえる力も付いていると。

 調子に乗っていたんだ。

 やはり名を馳せることが出来たことで、メリット・デメリットを考える冷静な部分とは別に、心は嬉しかった。男にとっては一つのロマンのようなものだから、しょうがないといえばしょうがないが、それでは長生きは出来なくなる。

 

(俺に出来るのはやっぱり逃げること。逃げて逃げて、死から逃げること。生を掴みとるんじゃなく、しがみつくんじゃなくて、死から逃げる)

 

 もう一度、心を引き締めなくてはいけない。

 俺がなぜ『不朽の逃げ手』であると言われるのであるのかを、理解しなくてはいけない。

 俺が今まで、どうやって生きてきたのかを思い出さなくてはいけない。

 

(そうだよ。モウカはそうやって──)

 

──愉快に逃げ惑う姿が、私にとっては一番魅力的だよ

 

 ケラケラ笑うウェルの声を聞きながら、俺は再び眠りにつき、次に目を覚ましたら、身体はだいぶ楽になっていた。

 出血が止まり、まだ体は重いが寝たきりからは解放された。

 身体を起こした俺の姿を見て、ある程度落ち着いたのが分かり、ホッと胸を撫で下ろす動作をしてから、俺に尋ねる。

 

「気になってたことが一つあるんだけど、いい?」

「うん、なんでも聞いてくれ。答えられる限りは答える」

 

 ちょっとした恩返しのつもりで。

 

「あの鎧武者に斬られた時、もうだめだと正直私は思ったのよ」

「ふむ、それは我も思った」

「なのに貴方は平気だった。それに、その時に」

「鉄の音が聞こえた、か?」

 

 リーズの疑問は尤もだった。

 俺もあの時は、身体の上半身が下半身に別れを告げるとばっかし思っていた。だというのに、実際には平気だった。平気……じゃなかったが、死にはしなかった。

 その理由はリーズも聞いていた、鉄の音。

 

「これ、だよ」

 

 青いローブを取り出し、その鉄の音の原因を見せる。

 見事に真っ二つになって、元来の使い方などできなくなっているその鉄の塊。

 

「なんだ。じゃあ貴方の命の恩人は私みたいなものじゃない」

 

 かつて、リーズと初めて出会ったときに貰った不器用な刀が真っ二つになっていた。

 

「全くその通りだ」

 

 危機一髪の所で命を救われてばっかしだ。

 死に直面する己の不運に嘆くべきか、それでも生きていられる悪運に喜ぶべきか、俺には分からなかった。

 だが、この時の俺は知る由もなかった。

 この後に俺に船がないという不運が降り掛かることを。



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第三十九話

 ``螺旋の風琴``リャナンシーは遠くは``紅世``、近きはこの世界においての最高の自在師である。彼女の織り成す自在法は、彼女の存在の儚さとは比べものにならない程の効率性と効果性を生み出すことが出来る。かつて、その優れすぎた力によって``王``に目を付けられ、啼くことしか出来ぬ鳥籠の中の鳥へとなってしまったが、今はその籠から自ら飛び出し、この世界を一つの目的を達成するために飛び回っていた。

 過去に響いた``螺旋の風琴``の名を隠してでも、その一つの目的を達成しようとしていた。

 その目的には大きく人間が関与している。

 鳥籠に捕まえられるよりも、更に昔の話。それは、自在に存在の力を操り、小さい存在の力しか持っていないのにも関わらず強大な``紅世の王``にも引けを取らないはずの彼女が、捕まってしまった原因となる話。

 一人の人間の男性に恋慕の感情を寄せていた我侭で、天真爛漫だった``紅世の徒``の話である。

 人間の美術家、絵師ドナートと人間を喰らい生きる``紅世の徒``リャナンシー。古くはこの二人の恋物語が、彼女の今の生きる全てとなっている。

 そんな彼女が、その自在法を編み出したのは必然ともいえる結果だった。

 

「『封絶』? それは自在法の名だよね?」

「そう。是非とも広めて貰いたい自在法の名だ」

 

 ユーラシア大陸は極東部に位置する中国の地にして、二人にして四人と一人が長い歴史のあるシルクロードの道を歩いていた。

 ここからヨーロッパにある外界宿にいる『愁夢の吹き手』ドレル・クーベリックに、今回の件を直接問い正すべく、モウカは日本からなんとか和船で中国へと上陸し帰路に着いていた。

 彼が少し遠回りになるシルクロードを通っているのは、単に彼の趣味である各地の観光がてらであった。日本ではまともな観光も出来なかったので、せめて中国ではという思いからの行動だった。

 シルクロードは今も定期的に貿易に使われていたり、多くの旅人が利用することからも、なかなかに整備された道のりで、今までの道無き道を行く隠れ身の旅とは違ってかなり楽な旅になっていた。これは、道がいいだけでなく、人が通ることからも宿屋が一定の距離感であるのも理由の一つであった。

 人が多い分、``紅世の徒``との遭遇率やら、厄介事に巻き込まれる危険性の高さも無視出来るものではなかったが、今回の旅に限って言えば強力な旅のお供がいることからも、モウカは比較的安心してシルクロードの道を堪能していた。

 その度のお供は、リーズは当然の事ながら、モウカに全く存在を気付かせずに現れた、モウカの唯一の``紅世の徒``の友。``紅世``最高の自在師である。

 モウカは、どこから湧いたかも分からない友がいきなり現れて、先の経験から心臓に手痛いダメージを受けつつも、暫くの時を一緒に旅をするのを笑顔で歓迎した。

 リャナンシーは武闘派とは言いがたいが、あらゆる自在法を使いこなせる彼女がいれば、逃げることも容易いという心算の基でモウカが許可したことは、リーズはもちろんのこと、リャナンシーも理解している。

 

(分かりやすいフレイムヘイズではあるのだが)

 

 あらゆる情報に飲まれ苛まれているモウカという人物は、真実の姿を見つけるのも、そしてその思考を正しく理解するのも難しいフレイムヘイズではあるのだが、分かって理解さえすれば、これほど分かりやすいフレイムヘイズもいないとリャナンシーは思う。

 

(その噂に違わぬ程度の実力も持っているわけだ。そうではなくては、こうも長生きは出来まい。本人は否定しているが)

 

 『不朽の逃げ手』が強いわけではないことを過去の邂逅でも知っている。それと同時に、弱いだけのフレイムヘイズではないことも。

 そんな不可思議なモウカへのリャナンシーの評価は、我が友人に次ぐ愉快な思考の持ち主である。

 内心で、友人とモウカが同列に並べられていることをモウカが知れば、顔を真っ赤にして否定するだろうことをリャナンシーは想像して、心の中だけで笑う。

 心の中で笑っていることなど、おくびにも出さずにリャナンシーはモウカとの会話を続ける。

 

「かの私の友人が開発し、私が昇華させた自在法なのだが、興味はあるかな?」

「あるさ。だって自在師で有名なその二人が関わったならね。ただ、前者の人物の自在法という時点で少し怖い……」

「あの``王``の自在法には悩まされ続けたもんね」

「私も被害者よ。そのキチガイの」

「ふむ、我もだな」

 

 モウカとリーズは共に、どこか遠くの思い出を思い出すかのように、遠くを見つめる。ウェルからはやれやれといった雰囲気が言葉からも滲み出ていた。

 この一連の仕草だけで、この一行があの``王``と浅からぬ関係を持っていたことを知らせている。

 リャナンシーはそんな彼らに苦笑だけをして、多少強引に話を進める。このままだと彼らのトラウマスイッチが入って、話が進まなくなる可能性を恐れての判断だった。

 

「友人のことはさておきだ。この自在法に危険性はない。いや、むしろ安全性に特化しているといえばいいか」

 

 リャナンシーは言葉を巧みに選ぶ。

 モウカがより興味の持つ方向へと、自ら率先してこの自在法を宣伝してくれるように誘導しようとした。

 当然、モウカはそんなリャナンシーの思惑など知らず、安全性に特化という言葉にこれでもかというほどの喰い付きを見せる。

 

「乗った! その話乗った!」

「ちょっとモウカ! そんな簡単に決めて問題ないの?」

「この人は本当に『安全』だとか『平和』なんていう安い言葉に釣られるわよね」

 

 リーズは「はぁ」と自然に溜息が出る。言葉には呆れ以外の成分は含まれていない。

 ただ、リーズはだからこそ彼らしいとも思う。

 ここまでの愚直さこそが長生きをしてきた秘訣であるのは、百年の付き添いで証明されていた。

 そして、彼女はそんな彼の相方であり、良き理解者である。自分以上に彼を理解できている人間はいないであろうとも思っている。

 だからこそ、彼女の次の行動は、

 

「全く貴方は単純なんだから。それでその『封絶』とやらはどんな自在法なの?」

 

 モウカに同じく、リャナンシーの言葉に釣られてやることだった。

 そもそもモウカより頭が回らないことも、頭がよくないことも分かっているリーズに、モウカの行動を否定したり、妨害するという選択肢は存在しない。

 どうしても気にくわない時のみ、口を出す程度だった。

 リャナンシーはモウカとリーズの言葉を聞き、心得たとばかりに首を縦に振る。

 

「では、言葉で説明するよりも先に実演したほうがいいだろうな」

 

 リャナンシーは一度目を閉じて、呟く。

 『封絶』と。

 地面には深い緑色の火線の紋章が引かれ、リャナンシーの付近から炎の壁が現れ、三人を包む程度の小さなドームを形成した。深い緑色の混じった世界がドーム内に構築され、深い緑色の炎が舞い散っている。

 まるで現実と隔離されたような世界であり、モノが時が止まっているように見えた。

 それも一瞬のことで、瞬きをしたら元の世界へと戻っていた。

 モウカたちがその一瞬の出来事に呆然としている最中、リャナンシーは少し使いすぎたかと反省の言葉を零してから、自信に満ちた声で彼は言った。

 

「これが『封絶』。フレイムヘイズと``紅世の徒``、そして人間の有り様を大きく変化させるかもしれない、自在法だよ」

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 海色の火線が地面に現れドーム型に世界が覆われる。先ほどのリャナンシーが構築したものに比べ、大きさは比べるまでもなく大きく、自在式は非常に荒かった。それでも簡単に形を成すことが出来た『封絶』という自在法はリャナンシーの言う通りに、誰でも簡単に出来ると銘打てる代物だった。

 海色の炎の散る世界の中で、モウカは改めて周囲を見渡して唸る。

 風で靡き聞こえるはずの木々の囁きもなく、風の音もない。遠くに見える人は動く気配を見せずに、止まっていて、時間の止まった世界のようだった。

 

「封じて、絶するか」

 

 漢字で書けば、なるほどとても分かりやすいとモウカは吐露した。

 本来の世界とは絶され、封鎖された世界。それがこの『封絶』の世界。

 モウカたちはそれを身をもって、感嘆と一緒に感じていた。

 

「その通り。この『封絶』内では、元の世界との隔離を可能として、隠匿と修復を行うことが出来る」

「隠匿は分かる。つまり、この世界で動けるのは俺たちだけ」

 

 眼の前の光景を見れば動くことが出来ているのが自分たちだけであることは、モウカも認識できている。

 止まっている彼らの意識はどうなっているかは分からないが、少なくとも認知は出来ていないことは目に見るよりも明らか。止まった時間を把握できる者はいない。仮に出来る者がいれば、それはきっと人間を止めた何かだ。

 

「それは私にも分かるわ。でも、修復って?」

 

 開発者であるリャナンシー以外が持つ疑問をリーズが口にした。

 モウカもそのリーズの疑問に、首を縦に振って同意の仕草をする。

 リャナンシーはその疑問を当然のことだと受け止め、良い質問だねとリーズに賞賛を送ってから、どこか楽しそうに疑問に答え始めた。

 

「では、リーズ・コロナーロ。そこの木でも貫いて見せてくれないか?」

 

 リャナンシーの言葉にリーズは「お安い御用よ」と肯定して、一振りの鉄の槍を手に出現させる。

 女子の筋力ではとてもじゃないが、振り回すことも持ち上げることすら出来ないであろう大きさと重量を見た目からも分かる重槍だったが、リーズは軽く持ち上げ、槍を木へと容赦無く投げ込む。

 結構な速度で飛来する槍は、見事に木の幹の中心を貫き、ポッカリと丸い穴を作る。大量の葉と枝を芯を失った木が支えらられるはずもなく、めきめきと音を立てながら木が倒れる。

 その様子をしっかりと眺め、リーズはモウカに振り向き、どうよと自慢気な顔を見せる。

 その顔にモウカは、フレイムヘイズの師として褒めてやればいいのか、それとも自身の自在法『嵐の夜』を使えば木なんて軽く薙ぎ倒せるという現実を教えてやるべきか悩むが、見て見ぬふりをすることに決める。

 リャナンシーは木を倒すまでのリーズの動作や鉄の生成の自在法の様子を目を細くして見つめ、倒れた木を見て、「ほう」と感心し、リーズの成長を見て取る。

 

「それでは修復をお見せしよう」

 

 そう言ってリャナンシーは人差し指を空に向けて突き出す。

 すると、指の先にモウカが封絶を作った際に溢れ、無駄になったと思われる海色の存在の力が収束する。一度収束した炎は癒すように木の周りへと近づき、木を元の形へと戻した。

 その光景はまさに修復というの名に相応しいものであった。

 

「ふむ、素晴らしき光景だな」

「なるほど、確かに修復だ」

 

 フルカスは賛美の声を、モウカは納得の声をあげた。

 リーズはその光景に目を奪われ、ウェルは感嘆の声を漏らす。

 リャナンシーは彼らのリアクションに満足しながら、どうかねといった視線を無言で送る。

 モウカはその視線を受け取り、思ったことを口にする。

 

「『封絶』という自在法の意味は分かった。さっきリャナンシーが言った通りだね」

 

 フレイムヘイズと``紅世の徒``、そして人間の有り様を大きく変化させる。この言葉にモウカは得心を得ていた。

 

「この自在法によって、フレイムヘイズと``紅世の徒``の争いは今後は人の目に映ることはない。それどころか」

「時や場所を選ばず戦えるようになるねー。それこそ、モウカの『嵐の夜』が人間に気を使わなくなるように」

 

 モウカの言葉に続けてウェルが答える。

 その二人の言葉に、リャナンシーはその通りだよと肯定の意を示す。

 モウカに限らず、元より人の目につかないように、人の世に干渉しないように生きてきたフレイムヘイズにとっては、うってつけの自在法であった。この自在法によって人間への``この世の本当のこと``に対する隠秘性はより高まることは想像に難くない。

 これは流行る、とモウカは確信する。簡単に習得でき、なおかつその有用性の高さを考えれば、この自在法が主流になることは時間の問題だろうとモウカは考える。

 

「いくつか質問があるわ」

 

 リーズが手を上げてリャナンシーに質問を提案し、リャナンシーはそれを無言で促す。

 

「封絶内の修復ってどの程度まで可能なの?」

 

 リーズらしい単純な質問ではあったが、意外といい質問だった。

 モウカもその質問の答えに興味があり、自然とリャナンシーに目線が行く。

 リャナンシーは教え子の質問に答えるかのように、優しく微笑んでから、質問に回答する。

 

「魂無き物から生きているモノの修復までは可能だ。ただ、トーチとなったものの人間の復元は今のところ不可能だ」

「建物や人間の修復まで出来るのか。木みたいな生き物を修復できるのだから、当然と言えば当然なのかもしれない」

「微妙な境界線だね。でも、人間も修復できるのは予想以上の効果だよね」

「そうね。あと、もう一つ。なんで、私達なの? これほどの自在法なら別に」

 

 この話に飛びつくものはゴマンといるはず。

 リーズの最後の問いに、先ほどまでの優しい微笑みが消え、リャナンシーは少し自嘲気味に苦笑しながら言う。

 

「私は……友人が少ないからね」

 

 他人事とは思えないモウカは、リャナンシーと共に遠いどこかを見つめた。



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第四十話

 メリットとデメリット。リターンとリスク。利益と損害。頭の中で張り巡らされる思考の輪の中では、常にそれらを考えている。損得を図るというのはいかにも人間的な思考であるのだが。何故だろうか。それを考えずに行動するフレイムヘイズは多い。

 彼奴らの頭は実に直情的。それは愚直という言葉が実に似合うほどに、真っ直ぐな奴らなわけだ。彼らの目指す先には、栄光だとか地位だとかの人間にとって価値のあるものがあるわけではない。

 あるのは『勝利』と『復讐』のみ。

 潔い考え方とも言えるのかもしれない。

 俺にとっては高尚な考え方である。

 利益とは『勝利』であり、勝利とは『復讐』である。損害は存在せず、『敗北』という名の死が待つのみ。負けが死というのも極端な話であるのは承知しているが、俺に限って言えば間違いではない。

 俺の中の心持ちでもある。

 『逃げるが勝ち』なんて言葉があるが、まさに俺の人生そのものを謳っているようではないか。辞世の句、モットー、座右の銘に当てはまるだろう言葉だ。

 なれば、フレイムヘイズの本来の利益と俺の利益では異なってくるのも当然。俺はいつだって損害の方に目を奪われるのだから。

 目先のリスクを考えれば、復讐どころか戦うことすら出来ず、戦った上のデメリットを考えれば、逃げることしか考えられない。

 今回もまたそんな選択肢やら、判断が必要になってくる。

 そう、全ては逃げて平和に、平々凡々で安全な生活を手に入れるために。

 

「封絶は、確かに優れた自在法だ。これは間違いないね」

「うん、私もこれほどの自在法は素直に賞賛するよ。空間の隔離なんて、それこそ格違いの自在法」

 

 この自在法の真にすごいことは、誰でも扱えるといったキャッチコピーだ。全世界の``紅世の徒``やフレイムヘイズの共通の自在法と言えば、俺ですら扱える『炎弾』以外には考えられない。フレイムヘイズに限って言えばそこに『清めの炎』『達意の言』が並び立ち、``紅世の徒``には『人化』の自在法が存在するが、それを含めたとしても僅か四つしかない。

 この封絶が、五つ目に入り込むと言えばどれほどの偉業であるかは、語らずも分かる。それも、他の2つと比べた際の自在法の高度は圧倒的に高く、それなのに自在式は簡易にまとめられている。

 ``紅世``最高の自在師の名に恥じない仕事ぶり。天才の二文字以外に当てはまる言葉のない自在師だ。

 つくづく敵ではないことにホッとする。

 

「でも、だからと言って俺が広めるかどうかは別の話だ」

 

 さっきまでの軽い雰囲気を吹き飛ばすように、少し重くした声で俺は言う。

 いくらリャナンシーと俺には先ほど得た、悲しい親近感があったとしても、判断を鈍らせてはいけない。

 日本での経験を思い出せ。

 もっと目を凝らし先を考えて、今を見ろ。

 この『封絶』の話はあまりにも旨すぎる話だ。

 リャナンシーがおそらくは冗談で他に教える相手がいないと言ったのは理解できる。彼女には彼女なりに、俺に接触することへのメリットを考えていたはずだ。聡明な彼女が、自身の偉業を自慢したいがためだけに自在法を俺にみせるはずがない。

 一番に考えられるのは、俺を介してフレイムヘイズに広めるのが最も手早いと考えたから。

 フレイムヘイズ内において『不朽の逃げ手』の名は、残念ながらにそこそこのものを誇ってしまっている。それに、俺の名だけなく、今もネットワークを広めている外界宿を使えば、更に封絶の認知度は高くなるだろう。

 そうすると、外界宿にあらゆるメリットが生まれるのは明白だ。

 『封絶』という革命的な自在法を世界へと広める役割を務めることによって、外界宿が一つの歴史を刻むことになるのだ。

 これはドレルはもちろんのこと、後の平和を勝ち取りたい俺にとっても有益な話だ。

 俺自身が何も広める必要はない。外界宿が広めれば結果的には、俺にも利益が回る。俺が直接手を出さないことによって、これ以上の知名度の上昇も抑えられるだろうし、これが封絶を広めるための最善の方法だろう。

 これは意図的に封絶を知れ渡した場合の話であり、これほどの自在法はそんなことをしなくとも世界中に知れ渡るのは時間の問題なのは承知済み。

 危険な橋を渡らないどころか、目にも留めない行動を重視するなら、下手に手を出さないのが無難なところだろう。

 たとえ、目の前に転がっている平和への足がかりと言う名のメリットを無視してでも、だ。

 

(俺自身が広めることへのメリット・デメリットはデメリットよりもメリットのほうが多い。だけど、それだけじゃなくて、この自在法の存在がどう影響するかも考える必要がある)

(慎重だね。いつにも増して慎重だよ、モウカ)

 

 馬鹿みたいに慎重だ、と嘲笑するかのように言う。

 おどけた調子のウェルとは違って、俺は真剣に言い返す。

 

(慎重にもなるさ。あんな出来事の後でもあるんだから)

 

 痛い思いはもう懲り懲り。

 痛い思い出を作らないためにも、熟考は大切だ。

 まだ、過去のことを思い出と言える余裕があるだけマシなのかもしれないが。

 

「勿論、無理にとは言わない。君には余計なお世話だったかな」

「いや。リャナンシーの言うところの、安全性についても理解できた。さっきはああは言ったけど、広めることには特に異論はない。それに……言われた通り、安全性には特化しているよ。この自在法は」

 

 フレイムヘイズにとってではなくて、人間にとって、だけどね。言葉にせずに胸中で呟く。

 この自在法におけるフレイムヘイズ最大の利点は、もう人目を気にして戦う必要がなくなること。封絶一つ張ってしまえば、外部からの余分な干渉を防ぎ、内部はフレイムヘイズのための戦場へと早変わり出来ること。

 これ自体のメリットは俺にも十分に当てはまるものであるのは間違いないのも確認済みだ。

 となると、重要なのは封絶の対策方法。

 パッと思いつくデメリットは、目立ってしまうこと。

 人の目には分からなくとも、俺たちのような異端者には、封絶を張りドーム型のバトルフィールドを築いてしまえば外から丸分かりとなってしまう。分かった所で干渉はできないのだが、逃げを第一とする俺には大問題だ。

 居場所がバレてしまうことも、問題ではあるのだが、内部から外部へと逃げる時により大きな問題が発生する。

 外部の情報を内部からも察知できないことから、外で待ち伏せされ、連戦なんてことも起こりえるのではないかと一考する。

 実際に封絶が流行り、誰もが戦闘をする際に形式的に張るようにならない限りは、こんな懸念など必要ないのだが、俺は流行すると睨んでいるし、なってから対策を考えてからは手遅れとなることだってあるのだ。

 ……なんて、先の展開を予測した所でどうなるわけでもないし。俺がそこまで正確に未来を読めるとも思えない。全く考えないのにも問題はあるが、結論のでない考えは無意味だ。

 なら、単純に。それこそシンプルに俺が考えることは、封絶を張られた時の対策と、張られないようにする対策の二つ。

 考えることは多そうだ。

 

「それなら任せてもかまわんか」

「俺が断ってもね、連れがさ」

 

 さっきから何度も封絶を張ったり消したり、修復をしたりと忙しない相方のフレイムヘイズを横目に見る。

 顔は新しい玩具を手に入れたかのように、生き生きした笑顔をしている。

 リーズは、今までほそぼそとした地味な自在法ばかりだから、空間系の自在法を扱う感覚を楽しんでいるのだろう。

 気持ちはわからないこともないが、そろそろ止めたほうがよさそうだ。

 

「お気に召したようでなによりだ」

「いや、リーズのこと抜きにしても感謝するよ。それにようやく、貴女が俺の元に来た理由の一つも分かったことだし。何よりも最初に俺の元に、『封絶』を教えてくれたことの意味が、ね」

「さて、なんのことやら。私は単に、広めてもらおうと思っただけだ」

「本人がそう言うなら、そう言うことにしとくよ」

 

 広まると確信している自在法を、わざわざ俺の元に教えてくれた友。

 友達って本当に大切だよね。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 西欧へと向かうのにシルクロードの道から逸れるため、リャナンシーとは別れを告げる。最悪な出会いの次には、最高の再会があった、此度の中国の旅は有意義なものだった。

 その最高の再会をしに来てくれた友の気遣いにも答えるためにも、俺は封絶が広まる前になんとしても対策を考えなくてはいけない。

 一に内部から脱出した後の外部との問題。

 内部は『嵐の夜』によっての強引な脱出が主な方法になるだろう。``紅世の徒``と正面切って立ち会うことになったら、この方針自体に変化はない。封絶が張られる、張らないといけないという状況になること自体が、すでに俺にとっては最悪な状況なので、そうならないように立ち回るのが一番の対策か。

 だが、外部の情報をどのように手に入れるか。

 外は外で中の様子は見えないので、敵がいても対応しきれないかもしれないが、最初から『逃がす』作戦だったり、内部にいる時に外部から内部を丸ごと攻撃されるなんて手段に出られればひとたまりもない。

 封絶内部にいる時に、即座に外部へとスムーズに逃げ、外部の接触も封じる手段が欲しい。

 ニに封絶そのものを張られないようにする。

 これが一番の対策といえる。

 封絶を張られない状況を作ることもそうなのだが、いざ、敵が封絶を張ろうとした時に防ぎ、なおかつこちらが有利になるような状況を作りたい。

 実は言うと、これに関しては一つ考えがある。だいぶ昔から、考えてはいたのだ。

 俺の持ち得る自在法には、敵の自在法に対抗する術がない、と。

 これは教授や、俺のように空間を支配するような巨大な自在法を使う敵にはとことん免疫がないことになる。相性でなんとかなることはあっても、それは運でしかない。

 まあ、教授は対策を考えた所で、どうにもならないことの方が多いけど。

 しかし、それでも対策を考えずにいられないのが、生きるために必死な俺だ。全ての自在法の対策を考えることも、対抗しうる自在法を編み出せなくとも、出来る限りの力を注ぐ。

 そうやって考えて生まれた理論が、相手の自在式を一時的に無効化とすること。

 自在法は基本的には自在式というモーターを使って発動させる。そのモーターである自在式がなくとも、非常に燃費が悪く、要領も得ないながらも、存在の力で無理矢理に自在法を発動させることも可能ではある。

 だが、やはり大規模で、優れた自在法には自在式が存在する。

 かの教授の発明においても自在式は確認されてるし、今回の課題になっている封絶にも自在式が存在している。

 自在式が確認されていないものでも、自在法と成すための媒介があったりするものだ。

 例で言うなら、『万条の仕手』ヴィルヘルミナさんが自在に操る白いリボンを使った自在法などがそれの代表格だろう。

 つまり、多かれ少なかれ自在法を扱う時には、それの要因となる元が存在する。

 その要因を妨害することによって、一時的にでも自在法を封じるというのが俺の考えた方法だ。

 ここまではずっと前から理論的には完成していた。この自在法もほとんど完成状態であり、あとはどういった形で敵の自在法を封じるかだけが問題だった。

 自在式にも色々と変わった刻み方がある。

 俺のように頭の中で構築するタイプもあれば、先ほどのようにモノを媒介にしたタイプもある。

 だが、どう考えても頭の中で構築される類のものは、相手の思考を妨害するという手段以外は考えつかなかった。超音波のようなものならあるいは、と思いついてやってみたのだが、

 

「全然ダメじゃない。それに超音波って何のことか分からないけども、私の身には何も起きないわよ?」

 

 実験に参加していたリーズは、呆れ混じりの声でそう言った。

 実物タイプには効果が現れなかった。そもそも、超音波自体もあまり上手く発生させられなかったのも、原因の一つだが。

 自在法は、自在だなんて言葉があるくせに、一癖も二癖もある。

 使用できる自在法はある程度、契約している``紅世の王``の性質に左右されてしまう。必死の努力や力尽くで、出来無い事もないのかもしれないが、その代価に見合った自在法が完成するとは言い難い。

 リーズはその手に持っている槍と盾こそが自在式を埋めこまれ、自在法により構築されたものである。一つの物として存在させている。

 あの鉄を使えないモノへと変える。

 

「……ん?」

 

 眉間に皺を寄せて、その鉄の塊を見る。そして、頭の中では手をポンと叩く。

 大きなヒントを見つけた。

 これなら俺とウェルの属性的にも問題はないし、他の自在法との組み合わせも可能だ。

 ただ……

 

「これだと、物理的な自在式の妨害のみか」

 

 封絶を未然に防ぐ、という最大の課題はクリアはしたが果たして。

 やはり、万事に対する備えというのは、中々に難しいものだった。

 それでも無いよりはマシ。超音波などという不確定のものよりは、目に見える結果を優先したい。改良の余地はあるだろうが、この自在法で行くことにする。

 

「となれば、あとは実験あるのみだ」

「決まったの?」

「一応ね。リーズのおかげになるのかな。その鉄の塊で思いつけた」

「どんなものなの?」

「それはね……まだ内緒だ」

 

 新しい自在法が日を浴びる日が来ないことを祈って、その自在法の構築に着手した。



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第四十一話

 この欧州の地から、古き故郷日本へと不本意ながらも赴き。その赴いた地で、史上最悪の危機と、不幸に巡り合ったものの、生には見事にしがみつことに成功する。

 帰りの船がないと聞かされ、ドレルに一言物申そうと、再び欧州の地へ返り咲くために中国はシルクロードの道を辿った。その道中に数百年振りに、本来では決して手を取り合うことの出来ぬ``紅世の徒``の友人と再会した。

 そこで教わったのが封絶だった。

 封絶への対策に頭を悩ませながらも、真っ直ぐにドレルの居る外界宿へと歩み、数ヶ月というのんびりした旅をした。

 そうして帰ってきた西の地、西欧に。

 長かった。帰ってくるまで本当に長かった。

 俺のここまでの旅は涙無くしては語ることは出来ないし、ウェルの笑い声無くしては語れないだろう。

 山越え、谷超え、海渡り、死地を跨ぎ、生死を彷徨った。

 生死を彷徨ったのは、ちょっと過剰描写な気がするけど、いいんだ。これぐらいの脚色をしてなにか問題があろうか。いや、ない。少なくとも、あの地へと強制的に向かわせたドレルには文句を言わす権利はない。

 ドレルは黙って俺の話(愚痴)と文句を聞いて、それ相応の物を対価として寄越すべきだ。食べ物ならよし。金貨でも喜んで。

 と、古汚い机の上に幾つもの書類を載せているドレルの執務室で、本当にそう言った。そうしたら報酬として、しばらく野盗紛いの事をしなくて済むようにと、金銭の援助と食糧の補助をしてもらうことになった。

 要望が素直に通って拍子抜けしたのだが、ドレルが言うには最初からそうする予定だったとのこと。

 それはつまり、俺が帰ってきたら報酬を渡す予定だったのか?

 疑問を口には出さなかったのだが、俺の表情から察したのか、ドレルは理由について簡単に教えてくれた。

 

「外界宿はフレイムヘイズのための組織。金銭面の援助や、その他の支援などをする予定だったのは君も知っての通りだろう。これもそれの延長線上のことだと考えてくれ」

 

 報酬を貰ってしまっては、文句も言いづらくなってしまう。けれど、報酬を貰わずに文句を言ってずらかるのも、どうかと思うし、ならばと素直にその報酬を頂いたのだが、非常に文句の言いづらい状況になってしまった。

 いやね。どうしても文句が言いたいかといえば、対価が貰えたんだから別にいいか、なんて気持ちもあるんだ。我ながら安いとは思うが、目に見える得があれば拾ってしまうものだろう。

 それに、

 

「こちらに不手際があってすまない……」

 

 心のこもった謝罪の言葉を聞いてしまっては、文句など言えないじゃないか。

 そういった行為をされてまで糾弾できるほどの地位や勇気を持っていないし。何よりも、結果的には命を失ったわけじゃないからね。

 俺もかなりおかしな部類に入るとはいえ、フレイムヘイズの一員。自分の行く先々に危険が待ち受けていることこそ常であり、覚悟だってある。直視したくない現実ではあるんだが、さすがにこの俺とて現実からは逃げることはできない。せいぜい目を逸らせるだけ。

 目を逸らせば一時的に平穏は保てるかもしれないが、その後に待っているのは生との永遠の別れ。本当に生き残りたければ、確りと現実を見て『逃亡』を達成するしかない。

 故に俺は目の前の現実とは毎日戦っている。

 

(という風に言うと、逃げてるだけなのにカッコよく聞こえるから不思議だね)

 

 ドレルの封絶拡大化の詳細を語ってくれているのだが、俺は封絶の対抗策をリャナンシーの先駆けのおかげで生み出している。なので、あまり話に興味がなく、ドレルの話を話半分にウェルに話しかけてみる。正直な話、そういう込み入った話は俺ではなく、副官とかにしてくれと思う。俺はなるべく関わりたくないのだし。

 リーズは久しぶりのこの外界宿に、どうやら気に入った場所があるようで、俺のことを置いてすたこらと行ってしまった。

 ドレルが言うにはここが欧州最大の外界宿──にしたらしく、規模はなかなか大きいので雰囲気のいい場所の一つや二つはあるのかもしれない。

 

(私には必死に『逃げる』行為をカッコよく装飾しているようにしか見えないよ)

 

 語尾には人を馬鹿にしているような笑い声と共に、ウェルは軽やかな声で言った。最後には、だけどそこがモウカらしくて実にいいよ、最高だよ! と褒められてるのかどうか判断しにくい言葉を残して。

 いや、ウェルが発声源なんだから、この場合は前提材料を考慮せずに、俺をからかっていると判断するのが妥当なところか。

 経験を元に、ウェルの言葉の意味を紐解いていると、

 

「だが! 予期せぬことが起きた」

 

 ドレルが急に声を荒らげて、強引に自身に注目を集めようとした。

 俺とウェルはいきなりのことで、訳が分からず『は?』と気の抜けた声を出してしまう。

 その言葉が引き金となり、俺とウェルが話を聞いていない証明となった結果、ドレルの契約した``虚の色森``ハルファスが耳に触るような高い声で、怒りを顕わにする。

 

「もーっ、なんなのこの二人! 全然ドレルの話を聞いてないじゃない!」

 

 その言葉は否定できなかったが、興味のない話を延々と聞かされるのは、こちらとて遠慮したいところだった。報酬を得た今、他にやりたいことは特にはないけれど、長旅から帰ってきた後なので少し落ち着きたいところだ。

 だというのに、ドレルときたらずっと話ばかり。世界情勢の大切さ、情報の大切さは身に染みてはいるけれど、今は急を要する時じゃない。そんなのは暇な時間な時にでもやればいいんだ。

 ……今が暇な時間と聞かれればそうかも知れないけど、とりあえず気分ではないので後に回して欲しい。

 俺は言葉には出さずとも、顔にそれらの思いを浮かべていた。所謂、不満そうな顔。

 

「ハルファス落ち着いてくれ。すまなかった。そちらも旅の後だというのに、こんな長話を。ただ、早急に小耳に挟んで欲しいことがあって、このような話をしてることは理解して欲しい」

 

 極めて真面目な表情でドレルはこちらを見た。

 早急に、なんて言うぐらいだから想定外の問題が起きたのは間違いないことだろう。

 それを俺に話すということは……え、まさかとは思うが、また俺が何かしなくちゃいけなかったり、問題解決に俺を当てるなんて事はないよね。

 そんなことなら俺は逃げるよ? この場から全力で。

 

「早急に、ね」

 

 それでも、話だけは聞いとくべきだ。

 もしかしたら、重要な情報がそこにはあるかもしれないし。問題というからには、問題となっている場所もあるはずだ。逃げるにしてもその場所を聞いて、避けやすくしてからでも遅くはあるまい。

 早計は死を早めることに繋がりかねないからね。

 

「封絶のフレイムヘイズへの使用推奨の件に関しては、先ほどまで話した通りだが」

 

 俺たちはあまり聞いていなかったわけだが。

 彼の契約した``紅世の王``にまた怒られかねないから、俺は横槍の言葉は口にしない。

 今も『聞いてなかったくせに』『ドレルのこと無視してたくせに』と恨みがましく言っているし、これ以上の刺激はよくないのだけど、こういった状況を彼女が見逃すはずが、

 

「私たちは聞いてなかったけどね」

「クーッ! ドレル!!」

 

 ないよね。

 絶好のからかう相手が目の前に転がっているのに、時と場合と人(?)を選ばないウェルが我慢できるはずがなかった。

 あーあ面倒くさい、と俺は思わず頭を抱える。

 これでは一向に話が進まないので、お互いに苦労しているなと顔を見合わえてから、俺はウェルに黙っているように言い、ドレルはもう一度ハルファスに落ち着けとなだめた。

 場に静寂が戻って、ドレルが咳払いをして話を再開する。

 

「幾つか問題がある。一つは君にも協力をしてほしいところなんだが……そう嫌そうな顔をしないでくれ」

 

 協力の文字を聞かされて瞬時に嫌な顔を浮かべてしまったようだ。

 それもしょうがないだろう。というか、そもそもの要因は目の前の人物のせいだ。俺は何もしなくてもいいはずだったのに、日本へと半強制的に飛ばされて……

 駄目だ。また話が戻ってしまう。

 ウェルに我慢しろといっておいて、俺が出来なかったら支離滅裂だ。ここは顔に出しても、言葉にはせずにドレルに先を促す。

 

「``海魔(クラーケン)``と言えば、君なら理解してくれるかな」

「……まあ、ね」

 

 俺が日本へ、しいては海を渡ることへ渋った理由の一つである``海魔(クラーケン)``の存在。

 海を縄張りとする``紅世の徒``の通称であることは、いいとして彼奴らは人間の船を襲う。時には形振り構わずフレイムヘイズがいても襲ってくるが、彼らも馬鹿じゃないのでフレイムヘイズが船に乗っていれば大体は見過ごすらしい。最近知った常識である。

 俺はてっきり、水の中に住んでた時の常識から、襲ってくるもんだと思っていたのだが、そうではなかった。中途半端に知ってたので、正しい情報を知ることが遅れてしまった。反省せねば。

 どおりで日本の往復の経路では遭わなかったはずだよね。

 フレイムヘイズが居れば、あまり襲われず、居なければかなりの確率で人間の船が襲われるという事態を無視するには、やや多きすぎる問題だとドレルは言うのだ。

 そこで、近年囁かれているのは彼らの殲滅戦をしようとの話。

 その話を俺に振るのは納得の出来ることだ。

 俺の力と特性を生かせば、海上戦はほぼ制することができるだろう。イレギュラーが起きない限りは。

 それに、この話も悪い話じゃない。

 俺自身も海の上を自由に行き来出来るようになるなら、行動の範囲は自然と増えるし、海上戦自体も俺はただ自在法を使って安全圏にいればいいだけ。殲滅戦と称するなら、それなりのフレイムヘイズたちも集うだろうから安心と言えば安心かもしれない。

 それでも俺は保守的な考えの元にドレルには、考えとくとだけ返事をしておく。

 俺の返事に頷くと、次が本命なのだがと前置きをしてから、眉毛を八の字にし不機嫌そうに言う。

 

「予期せぬ事態。口に出すのも腹立たしい出来事が起きそうになっている」

「腹立たしい出来事?」

「そう。遠からず、いや、近い内に起きると私は見ている」

「もーっ! なんで皆してドレルの邪魔をするのかしらね」

「しょうがないことだよ。それにこれは、封絶の拡大にも決して無視できない出来事だしね。予期せぬ事態とは──」

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 大航海時代は、だいたいルネサンスと同時期に起きた世界の大変動の一つだ。

 俺がこの世界へと逆行した十五世紀も、その大変動のまっ最中ではあったのだが、俺は当時から生きるためだけに必死であり、今以上に余裕もない頃だったので、周りを見ている余裕もなく、特にこれといって歴史を垣間見る機会もなかった。

 ルネサンスは一言で言えば宗教革命であり、大航海時代を一言で言えば新大陸の発見だ。そう、かのコロンブスが発見したというアメリカ大陸の発見はこの頃の出来事だ。コロンブスと言えば、コロンブスの卵の話でも有名だろう。

 彼は元々はインドへの別ルートの発見のために航海に出ていたのだが、その折に偶然にも新大陸を発見しまった。その為に原住民は、初期はインドだと思っていたコロンブスたちがインドにあやかってインディアンと名付けられた。

 原住民からすれば、その名も不名誉であるし、新大陸などと言われるのも侮辱に値することだろう。原住民が怒らないはずもない。そして当然、そんな原住民の中にもフレイムヘイズは居た。

 古くは``紅世の徒``を神と敬い、神(``紅世の王``)と契約して神の使いと自らを名乗り、大地の子を守ってきたと自負する強大な力を持つフレイムヘイズだ。

 彼らが自分たちが守ってきた子らを侮辱されて、怒りを顕わにしないはずがないのだ。

 だが、人の世の流れに関与することはフレイムヘイズとしては、禁忌に当たること。

 フレイムヘイズは``紅世の王``と契約したことで、人間を超越する異能者であるのだが、契約の際に人間の世の理から外れることを条件の一つとしている。契約者は己が一生の全て``紅世の王``に与え、捨て去る。つまり、人間社会との完全な死別と同義なのである。

 それに例外など無く、例外など許されない。

 俺の知らないほどの過去は分からないが、少なくとも今は禁止されている。

 よって彼ら、アメリカに古くからいるフレイムヘイズは、我が子のために人間社会へと牙を向くことを許されず、他のフレイムヘイズたちの懸命な説得により、彼ら不承不承ながらも牙を削いで解決した……はずだった。

 ドレルが言うには今は一発触発の危険な状態だというのだ。

 一体何がきっかけで、沈静化していたことがぶり返したのか。

 

「一人の人間の懇願、とでも言うべきなのか。詳しくは、まだ把握していない」

「人間が助けてくれ! って、命を捧げたらしいわよ」

「命を……ねぇ」

 

 考えさせられる出来事だ。

 アメリカで起きたインディアンとの諍いは現代では、白人と黒人の差別という形に変わって、未来でも社会問題でもなっていた出来事。

 未来でこそ、そう言った問題はデモなんていう形で比較的平和的な抗議になるのだが、いまはそうはならない。もっと直接的に、暴力的に解決しようとしかねない。

 そして、その先導に立ちかねないのが、彼ら神とまで呼ばれたフレイムヘイズたち。

 俺は彼らの心情など知ったこっちゃない。

 だが、彼らが人間との戦いに出て、アメリカ合衆国を潰す行動に出るならば、同じフレイムヘイズが止めなくてはならない。

 その様子を第三者から見れば、ただの身内同士のいざこざ。

 全くもって馬鹿馬鹿しいこと。

 世間一般的には身内の恥さらしとも言うべきこと。

 俺はドレルの言葉を聞いて、やれやれと言った感じに呟く。

 

「ああ、これだからフレイムヘイズってやつは……」

 

 嫌なんだよ。

 無論、俺のこの言葉の後にはウェルの口から『モウカもその一員でしょうが』との正論が飛び出すことになった。



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第四十二話

 十九世紀末。フレイムヘイズにとっては、最悪の事柄がついには起きてしまった。フレイムヘイズの誰もが避けようのないことだと分かってもいたことでもあった。

 俺がその話を聞いたのが約半世紀前であり、俺が思ってたよりは状況が持った印象があるものの、やはり起きては欲しくなかった出来事。

 南北アメリカの地で古来より神と謳われたフレイムヘイズ、『大地の四神』の反乱である。

 神と呼ばれるだけあってその力は強大であり、他のフレイムヘイズとは一線を画した特異性の持つフレイムヘイズである。

 古来より、と言うように彼らの歴史は長い。本当の年数を俺は知らないが、俺がこの世界に逆行した頃には、フレイムヘイズの基礎知識としてウェルに教わったことがあることからも、最低でも三百以上の時は生きていることは分かるだろう。

 三百とは理屈上の数字で、実際には千歳は軽く超すだろうと俺は見ている。他のフレイムヘイズらが彼らに寄せる非常な尊崇の念を考えれば、千の時を生きると言われても簡単に信じられるというものだ。

 フレイムヘイズの実力を簡単に推し量るには、生きた年数が一番分かりやすい目安であるため、彼らの実力を想像すると背筋が寒くなる。俺のような例外もいるがこの際は置いておく。

 尤も、『最古の』なんて呼ばれ方をするフレイムヘイズも居ることから、『大地の四神』は彼らに比べたら若いのかもしれないが。

 アメリカに旅立ったことがないので『大地の四神』とは、面識がないものの『最古のフレイムヘイズ』とは、一度だけ面識があったりはするのだが……うん、その『最古のフレイムヘイズ』の破壊力は、背筋が寒くなるの言葉だけでは全然甘く。背筋が凍りつく、むしろ背筋が氷河期と言ったほうが正しいのかもしれない。それほどまでに圧巻の光景であり、圧倒的な戦闘力であった。

 その彼らに追従する力を持つとされているのだから『大地の四神』も十二分に化物だ。神などと呼ばれている時点で、察しろよと言われるかもしれないけど。

 言葉や文字だけで表せるような彼らの実力じゃないが、数値に表すならフレイムヘイズ百人分の力と言えば、想像しやすいのではないだろうか。このフレイムヘイズたちは、俺のようなひ弱な者でも、ましてやひよこのような生まれたばかりの者たちでもない。

 厳しい戦いを生き残ってきた猛者と言われる類のフレイムヘイズ百人分の力。

 たった四人のフレイムヘイズに猛者百人分の力が内蔵されているのだ。空恐ろしいなんて次元は超えている。彼らに反乱される側の人間が哀れに見えてしまう。人間など、彼らにすれば蟻以下のような存在の持ち主なのだから。

 人間の強さは銃器などを使った戦闘力だけではないが(ドレルに言わせれば組織力だとかになるだろう)、あまりにも大地の四神とは存在そのモノの差がありすぎるのだ。人間の抵抗は無意味と化すだろうことは分かりきっている。

 被害は人間だけじゃない。

 人間の作った物も見境なく破壊され、住んでいた場所は跡形もなく消えさってしまう。

 こんな事態が歴史の表側に出てしまえば、一大事。その事態を防ぐためにも、百を超えるフレイムヘイズが現地へと飛んだ訳だが。

 

「リーズ、紅茶淹れてー」

「……はあ、いいわ。ちょっと待ってて」

「よろしく」

 

 俺は飛ぶこと無く、欧州の外界宿の一角に居座っていた。それも結構偉そうにふんぞり返りながら。これが今、俺のすることである。

 強さ関係なしにフレイムヘイズの多くは欧州に居る。当たり前だが、その数多い中でも強者に値するフレイムヘイズは一握りである。

 フレイムヘイズの数に比例するように``紅世の徒``の数も多いのが欧州だが、有名なフレイムヘイズがいるだけでも``紅世の徒``の暴走の抑止力になる。普段はそうやって、欧州の平和──俺としてはそれでも危険地帯だと思ってる──は守られているのだが、今はそうはいかない状況にある。

 数少ない猛者たちは、大地の四神の暴走を止めるために、アメリカと渡ってしまっている。

 それも彼らを説得するために行っているのだから、大地の四神とも縁深い者たち……つまりは古くより共闘している猛者たちが行ってしまっていることになっている。

 結果、今の欧州には選りすぐりのフレイムヘイズは極僅かであり、残っているのも生まれたてのひよこばかり。

 まして、アメリカで起きているのはフレイムヘイズ同士の喧嘩。そこに``紅世の徒``が関与する意味はない。``紅世の徒``からすれば、勝手に欧州からアメリカへとフレイムヘイズが渡って、なんだか知らないが欧州ががら空きになったように見えるだろう。

 これをチャンスと思わない``紅世の徒``はいない。

 しかし、フレイムヘイズとして、``紅世の徒``の欧州での暴挙を見過ごすわけにもいかない。

 今の状況とは、欧州で``紅世の徒``を抑えなくてはならないのに、アメリカの同胞の暴走も抑えなくてはならない板挟み状態であった。

 誰がどう見ても危機的状況である。

 だが、ドレルはこの状況を危機とは捉えず、好機と見た。ピンチがチャンスとはよく言うもので、ドレルは『こんな時だからこそ、組織の真の力を示すことが出来る』と嬉々として言った。

 いやいや、この爺さん何を抜かすんだよ。厄介ごとを俺に回すんじゃないだろうなと、俺は心底恐怖に震えていたと思う。だって、ドレルの眼の奥がすごく光っていて、にやりとこちらを見ながら笑うんだ。嫌な予感しかしない。

 

「『弔詞の詠み手』や『儀装の駆り手』などの屈指の打ち手が居なくても、こちらにも天に轟く名前を持つフレイムヘイズはいるからね。君が偶然この外界宿に来てくれ助かったよ」

 

 見た目には似つかわない、悪戯を思いついた少年のような笑みを俺の目の前でして、きっと俺以外の誰かに言ったのだ。

 天に轟く名前を持つ者? はて、一体誰のことですかね。俺には想像つかないです。あっ、もしかして雷鳴のごとく鳴り響くかの『紫電』の方ですか?

 偶然って、呼び出したのは貴方でしょうに。俺は、ドレルに一時的にだが平和な場所が見つかったとの連絡を受けて、嵐のごとくドレルの居る外界宿に訪ねてきたのに、聞かされたのは先程の言葉だった。

 

「大地の四神の怒りを治めろと言われるよりはマシなのかもしれないけど」

「どっちもどっちでしょそんなの。はい、紅茶」

「お、ありがとう」

 

 数枚の書類だけが並ぶこじんまりとしたテーブルの上に、食器独特の高い音を立てながら紅茶とミルクが置かれる。

 ミルクを適量入れてから、香りを味わうことなく一口。

 紅茶の味に詳しいわけではないので、率直な感想を言葉にする。

 

「ん、うまいね」

「普通よ、ふつう」

 

 顔の表情を珍しく変えずに、普段の少し甘い声も抑えた淡々とした声でリーズは自然に答えた。

 

「そんなもんか?」

「そんなもんよ」

 

 そんなもんらしい。

 

「…………」

「…………」

 

 静かな時間が少しだけ訪れる。

 部屋に響くのは、紅茶を飲む音と菓子のクッキーを食べる音だけだった。

 いつも騒がしいウェルの声は今この時はない。彼女の意思を表出させる神器『エティア』を、寝室に置いてあるからだ。手元に戻そうと思えば、俺の意思一つで戻せるが、今はその必要はない。俺にだって気の休まる時は欲しいのだ。

 クッキーと紅茶に伸ばしていた手を、テーブルの上の資料に向けて手に取る。

 その資料にはすでに慣れ親しんだ英語で、俺への仕事の依頼が書かれている。

 まとまっている資料の一枚目にはタイトルが書いてある。

 『フレイムヘイズの効率的な運搬と守護』、と。

 

「確かにどっちもどっちだよ」

「でしょ?」

 

 リーズが少しだけ自信に満ちた顔をする。ほらね、と言外に言っているようだった。

 

「大地の四神を説得に行くか、こちらで守りの要となるかの二択を突きつけてくるなんてね」

 

 ドレルと知り合わなければよかったと本気でそう思った瞬間である。

 大地の四神の説得に行くを選択した場合、俺は文字通り戦場行きが確定しただろう。化物を相手取った戦いに参戦するのは初めてのことではない。過去には、史上でもたった二度しか起きていない『大戦』を仮にも経験して、生き残っている。それに比べれば今回のほうが、生存率は高いだろうが、だからといって自ら出向くような真似はしたくない。

 俺の自在法である『嵐の夜』の集団戦においての有効性は、不本意ながら知れ渡っていて、俺が居ればないよりはマシ程度の活躍はできるとは思うが、俺は戦いで活躍するなんていう自殺願望は持ちえていない。

 よって、自然と消去法になるのだが、残ってしまった選択肢もまた危険な選択肢であることを俺は知っていた。

 

──守りの要

 

 多くの猛者が居なくなった欧州の穴埋めといった意味である。

 言葉の通りに守りとは欧州の地を``紅世の徒``から守ることそのものを指し、要とはその主戦力になる事を言う。

 以上のことを踏まえて、ドレルの言葉を意訳するなら『お前が欧州守ってくれ』になる。

 無茶ぶりだなんてもんじゃない。無謀。破茶滅茶。俺にとっては死の宣告とも言えた。

 決まりきっているいるが、俺の回答は否。絶対に否だ。

 喚いて叫んで泣いて怒って意思表示をする。絶対に嫌だと我侭ではない。

 暴れたさ。俺が暴れれば嵐だって引き起こすさ。

 俺の暴走によってドレルの居た外界宿は崩壊し、ドレルは泣く泣く俺を自由の身へと返上することになった──わけもなく、どおどおとドレルに落ち着くように言われ、リーズにしがみつかれて、まさかのウェルにまで諭されて、外界宿は事無きを得た。 

 リーズに腕を組まれて拘束され、ウェルが俺の暴走した様を笑ってくるが、落ち着きを取り戻した俺にドレルは詳しい説明をした。

 その説明した内容が、手元にある書類にも書いてある。

 

「最初にこの話を聞いた時は、俺は一体どうなることかと思ったよ。死ぬことを覚悟したぐらい」

「あの時の貴方の慌てようはすごかったわね」

 

 リーズがその時のことを思い浮かべたのか、コロコロと笑いながら言った。

 

「ふむ、我にはその様がなんだか似合っているように思えたがな」

「まるでウェルみたいなことを言うんだな、フルカスは」

「ふむ、それは遠慮したいな。先の言葉は撤回しよう」

 

 ウェルと同類にみなされるのを嫌ってか、自分の発言をなかった事にしようとしたが、言った時点ですでに俺の中では同類扱いだぞ、フルカス。口は災いの元だと覚えていおくんだな。

 たった一言で人が傷つくことを知るべきだ。特に、普段は悪口(?)を言わないような人物に言われると余計にね。

 リーズはフルカスの早変わりな発言に苦笑しながら、こちらをその青い瞳で見つめる。

 

「でも、本当はあそこで私を振りきってでも逃げたかったでしょ?」

 

 分かってるわよ、と言いたげな表情だ。

 分かられてしまったか、と俺は表情で返す。伝わったかどうかは分からない。

 本当なら、そんな狭められたたった2つの選択肢からではなく、第三の選択肢の全てから逃げるのコマンドを選びたかったのだが、俺はついにはそれを選択することが出来なかった。

 ドレルが強制した所で、俺が逃げ延びることは出来るだろう。過去に追いかけっこをして追い詰められた相手ではあるが、ドレルの正体を知り、自在法の制限を課していない今であれば逃げることぐらい訳ないはずだ。

 だのに、何故このようなことになってしまっているか。

 その理由は、もう一人のフレイムヘイズの存在だった。

 

「でも、まあやっぱり主戦場よりはマシだよ、ここは。こうやって紅茶が飲めるぐらいには余裕があるわけだし」

「うまいが抜けてるじゃない」

「あれ、普通じゃなかったの?」

「うまいと言ったのは貴方でしょ」

「そうだったかな?」

「そうだったわ」

 

 そうだったらしい。

 にこやかにリーズに断言されてしまった。

 こういうやりとりもまた平穏を感じる一時と言える。

 今こうやって過ごしている間にも、アメリカでは壮絶な戦いが起きているというのに、この温度差。俺は自分の選択が正しかったと胸を晴れるというもの。二択問題だけど。正解率は二分の一だけど。

 さりとて、この平穏もそうそう長く続くものでもない。

 まだ多くのフレイムヘイズがアメリカへ渡り始めて日が浅く、一年と経っていない。``紅世の徒``も違和感を感じているとは思うが、動き出すのにはまだ時間がかかるだろう。だが、もしも``紅世の徒``が動き出したとしても、俺の力を必要とするような緊急事態に陥らなければ問題はない。

 そう、何も起きなければいいんだ。何も起きなければ、ね。

 それに、

 

「俺の仕事は守りの要といっても、撤退のための切り札。逃げる道の防衛が役割だしね」

「ええ、貴方にピッタリの役だと思うわ」

 

 ドレルと並ぶ外界宿のもう一人の顔役。フレイムヘイズの行く道を支援する``珠漣の清韻``センティアの契約者、『无窮の聞き手』ピエトロ・モンテベルディの本拠地──イタリアはジェノヴァの外界宿。

 ピエトロ率いる『コーロ』の補佐をする為に、俺はアメリカの死転がる戦場ではなく、ここに居る。

 

「そもそもピエトロが、俺がドレルから逃げようとしたときに文字通りに道を塞いだ張本人だけどな」

 

 行く道を照らすはずのフレイムヘイズに、生きる道を塞がれた俺は外界宿にクレームを言っても許されると思う。



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第四十三話

 ピエトロ・モンテベルディはその整えられた黒髪と口元の髭を歪ませ、端整な造りの垂れ目に疲労を感じさせ、顔全体には苦渋の色を多分に表しながら、心の中で何度も『話が違う』と反芻していた。

 ピエトロの率いてる『モンテベルディのコーロ』と呼ばれる集団は、復讐を終えたフレイムヘイズによって主に構成されている。復讐を終え、やるべき事をなくした彼らは、基が気さくで、気のいい性格だったことから、彼らは気づけばまとまって後進の援助を買うようになっていた。

 彼らの援助の殆どの内容は、``紅世の徒``への復讐の手助けだ。

 しかし、そこには直接的な個々の介入などは無く。そこに行き着くまでの、つまりは復讐対象の``紅世の徒``と戦える環境を作ることが、この『モンテベルディのコーロ』の存在意義だった。

 その環境を整えることも、時代が変わり、在り方を変え、今では『クーベリック・オーケストラ』と協力体制を取りながらも、復讐への橋渡し的な役割を果たすようになっていた。

 此度のアメリカでの反乱でも、『モンテベルディのコーロ』のやることは変わらない。

 自分たちの支援を待つ、若輩のフレイムヘイズ達を補佐、指導をして導きながらも``紅世の徒``への復讐できるように手を差し伸べ、時には身を呈して守り、フレイムヘイズの減少を阻止する。幾多の強力な討ち手の庇護が無くなった今だってそれには変わりない。

 そう、こんな状況下であっても、こんな状況下だからこそ、彼らは自分たちの責務を果たさなくちゃいけない。

 

(人手が欲しかったさ。最初に名前を聞いた時は、まだこの地に残っていたのかと驚いたくらいだ)

 

 『不朽の逃げ手』の名は、この欧州の地では特に名高い。その名を一躍広めさせた出来事言えば、大戦での立役者とまで言わせるほどの働きが主な要因だろう。

 尤も、ピエトロも『不朽の逃げ手』の噂については、外界宿を取りまとめる一人として数多くの情報を持っていた。

 

(数十年単位で消えたりするのに、ひょっこり大きな事変と共に再び現れる。なんとも奇っ怪な人物じゃないか)

 

 大戦で衝撃的なデビューを果たし、暫く噂を聞かないと思ったら教授の企みを暴き現れ、再び消える。次に噂を聞いときには、当時では変わり種として復讐者たちに蔑まれていた、ドレル・クーベリックの計画の一端を担う。そして今度は、『封絶』とかいう革命的な自在法を引き連れて。

 ピエトロは噂を聞く限りでは、まるでこのフレイムヘイズの立つ場所こそが、世界の出来事の中心に居るようにしか思えなかった。

 この他にだって、戦闘は多分に行われている。

 『輝爍の撒き手』が爆発で``紅世の徒``をバラし。『弔詞の詠み手』が``紅世の徒``を食い荒らす。このようなことが世界各地行われ、強力な討ち手によって強力な``紅世の徒``を狩り狩られる日々。

 その一つ一つが小さくない争いではあったが、彼が巻き込まれた大事に比べれば小さなものになってしまう。

 

(というよりはむしろ)

(そういう星の下の生まれってことじゃないのかい?)

 

 ピエトロの持つ懐中時計から明るくも野太い女性の声が、ピエトロの内心の声に続けるように言った。

 

(それはどういうことかな? 僕のおふくろ)

 

 ピエトロに僕のおふくろと呼ばれた、彼に異能の力を与えし``紅世の王``である``珠漣の清韻``センティアはこれまた明るい声で、「そのまんまさ!」と答えた。

 ふむ、と少しだけ考える素振りをしたピエトロは、すぐにポンと手を叩き、その綺麗な顔に納得の表情を浮かべる。

 

(そうか! 彼は数奇な運を背負ってるんだね)

(果たしてそれが幸運なのか不運なのかは、本人のみぞ知るってことさ!)

 

 モウカがピエトロの居る外界宿に馳せ参じることが決定し、出会う前までは二人して『不朽の逃げ手』というフレイムヘイズきっての有名人の話に花を咲かせていた。

 その話の中には多分な期待が寄せられており、その期待はモウカに実際に初めて会ったチューリヒの外界宿の会合では、尊敬の念となって言葉の節々に現れていた。

 ピエトロが言葉を発する度に、何故か苦笑をするモウカと、反対に爆笑をするそのモウカの契約相手の``晴嵐の根``ウェパルが妙にピエトロの印象に残った。

 『不朽の逃げ手』が発する存在感は、猛者特有の威圧感や圧迫感こそはないものの、幾多の戦いをくぐり抜けていきた先達者の貫禄を醸し出してはいた。

 『不朽の逃げ手』を目で見て、肌で感じて、期待通りだとピエトロは内心で微笑んだ。

 これで欧州もなんとかなる、と。

 ピエトロは自分でそう思いながらも、この表現もまた大袈裟であることも理解していた。強力なフレイムヘイズとはいえ、たった一人で欧州の地が守りきれるはずはない。常識ではなく、道理。現実である。 ははは、と軽く笑いながらピエトロの指示を否定する討ち手本人に、

 

「モウカに護衛なんて無理無理! 柄じゃないというよりは、全くの実力不足だよね。だってさ。自分の身を守ることすら出来ずに、逃げるの選択肢しか選べない情けない男なんだから」

 

 自らの契約者を侮辱するようなことを笑いながら平然と言う``紅世の王``。一人にして二人組の口から出る言葉の一言にピエトロは胸中では、言葉の意味を確りと吟味して、理解している自分がいながらも戸惑いの反応しか返せないでいた。

 彼のフレイムヘイズは噂に違わぬ強力な討ち手ではなかったのか。彼が役に立つと若いあの爺さんは言っていたのに。そう思わざるしかない言葉に、彼は『話が違う』と心の中だけで反芻していたのだった。

 ウェパルとモウカのやりとりには、ピエトロにとって幾つか理解に苦しむところがあったが、それ以上に、いや待てと言いたくなる衝動にかられる。

 

「ウェルの言葉は兎も角、それなら俺よりもリーズ向けだな」

「私に仕事を押し付けるきよね」

「いや、僕はそこの麗しいお嬢さんにではなくてね」

 

 あまり好ましくない展開だと考えたピエトロは慌てて二人の会話に口を挟んだ。

 ``篭盾``フルカスの契約者『堅槍の放ち手』リーズ・コロナーロ。彼女の名をピエトロが初めて耳にしたのは、モウカとの初対面の時と同じであり、必然と彼女の力をピエトロは知らない。けれども、そこにいる『不朽の逃げ手』と比べれば劣ることは容易に想像できる。何よりも、今この時発している存在の力の物量が全然違っている。

 存在の力が全ての力を示すものではないが、最も簡単に測れる物差しではある。

 それに今の比較対象は、先の発言で非常に怪しい力の持ち主であるが、有能で有名な『不朽の逃げ手』だ。彼より優れている者は数少なく、劣っている者は圧倒的に多い。だから、リーズのほうがモウカより劣っていると考えるのは当然であった。

 

「今回の護衛は、新人フレイムヘイズの訓令と``紅世の徒``討滅の鍛錬なんだ。アメリカで暴動が起きて初めてで、どの程度``紅世の徒``が勢いづいているか分からない。そのためにも」

「こちらの持つ、最大戦力を投下したいってことさ!」

「``紅世の徒``の勢いを挫かせ、味方の士気を上げるためにもね」

 

 最悪、『不朽の逃げ手』が優れた力を持っていなかったとしても、その名前があるだけでも十分に効果はある。``紅世の徒``とフレイムヘイズに欧州には未だに『不朽の逃げ手』が健在であることを表明できれば、名前だけでも十分な効果が発揮できるであろう。

 

(ただ、戦ってその力を存分に発揮してもらえれば、それ以上の効果も期待できるのだけどね)

 

 普通のフレイムヘイズなら``紅世の徒``との戦闘を用意すれば、両手を上げて喜ぶだろう条件なのだが、ピエトロはここまでのモウカとのやり取りで、彼が従来のフレイムヘイズの在り方とかけ離れていることを理解していた。

 その在り方が顕著に現れていたのが、この外界宿での彼の生活だ。

 緊急時の為に、出歩くことをなるべく禁じて、自由を半ば強制的に部屋へと押し込んでいるのに、文句の一つ、我侭の一つもピエトロに言ってこない。

 唯我独尊、自己中心的の言葉を地で行くフレイムヘイズにとって自由を奪われたのにも関わらず、このような謙虚な生活態度は、今もこの世で大暴れしているフレイムヘイズとは一線を画している。あまりにも品行優秀であった。

 この頃から、少し違和感を感じていたが、先の会話でようやくその違和感が取り除けた。

 

(彼はあまり戦いを望んでいないのかな)

 

 ありがちの戦闘狂とは違う、平和に生きたいフレイムヘイズ。

 そういったものをピエトロは感じていた。

 『不朽の逃げ手』の力を目にしたことは一度もない。噂では誰もがすごいフレイムヘイズであると称え、中でも彼の紡ぐ自在法──荒らし屋の代名詞ともなっている『嵐の夜』は大戦での活躍もあって名高い。

 だというのに、実は大した力を持っていないと言われても、にわかには信じがたい事実であり。ピエトロも一人のフレイムヘイズとして、彼の戦いを実際に目にしたいものだと考えていた。

 モウカの実力を自分の目で確かめて、噂の真実とやらも見抜こう。

 そういった意図もあり、より一層に彼には今回の護衛の任について欲しいと思っていた。

 あえて、モウカが戦いを好まないことに気付きながらも。

 しかし、その期待は簡単に、

 

「だから何さ?」

「モウカに事情を説明してなんとかなるとは思わないほうがいいよ?」

 

 裏切られてしまう。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 オンとオフを完全に使い分ける。

 自分の行くべき道を確りと見据えている。

 どんなことがあってもブレない。

 リーズ・コロナーロは新人フレイムヘイズの訓練している片隅で、モウカとピエトロの問答を思い返して、モウカに対する評価を改めて認識した。

 全く動じないモウカと初っ端からずっと笑っていたウェパルのコンビを、ピエトロはついには崩すことが出来なかった。

 リーズにとっては当然の結果。

 見えに見えていた、分かりきっていた結論。

 

(無駄なことなのにね)

 

 途中に何度か話を振られたとき以外はずっと聞いていたリーズは、常にそう思っていた。

 無駄。時間の浪費。無価値な会話。こんなのは最初から分かっていたではないか。モウカに何かをやらせたいなら、平和と安泰を保証する以外に有効な手段はない。

 

(でも、今度は私が来なくてはならない事情ができてしまった。成果を……結果を出さなくてはならないのよ)

 

 リーズだって、本当は来たいわけじゃなかった。

 モウカが自身の代わりに、とリーズを指名した時にはモウカを責める言葉を発したし。ピエトロがモウカを諦めた際に、リーズに目線が来た時にはすぐに拒否をした。

 

「嫌。その仕事が面倒そうなのも嫌な理由だけど、ここを離れるのが嫌」

 

 こことは外界宿ではなく、モウカの隣を指す言葉である。

 本当はこの言葉で押し切るつもりだった。この後に、誰に何と言われても『嫌』を貫き通して、絶対にここに居残る算段。例え、モウカに行けと命令されたとしてもだ。とはいっても、モウカの性格を熟知していると自負するリーズは、モウカがそんなことを言うとは思わない。命令調ではなく、嘆願くらいはしてきそうだとは思っても。

 リーズの読み通りにモウカはリーズに無理難題を押し付けることはなかったのだが、その代わりに聞きたくもない言葉を聞いてしまった。

 ピエトロがリーズとモウカの両者に依頼を断られ、哀愁に満ちた背中を見せながら退場した後、リーズとモウカも各々があてがわられた部屋へと戻り、一夜寝て次の日の朝を迎えた。

 聞きたくない言葉は、その朝、モウカの部屋の前を通った時に偶然耳にしてしまう。

 

『そういえば、リーズと一緒に居る価値ってあんまりなくなったよね。だって今までリーズは資金面で掛け替えのない存在だったけど、今ではドレルから資金調達は出来るし』

 

 いつもの呑気な調子の声から出るとは思えない、リーズにとっては恐ろしい言葉。

 モウカの事をよく知っているが故に、リーズがこの言葉の意味を深く理解することはたやすかった。

 だから、リーズは直ぐに行動に出た。

 リーズの足は自分の部屋へと戻らずに、真っ直ぐとピエトロの元へ向かった。

 こうして、護衛の任に着かなくてはいけない理由ができてしまった。

 居心地の良い場所を自ら確保するために。今の居場所を保持するために。そして何より、モウカが自分に利用価値を見出させるために。

 

「はあ……面倒なことこの上ないじゃない」

「ふむ、我がフレイムヘイズも、どこかの誰かに似て『面倒』なんて言葉をよく使うようになったな」

「しょうがないでしょ。ずっと一緒にいたんだから。私にとっては、もう生まれた時から一緒に居るように自然なの。あの人にとっては分からないけど」

 

 無条件では決して隣に歩ませてはくれない、誰かに文句を言うように言った。

 そこが彼らしいといえば彼らしいのだが、もう少し身内にも甘くなってほしいものだと。

 

「ふむ、フレイムヘイズとなって生まれた瞬間からずっと一緒だからな。生まれた時からというのも、あながち間違いじゃないと見る」

 

 フルカスの少し的外れな言葉の後には、もう一度リーズが深いため息をする。

 

「悩んでてもしょうがないわよね。いつも通り私もあまり考えずにお気楽にいきましょ。自分の力を存分に振るえるいい機会だと思って」

「ふむ、それがよかろう。あの者の下では、力を発揮するのは難しいからな」

「そうよ。あの人はいつも自分一人で何事からも逃げてしまえるんだもの」

 

 リーズは今も訓令を受けているフレイムヘイズ達を守るように一つの自在法を発動させている。

 封絶を張っていない彼女と彼らを囲むようにして見えない盾が囲み、彼らを``紅世の徒``の急襲から守ってくれる。見えない盾は相手の攻撃を防いでくれるだけに留まらず、盾に接触したものを槍で迎撃し、射出する。攻撃と防御の異なる2つの要素の両立を成した。『堅槍の放ちて』の代名詞となるはずの自在法。

 全てはモウカの足りない防御力を補い、足りない攻撃力を満たすために生まれた自在法。

 モウカのために使う日は未だに訪れていない。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「成功したみたいだ」

「みたいだよ。良かったね! 自分が行くことがなくなって」

 

 リーズが護衛のために出立した後、モウカは自室でほくそ笑んでいた。

 何が何でも、これ以上の厄介ごとを頼まれたくなかったモウカは、どうにかして誰かに仕事をなすりつけなくてはいけなかった。

 護衛なんて仕事は、モウカの自在法と自身の特性を考えたら全然適さない。逃げに特化した力は、自分の命を守ることこそ得意としているが、他人のことは省みていない。少数を守ることは、『嵐の夜』の力を考慮すれば、ある程度は出来ると考えても、やはりその使用目的は自身の身であり、危険となったら他者の命など考えるはずもなかった。

 ようするに、なにか問題が発生すれば護衛の仕事を投げ捨てて、新人のフレイムヘイズを見殺しにしてでも、自分だけが生きようとする。

 こんな男に護衛が出来るだろうか。

 考えるまでもなく、出来るはずがない。となれば、この仕事は誰のためにもならない。

自分が無理なら誰かに押し付けるよりほかない。自ら率先してやってくれて、守りに自信を持つ者が好ましい。

これは、モウカの代役となったフレイムヘイズが失敗すると、また話がモウカに転がり込む可能性を考慮し、失敗しない人材を選ぶ審査基準である。

するとどうだろうか。お手頃そうなのが一名いるではないか。

モウカはこの瞬間からリーズに白羽の矢を立て、一計を用いた。

 

「リーズに向けた言葉は嘘じゃないけどね。身一つのほうが逃げるのも楽なのは事実だし」

 

罪悪感を感じない楽しそうな声。

これが『不朽の逃げ手』の生き方。

三百年以上の長い時を弱い力で生きてきた弱者の在り方だった。

 

「だけど、今すぐ見捨てるなんてこともない。だってさ彼女も一応――」

 

――世にも珍しい俺の理解者だから

利用する時は最大限に利用するけど、と一人部屋の中で、本人には決して聞かさない言葉を漏らした。



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第四十四話

 モンテベルディを仲介して送られてきたドレルからの書類。定期的に送られてくるこれには、現在の欧州の世情が多分に書かれていて、申し訳程度に個人への世間話が書かれている。欧州の世情については、モンテベルディや俺の代わりに度々遠征に出ているリーズから直接話を聞いているが、欧州を取り仕切ろうとしているドレルの情報網のおかげか、その書類には誰からも聞いたことがない情報が幾つもあった。

 さしもの俺は名目上こそこのコーロを守り手だが、実態は引きこもりのような生活をしているに過ぎない。自堕落すぎる生活は誰にとっても何も生み出さないので、密かには活動しているものの表向きはほとんど現代のニートのような生活だ。

 だいたい、俺が必死に活動しなくてはならない状況に陥ってしまうほうが現状では問題だ。俺の今の立場には色々と思うことはあるが、現在の立場は俺がここの最後の砦のようなもの。俺が動く時は最悪の事態が発生した時。最弱のフレイムヘイズを酷使しなくてはいけないほどの、どうにもならない絶望が押し迫って来た時だ。

 そう考えれば、なるほど。俺が変に動かないほうが平和で安全じゃないか。

 コーロにやってきて、ここに居る妥協点をそうやって俺は見付け出した。

 本音を言うならば、外界宿はフレイムヘイズにとって最も安全な場所と言われていようが、一箇所に留まることの危険性があるし。ここ最近で有能性を見せつけている外界宿に危険視した``紅世の徒``が襲ってきかねない。いくら気配隠蔽の宝具『テッセラ』があるといっても、どんな不祥事から何が起きるかなど分からないのだ。

 それに、ここはあまりにも死から遠すぎるのも問題だ。

 死から遠いのは、死から逃げる俺にとってはまるで好都合のように思えるが、実はそうではない。過ぎた平和は争いへの抵抗力を失うように、死から遠ざかれば死への抵抗力を失う。俺の今までの不遇によって積まれてきた経験を失い、勘を無くしてしまう。そんなことがあるかもしれない。

 一日二日、一週間や二週間で容易く無くなるような軽いものではないが、その場で甘んじてしまえば、何れは無くなってしまうだろう。

 でも、それ以上にそんな生活は耐えられないだろう。

 ウェルがではない。ウェルもである。

 ようするに、俺が耐えられない。

 完全な平和なんかよりは多少の荒事があり、波乱が含まれる不完全な平和を俺は望む。

 と言いつつ、波乱は波乱でも命に別状ない適度な刺激がベストであると、俺は常々そう思う。何事も適度と適当こそが楽で楽しい充実した生き方だね。

 外界宿に寄りかかっている現状に甘んじること無く、時が来ればまたここを去る。けれども、今はここに居るしかない。どうしても嫌になった時、その時は力尽くでも抜け出せばいいだけなのだから。

 

「さてと、暇だからいつも通りにドレルの報告書でも読むとしよう」

「本当に退屈だよね。あーあ、何か面白い事起きないかな。例えば、ここに``紅世の徒``が襲ってくるとか」

「洒落にならないことを言うな」

「モウカが涙を流して逃げるのが眼に浮かぶよ。うん、いい目の保養だね」

「今から涙流していいか」

 

 それに目の保養ってどうなんだ。

 俺の内に納まっている``紅世の王``的には。そもそも目の保養の使い道はあっているのか?

 暇だからウェルの軽口に付き合いつつ、相変わらずこいつの感覚はよく分からないとため息を吐いてから、ようやく書類に目を通し始める。

 いつもと変わらない真っ白とまでは呼べない紙の色に、癖のある文字が書かれている。その書類を一ページ、ニページと進めて読んでいく。

 始めに書かれていたのは、世界各地の外界宿の状況。前に聞いたのと大きくは変わりなく。``紅世の徒``との小競り合いなどの小さな問題こそ尽きないようだったが、危険視していた``紅世の徒``の組織だっての行動は見られていない。あくまでも、普段よりは活発になっているくらいの変化にすぎない。

 これは俺がここでのらりくらり出来ていることこそが証明になるだろう。うん、平和でよろしい。

 知っている情報が載っているページはさらりと流し読みしつつ、ページをめくっていく。いつもなら、ここらでページが途絶えてもおかしいのだが、余っている紙の枚数がいつもの数倍もあることにここで気づく。

 気付くの遅いと思う事なかれ、何気ない動作で暇つぶし程度で読む行動は、朝の新聞と同じ要領で読むのに等しい。つまりは新聞のページが上下したとしても、それに気付く人間は数少ないのと同じ事。

 何か面倒事でも起きたんじゃないだろうな。

 訝しながらもここで読まないなんて選択肢があるはずもなく、少しだけ緊張した趣きでページを捲った。BGMのつもりなのか、ドクンドクンと声に出して俺の心臓音を見事に再現して言うウェルが鬱陶しい。楽しそうに言うのが、とても嫌らしい。

 ウェルの言葉のおかげか少しだけ緊張が解け、ページを進めると真っ先と目についた文字は、

 

「神?」

「うわー、しかもあの噂好きの神だね」

 

 神と呼ばれる``紅世の徒``と、封絶に関するレポートだった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 神の存在は多種多様である。

 世界の最大宗教であるキリストだって、イエスを神にしたりしなかったりとすでに割れていたり。二番目、三番目に大きな宗教であるイスラムやヒンドゥーといったように、神と一言言っても崇拝する相手が異なっていたりする。日本を例にあげてしまえば、八百万の神と称し、ありとあらゆる全てのものを神に仕立て上げてしまっている。

 あまりに多すぎる神の定義のために、神の存在は人間にとっては偶像的で、人間が及びもしない遠い存在のように感じるが、とても身近な存在であるともいえる。

 とはいえ、多すぎるために存在も曖昧で定まっていないのも神の特徴といえるだろう。

 これが人間における神だと俺は思っている。

 

「``紅世``にも神はいるよ」

 

 とウェル。

 いつだったか、``紅世の徒``の数や種類について問うた時に聞いた言葉。ウェルのような快楽主義、愉快主義でフレイムヘイズの使命をなんのそのとかっ飛ばす``紅世の王``もいれば、そればかりに固執する``紅世の王``だっている。楽しいからの一言でこの世に顕現し、好き勝手に人を食い荒らす``紅世の徒``だっている。彼らがどの程度存在していて、どれほど危険で、どんな可能性を満ちているのか興味を持たない方がおかしいし、敵になる可能性のあるモノの情報を事前に体に入れようとするのは当然の成り行きだ。

 俺の問いにウェルは楽しそうに答えた。

 

「無駄だよ。無駄。私たちは常に消えたりするけど、常に生まれもする。人間と同じ。だから、全ての私たちを特定し、全てを知ることなんて無理」

 

 そう言われてしまえば、不可能なのだろう。

 だが、この言葉には続きがあった。

 ウェルは、だけどと言ってから、

 

「ある種の区別はある。``王``と``徒``は種別ではないけど``神``と``徒``は少し在り方が異なる」

「それは``紅世の徒``が神と崇拝しているってこと?」

 

 神の存在が``紅世``にある事自体に驚きを隠せなかったが、あると言うのならばあるのだろう。人間は超常的な存在を神と仮に称している節があるが、``紅世``でもその法則が一緒なら、一体どれほどの力を持ってして、崇拝され神と呼ばれているのか。

 空恐ろしくて考えが及びもしない。

 ただの人間に力を与えて、これほどまでの奇跡を呼び起こしているというのに。

 ウェルはあははと軽快に笑う。

 

「崇拝なんてするわけ無いじゃん」

 

 ですよねーと思わず言ってしまいそうだった。

 ウェルが誰かを敬い、奉っている姿なんてとてもじゃないが、``紅世``の神様以上に想像できない。

 崇拝してたとしてもそれはきっと、お笑いの神様とかそんな存在だろうな。少なくともまともな神ではない。

 

「人間の神みたいにいるのだかいないのだか曖昧ではない。``紅世``で神と呼ばれる``紅世の徒``は確かに存在しているんだよ。姿もあって形もある。意思もあれば意義もある。実際にどこまでも現実的に存在している存在」

 

 人間の信ずるところの神とは根本的に違うらしい。

 今までも言っての通り、人間の神は不確定。存在自体が怪しすぎる存在。はっきり言うならば、いると言えば、居るのかもしれない。居ないと言えばいないのかもしれない。誰もその存在を証明できないものだ。

 ``紅世``の神はそれとは完全に違うとウェルは言っているのだ。

 不確定どころか明確。確定情報しか無い。

 それが神であると定まっている。

 一つの存在、一つの種別として。

 

「だから、人間の神とは在り方が違う。私達にとっては神は崇拝するものなんかではない。私だからって崇拝してないってわけじゃないんだから、勘違いしないで」

「でもさ、ウェルの場合はその``紅世``の神が人間と同じように崇拝するような存在でも崇拝しないでしょ」

「もちろん!」

 

 自信満々に、声高々に、威張って言った。

 なら勘違いもクソもないじゃないかと俺は突っ込むことはしなかった。

 今更、分かりきってることだしね。彼女の為人は。

 

「ん、待てよ」

 

 ウェルのさっきの言葉に一つ違和感を感じた。

 ``紅世``で神と呼ばれる``紅世の徒``? 神は神であって``紅世の徒``とは違うのでないか?

 俺の疑問をあっさり見抜いたウェルが一言。

 その二つの関係は``王``と``徒``の関係にほぼ等しい、と。

 この2つの関係は、語るまでもないだろうが、単なる知名度と持ち得る存在の力の差にすぎない。種別でなく区別であり、他より多くの力を持ち、その力を奮って名をある程度馳せたものには称号として``王``と呼ばれるようになっているだけ。

 種としてはどちらも変わりなく``紅世の徒``である。

 それと同じというならば、``神``は名からして``王``よりも更に優れた存在。ぞんざいな言葉なら``王``のすごいバージョンとでも言うべきか。

 かなり雑な解釈であることを承知しながらも、ウェルに確認を取る。

 

「間違ってないかな。うん、間違いじゃない。確かにあいつらは強い。その力の一端はモウカも見たことがあると思うけど」

「見たことが? うーん……」

「あと、付け足すと。神を簡単に言うなら、ちょっと変わった『特殊能力を持つ``紅世の徒``』っていう感じかな」

 

 なんだか易い表現だけど、分かりやすい。特殊能力持ちね。

 ウェルが俺も神を見たことがあるというので思い出してみたが、すぐに結論が出る。

 俺は神を直視した記憶はないはずだ。

 いや、神と言っても``紅世の徒``とそこまで変わりないのなら、敵として、または味方(フレイムヘイズ)として見たことがあるのかもしれない。

 敵として印象に残っているのは……やっぱりあの迷惑王だが、強さとして記憶に残るのはあれしかいない。

 大戦の発端である``棺の織り手``アシズ。

 あれの存在の力の量は俺の現在過去を通して最大級である。他に類を見ない膨大さであった。

 

「すごかったけど、忘れてるよね。``棺の織手``は『都喰らい』によってあそこまで上り詰めたんだよ」

 

 そういえばそうだった。あれさえなければもう少し、楽に生き残れたし、俺の知名度がここまで上がることがなかったのだろうな。

 ならば、味方として圧倒されたのはあの人しか居ないだろう。欧州最強の名を誰もが認める天上天下最強のフレイムヘイズ。

 最古のフレイムヘイズと呼ばれたあの巨神兵もどきも、劣らないと俺は思うのだが、なんというか悩むがオーラが違う気がする。あの人は雰囲気だけでも圧倒される覇気を纏っていた気がするんだよ。

 出会った中で神に値しそうなのは、彼女。

 

「『炎髪灼眼の討ち手』……死んじゃったけどマティルダさんとか? あの人とタッグを組んでた『万条の仕手』の方も強かったけど、マティルダさんは雰囲気で格が違うイメージがあるんだけど」

「せーかーい! そう、『炎髪灼眼の討ち手』は``紅世``真正の魔神。``天壌の劫火``アラストールは天罰神と呼ばれる神。『炎髪灼眼の討ち手』が``棺の織手``を倒すことが出来たのは、その契約したアラストールの天罰神たる力のおかげだしね」

「天罰神?」

 

 役職のような名前だな。

 名の通りに天罰を司っているのだろうけど、この言い方ならば他にも何かしらを司っている神がいるってことになる。

 これは神が複数いることを示めしている。

 

「天罰神は数ある神の一柱に過ぎない。私がさっき言った噂好きの神は、堅物の天罰神とは違う神。導きの神と呼ばれてる」

「導きの神、ね。天罰神に比べて随分分かりづらいね。それが今回現れたのはどういう意図なのか」

「それを報告したのがその書類なんじゃないかな」

「あ、そっか」

 

 すっかり忘れていたよ、書類の存在を。

 俺が書類の存在を忘れてしまい閉じてしまったので、一枚一枚捲りながら、先ほどのページまで遡っていき、ようやっと神の文字が初めて出てきたページまで戻ってきた。

 まず最初に書いてあったのは簡素な結末だった。

 アメリカにて導きの神``覚の嘨吟``が神威召喚される可能性がある、というもの。

 以下には、その理由が幾つも書かれている。

 一番の理由には、アメリカでの戦いが上げられている。

 封絶が存在しなければ、アメリカでのフレイムヘイズ同士の戦いで、こちら側は人間社会に手を出すな、報復するなと言っているにも関わらず、多くの人間を巻き込んでいたことが簡単に予想される。

 しかし、封絶があるおかげで人間への干渉を妨げられ、今に至るまで人間への被害は全く出ていなかった。

 奇跡に等しいこの『封絶』の活躍は、あの珍しがりの目につくものであろうと書かれているのだ。

 ウェルはその文を見て、うんうんと肯定して、いきなり「あ」と声をあげた。

 

「分かったよ、モウカ! あの``螺旋の風琴``がモウカだけに『封絶』の自在法を教えた理由が。そうか、うん、それなら予想がつく。いやー、なんていうかこの展開まで予想してたのかな?」

「おい、ウェル。一人で納得してないで教えてくれないか」

「いいけど。そうだねー。簡単に言うなら……モウカは、利用されたんだよ。友人だから特別に教えたのではなく、心算と打算の下でそうなったに過ぎないってことだね」

 

 意味が分からないぞ、ウェル。

 俺はこう頭脳派に見えて、全然そんなこと無いのだから、遠まわしに言われてもうんともすんとも引っかからない。

 訳が分からないの一言で終わってしまうぞ。

 俺が全く理解できていないのを分かってか、ウェルはまあまあと言って宥めてくる。

 

「結論から言うよ。``螺旋の風琴``はモウカにはフレイムヘイズに『封絶』の知名度を上げて欲しかったのは事実だよ。ただ、それだけじゃ革命に至るまでにはならない」

「そりゃね。一介のフレイムヘイズに出来ることなんて限られてるし。例え、フレイムヘイズに広まっても``紅世の徒``にも広がるかなんて分からない」

 

 封絶はどちらかと言えばフレイムヘイズの方が得をする自在法のように思える。

 勿論``紅世の徒``にも利便性はあるのだが、それを理解するのにはそれなりの時間を要するだろう。その時間はたった数十年ではなく、もっと大きな時間が必要だ。

 変革を起こすまでにはそれほどの時間がかかり、常識とするには更に時間のかかること。

 だから、俺が「便利だよー」「戦闘の度に必ず張ってね」と言った所で、それが守られるようになるのは、果たして何時になるか。下手すれば守られるようになる日が来ないかもしれないのだ。

 封絶は革命を起こすことを確信しているが、それがどれほど難しいことかも知っている。

 

「そう。だからね、``螺旋の風琴``はモウカには広めるための下地作りをしてもらうことにしたんだよ。ある人物が目をつける程度になるまでの下地作り──噂作りを、ね」

 

 ここまで言われて、ようやく分かった。

 ``螺旋の風琴``にまんまと利用されたと理解した。

 何が「さて、なんのことやら」だ。完全な俺の勘違いじゃないか!

 俺はこのやり場のない気持を沈めるために、部屋を勢い良く飛び出してどこかへ走りだした。

 寂しいテーブルの上には、くしゃくしゃになったドレルからの書類だけが乗っていた。



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第四十五話

 頭を冷やして冷静に考えれば、利用されていたとしても所詮は命には関わらない事。裏切りと表現するにはいくら何でも大袈裟すぎるし、最初に教えてもらったメリットは確かにあった。

 そのおかげで、誰よりも早く『封絶』の対処法を生み出すことが出来たので、それで利用したことはチャラにしようではないか。

 なんて言うと、とっても小物臭がする。

 大丈夫、間違ってない。

 少なくとも俺は大物や大器とは言えないような人間だし、生き様をひたすら晒すような人生なので、小物と言われても否定しない。いつも逃げ腰なのは真実そのもの。

 ただやっぱり、リャナンシーの真意を俺の頭では理解出来そうにはない。ウェルはどことなく理解したふうな発言だったが、果たしてそれがどこまで合っているものか。甚だ怪しい。

 俺もあの神を喰い付かせるように仕向けたのは、間違い無いとは思う。これが本当の神頼みとかいうやつなのかもしれないな。

 俺も願ってみようかな。平和な世界にしてくださいって神に。

 

「叶うはずもない願いはさておき、続きを読むか」

「紙はもうくしゃくしゃだけどねー」

 

 むしゃくしゃしてやってしまったくしゃくしゃの紙を、破けないように丁寧に皺を取りながら広げてページをめくる。所々に、穴が開いてしまって読みにくかったが、自業自得なので文句の言いようはない。

 神について書かれている項目まで飛ばし、その先に書いてあったのは封絶の成果。

 欧州のフレイムヘイズの浸透率ははっきり言えばいまいち。封絶を推奨しているのは外界宿であり、そこに定期的に通うようになっていたり、積極的に利用しているフレイムヘイズの絶対数がまだ少ないため、これはどうしようもない結果だ。

 やはり古くからの一人一党のフレイムヘイズの悪しき風習の改善の難しさが垣間見える。尤も、ドレルが協調性を唱え始めた時の絶望的な状況に比べれば、順調といえる成果ではある。

 今のところのドレルが上げた最大の成果といえば、各外界宿との連携が不完全ながらも出来始めていることだろう。

 その結果、ただのフレイムヘイズの溜まり場と化していたものが、徐々にだが組織として機能するようになっている。ここに至るまでの努力は何もドレル一人に限らず、俺が現在務めているコーロの協力も大きなものだっただろうと思う。

 その見事な連携プレイの結果、俺がこうして巻き込まれているのも欠かせない事実だ。

 くそぉ覚えてろよ! と愚痴をこぼすのも忘れてはいけない。本人達のいない所でしか愚痴を言う事を出来ないこの無力な身が恨めしい。

 すっかり外れてしまった思考を戻すためにも、紙に書かれている内容に集中する。

 欧州での成果とは別に、アメリカでの成果は多大なものであることが示されていたが、これ自体は神の項目にて既出のため割愛された内容だった。

 その内容にも書かれていたのは、人間への隠蔽と不干渉の徹底化に成功した事。かつての大戦の時のように、戦場の被害が人間に及ぶ事無く、地殻変動も起きない、ある意味では人間に平和な戦いとすることが出来ていたようだった。

 身内の暴走を止めに行ったのに、結局人間にも被害を出してしまいましたでは笑い話になってしまうから、この成果は``紅世の徒``にとってはどうでもいいかもしれないが、フレイムヘイズには大きな成果。これからの戦いの吉兆を表すものになる。

 あとは……

 

「あとは、あの神が``紅世の徒``に宣伝するだけと」

「うん。それについてだけどもう問題ないよ。今まさに」

 

 ──受信した

 なんともまあタイミングの良い神だ。

 今、この世界に居る``紅世の徒``と``紅世の王``と契約したフレイムヘイズが歴史の立会人となった瞬間であった。

 かくして、神様のありがたーいお言葉により、全世界の``紅世の徒``とフレイムヘイズに『封絶』の存在が認知され、これが戦闘における際の常識的な自在法になるだろう。

 ここに至るまでは大した時間を必要とはしないはずだ。それこそほんの数年、もしかしたら数ヶ月で常識になるかもしれない。

 ``紅世``の神の影響力はそれほどまでにすごいもの、とウェルは言う。

 街一つの存在の力を全て吸い上げて肥大化しすぎた``紅世の王``を、顕現さえすれば一撃で倒せるほどの力を持つような神々だしね。その影響力は確かにすごいのだろう。

 今も常識となっている幾つかの自在法も、かの神の御触れによって成されたというのだから、これでリャナンシーの目的も達成できたことだろう。

 封絶の形式化によって世界がもう少し平和になれば、俺も願ったり叶ったりだ。

 

「これで、モウカもまた一躍有名になるね」

「は? なんでよ?」

 

 ウェルの唐突な言葉にうっかり何も考えずに言葉を返してしまった。

 しかし、俺のその言葉にはあえてウェルは答えを返さず、ふふふと気味の悪い含み笑いをするのみ。暗に、面白い事だから自分で考えてみろと言っている。

 うーむ、と唸りながら考えてみる。

 何故一躍有名になるか。

 封絶自体を考えついたのはリャナンシーだ。当然のことながら、その事についても神が直接公示した。俺はリャナンシーに直接封絶を教えてもらい、それを少数のフレイムヘイズに教えただけ。たったそれだけだ。

 いやまあ、多少教えただけでアメリカでの戦闘は大きく様変わりしたり、おそらくは神に興味を持たれる要因の一つとなった訳だから、これが理由と言えば理由なのか?

 だが、その事について神の言葉で触れるようなことはなく、単に封絶という自在法がリャナンシーによって編み出されたよ。これで人間との不干渉がより効率的に保たれるね。と言った、単純といえば単純なものだった。

 これは俺が分かりやすく簡略化したもので、実際はもっと重々しく、中々に理解しづらい言葉だった。なんで偉い人の言葉って、そう難しくする必要があるのだろうか、と場違いな感想を抱いたりもしたが、今は関係ない。

 

「分からないならいいよ。そのうち分かると思うし」

「分かりたくないな」

 

 これ以上の知名度は正直いらない。全くいらない。全然いらない。

 本当は今ある知名度だっていらないのだ。

 利用できる分には利用しているが、将来的に身も心も疲れ、楽しみはなんてどうでもいいから隠居したいなんてことになった時に支障をきたす恐れがある。

 そうでなくとも、色々と危ういのだ。変な期待をされたり、会う人会う人に勘違いを解いたりしなくてはいけなくなるかもしれない。余計な手間だし、話をするのが気まずくなったりするのは目に見えている。

 

「まあいい。まあいいさ。今はそれよりも早く終わらないかな、アメリカでの戦いは」

「自由に旅に出てた日が懐かしく思えるよね」

「ドレルに会ってからか……こうも縛られてるのは」

 

 彼が並のフレイムヘイズであれば、俺は力技なりなんなりと、魔の手から逃げ果せることが出来たのに、ドレルはいろんな意味でやり手。俺にあの手この手で仕事を押し付けたり、言いくるめられたりされて、いいように利用されている気がするのは気のせいじゃないはずだ。

 どうして、俺の居場所が分かるのだろうか。すごく疑問だ。

 俺は``紅世の徒``だけでなく、フレイムヘイズに対してだって身を隠すように生きているのに、彼からの連絡はちゃんと行き届く。もしかしたら、俺専用の監視網でもあるのだろうか。

 本当にありそうな所が怖い。

 もうちょっと未来なら、発信機やらGPSやらで居場所を掴める機会があるが、今の時代にはない。あるとすれば、監視するような自在法か……ありそうだ。とてもありそうなのが、更に怖い。

 

「頼られるのは悪い気はしないんだけどね」

 

 この身は人外なれど一人の人として。他の人に頼られるのは、中々どうして心地の良いものだ。自分自身で、他の人の役に立てられるような実力がないと思っているから、余計に。

 それでも、厄介ごとが含むのであればなるべく遠慮したい所ではあるのだけど。

 気まぐれで、気分転換に。その程度の気持ちで挑めるような依頼やらお願いごとなら、喜んでとまでは言わないが、暇つぶし程度に手伝うのもやぶさかじゃない。

 だというのに、俺の力が頼られるのは何を間違ったのか戦場やそれに準ずるものばかり。もっとおじいちゃんの肩たたき的な和むお手伝いはないものか。

 ……でも、これでは頼られてもあまり喜べないかもしれないか。お小遣いは貰えそうだけど。

 そうか。部活動の助っ人的なお手伝いが実に良い。命の危険もない、頼られ甲斐もある。達成感まで付いて来そうだ。

 

「それは命の危険がなければいいんだもんね?」

「ああ、それなら何でもいい。命さえ失わなければね」

 

 ある程度のリスクならば望むところさ。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 一八八○年。いよいよ十九世紀もあと少しで終わりを告げようしている。だのに、未だにアメリカでは戦い──戦いに名をつけるのも馬鹿らしいとされ、単純にアメリカでの身内同士の戦いは内乱と呼ばれるようになり。終わりの兆しを見せつつもまだ終わっていない。

 遠いここ、欧州の地では、今も忙しなく『モンテベルディノコーロ』と『ドレル・パーティ』が平和の為に身を尽くしている。俺も一応は、パーティとコーロの双方の位置に立つ特殊な立場にいる。

 一応、俺がここに居る意義としては、欧州の重鎮たる『不朽の逃げ手』がどんと構えていること自体に意味合いがあるので、何か急用がない限りは特にこれといってする必要はない。

 ここに着任当時は、ピエトロに例外のお願いをされたが、それを俺は難なくかわすことには成功した。

 そのお願いを事を率先して受けたリーズが帰ってきてから、仕事でのエピソードを楽しそうに、自慢するように語っていたのは比較的記憶に新しい。

 女の子らしいというか、子どもらしいというか、「ねえねえ」と笑いながら甘えるその姿は歳相応で、無骨な武者が多い、外界宿では俺の癒しの対象だった。

 だって、フレイムヘイズには女性も多いが、誰も彼もが女傑と言った感じだし、レベッカなど一人称からして俺。特技は爆破。女の子らしさの欠片もない。美人ではあるのだけど。

 そんな彼女らとリーズを見比べれば、そりゃあ天と地ほども差があるというものだ。

 無論、そんなことを猛者たる彼女らに直接言ってしまえば、身を滅ぼされてしまうので言わないが、俺からすればもう少し花を持って欲しい。お淑やかさを身に付けて欲しい。

 ピエトロならそんな彼女らは、戦場に咲き乱れる花もまた美しいとか言うのかもしえないが、彼女らは戦場にしか咲かない花。戦場でこそ咲く花。

 戦場では、散っていくことしか出来ない枯葉のような俺とは相容れないのかもしれない。

 その戦場とは程遠い、この執務室暮らしももう慣れたもので、テーブルやら本棚やらに愛着が付きそうだった。

 十五年。

 このコーロを補佐するためにやって来て、着任した年数でもあるし、内乱が続いている年数でもある。俺の歴史に比べたら非常に短いが、戦闘期間としては非常に長い。つくづく、アメリカに向かわなくてよかった。あの時のドレルの二択で、猛者がたくさんいて俺を守れそうな人がたくさんいるからとアメリカを選択していたら、そんなにも長居時間を戦いに囚われていたらと思うとゾッとする。

 この十五年で、俺の身に危機が訪れることはなかった。

 ウェルなんかは「つまらなーい」なんて駄々をこねる。肩透かしと言われればそうなのかもしれないが、俺はそこにはさすがに待てと突っ込む。そう毎回毎回、何かに巻き込まれていたら身が持たないどころか、命が持たない。

 日常が平坦すぎるのは俺も問題だとは思うが、この時期にわざわざ身を危険に晒す必要もないだろう。今は休息日。戦いに明け暮れた日々で酷使した身体を休めるいい機会だ。

 俺の場合は酷使しているのは、身体よりも精神面かもしれないが。

 リーズはというと、

 

「平和ね」

「ああ、そうだな」

 

 俺と平和であることの喜びを共有していた。

 ウェルとは大違いだ。

 アメリカでは内乱だ、ここでは平和だなんだと言っているが、たった十五年で世界は大きな様変わりを見せている。この世界とは人間社会ではなく、フレイムヘイズと``紅世の徒``の世界だ。

 理由は言うまでもなく一つの自在法。封絶によって。それも良くも悪くも。

 封絶によって一般的にフレイムヘイズと``紅世の徒``の双方に良い影響が出たのは、本来の用途通り人間社会との隔離が上手くいき``この世の本当のこと``の露見をより確実に防げるようになったこと。``紅世の徒``は人間にその暴挙を気付かれなくなるし、フレイムヘイズは人間への影響を減らすことが出来る。

 これらが一番に現れた成果であり、封絶の存在意義が証明されたことにもなった。

 これは俺にとっても、悪く無い話ではある。

 何と言っても、これで『嵐の夜』で人に被害を出すことが無くなるのだから。人目を気にせず気負わずに使えるようになる。使う場面かこれからも、厳選していくけど。

 しかし、良いことばかりではなかった。

 一種の宗教とでも言うべきか。

 彼らは自らを『革正団(レボルシオン)』と名乗り、運動を始めた。

 

──反封絶運動

 

 人間に、世界に自らの存在を知らしめようとする``紅世の徒``の大集団である。

 

「俺にとってはどうでもいいんだけどね」

 

 平穏を望む俺にとっては、実はそんなのはどうでもいい些事に過ぎないとこの時は思っていた。



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閑話三

 欧州はスイス一番の都市、チューリヒ。その地には欧州の総元締めといえる外界宿がある。その外界宿の中でもこじんまりとした会議室。会議室の室内には、古ぼけた長方形型のテーブルが二つ向き合って存在するだけであり、一応会議室としての機能を果たしていた。

 

「お互いご苦労様だったね」

 

 その会議室で、皺を鋭く刻んだ老人が、向かいに座っている垂れ目の美男子に労いの声をかけた。その声は到底老人のものとは思えないほど凛々しく、相手に向けている眼にはエメラルドグリーンの強い光が宿っている。

 親と子以上の歳の差を感じさせる見た目の二人だが、その老人の言葉に美男子は気さくに『お互い様さ!』と若く元気な言葉を返した。

 

「もーっ、ドレルったら今回無理ばかりしたのよ! いくら不眠の出来るフレイムヘイズの身でも、もう少しばかり寝て欲しかったわよ!」

 

 たった二人しかいないと思われた会議室に、彼ら以外の声が響く。

 耳に残りそうな甲高い声。この声は、ドレルがテーブルに支えて置いてあるステッキ──神器『ブンシュルルーテ』と言われる、この老人……フレイムヘイズであるドレル・クーベリックの内に宿す``紅世の王````虚の色森``ハルファスの意思を表出する器物である。

 

「その分、平和のありがたみが分かるってものだよ!」

 

 美男子──ピエトロ・モンテベルディの持つ懐中時計型の神器『ゴローザ』から``珠漣の清韻``センティアの明るくも野太い女性の声が言った。

 この会議室には二人にして四人が集っている。

 それも各人が、『ドレル・パーティ』と『モンテベルディノコーロ』という外界宿の顔役。現在のフレイムヘイズの組織のほぼ全てを体現する二人が揃っていた。

 労った内容は言うまでもなく、

 

「ようやく内乱も終わって、実に良かった良かった」

 

 終結した内乱のことだった。

 ピエトロの陽気な声はいつものことではあったが、その言葉には心から安堵の色が混じっている。ドレルは無言で頷き、ハルファスとセンティアは声を出して同意した。

 フレイムヘイズの誰もが疲弊した内乱。誰の得にもならない無意味な戦い。当事者たる『大地の四神』こそは大層な意義があったかもしれないが、欧州に居るフレイムヘイズ──それも『大地の四神』とは縁が遠く、実力者たちとも疎遠な者には余計に意味のない戦いであっただろう。

 そんな無縁な彼らが何故、疲弊したか。

 その要因もまた内乱にあるのだから、欧州のフレイムヘイズ全てに縁が全く無いと言えば嘘になるのかもしれない。

 数少ない猛者が説得にアメリカへ渡ったために、ポッカリと空いた欧州の穴を誰かが埋めなくてはならない。無論、埋めるのは残っているフレイムヘイズを他においていない。

 実力乏しき彼らでは、猛者あってこそ仮初の均衡が保たれていた欧州の地を守り切ることなどできない。それでも、守らなければいけないのはフレイムヘイズの使命というもので、無理をしてでもなんとかしなくてはならなかった。

 だが彼らだけでは、無茶をしても守り切ることは出来ない。ここぞとばかりに``紅世の徒``が、己が欲望を満たすために欧州は混沌の地となり下がっていたはずだった。けれども実際にはそうはならず、猛者たちの留守の間をしっかりと番してみせた。

 その理由は間違いなく『ドレル・パーティ』と『モンテベルディのコーロ』にある。

 残った弱小のフレイムヘイズたちを守護し、組織することにより、欧州の地に均衡を保ってみせた。

 

「これで私も安眠できる」

 

 今では欧州で知らない者がいないと思われるドレルの本音。

 健康とは程遠い生活をここずっと強いられて、身も心も老人のように枯れ果てそうだった。

 ドレルの不用意な発言に、彼のパートナーたる``紅世の王``は『死ぬみたいな発言はやめて』と少々気にし過ぎな声をあげ、これにドレルは苦笑しつつもごめんと謝る。その一連のやりとりにピエトロは声を出して笑って言った。

 

「平和なことは善きかな!」

 

 平和という単語にドレルはぴくりと眉毛を動かす。

 

(そういえば、平和を愛して求めて止まないあの男は今どうしているのだろうか)

 

 こちらの勝手な都合上、今回のこの内乱に巻き込んでしまった友人のことを思い出し、すまない気持ちになりながらも、『不朽の逃げ手』についてドレルはピエトロに尋ねる。

 ピエトロは、その名前に『ああ、彼ね』と朧気ながらに反応しつつも、ドレルに丁寧に答える。

 

「結局、彼の実力を拝む機会はなかったよ。残念ながら」

 

 ピエトロはフレイムヘイズとしての気持ちを踏まえた答えを返した。

 

(本人にとっては喜ばしいことなんだろうね)

(ねーっ、あの人なら今頃手放しで喜んでいそうよね!)

 

 簡単に目に浮かぶことの出来るその光景にドレルは心の中で、孫の微笑ましい有り様を見ているかのように優しく温かい笑いを浮かべる。歴戦のフレイムヘイズらしからぬ、それ以上にフレイムヘイズらしからぬ、見た目通りの精神年齢の青年。

 なんだかんだで大変な目にあっては慌て、助かっては全身で喜びを表すその姿が、実はドレルはお気に入りだった。

 ドレルは自己分析する。

 もしかしたら、その様を見たいがためにモウカを厄介ごとに巻き込んでいるのかもしれない、と。

 

「いや、それでも十分に驚かせてもらったよ」

「そうさ! あの珍しい物好きよりも先に『封絶』を知らしめ」

「フレイムヘイズに教示したんだからね」

 

 ``紅世の徒``を介して世界中にその存在を広めたのは導きの神。

 その存在を創造せしめたのは``紅世``最高の自在師``螺旋の風琴``。

 これは導きの神により断定された事実である。

 内乱の影の立役者は、誰もが口を揃えて外界宿であると言うだろうが、内乱の被害そのものをここまで食い止めたのは何のおかげかと議題に上がると、誰もが『封絶』であると断言する。

 ならその成果はどこにあるか。

 封絶を作った``螺旋の風琴``だろうか?

 そもそも彼女は創造者とはいえ、敵対関係の``紅世の徒``だ。

 ならば彼らは自尊心、プライドを含め、あくまでも自分たちの中から英雄を作り上げようとする。

 『封絶』を最初に教示したのは誰だろうか。

 元を辿っていくと、とあるフレイムヘイズへと辿りついた。

 そのフレイムヘイズは『大戦』でも活躍し、数多の事件において中心となり解決にあたった歴戦のフレイムヘイズ。欧州にて名高いそのフレイムヘイズは今回の英雄として祭り立てるには十分なビッグネームだった。

 誰よりも早くフレイムヘイズに実用させようと流行の最先端を行き、『内乱』で人間に被害を出させなくし、アメリカの地で間接的に人間を護ることとなった。そのフレイムヘイズの名は『不朽の逃げ手』モウカ。

 ここに、内乱での表と裏の立役者が揃うこととなった。

 その事実にドレルは一言、

 

「難儀なものだ」

 

 同情にも似た言葉をドレルは呟いた。

 ドレルはモウカを自分以上の変人であると認識している。それはフレイムヘイズとしてでもあるが、人間として考えても、やはり異なっている。生への執着は確かに凄いものがある。それこそフレイムヘイズの中ではトップに君臨するほどの執着心だ。他に類を見ないと言っても過言ではない。

 これらの要素は十分に変人の域に達しているが、実際に凄いのはそれを実現し、生きていることだ。

 生きたいと思う人物ほど死んでいき、死に場所を求めている人物が死に切れない。このような暴挙が、理不尽が平然とまかり通る世界で、我を貫き通して尚も曲げずに潰えない。

 世の理不尽さに抵抗する力はもはや天井知らず。

 その力にドレルは異常性を見出していた。

 

(神に愛されてこうなのか。それにしては、彼にはいつも神が憎しみを込めているとしか思えない事柄が起きるが)

 

 やはり奇っ怪だ、とドレルはモウカに対する感想を締めくくる。

 

「確かに難儀だ。封絶なんて便利なものが出来たのに、それを否定するものが現れるなんて」

「全くありえないってわけじゃなかったさ」

 

 ドレルが吐露した難儀を全く違う意味で捉えたピエトロは、世を嘆くように言った。ピエトロがおふくろと言って敬っているセンティアは、息子を慰めるようにピエトロに言葉を返した。

 導きの神が肯定した封絶を否定する者たち。

 封絶とはこれまで以上に人間と``紅世の徒``が離別するきっかけにもなる自在法。これは幾つかある封絶の利益の一つだ。人間と離別されることにより``紅世の徒``と人間が接触する機会が減る。また、人間が``紅世の徒``を認知することも減る。これにより人間の歴史とこちらの歴史が混じり合うことが無くなる。

 これは``この世の本当のこと``を隠蔽するにはこれ以上ないほどに都合の良い事だ。発覚するきっかけがなくなれば、発覚そのものが困難なものになるのだから。

 そこに異議を唱えたのが自らを『革正団(レボルシオン)』と名乗った``紅世の徒``の集団。

 新興宗教といって差し支えない彼らは、自らの存在が隠蔽され、人間の歴史から消えることをよしとしなかった。

 彼らの訴えは、それまでにあった``紅世の徒``とフレイムヘイズの暗黙の了解を平然と破るような奇行そのものだ。

 そんな彼らからすれば『封絶』の自在法は邪魔そのものであったという訳だった。

 今は小規模ながらで、大した騒ぎではない。ボヤ騒ぎ程度。まだまだ大火事にはなっていない。

 

(しかし、それも時間の問題)

(どんどん、報告が増えて……またドレルが眠れなくなっちゃうよ!)

 

 ドレルは見当外れな相方の言葉に苦笑をしつつも、心配をしてくれたことに礼を言う。

 ドレルとしては寝れなくなる程度で終わるなら大万歳と考えていた。不眠で働いて無事に終わるのであれば、寝ないで頑張るまで。だが、今回のこの一件は、どう考えても争いになる未来しか見えない。

 過去、現在。いくつもの宗教が生まれて入るが、宗教間の争いは絶えぬものだし、下手をすれば宗教内でも派閥や考え方、捉え方の違いで争いが当たり前のように起きる。

 『革正団(レボルシオン)』は封絶を悪しきと唱える宗教なら、フレイムヘイズは──しいて言うなら『外界宿』は封絶を良しと唱える宗教。お互いがお互いの主張を取り下げることはなく、これの決着は昔からのお決まりである戦いで決めるより他はない。どちらかが滅ぶまでの。

 内輪もめとはいえ、一つの大きな戦いが終わったばかりだというのに再び訪れようとする争いの火種。

 避けられそうにない全面戦争。

 

「本当に難儀だ」

 

 今度はピエトロと同じ意味で同じ言葉を零した。

 

「これこそ、彼らにも協力を得たいものだったよ」

「しょうがないじゃないか。彼ら、『大地の四神』は討ち手としての意欲を失い、外界宿の管理者となることで矛を収めた。これ以上の結果があるかい?」

「分かっているさ、僕のおふくろ。これ以上はない。彼らを失わずに済むには、これ以外はなかったのだから」

 

 内乱は『大地の四神』が自らの矛を収める事によって終息を得た。

 外界宿管理者の器に収まったのには、説得をしていたとある調律師の発案によるものだ。調律師とは、世界の歪みを均して修復し調律を行うフレイムヘイズのことであり、彼らは総じて長年の戦いで復讐心をすり減らしたフレイムヘイズがなっている。

 自らの意義に疑問を抱き立ち上がった『大地の四神』の説得役としては、これ以上ない先達者ということになる。

 だから矛を収めるだけで事を収めることが出来たとも言える。

 『大地の四神』はもはやフレイムヘイズの戦力とは言い難いものになってしまった。

 もし、『革正団(レボルシオン)』との抗争が始まっても、強力すぎる彼らの力を頼ることは出来ない。

 ピエトロはその事実に嘆いていた。

 とは言え、嘆いてばかりはいられない。

 

「彼らの力は借りられないにしても、『革正団(レボルシオン)』を脅威とみなしているのは僕らだけじゃないのが救いか」

「封絶の利益は``紅世の徒``にもある、ってことは」

 

 ピエトロの言葉にセンティアが続け、

 

「``紅世の徒``もみすみす見過ごすこともないだろうね」

 

 ドレルが締めた。

 封絶を否としているのは``紅世の徒``ではあるが、これはあくまで今の主流に外れた思想。導きの神が封絶の存在を告知したのだから、この使用する流れに乗ることこそが正しいものになっている。

 その流れにあえて逆らうような『革正団(レボルシオン)』の活動は``紅世の徒``にとっても鬱陶しいもの。

 これの表すものは『革正団(レボルシオン)』は完全なる異教徒であること。

 フレイムヘイズと『革正団(レボルシオン)』の全面戦争とは言うが、実際には彼ら少数派を多数派が潰す殲滅戦にもなりえる。

 ``紅世の徒``との一時的な休戦関係を築ければ、この果て無い戦いにも終止符を打てる可能性を高まる。

 ドレルとピエトロは組織の運営者として、どのフレイムヘイズよりも先を見通していた。

 何よりもフレイムヘイズの将来のために。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 ピエトロが退室した会議室にドレルは一人で冷めた紅茶を傾けていた。

 内乱が終わったばかりとはいえ、未だ片付けなければならないことは多い。その中でも、早急に、それでいて手早く片付けることの出来ること。それについて考えていた。

 それについてはドレルは、自分よりもピエトロが深く考えているだろうと予測する。欧州とアメリカを行き渡る際には何度も議題に上がっていたであろう、交通の便の話題。海の上の交通。

 『海魔(クラーケン)』の問題。

 ドレルの持つ情報には、彼らは封絶を未だに使わないことが確認されている。

 『革正団(レボルシオン)』と同じ思想であるかどうかは確認されていないが、以前から問題視されていたものだ。今更彼らの排除には否定の声は出ない。

 それの対応に思考を張り巡らしている時だった。

 

「失礼します」

「ん、どうしたのかな。パウラ・クレツキー」

 

 パウラ・クレツキーと呼ばれた女性は彼女は『ドレル・パーティ』の一員のフレイムヘイズである。

 彼女は『あ、あの』と相手の様子を伺うような声を出しながら、言葉を紡いだ。

 

「この子を預けられるフレイムヘイズを紹介して欲しいのです」

 

 そう言って、パウラの背後から出てきたのは十五・六歳ほどの女の子。二つに纏めたブラウンの髪を前に垂らしている。

 見た目はどこにでもいそうなごく普通の女の子だった。

 髪を纏めている二つの髪飾りから、少女のような声と色っぽい女性の声が聞こえなければ。

 

「本当は私の知り合いに頼もうと思ってたのですが、どうも捕まらなくて。見つかるまでの間を、その場凌ぎだけでも、と。本当は私が預かれればいいのですが、新米とはいえこの子の方が力が……」

 

 しゅんとしょぼくれた雰囲気を醸し出すパウラに、ドレルは苦笑しつつも、少女の方に視線を送る。

 女の子の年頃から浮かぶのは、ある友人のフレイムヘイズにいつも付き添っている少女。

 眼の前の少女ほど、彼の付き人は強い存在は感じさせないが、御するのは眼つきやその察する性格からは向こうの方が上。

 ならば、すでに一人の少女を育てた実績からも、彼が適任だろう。

 

「分かった。私に一人心当たりがある。何、彼なら難なくこなしてくれるさ。すでに少女を一人連れていることだしね。大丈夫、命に関わらない仕事だ。彼も断りはしないだろう」

 

 ドレルがそう言うと、パウラとその少女ともども、声を揃えて笑顔で礼を言った。

 その様子をハルファスただ一人が、ここにいない彼に無言で同情した。その事実を知る者は誰もいない。



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第四十六話

 最近というよりは、だいぶ昔。それこそ現代に生きていた頃より思うのだが、俺はもしかしたら不幸属性なのだろうか。いや、思い込みが激しいだけもしれないし、俺のように次々と面倒事やら厄介事やらが矢継ぎ早に訪れるのは意外と普通なのかもしれない。

 俺が不幸属性かどうかなんて他の人と比べてみなければ分からないことであるし、例え分かったとしてもどうしようもないことなのかもしれない。

 奴らは突然やってくるものではない。

 いきなり、忽然と現れたかのように思えるかもしれないが、それはとんだ大間違いだ。俺の知っている限りでは、意外と前振りや伏線があったりする。けども、その伏線に気付ける人はそうそういない。厄介事に慣れている俺でも、怪しいなと経験則から感づくことはあっても明確に感じ取ることはできない。

 出来ているなら俺の人生はどれほど平和なものだっただろうか。これはなんでも出来るなんちゃって魔法の自在法で、厄介事を感知出来るようなものを開発した方がいいのか。

 ……無理だね。

 あまりにも抽象的すぎるものを表現することは出来ない。『自在』だなんてけったいな名前が付いている癖に出来ないことが多いのだから、名前負けもいいところだ。『せかいをへいわにするじざいほー』とか作れたら良かったのに。

 何度目かも分からないありえない自在法のことを考えながら現実逃避を続ける。

 いつだったか、命が関わらない仕事ならいいのにとか言った自分が憎い。

 誰だよそんな事言った奴、出て来いよ。過去の自分を粛清してやりたいよ。と、思っても現実が変わることもなく、そんな伏線みたいなことを言ってなくてもきっと同じ事が起きていたであろうことは薄々ながらも分かる。

 あれだよね。

 俺は逃げる逃げるとか言っておきながらも結局は肝心な所では、逃げ切れていないのかもしれない。逃げ手の名は伊達じゃないとは思うけど、全ての事象からは逃げることは出来ないみたいだ。

 実力不足ではない。これはきっと……世界の法則なんだね。

 草原の地方線の先を遠くに見つめ世界の法則に嘆いていると、『大丈夫?』とリーズが背中をさすってくれる。その優しさに思わずほろりとしそうな程に俺の精神は参っていた。たぶん、俺の精神が参る原因の一端を担っているのは、心配そうな顔をしているリーズとは対照的に、ゲラゲラと笑うウェルにもあると思うんだ。

 ウェルの耳障りな笑い声は置いておいて、ようやっと内乱が終わり、軽い監禁状態であった俺も自由となった矢先のことだった。

 最近、世間が色々と騒々しいなとか思ってたら、光のごとく一人の女の子が来訪した。

 空を素早く飛んで現れた。

 凄いな。俺も嗜みとして空をとぶことは出来るが、あれほどのスピードは怖くて出せない。現代の高速道路で速度が百を超えただけでヒィヒィ言っていた俺には絶対に出来ない所業。足のつかない空ならなお怖い。

 ちなみに飛行機は大丈夫だった。離陸から着陸まで寝てればいいだけだからね。

 空から落ちてくる少女、ではなく空から降りてくる少女だ。空を飛んでいる時点で、異常者──まあフレイムヘイズか人化の自在法を使った``紅世の徒``であることは確定しているのだが、彼女はフレイムヘイズだな。``紅世の徒``独特の禍々しさというか、悪意を感じない。

 はてさて、フレイムヘイズの主な移動手段は人間と変わらない。何故かといえば、空を無闇に飛び人間の目につくことを恐れるためだ。それでもどうしようもない時はやむを得ず使う訳だが。この時点ですでに厄介事であることが決まったことになる。

 『空を高速で飛ぶ少女が俺の元に舞い降りた』。ほら、全てが面倒事のような塊じゃないか。俺の元に舞い降りるのはいつも面倒事って決まっているし。面倒事じゃない可能性になんて今更賭けないよ。もう、ズピピーンと分かるよ。不本ながらも、ね。

 嫌なことばかり予想が当たるのだから、自分の勘が憎いね。

 俺が現実から目を背けていたせいか、来訪した少女は首をかしげて困った顔をしている。

 肩の前で少し古風な鏃型の髪飾りで二つに纏めたブラウンの髪。威圧感を感じさせない少女の雰囲気は、いかにも普通の女の子だが、同じ異常者である俺には彼女の内に篭る強い力を感じる。

 俺とは比べものにならない様な力強さを秘めた力。

 それだけで分かる。彼女は猛者となり得るフレイムヘイズだ。これこそ経験に基づいた、それ以外に根拠のない理由だが、確信に近いものがある。

 ちなみにリーズにはそういったものは感じない。成り行きや本来とは違った理由で契約してしまったのだからしょうがないのかもしれない。

 少女は、俺がようやく自身に目線を送っていることに気付き、慌てて頭を下げて挨拶しながら自己紹介してくれた。

 

「初めまして、私はキアラ・トスカナって言います。称号は『極光の射手』です。二代目、だそうです」

 

 ああ、『極光の射手』か。なるほど、それなら納得だ。そりゃあ猛者になることが確約されているようなものじゃないか。

 その称号は前の、初代『極光の射手』が広めた名。俺が日本に行くことになった理由でもある。

 二代目が現れたということは、やはりカールさんは死んでしまっていたのだ。

 

「私たちの紹介はいらないわよね?」

 

 片方の髪飾りから聞こえたのは艶っぽい女性の声。

 俺の記憶が正しければ、『極光の射手』の``紅世の王``は一つの体に2つの意思がある珍しい一風変わった``紅世の徒``だったはず。姉妹の``紅世の王``で、比較的落ち着いてるっぽいのがウートレンニャヤで、

 

「お久しぶり。また会う日が来るとは思わなかったよー。あの時の『不朽の逃げ手』はどうも弱々しいイメージしか無かったからね!」

 

 軽くはしゃいでいるような少女の声。

 ウェルのように楽しいことが全てと思わせるような子どもっぽいのがヴェチェールニャヤだったよね。

 我ながらよく覚えていたと思う。それほどまでに『大戦』の時の記憶は鮮烈だったのだろう。あの頃のことは今でも明瞭に思い出せる。その全てがトラウマ級だから、本当は思い出したくもないのにね。

 俺が「そっかぁ、『極光の射手』かぁ、何しにきたんだろう」とまたトリップしそうになっていると、リーズが俺の服を引っ張り現実に引き戻させた。リーズは目線だけで言っている。いい加減に現実を見ろと。

 しょうがないな。話を進めよう。気が進まないけど。

 溜息を隠すこともせずに溜息をして、彼女らに自分とリーズの紹介もした。

 

「さて……では、本題に入って。なんで君たちはここに来たのかな?」

 

 『極光の射手』などという無駄に有名なフレイムヘイズを俺の元へと寄越した意味。何かの戦いにでも参戦させるつもりなのだろうか。

 それならば、『極光の射手』をわざわざ送ってきた理由も分かる。

 俺の知っている限り、『極光の射手』は最速のフレイムヘイズだ。先にここにやってきた時もそうだが、俺が存在を感知したのに、逃げることが出来なかった。

 俺の感覚も鈍っていたのだろう。だが、それだけではない。光の如くと表現しては少し大袈裟かもしれないが、俺の持っている全力疾走でも、決死の逃亡でも逃げ切れないかもしれないと思わせるほどの速度があった。確実に逃げるには自在法が必須だっただろうが、俺は隙をつかれてしまい自在法を発動することすら出来なかった!

 いや、うん。単純に不抜けてたら気付いたらそこに少女が降りてきたというのが真実だけど。

 でもね。今時、フレイムヘイズが空からやって来るのは珍しいことなんだよ、と自己弁護をさせてもらう。

 何はともあれ、こうやって面と向かって自己紹介までしたのだ。何をしに来たのかは知らないが、話を聞くだけ聞いてから逃げようじゃないか。逃げるのはそれからでも遅くないはず。

 ちなみにだが、先程からウェルが何も口出さないのは笑いを堪えるのに必死だから。時々、笑いが漏れてくるのが、どうもうざったらしい。

 キアラ・トスカナは、申し訳なさそうな顔をしながら答える。

 

「ごめんなさい……私のせいなんです。私がちゃんと力が扱えないから」

「私達のキアラはね、契約の時のショックからから『極光の射手』としての力を十分に扱えないのよ」

「今までキアラを担当してた人には『極光の射手』の暴走を止められなくて、そこで貴方に出番が回ってきたってわけ」

「俺が君を預かれと? 俺が『極光の射手』の暴走を止めて、暴走しないように教育しろと?」

 

 正直言うなら、俺もとてもじゃないが『極光の射手』の暴走なんて止める自信がないぞ。欧州きっての猛者だった過去の功績からも図れるし、実際に見た彼らの強さは正しく強者だ。勘違いや何やらで固められた俺の偽の強さではない。

 実力伴う『極光の射手』の本物の強さが暴走して、俺が止められるかどうかなんて甚だ怪しい。まして、担当が投げ出すってどういうことだよ。

 頑張れよ。それが仕事だろ。俺に投げるなよ!

 人に教えられるほどの技量がないのだから当然、教育だってしたことない。

 

「いえ、暫くの間だけ世話になれって言われました」

「もう一人教育したようなもんだから出来るって思われたんだと思うよ」

「もう一人……リーズのことか」

 

 他人からそういう目で見られていたのか。

 俺はリーズにフレイムヘイズとして何かを教えたことはほとんどない。常識程度なら何度か言ったことはあるが、基本的にはフルカスとウェルが、戦闘面に関しては全く関わっていない。それこそ、師匠はもしかしたらリャナンシーになるのかもしれないな。彼女に自在法を教えてもらっていたわけだし。贅沢なことだ。

 こうしてみると、リーズが優秀だってことが分かる。

 俺は何もしていないのに、気付いたらフレイムヘイズとして一人前だ。

 俺なんて自分がフレイムヘイズとして名乗っていいかも微妙なのに。立派なものだな、リーズは。

 

「教育はしてもらったかどうかは微妙だけど、色々教わりはしたわね。生き方とか、生き様とか」

「うんむ、中々に一途な生き方で、面白い輩だ」

 

 そうか、リーズは俺から色々教わってたのか。

 でも、生き方とか生き様を教わったって、それって主に逃げ方じゃないのか?

 いいのか、それは教わったに入るのか? あれかな、反面教師ってやつなのか?

 俺が複雑な疑念に包まれていると、それを察したのか、俺をその疑念から解き放つために誰にも聞かれないように耳元で囁いた。

 

「良い生き方だと思うわよ。私は尊敬してる」

 

 え、すごく、ものすごく嬉しいんだけど。

 今まで俺の生き方を褒めてくれたのはウェルだけだった。しかし、それはウェルがウェル自身にとって楽しいと感じるからであって、なんだか利用されているような言われようだった。

 真っ直ぐな賞賛はこれが初めて。

 身近な人に認めてもらうってこんなにも嬉しいことだったのか。

 あーやばい、リーズに抱きついてしまいそうだ。

 その感情を無理やり押し込むためにも、隠すためにも、リーズにはありがとう、とお礼を言ってから改めてキアラ・トスカナに向き直る。

 

「兎に角、知人の『極光の射手』云々は置いといても、俺が誰かに何かを教えることは出来ないけどいいんだね」

「本命は別の人だから。それまでの中継ぎだってー」

「暫く預かる『だけ』でいいってことね」

 

 預かるだけね。

 簡単に言うが、俺はこれといった拠点を持っているわけではない。いつも気紛れに、されど危険なことには巻き込まれないように慎重に行動しながら旅をしているだけ。

 その旅にに見ず知らずの少女を巻き込むのもちょっと、と思うがそんな行方知らずな俺に預けて、いざ本命を見つけた時に連絡のしようはあるのだろうか。

 ん、そういえば彼女は真っ直ぐ俺の方へ飛んできていたな。

 どういうことなんだ。何故、来れた? どうしてここに辿りつけたんだ?

 これは本当に……対俺用の自在法があることを疑ったほうがいいかもしれない。俺と鬼ごっこをして追い詰めた奴が過去にも居ることだし、不可能ではないだろう。

 俺の炎の色を知っている者も多いし、たった一人のフレイムヘイズを探知するためだけの自在法なら無理なく作れそうでもある。

 ただの被害妄想かな。それならいいんだけど。

 一応確認のためにこの仕事の依頼主を聞くとしよう。

 この無茶ぶりからしてある一名、鬼ごっこをしたやんちゃなおじいちゃんしか思い当たらないけど。

 

「ええと、ちなみにさ。俺のことは誰に紹介してもらったの?」

「ドレルさんに」

「アハハハッ!」

 

 だよね。そうだよね。

 ここで、ウェルがはちきれんばかりの大笑いが炸裂した。耳が痛い。というか、ただの基地外にしか見えないぞ、ウェル。

 

「いや、ごめんごめん。あのおじいちゃんは本当に愉快だね! モウカ、楽しくてしょうがないよ! あの時がきっと運命の出会いだったんだよ!」

 

 ウェルの言葉についていけない『極光の射手』はぽかーんとしている。何が何だか分からない顔だ。

 当たり前の反応だろう。

 ウェルの言っている意味は全く分からないだろうからね。俺とドレルの出会いを知っているのはそれこそたった四人だけ。

 それでも、俺は断言できるね。

 俺は運命なんて言葉が大嫌いだよ!

 にしても、ここまではっちゃけたウェルは久々だったかもしれないな。ずっと大人しくしてればいいのに。

 ついでに気になることをもう一つ聞いてみる。

 

「ちなみに、もう一回ちなみにさ。空から飛んできたのって」

「ええと……ドレルさんが」

「『不朽の逃げ手』に逃げられないようにするためだ、って言ってたよー」

「貴方も苦労しているのね」

 

 ウェルの笑い声がより一層、大きくなった瞬間だった。



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第四十七話

 昔と比べ今がどれほど逃げにくい世界であるかを知っているフレイムヘイズはこの世界でただ一人、俺だけに違いない。俺以外にもそのことを知っているフレイムヘイズが居るならば、是非とも交友関係を持ちたいものだ。

 俺が厄介事から逃げにくくなった理由ならそれはきっと、ドレル・クーベリックとか言う厄介事が服を着たような人物のせいであると断言できるのだが、何も逃げにくくなったのはそれだけではない。

 ``紅世の徒``から事前の逃げが出来にくくなってしまった。

 原因は封絶である。

 封絶はこの世とは世界を隔絶し、修復可能で内外部からの干渉を難しくする自在法。簡単に言い換えると、フレイムヘイズと``紅世の徒``ための戦闘フィールドであり、人間を巻き込まないように考慮された結界のようなものになる。

 こうやって何度も何度も封絶に関して思考してきた訳だが、実際にしょっちゅう使われるようになったのはここ最近になってから。神がこの自在法の存在を公知させ、その有用性を世界に知らしめたほんの十数年に広まったばかりの新出の自在法。これが公の封絶の認識だ。

 俺の場合は少し特異な経緯から、知れ渡る十数年前から知っていただけでに過ぎない。

 よって、封絶の対策をと考えてから、実際に封絶を使った戦闘に巻き込まれるようになったのはつい最近、先日のことだった。

 戦闘フィールドを大きく張れば、逃げようとしている俺、しいては逃げようとしている場所までもが戦闘フィールドになってしまったり、封絶によって存在の力が感知しづらくなったりとやりにくい世の中になってしまったよ。

 十九世紀も残すところはあと十年と差し迫った今日この頃。十九世紀は俺にとって、今までの人生で最も波乱に満ちて、嫌気の指す日々だったよとリーズに愚痴をたらしている日のことだ。

 ドレルに新たに押し付けられた仕事は一組のフレイムヘイズの面倒を見ること。そのフレイムヘイズは、大戦を知るものには蛮勇を思い浮かばせる『極光の射手』その人。初代『極光の射手』は、契約した``王``──``破暁の先駆``ウートレンニャヤと``夕暮の後塵``ヴェチェールニャヤの証言により、油断と自己の力の過信から``天目一個``によって滅されてしまったことを教わった。

 懐かしくも嫌な記憶しかない``天目一個``の名に俺は冷や汗と苦笑を返すしかなかく、もう跡形も無くなっているが奴に斬られた箇所が、その名を聞いただけで疼く錯覚を微かに感じた。

 あの大戦ですら大きな怪我をしなかった俺に、色んな意味で傷をつけたそのミステス(ウートレンニャヤとヴェチェールニャヤの経験談によりミステスと判明した)。

 気配察知の出来ない彼にはもう二度と会いたくないものだ。ああ、そういえばこの経験も十九世紀か。本当に最悪の一世紀だ。あと十年残っているけど。

 俺と同じく嫌な記憶なのか憎々しげながらウートレンニャヤとヴェチェールニャヤは``天目一個``について語っていた。

 初代の時の活かすつもりのようで、二人はキアラに慎重にフレイムヘイズとしての在り方やらなんやらを教えている。しかし、その教えはあまり上手くはいっていないようだった。

 その原因はキアラが俺に預けられた『極光の射手』の暴走のようだ。

 キアラ本人も上手くいかないことを悔やみ、どうすればいいのか分からずに困惑している。フレイムヘイズの大先輩というだけで俺にどうすればいいか教えを請おうとするぐらい。

 いや、これは普通なのか。一応、経歴上は大先輩に当たるっちゃ当たるから。

 命に関わらない相談事くらいなら乗らないことはない。それに可愛らしく『困りました、どうしましょう』みたいな顔で頼られてしまうと、男として、先輩としてどうにかしてあげたい気持ちにはなるのだが、対応策が全く思い浮かばない。それ以前に、フレイムヘイズの力の暴走って何よ。俺は全く身に覚えがないのだが。

 

(暴走っていうのは、契約時のショックから起きるパニックの事なんじゃないかな)

 

 契約時のショック。

 自分が死にそうになった時に、または信じたくないような絶望的な光景を目にした時に高まった感情を``紅世の王``が``紅世``で感じ取り、状況を打開する力を、復讐をするための力を与える。これが一般的な人間が``紅世の王``と契約することになる経緯。これは奇しくも俺も同じだ。

 つまり契約時とは、その人物にとって最も最悪の出来事が起きた瞬間とも置き換えることが出来る。ウェルはその瞬間をフラッシュバックしたことによって起きるのが暴走であると俺に教えてくれた。

 単純に言うと、嫌なことを思い出して困惑した状態。それが目に見える形となったのが暴走状態と言ったところだろうか。

 でも、それって、

 

(本当にそうなのか?)

(どういうこと?)

(いやさ。過去の嫌な事を思い出して、慌てふためくというか、思い出しただけで涙がでるというか、気持ちはね、痛いほど分かるんだよ)

 

 他のフレイムヘイズが``紅世の徒``と戦闘したり、遭遇したりした程度ではトラウマにはならないだろう。むしろ血気盛んに討たんと行動する。しかしながら、俺はその逆で涙を流しながら必死こいて逃げるんだ。俺からすれば``紅世の徒``との遭遇は不幸であり嫌な事で、戦闘はトラウマへと早変わり。

 だからもし仮に、キアラが契約するきっかけとなった``紅世の徒``に襲われた出来事がトラウマで、暴走しているんだとすれば、それこそ俺にも当てはまるのではないだろうか。

 キアラは女の子だし、精神的に俺より余裕がなかった、それこそ個人差といわれれば、そういうものだと納得するしかないかもしれないけど、``紅世の徒``への恐怖を抱いている度合いで言えば、絶対に負けない自信がある。

 うん、威張って言うことじゃないのは分かってるよ。

 

(モウカは、原因は他にあるって言いたいんだよね?)

(そういうことになるのかな)

 

 とは言え、じゃあそれはなんだと問われても答えようはなく、結果は分からないとなる。ショックが原因で暴走にあると仮定しても、その対処法はと聞かれたって分からない。どっちにしろ、俺がキアラにしてあげられることはなかった。

 だいたい、悩みの解決どころか世話を出来るかさえも怪しいところなんだ。

 ドレルは俺がすでに女の子と旅をしているからという理由でキアラを任せたらしいが、俺はほとんどリーズに何もしていない。

 フレイムヘイズになった生い立ちさえも普通とは違い、本来であれば心のケアとかも俺がしなくてはならなかったはずだが、放置してた。

 そう考えると、リーズは意外と出来た子だ。頭は少々残念なところを時折見せるが、それを除けば自分のことは自分で出来るし、お金が無い時はよくお世話になった……て、俺がお世話になってないか?

 過去のことはさておき、俺からキアラに言えるのは、

 

「ごめん。解決策は見当たらない」

「あ、いいんです! 私が自分で解決しなくちゃいけないことなので」

 

 キアラはそう言うとしゅんと縮こまってしまった。

 彼女の首飾りからは、「もう、そんなに気にしなくたっていいんだから!」と明るい声と「すぐに力を振るえる人はいないから、私達のキアラも焦る必要ないよ」と落ち着いた声が、キアラを励ます。

 彼女は契約した``王``に恵まれているようだ。

 彼女らの声で多少は元気を取り戻したキアラに、俺も先輩として何か出来ることはないかと考えてみる。

 俺が他のフレイムヘイズに胸を張って教えられるようなこと。人より優れいて、簡単に教えられることといえば、すぐに浮かぶのは一つのワード。

 

「でも、そうだね。俺がキアラに教えてあげられることといえば」

 

 ウェルが俺を面白いと言う原因であり、ある意味では良好な関係を保っている秘訣。

 最弱の力しかない俺がこの弱肉強食の世界で、生きてこられた理由。

 気づけば数多の戦いをくぐり抜けてきたその判断力の元。

 

──逃げることの大切さ

 

 これをおいて他にはあるまい。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 嵐の渦中。雨と風が紅の世界内で猛威を振るい視野を完全に遮る。視野が遮るのみならず、``紅世``の者なら必ず持っているであろう気配の感覚をも鈍らせ、敵の位置を把握させない。暴風と豪雨はただの人間の身では脅威ではあるが、``紅世の徒``にとってはなんら問題のないはずのものだ。しかし、それも長期に渡れば身体の疲労を誘い、普段あるはずの気配の感覚を無くされた初体験と違和感によって心の疲労を誘う。

 それだけではなく、この自在法に敵対する``紅世の徒``は身に覚えがあるのか焦燥の色を隠そうともせずに呟く声が俺の耳元まで聞こえる。

 

「これが『嵐の夜』……くっ、討滅の道具め!」

 

 中心部。日本で言えば台風の目とも呼ばれる場所、嵐の発生源に俺たちは居る。

 嵐の発生源とは俺のことだが。

 久方ぶりの『嵐の夜』の発動だったが、相手の悔しそうな言葉を聞いて無事に発動できていることを確信し、俺は胸をなでおろしたところだった。

 戦う気がなかった俺に、遠い彼方から何を間違えたのか飛んできて『封絶』を張ったお馬鹿な``紅世の徒``にいい気味だと心の中で愚痴た。

 最初から言動がおかしかったのだ。

 ``紅世の徒``はいきなり、『俺を討滅する気だろ!?』と最初から差し迫ったように怒気を漏らし、『俺の計画がどこで漏れてしまったのだ!?』と意識過剰な言葉を残した。

 お前の計画なんて知らんし、俺は討滅する気もない。感じる存在の力はリーズの内蔵されているそれよりも少ないし、発言からも俺以上の小物臭しかしなかった。

 普段ならこんな状況を愉しんで大爆笑するウェルですら、失笑と苦笑を零した上に、

 

「モウカ、こいつ、つまらない臭いしかしない。とっとと退散しよう」

 

 あのウェルをしてここまで言わした程の敵だった。ある意味称賛に値する。

 俺も珍しくウェルの言葉に同意し、そそくさと退散しようと思ったら、キアラが少しびっくりした表情をしつつ俺に尋ねた。

 

「討滅しなくていいんですか?」

「……え?」

 

 俺が逆にびっくりした。

 討滅する必要あるの? と問い返しそうになった。

 

「それが普通の反応だと思うわよ」

「うむ、お主がちと特例なだけだ」

「そうだった、そうだったよね」

 

 リーズとフルカスの言う通り、フレイムヘイズって本当は``紅世の徒``を滅することが仕事の職業だったね。お兄さんすっかり忘れてたよ、なんて口に出すことはせず、キアラになんて言葉を返そうか悩む。

 俺が戦えないからと正直に言ってもいいのだが、ここは一つ見栄を張って偉いことを言うのもいいかもしれない。

 いや、待て。慌てるな。

 ここでしっかり俺が戦えないことを表明することが出来れば、何故か聞く度に増えていいく勘違いの連鎖を止めることが出来るかもしれない。

 そうと決まれば言う言葉はこれしかない。

 

「モウカさんは普通じゃないんですか?」

「そう、何と言っても俺は``紅世の徒``とは戦えないからね」

 

 言った。

 ついに言ってやったぞ。

 これが真実だ。

 知る者がほとんどいない貴重な真実だ。紛れも無い真実だ。

 分かっただろ。俺は色々と噂されているが実は強い弱い以前に、戦えないか弱い生き物だったのだ。『極光の射手』とは比べるべくもなく、隣で俺の発言にびっくりしているリーズにも及ばないほどのちんけな虫けら風情だ。

 だから、戦うなんて冗談じゃない。

 さっさとこの場から撤退して、生き長らえるためにも──

 

「──モウカさん、敵が目の前にいるのに冗談を言うなんて、すごい余裕ですね」

「これが余裕ってやつなんだねー。カールにも余裕と油断の判断ができたら」

「カールですら一斬りで殺された敵から、生き残っただけはあるわけね」

 

 冗談。

 いやいや、冗談じゃないよ。本当のこと。これが現実で、事実だ。戯言でも虚言でもない、たった一つの真実だよ。

 何故それを全否定しているんだ。

 ``紅世の徒``がやってくると気付いた時の俺の鬼気迫った追いつめられた顔を見たか? ひどいもんだっただろうに。体中からは冷や汗が止まらず、頭の中では逃げることしか考えてなかった。封絶が発動されてからも、いち早くに『嵐の夜』を発動させて防衛線を張ったんだぞ。自分の命可愛さに。

 それが何故、余裕だなんて言われるんだ。

 俺の数百年の心理状況で、余裕だった時は十分の一もないというのに。

 

「……ま、この自在法を見せられたらそう思われるのは当然じゃない」

「うんむ、普通は理解し難いだろうな。お主の心情は」

 

 俺の相方たちは、自分たちの感想をただ言うだけで、

 

「モウカったら、冗談が上手いよね。そんなに強いのに戦えないだなんて」

 

 プークスクスと語尾につくウェルの言葉はもはや感想ではなく、俺への追撃だった。

 中々に理解してくれない一行だが、まだ諦めるつもりはない。ウェルに笑われようとも、俺は勘違いを止めてみせる。

 

「余裕じゃないよ。だからこうやって『嵐の夜』を使って逃げるんだよ」

 

 逃げるという部分を強調して、そのまま実行に移す。

 リーズとキアラの手を無理やり取り、強引に封絶外へと移動する。それはもう全速力で、油断も隙もなく。

 封絶内からは封絶外の情報は掴めないが、そんなことを気にすることも出来ず、力いっぱい逃げた。封絶の外へ出てからも、``紅世の徒``が気配を感じれる圏外へ出るまで、逃げ足を止めることなく速度を上げて逃げる。

 言葉で理解されないなら、行動で理解されるしかない。

 俺がいかに戦いに恐れているかを、キアラに教えたかった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「お世話になりました。フレイムヘイズはただ戦うだけが使命ではないことを知ることが出来ました」

「時には逃げることも大切……か。カールの時じゃ考えもしなかったもんねー」

「``紅世の徒``は全て俺様が討滅! だったからしょうがないわよ」

 

 来た時は違って、ゆったりと歩いて行くキアラたち『極光の射手』。姿が見えなくなるまで手を大きく振り続けるキアラを俺たちは見届けた。

 一年の時を使ってようやっと探し人である人物が見つかったようだった。

 ``紅世の徒``を追い求めて、見つけては討滅するしかないフレイムヘイズをたった一年で見つけられるようになったのは外界宿の連携がとれてきた証なのかもしれない。

 

「行っちゃったわね」

 

 どこか寂しそうにリーズは小声で言った。

 俺が世話を出来無い代わりに、世話と言うか仲良くしていたのはリーズだった。同じ女の子同士からか、後年になると仲良くしゃべってるところをよく見られた。女の子同士の会話のため、話題はどんなのかは知らないが、女の子二人が普通にしゃべってる姿を見ていると、二人がフレイムヘイズであることを忘れてしまいそうだった。

 ついていけばよかったのに、とさり気なく呟いただけだったのだが、リーズはそれに素早く反応して、「行かないわよ、行くわけない……じゃない」と俺を真っ直ぐ見つめて言った。

 その反応にどう返していいか分からず、お互い無言になりどことなくむず痒い雰囲気になる。

 雰囲気を打破したのはやはりウェルだった。

 

「結局、誤解は解けなかったね」

「お前がそれを言うか」

 

 ウェルの助け舟に突っ込む形で乗る。

 誤解を解こうと俺は必死だった。少しでも勘違いが緩和されればと半ば妥協していたが、最終的には何も成すことは出来なかった。

 ウェルは勘違いが相乗するようなことばかり言っていたが、リーズが弁護してくれていたのか、途中からキアラは俺が``紅世の徒``の討滅を第一としていない変わったフレイムヘイズであることを理解してくれた。

 しかし、キアラは俺のことを『使命に囚われない自由奔放なフレイムヘイズ』と受け取っただけ。

 戦闘の出来無い、非戦闘要員であることは最後まで理解を示してくれなかったのは残念だった。

 

「素直でいい子だったじゃない」

「そうだけどね。もうちょいウェルの言葉に騙されないようにして欲しかったね」

 

 賢い子だったよ。

 それは間違いない。

 フレイムヘイズはその出生故に復讐者の代名詞で、``紅世の徒``を目の前に逃げるなんて言語道断。ありえないことだ。

 俺はそれを平然と行い、その大切さをキアラに説いたら、キアラもその大切さを理解してくれた。

 頭の硬い連中、というか復讐の一点張りの奴らでは出来ないその判断と選択肢を持つことの有効性を理解できる柔軟性は、賢いと言えるものだった。

 そして、幅広い考え方を出来るものは、

 

「あの子は将来有望だ」

「『極光の射手』の時点で確約されてるけどね」

 

 有望な若手が出れば、フレイムヘイズ全体の生存率も上がるというものだ。

 早くに暴走の弱点を治し、第一線で戦える日が来るのを俺は期待する。

 俺が``紅世の徒``と出会うこともないくらいの活躍を、ね。



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第四十八話

 出来ることなら今回のこの戦いには『極光の射手』の助力があればとつくづく思う。何を隠そう、『極光の射手』とは最速の名を自他共に認められるほど、素早いフレイムヘイズだ。その速度は脅威で、時には攻めにも守りにも活用できるほどの汎用性がある。俺が着目しているのは、その速度があればあっという間に戦闘区域からの離脱が可能になる。助力があればと思うのは、いざという時には戦線離脱を容易に図れてしまう安全に基づくものだった。

 速さは俺にはない要素である。

 『嵐の夜』は逃げるために編み出した自在法だけあって、俺が逃げる際には十二分な効果を齎してくれるが、それ以上の安全性があるなら、それを求めるのもまた俺にとっては当たり前のこと。命は一つ、尊く儚い。簡単に消えさってしまうもの。ならば、その安全策は二重でも、三重でもいくらあってもいいものだし、いくらあっても足りないものだろう。

 保身に保身を重ね、念には念を入れて安全を確保する。これがフレイムヘイズとして長生きする秘訣であることは、俺の存在によって証明されている。

 危険な場所には近づかないことも大切なのだが、今回に限って言えば、戦いの助力も悪く無い話だった。

 

「``海魔(クラーケン)``の一斉討伐の日がついにやってきたか」

「モウカも待ち遠しそうだったもんね」

「危険なイベントはとっとと終わらせたかったからね」

 

 でも、待ち遠しかったわけじゃない。待ち遠しい訳が無い。

 戦いが起きるんだよ? 戦いが起きるということはつまり、そこには危険が伴うんだよ?

 それを間違っても楽しみに待つわけがない。むしろ、その状況を楽しみにしていたのは間違いなくウェルの方だろう。正確には、戦いに巻き込まれて慌てふためく俺の姿を楽しみに、だけど。ウェルが俺をおちょくる姿がもうありありと眼に浮かぶよ。

 

「貴方は今回は必死な形相で『絶対に逃げる!』って言い出さないじゃない? 珍しいわね」

 

 リーズが不思議そうに目を細めてこちらを見る。

 不思議に思う気持ちは分からないでもない。

 いつもの俺なら、それこそ安全第一を常日頃より心がけている俺なら、こんな危険な仕事を引き受けようとはしないだろう。俺のことをよく知っているリーズだからこそ出る疑問。

 当たり前だ。

 誰が好き好んで``紅世の徒``の殲滅になどに出張るものか。俺は最弱のフレイムヘイズ。そんな実力ドベの俺が大層な戦いに巻き込まれれば、川辺の貝殻のごとく簡単に波に飲み込まれて消えてしまう。気付いたら存在が消えてしまうよ。危険を多分に含める戦いに、自ら率先して参戦するはずがない。どんな弱小の``紅世の徒``からも逃げているこの俺がだ。

 リーズがどれほど``紅世の徒``への恐怖を抱いているかは知らない。俺と一緒に付き合ってきて、安全やら平和やらの大切さは骨の髄まで染み込んでいるだろうが、それが``紅世の徒``への恐怖へと繋がるかは別だ。

 もしかしたら、真に``紅世の徒``を恐れているのは数多くいるフレイムヘイズたちの中で俺だけかもしれない。

 リーズは俺が逃げるといえば、一緒に付いて来てくれるだろう。そして、今回もそう言うと思ってただけに、珍しがっている。

 

「珍しいなんてもんじゃないさ。もう二度とない機会かもしれないよ」

「大戦の時は八方塞がりで嫌々戦うしかなかった時だったしねー」

「じゃあ、今回が初めってことじゃない。自分から戦いに参戦するの」

「そうなるね。うん、そう考えると感慨深いな」

 

 逃げに逃げてきた俺がついにというか、やっとというか、戦闘らしい戦闘に参加する。俺のふゅーちゃーぷらんにはこんな予定はなかったが、その時がやってきてしまったということだ。

 参戦自体は、だいぶ前から決まっていたこと。この件に関しては外界宿からの正式な依頼でもある。念のために言っておくが、今回は強制参加ではなかった。ドレルからは、俺が参戦したほうが俺の持つ特性ゆえに、優位によりスムーズに事が進むとは言われたが、強制はされなかったのである。珍しいことに。

 ならば、何故今回だけは逃げずに、参戦したか。

 これには非常に複雑な事情と、将来性を見越した一つの拙い戦略であった。

 そうでもなければ、誰がこんな面倒なことに首を突っ込むか。

 

「参戦する価値があるんだ。そして、この戦いには大きな意義がある。今この一刻を身を危険に晒してでもね」

「貴方にしては随分強気に出るじゃない」

 

 こんなに強気になったのは長いフレイムヘイズ人生で初めてかもしれないな。

 

「うむ、今日は珍しいことが続くな。嵐が来なければいいが」

「大丈夫。だって、私たちが嵐みたいなもんだから。それにもう……嵐はすぐそこ」

 

 この身に宿る力を存分に扱う日は近い。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 ``海魔(クラーケン)``の一斉討伐には大義名分がある。討伐案に関してだけ言えば、だいぶ昔からあったことだが、これがついに通ったのには幾つもの理由がある。と、同時に俺が参戦するに至るまでの理由もある。

 そもそも血気盛んなフレイムヘイズにとっては大義名分なんて要らず、相手が``紅世の徒``というだけで十分な気もするが、それだけでは外界宿が命を出して従わせるには少々薄い理由になる。やれと命令されるのは皆嫌なもので、卑屈で性根曲がりのフレイムヘイズは命令をされれば、中学生の反抗期のように嫌だと反射的に答えるだろう。俺だって仕事を外界宿(ドレル)から押し付けられるのは不平不満を覚えているくらいだ。

 外界宿が機能するようになり、はるか昔に比べれば手を結ぶことを覚えたフレイムヘイズであるが、まだまだ浸透しきっていない部分が大きい。また``海魔(クラーケン)``自体はそれほど強い``紅世の徒``の集団ではないのも影響している。

 ``海魔(クラーケン)``は所謂、海を縄張りとする``紅世の徒``の総称であり、中にはもしかしたら``紅世の王``も紛れている可能性もあるが、あくまで可能性としか言えずに断定できないので、実質は分からないのと同じ。それでも``海魔(クラーケン)``に襲われてフレイムヘイズになった例は聞くけれど、``海魔(クラーケン)``に襲われて死んだフレイムヘイズの話を聞かないことから、強力な``王``はいないのではないかと言われている。

 ``海魔(クラーケン)``は非常に慎重でもある。人間はよく襲うくせに、フレイムヘイズが人間と居合わせていると襲ってこない事が多い。賢いのか、それとも俺のように臆病なのかは定かではないが、そういった小物臭漂う行動からも``紅世の王``がいないと言われる所以であった。

 そう、フレイムヘイズにはそれほど被害が出ていないのだ。たとえ、襲われたとしても``海魔(クラーケン)``は諸説として弱いとされているから軽く露払い出来ると安直に考えるフレイムヘイズも多い。よって危険性の薄さから、『``海魔(クラーケン)``を殲滅せよ』と誰かに言われた所で、わざわざ殲滅するほどの相手でもない。取るに足らない相手と考える輩が多い。そういった考えを持つものは、主に復讐者としての面が強いフレイムヘイズたち。つまり大多数に渡る。

外界宿が中々、一斉討滅に踏みきれなかった理由に一つである。

 その安易な考え方──``海魔(クラーケン)``を舐めるような考え方に異を唱え、今に至るまで声高々に殲滅を主張する者もいた。

 ``海魔(クラーケン)``はフレイムヘイズに被害を出すことがほぼ無いだけで、人間に手を出さない訳ではない。``海魔(クラーケン)``を殲滅しなければ人がこれからも襲われ続け、世界のバランスが崩れてしまうと危惧する者たち。フレイムヘイズの使命に燃えるフレイムヘイズたちが、愚直に``海魔(クラーケン)``の危険性を説いていたのだ。

 俺が知るだけでも、この両者の意見の食い違いは百年以上は続いている。

 そして、それがようやく最近になり外界宿が``海魔(クラーケン)``の危険性に警鐘を鳴らし、誰もがそれに納得させられるだけの大義名分を手にすることが出来た。

 たった一つの判断に百年以上の時を費やすことを冷静に考えれば、失笑ものだと俺は思うわけだが、それでも結論が出ただけマシだとドレルは言っていた。

 外界宿が機能する前のフレイムヘイズの堅い頭のままなら、いつまでも己の主張を曲げずに、平行線を辿ってた未来がありありと浮かぶ。それを考えたら、確かにドレルの言う通りだった。

 

「大義名分なんて関係なしにやっちゃえばいいのに」

 

 オランダのとある港へ向かう途中、ここまでの流れを一緒に見て来ていながら全く理解していなかったようだったので、あらかたの流れを教えてあげれば、リーズはそんなことを言った。さらには、それまでの過程が必要になるフレイムヘイズに、面倒くさい奴らばっかりと評価して締めくくった。

 ホント、面倒な奴らばかりだよ。フレイムヘイズも``紅世の徒``も。

 

「おいおい、リーズ。君はいつからそんな物騒な考え方になったんだよ」

「別にいいじゃない。それに、貴方は自分の関係ないところなら何が起きたって問題ないでしょ?」

「本当に俺に関係ないならいいんだけどな」

 

 残念ながら世の中は、そう上手くはできていない。どこかしらかで関係性が出てきてしまい、巻き込まれるなんてことはザラに起きる。それこそ、外界宿と深く関わりがあり、俺個人の名もそれなりに知れ渡ってしまっているから、完全に無関係でいられる出来事があるか存在そのものが怪しいものだ。

 完全に蚊帳の外というのもどこか寂しいような気もするが……

 

「リーズこそどうなんだ? 今回の一件ならやっぱり逃げるか? それとも積極的に関わるか?」

「私は貴方に着いて行くだけよ。全部貴方任せ」

「……楽でいいね」

 

 考えることを完全に他人に任せきってしまっている。

 これを気楽と言わずになんというのか。

 

「貴方に頼っていると言って欲しいわ」

「物は言い様なんだな」

「本当のことじゃない。それで」

「うん?」

「それで、その大義名分って一体何?」

 

 リーズが改まって疑問を口にした。

 

「大義名分なんて関係ないんじゃなかったのか?」

「自分の戦う理由ぐらいは知りたいわよ」

「うむ、道理だな」

 

 リーズの言葉に、彼女と契約した``王``フルカスが同意した。

 そうだね。

 ここまでは大前提の話。肝心の内容には全く入っていない。どのようなの部分が抜け落ちている。では、その部分についても教えておくとしよう。かなりの部分はドレルとウェルからの受け売りだけどね。

 大義名分──常識を知らないとばかりに自分本位に戦うフレイムヘイズが、指向性を持って戦わせるにまで至る理由であり、フレイムヘイズにとって``海魔(クラーケン)``を倒すことに意味が生まれさせるにいたった経緯。それを一言で言うなら、

 

「時代。大義名分は時代が変わったからこそ出来た」

「貴方はあれね。もっと直接的に言うべきよ。私にはさっぱり分からないわ」

「リーズはあれだ。もう少し考えようよ、自分で」

「その役は貴方が居るからいいの。それより、早く早く」

 

 言葉は淡々としているが、青い瞳を輝かせて続きを迫ってくる。

 俺はリーズの将来を考えて、物事を考える癖をつけてほしいから意味ありげに言っているのに、簡単に一刀両断してくれる。

 俺も考えるのはそこまで得意じゃないんだけどなと、ぼやいてから本題に入る。

 昔と今とで変わったこと。人間社会を基準に考えると、それこそ文明やら文化やらと挙げられるものはキリがないが、不変の存在のフレイムヘイズを基準とした時、その数はぐんと減る。細かい変化ではなく、時代の変化と言うほど大きい変化ならなおさら当てはまる事項は少ない。

 俺がここで言う時代の変化とは、結局のところある一つの自在法のこと。

 

「封絶によって起きた常識の変化とでも言うべきかな」

「あの噂好きのせいとも言えるよね。あいつが、あの神が現れるのは一種の新しい時代への宣言のようなものだから」

 

 またあの封絶なのねとリーズが呟きを零した。

 そうなんだよ、またなんだよ。

 いや、またという言い方は間違っているかもしれない。封絶が広く認知されるようになった、動乱がまだ収まりきっていないだけの話だ。どんな常識知らずのフレイムヘイズであっても、すでに常識と化している部分がある革命的な自在法。これが本当に、フレイムヘイズ限定ではなくこの世界の全ての常識となるにはまだ時間がかかる。

 秘匿を秘する役割として、人間を守る手段として、何より都合の良い自在法を一刻も早く世界に完全に行き渡らせたい。

 そんな意思がフレイムヘイズと``紅世の徒``の双方である中で、現れたのはそれを否定する者たち。彼らは『革正団(レボルシオン)』と名乗った。今まで暗黙の了解として、両界で``紅世``を秘することをしていたのに、それを公にしようと暴挙に出る者たちだ。

 そんな彼らが、さらに秘することになる封絶を許すはずもなく、戦いの際には封絶を張ろうともしない。

 彼らの存在について、今まさにフレイムヘイズと``紅世の徒``を困らせている。年々その数が増えていくのも悩みの種だ。これ以上増えていくようなことがあれば、小規模な小競り合いではなく戦争が起きる。数百年ぶりの大きな戦いが。

 それを避けたいと考えるのは俺に限った話ではなく、ドレルを始めとする外界宿の面々が中心となり、今はその予防策に忙しい。

 その一環として都合よく挙がったのは``海魔(クラーケン)``の一斉討伐だった。

 

「``海魔(クラーケン)``の特徴は、海にいる``紅世の徒``であることと、未だに封絶を使わずに人を喰っていること。これの意味する所が分かるかな?」

「 『革正団(レボルシオン)』と``海魔(クラーケン)``の共通点ってことでしょ? 封絶を張らないってことじゃないの?」

「そのとおり! リーズちゃんも賢くなったねー」

「あんたに言われても小馬鹿にされているようで嬉しくないわ」

 

 ウェルに褒められても少しも嬉しくしなさそうなリーズに苦笑しながら、説明を続ける。

 

「これで大義名分が揃ったわけだ。``海魔(クラーケン)``討伐は『革正団(レボルシオン)』への警告。このまま続ければフレイムヘイズを揚げて一斉討伐をするぞという脅迫、見せしめな訳だ」

「一見してみれば``海魔(クラーケン)``も『革正団(レボルシオン)』もやってることは変わらないんだよね」

「こじつけみたいじゃない」

「戦いなんてそんなもんだよ。やられる側にとっては、理不尽な暴力でしかない。俺がよく知ってる」

「……説得力が桁違いね」

 

 長生きは伊達じゃないんだよ。長い年月で色々と経験してきた。貴重な体験、興味を唆られることも多かったが、そのどれにも危険が伴い、リスクを背負わなくてはならないことばかりだったな。

 リーズを助けた時だって、本当は見捨てようとしたのに、あの名前も言いたくない奴に因縁付けられて巻き込まれた。

 当時は半ば自暴自棄だった気がする。

 

「大義名分とやらは分かったわ。でも、それって貴方が参戦する理由にならないんじゃない? 貴方は『革正団(レボルシオン)』なんてどうでもいいと言ってたし」

「今でもどうでもいいよ。変な宗教活動は勝手にやればって思ってるし」

 

 布教活動だかなんだかしらないが、封絶を張らない事自体の不利益は俺にはほぼ皆無だ。俺も``この世の本当のこと``の秘匿が人間に露見されれば面倒な事になるだろうが、俺はそうはならないだろうと楽観視している。これに関して危機感を持っているのはフレイムヘイズに限らないのだし、俺以外が頑張れば済むことだろう。まるで他人事だが、実際にはドレルなどが頑張っているのだしなんとかなると踏んでいる。

 問題なのはそれで大規模戦闘が起きて巻き込まれることだが、今回はその戦闘に巻き込まれないための予防策と言えるだろう。

 ようするに今回の参戦は、未来の逃亡経路を作るためのもの。

 俺には俺の思惑があって参戦する。

 

「俺には究極の二択しかなかったんだ」

「どういうこと?」

「今の戦いに巻き込まれるか、未来の戦いに巻き込まれるか、だよ」

 

 本当は両方共避けることなのだが、どうせ無理だろうと達観している。

 無論、足掻くことを忘れるわけではないが、人生時には諦めも大切。ただ、命を投げ捨てるようなことは絶対にない。

 

「よし、ついたぞ」

 

 オランダの大きな港へとたどり着く。

 時間はすでに夕暮れで、俺たちの乗る船は明日の早朝出発の予定となっている。今夜はどこかの宿で旅疲れを少しだけでも癒し、明日へと備えることになるのだが、

 

「ここで一人待ち合わせをしてるんだけど……」

 

 ハワイで共に戦うことになるだろう心強い仲間。俺の護衛役。

 その人物とはオランダで落ち合う予定になっている。だが、周りを見渡してもその人物の姿は見つからない。その雰囲気と美しい容姿のため、またかなりきつい眼光と荒い性格をしているから、付近にいれば気付けないはずはないのだけれど。

 俺があたりをキョロキョロと見渡していると、何を探しているか気になったリーズが誰を探しているのか尋ねてきた。

 俺がその問いに答えようとする前に、ウェルが先に一言でその人物を表す言葉を言ってしまう。

 

「爆弾魔だね」

 

 否定できないその言葉に俺は苦笑するしかなかった。



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第四十九話

「よ、久しぶりだな。何年ぶりだっけか?」

 

 張りのある声。可愛いなんて形容詞が全く似合わないが、カッコイイとは思われそうな芯の通った声。女らしさはその口調、声質からは感じられにくく、声だけを聞けば同性としゃべっているような感覚に陥る。

 その実、目を開ければ十分に美しいという形容詞が付けれるだけの美人であるのだが、尖すぎる目とドスの効いている雰囲気がその美しさに近寄り難くしている。もう少しお淑やかに、せめて口調だけでも可愛くすればモテそうなんだが、俺はその言葉を一生言うことは出来ないだろう。

 彼女のお怒りに触れれば、俺なんてちっぽけな存在は線香花火のように儚く消えて行ってしまう。

 彼女、レベッカ・リードとはつまり、俺にとっては中々に付き合いづらい人種ではある。だが、それを抜きにして見れば、男らしいさっぱりした性格を持つ彼女とは意外と良好な関係は持てそうではある。俺の甘い算段かもしれないが。

 

「いや、違うんじゃないかな。数十年振りだと思うなあ」

 

 のんびり間延びした男の声が、レベッカの金色のブレスレット──神器『クルワッハ』より聞こえる。

 レベッカとはまるで対照的な雰囲気を感じさせる言動であるが、どことなく感じさせる適当さ加減はレベッカと同じ匂いがする。雰囲気こそ正反対なのかもしれないが、中身は意外と同じ穴の狢なのかもしれない。

 

「違う、数百年ぶりだ」

「相変わらず適当なんだねー」

 

 この大雑把さこそ『輝爍の撒き手』レベッカ・リードとその契約した王``糜砕の裂眥(びさいのれっせい)``バラルの在り方だった。

 百年単位で会っていなのに数年振りなんて聞かれたら、普通なら記憶障害なのじゃないかと疑ってしまうところだが、時間の概念に囚われないフレイムヘイズのため、覚えてないのは仕方のないことかもしれない。俺は覚えていたんだけどな。

 俺がレベッカに会うたびに思うのは、彼女の服装の中での一番のオシャレがその神器である金色のブレストではないかというもの。レベッカの服装が決して貧相なものではなく、装飾されていない動きやすさ重視のシンプルなものであるだけなのだが、その服装に金のブレスレットは結構目立っていた。

 俺の地味な神器とは大違いだ。

 あまり目立ちたくない俺にとってはそれがお似合いなんだろうけど。

 

「細かいことは気にすんなって」

 

 レベッカは小気味良い笑いで返した。

 言うほど気にしていない。彼女たちの大雑把さを再認識だけだし、むしろ俺たちの事を覚えていたことのほうが驚きに値する。

 自分で言うのも何だが、俺は人の記憶には残りづらい類の人格や雰囲気、容姿を持っていると思う。欧州では珍しい黄色人種で黒髪は少し印象深いかもしれないが、それだって希薄な存在感しか出していないので記憶には残りにくいだろうに。

 

(それにだ。レベッカに名前を覚えられるのって良い事に入る部類なのか?)

(目を付けられてるって考えると、良い事には見えないよね)

 

 良い事には見えないと言いつつも喜色を隠そうともしないウェルは、やはり何かのトラブルに巻き込まれることを期待しているのだろう。

 ウェルはこう言うものの、単純に名前を覚えられただけの可能性も否定できない。こんな大雑把な性格をしているレベッカだが、以外にも交友関係が広い。名前を覚えることが友達の第一歩と言うのなら、名前を覚えられることは良い事に入るのではないだろうか。

 友達になった結果、面倒事に付き合わされるようになれば、良いことではなくなってしまうが、そんなふうに考えてしまうと友好関係が誰とも結べなくなってしまいかねない。

 ドレルを友人の位置づけになったのは少々失敗だったが、俺には頼れるともリャナンシーだっている。きっとレベッカとお友達になることも悪いことじゃない……はずだ。

 一番の友が``紅世の徒``と言い切ってしまうフレイムヘイズは俺ぐらいなものだろう。

 

「ところで、その隣のお嬢ちゃんをオレに紹介してくれよ」

「そういえば名前も聞いてなかったねえ」

 

 レベッカの一人称である『オレ』もまた彼女が男らしく見える要因なんだろうなと思いつつも、彼女の言葉に促されてリーズの紹介をする。

 俺がレベッカと初めてあった時はまだ大戦後間もない頃で、リーズとは出会う前だった。それ以降もお互いに欧州を拠点としているからか、外界宿で何度か世間話程度なら交わしていたがリーズとのご対面は初だ。

 レベッカにはリーズのことを話の種にもしたことがあったので、リーズが自己紹介を済ますと『そうか! お前が噂のフレイムヘイズだな!』と一人大きく頭を上下に振って納得した表情をした。

 噂といっても、俺がレベッカにしたリーズの事は大して話していないはずなのだが、連れがいるフレイムヘイズが珍しいのでよく覚えていたらしい。俺の名前を覚えていたのもそれが原因なのだろうか。

 俺とリーズのペアは一匹狼体質のフレイムヘイズにしては確かに物珍しいものなのかもしれないな。

 

「『オレ』──女性らしさ──ない……これなら問題ないわね」

「うん? 何が問題ないんだ?」

「いえ、別に。一緒に戦う仲間として問題ないと言っただけ」

 

 旅の仲間としては彼女は目立ちすぎてしまうが、戦う仲間としてはリーズの言うとおりレベッカは文句なしに問題はない。彼女以上を望もうとすれば、それこそ俺の窮地の知り合いで言えばサバリッシュさんやヴィルヘルミナさん、あとはかの最古のフレイムヘイズを頼る他になくなってしまう。

 レベッカを強さの基準で言えば、現在のフレイムヘイズの中で間違いなくトップクラス。それも限りなくトップに近いかなりの上位の強さを持つ人だ。俺とは両天秤になる。

 俺は一体レベッカのことを思考し始めて、何回自分がめっちゃ弱いって再認識しているんだろうと、ふと疑問に思ったが深く考えるのはこれ以上はよしておこう。自虐にしかならなさそうだし。

 

「何? あんたはオレの実力に疑問を持ってた口か?」

 

 リーズの言葉を悪い風に解釈、というよりは喧嘩腰に解釈し始めたレベッカ。

 口調の悪さといい、少々短気なところも前に会った時から全く変わっていない。成長してないな。精神的に。

 これがなければもうちょい付き合いやすい性格なのに。

 俺は苦笑をしてから、今にも拳を奮って実力を示しそうなレベッカを止めに入る。

 

「レベッカは、名前は強いって有名だけど実際には会ったことない奴の力は信じられる?」

「絶対無理だね。自分の目で確かめてからじゃないとな」

「信じられるのは自分で確かめた情報だけだよなあ」

「リーズが言いたいのもそういうことさ」

「ならここで実力を示せばいいんだな」

 

 喧嘩っ早いよ。もう少し落ち着いてくれよ。

 そう強気に突っ込みをレベッカに言うこともかなわず、俺は内心ビクビクしながらもまあまあと声をかけて落ち着かせる。どうどうと言ってしまえば『馬か!』の言葉と同時に爆発を食らっているだろう。言葉は慎重に選ばなければならない。下手な言葉は相手の導火線に火を点けることになりかねない。

 個人的にはレベッカに暴れ馬のイメージは結構しっくり来るとは思うんだけどね。

 

「ここで無駄な力を使うのはよしてくれ。戦場で是非ともその力を発揮してくれよ」

 

 俺のためにも、とは言葉には出さない。

 レベッカの戦い方は炸裂にして強烈。爆弾魔呼ばわりされる所以は、火力が命と言わんばかりの爆発。あるいは爆撃にある。

 その戦い方は見た目も騒がしくも華やかで、戦ってる最中までそんなに目立たなくてもいいだろうよと思うほどに目立ってしまう戦い方。

 普段の俺なら絶対にペアを組みたくない、近づくのすら嫌な戦い方なのだが、今回に限って言えばおれはそれに期待している。

 自分が目立つことを期待している。

 

「言われるまでもないね。任せな!」

 

 白い歯を見せて自信満々にそう言い切るレベッカ。

 ホント、頼りにしているよ。俺の未来のためにもね。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 ハワイまでの道のりは船で行くことになる。さすがのレベッカでもフレイムヘイズとしての常識は知っているため、飛んでいくなどという暴言が出ることはなかった。その代わり、頻りに船での移動を面倒くさいと文句を垂らす。

 船での移動は、行動をかなり制限されるため、レベッカにとっては苦痛なのだろう。二十世紀初頭の現在でも未来の豪華客船ほどではないが、客の暇を潰すことを考えた船は存在するのだが、これは今も未来も変わらずお金がかかる。

 今回の旅路は、外界宿からの要請だけあって経費はすべて向こう持ち。さらに統制下を図るためにも移動のほとんども全てが外界宿が担当している。今乗っているこの船も、勿論外界宿から出したものだ。旅費はかからず、食費もかからないが、その代わりにレベッカの言うとおりそこそこ束縛されてしまっている。

 早い移動を目的とされたこの船は客船と言うには遠く、貨物船に近い物である。

 文句を言うなら外界宿、ひいては交通などを管理しているピエトロに直接言うんだなと言って、レベッカを落ち着かせた。その鬱憤を含めて、是非ともハワイでの戦いで発散して欲しいところだ。

 最近の話題になっているのだが、移動手段が実はもう一つ生まれつつあったりする。

 飛行機。かの有名なライト兄弟である。

 飛行機を誰が最初に発案して設計図を書いたかは色々と諸説あるところだが、俺が飛行機のことを初めて知った時の記事では、ライト兄弟の文字が書いてあった。もうそんな時期かと少し感慨深くもなった記事だ。

 鳥のように自由に空を飛びたいと願う人は多く、それがもうすぐ叶うといったような記事だった。

 ピエトロなんかも新しい交通手段として飛行機の可能性を信じているようだ。ドレルから聞いた話が、飛行機事業にお金を投資する話もあるという。

 近い未来、飛行機が乗り放題になる可能性があると思ったら、自由に空を飛べる俺でも割と胸がドキドキする。死ぬ前、小市民の一人でしか無かった俺にとって飛行機とは結構高価な乗り物だったからね。

 今乗っている船のほうが疎遠な乗り物だったけど。

 物思いにふけながら船の甲板に立っていたら、船内の冒険からリーズが帰ってきた。

 

「普通の人間が多いわね。少し驚いたわ」

「一応、全員が外界宿の関係者だけどね」

 

 昔は暇なフレイムヘイズだけが務めていた外界宿だったが、ドレルやピエトロらの努力の結果、組織化されるまでに至った現在では、構成員の大部分を占めているのがフレイムヘイズではないただの人間である。

 組織化するにあたって、協力してくれるフレイムヘイズが少なかったのも人間を構成員に入れた理由の一つだが、フレイムヘイズの絶対数だって決して多くはない。組織の効率化を考える上では、人間の協力は不可欠であった。もちろん、ただの数合わせという訳でもない。

 フレイムヘイズはすでに逸脱してしまった者だ。異端者であるし、時の流れから置いていかれ、世界の仕組みから外れた者。だのに、世界の情勢や人間の常識が無ければ俺たちはあまりにも人間社会で目立ってしまう。人間社会の情報がなければふとした拍子に``この世の本当のこと``を露見してしまうかもしれない。

 そういった情報を手に入れるにも人間の協力は不可欠であり、これらの事を含め、外界宿では人間の構成員化を積極的に進めたのだ。

 とは言っても、人間の構成員の多くが何らかの形で``この世の本当のこと``の事を知ってしまい、それらの隠蔽のためといった薄暗い事情もあったりもする。さらには、そんな``紅世の徒``に怒りを覚えた人間が``紅世の王``と契約してフレイムヘイズとなる、フレイムヘイズ候補だったりもする。

 俺の言葉にリーズはううんと首を横に振ってから言う。

 

「そうじゃない。殲滅戦と言いながら、この船に乗っているフレイムヘイズの数が少ないから言ってるの」

「うむ。軽く数えたが、十は超えてないな」

「そんなもんじゃないか?」

「私は思ったより多いと思ったよ?」

 

 俺とウェルの言葉に目を丸くさせて驚く。

 フレイムヘイズの絶対数はほんとうに少ないのだ。いくら外界宿が殲滅戦をすると宣言し、参加者を募った所で集める数は限られている。

 

「今いるのが全員じゃないよ。ハワイに行くのはほぼ全員揃ってるけど」

「だからってたった十人程度のためだけに船を出すの?」

「うーん。そこら辺の経費関係はわからないけど、たった一人で数百人分の戦果を出してくれる人がいるからな」

 

 レベッカ・リード。おそらく今作戦の最大戦力だろう。

 彼女一人いれば、そこらの有象無象のフレイムヘイズを百人連れて行くよりよっぽどいい。彼女は``紅世の徒``さえ倒せればそれだけで十分に機嫌も取れることだしね。

 ハワイに行く際には、一度アメリカ大陸で降りて乗り継ぎをする。アメリカ大陸と言えば、大地の四神が外界宿管理をしている。彼らが直接参戦してくれれば、それこそこれ以上の人員の補強なんていらなくなるのに、彼らはすでに関わることをやめてしまったから、参戦は絶対に無理だろう。

 となればやはりレベッカが今回の作戦の一番の強者になる。レベッカとのタッグが決まっている俺は今作戦で一番の安全区域になることだろう。

 殲滅戦はかなりの広範囲で行われる。予定地は太平洋や大西洋と大きく括って二方面に分かれ、そこから各地域ごとに分散される。その地域の一つが、俺とレベッカの向かっているハワイであり、一番``紅世の徒``の犯行が大きくなると予定されている激戦区だ。

 常の俺なら、死の匂いが強すぎる戦場で、絶対に行きたくないと泣き叫ぶところだが、レベッカがいるだけでこの安心感。敵が強くないのも知っているため、そこまでの危機感は抱いていない。

 

「VIP待遇ってやつじゃないかな」

「貴方よりもすごいってこと?」

「当たり前だよ。当たり前。俺は底辺だしね」

 

 リーズは俺の言葉を首を傾げながら、どこか納得しなさそうな表情した。

 俺とリーズだって戦闘力で考えれば、リーズのほうが圧倒的に上だ。

 レベッカと俺を比べれば俺は霞むなんてレベルではなくもはや見ることはできない、ミジンコ以下のような存在になってしまう。

 

「まあいいわ。貴方が自分をどう思っていようが。それよりハワイに行くのがほぼ全員ってどういうことなの?」

「あれ、説明してなかったっけ?」

「ふむ、聞いておらんな」

「言ってないよ」

「言ってないわ」

「……そっか」

 

 皆に頭ごなしに否定され、少し心にぐさっときたがわずかに沈黙するだけに止めた。

 

「ハワイの殲滅戦に参加するのはたった四人、というよりは四組か」

「四組? それって私と貴方とあいつと後一人ってことじゃない」

「その通り! それで後一人とはアメリカで合流予定だ」

 

 今作戦のレベッカに続く戦力『骸軀の換え手』アーネスト・フリーダーとの合流である。

 俺がハワイ殲滅戦にあまり危機感を覚えていない理由そのニでもある。



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第五十話

 初めてユーラシア大陸以外の大陸へと足を踏み入れた。欧州から出たのは日本に行った時以来となる。この二度目の船旅は、レベッカの加護もあってなのか安全安心の極みであり、``紅世の徒``がいつ出るか分からない恐怖から来る、船の上での不眠症に悩まされることはなかった。

 その代わり、リーズが日本の時と同じように、船酔いして寝込んでしまったが、それは逆に平和を感じる平凡な日常だった。

 ずっとこんな時間が続けばいいのに。そう思うのも仕方のないことだ。

 思っただけではなく、口にも出していたようで、ベッドで寝てたリーズはその言葉を聞き『貴方は鬼ね』と涙目で言われた。不覚にも少しだけ可愛かった。

 リーズにとっては船上は些かも平和ではなかったようだが、俺にとっては平和な時間を過ごした船の時間は終りを告げ、アメリカの大地に足を踏み入れた。けども、ここも通過点にすぎない。

 本来の目的地は大陸を跨いだ先にある、アメリカの西側の海に浮かぶ島。近い将来には、日本人がしょっちゅう観光に行く観光都市となるが、今はそうではない。

 まず、ハワイがアメリカ合衆国に取り込まれたのは最近のことで、それも原住民を大虐殺し、凄まじい量の血を流しての力技での併合だ。大地の四神が怒り狂った原因の一端でもある。

 多くの犠牲のもと、今は落ち着いているが、まだ完全な統治とはなりえていない。

 とは言っても、フレイムヘイズが政治的な関わりを持つことはないので、ハワイの情勢がどうであろうと俺たちには関係ない。レベッカとフリーダーがハワイ周辺に巣食うであろう``紅世の徒``を討滅するのみだ。

 『ハワイ近辺の``紅世の徒``を殲滅せよ』これが、正式に外界宿から宛てがわれた依頼である。このような依頼を、現在世界中に散らばっている同胞たちが貰い受け、今回の``海魔(クラーケン)``の殲滅戦に当たることとなる。

 こう見えても外界宿の重鎮の俺は、本来であれば命令を出す側の立場。それ以前に、このような危険な仕事は引き受けない性質なのだが、色んな理由が重なってアメリカの地に居る。

 その理由だって大本はリーズにも話した、将来の争いごとに巻き込まれないための布石に他ならない。

 そうでなかったら今作戦の大本命。もしくは、最前線で俺が力を振るうわけがない。尤も、今回に限って言えば、大盤振る舞い、出血大サービスで思いっきり力を使うことにしている。これでもかと目立つほどに。

 いつまでも、一人歩きする噂に振り回されるだけでじゃないんだよ。

 ついに、理不尽な世界に復讐する時が来たのだよ。

 そう思うと自然と笑いがこみ上げる。

 

「ふっふっふ、なんて笑う人初めて見たわ」

「モウカいいよ、その笑み! なんだかすごく小物臭がして、私の中のモウカのイメージにぴったしだよ!」

 

 リーズとウェルの言葉に、高まった感情が冷めていくのが感じる。

 

「人がせっかくイイ気分になってたのに……」

「あんまりあんたのことを知らないオレが言うのも何だけど、見てるこっちは不気味だったぞ。あと、なんとなく可哀想になった」

 

 普段なら二人のダメ出しで終わるのが、まさかのレベッカまで加わり、

 

「それは僕も思ったねえ。僕は不気味よりも、しょぼくれた笑みっていう感想だけど」

 

 バラルのトドメが加わり四人による猛攻になった。通常の二倍のダメだし。

 ちょっと、ほんの少しだけ世界に復讐してやると思っただけで、この有様だ。

 世界が憎い。

 

「ふむ、まあ落ち込むな」

「慰めるなよ、フルカス。なんか……もっと惨めになるじゃないか」

「……すまん」

「謝らないでくれ!」

 

 フルカスの気持ちはありがたいものではある。しかし、この場ではそれは慰めにはならずに逆効果。俺を一層に惨めにするだけ。

 

「……別に私は貴方を馬鹿にしてないじゃない」

 

 リーズの声は、ウェルの笑い声で何も聞こえなかった。

 フリーダーとの待ち合わせ場所、西海岸に旅立とうという日の出来事であった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 

 

「お、発っ見~!」

 

 レベッカは獲物を積みつけたような獰猛な目をし、口の端が釣り上がる危険な笑みをする。彼女の見る先には、百九十を超える背丈と綺麗な金髪を持つスーツ姿の男がいた。後ろ姿しか見えないが、この時点で欧州系の美男子と呼ばれる部類の人間であろうことは間違いない。

 レベッカの声が聞こえたのか、こちらを振り向く。

 その姿は色白で白眉秀麗という言葉が似合いそうな、思った通りの美が付きそうな男。スーツの胸ポケットには小洒落た造花が挿しており、なんとなしに気障さを感じさせるはずなのだが、鳶色の瞳が強烈な眼光を発しており、レベッカと同様に雰囲気は強者のそれなので、気障さを感じない。

 姿だけを見れば、ただのお金持ちの坊ちゃんにしか見えないはずなのに、そうは見えないのはやはり猛者のフレイムヘイズだからか。

 お互いに歩み寄り、会話に支障のでない場所まで近寄る。

 

「ね、ねえねえやっぱりこの声はレベッカちゃんだったよ!」

 

 か細い音にどこか喜色が含まれる声。その声が神器と思われる造花より聞こえる。

 

「ああ、そうだね。ようやく待ち人が来たようだ」

 

 その声はようやく知り合いが来たと、気苦労を感じさせるものだった。

 

(そういえば、レベッカとフリーダーはペアになることが多かったんだっけな)

(レベッカの方は、『付き合ってやってるんだ』とでも言いそうだけどねー)

 

 一匹狼に近い性格を持っているレベッカだが、意外にも意外なことにレベッカの名が挙げられる時には、同時にフリーダーの名が挙げられることも多かった。

 たまにフレイムヘイズ同士、もっと大きくは``紅世``に関わる者同士には、なんとも言えない奇っ怪な縁があったりする。俺であれば``螺旋の風琴``リャナンシーがそれに当たったりするだろう。

 二人の関係が一体どういったものなのかは知る由もないのだが、腐れ縁なのは、眼の前で繰り広げられているお互いに遠慮のない会話が証明している。

 

「俺は待ちくたびれたぞ」

「うるせえ! 東海岸から西海岸まで思ったより距離があったのが行けねーんだよ」

「地図を見て、『大体一日これくらい歩けばいいんだろ』とか言ってさ。目分量もさることながら、手コンパス、それも動かすごとに支点と長さが変わるから、一日の分量もバラバラだったけどねえ」

「ほら、やっぱりレベッカじゃないか。何が三日以内に着くだよ。一週間も待ちぼうけを食らったぞ」

「ふ、フリーダー君落ち着いて。れ、レベッカちゃんも気にしないでね。その間、フリーダー君も私も退屈しなかったから。ほら、アメリカって色々と目新しいし、ね?」

「ふん。実際に歩くのと、地図じゃ距離が違ったんだよ。地図が悪ーんだ。地図が。それにお前だって、十分楽しんでんじゃねーか。私が早めに着くって言ったおかげだろ」

「なんだと?」

「なんだよ!?」

「ふ、二人とも、落ち着いてー!」

 

 俺、この二人と暫く行動するんだよね。かなり不安になってきたんだけど。

 俺の不安を感じ取ったのか、リーズが俺の顔を覗き込み、目線だけで『大丈夫?』と心配そうに聞いてくる。心配はすごくありがたいが、出来ることならこの二人の口喧嘩というか、子供の喧嘩みたいなのを止めて欲しい。

 挙句には『バカ爆弾』『セコイ詐欺野郎』などという罵倒まで飛び交い始める始末だ。

 彼女の王は火に油を注ぐし、彼の王はあわあわして、頑張って止めようとするものの効果なし。

 そろそろ人の目線も痛くなってくる頃だ。

 傍目から見れば、男女が四つの声で不可思議に喧嘩しているようにしか見えない。遠目から見れば、四つの声の持ち主に俺とリーズも含まれることで団体での喧嘩にしか見えなくなるだろうが。

 このままでは更に注目を集めかねない。

 フレイムヘイズは、基本的には人に紛れ、表立つこと無く、人知れず暗躍する者だ。今の状態はあまり好ましくない。

 目立ちたくない俺にとってはなお良くない。

 さらには、下手にアメリカで騒ぎを立てれば、せっかく鳴りを潜めてくれた大地の四神の怒りも買いかねないかもしれない。度量の狭い方々ではないと思うが、何がきっかけになるか分からないのだ。

 ため息をついてから、意を決して止めに入る。

 

「お二人さんとも。仲がいいのは分かったから」

「んだと!? いつこの根性なしと仲良くしたって!?」

「俺はこんなじゃじゃ馬な女と仲良くなった覚えはないのだが?」

 

 俺の心遣いの言葉は火に油を注ぐ結果となってしまった。

 もう嫌だ、こいつら。心ゆくまで喧嘩してください。

 俺が諦めるとポンと肩に手を置いて慰めてくれるリーズ。俺の気持ちを理解して、慰めてくれるのはこの子しかないよ。ウェルは俺の気持ちを理解した上で、爆笑中。声に出して『もっとやれー』なんて言っているくらいなんだから。

 この二人の再会頭の挨拶とも言える喧嘩はこの後十数分にも及び、それが終わってからようやく俺を含めて自己紹介を終わらす。

 リーズは当然だが、実はフリーダーとは俺も初めて会った。

 彼もレベッカと同じように外界宿に好意的に接しているフレイムヘイズの一人であり、今回のようなフレイムヘイズからの要請には積極的に関わっていたりしてもらっている。所謂、外界宿の戦闘面を携わっていると言っても過言ではない。ドレルが言うには、彼には近いうち一つの外界宿の運営や経営も頼みたいと言うほど、親外界宿派である。

 戦闘力もさることながら、そういった頭脳面も優秀なのだろう。多くのフレイムヘイズ特有の一人一党タイプではなく、集団戦や団体戦も出来る『犀渠の護り手(さいきょのもりて)』ザムエルのような珍しいタイプであるのが予想される。

 俺も個人で動くよりは、集団のほうが得意だが、知能面がさっぱりだからな。戦闘指揮は言うまでもなく、組織運営とか出来る気がしない。指示通りに動くのが精一杯だ。

 だがまあしかし、レベッカと喧嘩している姿は、どうも指揮官として優秀になり得るとは思えないんだよな。フレイムヘイズとして優秀なのは、肌で感じるけど。

 ……と、彼のことをよく知っている訳でもないし、俺が考えることでもないか。

 思考を切り上げ、これからのことについて話しあわなければならない。

 ハワイの``海魔(クラーケン)``の殲滅戦実行の日は明日。

 今日は、旅の疲れを取るために、かなりいい宿を取った。個人の部屋の大きさは、四人全員が集まっても余りあるもの。十人程度までは窮屈をしなさそうな作りだった。

 今は、四人全員が集まり明日のための作戦会議中。

 俺とリーズがソファーに隣り合って座り、机を挟んで向かい側のソファーにフリーダーが座っている。そのフリーダーが口火を切る。

 

「さて、早めに寝たいことだし、明日の『ハワイ解放戦』についてさっさと決めてしまおう」

 

 その言葉にいち早く反応したのは、フリーダーの隣が気に喰わないためか、自身のベッドの上に足を組んで座っているレベッカだった。

 はっ、と馬鹿にしたような言葉を出してから、口にした言葉は、

 

「決めることなんてないだろ。正面から喧嘩売って、殲滅。それ以外に何がある?」

「確認されている``海魔(クラーケン)``も``王``とは口が裂けても言えないものだしねえ」

 

 彼女らしい言葉。

 作戦なんて知ったことか。正面からオレの爆弾で全て蹴散らし、灰にしてやる。

 確かな自信を感じさせる『殲滅』の文字には、とても心強くなる。彼女にはそれが出来るだけの力があり、それは誰もが認めるものだけに、俺は異論がない。是非に、その力の限りを尽くして一人で狩り尽くしてくださいな。

 俺は、レベッカの自信を読み、その作戦でいいんじゃないかなと肯定の意思を示そうとするところに、フリーダーが眉をしかめる。

 フリーダーにとっては、その彼女の彼女らしい方法は不服のようだった。

 俺が肯定の言葉を言う前に、フリーダーが作戦の重要性を言う。

 

「仮にも俺たちは今回の作戦の部隊長なんだぞ。ハワイにおける戦闘は、この作戦の明暗を分ける物になりえる。だから完璧に仕事をこなさなければならないだ。それを正面から殲滅では、隊長のとる作戦としてどうかと思うが? それだけじゃない。さすがのお前とて、広い海全てを爆破できるわけじゃないだろ」

「そ、それにねレベッカちゃん。この後の作戦ではレベッカちゃんも隊長として戦わなくちゃいけないんだよ? ここで力を使いきっちゃったらダメだよね?」

「そういえば、二人は今回の作戦のあとは他の部隊と合流なのか。大変だな」

 

 二人は俺と違って部隊長としての戦いがこの後に控えている。

 このハワイはこれからの戦いの先駆け的なものだ。宣戦布告とも言うのだろう。ハワイで宣戦布告というとどうもあの戦争を彷彿させる。

 日本人には馴染み深いあの戦争だ。今から数十年後に起きると考えると、色々と込み上げてくるものがあるな。

 

「分かってくれるか。ドレルとピエトロも難儀なことを言ってくれるよ。いくらこちらに優秀なフレイムヘイズがいたって、この広いハワイの海戦にたった四人は厳しすぎる。なんだって重要なこの初戦でこんな少ない戦力なんだ」

「で、でもでもしょうがないよ。他の作戦にも人を用意しなくちゃいけないんだから、どこかしらで少数になっちゃう」

「分かってる。だからこその少数精鋭なんだろ。今作戦の最大戦力である俺たち部隊長を一箇所に集めてでも少ない人事で済ませようという」

「別に一人だっていいさ。オレが一人いれば十分。嫌なら、今からでも部隊に戻りな。部・隊・長さん?」

 

 相変わらずの喧嘩腰のレベッカ。フリーダーも遠慮のいらないレベッカがいるからなのか、感情を素直に表出しているが、もう少し抑えてもらいたいものだ。気持は痛いほど分かるが。

 しかし、これでドレルが俺をこちらへ向かわせた意図が分かった。

 これでもかというほどの実力者を集めた少数精鋭。海という広い戦場で、海戦になれないフレイムヘイズには少ない戦力は致命的だ。

 海に潜む``紅世の徒``を発見するのに探索系のフレイムヘイズを使用しなければならない。それが叶わないなら数によって人海戦術で見つけるしかない。だのに、フリーダーの知るフレイムヘイズであるレベッカはそれとは程遠いタイプであり、俺とリーズの力は知らない。

 俺の名前を聞いた時、「あの『荒らし屋』か」と非常に不本意な噂を知っていたので、その名前からきっと俺がレベッカに近い性質のフレイムヘイズであると勘違いしているのだろう。

 だが、実際には違う。

 

「二人共冷静になれってば」

 

 声が震えそうだったが、冷静を何とか取り繕い。まずは二人の意識をこちらへと向けさせる。

 実際にこちらに目線が注がれると、そのあまりの目のきつさからビクッとなりそうだったけどなんとか耐える。

 

「部隊長のメンツうんぬんは分からないが、殲滅だけなら多分難しいことにはならないと思うよ」

 

 そう、多分。

 俺の自在法があれば、海戦は苦にはならないはずだ。

 俺の言葉にフリーダーは目を丸くさせ、レベッカは獰猛な笑みを浮かべ──ウェルが小さく笑った。



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第五十一話

 『ドレル・パーティ』の一員でもあるパウラ・クレッキーは、彼女の組織の長とも言える人物の部屋へと訪れた。

 入口の前に立つと、軽くノックをし自身の名を明かして中に入ることへの許可を問う。するとすぐに、部屋の主から許可が出る。許可を得たことでパウラが、失礼しますの一言をかけてから部屋に入る。

 部屋に入りすぐに眼に入ったのは、中央でこれでもかと部屋の主であることを主張している長。ドレル・クーベリックその人だった。

 ドレルは、部屋の中央に客人を出迎えるかのように配置してある両腕を伸ばした程度に長い木製の机と、それとセットであるかのような木の椅子に座っている。机には何段にも積み重ねられた資料が乗っているが、散らかっている様子はなく、机の上は小奇麗に整理されている。

 ドレル自身も、資料の一つを手に取っており、深い皺を寄せながら目を細くし資料を食い入る様に見ているが、やがて資料から目を離し顔を上げ、先ほどまで資料に向けていた強い光の宿る目を、パウラへと向けられた。

 パウラはその視線を受けると、ビクッと身体がわずかに震えたのを感じる。

 未だ慣れない老人の尖すぎる視線は、体と精神が双方ともに小さく気弱なパウラにとっては心臓に悪いもので、それが素直な身体に反応として出てしまう。

 身体の反応はそれだけに収まらず、見られている今この瞬間も手汗が止まらない。

 

「報告かな?」

 

 その優しげな声を聞いてようやくパウラは緊張から解き放たれた。

 優しげな声と同時に、先ほどまでの眼光も優しい色に変わったからだ。

 ふぅと誰にも聞こえないように息を吐いて緊張を解きほぐすと、自らの契約する王から『大丈夫?』と音にならない声で心配される。パウラもいつも通りのその声に安心しながら、『なんとかね』といつも通りに返す。

 ドレルから向けられる強い光も悪意のあるものではないことは十分に承知ではあるのだが、その光の強さには思わず怯んでしまう。

 パウラは自身のあまりの気弱さに自分自身に呆れるが、治らないものは治らないし、怖いものは怖い。ドレルの行動や考えには舌を巻き、感心し、尊敬するものであるし、組織運営のなんたるかを自分に説いた師匠でもある。あるのだが、やはりあの眼光だけは慣れないものだった。

 あれだけ鋭い目をしているのに、彼自身は戦闘は得意としないというのだから驚きだ。

 

(これで戦闘に不向きなんだよね……猛者って言われるフレイムヘイズだと一体どうなっちゃうんだろ)

 

 外界宿という多くのフレイムヘイズの交流する場にいながら、彼女はその気弱な性格から、あまり外部のフレイムヘイズと接して来なかった。いつも彼女は、自分の部屋にこもって事務処理をするか、部下から報告を受け取り、それをドレルに伝達することしかやらない。その為、事務処理能力は『ドレル・パーティ』の中でも一・二を争うほどのものだが、コミニュケーション力はからっきしとなってしまった。

 よって、あらゆるフレイムヘイズと接する機会の多くなる外界宿に居るにもかかわらず、猛者と言われるような凄腕のフレイムヘイズと出会うことはなかったのである。

 

「はい、報告です。モンテベルディ様より、初戦は明日とのこと」

「そうか、ついに始まるんだね」

 

 ドレルは遠くを見るように言い、沈黙が訪れた。

 きっとドレルが見ているのは、初戦が始まるという場所。アメリカのことを思い浮かべているのだろう。

 ドレルが予てより言っていた、これから長く続くであろう戦の第一戦。それの火蓋が切られようとしているのだから、ドレルの言葉が深く重くなるのは当然のように思える。

 パウラもドレルを見習うように目を瞑り、想像する。

 思い浮かべるのは遠く離れた新大陸。

 大地の四神とまで呼ばれるフレイムヘイズ屈指の実力者が治めている土地であり、少し前に思い出すのも嫌になるような醜い争いがあったばかりの場所。多くの同胞らが、かの大地の四神の怒りを鎮めるために身を捧げた。

 それでようやく訪れた僅かな安寧の後、今回のような事が起きる。

 ``海魔(クラーケン)``の一斉討滅の第一陣ハワイ解放戦。一見してみれば世界中に居る``海魔(クラーケン)``への宣戦布告なのだが、その実は『封絶』をよしとしない集団『革正団(レボルシオン)』への警告だ。

 まるで宗教のような奇妙な広がり方を見せる集団は、非常に危険で厄介。今回のこの警告を受け取らないようであれば、全面的な戦いになるのは明白となっている段階まで来ている。

 これから始まろうとしている戦いはただの前座のように見えるのだが、そうではない。

 特にハワイ解放戦に至っては、今作戦(``海魔(クラーケン)``一斉討伐)の要となっている。

 これは警告(見せつけ)なのだ。

 我々『フレイムヘイズ』を敵に回したらどうなるかを奴らに教えるために。

 ドレルも言っていたが、そうなるとハワイ解放戦を敵に如何に印象づけるかが重要となる。

 

「……圧倒的な勝利。敵に見ただけで怯えさせるほどの結末が好ましいんですよね?」

 

 突然のパウラの言葉に、目を瞑って沈黙を作っていたドレルの口が開く。

 

「そうだね。それが好ましい。そして、それが可能な猛者を向かった」

「……『輝爍の撒き手』レベッカ・リード様と『骸軀の換え手』アーネスト・フリーダー様」

 

 外界宿にほぼ引きこもっているような状態であるパウラでさえも、レベッカの武勇伝は耳に届く。

 彼女に睨まれたものは爆発するという。

 それはパウラが聞いた噂の一つだがこの噂が流れた時、大半のフレイムヘイズは噂を疑うことなく、あいつならやりかねないと頷いていた。中には欧州一の猛者と言う者さえ居る。

 それほどに桁が外れた化物。

 そのレベッカと肩を並べるようにして立つフリーダー。

 レベッカほどの派手な武勇伝は聞かないものの、彼はよく外界宿に出向くため、為人はむしろレベッカよりよく知っていた(パウラは猛者と聞くだけで、自分の執務室に引きこもってしまうので会ったことはない)。

 性格は、フレイムヘイズには珍しく慎重にして堅実。ただ力を振るうだけではなく、頭を働かせることの出来る指揮官としても活躍できるタイプのフレイムヘイズであり、その為人から組織運営も可能とドレルが見るほど。

 その力のほどはパウラはあまり知らないが、レベッカと肩を並べても遜色ない活躍をすることからも、実力は十分にあると予測できる。

 ああ、一体どんな恐ろしい風貌しているのだろうか。

 想像しただけで体が震えてきたパウラだったが、ドレルが契約した``王``の``虚の色森``ハルファスの高い声によって現実に戻される。

 

「あーっ、あと『不朽の逃げ手』も行ってるんだよね!?」

 

 ハルファスから出たその名を勿論パウラも知っていた。知らないはずがなかった。

 外界宿それも『ドレル・パーティ』に属していれば、誰もが知っている名。彼がいなければそもそも『ドレル・パーティ』は存在することはなかったであろう、一番の協力者。

 それだけではない。

 彼の噂は先程のレベッカの武勇伝を凌ぐ勢いで、外界宿に幾つも伝わっているのだから。

 

(それに……あの子を預かってくれた人)

 

 パウラにとっては最も新しい記憶の一つ。

 自身に手に余るフレイムヘイズを一時的にとは預り、一旦帰ってきた時のあの子は少し晴れやかで、ちょっとだけ明るくなっていた。

 パウラの預けた時の内心では、戦々恐々としていたのだ。

 彼についての噂はどれも猛者のそれであり、噂を聞いて想像をすればするほどパウラの中では恐ろしい外見で、性格はその外見と釣り合うものであると思い込んでいたのだから。

 しかし、ドレルや帰ってきた子の話を聞けばどうも違うらしい。

 

「そうだね。私も正直驚いたよ。彼の参戦は見込めていなかっただけにね」

「そうなのですか?」

「うん。積極的に争いごとに顔を出すような性格ではない。それよりもむしろ」

「避けるような方、でしたっけ?」

 

 疑問符がつくのは、未だに信じられないから。

 聞いた性格によれば、今まで聞いた噂が嘘になる。噂が真実であるならば、聞いた性格が嘘になる。どちらかが正しいのかはパウラは分からない。

 ただ……

 

(大戦で活躍できるような人なら、性格は置いといても、すごい力の持ち主なんだろうなあ)

 

 実力が偽物であるとは思わなかった。

 

「彼には彼なりの考えがあるのだろう。こちらとしては戦力が増えてありがたい」

「そう……ですよね」

 

 パウラは再び目を閉じる。

 無茶な願いを聞いてくれた、まだ見ぬ恩人の無事を祈って。

 

「……しかし、彼にはあのことを教えるのを『ついうっかり』忘れてしまったな。ハワイ『解放戦』の意味を」

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 空はどこまでも青く、雲一つない晴天だった。アメリカは西海岸沿い、海は穏やかで、風も吹いておらず、耳にはただ波しぶきの音だけが届く。これから戦乱の幕を開けようというのに、その気配を微塵も感じさせないほどで、フリーダーは自分たちのこれからの行いが場違いであるかのように錯覚させられる。

 しかし、その美しいとさえ言える光景は、仲間であるリーズの『封絶』の言葉と同時に姿を変える。

 世界は紅へ。

 

「大きさはこれで十分?」

「十分? これは広すぎじゃないのか!?」

 

 『堅槍の放ち手』リーズが張った封絶は、ここからでは果てが見えず、ハワイ諸島まで続いてしまうのではないかと疑ってしまうほどに大きい。

 昨晩の作戦会議では、どうやって``海魔(クラーケン)``共を呼び寄せるかについての議論もあった。``海魔(クラーケン)``はこの広い大海原のどこかに存在している。だが、正確にどこにいるかは把握されておらず、過去に人間が襲われた地点を起点にして地道に探すしかない。

 フリーダーはそれを含め、人員が必要だと訴えたのだが、それを『不朽の逃げ手』モウカは必要ないといったのだった。

 彼は続けて、説明するよりも見たほうが早いと言い、結局は詳しい作戦は決められずじまい。レベッカは楽しそうにしていたが、フリーダーとしては不安と不満が残っただけ。

 その理由の一つとしてはフリーダーは『不朽の逃げ手』のことを噂でしか知らない。

 フリーダーがまだ``紅世の王``と契約したばかりの時、参戦させられたあの大戦にも同じく参戦し、名を馳せたらしいことは知っているが、それ以上のことは知らない。

 噂からすれば凄腕らしいが、彼の戦いを目で見たわけではないから信じられない。

 何も分からないまま。

 

(それに、強いフレイムヘイズ特有の覇気というものもない。溢れ出る存在をあまり感じられない)

 

 実際に目にし行動を共にしているのだが、噂のような歴戦のフレイムヘイズとは思えなかった。むしろ、契約したばかりの新人の方が、まだ力を感じさせてくれる。それほどまでに、彼からは力を感じなかった。

 その彼が自信満々に平気だというのだ。

 不安を感じないほうがおかしい。けれど、彼の作戦を無碍にも出来なかった。

 発言からは自信を感じ取れるし、それ以上にフリーダーにも有効な作戦を思いついていなかった。頭にあるのは自身の得意とする自在法で、海底に自分に模した人型の爆弾で爆破して攻撃するレベッカのような、力技の作戦しか思い浮かばなかったのだから。

 レベッカのようなという時点で、この作戦を進めるきもなかったし、何よりこれは作戦といえるほどのものでもない。手詰まりだったのだから、彼が行おうとしていることをやるだけやらして、失敗したなら諦めて力技で突破すればいい。

 フリーダーとしてはその作戦には納得行かないものがあるものの、結果的に成功すれば無問題だ。レベッカには隊長だからとか説いたものの、現状の戦力で出来ることはあまりにも限られている。

 そう思って、自分を納得させたというのに。

 眼の前の光景は何だ。

 馬鹿みたいに大きい封絶を張って、何をしでかそうというのだ。

 

「広すぎるって言われてもさ。``海魔(クラーケン)``はハワイ本島とアメリカ大陸の間で一番目撃されてる。なら、その間を封絶で囲って無理矢理にでも戦場を作ったほうが手っ取り早くない?」

「手っ取り早いかもしれないが、だ。それでは臆病者の奴らは出てこない」

「あと、さすがにハワイまでは封絶張れてないと思うわ。めいいっぱいやったつもりだけど、あと一回は張り直しが必要じゃない」

「それならそれでいっか」

 

 ``海魔(クラーケン)``は船にフレイムヘイズが同乗していると襲ってこなくなるような、姑息な奴らだ。こんなにも正々堂々と封絶を張れば、封絶内に入ってしまった``海魔(クラーケン)``は当然警戒し、出てこなくなってしまう。

 そうなれば、こちらからわざわざ出向いて戦うしか余地は無くなり、``海魔(クラーケン)``の得意分野である海の中での戦闘にもつれ込むことになる。

 それは力の差があったとしても危険な戦いだ。

 フリーダーが避けたかったことの一つである。

 それを彼は平然とやってのけた。

 だというのに、彼の表情は変わっていない。ことの重大さが分かっていないのか。それほどまでに、猪突猛進で馬鹿だというのか。

 

「き、君は──」

「それでどうすんのさ?」

 

 フリーダーが惨事に苦言を呈そうとするのを遮るように、フリーダーもよく知る女性が彼に問うた。

 心底楽しそうに、笑いながら。

 

「どうするってこうするのさ。ウェル、俺たちの十八番行くぞ」

「よし、任された!」

 

 風が吹いた。

 風はやがて強くなり、モウカを中心にして渦を巻き始める。渦の中心が大きくなり、フリーダーたちも囲みきる。渦の中心には風はなく、時間が止まったかのような空白だった。渦は眼に見えるほど大きくなり、その強さを増していく。中心部分が広くなっていくのと同時に、渦も規模をどんどん増していき、その渦の勢いはハリケーンを彷彿させるほどになる。場を風が支配していた。

 この風にフリーダーは見覚えがあった。

 忘れることも出来ない強烈すぎる戦火の中。この風はありとあらゆるものを無視して現れた。``紅世の徒``、フレイムヘイズを関係なしに全てを暗雲の嵐の中へと包みこんんだ。

 当時のフリーダーはその状況に驚くばかりで、何が起きたかは理解できず、いつの間にか生きながらえていた。気付いたら嵐がやって来て、去っていったら危険も去っていたのだ。

 あの時のように雨は降ってはいないが同じ風だった。

 

(じゃあ、あの時の嵐は)

(そ、そういうことだよね?)

「やっぱりな、オレはそうじゃないかと前から思ってたんだ」

「本人に聞いても、思い出したくないとか言われて、話を拒否られてたもんねえ」

 

 フリーダーが気付いたようにレベッカも同じ所に気付いたらしかった。

 驚いているフリーダーとは違い、レベッカは溢れんばかりの笑顔だった。

 

「さーて、前進だ」

 

 風の渦が動き出す。

 渦の前に海は無意味だった。海を抉るように進んでいるせいか、モウカの歩く場所は全て陸地になっていく。水が風によって巻き上げられ、海中なんて存在は全て吹き飛ばされる。渦の全てが海の中に収まると、それはまるで渦潮のようになる。

 今いる場所は海底であるはずなのに、封絶によって赤く染められた空が見える。

 

「『嵐の夜』渦潮バージョンって感じかな」

 

 起きている現象は過激で、とてつもなく大きな力を発揮しているというのに、その声はどこまでも平凡だった。

 リーズがサッとモウカの前に立つ、と同時に赤い空に影が現れる。

 

「ほら、おでましだよ。みんな仕事して仕事ー」

「フリーダー君!」

「分かっているよ」

「やーっと、お楽しみな時間だ」

「それじゃ楽しむとしようか」

「貴方はあまり前に出ないで!」

「お主はそこで自在法を維持してれば良い」

 

 ハワイ解放戦。

 圧倒的な力を誇るフレイムヘイズによる``紅世の徒``の殲滅戦が始まった。



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第五十二話

 方法は実は幾つかあった。今行なっている『嵐の夜』によって強引で強烈極まりない方法を用いて、まるで俺がここに居ることをこれでもかと主張する方法を取る必要性もなかった。というよりも、この『嵐の夜』による力技の作戦は普段なら最も避けるべき方法であろう。

 良くも悪くもこの自在法は目立ってしまう。

 『嵐の夜』は俺にとっては最高の自在法で、これ以上のものはないと自負するぐらいの出来のいい自在法であるが、それだってメリットだけでなく、デメリットもある。長所があれば短所は付き物なのだ。

 『嵐の夜』の本来の弱点とも言うべき短所は、例えば雨を防がれてしまえば、存在の隠匿が出来なくなってしまうなんていう、自在法そのものを破られかねない物もあるが。この場におけるデメリットはそれを指してはおらず、目立ってしまうの一言にまとめられる。

 封絶もなかった時代、このデメリットはあまりにも問題だった。

 嵐を呼び起こす天災級の大規模な自在法である『嵐の夜』は、人の目にも``紅世``の関係者の目にも留まりやすい。中でも人は『嵐の夜』によって災害をかなり被った。

 そういった目に見える力は色々と災いをもたらすことは、長い人生経験上の確信であり、『嵐の夜』は無闇矢鱈と発動する訳にはいかない自在法でもあった。

 工夫を凝らして、自在法の規模を小規模のものへと変え、目立たないようにしたこともあったが、それは応用技であり、細かい制御だとかが非常に面倒なものだ。

 小型化させて複数を操るのは大変。何か動作を間違えれば、せっかく小さくまとめたのに暴走して大きくなってしまったり、小さくまとめ過ぎたら『嵐の夜』本来の力が発揮できなくなってしまったりする。それを複数個を同時に繊細にコントロールしなければならないのだから、どれほど苦労するかは分かってもらえるだろう。

 気持ちとしては、やはりどかんと一発、何も考えずに『嵐の夜』を発動できる方が、楽ですっきりする。

 しかし、封絶が発明される前はそれをすることが、躊躇われ、控えなくてはならなかった。目立ちすぎるという理由から。

 でも、封絶が発明されたからといって『嵐の夜』を使う機会が増えたわけではない。いや、俺の場合は封絶自体をあまり使いたくないのだから、『嵐の夜』を使う機会が増えるわけがなかった。封絶については散々考えた末に、対処法も出来たのでいいが、『嵐の夜』はめっきり使えなくなってしまった。

 俺の最終手段であり、最終兵器でもある『嵐の夜』の使う機会がないというのは、そのまんま俺の平和に結びついてるので、たまにはストレス発散がてら使いたいなと思うことはあっても、使えないことに文句はない。

 『嵐の夜』は俺の最高の自在法でありながら、俺が最悪に目立ってしまう自在法であった。

 つまり、俺がこの自在法を使う時は目立つことを承知の上である。

 

(今回の戦い。何も海戦というだけなら『嵐の夜』にこだわる必要はないんだけどね)

(ただ戦う場を作るだけなら『青い世界』で十分だもんねー。それなのに、モウカは目立つ方法を選んだ。私にも話してない秘策でもあるのかな?)

(まあね。言っただろ? この戦いに加わったのは、将来のためだと)

 

 ウェルの言うとおり、レベッカたちが戦い易い戦場を作るだけであれば『青い世界』で十分なのだ。あの自在法の意味は、俺が最大限に有利になる戦場を水に染めることで、自分の優位を築き上げるもの。この効果をレベッカたちにも恩恵を受けさせることは造作も無いことであり、過去には大戦で活用し、九死に一生を得た。

 『青い世界』は地味な自在法だが、今みたいな状況では存分にその力を発揮できるだろう。

 自分の優位を築くと説明すると、逃げるときにも活用できそうなものだが、『青い世界』を使って逃亡するくらいなら『嵐の夜』の方が手っ取り早いから、使うことはなかった。それに、『青い世界』は『嵐の夜』ほど周囲に目立つわけではないが、何も無い陸地に俺が逃げ切れる距離を稼ぐ分だけの水を出現させることになるのだ。自然現象として誤魔化せる『嵐の夜』は人間にその現象を見られても平気だが、『青い世界』はあまりにも不可思議な現象になる。結果、逃げるのには向かない。

 

(将来のためねえ。今、目立つことがモウカの安全に繋がるっていうこと?)

(結果的にそうなるはずだ。だから、ここであえて目立っとくのさ)

 

 今まで目立つことは俺を死へと追いやる原因の一つであり、避けられるならば避けるべきことであったのだが、現状に至ってはそうとは限らないのだ。

 ここで目立ってしまえば、大戦と同じような必要のない名声やいらぬ注目を集めてしまうことは、目に見える地雷とも言える。

 名声はあらぬ厄介事を呼び寄せる元凶となり、注目は俺の行動が縛られる可能性を帯びている。フレイムヘイズの厄介事といえば、ほぼ百パーセント``紅世``関係であり、そこに戦いが発生することを暗に意味する。行動が縛られれば、俺にとっては名称でもある『逃げ』を封じられ、死に抗う術をを失うことになるかもしれない。

 考えれば考えるほどに恐ろしいが、これらは全て最悪を想定した場合のこと。余程のことがなければ、そんなに追い詰められる状況には至らないだろうし、現になっていない。

 何も有名になることは悪いことばかりではない。有名になればその名だけで``紅世の徒``が、戦うことを避け、無意味な戦いをせずにすむかもしれない。これは二十世紀になった今もフレイムヘイズの間で名乗りが無くならない理由の一つでもある。

 一部では、騎士としての誇りがーとか、カッコイイだろ? とか言ってる旧世代的だったりお馬鹿なのもいるようだが、俺は間違いなく本来の意味で名乗りをあげようと思っている。

 ……いつも事前策で、``紅世の徒``自体に遭遇しないようにしているから、名乗らないと戦闘を避けられない場面自体になったことはないのだけど。

 しかし、これからは活用する場面が出てくる。

 今までは俺が恐怖から``紅世の徒``を避ける時代だったが、これを機に``紅世の徒``が俺を避ける時代になってもいいと思うんだ。

 そして、その最初の一歩が──

 

「海……ね」

 

 俺を護るように前に立ち、俺の周りの大きな盾を操っているリーズが唐突に言葉を発した。

 俺たちの周りではレベッカが発狂しているため、爆音と雄叫びが酷く、リーズの声は密着した距離だからこそ聞こえたものだった。

 

「ん、どうした? リーズ」

「ううん。海って本当に広い。貴方がここまで本気を出しても、この風はハワイにも届かないなんて」

「これでもモウカは全力ではないけどねー。『嵐の夜』なんて大袈裟に言ってるけど、風を操ってるだけみたいなもんなんだし」

「『嵐の夜』の本質は風と雨。それも存在を暗ます特別な雨があってこそだからな。これは雨が必要ない分だけ、変な自在式も必要ないし、余計な力も使ってないんだよ」

「それを差し引いても、お主のその出力は中々のものだ」

「一応、五百年生きてるしね」

 

 てんやわんやの五百年だが、その生きてきた経験は得難いもの。がむしゃらに生を掴むために努力して、戦ってきたのは伊達ではない。

 ある意味、五百年の重みを誰よりも理解しているのは俺なのではないだろうか。苦労の数が誰よりもあったかは別としても、一秒一秒を大切にして、生きることのみ全てを費やしてきたのは、俺ぐらいなものだろう。

 生きるための努力なら、誰よりもしてきたつもりだ。

 

「それでもこの海全てを抉り取ることはできないのでしょ?」

「そりゃあ、まあ……出来るわけがないのが常識だろ」

「はあ、残念だわ」

 

 悲しそうなため息をここぞとばかりに吐いて、先ほどまで俺に向けていた期待の目を、虚しさのこもったものへと変えた。

 戦場は相変わらずやかましく、爆発音が響いている。気づけば周りは爆弾だらけな上に、泥人形のようなものまで現れて──爆発する。

 さっきから爆発しかしていない気がするが、どうでもいいことだ。俺に被害が来ないのであれば。

 爆風や爆発の際に飛び散った色んなモノは全てリーズがガードしてくれている。

 

「何が残念なのか、全く分からないんだけど」

「簡単よ。私が憎くて憎くて仕方ない海を、その風で吹き飛ばして欲しかったの」

「……は?」

 

 俺はリーズの答えに目を丸くした。

 それってつまり、地球の約七割もある海の存在をなかった事にしたいということだよね? 規模がでかすぎるって突っ込むべきか、何を馬鹿なことをと呆れるべきか分からない。

 俺がどう言えばいいか分からないのをよそに、耳元から聞こえるのは爆音からウェルの爆笑に変わっていた。

 

「発想が愉快すぎるよー! さっすがモウカの相棒だよね! 思考も似通ってきたのかな?」

「俺はどんな思考をしても、海を無くすなんて結論は出ないよ」

 

 それに海がなくなったら、大量の人間が死ぬよね。下手したら、人類滅亡だよね。フレイムヘイズは寝食がなくても一応生きていけるからいいものの、人並みの生活そのものが死語になるぞ。

 勿論、海を消失させるなんて馬鹿な事をするフレイムヘイズも``紅世の徒``もいないと思──一人だけやる可能性のある``紅世の王``を思い出しちゃったよ。

 やだなー。さすがにそんな実験をしようなんて思わないよね。あいつ。

 怖いから考えるのもやめとこ。

 

「海なんて大嫌いよ。海があるから、船酔いなんていうあってはならないものが存在するんじゃない」

「あー、そういうことか」

「それ以外にあるの?」

「同情はするけど……」

 

 リーズの船酔いの酷さはよく知っている。船が一揺れで、彼女の中の物が排出されゆく姿には涙なしには語れず。少女という幻想に包まれた存在のその哀れな行為には、夢を抱く男子諸君は絶望を味わうしかない。

 悲惨な光景。

 この言葉が船上の彼女よりも似合う人を俺は知らない。

 それを思えば、海を恨む気持ちも分からなくもないのだが、その原因って結局船だよね。悪いの船じゃねと思わなくもなかった。

 

「そうだな……いつか海に感謝する日が来るかもしれないぞ」

「どういう意味?」

「海に助けられる日が来るってことだよ」

 

 話は戻る。

 リーズにも俺が言ったように海は広大で、地球の約七割を占めると言われている。

 俺が今まで逃げて来た場所は、海を除いた残り三割の大地。それもほとんどが三割よりも限られた欧州の地のみだ。地球規模で考えれば、かなりの狭い範囲内で逃げ回っていたことになる。

 だが、これからは海にも逃げれるようになれば、生存率はさらに高まることになる。

 緊急避難先として、違う大陸へ逃げる逃亡経路として。海の活用法は幾多にもある。

 今回の``海魔(クラーケン)``殲滅戦に参戦した最大の理由はこれだ。海を解放すれば、結果的に俺の生きるための活路が見出され、海が最も安全な場所になる日も近くなるだろう。

 

「モウカの言いたいことは分かったけどさ。私はそう上手くいかないと思うなー」

「上手くいって欲しくないの間違いじゃないか?」

 

 その方がウェルの望む面白い展開とやらになりやすいだろうし。

 俺の逃げ道に海の選択肢が生まれれば、今までのような危険と隣り合わせの生活とはおさらばできる。そうなってしまうと、愉快主義のウェルとしてはつまらないものになる。

  主人公はその後の人生を安寧に幸せに生きましたとさ、ではウェルは納得できないだろう。

 

「うーん、策が失敗して狼狽えるモウカを見るのは私の楽しみではあるけど……」

「失敗しても絶対に狼狽えてやらないからな」

 

 失敗するとも思ってない。思ってないけど、念の為に心の準備だけはしておこう。

 

「モウカも言ってたけど、海は物凄く広いんだよ? その海にいる全ての``海魔(クラーケン)``を殲滅できると思わないし」

「そればかりは私も同意。ハワイまでの中間だけで苦労してるのに本当に殲滅できるとは思えないわ」

 

 二人の口から出たのは正論だった。

 正論だが、俺はすでにそれについての対策も考え済みだったりする。というよりも、もとより二段構えの策だ。

 

「俺も出来ないとは思う。だからこそ参戦したんだ。この一戦だけとはいえね」

「自分の力で殲滅を可能にするって言うの?」

 

 貴方にしてはえらく強気ね、と流し目でこちらを見ながらリーズが言う。

 

「俺にそんな大それた力はないよ。あるなら毎日ビクビクしながら生きてないし」

 

 殲滅出来る出来ないは関係ない。

 大切なのはこの``海魔(クラーケン)``殲滅戦において、『不朽の逃げ手』という存在が活躍した事実を作り、可能な限り目立って目立って目立ちまくって、存在をこれでもかと主張し、俺が自在法を用いて海を制したと``紅世``の関係者に思わせること。

 海というフィールドにおいて、俺が如何に戦えるかをこの世界へと示し、海の存在自体が俺に優位に働くことを``紅世の徒``に身を持って教える。

 そうすれば、次に上がる名声によって俺は他称海戦最強のフレイムヘイズの肩書きだけを手に入れることだって出来るかもしれない。普段であれば余計な肩書きだが、この肩書きがあれば``海魔(クラーケン)``の殲滅を失敗しようとも、臆病者の奴らは俺に手出しをしなくなるだろう。臆病者の気持ちは臆病者が一番理解できる。

 勿論、それでもベストなのは``海魔(クラーケン)``を殲滅してしまうことには変わらないが。

 海では、最悪の状況に陥った際に、欧州のように他のフレイムヘイズに助けを求めることは不可能だ。ならば、不穏分子がいないに越したことはない。

 今までだって海に出ることは不可能じゃなかったが、欧州から出なかったのは、不測の事態を避けるため。欧州なら、``紅世の徒``と遭遇する可能性も高いが、味方がいる可能性も比例して高くなる。それに、なんといっても外界宿がある。

 外界宿に長居することはないが、``紅世の徒``の情報を持ち、一時的な避難場所として優秀な外界宿は欠かせない存在だ。

 この外界宿がしっかり機能しているのが今までは欧州しかなかった。

 アメリカでは大地の四神が外界宿に収まったことにより、鉄壁の守りとなっているが、それもつい最近のこと。中国でも新しい組織が動き始めているが、日本にいたってはまだない。

 欧州が一番危険だが、安全な場所でもあったことが分かる。

 だけど、これからは安全な場所に海が追加される。

 

「ウェル。残念ながら今回俺は涙を見せることはないよ」

 

 自信がある。

 だというのにウェルは俺の自信を無視するように笑いながら言う。

 

「私はそうは思わないなー」

 

 爆発音の収まった戦場で、その言葉はよく聞こえた。



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第五十三話

 改めて感じさせられることは、俺が実戦力としては成り立たないことだ。俺の用いる自在法は、全体に作用を及ぼすものが多く、個人単位の自在法は『色沈み』ただ一つ。単一戦力としては、俺を今日一日を通して護り抜いてくれたリーズよりも下の下。

 レベッカ、フリーダーと欧州指折りのフレイムヘイズがいるのだから、余程の事態が起きなければ、俺が危険な場面に出くわすことはない。

 それはすでに証明されているようなものだ。

 俺が『嵐の夜』を用いて渦潮を作り、海を行進初めてそろそろ一日が経とうとしているが、危険を感じたことは一回もない。

 繰り広げられているのは、圧倒的実力差のせいか、残忍と思えてしまうほどの殲滅戦。``海魔(クラーケン)``が俺の自在法にまんまと引っかかると、現れた瞬間に爆発、爆発、爆発の嵐。逃げようものなら、爆弾付きの土人形が行く手を塞ぎ、これまた爆発。

 お前らの頭の中には、何かを爆破させることしかないのかと思わず突っ込みたくなるような、爆破ぶりだが、突っ込むことはない。特にレベッカに爆弾魔と直接言えば、導火線に火をつけるという物。それこそ自爆みたいなもんだ。

 俺とレベッカの関係は比較的良好なもの。彼女はかなり強いのでこの良好な関係を維持しといて損はないので、わざわざ怒らせる必要もないというものだ。

 一応、美女の部類に入るしね。

 フリーダーとも交友関係を作っておくに越したことはないが、彼は頭がいい。レベッカなら口八丁で調子づかせて、協力を仰ぐことも出来るかもしれないが、フリーダーはそうはいかないだろう。逆にドレルが俺を利用するように、利用されかねない。

 ならば、利用価値の点ではレベッカに劣る。調子に乗らせすぎると制御できない欠点もあるが。

 

「どうしたの、考え事?」

 

 時間はすでに夜。

 空と同じ真っ暗に染まっている海の上にこの船は停泊していた。大型船ではないが、各フレイムヘイズに部屋が与えられる程度には大きさのある、土で作られた船だ。

 この船は、フリーダーの自在法によって形作られたもので、フリーダーが言うには土人形と同じ原理で出来ているらしい。

 俺の知っているフリーダーの力は硬質変化。土人形はそれを応用し、爆発性を帯びた物しているとか。

 芸達者な能力なことだ。硬質変化というくらいなのだから、自身の硬質を変化させ、固体から液体への形態変化などもお手の物なのだろうか。液体になったら敵の攻撃とか、無効化できそうだよね。

 ……ちょっと羨ましい能力かもしれない。

 詳しい原理とかは説明されていないので分からないが、戦い方の説明を聞いて思ったのは爆発性を付け足すあたりはレベッカの影響なのかなと。なんだかんだで仲いいよね、二人。やっぱり、ケンカするほど仲が良いという言葉はこの世界の真理っぽい。

 とまあ、そんな感想は置いとく。

 真夜中の甲板で、これでもかと星が輝く夜空を見ながらボーっと今後のことについて考えていた俺に、よく知る声が話しかけてきた。

 

「それとも、``海魔(クラーケン)``が怖くて寝れなかったとかじゃないわよね?」

「あははー、まさかー」

「……わざとらしい、笑い方ね」

 

 戦いの興奮が冷めなくて寝れなかっただけだよ。血が滾ってしょうがなかったからね。もう``海魔(クラーケン)``を見る度に、震えが止まらず、嬉しさのあまり涙も出ちゃったくらいだ。

 久々の戦いだったからね。しょうがないよね。

 

「私は隣の部屋からウェルの笑い声が聞こえてきて、うるさいから目が醒めたのだけど?」

「何が面白かったのかな。分からないな。うん、全然分からない」

 

 俺が海の上で怖がるはずないじゃないか。俺はあれだぞ。この戦いが終わった頃には、海の魔神とか、海の王様って言われて、『モウカ様は海の覇者だ』と噂されるようになるんだぞ。そんな俺が海を怖がるわけがない。

 ついさっきまで``海魔(クラーケン)``を目のあたりにしてきており。出てきた``海魔(クラーケン)``のどれもこれもが、人の形とは程遠いもので、見るからに恐ろしい様だったのは、決して俺が寝ていない理由ではない。

 だって、そうじゃないか。俺は``海魔(クラーケン)``との戦いの間に危機は感じていない──俺の命を脅かすようなことはなく、危険なこともなかったのだ。

 ほらな。``海魔(クラーケン)``が恐れる対象にはならないだろ。

 人を丸呑みできそうな大きすぎる口、丸くてギザギザな歯がぎっしり詰まっていて、『ぎしゃーぎしゃー』という意味が分からなすぎる鳴き方とか、唾を吐いたら地面が溶けるとか、もう……夢に出てきそうじゃないか。なんなのあれ、気持ち悪いなんてレベルじゃなかったんだけど。

 ``海魔(クラーケン)``といえば、神話に出てくるタコの化物じゃないのかよ。あれでは謎の生命体だよ。見ただけで正常な人ならあまりの光景に目を背けたくなるような醜態だったぞ。

 そう、だからこの感情は恐怖ではなく嫌悪なのだ。

 

「ふーん……別にいいわ、答えなくても。理由なんて気にしてないし」

 

 必死に言い訳を考えてた俺の時間をリーズは言葉で無意味なものとさせた。

 遠慮というものがない。

 

「それにしても凄いわね、自在法って。こんなことも出来るなんて」

 

 俺に向けていた視線を下げ、ポツリと呟いた。

 彼女の視線はきっとこの土船を見ているのであろう。

 

「土は汚れるから遠慮したいなんて思ってたのに、実際にはそんなことはなくて、むしろ程良い硬さで気持ちがいいわ。おかげでさっきまでぐっすり眠れてたし」

「形質変化って便利な力だよね。こういう応用力に長けているのは、色々と使えるよ」

「貴方だって、日中に見せてた自在法は凄かったじゃない。惚れ惚れするような力だった」

 

 俺の顔を直視する。

 その瞳はどこか輝いていているように見え、尊敬を感じさせる。

 

「お褒めに預かり光栄。でもね、そんな大したことじゃないんだよ。存在の力の量はリーズに比べれば多いかもしれない。でも、その程度。世の中にはね。ビックリするほどの怪物が居るんだよ」

 

 レベッカも十分に怪物ではあるが、やはりフレイムヘイズ側で挙げる怪物といえば、『炎髪灼眼の討ち手』を語らずには語ることは出来ない。

 『炎髪灼眼の討ち手』は一つの自在法で軍隊を顕現させ、その軍隊を率い、指揮を取る。彼女はたった一人にして多勢である。それだけではない。顕現させられた軍の中の一人一人が``紅世の徒``を打ち破るほどの力を持っている。

 一人にして群(軍)。

 一人にして覇軍。

 また、それほどの軍を顕現させるのだから、討ち手自身の実力はその軍を上回るものである。

 まさに規格外の強さだった。

 そして、彼女には付き添うようにして、もう一人のフレイムヘイズが傍らに必ずいた。

 それが『万条の仕手』。

 『戦技無双の舞踏姫』と称される圧倒的な戦闘技能を持ち常人を超越する器用さで精密極まりない戦い方をする彼女は、一個人にして軍を打ち破る力を持っている。

 当時、欧州最強と名高かったかった二人のフレイムヘイズ。その頃には全盛期の『極光の射手』カールや『震威の結手』ゾフィーさんが居たにもかかわらず、最強の名を欲しい侭にしていたのだ。

 どれほどの規格外さがわかるだろう。

 といっても、

 

「リーズには分からないか」

「む……何がよ」

「いやね。昔に俺が助けられた、偉大なフレイムヘイズの凄さをいくら説いたって、本当に意味で理解はできないだろうと思っただけだよ」

 

 その頃を生きていた者にしか理解の出来ない話だろう。

 特に大戦の話はいくら話をしても、俺が当時感じていた恐怖を知ってもらうことはできない。

 ああそうか。その大戦は、これほどまでに強いフレイムヘイズであった『炎髪灼眼の討ち手』が、自身の身を犠牲にしてでもしないと収まらない戦いだった。そう考えれば、あの戦いの無謀さや危険度が天を突破するほどのものだったことが分かるな。

 俺……よく生きてたな。

 その大戦のラスボスであり、黒幕の``棺の織手``の化物さ加減もよく分かるというものだ。

 

「私、馬鹿にされてる?」

「したつもりはないよ。そうだな。強さを見るならレベッカもいいけど、確実に生きてると思う幼いおじいさんあたりでも見れば分かるな」

「幼いおじいさん? 若いおじいさんなら思い当たる人がいるのだけど」

「ドレルじゃないよ。もっとすごい人」

 

 古代より生きている最古のフレイムヘイズだからね、その人。

 本気の姿なら、俺の『嵐の夜』なんて物ともしないだろうしね。良かったよ、敵じゃなくて。

 

「そう、いつか会ってみたいわ。ねえねえ、もっと色々と聞かせてくれない? 貴方からこうやって``紅世``関係について聞く機会ってないもの」

「そう……だったかな?」

「だって、あまり話したくないでしょ? 貴方が恐怖する``紅世``の世界のことなんて」

 

 これでもそれなりに気を遣ってるのよ、とリーズは慈愛を感じさせる表情で言った。

 ほんのりと心に染み渡る優しさだった。

 ``紅世``に関わって碌な事はなかった。でも、``紅世``に関わることはなければ、生き残ることも出来なかった。それを考えれば``紅世``はただの恐怖の対象だけではないのかもしれない。

 これを考えると結果的に、助けてくれたウェルに感謝することになりそうだ。無論、感謝はしているが、口にしたことはない。

 

「なるべく避けたい所ではあるけどね」

 

 噂をすれば影。

 日本では使い古された言葉だけに、真実味は濃い。

 とは言え、今は気分がいい。

 なら、たまには雑談に興じるのも悪くない。

 

「たまにはいっか。それで、何が聞きたいの?」

「貴方が逃げたい``紅世の王``トップ5」

「一位は教授」

「……」

「……」

「即答ね」

「当たり前だ」

 

 間を開けずに答えたことにリーズは呆れながらも、出てきた回答には納得する所があるからか、素直に同感ねと言い、お互いに気持ちを共有した。

 二人共実体験を踏まえているのも大きいだろう。

 リーズは『フレイムヘイズ』にされ、俺はその現場に巻き込まれた。更に以前には、延々と追いかけられたことすらもあった。いつだって言うし、いつまだって言う。教授は俺のトラウマだ。

 

「予想通りすぎ。じゃあ2番目以下は?」

「うーん、どうだろう。多分有名所になるな」

 

 遭遇したことのある``紅世の王``は少なく、戦ったことのある``紅世の王``は更に少ない。

 その為にどの程度の脅威度かが、誰かの経験談や情報でしか知る由がないのだ。結果、よく耳にする有名所ばかりになってしまう。フレイムヘイズの間において有名ってことは、未だに討滅できないほどの手練であることを示す。

 

「昔から存在してるだけに力として怖いのは``千変``シュドナイとか、``千征令``オルゴンとか」

 

 彼らは``仮装舞踏会(バル・マルケ)``の一員であり、片や『三柱臣(トリニティ)』と呼ばれる重役、片や組織屈指の戦争屋だ。``仮装舞踏会(バル・マルケ)``が組織として直接、フレイムヘイズと対立することはここ数百年起きていないが、この二人は``仮装舞踏会(バル・マルケ)``内においても、特殊であり、趣味で戦闘に赴くことがある戦闘馬鹿だ。``千変``は正確にはちょっと違うようだが、俺にとっては同じだ。

 実力は数百年、もしくは千年以上も前から証明されているほどの持ち主。

 逃げに特化している俺でも、対峙するには怖すぎる存在。

 

「あとは``壊刃``サブラクとかかな」

 

 こいつも個人の趣味が転じて『殺し屋』なんて言われている存在だ。

 もうその通称だけで十分怖いじゃないか。

 そして、彼の場合は彼の使う自在法にこそ真の恐怖が隠されている。俺が出会ったらほぼ死亡級の自在法。

 

「誰もかれも聞いたことある名前ね。あと一人は?」

「後一人ね……」

 

 ``紅世の徒``含めなら、あと一人絶対に敵に回したくないのは居るんだけど、``王``となると……

 

「あ! そうか、あいつがいる」

「誰?」

「ウェル。``晴嵐の根``ウェパル」

 

 感謝もしている。

 でも、逃げれるものなら逃げたいよね。

 夜は静かに更けていった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 ハワイまでかかった時間は二週間。戦闘の数も思ったよりは多くはなく、戦っていない間の移動速度は、早くもなく遅くもなく(それでも人間が普通に歩くよりはかなり早い)の、比較的ゆったりした進行速度ではあったが、きっちりかっちりと``海魔(クラーケン)``の討滅は行った。主にレベッカとフリーダー、たまにリーズが。

 リーズの場合は、レベッカとフリーダーが相手してズタボロになった奴に槍を放って止めを刺していた。楽しそうにリーズがそれを行うものだから、俺にも一回やらせてくれと、リーズの作成した槍を投げさせてもらったんだが、どうやら俺には槍投げの才能はなかったみたいだ。結局、俺が``海魔(クラーケン)``を葬った数はゼロ。リーズにも劣る結果となった。

 この戦いに参戦する前の覚悟が何だったんだと思うほど、スムーズに行き過ぎた``海魔(クラーケン)``の殲滅は、ハワイ諸島に到着していよいよ大詰めとなる。

 

「このあとは各島に潜んでる雑魚を蹴散らせばなよかったんだよな?」

「島ごと爆破してしまえば、楽が出来てなお爽快。張り合いのない連中ばかりだったから、ここらで一発やりたいもんだよ」

「滅多なこと言うな、バカ爆弾共。これではあとを任せるのが不安になる」

「だ、大丈夫だよ、フリーダー君。レベッカちゃんたちだけなら確かに不安だけど、もう二組ついてきてくれるんだから、ね?」

 

 その言葉につられて、フリーダーがこちらをに見る。レベッカを任せることへの罪悪感と不安感が入り混じったような表情だった。

 フリーダーも言う通り、彼のハワイ殲滅でのお仕事はここまで。彼は此処から先は、ハワイ以後の太平洋に潜む``海魔(クラーケン)``の一斉討滅の準備をしに行かなくてはならない。本来であれば、今作戦の隊長の一人のレベッカもそれに同行、またはフリーダーと同じ仕事をなさなければならないのだが、御存知の通り事務仕事にはからっきし向かない性格をしている。

 その為、仕事は全てフリーダーが背負い込むことになり、ここで早めの離脱をしなければならなかった。

 俺個人としては、最後まで付き添って欲しかった。俺を護ってくれる戦力として期待しているからでもあるが、レベッカを抑えるには長年の付き合いのあるフリーダーが適任だ。

 俺では彼女を抑えられない。

 

「期待には答えられそうにないと思うよ」

 

 正直に答える。

 俺の答えは予想をしていたのか、フリーダーは苦笑いをした。レベッカは、そんな俺らを鋭い目付きで睨みつけて、何が気にくわないんだとでも言いたそうだ。レベッカの勇猛ぶりは、戦いでは非常に頼りになるものではあるが、発揮する場面を弁えて欲しいものだ。

 言った所で焼け石に水だろうが。

 俺とフリーダーは二人して、やれやれという動作をするだけに留め、もはやレベッカに忠告をすることもしない。

 

「不安は残るが……心配していても始まらないからな。殺り過ぎることはあっても、殺られることはないだろうし。俺は先に欧州に戻り、準備を進める。報告もついでにな」

「み、みんなはここをお願いね! あと、くれぐれもホノルルの件も忘れないでおいてね?」

「ホノルル?」

 

 ホノルルといえば、ハワイ諸島の中でも随一の都市部であったはずだ。

 過去に``紅世の徒``との争いの末に、外界宿が出来たという話も小耳に挟んだことがあるが、一体何の話だろうか。

 

「わーかってるよ。あーあ、面倒だなあ。やっぱり島ごと爆破するか」

 

 フリーダーの不安を募らせるような言葉をレベッカに、フリーダーは再び呆れたような表情をしてから、俺の方に視線だけ向ける。その目は『頼んだからな』と縋るような目。

 俺に視線を送ってからは、実際に口に出して「あとは頼んだ」と言葉を残して、ハワイを去って行った。

 せっかくハワイに来たのに、観光も出来ずに次の仕事へ行く後ろ姿は、どこか現代の日本のサラリーマンを感じさせた。

 フリーダーが去っていくと、レベッカは邪魔な奴が居なくなったかと言い、せいせいした表情をしていた。俺にとって、その表情はとても危険なものにしか見えなかった。

 ブレーキ役のフリーダーが居なくなったことにより、この後の討滅に何らかの影響が出るんじゃないかと戦々恐々としていたのだが、その予想に反し、殲滅は緩やかに、さらに過激に進んでいく結果となった。

 戦場はレベッカの爆笑と彼のパートナーたる``王``の挑発が飛びかう。

 フリーダーという枷がなくなったから、それともここに出てくる``海魔(クラーケン)``の好戦的な態度に釣られたのかは分からないが、俺とフリーダーの不安が杞憂だったのかもしれない。

 だから、一安心していたのだ。

 レベッカが上機嫌に``海魔(クラーケン)``をバッタンバッタンと殲滅していき、行程は当初の予定をはるかに上回るペースで進んでいる。

 この調子ならば、``海魔(クラーケン)``の脅威はすぐに取り除かれ、俺の悲願も無事に達成することが出来ると確信していた。

 油断はしていない。日本でのミステスの件があっただけに、こういう時こそ一番危機に陥りやすいことを学習していたから。

 俺が全力で注意を、警戒をしていても、その出現を予知することは出来なかった。

 一瞬だった。

 俺もレベッカもリーズも、``海魔(クラーケン)``の殲滅を終え、今日の仕事を終わらせた所でその瞬間はやってきたのだ。

 封絶と共に絶対不回避と名高いあの自在法が──



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第五十四話

 初手の一撃は広範囲による圧倒的火力による不意打ち。強力無比なこの不意打ちは、怒涛の茜色の炎による爆発と、その炎の中に紛れ込むようにしてある無数の剣による、並のフレイムヘイズならこの初手で完全に消し飛ばすほどの攻撃。

 その広範囲な攻撃から、消し飛ばすのはフレイムヘイズの存在だけに留まらず、周辺にある全てのモノを巻き込み、破壊する。

 完全な不意打ちにして最強の攻撃。

 この二つを満たす、驚異的なまでの戦闘能力を見せつけてきたのは、

 

「``壊刃``サブラク、やってくれるじゃねえか」

 

 強力で強大な力を持ち得ている``紅世の王``。

 『殺し屋』と呼ばれるだけあって数々のフレイムヘイズを亡き者にしてきた、現世に存在する``紅世の王``でも飛び切りの力を持っている。

 レベッカも当然ながら、その名を知らないずもなく、苦々しげに、しかしどこか楽しそうにその名を呼んだ。

 

「いかにも」

 

 レベッカの言葉に反応したのは、レベッカの目の前に浮き黒いマントと硬い長髪を茜色の火の粉が混じる熱風にはためかせ、幾重にも巻いたマフラー状の布で顔を隠し、わずかに見える目は赤く、背の高い男と思われる──サブラクとレベッカに呼ばれた者。

 放つ存在は重々しく重厚。

 名前を確認するまでもなく、最初の一撃とその姿からサブラクであることは確定していたが、言葉で再確認をしたレベッカは、己の不利を悟る。

 

(ちっ、やっぱりな。敵がサブラクっつーことは、この傷は致命傷になりかねない)

 

 わずかに痛む脇腹に向けて舌打ちをする。

 この程度の怪我で済んだことには、自分自身に絶賛を送ってやりたいが、こと眼前のサブラク相手にはこの程度の傷でも危うい。

 今も、チリチリと傷口が広がっていく感覚に襲われている。

 

(噂に違わぬこれが『スティグマ』だねえ)

 

 『スティグマ』とは``壊刃``サブラクが『殺し屋』たる由縁の一つである、破られたことのない不破の自在法。この自在法の知名度たるやものは、フレイムヘイズのみならず``紅世``に関係する者であるなら、常識と言われても可笑しくないほどの高い知名度を誇る。

 だのに、『スティグマ』は未だに破られること無くフレイムヘイズたちを苦しめている。

 初手の大火力攻撃はサブラクと戦う際の鬼門ではあるが、破られたことのない『スティグマ』がその後にも構える二段構えによってサブラクと戦ったフレイムヘイズは死す。

 

(念のために治癒の自在法でも掛けてみる?)

(やめとけ。時間と力の無駄だ)

 

 時間経過による傷の悪化と傷の治癒の負荷こそが『スティグマ』の力の正体。

 レベッカほどのフレイムヘイズでも、事前察知不可能の初撃を完璧にかわすことは出来ずに傷を負う。『スティグマ』はそのわずかな傷であっても致命傷へと転化させる。

 それだけではない。眼前に迫るサブラクとの戦闘が始まってしまえば、傷は増えていってしまう。たった一つの怪我ですらも、致命傷へと移り変わるのにだ。

 闘いの激しさが増せば増すほど、時間が経てば経つほどに、状況は深刻化していく。

 

(時間の浪費は、こいつを相手には馬鹿のすることだ!)

 

 だから、レベッカは名乗りを上げず、語ることもせずに、攻撃を仕掛ける。

 光球を出現させる。複数なんていうケチな数ではなく、群と言えるほどの大火力を誇るはずの光球群だ。一つ一つには、レベッカ特製の爆発の自在式が組み込まれ、彼女が最も得意とする攻撃。

 即ち、

 

「これでも喰らっって吹き飛べぇぇええッ!」

 

 最強の攻撃。

 彼女が敵を正面から捉え、一気に討滅せんとするほどの大威力の爆発。並の``紅世の徒``であれば、光球一つの一撃にて沈めることも可能な火力を誇るものだ。それを群の数にて攻撃力をさらに増しに増し、この攻撃が当たれば``紅世の王``でさえも無傷ではいられない。

 このレベッカの一斉攻撃の構えに対してサブラクの姿勢は静。さらには、

 

「聞くまでもなく『輝爍の撒き手』か」

 

 独り言を発したが、レベッカはそれに答えず。攻撃の手を休めない。

 サブラクは、正面より迫ったきた光球群をかわすような動作をするが、

 

「吹き飛べッ!」

 

 それよりも早く光球が爆発する。

 光球はサブラクに直接当たる前に爆発をしたため、ダメージは与えられないが、一挙に爆発したため強烈な爆風がサブラクを襲う。

 自身に当たる前の爆発と強烈な爆風という続けざまの自身の予想だにしない攻撃のためか、爆風に抵抗するがわずかに身体が後ろに下がり、隙を生じさせる。

 サブラクの下がった先には、先程になかったはずの光が現れる。眩しいと感じるほどの数の光球が存在を露わにし、

 

「これを喰らいな!」

 

 爆発する。

 先ほどの爆発を上回る爆発だ。

 爆発はありとあらゆるものを破壊する。巻き込まれた建造物の全ては瓦礫の山と化し、砂塵が舞い上がる。

 レベッカは爆発の余波である砂塵混じりの慣れ親しんだ熱風を顔に受ける。

 いつもの火力の三倍も五倍も上である今の爆発は、数多の``紅世の王``を葬ってきた彼女の正真正銘の本気の一撃。例え``王``であっても討滅する自信がある必殺の爆発。

 

「手応えはあったんだけどな」

 

 ビキリ、と傷の広がる音がする。

 

「これで倒れてくれるほど生易しい敵さんじゃないってことさ」

 

 レベッカをも包んでいた爆煙が徐々に晴れていき、爆発の後が少しずつ明らかになっていく。

 濃かった煙が薄くなっていくと一つの影が浮かび上がる。

 影だけで十分にその存在がどういった現実を突きつけているかをレベッカは理解し、どこまでも強気な彼女にしては珍しい弱音を吐く。

 

「自信なくしちまいそうだぜ」

 

 レベッカの言葉に、彼女の相棒たる``糜砕の裂眥(びさいのれっせい)``バラルが強いられている苦戦の状況にはそぐわない陽気な声を発する。

 

「それならこいつをさくっと滅して取り戻せばいいさ」

「違いねえ」

 

 相棒の言葉に同意し、再び戦意を上げる。

 獰猛なレベッカの目は一切ブレることなく、晴れて姿を表して無傷の敵に射抜かんとばかりに向ける。自然に目と口の端が釣り上がり、獣(フレイムヘイズ)の闘争心を剥き出しにする。

 視線に含まれるのは、自分の攻撃を正面から受け、無傷で立っている事への敬意と畏怖。そして何より、好敵手への敵意。

 

「この俺を相手に正面から戦うとは、流石は名高き『輝爍の撒き手』だ。猪突猛進に見せながらも、しかりと練られている戦術は称賛に値する。俺を相手に逃げぬことは勇気でもあるが、無謀でもあるといえる。やはり、ただの獣か」

 

 クレーターの上で無傷で立っているサブラクは、ブツブツと攻撃もせずに悠長に独り言を言っている。

 レベッカはそのサブラクの言葉など聞かずに一人考える。

 彼がこの場に現れた意図を。

 

(これほどの大物がこんな辺境の地に居るってことは、ホノルルは)

 

 彼女の考えに同意するように、バラルは続ける。

 

(こいつの仕業、と考えるのが妥当だろうね。理由は分からないけど)

(分からなければ、聞けばいいさ)

 

 眼の前の真実を知っているであろう人物に問いかける。

 時間が経てば、レベッカの戦況は不利となるが、さっきの不意打ちでも倒せない以上、ここから焦って闘いを挑めば、無駄に力を消費し、死を早めることに繋がりかねない。

 言葉はあくまでも乱暴だが、頭は冷静さを失ってはいけない。戦いを求め、戦いに明け暮れ、戦いに勝利し続けることが出来た猛者だからこそ、戦い方を誤りはしない。

 最善は最速の決着。最悪は長時間に渡る無駄な消耗。ここは、リスクを抱えてでも、時間を少しかけ勝てる方法を探る方向性へと戦法を変える。

 

「おい、ホノルルの外界宿を壊滅させたのはお前の仕業か?」

 

 隠すことのないストレートな物言いだった。

 ホノルルの外界宿──ハワイにおいて唯一あった外界宿であり、``紅世の徒``とのハワイの取り合いにて、苦労をして宝具``テッセラ``を設置し成し得た外界宿だった。この外界宿はハワイという欧州からかけ離れた土地、さらにはアメリカ本土とも遠い島であったために、ドレル・クーベリックなどの近年のフレイムヘイズの組織の枠組みに属していなかった。

 そのため、壊滅の事実が知らされたはここ数年前。

 どのようにして壊滅されたかの情報は、事態察知が遅れたために分からず。生き残ったのは人間の構成員のみ。この構成員が生き残り、欧州に事件を知らせることがなければ、壊滅の発覚は更に遅れていた可能性すらあった。

 そのためホノルルの外界宿の壊滅は、ほとんどが謎。

 外界宿という立場上の関係で、壊滅させたのは``紅世の徒``であることは、容易に推測できたが実行犯も不明、理由も不明だった。犯行したのが``紅世の徒``である以上、邪魔なフレイムヘイズの殲滅が理由でもおかしくはないが、ドレルとピエトロはそうは見ていなかった。

 レベッカとフリーダーに託されていたホノルルの件とは、単純な``紅世の徒``による攻撃ではないと見た外界宿の代表格が、立地調査をし、あわよくば再建の目処を立たせることであった。

 ``海魔(クラーケン)``の殲滅戦がハワイを最初としたのは、外界宿壊滅の容疑者が``海魔(クラーケン)``である可能性を考えたための判断。

 外界宿の殲滅があった、その現場に``紅世の王``が居るのだから、疑うのは当然。ましてその``王``が、大規模殲滅を完全な不意打ちで行うことの出来る世に聞こえし``壊刃``サブラクなら、確定的とも言える。

 故に、レベッカの問いは疑問ではあるのだが、確認のようなもの。答えが返ってこなくても問題はない。

 レベッカの問いに対しサブラクは、

 

「いかにも、この俺が頼まれてやったことである。にしてもだ、外界宿とはひ弱な小鳥の集まりなのか。たったの一撃で壊滅だ。雇われの身とはいえ、抱いた感想はつまらぬの一言だったが」

 

 容易く白状した上に、愚痴にも似たことを呟き始める。

 

「だが、それも今日のための余興と思えば悪くはない。『輝爍の撒き手』と正面切って戦うことが出来るのだから」

 

 喜びを感じる。

 レベッカと戦うことを楽しみ、望んでいることが言葉と僅かに含まれる興奮の色が分かる。

 一本の刀の切っ先がレベッカに向けられ、戦意を放つ。レベッカは正面からその気迫を受け、自身の敵意を返す。一歩たりとも引かぬ、堂々としたたち振る舞い。

 刻一刻と傷が広まっている最中だのに、それをおくびにも出さない。

 サブラクは、「しかし」と言葉を続ける。

 

「些かながら、俺と貴様では相性が悪いらしい。我が刀剣は貴様の破壊力の前では無闇に壊されゆく。幾ら宝剣の類ではなくとも愛着のある物を簡単に壊されるのはヒドく不愉快だな」

「そりゃー悪かった。悔しかったら宝具の一つや二つ使っても構わないぜ」

「僕らを相手に錆び付いてる刀じゃいくらあったって足りないさ。尤も、素晴らしい宝剣を持っていたって僕らに近付けるとは思えないけどねえ」

 

 ドカンとやられる度に、幾多の刀が壊されていく様はサブラクにとっては傷心ものだったらしい。嘆かわしいと言わんばかりの物言いだった。

 レベッカはそれに対してあっけからんとし、バラルは挑発する。

 

(自在法『地雷』の準備は)

(出来た。足元を一発ふっ飛ばして、僕たちの恐ろしさってのを)

(見せつけてやるさ!)

「なるほど。確かに俺の放つ刀剣は貴様の爆弾の前では無意味のようだ。だが、俺が振るう刀剣まで無意味と驕られるのは、心外だ。侮辱でもある」

「んなら、証明してみやがれッ!」

 

 再びの爆発。爆発元はサブラクの足元。

 自在法『地雷』は、隠蔽された設置型の爆弾である。予め設置していなければ、設置するまでの時間を稼がなくてはならない。サブラクとの対話は、外界宿壊滅の真相を掴める上、『地雷』を設置するまでの有意義な時間稼ぎとなった。

 いつもよりも火薬(存在の力)を多めに、数も多めにされたその破壊力は先の攻撃を上回るものだ。

 最初の爆弾で、無傷というのはレベッカにとってはありえない事態ではあるのだが、実際に起こっているのだから仕方ない。あれで傷一つつかないのであれば、あれ以上の攻撃をするより他になかった。

 

「この程度、すでに予測の範囲内だ! 二度も不意打ちを食らうつもりはない!」

「ちっ!」

「これで当たってくれれば楽なんだろうけど」

 

 この不意打ちはサブラクに通用しなかった。

 けれど、レベッカもこれで攻撃が終わりではない。避けられることを予測に入れておき、先と同じように、初撃を囮にし、もう一段階目の爆弾を当てようとするが、

 

「俺が同じ手を通じるはずがなかろう!」

 

 サブラクは爆弾が爆発するよりも先に、加速の手段を用いて爆発地点を斬り抜ける。

 爆発の余剰もあって、加速は増す。

 サブラクの持つ刀剣の切っ先が、レベッカへを斬りつけようとするが、刀剣がレベッカに届くことはなかった。

 

「我が剣技を喰ら──な!?」

「なんだ!?」

「わっ、と」

 

 対峙している双方に驚きの声が上がる。

 その驚きは、レベッカとサブラクの間を遮るようにして現れた壁──否、巨大な盾。

 

「なら、これなら食らってくれるのでしょ?」

「喰らってもらわないと困るがな」

 

 同時に、周囲の茜色を反射し輝きながらそれはサブラクの貫いた。

 貫いたのは槍。

 刃物が先に付けられている物や、刃物はなく先に行くほど鋭く尖っている物など、様々な槍がサブラクの胴体を、頭部を、四肢を、体のありとあらゆる部位を貫いている。

 一つは体に留まり槍が刺さったままであり、一つは貫き通されポッカリと穴が空いていたりする。

 満身創痍、無様とすら思える姿に成り果てていた。

 そこにさらにリーズは大きな槍を一つ放つ。槍はサブラクを突き刺し、サブラクを刺さったまま建造物まで飛ばされ、建造物に釘打たれる姿となった後、槍の衝撃に耐えきれなくなった建造物は轟音を響かせ、煙を上げて、サブラクと共に崩れ行く。

 

「遅いっつーの。オレ一人で倒しちまうところだったぞ」

「それならそれで私は構わないんだけど?」

「……ッち。ノリ気のないやつ」

 

 こいつとは反りが合わないと思うレベッカ。

 戦場でのこういった冗談とも言える話に、全く乗ってこないリーズはレベッカにとっては面白味が欠けていた。

 

「でも、あれだ……正直助かった」

「うん、素直でいいと思うわ。私も余裕があるわけじゃないけどね」

 

 苦笑いとも取れる笑みを零しながら、自身の右肩を左手で指す。

 尋常ではない血が右肩は流れていて、右腕は力なくぶら下がっているだけのようだった。顔もよく見れば、尋常ないほどの汗をかいており、どこか余裕そうな表情も艶がなく、青ざめているように見える。

 自身の怪我よりもひどい有様を見て、少しレベッカは心苦しくはなるが、あえて軽口を言う。

 

「片腕だけで済んでよかったじゃねーか」

 

 レベッカの意外な対応、それとも優しさに驚いたのかリーズは目を丸くする。

 すると先程よりも、ほんのちょっとだけマシな表情になり、「ありがとう」と照れくさそうにいった。

 リーズの言葉に、頬を掻いてレベッカも照れくさそうにした。

 ビキリ、と何度目か分からない傷の広がる音に二人は苦渋の顔をする。

 

「うーぬ、そうそう甘くはないってことだ」

「この丈夫さには、さすがに呆れるものあるよ」

 

 痛みは未だにサブラクが健在であることを示している。

 レベッカもこれ以上の交戦の不利さを悟ってか、リーズにやや声を荒げながら言う。

 

「まだあいつは来ないのか!?」

 

 言外に「それとも来れないのか」と言う意味が含まれていた。

 ベッタリとまるでカップルかのようにずっとペアで行動していた内の片方しか、今現場に来ていないことから、レベッカがモウカの不能を予想した。

 だが、その予想は、女のレベッカでも惚れ惚れするようなリーズの笑みによって打ち消される。

 

「大丈夫」

 

 その笑みは信じて疑っていない。

 絶対的な信頼と友情と他にもレベッカの知らない何かが混じったような笑みで、

 

「私がここに来れるってことは」

 

 可愛らしく、可憐で、

 

「あの人が生き残る術を見出したってことだから」

 

 強い乙女だった。

 

──どこからか、笑い声が響き渡る

 

 高い女の声。

 馬鹿にしたような、それでいて興奮していて、楽しくてしょうがないというのが直に伝わってくるような笑い。

 

──雨が降り、風が吹く

 

 豪雨ではない。暴風でもない。

 だが、その雨と風はリーズが出現させていた鉄の盾をあっという間に錆びつかせ、崩れ去る。

 そうして二人は気付く。

 傷の広がる、ビキリという音がもう聞こえなくなっていたことに。



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第五十五話

 最初は激痛。身体のどこから痛みが来ているかも分からないくらいに痛覚が混乱していた。おそらくは色々な場所からやって来ていたのだろう。痛みの声をあげていない部位のほうが稀有なのかもしれない。

 俺自身は体を動かすことは出来ず、痛みからくる度合いでしか自分の怪我の具合が分からない。

 身体を動かせないのは、痛みからなのか、四肢が潰れてしまって言うことを聞かないのか。どちらにしろ、身体がまともな状態ではないことは明らか。

 よく、悲鳴を上げなかったものだ。自分自身を褒めるというか、純粋にその事実に驚く。まさか声が出せないわけがあるまいし。我ながら、ここ一番の根性はすごいなと感心する。その上で、ここまで傷ついてなお、死んでいないフレイムヘイズ、不老で不変の身体にも感謝だ。

 フレイムヘイズではなければ、こんな自体に巻き込まれることもなかったのかもしれないが、今更そんなことに思考を割いてもしょうがない。

 怪我が治っていないはずのに、痛みが消える。

 ──否、鈍くはあるが身体が痛みを訴えていることは分かるのだが、麻痺したかのように感じなくなった。幸か不幸か、それとも死の直前なのか。でも、悪くはない。

 痛くないのなら、身体は動かせなくとも、頭を働かすことが出来る。

 生き残るための算段をつけれる。

 痛みに全ての思考を割かれていた時と違い、今は外の音を聞こえてくる。

 

「だい、じょうぶ?」

 

 心配の色が濃いややかすれたような声だった。

 おそらくはリーズだろう。ウェルが俺を心配することは、考えられないから。

 声の主について考えていると、ヒステリックにも似た声が聞こえた。

 

「大丈夫だと思う!? モウカのこの姿を見て、本当に? そりゃーね、いつものモウカなら笑い飛ばすよ? そんな怪我で、泣き喚くなんてモウカったらひ弱なんだから。ひな鳥じゃないんだから、ぴーぴー鳴くなって、笑いながらおちょくるよ! でも……でも!」

「そ、そんなの私だって分かってるわよ……」

 

 これはどういうことだろう。

 あのウェルが。愉快主義で、俺の涙を見るのが生きがいで、俺と逃避行を共にするのが趣味なあのウェルが、珍しく本気で俺のことを心配している。

 貴重な体験、だな。叱咤激励してくれたあの日に並ぶ、貴重な日に今日はなりそうだ。

 心配をしてくれるみんなを他所に、そんな場違いなことを思う。いや、こんな時だからこそかな。

 みんなの気持ちはありがたくて、嬉しくて、倒れている場合じゃないと決心できる。

 

「貴方起きなさいよ。いつもはふざけてばかりの、ウェルがこんなに必死なんだから」

 

 ああ、全くもってその通りなのだろう。

 

「モウカ、死んじゃダメだよ。モウカが死んだら、私が──」

「生き返らす、なんて言うなよ?」

 

 麻痺の影響のせいなのか、ひどく眠気が襲ってくる。だが、眠気に必死に抗い、重たい瞼を強引にでも持ち上げる。気を抜けば、すぐにでも目を閉じて、意識を落としてしまいそうだ。

 でも、死ぬ訳にはいかない。

 まだまだ生きていたい。『少なくても』なんて言葉は使わずに、『いつまでも』生きてみたい。生きるのに飽く日が来るまで。

 事の真偽を確かめたい。

 例えば、俺は逆行した人間だ。なら、今この時代に生まれ、生きるだろう『自分』は果たしてどうなっているんだろうか。どうなるのだろうか。

 遠い昔に仮説した``宝具``のせいで俺は過去に飛ばされたのだろうか。それとも、ここは俺の元いた世界とは全くの別世界なのだろうか。

 だから、まだ。

 

「死なないんだから、生き返らすなんて出来ないぞ?」

 

 俺の言葉に目に見えて驚くのはリーズ。目を大きく見開いて、これでもかと丸くする。やがて、クスっと優しく笑う。フルカスはほうと感心した声を。

 沈黙をもって驚きを表しているのはウェル、だがその沈黙も長くは続かず、すぐに笑いへと変わる。

 高笑い。でも、いつもと違ってそこに騒々しさも、鬱陶しさもなく、耳障りではなかった。

 

「そうだよね。そう。うん、それでこそモウカだよ!」

「だろ?」

 

 にやけようとする。上手くいったかは分からない。

 

「でも、これだけは言っておくよ?」

 

 そう言って、実に愉快気に。いつも通りにウェルは告白した。

 

──私が飽きるまで、モウカが死ぬのは私が許さない

 

 絶対に、と。

 俺の意思など問答無用のウェルの決定だ。

 俺に拒否権なんてあるはずがなかった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「これが『スティグマ』、ね」

 

 怪我が広がる感覚を覚えたからか、血のにじみ出ている右肩をそっと手で触りながら、確認するような言い草だった。リーズは痛みで傷の広がっていくのが分かるようだが、俺は痛みで知ることはすでに出来ず、直感からまた一歩死に近づいたなと感じるばかりだ。

 リーズは自分の怪我を見やってから俺へと視線を注ぎ、まずいわねと苦虫を噛むように言った。

 『スティグマ』は時間が経つに連れて、症状が悪化する自在法。今の俺の怪我を放置するだけでも、十分に危険だというのにそれがこれから先、更に悪化していくと考えれば致命的と見える怪我具合なのだろう。

 治癒の自在法や自然治癒を促してみたものの、治る兆候が全く見られない。『スティグマ』の厄介たる由縁は、怪我を悪化させつつも回復もさせないこと。一方的な状況不利を常に敵側に押し付けてくることだ。

 とは言え、この自在法はあまりにも有名すぎる。

 ``壊刃``サブラクが殺し屋の異名を勝ち取る程に、フレイムヘイズを殺し周っているせいで、本来は万もの戦法の形を取る``紅世の徒``に対し、その場その場での応戦を求められるフレイムヘイズにも関わらず、サブラクの情報は事前に手に入ることが出来る。情報があるということは、サブラクに殺された者は多いが、生き残った者も少なくないことを表している。

 生き残った彼らが一様に言うには、サブラクには逃げが有効であることだ。

 謎の多い不破の自在法『スティグマ』であるが、破れてはいないが一応の対応策が見出されて入る。それが、効果範囲からの離脱。サブラクの戦線からの逃亡、である。

 戦線であった街、または封絶の範囲外へと逃げることに成功した場合、その時点で怪我の悪化が収まり、サブラクの追撃にあった者はいないという。

 俺はこの時点までの話は、すでにリーズでハワイまでの道のりで話しており、俺の怪我の度合いを見て、先程から逃げることを勧めている。

 俺も逃げたい気持ちで一杯なんだけど、自力であることすらもままらない状況なんだよ。と、言えば、

 

「じゃあ、私が背負っていけばいいでしょ?」

 

 いつも手持ちの包帯を俺に優しく巻きながら子供をさとすように言うリーズは、怪我を負って精神的にキツい俺にとって聖母のように輝いて見える。

 だが、その言葉に頷くわけにはいかなかった。

 

「俺は、今まで考えてきたんだよ」

「何を?」

「生きる方法を」

「え……?」

「もちろん、その方法の中には俺の嫌う``紅世の徒``への対応策もあるんだよ」

 

 一番いい生きる方法は、戦闘をしないこと。戦うことは尤も死に近く、俺にとっては死刑宣告に等しい。その次善策として、常に``紅世の徒``と遭遇をしないように気を遣い、あまつさえ面倒事に巻き込まれるのを嫌う。

 次に考えるのは、面倒事を消しに行くこと。後に自分の障害となりえそうな事柄があるなら、それよりも前に自分自身が動いて、種を除いてしまえばいい。この場合、今回のように面倒事に巻き込まれることもあるが、最悪の状況に至るよりはマシになるはずだ。これは、正しく先を読む力が必要になる。

 この二つは俺の行動基準である。

 けれども、こうやって頑張って避けようとしても、避けられない自体に陥ることはままある。今回のこれもそうだが、大戦の時もそうだった。ならば、``紅世の徒``自体の対策も必要だ。

 全ての``紅世の徒``への対策は不可能であるが、そもそもそれは必要ない。

 過信と取られてもおかしくはないが『嵐の夜』があれば、大抵の``紅世の徒``からは逃げ果せられる実力があると、実績と経験から自負している。

 だからこそ、真に対策が必要なのはそれを物ともしない怪物級の``紅世の王``である。リーズには俺が特に恐れていると言った``紅世の王``たちがその実例。

 教授が堂々の一位に輝いたのは、対策が取れそうにないからだ。奇っ怪な自在法を作り、予測不可能な行動をとる教授に、対策が存在するはずがない。

 しかし、教授には無理でも自在法自体に対策は出来るのではないだろうか。元は『封絶』の対応策として考えていたものだが、広く捉えれば自在法そのものへの対応策へともなる。これが出来るようになれば、例え教授の理解不可能な自在法であろうとも、物によっては予防策が引けるようになる。

 そして今回。

 ``壊刃``サブラクの『スティグマ』は教授とは違い、どういった効果があるかは知れ渡っているものだ。

 出来ることなら対策を、と俺が考えていないはずもなかった。

 

「『スティグマ』が不破と言われる原因について考えたことがあるんだよ」

「治癒系の自在法が効かないからじゃない? 貴方も言ってたし」

「うむ、実際に効かなかったしな」

「重要なのは、なんで効かないか、だよ」

 

 たぶん、『スティグマ』対策を真面目に考えようなどと思うフレイムヘイズは少ないだろう。というのも、いつ遭遇するかも分からないたった一人の``紅世の王``について、考えるのは愚策とも言える行為だ。まして、最悪逃げ切れれば生き残ることが出来る相手でもあるし。『スティグマ』が悪名高いと言っても、『スティグマ』によって直接的に死ぬ者は少ない。

 サブラクを相手取った時に、フレイムヘイズが最も死んでいる攻撃は、初撃の完全な不意打ちによるものだ。

 生き残れるかは運任せとも言われているこの攻撃は、避ける方法がないとさえ言われている。

 存在の力の大きさは、まんま生命力の高さと換算出来る。

 俺はその生命力の高さと普段からの逃げグセがあって、相手の攻撃を避けれるほどの身のこなしはなくとも生き残ることが出来、リーズは彼女の力の性質上、自分自身を護ることが出来た。

 俺も『スティグマ』の対抗策ばかり考えていたのは、最初から初撃は生き残る事が出来るのを計算していたからだ。過去にサブラクに襲われて生き残れた者は、何れも猛者と言われるほど力量の持ち主や、存在の力を多く秘めてる者が多かったことから出た計算である。

 また、生きて帰ってきたフレイムヘイズはみな誰一人として、サブラクの存在を攻撃前に察知できる者がいなかった。その中には、並以上に存在を察知するのが得意な者がいたが、その者でさえ出来なかったのだ。俺も察知は得意な方であると思うが、誰も察知出来ない敵を相手に、俺だけが出来るとは考えづらい。

 敵の存在を予め認知するための自在法で対策を、とも考えたのだが、そもそも存在の力を事前に感じることが出来ないという事は、存在隠蔽の自在法を用いているか、そういった特性を持っている可能性がある。前者にしろ、後者にしろ、それらを持ち合わせているのであれば、詮索系の自在法対策もされているはずだ。せっかくの自在法が無駄に恐れがある。無いよりはマシ、なのかもしれないが。

 事前の攻撃察知が出来ない以上、サブラクの存在を予め認知出来ない以上、その後に備えるように考えるのは自然なことだった。『封絶』やその他多くの『自在法』の対策にもなるので、結局こちらの対策へと固まった。

 それに、ウェルの特性上こっち方面のほうが適していたのも理由に当たる。

 ここまでが対『スティグマ』を考えるまでに至った経緯。

 

「『スティグマ』がなぜ、他の自在法を受け付けないか。それが不思議でならなかったけど、いくつかは俺とウェルで仮説が立てられたんだ。所詮、仮説だけど。本当はその仮説も全部、一から説明するのもいいだけど」

「それだとモウカが死ぬね。ダメ、ダメだよそれは、許されない。だから私が結論を言うね。『スティグマ』は破壊と再生の自在法」

「壊して再生? それってどういう意味?」

 

 リーズが首を傾げる。

 全く理解が追いついていないようだ。考えることも放棄しかけているが、時間が迫っているので、リーズのこの行動は正しい。

 

「傷口を広げるというのは、人の体を破壊しているってこと。治癒の自在法が効かないってことは、外部から来た自在法を、しいては自在式を破壊しているってことだ。これは設置型の自在法じゃありふれた対策だ。せっかく設置したものを壊されたくはないからね。それで、再生っていうのは──」

「『スティグマ』の自在式を再生しているってことだよ」

 

 ウェルは、俺の言葉を遮るようにして後を続けた。

 更にウェルは言う。

 

「破壊の要素が含まれている『スティグマ』は、それ故に治癒の自在法に強い。治癒の自在法は永続的に傷口を治そうと作用するけど、『スティグマ』によって自在式そのものが破壊されるから、意味を成さない」

 

 治癒は瞬間的な作用をするものよりも、継続的に怪我を治そうと働くものが多い。一瞬にして怪我を完治する自在法があれば、『スティグマ』となり得るのかもしれないが、ありとあらゆる怪我の種類に効く自在法の自在式を考えるなんて一体どれほどの時がかかるかだろうか。

 それに対し、『スティグマ』は、どんな自在式であれど、式を破壊するだけのシンプルなものである。どんな自在法であれ、式が破壊されれば元も子もない。

 今度は俺がウェルの続きを言う。

 

 

「逆に『スティグマ』の式自体への破壊を及ぼす自在式は瞬間にしか作用しない。確かに、それで式は破壊できるだろう。だけど、それを試みた者はその後も『スティグマ』に侵されていた。そこから考えたのは、自在式が破壊できていなかったか、もしくは再生したか、だ」

「…………ッ!」

 

 リーズの顔が驚きに染まる。

 自在式が再生するなんて考える人物はいないだろう。

 破壊をする類の自在法は大抵は瞬間的な要素のものばかりだし、妨害系にしたってせいぜい、破壊効果だけを妨害しようとするか、再生効果だけを妨害するに留まるに違いない。それに、効果への妨害の自在法を使ってくることは、サブラクとて分かっていることだ。

 ならば、サブラクが考えつかない。常識とは違う対策をするしかない。

 これが俺とウェルの二人で考えた『スティグマ』自体の考察だ。

 

「ならば、俺の『封絶』で考えた自在法が効くんじゃないかって思うんだよ」

「それが……貴方の秘策?」

「その通り。だから、逃げるのではなく、これはチャンスだよ。誰も倒せなかったサブラクを倒すチャンス。レベッカも居ることだしね」

 

 本当に、悪夢のように突然やってくる``紅世の王``が居るなんて、怖すぎるからね。俺自身は戦えなくとも、今は戦力に『輝爍の撒き手』がいるんだ。このチャンスを逃せば、いつ来るかも分からないサブラクに怯える日々になるかもしれない。

 

「だから、リーズも行ってきて。``壊刃``サブラクを倒してくれ」

 

 俺の目を一・二秒見つめてから神妙に頷く。

 

「あと、リーズの武器はダイヤモンドとか風化しない物にしといてね」

 

 これには了承の声。そして、今も爆風飛びかう戦場へ走りだした。

 

「さて、やりますか」

「やるよ、モウカ。ここぞでカッコイイ所を魅せつけて、私のフレイムヘイズがスゴイってことを``紅世``と``現世``に知らしめてやろうね!」

「いや、必要だから``海魔(クラーケン)``の殲滅には参加したけど、それ以上の名声はいらんから。真剣に」

 

 いつも通りのウェルの物言いに苦笑を返して、いつも通りのその様にありがたみを感じながら。

 

「実戦初投入だけど、平気かな」

「失敗はモウカの十八番だけど、大丈夫。今回は、私もやる気だから」

 

 珍しくも俺に協力的なウェルに驚きながら。

 

「それじゃあ、『スティグマ』破らせてもらいますか」

「うん、絶対出来る。不破なんてありえないんだからね」

 

 いつだって願うのは生きること。

 ただ死んだように生きるのではなく、生きていることをこの身にしっかりと刻み、味わいながら、生を感じ続けること。

 

──『崩し雨』

 

 しとやかに降る雨は、見た目に反して破壊の自在法。

 自在式を雨の降る限り、水のある限り破壊し続ける永続的な破壊の雨。

 肌に心地いいと思わせる風は、水をあらゆる角度から侵入させ侵させる。

 鉄や金を瞬間的に錆びさせ崩す、風化の風。



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第五十六話

 ``壊刃``サブラク。奴の正体とは一体何なのか。それを見抜いたものは誰一人としていない。多くのフレイムヘイズが奴と戦い、命を落としていったのだが、それで得れたのは自在法の情報のみだ。

 ``紅世の徒``との戦いで、敵の自在法を知れただけでも十分な情報といえるのかもしれないが、ことサブラクに関してはそれだけの情報では、勝算が高まったりはしなかった。

 『スティグマ』のことを知れた程度で、討滅出来るほどサブラクは儚い存在ではなかった。

 知っていても避けることが出来ない初撃にして最高の一撃を放ち、その後はじわじわと『スティグマ』による破滅。ならばと、撃って出れば不死身と言わんばかりの耐久力だ。いくら攻撃に手応えがあろうが、次の瞬間では元の姿へと戻っている。この不死性を誰も見破ることは出来ていない。

 サブラクの正体の可能性として、最前提とされているのは膨大な量の存在の力。果たしてどれほどのものを蔵しているのかは考えるのも嫌になるのだが、さすがに無限ではないだろう。無限に近く、はあるのかもしれないが。

 ともあれ、サブラクを討つにはその存在の力を全て削り取ることが出来れば勝てるやもしれぬ。と、ここまでなら大抵のフレイムヘイズは考えつく。

 しかし、ここからが問題だ。

 『スティグマ』がそれを許しはしない。

 これにより、サブラクを倒すには持久戦しかないのだが、サブラクを相手に持久戦は命取りの方程式が成り立つ。考えれ考えるほど、凶悪な存在だ。

 そこで、俺の『スティグマ』破りが効いたはずだった。

 『崩し雨』によって、再生し続ける『スティグマ』の効果を、破壊し続ける『崩し雨』の効力で良くて相殺。悪くとも効果を減少させ、持久戦を出来る程度には戦線を盛り返す予定だった。

 ざまーみやがれ! 貴様はここで終わりなんだよ!

 怪我のせいなのか、頭のどこかを打ったのかは分からないが、その時の俺はやけにハイテンションだったとリーズとウェルが証言した。その台詞の数々は恥ずかしい物ばかりで、ウェルが本気で心配するほどだった。リーズは、かっこ良かったよ、惚れ直したなどと言い、さらに俺の羞恥心に追い打ちをかけ心に深い傷を残した。

 いつもの逃げるの選択ができないせいで、ヤケになっていたんだろうな。

 

「あれから三日か」

 

 場所はハワイ、ホノルルの宿。

 フレイムヘイズの身体とはいえサブラクに負わされた怪我は未だに治らず、場所を移動することも出来ずに、ここでの養生を強いられていた。

 たまにはのんびりと養生するのも悪くない、と思う気持ちもあるのだが、その反面もっと安全な場所に隠れ顰みたい願望もある。

 万全を期すためには、何よりも怪我を早く治すのが最優先ではある。

 昨日のことのように覚えている闘いは、すでに過去のものになっていた。

 

「不完全燃焼だったわね。あんなのがまだ生きてると思うと、貴方じゃないけどちょっと怖いわ」

 

 俺が養生のために使わせてもらっているベッドの上にリーズは腰掛けながら言った。

 俺はまだ完治はしてはいないが、三日も経てばある程度は回復し、身体を起こせるようにはなっている。

 

「俺が自在法を使って、攻勢になると思った瞬間に幕引きだもんな。それと最後のは余計だ」

 

 

 俺が自在法を維持し、リーズとレベッカがサブラクと戦う。ゆくゆくはサブラクを討滅まで追い込んでもらう予定だったのだが、結果はいきなりの終戦。茜色の封絶が解けかけて、こちらが慌てて張り直した次第だ。何が起きているか意味不明。全員がぽかんと間抜けな表情をしたぐらいだ。

 本当に訳の分からない状況だった。

 リーズの寸前の一撃がサブラクの致命傷になったとは考えにくいので、討滅出来た訳ではないだろう。何の予兆もなく、不意に終わったのだ。サブラクが現れなくなり、気配も無くなったことから、少なくとも撃退は出来たのではないかとそう判断するしかなかった。

 討滅は、出来なかっただろう。

 『崩し雨』が『スティグマ』に実際に対抗できたかも実証できず、サブラクの生死も確認出来ていない。ほぼ確実に生きているとは思うが。

 千載一遇の好機を逃したと言っても過言ではない。

 俺にしては珍しく攻撃的な思考だが、ここで奴はどうしても仕留めておきたかった。``壊刃``サブラクはそれほどの危険性を帯びている。

 

「外界宿の壊滅……にわかには信じがたいことだな」

「『輝爍の撒き手』が本人に聞いて確かめたことだって言ってたからねー。信じられない事でも、信じるしかないよ?」

「非常に嫌な事実だけどね。嫌で嫌でしょうがないけど」

 

 俺は昔から一箇所に留まることをよしとしなかった。今更その理由を語るまでもないが、その場所に例外はなく、絶対の安全を謳う外界宿にもなるべく留まらないようにしていた。

 その絶対は崩れ、外界宿も一概に安全だと言えなくなった。存在を察知不能にする設置型宝具の``テッセラ``があるにもかかわらずだ。

 世の中に絶対はなく、あるのは万が一の可能性だと信じて疑わない俺だが、この事実は本気で嫌気がさす。

 どういう理屈で外界宿を見つけたのか知らないが、最高の隠蔽力を誇る``テッセラ``が敗れたとなると、サブラクに隠蔽系の自在法は効かないことになる。また一つ、奴の強みを知ったことになる。

 いや、他にも隠された場所を知る方法はある。

 裏切り。

 外界宿の関係者の中に裏切り者がいた場合は、確かに場所を把握することが出来るだろう。フレイムヘイズがサブラクに関与するとは思えないから、人間か。だが、外界宿に関わるような人間のほとんどは``紅世の徒``への深い憎しみがあるはずだ。おいそれとフレイムヘイズを裏切り、``紅世の徒``側につくとは思えない。たとえ、あったとしたら何かしらの要因があったはずだ。

 フレイムヘイズに失望しただとか、``紅世の徒``に共感を覚えただとか。

 サブラクに共感──は、ないだろう。あいつは単なる殺し屋。人間をわざわざ殺したなどの話は聞いたことはないが、特にこれといった思想を持つわけではない。いつも雇われて、何かの依頼をこなして、フレイムヘイズを殺しているに過ぎない。

 

「雇われて? ウェル」

「うん? どうしたのかな、怪我だらけの私の大切なフレイムヘイズさん」

「仰々しく言うな、鬱陶しい。じゃなくて、レベッカはサブラクがどういう理由で外界宿を襲ったのか言ってた?」

 

 レベッカが他の仕事に旅立つ前。俺も意識を取り戻しらばかりの時に、今回の一件の裏話を聞かせてもらったのだが、正直意識がぼやけてたのかいまいち覚えていない。記憶にあるのは、サブラクこえーとサブラクやべーなんて感想だけだ。怖くてヤバイのは事実だし。

 

「聞いてないかな。言ってなかったと思う。それがどうした?」

「それって結局、何の目的で外界宿が襲われたのかも、誰が襲わせたのかも分かってないような」

 

 肝心な部分が抜け落ちているではないか。

 レベッカもやっつけ仕事だな、全く。調べるなら調べるで根掘り葉掘り探って欲しかった。サブラクとの交戦中だったことを考慮すれば、俺には出来ない仕事をやり遂げてはいるので、俺が言える事じゃないんだけどね。

 

「ま、別にいいんだけどさ。俺の考えることじゃないし、今はそれよりも優先すべきことが──」

「サブラクから逃げる方法、でしょ?」

 

 分かってるわよ、と言いたげな顔でリーズは俺の思惑を言い当てた。

 こういう事だけには察しが良いな。

 

「分からないほうが不思議だと思うな私は」

「同義だ」

「長い付き合いだからとはいえ、そんなに分かりやすいか?」

 

 皆は呆れるほど声を揃えて肯定した。それに俺はため息をつく。

 俺のことを理解してくれて嬉しいような、単純だと言われているようで悔しいような。そんな中途半端な感情が俺の内側で渦巻いた。

 

「それじゃあ、これは分かるかな?」

 

 対サブラクの逃亡案。

 フルカスは沈黙し空気になり、リーズはすぐに「分からない」といつもの様に考えることを放棄し、ウェルは、

 

「さっすが、モウカ! もう逃げることしか考えていないんだね!」

「俺を舐めなるなよ。いつだってその事で頭がいっぱいさ!」

 

 

 

 

 

 ハリー・スミス。彼はフレイムヘイズではなく人間ではあるが、こちら側の人間。外界宿に務めていた人間の構成員。それもホノルル支部──この間、サブラクによって壊滅させられた外界宿の唯一の生き残りである。

 彼が生き残ることが出来なければ、ホノルルでの出来事は誰も知ることが出来ず、発見はさらに遅れていたことだろうとレベッカは、ドレルが口にしていたことを俺に言っていたとのこと。無論、俺の記憶にはなかった。

 俺にとってハリー・スミスとは、俺の養生できる場所を提供してくれたこちら側を知っている人間に過ぎないのだが、彼自身の話によれば、自分の家は代々外界宿の構成員であったという。詳しい話は、悲しい過去(おそらくは壊滅によって家族とかを失ったのだろう)があるというので、聞けなかった。

 つまるところ彼は協力者な訳だ。

 彼の手引きもあってハワイの``海魔(クラーケン)``の一斉討滅やら、ホノルル支部の再建の話が進んだことからも、彼の優秀さが伺える。

 でも、物凄く怪しいんだよね。

 これ以上ないほどに怪しいと俺は睨んでいる。

 外界宿の壊滅が裏切りによるものではないかと一考したこともあるから、余計に彼が黒色に見えてしょうがない。

 可笑しいじゃないか。フレイムヘイズすらも生き残れなかったサブラクの無差別攻撃に、人間の彼だけが一人生き残るなんて。出来過ぎていると思わなかったのか、ドレルは。

 そんなこともあってか、目を覚ましてから一週間が経った今日この頃、そろそろこのハワイからお暇をしたいのだ。怪我はほぼ完治し、身体は元気そのものだ。これなら海の中を歩いてだって離脱できる。

 それなのに、ハリーが俺を止める。

 曰く、もうすぐ外界宿の再建が始まるのだから協力して欲しいやら、せめて援軍のフレイムヘイズがやってくるので引き継ぎぐらいはして欲しいだの。なんとも正論な意見なのだが、それは出来れば俺にではなく旅立つ前のレベッカに言って欲しかったものだ。

 レベッカはまだ``海魔(クラーケン)``討伐を指揮しなければならない仕事が残っているのに対し、俺にはもう仕事がないのだから、こう言われるのも仕方ないことかもしれないのだけれど、考えてみても欲しい。

 俺は別に外界宿の運営側の人間じゃないんだよ。ドレルに協力したりして、外界宿の繁栄にちょっとばっかし影響したみたいなことが囁かれているようだが、俺の本質は組織とはどうあっても相容れない。全体のことを考え、個を無視することなど出来やしないのだ。大切なのは、自分のこと。この生命。それ以上のモノは無いのだから。

 ハリーの要望なぞ知ったことないわ! とっとずらかるぞと港にやってきたのだが。

 

「あ!」

 

 港で誰かが素っ頓狂な声を上げた。

 俺も思わず声の方向に振り向くと、そこには俺が逃げることを光の速さで防ぐことの出来るあのフレイムヘイズがやってきていた。

 人垣に囲まれ、何やら厄介事を起こしているような雰囲気の中、何人かが誰かに殴られたような苦しげな声を上げ、ドサッと倒れこむ音が聞こえた……気がしたが、気のせいだろう。

 しかし、どうやら声を上げた主は気のせいで済ます気はないらしく、

 

「お久しぶりです! モウカさん!」

 

 元気に挨拶をしてきた。

 十年ほど前に会った時と一切容姿が変わらない少女。少し古風な髪飾りと普通の女の子っぽい印象が強いその少女はまさに、キアラ・トスカナその人であった。

 懐かしいわねーと言った会話を自身と契約した``紅世の王``と会話しながら、こちらに近づいてくる。その彼女の隣を歩くようにして、旅人然とした風格の男と気弱そうな女性と一緒に。

 俺を止めるためにか、着いて来ていたハリーはようやく見つけたとどこか安堵の表情だ。察するに、援軍とはこの三人のことなのだろう。

 さっきまでの引き止めはどこへ行ったのか、俺のことを無視して、騒ぎを起こした援軍に説教臭いことを言い出すハリー。ただの人間なのに、人間よりも圧倒的力を持つフレイムヘイズに怯えること無く説教をする姿は、どっちがフレイムヘイズか分からなくなる。俺に対しても強気で、引き止めていたのだから、構成員にとってフレイムヘイズは人間と大差ない存在扱いなのだろうか。

 やがて、三人声を合わせて「ごめんなさい」と聞こえたので、説教から解放されたようだ。

 説教が終わり、ようやくお互いが顔合わせと、自己紹介をした。

 少女、キアラのことは知っていたが、他の二人は完全に初見かと思ったら実はそうでもなかったらしい。

 『鬼功の繰り手』サーレと名乗ったカウボーイハット、ガンベルトというようなガンマンであると強調するような服装をした男は、``絢の羂挂``ギゾーと『強制契約実験』の末に契約したフレイムヘイズであることが発覚した。

 あの実験の時にこんな男いたっけかと記憶に全くなかったのだが、リーズの「貴方が教授の相手を押し付けた男」の発言で、なんとなく思い出した。そう言えば、勝手に押し付けて逃げた記憶がある。向こうは完全に覚えていないらしく、初めましてと挨拶してきた。

 サーレの名はすでに猛者と認知されている強力な討ち手だ。彼なら俺の代わりどころか、役不足だろう。

 最後に女性。

 比較的小柄で、気が弱そうな顔立ちをしている彼女はパウラ・クレツキーと名乗ってから、自分がドレル・パーティの一員であることを明かした後、報告するように言った。

 

「ドレルよりモウカ様に伝言があります!」

「伝言?」

「はい。モウカ様には、これより東京総本部の立ち上げの協力をして欲しいとのこと!」

 

 いつもならドレルから回ってくる依頼は基本突っぱねてきた俺は、彼女に一も二もなく返事を返した。



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閑話四

 欧州の古くからあまり変わらぬ街並みに溶け込んでいて、溶け込めていない少女がただ一人で街を歩く。街の中にごく平然と交わっているようでありながら、人とは少し雰囲気を滲み出してもいるのだが、すれ違う人々はそれに感づくことは出来ずにいた。

 その夜の中に溶けこむような黒く、腰にも届くほど長い髪は、欧州人のそれとは違い東アジア人系のそれに近い。欧州では珍しい色の髪を靡かせているはずなのに、誰も注視しないのは彼女の空気が薄いからではない。存在を馴染ませているから。

 幼い顔立ちだ。しかし、無表情のせいからか幼さをあまり感じさせず、瞳の中の強い光には意志と決意が垣間見れ、行き交う人々より頭一つ二つ以上に小さな体に不釣り合いな理性と凛々しさを自然と出している。

 

 今は上手く溶け込んでいるが、以前の少女であればこの人混みの中に交じることさえ出来ずにいた。

(これも鍛錬の成果と言えよう)

 

 重厚で威厳の溢れるような声にならない声で、彼は言った。

 その声を唯一聞き取れる彼──``天壌の劫火``アラストールの契約者『炎髪灼眼の討ち手』は、同じく声にならない凛とした、どこか幼さの残る声で、うんとだけ少し不服そうに答える。

 彼女がなぜ不服なのかすぐに察したのか、アラストールは励ましのつもりで補足をするのだが、

 

(我とて知らぬ事が多かったのだ。不備を恥じる必要はない)

 

 不備の言葉に少女は僅かに反応してしまう。

 表面上は全くの無反応の様に見えるが、少女の内心ではやや膨れていた。

 自らに大きな力を与えた``紅世の王``の不器用な励ましに、聡明な彼女は勿論気付くも、不必要な言葉を交わす必要のない強い信頼関係であるため、ありがとうの言葉は告げずに心内だけで感謝したのみ。

 『不備』に必要以上に反応してしまったのは、やはりこの間ようなことがあったばかりだろう。完璧のフレイムヘイズであれと育てられ、それに見合う力と知識を付けてきたが、実際に人間社会と向き合った時には、己の不備を指摘され、諭された。

 悔しかったというよりは、情けない気持ち。自分を育ててくれた彼・彼女に申し訳が立たない気持ちで一

杯になった。

 

(それでも、良かったと思えてる)

 

 結果的にはいい経験だったと断言できる。

 いや、そうさせてくれたのは教えてくれた師の一人になったゾフィー・サバリッシュのおかげと言えよう。

 先日までゾフィーと共に行動して現在のフレイムヘイズの戦い以外での生き方、潜み方(常識)を学んだ。彼女に感謝の念は絶たない。

 

(でも、面倒なことばかり)

 

 フレイムヘイズなのに人間となるべく同じように振舞わなければならない。それは例えば、お金を得るには盗むだけでは駄目だったり、人間との関わりを断絶しないで紛れることであったりと、ゾフィーに会うまで全く問題視してなかったものばかりだった。

 これが今のフレイムヘイズの在り様だとゾフィーは言うのだ。そう言われれば、彼女を在り方とする『完全なフレイムヘイズ』としては守らざるを得ない。

 外界宿の利用もその一つだ。フレイムヘイズに必要不可欠な``紅世の徒``の情報を始め、なりたての討ち手への訓育、金銭面と交通面での援助など、現代の形に沿った支援を行う。それらを組織の力を有効活用するのも現代のフレイムヘイズに求められる技量であるらしい。

 積極的に使うか否かについては個人の判断でとのことであるが、利用法は心得よとのことであった。

 それが便利であることを聡明な彼女は考えるべくもなく理解は出来たが、それは彼女の感性や感情とは異なる所でもある。

 他を気にしなくてはならない組織は、フレイムヘイズとしての役割を忠実にこなすためには面倒であり、何より相手は組織だ。利用していたはずが利用されている何てことも起こりかねない。率直に他者との慣れ合いなんてごめんという感情もある。

 

(でも、私は完全なフレイムヘイズだから……)

 

 感情を抜きにすれば、外界宿を有効活用する方がメリットが大きいと考え、実行する。それがフレイムヘイズ足らんとする彼女の在り方だから。

 

「では、これよりどこへ向かうとする?」

「東。外界宿の資料に``紅世の徒``の活発化が見られる」

「ならばそうするが良い」

 

 アラストールは彼女を意見に口を出すこともなく肯定し、彼女は「うん」と言い切らない内に、足はすでに東へ向いていた。

 

 

 

 

 

 少女は初めて口説かれた。それも初対面で。

 口説くことの意味を知らない少女はそのよく喋る男、ピエトロ・モンテヴェルディの言っている意味のほとんどを理解できずにいたが、意味を問うこともなく自身の要求のみを告げる。

 東へ行きたい、と。

 

「完全にスルーか。これはまた厳しい反応だ。これはそうだな、かつての『炎髪灼眼の討ち手』を思い出す」

「全く何言ってんだい。無視された経験なんて一人や二人なんて数じゃないだろうにさ」

 

 ピエトロの喋る声とは別の声、野太くも明るいその声はピエトロと契約した``紅世の王`である``珠漣の清韻``センティアのものだ。ピエトロは自身の契約した``王``を僕のおふくろと少女たちに告げて紹介した。

 おふくろの言葉にやや少女は首を傾げたが、特に気にすること無く少女は『贄殿遮那』のフレイムヘイズとだけ答えて、無言の圧力で話をすすめるよう促す。

 

「まあそう睨まないでくれ。東、というと日本への橋渡しでいいのかな?」

 

 顎髭を触って考える素振りをしたのは本当に素振りだったのか。少女の意思を的確に読み取ったピエトロに内心では、喋るだけの男からそこそこ使えるフレイムヘイズにランクアップする。ただの馬鹿から馬鹿なだけじゃないと評価が変わったに過ぎないが。

 『天窮の聞き手』ピエトロ・モンテヴェルディはこう見えて、外界宿の重任。自らが束ねている数十人の運行管理者からなる『モンテベルディのコーロ』を率いて、欧州を中心に世界各地に交通支援を行なっていた。その活動は多岐に渡り、討ち手らのための交通手段の確保と提供、資金面の援助。その交通ネットワークから得る情報を用いての``紅世の徒``の捜索を行なっている。

 少女がゾフィーに有効利用するように言われた組織の一つであり、また今日は手紙を手に握っていた。

 愛想なく手紙をピエトロに手渡すと、ピエトロは怪訝そうに手紙を受け取りながらもすぐさまに確認すると、顔に驚きの表情が浮かんだ。

 

「おお、これはこれは」

「驚いたね! 『肝っ玉母さん(ムッタークラージェ)』からの紹介状さ!」

 

 驚きの声を出した後は、黙々と手紙の内容を読み取り始めるも、それほど内容は書いていなかったのかすぐに顔を上げた。その顔には先程までの気取った雰囲気が失せ、真剣な表情を作っていた。

 

「君が強力なフレイムヘイズであると認めて頼みたいことがある」

 

 手紙の内容には何が書いてあったのか。

 ピエトロの改まった態度に、少女は人の変わり身の速さを知る。

 

「オーストリアに居たとされるとある``紅世の徒``が東へ逃げ、日本で目撃されたらしい」

 

 ``紅世の徒``の言葉に大きく少女は反応する。少女の内に宿る``紅世の王``も深く唸り、ピエトロの言葉に耳を傾ける。

 少女たちが東へと歩を進める理由は唯一つ。この世を我が物顔で跋扈し、世界のバランスを崩壊せしめんとする``紅世の徒``の討滅する──フレイムヘイズの使命に他ならない。

 その天命である``紅世の徒``の話題ともなれば、軽い発言を繰り返した男の言葉であろうが、見逃せるはずがない。

 

「討滅の依頼?」

「その通り。目標の名は``皁彦士``オオナムチ。古来より顕現している強力な``紅世の王``だ」

「……``紅世の王``」

 

 少女は声にならない声で、自身の``王``へと呼びかけた。

 

(アラストール、知ってる?)

(古来より存在する強力な``紅世の王``だ。しかし、此奴が敵だとすると些か……)

(私では力不足?)

 

 寂しげに言う少女の声。

 普段は平坦で感情の起伏を感じさせないだけに、色を纏ったその声にアラストールは、「い、いや……しかし」とこちらも普段では見せない慌てた様子を見せる。

 少女は、困らせてしまったというのに不思議と笑ってしまった。自分でもよく分からない気持ち。それでも、少女の次の言葉は自信と誇りの溢れたものであった。

 

(大丈夫。私は『フレイムヘイズ』だから)

 

 故に、少女のその依頼への回答は``紅世の徒``の討滅が内容の時点で決まっている。

 

「その依頼、受ける」

「おお! それはありがたい!」

「これで祈願の達成もあと僅かってね!」

 

 少女を置いて騒ぎ始めるピエトロらに、少女は不甲斐ない念を向けた。彼らも一端のフレイムヘイズなら、誇りを持ち、自らで解決するぐらいの意気込みを持つべきだ、と。それこそ自分の師の一人である戦場にて無敵とも言うべき戦果を誇る彼女のように。

 これも一つのフレイムヘイズの形であることは頭の片隅で理解出来るも、十分な納得には至らなかった。

 

(だけど関係ない。私は使命を全うすればいいだけだから)

 

 感情は捨て置き、使命に全身を委ねる。それが彼女の全てであり、今の彼女の唯一の支えでもあった。

 落ち着きを取り戻した彼らは、少女の日本行きへの話を進める。日本へと向かうのは明日の朝。ここモスクワより飛行機で東京に到着の手順だった。

 途中、飛行機の言葉に首を捻り、その反応から少女がまだ飛行機に乗ったことが無いことにピエトロは気付いたのか、問題ないよと少女の不安を削ぐようなフォローをする。

 

「電車と基本的には変わらないよ。今、君は荷物を持っていないようだから手ぶらで大丈夫だろうし、ゲートでチケットを見せて、ハイ終わりさ。それでも不安なら案内役を出すが」

 

 暗に未熟、経験不足と言われているようでやや不服な顔を少女は反応してしまった。

 最近、どうにも自分が思った以上に完成されていないことに、自分自身への不甲斐なさがこういった反応になって出てしまったようだ。

 他者にも察されるほどの反応だったようで、明るく野太い声に諭される。

 

「なに、おかしな話じゃないさ。近代的になっていく世の中についていけないフレイムヘイズなんて幾らでもいる。意固地になって昔のやり方を変えないより、なんでも利用していくほうがずっと柔軟で頭が良いと思うんだけど、どうかい?」

 

 取り繕うように無表情をもう一度作り直し、小さく頷く。

 その様子を微笑ましそうに見るピエトロに、ちょっと強めの視線を送りつつ、案内役については断った。他人に甘えることを許さないと自らに課したことを、僅かでも違えないように。

 日本行きの予定もあらかた決まると、ピエトロはため息を一回吐き、「これで借りが多少は彼に返せる」と呟いた。

 その言葉に疑問を含んだ視線を送ると、ピエトロは苦笑しながらも答えてくれる。

 

「いや、ね。彼、『不朽の逃げ手』には『革正団』の時には大きな借りを作ってしまってね」

(ほう、『不朽の逃げ手』はまだ現存か)

 

 知っているフレイムヘイズだったのか、アラストールが思ってもみない反応を見せる。

 誰? と尋ねると古き知り合いだとだけ返事が返ってくる。

 どうやら『不朽の逃げ手』は歴戦の討ち手らしいことだけは理解する。

 

「西へ東へ大忙し。彼の居る場所が戦乱の嵐ってさ! 各所に散らばる『革正団』相手によくもまあ戦ってくれたんだよ」

「『大戦』以来の``紅世の徒``との大きな戦いで、旗揚げの『炎髪灼眼の討ち手』もいなければ、指揮を執っていた我らが『肝っ玉母さん(ムッタークラージェ)』は、親友の死で早々にリタイア。頼れるのは自分たち外界宿の住人だけ」

 

 『肝っ玉母さん(ムッタークラージェ)』、師のゾフィーが戦いから戦線離脱したことがあったとは驚きだった。それも怪我などの自らが戦闘不能になるのではなく、友の死という不可解な理由。

 アラストールには会得する所のがあるのか、深く唸るだけ。

 意味はやっぱり分からない。

 

「でも、その住人も元は復讐を終えて第一線から遠のいた者や、戦闘に向かない者が多いのが現実だったのさ。そんな中で、外界宿が主導で戦線を率いていくのは無理難題だった。そこで、満を持して『不朽の逃げ手』の登場さ!」

「我らが外界宿の顔役が最前線で荒らすものだから、外界宿側の士気もようやく向上。まして彼は、現フレイムヘイズの時の人の一人だからね! 彼の参戦を機に続々と名のある者が集まって終息を迎えたってわけだ」

 

 一通り説明を終えたのか、ふうと息をつき水を一杯飲み切る。

 彼の話をまとめると、先の戦は『不朽の逃げ手』が引っ張ったから勝てたということだろうか。

 アラストールとも知古のようだし、他者にあまり興味を持たない彼女も多少ながら興味を持った。

 

「日本に着いたら、まず最初に外界宿東京総本部に行くといい。``皁彦士``の詳しい情報を得るのもそうだけど、彼に会うことも出来るよ」

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 黒い髪に瞳。それだけなら自分と同じようないで立ちだが、雰囲気が柔らかい。それとも緊張感がないだけだろうか。フレイムヘイズらしさを感じさせないのも、その雰囲気に大きく影響しているだろう。

 『不朽の逃げ手』と名乗ったその人物は、ピエトロが言ったような猛者とも言うべき活躍を見せるような強いフレイムヘイズには見えない。

 

「久しぶりだな。『不朽の逃げ手』と``晴嵐の根``」

 

 違和感を抱いているのは、自身だけだったのか、アラストールはやや親しみの込められた挨拶をした。

 その声で声の主が誰か悟ったのか、『不朽の逃げ手』の顔が驚きに染まる。

 

「サバリッシュさんに聞いていたとはいえ、実際に聞くと感慨深いな。いやはや、お久しぶりです。『炎髪灼眼の討ち手』に``天壌の劫火``」

「まーた、堅物と再会するなんてねー。長生きするもんだね、モウカ。初めまして幼いフレイムヘイズさん?」

 

 かたや感嘆が大きくも礼儀正しく挨拶した青年、かたやおちゃらけとした適当な挨拶に少女を小馬鹿にしたように言う笑い声を伴った女性の声。

 女性の声は自分が馬鹿にされているようで何だか腹が立つ。

 それを知ってか知らずか、モウカと呼ばれたフレイムヘイズは苦笑しながら謝ってくる。本当にフレイムヘイズらしからない。

 

「旧交を温めるような親しい仲でもないから、仕事の話をしようか」

「依頼の詳細を」

 

 どこかの女と違って必要以上の言葉は発さず、端的に答える。

 今度は逆に、相手側がその態度が気に食わなかったのか、ぶーたれる様に言う。

 

「モウカと違って愛想良くない。つまらなーい。これだから堅物のフレイムヘイズは」

「ウェル、いい加減おちょくるの止めてよ。相手は天下の『炎髪灼眼の討ち手』なんだからさ……」

 

 誰よりもフレイムヘイズ然とする『炎髪灼眼の討ち手』の討ち手と、誰よりも人間らしさ然とする『不朽の逃げ手』。

 ``紅世の徒``を討滅することこそが使命とする少女と``紅世の徒``の討滅の使命から逃げ続ける青年。

 真逆の性質を持つ、二人の初めての邂逅だった。



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第五十七話

 ──嫌だ。

 この気持ちで心の中を埋め尽くされることはままあることだ。

 ウェルにからかわれた時然り、``紅世の徒``との遭遇然り、偶然による面倒事への巻き込まれ然り、どれもこれもが、俺にとっては嫌悪感を示させる対象だ。ウェルのそれは長年の付き合いから諦めているし、``紅世の徒``とはフレイムヘイズの因果関係上仕方ないかもしれないし、偶然なんてものはいもしない女神を呪うしか手立てはない。

 対処法なんてものは我慢であったり、逃げであったり、たまには少し強気に出たりなんて殆どは弱腰ではあるが、千差万別で意外と対応できなくもない。そうやって5世紀もの間を生きてきたのだから。何も疑いようもない。

 それでもやはり嫌悪感を抱かせる物。今回の場合は恐怖感にも近いが、それを知ってしまうのは非常に嫌なことだ。

 

「どうしたの? 最近じゃ珍しいくらい引き攣った顔して」

 

 リーズがお盆に乗せたお茶を手慣れた手つきで俺の前に置き、流れるような仕草でソファーの隣に座ると顔を覗き込みながらそう言った。

 ここは外界宿東京総本部の自分の私室。東京総本部の創設者であり、一応の責任者のための部屋であるからか、ソファーやベッドを含めた生活に必要不可欠な家具や電化製品を入れても、余裕を残している。余分なものが無いのも大きいかもしれない。だが、この無駄な広さの理由はどう考えても立場以外の邪なものが絡んでいるようにしか思えない。何故か部下の配慮により、リーズとの共有の部屋になっているのだから。

 この本部の設計にもいくつか口出しはしていたが、こんな部屋をあてがわれたのに驚いたことは覚えている。この状況を良しとする、リーズにも驚いた。

 それでも最初の頃は、必要最低限の時以外はここに詰めることもなく、今まで通りに気ままな逃亡生活をしていたので、問題はなかった。ここに詰めいるようになったのは忌まわしき『革正団』戦争以後だ。それ以来、このようなまるで家族のような生活をしている。

 これはこれで最初の頃は、長年付き添ってきたとはいえ、違和感の拭えない毎日であったが、人間はやはり慣れる生き物らしい。今ではとんと違和感を覚えないのだから、不思議なものだ。

 

「この手紙を見れば嫌でも、引き攣った顔になるさ」

 

 いや、読まなくても分かるかもしれない。ウェルが必死に笑いをこらえているのが、リーズにだって聞こえるはずなのだから。

 刺激を求めるウェルは、ここ約50年の平和な生活には飽き飽きしていたのかもしれないが、考えてみても欲しい。俺の生きてきた年数の中では、戦乱に巻き込まれている時間自体はさしたるものではない。それは戦闘時間が短いなどの問題ではなく、フレイムヘイズとしても戦闘に立っている回数も時間も圧倒的に少ないはずだ。

 19世紀から20世紀初頭の間が異常だったのだ。

 『内乱』に``海魔(クラーケン)``騒ぎにサブラクの不意打ち、止めは久々の大戦に相当する『革正団』戦争。過去最大の危機の一つであった``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``の時のように、死に瀕することはなくとも十分に傍迷惑な戦いであった。

 

「``仮装舞踏会(バル・マスケ)``に動きあり?」

 

 リーズは手紙の最初の一文だけを読み上げて頭にクエッションマークを浮かべ、すぐにこちらに小首を傾げ縋るような目をする。説明を求めているようだ。

 ``仮装舞踏会``の説明をリーズにしたことはあるはずだが、この子は結構残念な頭の持ち主なので、最初の一文で躓くことも安易に予想できた。

 

「何よ、その今にも溜息を吐きたそうな顔は。分からないんだからしょうがないじゃない」

「ああ、いいいい。分かってたから。最初から説明するつもりだったから」

 

 俺が呆れたような返しをすると、リーズは少し拗ねたような表情をした。それでも、教えて貰いたいようで、文句を言わずに説明を頼んできた。

 

「``仮装舞踏会``と言えば、``徒``の組織の中で最も巨大な力を持ってる組織だ」

 

 自分自身の欲望を叶えようとこの世界に跋扈する``徒``は、その理由からも分かる通り非常に自分本位な輩ばかりだ。しかし、そんな彼らが本当に好き勝手にこの世界を使いたい放題にしていれば、当然のことながら世界を守る使命を帯びて、または復讐とばかりに討滅者たるフレイムヘイズが``徒``の野望を阻止せんとする。

 ``徒``とフレイムヘイズの一騎打ちとなれば、どちらに軍配が上がるか。真っ当に戦えばフレイムヘイズが勝つことが出来るだろう。跋扈する``徒``の力も上から下までピンきりではあるが、フレイムヘイズはある種一定以上の力は保証されているようなものなのだ。フレイムヘイズとは、確固たる意志と器を持ち得た人と``紅世``の世で王とまで言わしめる力を持つものが契約して生まれる。フレイムヘイズの内包されている力は最初から``紅世の王``以上が確定しているのだ。使いこなせるか否かは、契約した人に左右されるも、地力の点では、並の``紅世の徒``とは格差があるのだから。

 相性、力の方向性、才能により、勝負の結果は危ぶまれるものの、理屈上はフレイムヘイズが有利だ。

 一騎打ちでは勝てない。要するに個人の力だけで自らの野望を成し得ないものが当然のことながら現れてしまう。或いは一人だけでは叶えられない野望を持ったり、無駄な同類の死を防ぐために。もしくは、同じ野望持った同士に、そういったモノたちが集まって組織や徒党を、``紅世の徒``も人と同じくして作った。

 ``仮装舞踏会``もそれらと同じだ。

 

「フレイムヘイズにとっての外界宿みたいなもの?」

「組織だってたのはもっと昔からだったはずだけどねー」

 

 かの組織の歴史は外界宿より古いかは俺には分からないが、組織として成り立っていたのはウェルの言うとおり外界宿よりも圧倒的に昔だろう。むしろ、外界宿が組織として機能し始めているのはここ最近だ。

 そう考えると、愚直に復讐ばかり考える討ち手らより、野望を叶えようと他を利用することを考える``徒``のほうが協調性があるのかもしれない。

 ふと、全く協調性のない大嫌いなあの``紅世の王``が頭をかすめたが、アレに限って言えば``紅世の徒``にとっても迷惑をしているので、色々と例外だろう。というか、アイツのことは考えちゃいけないことだった。なんかこういう話をしていると本当に現れそうな気がするのだ。

 

「ただ、``仮装舞踏会``はあまり表立ってフレイムヘイズと戦いをしてこなかったんだ」

「抑止力にもなっているらしいよ」

「``徒``の組織なのに?」

「そう、``徒``の組織なのに、だ」

 

 これは比較的有名な話だ。

 ``仮装舞踏会``が積極的に、フレイムヘイズとの敵対を避けようとしている訳ではない。現に小さな小競り合いはどこにだって存在しているが、逆に言うならこれだけ大きな組織となっているのに、フレイムヘイズと全面対決になる雰囲気がないのは驚くべきものだ。

 ``徒``の多くはフレイムヘイズに『討滅の道具』と軽蔑を顕し、憎しみを込めて呼称した。そんな彼らが集団となれば、それを機に憎たらしいフレイムヘイズを一掃しようと動こうとする。そうでなくても、感情のままに行動する隣人たちを押さえつけるのは並大抵のことじゃないだろう。

 憎しみを主な力の源としている討ち手の前に、敵を来ずさえて、今にも暴れだしそうなのを抑えているのと同じなのだ。

 ``仮装舞踏会``の抑止力の高さには舌を巻くものがある。図らずもフレイムヘイズが彼らの組織のおかげで助かっている一面もあるということだ。

 

「この間の『革正団』の時も協力的だったらしいし」

「あのババアが協力的だったっていうんだから、裏に何があったもんじゃないけどね」

 

 ウェルが滅多に見せない嫌悪の感情を色濃くする。

 ``紅世``は``紅世``で、人の世のような人間関係があるようだが、ウェルがどういった経緯でウェルがババアと言う``逆理の裁者``ベルペオルとの関係があったのか、俺には想像の余地もなかった。度々垣間見えるウェルと他の``徒``については、本人に聞いても「何もないよ。面白みの欠片もないし。今のほうが楽しい」と俺からすれば返答に困るような返事をされ、深い事情を知ることはできないでいた。

 それでも、ウェルはベルペオルの情報が必要と考えてか、嫌々なのが見て取れるように言う。

 

「あのババアはさ。自分が楽しくなるように物事を動かそうとするんだよね」

 

 それってウェルみたいじゃないか。

 口に出しては言わなかったが、俺もリーズも同じようなことを思ったらしく、二人で顔を見合わせてしまった。

 

「お主みたいだな」

「うわー、気にしていることを言ってくれるよね」

 

 俺とリーズがあえて口に出さなかったことを明確にフルカスが突っ込んだ。

 雰囲気や空気に惑わされず言えるフルカスをちょっとだけ尊敬。

 

「ウェルが何かを気にすることがあるなんて」

 

 だから、俺がポロッと言葉を零したのはフルカスのせいだ。

 俺の隣で座っているリーズは、首を二度ほど素早く縦に振って同意した。

 三人の反応に納得がいかないのか、むーと頬を膨らます姿を想像させるように唸ってから「失礼ねー」と言い、自分とベルペオルの違いについて弁明をしだす。

 その例えに最初に出したのが陰と陽。あいつは陰。根暗で薄気味悪く、狡猾な謀略を使い、いつだって自らが表舞台に出ずにコソコソとやる卑怯者。かたや自分は陽。いつだって自分自身で行動し、狡猾さの欠片もない純白な正直者。

 つまり、二人の関係は簡単だった。

 

「それ同族嫌悪なんじゃないか」

「あ、やっぱり? 私もそう思ったわ」

「まさしく」

「一緒にしないでくれるかな。私がいつモウカに自分の意思を押し付けたことある? あいつはそれを気付かせずに、自分の思惑通りにさせるっていう一種の能動的だけど。私はいつだって、相手を尊重した上で楽しむ受動的。ぜんぜん違うから気をつけてほしいな」

 

 言われてみれば、ウェルが故意に自分自身の面白い方向へと首を突っ込ませたことはないかもしれない。所々では、会話に口を挟んで場をかき乱すことはあれど、俺の行動にケチつけることはあんまりなかった。

 この平和な五十年間もたまに愚痴るものの否定はしない。あくまでも、俺の意思を尊重してくれていたということなのだろうか。

 見方を考えると物凄く出来た人? に見えてくるから不思議だ。

 騙されてはいけないのは、ウェルはすでに俺という人間をセレクトした時点で、自分の望んだ面白楽しい日々になると信じて疑っていないところだ。

 それでも流れを俺に委ねている意味では、ウェルが自分で言ったように受動的ではあると言えなくもない。

 頭の中ではベルペオルをウェル(悪性)の立ち位置で認識することにする。

 

「話がだいぶずれたけど、``仮装舞踏会``は比較的敵対心の薄い敵の認知が一般的だった理由は分かっただろ」

「…………え、ええ。分かったわ」

 

 微妙な間。

 もしや、本筋から話が逸れている間に、肝心の内容が飛んでしまった、なんてことはないだろうな。不自然に空いた間を訝しみながらも、今更最初から説明し直すのは嫌なので、リーズが分かってなくてもフルカスの方で補完はしてくれるだろうと期待して続きを話す。

 

「これでようやく、手紙の内容に入れる訳だ」

 

 ここまでが前知識。最前提。

 フレイムヘイズと積極的な戦闘を避けてきた``徒``の組織``仮装舞踏会``はいわゆる停止状態だったとするなら、動きがありと書かれた手紙の意味するところは、

 

「フレイムヘイズと``仮装舞踏会``の全面戦争?」

 

 さすがのリーズも事の重大さが分からないわけではなかったのか、神妙な顔になり、表情には不安を隠し切れないでいる。

 俺だって同じだ。

 何度も比べているが過去の大戦であった``とむらいの鐘``はフレイムヘイズの歴史に残るずさんな戦いだった。ほとんど負けが決めつけられてる戦いで、たった一つの勝ち筋を辿れて、奇跡的に勝てたに過ぎない。

 予想される``仮装舞踏会``との戦いの規模は、前回のそれを上回るだろうと俺は見る。前回は都市一つ分の存在の力を溜め込んだ絶対的な``王``がいたが、組織自体の規模は``仮装舞踏会``の方が上を行く。近年でほぼ``徒``の組織が``仮装舞踏会``に一本化されたためだ。それだけでなく、フリーである``徒``たちも``仮装舞踏会``がフレイムヘイズと全面的な戦闘となれば、協力してくることが分かりきっている。これは、前回の時と同様だ。

 数は絶対的な暴力だ。

 一つの圧倒した力もまた強い力だが、数はそれ以上に恐れなくてはならない。

 

「現段階じゃ一つの可能性の段階らしいけどね」

 

 最悪の想定ってやつだ。

 こうなって欲しくないという願望でもある。

 俺はもちろん、そんなことになっても生き残りたい精神でどうにかこうにかならないだろうかとパッと考えたが、さすがに全面戦争が起きてしまったら、逃げる云々の問題ではなくなる可能性が高い。

 フレイムヘイズが負けてしまえば、世界のバランスはあっという間に崩れ、この世界に生きることが出来なくなるとされている。

 

「それで、内容はそれだけじゃないんだよ。下をもっと読んでみな。俺が嫌な顔をした理由が分かるから」

 

 ``仮装舞踏会``がフレイムヘイズに今の今まであまり手を付けなかったことに、何故と疑問に思う者は多々いた。同郷の出をフレイムヘイズから守る要素が、強いのは確かだったらしいが、それだけではないとどうしても思えなかった。

 そして、何故今頃になって急に動き出そうとするのか。

 その意図とは何なのか。

 外界宿側からすれば、非常に気になる疑問であったに違いない。

 

「ええと、『``壊刃``が``永遠の恋人``を襲撃し、謎の自在法を打ち込み、``永遠の恋人``が消滅』? ``壊刃``ってまさか」

「更に続きを」

 

 そこも重要だけどね。個人的にももう二度と会いたくない奴の名前が出てきて、すこぶる顔色悪くなってると思うけど、もうちょっと読み進めて欲しいんだ。

 今度は腹痛と頭痛と目眩が一気に押し寄せそうだけど。

 

「『零時迷子の探索と情報を求む。``仮装舞踏会``の狙いである可能性高し』の部分?」

「正解。書いてある意味は多分、リーズにはまだ分からないと思うけど、これは多分俺もひと働きしなくちゃいけなくなるかもしれない」

「どこらへんが?」

「『零時迷子』ってのは、宝具の名前なんだよ。指定した宝具を探すことの無意味さってのは理解できるだろ?」

「なんとなく、大変なんだろうなってくらいには」

 

 大変なんてものではなく、本来であれば不可能と言ってもいいものだ。

 まずは宝具を見つけられる事自体が稀で、大抵の場合は宝具を所有している``徒``を撃破した際におまけのような形で手に入ることが多い。そうでなければ、偶然見かけたトーチに内包されている宝具を見つけるしか無い。

 宝具は持ち主がいないと『この世に開いた``紅世``の穴』であるトーチに無作為転移で内包される。この状態のトーチをミステスと呼び、これを数あるトーチから見つけ出さなくてはいけない。無作為転移のために転移の軌跡は追えず、完全な運頼みと言って間違い無いだろう。

 ミステスに内包されている宝具の効果によっては、そのトーチがミステスであるかも判断できないこともある。

 ダイヤモンドが眠っているかも分からない石の山から、ダイヤモンドを見つける行為に等しいのだ。これは不可能といっても過言ではない。

 だからこそ、俺が動かざるを得ないのかもしれない。

 

「いつかの時に戦乱の中心に俺を導いた自在法が、また導くかもしれないなんて」

「モウカって本当に持つべくして持ってるよね。契約して本当に良かったよ」

 

 哀愁を漂わせる俺に、どこまでもにこやかなウェル。

 俺たちの言ってることについていけないリーズはポカーンと思考を停止させ、フルカスは口を開く気配すら見せない。

 今回ばかりは仕方ないのかもしれないな。そういう星の下に生まれたと思って諦めよう。

 図らずも巻き込まれかねない全面戦争を未然に防ぐためにも、牽制するためにも、不服ながらも就かねばならならない役回りがあるようだった。



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第五十八話

 宝探しと言えば、海賊の地図を片手に持ち、その地図に記されている海賊の財宝を探す、この流れが非常に有名であるだろう。現実的には海賊が、そんな自分たちの財産の隠した場所を安易に地図に書き込む、なんてことをするとは思えないが、言ってしまえばロマンだろう。

 それで財宝を見つけるのもロマンであれば、見つからないのもロマンである。占いと同じで、当たるも八卦当たらぬも八卦というやつだ。

 宝を探す時に非常に大切なのは、このような地図──ではなく、端的に、総称すれば情報だ。どこに何があるか、とここまで具体的な事を求めるのは無理ではあるが、噂話のような、むしろ都市伝説のような物を追いかけて行く事が、手段の一つに挙げられるだろう。

 トレジャーハンター。冒険家。

 これらの響きは実に男の心をくすぐるが、そのロマンだけで生きていけるなら、人間は何と身軽な生き物なのだろうか。

 人間には夢やロマンを追いかける時間が少ない。有限なのだ。それらしい噂や都市伝説など、地域や地区、それこそ人の数ほど溢れていて、その中の幾つが本当の宝に辿り着くとも知れない。どれ一つとして宝に辿り着かないことだって十分にありえる。

 志半ばで死は当たり前で、その意志を引き継ぎ息子も冒険者に、となれば恰好の冒険譚ではあるのだろう。そんな映画だって、小説だってある。

 夢に生きる男は格好良いが、夢を果たせぬ男は哀れみが付き纏う。本人が幸せなら、それもまた人生かも知れないが、俺は果たせない夢を淡々と追いかける行為はどうにも出来そうにない。とっとと諦めて、叶えられそうな夢に方向転換しそうだ。

 打って変わって、フレイムヘイズはその時間の猶予こそは無限大。終させられることがなければ、驚くような長寿をし、老いだってない。

 おお! まさしくトレジャーハント向きな存在ではないか! と言う訳でももちろん無く。彼奴らフレイムヘイズのほとんどは、そんな人間社会の財産やら宝には見向きもせず、己が復讐心か、はたまた正義感か使命感に心通わせる。

 俺だってその例外ではないのだ。

 しかし、フレイムヘイズの誰よりもトレジャーハントに向いているとも自負している。

 人間のように噂に縋る必要もなく、自分の力で、宝の地図よりも確かな方法で、俺は``宝具``と呼ばれる``紅世``の人あらざるものが作りし宝を探すことが出来るのだ。

 全く使っていなかった自在法『宝具探し』によって。

 本来であったなら使い道の多かった能力であったと思う。この自在法の使い道は、名前の通り``宝具``を探し出すことに尽きる。明確な指針を示すわけではないが、感覚的に、超直感的に、どこらへんに``宝具``があるかを知ることが出来る。

 物によってはフレイムヘイズに力を与えてくれるものであったり、外界宿でも使っている``テッセラ``のように身を隠す便利な能力を携えていたりする。

 戦いを避け、生き残ることを第一に考える俺にとっては、身を隠すことの出来るアイテムは持っていて損するものではない。手に入るのであれば、手に入れたい代物が``宝具``である。

 事情、そう甘くはいかないのが世の中である。

 まず、目的の``宝具``を手に入れることは困難だ。

 鉱山を知っていても、そこから出てくるのが目的の鉱石とは限らないのだ。ダイヤモンドが欲しくて穴を掘ったのに、手に入れたのはルビーであった。もしくは大した価値にならない鉱石であったとなる。

 これでも無事に鉱石を手に入れられたのなら良い方だ。その鉱山は実は誰かの所有物で、奪わない限り使わせてもらえないことのほうがザラだろう。

 つまり、``宝具``の中身は分からないが在り処は分かる。ただその``宝具``にはすでに持ち主がいて、それが``紅世の王``だった。

 こんなことが起きえる。

 戦いを未然に防ぐために、争いを起こすのは手段として間違っていない。

 現に俺は、これから起きうる未来であるフレイムヘイズ対``仮装舞踏会(バル・マスケ)``の大戦を未然に防ぐために``零時迷子``を先に見つけ出そうと考えているのだから。

 たった一つの宝具を見つけ出すことの難しさたるや、想像もつかないが、果てしない努力の末に、大戦が防げるなら、必要な労力だ。

 

「モウカ様、その……お客様がお見えに」

「お客?」

 

 私室のドアをノックし俺の類まれなる決意の過程を遮ったのは、パウラ・クレツキーその人である。ハワイではドレルの伝言を俺に告げ、そのまま東京総本部の幹部となった人物だ。

 彼女は執務の殆どをこなさない俺とレベッカに代わって、非常によく働いてくれる素晴らしき人材だ。フリーダーは俺たちと違って執務もこなすが、それでも事務処理専属といっていい彼女の働きには劣る。

 総本部での役割分担は、レベッカは実務(戦闘)主任、フリーダーは実務監修(レベッカのお守り)兼執務担当、パウラは執務主任、という感じに成り立っており、俺は総責任者(張りぼて)である。

 威張ってる言えることではないが、組織の運営の何たるかも、戦闘の指揮のなんたるかも知る由もないのだ。

 誰かに指示されたら、その通りに動くだけの簡単な立場。個人的にはとっても都合の良い場所を手に入れることが出来たと思っている。

 こんな俺(役立たず)が、ここに居て意味があるのかと疑問は湧くのだが、居座っているだけで意味があるとのこと。

 ……まあ、どうしてかは何となく察しはつくから、あえてその事に言及はしなかった。ウェルが笑っていれば、それだけで大体の事は予想できるというもの。

 

「お客って誰かな」

「モウカに直接訪ねてくるような友人っていないよね」

「貴方に思い当たる節は?」

「交友のある人物は要人ばかりだから、急にはここに来れないと思うけど。あとウェルはさらっと変なことを言うな」

 

 フレイムヘイズならサバリッシュさんやピエトロにドレル、この辺なら個人的に付き合いの多かった人ではあるだろうが、こんな場所に来るような人たちではない。後者二人なら予め連絡をするだろうし、サバリッシュさんは現在はご隠居状態。

 果たして誰だろうか。

 俺とリーズが首を傾げていると、パウラは非常に言いづらそうにしながら、衝撃と言っていい言葉を口にした。

 

「それが……お客様は人ではなく``紅世の徒``です」

 

 ``紅世の徒``……フレイムヘイズの敵……襲撃……

 俺たちの決断は速かった。

 二人にして四人の言葉は一斉に放たれる。

 

「よし、逃げるぞ」

「逃げるんだよね! モウカ!」

「面会謝絶って言っておいてもらっていいかしら」

「これはまた久しぶりな感じだな」

 

 ついにアレを使う日が来たのか。

 そう思うと、いつもは鬱蒼と恐怖に駆られながらの逃げ支度もなんだか楽しい気分になってくる。初めてのことを試す時は、いつだって心が踊るものだ。

  非常用と書かれたボタンを手に取り、緊急脱出を行なおうとした矢先、そのボタンが奪われた。

 

「パウラ、どういうつもり?」

「気をつけた方がいいよ、パウラちゃん。いくら臆病なモウカでも、逃げの一手を妨害されたら、嵐になって周囲を巻き込みながら逃げかねないよ?」

「ち、違います! ちゃんと私の話も聞いてください! お客様は──」

 

 

 

 「こんな時ばかり、物凄い威圧感を出して」とブツクサ言いながら、パウラが部屋を出ていくこと、数分後。

 彼女にはあまりにも似つかわしくない姿で旧き友に挨拶するように「やあ」と呑気に現れた。

 

「ここ最近は懐かしい顔によく会えるな。久方振りだ」

「よくも抜け抜けと顔を出せたもんだよ。まあいいさ。とりあえずは、再会を喜ぶよ」

 

 ``螺旋の風琴``リャナンシー。

 彼女は確か、可憐で儚気な容姿だったはずだが、今はどういった理由から老紳士の恰好をしていた。``紅世の徒``に容姿の変わり様に疑問を抱くのはどこか的外れのような気もするが、彼女の元の姿を知っていればこそ、この違和感は大きい。

 リャナンシーのことだから、理由があってその姿であるのは間違いないだろうが、人知れぬ理由が誰にでもあるだろう。

 親しき仲にも礼儀ありである。

 だけど、憶測としては``螺旋の風琴``だとバレないための処置と、存在の力を使用しないようにいったところだろうか。昔はここまで用心はしていなかったと思うけど、時代が変われば振る舞いも変えざるを得ないというところか。

 

「抜け抜けと、か。随分嫌われてしまったようだ。どうしてかは分かっているつもりではある」

「モウカは怒ってるけど、私はそれほどでもないから安心して。楽しかったし」

「楽しくなんか無い! でも、過去のことだからいつまでもグチグチ言ってても仕方ないのも分かってる。それで、ここに来た用件は何? これた時点で色々と問題なんだけどさ」

 

 外界宿は基本的に秘匿の場所である。フレイムヘイズには別け隔てなく公開し、積極的な支援に取り組む組織の活動拠点だ。

 そんな重要な場所が、おいそれと``紅世の徒``にバレていいはずもなく、平然とここに訪れたリャナンシーはあらゆる問題を含んでいる。リャナンシーが他の``紅世の徒``に場所を公にし、フレイムヘイズに戦争を仕掛けてくるとは到底思えないが、あってしかるべき危惧である。

 ただ、彼女にここを知れた方法を問い詰めても、『自在法』という魔法の言葉一つで片付けられかねない。

 

「モウカの変わりなきその器に感謝する」

「別に感謝される言われはないよ。どっちかって言えば、俺だって打算に変わらない。リャナンシーとは友であった方が何かと都合が良いし。それに……数少ない友を失うのはどうかと思うわけだ」

 

 ただでさえ、友だちが少ないんだ。

 もしかして、もしかしたらリャナンシー以外にはいないかもしれない。

 なら、自分の癇癪で失うのはあまりにも虚しい。

 

「``晴嵐の根``の契約者は変わらず面白い。少し、それが羨ましくもあるよ」

「自慢の契約者だから当然! 譲らないよ、誰にも」

「お前ら、それ褒めてるのか?」

「私は良いと思うわよ、貴方のそういうところ」

「旅をしてて飽きないからな」

 

 やっぱりそれは褒めてるか微妙だろ。

 俺を抜きにして、俺のことで楽しむ三人に少々辟易していると、リャナンシーが「さて」と前置きをして、ようやく本題に乗り出す。

 

「私が君等を尋ねてきた理由だが、一つは先の謝罪。もう一つは容認して貰えないだろうか」

「謝罪は分かったけど、容認? ここに居ることを許容して欲しいのか?」

「正確には日本に、だな。『不朽の逃げ手』の箔を付けて貰えれば、私も大分動きやすい」

「あー大体分かった、前と一緒か。それは問題ないけど、俺が言ってどうにかなる問題かな」

 

 東京周辺なら、一応東京総本部の長ではあるので、ある程度の抑制は効くだろう。ただ、日本全域となればそれは過信というものだ。俺にそこまでの影響力はない……はずである。

 すると、俺の思考を読み取ったようなタイミングで、リャナンシーは問題ないと言葉を紡ぐ。

 

「君が思っている以上に、君の発言力は大きい」

「…………あんまり嬉しくないよ。その言葉は」

 

 なにはともあれ、旧友との会話はそれなりに楽しかった。

 改めて友達の大切さを見に染み込ませながら、楽しい時間に身を委ねる。彼女の見識や知識のある話は、聞いているだけで楽しませてくれるし、言葉を交れば知的好奇心を満たしてくれるものだった。

 

「いささか会話に興じすぎたか」

 

 そう言ってリャナンシーが視線を落とした先には、会話の途中でソファーで眠りについてしまったリーズの姿。

 話の終始、眠たそうに半眼で、暇さあればあくびをしていた彼女だが、ついには眠りこけてしまったようだ。

 リャナンシーはこれでお開きだというように、自然な動きで出口へと進みだした。

 俺は慌てて、別れの挨拶をしようと口を開こうとした時、リャナンシーがドアに手を掛けようとしてその手を止めた。

 

「これは独り言なのだが、とある街、ここからそう遠くない場所で実に面白いミステスを見かけた」

「ミステス?」

 

 いきなり何を言い出しているのか理解できず、オウム返しに言葉を返したが、リャナンシーはそれを聞かず、独り言を続けた。

 

「封絶の中を動き、自らの炎の揺らぎに不安を持たない、真珍しいミステスだった」

「……」

「私にはその中身が何か、皆目見当がつかなかったな」

(モウカ! これって!)

(ああ、もしかすると、もしかするかもしれない)

 

 リャナンシーが、そこまでミステスの特性に気付いて中身が分からない? そんなことあるのだろうか。いや、おそらく彼女は分かっていてそう言っている。一つに特定は出来なくても、候補の幾つかは挙がるはずだ。

 それを皆目検討がつかないと言うだろうか。言わないはずだ。

 なら、これは──

 

「借りは返したぞ。どうするかは君たち次第だ」

 

 そういうことなのだろう。

 ``紅世の徒``というフレイムヘイズに目の敵にされる立場であるはずの彼女が、``仮装舞踏会``の不利益を被り、敵と認定されかねない行動した。

 思わず出てしまった俺の「大丈夫なのか」の言葉に、彼女は「どちらに転ぼうとも、私の不利益にならないよう言っただけだ。案ずるな」と、実に頼もしい言葉で持って返してみせた。

 リャナンシーが俺たちに見送られて部屋を出て行ってから、沈黙が訪れる。

 彼女が最後にもたらされた情報の貴重さ、彼女にとっても危うくなりかねない情報の危険さ故にだ。

 けれども、その思い雰囲気は結局のところ俺たちには不釣合いだったのか。あくびを手で抑えることもせず、ふしだらに大口を開けながらリーズが沈黙を破る。

 

「で、これからどうするの?」

 

 そんなの決まっている。考えるまでもない。

 

「よし、援軍を呼ぼう」

 

 俺たちだけで対処するなんて馬鹿なことをするはずがないじゃないか。

 まずは、頼りになる味方を増やして、それから順次対処に入ろう。

 

「楽しくなってきたね! モウカ!」

 

 カラカラとひとしきり笑ったあと、ウェルは実に生き生きとそう言った。



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第五十九話

 援軍としてやってきた彼女に俺は言い聞かせるように言う。

 これはフレイムヘイズと``紅世の徒``の全面戦争を未然に防ぐための対策である。

 彼女自身はフレイムヘイズと``紅世の徒``との戦いにはここ百年程度で慣れているかもしれない。実際に名をわずか百年で``紅世``に轟かせ、密やかに``紅世の徒``からは『天路少艾』と呼ばれ畏怖されるに至っている。華奢な彼女には不釣り合いな言葉かもしれないが、十分に猛者と言うべき実力者である。

 とはいえ、経験はたかだか百年。俺の五分の一にも届いていない。葬ってきた``紅世の徒``を競っては負けるだろうが、生きていた時間と経験だけは、何においても負けるはずがない。

 最大規模の戦いを経験した俺にとって、過去のそれを超えるだろうフレイムヘイズと``バル・マスケ(仮装舞踏会)``の争いは、何としてでも未然に防ぐ必要性があるのだ。

 あの大戦におけるフレイムヘイズの勇姿を語るには、彼女のフレイムヘイズたる所以の王である、彼女ら、``破暁の先駆``ウートレンニャヤと``夕暮の後塵``ヴェチェールニャヤが適任かもしれないが、大戦におけるフレイムヘイズに襲いかかった恐怖を語るには、自分以上にふさわしい人物はいないだろう。

 

「なんてモウカは大仰なことを言ってるけど、シンプルな話なんだよね。一言、人手足りないから手伝って?」

「おい、せっかく人が上手く誤魔化そうとしてるのに」

 

 ウェルの言葉で、彼女──『極光の射手』たるキアラ・トスカナは苦笑を漏らした。

 ただ、ウェルもこの時ばかりは気を遣ってくれたしく、いつもよりやんわりとした、茶化しの入らないものだった。

 キアラはそれに一寸の憂いもなく「いいですよ」の明るい一言で、協力を約束してくれた。そも、遥々日本に来てくれている時点で、了承を取り付けたようなものではあったが。

 彼女ら、特にキアラの契約する王の二人にとっては、日本は鬼門ではなかったのではないだろうか。『極光の射手』の先任であったカールは、その武勇を欧州に轟かせながらも、この日本の地にて無残にも謎の死を遂げた、とは当初の話で、今となってははっきりと原因は分かっている。

 それはミステス``天目一個``によるものだった。

 俺自身にも苦い思い出であるこの敵は、小細工を通用させないことにより一切の自在法を受け付けず、膨大な存在の力を持っているとされているにも関わらず気配を感じさせない。この二つの要素から、フレイムヘイズと``紅世の徒``の双方問わず消し去ってきた。

 ``紅世``の関係者には『史上最悪のミステス』とまで言わしめている、正真正銘の化け物。

 かく言う俺も、偶然の産物で``天目一個``の襲撃より生還できただけ。二度目があるとするなら、生き残るの可能性はゼロに等しいだろう。

 事前察知が不可能、神出鬼没な時点で、``紅世``では天災扱い。対策など考えるだけ無駄なのだから、俺も会わないことを祈るしか無い。

 故人について触れるのもデリカシーが無いので、俺は疑問には思っても口には出さず、話題には今の話を振ることにした。

 

「そう言えば、キアラは『鬼功の繰り手』と一緒に行動しているんじゃなかったんじゃ?」

 

 『極光の射手』と『鬼功の繰り手』の二組は、一匹狼の多いフレイムヘイズには珍しいペアで有名な討ち手である。

 その名が馳せたのは、俺たちが命からがらの戦いを繰り広げたハワイ沖で戦闘の後で、ハワイに潜伏していたと思われる``革正団(レボルシオン)``との戦いがきっかけであった。

 元よりすでに名を広めつつあった『鬼功の繰り手』に付き従う形で、まだ不完全であったキアラはその力を開放することになったという訳だ。

 もし、あの場所でドレルの東京行きの話がなければ、サブラクに続いて連戦になっていたかもしれない事実には、ゾッとするものがある。

 そんな彼・彼女は師弟関係であったはずなのだが、最近聞くはなしでは二人は晴れて恋人の関係へと進展したらしい。

 フレイムヘイズ同士の恋人は以外にも珍しかったりするのだが、フレイムヘイズらは誰も彼もが一癖も二癖もあるので、真っ当なお付き合いは出来そうにないというのが俺個人の意見である。とはいえ、本当に出来ない理由は他にあって、内なる王がその最たる要因ではないだろうか。ウェルなんかは絶対に嫌な姑になりそうだ。

 王が保護者的な役割を持つフレイムヘイズが多い中で、その王と契約した人間が恋仲になることもままある。というか、そっちの方が多いのではないだろうか。

 前の大戦なんて、結局のところ愛する契約者が死んじゃったから生き返らすために引き起こしたものだし、それを止めた『炎髪灼眼の討ち手』もそういう関係だったという。

 俺に当てはめると俺がウェルと恋仲になるということだが………………ないな。絶対に。

 キアラは実に優良物件ではあったのだと思う。従順そうで健気で、何でこんな子がフレイムヘイズなんだろうと疑問に持つほど良い子である。『鬼功の繰り手』が羨ましいくらいに。

 羨ましいので一言言わせてもらうと、こんないたいけな少女を堕としておいて、このロリコンめと言っておく。

 フレイムヘイズに年齢は関係ない? は! 結局見た目が幼かったら、ロリコンだ! と俺は思うのだが、やっぱりフレイムヘイズからすれば年齢は関係ないので、こういった感情を持つのは俺だけなのかもしれない。

 

「う、それは、師匠が……」

「また痴話喧嘩しちゃったんだよねー!」

「今回はお揃いの服装が恥ずかしい、だっけ?」

「い、いいから黙ってて!」

 

 キアラは顔を真っ赤にして、余計な口を挟む二人を黙らすためか神器と思われる髪飾りを握る。その髪飾りからは「むぐー」「むごー」と必死にもがく声。

 キアラの喧嘩別れをした話に、何故かリーズはにやけ顔をして、俺に腕を絡めてペタリとひっついてくる。

 

「私は喧嘩したことないわ」

 

 とキアラに得意顔を向けると、キアラは悔しそうに表情を歪めて「リーズさんが羨ましいです」とボソリと呟いた。

 喧嘩を全くしないのもどうかと思わなくもない。喧嘩するほど仲が良いとも言う訳だし。

 キアラには勘違いされるのも困るので、

 

「まあリーズは妹みたいなもんだけどな」

 

 事実をしっかり告げるのを忘れない。

 それには何故か二人からジト目で責められ、キアラの王からは空気読めないだの、鈍感だのと言われる。

 解せない。

 鈍感ではない。リーズからの好意には当然気がついているが、どうしても自分とリーズの男女の仲が想像出来ない。やはり、家族であり仲間であると思う感情が先立ってしまう。

 この感情を説明しただけで言い訳と取られるだけでなく、余計に冷ややかな視線をぶつけられそうなので、言葉にせず、鈍感男の称号を甘んじて受ける。

 鈍感男と言われるのはいいが、この居た堪れない雰囲気は望む所ではない。

 

「『鬼功の繰り手』のことだけどさ」

「は、はい、師匠がどうしました?」

「あ、モウカがわざとらしく話を戻した」

「こういう男をヘタレっていうんだね!」

「年数だけは一人前に重ねてるはずなのに、情けないこと」

 

 いけしゃあしゃあと発言する王らは黙っとけ。

 ウェルが三倍に増えたようで、俺の胃袋が限界を迎えかねないぞ。

 

「喧嘩したって言うけど、いつものことなんだろ?」

「……はい。師匠はいつもいつも私の気持ちを知ってるのに──」

「ほらさ、二人でベタベタするだけが愛情じゃないと思うんだよ」

 

 『約束の二人(エンゲージ・リンク)』と名乗っている``紅世の王``とミステスがいた。この二人は``紅世``の誰もが認める激甘カップルで、周囲の状況を問わずに、イチャイチャをすることで有名だった。

 イチャイチャで有名というのは俺が勝手に付け足したものだが、話を聞く限りでは間違いないはないはずだ。

 彼女たちのようなどストレートな愛情表現であると言えるのだが、それだけが愛情の表現方法ではない。

 キアラは「──でも」と言いかけたが、俺はそれを塞ぐように言う。

 

「一応、同じ男として言わせてもらうが、好きな人に好きというのはそれはもう恥ずかしいことなんだ。だから、つい喧嘩になっちゃったりするのは、照れ隠しなんだよ」

「そういうものなんですか?」

「そういうもんなんだよ」

 

 柄にも無いことを喋ってしまったが、キアラは意外にも納得した表情をしているので、たまにはこういう役回りも悪くない。

 ただ、こういう話をするともれなく突っ込んでくる奴がいるわけで、

 

「じゃあモウカの私への態度も、それって照れ隠──」

「んなわけ無いじゃん」

「…………あのさ、モウカ。さすがの私も傷つくことがあるんだよ?」

 

 ウェルはそう言って「うっ、うっ」とさもショックを受けたような反応をした。

 いつも俺をからかってばかりなんだ、たまには立場が逆転してもいいだろ。

 いい気味だ、とさえ思ったのだが、ウェルの啜り泣きが何故かすぐに止まらない……あれ、もしかして本当にショックだったのか!?

 

 

 

 

 

 「モウカにいじめられた」といつまでもブツブツ言うウェルを慰めつつも、俺たちはいよいよ持ってその街へと辿り着いた。場所は東京よりそれほど遠くない首都圏の某県。そこは県下の中でもそれなりの大きさを誇る市であった。

 最初は、特にどこの地域は特定は出来ていなかった。

 キアラが来るまでの間に、自在法『宝具探し』を使って、近場にある``宝具``の場所を感覚的に察知。すると、非常に大きな異常が見つかった。

 本来であれば一つ二つでも自在法探知内で見つかれば上々の成果であったはずが、少なくない数の``宝具``が同方角に存在を察知することになった。

 もちろん、そんな怪しさ満点の場所に行って``宝具``を確認することが出来るはずもなく、キアラたちの合流を大人しく待つことにした。

 電車やバスを乗り継ぎ、徐々にその宝具の場所を割り当てて言った結果、その街へと辿り着くことになった。

 異常はそれだけにとどまらなかった。

 多数の宝具が一箇所にある事が判明したのなら、そこにどうして集まったのかと疑問が浮かぶ。自然に、なんてことはありえるはずがなく、それならば故意に誰かが集めたことになる。

 問題の誰かだがそんなものは分かりきっている。``紅世の徒``、それも飛びきりの``王``がいる可能性が高い。

 理由を至極簡単で、手に入れたのなら持ち主から奪う必要があり、作ったのであればそれだけの数を作れる技量が必要だ。どっちに転んでも、相当な力を持つ``紅世の徒``がいる。そこには当然ながら、``宝具``の力も使用されるわけで、討滅は困難を極めるだろうことが予想されていた。

 つまり、異常とはいるはずの``紅世の徒``の気配がすぐ近くに来てもなかったことである。

 虎が住んでるはずの穴はもぬけの殻で、虎のいる気配がなかったのだ。たまたま居なかっただけとは考えれず、一番存在の力に敏感な俺が、最大の集中を持って察知に励めば、僅かに感じる自在法の匂い。

 

「モウカ、これって」

「試す価値があるな」

 

 判断は速かった。

 何者かが封絶のような空間を構築する自在法を発生させていると思われる御崎市(・・・)よりも、大きな封絶を展開。

 元より封絶などの空間系対策に作られた『崩し雨』を発生させ、一時的に断絶された空間の内部への干渉を図る。

 しかし、面での侵食は出来ず、内部の様子は伺えない。

 

「面で駄目なら一点集中!」

 

 一点を集中するようにすれば、僅かにだが空間を断絶していた一部に穴が開く。

 

「キアラ、私たちの``ゾリャー``で!」

「逃しちゃ駄目よ!」

「皆さん、捕まってください!」

 

 巨大化した鏃に俺とリーズは慌てて掴み、内部への侵入を果たした。

 

「なんだこれは」

「何かの自在法のようだが」

 

 侵入を果たした内部には、山吹色の木の葉がどこからともなく舞い、視界をぼやかすような霧が漂っていた。どこからどうみても、敵中ど真ん中。自在法の真っ最中である。

 予想をしていた状況ではある。自ら危険に飛び込んでいく初めての感覚で戸惑いもあったが、思ったよりも頭は冷静だ。

 これを危機敵状況とは考えない。

 これはチャンスだ。すでに自在法が展開しているということは、戦闘中であることを示唆し、そのまますでに``紅世の徒``とフレイムヘイズの戦いがあることを告げている。

 となれば、自分たちの参入により、形勢は一気にこちらに傾く。

 くいくいと袖を引っ張られた。

 

「ねえ、どうするの?」

「うーん……近くに大きな存在があるな」

 

 

 自らでこれから高確率で起きるだろう大戦を防ぐために、初めて自ら戦乱へと身を投じた。

 後悔はないとは言わない。生きることで精一杯で、そのための手段として逃げることしか選択できなかった俺が、どうして渦中の戦いに参戦できようか。

 だけど、考えるまでもなく大戦になってしまったら、死ぬ可能性は今の比ではなくなる。

 起きるにしたって、こちらに有利になるように事前に動かなくてはいけない。

 今のうちから生きる術を見出していかなくては、いざという時に死の選択しかなくなってしまう。そうなってから後悔するのは遅すぎるのだ。

 だから、今この時ばかりは、逃げるという選択肢を泣く泣く切って、戦うという選択肢を初めて選ぶ。

 しかし、俺は知る由もなかった。

 その初めての相手が泣く子も黙る将軍(・・)であったことを。

 



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第六十話

 こんな事態になることを坂井悠二は想像することは出来なかった。

 それも当然である。

 ほんの数ヶ月遡れば、彼は至って普通のありふれた日常を送る少年でしかなかった。桜吹雪の中、これから訪れる高校生活にこそ想像は絶えなかったが、命の駆け引きを繰り広げる非日常が出迎えているなどと誰が予測できようか。

 いや、その命すらも彼女らからすればすでに無い。駆け引き以前に、賭けるべきである坂井悠二の命はすでに無い。

 彼女──悠二自らがシャナと名付けた少女は、不躾に愛想もなく、実に清々しい潔さで言ってくれた。

 本物の坂井悠二はすでに死に、残ったこの意識はそれの残りカスに過ぎず、人ですら無い、モノである、と。

 そうして知った自分の本当の正体。本物の残りカスでトーチと呼ばれる存在であり、いずれは世界から消えてしまう存在であること。それから一つの出来事を境として、特殊な宝具を宿すミステスであったために、消えること無く、悠二は日常と非日常の境界を跨ぐことになった。

 ``この世の本当のこと``。知りたくなかった、知らなければよかった、真実を知った日から。

 名前すらもなかった少女であるシャナは、その``この世の本当のこと``を守る存在であるフレイムヘイズだ。あまりに小さな体躯からは、その見た目以上の身体能力と他を圧倒する存在感を放ち、彼女が戦う時に真紅に染まる髪と瞳と同様に、燃えるような熱い使命感を携えている。

 悠二はそんな彼女に世界を守るヒーロー(ヒロイン)を連想させる。

 人知れず、人を喰らう化け物である``紅世の徒``から世界を守り、どんな敵にも臆しない強い心を持っている。彼女自身が何より、フレイムヘイズであることを体現しようとしている。

 だけど、年端もいかない少女に見える時もある。夢中でメロンパンを頬張っている時なんて、それの最たるものだ。

 フレイムヘイズは人間とはかけ離れた力を持っているが、人間と変わらない存在であることにも、つい先日ある人物に思い知らされた。

 気高かった彼女は思ったよりも身近で、フレイムヘイズは完全無敵のヒーローではない。

 そんな彼女を想うと、彼女は絶対に負けないという想いと、彼女の力になりたいという想いが、気付けば悠二の中で芽生え始めている。

 悠二には戦いのイロハは分からない。

 ほんの一瞬で命を散らしかねない危険なものであることは想像に難しくないが、むしろ危険なものという認識でしか理解出来ていない。

 それでも悠二はシャナの力になりたかった。

 フレイムヘイズである彼女は強く、無力に等しい自分の力など必要としないかもしれないが、それでも何か彼女の為になることはないか、と考えを止めることは出来ない。

 ある意味、恵まれてもいた。

 はたしてその力は自分固有のものだったのか、それとも身に宿す``宝具``のおかげなのかは見当もつかないが、その鋭敏な感覚を用いることによって、時には敵の真意に、時には敵の計略に嗅ぎつけることが出来るのだから。

 シャナの負担にならないため、困らせないためという想いから始まった強くなりたいという願いは、この内なる``宝具``の力もあって、道のりは楽ではないが決して不可能なものではないと思い始めている。

 それなりの修羅場だって乗り越えた、はずである。が、やはりそれは一人で乗り越えたものではなかった。

 傍ら、とはとても表現できないが、常に悠二よりも前ではシャナが戦い、悠二はそれに必死こいて付いて行くのが精一杯だったに過ぎない。金魚のフンと言われる方がまだ正しい。

 今日だってそうだった。

 ``紅世の徒``の自在法の仕組みには気付くことは出来たが、言ってしまえばそれだけであり、個人でその自在法を打ち破ることすら叶わない。

 マージョリー・ドー。『弔詞の詠み手』と呼ばれるもう一人のフレイムヘイズの力を借りて、ようやくここまで辿り着くに至った。

 結局は他人頼り。最後は人任せと言われても仕方がないのかもしれない。

 現実逃避に華が咲いたが、この状況こそ人任せの極地だったりする。

 最初はどうしようか困った。

 予期せぬ遭遇に自分では対応しきれないと考えた。``紅世の徒``との対峙は、すぐさま死を彷彿させる。悠二はこの空間、封絶(正確には今置かれている状況下は封絶とはやや異なる)を初めて認識した時、``紅世の徒``にも満たないその下僕の燐子にさえ、足がすくみ、何も出来ずに情けない姿を晒して殺されようとした。それがまして、``紅世の徒``との遭遇であるなら、一も二もなく容易く自分は殺されてしまうだろう。

 しかし、殺されるのは容易だが、生き残る術は何かないかとすぐに考え始める事が出来た。

 こんな状態ではあるが、不思議にも自分は冷静で、どうすればこの場を凌ぎきる事ができるか、全力で脳が働く。

 ``紅世の徒``を倒すことは自分には出来ない。ならば、倒すのは誰かに任せないといけない。

 逃げることも出来ない。相手の力は未知数であり、どんなに低く見積もってただのミステスである自分よりは強く、速いはずである。

 つまり、ここで自分が出来る最善手は、時間稼ぎ以外にありえない。

 延命処置である。

 そして、悠二は結果だけを見れば、ものの見事に時間稼ぎに成功することが出来た。

 内包する宝具``零時迷子``が露見しただけの悠二にとってはおおよそ最高の結果──尤も、その結果は悠二だけの満足するものではなく、対峙していた``紅世の徒``である``千変``シュドナイにとっても十分な成果であったことは、悠二の知る所ではなかった。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 マージョリー・ドーは生粋のフレイムヘイズと言える存在であった。

 簡単な話が復讐者である。

 フレイムヘイズのその多くは、どす黒い感情の下に``紅世の王``と契約する。知人友人、家族、大切な人を理不尽な``この世の本当のこと``によって失い、その元凶たる``紅世の徒``への怒りをエネルギーに替え、憎しみを糧にフレイムヘイズとして``紅世の徒``に復讐を誓う。

 典型的とも言える彼女は、その大きな殺意を剥き出しにして数多の``紅世の徒``を葬ってきた。

 ``紅世``に名だたる殺し屋であった。

 憎しみは原動力だ。それは多くのフレイムヘイズに共通することであり、これを失ってしまえばフレイムヘイズ、復讐者足り得ない。

 それを彼女は身を持って体験した。

 牙を抜かれた状態で、ある主の因縁とも言える``千変``との対峙に至ったが、彼女が自在師として名を馳せた所以である即興の自在法を組むことが出来なかった。

 それには思わず、やっぱりねと言葉を零すしかなかった。激情家で、敵を見れば敵もろとも心をも燃やし尽くしそうになるのだが、心が滾ることもなく、また文字通り火をまともに扱うことも出来なくなっていた。

 フレイムヘイズも脆い。

 たった一つの想い、あるいは感情を失っただけで、こうも人間と同じ無力に成り下がる。

 こんな自分にさえ嫌気が差す。こんなやさぐれ状態なら普段以上にお酒もすすむというものだ。

 復讐もまともに出来ないフレイムヘイズに、果たして生きている意味はあるのだろうか。

 ──しかし、まあどうにもこうにもフレイムヘイズは単純に出来ているらしい。

 いや、今までだってやっぱりたった一つの感情で生きてきたのだから、単純であることは見事に的を射ていると、マージョリーは思わざるをえない。

 マージョリーは初めて、今まで抱えてきた憎悪以外の感情で、この場へとやってきた。

 何故だか得体の知れない奇声を上げて喜んでいる``千変``と、無謀にもあの炎髪灼眼の討ち手の力になりたいと言っていたミステスの少年の居る戦場に。

 今のマージョリーの姿はまさしく獣。

 欧州系特有の鼻筋の通った美貌も、スラリと長い脚や女優顔負けのプロポーションも、艶やかな栗色の髪も、その全てを覆うずんぐりむっくりした群青色の着ぐるみじみた獣の形状こそ、マージョリー・ドー『弔詞の詠み手』の炎の衣であり、『屠殺の即興詩』の戦闘態勢だった。

 御崎市での三度目の``千変``との衝突は、手応えの感じ無いものだった。

 一度目と二度目は違う意味(自身の力がそもそも十全ではない)で全く手応えを感じなかったが、三度目は敵が、かの``仮装舞踏会(バル・マスケ)``の三柱臣が相手だというのに、強さをいまいち感じられない。例え、腕の一本を``千変``が失っていたとしても、だ。

 どうにも、焦っている感じがある。

 

(……おかしいわね)

(連戦ちゃあ、連戦かもしれねーが、ちぃーっとばっかし手応えが無さすぎだぜ)

 

 マージョリーが感じたことを彼女と契約した``王``、``蹂躙の爪牙``マルコシアスも同調する。

 戦いの主導権をマージョリーが完全に握る。

 ``千変``は将軍と呼ばれていることもあり、``紅世``屈指の戦闘能力を持つ強大な``王``である。マージョリー自身も、引けを取らない力を持っていると自負しているが、それでもここまで戦いで優勢を保つことが出来るだろうか。

 自分の調子が絶好調で、相手が絶不調、地の利が完全にこちらで、周囲の戦況もこちらが完全有利。ここまでの圧倒的な攻勢でない限り、こうも主導権を握れるとは思えない。

 何より、マージョリー自身は何度も``千変``と戦闘を交えているのだ。相手の実力を見極め間違えるとは考えられない。

 

(ま、関係ないわね)

(ヒッヒ、そういうこった! 我が非情の殺し屋、マージョリー・ドー)

 

 ようは討滅してしまえばいい。

 敵側の都合なんてお構いなし。

 ``紅世の徒``は殺してなんぼで、今までだってそうやって戦ってきたのだ。何を今更考える必要があろうか。

 敵は殺す。

 ``紅世の徒``は殺す。

 それだけなのだから。

 とは言え、

 

「ん!?」

「なぬっ?」

 

 この行動にはさすがに驚きを隠せなかった。

 あの``千変``が逃げを打ったのだ。

 ──が、それも

 

「なっ!?」

 

 ``千変``のさらなる驚きに上書きされる。

 兆候などは無く、唐突にそれは起きた。

 身体を海蛇のように変化させ、物凄い勢いで逃げようとした矢先、``千変``ごと水が急に浮かび上がり、その周囲に風が巻き起こり、あっという間に一つの竜巻のようになり完全に包囲する。

 

「これは……自在法ね」

「どーも、こいつはあ、臭う自在法だなあ。どこぞのお気楽自己中な同胞の臭いがするぜ」

 

 竜巻はなおも拡大を続け、周囲の物を巻き込みながら風の層が分厚くなっていく。中に閉じ込められているはずの``千変``の様子は、外からは丸っきり見ることは叶わない。

 マージョリーはトーガを解かずに戦闘態勢こそ崩していないが、その様子を眺めるのみ。

 見たことがない自在法ではあるが、推測が正しければ、この自在法の予測は難しくはない。

 ``紅世``においては有名である。特に集団戦においては。

 この嵐は敵味方関係なく飲み込み、味方を優勢に、敵を劣勢へと一気に陥れ、形勢をひっくり返す戦略級の大型の自在法。

 活躍の噂は定期的に流れ、つい最近まではとある外界宿で長をやっていると聞いていたが、なるほど。その外界宿はこの国にあるのだから、いつも大きな戦いの中心に居た彼がここ(闘争の渦疑惑のかかっている)に居ても不思議はない。むしろ、必然とすら思えるくらいだ。

 推測は案の定当たっていた。

 

「それでいつまで観戦してるつもり? 高みの見物だなんていい性格してるじゃない」

「そういう訳じゃなかったんだけど。さっきのタイミングで出て来なかったのは悪いとは思うけどさ」

 

 声を投げかけてみれば、スッキリと聞き取りやすい声が応答し、希薄だった存在が明確に感じ取れるようになる。

 姿を現したのは、濃い青色のローブに包んだマージョリーと然程身長の変わらない黒髪黒目の男。その男を守るように立ち並びながら現れた、甲冑を装備した大きな盾、ランスに部類されるだろう太く大きな槍を携え、金が焦げたような髪色に青色の瞳の少女だった。

 

「えーと、とりあえず、自己紹介を──」

 

 男のその言葉にマージョリーは軽く手を振って遮り、呆れながら言う。

 

「いらないわよ。あんた達のことは知ってるし、そっちも私が分からない訳じゃないでしょ」

「ヒッヒ、お互い長生きしてんだあ、色々と噂は聞いてるぜ。大戦の立役者殿ってなあ」

「モウカ良かったね! 有名人になれて!」

「あー、うーん、良くはないかなーと俺は思うんだけど」

 

 フレイムヘイズらしくない男だった。

 確かにこの場で放っている存在の力はかなりのものであるのだが、本人から漂う雰囲気はそれと相反している。正直に言えば、ミステスの少年と大差ない平凡な人間のような雰囲気だった。

 しかし、だからといってあのミステスとこのフレイムヘイズでは、積み上げていたものが違いすぎる。生きてきた年数であれば、マージョリーと同等であり、自身よりも早く名を馳せらせている。

 事実、目の前ではかなり大規模の自在法が展開しているにもかかわらず、本人はまるで苦にしていない様子。噂を信じきるつもりはないが、少なくとも噂になる程度の実力はあると見ていい。

 

(『炎髪灼眼』に『不朽の逃げ手』、敵側では``千変``がいる。それに、まだもう一人同業者がいるようだしね。はあ、戦でも開戦できそうな面子じゃない)

(ヒッヒッヒ、さらには我が戦乱の歌い手、マージョリー・ドーってか。敵は``千変``と``愛染``兄妹だけじゃーちょーっと、物足りなゴフッ!)

(おだまりバカマルコ。その``千変``だけでも下手したら私たち全員を相手できるんだから十分よ)

 

 それはさておき、これだけの戦力が居るのだからマルコシアスの言葉も理解できなくはない。

 本来は、一箇所に留まることにないフレイムヘイズらが一つの街にこれだけ集まるのは異常である。

 さらに疑問を重ねるのであれば、

 

「それで、あんたは何で逃げようとした``千変``を捕まえるようなことをしている訳?」

 

 逃げる敵は放おっておけばいい。

 一時期は固執して``紅世の徒``を追っていたマージョリーが自分で言うのもおかしな話だと思いながらも、『不朽の逃げ手』に尋ねる。

 相手はあの``千変``だ。ヘタに突いて手痛い反撃を食らう可能性だってある。さっきは、``千変``との戦闘の感触に疑問を持っていたが、それでもやはり敵の存在は大きいのだ。

 それに『不朽の逃げ手』は、心底嫌そうな顔をしながら答えた。

 

「大戦を開戦させる訳にはいかないから、ね」

 

 その言葉の意味をマージョリーが理解するのは、もう少し後になってからであった



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第六十一話

 個人的な願望を言えば、``千変``シュドナイにはここら辺で息を引き取っていただきたい。

 これから敵対することが確定した``仮装舞踏会(バル・マスケ)``の戦力を削ぐ意味も多分に含まれているが、その巨大な``紅世の徒``の組織を背景にしなくとも、``千変``の脅威度は逸脱している。

 ``千変``の戦闘能力は単騎決戦において、ほぼ無敵であると俺は思っている。

 これは決して過剰反応ではない。俺がいくら死をもたらす敵に臆病であっても、これだけの年数を生きていれば、ある程度の脅威度を測定することは可能。むしろ、そういうのに最も敏感であると自負できる。

 その力は、かつて最強とまで謳われた先代『炎髪灼眼の討ち手』を比べてもなお上にいる。

 『炎髪灼眼の討ち手』が強いといわれる理由は様々あるが、その最たるものは彼女の自在法だろう。

 先代は一騎にして騎士団を創造し、騎士団の一つ一つの存在が並の``紅世の徒``を凌駕していたとされるほどのものだった。彼女一人にして戦略級と呼ぶに相応しい最強の騎士であった。

 ``紅世``の魔神の契約者だからこそ出来る圧倒的な存在の力とそれを許容し、扱い切る度量が先代マティルダ・サントメールの強さであったし、それでも埋まらぬ死角を、完全に補っていたもう一人の強力なフレイムヘイズ『万条の仕手』との二人組であったからこそ、彼女らを敵無しへと変えた。

 当代最強と呼び名が高い二人が常にお互いを協力、協調し、生かし合ってるのだから、そりゃ強いわけだ。

 対し、``千変``の強さとは一番に経験であると考える。

 まず千変たる所以である、``紅世の徒``では珍しい七変化(実際にはそれ以上だろう)をし、戦闘において有利な形状へと自身を変える適応力。それに加え、古代より生き、大戦を少なくとも二度経験しているほどの圧倒的な戦闘経験に裏付けられた戦闘力。

 500年を生き。平和な日本生まれの自分ですら戦闘経験蓄積させれば、こんな素人でも多少の戦闘が行えるようになってしまうのだ。それが、もとより戦闘をするために生まれたかのような戦闘民族がそれの十倍以上の年数の戦闘経験と考えれば、どれほどの強さになるかは想像するのも恐ろしい。

 経験は何よりも力なのだ。

 簡単な話、戦闘分野において、彼より秀でた戦闘者はいない。

 これが自分の``千変``への分析だ。

 敵を知り己を知れば百戦危うからずとは言うけど、敵を知れば知るほどに、手を出したのが誤りだったような気がしてくる。

 なんで俺はこいつを補足しちゃったんだろうか。

 

(目先の欲に釣られた哀れな魚? あーあー、いつも通りに逃げてればよかったのに、大戦を止めるぞ! なんていつになく意気込んで、戦闘を自分からふっかけるからー)

(だ、だって勝機がありそうだったじゃないか! あいつの得物である『神鉄如意』も持ってなかったし!)

(うん、うん。反撃にあって死ななければあとで私が慰めてあげるから、ファイト!)

 

 ``千変``は身体を変化させ、身体自体が武器のようなものだが、彼は有名な武器を所有している。それが宝具『神鉄如意』。

 巨大な穂先を持つ鈍色の剛槍で、持ち主の体形や意思に応じて、大きさや形を自在に変える、まさに``千変``のための武器であり、``千変``が使ってこそ真価を発揮する武器と思われる。

 敵の武器ながら、ここまで知られていられる事自体が馬鹿馬鹿しいほどに将軍がこの世で力を振るってきた証明であり、これだけ知られているにもかかわらず、俺の知る所ではこれを持った``千変``はおそらく負けたことがない──逆に言うなら、これを持って戦闘に出ている``千変``はフレイムヘイズにとっては勝てない敵として存在することになる。

 俺が勝機有りと睨んだ理由の大きな一つだ。『神鉄如意』を持った``千変``なら逃げの一手だっただろう。

 もう一つの大きな理由が、彼自身の存在の力が普段と比べ大幅に削れていること、である。

 自分がこの場にたどり着いた時、まさしくその瞬間に、``千変``の存在の力の塊である腕の一本が、どう見ても唯の少年の中に吸収されていった。

 知識としては知っていたが、初めて本物を見た。

 宝具の箱であるミステスを守るための自在法『戒禁』。それも、あの``千変``の片腕を飲み干すほど強力なもの。

 さしもの``千変``もありえない現象を前に驚くと思った。いや、確かに猛獣の断末路のような絶叫を上げたが、次には彼の顔は歓喜していたのだ。求めて止まないものを見つけた時のような反応だった。

 それを見て俺は確信する。

 その少年のミステスに蔵している宝具が、彼の求める宝具であると。それがひいては``仮装舞踏会``へと繋ぐか否かは、ミステスの中身に左右されるが、『封絶の中で動くミステス』なんて言ったらほとんど特定されたようなもんだ。

 俺の知識じゃ、二つのミステスしか当てはまらないしね。

 最悪を想定し、ミステスが『零時迷子』であると仮定すると、この場は一にミステスの保護か転移、ニに``千変``の撃退の二択へと絞られる。

 ここで俺は思ったわけだ。

 これほど勝機のある戦闘は今後あるのか、いやない。

 ``千変``はどう考えても、全力を出せない状況下。対してこちらは、戦力的に見れば自分含め三組みのフレイムヘイズが連動できる。内一人は、屈指の強さを持つ『極光の射手』も居る。

 それでも真っ当な戦闘ができるのも『極光の射手』たるキアラのみだから、戦略が必要だった。

 

「大戦? 物騒な言葉ねぇ」

「冗談にしてはちぃーっとキツくはねーかなご両人さんよ」

 

 言いたいことはとても分かる。大戦なんてそうそう起こるものではないのだ。

 起こる時は大抵、現体制の秩序が乱れようとした矢先である。

 ``紅世の徒``と『フレイムヘイズ』の力関係がどちらかに偏ることが起きたり、世界のバランス自体が脅かされようとする時。そのほとんどが``紅世の徒``の危険過ぎる行動を阻止しようとして、フレイムヘイズが立ち向かう形を成している。

 ``紅世の徒``はたびたび大きな企てをすることがあるが、大きすぎる野望はその野望を過剰に危険視した討ち手らによって未然に防がれるのが相場。また、その企てる``紅世の徒``の大体が個々であり、野望も具体性や計画性に欠けることが多いので、大戦と発展することはまずないのだ。

 大きな戦いへと発展する野望とは、それは個人の愛らしく感じるほどの馬鹿で単純な願望ではなく、大きな組織を背景にした巨大な思惑なのである。

 現在、``紅世の徒``の組織と言える程のものは``仮装舞踏会``しかないが、その``仮装舞踏会``は長年に渡り主だった動きを見せず、時にはこちらに協力とも言える行動をしてたことから、危険視はそれほどされていなかった。

 生真面目に大戦が起こるかもしれない、と言う方が馬鹿らしいのだ。一匹狼を主として行動する大概のフレイムヘイズにとっては。

 

「冗談だったら俺もこうは焦ってないんだけどな」

「モウカがこうして動いてるって事実を知る人が知れば、相当驚くこと間違いなしだもんね」

「リーズなんか未だに頭をひねりながら着いて来てるもんな」

 

 もしかして貴方は偽者なんじゃ、とか呟きながらも俺を護衛するように盾を構えているリーズ。

 いつも従順とも言えるリーズにこうも言われては、さすがの俺でも傷付くというものだ。

 そのなんとも緊張感の欠ける自分たちらしい雰囲気に、『弔詞の詠み手』は不思議なものを見るような視線を向けてくる。

 分かってる。自分たちがフレイムヘイズらしからぬ事は500年前から知ってたことだ。

 いたたまれない状況を脱するべく、次の言葉を告げる。

 

「『弔詞の詠み手』に協力をして貰いたい」

「協力? この私に?」

 

 思い掛けない言葉を聞いたからか多少驚いたが、すぐにちゃんちゃらおかしいと笑みを浮かべた。

 フレイムヘイズらしい彼女からすれば、協力の二文字は可笑しな言葉なのだろう。

 

「気持ちは察する。だけど、同時に考えて欲しいんだ。相手はあの``千変``だよ?」

「さっきまで私が一方的に押して、追い返してやったんだけど?」

「んー、まあそうだったけど、倒せるなら倒すべきなんじゃないかと思うわけだよ。フレイムヘイズ的に」

 

 俺的には逃げが最善策です。

 

「倒せると踏んでるってわけ?」

「勝算はあるんじゃないかな、と」

 

 この封絶もどきに突入するにあたって、覚悟していた``紅世の徒``との激突。

 並の``紅世の徒``なら、俺がどうとかする前にキアラの前に敵無しだろう。ならば、その場合は戦闘はキアラに丸投げするつもりだった。彼女の王たちとウェルにはさんざん笑われるだろうけど。

 ``王``だった場合、この時は単騎撃破は非常に面倒になる。『極光の射手』ほどの討ち手が遅れを取ることはまずないとは思うのだが、有利に事が進められるなら、それに越したことはない。

 考えた戦法は常に優勢な状況を作ること。

 『嵐の夜』は自在法を編んだ俺以外にとっては視界はおろか自分以外の気配を察することが出来なくし、主たる俺はその中に存在するモノを雨によって察知できる自在法だ。

 本来の用途は、相手が大勢いようが自分だけが安全に離脱できるものだが、使い道は意外にも様々ある。今回はそれの応用だった。

 相手だけを自在法内に閉じ込めることによって、自分は安全圏から相手の位置情報を取得できる。相手がその範囲から離脱しようものなら、離脱位置を先回りして、出てきた所を叩く。一度叩けば、再び『嵐の夜』を発生し、以後同じ事の繰り返しだ。

 元は出てきた敵をリーズが槍で遠距離ないし、ゼロ距離でグサッと一撃を刺すのが戦法だが、今回は速さの申し子である『極光の射手』がいるので、彼女の攻撃を主軸に戦う。相性は不思議と良いのではないかと思ってる。

 机上の理論なので、実戦ではそこまで事が上手く運ぶとは思わない。だが、何も考えずに正面から戦うよりは余程有利に事が進められるとは思うのだ。

 予測してた``王``との戦闘だが、予想以上の大物だったが十全ではなく、こちらにはさらに『弔詞の詠み手』の戦力強化が出来るのなら、数の上でも必要以上に差を付けられる。

 数は力だ。

 『弔詞の詠み手』に全部説明すると、ふうんと言いながら多少考える素振りをすると、勝気な笑みを向けた。

 

「放って置くってのも私らしくはないわね」

「ヒヒ、そう言うこったご両人。我が暴食の追撃者マージョリー・ドーも、お手つきした品を残すなんてもったいないとさ」

「協力助かるよ。それで早速だけどこの封絶もどきについてなんだが」

「これなら大丈夫よ。チビジャリ──『炎髪灼眼の討ち手』がなんとかするから」

「……なるほど、それなら安心だ」

 

 もう一人のフレイムヘイズの正体が同時に割れ、想像以上に有利な局面に、心内でほくそ笑む。

 『炎髪灼眼の討ち手』がもう一つの存在の力の主を撃破すれば、こちらにさらに戦力が増えることになる。

 『炎髪灼眼の討ち手』『弔詞の詠み手』『極光の射手』、それに俺とリーズが並べば5対1で``千変``を向かい討つことが出来る。

 時間が経てば経つほど有利になるのだ。時間稼ぎなら``千変``相手でもどうにかなる、と思いたい。

 

「それで私はどうすればいいのかしら、あの嵐の中にでも突っ込む?」

「いや、基本的には迎え討つだけでいい。今、中での動きもないなら時間稼ぎにもなって好都合なんだけど……なんで、動かないんだ?」

「普通に考えれば罠を警戒だろーが、将軍様の考えるこたぁなんか想像もつかねーな」

 

 俺程度の戦略なら将軍が読めないはずもない、ということなのだろうか。

 敵の立場になって考えてみる。

 出れば叩かれるのを予測して出てこないのはありえそうだが、現状そのままでは膠着状態が続くだけ。待機して、自在法が切れるのを待っている可能性もあるが、それならそれでこっちから内側へ攻撃を加えていけば一方的に嬲れる。リーズの槍もあれば、屠殺の即興詩とまで呼ばれるフレイムヘイズきっての殺し屋自在師『弔詞の詠み手』もいるのだ。不利になるのも十分に承知であるはずだ。

 他の可能性としては……逃げか。

 俺ならこれほど絶望的な状況なら逃げる。まず間違い無く逃げる。

 だがその際の逃げ道は?

 水による経路は、すでに失敗しているし、制空権もほぼないと分かっているはずだ。だからと言って陸はほぼ不可能。

 自分で言うのもなんだが、こんな状況に追い込まれた時点で、俺なら諦めている。相手に泣いて土下座して許しを請うだってありえる。

 

「あ、いや、ちょっと待て!」

「どしたの、モウカ?」

 

 一つの思いつきが浮かぶ。この方法なら逃げることが可能だ。

 慌てて声を上げる。

 『弔詞の詠み手』とリーズが同時にうるさいと目で訴えてくるが、無視をして、遠話の自在式を練り、同時に指示を出す。

 

「『弔詞の詠み手』もキアラも中心部へ突撃して! リーズは槍を投擲して急いで攻撃開始!」

 

 と、言ってるそばから目標は動き始める。

 下へ、と。

 気付くのが遅かった。

 『嵐の夜』を解いて、『弔詞の詠み手』とキアラによる追撃の速度上昇を図るも、``千変``が居た場所はもぬけの殻で、穴があったと思われる場所には、コンクリートとは違う色違いの地面があるのみだった。

 その光景を見て俺はため息をつくことしか出来ない。

 相手の戦力を削れるチャンスを、自分の戦略ミスによって逃してしまったのだ。最悪の事態は防がれたのから、それだけで良しとするべきなのかもしれないが。

 成果は得られた。

 ``千変``の決定的な瞬間を捉えたことにより、あのミステスの少年が蔵す宝具によっては、相当のアドバンテージ及び、大戦を未然に防ぐことも不可能ではなくなる。

 これは宝具が『零時迷子』であることを前提としているが、そうでなかった場合は振り出しに戻る事になる。``千変``に喧嘩を売っただけとも言うかも知れないが。

 ただ今回の一件でよりハッキリ分かったのは、

 

「俺は戦闘とか戦略向かないな」

「モウカは必死に逃げ回ってるのが一番性にあうってことだね!」

 

 言い返す言葉もなかった。

 



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第六十二話

 人様の家の屋根の上で会合するのは、いくら人として気付けば大きく外れてしまった自分でも、斬新さがある。シュールな光景とも言う。

 零時を迎えようとする時間のこんな場所に小さい封絶を張り、この世の理から外れてしまった自分を含めた三組と一人が揃っていた。

 

「『弔詞の詠み手』は?」

 

 自分の胸ほどの身長しかない炎髪灼眼の少女──当代の『炎髪灼眼の討ち手』が、言葉少なく、視線すら飛ばさずに問いてくる。

 

「今日はパス、だそうだ。ま、俺の手間が増えるだけだから問題ない」

 

 彼女の問に返答するもさしたる反応はなく、集中を崩さずに存在の力をゆったりと練るのみ。それに同調するように少年の存在の力も、何かを掴もうとして揺れ動く。

 身の内にある存在の力を把握し、操るための鍛錬のようだ。

 俺とリーズもその光景を静観する。

 要件は急ぎのものではある。だからこそ、``千変``との戦闘から間もなくこうやって話し合いの場を作ってもらったのだ。けれども、これはいい確認の場になる。

 フレイムヘイズの今後を、もっと大きくはこの世を動かすかもしれない大事ではあるが、最も重要なピースは幸いにもこちら側に転がってきたはずなのだ。

 まもなく、その瞬間が訪れるはず。

 

「……零時ね」

 

 リーズが時計を見て時間を告げると同時に、少年の鍛錬によって希薄になってしまった存在が元に戻る。失ったはずの存在の力が回復した。

 この現象こそが、求めていたものの証。

 

「やっぱり、零時迷子だったか」

 

 リャナンシーからのもたらされた情報は確かだったことになる。

 正確には、この場に『炎髪灼眼の討ち手』が居るのだから、すでに関わり済みであったというだけなのかもしれない。

 零時になることによって少年の存在の力が回復を迎えると、『炎髪灼眼の討ち手』はその名の理由たる燃える髪と目を元の状態へと戻し、封絶を解いた。

 一言二言、彼女と彼女の契約者たる魔神は少年へと短く反省点を告げると、こちらに向き直り鋭利な視線とこれまた短く一言を告げる。

 

「用件は?」

 

 コンビニの店員のように愛想笑いをしろとまでは言わないが、これはいささか可愛げがない。生意気な口調ながらも付き従ってはくれるリーズが可愛く見えるほどだ。

 彼女とこうやって言葉を交わすのは三度目になる。

 一度目は外界宿での仕事で、二度目は戦闘後に今日の予定を組むため、そして今。その交わした全ての言葉を足したとしても100字もいかないのではないだろうか。

 ウェルなんかはさっそく愛想が悪いとぶーたれる始末だ。

 知らぬ仲ではないので、空気作りのために話を持ちかければ、

 

「旧交を温めるとかないのか?」

「別に、話す内容なんてない」

 

 呆気なくぶった切られてしまう。そのあまりな反応に余計な口を挟もうとウェルがやっかむ。

 

「うわぁー筋金入り。これだから堅物の契約者は」

「ふん、おしゃべりな貴様とは違って、我の契約者はまともだからな」

「んー契約者自慢? なら、私だって──」

「はい、ウェルは黙ってようね。アラストールすまないね、こいつはいつも減らず口だから」

 

 俺の謝罪にアラストールは無駄に重い声色で構わぬと答えた。本当はちょっと怒ってるのではないかと勘繰ってしまうような声。ちょっと怖い。

 この二人が相性が悪いのは知っていた。

 それでもちょっとは努力して、仲良くやっていけたらなと思った俺が馬鹿だったんだ。

 予想通りすぎる展開に俺があからさまに肩を落とせば、隣に立つリーズがちょっとだけ背伸びをして頭を撫でて慰めてくれる。その優しさに少しだけ救われる。

 

「え、と、あのー」

「ああ、すまんすまん。一番重要な人物を置いてけぼりにしてしまった」

 

 会話に参加できず、隅へと追いやられてしまっていた少年。俺の目的である少年はおずおずと声を出した。

 今回のもろもろの中心になっていくであろう彼を外して話が進むわけがない。

 

「あ、いえ。あなたもフレイムヘイズなんですよね? 僕は坂井悠二って言います」

「曲がりなりにもフレイムヘイズだね。『不朽の逃げ手』って呼ばれてて、モウカと呼んでくれていいよ。よろしくね悠二くん」

「それで私がこの冴えなさそうなモウカと契約した``王``の``晴嵐の根``ウェパル、ウェルと新愛をこめて呼んでね」

「冴えないは余計だ」

 

 俺とウェルのいつものやり取りに、悠二くんは目を丸くして驚いている。

 普段関わっているフレイムヘイズが、目の前に居るペアなら自分たちとの落差に驚くとは思うが、彼は『弔詞の詠み手』とも関わりがあったはずだ。あそこも、堅物とは程遠いやり取りだったはずなので、ここまで驚くほどのものではないと思うのだが。

 俺に続いてリーズが極めて簡潔に自己紹介をした。これには悠二くんが「あ、フレイムヘイズっぽい」と呟いた。あれかな、彼の中では俺はフレイムヘイズの色物に分類されてしまったのだろうか。否定出来ないのが悔しい。

 

「自己紹介も終わったのだ。要件を述べるといい」

「では、お言葉に甘えまして」

 

 速やかに話が進むのは悪いことではない。

 他愛もない話をするのも楽しいとは思うけど、そういうのは気心の知れた仲間とやるべきで、彼女たちとはまだそこまでの親交はない。

 もう少し協力的だとありがたくはあるのだけど。

 

「俺がわざわざここまで出向いたのは、これから起きるであろう大きな変事に備えてのこと」

 

 全員の視線が集まり、息を呑む音が聞こえてくるようだ。

 ここは俺にとって交渉の場。

 彼らの協力を仰げるのなら、これ以上は無い好条件。

 

「『弔詞の詠み手』にはすでに一言言ったけど、起こる変事とは大戦」

「大戦だと」

 

 いち早く反応したのはアラストール。事の重大さをおそらくはこの中で最も理解できるモノ。

 

「具体的な根拠は?」

 

 彼の契約者は、よく言葉の意味を吟味しながら冷静に続きを促してくる。

 それとは相対して悠二くんのリアクションは薄い。大戦の意味を測りかねているのだろう。

 分かる。その気持ちはこの場にいる誰よりも俺が分かる。この形だけとはいえ平和な日本で大戦なんて言われた所で、夢物語、雲の上のような存在にしか感じられないだろう。意味はわかる、でも実感は得られない。

 ああ、彼の今陥ってる心境が手に取るように分かる。

 それで彼は言うのだろう。

 

「それってどういうこと……?」

(どういうことなのか、と)

(モウカの同類……)

(同種族だったとでも言うべきなんだろうね)

 

 悠二くんのあまりにもずれてる発言に、アラストールとその契約者は、何故分からないといった類の自覚の足りなさを責める叱責がとぶ。

 ああ、可哀想に。俺はどちらの立場もわかるから、止めることが出来ないんだよ。

 彼という人間をよく理解出来る一幕である。

 

「そ、それで、大戦ってどういう……いてててて、シャナいい加減に」

 

 シャナと呼んでいるらしい『炎髪灼眼の討ち手』に腕をひねられながら、格好つかない姿で話を進めようと坂井くんは努力する。

 その知ろうと努力する姿勢には好感を抱く。

 最近はからっきし思考を俺に預けてしまうリーズとは大違いである。

 

「うん、これが話の本題なんだけど、``仮装舞踏会(バル・マスケ)``が──」

「『零時迷子』を狙ってるんでしょ、あの時のあいつの言動から察するにね」

「そーいうこった。自体は俺達の想像以上に緊迫してるみてーだぜ。な、オーケストラのオーナーさんよ」

 

 俺の言葉を遮り、降って湧いたように忽然と現れたのは今夜の会合を酒を呑むからと言って欠席を公言した『弔詞の詠み手』だった。

 彼女の神器であろうかなり大きめの本に乗り、悠々と屋根の上に降り立つ。

 彼女たちの来訪にはため息をついて呆れながらも、彼女らの予測には肯定して、余計な言葉には否定をした。

 オーナーってなんだよとやけくそ気味に思う俺の心を知りつつも、ウェルは俺にしか聞こえない声にて、からかうような笑い声を発した。

 

 

 

 坂井くんと『弔詞の詠み手』の二人による``千変``と戦闘時の言動の再確認とともに、こちらの持っている外界宿の情報を繋げ合わせる。

 自体はいよいよ確信に近づきつつあるようだ。

 

「『これほど早く見つかるとは』か」

 

 アラストールが意味深に呻くように出た言葉は、``千変``が零時迷子を探してたことを暗喩する言葉であり、``千変``の背景を想像すればまさしくそれは、

 

「``仮装舞踏会``の探しものが零時迷子。それも、『殺し屋』に頼んで強制転移をさせてまで欲した物とくれば、あとは分かるだろ?」 

「事態は急を要すると、そう言いたいのか『不朽の逃げ手』」

 

 アラストールの言葉で、周りの空気は一層に重くなる。かの『弔詞の詠み手』でさえも、考えこむほどに。

 ``千変``が引いては零時迷子を``紅世の徒``が欲するのは、別段おかしなことではないのだ。

 零時になれば存在の力を回復させる秘宝中の秘宝である``宝具``零時迷子があれば、この世界にただ在るだけで存在の力を消費する``紅世の徒``にとって、これほど優れたものはない。

 しかし、手に入れるには元々の持ち主と造り主である``約束の二人(エンゲージ・リンク)``、強大な``紅世の王``と零時迷子を宿す自在法に優れたミステスから奪わなくてはならなかった。そのために、わざわざ奪うものは現れず、零時迷子があるため人を襲わなくなり、フレイムヘイズの討滅の対象とならなかった。

 加えて``千変``という男は、ここ近年では自身の所属する``仮装舞踏会``とは関わりが薄いとみられる行動を続け、依頼によって``紅世の徒``を護衛する道楽に更けていた。

 今の``千変``が零時迷子を襲い、求めるとは表面的には考えにくいのだ。

 零時迷子を襲っていたのは『誰か』に雇われていたと思われるやはり生きていた``壊刃``サブラク。

 偶然にも零時迷子を見つけて歓喜したのは``仮装舞踏会``幹部の``千変``シュドナイ。

 表面的には繋がらなかったものが``仮装舞踏会``を背景に据えた時、この2つは繋がっていると考えるほうが自然に見えてくる。

 

「慌てる必要はまだない、と俺は思うよ」

「へぇ、意外と呑気じゃないの」

「おーいおい、大戦の立役者からすれば、この程度は些事ってか?」

「いや、そういう意味じゃ」

 

 大戦の立役者なんて仰々しくて自分に合わないどころか、『弔詞の詠み手』のそれは過大評価しすぎだった。

 そこまでの勘違いは許容できない。

 こればかりは慌てて、否定しようものなら、お調子者のウェルが一際声を大きく軽快に口を動かす。

 

「さっすが、私のモウカ! そんなふうに考えてたんだね! 惚れ直したよ!」

「面白そうだからって乗るなウェル。分かってて言ってるだろ! ほら、『炎髪灼眼の討ち手』ペアが呆れてるって!」

 

 重たい空気とやらはどこへ行ってしまったのか。

 俺とウェルの掛け合いのせいで、『炎髪灼眼の討ち手』は半目でこちらを鬱陶しそうに見て、その力を与えし魔神は『何をやっとるのだ』とあきれ果ている。かと思えば、『弔詞の詠み手』ペアは二人して笑い、指を指して面白いと俺たちを評した。

 坂井くんは「僕の中のフレイムヘイズのイメージが……」と壊れたように言葉をこぼしていた。

 

(せっかくの空気が台無しじゃないか)

(ごめんごめん。でも、モウカに真面目とかシリアスは似合わないと思って、空気を読んだの)

 

 どこか誇らしげで、偉いでしょ褒めてと言いたげなウェル。

 誰が褒めるか誰が。

 

「貴方、続き」

「ああ、リーズ。ありがとう」

 

 裾を引っ張って、場の流れをリーズが戻してくれた。

 

「慌てる必要がないというのは、単純に準備がお互いに必要だろうってこと」

「向こうはこちらの人数を知ってるから……ってことですか?」

「うん、坂井くん正解だ」

 

 この中ではどうしても平和ボケした感覚を持ってしまっているはずなのに、中々どうしてか彼の発言は的を射ている。実はかなり頭がいい子なのだろうか。

 

「``千変``は少なくともこの街に五組のフレイムヘイズが居ることを知ってしまった」

 

 それもとっておきの名のあるフレイムヘイズばかりだった。

 大方、自分もその名のあるの中に入ってしまっているだろうが、構うものか。利用できるものは利用するのだ。名前だけで抑止力になるのなら大歓迎。戦わずに勝利する。甘美な響だ。

 

「そーいえば、もう一人嬢ちゃんが居たはずだが」

「キアラには外界宿への連絡を頼んでおいた。いざという時は、やっぱり彼女が一番速いからね」

「そうだろうと当たりはつけてたけど、あの娘は今代の『極光の射手』だったわけね」

「ヒッヒ、こりゃあマジもんで戦争できる面子だったてっーわけだ」

 

 改めて面々を見る。

 中世では最強と謳われた『炎髪灼眼の討ち手』の二代目、``紅世の徒``に死の同義語とまでされている『弔詞の詠み手』、ここには一時的にいないが一番槍で誇れ高かった『極光の射手』の二代目、形だけは有名な自分。

 そもそも一つの街にこれだけの数のフレイムヘイズが居るのが異常なことだ。

 

「ついでにこの街には調律師も早急に来るように頼んでおいた」

 

 随分と昔に知り合った``紅世``屈指の壊し屋だ。

 それこそ何かあった場合には、彼にも助力を願う算段である。他にも、キアラの片割れともいうべき者や、最悪の事態には外界宿東京総本部からの援軍も呼べる。

 数を揃える上でもこちらが圧倒的に有利だ。それこそ、相手が軍団で攻めてでも来ない限り。

 局面は優勢を築けている。それならば慌てて行動するよりも、着実に堅実に立ちまわって、詰まないように動くべきである。

 

「まずは調律師が来るまではこの街で待機でいい」

 

 この街の歪みは少々異常だ。この間の戦闘に限らず、近い期間で何度か``紅世の徒``の襲来が有ったとしか考えられないレベルで、存在が抜け落ち、歪みが現れている。世界の歪みが大きすぎると、誰も想像出来ない致命的な事態が起きる可能性がある。

 この状態は見過ごせるものではないため、歪みを調律できる調律師がやってくるまでは、街を離れる訳にはいかない、と普通のフレイムヘイズは考えるのだ。

 俺の言葉に反対意見はないようで、それぞれの反応で肯定をした。

 

「問題はその後、つまり零時迷子である悠二くんの将来についてだ」

「僕の将来?」

「そう。簡単な選択肢をあげよう」

 

 俺は指を二本立てて、坂井くんに選択を迫る。

 坂井くんは俺の指を真剣に見て、そのかなりの真剣さに彼のつばを飲む音が聞こえてきそうだった。

 

「一つは戦うこと、そしてもう一つは」

 

 ──この世の全てから逃げること

 



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第六十三話

 意表を突かれた言葉に思わず絶句する当事者たち。言葉をなくし静寂が訪れた空間に、リーズの小さなため息のみが耳に聞こえる。

 

「それはどういう意味か説明してもらおう。『不朽の逃げ手』よ」

 

 最初にフリーズから溶けたのは、アラストール。その後に、話の展開が理解でき始めたのか『弔詞の詠み手』がにやけた顔をし、隠す気のない下品な忍び笑いを始めた。ウェルは大爆笑である。

 アラストールはそんな彼らに厳粛な態度を崩さず、空気を乱す不真面目な``王``らを一喝した。

 

「俺があえて説明しなくても、予想はできているんじゃないかと思うんだけど」

 

 とりわけ難しい選択肢を迫ってる訳ではなし、難しい話をしている訳ではないのだ。

 誰もが考えられるほど単純で、ありふれた思惑。

 

「戦う。つまり仕向けられる可能性のある``紅世の徒``を打ち倒すこと?」

 

 二代目(『炎髪灼眼の討ち手』だといい加減長いので二代目と略す)は的確に正解を言い当てる。

 

「出来れば徹底的に、かな。軒並み迎え撃ち、全てを滅する」

 

 彼女の正解に、自分の希望も付き添える。

 かなり好戦的な方針である。俺が当事者なら絶対に選ぶことのない選択だ。

 そして、この選択を迫られているのが『炎髪灼眼の討ち手』でなければ、俺はそもそもこれを選択肢として掲げることも出来やしない。

 相手は一大組織の``仮装舞踏会(バル・マスケ)``。戦闘の激化や『零時迷子』の価値次第では、一軍を差し向けて来ることも十分に考えられる。

 それを蹴散らせる可能性を秘めている、過去にも天下無双を魅せてくれた『炎髪灼眼の討ち手』でなければ、考慮するに及ばない選択肢だった。

 

「二代目は──」

「二代目?」

 

 呼ばれた当人は、歳相応の可愛らしい眉をよせて訝しんだ。

 呼ばれたことのない呼称に、違和感を感じてるのかもしれない。とはいえ、こちらもいちいち長い称号で呼ぶのは面倒。

 二代目と呼んでもいいかと聞けば、『別に』と実に素っ気なく許可をもらった。

 呼ばれ方にこれといったこだわりはないようだ。

 

「二代目は自分がどれほどの敵なら討滅できるか分かる?」

「……っ」

 

 フレイムヘイズ然としているのは、初めて会った時から感じ取れたし、世界のバランサーとしての自覚や決意、実力も申し分ないものだろう。契約した``王``が``紅世``の魔神であることが、それの何よりの証明でもある。

 500年以上も生きることのみにしがみついて、その為だけに知恵を絞ってきた自分とは、フレイムヘイズとしての差は天と地ほどもある。

 彼女は賢い。だからこそという訳ではないが、自分自身を客観的に見つめることが出来て正当な評価を下すことが出きるはず。

 過大評価せず過小評価せず、彼女の実力を考えるに現状では``千変``はおろか有名所の``紅世の王``相手では劣勢に立たされることの方が多くなるのが予想される。

 全てを完膚なきまでに跳ね除けられるか。これの現実味の無さと組織を相手取る事の意味を加味すると、俺の質問を安易に首を縦に振ることは躊躇われるだろう。

 それでも、凛々しい顔をやや険しくしながらも、苦いものを吐き出すように言う。

 

「できるできない、じゃない。するのが使命。それが」

 

 フレイムヘイズだから、と誇った。

 悠二くんはそんな彼女に見惚れ、マージョリーはどこか呆れたような目をした。二代目のその発言でアラストールからもどこか我が子を自慢するような雰囲気が伝わってくる。これはもしかしたら、ウェルとウェルと同じくらいにちゃらんぽらんなマルコシアスに対し、貴様らとは違うと威張ってるのかもしれない。

 俺とおそらくはリーズも、自分たちの違いをまざまざと見せつけられる。

 フレイムヘイズとして、彼女の言うことは正しいが、どうやら彼女も普通のフレイムヘイズとはややズレていることも感じ取った。

 この世界のバランスを乱す``紅世の徒``の討滅を目指すのはフレイムヘイズとしての在リ様としては間違っていない。

 しかし、多くのフレイムヘイズにとって世界のバランスへの使命は``紅世の徒``の討滅で起きる延長線上の結果であって、目的ではない。いや、人間と契約をした``紅世の王``にとってはまさしく、それこそが目的だが、人間側はそうではないのだ。

 契約した理由は、``紅世の徒``に復讐できる力と機会を与えられるから。そこに『世界のバランスを取る』などという大層な理由はない。

 どちらにせよ、``紅世の徒``を討滅するという役割を果たしている内はやってることは変わらず、俺よりよっぽどフレイムヘイズであるし、その定義から言うと俺はフレイムヘイズ失格である。

 

(なんとなく、彼女の事が分かったきた気がする)

(あの堅物が好みそうな子だねー。全くもっておそろいだこと)

 

 どこまでも真っ直ぐで、己の信念を曲げることがない。そういう意味では俺と同じかもしれない。俺も自分の信念を曲げることはない。

 けれども、あまりにも方向性が違いすぎる。

 

(逃げるなんて選択は絶対に取らないだろうな。分かってたけど)

(あの堅物のフレイムヘイズって時点で、ね? この子の場合は使命だからって言ってるけど、先代なら先代で全部跳ね除けてやろうと好戦的になったんじゃないかな)

 

 その光景はありありと想像できる。

 それも相方のヴィルヘルミナさんと二人で無双している姿だ。``仮装舞踏会``の組織員全員を相手でも、打ち滅ぼしてしまいそうな。そんな凄みが彼女らにはあった。

 二代目の意気込みは確かに伝わった。並々ならぬ意思を持ち、絶対の使命感を抱えており、何よりもフレイムヘイズに誇りを持っていることを。

 

「ヒーッヒッヒ、嬢ちゃん、そいつは笑い草にもならねーぜ。そんな簡単にあいつらをとっちめられるんなら俺達が何度もあいつを取り逃がしゴフっ!」

「うるさいバカマルコ。余計なことを思いださせるんじゃないわよ。チビジャリの崇高な心意気は結構だわ。それで、具体的な対策は出来るのかしら?」

 

 二代目はマージョリーを睨みつけ、それにマージョリーは挑戦的な笑みを返す。

 

「で、でも、シャナは強いんだ……これから現れる敵がどんなに強いかは僕には分からないけど、それでもシャナはいままでのように」

「悠二……」

 

 雰囲気がやや剣呑なものになると、悠二くんが耐え切れなくなったのか呻いた。

 万感の思いを込めて発した言葉に、各々が各々の思いで彼を見る。

 一般人により近い感性の彼からすれば、フレイムヘイズである『シャナ』の存在はどこまでも絶対的な強さを持つ正義の味方のような存在だったのかもしれない。あるいは、節々に垣間見える憧れか。それとも、もっと青い感情か。

 ごほんと適当な咳払いで、周囲の視線を自分に集めた。

 

「戦うについての詮議はおいといて、もう一つの選択肢の話も進めよう。方針を決めるのはそれからでも遅くない」

 

 個人的にはとっと零時迷子には行方をくらましてもらって、``仮装舞踏会``の手の届かない場所に逃げて欲しいのが本音ではある。

 ここからの話こそ、俺にとっては本題なのだ。

 

「逃げる、でしたっけ? フレイムヘイズが``紅世の徒``を相手に逃げるんですか?」

 

 不思議そうに尋ねてきた。

 悠二くんの言い分は重々承知だ。その言葉の裏にものも理解できる。

 ``紅世の徒``を滅することが使命であり、また元来は復讐者たるフレイムヘイズが、復讐相手を前にして逃げる意味があるのか。逃げることは自らの存在意義を否定するのではないか、ということだろう。

 まさしく、普通のフレイムヘイズなら例え大戦が起こるであろうと取らない選択肢だ。零時迷子が手元にいて問題なら、適当に外界宿にでも預けてしまうのが、ありがちな行動だろう。

 しかし、この方法を取られるのは困るのだ。外界宿に預けて、それを守るのは誰だ? どこの誰が危険が付き纏う零時迷子を守るのだ?

 故に、あくまで彼の護衛は『炎髪灼眼の討ち手』じゃないといけないし、何よりそれが最も都合がいいのだ。

 『炎髪灼眼の討ち手』のビッグネームの存在は規格外に大きい。

 隣に居たリーズがトントンと腕を叩きながら、小声で言う。

 

「貴方が実は一度も``紅世の徒``を葬ったことがないって言ったら驚きそうよね。この調子だと」

「悠二くんはもちろんだけど、二代目は相当じゃないかな」

「堅物は使命を果たしてないことに憤慨するどころか、呆れ果てそうだよねー」

「かの『弔詞の詠み手』ですら、度肝を抜かれるのではないか?」

「なーに、あんたたちコソコソしてんのよ」

 

 何でもないといい加減に返事をして、余計なことを言わないように改めて慎重に話を進める。

 

「問答無用で逃げろって意味じゃない。適切に逃げろってだけだよ」

「話が見えてきたな。『不朽の逃げ手』が言いたいのつまり、``仮装舞踏会``との接触を極力避ける方向に動けと言った所か」

「逃げるだけならそれほど難しくはないと踏んでるよ」

 

 フレイムヘイズが常日頃から``紅世の徒``を避けて逃げる事自体は、異例中の異例であり、それだけに徹すれば、戦闘力皆無の自分ですら生き残る術があったのだ。

 これが二代目ともなれば、状況に応じては降りかかる火の粉は払うことも可能であり、自分以上に柔軟な対応が出来るはずなのである。

 逃げることを躊躇しなければの話しであるが。

 だが、彼女の場合は間違いなく『フレイムヘイズの誇り』が邪魔をするだろう。現に今も顔を顰めて俯き、楽で簡単な逃げることを選べずにいる。

 

「選択肢がたった二つだけ……もっと、他には」

「あるにはあるよ、悠二くん」

「じゃあ、何でそれを言わないんですか?」

「君たち二人が望まないだろう選択だからね」

 

 俺の思ってもいない反応に、悠二くんは驚きの声を上げた。

 実際には選択肢は二つと限らずもっとある。俺が思いつくものでも、あと二つ。むしろ道理で言えば最も最優先に上がる方法だろう。

 

「『零時迷子』の無作為転移か、摘出ってところよね」

 

 俺の思いつく二つをあっさりとマージョリーが言い当てた。

 

「でも、『戒禁』はどうするのよ?」

「知り合いに優秀な自在師もいるし、君だって自在師だろう? それに``仮装舞踏会``の件が表面化したのは、``約束の二人(エンゲージ・リンク)``の襲撃された事から始まったんだよ。あ、これはまだ秘密事項だから他言無用で。そんな訳で、『戒禁』も彼女の手による緊急処置かもしれない」

 

 自らの恋人を守るための最終手段として、『戒禁』を咄嗟に掛けたのかもしれない線が非常に濃厚である。

 このことは皆も予想できていたので、一様に頷いている。

 ``約束の二人``の片割れを呼ぶのは難しいことではない。彼女は必死になって恋人の宝具を探しているだろうし、こちらで居場所を公布すれば、好きな人のためなら藁をも掴む思いで迷いなくやってくるだろう。

 なので『戒禁』自体は、それほど難しい問題ではないと俺は考えている。確かに、ブラックボックスが多く、手を出すには少々臆病になりがちだが、多少の無茶をやった方が得られるものは大きいかもしれない。

 にも関わらず、実行はおろか提案すらしなかったのは、今の二代目の表情を見れば一目瞭然。

 彼女が悠二くんを大なり小なり想っていることは、前回の戦闘後の二人から十分伝わるものがあった。

 今、彼女はフレイムヘイズと人としての心の間で揺れている。フレイムヘイズとしてなら、マージョリーが言った通りのことが『最適』である。ただ、『零時迷子』を失ったミステスの坂井くんは器を破壊されるか、されなくともトーチとして短い命しか残らない。

 余程の合理的主義でなければ、こんな彼女から『零時迷子』を除外しようとは言わないだろう。マージョリーも気付けば見守るような目で見つめているし、リーズなんかは「うんうん」と頷いている。

 労力を最小限にして、大戦は回避したいと願ってる俺は、悠二くんと二代目のことがなければ、無作為転移を行なっていた。いや、悠二くんだけなら彼を保護するだけでも済んだかもしれない。

 

「俺の思いつく限りではこんなもんだけど。悠二くんの言うとおり、もっといい案は出るかもしれない。今すぐ決めろって訳じゃないんだ。とりあえずは、調律師がこの街に来るまで。それを期限にしよう」

 

 反対意見はなく全員が肯定を表した。

 切羽詰まった状況下で日和った考え方なのは十分承知。だが、大戦の危険度は誰もが分かりきっているので、最後の強硬手段はいつでも取れると信じよう。

 いざという時は、致命的な敵が来なければ逃げることも出来る。相手側にもこちらの過剰戦力が分かっているのだから、時間が許す限りは、話し合いで事を進めて納得の行く結論を求めよう。

 

「どうして」

 

 悠二くんが気を必死に張り詰めてこちらを見てくる。

 

「どうして、あなた達はこんなに親切なんですか?」

「質問の意図がいまいち──」

 

 分からない、と言おうとした所で、悠二くんがさらに語気を強くして言葉を遮った。

 

「マージョリーさんが来た時はフレイムヘイズ同士で争うことになった。でも、あなた達は争うどころか、助けてくれて。協力までしてくれて、友好的な条件で手助けをしようとしてくれています」

 

 一拍を置いてから、分からないと言葉を吐き、真剣な眼差しはそのままに困惑の表情を浮かべた。

 彼の『分からない』には色々な『分からない』が詰まっていたのだろう。

 時に敵対し、時に友好的なフレイムヘイズに。

 突きつけられた結論の出しにくい選択肢に。

 あるいは、自分の持つ『零時迷子』の不透明さか。

 俺は彼の立場を最も理解できている自信がある。今、彼が悩んでいる問題もどういったものか分かるのだが。

 

「それじゃ、次は約束の期限の日に」

 

 答えは返さずに、去って行く。

 リーズがこれでいいのかと視線で訴えてくるが、くしゃっと髪を撫でて、別にいいのさと答える。

 彼の問いに答えたところで意味はない。どんな答えを返そうが、彼の抱えている悩みへの解決にはならないのだから。



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第六十四話

 夕日を背景に様々なお祭りの飾り付けが黒く塗りつぶされていく光景は、お祭り前夜の雰囲気を最大限に醸し出している。そんな雰囲気に踊らされてか、リーズの隣を歩く男──モウカはどこか浮き足立っている。

 彼がお祭り好きであることを発覚したのは今更のことではない。外界宿東京本部に所属となってからも、この時期がやってくると毎年のようにお祭りへ出かけた。

 リーズ自身もお祭りとは全く縁がなかったわけではない。フレイムヘイズになる前から、祭り事が開かれていることを知っていたが、行きたいと思うことはあまりなかった。

 お祭りの独特の高揚感漂う雰囲気は嫌いではないが、人混み自体がそれほど好きではなかったのだ。それが、東京に来てからちょくちょくモウカと祭りを付き添うようになってから、避けていた人混みにも慣れることが出来た。

 一人ではおそらく無理。だけれど、彼と一緒ならお祭りを共に楽しむことが出来る。

 そっと、彼との距離を縮める。彼はそれを気にも留めないが、それが逆に自分の存在を際限なく受け止めてくれているように倒錯する。一方通行な気持ちではあったが、確かに幸せの感情が存在する。ずっと、出来れば永遠にこの時間が訪れていればいいとさえ思える。

 戦いはリーズだって好まない。

 これには少なからず彼の影響はあるだろうが、むしろそういった影響は両手を上げて喜びたい。長い時がお互いを影響するなら、彼にだって自分の影響があるはずだ。

 フレイムヘイズは殺されさえしなければ時間は無限にある。たとえ人類が滅亡しても、人間としての営みを放棄して生きることも可能なフレイムヘイズなら、生きることは出来るのだ。

 だから、モウカは生きるために殺されないための方法をとにかく必死に取っている。その生へのしがみつきに、昔は何度か見苦しいと感じることも多々あった。

 

(私も貴方とまだまだ生きたいからそれに乗じてる……人って変わるものね)

 

 長い時間を掛けての変貌だっただろう。昔のリーズはただ、自分が生き残るだけの術をモウカから盗み取ろうとしてただけなのに、気付けば共に生を歩むと信じて疑わなくなっていたのだから。

 ただ、これだけ彼と歩んでいれば当然見えてくるものがある。

 

(貴方は一体、何者なの?)

 

 まずは見た目。

 黒髪黒目は欧州では珍しい。いないわけではないので、彼がたまたまそういう人種だったというだけの可能性もある。だが、あまりにもこの国の今の時代の人間と類似し過ぎていないだろうか。

 彼の持つ知識。 

 モウカは自身でそんなに頭が良くないと言いつつも、何かしらの教育を受けたであろう知識を披露することがたまにあった。その知識の出処はどこからなのか分からない。リーズは300年程一緒にいたが、彼の過去について問たことはない。

 フレイムヘイズの過去は往々にして重い。復讐者たる彼の過去に無遠慮に触れるのは禁忌とも言える。良からぬ争いの種になることもあり、軽々しく聞けるものではない。

 自分と彼の関係ならもう聞けるほどの仲になっているはず、という自負はリーズの中にあるが、踏み込むのには躊躇してしまう。

 しかし、それではやはり疑問は解消されないのだ。

 リーズも自分の頭が良くないことを自覚している。考える事自体もかなり苦手な部類だ。いや、だからこそかも知れない。長年に蓄積した僅かな違和感があるからこそ疑問は明確になったのかもしれない。

 モウカはリーズよりも古い時代の人間とは到底思えない。

 彼の考え方は非常に現代的であることが、目下で見て取れた。彼がどんな先見の明に長けていたとしても、それぞれの時代に紛れ込み、違和感を薄め、適応するのが得意だったとしても、根本の彼を構成している部分は、どうにも現代(いま)よりなのだ。

 そうでなければ、モウカとあの少年が似通ってるなんて思うはずがない。いくら容姿の特徴が類似していて、二人共地味だからといって、モウカの積み上げた500年とたった十数年の少年では『生きてきた』ことの重みが違いすぎる。

 

「いい雰囲気だね。たまらない」

 

 商店街でそこかしこで祭りの準備に勤しむ人らと、そんな人らに煽られて活気溢れた顔になる人達を見て、モウカは非常に満足気だ。

 人通りが多いから彼のうるさいパートナーのウェルは音には出してないが、感想を彼に言ってることだろう。

 リーズはその楽しそうな顔のモウカを見て、自分自身も楽しくなっていた。

 こんな平穏がずっと続けばいい。

 彼ならきっとこんなことを思っているだろう。リーズもまた同じことを思っている。

 他のフレイムヘイズがこの光景を見てどう思うか。自分たちと同じく、感傷に浸るのだろうか。それとも、争いがないことに居場所の無さを感じて、いたたまれなくなってしまうのか。こんな平穏を世界に齎せるように目標を立てるのだろうか。

 

「ねえ、あの子のことはいいの?」

「悠二くんのことか。思うところがないわけじゃなかったけど」

 

 モウカが悠二の質問を突き放したのは意外だった。

 モウカもやっぱり悠二とは似通ってる部分があることを自覚しているようで、相談に乗るかと思っていた。

 

「いやね。多分、あの場にいる誰よりも彼のことを理解できるとは思うんだよ」

「なんとなく、分かるわ」

 

 同じ人種、という言い方は変かもしれないが。モウカと悠二は同じ時代に生まれたと言われても違和感はない。それはやっぱり容姿の特徴が似てるから、というだけでは説明がつかない。

 リーズの言葉に、何かを感じ取ったのかモウカは「わかっちゃうかー」と、頭を掻いて苦笑いをした。困ったようには見えない。

 彼ももうバレても構わないと思っていたのかもしれない。今までにだって、疑わしいことは多かったが、隠す素振りは見せたことはなかった。

 モウカがゆっくりとリーズに体を向け、リーズに視線を合わせた。顔は真剣そのものだ。

 

「秘密にしてたわけじゃないけど、俺の秘密聞きたい?」

 

 長年の違和感と疑問が解けるチャンスが訪れた。

 肯定すればそれだけで、モウカは包み隠さず答えてくれるはずだ。嘘を答えることはないだろう。リーズには嘘をつかれたこともないが、つかれても彼の嘘を見抜く程度にはよく見てきた自信がある。

 だからリーズは、その質問には喜色を混じえながら答えられる。

 

「別にいいわ」

 

 そう答えると彼は不思議そうな顔をした。

 話してもらえることが分かれば、リーズは十分に満足できる。彼からの無条件の信頼を得られたように受け取ることだって出来る。

 

「今まで、結構気にしてた素振りがあった気がするんだけど……」

「いいの。それより今晩の調達をしましょ」

 

 戸惑うモウカの腕を引っ張って、近場のスーパーへと入っていく。

 リーズはモウカと共に過ごすようになって炊事を担うようになった。それは御崎市にきたほんの僅かな時間であろうと変わらず、ウィークリーマンションを仮宿として、キッチンで腕を振るう。これは口うるさいあいつには出来ない、リーズだけの特権である。

 

(やっぱり、こんな平穏が一番よね)

 

 しかし、生きることが戦いなら、リーズは率先して戦おう。

 生き残る方法は全てモウカが模索してくれる。ならば、リーズは彼の盾となり槍となる。

 これから起こるだろう大戦の大騒動を前に、リーズは自身の役割に忠実を誓う。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 判断を下さないといけない時は着々と迫ってきている。判断を下すことは、悠二本人の意思だけで決まるような軽いものではないが、悠二自身に大きく関わるものである。判断の時であると同時に、悠二の中で『覚悟』を決める時が近づいているように感じていた。

 悠二の出会った二組のフレイムヘイズよりも地味で、自分と同じく平凡そうな身なりのフレイムヘイズに突きつけられた『戦う』と『逃げる』の選択。悠二がどこかで考えないようにしていた問題に強制的に向き合わされた結果になった。

 考えたくはなかったのはこの街を、御崎市を今すぐに離れること。

 生まれ育ち、慣れ親しんだ街を離れる。長い時間を通して学校での勉学とともに築き上げ、育んできた友人たち。心機一転ではない地元の学校とはいえ、新たな環境と新たな友を得て、始まったばかりの高校生活は、少々予想外の闖入者も混じりながらも、最近ではそれをも溶け込み、日常となった。

 非日常へ片足を突っ込んではいるが、それなりに日々を謳歌できる今は、幾つもの問題を抱えていたとしても悠二の中では捨てがたいものへと変貌していた。

 

「ターッッッチ!」

 

 軽快な声と同時に、人肌独特の生ぬるい感覚が悠二を襲う。それは思考の渦から周囲の喧騒へと意識を浮かび上がらせた。

 授業中だというのにやけに騒がしい。それもそのはず、夏真っ盛りなこの時期に、体育のプールとは名ばかりの憩いの水遊びの時間だった。

 プールの授業は例え泳ぐことをノルマに課せられていたとしても、ひたすらに熱されていく教室の中での授業とは異なる開放感と、火照り過ぎた体を冷やす中和剤となり、些か激しい運動も多少では苦にしない。

 この時間に限っては夏休み直前の授業とあって、その僅かに邪魔なノルマすらも存在しない完全なる癒やしの時となっている。

 暑さからの反動と夏休み前の独特の高揚感を重ねれば、テーマーパーク並みの喧騒がこの大きくもないプールであっても上がるのは当然であった。

 他人から見れば悠二の思考はただぼーっと突っ立っていただけにしか見えなかったのかもしれない。鬼ごっこをしている最中に呆けているなと、冗談交じりの罵声が遊んでいる友達から飛び交う。

 シャナには何をしているんだと半ば叱られ気味に聞かれれば、思考してた内容をこんなところでおおっぴらにいうことも出来ない。なので、目についた競泳用コースで泳いでいる仲の良い女の子を理由にすれば、軽く一発殴られた。それにまた周りが面白おかしく反応すれば、笑顔を作る。

 『今』を維持できるのが一番幸せで、楽なのではと思うことさえある。それが保留や先延ばしという、断じて良いとは言えないなあなあなものでも。仮初の平穏であっても。

 

(ここに居たい)

 

 トーチであり、本物の残りカスの自分が。本当はその残りカスも消えて、存在が無かったことにさえなっていたかもしれない自分が、異質となってしまったが生前と変わらない生活を送っている。

 その中にはシャナも混じって、不自然を感じないほど交わり、問題と直面しているのに、このままで脳天気に、あるいは楽観的に想う。

 

(ここにいるのは、全然おかしなこと……じゃない)

 

 だから、もっとここで在りたいと。

 あのフレイムヘイズも言っていた。選択肢は投げられたが、それ以外の案だってあるかもしれない。それを模索するための限られてはいるが期間だって、まだある。

 悠二はそう思い始めると、居ても立ってもいられなくなった。

 まだいい案は思い浮かんではいないけれど、自分の意志は決まった。

 

(いつもの僕なら、うやむやにしてたのかも)

 

 意思が弱い訳ではないとは思うのだが、平凡な日々に浸っていると、ついぞ非日常のことを曖昧にしてしまいがちだ。

 楽観的と言われれば、否定はできない。

 自分がトーチであると言われたときは、それは情けない様をシャナに見せていたに違いない。思い出すと、苦笑いが出る。それでも、次には言い方を良くすれば驚くほど冷静になれていた。

 自分は自分だと開き直ったのかもしれないし、そうは言われても、変わらずに日常を過ごせたから薄れていってしまったのかもしれない。

 ふと、このことを思い出しては悩み、また保留をしていく。

 何か決定的なことがない限りは、そんな毎日を過ごしていたのではないかと容易に想像できる。

 

(なら、これはいい機会だったのかも)

 

 最後の決定打が、何かを失った後とかだって考えられたのでは。そう考えるのならば、失う前に決意を固めることが出来たのは、良かったとさえ言える。

 そして、何よりも自分たちに協力してくれそうなフレイムヘイズがいる。あの日、屋根の上では無碍に別れを告げられたが、マージョリー・ドーのような話しかけづらさや、シャナのようなある種の硬さを感じない。悠二にとってはシャナよりも相談しやすそうな相手だった。

 その日、悠二は学校が終わるとシャナに適当な理由をつけて、学校を飛び出した。フレイムヘイズの気配は独特でわかりやすい。この街にいれば、見つけ出せる自信はあった。

 

(本当はシャナにも相談するべきなんだろうけど)

 

 彼女には中途半端とにべもなく切られる可能性があると思うと、出だしから相談するのは避けたかった。

 しっかりと構想を練って、彼女を納得させられるような案を上げて、少しは頼りになる所を見せたかった。

 しかし、それは──自分の感情を最も理解してくれていると勝手に思っていたフレイムヘイズに否定されることになる。



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第六十五話

 沈みかけの太陽が三崎市の新シンボル、御崎アトリウムマーチに隠れようとする中、周囲の視線を少々集める肩で息をする少年の姿があった。

 彼は自分を見つけると先日までの気の弱そう表情ではなく、意を決した光を灯した目をして、睨むように見据え、大きな足取りで近づいてくる。どうやら、自分と会うために悠二くんはここにやってきたようだ。

 

「すみません──」

「あ、ごめん。歩きながらでいい?」

 

 俺の水を差す言葉に悠二くんはコケそうになる。

 それにリアクションいいなあと思いつつ、リーズの持つスーパーのビニール袋を指した。我が家はリーズ頼みの完全自炊派である。なので、袋の中身は新鮮な卵や野菜、肉が入っている。日が沈み始めてきたとはいえ、暑さが和らがない夏の夜は食材によくない。

 悠二くんは高校の服装そのままでここに来たようで、ワイシャツが汗だくになっていた。リーズが気を利かせて悠二くんにタオルを渡す。

 

「時間は大丈夫なのかな?」

 

 悠二くんよりも大人であるわけだし、こういう部分へのフォローは大事だ。

 自分が高校生だった頃、本当に遠い昔の記憶になってしまうが、門限こそなかったものの、夜遅くまで遊んで帰ってきた自分に親はいい顔をしなかったような気がする。

 俺の気配りに悠二くんは「いえ!」と勢いで言ったあと、「あ」と思い出したように言葉を発してから、すみませんと一礼入れてから、ポケットから携帯電話を取り出した。

 

「大丈夫です」

「まあ、遅くならないようにはするけどね。じゃあ、話しながら歩こうか」

 

 悠二くんがわざわざこうやって来た理由は、なんとなく察しがついていたりする。

 以前に会合した時は何か言いたげにしていたし、相談事で十中八九は間違いないだろう。

 

(そもそも無茶な話だもんなあ)

(モウカは逃げるの選択しかしないでしょ?)

(あくまでフレイムヘイズだったらの話だよ。人間だったらどうだったか)

 

 自分が人間だった頃、こんな状況下に置かれること自体想像すらできないが、仮に究極の二択を突きつけられたとしたら。しかも考える時間をほとんど与えられずに、自分の人生に留まらず世界の命運を握っていると言われたら。

 答えを出せる自信はない。それこそ本当に現実から目を背け全力で逃げるに違いない。

 生きるための前向きの逃げではない、保留の後ろ向きな逃げ。何にも繋がらないただの最悪の選択肢だ。

 

(モウカが人間だった時も私は逃げてると思うけどなあ)

(何を基準にそう言ってるんだよ、おまえは)

(今までの500年?)

 

 逃げてばっかしだったのは認めるというか、どう考えてもそれ以外のことはしてこなかったけども。それで人間時代まで、否定されるのは悔しい。

 

(答えをどうしてもと言われたら、そりゃあ『逃げる』しかないだろ)

(やっぱり、そうじゃん!)

 

 あははと軽快にウェルは笑った。

 俺は確かに逃げるを選択したかもしれない。しかし、この決意の光を灯した少年も同じとは限らない。

 

「悠二くんはどうしてここに来たのかな? いや、それよりもよくここが分かったね」

「それは、二人の存在が分かりやすかった……いえ、分かりにくかったからです」

 

 悠二くんはどうやって答えればいいか困りながらも言葉にしてくれた。

 

「分かりにくかったから分かった?」

 

 その言葉に俺は目を丸くした。

 リーズは我知らずとスーパーで買ったおやつのイチゴのコッペパンを美味しそうに頬張った。

 

「ええと、例えばシャナやマージョリーさんはすごく分かりやすいんです。ここに居ることをこれでもかと主張している感じがしてて」

「それは物凄く分かる」

 

 俺が二人に受ける印象は派手だった。存在の自己主張が激しい。見た目も周囲の目を引き付けるような二人でもあるけど、それは周囲に溶け込むことで誤魔化せている。

 俺とリーズは周囲へ溶け込むと同時に、存在の力も出来る限り薄くするようにして、``紅世の徒``への予防線のために、ひたすらに存在の力を目立たせないようにしているはずなのだが。

 

「はい、でもあなたは」

「貴方はダメ」

 

 今まで素知らぬ態度をとっていたリーズが、間髪入れずに否定し、悠二くんを睨みつける。存在の力も放出してこれでもかと。

 これには悠二くんだけでなく、俺も驚きである。

 慌てて止めに入ろうとすると、リーズが「あなたは黙ってて」と介入を認めない。彼女に力を与えている``王``は仕方ないと頼りなく呟き、ウェルはしょうがないなあと分かったような事を言う。

 

「モウカて呼び捨てにすればいいわ。貴方もそれでいいよね?」

「あ、ああ。それでいいよ悠二くん」

「そ、それじゃあモウカさん、と」

 

 別に呼ばれ方にさしたるこだわりはない。

 リーズは満足気に頷いて、再びコッペパンに夢中になる。

 

「ええと、それではモウカさんは存在が薄いというか平べったいんです」

 

 こだわりがないと言った端からだが、さん付けで呼ばれることにむず痒さを感じた。

 

「薄くて平べったいね」

「はい。たぶん、普段なら全然気にならないし、それこそ普通の人よりも分かりづらいんです。だけど、気にかけると普通とは違うからこそ特徴的だなって……」

「特徴的……」

 

 分かりづらいのは望んだ通りの効果だが、それをして特徴的と言われるとは思わなかった。

 フレイムヘイズの中でも、特に周囲の気配について敏感な自分でも、俺から直伝されたリーズを存在の力を元に街で見つけるのは困難だ。長い時間を掛けて精錬された技術をこうも簡単に見破られるのは、ショックを受ける。それも、高校生の少年に。

 

「『零時迷子』か」

「はい。シャナやマージョリーさんも同じよなことを」

「存在の力の段違いな感知か。それがかのミステスの自在師たる所以だったのかもしれないな」

 

 本人の資質ももちろんあったのだろうが、『零時迷子』による恩恵を大きく受けていると考えるのが妥当だ。

 つまり、それを宿す悠二くんには自在師としての才能があり、自分を驚愕させた感知能力を組み合わされば……

 

「羨ましい、というのは失礼かもしれないけど、羨ましいと俺は思うな」

「フレイムヘイズのモウカさんが、ただのミステスに羨ましい?」

 

 分からないという顔をする。

 

「ああ、そうか。悠二くんは今まで二代目の近くで『フレイムヘイズ』という存在を見てきたんだよね。なら、そう不思議に思うのは無理もないか」

 

 彼女の傍に居たのであれば、さぞかしフレイムヘイズが高尚な存在に見えたことだろう。

 俺から見てもそうだ。

 彼女、『炎髪灼眼の討ち手』の在り方は高尚で誇り高く気高い。それが美しさを伴うような存在だとも言える。どこまでも純粋で、一筋で、揺るがない心で使命感を果たそうとしている。

 けれど、それは。純粋すぎる使命感は、実はフレイムヘイズにとしては、大きくズレている。

 彼女は理想のフレイムヘイズなのかもしれないが、現実のフレイムヘイズは違う。

 それに……彼女だってフレイムヘイズである前に、一人の少女であるはず。

 

「続きは中で話そうか」

 

 我が家に初めてのお客さんである。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

「一緒に住んでるんですか?」

 

 そう言った悠二くんは物珍しそうに家の中をキョロキョロと忙しなく視線だけを動かしている。

 ウィークリーで借りているだけで、備え付けにあるもの以上の物がない家ではあるが、備え付けで十分に物が足りるようになっているのがこの手の仮宿だ。ここは立地もいいばかりか、部屋もそれなりに大きい場所であり、今夜の話がもつれ込んで、悠二くんを泊めることも可能である。

 そうならないように心掛けるが、時間はすでに18時を回っている。 いざとなれば、特急便でお届けすればいいので、さほど心配はしていないが。

 

「この状態見たら色々と否定出来ないよね……はあ」

 

 さもありなん。台所で景気良く包丁を振るってるリーズの姿を見れば、色々と察せてしまうというものだ。見た目の関係以上の関係を。

 悠二くんは少し羨ましそうな顔をした。

 何を思ってそういう顔をしたのか。おそらくは自分に当てはめて、羨ましいと思ったのだろうけど。

 

「普通だろ?」

 

 え、と悠二くんは意表を突かれたような声を出した。

 

「ほら、普通の人間と生活が。何か違ってたりした?」

「い、いえ。なんというか本当に、自分たちと変わらないっていうか」

「俺は極端な例かもしれないけどさ。実際、フレイムヘイズは人と変わらないんだよ。ほら、悠二くんも知ってるとは思うけど、元は人間なわけだし」

「以前に……同じようなことを言われました」

 

 言われた時のことを思い出したのか、悠二くんは苦笑いをした。

 フレイムヘイズはこの世の理から外れてしまったとはいえ、元は人間であり。その力こそは常識外れであるが、精神基盤は人間の頃と変わらない。それこそ数百、数千年も生きて、生き過ぎて枯れない限りは。

 

「うん。何故こんな話をしたかというと、君は選択のどちらを選ぶとしても彼女と一緒にいることになるよね?」

 

 悠二くんは思いっきり「はい」と肯定した後、「ずっと一緒にいたい……です」と告白まがいのことを段々と声を小さくして言った。

 なんともまあ、青春だこと。自分の青春はどこに行ったのか。気付いたら齢い500歳の老人なんだが。

 その初々しい姿ににやけていると、その俺の反応で気付いたのか、顔を真っ赤にして、「ぱ、パートナーとしてって意味です!」と慌てて否定した。

 

「パートナーか」

 

 チラッと軽快な音を立てて調理しているリーズを見て、また自身の中に宿るウェルを浮かべる。

 やはり彼とは似てる箇所が多そうだ。

 

「形はどうあれ一緒にいるからには、フレイムヘイズへの理解が必要だと思っただけだよ」

「フレイムヘイズへの理解ですか?」

 

 真剣な眼差しをこちらに向けて、言葉の意味を探るように復唱した。

 

「そう。さっきも言ったけど、フレイムヘイズは神聖なものとは程遠いんだよ。本来は。むしろ、人よりも俗物的で欲深くて執念深い。そういうのもちょっとは頭の隅にでもね」

 

 幾ばくの時間をおいてから、悠二くんはゆっくりと「はい」と言葉を返した。

 今の悠二くんは彼女の邪魔にならないようにと必死みたいだから、自分のことで手一杯なんだと思う。それに、今の二代目に人間として扱うような対応をしてしまえば、バカにされたと考えるかもしれない。彼女は悠二くん以上にフレイムヘイズという存在を神格化してしまっているようだから。

 サバリッシュさんも彼女については、まだ危ういと言っていた。彼女の精神のそれはフレイムヘイズの誇り一辺倒で他の支えはない。純粋培養して精錬されすぎてしまったからこそ、まだ幼く成長過程であるとも。

 一言で言えば、大人顔負けの態度や思考力はあるけど、肝心の心はまだまだ女の子てことなのだろう。たぶん、きっと。

 

「ああ、それで。家に着く前にちょっと言った俺が君を羨ましいというのは、単純にその『零時迷子』の能力のことがだね」

 

 悠二くんは今までの彼女の話題の時の威勢とは打って変わって、「はあ」と要領を得ない反応を示した。

 分からないのは無理もないか。その力がどれほど優れたもので、どれほど逃走に向いたものかを彼はまだ知る由もない。

 彼の秘めたるポテンシャルは俺の想像を遥かに超えるかもしれない。『零時迷子』の元だったミステスだって名だたる自在師だったのだ。引けは取らないだろう。

 この力を活かすように訓練を重ねていけば、俺の当初に掲げた『逃げる』ことによって導き出される未来は``仮装舞踏会(バル・マスケ)``からの逃げ切り──大戦の回避だ。

 是非とも彼には成し遂げて欲しい。

 

「なあに、モウカ。私じゃ不満だって言うの?」

 

 ぶーぶーと拗ねたようにウェルが言う。

 

「能力は、不満じゃないよ。ウェルも『零時迷子』もね。ただ、その境遇がなあ」

 

 私自身には不満なのね! と黄色い声を上げるウェルをいつものように無視をする。

 

「特に『零時迷子』は大戦が絡まないんだったら正直関わりたくない」

 

 『零時迷子』に限って言えばおっかないなんてもんじゃない。常日頃から``仮装舞踏会``に狙われるなんてのは嫌すぎる。逃げるのに向いてると言っても、精神を常時張り詰めらせなければいけない生活はあまりにもゆとりがない。

 長く生きるにしても緊張感とゆとりは共にあっても、命に別状がない程度でなくては。

 

「そ、そんなに僕の立場って」

「悠二くんが思っている以上に深刻だよ」

 

 決意の灯っていた瞳に影が差し、顔を俯ける。

 たった十数年しか生きていない少年には本当に酷な話だ。

 だからさ、逃げちまおう。

 なあ、少年。こんな才能もない俺だって生きることに必死で、逃げることに徹すれば500年生きてこられたし、まだ終わる予定もないんだ。

 ようやく、俺にとっての過去が終わって、これからは未来に進む。

 人間だった頃には生きて見られなかったような、人の作る未来を覗いていける。

 素直にそれが楽しみだと思ってる。 

 大戦は、そんな楽しみの将来を奪われかねない。

 

「それでも……僕はここに──」

「ここに居座るなんて考えは、最も甘えた答えだと俺は思うんだよね。悠二くん」

 

 そのままでありたい。今がいい。

 まだ離れたくない。もう少し時間がほしい。

 気持ちは分かるし、理解できる。

 だけど、悠二くん。それは状況が許さない。




移転完了しました。
なお、こちらは正真正銘のできたてホカホカの新話です。
大戦を避けるために、480歳以上も年下の少年を必死に説得するモウカの図となります。
大人気ないね!


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第六十六話

 決意をして言い放とうとした言葉を、言わせる間もなく否定したために、悠二くんは顔を俯いたままだ。

 まさか否定されるなどとは思ってもいなかったのかもしれない。

 しかし、悠二くんのこのままで居たいという気持ちは痛いほど理解できるつもりだ。

 俺も常々に平和な毎日が、ずっと続けばいいのにと思っているくらいだ。今の彼にはただの日常が愛しくさえあるだろう。

 友達と賑やかに過ごし、時には馬鹿をする。そんな死の淵から遠い、本当に何てこともない一日に幸せを見出し、噛み締めていることだろう。

 

「悠二くん、根本的な話をしよう」

 

 声を掛けても、悠二くんは顔をあげない。それでも構わず、言葉を続ける。

 

「二代目、君の言うシャナのことだが、彼女が見た目通りの年齢じゃないことは、もちろん知っているよね?」

「……はい」

「そう。フレイムヘイズは``紅世の王``と契約した、その瞬間から人の時間の流れからはみ出る。それはつまり、見た目からの年齢なんて当てにならないことだよ。俺を見るといいよ」

 

 悠二くんはようやく顔を上げ、俺を見た。

 二代目以上に俺は、わかり易い例だろう。見た目は完全に日本人で、年齢は悠二くんからすれば、大学生くらいにしか見えないはずだ。

 

「俺は君の四十倍は生きている。そうは見えないだろ?」

 

 自虐的に俺が言うと、悠二くんは小さな声で「見えません」と素直に答えた。

 

(彼に関わらず、同じフレイムヘイズでもそうは思わないんじゃないかなー? 風貌とかどう考えても新人並だよね!)

(実際に俺を馬鹿にしているフレイムヘイズも結構いるし、やってることも逃げてるだから否定出来ないんだよなあ)

 

 外界宿の責任者として新人のフレイムヘイズに会った時に、言われる一言の大体が『弱そう』『こんなので大丈夫なのか』である。

 俺も自分自身を強いと思ってないし、責任者として大丈夫なのかと問われたら、大丈夫と言える自信はない。だからといって、新人にそこまで言われるのは癪だったりもするわけで。

 本当に戦闘力はないのでその無遠慮な発言に俺自身が咎めることは出来ないが、リーズが槍で突いて脅したり、レベッカが面白半分に俺の武勇伝を聞かせ、新人いびりをしたりするオチがつくことが大抵である。

 完全に舐めきっていた表情は、次の瞬間にはころりと畏怖を含んだ眼差しになっていたりする。

 こうやって更に俺のイメージが本来のものと、遠ざかっていくんだなあと呑気に眺めつつも、この立場を意外に便利と思っているのが最近の俺の心情である。

 

「でも、これを他人事だと思っちゃいけないよ?」

 

 悠二くんは「え?」と素頓狂な声を上げ、驚いたように目を見開いた。

 

「『零時迷子』を宿す``ミステス``である坂井悠二である君も、俺たちフレイムヘイズと大差ない」

「そ、それってつまり、僕は歳を取ることが出来ないってそう言いたいんですか?」

 

 俺は深く頷いた。

 

「でも、シャナはそんなこと──」

「君のことを想って言わなかったのかもしれないし、不確定要素だから言えなかったのかもしれない」

 

 二代目は不確かな事を言うような子には見えなかったし、中途半端な推測は``天壌の劫火``が嫌うものであったかもしれない。

 ``ミステス``は謎の多いものばかりであるし、その中でも特級に分からないこと尽くしの『零時迷子』だ。『戒禁』のこともあるから慎重になっていたのだろう。

 しかし、そんな彼らの悠二くんへの気遣いは、俺には関係ない。彼に決断をしてもらうためにも、これは必要な情報だ。

 

「悠二くんがフレイムヘイズと一緒で不変であることは、可能性として大いにあり得るんだ。『零時迷子』の以前の持ち主、『永遠の恋人』の片割れであるヨーハンは、``ミステス``となったその時の容姿を維持し続けてたらしいからね」

「…………そう、ですか」

 

 それっきり、重たい沈黙が場を支配し、リーズの調理をする音だけが聞こえる。

 不変がどういうことを意味するのか、すぐに理解できたらしい。今まで、普通の日常を生きていた高校生の少年とは思えない頭の回転速度である。そして、到底認めがたい事実を、必死に消化しようとしているのかもしれない。

 自分で突きつけた事実が元とはいえ、同情は禁じ得ない。もっと時間があれば、と思わずにはいられない。

 それでもいつかは、もっと決定的な場面で、どうしようもなくなった状況で発覚するよりは、マシなのだと信じたい。

 本人の覚悟もなく。友人たちとは違う存在であることがバレて化物と呼ばれ、決別するかもしれない未来だって存在するのだから。

 人間は成長する。それは不変の存在であるフレイムヘイズだって変わらない。ただ、内面的な変化は訪れても、外面的変化は起こりえない。だから、フレイムヘイズはどんなに街に愛着が湧いても一つの街に十年と定住しない。

 悠二くんの選択しようとした、ここに居残り続けるということは、ある種、彼を最も傷つける可能性を秘めている。大戦云々は置いておいても、彼のためにもならない選択だと俺は思う。

 ただ、これらは不変の負の側面に過ぎない。

 

「悠二くん、希望だってあるにはある」

「希望、ですか」

 

 悠二くんの悲痛な顔色に、少し明みが戻る。

 

「二代目と一緒にずっと在り続けられる、ということだ」

「それは! ……そうかも、しれないですけど」

 

 悠二くんはどう答えればいいか分からないのか、困った表情をし、言い淀む。

 彼は二代目と一緒に居続けることを願った。その反面、今の日常も捨てがたいものだと知り、手放すことを惜しんでいる。

 ここまで驚異的と言っても差し支えない、理解力を示している彼が分からないわけがない。この事実を知り本当はどちらを選ぶべきなのかを。

 だが、やっぱりこれは、16歳の彼には酷な話なのだ。

 パンッと手のひらを叩いて、悠二くんの思考を一度止める。

 

「あくまで可能性の話だよ。とはいえ、いつか来るかもしれない事実でもあるから、これを踏まえて、もう一度考えてみるといいよ」

「はい……でも、僕は自信を持てません……」

「自信というと?」

「何が正しい選択なのか。どうすれば、一番うまくいくのかなんて、全然分からないんです」

 

 半分は縋ってきているかのような喋り方だった。

 彼は頭の中は、本当にごちゃごちゃになりかけているのだろう。日常の友達や家族のこと。非日常のフレイムヘイズと``紅世``のこと。それから、現実と理想の間でどうすればいいかを悩み、苦しんで、今もその最中で、答えは迷宮の中で。

 

「そんなもんは、俺にだってわからないぞ」

「え……」

 

 俺が悩む素振りもなく、分からんと言い放ったら、悠二くんが今まで纏っていた負のオーラが吹き飛んで、完全に停止した。

 瞬間、ウェルの笑い声が部屋を響き渡り、「さっすが私のモウカだねっ!」と、ウェル本人にとっては俺への賛辞らしい言葉を、大笑いでおかしくなった喉でヒーヒーしながら言った。

 悠二くんは再起動したものの、困惑はこれに極まってる様子だ。

 

「悪いが、相談相手が悪かったと諦めてくれ」

「モウカに相談するのが間違いだったんだよー」

「え、あ、いや……え?」

「あと、別に友人を捨てろというわけじゃない。今生の別れ以外の方法は無きにしもあらずだしな」

「そ、それって!」

 

 身を乗り出す勢いで、悠二くんは食いついてきた。

 

「それには君が『ミステス』であることを、『この世の本当のこと』を友達に教えないといけなくなるよ。それが、どれだけ酷なことか、君自信が一番知っていると思うけど」

 

 見るからに悠二くんは肩を落とし、「結局、一つしか選択が無いじゃないですか……」と力なく椅子に深くもたれかかった。

 何もかもをぶっちゃけられるのであれば、どれだけ簡単なことかと思う。話をしてはいけない秘密を公開出来るのなら、隠し事をしているという後ろめたい気持ちも緩和されるだろう。あとは、友人の鑑定待ちだ。煮るなり焼くなり好きにしろと吹っ切ることも出来る。

 では、残された友人はどうすればいいのだろう。『この世の本当のこと』を教えられ、死ぬよりも酷い、自分すら気付くことが出来ずに『世界にいなかったこと』になり、存在自体を否定されるのだ。

 ただの人間には抗うことすら出来ない、理不尽な本当のこと。知らないほうが幸せでいられる事実。

 悠二くんはそれを無責任に、友人たちに明かすことが出来るのだろうか。友人思いの彼であれば、彼自信が化物と罵られるよりも辛いことかもしれないのに。

 

「貴方、ご飯出来たけど?」

 

 最近お気に入りの白いエプロンを身に着け、ご丁寧にも自家製のとても切れ味のいい包丁を握り、キッチンから出てきたリーズが小首を傾げた。

 彼女の空気を読まなさは天下一品だが、重苦しい空気を打ち破る救世主に今日は見えた。

 

「気持ちを整理する上でも、切り替える上でも、ご飯食べていく?」

「あ、ありがとうございます。でも、母には家で食べると言っておいたので」

 

 悠二くんが柱にかかっている時計をちら見するのに、合わせて時計を見れば19時半を過ぎている。

 立派な夜ご飯時だった。

 

「うーん……となると、もう悠二くんを帰さないといけないな」

 

 さて、と膝に手をやり席を立つ。それに合わせ、悠二くんも席を立った。玄関まで先導して歩く。

 

「なんか中途半端に終わらせてごめんね」

「い、いえ、僕も色々と考えなくちゃいけないことを教えてもらえたので」

 

 玄関を出て、家まで送ろうかと聞けば、悠二くんは苦笑いしながらも、一人で大丈夫ですと俺の誘いを断った。一人で考えたいこともあるので、と付け足して。

 

「ああ、それと最後に一つだけ」

 

 とぼとぼと歩いて行こうとした、悠二くんを引き止める。

 

「最後に言ったことだけど、仮に君が友人たちに全て打ち明けられたら、おそらくは俺にも協力できることがある。だから、そうなった時には頼ってもらっていいからね」

 

 「はい」とやや驚いたふうに返した悠二くんを今度こそ見送って、俺は家に戻った。

 リビングでは、テーブルの上に食器を並べ終わり、料理が入っているだろう鍋をテーブルの真ん中に置いているリーズの姿があった。どこか、うきうきしている。

 鍋を覗き見ると、今夜のご飯は肉じゃがだった。すごく、ものすごく家庭的で取り返しの付かない事態な気がする。

 黙っていつもの席に着けば、リーズのあまり見たことのない、花が咲くような笑顔で、ご飯の入ったお椀を渡してきた。

 ありがとうとお礼を言って受け取り、頂きますの掛け声で食事を始めた。

 リーズの手料理は、俺の作るものよりも美味い。

 

「お疲れ様のようね?」

「そりゃあ、神経使ったさ。おかげさまで悪役ぽかった気もするけど」

 

 本当は俺じゃなくて、もっと身近である二代目や``天壌の劫火``、あとはもう少し頭の良い奴にこういう立場は任せるべきなのかもしれない。

 出来れば俺の望んだ通りに。そして、彼にとっても不幸にならない結果になるように。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 悠二くんと神経をすり減らす話をした一週間後。

 御崎市に巨大な存在の力の接近したのに気付く。しかし、特に気にせずもお昼すぎまで怠惰に家でだらけきっていると、その存在の力が徐々にこちらに向かってくる。いやいやまさかと思っていたら、家のインターホンが鳴った。

 外のカメラと繋がっているインターホンの映像を見れば、フードを被り、背中には得体の知れない大きなものを持った人の姿が映った。

 だらけきった身体に鞭を打ち、停止していた脳を活性化させ、玄関へと走り、ドアを開ける。

 

「ああ、お久しぶりです『不朽の逃げ手』」

 

 自分が見てきたどのフレイムヘイズよりも背が小さく、褐色の肌に不自然なまでに傷を残した少年が、落ち着いた口調で話す。

 

「わざわざ、ここに挨拶に来てもらえるとは思ってなかったよ。カムシン」

「ふうむ、これも仕事じゃからな」

 

 答えたのは老人口調の声だった。カムシンが内に宿す``紅世の王````不抜の尖嶺``ベヘモットだ。最古のフレイムヘイズと呼ばれるに値する、数千年という長い時間を戦い生き、今は調律師として世界を跨ぐ『儀装の駆り手』その人。

 俺が外界宿を通して、この街の調律を頼んだフレイムヘイズである。

 

「てっきり、調律の準備を付近でしてるものかと……それで、仕事って?」

 

 彼は旧交を温めるようなフレイムヘイズではない。仕事──フレイムヘイズとしての自分の役割に忠実で、その上で必要なことを必要な分だけ行う、余計なことをしないタイプのフレイムヘイズだ。

 彼らが仕事と言って、俺に会いにわざわざ来たのだから、調律の仕事以外の仕事があったのだろう。

 

「ああ、それが外界宿を出立する直前に頼まれたのですが」

「ふむ、これがどうも急を要することらしいのでな」

 

 急ぎならキアラに頼んだほうが良かったのではと思ったのを、あっさりとカムシンに察せられる。

 

「ああ、『極光の射手』なら別件で動いてましたよ」

「ふうむ、だから我々がついでにというわけじゃ」

「……そっか、なら仕方ないか」

 

 カムシンの到着で戦力急上昇と考えていた所での手痛いキアラの離脱だった。計画通りなんてそうそう出来ることではないようだ。

 カムシンは「これを」と言い、封筒を手渡してきた。

 

「ああ、それでは『不朽の逃げ手』、またいつか会うこともあるでしょう」

「ふむ、それが大戦での共闘ではないことを祈っておるぞ」

 

 まるでこの街から去るかのような違和感のあるセリフを残し、足早にカムシンたちは去っていく。

 「誰だったの?」と遅ればせながら、ちゃっかり外着に着替えてきたリーズが後ろから近寄ってくる。

 

「最古のフレイムヘイズっていう、フレイムヘイズ最強の一角が来てたんだけど」

「元祖堅物一号二号が来てただけー。それよりモウカ、その手紙」

 

 ウェルに促されるように、封筒の封を切り、逆さにして中身を出そうとすれば、はらりと紙が複数枚落ちてきた。

 その中の一枚は、

 

「これは航空券? 場所は」

「貴方、チューリヒってどこ?」

「どこってスイスの外界宿がある……ああっ!」

 

 街から去るのはカムシンたちではなく、俺たちのようだった。




m(__)m


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第六十七話

 現時刻は早朝の五時半頃。夏ということもあってこの時間でも暑く、ただ立突っ立っているだけでも汗がにじみ出てくるような陽気だった。

 服に汗の不快感が出る前に『清めの炎』を使うことによって、それを回避すること数十回。ようやく目的の人物が現れた。

 

「あ、あれ、モウカ、さん?」

 

 息を切らしてやってきたのはジャージ姿の悠二くんである。

 

「ど、どうしてここに?」

 

 悠二くんは膝に手をつき、息を整える。

 「ここ」というのは、俺が待っていたのは悠二くんの家の前である。昨日、話したばかりなのに、どうしてここにいるのかと疑問を持ったのだろう。

 

「ちょっと挨拶をしようと思ってね」

「挨拶、ですか?」

「そう、お別れのね」

 

 俺がそう言うと、悠二くんは一瞬目を見開くと慌てて、バッと一気に距離をとった。

 相手の動きを一切見逃さないようにこちらを観察する姿は、普段のありふれた高校生らしい姿とはかけ離れたものだった。修羅場を超えたことが、彼にこういった異常事態になりかねない事態への姿勢を作ったのかもしれない。

 それにしてもこの切り替えの早さ。ほとんど一瞬で『お別れ』の示す意味の可能性について、分かったのなら並の頭のキレではない。

 俺よりも頭良さそうだな……軽く凹みそうだ……

 

「うーん、あー、勘違いさせたみたいで悪いけど、()()()()お別れじゃないよ?」

「本当に()()()()のじゃないんですか?」

「仮にそうだったとしたら、わざわざ二代目の目が届きそうなところでやると思うかい?」

 

 つい最近に「壊すのも手段」という話をしたばかりだったから、デリケートになっているのだろう。

 昨日の話でも、結論を出せていないことからの焦燥もあってのことだろう。

 

「……分かりました」

 

 納得してくれたようで警戒を解いて、元の距離に詰めてくれた。

 

「じゃあ、お別れっていうのは」

「俺とリーズがこの街から離れるってことだね。昨日に通達が来てね。スイスのチューリヒに行くことになった」

 

 スイス、チューリヒ、と悠二くんは小さく呟く。

 意味するところがいまいち分かっていないのだろう。いつ``仮装舞踏会(バル・マスケ)``がやってくるかも分からない状況で、街を離れる意味が。

 

「チューリヒには欧州の外界宿(アウトロー)の総本山と言っても過言ではない場所があるんだ。外界宿については知ってる?」

「ええと、すみません、あまりは」

「簡単に言うとね、フレイムヘイズにお金を供給したり、新人を育成する場所かな」

「フレイムヘイズの会社みたいなものですか?」

「……言い得て妙だね」

 

 外界宿が会社だなんて、悠二くんは面白いことを言う。

 外界宿が会社ならフレイムヘイズは社員か。ドレルが本社の社長で、俺は支社の社長になるのか?

 いや、表の立場的にはドレルよりも上扱いされることもあるから会長とかオーナーとか大株主とか、そんな感じか。

 なんにしても、俺なんて肩書きだけのドレルの都合の良い人形かも知れないが。

 

「そんな会社の本社、とでも言えばいいのかな。そこにお呼ばれしてね。相談相手になると言ったのに、ごめんね」

「いえ、それはしょうがないこと、ですし……」

「まあ一時的に会議に参加するためだから、帰っては来るよ。だけど、その時には覚悟を決めておいて欲しい」

 

 悠二くんは一度黙りこんだ後、急に「あ!」と声を上げた。

 

「その会議っていうのは!?」

「うん、そういうことにもなるかもしれないって話だね」

 

 本当に頭のキレがすごい。

 東京にいる自分がわざわざ出向いて、外界宿の総本山で会議をすると言っただけで、『零時迷子』についての談義が行われるかもしれないと察しを付けた。

 

「前にも言ったけど、何が正解かなんて分からない。でも、『大戦』だけはなんとしても防がなくちゃいけない。君が好きな二代目だって、大戦が起きれば死んでしまうかもしれない」

「す、好きってシャナとはそういう関係じゃ……」

 

 悠二くんってそういうのに弱いね。

 二代目とずっと一緒にいられると前に言った時も、眼の色変えてたんだけど……自覚ないんだろうなあ。青春してんなあ。

 

「とにかく! 悠二くんと二代目の仲もだけど、俺が帰ってくる頃には、しっかり決めておかないと、本当に君を壊すなんてことになるからね」

「あ、は、はいっ!」

「よし! じゃあ、今日も鍛錬頑張ってね」

 

 俺の鍛錬という言葉に悠二くんは、ハッとした表情をした。

 「頑張ってください!」とかなりおざなりな言葉を俺に残し、急いで自らの家へと駆け込んでいった。

 

「悠二、おっそーーーい!!」

「ご、ごめんシャナ!」

 

 そんな声が塀の向こうから聞こえてくると、何かを叩いたような音と悠二くんの叫び声が住宅街に響いた。

 彼と彼女の光景を思い浮かべて、二度三度頷く。

 青春を謳歌しろよ少年。

 なんて、じじ臭いことを思いつつ、そこを離れた。

 

「ねえ、貴方」

 

 御崎駅へと向かう途中、不思議そうな目をこちらに向けた。

 

「連れて行かなくてよかったの?」

「悠二くんのこと?」

「ええ」

 

 カムシンから渡された封筒に入っていた航空券は全部で三枚だった。

 二枚は俺とリーズの分で、残りの一枚に関しては同じ入っていた手紙に理由が書かれていた。

 曰く、坂井悠二もチューリヒに召喚するように、と。

 なにはともあれ『零時迷子』を保護しようというのか、それとも本当に顔合わせで、『零時迷子』を見極めようとしたのか。はたまた「壊す」つもりだったのか。

 詳細は分からないが、ドレルのことだ。ぞんざいに扱うことはないとは思うが、万が一がないとも限らなかった。

 ドレルが平気でも、面倒を嫌った荒っぽいフレイムヘイズが強引に、なんてことくらいはありえそうなものだ。

 だから、というわけでもないが、悠二くんを連れて行くことを俺はしなかった。

 彼にはここでの生活があるのだ。

 あまり時間の残されていないかもしれないここでの生活が。

 

「ま、いいんじゃないかな」

「そう、貴方がいいなら別に構わないわ」

 

 リーズはそう言うと視線を元に戻した。

 

「それで……貴方は……私のことが好きなのかしら……」

 

 そして、ボソッと、それこそ俺にも微かにしか聞こえない声でつぶやいた。

 

「嫌いならこんなに長くは付き合ってないよ」

 

 思わず、なんだか気恥ずかしくなりそうな言葉に、同じく気恥ずかしくなりそうな言葉を返してしまった。

 

「そう……よかった……」

 

 少し熱のこもった様な「よかった」だった。

 お互い恥ずかしくなって思わず俯いてしまったが、もちろんこんな美味しい状況を見逃す彼女ではなくて、

 

「ねえねえ、モウカ! 私は! 私は!」

 

 煩わしく迫る勢いで言う俺の相棒には、調子に乗らすわけも行かないので。

 

「うーん、割りとだな」

「何が!? 何が割りとなの!?」

 

 適当に流すことにした。

 その後の執拗なまでのウェルからの追求は、チューリヒへの足取りを更に重くした。

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 その男は周囲から一つ浮足立って存在していた。

 黒髪と口元の髭を整え、昔と相変わらぬ気さくそうな垂れ目は美男子と言って違わぬ容姿。ただそれだけなら、空港という老若男女人種民族乱れる場所において浮くことは難しかっただろうが、薄紫の上下のスーツは特異性が高く、またそれを着こなしていることからも常軌を逸した存在となっていた。

 その男は誰かを探すようにキョロキョロと辺りを見渡し、俺と目線が合うと、気安く手を上げながら近づいてきた。

 

「やあやあ、久しぶりだねお二方! 『革正団(レボルシオン)』の時は世話になったよ」

「今でもあたしらイタリアの地では、あんときのあんたたちの活躍で祝杯が掲げられるくらいさ!」

 

 欧州を中枢に世界の交通支援を行なっている『モンテヴェルディのコーロ』、ドレルと並ぶ外界宿の顔役であるピエトロ・モンテヴェルディとその``王``センティアだ。

 ピエトロの言うとおり、彼らと面したのは100年ほど昔にも関わらず、見た瞬間に彼と分かるのは、彼のその美男子振りのおかげなのか。はたまた、印象的な服装のせいなのか。

 

「『革正団』の話はどうでもいいでしょ。そんなことより、てっきりドレルかオーケストラの誰かが迎えに来ると思ってんだけど」

「モウカにとって『革正団』はトラウマワードだもんね」

「うっさい、ウェル。あの時は、ウェルだって珍しいくらいにテンション低かったじゃないか」

「だってー、楽しくお喋りする余裕もないんじゃ辟易するでしょ?」

 

 楽しむ余韻を残さない``紅世の徒``の波を右へ左へ回避する毎日は、今思い出すだけでも顔が青くなりそうだ。

 

「ど、ドレルかい? 彼は今一番忙しいだろうね」

 

 そんな俺たちの不穏な気配を敏感に感じ取ったのか、『革正団』の話題を逸らすピエトロ。

 なにか後ろめたいことがあるのか、動揺しているようにも見える。

 そういえば『革正団』は、俺の逃げる場所に的確に襲ってきていた。逃げることと潜伏することが得意な俺を巧みにしつこく追ってきていた。まるで、どこから情報を得ていたかのように……まさかね?

 逃げる際に知らない土地も多く、そういう時は大抵『コーロ』に道を教えてもらっていたのだが、まさか敵に意図的に情報を流したりしてないよね?

 

「君たちが来る前にね、客人が大勢来たのさ」

「客人……他のフレイムヘイズか?」

 

 会議をすると手紙に書いてあったからには、フレイムヘイズを集めているのだろうと予想はしていた。

 案の定、イタリアからは『コーロ』のピエトロが来ているし。サバリッシュさんあたりが来て、対応でもしているのだろうか。

 

「僕もお呼ばれした身だけどね。彼とは『革正団』以前からの付き合いだからご覧のとおり、身軽なものさ」

「俺も似たようなものだけど……『震威の結い手』のサバリッシュさんは顔役として呼ばないと話にならないとして、他にはどんな面々が?」

 

 ピエトロはふふんとちょっと自慢げな顔をし、「聞いて驚くなよ」と大袈裟に前置きをする。

 

「『震威の結い手』は君の言った通りすでに来ているよ。『傀輪会』からは代表して『剣花の薙ぎ手』と大老の一人が。個人で有名なのといえば『犀渠の護り手』が──」

 

 以下、ピエトロによる謳うようなお歴々なフレイムヘイズたちの名前が続いていく。

 並の``紅世の王``なら裸足で逃げ出してしまいかねない戦力がここに集まっているようだった。

 

「ねえ、貴方」

 

 ピエトロは紹介に熱が入ってきたのか名前の紹介とその人物の活躍ぶりを語り出す始末だった。自分から誰が来てるのかを聞いたので、話を切るのも悪いと思って半分以上聞き流していると、リーズが横で軽く裾を引っ張ってきた。

 

「『傀輪会』って、なに?」

「リーズは知らなかったか。東アジア一体を束ねてる中国に本拠地をおいてる外界宿の組織の一つだよ」

 

 ただその成り立ちは普通の外界宿と大きく違う点がある。というのも、組織のてっぺんに立っているのは「大老」と呼ばれる人間である。フレイムヘイズの組織にもかかわらず、だ。

 組織の母体が元は人間の組織で、国への反抗やらなにやらの秘密結社だったらしい。

 詳しくは俺も知らないが、中国版ドレルパーティってことで認識している。それくらい大きな組織だということだ。

 リーズは俺の適当な説明を聞き終えると、興味を失ったのかあくびをして、それっきり大人しくなった。

 

「──そしてそして! 変わらぬ美しさに危険な香りを纏う戦技無双の舞踏姫、『万条の仕手』ヴィルヘルミナさ! 彼女はその身一人ではなく、なんと『約束の二人(エンゲージ・リンク)』の片割れ``彩飄``フィレスを伴ってきたのさ!」

「『約束の二人』だって!? ……そうか、『零時迷子』のことを聞きつけてか」

 

 どうやってフレイムヘイズと渡りを付けたのかは知らないが、彼女が来ていたのなら、悠二くんを連れてこなくて正解だったようだ。

 彼女がいれば悠二くんは問答無用で、破壊、もしくはそれに類似した何かが起きていたに違いない。

 

「おや、そういえば、チケットは『零時迷子』の分を合わせて、三枚送ったはずだが」

 

 『零時迷子』を連れてきていないことに今更気づいた、ピエトロは整えられた顎髭に手を添えて考える素振りをした。

 さて、なんとか誤魔化そうと口を開こうとしたら、ピエトロがぼそぼそと言う。

 

「そうか……いや、今はその方が都合が良いかもしれない。なに、気にすることはないさ! 私が一枚送り忘れてしまったようだ」

 

 ピエトロ側にもなにかありそうだが、そういうことでいいなら、ありがたくその案に便乗させてもらうことにしよう。

 俺が頷くと、ピエトロも二度頷いた。

 

「では、外界宿へ向かうとしよう!」

 

 空港からはタクシーでの移動だった。

 ドライバーも外界宿の構成員らしく、車の中での話題で``紅世``に関する考慮は特に必要なかった。

 ピエトロからは最近の欧州でのフレイムヘイズの活躍と``紅世の徒``の暗躍を。俺からは『大戦』に関する情報と考察を話題とした。

 

「にしてもだ、『零時迷子』がどういった理由で必要かがまるで見えないね。君らの証言がなければ、結びつくなんて思いもよらないよ」

「同意だけど。シュドナイは確かに求めているようだった。アレがあの宝具を見つけて喜ぶ、なんてのはどう考えても``仮装舞踏会``関係だろうさ」

「ハッハッハ! 考えるだけ無駄さ! 『革正団』の時のように予想外な出来事ってのはついて回るものさ。理屈じゃなくてそういうものって捉えるほうがいざというときに動けるってものさ!」

「僕のおふくろの意見にも同意だが、僕としては相手の目的や意図が分かってこそ潰せるものもあるというものだと思う。ま、考えても無駄なことも存在すると思うけどね」

 

 ピエトロはその立場上、色々と考えているようだが俺の考えはもっとシンプルだったりする。

 『零時迷子』が鍵ならそれを渡さなければいい。最終的にはそれに行き着くだろうと考えている。問題はその過程で、いつかの『大戦』の時のように一つの宝具を求めた戦争が起きるなんてことが起きれば、俺の今までの努力は元も子もなくなるが。

 

「そういえば、キアラはこっちに来てるのかしら?」

「あー、忘れてたな彼女のこと」

 

 キアラと結構仲の良いリーズがピエトロに尋ねた。

 キアラは俺が東京に援軍に呼んだ後、速達便としてドレルに手紙を送ってもらった。その後、御崎市に来たカムシンから別件でさらに動いてるとの事だったが、今はどこで動いてるのだろうか。

 フレイムヘイズ御用達のキアラ便。

 

「『極光の射手』かい? 彼女は彼女を追って東京に行った『鬼功の繰り手』を追っかけて東京に戻ったよ。『鬼功の繰り手』に追っかけるように言ったのも僕たちだからね。すれ違わせちゃったのは少し申し訳なかったかな」

「そう、キアラたち東京に行ったのね」

 

 キアラが気を利かせてくれれば、御崎市には俺とリーズの代わりにあの二人が滞在することになるかもしれない。

 一応、手紙を出して御崎市の様子を見てくれるように頼んでおくとするか。

 

「雑談に花を咲かせる時間は惜しいがここまでだ」

 

 タクシーが止まり、降りた目先に立っている建物は得体の知れない存在感を放っていた。



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第六十八話

「『ヨーハン』を渡せ」

 

 感情を感じさせない張りつめた声が、会議室を凍り付かせていた。

 その音の発生源は、黄緑色の長髪と瞳をした美女だった。普通の人間では出し得ない尋常ならない存在感を放ち、敵意を剥き出しにして、彼女は会議室の俺から対角線、出入り口から最も遠い位置にいた。

 絶対零度の瞳が会議室を見渡し、俺の視線と交錯したところで動きを止めた。

 会議が始まろうとするいの一番の出来事。俺の胃袋は加速度的に自傷を始めた。つまり、お腹が痛くなってきた。

 

(俺は今この時ほどこの場に来たことを後悔したことはないな)

(それ何度目?)

(じゃあ、ここ5年で最高の後悔ってことで)

(明日にはここ10年で最高の後悔とか言い出すにいっぴょー)

 

 そんなことにならないことを祈りたい。

 

「『不朽の逃げ手』、あなたに言っている」

 

 声の主──``彩飄``フィレスが俺に死刑宣告に等しい言葉を突きつける。

 『約束の二人(エンゲージ・リング)』の片割れ。フレイムヘイズ同士の会議に呼ばれることが本来であればないはずの``紅世の徒``。この場において異端であるはずの彼女は、『万条の仕手』ヴィルヘルミナによって招かれた客だった。

 俺的には招かれざる客。

 これが『零時迷子』現保持者である坂井悠二にもチケットが届けられた理由であるのだろう。であれば、連れて来なかった俺の行動は正解だったのだろう。彼がこの場にいれば、問答無用で襲われる、なんてことにもなっていたかもしれない。

 俺グッジョブ。

 名のあるフレイムヘイズが並ぶ場において、そのようなことをするのは正気の沙汰ではないが、それを厭わずやりかねない鬼気迫る雰囲気をフィレスは出している。

 会議の主催者であるドレルへと視線を向けるが、彼は顔を俯けたまま視線を上げない。他の参加者のほとんどはこちらに顔を向け、様々な熱を篭った視線を俺に浴びせている。

 胃に穴が飽きそうな光景だった。

 俺っちの胃が爆発四散。

 

(現実逃避はやめようね、モウカ?)

(ウェルに優しく諭されると涙が出そうだよ……)

 

 そもそも、なんで俺が糾弾されそうな雰囲気になってるんだよ。どう考えても``紅世の徒``を招待した『万条の仕手』をせめて然るべきだろう、と心では激しく思っても、場の空気に逆らえない俺からはとてもじゃないが、口からその言葉は出ない。『万条の仕手』と『不朽の逃げ手』では、格が違うので、思いを口にできても場の空気を変えられるとは思わないけどさ。

 苦々しく思いつつも、こういった状況に陥ることはある程度は予想が出来てはいたため、イメージで戦う系フレイムヘイズの俺は必死に小物感を隠す努力を行なう。

 

「『ヨーハン』なる人物の事は知らないが──」

「は?」

「知らないが!」

 

 すみませんと反射的に言いそうになったが、鋼の精神によってねじ伏せた。

 フィレスの視線と表情は『ヨーハン』のためには全て切り裂かんとする意志と手段を選んでいられないという焦燥とも衝動とも思えるような必死さを感じさせ、死に物狂いを体現していた。

 余裕が無いことが見て取れるのだ。

 最愛の人を亡くしたせいでもあるのだろうし、その最愛の人と誓った「人間を食わない」という誓約を未だ守っているとすれば、顕現するための存在の力にも余裕が無いのかもしれない。

 風の噂に聞いた彼女の雰囲気と大きく違うことから全盛期とは程遠いのかもしれない。この場に招集することを許可した理由の一つだろう。

 

「『零時迷子』についてなら、報告がある」

「それを渡せ!」

「……結果的にではあるけど、``彩飄``に渡さないほうが良いと俺は考えている」

 

 殺気が一気に濃くなるが、いくら余裕のない彼女とてこの場で俺を襲って脅すという一番の悪手は選ぶことはない。

 フィレスを連れてきたという『万条の仕手』ヴィルヘルミナさんは、無言の圧力を俺にかけてはいるが、何かを発言、行動する様子はない。

 何かを知っているのか、サヴァリッシュさんは笑みを浮かべて様子見を決め込んでいる。

 歴戦の古参たちは一様に黙り、事情を知らぬ者らは呟きを漏らした。

 

「詳しくはすでに『愁夢の吹き手』ドレルには話をしてあるが……」

 

 ``仮装舞踏会(バル・マスケ)``と『零時迷子』の関わりについての前振りをする。

 

「それについては私から説明をしよう。今回、無理を言ってみんなに集まってもらった理由でもあるからね」

「シーッ! ドレルが分かりやすく説明するんだから、静かにしてね!」

 

 ドレルは俺と視線を交錯させ、俺が頷くとそれを合図に席から立ち上がった。

 ドレルから話されるのは``仮装舞踏会``の今までの静観とは打って変わった積極的とも取れる活動について。``壊刃``サブラクによる外界宿の襲撃。『約束の二人』(エンゲージ・リンク)、主に『零時迷子』への執拗な攻撃。シュドナイの『零時迷子』を求める発言によるサブラクとの関連付け。御崎市が『闘争の渦』と呼べるほどの、``紅世の徒``の出現頻度。

 誰もが良いイメージのない大戦。

 大戦の勃発するかもしれない、という冗談では済まされない事実と緊迫した現実を感じ取り、会場がざわついた。

 さもありなん。当然の反応と言える。

 『大戦』が起きるかもしれないと言って落ち着いていられるフレイムヘイズはごくわずかで、かのサヴァリッシュさんでさえ、笑顔を崩している。

 かつてに起きた大戦は二度。一度は``祭礼の蛇``が、``仮装舞踏会``が起こした古の時代に。もう一つは俺とも因縁深い``とむらいの鐘``が起こした中世のもの。どちらも大きな被害と世界の歪みを引き起こし、失ったものはあまりにも多すぎた。

 大戦を引き起こしてはならない。

 主義主張が激しく、俺様ルールや戦闘狂とも言えるフレイムヘイズが、この時ばかりは同じ思いを抱いたに違いない。

 

「『零時迷子』が大戦の導火線だと言うのか!?」

「『零時迷子』を守るか、隠すかすれば大戦を回避できるのでは?」

「無作為転移をさせれば、時間は確実に稼げるということですね?」

 

 当たり前ながら、俺が予想していたとおりの対策案が、会場の各場所から上がっていく。『零時迷子』が大戦を呼び起こすのであれば、元をどうにかしてしまえばいい。単純な帰結であるし、その意見には俺も同意である。

 だがしかし、坂井悠二という存在を俺は知ってしまった。

 悠二くんと会話をし、可能な限り彼に協力をしたいとも思ってしまった。

 彼の境遇への同情ももちろんあるし、二代目から彼を奪うことの残酷さを考えて、躊躇もしてしまってもいるが、そんなことよりも。

 

(けんかの元のおもちゃを壊して解決なんて、そんな横暴な親みたいなこと、あまりにも器が小さすぎないか)

(間違ってない選択だとは思うけどね)

(手段の一つなのは違いないけど、最初に選ぶべき選択肢でもないだろ)

 

 奇しくも、ウェルとそんな会話をしていると、やはり脳筋なフレイムヘイズたちは期待を裏切らない。

 

「なー、それってもっと簡単に『零時迷子』を壊しちまえばいいんじゃねーか?」

「おー!確かにそれはシンプルでいいな!」

「『不朽の逃げ手』が『零時迷子』を補足しているんだろう? それならば今すぐにで──ッ!」

 

 フィレスのこれ以上はない殺気が、不用意な言葉を吐いた者たちを貫く。

 馬鹿なのこいつら……うん、単純馬鹿だったわ。

 復讐鬼たるフレイムヘイズのほとんどは頭の中が復讐ばかりの馬鹿ばっかであるのは、周知の事実である。歴戦の古参たちは復讐を終えたことと年季を重ねてることもあり、落ち着いて、各々の思考を張り巡らせているが、それだって決して頭の回るやつは多くはない。ドレルが台頭するまで、外界宿は真っ当に機能していなかったことからも、分かりきっていた。

 ……まあ俺も元々現代人だが組織運営とか頭の隅にもなかったし、自分が生き残ることばかり考えていたわけだから、ブーメランといえばブーメランなのかもしれない。

 でも、さすがに彼らほど脳筋でも空気を読めないことはない。元とは言え現代っ子は空気を読む天才なんだぞ。

 ずっと沈黙を保っているお隣のリーズは、特に何も考えていないようで、各自に配られた資料に落書きを描いている。どこであいあい傘なんて知ったのこの娘は。期待した目でこちらをみない。周りの空気を読んで。

 

「フィレス落ち着くのであります」

「心頭冷却」

「うん、ごめん」

 

 ヴィルヘルミナさんの一言であっさり矛を収めるフィレス。思った以上に仲が良さそうである。あと、俺のときにも諌めて欲しかったと思うは当然だ。

 衝撃的な事実で沸騰した会場だったが、フィレスの言葉で沈静化されると、今度は楽観的な意見が飛び交うようになった。

 「『零時迷子』で何をするつもりか分からないのに、本当に大戦へと発展するのか?」「``紅世の徒``が短期間に3体来ただけで闘争の渦と認識するのは早計ではないのか?」「そう簡単に大戦になるはずがない」など、『零時迷子』についての発言に比べれば幾分かまともな意見ではあったが、どれも逃避的なだけで、具体的な否定の根拠は付随してこなかった。

 

「一人一人の考えがあるとは思うが、どうか冷静になって私の話を聞いて欲しい。ここからは外界宿からの声明だ」

「シーッ! シーッ! まだ私のドレルの話が終わってないんだから、静かにして!」

 

 場の視線がもう一度ドレルに集まった。

 

「観測できている限りで、最初の襲撃はホノルルの外界宿だった。これは``壊刃``サブラクのものであったと、『不朽の逃げ手』が証言している。``壊刃``は貴君らも知っての通り『殺し屋』の通称を持っており、外界宿を襲撃し壊滅する事自体は……あってはならないが可能であるのだろう」

 

 サブラクの名はもぐりでない限り、有名すぎる``紅世の王``の一角である。この場に集っているのにもぐりは存在しないため、皆一様に頷く。

 

「しかし、やつの『殺し屋』たる所以は雇われという介在があってこそのものであり、背景があると今の今まで考えられてきており、そしてその背景を発覚していなかったが、『零時迷子』を狙う``壊刃``の所業と、御崎市における``仮装舞踏会``幹部の``千変``シュドナイの行動及び発言の関与から推察。『万条の仕手』と『不朽の逃げ手』の協力により背後関係が発覚、ホノルルでの外界宿の破壊工作を``仮装舞踏会``によるものと()()宿()は判断した」

 

 以上が正式に外界宿からの出された声明だった。

 世界への()()()な関与をしていなかった``仮装舞踏会``は、それが率いる``紅世の徒``の規模を考えみて、無闇に突く必要がないと外界宿は見解を出してきたが、たった今を持って、それを撤回。

 明確に打倒すべき敵となる。

 

「これら一連の行動の真意は未だ不明であるが、外界宿への間接的な攻撃は``仮装舞踏会``が大規模に動く予備行動、後に我々の出足を挫く作戦の一環とドレル・パーティは推察する」

 

 今後、似たような破壊工作が行われる可能性への危惧、もしくはすでに水面下で行われている可能性がるという可能性の示唆。

 俺が構えている東京総本部もその例外ではないだろう。

 まさしく、非常事態宣言だ。

 

「``仮装舞踏会``が狙っている『零時迷子』については、``仮装舞踏会``に渡らせないこととを現状の最優先課題とししたい。そして、『零時迷子』ついては『不朽の逃げ手』から見解がある」

 

 ドレルはそこまで言い切ると、俺に目線をくれる。

 私の手伝えることはここまでだ、と言わんばかりに。

 薄情なとは思うが、仕方ないことでもある。彼は外界宿をまとめ上げた実績はあれど、戦績は大したものがない。並みいるフレイムヘイズと比べれば、生きてきた年数が少ないし、脳筋が多いフレイムヘイズは何よりもその戦いぶりを評価する傾向が強い。

 分かるものはちゃんとドレルの凄さが分かるのだが、それを教えて説いたところで、気付きはしないだろう。彼が死んだ時、その時こそ真に評価される時が来るのかもしれない。どれだけ、現代の様式に合わせてもらって、戦う場を整えてもらっているのかを。

 一度大きく深呼吸をし、改めて気合を入れ直す。

 

「みんなも『零時迷子』をどうするべきかを真剣に考えてくれているとは思うが、現在『零時迷子』は``天壌の劫火``の保護下にある」

 

 会場が本日何度目かのどよめきに包まれた。

 ドレルに戦績が足りなくて発言力を高めるために外界宿を媒介とするなら、戦績は言わずもがなであり、魔神──``紅世``において神の一柱である彼の発言力は計り知れない。

 フレイムヘイズは単純だ。単純であるがゆえに、説得の仕方を心得ていれば、ある程度の主張を押し通すことも出来る。

 どよめきの中から一人のフレイムヘイズが挙手をした。

 

「それはつまり『炎髪灼眼の討ち手』が復活した、そう思っていいんだな?」

「ああ、もちろん。その名にふさわしいフレイムヘイズの使命を背負って立っている立派な打ち手だ」

(ちんまいのだったけどね!)

(余計な事は言うなよ。いくらフレイムヘイズが見た目と年齢が噛み合わないと言っても、見た目はイメージの大切な要素の一つなんだから)

 

 『炎髪灼眼の討ち手』という看板は目立つなと言う方が難しいのだ。それが今の今まで知る人ぞ知るで収まっているのだから、誰もがまだ生まれて間もないということを察することが出来る。その生まれて間もないフレイムヘイズが中学生とも言えないようなちっちゃい少女なら、いくら``天壌の劫火``を宿しているとは言え、不安材料にならないなんてことは断言できない。

 今はとにかく魔神に一任すれば間違いないという意見を押すことで、現れるだろう無作為転移や破壊の強硬派を牽制する必要がある。

 偉大なり、虎の威を借る狐戦法。

 そして、最大の問題は、

 

「そう、日本にヨーハンは居るのね」

「貴女はその地に……」

「懐古」

 

 ヴィルヘルミナさんは冷静な判断も出来る人だ。外界宿から正式に制止がかかれば、暴走はしないだろうが、フィレスは違う。彼女はフレイムヘイズではなくこの世界で拘束されることなく存在する``紅世の徒``だ。例え、ヴィルヘルミナさんの制止でも、己のための行動を抑えたりはしないだろう。

 ヨーハンと悠二くんをうまいこと分離出来たとしても、『零時迷子』は一つだけ。片方に渡れば片方は悠久の時を生きれない。

 片方を生かせば片方が死ぬ。

 全く、世の中はうまくいかないことだらけである。

 ヨーハンか悠二くんどちらを助けるのかと聞かれれば、俺は悠二くんを選ぶし、それすらも危険があるならば……その時こそ最終手段だろう。

 会議一日目、俺の最大の課題であった『零時迷子』の処遇については、うまいこと『炎髪灼眼の討ち手』の一時的な一任とし、事なきを得た。

 大戦の回避ひいては俺の平和への大きな第一歩である。




大変おまたせして申し訳ございませんでした。

P.S.
心頭冷却は誤字ではありませんのであしからず。


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第六十九話

 二日、三日と時間が経つにつれ、会議から離脱するフレイムヘイズは多くなっていった。

 理由はそれぞれにあるのだろうが、やはり実際に事が起きないことにはフレイムヘイズがまとまることが難しそうな気配になってきた。フレイムヘイズの士気はドレルの顔色と比例するように悪くなっている。

 仕方のないことではある。

 各地の外界宿を束ねる者であれば、報告と対策を早々に立てなければいけない事情があるにはある。

 ただそういった責任のある立場以外のフレイムヘイズたちは、最終的に各々で勝手に決めようとするあたり根本的なところで協調性が足りない。

 俺も過去にひどい目にあったサブラクは、フレイムヘイズの気配すらも遮断する宝具『テッセラ』の置かれている外界宿への襲撃を行なった。この襲撃が彼個人の事情ではなく、組織ぐるみの攻撃であると明るみに出た今、次は自分たちの外界宿が``仮装舞踏会(バル・マスケ)``に襲われるかもしれない、と思うのは当然の結論でもある。

 そして何よりも恐ろしいのは、サブラクは襲撃をどのようにして可能にしたのかが未だにわかっていないことだ。

 本人の自在法なのか、または別の宝具によるものなのか、彼の背後に見える``仮装舞踏会``の軍師たるベルペオルの神がかり的な采配か。自在法であれば彼にしか編めないものなのか、誰にでも力さえあれば可能なのかによっても危険度は変わってくるし、下記二つなら``仮装舞踏会``の組織員の誰が襲撃に現れてもおかしくないのだ。

 ``千変``シュドナイが襲ってきた暁には、外界宿の全滅すらありえるかもしれない。

 未知の方法によって行なわれる襲撃に対策を敷くのは難しい話ではあるが、「襲撃が起きるかもしれない」「外界宿は絶対安全領域ではない」と身構えていれば少なくとも気持ちの面では大きく違うだろう。

 俺のようにいつ来るかわからない襲撃に日々恐怖して震えて過ごす、なんてことは普通の人間ならまだしも勇猛なフレイムヘイズの諸君ならないだろうしね。

 できればそのまんま、返り討ちにしてほしいくらいだ。

 我が友人たる``螺旋の風琴``ほどの自在師がいれば、襲撃を未然に防ぐ、あるいは逆手に取ることが可能な自在法を仕込むことができるかもしれないが……それはあまりにも高望みというもの。

 紅世最高の自在師と呼ばれている彼女に並び立てる者など、フレイムヘイズ側どころか紅世と現世を探してもいない。

 フレイムヘイズ側で自在師と呼ばれている存在自体が稀である。大規模な自在法を繰り出せるか、臨機応変な自在法を行使できるかが、自在師と呼ばれる基準であり、前者では俺が、後者では『弔詞の詠み手』マージョリーと『鬼攻の繰り手』サーレが有名であったりする。

 東京総本部でサブラク対策を考える際に、いい感じの相談できる自在師を知らないかとフレイムヘイズに詳しい構成員に聞いた時に教えてもらった。あなたもですと尊敬の念が籠もった視線を向けられたのでよく覚えている。

 今はちょうど、マージョリーもサーレも御崎市にいるはずなので、帰国したら相談するのもいいかもしれない。マージョリーのあの性格からして、素直に協力してくれるとは思えないが、物は試し。褒めたり煽ったりすれば、お調子者のマルコシアスがノッてくれるかもしれないし。

 去って行くフレイムヘイズの中には、俺に一言挨拶をしてくる者もいた。立役者と呼ばれたフレイムヘイズがどんなものか、という興味本位のものがほとんどではあるが、こちらとしても強いフレイムヘイズと知り合っておくのは損ではない。

 『大戦』が勃発するのは非常に困るが、仮に勃発してしまった際には頼りになる存在の元に身を寄せられるし、東京総本部の責任者という権力で招集して戦力の強化にも繋がる。

 新たに出会ったフレイムヘイズの中でも特に印象的だったのは『犀渠の護り手』ザムエル・デマンティウス、``吾鱗の泰盾``ジルニトラと契約した集団戦を得意とする世にも珍しいフレイムヘイズの一人であった。

 立て襟のオーバーコートに将校の帽子を被った彼は俺に会うなり帽子を一度脱ぎ、礼儀正しさを体現するような堂に入った軍人らしい格好から礼を。

 

「『革正団』の折りには、友人たちを助けてもらい感謝する」

 

 また、しわがれた男の声が彼の胸ポケットにくくりつけられた親指大の銀杯から。

 

「戦友の友の助命、感謝したい」

 

 とどのつまり、俺は彼らの友人の命の恩人らしかった。

 集団戦が得意とだけあって『革正団』の際には、物資調達や人員の結集などの後方支援を一手に引き受けていたらしく、戦場に出ることが大幅に遅れてしまったらしい。

 友人のいる戦線がかなり危険な状態だったことも把握できているのに、後方支援という戦線維持のための立場と律儀な性格が仇となり、自ら救援に行くこともできなかった。そんな友人を失う危機を救ったのが俺だと彼は言うのだ。

 

(全く身に覚えがない感謝ほど、反応しづらいものはないな……)

(モウカは自分が逃げるのに必死だっただけだもんねっ!)

(ドレルの言われるがまま、信じるがままに右に左にだったからね。これ、絶対にドレル知ってたでしょ)

 

 『革正団』の時は、便利にドレルに扱われたという事実が今更ながらよく分かる。

 結果的には『革正団』で大戦への大切な戦力を失うこともなく。俺は俺でこうやって感謝をしてもらえるようなにより、動きやすくなっているのだから扱き使ったドレルを責めるに責められない。

 こうなると憎たらしさより感心の方が上回るというもの。

 ……いや、彼も知っていたということは、彼の指揮もあってのことかもしれない。ドレル一人で抱えるには、あまりにも広範囲に広がりすぎた戦場ではあったから。

 

(逃げ惑って戦場広げてたもんねー。お祭り騒ぎで楽しかったね。毎日だったからだんだん飽きちゃったけど)

(最初から楽しくなかったし、疲れるだけだったからな)

 

 どんな指揮系統だったにしろ、彼らには是非とも大戦回避への辣腕を振るってもらいたいものだ。

 ザムエルは戦力の結集などの『大戦』に備えたいくつかの任を託されたので、チューリッヒを離れる前に律儀にも挨拶に来てくれたようだった。

 俺も他人のことは言えないが本当にフレイムヘイズらしからぬ人で、こういうフレイムヘイズが一人でも多くいるのなら希望が持てる。

 再会と大戦での共闘の約束をして、ザムエルがチューリッヒを去って行く姿を苦い顔をして俺は見送った。

 大戦で共闘など洒落にもならないが、現実問題として十分に起こりえることだというのを痛感させられた。

 チューリッヒを去ろうとするのはフレイムヘイズだけではなかったようだ。

 俺が最も警戒している二人が訪れたのだ。

 

「『炎髪灼眼の討ち手』への忌避なき評価、また現在について知りたいのであります」

「容赦不要」

 

 ``彩飄``フィレスはこちらを見ることもせずに無視……というよりは心ここにあらずといった様子で、連れられるがままに。『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルは挨拶を無難に交わして終わることを祈っていたら、予想していた話題の一つを切り出してきた。

 

(そっちが先か)

(大戦よりも、ねー?)

 

 彼女らの訪問は会議時の熱量からして予想の範疇であった。

 最初の会議では今にも身を乗り出して問いただしてきそうな雰囲気であったし、すぐにでも御崎市に飛び立つのではないかと思わされる鬼気迫るものがあった。

 しかし、そこはやはり生きる伝説のフレイムヘイズなのだろう。ヴィルヘルミナさんはフィレスを冷静に押し留めながら、情報収集を行なっていたらしい。

 フィレスの様子からすると、いよいよもって出立をするのだろう。

 もちろんこと、俺もここ数日を無意味に過ごしてきたわけではない。

 ヴィルヘルミナさんの武勇に関しては、調べずとも耳にするくらい有名ではあるが、それ以外に関しては俺もよく知らない。先代の『炎髪灼眼の討ち手』と仲が良かったことは目にしたこともあり知っていたが、それも過去には有名ではあった。

 現在の彼女を知る人物、彼女の戦友でもあるサバリッシュさんに連絡を取り、近年での彼女の行動について可能な限りは教えてもらった。

 『炎髪灼眼の討ち手』に、ある種の執着をしていることも。

 

(サバリッシュさんは戦闘以外では目も離せぬ箱入り娘なんて言ってたし、俺の目には使命に命を燃やす戦闘狂に見えたけど……それだけじゃないだろうな、あの感じは)

(堅物とその堅物契約者の堅物コンビなのは間違いないけど、あの二人の雰囲気は……うん、青春だね! 可愛いところもあるじゃんってちょっと思ったもん)

(安易に恋愛してるっぽいなんて言うべきじゃないんだろうけど、悠二くんのは明らかにそうだよなあ)

 

 二代目のことを『シャナ』と呼ぶ悠二くんと彼に信頼を寄せているように見える二代目の二人は、少し関わっただけの俺の目から見ても何かありそうないいムードを出していた。

 少なくとも好きという単語に過剰反応する悠二くんは間違いなく二代目のことを特別に思っている。

 そんな``ミステス``とフレイムヘイズの青い関係を、二代目の育ての親の一人らしいヴィルヘルミナさんに素直に伝えるのは抵抗がある。

 フレイムヘイズには恋愛など不要と言って、悠二くんを切って捨てる可能性も無きにしもあらず。

 

(いの一番に二代目のことを聞くってことは、サバリッシュさんの予想があたったわけか。育ての親とは聞いてたけど)

(親バカだったなんて、なんだか親近感を感じる)

(俺はウェルの子供じゃないが?)

 

 契約した人間と``紅世の王``の間で親子のような関係を持つフレイムヘイズも確かに多いが、俺とウェルはそんな関係ではない。

 

(確かにそうだね。親子じゃ恋人になれないし)

(恋人でもないが?)

 

 俺とウェルはそんな関係でもない。

 生かし生かされのドライでビジネスな関係だ。

 

「評価と言われても共闘はしてないから難しいです」

 

 私生活については口にしない。

 親バカかもしれない相手に恋愛云々の地雷を踏みに行くことはない。

 人の恋愛沙汰に首を突っ込むのも野暮というものだし、変な先入観を与えるのも彼らのためにならないと思う。

 本当は悠二くんへの援護射撃をしてあげたい気持ちもあるが、『零時迷子』の話題は非常にデリケートだ。ヴィルヘルミナさんだけならまだしも、フィレスがいる手間、触れられない限りは話題にしないほうがいい。

 これこそ見えてる地雷だ。

 触らぬ王に祟りなし。

 

「わざわざ言われなくてもとは思うかもしれませんが、他人の意見で先入観を持つよりも実際に会うほうが色々とわかると思います」

「現代のフレイムヘイズの代表格としての客観的な意見を、と──しかし、自身の目でというのもまた一理あるのであります」

「一目瞭然」

 

 代表格などとかつての『大戦』の英雄に言われるのは``紅世の徒``を一体として討滅してない身からすると過大評価が過ぎるが、最近は目立ちすぎているのも事実なので、ありがたい評価として受け取ろう。

 名は利用するものと吹っ切れたのもある。

 

「それにもう行くんですよね?」

「どちらも──」

 

 浮足立つフィレスを見る。

 

「どちらも件の街でしか解決できないのであります」

「緊急案件」

 

 これで御崎市には5組のフレイムヘイズと一体の``紅世の王``が存在することになる。

 フィレスは味方とは言えないが、『零時迷子』の為なら``仮装舞踏会``を相手取ることも躊躇しないはず。守るための手段として無作為転移を選択する可能性もあるが、無作為転移のリスクはフィレスに限らず、短気に走ったフレイムヘイズでもやりかねないので、完全なリスクカット自体不可能な話だ。

 あとは悠二くん自身で、どれだけ味方を作れるか、フレイムヘイズにメリットを示せるかに懸かっている。

 数奇な運命を背負う彼には同情を禁じ得ない。

 平和のための犠牲にはなってほしくないものだ。

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 別れがあれば出会いがあるではないが、去っていく者がいればやって来る者もいる。

 出会いという言葉は良縁と結びつけてもいいのかもしれないが、今日ここに現れた者は決して良縁などと呼べるものではなかった。

 不幸の訪れだったし、不運な再会であるし、招かれざる客の到来。

 歴戦の血気盛んなフレイムヘイズのほとんどがチューリヒを離れた後、まるで見計らったかのような襲撃タイミング。

 ただ、幸運も一つあり。

 

「伏せて!!!」

 

 誰よりも早く死神の鎌に気付いたのはリーズであった。

 叫ぶのが先だったか大きな盾を出現させるのが先だったかは俺の目には分からなかったが、日頃の逃げ腰のおかげで反射的に伏せることは叶う。

 直後、真上を何かが通過し、大きな音をたてた。

 それは建物が壊れ始める音であったし、恐ろしいほどの早さで一閃した何かを振るった後の音でもあった。

 さらにもう一つの幸運。

 リーズが盾によって攻撃を逸したことにより、奇跡的にも会議室に居たフレイムヘイズは欠けていなかったこと。

 

「モウカ!」

「貴方!」

「分かってる」

 

 リーズに命を救われた俺は、彼女に感謝するよりも先にやらなければいけないことがあった。

 嵐が起きる。

 会議室があるこのビルを丸ごと囲むように。

 自在法『嵐の夜』は、その名の通り嵐を発生させる自在法。

 密度の濃い風の壁は、敵に使えば逃げ場を無くし、こちらの存在を内部からは分からなくする封じ込めることに特化した自在法。

 味方に使えば外部から内部の情報を不透明にし、簡単には近寄らせない風の結界。

 

「ドレル、撤退の指示を」

「すでに出しているよ」

「それならドレルも逃げろ!」

 

 二回目の一閃。

 視界に捉えるのも困難なほどの一撃ではあったが、風の壁により軌道を読むことでリーズを抱えて難なく躱す。

 

「しかし……いや、任せたよ」

 

 ドレルは一瞬、躊躇う素振りを見せるが、思い直した。

 

「俺とリーズが逃げるだけなら平気だから。避難経路も完全には安全じゃない、油断するなよ。今、ドレルを失うわけにはいかないんだからな。頼んだよハルファス」

「分かってるわよ!? ドレル! 逃げるわよ!」

「行くよ、ハルファス」

 

 耳に残るような甲高い声にドレルは答え。

 思いつめた表情で俺を見る。

 

「君こそ失うわけには行かないんだ。だから──」

 

 ドレルは地下から繋がる避難経路へと去って行った。

 それまでにも二度、風を薙ぎ払うかのような攻撃が襲いかかる。

 そして、ようやくその攻撃の正体に嫌でも気付かされる。

 

「俺に逃げろ、だなんて何を当たり前のことを」

「モウカから逃げを取ったら、なーんも残らないもんね」

「それは言い過ぎ」

 

 本当に言い過ぎだ。俺でも傷つく。

 

「立場が逆になったな『不朽の逃げ手』」

「逆も何も、俺はいつもこういう立場なんだけどね」

 

 ``千変``シュドナイが嵐の中に姿を現した。




長い夢を見ていた気がする


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第七十話

 生きて、逃げて、命を繋げて、数百年の時を今日という日まで生きてきた――回想を始めればまるで死を悟ったみたいだな……やめよやめよ。

 現実逃避をしても状況は好転しないし、白旗を上げても``千変``は俺を見逃してはくれないだろうから、生き残るための思考と行動を止める訳にはいかない。

 

(さて、ウェルさんや。この状況をひっくり返す一発逆転の作戦なんかあったりは)

(鬼畜の所業に手を出せば、簡単に逃げれるかもよ?)

(鬼畜の所業……ねえ。分かってて言ってるよね)

(えー? なにが―?)

 

 現状は膠着状態だった。

 ``千変``と出会い頭の後、直ぐ様に『嵐の夜』を多重展開することで位置を悟らせないようにすることで、『神鉄如意』の巨大とも言える一振りや一突きの直撃を避けれるレベルに戦局に維持することには成功。

 しかし、どんな勘をしているのか数度に一度は直撃コースに攻撃が飛んでくる。それらはリーズが俊敏に盾を展開し、攻撃を逸らすことで九死に一生を得ている。

 正直に言えば、ジリ貧である。『嵐の夜』の副次効果と『神鉄如意』の攻撃が飛んでくる方向でなんとなくの位置はこちらからも推察できるが、俺は攻撃手段に乏しいし、リーズでは決定力不足。

 少しずつ嵐の位置を動かして距離を離そうと試みているが、付かず離れずを維持してくる上に、偶に``紅世の徒``が嵐の中に巻き込まれたのか乱入してくる。余計な消耗を防ぐために、戦うことはせず『青い世界』で水中に誘い込み、『色沈み』で気配を誤魔化して水中に置き去りにして撤退する。『嵐の夜』の維持と再展開に、他の自在法の使用で存在の力は過去にないほど消費され、時折飛んでくる一撃必殺の攻撃の警戒で常に精神も削られていく。

 時間経過で``仮装舞踏会(バル・マスケ)``側も無駄と悟って撤退をしてくれれば御の字だが、果たしてどれほどの時間が必要なのか……本当に撤退の二文字があるかも疑わしい。

 鬼畜の所業とは、リーズを囮にして逃げること。自分の生存だけを重視したウルトラCであり、今の俺にはもう取ることの出来ないプラン。ウェルもそんなことは分かってるだろうに。

 今もリーズは大きな盾を構えて俺の前に常に立ち、緊急回避の際には身を挺して命を救ってくれている。

 見捨てて逃げれるはずもない。

 

「リーズ、大丈夫か?」

「うん、まだまだ平気。まだ頑張れる」

 

 声に振り向き、俺を安心させるかのようににやりと笑って見せる。

 前髪は汗で濡れ始めているが、呼吸は落ち着いた様子だ。傷もないので、本当にまだ余裕はありそうではある。

 『外界宿』で引きこもっていた俺とは違い、リーズはたまに``紅世の徒``の討滅に出たり、機嫌が良いフレイムヘイズから指南を受けたりもしていたらしいのだ。

 俺はともすれば『神鉄如意』の薙ぎ払う音だけで身体がビクッとなるし足はすくむというのに、リーズのその堂々とした立ち振る舞いには目を見張るものがある。

 成長著しい、というよりは考えてみれば、もう俺と行動を伴にしてからは最低でも300年は経っている。逃げることしか能がなく成長のない俺とは違い、これだけの年数で努力を重ねれば一流のフレイムヘイズに成れるのかもしれない。

 思い返してみれば、外界宿東京本部の職員の視線も俺よりもリーズを頼りにしていたような気も……うん、本当に頼もしい背中だ。

 だからといって``千変``を討滅できるとは到底考えられないのが、直面している問題なのだが……

 

(でも、ただ逃げてるだけじゃないんでしょ?)

(まあね。それなりの勝算はあると思ってるよ。どうしても``千変``の動き次第な所ではあるけど)

 

 自身の修練に余念がなかったリーズと打って変わって、俺は基本的には力も使わずに引きこもっていたのだが、怠惰な日々を過ごしていた訳では無い。むしろ、時間があったからこそ「強敵対策」に余念がなかった。

 その対策の一つは今回も役に立ったと思われる外界宿に用意されるようになった、いざという時の避難経路であるし、咄嗟の自在法の展開である。本来であればここまでの手管で、逃走は完了している予定ではあった。最善択、上策というやつだ。お手軽プランとも言う。このお手軽プランがドレル御一行様で満員御礼となってしまったのは仕方ない。相手が並の``紅世の王``であれば、俺もご一緒できたかもしれないが、いつも通り現実はそう甘くはなかったというだけのこと。

 そういうわけで、俺は下策に頼らざるを得ない。

 下策――自在法の応酬による打開。もしかしたら、ゴリ押しと世の人々は言うのかもしれない。

 この話をした時、リーズと彼女の相棒のフルカスは呆れた声を出していた。そんなものは作戦とは言えない、と。みなまで言うな。気持ちは分かる。俺も俺以外の口からそんな言葉を耳にすれば、考えなしの脳筋の称号をプレゼントしていただろう。

 だが、考えてみてほしい。前提が根本的に異なるのだ。

 正面切って``紅世の徒``を討滅するためにゴリ押しを実行するのは、確かに脳筋戦法かもしれない。

 しかし、俺は逃げるためにゴリ押しを実行するのだ。

 本来フレイムヘイズは復讐をするために``紅世の徒``へと攻撃を仕掛ける。目的を達成しようと苛烈なまでの応酬を浴びせるだろう。それがこの世界の理だ。常識だ。

 つまり――``紅世の徒``がフレイムヘイズの自在法に気付けば迎撃をするために身構えるし、弱小であれば我が身可愛さに逃げ出すのがおちだ。

 この法則は逆手に取れる。取れた。

 『革正団(レボルシオン)』で多くの``紅世の徒``を相手せざるを得ない時には一転攻勢を見せつけることで、相手の攻めの姿勢を守勢へと変化させた。その変転は俺にとって逃げる隙へと繋がる。

 普段は全く有り難くもない俺の名声によってこの作用はさらに拍車をかけた。

 やたら規模の大きい自在法と存在の力の物量は目に見えて相手を威圧することに長け、かつての『大戦』での無駄な知名度は敵に無駄な警戒心を促す。まさか、あの『大戦』の立役者が敵を目の前にして逃げの一手だなんて思いもしないだろう。

 大袈裟かもしれないが『炎髪灼眼の討ち手』が敵前逃亡するようなものだ。その光景を目の当たりしたら、呆気にとられるのは無理のない話だ。

 『革正団』では、あまりの連戦の多さに同じ戦法を使いすぎたので戦法自体を知られてしまっている危惧もあったが、今日までの評判を聞くに『不朽の逃げ手』の威厳は落日を迎えておらず、現局面を支える一端を担っている。

 割と直前に``千変``と戦闘を行ない彼を敗走に追いやっているのも、対``千変``特攻が付与されて想定よりも上手に事を運べている要因だろうし。

 そういう意味ではこの膠着状態は俺にとってはかなり上出来な部類に入るのかもしれない。

 散発的な攻撃で済んでいる――あの``千変``に様子見をさせていると言えば、スタンディングオベーションを貰ってもいいのではないだろうか。

 本格的な戦闘が始まってしまえば、死が必然という現実にさえ目を瞑ればだけれども。

 

「……ッ! 貴方横に!」

「あっっっっぶな! 本当にあぶなっ!」

 

 下と前。地面をも揺らすような轟音。地面から巨大な穂先が何本も生えてきたかと思えば、ほぼ同時に地面から生えてきた穂先と同じ物が何本も貫くように襲ってきたが、リーズの機転により難なく回避は出来た。

 今までとは異なる正確な二点攻撃。まだ避ける余裕はあるが、攻撃の変化や正確性にあまりにも違いが出始めている。

 

「これは精神衛生上よくないんだけど! 『神鉄如意』って伸びる大きくなる頑丈ってだけじゃないのかよ!」

「ふむ、噂に違わぬ剛槍っぷり」

「感心してる場合じゃないよフルカス……こんな攻撃を続けられたら、逃亡計画通りに行かなくなる」

「ううん、貴方落ち着いて」

 

 リーズはぐずる赤子を宥めるような声色で、自身に満ちた態度で。

 

「地面からの攻撃なら予兆がわかりやすかったから、これなら避け続けれる」

 

 頼もしすぎる相棒の言葉に、俺は声が出なかった。

 

(モウカ、落ち着いた?)

(ああ、うん。大丈夫。落ち着いた)

 

 落ち着いたさ。慌てすぎた。面目ない。

 命の危機に貧して慌てるのはいつも通りではあるけれど、身構えていた以上の予想外に見舞われて狼狽しすぎて、悲観的になってしまった。

 まだ、終わっていない。

 

(リーズってこんなに頼もしかったっけ)

(私は? 私は!)

(はいはい、頼り頼り)

(なにそれ酷い。これがDV彼氏でしょ、知ってるよ)

(どこで知ったその言葉。あと、彼氏でもDVでもない)

 

 パートナーではあるけども。この言葉は伝えてやらない。調子に乗るから。

 リーズの言葉を信じて現状維持……とは、残念ながらならないだろう。そう思うのは楽観視がすぎる。

 槍が増えるのか、分裂するのかは分からないが、2つに増えるということはだ。

 

(俺の想像でしかないんだけど、もしかして槍の穂先が増えるのは2つで限界ってことは)

(ないんじゃないかなー? ``宝具``なら何が起きても、おかしくないし)

 

 見解の一致。嬉しくない情報だ。初見殺しされなかったのを、幸運と思うしかないだろう。

 2本なら避けれるが、3本……4本5本ならばどうなるだろうか。その時まで避け続けられるだろうか。そもそも、隙間なくオールレンジを槍で囲い貫きにきたら?

 想像したら嫌な汗と身震いが少しでた。

 ……いや違う! 逆に考えろ!

 必殺の手段があるのならば、それをしてこないという事は未だに``千変``も決定打に欠けているということだ。なりふり構わず使用してこないのは、そうすることで隙が生まれるとか、デメリットが有る。無茶苦茶できるなら最初から必殺技を使っているはずだ。

 使えない、出来ない理由がある。

 正確に飛んできたと思われる攻撃だったけども、連続で仕掛けてきていないのも何か理由――『嵐の夜』の特性を踏まえて、自在師が嵐の中心部にいると検討をつけて攻撃してきた、とかものすごくありそうな話じゃないか。そうならば、こちらの位置――複数の嵐の内、どこにいるかはまだ把握できていない証になる。

 これを察知されることを嫌って、今までは薙ぎ払いによる一撃を狙っていたとすれば、戦局の膠着にも理由がつく。そして、察知されることを考慮してでも強行してきた。

 焦れる理由がある。

 

(ウェル、勝負の仕掛け時かもしれない)

(よし、やろう!)

 

 決断をする後押しが欲しい時に、後押しの言葉だけをくれる。

 居心地の良い関係。決心を鈍らせない。

 

「リーズ、フルカス。一気に仕掛けるから着いてきて」

「もちろん」

「ふむ、任せよう」

 

 一世一代の賭けである。

 生きてきた過去500年の中で、最高出力の自在法を使って、逃走を図る。

 予定より遠い位置からだが、背に腹は代えられない。

 このタイミングで仕掛けなければ、逃げれない。

 俺の逃げ勘がそう告げているのだから。

 

「川の増水には、お気をつけくださいってね」

 

 『嵐の夜』『青い世界』の最大出力。

 ``千変``はその名の通り変幻自在に姿を変える。水の中だろうが、環境に適応した姿を取ることで利を失うことはないだろう。

 だが――彼のお相手は嵐で荒れる水の中、気配を消して、唯一無二の逃げるフレイムヘイズ。

 かつては、大戦でさえも逃げ切ってみせた。

 そして、あの有名な``探耽求究``ダンタリオンからついには逃げおおせることに成功した。

 はたまたは、『革正団』という``紅世の徒``の軍団ですらも後塵を拝した。

 逃げに傾倒した俺を捕まえられるとは思わないほうがいい。

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 いつもの椅子。いつもの机。慣れ親しんだ外界宿東京本部の執務室。

 深く椅子に座って、届けられたばかりの手紙を読む。

 差出人は無事に逃げ切った『愁夢の吹き手』ドレル・クーベリックからの無事を知らせる吉報と『不朽の逃げ手』の生存を信じて疑わないことが感じ取れるこれからの外界宿の方針についての相談。

 俺個人が``千変``から逃げ切れたからといって、大戦の回避が叶ったわけでないのだから、やらなければいけないことがあるのは十分に理解できる。

 それはそれとして、もう少し感傷に浸らせてほしいし、なんならあと50年は隠居生活で命のやり取りは遠い場所に行きたい。生きたい。

 

「今更思ったけど、``千変``は本気じゃなかったんじゃないかって」

 

 目的は俺の命ではなく、ドレルの命。ひいては『ドレル・パーティ』の殲滅が主目標。

 フレイムヘイズ活動支援の大部分を占め、フレイムヘイズ結合部を担う『ドレル・パーティ』はまさしく替えの効かない歯車だ。『ドレル・パーティ』という組織そのものもそうだが、運用を行なっているドレルも決して替えの効くフレイムヘイズではない。

 だからこそ、俺もあの瞬間は彼を『自分の命』よりも重く捉えて、先に逃したというのもある。

 大戦が勃発するのであれば、欠けてはいけないピース。俺の望む平和へのピース。

 

「モウカさー。そんな事考えてたの?」

「え? ああ、だとしたら納得行くなあって思ってさ」

 

 俺の死が主目的であったなら、逃げ切れていなかったんじゃないか……なんてIFが頭から離れない。

 正直、過去の経験で一番危険な戦いだった。味方もリーズしかおらず、増援も見込めない。自分の力量次第でしか命を繋げられず、相手は飛び切りのジョーカー。

 二度目があったらと考えるだけど、身体は震えてくる。

 

「大切なことを忘れてるよね、モウカは」

「大切なこと?」

 

 何か見落としがあるのだろうか。

 実はもっと簡単に逃げる方法があったのか。それとも、未然に防ぐことが。

 

「今回も生き残った! 私はモウカとまだ一緒に居られる! ね、これ以上のことはないでしょ?」




公式が頑張ってくれたので……


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