変わらぬ空で、貴方に愛を (毒蛇)
しおりを挟む

【第一幕】 幼少期の章
「プロローグ:死の抱擁に導かれて」


 ――これが『詰み』ってやつか。

 

 そっと溜息を吐き、先ほどまで飲んでいたコーヒー缶をコンビニのゴミ箱に投げる。

 数秒前まで温かな液体が入っていた空き缶は弧を描き、コンッと音を立てながら入る。

 普段なら入らないのに、こんな時に入ることにすら何か苛立ちを感じる。

 

 空き缶が入るのを見届けるのもそこそこに、男は黒い長方形タイプの財布を取り出す。

 もしかしたら、お金が増えているんじゃないか。そんなあり得ない希望的観測をしながら、でもひょっとしたら……? と少なく無い労力を用いて中身を見る。

 

「4円か……」

 

 当たり前だが増えたら可笑しい。

 元々財布にあったのが114円といった小銭だ。

 さっきのコーヒー代が110円で差し引き4円。可笑しいことは何もない。

 

 ――俺の最後の晩餐がコーヒーなのか。

 

 そんなことを考えていれば、下らなくて乾いた笑い声が口端からこぼれた。

 苛立ちも、苦しみも、悲しみも、憤りも、何もかもが霧散していく。

 そうして最後、胸中に過る虚無感と僅かな倦怠感だけが俺を包み込んでいた。

 

「――――」

 

 それは、何への溜息だったのだろうか。

 自分自身にも分からない溜息は、白霧のように空中へと舞い消えた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 俺を一言で表すなら、『失敗者』だ。

 

 新入社員になりたての25歳の男。生きる気力を無くした社会の歯車――だった。

 高校を卒業後、中小の会社に就職し、さぁ頑張るぞと気合を入れた矢先、唐突な冤罪で捕まった。

 

 女性が大声を上げ何事かと思いきや、その女は俺の手を掴み取り、「痴漢です!」と言った。

 その女の周りには此方を見ながらニマニマした笑みを浮かべる男女グループがいた。

 まさか餓鬼の遊びで俺は狩られたのか。『捕食』という言葉が脳裏を過り、咄嗟に叫んだ。

 

「――待って下さい! 違っ、俺じゃ……」

 

 血を吐くように叫びはしたが、周りは誰も信じなかった。

 お前が犯人だという悪意に満ちた目、迷惑だから早く捕まれという無関心に満ちた目。

 誰もが皆、俺を犯罪者として見る眼つきであり、味方は誰もいない事を理解した。

 

「――ぁ」

 

 駅で知らない男に説き伏せられ、地べたに顔をぶつけ血が出た。

 呆然としている間に駅員に補導され、警察に引き渡された。

 

 その集団は払えない多額の慰謝料を請求し、警察に訴え、勤め先の会社にも連絡を入れられた。

 その場は名刺を渡して解放されたが、既に俺の心は折れていた。

 

 数日後、逮捕状を請求され俺はテレビに実名と顔が報道された。全国放送でクビも決まった。

 泣く泣く親にも連絡したが、返ってきたのは聞くに堪えない暴言だった。

 あっけなく人生の崩壊する音が聞こえ、自らが終わった事を知った。

 

 終わりは、一瞬だった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それから2ヶ月が経過し、俺は冤罪ということで解放された。

 マスコミも謝罪したがテレビで放送された結果、俺の社会的地位はもう終わっていた。

 気づいたらスーツは着ても働かない、働けない引きこもりのニートと化していた。

 

 自分で言うのはなんだが、堅実に勤勉に懸命に努力してきたつもりだった。

 毎日真面目に勉強し、誰よりも親の期待に応えるべく頑張ってきた。

 正直都会は嫌いだった。でも稼ぎはいいから毎日の満員電車も我慢した。

 

 ――その結末がこれなのか。

 最悪な結末に、救いのなさに、もう誰も信じられなかった。

 俺はあの男女混合チームのカモにされたのか? もっと冷静に対処すべきだったのか。

 今になっては分からず、後の祭りでありながら、全ては己の無能が招いた事でしかない。

 

 ――これからどうすればいいのだろう。

 あの毒親のことだ。冤罪だろうと、恥さらしの息子には一切の援助をしないだろう。

 もしくは縁を切られるのか。それ以前に、電話が繋がらなくなった。

 もうこの人生は終わっており、脚が震えた。

 

 ――仕事はどうすればいいのだろう。

 転職をするしかない、だが報道されてからまだまだ日は浅い。

 一度貼られたレッテルというのは簡単には剥がせないだろう。

 なによりも、もう働こうとする意志も目的も失っていた。

 

 ――お金はどうすればいいのだろう。

 このニート生活で貯金はもう尽きていた。

 それ以前に、これ以上惨めに生きる気力はなかった。

 

「……どうでもいいか」

 

 下らない思考を切り捨てる。

 そんな中で、俺は電車での人身事故を思い出す。

 あの頃は迷惑でしかなかったが、今は少しだけ彼らの気持ちが分かった。

 理解したが、俺にはそんな風に線路に飛び込み死ぬ勇気も無かった。

 

 これからどうするのか。

 “これから”も何もない。俺は終わった。この国では脱落者に与えられる道はない。

 敗者に与えられるのは惨めな家畜への道か、あるいは死か。

 

「……あのコーヒー、美味かったな」

 

 ポツリと自らの唇から後悔の言葉がこぼれ落ちた。

 もう少し味わって飲むべきだった恐らく人生最後の暖かなコーヒー。

 公園のベンチに座っていると、冷たい感触がスーツを通して体を冷やした。

 昼間に座っていたのに、もう3時間経ったことを腕時計が教えた。

 

「――寒いな」

 

 どうでもいいか。だって、もう俺の人生は終わったんだから。

 己を腕で抱きながら空を見上げると、灰色の雲空が俺を冷たく見下ろしていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 雪だ。

 

 気が付くと空模様は暗く、塵のような粉雪が視界に入る。

 いつの間にか秋も終わってしまい冬、男は寒さに震え両腕で己を抱きしめた。

 

「俺は一体、何をしているんだろうな……」

 

 ふと俺は思い出す。

 人生の分岐路はどこだろうか。

 色々あったがおそらく決定的なのは、中学校だろう。

 

 中二病を発症した俺は、人助けが当たり前だと思い込んでいた。

 イジメは良くないと当時見ていたヒーロー物のアニメに惚れ込み、愚かにも憧れを抱いた。

 

 そして生徒を殴っていた不良をたまたま見かけ、注意した。

 その人をイジメるなと、真面目な正義感に囚われた。

 その不良は屑だったが、クラスの中では上位に位置する存在だった。

 

 次の日には、俺は集団でのリンチに遭った。

 ボロボロの雑巾、という表現は、正しくこの時の俺のためにあったのだと思う。

 クラス中にソレが知れ渡り、クラスどころか学校中の玩具にされた。

 

 生徒にゴミを投げつけられた。

 教師に訴えても無視された。

 挙句の果てに、イジメられる方が悪だと言われた。

 

 ――意味が分からなかった。

 

 俺は正しいことをしたはずだ。そんな俺を誰も助けなどしなかった。

 誰も助けてなんてくれなかった。ただの一人も。手のひらを変え、お前が悪いと口々に罵った。

 

 悪意を振りかざすモノ。

 面白半分に言うモノ。

 遠くから倦厭するモノ。

 

 そいつらに俺は憤り、苛立ち、怯え、苦しみ、足掻き、最後に何かが折れた。

 そんな日々に、くだらない正義を振りかざした愚か者が、学校に行かなくなる。

 ドラマや小説で見るよくある話で、非力な臆病者は、こうして家に引きこもった。

 しかし――

 

『大丈夫だ』

 

『甘えるな』

 

『お前ならできる』

 

 一度はネットの住人となったが、両親はそんなゴミ屑を許さなかった。

 表面上で塗り固められた薄っぺらい優しさと無責任に同情の言葉を投げ掛けた。

 助けもせず、ただ『頑張れ』と醜悪な口を開くばかりであった。

 

 怖かった。怖くない訳がなかった。

 学校になど行きたくなかった。

 勉強なら家でもできるはずだ、そう思った。

 

 そんな俺の主張を無視し、誰も俺を甘やかさなかった。ひたすらに学校に行けと言う。

 そうしてようやく、愚かな俺は理解した。

 

 ――最初から居場所などどこにもなかったのだ。

 

 だから俺はもう一度頑張った。消え掛けの心に火を灯し、もう一度やり直そうと決意した。

 彼らの言葉を一応聞き入れ、歯を食いしばって夜間学校に通った。

 人目を気にしてコソコソと通ってなんとか卒業資格を取り、就職をして家を出た。

 

 もう戻る気はなかった。

 両親は俺に失望しているのが目に見えていて辛かった。

 引きこもりに一度はなったが、それでも家族に迷惑はかけたくはなかった。

 だから、もう一度だけ頑張った。

 

「本当に、どこで間違えたのかね」

 

 その結果がこれだ。

 痴漢の冤罪で捕まり、マスゴミに顔写真と名前をテレビに出され、俺は終わったのだ。

 社会のヒエラルキーの底辺に落ち、正しく詰んだのだと理解した。

 

 社会人デビューは2ヶ月持たず、俺は引きこもりに戻った。

 家には連絡できない。できるわけがない。

 当時のトラウマが再発した。

 

 人の目が怖く、囁き声が怖く、人の笑い声が怖く、もう駄目だと感じた。

 

「――ははっ」

 

 過去に戻りたいと、唐突に思った。

 ゼロから、赤ん坊から始められたら。

 そんな愚かで不毛なことを考えることのできる程度のエネルギーはあったらしい。

 

 そして最後に自嘲気味に俺は考えた。

 結局、俺の人生の敗因は何かと。

 

 努力を怠ったことだろう。

 勉強も中途半端だった。部活は人間関係(笑)とかですぐに辞めた。

 色んな遊びや趣味に手を出し、どれもこれもが中途半端に辞めてしまった。

 

「もしも……」

 

 それを口にしようとして、俺は代わりに深いため息を吐いた。

 これ以上の思考へのリソースを割くことすら無駄に感じた。

 後にも先にも『もしも』なんてモノはない。もう終わってしまったのだ。

 

「あ、でも……もしも叶うなら――――」

 

 自分の人生の幕引きを想像した。

 最後くらいは後悔のないように、悔いのないように、カッコよく、誰かのために、

 

「――死にたいな」

 

 そう思った。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そんな雪が降る中で俺は白い息を吐き、公園のベンチから漸く離れ散歩する。

 あては無く、頼れる知人もおらず、ゆっくりと歩きしばらくすると歩道に出た。

 やや遠くにはサラリーマンや口喧嘩の様な話し方をする制服を着た女子中学生が3人固まって歩いている。そして、松葉杖をついて歩く黒髪の少女。その他大勢の人々。

 

 時間的にも少なく無い人通りで、俺の目に漠然と映る光景。

 喧嘩でもしているのか、大声を上げる中学生らになんとなく関心が向くが、

 

(どうでもいいか)

 

 原因なんて考えるだけ無駄でしかない。

 彼女たちにしてみればきっと何かしら大ごとなのだろうが、俺にとってはどうでもよかった。

 だって既に、この人生は終わっている。

 

「――――」

 

 偶然同じ方向に向かう中で、次にサラリーマンに目を向けた。

 左手に見える指輪はまだ真新しく、幸せそうな顔は帰宅後のあれこれを考えているのだろう。

 きっと家族の待つ家に帰るのが待ち遠しくて仕方無いのだろう。

 

(いいな)

 

 ただただ彼らが妬ましかった。羨ましかった。

 あの頃の俺なら、きっとなんだって出来たはずだ。

 時は金なり。その通りだ。

 

「――――」

 

 あの頃、輝かしかった昔の日々を思い出す。

 努力しようと思えば、いくらでもできるはずだった。

 そんな日々はいつの間にか後悔の連続で、苦痛の毎日へと変わった。

 いつの間にか終わりへ向かうという、己への焦燥感。

 

 友達が欲しかった。

 あんな風に喧嘩をしたかった。その後に仲直りをして、弁当を食べて、

 告白をして、そこから更なる関係になって――。

 

 家族が欲しかった。

 あんな風な幸せな笑顔を浮かべたかった。家に帰れば、おかえりを言ってくれる存在。

 隣にいるという存在が、どれだけありがたいのだろうか。

 共に笑い、泣き、人生を共にして――。

 

(もう、遅いんだ……)

 

 それらを一つも得られなかった当たり前の現実に、俺は疲れきっていた。

 楽しかった記憶は思い出せず、それらは過去に置いてきた。

 人生は選択の積み重ねというが、俺は、何も積み重ねられなかった。

 

 無駄な時を過ごし、金も、地位も、プライドも、何もかも失った俺には何も残らなかった。

 いつの間にか、辛うじて息をしているだけの矮小な存在に成り果てていた。

 そして――

 

 

 

 ---

 

 

 

「――――随分と、速度を上げてないか?」

 

 そんな時だった。

 いつの間にか、俺は下を向いていた。

 僅かな異音に顔を上げると、その瞬間に気が付いた。

 

 やや坂道。

 右側の道の上方から大型のバスが一台、此方に向かって猛スピードで突っ込んできた。

 フロントガラス越しにバスの運転手が胸を押さえてグッタリとしているのを俺は見た。

 

 あの速度、距離を考慮してブレーキを掛けても間に合わない。

 不思議と誰もまだアレに気が付いていない。

 運転手は心臓発作という推測があった。

 これから十数秒後に大事故、という未来の光景が頭に浮かぶ。

 

「――ぁっ……!」

 

 叫ぶべきか悩んで、結局俺は声が出なかった。

 

 どうでもいいんだろ? 助けたところでどうなる、と俺の思考が囁く。

 同時に、目の前の人たちを助けるべきだ、とも思った。

 ここで助けなければ、きっと数分後に俺は後悔するだろう。

 高速で走るバスに轢かれ惨い死体となる大勢を見て、俺は絶対に後悔すると直感した。

 

 でも、現実問題。

 全員を助けることはできない。よくて一人だけ。他は切り捨てる。

 

「――――」

 

 バスの中身などは考慮しない。諦めてもらおう。

 サラリーマンも、中学生たちも考慮しない。自力で何とかしてもらいたい。

 故に俺が目を向けたのは、松葉杖で俯く黒髪の少女。

 

 たった一人だけ。

 勇者でも、正義の味方でもない俺は、最もバスの射線外へ逃れられない人を、

 

「――助け、る」

 

 助けてどうなる? 

 

「……誰も助けてはくれない」

 

 他の人々は幸せだ。友人も、家族もいる。

 『彼女』には誰もいない、それだけの理由。その姿を自分に重ねてみた、それだけの理由。

 己の偏見から生じた、歪で傲慢な理由。

 

 俺はもう駄目で近い将来野垂れ死ぬだろうけど、その瞬間は、俺が死ぬ最後の瞬間だけは。

 最後の最後まで、後悔と絶望で終わらせたくは無かった。

 

 偽善に満ちた、他の人を助けるという形を利用した己の最期。

 悪くない。誰かを助けて、カッコよく死ぬ。

 最後の己の舞台。その幕引きに相応しいと、独善的に俺は笑い、駆けた。

 

「――――ハッ――――ハッ――ハッハハッ……っ!!」

 

 肺が焼けつき、脚が重くなる。体の各部が悲鳴を上げる。

 すぐに疲れて走りたくなくなったが、懸命な呼吸で何とか走り、その人に距離を縮める。

 

「――――!」

 

 質量の暴力が目の前に来て、ようやく多くの人がソレに気が付いた。

 多くの人が逃げ惑う中、転ぶ人もいる。友人と押し合い、倒れる人もいる。

 他の人が轢かれる、それらを無視して、懸命な意志で手を伸ばす。

 

「――――っ」

 

 俺は迷わず、逃げ遅れた松葉杖の昏い髪の少女を突き飛ばす。

 抵抗のない少女の身体はいとも容易く俺の望む通りに動いた。

 

「――――ぁ」

 

 そして眼前には、死への片道切符。それを見て思うことは欠片も浮かばない。

 最後に、誰かを助けて死ねることが嬉しかった。

 どうしようもなく独善的で、矮小な屑が、最後に『正義の味方』のような行為をできた。

 

 陳腐で、歪な自己満足でしかない。

 それでも、結果は人を助けられた。

 なら、もういい。もういいのだが、

 

(――神様、もしも次があるのなら)

 

 そんな祈りが届いたのかは分からないが。

 大型バスに俺が轢かれる瞬間、全ての音が消え、代わりに一瞬だけ何か、虹色の光が見えた。

 

 時間が止まる。

 

 時の停滞の中、少し視線をずらすと、黒い髪の彼女が俺に向かって手を伸ばしていた。

 昏色の髪とは異なり、その赤い瞳は大きく見開かれている。

 ようやく状況を理解したのだろうか。刹那の時、少女の濃紅の瞳と目が合っ――

 

 

 

 ---

 

 

 

 衝撃。

 爆音。

 悲鳴。

 

 

 気が付くと、男は地面に横たわっていた。

 紅の海に肉体が沈む。血海はどんどん広がりを見せる。

 

「――ぇあ?」

 

 紅が暖かく、蒼が冷たい色だと誰が言ったのだろうか。

 そんな訳がないと、俺は今ほど思ったことは、後にも先にもないだろう。

 だってこんなにも、紅とは死を連想させるじゃないかと、男は場違いに思う。

 

「――――ゴッ――――ッ」

 

 白く染まりつつある意識と耳から己の背後で起きた事故を理解したが、全く体は動かない。

 ピクリとも動かない肢体と、目の前にある己の青白く死んだ手が動かない視界で映った。

 

 痛みはない。

 ただ、熱がどこからか湧き出し、俺という存在が漏れ出るのを感じる。

 ゴボゴボと口からこぼれる血塊が現実味を無くす。

 

 死。

 

 それを理解した時、暑苦しいと感じた肉体の熱も、動かず不快な思いをした己の肢体も、

 死への恐怖も、体を包む寒さも、紅の海を映す己の瞳も、意識すら遠のいていくのを感じる。

 

 

 

 ――やがて、男は死んだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第一話 目覚めの夜」

 意識の浮上は、水面に顔を出すのに似ていると思う。

 瞼を開けると、ぼやけた視界、目の前に白いモノがボンヤリと映り込んだ。

 ジッと目を凝らし、ピントが合ってようやくソレがどこかの天井であると理解した。

 

 天井を見ていると先ほどの惨劇を思い出す。

 俺は、あれからどうなった? 緩慢と動く脳裏で、そんな疑問は尽きない。

 

 しばらくジッとしていると、誰かが此方に来た。

 禿げ頭の眼鏡という外国で見そうな白衣を着た人物がこちらを見下ろす。

 ここは病院なのだろうかと半覚醒状態で医者らしき男を見上げ、状況を確かめ――

 

「――ぁっ、――ぇぉ!」 

 

 恐らくだが、この時の俺は寝ぼけ眼で目の前の男に話しかけたのだろう。

 目の前の男は医者だと直感した。確認の意味を込めて問いかけようと思った。

 そう思っていたが、口から出たのは、喘ぎ声か呻き声のどちらにもとれる声だった。

 

 自分でもゾッとするような声が耳朶に響いた。

 一瞬誰か他の人がいるのかと思ったが、すぐに己の口から発したのだと気づいた。

 

(なんだこれは)

 

 その声に、不安が湧く。

 不安が己の意識を完全に覚醒させる。

 

 そして、気が付く。

 先ほどから自分の体が動かない。

 

 必死で動かそうとして、かろうじて指先が動く。

 懸命な意思で眼球が動くが、周囲の景色は白いままだ。

 

(――まさか)

 

 身体が動かないことに恐怖と焦りを感じた。

 頭に奔る謎のノイズを無視して必死に全身に力を籠めるが、肉塊にでもなったように動かない。

 というよりも、先ほどから下半身の感覚がない。

 

(まさか……え? そんな馬鹿な、誤っている、こんな――)

 

 ふと嫌な予感に駆られた。

 人が大勢死んだであろう大事故だったのだ。そもそも生きていることすら神の奇跡。

 それは同時に、手術をして生存しても後遺症は絶対に残るレベルかもしれないということだ。

 

(生き残ってしまった……のか)

 

 恐らくではあるが、そうなのだろう。この意識が残っているとは、つまりそういう事。

 神は俺が嫌いなのか。願いは届かなかった。

 いや、当たり前かと自嘲する。

 

 微妙に頭にノイズが奔っているのは後遺症か何かだろうか、医者に治せないほどの。

 男がまた話しかけてくる。だがノイズのせいでうまく聞こえない。

 あれから何が起きた。何日が経過したのか。分からない。思い出せない。

 

「おへるtよにkたつ!」

 

(――なんだって?)

 

 と、気が付くと白衣を着た男に持ち上げられた。

 この距離で辛うじて何かを言っているのが聞こえるが、全くわからない。

 同時に目の前の男は、成人男性である俺を、こうも容易く持ち上げたことに気がつく。

 

 それに、俺はこう思った。

 ――寝たきりだったら多少は体重も落ちているのだろう。そうであって欲しい。

 ――そもそも、キチンと手足は付いているのだろうか。そうで無いと困る。 

 

「あっ――――、あぇあ――――!!」

 

「そgk、しおごえgじゅ!」

 

 自分でもなんて言っていたのか分からない。

 それに気が付いた時、俺は自分の身体を見るのが怖くなった。

 リアルで植物人間。しかも達磨。その生き地獄の可能性が脳裏をよぎる。

 現実を否定するように瞼を閉じると、暗闇が眼前に広がり、僅かに安堵した。

 

(まったく、俺は何をしているんだ……)

 

 やがて、現実を直視するのを止め、俺は再度昏々と眠りについた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それから体感で3ヶ月が経過し、病院を出ることになった。

 それだけあれば愚鈍な屑にも状況が理解できた。

 

 苦痛の源たるノイズは、最初の1週間ほどでキレイさっぱりなくなっていた。

 快適だ。静かでとてもいい。不快さなどは最初からなかったかのようだ。

 

(静かな事が逆に怖いが……)

 

 結論から言うと、俺は赤ん坊になっていた。抱き上げられた時、己の身体を鏡でみて分かった。

 なぜ前世の記憶を持ったまま生まれたか分からないが、持っていて困ることではない。

 昔見たテレビの特番でも前世の記憶を持っていた人がいたらしい。ならばきっと確率は低いのだろうが、そう珍しくもない話なのかもしれないと、無理やり理解する。

 

(――これが、転生ってやつか……)

 

 昔、夢見た幻想郷。

 

 引きこもって小説やネットを読み漁るだけの愚かな男が夢見た、決して叶わぬ物。

 これが現実か、長すぎる幻か、果てない夢なのか、未だに俺には分からなかった。

 もしかしたらこれも死ぬ寸前に見ている、死への旅路の途中に夢想しただけの夢か。

 

(どうでもいい) 

 

 白い部屋から、どこかへと俺は移され現在はどこかの木造の建築物にいる。

 禿げ医者の次点に、あの白い部屋で多く見たのが一組の男女。

 

 この数ヶ月、俺がよく見たのがこの白い髪の男と、黒髪の女だった。

 それだけの期間、曲がりなりにも共にいれば分かる。

 彼らが俺の両親、または育ての親らしく、25歳で死んだ俺から見てもやや若く見える。

 

(どうでもいい)

 

 白い部屋からこの新居へと移り数日で分かったが、ここはどうやら日本らしい。

 周りを見渡すと日本語らしき字がチラホラと見える。

 両親も見慣れた日本人の顔だ。洋服の装いはなんとなく生前見たものと似通っている。

 もしくは、ノイズが止むと同時にこの世界に適応して自動で日本語に見える説が捨てられない。

 

「…………」

 

 頭上にあるのはどこかで見たような玩具。シャンデリアの劣化版のような物が鬱陶しい。

 耳をすませると時折音声が聞こえる。

 テレビは見られなかったが、おそらくは別の部屋にあるかもしれない。

 視界が届く範囲に見える家具等は和を重んじた装飾の凝った品々が多い。

 

(そんなことよりも、だ)

 

 今の俺にとっては重要なことはただ一つだった。

 この身体が動かないことが何よりも問題だった。

 

(夢ならそれでも構わない。せめて肉体が動いてくれ)

 

 

 

 ---

 

 

 

 夢は醒めず、更に半年が経過した。

 両親の会話も良く聞こえる。完全に日本語だった。

 

 あの時のノイズは、他の世界の言語を脳が自動的に日本語に変換していた? 

 脳がそれに適応するためにずっと耳鳴りがしていた? 分からないから寝よう。

 そんな妄想で日々を食い繋ぐ、食べては寝るだけの日々がようやく終わった。

 

 この頃になると、俺の新しいスキル:四足歩行 が解禁になった。

 

(スキルって、ゲームかよ……)

 

 下らないことに思考が移る。ついゲームチックな思考をする。ゲーム脳ここに至れりだ。

 しょうがない。動けないストレスを妄想と睡眠で回避した結果だ。

 だが初めて自由に己の意志で移動できるという当たり前なことに、俺は感謝した。

 

「最初は泣かないから心配だったけど、元気で良かったわ」

 

「そうだな……」

 

 両親、育ての親がそんなことを言っていた。

 赤ん坊らしくなくてすまない。泣いている場合ではないのだ。

 ハイハイについてだが、移動手段を得た俺は様々な情報を手に入れることができた。

 まずこの家。結構裕福なお家であり、木造建築で2階へ繋がる階段を発見した。

 

 他には結構使い込まれたキッチンや、ソファのある大きなリビングもある。

 客間は数部屋あった。そして、大きな木や花が手入れされた庭は非常に景色がいい。

 やや古いが大きく立派な屋敷、というのが俺の評価だ。 

 

「………………」

 

 まぁ……赤ん坊という俺から見る光景が全て大きく見えるだけかも知れないが。

 他の家も少し遠くに5~6軒見える程度。別段おかしなところはない。

 近所の住人は遠くでたまに見かける程度だ。

 俺が生前見た、日本の街並みに似てはいるのだが――、

 

(ここが日本なのは分かったが、問題は場所が分からない。俺の知っている地元ではないのは間違いないだろうけど。だが都会という訳でもない。地方都市だろうか。中部か、東北だろうか。どの道パソコンがあれば楽なんだが……)

 

 家の窓から判る情報では、ここが都会か田舎なのかすら判別がつかない。

 残念だが、視界の届くところではパソコンを見つけることは出来なかった。

 無い物をねだっても意味がないが、代わりに謎を解消するチャンスは巡ってきた。 

 

 収穫があり、なんと『テレビ』を発見したのだ。

 文明の利器にして科学の象徴。かつての三種の神器の一つ。

 4kテレビ。高画質だ。

 

(この世界でも、あのチャンネルはあるんだな……) 

 

 ニュースは貴重だ。テレビのニュースの有難さにこれほど感謝したことはない。

 昔はテレビなんて、撮り溜めたアニメぐらいしか見なかったからだ。

 これによって情報を細々と得ることが出来るようになったが――

 

(完全に日本だ。確かに中東とか、最低な環境に生まれなくて、裕福っぽい家庭に生まれて良かったけどさ……)

 

 ――などと思っていたのだが、

 母親か父親に抱えられ、テレビを見ていると俺はいくつか気になることに直面した。

 

「――?」

 

 どうして他県の話がでないんだ? いや、世界の情勢はどうなった? 

 世界の警察アメリカはどうした。中国はどうした。北朝鮮はどうなった。

 核やドル、選挙、EU、為替、相場、大統領。話題なんていくらでもあるはずだ。

 腐れマスコミがそれらのネタを偽装してでも提供するはずだ。

 

(なぜ全く話題に上がらないんだ?)

 

 俺はテレビから時々聞こえる『神世紀』というテロップや言葉が気になっていた。

 テレビによると、今は神世紀287年だそうだ。

 

(いや……それいつだよ!)

 

 疑問は尽きないが、テレビから得られる情報などたかが知れている。

 だが、それでも俺は確定した情報を手にした。

 確定した情報というのは実にいいものだ。なにせ、決して揺ぎ無いのだから。 

 

 ここは『香川県』らしい。

 つまり俺は、いわゆる異世界転生はしたが、ゲームや小説で見たあの剣とか魔法で成り上がるようなチートなファンタジー世界に来た訳ではないようだ。

 

(そこはいいんだが。なんだろうか、この違和感は)

 

 時間が経てば経つほど膨れ上がる違和感。

 この香川県、というか四国がどうもおかしい。不信感が募る。

 テレビから時々発せられる単語。例えば日付にしてもそうだ。

 

(神世紀287年っていつだよ。平成はどこいった……)

 

 いや、流石に時代が経過しすぎて平成の年号は変わったんだろう。

 だが287年ってなんだ。昭和だって100年ないぞ。西暦が変わったのだろうか。

 

(おそらくだが、ここは俺の知っている日本とは似ているがどうも何かが違う。似て異なる、並行世界というヤツか何かだろうか)

 

 確証が持てない。

 昔のニート時代を思い出す。パソコンと右手が嫁だった時代。

 2chでオカルト板を読み漁っていた時、別の世界に行った人の体験談というスレがあった。

 

 当時はくだらないと思いつつも、

 物語としては面白くてついつい似たような話を読み漁り、異世界に行く方法を試したものだ。

 エレベーターに乗ったり、紙に文字を書いて寝たりした。

 

(気になるな)

 

 無言で俺はこの家にもある神を祀っているという神棚を見上げた。

 あれはどの家にでもある代物らしい。

 

 

 

 ---

 

 

 

 謎は尽きない。

 そんな俺が思考を練りながら、廊下をハイハイしていたときだ。

 ある日、窓からこの家の広大な庭を見ていた時。

 

(ほう)

 

 俺の父親はどうやら格闘技の使い手だったらしい。

 右手に逆手の模擬剣を持ち、ひたすらにシャドーと戦っている。

 俺も、昔ああいう中二病染みた真似をしたことがある。

 

(――キレイだ)

 

 だが、あれは違う。美しいと感じた。

 醜悪な真似事ではなく、彼が生み出す一つ一つが、技として無駄のない動きだった。

 洗練された動きというのは、単純に動きを切り取れば絵になると思った。

 

 刺突。切り下げ、切り払い。水平に流れる閃光。

 何かを明確に切り裂くような、流動なる技術の集大成。

 汎用な例えだが、まるでゲームのキャラの如き動きだった。

 

 男の一つ一つの動きに、俺は思わず息をするのを忘れ、ひたすらに魅入った。

 

「――――」

 

 男はひたすらに何かと戦っていた。時に何かに勝ち、時に何かに負ける。

 その動きが1時間ほど続く間、俺はずっとその男の後ろ姿を目に焼き付けた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そして、有り余る時間と共に膨れ上がった知的好奇心が、俺の中で蠢いていた。

 

(この違和感が気になってしょうがない……)

 

 それから俺は己の知的好奇心に則り、能動的に情報を集めるべく集中して行動した。

 俺はひたすらに両親の会話、テレビのニュースや父親がテーブルに置く新聞に注意を置き、多くの情報を集めた。

 幾ばくか時が過ぎた夜。人が寝静まる頃に、じっくりと俺は情報を吟味していた。

 

(シンジュサマ、タイシャ、ノギケ……か)

 

 多くの時の中でよく出た言葉で俺の知らないワード。

 どうもこの国は、シンジュサマという存在への信仰が凄まじい宗教国家らしい。

 その存在、シンジュサマが当たり前なのだという。

 

 ――あの世界との決定的な違い。

 相違点の発見は時間の経過と共に、得られる情報量に比例して増えた。

 もともと四国については良く知らなったが、流石にこれは断定していいだろう。

 

(ここは地球の日本、香川だが……)

 

 あの世界とこの世界は決定的に違う……はずだ。

 いや、間違いなく俺が知らない世界だ。

 明確に俺が生前いた、あの屑しかいない後悔と絶望に満ち溢れた世界ではない。

 それが分かった。その確信に触れ、思わず笑みが浮かぶ。

 

 ――もしも、もう一度人生をやり直せるのなら。

 

 あの死の瞬間。俺は神に願った、叶わぬ願い。

 そんなご都合主義も甚だしい、惨めな男が最後に抱いた願いが叶った。

 偶然か必然かは分からないが、どちらでもいい。俺は、やり直しの機会を得た。

 

 昔の記憶を持って転生を果たした。

 これで楽しめない奴は人生を損している。人生とは楽しんだものが勝つのだ。

 あの時『もしも』が叶うなら、俺も覚悟を決める決意をしたと思い出す。

 

 この瞬間、今まで夢であると感じていた意識が、体が一致するのを感じた。

 

「―――――」

 

 興奮に思わず溜息が出る。

 そんな俺の意識に、室内の暗闇に光がさし、揺り籠から見上げると窓から月が見えた。

 それは黄金の満月であり、雲ひとつない満天の夜空だった。

 

 それは俺を祝福するかのように、とても美しい光景だった。

 あちらの世界で、美しいと感じた光景は何一つなかった。

 

 ――あぁ、今宵は良い夜だ。

 

 腐った己の深淵に、先の見えぬ闇に、暖かい光が差し込む。

 その光が俺の腐ったモノを浄化するのを感じた。

 その月光に照らされ、夜空が俺を見下ろす中で、

 

 誓いをここに。

 

 ――俺はもう一度頑張ろう。この新しい人生を。

 ――決して後悔することのないように、本気で生き抜いてやる。

 ――俺はもう、けっして後悔だけはしない。

 ――いつだって不敵に笑って、楽しく生き抜いてやる。誰よりも。

 

 左手を伸ばす。

 己の短き手では掴めない。月にも、星にも、手が届かない。

 

 黄金の月、曇りなき夜空は星が降るようで。

 俺が人生で初めて美しいと感じたこの夜空を、夜を、俺は決して、忘れることはないだろう。

 

 

 

 ――この誓いは、決して忘れはしない。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第二話 無力に怯えて」

 その一組の男女に初めて会った時、別に思うことは無かった。

 俺が覚醒してから体感時間1週間が経過した頃だったか。

 まだ耳に奔るノイズに、動けない不安にイライラし始めていた頃だ。

 

「……?」

 

 俺は誰かに抱き上げられた。

 太く逞しい腕、俺を見下ろす男女。白い髪をした男と、黒い髪をした女だった。

 男が口を開いた瞬間、突如不快であった耳元で響くノイズが止み静寂が広がる。

 

「お前の名前は――」

 

 その瞬間が、明確なる『俺』の誕生。

 俺の肉体は今まで弱まっていて、父母共に来られない場所に俺はいたらしい。

 彼らと視線を交わらせると、力強い響きで、

 

「――加賀亮之佑(りょうのすけ)だ」

 

 その日、俺は名前を与えられた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それから少しだけ時間が流れた。

 屑の俺が、月夜の下で誓いを立て、死んで生まれ変わった。

 本当の意味で、『加賀亮之佑』という第二の人生を送る決意を抱いたのだ。

 

 そして俺は、この世界で生きるには何をすべきかを考えていた。

 例えば勉強、運動、スキル磨きなどだ、前世で怠っていた自分を磨く行為についてだ。

 

 だがハイハイを覚えた子供に運動ができるか――否、物理的に無理だ。

 ハイハイをする子供にシャーペンか鉛筆が持てるか。否、親が持たせてくれない。

 ハイハイする子供のスキル磨き――保留、内容次第だが子供故に選択肢は少ない。

 

「あー、あむ、じゃぱにーず」

 

 そっと呟く。この行為に意味はないが、なぜか口角が上がる。

 周囲に敵影なし。我、自由行動の天啓を得たり。

 

「は――」

 

 さて、問題だ。

 子供でも出来るスキル磨きとは何かを考えると答えは簡単だった。

 

 ――本を読み、教養を高めることだ。難易度はさして高いものではない。

 ここが日本である事は既に分かっている。両親の会話も現在は理解ができる。

 前世でもしっかりと勤勉に義務教育は受けたので、漢字は問題ではないのだ。

 そういう意味で俺は剣や魔法のある異世界に転生しなかった事を、少しだけ幸運に思った。

 

 文字が読めること、万歳!

 日本語が聞こえること、万歳!

 日本語が喋れること(舌ったらず注意)、万歳!

 

 ――異世界無双はできなかったけど。

 

 普通って大事なんだね。そんな当たり前の事実に俺は安堵の溜息を吐いた。

 こちらには継続された意識と記憶という唯一無二の固有技能が存在している。

 前世からの知識は、おそらく何者にも勝る優れた武器になるだろう。

 

 己の努力次第ということだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そういう訳で俺は、まず読書を通じて情報集めから取り掛かった。

 簡単な目標としては、家にある本の完全読了である。

 

 家にあったのは十冊程度。宗一朗や綾香が読書家というわけではないだろう。

 ちなみに宗一朗が父親。綾香が母親であり、どちらもまだ若々しい。

 父さん、母さんと呼び合い乳繰り合っていたが、甘い雰囲気になると名前呼びになる。

 

 そんなことよりも、家にあった本についてだ。

 

 子供向けの勧善懲悪な絵本やコーヒーの淹れ方。

 指輪の手入れの方法と適当に買ったような書籍の中で唯一関心を引いた物。

 

 『楽しい四国の観光方法』というこの地に関する詳細な観光本。

 『勇者と魔王』というシンプルな名前の小説。

 『狼泥棒列伝』という気障な仮面の義賊の泥棒話を書いた小説。

 

 絵本や小説はともかく最初の1つは勉強になった。

 前世では全く四国と縁がなかった為だ。

 観光ガイドは純粋に助かり、なおかつ写真を眺めるだけでも面白い。

 例を挙げると、瀬戸内海、瀬戸大橋を一望できるというゴールドタワーの存在を知った。

 結構な分厚さがあり、読むだけでも数日は掛かる。

 

「――!」

 

 今更ながら、丸亀城というのも四国にはあるらしい。

 ガイド本によると高さ日本一の石垣を有した『石垣の名城』として有名だという。

 一人で行く観光は俺はあまり好きではないが、それでも何となく気になる城だった。

 生前は旅行すら億劫で、ネットで検索し写真を眺めているだけで満足だった。

 

「おおきい……」

 

 瀬戸大橋というのも見てみたい。

 馬鹿みたいに大きい橋で、本州と四国をつなぐ唯一の橋だ。

 本州がどうなっているのか分からない以上、ここに何か手がかりがあるかもしれない。

 

 ガイド本は地理だけではなく食事の紹介もしていた。

 四国という地はうどんくらいしか食べるものがないかと思っていたが、それは違うようだ。

 骨付鳥など、まだ見ぬ俺の新しい地元への興味を湧かせる良い本だった。

 

「……」

 

 他の小説は勉強自体にはならなかったが、

 時間を潰すことができることと、純粋に文学少年としての血が騒ぐ。

 棚にあるどの本もシンプルに面白いものばかりだ。

 

 数週間かけて、ゆっくりと色々な本を読んでいく。

 両親は絵を見ているのだろうと、ときおり絵本を追加で買ってくる。

 そんな彼らに感謝して、脆弱な身体が力を持つまで知識を蓄える。

 

 久しぶりに本に触れる日々。

 そんな中で、一際俺の興味を惹く不思議な本と出会った。

 

 幼い俺が最も惹かれたのは『狼泥棒列伝』という小説。

 狼が人間に進化したという謎の気障な泥棒が理不尽な社会に対して反発し、やがて個性豊かな仲間といろんなお宝を盗むというファンタジーな作品だ。

 結果ではなく、獲物を手に入れる過程が楽しいと主張する主人公はコミカルだ。

 

 昔アニメで見たサル顔の泥棒を思い出すが、あれは義賊ではないらしい。

 更に、この本のおまけに、ストーリー内で義賊が使っていたトリックのタネが載っていた。

 簡単なものから難しい手品。こういうネタ晴らしみたいなものはどうかとは思うが。

 

 なんとなく出来そうだと、そう思って実際にやってみた。

 

 書いてあったのは10円硬貨を隠す。

 相手の注意を逸らし消えたと思い込ませる、簡単なトリック。

 当たり前ではあるのだが、読むのと実際にやるのでは勝手が違った。

 

 俺にとっての幸福はインターネットに触ることが出来なかったこと。

 新鮮な身体、新鮮な気持ちで挑戦しようとする時間があったことだ。

 

 数日かかって、10円玉の偽装トリックが出来るようになった。

 小手先の技術だが、一度できるようになるとペン、輪ゴムを使った応用テクニックが利くようになった。

 

「――、やった!」

 

 子供だましのちょっとした芸だ。

 それでも、その“ちょっとした”達成感に思わず頬が緩む。

 

 この身体は物覚えも良く器用だ。

 ひとまず泥棒列伝に書いている手品をマスターしよう。そんな目標が出来た。

 

 

 

 ---

 

 

 

 他にやる事もなくさらに2週間が経過し、少しずつだが速さと精度に磨きがかかる。

 相手のものを、当人に悟らせずすり替えるというある種の技術だ。

 犯罪じゃないか? と思うが出版はされているのだから、公に認められているのだろう。

 

「……ふふっ」

 

 しかし楽しい。やればやるだけ技量があがるのを感じる。

 この本に載っていた狼泥棒。かっこいい二つ名があるが、ひとつだけ不名誉な二つ名がある。

 コミカルなキャラ付けをしたかったのか『パンツ泥棒』という残念な物だった。

 

 狼泥棒が若い頃、女性から華麗に奪い取り公衆の面前にさらす。

 それに赤面する女性の反応を楽しむという、実に清々しい屑加減に好感を持てる。

 正直何を考えているのか分からないが、堂々としているその様は素晴らしいと感じた。

 

 ひとまず俺の目標はこれだ。

 パンツ泥棒と言うか、それを為せるほどの技量はあって損じゃない。

 ここまでの熟練度に達するのは一体どれだけ時間がかかるのだろう。

 

 だが目指してみたい。このまま技量を上げればきっとできる。

 

 ――今度は何者かにはなれる筈だ。

 

 記憶をもって転生を果たすなんて訳の分からない存在がいる。

 事実は小説より奇なり。こんな言葉がある。ならきっとできるはずだ。

 最初からできないなんて決め付けるべきじゃない。そんな考え方は前世に捨てた。

 

「――――」

 

 どんな世界でもやることは変わらない。

 基本は一緒、努力をすること。なら、やることは一つだ。

 ひたすら反復する。本気で努力するとあの月夜に誓いを立てたのだ。

 それがどんなものでも、成長期が終わるまでは死ぬ気で研鑽していこうと思う。

 

「まぁ……」

 

 いきなり下着は無理だろう。

 小さなことからコツコツと始めようじゃないか。最終目標として是非やりたいが。

 

 何事も小さな努力からだ。

 忘年会だろうが、二次会やパーティーであろうと俺の敵ではなくしてやる。

 見る者全てが俺の手品に惚れ込む姿を想像すると、面白いくらいにやる気が湧いた。

 俺は狼泥棒が決め台詞に言っていた言葉を、なんとなく呟いてみた。

 

「――ショータイムだ」

 

 

 

 ---

 

 

 

 ところで、今の俺はまだ1歳を少し過ぎたくらいで、ゆっくりと歩き回る年頃だ。

 しかし俺は、本を読んで大半を過ごす。

 泣きもせず、黙々と本を読んでいる。傍目から見てちょっと不気味だ。

 

 少しまずいかと思って、一応本は持ち歩くがあまり両親の前では本を読まず、字を理解しているのではなくただ絵を見ているのだと、年相応な普通の子を演じる。

 たまに本の言葉を発すると、もっと覚えさせようと彼らは絵本を更に買ってくるのだ。

 その度にニコニコとしていると、そのうち本が好きなのだと認識された。

 

 脳ある鷹は爪を隠す。

 流石に1歳児が本を読んでも、傍から見れば文ではなく挿絵を見ていると思うだろう。

 しかし現実に他の一歳児を知らず、我が世界は宗一朗と綾香と、愛用本のみ。

 この家と庭が俺の世界なのである。準引きこもりといっても問題はない。

 

 もしものことがあっても、今捨てられる訳にはいかない。

 出来る限り、両親に不気味がられないように従順な子供でいよう。

 

 そんな決意と共に、昼寝、本を読む、または見る。

 それを繰り返す物静かな子として俺は日々を送り始めた。

 

 

 




無⇒手品師(修行中)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第三話 安芸先生」

「それじゃ、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

 とある平日の朝。俺は両親と朝ごはんを食べていた。

 マーガリンを塗った黄金色に溢れているしっかりと焼かれたトースト。

 サラダは瑞々しさのあるトマトとレタスで構成された物をドレッシングは掛けず生で頂く。

 

 俺はサラダにドレッシング等は掛けないという、ちょっとしたこだわりを持つ。

 別に嫌いではないが、かけない。健康の為とかではなく、それこそ『なんとなく』でだ。

 シャクシャクと野菜を噛みながらココアで飲み干すと甘さが喉奥を通り抜けた。

 ぼんやりと両親がイチャつくのを見ながら、俺はこの後の状況に思考とカップを傾けた。

 

「――――」

 

 結論から入ると、今日から俺に家庭教師がつく事になった――らしい。

 なぜそうなったかを後で説明するとしてだ。

 まずは俺の両親を紹介から始めるとしよう。

 男に声をかける。

 

「――いってらっしゃい」

 

「おう!」

 

 そう行って出かけた白髪の男こそ、俺の父親の加賀 宗一朗《そういちろう》である。

 最初は厳つい男だと思ったが、実際に話をするとそんなことは無く穏やかな物腰であった。

 加賀家の大黒柱にして、本人曰く格闘技の使い手だ。

 ふさふさの白髪は地毛らしい。その話を聞いて彼は苦労人なのだと俺は思った。

 

「…………むぐっ」

 

 フォークでプチトマトを刺し口に持っていく。

 ゆっくりと噛みしめると、あのなんとも形容しがたい酸味と食感が口に広がる。

 トマトが苦手という人もいるが、基本俺は好き嫌いはしない……が、強いて言えばとろろが嫌いだ。

 

(ワサビって調味料だし、セーフなのだろうか?)

 

 そんなことを思いながら無言で食べていると、

 

「おいしい? 亮」

 

「――はい、おいしいです」

 

「そう? よかったわ」

 

 こちらのテーブルに戻ってきて頬杖をつき、ニコニコする女。

 先ほどまで熱々なイチャつきを俺に見せつけていたのが、この女である。

 長い濡羽色の黒髪が自慢の美女で己の母親である、加賀 綾香《あやか》だ。

 

 前世では二次元マスターだった俺でもびっくりなほどの美人である。

 まず料理がうまい。家事万能。エロい。最高の嫁だ。大和撫子的な雰囲気を感じる。

 

 優しくおっとりとした顔をしているが、時折宗一朗が家に呼ぶ女を見る目がおっかない。

 絶対に何かがあっただろうが、基本的に俺には優しいので積極的に知ろうとは思わない。

 その瞳に宿りし深淵はうかつに覗くべきではないだろう。触らぬ神樹になんとやらだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それにしても、どうもこの加賀家。

 乃木という家の分家筋である事実が判明した。本家・分家共に勇者を出した名家らしい。

 

 ――勇者って何? そういう職業かな? と思いスルーしていたが大人たちは真面目だ。

 この本家・分家の関係について両親の口から放たれたが、今は特に何か実感はない。

 

 正直、だから何ぞ? とか、

 本家はさぞかしデカイ家なんだろうなぁ~とか、

 可愛い子とかいないかなぁ~とかぐらいにしか思わなかった。

 そして両親から話を聞く限り、今まで家から出たことがないが、近いうち挨拶に本家を訪れるという。

 

「人に会いたくないなぁ……」

 

 人が多いところは正直嫌であり、未だに前世のトラウマを思い出しかねない。

 痴漢の冤罪で捕まったあの日は、まだ夢で見る時がある。

 あれ以来、俺は恐怖で電車に乗れなくなった。今でも5人以上の人がいるところは嫌だ。

 つまり何が言いたいかというと、

 

 ――実は俺は3歳児にしてまだ一度も外に出たことがない箱入り息子である。

 

 両親に外に連れ出される気配がすると、今日も俺はそっと姿をくらます。

 俺はありふれた一つの影の存在と化し、闇の住人の一人として深淵に身を沈める。

 

 時に、カーテンの裏。

 時に、クローゼットの中。

 時に、段ボールの中。

 

 小柄だからか見つかることはない。そっと気配を殺す。

 大抵両親が俺を連れ出すのをあきらめるまで俺はかくれんぼを続ける。

 ちなみに両親がどうしても外せない用事で出かけるときはお手伝いさんがどこからか来る。

 

「――――」

 

 ところで、話は少し変わるが。

 3歳になると、大体日本では幼稚園に通えるようになるらしい。

 しかし、中身大人の俺が今更通うのは流石に精神的に苦痛だろう。

 子供は好きだが、あくまでペット的な感覚だ。

 

 毎日毎日馬鹿な餓鬼どもと一緒にいたくない。

 もっと知識を蓄え、力をつけたい。

 義務教育があるかは分からないが、小学校に通うにせよ今はまだだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 ――という訳で直談判をしようと思っていたのが先日のことだ。

 いつものように宗一朗の読み終えた新聞を読み漁っていると、クロスワードを見つけた。

 その日も何かある訳ではなく、強いて言えば手品の練習と本を読む程度だが、ふと目についたので解いてみるか程度のものだった。

 

(なになに、本州と四国を繋ぐ大きな橋は……オオハシっと)

 

 まず4文字埋める。よし。次はっと。

 ふむ、……結構難しいが解けないわけじゃない。

 

「――?」

 

 こんな感じでうんうん言いながら解いていると、ふと視線を感じた。

 目を上げる。誰もいない。

 無言で後ろを振り向くと、黒い瞳と目が合った。

 

「―――」

 

 母さん――綾香がガン見しており、屈み揺れる豊満な胸に俺は絶句した。

 明らかに綾香は俺を、クロスワードを、否、正確には俺が書いた文字を見ていた。

 その時、瞬時にやらかしたことを俺は悟った。

 

「―――」

 

「―――」

 

 既に撤退の時間は過ぎていた。

 奴は気配を消し、俺の後ろに近づいていたのだ。

 これは機関の巧妙な罠に違いない。

 

「あ、あのぉ、お母……様?」

 

「――。ねぇ、亮?」

 

「ヒェッ」

 

 にっこりと綾香は笑いかけてくる。

 人の笑顔は素晴らしいものだ。人は微笑まれると思わず此方も微笑んでしまうものだ。

 だが、このときの俺は全く笑えなかった。

 綾香の目の奥が笑っていない。黒い瞳が深淵を覗かせる様は本能が恐怖を感じた。

 

「ん? どうした?」

 

 と、ここで宗一朗も来た。

 

 亮之佑は逃げ出した。だが、囲まれた。いや落ち着け。

 こんな状況だが、決して目は逸らさない。前世で学んだのだ。目を逸らしたら負ける。

 押し切られて責任と書類を押し付けられたことがあった。あの糞上司絶対許さん。

 

 いや、今はそんなことを思い出している場合ではない。

 大丈夫、悪いことはしていない、はずなので目を背けず、真摯に母さんの目を見る。

 両肩を押さえられながらも、綾香の桜色の唇が僅かに震えるのを視界が捉えた。

 

「このクロスワード、自分で解いたの?」

 

「そう、です」

 

 下手な嘘はバレる。中途半端な嘘はいとも容易くバレる。

 嘘を吐くときはある程度準備をしておかなければならないのが最低条件だ。

 俺の面接力が試されるが、今はそんな時ではない。

 

「…………」

 

「…………」

 

「――ご」

 

「ねぇ、あなた……やっぱりアレをつけるべきだったのよ!」

 

「うぅむ」

 

 前世の情けない記憶の所為か、最終的に繰り出そうとする俺の謝罪を綾香の悲鳴が遮った。

 やけにテンションが高い綾香と微妙にテンションの変動が判り難い宗一朗という対照的な顔の二人を俺は唖然と見た。

 

 ――というか、アレってなんだ? そう思ったが今は保留とし頭を回す。

 どうやら俺が文字を書いていたことはあまり気にしてはいないのか。

 変な人間として不気味がられるかもしれないという俺の心配は杞憂だったらしい。

 さすがは私の息子的な感じなのだろうか。

 

(しかし、油断したな……)

 

 目の前の両親は程度の差はあれど興奮している。

 たかがクロスワードごときで……たかが? 

 

「…………」

 

 たかが、な訳がないかもしれない。

 両親目線で客観的に俺という存在を見てみよう。

 文字を教えた覚えがないのにクロスワードの問題を解いている3歳児。天才か。

 

(俺としたことが何たるミスを……)

 

 以前の日本でも似たようなことはあった。

 近所の家の大人がやれ自分の子供の成長速度が速いだの、勉強ができるだの。

 そんな彼らをマスコミは面白がって取り上げた。俺がその一人だった。

 テレビに出演したことが原因で調子に乗っていたことも覚えている。

 

 夫婦特有の主語を抜かした会話をBGMに、俺は何をしているんだと己の油断に打ちひしがれた。

 だから気がつかなかったのだろう。ふと気がつくと綾香がどこかへ連絡を取っていた。

 

「ねぇ、亮」

 

「―――? はい」

 

「来週から、家庭教師をつけるから」

 

「ふぁ!?」

 

 物思いに耽る間、気が付くと今後の俺の教育方針について両親間で話し合いがなされていた。

 しかも決定済みという事後承諾に流石に絶句した。

 

「…………」

 

 子供の気持ちとか考えないで親の理想を押し付ける奴は本当にいるらしい。

 こういう親の決めたレールってやつを嫌う子供もいるようだが。

 しかし、英才教育を自らに施してくれるのならば、成長を望む己としては歓迎である。

 

「じゃあ、両方やるってことでいいな」

 

「そうね、そうしましょう!」

 

 その後、家庭教師をつける事と共に、武術を学ぶことが決定した。

 まあ代わりに幼稚園行きのチケットは白紙となったから個人的にはいいのだが。

 アデュー幼稚園と、俺は見ることのない幼稚園に心の中で手を振った。

 

 

 

 ---

 

 

 こうして、

 日中は勉学と武術稽古、夜は読書か手品の練習になった。徹底的に俺を磨くつもりらしい。

 宗一朗は大赦という職場で働いており、そこのコネを使っていい家庭教師を呼ぶらしい。

 家ってけっこうお金持ちのようだ。

 

(あとは先生なんだろうけど……)

 

 ちょっと話が変わるが、俺は運は良い方だ。

 生前はガチャ王(自称)と呼ばれていた。狙った獲物(SSR)は逃さない。

 それがどんな確率であろうとも。低課金(生活に支障が出ない範囲)で手に入れてきた。

 

「おお、神よ……」

 

 だからお願いします、神様。シンジュサマ。

 優しくて美人な先生をお願いしますと、寝る前に夜空の月に祈りを捧げた。

 

 

 

 ---

 

 

 金曜日。その人が来た。

 

「安芸と申します。よろしくお願いします。加賀さん」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 安芸先生。下の名前を聞き出せなかった。

 クールビューティー眼鏡先生を一言で表すとこういう言葉になる。

 

 ビリビリしそうな声だが高校生、もしくは大学生くらいだろうか。

 年は案外若い。だがかわいいと言うよりは綺麗系だ。

 髪を三つ編みに束ね肩から垂らし、眼鏡を掛け、その瞳の奥には深い知性を窺わせる。

 

「――では、早速なんですが」

 

「あ、はい」

 

 だが隙がない。仕事だからか、まるで壁を相手にしている気分だ。

 世間話もできやしない。

 そっと視線を下にする。でかい。こっちは壁じゃないのに。硬いぜ。

 

 大赦の方でどうなったかは分からないが、

 ひとまず俺と安芸先生との面談により今後の方針を決めることから始まった。

 結果、週1回。平日の金曜に家に来てくれることになった。

 小学校に入学するまでの間、マンツーマンでやってくれるらしい。

 

 それ以外の日は宿題を課すらしい。

 取り組む教科はオーソドックスに国語、算数、歴史の3教科だそうだ。歴史が非常に楽しみだ。

 

「先生。よろしくお願いしますね!」

 

「――ええ、こちらこそよろしくお願いします、加賀さん」

 

 先生は結構無駄な話をしない寡黙な女性だったけども、

 それでも最後の挨拶は柔和な笑顔を見せてくれる。

 直感でスパルティであると予感したが、根はいい先生らしいのは間違いないだろう。

 

 

 

 ---

 

 

 

 ちなみに夕食は安芸先生も一緒に食べた。

 今日の献立は家庭的な味がする肉野菜炒めだ。

 ニンジン、ピーマン、玉ねぎと、実に野菜たっぷりだ。健康的で実にいい。

 

 ふと隣を見ると、安芸先生は皿の端にピーマンを寄せていた。

 凄い渋い顔をしていた。

 

「先生」

 

「なっ、なんですか?」

 

「ピーマンは嫌いなんですか?」

 

「……ええ。これだけはどうしても食べられないんです……」

 

 先生は悔しそうにそう言ってピーマンを遠ざけた。

 “くっ、殺せ!” 彼女を見ていると唐突にそんな言葉が脳裏を横切った。

 

 同時にちょっと安心した。こんな冷徹に見える人でも、きちんと血の通う人間なのだと。

 親近感が湧いたからではないが、彼女のピーマンを箸でこちらの皿に移した。

 

「加賀さん?」

 

「先生、実は僕、ピーマン好きなんですよ。だから貰っちゃいますね」

 

「―――――」

 

「本で読んだんです。完璧な人間なんていない、だから人と人は助け合うんだって」

 

 ピーマンを食べる。苦い。味覚の変化か、おいしくはない。だが食べられる。

 それで十分だ。バクバクムシャムシャとピーマンを食べきった。

 そして、俺はキメ顔で安芸先生を見てみる。

 

「だから先生、勉強はお願いしますね」

 

「……えぇ、勿論です。ありがとうね、加賀君」

 

 呆然と此方を見ていた彼女だが、僅かに笑みを浮かべた。

 初日から、俺と先生は僅かにだが仲良くなれたと思った。

 一歩前進。壁は少し柔らかくなった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 先生が来た数日後に、父・宗一朗との武術の稽古も始まった。

 彼曰く、自分が教えるのは近接格闘術という戦闘に特化した技だという。

 なんでそんなものを覚えているのか、謎である。

 

 とはいえ俺の身体もまだ出来上がってないので、まずは格闘術を教わる下準備として基礎的な体づくりに取り組むことからスタートした。

 体操とランニングから始まり、懸垂や縄跳びといったメニューを最初に組まれた。

 

 体を動かすことの習慣化を図り、体力と運動能力を向上させ次のステップでの動きを格段に上げることが目的だと宗一朗は言う。

 毎朝一緒に体操をした後近所の公園を走り、彼の出勤後にその他のメニューをこなす。折を見て新たに筋力、体幹トレーニングを追加していく。その繰り返しの日々。

 要は反復であり、そこは前世から変わらない道理であることを俺はこの身をもって痛感させられたのだった。

 

 

 

 

 ――そんな日々を過ごしながら2年が経過し、あっという間に俺は5歳を迎えた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第四話 人生初の友達」

「はぴーばーすでーとぅーゆー!!」

 

「ありがとうございます!」

 

 やることをやって1日を過ごす。そんな日々は繰り返しだったが、俺は満たされていた。

 そして5歳になった……からといって、別に何かがある訳ではない。

 しいて言うなら、変わらぬ愛を俺は宗一朗と綾香から受けていただけだ。

 

 誕生日にケーキを食べ、普通に誕生日プレゼントを両親から貰った。

 これを当たり前だと思えることが、嬉しかった。

 

 宗一朗からは剣が二振り。木の模擬剣と、本物の無骨な剣だった。

 これからは稽古において重要だからという。

 

 綾香からは本を買ってもらった。

 あの狼泥棒列伝の番外編。

『狼泥棒は、偽りの思いを本物にする』全5巻だ。

 

 完全なる最新作らしいが、絶版になったらしい。理由は教育によくないとか。

 ……いや、買うなよとは思ったが、俺がずっとソレを読んでいたことを知っていたらしい。

 流石は母親。素晴らしいセンスがある。

 

「――――」

 

「どうしたの?」

 

 無言で抱き着いた。

 こうして贈り物を貰えるのは、随分と心に来るものがあった。

 俺は宗一朗を、綾香を、無言で感謝の念を持って抱きしめると、

 彼らは何も言わずに、俺の背中を撫でてくれた。

 

 ありがとう、宗一朗。綾香。

 初めて『親』という存在から、何かを大切だと思えるものを貰ったような気がした。

 

 

 

 ---

 

 

 

 5歳になると、宗一朗との武術稽古は次のステップへと移っていた。

 基本的には型を、父親の動きを真似し、実際に相手をしてもらう。

 見よう見まねで貰った短剣タイプの木剣を使い、父親の型を繰り返す。

 

 この近接格闘術は、刃物など相手が武器を持っていた際、速やかに相手の無力化を図るために加賀家が独自に編み出した技術らしい。

 体格差、身長が自身よりもはるかに強大であっても対処・撃退を可能とする技術。

 柔道に形が似ているが微妙に違い、突き、投げ、蹴り、時に相手の武器すら奪い使う。

 

 あらゆる状況に対処を可能とする。

 非常に臨機応変。

 それが、加賀家の近接格闘術。

 

 こんな技術、一体誰に使うのだろうか。強盗にか? 殺人鬼にか? 

 加賀家はどうしてこんな技術を継承してきたのだろうか。

 必要性があったのか? 『何』に対してだ? 

 

 そっちに思考を割いたせいで、気が削がれた。

 足を蹴られ俺は転ばされる。

 

「亮! 集中しろ!」

 

「――っ……せやっ!」

 

 集中し直し、即座に立ち上がり、木剣を逆手に持ち再度斬りかかる。

 俺の剣はいともたやすく受け流され父親に避けられる。

 そのまま大振りによって動きの止まった腕を掴まれ、投げ飛ばされる。

 

「――――ぐっ――――が」

 

「この技術には力のみのごり押しはいらない! 無駄に力むな!」

 

「――っ!!」

 

 わりと宗一朗は感覚派だ。具体的な理論でどうこう教えてはこない。

 だが一戦一戦ごとに何が悪いか、どうすればいいか指摘してくれる。今はまだそれで十分だ。

 

 宗一朗の動きを目に焼き付ける。

 考えろ。感じろ。父親の動きを真似し、少しずつ学びとれ。

 子供じゃないんだから、どうすればいいかなんて自分で考えればいい。

 強くなろう。時代は違えど、きっと――否、間違いなく前世にいたような糞野郎はいるだろう。

 どんな教育を受けようと、それに反発する人間は絶対にいる。

 

 前世を思い出す。

 あの日の屈辱。恥ずかしさ。痛み。恐怖。

 俺には力が無かった。だから負けた。だから蹂躙されてしまったのだ。

 

 あんな目には二度と遭いたくはない。

 そういった奴に対して戦い、倒す技術を身に着けよう。

 だって結局は、

 

 ――誰も俺を助けてはくれないのだから。

 

 

 

 ---

 

 

 

 以前、いつもの個人授業で安芸先生が言っていたが、

 神世紀になってからは急激に犯罪率は激減したらしい。

 たまに犯罪や事件が起こる程度になったという。

 

 理由は神樹様を敬うという道徳感によるものだという。

 学生時代に組み込まれた宗教道徳。

 神樹様を敬うという300年の教育が今の人間たちを形作り、それを疑うものなどいない。

 

「300年か……」

 

 そう言われても実感が湧かない。前世での300年前と言うと、江戸時代。

 徳川幕府第9代将軍、徳川家重の頃か。

 300年あれば、侍も銃を持ち、日本は艦隊を持ち、そして敗北者になった。

 

「時の流れって恐ろしい……」

 

 その際に確認をしたが、平成という年号はあった。

 それは2019年までで、それ以降『神世紀』と改元されたらしい。

 なんでも2015年に未知のウイルスが世界中に発生したのだという。

 

 それによって沢山の人が死んだ。

 かつてアメリカや中国も確かに存在していたが、強力なウイルスによって滅ぼされたらしい。

 そのため、日本の神々が一つに集結し、一つの巨大な木となった。

 

 その名を、神樹。

 神樹様は四国周辺に強力な結界を作り、死に至るウイルスが侵入しないようにした。

 大赦は、そんな神樹を含めた神事を管理する機関のような存在なのだという。

 

「…………」

 

 正直、意味が分からなかった。

 バイオハザードでも発生したのかよ。ゾンビでも大量に発生したのだろうか。

 アニメで見る主人公は高校生程度。無能な警察、自衛隊は壊滅し、日本、世界の文明は終わる。

 その世界を主人公たちが生き抜くハッピーエンドに見せかけたバッドエンドだ。

 

(ああいう退廃的な世界も嫌いじゃないけどな……)

 

 しかし、それはあくまで二次元の話だ。

 警察だって無能じゃない。日本の自衛隊だって優秀だ。

 ましてやアメリカの軍隊が負けるなんてありえない。

 

 ミサイルや武器の数はこちらとは比べ物にならないはずだ。

 それを使う暇すらなかったのか? いや最悪核を投下した可能性もある。

 それでも止まらなかった? いったい、どんな危険なウイルスだったのだろうか。

 どんなウイルスかを聞いてみたが、詳細は分からないのだという。

 

 だが、そんな人類をウイルスから守った神樹という神様。

 神様というか宗教というのは人類の発明に過ぎず、存在しないと思ったのに。

 よくよく考えると、四国だけでインフラとかその他が機能するわけがないのだ。

 

 そこら辺をすべて神樹様がなんとかしていると聞くと、神樹様スゲーってなるか。

 大樹という明らかに目で見える形で顕現した神様。

 そりゃあ信仰が広がるわけだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 夏。親戚・分家たちが本家である乃木家に集まる日がついに来た。

 今回から俺も出かけることになった。こればかりは顔を出さねばならない。

 乃木家は大赦という機関でもツートップの片翼的存在で、非常に格式の高い家なのだという。

 今までは出なかったが、これからは顔を出さなければならない。

 

「――――」

 

 乃木家。両親の口からは以前から聞いていたが、実際に訪れるのは初めてだ。

 加賀家の本家に値するらしいが、正直よくわからない。

 本家とか分家とか、その手の文化は前世では経験しなかった。

 

 車で乃木家・本家に向かう。

 途中、ちらっと大橋が見えた。すごく――大きいです。

 しばらくすると、大きな屋敷についた。

 

(……皇居かな?)

 

 最初の感想がそれだった。それぐらい日本の和をこれでもかと、装飾から草木に渡るまであらゆる贅沢が施されたような、大きな屋敷であったのだ。

 

 俺たちは時代劇で見たようなすごく立派な門を潜り抜け本館に向かう。

 使用人らしき人たちが通り過ぎる度にこちらに挨拶してくる。

 そっと会釈をして、彼らの横を通り過ぎた。

 

「――――」

 

 部屋の内装はフローリング、壁など洋風だったが、ところどころに襖があった。

 廊下は異様に長く、窓の景色から大きな池が見えた。

 池には赤や金の錦鯉が口をパクつかせながら悠々と水中を泳いでいた。

 

 館に入ると執事っぽい人に案内された。

 執務室らしき部屋に着くと、着席を促された。

 その後両親と共に出されたお茶を飲み、乃木家当主と、その奥さんに挨拶をした。

 奥さん、美人だな。どちらも真面目そうでしっかりしてそうだ。

 きっとこの人たちの子供なら、さぞかししっかりした子に違いないだろう。

 

 

 

 ---

 

 

 

 案外大したことはなかった。

 本当に顔合わせをしただけだった。世間話をして、お菓子を食べた。

 第一印象ほど厳しいとは感じなかった。むしろ優しい面もある感じだ。

 ニコニコして元気に挨拶はした。

 

 その後、やんわりと俺だけ別の部屋に移動させられた。

 なんでも、大人同士で何か話し合いをするのだという。

 子供は子供同士で遊んでなさいと。

 

 そして俺は執事さんらしき人に連れられて、乃木夫妻のお子様がいるという部屋に向かった。

 どれ、いっちょお兄さんが遊んでやるかね。ヘッヘッヘ。

 さて、本家の子はいったいどんな子かな。

 

 思えば両親と安芸先生以外まったく人に会わなかったからな。

 そもそも男か女かすら聞いていなかったから楽しみだ。

 神樹様、どうか可愛い子でありますように。信仰しますから。

 

「神よ……」

 

「こちらでございます」

 

「――あ、はい、どうも」

 

「……では」

 

 そして俺は部屋の前まで案内された。

 執事はどうやらそこまでらしく、礼をして去って行った。

 俺はドアにノックをして、ノブを回した。

 

 

 

 ---

 

 

 

「――――ぉ」

 

 初めて見た時、俺は呼吸が止まったことに気が付かなかった。

 人形のようだと思った。それほどまでに精巧な顔をしており、

 思わず一瞬だけ、俺は見惚れてしまった。

 

 一目見た瞬間、俺は彼女にそんな思いを抱いた。

 ちなみに他に子供はいなかった。

 

 歳は俺と同じくらいだろうか。

 柔らかく下がった眦。

 真っ直ぐに伸びた艶のある、純金を溶かしたと感じさせる黄金の美しく長い髪。

 白く純白を思わせる肌。後髪をまとめる青いリボン。

 

 一目見ただけで、その少女はご両親の愛を受け、大切に育てられているのだと感じた。

 同時に箱入り娘というのは、この娘のような人を指すのだろうなと思った。

 

 第一印象は、お嬢様。

 将来美人になったら10人中10人が振り向くような美女に成長するだろう。

 その片鱗がすでに窺えた。

 

「誰~?」

 

「――。初めまして。加賀亮之佑です」

 

 早速、本家のお嬢さまに挨拶と礼をしてみるが、

 

「…………」

 

 彼女は目を閉じる。その眦がやや震える。

 しかしそれ以降反応がない。

 

「あ、あのぉ……」

 

「……んん……ん……? あ、寝ちゃってた~! ごめんね〜。――それでは、こんにちは~。私は、乃木園子って言います~」

 

「そ、そうですか」

 

「あなたが加賀さんちの亮之佑君だね~。よろしく~」

 

「あ、はい」

 

 どうしよう。人生二度目だが初めて接するタイプだ。

 同時に自分の人生の薄っぺらさに笑うが、思考を振り切る。

 もしも彼女をゲーム風に言うと、タイプ:マイペース・おっとりか。

 参ったな、対処の方法が分からん。でもちゃんと俺の話は聞いていたぞ。

 

「――えっと」

 

 でも分かるぞ。この感じ。

 ピキーン! という効果音と共に俺の脳裏をスキルが過った。

 俺のハイパースキル:前世の直感が告げている。

 

 ――こいつO型だな? と。

 

 落ち着け、俺は大丈夫だ。クールだ、クールになれ、加賀亮之佑。

 我は前世を足し合わせれば30歳になる男。

 たとえこのボディが5歳児であっても、精神年齢において負ける訳にはいかんのだ。

 

 前世とは違うのだよ、前世とは。

 見せてやろう、5年で培った私の小粋なトークの力を。

 

「乃木さん」

 

「ん~? 何かな」

 

 彼女は目をしょぼつかせ、手で目を擦る。

 お昼寝中だったのだろうか。申し訳ないことをした。

 

「俺と、友達から始めませんか?」

 

「ん~?」

 

 落ち着け、平常心だ。会話のチョイスとしては微妙だが、口に出したものはしょうがない。

 文脈をうまく修正する。

 

「いや、これまで僕はずっと一人で過ごしていまして、乃木さんとお友達になれたら嬉しいなぁと思いまして……」

 

「私とお友達になりたいの……?」

 

 彼女、乃木園子は小首を傾げて聞いてくる。

 小動物的な動きをする彼女は、純粋にかわいいなと感じた。

 

(このくらいの無知で穢れを知らない感じがたまらんのだろうなぁ)

 

 な、そうだろ? 紳士諸君(ロリコンたち)

 イエスロリータ。ノータッチ。俺はちがうが。

 

「――――」

 

 月下の誓いを思い出す。あれから4年が経過したが、あの闇夜を切り裂いた月の輝きを忘れたことなど一度もない。そうさ、忘れてない。

 俺は後悔だけは絶対にしないって誓ったんだ。

 目の前の穢れの無い美しい存在に、俺は微笑んだ。

 

「そうです」

 

 そっと彼女の前に跪く。

 

「どうか俺と――――」

 

 右手を園子の目の前に近づける。

 左手を右手に重ね、フンッ……フヌヌヌ……と力を入れる。

 案の定、何をするのだろうかと俺の手に注目をする園子。

 

「――お友達になっては、くれませんか?」

 

 左手をそっと右手から離すと、ポンッ! という音と共に、

 小さな青バラがいつの間にか右手に収められていた。

 

「わぁ~!」

 

 園子は目を煌めかせる。

 キラキラとするその眼差しは、なぜか椎茸を連想させた。

 

 そのまま、バラを園子に手渡す。

 受け取った園子はじっとバラを見つめる。

 

 俺はその茎の部分を引っ張る。

 今は無きあらゆる国旗たちが紐にぶら下がって顔を出す。

 アメリカ、ロシア、ドイツ、イギリス、フランスなどなど嘗ての国の旗である。

 器用さを上げた俺には、既にこの程度の自作は不可能ではなくなった。

 

 ちょっとクサイが、周りには俺たちしかいなかった。

 大丈夫だろう。ここで恥ずかしがる素振りを見せたら負けだ。

 

 手品が役立った瞬間である。練習してよかった、器用度を上げて良かった。

 なにより人生でやってみたいことベスト20に位置した行動をやれてよかった。

 後悔はない。清々しい気分だ。決まると楽しいね。

 

 彼女の笑い声はとても澄み切っていて、笑顔に満ち溢れていた。

 彼女の笑顔は、バラのように艶やかで綺麗だった……なんて。

 いつまでもこの笑い声を聞いていたいと、俺はそう思った。

 

「初めての友達だぁ!! よろしくね~、かっきー!」

 

「――よろしく……」

 

 テンションの上がったらしい彼女は、俺に無邪気に抱き着いてきた。

 少し驚いたが、俺も園子の体をそっと抱きしめ返す。

 園子の体は柔らかく、温かく、僅かにミルクのような甘く蕩けるような香りがした。

 

 セミが珍しく鳴かない夏の日。

 俺たちは出会った。

 この縁は、きっと長く続くことを俺はなんとなく予感した。

 

 

 

 ---

 

 

 

 こうして俺は、この人生で初めての友達を作ることができた。

 彼女も俺が初めての友達のようだ。やったぜ。

 ……しかし、ちょっと待ってほしい。

 

 『かっきー』って何の事だと、俺は頭を悩ませることになった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第五話 初めてのお泊り IN乃木家」

「かっ……きー…………だと」

 

 柿

 

 かきのき科の落葉高木。高さは一〇メートル近くに達する。

 果実はいわゆる柿色で、代表的な秋のくだものだ。

 甘がきと渋がきがありそれぞれ種類が多い。

 

 生前の日本では、子供の頃俺の婆さんが干し柿を作ってくれた。

 見た目と裏腹においしかったのを今でも覚えている。

 

「うん。加賀だから、かっきー。いやなら、りょうきちとか、かがすけとかもあるよ?」

 

「ぜひ、かっきーでお願いします」

 

「うん。あとそれとね~、敬語もいらないよ~。同い年だしね」

 

 この年で既に敬語について知っている。

 流石にお嬢さま。礼儀作法はもう一通り習っているのだろう。

 それにしても、

 

「どうして急にかっきーって?」

 

「……ああ、それはねぇ…………」

 

「うん」

 

「…………」

 

「…………」

 

 急に園子は目を閉じる。

 少しだけ時を共にする中で、ちょっとだが彼女のことが分かってきた。

 のび太君なんだ。思考の途中でボーっとするか、寝てしまうのだろう。

 それこそ電池がいきなり切れたように。

 

 そうかと思ったらいきなりテンションが高くなる。不思議な子だ。

 不思議ちゃんであり、マイペース系女子。落差が激しいお嬢様。

 ここまでが俺の園子への第二印象だ。

 

「起きてる?」

 

「……ん、起きてるよ~。それで実は私ね、一度でいいから友達同士であだ名で呼び合ってみたかったんよ~」

 

「…………そっか。じゃあ俺も、君にあだ名をつけようかな」

 

「うん! お願いね~」

 

 あだ名か。正直俺はあまり良いあだ名を付けられたことはない。

 せいぜいよくてゴリラだ。悪意に満ち溢れた物しか付けられなかった。

 かっきー。シンプルだが分かりやすい。いいあだ名だな。

 

 さて、なんてあだ名にするか。

 例えば、のぎっちとか? そのっち? そのその? 

 いくつか考えた末に、俺は園子に告げる。

 

「園ちゃんとか……どう?」

 

「いいね~。それじゃあ改めて、よろしくなんだぜ。かっきー!」

 

「よろしくだぜ、園ちゃん!」

 

 のほほんとした笑顔をこちらに向けてくる園子。

 俺もそれに、小さな微笑みを浮かべた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 昼ごはんを御馳走になった。

 豪華だった。蟹様がいた。こんにちは蟹様、でも俺あまり好きじゃないの。

 それにしてもどこの旅館なのかこの豪邸は。礼節作法をある程度習って良かった。

 

 昼ごはんを食べた後、俺は園子と遊ぶことにした。

 適当に絵を描いたり、他愛無い話をしたり、手品で驚かせたりした。

 

「今どこからハト出したの? もう一回見せて~」

 

「ダメ。芸とは、魂が命じたときにしか見せてはいけないんだよ」

 

「そうなんだ~、残念」

 

「ところで、それは何の絵?」

 

「これ? これはね~、フッフッフ……なんでしょうか?」

 

 知らんがなと思いながら、園子が書いていた絵をよく見てみる。

 まず、それには耳があった。体色はピンクで、尻尾がある。

 枕みたいな寸動体型だ。ぱっと見ネコのように見える。

 

「う~ん、猫ですか?」

 

「ぶっぶ~。正解は〜……サンチョで〜す」

 

 誰だよと心の中で園子にツッコむ。

 

「そ、そうなんだ……、抱き心地よさそうですね。サンチョ」

 

「そうなんよ~…………抱いてみる?」

 

「いいの?」

 

「かっきーならいいよ~」

 

 そう言って、園子はサンチョを俺に渡してきた。

 ふむ。受け取ったサンチョを見てみる。完全に平たい猫だった。

 そういうアニメのキャラクターか何かで商品化されたぬいぐるみなのだろう。

 

 ぎゅっと抱きしめてみると、サンチョは形を変え、唐突に不細工な奇形になる。

 それがなんとなく面白くて、俺は無心で抱きしめたり形を変えたりする。

 …………いいな、この抱き枕。欲しいな。

 

 前世では抱き枕というと、昔買った枕達を思い出す。

 あいつら元気だろうか…………売っぱらったっけ……。

 

「ふふっ」

 

「…………」

 

 正直この感触は堪らなかった。

 手のひらに感じる感触を無心で触り続ける。

 このまま行けば、俺は無我の境地に達しそうだ。

 

 そんなことを考えてモフモフしていると、右肩に重さが増した。

 何奴!? と見ると、さっきまでお絵かきをして疲れたのだろう。

 園子は目を閉じぐっすりと眠っており、それを見ながら子供らしくて可愛いなと俺は思った。

 ケタケタと騒がしくする子供よりも不思議な子だが、何十倍も好感が持てた。

 

「――――」

 

 体勢が少しきついのでゆっくりと己の身体を動かす。

 身体の位置を変え膝枕を作り、そっと園子の頭を膝枕に乗せた。

 

「……すぅ……すぅ……う~ん」

 

「――園ちゃん?」

 

「……すぅ……すゃ……」

 

 しかし軽いな。貧乏ゆすりをして悪戯したくなるが、ぐっとこらえる。

 手持ち無沙汰になったので、なんとなく園子の長い髪の毛を指で弄る。

 

 前髪がさやさやと風に揺れた。

 金色の髪は絹のようにとてもサラサラで、いつまでも触っていたいと思わせる手触りだ。

 金の糸は俺の指をすり抜ける。園子の髪が純粋な金色なのも素晴らしい。

 

「―――――」

 

 生前、バカな女達はよく金髪とかに染めていた。

 正直俺はあの染色する女だけは絶対に嫌だった。

 具体的な理由はない。ただ、明らかに似合わない癖に髪を染める奴は嫌いだった。

 せめて眉毛も染めろっての。日本人なら黒か茶色が一番似合うと俺は思う。偏見だが。

 

「―――――」

 

 だけど園子は違う。

 そういえば、純性の金髪を見るのも触るのも初めてだったな。

 これはもっと弄っておかねば。寝ているのが悪いので、俺は悪くない。

 

 頬を指で突いてみる。

 フニフニ、モチモチした触感と滑らかさは、赤ちゃんのようなすべすべの頬を想像させた。

 

「ぅ……うにゅぅぅ」

 

「…………園ちゃん」

 

 小さなうなり声と共に園子の瞼が震える。

 まずい、起きそうだなと直感的に俺は悟りながら、同時に残念に思った。

 だから、この時間をまだ終わらせたくはなく、そっと寝かしにかかる。

 

 俺は園子のお腹をポンポンと優しくたたき始める。

 ゆったりとしたタイミングでのお腹ポンポン。さらに頭を優しく撫でる。

 愛をこめて。子供をあやすように。割れ物を扱うように。

 人形でも扱うかのように、俺は優しく彼女の髪を梳いた。

 

 ――優しく。

 

 ――丁寧に。

 

 

 

 ---

 

 

 

 ――気が付いたら夕方だった。

 

 どうも俺も気づかない間に少しだけ寝てしまったらしい。

 他の使用人は全くと言って良いくらい、ここには来なかった。

 ふと園子のお母さんが廊下を通った時に目が合った。優しく微笑んで会釈してきた。

 

 そっと会釈を返した。

 なんだか少し気恥ずかしくてそっと目を伏せ視線を下ろすと、園子と目が合った。

 

「…………あ」

 

「えへへ~」

 

 ほんのりと頬を赤くして、園子は俺を見ていた。

 いつから起きていたのだろうか。

 夕暮れの風に髪がそよいだ。

 

「ついさっきだよ~。かっきーの寝顔可愛かったな~」

 

「……参ったね」

 

「起こしてもよかったんだよ~」

 

「いや、せっかく寝てたのに起こすのは悪いよ。それに園ちゃんの寝顔もしっかり見れたしね。可愛かったよ、園ちゃんの寝顔」

 

 負けじと言い返すと園子は肉付きの良い頬を膨らませて、上目遣いで俺を見てきた。

 俺はそっと、そんな園子の頬を指で突くと、柔らかな頬はゆっくりと萎んだ。

 同時に再び髪を手櫛で梳くと園子は気持ち良さそうに目を細めた。

 

「かっきーは、私の髪が好きなの?」

 

「……どうして?」

 

「ずぅ~っと、そうやっているから」

 

 まさかの起きていた疑惑が発生した。

 

「まぁ、園ちゃんの髪って触り心地良くて俺は好きだよ」

 

「……そっか~、ならもっと触ってくれてよいのだぜ」

 

「ははぁ……」

 

 許可を頂いたので遠慮なくだが優しく少女の髪の毛に触る。

 いつの間にか、俺は彼女に対しての警戒心は無くなってしまっていた。

 このふんわり天然気質少女には、これからも優しく接していこうと裏表なく思った。

 

 

 

 ---

 

 

 

 夕飯を御馳走になった。

 ここで俺はようやく、己を生んだ両親の存在を思い出した。

 

「あの、うちの両親はどうされましたか? 姿が見えないのですが……」

 

「ああ、随分前に帰ったよ」

 

「――――」

 

 あまりの驚愕に、開いた口が塞がらなかった。

 流石にそれは人としてどうなんだ薄情父親(母親は別)と思ったが伝言があるという。

 驚愕する内心を隠す俺に対して、園子のお父さんが言うには、

 

『そろそろ外に出て引き篭もりを改善するために、乃木さんの家に泊まってこい。

 ついでに何日かそっちに居させてもらえ』と。

 

「――――」

 

 宗一朗と園子のお父さんは古くからの付き合いで、二つ返事で承諾したのだという。

 まあ明らかに部屋も余っているしこちらは子供。邪険にはされないだろう。

 

「……お世話になります!」

 

 ご両親に深々とお辞儀をした。挨拶は大事なのだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 園子が住まう屋敷の風呂は、やはりというべきか温泉のように大きかった。

 一人で入るつもりだったが流石に5歳児をほっぽり出すわけにはいかないと思ったのか、

 監視として使用人が風呂場に来るかと思ったが、園子のお父さんが入ってきた。

 

 それから少し一緒に湯舟に浸かった。

 いくつか世間話をした。他愛無いことだ。

 その中で園子の話が出た。

 

 両親曰く、天然気質のお嬢様は普段からぼーっとしていることが多く心配だそうだ。

 あのマイペースにはさぞかし苦労したのだろう。

 うんうんと相槌を打ちながら和やかに風呂を共にすると、少し仲良くなれた気がした。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そして風呂から上がり、使用人が用意した寝巻きを着るとサイズはピッタリだった。

 さて、俺の寝床はどこかなーと使用人の人に導かれて俺はその部屋に向かう。

 

 その部屋には園子がいた。

 鶏を思わせるようなパジャマを着ているお嬢様。

 なんて独特なパジャマなんだろうと思い、正直反応に困る。

 

「えへへ~、似合う~?」

 

「ん? ああ、似合うよ」

 

「ありがと~。これね、お気に入りのパジャマなんだ〜」

 

「へぇー」

 

 独特! とは言えなかった。

 そのまま寝ようと思ったが、園子がトランプしようと誘ってくる。

 最近の若いものは遅くまで起きとるのかね。

 

 しょうがなく彼女の誘いに乗って、布団の上でトランプをする。

 これで寝落ち準備はオーケーである。

 

「で、何する~?」

 

「うんとね~、ババ抜きはどう?」

 

「いいよ」

 

 俺がカードの山札を切っていると、園子が俺に話しかけてきた。

 

「私ね、こうやって友達と夜に遊んだりしたかったんよ~」

 

「できなかったのか?」

 

「うん。皆、乃木家だからか距離感があって近寄らないし。それにね、私ってほら、こういう性格でしょ? だからなかなか友達が出来なかったんだ~」

 

「……そっか」

 

 園子になんて声を掛けるべきか分からなかった。

 ちょっとだけ寂しそうな園子の横顔を俺は無言で数秒だけ見つめた。

 大丈夫だとか、学校に行けばできるよとか、根拠の無い事だけは言いたくは無かった。

 

「……周りは見る目のない奴ばかりだったんだな」

 

「え?」

 

「俺は今日、園ちゃんと友達になれて嬉しいよ。園ちゃんと過ごして凄く楽しかったし、これからもまた一緒に遊びたいと思うよ」

 

 そう。死んで生まれ変わって初めて得た、俺の大切な友人。

 初めて家族以外に安らぎの場所を得たのだと思う。

 

 なし崩し的に友人関係になったけども、自分でもうまく言えた気がしなかったけれど、乃木家だの家柄だの関係ない。知ったことではない。

 彼女にとってそうであるように、俺にとっても初めての友達だ。いつまでも仲良くしたい。

 

「だから、その…………俺でいいなら、君の遊び相手にくらい、いつでもなるから」

 

 しどろもどろで、かっこよく、うまく言えなかったけれども。

 それでも園子にこの想いが少しでも伝わってくれるようにと言葉を紡いだ。

 そんな俺の言葉に園子は何も言わず、じぃーーーっと俺の目を覗き込んだ。

 そして、

 

「えへへ。ありがとね、嬉しいよ〜。でもね、かっきー」

 

「うん?」

 

「私はね、かっきーで、良かったんじゃなくて、

 かっきーだからこそ、お友達になれたことがすごく嬉しいんだよ」

 

 そう言って、園子は柔らかくほわほわとした笑みを浮かべた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 ちょっとだけしんみりした空気になった。

 けど今はトランプのゲームの最中だ。それはそれ、これはこれさ。

 元より負かす気満々だった。戦いに卑怯という文字はないのだよ、小娘。

 手加減などなし。社会の厳しさを教えてやろうという思いで挑み、

 

「ば、バカな……!」

 

「イエーイ!」

 

 普通に負けてしまった、油断した。

 園子が喜んでいる。元気だな。

 しかし、このまま寝るとあれだな、嫌だな。

 

「園子、もう一回やろうか」

 

「いいよ~」

 

 

 

 ---

 

 

 

 敗北は続く。

 

「今度は別のにしない?」

 

「ならこれは~?」

 

 慢心はここまで。

 ここから本気ダゾ。

 

 

 

 ---

 

 

 

「…………もう一回やろうか」

 

「う~ん。そろそろ寝ない?」

 

「これで最後だから、ね? 一発だけ」

 

「かっきーは負けず嫌いさんなんだね。しょうがないな~、……ふわぁ~」

 

 園子が欠伸をすると、移ったのか俺も思わず欠伸をした。

 何が面白いのか二人して苦笑した。

 

 

 

 ---

 

 

 

 気が付くと、俺はサンチョの群れに襲われていた。走っても走っても追いつかれそうになる。

 後ろを振り向くと奴らは俺をどうするつもりなのだろうか。

 無表情のままこちらに向かって走ってくる。

 そこに可愛さも愛くるしさもない。素晴らしいフォームで走ってくる。

 

「――――はっ――――はっ」

 

 なぜか息苦しい。

 お腹が重い。

 話し合おうにも、喋るための酸素は肺から既に消えた。

 

「――――はっ――――あ?」

 

 その時、俺の背中からマントが生えた。

 思考をパージ。体に掛かる浮遊感と共に俺は空へと飛んだ。

 空を舞うと、先ほどまで脅威だったサンチョの群れを離れ、俺は自由になった。

 何者も俺を止められないのだ。思わず微笑を浮かべ、悔しそうに見上げる彼らを笑う。

 

「なんだ……余裕じゃ―――――」

 

 そして俺が笑いながら空を見上げると、いつの間にか月は園子の顔になっていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「―――お!!?」

 

 いつの間にか夢を見ていたようだ。

 どんな内容だっけ。まぁいいや、碌な夢ではないだろう。

 隣を見ると、人肌に感じる暖かさがあった。

 園子がちょうど俺の心臓を圧迫する形で眠っていた。夢の原因はこれだろう。

 

「………………うみゅ」

 

 これが朝チュンですか。

 なんて感想を抱きながら俺は体を動かそうと思ったが、俺の下半身、および俺の左腕が応答しなかった。

 

(なんだと――)

 

 よくよく見ると園子は体全体で俺に抱き着いていた。

 布団は誰かが掛けたのか、自分で寝ながら掛けたのか思い出せないが、お互いの足が挟み挟まれ抜け出せそうにない。

 

 俺の腕は園子の枕にされ、動きを封じられている。

 辛うじて自由なのが右腕だが、腕一本でこの状況下から脱出する術は持ち得ていない。

 

「―――――」

 

 しょうがない。これで何か言われるなら甘んじて受け入れよう。

 昨日の夜更かしの原因は俺にある。

 どうも人生初めての友人というのは、意外にも俺を興奮させたようだ。

 

「――あったかいな……」

 

 なんとなく時間は5時頃だろう。ならあと1時間はある筈だ。

 残った右腕で布団を引き上げる。

 

「―――――」

 

 しばらく無言でいると、園子の寝息が聞こえる。

 残りの腕で抱きしめると彼女の体温が、人肌の温かさが俺の何かに染みた。

 

「………………」

 

 よく寝るなーと思いながらぼんやりと園子を見る。

 その様子を見ながら、いつの間にか俺もこの生温かい心地良さと彼女の寝顔を見ながら微睡んでいた。そうして園子が起きるまで、時間はゆっくりと過ぎていった。

 

 

 

 ---

 

 

 その後。

 

 朝御飯を食べて、勉強と稽古はお休みし、園子とイチャついて。

 昼御飯を食べ、園子と遊び、一緒にお昼寝。

 夕御飯を食べ、園子とご両親に、マジックショータイム! 

 非常に盛り上がった。是非またやってほしいとのことだった。

 

 その後、園子と一緒に風呂に入り、寝る前に園子とゲームをして一緒に寝た。

 そんな3日間を過ごした。

 そして今日の朝、俺はご両親と使用人たち、そして園子に見送られていた。

 

 いつでも来ていいからね、と園子の母親。

 もうお前は家の一員だ、と園子の父親。

 嬉しいことを言ってくれるじゃないか。

 そして――、

 

「かっきー。帰っちゃうの?」

 

「うん」

 

「……そっか」

 

 園子は一瞬だけ寂しそうな顔を見せたが、すぐにほんわりとした顔に戻った。

 ごめんね。これ以上いると本当にダメンズになっちゃうから。

 

「これ、あげるね」

 

 ピンクのサンチョを貰った。

 

「いいの?」

 

「うん。他にも一杯あるから。それにかっきーなら喜びそうだったから」

 

 分かってるじゃないか、園子さんや。こいつの手触りは最高なんだよ。

 たった3日、されど3日。その時間で築かれた時間は俺たちの絆を強力な物にした。

 波長が合うとはこのことなのだろう。もう俺たちは親友だった。

 

「ねぇ――」

 

「……?」

 

 と、園子は俺に近づいてくる。

 顔と顔が触れ合う様な距離になったと思ったが、彼女は俺の耳に用があったらしい。

 彼女の甘やかな声に、俺の鼓膜が、心が震わされた。

 

「――それ、私だと思って大事にしてね。かっきー」

 

 大切にしようと改めて思った。

 いつの間にか園子の手には、いつかの小さなバラの造花が握られていた。

 

「またくるよ」

 

「うん」

 

 そっと園子を抱きしめる。俺も園子に抱きしめられる。

 園子から伝わる体温は、暖かかった。

 

「じゃあ、またね」

 

 

 

 ---

 

 

 

 乃木家の車に送られる中、そっとサンチョを抱きしめる。

 

「――――」

 

 微かに、園子の香りがしたような気がした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第六話 神樹館小学校」

 6歳になった。

 

 今年の4月から俺は小学生になる。

 場所は神樹館小学校という。 

 大赦の高い家柄の、つまるところお坊ちゃんやご令嬢が行く学校だ。

 いい子ちゃんぞろいと聞くが、園子のような子もいれば世界は平和なのは間違いないだろう。

 その代わりに世界がカオスになりそうだが。

 

「いままでお世話になりました。安芸先生」

 

「こちらこそ、色々学ぶことができとても充実していた日々でした。これからも頑張ってくださいね、加賀君」

 

「はい!」

 

 小学生になるということは、小学校入学までが契約だった安芸先生とのお別れを意味した。

 あまり勉強以外での思い出を築く事は出来なかったが、それでも安芸先生のスパルタ指導は、この3年で培った経験は、きちんと頭の中に入っている。

 

「じゃあ先生、最後にハグしましょ」

 

「なんですか、それは? 一体どこの文脈から、じゃあが……」

 

「先生、安芸せーんせい!」

 

「はい?」

 

「―――寂しいです」

 

「―――まったく……」

 

 先生は呆れた様子だったが、なんだかんだで俺を抱きしめてくれた。

 本当に先生には助けられた。

 

 知識は力なり。

 俺が自分から何もしなければ、小学校に入るまで何も学ばず、のほほんと暮らすだけだったろう。

 既に小学校の勉強は6歳前の時には完了してしまった。今は中学2~3年生の勉強をしている。

 どのみち受験とかもあるだろう。何があるか分からない。勉強は頭に入るうちにしなければ。

 

 安芸先生は教職への道を進んでいるらしく、

 「無事教師になれたら、また学校で会えるかもしれませんね」と言っていた。

 

「―――先生、ピーマンもちゃーんと、食べてくださいね?」

 

「……ええ、頑張ります」

 

 ありがとう、安芸先生。

 そっと俺は彼女の体に顔を押し当てた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 6歳になると同時に、俺は母さんからあるモノを受け取った。

 指輪だ。黒曜石とシルバーの装飾が施されたリングで中心の台座には小さな蒼色の石。

 宝石には詳しくないが、青い石の中には黒い花の模様が刻まれていた。

 

「これを、亮にあげるわ。それは亮が正式な加賀家の血を引いていることを証明する指輪」

 

「……はぁ」

 

「いついかなる時も決して、それを手放してはいけないからね」

 

 綾香は珍しく真面目な顔でそう言った。

 加賀家の後継者はみんなその指輪を引き継いできたらしい。

 

「―――分かりました。この指輪は肌身離さず着けますね」

 

「ええ、そうよ。いい子ね、亮」

 

 なんでもいいが、いちいち俺に抱き着くなよ。美人だから許すが。

 指輪はひとまず母さんの用意したチェーンに通して、自らの首に掛ける事になった。

 首に巻き、僅かに肌を通じて指輪に熱を感じた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「お、懐かしいなそれ」

 

「父さんも着けていたんですか?」

 

「ああ、お父さんも若い頃着けていた。なんでも加賀家から輩出した初代勇者の遺品だとよ」

 

「へぇー」

 

 嘘くさい。

 宗一朗と近接格闘術の稽古を終え、一休みしている間、

 首に着けている指輪に目敏く気づいた宗一朗が話しかけてきた。

 

 この指輪は加賀家の家訓として後継者への着用が義務付けられるらしい。

 正直、勇者がどうこう言われてもよく分からない。

 普通勇者がいるなら魔王もいると思うのだが、壁の向こうにいるのだろうか。

 

「父さんも首にこうやって巻いていたんですね」

 

「そうそう、学校で見つかると面倒だからな」

 

 ハッハッハと笑って水を宗一朗が飲み、俺に渡してくる。

 投げ渡された水筒を受け取り、中の液体を飲む。

 冷たく、氷の入った水は、火照る体に心地よかった。

 

「それにしても、お前が学校か。時間が経つのは早いな。昔は体が弱いと思っていたのにな」

 

「体が弱いと思っていたんですか」

 

 意外な事実である。

 宗一朗が告げる。

 

「亮はさ、5歳までランニングする時以外は全然家から出ないし本ばかり読んでいただろ。

 今では園子ちゃんとこにちょくちょく出かけるようになったけど」

 

「そういえばそうでしたね」

 

 いつの間にか、対人恐怖症を克服したのかもしれない。

 これは園子に足を向けて寝られないな。

 

「俺がお前くらいの時はな……女のスカートを捲って回っていた悪ガキだったんだぜ?」

 

「ほう……スカート捲りですか」

 

 こいつ今さらっと自分のこと悪ガキっていったぞ。

 まぁ小学校ってそういう輩しかいなかったのをなんとなくだが覚えている。

 意味の分からない下ネタを発して爆笑。

 

「まぁ、元気になってよかったがな……」

 

「お父さんの息子は、愛嬌があっていつでも元気な子ですよ〜」

 

 俺は変顔をした。宗一朗は苦笑した。

 

「そういう所は心配だがな。だが、もうすぐ学校だ。今までとは比べ物にならないくらい多くの経験をするだろうな」

 

「……そうかもしれませんね」

 

「そうなるさ」

 

 宗一朗は立ち上がってニヤッと不敵に笑う。俺はその笑みが好きだった。

 稽古をしている時の宗一朗の最も尊敬できる真面目な顔と同等で好きだった。

 

「とにかく、勉強もいいが友達も作れよ。お父さんなんかモテモテで酷かったんだぞ」

 

「―――ほう」

 

 確かに宗一朗はモテる。マジでゲロまずにモテる。

 遊びに行く時、偶に家にくる謎の美女を自分の息子に会わせて「昔の女さ」とかっこつける。

 女たちも満更じゃない顔をして、そのたびに宗一朗は綾香に折檻された。

 

 因みに宗一朗の髪がどうして白いのか聞いたことがある。

 宗一朗は「女の修羅場に巻き込まれたのさ」と言っていたが、六股かけてやられてしまったらしい。

 何をされて白髪になったかは聞かないでおいた。

 綾香に聞くと、目が笑ってない笑みを浮かべ、そっと俺の首に手を掛け、

 

『――亮は、そんなことしないよね?』

 

 と聞いてくる。

 どんな事? と聞く余裕は母さんの真っ黒い目を前に消え去ったが、そこには深淵があった。

 それはさておき、

 

「ではまず、可愛い子を探しますよ。ついスカートを捲りたくなるような」

 

「うむ、流石俺の息子」

 

「まあね」

 

 グハハハハ、とおよそ魔王が上げるような笑い声で俺たちは笑い合った。

 女性が見聞きしたらドン引きの光景なのは間違いないだろう。

 

「それと亮、これでひとまず近接格闘術のすべてを叩き込んだつもりだ」

 

「はい」

 

「これからは学校で忙しくなるが、暇を見て精進するように」

 

「分かりました!」

 

 こうして俺は、加賀家近接格闘術の免許を皆伝した。

 

 

 

 ---

 

 

 

「―――で、あるからにして」

 

 欠伸をする。

 どうしてどこの世界も共通して、校長というのは話をしたがるのだろう。

 見ろ。もう寝てるやつがいるぞ、鼻提灯をだして寝てるぞ。

 園子だった。

 

「―――で、あるからにして」

 

 あの夏の日以降、度々俺は乃木家に訪れる機会があった。

 園子の友達という事と、両親公認で顔パスで入ることができるようになった。

 

「―――で、あるからにして」

 

 たまに園子が俺の家に遊びにくることもあった。

 コロコロと笑って、家の食卓を和ませてくれた。

 

「――で、あるからにして」

 

 ただ、一度だけ事件が起きたことがある。

 ある日、目が覚めたら知らない天井が見えた。流石にビックリした。

 ここはどこ? 私は誰? 「知らない天井だ」を思わず呟いた。

 横を見ると、園子が寝ていた。

 

 どうも、どうしても俺に来てほしく夜中に拉致してきたらしい。

 乃木家の権力すげー、全く気配を感じなかったのですけど。

 流石にちょっと叱って、必要なら呼んだら飛んで行くからと言った。

 それ以降は反省したらしく、拉致されることは無くなった。

 

「――――以上で終わります」

 

 終わったか。礼をして教室に引き返す。

 ちなみに、朝目が覚めるとたまに園子が俺の隣で寝ているようになった。

 それはそれでビックリだが。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そんな訳で入学式も終わり、晴れて俺は小学生。

 学校と言ってもやることは前世とそう変わらない。

 朝、登校して着席。1、2、3、4限は授業。

 

 ただ、授業の終了時に神樹様を祀っているという教室の隅っこにある小型の神棚に体を向け、日直の号令に合わせ手を合わせる。日々生きていることに感謝をするために。

 

「神樹様に、拝」

 

 4限が終わると御飯を食べて5、6限が始まるのだが、俺たちは1年生なので免除だ。

 因みに昼は弁当だった。給食がなかったことが残念だった。

 俺の場合は、大体することもないのでちゃっちゃと帰宅する。

 家に帰り、手品の練習、時々園子がくるので披露する。

 

「えっ、今どうやって壺を消したの?」

 

「イッツ、カガワ☆イリュージョン!!」

 

「キャガワァァァ!!」

 

 HEY! HEY! YO! HOOOO!!

 ハイテンションの園子の掌を叩く。宗一朗のコレクションの一つを消し去ったのはご愛敬だ。

 

 俺の手品にはいつの間にか、見る者のテンションを上げる力が宿ったらしい。

 そろそろ一歩先に進化するときが来たのかもしれない。

 加賀亮之佑は、手品師になった。

 

「チャララッタ、ラッターン!」

 

「かっきー。どうしたの? 大丈夫?」

 

「――なんでもない」

 

 あとはたまにだが、土日に一緒に街中の大型ショッピングモール――『イネス』に行ったりする。

 流石に親同伴だが、一緒にアイスを食べたり歩きまわったりした。

 

 

 

 ---

 

 

 

 秋になった。

 そんな感じで俺たちは小学生低学年の時を過ごしていた。

 園子の居眠りを起こしたり、くすぐったり、

 べったりしている内に、なぜかお付きの者扱いの噂が流れた時はイラッとした。

 

 残念なことに、小学生の諸君とは話が通じなかった。

 できるだけ優しく喋ったつもりだが、いつも園子と一緒に遠巻きに見られるだけだった。

 

 あの幼児化した眼鏡の餓鬼はこんな気分だったのだろうか。

 暇になるのはたまに園子が御役目で休む時ぐらいだった。

 なんでも神樹様に関することらしいが口外は禁止らしい。

 

 

 ところで、俺にも、というか俺の所属するクラスで、なぜか大赦による調査が行われた。

 簡単な採血検査やアンケートだとは言うが、どうも怪しい。

 健康診断は大体4月に行われてきた。だというのに、今は秋。うどんがおいしい季節だ。

 

 子供の俺には抵抗しようにもどうもできない。御役目のためと言われると即座に行うものばかりだ。俺も結局、赤い血が抜かれるのを指をくわえて見ているだけだった。

 別に変なことはしてないが、あいつらなんで仮面しているの? 何あの装束。

 

 よく分からない職場だが、正直関わり合いになりたくはない。

 ああいうのは狂人の部類だ。関わると碌なことにはならないし巻き込まれるだろう。

 だがあの仮面は何だ。ださい。俺ならもっとかっこよくだなぁ。

 

 ふと俺は思った。

 俺の父さん、宗一朗もあんなコスプレしているのだろうか。

 

「嫌だなぁ」

 

 コスプレ制服は微妙だ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それにしても、暇だった。

 

「―――――」

 

 少しずつ停滞し始める怠惰な日常を、俺は享受し始めていた。

 

 

 




手品師(壺を消すことができる)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第七話 貴方だけと暖を共に」

 コタツ。

 

 日本を代表する冬の採暖用具で、数多の人々をそこに引き止める魔法の道具だ。

 これ程数多の人間を魅了し、駄目にしていく器具など存在しないだろう。

 ……と俺は思いながらコタツ布団に足を突っ込み、蜜柑の皮を剥いていた。

 

「すっかり冬だね~」

 

「そうだね~」

 

 園子が話しかけてくるので相手をする。

 俺の隣でコタツムリになっていた彼女だったが、こんな怠惰な生活に飽きたのか、

 しきりに外で遊ぼうとせがんで来る。……ならそこから出ておいでよ。

 

 もう雪も降っているし、手品師かっきーはお休みですという意味もこめて、

 彼女の小さく開いた口に剥いて出た一袋を放り込む。お食べよ。

 

「ほら」

 

「…………」

 

 お行儀の宜しいお嬢様が無言で食べる間、

 静かになったので、暖な色に染まる蜜柑から皮を剥いて俺も4袋分を口に頬張る。

 甘みも十分、酸味との調和の良さを感じるその味は、いくらでも食べられそうだなと思える。

 

「ねぇねぇ……かっきー」

 

「なんだい――?」

 

 次の蜜柑に手を伸ばしていると、園子が俺に話しかけてきた。

 食べたいならそこから出ておいでと考えながら、少女に目を向けると、

 

「お外で、遊ばない?」

 

「―――――」

 

 金色の髪のお嬢様から、小首を傾げて『おねだり』をされた。

 その角度からの上目遣いは計算しているのかなとか考えつつ、俺は仕方ないなと苦笑しながら了承の合図として首を縦に振った。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それは、冬のある日のことだった。

 雪がシンシンと降り積もった次の日、俺は乃木家にお邪魔していた。

 最初は他愛もない世間話をしていたが、俺たちは久しぶりに外で遊ぶことにした。

 

 コートを着て、外に出る。

 音を立てずに肌に突き刺さる隠忍な冬が今年もやってきた。

 こんな時期に俺って死んだっけ? なんて思うと余計に寒く感じた。

 

「どうしたの、かっきー?」

 

「いや。そのコート、似合うじゃん」

 

「フッフッフ……ありがと~」

 

 冬になるとあらゆる色彩が色あせ、灰色と白い世界に覆われる。

 木々は白く染まり、小枝からパラパラと薄氷が散り、さながら冬の桜を思わせる。

 冬の冷たい空気は針のように俺の瞼や頬に突き刺さり、わずかに顔を顰める。

 戻ってコタツに入りたいなーと思いながら、

 

「じゃあ……、雪だるまか、カマクラでもつくろっか」

 

「カマクラって?」

 

「カマクラっていうのは、まぁ……雪で作る家、みたいなもので。そこで餅とか甘酒を食べる」

 

「ほへー……そんなものがあるんだ~。どうやって作るの?」

 

「まずは―――」

 

 子供の体力とは無限にあると俺は思う。園子に作り方を教えながら、準備を進める。

 戯れに遊んで、さっさとコタツに戻ろうと思ったが、意外と楽しくて熱中してしまう。

 俺は気が付くとカマクラとついでに雪だるまも作っていた。作ってしまっていた。

 

「―――あれ? 園子は?」

 

 どれだけ時間が経過したのだろう。

 カマクラの準備が終わり、雪だるまを作る工程でいつの間にか園子の存在を忘れていた。

 

「園子ぉーーー!!」

 

「はーーーい!」

 

 俺の魂の叫びに応じて、ひょっこりと園子が顔を見せる。

 赤いニット帽をかぶり、白いコートを着ている彼女はトテトテと音を立てて此方に歩いてくる。

 

「どこへ行っていたんだ?」

 

「うんとね~、ウサギさんを追いかけていたんだ~」

 

「なん、だと……!?」

 

 どうやら彼女はアリスのようにウサギを見つけて追いかけていたらしい。

 園子はアリスをやっていたようだが、俺は俺でそれに気がつかなかった。

 そんなことを思っていると思考を読んだのか、かっきーは凝り性さんだもんね~という評価を貰った。

 

「園ちゃん園ちゃん」

 

「なぁに?」

 

「――ウサギの肉っておいしいんだって」

 

「――!」

 

 不覚を誤魔化す為に彼女を適当にからかうと、雪化粧でもしたような白い頬が膨れた。

 そんな彼女を尻目に、俺はウサギ……肉を想像する。意外と癖が無く美味しいらしい。

 なんとなく思考が食事に偏るので、今度は食いしん坊さんだね~とか言われるかと思ったが、そんなこと言ったら駄目だよと普通に怒られた。

 

「……それで、見つけたのか?」

 

 この乃木邸で、この広さとお金持ち加減からして、ウサギどころかもっと多くの動物がいても可笑しくは無いが、以前聞いた話ではウサギはいなかったはずだ。

 

「それがね~、必死に追いかけたら、ウサギさんはビニールの袋だったんよ~」

 

「あらら」

 

 昔、お化けだと思って驚くと実はスーパーの袋だったというのは聞いたことがある。

 まぁ本人は楽しそうなので、そっかと相槌を打つだけでウサギの会話は終わった。

 それからこちらを見渡して、ふと園子が目を輝かせた。

 

「これ、全部サンチョさん!?」

 

「そうだよ」

 

「かっきー凄いね~。これ何の儀式をやるの~?」

 

「やらんから、何も召喚しないから」

 

 彼女の視線に誘導されて俺も周りを見ると、サンチョの雪像が10体ほどカマクラを囲んでいる。

 確かに何かの儀式をする様な、結構なクオリティだなと我ながら思う。

 園子ですら呆れ半分、笑顔半分な表情を浮かべていた。

 

「――――」

 

 改めてよく頑張ったなとため息を吐くと変な勘違いをさせたのか、私がカマクラの穴を掘るよ~と言ってきたが、危険な作業なので下がってなさいと止めた。

 

「がんばれがんばれ~」

 

「おうようよ!」

 

 園子の応援を受け、俺はカマクラに風穴を開ける気持ちでわっせわっせと掘り出す。

 時間はさしてかからず、出来上がった雪の小型要塞『カマクラ』の内装に園子と着手する。

 要塞にしては随分見た目が丸いが、そこは10体のサンチョが守っているという設定だ。

 

 ここまで俺の脳内では、昔やっていた建築系のゲームの気持ちで作業を進めた。

 ピッケルではないがスコップ片手に、換気口、シートなどを設置する。

 

「あとは、夜まで待てばいいの?」

 

「まあ、キャンドルとか七輪とかあれば、あそこで餅でも食べながらまったりできるけど」

 

「そこは任せてよ〜」

 

 そう言って、園子は右手の指を鳴らす。

 するとどこからか、使用人たちが現れた。

 気配が無かった事に驚愕する俺を他所に、園子がほわほわした笑みで告げる。

 

「ちょっと、キャンドルと七輪とお餅が欲しいな~」

 

「御意」

 

 次の瞬間、俺の目の前には多くのキャンドルと七輪、高級そうな餅が置かれた。

 ついでにお茶や甘酒、お菓子といった物も用意されている所に気配りの良さを感じた。

 準備がよろしいですねと、既に気配なき使用人達にありがとうございますと呟いた。

 改めてこの少女って、本当に桁外れのお金持ちだなと呆れつつ、準備に取り掛かった。

 

 ちなみに、許可はとりました。

 

 

 

 ---

 

 

 

 水を入れたバケツをひっくり返し、凍らせて出来た氷塊の中心に穴を開ける。

 そこに小型のキャンドルを入れて、ライターで火をつけると、幻想的な雰囲気が周囲を照らした。

 

「わぁ……!!」

 

 園子が驚きの声と共に見つめる。

 見たことが無いのだろう、香川でこんなに雪が降るのも最近では珍しかった。

 現在は黄昏時から夜になったばかり。園子の声で、カマクラの周りには誰もいない。

 

 それでいいのかと思ったが、使用人とはそういうものかと思い直した。

 どの道すぐに駆けつけられる場所にいるだろう。火を扱うので止められるかと思ったが、案外そちらに関しての心配は無かった。

 

「…………」

 

 ここは素直に信用されていると受け取り、無言で切り出し七輪に火を点す。

 流石にお金持ちは違うなーと思いつつ、円形の七輪に金網を敷く。

 

「園子、おいで」

 

「…………」

 

「園ちゃん」

 

「あ、うん。わかったよ~」

 

 四足歩行でジリジリと俺の隣に近寄ってくる園子。

 事前に七輪のことと注意点をしっかり述べたが、不安なので「黙って俺の隣にいてくれ!」と言い放つと、何故かやけに目をキラキラさせた園子が「分かった!」と良い返事をしてくれた。

 

 ピトッと俺の隣にくっつく園子。

 もう少し離れてと言うと、寒いから~と抱きついてくる。

 まぁ左側だし、七輪から離れているし問題はないかと思いながら餅を金網に載せる。

 

 金網に載せた白餅を、炭火でじっくりと焼く。

 しばらく団扇で蒸気と火の調整をすると餅はパリパリと音を立てて膨らみ、あっという間に煎餅状になった。

 最後に赤味噌を塗り炭火で少々焼き、完成。

 

「……お上がりよ」

 

 こちらをジッと見る園子に、無言で皿に載せて差し出す。

 彼女は卒業証書を受け取るような畏まった顔をしながら、箸で餅を取る。

 フーフーと息を吹きかけ、彼女の小さな口に餅が消えた。

 

「美味しい!」

 

「そりゃあ良かった……」

 

 と、お嬢さまの口にも満足していただいたので、安心して俺も餅に手を出す。

 フーフーしながら、俺もそっと噛む。パリッという食感と共に伝わる餅独特の柔らかさ。

 加えて味噌の風味と少しの辛みが寒さを吹き飛ばす。

 

 二人してフーフー言いながら、しばらく黙々と餅を食べた。

 この後、園子が冗談めいた口調で「美味しすぎて太ったらかっきー責任とってよ~?」と舐めた事を言うので、「だが断る」と言ったら、左の脇腹を小突かれた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 餅も飽きたので、俺は次にお菓子とお茶でこの食事会(?)をお開きにすることにした。

 

「次はどうするの~?」

 

 と横から金鈴のような声音が聞こえてくるので、逡巡してから応える。

 

「まぁ見てなって」

 

 ムゥっとした顔に笑って誤魔化し、俺は取っ手のついた串を用意する。

 次にお菓子の中で必要だったモノを取り出す。ソレを見て園子もなんとなく何をするか分かったらしい。

 

「マシュマロ……あ! もしかして」

 

「そう、焼きマシュマロだ」

 

 ピッカーンと閃いたとでも言わんばかりに目を輝かせる彼女に苦笑する。

 串の先端に白いマシュマロを刺す。取っ手の部分を園子に持たせる。

 

「園ちゃん、ちょっとこれを金網の上で炙って……そう、そんな感じで」

 

「ラジャー!」

 

 園子に焼くのを任せて俺は魔法瓶を取り出し、湯呑みに中身を注ぐ。

 今回は普通にお茶にしようか、ポタージュを入れるか悩んだが、せっかくなのでと甘酒を選んでいた。

 

「かっきー、これくらいでいいの?」

 

「――――ああ、それぐらいでいいぞ」

 

 呼ばれたので目を向けると程よく溶け始めたマシュマロが竹串の先端で存在を主張しており、金網から移動させる。湯呑みを俺と園子の間に置くと、白い湯気が立ち上る。

 

「あーん」

 

「ん」

 

 串を装備した二刀流の少女は何を血迷ったのか、右手の方のマシュマロを差し出してきた。

 このままだと溶けるのでさっさと口に入れると、甘く蕩ける感触に思わず頬が緩む。

 そのまま酒を一啜り。ズズズッと音を立てて飲む。美味いな。

 隣の御令嬢も満足気なご様子だ。

 こんな時ですらお上品に食べる姿は、どうやれば豪快に食べるか実験したくなるが今は考えるだけにしておく。

 

「かっきー」

 

「ん?」

 

「呼んだだけ~」

 

「そうかい」

 

 ときおり謎の呼びかけをしてくる園子。いつものほわほわとした笑みを浮かべている。

 隣のお嬢様もやり方が分かったようで、しばらく無言でマシュマロを炙る。

 チョコを溶かしてチーズフォンデュの要領でやろうと思えばできるが、流石にこれ以上は疲れた。

 代わりに板チョコを小さく割って載せ、マシュマロの熱で溶かすと、「わぁ~!」と園子は喜んだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 カマクラの出口に目を向けると、黄昏の光はすっかり消え、夜の帳が暗闇を作り始めた。

 そろそろ幕引きだなと片付けの準備に入ったところで、園子の身体がこちらに傾いた。

 彼女の形の良い頭がちょうど俺の胸元に当たる。

 

「疲れた……?」

 

「そうじゃないけど~、もうちょっとだけ……」

 

「しょうがないな~」

 

 唐突な彼女のわがままはわりと結構珍しくはないので、俺も彼女に身体を寄せる。

 だが七輪の火はもう消してしまった。甘酒やマシュマロも、残念だが品切れだ。

 このままでは風邪を引いてしまうので片付けてさっさと乃木邸の屋敷に戻りたかったが、園子はうんともすんとも言わない。

 しょうがないので毛布を出す。

 

「かっきー、今のどうやったの……?」

 

「秘密」

 

 彼女の目にはきっと虚空から毛布が現れたように見えたのだろうが、手品師は種を明かしてはならない。そっと彼女の耳に囁き、俺ごと毛布で園子を包み込む。

 

「かっきー」

 

「園ちゃん」

 

 偶然呼び声が被るので、どうぞどうぞと勧め合ってから俺は口を開く。

 

「そろそろカマクラから出ないと遅くなるよ」

 

「う~ん……、もうちょっとだけだから」

 

 寝坊15分前の中学生が言いそうなことを言いながら彼女は俺に全体重をかける。

 俺はお前の座椅子か。そう小言を言いたくなるが、満足気にこちらを見る琥珀のような瞳を見ると――、

 

「ちょっとだけだからな……」

 

「わーい」

 

 つい甘やかしてしまうのは、きっとしょうがないのだろう。

 カマクラという小さいが2人だけの要塞は、お城のように煌びやかという訳ではないが、

 外と比べて暖かい上に毛布の暖かさに、ついうっかり寝落ちしてしまいそうになる。

 

「―――――」

 

「―――――」

 

 お互いに無言となり、しばらく互いの熱と息遣いだけが狭い世界に響く。

 2人を照らすのは、暖かな光を放つ仄かなキャンドルだけだ。

 

「園ちゃん」

 

「どうしたの」

 

「呼んだだけさ」

 

「……そっか」

 

 園子の真似をしながら、彼女の華奢な身体を抱きしめる。

 ふんわりとした彼女の金髪は近くで呼吸をするごとに俺の肺を満たす。

 

 俺の彼女に回す腕に、そっと園子の手が触れる。

 角度的に見ることのできない園子の顔はどんなだろうかと想像を巡らせながら、

 あと10分だけこのままでいようと、俺は彼女をついつい甘やかしてしまうのだった。

 

 

 




ここまでご覧いただきありがとうございます。
本作は、このようなほんわかな日常がある一定の章まで続いてます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第八話 星空の下で、交わした約束」

 あっという間に9歳になった。

 もう小学4年生である。言っておくが決して端折ったわけではない。本当だ。

 

 この3年間何かあったわけではない。

 特に目立つような事件があったわけでもない。平和で退屈だった。

 

 俺は言いつけ通り肌身離さず指輪をつけていたし、園子とはベタベタしていた。

 毎日綾香の料理の手伝いをし、宗一朗と格闘技の鍛錬をし、学校生活を過ごしていた。

 この3年、園子とは誰よりも仲良く楽しく過ごしていたと思う。

 

 夏には一緒にスイカを食べたし水浴びをした。

 秋には紅葉狩りに行った。単純に景色を見て遊んだりした。

 冬には園子曰く、コタツが欲しいなぁと言っていたら翌日にはあったらしい。

 乃木家すげーと思いながらカマクラを作って餅を食べて、心と体を温めていた。

 

 そうして一年が巡り、再び訪れた春には二人、俺と園子は一緒に桜を見に行った。

 「また一緒に来ようね、かっきー」と園子はニコニコと笑顔で毎年約束を交わした。

 園子は本当に可愛いなと思いながら、俺も毎年彼女との約束を果たしてきた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そして、その年の夏のある日。

 

「花火大会?」

 

「そう」

 

 学校で小説の構想を考えている園子を誘う。

 最近、園子はなんと小説に目覚めたらしく時折せっせと何かを書いている。

 そんな将来有望な作家希望者に対して、俺は家に届いていたチラシを見せる。

 俺は行った事は無いが、毎年地元で開かれるらしくそれなりに賑わう花火大会。

 

「お祭り~〜ワッショイ!!」

 

「でしょ? いこうぜ」

 

「かっきーとエンジョイ!」

 

 ぐふふ、花火デートとランデブーとしゃれこもうじゃないか。

 そう俺は思いながら、園子と今日も学校生活をエンジョイしていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 当日。

 

 ザァーっと雨が降りしきる。雨が降って分かる独特の土の香りが鼻腔をくすぐる。

 俺は天から注ぐ冷たい雨滴が窓ガラスを伝っていくのを無言で見ていた。

 雨は見ている分には嫌いではないが、出かける日に限っては止めて欲しいものだ。

 

(今日の花火大会は中止か……)

 

 先ほど連絡があった。非常に残念だ。

 隣にはばっちりと可憐に浴衣で彩った美しい金髪の少女が悲しげに窓から外を見上げる。

 

「雨、止まないね~」

 

「今日はダメだって」

 

「ええ~」

 

 膨れ上がった頬は饅頭のようだ。そっと頬を突くと、萎んでいく。

 ちなみに園子が着ているのはアサガオの柄の浴衣だ。非常に似合っている。

 

「花火、見たかったなぁ~……」

 

「――――」

 

 その一言がやけに脳裏にこびりついた。

 

 

 

 ---

 

 

 後日。

 園子の言葉が、どこか寂し気な表情が忘れられなかった俺は、訪れた乃木家でどこにでもあるようなバケツを用意していた。

 

「園ちゃん園ちゃん」

 

「うん~?」

 

「花火しない?」

 

 そう聞くと、パンッと鼻提灯を割り園子が目を覚ます。

 瞼を擦り首を傾げながら、園子は俺に琥珀色の瞳を向けた。

 

「……うん、でもどうやって~……?」

 

「買ってきた、とは言っても殆ど売り切れで線香花火しかなかったけどね」

 

 この時期はやはり花火に人気が集中するのか、なかなか買えなかった。

 これまでの経験上、園子に頼めば容易に用意してくれる(駄洒落ではない)と思うが、

 それは何か言葉に出来ないが『何か』が違うと思い、自分でひっそりと用意した。

 

 いつものように園子の家で御飯を御馳走になる。この味はなかなか真似できない。

 園子の両親に庭で花火をする許可を申請すると二つ返事であった。

 即座にオーケーと了承される。俺も信頼されたものだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そうして夜になった。

 ミーンミンミンと、減りつつある蝉が人生を懸けたのど自慢をしている中。

 俺はバケツを地面に置きながら、廊下に腰を掛けて此方を見る園子に言った。

 

「園ちゃん、よ~く見てなよ?」

 

「うん?」

 

 そう言うと、一体どうしたのかと俺を見てくる園子。

 何をするのかとその琥珀色の瞳に興味を抱く。期待には応えるのが俺クオリティ。

 適当に見えてある程度の計算に基づいた動きで、緩慢と両手を動かす。

 

「―――っ、……はい!」

 

「? ……ぉ……おお!!」

 

 園子のテンションを上げるのはもはやお手のものだ。

 俺は手から水を出し、バケツに水を注いでいくと、

 

「かっきーすごいすごい!!」

 

「ハッハッハ。そうだろう、そうだろう」

 

 無邪気に喜ぶ園子。

 ここまで喜ばれると俺もやりがいがある。

 

「じゃあ、はい」

 

 園子に花火を渡す。七色の細い形状をした花火。

 

「これは~?」

 

「線香花火と言ってね……まぁ見てな」

 

 パチンッ、と指を鳴らして指先に火を点ける。

 どうやっているかって? 野暮なことを聞くなよ……。

 

 そして線香花火の先端、火種部分に火を点ける。

 シューっという音と共に、小さくパチパチと音を鳴らし線香花火が目を覚ます。

 

 棟色の火花は次第に丸くなり、どこからか流れる風がほんのりと火薬の香りを漂わせる。

 小さな棟色のそれは、小さく輝きを放つ。

 

「―――――」

 

 そっと園子の方を窺い見る。

 いつの間にか俺の隣に来て膝を屈んでいた園子は、

 口をポカンと見開いて、じーーっと花火を見つめていた。

 

 その瞳には花火の光が反射し、彼女を金色の光が照らしていた。

 夜を切り裂いて現れたその幻影とも呼べるこの光景を、妖精のようだと思った。

 

「…………」

 

 パチパチと線香花火が満天にひらく名花を思わせ、蝉たちも静まり返る中、

 

「―――ぁ」

 

 ふと俺は思い出した。

 去年も、その前の年も俺たちは花火大会には行けなかったっけ。

 まさか実質初めて花火を見たのか? いや流石にそれはお嬢様すぎるだろう。

 

「……あっ」

 

 と園子が声を上げる。火種が力尽き地に落ちる。

 ぼんやりと、俺たちはそれを見ていた。

 

「…………」

 

 何も言わず、俺はもう一本の花火に着火させる。

 再びシュワシュワと独特の音を立てて、今度は色とりどりの火花が地面に降り注いだ。

 たっぷりとふくらんだ線香花火の玉の光に、俺と園子の二人の顔がぼうっと照らされた。

 

「…………」

 

 静かにじっと光を見る園子に、俺は失敗したかなと思っていた。

 やっぱり花火大会のようなド派手な花火をすべきだっただろうか。

 だが、予算がないと俺は小さくため息を吐いた。

 

「かっきー」

 

「うん?」

 

「……綺麗だね」

 

 言葉少なに園子はポツリと呟いた。

 いつもはテンションの激しい彼女が、線香花火の発する雰囲気に当てられ随分とおとなしく静かだった。

 だがそれでも、園子は間違いなく喜んでいた。

 

「その、ごめんな。花火大会に連れていけなくて」

 

「ううん。そんなことないよ~」

 

 くっ、俺が雨を止められれば………そんな事を一瞬だけ真面目に思った。

 少しだけいつもの調子を取り返したのか、ほわほわとした笑みを園子は浮かべる。

 そんな彼女に俺はそっと呟く。

 

「――、今はこれが精一杯」

 

「う~ん?」

 

「ほら」

 

「……わっ!」

 

 線香花火を園子に手渡す。

 わっと声を上げ、ちょっともたついたがすぐに慣れて自分で花火を持つ。

 それを横目に、俺は更に花火に着火する。

 

「園子」

 

「……う~ん?」

 

 光の加減で眠そうにも、はしゃいでいるようにも見える園子に話しかける。

 

「競争しない?」

 

「競争~?」

 

「そっ。この先の火種が先に落ちた方の負け」

 

 生前俺が小さい頃、親戚の子供たちとそんなことをして遊んだ。

 それを思い出し、園子の了承を得てちょっとした勝負をすることにした。

 

「――――――」

 

「――――――」

 

 線香花火は俺たちの想いを反映したかのようにパチパチと火花を放つ。

 やがて、モノ言わぬ火の玉となる。

 火の玉はフルフルと震えて、涙のように零れそうに、落ちそうになって、

 

「あっ」

 

 と俺たちの声が被った。

 二つの光が絡み合い1つの火の玉に溶け合った。

 

「…………」

 

 それをじっと俺たちは見続けて、火の玉は地に落ちた。

 

「…………ん?」

 

 何も言わず、黙って線香花火に火を着ける俺を園子が見ていた。

 どうしたのか、目線で問う俺に園子はふんわりと首を傾げて、

 

「えへへ~」

 

 と、よく分からない笑みを浮かべた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「ねぇ、かっきー」

 

「……どうした?」

 

 そろそろ本数も尽きて、次で終わりとなった頃、園子が話しかけてきた。

 

「来年は花火大会、一緒に行こうね」

 

「ん……おお」

 

「また一緒に、線香花火しようね」

 

「分かりました。お姫様」

 

 ビシッと敬礼をする。それを見てフフッと園子が笑った。

 それから、園子が指を出してきた。

 その行為の真意を数秒読み取れず首を傾げるが、出した小さな小指を振っている姿に、何をするつもりか理解して指を出した。

 

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます~」

 

「……指切った」

 

 勝手に約束をされたのだが。

 きっと来年も、園子と共にこうやって一緒にいるのだろう。そう思う。

 

 そっと星空を見上げる。

 今日は新月で、いつかのように満月は見えないけれど。

 それでも、数千の星々が俺たちを見下ろしていた。

 

「約束だよ~」

 

「ああ、約束だ」

 

 交わした手をそっと下げる。

 流星が流れた訳ではないが、俺は他力本願に祈った。

 

 ――どうか、こんな日々がいつまでも続いてくれますようにと。

 

 俺の願いを反映した線香花火は、最後の瞬間まで輝きを放つ。

 パチパチと色とりどりの火花を出し尽くしたそれは、やがて丸く火の玉となった。

 最後の一本となった火の玉は緩やかにその光を無くし、再び空間に闇夜が舞い戻る。

 だが、決して暗闇ではなかった。

 

 その日は、星が綺麗な夜だった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 結局、――この約束は果たせなかった。

 他力本願の祈りなど、叶うはずもない。

 少年が少女との約束を果たす日は、来ることはなかった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第九話 運命は偶然に、出会いは必然に」

 その人は抗った。

 非力な存在が抱くには、愚かで小さな夢。

 それを得るために努力し、あらゆる力を身につけた。

 

 誰にも奪われないように必死に努力して得た結果。

 努力を続けて、欲しい物を得ようとした誰かは。

 その旅路の先で、■■に、■に否定された。

 

 圧倒的理不尽。

 己の力不足。

 傲慢にも全てを守ろうと思い背中を向け、■■■■に刺された。

 結局、大切だと思った人を失った。

 その人は、■■を許さなかった。だからその人は、■■■■を止めた。

 だが、遅かった。

 

 最後の死の寸前。

 その人は■■に願い、誓いを立て、そして契約を交わした。

 復讐を誓い、■■を願い―――――

 

 

 

 ---

 

 

 

「――――っ」

 

 嫌な夢を見たと、額を流れる汗をぬぐう。

 地面から伝わる振動。

 いつの間にか眠っていたらしい。

 変な夢だと俺は思ったが、ぼんやりと周りを見回す内にその内容は薄れた。

 

 ここは、車内の後部座席に位置している。

 周りには仮面をつけし白い装束の大人たち。

 宗一朗の同僚だという。

 隣を見ると、久しぶりに再会した安芸先生も仮面をつけて座っていた。

 

(あぁ……)

 

 どういう状況だったかを思い出した。

 それと同時に押し寄せる心の圧迫感。

 

 なんとなく、隣に座る人物がつけている仮面のマークを見る。

 7つの葉をイメージさせる樹のマーク。神樹のマークを付けた仮面だ。

 大赦。

 

「………………」

 

 俺はその人たちを見つめた。

 彼らは宗一朗の仲間ではあるが、大赦は決して俺の味方ではない。

 

「――――」

 

 そっとため息をつく。

 俺は負けたのだ、その事実がじんわりと押し寄せる。

 

 ―――――約束は、果たせなかった。

 

 その事実によって、悲哀に、焦燥に、苦痛に心が覆われる。

 わかっている。そう自分に言い聞かせる。

 今の俺にはどうしようもなかった。

 それが事実だ。

 だからこそ……。

 

 目蓋を閉じると思い出す。

 昨日の夜。

 久しぶりの月夜で交わされた父との会話を。

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 それは春というにはまだ少し肌寒い頃。4年生も最後のテストが終わり、春休みとなった。

 来季からは5年生。

 春休みで学校もなく、俺は宗一朗と庭にいた。

 度々時間がある時は2人で鍛錬をしていた。

 免許皆伝の身の上ではあるが、練度を上げるためには練習あるのみだ。

 だが、

 

「………………」

 

「………………」

 

 この日は何かがおかしかった。

 別にサプライズパーティーがあるとかじゃない。むしろ、それだったらどれだけ良かっただろう。いつもなら行われる組み手は無かった。俺が一人で鍛錬を行うのを宗一朗は黙って見るだけだった。そして、一通りのメニューが終わった後に話しかけてきた。

 

「亮……」

 

「はい?」

 

 異常に神妙な顔を宗一朗はしていた。

 まさか……、園子にちょっとお触りしていたのがバレたのだろうか。

 いや、その程度の触れ合いならしょっちゅうだから、子供の悪戯として見逃されているはずだ。最近は悪い事はしていない……はずだ。

 

(じゃあ、なんだ―――?)

 

 目の前の男は、口は達者という訳ではない。だが言いたいことは必ず言う男だ。

 これほど躊躇するということは、余程のことだろう。

 

「夜、男だけで話がある」

 

「…………話、ですか」

 

 いきなり宗一朗は俺にそう告げてきた。

 少しだけ俺も困惑した。やけに真剣な様子なので、俺もちょっと緊張する。

 こんなことは、生前男に告白された時以来だ。咄嗟の対応が思いつかない。

 やけに口内が乾くが、必死の意思で言葉を紡ぐ。

 

「今じゃ……駄目なんですか?」

 

「ああ、大事な話だ」

 

 宗一朗の目を見つめる。

 いつもなら読み取れる瞳からは、何も窺い知ることができない。

 宗一朗、お前は一体どうしたんだ……。

 逡巡したが、俺は口を開く。

 

「――分かりました」

 

 もしかしたら、ここで聞き出していれば、何かが変わったかもしれない。

 だが、俺は選んだ。

 宗一朗との会話を。

 男と男の話だと言うのなら、ここは黙ってその時を待つことを決めた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 夜。

 庭側の廊下に俺たちはいた。

 せっかくだからと、宗一朗はお酒を持ってきた。

 

「僕、未成年ですよ」

 

「俺が許す」

 

 理不尽だなぁと思いつつ。

 なら仕方ないと思い、猪口に注がれる日本酒を見つめる。

 

「今日は……話をするには、良い天気だな」

 

「―――そうですね」

 

 春風が前髪をなびかせ、そっと撫で付ける。

 月も見えるし、星も見える。良い夜空だ。多少の雲はご愛嬌だ。

 俺が相槌を打つと、グビッと勢いよく宗一朗が日本酒を飲み干す。

 無言で徳利を宗一朗の猪口に傾ける。

 

「それで、どうしたんですか」

 

「実はな……」

 

 こちらを見る男の目は酒を飲んでいるにも関わらず、一切の酔いを感じない暗い目だった。

 この人生で一番、不安に感じる瞬間だった。

 

「大赦から、御役目の一つで、お前の乃木家との接触を禁じられた」

 

「――――」

 

 無言で酒を飲む。

 勢いよく舌の上で転がしていると、舌の先を針で突かれたような痛みを感じた。

 そのピリリとした熱が俺の苛立ちを押し流す。

 あぁ……確かにこれは飲まないとやっていけないだろうな。

 

「――疑わないのか?」

 

「父さんが、その手の冗談を言ったことはないので」

 

 その程度の信頼はこの数年で築かれていると俺は思っている。

 だから、そこへの疑問はない。

 それを踏まえて、俺は聞く。

 なぜ? 

 

 俺の視線に促され、ポツリポツリ話し出す。

 

「俺の働く大赦は、現在乃木家と上里家のツートップだってのは知っているな? 問題は、乃木家次期当主と、現当主に近づくお前の存在が大赦の上層部のある派閥に目を付けられたことだ。その派閥は乃木家にお前が、加賀家が近づくことを快く思っていない。奴らは今はまだ静かだが、このまま行くと最悪、暗殺されかねない状況になりかけているんだ」

 

「なるほど……」

 

 そういう可能性は考慮していた。

 園子は乃木家の娘。相当のお嬢様であることは知っていた。

 そして、俺が彼女と接する事が気にくわない人間もいる可能性も。

 しかし……暗殺か。

 

「唐突に思うかも知れないが、奴らにとって問題視していることがもう一つある」

 

「それは?」

 

「お前の勇者としての適正値が年々上昇している。こんなことは異例だ。このまま適正値が上昇し続ければ、恐らく間違いなく勇者として選ばれるだろう」

 

「……、あの検査ですか」

 

「ああ」

 

 宗一朗の話を黙って聞く。

 仮にこの話が本当なら、勇者という職業? に俺は選ばれそうになっているらしい。

 

「だがな、亮。……勇者で男という例はないんだ。ただの一度も。だから、大赦でもお前を勇者とすべきか否かで意見が別れたんだ。現状は保留だが、お前の身柄が危うい」

 

「――乃木家は?」

 

「現在、乃木家は乃木家で厄介な問題を抱えていて、あまり手を出せないんだ。

 それで―――――」

 

 そして、宗一朗は一息置いて、こちらを向いた。

 瞳が揺れている。

 

「――お前には転校という形で、別の場所に一時避難をしてもらうことにした。その場所は乃木家の管轄であり、大赦と言えど容易な手出しはできない」

 

「……そう、ですか」

 

 猪口を握り締め、一口飲む。

 日本酒は喉を焼き、胃に染み込むと同時に俺に虚脱感を与えた。

 

「念のため、園子ちゃんとも引き離すのは上の方で決定が出た。お前と園子ちゃんの間に何もないと監視の目が無くなるまで、お前にはそっちの家で暮らしてもらう。周りの住人には既に連絡済みで、ある程度の事情は把握してもらった」

 

 ここまでを、宗一朗は一息に言い切った。

 きっと練習していたのだろう。

 口下手ないつもの感じと違って、サクサク話が進んだ。

 

「どれぐらいですか――?」

 

 1年程度だろうかと、そんな俺の甘い考えを宗一朗は容赦なく切り捨てる。

 

「およそ3年程度になる。その間お前には一人暮らしをしてもらう。

 それだけあれば、なんとかする。その期間は乃木家及び、家に戻るのは禁止だ」

 

「…………」

 

 言葉にならなかった。

 宗一朗の顔を窺い見る。

 疲れきった男の顔。きっとこれまでも、なんとかしようと大赦内で動いたのだろう。

 でも駄目だったのだろう。俺にこの情報を伝えるということは状況はよくはないようだ。

 そんな男の顔を見ていると、ふと宗一朗が言葉を紡ぐ。

 

「嫌じゃないのか?」

 

 肉体が震えた。鳥肌が立つ二の腕を無言で押さえた。

 それを宗一朗に気づかれないように、そっと彼から視線をずらして庭を眺める。

 

「――そうですね」

 

 随分と昔、幼い頃庭で見た宗一朗の動きは、今でも覚えている。

 あの宗一朗は、強く感じた。どんなものであってもその技が、意思が、理不尽を破ると。

 

「嫌ですよ、けど……」

 

 だが、実際は違う。現実は甘くはない。

 どれだけ宗一朗が強くても、大赦には逆らえない。

 御役目―――――その一言に途方もない重さを感じる。

 

(参ったな……)

 

 この世界において、神の言うことは絶対だ。神から与えられし仕事は御役目とされ、任命された側はソレを誉とする。きっと死ねと言われても実行する人はいるだろう。

 教育とは、それだけ人に与える比重が大きい。そしてそれらを管理する組織が大赦だ。

 父でも抗えない大きな組織。得体の知れない存在だ。

 その存在に改めてショックを覚えた。

 

「3年程度なら余裕ですよ。園子には会えなくても、彼女なら分かって貰えますよ」

 

 宗一朗は頑張った。

 それが顔に表れている。疲れきった無念そうな顔。

 

(なんて顔をしてやがる)

 

 宗一朗が大赦内でどれだけ頑張ったのか、抵抗を試みたのか、俺には分からない。

 だが、目の前の男の申し訳なさげに佇むその顔に。

 俺は何も言わなかった。

 何も言えなかった。

 

「――すまない」

 

「……いいですよ」

 

 血を吐くような表情をする彼からそっと目を逸らす。

 どうして俺が……と、そう思う。

 その苦しみを、悲しみを、理不尽への怒りを、酒と共に呑み込む。

 線香花火の最後の玉が落ちるように咽喉を下る酒が、それらを溶かし込む。

 あぁ、俺は弱いなと思う。俺には逆らう力なんてない。

 豚のように、家畜としてただ必要な時に消費されるのを待つだけの矮小な存在。

 それが今の俺だ。

 

 月が雲から、再び顔を覗く。

 月の光と星空が、俺たちを照らす。

 

「―――いつ、引っ越すのですか」

 

「準備はすでに整っている。明日の朝にお前を送る。一人暮らしになる」

 

「なんだ、確定事項じゃないですか」

 

 思わず笑ってしまう。

 そんな俺を見て、宗一朗も僅かに口角を上げる。

 だが、口角はすぐに下がり真面目な口調で語る。

 

「俺は―――、お前を一人の男として認めている。俺の自慢の息子として、今まで見守ってきた」

 

「――――」

 

 唐突に、そんなことを言ってきた。

 その言葉は雨がアスファルトに溶け落ちるように、俺の心に染み渡った。

 急にそんなことを言われても困る。

 少しだけ戸惑う俺を無視して、

 

「……月が奇麗だな」

 

 ポツリと宗一朗が呟いた。

 クスリと笑ってしまった。どんな文脈だよと思う。

 宗一朗がなんだよと聞いてくるので、ええ、とても奇麗ですねと返答を返す。

 

 琥珀色の液体に月が見える。それを飲みながら俺は思った。

 なぁ、宗一朗。

 お前はいい男だよ。綾香が惚れたのもよく分かるよ。

 まぁ、お前のために死んでもいい、なんて古い言葉を使う気はないが。

 

「父さん」

 

「ん?」

 

「任せて下さい。俺も――」

 

 だが、任せてくれ。宗一朗。

 お前の意思は受け取った。お前の無念さも理解した。

 その上で。

 

「――俺も頑張りますから」

 

 俺は彼に、勝手に誓いを立てた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 目蓋を開ける。

 目的地が近いようだ。

 

「………………」

 

 あれから翌朝に、両親を抱きしめて、別れて。

 そして用意された車に乗って、新居に向かった。

 いろいろ後悔はある。

 あれをやるべきだった。

 これをやりたかった。

 

 そして、

 

「ごめんな、園子」

 

 そして、

 

「必ず、お前との約束は果たすから」

 

 だから、待っていてくれ。

 もしかしたら、お前もこんな俺に愛想を尽かすかもしれないけれど。

 初めて父と認める人からの頼みなんだ。許してくれ。

 宗一朗曰く、園子へのフォローは彼女の両親らがやってくれるらしい。

 それなら安心だ。

 

 俺がすべきことは一つ。

 大赦に抗う力。

 宗一朗を、綾香を苦しめた理不尽の根源。

 組織という力に歯向かうための力を、理不尽に抗うための力をつける。

 できるのだろうか……。

 

(できるさ、俺なら)

 

 根拠なき自信が俺を語る。今までなんとなく、漠然とした努力をしてきたが。

 今日という日から、俺は明確に変われる気がした。

 

 俺は、加賀亮之佑は、明確なる努力の最終目標を見つけたのだ。

 

「ここですか」

 

「はい」

 

 やがて車が止まった。

 神官たちが降りろと促してくる。

 車内から降りると日は大分過ぎていた。久しぶりの太陽光は俺には眩しかった。

 他の神官が去る中、衣装を脱ぎ私服姿になる安芸先生と目の前の家を見上げる。

 

「安芸先生、この家の感想をお願いします」

 

「大きいですね」

 

「ありがとうございます」

 

「――――?」

 

 目の前にあるのは一軒の家。

 ぱっと見、2階建ての普通の民家のようだ。他の家に対してブロックの堀で囲まれている。

 門扉をくぐると、芝生のある庭がある。

 平均よりも大きいくらいの家がそこにあった。

 ここが、新加賀家。

 俺の家となるここは一人暮らしにしては大きいが、配慮の一つなのだろう。

 

 

 

 ---

 

 

 

 こうして俺は一人暮らしをすることになった。

 母さんもこんな日が来た時のために家事の手伝いをさせてたのだろう。

 思う所は色々あるが、少し目が覚めた。

 この判断は、きっと間違っていない。

 こちらで頑張ろう。

 後悔は抱えるが。

 未練はない。

 うん。

 

 そう自分に言い聞かせる。が――

 

(さびしいな)

 

 なんて思った。

 それにしても、

 

(また、一人か)

 

 両親はいない。

 この家には掃除などでお手伝いさんがたまに来るらしいが、基本的に住人は俺1人になるのだ。

 1人で暮らすには、この家はどうも少し大きく感じた。

 そして、

 

(最後に一目、会いたかったな……)

 

 どれだけ言い繕っても、理論立てしても、

 孤独に震え、寂しいと感じるのはどうしようもなかった。

 生前よりも弱くなったなと、己を自嘲した。

 

 

 

 ---

 

 

 

 ひとまず安芸先生と書類関係もろもろの相談をし、菓子折りを用意。

 さて、挨拶周りをするかと外に出たところで。

 

「こんにちはー!」

 

 と元気のよい挨拶が聞こえた。

 門扉に目を向けると女の子がいた。

 

「……こんにちは」

 

 誰だろう。大赦の刺客にしては可愛い。

 ハニートラップか? いいぞ、ウェルカムだ。

 

「もしかして、あなたがここのお家に引っ越してきた人?」

 

 紅というよりはピンクに寄った赤い髪の色。長さはミディアムほど。

 同じく赤くキラキラと輝く、穢れを知らないような純粋で大きな瞳。

 髪には桜を模した白い髪留めがつけられている。

 後頭部を白い紐でまとめ、小さなポニーテールを形作っていた。

 ピンクのパーカー、白いシャツを着て、青い短パンを履いている。

 目の前まで来ると分かるが、同じくらいの背丈だ。

 知らない女の子。

 誰だろうか? 

 

「……そう、ですが」

 

 余裕はある。

 だが、まだ落ち着けていない。

 色々衝撃的なことがあったせいか、いつもよりも少し冷たい声が出てしまうが、

 お構いなくその娘は俺に話しかけてくる。

 

「じゃあ、お向かいさんになるね!」

 

 無邪気に話しかけてくる。

 

「あっ! 私は、結城友奈。よろしくね!」

 

 そう言って、彼女は手を俺に差し出してくる。

 どうやら、握手を彼女は求めているらしい。

 

「……加賀亮之佑です」

 

 手を出し、握手をする。

 何が楽しいのか、山桜の花を咲かせたような笑顔で、にっこりと笑いかけてくる。

 

「――――」

 

 似ていないのに、似ていると感じた。

 我ながら現金な奴だとは思うが、この生活も少しはマシに思えるかもしれない。

 寂しさも少しは紛れるだろう。

 退屈ではなさそうだ。

 また何もかも、ゼロから始めることになったけども頑張ろう。

 あの誓いが俺の中で生き続ける限り。

 俺はまだまだ走り続けられる。

 

 そして、次は大切な人たちを守れる力をつけよう。

 

 ややぎこちなかったが、俺は少しだけ微笑んだ。

 微笑むことができた。

 

「……よろしく」

 

「うん!」

 

 この出会いが何を意味するかは分からない。

 だがきっと、

 別れが突然あるように、この出会いも必然のものなのかもしれない。

 

 春休み。桜が舞い散る中、

 交わした彼女の手のひらは暖かく、

 俺は微笑み、彼女は笑った。

 

 別れの季節が過ぎ行き、

 新たな出会いが幕を開けた。

 

 

 




【第一幕】 幼少期の章-完-


NEXT


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【第二幕】 小学生の章
「第十話 誰よりもキミの傍にいる」


 ふと気が付くと、俺は見知らぬ廊下に座っていた。

 

 否、見知った場所だった。

 ここは、俺が幼少期をあの金髪の少女と共に過ごしたあの屋敷だ。

 目の前の縁石で園子と共に線香花火をしたのは、まだ記憶に新しい。

 

(……夢か)

 

 無理もない。園子の夢は何度も見た。

 寝る前にサンチョのぬいぐるみを抱きしめているのは、俺の秘密だ。

 今では彼女との思い出の一つとなったサンチョには仄かに園子の匂いを感じる。

 

 随分時間も経過してしまい、残り香などあるはずもないのだが。

 

「――――」

 

 それでも抱きしめると思い出す。

 金色の髪は、幻想的な妖精を思わせる容姿。

 

 あのふんわりほわほわした柔和な笑みが忘れられない。

 時々瞼を下ろすと、時折どこかから「かっきー」と呼ぶ声が聞こえる気がする。

 

 随分と彼女に傾倒しているなと今更ながら思う。

 それだけの期間ずっと一緒にいたのだ。俺には園子が、園子には俺しかいなかった。

 そんな女々しいことを考えながらも、見渡す限り誰もいない。一人だ。

 

 この家に関しては何をしようと自由であり、学校にさえ行けばいいらしい。

 最初こそキッチンが広いことや冷蔵庫の大きさに興奮した。

 自分で好きなものを作れるのは一人暮らしの醍醐味だ。

 

「一人、か……」

 

 昔、というか生前だが、俺も社会人生活をしていた時期を思い出す。

 3ヶ月の間だけだったが、狭く臭い男だけの寮生活を味わった日々を。

 

 振り返ってみると、俺はあの時確かに自由だった。

 掃除は大変だったし、炊事や洗濯も自分でしなくてはならなかった。

 面倒くさかったが、継続された習慣が死ぬ寸前までの俺を形作ったのだ。

 

 住めば都という。

 あの6畳一間の空間は俺の城であり要塞であり、アジトであり、聖域だった。

 僅かな間ではあったが、俺は自由だったのだ。

 

「…………」

 

 あの時に比べて随分と大きな家を手に入れたなと感じる。

 一階には、木が中心のリビングと設備の良いキッチン。新品のフライパンや包丁の手入れが楽しみだ。奥にはお風呂。広々として、歌を歌っても他の家には響かないだろう。

 

 階段を上がって、二階には4部屋。

 1部屋は既に物置。残り2部屋は空き室だ。

 おそらく本来は両親などの寝室だったのだろう。

 そして一番日の当たりがいい部屋、ここを俺の部屋とした。

 

「……これからずっとここに住むのか」

 

 独り言を言っても誰にも咎められない。変な顔をされない。

 素晴らしい環境を手に入れたと思う。立派な風呂も、ベッドの部屋もある。家がある。

 食事は自分で自炊しなくてはならないが、それだけの技量は身に付いた。

 

 寝ているだけで親の金が手に入るのだ。

 生前の俺ならば歓喜しただろう。

 

「……今更、こんなところに住みたくなかったよ」

 

 静かさが苦痛だった。少しずつ現実味が寒気と変わる。 

 会いたかった。綾香に。宗一朗に。園子に。 

 

「園子……。会いたいな」

 

 引っ越しをして2日目。先ほどから俺はずっと一人で会話していた。

 ホームシックと、一人暮らしをすれば分かる独り言症候群を発症したようだ。

 

 1日目を思い出す。

 確か俺は門扉にいた女の子と話をした。「お向かいさん!」と言っていた彼女。

 結城友奈と言ったか。薄紅色の髪と瞳、純粋そうな笑顔が素敵な明朗快活な少女。

 

 生前はああいうリア充っぽい子は近づく気もしないくらい嫌いだったが、友奈にはそんな嫌悪感を感じなかった。むしろただただ好印象しかなかった。

 

 こちらが尻込みするくらいグイグイ来た。

 コミュ力お化けだ。別の意味で怖い。

 

「…………」

 

 あの後、ちょっとテンパった俺は後ろにいた安芸先生を「あ、この人はお母さんです」と言ってしまい頭をはたかれた。うっかりお母さん現象が悪い。それで笑いは取れたので良しとするが。 

 その後、なんやかんやでご近所の挨拶周りに友奈も一緒についてきた。

 ご近所でも人気なのか彼女が隣にいた事と菓子折りで、ご近所関係もうまくいきそうだ。

 

「………………」

 

 しかし、漠然とした不安が俺の中で渦巻いていた。

 この数年、一人ではなかった。かつては孤独こそが俺の友人だったのに、いつの間にか俺は弱体化してしまったらしい。これからが不安でしょうがなかった。

 心の中でぐちゃぐちゃになった感情の整理もつかず、機械的に挨拶周りをした。

 

「ありがとうございました、結城さん。後日結城さんのお家にも伺わせて頂きますね」

 

「うえっ!? そんなことはないよ! 頭! 顔上げてよ! そんなに畏まらなくていいから!」

 

 90度に腰を曲げ、深々と礼をする俺に慌てて友奈は声を掛ける。

 そっと顔を上げる。

 

「それでは今日はここで失礼しますね、結城さん。本当にありがとうございました。これからも、お向かいさんとしてよろしくお願いいたします」

 

「う、うん。じゃあまた……」

 

 必要以上に畏まる。

 今俺には何もない。一人でなんとかしないといけないのだ。

 頼れる相手はいない。使える相手は利用しよう。

 

 その夜は荷物をほどき、ベッドにダイブ。

 綾香だろう。段ボールにサンチョを入れてくれたことは本当に感謝だった。

 サンチョに抱き着き、俺は1日目を過ごした。

 

「そうだったそうだった」

 

 動き始めた頭で思い出すのは2日目の出来事。

 資料を漁っていた。資料によるとインフラ関係については流石に手続きをしてくれたらしい。

 朝からなんとなく熱っぽかったのを俺は覚えている。

 

 水を飲む。フラフラしながら残った荷物をほどき、掃除をする。

 『時間は有限なり』と言うが、明日でもいいんじゃと思う。

 だが、どうしても行動したかった。

 

 段ボールにうどん饅頭が入っていた。

 食欲はあるので、齧り付く。あっさりとした餡子は俺の脳みそにじんわりと広がる。

 なぜだろう、あまりおいしくない。

 

 水を飲む。

 水を飲む。

 水を飲む。

 

 ドロリとした液体が喉を潤す。

 気持ちが悪い。

 慌ててトイレに向かう。

 

「……ぅ……ごぇ」

 

 ゲーゲーと思いっきり吐いてしまう。どうも調子が狂う。

 薬はない。行く気力はない。そもそも土地勘もない。

 この場所は地図で確認すればいい。

 

 寂しいならテレビのキャスターが相手をしてくれる。

 残念だが手元には今、携帯端末はない。

 もう寝るしかなかった。

 最悪の気分で自分の部屋に向かう。

 

「おか……」

 

 口にして気づく。

 誰もいない。ここには。

 

 一人で頑張るしかないのだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 幻想の屋敷。

 誰もいない無人の屋敷の廊下で一人。俺は喋る。

 

「風邪でも引いたのかね……」

 

 思えば色々ありすぎた。

 この体には随分と荷が重すぎたのかもしれない。

 病は気から、と言うように体が弱ると気も弱まるようだ。

 思えば転生を果たしてから、俺は風邪を引いたことがなかった。

 

 綾香がずっとそばにいてくれたからだ。

 何不自由ない生活。

 おいしい食事。

 清潔なお風呂。

 暖かいベッド。

 

 家には確かにそれらはある。俺が用意すればいい。可能だ。

 だが、家族はいない。

 喪失感だけがそこにあった。

 メンタルが弱すぎて嫌になる。自分の弱さが露呈した気がして嫌だった。

 

「……いひゃい」

 

 ベターだが、手で頬をつねる。無意識に手加減したのか痛みは少ない。

 だが痛みが無くとも分かった。ここは夢だ。なぜなら園子の屋敷に俺は向かっていない。

 だって禁止されたから。理不尽にもそういう目に遭ったから。

 

 ――約束は果たされず、思い出は既に過去の彼方だ。

 

 後悔や苦しみが俺を雁字搦めにする。

 それらが俺を支配する。

 有体に言うと、どうやら俺は寂しいらしい。

 

「夢なんだから、園子ぐらい出て来いよ……」

 

 そう思うことを誰が責められようか。

 そんなことを考えていたからか、気が付くのが遅れた。

 

「――ぁ?」

 

 

 影。

 

 

 影がそこにいた。

 顔は見えないのに笑っていた。俺を見て笑っていた。

 

 人という形に影を張り付けたような存在に本能が恐怖を覚える。

 それはこちらを向いていた。いつの間にか、俺の横にいた。座っていた。

 俺に向かって何かを――、

 

『久しぶり』

 

 

 

 ---

 

 

 

「……ぁあアああああああ!!!」

 

 自分の悲鳴で目を覚ます。なんだあれは。

 

「――――っ」

 

 落ち着け。

 鳥肌が立つ腕を押さえ体を丸める。震える手でサンチョを抱き寄せる。

 

 布団に包まり周囲を確認する。誰もいない。

 目覚まし時計を確認する。

 まだ4時だった。

 窓からそっと外を見ると、まだ空は暗く周囲の家々に光はない。

 

 冷や汗をかいている体に比例するかのように思考は冷たい。

 ふと胸元が熱いのに気が付く。

 チェーンを引っ張り出すと指輪が熱を帯びていた。

 

 嫌な夢を見た。

 なんだあれは、落ち着け。

 

 落ち着くんだ。クールになれ、いつもの俺を取り戻せ。

 

「……はぁー、あぁ……」

 

 意識して息を吸う。

 深呼吸する。忘れろと自分に言い聞かせる。

 風邪で悪い夢を見たんだ。夢なら昼頃には忘れているだろう。

 

 他のことを考えよう。

 まず明るくなったら食糧と薬と、色々買わなければ。

 

 やることはたくさんある。新生活が忙しいのは当然、忙殺の間にこの新しい城に慣れるしかないのだ。泣いても誰も助けてはくれない。

 自分でやるしかないのだ。後悔しないように。俺は冷や汗を手で拭った。

 寝汗と共に孤独感と寂寥感も少しだけ拭えた、そんな気がした。

 

「――頑張れ、俺。大丈夫」

 

 小学5年生が始まろうとする春休み。

 その、約8日前の出来事。

 新しく始まった、まだ見慣れない家で俺は自分を鼓舞し続けた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第十一話 笑顔の花、桜が舞う」

 変な夢を見てから数日が経った。

 

 この数日で体調と生活基盤を整え、どうにか一人暮らしを始めた。

 暮らしに余裕が見え始めたのは数日前。寝て、起きて、飯は外食でうどんを食べた。

 時々チャイムが煩かったが、どうせ新聞勧誘とかだろうし居留守をする。

 

 最近はソファでテレビと戯れる。楽しくはないが。

 精神的にはまだ微妙だが、まあ大丈夫だろう。

 

「さて、……」

 

 体を動かし、よっこらせ……とすっかり独り言が癖になってしまった。

 どうしようもなく俺は思わず苦笑する。

 

「……ああ」

 

 今は午後1時を回った頃。

 昼時に訪れた客たちが店から減り始める頃合いだ。

 俺は最近、うどん屋にはまっていた。

 

 肉体は香川人だが、別に中の人的にはうどんを愛してはいない。

 とはいえ肉体は正直で、少しずつ舌が『うどん』の味を覚え始めていた。

 

「……うどん、何食べようかな……」

 

 昨日の昼は何食ったっけと思い出す。

 そうだった。テレビでうどん特集されていた店に行ってみたんだった。

 店名なんだっけと考えて止めた。うどん屋が多すぎて覚える気にもならない。

 

「今日から、自炊するかぁ……」

 

 結局それが一番だ。

 外食の生活はやっぱ駄目だ。あんな栄養の一切を考えないものを食べ続ければメタボになる。

 体調管理を徹底することは綾香にしっかり躾けられたのだ。

 料理、家事をしている間はこの沈んだ気分もマシになるだろう。

 

「…………」

 

 ふぅ、と何もしてないのに溜息が出る。

 学校に行きたくないという思いが過った。

 前世のことが嫌でも思い出される。神樹館小学校はそういう面では何一つ問題はなかった。

 

 確かに友達はできなかった。だがいじめられた訳じゃない。遠巻きに見られただけだ。

 そういう意味で教育はしっかりしている。300年の道徳には感謝だ。

 

 この世界は、随分と優しい。

 

「……、は――」

 

 昔、誰だかが言っていた。

 苦しいときこそ不敵に笑うのだと。脳のドーパミンがどうとか言っていたのを俺は思い出す。

 

「…………」

 

 鏡に向かって口端を釣り上げてみる。

 あまりにも不自然過ぎた為、明日から練習することを決めた。

 

「あ」

 

「こんにちは!」

 

 家を出ると、赤い人に遭遇した。

 コミュ力お化けだ。

 

「こんにちは、お向かいさん。4日ぶりですね」

 

 俺が挨拶に応じると彼女はにっこり笑う。

 笑顔が眩しいとはこのことを言うのだろう。

 

「うん! 最近顔を見てなくて気になっていたんだ!」

 

「…………」

 

 彼女がふと俺に問いかけてきた。

 

「そう言えば、加賀くんって昨日どうしてたの?」

 

「え? どうとは?」

 

「昨日家の方に行ってみたけど、居なかったみたいだから」

 

「……あぁ」

 

 おまえだったのかと俺は少し脱力感に襲われた。

 だが俺も「居留守でーす」とは流石に言えない。

 言えないことにちょっと罪悪感を感じる。

 

「買い物に行っていたんですよ。引越しでバタバタしてたので」

 

「そうなんだ! 良かったー、病気になったんじゃないかと思って! ……えへへ」

 

 やめて、そんな目で見ないで! 

 罪悪感で溶けてしまいそうで、そっと目を逸らした。 

 

「これからうどん食べに行くんですが、一緒にどうですか?」

 

 戦略的撤退を行うべく俺は前世スキルを稼動する。

 前世スキルである社交辞令は、それとなく断りやすいお誘いをして、お互い後腐れなくさよならできる前世で鍛えたスキルだ。

 いかにも良い子そうな彼女は空気を感じ取って引いてくれるだろう。

 

「本当っ!? どこのお店!? 私も行く!」

 

 だが、目の前の少女にはスキルが効かなかった。

 なぜだと考えて俺はあることを思い出した。

 

 香川県民はうどんを愛している。どうしようもなく。

 それは遺伝子にでも書き込まれたのか、うどんは世界を救うを体現したような人種だ。

 俺が生まれた場所は、そういう魔境とも呼べる場所なのだ。

 

 大抵うどんの為とか言えば、『致し方なし!!』という連中である。

 正直頭がおかしいと思う。そんなにうどんがいいなら3食ずっと食っていればいいのに。

 うどんキチしかいない場所に転生を果たしたことを俺はすっかり忘れてしまったらしい。

 加賀家ではうどん以外もバランスよく食べていたからだろう。

 

 ミスをしたと俺は思った。

 だが誘った手前で、やっぱり……なんて言えないし、言わない。

 

「じゃあ……一緒に行きますか?」

 

「うん! 行く!」

 

 お向かいさんを引き連れて、俺はうどん屋に向かうことにした。

 

 

 

 ---

 

 

 

 お向いさんとなぜかうどんを食べることになって十数分後。

 俺は一軒の店に入った。

 なぜこの店に入ったのか。特に意味は……ないのだが、強いて言うならばギャンブル感覚だ。

 

 この世界の香川県は、うどん屋が多い。無駄に多い。

 当然有名店なども多いが人気なため、人が殺到する。

 ラーメンならともかく、うどんのために並ぼうという気概は俺にはない。

 

 そんな訳で他愛もない世間話をしながら、俺たちは一軒のお店に入った。

 『かめや』と書かれた個人経営のお店のようだが、まだできたばかりのようだ。

 俺の直感が告げた。

 

 ――ここにしよう、もう歩きたくない、と。

 

 己の直感という名の妥協をして、俺は店の引き戸を開く。

 店の内装は、よく見る普通の内装だった。

 カウンター席にはメニューと調味料のお盆が数席ごとに配置されている。

 少し視線を左に移すとテーブル席がある。あまり客がいないのかスカスカだ。

 

「お向いさん、テーブル席でどうですか?」

 

「うん、いいよ!」

 

 明るい返事がいただけたので、適当なテーブル席に移動をする。

 席に座ると店員さんがお水を持ってきてくれる。

 そっと喉を潤す。氷の入った冷たい水が気分を良くする。

 

 チラッと目の前の席に座るお向かいの少女を窺い見る。

 メニューを見ながら、何を食べようかうんうんと頭を悩ます少女。

 せっかくなので俺もメニューを一緒に見てみる。

 

「ねぇお向かいさん。なんでここのうどんってこんなに安いと思いますか?」

 

 俺の質問に頭を上げて此方を見る少女。

 その薄紅の瞳に疑問が浮かぶ。

 

「……わかんない」

 

 そのメニューには、一杯の掛けうどんが200円と驚きの価格が掲載されていた。

 最近うどんを通ぶっていた俺だが、大体は350円台で安いなと思っていたのだが。

 

「変なモノでも入っているんですかね」

 

「ちょ……そ、そんな訳ないよ! うどんはいつだって安くて美味しいんだよ!」

 

「冗談です、それで注文は決まりましたか?」

 

 あわわわ……とこの店のフォローに回るお向かいさんに対して、そっと微笑む。

 冗談であると分かったからか、再び相好を崩し和らいだ笑みを少女は浮かべる。

 

「うーん。この肉ぶっかけうどんにしようかな」

 

「え?」

 

「だからこの、お肉ぶっかけうどんにしようと思うんだけど。あなたは?」

 

「この天ぷらうどんにしようかなと」

 

「おお……! 豪華ですなぁ」

 

「だろう?」

 

 店員さんを呼んで注文をする。

 少し時間がかかるので目の前の少女とそろそろ真面目に話をしようと思う。

 

「そういえば、お向かいさんは……」

 

 俺が話しかけようとするのをお向かいさんが遮って、唐突な自己紹介を彼女はした。

 

「結城友奈です。友奈でいいよ!」

 

 正直に言おう。ちょっと俺は彼女の名前を忘れていた。

 この出会いは2回目になるのだが、何度も会わないと俺は人の名前が覚えられないらしい。

 もう一度聞き返すのも失礼なのでお向かいさんを連呼していたのだが。

 それを察したのか、彼女はちょっとだけ苦笑しながら名乗り直してくれたようだ。

 

「あー……。じゃあ、俺のことは亮ちゃんでいいですよ」

 

「うん! 改めてよろしくね、亮ちゃん!」

 

「……よろしく、友奈」

 

 冗談と受け取らない彼女から呼ばれる愛称。

 嫌味ではなく、純粋な彼女だからこそ、僅かに嬉しさを覚えた。

 

 その後、運ばれたうどんを前に、しばらくの間麺を啜る音だけが流れる。

 うどん自体はそれほど太くないがコシは強く歯ごたえもある。つゆや薬味も相性がいい。

 正直食べながら話すのは好きではないので、うどんの方に注意を払う。

 

 ふと視線を感じて目の前の少女を見てみる。

 彼女はうどんを食べるのが早いのか、鬼気迫る感じで食べているが、

 

「ねえ、亮ちゃん。その天ぷら……美味しそうだね」

 

「……その肉と交換だ」

 

「にゃす!」

 

 クククッ、物欲しそうな顔をしやがって。仕方ないなぁ……。

 なんて言ったかよく分からないが肯定だろうと、彼女とトレードが成立する。

 

 彼女の赤色の箸から渡された牛肉。程よく脂が乗り、牛肉の良い香りだ。

 そっと食べてみる。煮込んだ牛肉はホロホロと舌に優しい。

 友奈の方を見てみると、本当に美味しいです! みたいな顔をして天ぷらを頬張っている。

 

 磯の香りがするつゆを飲み干し、一息つく。

 久しぶりに美味しいものを食べた気がする。

 うどん因子はやはり俺の肉体にも宿っていたからか。

 

 それとも、目の前の彼女と食べたからだろうか。なんにせよ、誰かと食べる御飯は良いものだ。

 ほぼ同着で食べ終わったらしい彼女に片頬を吊り上げて紙ナプキンを渡す。

 

「おいしかったね」

 

「だね!」

 

 それなりに早く食べるのだが、友奈に食べるペースを合わせる。

 うどんにより頭が回り、食欲も収まりつつある中で、俺と友奈は話をした。

 

「そういえば、亮ちゃんって何年生なの?」

 

「4月から5年生だよ」

 

「じゃあ同級生だね! 同じクラスだといいね」

 

「そうだね」

 

 どうも俺と友奈はタメだったらしい。

 

「ここら辺はもう慣れたの?」

 

「いや、まだ全然……」

 

 流石に引きこもって吐いてましたとは言い難いものがある。

 実際、家以外ではスーパーやホームセンターぐらいしか行っていない。

 余裕ができたら行こうと思ってはいたのだが、重い腰が上がらないのだ。

 俺がそう言うと、友奈は薄紅の瞳を輝かせてガイド役を申し出た。

 

「じゃあ、私が案内してあげる!」

 

「いいの? 迷惑なんじゃ……」

 

「そんなことないよ。私の地元を知ってもらいたいし。

 それに困っている人に手を差し伸べるのは当たり前だよ!」

 

「――――」

 

 声が出なかった。こんな天使か何かがいたのか。

 俺は初めて異世界転生を果たしたことに感謝した。ありがとう名も知らぬ誰かよ。

 せっかくなので、ガイド代として友奈の分は奢ることにした。

 少し困った顔をして断ろうとする友奈に、案内の正当報酬だからと店を後にしようとし、

 

「あ、亮ちゃん」

 

「?」

 

「ここのお店、美味しかったからまた来ようね」

 

 と、にへらっとした笑みを浮かべた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 うどんは偉大だと俺は初めて思ったかもしれない。

 かめやに入る前に比べて随分仲良くなった気がする。うどんが世界を救うのだろう。

 

 そんなことを思いながら、友奈と二人で街中を歩く。

 食後の散歩ついでに、可愛らしいガイドさんと共にこの町――讃州市内を巡る。

 この時間は車通りも少なく、街路樹も緑の葉を風と共に揺らす。

 枝々を漏れる午後の光が道に網目のような影を落とした。

 

 如何にも街道という古い松並木が続く。

 人通りは少ない中で、俺は友奈と隣合わせで歩きながら尋ねた。

 

「それで、どこへ行くの?」

 

 こう聞くと、友奈はうーんと人差し指を顎にやり考える。

 形の良い眉がキュッと皺を寄せる。

 彼女なりに真剣に考えているんだなと思わせる。

 ムムム……という擬音が背景に出そうな光景だったが、急にパァっと顔を明るくした。

 

「亮ちゃんはここら辺の桜を見たことある?」

 

「いや、まだないけど」

 

 そんな暇はなかった。

 それにもう大体枯れてしまっただろう。

 そう言うと、友奈はフーンとか、ヘーとかちょっと得意げな顔をする。

 

 ちょっとイラッとしたが、脇腹を突く程度で抑える。

 くすぐったそうに笑う彼女で遊んでいると、やがて観念したのか笑顔で告げた。

 

「桜を見に行こう!」

 

 彼女の案を受けて、しばらく歩いた。

 民家を抜け、橋を渡る。

 

 途中、友奈が横断歩道を渡るお婆さんに付き添った。

 そういう何気ない優しさを発揮する彼女に、少しだけ俺は惹かれていった。

 

 無益の優しさ、と言うのだろうか。

 彼女にとってそれが当たり前であっても世界に同じことができる人はそういないだろう。

 まあ世界と言うが四国しかないが。

 

 そんな感じで寄り道していると、目的地についたのは日も大分落ち始めた頃だった。

 もう少しだからと二人で少しほど歩いて路地に向かう。

 そこを抜け、坂を上がった丘にそれはあった。

 

「ここだけ遅咲きなんだ!」

 

 と友奈が俺に話しかけてきたが、俺はそれどころではなかった。

 

「――――」

 

 しだれ桜。

 その幻想の様な優美な光景に思わず俺は目を奪われていた。

 誰もこないような場所で、彼女はたまたま見つけたのだという。

 

 枝が柳のように垂れ下がり、全身の枝から優しい桃色の花という滝を流したような樹木。

 暮れていく空を背景にその桜は輝いていた。

 陽射しを受け花は淡い金色に縁どられ、風が吹くたびに花びらではなく光が零れ散っていた。

 

「どうしてここへ?」

 

 連れてきたのか。

 そう尋ねると、友奈は無垢な笑みを浮かべた。

 

「うーん。亮ちゃんが悲しそうだったからかな? 悲しむより元気になって欲しかったんだ。

 私はお花を見ると楽しい気持ちになれるから」

 

「…………」

 

 彼女は。

 友奈は。

 友奈はたった数回しか会ったことのない俺に。

 お向かいさんという立場でしかない俺に。

 

「えっと、ゴメンね! もしかして迷惑だったかな?」

 

 唐突に申し訳なさそうな顔をする友奈に俺は、

 

「そんなことないよ」

 

 無垢な優しさに触れ、なぜだか無性に泣きそうになった。

 なんとか俺は泣きそうになるのを抑え、彼女に笑いかけた。

 押し黙っていた俺にあわあわとしていた彼女。

 薄ピンクのかがり火のように咲き誇る桜を背景に映る友奈はとても――、

 

「綺麗だ」

 

「――――」

 

「連れてきてくれてありがとう、友奈」

 

 友奈に感謝を告げる。

 俺の言葉にきょとんとした顔をした友奈はやがて理解したのか、にへらっとした笑みを浮かべる。

 言葉少なではあったが、それでも気持ちは伝わったようだ。

 

 思えば俺は、いつの間にか陰気で動けなくなっていた。

 暗い気持ちで何もしたくないと思う気持ちを、この光景が吹き飛ばした。

 

 気持ちのよい春風が俺の首筋をくすぐる。

 どうも、春の風が俺の暗い気持ちをどこかへ運んでしまったようだ。

 確かに後悔はある。ああすべきだった、こうすべきだったと数え切れない。

 果たせなかった園子との約束は罪悪感という枷となり俺の足を引きずる。

 

 だがそれでも、俺はまた歩いて行けそうだ。

 自分というアイデンティティを思い出す。同時にあの日の出来事も。

 

「…………」

 

 そうさ、止まっている場合ではない。もっと努力すればいい。あきらめない。

 自分を守り、大切だと思う人を守る力を磨く。

 寂しがっている場合じゃない。口角が自然と上がる。

 気分が高揚するのを感じる。

 

「友奈」

 

「なに?」

 

「――ありがとう」

 

「……うん」

 

 彼女の瞳をじっと見つめ微笑みそう告げると、友奈はほんのりと頬を赤らめてコクリと頷いた。

 きっとこの光景を忘れはしないだろう。

 

 月の誓いのように――。

 夜空の下での願いのように――。

 桜と共に輝く友奈の笑顔を。笑顔の花を――。

 

 俺はきっと、忘れはしないだろう。

 

 

 

 ---

 

 

 

 新学期。

 転校生として教室に入る直前。

 俺は廊下に佇んでいた。

 

「ここは何か掛け声をしておくべきか……」

 

 生前見たドラマで、不良の学校にヤクザの女教師が教育していくという熱血ドラマがあった。

 彼女は気合を入れる合図として、授業開始前に廊下で一人手をかざし叫んでいた。

 

 今の状況は若干それと似ている。

 俺は転校生。転校生という立場は非常に諸刃の剣だ。舐められたらいじめられるだろう。

 それなりに挨拶をして、それなりの地位とヒエラルキーを確保しよう。

 安定志向に走る俺に、久しぶりに内なる何かが囁く。

 

 ――それで本当にいいのか、と。

 

 そう言われても。

 ふと俺は自分の手を見る。

 

 この手で俺は何をやってきた? 

 お前は何ができる? 

 戦う以外でできることがあるだろう? 

 人を笑顔にできる術を、お前は磨いてきたはずだ。あるだろう? 

 後悔するなよ、と何かが囁く。

 

「――――」

 

 ふぅ、と息を吐く。

 後悔しないって大変だなと感じる。

 同時に、せっかくだから転校生デビューしてやりますかと考える。

 

 この気持ちはいつ振りだろうか。

 そうだ、あの金髪の幼女に初めてあった日を思い出す。大したことじゃない。

 自然と自分の掛け声が何が相応しいか分かった。

 

「――入ってきてください!」

 

 と先生が俺を呼んだ。

 どうやら出番のようだ。始めるとしましょうか。

 俺は扉に手を掛け不敵に笑い、こう言って扉を開けた。

 

「ショータイムだ」

 

 

 

 ちなみに友奈も同じ教室だった。

 彼女含め、クラスの子供たちを大道芸で沸かすことなど造作もなかったことを告げておく。

 先生にはちょっと怒られたが、後悔はない。

 

 

 




手品師⇒芸達者


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第十二話 種を蒔き、雨が強く降りしきる」

 季節が過ぎるのは早いものだと俺は最近思うようになった。

 毎日毎日やることがある。やらなくてはならないことがある。

 

 クラスメイトとの運動会や遠足、皆の前で大道芸を披露したりした。

 休日は友奈と戯れて、時々人を助けた。一日一善の自己満足をする。

 テスト勉強を友奈と一緒にやったり。男友達ができたり。

 

 だから気が付くと一日が終わって、一週間が終わるのを繰り返す。

 謎の転校生が来てから、つまり俺がこの讃州小学校に転入してから一年が経過していた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 神世紀298年9月のある頃。

 9月になり、ようやく爽やかな風が夏の終わりを告げる頃。

 

「ふぅ……、疲れた」

 

 俺はほっと一息つくような姿勢で椅子の背に背中を預けた。

 ギィっと椅子が悲鳴を上げるのを気にせず、安堵の溜息を吐いた。

 これでテストはひとまず終わり。季節は夏を過ぎて秋になった。

 

「亮さん亮さん! そっちはどうでしたか?」

 

「ああ、まずまずだよ」

 

 俺に話しかけてくる少年。

 黒髪でなんとなく紺色に近い黒い瞳。最近できた俺の男友達で、彼も変態の一人だ。

 昔は真面目君だったが、何かと俺に突っかかってきたので色々と教えたら懐かれた。

 

「しかし、亮さんが来てからもう1年ですか。速攻で馴染みましたね。今度またアレ教えてくれますか?」

 

「――ああ。お前はお前で随分と変わったよな、一世。昔のガリ勉キャラが懐かしいな」

 

「あれは俺の黒歴史だから」

 

 そういって彼はブンブンと両手を振る。

 なんのポーズだろうか。アルファ波でも生みそうな動きだ。

 彼の謎の動きをぼんやり見ながら、俺は少し前のことを思い出す。

 

 

 

 ---

 

 

 

 俺がこの少年、赤嶺一世に出会ったのは、俺が転校生デビューという名のクラスを巻き込んだ一大ショーを開始して、およそ1ヶ月が経過した頃だ。

 

 流石に転校生としての肩書も薄れ始め、放課後。

 さて、何もすることもないし友奈と戯れて帰ろうとランドセルを背負った時。

 今日も彼が話しかけてきた。

 

 曰く、女子と手を繋ぐのは不純異性交遊だの。

 曰く、買い食いは校則違反だの。

 曰く、手品のようなお遊びを学校でするなだの。

 

 こういうお真面目な委員長キャラは初めてで思わず二度見してしまった。

 しかし残念。俺の中の委員長は三つ編み眼鏡って決まっているの。あと可愛い子限定だ。

 眼鏡の男は呼んでないのだ。

 

 ところでこの学校。

 いわゆる不良がいないらしい。多少グレかけの子供はいるが俺にとっては可愛いもの。

 目立つようないじめも見られない。大分イージーだ。

 

 それでもある程度おとなしくしているつもりでも、たまに上級生が絡んでくる。

 そういう場合はある程度まではへり下りプレゼントなどをするが。

 それでもあんまりしつこいと、ちょっと屋上まで連れていく。

 彼のありがたい説教を若いって素晴らしいですな、と最近は聞き流していたが、今日は違う。

 

 準備は整った。

 

「えっと、赤嶺君だっけ? たしかこのクラスの委員長だったよ、ね?」

 

「――そうですけど」

 

 ニッコリと花が咲いたような笑みを俺は浮かべたはずなのに。

 どうして引き下がるのかな? と思いながら俺は話を続ける。

 俺がこの1ヶ月何もせず、のほほんと友奈で戯れていたと思ったら間違いだ。

 

 俺は学んだ。前世と、死んで学んだ。

 亮之佑として産声を上げてもう11歳だ。

 この前11歳になった時に友奈からプレゼントをもらったのは嬉しかった。

 いや、そうではなかったなと頭を横に振る。

 

「――ねぇねぇ」

 

「はい?」

 

 俺はそっと彼に手招きをした。

 不審に思ったらしい赤嶺君は、それでも素直なものでチョコチョコとこっちに歩いてきた。

 俺は彼の耳元で微笑みながら小さく囁いた。

 

「――毎日家で、キラピュアの人形と戯れているの知っているんだよ?」

 

「…………ぇ」

 

 しゅばっと、こちらを見る目は隠そうにも隠し切れない動揺が浮かんでいた。

 

「どうして……ぇ……ぁ……ええ?」

 

 俺は笑って隠し撮りした写真をチラ見せする。

 それには、自室らしき場所でニヤニヤとした顔で人形遊びをしている赤嶺少年が撮られていた。

 背景に写るのは金髪、銀髪、黒髪など様々な人形たち。

 そこに囲まれている彼は恍惚の表情を浮かべている。

 

 それを理解しこの後どうなるのか、賢い彼には分かったらしい。

 彼の瞳に明確な絶望が過る。顔に恐怖が表れる。

 

 5年2組のクラスの主要人物の情報と、いざという時の情報はこの1月で既に揃えた。

 今はまだこのクラスだけだが、必要に応じて情報を揃えただけ。

 イジメられないためには、仲間を作るためには自分で身を守るしかないのだ。

 

「別に脅しているんじゃないんだ。ただせっかくだから君のような優秀な少年と――」

 

 俺は口角に笑いの渦を漂わせながら、彼の手のひらにそっと紙切れを握らせる。

【限定版 姫騎士キラピュアフィギュア 弩級エロ枷付き専用入手券(数量限定お値段支払い済み)】と書かれた紙切れ。それを見て、赤嶺君は目の色を変えた。

 キョロキョロと周りを見渡し急に小声になる。

 

「――仲良くしたいと思うんだ。これ友情の証として受け取って」

 

「こ、これは!? ……一体どうやって……あんた何者なんだ!?」

 

「……ただの、芸達者さ」

 

 フッとちょっとカッコつける。

 

「真面目なのはいいが。何も自分の性癖……ゲフン。自分の趣味を隠す必要はないんだ。きっと俺のように君の趣味を理解できる同士は世界に大勢いるのだから」

 

「……加賀さん」

 

「男が変態で何が悪いんだ? 大事なのは己が変態であることを認めることができるかどうかだろ。それで男の器は決まるんだよ。それを認めた上で隠せばいい。俺のような同士が増えればきっと楽しいぞ。これから俺たちは友人だ、友よ」

 

「加賀さん!」

 

「亮でいいぞ。赤嶺……いや一世よ」

 

「亮さん!!」

 

「ククッ、ではまた明日な一世。これからよろしくな(ヘンタイ)よ」

 

「ハイっ!」

 

 ちょろいな。ちょろい子ばかりだな。所詮は小学生。

 これでこの真面目君も堕ちたな。そっと俺たちは微笑みあう。

 

 この世界には、いわゆるオタクという人種は少なくない。

 いるにはいるのだが、この世界では露骨にそういったモノを公言するのは控える風潮らしい。

 300年前と違い『萌え』の文化は縮小してしまったらしい。

 なんでも神樹様をゆるキャラにしようとした結果、謎の裏の組織に消されたらしい。

 

(萌え文化は衰退しました……か)

 

 その結果、オタク関連で友達が作れず一人でコソコソしなくてはならなかった。

 ばれたら周りの人たちに異端の存在として扱われる。

 だからこの世界は、オタクにとっては地獄だ。

 

 では、共通の話題を持ち、尚且つ世界への理解を示したオタク同士が手を結べばどうなる? 

 答えは簡単だ。

 

 優秀な変態同士が仲良くなると、変態は友情を生む。

 頭の良い変態が、新しく優秀な変態を呼ぶ。

 最終的には世界を救うかもしれない。

 

 つまり、変態紳士でいる人こそが最強なのだ。 

 変態が世界を救うならつまり、うどん=変態という構図が生まれるかもしれない。

 今、決して理論では語ることのできない、オタク同士のコミュニティが築かれようとしていた。

 

「――――」

 

「――――」

 

 言葉は要らなかった。

 俺と一世はガシッと握手を交わし、お互い背を向ける。

 彼の手にはしっかりと俺との友情が握られていた。彼の背中には自信があふれていた。

 

 後日、彼は俺という理解者がいることで余裕ができスマイルを浮かべるようになった。

 性格も大分変わった。

 これによって女子たちにモテるようになったらしい。

 

(だが変態だ)

 

 彼が『人間』に見向きする日は、しばらく来ないだろう。

 

 このように、一度徹底的に深淵に叩き落として、ロープで天高くまで引き上げる。

 その上で報酬をちらつかせ、友達となる。

 俺と同じ匂いがする奴。それでいて有能な素質が見られる奴ら。

 俺はこの手法で友達という人脈を作っていた。

 

 男は誰もが皆変態だ。ある程度趣向が合わない奴がいる時もあるが、結構特殊な例の場合だ。

 やはり同じ趣味や嗜好だと会話も弾む。学校生活ももっと楽しくなるだろう。

 神樹館小学校時代のようなボッチライフは止めようと思う。

 

 当然、露骨にピー音が発生するようなヘマはしない。

 変態紳士を名乗るなら、女性陣の前で会話してもばれない清潔感極まる隠喩を用いて喋る。

 その程度の弁えと頭脳は持ち合わせるべきだ。例えば彼のような子が望ましい。

 

 この年代で女子の前でしょうもない下ネタを連発するような男とはお付き合いはしない。

 真の変態の素質があるかどうか、それを見極めることが重要なのだ。

 

 変態から始まるコネづくり。いずれ人脈も武器になる時が来るだろう。

 友人とは多くいて損はない。これは投資なのだ。

 俺は優秀な人脈を、彼らは共通の理解者を得る。WIN-WINだ。

 

 そんなことを思いながら俺は教室を出た。

 悪ーい顔でもしてたのか。廊下にいる生徒はどいつもこいつも俺を凝視していた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「亮ちゃん! かーえーろ!」

 

「あーいよ」

 

 いつものにへらっとした笑みを浮かべた友奈。

 今日も今日とて、俺は友奈と帰宅する。

 ランドセルを背負いながら、ゆったりと二人で並んで今日も帰る。

 

 お互い部活をしていないので一緒に帰れるときは一緒に下校するし、

 登校も自然とするようになってしまった。

 

 コンビニよりも近いお向かいさん。

 

 よく家に来るようになったので大抵何かしら、お菓子とかそのまま夕飯を御馳走したりする。

 一人も二人も変わらないので、友奈の両親が出張で出かける時は一緒に食べたりする。

 

 友奈は食べ物を貰うと喜ぶ。美味しいものを食べると全身で喜びを示す。

 彼女に「美味しいね!」って言ってもらえると、俺もついつい張り切ってしまう。

 だがらついつい餌付け感覚で与えてしまうのだ。

 ついつい友奈の好物を把握して作ってしまうのは仕方ないのだ。

 

「あれから1年か……」

 

「はやいよねー」

 

 そんなこんなで、もう1年の付き合いとなった。

 毎日朝とたまに放課後、友奈のお家に顔を出すといつの間にか顔パスで入れるようになった。

 そこから派生する話も多々あるのだが、いまは割愛。

 

 ちなみに、この「亮ちゃん」という呼び方。

 以前『かめや』で冗談交じりに言ったのを友奈がそのまま使い続け、

 俺は俺で訂正を忘れてしまったので定着してしまった。

 

 聞いてみると友奈は男子に対しては大抵「○○くん!」と『くん』付けにしているらしい。

 『ちゃん』付けは男で俺だけだ。

 ちょっと特別感があって嬉しいと感じたのは彼女には内緒だ。

 

 そのせいか、はたまた小学生の男女が一緒にいるからか。

 一度小学生特有の、お前ら仲いいな! ヒューヒューといった揶揄う声が頻発した。

 なので俺は怯まないでがっつりと友奈への想いを真顔で、声を大にして語ってやった。

 

 するとクラスメイト達は顔を真っ赤にし、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 ――どうやらお子様には刺激が強かったらしい。

 

 ふと友奈の方を見るとトマトのように顔を赤らめていたので、

 

「友奈は可愛いね」

 

 ニヤリと笑いながらそう言うと、むぅ……と何も言わず涙目で睨まれた。

 その後、コンビニでアイスを買って奢ると喜んで機嫌を直したのだが。

 

 

 

 ---

 

 

 

 帰宅中。

 なんとなく2人で空を見上げる。

 

「――――」

 

 降りそうなまま執拗に曇った空。

 空は継ぎ目ひとつなく灰色の雪雲に覆われ、朝とは違い町は気が付くと曇天模様一色に染まっていた。

 病人のように曇った空の下で、俺たちはこれまたなんとなく自宅への足を急いだ。

 

「帰ったらどうするの?」

 

「昨日スーパー行ったから、今日は夕飯作りの仕込みかな。あるモノで何とか作る」

 

「そのセリフ、お母さんがよく言うセリフだよ」

 

「……主婦をやればわかるよ。おぬしもいずれ分かる時が来るじゃろう……」

 

「そうなのじゃろうか……ていうか、亮ちゃんって主婦なの?」

 

「まあ俺の場合は……主婦っていうか、主夫だね」

 

「?」

 

 きょとんとラッコのような目をした友奈を横目に、俺は寒気に足を速める。

 降りそうだな、なんて思ったのと同時に雨が降ってきた。

 降りしきるジメジメとした雨は随分と冷たく、俺の体を冷やし始めた。

 

「降ってきたね……」

 

「通り雨だよ、大丈夫!」

 

 友奈が楽観的で明るい表情でそう言っていたが、次第に強くなる雨に比例して暗い表情になる。

 残念ながら雨宿りができるような場所がない。

 家まで走るしかないようだ。

 

「走るぞ友奈……競争だ! ……負けたら罰ゲームな」

 

「うん……え?」

 

 友奈を置いて走り出す。

 時間の経過と共に大粒の雨が体を冷やす。みるみるうちに地面が黒く染まる。

 雨の香りを胸いっぱいに吸い込む。

 途中振り返ると、鬼気迫る顔で友奈が追いかけてきた。怖い怖い。そして速い。

 そう言えば負けず嫌いだったね。家のお向かいさんは。

 

 しばらく二人で雨の中でかけっこを楽しんだ。

 

 何もかもを濡らし尽くすまで、雨は蛇口を捻ったように降り続いた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 次の日のことだ。

 朝、俺は結城宅へ向かった。

 いつものように家の扉横に設置されているチャイムのボタンを鳴らす。

 

 ピンポーン

 

 鳴らしてみるが、いつもなら何かしら反応があるのに、今日は誰も反応しなかった。

 大抵は友奈のお母さんが応対してくれる。時々友奈のパパンも応対するが。

 念のためもう一度押すが、誰も応じない。

 ただチャイムの音に対して空虚な反応が返ってくるばかりだ。

 

「……?」

 

 変だな。家族そろって寝坊するような時間ではないはずだ。

 不審に思い、一応扉の取っ手に手を伸ばすと何の抵抗もなく開いた。

 そのまま俺は扉を開けて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――友奈が玄関で倒れていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第十三話 萎れた花に、愛おしさを感じて」

 何が起きたのか、俺には分からなかった。

 

「――ゆ……」

 

 友奈の家に向かうと玄関辺りで友奈が倒れていて、瞬く間に肝が冷えた。

 パジャマ姿でぐったりとしている彼女に慌てて駆け寄る。

 

 その体に触れると熱を感じた。

 

 腕の脈に触れてみる、――ある。

 友奈の顔を見てみるが意識は、――ない。

 胸を揉んでみる、――あまりない、心臓は動いているが。

 口に手を近づける、――呼吸はしているようだ。

 

「友奈!」

 

「――ぅ……りょ……ちゃん」

 

 そっと呼びかけると眦が震え、ルビーのような赤い双眸が開かれる。

 ややぼんやりとし焦点が定まらないようだったが、何度か呼びかけると意識が戻る。

 少し考えて、本人に聞いてみる。

 

「大丈夫か? 救急車を呼ぶか?」

 

「えへへ、大丈夫……大丈夫だから……」

 

 咄嗟にそういう聞き方をしたことを、俺はしまったと後悔した。

 俺も少し冷静じゃないようだ。

 友奈は自分のことに関しては極力人に迷惑を掛けたがらない。抱え込む少女だ。

 自分を犠牲に、他の人を救おうとする――勇者の様な少女だ。

 

 そして、自分のことでは決して弱音を吐こうとしない困った少女でもある。

 この1年、伊達に傍にいたわけじゃない。

 案の定フルフルと首を横に振る。

 

「友奈のお父さんと、お母さんは?」

 

「――朝早くに、仕事の都合で出かけたよ……」

 

「――――」

 

 なんてことだ。

 腕時計を見る。

 現在時刻は、7:30を少し過ぎた程度。

 話を聞くと、急に体調が悪くなったのは少し前だという。

 最低でも30分は床に倒れていたのかと思うとゾッとする。

 俺が来なかったらどうする気だったのだろうか。

 

 そう問い詰めたかったが、友奈は困った顔で愛想笑いを浮かべるだけだ。

 仕事で忙しい両親の邪魔をしたくないという。

 だからちょっと熱があるけど大丈夫だよと、そう偽ったのだ。

 虚構の笑みを浮かべて、必死に元気であることを演じて。

 そして見送った後に――。

 

 言葉少なめに俺に説明する友奈だったが、俺にはそういった想像は容易かった。

 この子は優しいのだ。

 己を犠牲に人のために尽くす子だ。

 だからこそ、最も傍にいる俺が……いや、そうじゃない。

 ギュッと抱きしめると、友奈の柔らかく細い体がいつもより熱を持っているように感じられた。

 

「――――っ」

 

 色々言ってやりたいことがあるが呑み込む。

 歯を食いしばる。

 

 ――切り替えろ。

 今は思考を切り替えろ。そして集中せよ。

 心臓の音が煩い。手の震えが邪魔だ。

 脳に全神経を張り巡らす。

 カチッと己の内に潜む黒い何かと考えが一致する。

 

 

 ――これより我が専心は、彼女のために捧げられる。

 

 

 思考が加速する。

 ここからの動きを緊急構築。

 何をすべきか、どうすべきか。

 如何に効率よく友奈をこの状況下から救出すべきか、模索を開始。

 慌てず、冷静に動け。

 だが早く――、

 うまく――、

 正確に対処せよ。

 

 原因はなんだ? 

 即座に昨日のことを思い出す。

 学校では問題なかった。では――

 

 雨。

 あの大雨だ。

 

 あの冷たい雨に体温を奪われたのだ。

 油断せずにどこかで無理やりでも雨宿りをすべきだったのだ。

 

 ――――――――もう遅いと思うよ? 

 

 そんな声がどこからか聞こえた気がしたが無視する。

 雨、熱、両親への想い、無理をしすぎた代償。

 それらの要因から、最も考えられる可能性を考慮する。

 おそらく友奈は――風邪の可能性が高い。

 しかも床で意識を失いさらに悪化した可能性が見られる。

 

「もうちょっとだ。頑張れよ」

 

「……うん」

 

 彼女の体を抱きかかえて、本人の部屋に向かう。

 ピンクのバランスボールが配置され、棚にはいくつかの漫画本がある。

 ところどころに小動物の人形が置かれ、全体的に女の子の部屋だと認識させる。

 

 そのまま友奈自身のベッドに寝かせる。

 次にお風呂場から桶を持ってくる。水を注ぎ、虚空からタオル(小)を出す。

 大道芸はもはや体の一部みたいなもの。

 どうやったかは秘密だ。

 緑のタオルを水に浸し、雑巾を絞る時の要領で余分な水を排出する。

 そのまま友奈の額に乗せる。

 これで最低限の処置を完了する。

 

 次に、俺は学校に連絡を入れた。

 最近習得した大道芸の一つ。

 完全な声マネ(知り合いのみ)で対処すべきか悩んだが、普通にやることにした。

 

「あ、もしもし私――」

 

 友奈が熱を出したこと。現在仕事の都合で両親が不在だということ。

 急遽お向かいさんである俺が看病をすること。

 幸いにも、クラスの担任の先生は理解してくれた。

 変ないちゃもんをつけられなくて良かった。

 神世紀万歳。

 

 続いて食材の確認をする。

 顔パス入場をしたとはいえど、他人の家の冷蔵庫の食材を使う気にはならない。

 しかし、米は別だ。

 米櫃から2合ほど頂き、お粥の調理のために大急ぎで米を砥いでおく。

 ここで一度、俺は二階へと駆け上がった。

 友奈の状態を確かめるためにだ。

 ドアをそっと開け、顔の赤いお姫様が眠るベッドに駆けつける。

 

「……すぅ……すぅ」

 

「――――っ」

 

 寝顔を見るとつい気が緩みそうになるのを抑える。

 タオルを額から取り上げ、もう一度桶の水で浸し再び載せる。

 一応、友奈は眠ってはいるようだ。

 だが後で多めの水分と食事、薬を飲ませないと。

 

 眠っている今がチャンスということで、慌てて自分の家に一度戻る。

 戸棚からストックしている風邪薬を回収する。

 その後自転車でスーパーに行き、食材その他もろもろを購入する。

 全力で家まで戻り、再度結城家に向かう。

 

 ここまでで約1時間が経過した。

 

 

 ---

 

 

 途中、友奈は何度か起きはしたのだが、熱のせいだろうか意識はぼんやりしていた。

 ひとまずスポーツドリンクをコップに入れ、ストローを挿して飲ませた。

 上体を起こさせ、ゆっくりと飲ませる。

 風邪を引いたときは大抵これを飲む。

 その後トイレに行かせた。

 途中肩を貸したが、随分とヨタヨタしていた。

 水分を摂らせ出すことで熱を下げる。一般療法だが、なんとでもなるだろう。

 これで熱が下がらないなら、友奈には悪いが救急車を呼ぶ。

 

 午前中は慌ただしく動いていた。

 昏々と眠り続ける友奈。

 その間、俺はお粥の準備、その他氷枕を作ったり色々と細かな準備をしていた。

 

 

 ---

 

 

「……ぅ……うーん」

 

「よう、起きたか」

 

「――亮ちゃん」

 

 11時頃、友奈が目を覚ました。

 

「食欲は? おかゆあるけど食べるか?」

 

「うん……食べる」

 

 いつもの元気ハツラツ! とした姿はどこへ行ってしまったのだろうか。

 明るい笑顔はなく、暗い顔で多少立ち直りはしたが、やや頬が上気している。

 俺はそこに萎れた花の幻想を見た。

 

(――枯れるなよ)

 

 そんなことを思いながら、

 その顔を横目に俺は鍋からお椀にお粥を入れてくる。

 今回はベターに梅干しと塩で微調整したものだ。味見も済ませた。

 梅干しは唾液を多く分泌させ、唾液の消化酵素には消化を手伝う作用がある。

 せっかくなので食べさせる。

 

「ほら、あーん」

 

「…………あー」

 

 抵抗はせず、

 ほんのりと顔を赤らめた姿はそのままで、レンゲですくったお粥を友奈は食べる。

 ひな鳥が親鳥の餌を待つ。

 そんな姿を俺は一瞬思い浮かべた。

 

「よく噛めよ」

 

「……うん」

 

 モグモグと、ゆっくりと噛んで飲み込む。

 もう一口食べさせようとしたとき、唐突に友奈は俺に謝ってきた。

 

「亮ちゃん、ごめんね」

 

「――何が?」

 

「今日、学校休ませちゃったから」

 

「……友奈の居ない学校は魅力が4割減だから。友奈の看病の方が俺はいいよ。

 あと、そこはごめんじゃなくて、ありがとうの方が嬉しいよ」

 

「うん……。ちなみに残りの割合は?」

 

「え? ああ、残り6割は給食が3割。男友達が2割。授業が1割かな」

 

「ふふっ」

 

 冗談めかしてそんなことを喋ると、何が壺に入ったのか、友奈は笑った。

 虚構のそれではなく、愛想笑いでもなく。

 微笑だけどいつもの、にへらっとした笑みを浮かべた。

 

「亮ちゃん」

 

「…………」

 

「ありがとう」

 

「……ああ」

 

 

 

 ---

 

 

 

 お粥も食べ終わり、少しゆったりした時間が流れた。

 窓から見上げる空。

 空は昨日とは随分と化粧の仕方を変えたようだ。

 青く澄んだ空に、白い雲が漂っていた。

 

 友奈のベッドに背中を預け本を読みながら、

 ふと俺はある重要なことを思い出す。

 

(そういえば、下着とかシャツは汗を吸わせてそのままにすると風邪の要因になるんだっけ)

 

 生前の知識。

 というか、自分の経験談だ。

 いわゆる夏風邪という奴は、汗をかいた状態を何もせずにいた結果。

 体が冷えることで、風邪の要因になるのだ。

 お腹を出して寝てしまったせいもあるが、あれは後悔したものだ。

 

 そっとベッドの近くに寄る。

 手を布団に潜り込ませる。

 パジャマの中に手を忍ばせると、汗を掻いたのかジワリと湿っていた。

 

「亮……ちゃん?」

 

 きょとんとする彼女を無視して、ベッドから出して立たせる。

 背中側は汗でややパジャマの色が変色していた。興奮はしない。

 

「友奈」

 

「どうしたの?」

 

「――俺のお願い、聞いて……くれるか?」

 

 ちょっと申し訳なさそうな、それでいてシリアス風味な顔を作る。

 ぼんやりと俺を見ていた彼女だったが。

 

「うん。私にできることなら、なんでも言って!」

 

「ん?」

 

 だいぶ元気を取り戻したのか、やや明るい笑顔だった。

 いや、そこはいいんだ。

 今、なんでもって言ったな。

 

「じゃあ、これから行うのは医療行為だから。許してね」

 

「――? えっと、……何が……」

 

「許すと言ってくれ!! どうしても重要なことなんだ! 頼むっ! 友奈!!」

 

「えっ、あっ――――う、うん。分かった。亮ちゃんを許す、よ?」

 

 突然の展開に驚いたのか目を白黒とさせるが、なんとか了承を得る。

 よし。

 

「じゃあ、万歳して」

 

「はい」

 

「そぉい!」

 

 ゆったりと緩慢とした動きで両手を上げる友奈。

 素直でよろしい。

 俺は素早く無駄のない無駄な動きで彼女のパジャマの上着を脱がす。

 

「ぁっ…………やぁ…………っ!」

 

 思考の隙を一秒も与えず、すかさず俺は動く。

 友奈のパジャマのズボンを引き摺り下ろして、全力でベッドに押し倒す。

 そのまま素早くパンツに手を伸ばす。桜の模様が可愛らしいピンク色をしていた。

 

「ひやああっ! ――――ムグっ」

 

「こらっ、暴れるな! 大人しくしろオラッ」 

 

「~~~~っ」

 

 流石に抵抗され、ベッドの上で揉みくちゃになる。

 医療行為のために、俺はシャツと同じで湿っていた小さな布切れを取り合う。

 友奈が状況を理解して抵抗の悲鳴を上げるが既に遅い。

 騒がれると厄介なので、タオル(小)を口に押し込む。

 

 ヒャッハー。

 当然だが風邪ひきの弱々しい体と、俺の健康な体では速さも力の差も違う。

 そんな状況の中、涙目で必死に抵抗する友奈に俺はあらゆる術を用いて剥ぎ取りに成功する。

 

「はーい、それじゃあ失礼しますね~」

 

「んっ……!」

 

 精神的にも体勢的にも優位に立った俺は真面目な顔を作る。

 そのまま、既に水に濡らしたタオル(大)と着替えを取り出しながら――――

 

 

 ---

 

 

 窓を開けると、部屋の熱気が外に逃げるのを感じる。

 一度部屋の換気をする。

 空気の入れ替えというのは大事なものだ。

 窓から見る空には7つのアーチが浮かぶ。

 

「おお……!」

 

 通り雨でも降ったのだろうか。

 この世界に来て初めて肉眼で見た虹は、とても美しく感じられた。

 突然浮かび上がった巨大なアーチにしばし目を奪われると、

 後ろからグスッ……グス……と、鼻水を啜る音と嗚咽が聞こえてくる。

 

「―――――」

 

 深呼吸をする。冷たい空気が俺の肺を伝って、再び外へと吐き出される。

 …………。

 さて、そろそろ換気もいいだろう。

 戻るか、現実へ。

 

 

 ---

 

 

 

 窓を閉め振り返ると、きちんと布団を被り友奈は寝ていた。

 ただし、頭まで被って亀のようだった。

 お嬢様はご立腹なようだ。

 

「………………」

 

 俺がやったことは単純だ。

 抵抗されると体力が低下してしまうので、腕を押さえつける。

 体の汗という汗を丁寧に拭き取る。特に蒸れていると思った部分は優しくじっくり丁寧に。

 

 最初は暴れていたが、真面目にやっているのが伝わったのか徐々に抵抗を止める友奈。

 その後、新しい下着と替えの寝間着を着せた。

 パジャマやタオルは洗濯に、パンツは俺のポケットに。

 抵抗なんて何のその。さっさとやったさ。大道芸を舐めんなよ! 

 

 全工程の完了に、300秒掛からなかった。

 処置が終わった時、彼女は赤い顔でピクリともしなかったが。

 

 医療行為だから文句はつけられないのだ。うん。

 許可も取った。うん。

 ちんたらと脱いでいたら悪化は免れないから仕方ない。

 きっと俺も疲れていたのだろう。うん。

 ちょっとアレなテンションでも医療行為だから。うん。

 

 ベッド近くに座り、亀さんの頭付近にゆっくりと話しかける。

 ややくぐもっていたが、コミュニケーションはとれた。

 相変わらずグズついているが。

 

「なぁ、悪かったよ。でもさっきも説明しただろう? これはどうしても必要な医療行為だって」

 

「……全部拭かれちゃったよぉ……」

 

「友奈が拭いていたら風邪が悪化するよ? 遅いしスピーディーにやらないと悪化するだろ?」

 

「……全部見られたよぉ……」

 

「医療行為だから。それに下着が一番濡れると拙いから」

 

「……私、もうお嫁にいけない体にされちゃった……」

 

「人聞きの悪いことを……なら、俺が貰ってやるよ」

 

「本当かな……?」

 

「本当だよ。俺、嘘つかなーい」

 

「………………」

 

 俺は絶対に非だけは認めなかった。

 非を認めるとただの強姦魔みたくなるので、これは必要なことだと言い張る。

 俺にとってはこれが最善の手だと思っていたから。

 これ以上の症状の悪化だけはどうしても防ぎたかった。

 あらゆる負の可能性は削ぎたかった。

 

 例え、友奈から恨まれることになったとしても。

 

 やや落ち着いたのか、布団という甲羅から赤い瞳までを出す結城亀奈氏。

 別に襲おうとしたわけじゃない。

 医療行為だから、違うから。

 

 彼女の額に新しい濡れタオルを乗せる。

 まぁ、まだ不貞腐れているのは伝わってくるので、

 唐突にさっきのパンツを見せつけて目の前で色々やってやろうという欲望に駆られるが、流石にこれ以上やると本気で怒られそうなので、ここからはめちゃくちゃ甘やかしにかかる。

 

 それはそれで見てみたいと思う自分はそっとしまい込む。

 それはさておき、いつまでも機嫌を損ねられると俺も悲しいので――、

 

「お詫びにアイス奢るから」

 

 と言うと、ピクッと布団が動いた。

 ふむ。

 

「ハーゲンダッツ1つ。高いよ~? 美味いよ~? 高級なんよ~?」

 

「……」

 

「2つで」

 

 この時点で爛々と輝く二つの潤んだ双眸が布団の中から俺を見上げるが、やや反応が薄い。

 涙目で睨むんじゃない。

 仕方ない。

 

「3つで」

 

「…………」

 

「特大の芸も見せちゃうよ~? 友奈のためだけの」

 

「…………」

 

 沈黙が重い。財布は軽くなり始める。

 これはちょっと不味いかと思ったが、ボソッと少女が呟いた。

 

「…………も」

 

「え?」

 

「―――かめやのうどん、大盛りも」

 

 そう言って、プイッと俺から目を逸らす。

 あぁ、うん。

 うどんか、うどんね。そうだよね。ありがとうございます、うどん様。

 まぁ妥当か。安いものだ。

 

「分かったよ、お姫様。今度一緒に行こうな……」

 

「うん……えへへ」

 

 そうして頭をナデナデしていると、

 案外余裕なのか、俺と目を合わせると少女はいたずらっ子ぽく、にへらっと笑った。

 仕返しのつもりだろうか。

 昔は従順だったのに。

 誰に似たのだろうか、この小悪魔め。

 今後の成長が楽しみだ。

 

 しばらく優しく頭を撫で、髪の一本一本丁寧に手櫛を通していると、

 友奈は気持ちよさそうに目を瞑った。

 

 

 ---

 

 

 午後。

 お腹も膨れて眠くなったのか、

 薬を飲ませた後、ベッドでは友奈がスヤスヤと眠りにつき、

 俺はその近くで漫画を読んでいた。

 

 この漫画は友奈の部屋の棚から取ってきた。

 暇そうにじゃれ付く俺に、読んでいいよーと許可をくれた。

 

「――――」

 

 寝息と、時折ページをめくる音だけが今この世界にある。

 時折本から目を離し、内職に勤しむ。

 右手で本を読み内職をしつつ、左手で友奈の手を握っていた。

 最初握った時は少し驚いたようだったが、今はこの通りぐっすりだ。

 最初は随分とバタバタしていたが、容態も落ち着いた。

 

「――ふぁぁ」

 

 欠伸が俺の口から零れる。俺も少し疲れたのかもしれない。

 だが俺の仕事も、もうすぐ終わりだろう。

 

 部屋の時計を見てみる。

 そろそろ17時を過ぎて18時になりそうな頃。

 夕日も沈み、お月様がシフト交代にあたり顔を出す頃。

 

 友奈から聞き出したところ、

 友奈のご両親が帰ってくるのは早くて20時前だという。

 ふむん。

 そろそろ夕飯の準備をするか。

 

「――よっこら、しょーい……お?」

 

 そっと足に力を入れて立ち上がるのを阻害した何か。

 ぎゅっと握られた左手。そうとう力を入れたのか外れる気がしない。

 やむなく俺は、一本一本丁寧に彼女の指を剥がしていく。

 やがて掴みどころをなくした彼女の右手がだらりと下がる。

 その手を布団の中に入れながら、ふと彼女もきっと寂しかったのだろうと思った。

 

(風邪は一人でひくと寂しいからな)

 

 そしてドアへ向かう俺に。

 部屋を出る俺に、後ろから誰かが囁いた。

 

 

 ――――どうしてキミは、ここまでして彼女の看病をしているんだい? 

 

 

 振り返るとベッドには友奈がいた。他には誰もいない。

 

「――――」

 

 彼女を見つめる。

 桜が咲いたような赤い頬にあどけなさを残している少女は、

 やや赤いけれども透き通った肌で、長い睫で、瞼を閉じている。

 とっても可愛らしい少女だ。

 容姿だけじゃない。

 その明るい性格には随分と助けられた。

 

 俺にとって恩とは返すものだ。例えどのようなものだとしても。

 本人にとってはたいしたことではなくても。

 いつもの人助けなのかもしれなくても。

 

 ――いつかの桜の光景を思い出す。

 あれから一年が経過した。誰よりも友奈と同じ時を共に過ごした。

 

「――――」

 

 あの日。あの場所で。

 俺にとっては友奈にそれで救われたのだから。

 だから助ける。理由が必要だというならそれで十分だった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 キッチンを再び借りて、夕飯はどうするか考える。

 昼は梅のお粥だった。

 卵粥なんてどうだろうか。栄養もあるし。

 あとは林檎を摩り下ろして食べさせて……。

 

 献立を考えながら調理を進める。

 今日の夕御飯の準備を進めていると、後ろに気配を感じた。

 

 いや厳密には階段を下る音で分かってはいたが、

 トイレか何かだろうと思っていた。

 だからキッチンにきて、じっと何も言わず此方を見てくるのは少し気まずかった。

 

「――どうかしたのか?」

 

「…………」

 

 赤髪の少女は何も言わない。

 何かを言いたそうだったが口を開きかけてうつむく。

 風邪を引くと心が弱るのは分かるのだが。

 

 料理はほとんど出来上がった。

 あと少しだが。

 

「ほら、風邪がまたぶり返すぞ。すぐ行くから」

 

「……うん」

 

 返事はするが戻る気配も動く気も感じられない。

 ちょっと驚いたが、きっとこれは彼女なりのわがままと受け取ればいいのだろうか。

 しばし俺は彼女を見て、逡巡する。

 

 作業の手を止めて振り返る。

 俺が何も言わず彼女に近づくと、友奈はきゅっと目を瞑った。

 怒られるとでも思ったのだろうか。まったく。

 

「そぉい!」

 

「ぅえ!? ……ちょっ……亮ちゃん……」

 

「いいから」

 

「……」

 

 間抜けな掛け声とともに彼女を抱っこして階段を上がる。

 この甘えん坊め。

 友奈を抱きかかえて部屋まで運ぶ中、お互い特に喋ることはしなかった。

 

 それでも。

 友奈が何も言わずに抱きついてくるのは全て熱のせいだろう。

 俺も何も言わずに軽い体を抱き抱えて部屋まで運んだのは、その熱が伝わったのだろう。

 そうして何も言わず、俺は友奈をベッドまでお持ち帰りした。

 

 ベッドに寝かしつけて、戻ろうとする俺の手を少女の手が掴む。

 

「ん?」

 

「…………ぁ」

 

 どうして掴んだのか彼女も分かっていないらしい。そんな顔をする。

 だけど、俺はその瞳に不安が浮かぶのを見た。

 だから、

 

「――――傍にいてやるよ、今はまだな」

 

 と安心させるようにその手を優しく握り返した。

 夕飯は少し遅れるが、それは許して欲しいものだ。

 そう言うと、友奈は嬉しそうに「うん」と返事をして目を閉じた。

 

 気がつくとすっかり夜だった。

 月の光がベッドに注ぐ。

 彼女の閉じた瞼が月明りに照らされて、青白く光る大きな花のように見えた。

 月と俺が見下ろす中、安心したように眠りにつく彼女の細く柔らかい手を。

 繋いだ手を今度は離さないように。

 優しく握り締めた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「――うん?」

 

 いつの間にか、少し眠っていたらしい。

 外でなにやら騒音が聞こえる。車のタイヤとエンジンの音。

 車が入ってきたということは、ようやくこの家に彼女の親が帰ってきたようだ。

 これで俺の仕事もおしまい。

 後のことは彼女のご両親に託して、華麗に帰宅するとしよう。

 少し名残惜しいが。

 

「友奈……」

 

「んにゅ…………亮ちゃん?」

 

「――――」

 

 そっと彼女を揺り起こす。

 俺に起こされて此方を見るその双眸は、やがて状況を理解したのか。

 不安そうに、残念そうに、思い上がりでなければもう少し一緒にいて欲しそうに尋ねてきた。

 

「帰っちゃうの……?」

 

「そんな寂しがりやな友奈に、俺から愛を込めて」

 

「――ふぇ?」

 

 そんな不安そうな顔をするなよ。

 左手を擦って、俺は3本の花を出す。

 ゆっくりと俺はその3本の花を彼女の手に渡すと、「わぁ〜……!」と喜びの声を上げて受け取った。

 俺の代わりとして役立ってくれよ。

 

「……きれい」

 

 甘い溜息を吐いて。

 彼女のトロンとしていた目が見開かれる。

 友奈は、その花をじっと見つめる。

 

 それはピンクのバラだった。 

 友奈には分かるだろうけど。

 花言葉は『感謝』。

 貴女にずっと感謝していました。これからも貴女に感謝を。といった意味らしい。

 寝ている間に作っていたのと、前に作っていたのを合わせて何とか3本。

 本当はもっと多くの本数をプレゼントしたかったのだが。

 時間が掛かり、少なくはなったが1本1本丁寧に作った。

 

 随分とチープなものだが、いつかのように造花だ。

 とはいえ、あの頃よりも更に技量は上がり本物そっくりに仕立てた。

 永遠に枯れることはない本物よりも精巧なピンクのバラ。

 

 ()()()()()()()()()()()()、今この瞬間を騙すことくらいは、きっとできるだろう。

 

「――またな」

 

 花を見つめる友奈に気づかれないように、そっと音を立てず部屋から抜け出す。

 最後に扉を閉める瞬間。

 俺が見た彼女は、いつもよりも艶やかな笑顔を浮かべていた。

 

 

 




---その後のお話---

この後、友奈の風邪を貰い寝込んでしまう哀れな少年。
加賀亮之佑。
次の日、友奈に優しく看病されるも色々と同じ目に遭う。因果応報。
もうお婿に行けない……と涙目で呟く少年に、
なら私が貰ってあげるっ! えへへ……といつもの元気な笑顔で言ったという。
ある意味で、更に二人は仲良くなったらしい。距離も近くなったとか……。


---


ちなみに、どうして赤ではないかというと、亮之佑も花言葉には詳しくはなかったが、
流石に「赤」のバラの花言葉の意味を知っていたから、「ピンク」になった。
気障な言動をしていたが、そんな亮之佑でも友奈に正面きって渡すのは、やや気恥ずかしかった。

ピンクのバラには。
「感謝」という意味以外にも「美しい少女」「愛の誓い」などの意味もあるが少年は知らない。
更に言うと、本数でのバラの花言葉があり、3本のバラの意味は「愛しています」だが。
少年はそこまで調べていない。珍しく詰めが甘かった。
友奈が倒れたことに少なからず動揺していたのだろう。
1本よりは多い方が良いかな?……ぐらいの気持ちで渡したらしい。

だから。
押し花が趣味で、花言葉に詳しい結城友奈が、彼からピンクのバラを3本貰った時。
少女が何を思ったか。
それは、乙女だけの秘密である。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第十四話 初代」

 神世紀298年の9月末のことだった。

 

 あの風邪の騒動から少し経過した土曜日の午前の時。

 家の中の自室。俺は独り言を呟きながらクルクル回りダンスを踊っていた。

 この家はいつか住めば都と言ったがその通りで、慣れれば快適な存在となった。

 

 ここが我が要塞、もしくは聖域なのだ。

 名前はなんて付けようか。加賀家別宅にしよう。

 そんな妄想をする俺の邪魔をするものはなく。本日はすることもなく休みだ。

 

「そろそろニュースの時間~」

 

 宿屋で眠るような曲を鼻歌で再現する。

 陽気に鼻歌を歌いながら下に降り、テレビのリモコンに光を点す。

 ニュースで流れる情報を聞き流しながら、ソファでゴロゴロとする。

 隠しきった戦利品を手で弄り回し、被る、構造を観察する等、それなりに楽しい。

 

「今日の夕飯何にしようかなー」

 

 意外と自炊をしていると段々とレパートリーが増えてきた。

 友奈がちょくちょく来るので、うどん以外で何を食べたいか聞くと大抵笑顔で「亮ちゃんの作るものならなんでもいいよー」と言ってくれる。

 

 だが、主夫としてはその『なんでも』という言葉はあまり嬉しくはない。

 時間をかけて質問して、「じゃあ、ハンバーグがいいなぁ……」とかになったらなったで、

 結局食材が無いので一緒に近くのスーパーに食材の購入に行ったりするのだが。

 

「結構友奈ってハンバーグとか、肉系がお好きだよな……」

 

 もちろん友奈は同じくらいうどんやスイーツも好きなのだが。

 彼女から注文が来ると、どんな物でもつい張り切ってしまうのは仕方がない。

 あの柔和な華が咲くような笑みを向けられて、無邪気な笑顔に思わず頬が緩むのだ。

 

「しょうがないよな……」

 

 美味しいって言ってもらえることがどれだけ嬉しいことか友奈には分からないだろう。

 一人だと量の問題などもあり、結局適当にやるか……といった事を考えてしまう。

 だから、作る相手がいるのは素晴らしいことだ。あの笑顔だけで俺は頑張れる。

 

 

 

 ---

 

 

 

 本日は休日であるにもかかわらず、俺は暇を持て余していた。

 生前は酒とか飲んでネットでサーフィンの毎日と、つまらなく孤独を紛らわせていた。

 今でも変装すればおそらく買うことは容易だろうが。今はそれ程必要ではない。

 

「…………」

 

 ソファに寝転がると、ふと『退屈』という言葉が過る。退屈が苦痛だった。

 スリルとかの刺激が欲しかった。異世界なのだからと、未だに身勝手な幻想を思う。

 人は欲望の生き物だ。実際に望む物を手にすると新しい物を欲しがる傲慢な存在なのだ。

 

「何か、ないかな……」

 

 以前壁の外を見ると決めて、もう数年だ。

 この世界は平和で快適だ。現状で俺を苦しめる存在はこの別宅に隔離した大赦だけ。

 周囲の人間の弱みは掴み平和を得ているが、面白みには欠けるのは前世と同じだろう。

 

「……、んー」

 

 『退屈である』という事実は、俺にとって何よりも苦痛で仕方なかった。

 生前の末期、ただ何もせず努力を怠り、怠惰に生きたあの時間を思い出す。

 友奈は今日は家族と買い物だと聞いており、俺は一人別宅で掃除や家事をする。

 

「へー、火災か……。俺も気をつけないとな……」

 

 中継で少しだけ、高知県のとある場所で発生した住宅火災のニュースが放送される。

 それを見ながら、この淡々と内容を告げる美人キャスターの方に目を向けた。

 何気なくテレビを見ながら、俺はふと数日前の羞恥的な事件を思い出す。

 

「まさかあの友奈が……。彼女も小学生だったか」

 

 実は俺も彼女の風邪が移り、一人寝込んでいた所を友奈が看病してくれた。

 だが自分が友奈に『俺と全く同じ看病』という優しい報復を受けてようやく分かった。ニコニコ笑う友奈の影に小悪魔的なものを見て、優しく辱められて分かったのだ。

 

 ――あの誓い、少し自重しようと。

 

 突然だが、エロゲーで例えることにしよう。仲良くなった幼馴染キャラがいたとする。

 様々なイベントの中、病気にかかった好感度の高い幼馴染を看病。それを襲う主人公。

 そこから始まる恋もあるのだぜと、俺の友人の1人が言っていた。相槌を打ち頷く俺。

 いや、そこからの主人公ネトラレが最高だと言う一世。分からなくもない俺。

 

 放課後、たまに男たちと熱く会話する。

 放課後とはいえ、他の生徒もいる中での変態チックな会話には結構興奮を覚えた。

 だが、こんな会話を堂々とするわけがない。基本的には隠語を用いている。

 

 俺たちは皆、等しく紳士なのだ。

 その勢力は大きくはないが、変態であることを認める者は何か優秀な能力を持っている。

 量ではなく質。小学生なのに頭脳も高め。将来有望な紳士たちなのだ。

 会話が弾むからよく喋るし、一緒にうどんを食べ親交を温める素晴らしい友人たち。

 

 たとえ話を聴かれても周りの人々に不快な思いをさせず、アドリブで相手を笑顔にする。

 相手が男なら適当に対応して遊び、女子なら一見意味不明なセクハラで笑顔にさせる。

 

 それが紳士なのだ。

 

「なんの話だっけ……」

 

 紳士の話、いやエロゲーの話だっけ……? 違うか。そうそう。

 彼らと真面目に話していて、俺はふと思った。

 

 俺は友奈とイチャイチャがしたいのであって、襲いたいのではない。

 赤面させて、恥ずかしがるところが見たいだけなのだ、まだ。

 ただ俺は友奈に優しく接して、そして友奈にも優しく接して欲しいのだ。

 

「俺は後悔だけはしない、したくはない」

 

 一時の欲望に、狼さんとなり花びらを散華させてしまったら――俺は後悔する。

 だから欲望に任せて行動はもうしない。これからも変態紳士の皮を被り続けよう。

 

「うん」

 

 これでいこう。ある程度まで好感度を上げて行けば大抵なんとかなる。

 だが、修羅場が発生したら刃物は隠しておけよと、宗一朗もそんなことを言っていた。実感の籠った言葉に経験があるのかと問いかけそうになったのは、また別の話だ。

 

「まぁ……」

 

 俺が宗一朗みたいな道を辿る訳がないのだが。一緒にしないでもらいたい。

 そんな感じで俺は行動方針を決めるが、

 

 ――あれは看病だっていうのは譲らない。

 

 自分にそう言い聞かせる。そうだ。

 あの時は、友奈のために俺は頑張った。それしか頭になかった。

 そのために友奈を恥ずかしい目にあわせても、俺は友奈に生きて欲しかったのだ。

 小さな戦利品は彼女の医療費として持ち帰ってきてしまったのは秘密だが。

 

「――っ!!」

 

 歯を食いしばり、聖なる布を通して呼吸をすると浄化されるのを感じる。

 

「はぁぁぁ……」

 

 生き返る。

 そうだ。思い出せ。俺は二度と後悔はしないことを、あの満天の星に、月に誓った。

 冴えた月に俺は誓いを立てたが、一応の節度は守ろうと思う。ある程度は。

 

「つまり、やる事は変わらないな」

 

 俺は表面上は誰にでも優しい紳士系主人公を目指そうと思う。

 俺の前世スキルを駆使すれば問題はない。そして全てに優しい変態紳士であろう。

 

「――――」

 

 いつかの泥棒アニメを思い出す。

 伯爵の城に捕らわれた王女に対する緑ジャケットの泥棒の対応。

 あんな感じでいこう。渋いオッサンが醸し出す雰囲気に憧れるのは男だからだろう。

 

 好感度だけならいくら上げたって問題はない。むしろ相手を惚れさせてやろう。

 相手から迫ってくるならしょうがないのだからと思いながら、ふと思い出す。

 

「それにしても……あれは凄かったな」

 

 友奈め。油断した。意外と根に持っていたのか。

 あんな子に育てた覚えはないのに、どうしてこうなった。

 

 看病と称されて脱がされて、いたずらっ子の笑顔で男の尊厳を弄ばれてしまった。

 いや、あれはあれで悪くはなかったが、近いうちに報復することを誓った。

 

 ――ちなみに、拭かれて衣服を着させられた後、なぜか添い寝をしてくれたので寝ぼけたふりをして抱き着くと、抱き着き返してくれた。風邪をひいた体には心地よかった。

 

 なんだかんだで、あの後も俺と友奈の仲はいい。

 いや、悪くなる要因などないが、むしろ以前より更に距離が近くなった気がする。

 

 だが念には念を入れる。

 流石に今更嫌われたら結構キツイと思うぐらいには、俺の中で友奈のことが占める比率は大きくなっていることに最近気づいた。

 サンチョの縫いぐるみの顔部分に聖布を被せる。

 

「あ、そっか」

 

 そんなことをしていると、ふと気が付いた。

 スッと思考が冷たく、クリアに広がり理解した。

 

「…………なんだ」

 

 今更だが、俺は怖くなったのだ。

 あんな風に笑顔を向けてくれる相手なんて、そういなかった。

 大切に思っていたあの金色の少女はもう俺の傍にいない。いなくなった。

 誰もが俺の傍からいなくなった。この家に友奈以外に来た人はいない。

 

「醜いな……」

 

 だから、友奈に嫌われたくないから、俺は紳士な態度を心がけている。

 それはなぜか。

 

 友奈には誰よりも優しく、誰よりも暖かく、誰よりも傍で微笑んでいてほしい。

 

「――はっ」

 

 空虚な笑いが口角で渦を巻く。

 鈍感だの、紳士だの、そんなものは建前にすぎない。

 今更嫌われると、正直俺の精神が耐えられないだろう。

 それぐらい俺は友奈に思いを寄せていた。寄せていてしまっていたのだ。

 

 この1年、誰よりも彼女が俺の傍にいてくれた。誰よりも話をしていた。

 だからだろうか。離れたくない、離したくないという薄暗い感情が過る。

 いつの間にか、そんな醜い独占欲を、俺は友奈に対して抱き始めていたのだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

「――しかし、暑いな……」

 

 午後、戦利品を部屋に収納した。

 どの家にも飾られるという神樹様を祀っている小型の神棚に一緒に祀るか考え中だ。

 

 神樹様もきっと喜ぶだろう。

 だれもここに触ろうなんて思わないだろうし、隠し場所として最適だ。

 

 究極的に罰当たり行為をするかどうか考えながら。

 自炊をして(今日は釜揚げうどん)、家事に励む。

 気がつくと随分と家事が体に馴染んでいた。掃除もなかなか楽しいものだ。

 

 部屋で掃除をしていると体が熱を帯びるのを感じる。汗を掻いたのだろう。

 ある程度で掃除機のスイッチを止めて、服を脱ぐ。

 

「ん?」

 

 首元でチェーンが指輪の光を反射して、青く鈍く光る指輪。

 

 すっかり忘れていた。

 毎日ずっとつけていたから、首元にあるのがこれの定位置と化していた。

 6歳の時に綾香からもらった加賀家の遺産。常に身に着けることを約束した。

 

 あれからもう5年が経過したのか……。最近は全然会えていないのだが。

 久しぶりに指輪を指につけてみると、ふと少し前の看病を思い出す。

 

『あれ? これ……黒百合の花だよ』

 

『――クロユリ?』

 

 友奈が服を脱ぐなら俺も服を脱ごうと交渉を持ちかけ。

 赤い顔で関節を決められ敗北。風邪のせいでパワーが出なかったのだ。ベッドの上で勇敢に戦ったが汗を拭くと服を剥かれた際、指輪を友奈に見つけられた。

 

 その時せっかくだからと見せてみたら、ちょっと微妙そうな顔をして。

 友奈は俺に、指輪の石の中に刻まれた花の花言葉を教えてくれた。

 

『えっとね……確か黒百合の花言葉は、『恋』と『呪い』だったような』

 

 そんなことを思い出して、思わず溜息を吐く。

 以前付けると薬指だとまだブカブカだったが、今は左手の中指にピタッと収まる。

 

「ふふっ……」

 

 時代の流れを感じた。

 手を天井にかざしてみると、天井の明かりを反射して指輪が蒼い輝きを放っていた。

 

「……あれ?」

 

 唐突に眠くなる。

 唐突に瞼が重くなる。

 唐突に体が重くなる。

 唐突に体が休眠を欲した。

 

 急なことだから、何も対応できなかった。

 

「あ――、ぁあ――」

 

 自分の部屋で良かったと感じながら、俺は瞼を閉じた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 桜。

 しだれ桜。

 いつか友奈と見たあの桜が目の前に広がっていた。

 

 ただし、空は暗い。

 ……いや、空が暗いのではなく辺りは闇に覆われている。

 ペンキの黒を思い出す。何の光も通さない純粋な黒色がほかの色を呑み込んだような。

 空を見上げても、星も月も見えない昏い闇が俺を見下ろすばかり。

 

 それなのに、この辺りだけは随分と明るかった。

 

「――――」

 

 地面に目を向ける。

 草を踏む足の感触は芝生を思わせる。

 

「――――」

 

 何の音もしない。

 ここは夢なのだろうかと疑問が胸中を過る。

 いつの間にか疲れて寝てしまったのだろうか。

 

 俺はそんな自分でもよく分からない場所にいた。

 こんな場所に関しての記憶など、俺は持ち合わせてはいない。

 

 だが同時に知っている場所だと認識していた。

 自分が何を言っているか分からなかったが、ここは俺が知っている場所のようだ。

 

 俺は椅子に座っていた。

 白いテーブルとセットになっているのだろう白い木製の椅子。

 新調されたのだろうか、どちらも新品同様で、そこに俺は座っていた。

 

 丸いテーブルを挟んで存在を主張する、もう一つの椅子には誰もいない。

 周りを見渡すと、無限に広がるような底知れぬ暗闇が広がっている。

 ここから移動する気にはなれず、夢の所為か口から声が出ない状況にも驚かない。

 

 俺はどうすべきかと、途方に暮れて――、

 

 どれだけそこにいたのだろう。

 気が付くと目の前には、ソレが座っていた。

 

 影が張り付いたような人。ソレを目にした。

 俺はソレに何も感じなかった。

 恐怖も、焦燥も、好奇心も、絶望も、何も感じず、平然と冷然としていた。

 

「……」

 

 ソレは、当たり前のように俺の目の前の空いている椅子に座る。

 目があるであろう部分をこちらに向けてくる。

 

 喋ろうとして口を開いても声が出ず、体は動くが椅子からは立ち上がれない。

 だから自然と目の前のモノを黙って見るしかなかった。

 ソレを、俺は覚えていた。

 いつか見た夢で俺たちは出会っていた。その確信があった。

 

 その影はよく見ると、少女を連想させる曲線美を描いていた。

 全体が影で覆われていたが、なんとなく体の構造というか、雰囲気というか。本能と呼ぶべき何かによって、俺は目の前に在る『何か』を少女と認識することにした。

 

 そんな思考を遮るかのように。

 影は小さな口を開き、想像よりも柔らかい声音を俺に聞かせた。

 

「こんばんは」

 

 挨拶だった。普通の挨拶だった。

 鼓膜を震わせるのは、中性的な声による挨拶だった。

 

 思考を放棄しそうになるがそれでも懸命に動かない口で挨拶を試みる。

 目の前の存在が何者であれ、挨拶は基本であり、それが出来ない者は認めて貰えないのだ。

 

「無視はいけないよ」

 

 その言葉に申し訳なさを覚えながらも、同時に理不尽さも覚える。

 思い出したが目の前の人物とは違い俺は口を開くことも出来ないのだ。

 喋ることを許されていない。一方的な会話が続く状態。

 

「喋れないなら仕方ないな。取り敢えずこの状態で話をしようか」

 

「……」

 

 小首を傾げた理解の高い影の女らしき人物は残念そうに肩を落とす。

 この不思議空間では脳内会話が成立するらしい。こうなると夢を見ているのではないのかという考えが浮上しながらも目の前の人物との会話を試みる。

 そんな俺の従順な態度に頷く彼女は小さく頷いた。

 

「キミ、さっき指輪を指に嵌めただろう? それでここに来たんだ」

 

 指輪という言葉に思い出す。

 ふと自分の左手に目をやるが、そこにあの蒼色の指輪はない。

 

「正式に会うのは初めてだね。そろそろ平凡な人生も飽き始めたかい?」

 

「――――」

 

「ボクは加賀家初代勇者。初代と呼んでくれ。ボクの後継者」

 

 影はそう言って小さく口端を緩める。

 

 ――クツクツ、クツクツと。

 

 腹の奥に響くような不思議な笑い声だ。

 艶めかしい女に撫でられた、そんな気分になる俺に彼女は悪魔のような笑い声を上げた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第十五話 夜桜の下、夜会は開かれる」

 目の前の黒靄をした影を無言で見返す。

 周囲は暗く、静かな声が耳ではなく脳に直接響くように聞こえる。

 

「ボクは加賀家初代『勇者』。だからキミはボクの血筋で言うと子孫にあたる」

 

「――――」

 

 クツクツと笑う影は自らを『初代』と名乗ったがどう見ても人ではない。

 自分が影のようになっていることに自覚はないのだろうかと首を傾ける。その反応はどうやら正しかったらしく、相手からも俺が靄のある黒色の影に見えるらしい。

 

「ふむ……。もしかして、キミからはボクが影で覆われた何かに見えると」

 

「――――」

 

「それは、君の勇者レベルが足りないんだよ。ついでに言うとボクからもキミがよく見えない」

 

 お互いがお互いを見ることが出来ないコミュニケーションに難がある状況。

 この不思議な空間において、俺の考えていることが目の前の存在に読み取られている。

 圧倒的な上位者。その存在に恐れと諦観と、同時に小さな疑問を抱く。

 

 ――そもそも勇者レベルとはなんだろうか。冗談の一種か。笑えば良いのか。

 

「似たようなものさ。適正値が一定を突破したから呼べたものの、要はキミ自身の勇者因子と、ボクの勇者因子が完全に噛み合ってないから、まだお互いよく見ることができていないのさ」

 

 訳知り顔の影の言葉に、神樹館小学校での検査を思い出す。

 目の前の存在が言う『因子量』が足りない為に黒い影のようになっているようだ。

 そんな事を考えていることが、口を動かさずとも伝わったらしい。

 

「恐らく原因としてはそうだろう。パッと見る限り明らかに小学生にしか見えないのに随分と物分かりが良くていいね。……ただキミの場合、中身が別物のようだが」

 

「―――ッ」

 

 それを知っているってことは神様かと首を捻るが、見た目は死神ともいえる。

 全身に闇色の何かが被さったような姿は、お世辞にも天国にいる存在とは言えない。声だけを聞けば甘く冷たさの感じる少女の声だと判り、ギリギリ魔女と言えるだろう。

 

「魔女ではない、ボクは一応『勇者』だ。もう、随分と昔に死んだけど」

 

「……」

 

 加賀家のご先祖の勇者。以前わずかに両親が話していたのを覚えている。

 勇者というのは、魔王と戦うアレということでいいのかと思念を目の前の存在に放つ。

 その思念を受けて、影はコクリと俺に頷く。

 

「ふむ。魔王とはちょっと違うけど、大体似た感じかな。あと、キミは本来なら勇者にはなれないけど、魂が他の人とは全く別のものだからね。いわゆる例外っていう奴さ」

 

「……」

 

「気のない返事だ。無口は嫌われるよ」

 

 正直そんな事を言われてもよく分からない。

 だからどうしたとしか思わない淡泊な己の考えに影は身体を震わせ苦笑する。

 

「キミのことはずっと見てきた。指輪を通してね」

 

「……」

 

 ストーカーのような言葉に対して身体を抱くように腕を組む。

 そんな俺の態度に思考を読むまでも無いのか、冷笑を浴びせるような声が即座に返ってくる。

 

「失礼だな、キミは。あんな連中と一緒にしないでくれ」

 

 あんたは俺の何なんだと、口の使えない不便な中、無言で思念を浴びせる。

 顔の見えない、そもそも本当に人間なのかすら怪しい黒靄の『存在』を見る。

 

「そうだね。キミの……いや、加賀家の勇者の味方かな」

 

 勇者の味方。

 その意味は分からないが、それでも信用するつもりは今のところない。何故なのか。それは本能や経験とも言えるし、直感的な物であるだろうか。

 

 しかし、そんな言葉を簡単に信じることは出来ない。

 当たり前だ。そうして人を簡単に信じようとした結果が前世の末路なのだ。

 初対面で明らかに怪しい人物の言葉の重さは一枚の紙よりも軽く、薄く、信じがたい。

 

 ――他人の言葉も善意も簡単に信じてはならないのだ。

 

「……」

 

「そういえばキミは臆病で疑り深かったか。最近の生活で随分と弛んでいるのかと。特に乃木園子と結城友奈との生活で随分と腑抜けになったと思ったが。……ああ、そういえば、彼女たちはキミよりも非常に適正値が高かったね」

 

「……?」

 

「キミさ、異世界から来たんだっけ? なら今の世界の現状に疑問を抱いたこともあるだろう。例えばインフラ関係。電気や水やガス、鉄道。そういったものがこの程度の人口で、300年前と全く同等の質を保ちつつ、今日まで現存出来ることを不思議に思ったことは?」

 

「……」

 

 確かに疑問に思わなかった事はないが。だが、それらは神という存在で説明が可能だ。

 神樹様が四国内だけでもなんとかやっていけるように調整をしている。神樹の恵みによって人々は生きる事が出来る。だから今日も、神樹様に感謝と祈りを込めて拝。

 この世界の教育には、全ては神樹様のおかげであるという考えが根本に植え付けられている。

 その考えに疑いを抱こうとする人は基本的にいないのだろう。

 

「そのとおりだとも。人類が何の進歩もせず、ウイルスなんぞが本当に実在しているか分からない四国の外になぜ誰も行かないのか。どんなウイルスでも300年もあれば多少はマシになる。かつての核兵器ですら復興には100年も掛からなかった」

 

 その瞬間の言葉に小さな棘のような違和感を持つ。

 ――まるで知っているような言い方だと、実感の籠った言葉に眉を顰める。

 

「そして神樹崇拝により生まれた教育の成果。四国を守る神樹様の教えは、――ウイルスが世界に蔓延しているから四国の外には出ないように。それに人々は盲目的に従うばかり。……人はこれを『思考停止』と呼ぶけどね。誰もが心のどこかで神樹を信じて依存している」

 

「―――――」

 

「キミは少し前までこの世界の状況について強い関心を示していた。魔法や剣がなくても、この世界には何か大きな秘密があると。――そう、“ある”と言っておこうか。それを見させないために神樹は人を使い、キミを真相から遠ざけ関心を向けさせないようにした。神樹にとってキミは随分と異端の存在なんだ。世界にあってはならないバグのような存在」

 

 クツクツと影は笑い、靄の掛かった黒色の両手を上げる。

 黒い手は上から落ちてくる桜の花を握り、漆黒に塗りつぶしていく。

 

「本題に入ろうか。キミは人生に退屈を感じ始めている。退屈という名の死が著しくキミに追いつき、キミの魂に修正を掛けようとしている。そんな物は嫌だろう? キミも外がどうなっているか。気になってはいただろう? 真実が何なのか」

 

「…………」

 

 図星だった。

 この平和な生活は好きだが、少しだけ刺激が足りなく思う。

 明らかに何か秘密がある世界の謎を、俺は何故だか解き明かしたかった。

 

「嘘はこの世界では通じない。キミの心はボクにとってはこの桜の花と一緒だ」

 

「……ッ!」

 

 ――ここはどこだ。

 その疑問に影は、初代は静かに告げる。

 

「ここは、指輪の中の世界。キミがこの世界で見た光景をもとに、再構築された心象世界のような場所。肉体はただ眠りにつき、魂だけがこの世界に招待される。ボクの上客として。そして後継者としてね。我が半身」

 

 指輪の中に広がる常闇の世界。

 神が樹木として集合・顕現しているなら、そういうこともあるのだろう。

 一先ず湧き上がる疑問も、あり得ないと叫ぶ感情も、冷静な思考が受け流していく。

 

「そうだね」

 

 だけど、後継者というものは何なのかと疑問に思う。

 目の前の自称勇者が本当に俺の先祖である証拠は文字通り見ることは出来ない。背景の暗闇に同化でもしているような黒い影の存在は、肩らしき部分を竦める。

 

「後継者というのは、さっきも言ったが、ボクの代わりにしてもらいたいことがある。ただそれも一度外の世界を見てもらわないと厳しいだろうね。そのための用意もしている。そしてボクがキミの先祖という証拠はない。指輪と血くらいしか残ってはいないからね」

 

 思わず口端を吊り上げる。普通は、証拠がなければ信じられない。

 もちろん当然だが『信じる』という事は、仮に証拠があってもする事はないのだが。

 そう思う俺の考えは目の前の少女にとって予想済みだったのか、初代は与太話を始めた。

 

「加賀家の掟の一つとして当主および次期後継者への指輪の着用を義務付けたのは、このボクだ。この掟は今も有効で代々受け継がれてきたんだ」

 

「――――」

 

「証拠にはなりえないが、一つ面白い話をしよう。――例えば君の父親である先代、宗一朗も一度だけここに来たことがある。結局一度きりだったし、記憶も消したが。だが、次の後継者が見つかるまで、ボクはある程度だがあの男を見てきた。その生き様や痴態を」

 

「……」

 

「加賀家はそれなりに女好きの家系なんだ。特に彼はね。惚れた女が既にいるのに、その影でほいほいと浮気をしていたんだ。名家の生まれもあって、誘えば靡くような女もいた。若い頃は本気でプレイボーイだったよ、彼は。それでも綾香は許していたんだ。最後に私の所に帰ってくるなら許すと……。だけど」

 

「……?」

 

 そう言葉を区切る初代は、小さく呼吸をして口を開く。

 

「だけど、宗一朗は浮気相手に一度本気で恋をしたんだ。僕はキミのことしか見られない。愛していますってね。そちらの女の方に靡きかけたんだ。それを後で知った婚約者は何をしたと思う?」

 

 仮にその話が本当ならばとわずかに俺は考える。

 普通ならば、そういう専門の相談所に相談するといった手段をとる。

 もしくは普通に、宗一朗に対して浮気したという事で訴える事も出来るだろう。

 

 そう思うと、影は小さく頭を振る。

 

「婚約者であった綾香の家もこの世界ではそれなりの名家でね。金も伝手もある。それらを使って宗一朗を拷問部屋に押し込んでしばらくの間はずっと……。地獄の天国って呼ぶべきだろうかな。あれはボクが見てきた中でも恐ろしいものだった。愛が人を変えるって本当だったんだね」

 

 地獄の天国。

 その単語を口に、思念でこちらに放った瞬間、顔を顰めたように見えた。

 実際は変わらず顔の造形すら読み取れない、漆黒に塗りつぶされた影の存在だが。

 

 ともかくも興味が湧いたので、そのまま耳を傾ける。

 

「あれは全然いい方さ。酒池肉林は男の夢だろうけど、時間のある限り絞られ続けるというのはただの拷問だ。寝ても覚めても彼女の肌が、体温が、体液が、匂いが、二度と拭えないくらいに刷り込まれ続けた。あれで宗一朗の寿命もだいぶ削れたろうし、噂も四国中に流されて浮気相手も消えた。全てが終わった時は酷いものだったよ、当時は完全に廃人だった」

 

「――――」

 

 絶句するしかなかった。

 綾香が、あの和風美人がそんな変貌を遂げるなど思えなかった。

 いや、その片鱗はあったか。宗一朗は自業自得だろうと思いながら身体を抱きしめる。

 

「覚えておくといい。女というのは時に『愛』という物のためになら、自分の信念も性質も何もかも捨てて豹変するものさ。あれ以来、プレイボーイは死んでその時に出来たのがキミさ」

 

 この世には知らなくて良い話がある。今のがそうだろう。

 仮に目の前の情報が本当ならば、あの父親の弱みを知った事になるが。ともかく影の会話力というべきか、この数分で宗一朗の株が下がり始めたのが分かった。

 口から言葉は出ないが、それでも考えている事は伝わったのだろう。

 

「ボクらの家系は大体そういう人で構成されているんだ。ともあれ、加賀家とその周囲の情報は覚えている。多少は信用できるかな?」

 

 ただ今はまだ信憑性に欠け、真偽は確かではない。

 そして、やはり信用できるか云々の話では頷ける事はまずないだろう。

 それはそれ、そしてこれはこれなのだ。本当ならば使えそうだと感謝の念は送る。

 

「いいのかな。そんな態度で。言っただろう? このままでは退屈に殺されてしまうんだろうね。そうしたら、きっとキミは後悔するだろうね。月の誓いは消えるだろうし、星の願いは叶わないだろう。それに乃木というならきっと今頃……あぁ、もう遅いかな?」

 

「――!」

 

 なんでそこで園子が出てくるんだ。

 唐突に嘲るような分かりやすい挑発に、それでも思わず目を細める。

 そうして何となくだが、俺の反応に対して小さく含み笑いをしているのが分かった。

 

「それは、それ……なんだろう?」

 

「――――」

 

 ――ああ、なんとなく分かった。

 顔は見えないけど、お前は嫌な女だな。それだけは確信を抱く。

 回りくどい口調の目の前の存在に対して、隠す事なく俺は悪態を吐く。思念だが。

 

「それは嬉しいな。傲慢にも誰もかれも救おうと必死になって、誰かのために無様に頑張るような勇者よりも、一人のためだけの勇者になって他の人を残酷に傷つける、人間らしく憎らしい誰かの方がボクは好きだね」

 

「……」

 

 ――クツクツ、クツクツと愉快気に嗤っている音が耳に響く。

 その笑い声を聞くと実に憎たらしく、影に包まれた顔を知りたくなる。

 

「ボクの顔が気になるのかい? 自分の先祖なのに。困ったものだね」

 

「――――」

 

 どこまでも掌で転がされている感は否めない。

 しかし停滞感も拭えない。だから俺は要求事項を目線で問いかける。

 

「素直な子は好きだよ。……いいかい? 近いうちに宗一朗から携帯端末が届く。それを受け取り次第、キミは壁の外に向かってほしい。それで世界の真実が判る」

 

「――――」

 

「一度指輪を着用した人間の動向は、指輪から離れても多少は分かるものなのさ。言っておくがボクは愉快犯という訳じゃない。ボクはね、笑わないとやっていけないんだ。……そして、友好の記念にボクからキミへのプレゼントも用意している」

 

 プレゼントと言いながら、目の前の存在は何も持っていない。

 周囲を見渡しても巨大な桜の木があるだけ。確かに綺麗だがそれどころではない。

 傲慢に上から目線で語り、先祖を名乗る存在は続けざまに語りながら、

 

「あの指輪にキミの血を垂らすんだ。それだけであとは分かる」

 

「――?」

 

「そうだ、せっかくだからクッキーを食べていくといい。この世界に加賀家の霊体や外部より招待された者は、必ず食べていく伝統があるんだよ」

 

 そう言って、影は虚空からクッキーを入れた皿を取り出した。

 白い小皿にある焼き菓子は出来立てなのか、白い湯気をわずかに空に昇らせる。

 伝統と言っているが、手作り感を感じる焼き菓子は平時ならば頂いただろうか。

 

「ボクはこの夜の会の締めには、大抵飲み物とこのクッキーを客人に勧めるんだ。今日は残念だが、コーヒーを切らしていてね」

 

 そう言って俺に勧めてくるが、流石に今は食欲が湧かない。

 そもそも意識に食欲があるのだろうか。

 そんな俺の反応を初代は良しとせず、真偽の不明な言葉を告げてくる。

 

「これを食べないと、ここから出られないと言ったら?」

 

「――――」

 

 そのクッキーを見てみるが、別におかしなクッキーには見えない。

 香ばしい香りのする、所々に黒い塊があるのはチョコだろうか。

 

 そっと1枚頂くことにする。サクッとした食感。

 何枚でも食べたくなる。そんな舌ざわりだ。

 

 ふと影の方を見てみる。

 黒く覆われているが、この数時間の夜会でなんとなく分かった。

 無言で食べている俺を、嘲笑ではないが小さく含み笑いしていると感じた。

 

 何か毒でも入れたのだろうか。

 

「――?」

 

 そう聞くと、クツクツと笑って奴は。

 いや、彼女の血紅色に輝く瞳らしき部分が靄の中で見えた。

 

「そのクッキー、おいしいかい?」

 

「……」

 

「そのクッキーね。ボクの体毛とか血が入っているって言ったらどうする?」

 

「――ッ!?」

 

 吐きたくなったが、胃は既に受け入れてしまった。

 信用を口にする者が言うべき台詞ではない発言に思わず唖然とする。

 

「ちょっとした冗談だよ。1割くらい。油断大敵だよ、一つ学べて良かったね」

 

 そう語っていると唐突に目の前の影が薄れだす。

 眼球が熱を帯び、ゆっくりと目の前の光景の細部が明らかになっていく。

 

「そのクッキーでボクとキミの因子を結んだんだ。これで贈り物も正しく機能する」

 

「――?」

 

「さぁ、今日の夜会はこれにて閉幕。ショーは終わりだよ」

 

 クツクツと笑う少女。

 その黒影が薄れだし、正しき姿を映し出す。

 

 紅と金粉が舞う黒衣。赤い手袋。形の良い眉に閉じられた瞼。

 端正な顔に、肩までは届かない程度のややパーマのかかった濡羽色の髪が揺れる。

 

「因子の融合でようやく正しき形になった。これでボクにもキミが正しく認識できる」

 

「……ぁ、っ」

 

 そして、血紅色の瞳が初めて俺の視線と交わる。

 クツクツと笑い、こちらを見る彼女は紛れもなく美少女だった。

 俺の思考を読み取ったのか、それとも見つめ過ぎたのか、初代は肩を竦める。

 

「照れるじゃないか。お代わりならあるが……もうこんな時間か。もうすぐ朝だ。キミの選択が導く結果の先でまた会おうじゃないか。我が半身」

 

「どう、やって?」

 

「それも次の機会にだね。さぁ、次はキミの番だ。ボクを楽しませてくれ」

 

 だんだんと視界が白くなり始める。

 掠れた声でようやく成り立つ普通の会話は、既に終わりへと向かっていた。

 

「せっかく因子の調整までしたんだ。頑張ってくれ」

 

「頑張れって……」

 

「キミ風に言うなら、ショータイムだ」

 

 クツクツクツクツと、初代を名乗るその少女。

 その姿が、世界が歪み、消えていく感覚に襲われる中で、

 

「名前! お前の名前を聞いてなかったんだけど!!」

 

 明らかに偽名と判る『初代』ではなく正式な名前を聞こうと尋ねたが答えない。

 最後に微かな笑い声の響く中、黒く視界を覆う意識の中で少女は最後に、

 

「いずれ分かる」

 

 そう言った次の瞬間に、俺は夢から醒めた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第十六話 運命の分岐路」

「――本当に、きたのか」

 

 荷物が実家から届いた。

 実家から何か荷物が届くというのは初めてなのでワクワクする。

 段ボールには、加賀亮之佑様と宛てられており、裏には宗一朗名義で家の住所が書かれている。

 

 長方形のタイプの段ボールだ。

 いたって普通で、触感も紙でできているそれだ。

 もう少し大きかったら入りたかった。

 

 ガムテープをほどき、中身を閲覧する。

 初代の言った通り、中にそれはあった。

 携帯端末、充電器、端末のマニュアルだろうか、冊子が置いてあった。

 冊子はペラペラと捲ったが、これは普通に機種の説明だったので後回し。

 肝心なのは、この携帯端末だ。

 

 充電が切れていたのでコンセントに繋ぎ、少々時間が経過した。

 ひとまず、この端末の中身を見てから初代の言葉の審議を行うつもりだ。

 

 端末を開いてみる。

 中にはメールや電話、カメラなど俺の居た前世と全く変わっていない機能が搭載されていた。

 時計を見てみると、今日は10月10日だった。

 そもそも300年技術の進歩もない携帯端末も、今更ながら疑問の一つだ。

 

「…………」

 

 男のロマンという名の期待は淡く消え去りつつも、しばし無言で端末を弄る。

 なんとなく新しい携帯ってつい3日くらいワクワクしてついつい弄りたくなる。

 

「……ん? これは……」

 

 端末を弄っていた時、俺はあるアプリの存在に気が付いた。

 7つの葉を持つ樹木のマーク。神樹をモチーフにしたマークのアプリだ。

 だが色合いがおかしい。黒い樹木に赤い葉のマーク、しかも上と下が逆だ。

 

 およそ神聖なる樹木のマークからは程遠いものだった。

 そのアプリを開いてみる。

 だが――、

 

「……なんでロックが掛かっているんだ?」

 

 しかも音声認証。

 アプリ自体は開けるが、そこから先は進めない。

 苦々しい思いを浮かべ、俺は鍵のマークを睨み付ける。

 普通のロックならともかく、音声だと開くことが出来なかった。

 誰だ、こんな真似をしたやつは。

 まさかこの端末、中古だったのか? いや、流石にそんなバカなことがある訳……。

 

「パスワードは……」

 

 キーワードか。適当に言ってみる。

 ロックに触れ、音声認証システムを起動する。

 少し考えて、キーワードを言ってみる。

 

「開け、ゴマ!」

 

「友奈は笑顔が可愛い」

 

「園子って元気だと思う?」

 

 それらのキーワードに対して何の反応も示さなかった。

 端末風情に友奈や園子の可愛らしさは分からないのだろう。

 そんな事を思いながら他にも、加賀宗一朗とか、加賀綾香、俺の名前、誕生日など、思いつく限りのキーワードを言ってみたがどれも反応を示さなかった。

 

「……しょうがないな」

 

 仕方ないので、一度保留した。

 

 もうひとつの謎のアプリに目を向ける。

 『Y.H.O.C.』とだけ書かれたアプリだ。

 

 タップして起動しても、昏い花が出てくるだけだ。確か黒百合だったか。

 光りだすわけでもない。背景部分には、螺旋状の渦が見ることができる。

 全体的に暗い。明るさの問題ではなく、何をしてもうんともすんとも動かない。

 

「……分からん」

 

 仕方ないのでスルーした。

 無くても困るものではないし、あったからといって困ることもないだろう。

 保留だ。

 

 

 

 ---

 

 

 

「あ、もしもし。私、加賀亮之佑という者なんですが――」

 

『おぉ! 久しぶりだな、亮』

 

「久しぶりですね、母さんは元気ですか?」

 

『ああ、そっちはどうだ?』

 

 電話帳には、宗一朗と綾香の携帯端末の番号が既に記載されていた。

 アドレス欄には『加賀綾香』と『偉大なる父、宗一朗様』の二つが載っていたので、宗一朗の方は『浮気スケベ野郎』に変更しておいた。

 

「――それで父さん、この携帯は?」

 

『あぁ、お前ももうすぐ中学生になるだろ? 

 それで綾香がお前に持たせてやるべきだって言ってたんだ』

 

 そういえばもう10月か。俺も友奈ももう6年生か。小学生は楽で良かったな。

 まあ、今まで全然連絡とってなかったからな。

 むしろその手段がなかったのだが。

 

『電話料金とか諸々はこちらで払っておくから、遠慮とかはするなよ』

 

「分かりました」

 

 それにしてもだ。不思議な気分だった。

 別にファザコンになった訳ではないのだが、久しぶりに聞く宗一朗の声は随分と懐かしくて、思わず目に指を添えてそっと天井を見上げずにはいられなかった。

 

『最近はどうだ? ガールフレンドの一人はできたか?』

 

「……いえ、居ませんが。お向かいさんが凄く可愛らしくていい感じです」

 

『そうか! 流石は俺の息子だな。それで付き合っているのか?』

 

「いえ。その子、恋愛には鈍感と言いますか、いわゆるライクとラブの違いが分からない系の明るい笑顔が似合う子なんですよ。頭悪そうに見えて、空気を読んで誰よりも周囲を気遣う……。それでいて責任感もある、とてもいい子ですよ」

 

 椅子に座りながら、何気なしに窓の方を見てみる。

 曇り気味だが、青空がお向かいの家を見下ろす。

 向かいの家が、友奈の家がカーテンのレース越しに見えた。

 

 そうなのだ。

 これもある意味で俺にとって問題であった。

 

 友奈は結構俺に抱きついたり、スキンシップをしてくるし、俺もそれを許容している。

 この体はまだアレも来て間もないが、相手が小学生なので動じることは無い。

 友奈の場合、割とセクハラをすれば顔を赤くするのだが。

 最近は「亮ちゃんはエッチだね!」と言うだけで平然と抱き着いてくる。

 

 なぜか釈然としない。

 なんだろう、この敗北感は。

 

『あぁ、たまにいるよな、そういう子。俺も昔そういう子に遭遇した時は悩んだぞ~』

 

「父さんの周りにもそういう子がいたんですか?」

 

『ああ、まだ学生の頃だったがな。懐かしいな』

 

「そうなんですか」

 

『そんなお父さんからの経験則に基づくアドバイス、聞くか?』

 

 ちょっと悩む。

 このプレイボーイの対処法なんて絶対ろくでもないだろう。

 だが、初代の話通りなら俺の父親は百戦錬磨の凄腕の女たらしだ。

 後で裏は取るが、聞くだけならば無料だ。情報はいつだって武器となるのだ。

 

「お父様。私めにどうぞ、知恵をお授けくださいませ」

 

『うむ。そうだな、結論から言うと……演技しろ』

 

「演技?」

 

『女子の前だと男っていうのは格好良くあろうするだろう? お前は多分、いつもその子の前では格好良くクールを気取って、何でも出来る自分を見せつけているだろ?』

 

「そう、ですね」

 

 言われてみれば、そうかもしれない。

 初めて会った頃は若干テンション低めだったが。

 今では、割とかっこよく見えるように行動していたかもしれない。

 端末から聞こえる声に神経を集中する。

 

『格好つけたいのは分かる。好きな子の前ならば当然だ。お前も大体のことは失敗しないしな』

 

「照れますね」

 

『だが、完璧な人間は嫌われるぞ。何かしらの隙がある風に演じろ』

 

「隙?」

 

『普段はなんでも出来る有能な男。それでもどこかに問題がある。それを私なら支えていける。そう思わせろ』

 

 生前子供向けのアニメで完璧な男とそれなりに優秀だがダメな部分もある男がいた。

 二人の男を前にして、マドンナ扱いをされた可憐な少女は後者を選んだ。

 理由は、自分がいないと駄目だと思ったから。自分だけが彼を救えると思ったから。

 完全無欠の男は振られた。そんな話だ。

 

 そういうことかと確認を取ると、肯定を彼は聞かせた。

 

『助けたい。私が傍にいて守りたい。そういう思いをお前に持ち始めれば、より近い距離になれるだろう。もちろん精神的にだ』

 

「……なるほど」

 

『更に言うと、ギャップ差というか、今までとは見せていた物とは違う別の面を見せることで、鈍感な彼女にも何か変化をもたらせるかもしれない』

 

「なるほど! なるほど!!」

 

『あとは清潔感とかも大事だろう。こんな感じでどうだ?』

 

「天才ですね」

 

 端末越しに久しぶりに笑い合う。

 そういった中で、俺は今言われたことを熟考する。目から鱗の気分だ。

 意図的に、これまでと違った方向からのアプローチか。弱さを見せ守りたいと思わせる。たまに衣装を変えるのもいいかもしれない。

 割と真面目に参考になった。流石はプレイボーイか。こういった方面では最強なのだろう。

 

『それで、何か聞きたいことがあったんじゃないのか?』

 

「あっ」

 

 宗一朗がそう問いかけてくる。

 そうだった。あやうく本題を忘れるところだった。

 

「父さん」

 

『ん?』

 

「拷問部屋で母さんに調教されたって本当ですか?」

 

『――。いや、なんのことだ? 誰が言っていたんだ?』

 

「……いえ、風の噂でちょっと聞いただけです。あと、携帯に謎のアプリが入っていましたが知っていますか?」

 

『いや、それは知らない。俺が弄ったのはアドレス帳だけだからな』

 

「そうですか。それでは……」

 

『あ、ああ……、亮之佑』

 

「はい?」

 

『それ、誰にも言うなよ』

 

 通話を終えると、端末から耳を離した俺は頭を抱えた。

 今の会話で俺には分かった。長男として彼と過ごした年月に培われた直感が告げていた。

 

「本当だったのか……」

 

 母さんには、あとで掛け直しておこう。忙しそうだ。

 それにしても、あのアプリは両親の仕業ではないのか。

 とはいえ、今は重要ではないので保留で良いだろう。

 

 

 

 ---

 

 

 

 次の日。

 10月11日の早朝。

 

 ある程度の裏は取れたので、真剣に指輪について向き合うことにした。

 あの影。いや、最後には結構好みな感じの少女に変貌を遂げていた。

 あの少女。初代が言ったことを俺は思い出していた。

 

 俺は左手を空に向けて挙げる。

 中指には光を反射し、美しい輝きを放つ指輪を着けっぱなしにしていた。

 あとで首元に掛け直すつもりだが、今は指に着けたい気分だ。

 

「これに、血を付着させるんだったよな。確か」

 

 正直、何処の厨二だよって思う。血を使うってなかなかレベルが高い。

 生前、魔法陣とかグラウンドにマークを書いて、宇宙人に話しかける人もいたが、

 俺はそういったことはしなかった。

 

「…………」

 

 初代はそれをすれば全てが分かると言っていた。

 だが俺自身、正直まだあいつを信用してはいない。突然の勧誘の電話のようなものだ。

 ああ、そうですかと簡単に納得はできない。

 

「…………」

 

 好奇心は身を滅ぼす。誰かがそう言っていた。

 別に血の一滴や二滴、問題じゃない。すでに小型のペーパーナイフは用意した。

 手元には携帯端末。そして指輪。

 

「…………」

 

 初代は言った。このまま時間が経過すれば、俺は退屈という修正に、世界に捕食されると。

 俺にとって退屈というのは苦痛だ。苦痛なのは嫌だ。面白いことがしたい。

 そうでなければ、何のためにこの世界に来たのか分からなくなる。

 興味本位だったが、だからこそ俺は決意した。

 覚悟を決める。

 

「俺は、――四国の外が見たい。真実を知りたい」

 

 口にしたことで決意が固まった。

 もしかしたら、あの少女自体が泡沫の夢でしかなかったのかもしれない。

 いつの間にか、俺の頭がおかしくなって変なモノを見るようになってしまったのかもしれない。

 全部妄想かもしれない。

 だけど、別にそれでも構わない。

 

 だって俺は、後悔だけはもうしないと心に決めたのだから。

 あの日。満月の夜、加賀亮之佑が目覚めたあの日に。そう誓ったのだ。

 ……最近は少し薄れ始めているかもしれないが。

 

 なら、俺がやることは一つだ。

 右手にナイフを握り、左の掌をそっとなぞる。

 

「――――」

 

 深呼吸をする。唾を飲み込み、掌に意識を集中する。

 皮一枚分。痛みを感じず、赤い血が掌から零れ落ちていく。

 俺は、その血を指輪に注いだ。

 すると青色の宝石から昏い光が、それと同時に、金と紅の粉が俺の体を纏い始め――、

 

「――――ッ!?」

 

 気が付くと、俺は見知らぬ装束を身に着けていた。

 いつも家で着ていた服は見当たらず全体的に昏い装束を俺は身に纏っていた。

 ところどころに金と赤の色が奔り、地味さを感じることはなく、あまり派手さも感じない落ち着いた雰囲気を醸し出しているコート。

 

 手を見てみると、赤い手袋を身に着けていた。

 下を見下ろすと、こちらも昏くところどころ赤い線の奔るボトム。インナーは鼠色をしていた。

 更に下を見下ろすと、赤いブーツがピカピカに磨かれていた。

 

 そして最後に特徴があるとしたら、あちこちに囚人のように拘束バンドが巻かれていた。

 武器がある訳でもなく、全体的に軽装な印象を感じさせる。

 

「なんだ……これ」

 

 指輪が光ったと思ったら、いつの間にか衣装チェンジをしていた。

 これが、俺の勇者服らしい。

 ……勇者服ってなんだ? 

 一瞬だけ初代を思い出す。別れる間際、これに似たような格好をあいつはしていた。

 

 ふと左腕の二の腕部分を見てみると、コートの左腕あたりに花の刻印が描かれていた。

 昏い花。確か、黒百合の花だ。

 

「これが、俺のチートなのか……微妙だな」

 

 正直、早着替え程度なら俺もできる。大道芸を舐めてかかってはいけない。

 こんなコスプレちっくな恰好に、一体何の意味があるというのだろうか。

 もしかしたら、初代も着用していたのだろうか。

 そう思うと少し笑えた。生前はレイヤーか何かだったんだろうか。

 

 部屋にある衣装ケースの鏡で全体を見て、俺はこんな評価を下した。

 どんな種があるかは知らないが、たいしたことはなさそうだな、と。

 

「クックック……」

 

 あいつ、大層なこと言っておいて、すっげーしょうもないのな。

 虚言の癖は止めた方が良いですよ(笑)と今度言ってやろう。次があればだがな! 

 この分だと、壁の外も大したことは無さげだろうな。

 

 そう調子に乗りかけた俺は、瞬時に冷静に返り咲いた。

 そうやってすぐ油断するから体毛入りクッキーなんて食ってしまうんだ。

 冷静になれ。この服だって、きっと何か特別な意味合いがあるのかもしれない。

 防護服の役割なのかもしれない。

 

 何があるか分からない。日帰りで戻るつもりだが。

 念のため、顔を隠すための仮面と口を保護するためのスカーフを準備する。

 前者は人に顔バレしないための装備。

 後者はウイルス対策だ。ないよりはマシだろう。

 先ほどから、異常なくらいの高揚感を抑える。

 

「よし、行こうか」

 

 口元がにやける。あぁ、真実が楽しみだ。

 ゾンビはいるのだろうか? 

 壁の外に思いを馳せながら、俺は周囲に人がいないか確かめつつ家を出た。

 

 

 

 ---

 

 

 

「ついた……」

 

 ここまで来るのに大した時間は掛からなかった。

 この服は身体機能を強化するのだと、家からの移動時に気が付いた。

 

 それは明らかに、本来の加賀亮之佑の身体能力を逸脱した速度だった。

 俺は――風になる。早くも調子に乗りそうになるがぐっとこらえる。

 途中、人が多いので屋根の上を飛んで移動をする。

 これもまた凄かった。主にジャンプ能力と、着地のダメージを緩和してくれる。

 初代もいいプレゼントをくれたものだ。

 

 ちなみにこの勇者服が脱げないことに気がついた時は、ちょっと心臓が止まりかけた。

 最悪、一生このままかと覚悟しそうになった。

 まぁなんとかなるだろう。今はそれよりもだ。

 

「フフッ……」

 

 なぜか笑えた。

 明らかに異常な身体能力を発揮することが面白かった。

 走れば走るほど、跳べば跳ぶほど、体の中の細胞が活性化するのを感じた。

 

 まるで、体の中から別のモノに作り替えられているかのように。

 

 およそ20分程で、俺は湾口にたどりついた。

 

「…………」

 

 今まで、海の先に何か巨大な構造物があったことはない。

 聞いたことも、見たこともなかった。

 だが、明らかに壁のようなものが俺の眼には映っていた。

 四国の地を囲うように続く壁がどこまでも、どこまでも横へ。

 大橋の下を人にバレないように跳んで走って移動し、なんとかそこまでたどり着く。

 

「これは…………植物か?」

 

 その壁は植物のような何かで出来ていた。

 一面を覆う、大きな根のような何か。

 変身をしたことで、この存在を見ることができるようになったのも明確な変化の一つだ。

 

「ここだけ、やけに薄いな……」

 

 やがて、薄い膜のような、明らかに強度が不足してそうな場所を見つけた。

 まるでここから入れといわんばかりに。

 罠か? と思った。

 誰に? 俺にか? それこそまさか、だ。そんなことに一体何の意味があるというのだ。

 

 それにしても、こんな状況だというのにワクワクするのは。

 俺も頭のネジが飛んだのだろうか。

 

「――ふぅ」

 

 深呼吸して、気合を入れなおす。

 目の前に存在する謎の膜のような物。結界と言うべきか。

 おそらく、ここから通れば、俺は四国の外へいけるのだろう。

 

 同時に、そこにあるものを見たら、もう取り返しのつかないことになることを俺は予感した。

 

「なら、なんのために俺はここまできたんだ……」

 

 変身現象と、仮に呼んでおくとして。

 この身体能力向上と引き換えにわざわざコスプレまでして。

 見られても大丈夫なようにマスクもつけて。正直恥ずかしい気持ちもあったさ。

 その思いを無駄にはしたくない。

 今日初めて知りたいと思ってここまで来たのだ。今更引き返そうなんて思わない。

 

 ふと友奈ならどう言うか考える。

 俺のお向かいさん。楽観的で、でも責任感が強くて、明るい笑顔で周囲を照らそうとする少女。

 彼女なら、「きっと大丈夫だよっ!」とそう言うだろう。

 

 そうさ、大丈夫だ。大抵なんとかなるものさ。気楽にいこうじゃないか。

 

「よし、行くか――」

 

 誰にともなく俺は一人呟いて、結界をすり抜ける。

 

 

 

 ---

 

 

 

 『運命とは、選択の積み重ねで作られている』とは、一体誰が言ったものか。

 この日、確かに俺は、決定的な選択をしたのだ。

 

 そして――、

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第十七話 虚構の世界、それが真実」

 声が出なかった。

 

「――――」

 

 その場所を一言で言うなら、『紅の世界』だった。

 ソコに長時間いれば、心が引き裂かれる。肉体よりも心が先に壊れてしまう。

 見るものが見れば、おそらくその事実に心が耐えられない。そういう場所だった。

 

 この時、なぜだか俺は太陽のイメージをした。

 小学校の理科の授業で先生が太陽の画像を映写機でスクリーンに映したのを覚えている。

 太陽の表面温度は約6000度。黒点は約2000度と周りよりも低いため黒く見えるらしい。

 

 その中で、プロミネンスという紅炎がある。

 皆既日食の際に、月に隠された太陽の縁から立ち昇る赤い炎のように見えることから名づけられた。太陽の表面を、紅炎が至る所で燃え盛る。そんなイメージをした。

 

「なんだ……ここは、一体……」

 

 至る所で火炎が波しぶきを立て、地を這うねっとりとした紅の波が地面を舐める。

 否。そこに地面と呼べるものはなく、ただの灼熱とした炎の海を思わせる何かだ。

 熱波の海というべきだろうか。立っているだけで四方八方から灼熱の波が押し寄せる。

 

「日本は……いや、そもそも海はどこだ?」

 

 周りを見渡せど、あたりは紅色の炎が世界を彩っている。

 他の色はまるで見られない。他の存在を許さないように紅蓮の色が塗りつぶす。

 いや、そもそも俺が見渡す限り何も無かった。

 

 動物も消え、植物も消え、人もなく、鳥も消え、花も消え、建物も消え、海も無い。

 下手をすると、世界を作る大事な要素がゴッソリとなくなったような。

 

「―――ぁ」

 

 ここはまるで別の世界のようだった。虚構の世界であった。

 ここには何もない。俺が先ほどまでいた世界とはその様相を大きく変えた。

 明確なる死と絶望と紅蓮の灼熱で彩色された世界。それこそが真実だった。

 あたりを見回しても、そこにあるのは死だけだった。それしかない。

 

 死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が、死が――。

 

 死が当たり前の世界。

 惨憺たる世界。生きることを許さず、死のみが救いとなり、死が呑気に闊歩している。

 理不尽と不条理を体現した地獄と呼ぶべき世界が、当たり前のようにそこにあった。

 

 希望と呼ぶべきものはなく――、絶望がそこにある。

 救いと言えるものはなく――、生が淘汰される世界。

 

 ――地獄が、俺の眼前に広がっていた。

 

 海なんてものはない――、死に至る紅の炎しかない。

 地面なんてものはない――、死を呼ぶ紅の炎しかない。

 空なんてものは――、いや……星は見えた。空は紅だが、それでも白い星が見えた。

 

「――――」

 

 このままいれば正気を失いそうになる心を、

 狂気に喉を掻き毟りたくなるような不安を必死に押し留める。

 後ろを振り返れば、先ほど通ってきた樹木の壁と結界がそこにはあった。

 

「――あぁ」

 

 なぜかその事実に俺は安堵する。

 だって、今戻れば、香川の町がある。俺の新しい地元。加賀亮之佑という少年が生きた町。

 

 実家があって、家があって、桜は次の春を待ち、

 海は今日も波を立て青々と美しく輝き、地面も雄雄しくその存在感を主張する。

 宗一朗や綾香、一世。そして、友奈も園子もあの場所にいるのが分かったから。

 

「―――っ」

 

 だが手の震えは止まらない。孤独がジワリと心に侵食し始める。

 今一度、俺は眼前に広がる紅の世界を見つめる。

 何かないのか。そもそもウイルスとは何だったのか……。

 

「――――」

 

 いや、もう分かっている。あれは嘘なのだ。

 おそらく裏の組織、大赦による出鱈目なのだ。別にそれを責めたりはしない。

 周りの世界がこんな地獄であると分かったら、民衆がどういった反応をするか。

 予想がつかないわけがなく、考えるだけでも恐ろしい。

 

「―――」

 

 真実を受け入れる者。真実を偽りだと批判する者。暴動を起こす者。それに乗じて暴行を働く者。

 秩序は消え、暴力が蔓延る理不尽な世界。

 香川、いや四国という神樹による箱庭にいることを知った人類は、

 きっと、共食いをする虫や動物を同じ籠に閉じ込めたらどうなるかが明白な様に。

 他人に責任を押し付け、自分では何もせず、ただ醜悪な暴言を吐き散らし、誰かの救いを待つ。

 

 神樹の管理する世界は、居心地のよい世界は、そうなればきっと壊れるだろう。

 信仰に疑いが生じれば、結界は揺らぐ。

 そうすればきっと、いや間違いなくこの炎が入ってくるだろう。

 結界が消えれば四国内も、何もかもが燃やされ、跡形もなく消え去るのだろう。

 

「……ぅっ…………ぐぉえ」

 

 嘔吐感に逆らえず、胃の中のモノを吐き出す。

 こんな時でも胃はその機能を発揮し消化を完了したのか、

 そうして吐き出したのは、辛い胃液と、莫大な不安だった。

 

 ――どうして、こんなところに来てしまったのだろうか。

 

「―――っ、なに、を」

 

 そんなことをこの場に来て今更思ったところで、もう遅いというのに。

 唐突に俺は思った。思ってしまった。

 

 知ってしまった事実。こんなもの、俺は知らなければ良かった。

 知らないで後悔するよりも、知って後悔することの方が辛かった。

 もしも過去に戻れるなら、好奇心なんかでこの景色を見ようとする自分を止めただろう。

 心臓が零れ落ちそうな程に高鳴りを続け、根を踏む足は気がつけば崩れ落ちるほど頼りない。

 

「――大丈夫だ。大丈夫、大丈夫、大丈夫だから……」

 

 そうだ。大丈夫だ。

 必死で根拠なき安心を自身に求める。大丈夫だ。

 肉体に忍び寄る寒気。吐き気と頭痛が止まらない。心臓が煩い。大丈夫だ。

 こんなにも暑苦しいのに、体を芯まで凍らす『死』が明確に近づいてくるのを直感した。

 

「…………」

 

 戻ろう。

 今からでも遅くはない。大丈夫だ。

 自分にそう言い聞かせる。戻れ、そして忘れろと。

 

 そうだ、戻ろう。戻るんだ。引き返そう、今すぐに。

 今から家に帰ろう。そして温かい風呂に入って、温かいご飯を作って、布団に入って眠る。

 戯れに初代と世間話でもしよう。そうして朝を迎えて、宗一朗を浮気の件で揶揄って。

 

 友奈の家に行って、友奈のご両親にいつもの朝の挨拶をしよう。

 そして、いつものように友奈を起こしに行こう。

 ベッドで涎を垂らして幸せそうに寝ている彼女のアホ面を拝みながら、肉体をちょっと弄ぶ。

 くすぐったり、耳元で気障な言葉を囁いてもいい。満足したら彼女を起こして学校へ行こう。

 

 授業を受けて、給食を食べて、馬鹿な男たちと馬鹿な話をしよう。

 放課後は、友奈と他愛もない話をしながら家に帰ろう。

 そして、そして、そして、そして、そして、そして…………。

 

「帰らないと」

 

 やることは決まった。やるべきことを思い出した。

 この事は忘れよう。初代がなんと言おうが知ったことじゃない。

 帰って、眠って……。

 

「そういえば、あの時のアイス、まだ買ってなかったな」

 

 ――クツクツ。

 どこからか笑い声が聞こえた。俺の声だった。

 生まれたての子鹿の様にみっとも無く震えながら、俺は結界に向かう。

 

 なぜか笑えた。

 暑いな。もう秋だけどアイスでも買おうか。

 そう思いながら、ふと空を見上げる。俺はその赤黒い世界の空模様を視界に収めてしまい、

 

「――? ――ぇ、あっ―――」

 

 どうやら、俺の選択の積み重ねが、俺の人生を形作るように。

 無限の選択から導かれた運命は、俺を逃がす気など微塵もなかったようだ。

 それは――、

 

 

 

 ---

 

 

 

 天の川、あるいは天の河というものをご存知だろうか。

 当然知っているだろう。夏と冬。日本には夏と冬に南北で頭を超える位置に来る。

 いつだったかの夜。園子と過ごした夜に初めて見た感動は今でも心に残っている。

 

 『七夕伝説』というのは、日本人なら誰だって知っているだろう。

 俺の前世でも、亮之佑としても、七夕の日には、7月7日にやる恒例行事は一緒だった。

 

 織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川だが。

 この世界の天の川の端から、先程からその先端がこちらに向かってくるのは気のせいか。

 

「は?」

 

 星が動くわけがない。だが、ここは紛れもない現実だ。

 初代のいる指輪の世界ではない。

 流星は白い光の尾を引いて、降り注いだ。

 

 綺麗だな――、なんて思う暇はなかった。

 ソレは明らかに、明確な何かを持って、俺に向かって降り注いだ。

 

 ソレを認識した瞬間。

 俺の脳内に知らない情報が入り込んできた。

 

 星屑

 

 全体的にソレは、星屑は白かった。

 小麦粉を水に溶かし、混ぜ合わせうどんを作る工程で、

 悪戯で千切ったりした残りのカス。そんな存在。

 

 醜悪な口周りは赤く、歯医者に通う人なら羨ましがるだろう白い歯。

 きっとあれで人を捕食するのだろう。人肉はおいしいのだろうか。

 体長は、縦2~2.5メートルというところか。横幅は1メートル強。

 

 その群れが、こちらに降り注いだ。

 

「ガッ――、ゴッ、あがっ!!」

 

 ぼんやりしていれば、当然そうなる。

 質量がいともたやすく俺の肉体を吹き飛ばした。

 首がへし折れて、頭が吹き飛ぶんじゃないか。そんな衝撃が俺を貫いた。

 意識が遠のきそうになる。出口から、結界から遠のく。遠のいてしまう。

 

「あがっ、ああぁぁ!!」

 

 三半規管が狂い、呼吸困難に陥る。

 滅茶苦茶に吹き飛ばされ前後不覚に陥るが、そのおかげで距離を保てる。

 死んだかと思ったが、衝撃の瞬間、一瞬だが俺と星屑の間にバリアが発生したのを見た。

 

「―――!!」

 

 肉体が吹き飛ぶのと同時に、少しだけ身体の寒さも遠のいた。

 目を見開く。一瞬だけ、苛立ちが募る。

 それは俺を吹き飛ばした星屑に対してか、はたまたゴムボールのように吹き飛ぶ俺にか。

 

 どちらでもいい。

 苛立ちを伴う怒りが一瞬だけ恐怖を上回り、意識的に腹式呼吸を行う。

 呼吸が体を戦闘用に置き換える。それらは、全て無意識下で行われた。

 

 状況は劣勢。

 周りは敵だらけ。助けはない。

 

 吹き飛ばされて、虚空を無様に舞った時。

 空を見上げた。

 そして気がついた。

 

「そうか―――」

 

 星なんてものは、最初からなかった。星すらこの世界にはない。

 天に浮かぶ全ては星屑で、その光景を見て、こんなフレーズが思い浮かぶ。

 

「天の光は、すべて敵、か」

 

 ――クツクツ。

 誰かが笑っていた。俺だった。

 あまりにもくだらなくて、あまりにも無様で、なぜだか無性に笑えた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 状況は変わらない。

 突撃を躱して、弾き飛ばされる。

 致命傷に至るものはなぜかバリアが守ってくれるが、衝撃は俺の内臓を痛めつける。

 

 体が熱を帯びる。体が痛いと言うか、痛くない場所がよく分からない。

 適当に遊ばれているのか、致命傷にならない限りバリアが起動しないらしい。

 一定のパワーの質量が全方位から襲い掛かる。どこに回避してもだめだ。

 回避した先にいる別の星屑に体当たりを喰らう。

 もう何回タックルされたか。

 

「づっ……、その口は飾りかよ、なあ……おい」

 

 軽口は叩けるが、星屑に挑発に乗るような知能はないようだ。

 面白くない。それが面白くて、クツクツ笑ってしまう。

 

 だが、こちらはピンチだ。

 可及的速やかに脱出口に向かわなければ。

 このままピンポン玉のように弾かれて、地面のないところに落ちたら確実に死ぬ。

 

「――だ」

 

 それはいやだ。

 死にたくない。だが、今こいつらに背を向け逃げても殺される。

 死んだら約束を果たせない。友奈にも、園子にも二度と会えなくなる。

 それだけは絶対に嫌だった。意識せず俺は両手を握り締めていた。

 

「―――武器だ!!」

 

 そうだ、武器が要る。素手では勝てない。ならば奴等を倒すなら武器が要る。強い武器が。

 友奈のように、徒手拳なら己の拳でなぎ払うことができるだろう。

 

 だが、俺の拳にそんなスキルは備わっていない。

 加賀家の近接格闘術は、カウンターと奇襲がメイン。対人戦で真価を発揮する。

 ある程度、星屑の猛攻を受け流すことができるぐらいだ。

 セクハラ拳は、友奈ぐらいにしか通用しない。大道芸は、人を楽しませるものでしかない。

 

「はっ」

 

 乾いた笑みが出る。それは決して諦めではない。もっと醜い何か。

 恐怖や、焦燥、絶望、そして、生への執念が混じった笑いだった。

 自分の顔が今笑っているのか泣いているのか、どんな表情かは分からなかったが、

 それでもきっと、思考に多少の余裕が出てきたのだろうと思い直す。

 

 ――なぁ、聞いているか、初代。

 

 俺は自身に、自身の内に潜む少女に呼びかける。頼む、応答してくれ。

 強い武器が要る。出してくれ。

 

 必殺スキル:人頼み

 青狸ではないが、これを直接くれたのだ。

 そもそも、これが勇者服だと言うなら武器ぐらいあるだろ? 

 ビーム系がいいんだけど。戦艦の主砲のようなライフルとか、ビームの出るサーベルとか。

 

 聞いてる? 初代? 初代様? しょーちゃん? 

 返事がない。屍のようだ。応答してマジで。後継者のピンチだよ! 

 星屑にはじき飛ばされ、死に向かうワルツを踊る俺の魂の叫びを聞いてくれたのか、

 手袋の中にある指輪が僅かにだが蒼い色彩を放ち、同時に脳裏に囁き声が響く。

 

『――で、なんだい?』

 

 と、初代が応答してくれた。

 この瞬間ほど、これほどこいつに感謝したことはないだろう。

 

『初代様、だよ。ボクが屍だって? 可及的速やかに謝罪を求むのだが』

 

 今はそれどころじゃないんだ。助けてくれ。あとでいくらでも謝るから。

 

『まぁ、説明というか、武器って自然と出るものだとボクも思っていたからね。

 今回は言い合いはなしだ』

 

 助かる。ありがとう。

 

『いいかい? 魂の底から念じるんだ。武器よ、こいっ!! ってね』

 

 クツクツとした笑い声が聞こえてくる。

 星屑の攻撃を回避しながら尋ねる。……それだけか? 

 

『武器は人それぞれだからね。太刀だったり、大鎌だったり、人それぞれさ。ボクらの場合はどうなるんだろうね。なんせ規格外だからね』

 

 クツクツとした笑いに、多少苛立ちが募る。

 状況が分かってないのかお前。このまま行けば、俺たちは焼け死ぬか圧死だぞ! 

 

『言っただろう? 準備は整っている。

 キミに闘う、反逆の意思がある限り、勇者因子と神樹が応えてくれるはずだ』

 

 ……はず? 

 

『人の揚げ足を取らないで、手をかざして……そう。ほら』

 

 もう痛みがない所がない。体の中が膨張でもしたのだろうか。

 辛うじて星屑の攻撃を回避するが、体の表面と中身が悲鳴を上げている。

 

 そんな時、星屑の群れが一斉に飛び立つ。四方八方へ散らばる。

 唐突な星屑の行動の真意を、しばらく観察してから気が付く。

 

 奴等、俺を質量で押しつぶす気だ。押し競饅頭の要領で圧死させてくる。

 致命傷をバリアが防ぐといっても、気絶したら終わりだ。

 

 だが、降り注ぐまでにおよそ3秒分の時間は稼げた。

 フラつく足に熱を送る。両手に全神経を注ぎ、ひたすらに願う。

 

「――強い武器を」

 

 歯を食いしばる。

 強く願う。

 

「強い武器が要る――――!!」

 

 目の前の死を睨み付ける。奴等の笑う顔を。

 醜悪で見るに耐えないあの顔を。

 ひとつ残らず切り裂いて、穴だらけにして、グチャグチャにして消し去りたい。

 

 そして、勝ちたい。

 目指すは勝利。

 導くものは、ただひとつの絶対的な勝利だ。

 敗北ではなく、後退ではなく、己を守り、自らの活路を切り開く。

 

 俺は生きたい。生きて、もう一度逢いたいから。その温もりを確かめたいから。

 だから手をかざす。

 

「――頼む。来てくれ。いや、来いっ―――!!」

 

 俺の願いを聞き入れるように、手に光が集まる。闇夜の光、微かに金粉が奔る。

 光が俺の掌に収束し、星屑が、絶望が、虚空から地面に降り注ぎ、

 

 ――白い絶望を、昏い閃光が水平に切り裂き、昏い弾丸が風穴を開けた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「………………」

 

 一人地獄に立っていたのは、俺だった。俺だけだった。

 右手を見ると、そこには剣と呼ぶにはやや短く、ナイフと呼ぶには長い剣があった。

 

 透き通るような昏の刀身は光を弾かず、吸収するかのようだ。

 刀身には波紋が過り、握り部分には赤い布が巻かれているが解れかかっている。

 鍔のある黒色のショートソード、という印象だ。

 

「切れ味は抜群なようだが……」

 

 左手にあるのは銃。よくゲームとかで見るハンドガンだ。

 ずっしりとした重みと光沢が本物であることの証明だった。

 どさくさに紛れて撃ってみたが、偶然にしても当たったものだと思う。

 運が良かったのだろう。

 

 残念だが銃は扱えないので、いつの間にかあった腰のホルスターに収納する。

 一応初代に確かめる。なぜか話せることに疑問を抱かず。

 

「これ、また消えたりしないのか?」

 

『武器は任意で出現させられたはずだよ。必要なら消すこともできるはずさ。

 それよりも、道は開けた。脱出しないのかい?』

 

「あ、ああ。そうだったな」

 

 意地の悪いクツクツ笑う声に導かれて、慌てて結界に向かう。

 なぜだろう。敵を撃破したからか、余裕が生まれた。

 俺は謎の全能感に包まれていた。俺は無敵だ……。

 なんて、ちょっと調子にのり始めていた。これは駄目な癖だ、直さないとな。

 いつの間にか甘ったれ始めていたのかもしれない。

 油断するのは友奈に抱きついて、お触りしてからにしよう。

 

 そして俺は可及的速やかに、後ろから再び白い流星が降り注ぐ前に結界に向かう。

 だが、ふざけた思考と同様に不敵に笑い始める口角も全能感も、結界を出ると同時に収まった。

 それはなぜか。

 

 星屑が亮之佑を逃がしても、運命は彼を逃がさなかったからだ。

 

「――ぇ?」

 

 

 

 

 

 

 

 結界を抜けた先に、先ほどまでいたはずの町は無かった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第十八話 届かぬ約束に、手を伸ばして」

 そこは植物の世界だった。

 俺が見てきた人も、俺が住んでいた家も、あったはずの場所は、謎の根に変わっていた。

 俺が皆と生きた町はなかった。

 

「ぇえ……ぇあ、あっ?」

 

 唐突に樹海化というワードが頭を過る。

 誰かの記憶だ。俺の記憶か? いや知らない。

 大小様々な色とりどりの木の根が緑のアスレチックな空間を創り出していた。

 

「なん……ここっ、いえは?」

 

 無意識に独り言を呟く。呟くことで辛うじて思考を動かす。

 ここはどこなのだろう。

 本当に俺はどこにいるのだろう。まるでファンタジーの世界だ。

 いつの間にか、俺は知らない世界を狂ったように走りながら、どこか他人事のように考えていた。

 

 ――家はどこだろう? 

 ――宗一朗、綾香はどこにいるのだろう。どこかに避難しているのだろうか。

 ――園子は……。

 ――友奈はどこだろう。

 

 立ち止まりそうな足に喝を入れる。

 勇者服を着用しているはずなのに、息が絶え絶えだった。

 それから、

 

 どれだけ走っても。

 どれだけ叫んでも。

 どれだけ周りを見回しても。

 

 必死な思いで、懸命な意思で、決死の覚悟で名前を叫ぶ。

 だが、その声に応えるモノは誰もいなかった。

 何も、誰も見つからなかった。

 

「―――――ハァ、――――――ハァ、―――――あっ!」

 

 肺を焼き切りそうな痛みに、心が砕けそうな後悔から必死で目を逸らす。

 どれだけ走っても、家の一軒も見えない。

 必死に町の影を見つけようと目を逸らして、下をよく見なかった。

 だから木の小さな根に躓く。

 転んでしまう。

 

 息が切れる。肺が痛み、酷使された肉体は全身が軋みたてる。

 肉体の各所が一度止まれと叫ぶのが分かる。

 分かるが、――だが、ここで止まるのは嫌だった。止まれる訳がない。

 

「……誰か」

 

 誰かいないのかと考える一方で、漠然と思考は理解を示す。

 分かっている。誰もいないのだ。ここには人は誰もいないのだろう。

 知らない知識だけが先ほどから脳みそに突き刺さる。

 無駄な行動は止めろと囁く。

 

 そんなものは信じられない。だって確かめなければ分からない。

 だから行動した。だがいなかった。自分以外は誰も見つからなかった。

 

「は―――――、あ――――――」

 

 息が整わない。

 肉体を酷使しすぎたのか、精神的なものか、足が言うことを聞かなくなり尻餅をついてしまった。

 息を整えるのにしばし夢中になった。

 だから、気が付くのに遅れた。

 

「…………あ、れ?」

 

 疑問の声が呼吸と共に出た。

 瀬戸大橋は先ほど通ってきたはずだ。だが記憶の中の形状と一致しない。

 あれほど大きなシンボルと呼べる橋の存在を見間違いであるとは言わせない。

 その大橋が、折れてへし曲がり、歪み、橋としては完全に大破していた。

 

「………………は」

 

 もう意味が分からなかった。

 笑えなかった。なぜだか、目の前が霞み始めた。

 目の端から、微かな嗚咽と共に熱い雫が零れた。

 

 身体が痛かった。

 心も痛かった。

 呼吸ができなかった。

 あれから初代とも全然連絡がつかなくなった。何度呼んでも、指輪は鈍い色のままだ。

 

 誰かに会いたかった。声を聞きたかった。

 友奈に会いたかった。抱きしめたかった。

 俺を知っている人に、俺を受け入れてくれる人に、名前を呼んで欲しかった。

 親しげに、友愛を込めて、俺の存在を受け入れて欲しかった。

 

 結局はその程度だったのだ。

 何が転生者だ。何が芸だ。何が誓いだ。

 それらはいざ困った事態になると何も役立たない。

 自分の無能さを思い出し、これまで築いた全てが霧散しそうになる。

 

「あ、ああ……」

 

 気がつくと、俺を纏う衣は勇者服ではなくなっていた。

 目の前に端末が転がるのを視界の端に捉えるが、そんな事はどうでも良かった。

 全能感も、仮初の勇気も、謎の高揚感も、何もかもが消えてなくなってしまった。

 代わりに俺を呑み込むのは、意味の分からない空間と誰もいないという事実だけ。

 

「ああ、ああぁぁぁ…………!!」

 

 叫んでも何の意味もない。無駄だ。さっさと立ち上がれ。つべこべ言わずに探し出せ。

 理性がそう叱りつける。分かっている。だけど、動けない。

 足を止めたことで負担が一気に心肺機能に襲い掛かる。動けない。

 だと言うのに、俺が立ち止まってしまっても、運命はゆっくりと後ろから近付いてきた。

 

 

 そして、孤独に動けなくなった加賀亮之佑を、労うように、嘲笑うように。

 追いついた運命が、ゆっくりとした動きで彼の肩にそっと手を乗せてこう言った。

 

 ――お前の負けだ、と。

 

 

 

 ---

 

 

 

 目から零れるものも尽きたのか。

 ゆったりとした足取りで歩き出す。

 

 途中、大きな白い何かを見たが、どうでも良かった。

 途中、紫と蒼の輝きを見たが、どうでも良かった。

 帰りたかった。何も考えたくなかった。

 

 だが、目の前に蒼い流星が墜落してきた時。

 それが人の形をしていた時、残りの心が辛うじて起動した。

 

「あ――、ひ、とだ」

 

 数十分だったか数時間だったか、分からなかった。

 ただ、無我夢中で走り抜いた。

 何度転んだか分からない。切り傷、擦り傷、打撲が全身を切り刻む。

 肉体の外も中も熱を放つ。

 だが、そんな痛みなど、もうどうでも良かった。

 加賀亮之佑にとってその熱が唯一、自分がまだ生きていることを感じさせたのだから。

 

「―――――」

 

 駆け寄る。

 星の着地点に駆け寄った。

 そこには、気を失ったのか意識の無い少女がいた。

 黒い艶やかな髪。無造作にばら撒かれた黒髪は、一本一本が生糸のようだった。

 右手にはどこかで見たような青いリボンが巻かれていた。

 あと、どこがとは言わないが服の上からでも分かる大きさだ。

 この属性は少年の周りにはいなかったので無言で見る。でかい。

 

「――?」

 

 加賀亮之佑は、黒髪の美少女をじっと見つめて腕組みをした。

 なんとなく容姿としては綾香に似ている。マザコンではないが。

 少し熟考して、

 

「ああ」

 

 そして思い出した。

 神樹館小学校。

 今は懐かしき母校。そこの制服を彼女は着ていた。全体的にボロボロだったが。

 ボロボロさ加減なら俺も負けないぞとなぜか張り合う亮之佑。

 全身血と傷だらけだった。

 

 少年の記憶では、彼女のような美少女なぞ見覚えがないのだが。

 それにしてもだ。

 園子が西洋人形なら、目の前の少女は日本人形と言うべきだろうか。

 これが本当の大和撫子と呼ばれるのだろう。

 正直、見た目は好みだった。

 

「親方、空から人が……」

 

 なぜか呟かずにはいられなかった。

 少年の声に反応したのかは分からなかったが、

 彼女の整った眦が震え、見開いたエメラルドのような瞳が亮之佑と交わった。

 一瞬驚愕に目を見開いたが、こちらの風貌を見て心配そうな顔をする。

 

「……大、丈夫ですか?」

 

「それは、こっちの台詞なんだけど……」

 

 お互いに困惑の入った視線がぶつかる。

 昏い瞳と緑の瞳が交差する。

 瞬間、場が膠着してしまい、先に目を逸らしたのは亮之佑の方だった。

 

「なあ、ここから、家に帰るにはどうしたら、いいと思う……?」

 

「……分から、ないです」

 

 何か情報を持っていないか少年が聞いてみる。

 無理もない。久方ぶりに会う人間だった。会話の仕方を忘れたのだろう。

 聞き方が少しおかしく感じたが、お互い混乱しているのだ。

 亮之佑も疲れきっていた。

 心も肉体もボロボロだった。

 それでも、孤独でないことに幾らか心が和んだ。

 しばし気まずさにお互いが押し黙る。そっと見ると、彼女もだいぶ疲れきっているようだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 そんな中で、空間を切り裂く紫の槍が到来した。

 

 

 

 ---

 

 

 

 その少女と目を合わせては逸らすことを何回やっただろうか。

 お互いがお互いを気になり、チラチラ見合っていた頃。

 

「わっしー!」

 

 その声が突如、俺の耳朶に響いた。

 

「――ぇ」

 

 聞き間違えるはずが無い。

 多少声変わりしたとしても、間違えるはずが無い。

 何年彼女といたと思っている。

 何年その少女と笑いあったと思っている。

 どれだけ思い出を築いたことか。

 

 空を仰ぐ。

 紅ではないが、曇り空。

 それを引き裂くかのように、随分長く伸びた槍がこちらに近づき、

 縮むと同時に、その少女がこちらに降りてくるのを俺は目にした。

 

 その光景を覚えている。

 

 

 = = = = =

 

 

 柔らかく下がった眦。真っ直ぐに伸びた艶のある長い髪。

 純金を溶かしたと感じさせる黄金色は、稲穂を想像させる美しい髪。

 白く純白を思わせる肌。

 

『かっきー』

 

 桃色の小さな唇を震わせ、かっきーと呼ぶ声を覚えている。忘れはしない。

 

 

 = = = = =

 

 

 その全てが俺にとって愛おしかった。

 目の前の少女は、以前より多少背が伸びただろうか。

 今は長髪をポニーテールにして、紫の装束。紫の槍。装束に施されている刻印は睡蓮だろうか。

 相も変わらず園子は美しく、可愛らしかった。

 

「――――――」

 

 声が出なかった。

 涙は枯れ、血の気の無い唇をわなわなと動かすだけだった。

 なんて声を掛ければいいか分からず、そっと俯いた。

 少女は俺に気が付いていない。

 俺の傍にいる黒髪の少女に向かい、話しかけた。

 

「わっしー。聞いて……。壁の外が――――」

 

 俯く中、彼女の声が聞こえる。

 刹那、彼女の戸惑いの声も聞こえる。

 

「わっしー?」

 

「誰……ですか?」

 

「――え」

 

「そうだ――! 銀は? 銀はどこ!?」

 

「……っ、わっしー!!」

 

 まるで会話が噛み合ってなかった。

 お互いが誰か別の人に話しかけているようなチグハグ感。

 園子が話しかけている少女、わっしーというのは渾名だろう。

 それでも、園子は彼女の手のリボンをしっかりと結び直し。

 「乃木園子と、鷲尾須美と、三ノ輪銀は、ずっと友達だよ。ズッ友だよ」

 と微笑みかけていた。

 

 そんな一瞬の穏やかな空気を、運命は決して許さない。

 

 後ろから、強大な死の群れが近づいてくるのを感じた。

 思わず顔を上げてソレを見る。

 怪獣映画でよく見るような巨大なソレを認識した時、また知らない情報が入ってきた。

 

「――――っ」

 

「―――? ―――ぇ」

 

 突然の情報に頭痛が酷い。

 思わず唸ると、園子が此方を見た。

 ずっといたが、下を向いていたから俺だと気が付かなかったようだ。

 

「……かっ、きー?」

 

「その……ちゃん」

 

 改めて園子の顔を見る。

 よく見ると、片目の焦点が合っていない。右の琥珀色の瞳に光を感じなかった。

 それでも、

 

「――ど」

 

「―――――」

 

 残った目に様々な感情が走り、大きく見開いていた。

 園子は何かを口走ろうとして、口を閉じる。

 

 『どうして』ここにいるのか、なのか。

 『どうして』かっきーが、なのか。

 『どうやって』ここにきたのか、なのか。

 

 驚愕と不安と喜びと……他の何か。それら全てが入り混じった瞳が。

 見開かれる琥珀色の瞳が見下ろし、絶望に歪められた昏色の瞳が見上げた。

 実に2年ぶりに、少女と少年の瞳が交差した瞬間であった。

 

「―――――」

 

 彼女と逢ったら、話をしたいと思っていた。

 謝りたいとずっと思っていた。

 そして再会を喜んで、抱きしめたいと思っていた。

 2年間、頭の片隅で、その存在をただの一度も忘れたことなどなかった。

 園子が目の前にいる。

 ただそれが嬉しくて。

 

 だけど、時間は俺たちに会話すら許すことはなかった。

 そっと目を逸らしたのはどちらか。

 

 2年の月日は、少しだけ俺たちの間に壁を作ったのかもしれない。

 話をしたかった。

 でも、気まずかった。

 

 そう俺は思ったが。

 どうやら彼女は、そんなことは思わなかったらしい。

 園子が俺へ跪き、俺と目線を合わせる。

 あの頃と何一つ変わらず、俺に話しかける。

 

「かっきー。わっしーをお願いできる?」

 

「―――――、……ああ」

 

 視線を下に移す。

 いつの間にか、少女が気を失っていた。

 園子と少女の関係が分からないが、それでも俺を頼ってくる。

 その程度の信頼はどうやら残っていたらしい。

 

「園ちゃんは……?」

 

「私はね~」

 

 そう言いながら彼女は立ち上がり、壁のほうを睨み付ける。

 結界を抜けて入りだしてくる侵入者。

 星の怪獣にして、頂点。

 バーテックス。

 星屑が集合して出来上がったモノ。

 

 乙女座

 蟹座

 蠍座

 射手座

 山羊座

 獅子座

 水瓶座

 天秤座

 牡牛座

 牡羊座

 魚座

 双子座

 

 黄道十二星座と呼ばれる12体の怪物。

 知識がどこからか引き出される。

 それらが、全て集結していた。

 

 少女が俺たちの前に立ちふさがる。

 無力な俺たちを守るように。

 何者にも決して奪わせないように。

 

「――ちょっと、やっつけてくるよ~」

 

 あの頃と何も変わらず、散歩にでも行くかのようにそう言って、ほにゃっとした笑みを浮かべ、

 俺に背を向ける。

 

「園子……」

 

 俺に立ち上がる力はもうない。体は動かない。

 もう足に熱が入らず、立ち上がれなかった。

 偽りの勇気はとうに消えた。心は怯えている。

 情けない、悔しい。でも勇気が出なかった。勇気が足りなかった。

 それでも、

 

「かっきー。私ね~」

 

「―――」

 

 それでも。

 

「かっきーが、大好きなんだよ~」

 

「――園子、まって……」

 

 卑しくも呼び止めようとする俺に、園子は朗らかに、慈愛をもって微笑んだ。

 その笑みに口を噤む。そんな、たったそれだけの会話だった。

 

「またね」

 

 そう言って、園子は敵に向かって跳躍した。

 距離が離れる。

 離れてしまう。

 

「園子ーーーーーっっっ!!!」

 

 叫んで、離れていくその姿に手を伸ばす。だが届かない。

 

 何もできない、情けない俺を守るかのように。

 こちらに来る敵を倒すため。

 紫の花が咲き誇った。

 

 その姿を見て。

 

「――あ」

 

 思い出すことがあった。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 

「勇気の出し方?」

 

「あぁ」

 

 少し前の話だ。

 小学5年生の夏の頃だ。もう1年も前になる。

 

 地域の町内の小さな祭りで、俺は友奈と一緒に出かけていた。

 小さな祭りと言っても、きちんと屋台のあるもので、

 焼きそばを食べたり、りんご飴を食べたりした。

 提灯を見ながら二人で歩いたりした。

 

 少し休憩のつもりで近くのベンチに腰を下ろしていた時のことだ。

 

 この頃の俺は、正直友奈のことが胡散臭かった。

 

 困っている人に手を差し伸べる。

 困っている人に微笑む。

 助けを求める人を助ける。

 

 人として当たり前のこと。

 そんな人のために行動できる勇気が、俺には信じられなかった。

 生前のこともあり、その行為に何か裏があるんじゃないか。そんな風にやや捻くれていた。

 

「困っている人に声を掛けるのって、なかなか勇気がいるなって思ってさ」

 

「うん、そうだね」

 

 りんご飴を舐めながら、友奈は俺に相槌を打つ。

 

「だから、どうやって勇気を出しているのかな~って」

 

「……うーん」

 

 彼女は指を顎にやり、ウンウンと唸りだし、

 やがて答えが出たのか。

 

「私はね、勇気を出してないよ」

 

「……えぇ?」

 

「私はね? 人のために行動して、その人が喜んでくれるのが嬉しいんだ!」

 

 だから、

 

「その人が『ありがとう!』って喜んでくれる姿を思い浮かべると、

 自然と勇気が湧いてくるんだ!」

 

「おぉ」

 

 思わず拍手をした。

 友奈は、

 自分で言ったことが少し恥ずかしくなったのか、やや頬を赤らめた。

 

「誰かのために、って思えば勇気が湧いてくるってこと?」

 

「うんっ!」

 

 その笑顔を見て、俺は自分を恥じた。

 友奈の行動に裏なんてない。汚れきった自分が恥ずかしくなった。

 同時に、純粋にそう思える友奈がひどく羨ましく感じた。

 だからだろうか。

 

 せっかくなので、

 

「友奈の勇気を、俺に分けて頂戴」

 

「いいよ!」

 

 そっと手をつなぐ。にぎにぎした。

 暖かく、やわらかい感触が伝わる手から、暖かな勇気が流れてくるのを感じた。

 そっとお互いに微笑みあう中で、友奈の薄紅色の瞳が妖艶に映って見えた。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

「は―――――、あ―――――」

 

 今の俺には勇気が足りない。

 体中にある虚構の勇気を集めても立ち上がれない。

 端末は反応を示さない。

 

 ――だから友奈。お前の勇気を、少しだけ分けてくれ。

 

 思い出から、本物の勇気が流れてくるのを感じた。

 ……知らず、鼓動が早まっていく。

 錆び付いた心が、軋む体が、忘れかけた熱を点す。

 虚構の勇気と本物の勇気。

 それらが、合わさる。

 

「―――――っ」

 

 目の前の理不尽を睨み付ける。

 眼前に広がる星座たち。理不尽に逆らう紫の花。

 その花は一度散り、また咲き誇る。

 

 逃げてしまいたいと思った。

 このまま眠ったらどれだけ楽なのだろう。

 いっそのこと、園子のことを見捨ててしまいたい。

 

 そんな思いを振り切る。

 歯を食いしばる。

 

「俺は――」

 

 俺は、友奈のように誰も彼も助けたいなんて思わない。

 勇者ですらないような、醜いエゴイストでしかない。

 

 だが、それでいい。

 顔も知らない誰かを救おう、なんて思わない。

 名前も知らない誰かのために命を懸けよう、なんて思えない。

 

 俺にとって。

 加賀亮之佑にとって、大事なもの。大切だと思う人を。

 それだけを、何を賭してでも俺は守りたかった。

 それだけで十分だった。

 

「う、おおおぉぉぉぉぉ―――!!」

 

 それは何に向けた咆哮か。

 再び立ち上がる。

 だが、今の俺では園子を助けることはできない。

 剣と銃であの怪物たちを倒す戦闘力を俺は持ち合わせてはいない。

 それでも。

 

「!?」

 

 端末が、指輪が、光を放つ。

 昏い光が俺を包み、勇者服と剣と銃を作り出す。

 だがこれだけでは足りない。必要だ。

 

 現状を変える一手が。

 今の俺では逆らえない理不尽を変える、反逆の一手が。

 

「――――! これは……」

 

 端末が今度は緑の光を放つ。

 それは、以前俺が投げ出したアプリからだった。

 

「Y.H.O.C.…………」

 

 何かの頭文字。以前は何の表示も示さなかったアプリが。

 まるで、それを押せというように点滅を繰り返し、その存在の主張をしていた。

 

 黒百合が咲き誇るアニメーション。

 背景には螺旋の渦が緑の輝きを放つ。

 

「………………」

 

 悩む必要がなかった。頭じゃない、魂がそれを押すことを勧めた。

 鬼が出るか蛇が出るか。起死回生の一手になるのか。

 俺には分からない。だが、これを押すべきだと魂が告げる。

 

「頼む! 俺は――」

 

 そっとアプリに触れ、強く願う。願った。

 守られるだけなんて嫌だった。

 

「園子を守りたい……俺は園子を、助けたいんだ――――!!」

 

 

 起動し。

 

 

 

 ---

 

 

 

 ・

 

 

 

 ---

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第十九話 貴女と共に、今日を生きる」

「――――」

 

 唐突に目蓋に白い光が差し込み、意識が浮上する。

 

 ここはどこだ。

 ゆっくりと視線を動かしてあたりを見渡す。

 気が付くと、俺は全く見知らぬ部屋にいた。

 

「……?」

 

 知らない天井。

 靡かないカーテン。

 電池の切れた時計。

 空気に舞い踊り光に反射する埃。

 冷たいベッド。

 近くの簡素な机には、白い花の花瓶。

 

「…………ぃっ」

 

 一体何が起きたのだ。そう言おうとしても喉が乾いて口が回らない。

 なんとなく推測を立てる。

 ここはおそらく病室なのだろう。

 冷たい体を起こそうとして、俺はバランスを崩した。

 事故にでも遭ったのだろうか。だとしたら最悪だと冷笑を浮かべる。

 

「おっとっ―――――、…………あ?」

 

 ふと上半身をベッドから上げる際、右腕に違和感を覚えた。

 目を向ける。

 右腕が動かなかった。

 それと同時に、全身という全身を熱が思い出したように肉体を駆け巡った。

 熱が暴れまわり、俺の意識を阻害する。

 

「あっ、ぐ――――!」

 

 声にならない叫びが病室に響くと、いつか見たことのある禿げ医者とナースたちがやってきた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 どうやら骨折だそうだ。

 2日ほど寝込んでいたらしい。慌ただしく何もできず退院処置が施された。

 退院後、俺は右腕を三角巾で吊るしタクシーで自宅に帰宅した。

 先ほど返還された指輪と端末をポケットに入れ、門扉を開ける。

 

「それにしても……」

 

 いつの間に骨折をしていたのか。

 どうやら俺は、事故にあったらしい。

 なんでも、大橋が崩れたときに巻き込まれたのだとか。

 

「まったく、俺も不運だな……」

 

 よりにもよって右腕。

 利き腕は少し困る。

 回復には、およそ2ヶ月もかかるらしい。

 大道芸の都合上、左腕も利き腕と同様に使うことができはするが、

 やはり不便だ。

 

「やれやれだぜ……」

 

 溜息をつきながら、空を見上げた。

 もう秋も終わりそうだった。

 コタツを押入れから出さないとな。クックック。

 

「――――」

 

 いや、そんな訳がないだろ。

 しっかりと俺は思い出していた。

 紅の世界。死の世界。

 虚構の世界。

 そして、

 

 ――地獄を見た。

 

 あの景色を覚えている。あの熱さを忘れるわけがない。忘れられるはずがない。

 臆病風に吹かれ逃げ出した。運命との追いかけっこ。

 街が無かった。人は誰もいなかった。苦しくて立ち止まってしまった。

 運命に追いつかれ、一度は絶望に屈した。あの苦痛の記憶を忘れるわけがない。

 だが、

 

「それから…………」

 

 それから――――――どうなった? 思い出せ。

 何が起きた? 思い出せ。

 

「それから――――」

 

 頭の芯がズキズキと響く。急激な痛みが頭蓋を駆け巡るが、今は無視する。

 園子と会えた。会話をした。死星を見た。花を見た。下を向いた。思い出を見た。

 そして、そして、そして……? 

 

「アプリだ」

 

 あの時光った謎のアプリ。あのアプリを起動した。

 それで確か、

 

 ぁ

 

 

 ---

 

 

 

 ・

 

 

 

 ---

 

 

 ……思い出せない。

 頭が痛む。魂が軋んでいる。

 まるでそれを思い出す事こそ、本当に死を呼ぶと言わんばかりに。

 

 ただ、僅かに覚えているのは。

 記憶に靄がかかったように黒く、昏い何かに包まれて、安心したような感覚。

 鍵が掛けられたような感覚。何をしても決して思い出せない物。

 

 ただ、微かに記憶しているのは。

 誰かに抱きしめられたような、暖かい何かを得て。

 それと同時に何かを失ったような、そんな気がした。

 

「園子は――――、……どうなった?」

 

 事故に遭遇した人の中では、そんな人はいなかったらしい。

 

「なんだよ、一体……何が」

 

 情報が足りない。

 片手で携帯端末を開く。

 あのアプリ。黒百合の花の背景で螺旋が踊るあのアプリ。

 

「たしか、『Y.H.O.C.』だったよな……」

 

 だが、いくら探しても出てこない。検索にもヒットしない。

 霧のように消失でもしたのか、元から無かったように影も形も無かった。

 あの逆樹のアプリも無かった。一体どういうことだろう。

 

「―――――」

 

 結局、あれからどうなったか、なに一つ手がかりは掴めなかった。

 

「―――入るか」

 

 俺は玄関で何をやっているのだろうか。ひとまず家に入ろう。

 なんにせよ、自宅には帰ることができた。

 負傷はしたけどそれだけ。手はいずれ回復する。

 まさか、全部夢だったなんて到底思えるはずがなかった。

 

「ただいま……」

 

 俺は自宅のドアを開けて、一人呟いた。

 応えるものは誰もいない。

 その日は、眠れなかった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 もともと一人暮らしだったが、

 片腕ということもあって、非常にハードな生活を強いられていた。

 最初の頃は辛うじて御飯は炊けるので、惣菜とサプリでなんとかしていたが、

 それを見かねた友奈が俺の世話をすると申し出てきた。

 「サプリじゃお腹が減っちゃうよ!」と。

 

 いやいや友奈さんよ、お前ご飯作れないでしょうが。

 全部お母さんにやってもらっているでしょう? 

 確かに外食ということも考えた。

 だが、こんな姿で外をうろつきたくはなかった。

 無駄に人の視線が刺さるのは非常に不愉快で仕方なかった。

 

「いいから、大丈夫だって」

 

 だから、友奈の誘いを俺は断っていた。

 これは俺の問題だからいいよと、同情ならいらないと拒否した。

 だけど、片腕の生活は予想を遥かに超えるほど厳しくて、

 慣れるのに随分と時間が掛かってしまい、

 学校では、気が付くと彼女が俺の介護係として決まってしまった。

 

 だから、これ以上彼女に情けないところは見せたくなかった。

 見せられないのに、なぜかいつも以上に彼女は頑固で譲らなかった。

 どうしても私生活で俺の手伝いをしたいのだという。

 

 そんな友奈を見るのは珍しく感じた。本当に珍しく、俺たちは口論した。

 だけど、俺も家の中にまで来て生活を手伝って貰うのは申し訳が立たない。

 何より友奈がそこまでする理由がないので結構ですと、結局玄関の扉を閉めた。

 

 それなのに。

 その次の日も。

 また次の日も。

 更にその次の日も。

 

 チャイムの音と共に扉を開けると、友奈は俺の家の玄関で佇んでいた。

 晴れた日も、曇りの日も。

 いつも決まった時間に、友奈は俺の家を訪ねてきた。でも俺は断った。

 その繰り返しだった。

 ここまで来ると、意地と意地の張り合いだった。

 

 そんな戦いとも呼べない何かは、そう長くは続かなかった。

 決着はすぐだった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 あれから5日目。

 その日は雨が降っていた。

 秋から冬に替わる間の雨。冷たい雨が降りしきる。

 シトシトと冷たい雨が曇天模様の黒い化粧を作る。

 

「………………」

 

 いい加減諦めて欲しかった。

 理由を尋ねても、なぜだか黙っているばかりだった友奈。

 俺を見て笑うんじゃなくて、不安そうな顔を浮かべるばかり。

 そのくせ、俺の顔色を上目遣いで窺うことになんとなく苛立った。

 

 俺が頑なに断るのに、なぜか首を縦に振ろうとしなかった。

 いつもなら、「大丈夫だよ」と言ったら「分かったよ!」と空気を読むスペシャリスト。

 正直珍しかった。今まで見たことのない彼女。

 そんな彼女が、どうしてそこまで俺の生活を助けたいのか分からなかった。

 

「………………ん」

 

 時計の針が小刻みに鳴る。

 テレビを消してソファに横になり目蓋を閉じる。

 目を閉じると、外で降っている雨の音と心臓の鼓動が耳朶に響いた。

 片目を開いて時計を見る。

 

「――そう言えば、この時間帯か……」

 

 今日はチャイムが鳴らなかった。

 ようやく諦めたのだろうか。勝ったと思いつつ、残念がる自分がいるのは無視した。

 

「―――――」

 

 変な予感がした。気配というべきだろうか。なんとなく体を起こして、玄関に向かう。

 素足に伝わる廊下のひんやりとした感覚が少し肌寒かった。

 流石にいるはずがない。こんな雨なんだ。諦めただろう。

 そう思いながら、俺は家の戸を開ける。

 

「―――ぁ」

 

「…………」

 

 玄関の戸を開けると、友奈がいた。

 雨が降る中で、服は随分と水を吸っていて黒く染まっていた。

 赤い髪から水が滴り落ち、潤んだ薄紅色の瞳には少年が映り込んでいた。

 しばらく、ルビーのような緋色の瞳とガーネットのような昏い瞳が交じり合う。

 

「……なんで」

 

「……チャイム、鳴らなくて」

 

「――――。風邪……また引くぞ。……入れよ、友奈」

 

「……うん」

 

 その姿があまりにも寂しげで悲しげで、だから俺はその冷たく柔らかい手を引いて家に招いた。

 体から滴り落ちる水滴を友奈は気にしていたが、そんなものは後で拭けばいい。

 体温が下がった彼女を乾いたタオルで拭く。

 ワシワシと髪を拭かれるのを、目を閉じて俺にされるがままな少女。

 

 それから慌ててお風呂の用意をして、友奈を入浴させている間に濡れた服をハンガーに掛け、彼女の着替えを用意した。用意しながら思った。

 

「――――」

 

 あーあ、招いてしまったよと、少しだけニヤけながら思っていた。

 一度例外を作れば、今後はズルズルと行くのだろう。

 それならしょうがないと、そう考えながら脱衣所へと向かった。

 

 初めての喧嘩、と呼べるような何かは、こうして幕を下ろした。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そう。結局俺は根負けした。

 予想以上に頑固で強情な少女に負けてしまったのだ。

 妙なプライドはそれっきりで鳴りを潜めた。

 

 そのあと、お風呂上がりの彼女と話をした。

 風呂上がりでほんのりと頬が上気する少女に少しドキドキしながら、今後について話をする。

 聞くところによると、既に両親から許可を取ったという。

 凄まじい行動力と、あの体育会系の両親らしいと思った。

 

 俺個人としては、ただ与えられ世話をされるだけの生活は嫌だったので、

 家事などの仕方を俺が友奈に教えるということで妥協した。

 もともと1人で家を切り盛りしてきたのだ。

 ある程度のことをやらせるつもりだ。

 もうすぐ中学生になると言っても、小学生ならば家事のやり方なんて知らないだろう。

 料理は火や包丁を使うので大きくなった時に、と約束をした。

 正直ままごと程度の感覚でしかなかったが、せっかくなのでしっかりやることにした。

 

 「家事を覚えたら、友奈のお母さんもきっと喜ぶぞ」と言ったら、

 ようやく友奈も、俺に少しだけ笑った。

 

 

 

 ---

 

 

 

「これぐらいでいいの?」

 

「そう、そっと注ぐんだ」

 

「うん!」

 

 まず、洗濯のやり方を教えた。

 洗剤の量、洗濯機の使い方。

 太陽が眩しい日に、洗濯物を外に干した。

 太陽光を浴びて、洗濯物がふきながしのように翻った。

 

「ここは、折り目に沿ってたたむんだ」

 

「……こう?」

 

「そうそう。友奈、手際いいじゃないか」

 

「えへへ……ありがとう」

 

「それじゃ、今度は一人でやってみて」

 

「うん!」

 

 夕方には乾いた洗濯物のたたみ方を教えた。

 初めてで戸惑う彼女の横で、服のたたみ方を懇切丁寧に教えた。

 そういった日常生活で必要な術というか。

 花嫁修業というのだろうか。そういった事を教えつつ手伝って貰う。

 

「…………」

 

「亮ちゃん、大丈夫?」

 

「ん? 大丈夫だよ」

 

 口にはしなかったが、なんか通い妻みたいだなと思った。

 そんな風に、新しくできた弟子の横で、

 俺は片腕を吊りながら、日々成長する彼女を見守っていた。

 

 その修行と呼ぶべき物は、本人の口から友奈のご家庭にも伝わったようで。

 もともと以前の風邪の看病など、年単位で関わることが多くなった結城家には、

 以前から莫大な信頼を得ていると自負していたのだが。

 

 後日、食材の購入のためスーパーに行くと、友奈のお母さんに遭遇した。

 友奈のお母さんは、「最近娘が手伝ってくれるようになったのよ〜」と喜んでいた。

 随分と感謝された。ついでに、「お義母さんと呼んでもいいのよ?」とも言っていた。

 

 いえいえ、まだ早いですよ。友奈は可愛いですからね、お母様。

 あらあらうふふ~な笑い声とクツクツとした笑い声が混ざる中。

 スーパーで、やや恥ずかし気に顔を赤らめる友奈を出汁に、主夫と主婦のトークが進んだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

「亮ちゃーん!」

 

「……よお、いらっしゃい」

 

「えへへ、結城友奈、参りました!」

 

「うむ。入るが良い、曹長」

 

 片腕では行動範囲が限られる中で、友奈は毎日引き篭もり気味の俺の家を訪ねてきた。

 一度許してしまったら、本当に毎日来るようになった。

 もともとコンビニよりも近い場所に位置すること。

 というよりも自宅のお向かいであること。道を挟んですぐだ。

 勿論、彼女本来の図々しいというか、グイグイとどこまでも進む性格であることもそうなのだろう。

 

「そういえば、もうすぐ2年か……」

 

「わっ、もうそんなになるんだ!」

 

「時が経つのは早いな」

 

「そうだね〜!」

 

 そろそろ1年と半年以上の付き合いを、学校でも私生活でも過ごす中で。

 冗談抜きで俺は誰よりも、友奈と加賀家で一緒に過ごす時間が増えた。

 「最近誰よりも亮ちゃんと一番お話ししているよ!」って言われた時は、ちょっと反応に困った。

 なんとなく、じゃれついて誤魔化した。

 

 それからは、ゆったりと時が進んだ。

 

 時には、友奈の宿題を一緒に解いてあげた。

 その日分からなかった授業の内容について復習をしあった。

 時々一緒に昼寝をしてしまうこともあったが、目覚めた時に目が合うと逸らされた。

 「何かしたの?」と聞くと、「何もしていないよ!」とそっぽを向かれた。

 

 時には細々とした家事を教えた。

 集中力は高い彼女。スポンジのように吸収していく彼女が面白くて、ついつい真面目に教えてしまった。

 

 時には「お泊りしてもいい……?」などと上目遣いで聞いてくるので、

 いいよーと笑いながらお酒をジュースと偽って飲ませたら、お互いにとって悲惨なことになった。

 内容はお互いの名誉のために公言はしない。

 死なば諸共。共通の秘密を握ることになった。

 

 時にはお風呂に入っている時に突撃をした。……友奈が、俺に。滅茶苦茶背中を洗われた。

 いずれ報復を予定している。計画の内容は極秘事項だ。

 

 そんな中で、加賀家には私服や歯ブラシを始めとした友奈の私物が増え始めた。

 もう聖布を盗む必要は無くなったのだ。本物がすぐそこにあるのだから。

 神樹ではなく友奈本人に拝をすると、ワタワタして慌てていた。

 「私じゃなくて神樹様にね?」と優しく怒られた。でもコッソリ友奈を拝むことにした。

 

 時には友奈に誘われて秋の紅葉を見に行った。

 木という木が銅色や金色、燃えるような朱色に染まる秋の木々。

 血の滴るような真っ赤な山の紅葉がちょうど友奈の頭に落ちたので、取ってあげた。

 「ありがとう!」と言ってソレを受け取る友奈に対して、「まるでデートみたいだね」と茶化すと、

 「デートだよ!」とにへらっと笑いながら言い返してきた。

 ――言うようになったじゃないか小娘が……なんて思いながら。

 俺から目を逸らす彼女の頬がうっすらと朱色に染まっていたように見えたのは、

 秋の紅葉が光を反射したからということにしておいた。

 秋の名残が町の街路樹を彩る中を、俺たちは散歩した。

 

 時には、特に話すことがなくても一緒にいた。それだけだった。

 雨が降る中で、俺が本を読み、友奈が押し花を作るだけ。

 特に何か話題がある訳ではない。

 だけどもこの空間では無言が苦痛でなく、

 時々お互いの存在を確かめるべくそちらを見て、ちょうど目が合うと思わず微笑みあった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 気が付くと季節は11月になり、寒くなってきたのでコタツを早めに出すことにした。

 腕が回復しないと何も行動できないので、家で友奈とゴロゴロ。

 寝る時には、勇者服で寝ると治癒力が上がると初代からの助言を貰い、パジャマとして使った。

 ちなみに、初代もアプリ使用後の記憶はないという。

 

 そんなゆったりとした生活の中で、少しずつ紅の悪夢を見る頻度が減った。

 ようやく、この頃からまともに眠れる日が少しずつ増え始めた。

 今の俺にとって、友奈と過ごす日々に恥ずかしながら、精神的に随分と助けられたのだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 コタツに二人。

 ストーブを点けているのに、彼女となんとなく肩を寄せ合う。

 触れ合って分かる人肌の暖かさに涙が出そうになる。最近はいつもこうだ。

 

「どじゃーん!」

 

「おおっ、肉じゃがじゃないか」

 

「へっへー。お母さんの自慢の一品なんだって」

 

「おいしそうだな。友奈のお母さんって、本当に美人で良い人だよね~」

 

 リハビリついでに編んでプレゼントした手編みのセーターを着る友奈。

 そんな友奈を見れば分かるように、その母親も実に可愛らしかった。

 綺麗系ではなく、こう……大人の中に残るあどけなさというか。

 スーパーや結城家で話すのが結構楽しかった。

 中の人的に非常にグットだった。

 人妻なのもさらに萌えた。浮気は燃える。

 

 ――そうだ! 明日は親子丼にしよう。そうしよう。

 

「…………」

 

「うん? どうかした?」

 

「……ううん」

 

 少しばかりムスッとした友奈。微妙に思考を読まれたのか……? いや、違うか。

 最近気が付いたのだが、彼女の他の人に対しての態度は、大抵笑顔で空気を読む良い娘なのだが。

 

 俺と二人きりの時は、スッとしたり、泣いたり、目で語り掛けたり、触れ合いを求めてくる。

 これはどういう心境の表れなのだろうか。分かりづらい。

 

 友奈がジャガイモを箸で持って、俺の口に近づけてくる。

 至近距離で見るジャガイモは白い湯気を放ち、黄金色に近い色。仄かな香りが食欲を擽る。

 

「ん? どうした?」

 

「あーん」

 

「……いや、いいよ。自分で食べられるし」

 

「………………」

 

「わ、分かったから。そんな目で見ないでくれ。友奈に拗ねられると、どうしたらいいか分からなくなる」

 

「……拗ねてないもん」

 

 もんって。本当にどうした? 

 俺が怪我をしてから、なぜか随分と親身に世話をしてくるようになった少女。

 箸で渡される芋を頬張りながら俺は思った。

 

 宗一朗よ、お前の言う通りだったぞ。

 物理的に弱さを見せることになったけど、結構効果があるじゃないか。1ポイントやろう。

 原因が思い浮かばないし、なぜか全く嬉しく無かったのが残念だったが。

 

「ねぇ、亮ちゃん。今度料理も教えてくれない?」

 

「腕が治ったらね……」

 

「約束だよ?」

 

「――分かったよ」

 

「やったー!」

 

 そんな風に、俺が家事を教えて、友奈が家事を覚える。

 結城家からお裾分けでおかずが届いたりすると、

 俺も張り合って左手一本でおかずを作ってお裾分け返しをしたり。

 ご近所(お向かい)付き合いも良好だった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 12月。

 寒さが本格的に増す中で、ようやく俺のギプスが取れた。

 

「遂に俺の右腕が封印から解き放たれたのだった……」

 

『誰に言っているんだい、半身。頭大丈夫かい?』

 

「辛辣かよ」

 

 初代には退院後、何度か夜会に招かれた。

 あの件について話し合ったが、どうにも記憶にないというか、

 初代曰く、あのアプリが指輪世界に干渉して外の世界が見られなくなったらしい。

 外を見ることができるようになったと思ったら、俺は大橋の近くにボロボロで倒れていたらしい。

 

 今、俺は指輪を通じて初代と話している。

 状況としてはリア充が携帯片手にベッドの上で、

 彼女とおやすみの前にラブラブな言葉を吐き合っていると思ってほしい。

 ただし、話している内容は血を吐くような嫌な内容だが。

 

 この携帯電話的な機能についてだが。

 どうも一度夜会に招かれた事と、勇者適正値の上昇で可能になったらしい。

 便利でいいね。

 指輪に目を向ける。

 

「本当に何も覚えてないんだよな?」

 

『キミも大概しつこいね。しつこい男は嫌われるよ』

 

「そのセリフはモテる女にしか言う権利はない」

 

『ふむ……、最近は少し元気になったじゃないか。少し前まで死にかけだったのが嘘のようだね』

 

「―――――」

 

 クツクツと笑う声に思わず押し黙る。

 ベッドに横になり、解放された右腕を顔に押し当てる。

 部屋の電気が腕に遮られ、一時的に視界に闇を形作る。

 

 地獄の夢は、俺にとってだいぶトラウマになったらしい。

 今まで小手先の技術を学んで強くなったと勘違いしていた馬鹿には良い薬だったが、

 効きすぎて全く眠れないことが問題だった。

 

『そのせいで、余計に誰かさんに心配も掛けさせているしね』

 

「…………初代」

 

『なんだい……?』

 

「おやすみ」

 

『あぁ、良い夢を』

 

 久しぶりに、紅の夢を見た。

 でも、眠れないことは無かった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それからも、俺の家に友奈はよく来た。

 最初は治った右腕を見せつけるとちょっと微妙な顔をしているのが気になったが。

 俺があるものをプレゼントすると、随分と喜んでいたのを覚えている。

 なんとなく喜んでいるついでに、俺は友奈を抱きしめた。

 

「亮ちゃん……どうしたの?」

 

「……いや。友奈、今までありがとうって意味で。そして」

 

 そっと抱きしめた体躯から離れて彼女の目を見る。

 こちらを見る瞳は俺への信頼と、他にもいろいろな物が混ざっていた。

 それらはよく分からなかったが、言葉にしないと伝わらない物があることを俺は知っている。

 だから、

 

「そして、これからも俺の家に来てくれると、俺は嬉しい」

 

「――、うん!」

 

「―――――」

 

 にへらっとした彼女の笑顔は、いつもよりも妖艶で可憐に見えた。

 これだけでそこら辺の男ならきっと撃沈するだろう。

 だって現に、俺はそれに見惚れていたのだから。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それからもあっという間だった。

 クリスマスの日には、サンタだってやっているしいいだろうということで、深夜に友奈の部屋へ窓から侵入してプレゼントを置いた。

 色々危なかった。

 大晦日から正月は、結城家で過ごさせて貰った。

 途中で加賀本家にも帰った。

 夜会で世間話をしたりした。

 

 そこら辺は、いずれ語る時がくるのかも……しれない。

 

 

 

 ---

 

 

 

 3月。

 卒業式も終わり、俺たちは小学校を卒業した。

 とはいえ、讃州小学校から讃州中学校に変わる程度なのだが。

 

「亮さん!」

 

「俺たちは、永遠に紳士で、友達さ!」

 

「亮さんっ!!」

 

 他の中学校に行く男たちとあつーい涙とハグを交わし。

 同じ中学校に行く紳士達とは、またよろしくと笑いあった。

 

 桜が舞い散る中、一人帰宅する。

 今日は友奈とは別々だ。

 一人帰る中で、俺は自分との対話をする。

 

「――――――」

 

 結局、俺には何かを変えられたのかは分からない。

 園子に頼まれた“わっしー”という少女も行方が掴めない。

 園子自身の行方も分からない。

 結局アプリも消えたまま。

 あれからまだ一度も、勇者服に変身してあの場所には行っていない。

 

 ただ無様に暴れまわっただけ。

 何も掴めず、何もこの手には残らなかった。

 抗った先にある、その果てにある結果すら分からなかった。

 

 俺は忘れない。

 あの虚構に満ちた世界。あれこそがこの世界の真実だと知ってしまった。

 

 だがそれでも。

 あの世界が真実だと受け入れ、自分の中で折り合いをつけることは出来た。

 それはこの数ヶ月、傍にいた誰かさん達のおかげ。

 それでも随分と時間が掛かってしまったが。

 

「―――――」

 

 なんとなく首元の指輪を弄る。

 情報が得られなくても、初代との会話は随分と気が楽になった。

 今度の夜会には何かプレゼントをしようと思っている。

 リアクションが楽しみだ。

 

 あの地獄に関して、友奈に相談なんてできる訳が無かった。

 「何か隠しているよね?」という追及を躱し続けるのは非常に骨だった。

 「えっ、なんのこと?」と聞くと、「分かるよ、亮ちゃんのことなら……」と笑っていた彼女に驚いた。

 彼女との付き合いも、もう2年が経過したのか。

 

 桜並木を通る。

 今年も桜が咲き誇る。風が吹くと、雪のように桜の花びらが降ってきた。

 桜が足元に散り敷いて雪のようだった。

 なんとなく、上を向いて歩いてしまう。

 

「―――――」

 

 きっと、いつかアレと対決する時が来るだろう。

 なんとなく分かる。

 運命はあの時、俺を取り逃がした。

 俺は逃げ切ったが、近い未来にまた対峙することを直感した。

 その時がどうなるかなんて、俺には分からない。

 

 未来のことなんてどうなるかは分からない。

 人生は、選択の積み重ねで出来ている。

 決まった運命なんて物は無い。

 だって俺が抗ったように、運命には反逆することができるのだから。

 

「ん? ――――引越しか?」

 

 加賀家が見えてきた。

 ふとお向かいさんの家の、隣の家に目を向ける。

 やや大きめのお屋敷。

 園子の家ほど大きくはない武家屋敷。

 

 運搬用の大型トラックから、荷物が運ばれていく。

 

「あとで様子を見に行くか……」

 

 新しい出会いの予感がした。

 だが今は素通りする。

 そうして、俺の家の前に辿りつく。

 取っ手に手を伸ばす。

 

 そうそう。

 冬の日。俺の右腕が完治した日のことだが、俺はあるモノを友奈にプレゼントした。

 それには、別にお手伝いの必要性が無くても、家にいつでも来ていいよという思いと、

 結城友奈になら、それを託せるという信頼を込めた物。

 ついでに言うと、

 チャイムのたびに玄関で待たせるのが申し訳なくて、ようやく渡せたという思いもあった。

 

「ただいま……」

 

 家の扉を開ける。

 そのプレゼントは、俺の日常を少しだけ変えた――。

 

 友奈が廊下に出てくる。

 こちらを見てルビーのような瞳を輝かせて、にへらっとした笑みを浮かべた。

 

「おかえり!」

 

 ――それは、自分の鍵を使うことが減ったことだった。

 

「ただいま……友奈」

 

 

 




【第二幕】 小学生の章-完-


NEXT



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【第三幕】 出会いの章
「第二十話 こうして私は生を得た」


 一体、何を言っているのだろう。

 

「……ぇ」

 

「ですから、貴方は――」

 

 医者に言われたその事実に、私は呆然とした。

 何を言っているのか、分かりたくなかった。

 私の冷たくなった手を母親が握ってくれたが、それすら意識の蚊帳の外だった。

 そんな私をどん底に叩き落そうとでも言うのだろうか、医者はもう一度残酷な事実を口にした。

 

 

 

 ---

 

 

 

 目が覚めた時、私は記憶を無くしていた。

 気が付いたら神世紀298年の10月だった。

 およそ2年分の記憶が忘却の彼方に飛び、そして二度と戻ってこないらしい。

 医師の言うことには、私は交通事故に遭い、

 

 結果、記憶と両足の機能を失ってしまった……らしい。

 

「………………」

 

 正直に言って意味が分からなかった。

 まるで昔読んだ浦島太郎の絵本のような話だなと、他人事のように思った。

 そんな御伽噺のような話。

 だが現実は、私の弛んだ思考を叩いた。

 

「―――――」

 

 無言で視線を下に移す。

 いくら立ち上がろうと思っても、歩こうと思っても。

 私の脚が動かない。

 

「…………っ」

 

 何度も、何度も、何度も。

 動いてと、お願いだから動いてと、そう願っても。両手で脚を叩いても反応はない。

 

 現実には、使えなくなった2本の脚だけがそこにあった。

 操り人形の糸が突然プッツリと切れたように。

 ブリキの脚のように、ただ2本のソレが接着剤で胴体にくっついているだけのようだった。

 

「…………ぅっ…………っ……」

 

 私にとって脚が動くというのは、数日前まで当たり前であった現実だ。

 友達と登下校し、寄り道をする。

 放課後は友達の家に行き、遊ぶ。

 両親と博物館に行き戦艦の模型を見たり、甘いアイスを食べたり、神社に行く。

 学校では体育の授業で級友たちと走り回る。

 そんな記憶すら今は遠い。

 

「――――――ぁ、ぁぁっ!!」

 

 それが、それこそが。

 私にとっての現実だったのに。

 

 視界が歪む。

 必死に思い出そうとする。数日前に何があったのか。

 誰と何をして、私はどうしたのか。いつ、どこで、どうしてどうなったのか。

 

 分からない、分からない、分からない、何が起きたか分からない、分からない、苦しい、分からない、分からない、意味が分からない、分からない、気持ち悪い、分からない、どうしたらいいか分からない、分からない、思い出せない、思い出したい、でもどうすればいいかも、分からない。

 

「あ―――――――、あぁ―――――――」

 

 事実という、理解が。

 現実という、認識が。

 緩やかに、緩慢に、じっくり舐るように、じわじわと私に思い知らせる。

 

 “歩けなくなった”と。

 “2年の記憶を無くした”と。

 

「―――――――ああぁ」

 

 いや、そもそもこれからどうやって過ごせばいい? 

 この足だとずっと車椅子生活なのは間違いない。

 どうしたらいいのか分からない。もう二度と歩けないのか? 走れないのか? 

 呼吸が苦しい。

 必死で胸を押さえる。

 それと同時に気が付く。自分の身体も知らない内に、一回り分成長していたことに。

 それが月日が流れたことを痛感させる。

 それでも理解を拒絶する。拒絶をしたかった。

 

 訳が分からなかった。

 

 自分という存在が、認識が進むと共に崩れ行くのを感じた。

 残ったものは、空っぽだった。何もなかった。

 

「――! ああ、あああああぁぁぁぁぁぁっ――――!!!」

 

 叫ぶ。

 髪を掻きむしってしまう。知らず知らずのうちに悲鳴を上げる。

 どうしてこんなことになったのか。その問いに応えるものはいない。

 助けはなく、救いの手はない。

 苦しい。

 誰か。

 誰でもいい。

 

「誰か、私を助けてよ……」

 

 口から出るあまりにも身勝手な言葉。

 途切れ途切れの言葉は意味をなさず、嗚咽が混じって掠れ、聞くに堪えない声だったろう。

 

「………………」

 

 肺が苦しい。

 情けなさと自分のみっともなさが手に取るように分かって。

 息継ぎも会話も成り立たず、涙ばかりがこぼれていく。

 

 ――そんなに都合よく、私を助ける人などいなかった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それから数ヶ月が経過した。

 一時期は不安定だった精神も少しはマシになり、

 車椅子の生活も否応なしに慣れることになった。

 

「―――――」

 

 家族に支えられて、ようやく少しずつ前を向けるようになったが、

 心の中の喪失感は変わらない。

 2年。

 口にすれば簡単だったが、無くした時間は随分と長かったらしい。

 

 病院でリハビリ生活を過ごす間。

 私の下には家族が来てくれた。数日おきに必ず来る。

 両親だって仕事も忙しいだろうに。

 

「ごめんなさい」

 

 両親が帰る度に、その背中が部屋から立ち去った後、私はいつもそう呟く。

 家族に申し訳なくて、こんな事故に遭遇してしまった自分が情けなくて、

 不自由な自分という存在が何よりも迷惑に感じられた。

 でもそのことを彼らに謝るのも変で、だから直接には言えなかった。

 

「ごめんなさい」

 

 沈んでいく戦艦に取り残された乗組員達はこんな気持ちだったのだろうかと、少し夢心地になる。

 どうあがいてもどうにもならない感覚。

 舵は言うことを聞かず、暗い海に沈むのを待つばかり。

 

「ふふっ」

 

 なぜか面白くもないのに笑う。

 思考が暗いことばかり考えてしまう。

 最近はずっとこんな感じだ。現実と一瞬の空想。両方を行き来する。

 そうして心の均衡を私は保っていた。

 

「………………」

 

 私の病室には、家族以外に誰も、友達も来なかった。

 いや、そもそも私に友達なんていたのだろうか。

 思い出せない。だが、現に誰も来ないということはそういうことなのだろう。

 寂しい人生だったのかな……と自嘲し、

 なぜかまた、目から頬を伝って涙がこぼれた。

 

「このリボン……」

 

 ずっとこの調子。情緒不安気味なのだと自分でも分かっているが、流れるものが止められない。

 涙を拭っていると、ふと私は肩から垂れ流した黒い髪に目を向けた。

 密かな自慢でもある、艶のある黒い髪をまとめる蒼いリボンに触れる。

 このリボンは、どうやら私が事故の時に持っていたという品……らしい。

 

 いっそのこと捨ててしまおうかなんて思ったけど、どうしてもこれを捨てることができなかった。

 理由は分からない。なんとなくだ。

 なんとなくだが、それを捨てたら本当に何かが終わってしまうと思った。

 これが記憶の無い私と誰かを繋ぐ唯一の証だとしたら……。

 そう期待したのかもしれない。

 

 

 

 ---

 

 

 

 リハビリを通じて、脚の機能を除いて肉体はある程度常人と同等の状態に戻れた。

 そして、退院した私を待っていたのは、

 住み慣れた家を離れなくてはならないという現実だけだった。

 

「ここを離れなくてはいけないなんて……」

 

 今までずっとこの家で暮らしてきた。

 失われた時間も含めて、この家で思い出を築いてきた。

 それなのに、親の仕事の都合で離れなくてはいけなくなった。

 

「―――――」

 

 これからどうなるのか分からない。

 正直に言って、不安で仕方がなかった。

 でも、どうしようもなかった。

 私は無力で、非力で、孤独で、この過ぎ行く現状をただただ受け入れることしかできなかった。

 

「―――――」

 

 また私は下を向く。

 車椅子に乗る両脚。

 もう一人では遠くにも行けなくなった脚。

 無様にも動くことなく、みっともなく腰からぶら下がるだけの産廃物。

 コレを見るたびに思い出すのだろう。

 痛みはない。ただ、喪失感があるだけだった。

 

「―――――っ」

 

 知らず知らずのうちに歯を食いしばる。

 私はいつまで、どこまで、失くし続けるのだろうか。

 そうして住み慣れた家を捨て、私は引っ越した。

 

 

 

 ---

 

 

 

「わぁ……。大きい―――」

 

 新居に着いて私が見た感想は、自然と口を突いた。

 

 高い堀のある大きな屋敷だ。

 門扉をくぐって、屋敷の中に入る。

 ぱっと見だけでも分かるようなバリアフリー環境が整っている。

 旅館にでも間違えそうな程、以前の家とは違い非常に大きかった。

 

「うちって、こんなにお金もちだったの……?」

 

 父親の年収などは聞いたことがないが、こんな家に住めるほど稼ぎが良かったのだろうか。

 そんな思考に沈んでいた私を、活発な声が呼び起こした。

 

「こんにちはー!」

 

「………………」

 

 門扉に目を向けると2人の少年少女がいた。

 まず少女の方に目を向けると、活発で明るそうな少女だった。

 

 紅というよりはピンクに寄った赤い髪の色。長さはミディアムほど。

 同じく赤く、キラキラと輝く穢れを知らないような純粋で大きな瞳。

 髪には桜を模した白い髪留めがつけられている。

 後頭部を白い髪紐でまとめ、小さなポニーテールを形作っている。

 白いシャツを纏い、その上にはピンクのパーカーを羽織り、下には青いホットパンツと朱色のニーソックスを履いている。

 

 彼女は私に笑いかけてきた。

 

「もしかして、貴女がここの家に住むの?」

 

「え、えぇ……」

 

 突然のことに頭が回らない。

 ぼんやりと彼女を見つめると、紅椿のような唇が再び心地よい声を発した。

 

「じゃあ、新しいお隣さんだね!」

 

 彼女は無邪気に喜びの声を上げる。

 

「あっ! 私は、結城友奈。よろしくね!」

 

 握手に応じる。

 そして彼女は、

 

「亮ちゃんもーーー! ほーらっ!」

 

「友奈さんや……これ、不法侵入じゃない?」

 

 こちらを黙って見ていた、少年に呼びかけた。

 彼は目の前の彼女とは対照的に、冷静さと穏やかな雰囲気を兼ね揃えているのが感じられた。

 青いワイシャツを纏い、赤いネクタイを着けている。下は灰色のスラックスだ。

 全体的に地味目であったが、それが彼の雰囲気に合っているように感じられた。

 黒く、癖っけのある髪はふわふわそうに見えて、不思議と触りたい魅力に駆られた。

 

「………………」

 

「――――?」

 

 一言も発せず、じっとこちらを見る彼の視線に、

 こちらも見返す。

 

 その視線は、決して不快なものではなく、

 昏いガラスに映る視線からは、ただなんとなく旧い知人を見るような感情が見えた。

 昏い瞳はあらゆる光を吸い込みそうで、それでも瞳の奥には知性が窺える。

 瞬間、見つめあった。

 

「………………」

 

「…………ぅっ」

 

 しばらく見つめ合っていると、結城友奈という少女に脇腹を突かれ彼もふと我に返ったのか、「あぁ……うん」などと言って。

 私の前に屈み込み、こちらを見上げてきた。

 そして、悪戯小僧のように目尻を和らげて微笑んだ。

 

「ようこそ、お向かいさんちのお隣さん。

 俺の名前は、加賀亮之佑と言います。これからどうぞ、よろしくお願いします」

 

 と、礼儀正しく挨拶と、こちらも握手を求めてきた。

 その手を握る。

 

 そして立ち上がった彼――――加賀亮之佑という少年と。

 その隣に立つ彼女――――結城友奈という少女。

 

 目配せをし、こちらに笑いかける彼らに、私は名前を告げた。

 

「東郷、美森です」

 

 彼らの笑顔に誘導されたわけではないが、なんとなく微笑んだ。

 微笑むと同時に私は思った。微笑であっても、笑えたのはいつぶりだろうかと。

 

「東郷さん………わぁ〜、カッコいい苗字だね!」

 

「あ、ありがとう」

 

「そうだ! 良かったら、私たちが街を案内するよ! 任せて!」

 

 神世紀299年の3月。

 桜吹雪が舞い散る中。

 私は初めてその少年と、少女に出会った。

 交わした彼らの掌は、とても暖かかった。

 この日。

 

 私は――――――東郷美森は、きっとこの瞬間から産声を上げたのだろう。

 

 

 

 ---

 

 

 

「―――――郷さん」

 

 近くにいる誰かに呼ばれて目を覚ます。亮くんだった。

 肩から暖かい体温が伝わってくる。いつの間にか眠ってしまったらしい。

 

「大丈夫? お眠なの?」

 

「――――えぇ、大丈夫よ。亮くん」

 

 ぼんやりとする頭が覚醒する。

 あぁ、思い出した。

 今日は部活の帰りに、なぜか先輩とうどん大食い勝負をしたんだった。

 私と亮くんが早々にリタイアする中。

 私たちの屍を踏み越えて、

 私たちの最後の希望、友奈ちゃんが果敢に先輩に挑んだ。

 

「私は、風先輩に勝つ!」

 

 その宣言どおり、友奈ちゃんはうどん大食いに勝って。

 解散後、近場の公園でお手洗いの真っ最中だ。

 

 彼女が自分と戦っている間、私たちは公園のベンチに移動した。

 一人だけベンチに座るのが嫌らしい彼は、

 私が断るのを無視して、お姫様だっこでベンチに座らせた。

 

 恥ずかしく思うのと同時に、傍若無人な行動をする亮くんを咎めると、

 「俺は東郷さんと一緒にベンチに座りたかっただけなのに……」って泣きそうな顔と声を出す。

 

「もう……次は怒りますからね、亮くん」

 

「分かったよ、東郷さんや」

 

 そう言ってニヤリと笑う彼はやはり泣き真似だったのか、不敵な笑顔を浮かべる。

 彼は演技派だと私は思った。

 彼のことも、友奈ちゃんと同等に同じ時を過ごす中で随分と分かってきた。

 唐突にどこから出したのか、当たり前のように缶ジュースを渡される。

 いつの間に買ってきたのか、亮くんも缶コーヒーのプルタブに指をかける。

 

「私、亮くんに奢られる理由がないのだけれども……」

 

「じゃあ、いつかのぼた餅のお礼ってことで」

 

 それならいいだろ? と缶コーヒーを飲みながら視線が問いかけてくるので、

 渋々受け入れる。

 それなら仕方がないと、一応納得する。

 

「―――――」

 

 2人して空を見上げる。

 晴れ晴れとした青い空。

 

「――――――」

 

 そよ風がどこからか吹く中で、ぼんやりとたなびく髪を押さえる。

 あれから幾ばくかの時が流れた。

 もう、5月になった。

 

 あれから3人でよくどこかへ出かけた。道案内をされた時も一緒だった。

 春休みの間、毎日毎日。

 迷惑でないかと思ったが、そんなことないよ! と笑う友奈ちゃんと。

 そんなこと気にしなくていいよと、ちょっとした奇術を見せてくれた亮くん。

 

 彼らとの関係を築く中で、2人を苗字呼びしなくなったのは早かったように思う。

 初めて「友奈ちゃん」って呼んだときは、本当に花が咲いたような笑みを彼女は浮かべていた。

 

 「亮之佑くん」って呼ぼうとして「りょうにょ……」って噛んだ時は爆笑されたので睨むと、悪い悪いと笑いながら謝り、「どうせだから亮でいいよ」ってことになった。

 「呼びやすいだろ?」ってからかう彼に、「そうね、亮くん」とささやかな反撃をした時の彼の顔は面白かった。

 

 彼らとの関係は、中学校が始まっても変わらなかった。

 私の車椅子を友奈ちゃんが押す。坂道の時や、彼女が不調な時は亮くんが押す。

 昼ごはんを友奈ちゃんと、時々亮くんも交えて食べたりする。

 放課後や休日は一緒に遊んだり、部活で一緒に働く。

 

 そんな関係。

 彼らと過ごす毎日はとても楽しかった。

 初めて私がぼた餅を作り、それを彼らが食べた時の反応が凄かった。

 

 「とーごーさんのぼた餅なら毎日食べたい!」と目を輝かせた友奈ちゃん。

 「東郷さんのぼた餅なら毎日食べたい……グヘヘ」と言いながら、友奈ちゃんに怒られる亮くん。

 その後、「勿論おいしかったよ、東郷さんのお菓子なら毎日食べたい」と真剣な顔で彼に言われて、頬が赤らんだ。

 

 それからも、お手製のぼた餅をよく一緒に食べた。

 他にも友奈ちゃんと押し花を作ったり、亮くんの奇術を見たりした。

 まるで忍者のようだと言うと、おもむろに彼は布を被ってその場から消えた。

 

 今も覚えている。

 そんな事を考えていた時、空を見ながら亮くんが話しかけてきた。

 

「今日は外で過ごすにはいい気温で、うどんを食べた後だからかな。眠くもなるよな」

 

「えぇ……そうね。 ねぇ、亮くん。私ね……さっき少しだけ懐かしい夢を見たわ」

 

「――へぇ、どんな夢?」

 

 彼の昏い瞳がこちらを見つめる。

 彼が小首を傾げて聞いてくるので、私は片目を瞑り微笑んだ。

 いつの間にか、自然と微笑むことができた。

 

「ないしょ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第二十一話 讃州中学校」

 神世紀299年。

 今年も満開の桜が咲き誇り、俺は制服を身に着ける。

 多少ぶかぶかなのは今後の成長を見込んでだ。

 隣に眼を向けると、新旧ご近所陣の制服姿が目に付く。

 

「可愛いじゃん、2人とも」

 

「えへへ、ありがとう」

 

「友奈ちゃん、前を見てね」

 

「はーい。うどんチーズ!」

 

「チーズ」

 

「ち、ちーず」

 

 校門の前で写真を撮るのは伝統芸みたいなものだよなと外面用の微笑を浮かべながら、

 東郷と友奈と俺の3人で、写真を撮ったのだった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 4月。

 新しい季節が訪れ、讃州中学校に今年から俺たちは入学することになった。

 最初はやや不慣れなこともあったが、人間の適応能力は素晴らしいものだ。

 友奈や東郷とも慌ただしい生活にも慣れ始めそうになった頃。

 

「そんなあなたたちにお勧めの部活があります!」

 

 俺たちは、ある少女が所属する部活に勧誘され、入部することになった。

 できたてホヤホヤというか、その少女しかいないという部活。

 なんでも、『ボランティアや人のためになることを勇んで行う』という部活理念を持っているとか。

 遵奉精神の高さは凄いですね。ほーん、偉いこと。スッゴーイ! 

 

「―――――ん」

 

「―――――」

 

 いつになく乗り気な友奈の隣を歩く中で、

 彼女がグリップを握る車椅子。

 それに搭乗するもう一人の親友に俺は目を向ける。

 ちょうど似たようなことを考えていたのか、少女も俺に目を向けてくる。

 吸い込まれそうなエメラルドの瞳は、残念だが爛々とした好奇心を物語っていた。

 

(いや、お前もか……)

 

 好奇心というか、視線の方向的に楽しそうな友奈がいることも5割くらいあるのだろうか。

 生前ほんの少しの間だけだが陸上部に所属していた俺からすれば、

 正直部活なんてものは帰宅部が素晴らしいと考えていたのだが。

 残念だが、彼女たちはそうは思わなかったらしい。

 

(いや待て。ポジティブに考えようぜ、俺)

 

 隣の赤い娘と黒髪の娘。

 ついでに、部室に案内している前を歩く少女を見る。

 太腿の辺りまで届く長さのブロンド髪の少女。

 それを黒いシュシュで二つ結びにし、デコが煌めいていた。

 首元には黒いチョーカーを装着し、白いハイニーソを履いている。

 友奈や東郷とは違うタイプだが、明るめというか姉御肌を感じるようなタイプだ。

 

(ふむ、―――――悪くないな)

 

 何様やねんとセルフツッコミを心の中でする。それにしても、なかなか美少女だ。

 というより、讃州中学校の女子生徒はレベルが高いと紳士達の中で噂だ。

 それ以前にだ、生のJCがそこら中にいる。

 本物のJCが一杯! これだけで幸せ。無論顔には出していないが。

 

 だが、中学生の男というのは異性として成り立つのだろうか。

 まだ全力で馬鹿をして、女性陣に白けた目を向けられる年頃だろうに……。

 

「弱きを助け強きを挫く――――それが勇者部なのよ!」

 

「それは凄いですね! 特に響きがカッコいい!」

 

「でしょう?」

 

 友奈と先輩に値する少女が会話するのを尻目に、思考を進める。

 現状、赤、黒、黄、昏。

 つまり、女、女、女、俺。

 

 ……いいんじゃない? 意外と悪くないんじゃないのこれ!? 

 あんまりハーレムとかは考えた事はないが。

 色合いもいい……関係ないけど。

 それに、ここで帰るのも約2名が煩そうだ。

 

「本当ですか! やったー!」

 

 ん? 

 ……拙いな。聞いてなかったので、適当に相槌を打っておく。

 そんな訳で、俺たち3人はめでたく『勇者部』への入部を果たしたのだ。

 

 

 ---

 

 

 それから、約2ヶ月が経過した。

 勇者部は名前が変なのはともかく、やる事はまともだった。

 ボランティア部で良いじゃんと何度思ったかは数知れず。

 最初の頃は特にやることもなく、学校の雑務や海岸の掃除などをやっていた。

 

 面倒だなーと思いつつも、結構楽しく感じ始めた。

 俺たちの所属する部活の先輩は健啖家で、放課後は『かめや』のうどん屋に寄る。

 『かめや』のうどんを選択したのはいいセンスだと思いながら、

 本日俺は天ぷらうどんを啜った。

 

 なぜか最近、近所の女性陣が俺の唐辛子を掛ける量にいちゃもんをつけてくる。

 大丈夫だって、うどんぐらいにしか掛けないから……。

 

「ちょ、ちょっとちょっと、亮之佑……掛けすぎなんじゃないのソレ……?」

 

「いえいえ、そんなことはありませんよ? 良いですか先輩。七味唐辛子はですね―――」

 

 「内臓を壊すよ、亮ちゃん!」とか「あまり掛けすぎると吊るしますよ、亮くん!」

 などとご近所陣が煩いが、これが美味いんだよ。これが。

 

 いかに美味しいかを目の前の先輩に語ると、やや青い顔で俺のお椀を見ていたが。

 七味唐辛子というのは七回掛けることで運が向上し、女子力がアップしますよ! 

 的なことをソレっぽい真面目な顔と理論で語ったら、

 

「マジで!? そんな理論が提唱されたんだ!? じゃあ私もソレ掛けるワ」

 

「勿論です、―――――どうぞどうぞ」

 

 思わず笑顔で迎え入れ、七味唐辛子の小瓶をノリの良い先輩に手渡す。

 

 あちゃーと顔を背けるご近所様達を尻目に、7回掛ける先輩。

 彼女が水を求め、

 俺が手から水を出す芸で、顔と舌を赤くする面白い彼女の怒りと興味を引くまで、

 およそ3秒前の出来事だ。

 

 

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 

 9月。

 

「ふむ……」

 

 本日の活動で、俺は部長先輩が持ってきた一つの依頼に目を向けた。

 敬礼をして「今日の更新終わりました!」と報告する少女の隣に椅子を持っていき座る。

 隣に座る俺に怪訝そうな顔をする少女にニヤリと笑いかける。

 蒼いリボンで纏められた長く黒い髪を肩から流し、緑の瞳を向けてくる少女。

 彼女が新しくやってきたお向かいさんちのお隣さんである、東郷美森だ。

 

「どうしたの? 亮くん」

 

「いやね? これを見てくれよ」

 

 そんな彼女に俺が見せるのは一つの依頼書。

 放送部所属の俺の友人、赤嶺一世君からだ。

 小学校卒業後、俺と同じく讃州中学校に進学した俺の友人の1人だ。

 

「これは……放送の語り手の依頼ね。亮くんに指名じゃない」

 

 パーソナリティって書いているのを平然と無視する東郷。

 どうやら彼女はこの国を愛しすぎて、あまり横文字を使いたくないらしい。

 

 それはともかくだ。

 人間に見向きしないはずの彼も成長したのか。

 どう転んで放送部に入部したのかは、聞くところによると声優業の真似事がしたいとか。

 遂に人形に声を吹き込みたくなったらしい。彼は一体どこへ向かうのか。

 性癖のことさえ無ければ、結構良い紳士なんだがな……。

 しかし、声でお仕事。俺も昔そんなことをしたいと思った時期があったっけ。

 

 そんな彼は、中学校で放送部に入部を決めていた。

 ところが俺たちが入学した時には、既に部は廃部しかけの状態であったらしい。

 それを俺に相談してきたので、せっかくなのでと、

 勇者部の面々に相談していくつかの行動を行った結果、廃部を免れることが出来た。

 

「これを受けようか、悩んでいてさ……」

 

 依頼書を見る彼女。

 彼女が搭乗する車椅子の後ろに回り込み、そっと肩を揉む。

 特に意味のないスキンシップ、もとい友奈直伝の肩もみだ。

 まぁ、親友の触れ合いって大事だよね。

 

「……ん……そぅ、ね…………いいんじゃないかしら。亮くんの声、私は素敵だと思うけど」

 

「そう? 嬉しいな」

 

「……ひやぁ! ――あの、亮くん? もう肩もみは……」

 

「いや、お客さん。結構良いものをお持ちのせいか、凝っておりますよ~」

 

「……ぅっ……ん!」

 

 我慢しなくてもいいんだよ? クツクツ笑いながら我が奇術の手腕を炸裂させる。

 何を言われても、マッサージだからの精神で人肌で暖を取る。

 背中をもみもみしながら同意を得る。

 背中を押してもらえたお礼に気持ちよくなってもらうべく、無言で揉み続けた。

 そっと揉んでいく部分を少しずつ肩から増やしながら、思考を深める。

 

(正直な話……面倒臭いけど)

 

 どうやら今回は俺をご指名のようだし、この依頼受けるとしますか。

 

 

 

 ---

 

 

 

 2日後の金曜日。

 放課後。

 それは、微かなノイズと共にスピーカーから人の少なくなった廊下に響く。

 

「……はい! 始まりました、放課後のラジオ! 来週の金曜日の昼休みより行われる昼のラジオのリハーサルをお送りします。司会パーソナリティを務めます、私赤嶺一世と……」

 

「勇者部所属、加賀亮之佑です。本日はお招き、ありがとうございます」

 

「いえいえ、こちらこそ」

 

 俺は現在、学校の昼休みに放送される予定のラジオ放送のパーソナリティ(仮)の一人として駆り出されていた。

 なんだかんだで俺のあらゆるスキルを行使し、校内のお悩みを相談・解決したところ、随分と人気が出たという。

 モテる男は参ったね。

 

「さて、このラジオは毎週水曜と金曜日の昼休み。その内の金曜日のコーナーとして、勇者部に寄せられた匿名でのお悩みの相談を、加賀さんがお答えしていくというものになります!」

 

「できる限り、頑張ります。

 ……それと一世。知らない仲じゃないんだから、いつも通り亮でいいぞ」

 

「はい、ありがとうございます。それでは亮さん。今回はリハーサルということで、少しだけ時間拡大でお送りさせて頂きます。……ではでは、まず一通目から参りましょう!」

 

「HEY、一世! 緊張してる?」

 

「……してません」

 

 俺は今、一世と放送室にいる。目の前に座る彼を見る。

 オールバックで眼鏡と結構イカス恰好だが、ソレ誰も見えないぞ、一世。

 

 更に、目の前には細長いマイク。周りはゴチャゴチャしたステレオや音響装置。

 そう、俺が放送部を救出した際に交渉したのだ。

 勇者部に寄せられる相談事は、匿名のメールなども多い。

 そう言った匿名のもので、ある程度問題の無さげな物を一世が選び、

 俺がそのお悩みや質問に回答していく。

 

 勿論、他の部員が行うということもある。

 だがまずは、初回放送に向けたリハーサルだ。

 

「――――というのが宜しいのではないでしょうか。頑張ってくださいね」

 

「はい、ありがとうございました! では、次のメールに行きましょう」

 

 既に勇者部の広報担当がネットでうまく設定をしてくれ、ラジオ用の募集が開始した。

 正直ラジオと言うほどのモノでもないが、名前をカッコよくしたいのはよくわかる。

 開始早々、多くのメールが来たのには驚いた。

 だが、これにうまく回答さえすれば、勇者部としての地位と名声が上がる。

 それに伴い、新しいリスナーから更なるメールなどが来るだろう。

 俺もパーソナリティとしての固定化した勇者部の仕事が手に入る。ここが踏ん張りどころだ。

 

 と、ここで一世が他のメールに目を通して口を開いた。

 

「えー3通目行きましょう……。ペンネーム、女子力の妹さんからです。

 おや、これは地域の方からですね。

 なになに……。こんにちは、イッセーさん。リョウさん。こんにちは!」

 

「こんにちは」

 

「私には、頼れる姉がいます」

 

「ほうほう」

 

「家事をこなし、なんでも卒なくこなす、私にとって自慢のお姉ちゃんです」

 

「それは~、素晴らしいお姉ちゃんじゃないですか」

 

「ただ最近困っていることがあります。それは、女子力が上がるからなんて言ってうどんを毎日5杯食べるんです。いくら止めるように言っても、うどんなら大丈夫だからと言って聞きもしません。お姉ちゃんのお腹が心配です。どう言って止めたらよいのでしょうか。教えて下さい……。と、いうことですがどう思いますか? 亮さん」

 

「そうですね~」

 

 少し考える。

 俺の周りで馬鹿みたいにうどんを食べる奴は、1年上の先輩だけだ。

 彼女が姉という設定で考えよう。

 ……よし。

 

「女子力の妹さん。あなたのお姉さんは将来早死にするでしょうね」

 

「えぇ!?」

 

 目の前で一世が驚愕しているので、そっと冗談ですと付け加える。

 

「確かに、うどんはラーメンといった他の麺類と比べて大幅に低カロリーです。しかしそれはあくまで麺の話です。きっとそのお姉さんは成長期なんでしょう。それだけ食べるということは、きっと運動部か何かなのでは? 確かにうどんはすぐにエネルギー補充をしたい時には最適ですが、腹持ちは悪く、血糖値も上がり、脂肪にもなりやすいのです」

 

 香川県民全員敵に回しそうな意見を俺は述べる。

 このまま終われば市中引き回しに遭いそうなので、

 勿論フォローも忘れない。

 

「しかも、うどんばかり食べると塩分過多で栄養が偏り、健康や美容を将来的に失う可能性が高いでしょう」

 

「もちろんうどんが悪いことではありません。4杯も5杯も食べるのが問題なんです。家のお向かいさんも2杯が限界ですしね。それぐらいが良いですよ。お姉さんにはこう言うといいでしょう。――綺麗なお姉さんの美容のためにもどうか控えて下さいね、と」

 

 完璧だ。

 思わず口角が上がるのを感じる。流石俺! 

 あぁ、俺役者に向いているんじゃないか……。

 そろそろ芸達者の称号も新たなる進化の時かな。クックック。

 

「なるほど! 亮さん、ありがとうございます。それでは、次に参りましょう」

 

 そう言って、次のメールに目を通す一世。

 おいでませ。この芸達者がどんなお悩みにも相談して見せよう。

 それからも俺は、いくつかのお悩みメールに回答を示した。

 

「では次ですが……おっと、これは亮さんに質問のようですね。

 え~、ごほん。ペンネーム、サンチョさんからです。こんにちは、リョウさん」

 

「こんにちは、サンチョさん」

 

「私は、リョウさんに一つ聞きたいことがあります。それは、幼馴染との理想のシチュエーションとはどういったものが至高だと思いますか? リョウさんの意見をお聞かせ下さい。……だ、そうです」

 

「なるほど、俺個人への質問になっていますけど、コーナー的に大丈夫なんですか?」

 

「基本面白ければオーケーなので」

 

「ふむ、一世君はそういうのありますか?」

 

「僕ですか。そうですね……一緒にコタツで過ごすとかですかね。同じところからコタツに入って、お互いにみかんをあーんしたり……」

 

 なるほど。そんな感じなのか。

 でもな、一世。お前があーんする相手ってキラピュアだろ? 

 一体お前はどこへ向かうんだ? 月か? 二次元か? 

 

 そんなことを思いつつ、少しだけ俺は思考を巡らせる。

 俺にとっての幼馴染とは、およそ二人いる。

 一人は結城友奈。笑顔を作って周囲を照らす明るい少女。よくお触りしている。

 そして、もう一人は―――――

 

「―――――」

 

「亮さん?」

 

「あぁ……。そうですね――――」

 

 ふと俺は思い出す。

 いつかの夜空を思い出す。そして、交わした約束も。

 結局果たせなかったことも含めた、夜空の星々。

 思い出の中の星は今もなお、決して色褪せず。

 黄金の色が俺の視界にちらつく。

 

 

 

 ---

 

 

 

『そうですね、幼馴染との理想のシチュエーションと言いますと、俺個人としては2人きりで線香花火を上げることですかね』

 

『意外にロマンチストですよね、亮さんは。ちなみにどうしてそのシチュエーションですか?』

 

『意外には余計ですよ、一世君。

 どうしてかと言いますと、随分昔の話になるのですが――――』

 

 スピーカーから流れる音声。

 そこから語られる、ちょっとした体験談。

 人気の無い教室。廊下。

 だが、そうは言っても部活動をしている人は大勢いる。

 

『いい話ですね。それは、亮さんの彼女のY.Y.さんじゃなくて?』

 

『違いますよ。というか、Y.Y.って……彼女じゃないですよ……』

 

『あれだけベタベタしておいてですか!? 結構な噂になっていますよ。

 あと、T.M.さんとはY.Y.さんから隠れて浮気の二股を掛けているとの噂もありますが……』

 

『そんな事実はありません』

 

 彼らの会話を背に運動に励む運動部。せっせと手を動かす文化部。さっさと帰宅する帰宅部。

 意外と少なくない、亮之佑含め勇者部が助けてきた部活の人たちも、

 その音声をBGMとして聞きながら修練に励む中。

 

「………………」

 

 無言で無人の部屋に佇む一人の少女がいた。

 彼女の名前は、結城友奈。

 ここは、家庭科準備室を借りて作られた勇者部の部室。

 既に本日の業務が終わり、先輩は帰宅。

 更に、今日はいつもの車椅子の少女は定期健診で学校はお休み。

 だから友奈は、

 今日はもう1人の大好きな親友と帰宅するべく、1人部室で待っていたのだが。

 

 今、彼女の心を占めるのはただ一つのことだけだった。

 友奈の知らない亮之佑の過去。そこにいる、一人の少女の話だ。

 

「そんなの、私知らないよ。亮ちゃん……」

 

 一人呟くその声は小さく、誰にも気づかれず。

 本人すら呟いたことに気づかないソレは、放課後の黄昏の空気に溶けた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 リハーサルは無事に成功した。

 ラジオの放送が終わり、一世と別れた亮之佑は帰宅の準備をする。

 彼の巧みな話術が爆発し、目の前にいた一世をウルッとさせるくらいのいい話をした。

 

 1人ほくそ笑みながら玄関に向かうと、

 途中、友奈が亮之佑を待っていたらしく、一緒に帰宅することになった。

 

「ねぇ、亮ちゃん」

 

「うん?」

 

「明日の授業である小テストって、どれだっけ?」

 

「明日は数学だろ? しっかりやらないと東郷さんに怒られるぞ」

 

「大丈夫だよ! 多分……」

 

「……なら、家で一緒に勉強するか? 不安なんだろ?」

 

「―――――うん!」

 

 時間は黄昏時。

 黄昏の光がぼんやりとたゆたう。

 夕焼けが始まり、空が朱と金に染まる。

 山の端が僅かな間に赤く昏く変わり、山頂の樹々の形を緋色の空に黒々と浮かび上がらせた。

 そんな景色を見ながら、友奈が話題を振り、亮之佑が答える。

 

 意外と亮之佑は口数が少なめになったり、多くなったりムラがある。

 友奈は友奈で喋ることが好きなので、

 キチンと友奈の目を覗き込む昏いガラスに吸い込まれつつも、亮之佑に話題を振る。

 相槌を打つ亮之佑に、

 一度だけ、自分が話し過ぎて迷惑なんじゃないかと聞いたことがあるが、

 

 ―――俺は、友奈の声も話も好きだから、気にせず喋ってよ。

 

 なんて、やや茶化しつつ、それでも真剣な眼差しを自身に向けてくれた事を友奈は覚えている。

 そんな時、友奈はこの黄昏の夕暮れの光に助けられることが多かったりする。

 

「ねぇ、亮ちゃん」

 

「うん?」

 

「おんぶして!」

 

「えぇっ……、――――――」

 

 本当にたまにだが、2人きりで下校する時、

 突然友奈は亮之佑に謎のおねだりをする。

 急に手を繋いだり、抱き着いてきたり。

 

 何か法則があると亮之佑は思っているが、まだ解明していない。

 そういう時は、決まって辺りを見渡すと誰もいない。尚且つ、加賀家まではそれなりに距離がある。計算でもしているのかと少年は思うが、恐らくは天性の才なのだろう。

 

「――――友奈」

 

「………………」

 

 なんとなく視線を横にずらすと、朱と金色の光に照らされた友奈。

 こういうおねだりをしてくる時は、大抵亮之佑と目を合わせようとしない。

 それでいて、何も言わないとその赤いガラスに不安を映し、亮之佑と目を合わせようとする。

 

 その姿をひどく可愛いと感じて、少年は一度だけ意地悪しようと断ったことがある。

 その時の反応は凄かった。

 アハハ……と乾いた声で笑い、「冗談だよ!」と明るい笑顔を無理に作っていた。

 それが亮之佑にとっては、とても愛おしく感じられて。

 

 つい「冗談だよ」と言うと、頬を膨らまして拗ねられた。

 その後キチンと仲直りしたのだが。

 亮之佑が立ち止まる。

 

「ほら」

 

「……本当にいいの?」

 

 しかし、少女の我儘は亮之佑にとっては本当に珍しい現象なので、極力叶えるという方針だ。

 それだけでご機嫌になってくれるなら、加賀亮之佑にとっては大したことではない。

 ほんの小さなこと。大したことでもない。

 

 その小さなことを少女は滅多に言わない。

 隣で共に歩く少女が、決して弱音を吐かない強気少女であることを少年は知っている。

 だからこそ、

 

「自分で言ったんだろ? ほーら、早くしな」

 

 だからこそ、

 友奈が弱音を吐きたくなった時。疲れた時。苦しい時に。

 誰よりも傍にいて、彼女を支えていきたいと亮之佑は心の中で誓った。

 口にはしない誓い。それが彼女にとって少しでも助けになればいいという、独善的な願い。

 そんな悪戯好きで、ちょっとエッチで、だが彼女の真意を見抜ける亮之佑だからこそ。

 

「……うん」

 

 亮之佑には、作られた周囲を照らす明るい笑顔でない、柔らかい笑顔を少女は浮かべる。

 屈託のない目を細くして、満足そうに、得意そうに、罪の無き無邪気な微笑みを浮かべる。

 そんな彼女の笑みをじっと見てから少年はそっと背を向ける。

 少女に背を向けながら、気が付かないうちに亮之佑はやや口角を上げて微笑を浮かべていた。

 生きていると面白いことがあるんだな、と言う風に。

 

 さっさと友奈をおぶりながら、少年は歩き出す。

 2つの影が1つの影になり、夕焼けに照らされる。

 

「―――ふむ」

 

「……ぁ、ちょっと亮ちゃん! どこ触っているの!」

 

「引き締まったいいお尻だ……いて」

 

「もう……」

 

 臀部を揉みしだく少年の頭を優しくはたく友奈。

 その後、意味もなく少年の黒髪を弄る。

 おんぶしているからいいじゃん……などと亮之佑が意味の分からない言い訳をする中、

 二人はゆっくりと帰路に就く。

 

「ねぇ、亮ちゃん……」

 

「うん?」

 

「今度の夏、3人で一緒に花火やらない?」

 

「え? いいけど」

 

「本当? やったー!」

 

 色々な世間話を振る。時々無言になるが、苦じゃない。

 亮之佑に話しかけながら友奈は思う。

 少年といると誰よりもドキドキする。暖かく、優しい気持ちになれる。

 友奈にはこれが何か具体的に分からない。

 

 車椅子に乗る、長い黒髪を肩から下げる少女に抱くものとは少し違う感情。だが明確に違う何か。

 心臓の音が煩い。

 この音が亮之佑バレたら、「何にドキドキしているの~?」なんて昏い瞳に星を宿し、いたずらっ子の様に彼はクツクツと笑って少女を優しくからかうのだろう。

 だから友奈は心臓の音が、鼓動が目の前の少年にバレていないことを願いながら、

 背中から落ちないように、両腕に力を込めた。

 

 そんな穏やかな時間で。

 息を吐き、亮之佑は一瞬だけ目をつむる。

 彼女の柔肌と確かな熱を背中で楽しみながら、思考がゆったりと動くのを感じる。

 

「ねぇ、亮ちゃん」

 

「う~ん?」

 

 この会話ももう何度目だろうか。

 亮之佑は苦笑しつつ、こちらに小首を傾げて話しかけてくる友奈に目を向ける。

 紅椿のような唇が言葉を放つ。

 恥ずかしそうに揺れ動く小さな唇が動く。

 

 

「――園子ちゃんって、亮ちゃんにとってどういう人なの?」

 

 

 思考が、止まった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第二十二話 深緑を覗き込む」

 5月。

 そろそろ春も終わる頃。

 皐月という陰暦の5月の異名を持つ月だ。

 まあ5月でも6月でも授業が鬱陶しいのは変わらないが。

 

「……ん?」

 

 俺が座る机の右側に位置する友奈の方を見る。

 腕の長さがちょうど2.5本分先に彼女がいるが、夢の国へと旅立っているようだ。

 なんというか、だらしない顔を俺に見せている。

 

「………………」

 

 最近は友奈も居眠りをするようになった。涎を垂らしてノートを汚している。

 彼女の右手に持ったペンがノートに謎の模様を作っている。人のような何かだ。

 

 4月を過ぎ5月になり、新入生の緊張も解ける頃。

 中学生の生活も慣れる時期だし、それなりに勇者部も忙しい。

 だから、居眠りもしょうがないと俺も思うのだが、

 

(東郷さんが静かにキレている……)

 

 視線を友奈よりやや後ろの方に伸ばす。ちょうど友奈の席から右後ろに位置している車椅子用の席。

 こちらを見る東郷は怖い顔をしている。規則に厳しい真面目な彼女の目がやばい。

 あらら、結構怒っているようだ。

 気持ちは分かる。周りの連中も消しゴムで遊んだり、教科書を見たふりして寝てやがる。

 体育の後の授業はしんどいよね。

 

「―――――――、であるからして―――――」

 

 だが寝ている諸君。

 中学一年生になったからって油断すると大変なことになるぞ。

 具体的には、もうすぐ中間テストがやってくるぞ。

 

「むにゃむにゃ……りょちゃ……ひろげないで……んっ」

 

 どんな夢だろうか。

 友奈さん、寝言は静かにお願いします。……やべっ、東郷さんと目が合った。

 ほら、東郷さんこっち見ないで黒板見なさい。

 えっ俺? 分かったよ、前見るから……。お前は友奈を堪能していなさい。

 

「―――――」

 

 東郷と目で会話をした後、再び俺は前を見る。

 黒板の内容と先生の話をノートにまとめつつ、なんとなく周りを見渡す。

 眠気に囚われてしまった哀れな屍が寝顔を曝け出している。

 俺も気を抜くとこのゾンビたちの仲間に入りそうだ。非常に眠い。

 

(まあ、こういう光景は変わらないものだな)

 

 信仰心があっても、こういう光景は変わらないことに頬が歪むのを感じる。

 次のテストが不安になる光景だな。俺にとって他の連中など知ったことではないが。

 ……俺は頑張ろう。

 

「起立。礼。――神樹様に、拝」

 

 神棚に一礼をする時までには皆も慌てて起き出していたのは、見ている側にしてみると面白いものだった。

 東郷は静かにキレていたが。

 結構マナーとか礼儀にはうるさい娘だったな。

 それにしても、次の試験が楽しみだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 放課後。

 掃除を終えた後、友奈や東郷が先に部室へ向かう中、俺は一世と話をしていた。

 

「亮さん。確か勇者部というのはお悩み相談もしていましたよね」

 

「ああ、ホームページに寄せられる匿名のメールに回答していくんだ。どうしたんだ?」

 

「ほら、以前放送部を助けて頂いた時の、亮さんが前に言った案の準備が整ったので……」

 

「……? あぁ!」

 

 以前、そんなことをした気がする。

 最近は事情があり色々あったので忘れていた。

 

「えっと……じゃあ一世、勇者部にその件で俺宛ての依頼を出しておいてくれ」

 

「分かりました」

 

「じゃあ」

 

「はい」

 

 一世と別れて、俺は荷物を持って廊下に出る。

 他の女子を見ないようにして、見る。

 何を言っているか分からないと思うが。

 要はジロジロ見ると唯の変質者なので、視界の端でじっくり見るのだ。

 

(ふむ、……65点だな)

 

 今すれ違った少女。

 俺の個人的な好みで言うと、残念だが外れだ。

 ちなみに、俺のご近所陣が俺にとって100点だ。もちろん……あの子も。

 近場補正とか好みもあるだろうが。

 

 そんな風にJCソムリエ(自称)行為をしながら、

 俺的には100点の少女達が一足先に向かったであろう部室へ足を向ける。

 部室のドアに手を掛け、一思いに開ける。

 ラッキーイベント、来い! 

 

「加賀亮之佑、参上! 待たせたな」

 

「あら、亮くん」

 

「亮ちゃーん」

 

 当然そんなイベントは無いが、我がご近所さんたちがこちらに微笑んでくれるのは嬉しいものだ。

 彼女たちでほっこりしながら、机に荷物を置く。

 

「……風先輩は?」

 

「用事があって遅れるそうです。端末にも連絡が入っていましたよ」

 

「え、マジで」

 

 俺はポケットから端末を取り出し、ひとつのアプリを立ち上げる。

 俺たちが勇者部に入部した時、部長である犬吠埼風から口を酸っぱくして入れるように言われたアプリ。

 SNSアプリ『NARUKO』だ。

 見た目はまあ……前世で使っていたSNSと大差がない。

 

 だが、300年も経過したのにこの進歩の無さ。

 ……いや、仕方ない。人類本来の文明は、衰退したのだから。

 そもそも、ここは異世界だから。

 

 唐突にあの紅の光景が頭を過り、眉をひそめる。

 

「……亮くん? 大丈夫? どこか具合でも悪いの?」

 

「えっ? ――いや、大丈夫だよ」

 

 目敏い彼女たちは、俺のちょっとした顔の動きでもこうやって反応する。

 嬉しいが、誤魔化すのも慣れた。

 

「どれどれ……お! 本当だ」

 

 NARUKOを開くと、メッセージが届いていた。

 『悪い! ちょっと遅れるからよろしく!』

 といった趣旨のものが、既に4人共有のグループに載っていた。

 

「ふむ、じゃあ何をするのかな……東郷さんや」

 

「そうね……ほーむぺーじの更新とか、かしら。風先輩もそんな長いこと遅れないでしょうし」

 

 俺の質問に東郷はしばらく指を顎にやり考えていたが、やがて返答をする。

 そうだよね。正直よろしく言われても困る。そうやることはない。

 ましてや、こちらは入部1ヶ月過ぎとはいえ基本的に依頼待ちの部活だ。

 いくつか仕込みをしてはいるが、部活の名声が高まるのはまだ先の事だろう。

 

「他には……そうね、御国のあり方について語るとか?」

 

「いや、いいです」

 

「そう……残念」

 

 風先輩は嫌いじゃないが、やや言動がおっさん臭いところがある。

 勿論新入部員である俺たちには等しく優しく接し、「部活のこと以外でも困ったら私に相談しなさいね」と優しくされると疑心も解けそうになる。

 総じて良い人だが、女子力とかいう存在に振り回されている女子、といった評価。

 大食いキャラ的な存在だが、頼れるリーダーだ。

 だからたまに他の人の相談に乗ったりして部活に遅れることがある。

 

「…………ぅぅっ」

 

 ところでさっきから、友奈が唸りを上げてテーブルに突っ伏している。

 呻きを上げて頭を振るせいで、後頭部のポニーテールがフリフリ小さく揺れる。

 髪を結ぶことで露わになる奇麗な白いうなじに齧り付きたいと思いつつ、二人きりならばともかく東郷の目の前だと面倒な展開となる為、反対にいる東郷側の隣の椅子に座り、事情を聞く。

 

「どったのよ?」

 

「最近、友奈ちゃんの居眠りが多すぎるからちょっと注意していたんだけど……亮くんからも何か言ってあげてよ」

 

「あぁ、なるほどな。ナイスだ。東郷さん」

 

「亮ちゃんまで……」

 

 そんな恐怖に慄く友奈。安心しなさい。俺は友奈にはやや優しい。

 えっへん! なんて擬音が背景に出そうな顔をする東郷。東郷お母さんと呼ぼう。

 綾香に顔がよく似ているし、お母さんと呼んでも遜色ないと思う。

 すでに母性を主張するものはたゆんと揺れて俺の目を引きつける。

 

 それにしても、キチンと叱れる親友という存在は実に貴重だ。

 それがその人のためになると思って行動するのは非常に稀だと俺は思っている。

 生前、こんな人が俺の傍に居たら俺もまともな人間でいられたのだろうか。

 いや、当時の俺には変わろうとする意思が無かったし無理だったろう。

 

「友奈……確かに部活とかも大事だけどさ。学生の本分は勉強のはずだ。勉強と部活の両立は難しいけど、それでも勉強しないとテストで大変なことになるぞ」

 

「う~~。だ、大丈夫だよ。なせば大抵なんとかなる! だよ、亮ちゃん」

 

「五箇条か……」

 

 友奈と話しながら、少し前の出来事を俺は思い出した。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 4月。

 俺たちが入部した後、何かしっかりとした決め事を作ろうと部長が提案した。

 で、その五箇条を作ることが決まった。

 「本音は?」と聞くと、「5つの誓いみたいでカッコいいから」だそうだ。

 

 風先輩、俺、友奈、東郷。

 4人でどうするかを話し合う中、既に4つまで決まり残り1つはどうするかを考えていたとき。

 「最後だからビシッと決めたいよね」と友奈が言う中で、

 風先輩がアイデアを出した。

 

『為せば成る、為さねば成らぬ、何事も……とかどうよ? 上杉鷹山さんのお言葉よ』

 

『よ、よーざ……? ちょっと難しくて……』

 

 日本人の大好きな精神論か。

 要は、何もしない前から無理だと決め付けるなよってことだ。

 昔の連中は良いことを言う。

 ちなみにその言葉は、鷹山だけでなく、

 

『武田信玄の言った説というのもありましたよ、それ。成る業を成らぬと捨つる人の儚さよ……とか続くらしいです』

 

『しん……げん?』

 

 友奈、さすがにそれはまずいぞ。

 いや、ここは誰が言ったかとかの話じゃないか。

 少し難航していたところを、東郷が俺たちの意見をまとめてくれた。

 

『うーん。なせば大抵なんとかなる、とか?』

 

『それならばっちり分かるよー!』

 

 分かりやすく、ざっくりとしたものに仕上がったおかげで友奈もわかったらしく、

 にへらっとした笑みを浮かべる。

 

『良かったな』

 

『うん!』

 

『よーし! じゃあこれで決まりね。書くわよ』

 

 

 そうして決まった、勇者部五箇条。

 

 一、あいさつはきちんと

 一、なるべく諦めない

 一、よく寝て、よく食べる

 一、悩んだら相談! 

 一、なせば大抵なんとかなる

 

 この五つが出来上がったのだ。

 なお、俺は女性陣からよく「悩んだら相談だよ!」と言われるがなぜだろうか。

 顔には極力出さない筈だし、むしろ自分の事に関しては内に抱えがちな麗しき女性陣達にだけは言われたくはない。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 ふと脇にそれた思考を戻しつつ、俺はこちらを見上げる友奈に問いかける。

 

「――本当に? 大丈夫?」

 

「もちろん!」

 

「……そうか」

 

 友奈がいつも通りの明るい笑顔を浮かべる。返事もいい。

 だがその笑顔を見ながら、俺はマズいなと思った。彼女は中学校のテストを舐めている。

 思えばまだこの学校では、大してテストらしいテストはしていなかった。

 だから大半の学生は友奈のように大丈夫だと言い張るのだ。根拠もなく。

 

 そして、部活の忙しさに忙殺され、いつの間にか全然勉強しなくなるのだ。

 やがて時間は経過し、中間テスト、期末テストで現実を知るのだろう。

 普段の勉強の重要性を。

 前世の俺の経験談の一つ。継続は力なりだ。

 

「どう思う、お母さんや」

 

「正直不安だわ、お父さん」

 

「奇遇だな、俺もだ」

 

 隣に座る東郷を見つめる。

 状況が娘の学力を心配する両親の会話になってきていると思いつつ、

 俺が見る緑の瞳は、どうやら俺と同じ考えに至っている。

 正直友奈は最近、部活にかまけ過ぎな気がする。

 

 「私は、勇者になーる!」と言って、平日の放課後は部活を通じて人々のために精を出す。

 それで土日は俺たちと遊んでいるので、勉強しているところを見たことがない。

 もちろん宿題とかは俺の家で一緒にやることはあるのだが。

 と、東郷が俺に相談してくる。

 

「この場合は、早めに勉強会を開くべきかしら?」

 

「いや、現実を知らないから、本腰が入らないんだろう。最悪、1年の中間程度なら大丈夫だろ。ここは中間まで様子を見て、状況を確認してからでも問題はないはずだ」

 

「如何に中間と言っても、試験は試験。……人の為と言っても、それに感けて自分の果たすことをしない子は尻叩きですよ」

 

「いや、でも東郷さんや。実際に危機感が無いから、今やっても無駄なんじゃ……。無理に教えても身が入らないだろうし。最低50点を下回ったら、叱ってから教えないか?」

 

「……亮くんがそうやって友奈ちゃんを甘やかすから、友奈ちゃんが全然勉強しないじゃない!」

 

「――えっ。俺のせいなの?」

 

 努力の有無は本人の責任だ。周りがどうこう言う問題ではない。

 少なくとも俺はそう思う。大事なのは、努力がなぜ必要なのかを理解することだ。

 それに気が付ければ、後は自ずと努力を能動的にやってくれるだろう。

 それを俺のせいにはされたくはない。

 思わず鼻で笑ってしまう。

 

「東郷さんはあれだね。子供に厳しくし過ぎて、子供をグレさせる教育ママの雰囲気が既に出てますよ。硬いんだよ。絶対子供に嫌われるタイプだって」

 

 母性がもう出てますよ、東郷さん。イラッとするのでつい煽ってしまう。

 これが若さという奴か。俺も見た目は全然若いからな。しょうがない。

 

「……亮くんは子供を甘やかして子供を駄目にする、駄目なお父さんになると思うのですけど」

 

「ほー、言うじゃないか」

 

 このぼた餅娘は、キチンと言い返してくる。

 俺の挑発に乗ったのか、イラッとした頬を引きつらせてジト目で俺を見てくる。

 彼女は怒るとなぜか敬語になる傾向があるのを最近実感した。

 緑の瞳の中に僅かだが怒りが見られる。よろしい。

 

「いや、東郷さんがお母さんになったら絶対門限とかも厳しいだろうし……」

 

「よく分かるじゃない、亮くん。もちろん門限を破る子は柱に縛ります」

 

「…………」

 

「…………」

 

 しばらく睨み合う。

 この古風な女め。友奈の教育方針について、語り合う必要がありそうだな。

 ムムム…………。

 ジーッと見合う中で、距離を詰める。主に俺が。

 東郷さんは車椅子の都合上、距離が詰められないからね。

 それにしてもジト目が可愛い。椅子を引きずって接近する。

 車椅子の背もたれに手をやり、徐々に東郷に顔を近づけ、何となしに顎を指で持ち上げる。

 

 ほのかに頬を赤らめる東郷。

 

「ふ、二人とも、私なら大丈夫だよ! 赤点なんて絶対取らないから。大丈夫だよ!」

 

「――だそうだが」

 

「……友奈ちゃんは、それで大丈夫なの?」

 

「もちろんだよ! 任せて」

 

「でも……」

 

 いつもの明るい笑顔なのは素晴らしいことだ。

 だがしかし、正直俺も不安だ。なぜならば全力で根拠が無い。

 最初のテストは案外大丈夫かも知れないと思う自分もいるのは否めない。

 まあここまで本人が言っているのだ。責任はすべて本人のものだ。

 

「本当に赤点なら東郷さんの言うとおりに、勉強に力をいれなかった罰として100から点数を引いた分だけ、お尻を叩くってことでいい?」

 

「……分かった」

 

 俺としては十分言質も取れたし、大丈夫だと思いたいのだが、

 東郷としては不満らしい。

 しょうがないなー。

 そっと俺は、東郷の形の良い耳に分かり易く囁く様に告げた。

 

「――あんまりしつこいと、友奈に嫌われるぞ」

 

「え……」

 

「そ、そんなことないよ、東郷さん! ……もう、亮ちゃん!」

 

 いつの間にか、随分東郷に距離が近くなった。

 せっかくなのでと、肩から垂れ下がる黒髪をまとめるリボンに手を伸ばし観察する。

 

 東郷は俺が何気なく告げたことに対して、随分ショックを受けたようだ。

 石像となった彼女を友奈が全力でフォローをしている。

 彼女たちの話を聞き流しながら、光った絹糸のように長く真っ黒の髪を束ねるリボンを髪ごと弄りながら自分の事に少し集中する。

 

「――――」

 

 あぁ、このリボンは間違いなく。

 俺があの時見た、あのリボンとそっくりだ。

 いや、そっくりなんてものじゃない。

 

「――――ちゃん」

 

 鷲尾須美。

 あの時、園子は彼女を頼むと、そう言った。

 わっしーを頼むと。

 あの時交わした約束を、俺は果たせたのだろうか。

 

「―――――ってば!」

 

「――――くん?」

 

 東郷の髪を触りながら、俺は思考に耽る。

 あの時少しだけ喋った少女。

 彼女も夜の底みたいな黒、美しい濡羽色の長い髪だった。

 

「――東郷さんの髪って、長くて綺麗な黒髪だよな」

 

「ぁ……、ありがとう……」

 

 そんな風に同意を求めるわけでもなく独り言を呟きながら思い出す。

 そういえば。

 あの時俺が交わした瞳は、不安を宿した暗く淀んだ目だった。

 今俺が見つめる目の前の瞳は、穏やかな感情を浮かべるエメラルドの瞳だ。

 俺が東郷を見つめる時間が経過する程に、その潤んだ色彩が爛々とした光を放つ。

 

 目の前にいる彼女が鷲尾須美かどうか。

 その事実を確かめようと思ったこともある。だが、彼女は2年の記憶を事故でなくしたらしい。

 仮に目の前の少女が鷲尾須美本人であっても、真実は闇の中。

 手がかりは少なく、情報も足りない。彼女への道は未だ狭まるばかりだ。

 

「ぁ、えっと――――」

 

 そんな風に俺が目の前の少女をじっと見つめ続けると、だんだん目の前の顔が赤く染まる。その緑の瞳はやや熱を帯びた様に潤みだす。

 その様子を至近距離でぼんやりと見つめていると、

 

「もう! 亮ちゃんってば!!」

 

「……お、どうした?」

 

 肩を揺すられたのでそちらを見る。

 いつの間にか、友奈が隣にいた。

 目の前には、いつの間にか顔を赤くした東郷。

 

「どうした? じゃないよ。話しかけても、ずっと東郷さんばかり見ているし……」

 

 さりげなく俺の声真似をする友奈。

 どうやら友奈は、俺が彼女を無視していたと思ったらしい。

 そんな悲しそうな顔するなよ。赤い瞳に不安を宿している。

 いかん、このままじゃ友奈を悲しませてしまう。適切なフォローをせねば。

 

「大丈夫だよ友奈。 俺はただ――」

 

「ただ……?」

 

 どうやって彼女が俺に無視されたことのショックをかき消すか。

 別に嘘をつく場面でもない。

 ここは、誠実に正直に対応しよう。

 分かりやすく端的に。

 

「――ただ、俺は東郷さんのことが、気になるだけだ!」

 

「え。……!!」

 

「はわわわわっ……!! 東郷さん! 鼻血! 鼻血が!」

 

 その後のことは、ちょっと覚えていない。

 

 

 




---その後の話---



 結局友奈は、あれだけ言ったのにも関わらず、赤点を取りました。
 現在は処刑待ちです。
 東郷さんは、俺と目を合わせてくれません。

「だ、だめよ。友奈ちゃんというものがありながら浮気なんて……」

 ――などと言います。
 とりあえず嘘を言ったつもりはないとだけ言っておきました。
 そもそも浮気もなにも、彼女がいるわけでもありません。だから大丈夫なはずです。
 そんな俺たちを、友奈が微笑みながら、こちらを見てきます。ジッと。

 あと、最後のあたりの会話をどうやら依頼に来た妄想たくましい子たちがたまたま聞いていたようで、修羅場よー! といって、部室の扉付近から走っていきました。

 翌日には伝染病のごとく、学校中に広まっていました。色々尾ひれがついたらしいですが、考えたくありません。誰が鬼畜だ。誰が二股野郎だ。何が夜の奇術師だ。
 中学生の妄想力ってこんなに鬱陶しいものなんですね。そろそろ開き直るか考えてます。
 まぁ、ある意味でさらに有名になれたのでよかったです。風先輩は少しやかましいですが。

 なぜ、片言風味かと言うと、少し理解が遅れているようです。
 一言だけ言うとしたら。

「どうしてこうなった……」

 日本語は難しい。
 拝啓、宗一朗と綾香。そして園ちゃん。俺は一応元気です。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第二十三話 暖かくささやかな幸せ」

 5月の中旬。

 中間テストが終わった。

 同時に、ある一人の少女の点数も終わっていたことが判明した。

 

「ねぇ、友奈ちゃん。私あの時、ちゃんと言ったよね……」

 

「…………はい」

 

「…………」

 

 俺には何もできない。

 ――悲しいね。

 そう思うことしか、他人事で目の前の状況を見ることでしか、隣にいる般若の恐怖から逃れる術を俺は知らなかった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 俺は今、東郷宅にお邪魔している。

 友奈の家の隣と、非常に近くて距離的にも楽だ。

 最初に訪れた時は大きいなーとは思ったが、園子の家ほどではないな、ぐらいの感想だった。

 武家屋敷特有の長い廊下を通り抜けると、

 東郷の部屋――紛らわしいな――美森の部屋に案内された。

 

 しばらく東郷と他愛もない雑談をしていると、友奈が来た。

 非常に小動物のような動きをしている。

 目を合わせようとしても、絶対に見ないという強靭な意思を感じる素早さで眼球が動いている。

 

 本日はテストが返ってきたので、そのまま直で東郷の家に遊びに来た。

 無論、友奈の点数も問いただすためでもある。

 今日は一緒に帰ろうと誘っても渋るので先に来てしまった。

 そういう訳で彼女は、時間をかけて緩慢なる動きでここまで来たらしい。

 

「――――」

 

 俺はそっと友奈の顔を見る。

 あぁ――。

 死刑を待つ囚人の顔なんて生前も今世も終ぞ見たことなんてないのだが、

 きっとこんな顔だったのだろう、そんな感想を思い浮かべた。

 

 東郷はベッドに座って友奈を見下ろす。

 俺は手持ち無沙汰に東郷のベッド近くに腰を下ろす。

 ついでに彼女の黒タイツに覆われたおみ足をさりげなく流し目で眺める。

 友奈は座布団に座り、震えていた。

 

 三者がそれぞれの思いを持ち、全員が集ったところで、東郷が口を開いた。

 早速、正座で座る彼女に追及を掛けるべく東郷ママが出現する。

 

「ねぇ、友奈ちゃん。早速だけど試験の結果を見せてくれないかしら?」

 

「――えっと、それが東郷さん。答案がどこかに、いっちゃったみたいで……」

 

「ここにあります」

 

「ぇ」

 

 友奈が引きつった笑みを浮かべ抵抗しようとするので、とどめをさす。

 目の前に裏返しにした彼女の答案用紙を置く。

 

「なぁ友奈、お前の口から東郷さんに言うんだ。今なら罪も軽いぞ」

 

「――――、はい……」

 

 準備が整ったので、東郷ママに頷く。

 俺の合図を理解したらしい東郷は友奈に点数を聞く。

 逃れられない状況に観念したらしく、友奈はポツリポツリと点数を吐いていく。

 ちなみに答案の点数自体は俺も聞いていない。

 

「えっと、まず理科が73点……」

 

 その後もポツリポツリと点数を述べていくが、どれも平均程度だった。つまり普通程度ではあった。

 そして、社会、国語、英語ときて、最後に聞くべきは数学の点数だけになった。

 東郷が尋ねる。

 

「それで、数学は何点だったの?」

 

「――っ」

 

「友奈ちゃん?」

 

 あっ。

 この瞬間、俺は察した。

 

 この反応は恐らく数学は赤点だったのだろうと。

 同時に思った。確か讃州中学校の赤点は35点未満だった。

 まぁ中間だし大丈夫だろうと楽観的な俺の思考すら凍りつかせる一言が、

 彼女の紅椿を思わせる形の良い唇から僅かな震えと共に発せられた。

 

「8点……」

 

「……? 略さずに頼む」

 

「だから、その、8点でした……」

 

「――――」

 

 思わず俺は彼女に聞き返してしまった。

 8点とはなんだろうか、28点とかの8点ということだろうか。

 …………。

 ところで、8という数字を横にすれば、無限になるなと俺はたまに思ったりする。

 無限って言葉は素敵だなって俺は思う。無尽蔵のエネルギーというのは男のロマンで……

 

 バンッ! 

 

 思考が遠くへ旅立とうとすると、何かを叩く音が聞こえてくる。

 反射的に音の方向に目を向けると東郷がテーブルに手を叩きつけていた。

 彼女の華奢な体が震えている。寒いのだろうか、それはないだろう。

 

「と……東郷、さん」

 

「友奈ちゃん……」

 

 震え声の友奈がおそるおそるといった具合で東郷に話しかける。

 その時、俺は見た。

 そこには目を限界まで見開き、静かにブチ切れた般若が降臨していた。

 

「……だから、私言ったよね。勉強会開こうか? って。

 部活だけじゃなくて、きちんと勉強にも精を入れるって約束したよね、友奈ちゃん」

 

「は、はい……」

 

「約束を破り、あまつさえ赤点。しかも8点。友奈ちゃん!!」

 

「ごめんなさーい!!」

 

 教育ママにがっつりと叱られる娘。

 俺はそれをぼんやり見ていることしかできなかった。

 完全に自業自得なので助け舟を出す気にもなれず、

 あれほど大丈夫と言ったのは何だったのだろうかという残念感が胸中に過る。

 

「…………」

 

 東郷が友奈をお叱りしている間、俺にできることは、

 黒のニーソックスと黒のタイツはどちらがいいかの議論を脳内で交わすことだけだった。

 ガーターベルトには興味はない。

 

 

 

 ---

 

 

 

 ――つまり、黒のハイニーソが生み出す、太ももとスカートの間の絶対領域こそが……

 

 ――異議あり! 議長。黒タイツには即ち、破くという禁断の奥義が……

 

 ――ん? 議長! 外をご覧ください! 

 

 ――なんだね……これは!? 

 

 東郷の友奈への説教に時折相槌を打つふりをしながら、俺は長考に更けていた。

 一人五役で行う重要な討論も既に1時間が経過した。

 

 黒ニーソと黒タイツの討論が盛んに進む中(ちなみに、白は全会一致で否決になった)、

 気がついたら東郷の長ーいお説教が終わり、躾のお時間らしい。

 東郷の御膝に友奈がうつ伏せになる。

 長時間の説教にぐったりとした友奈は既に息絶え絶えの様子だ。

 

「――――」

 

 改めて女子の制服を見る。

 オフホワイトのプリーツワンピースに胸元の赤いリボンが目立つグレーのショートジャケット。夏服もあるが、それはまだだ。

 東郷はその上に学校指定のカーディガンを着たりして暖かくしているなど個性を感じる。

 東郷の御膝の上でお仕置きを待つ友奈。

 彼女の制服のスカート部分が捲られ、パンツもずり下げられ、可愛いお尻が外部に姿を現す。

 

 パチンッ! 

 

 既に刑がスタートしていた。

 東郷も俺がいるのだから尻叩きは控えるだろうなと思っていたが、そんなことは一切なく、むしろ逆効果だったらしい。今回は本気で怒っているご様子。

 

「――ぁぅ」

 

 唐突な痛みが奔ったのか、友奈はうめき声を上げる。

 制服という日常でよく見る中で浮かび上がるスカートの中の白い臀部。

 ぷっくりと肥えた尻肉は東郷の手が叩くとパチンと大きな音を立て、振動に揺れる。

 同時に、白い桃に微かに朱色が帯びる。

 

「反省しなさい、友奈ちゃん!」

 

「東郷さん! 待ってよ。りょ、亮ちゃんがいるから……」

 

 パチンッ! 

 

「言い訳は聞きません! 手をどけなさい!」

 

「ひぅ! …………うぐっ!」

 

 どうやら完全に東郷もキレたようだ。俺がいようがいまいが関係ないらしい。

 まぁ、これで反省してしっかり勉強してくれることを祈ろう。

 友奈も嫌なら逃げればいいのにと思うが、なまじ良い子で実際に赤点を取ったことへの罪悪感で動けないのかも知れない。

 

 今回の件で俺も決めたことがある。

 東郷……さんのことはできるだけ怒らせないようにしよう。

 もしも彼女を怒らせた場合は、俺の持ちうる全てを使い全力で撤退し、時の経過が解決してくれるのを待とう。

 俺はそんな決意をしながら、友奈へのお仕置きを見届けるため己の眼球の神経に力を注ぐ。

 

 パチンッ! 

 

「友奈ちゃん」

 

「……んっ!」

 

 一発一発に怒気のこもった平手。

 魂がこもったような容赦なき一撃は東郷さんの掌を赤く染めるが、同時に友奈のお尻も、頬も一撃ごとに赤く染まっていく。

 

「――――約束破って、ごめんなさいは?」

 

 パチンッ! 

 

「んっ……ご、ごめんなさい……」

 

「もう一度!」

 

「約束破って、ごめんなさいっ!」

 

 手の跡が残るんじゃないかと思うような音と共に揺れる桃尻。

 東郷さんの掌が友奈の臀部を叩く度、彼女からは嗚咽が小さくこぼれる。

 叩かれる度に桃尻が揺れ、内腿が痛みにより自然と内股になる姿は臆病なウサギを連想させた。

 

 パチンッ! 

 

「――――嘘ついて、ごめんなさいは?」

 

「……ぅっ……嘘ついて、ごめんなさいっ!」

 

 ついに羞恥か痛みによる生理的なものか、

 それら全てが混ざり込んだ恥辱の念が友奈の目尻から涙という形で溢れ出す。

 

 謝罪と共に息がこぼれる。

 必死で俺から臀部を隠そうとする手が遂に崩れ落ちた。

 手に握られていた8点の答案が中空を漂い、重力に従いやがて畳に落ちる。

 だが、この場にいる誰もそれを気に掛けることはなかった。

 

 彼女が羞恥を帯びた顔を俺に向け、助けを求めてくるが、俺は断る。

 彼女の正面に回りこみ、目からこぼれる涙を指で拭き、顎を持ち上げ赤い瞳を覗き込む。

 

「なぁ友奈。俺さ、あのとき言ったよな。本当に大丈夫かって?」

 

 東郷さんに一度手を止めてもらい、友奈と少し話をする。

 全身を小刻みに震わせるその姿は同情を感じさせるが、ここで甘やかす訳にはいかない。

 

「――うん」

 

「それでお前、俺に大丈夫って言ったよな。でも結果は赤点だ。数学だけだからいいって訳じゃない。赤点を取らないと約束をしたにもかかわらず、結局取ったことに俺も東郷さんも怒っているんだ」

 

「――――っ」

 

「お前は結果的に、俺や東郷さんに嘘を吐くだけでなく、何よりも自分自身を裏切ったんだよ」

 

「――――ごめんなさい……」

 

 俺から告げられた事実が頭蓋に浸透したかのように友奈は大きく瞳を広げる。

 勉強を疎かにして赤点を取った。それによって起きた結果を目の当たりにする。

 呻くように、後悔するように、罪を告白するように、友奈の口から謝罪がこぼれる。

 

「ごめんなさい、亮ちゃん。東郷さん。

 私、今度から真面目に勉強頑張るから。赤点なんて二度と取らないっ……!」

 

「そうさ……赤点なんて取ったら勇者失格さ。でもお前は今、反省できたろ?」

 

「うん……」

 

「なら、お前は大丈夫だよ。友奈」

 

「亮ちゃん……」

 

 そっと東郷さんの膝に乗っている友奈の体を抱き寄せる。

 回される腕。

 背中におずおずと回される彼女の腕は、しっかりと力が篭もっていた。

 友奈は反省できた。

 ならばこの先、今回のような赤っ恥をさらすことはないだろう。

 幼馴染としての直感が告げていた。

 

 少しの間だけ抱きしめると、友奈の細い身体は温かくずっとこうしていたい気持ちに駆られる。

 至近距離で彼女に微笑むと一瞬きょとんとした後、にへらっとした笑みを浮かべた。

 そっと彼女とおでこを合わせるとしばし平穏な時が流れる。

 そんな中で俺は彼女の小さな耳にかかる赤い髪を払いのけ、

 ため息と共に彼女の耳朶に響くように囁く。

 

「……だけど、お仕置きはしないとね。ねぇ、友奈」

 

「なーに?」

 

「100引く8は……?」

 

「えっと、92。……!」

 

 気が付いたようだ。テスト前に俺が言った言葉をどうやら思い出したらしい。

 事前に東郷さんとも話をして既に決めてしまった。

 それ以前に、どの道結城友奈にコレを避ける術などもうない。

 そしてこれはある種の儀式であり、避けることはここにいる誰もが許さないだろう。

 

「さっきの分含めて、あと87回だから。頑張って」

 

「――――ぁ」

 

 その絶望の声は意識したのか無意識の産物か。

 そして、可愛らしいお尻に振り下ろされる無慈悲な平手。

 

 パチンッ! 

 

「友奈ちゃん。亮くんはそう言いましたけど、罰は罰ですから」

 

「あっ――――ひぐっ!」

 

 86

 

 友奈から離れて、俺は東郷さんの右隣へ移動する。

 ちょうど友奈の後ろに回りこむ形になる。

 いい景色だ、という感想を思い浮かべる。

 そのまま、一発一発に魂込めるべく力を溜める、怒れる少女に話しかける。

 

「東郷さん」

 

「何? 亮くん……?」

 

 ご乱心の彼女に、こちらに怒りが来ないように出来る限り俺は気遣うように微笑む。

 

「えっと、疲れたら言ってね。交代するから」

 

「ふふっ、優しいのね。ありがとう。それじゃあ遠慮なく」

 

 パチンッ! 

 尻肉は叩くほどに揺れ、赤い髪の少女からは嗚咽がこぼれる。

 振り上げられる手には手加減などない。

 躾という言葉は好きじゃないが、もうこれは誰にも止められない。

 

 85

 

 故に俺に出来ることはただ一つ。

 東郷さんの隣で、この光景を目に刻み込むだけだ。

 上がる口角は手で隠し、眉はひそめ怒ってますアピールは欠かさない。

 そして、東郷さんのお仕置きの一つ一つに友奈が鳴く中で、

 俺はゆっくりとカウントしていくのだった――――。

 

 

 

 ---

 

 

 

 7月。

 

「えっ、先輩モテたんですか?」

 

「勿論よ! アタシだってモテまくったんだからー!」

 

「へー」

 

 そいつの顔を見てやりたいと思いつつ、長靴を履いた足で川を探索する。

 途中見つける空き缶などのゴミをトングで回収し袋に入れていく。

 あれから時間は少し過ぎた。

 

 現在は放課後の部活動中だ。

 友奈はソフトボール部に助っ人として。

 東郷は将棋部に助っ人として。

 そして今回、仕事の無い俺と風は地域清掃ボランティアとして自主的に川での清掃活動中だ。

 

 何気に二人きりでの活動は初めてだなと思いながら手を動かす。

 その最中、同級生のチアリーディング部の女の子から頼まれた伝言を思い出して彼女に伝えた。

 来年もお願いします、という趣旨の伝言を伝えつつどういう事かを聞くと、

 なんでもチア部からのヘルプで助っ人をしたところ、偉く気に入られたという。

 

 凄いじゃないですかと俺は普通に風を褒めた。

 基本目上の人間には敬語を使い媚を売りつつ、弱みを握るスタイルを俺はしている。

 しかし風にはこれまでの付き合いを考慮して、そういうことはしていない。

 純粋に先輩、後輩としての付き合いを楽しんでいる。

 生前はこんな関係築けなかったからな。

 周囲との蹴落とし合いが酷かった……。

 

 そうやって適度に褒めつつ清掃活動に従事しながら雑談をしていると、

 彼女は「女子力が溢れ出してモテ期が到来した時があった」と勝手に語り出した。

 そんな風にドヤ顔するのと純粋に興味があったので聞いてみると、「え? 気になる? じゃあしょうがないな。可愛い後輩に教えてあげよう」と意気揚々と続きを話し始めた。

 

「実はチア部のヘルプに行った時、アタシのチアリーダー姿に惚れた生徒に告白されちゃったのよ!」

 

「ほうほう」

 

「しかも、2人」

 

「凄いですね……いつですか?」

 

「この前、うちの野球部が県大会まで進んだじゃない? その後で告白されたのよ〜!」

 

「おぉー!」

 

「それでねそれでね――」

 

 女子力というより家事力の高い目の前の少女を見据える。

 健啖家である目の前のブロンド髪の少女に入れ食いするとは、その男は見る目はあるらしい。

 それともチア部のユニフォーム補正だろうかと考える。

 6:4ぐらいだろうと思うことにした。

 

 それから、風の口から語られる内容を要約するとこうなる。

 ・チア部の助っ人として、大会中ずっと野球部の応援をしていた。

 ・大会が終わった後、その野球部の男子に屋上に呼び出された。

 ・お前のチア姿に惚れたんだ、付き合ってくれ!

 ・だが断る!

 

「えっ、そこでなんで断っちゃたんですか? 顔ですか?」

 

「いや、顔じゃなくてさ……なんか同年代の男子って、子供っぽく感じちゃうのよね~」

 

「あー……あるあるですよね、そういうの」

 

 なるほどね。よくいる年上がいい系女子。

 同年代は子供にしか見えない、精神が早熟するタイプ。

 俺の場合は、周りにいるのはぱっと見年上でも全員等しく年下にしか感じない。

 友奈も、東郷も、そして目の前の先輩も。

 

「その後も、その男子はアプローチをし続けたわ……その度にアタシは断ったけど」

 

「…………」

 

 その男はきっと一途だったんだなと思う。

 こんな風に調子に乗っている少女をずっと好きでアプローチしていたのだ。

 俺は知らないその男に心の中で敬礼をした。

 

「その後にね、また別の人からラブレターが届いたのよ。

 いや~、あの時はマジモテ期来ちゃったなって思いながら行ったのよ。そしたら……」

 

「ゴクリ」

 

「女の子だったのよ! 当然アタシにはそっちの気がなかったから断ったんだけど、愛の言葉を囁いてくるのよ。さて、困ったな~ってところで、さっきの男子が屋上に乗り込んできたの」

 

「修羅場ですね、ある意味」

 

「そうね~。片方女子だけど、アタシを取り合って口論をするシチュエーションっていいな~とか思っていたんだけどさ。アタシは蚊帳の外。それでその後どうなったと思う?」

 

「……仲良く屋上から飛び降りたとか?」

 

「それやったらアタシここにいないからっ! ……一週間後、その二人は付き合いだしたのよ。アタシへの思いを語るうちに、気持ちが通じ合ったとかで」

 

「――――」

 

「いや~、最近のアタシってモテて酷かったのよ。来年またやったら誰かのハートを射止めちゃったりして……アタシって罪な女ね」

 

 フフッと笑う先輩に俺は曖昧に笑った。

 笑うことしかできなかった。

 果たしてそれはモテたと言えるのだろうか。

 

「あっ、亮之佑。いくらアタシが魅力的でも、アタシに惚れないでよ?」

 

 は? 

 

「そうですね。風先輩は素敵な女子ですからね。先輩に惚れる男もきっと多いでしょうね」

 

「やだな~もう! 褒めても何もでないんだぞっ」

 

「ハハッ」

 

 もう一度言うが、笑うことしか出来なかった。

 決して鼻で笑わないようにだけはした。

 そんな俺の笑いを、ピタリと止める話題を風が出す。

 

「でも亮之佑、アンタも凄いわよね」

 

「えっと、何がですか?」

 

「結構噂になっているけど……アンタって友奈と東郷、どっちが本命なわけ?」

 

「…………え?」

 

「最近アンタ達の関係が結構噂になっていてさ。ちょっと気になって」

 

「……あぁ、そういう話ですか……」

 

 お前もなのか。

 最近、そういった揶揄いが増えてきた。

 友奈と東郷、二人との関係。

 

 曰く、友奈と俺が付き合っていて、東郷さんとは浮気をする関係だとか。

 曰く、両方とも自分のモノにして鬼畜なプレイをさせているとか。

 曰く、自分の家に連れ込んで新婚ごっこをしているとか。

 

 誰かがそんな風に噂をするようになった。最後あたりは微妙に間違っていないような気もする。

 これだけ噂が立つと周りは薄っぺらく笑ってきて「お前らって付き合っているのか」と聞いてくる。

 大きなお世話だと思うが、適当に誤魔化す。

 キリがないからだ。

 紳士達はそういうのを察して聞いてこないが。いい奴らだ。

 

「――――」

 

 正直そういう餓鬼の揶揄いは俺には鬱陶しくて仕方がなかった。

 鬱陶しいので、全員の弱みを握って一人一人確実に潰していくかを真剣に考えた。

 

 中学生というのは男女が一緒にいるだけで邪推を抱き、変な噂を流す。

 高校生も変わらないが、他人の浮いた話は噂のネタだ。

 

 そうして互いに気まずい思いをさせ、仲を悪くする。俺たちは現状そんなことはないが。

 生前でも仲良くなった子と変な噂を立てられ、苦く渋い思いを味わった。

 

「そうですね――」

 

 あぁ、本当に吐き気がする。

 お前らに一体何が分かるのだと思う。

 何も知らないお前たちが俺たちの関係に口を出すな。何様のつもりだよ。

 気安く適当なことを言って友奈や東郷を困惑させるなよ。

 

 そんなことを心の中で思う。

 冷たい苛立ちが、困惑が燻る。

 分かっているさ。

 所詮相手は中学生の餓鬼共。

 いちいち男女間に恋愛を持ち出して、そういうのを揶揄いたがる年頃だというのも分かっている。

 

「――――」

 

 だがこの思いは消えない。

 苛立ちは消えず、俺は咄嗟に笑う。笑うことしか出来なかった。

 

「俺にとって友奈も東郷さんも、本当に大事な人たちですよ」

 

「へぇ、どれくらい?」

 

「そうですね……」

 

 だが、目の前の少女については別でもある。

 お世話になっている先輩でもある。

 さっきの話のお礼もあるので真面目に話をする。

 

「――彼女たちの為になら、命を懸けられるくらいには、ですかね」

 

「そっか……二人ともいい子だもんね」

 

「はい」

 

 俺の返答を聞いて、風はふわっとした笑みを浮かべる。

 そこには先程の揶揄いの笑みはなく、大切な物を守る者の笑みがあった。

 慈愛に、敬愛に、友愛に、家族愛に。それらを含んだ―――――愛ある笑み。

 

 かつて宗一朗が、綾香が、俺に向けていた笑み。

 それと似た物を風に感じた。

 

「なんか……ゴメンね。変な事聞いちゃって」

 

「いえ、大丈夫ですよ。風先輩にもそんな人がいるんですか?」

 

「アタシ?」

 

 風。

 貴方という人の下で部活ができたことを俺は嬉しく思う。

 普段の言動はともかく、リーダーとして真面目で、人を思いやれる。

 サバサバしていてくどく感じず、心に芯を持つ。

 こういう所が俺は尊敬できるのだ。

 変に餓鬼臭くなく、俺はある種の尊敬の念を持って彼女に接している。

 

「アタシにもいるよ。妹なんだけどね……可愛いのよ、これが」

 

「先輩の妹なら、きっと凄く可愛いのでしょうね」

 

「……褒めてもあげないわよ?」

 

「……遠慮しておきます」

 

「何よー! アタシの妹が可愛くないって言うの!」

 

「いや、そうじゃなく」

 

 面倒くさい姉と本日の活動を終える。

 川から引き上げ、現地解散ということになった。

 道路が紺のリボンのように真っ直ぐに、一直線に伸びる。

 夕焼けの光で赤っぽく見える乾いた路上を風と二人で歩く。

 

「さっきさ、アタシは同年代の男子って子供っぽく見えるって言ったじゃない?」

 

「言いましたね」

 

 風が俺に話しかけてくるので目を向けると、偶然か目が合う。

 よくよく見ると彼女も瞳の色が緑だった。

 だが東郷ほど濃い色ではない。

 強いて言うなら、ペリドットグリーンと言おう。

 

 その薄緑色の瞳と目を交わらせながら歩く。

 巨大な爬虫類の様な硬いアスファルトの感触をゴムの長靴の靴底に感じた。

 

「でもさ~、なんか亮之佑ってどうしても年下に思えないんだよね。大人っぽいというか」

 

「――――ほぉ」

 

 彼女の言葉に、俺は思わず苦笑するのを止められなかった。

 急に何かと思えば……なるほどね。少し考えて口を開く。

 

「風先輩。実は俺の年齢って、現在38歳くらいなんですよ」

 

「へぇ~、ってそんな訳あるかーい!」

 

「冗談ですよ」

 

 それから帰り道をゆったりと雑談しながら帰路につく。

 なかなか有意義な時間を過ごせたと思う。得られる報酬がある訳でもなく……いや、強いて言うなら可愛い女子たちと一緒に行動できる事だろうか。偽善的な行為をする活動だと思ったが、何もしないで善を語る塵よりも100倍マシだと思えるようになったのは、この部活で彼女たちと時を共にしたからだろう。

 少なくとも、今隣にいる先輩にも影響を少なからず受けているのかも知れない。

 

「先輩」

 

「ん? どうした?」

 

「俺は先輩のこと、尊敬してますよ。讃州中学校の誰よりも」

 

 クツクツともう癖になってしまったのか、アイツの笑い声が出る。

 それはどうでもいい。

 言葉にしないと分からないこと。

 そういうのはきちんと伝えないと後々後悔を生むことを俺は知っている。

 だからはっきり言う。言葉を風に届けるために視線を向ける。

 恥ずかしいとは思うし、素面で揶揄われるのはちょっと苦手だ。

 思わず弱みを握って潰したくなる。

 だが、

 

「――ありがとね、亮之佑。あの子たちがアンタの傍にいる理由、なんとなくだけど分かったかも」

 

 真面目になるときはキチンとなる風。

 目の前の先輩なら、そんな事せず真摯な意志で返してくれる。

 きっとこの笑顔に、その男は惚れたのだろうか。

 

 

 

 

 後日。

 面白い話だったのであの二人にも聞かせようと思って、

 二人にドヤ顔で先輩の話を語ると、彼女たちはそっと目を合わせてからこう言った。

 「その話、先輩からもう3回くらい聞いたよ」と。

 

 俺は毎回、助っ人やらなにやらで運悪くその場にいなかったらしい。

 なんですとー! 

 

 

 

 ---

 

 

 

 そして時間が流れ。

 俺が初めてラジオのパーソナリティの仕事をやり遂げた日の下校中、

 甘える友奈を背負い帰路に就き、自宅が見えた頃。

 紅椿のような唇が甘い息を吐き出し、ルビーの瞳は夕日に潤む。

 そして、背中で仄かな熱を帯びる少女は、

 

「園子ちゃんって、亮ちゃんにとってどういう人なの?」

 

 と同じ調子でなんでもないように、俺の不意を突くように聞いてきた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【幕間】 貴方は今、何をしていますか?

注意 誤投稿ではありません


「………………」

 

 筆が進むというが、実際にはキーボードの上を指が奔るだけだ。

 それによって生まれるのは、文章という媒体。

 小説を書くのは好きだ。

 趣味でもあるし、何よりも現実から目を背け、自分の世界に没頭できるからだ。

 

 指が奔る。

 

 

 

 ---

 

 

 

 夏が終わった。

 朝顔の季節が通り過ぎ、人々が半袖をしまい衣を変える季節。

 柿原は、苑を連れて海に来ていた。

 

 既に時期を過ぎた海。秋雨が降りそうな天気。

 そこに人はなく、空も海も荒れ模様だった。

 少年の思いを表すように空は曇り空であり、いつ雨が降るか心配であった。

 

『なぁ、やっぱ帰ろうぜーお嬢。こんな時期に来たってつまんねぇだろ?』

 

『…………ん』

 

『お嬢の思考って、俺よく分かんねーよ。雨が降ってくる前にさっさと帰るからな?』

 

 とある家のご令嬢、苑を連れ歩くのは、従者の柿原。

 彼の乗るバイクに乗り、季節外れの海を見るためわざわざ遠出してきた。

 

『え? 雨に打たれてもいいって……本当にどうしたんだよお嬢』

 

『別に……なんでもいいでしょ……』

 

 苦笑いを浮かべる柿原から目を背け、砂上をゆっくり歩きだす苑。

 無言で海辺を歩きまわろうとするが、慣れない砂場で躓いてしまい、柿原に庇われる。

 庇った柿原は地面の砂が口に入ったのか、渋面を作り唾を吐き捨てる。

 

『ペッ、まっず。ほらお嬢。慣れない足場なんだから、無理して先行するなよな。

 ちゃんと俺が、お嬢をエスコートするからさ』

 

『――――じゃぁ……』

 

 手を差し出す彼の苦笑いに導かれるように苑は恐る恐る手を伸ばして、柿原に掴まれた。

 しばらく2人で浜辺を歩き出す。

 彼らの気持ちはいざ知らず。

 海は空の色と同様に深く沈み込み、大きくうねりながら波頭を白く煌めかせる。

 

『それにしても、どうしてこんな時に来たんだ?』

 

『人がいないから……』

 

『なるほどね……。確かに夏なら、うだるような暑さに加えて人も多いからな。俺も人混みってのは嫌いだしな。それを踏まえてみると、まぁ悪い景色じゃないか』

 

 穏やかな海よりも、冷たく黒く。

 目の前の海に向かって意地の悪い笑みを浮かべる柿原。

 そんな中で、その笑みを沈めるべく限界を迎えた黒雲から数多の水滴が零れだす。

 

『あーあ、降ってきちまったよ……。ほら、お嬢。あっちの建物に移動するぞ。

 チッ……仕方ない、一旦雨宿りだ』

 

『わっ! ちょま!』

 

 恐らく、「ちょっと待って!」と苑は言おうとしたのだろう。

 そそくさと目に見えた建物に向かって移動しようとする柿原に手を引かれる中で、砂に足を取られてしまい転んでしまう。

 

『お、おい。大丈夫か……盛大にずっこけるなよ。怪我は無いか? まぁ砂場だし大丈夫だと思うけど。って、だから雨が降る前に移動しよって言ったじゃんか』

 

『いや、今のは柿原、お前のエスコートが下手だったと思うのだけれども……』

 

 ぶつくさと何かを呟く少女の砂で汚れたワンピースを手で払う柿原。

 ある程度砂も地面に落ち、「よし……」と満足気に呟いた。

 そして苑の顔を見て、柿原は小さく噴き出した。

 

『って、顔もか……。フフッ、酷い顔だな。こうなったら、もういっそ全部濡れちまった方が汚れも落ちるかもな。自然の雨水をシャワー替わりにしようぜ』

 

 二人して、しばらく空を見上げる。

 そして、

 

『――――ほら、綺麗な面になってきたじゃんか』

 

『ん』

 

 雨水が苑の顔に付着していた砂を流れ落とし、

 彼女の青く澄んで光るような、彼女本来の美貌を見せる。

 残った砂をハンカチで落とした柿原は彼女を連れて雨水から避難しようとするが、その動きをまた苑が止めた。

 

『―――――どうした?』

 

『海を見たい……』

 

『―――――しょうがないお嬢だな。分かったよ。俺もずぶ濡れだし、こんな土砂降りだからかな?

 なんかテンションが上がってきたよ』

 

 そう言って柿原は苑をエスコートし、海岸へ向かう。

 彼らの肢体を、雨が濡らし冷やしていく。

 途中、震える彼女の体に自身のコートを羽織らせる。

 白い手袋は、細くも柔らかみを帯びる女性の手をしっかり握る。

 降りしきる強い雨が、彼らを余すことなく濡らしていく。

 

 そんな中、柿原がポツリと呟いた。

 

『なぁ、お嬢。俺は今までもこれからも、お嬢が何考えているのか全然分からないけどさ。この景色は、俺も気に入ったよ。荒れ狂う海ってのは、穏やかなだけの海よりも俺は好きだ』

 

『―――――』

 

『なんていうか、今までお前の行動を見てきたけど、一度も俺はお前に飽きたことがないよ』

 

 目の前の荒れ狂う海は、それを見つめる彼らに押し寄せては引き返す。

 なんとなく目の前の自然の猛威に、本能が恐怖を感じる。

 気が付いたら、あの昏い海に吸い込まれ沈んでしまいそうな……。

 

 そんな光景を、苑は黙って見つめる。

 そんな彼女を見る柿原は話を続ける。

 

『手―――離すなよ。お前のような無口な女なんて、ほっといたら迷子になっちまう。だからこれから先、お前がまた躓いて転んでも、目の前の波に攫われても、必ず捕まえてやるから。この手を俺は、離さないから』

 

 少女は見上げる。

 いつの間にか背の大きくなった少年は、そんな彼女に優しく微笑む。

 

『だから、お前も俺の手を離さないでくれ。お前の手を掴む俺を。どうかお前も離さないでくれ。

 俺が傍から離れようとしても、遠くに行こうとしても、この俺の手を決して離さないでくれ』

 

 そう言って、柿原は微笑む。

 優しく、愛おしく、慈愛と親愛をもって目の前の少女に微笑んだ。

 そんな彼に、少女は―――――――

 ――――――――――――――――

 ――――――。

 

 

 

 ---

 

 

 

「ビュォオオオオオオゥ!! いいよ~これ!」

 

 深夜。

 とある病院の隔離棟。

 1つ分のフロアを占領し作られた空間の最奥。

 誰もいない棟の中で、唯一人の気配のある個室があった。

 そこは鼠一匹、何者の侵入も許さず、人に祀られた場所。その中心に彼女はいた。

 

 ベッドにその身を置き、片目や片手に包帯を巻く少女。

 滑らかな、以前よりもややくすんだ金髪を残った片手で払うのは、

 ここでの生活によってできた癖だ。

 彼女の名前は、乃木園子。

 

 カチャカチャ……と、キーボードの上を片手がダンスを踊る。

 そのダンスを舞う手も片手だけなので、少女は休憩を多く入れる。

 最初は看護師にやらせていたが、どの看護師も1月も続かずこの病棟を去っていった。

 

 仕方がないので、少女は片手でPCを操作する。

 これが現在の園子の生活だった。

 この生活にも随分と慣れたと少女は思う。

 住めば都と言う。

 大赦は少女を当初は別の場所に入れようとしていたが、

 とある時期の、とある行動が生み出した結果によって、至って普通の病室に移された。

 普通の病室にしては随分と広く、隣人もいないが。

 

「ふっふっふ……」

 

 少女は空想をするのが好きだ。

 空想をして、それを文章の媒体に起こす。

 その一連の作業をしていると、気が付くと1日が終わる。

 時に書いたり、書かないで思い出に浸ったり。

 そんな風に時を過ごしていた。

 

 ある程度の行動の自由は許されていた。

 だから、多少の不自由には目をつむる。

 要は慣れてしまえばいいのだ。完全な不自由という訳でもないのだし。

 

「久しぶりに書いてみたけど~、王道物って実は初めてかも~」

 

 いつも通りの独り言。呟かなければ喋り方を忘れそうになる。時々仮面を着けた人とも話すが、堅苦しく、正直に言うと園子は好きではなかった。

 本日の執筆活動を終えて、片腕でノートパソコンを畳む。

 ふと少女は自分の過去の作品を振り返る。思えば真っ当な恋愛小説なんて初めてかもしれない。

 小説投稿サイト。

 あれはいつの話だったろうか。

 とある少年に背中を押されて、趣味で小説を書いていたら、気が付くと多くのファンがいた。

 

 今はまだリハビリ中で、両腕で書いていた時よりもまだ早く書けていない。

 だが趣味で書いているのだ。この惨状なのだから、できたら許してほしいと少女は思った。

 

「――そう言えば、メールは見てくれたのかな……」

 

 なんとなく、ベッドから窓を見る。

 この部屋を希望したのは、窓から空が見えるからだ。

 ここからだと時々夜空の星を見ることができるのが、少女の楽しみの一つだった。

 

「……ミノさん、……わっしー」

 

 夜の間はカーテンレースを開いて、景色が見えるように頼み込んだ。

 その甲斐があり、夜だけカーテンを開けてもらえた。

 もともとこのフロアは貸し切り。隔離された最上階だ。

 随分とVIPな対応だなと少女は思う。警備も厳重で侵入者など決して入ることの出来ない場所だ。

 

 

 ここには、誰も来ることはない。

 

 

「かっきー……」

 

 そっと、その渾名を呟く。

 

「あの後も、元気そうで良かったよ~」

 

 「心配だったからね……」と誰にともなく一人少女は呟く。

 大赦は闘いが終わった後、少女の捧げられた肉体の量に比例するかの如く、

 園子に従うようになった。

 彼らは園子の言う事には何でも言う事を聞き付き従うが、園子が偉い訳ではない。

 確かに乃木家は格式が非常に高い家だが、意味が違う。

 彼らは園子という人を見てはいなかった。

 園子を通じて神を見るように、園子という腫物を扱うように、恭しく振舞われた。

 

「―――――」

 

 その事に対しては、園子は特に思うことは無かった。

 この病院すら支配する大赦は、神樹様を祀る組織。

 この四国における裏側の絶対的なる支配者だ。

 

 彼らから祀られる園子は、元の家柄も含めて敵など存在せず。

 大赦には、英雄として、勇者の生き残りとして、組織の切り札として崇め、祀られていたのだ。

 

「――時間が経つのは早いな~」

 

 だがそんな事は、園子にとっては既に大したことではない。

 少女にとって、使える手足が増えただけの事。

 この部屋を希望した際には、反対する人間は少し微笑むだけで土下座をする始末。

 少し怒りを示しただけでこれなのだ。

 大の大人が、ベッドに座る体の不自由な少女にする行為。

 無力な少女に対して行うその行為は、見る側にしてみると些か滑稽に感じられた。

 

 神が人間を見る視線というのは、地面を這いずる虫を見るようなのだろうと園子は思った。

 こんな非力な少女を、神に供物を捧げたことでコロリと態度を変える。

 普段祈りもしない信者が、有事の際にだけ祈りを捧げる姿のようだと感じた。

 

「―――――あ! お月サマだ~」

 

 だから、園子は基本的に彼らのことは気にしなかった。

 今現在は肉体的不便はともかく、生活的不便性は感じられなかった。

 常人なら耐えられずとも、空想や小説という手段が彼女を生かしていた。

 もっとも、その小説すら大赦に監視されているのは最早お笑い種である。

 

「―――――」

 

 もしかしたら、私は飼い慣らされているのかもしれない。

 園子はそう思ったこともあったが、異常なまでの大人の豹変さにその考えも捨てた。

 これも、もしかしたら彼の存在があるからなのかもしれない。

 

 彼がいたから、園子もまだ死んでいなかった。

 

「かっきー……」

 

 また園子は呟く。

 名前を呟くたびに、その顔を思い出す。

 名前を呼ぶたびに、その声を思い出す。

 彼の仕草を、表情を、癖を、ちょっとした言い回しを思い出す。

 全ては記憶の中。思い出と呼ばれるモノだ。

 

 だが、記憶という回廊、その先にある何よりも勝る思い出は、今もなお色褪せない。

 

「かっきー」

 

 その渾名を呼ぶ度に、溜息が零れる。

 もしかしたら、彼があの窓から颯爽と入ってくるのではないか。

 そんな淡い幻想を抱く度に、動かないはずの心臓に熱がともったような、そんな気持ちになれる。

 体中に電気が奔るような、そんな気持ち。

 

 月が窓から病室を照らす。

 月光は太陽ほど眩しくなく、園子にとっては好ましく感じる光だった。

 もう何度繰り返し、その度に見た光景だろう。

 園子は思う。

 

 10回か、100回か、1000回か。

 「数え忘れちゃったな~」とまた一人で独り言を呟き、苦笑した。

 こんな生活だけれども、園子はまだ笑うことができた。

 

「………………」

 

 ふと、その月を雲が覆い、室内の月光は消え去る。

 月は見えない。

 園子の両親も園子の前では恭しく接し、昔とは随分と接し方が変わってしまった。

 話しかければ応えてくれるのに、何か機械を相手にしているような。

 

「………………」

 

 季節の変わり目は雨も多いからか、黒々と強い雲が空を覆う。

 星空も見えない。

 園子の大切な戦友たちは遠くへ行ってしまった。

 彼女一人を残して、手の届かない場所に逝ってしまった。

 もうきっと、二度と彼女たちが帰ってくることはないだろう。

 人を構成する物は何かと問われたら、きっと多くの人はこう答えるだろう

 ―――――記憶だと。

 

「………………」

 

 園子は窓際から視線を移す。

 常人には耐えられない孤独の生活。それでも彼女の心が死なず、生き長らえているのは理由がある。

 琥珀色の瞳が映すのは、目の前のオーバーベッドテーブル。

 そこにあるのは小型のノートPC、それを照らす小さな蛍光灯。

 そして、

 

「…………フフッ」

 

 それを見る度に、少女の口から思わず笑みが零れ落ちた。

 それこそが、明確に彼との絆を表しているように感じられた。

 その絆が、“乃木園子”という存在をこの世に残しているのだと、少女は漠然と思っていた。

 

 目蓋を閉じ、少女は過去に思いを耽る。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

『なぁ、園子。どうかこれを、受け取ってはくれませんか――――』

 

『――綺麗』

 

 彼が、亮之佑が渡した花。

 全ての闘いが終わった後、傷ついた少年に攫われて、一日だけの濃密な夜を過ごした。

 

 たった一夜だけの密会。

 2人きりの密会。

 彼とはもっと話したいことが多くあった。

 もっと触れ合っていたかった。

 

 運命に裂かれた、時の流れを埋めるように。

 時の流れが作った、孤独を埋めるように。

 だけど、運命はそれを許さなかった。彼にはその時間すらなかったのだから。

 

 それでも、少しだけ話をすることができた。泣いて、怒って、そして最後に……。

 密会の去り際に、彼が私にプレゼントした贈り物。

 それを見たとき。

 園子は随分と昔に、初めて彼と出会った瞬間を思い出した。

 

 彼の手から出された小さな花。

 

 “どうか俺と、お友達になってくれませんか?”

 

 そう言って。

 柔らかく、どこか意地悪そうに、不安そうに微笑む彼と、最初の友達になった。

 あれから、ずっと一緒にいた。

 いろんな時を共に過ごした。

 彼との記憶が何一つ失われなかったことに、後になって私は感謝した。

 

 懐かしい出会いを思い出す。

 きっと、いや間違いなく彼も狙ってやったのだろう。

 昔と同じ手法。気障に笑う少年。

 無事だった手から渡される物。

 

 そして、ニヤリと笑う彼は、それの花言葉を口にした。

 

『なぁ、園ちゃん―――――知っているか?』

 

『この花は、誰よりも園子にこそ相応しいと俺は思っている』

 

 思えば、あの時も綺麗な夜空だったと私は思い出した。

 

『この色は、世界でも作るのが不可能だとされていたんだ。だけど、当時の人々が努力した結果、なんと不可能だと言われた色を作り出す奇跡を起こしたんだ』

 

『―――――』

 

 その光景を覚えている。

 鮮明に。繊細に。

 濃密な時間で過ごしたひと時は、熱と共に、心が覚えている。

 少しわざとらしさを感じる、彼のちょっとした演技。

 彼の身振り手振り、その真面目な視線は全て私に向けられていた。

 

 私にだけ。

 それを理解した時、

 彼に握られた手から、私という存在が熱によって溶け出してしまいそうな、そんな気がした。

 

 彼は一呼吸おいて、こう言った。

 

『その花に与えられた言葉には、奇跡以外にも、こんな言葉がある―――――』

 

 クツクツと彼は笑い、昏くやや赤みがかった瞳を私に向けて。

 「この言葉が、誰よりもお前に相応しいよ」と、月夜の下でそう囁いた。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 目蓋を開く。

 蛍光灯は既に消した。

 今再び、月明りが部屋を照らす。

 その明かりに照らされる中、閉じたノートPCの脇に、小さなコップがあった。

 

 その小さなコップには、6本の青紫のバラが飾られていた。

 一本一本相当時間をかけて作られたのだろう。

 その造形は本物を凌駕する精巧さの造花だった。

 

 決して枯れぬ、青がかったような紫色のバラ。

 いや、紫がかったような青色のバラだろうか。

 

 見る角度によって色合いが変わる、不思議なバラの花。

 気品があふれるそれは、達人の域に達した者のみが作れる至高にして絶対なる存在を誇る。

 その花言葉は、

 

「神の祝福……」

 

 それらを見つめる。

 計6本のバラは、今日も咲き誇り続ける。どれだけの時を迎えても尚、散ることはない。

 園子はそれらに話しかける。

 

「ねぇ、かっきー」

 

「私ね、貴方と出会えたことが何よりも嬉しかった。貴方と過ごした日々が輝かしかった。もう会えないと思っていたけれど、また会えたことが嬉しかった」

 

「あんな風に情熱的に口説かれたのは、かっきーが初めてなんだよ~」

 

 少女は呟く。花からの返答を期待してはいない。花を通して彼を見た。

 病的に青白い頬に微かに朱が差す。

 彼女は確かに一人ではあったが、決して孤独ではなかった。

 少女は慈愛を持って花を慈しむ。

 誰も彼もが彼女の前から姿を消した。

 

 こんな生活をする中で、唯一残った彼を誘拐しようなんて、馬鹿な事を思ったりもした。

 だが、それは彼にとっても、私にとっても駄目だ。

 彼はまだソレを知らない。

 それが彼との約束だ。

 

「………………」

 

 苦しいと思わない訳がない。

 

 悲しいと思わない訳がない。

 

 寂しいと思わない訳がない。

 

 逢いたいと思わない訳がない。

 

 そうであっても、少女は待ち続ける。

 彼との約束。

 少女からは少年には会いには行かないこと。

 それに当たって、少女は少年とある賭けをした。

 運命が彼を導くのが先か、それとも時間が彼を導くかは分からない。

 それでも、

 

 

「かっきー。私は、待っているから……」

 

 

 この虚構で優しい世界で、一人の少年が乃木園子を見つける日を。

 少女は一人、白い牢獄で待ち続ける。

 

 

 




前作のリクエスト要素付き幕間でした。
今話を持って前作品が終了しました。
以降より、『変わらぬ空で、貴方に愛を』の真のスタートです。

これからもどうぞお楽しみください


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第二十四話 乃木園子を探して」

 黄昏の光が眩しく目を細める。

 だが、そんなものが気にならないほど思考が凍りついた。

 彼女が言った言葉に対して一瞬の葛藤の末、俺はいつも通りに友奈に話しかけた。

 

「――どうして、友奈が園子のことを……?」

 

「前に、私が亮ちゃんを起こしに行ったことがあったでしょ。

 その時に寝言で言っていたのと、今日の放送の時になんとなく……かな」

 

「―――――」

 

 なんだそれはと思い絶句する。

 いつだったか、珍しく俺が寝坊をした時に起こしに来たことが一度だけあったことを思い出した。

 合鍵を渡したこともあり、勝手に家に入ってきた友奈。

 俺は聞いていないが、キチンとお邪魔しますとは言ったらしい。

 

 加賀家にいるのは基本的に俺一人。朝に誰かに起こされるのはビックリ現象だと言っていい。

 特に人のベッドに上がり込み、四つん這いで布団ごと人に抱き着いて「朝だよ、起きてー」と耳元で囁かれるなんて思わなかった。「亮ちゃんの起こし方の1つだよ!」と笑顔で言われると何も言い返せなかった。

 

 そんな風に友奈が俺の部屋に入ってくる際に、よく部屋のモノとかの質問を受けたりする。

 特に意味とかはなく、「アレ前からあったっけ?」とか、そんな感じのたわいないものだ。

 以前からサンチョについて聞いてくることも多いので、俺としてはうまく躱していたつもりだった。

 園子については、話したことは無かったのだが……。

 寝言ならしょうがないと納得する。きっと今まで気になっていたが聞けず、今日に至ったのか。

 

「ああ――――、園子はね」

 

 立ち止まろうとしかけた足を無理やり動かす。

 動揺する顔は、微笑で固定する。

 視線はひたすらに前に向ける。

 

 赤い瞳に見られると、なぜか酷く動揺しそうになる。

 だが、

 

「俺の、大切な親友だよ」

 

 そう言った。言い切った。俺の、加賀亮之佑にとって、初めて出来た大切な友人。

 宗一朗に別れさせられて以来、一度も会えていない彼女を思い出す。

 いや……正確には11ヶ月前に会ったっけと自嘲する。

 

「――そっか」

 

「ああ、ただ今は会っていないけどね」

 

「えっ、どうして?」

 

「――家の都合上、ちょっと遠くに行ってしまって会えなくなったんだ」

 

 彼女の言葉が甘い息と共に耳朶に響きこそばゆい。

 友奈の質問に対して俺は適当に濁し、嘘を吐くという最低の行為で対応する。

 加賀亮之佑にとってはそれだけ。

 あの稲穂を連想させる金色の光景は、今も覚えている。

 そして、最近見た光景も。

 意識して息を吸い込むとやけに冷たい空気が肺に潜り込むのを感じた。

 膨らんだ肺を、言葉を紡ぐと同時に収縮させる。

 

「そう、なんだ……」

 

「勿論、友奈も、東郷さんも、俺にとっては大切な人だよ」

 

「……えへへ、ありがとう」

 

「――うん」

 

 至近距離で交わされる彼女との会話を煙に巻く。

 こういう言い方をすれば、友奈はこれ以上の詮索をしようとしない。

 誰よりも空気を読む彼女は不和を生む空気を嫌う。

 そういうものであることが、それなりに長い彼女との付き合いで分かっていた。

 分かりながら、これ以上の詮索をさせようとしないように言葉を選ぶ自分が嫌で堪らなかった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 夜。

 

「―――――」

 

 自室に俺はいた。

 友奈は夕ご飯を食べた後、少し前に帰った。

 いつも通り美味しいと言って、花が咲いたような笑顔を見せてくれる。

 その笑顔が俺は好きだと言うのに、なぜか心はひどく乾いたままだった。

 

「――園子」

 

 己の臀部の下に感じる柔らかい感触。

 寝台は主の体重の重さに則り、俺が動くたびに薄い空色のシーツに皺を寄せる。

 手をスイッチに伸ばし電気を消す。

 身を寝台に横たえる。

 

「大切な親友か……」

 

 分かっている。

 その大切な親友と別れて、もう2年が経過した。

 それから、偶然に一度だけ。

 たった一度の奇跡に出会えた。

 

 それだけだった。

 あれから時間も経過した。

 傷も癒え、探そうと思ったことだってある。

 だが、どうやって見つければいい。

 

 インターネットで探すことを考えたが、ネットも大赦の監視・規制の網がある。

 検索ワードすら監視されているという噂もあったが流石に噂であって欲しい。

 噂は噂ではあるが、下手に『乃木』の二文字を出すことはできない。

 それだけ大赦にとって『乃木家』が重要な位置にあるのはよく知っている。

 

「―――――」

 

 仮に、だ。

 俺が香川にある病院を一つ一つ探して回るとする。

 乃木家の人間だ。ある程度大きな病院にいることも踏まえて絞る事まではできるだろう。

 問題は時間経過で既に退院しているのか、していないのかすら情報が足りない。

 大赦による情報規制が掛けられているのは間違いないだろう。

 

『私が深淵を覗くとき、深淵もまた私を覗き込んでいるのだ』

 

 その言葉を思い浮かべる。

 加賀亮之佑が動くということはそういうこと。この引っ越しが無駄になる。

 最悪、暗殺という可能性だってある。

 

 実は、一度だけ普通に園子のことを探そうとしたことがある。

 それが大赦側にもバレて、約2ヶ月ほど監視されることになった。宗一朗からも苦言を貰った。

 それで分かった。どうしてもあちら側は、俺を園子に会わせる気がないらしい。

 つまり、誰にも頼れない。

 

「―――――」

 

 思わずため息が出る。焦って動いたことが完全に裏目に出た。次は覚悟しないといけない。

 探すなら病院か乃木家だ。

 手がかりがあるとすれば、乃木家に行けば情報も得られるかもしれない。

 だが接触は禁じられている。加賀亮之佑の顔が覚えられているのはどこも同じだろう。

 宗一朗との約束が解禁されるまで、まだ約半年以上ある。

 思考が入り混じる。何も恐れないで動けばいいが、それは良心の呵責が煩い。

 その一線を越える時、それは破滅に向かう道となるだろう。

 

「手詰まりだ……」

 

 だからこそこの半年、俺はあるスキルをひたすら磨いてきた。

 それは、芸達者であったこれまでの俺と、今後奇術師を名乗るにあたる明確なる境界であった。

 プライドというか誇りというか、いつの間にかそんな自尊心が芽生えていた。

 それも仕方がないと自分に言い訳をする。

 ソレを完全に成し遂げて初めて、俺自身が名乗ることの出来る『称号』であるのだと考えていた。

 

 故にソレが出来るまでは他人からそう呼ばれても、自分からは名乗らなかった。

 かつて読んだ『狼泥棒』の話。

 主人公の狼怪盗の十八番芸にして、最大難易度の技術であり俺も習得に一番時間をかけた術。

 

 だが、俺を鍛えるための時間は止まる訳ではない。

 こうしている今も、時間ばかりが過ぎていく。

 時間が経過する毎に距離が遠のくのを感じた。

 

「一体さ、俺はどうしたらいいんだ……」

 

 悩み呟く声は闇夜に吸い込まれ、指輪の鼓動が蒼く彩色を僅かに放った。

 

 

 

 ---

 

 

 

 草木が生い茂る草原は、いつの間にかその領土を拡大し、随分遠くまで広がりを見せている。

 

 冷風が俺の髪と草を揺らし、季節外れの桜の木を過ぎ行き、星空と黄金の月が昇る昏き空を駆け抜ける。見えないそれになんとなく前髪を触り、俺はそっと目を細めた。

 目の前の道は一本道で、それは明瞭にどこへ繋がるかを指し示す。

 視線を向けると、立派に咲き誇る枯れることなき桜の木の下に彼女はいた。

 

「―――――」

 

 そちらに牛歩で向かう。

 最初に目に付いたのは白く清潔さを感じるテーブルと一対の白い木の椅子。

 テーブルには小型のランプが置かれ、辺りを棟色の光が柔らかく照らす。

 桜木に背を向ける形でその少女は座っていた。

 愛用のコーヒーでも飲んでいるのか、白いティーカップを傾け優雅に飲んでいる。

 

 白いテーブルを挟み対面に座り足を組むのは、髪と服装を全て黒で彩色し、昏く赤い瞳と赤い手袋が特徴的な少女――――――いや、少女と呼ぶのは相応しくないのかもしれない。

 

「なんたって、300年は生きているご先祖様だもんな……」

 

「―――年頃の少女にそれはないんじゃないかな。ボクの場合は享年15歳だから、見た目の肌年齢も若く恒久的な美貌を兼ね備えている。他の女性がどれだけ足掻いても得られない永遠の若さを兼ね備えているのだが」

 

「見た目通りに、お前って早死にだったのね。だがそんな重い事実が明らかになっても、追加分の年齢が加味されるから関係ない」

 

「それってキミの言う年上属性ってやつかい?」

 

 何を言っているのかよく分からないが、つまり年増ってことさ。

 思わず鼻で笑いそうになるのを堪えるが、ジッとこちらを見る赤き双眸はやや細まる。

 

「女性に対する思考としては、監獄に捕らわれても文句は言えないと思うよ」

 

「確か、因子が定着したことで俺の思考は読めないとかじゃなかったっけ……?」

 

「キミの顔に書いてあるのさ」

 

 そう言って、冗談かどうか分かりにくい事を言う少女―――――初代はクツクツと笑った。

 笑いながら、彼女は俺に着席を勧めてくる。

 初代は、見下ろされるのが嫌いだと言う。だから自分と同じ目線で語る人間か、自分より下から語る者でなければ話をする気はなくこの世界からも叩き消されるらしい。

 無言で白い椅子に腰を掛けようとすると、

 

「……む?」

 

「どうしたんだい?」

 

「いや、ここまで来るのに随分と時間が掛かったような気がして」

 

「――そうだったかい?」

 

「いや、なんとなくそう思ったんだ……」

 

 自分でもどうしてそう思ったか分からない。

 唐突な思いを思考から弾き出し、そう言いながら俺は白い椅子に腰を掛ける。

 月が青白い光を、白い机の上で仄かな光を放つ提燈のみがこの世界の明かりだ。

 それに映しだされる彼女は黒い衣に映える白い肌を見せる。

 

「そんなに情欲の瞳を向けられても困るのだけども……」

 

「そういう視線じゃないから」

 

 なぜか恥ずかしそうに体を揺らす初代に俺は苦笑する。

 そっと差し出されるカップを覗き込む。

 琥珀色の液体は、月夜を浴びて銀の波面を揺らしている。

 

「コーヒーはどうしたんだ?」

 

「飲みたかったのかい?」

 

「そういう訳じゃないけども、珍しいこともあるなって」

 

「まぁ……なんだい、たまにはいいじゃないか」

 

「いや―――お前には前科があるのを忘れたのか」

 

 そう言って、優雅にカップを傾ける初代。

 胡散臭いなと思いつつ、匂いを嗅ぐ。

 特に異臭も感じられずおそるおそる飲むと、いつか飲んだドロリとした液体が喉を焼く。

 

「……何かいいことでもあったのか?」

 

「個人的にちょっとだけ良いことがね」

 

「良いことね……なんだよ?」

 

「乙女の秘密さ」

 

「乙女の概念というのは、俺の知らない内に意味が変わったのか?」

 

「辛辣だね……。多分キミだけだよ、ボクにそんな態度を取れる人間というのは」

 

「そうか?」

 

 じっと目の前の少女を見つめる。

 自称“『最も恐れられた勇者』

 友奈や東郷、園子に負けず劣らずの既に死んだ美少女。

 名前が分からず、目的も分からないこの世界の王。

 後継者である俺を半身と呼ぶ、得体の知れない存在。聞いても決して教えてくれない。

 そんな彼女に力を借りるのもどうかと思うが、そこまで嫌悪感を感じはしない。

 だが彼女を見る時、決まって俺の瞳を覗き込み赤い瞳を歪ませ、彼女は嗤うのだ。

 クツクツと、何もかも分かっているという笑みを浮かべる。

 

「あぁ、俺やっぱりお前のこと嫌いだよ」

 

「――――そうかい。ボクは独善的なキミのような人、なかなかに面白いと思うよ」

 

 この一連の会話は、俺たちの間ではよく使う。

 彼女には俺の挑発も皮肉も一切通用しない。

 一種の侮辱にもとれる暴言。彼女はソレに怒りを覚えない。

 このやりとりすら愛おしいというように柔らかく微笑みを浮かべる。

 初代はそっとカップを皿に置き、唇を和らげる。

 

「キミのような不遜な人間は、ボクにとっては好ましいよ――――半身」

 

 

 

 ---

 

 

 

 本題に入る。

 

「あれからそろそろ1年になる。こちらの準備自体は終わったが……」

 

「ボクもアレには驚いたよ。創作の中だけだと思っていたのに、現実でソレを成し遂げるなんて思いもしなかったよ。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったのものだ」

 

「褒められても何も出ないぞ。アレ自体はある種のコツを掴めばできるようになるさ」

 

「いや、そうそういないと思うよ。ボクもアレを見たのは初めてだ。素直に感心したよ」

 

「………………」

 

 純粋な賞賛というのは、俺にとっては好ましく思うが同時に恥ずかしく思う。

 ゴホンと空咳をして、話題を変える。

 

「実際問題、これで園子を見つけるための用意は出来た。あとはどこにいるかだが」

 

「キミの母校でもある神樹館小学校は調べたはずだよね?」

 

「ああ。あの事件以降、鷲尾須美という少女と園子は出席どころか一度も来なかったらしい。

 御役目ということらしいが……他に宗一朗からは確か……」

 

「御役目については話すことは出来ないの一点張りだったね」

 

 そう、宗一朗とは何度か連絡を取っている。

 その為の携帯端末でもあったのだから、本来の役割を果たしていると言っていい。

 たまに電話するのだが、園子の事に関しては否定的な言動が多い。

 手紙を送るという意見をかつてしたことがあったが、断られた。

 ボイスレコーダーならと食い下がったが、そういう問題じゃないという。

 

「―――――まいったね」

 

 大人の手を借りることはできない。むしろ俺と敵対していると言っていい。

 これに関しては自分一人で行動するしかないのだ。

 だが基本的に情報は足りない。どうやっても園子には届かない。

 

「………………」

 

 事件後、友奈の介護もあって俺の肉体自体は回復した。

 その後東郷美森との出会いや、中学校生活への適応に時間を取られたのは否めない。

 そもそも、俺自身は宗一朗との約束自体を無碍にする気は無かった。

 時間が経過すれば、必ずまた園子に会えるという男の約束を信じた。

 その上で、それでも尚俺が奇術の腕を磨き続けていたのは何故なのか。

 

「――大切な人に逢いたいと思うのは、当然の事だ」

 

 思考の海に再び囚われる俺の意識を引き上げたのは、初代だった。

 勇者として一度変身した後、こうして指輪の世界とたびたびコンタクトを取ることに成功した。

 本人曰く、それでもまだ不完全で仮の状態でしかないらしい。

 

「……?」

 

「たとえ、その人を泣かせると分かっていても、大切な人だけは守りきると誓った人がいた」

 

 唐突に初代は俺に語り出す。赤い瞳は静かにカップへと向けられる。

 そっと一口液体を飲み、艶やかな唇が開く。

 

「その人は本当に大切な物以外は、全てを切り捨てた。

 その代わりに、何があろうともソレだけを必ず守りきろうとした」

 

「……そいつはどうなったんだ?」

 

 なぜこの局面でそんな話をするのか俺には分からなかったが、ひとまず相槌を打つ。

 俺が不可解な目で自分を見ていることが分かったのだろう。僅かに彼女は苦笑する。

 

「死んだよ。大切な存在が勝手に遠くに行ってしまってね。

 守りたいものを無くしたその人は後悔の果てに朽ち果てたという……キミと似ているね」

 

「――どこがだよ」

 

「結局キミは後悔しそうになっているじゃないか。無駄に終わるんじゃないか、行動が徒労に終わるんじゃないか。情報が足りないと諦めて、中途半端に思いを寄せ、研鑽を怠らないくせに、当人のことを考えているようで考えていない。実に独善的で自己中心的――――まさにキミのようだね」

 

「―――――」

 

 非常に苛立つ感情が俺の中で渦巻く。

 そんな訳がない。俺は園子のことを忘れたことなんてない。ふざけるな。

 そう言おうと口を開くが、言葉は出ない。

 心の奥で俺は認めそうになっているのだ。俺は園子を見捨てようとしているんじゃないのか。

 この安寧の日々の中で、会えるかどうかすら分からない約束をただ待つだけで、行動はしない。

 

 会うための手段に力を入れる。努力をしているというポーズを取っているだけではないかと。

 待っていればいつか会えると信じて。

 その真偽すら確定的ではないというのに。

 

「そんな捨てられた子犬のような目をされても困るのだけどね……」

 

「―――――」

 

 言葉を紡げない俺を蔑むように、いっそ憐れむような眼を初代は向け、片手で頬杖をつく。

 そして、

 

「いいんじゃないかな……」

 

「……え?」

 

「キミに選択権がある。選ぶのはキミだ。その責任も結果もキミのものになる。今までを準備期間にして、これまで一人で気楽に生きてきたことを辛く思っているのなら探してみるのもいい。

 “後悔はしない”というのがキミの理念なんだろう? 誰にもバレずに探すための準備も完了した。

 あとはキミ次第だ。自力で彼女を探し出すか、諦めて運命に身を任せるか、だ」

 

「――そうだな」

 

 そっとカップを傾ける。

 ドロリとした液体はいつかの線香花火のように舌の上でパチパチと踊りたて、鈍い感情と共に流れていく。

 

「キミはただ待つだけの家畜かい? それとも運命にみっともなく逆らう奴隷かい?」

 

 蔑むように、信じるように小首を傾げて赤い瞳は質問を投げかけてくる。

 宗一朗との酒を交わしたあの夜。

 無力に打ちひしがれ、ただ震えて苦い思いをした家畜になり処刑を待つ気分。

 あんな惨めな思いはもうしたくはない。

 

「違う……」

 

 それよりも、もっと前。

 あの日。加賀亮之佑が生まれた日を思い出す。黄金の月。無限に瞬く星空。

 あの美しさに照らされ、俺は何を誓った? 

 

「俺は、後悔だけはしない」

 

 そうだ。

 例えこの行為が無駄になっても、園子が見つからなくても、行動しなくては結果は出ない。

 大切だと思うなら、探して見ればいい。

 そんな当たり前のこと、言われずとも分かっている。たとえ誰からの手助けもなくても。

 それだけの事をなぜ悩んでいたのだろうか。

 

「俺は……人間だ。奴隷でも家畜でもない」

 

「ではどうするんだい? 実際に香川の病院に絞っても総合病院は13はある。

 キミが乃木園子を見つける前に、大赦がキミを見つけるか怪しまれたら現状は一気に不利。

 二度目は無いだろう。そうなれば宗一朗も困り、キミも終わるだろうね」

 

「……そのためにみっちり鍛えた。お前の太鼓判付きだ。何者でも見破ることは出来やしないさ」

 

「高く買ってもらうのは恐縮だが、アレが実際に通用するかは未知数だ」

 

 この女は俺を貶したり背中を押したりどっちなんだろうか。

 知恵は貸してくれる。300年この世界で生きた(?)勇者である事と、その年月で蓄えられた情報量はこの世界で敵うモノはいないだろう。

 

「勘違いしないでもらえると嬉しいが、決断はキミの物だ。選びそして得る結果も全てキミの物。そしてボクはキミがやる気なら知恵を貸してあげるだけさ、半身」

 

 だが、どうしても疑問は残る。

 

「なあ、どうしてお前は俺に力を貸してくれるんだ?」

 

 そう聞くと、初代はパチクリと大きく目を見開き仄かに微笑した。

 こういったごく稀に見せる見た目相応の行為は、その美貌も相まってたまに見惚れてしまう。

 

「たまには外の世界の情報も欲しいのさ……だけどその媒体も指輪といったものだからね。そういった情報を与えてくれるキミへのちょっとした餞別さ。それにこの程度、ボクの力というほどのものでもないしね。世間話のようなものさ。そして何よりキミは特別さ」

 

 他の者ならこうはいかないよ。

 クツクツと余裕の笑みを浮かべ笑う彼女は、俺にホワイトクッキーが入った皿を差し出す。

 正直言って目の前の女がそんな物のために俺に協力するとは思えない。絶対に何かがある。

 初代の言動を嘘臭いと思いながら、目の前に出されたクッキーの山に視線を向ける。

 

「また体毛入りだろう?」

 

「いつかのは冗談さ……こんな美少女の体毛を食べられるなんてキミなら感激だろうに」

 

「友奈あたりならいつでもムシャムシャしてやりたいとこだが、お前は勘弁だ」

 

「それは残念」

 

 適当な軽口を叩く。

 あまり残念そうな顔をしてなく、肩を揺らしクツクツと笑う初代。

 そんな彼女を尻目に一枚だけクッキーを食べる。彼女曰く、因子クッキーというらしい。

 相変わらずサクサクとしながら中の謎の液体で体が温まるのを感じる。

 ブランデーだろうか。あまり考えないでおこう。

 

「ごちそうさま……」

 

「お粗末さま」

 

 頭上の桜は変わらず咲き誇り続け、月夜の青銀の光もランプの燈の光も変わる気配はない。

 それでもなんとなく、俺は今日の夜会が終わりに近づくのを感じた。

 その直感は正解で、

 

「それでは、今宵の夜会もお開きだ」

 

 と椅子から立ち上がり赤い瞳がジッと俺を覗き込む。

 

「なんだよ?」

 

「――いや、それじゃあ頑張ってくれ」

 

 そう言って、俺を見てニヤリと笑ってパチンと指を鳴らすと同時に意識が肉体へ戻るのを感じる。

 最後にボソッと初代が何かを言ったが、よく聞こえなかった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 麻丸総合病院は、土曜日であるからか賑わいを見せる、最寄り駅から15分の場所に位置する。

 香川の中でも一際大きな病院の一つだ。

 比較的軽傷を負った者や、風邪を引いたのかマスクをして受付に向かう女性。

 入院患者だろうか、病院特有の……名前を忘れたあの服を着ている男が購買をうろついている。

 

「………………」

 

 そして。

 当然、多くの入院患者がいるであろうと思われる病棟に、その少女は無言で向かっていた。

 赤い髪をまとめ、黒いキャップ帽を被る。

 伊達メガネを装着し、患者の中を「お見舞いに来たんです」という素知らぬ顔で歩く。

 やがて目的の場所に辿り着く。

 

「……ここもはずれか」

 

 舌打ちを心の中でする少女。ネームプレートを確認するがハズレだった。

 これでこの病院も隅々まで探索を終えたことを赤髪の少女は落胆と共に理解した。

 念のためにドアを少し開け中を確認するが、やはり別人だった。

 通常の病棟ではないとすると隔離病棟の可能性も考えなければならないが、

 幸いこの病院にはないため、少女の更なる無茶の可能性は減少する。

 

「これであと3つか……」

 

 思えばなかなかに苦労したと少女は思う。あれから地道な努力を重ね、効率的に病院の情報を得るために頑張った。持ちうるすべての知識と力。時折噂話やネットすら活用した。それらを用いても随分と時間がかかった。

 

「ついに今年も4月か……」

 

 鈴音の声が独り言を呟く。

 少女は土曜日と日曜日は、空いている時間をある人の捜索に費やした。

 明らかに情報統制されている場所と時間に関しては、神経と労力を削ったのを覚えている。

 この数ヶ月いろんな場所を訪れた。

 その過程で新しい人脈や面白い情報を得ることも出来たが、探し人は見つからなかった。

 

「………………」

 

 ふと少女は右手のガーベラの花束を見つめる。

 デコイとして持ってきたが、今日は使うこともないだろうと肩を落とすが、

 

「あの……」

 

「―――!」

 

 背後から声を掛けられ、振り向くとピンクのナース服を着た女性がこちらに話しかけてきた。

 親切にも笑顔で女が少女に話しかける。少々怪しまれたかと少女は訝しんだ。

 

「どうされましたか……?」

 

「実は人を探していまして。一度助けられてお礼をと思ったのですが、どうやら部屋を間違えてしまいまして」

 

 少女は微笑む。

 にっこりと悲しそうに微笑む。対処に慣れ、使いまわしたこの言葉に大抵の看護師は面倒臭がって去るのだが、親切そうでお節介なその看護師は心配そうに話しかけてくる。おそらく新人なのだろう。なかなかに厄介な存在だと少女は苦笑した。

 

「一応、お名前をお聞かせ願いますか?」

 

「……」

 

 当たり前だが、本名を用いることはリスクを負うことなど少女は百も承知だ。

 どこから情報が大赦に通じているか分からない。

 だからこそ、少女は設定については全力で力を注いだ。

 たまにスリルも味わいたいと考え、設定に遊びを加えることもある。

 例えば、少女が暇つぶしに読む小説の登場人物の名前を使ったりとかだ。

 

「柿原苑といいます」

 

 そう言って、少女は看護師にガーベラの花束を渡す。

 「もういらなくなったので」と、そう言って渡された花に看護師が気を取られた隙に移動する。

 そうしてその場から離れてため息を吐く。

 この病院も変な噂が立たないうちに撤収だな、と少女は思った。

 

 人目につかないように病院を離れて、ゆっくりと駅へ向かう。

 ここ最近の休日はこんな感じだ。

 ふと近くのショーウインドウに目を向けると、赤毛の少女が映り込む。

 それをジッと見て少女は呟いた。

 

「私って完璧を求める演技派だからね……。ある意味コレも萌えなのかも……」

 

 そう言ってガラスに映る自身の姿にウインクする。

 黒いキャップを被った赤い髪。

 無邪気さよりかは悪戯っ子を思わせる赤い瞳。

 後ろ髪を白い紐で束ね、伊達メガネを装備する。

 青いショートパンツからは黒いタイツが脚を覆う。

 まだ3月なのでやや黒めのコートを羽織るのは少女の趣味だ。

 ショーウインドウにニコッと微笑む姿は、誰が見ても微笑ましいと感じるだろう。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 その可愛らしい口から発せられるのは、とある少女の声だ。

 少女はこの状態をこう評価する。

 天然さはやや足りないが、そこはあざとさたっぷりで補充する。

 そして元になった少女とは違い、とんでもなくエロいことをしてくれる。

 故に無敵であると少女は自負する。

 

「TS物というよりネカマかな? なんにせよ最高だね……えへへ」

 

 そう言いながらずれていた赤いマフラーを直す姿は、呟く言葉はともかく、

 容姿や声など、誰がどう見ても知っている人ならきっとこう評価するだろう。

 彼女は結城友奈のそっくりさんか、本人だろうと。

 

「今度は東郷さんあたりになるのもいいかもね!」

 

 一番きつかったのは喉の使い分けだが、結局はコツだと少女は思う。

 コレが出来るようになって初めてこれで少女は……いや、俺は遠慮なく『奇術師』を名乗ることができる。ロマンであり、夢を現実にする。実際に可能となった時、正直興奮した。

 

「あと少し……待っててね、園ちゃん」

 

 せっかく違う町に来たのだから、お土産に何か買っていこうかと考えながら歩き出す。

 そうして可憐な少女は、人混みに姿を消した。

 

 

 




芸達者⇒奇術師(変装・変声のスペシャリスト)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第二十五話 勇者部のとある日常」

 神世紀300年3月の春休みに入る前のこと。

 未だ少し肌寒いと感じる時がある、とある日のこと。

 

 その日、俺たちは……というより今回、俺と友奈は部活の依頼として子猫の捜索をしていた。

 

「ネコさーーん」

 

 両手をメガホン状にして呼びかける友奈。

 それで出てきたら苦労しないと思うぞ。そんな単純な子はお前ぐらいだよ。

 そんな事を思いながら俺は猫の写真を今一度見る。

 東郷からコピーを貰った写真には、三毛猫が写っている。

 オーソドックスというか、こげ茶、茶、白色が混ざった日本の三毛猫だ。

 

「そういえば、亮ちゃんと2人っきりってのは久しぶりかもね」

 

「そうか? よく家に来ているじゃないか」

 

「うん。でも、学校がお休みの日とかは家の都合で会えないのが残念だったなって」

 

「…………」

 

 えへへ、とこちらを見てやや寂しそうに笑う友奈。

 そうなのだ。時間のリソースを考慮して俺は病院を虱潰しに探してきた。

 大赦の監視を潜り抜け、宗一朗の疑いを躱し、神経を磨り減らす。

 友奈や東郷、風には嘘をついて土曜日の部活はしばらく免除してもらっている。

 結構ブラックなこの部活だが、それなりに楽しい。

 楽しいが、個人的なことで巻き込む訳にはいかない。

 

「もうすぐ家の用事も終わるから……そのときはまた一緒に部活しような」

 

「うん!」

 

 そろそろ誤魔化しも効かなくなってきた。

 俺が友奈のことを知るように、友奈もまた俺という人間を知っている。

 だから、誰よりも綿密な追及を躱すのは骨だ。

 もしかしたら気付かないふりをしているかもと俺は思いつつも、本日もほんのりと話をずらす。

 

「友奈」

 

「なに……?」

 

「実は簡単に猫を呼ぶ方法があるんだ」

 

「本当!?」

 

 写真から目を離し、友奈を呼ぶ。

 俺がそれを告げるとキラキラとした目を向ける彼女。眩しいと思いつつ口を開く。

 

「自分が猫になった気分で、動いてみるんだ」

 

「……亮ちゃん?」

 

 そんなジト目で見るんじゃない。

 言っておくが、ネコ畜生のために労力を割くのが面倒になったとか、飽きたとか、

 近くの公園の自販機でコーヒーでも買って休みたいとかではない。

 戸惑いを瞳に宿し、こちらを見上げる友奈に俺は真面目な顔(を作って)で告げる。

 

「ネコだけじゃない。その人の気持ちになって考えればその人の思考をトレースできるように、己がネコになったつもりで、友奈も今ネコがどこにいるかを直感で導くんだ」

 

「ど、どういうこと?」

 

「いいか、友奈。今からお前は猫だ。返事はにゃーだ」

 

「分かった……にゃー。うーん、ならたぶんこっちか……にゃ?」

 

 正直なかなかに適当なことを、それっぽくした言い回しで語ったと思う。

 流石に彼女も半信半疑だが、語尾に「にゃー」をつける辺りいい子だな。

 もう一度言うが、友奈を揶揄っているつもりはない。

 ちょっとネコ探しに飽きただけだ。

 そんな今の俺の目には、友奈に尻尾と耳が生えているように感じる。

 

「じゃあ、ネコは今どっちにいるか直感で教えて? ゆうにゃ」

 

「わかったにゃ!」

 

 ノリの良い子、ゆうにゃは、

 俺の手を引いて己の直感に従い、ネコを探し始めた。

 

「迷子の迷子の子ネコちゃーん、どこー?」

 

 

 

 ---

 

 

 

 ……本当にいたよ。

 思わず口が半開きになってしまい、そっと閉じる。

 俺が見上げる木の上で丸まっているネコは、俺の持つ写真と同一の三毛猫だった。

 見るとこちらを見下ろすネコは咽喉を鳴らす低い音を出している。

 

「にゃー」

 

 その声と悠々とこちらを見下ろす不敵な態度は助けてというものか、来られるものなら来なさいというものか。判断に迷うなと俺はしょうもない事を考えていた。

 実は約3分前のこと、揶揄うのを止めてそろそろ真面目に探そうと友奈に声を掛けようとしたら、

 近くの公園の隅っこの木の枝にネコがいたのを友奈が発見した。

 

「亮ちゃん! 私やったよ!」

 

「……凄いな、友奈は。俺にできないことを平然とやることに尊敬の念が止まらないよ」

 

「えへへ、ありがとう」

 

「最後にもう一回にゃーって言ってみて」

 

「……なんか恥ずかしいからやだ」

 

「……」

 

「えへへ」

 

 軽口を止めて、二人して木の上を見上げる。

 本来なら木登りの要領で登ってしまえばいいのだが、問題がある。

 高い位置と枝の細さから、あのネコが絶妙に危うい体重加減であの場所にいるのが見て取れた。

 

「あのネコ、亮ちゃんみたいだね」

 

「どういう意味かな?」

 

「よーし! ネコちゃん、待っててね。私はネコちゃんを助ける!」

 

 無言で見上げる俺とは対照的に、さらっと俺の質問を無視する少女。

 そしていつも明るく活発な友奈は、目の前の対象を助けようと木によじ登り始める。

 木登り少女を流石だなと俺は見ながら、これ以上行くと色々と危険があるために友奈の木登りを直ぐに止めさせる。

 

「待て、ストップだ」

 

「ふわっ!」

 

 本格的に登る前に彼女のくびれ始めた腰を掴んで引っ張る。

 もう少し上に行ってからこれをやると危ないが、まだ地上から30センチ程度だからセーフだ。

 くすぐられた友奈の力が抜けこちらに倒れこんだ所を、しっかりと抱きかかえる。

 俺に体全体で抱えられた友奈は無言で俺を見上げた。

 

「亮ちゃん……ちょっと危ないよ」

 

「それはゴメン。だけどね友奈、登る前にいくつか問題があるんだ」

 

「問題?」

 

 見下ろす昏い瞳と、それを見上げる赤い瞳。

 背丈は似たり寄ったりなので自然と至近距離になる。

 背中から抱き着かれた状態だが、特に気にせずこちらに首を傾けてくる少女。

 赤い髪からフワッと何かいい匂いが俺の鼻腔をくすぐるが、彼女が説明を求めてくるので口を開きつつ右手でネコのいる枝を指し示し、赤い視線を誘導をする。

 

「まず、あのネコのいる枝は俺たちが到着しても足を乗せる程度で折れるような脆さなのが見て取れる。友奈が仮にあそこまで行ってもネコに手が届く前に枝が折れて二人とも落ちてしまうだろう」

 

「……そんなことやってみないと」

 

「分からないって? 確かにそうだ。なせば大抵なんとかなるってのは五箇条の一つだけど、それは明確なリスクを度外視すればいいって訳じゃない。ネコのために頑張るのはいいけど、それで怪我したら元も子もないだろ」

 

「うっ」

 

「東郷さんも悲しむだろうな……『友奈ちゃん怪我したの!? 大変! 病院に行かないと……』って」

 

「今の声、凄く東郷さんだった」

 

「茶化さないの……。とにかく女の子なんだから危ないのは止めなさい。それと……」

 

 それに、大切だと思う人に怪我をしてほしくないのは当然のことだろうと思う。

 しばし無言になって考える俺を、怪訝な目で続きを問う友奈になんて言うかを考える。

 

「それと―――?」

 

 友奈が聞いてくるので、赤い瞳に映る疑問にニヤッと笑って答える。

 

「今制服だし、木を登れば他の人にも見えるだろ」

 

「――――!」

 

 あえて主語を入れずに指摘すると、光の速さでスカートの裾を押さえ、頬に朱が差す。

 別に俺が見る分には構わない。いつも見ている。

 だがここは外だ。他にも人の目が無いわけではない。制服で登らせる訳にはいかないのだ。

 脳内東郷さんも、よくやったと讃えてくれる。

 

「亮ちゃんは本当に……もう!」

 

「いや、今のはむしろ紳士的だと思うけど」

 

 むくれる友奈を宥める。

 無言でワンピースタイプの制服越しに彼女の温度を感じながら、彼女の機嫌を直すように告げる。

 

「だから、安全にネコを救出する方法を考えた」

 

「……どんな?」

 

「まず石を投げて……」

 

「だめ」

 

「なら、木をだね」

 

「だーめ」

 

「………………」

 

 合いの手を打つように友奈に速攻で否定されたので、別の案を模索する。

 木を揺らして落とすのも却下にされた。動物を何だと思っているのと聞かれそうだ。

 その時は「人の気を引くだけの愛玩畜生」と答えるつもりだったが、怒られかねない。

 未だ肌寒いので友奈を抱きかかえつつ、向けた視線でネコと地面の距離を測り手段を模索する。

 

 ……ちなみに俺が登ればいいと言う選択なのだが。

 あいにく俺は壁を登るのは得意だが、何故か木登りというモノが致命的にできない。植物にでも嫌われているのだろうか。

 加えて虫が苦手だ。そこら辺は今抱きかかえている少女も理解している。

 

「ねぇ亮ちゃん! 私凄い簡単な方法を考えたんだけど―――!」

 

 唐突にパアッと明るく何かを閃いた顔をした友奈が俺の腕を叩き話しかけてきた。

 無言で目を向けると、赤い瞳と目が合う。

 何か名案を思い付いたのだろうか。期待に胸を膨らませて聞いてみる。

 

「それはね」

 

「うん」

 

 勿体ぶるように、キラキラと目を輝かせて友奈は告げる。

 

「肩車だよ!」

 

「……採用」

 

「やったー!」

 

 確かにそれなら高さや諸々の問題が片付くではないか。

 パンツは見えない。誰にも、俺にも。それさえ良ければ触れ合って良いらしい。

 

 

 

 ---

 

 

 

「それで、肩車をして子猫のところに届きそうになったら、子猫は自力で着地して逃げた……と」

 

「いやー、まさか自力で降りられるとは。あの畜……ネコを捕まえるのが面倒臭かったよ」

 

「もう疲れたよ……」

 

 放課後の部室に俺たちは戻ってきた。

 あれから迷子の子ネコを捕獲した俺たちは、案外早く終わったこともあり、部室に戻ってきていた。部室に戻ると東郷がいた。

 本日の東郷さんは将棋部に借り出されていたのだが、先に戻っていてパソコンで何かを操作していた。

 

 俺は依頼の結果を東郷に報告しつつ、お茶を淹れてくれる彼女を尻目に肩を揉んでいた。

 

「亮ちゃん、大丈夫? 私、重かった?」

 

「……いや、単純に鍛え足りなかっただけだから」

 

「そうよ! 友奈ちゃんは重くない! 友奈ちゃんは羽の様に軽いの! きっと亮くんの鍛え方が甘いんだわ」

 

「………………」

 

 それとなくフォローしようとする俺を遮り、全力を持って友奈のフォローをしようとする東郷。

 さらっと俺にダメージを与えつつ、友奈のフォローをするのはいいのだが。

 お前は昔のアイドルオタクか。

 そんなツッコミを脳内で展開しながら、東郷から出される緑茶を啜る。

 因みに俺は今日からハイニーソ派に鞍替えをしようと思うが、そこは特に意味はない。

 

 そんな放課後の合間に、突如謎の音が鳴った。

 なんというか、腹の虫が喚いたような、有体に言うとお腹が空いたことを示す音。

 

「はうっ―――――」

 

「大丈夫? 友奈ちゃん」

 

「力が、足りぬ……」

 

 お腹を押さえ、ゆったりとした動きで机に伏せる友奈を見る。

 どうやらお腹が減ったようだ。

 そんな訳で東郷を見るが、俺の視線を受けて申し訳なさそうな、憂いを帯びた顔をする。

 

「ごめんなさい。今日はぼた餅は無いの」

 

「ううん! そんな、大丈夫だよ。このくらいなんともないよ!」

 

 東郷の悲痛な声を聞いた友奈は気合で立ち上がる。

 笑顔で「私は大丈夫だよ!」と告げた。

 腹を鳴らしながら。

 

「友奈ちゃん……」

 

「えへへ、心配掛けてゴメンね。でも大丈夫だから、ね?」

 

「―――しょうがないな」

 

 そう言って俺が取り出したのは、飴だ。

 それなりに老舗の店で作られた有名な飴だ。繊細に施された細工が女性に人気だという。

 この前、近くを通ったので買ってきた。ポケットを叩くとお菓子がいくつか。

 備えあればなんとやらだ。

 

「それ、この前テレビで見たことある!」

 

「これを友奈にあげる前に、簡単なゲームをしよう」

 

「ゲーム?」

 

 小首を傾げる友奈に、一度飴を隠した後、再度両手を見せる。

 

「どちらかに飴が入っています。それを東郷さんが当てたら食べてよし。外したら友奈は飴を得られません」

 

「え……私?」

 

「触るのはアウト。見るのだけ。制限時間は3分間やろう。始めだ」

 

 驚愕の声を上げるのは、蚊帳の外にいると思ってこちらを穏やかに見ていた東郷だ。

 急に名前を出されて驚いてるが、俺の差し出す両手を見て思考を慌てて回す。

 

「えっと、右手の皺はこっちよりやや寄っているから……えと」

 

 必死に俺の手を見てオロオロとする東郷。

 今回は種も仕掛けもありません。皆笑顔になれるオチも用意しているのだが。

 俺の考えには気が付かず、本気の顔で俺の両手を睨みつける。

 

「東郷さん……大丈夫だよ。私は東郷さんを信じる」

 

「友奈ちゃん……。そうね、確率は1/2」

 

 そんな東郷の後ろから友奈は彼女を陶器を包むように、慈しむように抱きしめた。

 友奈の抱きしめる腕にそっと触れる東郷。

 なんとなく既視感を覚えるような気もするが、よくある光景だしと思い直す。

 目の保養にもなる可憐な少女たちが繰り広げる光景。

 それを平和だなと思いつつ、

 

「3分たった。では答えを聞こうか」

 

「私は……」

 

 そっと示そうとする東郷の右手。

 やや震えるその白い手を、友奈の両手が包み込んだ。

 一瞬、二人の視線が合わさる。そこには一切の不信などなく、ただお互いへの信頼だけがあった。

 

「こっちの手だと思う」

 

「―――――」

 

 わざとらしくため息を吐くと、答えを察したのか東郷は少し顔色を悪くする。

 だが安心してほしいという思いを籠めて、そっと東郷に微笑む。

 

「―――正解」

 

「やったよ、東郷さん!」

 

「ええ、やったわ。友奈ちゃん!」

 

 両手を合わせて喜ぶ女性陣。

 大げさだなと苦笑しつつ。

 

「という訳で、友奈に」

 

「ありがとう……でも」

 

 飴の包みを持って東郷の方を見る友奈。

 きっと自分だけが貰うということが申し訳ないと思っているのだろう。

 そこら辺は抜かりない。俺は東郷の方に向かい、もう片方の手を差し出す。

 

「東郷さんもどうぞ」

 

「―――! ふふっ。ありがとう、亮くん」

 

 単純な話だ。

 どちらにも飴を仕込んでおけば、誰も不幸じゃないだろう? 

 包みを開いて飴を頬張る彼女たちを尻目に、

 俺もポケットから飴の入った包みを取り出し、口に入れる。

 

 見た目のカラフルさとは異なり、味も香りも上品なものとなっている。

 舌で転がすと表面に付いてるザラメのザラザラ感が舌を通じて感じられる。

 

「まぁ、お腹は膨れないけどこれで我慢して頂戴な」

 

「うん、ありがとう!」

 

 その後ぼんやりとそんな時間を過ごしていると、部室に向けて走ってくる足音が聞こえた。

 聞き覚えのある足音に口元をもごもごしながら、友奈や東郷と目配せをする。

 数秒後、俺たちの予想が当たった。

 

「諸君。アタシが、来たーーーー!」

 

 「お帰りなさい、風先輩」と、テンションがやけに高い彼女に口々と挨拶をしていく友奈と東郷。

 俺も飴玉を口内で転がしつつ挨拶をする。

 

「お帰り」

 

「ただいま。ねぇ聞いて聞いて、今度うちの部活に入ってくるアタシの妹なんだけどね―――――」

 

 そんなよくある日常風景。

 時間は止まることなく進んでいく。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第二十六話 逃れえぬ運命」

 神世紀300年の4月。

 今年も春が来た。

 草木が芽吹き、生物が活発に動き回り、桜は今年も咲き誇る。

 

 俺や友奈、東郷も無事に進学を果たし、2年生になった。

 友奈はアレ以降、成績は平均以上を維持している。俺も東郷と協力してたまに勉強を教えている。

 彼女に関してはしばらく問題はないだろう。

 最近は勇者部も地域貢献などを果たす中で、その存在と部員の顔を覚えてもらえるようになった。

 

 俺と一世の金曜日のラジオの方も上々で、多くのリスナーさんや生徒からメールが届くようになった。勇者部の噂を聞いたのか、町のラジオ放送局からも依頼が来るようになったのには驚いたが。

 放送部の方から引き抜きの話も出たこともあったが、金曜日だけしかできないのと、勇者部の方に専念するために断った。ちなみに近々ゲストにどこかの部員から話を聞くコーナーがあるのだが、勇者部から一人選ぶという話も出て、風が「キミの出世も近いぞ!」と褒めてくれた。

 

 それはさておき、俺たちが2年生になるということはだ。

 後輩となる1年生がやってくるのは必然と言っていい。

 部活の勧誘が煩い中で、我が部の部長である犬吠埼風は、その妹を部員として加えることを発表したのが少し前だ。なのでせっかくだからと、友奈と東郷とで協力して歓迎の準備を進めた。

 

 そしてその日が来た。風が苦笑いをしながら新入部員を紹介する。

 

「緊張し過ぎよ、樹」

 

「い、犬吠埼樹でしゅ。よ、よろ、よろしくお願いします!」

 

 風から事前に聞いていた話だと、彼女の妹の樹は人見知りだそうだが。

 なるほど、これはその通りだと俺は納得した。

 正直、内気で小動物のような存在だというのが俺の印象だ。

 こういう子は紳士(最近淑女もリクルートし始めた)業界からは結構人気がある。

 何よりこのお持ち帰りしたくなる妹属性という強力無比な属性持ちだ。

 そんな彼女に、流石のコミュ力お化け、もといお向かいさん、もとい友奈が笑いかける。

 

「よろしくね! 樹ちゃん」

 

「は、はいっ!」

 

 中学1年生ということは、12歳か。

 去年までは小学生だったのかと思うと、何か感慨深いものを感じる。

 改めて樹を見てみる。

 彼女の姉である風と同じブロンド髪とペリドットグリーンの瞳は、流石は姉妹と言うべきだろう。

 彼女自身は小柄な体型だ。ある意味知り合いの紳士が喜ぶ体型だ。

 風とは違いショートヘアで、両サイドの髪を白いヘアゴムで結っている。

 あとは花びらの髪飾りを着けているぐらいだろう。女子は本当にそういうのが好きだよなと思う。

 

「アタシの妹にしては女子力は低めだけど、それ以外は中々よ。占いとかもできるし」

 

「おおっ、すごいや」

 

「………」

 

 風のさりげないフォローと友奈の褒め言葉に、樹は無言で顔を赤くする。

 薄緑の瞳には戸惑いと羞恥の念を宿し、今にも帰りたそうな顔をしている。

 穴があったら入りたい心境なのだろう。

 中学生になりたての人見知りにとって、人前での自己紹介はさぞ辛いことだろう。

 

 そんなトマトの様に顔を染め俯きそうになる樹に、友奈が「そうだ!」と言って何かを渡す。

 それは、四葉のクローバーが埋め込まれたキーホルダーだった。

 恐らく、『占い⇒当たり⇒幸運⇒クローバー』的な思考に至ったのだろうか。

 友奈から渡されたソレを見て、樹は目を輝かせた。

 

「わあ! 可愛い……」

 

「でしょ!」

 

 自然界に存在する四葉のクローバーは約10万分の1だという。

 クローバーの意味としては、『幸福』や『希望』といった物らしい。

 だが後日詳しく調べて俺は戦慄した。

 四葉のクローバーの花言葉には、『私のものになって』という意味があった。

 確信犯と言うべきか流石友奈と言うべきか、偶然だろうということで見なかったことにした。

 

 それはともかく、友奈からキーホルダーを貰い、羞恥の念よりも嬉しさが上回ったのか。

 僅かに微笑を浮かべ、友奈にお礼を伝えた樹。

 お前らの方が可愛いよと俺は思いつつ、東郷に目配せをする。

 

「――――」

 

「――――」

 

 瞬時にアイコンタクトを取り、昨日練習した手品芸を開始する。

 黒いシルクハットを被った東郷は車椅子を動かし、樹の前に位置を調整する。

 

「えっと……」

 

「……」

 

 突然目の前に現れた巨乳……いや、車椅子系美少女に目を白黒させる樹。

 それを無視する訳ではなく、演出の為に無言で東郷は被っていたシルクハットを手に取る。

 おもむろにシルクハットに白い布を被せる。

 

 一体何が始まるんです? 

 そんな疑問を瞳に浮かべ、興味関心を東郷に向ける。

 そんな樹を尻目に、状況を黙って見ていた友奈と目を合わせる。

 俺と目が合ったことに気が付いた友奈は、片目を瞑り俺にウインクしてみせた。

 「ここまでは順調だね!」と目で会話する。

 

「―――――はいっ!」

 

 と、ここで白い布をシルクハットから取った瞬間、白い鳩が姿を現した。

 

「ええっ!?」

 

 突然の出来事に驚きを隠せず声を出す樹は、

 凄い凄いと無邪気に笑い、東郷に手品の種を聞いてくる。

 

「……知りたい?」

 

「はい!」

 

「いいけど、その前に…………亮くん!」

 

「ふえっ?」

 

 シルクハットをこちらに投げる東郷。

 回転しながら中空を舞う帽子に視線が釘付けだった少女は、その先に俺がいることに気が付く。

 シルクハットを受け取った俺は、視線を向ける少女に出来る限り優しく微笑む。

 最初は男が苦手そうだったが、一連のショーで多少苦手意識が緩和されたのか、

 ややぎこちないながらも微笑み返してくれた。

 

 風の妹ということで事前調査をしていると、男に対して耐性が低いのではないかという話が出た。

 そのため東郷と協力して、出来る限り俺という異性にも少しでも慣れてもらうのが今回の主旨でもある。

 ちなみに、俺は東郷に確信的笑みを浮かべて「共同作業だね」と呟くと耳が赤くなっていた。それを不思議な顔をして見る友奈。そんな俺に気を使ってくれた可愛いご近所さん達のためにも頑張ろうと思う。

 

 さて、客が見ているのでこちらも期待に応えるとしよう。

 奇術師として摩訶不思議な物を見せねば。

 

「あれ、鳩が……」

 

「集まっていく」

 

 因みに練習は人には見せないので、この場にいる全員が初見だ。

 そういう意味で友奈と樹、東郷、風の目を惹きつける。

 多少手品の上位という意味で東郷の役を食べるのは申し訳ないと思いつつも、

 せめてもの贖いとして全力を尽くそうと思う。

 

 鳩が再びシルクハット内部に集結する。

 俺が指を鳴らす度に一匹、一匹とその数をどこからか増やしていく。

 ちょうど八匹になったところで満杯になり、俺は見せつけるようにして白い布を被せる。

 

「静かに」

 

 右手で布を被せたシルクハットを示し、左手は人差し指を唇に当てる。

 途端にワイワイ騒いでいた少女達が静まり返る。

 奇術の面白いところは場を把握し、人を掌握する面も持ち合わせているところだと俺は思う。

 不敵な笑いを少女達の前で浮かべながら、布の隙間から左の空手を見せながらゆっくりと入れていく。やがて中から取り出されたのは、八本の赤い花を束ねた花束だった。

 

「えっ、鳩は!?」

 

 慌てたように樹の隣で観客として見ていた友奈が聞いてくる。

 ……お前仕掛け人側だろうが。もしかしてそれはアドリブなのだろうか。

 そう思いつつも、笑みは絶やさない。

 

「鳩は花に変わりました……種も仕掛けもありません」

 

「じゃあ、花びらが赤いのって……」

 

「さて、どうでしょうか」

 

 クツクツと笑う俺に驚愕の視線を向ける樹に、芝居がかった演技をする。

 マズい……怖がらせたか。フォローを頼む、友奈ぁ! 

 俺のヘルプを目で受け、大真面目に友奈は頷き樹に説明する。

 

「樹ちゃん、あれはガーベラの花って言ってね――」

 

 ガーベラの花言葉には、『希望』や『前向き』という言葉がある。

 また赤色のガーベラには『常に前進』、『チャレンジ』といった言葉となっている。

 だから、「入学してくる人に花束を渡すならガーベラがいいよ!」といった話を今回友奈から聞かされた。友奈の話を受けて、俺と東郷と友奈でお金を出し合い、新しく出来る後輩の為に用意した。

 それがコレ。己の身長よりも低い彼女を見下ろすと樹が顔を向け、目を合わせた。

 

「………」

 

 無言な俺から渡したガーベラの花束をおずおずといった感じで受け取り、俺たちの顔を見渡す樹。

 その瞳には驚愕や感動など、様々な模様が彩られる。

 そんな彼女に対し、向かい合うように俺と友奈は東郷の脇に立つ。

 友奈はにへらっと笑い、俺と東郷は微笑み歓迎の意を示す。

 

「「「ようこそ、勇者部へ!!!」」」

 

「皆さん……、はい! よろしくお願いします」

 

 こうして、犬吠埼樹が勇者部に加入した。

 新しい仲間、初めての後輩だ。そう思うと少しテンションが上がるのは気のせいだろうか。

 

「ピロリロリン!」

 

「どうした?」

 

 突然友奈が笑顔で謎の音声を発したのでシルクハットを東郷に被せつつ尋ねる。

 熱でも出たのか……いや、良くあることだ。

 

「樹ちゃんが仲間になった!」

 

「そこは、テレレッテレッテーン! だろう……」

 

「えー」

 

 なぜか加入した時のSE音について語り合うことになった。

 友奈としょうもないことを話しながら、

 花束を抱えた樹が東郷に「鳩はどうやって出したんですか!?」と聞いているのを尻目に見た。

 

「まぁ成功ってことで」

 

「うん」

 

 ニヤリと友奈に笑いハイタッチ。その後、樹を東郷と友奈に任せつつ風の方に向かう。

 先ほどからダンマリを決め込む我らが部長の横に立ち、感想を聞いてみる。

 

「如何でしたか、風先輩?」

 

「……うん、ありがとね」

 

 柔らかい笑みを浮かべる風に、3人でのショーは上々であったことを理解した。

 何やら女子同士で盛り上がる話でもあるのか、ワイワイ騒いでいる3人を見つめる。

 その輪には加わらず風と二人隣合って立ち、少しだけ会話を交わす。

 

「風先輩の言っていた通り、可愛らしい妹さんですね」

 

「―――――あげないわよ?」

 

 そう隣にいる先輩に囁くように告げると、彼女は俺に向ける眦を和らげ、目尻に浮かぶ透明な滴を指でそっと拭った。俺はそれに気が付かないふりをしておいた。

 視線を再度向けると、3人の可憐な少女達は、皆笑顔で幸せそうに笑っていたのだった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 可愛らしい後輩が出来た数日後のことである。

 風から告げられた一言で、部室の和やかで平和だった空気は入れ替わった。

 まるで固定化された場所に新しい風が入ってきたように……なんてね。

 風の持って来た新しい依頼内容に困惑の表情を東郷は浮かべる。

 

「幼稚園で人形劇ですか……」

 

「そう! レクリエーションとして勇者部が、ついにお呼ばれしちゃったのよ! 凄くない?」

 

「やりましたね、風先輩!」

 

「もちろんよ!」

 

 樹を仲間に加え、勇者部は更なる前進をした。

 その地道な地域貢献はついに新聞として取り上げられるほどになった。

 『ユニークなる少年少女達 その名は勇者部!』という記事が香川の地方新聞に載った。

 可憐なる少女達に黒一点。なかなかにいい写真だと思った。

 

 そういう訳で俺たちは着々と大きな案件を任されるようになってきた。

 ……のはいいのだが、風もあっちこっちから依頼を受け持ってくるから、そろそろ自重して欲しい。

 そんな事を思っていると、案の定申し訳なさそうに風が言った。

 

「それでね、期日が10日後なのよ」

 

「「「ええーーーーーっ!!!」」」

 

 当然驚きに満ちた少女達の声が響き渡る。

 ここで非難殺到しないのが勇者部の良いところ。俺だったらまず罵倒されるだろう。

 

「しかも、断ると少しまずいかなぁ……って」

 

「えぇ……」

 

「で、でもでも、10日もあれば大丈夫ですよ。なんとかなりますよ!」

 

「そうですね、頑張りましょう。ねっ、樹ちゃん」

 

 コクコク頷く樹を他所に、俺は頭の中である程度のタイムスケジュールを組む。

 やや急ピッチになりそうだが、手作業は得意だ。

 気が付くと、皆俺を見ていたのでニヤリと笑って頷く。

 

「よーし。全会一致ということで、実は既に脚本の大半はできているのだー!」

 

 じゃーん! と風が言いながら紙の台本用紙を取り出す。

 彼女から渡される台本を皆で頬をくっつけて読み合うと、大体の大筋が掴めた。

 つまり、

 

「王道物の話ですね」

 

 東郷の簡潔な一言が全てを物語っていた。

 ふとこれを読んでいると、記憶に刺激が与えられどこか懐かしい気持ちになる。

 そうだ……、これって確か。

 

「勇者と魔王シリーズをやるんですか?」

 

「ああ、あの話なら私も読んだことあるよ」

 

 友奈が笑顔で言う中、風も子供向けだからとあれから着想を得たという。

 あの本はなんだかんだで人気本だった。変な捻りもなく不快な表現もない。

 シリーズをベースとしつつ、風のオリジナルの脚本に仕立て上げられているという感じである。

 

「そういう訳で、私は残りの部分を書くから、皆は小物を作る方をお願い」

 

「任せて下さい」

 

 頼まれたことで張り切る東郷は風に敬礼をした後、

 台本の部分から必要な小物、道具、人形などを黒板に書き出す。

 その中で、人形作り、舞台作りなど、作成する順番を決めていく。

 

「流石、東郷さんだね」

 

「ふふっ、褒めても今日のぼた餅はないわよ。友奈ちゃん」

 

「残念だなぁ」

 

 東郷と友奈がイチャつく傍ら。

 早速準備に取り掛かる中で、手は動かしつつ少女達の会話を聞く。

 口とは別に腕を使うという技術は勇者部の中で鍛えられたな、と今更ながら俺は思う。

 そんな時、ふと俺は隣で準備に励む樹から声を掛けられた。

 

「あ、あの、加賀先輩」

 

「うん? なんだい? 樹ちゃん」

 

「加賀先輩ってやっぱり、“リョウさん”なんですか……?」

 

「……?」

 

 手は魔王の人形を作るのに忙しい。

 魔王の角部分の禍々しさを表現すべく両手が慌ただしく動く中、

 俺の頭脳は、隣に座る新しくできたばかりの後輩が言った事の意味について再度考え出す。

 俺の名前はご存知の通り、亮之佑だ。だが今樹は「りょうさん」と言ったのだ。

 「亮之佑さん」だったら意味も通じるが……いや待てよ。

 ふと俺は一つの可能性に思い至る。

 

「樹ちゃんって、リスナーさんだったりする?」

 

「――はい! 毎週聴いてます。イッセーさんとリョウさんの痛快で斬新な話を毎週聴いてます!」

 

「ははっ、ありがとね」

 

 思わぬところで彼女との共通点を得た。

 俺と一世はラジオ用のホームページで実名を出すのも如何な物かということで、

 下の名前をカタカナに変えて表記している。それだけだ。

 

「よくメールも送ったりしたんですよ」

 

「ほぉ……あ、なんとなく誰か分かったかも」

 

「ほ、本当ですか?」

 

「うん。これからはメールだけじゃなくて、直接の相談にも乗るよ」

 

「あ、ありがとうございます。加賀先輩」

 

「亮でいいよ」

 

「はいっ」

 

「樹ー! ちゃんと手も動かしてねー」

 

 姉から苦笑いと共に作業を進めるように要請を受け、慌てて樹も作業を再開する。

 その様子を見ながら、この子とも仲良くやっていけそうだと思った。

 なんとなく視線を上げると、友奈と東郷がニッコリと俺を見て微笑んでいた。

 ―――そんな生暖かい目で見るんじゃない。

 

「…………」

 

 しばらく彼女たちの視線を躱すべく、俺は顔を伏せ作業に熱中することにした。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それから俺たちは幼稚園で披露する劇の準備に取り組んだ。

 人形を作り、音楽の用意をし、台本を作り精一杯の練習をする。

 およそ20分程度の話だが、勇者部として初めてのことでもあるので入念に練習する。

 ショタはともかく、ロリがいっぱいいるなら頑張ろうではないか。

 そう思うと俺もつい作業に力が入るというモノだ。あの無邪気な存在は俺の心を癒す。

 

「ちょっと、亮之佑。聞いてるの?」

 

「―――――聞いてますんよ」

 

「どっち!?」

 

 風の呼びかけに我に返り、慌てて答える。

 いかん、今の状況を思い出した。

 10日など本当にあっという間だった。思い返すとなかなかにブラックなスケジュールだったと俺は苦笑いを浮かべた。

 そして今、劇を始める数分前。

 俺たちは子供達のいる部屋の前に陣取っていた。

 

「亮ちゃん、大丈夫?」

 

「俺は大丈夫。それよりも友奈と樹こそ大丈夫か?」

 

「私たちなら」

 

「大丈夫です!」

 

 俺の問いかけに小声で返事をする友奈と樹。

 この密なスケジュールでまた一つ樹も含め、仲を深めることができたのではないか。

 俺はそう思いながら、この後始まるソレに集中すべく思考を切り替える。

 

「まぁ、東郷も亮之佑もしっかりしてるし……大丈夫でしょう」

 

「俺たちなら大丈夫ですよ、魔王様」

 

「うぬらなら心配しておらぬよ、フハハハハ!!」

 

「お姉ちゃん、役に入るの早すぎ……」

 

 東郷と目を合わせると、彼女も幼い子供達を洗脳……扇動するナレーターとしてやる気が感じられる。やる時代が違うと声を大にして止めることになるだろうが、きっと大丈夫だろう。

 皆を見渡すとそれぞれ不安や緊張があれど、やる気が感じられる。

 

「よーし、みんな! あれやるわヨ」

 

「あれ……ですか?」

 

 始まる寸前。

 最後に風が、小声で全員に呼びかける。

 突然アレと言われても流石にエスパーじゃないから分からない。主語の大切さを理解した。

 

「円陣ですね!」

 

「そう、分かっているじゃない」

 

 否、分かる相手が一人いた。友奈だった。

 あまり時間も無くなってきたので早々と皆で円陣を組む。

 

 東郷、俺、友奈、樹、風。

 

 何気に人生で初めて組む円陣に俺は何も言えず、感無量で打ち震えていると、

 いつもの明るい調子で友奈が、「風先輩、何か一言お願いします!」と笑顔で告げた。

 

「それじゃあ、みんな……今日は良い一日にしましょう! 勇者部、ファイトォーーー!」

 

「「「「おーーーー!!!!」」」」

 

 

 

 ---

 

 

 

 黄昏の光が燈色のリボンを真っ直ぐに伸ばしたような道を彩る。

 そんな帰り道を部員全員で歩きながら、今日の劇の感想を言い合っていた。

 結論から言うと、園児たち向けのレクリエーションは無事に終えることが出来た。

 多少のアクシデントはあれど、東郷の機転や風のアドリブなどが受けたのも大きい。

 

「まさか、あそこで台が倒れるとは思わなかったわ……」

 

「本当、園児たちにぶつからないで良かったですよ」

 

 ほっと胸を撫で下ろし、安堵のため息を吐く友奈。

 

「樹もありがとうね」

 

「そんな、私なんて……。東郷先輩こそ、あの場面での扇動は助かりました」

 

「ありがとうね。とーごーさん!」

 

「友奈ちゃん……」

 

 皆で皆を褒め合うという美しく尊い光景。

 誰もが隣にいる人の良かった点を褒め合い、それによって作られる穏やかで幸せな空気。

 あぁ、平和だな――――なんて、唐突に思った。

 

「亮之佑も、演出ありがとうね。あのギミックの謎が知りたいのだけど」

 

「企業秘密です」

 

 さっきから黙っていたからか、風に少し気遣われる。

 手品も芸も、奇術もだが、手の内を誰にも教えないことは絶対のルールだ。

 そんなことをしたら、次にやったとき種明かしの方に目がいき、最初ほどの満足度を得られなくなる。

 

「東郷先輩も亮さんも、なんだか頼れるお兄ちゃんとお姉ちゃんみたいでした」

 

 そんなポツリと感想を呟く樹を風が放っておくはずがなく、「アンタの姉はアタシでしょうがー!」と頭をグリグリして家族の触れ合いタイムに突入していた。

 そんな彼女たちに、俺は告げずにはいられなかった。我が妹に話しかける。

 

「樹」

 

「……? はい」

 

「今度から、お兄ちゃんって呼んでいいのだぜ……」

 

「アタシの妹に変な事を吹き込むんじゃなーーい!」

 

 夕暮れに笑い声が響き渡る。

 そうして1日が終わる。

 友奈や東郷、風、樹。

 彼女たちと過ごす日々はとても穏やかで、いつからか俺は明日が来るのが楽しみになっていた。

 

 

 

 ===

 

 

 

 そう、平和だった。

 この尊き毎日は、加賀亮之佑にとってはぬるま湯のようで、つい平和すぎて忘れそうになった。

 仲間と日々を過ごし毎日を笑いながら、胸中で蠢く後悔が疼くのを無視する。

 

 暖かく、ささやかな幸せ。

 彼女たちと過ごす毎日はとても心地よくて、ついつい忘れそうになる。

 この世界がどういうものか、片時も忘れてはならなかったというのに。

 

『平和とは常に何かの犠牲の上で成り立つもの』

 

 かつて誰かがそう言った。

 その時が来たとき、人は選択に迫られる。

 自分のために生きるか、他人のために生きるか、逃げるか、闘うか。

 

 平和は、終わるときは一瞬だった。

 創るという行為はあれほど時間も労力もかかるというのに、壊す行為はいとも容易い。

 どれだけ強靭な要塞すら崩れる時がくるように。

 人々の絆も不変なものではないように。

 

 そんな暴力に等しき理不尽は。

 時に台風のように。

 時に地震のように。

 運命は唐突に人々の前に立ちはだかる。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それは幼稚園でのレクリエーションが終わった、数日後のことだった。

 日常は終わった。

 

 時間は止まり、世界の常識は掻き消され、非日常が表舞台に顔を出す。

 運命が再びこちらを捕捉したかのように。

 どうしようもなくその有り様を瞬く間に変え、日常を蹂躙した。

 「貴方には悲劇が似合うよ」と言うように、運命は笑いながら再び迫ってきた。

 同時に、これが長く険しい旅路の始まりであったことを、俺は後に振り返って思うのだった。

 

 

 




【第三幕】 出会いの章-完-

NEXT


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【第四幕】 運命の章
「第二十七話 始まりは襲来者」


 その日は暑くもなく寒くもなく、至って普通の日であった。

 雲が青空に浮かべども決して曇天という訳でもなく、晴天ともいえない。

 今日も朝と共に1日が始まり、夕方に1日が終わるのだと思っていた。

 

 そんなよくある日常の。

 讃州中学校のとある教室の。

 とある授業風景で。

 

「……?」

 

 その時間はちょうど国語の時間だった。念のために朝、教科書を予習のために読み漁っておいた。

 授業も要点さえまとめればいいので、俺は手品の仕込み作業に没頭していた。

 

「――ううん、なんでもない」

 

 唐突に右隣にいる少女が口を開く。

 その鈴音の声を心地良いと感じたが、今は授業中だ。

 寝言か? と俺は目を向ける。自分の右隣の席に位置する友奈は、どうやら授業に集中していなかったらしく、東郷と目で会話をした際にうっかり口に出してしまったようだ。

 

「……なんでもなくありませんよ、結城さん」

 

「は、はい!」

 

 当然、授業中にそんなことをすれば、授業を受け持つ教師から小言を、同級生からは失笑を貰う。

 生徒がお叱りを受けるというのはもっと厳かなイメージだったが、それなりに優しい女性の先生のようで教科書を読むだけで許すようだ。

 露骨にホッとする友奈に何を考えていたのかは後で聞くとして、

 彼女の横顔から再び教科書に視線を移そうとした時。

 どこからか、警報と呼ぶべきか、何かのアラーム音が鳴り響いた。

 

「―――!」

 

 突然すぐ近くで聞こえたその音に、一瞬心臓が驚きをもって体に血液を流し込む。

 その脈動を感じながら、音がどこから来るか俺は耳を澄ませた。

 ソレは御世辞にも聞いていたいと思えるものではなく、俺は不快な音に眉をひそめた。

 音は隣からだが、ソレにしてはやけに身近から聞こえる。

 

「携帯ですか? 授業中は電源を切っておきなさい」

 

「あっ、はい……すみません」

 

 友奈がお叱りを受けるのを尻目に、俺はなにか嫌な予感がして自分の端末を調べた。

 授業中は端末の電源を切るのが当然だ。そうしなければ今のようになる。

 俺は結構そういうのは几帳面な方なので、音は鳴らないようにしていたはずだと思い出す。

 それにも関わらず、

 

「……?」

 

「東郷さんに、加賀君もですか」

 

 先生の呆れ声ももっともだろう。

 だが、そんなことは正直どうでも良かった。

 心臓の鼓動が早まるのが耳朶に響き渡るのを何処か他人事のように思う。

 端末から、設定した覚えのないアラーム音が鳴り続けていた。

 

 “樹海化警報”

 

 端末の液晶画面には、いつか見たトラウマの世界を背景にその5文字が記載されていた。

 せめて音量を下げようとするが手がうまく操作できず、背中に流れる冷や汗が増えだす中。

 唐突にソレが止まった。

 

「―――――」

 

 思わず安堵のため息が出る。こういう心臓に悪いドッキリは好きではない。

 ドッキリを行うのは好きだが、されるのは嫌という己の心理は、簡潔に言うなればサディスティックな人間が抱く物だ。

 唐突にもたらされた静寂の世界で、どうやって先生の追及を回避するかを考えていると、ふと変な予感がした。

 その違和感の正体を看破するのは容易であった。

 

 

 静か過ぎた。

 

 

 静まり返った世界。

 唐突に何かのショーでも始まったのか、俺の眼前に広がる同級生達は、その動きを止めていた。

 生前、動画サイトで見た大人数で行うストリートパフォーマンス。それに似ていたが、己のペンすら空中に留まるという神に等しき技など見たことはない。

 そんな中で、

 

「……あれ?」

 

 静寂の中、声の方向に目を向けると戸惑いの声を上げる少女の赤い瞳と目が合う。

 その瞳には驚愕と、もしかして亮ちゃんがやったの……? 的な問いが浮かんでいた。

 こんな場面で彼女からの信頼を微妙な方向で見たのは奇術師としては嬉しいのだが、流石に時を止める術は持ち合わせていない。

 首を横に振る。

 

「亮ちゃん、コレって……?」

 

「―――なにこれ……?」

 

 俺が何かを答える前に、もう一人この世界で動く人物に目を向ける。

 車椅子で驚愕する東郷だった。そちらに友奈が向かうのを見つつ、俺は考える。

 ……いや、正確には考える時間も無かった。

 友奈が東郷の安全の為に駆けつけると、突如大きな揺れと同時に窓を白い光が押し寄せた。

 

「きゃあ!」

 

「東郷さん!」

 

 少女達の悲鳴が聞こえる中、俺の視界も意識も白い光に刈り取られ―――――――

 ―――――――――――――――――

 ――――――――

 

 

 

 ---

 

 

 

 大小様々な根が辺り一面を覆っている。

 子供が漠然とした脳内での想像事を、クレヨンで創造したような出来栄え。

 そんな妄想を具象した様な世界があった。

 

 『樹海』

 

 この世界がそう呼ばれることを亮之佑は知っている。

 異世界―――この場合は外の世界―――からの来訪者に対して、

 神樹による防衛方法として行われるのがこの樹海化である。

 亮之佑も一度経験し、数あるトラウマの一つとして頭蓋の中の脳の皺として刻まれた。

 この世界では、人も車も家も食べ物も町も、全ては神樹によって『樹海の根』に変換される。

 そうすることで襲来者による混乱を防ぎ、こちらからの迎撃を整える。

 それがこの世界のタネだ。

 

「ついに、来たのか……」

 

 この世界に関わる世界的な機密とも言える情報は、初代から夜会の際にもたらされた情報だ。

 ただし、夜会においてというか、彼女の存在に関する情報、及び与えられた情報に対しては一切他言無用―――要するに情報の対価として口止めをされている。

 「特別料金さ」と艶やかな唇に右の人差し指を当て、左手を少年に指し示す姿は、一切の笑いは無く血のような赤い瞳は、他者に有無を言わさぬ王としての気迫と断ることの愚かな末路を無言で提示した。

 

「樹海が展開されたってことは……」

 

 初代自身、かつてこの樹海の世界にて戦ったことのある経験者だ。

 当然の様に壁の外の様子は知っていた。それを聞いた時、亮之佑は思った。

 正直に言って、あの時にソレを言ってくれれば、もっと言えば壁を抜ける前に情報をくれれば多少なりとも精神的には対策できたのではないかと。

 そう告げた時――、 

 

 

 

 = = = = =

 

『でも、キミはあの時ボクを信用しなかっただろう? 実際にその目で確認するまで信じないタイプだよね、キミ。不用意に情報を与えても混乱するだけだろうし、最初の頃は今ほどお互いを知る時間も無かったじゃないか。それにボクからは最大限のフォローもしたつもりだよ。大体壁の外について知りたかったキミに対してどうしてボクが責任を持たないといけないんだい? そもそも星屑の撃破後に結界の中に戻ったら樹海化現象が起きているなんて、運が悪いとしか言いようがないね、しょうがないよ。キミの運の悪さを恨むしかないね。だからボクのせいにされるのは正直、いやかなり心外だ。それに最初の変身直後で因子が不安定になって外部とも連絡が取りにくかったのは前にもキミに言ったじゃないか。そしてこの話題は2回目だ。ボクは同じミスをする人間や何度もネチネチとクドく言う人間だけは好きじゃないんだよ。乃木家にもそんな煩い奴がいたんだけどね……おっと話がズレたね。端的に言ったら、ボクのせいじゃなくてキミが不用意に真実を覗き込んだ事の代償だと思えばしょうがないと割り切るしかない。過ぎたるは及ばざるがなんとやら、だ。時には当たって砕ける事が大事なんだよ。リスクというのはいつでも付きまとうというのに、それを人のせいにするのは悪い癖だよ、半身』

 

『えっと、その』

 

『ボクが話してる』

 

『―――――』

 

 = = = = =

 

 

 

 こんな感じの事を言われた。

 早口で交わされる言霊に少年は威圧され、何も言い返せなかった。

 その後、初代も悪かったと思ったのか自ら半身と呼ぶ少年と夜の密会を重ねる中、少しずつ樹海化やこの世界の状況、敵についていくつか語った。

 「運命に再び捕まった記念に、情報を無料であげよう」という皮肉か冗談か分かりにくい言葉と共に。

 

 そうして得るこの世界の情報は、なんというか生前に見たアニメのようだと思った。

 簡単に言うと、こうなる。

 ・神樹を攻撃しようとする黄道十二星座による襲撃を勇者が防ぐ

 ・本来その勇者は5~6名程度の少女のみ(エネルギーの問題でこの数らしい)

 ・失敗は世界の破滅

 ・成功報酬は再び続くゆるやかな日常

 

「まるで、ゲームか何かだな……」

 

 そうなると、今はチュートリアルか何かだろうかと少年は思った。

 相変わらずゲーム脳は健在だが、直に現実に向かうよりも冷静に落ち着いて対処できるため、今更止める気はない。夜会において初代と交わされ得た情報については、当たり前だが荒唐無稽すぎて誰も信じることはないが、この世界にとっては爆弾とも呼べる有用な情報だった。

 

 そうした予習があったためか。

 二度目になったこの世界に対してもすんなりと対応することが出来た。

 あの時と同じように例え一人であっても、今度はあの醜く唾棄すべき姿を見せることはないだろう。それどころか、この後何をすべきか少年は分かっている。

 

「まずは、ここがどこらへんか……うわっ」

 

 と、亮之佑は端末を起動すると、驚きの声を上げた。

 立ち上げたアプリには地図が表示されている。そこには亮之佑の名前と現在位置が表記されている。

 それだけではなく、南東にはおなじみの勇者部のメンバーがいた。距離的にはそれなりにある。

 そして、亮之佑の近くには一際大きな存在も。

 

「いや、そうじゃなくて。どうしてアイツらも……?」

 

『おそらくは因子の高さによって神樹に選ばれたんじゃないかな。運が無かったというべきかな。彼女たちが本来の勇者として選ばれたのだろうね』

 

「…………」

 

 亮之佑の質問に答えるのは、首から下げたチェーンに通された指輪だ。

 そちらに目を向ける。

 微かに青い光を放ち、こちらに声という形で干渉するのは初代だ。

 

『言っただろう? この樹海の中心である神樹を敵に倒されたらお終い。だからこそ、神樹を守るための防衛機構として勇者が輩出されるようになった。そして大前提に勇者は適正の高い無垢な少女じゃなければならない』

 

「ロリコンめ……」

 

『神にとってはそういう認識はないのさ。あくまで純粋であり無垢である少女なら誰でもいいんだ。……さて、おしゃべりはここまでだ、半身。後ろのが見えるだろう?』

 

「――――ああ、こうやって近くから見ると映画の中にでもいるようだ」

 

 近くの根に隠れ、端末と肉眼によってその存在を少年は認識する。

 

 “乙女座”

 

 見た目はそう名称付けられたこともあり外見は女性的な雰囲気を感じる。

 ボロボロの布のようなものを体の上半身にスカーフのように纏っている。

 全体を白とピンク色で交互に塗りたくったような――――平たく言えば不気味な存在感を示す。

 

「――――っ」

 

 思わず息を呑む。

 もう2年も前になるが見たことがある。忘れられるはずがない。

 あの夢のせいで不眠症と拒食すら発生しかけるほどのトラウマを刻まれたことを冷静な頭脳が思い出す。同時に、あの時はまだ外装が出来ていなかったのを遠目に見たはずだと亮之佑は思った。

 

「―――――」

 

 右手を端末に。

 左手は指輪に。

 震える肉体を無視。

 呼吸が思考を切り替える。

 

『怖いのかい……?』

 

 現実離れする状況。いっそ特撮でも見ている夢なんじゃないかと逃避しそうになる脳に対し、

 奥歯を噛み締めることで逃げ場を潰す。

 ふと、初代が話しかけてくることに、少し心強く感じていると亮之佑はぼんやりと気づいた。

 もしかしたら早くも人肌が恋しくなり始めているかもしれないと苦笑しながら告げる。

 

「ああ、怖いよ。けれどさ、初代」

 

『……』

 

 根から隠れるのを止め、悠然と乙女座の前へ歩き出す。

 

 いつの間にか右手から端末は消え、空手の中に生まれた剣を握り締める。

 上履きを履いていたはずの両脚には蹴ることに特化したような赤いブーツが地面を踏む。

 地面を踏みしめることで舞い上がる僅かな砂塵を、昏いコートが着用者から遠ざける。

 チェーンは消え、左手に移動した青い指輪は赤き手袋に隠される。

 

「俺は日常が好きだ。そしてなにより後ろに友奈たちがいるなら引き下がる訳にはいかないよ」

 

『……半分くらいだね』

 

「――初心を思い出したのさ。俺は――――」

 

 お前の思いは半分がそうなのだろう、と言外に告げられる。

 隠すつもりだった思いを見抜かれた亮之佑はしょうがないと思い、不謹慎だと言われかねない事を口にする。どの道ここにいるのは少年一人。彼以外誰もいないのだから。

 抱いたトラウマは所詮過去のもの。それすら克服した今となっては、ソレすら愛おしく感じる。

 克服と同時に、加賀亮之佑は初心を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 左手が黒光りするハンドガンを中空から掴み取る。

 撃鉄を起こし、リアサイトから狙いを定める。銃底を右手で支えつつ、不敵に笑う。

 

「――この非日常を、待っていたのさ」

 

『それは頼もしい』

 

 クツクツと笑いが響く中、引き金を引いた。

 正面に浮かぶ巨大な存在。

 僅かな反動が肩に響き、標的に向かって真っ直ぐに弾丸は放たれた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第二十八話 結城友奈が勇者になった日」

「戦う意志を示す……」

 

 唐突に変わった世界に、風の言葉に、目まぐるしく変化する状況に、友奈は混乱していた。

 それでも目の前で起きた出来事に、思い出に、彼女は一つの決意を抱いた。

 その決意さえあれば十分だと、震える拳を握り締めて駆け出した。

 

 

 

 ---

 

 

 

 結城友奈は、『勇者部』に所属する13歳の女の子だ。

 母親に教わった押し花を作ることが趣味。父親から教えられた武術が特技だ。

 友奈が尊敬する先輩曰く、「女子力はそれなりにあるけれど、やや脳筋の傾向あり」という評価だ。

 もちろん彼女が自分を馬鹿にしている訳ではないのも知っている。

 

 むしろ自分をバカだと自嘲し、周りの空気を和ませるが、友奈の優しい親友達はそんなことはないよと言ってくれる。そういった何気ない優しさは、彼女の心を温かくした。

 

 友奈が所属する勇者部には、個性豊かな人たちがいた。

 犬吠埼風は、仲間たちを明るく引っ張ってくれる頼もしい先輩で、幼稚園での人形劇の台本を書きあげるほどの才を持つ素晴らしい部長だ。

 妹の樹は、内気ながらもしっかりしており、彼女は謙遜するが占いの腕も凄いものだと思っている。

 

 東郷美森は、自分の親友だ。苗字呼びは本人の希望だが大の仲良しで、いつも柔らかい笑顔で友奈に接してくれる。頭も良くしっかり者で、彼女が作るぼた餅こそ一番おいしく、毎日食べたいと友奈は本気で思っている。

 加賀亮之佑は………彼とは長い付き合いになる。魔法のような奇術を見せてくれる。……たまにいじわるだが、いつも優しく傍にいてくれる。彼が作るご飯は格別で、一緒にいると落ち着く。彼は東郷とは違う意味で、大切な人だ。

 

 

 そんな彼らといるのが何よりも楽しかった。

 彼らと過ごす毎日は、笑顔になれた。

 これからもずっと彼らと毎日を穏やかに過ごせますようにと、友奈は心から思っていた。

 

 だから、この現象に巻き込まれた時。

 とっさに目の前にいた東郷を引き寄せるのに精一杯で、

 視界が白く染まる中、近くにいた亮之佑にまで手を伸ばせなかった事に後悔した。

 知らない場所に来て最初に思ったことは、伸ばした指が空を切ったことへの寂寥感だった。

 

 法則性の感じられない、歪で狂ったような色とりどりの世界。

 辛うじて捕まえた東郷と周りを見渡しても、

 友奈の理解を超えた静寂に満ちた世界は――ただただ怖いと感じた。

 

 東郷といるこの場所を何かの夢かと思い頬を抓るが、現実は非情だった。

 見知らぬ土地、他に人がいないという状況で、冷たく震える手を握り締め、気丈に振る舞う。

 そうする事で、目の前で自分よりも不安がる車椅子の少女を明るく励ます。

 

「東郷さん、大丈夫だよ! 私がついているから!」

 

「友奈ちゃん……」

 

 涙目で滲む東郷の目の前で拳を天に掲げる。何の根拠もない言葉で自分を着飾る。

 そうして自分に言い聞かせるように、東郷の不安が少しでも減るように尽力した。

 

 

 

 ---

 

 

 

 その後、すぐに風と樹にも合流できた。

 ほっと息を吐く友奈と東郷と対照的に、風はいつもの明るい姿と異なり、険しい顔でこちらを見渡す。

 

「2人ともいるわね」

 

「あの、風先輩。亮ちゃんを見掛けませんでしたか……?」

 

「―――それも含めて、説明するから」

 

 凛とした様子は、流石は部をまとめるリーダー的存在だと思った。

 しかし、“説明”とは何のことかと疑問に思ったが彼女の切迫した様子に、この状況下なのだから普段通りとはいかないのだろうと結論付ける。その考えは合ってはいたが、正しくは無かった。

 

 風は亮之佑が欠けた残りの勇者部が合流した中で、一人一人の顔を見渡し告げた。

 「アタシたちが神樹様に勇者として選ばれた」と、そんな事を唐突に言い出した。

 元々突拍子もないことを言う先輩であったが、今回ばかりはいきなり勇者と言われても、と友奈だけではなく東郷も樹も疑問に思った。だが、風が放った次の一言が友奈の思考を凍り付かせた。

 

「おそらく、今亮之佑が一番危ないと思う」

 

「―――ぇ」

 

「どういうことですか、風先輩」

 

 サッと青ざめる友奈を気遣い、説明を求める東郷に対して風は歩きながら説明すると言う。

 友奈たちは、この場所――樹海と言うらしい――を移動しつつ、この状況について説明された。

 風を先頭に、樹、東郷、友奈の順番で少女たちは移動する。

 不思議と自分たちが歩く場所だけ、真っ直ぐではないがやけに舗装された様に歩きやすかった。

 まるで誰かが自分たちの為に用意したように。

 

「えっとね、まず――――」

 

 移動しながら風が、この突然変わり果てた謎の世界について説明を始めた。

 自分たちに端末のアプリを見るように言う。

 それから風は、自身が『大赦』から派遣された存在であると自分たちに告げた。

 それを前提とすることで、実に多くの情報を友奈たちにもたらした。

 

 まず、この世界は『樹海化』という神樹様によって引き起こされた現象であるという。

 自分たちは、神樹様から『勇者』としての特別な御役目を授かったのだと。

 そして壁の外からやってくる敵である『バーテックス』という存在を自分たちが倒さなくてはならない。

 そうしなければ、敵が神樹様に辿り着いた時、世界が死ぬという。

 

 大体こんな感じの説明を東郷と共に聞いていたが、心中穏やかではなかった。

 ある程度の説明が終わり、風からの説明を聞いた友奈も状況をなんとなく理解できた。

 その上で改めて友奈は、あの時別れてしまった亮之佑の事を風に聞く。

 答えはすぐに返ってきた。

 

「皆、アプリを見て」

 

 彼女の声に導かれるままに、NARUKOの隠し機能の一つだというアプリの地図を見る。

 そこには自分を含めた少女達の名前の表示が記載されていた。だが少年の名前は無い。

 

「左上の方に移動してみて」

 

 言われるがままに指で画面をスライドし――――居た。

 “加賀亮之佑”

 彼がいるという事実に、友奈は心の底から安堵したが同時に不安に思う。

 自分たちの敵となる存在―――今表記されている乙女座―――と距離が近すぎる事に。

 

「どうして亮くんだけ、こんなに離れたところに……」

 

「分からない。もしかしたら何かの不具合かもしれない。でも見たら分かるけど、今亮之佑と敵との距離が近すぎる。だから……」

 

「だから、急いで移動しているんですね」

 

 風の言葉を引き継ぐ。

 そうして急く足を抑え込み、東郷の車椅子を押す。

 出来るだけいつも通りに押しているはずだが、時折不安そうに東郷が自分を見てくる。

 そんな東郷を安心させるべく、すばやくいつも通りに笑顔を作る。

 しばし一行がスマホに従い移動し無言になる中で、再び風が口を開く。

 

「友奈、東郷、樹……黙っていてゴメンね」

 

 それは謝罪の言葉だった。責任感の強い少女だと友奈は思う。

 自分たちを勇者部に所属させるという事は大赦の命令だったと、風は移動の中で告げた。

 「何もなければずっと黙っているつもりだった」と風は言った。

 

「風先輩は……」

 

 一人で抱え込んで、これまでずっと自分たちと一緒に部活に励んできた先輩。

 隠し事を、血を分けた妹どころか誰にも告げることなく、バレることが無いように隠し通してきた。

 それがどれだけ辛いことが、バカな自分にも分かった。

 だからこそ、先頭を歩くやや俯きがちになっている風に友奈は話しかける。

 励ますように。

 讃えるように。

 

「風先輩は皆の為を思って黙っていたんですよね。ずっと一人で抱え込んで打ち明けることも出来ずに」

 

「…………」

 

「それって、――――それって、勇者部の活動目的通りじゃないですか」

 

「―――っ」

 

「風先輩は悪くないですよ」

 

 息を呑む風に、どうしてもこれだけは告げたかった。

 そうだ。風は悪くない。悪いのはその敵なのだ。

 友奈にとって大切な日常を壊し、神樹様を倒して、世界を壊そうとする悪い敵。

 そんな悪い敵が来るなら倒してしまおうと友奈は考えた。

 友奈の特技は、父から習った古武術だ。敵というのをまだ見てはいないが、なんとかなるだろう。

 なせば大抵なんとかなる、だ。

 

 ――そんな考え自体が甘いことを、友奈はすぐに理解する。

 

「え……?」

 

 そう呟いたのは誰だろう。

 それは、いつだったか東郷と見た戦艦のような大きさだと感じた。

 もしくは亮之佑と一緒に見たアニメの巨大なモンスターのようだとも思った。

 あんな存在が、実際にいるなんて思いもしなかった。

 

「―――――っ」

 

 それを見たとき無意識に腕を押さえる。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 それは、怖い事だけを覚えていた、小さな頃に見た悪夢の様だった。

 何が怖いとかではない。理屈とかではない。

 これからアレと自分たちが戦わなければいけないと言うのか。

 だけども、あんな存在にどうやって立ち向かえばいいと言うのだろう。

 

「―――――」

 

 いつの間にか冷え切った手で、震える腕を必死に隠す。視界が滲むから制服の裾で拭う。

 せめて東郷にその震えが伝わらないように、自分の腕に爪を立てる。

 この世界で唯一、異質にして浮いている物体。

 端末で確認する限り、アレが乙女座【ヴァルゴ・バーテックス】というらしい。

 

「アレが、バーテックス。世界を殺す人類の敵」

 

 淡々と事実を風は告げる。

 先ほども聞いた説明ではあったが、説明と実物は違う。それを理解した。

 

「お姉ちゃん……」

 

 発せられる震え声に目を向けると、樹が姉にすがるように恐怖で顔を歪ませる。

 どうすればいいのか、どうしたらいいのか、それを姉に求める。

 震える妹を抱きしめ、風は先の説明でも触れた事を繰り返すように告げる。

 そんな中、樹の恐怖が伝染したかのように、ついに東郷も弱音を吐く。吐かざるを得なかった。

 

「あんなのと……戦える訳がない」

 

「方法はある。戦う意志を示せば、このアプリの機能がアンロックされて、神樹様の勇者になることが出来るの」

 

 端末の液晶を見つめる。

 そこには芽のアニメーションが描かれていた。恐らくコレをタップするのだろう。

 未だに迷いがある。当然だと思う。いきなりすぎて自分にはついて行けなかった。

 端末を見下ろす視線を上げて、再び友奈は目の前のバーテックスを見つめた。

 

「…………ぁ」

 

 同時に気が付いた。

 そして刻々と変化する状況とはいえ、その中で一瞬でも彼を忘れていたことを思い出した。

 

 

 

 それは、肉眼で確認できるようになったから分かった。

 先ほどから乙女座は、浮遊する地面に近づく尾のような部分を膨らませボールのような物を放っている。その方向は無差別的だ。

 距離的に友奈からはボールのような小さな物に見えたが、近づけば途轍もなく大きな物だろう。

 それを指摘した東郷に釣られるように皆で見た。

 

 その内の一つが偶然、近くに落ちた。

 爆発。

 悲鳴。

 黒風が衝撃と共に髪をなびかせるどころか、身体ごと持っていかれそうになった。

 とっさにその爆風から東郷を身をもって守り、樹を風が庇う。

 

「こっちに気が付いた……?」

 

「いや、違う。アレは……流石と言うべきか、もう戦っているのよ」

 

 東郷の疑問に、風が答える。

 誰が……? その答えは明らかだった。黒煙の中で舞い上がる暗い影。

 顔までは見えないが間違いない。亮之佑だった。

 彼の姿を認識すると同時に、素早く風が状況を判断する。

 

「……友奈。東郷を連れて隠れてて」

 

「でも、先輩」

 

「亮之佑なら、アタシがなんとかするから」

 

「―――はい」

 

 彼のことは任せてと、言外に告げる風をカッコいいと思った。

 同時にそんな先輩に頼るだけの自分が情けないと思った。だが同時に車椅子の東郷も守らないといけない。それが免罪符という形で、恐怖に怯えるだけの自分を許そうとする。

 東郷の車椅子のグリップを握りしめ、近くの根に移動し身を隠す。

 

「樹も……」

 

「何があっても―――!」

 

 風の言葉を樹が遮る。

 いつも大人しい樹にしては珍しく声を張り上げ、風が口を閉じる。

 こういう状況で一番芯が強いのが樹だと、友奈は思った。

 

「何があっても、ついていくよ」

 

「樹」

 

「ずっと一緒だよ。お姉ちゃん」

 

「――――よし、樹。続いて!」

 

 そんな彼女を見て風は覚悟を決める。

 戦うという覚悟が、何があろうとも自分が勇者部を、樹を守るという意志が端末の機能をアンロックする。そんな彼女に付き添うように、続けて樹もアプリの機能を開放する。

 ―――――その瞬間、二人の携帯から溢れるほどの光が彼女たちを覆った。

 

「綺麗……」

 

 そう東郷が呟くのも無理はないと思った。

 端末の光が途切れると同時に、徐々に二人の変身した姿が明らかになった。

 

 まずは犬吠埼風。

 金色の光が風を纏い、黄色を中心とした衣装を作り出す。

 髪の色も輝きの増した黄金色に変わり、おさげをツインテール状に大きくまとめた髪型に変わる。

 どこからか現れた身長を超えるような大剣を肩に担いでいる。

 太ももの部分に現れた刻印はオキザリス。花言葉は『輝く心』だ。

 

 そうしてもう一人。犬吠埼樹だ。

 爽緑の光が樹を纏い、緑色を中心としたソレは風とは対照的に賢者を思わせる衣装だ。

 髪型や髪の色に変化は見られないが、腕に蔓が巻き付いたような輪っか状の飾りがついている。

 変身の際にウインクをしているのはなぜだろうかと友奈は思った。

 そんな彼女の衣装の背中部分に現れる刻印は鳴子百合。花言葉は『心の痛みを判る人』だ。

 

 友奈の感想としては、カッコいいとカワイイだったが、いずれも二人によく似合うと思った。

 彼女たちは、凄まじい速度でジャンプを繰りかえして乙女座の下へと向かった。

 

「…………」

 

 大丈夫。

 彼女たちになら任せられる。だから自分は東郷の傍で待っていよう。

 風と樹と、亮之佑なら大丈夫だ。

 

「友奈ちゃん」

 

「大丈夫だよ…………――――――あ!」

 

 本当に……? その疑問が胸中に浮かぶ。確かに風は頼りになる先輩だ。この異変にもいち早く対処し自分たちを導いてくれた。樹も風の妹だけあって誰よりも芯が強い子だ。泣き言一つ言わずに、自分の信じる姉と共に戦場に赴いた。

 だが、そんな彼女たちは奮闘むなしく、爆風と共に華奢な肉体を転がす。

 

 そして結局、彼は一人で戦う。

 何度も爆風に晒されても亮之佑は立ち上がる。

 それでも限界が来たのか、たたらを踏んだ。

 それを乙女座は好機と見たのか、これでもかとばかりにボール型の爆弾を直撃させる。

 他には目もくれず。

 何度も、何度も、何度も。執拗に。

 

 その残虐な光景を目の当たりにしながら、友奈は思った。

 このまま何もせずに見ているだけでいいのだろうか……? 

 

「―――よくない」

 

 彼と出会ってから毎日が楽しかった。

 彼が小学校に転校してきてから、ずっと一緒だったのだ。

 亮之佑の見せる摩訶不思議な手品は本当に魔法のようで、何回見ても種を破ることは一度も出来なかった。彼は他の男子とは雰囲気から喋り方まで、子供だとは思えないような落ち着きようだった。それを友奈はカッコいいと思った。

 

 初めて彼女が風邪を引いて倒れた時、何から何までお世話になった。

 男の子とは偶然お向かいに来た亮之佑ぐらいしか当時はあまり喋らなかったのもあったからか、

 彼が見せてくれた優しさは今でも覚えている。あの優しさは本当に心に染みた。

 ちなみにいたずらっ子な気質については、やっぱり男の子だなーと思ったりもした。

 

 風邪を引いて倒れた当時、両親もその時は家におらず、友奈はとても心細かった。

 一緒にいて欲しい。そんな言葉を友奈はどうしても彼に言うことが出来なかった。

 彼は朝から自分の為に頑張ってくれたというのに、

 友奈がこれ以上の我侭を言ったら、彼は迷惑がるのではないかと。

 だから何も言えなかったというのに、こちらを見下ろす眦を柔らかく下げ、

 

『―――傍にいるよ』

 

 一言、そう言ってくれた。

 彼が何気なく呟いた一言がどれだけ嬉しかったかを、友奈はうまく表現できない。

 けれども、こちらを見下ろすあの黒い瞳は今でも覚えている。

 男の子なのに、柔らかくて、少しゴツゴツした掌に包まれた時、友奈は心から安心できた。

 それからは、なんとなく彼を見る機会が多くなった。

 

 両親のように、生まれながらに友奈と過ごすことを定められた存在でもなく、東郷のような同性でもなく、誰の意図もなく、ただただ偶然に導かれて出会い、親睦を深めて、感情を交えて生まれた暖かな想い――――それに友奈はどれほど救われたのだろう。

 

 だからこそ、彼がピンチの時にここでジッと隠れているのは嫌だった。

 友奈が困った時、誰よりも傍にいて一緒に困難を越えてきた。

 そんな亮之佑は、別にそこまで心も体も強い人間ではないと友奈は思っている。

 絶対に後悔しないという強い心を持っていて、

 勇者部の皆や多くの人を思いやれる心を持っていて、

 けれども、彼は特別な人間ではない。

 

 悲しいことは悲しいと思うし、痛みには痩せ我慢をするだけで、怪我をしたら折れてしまう。

 一人でひっそりと泣く時もあるし、血を流しすぎたら簡単に死んでしまう、普通の人間だ。

 家に帰る道を一人で三角巾を吊るし歩く姿は、今でも覚えている。

 

 だから友奈は、亮之佑に傷ついて欲しくない。

 もちろん東郷にも、樹にも、風にも傷ついて欲しくない。

 ならばどうするか。

 

「私が、頑張る――――」

 

 それを口にしたら、後は簡単だった。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 でも、大丈夫だ。

 

 東郷の正面に座りこみ、彼女と顔を合わせる。

 彼女と目を合わせると、聡明な東郷はこれから自分が何をするのか察したらしい。

 流石だな、と思いつつ、

 

「東郷さんは、ここに隠れてて」

 

「駄目、友奈ちゃんが死んじゃう―――!」

 

「ごめんね、東郷さん。でも、嫌なんだ。誰かが傷つくこと、辛い思いをすることが」

 

「友奈ちゃん……」

 

「ここで逃げたら、私は勇者じゃないよ……東郷さん。だからちょっと行ってくるね!」

 

「友奈ちゃん―――!」

 

 震える東郷の体を抱きしめる。華奢な彼女の肉体を優しく抱きしめ……離す。

 そんな自分勝手な自分を無視して、東郷をバーテックスからは見えない位置に移動させる。

 走り出すと、いつの間にか震えが止まっていた。

 端末のアプリを押した覚えはなかったが、されど自分の足を一瞬見下ろすと、ピンクを中心としたシューズへと変化していた。

 

「ぅぉおおおおおおおおお―――!!」

 

 気にせずに叫ぶ。

 体に力がみなぎるのを感じた。

 やがて、そんな自分に気がついたように、乙女座は尾の様な部分から再び爆弾を射出してきた。

 だが、そんなものは関係ない。

 握られた拳をうなりをあげて振るうと、いともたやすく砕けた。

 爆風を潜り抜け、一息に乙女座に跳び近づく。

 

「――――勇者」

 

 関節の上だけが白くなるほどに、強く強く握り締める。

 その腕をピンクの強化プロテクターが覆う。

 友奈の衣装に現れた刻印はヤマザクラ。花言葉は『貴方に微笑む』

 いつの間にか髪もピンクのロングポニーテールへと変化しているが、気に留めない。

 

「パァァァンチ――――!!」

 

 空を走る華奢な体から放たれる拳は、轟と空気を振動させる。

 巨体目掛けて射出される弾丸のような拳が、乙女座の一部を打ち砕く。

 それはまるで、砂糖菓子を噛み砕くが如き容易さだった。

 乙女座を砕きつつ、着地する。

 

「私は、讃州中学勇者部。結城友奈―――!」

 

 友奈は着地と同時に、乙女座に叫ぶ。

 

「私は―――」

 

 それは、己の大切な日常を脅かす敵への宣戦布告であり。

 それは、敵に対して上げられる自らの名乗りであり。

 

「――勇者になる!!」

 

 それは、臆病な自分に向けられた“誓い”であった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第二十九話 日常は、己の手で掴み取る」

 ――火力が足りない。

 

 既に乙女座との交戦を行い、どれだけの時間が経過したのだろうか。

 敵の尾の部分が膨らむのを見る。

 発せられた白い大岩のような物体が飛ぶ瞬間に回避に専念する。

 先ほどまでいた場所が、黒焦げのソレへと容易く変わった。

 

「――っ」

 

 避けたとはいえど、爆炎と衝撃がバリア越しに伝わる。

 爆発によるダメージは致命傷判定なのか瞬時にバリアが発生する。

 だが、それを通して身体の骨を揺らすような衝撃に、意識が飛びそうになる。

 

「―――――――、―――――ああ!!」

 

 奥歯を噛み締め、飛びそうになる意識を繋ぎとめる。

 止まりそうになる足をグリップで叩き、走る。そうして次の爆弾を回避する。

 時に黒煙を突き抜け、時に爆風が己の身体を埃のように叩きつけ地面から舞い上げる。

 

 そんな中で、隙を見て俺はあの巨体に弾丸を撃ち込む。

 

「当たるんだけどな……」

 

 そう、弾丸は当たるのだ。

 リアサイトで狙いを付けずとも、撃鉄を倒し、銃口から発せられる紅の銃弾は真っ直ぐに向かう。

 爆風を通り抜け、多少の狙いはズレてもどこかしらには当たりはするが、それだけだ。

 

 拳銃が作った穴は瞬時に直される。

 そして俺が立ち止まった瞬間を狙うかのように尾が膨らむ。それを見て俺は回避に専念する。

 

 その繰り返しだった。

 

「これで13回目だ」

 

『そして同時に、キミが死んだ回数でもあるね。バリアがあって良かったね』

 

「お前らの時代ではどうやって倒したんだ……?」

 

『勘違いしないで欲しいのだけれども、ボクたちはアレを倒したこと自体はないんだよ』

 

 ある程度、爆発のタイミングといったものを見切れるようになってきた。

 そういった僅かに生まれる余裕と銃弾の再装填中に話しかける。

 現状の兵装は拳銃一丁と、剣が一本。

 俺が持っている拳銃自体は、本来のモノとは比べ物にならないほどの火力はある。

 

 しかし、銃口から発射される弾丸は一つで、連射しても精々が7発。

 あの巨体をハチの巣にはできず、さりとて押し切れるほどではない。

 加えて、剣の間合いに届く前にスカーフが此方を狙い、近づくことを許さない。

 尚且つアレに気を取られすぎると爆弾で押し戻され、気がつくと敵の傷は完治している。

 

 ジリ貧とはこのことだ。

 

 そういった中、先人の知恵を借りるべく初代に聞いてみたが、

 知らないとのことだ。

 

「どういうことだ―――?」

 

『言葉通りだよ。ボクたちの時代では、アレを撃破するなんて無理だった。せいぜいが特攻の真似事で、倒し方については結局分からなかったんだ』

 

「お前、肝心な時にソレって……」

 

『火力の方については、ない訳じゃないのだけれども……』

 

 現状、目の前の怪物の撃破方法が分からない。

 知恵を借りようにも、過去にアレを倒した例がないと言う。

 そんな時に、なにやら初代が渋るのを見て問いかける。

 

『因子量は十分だ。簡単に言うと、勇者レベルが足りない』

 

「どういう……ぐっ―――――」

 

『いいかい、半身。キミは今の段階では、一般人に強靭なバリアが加わっただけだ。それでもイージーだとボクは思うけどね。なんせ簡単には死なない、合理的システムに変わっているようだしね。だけど、単純に武器が弱い。だから今のキミがすべきことは、援軍が来るまでここで持ちこたえ、バーテックスの足止めに徹することだけだ』

 

 爆風の回避に専念する中で、初代は残酷に告げる。

 それは根本的な問題であった。

 勇者は、“無垢な乙女”が選ばれる。

 

 俺はその制約に対して、自分の因子と初代の因子を結ぶという裏技で勇者になった。

 勇者になったはいいが、例外に対する問題も同時に発生した。

 

 どれだけ勇んで闘いに赴こうが、戦うための武器が弱い。

 もちろん今左手に持つ黒い拳銃も、一撃で人間を殺せる強大なパワーがある。

 

 だがそれは人間相手には通用しても、怪物相手には大して通用しない。

 初期装備でいきなりボス戦に挑むようなもの。だから仲間が来るまで耐えること。

 これが現状の最善だった。

 

『正直、バリアなんてボク達には無かったからね。今回は耐えるといい』

 

「……そうかい」

 

 初代の生きた時代がどれだけハードモードな時代でも、今は今だ。

 そうしてジリ貧となり、悪戯に体力と気力が削れる中で、風と樹が援護に来た。

 外見が制服とは異なるため、彼女らが纏う衣装が彼女らの勇者服なのだろう。

 

「風―――! 倒し方が分からないのだけれども―――!」

 

「えっ……―――――――樹っ!!」

 

 爆発。

 

 残念ながら、初めての戦闘ということもあり、彼女たちも爆発の巻き添えを喰らった。

 一度でもバーテックスを見た俺とは違い、彼女たちは初めての戦闘だ。

 実際は俺も星屑を相手にした程度だが……。

 

 爆発。

 

 より正確には樹を狙った爆弾を風が庇い、そこを連続して狙われた。

 爆発の衝撃が叩くが、変なマスコットが空中に現れ、彼女達を守るようにして現れた。

 風には青色の犬のような何か。樹には緑の毛玉のような何か。

 それを見て反射的に疑問の声が出た。

 

「アレは……?」

 

『精霊だ。キミにも一体だけついている。彼らがバリアや武器の担当をしていると考えていい。それよりも余裕な立場かい? ……集中しなよ半身』

 

 冷ややかな声に気づかされる。

 慌てて回避しようとするも限界が来たらしい。

 足の踏ん張りが利かなくなり、数秒動きが遅れた。

 瞬間、視界が暗転する。

 

「や――――――――、あ――――――――」

 

 衝撃が意識を貪り食った。

 恐らく地面に倒れたのだと思う。

 気が付くと、視界が上下逆になっていた。

 

「―――――ぎっ」

 

 衝撃に視界が赤く染まる。

 こちらがどのような状況でも敵は待たず、逆になった視界から死が落ちてくる。

 俺を殺すべく上から降り注ぐ白き爆弾は、明確に俺に向かって叩きつけられる。

 何度も、何度も、何度も。

 

 如何に強靭なバリアがそれを防いでも、身体に伝う振動は骨に、魂にまで響く。

 身体がバラバラになりそうだ。

 

「―――――」

 

 意識が飛ぶ。戻る。飛ぶ。

 痛みはない。だが、何もできないという無力感に包まれ出す。

 続けて起きる衝撃に、腕で頭を守らなくてもいいのに反射的に庇ってしまう。

 いつまでバリアが保つのか分からないが、バリアが切れる時が俺の死だ。

 

「―――」

 

 肉体が震え、衝撃によって動けない。

 そんな時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勇者パァァァンチ――――!!」

 

 爆発を超える衝撃が、乙女座に攻撃を止めさせた。

 震える顔を上げると、友奈が空から乙女座に風穴を開けて落ちてきた。

 その様子を呆然と見ていると、なぜか彼女はバーテックスに向かって名乗りを上げた。

 

「――――私は」

 

 その姿は凛々しく、美しいと感じた。

 

「勇者になる――――――!!」

 

 

 

 ---

 

 

 

「亮ちゃん、大丈夫……?」

 

 爆発の痺れも取れだし、動けるようになった頃、友奈が俺に駆け寄ってきた。

 赤く染まる視界も漸く正常に稼働し出す。

 震える身体を悟られないように、軽口を叩く。

 

「――大丈夫。友奈こそ、知らない内に髪伸びた?」

 

「えっ……本当だ!」

 

 俺の指摘を受け、友奈は自分の髪を確かめると、伸びた自分の髪に驚いた。

 なんで気づかないのかと疑問に思ったが、それだけ急いでいたのだろう。

 

「で、友奈。アレの倒し方って知らない?」

 

「えっ、殴り飛ばすとかじゃないかな……?」

 

 お互いの瞳を見合う。彼女の目を覗き込むと、やや潤んだ赤いガラスがこちらを見据える。

 そんな彼女に尋ねると、こういう時は脳筋な彼女らしい回答を頂くが、それは恐らく不正解だろう。

 いつだったか彼女の視線を誘導したように、赤い手袋で視線を誘導して実際に見せる。

 

「それじゃあ回復するんだよ」

 

「うーん……。風せんぱーーい! どうやってこの怪物を倒したらいいんですかーーー?」

 

 友奈が叫ぶと、爆発による気絶から立ち直ったのか、

 樹と風が立ち上がり呼びかけに答えた。

 

「友奈、亮之佑、樹も、聞いて! バーテックスは通常攻撃だとすぐに回復するの。だから、“封印の儀”っていう特別な手順を踏まないと、絶対に倒せない―――!」

 

 そういう情報は早くから知らせて欲しかった。

 そう俺は思うが、そもそもなぜソレを風が知っているのだろうかと疑問に思う。

 だが今は、何やら事情通らしい彼女に従っておこう。

 

 どの道、現状の俺だけでは倒せないことは、文字通り骨身に染みたのだから。

 

「どうやるの……?」

 

「攻撃を避けながら説明するから、避けながら聞いてね! 来るわよ!」

 

「ハードだよぉー!」

 

 そう樹がぼやくのも無理はないと思うのだが、こればかりはどうしようもない。

 乙女座による何度目かも分からない爆弾攻撃を避けるのに専念しつつ、風の言葉に耳を傾ける。

 

 封印の儀の仕方を教わると、やり方は至ってシンプルだった。

 1.勇者が封印の対象を囲む。

 

 爆弾を回避しつつ、位置につくのは比較的簡単だった。

 2.敵を抑え込むための祝詞を唱える。

 

 友奈や樹がスマホを片手に祝詞を唱えだす。

 彼女らに続いて俺も読み上げようと端末を立ち上げ、アプリの中で文面を探す。

 しかし、ここで問題が発生した。

 

「風先輩―――!」

 

「どうしたの!?」

 

「俺のスマホに祝詞が載ってません!」

 

「えっ……。あ、いや大丈夫。要は―――」

 

 正直、結構マズい展開かと思っていた。

 むしろ誰かの陰謀かと言わんばかりに、

 俺の所持する端末には、祝詞も封印の儀についても載っていない。

 

 そんな俺の魂の訴えを聞き届けたように、友奈や樹が祝詞を唱える中で、

 風は不敵な面を浮かべて、コクリと俺に頷く。

 

「――――魂を込めれば、言葉はいらないのよ!!」

 

「えぇ……?」

 

 そのまま、身の丈を超えた大剣を地面に叩きつける。

 要するに、勇者が囲む⇒祝詞or代わりとなる武器を地面に打ち付けるらしい。

 これには思わず、「最初から言ってよ〜!」と樹が怒るのも仕方がないと思う。

 友奈達がやっていたことが見事に茶番となりかけた瞬間だった。

 

「…………」

 

 風の真似をするように、俺も無言で剣を地面に振り下ろす。

 

「……鬼」

 

 直後、俺の目の前に黒い禍々しい角の生えた鬼の人形をデフォルメしたような生物が現れた。

 全体的に金色の装飾が施され、丸々とした紅の瞳は凛々しい。

 

『茨木童子。キミの精霊であり、彼女がバリア担当だ』

 

 言葉少なに初代が告げる。

 

「可愛いじゃないか」

 

「……」

 

 そう思わず言うと、小鬼がクルリと此方を向き、目が合った。

 思わず無言で会釈すると、礼儀正しい精霊のようで前に傾き、会釈のようなことを返してくれた。挨拶ができる子は俺の中では好印象なので、一目で気に入った。

 

 

 こうして、『封印の儀』が開始した。

 

 

 どこからか花びらのような金銀の渦がバーテックスを覆う。

 すると突然――――、

 

「なんかベローンって出たー!」

 

 友奈がそう叫ぶのも無理は無いだろう。

 ずっと顔だと思っていた部分がぱっくりと割れ、頂点を下に向けた四角錐が飛び出す。

 紫色の形をした四角錐が顔から出ると共に、訳知り顔の風が説明をする。

 

「封印すれば、御霊が剥き出しになる。アレは言わば心臓。破壊すればこっちの勝ち!」

 

 こういう事を言うと怒られるかもしれないが、俺は少し気分が高揚していた。

 だってそうだろう? 

 

 頼もしい仲間たちと迫りくる敵に立ち向かい、神樹を守る。

 銃を撃ち、剣で切り裂き、明日を掴み取る。

 失敗すれば大変なことになるのは分かってるというのに。

 

 倒せないと思っていた敵は明確に倒せる手段があり、致命傷はバリアが防いでくれる。

 爆発の衝撃を受けすぎて脳内から分泌液が出たのか、やけにテンションが上がり始めた。

 

「アタシの女子力を込めた渾身の一撃をォォォ―――!!」

 

 そんな中、風の女子力(物理)が放つ大剣の一撃は、僅かにだが御霊に傷をつけた。

 寧ろ一撃で砕けないその頑丈さは当然かと思いつつ、湧き出す高揚感に逆らわず跳ぶ。

 常人には決して出すことの出来ない高度まで一息に跳び上がり、着地。

 

 傷口に銃口を向ける。

 

「……お返しだ」

 

 全弾7発を至近距離から放つ。

 銃弾の一撃は、巨体に穴を作るほどの火力を誇る。

 だが一発の火力に対して、敵の回復力が上だったことが今回の戦闘での問題であった。

 

 しかし、弱点が剥き出しになり、尚且つこの至近距離ならば関係ない。

 

「お前の顔は見飽きたんだよ……!」

 

 多少大きいとはいえ、所詮は御霊。

 銃口から射出される7つの銃弾は、風が作った傷口より侵入する。

 弾丸は御霊の中身を蹂躙し、反対方向から飛び出し緋色の軌跡を見せた。

 そうして御霊は砕け散り、溢れ出た光が天上に立ち昇っていった。

 

 

 心臓たる御霊が破壊されたことで、巨体の方にもヒビが入り、やがて崩れ出した。

 バーテックスを構成する身体が、徐々に黄色の砂状へと変化している。

 

「……砂になっている」

 

 その様子を見上げていると、やがて勝てたのだという感慨が押し寄せる。

 ふと、周りの根が黒く焦げていることに気が付く。

 この現象に関しても風が何かを言っていたと思い出すが、まあいいだろう。

 後でいくらでも聞く時間はあるのだから。

 

 そう思って俺は喜びの声を上げる可憐な戦乙女達の下に歩き出す。

 そんな中、この世界にヒビが入った。

 敵を倒したと同時に、この世界の役割も終わりなのだろう。

 

「ん……? 友奈……?」

 

 世界が白く染まり出す中。

 何やら怖い顔をした友奈がこちらに走ってきた。

 

 あの鬼神の如き顔は、昔どれぐらい悪戯をしたら怒るかの実験をした末の顔に似ている。

 もちろんあの時はそれも想定して、謝罪と大量の供物(お菓子)を捧げて許して貰った。

 

 いや、今回は何もしていない……はずだ。

 そんな思考の中、友奈との距離が一気に近づく中で、衝撃に身を固める。

 

 衝撃は僅かだった。

 

「えっと……?」

 

「………………今度は」

 

 友奈は大きく両手を広げて俺に抱き着いてきた。

 長いピンクの髪はふんわりと俺の鼻腔をくすぐり、彼女の体温がじんわりと伝わってくる。

 今になって怖くなったのだろうかと俺は友奈の行動に対して推測を立てる。

 

 とりあえず、こちらを見る風がにやけているので睨みつつ、少し赤い顔をする樹には微笑む。

 それから暖かな彼女の身体を抱き返すと、ボソッと何かを友奈が言った。

 聞き返すと、少女は至近距離でこちらを見上げる。

 

「今度は、一緒にね」

 

 その一言で、最初は別の場所にいたっけと思い出した。

 次はどこに着くのか。少し不安になって友奈の華奢な身体を抱き寄せる。

 

 そして白く世界が染まる中、その言葉と共に彼女は俺に微笑みを向ける。

 そんな友奈の潤んだ赤い瞳はやけに印象的で、薄紅色の瞳には俺だけが映り込んでいた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 侵略者を撃退した後、友奈が抱き着いたおかげか、

 帰りは皆と同じく、学校の屋上に帰り着いた。

 屋上に設置されていた小さな祠を基点に、神樹様が戻してくれたのだと風が言っていた。

 

 視線を下ろすと友奈が俺に抱きついている。

 今更な距離感だったが少し恥ずかしくなってきた頃、

 急に俺から離れて、友奈は少し遠くにいた東郷の下へと駆け寄っていった。

 

 

 

---

 

 

 

 その後、諸々の説明などは次の日に。

 つまり今日の放課後にするらしい。

 で、放課後。俺は一世と適当に雑談紳士トークを交わしていたという訳だ。

 

「亮さん、知ってますか? 昨日隣町で事故があったらしいですよ」

 

「へぇ、そうなんだ。よそ見か飲酒か……」

 

「それが、肝心の内容を忘れちゃって。たしか2、3人ぐらいが事故ったらしいですね」

 

「なんだそりゃ……? あっ、そろそろ部活だ。またな」

 

「はい、また明日」

 

 一世と別れて、部室へと向かう。

 さっき聞いた話は、今朝見たニュースには無かった。

 正直人が何人死のうが、それこそ目の前で死なない限りどうでも良かった。

 そう思うのが当たり前に感じるのは、生前の名残だろうか。

 

 こちらは平和だ。

 殺人どころか、宗教観と倫理観によって、秩序は守られている。

 だから珍しいのだろう。ちょっとした事件でも動物園でパンダを見る感覚なのだろう。

 そんな事を考えながら部室の前にたどり着く。

 

「亮之佑、ただいま見参――!」

 

「お、来たわね。座って」

 

「いーーす」

 

 扉を開けて部室に入ると、東郷、友奈、樹、そして風と全員が集合していた。

 

 風は俺に座るように告げ、引き続き黒板に向かい直り、チョークでなにやら書き込んでいた。

 友奈は頭に羽の生えた牛のマスコット……精霊を乗せている。

 余っていた椅子を持って女子の群れに向かうと、樹が場所を開けてくれた。

 

「流石、俺の妹だな」

 

「アタシのよ」

 

 チョークというツッコミを右手で掴みとり、風に返す。

 礼を言って受け取った風は左手で手刀を作り、直接俺の頭をチョップした。

 

「あいた」

 

「さて、そろったし説明を始めるわよ」

 

 

 

 ---

 

 

 

「まずは皆、無事でよかった」

 

 こちらを見渡し、満足げに頷く風。

 彼女による説明会が始まった。

 最初は戦い方について話していたが、そもそも俺の端末にはテキストなんて物はない。

 そう抗議すると、

 

「それに関しては、大赦に連絡を取るわ」

 

 とのことだ。色々と自分の端末に不備が多い事に苛立ちを感じるが、無言で続きを促す。

 俺の促しを受け、風は頷き返し、続きの説明を開始する。

 その話自体は以前、初代が言っていた事と一致しているのだが。

 

「注意事項として、樹海がなんらかのダメージを受けると、その分日常に戻った時に何かの災いとなって現れると言われているわ……」

 

 ふと説明を切り上げて風は俺を見てくる。

 

「一応もう一度説明しておくと、あの封印も長いことすると樹海が枯れて、悪影響がでるから注意ね」

 

「はーい!」

 

 元気よく返事する友奈を尻目に、俺も無言で頷き了承の意を示す。

 なるほど、樹海の根はあらゆる生物が混ざり作られた、いわば生命の根。

 アレが枯れる、ダメージを受けるということが直接的に現実に反映されることになるのか。

 

 ふとさっき言葉を交わした一世の言っていたことを思い出す。

 

 あの樹海化は世界の時間を、文字通り止めるような強大なる力がある。

 世界といっても四国だけなのだが、隣町での交通事故は恐らく無関係ではないのだろう。

 

 俺は風が書いた下手糞な絵を見ていると、風も俺の視線誘導を受け自身のアートを見る。

 

「風先輩」

 

「何……? これ、うまいでしょ」

 

「ハッ、……えっとそうではなく。さっきバーテックスは全部で何体だって言いましたか……?」

 

 思わず鼻で笑ってしまう。それを誤魔化す訳ではないが、質問をする。

 先ほど風の説明を聞き間違えていた訳ではないとすると……。

 

「うん、13体よ。それが神樹様からのお告げらしいって。どうかした?」

 

「い、いえ、大丈夫です」

 

 今はソレについてどうこう言ってもしょうがない。

 12体と思ったが、ソレを聞けば逆にどこからの情報かを言わなければならなくなる。

 

「……」

 

 やがてある程度の説明が終わったらしく、東郷や友奈、樹が思い思いに風に質問をする。

 

「この勇者部も先輩が意図的に集めたメンツだったわけですよね?」

 

「うん。適正の高い人たちは大赦の調べで分かっていたから。私は神樹様を奉っている大赦から使命を受けているの。この地域の担当として」

 

「……知らなかった」

 

「黙っててごめん」

 

「次は敵、いつ来るんですか?」

 

「明日かもしれないし、1週間後かもしれない。そう遠くはないはずよ」

 

 ある程度聞くことも無くなったのか、樹も友奈も無言になる中。

 艶やかな黒髪を垂らし、俯き姿勢だった東郷がポツリと呟いた。

 それは、ある種の非難の意も籠められていた言葉だった。

 

「―――なんで、もっと早く勇者部の本当の意味を教えてくれなかったんですか」

 

「東郷……」

 

「樹ちゃんも、亮くんも、友奈ちゃんも。皆死ぬかもしれなかったんですよ……!」

 

「ごめん。でも、勇者の適正値が高くてもどのチームが神樹様に選ばれるか、敵が来るまで分からないんだよ。むしろ変身しなくて済む可能性の方がよっぽど高くて……」

 

「……」

 

 東郷が怒るのももっともだが、何かが俺の中で引っかかった。

 アレは宗一朗との酒飲みをした中での会話だ。

 あの時。確か、適正値が高い俺は勇者としていずれ選ばれるだろうと言っていた。

 あの時点で宗一朗は、俺が勇者になると分かっていたことも踏まえて引越しをさせた。

 

 それはつまり。

 ランダムではなく、“適正値の高い人間”が確実に選ばれるというものではないのだろうか。

 しかしそれを証明する術も証拠もなく、風に向けられる東郷の非難は続く。

 

「こんな大事なこと、ずっと黙っていたんですか……」

 

「ぁ……」

 

 震える声で東郷はハンドリムを操作し、部室から出て行った。

 扉から消える黒髪を見届けた後、友奈がフォローをするべく追いかけていった。

 さて、俺はどうするかと考えていると風が問いかけてきた。

 

「亮之佑ぇぇぇ―――!」

 

「はい」

 

「アタシ、どうしたら良かったのかな……?」

 

「ふむ、そうですね。前提として、風先輩が悪いことをしたとは思えません。皆のことを思って黙っていたのはいいとして。実際には俺たちが当たりであった。つまり……」

 

「つまり……?」

 

「謝りましょう」

 

「そうだよね、うん。ありがと……犬神!」

 

 風の呼びかけに現れるのは、全体的に薄青色の犬のような浮遊生物。

 以前にも見たことがあったが犬神というらしい。

 犬神を相手に謝罪練習を始めた風を視界から外し、テーブルで占いに勤しんでいる樹に声を掛ける。

 

「ちょっとトイレに行ってくるね」

 

「あ、はい。分かりました」

 

 部室から出て悠々と男子トイレへと向かう。

 放課後になり、幾ばくかの時間が経過した。帰宅部は家に帰り、運動部は外にいるのだろう。

 そんな無人と化した廊下を一人歩いていると、

 

『おかしいね、12体のはずだったのに』

 

「人前では話さないって約束だったろ、初代」

 

『周りに人はいないじゃないか。ケチケチしないでくれよ、半身』

 

「どこで誰が見ているかなんて分からないんだ。今誰かに見られたら俺は独り言を呟くやばい人になるだろ」

 

『今更だとボクは思うけどね……』

 

 話をやめる気のない少女相手に、せめてもの対策として端末を耳に当てる。

 最低限これで誰かと会話をしているという体は作れる。

 

「それで、何か用か?」

 

『そう急かすなよ。犬吠埼姉も言っているだろ。急かす男は――』

 

「初代」

 

『ん。用件なんだけどね、残念だが先約のようだ』

 

 端末からけたたましいアラーム音が鳴り響いた。

 “樹海化警報”

 実際には端末の液晶を見る間もなく、すぐに世界はその有様を変えた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 いつの間にか纏っていた勇者服を見下ろす。

 

「…………」

 

 赤い手袋が装着した主人を歓迎する中、端末が震える。

 携帯を手に取ると、相手は風だった。

 

『亮之佑、無事!?』

 

「ええ。大丈夫ですが……」

 

 周囲を見渡しても、無限に続くような色とりどりの根が森を作り出す。

 樹海。

 適当な根に座り込み、アプリを並行して操作する。

 

「風先輩、大変です」

 

『えっ、まさか、そっちに敵が!?』

 

 そうだったらまだマシとも言えただろう。

 だが俺の手の中で広がる端末。そこから示される地図と表示は残酷なことを俺に教えた。

 

「俺……今愛媛にいるようです」

 

『―――――』

 

 絶句したのは直接顔を見なくても分かった。

 続いて、「なんですとぉー!!」という声は俺の鼓膜を破裂させんとばかりに静寂なる空間を貫いた。

 

 

 どうやら前回とは異なり、バーテックスから滅茶苦茶遠いところに移動したらしい。

 この感情をうまく例えられないが、簡単に言うとイラついた。

 一度大赦で調整してもらいたいものだ。マジで。

 

 「こっちは気にしないで、ゆっくり来なさいよー」なんて余裕ぶった彼女達と電話を終了し、

 俺は地図を片手に跳躍を繰り返していた。

 

 正直に言って難航した。

 道など無い分かりにくい樹海では、長時間の移動は迷子になりそうだった。

 

「――――っ」

 

 足が逸る。

 端末で見る限り、友奈達は既に交戦しているようだ。

 今回の敵は3体。

 

 蟹座【キャンサー・バーテックス】

 蠍座【スコーピオン・バーテックス】

 射手座【サジタリウス・バーテックス】

 

 敵を囲む形で、友奈たちの名前の表記が移動している。

 その場所から左に大きくスライドすると、

 俺の名前が表示されたマークが移動しているのが分かった。

 

「……」

 

 焦ってはいけない。

 慌ててはいけない。

 どのような状況でも冷静さを欠いた者から死んでいくというのは加賀家の格闘術での教えだ。

 そう自分に言い聞かせていると、平然と初代が話しかけてきた。

 

『さて、それじゃあ話を続けようか』

 

「お前は状況を分かって言ってんのか―――!」

 

『落ち着けよ。慌ててもすぐには辿りつけないし、キミにとっても役立つ朗報だ』

 

 頭では分かっているはずなのに冷静になれなかった脳が苛立つ。

 だがそれ以上に底冷えした彼女の声は、冷や水を浴びせたように俺にいつもの落ち着きを与えた。

 

「……すまない」

 

『いいさ。キミの装束なんだが、拘束具みたいなバンドが付いているだろ?』

 

 声に導かれるまま己の衣装に目を向けると、

 確かに身体中に黒々した結束バンドらしき物が腕や足などに巻かれている。

 着地をし、跳ぶ瞬間に聞き返す。

 

「そういうデザインなんじゃないのか……?」

 

『いや、ボクの時はこんな物は無かった。誰かが意図的に付けたんだろう。そうでなくては不自然だ』

 

 なにかしらの自信というか、実際に身に着けていたらしい彼女の意見だ。

 彼女の言葉によって浮かぶ疑問の1つ、“誰が”という事は今は置いておこう。

 だが、それが何だというのだろうかと俺は疑問に思う。

 当然浮かぶ疑問を待っていたと言わんばかりに、初代は答えてくれた。

 

『キミの左足の部分の拘束具が外れてる。恐らく他の兵装も使えるはずだ』

 

「えっ、マジで!?」

 

 火力不足を補うべく対策を一晩考えていたが、意外とあっけなくなんとかなったらしい。

 

『そもそも、ボクが身に纏っていたソレと剣と拳銃だけで戦う訳無いじゃないか。それらはむしろ人間用でね、バーテックス用のは別にあると言っていい』

 

「人間用って」

 

『かつて敵はバーテックスだけではなく、後ろにいる人間たちによる謀反も粛清しなくてはならなかったのさ。身内すら味方とは言い切れなかった。いつの時代にも、何かに反発する組織というのはいるんだよ。自分たちの行いが正義と盲目に信じてね』

 

「―――――」

 

 何を言っているのかと絶句し想像する。

 足を引っ張り合いながら、敵と戦う。

 身内すら安心できるとも思えず、不安と裏切りと、殺意が蔓延っていた時代。

 

『時間とは残酷だね。腐っていた民衆が教育によって少しずつ変わってきたのに、大赦は大赦で少しずつ腐敗していった。封印工作は恐らく端末に仕込まれたと、今キミが考えている事は間違いではないだろう』

 

「他の派閥か」

 

『恐らくね。最初の変身後、入院時に端末を回収された時に何かしらやられたのかも知れないね』

 

「いつの時代も、人間の敵は人間って事か」

 

『そういうことだね……。なんにせよ、まずは武器の解放が目標かもね』

 

 初代と会話して、およそ20分ほど経過した頃。

 

「――――見えてきた!」

 

 端末で確認したところ、既に3体いたはずのバーテックスの内、2体はすでに殲滅済み。

 残るは射手座のみとなっていた。

 

 射手座は歯を剥き出しにした頭部の下にもう1つ同じような歯を剥く顔がある。

 また側面は空洞のようになっており、青と白の装飾が施されている。

 乙女座と比べるとインパクトのある見た目だと俺は思った。

 

 有効射程距離に入る。

 既に彼女達が『封印の儀』を開始していたらしい。

 

 だが、射手座は御霊を吐き出す寸前に、

 最後の抵抗として己の手前の地面に針のようなものを発射し、巨大な砂塵を巻き起こしていた。

 

 吐き出された御霊は高速回転と同時に砂塵を巻き込み、砂嵐と化す。

 外側からは御霊の姿が見えなくなる。

 

「さて……」

 

 そういった状況で両手に現れるソレは、封印が取れたという軽機関銃だ。

 分隊支援火器でもあるソレは口径7.62mm、重量10kg、銃身長1000mm、ベルト給弾式。

 

「いい趣味だこと」

 

 脳裏に使用方法が浮かび上がり、思わず呟く。

 多少重い程度のソレは、勇者服を着込んだ今の俺にとって扱うのは不可能ではない。

 

『ボクの自慢の一つを当てるとは。なかなかに運がいいね』

 

「生前はガチャ王を自称していてね……」

 

『金の無駄遣いだから止めた方がいいよ、あんなのは』

 

「アレはな……、ロマンを買っているんだよ――――!!」

 

 上半身を前傾姿勢にし、軽機関銃を肩に当て、引き金を絞る。

 どれだけ速いスピードで御霊が回転をしようが関係ない。

 これより放つは、ベースとなったソレに勇者としての力が加えられた、横殴りの銃弾の嵐だ。

 

 拳銃とは比べ物にならない反動が襲うが、無理やり押さえ込む。

 重厚な音と共に、暴力を唄う殺意の雨は砂嵐に潜む御霊を、容易く蜂の巣へと変えた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「へー、東郷さん、勇者になったんだ」

 

「ええ」

 

「カッコよかったよ、東郷さん。あっ、亮ちゃんも!」

 

「フォローサンクス」

 

 帰りは最寄りにいた風に触れ、同じ場所――屋上――に帰ってきた。

 誰にも触らないでこちらに帰還したらいったいどうなるのか。

 疑問は尽きないがリスクは負うべきではないので、行きと帰りは誰かに触っておこう。

 ……大義名分を得た。

 

「にしても、一度端末を大赦に見せた方がいいから預かっておくわね」

 

「……まぁ、次同じことあったら困りますからね」

 

 少し渋ったが、他の連中に不審がられるのもアレなのでここは素直に渡しておく。

 直さないリスクより、直した後の新たなリスクも怖いが。

 さすがに人類の未来をかけた勇者に、これ以上の嫌がらせは無いはずだろう。

 

 ふと、そんな空気の中。

 東郷が風と向かいあった。

 彼女らが見合う中で、「さっき携帯で謝っているのを見たよ」と友奈がコソッと俺に耳打ちした。

 さてさて、どうなるか。女同士の喧嘩が発生した場合は速やかに友奈を東郷の方に向かわせるが。

 

「風先輩、覚悟は出来ました。私も勇者として頑張ります」

 

「東郷……。うん、一緒に国防に励もう!」

 

「国、防……はい!」

 

 平和的に仲直りしたらしい。

 やったね、と友奈と目で会話していると、

 

「そういえば友奈ちゃん、課題は……?」

 

 と東郷がなんでもないように話題を振ってきた。

 「忘れてたー!」と絶叫する友奈を尻目に、俺は無言で空を見上げた。

 

「……」

 

 青空は今日も変わらない。

 色々あったが、こうして俺たちは日常へと帰還を果たしたのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第三十話 束の間の休息」

 5月。

 

 先の戦いを終え、俺たちは再び日常へと帰ってきた。

 時間にすれば2日程度。されど過ごした時間は濃密であり、決して忘れやしないだろう。

 

「…………」

 

 さてさて、本日の俺は一体何をしているのか。

 ここは勇者部の部室。

 授業は先ほど終わりを告げ、楽しい楽しい部活のお時間だ。

 

 風と樹は昨日に引き続き、とある部活の助っ人をしているらしい。どこかは覚えてはいない。

 友奈は本日日直の仕事で遅れてくるので、今は東郷と2人だけだ。

 仕事は今日は無いらしくお休みだ。探せばあるだろうが、そんな聖人になった覚えはない。

 

「夏も近づく~八十八夜。野にも山にも若葉が茂る〜」

 

「茶摘の歌ね」

 

 生前聞いたことのあるフレーズをなんとなく口ずさむ。

 隣でパソコンを弄っていた東郷が聞いてくるので、肯定の意味を込めて頷き返す。

 

「あれに見えるは茶摘じゃないか〜、フンフニャラーラララ……」

 

「うろ覚えじゃない……」

 

「まぁ聞きなよ。東郷さんや」

 

 左手で東郷を指し示し、右手で静寂を求めるべく人差し指を唇に近づける。

 素直な彼女はそれだけで口を噤み、俺の次の言葉に耳を傾ける。

 そんな可愛げたっぷりな東郷に優しく微笑む。

 

「実はさ……」

 

 今日は別に東郷に歌を歌おうと思った訳ではない。

 『八十八夜』とは雑節の一つで、立春から数えて88日目の日を示し、5月2日頃に当たる。

 なんでも、この時期は明け方にかけて遅霜が発生しやすく、

 農作物に被害が出る恐れがあるため、農家に対して注意喚起のために作られたのだという。

 

 それはともかく。

 

「この前さ、美味しそうなお茶の葉を見つけてさ……」

 

 椅子を東郷の車椅子に近づけ、先日隣町で買ってきたお茶の葉の袋をプレゼントする。

 紳士あたりには「貢いでいるんですかー?」と言われそうな光景だが、知ったことではない。

 部活メンバーで飲むことを前提として、断られにくい状況に持ち込む。

 

「そんなわけで、誰よりも東郷さんにお茶を淹れて欲しいなって。ぼた餅と合いそうだし」

 

「もう……亮くんったら。仕方ありませんね」

 

 彼女の深緑のガラスをジッと覗き込む。

 渾身丁寧に頼み込むと、東郷はやがてほんのりと頬を染めて了承してくれた。

 

「……」

 

 俺のおねだりを受けて彼女は穏やかな笑みを浮かべる。

 手馴れた動きで車椅子のハンドリムを回し、お湯の準備をする。

 

 その後ろ姿をぼんやり見ながら俺は思考に耽る。

 俺は基本的にはコーヒー党だ。紅茶よりは好きで、朝食ではトーストと一緒に飲んでいる。

 

 ……のだが、たまに東郷の淹れる緑茶やら日本茶やら、

 彼女が淹れるお茶が突然飲みたくなってしょうがなくなる。

 中毒性があると言えば分かるだろうか。

 

「……」

 

 彼女が準備をする中で、気配は立てずに東郷の隣に忍び寄る。

 隣で真剣な顔をしている東郷の顔とその手元、彼女についているぼた餅を交互に見る。

 彼女の双丘は、グレーのカーディガンに包み込まれてなお、その圧倒的存在感を示していた。

 

「……」

 

 大きいなとしか感想を抱けない己の無知を、この瞬間ほど恥じたことはないだろう。

 樹は言わずもがな、風ですら……否、おそらく勇者部では誰も彼女には勝てないだろう。

 東郷の一呼吸ごとに僅かにフルフルと揺れるソレは、下から見上げたら圧巻だろうなと思わせる。

 

 そんな俺の視線には気づかないぐらいに集中しているのか、東郷は茶葉を急須に入れていく。

 

 先ほどからお湯を急須に入れた後、睨みつけるように急須を見る姿に俺はふと疑問を抱いた。

 優先順位において、知的好奇心が無言で見続けることよりも上回る。

 浮かび上がる疑問に対して、仕方なく東郷の曲線の美しい部位から目を離して話しかけた。

 

「ねぇ東郷さん。そろそろいいんじゃ……」

 

「―――静かに!!」

 

「は、はい」

 

 こちらを見もせずに発せられる彼女の声に少しビクつき黙り込む。

 そうして彼女とさらに20秒ほど急須を見つめ無言で過ごした。

 

 あまりお茶を淹れたことは無いが、新茶はこの手法が一番美味しくなるらしい。

 「高ければ良い訳じゃないのよ、亮くん」と一度言われたことを俺は思い出した。

 そんな中、神妙な顔をした東郷は急須を持ち上げ、軽く2、3回ほど回転させた。

 

「―――――」

 

 用意しておいた3つの湯呑みに、東郷は均等にお茶を注いでいく。

 湯呑みから立ち上るもうもうとした湯気が期待を立ち上らせる。

 

「友奈参りましたーーー!」

 

 そんな時、部室の扉が横にスライドし、友奈がやってきた。

 日直の仕事を終え、一仕事終えました感を顔から出しつつもいつもの明るい笑顔を見せる。

 

「2人とも、何をやって……」

 

「『―――静かに』」

 

 友奈がこちらにキラキラした目線と共に話しかけてくるので、

 先ほどの東郷の真似(声は完璧に東郷)をしつつ、指を再び唇に近づける。

 さすがにお向かいさんだけあって、何かを理解した様子ですぐさま黙り込んだ。

 

 ここは茶道教室では無いのだが一応ソレっぽいノリなので、ここは東郷に乗っておく。

 ちなみにさっき湯呑みが3つだったのは、そろそろ友奈が来る予感がしたからである。

 

 友奈に座るようにアイコンタクトをすると、察しのよい彼女は俺の向かいの椅子に座った。

 

「どうぞ」

 

「ははっ」

 

「ありがとう、東郷さん」

 

 やがて東郷から渡される湯呑みを頂く。

 作法なんて正直よく分からないので適当に手の中で湯呑みをクルクルと回した後に、

 湯気が出るばかりに熱いソレに息を吹き込む。

 己の息に邪魔され白く立ち昇る湯気が乱雑になるのを見つつ、湯呑みに唇を触れさせる。

 

「―――――」

 

 思わずため息が出た。

 新茶は渋みや苦みが少なく、若葉の爽やかな甘みと香りが口の中で広がる。

 しばらくズズッとお茶を飲む。

 

 ふと何やら楽しそうにこちらを見る東郷の姿に俺は気がついた。

 お礼の言葉を言ってなかったと思い出し、無言でお茶を飲む友奈を尻目に告げる。

 

「お前のお茶なら、毎日飲みたいな」

 

「ふふっ……そんな急に。照れるわ、あなた」

 

「いやいや真面目にさ。お前が嫁になったら旦那も仕事をがんばれるよ」

 

「もう……」

 

「……」

 

 隣に座る東郷と会話を続ける。

 満更でもない様子で頬を染め照れる東郷は実に可愛いなと思いつつ、お茶を啜る。

 もちろん彼女が淹れたお茶はとても美味しく、毎日淹れてくれるというなら飲むのは本当だ。

 

「ふふっ、ありがとう。あ、ぼた餅もあるわよ」

 

「食べるーー!!」

 

 東郷のぼた餅という言葉に、すかさず友奈も食らいついた。

 友奈の笑顔とは違い、微笑を……いつもよりも艶のある微笑みを東郷は見せる。

 その姿を目に刻みこみ、この時間を楽しむことにした。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 部活も終わり、あとは帰宅するだけだったが。

 ここで少し事件が起きた。

 

「あ、あら……?」

 

「どうしたの? 東郷さん」

 

 東郷が言うには、なにやら車椅子に違和感を感じるという。

 そのため友奈と協力して東郷の乗る車椅子を素人目で調査すると、

 どうやらキャスタが故障し、方向転換にやや支障が出始めているのが分かった。

 

 一応東郷が家に連絡をして、専用の車で学校まで来てもらうらしい。

 また予備の車椅子を所持しているため、修理期間中に困ることは無いらしい。

 

「くっ、もっと改造を……」

 

 今何か東郷が言った気がしたが、俺の気のせいだろう。

 とりあえず話し合った結果、俺が東郷を背負って学校の駐車場まで。

 友奈が故障している車椅子を持っていくことになった。

 

「ごめんなさい、迷惑をかけて」

 

「そんなことないよ。ね! 亮ちゃん」

 

「もちろん」

 

「2人とも……」

 

「俺たちの友情に乾杯」

 

「か、乾杯」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 そんな訳で俺は東郷をおんぶしているのだが、口元が歪まないように必死だった。

 放課後ともなると、夕暮れが眩しく感じるがソレどころではない。

 俺の、加賀亮之佑の全ては今、背中の神経に注がれていた。

 

 東郷の青いリボンで結ばれた一筋の黒く艶のある髪は、夕暮れの風によって揺れる。

 まるで誰かの指先のように俺の頬をくすぐる彼女の清らかな髪を心地よいと感じた。

 

 それと同時に。

 背中に感じる豊かな双丘は彼女の鼓動と俺の背中に挟まれ、その形を柔軟に変える。

 ……いや、見えないが。神経と感触が俺に教えてくれる。

 

「ありがとう……」

 

「えっ、何が……?」

 

「なんでもない」

 

 思わず口が動いてしまう。

 友奈では感じられない双丘の感触。決して彼女を舐めている訳ではないが、現実は残酷だ。

 もちろん彼女は彼女でそれなりにあるのは知っている。

 

「……むしろ感謝をするのは私の方よ、亮くん」

 

「えっ……?」

 

 そんな俺の思考を知ってか知らずか、背中で感じられる感触に重みが増す。

 俺の耳元でそっと囁く東郷の吐息は心地良く、同時にこそばゆい。

 かろうじて動く明晰なる頭脳が、東郷に対してのフォローを要求している。

 

「ひ、人って字はさ……互いに寄りかかっているよね。人と人は支え合って生きているんだからさ。ほら、夫婦とか……。それに親友が困っているのに見過ごす奴がどこにいるのさ。東郷さんの我侭なら俺はいつだって歓迎するよ」

 

「―――うん」

 

「……」

 

 やや回らない口で言葉らしい何かを東郷に語っていると、首に回される彼女の細腕に力が篭った。

 そんな中でふと、俺の頬に東郷の白い頬が触れてきた。

 目を合わせるか少し悩んだが、止めておいた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 全身から、東郷の香りが肉体に染み込むのを感じる。

 東郷美森という存在に己が溶け込みそうな感覚になる。

 

 もはや言葉など要らなかった。

 俺たちは駐車場へと、できる限りゆっくりと、この時間を楽しむように歩いていった。

 夕暮れに映る影は、いつの間にか一つの影となっていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 東郷と友奈が乗り込んだのを確認して、俺も帰路につく。

 無言で歩く。

 

「……」

 

 背中に、体に感じていた東郷の熱はもう残ってなく、後に残ったのは全身に感じる寂寥感だった。

 そろそろ夕暮れも終わり、空に星の瞬きが見え出す。

 

「―――――」

 

 そういえば、明確にこの世界が前世とは違うなと感じたのは、空も要因の一つだったと思い出した。

 生前、都会どころか田舎にいた時ですらあまり見られなかった夜空の星。

 

 それに比べて、この世界の空はあまりにも綺麗だった。

 排気ガスや人が減ったことや、何百年もの時間が経過したこと。

 言ってしまえば、別の世界だと言えばおしまいなのだが。

 

「……空が綺麗だな」

 

 そう呟くと、5月だというのに、なぜか寒さを感じて足を速めた。

 

 

 

 

 

 

 

 家までもうすぐとなった頃。

 俺は玄関に明かりが灯っていることに気がついた。

 誰だという疑問に対して答えは二択あるが、片方の選択肢は今までも無かったので解消される。

 

 そんな時、俺の端末が震えたので画面を見た。

 『結城友奈』と表記される液晶をタップし耳に当てる。

 

「……もしもし」

 

『あっ、亮ちゃん! 今どこー?』

 

「家。もう着くよ」

 

『分かった! それで……亮ちゃん。ゲームをしない……?』

 

「ほう」

 

 彼女からその手の話題が振られるのは珍しいので立ち止まり、彼女の声に集中する。

 鈴音のような声から発せられるゲーム内容は、別にゲームというよりはゴッコ遊びだった。

 いくつかルールを加えつつ、始めることを了承する。

 

『やったー! じゃあ言ったとおりにね!』

 

「分かった。なら友奈も言ったとおりにね」

 

『うん!』

 

 そう言って電話が切れる。

 唐突に起きた事に苦笑しつつ、家の門扉を開け、玄関まで向かう。

 扉を開けると、

 

「ただいまー」

 

「おかえりー。()()()!」

 

 にへらっとした笑みを浮かべ、こちらにトテトテと歩いてくるのは友奈だった。

 俺がいつも料理をする際に着用する赤茶のエプロンを私服の上に身に着けている。

 

 これから始めるのは、なんてことのないゲームだ。

 友奈は瞳を宙に泳がせ、文言を思い出したように、やや頬を赤らめて俺を見る。

 彼女の両手がせわしなく動き、やがて後ろに回される。

 

「えっとね……ご飯にする? お風呂にする? それとも……わ、私?」

 

「もちろん――――」

 

 家の扉は施錠しなければいけないのは常識人なら誰でも知っていることだ。

 いかに神世紀とはいえ、キチンと施錠は怠らない。

 誰かの侵入も邪魔もさせやしないべく、後ろ手に鍵を掛け直して微笑んだ。

 

「もちろん、()()だよ」

 

 

 




【リクエスト要素】
・東郷と亮之佑による夫婦芸を、自分もやりたくなり即座に実行する友奈
・東郷のぼた餅(意味深)を背中で堪能する亮之佑

リクエスト者に感謝を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第三十一話 情熱を抱き勇者」

 転校生がやって来た。

 ……と言えばゲームやアニメなど生前でまたかよと思うようなイベントだが、

 実際にリアルで遭遇したことはない。

 

 むしろ俺自身が転校生として小学校の頃に讃州市に来て、およそ4年が経過した。

 月日が過ぎ行くのは早いものだなと頬杖をついて、俺は前方に目を向ける。

 

 俺の所属するクラスの担任は、優しいおっとりとした女の先生だ。

 きっとあの顔に似合わずドスケベな事を裏でしているのだろうと紳士の一人が言っていたので、真偽を確かめるべく探りを入れたら、より闇の深い情報と弱みを握ってしまった。

 

 さて本題に戻るが、本日。

 先生に引き連れられて、一人の女子がこのクラスに転入してきた。

 

「はい、いいですか? 今日から皆さんとクラスメイトになる三好夏凜さんです」

 

「……」

 

 讃州中学校の制服にその身を包み、凛とした表情で佇む姿。

 何かの特徴を挙げるとすれば、髪型はツインテールで前髪を両横にヘアピンで分け、余った前髪が一房垂れ下がっているという事だろう。

 

 三好夏凜。

 実は既に勇者部全員、彼女と一応の面識がある。

 

 数日前の話だ。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 先日の話になる。実は最近、襲撃があった。

 簡潔に言うと、三好夏凜は5体目の侵略者である山羊座【カプリコーン・バーテックス】を一人で撃破した。

 

 それだけならば尊敬の念も浮くかも知れないが、それらよりも警戒心が先だった。

 挑発と受け取っても良い舐めきった態度は少々イラついた。

 

「こんな連中が神樹様に選ばれた勇者ですって? ……はっ」

 

「……」

 

 生前、こういう調子に乗る奴はごまんといた。

 多くの人間は大海を知らない蛙のように、現実を知らない餓鬼だった。……俺もその一人だった。

 こういう奴ほど優先的にへし折りたいと思うのは、勇者服による謎の高揚感のせいだろう。

 

 そんな中、おそるおそるながらも友奈が話しかける。

 

「あのー……」

 

「何よ、チンチクリン」

 

「チン?」

 

「――――」

 

 瞬間、全ての思考が憎悪に塗り潰されるのを感じた。

 

 この距離なら外さない。先ほどの戦闘を見る限り、武器は日本刀だ。

 たかが刀で防御されるよりも、拳銃による連続7発の弾丸なら確実に急所を射抜ける。

 背後で拳銃を顕現し待機。右手を後ろに回しつつ、無礼者に対しにこやかに近づく。

 

「――――ねえ」

 

 恐らく精霊バリアがあるかもしれないが、衝撃は殺せないだろう。

 一度隙を作り出せば、軽機関銃でバリアごと内臓から潰してやる。

 冗談とか抜きで滲み出る殺意を抑え話しかけると、少女は俺に視線を向けた。

 

「あんたが、大赦で言われてる……フーン。で、何?」

 

「キミがどこの誰か聞いていないのだけれども……名乗ってはどうですか? 礼儀知らずが」

 

「亮ちゃん」

 

 吐き捨てるように馬鹿丁寧に話しかけると、挑発に乗ったのかその眦を吊り上げる。

 一触即発となる中で、険悪な空気を読み取ったのか友奈が俺を止めた。

 対してこちらを見据える少女は、己も名乗るべきだと理解したのか、

 

「まぁ……それもそうね。私は三好夏凜。大赦から派遣された―――」

 

 そんな中で、俺の視界は彼女が纏っている勇者服へと数秒だけ注目を移す。

 赤と白が基調のデザインとなっており、左肩に見られる刻印はサツキ。花言葉は『情熱』だ。

 

「正真正銘の正式な勇者。あなたたちの役目は終わり。はい、おつかれさま~」

 

「「「「えぇーーーーっ!!?」」」」

 

 そんな声が女性陣の中で起きるのも無理はないだろうと、俺は思った。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 放課後。いつもの部室には、転入生が客として来ていた。

 黒板を背面にし、ドヤ顔で腕を組むその少女に、我らが部長は思わずといった様子で言った。

 

「なるほど、そうきたか」

 

 現在、部室にはメンバー全員が集合している。

 椅子に座る俺たちを見下ろし、その薄そうな胸の前で腕を組むのは三好夏凜だ。

 

「私が来たからにはもう安全ね。完全勝利よ!」

 

 その余裕ぶった態度に対して、ふと疑問が湧き出たのだろう。

 東郷が夏凜に、なぜ最初から来なかったのかと尋ねた。

 

「私だってすぐに出撃したかったわよ。けど大赦は二重三重に万全を期しているの」

 

「……」

 

 その万全を期す組織が、わざわざ勇者に変な仕込みをするだろうか。

 大赦も一枚岩ではないのは分かってはいるのだが……。

 例えイレギュラー的な存在であっても、戦力としては結果を出したはずだ。

 

 にも関わらず、先日渡した端末は“原因不明”という結果で数日せずに返却された。

 前回の戦いは運よく東郷の膝にダイブ成功したから良かったが、失敗した場合のリスクは怖い。

 

 俺が黙り込む中でも、彼女による話は進む。

 夏凜によると、彼女の端末は俺たちの戦闘データを元として改良を加えたバージョンだという。完璧にバーテックス用に調整されたと豪語する夏凜は、狭い部室でおもむろにモップを振り回す。

 

「何より私は、あんたたちトーシロとは違って長年訓練を受けてきている!」

 

 背面に位置する黒板にガンッ! とモップの柄が当たることなど気にせず夏凜は宣言した。

 東郷に「ぶつかってますよ」とツッコまれるにも関わらず、カッコよくポーズを取った。

 

「――躾けがいがありそうね」

 

「なんですって!」

 

「……」

 

 その姿にポツリと風が言うのには、無言だったが俺も同意だった。

 こういうタイプは自分よりも上がいて、尚且つ超えられない壁があると分かると簡単に崩れる。

 生前の知識であり、身近にそうなった人間たちは多く見てきた。

 

 そんな中で、ふと夏凜が悲鳴を上げた。

 

「ぁああああっ!!? なななっ何してんのよ! この腐れ畜生!」

 

 気がつくと、夏凜の精霊――義輝――が、友奈の精霊――牛鬼――に齧られたり。

 樹がいつの間にか始めていた占いで死神のカードが出て皆に不吉がられたり。

 友奈の明るいムードメーカーを発揮するポジティブな会話に翻弄されたり。

 

「―――――」

 

 ――彼女は俺の敵か否か。

 

 個性豊かな彼女たちに軽く遊ばれる様は、同情と共に俺自身の警戒値を下げさせた。

 安心を求める臆病な俺にとって、どうやら答えは出そうなのでそっとため息をつく。

 

 マトモなのは俺だけか。勇者部の中で常識人たる俺はそんなことを思いつつも、

 俺が見ている分には、彼女はどうも素直じゃないだけという可能性を感じさせた。

 

「とにかく、これからのバーテックス討伐は私の監視の下で行うのよ!」

 

 傲慢にも決め付けるような彼女の口調に対して、友奈と風が対応するのを黙って見る。

 彼女らの挙動に対していちいち突っかかるのは生来の物か、余裕がないのか。

 

「部長がいるのに……?」

 

「部長よりも偉いのよ!」

 

「ややこしいな……」

 

「ややこしくないわよっ!!」

 

「まぁ、とにかく事情は分かったけれども。学校にいる限りは上級生の言う言葉を聞くものよ。事情を隠すのも任務の中にあるでしょ……?」

 

「フン! まぁいいわ。どうせバーテックスを倒すまでの間だけなんだしね」

 

「うん。よろしくね!」

 

 ここで友奈は満足気に会心の微笑みが浮かべた。

 一瞬虚をつかれキョトンとするが、やや頬を赤らめた夏凜は形の良い眉をひそめて、「足を引っ張るんじゃないわよ!」と言って帰っていった。

 こんな感じで新しい勇者、三好夏凜とのセカンドコンタクトは終了した。

 

 

 

 ---

 

 

 

 その後。

 勇者部で『かめや』でそれぞれ好きなうどんを食べながら、

 俺たちは先ほどの人物――三好夏凜についての感想を述べ合っていた。

 

 「頑なな感じの人ですね」とは東郷が。

 「ああいうお堅いのは張り合いがあるってもんよ!」とは風が言っていた。

 そして友奈は、

 

「どうやったら仲良くなれるかな……?」

 

 そう悲しそうに瞳を揺らしていた。

 その様子を見ながら、俺は七味の瓶から紅の粉末を天ぷらうどんに掛ける。

 滑らかなうどんの麺が赤く染まるのを見ながらその問いに答えるべく、怠慢な口を動かす。

 

「そうだね……」

 

「久々に口を開いたわね、アンタ」

 

「そんな気分なんですよ」

 

 風に謂れの無いはずのツッコミを受けつつ桃色のカマボコを箸で摘まみ再考。

 口に入れると独特の歯ごたえとピリリッとする辛味が広がり、疲れた身体に心地良い。

 

「例えばだけれどもさ。さっき入部届けに誕生日を書いていただろう?」

 

「えっ……? あっ、そっか! サプライズだねっ!」

 

 伊達に数年共にいない彼女には、それだけで俺が言いたい事は伝わったらしい。

 入部届を書く際チラ見し、夏凜の誕生日が近かったことが分かった。

 この情報が何かの役に立つかと思い、覚えておいたのである。

 

 パアッと花が咲いたような友奈がさっそくどういうことかを他のメンバーに伝えるのを見つつ、

 最後に残った磯の香りがするつゆに浸された海老の天ぷらを口へと運んだ。

 

「うまい」

 

 

 

 ---

 

 

 

 日曜日。

 少年は多目的トイレにいた。

 

 変装のために準備をしつつ、使える時間は午前のみという少ない時間だけだった。

 それでも少しでも情報を掴むべく行動していた。

 本日、所属する部活では幼稚園での折り紙教室と劇を行う予定なのだが、“家の用事”という文言は強く、休日においては部活での行動はお休みにしていた。

 

「……」

 

 正直、平日だけでなく土日も部活があるのはブラックじゃないかなと思ったりもするが。

 それには誰も疑問を抱いておらず、考えることをやめた。

 

 本日は午前だけ、以前から続けているとある少女の情報を探るべく行動している。

 今回は色々あって、午後から合流して勇者部での劇に参加しつつ、新入部員の歓迎会とてんこ盛りだ。

 

「―――――」

 

 この時ぐらいはため息をついたって許されるだろうと少年――加賀亮之佑は思う。

 御役目にあたり、俺という存在が公になった以上、変装するとは言えどバレないという確証はない。

 

「あと、2つだ」

 

 目の前の鏡に、不安そうに揺れる黒い瞳に囁く。

 残りの病院は2つ。減った分、油断は出来ない。

 大丈夫だと、現に今までバレてなどいないと、自分を信じろと言い聞かせる。

 

「ぁ、あー、あー!」

 

 声の調整をしつつ、変装を完了するのに約5分。

 今回は初代の変装を行う予定だ。そこまで演技に違和感もなく友奈と同等に使える変装だ。

 なんせ、誰も知らない。

 

「満開か……」

 

 ふと目の前の鏡を見ながら、三好夏凜が持ってきた情報について思考を過らせた。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 それは、夏凜が帰った次の日のことだ。

 

「あんたたちがあまりにも呑気だから、こっちから来てあげたのよ!」

 

 完全食だと言い、袋に入っている煮干しを貪り喰らう少女。

 この頃には、情報の共有の為にキチンと部室にやってくる夏凜という少女に対して、俺もそれなりにではあるが好感度が上がり始めていた。

 

 よくよく考えたら、彼女はツンデレ臭いなと今更ながらに気が付く。

 二次元以外でこういう人物と出くわしたことがないので、その単語すら忘れてしまっていたのだ。

 実際に感じることがあるとすれば、三好夏凜の様な面倒くさい人は、俺にとっては面倒くさい“以上”の評価は生まれないだろうと思ったことだ。

 

「じゃあ始めるわよ」

 

 そんな訳で情報の共有と提供のために、

 夏凜が黒板にチョークでいくつか書き込み終えて、勇者部でのミーティングが始まった。

 ちなみに講義を聴く俺たちは東郷のぼた餅を食べながらである。

 

「いい? バーテックスの襲来は周期的なものと考えられていたけれども、これは異常な事態よ。よって帳尻を合わせるために、今後は相当な混戦が考えられるわ」

 

 食べながら聞く俺たちを睨み付けながら、夏凜は情報の共有を開始する。

 彼女は黒板に『平均20日に1体の周期(……のはず)』と書き込んでいた。

 確かにソレが本来ならば、異常事態と言えるだろう。

 

「私ならどんな事態にも対処できるけれど、あなたたちは気をつけなさい。命を落とすわよ」

 

 ご丁寧に注意をしてくれるが、その自信の出所が知りたいものだ。

 

「あとはもう一つ。満開システムよ。戦闘経験値を溜めることでレベルが上がり、より強くなる。使えば使うほど強くなるとされているわ」

 

「――実際に使用したことはあるのか……?」

 

 ふと俺は疑問に思ったことがある。

 アプリの説明書自体は端末が返却された際に付与されたのでしっかり読んだ。

 その上で初代がこんな事を言っていた。「このシステムにも何か仕込まれたら目も当てられない」と。

 

 故に、このシステムが俺にとって起死回生の切り札になりえるか正直疑問である。

 他の女性陣なら恐らく問題ないだろうが、例外たる俺の未知数の可能性。

 こればかりは実際に使用しないと分からないので保留だ。

 

 自分の作ったぼた餅を食べながら、東郷も夏凜に俺と同じ質問をする。

 

「三好さんは、満開経験済みですか……?」

 

「い、いや、まだ……」

 

「なんだ、アンタもレベル1なんじゃアタシ達と変わりないじゃない」

 

「わ、私は基礎戦闘能力が桁違いに違うの! 一緒にしないで!」

 

「なら、私たちも朝練とかしますか!」

 

 それからも、勇者部のフワッとしたノリに夏凜も思わずため息を吐いてしまう。

 これには思わず俺も彼女に対して同情の念を抱いてしまう。

 なまじバリアなんてものが搭載されているせいで、彼女達は危機感が足りない。

 無かったら無かったで全滅は免れ得ないため、しょうがないとも言えるが。

 

「……」

 

 目の前にライオンがいるにも関わらず、脅威の度合いが分からず遊んでいる様に感じるのだろう。

 正直同情するし、俺もこの状況はよろしくないと感じる。

 だからこそ、

 

「夏凜」

 

「何よ! ってか、あんたも名前……」

 

「うちの部活連中は大半が現場主義なんだ。だからキミが頼りなんだよ」

 

「―――。……はぁ、まったくもう……。私の中で諦めがついたわ」

 

 白々しくそんな事を言いながら女性陣のフォローをする。

 そんな俺の様子に何かを感じたのか、ため息を吐きながらも「あんたは結構マシなようね」と夏凜は呟いた。

 

 その後。

 話題が180度変わり、夏凜が日曜日に部活に参加するよう女性陣に言質を取られていた。

 サプライズの為とは言えど、こういう行為は一生真似できる気がしないと俺は思ったのだった。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

「……?」

 

 鏡を睨みつけていると、ふと端末が震えたことに気が付いた。

 『加賀宗一朗』と個人的に珍しい人物からの電話に対応するべく端末を手に取る。

 

「もしもし」

 

『久しぶりだな、亮』

 

「そうですね。どうされましたか」

 

『いやな、聞いてくれよ。さっき母さんと病院に行ったんだけどさ、出来たんだってよ』

 

 そう嬉しそうに告げる宗一朗の声に対して、思わず俺は顔を顰めた。

 こういう時、どうしても思うことがある。主語を言ってくれと。

 幸い声のトーン的には悲報では無いようだと思いつつ、何が出来たかと聞き返すと。

 

『子供だよ! お前も遂にお兄ちゃんだなっ。ははっ』

 

 何を笑っているのだろうかと、少年の冷たい頭脳が告げた。

 そんな出来ちゃった的なノリで宗一朗が告げたので、亮之佑は思わずといった具合で学生のノリで確かめてしまう。

 

「まじで……?」

 

『マジマジ』

 

「……良かったじゃないですか」

 

「それで、多分8月くらいに休暇をもらえるから――」

 

 携帯越しですら嬉しいという感情が伝わってくる。

 子供かと思わず呆れ、苦笑が出る程度には宗一朗が心から喜んでいるというのが分かった。同時に苛立ちの感情も膨れ上がった。

 

「――その時に、恐らく園子ちゃんと会わせられる準備が整うはずだ」

 

「……そうですか」

 

「だから、リスクの高い行動をするなよ。特に病院に直接行く行為は本当にマズい。一度前科を作ったのもあるが、派閥も動きが活発になり始めている。慎重にな」

 

「……分かってますよ」

 

 唐突に冷や水を浴びせられた気持ちになる。

 もうそんな時期になったのかと、冷めた心で振り返った。

 

 「こっちは大変なのに、お盛んですね」と皮肉を言いたくなるのを我慢した。

 綾香が子供を欲しがっているのは宗一朗からも聞いてはいたが、なぜか酷く苛立った。

 

「……」

 

 今の言葉は俺に対して釘を刺したつもりなのだろうかと、同時に指を顎に這わせる。

 鏡の向こうの変装を素通りしてこちらを見る俺の黒い瞳は、酷く笑っていた。

 

「母さんは元気ですか……?」

 

「ああ、替わるよ――――」

 

 それから、家族での他愛の無い話をした。

 なぜかやけに「愛しているよ」と口々に言ってきた。まるで今生の別れの様に。

 マタニティーブルーはまだだろうにと思いながら適当に対処をした。

 

 そうして通話を終えた携帯をしまい込む。

 

「―――――」

 

『それで、今更やめるのかい?』

 

「……」

 

 初代の揶揄うような声に無言を貫く。洗面台に手を乗せ、鏡に顔を近づける。

 恐らく俺だけが知るであろう少女の姿が映りこんだ。

 素晴らしい出来だったが、まるで鏡越しで話をしている気分になる。

 

 その姿は睨んでいるはずだと亮之佑は思ったが、こちらを見てにこやかに笑ってくる。

 赤い瞳が交錯した。鏡の中で小ぶりの唇が動く。

 

「表が出たら諦める。どの道二択だ」

 

『……そうかい』

 

 携帯と入れ替わりにポケットから出したのは、金色のコインだ。

 なんてことの無い、ゲームセンターで購入できるコイン。

 

 それを左手で上に弾く。

 僅かに回転をしながら上に上がるコインは、照明の光を反射し、

 

 

 

 

 

「裏」

 

 

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 夜。

 午後には友奈達と合流し、ロリやショタに対して劇を見せた。

 本来はこの時点で夏凜が来るらしかったのだが、時間には来ず、電話も繋がらなかった。

 そんな訳で俺たちはお菓子やケーキなどを用意し、夏凜の部屋の前に集合していた。

 

「もしかしたら、寝込んだりしているんじゃ……」

 

「まさか」

 

 不安そうにする友奈の頭に乗る、グテッとした柔らかそうな牛鬼を取り上げながら答える。

 自身の頭に乗せようと思ったら茨木童子が俺の頭に現れたので、元の場所に戻す。

 

「……さて、風先輩。この部屋で間違いないんですね?」

 

「間違いないはずよ」

 

 風のお墨付きなので問題はないだろう。

 友奈が自身と俺が持つ大袋を見て、言わずにはいられないとばかりに呟く。

 

「それにしてもいっぱい買ったね」

 

「ああいう奴はな、大抵サプリとか10秒で済ませるご飯とか、冷蔵庫には何の食事も無いだろうさ」

 

「偏見だよ……多分」

 

 友奈と言い合いながら、連続でチャイムを押す。

 ピンポーンという間抜けな音が連続で鳴り響く中、耳をすませる。

 

「――! 来るぞ」

 

「わっ」

 

 ドアから離れた瞬間、木刀を持った夏凜が現れた。

 彼女はドアを開けたら勇者部全員という事態に思考が停止したのだろう。

 一瞬こちらを見て顔が凍りついた後、怒鳴るように聞いてくる。

 

「あれ、あんたたち……? なんで?」

 

「なんでじゃないわよ、心配になって見に来たの! まぁ元気そうだし上がらせてもらうわよー」

 

「心配……? ってちょっと!?」

 

 風を筆頭に、俺や樹と、勇者部による夏凜の家への侵入を開始する。

 玄関で靴を脱ぎ、フローリングの冷たい床の感触を靴下の裏に感じながら、

 

「殺風景だな……」

 

「勝手に見るんじゃないわよ!」

 

 仮にも女性の部屋というのに、女子の可愛さを欠片も感じないような部屋だった。

 

「まあいいや、入って皆。ほら夏凜、立ってないで座って。邪魔」

 

「ここ私の部屋なんだけど!」

 

「落ち着けよ」

 

 1対5なので、ノリと数と個性で押し切る。

 トレーニング器具に樹が興味を示し、友奈が冷蔵庫の扉を開ける。

 

「ちょ……触らないでっ、勝手に開けないでよ!」

 

 彼女たちの不躾な態度もアレなのだが、約束をすっぽかした夏凜にも非はあるのでスルー。

 そんな事をしているうちに、風と東郷とテーブルに手早く宴会の準備を完了させる。

 準備といっても買ってきた菓子袋をいい感じに配置するだけだが。

 

「おーい。準備できたよ」

 

 呼びかけると、ぞろぞろとテーブルに全員が集う。

 そんな俺たちに対して夏凜が混乱するのも無理はなく、その瞳には困惑の色を隠せてはいない。

 

「何なのよ……いきなり来てなんなのよ!」

 

「あのね、ハッピーバースデイ、夏凜ちゃん」

 

 笑顔の友奈が白い箱を開けると、そこには白いケーキがあった。

 スポンジケーキの間にたっぷりのホイップクリームと赤く熟れたイチゴがサンドされている。

 さらにケーキの上にも柔らかくホイップした生クリームとイチゴが飾られている。

 

 いわゆる、バースデーケーキである。

 

「なんで」

 

「アンタ、入部届に誕生日書いてたじゃないの」

 

「本当は児童館で午後にサプライズをしようと思っていたの」

 

「当日に驚かそうと黙ってたんだけどね……」

 

 夏凜に対して、ネタばらしを行う友奈や東郷、風。

 電話に出なかったので直接家に行くつもりだったのだが、子供達が離してくれなかったのだ。

 モテる男は困るのだ。

 

「そんな訳で結局、この時間まで解放されなかったのよね。ごめんね」

 

「悪いね」

 

 呆然とこちらを見る夏凜に口々に謝罪を告げる。

 そんな中、夏凜は。

 

「アホ……」

 

「えっ、なんで――」

 

「ボケ……。バカ……。アンポンタン……!!」

 

 夏凜は困った顔をして瞳を潤ませ、語彙力に欠ける子供の様な暴言を発した。

 自分でも何を言っているのか分からない、というような顔を彼女はしていた。

 なんだ、そんな顔もできるんじゃないかと俺は思いながら、思わず笑ってしまう。

 

「誕生会なんてやったことがないから……どうしたらいいのか分からないのよ……!」

 

「……笑えばいいと思うよ。ほらっ、夏凜も座りなさいな」

 

「あっ、ちょっと……もう」

 

 無理やり夏凜を座らせ、パーティー用の三角帽子を頭に乗せ、手には煮干袋を持たせる。

 ハッピーバースデイな歌を皆で歌いながら、こういう部分で個性が出るなと感じる。

 

 微妙にハモってない歌に練習すべきだったかと感じながら、左手で夏凜の素肩を叩き注目を引く。

 彼女の視線をケーキに載るロウソクに向けさせ、同時に右手の指を鳴らす。

 

「ん……? ――えっ、今どうやったの!?」

 

「カガワ☆イリュージョン。ふふっ、お客さん。これに息を吹くのは分かるよね」

 

「それなら分かるわよ、ふーーっ」

 

「おめでとー夏凜ちゃん!」

 

「おめでとう」

 

「おめでとうございます!」

 

「おめっとさん」

 

「あ、ありがとう……」

 

 橙色の炎を上げるロウソクの先端を吹き飛ばし、皆で拍手する中で身体を竦める夏凜。

 そしてケーキやぼた餅に舌鼓を打つ中で、作りかけの折り紙を見つけて夏凜を赤面させたり、友奈が壁にかけてあったカレンダーに勇者部の予定を書き込んだり、彼女の発言で秋の文化祭で演劇をやることが決まったりした。

 夏凜とも雑談を交わし、僅かながらも友情らしきものを育むことができたと俺は思う。

 

 どうやら俺は彼女を少しだけ好ましく思うことができるようになったようだ。

 夏凜が勇者部の女性陣にからかわれるのを微笑ましく感じながら、

 

「友奈、良かったね」

 

「……うん!」

 

 そっと友奈に話しかけると、夏凜とも仲良くしたがっていた友奈は柔らかい笑みを浮かべた。

 その笑顔を見ながら、なんとなくグラスを持ち上げる。

 

「……乾杯」

 

「乾杯!」

 

 特に意味もなく友奈とグラスをぶつける。

 翻弄される夏凜をつまみに、グラスを回転させ氷片が立てる風鈴の音を聞く。

 飲み込むと、喉元にあえかな冷たさを残して、氷の欠片が滑り落ちていった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第三十二話 時間は刻々と過ぎていく」

 結城友奈の朝は、決して早いとは言えない。

 小学生の頃は母親に起こして貰わなければ遅刻寸前まで眠り、

 亮之佑が来てからは、朝に関しては彼に頼りっぱなしだったと記憶している。

 

 讃州中学校に入ってからもソレが変わるということもなく、

 大抵は亮之佑に起こされてから東郷を待つか、東郷本人に起こされるかのどちらかであった。

 

 改善しようと心に決めて数年。

 一向に改善される見通しが見られず、尚且つ周りが甘やかしてくれることを申し訳なく思いつつ、目を覚ますと誰かが傍にいてくれるという些細な事が嬉しくてついつい甘えてしまう。

 

 とはいえ、それは平日の話。

 友奈だけでなく学生なら誰もが朝早く起きなくてはならない試練を毎日乗り越えている。

 ただし平日に比べて、反動が大きくなると言わんばかりに土日の午前を寝て過ごす者も多い。

 しかし案外友奈はそんなことはなく、なんだかんだで8時前には起きる。

 

 そんな日曜日のことだ。

 友奈は身支度を整え、向かいに住まうとある少年の家に訪れていた。

 

「……いるよね」

 

 彼には個人的な用事が平日にあったのだが、

 金曜日は部活による現地解散で、土曜日は彼の用事ということが重なってしまった。

 だから電話をして、日曜日に行くと連絡をしておいた。

 

 門扉を開け、彼の家の玄関の前に立つ。

 少し早めなので本来ならまだ友人の家を訪れるべきではないのだが、彼の場合は事情が違う。

 

「……」

 

 自身の手を見つめると、そこには鈍く輝きを放つ鍵があった。

 いつでも来ていいからねと彼本人に言われているので、無言で鍵穴に差し込む。

 違和感なく差し込まれたソレを回転させると、カチッという音と共に施錠が解除される。

 

「……おじゃましまーす」

 

 やましい事などないはずなのに、なんとなく小声で「おじゃまします」と告げる。

 一応、念のために施錠をしなおすのを忘れない。

 用心深い彼曰く、入ったらキチンと施錠をするようにという約束である。

 

 彼一人が住んでいる家は、結城家よりもやや大きい。

 それでいて彼一人で使うには随分と大きすぎるように感じていた。

 そのせいか、たまにお泊りなどをする際には嬉々として自分をもてなしてくれる。

 

「まだ、寝ているのかな……?」

 

 本来、彼は早起きな方なのは友奈自身よく知っている。

 以前早起きのコツを聞いたら、「気合だよ」というなんとも言えない回答だったのを覚えている。

 

 同年代の男の子にしては綺麗好きということもあり、また一人暮らしだからか、彼の家はいつも綺麗に整理整頓されている。

 昔そんな彼を「お母さんみたいだね」と言ったことがある。

 そう言うと、「友奈も実際にやってみれば分かるよ」と言われたのを覚えている。

 

 それから一度彼が怪我をして、友奈がお世話を名乗り出た際に色々なことをした。

 その際に彼から掃除のやり方も一通り学び、結城家の方で実践したら両親に喜ばれた。

 

「―――――」

 

 手すりに何となくつかまり、木の階段を上がっていくと彼の部屋についた。

 亮之佑の部屋は家の二階に位置している。

 

「おはようございます……」

 

 そろそろと、昔テレビで見た寝起きドッキリの真似をしながら友奈は部屋に入り込む。

 青いカーペットの柔らかい感触を足の裏に感じながら、ベッドの方に向かう。

 

 彼の部屋は、本やよく分からない道具が多く置かれている。

 かと言って床に落ちている訳ではなく、キチンと本棚や机に配置されている事に拘りを感じる。

 

 同年代の男子の家というのは、亮之佑の家以外は行ったことは無い。行くこともないだろう。

 しかし、それでもなんとなく彼と他の学生が同質のソレと感じさせない部屋だと感じるのは、きっと彼自身が放つ雰囲気故か判断に迷う。そんな中で、友奈は立ち止まる。

 

 カーテンが閉められながらも、隙間から僅かに日の光が差し込む。

 ベッドには、人1人分の膨らみと同時に、僅かな呼吸により上下しているのが分かる布団と、

 

「……」

 

 亮之佑が眠っていた。

 枕に頭を乗せ、年相応に感じられるその姿に友奈は何となく胸の高鳴りを感じたが、

 

「―――――」

 

 思わず眉をひそめざるを得なかった。

 

 死んでしまったのかと思うくらいに、彼の寝顔は静かなものであった。

 枕に己の頭を預け、ひっそりと死の淵に寝入る少年を友奈は見下ろした。

 いつからだろうかと、少女は思考に耽る。

 

 昔はこんな風にグッタリと死んだように眠っていた訳ではない。

 時々寝言を言って友奈を驚かせたり、逆に寝言の内容でからかい、少年を赤面させたり。

 

 だが去年の冬頃から、少年の言う“家の用事”以降は、時々こんな風に眠りにつく。

 深い睡眠というべきか、電池の切れた時計のように、唐突に動きを止める。

 いっそ呼吸すら止めたのではないかと心配してしまう彼の寝顔は、

 友奈が起こさなければ永遠に静寂を保ち続けかねないようだと思った。

 

「亮ちゃん」

 

「……」

 

 呼びかけても、彼は目を覚まさない。

 穏やかな顔を見ると悪夢を見てはいないと思う。

 むしろ夢が入り込む余地すらないぐらいに疲れているのかすら、友奈には判断がつかない。

 それでも彼は普段、疲れなど誰にも見せない。こうして友奈が来なければ気がつかないように。

 

「―――――」

 

 静寂の中、カーテンによって作られた薄暗い部屋で響くのは、2人の息遣いだけだった。

 

 何か悩み事だろうかと不安に思う。

 同時に、相談してくれないことを心苦しく思う。

 

 それでも、いつか彼から話してくれるまでは、何も言わないでおこうと友奈は決めていた。

 彼が決して強くないことを知っているから、黙って傍に寄り添うと決めていた。

 傍に居てくれることがどれだけ己の心に響くかを友奈は知っていた。

 

「よいしょっと」

 

 荷物をカーペットにそっと下ろす。

 せっかくだから彼の寝顔でも見つめようと少女は思い、布団を捲り己の身体を入り込ませる。

 布団の中にいると、彼の体温が生み出すあまやかな暖かさに、忘れたはずの眠気が蘇りかける。

 

「そうだ」

 

 しばらくそうやっていると、友奈は悪戯心に駆られた。

 なんてことはない小さな悪戯だ。彼が毎朝友奈にやるような悪戯の一つだ。

 一瞬良心の呵責に苛まれるが、彼がいつもやっているのだからと決行する。

 

 一瞬、至近距離にある彼の顔を見て起きていないのを確かめる。

 やがて友奈は寝癖のついた黒髪をそっと持ち上げ、その額を撫でる。睫毛を指でなぞる。

 彼の睫毛が少し長いのを知っているのは、もしかしたら自分だけだと思うと少し面白く感じた。

 

「―――――」

 

 至近距離で、彼の寝顔を自由にする。

 ソレが友奈の悪戯だ。

 彼の頬を突いたり、黒い髪を指に巻きつけたり、飽くことなき悪戯を友奈はしていく。

 

「ふふっ」

 

 穏やかなこの時間を友奈だけが楽しむ。

 そうしていると、やがて黒い眦が震える。

 

「あっ、おはよう!」

 

「……」

 

 開かれる瞳は昏い色をしており、何の感情も示さず無言でこちらを見つめる。

 やがて、再びその瞳は目蓋に閉ざされるが、

 寝ぼけているのか、彼の両腕が友奈を抱きしめる。

 

「んー! よしよし」

 

「……」

 

 彼の抱きしめ方は、陶器に触れるような優しさを感じて好きだと友奈は思う。

 彼に抱きしめられると、彼の身体が自分とより密に触れる。

 服越しに彼の体温が伝わり、膨れ上がる眠気と同時に、いつまでもこうしていたいと感じさせる。

 

 だが、本日の友奈には使命がある。

 やがて彼の寝癖がある艶やかな黒髪を撫でるのを止める。

 懸命な意思で眠気に逆らい、やさしく彼の頬を突き、彼の耳に囁きかける。

 

「起きてー。朝だよ、亮ちゃん」

 

「……なにか、あったっけ」

 

 小さなかすれ声が友奈の耳に届く。

 亮之佑は目蓋は閉じたまま、己を抱き枕にでも決めたかのように友奈を抱きしめる。

 強すぎず優しく抱かれる腕の中で、ふと目の前の彼の匂いを嗅ぐと自然と心が落ち着いた。

 

「樹ちゃんの件なんだけれど……大丈夫? もうちょっと眠る?」

 

「妹…………いや、樹か。なんかあったっけ」

 

「えっとね――――」

 

 

 

 +

 

 

 

 薄暗い部屋。

 僅かに差し込む日の光。

 そんな部屋のベッドの上で、俺たちは話を続ける。

 

「ほら、樹ちゃん、来週歌のテストでしょ? それでね、金曜日に皆で樹ちゃんを励ますためにメッセージを送ろうって事に決めたんだけど、あとは亮ちゃんだけだから……ね?」

 

「……」

 

 そういえばそんな事があったなと寝ぼけ眼で思い出す。

 いつからいたのかと聞きたかったが、今は別に良い。

 彼女を逃がさないという強固な意志で抱き着き、もう5分ほど眠ろうとするのを止められる。

 仕方なく目蓋を閉じ、友奈の柔らかな肢体を弄っていると少しずつ思考が記憶の追想を始める。

 

 あれは数日前というか、ちょうど木曜日だった。

 樹がため息を吐き、あからさまにへこんでいたので、どうしたかと聞くと、

 

『音楽の授業で歌のテストに向けて歌の練習をしていたんですけど……、全然駄目だったんです』

 

 なんだその公開処刑はと、俺は戦慄した。

 同時に、そういえば今年から音楽の先生が変わったことを思い出した。

 

 風の鶴の一声で緊急に開かれた勇者部会議の結果、樹の訓練を開始した。

 とはいえ、何か良い案は浮かばず。

 結局友奈の習うより慣れよという言葉に従い、皆でカラオケに行った。

 樹にとってはそれなりに会話をし、行動を共にし、感情を交えたであろう勇者部だが。

 そんな俺たちの前でも声が震え、うまく歌えてはいなかった。

 

 彼女曰く、「人に見られると緊張するんです……」だそうだ。

 

 ならば見られる事に快感を感じられるようになれば解決だと思い、友達の淑女に連絡を考えたが、姉というか女性陣が怖くて提案できなかった。

 その後、東郷のα波の修行や、夏凜のサプリをキメたり様々な方法を試したが。

 それでも樹に改善の余地は見られなかった。

 

 

 

 

 

 服を着替え、昼ごはんの準備をしながら、友奈と話を続ける。

 

「それでね、樹ちゃんに勇気をプレゼントしようと思って」

 

 彼女が差し出すソレを受け取る。

 友奈が俺に渡してきたものは、なんてことないノートを切り取った紙。

 ただし、中央に『樹ちゃんへ』と書かれており、周りには応援メッセージが載っていた。

 

「これ、もう皆も?」

 

「うん。皆書き終えたら、風先輩がそれとなく樹ちゃんの教科書に入れるんだ」

 

「……ふむ」

 

 にへらっとした笑顔を浮かべる友奈と紙に交互に視線を入れ替える。

 樹に対する文言をどうするか考えながら、赤茶色のエプロンを纏う。

 

「とりあえずサッと作るけれど、何かリクエストはおありですか?」

 

「うどーん!」

 

「……昨日晩ご飯で食べたって言ってなかったっけ?」

 

「昨日は昨日。今日は今日だよ」

 

 そう笑顔でのたまう彼女には1日3食全部うどんを食べさせて嫌いにさせたくなる。

 四国の人間を調査すると、昼ご飯はうどんで、他は別のモノを食べるのが理想的らしい。

 仕方ないなと思いつつ冷蔵庫のあるモノでさっさと作ろうと調理の準備を始める。

 そうしていると、友奈がにこやかに紅椿のような唇を和らげる。

 

「それにね、私は亮ちゃんの作るうどん、すっごく好きだよ!」

 

「……おだててもね、あるモノしか出ませんよ。あと、せっかくだから手伝いなさいな」

 

「何をしたらいいですか、料理長」

 

「まずは、ネギを切ってもらおうか」

 

「はーい!」

 

 隣で手を洗う彼女の後頭部でフリフリと揺れる短めなポニーテールを見ながら、

 樹へ送る言葉は何が良いかを考えつつ、鍋に水を入れる。

 

「そう言えば夏凜ちゃんって、ちゃんとご飯食べているかな……」

 

 しばらく無言で行っていると、唐突に友奈は包丁をまな板の上に置き、俺に話しかけてくる。

 友奈の唐突な質問に思わず眉を顰めるが、すぐに回答はできた。

 

「サプリとかにぼしとか、コンビニ弁当とかだと思うよ。日頃の生活を見る限り、彼女は食事を食べるモノではなく、あくまで栄養を摂取するモノだと認識しているんじゃないかな」

 

「うーん、そうだよね……。ねぇ亮ちゃん」

 

「いいよ」

 

「実は……って、えっ」

 

「――夏凜もご飯に誘いたいとかその辺りだろう? 作る側としては二人も三人も変わらないから呼んじゃいなさい」

 

「えへへ……お見通しか。うん、それじゃあちょっと電話してくるね」

 

「はいよ」

 

 笑顔で台所から少し離れたところで端末を耳に当て友奈が話をする。

 正直、彼女のコミュニケーション能力と、夏凜のちょろさなら釣れない訳がないと俺は思う。

 追加でツナサラダを作りつつ、せっかく客が来るなら力を入れようかと思う。

 あるモノしかない……上等だ。主婦の――否、主夫としてのスキルの見せどころである。

 やがて、

 

「夏凜ちゃん来るってー!」

 

「うん。それじゃあもう一品作りますかね。友奈も手伝ってくれますか?」

 

「もちろん! 任せて」

 

 腕まくりをし、俺に向けられる花の咲き誇る笑顔に、俺のやる気が上がった。

 しばし二人で、仲良く調理を行っていた。

 

 

 

 +

 

 

 

 チャイムの音が鳴った。

 その音に、既に夏凜待ちでソファでテレビを見ていた俺たちは目を合わせる。

 勧誘かもよという俺の視線と、夏凜ちゃんだよという赤い視線が絡み合う。

 

「……」

 

「私が」

 

 重い腰を持ち上げ玄関に向かう俺を追い越し、友奈が向かう。

 リビングから消える彼女の白い髪紐で纏められた赤いポニーテール(小)が消え数秒後……。

 

「へえ、ここが友奈の家ね。結構大きいわね」

 

「えへへ……夏凜ちゃん。実は少し違うんだ」

 

「違う? どういう……あれっ、亮之佑? なんで―――!?」

 

 やがて再び入ってきた友奈と、夏凜。

 お客様に対して寛容な俺は、指をこちらにむけてくる夏凜に微笑んだ。

 友奈がどういう説明でここに呼んだのかは聞きたいが、今は堪える。

 

 両手を広げ、首をやや曲げて、俺は不敵な笑みを浮かべて不遜なる客に歓迎の意を示す。

 

「――ようこそ夏凜、我が家に……。さっ、座って座って」

 

「えっ、ちょっと!」

 

 驚きの念を隠せない夏凜をリビングの椅子に座らせ、

 冷蔵庫にある材料を完全に使い切り、それなりに豪華になった昼飯を運び込む。

 あとで晩御飯用の食材を買わないとなと脳内スケジュールに書き込みつつ椅子に座る。

 

「さて夏凜ちゃん。まずはご飯を食べよう! 残しちゃだめだよ? いただきまーす!」

 

「いただきます」

 

「えっと……い、いただきます」

 

 友奈の会話と、その場のノリで夏凜の動揺を押し切る。

 夏凜からすれば、友奈の家だと思ったら俺の家で、昼飯を食べている状況だ。

 

「まぁ深く考えないで、うどんが伸びない内にお食べよ」

 

「皆で食べるとおいしいよ!」

 

「まったくしょうがないわね……、―――っ!!」

 

 うどんの麺を伸ばしてはいけない。

 これは香川に住まう人間に備えられたUDON因子による教えなのだろう。

 どんな人間もこの教えには逆らおうとしない。

 

 夏凜もまたU因子を持った一人だった。

 納得してないという不満を残した彼女ですら、目の前に置かれたうどんを食べ始める。

 

 それから夏凜は無言で酷く貪欲に飢えた顔をしてうどんを啜り始めた。

 彼女はなにやらコクコクと頷きながら、サラダやら何やらも食べ始める。

 俺の目に映る光景には、そんな彼女の持つ箸がぶれて見えた。

 

 本日のうどんは天ぷらうどんではあるが、冷蔵庫内にあった野菜をふんだんに使用してある。

 揚げたてのソレは薄めの衣で仕立て上げつつ、うどんのつゆが染み込むことで表面的な味ではなく、濃厚に最後まで味わうことができる。加えて薬味などを多々加えたスペシャルなうどんだ。

 もちろんそこには七味の赤い瓶もあるが誰も触らない。

 

 そんな訳で今日のうどんは、個人的にゲーム風で言うならば高級うどんレベルだろう。

 もしかしたら俺の勘違いということもあるが、無言で食らいつくようにうどんを啜る彼女達を見ればそうではないかもしれないと考える。

 

「……」

 

 ふとつゆを飲みながら、友奈と仲良くなったのはうどんが始まりだったのを思い出した。

 時が経つのは早いなとうどんに感謝しつつ、つゆで柔らかくなった衣の感触を口内で楽しむ。

 

「―――――ぁ」

 

 そんな中、小さな声が聞こえ目線のみを動かすと、空になったお椀を持った夏凜だった。

 気が付いたらどんぶりが空になっていた的な顔を浮かべる彼女に、

 

「おかわりあるけど、食うかい……?」

 

「……」

 

 と聞くと、頬を赤らめつつもコクリと頷いた。

 一度台所に寄り、サービスでピンクのかまぼこを添えて持っていく。

 リビングに戻ると、一息ついたのか2人で何やら話していた。

 

「ねっ、おいしいでしょ? 皆で食べるご飯って最高だよね!」

 

「――まあ、そうね。うん」

 

「私ね、夏凜ちゃんとも一緒にご飯を食べたかったんだ」

 

「なっ―――!?」

 

 笑顔の友奈に釣られるように、夏凜もやがてはにかむような笑みを浮かべる。

 デレたなと思いつつ足音を立てずゆっくりと近づき、そんな夏凜の前に2杯目を差し出す。

 

「ふっ、身体は正直だな……。サービスのかまぼこだ。ほら、お腹一杯食べるがよい。飢えた犬のようにな!」

 

「そんな食べ方してないからっ! ……でもありがと」

 

「亮ちゃん、私も!」

 

 うどんは世界を救うように、俺たちにも友情という架け橋を作ってくれるのだろう。

 そんな感じでやや騒がしく、それでいて和やかに食事は進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 それから十数分後、テーブルの上に残っているのは、氷が入っていたコップだけだった。

 夏凜も口はともかく、しっかりと食べてくれたので満足だろう。

 

「ごちそうさまでした……」

 

「うむ」

 

 食後のコーヒーを飲みつつ、夏凜が聞いてくる。

 なぜ唐突に呼びつけたのかと。そりゃあ当然疑問を抱くよねと思いつつカップを傾ける。

 

「……今日のコーヒーはまた格別なり」

 

「おい」

 

「落ち着けよ」

 

 黒い液体はドロリと舌の上を通りぬけ、僅かな酸味と仄かな苦味が俺の思考を活性化させる。

 相対する夏凜は、冷たいココアのカップを両手で持ちながら、こちらを見てくる。

 

「そうだね……、夏凜とも仲良くしたかったし、一緒にご飯を食べたかったんよ」

 

「なっ……それだけ!?」

 

「夏凜ちゃんがちゃんとご飯を食べていないんじゃないかって友奈が心配してさ……」

 

「私だってちゃんと自炊しているわよ……たまに」

 

「たまに~……?」

 

 頬を赤らめ、明後日の方向を向く夏凜に追い討ちのように小悪魔な笑顔を友奈は向ける。

 困ったような顔で眉をひそめる彼女にフォローする訳ではないが、苦笑と共に告げる。

 

「良かったら、また来てくれよ。友奈も喜ぶし、こちらはたまに食材が余ったりもするからさ。……どうかな?」

 

「――――そういうことなら、しょうがないわね」

 

「ありがとう、夏凜ちゃん!」

 

「って、なんで友奈がお礼を言うのよ。寧ろお礼なら私が……」

 

「ん……?」

 

「な、なんでもない!」

 

「……ところでさ、夏凜」

 

 ひと通りツンデレな彼女をからかった後。

 何か大赦から連絡や、バーテックスに関しての情報は来ていないかの探りを入れる。

 

「特にこれといってないわよ。強いて言うなら襲来の周期が更に遅れているといったくらいね」

 

「そっか……」

 

 夏凜のことは友奈に任せ、彼女達が話をするのを見ながらコーヒーを飲む。

 すっきりとした酸味は頭の回転を促してくれる。

 夏凜曰く、バーテックスの襲来は20日に1度らしいが、

 前回の襲撃から既に1月が経過しているが全く音沙汰が無いらしい。

 

「にぼっしー」

 

「何……って! あんたまで呼ぶんじゃないわよ」

 

「特別に俺を様付けで呼ぶ権利を与えよう」

 

「亮ちゃん様だ!」

 

「いや、いらないわよ。そういえば、友奈の家って本当はどこなの……?」

 

 『にぼっしー』とは先日、煮干しを部室で食べる夏凜に風が付けたあだ名だ。

 密かにそのネーミングを気に入ったのは内緒だ。

 その後も夏凜と友奈と他愛も無い世間話をしつつ、色も味も闇夜のトンネルのようなコーヒーを飲む。こうして休日を過ごしたのだった。

 

 

 

 +

 

 

 

 

 火曜日。

 その放課後、歌のテストを終え部室に帰ってきた樹を皆で労っていた。

 友奈の言っていた応援用紙に励まされて、勇気がでましたと樹は言った。

 

 そんな喜びの空気に包まれている中で、風が手を叩き注目を集めた。

 

「はいはーい、みんなちょっと聞いて」

 

 風の方に目を向けると、ゴホンと空咳をした後、

 

「実は大赦から連絡があってね。バーテックスが訪れる時期がもう少し先というのが分かったらしくてね、今のうちに休息を取ってもらって最善の状態を保ってもらうということで」

 

 ぺリドットを思わせる瞳をこちらに向けながら、もったいぶるように風は告げた。

 

 

「え〜、なんと! 少し早めに、勇者部の夏合宿をすることが決定しましたー!」

 

 

 




【リクエスト要素】
・疲れて寝てしまったかっきーを見てたまには自分がイタズラしようと可愛らしい悪戯をする友奈

活動報告にてリクエストを、感想もお待ちしております。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第三十三話 海が凪ぎ、静かに嵐を待つ」

 縹渺と広がる海原は、見ているモノが如何に矮小な存在かを教えてくれる。

 同時に、白い砂浜と彩色豊かな水着を身に着けた女達を呼び寄せる夏の海でもある。

 男達はいつの時代も、夏の海に対して感謝の心を忘れてはいけないのだ。

 

「―――――」

 

 しかし、双眼鏡を片手にパラソルの影に潜み、それでもなおシートの下から砂の熱さを感じる。

 夏風は素肌に生暖かさをなびかせ、じわりと背中に汗を感じさせる。

 たまらず亮之佑は己の額を殴るようにして汗をふき取る。

 

「あづい」

 

 わずか3文字。されどそこに篭った言葉には、少年の危機的状況を物語っていた。

 もはや喋ることすら億劫であると感じ、無言で佇み、汗をそっと拭った。

 そんな亮之佑の目には、動かない海と屹立した雲の景色が壁のように照り輝いて映った。

 

「風先輩。ソレ……」

 

「あげないわよ」

 

「……前から思ってましたが、風先輩ほど女子力に優れた女性を知りません」

 

「一口だけよ」

 

 赤と青のビーチパラソルの下に生まれた影に潜む亮之佑は、隣にいた犬吠埼風に話しかける。

 しかし無碍にも少年の願いは口を開く前に切り捨てられるが、数秒後に手のひらを返す。

 風から手渡されるかき氷一口分を、できるだけ大きく口を開けて少年は食べる。

 その様子を姉の近くにいた樹に苦笑される。

 

「っていうか、意外ね。アンタなら友奈や東郷とで遊んでそうだけど」

 

 風の声に導かれ、首から下げていた双眼鏡を少年は目に当てる。

 レンズから覗かれる景色は、肌色が作る豊かな谷間しか見えない。

 もう少しだけ倍率を下げると、可憐なる少女たちの水着姿とご尊顔を拝めるようになる。

 

 友奈と東郷は何やら楽しそうに話をしている。

 確かに彼女たちと戯れて遊ぶのも良いと少年は思うが、

 

「いや、俺も年ですしね。この炎天下で遊ぶと体力も削れるし、日焼けもするし……」

 

「女子かアンタは!?」

 

「そんな訳ないでしょお姉さま。……ほら、にぼっしーが参りましたわ」

 

「えっ、本当だ」

 

「誰がにぼっしーよ、まったく……」

 

 亮之佑の昏い瞳の向く方向に風も向くと、準備体操を終え、いつでも動けるといわんばかりのアピールをしてくる夏凜がパラソルの方向に歩いてきた。

 亮之佑が無言でミネラルウォーターを渡すと、サンキュと夏凜は告げ、ペットボトルの蓋を開ける。

 

 普段は服という衣に隠されたその乙女の肢体を惜し気もなく外に曝け出し、汗がほんのりと鎖骨を流れる様子は、亮之佑に「こいつ意外とあったのか」という認識に改めさせるには十分だった。

 同時に夏凜のは友奈未満という事で興味の失せた亮之佑はそっと彼女から目を逸らした。

 

「プッハー! さて風。こっちの準備はできているわよ!」

 

「しゃあない。瀬戸の人魚と言われた私が格の違いを見せてやるわ」

 

「呼ばれてるの……?」

 

「自称です」

 

 競泳の準備に入る風から余ったかき氷を恵んでもらう。

 屋台は近くにあるが、歩きたくなかった。さらに言えばどちらかというとイチゴ味の気分ではあったが、しょうがないのでブルーハワイ味がする青い氷を口に運ぶ。

 

「―――ぅ!?」

 

 唐突な冷たさが一瞬頭痛を生み、呻く。

 呻きながら、かき氷に掛けられるシロップ自体の味は色以外変わりないことを思い出す。

 それを思わず夏凜に告げると、

 

「へえー、っていうかなんでこのタイミング……?」

 

「お先ぃ!」

 

「あっ、待ちなさいよ風!」

 

 図らず風の手助けをすることになってしまった。

 慌てて風を追いかける夏凜の背中を亮之佑はぼんやりと見ながら、

 まぁかき氷の恵みの分だけは仕事はしたかなと思いつつ双眼鏡で二人の姿を追う。

 

「夏凜もいつの間にか、部にとけ込んだなぁ。あ、そういえば樹さ……」

 

「はい……?」

 

 かき氷がなくなり、両手でしっかりと双眼鏡を構え彼女たちの行方を追いつつ、

 たまに近くを通る肌色率の高いお姉さま方の方に視線を誘導されながらも、隣に座る樹に話しかける。

 

 樹は樹でレモン味と思われる黄色のかき氷をプラスチックのスプーンで掬い口に運ぶ。

 一口頂きたいなと思いつつ、来るべきタイミングを横目で確認しながら、

 

「樹の夢って歌手なんだね」

 

「ぶふっ――!!」

 

 夏の暑さに油断していた樹に端的に伝えた。

 樹の小さな口からキラキラしたモノが綺麗なアーチを描き、やがて砂に音を立てず落ち蒸発する。

 しかしそれを見届ける前に、慌てた樹が亮之佑にズイッと近づいた。

 少年を見る瞳はいつになく動揺を抱き、口は金魚のように開いては閉じられる。

 

「――ぇっ、どこで、あ、あの、誰にも、ぅえ……?」

 

「落ち着こう。元凶が言うのもアレだけども。はい、深呼吸」

 

「―――、ふう……」

 

 慌てている時に浴びせられる冷静な言葉は、僅かにだが樹にも作用した。

 素直に深呼吸をする樹の一部分をジッと見る亮之佑は、

 「成長はこれからだよ、なんせ姉の方はあるのだから」と心の中で慈愛をもって微笑む。

 

「……?」

 

「い、いや」

 

 やがて落ち着いた樹に、彼女の顔に浮かぶ数々の疑問にどう答えるかと、

 右手でなんとなく顎をさすり、亮之佑は答えていく。

 

「安心しなよ。先輩にはまだ話してない」

 

「そ、そうですか。良かったぁ……。それで、亮さんはどこでソレを知ったんですか……? 私、お姉ちゃんにだって話したことないのに」

 

 血を分けた姉に自身の夢を知られるのは恥ずかしい年頃の女の子は露骨にホッとため息をつく。

 樹の疑問はもっともだろう。己の意識では唯一の肉親にすら話したことのない乙女の秘め事。

 

 それを世間話をするように暴露されるとは思わなかったのは、先ほどの動揺が物語っている。

 その様子を見ながら、逡巡の末に亮之佑は話を続ける。

 

「俺の友達の、その友達が偶々ある歌手の応募サイトの運営幹部でさ。作っておくと便利なのが友達なんだよ」

 

「はぁ……」

 

「世界って狭いよね。人脈っていうのがここまで有効に活用できるまでには時間が掛かったよ」

 

 亮之佑の口から放たれたのは、樹の想像の遥か雲の上だった。

 せいぜいが何処からか聞き耳を立てていたのかも知れないとか、彼の頭脳が推測という形で作ったのかも知れないと思っていた。隣でクツクツ笑う彼に畏怖と尊敬の念を抱きつつ、問いかける。

 

「えっと、それでどういう……?」

 

「いやね、ちょっとした事を聞きたかったんよ。俺に無くて、樹にあるもの」

 

「……?」

 

 目の前で笑顔を浮かべる少年からそっと目を逸らし、樹は近くの砂を手に取る。

 日の光によっては黄金色にも見えるソレは、樹の手のひらから僅かな熱と共にこぼれ落ちる。

 その姿を見ながら亮之佑は言葉を続ける。

 

「夢だよ」

 

「夢、ですか」

 

「己の歌を他の人に聴かせようなんて、常人はあまり思わない。ここの意識の違いが夢を持つ者と、そうでない者を分けるのかなって。だから樹はどういう意思で応募を決意したのかなって」

 

「ひみ……」

 

「あっ、急に風先輩に何か小言を言いたくなってきちゃったな~」

 

「ず、ずるいですよ。……分かりましたよ」

 

 クツクツと意地の悪そうな笑みを口元に浮かべつつ、その目には樹に対する揶揄いの念はなく。

 むしろ、風の様な穏やかな草原を思わせる瞳を樹はその黒い瞳の奥に感じた。

 その目に誘導されるように自然と口が動いた。

 

「私のは夢ってほどじゃないんですけども……」

 

「うん」

 

「やってみたい事ができたんです。それがクラスメイトや勇者部の皆に誉められた歌だったんです」

 

「それだけ……?」

 

 彼が何を聞きたいのかを樹は考える。

 歌についてか。応募しようと決めた事か。そもそも自身が能動的に動こうと決めた根本的な事か。

 亮之佑の瞳には何も映らず、樹には彼が聞きたい事がよく分からなかったが、少し考えて口を動かす。少しでも自分の思いが伝わるように。

 

「やりたい事ができた、それだけなんです。でも理由なんてのはどんな物でも良いってお姉ちゃんが教えてくれたんです。頑張る“理由”があれば、どれだけ苦しくても目標に向けて頑張りきる事ができる。私は、お姉ちゃんの後ろじゃなくて隣にいたいんです」

 

「……そっか」

 

「はい」

 

「ありがとね、聞けて良かった」

 

「あの、亮さん!」

 

「どうした……? 焼きとうもろこしでも食べたいのかい?」

 

「えっ……」

 

 いつの間にか両者共に体育座りをして話していると、亮之佑が指を明後日の方向に向けた。

 彼の指が示す方向には、青いシャツを着た中年のおじさんが汗をかきながらも行列を作る多くの客たちを相手に焼きとうもろこしを売りさばいている。その屋台から漏れ出る醤油の何とも言えない匂いに一瞬樹の胃袋がうめき声を上げたが、無言で首を振り問いかける。

 

「いえ、そうじゃなくて。……その、亮さんの夢ってなんですか……?」

 

「俺か……」

 

 樹の問いかけに、亮之佑は手元に空気の入っていない浮き輪を取り寄せる。

 その手の先に見慣れぬ蒼い指輪を見かけ、樹が問いかけようとすると同時に。

 

 少しだけ悲しそうに微笑む少年は右手をこするように見せつけ、左手で浮き輪を上下に振る。

 すると一瞬で膨れ上がり、あっという間にドーナッツ型になった浮き輪を樹は呆然と見つめる。

 

「―――俺の夢は、最高の奇術師になることかな!」

 

「おおっ」

 

 先ほどの笑みとはうって変わり、

 にんまりとした笑顔で堂々と己の夢を語り、努力する先輩の存在は、樹には少し。

 

「……眩しいですね」

 

「眩しいと言うよりは暑くなってきたし泳ごうか、樹」

 

「ふふっ、そうですね」

 

「あっ」

 

 浮き輪を腰に装備し、時折双眼鏡で明後日の方を見つつも友奈や東郷の下に歩く亮之佑を、

 足の裏に砂の熱さを感じた樹は一瞬で追い抜き、一足先に海の冷たさを堪能する。

 

 その姿に間違いなく彼女たちは同じ遺伝子を持つ姉妹だと亮之佑は感じ、

 浮き輪を持って追いついた亮之佑は誰にも聞こえない程度の音量で、樹にだけそっと告げる。

 

「俺は応援するよ。その明瞭ではない夢を」

 

「……はいっ、ありがとうございます!」

 

 そう告げ、自分に笑いかける少年の姿を樹は見上げる。

 不思議で面白くて、カッコいい先輩だなと海に浸かりつつ樹は改めて思った。

 

「ところで、どうして浮き輪を……?」

 

「俺は海やプールに限らず水に嫌われているのさ」

 

「それって泳げないってことじゃ……?」

 

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 

 やがて夕方になり、ビーチには人も少なくなった。

 朱を流しながら灼熱の太陽が海に沈み、夜を生み出す。

 その少し前に生み出される暮れ方の紫紺の水平線をぼんやりと見ていると、

 

「帰るわよーー」

 

「はーい」

 

 勇者部一行も旅館に移動することになった。

 己の名前が他人に呼ばれることを好ましく思いつつ、最後に目の前の黄昏の海と別れを告げる。

 そんな中で、東郷に日焼け止めを塗るという定番にして素敵イベントを友奈に取られてしまったことをふと思い出す。

 

 荷物を抱えながら、そのイベントを取られたショックで言うのを忘れていた言葉を思い出し、友奈に駆け寄る。

 ピンクのビキニにミニスカートという普段見ない水着姿に対して感想を言うべく亮之佑は口を開く。

 

「友奈さんや」

 

「なーに?」

 

「その水着、似合うよ」

 

「ありがと」

 

「……ん? アタシは?」

 

「風先輩もいい感じですよ。その模様とかセクシーですね」

 

「そうでしょ? 分かっているじゃな〜い。大体なんでアタシは男たちにナンパされないのか意味が分からないんだけど、どう思うよ? それに比べて亮之佑にはアタシから漂う大人の色気もとい、この身から溢れんばかりの女子力が―――――」

 

 黄昏の海に背を向け、旅館に向かう。

 その足に淀みはなく、僅かな疲れと満足感を残し、

 少年たちは迫る紫紺の水平から逃れるように、空腹に従って歩き出した。

 

 歩き出した。

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 水着から浴衣に少し苦労しつつ着替えた後、指定された部屋に向かう。

 

「あの~、部屋間違ってませんか?」

 

「いえ、そんな事は。ごゆっくり」

 

 俺たちの着いた旅館ではやけに豪華な料理でもてなされた。

 流石に豪胆な風も少し豪華すぎないかと懸念していたのだが、

 

 大赦が絡む旅館であることもあり、勇者として選ばれた俺たちの事を最上位の客として認識しているのか。経験と時間がその身に刻まれた笑顔からは、客をもてなすという理念だけが感じ取れた。

 

「私たち、高待遇のようね」

 

「一応御役目の途中だけれどもリフレッシュも大事だろうし、大赦がらみの旅館ならいいんじゃないの?」

 

「つまり、食べちゃっても良いってことね」

 

 と、東郷が座布団に座るのを筆頭に、舌なめずりをする風も座る。

 その後全員が座ったのを確認し、風の音頭で「いただきます」をする。

 

「蟹さん蟹さん、ご無沙汰してます。結城友奈です!」

 

 蟹の鋏を指で摘まみにこやかに挨拶をする友奈はこの料理の光景を家族に送るという事で、携帯で写真を撮る。そんな友奈に釣られる様に女性陣が思い思いに撮り始めた。

 女性ってこういうの好きだよねーと思いつつ、俺も端末のカメラ機能を起動し夏凜に向ける。

 

「まったく揃いも揃って……」

 

「夏凜、こっち向いて」

 

「えっ!? 料理を撮りなさい、料理を!」

 

「そう言いつつも、引き攣った笑顔と共にピースをする夏凜だった」

 

「変なナレーションを入れるな」

 

「ほら、蟹やるから」

 

「え、いいの……?」

 

 蟹様の足をいくつか譲ると、ムッとした顔があっという間に平常モードへと戻った。

 俺は手に入れた浴衣夏凜のピース写真をどうしようかと考えつつ、目の前の料理に――

 

「亮ちゃん、ピース!」

 

「やれやれ……ピーーーース!!」

 

「おっ、いい声ね。けれどねアタシの声のほうが凄いわよ……、ピーーーーーース!!!」

 

「……ふふっ」

 

 ――集中できなかった。

 蟹様が起こす変なテンションは、東郷ママに全員が怒られる5秒前まで続いた。

 

「………」

 

 そんな中で、ふと園子の家でも蟹を食べたっけと思い出すと、自然と左手が握り締められた。

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 食事を終えると風呂に入った。

 旅館の広々とした温泉に入ると、身体に溜まった疲れが染み出るのを感じる。

 

「あ〜、効くわ〜」

 

 小型のライオンの石像。

 その口から発せられるお湯のちょうど下で、湯圧をひとしきり感じた後。

 コーヒー牛乳の瓶を片手に、マッサージチェアのコンボを楽しむ。

 

「効くわー……」

 

 身体の節々が軋みを上げている。

 ぼんやりと手でほぐしながら牛歩のごとき足取りで寝る為の部屋に向かう。

 

 長く冷たい廊下をスリッパ越しに素足が感じ取る。

 この後は特にすることもなく寝るだけだ。

 指定されている部屋の襖を開けると、畳に敷かれた布団が6つ。

 

「あっ、来たわね」

 

「俺もここで寝るのね……」

 

 既に女性達によって5つの布団が占領されている。

 樹、風、夏凜と向かい合うように、東郷、友奈、そして空いている布団という構図だ。

 

「普通さ、ここは俺だけ個室のベッドとかじゃないの……?」

 

「何さらっとワンランク上の物を要求してんのよ」

 

「……」

 

「何よ?」

 

「夏凜はあれだね。髪を下ろすと可愛いね」

 

「なっ―――!?」

 

「あっ、もちろん普通の状態も素敵だよ」

 

 適当に夏凜をからかい、やや頬を赤らめる彼女に微笑みながら余った己の布団に身を横たえる。

 隣を見るとこちらをジッと見る友奈と目が合いつつも、赤い視線を躱し風と話をする。

 

「それにしても、なんで俺もここなんですかね」

 

「さあ……、でもアンタなら大丈夫でしょ」

 

「……」

 

 それは俺を男として見ていないのか、それとも信頼されているのか。

 きっと後者の方だろうと俺は結論付け、女性陣から一定の信頼を得ていることを嬉しく思った。

 そして、俺が来たのを皮切りとして、乙女+紳士による夜の会話が幕を上げた。

 

 紳士がいるにも関わらず、彼女たちは平然と際どい話を始める。

 風を筆頭に、恋の話を始める。

 「では、誰か恋をしている人はいますか……?」という友奈の発言に静まりかえる空気の中で、

 俺は友奈の方に視線を向けるが、彼女は頑なに俺と目を合わせようとはしなかった。

 

「まぁ、皆勇者でそれどころじゃなかったですしね」

 

「そういうアンタは何かあるの……?」

 

「あれは、2年の時だった……」

 

 夏凜が風に話を振ると、およそ10回目になる風のチアガールの話を聞く羽目になった。

 久しぶりに聞く彼女の話は微妙に以前より盛っている気がしたが何も言わないでおいた。

 夏凜は1回目だし、聞き応えはあっただろうが、俺たちにとっては眠いだけだった。

 

「えーい、次の話題。友奈! 際どい話をして」

 

「ええっ、無茶振りですよぉ……」

 

「いや、友奈ならきっとある!」

 

「あ、ありませんよ!」

 

「際どい話なら任せて下さい」

 

「東郷のは別の意味で際どいでしょ……っていうか夏凜もう寝ているし」

 

「可愛い寝顔ですね」

 

「しゃーない、アタシ達もそろそろ寝よっか。夜更かしは乙女の敵よ」

 

 そうして部屋の電気が樹によって消され、俺たちは眠りについた。

 端末を充電するべくコンセントに繋ぎ、皆でおやすみを言い、床につく。

 電気を消した後、東郷による怖い話もあったがスルーした。

 さて眠るかと目蓋を下ろし、眠ろうとして――

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 

「―――――」

 

 部屋に響くのは時計の針が時を刻む音と、

 少女たちの寝息と、時折風が呟く寝言だけだ。

 

「―――――」

 

 眠れなかった。

 別に思春期特有の彼女達の甘い匂いや息遣いにドキドキしたとかではない。

 むしろ、そんな理由だったらどれほど良かっただろうかとため息をつく。

 隣を見ると、安眠なご様子の友奈が枕に顔を埋めている。

 

 そっと彼女の紅色の艶のある髪を撫でる。

 ずれていた毛布を掛けなおし、起こさないようにそっとその場を離れ、窓辺の椅子に座る。

 暗い海を窓から見下ろし、椅子に背中を預けるとギシッという音を立てた。

 

「……」

 

 亮之佑にとって、眠れないということは最近はよくあることだと思っている。

 己の城でもある家で眠れる時に眠れれば十分だ。

 最低限の睡眠は確保しているし大丈夫だと割り切り、指輪に己の意識を集中させる。

 

 やがて、己と蒼い指輪の鼓動が一つになるとき。

 亮之佑の意識は肉体を離れ、指輪に吸い込まれた。

 

 

「……ん?」

 

 そこは常夜の世界だ。

 それがこの世界の常識であり、度々訪れる亮之佑にとっても慣れたものだ。

 だが、今日の世界は少し有様が異なっていた。

 

 まず草原ではなく、一面砂浜だった。

 時折黒い髪をなびかせる冷風は、潮の匂いがする海風へと変わっていた。

 この世界の象徴でもある桜の大樹は変わらないが、その先は青い海が広がっている。

 

 そして、大樹の下で優雅にこちらを見下ろす初代は、なぜかビキニ姿だった。

 そして俺も海水パンツとサンダルのみという格好だった。

 世界は形が異なれど、その創造主が変わった訳ではない。無言のまま砂の丘を歩く。

 

「やあ、せっかくだから向こうと同じくそれっぽい世界に変えてみたけど、どうかな?」

 

「微妙」

 

「ボクも、たまには素直に褒められたくなる時があるのだけれども」

 

 黒いビキニは隅に赤いハートマークの模様があり、作成者による遊び心を感じさせる。

 決して華やかではない、淑やかな彩りの水着に身を包んだ少女。

 

 日に焼けることを知らない白い肌は月夜の青白い光とランタンの燈色によって照らされ、

 彼女の独特の雰囲気も含めて、目の前に映る少女がとても美しく感じた。

 曲線の美しい胸を持ち上げるように腕を組み微笑む初代に、俺は苦笑という態度で接する。

 

「―――似合うよ」

 

「それはどうも」

 

 誘われるまま白い椅子に座り、白いカップを手に取る。

 カップの中にある琥珀色の液体は、言葉では表現しづらい謎の味がした。

 初めて飲むソレに眉を顰めて、俺は思わず目の前の少女に問いかけた。

 

「これは……?」

 

「お茶だよ。飲むだけで僅かだが因子量が増えるというスペシャルな物だ」

 

「……」

 

 別段不味い訳ではなく、かと言って美味しい訳でもないソレは、

 残念だが、次に飲む機会があったら是非とも遠慮したいと感じる味だった。

 俺が椅子に座りカップの液体を飲むのを見届けた初代は、やがておもむろに口を開く。

 

「さて、それじゃあ今回は世間話は抜きにして、話をしようか」

 

「ああ」

 

「とはいっても、あまり時間もないが……そうだね、まずは乃木園子の件は残念だったね」

 

「……」

 

 数日前、遂に俺は全ての病院を一通り探し終えた。

 しかし結論から言うと、園子は見つからなかった。遅かったのだ。

 全ての情報は大赦によって消されてしまい、既に繋がりは絶たれてしまった。

 分かっていたが、何の手がかりも掴めないというのは精神的にキツイものがある。

 

「まぁ、落ち込むのも無理はないだろうね。一連の動きによって新たな人脈とコネ、何より変装術を一流のソレに昇華させられたが……」

 

 赤い瞳は、それじゃあ満足できないんだろうと問いかけてくる。

 その通りだった。思考はともかく、感情が悲鳴を上げていた。

 ともすれば発狂しそうになるソレを無理やり抑え込み、どうにか日々を生きていた。

 

「もう少しすれば宗一朗が会わせてくれるというらしいが、どうする気だい……? いっそ彼にこの件を預けて、バーテックス撃破の方に今は尽力してみては如何かな」

 

「……確かに、このまま腐っていても園子が見つかる訳じゃない。振り出しに戻ってしまったけれども、決して無駄になった訳じゃないさ。宗一朗を信用していない訳でもないが―――」

 

「―――背後の大赦が信用できないと」

 

「そうだ」

 

 初代の言うことはもっともだ。

 勇者としての御役目と学業、合間に園子探しと休む暇も無く神経を削ってきた側としては、何も掴めないという結果は残念で仕方がない。初代の言うとおり、いずれ宗一朗が会わせてくれるのであればこちらも安心できるが、果たして本当に会うことができるのかという不安と危惧が付き纏う。

 

 そもそも会わせるというのに時間が掛かること自体が懸念の材料でもあるのだ。会いたいだけなら会わせることは可能なはずだ。それすらさせないのには明らかに何かが関わっていると考えて間違いない。

 

「では、キミにこれ以上の手があるのかい」

 

「……」

 

「無言は肯定と同義だよ。キミにできる事は行ったが大赦の方が上手だった。それだけだ。掴めない物に想いを寄せるのも良いけれども、目の前に迫る脅威の方が優先度は高いはずだよ。まずはそちらの対処に専念した方がいい。この世界が潰れて困るのはキミだってそうだろう……?」

 

「まぁ、そうだな」

 

 結局は割り切るしかない。悪いのは捜索に手間取った自分なのだから。

 頭を振り、強制的に考えないようにして、他の話題に移る。

 議題は園子からバーテックス関連にシフトする。

 

「結局、その13体目については何も分からないのか」

 

「そうだね。記録では、黄道十二星座の名を冠する12体のバーテックスが襲撃を仕掛けるようになったのは、実は最近の方なんだよ。そもそも、ボクとしてはなぜ十二星座なのかという方が疑問だね」

 

「と、いうと?」

 

「言葉通りさ」

 

 そう告げる初代は、カップに残る琥珀色の謎液体を飲む。

 そうして喉の渇きを癒したであろう彼女は唇を舐める。

 

「星は、太陽系が属する銀河系に約2000あると言われていた。それだけじゃない。星座だって季節ごとに変わる。春、夏、秋、冬という風にボクたちから見上げる夜空は時と共に姿を変える」

 

「確か、全天88星座だっけ。アンドロメダとか」

 

「そうだね、その中に黄道十二星座も含まれている訳なのだけど。どうしてたったの12体しか攻めてこないのかが疑問なんだよね……。でだ、ボクとしては簡単な答えを推測したのだが」

 

「敵が舐めプしていたとか……?」

 

「油断ってことだね。ソレもあるんじゃないかな。だって星っていうのはボクたちの時代、つまり人類の全盛期ですら文字通り無限で観測できなかった星は多くある。相手側の兵力というのは不明だが、その気になれば星屑だけで間違いなく人類を滅ぼすことができるのは過去に証明されているからね」

 

「回りくどいのは好きじゃないんだ、分かりやすく言ってくれ」

 

 そんな俺の様子に初代は片方の眉を釣り上げるが、

 しょうがないとばかりに話をまとめる。「推測だけどね」と言う初代は、

 

「つまりだ。人類が300年掛けて少しずつシステムを改良させたように、あちらも敵を送ることでこちらを確実に屠る情報を得る。あちらにとっては12体での襲撃なんて唯の前菜。新しく作られた13体目こそが本命で、確実にこちらを滅ぼすために何らかの準備でもされているんじゃないかな」

 

「……、前途多難だな」

 

「それに、13体目を倒したからって終わりではない可能性が高いのはキミも気づいているのだろう?」

 

「敵は随分と多いものだな……」

 

「どんな風に生きても、敵を作らない者なんていないのさ」

 

 初代は口元を歪ませクツクツと笑う。

 その様子を見ながら、俺はあの紅の世界を思い出し、彼女から目をそらす。

 

 ふと桜の大樹の奥に広がる海を見た。

 海は泥のように黒々とし、時折風に凪いだ海が夜空を映し出す。

 己の視界には、黒と見間違えそうな紺色の海が広がっている。

 その光景を見ながらカップに残った液体を飲み干すと、先程よりも苦く感じた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第三十四話 星が集いて、花が咲く」

 大赦から与えられたリゾート地での休みは、その後も特に何かあった訳ではなかった。

 夜会を終えた朝、俺が椅子で寝ていた事を東郷に不審がられた程度だ。

 実際リフレッシュをすることはできたので、俺としてはモチベーションも悪くは無かった。

 

 

 それから少し時間が経過した8月頃。

 不快な警報音――樹海化警報と共に、俺は樹海へと飛ばされた。

 しばらくここは一体どこかなと端末と睨めっこしていると、

 女性陣達は今回は近い所に居たらしく、わざわざ全員が迎えに来てくれた。

 

「なんであんただけちょっと遠くにいるのよ……?」

 

「文句は大赦に言ってくれ。本来なら友奈か東郷さんの付近にいる筈なんだからさ」

 

 樹海化した時、時が止まった時刻はなんと夜の9時だった。

 お風呂から上がり、寝る前の手品の練習をしていた身としては心臓が飛び出るほどに驚いた。

 当然、目の前で既に勇者服を着こんでいる女性陣もそうだろう。

 

 紳士としては就寝前の乙女達に一体ナニをしていたかを聞くのを躊躇ったが、

 勇者としては大切なことなので、反応から真偽を確かめつつ聞き取り調査をする。

 

「みんな、この時間何してたの?」

 

「アタシは樹を寝かせた後、部屋の掃除を」

 

「私は寝る準備を」

 

「友奈ちゃんと同じく」

 

 ……まあ、少し前に仲良く一つの部屋で寝た身としては面白みの無い回答だが、

 よくよく考えたら中学生ならこんなモノだろうと思いつつ夏凜に向き直る。

 

「それで、夏凜はもしかして睡眠中だったからそんなに不機嫌なの?」

 

「そ、そんな訳ないでしょ! 余裕で起きてたわよ!」

 

「……うん。そだねー」

 

 眠っていても、あんな警報音を耳元で流されるのは怒るよりも驚きの方が強いだろう。

 怒れる少女にはあまり深く突っ込まず、自身も変身し装束を纏う中、東郷が風に質問する。

 

「それで風先輩、今回襲撃が夜だったのは……?」

 

「……うん。大赦側は一応、その可能性も考えておくようにとは言っていたんだけどね。大赦側が持つ記録としてはバーテックスは大体昼から夕方にかけての襲撃が主だったから、今回もそうだろうなと思っていたんだけど……」

 

「これって夜襲になるのでは……?」

 

「まさか、そんな人間みたいな真似する訳ないでしょ。それに夜襲ならもっと遅くでしょうし。……ほーら、樹。いくら敵が攻めて来ないからってウトウトしないの」

 

「………ぅん」

 

 眠りかけな樹をあやす風という、どうにも緊迫感に欠ける戦場。

 ふと友奈の方を見ると涙目で欠伸をしているので、

 東郷にアイコンタクトを送り、眠気の覚めるような事をするように頼む。

 すると遊び心を忘れない芸人は神妙に頷きながらラッパを取り出したので、俺はそっと耳を塞いだ。

 

「――――」

 

 ラッパの音が耳越しですら響く中。

 次は缶コーヒーも用意しておこうと俺は決めたのだった。

 

 

 

---

 

 

 

 しばらくして漸く全員がシャキッとし、横に並び立つ。

 この構図を少し気に入りながら、夏凜に話しかける。

 

「――――さて、夏凜」

 

「何?」

 

「この状況をどう見る……?」

 

 夏凜は流石に完成型を豪語するだけあり、遠くにいる敵を射抜くような目で見据える。

 そんな赤と白の装束を着込んだ彼女の隣に立ち、同じ景色と端末を交互に見る。

 端末に示されるのは、8体のバーテックス。

 

「総攻撃ね……最悪のパターンよ。やりがいあってサプリマシマシね。亮之佑もキメとく?」

 

「キメたいからちょうだい」

 

「お二人とも、その表現はちょっと……」

 

 樹に苦笑されつつ、夏凜から目覚めのサプリを貰い食べると身体が震えた。

 細胞という細胞が活性化するのを感じる……ような気がする。

 

 その後もしばらく、そのまま膠着状態が続いた。

 俺は念のために持ってきておいた双眼鏡を取り出し、壁ギリギリの位置にいる敵を覗く。

 

「いつも思うけど、よく持ってきてるわね。そういうの」

 

「備えあれば患いなし。俺の好きな言葉の一つさ」

 

 夏凜の言葉に言葉少なに敵を観察する。

 端末上ではジワジワと前進してはいるが、こちらまでは時間があるのでジックリと見る。

 すると端末のアプリの情報と目視の情報、諸々のデータから敵の細かな様相が分かった。

 

「あれだけデカいな……」

 

 

 獅子座【レオ・バーテックス】

 バーテックスの中でも後方に下がっているが、一番大きい巨体を誇る。

 色合いはオレンジと白を中心としており、四方に広がるタテガミを思わせる棘が特徴的だ。

 

 

 大きいソレに引き続き、残りの同じようなサイズのバーテックスも順次見ていく。

 

「うーむ」

 

 少しでも手がかりになるものがあればと思い、倍率を上げる。

 同時に僅かな頭痛と共に、見知らぬ記憶が情報を示す。

 

 

 水瓶座【アクエリアス・バーテックス】

 青と水色の外装という名前通りに感じる見た目と、風船の様に膨れ上がった4つの球体が大部分を占めている。

 

 天秤座【リブラ・バーテックス】

 黄色を基調とした、見た目は天秤という形をしている。胸部のような部分だけが唯一白色である。

 

 牡牛座【タウラス・バーテックス】

 白い外見に、コケの様なものが生えており、その名前に相応しい二本の角が生えている。

 少し視点を上に向けると、その巨体の上部分に妙なベルが付いている。

 

 牡羊座【アリエス・バーテックス】

 藤色の骨組みだけの様な胴体に、頭部に白い角の様な物が生えている姿だ。

 

 魚座【ピスケス・バーテックス】

 白色と天色がかった魚というよりは、イカやクラゲを思わせる姿だ。

 

 双子座【ジェミニ・バーテックス】

 倍率を上げてみたが、小さくてよく見えなかった。

 

 そして、もう一体。

 『???』と端末上で示されているソレは、一応双眼鏡で確認できた。

 おそらくアレが13体目なのだろう。

 

「――――――?」

 

 その体は、なんというかスライムの様な流動体であり、他の座と異なり不定形だ。

 突貫工事で作られたような、色も無く白一色。

 加えて壁から離れることなく、他の座とも距離が出来ている。

 

 おおよそ完成されたとは思えない姿は、目の様な部分を見開きこちらを見定めている。

 ふと双眼鏡越しで目が合った気がした。

 

 

 以上の手に入れた情報を勇者部に告げる。

 

 因みに壁付近から動かない敵に対してこちらが手を出せない理由は、

 夏凜曰く、神樹の加護の無い壁の外には出てはいけない教えがあるらしく、このまま彼方が動かない限り手は出せないというモノらしい。

 破った身としては、その教えも外のアレを見せないために大赦辺りが作ったんだろうなと今になって思うが、不用意なことは口にはできず、面倒事の種を作る気もないために口を噤む。

 

「―――っていう感じなんだけど」

 

「そうね、なら―――」

 

 すると個人的に参謀役な東郷の提案で、

 友奈、東郷、夏凜と、俺、風、樹の2チームでできる限りの殲滅をする事にした。

 端末の情報も照らし合わせ、まず友奈チームが端末上、敵の中で一番移動速度の速い牡羊座を叩き、

 風チームは俺が一番怪しいと睨んだ牡牛座の撃破を目指すことに決まった。

 

「じゃあ、その後は流れで……」

 

「最後、雑!!」

 

「まぁこれ以上は決めようがないわ。残りは順次対処していき、その場で判断よ」

 

 そんな風の言葉に、そう言えば作戦らしき物すら立てたのは今回が初めてだと気が付く。

 現場主義というのは間違ってなかったなと俺は苦笑し、夏凜はため息を吐いた。

 

 一応の作戦も決まり、敵が壁から離れ此方に近づく中で、

 風が切り替えるように大きな声を出し、皆の注目を一心に集める。

 

「皆。決戦だし、アレやっておきましょう」

 

「アレ……?」

 

 夏凜が疑問の声を上げる姿に少し前の自分を見た気がしたが、

 一度経験した身としては風が何をしたいのかが分かった。

 それは、夏凜以外なんだかんだ長い付き合いとなった彼女達も理解したようで。

 

「……………」

 

 無言で円陣を組む。

 そんな俺たちに、堪らない様子で夏凜はツッコむ。

 

「え、円陣? それいる?」

 

「決戦には気合が必要でしょ?」

 

「夏凜ちゃん」

 

「……ったく、しょうがないわね」

 

 友奈が呼びかけ、俺が無言で手招きすると、渋々と言った様子で夏凜も円陣に加わる。

 俺の隣に夏凜が加わり、ようやく円陣が完成したので、円の中で風が音頭を取る。

 

「アンタたち、勝ったら好きなもの奢ってあげるから絶対死ぬんじゃないわよ!」

 

「頑張って皆を、御国を護りましょう」

 

 そう口々に己の思いを女性陣は口にしていく。

 俺も何か口にすべきか考えたが特になく、風が締めに入る。

 

「よぉーし、勇者部! ファイトォーーー!!」

 

「「「「「オーーーーーッ!!!!」」」」」

 

 気合は十分。

 ここに総力戦が開始した。

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 問題が起きたのは戦闘を開始して数分後だった。

 

 本来こちらの作戦として決めていた友奈チームによる牡羊座への強襲は、

 標的が突如前進を止め、進んだ道を戻るように後退を始めたことで早くも作戦に綻びが入った。

 

「こらっ、逃げんな―――!!」

 

「待って夏凜ちゃん!」

 

「逃げんじゃないって、言ってんのよ!」

 

「……罠だ、戻れ夏凜!」

 

 装束の姿で強化された勇者の足といえど、全力で後退する牡羊座との差はあっという間にでき、

 悔し紛れに夏凜が投げた二本の脇差はその頭部に衝突しダメージは与えど、

 牡羊座の迷いなく後退する逃げ足を止めるには至らなかった。

 

「―――!」

 

 それでもなお追撃しようとする夏凜の目に、牡牛座と合流する牡羊座の姿が映った。

 牡牛座が後退する牡羊座と交代するように前進しつつ、頭部の高い位置にあるベルを鳴らす。

 

 すると、あの樹海化警報を容易に上回る気持ちの悪い音が響き渡った。

 否、それを音と呼ぶことすら躊躇するような、頭に響くソレがベルから発せられた。

 

「あぐっ――――」

 

「うぎっ―――――――」

 

 咄嗟に耳を押さえることで対応するが、頭に直接響く不快な音に視界が歪む。

 先に倒すべき相手を間違えたかと今更になって歯噛みしつつ、

 一応警戒して偵察をしておいて良かったと、近くにいた樹に叫ぶ。

 

「―――――い、樹っ!!」

 

「はいっ!! こんな……、こんな音なんてーーーーーーっ!!」

 

 叫びは聞こえたかは不明だが、樹は俺が口を動かすのを見て予め決めていた行動を取る。

 彼女が何と叫んでいたかはあまり聞き取れなかったが。

 

 しかし、歌手を目指す者としては拘りがあるのだろう。

 不快指数が上昇する身としては、あれを音と呼びたくはないのには同意だ。

 そんな夢を追う乙女の腕輪の花部分から、叫びと共に緑のワイヤーが射出される。

 

 そのワイヤーは中空で謎の軌道を描き、牡牛座の頂上に位置するベルを雁字搦めに束縛する。

 拘束により、体を叩く大怪音が止まった。

 その瞬間、俺は耳から両手を離し、軽機関銃を呼び出す。

 

「よし、ここだ―――――風!!」

 

「分かった!」

 

 肩に響く僅かな振動に頼もしさを感じつつ、ベルの破壊に専心を向ける。

 同時に風に己の意思を籠めて名前を叫ぶ。

 

 聡明な彼女は、すぐさま意味を理解して地を蹴り、

 

「まずは、――――――お前らだぁぁぁぁっ!!」

 

 彼女の大剣が更に巨大化し、一撃で天秤座と水瓶座を切り裂いた。

 それと合わせるように、

 

「ヒャッハァァァァッ―――――――!!」

 

 口径7.62mmから発せられる殺意の嵐をただ一点のみにぶつける。

 破壊をするために作られた銃弾の雨は、数秒でワイヤーごとベルの破壊に成功した。

 この破壊力に少しトリガーハッピーになりかけな自分がいることには無視する。

 

 ひとまず3体同時に攻撃を与えることに成功したので、風と目を合わせる。

 

「ナイス」

 

「そっちもね………皆! まずはこの3体をまとめてやるわよ!」

 

「待って! 様子がおかしい」

 

「ヒャっ……、何だと……?」

 

 夏凜に止められ、少し落ち着き、今部位破壊を達成した3体を見る。

 

 ダメージを与えた天秤座、水瓶座、牡牛座が、

 先ほどから後方で様子を窺うだけだった獅子座と、先に後退していた牡羊座の下へと引き返していった。

 その様子を見て、「後退……?」と風が呟く。

 

「…………?」

 

 このまま撤退してくれたらと思ったが、そんな事は一切期待できなかった。

 さらに、それまで壁際にいたはずの白い物体が半分に割れたかと思うと、中空に浮かぶ5体に合流した。

 やがて、

 

「合体、しちゃった……?」

 

 そう呟いたのは誰か。

 起きた事象を説明すると、獅子座が太陽を思わせる球体へと変形し、5体全てを呑み込んだと思ったら、歪な形をした一つのモノとなっていた。

 己の目から伝えられた事をまとめると、なるほど確かに合体と呼べるだろう。

 

 しかし、ところどころに元の星座となっている黄色や青、緑の部分が浮き出ており、法則性も感じられないソレには、男のロマン的にも余りカッコいいものだとは正直思えなかった。

 

 牡羊座、牡牛座、獅子座、天秤座、水瓶座、そして謎の物体。

 合計6体が混ざりこんだ融合体は、大きさも先ほどの5倍はあるだろうか。

 

「で、でもこれで6体まとめて倒せるよ!」

 

「友奈の言うとおり! まとめて封印開始よ」

 

「確かにそうだな……」

 

 大きさによる威圧感に圧倒されそうになり萎縮しかける気持ちを、

 友奈のポジティブな発言と、それに同調する風の発言に立ち直る。

 如何に大きかろうが、ソレだけだ。

 

「――――! 来るぞ!」

 

 そう思っていたのは、その巨体から無数の火の玉が飛んでくるまでだった。

 燃え盛る紅の炎は、稲妻の如き速度で各勇者に迫る。

 

 ソレはもちろん、俺にも例外なく迫り来る。

 業炎の玉に対して、俺は全力で空を翔るように足を駆使して地面を走り抜けるが、

 追尾するソレは速度を上げ着実にこちらに迫る。

 他の勇者部の面々が気になるが、それどころではなかった。

 

「――――――、ぐぅあぁあっ!!」

 

 盾など持っていない為、咄嗟に軽機関銃を代わりとし、後ろに出来るだけ飛ぶ程度しか出来なかった。バリアが張られているにも関わらず、それを貫かんとする業炎に視界が赤く染まる。

 

 衝撃は遅れて来た。

 

「―――――」

 

 赤く染まる世界で、まず耳がやられた。

 直撃する中、己が何かを叫んでいると解ったのは、飛びかける意識と炎の中で口を動かしているという客観的な思考が残っていたからに他ならない。

 

「――――ぁ、ぅ」

 

 心臓の音が煩い。身体が痺れたのか、何も感じない。

 心臓の音しか聞こえない。

 思った以上に火炎の威力が強力なのか、吹き飛ばされ回転する視界の中で。

 

 バリアに守られてなお、その威力に抵抗できず転がる肢体と、

 焼け焦げていく色とりどりの樹海の根を、かろうじて己の目が見届けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 紫黒の空が目の前に広がっている。

 

「ふ…………い……」

 

 少しの間、気を失っていたらしい。

 自分のモノとは思えない程しゃがれた咽喉。

 僅かではあるがバリアを貫通したと思われるのは、昏いコートが己を護る代償に所々衣服がこげた独特の臭いがするからだ。

 

 多少なりともバリアを破った攻撃に畏怖を覚え、

 同時に己を護ってくれた装束に感謝する。

 

 芋虫の様に這う手足にそもそも四肢が残っていることに驚き、

 衝撃が残り震える身体で戦況を見るべく、融合体の方に顔を向ける。

 

「――――――ぁ」

 

 融合体は、全身至る所から火炎玉を吐き出し、絶え間なく何かを燃やしていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 目に付くソレが煩わしいとでも言いたげに、本来なら神樹を狙うはずの融合体は率先して樹海を攻撃して回っていた。

 

 倒れた虫ケラをわざわざ警戒しているのか、神樹を直接攻撃するために移動せず、

 懇切丁寧に、舐めるように紅炎が根を灰にし、枯らしていく。

 時折倒れている勇者に追い討ちを忘れず、誰かが動くたびに火炎玉を撃ち込む。

 その後、ゆっくりと植物に溢れる世界を、覚束ない悪意に満ちた炎が広がり始めた。

 

 あの融合体は、根を燃やし枯らす行為だけに集中している。

 

「……?」

 

 その様子を赤黒い視界の中で見ながら。

 少しずつ軋む身体を動かしながら。

 なぜ? と思考していた。

 

 確かに樹海化するにあたって、神樹は世界のリソースを樹海の根に変換する。

 それは敵の攻撃に対して混乱を防ぎ、勇者がスムーズに戦えるようにするためだ。

 

 敵の狙いは神樹だ。わざわざそこら辺の根ではなく、神樹本体を倒せば済むと言うのに。

 なぜこんな合理性に欠ける行動をして――――、

 

「―――――ま、さか」

 

 先に倒す相手を勇者の方に切り替えたとか。

 もしくは、街の住民の方を優先的に攻撃する方針にしたとか。

 己の頭に最悪な予想が浮かぶ。

 

 だとしたら不味い。

 今もなお燃やされているあの根は人であり、社会を作る何らかの基盤だ。

 周りを見渡すとそこら中が灰色へと変わり、紅色の炎に植物が次々と蹂躙されていく。

 

「……」

 

 一体どれだけの被害が出るのか。

 それには目を向けない。目を向けては戦えなくなる。だから考えない。

 

 自分たちには自分たちの役目がある。

 すなわち、敵の撃破。

 

 しかし問題がある。

 再び火力が足りない。

 軽機関銃を超える、強大な火力が要る場面に直面してしまった。

 

「ふ……う……」

 

 そんな中、赤黒い視界で立ち上がる風の姿が目に入る。

 その姿に融合体は再び火炎玉を当てるかと思ったが、巨大な水の塊を風に当てた。

 

「―――!? ――――!!」

 

 人間は水の中では生きられない。

 赤黒い視界の中、浮き上がる水塊の中で必死に大剣を振るう風を、

 嘲笑うかのように追撃をせず、融合体は彼女が溺死するまでを見守る。

 

 気がつくと俺は左肩の刻印に右手で触れていた。

 目を向けると、己の刻印はいつの間にかゲージが溜まりきっていた。

 

「―――――」

 

 刻印を右手で握り締めると、この状況がいつかの時と似ている事に気がついた。

 黄金の稲穂を思わせる金髪。

 その身体を護る紫の装飾。

 最後に笑った姿が、赤黒い視界の中で浮かび上がる。

 

 

= = = = =

 

 

「かっきーが、大好きなんだよ~」

 

 

= = = = =

 

 

 あの背中を覚えている。

 

 日々を生きる中で、いつも俺は思っていた。

 俺は、あの背中に追いつけているのだろうかと。

 

「――――っ」

 

 園子。

 俺はお前に。

 あの背中に笑われないように、ひたすら追いかけてきた。

 

 奥歯を噛み締め、震える右手で刻印を握り締める。

 左肩で今か今かとクロユリの花は僅かに小さく、黒い色彩を放つ。

 

 満開システム。

 夏凜が言うには、経験値を溜めゲージが最大になることで使うことが出来る勇者の切り札。

 だが、ソレを“俺が”使った場合、どうなるかは分からない。

 

 ――――関係ない

 

 初代は言った。

 このシステムにも何かの悪意に従い、細工をされていた場合は目も当てられないと。

 ただでさえ使える兵装すら使えなくなったら、肉壁以下になる。

 

 ――――関係ない

 

「そうだ、関係ない。後悔はしないって決めたんだ……」

 

 何よりも切り札があるにも関わらず、もしも目の前で死にかけの風を諦める気なら、

 ソレはもう今の“加賀亮之佑”ではないのだから。二度と奇術師を語ることは出来ないだろう。

 

 それで覚悟が出来た。

 

 死にゆくという暗い覚悟ではない。

 逃げるという後ろ向きな覚悟ではない。

 目の前の敵を、加賀亮之佑の敵を、“何を賭しても”叩き潰すという覚悟だ。

 

 ふと、初めての戦闘を思い出す。

 白い星が降る世界で、身体に奔る痛みに震える己を不敵な笑顔という仮面で隠し、

 星屑を相手に己の両手に全ての想いを託し、ただひたすらに少女の姿を想ったあの瞬間を。

 

「―――――」

 

 今回もやることは大して変わらない。

 紅と金のラインが薄っすらと光を放つ昏いコート。

 その左肩。

 俺を、いや俺が『加賀』であることを示す、昏い花の刻印に右手で触れる。

 

「―――――復讐か」

 

 黒百合の花言葉は不吉な言葉も多いが、俺はあまり嫌いではなかった。

 あとはソレを告げるだけだと、なんとなく分かった。

 

「満開」

 

 望むものは勝利だ。

 敗北はあり得ない。

 

 己の身体を包むように、暗紫色の花が咲き誇り――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特に何も起きなかった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第三十五話 命を弾丸に、ルーレットよ廻れ」

「……?」

 

 何も起きなかった。

 先ほど、自らの肉体を包むように紫黒色の花が咲き誇るように光を放ったが、

 

「何も、起きてない……?」

 

 何か強大な力に覚醒したとか、戦艦が顕現したとか、巨大な腕が生えたりとか。

 そういった満開による明確な変化といったものが発生したようには思えない。

 先ほどと何一つ変わりないように思える。

 

「いや、いや、待ってくれ……。そんなことって……」

 

 慌てて左肩を見る。

 先ほどまで爛々と存在を示すように光っていた昏い花のゲージは、輝きを無くしていた。

 溜め込んだはずのエネルギーは、使用されたのは間違いない。

 だが自らの両手を見ると、相変わらず赤い手袋と、手首には拘束用のバンドが施されている。

 

「―――――」

 

 何も起きていない。

 その事に愕然とした。

 

「―――――」

 

 俺が呆然自失に身体を硬直させ座り込んでいると、

 いつの間にか事態が一変していた。

 

「……ふう」

 

 どうやら彼女は自力で何とかしたらしい。

 先ほどまで水面に顔を出そうと足掻く金魚の如き痴態を晒していたにも関わらず、

 彼女は決して諦めることをせず、その決意に神樹は応えたらしい。

 

 正しくゲージが消費されたのか、樹海から光が風へと集まっていく。

 やがて風を覆うように、彼女を象徴する花を模した光が現れる。

 その光が収まるころに現れ出でたのは、神道の神官のような装いへと変貌を遂げた風だった。

 

「―――――」

 

 流石に勇者の聴力でも遠すぎて彼女が何を言っているかは聞こえなかったが、

 「これが満開の力か……」的な事を言っているのは、なんとなく分かった。

 

 そんな風目掛けて、傍観者気取りを止めた融合体は雷撃の如き火炎玉を放つ。

 中空に浮く風はソレを軽々しく躱しのけ、あまつさえ体当たりを敢行して見せた。

 

 だが流石にそれで倒れるほど柔ではないらしく、融合体は火炎玉十数発を連続で浴びせる。

 その最中も脇の穴部分から噴射口を覗かせ、火炎放射を放ち樹海を焼き続ける。

 

「―――――ぁ」

 

 圧倒的だった。

 満開の力は、目に見えて少女の力を上昇させていた。

 空中を浮く力だけでなく、所持していた大剣の性能の上昇など、

 融合体を相手にして、満開をした少女は先ほどよりも明らかなパワーアップをしている。

 

「…………」

 

 だと言うのに。

 自らは一体何をしているのだろうか。

 これでは何もできない。あの戦いに割り込んでいける兵装も速度も無い。

 

「―――――」

 

 再び樹海から光が集まる。

 蒼い光の中から、浮遊能力を持った移動台座がその存在感を示すのは東郷の満開だ。

 

 東郷はその中心で腕を組み、白を基調とした色合いの羽衣をまとった和服へと変化している。

 浮遊型移動台座には花型の可動砲台が展開されており、全方位への攻撃を可能としているようだ。

 

 浮遊台座の下から、先ほどの合体に加わらなかった魚座が姿を現す。

 しかし、砲台に収縮されたエネルギー弾により容易く蹂躙され、その姿を御霊へと変化させた。

 本来は封印の儀がいるが、続けて放たれる圧倒的な火力で御霊を破壊した。

 

 

 

 

 

 

『……見ているだけかい?』

 

 その様子を見ていた俺に初代が話しかけてきた。

 左手で僅かに輝きを放つ蒼色の指輪。

 ソレを触媒とすることで、声として現実に干渉する彼女。

 

「……」

 

 無言で応じる俺を、情けないと言わんばかりに大きなため息を初代はついた。

 ため息をつきたいのはこの俺の方だと言わんばかりにため息をつき返し、目を向ける。

 

 ふと目の端で緑の光が花開いた。おそらく樹だろう。

 端末上で、双子座が神樹に近づいていると茨木童子が端末を開いて示してくれる。

 樹ならきっと逃がすことなく、エグいワイヤー攻撃で処理するだろう。

 

「完全に、俺の出番ないじゃん……」

 

『不貞腐れるのは結構だが……、彼女達では決定打に欠ける』

 

「……」

 

 激しくなる爆音と爆風に髪がなびく。

 砂や黒煙の入り混じったソレは、バリアが防ぐに値しないとして顔に直に当たった。

 

 思わず舌打ちと共に軋む身体を動かし、融合体の方を見据える。

 現在、風と東郷が融合体相手に同等の戦いを行えているが、それでも少し押されている。

 火炎弾、火炎放射、時折ドリルの様な物を射出し、その度に東郷の可動砲台が相殺し、隙を見て風が斬りつける。いずれ樹や夏凜、友奈も加わるだろう。

 

 被害は徐々に拡大している。

 止めなければいけないのは分かっている。

 

 分かっているのだ。

 

「――――けど、だけど……!!」

 

『満開は、間違いなく行われた』

 

 近くに火炎弾が落ち、直撃するのを茨木童子がバリアを展開することで防ぐ。

 だが、今はソレに構っている場合ではなかった。

 躊躇し、戸惑い、軋む身体に則り、徐々に止まる思考の中で。

 

「なんて……?」

 

『満開のシステムは、間違いなくゲージを消化し起動した』

 

「え、いや、そんな訳がないだろ……だって現に」

 

 俺の姿は、何も変わってはいない。

 赤い手袋、紅と金のラインが奔る昏いコートは焼け焦げた痕が直っているがソレだけだ。

 

 風のような神々しい形状の変化がされている訳ではない。

 東郷のような戦艦を思わせる浮遊型移動台座が展開されている訳でもない。

 つまりは、失敗したと思うのが普通だ。

 

 このシステムは欠陥品。

 溜まったはずのエネルギーは無駄に消費されたはずだ。

 そういう考えに至る俺の思考を、

 

『そんな訳ないだろう……?』

 

 と当たり前のように初代は一蹴した。

 

「……え」

 

『いいか、半身。曲がりなりにも、この満開システムは溜まったゲージと神樹から力を貰って起動するシステムの様だ。だがキミのは起動していない。ソレに対してキミはこう考えている。大赦内部の敵対派閥が何かを仕込んだ所為で、何らかの異常事態がシステム内にて発生。結果エネルギーが無駄に流出してしまったんじゃないか……と』

 

「違うのか……?」

 

『違う。仮に何かの仕込みが起動するにせよ、その所為で人類が終わるのは本望のはずが……いや、そういう連中の生き残りか……。まぁ何にせよだ、神が干渉する力は人間がシステムを弄った程度でどうにかなるはずがないんだよ。これが大前提だ』

 

 つまり、初代はこう言っている。

 満開システムは滞りなく、その機能を十全に果たしていると。

 では消費されたゲージ分と、神が与えたという力はどこへ行ったのだろうか。

 

『満開によって生じたエネルギーに関してはこちらで弄らせて貰った。だから外装などは変わらなかったのさ。そもそもキミが扱うシステムは彼女達が使うのとは根本が異なるからね。正規手段では絶対に満開はできない』

 

「おい、そこら辺詳しくって言うか、早く言えよ」

 

『このシステムを見るのは初めてだったこともあるからね、ボクも多少分かった程度さ。それらは時間が無いからまた今度。……うん、中々に頑固だったけども随分と時間が掛かったね』

 

「……? 何の――――」

 

 話だ、と続く言葉はいらなかった。

 苛立つ自分を黙らせるかの如く、その情報が思考に割り込んできた。

 それで脳が理解した。

 

 この身は既に満開を行っている。

 そのエネルギーを再変換して、初代が何をしていたかを。

 

『いい加減、こちらもイライラしていたんだよ。ボクのシステムに大赦如きが関与するなんてね』

 

「お前でも、苛立つ時があるんだな」

 

『ボクを一体なんだと思っているんだい……?』

 

「おおよそ勇者とは思えないから、悪魔とか魔女かな」

 

『なら、キミは魔王だね。おおよそ勇者がしていい笑みじゃなく、性根も性格も勇者とは程遠いからね。生まれ変わってやり直した方がいいよ』

 

 身体は軋むが、震えはもうない。

 膝を叩いて立ち上がる。

 既に脳裏には、アレを屠るまでの工程が描かれて始めている。

 

『とはいえ、次がどうなるかが不明だがね』

 

「その時はその時さ。まずは……」

 

 目の前の融合体の完全なる撃破だ。

 満開した勇者3人を相手に怯むことなく戦う融合体によって、

 周囲の樹海は既に原型を為していないが、俺が気にすることではない。

 

 

 命令を告げる。

 

 

「全兵装―――――――」

 

 ガチリ、と身体から音が発せられる。

 左手を中空にかざすと、蒼き指輪が、おびただしい量の昏い光を放つ。

 その光は、懐かしく、郷愁の思いを過らせる、ある世界のエネルギーが混ざったモノだ。

 

「――――緊急―――――」

 

 これより告げられるは、敵を倒す宣誓である。

 本来の力を解放する。

 初代『加賀』勇者が、自らの死後も尚、研究と開発、強化と300年心血注いだ力。

 かつて滅んだ兵器を元にし、強力に改良された勇者システムは、他の物とは異なる。

 

「―――――――――解除」

 

 本来は解除にもっと何かの手順がいるはずだった、兵装を抑える拘束具。

 ソレをエネルギーをもってゴリ押す。解除に伴い拘束器具が弾け飛ぶ。

 僅かに身体が軽くなると同時に、口角に不敵な笑みが渦を描く。

 

 簡単な話だった。満開のエネルギーは、全て拘束の排除にのみ向けられていたのだ。

 

 同時に残ったエネルギーは、僅かにだが火力と浮遊能力に振られている。

 見た目は変わらないという他の連中と比べて何たる地味さか。

 だが、周りと比べてチャラつかない事に好感を抱く。無駄のない、確実な変化だ。

 敵を見て口を開く。

 

「ショータイムだ」

 

 

 

---

 

 

 

 空を飛ぶというのは、中々に気持ちが……悪かった。

 特に落下に向かう中の、胃の中がフワッとする感覚が最悪だ。

 

「――――――っ」

 

 無論吐いている場合でもなく、戦線に再復帰すると同時に、

 風、東郷、樹などに割り振られていた攻撃がこちらにも回ってくる。

 彼女達もこちらに気が付いて何やら叫んでいるが、こちらはそれでころではない。

 

「――――――」

 

 意識的に呼吸を止める。

 敵を目前にし、意識が、視界が加速する。

 この兵器に誘導装置は搭載されてはいない。

 使用する熟練した兵士たちは、約150m先から移動を繰り返し近距離から攻撃を行ったという。

 

 だが、勇者服と飛翔が可能な今ならば、150mよりも近くから砲弾の射出が出来る。

 着地と同時に、己の右肩に載せた頼もしいソレを一瞬見る。

 

 元になったソレは、『携帯式対戦車擲弾発射器』と呼ばれている。つまり『RPG』だ。

 厳密に言えば『ロケットモーターで加速する擲弾(グレネード)を射出する無反動砲』という分類のややこしい兵器である。

 クルップ式無反動砲、口径40mm、全長900mm、重量7Kg。

 300年ほど指輪の世界で強化され続けたソレはもはや別物であり、バーテックスにも通用する。

 

「――――――っ」

 

 弾は一発のみ。しかし数秒あれば自動で装填されるという楽な仕様だ。

 肩に乗せ、後方確認。

 敵の火炎玉を回避する。

 

 引き金を引くと、凄まじい反動が肩を襲う。

 慌てて持ち直すが、照準器が目に当たるのが早かった。

 開口した砲尾から、後方に向けてバックブラストが起きる。

 

 同時に下手くそな主人の意を汲み、砲弾が発射される。

 クルップ式によって発せられる砲弾は、発射と同時に加速する。

 弾頭の周囲後方の大型の安定翼は砲身から射出された直後に風圧で開いて弾頭の直進を助け、

 さらに後方の小型安定翼は弾頭に飛翔を安定させるためのゆったりした回転を与える。

 

「……わお」

 

 忘れていた呼吸を再開する。

 尚且つ至近距離から発射したソレは、余すことなく獲物を蹂躙する。

 具体的には、回転する砲弾は融合体のおよそ2割を抉り取った。

 

「ナイスッ、亮之佑!」

 

「前、前っ!」

 

 援護に対し、風から感謝の言葉をいただくが、眼前に注意をするように示す。

 風が俺の言葉を聞き、融合体の方を見ると、既に穴は1割ほど塞がっており、

 

「なに、あのヤバそうなゲンキっぽい玉……」

 

 融合体は、同時に全ての火炎を一つにまとめ上げていた。

 ソレは太陽とも言わんばかりの熱量と質量を誇り、満開した身ですら防げるか危うい。

 何発か更に砲弾を当てるが、融合体は意に介さず破壊を込めた一撃を作り出す。

 

 樹海に当たったら、間違いなく大災害になるのは避けられないだろう。

 だから風は大剣を巨大化させ、己の仲間を信じ抜く。

 自らはあの太陽を防ぐため、勇者達に向かい腹から叫ぶ。

 

「勇者部、封印の儀開始――――!! アタシがコレを抑える内に、早く――――!!」

 

 そう言って一人少女は、身の丈を超える大剣を持って太陽と正面衝突をした。

 男前な風の意志を汲み取り、勇者部は集う。

 友奈、樹、東郷、夏凜、亮之佑。

 

「……っ」

 

 彼らを護る精霊たちによって、順当に封印の儀が開始される。

 金色と白銀のベールに融合体が包まれる中、

 風が防ぐ太陽は一層大きさを増して、大爆発を起こした。

 

「―――お姉ちゃん!!」

 

「そいつを――――」

 

 樹が悲鳴の様な叫び声を上げる中、

 これまでの比にならない熱風と網膜を焼き切るような爆炎が襲う中で、

 

「そいつを、倒せぇぇぇぇぇっ―――――!!」

 

 それを上回る少女の魂の叫びは、彼らの動揺を抑えた。

 倒れた戦士の仇を取るべく、残った者により封印の儀が進む。

 そして、

 

 

 

---

 

 

 

 御霊は、宇宙規模の大きさだった。

 そもそも下の先端が遥か上空に上昇しており、全体が見えない。

 最後の最後で出現した規格外のソレに、夏凜も樹も絶望の表情を浮かべ、悪態をつく。

 しかし、

 

「大丈夫! 御霊なんだから、やる事は変わらないよ。どんなに敵が大きくたって諦めない!」

 

「友奈……」

 

「それが……勇者ってものだよね」

 

 こちらを見る友奈は、勇者を語るに相応しい凛々しい表情をしていた。

 そんな彼女に勇気づけられるように、

 樹も夏凜も、生気を取り戻した目をして頷く。

 

 状況は絶望的ではあるが、希望は常に共にあるモノだ。

 俺は東郷に呼びかける。

 

「東郷! 俺を乗せて空に連れてって!」

 

「東郷さん。私も!」

 

「行こう2人とも。今の私なら友奈ちゃんも亮くんも運べると思う」

 

「うん。2人は封印をお願い」

 

 友奈の言葉に任された事を了承する夏凜と樹。

 彼女らに頷き返し、俺は東郷が乗っている浮遊型移動台座へと飛び乗る。

 

「ヘイタクシー。ちょっと宇宙まで」

 

「……東郷さん」

 

「任せて」

 

 そう微笑む東郷の微笑は、戦闘で荒れた心を少しだけ癒した。

 呼吸を整え、可能な限り穏やかに微笑み返すと、東郷は左手を差し出してきた。

 ちらりと深緑の瞳を見つめ返し、柔らかな手を握り返した。

 そうして東郷が操る浮遊移動台座は俺と友奈を乗せ、空目掛けて飛翔する。

 

「東郷さん、こっちの射程距離に入ったらアレを何とかできる用意があるから……」

 

「―――分かった」

 

 言葉少なに頷く東郷に頼もしさを感じる。

 上空からは巨大な御霊による抵抗か、ブロックのような物がこちらに向けて降り注ぐ。

 その様子に友奈が驚愕の声を上げる。

 

「御霊が攻撃!?」

 

「迎撃するわ。地上には落とさない」

 

 いつもより心なし低い声の東郷の指示により、全主砲が火を噴く。

 重力に従い加速する大量のブロックと、重力に逆らう浮遊台座。

 ちらりと台座を操る東郷を見ると、俺の視線に気がついたのか、こちらを見て微笑んだ。

 

「大丈夫、見てて」

 

「……」

 

 何も言わずに、彼女の手を握り返す。

 それが彼女に対する信頼の証だった。

 だが、

 

「―――――!!」

 

 御霊の下、先端部分が見えてきた時だった。

 既に場所は宇宙空間。

 どこまでも広がりそうな暗い空間の中で、悠々と浮かび上がる御霊は、

 突如、下半分を分離してこちらに向けて撃ってきた。

 

 逆四角錐状のソレは、その下半分を切り離すことで一つの武器に変えたのだ。

 右回転する御霊から切り離されたドリルは、明確にこちらに向けて射出される。

 回避は許されないだろう。

 迎撃はできるが、再装填に相当時間が掛かるソレが、この後使用する予定の切り札になる。

 

「―――――っ」

 

「東郷さん!」

 

 加えて、先ほどの降り注ぐブロックを全て撃墜することに成功した東郷も限界かふらつく。

 浮遊台座の上昇も停止し、中空に留まるだけとなった。

 

「友奈ちゃん、亮くん。ごめん……。ちょっと疲れちゃったみたい」

 

「いや、十分だよ」

 

「ありがとう、東郷さん。見ててね、やっつけてくるから」

 

 友奈と東郷が視線を交わす中、少々気まずげに俺は目を逸らし、上空から迫り来るドリルを見た。

 ソレを睨み付けつつ、撃破手段を再度模索していると、

 

「亮くん」

 

 呼ばれた方を見ると、深緑の瞳に覗き込まれた。その奥に映るものが気になり、見返す。

 友奈のことと、後のことをお願いすると無言で頼まれる。

 それに対して、多くの言葉は不要だ。

 

「任せろ」

 

 彼女の瞳を覗き返し、繋いでいた右手を離す。

 東郷に背を向け、今度は友奈を見る。

 

「友奈」

 

「分かった」

 

 何が分かったのだろうか。打てば響く返事は好きだが即答過ぎて不安になる。

 そんな俺の不安が伝わったのか、変身後も変わらない赤い瞳が笑いかけてくる。

 

「アレを私が抑えている内に、亮ちゃんが攻撃が届く所まで飛んで御霊を撃破する……だよね」

 

「お前って最高……」

 

「ありがと」

 

 友奈と二人並び立ち、迫る巨大なドリルを見据える。

 一瞬だけ、友奈と手を繋ぎお互いの瞳を見るが、すぐに離れる。

 

 「満開」、と隣の少女は呟き、迫り来る脅威に向かい飛び立つ。

 神の如き力を顕現し、ピンクの花が宇宙に咲き誇る。

 友奈の背中に現れる全勇者の共通部分のリングから、巨大なアームが左右に発現する。

 その背中を見る。

 

「皆を守って、私は――――――――」

 

 回転を増すドリルと、破壊を一点に集中する巨大アームが互いに糸で引き合うように、

 急激にその間の距離を縮める。

 そして、

 

「――――――勇者になあぁぁぁぁぁるっ……!!」

 

 決意に満ちた声と共に距離がゼロとなる。

 先端から金の粉が周囲に撒き散らされるように、火花が散る。

 

 衝突は一瞬であり、結果もまた一瞬だった。

 ヒビが入り、動きが止まったのはドリルの方だった。

 

 その戦いを見届ける前に飛び立つ。

 昏のコートを翼の様に羽ばたかせ、友奈を、敵のドリルを通り越し、上昇する。

 

 巨大なソレを通り越し上昇すると、御霊の本体が見えた。

 同時にアチラも俺を捕捉したのか、最後の抵抗とばかりにブロック状の爆弾を撃つ。

 

 だが、もはや避ける必要はない。

 こちらの射程圏内に入ったのだ。自らがこれから行う工程は、既に最終工程へと至った。

 

「出でよ」

 

 

===

 

 

 その兵器が脳裏に浮かんだ時は、目を疑った。

 その存在は、どうやって初代が作り出したのか、本当に使用していたのかが気になる。

 いわゆる、抑止力としての象徴でもあった兵器だ。

 ソレは人類が開発した最も強力な兵器の一つであり、一発で都市を壊滅させる事が可能である。

 

 かつて、この世界がバーテックスによる襲撃に遭う前は、大国同士が睨み合っていたという。

 それはいつしか世界大戦へと発展した。

 そして世界に僅かであれど平和が築かれる前、

 その破壊力によって、長年続いた大戦を終わらせた兵器の一つだ。

 

 その兵器が使用された空には、灰が降る。

 巻き上がった灰によって日光が遮られ、地表の気温が低下し、植物が枯れ、人間が生存できない環境になった。生き延びる為の手段などなく、逃れる術は無に等しい。

 

 人を、町を、環境を、それら全てを無に変える破壊兵器の極地。

 その兵器の恐怖や殺傷の残酷性は世界に轟き、多くの人の関心を呼んだ。

 しかし、それでも。

 バーテックスにより人類の大半が根絶やしにされるまで、その兵器こそが平和を維持していた。

 

 とはいえ、これが神世紀で、地上にて姿を現す時。

 それは即ち……、

 世界が終焉に向かう時だけだろう。

 

 

===

 

 

 つまり、本来は破壊力が無駄に高くて使えない。

 勇者の力でバーテックスにも対応が効く今、地上で使えば敵も味方も消し飛ぶだろう。

 宇宙空間であり、バリアがあって初めてマトモな運用ができる。

 そうでなければ、ただの自爆技でしかないこの兵器の出番はもう無いだろう。

 

 見た目は小型のロケットのようなソレが、敵のブロックを掻い潜り、御霊に直撃。

 自らの肉体が落下する中、確実な破壊の為に目の前で爆発が起きる。

 本来の兵器よりもかなり威力を抑えた兵器は、それでも容易に御霊を消し飛ばした。

 

 

 

 

 

 強烈な光が瞬き、御霊が消滅する中。目蓋を下ろし重力に従い落ちる中で俺は思った。

 こんな兵器を使う奴が『勇者』である訳が無いと。

 どちらかと言うと『魔王』とか、敵側の方じゃないの……? そう思った。

 

「おかえり」

 

 ふと落ちる身体が、柔らかな感触を感じた。

 鈴の音に導かれるまま、目を向ける。

 気がつくと、俺は東郷にお姫様抱っこをされていた。

 

「と、とりあえず下ろして……」

 

「ふふっ」

 

 たまに友奈が寝落ちした際に彼女をお姫様抱っこしたりすることはあるが、されたことは無い。

 にこやかにこちらを見下ろす東郷から離れようとするが、力が入らない。

 どうやら満開で生じたエネルギーは全てなくなったらしい。

 急激な疲れが意識を襲う。

 

「―――――」

 

 巨大なアサガオの花のような物に乗っており、ソレがゆっくりと降下していた。

 そっと東郷に身体を下ろされると、隣には既に着いていたらしい友奈が横になっていた。

 視線が合う。

 

「やったね……」

 

「おいしい所だけ貰って悪いね……」

 

「亮くんも友奈ちゃんも、2人ともお疲れ様……」

 

 身体には、敵を破壊したという充足感と満足感と、疲労感が残っていた。

 正直冷静になると、これから落下するという恐怖に襲われかねないので、東郷と友奈の手を握る。

 急激な疲れか、握力が入りにくい手で握るが、彼女たちはしっかり握り返してくれた。

 

 横になり見上げると、こちらを見下ろす緑の瞳が申し訳なさそうに潤む。

 

「ごめん。最後の力でこれだけ残したけど、どうなるか分からない」

 

「そのときは、そのときさ」

 

「大丈夫。神樹様が守ってくださるよ」

 

「……そうね」

 

 頭上で広がる宇宙は、花弁が閉じられ見えなくなる。

 これから大気圏に突入し、地面に叩きつけられると思うとゾッとするが。

 

「……」

 

 目を閉じる。

 この後どうなるか分からない。バリアがあれど、完璧ではないだろう。

 けれども、最後の瞬間がこれなら。

 

「……」

 

 薄れる意識の中。

 最後にもう一度目を開く。

 霞み出す視界で、東郷と友奈が映りこむ。

 

 ぎゅっと目蓋を閉じた乙女たちは、不安なのか手が震えている。

 そんな彼女達を網膜に刻み込む。

 友奈と東郷の手を握り返しながら、俺は最後に神に祈りを捧げた。

 

 どうか、彼女達が生きて帰れますように、と。

 

 目の色が霞み出す。

 再び目蓋を閉じると同時に意識が――――――

 ――――――――――――――――

 ――――

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第三十六話 世界に彩りは無く、痛みに溢れる」

平和な日常回です


 夢を見ていた。水の中で溺れる夢だ。

 

 意識が上昇する感覚は、水面に浮かび上がる時と似ている。

 身体全体に及ぶ倦怠感と、衣服が吸い込む水の重みで沈んでいく。

 

 手を伸ばす。

 水面は近いはずなのに、そこから光が見えるのに、届かない。

 

 助けを求めて無我夢中に動く。

 ジタバタともがく醜態をさらすが、誰も自分を助けてはくれない。

 口を開くと待っていたとばかりに黒い汚水が己の中に入り込む。

 

 鼻から、口から、水が内部へと潜りこむ。

 それで終わり。人が死ぬには十分だ。

 

「――――――」

 

 手を伸ばすが、誰も助けてはくれない。

 光は届かず、闇に抱き込まれる。ソレは祝福であり、呪いであり、愛であった。

 それだけの話だ。

 

 

 

---

 

 

 

「――――――、………」

 

 虚ろな夢は、目蓋を開けると終わりを告げた。

 夢から覚めると鈍い頭痛が響く。

 その痛みは心地の良いソレとは真逆の存在であったが、視界に掛かる靄が払われた。

 

 意識がやがて眠りから乖離し、肉体に血が巡り出す。

 両手を動かし動くことを確認し、目の周りを押し込み軽いマッサージを施す。

 その後、眦を力ませた後、再度目蓋を開く。

 

 白い天井だが、よく見るとややヒビが入っているのは長年この施設が使われた証拠だろう。

 見覚えのある部屋だった。同時に、何かが異なっていた。

 

「あー」

 

 声を確認する。しゃがれた声は朝特有のソレだが大事な事は他にある。

 自らの思考が稼働を開始する。手足が動く事を確認する。

 ここが病院のどこかであると直感する。視界は――、

 

「……」

 

 自らの肉体を横たえたまま、瞳だけを動かす。

 白く、それでいて薄暗い部屋だ。

 ベッドの近くには小さな白いテーブルが目につく。

 次に灰色の床に目を下ろす。

 白いカーテンは窓が閉められているのか、風に揺れる様子もない。

 周囲は暗く、恐らく夜だろう。

 

「……」

 

 違和感の正体が掴めそうで掴めない。

 ナースコールをするかは少々保留する。

 そうしていると、掛け布団と自らが発する熱とベッドの柔らかさに微睡み始める。

 ソレを少し堪えて薄暗い部屋の中、一人思考を進める。

 

 どうやらあの戦いの後、大気圏の突入に成功し、地上に帰ってきたようだ。

 ここが天国でなければそうなるが、色々生き残れた要因があるのは間違いない。

 

「……」

 

 自らの手を見る。

 暗いからだろうか、灰色の手のように見える。

 身体に痛みは特に感じられない。怪我も無いようだ。

 掛け布団を掛け直す。戦場を駆け巡った戦友達もきっとこの病院のどこかだろう。

 

 自らの体内時計と照らし合わせても、前戦闘からさほど時間は経過していないと感じる。

 それだけ分かれば、今は十分だ。

 目蓋を閉じると暗い天蓋が視界に広がる。

 それに安堵を覚え、次はせめて不快な夢を見ないことを祈って朝を待った。

 

 自らの異常を知覚したのは、朝になり医者とナースの顔を見てからだった。

 

 

 

---

 

 

 

 入院着に着替える。

 なんだかんだで結構着る機会のあるコレは、灰色をしていた。

 先ほど知り合いの禿げ医者と話をし、それなりに可愛いナースから血を抜かれた。

 

 指定された談話室へと向かっていると、廊下のT字路にて友奈を見つけた。

 亮之佑が彼女を見つけると同時に、少女は柔和な笑みを浮かべる。

 

「友奈も診察終わったのか」

 

「うん、きっちりばっちり血を抜かれたよ」

 

「俺もだよ」

 

 そういって灰色の入院着を捲くり、友奈は困った様に笑いながら腕を見せる。

 彼女の細く白い腕、肘の部分に小さな白いガーゼが貼られている。

 二人して談話室へ向かおうとすると、

 

「亮ちゃん」

 

 唐突な行動で、何もできなかった。

 友奈から目を背ける形で顔を逸らした亮之佑は、自らの顔を撫でる手に気がつき、

 次いで、眉をひそめた友奈との距離が近いことに気がつく。

 

「……亮、ちゃん」

 

「どうした……?」

 

 友奈の手はひんやりとしていて心地良いと亮之佑は感じたが、

 その両手が完全に頬に触れ、逃れることを許さないとばかりに力を強めると少し慌てた。

 

 思わず目を細めるが、逃がさないとばかりに少女の目は大きく見開かれる。

 柔く白い彼女の童顔が亮之佑の視界一杯に広がる。

 目を逸らそうにも、自らの顔を押さえる二つの手がその行為を許さないとばかりに強まる。

 

「えっと」

 

「……どうした、じゃないよ」

 

 とっさに逃れようとするが、既に掴んでいた彼女の力の方が強く抵抗は許されなかった。

 下がろうにも後ろは壁で、しばらく無言でお互いの瞳を覗き込む。

 眉をひそめる友奈の瞳には亮之佑だけが映りこむ。

 

 そこに映りこむ少年は、しばらく少女を見返した後。

 そっと目の前に映り込む光景に対して、瞼を閉じて対応する。

 こちらを見て潤む彼女の瞳の色をまだ思い出せることに少年は人知れず安堵する。

 

 ひとまず、彼女の質問に対してどう答えるかを考える。

 可能な限り、友奈という少女に対して嘘は言いたくないと考えて、結局正直に言う。

 というより流石に誤魔化しは利かないようだ。

 

「―――戦いの疲労によるものだって、医者が言ってた。療養したら治るらしい」

 

「そう、なんだ」

 

 安堵のため息をつく友奈の声に、そっと薄目を開く。

 ここで下らない嘘を言うつもりはない。小さな嘘はいずれ不信感を生む。

 そんな事を少年は考える。

 

 先ほどと変わらず、不安そうな顔をする友奈。

 同時に、「治る」と医者が言ったと聞いたからか、友奈はやや安堵の笑みを浮かべる。

 目の前の少年の事が心配で堪らないという表情は、少年の心に薄暗い快感をもたらした。

 

「えっと、今の目の色もカッコいいと思うよ。赤色で」

 

「あー、うん。心配してくれてありがとう。……そうらしいね。友奈はどこか異常はないの……?」

 

「うん」

 

「嘘ついていたら、くすぐりの刑に処すよ。本気の」

 

「それは嫌だなー」

 

 軽口を友奈と言い合いながら、瞼を開くと再び見慣れぬ世界が広がる。

 目を開けているよりも、瞼を閉じると広がる暗い世界に安心しそうになる。

 早く慣れなければと思いつつも、再度暗く閉ざした瞼の中で鈴音の声に酔いしれる。

 

「……」

 

「……本当に大丈夫?」

 

「まぁ、ぼちぼちだよ。今は友奈という人肌が恋しくて」

 

 そんな軽口を叩きつつも、目の前で不安の減らない彼女を抱きしめる。

 病院着越しに彼女を感じる。

 瞼を閉じるから分かる彼女の鼓動、息遣い、声、匂い、体温。

 “それらは”何ら変わってないという事実に安心し、女子特有の柔らかい身体を抱きしめる。

 

「――――」

 

「――――ん」

 

 友奈はそんなお向かいさんのスキンシップにしょうがないなと思いつつ、

 おずおずと両腕を少年の背中に回す。

 少しでも彼の不安が減ってくれるように、そう思いながら抱きしめ返す。

 

「……行こっか」

 

「そうだね」

 

 しばらくして、名残惜しくもあったが、ここが病院であったことを思い出す。

 入院棟でもあり、既に遅い時間でも人はそれなりにいるが運が良いらしい。

 少々恥ずかしげに微笑み合い、無言で談話室へと向かうべく二人して移動する。

 

 そんな中で、亮之佑は立ち止まり、窓から外を見つめる。

 

「―――――っ」

 

 その光景を見て一瞬だが、本当の意味で異世界に来たように感じた。

 そっと景色から目を逸らし、病院にいることに感謝した。

 

 生まれる吐き気を噛み殺し、なんでもない顔をしながら、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 

---

 

 

 

『続いてのニュースです。昨日未明、工事中の高架道路から大型トラックが落下し、多数の死者が出た事故に関する続報です』

 

 談話室に着くと、既に主だった勇者部の面々が揃っていた。

 当たり前だが彼女たちも入院着に着替えており、ニュースを見ていた。

 ニュースを見ると、もう16時なのかと驚く。

 

『続いて、火災によって6人の死者が出た事故についてですが――――』

 

 無言で近づくと、最初にテレビを見ていた風が気づいた。

 

「おっ、2人も診察終わったのね」

 

 頷く傍らで、風の顔をじっくりと見る。

 風は、左目部分を白い医療用眼帯で覆っていた。

 何があったか聞くか少し悩んでいると、視線に気づかれたのか風が友奈との会話をやめる。

 

「……あっ、これね。この眼が気になるか。これは先の暗黒戦争の中、魔王と戦った際、奴の魔力暴走を封じるために犠牲になったのだよ……」

 

「な、なんだって―――!」

 

「いや、左目の視力が落ちてるんだって」

 

「ちょっと、今良い感じだったのに!」

 

 適当に風の設定に驚いていた感じで対応するが、その茶番が我慢の限界にきたのか、

 最終的に夏凜が茶々を入れてしまう。

 そんな中、もしかしてバーテックスから何かを貰ったんじゃと顔を曇らせる友奈に、

 

「あー、違う違う。戦いの疲労によるものだろうって。勇者になるとすごく体力を消耗するらしいから。この眼も療養したら治るってさ」

 

「そうなんですか……」

 

「なんたってアタシたち、一気に7体もバーテックス倒して、1体を撤退させたからね。体も疲れるのよ……って、亮之佑こそその眼どうしたのよ!」

 

「ふっ……これは、カラコンでひゅ」

 

「戦いの影響で、眼の見え方に少し異常が出たそうなんです」

 

「そっか……」

 

「……」

 

 さすがに見た目の方は誤魔化しが効かず、風に聞かれると他の勇者部員にも見られる。

 少女たちに注目される状況の為、真面目な顔をして風の真似をする。

 

 そんな訳で右手を顔に当てつつ茶化すと、隣にいた友奈にわき腹を突かれる。

 変な語尾みたくなった俺に代わり、先ほど説明した事を友奈に告げられてしまう。

 

 ゴホンと空咳をして、やや白けた少女たちの目を回避すべく、

 他に身体に異常が出た人はいないかと戦友たちに聞いてみると、東郷が答えた。

 

「他には樹ちゃんの声が出ないみたい。勇者システムの長時間使用による疲労が原因で、すぐに治るだろうとお医者様が言ってたんだけど……」

 

「……そうか」

 

 東郷の言うとおり、樹の方に目をやると困った顔をして唇を指で示した。

 疑った訳ではないが、喋れないというのは生活に難があるだろう。

 

 無言で佇んでいたからか、次第に空気が淀みだす。

 医者が言っていたが、本当に治るのかという不安に包まれた空気だ。

 その空気を読んだのか友奈は両手を広げて注目を集める。

 

「そ、そうだ! 私たちバーテックスほとんど全部やっつけたんだよ! お祝いしないと……ね? 亮ちゃん」

 

「そうだね、友奈の言うとおりだともさ……。諸君、宴の時間だ! 大いに食らい、飲もうではないか! 酒ダルを持って来ーい!」

 

「いや、あんた何キャラよ」

 

 

 

---

 

 

 

 テーブルに売店で買ってきたお菓子とジュースを広げ、皆で乾杯する。

 祝勝会とも言えない小さなソレは、疲れた心を癒した。

 

 風の堅い音頭に笑い、腐ったような色のお菓子を食べた。

 飲んでいたコーヒーは缶だからかあまり問題なかった。食べている最中、ひどく頭痛がした。

 端末自体は、一応念のためということでメンテなど行わず点検のみですぐに返還された。

 

 その小さな宴が終わり、解散後のことだった。

 東郷の入院する部屋に東郷本人と車椅子を押す友奈、俺が向かう。

 誰もいない静かな廊下で、友奈の声が響く。

 

「亮ちゃんと東郷さんはまだ入院が長引くんだね。私は明後日だから」

 

「検査に時間がかかるらしいって。まあ東郷さんと仲良く病院で暮らしているよ」

 

「……友奈ちゃん」

 

「何?」

 

「身体のどこか、おかしいところ、あるよね」

 

「え?」

 

「さっき談話室でジュース飲んでいた時、友奈ちゃんの様子、変だったから」

 

「……うーん。でも大したことじゃ――」

 

「話して」

 

「………味、感じなかったんだ。ジュース飲んでも、お菓子食べても……」

 

「……」

 

「でもでも、大丈夫だよ。亮ちゃんの眼と同じじゃないかな? すぐに治るよ。でも、お菓子もご飯の味も分からないなんて、人生の7割は損だな〜」

 

 無言で前で車椅子に座る東郷の様子は見えない。

 なんてことなく言う友奈の様子は何も変わらない。

 穏やかな表情を浮かべていたが、その様子に俺は打ち震えた。

 

 気がつかなかった。

 

 彼女の異変に、東郷は気がついても、俺は気がつけなかった。

 他の事を見ている余裕は無かった―――否、そんな事は言い訳にはならない。

 例え、目の前に広がる世界がどんな物に成り果てようと、

 俺は彼女の異常にも、キチンと眼を向けなければならなかったのに。

 

 吐き気がした。

 

 

 

 

 

 夜。

 食事として出された御盆の上に載るソレらを見る。

 この時、世界を構成する色というのが、どれだけ大事か理解した。

 

 米はかびた色をしている。

 サラダは萎びた灰色に近く、肉は言わずもがな。早い内に慣れなければいけない。

 御盆の上に載る食事は腐っていないはずだという事も分かっている。

 けれども、変わり果てたソレらに吐き気が止まらず、ほとんどを残した。

 

 たまらずトイレに向かう。

 洗面台で手を洗いながら、改めて鏡で自分の顔を見た。

 

「―――――」

 

 黒い髪は変わらない。

 健康とは程遠い肌は、病的に白く見える。

 だが、後ろに映る世界は随分と灰色に見える。

 そして何より、自らの目は、他の人々は赤い色になったと言っていたが。

 

「ひどいな……」

 

 変わり果てたことに思わず笑う。笑うしかなかった。

 

 

 全てが色褪せた世界の中で。

 鏡を覗く瞳は、赤黒い血の色をしていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第三十七話 運命の分岐路 Part2」

「――――」

 

 壁際で息をつき休憩をしながら、なんとなく右手で自身の目に触れる。

 この視界にもようやく慣れ出したと思う。

 と言うよりも、もはや割り切るしかなかった。

 

 既に亮之佑と東郷以外の勇者たちは退院してしまった。

 きっと今頃は楽しい夏休みを謳歌しているのだろうと思う。

 

「……」

 

 周囲を見渡しつつ、警戒を怠らない。

 ここは羽波病院の入院棟の白い廊下の角である。

 そこに奇術師は身を潜ませ、壁と同化していた。

 

 時刻は既に21時を過ぎ、この羽波病院も消灯してから幾ばくかの時が経過した。

 暗い病院の廊下を歩く行為について、今度詳細を風に語り聞かせようと思いつつ、

 壁に背中を付けながら、屈んだ姿勢で定めていた目的地へと向かう。

 

「―――――」

 

 静かな廊下の中、進む先には非常灯の明かりと薄暗い光しかなく、視界は暗い。

 窓から僅かに降り注ぐ自然の光の中を、俺は無言で移動する。

 聞こえるのは自らの息遣いと、鼓動する心音だけだ。

 

 看護師の巡回のパターンはほぼ把握済み、個室のベッドの細工は済ませている。

 これも全て退屈……否、リハビリついでに行った情報収集と行動の成果である。

 しかし、今回は予期せぬトラブルがあった。

 

「――――、……」

 

 早く行けよ……。

 そう苛立つのは無理もない。

 先ほどから既に巡回しているはずの看護師が立ち止まったまま、動かないのだ。

 

 回り込もうにも、他のルートからそろそろ別の看護師が来る頃合いだ。

 鉢合わせになりかねない状況で、思考は冷静であり状況の打破に向け行動する。

 入院着から小さな手鏡(税込み108円)を取り出し、曲がり角の様子を見る。

 

 鏡越しに映る光景に、思わず舌打ちをしそうになった。

 新人かは不明だが、おバカな看護師は隠し持っていた携帯でメールを送っていた。

 彼氏だろうか、やけに笑顔であることに苛立つ。リア充は爆発すべきでしかない。

 

 現在地点はT字路で、目の前の通路に向かわなくてはならない。

 しかし、ちょうど通路の分岐路を向く形で看護師は携帯を見ている。

 流石に携帯に注意が向いているとは言え、目の前を通り抜けるのは無理がある。

 

「――――」

 

 悠長に待つ時間も惜しいので、ここはスタイリッシュに行く。

 ポケットからゲームセンターのコインを取り出す。

 

 なぜ持っているのか?  

 答えは簡単である。奇術師とはそういう生き物である。

 ポケットを叩くとなんとやらだ。カード、コイン、銃、聖布。なんでもござれだ。

 コインとはいえ、一応足が付く可能性も考慮するが、もうすぐ退院だし大丈夫だろう。

 

 脳内で弁解しながら靴下で壁際ギリギリまで行き、壁をノックする。

 瞬間、酷く鈍い音が静寂の暗闇の中で響く。

 唐突な音が発生したからか、携帯から目を離し、看護師は辺りを見渡す。

 

「……っ、えっ? 何……?」

 

 驚愕する彼女の手に握られる細いペンライトが唯一の明かりだ。

 小さな光源では一定の方向しか見る事は出来ず、女は恐る恐る足音を立て、動く。

 なお且つ暗闇に目が慣れず、ペンライトの明かりにしか頼らざるを得ない。

 

 愚かな看護師の鈍重な動きに対して、奇術師の動きは素早かった。

 暗闇の中で俺は、壁際から二本の指だけでコインを決めた場所へ水平に投げる。

 

 ペンライトの明かりを一枚のコインが掻い潜り、看護師の背後に落ちる。

 人間とは音に敏感な生き物だ。

 前方から何か聞こえたかと思いきや、今度は後方からチャリーンという音が聞こえる。

 当然神経は意識の有無を問わず、そちらへと向かってしまう。

 

「……ぇ、まさか。いやでも、こ、怖くない怖くない怖くない……」

 

「―――――」

 

 当然看護師は恐怖の一つも得るが、意識はそちらに向く。

 彼女がコインに気を取られた隙に、俺は気配も音も出さずに中腰で駆け抜ける。

 向かう先の通路には引き続き薄暗い光しかないが、何も問題はない。

 

 余談だが、俺は偶にこの手を使う。

 時にとある少女を探して、無茶を結構したこともある。

 その際に用いるコインが、いつからか病院間で不吉な噂を作っていたらしい。

 

 なんでも、不吉のコインを見つけると呪われるとか……。

 そんなしょうもない噂が有用であるのは、自分自身その身をもって知っている。

 だが、噂は噂だ。その後は何も問題なく目的地に到達する。

 

「……」

 

 少し乱れた呼吸を整える。

 リハビリが必要だなと感じつつも、音を立てずにスライド式のドアを開ける。

 

 僅かに開いた扉から細身を滑り込ませると、彼女はまだ起きていた。

 耳にイヤホンを当て、パソコンの画面をじっと見ている。

 ブルーライトの光に照らされた彼女に、俺は気配を立てずに近づく。

 

「こんばんは……、東郷さん」

 

「―――ええ、一日ぶりね。亮くん」

 

 そう話しかけると、アサガオの花で彩ったゆったりとした服装の少女がこちらを向く。

 肩から青いリボンで纏めた艶やかな黒髪を流す少女、

 東郷は悠々と病室へ入ってくる夜の侵入者に対して、少々驚きの表情を見せる。

 しかしその表情も一瞬で、すぐに少女は眦を和らげ微笑む。

 

「――座ったら?」

 

 パソコンの青白い光が少女の顔を照らす中、緑と紅の瞳が交差し、夜の密会が始まる。

 

 

 

---

 

 

 

「まずは、リハビリの方は順調……?」

 

「ああ、もう大体完了した」

 

 そう……、と神妙な顔をして頷く東郷。

 少女が座るベッドの簡易机の上にはパソコンがある。

 その画面には、彼女が作った表が貼り出されていた。

 

「良かったわね」

 

「ああ。……ところで、本題に入る前にさ」

 

「……?」

 

「夏の夜って冷えるよね。それで俺の恰好を見ておくれ……薄い入院着だよ。おお、寒い」

 

 暗い個室。

 ベッドに座り、掛け布団を自身にしっかりと掛ける東郷。

 対して彼女の右隣の椅子に腰を下ろし、俺は薄着で震えることをアピールする。

 

 夏の暑さも過ぎ去り、夜はキチンと毛布を掛けないと風邪を引くという難しい時期だ。

 おお寒い、神は死んだのか……と悲しげな表情を作りつつ、チラりと少女を見る。

 マッチは持ち合わせてなく、仮に持っていても擦った瞬間に警報が鳴るだろう。

 

 やや演技がかったソレをジト目で見る東郷は、やがて小さくため息をつく。

 しょうがない殿方だな、と少女は苦笑し、病的に白い手で掛け布団の端をそっと捲る。

 

「あまり広くないけど……、亮くんも布団の中で話をする?」

 

「……いいの?」

 

「うん」

 

 少女が少しだけ頬を赤らめながら小首を傾げると、肩から流す黒髪の先端が東郷の腕に乗る。

 彼女からのささやかなお誘いを受けて、俺は心の中で神樹に感謝する。

 都合の良いときだけ信徒の皮を被るのが、加賀亮之佑である。

 

 寒いアピールをしつつ、「申し訳ないと思いつつも貴方の布団の中に入ることが出来て光栄です」

 という顔を作ることでコンボを決め、足の不自由な彼女の布団への侵入を成功させる。

 少女の寝具に身を預けた瞬間、東郷はチラリと俺の横顔を見る。

 

 そっと人肌を感じる東郷の布団の中に、己の冷えた下半身を入れる。

 時折冷たい身体が彼女の素足に触れてしまうが、彼女の脚は何も感じないのでそれについての反応はない。

 その事が少し悲しく感じられて、彼女の華奢な上半身を抱き寄せる。

 

「東郷さん。これって夜這いみたいだね」

 

「……!」

 

「あ、待って、ナースコールは駄目だから。華麗なる逃走劇を繰り広げちゃうから」

 

「もう……」

 

 クツクツ笑って、先程の思いを吹き飛ばすが如く軽めの冗談を耳元で囁く。

 だがお堅い彼女はそれで耳まで顔を赤らめて、手をコール用ボタンへと伸ばす。

 それを慌てて押さえて、小声で謝る。

 

 東郷の機嫌をどうにかこうにか宥め口説いて髪を撫でて。

 しばらくしてパソコンの中身を見終え、そのことを告げる。

 それを受けて、機嫌を直した東郷は見回りを警戒してパソコンの電源を落とす。

 

 そんな中で、ふと東郷が俺の腕に触れ、形の良い眉を微かにひそめる。

 

「亮くん、少し痩せた……?」

 

「――。そう? 病院食は美味しくないものでね」

 

「ちゃんと食べないと駄目よ。好き嫌いする子はお仕置きです」

 

「はーい」

 

 ブルーライトの青白い光が消え、カーテンの隙間から差し込む自然の光に目を馴染ます。

 しばらく左手を少女に握られたり、比べられたりする。

 そんな暗闇の中で、彼女と触れ合うと落ち着く自分がいる事を静かに理解した。

 

 なぜ昼間の時間に東郷の病室を訪れなかったのか。

 それは後遺症の回復と、リハビリの為である。

 

 満開の後遺症は、見た目にも中身も影響があった。

 夜の薄暗い光などが与える視界は変わらないことも多いが、

 問題は昼や朝など、光に照らされる事で生じる普通の視界への慣れに時間が掛かった。

 

 数日掛かったが、この視界にも慣れ出したので退院日が決まってしまった。

 東郷との密会を開くのは後でも良かったのだが、

 襲撃がいつあるか不明な為に、少しでも早く情報の共有が必要であったのだ。

 お互い検査などで忙しい身の上なため、こうして奇術師が夜に忍び寄るという事になった。

 

 暗闇にいち早く慣れた俺は、自らの左半身に感じる人肌に目を向けると、

 再度少女の深緑の瞳と目を合わせながら、情報のすり合わせをする。

 

「―――それで、どこからかしら」

 

「まずは話の確認からかな」

 

「そうね……。まずは知っていると思うけれども、満開の後遺症があるのではないかという疑惑を亮くんに相談したのが最初ね。その後、亮くんが検査とリハビリの間、風先輩にも電話して確かめたりしてみたけれども―――」

 

 東郷は左耳の聴力を失った。

 風は片目の視力を失った。

 樹は声を失った。

 友奈は味覚を失った。

 夏凜だけ何も失っていない。

 これらの違いは満開にあるのではないかと、聡明な彼女は考えていた。

 

「そして、亮くんは目の色覚を失った……」

 

「それらに関して大赦は何か言ってたか……?」

 

「風先輩からは、大赦の方も知らないかもしれないって」

 

「……ふむ。友奈達が退院してもう3日目か。他の連中も回復の兆しが見られないって?」

 

「そうみたい……。……それにしても、時が経過するのって早いわね」

 

「東郷さんといると時間の経過が早く感じるよ」

 

「……ふふっ、亮くんは本当に私を退屈させないね」

 

 自らの上半身をベッドに預けると、僅かにギシッと軋んだ音を立てる。

 薄暗い月光が部屋の光源であり、自然と顔を上げて天井を見上げる。

 

「東郷さん……一つだけ良いか」

 

「―――――」

 

 天井に向けていた視線を左へ移す。

 甘い息遣いをする東郷が無言の視線で話の続きを促す。

 暗闇の中でもお互いの顔が見える距離で、少しの休憩を終えて少年と少女は話をする。

 

「目に見える物が全てとは限らない。大赦がどんな答えを出すかは不明だけども、満開システム自体は凄く有用だ。だけどね東郷さん。大赦って本当に信用に足る存在だと思うか……?」

 

「―――それは」

 

「この世界に嘘をつかない人間はいない。そして嘘をつく以上、自らが信用する人間は自分で選ばないといけないんだ」

 

「……」

 

 東郷の美しく艶のある纏められた髪へと、何となくで手を伸ばす。

 掌で弄ぶと、水を手で掴むように黒髪がサラリと零れ落ちる。

 くすぐったそうに眼を細める東郷を他所に、俺はその髪を纏めるリボンに触れる。

 

 リボンに触れながら、ふと自らの記憶が昔の出来事を呼び起こす。

 かつて見た紫の花の如き光が咲いた光景。

 ――どうして忘れていたのだろうか。

 

「園子も……」

 

「えっ……?」

 

 満開を経験したのだろうか。

 もしも行ったのならば、身体のどこかに異常をきたしているのかもしれない。

 彼女の事に思考を巡らせたいが、今はそれどころではない。優先順位を履き違えてはいけない。

 これでひとまず情報共有は完了した。後は次の襲来に備えるだけだ。

 

「いや……、結局は情報不足でこれ以上はどうしようもない。家の力を借りられたら話も変わるかもしれないけれども、こちらは連絡を待つしかないという訳だ。それにもしかしたら、ただの疲労の所為かもしれない可能性だって捨てたものじゃないし、むしろこちらの可能性の方が高いかもしれないよ」

 

「そうだと……いいけど」

 

「そうさ。あまり一人で考えすぎちゃ駄目だよ、東郷さん。また悩んだら相談に乗るからさ。溜めこむと碌な事にならないからね」

 

「……うん」

 

 名残惜しいが何か話をすることも無い。

 掛け布団を捲って、ベッドから這いずり出る。

 

「『悩んだら相談だよ! 東郷さん』」

 

「今の声……凄く友奈ちゃんだった……。うん、でもありがとう、亮くん」

 

「いえいえ、おやすみ東郷さん。夜更かしは美容の天敵だよ」

 

「私を寝かさなかったのは亮くんでしょ……おやすみなさい」

 

 この数日後、先に亮之佑が、次に東郷が退院した。

 蝉の声が、海のように鳴る日のことだった。

 

 

 

---

 

 

 

 そして、退院した俺を加賀家で待っていたのは、

 宗一朗と、綾香の二人だった。

 なかなかにびっくりなサプライズだと俺が思うのは無理もない。

 

 なぜなら、彼らがこの家に来るのは実は初めてだったりする。

 思えば宗一朗と交わした約束の期限はもう過ぎているのだから、堂々と接触しても大丈夫なのだろう。

 あれから大赦内部の事情がどう変化したかは不明だが、彼らがここに顔を出しているのが、多少はマシになったことへの証明だと思う。

 

「りょう~」

 

「母さん」

 

 久しぶりに見た綾香は、見た目に何ら変化を感じなかった。

 黒く長い髪に、深淵を感じさせる瞳、童顔など、相も変わらず可愛らしかった。

 強いて言うなら、少しだけお腹が出ていることだろう。太ったという意味ではない。

 

「歩いて大丈夫なんですか?」

 

「大丈夫よ。それより、夕飯まだでしょ?」

 

 キッチンを見ると、弱火で鍋を煮込んでいる。

 香ばしく感じる匂いは、久しく感じなかった食欲を掻き立てる。

 

「もうすぐできるから、テーブル拭いてきてね」

 

「あ、はい」

 

 渡された台拭きを持ってリビングへ向かうと、

 ソファに座っている一人のむさい男、もとい白髪男がテレビを見ていた。

 

「父さん」

 

「……よお、元気だったか」

 

「ええ」

 

 テーブルの上を拭き、招かれるままにソファに座る。

 しばらく無言でテレビを見る。

 

 余談だが、この世界で生を受け、自分だけで動けるようになった頃の俺はテレビはニュースしか見なかった。

 当時は情報収集の為と推しのキャスターがいたからだが、

 その所為か、うちの子は真面目で勤勉な子というイメージが両親の間に芽生えたらしい。

 

『続いてのニュースです。川遊びをしていた小学生3人が溺死しました。亡くなったのは、川畑―――』

 

「最近、この手の事故が多いよな」

 

「そうですね。交通事故や火災事故、水難事故。事故のオンパレードですね」

 

「今回の死者を合わせると、神世紀で上から12番目位になるんだそうだ」

 

「へー、多いんですか少ないんですか」

 

「少ないと思うぞ」

 

 しばらく2人でぼんやりとニュースキャスター(男)が読み上げる無機質なソレに対しての感想を言い合っていた。そんな中で、俺は隣に座る宗一朗の横顔を盗み見る。

 男の顔は、少しだけ老けたように感じた。

 

「そう言えば父さんって、大赦の中で何の仕事をしているんですか?」

 

「……ん? 言ってなかったか。勇者アプリの開発をメインとしたエンジニアだ」

 

「そうだったんですか!?」

 

「驚いたか? ちなみに彼女たちの衣装を担当しているのは別のエンジニアだ。俺はどちらかというとアップデートの方……精霊に関しての担当だ」

 

「そうだったんですね……」

 

 ふと、茨木童子も隣に座る宗一朗が携わっているのかと思うと、何かが胸中を過った。

 詳しく話を聞こうかと思ったが、止めておいた。

 話についていけないとかではない。

 ただ大赦という物を絡めると、この関係も穏やかにはいられる気がしない予感がしたからだ。

 

 だから表面上の会話しか出来ない。

 自らの瞳が映す色あせた世界では、もう嘘をついているかどうかも判別し辛い。

 

「……その瞳」

 

「これですか。分かっているんでしょ?」

 

「何がだ」

 

 ようやく目があった気がした。

 正面から見た宗一朗の顔は、少しやつれているように感じた。

 視線が交差するのを感じ、俺は彼の目を覗き込む。

 ……何を考えているのか分からなかった。

 

「いや……。満開システムって何か不具合があるとか聞いてないんですか?」

 

「システムに関する機密は、現地で戦う勇者といえども、容易に明かすことはできないんだ」

 

 何か聞き出せないかと探りを入れるが、

 そんな俺に返ってきた返答は、取り付く島もないようなものだった。

 

「念のために言うと、そのシステムは少数精鋭のエンジニアだけで作られている。俺も優秀な方だが、大赦にとって信用が置ける犬どもが中心となって取り組んでいるらしい」

 

「……そうなんですか」

 

 正直言って、宗一朗の言っている言葉の真偽が俺には分からなかった。

 

 

 

---

 

 

 

 その後、綾香に呼ばれて3人でご飯を食べた。

 チーズの香りが立つ、そのグラタンは白一色。

 雪景色を思わせるソレは、視覚的にも優しい味で美味しかった。

 

「このグラタン、美味しいですね……特にチーズの焦げ具合と筍のコリコリ感が」

 

「ふふっ、そうでしょう? 最初はうどんを入れてオリジナルグラタンに挑戦しようと思ったけどね」

 

「それは入れなくて正解です」

 

 綾香の作るご飯は凄くおいしいと思う。

 多少色褪せていても、それを凌駕する味は身体に染み渡った。

 味噌汁を飲みながら俺は肝心の用件について聞くことにした。

 

「ところで、どうして急に家に来たんですか……?」

 

「可愛い息子の様子を見に来ない親がいると思う?」

 

「……」

 

 やだなー、と頬に手を当て困ったように微笑む綾香。

 そんな彼女の妖艶な微笑みに、やや困惑の混ざった微苦笑で応じるが、

 そんな息子に対して宗一朗が補足説明をしてくれた。

 

「そろそろ、母さんを入院させようと思ってな。大赦側もようやくお前をひとまずだが、問題無い存在として扱うことになったから、問題なく来れるようになったんだ」

 

「なるほど」

 

 綾香は妊婦だと思えないくらいに元気だ。

 穏やかな笑みを浮かべているが、かなり体力があまっているのかバリバリに料理を作る。

 その姿に少し不安を抱いたが、この後から入院の手続きをするなら問題ないだろう。

 

 ふと思いついて、お腹を触ってみてもよいかと尋ねた。

 本当になんとなく、触ってみたくなった。

 綾香の許可を得て、少し丸みを帯び始めたお腹を触ったが、どうにも喜びや興奮といった感情は湧いては来なかった。

 ただ、ここに赤ん坊がいるんだなという生命の神秘を感じた。

 

 いつか兄になるかもしれないと言われても、全くと言うくらいに冷静だった。

 こういうのは、実際に目にしてみて感じるのだろう。

 そのうち、風に『お姉ちゃんとは』と聞いてみてもいいかもしれない。

 

 そうして久しぶりの両親との団欒の時間が終わりを告げた。

 タクシーを呼びつけ、家の前まで来るのを待つ間、最後に宗一朗と話をした。

 

「なあ、亮。俺に言いたいことは無いのか……?」

 

「言いたいことですか」

 

 家の中で綾香は待っている。

 なんでも、加賀家秘伝の料理レシピを書いているらしい。

 元々俺に教えるつもりで書いていたのと、今日の料理を書き記しているらしい。

 

 俺と宗一朗は家の門扉付近でタクシーを待ちながら、

 ぼんやりと話を続ける。

 

「園子ちゃんの件だよ」

 

「……あぁ、懐かしい話ですね。あれって結局会えるんですか……?」

 

「―――すまない。結局お前達を会わせることはできそうに無い……」

 

 そう告げられる事に対して、俺は特に驚きを感じなかった。

 別にありえない話ではなく、時間が経過し多少なり知識を得た今の俺なら分からなくも無いことだった。

 

「大赦はどうしても、俺と園ちゃんを会わせる気はないんですね」

 

「そうだ。優秀なお前なら既に気がついていると思っていたが、この3年で、俺はなんとかお前の身の安全を確保することができた。だが、俺がどんな働きをしても、大赦は正面からは絶対にお前たちを会わせるつもりはないことが分かった」

 

 そう言って宗一朗は眉をひそめ、苛立ちを隠さない。

 そんな姿を俺は珍しく感じた。

 俺は宗一朗が稽古以外で声を上げたり、明確に怒りを露わにした所は見たことがなかった。

 

「お前との約束は果たせそうにない……」

 

「―――」

 

 そう申し訳なく告げる宗一朗。

 それに俺は、特に何も感じなかった。

 自分でもどうかと思う。本当なら自らも多少は声を上げ激昂する場面なのかもしれない。

 身の安全は保証されたらしいが、園子には会わせてもらえない。

 

 自分が恐ろしくドライだと感じた。

 

「それはつまり、“正面からは”、ですよね」

 

「……ああ」

 

 宗一朗は、タダでは転ばなかった。俺もソレを見抜いていた。

 彼の目を見つめ、自らの意思を伝える。

 何も彼を信用していない訳ではなかった。

 ただ同時に成功できると心から信じられるほど、無垢で愚かな存在でもなかっただけだ。

 

 宗一朗がポケットに突っ込んでいた右手を出し、俺に握手を求める。

 それを見て俺は自らの意思が伝わったことを理解した。

 宗一朗の手を握ると、自らよりも少し大きくゴツゴツした感触がした。

 

「俺はな」

 

 無言で握手を止めて、自らの手を引き抜こうとすると、

 左手も使い両手で包み込むように俺の手を掴みこんで、宗一朗は言った。

 

「俺は情けない親だ。結局お前とは違って我慢強くも冷静でもなく、約束を守りきれる男じゃない。対してお前は、約束を守りこの家で一人暮らしをしてみせた。凄いことだ」

 

「―――お世辞なら、御役目が終わった時にでもしてください」

 

「お世辞じゃないさ。いいか、亮。以前にも言ったがお前には俺の教えられる全てを授けた。お前に関して俺は何一つ後悔することはない。俺の自慢の息子として育てあげた。父親としては大して導いてやれなかったと思うが」

 

「なら、今度生まれる弟か妹に良い教訓ができましたね」

 

「茶化すなよ。今なら大赦の監視網も薄れたはずだ……お前も随分と我慢したはずだ。だから」

 

 空も暮れ、紫黒い水平の空の下で。

 2人の親子が向かい合って話す中で、タクシーのライトがこちらに向かってきた。

 

「だからもし、失敗しても俺が許す」

 

「失敗なんてしませんよ」

 

「そうか……。亮、お前ならきっと、この先も大丈夫だろうさ」

 

 それっきりだった。

 手を放し、握手を止める。

 俺と宗一朗は黙り込み、タクシーが門扉に着くまで空を見上げていた。

 

 もともとどちらも喋りたがりではなく、無言の一時を過ごす。

 綾香が出てきたのと、タクシーが到着するのは同じだった。

 

 ほにゃほにゃした笑みを綾香は浮かべつつ、門扉にいる俺たちに近づいてくる。

 リビングに料理ノートを置いた事を俺に告げつつ、

 

「亮ちゃん」

 

「はい」

 

「―――愛しているわ」

 

「……ええ、僕もですよ」

 

 最後に綾香の身体に触れたのは、もう数年前だった。

 それでも彼女の、母親の匂いとは変わらないものだと思った。

 思う存分俺を抱きしめて満足した綾香は、

 

「そうだ、亮ちゃん」

 

「はい」

 

「いい? 好きな子ができるのは当たり前だけど、あまりフラフラしないでしっかり決めなさい。浮気したら八つ裂きね?」

 

「……はい」

 

 そう笑顔(ただし目は笑わず)で告げて、綾香はタクシーの後部座席に乗り込んだ。

 そんな和やかな母子の団欒事に対して、

 明後日の方向を向いていた宗一朗も綾香が乗り込んだのを確認して、

 

「それじゃあ、またな」

 

「はい、また」

 

 車のドアが閉まる。

 別れはあっけなかったが、問題はないだろう。

 

 今後は彼らにも会う機会が増えるのは間違いないだろうから。

 ややぎこちなく感じたが、時間の壁を埋める機会ならすぐに巡ってくるだろう。

 遠ざかっていくタクシーを俺は見送る。

 

 嵐にでも遭ったような気分だったが、久しぶりの家族の団欒に疲れた心が和んだ。

 綾香が作ったご飯は、久し振りに『食べた』という気分にもなれた。

 

「―――――」

 

 タクシーを見送り、門扉を閉めて玄関に向かう。

 玄関を施錠しリビングへと向かうと、先ほど綾香が言っていた料理本を見つけた。

 手書きなのか明らかにノート数冊分あるソレは、レパートリーには困らないだろう。

 

 それに苦笑しつつ、部屋のカーテンも閉める。

 ゆったりと椅子に座りながら、ズボンのポケットに入れていた物を取り出す。

 

「……」

 

 折り畳まれた白い紙切れ。

 ノートの切れ端にでも書き込み、折り畳まれたソレはポケットに入れた為にグシャグシャだ。

 

「……」

 

 だが、この紙切れは俺にとって豪華客船のチケットよりも貴重だった。

 その紙切れには、ある場所の住所と、とある棟のとあるフロアが書き殴られていた。

 

「……宗一朗、お前は最高だよ」

 

 ジックリ見終え、暗記した後、そっと切り刻みゴミ箱に入れる。

 薄暗い笑みが千切った紙屑がゴミ箱の奥へと舞い散るのを見送り、自分の部屋へと向かう。

 

「さて」

 

 急く足と感情を、理性と思考でブレーキを掛ける。

 そして深呼吸を数回行い、ようやく落ち着いた頃に必要な物のリストアップを脳裏で展開していると。

 

 不意に端末が喧しい警報音を部屋の中で鳴り響かせた。

 耳をつんざく音と共に、端末の液晶には『樹海化警報』の文字が示されている。

 ソレに対して覚える苛立ちを、もはや理性も思考も止めない。

 

「―――もうきたのか」

 

 プレゼントを開けようとしたら、壁を突き破って車が衝突してきた気分だ。

 もしくは飲み過ぎた次の朝の気分とでも言い換えられる。

 要するに、最悪の気分である。

 

「――ふん、まあいいさ。さっさと倒してやるだけだ」

 

 多少の怒りを奥歯で噛み、端末を手に取る。

 世界が白く染まっていく。

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 樹海化した世界。

 色とりどりの根で構成された世界も、今では霞んだ世界に過ぎない。

 もはや見慣れたその世界には、星の瞬きも、太陽の様な輝きもある訳ではなかった。

 

 だから、その光景を見たとき。

 神樹の謎の計らいか何かだろうかと、俺は疑問に思った。

 そしてその数秒後に現実逃避は終わりを告げ、理解が愚鈍な脳に及んだ。

 

 樹海の空。

 上空を白い星が、空を覆わんばかりに、輝きを放っていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第三十八話 13体目の侵略者」

 樹海の空。

 一面を覆わんばかりの白い星群は見覚えがあった。

 

 およそ全長が3メートルほどだろうか。

 一つ一つはそう大きい訳ではない。

 特筆すべき特徴としては、その歯だろう。

 

 カチカチと小刻みに歯を鳴らしたてる姿は、獲物を求め舌なめずりをする狩人を思わせる。

 仮に一匹でも現実世界にいたら、多くの人があの歯に噛み砕かれ、その命を落とすだろう。

 

「……?」

 

 だが上空に舞う星屑たちは、なぜか空にいるだけで何もしなかった。

 本来アレらは神樹や、それを守る勇者に対して攻撃をする存在であるはずだというのに。

 明らかに俺を視認しているはずなのに、上空に漂うだけだった。

 

 まるで何かの命令を待つかのように。

 

 馬鹿馬鹿しいと思った。

 アレらにそんな思考能力があるとは思えない。

 あってはならないことだ。

 

「まずは合流か……」

 

 だが敵が何もしてこないのは、こちらも少し猶予が出来たと言っていい。

 端末を開く。

 

 すぐ近くに友奈や他の部員たちもいた。

 それに安心すると同時に、

 襲撃者の名前が判明した。

 

 端末のアプリの地図では、大赦がバージョンアップしたのか、

 13体目の襲撃者には名前がつけられていた。

 ソレは、黄道十二星座でありながらも番外という不遇な存在の名前だ。

 

 蛇遣座【オフューカス・バーテックス】

 

 それが便宜上与えられた名前なのだろう。

 

 蛇遣座には、かつてこの国が襲撃者によって滅ぶ以前。

 この星座が香川県の上空に見えると、七夕が近いという言い伝えがあったという。

 その程度しか知識がなかった。

 

 

 

---

 

 

 

「皆、円陣!」

 

「またそれ……」

 

 風の指示に対して、呆れた声を出すのは夏凜だ。

 少しはわからなくもない。

 上空を見上げると、どこまでも広がるような星空。

 ……のように見える醜悪な顔をする星屑たちが、上空を忙しなく動き回る。

 

「まぁ40秒もかからないし。それに士気ってのは戦場では大事だ。そうだよね東郷さんや」

 

「そうよ、夏凜ちゃん。今度旧世紀の護国の戦場でのあり方について一緒に見ましょう。大丈夫、初心者でも分かり易い90分構成だから」

 

「結構よ。―――あんた達、本当にこういうの好きね」

 

 理解のため息か、あきらめのため息か。

 よく分からないため息をついた夏凜は、前回とは違いすぐに円陣に加わる。

 隣に来た夏凜の肩に手をのせつつ、目線で風に何か士気が上がるような事を言う様に頼む。

 

「えっと、皆。これが本当に最後の戦いよ。アレを倒したら御役目も終わり。この戦いが終わったら何でも奢るわよ!」

 

「よーし! 肉うどんいっぱい頼もう!」

 

「今日も御国を護って、明日の日の光を皆で拝みましょう」

 

「それじゃあ勇者部、ファイトォーーー!!」

 

「「「「オーーーーッ!!!!」」」」

 

 

 

---

 

 

 

「あれってさ、どこが蛇なの……?」

 

「――――ふむ。確かにそうだね」

 

 夏凜が話しかけてきたが、それにどう答えるか返答に迷う。

 手が自然と顎に触れる。

 

 今までのような巨大なバーテックスが一匹いるという訳ではなく、

 今回は無数の星屑がわんさかと上空にいる。

 しかも心なしか、時間経過と共に増えているように感じる。

 

「とりあえず、仮名称としてつけたんじゃないかな。今までのだって名前ほど見た目があっている訳でもなかったし」

 

「確かにね。まあ名称なんてどうでもいいわね。結局やることは変わらないし」

 

「そういうこと」

 

 夏凜含め、勇者部の女性たちと空を見上げながら、俺はモノクルを左目につける。

 退院後に少しでも以前のような、まともな色の視界にするために家に引き篭もって作った。

 それなりに時間とお金を掛けたレンズ部分は少し薄暗い透明色である。

 

 本来ならばコンタクトレンズとしての使用や、眼鏡としての運用も考えていたが、

 色々な事情によって片目だけを補佐するモノクルとして使っている。

 モノクルを耳と鼻にかけ、天を見上げる俺に対して夏凜が話しかけてくる。

 

「また変な物ね。ソレは……?」

 

「見てのとおり、モノクルだよ。別名を片眼鏡。視界の色の補助用に作ったんだけども中々調整が難しくてね……。他にも重い双眼鏡の代わりに遠視を可能とする機能もつけてみた。モノクルタイプにしたのは、あくまで一時的な利用を前提とした試作品であるという事と、急な視界の変化に少しずつ慣れるためだ」

 

「自作って、また凄いわね」

 

「ありがと。おかしいな……今の俺には夏凜が凄く可愛く見えるよ」

 

「なっ、可愛いとか……」

 

「可愛いよ、夏凜ちゃん。にぼし可愛いよ」

 

「……か、揶揄うんじゃないわよ!」

 

 モノクルにより、レンズ越しにではあるが色覚の補正が与えられる。

 可能な限り本来の視界に近づけたが、中々のものだと思う。

 おかげで頬を赤らめ、照れる夏凜の姿がモノクル越しにではあるが正常に見ることができた。

 

 多少の色が片目だけにではあるが戻った為、改めて上空を見上げる。

 ズーム機能を使用し、星の中から本体を探し出す。

 

「なあ、夏凜」

 

「何よ」

 

「俺には、アレらが蜂のように見えるよ」

 

「――――つまり、どこかに女王蜂がいるって言いたいのね」

 

「そういうこと。そして俺は見つけちゃったのさ」

 

「どこ!?」

 

 夏凜の視界を誘導するように指をさすが、肉眼だと微かにしか見えない距離にいる。

 目を細める夏凜にモノクルを貸し、レンズ越しで目を細める彼女もやがて理解した顔になった。

 

 先ほどモノクルによる遠視機能によって、やや中型のバーテックスを視認した。

 全体的に白く、多少の黒色が混じり込み、尻尾のような物が生えている。

 細長い形であるが、なんとなく蛇のように見えない訳でもない。

 

 敵は見つけたが、問題がある。

 それは勇者のジャンプ力では届かないということだ。

 勇者の脚力は凄まじいものだが、敵の高度はそれ以上に位置する。

 

 つまりあれを倒すには、満開によって得られる浮遊能力が必要になる。

 

「……」

 

「どうしたの? さっきあれだけ皆でテンション上げたじゃない」

 

 それを理解した彼女達は、先程までのテンションが嘘のように静まり返った。

 無言になる彼女たちに対して夏凜が声をかけるが、その声に返す者はいなかった。

 

 当然だと思う。

 皆も感じているのだろう。

 もしかしたら、また体のどこかにダメージが来るんじゃないかと。

 そんな不安に満ちた空気を感じつつも、俺はRPGを出現させる。

 

 狙いはバーテックスだ。

 引き金を引くと、凄まじい反動が肩を襲う。

 今回は流石に、照準器を目に当てるようなヘマをしないようにしっかり握る。

 

「……ファイヤー」

 

 開口した砲尾から、後方に向けてバックブラストが起きる。

 

 砲弾が発射される。

 クルップ式によって発せられる砲弾は、発射と同時に加速する。

 安定翼を得て回転する黄金の砲弾は、暗い空気を断ち、明確に真っ直ぐに獲物に向かうが―――、

 

「―――そうか、あいつらは弾幕対策か」

 

 納得する。

 金色の砲弾は、何十匹もの星屑がその身を犠牲とすることで、標的まで届きはしなかった。

 そうして出来た穴を、本体が口と思わしき部分から大量の星屑を吐き出して埋める。

 

 そうして数秒後には、先程となんら変わらない状況に戻る。

 ……いや、状況は変わった。

 

 

 星が墜ちてきた。

 

 

「回避! 回避ーーーっ!!」

 

 夏凜が全員にそう告げつつ、回避運動に移る。

 当然、友奈も風も樹もこの状況を見ていた為に逃げ回るが―――、

 

「こいつ、追ってくるぞ」

 

 逃げ場所がなかった。

 空にある星が一斉に降り注ぐ姿は、幻想的でありつつも確実な殺意に溢れていた。

 白い尾を引き、重力と共に勇者と樹海を破壊するべく、一人につき50体ほどが迫った。

 

 他を助ける余裕は無かった。

 必死に軽機関銃で一掃するが、星屑はお構いなしに迫りくる。

 醜悪なその面は、自慢の歯をカチカチと鳴らしたてる。

 

「―――――ひっ」

 

 その悲鳴は誰だったろうか。

 振り返る余裕は無かった。

 俺に近づく星屑は、次々に自爆した。

 

「―――――っ」

 

 自滅の爆炎が次々と起きる中でも星屑は止まらない。

 爆炎の中を潜り抜け、弾丸にその身を撃ち抜かれても、

 一匹一匹が確実に俺との距離を詰める。

 そして、

 

「あぐっ――――――」

 

 バリア越しにではあるが、被弾した。

 被弾したせいで、銃の引き金を引くのが遅れる。

 

 爆発、爆発、爆発。

 

 衝撃が脳を叩く。

 自らの身を守ろうにも、四方八方から次々と星屑が押し寄せる。

 至近距離で起きるそれらに、俺は為す術もなかった。

 

 

 

---

 

 

 少しの間、気絶していたのか。

 全身に痺れがある。

 

「皆は―――――」

 

 彼女達はすぐに見つかった。

 というよりも、近くに転がっていた。

 樹も、風も、夏凜も、何十分と続くような豪雨の如き爆炎と衝撃に耐えられなかったようだ。

 

 精霊たちが顕現して、意識の無い主たちを守っている。

 彼女達の事は精霊に任せて、辺りを見渡す。

 

「―――――」

 

 絶句した。焼け野原とでも言うべき惨状が広がっていた。

 地面には巨大なクレーターがそこら中に出来上がっていた。

 木も、森も、根も。

 

 何もかもが消し飛んでいた。

 あたりには、樹海と呼べるような面影は何も残っていなかった。

 

「……」

 

 落ち着こう。

 こういう時は慌ててはいけない。

 まずは敵情報を確認しよう。

 

「………」

 

 樹海に爆撃を行い穴という穴を作った蛇遣座は、新たに星群を生成しつつ、

 ゆったりと神樹に向かっている。

 速度を考えても、神樹に辿り着くまで時間はあるだろう。

 

「東郷さん、出るかな……」

 

 どうやら神樹が囮となり、時間を稼いでくれるらしい。

 携帯端末を呼び出し、東郷に電話を掛けるが出ない。気絶しているのだろう。

 続いて友奈に電話を掛ける。

 

「あっ、友奈。生きてるか……?」

 

『――――――生きてるよ、亮ちゃん。だけど少し身体が痺れてて……すぐに行くから』

 

「無理もないさ。俺も少し痺れてる。それにこっちは風先輩も樹も夏凜もみんな気絶している。初見の相手にしては高い授業料をふんだくられたよ。……ところでそっちの満開ゲージだけども、どんな感じだ?」

 

 そう俺が尋ねると、微かな友奈の息遣いがノイズ越しに耳朶に響く。

 確認したのか、少しして彼女の声が聞こえる。

 俺は友奈の声を聞きながら、自分のゲージを確かめる。

 

 左肩のゲージは既に準備が整っていた。

 敵を攻撃すれば溜まるのかと思っていたが、逆も然り。

 あれだけの爆撃を受ければ、容易く溜まったらしい。

 他の部員のゲージも確かめたいが、今はバーテックスを優先する。

 

『えっと、3枚まで溜まってる』

 

「そうか、分かった。ありがとう、友奈大好き」

 

『あ、りょ――――』

 

 通話を終了する。

 友奈との話ならずっとしていてもいいが、

 この世界には優先順位がある。

 

「初代」

 

『キミから呼びかけるとは珍しいね』

 

 走りながら、指輪に呼びかける。

 平然と人前で話しかけるというお喋りな自覚があるのか、

 指輪の世界の王は、自らが認める後継者の声に応答した。

 

「満開するなら今しかないはずだ」

 

『そうだね。星屑の数もさっきの流星群の様な攻撃で使い切ったのか、満開のエネルギーを飛翔性能と火力に注げば押し切れるだろう。星屑が減っている今がチャンスだろうね』

 

「……だよな」

 

 躊躇っている場合ではない。

 怖がっている場合ではない。

 不安に慄く時間ならば、既に過去においてきた。

 

 今俺がすべきことは、神樹を守ることだ。

 それが勇者部を守ることに繋がるはずだ。

 

 覚悟を決める。

 

 もしも、東郷と懸念した満開の代償が本当にあるならば。

 それならば、自らの身体で検証すればいい。

 それで大赦が嘘をついているかも分かるだろう。

 もとより、あの組織には一分の信頼も寄せてはいないが。

 

「――――――」

 

 今動けるのは自分だけという状況に、思わずため息が出る。

 切り札がある。迷っている場合ではない。迷う時間が星屑を増やす。

 なせば大抵なんとかなる。大丈夫だろう。

 祈るように、叫ぶ。

 

「―――――満開!!」

 

 園子。

 どうか、俺に力を貸してくれ。

 

 紫黒色の花が咲き誇った。

 

 

 

---

 

 

 

 勝負は短期決戦だった。

 時間の経過はこちらに不利。

 

 昏いコートが翼のように舞い上がり飛翔する。

 一瞬だけ下を見ると、樹海だった場所は完全に別の場所だと錯覚させた。

 焼け野原が殆どだった。辛うじて残った森も火の手が上がっている。

 

「―――――」

 

 意識を敵にのみ向ける。

 今回の満開も変則的だ。

 見た目の変化はさほどせず、コートが風にはためく。

 

 そう。見た目に回す力も、余力も全て集める。

 全ては一点突破の為に。

 

「―――――」

 

 かつて、5体目のバーテックスを夏凜は撃破した。

 その時彼女は自らの武器である刀を複数生み出し、周囲の地面に刺した。

 勇者の代わりとして、ソレらはきちんと封印の儀を行った。

 

 ならば、俺もできるはずだ。

 脳裏に蛇遣座撃破に至る工程を作り出す。

 

 武器の中には剣がある。

                ――――――――夏凜とは違う、尚且つ空中のために破棄。

 

 拳銃の銃弾ならばどうだ。

                ――――――――破壊力が低い、弾数も少ないために破棄。

 

 機関銃の弾丸ならばどうだ。

                ――――――――条件付きで可能だろう。

 

 上空へと飛翔する俺に対して、複数の星屑が降り注ぐ。

 両手にある軽機関銃と飛翔性能だけでは躱しきれない。

 

 ならば致命傷以外は無視する。

 バリアが最低限機能するならば死ぬことはないだろう。

 あとは脳裏に浮かぶ工程通りに動けば良いのだが。

 

「出でよ」

 

 かつて夏凜が複数の刀を出現させたように、俺も空中に2丁の機関銃を生み出す。

 出現したソレらは既に引き金は引かれている。

 

 3丁の機関銃から放たれる紅の逆雨が、降り注ぐ星屑を蹂躙する。

 迫りくる星屑を全て倒す必要はない。

 そのための一点突破なのだから。

 

 多くの星を重厚な音と共に潜り抜ける。

 そのまま、目標に向けて衝突するように飛ぶ。

 星屑と銃弾が飛び交う中で、いくつかの弾丸が蛇遣座の装甲にめり込む。

 

「封印の儀、開始―――――」

 

 金と銀のベールが舞い、動きを止めたバーテックスから御霊が出る。

 だが案の定、ソレを守るべく星屑が盾となるが、

 

「それが通用するのは、地上だけなんだよ―――――!!」

 

 単純な距離の問題だった。

 加えて、星屑の壁があったから通用しなかった。

 

 だが既にこちらも空に飛翔したことで、距離は埋めた。

 加えてRPGを空中に2砲展開する。

 肩に載せたソレも合わせて、3砲の砲撃。

 

「せ、ああぁぁぁぁっ―――――!!」

 

 白い壁と、金色の砲弾が衝突する。

 一瞬、停滞が生まれ、続く数秒で結果が生じる。

 

 数では少ないが、破壊力は3つの砲弾で余裕だった。

 星屑の盾ごと、黄金の砲弾が御霊に風穴を開けた。

 

「……よし」

 

 破壊の意志を乗せた3つの砲弾は、御霊を防衛する星屑の数を上回った。

 司令塔たる御霊の破壊を完了した俺は、風穴が出来たソレを見つめた。

 

 やがて蛇遣座が砂と化し、崩れ落ちるのを俺は見届けた。

 そして、微かに感じる勝利の余韻と、

 間違いなく敵を破壊したことへの高揚感が生じる。

 

 

 

 

 

 

 それがいけなかった。

 

「……?」

 

 あとは周囲の雑兵を排除するだけ。

 いつの間にか時間切れか、満開が解除されつつも空中をゆっくりと下る俺に。

 星が群がった。

 

 敵はバーテックスだ。

 人間ではない。

 こいつらには感情なんてものはない。

 

 だから、指揮官が殺されようが動揺はしない。

 つまり、指揮官が排除されても、事前に命じられた命令は実行する。

 

 蛇遣座は殺した。

 だが蛇遣座によって生成された星屑たちは止まらなかった。

 すなわち、樹海の破壊と勇者の排除である。

 

 あえて神樹を狙わず、リソースとして使っている信者も、インフラも破壊する。

 残った星屑は纏まりを持たず、指示に従って。

 

 一斉の破壊を行うべく空から降り注いだ。

 

 地上で気を失っていた勇者たちは何もできなかった。

 立つこともままならず、爆風がバリアを軋ませ、少なからず勇者本人に衝撃を与える。

 安全な場所はどこにも無かった。

 

 勇者を中心とした半径3キロは、降り注いだ白き流星によって、

 樹海は燃え、地面に罅が入り、根は枯れるどころか消し飛んだ。

 

「―――――ぁお、ぎっ」

 

 熱い、熱い、熱い。

 叩きつけられるように樹海へと落ちた俺は腕に痛みを感じた。

 地上に落下しつつ大量の爆発を浴びる中で、頭をかばった際にバリアが耐え切れず僅かに火傷を負ったらしい。

 

「あ――――――、――――――――」

 

 身体が痛みと衝撃で痺れ、意識が白く染まる。

 敵は倒したのだ。神樹も友奈達も無事なのだ。ならばもういいだろう。

 俺はソレに従うように意識を手放した。

 

 滝の様な、雷雨の様な、そんな爆撃が終わり。

 樹海に立っている者は誰もいなかった。

 敵もいなくなった為、神樹が樹海化を終わらせ、世界の歯車を回す。

 

 

 こうして勇者は今回も神樹様を守る事に成功した。

 ただし、多くの犠牲を出しながら。

 

 

 

---

 

 

 

「―――――ぁ」

 

 意識の覚醒を果たす。

 白い天井が自らの視界に映り込む。

 バリアによって致命傷は避けたが、至近距離での爆発は厳しかったようだ。

 

 確実に数十発の爆発を至近距離で食らった。

 常人なら何回死んだのだろうか。

 

「あ、あー」

 

 声を出す。

 寝ぼけていた意識と闇に沈む思考が、声を出すことで覚醒を果たす。

 視界は見える。

 両手を視界へと持っていくと、包帯に巻かれている。

 動かなくなった訳ではないので、恐らくは火傷の治療だろう。

 

 しばらく自らの肉体を弄ってみたが異常は見られない。

 東郷と話をしていた満開の後遺症は、気のせいだったのだろうか。

 

「――――ははっ」

 

 僅かに乾いた声が出る。

 カーテンを開いて窓から外の景色を見る。

 別におかしいと感じる物は無い。

 多少色落ちした世界だ。

 

「……」

 

 なんとなくコーヒーが飲みたくなった。

 

 

 

---

 

 

 

 医者の許可を得て、談話室で一人コーヒーを買う。

 冷たいソレを持ちながら、適当なパイプ椅子を引いてテレビをつける。

 

 今回の検査は軽いものですぐに終わった。

 火傷の方は軽いらしく、軟膏を塗って寝れば回復する程度のモノだと言う。

 現に僅かに痒いと感じるのは治り掛けだかららしい。

 

「東郷には……」

 

 今回満開を使ったが、後遺症は感じない。

 寧ろスッキリした気分だ。

 

 この眼もリハビリすればきっと治るに違いない。

 リモコンを手に取り、テレビをつける。

 

『今回の地震で、現在だけでも20名の死者と10名以上の行方不明者が出ております。1日前に四国全域を襲った大地震では、今もなお救出作業が続いている箇所があり――――――――――』

 

 談話室は静かだ。

 誰もいない。

 

『続いて、現在死亡された方で、身元の分かっている方々について―――――』

 

 俺はテレビを見ながら、ふと目の端に変なモノを見た気がした。

 視界を移動させたが何もいない。

 紙コップに入ったコーヒーを飲みながら、俺はふと端末がどこへ行ったか医者に聞くべきだったと思い出した。同時に友奈達の顔がなんとなく恋しくなった。

 

『先ほど分かりましたのが、高宮礼二さん、涼宮貴船さん、加賀見―――――失礼しました』

 

 とりあえず13体のバーテックスは倒したのだ。

 これからは、園子に会う準備をしないと。

 

『加賀宗一朗さん、加賀綾香さんの死亡が判明しております』

 

 テレビに眼を戻す。

 2人の顔写真が映っていた。いつの間にか両親が有名人になっていた。

 

『なお、今回の災害は神世紀300年の中でも最も被害の大きいものであり、死亡者は今後も増える見込みとのことで―――――――』

 

 宗一朗が死んだ。

 綾香も死んだ。

 

「……は」

 

 先ほどまで映っていた彼らの写真は、すぐに他の人のソレに差し替わる。

 唐突に、自分が何を飲んでいたのか分からなくなった。

 

「……」

 

 紙コップを見下ろすと、泥の様な昏い液体に俺が映り込んだ。

 不快な電子機器が再び人物の写真を映したので、俺は無言でテレビに投げつけた。

 

 

 

---

 

 

 

 数十分後、顔をしかめた禿げ医者に俺はある場所へと案内をされた。

 遺体安置室。

 白い布を取り払うと、宗一朗も綾香もそこにいた。

 

 2人を見下ろした。

 白い顔だがそれ以外は元気そうに見えた。

 だが、手で彼らの頬に触ると―――――――――

 

「――――――あ、あぁ」

 

 それで俺は―――――――――――――

 ――――――――――――――

 ――――――

 

 

 

 

 そこから先が思い出せない。

 

 

 




次回、ほのぼの回


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第三十九話 彩りに溢れた■」

「……」

 

 目線を下げると、川面が目に入った。

 いつの間にか夕暮れなのか、遠くの方で黄昏の光を次に見た。

 どうしてこんな場所にいるのか。

 よく覚えていないが、別に思い出したからどうだと言うのだろう。

 

「それに、しても」

 

 黄昏の光を浴びた川面は、うねりうねって解きほぐした絹糸の束のように、

 艶々しく、なよやかに揺れながら流れている。

 そこに立ち塞がる俺を避けるように流れている透き通った流水は、両足にぶつかると泡を作る。

 

「―――――」

 

 膝下まで気がつくと水に浸かる。

 しばらくそうやっているが、生暖かい風が頬と水面を優しく叩き、ようやく我に返る。

 いかに夏の気候であってもそろそろ夜になる。このままでは風邪を引いてしまう。

 

「……亮ちゃーん!」

 

 ズボンが水を吸い込み、歩く事すら億劫に感じ、もうこのままでいいかなと思い出した時。

 ふと、暖かで思いやりに溢れた声を聞いた。

 遠くの方から、砂利を踏みつつそれなりの速さで走ってくる活発そうな少女。

 

「ゆう、な」

 

「うん、結城友奈です! どこに行ったのかなーって思ったら……。もしかして、この後の用事忘れちゃったの……?」

 

「用事? 何か、あったっけ」

 

「えー、酷いよ。夏祭りだよ、夏祭り! 勇者部で行く予定だよ。皆待っているよ!」

 

 夏祭り。

 日本に住まう者なら聞いた事が無い者はいないだろう。その名前の通りの行事だ。

 農村社会では、夏季の農事による労働の疲れに関わる行事だったと生前聞いた気がする。

 

 生前、誰かと夏祭りに行ったことはない。

 家族とすら行ったことは無かった。だから一人でコッソリ行き、地元の屋台でわたあめを買ったりした。

 

 そんな郷愁に駆られる様な思い出が僅かに思い出されるが、

 生前のソレらは結局楽しい事があったようで無い黒歴史でもある。

 まあ、その歴史が今の俺を作っているのだから、結果オーライという奴だろう。

 所詮は過去の事、いや別の世界の事だ。

 

「はやくはやくー」

 

「……分かったよ」

 

 流れる川の中から、ゆっくりと足を出して砂利道を歩く。

 水浴びをしていた俺のすっかり冷えた手を、友奈は握り締めるように掴んだ。

 とりあえず家で着替えないといけない。

 足早に俺たちは家に向かった。

 

 

 

---

 

 

 

「亮。お前、今どき川で水浴びって……ないわー」

 

「いいじゃないですか、たまには童心に帰るのも大事なことですよ」

 

「……いや、現在進行形でお前って子供じゃないっけ」

 

「僕はそろそろ40歳なんで」

 

 そんな宗一朗の戯言を聞き流し、俺は慌てて着替えを終わらせる。

 たった今出来上がった洗濯物を洗濯機に詰めようとしていると、綾香が代わりにしてくれた。

 

「ほら、友奈ちゃんが玄関で待っているでしょう。後はやっておくから」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「そうね、お礼として屋台で何か買ってきてね」

 

 慌ただしく準備を終えると、玄関に佇む友奈の姿があった。

 こちらに気がついたのか、にこやかに笑いかけてくる。

 

「待った……?」

 

「ううん、すぐだったね」

 

 玄関で靴を履いていると、唐突に後ろから声がかけられた。

 太い声なのは、家の住人の中では間違いなく宗一朗だろう。

 

「おーい、亮」

 

「……ん? おわっ!」

 

 やや黄色の巾着袋を投げ渡された。

 慌てつつも受け取ると小銭入れのようで、ジャラッという音がした。

 廊下に顔を出した野郎は、こちらを見据えてサムズアップをしてみせた。

 つまり小遣いのようだ。サムズアップを返す。

 

「――――――いってらっしゃい」

 

「……いってきます」

 

 背後で聞こえる彼らの声を聞きながら、玄関の扉を閉めた。

 やけに懐かしく感じた。

 

 

 

---

 

 

 

 柳の青い幹に電灯の電線をくねらせて並んでいる夜店の存在が、縁日らしい砕けた感じを与える。

 そんな中で友奈と手を繋ぎ離れないように、それなりにいる人混みの中を進んでいると、

 

「遅刻よ、遅刻」

 

「ごめんごめん。連絡はさっきいれたじゃないか」

 

 沿道は白昼の激しい陽射しの名残りを夜気で溶かし、

 浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏まれながらも、それなりに賑わいを見せている。

 

 個人的には、生前いた都会の方の花火大会より、それなり程度の賑わいであるこちらの方が好きだ。

 暗い沿道には多くの屋台が並び、彩りに溢れた光景に眼が痛んだ。

 

 俺たちが着いた時には、既に勇者部は全員揃っていた。

 どうやら勇者部の依頼で一、二本の依頼があったのをすっかり忘れていたらしい。

 携帯も持ち歩かずに俺は一体何をやっているのだろうか。

 

 どうやら、夏の暑さにすっかり気が緩んでしまったらしい。

 頭のネジの一本でも外れてしまったのか。

 

 そんなうっかり屋さんである俺を友奈が探して、ここまで連れてきたらしい。

 そんな訳で眦を吊り上げて怒る夏凜に、屋台で売っている煮干しを奢ることにした。

 

「あら? お二人さん、仲がよろしいですね〜。青春ですかな、グフへへへ……」

 

「お姉ちゃん……」

 

「……はい! 仲良しですよ! ねっ、亮ちゃん」

 

「えっ、―――――そうだな……仲良しですよ」

 

 友奈が俺の手を繋いで引っ張ってきた事に対して、風が揶揄う。

 年頃の少女ならば、同年代の揶揄いの声に堪らず手を放すと思ったが、

 そんな事はなく、寧ろ友奈は無邪気な笑みを浮かべ、俺と繋いだ手を風に見せ付ける。

 仲良しアピールついでに、にぎにぎしてみせた。

 

 そんな感じでしばらく彼女と手を繋いだ後、やんわりと外した。

 決して勇者部の面々に微妙に生暖かい目で見られているからではない。

 東郷の下に友奈を送り出す為である。

 

「ところで、みんな浴衣姿だけど……どうしたんですか?」

 

「あ、コレ? 商店街の依頼の一つを終わらせた時に、貸して貰ったのよ。……どうよ、コレ。女子力にやられて惚れるんじゃないぞ?」

 

 風が何か、思わず鼻で笑いそうになる事を言っていたが、

 それを抜きにしても、彼女達の浴衣姿は色合いや装飾も含めて非常に似合っていた。

 

「――――似合ってますよ、風先輩も、皆も。浴衣の魔力で普段よりも可愛く見えますよ」

 

「……えっ、あっ、そう? ありがとね……」

 

「あ、あんた、そういう事言って恥ずかしくないの……!?」

 

「えっ、どうしてー? よくわかんなーい」

 

 こういう文句は、恥ずかしがったら負けなのだ。

 真顔で堂々と言い放つ。これこそが鏡の前で練習した成果である。

 

 なんだかんだで風や夏凜にカウンターを返して反応を楽しむ事が癖になりそうだ。

 思わずクツクツと笑いが出たが、風に話題を変えられた。

 

「ところでさ、亮之佑は準備はできてるの……?」

 

「準備」

 

「……ん? だからもう一つの依頼である、手品ショーよ」

 

 ところで、深呼吸する時は、一度息を吐ききった方が良いらしい。

 数回行えば落ち着く方法として、俺はこれを起用している。

 息を吐いた後、一息に息を吸い込むと、女子特有の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 意図せず入り込んだソレを肺に満たす行為を数回行った後、俺は再び風に話しかけた。

 

「それ、くわしく」

 

「あそこに特設舞台があるでしょ? アンタの腕を運営の方が見込んで是非やって欲しいとの事よ」

 

「頑張ってください」

 

「……」

 

 風が指をさす方向に確かに特設舞台が設置してあり、今も何かのイベント事をしている。

 舞台の前では、浴衣姿で椅子に座る客や立ち見客などが、屋台の商品を食べながら賑わいを見せている。

 

 そこには笑顔や拍手喝采があり、和やかでありながらも華やかであった。

 しばし無言でその光景を俺は無表情に、あくまでクールさをもって眺めた。

 心臓もクールに凍り付く中で、微笑を浮かべる樹の声援が耳を素通りする。

 

「あれ、結構な人がいますね。順番っていつぐらいでしたっけ……?」

 

「ちょっとしっかりしてよ亮之佑。アンタのは確か15分後よ。そろそろ準備して待機した方が良いかなと思ってさ」

 

 非常に帰りたい。

 身に覚えのない展開に、胸中でため息をつく俺を誰が責められるだろうか。

 だが、ここで帰れば勇者部の名声に傷がつく。

 尚且つ、奇術師でありながら、夏の夜に燃えない男はいない。

 

「……いや、ちょっとした確認ですよ。じゃあちょっと準備しますので。皆はどうするんですか?」

 

「当然、亮ちゃんの舞台だもん、見ないと損だよ! ねっ、東郷さん」

 

「そうね友奈ちゃん。亮くんの奇術の腕がどれだけ上がったか見たいもの」

 

 不敵な笑みを浮かべながら、俺は自身の退路が消えたことを知った。

 夏凜ですら何だかんだ興味のありそうな顔をして、

 「せっかくだから見てあげるわよ、変な勘違いしないでよね!」みたいな事を言っていた。

 

 まあ、彼女達の期待に満ちた目というのは心地良く感じた。

 失望の眼差しでも、無能を見るような目でもない。

 俺を信頼し、信じているという眼差しは、くすぐったくもあり、必ず応えようと思った。

 

 

 

---

 

 

 

 ……という訳で。

 俺は今、大急ぎで手品ショーの準備を完了させていた。

 よくよく考えたら、何かのプレゼンをやる訳でもない。

 気楽に行こうじゃないか。

 

「ん、んー。テス、テス。ショータイム……」

 

 次いで衣装についてだが、面倒だし勇者服で問題ないだろう。

 ポケットを叩くと、色々と道具が出てくる。

 

 左目にモノクルを装着し、いつかの黒ハットを被るとあら不思議。

 奇術師かっきー、ここに見参!!

 

「加賀さん、出番です」

 

「あ、はい」

 

 運営の方に呼ばれて、最後に深呼吸する。

 なせば大抵なんとかなる、だ。全員を魅了してやる凄まじい手品ショーを見せてやろう。

 舞台裏に立つ。ここから既にショーは始まっているのだ。

 

「―――――」

 

 舞台に向かってハットを投げる。

 回転しながら中空を舞い飛んでいく黒いシルクハットは、観客の目を引く。

 

「あれなにー?」

 

「帽子が飛んでる!」

 

 真っ直ぐに舞台を目指し飛ぶハットは、多くの目を引く中で、舞台に降り立った。

 そのハットから身体が生えるように、奇術師の姿を大衆に見せた。

 どよめく歓声の中で、俺は両手を広げる。

 

「……」

 

 右手にトランプを、左手には杖を。

 舞台からふと周りを見ると、僅かにだが携帯を弄っている客がいる。

 生徒がこっそりと何かしていても分かる教師の目線とはこういうモノなのだろう。

 

 黒いハットを手に取る。

 次に右手のトランプを全て入れ、杖で叩く。

 

「1、2、3……はい!」

 

 大量の鳩が飛び出し、観客のどよめきや歓声が大きくなった。

 その声に興味が湧いたのか、携帯を弄っていた客も視線をこちらに向けた。

 

 観客が注意をこちらに向け始めたのが、こちらに向けられる視線量が増えたことで分かる。

 さて、そろそろ本気を出し始めるとしよう。

 緊張していることを悟らせないように、不敵な笑みを浮かべる。

 

「……ショーの始まりだぜ」

 

 小声でそう呟き、赤い手袋越しに指を鳴らすと、

 飛び出した鳩達が、夜空に咲く、小さくも鮮やかな花火へと変わった。

 爆音が鳴り響き、こちらを見上げる大衆の顔を、緑や赤、青などの様々な色が光り、

 やがて大きな歓声が響き渡った。

 

 

 

---

 

 

 

 盛大な喝采が鳴り響いている。

 最後に消えた俺について、司会がフォローしつつ、次の人の番が来ていた。

 周囲の客は消えた俺の行方を捜しているが、見つかることは無いだろう。

 

 伊達メガネを装着しつつ、ゆったりと沿路を歩く。

 屋台でりんご飴を買いながら無言で部活メンバーを探し、やがて見つけた。

 俺が撤収すると同時に彼女たちも移動したのだろう。

 

 近づくに連れて彼女たちも気がついたのか、あちらからも近づいてきた。

 

「亮ちゃん、凄かったねー!」

 

「本当に腕を上げて……。亮くんはまた一段と奇術師になられて」

 

「でも、本当に凄かったわよ! 特に最後の奴ってどうやって消えたのよ!」

 

「あんなに堂々として、凄かったです」

 

 俺の伊達メガネに誰もツッコミを入れない事が少し悲しく感じつつも、

 口々に己の技を褒め称える友奈や東郷、風や樹に対して嬉しく感じた。

 ふと夏凜の方をジッと見ると、彼女は俺の視線を受けて少々不審な動きをしていた。

 

「……トイレなら、確かアッチだよ」

 

「違うわよ! ……その、あんたの手品、結構、そこそこ凄かったわね」

 

「そこそこ……? ショーが始まってから、ずっと口を半開きにして見てたのをアタシ見たんだけど」

 

「う、うるさいわね!」

 

 ぼそぼそと、それでも夏凜にしてはキチンとした褒め言葉に対して、

 風がからかうという一連の動作を見ながら、俺は思わず微笑んでいた。

 今が一番楽しいなと感じた。

 

「よーし、それじゃあここからは好きに行動しましょうか! 諸君! 花火まで少し時間があるから、食べ物なりうどんなり、好きに屋台を回ってきなさい!」

 

「それってお姉ちゃんがうどんを食べたいだけじゃないの……?」

 

「そ、そんな訳ないでしょ!?」

 

 そういう訳で一度解散。

 集合場所に時間指定で集まることになった。

 鼻息荒く“限定”うどんの屋台へ走る犬吠埼姉妹と、連れて行かれる夏凜――うどん組を見届ける。

 

「それじゃあ……どうしよっか?」

 

 そうして俺は彼女たちの装いを改めて見る。

 この夏祭りに相応しい浴衣姿は、雰囲気も伴い、艶やかに妖艶に映った。

 友奈はピンクの浴衣を、東郷は薄い青色の出で立ちである。

 

 そんな綺麗処が二人。

 正しく両手に花状態の俺であるが、当然野郎の視線が纏わりつく。

 そんな彼らの視線に対して俺は動じず、ただ紅の目線でこちらを見る男達を威圧した。

 

「―――――金魚すくいとか、射的とかどう?」

 

「良いと思うわ。友奈ちゃんは?」

 

「うん、良いと思うな!」

 

 子供の様に無邪気な笑みを浮かべる友奈は、浴衣姿もあって、

 いつもよりも可愛らしく見えた。

 金魚すくいの屋台に行き、東郷の方を見たが彼女は横に首を振って観戦を希望する。

 流石に車椅子の身でもある彼女。この後は射的にも行く予定だし、そこで活躍してもらおう。

 

「友奈、友奈」

 

「なにー?」

 

「勝負しよう。多くすくったら勝ち、以上」

 

「いいよ。よーし、私は亮ちゃんよりも金魚を多くすくう!」

 

 「勇者になーる!」的なフレーズが気に入っているのか、若干流用した言葉を友奈は放つ。

 意気込む彼女からポーチなどの荷物を受け取り、東郷と二人で見守る。

 

 ピンク色の浴衣を着た彼女は、汚れないように手を膝裏に入れて、裾を押さえながらしゃがんだ。

 赤や黒の金魚を真剣に見つめる友奈の屈んでいる姿を見ていると、

 浴衣の隙間から彼女の白いうなじや肩甲骨が覗き込めたので、ジックリと覗いていると、

 

「―――――、やったー! 二匹目。見て見て!」

 

「―――――ん」

 

 唐突にこちらに顔を向けて、あどけない笑顔を俺に見せた。

 友奈の無邪気な笑顔は、浴衣姿も相まって、いつもよりも眩しく見えた。

 そんな彼女の行動に対して、俺は咄嗟に言葉を紡げなかったが、

 

「ええ、見てたわよ友奈ちゃん。凄いわ! その調子よ」

 

「えへへ……よーし、三匹目いくぞー!」

 

 再び金魚に向きあう友奈の後ろ髪のショートポニーテールが揺れる。

 そんな中で、東郷がにんまりとした笑みを浮かべてこちらを見上げた。

 計算した訳ではないだろうが、車椅子に座る彼女は上目遣いで俺を見上げる。

 

「今、ひょっとして友奈ちゃんに見惚れたの……?」

 

「―――いや。簡単にすくうものだなって思っただけさ」

 

 妖艶に笑う東郷もまた、和の服装と調和した雰囲気を感じる。

 そんな彼女を見下ろしながら、俺は特に意味もなく顎をさする。

 見下ろす紅の瞳と見上げる深緑の瞳が交差する。

 持っていた団扇で東郷に向かって扇ぐと、少女はなびく黒い髪を押さえる。

 

「顔、少し赤いけど大丈夫?」

 

「―――東郷さんって本当に浴衣姿が似合うよね。本当に東郷さんほど浴衣姿が似合う少女はいないと俺は思うんだ。東郷さんこそ大和撫子の称号が相応しいと俺は思いますね」

 

「ふふっ、ありがとう。それで話の続きだけど」

 

「……」

 

 ちなみにこの後、友奈は四匹の金魚をすくった。

 真横に陣取る彼女たちに優しく見守られながら、一度も俺は金魚をすくうことはできなかった。

 すくった金魚達は、友奈の家では飼えないので屋台の方にリリースした。

 

 

 

---

 

 

 

「東郷さんの射的、凄かったねー」

 

「そうだね、凄すぎて背後に立つことを少し躊躇したよ」

 

「もう、二人とも褒めすぎよ。あんまり褒めると撃ちますよ」

 

「……ん?」

 

 ほんのりと頬を赤らめながらも満更ではない表情をする我らがスナイパー。

 少しよく分からない返答をスルーしながら、集合場所に向かう。

 今度は遅刻などすることもなく、さりとてあちらも遅刻することは無かった。

 

「いやー、ガッツリ食べたわ。これで更に女子力が上がったってもんよー!!」

 

「食べすぎだよ、お姉ちゃん」

 

「風ったら、屋台の食べ物を食い漁って大変だったのよ……」

 

「わー、凄いですね先輩」

 

 満腹になったのか至福の笑みを浮かべ、満足気に頷く風。

 反比例するようにやや消耗した夏凜に、煮干しを粉状にして塗した焼き鳥をプレゼントする。

 正直意味の分からない品だったが、お詫びも込めてプレゼントする。

 

「うん、美味いわねこれ」

 

「それどこで売ってた奴?」

 

「お姉ちゃん、そろそろ自重しようよ……」

 

「――――冗談よ。おっとそろそろ花火の時間ね。各自準備はオッケー?」

 

「おっけーおっけーよ、先輩」

 

 白いわたあめを風にプレゼントすると、なぜかシリアスな顔をして一口。

 無言で一口、白い雲が赤い唇に切り取られていく。

 買ったのは俺なのだが、口周りがベタベタするし、正直わたあめはあまり好きではない。

 甘い物は好きだが、一口だけ食べて、後は風にプレゼントという形である。

 

「はむ。―――うん、美味しいわね。部長ポイント3点与えよう」

 

「何、そのポイント」

 

「合計が100点になると次期部長になれる」

 

「はあっ!?」

 

 唖然とする夏凜から目を離し、空いていたベンチに思い思いに俺たちは座る。

 これから花火という火の奇怪であり怪美な魔術の時間が始まる。

 花火は人々を魅了し、人々に生きる希望を与え、人々に明日を生きる思い出をもたらす。

 

「―――――」

 

 どこまでも広がりを見せる無限の闇。

 星などなく、暗い昏い闇夜は、何者の干渉も受けつけない。

 

 雲もなく。

 星もなく。

 月もなく。

 

 そんな闇夜を切り裂くように、胸に広がるような爆音が響いた。

 天を目指すように一筋の光が立ち昇る。同時に、夜空に花が咲いた。

 

 紅の花だ。満天に開く名花のような花火に、俺は目を奪われた。

 花に続くように凄まじい爆音が絶え間なく空に裂ける。

 流星、五葉牡丹、花ぐるま。花火に重なる花火を。

 

 法則性を壊す滅茶苦茶な火の乱舞。多くの色が踊り狂い、夜を明滅させた。

 花火は一滴一滴が息を呑むほど瞬き、煌めいた。

 

「綺麗ですね……」

 

「そうね~」

 

 樹がポツリと呟くのに風が相槌を打つ。

 確かに綺麗だった。幻想的な風景には目を奪われた。

 夜風により僅かな火薬の匂いが鼻腔をくすぐるため、団扇を扇ぐ。

 

「…………」

 

 なんとなく夜空を仰ぐ彼女達の姿を見つめる。

 暗い中で、彩色の多い花々が放つ光に、乙女の姿が照らされる。

 

 風も。樹も。夏凜も。東郷も。友奈も。

 皆が楽しそうに笑っている。

 

「平和だなぁ」

 

 そんな言葉がこぼれた。

 

 

 

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そんな暖かで、ささやかな幸せを、亮之佑は見ていた。

 

 自分がなぜこんな場所にいるのか分からなかった。

 実は既にバーテックスに攻撃を受けているのもしれない。

 だが、これが夢であると断言するには、あまりにも残酷な物を見せられていた。

 

 ここはどこなのか。

 夢か現実か。満開の後遺症でよりにもよって脳の大事な部分が壊れてしまったのか。

 目の前に広がる心地の良い彩りに溢れた世界を、亮之佑にはどうにも区別できなかった。

 

 冷たいベンチに亮之佑は座り込んでいた。

 コレは決して考えるべきではないだろう。一番見てはならないものを見せられた。

 イカれた妄想に侵食されたのか、現実が何者かに侵食されたのか。

 判断できなかった。

 

 空を見上げると、闇夜の中で色彩のある花々が目に映った。

 久しぶりに見るモノクル越しではない彩りに溢れたこの世界は、とても美しかった。

 だからつい、こぼれてしまった。

 

「もう、いいかな……」

 

「……だめだよ~」

 

 ――――こぼれた弱音を否定する誰かがいた。

 

 薄紫の袖口から伸ばされた柔らかな白い両手が、眼に映ると同時に両目をふさがれた。

 暗くなる視界の中で、亮之佑はその声を聞いた。

 

「だーれだ?」

 

「――――ぁ」

 

「約束を忘れたら許さないよ、かっきー」

 

 柔らかな感触を背中に感じた。あまやかな声が心を震わせた。

 背後にいる誰かの、鈴の音を思わせる、どれだけ望んでも逢えなかった愛おしい声を聞いて。

 

「―――――」

 

 亮之佑の頬を、涙が伝った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第四十話 甘い悪夢が私を安らげる」

 随分と懐かしい声だと思った。

 あの頃は携帯端末なんて持ってなく、写真を両親が撮っていた程度だ。

 そのアルバムも、今は実家にあるはずだ。

 

 彼女と共に過ごした日々は、ずっと変わらない物だと思っていた。

 その日々が終わってもう4年。いつの間にか4年も経過していたのだ。

 それだけの年数が経過したならば、家族ですら疎遠になる事すら珍しくない。

 でも、ある意味良かったのかもしれない。

 

「―――――」

 

 だって鮮明にその声を、その瞳を、その姿を思い出していれば、きっと耐えられない。

 だからこそ、日常生活では思い出さないようにしてきた。

 

 彼女の事を思い出してばかりいたら、きっと歩けなくなる。

 後ろばかり見て、後悔ばかり思い出して、過去ばかりを振り返ってしまう。

 それでも夢に見た時もあるのだが。

 

 周りにはそんな自分を心配する優しい人もいた。

 だから前を見て歩いてきた。決して優しい過去の想いに囚われないように。

 叶うか分からない約束を、他力本願な祈りを抱き、後悔を引き摺ってきた。

 

 ベンチに座りこむ俺に後ろから声が掛けられる。

 その甘い囁き声に、俺は鼓膜を、心を震わせられる。

 

「―――花火、綺麗だね~。そう言えば結局かっきーとは花火大会には行けなかったもんね」

 

 慈しみに溢れた優しさが、親愛に満ちた熱情が、俺の中に流れる。

 それだけで何かが、己の欠けていた何かが、空っぽだった物が満たされるのを感じた。

 

 白い両手が眼から離れる。

 背中に感じていた微熱が離れたことに寂しさを感じたが、

 そんな思いを知ってか知らずか、薄紫色の浴衣を着た彼女が当たり前の様に隣へ座った。

 

「どうして……」

 

「いつだって、私はかっきーの傍にいるよ~」

 

「だってお前はいないはずじゃ……、そんな都合の良い事が……」

 

「この世界だって随分と都合が良いと思うけどな~」

 

「―――――」

 

 顔を上げる。

 そうして涙で歪んだ視界の中で、黄金の色が映る。

 僅かな風が甘い柑橘系の匂いを運び、鼻腔をくすぐる。

 

「園子」

 

「そうだよ。私が、乃木さんちの園子さんだよ~」

 

 服の袖でにじむ涙を拭うと、琥珀の瞳と目が合った。

 ようやく俺は、こちらに両手を広げている、求めて止まなかった姿を見た。

 

 逢いたかった、園子の姿を。

 

「その、こ」

 

「――――うん、園子だよ。かっきー」

 

 いつの間にか、爆音が止んでいた。

 色彩に溢れた花々が舞い散り、闇夜が再び台頭する中で、

 そんな事にすら気が付かないほどに、俺は目の前の少女を見据えていた。

 

 彩りに溢れた世界は、俺に優しかった。

 この世界で生きている中でも、前後の記憶を少しずつ思い出していた。

 

 その記憶に潰れて、この光景に甘やかされて、俺はこの場所に沈み込んでいたらしい。

 この世界に溺れることを是としていたのだ。

 ソレを目の前にいるはずの無い存在が教えてくれた。

 

「―――――」

 

 ほんわかとした笑みを浮かべた少女が隣にいる。

 それだけで心に堪る鬱積が減るのが分かった。それだけで俺は堪えきれずに泣きそうになる。

 ベンチに根差す様に座り込み、俯く俺の冷えた手に触れて、園子は下から見上げる姿勢で、

 

「かっきー、大丈夫? もう、疲れたの~?」

 

「どう、だろうな。疲れたのかも、しれないな……」

 

 疲れたというのならば、それは勇者部の皆も同じはずだ。

 決して俺だけのはずがない。

 

 友奈達は勇者の御役目をするにあたって、何かの報酬を求めた訳でもない。

 名声も、地位も、金銭を求める訳ではなく、ただ日常に住まう人々の為に力を奮った。

 それだけだ。彼女達にとって為すべきことを為しただけ。

 つまり――――

 

「俺が悪いんだよ」

 

「―――――」

 

「あの時、蛇遣座の攻撃に対して予測を立てて、先に星屑を撃退していたら」

 

「―――――」

 

「あの時、さっさと躊躇わずに満開していたら」

 

「―――――」

 

「そしたら俺は、綾香も、宗一朗も、いずれ出来るかもしれなかった兄弟も失わずに済んだのに」

 

 油断をしたつもりなんて無かった。

 初見の相手だったと言い訳をするつもりもない。あの戦場で、俺は神樹や勇者の方を優先した。

 その結果、星屑やバーテックスによって攻撃された樹海が戦闘終了後に再変換されたら、

 一体どこに影響が表れるかも、俺は分かっていたはずだというのに。

 

 蛇遣座より前の戦いでも、樹海への執拗な攻撃はあった。

 それによって多くの死傷者が出ていたのをメディアを通じて俺は見ていた。

 正直言って被害状況をテレビで見ても、俺はこう思っていた。

 “よりにもよって、自分の親が被害に遭うことは無いだろう”と、根拠無き思いを抱いていた。

 

 戦う度に増える犠牲者の数を見ながらも、正直どうとも思わなかった。

 多少の犠牲はつきものだ。なんせ守らないといけないのは世界なのだから。

 その結果が、コレだ。

 

「俺が悪いんだよ……、俺が、いつだって俺が……悪い」

 

 手が冷える。

 どれだけさすっても、あの冷たさが手から取れない。

 

 

 

---

 

 

 

 俺にとって、綾香と宗一朗は『いい奴ら』であった。

 生前、亮之佑である前の俺の親は、世間一般で言えば毒親でしかなかった。

 数字や成績、結果といったものに拘り、俺を見ることは無かった。

 そして最後には切り離され、見放されたのだ。

 

 だからこそ。

 この世界に生まれ出でた後、彼らと暮らすことになっても、俺は彼らを親としては見なかった。

 精神年齢は2人よりも上でありながらも、肉体年齢は彼方が上であるという関係。

 

 共同生活の中で、時々子供ではありえない事をやっていた。

 何度か子供のように馬鹿みたいな振る舞いをしようとして失敗した事も多々あった。

 その度に、変な目で見られるのではないかと焦り怯えていた。

 

 だが、そんなちぐはぐな状態で生まれた俺を、彼らは暖かく迎えてくれた。

 友達でもなく、自分たちの家族として。

 親が子供を受け入れるように。

 当たり前のように、自らの子供として、少し可笑しい俺を受け入れてくれたのだ。

 

 この世界で本当に信頼できるのは、園子や友奈を除けば彼らだけだった。

 それだけの長い年月を彼らと共に築き上げてきた。

 思い出を作り、感情を混じり合わせ、家族としての絆を育んできた。

 

 綾香からは料理を教わった。

 宗一朗からは武術を教わった。

 

 あの頃は幸せだった。

 生前の家族とはこんなに話をしたことも、笑い合ったことも無かった。

 彼らはこんな歪な存在に対して、不気味がらずに接してくれたのだ。

 

 思い出すともう止まらなかった。

 

 綾香は。

 彼女は良い母親というモノを俺に教えてくれた。

 物腰の穏やかな彼女の性格は、人を信用できない俺に時間を掛けて優しさを注いでくれた。

 

 確かに宗一朗の女関係に関する話では性格が変わったように豹変するが、

 あれが初代の言っていた愛なのだろう。

 愛ならば仕方がない。浮気する様な屑が悪いのだ。

 

 宗一朗は。

 正直に言うと、俺は宗一朗を良い父親であるとは思ってはいなかった。

 当たり前だ。どこの世界に複数人との浮気をする男がいるのだ。

 その果てに自分が生まれたと聞かされた時の株価の大暴落は凄まじかった。

 ぶっちゃけ武術関連とプレイボーイの技術以外では全く尊敬していなかった。

 

 だが、そんな彼とは異様に話が合った。相性が良いと言うべきか。

 やはり宗一朗も綾香ほどの美人を捕まえるだけはある。

 女を落とす為のいろはという物をコッソリ教えられた。

 そんな彼とは、父親よりかは変態な友人として接していたし、随分と毒されたと思う。

 

 俺はそんな彼らが好きだった。

 

 彼らと過ごす毎日が好きだった。

 あの屋敷で武術の稽古をして、綾香の手料理を食べる。

 時々安芸先生の授業を受けて、園子の家に行く。

 

 そんな日常だけで十分だったのだ。

 

 宗一朗も綾香も、あっけなく死んでしまった。

『――――加賀宗一朗さん、加賀綾香さんの死亡が判明しております』

 テレビを見た時に何が起きたか分からなかった。

 心臓が急に痛くなった。脳を叩く不快な音がした。彼らが死んでしまったと認めたくなかった。

 

 もうあの日常は戻ってこないと。

 二度と彼らに生きて会うことができないのだと、理解したくなかった。

 

 勘弁してほしい。

 俺が一体何をしたっていうのだろうか。

 ただ俺は、明日を求めて必死に戦っただけなのに。

 

 考え方が甘かったのだ。

 俺は選択を誤った。

 戦いの結果、俺だけが一人取り残されたのだ。

 俺は宗一朗にも、綾香にも、何一つ返せていない。

 

 戦いに挑む前、タクシーに乗る彼らを思い出す。

 宗一朗、お前言ったよな。

 あの時、「お前はもう一人前で立派だ」と。そう言ってくれたよな。

 そう言ってくれて嬉しかったさ。

 

 俺は彼らの子供として成長して、いつかは結婚して、老人になった彼らに恩返しをしたい。

 そう漠然と思っていた。

 だというのに、俺は大切にしていた物すべてを一気に失ってしまった。

 次に会う機会は、ない。

 

 彼らに何も恩を返せなかった。一つでも何か恩を返すことすら叶わなかった。

 それを理解したら、涙が止まらなかった。

 

 もしも、もしも、もしも。

 何度も何度も俺は考えていた。でも遅いのだ。

 

 どれだけ考えても。

 どれだけ後悔しても。

 どれだけ涙をこぼしても。

 もう遅いのだ。

 

 

 

---

 

 

 

 自らの罪を告白する。

 失ったことへの後悔に苛まれ、考えて、悩んで、いつの間にかこの場所に来ていた。

 誰も傷を負わず、誰も死なない。

 平和な世界で、日常を謳歌して、大切な人が生きて笑っている。

 

 そんな甘く優しい夢を、いつからか俺は見ていた。

 俺には見る資格なんてないのに。この優しい悪夢が俺に安らぎをくれた。

 目を覚まさないといけないのは分かっていた。だけれども、俺は立ち上がれなかった。

 

 目の前に広がる光景が、俺が間違えない選択をした世界なのだ。

 だから、間違った選択をした馬鹿者を殴り飛ばして欲しかった。

 自分で自分を傷つけて壊す前に、罪を告白することで、お前のせいだと断罪して欲しかった。

 

 そんな醜悪で矮小で愚かな少年の吐露に対して、金髪の少女は何も言わなかった。

 肯定をする訳でもなく、否定する訳でもなかった。

 ただ――――

 

「―――――ぁ」

 

 ただ亮之佑は、少女に優しく抱擁された。

 気休めを言うことなどなく、分かっているよなどと言うこともせず。

 ただ、傍にいて抱きしめてくれた。

 それだけで、身体に感じていた重さが霧散していくことを感じた。

 

「―――――泣かないで、かっきー」

 

「その、ちゃん」

 

「私は知っているよ、かっきーがどれだけ必死に戦ったかを。どれだけ懸命に頑張ってきたかを」

 

「うそだ」

 

「嘘じゃないよ〜。直接は見なくたって分かるよ。だってかっきーだもん」

 

「……」

 

 会話が噛み合っているようで噛み合っていない話し方に懐かしさを感じる。

 額を突き合わせ、眦を和らげ、琥珀色の瞳を潤ませる。

 自らの眼に映る全ては、間違いなく乃木園子だった。

 

「何で園子が泣いているのさ」

 

「だって、かっきーのお父さんもお母さんも私会ったことあるから。私も悲しいよ……」

 

「―――そっか」

 

 透明の液体が琥珀の瞳からこぼれ、白い肌へ流れていく。

 園子も悲しんでくれているのだ。

 また視界が滲むと、抱きしめられた。

 

「かっきーは悪くないよ」

 

「―――――」

 

 園子は言ってくれた。俺は悪くないという慈愛に満ち溢れた言葉に、心が震える。

 本当にそうなのだろうかと俺は思う。

 それでも、いつまでもうじうじと、過ぎたことを言っていても仕方がないとも思う。

 結局は乗り越えるしかないのだ。

 

 そうして二人で涙を流して、ずっと抱き合っていた。

 涙が枯れるまで。

 

 

 

---

 

 

 

 ベンチでひとしきり泣いた後。

 俺達は、肩を寄せ合うように座っていた。

 いつの間にか世界は静かだった。誰もいなかった。

 

「―――――」

 

 少しだけぼんやりする思考のままで、昏い夜空を見上げる。

 星は見えない。雲もない。

 そんな中で見る月の姿に、夜空に見覚えを感じた。

 ふと隣を見ると、いつの間にか園子がかき氷を食べていた。

 

「……? はい、かっきー。あーん」

 

「あー」

 

 こちらの視線に気がついた園子はプラスチックのスプーンで氷をすくい、こちらに運ぶ。

 されるがままにしていると、乾ききった口内を冷たくシャリシャリする氷が潤いをもたらす。

 シロップの味は何とも言えない物だった。

 

「美味しい」

 

「でしょ~?」

 

 そのまま園子が自分の口に氷を運びながら、

 「これって間接キスだね~」とほわほわした笑みを浮かべて言う様子に俺は苦笑して応じた。

 

 しばらく静かな空間が出来上がる。

 そんな中で響く音は、園子がせっせと口に氷を運ぶ音だけだ。

 身体に感じる柔らかで暖かな肌の温もりに意識を微睡ませていると、

 

「かっきー、私のことは好き?」

 

「相変わらず唐突な……。好きだよ」

 

「かっきーは私との約束を守らないで、この場所に一人で沈むような薄情な人なの? 針千本飲ますかな~」

 

「……それは勘弁だな」

 

「でしょ~! だからね……」

 

 かき氷の容器を空にした園子は、ベンチに座る俺の前に屈み込む。

 同じ目線で顔の距離が近い中、細い指が俺の頬を撫でる。

 泣いて枯れ木のようになった俺に、

 

「私はかっきーに会いたいけど会えないから。かっきーから来て欲しいな~って思うんだ」

 

 ――――俺がここから再び立ち上がる理由をくれた。

 この甘い夢から目覚めても、折れないように。

 それが分かった。失った物は多いが、それでも残っていた物があることを思い出せた。

 

「……そうだな。一緒に線香花火をするって約束、したもんな」

 

「忘れたって言ったら許さないところだったよ~」

 

「それは怖い」

 

 足に力を入れ、重い腰を上げる。

 そうしてベンチから立ち上がると、気がつくことがある。

 

「園子……まさか成長止まった?」

 

「その言い方はないよ〜かっきー。この姿が一番、かっきーにとって印象的だったのかもね~」

 

「はあ」

 

 そう言って、その場でクルリと回転する浴衣を着た園子の姿は少し幼く感じた。

 単純にこの頃の園子の記憶しか持っていないから、ちんまりしているという事だろうか。

 背丈があの頃と変わらないからか、俺の身長よりもだいぶ低かった。

 

「かっきーは大きくなったね~」

 

 そうして手を差し出してくる。

 差し出された園子の白く柔らかな手をとり、俺達は夜の沿道を二人だけで歩き出した。

 月明りが道を照らす。向かう場所は分かっていた。

 気が付くと、あれだけいた人々は影も形も無かった。

 

「そう言えば、身長の差って15センチがベストらしいって~」

 

「へー」

 

 他愛ない世間話をしながら目的地へと向かう中で、俺たちは次第に無言になった。

 気まずい無言という訳ではない。

 ただ、彼女の手のひらから伝わる肌のぬくもりだけで十分だった。

 やがて辿り着いた場所は、加賀家の家だった。

 

「ここまでかな~」

 

「そっか……」

 

 別れの時は早かった。門扉の前で向き合う。

 夜風が彼女の金の髪を揺らす中で、早口に告げる。

 

「園子、俺は忘れない。俺はお前を忘れない。すぐに会いに行く」

 

「―――うん。私もかっきーの事を片時も忘れたりなんてしないよ~」

 

 手のひらに感じる暖かなぬくもりが離れる。

 最後に少しだけ話を続ける。

 

「そういえば、お前って……」

 

「うーんとね〜。私の所持している精霊に……まあ説明はあっちでするよ~」

 

「そっか。園子、俺がお前に会ったら何をして欲しい……?」

 

「えっ、そうだね~。うーん……悩むけど」

 

 唇に手を当てて、しばらく考える園子だが。

 やがて思いついたのか、小首を傾げて口を開く。

 

「私の傍にいて、一杯お話をしたいな~とか?」

 

「分かった」

 

 門扉を開け、家の扉に向かう。

 もう振り返ることはなかった。

 

 

 

---

 

 

 

「ただいまー」

 

 綾香が俺を迎え入れた。

 靴を脱ぎ、居間へと向かうと2人がいた。

 居間の戸口に立って彼らの顔を見る。

 

 新聞を読む宗一朗。

 編み物をしている綾香。

 そっとテーブルに巾着を置き、お土産に屋台で買った物を置いておく。

 

「おっ、焼きうどんか……いてっ」

 

「こらっ」

 

 目ざとく見つけた宗一朗が手を伸ばすが、綾香に手をはたかれる。

 叩かれた手を振り息を吹きかける宗一朗を無視しながら、綾香が告げる。

 

「おかえり、夕飯あるけど食べる?」

 

 ほんのりと薄くも上品な笑みを浮かべて、綾香はおかえりと言った。

 俺はそんな彼らの姿をジッと見てから、ゆっくりと首を横に振った。

 

「もう食べたから……でも、ありがとう」

 

 これ以上いると、本当に抜け出すことが出来なくなる。

 拳を握りしめると、微かな熱が俺を動かした。

 可能な限りの笑みを浮かべる。

 

「父さん、母さん……ありがとう。―――――愛している」

 

 最後に俺の告げた言葉に、彼らがどんな顔をしたかは見なかった。

 居間に背を向けて走る。走った。

 決して後ろを見ることだけはしなかった。

 二階へと駆け上がり、自らの部屋の扉を開けた。

 

 それで何かが終わった。

 決定的な道が決まったのだ。

 

 

 

---

 

 

 

 扉を開ける。

 そこは、暗闇に満ち溢れた世界であった。

 草木溢れる草原に、虫や生命などは存在しない。

 

 冷たくもなく、温かくもない風が草木や己の頬を撫でて空へと駆け上った。

 ここの夜空には雲は無い。星もない。あるのは月だけだ。

 夜空はどこでも変わらないらしい。

 月の青白い光に照らされて、銀色にもピンク色にも見える桜の大樹が、世界の中心にそびえ立つ。

 

 本来ならば草木が避けて道を作り出し、来訪者が丘を登るのだが今回は違った。

 丘の頂上。

 この世界の王が背を向ける桜の大樹。

 その木から入る形になった。

 

「……」

 

 無言で扉を閉めると、扉は大樹の一部と化した。

 ソレから目を離して、

 椅子から立ち上がり、歓迎の意を示しこちらに笑いかける王を見つめた。

 

「―――――やあ、再覚醒おめでとう」

 

「……」

 

「およそ12回目……いや13回目か。予想よりも少ないが、今回は彼女に感謝するといい」

 

「……」

 

 白い椅子に手を置く黒髪の少女。

 白いテーブルの端にあるランタンは燈色の明かりを照らし出す。

 

「さて、それじゃあ始めようか」

 

 こちらを見据える指輪の世界の王の瞳は、

 こちらを嗤って見る少女の瞳は、

 血の色をしていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第四十一話 溺れる者は、悪魔の手を掴む」

誤字報告感謝です。ありがとうございます。


「……」

 

 目の前の少女を見る。

 優雅な姿勢を解くことはなく、少年の視線を身に受けながらも王は椅子に座り直す。

 青白い月光に照らされ、時折銀色にも見える黒髪の先を弄りながらこちらを見てくる。

 

「言いたいことや聞きたいことがあるかもしれないが、まずは座ってくれるかな……?」

 

「……ふん」

 

 この世界では王の言葉が絶対である。

 抵抗したいのは山々だが、突っ立っていても埒が明かないことも確かだ。

 そそくさと向かいの空いている椅子に腰を掛ける。

 

「初代、ここは指輪の世界であっているんだよな……?」

 

「そうだよ。夢の続きかと思ったのかい? 先程のキミがいた場所も紛れもなくこの世界の中での出来事だ」

 

 初めて開かれた夜会で、初代は確かこう言っていた。

 ここは俺の経験した事を元に再構築された世界であると。

 だからなのか、俺が初めてここを訪れた時、戸惑いはあれど違和感は感じなかった。

 

「まさか、あんな場所がここにあったなんてな」

 

「簡単に言うと、この世界が変化せざるを得ない状況に追い込まれていたということさ」

 

「どういうことだ」

 

「キミは覚えていないのかい? それともショックで思い出せないのかな? およそ2日前のことを」

 

「……まて。初代、今日はいつだ?」

 

 そう俺が問いかけると、ジッとこちらを紅の双眸が見てくるが、

 やがてため息をついた後、白いテーブルに頬杖をつく。

 目を少し細めて初代は告げる。

 

「今日は8月26日。蛇遣座との戦闘からもう1週間と2日が経過したよ」

 

 

 

---

 

 

 

 知らない内に1週間が経過していたらしい。

 しばらく無言で目の前の少女に言われた内容を反芻するが、残念ながら記憶がない。

 今の俺が思いだせるのは、最後にテレビを見て、紙コップを投げつけたことだ。

 その後、確か禿げ医者に連れられて、安置されていた冷たい彼らを見て触れたのが最後だ。

 

「ちょっと記憶がないんだが……。まさか満開の影響か?」

 

「それはないだろう。満開の後遺症はおそらくだが使用後すぐに現れる。単純にキミの場合は記憶が途切れ途切れなだけだろう」

 

 俺の意見にやや呆れた風な様子の初代であったが、

 しばらく物思いにでもふけるような顔をした後、指を鳴らす。

 その途端、白いテーブルには茶色の液体が入った白いマグカップが現れる。

 それを見下ろすと、初代が手袋に包まれたその手をこちらに向ける。

 

「ん? 急にどうした?」

 

「カガワ☆イリュージョン」

 

「……うん」

 

 一瞬、会話の文脈がおかしくなったが、特に気にはせず忘れる。

 ぼんやりと勧められるがままにマグカップを手に取る。

 

 カップに注がれた液体を見つめると、

 ふと液面に波が立っており、自身の手が震えていることに気がついた。

 震えを誤魔化す様に無言で一口飲むと、甘い液体が舌の上を奔りぬけ胃へと流れ落ちた。

 

「話を続けよう。キミの記憶は宗一朗と綾香が死んだ時、安置室で確認したのを最後におぼろげであると」

 

「ああ……、だがそれが何の――」

 

「いつもよりも思考が鈍っているね。仕方がないから出来るだけ端的にここまでの状況を教えてやろう」

 

 そう言って、白い受け皿に白いカップを置いた初代は語りだす。

 初代は俺がここに至るまでの状況についてを、記憶の穴を埋めるようにしてゆっくりと語りだした。

 俺はそれに対して相槌も打たずに無言で聞く。

 

「遺体がキミの両親である確認が終わった後、直ぐに葬儀が行われた。あの二人がもしもの時に備えて準備していたのか、大赦の手続き等の手配もあって葬儀諸々も終えた。加賀家の遺産は一人っ子のキミの物になった」

 

 その言葉に、僅かにだが思い出す。

 確かに自分は立ち会った。思い出してきたことを確認する。

 

「問題はその後だった。キミもショックを隠せなかったのか、それから家に引き篭もるようになってね。ほとんど廃人のようだったよ」

 

 今度は何も思い出せなかった。

 ただ、なんとなくどこかで毛布に包まっていたような、おぼろげな感覚だけがある。

 

「呼びかけに答えず、あのまま食べ物も食べず、暴れて、寝て、起きて、座るだけ」

 

「……」

 

「やがて『旅に出ます』と紙に書いてキミは非行少年になって出ていき、そしてどこかの場所で力尽き、果てしない後悔によって覚めない夢を見るようになりましたとさ。おしまい」

 

「いやいや、最後のオチは嘘だって。多分だけど」

 

「さあ? 恐らくだけど、結城友奈あたりに自らの情けない姿を見せたくはなかったんじゃないかな。もしくは心配させたくはなかったとか。いずれにせよ、部屋は大荒れだったし無駄だと思うけども。尚且つ彼女は合鍵を所持している。引き篭もり戦術は彼女には通用しないから、顔を合わせる前に脱出したんだろうね」

 

「……」

 

「凄かったよ。何を言ってもぼんやりして、他の人の声も平然と無視している癖に、彼女の声が聞こえたら即座に道具を持って窓から離脱。奇術の癖が完全に身体に染み込んでいたね」

 

 正直、初代の言っている言葉を鵜呑みにするべきではないが。

 それでも絶対に無いとは言い切れない話で、自分ならやりかねないと思ってしまった。

 

「それで、お前が俺にあの夢を見せたのか」

 

「少し違うかな。キミの心があまりにも衝撃を受けすぎて、この世界の景色すら書き換えてしまったんだよ。ただの夢ならこうはならない。キミの大きな後悔と指輪が共鳴し、自身の心を守る為の世界にするべく再構築を行った。それが今回の真相さ」

 

 初代が背にする桜の大樹。そこに視線を向けても扉の様な模様があるだけだ。

 話を終えた初代は、細く真っ直ぐな黒髪を指で丸めながら微笑を浮かべる。

 無言で謎の液体を飲む彼女を見ながら、俺はなんとなく顎を触る。

 

「つまり俺は現実逃避の為に、あの夢をずっと見ていたっていうのか。2日ぐらい?」

 

「そうだね。この世界の時の流れがあちらよりもゆっくりであれ、それなりに長い夢だったかな」

 

「……そうか」

 

 再びコーヒーもどきの何かを飲む。

 身体から再び湧き出そうな昏いモノを押し込むようにして飲み込む。

 一番聞きたいことは聞けたので、話題を変える。

 

「そう言えば……俺の満開について聞きたいのだけれども」

 

「正直答える義理も無いが、それに関してはボクが後で答えると言ったからね。うん、じゃあまずは勇者システムについてだが、あれは本来、適正値が高く無垢な少女にしか扱うことができないのは知っているね? 当然キミは男だ。少年というカテゴリーではあれど、“無垢”な精神性など欠片もなく、ましてや少女でもない。ここまではいいね」

 

「微妙に棘のある説明だが……その矛盾を俺と初代の因子を結ぶことで解消したんだろ?」

 

「そうだ。それによって初めてキミは勇者の装束を身に纏うことが出来るようになった。ただし端末の方に何かしらの制約が盛り込まれたんだろうね。拘束具が装着されていた為に他の兵装が解除できなかった。それと同時にイレギュラーである為に満開に対しても問題が発生したんだ。即ち、神樹からの満開用のエネルギーをキミの身体が受け付けなかったんだよ」

 

「それは、俺が男であるからか」

 

「それもあるけども、システムの根幹が違うんだよ」

 

「どういうことだ……?」

 

「彼女達の力の源は神樹だ。神樹を信仰し、神としての力を借りることで勇者システムが起動する。だけどキミの場合は大本が異なる。いいかい? キミの力の源はこのボクであって、神樹からは力を借りることはできないんだ。だからシステムとしてゲージが溜まった後、満開した時の神樹からのエネルギーは全てボクの下へと集まる。それらをボクが再変換してあげたんだ」

 

 初代は一息に喋ると、再びカップを傾けた。

 味を堪能するように長いまつ毛を震わせ、唇を湿らせる。

 次に口を開いた際、初代は俺にある問題を出した。

 

「ちなみに、現実のキミは端末を所持していない。だが実は変身はできる。それは何故でしょう」

 

「端末ではなく、お前の力を指輪を媒体にして受け取っているからか……?」

 

「正解だ」

 

 初代によると、俺の変身は指輪だけでも可能らしい。

 だが端末が無ければ精霊バリアが張られず、即座にハードモードへと変わるらしい。

 そして、端末があるから満開も行うことが出来るらしい。

 

「……」

 

「ほかに聞きたいことは?」

 

 自身の斜め前に座る初代は、こちらを見やりながら自らの顎に触れる。

 その姿を見ながら、俺はふと偽りの夜空を見上げる。

 

 星は見えない。

 雲も見えない。

 あるのは月が一つ。

 

 そう言えば、この世界に色があると気が付いたのはいつ頃だろうか。

 これに関しては推測が立てられる。恐らくであるが、満開の影響はここには及ばない。

 なぜなら、あくまで損傷を受けたのは肉体の方だ。

 魂にまでは影響を及ぼさないために、俺は眼に広がる世界の美しさを知ることが出来る。

 

「……」

 

「……」

 

 コポコポと白いマグカップから新たな液体が湧き出す。

 白い湯気がゆっくりと空へと立ち昇った。

 湯気を目で追いかけると、自然と沼地のように深い暗闇へと溶け込んでいった。

 

「最後に一つだけ良いか?」

 

「……どうぞ」

 

「バーテックスって、本当に13体だけで終わりだと思っていいのか?」

 

 それは疑問であった。

 同時にいくつかの経験と情報に基づき、ある程度の推測はしていた。

 この世界の王にして、誰よりも長く生きて多くの知識を有した存在に問いかける。

 今度は回答に少し時間が掛かった。

 

「―――壁の外を見ただろう? 世界は終わっていた。辺りは火の海。死と理不尽が謳歌している世界だ。さらに星屑が大量にいる。そして分かっていると思うが、バーテックスは星屑の集合体だ」

 

「―――――」

 

 その言葉だけで十分であった。

 決して否定して欲しかった訳ではない。

 かと言って、少女が終わったのだと肯定してくれるとは、正直あまり思ってはいなかった。

 

「あの満開システムは効率が良い。身体のどこかを売り払い、代わりに普通ではありえない神の如き力を得る。だがデータが不足しているのか、どうにも大赦に勇者が完全に消耗品扱いされている様に見えるね。まるで人柱だ。やっていることは屑にも等しいが、この世界を救うためにはどうしようもない。小さな犠牲で世界を救える。ああ、実に素晴らしいね」

 

 あくまで傍観者を気取り皮肉めいた口調で初代は語る。

 その姿に対して、俺は不思議と怒りといった物は感じなかった。

 むしろ、ここで声を荒らげて怒る彼女の方が想像出来なかった。

 

 満開システムを作っていたのは大赦だ。

 つまりは、その後遺症が起きる可能性についての情報も得ていたはずだ。

 だが風も夏凜も何も知らされていない。

 それはすなわち、大赦はこのことを勇者には伝えないという明確な意思があったからだ。

 

「……いや待ってくれ。まだ満開システムの後遺症が治らないと決まった訳じゃ……」

 

「キミは失くしたよ」

 

「―――えっ」

 

「気が付いていないだけで、何かを失くしたのかもしれない。見た目では分からない何かを」

 

「―――――」

 

「それに、東郷美森も後遺症の回復の経過を調べていたが、その後も他の勇者が回復する見込みは全く見られなかったのは聞いているんだろう? そしてあの巨大な力に対して何一つ代償がないとはボクは到底思えないけどね」

 

「―――――」

 

 そう。

 結局大赦にとって大事なのはこの世界であり、そこに住まう住人達だ。勇者ではない。

 大赦にとっての勇者とは、恐らく敵に対する武器でしかないのだろう。

 大赦は何も知らない多くの人を救うべく行動している。

 数人の無垢で無知な少女を犠牲に目を瞑り、与える情報を与えなかった。

 

 大赦は最初から一貫して行動している。

 やっていることは切り捨てられる側からすれば堪ったものではないが。

 それでも戦えない大人なりの合理性のある戦略だ。

 未成年の少女数人に人類の命運を託すなんて愚かな真似をしないという考え。

 正直言って、もしも俺が大赦側の人間であったなら、きっとそうしただろう。

 

「―――問題は山積みだ、どうにもならない物も多い」

 

「そうだね」

 

「敵も多いし、先行きも不透明だ。……参ったね」

 

 今後も満開を行えば、何かの後遺症が出る可能性が高い。

 しかも、敵の素は壁の向こうで消えていない為、いずれ復活する可能性が高い。

 そして今後も戦えば、迎撃する勇者の損失箇所が増えていくだろう。

 

 かつて壁を越えた時、多くの星屑を見た。

 今後もバーテックスは一時的に倒しても、消えることはないだろう。

 そうでなければ、神世紀が300年も続く訳がないのだから。

 

 更に言えば、これらの情報を勇者部が知った場合の反応が予想できる。

 友奈はともかく、東郷や風あたりの一人で突っ走るタイプは非常に面倒だ。

 言うべきか、否か。判断に迷う。だが黙っている場合のリスクもある。

 

 こうなると結局八方ふさがりだ。かと言って何かの希望があるとも思えない。

 

「そうだね。キミが守りたいと思うものに対して敵が多すぎる。尚且つ、このままでは彼女達の未来がない」

 

「……」

 

「なら半身。多くの絶望を抱えた中で、キミはそれでも彼女達を守りたい、と……?」

 

 これから先の絶望に俺は嘆きの声を上げる中で、

 唐突に当たり前のことを初代は聞いてきた。

 

「ああ、もちろんさ」

 

「それは何ものよりも大事かい……?」

 

 戦いの中で、いつの間にか大事なものを失くし過ぎた気がする。

 ただでさえ取りこぼして少なくなった大切なもの。加賀亮之佑が命を賭して守りたいもの。

 考えるまでもなく即答であった。

 

「そうだ」

 

「そうか……」

 

 その分かり切った質問に、俺が肯定の意を示すのを初代はジッと見ていた。

 紅の瞳を細め、ゆっくりと、噛み締めるように初代は言った。

 

「キミが大切なものの為に、多くの敵と戦うのをボクは見てきた」

 

「……」

 

「無知は愚かな罪であるが、知った真実を隠すのもまた一つの罪だ」

 

「何を言って……」

 

「掴めない星を掴むように必死に足掻いて、それでも取りこぼしたものもある。だがそれでもキミがひたむきに努力を積み重ね、戦ってきたのをボクは知っている。その過程を全てボクも共に目にしてきた」

 

「……」

 

「これは提案だけどね、半身。ボクとキミの完全な契約を交わさないか?」

 

「けい、やく……」

 

 その言葉には真面目な響きがあった。決して茶化す訳ではなく、むしろ真摯な物を感じる。

 なによりも、その紅瞳に強靭な意志を感じた。

 

「いつか言っただろう? 因子は直結しているが、不完全な物であると」

 

「それを完全にするのが契約か。それで何か起きるのか?」

 

「別にいきなり力が増すとかではないよ。ただ因子の完全な直結により、今後二度と大赦のシステム妨害に邪魔されなくなること。また困難に直面した時にはボクの力と知恵を貸そうじゃないか。この時代の神樹を崇める人間に話をすることが出来ずとも、キミと共に道を歩んできたボクとなら話を交わし、共犯者として解決策を導く手段を共に考えようじゃないか」

 

 そんな提案をする初代。

 唐突ではあったがその甘く耳朶に響く申し出に、俺はしばらくどう返答するか考える。

 初代のソレは敵を減らし、味方となることを確約する提案だ。

 

 空を見上げると、相も変わらず偽りの夜空が俺を見下ろしていた。

 月は変わらず青白い幻想的な色彩を誇っている。

 

「メリットは分かったが――――対価はなんだ……?」

 

「契約の内容の確認をするのは大事だよね。この状況で思考停止して頷かないのは素晴らしいと思うよ」

 

「―――で、対価は? まさか命とかか?」

 

「………。そうだね、対価はボクの望みをなんでも3つ叶えること、かな」

 

「……内容は?」

 

「まだ決めていないけれども、キミの人生の中で叶えてもらおうか。代わりにキミが死ぬまで傍に居て力と知恵を貸そう」

 

 こうして行き詰ったとき、道が見えなくなったとき。

 この夜空の下で、こうやって解決策を求めて有意義な話し合いができるなら。

 誰とも出来ない相談が出来るならば。

 

「分かった。契約はどうすれば出来るんだ?」

 

「―――完全な契約の為には因子よりも強力な繋がりの儀式が欲しい。詳細は後で決めるとして」

 

 目線で立ち上がるように初代が告げる。

 向かい合うようにして立つと、ちょうど同じくらいの背丈であることに気が付いた。

 目を閉じるように言われ目蓋を閉じると、声が聞こえた。

 

「汝、ボクと契約することを誓うか」

 

「――――誓おう」

 

 突然であった。

 唇に柔らかな感触が、火花のように貫いた。

 驚きと共に目蓋を開けると、

 

「覚えておくといい。誰よりもキミの傍にいるのは、結城友奈でも乃木園子でもない。このボクであることを」

 

 

 

---

 

 

 

 円鶴中央病院。

 ここは大赦が裏で経営する病院の一つだ。

 さりとて、何か明確に他の病院と異なる点は見られない。

 

 しかし、近年老朽化の為に全体的に改修工事がされた。

 その際に新たに入院棟が作られたらしいが、その実態は隔離棟である。

 優秀な医者や看護師がせわしなく動く中で、時折白い装束を纏った人物も見られる。

 

 ここは大赦の人間も常駐しており、病院の業務のいくつかも担当しているらしい。

 実態は不明であるが、噂だけなら多い。

 

 何かを護るように。もしくは侵入するモノを外に逃がさないようにする構造だ。

 とは言え、それは侵入の下手な人間にとっての話である。

 

 通常の業務が終わり、多くの人間が病院から去る中。

 大赦に所属する人間は、その表情を仮面の中に隠し行動する。

 一人一人に与えられし役割がある中、

 

「……ん?」

 

「どうした?」

 

「いや、何か物音がしたような」

 

「私語は慎め。どうした、高橋」

 

「班長! ……いえ、気のせいかと思うのですが」

 

 夜。

 大赦が保有する現勇者に対する切り札。

 ソレの世話や監視を行う部隊が、不審な音に関しての報告をしていた。

 

「了解した。では高橋、貴方が見てきなさい」

 

「分かりました」

 

 高橋と呼ばれた男は、大赦に加入してそれなりの年月が経過していた。

 ベテランとまではいかないが、中々のスキルや経験、知識を保有している。

 そんな真面目な彼は多くの神官の中から抜擢され、今回の業務に就いていることに神樹様に感謝していた。

 

「……何もなければ良いのだが」

 

 暗い病院の廊下を歩く。隔離棟であっても消灯時間は変わらない。

 そのため薄暗い中、仄かな月光とペンライトだけが頼りだが、

 

「神樹様、どうか私をお守りください」

 

 僅かにしゃがれた声でこの世界を護る偉大な神に祈る。

 やがて同僚らから離れて、音の発生源へと向かうべく角を曲がった。

 歩きながら高橋はふと、ここ最近発生しているというコインの噂を思い出した。

 馬鹿馬鹿しいと思いつつ、

 

「……? なんだ段ボールか」

 

 角を曲がった先に、人一人分が入れそうな四角の箱が廊下に鎮座していた。

 数秒だけソレを見つめ、戻るかと思い背をむけるが、

 なぜこんな場所に段ボールがあるのかと、今更ながら疑問が頭を過った。

 

「まさか、侵入者―――!?」

 

 振り返る余裕が無かった。

 腕に何かが触れたかと思うと同時に、男の腹と首に衝撃が奔った。

 

 

 

---

 

 

 

「どうだった……?」

 

「申し訳ありません。どうやら私の勘違いでした」

 

「そうか。いや、確認は大事だ。きっと疲れたんだろう。交代の時間だ、少し休むといい」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 言葉少なに、男は言われるがまま現場を離れる。

 廊下を歩き無言で目的の場所へと向かう。

 一度思い返して、トイレへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 やや小走りに、性格の生真面目さを隠さない歩き方をする。

 そうして隔離棟の最上階へと向かう途中の時だった。

 仮面を被りし者を止めるべく、やや歳をとった女が声を掛けてきた。

 

「止まれ。園子様に何用か」

 

「―――――はい。園子様にお伝え申し上げることがございました。至急お通しいただければと」

 

「分かっていると思うが、現在園子様は既に就寝の時間帯だ。日を改めて出直した方が良い」

 

 威厳を感じるその声に対し、ひたすらに仮面をとった女は平伏する。

 おそらくはここの統治者であり、大赦の中でも経験の豊富な名家の人間なのだろう。

 家柄の良さや、覇気といった格式の高さを老神官から感じ取った。

 

「承知しました。ではまた場所を、いえ時間を改めて」

 

 

 

---

 

 

 

 奔る指が止まる。

 

「この次の話でこの作品も終わりか~。結構な長編になったな~」

 

 既に時間は深夜帯であった。

 独り言はこの生活においては必需品であった。

 看護師の注意も無いままに、執筆意欲が湧く夜の時間帯は眠るという名目で部屋には誰も入れなかった。

 

 最初の頃は執筆活動もこの肉体ではなかなかに苦労があったが、

 今ではすっかりと慣れてしまった。

 

「やっぱりお話はハッピーエンドかな~。よきかな~」

 

 遂に少女の書いていた大作は感動のクライマックスを迎えていた。

 無口のお嬢様は望まない結婚をさせられるが、そこに執事が迎えにくる話だ。

 そのまま二人は……。

 

 本日の執筆活動を終えた園子は不自由な体を動かしてパソコンの電源を消す。

 そっと自らの目蓋を押さえると、視界は黒く染まる。

 そんな中で、ふと違和感を覚えた。

 

「……?」

 

 窓を見る。

 カーテンが開かれているのは、園子が望んだことだ。

 最近は閉じていた窓が僅かに開き、風にカーテンが揺れていた。

 

「……」

 

 先ほど、小さな蛍光灯も消してしまった。

 暗い部屋の中、無言で一人園子は窓を見た。

 僅かに開いた隙間から、風が入り込んでくる。

 

「貴方は、どちら様かな~?」

 

「誰かって?」

 

 ほんの少しの不安と、それを上回る期待。

 ここは最上階だ。尚且つ監視の目も厳しい。

 普通ならば入ってはこられないが、窓は先ほどまで閉まっていたはずだ。

 月明りが僅かに部屋に入り込み、園子はこちらに近づくその姿に不安が消えた。

 

「――――泥棒です」

 

「……かっきー」

 

 おどけた口調で話をする少年に。

 一度だけ見たことのある装束を着ている少年に、想いを乗せてその名前を口にする。

 

 風貌は僅かに変わっていたが、ソレはこちらも同じだ。

 色彩の異なる瞳へ、少年へと今一度園子は、色々な想いを乗せて話しかける。

 願わくばこれが夢ではないことを祈って。

 

「かっきー」

 

「久しぶりだな、園ちゃん。―――――キミに逢いたくて、俺は空を飛んでやってきたよ」

 

 血紅と琥珀の瞳が交差する。

 それは実に、3年ぶりの再会であった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第四十二話 真実へと至る道」

 加賀亮之佑が音信不通になった。

 その話を聞いて、友奈含めた勇者部は部活動を中止し、加賀家へと向かった。

 最近はぼんやりすることの多かった少年だが、しきりに「大丈夫」であると連呼していた。

 

 亮之佑の両親が亡くなったらしい。

 風が大赦から連絡を貰ったのと、東郷がインターネットでその情報を見つけたのは同時だった。

 なんともフォローのしにくい状況であったが、当の本人は平然としていた。

 

 だがソレは最初の数日だけで、最近は屋上からぼんやりと下を見るのが多くなった少年の姿に、

 友奈は不安を感じて一緒にいたのだが、3日前から風邪ということで部活には来ず、

 ついには1日前から連絡が取れなくなった。

 

 

---

 

 

 

 友奈が見上げる加賀家の家はいつもと変わりなくそこにあった。

 門扉に入り、それなりの装飾が施された玄関扉の前で家を見上げるのは、

 友奈、東郷、樹、風、夏凜といった、現在いない一人を除いた勇者部メンバーである。

 

「それで、どうする訳?」

 

「うーーん…………」

 

 やがて夏凜の疑問に、風は顔をしかめて腕組みをする。

 問題は相当デリケートだ。何せ亮之佑の両親が一気に亡くなったのだ。

 下手な慰めは逆効果でしかない。

 

 少年がどれほど傷ついたのかは、自分たちでは分かってやることはできない。

 気安く「分かる」と言ってはいけないのは、かつて両親を亡くした風だからこそ深く理解していた。

 

 時間の経過でどうにかなるのかもしれないが、

 少年の所属する部活の部長として、

 一人の友人として、今頃苦しんでいる仲間を見過ごせる訳がなかった。

 

「流石に夏凜の時と違って、亮之佑が家に入れてくれるかどうか……」

 

「亮くんって結構頑固な所がありますからね」

 

 風の呟きに反応するように車椅子に乗った東郷が答える。

 心配だからと依頼もそこそこに、こうして全員で亮之佑の家に来たのだが。

 先ほどから風がチャイムを鳴らしているが、応答の気配がない。

 

「参ったわね……。しょうがないから一旦帰りますか……」

 

「あの、風先輩」

 

「ん? どうしたの友奈? ……ってそれは―――!?」

 

 友奈がおずおずと出した白い手に載っていたのは、鈍い色をした加賀家の合鍵であった。

 もう2年も前になったのかと感慨深く、自らの掌に載るキーホルダーの付いたソレを風に見せる。

 

「えっと、鍵を亮ちゃんから預かっていて……」

 

「なんてこと……!! ここが二人の愛の巣だったなんて……」

 

「ち、違いますよぉ!」

 

 慌てて否定するが、風にからかわれると自然と顔に熱を感じた。

 その様子が風には珍しく感じられ、ついついからかってしまい、ソレは東郷に止められるまで続いた。

 

 「気がつくと後輩に抜かれていた……」と呟く風を尻目に、頬を赤らめた友奈は鍵を鍵穴に差し込む。

 もう何度も繰り返された動作に無駄はなく、鍵は容易に役割を果たし扉の開錠をする。

 いつも通りに開いたことを確認して頷き、友奈は部員たちの顔を見渡す。

 

「一応これで中には入れますけれども……いきなり大勢で押し掛けられるのは、亮ちゃんあんまり好きじゃないっぽいんですよね」

 

 実際に彼自身がそう言った訳ではない。

 勇者部の部員で休日に遊んだりする際に、たまにではあるが風の家や東郷の家が使用できない時、

 それなりに広い友奈のお向かいの家、つまり亮之佑の家に集うこともある。

 しかしそれらは、キチンと事前に連絡を入れた場合だ。

 

 なおかつ今回は事情が事情な為に、どうしても慎重にいかねばならない。

 友奈の申し出に神妙な顔をした風が頷き返す。

 

「確かに、全員で押し掛けるのも問題よね……。それじゃあ友奈、鍵開けたのはアンタだし、アイツも鍵を預けた本人なら問題ないでしょ。アタシらは一度ここで待っているから、確認を取る意味でもよろしくできる……?」

 

「よろしくされました。結城友奈、行って参ります!」

 

 なんとなく友奈が敬礼すると、敬礼を返す東郷が真剣な顔で、

 「友奈ちゃん、敬礼の角度はね……」と言い出したので、慌てて玄関へと転がり込み閉めなおす。

 

「ただいまー。亮ちゃーん、いるー?」

 

 ここの家主は友奈が家に来る時、「お邪魔します」ではなく「ただいま」の方が嬉しそうな顔をするため、友奈が入る時はこう言っているが、返事は聞こえない。

 

 玄関には彼の物……というか彼しかいないが、靴が置いてある。

 それを確認しながら、なんとなく居留守のような気がするので靴を脱ぐ。

 

 家主にしては珍しく廊下の隅に埃があるのを廊下を歩きながら感じつつ、

 リビングに入ると、思わず驚愕した。

 

「何、これ……」

 

 部屋は荒らされていた。

 泥棒かと思ったが窓はキッチリ閉められている。鍵も掛かっている。

 ひっくり返ったテーブルや椅子。まき散らされた本、割れた花瓶や皿。

 この家で見たことのない光景に、友奈はただただ唖然とした。

 

「―――――ぁ」

 

 誰がやったかなど、流石に友奈も分かっていた。

 全然「大丈夫」では無かったのだと友奈は理解した。

 もっと傍に居ればよかったのだと。

 もっとその言葉が本当かどうか、考えるべきであったと今更ながら後悔した。

 

「―――――」

 

 亮之佑の心を思うと自然と涙が溢れそうになったが、

 惨状たる光景から目を逸らし、後悔する頭を振る。

 今自分に出来ることは何かを考え、二階に通じる階段から上を見上げる。

 

「―――――」

 

 階段を一歩一歩確かめるように上がる。

 足を乗せると僅かに軋みをあげる中、手すりを掴み呼びかける。

 

「亮ちゃん……」

 

 やがて少年のいるであろう彼の部屋に着く。

 扉の前で立ち止まる。

 

 彼に対して、自分は何の言葉も持ち合わせてはいない。

 自分は亮之佑の様に両親を失った訳ではない。

 それでも、いつも通りにあろうとして、心が疲れた彼の傍にいたいと思った。

 たとえソレが自己満足でしかなかったとしても、仲間として、親友として、そして――――。

 

「亮ちゃん、開けるね……」

 

 そっとドアのノブを回し、開ける。

 最初に感じたのは、開いた窓から吹き込んだ風が自らの首を滑ったことであった。

 リビングと同様に随分と荒れた彼の自室。

 長い時間を共に過ごしたからこそ、綺麗好きな彼がこんなことをするなんて思えなかった。

 

 信じられなかった。

 大好きな彼がこうなっていたことに、実際に行くまで気が付けなかった己の無能さに対して、

 友奈は悔しさと悲しさと、何かの感情を奥歯で噛み締める。

 

 結論から言うと、部屋には誰もいなかった。

 代わりに机には紙切れが一枚置かれていた。

 近くに転がるペンで書いたのだろう赤い文字で一言、こう書かれていた。

 

「旅に出ます。お構いなく……」

 

 グシャグシャの紙切れの内容を読み上げると、

 開いた窓から、カーテンと自らの髪をなでる一陣の風が吹いた。

 

 

 

---

 

 

 

 亮之佑が失踪して、およそ二週間が経過した。

 あれから友奈は紙切れを勇者部の皆に見せて亮之佑の捜索をしたが、彼は一向に見つからなかった。

 東郷曰く、彼は現在端末を所持していないため、普段と異なり見つけられないらしい。

 

「大丈夫、友奈ちゃん……?」

 

「えっ? ――――大丈夫だよ東郷さん。亮ちゃんならその内帰ってくるよ……」

 

 心配そうな顔をする東郷に、あまり顔色の良くない友奈は慌てて笑顔を作る。

 亮之佑の残していった端末をなんとなく手の中で弄る。

 携帯とにらめっこしていた風も、やがてため息をついて部活メンバーを見上げた。

 

「大赦の方でも現在捜索中らしいって」

 

「私の方でも似た感じよ」

 

 風に同意する夏凜も携帯を自身の制服のポケットへと放り込む。

 奇術師である亮之佑は、勇者部の人間では姿すら見つけることができなかった。

 全くの目撃情報がないという。

 

「まるで雲みたいね、あいつって……」

 

 夏凜が呟き、煮干しの袋を開けた。

 いるのが分かっているのに、決して掴むことができない。

 心に染み渡る味わいを舌で感じながら、そんな思いと共に煮干しを噛み砕いた。

 

 

 

---

 

 

 

 加えて現在勇者部では一つの問題も抱えていた。

 それは亮之佑が失踪してから数日後のこと。風が勇者部の全員を呼びつけた。

 

「バーテックスには生き残りがいて、戦いは延長に突入した。まとめるとそういうこと」

 

 腕組みをした眼帯少女である風が椅子に座る面々を見回す。

 戦いは終わっていなかったらしい。

 部室の机の上に置かれたケースには6つの端末が収められていた。

 

「ホント、いつもいきなりでごめん」

 

「……先輩もさっき知ったことじゃないですか。仕方ないですよ」

 

「ま、そいつを倒せば済む話でしょ。今更生き残りの一体や二体どんとこいよ」

 

 謝罪する風に、フォローを入れる東郷や涼しい顔で煮干しを食べる夏凜。

 樹も同意するようにコクコクと頷き、喋れない代わりとして用意したスケッチブックに、

 『勇者部五箇条なせば大抵なんとかなる!! 』と書き込み見せた。

 

 そんなやりとりがあったが、敵の生き残りはなかなか来なかった。

 同時に友奈たちは部活の合間に亮之佑の行方も追っていたが、行方は掴めなかった。

 戻ってきた端末には、新たな精霊が追加されていた。夏凜を除いて。

 

 そしてそのまま夏休みが終わり、二学期が始まって数日後、バーテックスが攻めてきた。

 

 

 

---

 

 

 

 もはや恒例となった円陣と風の音頭の後、

 延長戦を終わらせるべく勇者たちは樹海化した世界で敵と対峙していた。

 端末によると、双子座【ジェミニ・バーテックス】と表記されている。

 

 これは表記のミスかと風は思った。

 だが、端末の表記は正しかったらしい。

 罪人のように両腕に枷をされた外見は、3メートルほどの外見も合わせて人のようである。

 

 ただ以前と異なっているのが体色で、以前の個体は白と灰色がほとんどであったが、

 今回のは見た目は瓜二つなものの、黒色と赤色という色合いであることが明確な違いだ。

 それが一目散に神樹様へと、時速250kmの速さを両足が作り出して向かっていた。

 その姿に見覚えのある風が隣にいた東郷に尋ねる。

 

「あの変質者ってさ、樹が倒さなかったっけ?」

 

「元々二体いるのが特徴のバーテックスかもしれません」

 

「二体でワンセット……双子ってこと?」

 

「いずれにせよやることは同じ! ―――――止めるわよ!」

 

「――――」

 

「――――」

 

 威勢よく夏凜が叫ぶが、その声に応える者はいなかった。

 疑問に思う夏凜であったが、この状況には見覚えがあることを思い出した。

 

 前回の戦い、蛇遣座【オフューカス・バーテックス】との戦いにあたって、

 勇者のジャンプ力でも届かない上空に留まる敵に対して、

 満開をしなくてはならない状況であると少女たちが悟った時の状況と似ていた。

 

 前回はその動揺が隙となり、勇者の大部分があの流星群のような攻撃で意識を持っていかれた。

 その結果、亮之佑が一人満開をしなくてはならないという状況に追い込まれ、

 結果、彼が無茶をすることになってしまった。

 

 無言になりテンションが下がっている少女たちを夏凜が見回す。

 なんとなくだが、何に対して戦乙女たちが不安に思っているのかを理解した。

 

(皆……いざとなったら怖くなったんだ)

 

 風は左目を損失した。樹は声を失い生活にも影響が出ている。

 友奈は味覚を失くし、東郷は左耳の聴覚を失くした。

 そして、この場にいない亮之佑は目の色覚を失った。

 

 当然疑問に思うだろう。それらは全て満開の後に後遺症となって現れている。

 もしかしたら満開使用後に、また体のどこかにダメージが来るのではないかと。

 それに対して確証はない。

 

 亮之佑の端末は大赦から返却されたが、満開をした少女と違い精霊の数が変わっていなかった。

 唯一2回目の満開をした亮之佑が消えるまでの数日間、彼に何らかのダメージがあった様子は見られなかった。

 

「それでも、私は大赦の勇者だ……これ以上の被害を出す訳にはいかない……!」

 

 一人小さな声で夏凜は呟く。僅かに不安に思う己の心に火を点す。

 “勇者であること”

 ソレだけが、三好夏凜にとってはそれこそが世界の全てであった。

 ここで鍛錬を積んでいるかどうかの違いが、夏凜と他の勇者の精神的な差を生じさせた。

 

(身体は動く)

 

 四国を襲った大震災は『8.13四国大震災』として、神世紀の中でも一位、二位の死者が出たらしい。

 ここ最近のニュースはソレばかりで、キャスターが無機質に新たな死亡者を読み上げている。

 

 亮之佑だけでなく、学校で身内を亡くした人は大勢いた。

 およそ1週間で100人以上が交通事故、地盤沈下など様々な事故で亡くなった。

 その内の2人が亮之佑の親であったのだ。

 大赦はこの件に関して何も言わなかったが、夏凜はソレが自分たちの失態のせいだと思っていた。

 

「―――――っ」

 

 目蓋を閉じ覚悟を決める。

 自分は何の傷も負っていない。仮に満開することになっても一回ならまだ大丈夫だ。

 そう夏凜は思う。何よりもあの程度の敵ならば満開せずとも対処できる自信があった。

 

「問題ない! それなら私が……」

 

「よぉーーーーーーし!!!」

 

 夏凜の決意は、友奈の突然の叫びによって霧散した。

 驚きを持って勇者たちが全員友奈の方を見ると、視線を向けられた友奈は、

 

「先輩! あの走っているのを封印すれば、それで生き残りも片付くんですよね?」

 

「う、うん」

 

「だったら、とっとと終わらせて亮ちゃんと文化祭の劇の話をしましょう!」

 

「あっ!」

 

「私も!」

 

「夏凜! 友奈!」

 

 そう言って友奈は飛び出す。

 先行する友奈を夏凜が慌てて追いかける後ろ姿に、風が二人の名前を叫んだ。

 

 

 

---

 

 

 

 しばらく追跡を続け、友奈たちは双子座に接近したが、

 ふと自分たちと同じように、双子座へと急接近する存在を確認した。

 ソレはエンジンの唸り声を上げ、さらに加速した。

 

「友奈、あれ……」

 

「えっ、なんでここで車が走ってるの……?」

 

 先行する二人が疑問に思うのも無理はない。

 樹海において、あらゆる生命、機械、文明は全て根へと再変換される。

 それ故に、少女たちは日常を彩る一つであるソレに目を奪われるが、

 

「なんか普段見るやつよりも、ゴツくない……!?」

 

「―――そうね」

 

「っていうか、もしかしてあれって……」

 

「多分、亮之佑……?」

 

 そうして友奈と夏凜がジャンプして近づくよりも早く、

 迷彩色でコーティングされた車が125kmで接近すると同時に、

 車体から発射された紅や金の弾丸が嵐を巻き起こし、双子座の逃げ道を物理的に遮断する。

 

 横殴りの銃嵐が巻き起こる中、一箇所だけ弾幕の少ない部分を双子座は走るが、

 挑むように向かい合うようにして正面からその車が迫り―――、

 

「「轢いたーーー!!」」

 

 思わず友奈も夏凜も、たった今生まれた残酷な光景に叫んだ。

 接触は一瞬。押し負けたのは双子座の方だった。

 装甲の先端が赤金の鋭い火花が放つが、5mほどそのへし折れた体躯を塵屑の如く転がした。

 

 数秒ほど動けない双子座であったが、立ち上がろうとした矢先、

 停止した車体から放たれた複数の弾丸によってその体の周囲を囲まれ、封印の儀が始まった。

 金と銀のベールが舞い散る中、無数の御霊が大量に溢れ出す。

 

「よし、とどめは私が!」

 

「止めなさい夏凜! 部長命令よ!」

 

「私は助っ人で来ているのよ。好きにさせて―――」

 

 その頃になると、風も樹も先行した組に追いつき始めた。

 風はなんとなく状況を察し、夏凜がとどめを刺そうとしていることに気がつく。

 同時に夏凜は先ほどの車が、御霊の発生地点に向かって再度走り出したことに気づいた。

 

 高機動多用途装輪車両。

 全長4.84m、全幅2.16m、全高1.87m、重量2.34t、速度125km/h。

 かつての軍用の汎用輸送車両がベースに改造が施されたソレは、

 確実に敵を排除することを想定し、追加装備に装甲板、重機関銃などが搭載されている。

 

 友奈たちが知らないゴツゴツした車はエンジンを唸らせ速度を上げる。

 まっすぐに双子座へと向かうソレから転げ落ちるように黒い人影が見えたが、

 次の瞬間、車を中心として大爆発が起きた。

 

 重々しい響きと共に、天に向かって猛々しく紅の爆炎と、

 黒煙の柱が立ち昇り、御霊を一つ残らず消し飛ばす。

 

「―――たまや~」

 

 爆風に目を細めて御霊が撃破されたことを確かめた少女たちの耳に、その声が響いた。

 汚い花火を巻き起こす現場にそう言い放った後、颯爽と背を向けて歩き去る少年がいた。

 だが、そんな少年を逃がさないとばかりに少女たちが集う。

 

「亮之佑!」

 

「一度やってみたかったんだ、アレ。車は色々と便利だね」

 

「あんた、一体どこに……いやそうじゃなくて、えっと……」

 

「亮ちゃん!」

 

「やあ友奈、久しぶり」

 

 少女たちの戸惑いの目はやがて少年の肩に集まる。

 昏いコートを彩る黒紫の花のゲージが3枚溜まっていた。

 彼女たちの視線がどこに向かっているのかを察した少年は苦笑しつつ、

 そっとゲージを隠すようにして立ち位置を変える。

 

「亮之佑、今までアンタどこに行って……」

 

「まあ、色々と旅に出てました」

 

 にこやかに、いつも通り不敵な笑みを浮かべて亮之佑は告げる。

 それ以上は語る気がなく、少年は周囲の追及の目を躱す。

 

「お騒がせしてすみませんでした」

 

「亮くん、その……大丈夫?」

 

「大丈夫だよ東郷さんや。俺は大丈夫だから」

 

「―――――」

 

 不安そうな、泣きそうな顔をして心配する東郷にも安心させるように一瞬だけ手を繋ぎ、離す。

 ついでにちょうど良い位置にあった樹の頭もそっと撫でて微笑み、紳士の対応をする。

 

 樹海が崩壊し世界が白く染まる中、亮之佑は普段通りに振舞っていたが、

 その様子を友奈は無言で見つめていた。

 

 

 

---

 

 

 

 そして。

 

「待ってたよ~。わっしー」

 

 崩れた大橋。『神樹』と書かれた社。

 それがよく見える場所の祠の近くに配置されたベッド。

 

「あの、私たちのこと知って……?」

 

「うん。かっきーから聞いたよ~」

 

「かっきー…………柿?」

 

「さっきまで一緒にいたんだ~」

 

 そこに横たわる身体中に包帯を巻いた細い身体の少女。

 その静かな琥珀色の瞳は、異質な存在に不安を感じて手を繋ぐ彼女たちを映し出す。

 穏やかな物腰であるが、東郷は何かを不安に感じたのか、黒髪をまとめる蒼いリボンに手を伸ばす。

 

「えっと、東郷さんの知り合い……?」

 

「…………いいえ、知らないわ」

 

「――――――――。―――――あはは、そうだよね、うん」

 

 知らないという東郷の返答に対して、その少女は沈黙した。

 目蓋を閉じ、しばらくしてからようやく寝台に横たわる少女は乾いた笑みを浮かべる。

 そして東郷から目を離し、次に友奈を見つめた。

 薄紅色の瞳と、琥珀色の瞳が交錯した。

 

「初めまして。一応あなたの先輩になるかな。私、乃木園子って言うんだよ」

 

「さ、讃州中学、結城友奈と言います」

 

「東郷美森です」

 

「友奈ちゃんに、美森ちゃんか……そっか」

 

 それから再び、しばしの沈黙が空間を襲う。

 喋ることを整理していたのか、やがて園子は口を開き目の前の2人の少女に問いかけた。

 

「――――咲き誇った花は、その後どうなると思う?」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第四十三話 少し前の奇術師とお姫様の話」

お気に入り登録700件ありがとうございます。


「やあ、園ちゃん。いつの間にかミイラ女みたくなっちゃって……」

 

「―――かっきーこそ。ウサギみたいな眼の色になっちゃって……」

 

 夜の12時を少し過ぎる頃。

 月明りが僅かに窓から入り込む光を背に、奇術師が寝台の上の少女に逢いに来た。

 本来は非常識な行為であるが、それは少女を隠していた大赦に非があると少年は責任転嫁する。

 

「……」

 

「……」

 

 薄暗い部屋の中で、爛々と輝く紅の瞳の持ち主は、無言で寝台に近寄る。

 そこに足音は生じず。闇夜と同化する昏いコートが纏う主の気配をも溶かし込む。

 いつの間にか窓から流れる風は止み、部屋には静寂が戻る。

 僅かに消毒液の匂いがする密室にて、響く音は2人の小さな息遣いだけであった。

 

「かっきー。私ね、ずっと貴方のことを待ってたよ~」

 

「俺も、逢いたかったよ」

 

 小さな丸い椅子を少女のベッドの右側に持っていき腰を掛ける。

 奇術師の血紅の瞳に、寝台に横たわる少女が映り込む。

 

「色々あったよ。ここまで来るのに」

 

「うん」

 

 少女は。乃木園子は。

 右目を包帯で巻いていても、かつて見た穏やかな左目は何も変わっていなかった。

 ベッドに座っているから分からないが、背も少し伸びているのかもしれない。

 しばらく無言の空間が生じる。

 

「……」

 

「えっとね、かっきー。お互い、色々と話をしたいと思うけど……」

 

 先に口火を切ったのは園子の方であった。

 ゆったりとした薄紫色の病院着から、包帯を巻いていない右手を少年に向けて伸ばす。

 亮之佑はその細くも僅かに体温を感じる白い手を取り、赤い手袋で包み込む。

 興奮しているのか、目を輝かせ早口になる少女に、

 

「園ちゃん、ゲームをしよう」

 

「ゲーム?」

 

 園子の耳朶に響く穏やかな声が、彼女の続けようとした言葉を優しく遮った。

 怪訝な目を向ける少女に対し、奇術師は静かに自由な片手で金色のコインを取り出した。

 なんてことはない、ゲームセンターで見かけるような何処にでもあるコインだ。

 それを物珍しく見つめる寝台の上のお嬢様が、まるでオウムの様に口を開いた。

 

「そう、簡単なゲームです。今からコイントスをして表か裏、どちらかを指定し、出た方が先に質問が出来るっていうゲームだが……やるかい、お嬢様?」

 

「―――――」

 

 随分と昔。

 かつて二人の小さな子供が遊んでいた時、少年が戯れでよく使っていた口調とゲームだ。

 それを理解したのか、囚われの少女は無事な琥珀色の瞳を夜の病室の中で一人煌めかせる。

 

「いいよ~。それじゃあ私は……表で」

 

「なら俺は裏だな」

 

 右手の親指で弾かれる黄金色のコインは窓から僅かに届く月光を反射する。

 天井に届かんほどに綺麗に弧を描き、やがてコインは元の場所へと戻り、

 

「裏」

 

「これでかっきーに勝ったことないような気がするな~」

 

「気のせいさ。それじゃあ、しばし質問にお付き合い下さいませ」

 

 

 

---

 

 

 

「まず、園子も勇者ということでいいんだよな……?」

 

「うん、そうだよ」

 

 先ほどよりも椅子とベッドの距離は縮まっていた。

 それでも拳一個分ほどの空間を開けつつ、俺は園子へといくつか質問をする。

 今回の園子の病室への侵入は、彼女自身に逢う為でもあるが、聞きたいこともあったからだ。

 

「……」

 

 本人を目の前にしても、己の感情は静寂を保っていた。

 不思議と勇者服が自制の念というか、感情よりも理性を優先させるような気がする。

 念のために武装と装束の解除はしないのは、そういう抑制効果もあるらしい。

 

「私は二年前まで大橋の方で勇者をやってたんだ~。二人のお友達と一緒にえいえいお~ってね。……今はまあこんな感じになっちゃったけどね」

 

 ほにゃほにゃとした笑みを浮かべた園子はこちらの目線を読んだのか、

 「敵にやられた訳じゃないよ~」と話を続けた。

 

「私、これでも強かったからね~」

 

「……」

 

 ふと、いつかの光景を思い出す。

 もう2年前、初めて勇者服を身に纏い、右も左も分からず、星に怯え、根の世界に恐怖を感じ、

 壁を越えてやってくる大きな存在に絶望を感じた時。

 俺と、もう一人を守るべく立ちはだかったあの背中は、あの姿は目蓋の裏に焼き付いていた。

 

「かっきーはさ、満開したんだよね。あのワーッと咲いてワーッと強くなるやつ」

 

「ああ、まあ二回ほどだけど」

 

「そっか」

 

 具体的に言うと、あれは満開ではない。

 というよりも俺は少女たちとは違い、満開の真似事をしているに過ぎない。

 より正確に言うと、神樹からのエネルギーを単純に飛翔性能や火力の上昇に注いでいるだけだ。

 友奈や東郷の様な巨大なアームや移動台座が出現する訳ではない。

 

 もとより使える武器に関しては最初から全て決まっている。

 それは拘束具によって封じられていたが、解除した今となっては武器の制約はない。

 

「ねえかっきー」

 

「うん?」

 

「―――――咲き誇った花は、その後どうなると思う?」

 

 俺の返答に対して少し目蓋を閉じていた園子は、

 やがて開いた瞳を再び俺に向け、望んでいた回答をプレゼントしてくれた。

 

「満開の後に、散華という隠された機能があるんだよ」

 

「―――――」

 

「満開の後、身体のどこかが不自由になったはずだよ」

 

 だが予期していた回答は、決して軽くはない衝撃を俺に与えた。

 与えられた真実に、その重さに思わず黙り込む。

 そんな俺の姿を見ながら、園子は唄うようにして話を続ける。

 

「花一つ咲けば一つ散る。二つ咲けば二つ散る。神の力を振るうことに対する代償が散華。その代わりに勇者は決して死なないんだ」

 

 いつの間にか、目線は白く細い手へと下がっていた。

 推測はしていた。恐らく、もしかしたら、そうではないのかと。

 都合の良い力などありはしない。バーテックスを撃退するだけの巨大な力を、何の訓練も覚悟もしていない少女が簡単に扱って良い訳では無かったのだ。

 

「かっきー。この姿はね、戦い続けてこうなっちゃったんだ」

 

 遅すぎる真実を含んだ内容に対して、園子の声は穏やかな物であり、静かであった。

 再び俺は顔を上げ、ゆるゆると視線を手から園子の顔へと戻した。

 

「その姿は、代償でそうなったんだな」

 

「――――うん」

 

 その細い身体の至る部分に白い包帯が巻かれている。

 握っている手は、キチンと食べているかどうか不安になるぐらい細く小さく感じた。

 

「何回の満開をしたんだ……?」

 

「13回」

 

「―――――」

 

「えへへー、私って結構強いんだよ? 精霊が14体もいて大量の武器でズガーンだよ。多分かっきーでもわっしーでも敵わないんじゃないかな」

 

 今度の返答は早かった。

 眼帯のように巻かれた右目と長い髪を覆う包帯部分から視線を外し、俺は園子を見つめる。

 

「痛むのか……?」

 

「ううん。敵にやられた訳じゃないからね。……ただ何も感じないだけだよ」

 

 何も感じないと、身体の一部が樹木の様になっただけであると園子は言った。

 どこかに諦念の混ざったその声を除けば、以前と何も変わらない様子であった。

 だが、その姿が俺には泣いているように見えた。

 

「……穢れなきその無垢な身であるからこそ、大いなる力を宿せる。その力の代償として、身体の一部を供物として捧げる。それが勇者システム」

 

「要するに園子もあいつ等も、皆神樹……様への大人達からの生贄ってことだろ?」

 

「かっきーもだよ。だからこそかっきーが勇者システムを扱うことができるのが不思議なんだよね。大赦の中でもわちゃわちゃと偉い人たちが話をしていたよ」

 

「まあ……そうだよな」

 

「ごめんね、大赦の人たちもあのシステムを隠すのは思いやりの一つではあると思うんだよ」

 

「……」

 

「でも私はそういうの、ちゃんと言って欲しかったけどね……」

 

 無垢な少女たちと異なり、無垢で純粋だが少年である俺は、基本的に勇者にはなれない。

 それが本来の理であったが、それは初代との関係を持つことにより解決済みだが、

 それらの情報はおいそれと口外することは出来ないし、

 俺自身もどこで誰が聞いているか分からない以上、不用意に情報を出す気は無かった。

 

 夜会においての出来事に関しては、開かれる条件として、内容については一切の口外をしないというのが初代との仮契約時からの約束事である。

 園子になら話をしても良いと思うかもしれないが、実は破った場合の最悪なペナルティがある。

 

 すなわち、因子の切断だ。

 今現在、俺は初代との契約で彼女との因子を繋ぎ、彼女の勇者システムを起動させている。

 

 つまり彼女との間におけるいくつかの約束事は、絶対に守らなくてはならない。

 単純な話、今後も勇者として勇者部の少女たちと戦うことができるかは、初代次第ともいえる。

 勇者の力は決して俺自身の力ではないのだ。

 そういった事情から、初代は真の意味で俺の半身であり、共犯者と言える。

 

「もうこんな時間か……」

 

 途中でコートのポケットから取り出した二本の缶コーヒーを二人でチビチビと飲みながら話をしてきたが、

 ふと腕時計を見ると朝の4時だった。

 時間を確かめているのに気が付いたのか、園子が口を開く。

 

「かっきーと話をしていると時間が経つのが早いね」

 

「そうだな……。俺もそう思うよ」

 

 椅子から立ち上がる。

 残念だが時間切れのようだ。大赦もそろそろ侵入した鼠に気が付くだろう。

 うまく潜入したが、流石にこれ以上はマズいだろう。

 

「園ちゃん、また逢いに来るよ」

 

「あ――――――」

 

 園子の身体を抱きしめると、消毒液の匂いと、仄かな彼女自身の匂いを感じた。

 抱きしめてみて判る彼女の身体は随分と病的なまでに細く、簡単に折れてしまいそうだった。

 視線を下ろすと、以前よりもややくすんだ金色であったが、その長い髪は相も変わらず美しかった。

 

「―――――」

 

「―――――」

 

 園子の身体を抱きしめ、金の髪を撫でていると、少女は最初は僅かに身体を強張らせたが、

 やがて緊張した身体に柔らかさが戻り、おずおずと動く右手が俺の背中へと回った。

 

『私の傍にいて、一杯お話をしたいな~とか?』

 

 ふとここではないどこか遠くで、抱きしめる身体よりも小さな少女の声を思い出した。

 あの時見た鮮やかな夢について聞こうか悩んで、俺は結局本人に聞くことはしなかった。

 

 あの悪夢に救いを感じた俺を否定し、救ってくれたあの金髪の少女とは別れたきりだが。

 それでも目の前の少女と交わした約束だけは、これ以上違えたくはなかった。

 だから――――

 

「そう言えば、園ちゃんに言う順番を間違えたな……」

 

「……?」

 

 少しだけ抱きしめる力を緩めて、園子の顔と向き合う。

 園子の顔は右目部分を包帯が覆っているが、左目に疑問を浮かべる姿は昔と変わらなかった。

 

 拳一個分ほどの距離を自らが埋めて、抱き寄せるようにして少女と向かい合う。

 自らの腕の中で、戸惑いの感情を瞳の中に浮かべる少女に告げる。

 

「――――園子、ずっとずぅぅっと貴方に逢いたかった。……あの時の約束を守れなかったことを、俺は後悔していたよ」

 

「―――――」

 

「俺はお前の傍にいたいよ。お前の傍にいて一杯話をしたいよ。今まで一緒に居られなかった時間の代わりに、これからは共に過ごしていきたいよ」

 

「―――――わ」

 

 ポロリと琥珀の瞳から、宝石の様な何かがこぼれ落ちるのが見えた。

 ソレは、俺が園子に再会した時に言おうと決めていた言葉であった。

 だがその言葉は満開の後遺症やバーテックス、死者などによっていつの間にか忘れていた。

 胴体に回された右手が俺の装束を握り締めるように掴む。

 

「私も……逢いたかったよ、かっきー……」

 

 何かが剥がれ落ちるように、園子の両目から涙がこぼれ落ち、包帯を滲ませる。

 彼女が口を開くたびに、涙をこぼすたびに。

 欠けていた何かが埋まるのを感じた。

 

「ずっと、逢いたくて……でも大赦の人たちはどれだけ言っても許してくれなくて……」

 

「うん」

 

「だから……だからかっきーが私に逢いに来てくれて、嬉しかったよぉ……」

 

 そこは白い部屋であった。

 白い物しかなかった。俺の視界がそういう風に認識しているだけかもしれないが。

 その白いベッドに座る白い少女に、初めて色が付いた気がした。

 

 

 

---

 

 

 

 その後、俺は病室から撤退……しなかった。その原因は園子自身にある。

 大赦側に俺と園子が接触したという事実を認識されるよりも重要な理由が多々できた。

 

 園子の肉体は13回の満開により、身体機能を神樹に捧げてしまった。

 満開を繰り返し、神樹の身体……つまり神の身体に近づいた園子は、大赦によって祀られていた。

 

「園子様……!!」

 

「彼に手を出したら許さないよ、絶対に」

 

「―――――」

 

 身体の約半分ほどを神樹に捧げた園子は、どうやら大赦側の切り札として、

 もしくは神に近い存在として、この白い病室で一人、仮面を着けた大人達に祀られていた。

 

 それは日の出に近い時間帯になった時であった。

 流石に気づかれた俺と園子を囲むようにして、病室の扉から白い礼服を着た大人達が入ってくる。

 そして無言で白い部屋の床に、和服の礼装と黒い烏帽子、白い仮面を着用した大人達が平伏した。

 その光景はなかなかに衝撃的であった。

 

 それなりに広い病室に何人かの仮面を着けた大人達が平伏する先にいるのは、俺と、ベッドに身体を預ける包帯少女だ。この時ようやく“神に近づく”ということの意味をなんとなく俺は理解した。

 脱出の時間を既に過ぎていた俺は、どうにか不敵な笑みを浮かべるばかりだ。

 

 だが、こちらは最初から勇者服と武器を持ってここへ来ている。

 対する大赦の人間たちは丸腰のように見える。

 たとえ平伏している全員で飛び掛かられても、近接格闘術で対応しながら――――、

 

「それとこれからかっきーはここに泊まるから用意してね~」

 

「……! 園子様、それは……」

 

「いいよね」

 

「―――畏まり、ました」

 

「よろしくね」

 

 いつもどおりの笑みを浮かべながら、目線だけは彼らから離さないでいると、

 園子が何かよく分からないことを言った気がした。

 平伏していた大赦側の一人、変装していた際に出会った老女の神官も思わずといった様子で声を出したが、園子の神の声で状況は一変した。

 

 相手の出方を待っていた俺の手を、赤い手袋越しにだが園子の無事な右手が触れた。

 俺は部屋の出口へと下がっていく大赦の人間達を警戒しながら、

 

「どういうことだ……?」

 

「こういうことだよ~。かっきーは私の大事なお客様だから、以前から大赦の人にはきつく言ってたんだ。それに全然話は終わっていないし、いいでしょ?」

 

「――――本当に崇められているんだな」

 

「そうだよ、半分神様みたいなものだからね。それにかっきーも満開して捧げた供物の分だけ大赦の人たちも祀っていると思うから、昔と違ってそう邪険に扱われることはないと思うよ~」

 

「そうなのかね……」

 

 その言葉に俺はある出来事を思い出した。

 水着……いや旅館での食事などの待遇だ。あの時はまだ満開していなかったが、豪勢な食事が出た。

 あの時点で、これから捧げられることを既に大赦は予期していたのだろう。

 

「まあ助かったよ。ありがとう園子様。……なんかお泊りになっちゃったっぽいけども、いいの?」

 

「うん。かっきーが話をしたいように、私もかっきーと一杯お話がしたいな~」

 

 そう言って、ベッドの上から立ち上がる俺を園子は見上げる。

 そこに秘められた言葉の真意を、瞳に宿った感情を俺はなんとなく理解した。

 しばらく考えてから、やがて俺は苦笑と共に、

 

「分かった。大赦の許可が取れたのなら、とりあえず昼寝してからゆっくりと話をしようか」

 

「……! うん!」

 

 正直に言って、今の俺にとって失うものは何もない。

 あの頃の思い出を語れるのは、ここにいる二人だけだ。

 宗一朗も綾香も死んだ。安芸先生とはあれから連絡が取れなくなっていた。

 園子の両親とも随分と会っていない。もう顔も忘れられただろう。

 

 なし崩し的に一泊することになったが、園子の嬉しそうな顔を見るのも久しぶりなので了承する。

 腕時計を見ると朝7時だった。

 園子の方を見ると気が抜けたのか、うつらうつらとし始めた。

 

「安心して眠ってくれ、園ちゃん」

 

「――――うん。お休み、かっきー」

 

 そう言って、園子は眠りについた。

 小さく寝息を立てる少女の寝顔に久しく感じなかった何かを思い出しながら、

 小さな丸い椅子に座りなおし、俺も眠りについて――――。

 

 

 

---

 

 

 

 夢から目覚めて感じるのは、いつも鈍い頭痛だ。

 睡魔に抗い、重い目蓋を開き瞬きをすることで意識を浮上させる。

 

「――――ここは」

 

 ぼんやりとしていたのは最初の数秒のみ。

 やがて眠気と乖離し覚醒する意識が、己のいる場所を認識する。

 

「ああ、そうだったな……」

 

 認識したことを、間延びする声であえて口にする。

 そうして更なる意識の覚醒を促しつつ、己の状態を確認する。

 背中に柔らかな感触を感じながら、俺は仰向けで途絶した情報を収集する。

 

 ゆっくりと視線を移動させる。

 白い部屋であったが、少し生活感を覚える部屋である。

 

 一組の木製の丸いテーブルがある。

 その上には酒のビンや愛用の拳銃、赤い手袋、改造中のモノクルが置かれている。

 更にいくつかの部品や銃弾が床に落ちているが、身に覚えがない。

 

「んんっ……」

 

 咳払いと共に白い毛布を跳ね除け、灰色のソファから身を起こす。

 自らがいる白い部屋にはベッドもあった。

 しかしそれは現在折り畳まれ、扉付近に置かれている。

 

 決して寝ぼけてソファで寝ていた訳ではない。

 ただ単純な話、睡眠を取る環境を追求した結果、ソファで眠るのが良いことに気がついた。

 パジャマ代わりのすっかり着慣れた生活感のある勇者装束を見下ろす。

 

 昏いコートや手袋といった部分を最近になって外すようになったが、

 根本的に大赦の人間を信用していない俺は、院内にいる間は最低限の武装は解かなかった。

 素足で移動し、大赦の人間に寝床として与えられた病室に隣接する洗面所で顔を洗う。

 

「二日酔いかな……」

 

 微妙な頭痛に顔をしかめつつ独り言をつぶやく。

 やがて冷たい水で顔を洗い終え、鏡で己の顔を見る。

 いつも通りの、不愉快な彩りの世界が映る自らの視界の中で、不機嫌そうな少年の顔が見返した。

 

「まずいな……」

 

 あれから大赦が部屋を用意してくれ、目を覚ました俺と園子は、それから多くの話をした。

 俺の話す勇者部の話一つ一つに園子は目を輝かせた。

 園子は園子で、俺と別れた後の勇者として活動していた頃の話を聞かせてくれた。

 

 開いた溝を埋めるように、裂かれた時間を埋めるように俺たちは昔話をし合った。

 一つ一つお互いにとって大事な話をした。

 長い、長い話だった。

 語り尽くせばまた日が暮れた。

 

 喉が疲れると、たまに手品やいくつかの芸を病室で披露した。

 と言っても基本的に病室な為に、出来ることと言ったらテーブルマジック程度だ。

 しかし、少し制約があるという状況で、どのマジックをするかという事に思考を回すのが楽しかった。

 

 コインマジックやカードマジックなどを園子や大赦の人間達(顔は相変わらず隠しているが)を呼んで披露した。

 これがやけに大赦の人間達には高評価であったらしい。

 興奮した声で「亮之佑様!」と嬉しくない拍手と歓声を貰ったが、笑顔で応じた。

 

 大赦側は、園子に危害を加える訳でもなく病院のフロアに引き篭もり始める俺に、

 園子ほどではないが、勇者特権でいくつかの物を頼めば与えてくれるようになった。

 

 学校もあった気がしたが、大赦が手を回してくれたらしい。

 そんな感じで、面白い話や手品を終えて満足して眠る園子を見守った後、

 夜は部屋に戻り手品の仕込みやモノクルを始めとする道具の改造などに勤しんでいた。

 

 そんな生活を院内で過ごし、気がつくと1週間が経過していた。

 

 いつか乃木家で泊まった時に起きた現象が再び俺を襲っていた。

 簡単に言うと、帰るタイミングを完全に失ったが、住んでみたら別に悪い環境じゃないし、

 正直な話、この生活もいいかな……と気に入り始めていた。

 

 

 

---

 

 

 

「そういえばさ、今度のバーテックスって来ないな……」

 

「かっきー達は、バーテックスを撃退したんだよね。それは凄いと思うんよ。私達の世代では追い返すのがやっとだったからね~」

 

 話をする中で、俺達は共にあの壁を抜けて真実を見た共通の関係であることが分かった。

 同時に、園子もこの世界の先がどうなっているのかを理解していたことを俺は認識した。

 大赦は『神託』というものを用いることで、バーテックスの次の襲撃の時期が分かるらしい。

 

 一応は勇者として活躍している俺を信用したのかは不明だが、少し前に神官達が次の敵の襲来を俺達に知らせた。

 平伏する神官達を見下ろしながら了承の意を示すと彼らはすぐに下がった。

 非常に事務的な人間達ではあるが手品や大道芸を見せると結構な反応を示すので、やはり彼らも人間であると思ったが、仮面を取らないのだけが少しだけ気に食わなかった。

 

「園ちゃんの世代の勇者で、わっしーっていうのは東郷美森であってるんだよね?」

 

「そうだよ~。確かあの時かっきーも会ったよね」

 

「ああ」

 

 園子が言っているのは、恐らく俺が初めて樹海化に遭遇した時の話だろう。

 端末には東郷の写真もあったので園子に見せればすぐに確定しただろうが、

 現在俺の端末はタイミング悪く風の下へとまとめて送られたらしい。

 

「かっきー」

 

「うーん? ………来たか」

 

 そんな話をしていると、勇者の感覚と言うべきか、

 園子に続いて、俺も敵が来たことを察した。

 端末が無いため、樹海化警報の不快なメロディが無いのが少しだけ寂しく感じた。

 

「それじゃあ行ってくるよ、園子」

 

 徐々に世界が樹海へと姿を変える中で、俺は園子と向き合った。

 少し残念であるが、しばしの間お別れだ。

 

「うん。―――あっ、ちょっと待って」

 

 病室から出て行く俺を引き止めた園子は何かを逡巡した様子だったが、

 やがて世界が白く染まる最後の少ない時間で、こう質問をしてきた。

 

「かっきーは、私たちにとって不都合な世界を見てどういう結論を出したのかなって」

 

「……」

 

 それは交わされる会話の中で、なんとなくであるがお互いに避けていた物だった。

 だがこうして1週間共に過ごす中で、俺は一つの結論を出した。

 こちらを見上げる園子の白い頬にそっと触れ、顔を近づける。

 

「俺は……」

 

 このまま戦った先にあるのは、園子と同じ未来なのかもしれない。

 それは怖いと思う。痛みもなく樹木の様な状態にはなりたくはない。

 なりたくはないが。

 

「この世界を護りたいとか崇高な事は思わない。けれども俺はまだ、園子や勇者部の面々ともう少し日常を楽しく過ごしていたいから。だから――――」

 

「――――」

 

「だからそれを妨げるなら、例え誰が相手であっても容赦はしないよ」

 

「―――うん。どんな答えでも私は貴方達の味方だよ」

 

「また会おう」

 

 それで最後だった。

 世界が白く染まる。

 その答えが正しいかは不明だったが、名残惜しく感じる手を園子から離す。

 意識も白くなる中で、ふと頬に柔らかな感触を感じて――――。

 

 

 

---

 

 

 

 多くの情報を得て俺は再び戦場に帰還し、双子座を轢いて、自宅へと戻ったのだった。

 実に二週間と数日ぶりの我が家は、中が荒らされていた。

 その状態を見て、思わず叫ぶ。 

 

「だ、誰がこんなことをやったんだ……!?」

 

『キミだよ。半身オブニート』

 

「―――――いやニートじゃないから……」

 

 自宅に帰ってすることはまず掃除からという事実に、俺は愕然としたのだった。

 

 

 




今回、亮之佑はバーテックスが襲来した為に帰りましたが、
逆に来なかった場合あと1か月は園子の所にいたかもしれないという設定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第四十四話 二度となにも失くさぬように」

 9月になった。

 夏もそろそろ終わりを告げ、時々肌寒い日用の服を買い揃えなくてはと考える時期だ。

 

 俺は結城家の向かいの方の家、加賀家へと戻った。

 一軒家としてはそこら辺の家よりやや大きめの家は、一人で住むには大きく、

 

「あぁ……」

 

 双子座との戦闘後、帰宅し疲れた俺を待ち構えていたのは、家の荒らされた内装であった。

 なんじゃこれはと思ったが、同時に僅かにではあるが荒れていた時の記憶が戻る。

 

「流石は俺だな、破壊の仕方を考えている」

 

 もはや諦観の念を持って自身を褒め称えるしかなかった。

 幸い主夫として破壊衝動を抑えていたのか、レンジや冷蔵庫などには手を出していなかった。

 代わりに自分の物なら良いと思ったのか、本や皿、マグカップなどの生活用品が粉々だった。

 

「あーあ。酒……お薬のストックないじゃん。チビチビと飲んで楽しんでいたのに……」

 

 台所に(主に友奈辺りから)隠しておいた秘蔵のお酒は中身が無くなっていた。

 ため息を吐きながら空の瓶を拾い上げる。

 そんな風に愚痴りながら一人掃除をしていたが、ついに体力の限界が来たらしい。

 

 睡魔と戦いながらそれなりに掃除を終えた主夫は、やがて居間のソファに転がる。

 二階の自室はまだ荒れているため、眠れる環境ですらなかった。

 

「……まあ御神体とコレクションは無事で良かった」

 

 ソファから見上げると神棚が己の視界に映り込む。

 それだけはどんな状態であっても手を出さなかった事だけが救いだった。

 どんなに怒り狂っても、大切な物にだけは手を出さなかった事は及第点である。

 

「ふぁあ……」

 

 欠伸と共に襲いかかる睡魔に次は抗わず、俺は毛布に包まりソファの上で目を閉じる。

 幸い明日は休みだ。必要な家財道具などはすぐに揃うだろう。

 

「……」

 

 何かを忘れているような気がしたが、明日の自分に任せよう。

 直後、俺はゆっくりと黒く渦巻く何かへと意識を手放したのだった。

 

 

 

---

 

 

 

「そう言えば、久し振りに外に出る気がする」

 

 思えばこの一週間は病院で暮らしていた。

 食って、寝て、園子や大赦の職員に手品や宴会芸を披露して。

 最初は園子以外とは険悪なムードではあったが、時間と自らのスキル等によって俺は順調に居場所を構築した。

 

 正直言って、あの自堕落な生活を味わうと、中々主夫をやっていた時代に戻れない。

 お金持ちの貴族が突然平民並みの生活を送らなければならなくなり、

 さりとて元の贅沢な生活が忘れられず、お金を浪費しかねないような、危険な状態かもしれない。

 

 玄関で靴紐を結び外に出ると、曇りのち晴れというキャスターの言葉通りの空模様であった。

 なんとなく一人暮らし特有の独り言を呟くと、門扉の方で反応する声が聞こえた。

 

「いかんな……」

 

「なにが……?」

 

「――――質素な生活っていうのは、やっぱり大事だなって」

 

 俺の思考に割り込む声に目を向けると、

 明るく元気そうなイメージの、後頭部をショートポニーテールにした可憐な少女がいた。

 青いホットパンツにハイニーソ、ピンクのカーディガンという良く似合う恰好であった。

 

「やあ」

 

「やあ……じゃないよーーー!!」

 

 手を上げて爽やかに挨拶するのに対して、珍しく友奈は両手を上げ俺に対して怒っていた。

 形の良い眉をひそめ、もし背景に音が出るならプンスカという表現だろう。

 まさか反抗期なのだろうかと不安に思う。

 

「二週間も亮ちゃんはどこに行ってたの! どこに行っても見つからなかったし!」

 

「あ、ああ、なるほどね」

 

 目の前のお嬢様は、それはそれはご立腹であった。

 一応、似たような事は既に前の双子座の撃破後、

 戻った学校の屋上で風や樹、夏凜を相手にしながら大分濁しつつも話をした。

 流石に状況についてはあちらも理解しているからか、変な追及はしてこなかった。

 

 むしろあの後、友奈と東郷が二人別の所に移動したらしい。

 慌てふためく状況で、すぐに大赦からフォローがあった為に現地解散した。

 

 実際最初の一週間は、目覚めないレベルの夢に陥り兼ねないほどの状態であったのだ。

 次の一週間は、大赦の病院で園子と久しぶりに過ごして漸くマシな精神状態になった気がする。

 精神的に良いリフレッシュ休暇になった……などとは言えない。

 むしろ多くの真実を手に入れた結果、問題は増えたのだが。

 

「ほら、風先輩から聞いたけど、友奈が俺の書いた手紙を回収しただろ? 言葉通りの意味で少しの間、男一人で少し旅に出てたのさ。うん」

 

「……」

 

「心配掛けたようでごめんな、友奈」

 

「―――ううん、こっちこそ」

 

 優しく、素直で、人の空気という物を読むことにおいて右に出る者がいない少女は、

 友奈は俺の言葉を受け取って、ようやく理解してくれたようだ。

 

「亮ちゃんが無事で良かった」

 

 そう言って抱き着いてくる友奈の腕は力強く、次は決して離さないという確固たる意思を感じた。

 無邪気な彼女は、いつになくスキンシップをしてくる。

 

 触れ合う身体に、僅かに心臓を年甲斐もなくドキドキさせ、無言で背中に手を回していると、

 ふと友奈がスンスンと俺の首筋の匂いを嗅いでいるのに気が付いた。

 

「ど、どうしたんよ……?」

 

「……」

 

 俺の言葉を無視しながら、友奈は後頭部でまとめた小さなポニーテールを揺らす。

 中学生な為、お互いそこそこ大差のない身長ではあり、友奈の髪のふんわりとした匂いが、

 彼女が動く度に鼻腔をくすぐるのだが、今は普段友奈がしない行動の方に俺の注意が向いた。

 

「……友奈?」

 

 まさか匂うのだろうか。昨日は風呂ではなくシャワーで流した程度だったのだが。

 「臭いよ亮ちゃん!」とか言われたらダメージによって膝を付きかねない。

 

「―――――る」

 

「なんて……?」

 

 この至近距離で正面からガッツリと抱き着かれると、彼女の豊満とまではいかないが、そこそこあるソレの感触を感じる。その感触を楽しみながら、小さくボソッと呟いた言葉が聞こえず、問うてみる。やがて顔を上げた友奈は、その赤い瞳で俺の瞳をジッと見ながら、

 

 

 

 

 

 

 

 

「他の女の匂いがする」

 

「―――――」

 

「……って言う言葉が最近のドラマのトレンドなんだって!」

 

 にへらっとした向日葵が咲いたような笑みを浮かべ、そっと俺から離れる。

 そのいつもの、久し振りに見る笑顔を見ながら、慌てて俺は相槌を打つ。

 

「そ、そうなんだ。テレビは最近見てなかったな。おっとそれより移動しようか。今日は少し忙しいからね」

 

「うん!」

 

 

 

---

 

 

 

 妙な寒気が己を襲ったが、気のせいだという事にした。

 現在俺たちが向かっているのは、駅前のホームセンター等々の店である。

 数時間前に問題点を思い出した俺は、やむなくお向かいさんにヘルプを出した。

 

 幸い優しいお向かいさんは、了承の返事と心配してた諸々のメッセージをくれた。

 端末については先の戦闘の際、友奈が預かっていたらしく、樹海化が解ける前に、

 今度は必ず連絡するようにと言って返してくれたのを、残念ながら昨夜の俺は忘れていたのだった。

 

 話を戻そう。

 問題点とは、俺の視界の色彩である。

 まず前提として、他の人と俺の視界では文字通り見える世界が異なる。

 そのため、壊した皿やコップなど諸々のデザインや色合いが分からないのだ。

 

 さて俺は困った。

 付き添いを誰に頼むかをだ。

 

 まず男友達は除外した。

 理由としては、基本的に中学生の餓鬼であり家事をしないからだ。

 基本的に買ったら使う物しかない。遊びで買うのではなく、それでいて加賀家の食卓事情に理解があるとしたら、思い当たる節は俺の知る限りこの世界で一人だけだった。

 

「そんな訳で今日はお願いしますね、我が弟子よ」

 

「ふふっ、お任せ下さい、師匠!」

 

 俺の呼び声に、友奈は腕を天に突き上げて明るい声で答える。

 その様子に思わず微笑みながら、やや茶色掛かり始めた街路樹を見ながら歩いていると、

 

「そう言えば、亮ちゃんってネクタイが好きなの……?」

 

「いきなりだな。まあそうかもしれないけど、どうしてよ?」

 

「結構な頻度でネクタイを着けているからかな」

 

「うーん。多分そうかも……。もしかして似合わない……?」

 

「ううん! そんな事はないよ!」

 

 慌ててワタワタと両手を車のワイパーのように振る友奈を見た後、俺は自分の服装を見下ろした。

 何てことはない紺色に近い青色のシャツ、赤いネクタイ、下は黒のジーパンだったはず。

 

 一応色覚を補うためのモノクルで鏡の前でチェックしたのだが、

 これは日常用の補助用眼鏡も出来るだけ早く用意しないといけないかもしれない。

 正直言って、満開の後遺症がこんな生活の部分で出るのは困った物である。

 

「おっ」

 

 そんな事を思いながら横断歩道を渡ろうとすると、思いっきり友奈に腕を引っ張られた。

 突然の行動に対して即座に止まると、目の前を車が横切った。

 

「アレ……」

 

「あれ……じゃないよ! 今の危なかったよ!」

 

 今日は妙に友奈に叱られる気がするなと思いながら、隣で怒る少女から目を逸らし信号機を見る。

 今更だが……正直言って青か赤かどうか、ぱっと見だとよく分からなかった。

 

「あー……悪い。ボーっとしてた。ほら、久々に友奈と買い物するのが楽しみでね」

 

「……」

 

 もはや言葉すら無かった。

 隣にいる方との関係は現在4年目であり、ほとんど毎日いる事もある為か、

 咄嗟の嘘などが他の人間に比べてやけにバレやすくなってきたかもしれない。

 

「ん――!」

 

「いや、大丈夫だって」

 

「亮ちゃんの大丈夫は信用しないって、私決めたんだ」

 

「あ、はい」

 

 案の定と言うべきか、友奈は手を繋いできた。

 こちらを心配そうに見ながら、しっかりと離さないように柔らかい手に握られると、

 僅かながら、介護されているような気分になった。

 

 

 

---

 

 

 

「あ、このマグカップ可愛い!」

 

「ネコ好きだね。ゆうにゃ」

 

「うん!」

 

 まるで子供のように瞳を輝かせ、無邪気な笑みを友奈は浮かべる。

 俺はその様子を苦笑いをしながらもそっとカップを手に取り、我が家に相応しいか物色する。

 とは言えそのままだと分かりづらいので、モノクルMark.2で色合いも確認する。

 

「――――けど、割れやすそうだな。こっちとかどうだ?」

 

「うーん。色が派手で亮ちゃんには合わないかな」

 

 こんな感じで、買い物メモのリスト一つ一つを見ながら横線を引いていく。

 そうして小一時間が過ぎる頃には、大体の物が揃ってきた。

 

「あとは、茶碗と箸か……」

 

「一杯買ったねー」

 

「悪いな、今日は付き合わせて。何かお礼するから」

 

「ううん、全然大丈夫だよ!」

 

 特に疲れを感じさせない笑顔で俺を気遣ってくれる友奈。

 その屈託のない笑みに対して、自然と俺も微笑を浮かべる。

 ふと、視界の端に映ったソレに目を向ける。

 

「友奈」

 

「うーん? ……わあ! 可愛い」

 

 俺が見つけたのは、和食器の湯呑みであった。

 色違いの一組の湯呑みにはそれぞれ青色とピンク色をした茶花が華麗に咲き、重厚な輝きを放つ。

 しばらくその装飾部分の花を見て、確認の意味も込めて呟く。

 

「―――これって椿か」

 

「そうだよ! 亮ちゃんよく分かったね」

 

「俺って勤勉なのさ」

 

 椿は光沢のある緑色の厚い葉と、その周囲にある上向きの細かいギザギザが特徴だ。

 花言葉は『控えめな素晴らしさ』や『気取らない優美さ』が全体的だったはずだ。

 モノクル越しで見ると、薄い色をした青色とピンクの椿が主役となった湯呑みなのが分かる。

 個人的にはシンプルなデザインが気に入った。

 

「友奈も控えめというか、気取らない優美さみたいなのがあるよね」

 

「……えへへ、ありがとう。それでコレにするの……?」

 

「俺はこれが気に入ったけど」

 

「私も」

 

 意見も一致したので、購入する事にする。

 少し高い気もするが、日常的に使用する物なので多少は贅沢をしよう。

 こうして俺たちは必要な物の買い物を済ませた。

 

 

---

 

 

 

「荷物半分持つよ」

 

「いや、重いしいいよ。大丈、―――――問題ないよ」

 

 現在、俺たちは加賀家へと帰還するべくゆったりと道を歩いていた。

 それなりに重たい商品は郵送で明日届けてもらうことにした。

 だから今俺がそれぞれの片手で持っているのは、この後割とすぐに必要になる物だ。

 

「でも……」

 

「……分かったよ。じゃあこっちの袋を持って」

 

「うん!」

 

 軽い方の袋を友奈に渡すと、手持ち無沙汰であった時よりも友奈は嬉しそうに袋を抱えた。

 空いた手を揺らしながら無言で二人で帰宅していると、ふと友奈が、

 

「なんであの湯呑みってセットなのかな……?」

 

「え……?」

 

「だって、さっき買ったのって色合いが少し違うだけで殆ど同じでしょ。どうしてかなーって」

 

「ああ、あれは夫婦湯呑みと言ってね……」

 

 時折雑談を交わしながら、俺はなんとなく空を見上げた。

 相も変わらず空模様は色褪せた物であった。いつか見た青空は、今では全てが灰色であった。

 

「ねえ、亮ちゃん」

 

「何?」

 

「久しぶりに泊まっていい?」

 

「いいけど、ちゃんと家の人に連絡するように」

 

「はーい」

 

「……」

 

 ふとその笑顔に、俺は何かを感じた。

 だが、それについては今は何も言わなかった。

 友奈や東郷があの後どこに行っていたのか、予測はついていたのだから、何も聞かなかった。

 

「とりあえず、荷物を置いたら俺は食料の調達に行くから、その間に友奈は着替えとか用意してちょうだいな」

 

「うーん。じゃあ、この荷物を解いて食器棚とかに入れてて良いかな?」

 

「オッケーよ」

 

 とりあえず掃除は既に全て終わらせている。何かを踏み足を傷つけることもないだろう。

 それよりもまずは自宅に帰った後に、職務怠慢な冷蔵庫に食材達を納めなければ。

 このままでは夕飯がなくなってしまう。

 

「……」

 

「ん……」

 

 そんな事を考えていると、手持ち無沙汰な左手が勝手な行動をしたらしい。

 隣を歩く少女の空いている手をそっと握ると、こちらを見る瞳が驚きにやや広がるが、

 特に何かを言うこともなく黙ってされるがままで、その手を握り返してきた。

 

 繋いだ手のひらは暖かかった。

 

 

 

---

 

 

 

「ご馳走さまでした!」

 

「うん。どうだった……?」

 

「えっとね、筍かな、アレって。コリコリとした食感が堪りませんなぁ」

 

「そっか」

 

 味覚障害を起こしている人間に対して、出来る限りの対応はしたが、

 やはり見た目に力を入れることや、匂いや風味を濃くすること、食感を強めるなどが限界であった。

 一応栄養も考えてある為、これからも友奈は成長するだろう。どこがとは言わないが。

 

「―――ありがとね」

 

「うん? 何が?」

 

「ううん。片付けは私がするね!」

 

「いや、俺がやるよ。さっきのお礼もまだしていないし」

 

「でも何もしないのも……」

 

「そんなに多くもないし。いいから、先に風呂にでも行っておいで」

 

「……うん」

 

 紳士の笑みで促すと、やがて逡巡した後に友奈は頷き、居間から立ち去ろうとする。

 途中立ち止まって、こちらに何かを言いたげな顔をしているのが視界の端に映ったが、

 そちらを向く前には俺に背中を見せ、歩いて行ってしまった。

 

 その姿を見送りながら、食器を洗う。

 新調したそれらの、真新しい食器特有の慣れない感触を一枚一枚確かめながら、

 

「なあ、うどんの出汁として使うのってどう思う……? きっと美味しいと思うのだが」

 

『流石のボクもビックリだね。というか以前もやってバレかけた時を忘れたのかい?』

 

「昔は昔さ」

 

 あえて主語は使わずとも会話は成り立つ。ヒントはお湯だ。

 指輪越しに初代と雑談を交わしながら水に濡れた手を拭き、エプロンを脱ぐ。

 耳を澄ますと僅かにシャワー音が聞こえるのを感じながら、ソファに座る。

 少し暇になったので何かテレビがやっていないかと思いながら、

 

「あり? テレビのアレどこだ」

 

『リモコンなら確かテーブルの下だった気がするね』

 

「ほんとだ」

 

 リモコンを手に取り、テレビの電源をつけるとニュースを報道していた。

 四国地震というものが発生してから既に二週間が経過したという。

 死者は100名を超え、行方不明者はまだ多くいるという。

 

 この事故の影響で、9月となり学校に向かわなくてはならないが、

 俺のように家に引き篭もったり、どこか親戚の家に引越しをしたらしい生徒も多いと聞いた。

 それらの情報も、紳士や淑女たちと久しぶりに連絡を取る中で分かった。

 

「……」

 

『彼女に言わなくていいのかい……?』

 

「一体何て言えばいいのさ。恐らくだが、友奈や東郷は園子に呼ばれた可能性が高い。その時の状況が判らなければ対策は打てない」

 

『下手に隠す必要も無かったんじゃないかな』

 

「……着替え準備しないとな」

 

 正直言って、真実は残酷である。

 友奈はまだいいだろう。

 だが、樹はもう夢が叶うことはないだろう。

 それに対して風がどうなるか判らない。東郷もだ。

 

 逆に夏凜のような最初から大赦によって作られた勇者なら、

 ある程度の覚悟があるから錯乱を起こしたりはしないだろう。

 しかし問題は、誰もあの外の世界を見ていないことだ。

 戦いは決して終わることは無いという残酷な事実が、壁の外にある。

 

 果たしてその事実に勇者部が耐えられるのだろうか。

 俺は不安でありながら、正直言って耐え切れないだろうと思った。

 勇者であっても、結局は中学生だ。感情に任せて爆発する可能性の方が高いだろう。

 

「上がったよー」

 

「はいよ」

 

 着替えを持ちながら廊下を歩き、風呂場から出てきた湯上がりの友奈と交代して入った。

 

 

 

---

 

 

 

 友奈が俺の家に泊まりに来る時、少し困るのが彼女の寝る場所である。

 加賀家には一応客間があるが、人が来ないので基本的には物置となっている。

 とはいえキチンと掃除は怠らない為、そこで寝るに当たって問題は無い。

 しかし、それではお泊りにはならないと反発するのが友奈である。

 

 俺のことを男と思っていないのか、それでもこちらから色々とすると頬を赤らめたり、

 瞳を潤ませる時もあるので、恐らくは俺を男として意識はしているのだろう。

 それでも泊まりに来るという友奈の考えはいまいち分からないが。

 

 そういう訳で妥協案として、俺の部屋で布団を敷いて寝るという案がいつもなのだが。

 今回のお泊りはどうにも少しだけ違った。

 

「―――――で、友奈さんはベッドで寝たいと」

 

「うん!」

 

「家主には床に敷いた布団で寝なさいと?」

 

「そうじゃなくて、亮ちゃんもベッドで寝るの!」

 

「ほう」

 

 無言で俺は部屋の隅にある俺の寝台へと目を向ける。

 普通の一人用のベッドだ。薄い空色のシーツと毛布、枕があるだけだ。

 何かしら特徴を挙げるとするならば、ピンクのサンチョが壁際に置かれている程度だ。

 そのサンチョをチラッと見た友奈は再度こちらを見て口を開く。

 

「その……駄目、かな……?」

 

「……」

 

 無言で友奈の瞳を見つめると、上目遣いでこちらを見る少女の震える瞳に何かを感じた。

 基本的に俺は、友奈の唐突に発生する我侭のような何かは極力叶えたいという方針だ。

 そして勿論今回も紳士な俺は、

 

「狭いけど大丈夫か……?」

 

「うん」

 

「寝言とか、寝相は少し悪いかも」

 

「大丈夫だよ」

 

 この回答で許しを得たのを理解したのか。

 にへらっとした笑みは相変わらず健在で、枕を持ったパジャマ娘は寝台に寝転がる。

 ピンクのパジャマを見ながら、心の中で湧き上がる薄暗い衝動を抑える。

 

「じゃあ電気消すよ」

 

「うん」

 

 天井の電気を消すと、たちまち部屋は暗くなる。

 現在時刻は10時を少し過ぎた頃だ。寝るには少し早く感じたが偶にはいいだろう。

 普段は読書用に使う小さな電気スタンドを点灯させると、柔らかな燈色が暗闇に浮かぶ。

 

「……」

 

「……」

 

 ベッドに横たわり壁際に目を向けると、ちょうどこちらを向いた友奈と眼が合う。

 俺は毛布をキチンと彼女の胸元辺りまで持っていきながら、至近距離で顔を合わせる。

 まだ眠る気分ではなく、近すぎる彼女の甘い匂いに慣れる為にも話をする必要があった。

 

 東郷がこの現場を見たら、「はしたない」と言うか「夜這いだ」と言うかどうか考えながら、

 既に男女でお泊りをしているのを結城家が認識している時点で今更だと考え直す。

 どの道、友奈に関しては全ての責任を取りたいなと俺は思う。

 

「聞かないの?」

 

「……友奈が何を隠しているか知らないけども、ありきたりだけど話を他の人にするだけで楽になる時もあるよ」

 

「うん」

 

「というか、そのつもりだったろ?」

 

「……そうかも」

 

 毛布を口まで引き上げて友奈は僅かに目蓋を閉じる。

 その様子を見ながら辛抱強く彼女の髪をなでていると、覚悟を決めたのか話を始めた。

 よほど他の人に聞かれたくないのか、同じベッドで寝るという事態が既にどれだけ彼女にとっては重要な話であるかを物語っている。

 

「あ、あのね。前回の戦いが終わった後、私と東郷さんは、ある人に呼ばれたんだ」

 

「うん」

 

「それでその人は先代勇者で……えっと」

 

「……」

 

「乃木園子って言ってたんだ。亮ちゃんが前に言っていた子だよね」

 

「―――――そうだな」

 

 元々論理的に説明をするのが苦手な彼女が、いつに無くつっかえながら説明するのを俺は聞いていた。

 戦いに出る前、『わっしー』が東郷であるというのが分かった俺は、今度来る時に彼女を一緒に連れてくるか聞いたが、自力で呼ぶ云々の事を言っていた為、なんとなくの予感は的中していた。

 

 枕に自らの頭を乗せ、こちらを見上げ僅かに身を寄せて来る友奈の説明は、

 1週間と少し前に俺が園子から聞いた情報とあまり大差のないことであった。

 

「満開の代償は治らないのか……」

 

「うん、その人が言うにはね。明日の学校で風先輩にも報告するつもり」

 

「……」

 

「あんまり驚かないんだね」

 

「……まあ、予測はしてたよ。ある程度はだけど」

 

「凄いね、亮ちゃんは」

 

 嘘ではない。事前に初代と会話し、予測を立てた末に園子本人と話をして答えを手にした。

 だから俺にとっては重たい事実として、既に受け入れていた。

 受け入れた上で、モノクルなどの補助用の道具等を作っていた。

 

「……私はやっぱりショックだったな」

 

 勇者部の中で、俺は誰が一番勇者であるか聞かれたら迷わず友奈だと答えるだろう。

 それだけ勇気を持ち明るい彼女が、手にした事実に震えていた。

 

「……」

 

 ショックを隠せない様子の友奈に対して、俺はどう言葉を掛けるべきかを考える。

 俺自身は、園子に会った事に関しては現在誰にも言ってはいない。

 タイミングを逃したのもあるが、得た情報を隠匿する気だったからだ。

 

「なあ、友奈。満開した事による代償があると分かっていたなら、友奈は戦わなかったのか……?」

 

「――――ううん。多分受け入れた上で戦ったと思う。私だけじゃなくて他の皆も」

 

 それでも、友奈は勇者であった。

 後遺症が出ると分かっていたのならば、ショックを受けても、それでも誰かの為に戦う。

 それが、結城友奈という少女であった。

 そんな彼女が俺は好きなのだ。

 

「そっか」

 

 だがこの先もきっと戦いは終わらない。

 勇者部の人間は、本当の真実にまだ誰も気が付いていない。

 何かの手を打たなければ、戦乙女達はまた何かを失ってしまうだろう。

 

 何を言ってあげるべきなのだろうか。

 気丈に振る舞い、必死に先の見えぬ恐怖に怯え震える彼女に与える言葉は何だろうか。

 少し考えて俺は―――――、

 

「……俺が、守るよ」

 

「亮ちゃん……?」

 

「俺が友奈を守るよ。お前を傷つけるもの、友奈を悲しませるもの全てから、俺が守るよ」

 

 ―――――友奈の震える身体を抱きしめた。

 

 咄嗟に言うべき言葉としてはあまりにも稚拙だった。

 それでも告げるのだ。俺が守ってみせると。

 あらゆる障害から、結城友奈を泣かせる全てから、如何なるものからも守るという誓いを。

 

 少しでもこの思いを告げたかった。

 

 だからこれ以上の言葉を紡げない俺は、代わりに行動で示すことにした。

 どれだけ気障な言葉を言っても、歯切れの良い言葉を用いても。

 結局は行動して誠意を示すことでしか、目の前の震える少女を救う術は無いのだから。

 

 やがて、

 

「―――うん。なら私は、亮ちゃんを守るよ」

 

 そう顔を上げ、こちらに告げる少女の身体に、既に震えは無かった。

 そして、それ以上の会話も無かった。

 お互い密に触れ合いながら、俺は後ろ手にそっと電気スタンドのスイッチを切った。

 

 

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 

 

 

 そして、すぐに告げた言葉を実践する時が来た。

 

 それは友奈と一夜を過ごした日から、数日が経過した時のことだ。

 端末を手に取ると、見知らぬ番号から電話が掛かってきた。

 

 男の声だった。

 

『加賀亮之佑様ですか。私は大赦本庁の三好と申します』

 

「……用件は」

 

『犬吠埼風様の暴走を食い止めて頂きたく思い、緊急の連絡をさせて頂きました』

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第四十五話 破滅さえ、厭わないで」

 友奈と東郷が、風に先代勇者の事や満開の代償の事を話してから数日が経過した頃。

 既に話をしてしまった亮之佑と友奈、風は東郷に呼び出され、現在東郷家に来ていた。

 

「来ましたね、先輩」

 

「うん……。それで東郷、一体どうしたの? 急に呼び出したりして」

 

 距離的にも時間が一番掛かるであろう風がやってきたことで、東郷も話を進める。

 友奈と亮之佑が指相撲を終え、2人してフローリングの床に座り込みながら東郷を見上げる。

 三者の視線を受けて東郷はコクリと頷き、車椅子を操作し話しながら移動する。

 

「実は、風先輩と友奈ちゃんと亮くんに見てもらいたいものがあって」

 

「何?」

 

 友奈の問いかけに答えるように東郷は机の上に置かれていた小刀を手に取る。

 黒塗りの鞘に花の装飾のあるソレを、ぼんやりと綺麗だと思いながら少女達が見る。

 視線が集中する中、無言で東郷は小刀を抜くと、汚れ無き白い刀身が姿を現した。

 

「……?」

 

「……」

 

 一体どうする気かと見つめる友奈と風に対し、亮之佑はゆっくりとその紅の双眸を細める。

 やがて、目の前の車椅子に乗る聡明な少女は、

 

「―――――っ!!」

 

 それは一瞬の出来事であった。

 おもむろに白い刃に手を添えて、両腕の力で東郷は自らの首を引き裂こうとし、

 主人の自殺を、彼女の精霊が瞬時に防ぐように首と刃の間に割って入るのを3人は見た。

 

「な、なにやってんのよ……!!」

 

 風が驚きと僅かな怒りと安堵の念を持って東郷に怒鳴る。

 それが当たり前の反応だろう。

 なぜなら、東郷の自殺まがいの動きを精霊が止めなければどうなるかは明白だからだ。

 

 恐らく、いや間違いなく頸動脈を小刀が切り裂き、出血多量で死ぬだろう。

 そんな突拍子もない物を見せられて、優しい勇者部の部長が黙る訳がなかった。

 

「アンタ、今精霊が止めなかったら……」

 

「―――――止めますよ。精霊は確実に」

 

「……」

 

「えっ……?」

 

 驚愕の声を上げる風は、東郷の静かな声によって今度は疑問の声を上げる。

 狸のような精霊――刑部狸――が出現し、東郷の小刀を優しく回収するが、

 それに対して誰も目は向けない。

 

「―――――切腹、首吊り、飛び降り、一酸化炭素中毒、服毒、焼身」

 

「……」

 

「この数日、私はあらゆる手段を用いて、自らを殺そうとしました」

 

「何が、言いたいの……」

 

 風の声に対して、ゆっくりと東郷は伏せていた顔を上げる。

 深い深い緑の双眸は中空を漂い、未だ驚愕に震える友奈を、風を。

 そして、無言で少女の瞳を見返す亮之佑を見て、噛み締めるように再び口を開いた。

 

「私は今、勇者システムを起動させていませんでしたよね」

 

「確かにそうだね」

 

「それにも関わらず、精霊は勝手に動き、私を守った」

 

「……」

 

「精霊は勝手に動いたんです」

 

「だから! 何が言いたいのよ東郷」

 

 大事な事だから二度言ったのだろう。

 言葉を目の前にいる人達の脳裏に染み渡るように、東郷はあえて二度言った。

 友奈はやや困惑の表情を浮かべ、亮之佑はその言葉に言いたい事の意味を理解し、

 風は結論から言わず、回りくどく言う東郷の様子に眉をひそめた。

 

「つまり、精霊は私たちの意志とは関係なく動くという事です」

 

「……」

 

「私は今まで精霊は勇者の戦う意思に従っていると思ってましたが……違った。精霊に勇者の意志は関係ない」

 

 一言一言、東郷が呟くように、確かめるように言葉を紡ぐ。

 両手を合わせ、擦る東郷の声は落ち着いていたが、その瞳は剣呑としていた。

 その姿に風も僅かな苛立ちが無散したかのように息を呑み、無言で続きの言葉に耳を傾ける。

 

「それに気づいたら、この精霊という存在が違う意味を持っているように思えたんです。精霊は勇者の御役目を助けるものなんかじゃない。勇者を御役目に縛り付け、死なせず、戦わせる為の装置じゃないかと」

 

「……!」

 

 東郷の推測に部屋は無言となり静寂が訪れる。

 誰も反論を紡ぐ事が出来ず、ソレをさせない様に東郷は一呼吸置いた後、

 

「精霊が勇者の死を必ず阻止するならば、乃木さんの言葉は正しい物となる」

 

「勇者は、死ねない」

 

 亮之佑と風はその時現場にはいなかった。

 だがその後、亮之佑は友奈に、風は友奈と東郷から聞いていた。

 

「乃木園子という前例がありながら、大赦はこのことを黙っていたことになる」

 

「―――――」

 

 ふと亮之佑は小さくため息を吐く。

 まさか、こんなに早く真実へと繋がってしまうとは思わなかった。

 

 元々満開の後遺症については、バーテックスの総攻撃終了後から調べていた彼女だ。

 園子の出した情報があれば、聡明な彼女が隠された真実へ辿り着くのは容易いだろう。

 東郷の言葉は正しい物であると亮之佑は理解している。

 

 実際に園子自身の口から13回の満開をしたと聞いた。

 その部位も聞いた時、心臓や内臓なども損失した事を少年は知った。知ってしまった。

 人間が生きる為に必要な部位を失って常人が生きられるはずがない。

 今の時点で既に乃木園子という少女は、精霊によって生かされている状態であるのだ。

 

 だが、このシステム自体は悪いものではないと亮之佑は思う。

 精霊の加護が無ければ、間違いなく勇者部に所属する者は全滅しているのだから。

 当たり前だが、訓練もしていない少女が戦えるのは、精霊バリアの恩恵が大きい。

 

 問題は一つだが大きい。それは満開の後遺症を大赦が隠していたということだ。

 本来ならば手を取り合って共に戦うはずの大赦が勇者を騙していたのだ。

 ソレが勇者達の不信感を買った。

 

「私たちは何も知らされず、騙されていた」

 

 少年の思考の渦を止めるように、車椅子に乗った少女は少し声量を上げて断言した。

 ジワリとその言葉が脳に浸透したように風は残った片目を大きく見開いた。

 与えられた真実。知ってしまった残酷な真実の重さに膝をつく。

 

「―――――待ってよ、じゃあ樹の声はもう二度と……」

 

 希望はたった今無くなった。

 その衝撃に耐えられず、風の瞳からは熱い涙がこぼれ落ちる。

 自らの頬を流れる涙にすら気づかず、自らの罪と制御できない感情を風は吐露する。

 

「知らなかった……知らなかったの……。人を護るため身体を捧げて戦う。それが勇者だと……」

 

 自分の大切な妹の姿を思い出す。

 この世界で誰よりも大切な樹との思い出が脳裏に過る。

 

 もう二度と、友達とカラオケで歌うことが出来ない。

 もう二度と、演劇でセリフのある役を行うことが出来ない。

 もう二度と、風が帰宅した時に微笑を浮かべて「おかえり」と言うことが出来ない。

 もう二度と、「お姉ちゃん」と笑顔で呼ぶあの声を聞くことが出来ない。

 

 それを理解して自らの胸を掻きむしる。

 湧き出す後悔に、真実に対する焦燥に、過去の物となった記憶の全てに、

 風の魂が鷲掴みされたかのように心臓が悲鳴を上げた。

 

「―――――」

 

 意識するように呼吸をして、これは誰の所為かと考えた。

 この真実を黙っていた大赦の所為だ。そう思う。許せない。

 だが何よりも、誰よりも許せないのは――――、

 

「私が樹を勇者部に入れたせいで……!」

 

 涙が止まらなかった。

 己の無知が、樹の声を奪った。

 もしも、勇者部に樹を入れることを大赦に拒否していたならば、今頃どうなったのだろう。

 ふと風の胸中をそんな思いが過ったが、

 

「もう……」

 

 床に頭を垂れ、自らの“もしも”を、あったかもしれない未来を否定する。

 そんな妄想に意味などはない。今、風に圧し掛かるのは、残酷な事実のみだ。

 

 樹の声はもう二度と聞くことは出来ない。

 

「……」

 

 そんな風の姿に、友奈も東郷も掛ける言葉を持たず、亮之佑はそれをジッと見ていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 現在、風は自宅にいた。

 何かをする訳でもなく、一人無言で自室の椅子に腰を掛けていた。

 

「治らない……」

 

 ふと己の左目に触れると、愛着の湧いてきた眼帯の感触を感じる。

 この先、この左目に光が戻ることはない。

 その事実が理解できなかった。理解したくなかった。

 

「樹は……樹の声は……もう」

 

 戻らない。

 意味が解らない。決してあってはならないことだ。間違っている。誤っている。

 喪失感が風の心の中を占める。

 この先、樹の声を聞くことはできないという事実が、風を苦しめる。

 

「あ、あ……あぁ―――――」

 

 握り締めた拳をテーブルへ叩きつける。何度も何度も。

 

「くそっ……くっそがああああぁぁぁああっ!!」

 

 怒りに任せて片手を横に殴り払うと手が何かに当たり、テーブルから床に散らばる音が響く。

 だがそれに風は目もくれず、訪れた事実に慟哭する。

 

 もしも、アタシが樹を勇者部に入れなかったら。

 もしも、大赦の指示に従わず、勇者部に所属させなかったら。

 同じ事を何度も何度も何度も、何度も風は考える。考えたのだ。

 

 だがもう遅いのだ。

 遅い。

 

「何が復讐だ……!!」

 

 風の戦う理由は、決して胸を張って他者に言える物ではない。

 両親を殺した未知なる敵への復讐だった。

 それと同時に勇者として御役目を与えられ、調子に乗っていたのだ。

 自分だけが、自分たちだけが、世界を守り、人々を救い、明日へと導くことができるのだと。

 

 薄暗い快感に、勇者として活躍できることに心が躍った。

 しかし、現実は甘くなかった。

 

「アタシの、アタシのせいで……樹の人生が……!」

 

 この先、樹の人生はきっと過酷な物になるのは間違いないだろう。

 学校ですら既に音楽の授業で声が出ない為に問題が発生している。

 この先学校を卒業して就職することになっても、声を発することのできない樹は、

 これまで普通だと思っていたことすら困難になり、働き口にも苦労するのだろう。

 

 これから先、あまりにも重いハンデを背負って樹は生きなければならない。

 

「ちがっ……アタシはこんなこと……アタシが勇者部さえ作らなければ……」

 

 何度も拳を、額をテーブルに叩きつける。

 自責の念に、遅すぎる後悔に、自らをひたすらに傷つける。

 物には当たれない。当たってはいけない。

 この思いを樹に悟られてはいけないのだ。

 

「―――――っ」

 

 壊れそうになる心が、必死に何かを食い止める。

 それでも涙がこぼれ落ちる。心を震わせ、身を震わせ慟哭した。

 無知で愚かな自分を、誰かに断罪して貰いたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中で、自宅の据え置きの電話が鳴った。

 

「――――」

 

 砕けそうになる意識を繋ぎとめ、風は立ち上がる。

 居留守を考えたが、もしも緊急の物だったら……と考えると勝手に身体が動いた。

 リビングにある受話器を手に取り、耳に当てる。相手は女性だった。

 

「……はい、犬吠埼です」

 

『突然のお電話失礼致します。伊予乃ミュージックの藤原と申します。犬吠埼樹さんの保護者の方ですか?』

 

「はい……そうですが」

 

 グチャグチャの意識が、僅かにだが受話器の向こうの声へと向かう。

 口を開くとしゃがれた声が出たが、幸い相手は訝しむことなく淡々と用件を口にした。

 ―――――その内容が風の最後の何かを壊す。

 

『ボーカリストオーディションの件で、一次審査を通過しましたので、ご連絡差し上げました』

 

「…………何のことですか」

 

 受話器から届く単語を反芻する。

 歌手のオーディション。その一次審査を通過した。

 

『あっ、ご存知ないんですか? 樹さんが弊社のオーディションに……』

 

「い……いつ、応募をして……」

 

『えー、3ヶ月ほど前になりますね』

 

 3ヶ月前。

 その頃ならば、樹は自身の声を出すことができた。

 同時にその頃からか、少しずつ風の背中に隠れること無く、能動的に動くようになった。

 そういえば、その頃は樹もよくニコニコとしていたのを思い出す。

 

『樹さんからオーディション用のデータが届いてます』

 

 思わず受話器を落とした。

 その言葉に弾かれるように風は樹の部屋へと向かった。

 落とした受話器から聞こえる僅かな戸惑いの声は、既に風の意識の外だ。

 

「樹、入るわよ!」

 

 ノックをする暇も惜しく、風は慌てて樹の部屋の引き戸を開けて中に入る。

 乱雑に散らかる部屋の中を風は見渡す。

 

「いない……」

 

 ふと風の目が留まる。

 主のいない部屋、その机の上にノートが広がっていた。

 

 体の調子を良くする為の方法が。自らの咽喉を治すための治療法が。

 その模索された方法が。治せたら何をしたいかという樹の望みが。

 自らの願望を、そのまま全て書き込んだ希望のノートが、そこにはあった。

 

「―――――っ」

 

 奥歯を噛み締め、限界まで己の瞳を見開く。

 呆然としている風は、思い出したように樹のノートパソコンのハードディスクの中を覗く。

 

「……」

 

 やがてデスクトップにオーディションと書かれたファイルを風は見つけた。

 無言でマウスを操作してファイルを開く。

 

『あっ、ボ、ボーカリストオーディションに応募しました、犬吠埼樹です。 讃州中学1年生、12歳です。よろしくお願いします』

 

「―――――」

 

『私が今回オーディションに申し込んだ理由は、もちろん歌うのが好きだっていうのが一番ですけど、もう一つ理由があります。私は、歌手を目指すことで自分なりの生き方……みたいなものを見つけたいと思っています』

 

「―――――」

 

 その声に、風は座り込む。

 なんだこれはと思った。

 本当に樹は、歌手のオーディションに申し込んでいたのか。

 

『私には、大好きなお姉ちゃんがいます。強くてしっかり者で、いつもみんなの前に立って歩いていける人です』

 

「―――――」

 

『――――私は、本当はお姉ちゃんの隣を歩いていけるようになりたかった』

 

「―――――ぁ」

 

『だから、お姉ちゃんの後ろを歩くんじゃなくて、自分の力で歩くために、私自身の夢を、私自身の生き方を持ちたい。その為に今、歌手を目指しています!』

 

 目の前が歪む。

 やめて欲しい。自分はそんな素晴らしい人間などではない。

 自分は樹にそんな風に思われ、慕われる資格など決してないのだ。

 ただの私怨で残酷な運命に巻き込んだ、愚かで矮小で罪深い―――――、

 

『―――それで今は部活の時間がすっごく楽しくて……あ、ごめんなさい。余計なことまで話し過ぎちゃいました。では、歌います』

 

 そんな風の耳に、あまやかな声が届いた。柔らかな歌声が、風の心に染み込む。

 よくお風呂場で樹が歌っているのをこっそりと聴いていたのを今でも覚えている。

 

 祈りの歌。

 

 二度と聞くことのできない樹の声が、樹の歌が流れる。

 だが、もう二度と樹は夢を叶えることはできないだろう。

 そして、樹の望む自分の生き方は、その道は、永久に開かれないだろう。

 

「…………」

 

 残酷な現実に打ちひしがれる。

 そんな状況で風が呆然としていると、自らの携帯にメールが届いた。

 

「……」

 

 樹の歌声が主無き部屋で響く中。

 風は緩慢とした動きで携帯を手に取り、メールを確認する。

 

 大赦からだった。

 不安に駆られ、大赦に満開の、勇者の身体異常の調査を依頼したメールには。

 『肉体に医学的な問題は無く、じきに治ると思われます』という簡素なソレだけが返ってきた。

 

 あまりにも簡潔な文章には、人の温かみも優しさも感じられない。

 戦場から帰還した傷ついた戦士に対して、あまりにも冷たく感じた。

 

「あ、あぁぁ」

 

 大赦は嘘をついていた。

 こちらは既に情報を掴んでいた。治らないという情報と認めたくない確証がある。

 にも関わらず、“治る”という甘言を用いて、一体どこまで人を馬鹿にするのだろうか。

 ギリギリと端末を握り締める。

 

「アタシ……たちは……」

 

 こんな目に遭うために、遭わされるために、誰かの為に戦ってきたのだろうか。

 

「違う」

 

 決して楽しいものではなかった。夏凜のように、必死に努力した訳ではない。

 それでも、友奈と、東郷と、亮之佑と、夏凜と、樹の5人と、

 世界を、町を、何も知らない人々を護って来た。

 

 決して誰かに褒められたかった訳ではない。賞賛が得たかった訳ではない。

 ただの善意で、他の人にはできない事を勇んでやるという勇者部の理念に則って。

 そして、最後には勇者部の皆と日常に戻って、笑い合いたかっただけなのに。

 

「その結果が、これか……!!」

 

 ふざけるな。

 13体のバーテックスを、唯の人が撃退したのだ。たったの6人だけでだ。

 

 怖かった。痛かった。苦しかった。

 隣に立つ仲間と、樹と苦難を乗り越えて、血反吐を吐いて、涙をこぼして戦った。

 戦いの果てに、樹海へのダメージで人が死んだりもしたけれど。

 

 それでも自分たちはやり遂げた。戦い抜いたのだ。

 

 樹の声を犠牲にして。

 友奈の味覚を犠牲にして。

 東郷の聴覚を犠牲にして。

 亮之佑の色覚と何かを犠牲にして。

 

 多くの犠牲を出して。

 そんな全ての人類を危機から救った、勇者に与えられる物は――――、

 

「……ふざけるな、ふざけるなぁぁああああっ―――!!」

 

 心に黒い、どす黒い物が満ちる。

 感情が理性を殺す。

 原因は誰だ。風自身だろうか。きっとそうだろう。間違いない。

 そして、何よりも絶対に許せないのは、犬吠埼風が、許してはならないのは。

 

「大赦ぁ……」

 

 自らが報復する対象の名前を魂へと塗りこむ。

 ミシリと端末を軋ませるほどに少女は拳を握り締める。

 

「うっ……う、ああああああああああああああっ――――――!!!」

 

 風は叫ぶ。

 ソレは自らの肉親の夢を、未来を壊された事に。

 同時に、共に戦った戦友たちの未来を壊された事に対して。

 

 オキザリスの花が咲き乱れる。

 絶対に許さない。

 

「大赦を……潰す! アタシが! 大赦を! 潰してやるぅぅぅっ―――――!!!!」

 

 憎悪に満ちた声が部屋に響き渡る。

 勢いそのままに、大赦に向けて復讐を誓う。

 そして自宅の窓を壊して、片目に憎悪を滾らせた乙女が飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 

 

 

 

 電話の指示に従い、予測されるポイントへ向かう。

 聞くところによると、既に夏凜と風が交戦している状態だという。

 

「風、あいつ大丈夫かな……」

 

 ソレに答える声は無い。

 いや、たとえ初代が何かを言っていても俺の意識には届かなかっただろう。

 そんな中で、

 

「―――――ぁ?」

 

 思わず疑問の声が出た。

 聞いたことの無いソレは、憎悪に溢れ、憤怒に染まり、殺意に満ちた声であった。

 そして自らの視線の先で、突如黄金の花が咲き誇り、俺は―――――――

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第四十六話 暗く濁った道の先で」

誤字報告ありがとうございます。


「あれは……!!」

 

 知っている。

 俺はあの光を知っている。

 

 あの光は絶望を退け、勝利を望む者がソレを掴み取る為の力の象徴だ。

 僅かにではあるが神の力を自身に宿し、世界の危機を食い止め、敵を倒す為の物のはずだ。

 だと言うのに、花は咲いた。

 

 樹海化もしていない、ただの町で。

 人が歩き、車が地面を走り抜ける中で。

 そんな日常生活の中であってはならない黄金の花が空中に咲き誇った。

 

「―――――っ」

 

 その表情は歪んでいた。

 殺意と憎悪を片目に浮かべ、悲しみに涙を流しながら殺意に満ちた声は獣の姿を思わせた。

 彼女を中心に舞い散ったオキザリスの花弁が中空に消えるのを見ながら、

 俺はこちらに急接近する風を止めるべく―――、

 

「あぐっ―――――」

 

 こちらに突撃してきた彼女に、耐える暇すらなく弾き飛ばされる。

 咄嗟に俺と風の目の前に展開した軽機関銃は紙屑のように引き裂かれ部品が飛び散る。

 代償に作られた一瞬の停滞の中で、逃げるかのように去ろうとする風と目が合った。

 咄嗟に跳躍し、必死な思いで手を伸ばす。

 

「―――――ああっ……!!」

 

「ぐっ……」

 

 僅かにだが速度を落とさせる事に成功し、飛び去ろうとする彼女の足首を掴むことに成功する。

 だがバランスを崩し、錐揉み状に風共々頭から地面に叩き付けられる。

 解っていたが、地面の灰色のアスファルトに自らの脳漿を撒き散らす直前に、

 俺は茨木童子が、風は犬神が出現し、バリアを作り出す。

 

 アスファルトを横に回転しながら何とか立ち上がると、

 既に立ち上がりこちらを睨み付ける風の剣呑とした瞳と交差する。

 薄い緑の瞳にはいつもの優しさは感じられず、むしろ憎悪すら向けられる。

 

 周辺一帯は突如飛来した俺と風に恐怖を覚え、逃げ出す人間が多い。

 車がぶつかり合い、周囲で悲鳴と怒号が飛び交う。

 一瞬だけ周りを見渡し、よりにもよって車の多い車道に転げ落ちた事に心の中で舌打ちする。

 だが今はそんなムシケラに注意を払ってはいられない。

 

「風先輩……。一体、何をするつもりですか」

 

「亮之佑、どきなさい」

 

 質問に対し、返ってきた言葉は拒絶という感情で塗り固められた物だった。

 その姿に苛立ちを覚えるが、今は会話に力を入れる。

 大赦の人間によれば、他の勇者にも連絡をし、増援に駆けつけさせるらしい。

 

「夏凜は、どうしたんですか……」

 

「夏凜? ……ああ、大赦の道具ね」

 

「そうです。その大赦の道具が風の下に行ったらしいですが」

 

「はっ」

 

 酷評を吐き出す風が薄い笑みを浮かべるのを見ながら、再度周囲に注意を向ける。

 ひとまず周りの人間達に早く逃げて貰いたいのだが、馬鹿な人間が数名ほどこちらを見ている。

 ああいう状況を楽観視している連中が一番早く死ぬのだろう。

 

 時間稼ぎの意味も含めて、目の前の風と会話を続ける。

 一度だけ見たことのある彼女の神道の神官を彷彿とさせる装束とその背中に現れているリングは、

 間違いなく以前見た満開時の装いと変わりない。

 

「アイツなら、今寝ているんじゃない……?」

 

「え……」

 

「意外とやればできるもんね、アタシって」

 

「……」

 

 僅かに殺伐とした雰囲気が減るのを俺は感じながら、風は告げる。

 なんてことない様に、それこそ明日の天気を言う様に、夏凜を倒したと言外にほのめかした。

 薄い笑いを浮かべながらも全く目が笑わない風に対して、俺は再度問いかける。

 

「風先輩、一体何をする気ですか」

 

 答えは分かっていた。

 だが、それでも風の満開している時間に限界が少しでも来るように言葉を紡ぐ。

 正直言って、俺程度に風の説得ができるとは思えない。

 

 いや、上辺だけの言葉を並べ、耳障りの良い言葉ならいくらでも言えるが、

 そんな物よりも友奈の言葉や樹の文字でなければ風の怒りを鎮めることは不可能だろう。

 つまりは彼女たちが来るまで、俺はここで風を食い止めるしかない。

 

 既に戦いは始まっているのだ。

 

「決まっているじゃない……!! 大赦を潰す!」

 

「……大赦を」

 

「そうよ! 大赦はアタシ達を裏切った! 知っていながら騙していた!」

 

「――――っ」

 

 そんな稚拙な思考を読んだように、突如風の姿が消えた。

 いや、消えたのではない。

 満開した風の身体能力が飛躍的に上がっているため、そのように見えたのだ。

 

 刺突する大剣が目の前に迫る。

 咄嗟に回避すると、一瞬前まで己がいた空間に捻じり込む大剣が背後に停車していた車を貫く。

 

 完全に風の間合いに入っていたらしい。

 その破壊力にゾッとしながら、思わず距離を取ろうとする。

 この距離では軽機関銃も、RPGも装填し撃つ前に斬られてしまう。

 

 ソレを風も理解しているのだろう。

 咄嗟に後方に下がろうとする俺に追従し、風は大剣を構え迫り来る。

 その鬼神の如き姿を自らの視界に収めながら、周りに止まっている無人の車の陰に転がり込む。

 既に逃げたのだろう賢き主なき車を盾にしながら話を再開する。

 

「だから、大赦に報復するんですね」

 

「そうよ!!」

 

 車を風と俺の間に挟み込み、恐らく最後の話を続ける。

 これ以上は引き伸ばせる気がしないし、風も続ける気はないだろう。

 隠れている俺に対して風が憎悪に満ちた声を浴びせる。

 

「あんな組織は絶対に許せない! 許しちゃいけないのが賢いアンタなら分かるでしょ!!」

 

「そうですね」

 

「大赦のせいで、友奈も東郷も樹もアンタも!! みんなこんな苦しい思いをした!!」

 

「……」

 

 確かにその通りだ。

 大赦が情報を隠していた所為で園子も勇者部の皆もこんな目に遭っている。

 身体の機能を失い、知らぬ間に生贄として神樹に捧げられていた。

 

 ソレについて憤らない訳がない。

 園子は情報を隠すことが一種の思いやりであると言っていたが、俺はそうは思えなかった。

 当然だ。詐欺を働くにも限度という物がある。

 大赦には報復をするべきだと思うし、その権利はもちろん勇者部にもある。

 

 しかし、だ。

 それでも現状の大赦を、風に潰させる訳にはいかない打算に満ちた理由がある。

 大赦はこの世界を守護する神樹を管理する組織だ。

 表の世界では目立とうとしないが、裏の世界では大赦こそが頂点であり、及ぼす影響力は強大なものだ。

 

 つまり、それだけの存在力を持った大赦という組織が潰れるということは、

 力の均衡が崩れ、当たり前であった平和な日常にも何かしらの悪影響が及ぶだろう。

 

 当然、隠されていた情報も全て白日の下に曝け出されるだろう。

 その情報の中には、間違いなく壁の外の情報も含まれている可能性が高い。

 何のクッションもなく、唐突に真実を知らされた住民達は暴走して―――世界の破滅が近くなるだろう。

 

「……風」

 

 そして何より、風に人殺しなんてさせられない。

 ソレをしたら最後、勇者どころか堕ちるところまで堕ちかねない。

 

「あんなものがあるなら、アタシは勇者部なんて作らなかった!! 二度と治らない後遺症が出ると分かっていたなら、最初からアンタ達を巻き込んだりしなかった――――――のに……!!」

 

「……そうか」

 

 車が大剣によって縦に切り裂かれる瞬間に再度軽機関銃を出現させ、肩に構える。

 コートの左肩を見るとゲージは完全には溜まっていなかったが、覚悟は決まった。

 指を引き金に掛け、感情に呑まれた愚かな獣に最後の呼びかけをする。

 

「風先輩、俺は先輩を止めるよ。風先輩に人殺しなんてさせない」

 

「――――邪魔を……」

 

「こいよ」

 

「アタシがあの組織を潰すのを邪魔するなら……!! 誰だって容赦はしない!! だから、アタシの、邪魔をするなああぁぁぁあああっ……!!!」

 

 

 

 ---

 

 

 切り裂かれた車から飛び出し、上半身を前傾姿勢にして軽機関銃を肩に当て、引き金を絞る。

 移動しながら撃つという無茶と肩への反動が同時に襲いかかってくるが、無理やり押さえ込む。

 

 重厚な音と共に暴力を唄う殺意の雨がたった一人に向けられるが、

 銃口から放たれる紅の弾丸の雨を物ともせず、風は急速に俺へと接近するべく吼える。

 

「オオオッ!!」

 

 もはや回避しようともせず、弾丸の嵐の中を雄たけびを迸らせ風は迫る。

 距離を取ろうとする俺を追って彼女は思い切り地面を蹴り飛ばす。

 それでも後方に下がろうとする俺の思考に水を差すように、何かが警鐘を鳴らす。

 

 両手でしっかりと柄を持ちつつ風が大剣を振りかぶる。

 嫌な予感がして咄嗟に腰を屈めると、頭上スレスレを巨大な鉛色の刃が空間を切り裂いた。

 

「――――ぐっ」

 

 忘れてはいけなかった。

 満開をした際、風が所持している大剣はより一層巨大化する。

 雄たけびを上げる風の意思に従い、巨大化した剣を横に払って斬るのを咄嗟に伏せて回避する。

 

 周囲の切り裂かれた車が斬撃を受けた為か、赤い火花がガソリンに引火し爆発する。

 だが爆発で起こった熱気を熱いと感じている暇はない。

 爆発の衝撃を背中で受けながら、俺は地を這うように前傾姿勢で風へと向かう。

 巨大化した大剣の下を潜るように猛追する俺の姿を見て、相手は瞬時に大剣を手元に戻す。

 

 勝利を確信したのか、獰猛な笑みを風は浮かべる。

 確かに彼女が考えている通りだ。

 

 臆病風に吹かれて後方に下がりながら再び軽機関銃で弾幕を張ろうとしても、満開した風にとっては豆鉄砲の様な物だろう。

 ジリ貧の末に巨大化した大剣に斬られる。

 

 そもそも銃弾が当たっても大してダメージを感じていない。

 そのため至近距離で銃を撃とうとしても、装填より前に切り伏せられるだろう。

 また機関銃より装填が早い拳銃では、満開した風の防御力は貫けない。

 それだけ満開状態での勇者の力が異常なのだ。

 

 詰みだ。

 

 この数秒後、憎しみに眦を歪めて風は俺をバリアごと縦に切り裂くだろう。

 逃げ場を失った俺がバリアごと斬られた後、

 破壊衝動に駆られた風は速やかに大赦を潰し、感情のままに破壊の限りを尽くすだろう。

 

 だからこそ、風を止める為には満開をしなければならない。

 満開をした勇者に対抗できるのは、同じ満開をした勇者しかいないのだから。

 

(アイツなら、どうしただろうか)

 

 そんな中で、俺はふと思った。

 今は亡き白い髪の男の背中が脳裏を過る。

 加賀宗一朗。アイツならこの局面をどう乗り切っただろうか。

 

「アタシは、絶対に、大赦を潰す―――――!!」

 

「――――――」

 

「だから、そこをどきなさい!!!」

 

 完全に彼女の間合いで、既に下がることは自身の敗北を示していた。

 咄嗟に盾代わりに使用した軽機関銃は数秒保たず叩き壊され、思わずたたらを踏む。

 その隙を風は見逃さず、殺意を込めて大剣を振り下ろすが、

 

「あぐっ――――――――!!」

 

 左手を上にかざし、辛うじて茨木童子のバリアと共に敗北を阻止する。

 だがガリガリとバリアが削れ、衝撃を逃がしきれない左手が麻痺したのを感じた。

 同時に左手に持っていた拳銃がひしゃげ、致命的な破損によって使用不可になるのが分かった。

 

 使える武器が一時的に使用不可になった。

 盾となる武器はもうない。

 そんな状況下で、俺は思い出す。

 

 

(アイツなら――――)

 

 守らなかった。

 安易に防御に回らなかった。

 

(アイツは――――――)

 

 決して止まらなかった。

 何者よりも速く、巧く、強かった。

 

 

 世界の時間が限界まで停滞へと近づく中で、かつて宗一朗と行った近接格闘訓練を思い出す。

 同時に己に残された最後の武器での、勝利に向けた工程を編み出す。

 身体が、頭脳が、目の前の“敵”への迎撃に向け最適に行動する。

 

「亮之佑ええええぇぇぇえええっ――――!!!」

 

 左手で必殺の一撃を防いだことに、僅かな驚きが瞳に過る風は。

 悲鳴の様に腹の底から叫ぶ風は、次は無いとばかりに自らの大剣を捻り突き上げる。

 明確な殺意と憎悪を全て俺に向ける剣尖は黄金の光束が迸り、敵対する者の首を狙う。

 

「――――オオッ!!」

 

 憎悪に満ちた声に俺は短く吼え応える。

 振り下ろされる大剣が迫る中、動く右手の掌の中で夜空のように昏い光を生み、

 

「……!」

 

 主の意を汲み出現した黒剣が黒い弧を描き、鉛色をした大剣の一撃を防ぐ。

 紅金の火花を生み出したソレに対し、声無き驚きを風は示す。

 

 驚くことなかれ。

 本来の武器は、何も銃だけではない。

 因子を持っている者が所持する武器は増えることがあれど、基本は元の武器の派生系だ。

 東郷で言えば拳銃や狙撃銃など銃関連を元にしているように。

 夏凜で言えば刀や脇差といった剣関連を元にしているようにだ。

 

 だが俺の場合は、初代との因子によって銃と剣の二つが元の武器となる。

 普段仕舞い込んでいるだけで、剣が使用不可になった訳ではないのだ。

 

「ああっ――――!!」

 

「は――――!!」

 

 肉薄した距離で、剣戟を振るう。

 金属音が響き渡り、黒剣と黄金の大剣が交錯するが、

 数秒せずに黒剣の刀身に亀裂が奔る。

 

「――――っ」

 

 根本的に、満開した勇者としていない勇者では、同じ土台には立つことができない。

 だが、それでも食らいつくことができたのは、皮肉にも風の怒りや憎悪といった感情が理由だった。

 負の感情によって精度に欠いた攻撃を紙一重で、最低限のダメージで受け流していた。

 

 しかし、ソレも時間と共に精度が増している。

 だからこそ、勝負を決めるなら今しかないだろう。

 明確な勝利への意思を唱える。

 

「満開」

 

 3回目の満開。

 装着者の意思を汲み取り、紫黒色の刻印が輝く。

 ゲージは全て溜まっている訳ではないが、ソレでもどうにかなるらしい。

 紫黒色の花弁が俺を中心として咲き誇り、黒剣の亀裂が瞬時に再生される。

 

「……!! 跳ん――――」

 

 肉薄する状況で自ら風に向かって前傾姿勢で跳躍する。

 斬り下ろそうとする直前の大剣目掛けて、自らの最大脚力で跳躍する。

 

「風――――!!」

 

 黒い刀身が昏色に輝く中、精確に大剣の柄を一瞬だけ掠めて風の腕に突き刺さった。

 バリアを貫かんと重く激しい衝撃音が轟き、右の掌から頭の芯を揺さぶる様な振動が伝わる。

 

 震えが自らの腕に反動として戻る中で、先に風の腕が衝撃に耐えられず、大剣を取りこぼす。

 一振りによって生まれた衝撃に呆然とする風を、俺は跳躍した勢いと共に押し倒した。

 同時に役目を果たし砕け散った愛剣に心の中で感謝を告げ、倒れ込むように押さえ込んだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 硝煙の匂いと車が爆発した際の鼻腔をくすぐる焼けた臭いにむせ返りそうになる。

 だが、それでも目の前の少女からは眼を離さなかった。

 見下ろすと先ほどよりは薄れたが、それでも眉をひそめ殺意に満ちた瞳が少年を見上げる。

 

 しかし僅かにそれだけでない、何かの感情を宿し始める風の姿を紅の瞳が見下ろす。

 その姿にやや逡巡してから、亮之佑は己の満開の時間が切れる前に口を開く。

 

「……大赦を潰したいという気持ちはよく分かるよ」

 

「だったら―――!!」

 

「確かに、知っている情報を隠匿したのは大赦の罪だ。しかもよりにもよって満開の後遺症という重大な情報をだ。……だけどさ、きっと友奈達なら知らされていたとしても戦ったと思うよ」

 

「……そ、れは」

 

「世界を守る為にはどうしようもなかった。選択肢なんてものは無くて、最初からどうしようもなかったんだよ」

 

「……でも」

 

 自らの両手で風の手を押さえ込みながら、

 目の前の少女の怒りを鎮火させるべく、続けられなかった言葉を亮之佑は紡ぎ出す。

 結城友奈なら、こう言うだろうという確信があった。

 彼女と共に過ごした年月ならば誰にも負ける気は無かった。

 

 優しく、思いやりに溢れた友奈は、誰よりも勇者に相応しい存在だと亮之佑は思う。

 もちろん三好夏凜も、大赦に指導され訓練されたが、それでも間違いなく勇者だろう。

 

「でも、アタシが勇者部なんて作らなかったら、樹は……皆も……」

 

 風の瞳が揺れ動く。

 確かに夏凜も友奈も勇者だと風は分かっているのだ。

 だが、それでも樹は違うとも思っている。

 流されるままに自分の後ろについて来た結果、風の唾棄すべき私情で夢を潰したと。

 一番大事な妹を傷つけた自分と、大赦が許せないのだ。

 

「分かりますよ」

 

「――――アンタに何が……!!」

 

「分かるんだよ」

 

「―――――」

 

 咄嗟に苛立ったように怒りが再熱する風を紅の瞳が見下ろす。

 その血のような色の奥で夜空の如き暗い物を見て、風は息を呑んだ。

 そんな風から目を逸らし、少年は空を見上げる。

 

「……大切な人を護りたいと思うのは当然の事だ」

 

「―――――」

 

「たとえ、全てを犠牲にしても本当に大切な者を護りたい。ああ、よく分かるよ。本当に。でも、だからこそ―――」

 

 相変わらず空の色は灰色のままだ。

 それどころか、この空は全て偽りの物であるのだから笑える話だ。

 いつの間にか力の抜けた風の身体をそれでも押さえ込みながら、再度彼女の顔を見下ろし告げる。

 

「だからこそ、お前の行動は樹を、勇者部を喜ばせると本当に思っているのか……?」

 

「……それは」

 

「お前の復讐は、感情に振り回されたモノでしかない。でも“その気持ち”はよく分かる。だからこそ、安易で計画性の無い復讐は絶対に駄目だ。理性的に考えて考え抜いた先に、それでもなお風が大赦に報復をする気ならば―――――――俺も力を貸そう」

 

「―――――」

 

「大赦の施設や唯の職員を潰して回るんじゃなく、上層部の真実を隠匿していた連中を一緒に殺そうじゃないか」

 

「……」

 

「悪くないだろ……?」

 

 そう言って不敵な笑みを浮かべ、少年は自らの瞳を煌かせる。

 呆然と風は自らの肉体に馬乗りしている少年を見上げた。

 それは悪魔の甘言であり、風の行おうとしていたことよりも性質の悪いものだった。

 

 亮之佑の言っている事は、風が行うつもりだった“潰す”という行為と大して変わらない。

 ただ感情に従って暴れまわるのではなく、一度冷静になって計画を練ってから潰そうという物だ。

 そんな嘘か真か分かり難い言葉をのたまう少年の顔を見ながら、

 風は少しずつ自身の怒りの感情が収まりつつあるのを感じたが――、

 

「だけど、やっぱり樹を勇者部に入れなければ……」

 

「―――面倒臭いな、お前のお姉ちゃん。なあ、どう思う……?」

 

 紅と薄緑の瞳が交錯する中で、先に逸らしたのは風の方だった。

 熱の引き始めた思考で堂々巡りをし始める風に馬乗りになっている亮之佑がため息を吐きながら唐突に後ろに呼びかけると、初めて風はその存在に気づいた。

 

「……樹」

 

 自らの出番を待っていた樹は、立ち上がる亮之佑と交代で風に抱き寄る。

 足音を立てず後ろに下がる少年は、既に勇者服を着込んだ友奈と、

 

「風にやられた人、ちーす」

 

「あ?」

 

「亮ちゃん」

 

 遅れながらも到着していた少しボロボロな戦友に挨拶した。

 意味もなく完成型勇者(笑)を煽りながら、睨みつけてくる元気そうな姿に少し安堵する。

 そんな中でも姉妹の団欒は進む。

 

『私達の戦いは終わったの。もうこれ以上、失うことは無いから』

 そう携帯のメールに打ち込み、樹は風に見せる。

 既に勇者部は全員真実を知った。それでも樹が絶望に打ちのめされることは無かった。

 

 確かに夢は潰えた。

 自らが初めて望んだ道はもう見えない。

 希望は閉ざされ、この先の人生は決して明るい物ではないだろう。

 それでも樹はメールに再度打ち込み、風に文面を見せる。

 

『勇者部のみんなと出会わなかったら、きっと歌いたいって夢も持てなかった。勇者部に入って本当によかったよ』

 

 何も言えなくなっても、それでも樹にとって、

 友奈と東郷と亮之佑と夏凜、そして大切な姉と創った勇者部は樹の自慢であり、誇りであった。

 だからこそ、風に「勇者部が無ければ」という言葉だけは使って欲しくは無かった。

 

「樹ぃ……」

 

「―――――」

 

 その想いは血を分けた風にも伝わった。痛いほどに伝わった。

 もう夢は叶わない。目指した道は見えない。

 それでも姉が創った勇者部は、決して間違いではなかったと。

 

「いつきぃ……」

 

「――――」

 

「ごめんね……ごめんね……」

 

 そう言って瞳を震わせ、心を震わせ泣き出す風を樹は抱き締める。

 自らが尊敬する姉の頭を。心を解きほぐすべく抱擁する。

 

 樹にとって、風の戦う理由という物は重要ではない。

 なぜならば、戦う理由が『復讐』や『報復』といった綺麗ではない理由だとしても。

 最初から誰かの為に戦うことのできる風は、

 樹にとって何者よりも強く、凛々しく、格好良い、偉大な勇者なのだから。

 

 風の満開が解けていく。

 金色の粒子が樹と風を祝福するように包み込み、上昇していく。

 そんな幻想的な光景を3人が見上げていると、

 

「えっ……?」

 

 疑問の声を思わず夏凜は口にする。

 全員の携帯端末から、等しく不快なアラームが鳴り響く。

 友奈が端末の液晶を見ると、樹海化警報ではなく、

 

「特別警報発令……?」

 

「おかしいよ! アラームが鳴り止まないよ!?」

 

 鳴り止まないソレを見ている中で、世界が白く染まる。

 

 

 

 ---

 

 

 

 世界が樹海化する。

 そんなはずがないと勇者達は驚愕する。

 なぜならば、バーテックスは全て倒したからだ。

 

「落ち着きなさい、まずは現状を確認して……」

 

 そう言いながら夏凜は端末のアプリを起動する。

 仮に新たなバーテックスが来たとしても、完成型勇者である自分がなんとかしようと――、

 

「なに、これ……?」

 

 地図上ではどうも壁に穴が開いて、そこから無数の赤い点が、大量の敵が侵入してきている。

 あらゆる疑問を押しのけ、完成型勇者は最善策を考える。

 事実を頭が咀嚼し、次の最適な行動に移る前に、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――樹?」

 

 ポツリと呟かれたその声の方向へ無意識に夏凜の目が向く。

 つい先程まで樹に抱擁されていた風は、困惑気味に樹の名前を呟き周囲を見渡す。

 その様子に思わず、

 

「風……?」

 

「樹!」

 

 夏凜の声が聞えていないように風は自らの妹の名前を呼ぶ。

 すぐ傍に樹がいるにも関わらず、迷子の子供のように風は「樹」と名前を呼ぶ。

 

「風、しっかりしなさい……!! 樹なら目の前に……」

 

 錯乱でも起こしたのかと思い呼びかけようとするが、唐突に夏凜の声が尻すぼみになる。

 何が起きてしまったのか、気づいてしまった。

 

「ねぇ、樹? どこに行ったの……?」

 

「―――――」

 

 樹は今も風のすぐ近くにおり、唐突に自分の名前を呼ぶ姉に驚きつつも再び抱きしめようとするが、

 風が何を失ったかに気づき、その瞳を見開く。

 

「あれ……?」

 

 そして、端末と睨めっこしていた友奈はある事に気づく。

 気づいてさっきまで隣にいたはずの親友がいた場所を見渡し、再び端末を見る。

 そうしてようやく驚愕の声を出した。

 

「なんで……」

 

 地図上の壁には、『東郷美森』という表示と。

 少し離れた所に、『加賀亮之佑』という表示が示されていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第四十七話 内側から狂いゆく」

 風との戦いを終え、夏凜や友奈と顔を合わせながら、ひとまず一件落着したと思っていたが、

 辛くも勝利した俺を待っていたのは、世界が白く染まり、樹海化した世界であった。

 

「ここは……」

 

 周囲を見渡すと、どうも壁ギリギリの場所に移動していたらしく下には海が見えた。

 場所の把握をしながら、俺は次に自身の状態を見る。

 

 満開したことで強化された武装と少し伸びた昏色のコートが自らの眼に映りこむが、

 徐々にそれらから紫黒色の粒子が漏れ出ている。

 

 恐らくだが、完全に満開が解けるまであと3分程度だろう。

 あまり馬鹿に出来ない自身の勘で判断を下しつつ、端末で地図を開く。

 樹海化をしているが、まさかもうバーテックスが復活したのだろうか。

 久しぶりに移動してしまった為、まずは合流するべく俺は何気なく端末を見ると、

 

 大量の赤い点が、壁を通り抜けてこちら側に入り込んでいた。

 

「―――――ぁ?」

 

 呆然とした声が自らの口から漏れる。

 だが、瞬きをしても右手に持っている俺の端末は、淡々と正確な情報を所持者に教える。

 

「……」

 

 無言で操作した後、端末の指示する方角に顔を向けてモノクルを片目に装着する。

 モノクルの遠視と勇者の力、そして満開によって得た残りのエネルギーを駆使して見る。

 見た先の光景は、

 

「東郷……」

 

 巨大な樹木の根のような物で編み込まれた壁に向かったのはもう数年も前になる。

 今まであえて再度訪れることをしなかったが、数年経っても何一つ壁は変わっていなかった。

 そんな白緑色の壁には煙を上げて、ポッカリと穴が開いていた。

 そして開いた穴からは、大量の星屑がギチギチと歯を鳴らして樹海へ入り込んでいた。

 

「―――――」

 

 壁の上からこちらに背を向ける形で東郷はどこかを見ていた。

 それだけで俺は何となくだが理解した。

 誰が何をしたのか、察せない訳がなかった。

 

 脚に力を入れ跳躍を繰り返し、東郷のいる場所へ向かうのは容易かった。

 ふと風の後遺症が気になったが、それよりもまずは現状の打破を優先するべきだろう。

 途中で満開の限界時間が訪れたが、自らの手足に異常は無かった。

 

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 

 しばらくして、オレは東郷のいる壁に辿りついた。

 

「やあ」

 

「―――――」

 

「東郷さんは、こんなところで何をしているんだい?」

 

「―――――」

 

 オレの呼びかけに対し、東郷は返答をせず、こちらに飛翔する星屑を撃ち落とす。

 ライフルや生前ロボットアニメで見たことのあるファンネルを使用し、空を舞う星を蒼い弾丸が撃ち滅ぼす中、

 振り返ることなく東郷美森は、端的にこう言った。

 

「壁を壊したのは――――私よ、亮くん」

 

「なぜだ」

 

 周囲に星屑が無くなり、銃声が消え静寂が戻る中で、オレは直球で東郷に切り込む。

 やがて武装を解いた東郷は、ようやくこちらに振り向いた。

 その深緑の瞳がオレを見るが、それでも東郷は変わらず無言を貫く。

 

「……」

 

「東郷さん。当たり前だがこの状況で無言になるのはいけない。それは――」

 

「壁の外を見たわ」

 

「―――――」

 

 その一言に、今度はオレが黙り込んでしまった。

 

 紅の世界を見た。

 明確なる死と絶望と紅蓮の灼熱で彩色されたあの世界を見たと言う。

 黙り込んだオレに代わって、一呼吸を置いて東郷が重い口を開いた。

 

「今日、乃木さんと話をしたら、真実を教えてくれたわ。……真相は自分で確かめるべきだって」

 

「―――――」

 

「それと、かっきーにもよろしくって」

 

「―――――」

 

 東郷は知ってしまったのだ。

 この世界の真実に。虚構で塗り固められた世界の真実を認識してしまった。

 それだけで聡明な彼女は簡単に理解できたのだろう。

 

 勇者としての御役目に縛られて、延々と戦わされる。

 そんな勇者という名の生贄になる未来が、東郷の瞳に映りこんだ。

 僅かに息を呑んだオレの様子に対し、眼を細めた東郷は背を向けて歩き出す。

 

「亮くんも知っているでしょ。この世界の真実の姿を」

 

「―――――」

 

「壁の中以外、全て滅んでいる。そしてバーテックスは13体で終わりではなく、無数に襲来し続ける」

 

 東郷の後ろを、2メートルほどの間隔を作り無言で歩きながら話は続く。

 久方ぶりに結界を通り抜け見た世界は、自らの色褪せた視界ですら紅の色に染まった。

 空を見上げると、白い多くの星が瞬きながら赤い空を移動していた。

 

「この世界にも、私たちにも未来はない。私たちは満開を繰り返して、身体の機能を失いながら戦い続けて……」

 

 低い声音で、東郷はこの世界の残酷さを語る。

 穏やかそうに見え、理性的に話しているライフルを持った少女の様子に対し、

 語る内容に無言で続きを促しながら、オレは拳銃を左手に、黒剣を右手に出現させる。

 

「いつか大切な友達や―――――楽しかった日々の記憶も忘れて……」

 

 対人用の兵装を出現させるオレに対して、東郷は拳銃を出現させる。

 悲嘆に暮れ、片手に拳銃を出す東郷は、構える訳ではなく自分の肘を抱き、白い肌に爪を立てる。

 生贄となる自分が想像できたのか、東郷はその深緑の瞳に掠れた決意を宿してオレを見た。

 

「それでも、私たちは戦い続けなければならない」

 

「―――――」

 

「その先にあるのは、明確なる破滅の道。だから、皆がこれ以上苦しむくらいなら……」

 

「―――――」

 

「私がこの世界を……終わらせる。そうすれば友奈ちゃんも亮くんも、勇者部の皆がこの生き地獄から解放される」

 

「それで神樹……様を倒す為に、壁に穴を開けたのか」

 

 なんとなく、いつもの薄い笑みを浮かべて笑ってしまう。

 それが気に入らなかったのか、東郷は眉を顰め、視線と共に銃口を向ける。

 明確に敵対するという意志が籠められていたが、オレはそれを気にも留めなかった。

 

「―――――何が可笑しいの」

 

 左手を広げ、思わずクツクツとした笑いを口から溢す。

 目の前にいる存在が面白くて、苛立って、憎くてしょうがなかった。

 

「東郷、ソレは傲慢だな。独り善がりでしかない考えだ。……大体友奈やオレ、勇者部の誰かがそう言ったのか? 『助けて東郷さーん』って。……誰も言ってないよな?」

 

 銃声が響く。

 蒼い弾丸に頭を狙われたが、バリアのおかげで仰け反る程度で済む。

 だが、それでも撃たれたという事実に変わりはない。

 

「亮くん、分かって。神樹様さえ倒せば、それで終わりなの。もう誰も二度と辛い思いをしなくて済む!」

 

「ソレはつまり、オレ達の生きている世界を壊すと言っているんだよな、東郷。友奈を殺し、樹を殺し、風を殺し、夏凜を殺し、世界を地獄の炎で焼き尽くす。皆を殺すつもりなのか?」

 

「―――――そうよ。これ以上友達も大切な人も傷つくことに、私は耐えられない!」

 

 肯定する東郷を見る。

 目の前にいる少女は、かつてのオレと同じ状況に立っていた。

 初めて世界の真実を知った時、初代から情報を得た時、オレも同じ様な事を考えていた。

 

 そして、東郷は選んだ。

 いつか訪れる生き地獄を味わうよりも、先に地獄を回避する方法を。

 もしかしたらオレも選んでいたかもしれない、世界に反旗を翻し、神樹を殺すという道を。

 死という“終焉”でありながら、同時に訪れる“救い”を求めた。

 

「そうか」

 

 だが、オレは選んだ。

 たとえこの世界が偽りの物でしかなくても、日常で見上げるあの空が虚構に塗りつぶされていても。

 友奈や園子がオレに笑いかける限り、神樹に守られたあの世界がオレにとっての居場所だと。

 だからオレは死を敵と認識し、崩壊へ至る道に対して足掻き戦う決意を抱いた。

 

 双子座の残りとの戦いの際、園子はこう言った。

 「この先どんな答えを出しても、私は貴方達の味方である」と。

 それは即ち、同じ地獄を見たオレたちが異なる答でも静観しているということ。

 

 同時にオレは既に答を園子に告げた。

 だから園子には分かっていたはずだ。

 加賀亮之佑と東郷美森は異なる道を選ぶことを。

 なればこそ、この先の結果がどうなっても園子は悲しみこそすれ、仕方ないと頷くだろう。

 

「……考え直す気は無いか」

 

「ないわ」

 

 それが最後の通告のつもりであり、優しさだったが、東郷はにべもなく断る。

 それで終わりであった。

 

「……」

 

 “オレ”は思う。

 もしもここにいたのが友奈だったら、夏凜だったら、説得しようとしたのだろう。

 己の心を砕いて、東郷の心情に共感し、共に涙をこぼすこともしたかもしれない。

 だが、それでも東郷は決めた意見を覆さないだろう。

 

 なぜならば。

 日常でも稀に起きる極端な行動を、誰にも相談せず勝手に行うのが東郷だからだ。

 だから―――――

 

「そんなに大事な人が傷ついてくのを見たくないなら―――――、一人で先に死ねよ、東郷」

 

 冷静さを保ちつつも、オレは東郷に対して殺意を抑えられなかった。

 

 もしも東郷が勝手なことをしなければ、生き地獄を回避する為に大赦への襲撃をしても良かった。

 他には次の勇者適正持ちに変わってもらうなど、やりようはいくらでもあったのだ。

 だが目の前の少女は相談も何もせず、勝手な行動と傲慢な意志で世界を滅ぼそうとしている。

 

 許せなかった。

 許す気もなかった。

 

 友奈を、園子を、風を、樹を、夏凜を、世界を殺そうとする“敵”を、

 オレは心の底から、死んでしまえという殺意を持って睨みつける。

 あえて憎悪に満ちた言葉を塗りたくるように繰り返す。

 

「迷惑なんだよ……。そんなに他の人が傷つくのが嫌なら、一人でさっさと死ねよ」

 

「―――――っ」

 

 理性の歯止めが利かない。

 いつもなら言わないような言葉を、悪いとも思わずに口から吐き出す。

 殺意と憎悪に満ちた言葉に僅かに怯む東郷に失意を感じながら、

 

「――――何、これ」

 

 ふと視界の端で、友奈と夏凜が結界の外に飛び出してくるのを見つけた。

 オレの視線がそちらに向くと同時に、視線誘導を受けた東郷がそちらを見て隙ができた。

 その隙を見て再び左手の銃を構えると、瞬時に東郷も照準を合わせてきた。

 

 銃声が響く。

 引き金を引いたのは一瞬で、紅と蒼の弾丸が正面から交差し、火花が散り砕ける。

 

「亮ちゃん!? 東郷さん―――――!?」

 

 友奈の悲鳴を、冷静な意志が聴覚からシャットアウトする。

 自らの神経は敵の撃破に向けられる。

 弾丸の接触と同時に、脚力に物を言わせて、東郷の下へと跳ぶように地面スレスレを走る。

 相容れないことを理解した敵がすぐに蒼い弾丸を撃つが、拳銃であったことが仇になった。

 

 猛烈な勢いで迫るオレに対して、東郷は愚かにも武装を変更しようとした。

 強力な銃と交換しようとしたのだろうが、それは悪手であり、隙となりうる。

 目の前の一人にだけ聞こえる程度の声量でオレは悪意をぶつける。

 

「―――――周りを巻き込むなよ……白黒女が」

 

「あぐっ―――――!!」

 

 黒剣を横薙ぎに振るうと、動きの鈍い東郷の胸を、鈍く光る黒い刀身が容易く捉える。

 右手に感じる重い感触と、致命傷としてバリアに防がれたことに不快さを感じる。

 ―――――だがまずはバリア越しに一撃を入れたことに、薄暗い快感を覚える。

 

「なにやってんのよ!? 二人とも!!」

 

 紅の空の下、眼前で起きる事態に夏凜が吼える。

 その叫びを耳から流しつつ、距離ができた目の前の反逆者に迫る。

 

 風との戦いで理解したが、バリアを持っている勇者同士の戦いでは『衝撃』が鍵となる。

 通常攻撃では致命傷を与えられないが、バリア越しで衝撃を与えることが出来る。

 ソレは実際に風にも通用し、大剣を落とさせることに成功した。

 

「オオッ―――――!」

 

「……!」

 

 短く吠え、瞳に殺意を宿す敵に走り寄る。

 狙うは頭、首、心臓など人体の急所。そこに確実に衝撃を与えるべく接近するが、

 先程の一撃で吹き飛ばしたことが仇になった。

 

 およそ二歩分の距離が生まれる中、ライフルを肩に構え、東郷がこちらを真っ直ぐに狙う。

 同時にファンネルのような武器が出現し、明後日の方向から同時に蒼い弾丸をオレに向け射出する。

 

 己の視線は、剣は、殺意は、全ては、東郷に向けられる。

 蒼い弾丸が自らの身体に当たる前に、オレの剣が貫ける――――――

 

「―――――っ!!」

 

「――――ぁっ!!」

 

 黒剣の剣尖が青い装束を纏う東郷の心臓へと、黒の光束が奔る中で、

 殺意を唄う複数の弾丸が昏い装束を纏うオレの全身へと、蒼き雹が降り注ぐ中で、

 

 突如現れた全てを呑み込む業火の塊に、オレは再び結界の内側へと弾き飛ばされた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 己の頬に何か硬い衝撃を感じた。

 重い目蓋を開き、瞬きを繰り返すと、自らの意識が再覚醒するのを理解した。

 

「―――――」

 

 自らの呼吸音に耳を澄ませながら、オレは無様にどこかに転がっていることに気が付いた。

 どうやら、樹海の根を枕に惰眠を貪っていたらしい。

 ゆっくりと緩慢な動きで腕を起こすが、身体が軋む。

 

「ん―――――、一体何があった……」

 

 巨大な根に背中を預け疑問を口に出すと、意識を失う寸前の出来事を思い出す。

 地獄の如き紅の世界で、東郷との戦いに決着をつけようとした矢先、

 左手の方向から、突如炎の塊に殴り飛ばされるような衝撃を受けたはずだ。

 

「そうか……思い出した」

 

 戦いの最中、あの場所が壁外であることを僅かにだが忘れかけていたらしい。

 爆炎に呑まれ、頭を衝撃で揺さぶられる中で、その姿を見た。

 

「乙女座か」

 

『復活したんだろうね』

 

「――――初代か」

 

『それなりに早い回復だったね』

 

 意識的に呼吸を繰り返す。

 痺れの残る身体を動かし、上空を見上げると、白い星が空で煌めいていた。

 蛇遣座との戦いの際に見た光景と似てはいるが、あの時ほどの統率は感じられない。

 

「あれから、アイツ等はどうなったんだ……?」

 

『乙女座の攻撃を受けて、バラバラの方向に飛ばされたよ」

 

 ということは、オレもそのまま落ちたのだろう。

 それなりに高い根の上に転がり落ち、衝撃によって気絶していたらしい。

 ここにいる原因は分かったが、今更な疑問がふと脳裏を過った。

 

「なあ、初代。俺はこれまで3回の満開をしたけどさ―――――2回目と3回目は何を失ったんだろうな」

 

 疑問だった。

 それなりに運がいい方だと自負しているが、腕も足も、眼も鼻も耳も問題はない。

 少なくとも表面上では分かりやすく失われた色覚以外は何も分からないのだ。

 

『そうだね、ボクも少し疑問に思ったけれども―――――それは些細な問題でしかないと思うよ』

 

「些細って」

 

『キミの内側で何を失おうとも、戦闘において戦える身体と記憶があるなら問題はないはずだ。多少攻撃的になっていたら、敵対した友人を救おうという偽善に溢れた優しさが失われていたら、困るのかい? むしろ運が良かったと自らの幸運を褒め称えるべきだと思うよ。眼が見えない訳ではない。声を出せない訳じゃない。手足も動く。なら今はソレで良いじゃないか』

 

「―――――」

 

 その通りだと思う。

 オレの身体は、心は、間違いなく何かを失くしているのだろう。

 だが、オレ自身は決して失くした物に気づくことができないのだろう。

 

『そんなものよりも、まずは壁を塞ぎ、反逆者を排除することを優先するべきだと思うよ』

 

「――――そうだな」

 

 優先順位を考えろと言う初代に、オレは頷き肯定する。

 どの道、現在も壁に穴は開いており、敵は復活し始め侵攻してくる。

 そして、仲間だと思っていた勇者の反逆の問題をどうにかしなければ、明日は来ないだろう。

 どうにかしなければ未来は見えないのだ。

 

「なら、まずは――――」

 

 異常なまでに感じる身体の倦怠感に顔を顰める。

 意識を喪失している間、冷たい根に体温を奪われ続けたことが原因か。

 

「……まずは」

 

 まずはどうするべきか。

 背中を根に預け目蓋を下ろすと、生暖かい泥沼に身を委ねるような停滞感が、

 切迫した状況に置かれるオレの心を抱擁し、意識を霧散させるのを感じる。

 

 火炎にバリア越しではあるが焼かれる前ほどの感情の跳ね上がりが無かった。

 身体中の血潮が燃え上がるような殺意も、憎悪も、いつの間にか感じなかった。

 東郷の傍から離れたからか、それともあの地獄に立っていないからか。

 

「―――――」

 

 自分の心が均衡を保てず、不安定であると客観的に理解した。

 そんな矛盾に満ちた己の心に蓋をするように、疲れた肉体の回復をしていると、

 

「ほら、起きなさい!」

 

「……かりん」

 

 新たに壁の外を、この世界の真実を知った一人が、三好夏凜が目の前に立っていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「少し話をしましょう」

 

「……断る」

 

 いつの間にか勇者の装束を纏って根の上にいるオレを見つけた夏凜は、

 結界を通り抜け、入り込んでくる数体のバーテックスに背を向けた。

 その顔は真実を知った者として絶望に塗り固められた顔ではなく、寧ろ爽やかな顔であった。

 

「ほら、煮干しあげるから」

 

「……」

 

 適当な冗談を交わす余裕もあるようだ。

 常備している煮干しの袋から、一匹だけこちらに差し出す。

 受け取ったソレの頭の方を唇に咥えると、満足気に頷いた夏凜も一匹唇に咥えた。

 

「夏凜、風は何を失ったんだ」

 

「眼よ」

 

 先ほどまで戦っていた相手である風は、残りの眼を失ったという。

 結果、近くにいた樹のことすら分からなくなるほどの錯乱状態に陥ったという。

 それをどうにか落ち着かせるのに少し時間が掛かったのだと二刀流使いは言った。

 

「……で、亮之佑。あんた、どうしたい?」

 

 貰った煮干しは、時間が経過するほど渋い味になる。

 その苦さを今は美味いと感じながら、今度はオレが答える。

 

「東郷を……止める。この偽りの世界で、オレは皆と明日を迎えたい」

 

 その先に東郷を殺すことになったとしても。

 そう続けそうになる口を閉じると、夏凜はその言葉を受けてやや苦笑した。

 

「友奈と同じこと言っているわね」

 

「……?」

 

「あの娘、泣いてたわ」

 

 パキリと音を立て、夏凜は煮干しを食べる。

 口の中を動かす夏凜を見ながら、確かに友奈なら言いそうだなと思った。

 ようやく痺れの取れた身体に鞭を打ちながら立ち上がろうとすると、

 

「亮之佑。私ね、もう大赦の勇者として戦うのはやめたわ」

 

「―――――は」

 

 勇者であることに拘りを、誇りを持っていたプライドの高い少女の言葉に耳を疑った。

 

「これからは勇者部の一員として戦う」

 

 両手に赤い光を輝かせ、少女の両手に刀が出現する。

 こちらに背を向ける夏凜を見て、オレは一言だけ問うた。

 なぜなのかと。

 

「私たちの勇者部を壊させたりはしない。何よりも、友奈の泣き顔を見たくはないから」

 

「―――――」

 

 軋み冷えた身体を動かし、オレは無言で戦友の隣に立つ。

 お互いに顔は見ない。

 

 見るべきは、見据える先にあるのは、倒すべき敵たちだ。

 それらが結界を通り抜けて侵入してくる。

 

 乙女座【ヴァルゴ・バーテックス】

 射手座【サジタリウス・バーテックス】

 蠍座【スコーピオン・バーテックス】

 魚座【ピスケス・バーテックス】

 蟹座【キャンサー・バーテックス】

 

 昏いコートと赤い装束が時折吹き込む強い風にあおられ、生き物のように風の中で揺れる。

 苦味しか感じなくなった煮干しを一思いに飲み込む。

 少しの休憩のおかげか、心なしか体力が戻った気がして夏凜に礼を言う。

 

「煮干しも悪くはないな……もう一匹くれよ」

 

「なんで上から目線よ……また今度ね」

 

「しょうがないな」

 

 呟きながら、遠くを見る視界が時たまぼやける。

 心労と、繰り返された複数の戦闘があったせいだろう。

 妙に頭が重いのは変わらず、オレは首を何度か横に振る。

 

「まずは、再生したあいつらを殲滅しなきゃいけないけど……」

 

「どうした?」

 

「亮之佑は、東郷の方を頼める?」

 

「……二人であいつらを倒した方が良いんじゃないか?」

 

 甲高い耳鳴りが脳を掻き毟り、自分の体内を巡る鼓動が聞こえる気がした。

 しかし、意識を喪失する前に比べて、どす黒く煮詰めた憎悪は薄れはすれど、

 今も胸中から消え去ることはない。

 

 大切な人のために、明日を迎えるために、殺害を実行する覚悟は未だ消えてはいない。

 道を違えた東郷を正そうとも、説得しようとも思わない。

 

「恐らくだけど、樹と風は東郷の下へ向かうと思う。だけど今の東郷を止められるとは思えない。だから――――」

 

 東郷に感じる憎悪は消えない。

 自らの大切な人を、世界を壊そうという裏切り者に感じる、軋むほどの殺意は、

 

「―――――あんたに、東郷の方と壁を頼みたい」

 

 信頼を寄せる隣の戦友の言葉に、目覚めた理性が辛うじて抑え込んだ。

 首を傾け、右隣を見ると、こちらを真剣な眼で見る夏凜と眼が合う。

 

「……」

 

 その真摯な意思を感じる瞳から、彼女の左肩にあるゲージへと視線を移す。

 あれだけの数に対して一人で戦うのならば、流石に無傷でいけるとは思えない。

 なんとなくだが、夏凜がどれだけ勇者部を好きかが分かった気がした。

 

「友奈の泣き顔を見たくない……か。分かったよ。キミの頼みを引き受けよう」

 

「ありがとう」

 

 なぜか礼を言われるが、それに対しては何も言わずに端末で東郷の位置を探ると、

 夏凜の言った通り、樹と、驚くことに風の表示も近くにあった。

 

「それじゃあ、任せたわよ」

 

「任された」

 

 お互いに背中を向ける。

 振り返るなど無粋なことはしない。

 

 夏凜は目の前の脅威の打倒の為に戦う。

 そしてオレは、背中を向けるに相応しい戦友の頼みの為に東郷を止める。

 

 今はそれで十分だった。

 交わした約束が、湧き上がる負の感情に楔を打ち込む。

 

「また会おう――――――夏凜」

 

「ええ、必ず」

 

 背中越しにお互いに別れを告げる。

 きっとこの夏凜に会うことはもうないだろう。

 どの道、夏凜が満開をするならば、後遺症を負うのは間違いない。

 

「―――――さあさあ! ここからが大見せ場!! 遠からんものは音に聞け! 近くば寄って、目にも見よ!」

 

 残っている体力は僅かであるが、もう一戦闘はいけるだろう。

 頼もしい啖呵を背後に聞きながら――、

 

「これが讃州中学二年、勇者部所属、三好夏凜の実力だああぁぁぁっ――――!!!」

 

 叫びと共に、背後で花が咲き誇るのを感じた。

 同時に脚に力を注ぎ戦線を離脱し、オレは跳び立ったのだった。

 

 

 




夏凜の格好良い活躍は原作を見て下さい。(ステマ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第四十八話 慟哭の雨、武器はイラズ」

 オレが再び跳躍を繰り返し、大穴の開いた壁を通り抜けると、既に戦闘は終わりに近づいていた。

 

 真実に対して絶望し、世界を破壊しようとする者。

 真実を知り、破壊者の言い分を聞きながら、世界を守ろうとする者達。

 

「ハアァッ―――!!」

 

 盲目らしい風が大剣を振りかざすが、流石にそこまで命中精度は高くない。

 そんな風に対して、冷静に東郷が話をしつつ銃を向けるが、それを樹がワイヤーで封じる。

 東郷と樹、そして風が戦っているという状況が眼前で繰り広げられていた。

 そして既に状況は、東郷が優勢へと傾きつつあった。

 

 それも当然であると言えるだろう。

 錯乱を起こし視界を失くした人間がここまで来て、戦うことができているのが不思議なのだ。

 夏凜と別れる直前に、彼女自身の口から錯乱していたと聞いてはいたが、

 ツンデレ少女か勇者系少女のどちらか、もしくは両方が何かしたのかもしれない。

 

「だからあの時、遅れたのかもな……」

 

「……!」

 

「吹き飛べ」

 

 高機動多用途装輪車両。

 無人のソレを東郷の目の前に落とすと同時に爆破させる。

 重々しい地響きが鳴り、爆風に飛ばされ吹き飛ぶ東郷を見ながら、ようやく到着する。

 

「―――――」

 

 吹き飛ばされる東郷の姿を見ると何かがスッキリするのが分かった。

 ドン引きしたような、何かを言いたげな樹の目に対して、オレは笑って誤魔化す。

 恐らくだがワイヤー使いの少女に書くものを与えたら、即座に『うわぁ……』と書き見せるかもしれない。

 そんな己の想像に対してクツクツとした笑い声を上げながら、

 

「風」

 

「―――――あ、亮之佑!?」

 

「そうです、加賀さんちの亮之佑です」

 

 爆炎の熱とオレの出現に、思わずといった感じで驚愕の声を上げる風に爽やかに挨拶をする。

 オレの発した声の方向を向く風の瞳を覗くと、光を宿していない。

 それでも、その声には小さくも微かな芯が宿っていた。

 

「その様子だと、何か言われたか? 夏凜あたりに」

 

「友奈と樹にもよ。眼が見えなくても、精霊のサポートでなんとなく程度だけど分かるのよ」

 

「ほう、どんな感じですか」

 

 東郷を吹き飛ばし、僅かにではあるが時間が出来たので、多少の時間の埋め合わせをする。

 風の発言はつまり「たかがメインカメラがやられただけだ…… 」的な感じなのだろうか。

 聴力や匂い、精霊のサポートなどで最低限なんとか戦うことができているのかもしれない。

 

 大剣を肩に担ぐ風に緩慢な動きで近づき、どの程度見えるのかと思いながら、

 せっかくだからと風の顔や勇者服を至近距離から上から下へとジックリと眺めていると、

 

「そうね……アンタが変態そうな顔をしているのが分かるわ」

 

「失礼な。元からですよ、風先輩」

 

 微妙に判定しづらい回答ではあったが、この戦闘だけならなんとかなるかもしれない。

 そんな健全な先輩と後輩のじゃれ合いをしていると、

 

「亮之佑」

 

「なんですか」

 

「……ごめんね」

 

「―――――」

 

 迷子の子供のように、中空に伸ばされた風の手がオレの方へと向かった。

 無言でその手を取ると握り締められ、ごめんねともう一度、オレの方を向いて謝罪した。

 

「…………」

 

 風のやったことは、オレとしてはそこまで問題とは感じなかった。

 むしろ、予期される可能性の一つとして考えてはいたのだ。

 

「アレは風先輩がオレ達のことを思ってやった事なんですよね。なら悪くないですよ」

 

「で、でも」

 

「悪いのは先に裏切った方。つまりは大赦って事で今は良いじゃないですか。……それに、あの時オレが言った言葉は嘘じゃありませんよ」

 

「……」

 

 黙り込む風を見ながら、オレは思った。

 確かに風がした行動が正しい物であるかどうかと問われると、そうだとは言いづらい。

 あの戦いの最中に、多くの車や建物に損害を与えたりもした。怪我をした人もいるかもしれない。

 

 だがあの時の風は、感情に呑まれながらも、満開をしてでも確実に大赦を潰すという覚悟を示した。

 たとえ代償を支払うと分かっていても、絶対に大赦を潰して消し去るという意志を示したのだ。

 そしてオレは、風が抱いたその気持ちに対して理解が出来る。

 理解が出来るから、オレは風が剣を向けてきたことを許したいと思っている。

 

 東郷が吹き飛ばされた方向を見ながら、辺りを見渡す。

 相変わらず地獄のような光景ではあるが、昔ほどの怖さは感じなかった。

 オレは現在も気の抜けない戦場で、盲目の大剣使いの肩を叩く。

 

「しっかりして下さいよ、部長。こんな所で弱気になってたら東郷を止められませんよ」

 

「……ええ、そうね」

 

 硬い表情であった風が僅かに頬を緩めるのを見ると、自然と自身の頬も緩むのを感じた。

 そんな中、少々焦った表情の樹がオレのコートの裾を引っ張った。

 

「―――――どうした、樹?」

 

「―――――」

 

 オレが樹の方を見ると、こちらを上目遣いで見上げる金髪の少女はある方向を指差す。

 樹の指す方をオレも見る中で、視界が閉ざされた風はさすがに分からず尋ねてくる。

 

「どうかしたの?」

 

「えっと……」

 

 オレはその質問にどう答えるべきかを、後頭部を掻きながら数秒ほど頭で練り直す。

 現在オレ達がいる場所は、神樹が作った壁に大きな穴が開いた所である。

 ちょうど紅の世界が眼前に見え、背後に顔を向けると樹海が広がっている。

 

 この大穴から、先ほどまで膨大な数の星屑が流水の如く溢れ出していたのだが、

 

「星屑……敵の進行の勢いが止まって、外の世界に撤退してます」

 

「それじゃあ、アタシ達は勝ったの……?」

 

 僅かな安堵と期待を込めた声で我らが部長が聞いてくるが、

 

「残念ですが、凄まじい勢いで獅子座が復活しようとしてます」

 

「えっ」

 

 大穴の向こうに広がる世界。

 その先にある不完全な状態であった獅子座の損傷部分を星屑が埋め合わせていく。

 だがまだ完全には修復されていない為か、獅子座自体の動きは非常に鈍いものになっている。

 

「…………」

 

 虚空から携帯式対戦車擲弾発射器を出現させ、肩に載せる。

 照準装置から狙いを定め、やや遠くにいる不出来なソレとの距離を測る。

 少し風達と距離を離し、引き金を引くと、相変わらず凄まじい反動が肩を襲う。

 同時に開口している砲尾から後方に向けてバックブラストが起きる。

 

 発射と同時に加速した黄金の砲弾は、安定翼を開き回転し、狙った獲物を捉えるべく飛翔する。

 途中、迫る砲弾に気づき止めようとする星屑を回転するソレが弾き飛ばし、標的に迫る様子をオレと樹は見ていたのだが、

 ―――――横から迫る収束された蒼きビームが黄金の砲弾を破壊した。

 

「―――――!」

 

「東郷ぉ……」

 

「……退いて下さい」

 

「退くわけないでしょ!!」

 

 苛立つ己の声に対して、あくまでも低く平静な声で東郷が告げる。

 腕を組みこちらを見下ろす東郷は、覚悟を決めた剣呑な目つきをしていた。

 既に満開を行ったのか、浮遊型移動台座の上で、8つの砲台が光を収束し、

 

「――――ごめんなさい」

 

 何への、誰に対してかが不明な謝罪を告げた東郷は、こちらに向けてその一撃を叩きつけた。

 その攻撃にオレ達は、文字通り樹海の方向へと焼き払われた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 本日何度目か忘れた意識の浮上で目蓋を開けると、近くに転がり呻く風や樹が視界に入った。

 更にその頭上で、オレは太陽を見た。

 

「―――――ぁ、あぁ」

 

 獅子座【レオ・バーテックス】が復活を果たしていた。

 奴の作った火の玉が、明確な殺意を持って東郷と射線上にいる神樹を狙う。

 

 そして火の玉は放たれ、東郷は颯爽と回避した。

 東郷を狙った炎の塊は轟と音を立て、そびえ立つ神樹に向かう。その炎の塊に手を伸ばす。

 

 いつの間にか解けていた変身をするべく立ち上がろうとして転がる。

 軋み鈍い頭痛と眩暈、身体の芯にまで響くような耳鳴りに苛まれる。

 間違いなく先ほどのレーザー攻撃の直撃を受けた所為だろう。

 

「は――――――、あ――――――」

 

 このままでは世界が終わる。

 東郷によって、獅子座の一撃で、終わらせられる。

 

 まだまだ未練だらけの人生だ。

 やりたい事、成したい事、遊びたい事、叶えたい約束や夢。

 まだオレは死にたくはない。

 

「―――――っ」

 

 身体は動かない。

 まだ生きたいと叫ぶ意志に反し身体は軋み、ただただ悲鳴を上げるばかりだ。

 マグマの如き憤怒も、闇よりも深い憎悪も、全ての感情を人形のように動かないソレに籠める。

 それでも肉体は苦しいと、休ませてくれと訴えるだけだ。

 

「―――――」

 

 ふと、もう駄目だと思った。

 思ってしまった。

 理不尽に振り回され、不条理に取り残されるのは一体何度目なのだろうか。

 

「――――勇者ァ」

 

 そんな事を考える中で。

 己の眼だけが来たる世界の崩壊を眺める中で、僅かにだが諦観を抱く中で、その声を聞いた。

 オレは知っている。きっとこの世界の誰もが絶望に屈する時が来ても、

 彼女ならば、怖さを噛み締めて、苦しさを押し殺し、恐怖を勇気が凌駕するだろうと。

 

「パアアアァァァアアンチ―――――!!」

 

 桜色の光を纏った勇者が樹海から飛び立ち、自らの拳を炎に振るう。

 その一撃が、もう無理だと感じさせた絶望を弾き飛ばす。

 その光景を自らの不調を忘れてオレは見た。

 

 強靭な意志を秘めた双眸は、色褪せた世界の中でも燦然たる輝きを放つ。

 決して諦めないという表情が、その生命の輝きが、やけに瞳に焼き付く。

 

「……友奈」

 

 四散する爆炎の中、着地する少女の名前を呟くと、聞こえたのかこちらを振り向いた。

 

「―――遅れてごめんね、遅刻しちゃった」

 

 震える身体は未だに動かず。

 必死な意志で、鋼鉄のように固まる身体を立たせようとオレはもがく。

 その動作を見届ける赤い瞳が、決意に溢れ、確かに聞こえる声ではっきりと言った。

 

「もう私は迷わない。私が勇者部を、東郷さんを守る!」

 

 

 

 ---

 

 

 

 親友同士の戦いが始まる。

 一方は、この世界を破壊して一緒に消えようとする東郷だ。

 対する相手は、そんな彼女すら守ろうと頑張る友奈。

 

 東郷のファンネルを握り締めた拳で破壊しつつ、獅子座を破壊しようと迫る友奈を、

 東郷の指示に従う移動台座の主砲が蒼いレーザーを放ち妨害する。

 

「そいつがたどり着いたら、私たちの世界が無くなっちゃう!」

 

「それでいいの……一緒に消えてしまおう」

 

「よくないっ……!!」

 

 完全に凝り固まった思考の東郷を一蹴し、友奈は満開する。

 上空に桜の花が咲き誇る。

 

 その様子を、戦いを見ながら、オレはなんとか肉体を起こす。

 気を抜けば無気力になりそうな己の心を奮いつつも吐息をこぼす。

 一人で消えればいいのにと、ラスボス系少女に対してオレは思った。

 

 結局、東郷がやっている事は全て独り善がりでしかない。

 だからこそ、勝手な想いを抱き、勝手に世界を破滅に至らしめる行動をする東郷が許せない。

 

 しかしだ。

 確かに東郷の言うように、見知らぬ人々の為に自分の大切な人が傷つくのを見たくはない。

 その通りだ。ここまでは分かるし、共感も抱ける。

 無知な人間など生きているだけで罪なのだ。いくら死んでも仕方がないで済む。

 

 だが、オレはここまでしか共感できない。

 行動が遅い。徹底的な行動ができていないから、友奈に防がれているのだ。

 東郷の所為で、先ほど友奈は自らの肉体を捧げるルーレットを回してしまった。

 

 オレは疑問だった。

 どうしてそこで戦うという決断ができないのだろうか。

 世界を壊すという逃げではなく、仲間と共に戦うという考えができないのだろうかと。

 

 大切な物を失くすくらいなら、一緒に消えてしまおうという願望を抱くのではなく、

 失くさないように自らの全てを賭して、大切な物を守り抜けばいいだけの話なのだ。

 そんなオレの考えに同調したかのように、友奈は叫ぶ。

 たった一人の心に届くように、その心の奥まで響くように叫ぶ。

 

「東郷さん! どんなに辛くても、私が東郷さんを守る!」

 

「どうしてそんな風に思えるの!」

 

「私が、勇者だから! 私は忘れない。絶対に東郷さんの事を忘れない! 滅茶苦茶に、メッチャクッチャに東郷さんと築いた思い出、作った物を一生、絶対に忘れないから――――!!」

 

 そんな男前な告白のような叫びを聞きながらオレは辺りを見渡す。

 樹と風は意識は戻りつつあるが、戦線復帰には少し時間が掛かるだろう。

 夏凜は……よくやってくれた。今はいない戦友に心の中で敬意を示す。

 

「私だって、きっとそうだった……」

 

「……」

 

「でも、結局は忘れてしまった。どれだけ想っても、どれだけ抗っても、結局は忘れてしまったの!」

 

「―――――っ」

 

「今ではもう、こぼす涙の意味すら分からない! 私は嫌だよ! また無くすのも、失うのも!! 友奈ちゃんにも、亮くんにも、風先輩にも、樹ちゃんにも、夏凜ちゃんにも。誰にも忘れられたくないっ! 私も誰かをまた忘れたくなんてないよ―――!!」

 

 そんな彼女の慟哭に僅かに友奈が怯む。

 東郷が言っているのは『わっしー』、つまり鷲尾須美を名乗っていた時代だろう。

 その時の話もいくつか園子から聞いた。

 そして多くの思い出を聞かされたオレは、だからこそ東郷の想いを否定しなくてはならない。

 

 限界はとうに超えている。

 それでも、今だけはやらなくてはならない。

 飛ばなければ、同じ場所でなければ、何も言うことはできないのだから。

 

「―――――満開」

 

 命を弾丸にルーレットを回す。

 首に下げた指輪が輝きを放ち、自らを中心に紫黒色の花が咲く。

 勇者服へと再び姿を変えて、上空へと、彼女の乗る浮遊する移動台座へと飛翔する。

 意識が友奈へと向いていたからか、運よく何の妨害も無く着地する。

 

「……!」

 

「オレ達は覚えているよ、東郷」

 

「嘘よ」

 

 一歩。

 正面に到着し、オレは東郷へゆっくりと歩いていく。

 拳銃を向ける東郷に対して、武器を持たずに警戒する少女に対して構わず近づいていく。

 

「この先、東郷がオレ達を忘れてしまっても、オレ達が東郷を覚えているから。この先また東郷が記憶を失くす時が来てもオレ達が傍にいるから。何度忘れても、オレが、友奈が、風が、樹が、夏凜が、お前と何度でも記憶を育むから」

 

「嘘」

 

 一歩、一歩。

 理不尽に怯え、失うことの恐怖に目の前が見えない少女を諭していく。

 最後の一歩で、そっと東郷の手を拳銃ごと握り締める。

 

「オレも、友奈も、一緒にいるよ……だろ?」

 

「うん。東郷さん、私も亮ちゃんも、皆も東郷さんと一緒にいるよ。ずっとずっと一緒だよ。そうすれば忘れないよ」

 

 背後に気配を感じ、問いかけると即座に返答が返ってきた。

 背中のリングごとアームを解除し、友奈はオレの横を通り、東郷を抱きしめる。

 友奈に抱きしめられた東郷は不安を顔に貼り付け、こちらを見る。

 

「ほんとうに……?」

 

「うん」

 

 忘れたくない。

 忘れられたくない。

 どんな事を言っても、結局はソレだけだったのだ。

 

「どうしてそう思えるの……?」

 

「私がそう強く思っているから」

 

 友奈が答える。

 そうして友奈は彼女の心を蝕む絶望を、東郷の身に宿る昏い感情ごと抱きしめた。

 そしてオレも、無言で二人を優しく包み込むように抱きしめた。

 

 男ならともかく、可愛い女の子を殴り倒したりなんてことはしない。そんな物は紳士ではない。

 だから精々が押し倒して、泣き出すまで徹底的にくすぐり倒す程度だが、今は我慢する。

 やがて、

 

「忘れたくないよ……私を一人にしないで……」

 

 そんな子供の癇癪のような事を言って、東郷の瞳から昏い物が流れ落ちていった。

 嗚咽と共にポロポロと何かが剥がれるように泣く東郷の眦からそっと熱いソレを拭っていると、

 そんな随分と久しぶりに感じる和やかな状況に、水を差す者がいた。

 

「ん……? 何……?」

 

「太陽……?」

 

「いや、獅子座か……」

 

 少女達の柔肌を抱きしめながら、背後に感じる熱に振り返ると、

 全ての星屑を集結させ、自身を一つの太陽の如き形態にした獅子座が、ゆっくりと神樹へと向かっていた。

 

 あんな物が神樹どころか、樹海に当たるだけでも大惨事だろう。

 正直失う物が無い身だが、ソレを言うと流石に顰蹙を買いかねない。

 東郷の撃破、もとい説得に随分と時間を取られた結果とも言えるだろう。

 世界を破壊しようとした張本人もようやく状況を呑み込み、後悔の声を漏らす。

 

「私、なんてことを……」

 

「そんなっ、東郷さんのせいじゃないよ!」

 

「……いや、間違いなくコレは東郷、お前の所為だ」

 

 東郷美森の暴走の結果、壁を破壊し、大量の侵略者を招き、仲間に切り札たる満開をさせた。

 それは間違いなく東郷の責任であるとオレは思う。

 涙を拭きとり、罪人を抱きしめるのを止めて立ち上がり、その深緑の瞳を見下ろす。

 そんなオレの瞳に、言葉に対して、東郷は思わず息を呑む。

 

「亮ちゃん!」

 

「いいの」

 

 庇うように優しさを示す友奈だが、ソレを東郷は止める。

 確かに友奈のように「悪くない」と言い、優しさを与えることはできる。

 だが、誰かがソレを糾弾しなければ、罪に対して罰を与えることはできない。

 

「東郷」

 

「はい」

 

「お前の力が必要だ。命を懸けて友奈を守りたいなら、お前の力を貸せ」

 

「―――――」

 

 手を東郷に伸ばす。

 状況は全く芳しくはない。敵は減ったが、それでも防衛側が不利な状況だ。

 だからこそ、オレは再び反逆者に向けて、微かな笑みを添えて手を伸ばす。

 

「キミが、東郷さんが必要なんだ。神樹の防衛に力を貸してくれ」

 

 そんなオレの言葉に呆然とする彼女だったが、

 

「……はい」

 

 そうしてオレの赤い手袋越しに彼女の白い手が乗せられた。

 今のオレの状態も悪くない。

 言いたい事を言ったからか、内側で熱を発していた憎悪も殺意もだいぶマシになった。

 

 正直に言って、今ならなんとかなる気がする。

 根拠も何も無いが、常に計算尽くしである訳ではないのだ。

 

「さて、それじゃあ始めますか」

 

 不敵な笑みを浮かべオレが言うと、友奈と東郷はコクリと頷いた。

 それから――――

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第四十九話 墓前での報告」

感想数400突破ありがとうございます。
いつも励みになってます。


 僅かな重みを腕に感じながらもドアは開く。

 決して広々とした空間ではないが、狭いながらも落ち着く感じの個室だ。

 そうして部屋に入ると真っ先に目につくのは、その白さである。

 清潔さを重視した白く硬い床を靴底で感じつつも後ろ手にドアを閉める。

 

「やあ、今日はガーベラなんだ。見てくれよ、花屋がちょうど友達の親御さんが経営している店でさ。サービスで安くしてくれたんだ」

 

 その部屋の主に声を掛けながら、俺は花瓶にある花を交換する。

 折り畳まれた車椅子を見下ろすが、今日は雨が降っていて散歩することは出来そうに無い。

 窓の外を見上げると、空は曇り弱くはない冷たい雨が降ってくる。

 

「そう言えば、ガーベラっていったらさ、ちょうど今年の四月を思い出すよな。樹が入部して来た時にサプライズで用意したもんな」

 

 窓から離れて、俺は彼女に話しかけつつ丸い椅子を持っていく。

 少し皮の解れた椅子に腰を掛けると、やはり古いのかギシッという音を立てる。

 無言を保つ彼女に俺は笑いかけた。

 

「あの時の風先輩の顔はなかなかに傑作だったと俺は思うよ」

 

 俺は話を続ける。

 誰に急かされる訳でもなく、俺は穏やかに話をする。

 そんな語り手の話に対して、聞き手は今日も静かに耳を傾けるだけだ。

 それでも話す。

 

「あっ、悪いな。つい話が脱線しちゃったな。実はさ、その犬吠埼姉妹もなんだけど、最近樹は声が、風先輩はもう片方の眼の視力が徐々に治りつつあるんだってさ」

 

「――――」

 

「夏凜も最初こそあちこち持っていかれて悲惨だったけど、今では元気だよ。完成型を自称するだけはあるね。……東郷はなんと立てるようになって、最近では自力で歩けるようになったよ」

 

「――――」

 

「ちょうど俺と同じくらいだけど、成長期はこれからだよね、うん」

 

「――――」

 

「俺も最近少しずつだけど見える色がマシになってきたよ。なぜか紅色の眼は戻らないけども……」

 

 一瞬の迷いが生じる中で、俺はそっと手を伸ばす。

 その先にあるのは、毛布に乗せられた白く細い手だ。

 両手で掴み取り目蓋を閉じると、掌に僅かに心臓の鼓動を、生命の暖かさを感じた。

 

「……だから後は」

 

 だと言うのに、覗き込む赤い瞳には、快活さも、明るさも、優しさも、何も感じられなかった。

 本当に生きているのかすら、こうやって触れなければ分からなかった。

 不安だからこうやって話しかける。

 どうか起きてくれと祈りながら。

 

「友奈、お前だけだよ」

 

「――――」

 

 その瞳には、何も映り込んではいなかった。

 何一つ感情を宿してはいなかった。

 

 

 

 あの戦いから、既に3週間が経過していた。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 あの後。

 勇者側に再覚醒した東郷含め、太陽の如き形態となった獅子座を止めるべく迅速に行動した。

 神樹を燃やし破壊する侵略者を止めるべく友奈、東郷と満開状態で拮抗していたが、

 満開のエネルギーが切れたのか、最初に友奈が脱落し、再び押され出した。

 

「東郷! これが終わったら後でミッチリ説教だからね!」

 

「――――風先輩……!」

 

 そんな危機的状況の中で、風と樹も満開をし、此方に駆けつけてくれた。

 風も樹も満開すれば何かしら失うリスクがあるにも関わらず、

 それでも暴走した馬鹿な後輩を叱る明日の為に、切り札を切ることに躊躇いは無かった。

 

「―――――」

 

「樹ちゃん……」

 

 樹もまたそんな姉の隣で力を振るう。

 尊敬する姉の隣で、大切な勇者部の為に、明日の日常を謳歌する為に頑張る。

 心の芯の強い声無き少女は、無言で東郷に頷く。

 それだけで東郷には十分であった。

 

 巨大な太陽の進行は、俺と東郷に加え、風、樹が加わり辛うじて押し留めることに成功した。

 だが、それだけであった。

 

 ジリ貧の状態で不味いのは、満開の継続時間に限界があるこちらである。

 対して獅子座は拮抗状態を崩すべく、火炎の一部を後方に回して噴射し、新たな推力を得た。

 そうして着々とだが、防衛側が押され始めた。

 

「――――っ」

 

 このままでは押し負ける。

 腕をへし折るような秒ごとに重くなる重圧と獅子座の威圧感、迫り来る限界時間に対して、

 一瞬だけ瞼を閉じると、暗闇の中で絶対に諦めなかった少女の姿が焼きついていた。

 

 そうだ。

 俺は、俺たちはこんな所で諦めてなんかいられないのだ。

 歯を食い縛り、押し返すべくエネルギーを集中させていると、

 

「そこかぁあああぁああっ――――!!」

 

「夏凜!?」

 

 そんな状況で、重圧が再び軽くなった。

 聞き覚えのあるその声に目を向けると、間違いなく夏凜であった。

 そういえば夏凜の満開姿は見たことが無かったなと、場違いにだが俺は思った。

 

 こうして再び勇者部は集った。

 

 見えない未来に絶望し、裏切りに失意の叫びを上げ、バラバラであった勇者部は、

 今再び、同じ目的の為に集うことができたのだ。

 夏凜の合流により状況は再度拮抗状態になるが、勇者部部長が吼える。

 

「よーーーし!! それじゃ皆、絶対に押し勝つわよ!! 勇者部五箇条ひとーーつ!!」

 

「なるべく諦めない!」

 

「―――――」

 

 それに呼応したかのように夏凜が叫び返し、樹が無音の声を張り上げる。

 

「なせば大抵!」

 

 今この場だけは、全員の想いが一致していたと俺は思った。

 信じるように、目の前の敵に挑むように、俺も声を出す。

 

「なんとか、なああぁぁぁあああるっ――――!!」

 

 俺の声に続き五箇条を叫ぶのは、地面から再度飛翔する桜色の勇者であった。

 槍のように、銃弾のように、弓矢のように。

 強靭な意志が、その拳が紅の太陽を破壊するべく振るわれる。

 その一撃に篭めた拳こそが、勇者部の最後の切り札であった。

 

「友奈ちゃん!!」

 

「――――っ」

 

「うおおおぉぉぉおおおおっ――――――!!」

 

 東郷が叫ぶ中、俺が無言でその背中を見送る中、

 声を高らかに張り上げる友奈は、その手を太陽の奥にある御霊に向かって伸ばした。

 それから――――

 

 

 = = = = =

 

 

 

「ん……」

 

 どうやら眠ってしまったらしい。

 既に窓から注ぐ光が、部屋のシーツや床を茜色に染めていた。

 突っ伏して眠ってしまった為か、僅かに乱れた毛布を掛け直す。

 

「……」

 

 あの戦いは、友奈が御霊を破壊する事に成功して終わった。

 それを見届け俺も気絶していたらしく、気づくと全員仲良く入院する事になっていた。

 それが3週間前の出来事だ。

 

 その際に満開した少女達も新しく散華の影響が出たらしいが、

 今回は本当に一時的だったらしく、すぐに回復したと医者が言っていた。

 

 ところでこの禿げ医者。

 やはり大赦の回し者だったが、宗一朗の友達でもあったらしい。

 思い出話に花を咲かせていると、気づけばメールで話をする程度の友達になった。

 

 また風の処遇についてだが、

 大赦側からは何のお咎めもないどころか、メールも一方通行のもので、返信が無くなったらしい。

 「もしかしたら御役目も終わったのかもね」と風が言っていたのは記憶に新しい。

 

 そうして一週間前に勇者部の面々……というか主に喪失箇所の酷かった風と夏凜が、

 病院側の基準で日常生活を送れると判定され、ようやく退院の許可が下りたのだ。

 

 その間、俺が風に頼まれて、姉代打として樹の家事のサポートをしていたのはまた別の話だ。

 まあ……強いて言うならば、この紳士たる俺に頼んだことは正解だろう。

 何せ既に俺は一人であるが、家事をお母さん任せにしていた子を一人前の嫁にしたのだから。

 きっと風は一人前になった樹を見て、泣いて喜ぶのは間違いないだろう。

 

「そうだ、友奈。もう少ししたら文化祭があるんだけどさ。その役でお前にピッタリなのがあるんだよ。勇者役の――――」

 

 そうして全員が退院する中で、唯一友奈だけが病院に残った。

 専門医によると肉体の方は既に回復しているらしい。

 だが、俺がいくら呼びかけても、話しかけても、揉みしだいても、友奈は反応してくれなかった。

 

 それでも俺は諦めたくはなかった。

 

「……また来るよ、友奈」

 

「―――――」

 

「いつまでも、お前が戻ってくるのを俺は待っているよ」

 

 彼女の頭を抱きしめて撫でると、己の腕からさらさらと赤い髪が零れ落ちた。

 窓から見える木々の葉は秋の風が連れて行くのが見て取れた。

 いつの間にか茜色の夕焼けが追われるようにして、水平の昏い闇が空を支配し始めていた。

 

 

 ---

 

 

 

 友奈の見舞いの次の日。

 俺は一人で宗一朗と綾香のいる墓場へと赴いた。

 

 二人の墓は大赦が用意したらしく、それなりに景色が良い場所だった。

 大赦御用達らしく管理も非常に行き届いている。

 一般の墓よりも多少は待遇が良いらしい。勇者特権なのでフルに使わせて貰う。

 

 砂利を踏みながら、俺は墓の前でしばらく突っ立っていた。

 黒光りした硬そうな石は、俺が所持している剣と似た色だなとなぜか思った。

 神世紀の時代では信仰の対象は大赦によって一本化されたが、

 俺のいた生前の世界と墓参りに関してのソレらは大差は無かった。

 

 一応これまでにも数回ほど来たので、道中で迷う事も無い。

 『加賀家之墓』と彫られた長方形の黒石の目の前に立つ。

 

「父さん、母さん」

 

 今後の生活に関しては、二人の財産があった。

 乃木家ほどではなかったが、大きな家を所有していた彼らはやはり名家の出なのだろう。

 他に子供もおらず、これから急に生活が困るような事態にならない事に改めて感謝した。

 

「また、来たよ」

 

 とりあえず、用意してきた酒瓶や花束を小脇に置きながら、墓を掃除する。

 酒は宗一朗に、花は綾香に対してのささやかな贈り物だ。

 きっと彼らならば、天国から喜んでくれるだろう。

 

 掃除といっても墓石に載った枯葉を取ったり、水で湿らせた布で拭き取る程度だ。

 そう難しい物ではなく掃除自体はすぐに済む。

 ここの墓守がきっちりと管理をし、墓場全体がある程度の清掃が施されているからだ。

 

 掃除を終え、酒瓶を置き、花を添える。

 片手で数える程度だが慣れ始めた工程を終え、腰を下ろして両手で拝む。

 

「父さん、母さん。俺たちの御役目は終わったらしいよ。これからしばらくはバーテックスが攻め込んでこないらしいってさ」

 

 墓前で俺は二人に報告する。

 

「端末は回収されて、戦闘データを元に後輩に引き継がせるらしいってさ」

 

 具体的には大赦から園子経由で話を聞いたのだが。

 優しい神樹様が捧げた供物を返してくれたらしいとか何とか。

 まあ、おかげで病院生活をすることも無いから一先ずはそれで良しとしよう。

 

「……」

 

 時間は僅かにだが、俺と宗一朗、綾香の関係を昔の様な関係から変えていた。

 それを改善する前に逝ってしまったことが心残りだ。

 タクシーに乗り込む直前に交わした言葉が、彼らにとっては最後なのだ。

 最後の瞬間に宗一朗と綾香が何を思ったのかはわからない。

 

「そういえば、父さんのおかげで俺は園子に再び会うことができたよ。ありがとう」

 

 対する俺は少し違う。

 後悔の果てに見た夢の世界で、指輪の世界で再び会うことができた。

 あの時に別れを言うことができたのは、たとえ自己満足に過ぎなくても心の痞えが取れた。

 あれがあったからきっと今の俺があるのだろう。

 

「母さんの作ってくれたレシピ本のおかげで、加賀さんちの味を絶やさずに済みそうだよ」

 

 あのレシピ本は俺に膨大なレパートリーをくれた。

 一見そこまで分厚い物ではなかったが、しっかりと誤字なくタイピングされた上に、

 更に色々と書き込まれた世界で一冊の大切な本である。

 その凝り性っぷりは、きっと生きていたら東郷と馬が合いそうだなと思った。

 

「これからもどうにか頑張っていけそうだよ」

 

 俺の親に対して「ありがとう」と墓石に向かって呟くと、宗一朗と綾香の顔が見えた気がした。

 何かを言ってくれた訳ではないが、こちらに向ける顔は笑顔であるように感じた。

 

 紙コップを用意して酒瓶から琥珀色の液体を注ぎ、墓の前で一人乾杯する。

 酒を飲むとピリッとした、針のような痛みを舌の上で感じた。

 一口飲むたびに喉を焼き、ドロリとした液体が胃の中へと流れるのを感じた。

 

「宗一朗、俺はあの時お前に誓ったんだ……。あの日月の綺麗な夜に、力をつけて、大赦に俺たちを苦しめたことに対して報復を行うと。あの日、勝手にそう誓いを立てたんだ」

 

 俺は一人で墓石を通して、天国にいる男に話しかけながら立ち上がった。

 もう一口だけ飲み舌の上で転がすように味わってから、トクトクと墓にかける。

 そうしていると、ふと自身のズボンのポケットが震えていることに気がついた。

 

「もしもし」

 

 バイブ音に設定していた携帯を取り出すと、東郷からだった。

 

『あっ、えっと、亮くん?』

 

「そうだよ」

 

 そう言えば、東郷とは最近話をしていなかったなと思う。

 明確に避けていたつもりはない。

 あの戦闘……いや満開の華が散ってから感じていた苛立ちといった負の感情は減っていた。

 だからと言って、俺が放った暴言は、本音かもしれないが許されるものではないだろう。

 まあ悪いとは思っても間違っているとは思えないが。

 

「どうしたんだ? 俺の声が聞きたくなったのか?」

 

『えっ、いやそういう訳では……。あっでも決して聞きたくないという意味じゃ……』

 

「東郷さんの声って俺好きだよ。なんかこう……歌手をやってそうな透き通った声が」

 

『きゅ、急にそんなこと言われても……』

 

 なるだけ以前と同じような調子で話しかけると、期待通りの反応を返してくれた。

 僅かにクツ……と口の端から笑みが漏れると自身が揶揄されているのに気づいたのか、

 携帯越しにやや低い声が響くので慌てて謝罪する。

 

『もう……そうじゃなくて、少し前に友奈ちゃんが目覚めたのよ』

 

「すぐに行く」

 

 あれだけ呼びかけても目覚めなかった友奈が目覚めたらしい。

 少し前と言っていたのなら、きっとさっきまで涙の再会だったのだろう。

 無性にあの舌ったらずで暖かさのある友奈の声を聴きたいなと思った。

 

『うん、二人で待ってるね』

 

「あっ、東郷さん」

 

『どうしたの?』

 

「―――いや、また後で」

 

 そう言って、電話を切る。

 携帯電話をしまい込み、再び俺は墓石に話しかける。

 

「宗一朗。俺はあの時大赦に復讐することを決めたけども、結局今のところはまだ決行していないよ。だけども――――」

 

 あれから時間も経過して考え方も変わった。

 文字通り世界が変わったのだ。

 それでも俺は自分の生き方を貫き通した。

 

「―――――それでも今度は、俺の守りたいものを守れたよ」

 

 空になった酒瓶に蓋をして、持ち帰るか少し悩んだがそのまま墓石の傍に置いておく。

 

「それじゃ、また来るよ二人とも」

 

 そうして俺は墓石に背を向けて歩き出した。

 結局、何かが根本的に解決した訳ではない。

 世界は相変わらず偽りでできている。

 

 だが、それでも。

 空を見上げると満天の青空が目の前に広がっている。

 曇天ではない、雲一つない青空を見ていると、秋風が前髪を揺らした。

 

「後悔はしない……か」

 

 俺がここに生まれてから、あの誓いを立ててから13年。

 それなりに色々あったと思う。

 嬉しい事もあったし、悲しい事もあった。

 生前のろくでもない人生の何倍も濃密な時間を過ごすことができていると思う。

 

 前世と異なり、子供よりも先に親が逝ってしまった。

 だが、きっとソレは必然なのだ。

 至極当たり前の事であり、誰もがいつかは体験する事なのだ。

 

 生前の俺には、大切な物と呼べる何かは結局見つけることが出来なかった。

 だが今の俺には自らの命よりも大切な物が出来た。

 そして明日を求めて抗った結果、今を掴み取ることが出来たのだ。

 

 だがここまでの旅路は一つの着地点でしかない。

 きっとこれからも理不尽が、不条理が襲ってくるだろう。

 けれど俺は生きている。死んではいないのだ。

 

 これから先も生きていくのだ。

 誓いを忘れずに。

 

 命の灯が尽きるその日まで。

 後悔することなく、抗い続けるのだ。

 

 

 




【第四幕】 運命の章-完-

NEXT


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【第五幕】 番外の章
「第五十話 雪の華が降る日にて」


 意識の覚醒に伴い俺が感じたのは、鈍い頭痛でも不快な悪夢を見た刹那の恐怖でもなかった。

 微睡みの中で半分ほどしか意識が覚醒せず、重たい目蓋を少しだけ開く。

 

「……しゃ、むくね」

 

 本当に血が通っているのかと思うほどに冷えた身体を震わせる。

 同時に寝起きの微かに発したしゃがれた声が自らの耳を通り抜け、脳に覚醒の合図を送り込む。

 己の胴体の下に感じるいつもの寝台は自熱で暖かいが、毛布からはみ出ている部分が寒い。

 

「……暖房」

 

 リモコンが遠い為に伸ばしかけた手を戻し諦める。

 こういう日に限って寝相が悪いのか、頭を乗せていたはずの枕は見当たらなかった。

 自分の寝相の悪さに苛立つ暇すら惜しく、肌寒さから逃れる為に盛り上がっている毛布を被る。

 

「―――ん」

 

「……?」

 

 僅かに何かの声が聞こえた気がしたが気のせいだろう。

 寝ぼけているのだと自己分析を終了すると同時に毛布の中で枕の感触を感じる。

 枕を発見した事に安堵を抱きつつも、布の感触が少し微妙なので捲って顔を突っ込む。

 

「……ぁ」

 

「……」

 

 何も聞こえなかった。

 そんな事よりも、素晴らしい枕の感触を確かめなければならない。

 自らの頬で感触を確かめると、弾力と人肌の如き暖かさを感じる。

 決して引き締まっている訳ではなく、むしろ程よい柔らかさを自肌で感じとる。

 

 目蓋を閉じうつ伏せで二度寝に移ろうとすると、鼻腔を甘い匂いがくすぐる。

 深呼吸を繰り返し、甘く感じる空気を自らの肺に送り込み膨らませる。

 眼を閉じたまま、眠気に抗い辛うじて動く手ですべすべな枕の感触を楽しむ。

 

「……んっ……ふっ」

 

 この枕に頭を乗せていると、規則的に上下しているのが分かった。

 生暖かい枕の表面を指の腹で撫で感触を楽しむと比例するようにどこからか声が聞こえる。

 身をくねらせ逃げようとする枕を手足で固定していると、ふと指の腹に窪みを感じた。

 

「……?」

 

 枕に窪みなんてあるのだろうか。

 そんな疑問が浮かんだ所為で僅かに目蓋を開ける。

 身体を毛布の中に入れている為暗い視界に慣れる間、窪み周りを指で弄りまわす。

 

 暗視モノクルがあれば一発で判明したのかもしれないが、現在の俺の装備はパジャマだけだ。

 取りに行くためには毛布の外に出て数歩ほど歩き作業机まで行かないといけない。

 そんな事をしたら数秒であれ絶対に寒いという確信を俺は抱いた。

 

 先ほど時計を見た時の記憶は、まだ朝の6時を過ぎた辺りだったはずだ。

 今更起きて毛布を取り除くのは無粋の極みであり、無意味に寒さを招くだけである。

 乱暴な事はしない。それが紳士の掟なのだから。

 ここまで来たんだ、最後まで付き合ってくれ枕よと心の中で告げる。

 

「―――――ふきゅ」

 

 友奈の手がマッサージにおいて最強のゴットフィンガーならば、

 俺の手はきっと悪戯と手癖の悪さと器用さにおいて無敵のマジックフィンガーだろう。

 キチンと反応を返してくれることにやりがいを感じる。

 特にビクリと跳ねた時が楽しい。

 とっても楽しい。

 

「……」

 

 押したり、突いたり、円を描くように指の腹で反応を楽しむ。

 そしてその指で枕を弄る度に、少し前から艶のある声が聞こえるが気のせいだろう。

 聞こえる声は無視し、暗闇に慣れた視界で確認すると、遂に窪みの正体が判明した。

 

(……なんだこれは?)

 

 それは俺の身体にも、例えば勇者部の女性陣にも、というかどの人間にもついている『へそ』であった。

 

(そんな……馬鹿な……!!)

 

 衝撃的だった。

 俺の世界で何か革命が起きるのを感じた。

 俺が今横になっている枕は、誰かのお腹だったのだ。

 枕であると思っていたのにも関わらず……このやや呼吸が早くなったソレは枕ではなかったのだ。

 

「あっ…………っきー」

 

 なんとなく指の腹で円を描くと反応があった。

 改めて俺の視界にある枕だと思っていたのは、誰かのお腹であった。

 くびれのある細い腰のラインは間違いなく、誰かのお腹であったのだ。

 

(これが、新大陸か……)

 

 かつての偉人達の興奮が自らの瞼を閉じると蘇るのを感じた。

 その興奮のままに、俺はその後も自らの枕の反応を楽しむことにしたのだった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それから体感30分ほどが経過しただろうか。

 フルフルと震える枕に頬ずりしながら俺はそろそろ真面目に思考を進める。

 俺が今毛布の中でがっちりとロックしているのは誰なのだろうかと。

 紳士を名乗るに相応しい頭脳が回答を出す。

 

 さて、俺がいるであろうシングルベッドはいつもの俺の部屋にあったのは先ほど確認済みだ。

 ならばここは加賀家だろう。

 

 そしてこの素晴らしいお腹の持ち主は予測がつく。

 流石に知らない人ということはないだろう。ここまで来て知らない人だったら怖い。

 本当にあった怖い話として是非とも風に聞かせなければ。

 

 それにしてもだ。

 ここまでやって反撃してこないのも中々珍しい。

 そろそろ起きようと思うが、その前に一舐めすると仄かな甘さとしょっぱさを感じた。

 

「―――――やっ」

 

 ついに我慢の限界が来たのか。

 奇声を上げた枕側もようやく踏ん切りがついたのだろう。

 突如頭上の毛布越しに手のようなものが押さえに掛かる。

 普段のおっとりさを感じさせない抵抗に対して俺も両腕を華奢な腰に回し、必死にくすぐる。

 

「あっ、待ってきゃっきー! わたっ、そにょっ!」

 

「枕が喋っただと……!? おのれ曲者め、一体何者だっ!!」

 

 そんな攻防が5分ほど続いたが、勝ったのは俺だった。

 勝手に俺のベッドに入り込んで来たのが悪いのだ。

 今回はこの程度で許してやろう。

 

 

 

 ---

 

 

 

 曲者の正体が判明した。

 

「園子様。俺はずっと枕だと思ってたんよ。だからそんなに顔を赤くしないでちょうだいな」

 

「……そういえばかっきーは変態さんだったね」

 

「―――いや、本当に不可抗力なんで」

 

「わかってる、わかってるよ、うんうん」

 

 とりあえず身体も体操で温まったので、顔を毛布から出すとなんと園子であった。

 頬を朱に染め、瞳を潤ませ、衣服が乱れている姿はなんとも言えない扇情感があった。

 

 だが流石にやり過ぎたのか、お嬢様が機嫌を損ねてしまうという珍しい現場に直面した。

 色々やって園子様に謝り、今度何かを奢ることで許して貰うまでに約20分ほどが経過していた。

 そんな園子は先ほどから座り込み、ピンクのサンチョを抱きしめて俺を見上げるばかりだ。

 

「そういえば、園子がここに来たのは何気に初めてなんじゃ―――」

 

「かっきー」

 

「はい?」

 

 自然と話を逸らし、未来に向けて生産的なお話をしようとすると、

 園子が俺の言葉を遮り、声高々に俺に要求をしてきた。

 

「園ちゃん。リピートアフタミー園ちゃん!」

 

「……園ちゃん」

 

「うんうん。やっぱりそっちがいいんよ。イネース! Hey!」

 

「……ヘイ」

 

 機嫌が戻りほにゃりとし出した顔を見ながら苦笑と共にハイタッチをする。

 この感じが既に懐かしい物だと思いながら、ようやく質問する。

 

「なんで園子がここにいるの?」

 

「それはね~、私が乃木さんちの園子だからだよ~」

 

「……?」

 

 質問をすると自己紹介をしてくれた。

 だが残念ながら、そんな要求はしていない。

 

 今俺が要求しているのはカーブでもフォークでもない。真っ直ぐなストレートだけだ。

 そんなピッチャーは、疑問を浮かべるキャッチャーの顔を見て理解したのだろう。

 コクリと頷き、分かりやすい答えを投げつけてくれた。

 

「だから、私は乃木の家の者だから、大抵の事において不可能なんてないんよ~」

 

「わお」

 

 投げたストレートは俺の鳩尾に直撃したようだ。

 要するに普通にピッキングか何かをして入り込んできたのだろう。

 思わず蹲ると、脳裏に乃木家本家にいる使用人達のサムズアップ姿が過った。

 

「かっきー……」

 

「―――はい?」

 

「私を見てみて。包帯も全部取れて、ようやくかっきーの家に来れたんよ」

 

「ん」

 

 園子は時々俺の心に直球で響く言葉をくれる。

 そんな時は大抵俺が折れ、園子が笑顔になったかつての光景をふと思いだした。

 

「私はね、かっきー。どんな手段を用いても、かっきーと一緒に眠りたかったんだ~」

 

「園ちゃん……」

 

 そんな素直な言葉を頬を染めて照れながら言われると、反論の一つも言い返せない。

 それに園子と眠っていた時はいつもよりもぐっすりと眠れた気がする。

 一緒に眠りたいというなら、いつでも歓迎である。

 二人してお互いの瞳を見合い、暖かく良い感じの雰囲気になっていると、ふと肌寒さを思い出した。

 

「……それにしても寒いな」

 

「そっか。かっきーはまだ外を見てないんだ~」

 

「……?」

 

 にまにました顔になる園子の姿を訝しげに見ながら、ベッドから第一歩を踏み出す。

 素足で感じるフローリングの床は冷たく、俺はある種の嫌な予感を抱いた。

 

「いやいや、でもまだ11月の後半だし……」

 

「ふっふっふ……」

 

 そういえば昨日、確かテレビでキャスターが何か言ってた気がする。

 およそ5歩でカーテンに辿り着く俺と、そんな俺を見る園子と抱きしめたサンチョが横に並ぶ。

 

「見るがよい。そして平伏すがよい~」

 

 よく分からない言葉を言いながら、部屋の緑色のカーテンを園子が引くと、

 

「なっ、なんだ……これは……!!」

 

 霧のように灰色に立ち込めた雪の空。

 白い粉のような雪が付着した窓越しに見る世界は、昨日とは一変していた。

 一面銀色の世界と化した中で、滲み出るように雪の粉が次から次へと下界へ急いでいた。

 

 慌てて自室を出て一階に降り、転がるようにしてリモコンを片手にソファに飛び移る。

 同時に片手でリモコンを通じてテレビの電源をつけると、

 

『え~、現在55年ぶりに27センチの降雪というのが讃州市を中心とし、香川県全域で発生しております』

 

 速報と書かれたテロップと、表情を押し殺し淡々と原稿を読み上げる美人キャスターが映った。

 俺はリモコンをテーブルに置きながら、そのニュースの内容を食い入るように見つめた。

 

『この大雪によって、電車の遅れ、及び交通渋滞が起きております。また現在3人の方が転倒するといった被害が出ており――――――』

 

「園ちゃん、キミが来た時にはもう降ってたのか?」

 

 やがてニュースの内容から視線を移し、いつの間にか隣に座っている園子に目を向ける。

 

「うん、車で来たけどその時にはだいぶ降ってきてたよ」

 

「そっか、ところで朝ご飯は食べた?」

 

 雪は現在も空から舞い散り、純白の光彩が街全体に敷き詰められており、

 大小様々な車の渋滞している様子がテレビに映っていた。

 その光景を尻目にソファから立ち上がり、エプロンを持ちながらキッチンに向かう。

 エプロンを装備し終え、冷蔵庫を開けると大変な事に気づいた。

 

「やっちまったぜ~」

 

 今もなおソファでテレビを見ながらうたた寝をする誰かの口調が移るのを気にせず、

 俺は目の前に広がる惨状に対して頭痛を感じた。

 このままでは、夕食を待たずして食材が尽きてしまう。

 ひとまず二人分用意したココアを注いだマグカップを持っていく。

 

「ぷはぁ〜。蘇るぜ〜」

 

「それは良かったね」

 

 マグカップから白い湯気が空に昇る中で、一つ一つの動作に気品溢れる姿を見ながら、

 テレビで今後の天気予報を見つつ頭の中でタイムスケジュールを展開させる。

 焼き上げた白い丸パンを噛みながら、サクサクさと柔らかさのハーモニーを口内で感じつつ、

 

「園ちゃんや」

 

「ん~? 何かな~、デートのお誘いかな~?」

 

 俺が名前を呼ぶと、にこやかにそんなことを園子は小首を傾げて悪戯っぽく言う。

 なんとなく琥珀色の瞳を覗き込むと、瞳の奥には星が瞬いているように感じた。

 

「このあと、足りない食材とかを買いに行こうと思うけど……園ちゃんはどうする?」

 

「私も一緒に行きたいな~」

 

「決まりだ」

 

 

 

 ---

 

 

 

 雪が視界を純白に埋め尽くす。

 家にあった雪用のブーツを履き、園子と二人静かな街を歩く。

 正直言って今日が平日だったら学校など休む気だったが、残念ながら日曜日だ。

 とはいえ明日の朝までがピークらしいので、学校が休みである事を祈るばかりだ。

 

「そうだ、園子も讃州中学校に転入って事になるんだよな?」

 

「そうだよ~」

 

 凍てついた道を踏みしめながら、灰色の雲から絶え間なく降る雪を傘で防ぐ。

 一本の黒い傘を俺が持ち、園子がその傘下に入り移動する。

 正直非効率的だなという思いを、腕や肩に感じる温かな柔らかさが沈める。

 

「園ちゃんの制服姿、楽しみだな」

 

「楽しみにしててよ」

 

 日曜日だというのに人も少ない街路を二人で歩く。

 ふとそんな中で俺が立ち止まると、当然園子も立ち止まり怪訝そうな目を向ける。

 

「そういえば、園子と一緒にこうやって歩くのは……随分と久しぶりな気がするな」

 

 こうやって向かい合うと、少しではあるが背丈はこちらが上であるという発見があった。

 白いすだれが幾重にも垂れ下がって視界を鎖す中で、

 それでも一つの黒い傘の中でだけは、何よりも鮮明に園子の姿が映りこんだ。

 

「そういえばそうだね~。リハビリしている間はあんまり会わなかったからね」

 

 傘の柄を再度掴み直し、俺たちは目的の駅前のスーパーへと歩いていく。

 

「園ちゃんは今でも小説って書いているの?」

 

「えっ? うん。そうだよ~」

 

「そうなんだ。なら今度その小説読ませてよ」

 

「じゃあ、帰ったらね」

 

 加賀家には自前のPCもある為、閲覧は出来るのだろう。

 そんな他愛も無い会話をする事すら随分と懐かしく感じた。

 時折俺たちのように傘を差して歩く人もチラホラといる中で、静かに雪は降り続いていた。

 

「―――――」

 

「―――――」

 

 雪が街の音を吸い込みながら、いつまでもいつまでも降り続けていた。

 音というものがまるで聞こえない中で、気がつくと俺たちは無言で歩いていた。

 何か喋るかを考えて咄嗟に出た言葉が、

 

「……寒いか?」

 

 粉雪が自らのコートに落ちて消えるのを目で追っていると、園子が両手に白い息を吐いていた。

 お互い白と黒の対比となるコートとマフラーなど防寒具を揃えてきたが、少し冷えるのだろう。

 そう思っていると園子は擦っていた両手を下ろして、寒さに頬を赤らめた顔を上げた。

 

「寒いけど……かっきーといるから平気かな~」

 

「……」

 

 急に体温が1度ほど上がったような気がした。

 やんわりと薄い微笑みを浮かべる園子から逃げるように目を逸らすと、

 ゆっくりと歩いていたからか、街頭インタビューをしている集団に捕まった。

 

「――テレビ局の者なんですが、ちょっとインタビューをお願いできませんか?」

 

 わざわざこの寒い中お疲れ様です。

 そんな思いを込めつつも他の人と同じく過ぎ去ろうとしたところで、園子が勝手に答えた。

 

「いいですよ~」

 

「ありがとうございます!」

 

「……」

 

「私ね、一度こういうのやってみたかったんよ」

 

「そうですか」

 

 ジトリとした目を園子に向けると、なにやら楽しそうに園子は微笑み返してきた。

 数秒ほど待った後、俺たちは街頭インタビューを受けることになった。

 スタッフが向けてくるテレビカメラの無機質なレンズがこちらを見るのに僅かに戸惑う。

 

 インタビューするお姉さんはマイクを園子に向けてくる。

 俺は答える園子の隣で無言で傘を差すだけの簡単なお仕事だ。

 確かに普段の俺ならばインタビューの10や20問題は無いが、今日はオフの日だ。

 もはや話すことが面倒なので、今回は全てを園子に任せる気でいた。

 

「答えたくない物は答えなくてもよろしいのでお願いしますね」

 

「はーい」

 

 やや微笑み余裕の園子を見てリポーターのお姉さんも微笑み返す。

 そんな光景と傘の外で新たに雪が降り積もる様子を俺はぼんやりと見ていた。

 

「それでは、本日はどのような用事で外に?」

 

「えっとですね、一緒に買い物をする為です~」

 

 恐らく今のは軽いジャブ。

 言ってしまえば本番前の世間話のような物だろう。多分カットされるだろう。

 そして不安だった園子の会話も意外としっかりとした物なので俺は安心した。

 

 

 安心して、油断してしまった。

 

 

 本題に入っても大丈夫そうだなと思ったのか、リポーターは一つだけ質問をした。

 その質問は予想していたようにリアルタイムな物であった。

 

「本日は急に大雪が発生しましたが、この悪天候に対して一言感想を下さい」

 

「そうですね~」

 

 その質問に対して園子は指を顎に当てながら小首を傾げて考える。

 数秒の間の末に、彼女は僅かに頬を赤らめつつも、笑顔でこう言った。

 

「恋人といる時の雪って、特別な気分に浸れて私は好きですね~」

 

「――――」

 

 その言葉が耳朶に届いた瞬間、俺は自らの顔を瞬時に手で隠した。

 今更ながら顔バレが怖くなったというか、赤くなった顔を隠したかったというか、

 園子が唐突にそんな爆弾の如き発言を、よりにもよってテレビカメラの前でするとは思わなかった。

 

「……そうですか、ありがとうございます。お似合いのカップルですね!」

 

「わあ~そう思います? そうなんですよ~。今日なんて」

 

「―――――ん?」

 

 リポーターが褒めるのに気を良くし、にこにこと微笑む園子に反比例して、

 必死に顔を手で隠す俺だったが、よりにもよって第二波が襲い掛かってきた。

 やけに俺の方を見る園子だったが、俺と目を合わせた瞬間に再度口を開いた。

 

「今日なんて朝から激しくされて、できるかと思ったんですから~」

 

 そう言って恍惚な表情で自身のお腹を撫でる園子の姿をカメラが撮った。

 「まあ……!」と言って手を口に当てるリポーターと歯軋りをするスタッフの姿が、

 手のひら越しで覗くことができてしまった。

 

「――――いや、あの」

 

「えっと、それではありがとうございました! お幸せに!」

 

 慌てて園子の主語を欠いた言葉を訂正するべく俺は口を開こうとしたが、

 それよりも数秒早くリポーターとスタッフ達は次の人たちに向かってしまった。

 

「…………園ちゃん」

 

「どうしたの? かっきー」

 

「あの、もしかしてさっきの根に持ってたりする……?」

 

「さっきの……? よく分かんないですな~。そんな事よりも、早く行かないと食材売り切れちゃうぜ~」

 

「……」

 

 思わず黙り込む中でも、雪は更に静かに降り続いていた。

 羽毛のような雪が街の音を吸い込みながら降り続け、再び周囲の音が聞こえなくなった。

 

「園ちゃん」

 

 仕方なしに出そうになるため息を呑み込み傘の柄を持とうとすると、

 持っている手のひらの部分と重なるように、園子もその雪のように白い手で柄を握った。

 一瞬だけ目を合わせた後、再び目的地に向かって俺たちは歩き出した。

 

「なに~?」

 

「今日の夕飯、食べるなら何食べたい?」

 

「うどんかな。強いて言うなれば釜玉うどんの気分かな~。かっきーは?」

 

「俺もうどんかな。強いて言うなれば鍋焼きうどんかな。加賀さんちの特別製なのだぜ」

 

「かっきーの作るうどんなら美味しいだろうな~」

 

「あまりハードルを上げられると潜り抜けたくなるのが俺だよ」

 

「どちらにせよ、楽しみだな~」

 

「……」

 

 この若干園子にペースを取られている感じは随分と懐かしく、同時に求めていたものだった。

 このままズルズルと泊まりそうだなと思いつつ、泊まっていってくれないかなと思いながら、

 

「ところで園ちゃん」

 

「なに~?」

 

「朝の園子はとても可愛かったよ」

 

「……!」

 

 俺は起死回生の反撃に出るのだった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 数時間後、ニュースの中で先ほどの映像が香川県で流れたという。

 また画像がネットで流れ、偶然テレビで見た際に勇者部を思わずイラッとさせるのは別の話だ。

 

 

 




【リクエスト要素】
・雪の日に園ちゃんと出かけ街頭インタビューを受けて「恋人といるときの雪は~」と答える園ちゃんと照れるかっきー、そしてそれをテレビで見てイラっとする他勇者部。

リクエスト者の感謝を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第五十一話 偽りの恋人」

「……、亮之佑ってば、おーい」

 

 目の前で肌色の手が振られることで、止まっていた意識が戻るのを感じた。

 激しく振られブレて見える手からそっと目を逸らし、俺は辺りを見渡した。

 

 見覚えのある場所を見渡して、ようやくここが讃州中学校の屋上である事を思い出した。

 足を動かすと上履きの底にアスファルトの硬さを感じる。

 少し離れたフェンスから見える山々は、血の滴るような真っ赤な秋の色に染まっていた。

 

「あー」

 

 どうやら知らない内にぼんやりとしていたようだ。

 視線を元に戻すと、少し心配そうな顔をしている勇者部部長の顔を見ることができた。

 意識の再覚醒に伴い、俺は念のため確認の意味も込めて尋ねることにした。

 

「ええ、聞いてますよ。……ですが、もう一回念のためお願いします」

 

「う、うん。だからね……亮之佑」

 

「はい、先輩」

 

 聞いてませんでしたと言えず、咄嗟に確認をするという形で俺がお願いすると、

 不安そうな顔を浮かべていた風は一変して、急に目をあちらこちらに動かし始めた。

 やや頬に朱を浮かべ、自らの両手を弄くり回す挙動不審な風は、やがて意を決したのか、

 

「だから、私の彼氏をやって貰える……?」

 

 と困ったような、それでいて僅かに羞恥心を瞳に浮かべつつ、そんな告白を俺にした。

 

「……」

 

 きっとこの表情だけで、そこら辺の男共ならばコロッと了承の返事をしただろう。

 そしてそのまま家にお持ち帰りのコースなのは間違いない。

 しかし俺は紳士でありちょろい人ではない。そこら辺にいる夏凜と一緒にしてはいけない。

 なればこそ、あえて余裕の表情を浮かべ、息を吸い込みつつ俺は冷静にこう言うことにした。

 

「くわしく」

 

 

 

---

 

 

 

 

 それから恐らく二度目……かも知れない風の説明を聞くことになった。

 

 それは数週間前まで戻る。

 東郷の反乱が終わり、大赦からのお咎めもなく、まだ俺たちが入院していた頃の話だ。

 なんでも樹の声が戻り始め、風の片目が再度見えるようになった頃に事件が起きたという。

 風の心の柱でもある樹の声の復活の片鱗が見え始め、精神的な落ち着きが見え始めた頃にだ。

 

 風曰く、再びモテ期が来たらしい。

 なんと同じく入院患者であった男の人に告白をされたのだと言う。

 

「その人ね、以前の震災で入院していたんだけどね……」

 

「退院したんですか? ……で年齢は?」

 

 どこか遠くから秋の虫が鳴り続ける音を背景に話を続ける。

 

「アタシ達が退院する時と同時にね。年齢の方は確かアタシより一歳上って言ってたわ」

 

「高校生ですか……それでまた断ったんですか」

 

 俺としては意外だったと言ったら失礼になるが、

 風の女子力エピソードに一つストックが出来たという展開で、中身は前回と同じく残念な物になるかと思っていたが、どうも少し違うらしい。

 

「またって……、その人曰く一目惚れだってさ。やっぱり私の隠せない女子力に気づく男はいるのよね~。……けども」

 

 そこから聞く話は、多少は予想と一致していた。

 風よりも年上の男はそれなりに良い感じの男であり、また性格も風基準では良さげだと言う。

 ならばどうして断ったのだろうかと思ったのだが、 

 

「や、その……知らない人と付き合うのってさ……なんか怖いなーなんて……」

 

「……」

 

 要するに、隣で座る少女はヘタレて断ったのだ。

 俺の視線から眼を背け、乾いた笑みを風は浮かべる。

 

 しかし、風の言いたい事は解らない訳ではない。

 まったく知らない人間に言い寄られても嬉しいかと言うと、寧ろ不信感の方が先に立つ。

 特に弱みを握れていない初見の人間に対して、俺は一切の信頼を向ける気はない。

 さすがに風もそこまで考えていた訳ではなく、単純になんか怖いから……という理由だが。

 

「それで……? まさか人を屋上にまで呼びつけて自慢話をしたい訳ではないですよね」

 

「いやーその、……実はですね。断る際にですね。しつこくてさ……」

 

「……」

 

 やけに煮え切らない態度の風に対して、俺は微妙に苛立つ。

 同時になんとなく、敬語を使う風が一体何を言うのかを予感した。

 

「今彼氏がいるんですって言っちゃった!」

 

「―――そうなんですか」

 

「本当にそいつ結構しつこくてさ。自分の目でどうしてもその彼氏が見たいんだって。だからキッパリと断る為にも……お願い、亮之佑! 一日でいいからアタシの彼氏をやってくれない?」

 

 両手を合わせ、風は俺を拝むように頼み事をしてくる。

 その願いを受けて、しばし俺は考える。

 

 要するに墓穴を掘ってピンチな少女は、できる限り隠密に事を済ませたいらしい。

 だからこそ勇者部の皆には相談せずに俺だけに相談したのだろう。

 俺を彼氏役として、咄嗟に言った自らの彼氏として紹介してその人を欺くつもりなのだろう。

 

「風先輩、一つだけ質問です」

 

「何……?」

 

 俺は真面目な顔で風に質問をすることにした。

 実際に俺は風に迫ったらしい優男の顔も何も見てはいないし、告白の現場に立ち会った訳でもない。もしかしたら風側にちょっと誇張表現があるかもと思っている。

 

「本当にいいんですね……?」

 

「―――うん。今は受験勉強もあってそれどころじゃないし。それに樹もいるからね……」

 

「……そうですか」

 

 散々女子力うんぬん言っているが、いざ本番になると若干ヘタレる風を見ながら、

 風自身が納得しているならば俺としては何も問題はないので、了承することにした。

 

「分かりました。ただし風先輩の彼氏をやるにあたり、いくつか条件を呑んで貰います」

 

「本当に……!? うんうん、アンタならきっと了承してくれると思ってたわ~。何でも言って!」

 

「ん?」

 

 俺が了承すると、萎れた花のようだった風は瞬時にいつもの調子に舞い戻る。

 だが愚かな少女は、調子を取り戻すと同時に素晴らしい言質を俺にプレゼントした。

 思わずクツ……と笑ってしまいつつも、笑うのを堪えて今後の詳細と条件を告げるのだった。

 

 

 

---

 

 

 

 それから数日後の土曜日の午前。

 部活を休みとして、俺と風は待ち合わせをしていた。

 再度断る前に、ある程度彼氏彼女の関係を自然な物とする為の最終調整日である。

 

 夕方に風がその何某という人物と再度会うので、午前は普通に遊ぶつもりだ。

 ただし、彼氏彼女としてだが。

 

「亮之佑、待った?」

 

「いや、今来たところだよ」

 

「そ、そっか。それじゃ行こっか……」

 

 待ち合わせのテンプレとも言える行動を風と二人で行う。

 風が来たので俺は早速行動を開始したのだが、

 

「風」

 

「な、何でしょ……?」

 

「もしかして緊張しているんですか?」

 

 何となくいつもよりも風の動きが鈍く感じ、思わず声を掛けるが、

 自分よりも一歳年下の彼氏(偽)に見栄を張りたいのか、余裕の表情を慌てて作る。

 

「は、はあ? そんな訳ないんだけど。寧ろ余裕すぎてゅえっ……!!」

 

「ん? ……どうしました風先輩?」

 

「―――別に、なんでも、ない、です。……ねえ亮之佑、これって本当にみんなやってるの……?」

 

 敬語になる風に、先程さり気なく恋人繋ぎをした手を見る。

 指と指を絡めた手を握った本人に見せ付けると、顔を赤らめるのを確認した。

 

「……もちろんですよ」

 

「本当に……? アタシ達浮いてない?」

 

 俺は今回のミッションにあたって、恋人としてある程度の触れ合いの許可を条件とした。

 午前中はそれを呑んだ風と恋人という設定での練習をするつもりだ。

 そして夕方にラブラブな恋人である姿を実践するつもりなのだが、

 

「当たり前じゃないですか。寧ろこれくらいが普通らしいですよ……って握りすぎですよ」

 

「あっごめん!」

 

 指を絡めつつ腕が触れ合う度にビクリとする風に、本当に騙す事ができるかと不安に思いつつ、

 羞恥に顔を赤らめる風の表情を楽しみながら街のショッピングモールへと向かった。

 

「この後どうしよっか……?」

 

 秋の深まりを感じさせる冷たい風が自らの熱を程良く冷ますのを感じた。

 二人して恋人繋ぎでゆっくりと道を歩いていると、少し慣れたのか風が話しかけてきた。

 

「そうですね……適当にショッピングでも如何ですか?」

 

「おっ、いいわね賛成!」

 

 恋人(偽)ごっこも流石に施設内に入るとお互い気恥ずかしい為に手を離す。

 しばらく二人でモール内を歩いているとふと俺は誰かの視線を感じた。

 しかし俺がなんとなく後ろを振り返ると、それなりの人混みがあるだけだった。

 

「どうしたの……?」

 

「―――いえ、気のせいですね。それより何から見て回りますか?」

 

「そうねぇ……。アタシについてきなさい!」

 

「分かりましたが風先輩、あまり嵩張るのは買わないで下さいね」

 

「分かってるわよ、亮之佑……ってなんだってぇぇぇぇえ!!」

 

「どうした……!?」

 

 設置されてあるフロアガイドを適当に見ながら軽口を叩いていると、唐突に勇者部部長が声を上げた。

 その声に驚き慌てて振り向くと、風は食品売り場の方に向かって何やら指をさしていた。

 

 その指の指す方向に目を向けると、あるモノが灰色の陳列棚に12個で1パックで売り出されており、

 近くには大きな広告に『特売』の文字と、いつもより安い値段が記載されているのが分かった。

 初めて未知に遭遇した時のような顔をしながら、風は告げた。

 

「見てアレ。卵が安い……!!」

 

「―――――っ」

 

 この人は今日何しに来たのだろうかと思いつつも、主夫としての目が確かに安いと訴えている。

 ゲリラ特売日か何かだろうか。今日のチラシには無かったはずだ。

 そんな益体も無いことを考えつつ風の手を引っ張り移動しようとするが、思いのほか力が強い。

 

「待って亮之佑!! 1人1パック限定よ。並んで買わないと……!!」

 

「いやいや、思い出せ風……! 今日の趣旨はソレじゃない……。卵なら午後の用事が終わってからでも間に合うから。夕方の特売で俺も一緒に並ぶからぁ……」

 

「マジで!? くっ、すまない卵達ィ……また後で会おう」

 

 およそ全てが終わる頃には夕方を過ぎそうだなと思ったが、今は何も言わない。

 そんな訳で女子力ではなく主婦力の高さならば勇者部随一の少女をようやく説き伏せることに成功する。

 引っ張り合いに勝ったが、それでも風の強い腕力に思わずその細腕を見てしまう。

 

「ん? 亮之佑。どうしたの?」

 

「いえ……せっかくだし服でも見て行きませんか?」

 

「いいわね」

 

 再び風とショッピングモール内を闊歩することになったが、今度は手を繋ぐことに対して、

 先ほどよりも恥ずかしがる事はなく俺と手を繋ぐことができた。

 

「風先輩」

 

「なによ?」

 

「風先輩の手は……そうですね。柔らかくて暖かいですね――――急に力を入れないで下さい」

 

「あ、アンタが急に変な事を言ったからでしょーがっ……!!」

 

 

 

---

 

 

 

 現在、俺たちはクレープを売っている屋台で何を購入するかで悩んでいた。

 ちょうど小腹の空いた時間に、たまたま風が見つけたのだ。

 

「風先輩は何がいいですか?」

 

「そうね~、アタシの今の気分としてはチョコクレープかな~。……あっ待って、この苺クレープも良いかも。いやしかし、このブルーベリーも捨てがたいし……うどんクレープ?」

 

「全部頼んでみては?」

 

「それはアタシの女子力が許さない。……ぐっ、静まれ……我が混沌なる闇よ~」

 

「やかましいわ」

 

 急に何かを発症し腕を押さえる風を見ながら、一瞬風に乗るかどうか考えて周りを見渡す。

 店員に「面白い彼女さんですね」と目で語られた気がした。

 風に恥をかかせるのもアレなので、適当に便乗することにした。

 

「風よ……貴様はこのメニューの中から一つしか選択することができないのだよ。常識という世界の選択が告げているのだYO!」

 

「ぐぬぬぬぬ……!! こんなの、こんな結末アタシは認めないっ。決してアタシは―――」

 

「お客様。ご注文をどうぞ」

 

「すみません」

 

 目の前で茶番劇を見せられた店員が耐え切れずその胸の内を吐露した。

 それでもなおウギギ……と歯を軋ませ親の仇を見るような目をして風はクレープのメニューを見る。

 その姿を僅かな苦笑を浮かべつつ、俺は隣で鼻息を荒くする少女にこう提案した。

 

「じゃあ、このブルーベリーのクレープと苺のクレープを買って、半分ずつにして食べましょう」

 

「うーん。しょうがない、その手に乗った……!」

 

「じゃあ風先輩は席を取っていてくれますか。俺が買ってきますんで」

 

「分かったわ」

 

 数分後、屋台のお姉さんから完成したてのクレープを受け取り、風の姿を探した。

 視線を右往左往する中で、手を振る風の座るベンチに向かい、苺とチョコのクレープを差し渡す。

 渡す俺に対してお礼を言い受け取りつつ、風は自分の財布を取り出す。

 

「ありがとう、それでいくら……?」

 

「気にしないで下さい。可愛い彼女に奢るくらいは問題ないでしょ」

 

「かのっ……!?」

 

 今更な設定に固まる風の隣に座りながら、俺は買ってきたクレープを頬張る。

 舌の上で広がる甘酸っぱいブルーベリーが生クリームと合わさり、さっぱりした甘さを生み出す。

 この店自慢の生クリームを使った口当たりまろやかで上品なクレープに舌鼓を打ちつつ、

 

「風先輩、美味しくなかったんですか……?」

 

「ううん、違うんだけどね」

 

 まだ3分の1しか食べていない風の姿を自らの視界が捉えた。

 無言で食べながら風を見ていると、苺のクレープを一口ずつ緩慢とした動きで食べつつ、

 

「前から聞きたかったんだけどさ、あの時の話って本当なの?」

 

「……あの時」

 

「ほら、その……アタシが大赦を潰すって言った時に戦ったじゃない? あの時アンタ言ってたじゃない。俺も――――」

 

「ストップ」

 

「むぐっ!」

 

 先ほどまで持っていた食べ掛けのブルーベリーのクレープを風の口に突っ込む。

 途端に静まり返る空間で、無言で非難の目を向ける風に対して、どう言うかを俺は考えていた。

 

 風が聞きたい事とは即ち、大赦を潰すべく満開していた状態の風と俺が交戦した時の会話だろう。

 あの時の会話は他の人間には聞かれていないが、公に話をすることでもない。

 どこで誰が聞いているかは分からないのだ。

 特に大赦はどこに潜んでいても不思議ではないのだ。

 

 その辺りの意識が残念ながら、隣でクレープを食べている少女には足りないようだ。

 突っ込まれたクレープをどうにか飲み込むことに成功した風が再度口を開くが、

 

「亮之佑! アンタ急に何するの――――」

 

「風」

 

「……んっ」

 

 風の小さな耳に囁くように、吐息と共に彼女の名前を告げると同時に身体を少女に近づける。

 突然己の耳に与えられた刺激に目を白黒とする風に対して、囁きという形で話をする。

 いわゆるヒソヒソ話をする感じになり、いつもより距離感がグッと縮まるが許してもらおう。

 

「あの時の話に対して嘘を言ったつもりはないですが。まあ今の風にはもう出来ませんよ」

 

「それって……」

 

「言葉通りです。何の奇跡かは不明ですが、神樹様が供物を返してくれた今、風には以前ほどの殺意も何もないでしょう? だって、何も失っていない事になったんだから」

 

「……」

 

 思わず無言になる風の手から、そっと苺のクレープを取り上げる。

 甘酸っぱいフレッシュな苺とチョコソースが美味しい大人気メニューらしい物を買ってきたが、

 どうやら当たりのようで、食べ掛けのソレはなかなか美味しかった。

 お互いベンチに座り、顔と顔が触れ合いそうな距離で話をする。

 

「あの時……樹の夢が潰れて、それでアンタ達が止めてくれなかったら、本当に何をしていたか分からないわ……」

 

「―――先輩は、悪くはないですよ」

 

「……」

 

 あの時、風と一緒に大赦を“潰す”という選択肢が無かった訳ではない。

 ただ一時の感情よりも理性を優先し、大赦の力を利用するという打算があっただけである。

 

「大事な家族が、友達が傷ついていたら……満開の危険性が分かっていたのに秘密にされていたら、怒るだろうさ」

 

「亮之佑……」

 

「無知とは愚かなことだ。知識があるかは、知っているかどうかは、重要なことなんですよ」

 

「―――――」

 

「大赦の罪は勇者達に情報を隠匿していたこと。そして俺達を信用しなかったことです」

 

「――――うん」

 

「あの時も言いましたけど、俺たちはたとえその危険性を知っていても明日を求めて戦ったと思います」

 

「……そうね」

 

「そうして俺達は日常を掴み取ったんです。……今はそれでいいじゃないですか。戦った先にもう一度得ることのできた日常は、風先輩にとっては大事ですか?」

 

「うん。前よりもずっとみんなと過ごすこの日常の大切さを理解できるようになったわ」

 

「そうですよ。だから風先輩はやってしまった事を後悔するよりも、いつもの様に笑った方が良いですよ。その方が――――」

 

 爽緑色の震える瞳に笑い掛け、先程のクレープの所為だろうか、

 風の口の端についていた白いクリームを人差し指で掬い舐めると、程よい甘さがあった。

 最後にクツ……と笑い、形の良い耳に囁いた。

 

「――――その方が可愛らしいですよ、風先輩」

 

「……なんだか慰められちゃったわね。私の方が年上なのに」

 

「俺の方が実は年上だったりしますよ」

 

「アンタのそのネタは何なの……。まったく……こういう手口で友奈達に手を出してるんでしょ」

 

 腕時計を見ると、そろそろ向かうべき時間が近づいているのが分かった。

 食べ終えた紙包みを丸め、俺はベンチから立ち上がり、風に振り返り手を差し出した。

 

「―――――そんなことよりも時間です。行きましょうか」

 

「うん……ありがとね」

 

 そう言って俺の手を取る風の顔は、笑顔であった。

 

 

 

---

 

 

 

 それから亮之佑と風は、本来の目的である風への告白者に会いに行った。

 その人はどうやら亮之佑を知っているらしく、「夜の奇術師だと……!!」と叫び驚かせた。

 ちょっとイラついて優男と少しだけお話すると、こんな話を聞くことができた。

 

 『夜の奇術師』という称号は讃州中学校を飛び出し、他の四国の学校にも飛び火したらしい。

 しかも勇者部所属という情報もこれまでの部活での実績込みで有名らしい。

 学校の裏側では影の支配者として有名になっていたようだ。

 

 曰く、布を被れば消える、二股している忍者みたいな奴であるとか。

 曰く、夜な夜な少女たちをベッドに連れ込む鬼畜人間であるとか。

 曰く、この世全ての弱みを握っている裏の支配者であるとか。

 曰く、友人の妹にお兄ちゃんと呼ばせている自称紳士とか。

 

 噂とは怖いものであると感じた瞬間であった。

 風に告白した少年がいる学校でも、良くも悪くも有名らしい。

 

「……」

 

 こういう時こそ大赦の隠蔽工作の出番であるはずだと亮之佑が考えていると、

 優男は風が付き合っている相手が亮之佑であると知ると同時に速攻で退いてくれた。

 「三股だーーー!!」と叫びながら走って行くというよく分からない終わり方であった。

 

「まあ、何ていうの? 今日は助かったわ、三股さん」

 

「……」

 

 その後、病院の中庭で風に告白した男が走って帰った方向を見ながら風が言った。

 釈然としない気持ちを抱えたまま、ふと亮之佑はあることを瞬時に考えた。

 決して悪戯心ではない。決して今の一言に苛立ちを覚えた訳ではないのだ。

 ちょっとしたブラックなジョークであると亮之佑は思うことにする。

 

「風先輩、もうすっかり夕方ですね~」

 

「そうね。……流石にもう卵は駄目ね」

 

「卵なら今度付き合いますよ……。そうじゃなくて、この病院には10年以上前からある噂があるそうなんです」

 

「えっ、もしかして怖いヤツ……?」

 

「この病院では時々謎の病気で腕が取れる患者がいるそうなんです。しかもある特殊条件で起きるらしいんですよ~」

 

「ねぇ、帰らない? いや怖いとかじゃなくて、そろそろ樹に夕ご飯を作らないとな~って」

 

「……その条件とは、夕刻に男女が今のように手を繋いでいると、男の腕が取れるという……あっ」

 

 ふと風は繋がれていたはずの彼の手から力が無くなるのを感じた。

 なんとなくその方向を見て、声を上げる亮之佑の顔を見ると青ざめているのが分かった。

 少年のその視線の先を見ると、

 

 

 引きちぎれた亮之佑の赤黒い右腕が、風の手と握り合っていた。

 

 

「……へ」

 

「俺の腕があああぁぁあああっ……!!」

 

 風が恐る恐る亮之佑の服を見ると、右腕の袖部分には何の盛り上がりも無いことが確かめられた。

 どうやら亮之佑の腕が取れたらしい、と風は認識した。

 

「―――――」

 

「……みたいな事があったらしいですよ、風先輩。まあ科学的には解明されているらしく所詮は噂に過ぎないって話らしいですが」

 

「―――――」

 

 言葉も出ないほどに驚いた風の姿に対して、亮之佑は自身の演技力の高さに満足し頷く。

 それからようやく服の中に隠した腕を出し、小道具である『腕』を回収する。

 

「どうですか、風先輩。このネタ、結構夏の風物詩になりそうだと思うんですけど……」

 

「―――――」

 

「流石に即興でしたから粗も多かったんですけど……感想とかありま――――風先輩?」

 

「―――――」

 

「た、立ったまま気絶してる」

 

 

---

 

 

 この後、俺は気絶した風を背負って犬吠埼家にまで歩くことになったのだった。

 片手に卵2パックを入れたビニール袋を持ちながら。

 

 

 




【リクエスト要素】
・風先輩と邪気眼ごっこ
・風先輩に対するホラードッキリ(恐怖のあまり卒倒し、かっきーに背負われて帰宅)
・風先輩の恋人のふりをすることに。そして話を聞き付けて後をつける勇者部の面々
・「あの時の(共犯)発言は本気なの?」と聞かれたので、他の人に聞かれると不味いので耳元で囁く様に会話

リクエスト者達に感謝を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第五十二話 姉代わり」

 これは、俺たちが東郷の暴走を止め、穴の開いた壁から入り込んだ侵入者達を撃破した後。

 全員仲良く大赦によって病院送りとなり、意識の無いうちに端末も気づけば回収され、

 その後、意識の戻らない友奈と盲目の風、そして夏凜がまだ入院していた頃の話だ。

 

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 

「亮之佑――――頼みがあるのだけど」

 

「はい」

 

 俺や樹、東郷は既に退院して、時折このように見舞いに訪れるのだが、

 そんな時病室に来ていた俺は、風に樹の身の回りの世話をして欲しいと頼まれた。

 樹はアタシがいないと一人じゃ生きていけないのだと、悲しげに、切なげに寝台の上で呟いた。

 

 流石に過保護だと思うのは兄弟も家族もいないからだろうか。

 人間は自身が危機的状況にあると認識した時に力を発揮する生き物だ。

 身の回りの事ぐらい自分一人で出来ると思うのは傲慢でしかないのだろうか。

 しかし、まだ中学1年生の少女を一人家の中で暮らさせることに、保護者として不安であるというのもよく解る。

 

「―――――」

 

 だからこそ。

 紳士たる俺としては、悲しげな顔をして頼みこむ盲目の少女に震える手で握られると断れない。

 その想いに対して、断るという鬼畜な真似をすることはできない。

 白い産毛のある金髪の少女の手をマッサージ感覚で揉むとハリのある温かさを感じ取った。

 

「アタシの片目の視力が完全に戻るまでで良いからっ……!!」

 

「――――分かりました」

 

「亮之佑……!!」

 

「ただし、キチンと療養して下さいね」

 

 幸い少し前から己の眼の色覚は戻りつつある。

 なおかつ、俺は既に友奈という一人の家事未経験の少女を鍛えた実績がある。

 その時の話を以前風にした際、何とも言えない顔をされた。

 いずれにせよ男である自分に信頼を寄せてくれる事実が、薄情者になりたくないと思わせた。

 

「――任せて下さい。風先輩」

 

 包帯の取れない両目部分を見ながら、真摯な思いで俺は風に告げた。

 彼女から樹の実生活がどんな感じか、どれだけ可愛いかは、日々の生活で聞かされている。

 どれだけ大事な存在であるかを聞かされている。

 

「俺が樹を理想の妹にしてみせますから」

 

「いや……身の回りの世話だけでいいからね……? マジで、本当に」

 

「冗談ですよ」

 

 そんな訳で更にいくつかの細々とした話をし、俺は風から合鍵を預かることになったのだった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

「えっと……お世話になります」

 

「いえ、こちらこそ」

 

 犬吠埼家のリビングのテーブルを間に挟みこみ、俺と樹は向き合う。

 最近になって満開によって捧げられたはずの供物が戻ってきたらしく、

 順調にリハビリを行えば元に戻ると大赦や医者には言われている。

 まだ声に僅かながらたどたどしさの残る少女を見ながら、椅子から立ち上がる。

 

「それじゃあ、早速昼ごはんを作るけど、樹は何か食べたい物とかはあるか?」

 

「……う、どんで」

 

「――了解」

 

 こんな幼い少女にもしっかりとうどん因子が刻み込まれているのだという認識を得ながら台所に移動しつつ、自宅から持ってきたマイエプロンを上着の上から着る。

 

「……」

 

 ふと、自身が着用した赤いエプロンを見下ろす。

 友奈も小学校の頃、俺と料理の修行をしていた時はこのエプロンを着ていたなと感慨深く思いつつ、未だに意識の戻らない赤い髪の少女に対して、ふと少しだけ考えてしまった。

 そんな俺に、躊躇いがちに樹は話し掛けた。

 

「……ぁ、あの、亮さん」

 

「――――うん? どうした? 樹」

 

「えっと、手伝い、ましょうか?」

 

「……」

 

 いつも台所に立っている風ではなく、他人な俺が立っていることに違和感でもあるのだろう。

 もしくは一人だけ何もしない事に耐えられないのか、樹がか細い声で手伝いを申し込む。

 胸の前で両手を組みながらこちらを見上げ、揺れる薄緑色の瞳に風の面影を感じながら、

 

「じゃあ、手を洗って……まずは冷蔵庫から長葱を取ってくれるか?」

 

「はい」

 

 その手伝いを承諾し、二人で料理に取り組むことにした。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

「美味しかった、です」

 

「うん、お粗末様」

 

 夜ご飯はカレーにしたが、口に合ったのかご満悦な様子で樹は告げた。

 片付けを終えて、一服していると樹が自身の湯呑みに視線を下ろしていた。

 もしかして食後のコーヒーの方が良かったのかと思い尋ねると、首を振りながら違うと告げた。

 

「私は、お姉ちゃんがいないと、駄目なんだなって思いました」

 

 少女が言っているのは、退院して数日で汚くなり始めた部屋の惨状のことだろう。

 姉に甘えて自己管理も碌にすることができない自分が嫌であると悲しげに言う。

 

「それで……?」

 

「私は……お姉ちゃんの、負担には、なりたくないんです」

 

 風の隣に立てる妹として、せめて自分で身の回りの事ができるようになりたいと、

 治り掛けな声で、それでも懸命に喉を震わせて、樹は自分の想いを口にした。

 

「亮さん。私に料理を、教えてくれませんか?」

 

「ふむ……」

 

 正直意外な気持ちではあったが、今までのように甘えるだけの関係なのは嫌なのだろう。

 姉が妹を想うように、姉想いの可愛らしい少女であると俺は思う。

 いずれにせよ、料理を覚えたいと言っているのは非常に分かるのだが、

 

「俺が教える場合は、料理だけでなくて洗濯や掃除も覚える事が条件だ。料理も大事だが、自分の身の回りの事を自分で出来るようになりたいなら、他の事も覚えないとね」

 

「は、はい」

 

「あと、俺は風先輩とは違って甘くはないけども、いいのか?」

 

「―――――」

 

 妹に優しいのはきっと姉の特権だろう。

 対して俺には妹も弟もいない。その可能性は己の無能さが殺したのだから。

 教え方は厳しいという俺の言葉に対し、樹は逡巡したがやがてコクリと頷いた。

 

「良い子だ」

 

 その瞳には、愛する姉の為に自分も頑張ろうという強靭な意志を感じた。

 両拳を握り締め、家事を覚える事に意欲的であるのが伝わった。

 その姿を見て、思わず頬が緩むのを感じた。

 

「樹。俺に師事を乞うのならば、キミは間違いなく立派な妹として風先輩の負担どころか、これから先風先輩と共に活躍できるだろう」

 

「はい!」

 

「良い返事だ」

 

 そんな訳で本人の希望あって俺は樹に、一人でも生きていけるように家事を教え込むことになった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

「おにぎり、ですか」

 

「ああ。これなら火も使わないし……あとは味噌汁を作って一品おかずを作る感じかな」

 

 次の日、眠っていた樹を耳元で囁くように起こし、洗面台に寝ぼけ眼な少女を送り込む。

 耳を押さえながら戻ってきたパジャマっ子はまだ寝ぼけているのか、俺を風と間違えていた。

 姉が恋しい妹がようやく覚醒し、俺の作った朝ご飯を食べ終えた後、早速修行を始めた。

 流石に初回から火を使うような料理は危険なので、練習としておにぎりを採用した。

 

「じゃあ樹。まずは俺が見本を見せるから、よく見といてくれよ?」

 

「はい」

 

 隣で見る少女に教え込むべく、俺はおにぎりの作り方を実践する。

 既にご飯は炊きあがっており、現在は少し温度を冷まさせている。

 

「まず、手を軽く水で湿らせて、塩をひとつまみ摘まむ」

 

「……」

 

「それでご飯の量はこれぐらいにして……具を入れて、手を三角形にして力を抜いて握ると……」

 

「……!」

 

「こんな感じかな。握る時は少し米が熱いけど我慢してね」

 

 ふくよかな熱い米を握り、鮭の具を入れたおにぎりを皿に置く。

 三角形に出来上がったソレを見ながら、次は樹がおにぎりを作るのを見る。

 必死な形相で俺のやった行動を再現しようとする姿を見ながら、手を洗いつつ俺は昔を思い出していた。

 

 東郷に出会う少し前から友奈に料理を教えていたのだが、あの頃は酷かった。

 それでも彼女はめげずに取り組み、褒めてイチャついていたら随分と上達していた。

 

「こう、ですか?」

 

「……そうそう。いい感じだよ」

 

 ふと気を抜くと過去に飛びそうになる己の意識の手綱を握り締める。

 行動をしているというのは良いものだと俺は思う。

 なぜならば、動いている間はあまり考える事が少ないからである。

 着々と樹も風も後遺症が治ってきている。だから―――――

 

「うーん……」

 

 ふと樹の唸り声に暗い思考が掻き消される。

 樹の作ったおにぎりは、お世辞にも形の良い物では無かった。

 三角というよりは丸く、更には力を籠め過ぎて米粒が潰れてしまっている。

 先ほど俺が作ったおにぎりと並べてみるとその差が判る為か、樹は失意に項垂れてしまう。

 

「樹。最初にしてはかなり上手いと思うぞ」

 

「本当ですか……?」

 

「お世辞を言ったつもりはないよ。それに料理ってのは反復練習みたいな物だよ。俺だって最初の頃はこんな感じだったよ」

 

「亮さんも、ですか?」

 

「ああ、それでも毎日毎日作ってたらいつの間にか上達してただけだよ。風先輩だってそうさ」

 

 己の不出来な物を見て落ち込む樹に俺は励ましの言葉を告げた。

 俺の不出来な励ましに対して、樹が下を向いていた顔を上げる。

 その姿に誰かを重ね、懐かしさと寂寥感に襲われそうな気がして、薄い笑みを浮かべてしまう。

 

「……?」

 

「いや、なんでもないよ。……なあ樹、料理において大事な物ってなんだと思う?」

 

「えっと……調味料、とかですか?」

 

「それもあるけど、料理において大事なのは……そう、愛なのさ!」

 

「……あい」

 

 急にどうしたんだ、みたいな顔をする樹に対して、俺はクツ……と微笑み掛ける。

 非常にベタな話ではあるが、昔の人はよく料理において大事なのは『愛』であると言っていた。

 昔の俺も何を言っているのか解らなかったが、実際に作ると先人の言葉の意味が分かる気がした。

 

「つまり、大切な人が美味しいって笑みを浮かべてくれる姿を思い描けば、次はもっと上手になろうって思えるってことさ。樹の作ったご飯なら風先輩はきっと美味しいって言ってくれるさ」

 

「……」

 

「それに樹は、こうして自分を変えるべく努力を始めたんだ。それが風先輩の為にという理由なら上達しない訳がないよ」

 

「……お姉ちゃんの、為に」

 

 俺の言葉を咀嚼しているのか、その目蓋を下ろし、眦を震わせる樹は、

 再度目蓋を開きこちらを見上げる頃には、先程までの弱気な意思は感じられなかった。

 その姿に、俺は誰かの姿を重ねて、つい左手を伸ばして少女の小さな頭を撫でてしまった。

 

 金色の渦を渦巻いてきらきらと震える幼き少女の髪は、抵抗なく髪の間を指が通した。

 樹の短めな髪の毛を触っていると、ふと妹がいたらこんな感じなのかと思ってしまった。

 

 後悔しても遅いというのに、未練たらしく思う。

 そんな苦笑する俺を、樹は綺麗な瞳に疑問を浮かべて見上げた。

 

「妹……ね」

 

「亮さん?」

 

「…………いや、埃がついてた。さて、それじゃあもう一つ作ってみようか」

 

「はい!」

 

「……」

 

 先ほどよりも一つ一つの工程に注意を払い、先程の俺が教えたとおりの事を忠実に再現し、

 時折俺がアドバイスを送っていると、少しずつだが最初よりも形の良い物が出来始めた。

 誰かの為―――――風の為に樹は懸命な意志で、これからは物事を為していくだろう。

 

「―――――」

 

 その姿は、その容姿は、似ても似つかないというのに。

 なぜか俺は、大切な赤い髪の少女との思い出に、過去の幻想へと想いを過らせるのだった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 それから俺が少しずつ樹に家事を教え込み始め、遂に明日、風が退院する日になった頃。

 

 短い期間なりに成長した樹の言葉に耳を傾けつつ彼女の服を畳む。

 ちなみに白系が多い下着は樹が畳み、その後皺を作ることなく俺の隣で他の服を畳む。

 

「おっ、畳むの上手くなったじゃないか。また一つ上達したな」

 

「えへへ……なんだか、亮さんってお兄ちゃんみたいですね」

 

「風先輩ほど甘くした覚えはないけどな」

 

 最初の頃と比べて一人で家事が出来るようになった少女と雑談を交わしていると、以前よりもたどたどしさの薄れた声で樹が俺に話し掛けた。

 

「でも優しかったです」

 

「そう? ……まあ、いずれにせよ樹もちゃんと成長できたと俺が保証しよう。後は風先輩を驚かせるだけだ。きっと泣いて驚くだろうさ」

 

「はい、頑張ります!」

 

「……」

 

 本当に成長したと俺は思う。

 最初の頃、うどんは作れるというので後ろで見ていたら、知らぬ間に生物兵器へと進化した。

 如何に女子中学生の作ったうどんでも胃が耐えられないので、その辺りは厳しく教え込んだ。

 その甲斐あって、随分とまともな物を作れるようになったと心から思った。

 

 畳み終えたのを確認し、衣服を自室に持っていくのを確認しながら、自前のエプロンを着用する。

 あっという間に最終日となった事を感慨深く思いつつ、僅かに愛着を持ち始めた台所に立つ。

 最後の晩餐として今日は何を作ろうかと考えていると、後ろに気配を感じた。

 

「あ、あの、亮さん」

 

「うん?」

 

「手伝います!」

 

「……そっか、じゃあお願いするよ」

 

 頭一つ分ほど背丈の小さい少女と並び立ちつつ、調理を始める。

 今日は最終日だったし、豪華に作ろうと思いつつメニューを考えていた時であった。

 

「亮さんは……」

 

「ん」

 

「料理をしている時、いつも誰が喜んでいる姿を思い浮かべているんですか……?」

 

 思わず包丁を動かしていた手を止めて、隣にいる樹の方を見ると数秒だけ眼が合った。

 咄嗟に真顔からいつもの不敵な笑みを浮かべつつ、先に俺が眼を逸らした。

 その質問を受けて、自分は誰の喜ぶ姿に料理を始めたのだったかを考えた。

 

 料理を覚えたきっかけは、綾香に仕込まれたからだ。

 当時は後悔しないという魂に刻み込んだ誓いに従い、あらゆる事を貪欲に吸収した。

 通常の子供ならばきっとグレるような黒いスケジュールではあったが、あの頃は充実していた。

 綾香や宗一朗に料理を作った時は随分と喜ばれたのを覚えている。

 

「そうだな……」

 

 それから時が流れ、一人暮らしをすることになった時。

 外食気味だった俺が再び自炊を再開するようになって、ある少女と一緒にご飯を食べた。

 一人で食べるご飯よりも、誰かと一緒に食べるご飯がどれだけ美味しい物なのかを教えてくれた。

 そうして「美味しい」と偽りなき笑顔で告げた赤い髪の少女の姿が、ふと脳裏を過った。

 

「大切な人とか、かな」

 

「友奈さんですか?」

 

「―――。もちろん樹もだよ」

 

「むぅ……」

 

 そんな風に揶揄すると、少女はほんのりと頬を赤らめながら困ったように眉を顰めた。

 その姿を見ているとふと悪戯心に囚われてしまい、話を逸らしつつ別の話題を提示する。

 

「そうだ樹。ちょっとお願いがあるんだけど」

 

「は、はい。亮さんのお願いなら、なんでも頑張ります!」

 

「ん?」

 

 ソレに何か意味があった訳ではない。本当に何となく程度の考えでしかなかった。

 もしも、俺にも妹がいたのなら、きっとこんな感じだったのだろうかと。

 同じ時間を過ごす中で、年下の少女と絆を紡ぐ中で、愚かしくもそんな事を考える時があった。

 そんな、ただの自己満足でしかない頼みを口にした。

 

「じゃあ……一度でいいから俺のこと、お兄ちゃんって呼んでみてくれないか?」

 

 そんな奇抜なお願いに対して、樹は大きな目を見開いた。

 驚愕にこちらを見上げながら、それでも愚者の願いを叶えるべく、薄紅に唇を震わせる。

 

「お兄ちゃん」

 

「―――――」

 

 瞳を潤ませ、微笑を浮かべた樹は、何も聞かずただその言葉に想いを乗せて一言告げた。

 その言葉に心の底で湧き上がった感傷に頬を緩め、俺は思わず頭上を仰いだ。

 

 白い白い天井が、無機質に俺と樹を見下ろしていた。

 

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 

「やっと着いた……!!」

 

 後ろに重たい荷物を背負いつつ、ようやく犬吠埼家に辿り着いた。

 よほど衝撃的であったのか、未だに目を覚まさない背後で気絶したままの少女を背負いなおし、

 意識が無い為に判明した実は安産型である事実を脳のメモに記しながら、チャイムを鳴らす。

 

 チャイムを鳴らして数秒後に、ドアノブが回され、家の住人が顔を出す。

 こちらを見て驚きの顔を作り、同時に背中に乗っている自らの姉の姿に目を丸くする。

 

「お姉ちゃん!?」

 

「ああ……えっと、偶然会って怪談話をしていたら気絶してた……。けどそろそろ目を覚ますと思うから。あとこれ卵。冷蔵庫に入れといてね」

 

「うちの姉がすみません。……お茶でも飲んでいって下さい。お兄ちゃん」

 

「……いや、でも」

 

 風が退院すると同時に俺は合鍵を返還し、いつも通りの生活に戻った。

 そんな中で少し変化があり、時折樹が何を思ったか俺のことを「お兄ちゃん」と呼ぶようになった。

 それに対して俺も特に注意する事もないのだが、公の場で呼ばれると在らぬ噂が更に増えるので、

 最低限、二人きりの時限定で呼ぶようにお願いしていたのだが、

 

「そうよ、せっかくだし上がってきなさいよ。亮之佑」

 

「……!」

 

「ちょっと話をしましょう……ね、お兄ちゃん?」

 

「―――――」

 

 どんな顔をしているか見たいが、それ以上に振り向くことは出来ない。

 気絶していると思い口の滑った樹に対して、残念ながら眠れる獅子は目覚めていたらしい。

 首に回される腕の柔らかさや背中に感じる双丘以上に、その腕に篭められた力と声の低さに、

 俺は為す術も無く頷きながら、犬吠埼家で夕飯をご馳走される事になった。

 

「お姉ちゃんは今日どこに行ってたの?」

 

「アタシは……ちょっと買い物にね? それより樹は何やってたのよ」

 

「実は今日ね、勇者部の皆でお姉ちゃんと――」

 

 椅子に震えて座りながらも、姉妹二人で台所に立って調理をする光景を、俺は僅かな笑みを浮かべて眺めるのであった。

 

 

 




【リクエスト要素】
・事あるごとにお兄ちゃんムーブなかっきーに対して、つい実の姉の前でお兄ちゃんと呼ぶ樹。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第五十三話 私だけを見て」

お気に入り登録800突破ありがとうございます。
多くの感想や高い評価などもありがとうございます。
そして数日遅れながら、園子様誕生日おめでとう。


「どうかな~?」

 

 静寂な空間に突如少女の間延びした声が響く。

 加賀家の自室で、俺のベッドで転がる園子の気配を背中に感じながら、

 俺は自前のノートパソコンで園子が書いたのだというネット小説を読んでいた。

 

 奇術の腕を周囲に披露したり、変装して病院に侵入したりする程度のアグレッシブさがあると自負しているのだが、反対にそれと同じくらいに俺は読書家であると自称している。

 

「……」

 

「……」

 

 目から入る言葉が、水晶体や網膜を突き抜けて頭の中に入り込む感覚。

 積み重ねられた多くの文字を読み取り、己の中で一つの確固たる世界に作り変える。

 小説とはコレが楽しいから止められないのだと、両目で文面を追いながら俺は思った。

 

「―――――」

 

 背後から無言で向けられる少女の視線を黙殺しながら、やがて最後の行を読み終える。

 目を閉じると物語の余韻が残り、ソレを優しく呼吸しながら吐き出す。

 その行為で読み終えたことを察しながら、無言を保っていた作者が再度問いかけてくる。

 

「ねえ、かっきー。それで……」

 

「……」

 

 催促する声に俺が振り返ると、期待の表情を浮かべ、煌めかせた琥珀の瞳を園子が向けていた。

 俺の寝台にその身を預け、以前目の前の少女から貰ったピンクのサンチョを柔な体で抱き込む。

 

 目の前の読者がどんな感想を言うのか気になっているのだろうか。

 両腕で俺のサンチョを抱きしめ、奇形の何かへと変貌させていることに園子は気づかない。

 もしくは気づいていながらも、優先することがあるのだろう。

 

「……」

 

 そんな少女の目の前であえて薄く微笑み、余裕の表情を俺は浮かべた。

 寝台の端に腕を乗せ、少女との距離を僅かに縮めながら口を開く。

 

「面白かったよ」

 

「良かった~」

 

 無骨で面白みに欠ける感想に、園子は華を咲かせたような笑みを浮かべ再度寝台に身を転がす。

 ベッドと少女との間にサンチョを挟みこみながら、頬杖を付いて園子は言った。

 

 コロコロと柔らかな笑みを浮かべながら少女が寝台を転がる度に長い金髪が乱れる。

 昔と異なり彩色に穏やかさの増した金色の長い髪を無造作にシーツの上に広げる。

 園子の腕に抱かれ潰されているサンチョと場所を変わりたいと思いつつ、

 

「それにしても、園子がこの小説の作者さんだったなんてな」

 

「うん」

 

 白い肌を惜しげもなく晒し、無防備に寝台に乗る少女を見ながら俺は声をかけた。

 シーツに己の頬を押し付けながら、顔を横にして見上げてくる。

 

「結局、かっきーには今まで私の小説を読んで貰う機会がなかったからね~。かっきーはその様子だと以前から知っていたの?」

 

「ああ、これでも俺は文学少年だからさ。結構小説とかは色々と読むんだよ。その関係で偶然見つけたのが園子の作品だったって訳だ」

 

「ほへー」

 

 以前から何の因果か己の小説を読んでいたという俺の言葉に対して、

 園子は意味を判別しづらい言葉を発する。

 

「園子はさ、小説書くのが好きなんだな」

 

「そうだよ~。私は恋愛小説を読むのも、小説を書くことも好きなんよ」

 

 両手を合わせ、園子は本格的に潰れ始めたサンチョの上で嬉しそうに肩を揺らす。

 その可愛らしい無垢な子供のような態度に、俺はそっと苦笑で応じる。

 

「少し偏りが見られるけどな……」

 

「えー、そんなことはないと思うけどなぁ」

 

 少女の嗜好なのか、少し女性と女性の絡みがある小説もあった。

 もちろん園子が主張する通り、『スペース・サンチョ』なる独特な世界感の小説も書いてたが。

 ふと、以前から読んでいたという言葉に対して疑問を抱いたのだろう、

 

「じゃあじゃあ、かっきーは私の書いた中でどの作品が好きなのかな……?」

 

「うん? ……そうだな」

 

 園子によるやや唐突な話題の転換が、気だるいような間延びした口調で発生する。

 ほにゃりとした顔を見ながら、その言葉に俺は自分の顎に指を当てて、

 

「――――あの執事とお嬢様の話かな」

 

 ふと自らの脳裏に過った、ある作品名を口にした。

 口調の荒っぽい行動力に溢れた執事と、無口だが可憐なご令嬢。

 彼らを中心としたラブロマンスとも言える切ない話の多い作品であったのを覚えている。

 明るい話もあれば、濃厚で暗い雰囲気で描かれる官能的な話が個人的には気に入っていた。

 

「あの話か~」

 

「ああ、あのなんとも言えない二人の関係が読んでいて面白く感じたよ」

 

「……そっか」

 

 そう言って園子は己の顔をサンチョに埋める。

 マーキングでもしているのかと思い、そのままフリフリと揺れる金髪を見ていたが、

 やがて園子の動きが緩慢な物となり遂には動かなくなった。

 

「園ちゃん……?」

 

「―――――」

 

「園子?」

 

 返事がない。どうやら屍になったらしい。

 動かない屍に手を出すべきか悩んだが、フェイントの可能性もある。

 念のためもう一度名前を呼ぶが、俺の言葉に園子は一切の反応を見せない。

 

 埒が明かないように見えるが、俺は焦ることなく対応する必要がある。

 それが乃木園子との接し方であるのだから。

 

「……」

 

「――――ん」

 

 慎重に自分の手を伸ばし、金色の髪越しに園子の頭に触れる。

 綿のようにふわふわとした長い金色の髪は、彼女の背中を飾っている。

 癖のないその真っ直ぐな髪の感触を自らの手のひらで感じながら、

 

「…………ん……あ、寝ちゃってた。ごめんね~」

 

「―――うん、知ってた」

 

 園子が自らの頭を撫でる手のひらによって再覚醒を果たす。

 無言で撫でられながらも、信頼を宿した瞳をサンチョと金色の髪の束の間から覗かせる。

 少しの間そんな風な触れ合いをしていると、園子は自身の眦を和らげた。

 

「えへへ……」

 

「ご満悦ですかの、姫」

 

「うむうむ、よろしいですの~」

 

 弛緩しきった肢体を俺の寝台に乗せ、同じくらいに緩んだ顔をする。

 そんな顔を見下ろしながら何となしに髪を撫でていると、ふと眼が合った。

 

「それで、今日は一体どうしたんだ……?」

 

「ん~、ちょっとだけお願いがあるんだけどね」

 

 園子の言葉を聞きながら、こぼれ落ちる髪を梳いていた指を移動させて顎に這わせる。

 その行為に対して、くすぐったそうに目を細めながら、

 

「かっきーはあの作品を読んでくれたんだよね?」

 

「そうだな……もう一度言うけど、俺はあの作品が好きだったよ」

 

 あの作品は幼馴染であったという二人の男女が様々な経験を積んで成長するという物であり、

 全十五章という園子の書いていた長編物は、俺が見つけた時にはもう最終章に入っていた。

 

 当時俺が勇者部と園子探しを併行して行い、溜まり始めたストレスを酒で誤魔化してた頃、

 ふとその小説が目に入り、なんとなくで読んでいたら非常に琴線に触れた。

 

 皮肉な話である。

 探していたはずの相手が書いている小説を読んでストレスを解消させていたのだから。

 

「――――だが一つだけ気に食わない所があった」

 

「……」

 

「最終話だけが書かれないで、未完で終わってしまったことだよ」

 

「……」

 

 仰向けになった園子の顔を俺は見下ろす。

 お互いの顔が近づき、息遣いが聞こえる中で、園子の瞳に俺の顔が浮かんだ。

 

 整った形をしている顔だと思ったら自惚れでしかないのだが、

 個人的には温厚か、穏やかな性格であると自負しているが、それらをある部位が消し去っている。

 自らの瞳の色が、園子の艶のある眼が映し出す光景の中で最も際立っていた。

 

「……それでそのお願いって?」

 

 彼女の長い睫で埋まりそうな目からそっと目を逸らしながら、俺は問いかけた。

 

「うん。あの作品はね、どうしても最終話の展開が決められなくて。いい感じに喉からアイデアが湧き出そうなんだけどね」

 

「要するに、スランプって事か?」

 

「―――あんまり言いたくはないんだけどね~。そもそもあの作品は私の個人的な願いを籠めて書いてたから。ある意味で身勝手な願掛けみたいな物だったんよ」

 

 そう言いながら、仰向けに寝転がっていた園子は大きな瞳を揺らしながら再度口を開いた。

 

「でも、かっきーが協力してくれるなら続きを書けそうな気がするんだ~」

 

「協力」

 

「うん。あっ、難しいことじゃないんよ。ちょっとかっきーに演技をして貰えれば、インスピレーションが湧いてきそうな気がするんだけど……」

 

「なるほどね……」

 

 園子の頼みとは、簡単な演技を実際に目の前でして貰いたいという事であった。

 よっぽどな頼み事かと思い、僅かに強張らせていた身体が弛緩し始めるのを感じながら、

 その程度の事ならと、何よりも目の前の少女の為ならば一肌脱ごうじゃないかと俺は思った。

 

 

 

 ---

 

 

 

 了承を貰えたことに目を輝かせ、瞳の奥に星を煌めかせた園子は薄めの本を取り出した。

 特に何かが書かれている訳ではない表紙を捲ると、結構な量の文章が書かれていた。

 

 その多さに思わず眉を寄せ流し目で園子の方を窺うと、ほにゃりとした笑顔が返された。

 薄い本と言えども結構な量があれば面倒でしかないのだが、

 

「……」

 

「ん~?」

 

 今更断るのも園子に悪い気がした。

 長い髪をなびかせ悪戯っぽく笑う彼女に薄い笑みを浮かべ、暗記する作業を始め、

 それから2時間が経過した。

 

「おーい、おれのおんなに、てを―――」

 

「疲れたのかな?」

 

「……うん」

 

「そろそろ休憩しよっか」

 

 最初の頃はノリノリで演技していたのだが、少し前から疲れ始めた。

 疲れ始めるとふと目に付くのが台本に書かれている執事役の台詞の内容である。

 

 何かこうゾクゾクするというか、背筋が痒くなるような臭い台詞が多い。

 これは作品内に出てくる『柿原』という執事のキャラクターの台詞なのだが、

 ふと疲れて素面に戻った際に、「俺は何を言わされているんだ」と思ったりした。

 

 この執事は、少し荒っぽい口調が特徴的であるが、それでも主である『苑』という令嬢に対して、

 無骨ながらも気障な紳士さと正反対の強引さを兼ね揃えた存在である。

 一体どこからこんなキャラクターを創作したのかと聞いてみたが、

 当の作者様は、僅かに朱色を帯びた頬を緩めて微笑みながら「秘密」と言うばかりであった。

 

「こんな物しかなかったけど、はい」

 

「ありがと~」

 

 両手を叩き、手のひらから適当な菓子の類を出現させたように見せると、

 園子は目を輝かせながら子供のように無邪気な笑みを浮かべて受け取った。

 自らが出した菓子は、『うどん饅頭』という白い饅頭なのだが、中の白い餡子が美味しい。

 

 正直うどん要素が感じられない名ばかりの饅頭を胃の中に収めると、

 ふと飴玉のような瞳がこちらを見ていることに気づいた。

 

「……どうした?」

 

 少女も気に入ったのだろうか、3口ほどで平らげたのでおかわりの催促かと思ったが、

 

「今思ったんだけども、さっきのお饅頭がかっきーのカロリーを消費して作られていたら凄いな~って思って」

 

「……いやいや、そんなビックリ展開は無いから」

 

「あっ! 閃いた~」

 

「……」

 

 魔法使いになった覚えは無いので否定するが、少女は既に聞いておらず寧ろ何か閃いたのか、

 必死に自らの手帳に何かを書き込む姿を俺は寝台に寝転がりながら見ていた。

 瞳に星を宿した金色の髪の不思議な少女を見ながら、ふと寝台に園子の匂いを感じた。

 

「―――――」

 

 無言で仰向けになり、柔らかで優しい香りを肺に満たしながら、

 先ほどの台本を再度ペラペラと捲っていると、ふと思いつくことがあった。

 

「園子」

 

「園子だよ~」

 

 寝台に寝転がっている俺が近くでサンチョを抱きしめている少女の名前を呼ぶと、

 ちょうど俺のお腹部分に向かって頭突きを食らわせんばかりの勢いで飛び込んできた。

 

「ちょっとお願いがあってさ」

 

 そう言いながら、台本部分に書かれていたある部分を読ませようとすると、

 その部分を読んだ好奇心に目を輝かせていた少女が僅かに目線を逸らした。

 

「ここを是非、園子様にやって欲しいなって」

 

「……私ってあんまり演技って上手じゃないんだけどな~」

 

「いや、そんな事は無いと思うな」

 

「またまた~、かっきーは煽てるのが上手いな~」

 

 その行は、ある種の告白めいた文章であった。

 この後俺に言わせるつもりであった少女は、辺りをキョロキョロと虚しく見回す。

 しかし、周りには誰もいなかった。

 そんな少女に俺が悪戯っぽく笑いかけると観念したらしく、

 

「……私の役者人生に賭けて頑張るよ~」

 

 と、微妙に恥ずかし気ながらも妙な決意を漲らせて園子は告げた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「かっきー」

 

「園ちゃん」

 

 互いに名前を呼び合う。

 その特に何かの意味を持たない呼び合いをしながら、意識を速やかに演技用に切り替える。

 園子も真面目に頑張るらしく、気合いの入った表情をしているが、

 

「かっきーはそのままでいて」

 

「ん……?」

 

 寝台に横たわっていた身を起こそうとしたら、園子がなぜかのしかかってきた。

 さして重くなく寧ろ軽めの身体は、俺の下半身に腰を下ろした。

 なんのつもりかを目線で問いかけるが、その視線を園子は無視して演技を始めた。

 

「あー、ごほんごほん。さて貴方は……私の事が好きですか?」

 

 寝台の上で男女が触れ合いながら愛の告白(演技)をするという状況。

 見知らぬ第三者が見たら勘違いを起こしそうな状況下で、園子はノリノリで演技をする。

 何がそこまで彼女を楽しませているのかと思いつつも、せっかくなので本気で頑張る。

 

「――――当たり前だろ。俺にはお前しか見えねぇよ」

 

「…………」

 

 そんな(台本に書かれていた)台詞を、瞼を見開きながら己の上に乗る彼女に告げると、

 僅かに頬を赤らめながらも園子は演技を続ける。

 

「そ、そうですか。それでは私に永遠の愛を誓えますか?」

 

「あ、ああ」

 

 告白シーンなためか、微妙に緊張する。

 こちらを見下ろす園子が小首をかしげて台詞を放つと、簾のように金色の髪が落ちてくる。

 熱が篭っているからか前傾姿勢になりつつも、顔を僅かに赤くし演技する園子に感心しながら、

 せっかくなのでこちらも奇術師として、最大限期待に応えるべく残りの意思を振り絞る。

 

「もう一生私以外の誰も好きにならないって誓えますか?」

 

「誓うよ」

 

 喋りながら、やはり小説の通りに中々に重い愛である設定のご令嬢だなと思う。

 

「なら貴方の頭の天辺からつま先まで、髪の毛一本も残さず全てが私の物になると誓えますか?」

 

「ああ、誓おう」

 

「…………」

 

 無言になる園子に対して、もしかして台詞を忘れたのかと思ったが、

 見上げて映りこむ園子の瞳には深く隠された感情が、妖艶の色が奥に見えた気がした。

 独占欲や諸々が強いという令嬢のキャラクターを再現しているのだろう。

 そう思った。思うことにした。

 

「なら、かっきーは私以外の人と話さないと誓う?」

 

「ああ、約束するよ」

 

「――――そっか。嬉しいな」

 

 そう言った園子は一瞬だけ瞼を閉じる。

 そうして再度開かれた琥珀色の眼の奥には、微笑みに似た淡い光を浮かばせていた。

 

「それじゃあ、私は貴方だけの物になる。頭の天辺からつま先まで、この髪の毛一本に至るまで全てが貴方の物」

 

「―――――」

 

 そう言い終えると、その身体をゆっくりと俺の身体に合わせるようにしな垂れかかった。

 しな垂れかかると二人分の重さに、寝台が少し沈み込んだ。

 ふとどんな顔をしているのか俺は気になり、首部分に顔を埋めている園子の顔を窺うが、

 長い髪が園子の顔を隠しているため見ることが出来ない。

 

「ふ――――」

 

「……ひぅ!」

 

 このまま沈黙を保っていると心臓の音を聞かれそうだと思いつつ、

 形の良い耳を金色の髪から覗かせているのと、ちょうど良い距離にある為に息を吹きかけた。

 その瞬間、ビクリと身体を震わせ、耳を押さえながら慌てて園子は顔を上げる。

 

「どうしたの? 園ちゃんや」

 

「――――。……なんでもないよ~。なんとなくかっきーに抱きついてみたくなったんだ~」

 

 そうして上目遣いで甘えるような表情をする園子は、

 視線に微かに揶揄するような色合いを混じらせつつ、いつも通りであった。

 えへへと笑いながら、いつも通りの様子であった。

 

「それよりも、私の演技どうだった? 役者で生きていけると思う?」

 

「え? そうだな。良かったと思うよ」

 

「わぁ〜……!! かっきーに褒められた!」

 

「俺ってそんなに褒めないっけ?」

 

「あんまり聞いたこと無かったかな~」

 

「……よーし、園子偉いぞー」

 

「わぁ~、凄く雑な褒め方~」

 

 そんな風にコロコロと表情を変える園子は、虚脱したように俺の身体の上に寄りかかっていた。

 東郷ほどではないが、友奈よりもある柔らかな感触が間で押しつぶされるのを感じながら、

 ふと園子が手を伸ばして俺の頬に触れた。

 

「……?」

 

「赤いね」

 

 いつの間にか真顔になっていた園子は俺を見ていた。

 俺の紅の瞳を見ていた。

 

「……変か?」

 

「ううん。ウサギみたいで可愛いよ」

 

 結局、一番最初に出た満開の後遺症は治らなかった。

 色覚や視界に何か問題がある訳ではないが、単純に眼の色が黒に戻らなかったのだ。

 俺としてはそんなに問題視してないが、時々部活メンバーや東郷の視線に何かを感じることがあった。

 だが、それだけだ。

 

「もうこんな時間か」

 

 そっと横に園子の身体を移動させると、身体に掛かっていた圧迫感が消えるのを感じた。

 寝台に身体を横たえながら、同じく横になる園子の方を向くと少し離れた時計に目が行った。

 

「園子、俺の演技は役に立ったか?」

 

「うん、創作意欲がグングン湧いてきたよ」

 

「それは良かった。……せっかくだから夕飯を食べていくといい」

 

「わーい! かっきーのご飯だ~」

 

 そろそろ夕飯の準備を始める時間になった。

 寝台から今度こそ身を起こしながら、園子に手を伸ばした。

 その手を取りながら、園子も立ち上がった。

 

「料理長。今日の夕飯は何ですか?」

 

「料理長って。あんまり大した物じゃないけどな……。それじゃあ――――」

 

 部屋を出ながら、俺は今日の献立を考える。

 己の脳裏に浮かぶ冷蔵庫の中身を思い出しながら、園子に不敵な笑みを浮かべた。

 その笑みに気づいた少女は、少し艶の感じられる妖艶な笑みを返してきたのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第五十四話 にゃんにゃんにゃんにゃんにゃす!」

「ん……」

 

 近くて遠いどこかから軽快な音が鳴り響いている。

 鼓膜から入り込んだ音が頭蓋骨を揺らし、そこから音を伝って手足の先まで駆け抜ける。

 同時に眠気が身体から排出され、意識が覚醒する。

 

 ひどく緩慢な身体の感覚と鈍い思考を引きずりながら俺は目を開けた。

 開かれる視界は、見慣れた讃州中学校の教室の風景を映した。

 

「―――寝てたのか」

 

 独り言を呟きながら、俺は軋む体を机から離す。

 変な体勢で眠っていたからか腕に跡がついているのを確認しながら、

 

 ―――視界に異常が発生していることに気がついた。

 

 まだ夢なのかと思い、慌てて瞼を擦っても目の前に広がる世界は変わらなかった。

 バーテックスの襲撃かと思い端末を見れども、異常は見つからなかった。

 

「うーん」

 

 確かに危険な訳ではない。

 満開の時の後遺症のように世界の色彩が失くなった訳ではなく、

 幻覚症状が発生して、世界が肉塊になったといったグロな展開でもない。

 むしろ平和であることを喜ぶ程度の展開なのだ。

 

「―――――」

 

 自らの机に突っ伏し、俺は目の前の視界を黒く染め直す。

 そうしながら俺は「もしかしたら今日は文化祭だったか」と考えるが、

 それにしては流石に露出が激しすぎると考え直した。

 

「亮さん、大丈夫ですかにゃ?」

 

 現実を受け入れるか否か、もしくはこれが夢か判別がつかないが、

 これから一体俺はどうするべきかを考えていると、やや低い声が近くから鼓膜へと届いた。

 

「一世か……」

 

「はい、代表」

 

「代表はやめい」

 

「……ボス?」

 

 今は腕で視界を隠していて見えないが、己の友人は間違えるつもりはない。

 赤嶺一世は、俺が最初に友達に選んだ赤嶺家長男坊で次期当主である。

 

 人形を愛する紳士として覚醒し、現在は紳士と淑女を纏める副官的な立場にいる。

 というのも、少し前から着々と増えつつある有能な人材を纏めてグループを作る中で、

 代表者が欲しいという事になり、全会一致で俺が選ばれたのだが、勇者など色々と忙しい。

 

 そんな訳で着々と有能へと成長しており、信頼のおける一世に副代表を頼むことにした。

 彼は人形が絡まなければ実に懸命で勤勉であり、見込んでいた通りの有能であった。

 やはり変態こそが世界の頂点に立つ権利があるのだと、俺はその姿を見て確信した。

 

 彼以外にも多くいる有能なる紳士淑女達とならば、卒業後にその気があるならば、

 会社を立ちあげるのも夢じゃないかもしれないなと思ったのは別の話だ。

 そんな紳士の方向に向かって飛ぶ意識を、再び戻したのは彼の声であった。

 

「……もしかして具合が悪いんですか?」

 

「いやね、ちょっと寝すぎて常識が狂ってしまったのかなと」

 

「亮さんがおかしいのはいつもじゃにゃいですか」

 

「―――はっ」

 

 可愛げのない反応を返されたことに対して思わず鼻で笑いながら、

 俺はようやく現実を受け入れる覚悟を胸に秘めて、目蓋をそっと開けた。

 

 ―――肌色の光景が目の前に広がっていた。

 

 世界はどうして、こんなにも俺に優しくないのだろうと思った。

 常識は、倫理観は、道徳は、そういった普通の物は亮之佑を置いて逝ってしまったらしい。

 周りを見渡せども、辺りに広がるその光景に対して異常であると認識しているのは誰もいない。

 

 加賀亮之佑以外に誰もいない。

 

「なあ、一世。今日ってさ、文化祭かその準備か何かって……その、あったっけ?」

 

「―――? いえ、普通の平日の放課後ですが……」

 

 声の調子を落とす俺に、一世の対応は常のように真摯だ。

 だからこそ、当たり前の『日常』を過ごしている紳士を名乗る友人の言葉に、

 それでもなお俺は無言で何かしら望む答えが返ってくるのを祈り、彼の瞳を見た。

 

「なあ、一世。どうしてお前はそんな格好をしているんだ?」

 

「本当にどうしたんですか。いつも着用しているじゃにゃいですか」

 

「―――――」

 

 その一世の答えに、俺の頬が強張るのを感じた。

 あえて彼の顔に固定していた視線の錨を外し、緩慢な動きで彼の上から下までを見る。

 

 端的に言うなれば、一世は現在半裸の状態であると言っていい。

 彼は現在、サスペンダーの巻かれた上半身の裸体を惜しげもなく露出させていた。

 首元には白い付け襟が着用され、その上から黒の蝶ネクタイが締められている。

 また少年の下半身は、濃い黒のスラックスという装いである。

 

「……?」

 

 俺の熱烈な視線を受け、少し気恥ずかしくなったのか頬を搔く手には白い手袋がされている。

 

「亮さんだって、いつもその恰好じゃにゃいですか」

 

「……そうなんだ」

 

 その指摘を受けて、俺はようやく軋む椅子から立ち上がり自らの体を見下ろすと、

 半裸の装備という一世だけでなく、周りの紳士やクラスメイト(男)はこの恰好であった。

 ちなみに女子に関しては、今は脳内の情報の処理が追い付かないので後で考えるとしよう。

 

「――――あ、でも手袋は赤なのか……あと指輪は定位置か」

 

 どうでも良い視覚情報を脳に収めながら俺は呟く。

 首に巻かれたチェーンと指輪に何となく触れて、いつもの冷たい感触を確かめる。

 残念ながら、常識が狂っているのが自分か世界か自信が無くなり始めた頃、

 しばらく無言を保った末に俺は―――――帰ることを決意した。

 

「悪い一世。どうも寝ぼけてたようだ……それじゃあ俺は先に帰るよ、お疲れ」

 

「お疲れ様です。にゃんにゃんは程ほどにして下さいね」

 

「―――?」

 

 そんな風に一世と会話をしていく中で、一人また一人と帰宅していく。

 ふと会話の中で何か違和感を覚えたが、些細な事でしかないと決断を下した。

 そして俺は世界に取り残されたという思いを抱え、逃げるように教室を飛び出したのだった。

 

 

 ---

 

 

 

「それにしても、意外とこの恰好も悪くないな」

 

 玄関に向かいながら、俺は一人孤独に呟いていた。

 この未知の世界に順応を始めた体を褒め称えながら、この半裸装備を気に入り始めていた。

 学校の廊下を半裸で歩くという新たな経験値を積む機会はそうそうないだろう。

 

 文字通りの意味で風を切って歩くというべきか、

 服越しではなく直接に感じるソレに何かが目覚めそうな感覚を受け入れるか悩んでいると、

 

「メイド服……? いや水着か……?」

 

 玄関の下駄箱で何やら話し合っている二人の少女、友奈と東郷を見つけた。

 少女達の姿を遠目に見つけ、自然と足が急く中でも己の双眸は彼女らが纏う物に注目した。

 その光景を目の前に、俺は思わず喉を鳴らした。

 

 何故その可能性に気づかなかったのかと俺は思った。

 男の服装が狂ったのならば、女の服装も狂わない訳がないのだ。

 

 思えば、先程までクラスの女子や淑女達とは放課後ということもあり会わなかった気がする。

 もしくは素通りしたものの意識の蚊帳の外だったのかもしれないが、

 そんな事はどうでも良いと、俺はこの異世界に連れてきてくれた神様に感謝の念を捧げた。

 

「ありがとう、ゴッド……」

 

「あれ、亮くん?」

 

「――――うにゃ」

 

 ふと口からこぼれ落ちた言葉を聞き、振り向いた東郷と奇声を上げる友奈。

 そんな彼女達に対して、俺は咄嗟に挨拶をする事はなく、ただ己の眼にのみ専心していた。

 無言を貫いたまま、俺はゆっくりと目を細めた。

 

「―――――」

 

 ところで、『メイドビキニ』という言葉を知っているだろうか。

 本来は清楚なイメージのあるメイド服に、露出の多い水着であるビキニを組み合わせるという、

 割と安易な発想のコスチュームではあるが、生前いた俺の国の紳士淑女業界では人気があった。

 

「―――――」

 

 彼女達の頭部には、白いフリルの着いたカチューシャと猫耳が装着されてある。

 首元を飾る白い付け襟にはリボンが結ばれ、その胸部をビキニタイプのフリル付き水着が覆う。

 そのまま剥き出しの程よく引き締まった腹部を一度通過しながら、

 黒いミニスカートと前掛けの白いエプロンまでを、上から下まで見直してから俺は話しかけた。

 

「―――。さて二人とも、そんな所でどうしたんだい?」

 

「えっとえっと、なんでもにゃいよ! ねっ、東郷さん?」

 

「え? ……えぇ、そうにゃ」

 

「……ほう」

 

 問いかけに対して、慌てて背後に何かを隠す友奈とそれに同調する東郷。

 それを見逃しても良かったのだが、俺に対して何かを隠すというのも珍しい。

 

「友奈」

 

「にゃ、にゃにかな? 亮ちゃん」

 

「…………何を隠しているんだい、友奈」

 

「にゃんの事か分からにゃいよ!」

 

 話をしている間も歩き彼女達との距離を詰めた俺は、真っ直ぐに友奈の目の前で立ち止まる。

 両手を背後に回して、必死に何かを隠しているのをバレないようにしている彼女の姿を、

 上目遣いで此方を見上げる友奈の瞳を覗き込むと、薄赤い瞳はすぐに揺れ出す。

 

「―――――っ」

 

 肩を竦め、心なしかカチューシャの猫耳も垂れ下がっているように見える友奈は、

 少し目力を籠めた俺と対峙しながら後方に下がるが、背後にある靴棚に逃げ場を失くす。

 そんな分かりやすい嘘を吐く少女の顔の隣付近に手を置く。

 

「そうか、分かったよ……友奈」

 

「亮ちゃん……」

 

 僅かに安堵と、少しの罪悪感を瞳に滲ませる友奈に、俺は穏やかに微笑む。

 そんな紳士な俺が穏やかに微笑んだことで、伝染したかのように友奈も微笑んだ。

 第三者から見れば、半裸の紳士が猫耳ビキニメイドに壁ドンしている絵面であるが、

 この世界では何も問題などは無いのだろう。きっと。

 

「分かったよ、友奈。キミが自分から言うまで―――――」

 

「んっ……」

 

 そうして微笑み合う中で、俺は赤い手袋に隠された両手を伸ばし、

 少女の剥き出しになった脇腹へと這わせると、くすぐったさに思わず少女は吐息をこぼした。

 そうして安堵に固まった体に柔らかさが戻ると同時に、

 

「―――――くすぐるのを止めない!!」

 

「にゃああぁぁあぁ――――!! くすぐっはぁああっ――――!!」

 

 指が肌色の舞台の上で、拙いワルツをひたすらに回り続けた。

 唐突に与えられた刺激に体をくねらし、唇から屈託のない派手な笑い声を撒き散らす赤い少女。

 笑い狂う少女が暴れるのに対して、決して逃がさない為に俺は友奈の股下に足を突っ込む。

 

「ゆうにゃちゃん! 発情期かにゃ亮くん……!!」

 

「あれ、東郷さん。肩にゴ〇ブリが」

 

「にゃあああぁぁあああっ……!!」

 

「ニャッハー!」

 

 

 事態が収束するのに、約10分ほど掛かった。

 

 

 

 ---

 

 

 

「こ、腰が抜けたにゃ……」

 

「勇者なら大丈夫」

 

「勇者は関係ないと思うにゃ」

 

 震える手で渡されたソレは、白い手紙であった。

 読んでよいかと目線で尋ねると、息絶え絶えになった友奈がコクコクと頷いた。

 起伏の激しく僅かに汗が滲むお腹を押さえる友奈を尻目に手紙の中身を閲覧すると、

 

「ラブレターだと……!」

 

 友奈宛で『気持ちを抑える事が出来ない、好きですにゃ』と言った旨の内容が書かれていた。

 加えて、『薄っぺらい笑みを浮かべた鬼畜男に貴方は渡さないですにゃ』という内容もあった。

 

「誰がネコに小判だ……」

 

 暴言染みた言葉を文章として送り込んできた相手は、自身の名前を書いていなかった。

 加えて、返事を貰うために待ってるという場所は空き教室で、指定した時間がなんと今日の放課後で今から1時間後であった。

 俺の視線を受けて、困った顔をした友奈が手を顎に当てた。

 

「その、ニャブレターを貰っちゃったんだけど……」

 

 おずおずと、昔テストの点数が最悪で東郷にお説教を頂く数分前の時の顔を友奈はしている。

 きっと優しい友奈は、文面にあった俺への暴言を隠そうとしたのだろう。

 そんな可愛らしい赤毛の猫耳少女に、一呼吸おいて俺も口を開いた。

 

「―――――まあ、友奈は可愛いから」

 

「そうかにゃ? 私は東郷さんみたいに綺麗じゃにゃいし、樹ちゃんみたいに可愛い訳じゃないにゃ」

 

「―――――」

 

「それに夏凜ちゃんみたいにカッコよくもにゃいし、風先輩みたいに大人っぽくもないにゃ」

 

「……」

 

 風に関しては、大人っぽいと言うよりもおっさんぽいという評価が正しい。

 渡された手紙を友奈に返し、自分に自信を持つことのできない臆病な少女に笑いかけた。

 

「友奈」

 

「―――――」

 

「友奈は可愛いよ――――誰よりも。それは俺が保証するよ」

 

 その言葉に、友奈はゆるゆるとこちらを向く。

 形の良い眉を顰め、少女は頬を紅潮させ薄紅の瞳を揺らした。

 しばし友奈と視線を絡ませるが、その瞳に映る快活さはいつもよりも薄れている。

 

「でもにゃんか……私、どうすればいいのか分からないにゃ~……」

 

「友奈はソレ、受けるの?」

 

「私は……」

 

 口ごもる友奈の姿は、どちらかというと学校よりかは加賀家で二人の時に多く見る機会がある。

 ラブレターに動揺する友奈の顔を正面から見ていると、

 

「――――にゃ! 私は……確か……」

 

「東郷、お前は友奈のラブレターを見て気絶したんだ」

 

「……亮ちゃん」

 

 ありもしない虫に気絶していた東郷が目覚めた。

 目覚めたての少女が敵対する前に原因を隠すと、ジト目の友奈が左手を伸ばし俺の横腹を突いた。

 こそばゆいソレに対して、にゃんにゃんするべきか考えたがループしかねないので我慢する。

 

「そうにゃ! 一大事ですにゃ。一刻も早く可及的速やかにこの危機的状況を排除し、友奈ちゃんの身体的・精神的安寧を守るべきにゃ!」

 

「じゃあ、東郷さんはこの状況をどう打破する気なんだ?」

 

「簡単にゃ。私が行って断ってくるにゃ。同時に二度と友奈ちゃんに近づけないようにしっかりと拷問―――聞き取り調査をするにゃ!」

 

「よろしい、ならば俺も協力しよう」

 

 人とは分かり合えない生き物だ。

 なぜならば、人は多くの顔を持ち、息を吐くように嘘をつくからだ。

 だが、今この瞬間だけは真の意味で俺と東郷は分かり合えたのだと思う。

 

「―――私達なら倒せない敵なんていないにゃ!」

 

「―――そうだな」

 

 東郷の言葉には真摯な響きと自信があった。

 結城友奈の為であれば、加賀亮之佑ならば決して断ることなどしないという自信だ。

 殊に友奈の親友であると自負する東郷だからこその直感的な自信である。

 

 それは正しかった。

 無言で交わされる視線と握手には力強い意思が篭められていた。

 深緑の瞳は少年の瞳を見つめ、血紅の瞳はその瞳を見返しながら堂々と彼女の双丘を見下ろした。

 その視線を上げると再度目が合い、俺と東郷は微笑みあった。

 

「ナイスぼた餅!」

 

「―――――」

 

「待って待って二人とも! 自分で断るから!」

 

 慌てた友奈に止められるまで、東郷の膂力が俺の手を砕かんと骨を軋ませた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「それで、友奈は結局どうしたいんだ?」

 

「……断ろうかなって。だって……」

 

「―――――?」

 

「ううん。……それよりもきっと手紙をくれたこの人は、すごく勇気を出してやったことだと思うんだにゃ」

 

 一瞬友奈の瞳を逡巡が過ったが、それはすぐに閉じた瞼に隠される。

 その反応を俺は訝しんだが、今は優先することがあると切り替える。

 どの道、友奈が差出人にどのような行動をしたいか察しがつく程度には絆を育んだつもりだ。

 

「……要するに、相手を傷つけないような断り方をしたいのだと?」

 

「にゃす」

 

 胸に手を当ててラブレターを握りしめる友奈を見つめる。

 その儚げな笑顔は、僅かであれどいつもの笑みを浮かべていた。

 いつまでも見ていたいと思わせる心中、それを余所に思考は現実的な解答を導く。

 

 差出人は不明であるが、指定している時間はそれなりに近い。

 加えて、差出人の名が無いラブレターというのは個人的には好きではない。

 生前いた世界ならともかく、神世紀ならば悪戯という可能性は低いと思うが、無いとも限らない。

 

 ならば、何があってもすぐに駆けつけることの出来る案が良いだろう。

 常に最悪の状況を予期し、尚且つ俺を馬鹿にした男の顔と弱みを握るべきだろう。

 一人で行きたがる友奈を説き伏せることは決して不可能ではない。

 

「なら既に俺と付き合っていると言って断ろうか」

 

「にゃ?」

 

「もう既に俺と付き合ってますって理由なら、しょうがないってことで諦める確率が高いだろ?」

 

「でも……」

 

「全く傷つかないなんてことはないよ友奈。どのみち相手も振られる事を覚悟の上で言っているんだろうし。それにこれなら相手も大して傷つかないだろうさ」

 

「……分かったにゃ」

 

 そう言いつつも納得のいかない表情の友奈に対して、俺は他の手段がないか東郷を見たが、

 聡明で賢明で友人思いな彼女は特攻すること以外は思いつけないらしい。

 他の勇者部を呼びつけようにも少し時間が掛かるだろう。

 あと必要なのは、彼女自身の意志である。

 

「――――友奈。俺が彼氏じゃ嫌か?」

 

「そんなことないにゃ! むしろ……」

 

「むしろ?」

 

「―――。……うにゃ」

 

 いつものように薄い笑みを顔に貼り付けた俺は、随分と意地悪な顔をしていたのだろう。

 なぜか胸に友奈が縋り付いてくる。熱い吐息の感触を感じ、何となしに頬を掻いた。

 行為の意味は少し不明ではあるが、友奈本人の同意は得たと思って良いだろう。

 

「―――――」

 

 震える手を伸ばし、友奈の剥き出しの背中に手を回すと、

 ビクリとしつつも無言を保ったまま俺の胸板に顔を当て、表情を赤い髪で隠す。

 細い髪の感触のこそばゆさは彼女の温度に、匂いに、柔らかさに塗り潰される。

 

 友奈の行為に理性を溶かされながら、脳は変わらず冷淡に次の行動を促す。

 そう、にゃんにゃんは家にお持ち帰りしてからでも出来る。

 今は何よりも、ムシケラの告白を振らなければならない。

 その後は。

 

 ―――いつものように弱みを握り、叩きのめさなければならない。

 

 俺は優先順位を間違えない。

 後悔しないように、間違えてはならないのだから。

 

 

 

 ---

 

 

 

 目の前の指定された教室は、三階のとある空き教室であった。

 何の変哲もない引き戸の先に人の気配を感じながら、東郷の方へと俺は視線を向ける。

 

「―――――」

 

「――――にゃ」

 

 今のは恐らく「分かったわ亮くん。後方待機で射撃準備をしておくのね」ではなく、

 ただ無言で頷いて「教室前で待っている」という意思を示したのだろう。

 頷いた際に揺れた色白の双丘に口の端が僅かに動くが、どうにか堪える。

 

「―――――」

 

 右隣から突き刺さる赤色の視線を躱しながら、引き戸に手を掛けて開ける。

 開けた扉から先に友奈を通し、その次に東郷にサムズアップしてから俺が入る。

 

「失礼しにゃす!」

 

「―――――」

 

 酷く嫌な予感がした。

 その人物の後ろ姿に、軽い頭痛と僅かな怒りを覚えた。

 

 その人物は女子であった。

 見た目は俺達と同年代の少女は、友奈や東郷と同じく黒を基調としたメイドビキニを着用している。

 あえて異なる点を挙げるというなれば、少女は細い指に蒼い指輪を通していることだろう。

 

「やあ――――茶番劇をどうも」

 

 おどけた口調に対して、声の調子は静かであった。

 意地の悪い笑みを口の端に浮かべた少女は振り向きながら、仄かに赤昏い瞳を俺たちに、

 明らかに俺を見つめる目つきは、穏やかなものであった。

 

「えっと、あの、はじめましてかにゃ?」

 

「―――――そうだね、はじめましてだね。結城友奈」

 

「なんで、名前を……」

 

「さあ?」

 

 適当な椅子に腰を掛けた初代は、クツクツと笑いながら肘掛けに頬杖をつく。

 そんな不遜な態度に戸惑う友奈を尻目に、俺は初代に問いかけた。

 

「なんで――――」

 

「なぜボクがラブレターを出したのかかい? その質問は前提が間違っている。アレはボクが出した訳ではない。他の小娘だがこの事態の収束の為に活用させて貰った。それとも、なぜボクがこの場所にいるのかかい? ボクも不思議だよ」

 

 話しながら指輪の世界の王は、肩にまで伸びる艶のある髪の毛先を指で弄りつつ、

 どこか虚空からある物を取り出し、机に置き両手を広げた。

 

「ここは指輪の世界か? 答えは否であって、キミはあと少しで世界から消える」

 

「ぁ」

 

 それは時計であった。見慣れたそのデザインに思わず唇から掠れた息が漏れた。

 己の視界がそれを捕捉すると同時に、脳が何かを察した。

 

「初代」

 

 それは時計であった。見慣れたそのデザインは俺が使っている物であった。

 加賀家の、俺が使用している部屋の、ベッドの脇に置かれていた時計であった。

 

「にゃんだい?」

 

「あとどれくらいだ?」

 

「……あと一分」

 

 察しが良くて助かるよと呟き、黒い毛先を弄る初代の猫耳メイドビキニ姿を脳内保存し、

 慌てて俺はキョトンとしている友奈の方へと振り向いた。

 

「えっと亮ちゃん、一体にゃにが……。友達にゃの?」

 

「―――――」

 

 戸惑いの表情の友奈に何を説明するかを考えて、俺は説明を放棄した。

 その行為に意味はない。

 

「友奈!!」

 

「にゃ、にゃい!」

 

 剥き出しの肩に手を乗せて、俺は彼女の顔を見る。

 その懸命な形相に目を白黒させながら、少女は両手を胸の前で組んだ。

 何かを悟ったのか、赤く潤む瞳はただ一人だけを見つめている。

 

「――友奈。俺、実はショートポニーテール萌えなんだ」

 

「ほぇ……? ―――――ん」

 

 驚くほどに柔らかな唇の感触は、一瞬だけ触れるようなソレは、

 俺の首に手を回した友奈が何かを言うよりも早く。

 たった一言だけ、万感の想いを籠め、俺が耳元で囁くように友奈に伝えて、

 

「----」

 

 

 世界は容易く終わりを迎えた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 甲高いアラームを止めて、目蓋を開く。

 白くぼやけた視界で己の寝台に横たわったまま微睡んでいると、意識の覚醒が始まるのを感じた。

 そうして自らがどこにいるのかを理解した。

 

「……ぁ」

 

 自分の部屋であった。

 女子として普通の部屋であると少女は思う。

 

「……」

 

 ふと唇に指を当てると、先ほどの感触が思い出せるような気がした。

 その行為が何か気恥ずかしく感じられ、友奈は目蓋を閉じた。

 

 いけないことだと分かっている。

 本当は今すぐに起きなくてはならないと。

 

 それでも、きっと彼が起こしにきてくれると思うとつい甘えそうになる。

 彼に溺れてしまいそうになる自分の心になんとか喝を入れようと思うが、

 

「もう……五分だけ」

 

 願わくば夢の続きを。

 そんな他力本願な願いを神樹様に祈り、友奈は再び目蓋を下ろし毛布を被ったのだった。

 

 

 




【第五幕】 番外の章-完-

NEXT


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【第六幕】 勇者の章
「第五十五話 微笑で咽喉を震わせた」


「……それじゃあ、またくるね」

 

 やや低めの声で紡ぐ東郷の言葉は、決して独り言ではない。

 震えを押し隠し、いつか来るその日を望み、一縷の希望を持って話しかける。

 だがその言葉に、声に、寝台の上にいる少女は反応することはない。

 

「―――――」

 

 開かれた薄赤の瞳にかつて見た光はない。

 ただ開いているだけであり、機械的に目の前の白い壁を映し出しているだけだ。

 ピンクのパジャマを着ている少女は死んではおらず、呼吸によって腹部分が上下している。

 喋ることは無い。笑うことも無い。活発な動きをすることも、無邪気に喜びの声を上げることも無い。

 

「……」

 

 体は生きている。それだけだ。

 会う度に、向き合う度に、話しかける度に、東郷は自らの罪を重く深く理解する。

 

「……」

 

 友奈だけだ。元に戻らないのは。

 ゆるゆると緩慢な動きは、以前はこの世で最も醜く憎いと思っていた自らの脚へと向く。

 自らの死んだように機能を喪失していたはずの、棒切れの如き脚は健常へと戻りつつある。

 

 健常へと戻りつつあるのは自分だけではない。

 風も樹も夏凜も、亮之佑も。

 少しずつではあるが神樹様に代償として捧げた物が戻って、治ってきているのだ。

 

 ――だからこそ、目の前の少女もきっと治るはずだ

 

 そうであって欲しい。そうでなければ嫌だ。

 自らの責任を自らで支払うのは当たり前だと東郷は思う。

 自分が起こした行動の責任を、友奈に払わせたいなどと思ってはいなかった。

 だが現実は非情であって、誰よりも勇者である彼女に背負わせてしまった。

 

 大切な人を、友達を守ろうと、中途半端な思いで世界に反逆した。

 そしてそれは、自らが誇りに思う仲間達に戦いの果てに止められてしまった。

 結局、自分の浅はかな考えや不出来な覚悟が、誰よりも守りたい者を傷つけてしまったのだ。

 

『東郷さんは悪くない!』

 

『そんなに他の人が傷つくのが嫌なら、一人でさっさと死ねよ』

 

 向けられた善意が、向けられた悪意が忘れられない。忘れ去るという行為ができない。

 薄紅の瞳が、濃紅の瞳が、脳裏にこびりついて呪詛を延々と囁き続ける。

 似た色の瞳でありながら、視線に込められた感情は全く異なる方向を向いていた。

 

 分かっているのだ。自分はそれだけの事をしたのだ。

 己の愚行の代償は重い。取り返しのつかない事をしてしまった。

 

 椅子から立ち上がり、白いスライド式のドアへと向かう。

 白い床を自らの脚が踏みつける度に慣れつつある感覚を受け入れながら、

 最後に振り返り、寝台の上の少女の姿を瞳に焼き付け、ドアを開けて廊下へと足を出し―――

 

「――――ぁ」

 

「…………」

 

 開けたドアの先に。

 長くはない昏色の髪、鋭く理性的な紅の瞳、こちらを冷然と見据える少年がいた。

 無言で向けられた血の色に、東郷は開けた扉に手をかけ止まった。

 相手は一切の気配を感じさせず、目の前で開いた扉と開けた人物を見て僅かに目を見開くが、

 

「やあ、東郷さん」

 

「……亮、くん」

 

 一瞬感じた冷たさが嘘のように口端に微笑を浮かべ、少年は脇に避け少女に道を譲る。

 同時に、開いた扉に手をかけ呆然と立っている東郷、その顔を見て、

 

「―――これから帰るんでしょ? 東郷さん」

 

「あ、えっと、そうね……亮くんはこれから友奈ちゃんと面会よね? ……良かったら一緒に」

 

「遅くなるからいいよ」

 

 申し出は優しげに笑みを浮かべながら断られる。

 相手を気遣いながらも、確かな拒絶を感じさせながら亮之佑に断られた。

 その事に湧き上がる感情を抑え込みながら、自らも微笑を浮かべるべく口端に力を入れる。

 

「……そっか、それじゃあ……また」

 

「じゃあね」

 

 うまく笑うことができたのかは自分でも分からない。自分の表情が分からない。

 ゆっくりと少年の隣を通り抜け、白く長い廊下を足早に歩く。

 

 角を曲がり、姿が見えなくなるまで少年の視線が自らの背中に刺さるのを感じながら。

 逃げるように歩く少女に、後ろを振り返る余裕も、勇気も無かった。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 風との偽の恋人、略してニセコイのデートの一件を終えてから数日。

 買い物を終えた俺は帰宅途中、偶然東郷と遭遇し、一緒に散歩をしていた。

 

「……」

 

 隣で歩く東郷をチラりと見る。

 薄い青のカーディガンを羽織り、黒く艶のある髪を青いリボンで纏めている。

 下はロングスカートと黒のタイツ、茶色のブーツという出で立ちである。

 最近は寒くなりつつある季節においては正しい服装である。

 

「どうしたの? 亮くん」

 

 見過ぎたのか、視線を感じ取られてしまい東郷に尋ねられる。

 小首を傾げつつも歩みを止めない彼女と歩幅を合わせ、素直に思ったことを答える。

 

「こうして東郷さんと一緒に歩く日が来るとは思わなかったよ」

 

「もう……その話5回目よ?」

 

「そうだっけ? でも俺としては何度でも話題に出したいと思うよ」

 

 こうして東郷と一緒に歩く機会が来るとは思っていなかった。

 出会った当初は樹海で遭遇した鷲尾須美の疑惑があったが、確証もなく近くで見守っていた。

 現在はその疑惑は正しかった物として、園子と東郷二人の太鼓判も得ている。

 

「実際に、こうして東郷さんと似た背丈だってことが分かるという発見もあったし」

 

「ふふっ、でも亮くんの方が大きいけどね」

 

 微笑を浮かべる東郷の横顔を見ながら、なお足は止めず着々と動かす。

 買い物籠を腕に抱えながら、東郷の横顔と、その下で存在感を示す双丘を見る。

 服越しでも分かる勇者部随一のソレこそが、完成型勇者を名乗れる資格の一つだと思う。

 やはり夏凜は完成型(笑)であると新たな確信を抱きつつ、

 

「東郷さんの方が大きいよ」

 

「―――? ……あっ、もう!」

 

 意味を悟ったのか、己を腕で抱く少女は僅かに頬を朱に染めながら、

 視線に対する反撃のつもりか俺の脇腹を抉るように指で突いてくる。

 唐突に与えられた刺激に身を捩じらせ、俺はクツクツと口から笑みを吐き出した。

 

「ナイスぼた餅……ん? ぼた餅? 何かデジャブ感が……」

 

「でじゃぶ? ……それよりもぼた餅を食べたいのなら亮くん、私の家に来る?」

 

「――。そうだね、東郷さんの作るぼた餅は美味しいから。なら荷物を家に置いたら行くよ」

 

 何気ない友人の誘いだ。

 加賀亮之佑は、東郷美森という美少女の誘いなら喜んで乗る。

 初めて出会った頃に比べると、実は二人で遊ぶことはそう珍しいことではない。

 東郷に友奈と出会った頃は必ず3人一緒だったが、日々を重ねるにつれ2人きりの機会も度々増えていった。

 

 散歩を終え、東郷の家の前で別れ、その少し離れた位置にある加賀家に向かう。

 太陽は既に地平線側へと傾き、それでもなお眩しさのある光に目を細め、扉を開ける。

 ゆっくりと扉の鍵を閉め、無言で冷蔵庫へと向かった。

 

『相変わらずの名演技だね……俳優になれると太鼓判を押そうじゃないか』

 

「―――――」

 

『無視は酷いじゃないか』

 

 珍しく静かであった王は、おしゃべりな口を開き静寂の場を壊して話しかけてくる。

 苛立ちに顔を顰めるが、一応人前で話しかける事だけはしなくなったのは助かる。

 

「演技をした覚えなんてないさ。これは素だ」

 

 昏い空に浮かぶ黄金の月、その下の桜の大樹の下で自らの契約者が嗤うのが分かった。

 それらを無視して食材を諸々冷蔵庫に入れ終えて伸びをする。

 パキパキと肩付近から聞こえる音を感じながら、ふと顔を洗いたくなった。

 

「―――――」

 

 加賀家一階にある風呂場と隣接した脱衣所に、洗面台と洗濯機が配置されている。

 洗面台の正面に立つと、四角の鏡に映る自分の顔が睨み返した。

 ソレを無視しながら、冷たい水で顔を洗うとサッパリとした気分になった。

 

『一つ聞きたいのだけども』

 

「ん~?」

 

 微かに洗剤の匂いがするタオルで顔を拭いていると、背後から囁くように初代は話しかけてきた。

 あくまで仮定の話に過ぎないのだが、と前置きをしながら、

 

『もしも、神樹が彼女達に捧げた供物を戻さなかったら、キミはどうしたんだい?』

 

「お前が仮定の話をするなんて思わなかったな……」

 

『ちょっとした与太話さ』

 

 ……などとのたまう初代の声を聞き流し、東郷の家に行く前に着替えや準備をしながら、

 初代から提示された“もしも”の話に俺は思考を沈めた。

 

 もしも東郷の叛乱後の世界でも、変わらず供物を捧げたままであったら。

 代償が更に増えた勇者部は取り返しのつかないほどにグチャグチャであっただろう。

 日常は二度と戻らず、少女達の体も戻らず、その惨状を目にした俺は―――。

 

「分からないよ……一応現状はこうなっているのだから。けど」

 

『けど?』

 

「いつかお前は言ったよな。無知は愚かな事だって。きっと俺は何もかも許さなかったろうさ」

 

『と、言うと』

 

「……東郷じゃないけども。俺なら勇者達に負担を強いず、最大限の苦しみを無知な人間達に与えて、神樹の力を内側から削いで、世界を潰すよ。―――まあ、仮定の話でしかないしな」

 

 風は両眼の機能を喪失し、樹は声を出せない。

 友奈は意識すら戻るか不明だ。恐らくではあるが全身を散華した可能性がある。

 夏凜もだが、二度と寝台から立ち上がることすら出来ないだろう。

 

 ありえたかもしれない世界の話。その世界にきっと希望は無いだろう。

 そして、そんな光景を見せられて、加賀亮之佑が何もしない訳がない。

 原因を作った人物を許さず、裏切った大赦を潰し、無知な人間には真実という絶望を―――

 

「―――――もしもの話ってのは面白いな」

 

 そこまでの工程と方法を考え始めたところで、頭を振り自らに嘲笑を浴びせる。

 そうして鏡の自分が見つめる瞳は、どこまでいっても血の色をしていた。

 

 

 

 --

 

 

 

「そもそも、どうして自分の供物なのにリハビリの必要があったんだろうな」

 

『神樹だって力は無限じゃない。満開のパワーだって神樹の力と彼女達の体の一部を捧げて、ようやく扱うことができる。その意味を考えれば、直ぐに体に馴染まなかった理由は簡単だろう』

 

「―――――」

 

 玄関で靴紐を結び直しながら、無言で少女の声音に耳を傾ける。

 無言の聞き手に、語り手は少ない材料を元に知識と頭脳を活かし答えを導く。

 

『彼女達の供物は戻ってきたのではなく、神樹が新しく創って戻されたと考えるのが正しいだろうね』

 

「なるほどね……」

 

 確かにそう考えるのが自然だろう。

 元々の肉体のパーツはエネルギーに変換されてしまったのならば、手元には無い筈だ。

 東郷の叛乱を脅威と見たのか、今の勇者部や園子には新たな供物を与えると同時に役目を解いた。

 

 大赦は再び新たな勇者を選任し、これからも世界の外の侵略者と戦っていくのだろう。

 是非とも俺たちと関係ないところで頑張ってほしいところだ。

 結局は他人事であり、大切な者だけ守れれば良いと思っている愚者は、玄関の扉を開けた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「東郷さんのぼた餅は美味しいね。俺の中では和菓子界において一位の存在だと思うよ」

 

「ふふっ、ありがとう。一杯食べてね」

 

 いつの時代も変わらない素朴な味わい、程よい粒感と深い甘みは作り手の丁寧さが伝わる。

 米の粒々がしっかりと感じられるモチモチとした食感はいくらでも食べられる美味しさだ。

 何よりも、大和撫子風な美少女が作ったという付加価値が込められたぼた餅で舌鼓を打った。

 

「…………」

 

「……?」

 

 ニコニコと笑みを浮かべて此方を見る視線に何かを感じて、

 食べる手を止めて東郷の方を見ると、小首を傾げて無言でどうしたのかと問いかけてきた。

 揺れる深緑の瞳から、皿の上のぼた餅へと視線を移す。

 

「そういえば、東郷さんって記憶とかも戻ったの……?」

 

「―――そうね。少しずつだけど記憶が戻ってきているわね」

 

「……」

 

 返事をする代わりにぼた餅を頬張る。

 口一杯に広がるあんこの甘さともち米の調和を舌の上で感じながら、

 目の前の東郷、かつては鷲尾須美であったはずの人物を見つめる。

 

「……」

 

 かつて一度だけ。最初で最後の出会いがあった。

 気が狂いそうになった最初の樹海の世界の中で、蒼き流星の如く墜落してきた少女。

 記憶をすり減らし、同じく世界の迷い人となった彼女とは、片手の指ほどしか話をしなかった。

 

 しなかった、と言うよりも出来なかったのだ。

 巡るめく展開に、衝撃的な再会に、多くの侵略者。

 全てが終わった頃には、鷲尾須美の足跡は無くなっていた。

 

「じゃあ、園子とは話とかはしたのか?」

 

 園子曰く『わっしー』という渾名を付けたことや、東郷ともう一人で学校生活を過ごした話など、

 以前大赦に囚われていた園子と1週間ほど話をする中で、大切そうに語っていたのを覚えている。

 

「そうね、そのっちとはあまり連絡が取れないけども……」

 

「なるほど、了解した」

 

「えっと……何が?」

 

 以前園子が加賀家に来た際、俺たちのいる讃州中学校に転入するつもりだと聞いた。

 親友であったらしい東郷に言わないのはサプライズのつもりか、何かの事情があるのだろう。

 ひとまず曖昧な笑みを浮かべながら、ぼた餅を食べ終える。

 

「ご馳走様」

 

「お粗末様です」

 

 皿を洗うべく台所に持っていこうとすると東郷に止められた。

 しかし、主夫としては与えられるだけというのは少し落ち着かない。

 それならと夕飯を俺が作ると申し出ると、少し目を丸くした東郷はやがてコクリと頷いた。

 

 

 ---

 

 

 友奈の家ほどではないが、東郷の家とも近所の一家としてほどよく交流しており、

 東郷の両親ともそこそこ仲良くやれているのは、前世での経験が活きているのだろう。

 和食に染まりつつあるという東郷の両親に、夕飯は綾香直伝の洋食を振舞った。

 

 洋食を東郷に食べさせるという行為にニヤついていると何か勘違いされたらしく、

 「せっかくなので泊まっていきなさい」と言葉を貰い、断るのも面倒なので了承した。

 バリアフリーの名残が残る家の風呂で体を温め、指定された客間に向かうと東郷がいた。

 

「やあ、和風美人」

 

「びっ! ……亮くん。こんばんは」

 

 律儀に挨拶を返してくれる東郷は、僅かに眉を顰めていた。

 何故かと思ったが、部屋に敷いてある布団を見て何かを察した。

 畳の上に敷かれていた布団には何故か枕が二つあり、何か勘違いをされているのだろうと思った。

 もしくは両親に何かを言われて来たのだろうか。

 

「―――まあいっか。俺は左ね」

 

「えっと、亮くん?」

 

「大丈夫だよ、東郷さん!! この状況において正しい行動は平然と眠るという事だよ。恥ずかしがる事じゃないよ。現に加賀さんちでは友奈ちゃんと一緒に寝たりしているから。そう、何も疚しい問題なんて無いんだよ。本当に、ちょっとだけ触れるアレな程度だから。皆やっている事だから。普通の事で何も不潔な事は無いから。それに友奈ちゃんがよくやっている事なら、東郷さんに出来ないなんてことは決してないから大丈夫だよ、大丈夫!! さあ、一緒に寝ようか……!!」

 

「そ、そういう物なのかしら」

 

「そうだよ」

 

 早口で捲し立て、何でも無いようにさっさと布団に潜り込みながら東郷の反応を見る。

 あっさりとした対応をした俺に目を白黒とさせた寝巻き姿の東郷は己を抱いた腕を解いて、

 恐る恐るといった様子で俺がいる布団にその身を忍ばせた。

 

 しばらく二人して天井を見上げる。

 チラチラと東郷が見てくるので、無言で小さな電灯を消す。

 

「―――似ているな」

 

「え……?」

 

 意外と警戒心が薄いのか、状況に流された東郷の方へと距離を縮めるべく振り向く。

 そんな中、枕に己の頭を横たえる東郷の顔を見て、ふと俺は綾香を思い出していた。

 

 雰囲気や髪の色、顔の造詣などを見て、意識はしなかったが改めて似ていると感じた。

 確かに瞳の色や、国防精神などは育んではいないが、それでも何故かそう思った。

 

「いや、なんでもない。それよりも……」

 

 電気を消し暗い部屋の中、僅かな月明りが部屋に入り込む中で、瞳が交錯する。

 一つの布団を共有する中でじんわりと体の熱が染み込むのを感じた。

 そんな中で、先に視線を逸らした少女にある種の確信を持って、

 

「東郷さんは、俺が怖い……?」

 

「――ううん。そんな事ないよ」

 

「……話をする時は視線を合わせましょうって先生は言ってなかったっけ?」

 

「―――――」

 

 そんな揶揄する言葉を放つと、枕元に下げていた深緑の瞳を少しずつ上げてきた。

 何かに怯えるように、怖がるように、手探り手探り少女は視線を上げていく。

 拳三つ分の距離がある中で、緩慢な動きで東郷は俺と、震える瞳で視線を合わせた。

 

「怖くないよ、亮くん」

 

「……そっか、なら俺の気のせいだ。ごめんな」

 

「――――ぁ」

 

 掛け布団の中で、寝巻き姿の東郷の柔な体を無意識に抱きしめた。

 抱きしめると風呂上がりなのか、仄かに暖かな体温と石鹸の匂いが鼻腔を擽った。

 眼を閉じて東郷を抱きしめると、少しだけ懐かしく哀愁の念に駆られた。

 

「―――。俺はもう寝るから」

 

 だからこれは東郷への罰という事にしよう。

 何を言われたのか知らないが、俺の布団に入り込んで来た事への罰だ。

 人には言えないような事をしてやろう。

 脚を、腹を、胸を、一つに合わせるように、愛おしさを持って抱きしめる。

 

「―――――」

 

 その行為をどう思ったのか、その胸中は本人にしか解らないだろう。

 目を閉じていたからか感触がいつもよりも繊細に伝わってきた。

 何を思ったのか東郷は俺の頭を手のひらで子供をあやすように撫で始めた。

 もう片方の手で、ゆっくりと塗り薬を塗り込むように俺の背中をさすり出した。

 

「……東郷」

 

「亮くん。おやすみなさい」

 

 そう言いながら俺の頭を撫でる東郷の瞳には、俺を見る深緑の瞳には、戸惑いは無かった。

 慈愛に、親愛に、友愛に満ちた顔をした大和撫子は、此方を寝かす気なのか囁くように歌い始めた。

 抗うのが馬鹿らしくなるような鈴音に導かれながら、俺は瞼を下ろす。

 おやすみを言えたかどうかは、思い出せなかった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 夢を見た。

 宗一朗や綾香、園子。随分と懐かしい夢であった。

 朝日が俺を包むまで、二度と訪れることの無い幻想を俺は見るのだった。

 

 

 




【リクエスト要素】
・東郷さんと散歩したり、料理を食べたり、一緒に眠る。
唐突に抱きしめられる事に驚きつつも、母性を感じさせる対応をする東郷さん


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第五十六話 ある日の休日」

「亮ちゃん、何しているの?」

 

「友奈か。見ての通り夕飯の仕込みよ、仕込み」

 

「凝ってますねぇ。うーん天ぷら?」

 

「正解」

 

 朝、友奈が自宅の向かいにある加賀家に合鍵を使って入ると、

 私服に赤いエプロンを着けた亮之佑がキッチンで一人黙々と料理の準備をしていた。

 何か手伝うかと聞いたが、もう終わるからとやんわりと断られ、リビングに移動した。

 

「……何かやってるかなぁ?」

 

 灰色のソファの背もたれからキッチンで動いている亮之佑の背中を見終えた友奈は、

 何となしに木製の小テーブルに置かれていた長細いリモコンでテレビの電源を点けた。

 電源を点けると、真面目な顔をしたキャスターが淡々と原稿を読み上げる姿が映し出される。

 

『続いてのニュースです。多くの被災者を出した四国地震から3ヶ月となる本日は―――』

 

「……」

 

 友奈はあまりニュースは見ない。せいぜいが天気予報を見たり、占いのコーナーを見る程度だ。

 更に言うなれば、バラエティーなどを見て翌日にクラスメイトとの話の口実にする程度。

 そんな彼女でも、目の前で淡々と語られている地震で多くの被災者が出た事は知っている。

 知らない訳がないのだ。何故ならば、間接的ではあれども原因は―――

 

「……熱いから気をつけなよ」

 

「――。ありがとう!」

 

「ん」

 

 思考を遮るように背後から家主の声が掛かった。

 ニュースの内容を見ていた友奈は、目の前に出でた湯気の出ている白いカップに目が移る。

 中身は色合い的に甘いココアだろうと瞬時に察した友奈は溢さないように受け取った。

 友奈にカップを渡した加賀家の主は音を立てず軽やかに距離を詰めて友奈の隣に座り込んだ。

 

「―――――」

 

「―――――」

 

 しばらくの間、世界に響くのは雑音と無言のみが全てであった。

 二人分の重みにソファが僅かに軋み音を立て、テレビの中で秒速で切り替わる映像を見ながら、

 亮之佑と友奈は晩秋の朝をお互いの温度を肩に感じながらゆっくりと過ごしていた。

 

「そういえば……」

 

「うん?」

 

 ふんわりとしたミルクの泡立ちと良質なカカオ豆による贅沢な味わいを舌上で楽しみながら、

 亮之佑が猫舌ながら温かい内に飲もうと自らのカップに息を吹きかけつつふと思い出した様に、

 

「そういえば、友奈は確か今日、東郷さんと映画を観に行くんじゃなかったっけ……?」

 

 隣で同じく両手でカップを持っている少女に話しかける。

 

「うん! もう少ししたら東郷さんが来ると思うよ」

 

「さよか」

 

 別に加賀家を待ち合わせ場所にしなくてもと思ったが、その考えはココアと共に呑み込んだ。

 単純に友奈が一緒に居てくれるというのなら、亮之佑の傍に居てくれるというのなら、

 その思いは嬉しく思うし、何よりも断る理由なんてものは一つも無い。

 

 ココアをチビリと飲みながら、立ち昇る白い湯気を甘い息遣いで吹き流す。

 両手に持つカップを友奈はクルリと横に回し、微笑を浮かべて次に口を開いた。

 

「亮ちゃんは今日どうするの?」

 

「俺か、俺はね~」

 

 薄紅の瞳が自らを見るのを感じながら僅かに体の左側に掛かる暖かさと重みに吐息を漏らし、

 亮之佑は持っていた湯気の立つカップを木製のテーブルに置く。

 

 東郷と友奈のデートを邪魔するつもりは無い。さりとて犬吠埼家に唐突に向かうのも失礼だろう。

 適当に情報収集や、本屋で新しい本を買うなど時には一人の時間も必要だ。

 

 相手が何者であろうとも、表面上は礼式を重んじると決めている少年は、

 紅の瞳に逡巡を過らせるが、隣に座る赤い髪の少女が覗き込む前に目蓋を閉じる。

 本日もいつも通りに薄い微笑を貼り付けて、クツ……と笑って、

 

「今日は―――――」

 

 

 

---

 

 

 

 自らの鍛錬は癖でありながら、既に自身の日常の習慣となってしまった。

 勇者としての御役目が終わってもなお、自らの研鑽を怠らないという意味もあり続けていた。

 自身に課せられた御役目として、勇者の候補生として、多くの同僚と日常的に訓練をしてきた。

 

 それから短くはない年月が流れた。

 

 狂おしいほどに青く光り、鉛色の空の下に広がる海。

 岩を噛む波の音や、迫るような潮の轟きが一振りごとに消えていく。

 重い木刀を二本。両手で持ち己がイメージする型に従い、無心で木刀を振るう。

 

「―――――はっ」

 

 一呼吸、一呼吸に魂を籠める。

 己の腕に、関節に、肩に、掌に、全身に意識を張り巡らせていく。

 剣は己の体の一部であるというイメージ、一振りごとに込めた一撃の威力は強まっていく。

 

 一動作ごとに筋肉や関節の動きを意識して確認し、イメージする理想の動きとズレを調整する。

 柔らかい砂を靴底で踏みしめ、両手の動きを徐々に加速させ、仮想敵と戦っていく。

 

 砂浜での自己鍛錬は、夏を過ぎた事もあり全くと言っていいぐらいに人はいなかった。

 既に時期は晩秋。時折海から吹き付ける冷たい潮風は、夏凜の頬を撫でつけた。

 

「――――ふっ!!」

 

 息を吐きながら、自らの愛剣の剣尖を抉るように突き上げた。

 日課の鍛錬を終えたところで、二刀流使いは視線を横へと向けた。

 少し離れた視線の先、砂浜で拾った綺麗な貝殻をポケットに仕舞っている昏髪の少年。

 

「……で、亮之佑は一体何やってる訳?」

 

「うん? 見ての通り夏凜の観察だよ。あと貝殻拾ってる。それよりもいつから気づいてたんだ?」

 

「最初っからよ。10分くらい前からウロチョロと……」

 

「おっ、流石完成型。気配の察知も伊達ではありませんなぁ」

 

「ふんっ。当然よ!」

 

 ほにゃりとした顔を浮かべながら告げる少年の賛辞を夏凜は素直に受け取る。

 大赦の勇者であるという事に拘りを持っていた過去。

 現在は“大赦の”という言葉が取れ、勇者部の三好夏凜として仲間達と共に過ごす日々。

 

 現在は勇者システムが収められた先代勇者から継承された端末は、

 目の前の少年含め、他に端末を所持していた勇者達と同じく御役目終了と共に大赦へと回収されている。

 それでも、勇者でなくても、夏凜はこれからも仲間と共に勇者部で活躍していくだろう。

 

「はい」

 

「ありがと……いや私のタオルだけどね」

 

「細かい事を気にすると女子力が上がらないぞ?」

 

「女子力って……風じゃないんだから」

 

「確かに!」

 

 少年がリュックからはみ出ていたタオルを渡すと、受け取る夏凜は口を開く。

 洗濯したてのタオルで首筋に流れる汗を拭く夏凜の姿を、亮之佑の紅の瞳が捉える。

 

「それで……今日はどうした訳?」

 

「何が?」

 

「とぼけないでよ。あんたが私に会いに来るなんてそうそうないじゃない」

 

「ああ、実は――」

 

 ほにゃりとしていた顔を瞬時に真面目な顔へと亮之佑は切り替える。

 夏凜の中での亮之佑の評価は、異性の友人であり、同じ勇者部の仲間であり、

 共に勇者としてあらゆる侵略者を退け、暗く冷たい死線を潜り抜けた戦友の一人である。

 

 噂や流行といったものに対して疎い方であると自負している夏凜ではあるが、

 そんな彼女でも彼に付き纏っている多くの噂には眉を顰める時も多かった。

 

 しかし、夏凜としてはそんな事は馬鹿馬鹿しい物でしかない。

 噂という尾ひれの付きやすい伝言ゲームに騙されるよりも、己の眼で本人を見た方が早い。

 そうして共に絆を育み、うどんを食べ、実際に人柄に触れる中で、所詮は噂だと切り捨てた。

 

「―――――」

 

 そんな彼が真面目な顔をしてこちらを見てくる。何かよほど重要な事態なのではないか。

 その真摯な眼差しを向けられて夏凜は思わず喉を鳴らしたが、

 シリアスな顔をしていた亮之佑は姿勢が真っ直ぐに伸びた夏凜を見ながら、

 

「――夏凜と遊びたくて」

 

「――――は」

 

 その言葉を向けられて、思わず掠れた息がこぼれた。

 その真意を理解して、わずかに顔の熱の温度が上がった気がした。

 

「だから、たまには夏凜とも遊びたいなーって思ったんよ」

 

「…………ああ、うん。なるほどね」

 

「一応、端末にも連絡は入れたんだけどさ。全然既読が付かないし。まあ海岸辺りにいそうだなぁと己の直感に従ったんだけども……おっと」

 

 羞恥か憤怒か。

 頬を少しずつ赤らませ、震える夏凜の姿を亮之佑はにこやかに見つめる。

 

 その反応の良さと己の演技力に感嘆しながら饒舌に海岸に来るまでの経緯を少年が話していると、

 突如木刀が横に回転しながら此方に向かって飛んでくるのを掌に収めた。

 

「……せっかくだから、一回だけ私と打ち合わない?」

 

「いや、俺基本的に銃火器と体術専門だから」

 

「あんた、結構剣も使ってたじゃない! 使わないと鈍るわよ!」

 

「……なんか怒ってる?」

 

「怒ってないわよ!」

 

 そう言いながらも眦を吊り上げる夏凜は既に距離を取り、木刀を構え本気な様子だ。

 少し揶揄い過ぎたかと思ったが、せっかくだからと亮之佑も木刀を構える事にする。

 夏凜越しに青い海の先、海上に聳え立つ植物組織でできた壁が目に入った。

 

 

 

---

 

 

 

「あーあ、これ絶対腕が折れてるって」

 

「そんな訳ないでしょ。キチンと寸止めしたんだから」

 

 数回ほどの打ち合いは、ほぼ夏凜の圧勝であった。

 完全な剣のみでの対決は純粋に経験年数の多い夏凜に分があった。

 一応なんでもありの勝負ならば負ける気が無いが、今回は苦笑いと共に負けを認める。

 

「それで、どこに行くのよ」

 

「うどんとかどうよ? 今日は俺の奢りだ。勝者として存分に啜るがよい」

 

「なんでちょっと偉そうなのよ。……まあせっかくだから頂くけど」

 

 二人分の足音が砂を踏み鳴らし、俺と夏凜は石の階段を上り、人通りの少ない道路に出る。

 柔らかい砂の感触ではなく道路の硬い感触を靴底に感じる事に言い様のない物を感じつつ、

 しばらく談笑を交わしながら、風が以前教えてくれたうどん屋へと向かった。

 

 コンビニよりも多いかもしれない街中のうどん屋で適当な席に座る。

 お互いにメニューを見る事数分。俺と夏凜は思い思いにうどんを注文した。

 やがて席に届いたにぼしうどんとちくわ天うどんは、どちらがどちらを注文したかは言うまでもない。

 

 木刀での打ち合いは適度にお腹を空かせたのか、俺も夏凜も黙々とうどんを食べた。

 醤油の味がはっきりとしており、ダシの香りと醤油の香りが全面にくるつゆ。

 うどん自体もコシがしっかりとしており、歯ごたえもある。

 半分ほど食べたところで、漸く食欲よりも理性が上回り、夏凜に口を開いた。

 

「夏凜のソレって美味しいの……?」

 

「――? 美味しいわよ。完全食であるうどんとにぼしの奇跡のコラボレーションよ!」

 

「完成型うどんか」

 

「そうよ。あんたこそ七味掛けすぎじゃない?」

 

 高らかと告げる夏凜が食べるにぼしうどんは、決して煮干しで出汁を取った訳ではなく、

 煮干しがうどんに直接乗っかっているという中々に珍しいうどんである。

 

「うどんを食べる時はいつもこうだよ」

 

「いや、掛けすぎでしょ! もはやうどんへの冒涜よ」

 

 チラリと己のちくわ天うどんを見下ろすと、僅かに赤く染まった汁は壁の外を思わせる。

 それらを飲み、青い顔をして此方を見る夏凜にニコリと微笑みながら、俺は二つの紙切れを出した。

 

「それは……? チケット?」

 

「そう、貰い物でさ。ちょうど今日が期限だったのを思い出してさ」

 

 紙切れは、とある映画のチケットであった。

 近場ならイネスに行けば観る事が出来るだろう。

 うどんに残ったにぼしを食べながら、僅かに半眼で夏凜が小さく鼻を鳴らす。

 

「ふーん。なら友奈や東郷と行けばいいじゃない」

 

「彼女達は今日は二人でお出かけ。だから夏凜、せっかくだから二人で行かない? 俺は今日夏凜と一緒に映画を観に行きたいんだよ」

 

「――――まあ、亮之佑がどうしてもって言うなら、しょうがないから行ってあげるわよ!」

 

 少し悲しげに、それでいて僅かに希望を抱いて『お願い』をする。

 そんな鏡の前で練習した表情で、風のように揶揄する訳ではなく友奈のようにストレートに言う。

 それだけで、普段素直になれない少女を肯定へと導くのは容易かった。

 

「そっか。ありがとう。夏凜と一緒に行けるなんて嬉しいな」

 

「――――っ、ふ、ふん。勘違いしないでよ。今日はちょっと暇だっただけだから!」

 

 人はそれをちょろいと言うかツンデレであると言うが、決して俺は口には出さない。

 精々が心の中で思いながら、薄い笑みを浮かべるだけだ。

 

「そ、それでどんな奴なの?」

 

 僅かに頬に朱を浮かべ、微笑の俺から逃れるように眼を逸らす夏凜は、

 己の身体を両腕で抱きながら早口でこの後観るであろう映画の内容について聞いてきた。

 

「そうだな……。それなりに面白いらしいけども。『あの日食べたうどんの味をボクは覚えていない』ってタイトルなんだけど」

 

「酷いタイトルね」

 

「案外、面白いかもよ?」

 

 観もしていない映画のタイトルに関して批判する評論家気取りが二人。

 この後観る映画への予想を浮かべつつ、夏凜がうどんを食べ終わる。

 

「ご馳走様。さて、見に行きましょうか」

 

「夏凜って結構礼儀正しいよね」

 

「実家が厳しかったからね。……なによ?」

 

「礼儀正しい子って、俺は好きだよ」

 

「なっ……!!」

 

 ありがとう、いただきますをキチンと言うことが出来る人間はあまりいない。

 この世界でもやはりそれなりの人がそうであるのは、個人的にはあまり好きではなかった。

 だからこそ、作法や相手に対する礼節を重んじる事の出来る人間は俺は気に入っていた。

 

 言葉の一つ一つに感情を乱し、瞳を、アッシュブラウンの髪を揺らす少女の姿を面白く感じた。

 何を言っているのかと睨んでくる少女の瞳を受け流しながら、会計へと向かった。

 

 

 

---

 

 

 

 夕方になり、映画館から出てくる人々に混じりながら、俺と夏凜は二人で歩いていた。

 秋の黄昏は幕が下りるように早くも夜へと変貌を始めている。

 冷たく心地の良い空気で肺を満たしながら、先ほどの映画の余韻の残る中で口を開いた。

 

「意外と面白かったな。結構ダークなスリルがある感じが良かった」

 

「……でも主人公が一番の悪であったっていうのがビックリだわ。何よりもあれタイトル詐欺じゃない!」

 

 叫ぶように見終えた創作物に対して様々なツッコミを入れる夏凜に苦笑いを浮かべながら、

 ふと俺は暗くなりつつある空を見上げた。

 

 朱を流し灼熱の太陽をどっぷりと呑みこむ地平線。

 夕焼けと入れ替わりでやってきた宵空には星の輝きが時間が過ぎる度に増していく。

 

 見上げるそれらは、結局は偽りの夜空でしかないのは知っている。

 それでもこの夜空には、14年の時を過ごす中でいつの間にか愛着を持った。

 

「そうだ、夏凜。夕飯食べていきなよ」

 

「はあ!? なんでよ」

 

「だって夕飯はどうせコンビニ弁当と野菜ジュースなんだろ? それは主夫として見過ごせません」

 

「オカンか!」

 

「まあまあ。寄ってけよ、お嬢さん。今日は美味い飯と良い子がいますぜぇ?」

 

「誰よその口調は……。良い子って?」

 

「友奈、もしかしたら東郷さんもいるかも」

 

「――――」

 

 その言葉に息を止め、夏凜は昏くなる空の下で考える。

 夏凜の横顔を見ながら、俺は更なる追撃をするべく口を開く。

 

「夏凜が来たら、友奈ならきっと喜ぶだろうな~」

 

「……仕方ないわね。あんたがそこまで言うなら」

 

「はーい、夏凜のお持ち帰りが決まりました~」

 

「変な事言うなっ!」

 

 

 

---

 

 

 

 そんな訳で夏凜を連れて俺は加賀家に帰還した。

 直感通りに友奈がいたという訳ではなく、普通に携帯で連絡したらやはりいたらしい。

 朝に仕込みをしたおかげで、すぐに夕飯を食べることができた。

 

 リビングでワイワイと可憐な少女達と食事を共にしながら、

 俺は本日夏凜にボロ負けした事を思い出していた。

 確かに木刀オンリーの勝負ではあったが、以前よりも少し息切れをしていた。

 

「―――――」

 

 いつの間にか、鍛錬する事を忘れてしまっていたのだろう。

 平和ボケしかけた己に今日の出来事は良薬になったと思う。

 そんな事を考えていると、夏凜と談笑をしていた友奈がこちらを向いて、

 

「――? どうしたの、亮ちゃん」

 

「いや、夏凜は可愛いなぁって」

 

「確かに夏凜ちゃんは可愛いけど、どちらかというと凛々しいかな?」

 

「何の話をしているのよ!」

 

 夏凜のツッコミが炸裂し笑う中で、俺は再び自己鍛錬を再開する事を決意した。

 ひとまず海岸沿いをジョギングしようと思いながら、俺は服の下にある指輪に触れるのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第五十七話 足掻く者、嗤うモノ、喰らう者」

 空を仰ぐとやや暗い空が自らを見下ろしてくる。

 

「―――――」

 

 少しずつ息が苦しくなり、肉体が一度止まるべきであると悲鳴を上げる。

 自らの体の叫びを無視し己の限界を超えスタミナを増やすべく、休みたいと嘆く体を虐める。

 時折額から流れ落ちる汗を鬱陶しく思い、トレーニングウェアの袖で拭った。

 

「――――ハア、―――――ハア」

 

 とはいえども限界が本当に来たらしく、遂に脚の筋肉が震え始めた所でゆっくりと歩き始めた。

 適度な疲れと共に僅かな達成感を感じながら、がなり立てる心の音を呼吸と共に沈めていく。

 朝の時間だからか、肺を満たす空気はいつもよりも少し澄んでいると思った。

 

 滴り落ちる汗と濡れた前髪を手で上げると、剥き出しになった額に朝の冷たい風が優しく触れた。

 心地良く清純な風は鍛錬をする少年を励まし、更に喝を入れてきているような気がした。

 ようやく汗が流れるのが止まると、水分が枯渇した自らの肉体が至急飲料水を要求し始める。

 

「――――自、販機」

 

 掠れた声で必死に探して回る。

 幸い、歩いて数分の誰も寄らなそうな場所に自販機と赤いベンチがあった。

 口内は砂漠のように水分が枯渇し、体も心も突然現れたオアシスに心から歓喜した。

 やや薄暗い天気と時間の中で、自販機を照らすのは傍にある小さな電灯だけだ。

 

 最速の動きで無駄なく最安値の『うどんのお水』を買い、600mlのペットボトルを手に取る。

 体の水不足で震える指で、樹の下着よりも純白に見えるキャップを引きちぎるように開ける。

 最初の数滴が、そして後から続く災害の如き冷たい水が、萎れかけの体に潤いを与えた。

 

「あー、生き返る……」

 

 喉を鳴らし、ペットボトルの半分まで飲みきった後、俺は思わずそんなことを呟いた。

 人間はやはり水が大事なのだと、俺はこの時ほど思ったことはない。

 

 体に注入した水分のおかげで脳が活発になり、僅かに残っていた眠気が吹き飛ぶのを感じた。

 そんなこんなで、早朝の時間が過ぎゆく中で着々と水平から顔を覗かせる太陽。

 

 夜が終われば朝が来る。

 当たり前のことだ。朝の優しい光を持った太陽は今日も四国を照らす。

 少しずつ、着々と照らされていく中には、四国の海上に聳え立つ植物の壁も含まれる。

 

「……?」

 

 その壁上に何かの光が反射するのが見え、俺はガードレールに手を乗せて身を乗り出した。

 流れてくる潮風が鼻腔を擽り、昏色の髪を揺らすが、俺はそのことを気にも留めない。

 己の直感を信じ、背負っていたリュックから一応入れていたモノクルを装備する。

 

 以前よりも更に改良された単眼鏡は作成者の意志通りに従い、遠視機能を用いて壁上を映し出す。

 ズームされる視界の中、自らの目に映ったソレを脳に反芻するように俺は呟いた。

 

「多いな……あれも勇者か?」

 

 片目のみであれども、目の前に広がる光景に対して湧き上がる疑問は尽きない。

 先ほどの光は端末からアプリを起動したのか、以前自分たちが勇者装束を纏う時の光と似ていた。

 

 複数の少女達の体を包み込む装束の色は、爽緑であった。

 ある者は銃剣を所持し、またある者は大きな盾を所持している。

 同じ色の装束を纏っているのが、モノクル越しで見る限り壁上にはおよそ30人はいるだろう。

 

『いや、違う』

 

 呟きを否定するのは、己の共犯者にして半身である初代だ。

 左手の指に着けた蒼く暗い色をした石が台座に収められた指輪の鼓動を感じながら、

 何らかの根拠に基づく即座の否定に対して、俺は残りのペットボトルの水を飲み干す。

 

「――。確かにあんなにゴロゴロと勇者がいる訳もないか」

 

『それもあるが、純粋な神性さや神秘の度合いが通常の勇者よりも凄まじく低い。昔の装備と強度が似たり寄ったりだろう。今の勇者の劣化版と言ったところかな』

 

「そういうの判るのね……」

 

 単眼鏡越しに見える少女達は、やがて壁の結界を通り抜けて外界へと消えていく。

 

『で、行くのかい?』

 

「……見るだけで大丈夫だろう。それに、チラッとだけど知り合いに似た顔がいた気がする」

 

 恐らくは大赦の勇者、もしくはそれに準ずる関係者だろう。

 あれだけの大人数が壁の外の、万物を紅で塗りつぶす死の世界で何をするのか気になる。

 

 正直に言って、これは余計な事だろう。俺には関係の無い事でしかない。

 あの少女達を見に行かずに、さっさとジョギングを再開して帰宅するという選択肢もあるだろう。

 目に付かないところで何が起ころうとも知った事ではない。

 

「―――――」

 

 けれども、それは果たして勇者といえるだろうか。

 本来ならば、無力な少年が偶然壁上で何かを見かけようともそこまで行く手段はない。

 精々が今見た光景が夢であるのだと忘れるのが一番であるのだが、

 

「―――情報は欲しいしな」

 

 幸か不幸か、その手段はあるのだ。

 端末が無くとも、俺には、加賀亮之佑には壁上まで行く手段があり、相手にバレるような真似もする気はない。

 拳を握り締めると、冷たいリングの感触が手のひらに食い込んだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 少年は知らないが、彼女達は大赦から『防人』と呼ばれる、御役目を果たす集団であった。

 勇者の成り損ないと揶揄する声もあるが、防人達は大赦から命じられた役目を果たしてきた。

 身に纏う装束は性能は勇者の劣化版である『戦衣』であり、武器も銃剣と盾のみ。

 

 美しき華の如き可憐さは無く、地を這いずるように必死に生きる雑草。

 裏方や地味な御役目を果たすのが防人であるが、その危険さは勇者と変わらない。

 

 雑草の数は、32人。

 これまでの任務においても、壁の外での御役目を行ってきた。

 

 銃剣を持って外敵を排除する銃剣型。大きな盾を持つ防衛に特化した護盾型。

 それら二つを束ねる指揮官型。更にその指揮官を含めた防人全体をまとめるのが部隊長だ。

 一人一人が弱い分、集団として戦うのが防人の戦い方である。

 

 そうしてこれまでいくつかの任務を果たしてきた彼女達に、大赦から与えられた新たな御役目。

 

 天を舞う白い星屑がケタケタと口のような器官を鳴らし、地を這い進む雑草を嗤い見下ろす中で、

 少女達は懸命に銃剣を構え、堅実に大盾をかざし、今回も任務も達成しようとしていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 轟と炎が舞い上り、どこまでも延々と憎悪の炎が噴き出している。

 見ているだけで醜悪な何かを思わせる豪炎は、地面を舐め赤黒い様相へと変化させる。

 先程までいた壁内の景色とはまるで異なり、異界のようであった。

 

 神樹が形成している壁を降り、32人の防人と1人の巫女が地獄の様相を思わす大地を移動する。

 防人の戦衣は、結界外の灼熱に対する耐久性だけは正式な勇者の装備をも上回る。

 

「皆さんはいつも、こんな大変な世界で御役目を果たしているんですね……」

 

「私たち防人は、そのために日々鍛錬を積んでいるもの。それよりも大丈夫?」

 

「気遣ってくれてありがとうございます。でも大丈夫です。私のせいで速く進むことができないのですから、せめて頑張るくらいはさせてください」

 

 今回の任務で同行する巫女の装束も、戦闘能力は無いが結界外の環境に耐えられるように遮熱機能がある。

 それでもなお、額から流れ落ちる汗を何度も拭い苦し気に呼吸を繰り返すが、弱音は吐かない。

 戦闘員ではなく、運動能力は一般人の彼女に防人は合わせて、普段よりも遅い速度で移動していた。

 

 途中何度か星屑との戦闘もあったが、複数の任務を達成してきた少女達に戸惑いはない。

 遅々とした動きであるが、やがて目的地としていた場所に彼女達は到着した。

 

「地津主神、夫れ甲子とは、木の栄える根を云。根待ちは普く地を――――」

 

 やや幼さが残る顔の巫女が、専用の筒に入れていた種を取り出し、紅く灼熱の大地に落とす。

 厳かな声で祝詞を唱える少女を守るべく、護盾型の防人が大盾で天から隠すように覆う。

 やがて巫女が祝詞を唱え終えると、種を落とした紅の地面から緑の芽が姿を現した。

 

「――!」

 

 死の大地から生命が誕生する。

 青い海は無く、常人が立つことの出来る茶色の大地も無い。薄青の空も、白い雲も、夜空も無い。

 緑も、白も、蒼も、金も、全ての色は、太陽の如き憎悪の炎で塗りつぶされる。

 

 そんな死んだ大地から、一粒の種から発生したとは思えないほど大量の芽が紅の地面を覆っていく。

 焼け爛れた土壌の上に、緑の生命が次々と地の灼熱を吸収するように生えていく。

 

「―――成功したの……!?」

 

 盾の外で星屑と戦っていた部隊長――楠芽吹――は、自らの足元から生え出す緑の芽に気づいた。

 同時に銃剣を手に、巫女に星屑を近づけない為に戦っていた銃剣隊が、その光景に目を奪われた。

 

 大地が再生していく。

 どうしようもなく終わっていると諦観していた大地が色を取り返していく。

 彩りに溢れた花々が咲き誇り、美しき光に満ちた緑の土地へと変わっていった。

 

「―――――」

 

 死しかない世界に生命が再び息を吹き返す。

 その神々しく幻想の如き光景に、僅かであれども防人たちは、ほんの数秒だけ目を奪われた。

 

 ほんの数秒だけ。

 生命に満ちた場所が増えていく光景に人間達が目を奪われるのに対し、

 天から見下ろす理不尽と不条理の体現者達は、その隙を見せた愚か者を見逃さない。

 

「―――――ぁ?」

 

 誰かが思わず唇からこぼした。

 小さな悲鳴を塗りつぶす鈍い音に、少女達は美しい緑の地面から慌てて顔を上げた。

 

 ――防人の一人が、何かの衝撃で空中を回転しながら舞っていた。

 

 本当に一瞬。少女が空を舞っていると、驚愕に空白となった少女達の思考が誤った解を出した。

 否、舞ったのではない。銃剣を持って他の防人と同じく目を奪われた少女は弾き飛ばされたのだ。

 紅の空を薄緑の戦衣を纏った少女が血の尾を引いて、やがて地面に転がり落ちる。

 

「――――ご」

 

「しずく……!!」

 

 名を呼ばれた少女は大きく瞳を見開き、体を衝撃で曲げ、口からは血塊を溢す。

 少女が死んだのか生きているのか、それを知る時間すらなく天から遣わされた敵が襲い掛かる。

 

 黄色い胴体に、能面のような顔。

 球体を幾重にも繋げた尻尾の先端は針の如く鋭い。大赦から蠍座【スコーピオン・バーテックス】と名付けられた星座であった。

 

「スコーピオン・バーテックス……!!」

 

 部隊長は僅かであれども結界の外で意識を敵から外した自らの愚行を悔いながらも、

 呆然とし思考停止する暇はなく、仲間の叫びに意識を戻し、叫ぶように指示を出す。

 

「銃剣隊、狙い! 撃って!!」

 

 血を吐くような指示に、呆然としていた防人達は訓練通りに一斉射撃体勢を取る。

 少女達の銃剣、その銃口から放たれた10数発の薄緑の弾丸は蠍座の前面を砕き、動きを止める。

 

「芽吹さん、やりましたわ! このまま一気に―――」

 

 尾針の動きが止まった事に好機と見て、仲間が迎撃を提案するが部隊長は首を横に振る。

 微かに砕けた蠍座の姿を目を細めて睨む部隊長は、すぐに近くにいた防人に新たな指示を出す。

 

「撤退を始めるわ! これより私が所持する指揮権は私を除く7人の指揮官に移行する! 番号二から八の指揮官は、他の防人たちと巫女を率いて、必ず全員を生きて壁まで辿り着かせること!」

 

 今回の任務は既に完了した。

 指揮官型防人7人は、部隊長からの権限の移動と行うべき指示に頷く。

 時間は無い。着々と破壊された部分が直りつつある蠍座は、

 破壊された部位の再生終了と同時に、更なる蹂躙をするべく防人達に襲い掛かるだろう。

 

 迎撃という手段は最初から存在しない。

 基本的には勇者の装束に劣る量産型の防人の戦のでは、御霊の無いモドキですら勝つのは厳しい。

 どれだけ銃剣で切りつけようとも、どれだけ弾丸を撃ち込もうとも、焼け石に水に過ぎない。

 『車輪の下敷き』という言葉が脳裏を過るが、頭を振って否定する。

 

「―――――っ」

 

 自らの武装の弱さに奥歯を噛み締めるが、部隊長として芽吹は判断を見誤らない。

 己の所属する部隊で死人だけは出さないという、自らに課した誓いが胸中を過った。

 

「芽吹先輩……」

 

「大丈夫よ、亜耶ちゃん。私たちがあなたを守るから」

 

 不安そうに部隊長を見上げる巫女――国土亜耶――に、可能な限り普段通りを装う。

 犠牲を出さないのが芽吹の信条である。何よりも、震える小さな巫女を傷つけさせない。

 

 今回の任務も、誰かが理不尽な神の犠牲になるなど、芽吹は絶対に認めない。

 神如きが不条理に人間を傷つけてはならない。理不尽に殺してはならないのだ。

 その決意を胸に宿し、部隊の長は掛け声を発する。

 

「行動開始!」

 

 その声と共に、亜耶と防人たちは一斉に壁の方に向かって走り始めた。

 撤退を急ぐ少女達が狙われないよう蠍座を足止めするべく、撤退の殿を数人の仲間と受け持つ。

 並び立ち戦う仲間がいる。その状況を悪くないと思う自分に苦笑し、

 

「行くわよ……」

 

 ―――敵の狙いに気づかなかった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 部隊長と数人の防人が蠍座に対して、殿を受け持つ。

 その間、必死に撤退する防人は亜耶を守りながら星屑の相手をしつつも、着々と壁へと向かう。

 進んだ道を駆け戻り、灼熱の大地に目を細め、盾で巫女を堅実に守る。

 

 このままいけば、間もなく神樹様が守る世界へと戻れるだろう。

 防人達に守られながら、戦えない亜耶は懸命に自分を守ってくれる少女達の無事を心の中で祈った。

 無力で何も出来ない悔しさを噛み締めながら、せめてもと心から祈り壁を見上げ―――

 

「――――え」

 

 光輝く壁。神樹が作った強固な結界はすぐ近くに見える。

 手を伸ばせば届きそうだというのに、たどり着くまでの距離は遥かに遠い。

 それは何故か。

 

「オフューカス・バーテックス……」

 

 大赦が新しく付けた忌まわしき侵略者の名前を、指揮官型の防人が呻くように呟いた。

 蛇のように悠々と黒い尻尾を伸ばすバーテックスが、黒く赤い天から見下ろしていた。

 これまで大赦が得てきた情報には、黄道十二星座を冠した12体のバーテックスしかいなかった。

 

 13体目の星座。黄道の星座であれども外れた存在。

 このバーテックスはここ最近の神世紀になってから新たに観測されるようになった。

 およそ先代の勇者たちの御役目の最中に目撃される事はあったが、それだけであった。

 実際に蛇遣座と交戦したのは、現勇者たちが初めてであったという。

 

 当代の勇者たちと交戦した中で、蛇遣座が侵略してきた戦いはどれも樹海への攻撃が多かった。

 炎と星屑を利用した樹海への爆撃攻撃は、戦いの終わった後、

 四国に震災という形で押し寄せ、多くの人間たちが被害に遭遇し、死者も多数出たと聞く。

 

「蛇遣、座」

 

「―――――」

 

 亜耶がポツリと名前を呟くと、反応したかのように白い頭付近にあった眼らしきものが見開かれた。

 これまでの無機質さを感じさせる多くのバーテックスと異なり、蛇遣座はすぐに攻撃をすることなく、その醜悪な赤黒い口のような器官を開いて何か音を鳴らした。

 

 ―――カタカタ、カタカタ

 

 共鳴するかのように周囲を漂う星屑が蛇遣座の鳴き声に反応し、口のような器官を鳴らす。

 すると次の瞬間、蛇遣座の声に従ったように数匹の星屑が白の尾を引いて防人達に向かって降り注いだ。

 

「護盾隊、盾を! 攻撃に備えて!」

 

 部隊長から指揮権を受け継いだ指揮官型の防人の声と、護盾隊が盾をかざすのは同時であった。

 ただの星屑ならばと、自らの盾を強く持ち衝撃に備えるが、直前で星屑が風船の様に膨らみ、

 

「―――――っ」

 

 盾への接触と同時に爆発。その勢いに防人たちは弾き飛ばされた。

 常人なら良くて即死、最悪形すら残らないような爆炎が同時に周囲へと舐めるように広がった。

 

 更に至近距離での爆発に伴う爆風が亜耶に迫るのを周囲の防人たちが懸命に防ぐが、

 それでも熱波は巫女の頬を撫で、身近に潜む死の恐怖に、戦う少女達の背筋を凍らせた。

 直視するだけでそのまま目を蒸発させかねないような熱波に、亜耶は首を竦める。

 

 ―――カタカタ、カタカタ

 

 爆発により盾の護りが揺らぎ、中にいた防人たちと亜耶が姿を見せた。

 第一波で仰け反った護盾隊を追撃するべく、蛇遣座が聞くに堪えない音を鳴らす。

 恐怖と、動かねばという焦燥、迫る死に必死に抗う少女たちに星屑が追撃を――

 

「え……?」

 

 追撃はなかった。

 驚愕に呆然とする少女達を前に、星屑は護盾隊の少し手前で爆発するだけだった。

 その意味のない行為に対し、指揮官型の防人は意味を考えて、気づいた。

 

「笑っているのか……」

 

 爆発に生じる黒い爆風は、先程よりも容易いが、それでも盾を持つ手がミシリと音を鳴らした。

 やがて必死に盾を持つ一人の防人が、その鳴き声の如き不快な音の意味を察した。

 それは地を這い、天に赦しを乞えと雑草に対して嘲る鳴き声であり、余裕の表れか。

 

 蛇遣座は。

 震え戦う少女たちを上から見下ろし、天を揺蕩う蛇遣座は嗤って、哂っていたのだ。

 

 ――――カタカタカタカタカタカタカタカタカタ

 

 自分たちを玩具の様に扱っているのだ。

 震える自分たちの心情を見透かしたように、自分や防人たちを天から嘲笑しているのだ。

 それを理解して、亜耶は恐怖を感じる己の体を腕に抱いた。

 

 あの爆発が大勢の人たちを殺したのだ。

 それに気づき、亜耶は怒りと恐怖を同時に感じたが、巫女の自分には何も出来ない。

 ただ役割を果たした少女は、防人たちに護られるだけの非力な存在に過ぎないのだ。

 

 反応を楽しんだのか、降り注ぐ白い流星の次の攻撃に手心は無かった。

 次々と星屑が迫り、護盾隊がかざす盾の前で爆発する中で、ジリジリと壁に向かって進むが、

 必死に銃剣隊が盾の間から銃剣の剣尖で星屑を撃退しようとしても、爆発がそれを赦さない。

 

(神樹様、どうかお願いです)

 

 一人、また一人と蛇遣座の攻撃に耐えられず、痛みにより与えられる恐怖と絶望に表情が消えていく。

 流星群を思わせる星屑の攻撃は自爆という攻撃でありながら減ることが無い。

 このまま自分たちはこの地獄の如き世界で死ぬかもしれないと、巫女の脳裏を過る。

 

 防人たちだけならば、きっとこの状況でも上手く切り抜けられただろう。

 しかし自分と言う荷物がいた所為で、このまま体力を消耗しいつかは全滅するだろう。

 

(彼女たちをどうか助けてあげて下さい)

 

 芽吹たちはまだこちらに合流するのに時間が掛かるだろう。

 無力な自分は、こうして地の神の集合体で人類を護る神に助けを乞うしかなかった。

 胸の前で手を組み、目の前で戦う少女たちだけでもせめて助かるように祈る。

 

 こんな地獄で、大切な防人たちに死んでほしくはない。

 

(どうか―――)

 

 必死に戦う少女たちの背中を見ながら、巫女は神に祈る。

 この絶対的な窮地に追い込まれても戦い続ける少女たちに活路を与えて下さい、と。

 

 未だ希望は見えず。

 轟く赤々とした炎と、異界に響き渡る嗤い声。

 

 誰もが絶望の表情となり、体力の限界と共に武器を持つ手から力が抜けそうになる。

 対する白い星は、淡々と防人たちに痛みと恐怖と衝撃を、延々と与え続ける。

 少女たちの心が折れるまで、ずっと。

 

 誰一人生きて帰ることを許さない。

 そんな神の不条理な意思を感じながら、それでもと亜耶は神樹がいる壁の方向に目を向け――、

 

 

 

 ---

 

 

 

 そんな中で。

 口を鳴らし聞こえ続けていた、蛇遣座の嗤い声が消えているのに気づいた。

 蛇遣座の頭部に昏色の剣が、その不快な音を殺すべく何者かの意思で突き刺さっていた。

 

「―――――」

 

 祈りが届いたのかは分からない。

 唖然と目を見開く防人たちの前で、重厚な音と共に緋色の雨が星屑に降り注ぎ穿った。

 それらは防人たちを見下ろす蛇遣座や星屑が漂う中空よりもさらに上から展開され、叩きつけるように星屑を砕く。

 

 壁から光が瞬く。

 同時に金色の閃光が蛇遣座の背中部分に一撃を与え、胴体をへし折り、ひしゃげさせ、地へと墜とす。

 圧倒的な火力、唐突に乱入してきた無粋な兵器群と、奇襲する敵の気配に星屑がまばらに散る。

 

「……て、撤退再開! 怪我人と動けない人には、無事な人が肩を! まだ敵は背後から迫ってる!」

 

 緋色の弾丸の雨。黄金の砲弾。

 星屑を文字通り一掃され、どれだけ足掻こうとも辿り着けなかった壁までの撤退の道を確保出来たことを理解し、指揮官型が血を吐くように叫び指示を出す。

 全員が傷だらけで気絶した防人もいる中、数人の防人に連れられながら、亜耶は壁上を見上げた。

 

「勇者様……」

 

 走り近づくほどに亜耶は確信を抱く。

 基本的に勇者とは神に見初められた無垢な少女しか選ばれない。

 故に、その法則を逸脱した存在は大赦内でも異端であるとされていた。

 

 両手に巨大な銃火器を持ち、その体を包む黒衣からは金粉が時折舞い散る。

 ガスマスクを装着した少年が再度銃を構え、防人たちの背後に迫る星屑を数の暴力で塗りつぶす。

 

「―――――」

 

 撤退するべく壁上まで懸命に急ぐ防人と抱えられた巫女を無言で見下ろすその瞳は、

 この灼熱の世界で、この地獄の赤黒い世界で、

 

「……」

 

 ――――何よりも深い、血紅色を宿していた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第五十八話 偶然なる誘いであれ」

 体に纏わりつく昏い光が勇者装束へと変わるのは一瞬である。

 

「―――――」

 

 その光を見ると、ふと俺は初めての変身を思い出した。

 変身と呼ぶべきか、『加賀』の血を触媒にし、指輪と端末の二つで俺は勇者装束を纏った。

 あの時は何が起きたか解らない不安と、これから起きるであろう未知への好奇心で溢れていた。

 

「――――っ」

 

 別のモノへと肉体が作り直されていく感覚。

 体の内側から、細胞の一つ一つが最適な何かへと変貌していく感覚に襲われる。

 やがて全身を覆うような光が消え去る頃には、その感覚は蒸発する水のように消えた。

 跳躍を繰り返し、やがて植物で出来た壁上に到達した俺は、改めて自分の勇者装束を見下ろす。

 

「特に変化は見られないけど……」

 

 呟きに答える声は無い。

 初めて行った端末無しでの変身は、僅かに感じる違和感と細部の装飾が異なれども、間違いなく大赦に回収される前の勇者装束とほぼ同一の物だった。

 左肩に黒百合の刻印、両手の赤い手袋、風になびく黒色のコートは端から金粉が漂っている。

 

「……出でよ」

 

 両目を閉じ、できうる限りの強い意志で武器を呼び出す。

 不測の事態に何時でも対応出来るように、最も使いやすく武器足りえる物。

 右手にズシリとした重みを感じたことに安堵しつつ、瞼を開ける。

 眼下に見える昏色の剣は、他の武器も含めて愛着ある重みを手のひらに感じさせる。

 

「相変わらず、いい景色だが……」

 

 朝日に光り輝く瀬戸内海。

 見る者が見れば恐らく感動の一つでも与えられる景色かもしれないが、

 これらが偽の景色であると知っていると、途端にあのモノクロの世界と同価値にしか感じない。

 

「―――ハッ」

 

 あえて不敵な笑みを顔に張り付け、先の異界への準備を整えた俺は一歩先へと脚を踏み込ませる。

 たった一歩。壁のある場所から踏み出した一歩が、この世界と破滅の世界の境だ。

 ヌルリとした結界の感触を踏み越えて、あるであろう死が闊歩する世界へと顔を出し―――

 

「―――っ」

 

 突如。

 轟と湧き上がり続ける世界の熱波に、身を焦がされるような感覚に満たされた。

 万物を焼き焦がす熱気を孕んだ風が俺の額をくすぐり、思わず目を瞑る。

 全身を炎で炙らんばかりの熱波が装束越しに、体に取り返しのつかない熱を帯びさせ始める。

 

「いや、もうこれ暑いなんてものじゃ―――」

 

 口を開いて後悔した。

 装束を着用してなお暑さで気絶しかねない熱波に口内が乾くのを感じて、俺は慌てて口を閉じた。

 額から脂汗が流れ落ちるが、それを気にしている余裕は無く、慌てて俺は壁内へと戻った。

 

 全身に感じる熱気によって、数秒の行為が数時間にも感じるような緩慢さがあったが、

 結界内に入ると一瞬にして全身に感じていたうだるような熱が引いていくのを感じた。

 

「ちょっと待って。なんか壁の外が異常なんだけど」

 

『知らないうちに壁外の温度が上昇しているようだね』

 

 背後に転がるように壁の内側に戻る中、袖で額に浮かぶ汗を拭う。

 悪態を吐いていると、揶揄するような声で初代が言った。

 

「……これって精霊の守護が無いから、こんなに暑く感じるのか?」

 

『どうだろうね。根本的に装束が彼女達のソレよりも耐性が無かっただけだと思うよ。その点に限ってだが勇者の装束よりも性能は良いんだろうね』

 

 実は初代の言う通り、端末無しでの変身は制約がある。

 本来は端末があったおかげで神樹とのパスを繋げることができ、精霊による護りを得られた。

 加えて、精霊バリアによりゲージが溜まることで強大な力が得られる満開システムもあった。

 

 それらを欠いた状態で、現在俺は変身しているということだ。

 常人よりも多少回復力は早いと言えども、攻撃は精霊が防いでくれない。

 致命傷はそのまま死へと直結しているというハード仕様である。

 

「欠陥品かな?」

 

『キミが脆弱なだけだよ。本来は樹海や結界内での使用が通常なんだ。壁の外でも利用された事はあるけど以前はこんな灼熱の大地じゃなかったんだよ』

 

「――そっか。それよりもさっき軽く壁上を見渡したけど、あれだけいた子達が全然見当たらなかったな」

 

『恐らく既に壁上ではなく、下の溶岩などがある大地にいるんじゃないかな。例えばだが彼女達が壁外における地質調査の為に行っているとかならば、耐火部分のみを強化しているのも納得はいくが』

 

 なんとなくではあるが、先程見かけた少女達の目的は分かってきた。

 

『一応言っておくけども、精霊の護りが無い状態で壁の外、特に壁下に行けば間違いなく死ぬよ。皮膚どころか筋肉からドロドロとチーズのように溶けて死ぬだろう』

 

「―――流石にマグマにダイビングするほど無謀になった覚えはない」

 

 そんな事を言いつつ、背中に背負っていたリュックサックを樹木で編まれた壁の上に降ろした。

 ある程度の問題なら対処が出来るように、朝のランニング中も背負っていたリュックを漁る。

 手を突っ込み探していると、やがて自らの手のひらに求めていたであろう感触を感じ取り出す。

 

『……ガスマスク』

 

「一応、煙とかの対策で考えてたんだけども。熱波対策にも少しは貢献してくれそうだなって」

 

 言いながら、黒い全面マスクで口と鼻を包み外気を遮断する。

 ベルトで頭部を固定し、耳にも掛け、吸収缶越しで呼吸すると、冷たい空気が肺へと入り込んだ。

 しばらく肺を収縮させた後、準備を完了した俺は、次は覚悟を決めて異界へと入り込む。

 

「――――ッ!!」

 

 全身を炙るような炎の熱波は、以前のソレよりも明らかに温度が上がっていた。

 すべてを溶かしそうな熟れた熱気と額から流れる尋常ではない汗に、長居は出来ない事を悟った。

 どのみち、熱中症になるか脱水症状を起こしかねないような場所になっている。

 

 端末の精霊の守護があれば別だが、無い物をねだってもしょうがない。

 脳裏に過った金色の鬼を模ったマスコットを頭を振って消しつつ、俺は目を細めた。

 何かしらの情報は欲しいという打算込みで来た壁の外を見る。

 

「…………」

 

 余裕が出来たことでようやく俺はこの灼熱の世界を見渡すが、やはり誰もいなかった。

 轟と湧き上がるどこまでも続く炎。人類がかつて生きていた証は紅へと塗り潰されている。

 何一つ希望は見られない。延々と続く死の世界が広がっている。

 

 中腰になりながら、星屑の目に留まらないようにゆっくりと異界側の壁の下側を見下ろす。

 初代の言う通り、壁の下はマグマや溶岩が噴出し、今の装束では致命傷になるものが多い。

 折角掴み掛けた情報が消えてしまったことにマスク内で舌打ちしていると、

 

 ――ケタケタケタケタケタ

 

 異界に轟く鳴き声が聞こえ、瞬間的にそちらに視界を移した。

 現在俺が立っている壁の上、そこからやや離れた中空に浮遊している存在があった。

 

 天にいれば綺麗であると思わせる星は、近づけばどれだけ醜悪な存在であるかが察せられる。

 見た目は蛇に近いが、星屑がバーテックスとなるのではなく、その見た目を残しつつ進化した姿。

 以前戦った中で、最も四国に被害を出した異界の侵略者。

 蛇遣座【オフューカス・バーテックス】と、その取り巻きの星屑がそこにはいた。

 

「―――――」

 

 それを見たとき、苛立ちに似た黒い感情が胸中で悲鳴を上げるのを認識した。

 それは後悔か、殺意か、憎悪に似た何かだったが、

 装束のおかげか感情を押し殺し、噛み締めた唇から鮮血がマスクの中にこぼれ落ちるだけで済んだ。

 眉毛を通り目に入り込む汗を乱暴に昏色の袖で拭いながら、足音を立てずに無言で潜行する。

 

 本来ならばバーテックスや星屑は人間を襲うらしいのだが、

 口に似た器官を鳴らして周囲を飛んでいる星屑は、一直線にある場所を目指していた。

 

 この距離ならば単眼鏡は必要ないだろう。

 俺はそう考え、勇者になり強化された視力で地獄の底へと向かう星屑を見送り――

 

「――!」

 

 見逃した情報源が、灼熱の大地で懸命に戦っているのを視界に収めた。

 ジリジリとこちらへ撤退しているのか、迫り爆発している星屑に盾を持った少女たちが吹き飛ぶ。

 黒煙と生身なら何度も爆ぜたであろう爆発を受けながらも、必死に銃剣を持ち戦う少女達がいた。

 

 ――ケタケタ、ケタケタ

 

 このままだと数分後には彼女たちの未来は無いだろうと遠目に見て俺は推察した。

 どういう理屈か不明だが、蛇遣座は周囲に漂う通常の星屑を爆発させることが出来る。

 一匹一匹が強力な爆弾であるソレは、直撃すれば確実に少女たちの命を容易く散らすだろう。

 

 正直に言って、相手がこちらの味方足りえるかは不明であり、助ける義理は無いのだが、

 ここで彼女たちに恩を売っておけば、ここで死なれるよりも有用な結果を生んでくれるだろう。

 

 決断は早く、そして行動は更に早かった。

 時折聞こえる鳴き声に苛立ちながら、右手に掴んでいた確かな剣の存在を確認し、

 中腰の姿勢をやめて立ち上がり、槍投げの要領で醜悪な星座を狙って投擲した。

 

「フッ――!!」

 

 短く吼えながら右腕に渾身の力を込め、一直線に飛ぶ愛剣は剣尖から昏の光束を迸らせ、

 地を這い戦う少女達、その上空で高みの見物をしている蛇遣座の頭部と背中の間へ突き刺さった。

 僅かに怯んだのか不快な鳴き声が止まると同時に、俺は即座に軽機関銃を生じさせ―――

 

 

 

 ---

 

 

 

 奇襲は思っていたよりもスムーズであった。

 機関銃の震えが手のひらを通して骨に伝わる感触に笑いながら、

 こちらに群がる星屑が紅の銃弾に穿たれる事に、薄暗い快感に包まれながら笑う。

 

 時折弾幕を潜り抜けて噛み付こうとする星屑の攻撃を多少の傷を負いつつ撃退していく。

 汗と血を流しながら、恩を売りつける予定の少女達が遅速ながら壁上へと到達する程度の時間を、数秒、数分と着実に稼いでいく。

 

「―――――」

 

 途中、一人だけ薄緑の装束とは異なる少女がこちらに向かって何かを言っていた。

 振動と同時に発せられる銃声がそれらを掻き消していたが、一瞬だけ目が合った気がした。

 小学生くらいの幼さを感じる少女が、周囲の少女達に守られていることから重要人物か何かだろう。

 

 十中八九大赦絡みであろう少女に対して何かを伝えるか口を開いたが、

 言葉を紡ぐよりも先に自らが着用している黒いマスクの存在を思い出し、渋々口を閉じる。

 

「―――――」

 

 少女達が結界内へと消えたのを確認しながら、一時的に使用不可となった機関銃を消失させる。

 早鐘の如く鳴り続ける心臓の鼓動、少しでも正常な空気を吸おうと息は荒れていた。

 

「まだいたか……」

 

 結界内へ戻ろうとした時、壁に近づきつつある蠍座【スコーピオン・バーテックス】と、撤退している少女達に気づいた。

 銃剣と盾を持っている彼女達は、恐らく先程の集団の中でも特に熟練した少女達なのだろう。

 その中に泣き顔で叫んでいる盾使いの顔を見て、直感は正しかったと思わず片方の口角を上げた。

 

 数人が殿となり蠍座と戦っていた事に心の中で敬意を表しながら、

 尾針が切り落とされている蠍座の胴体らしき部分を狙って、RPGを肩に構える。

 

「―――ッ!!」

 

 肩から全身を貫く振動に奥歯を食いしばる。

 開口した砲尾から後方に向けてバックブラストが起きた。

 クルップ式によって発せられる砲弾は、発射と同時に加速し回転しながら蠍座を狙い―――

 

 黄金の砲弾が少し狙いを外しつつも着弾したことを確認し、最低限の援護をしたと納得しながら、

 再び赤黒い空に増え始めた星屑を尻目に、俺も即座に戦場を離脱するのだった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 結局、首を突っ込んだ戦いは、大きな成果を得られた訳では無かった。

 朝のジョギングでチラッと見た顔は、以前記憶していた少女と同じであったのは正しかった。

 

 神世紀300年の6月頃の話だ。

 一世率いる何人かの淑女たちが、活動中の勇者部の部室に震える少女を連れてきた。

 誰に命じられたわけではなく正座をし、愛媛から来たと言う少女の前に椅子を持っていく。

 どうやら勇者部に依頼をしたいのだという他県の中学生に目を細めたが、

 

『わ、私、昔からすっごい臆病者で! だからもっと……もう少しだけでいいから、勇気を持てるようになりたいんです!』

 

 たどたどしくも言葉を紡ぐ、加賀城雀を名乗る少女の眼差しには嘘は感じられなかった。

 どのみち悪い人では無さそうなので、暇つぶしに少し手伝おうと思い少女達と活動を始めた。

 その際にいくつかゴタゴタはあったが、依頼自体は解決したと思う。

 

「さて―――」

 

 僅かに過去の物となりつつある思い出が脳裏を過りながら、防人を名乗る少女達と向き合う。

 意識が無く血を流している少女達も多いが、合計32名の少女達。

 元から集合場所を壁の上にしていたのか、俺が結界内に戻ったところで鉢合わせしてしまった。

 

 正直に言ってあちらの情報だけ掴み取りつつ、こちらの情報は渡さないつもりだが、

 流石にあちらも窮地たる状況で助けに来た人物が勇者であると認識していたらしい。

 

「あ、あの、勇者の加賀様でしたよね。えっと、助けて頂き……」

 

「お礼は別に良いよ。それよりも―――」

 

 代表者を名乗る人物と数人のアドレスを交換し、俺はひとまずその場を去ることにした。

 彼女たちは俺が端末抜きで勇者装束を纏っているという事実を知らない。

 だが、今回の外敵との交戦により背後にいる大赦がそれを推測する可能性は高いだろう。

 この後回収に来るであろう大赦の人間達と俺は顔を合わせるつもりはさらさら無かった。

 

 いずれにせよ、今後相手が無反応ということは無いだろう。

 彼女たち――防人――という存在を、俺は少ない時間なれど知ることが出来た。

 今はそれだけで良いだろう。

 

 

 

 ---

 

 

 

 薄い笑みを浮かべていると、体の軋みと肢体に奔るいくつかの切り傷に思わず眉を顰める。

 流石に無傷で潜り抜けられるほど敵は弱くは無く、そして俺も鍛錬が不足していた。

 あれ以上長くいたら、戦う以前に脱水症状で倒れていた可能性もあっただろう。

 

「それにしても、何回も転ぶなんてね……」

 

「―――そうなんだよ。靴の紐が千切れてそこから坂下まで転がったんだ」

 

「実は亮ちゃんはドジっ子だった?」

 

「そんな属性は無い。あとこの事は他の人には言わないで」

 

「どうして?」

 

「恥ずかしいからさ」

 

 水を欲し、体のあちこちにできた傷を癒すべく加賀家に帰宅すると友奈が部屋にいた。

 私服にエプロンを着ていた少女は、こちらのボロボロな格好に顔を青ざめさせたが、

 嘘に塗れた話をすると、半泣きのような表情をしながら手当てを手伝ってくれた。

 

「この火傷は……?」

 

「――ちょっとね。ああ、急に人肌が恋しくなってきたな~」

 

「……んっ」

 

 そっとリビングの床で手当てをしてくれた友奈を抱きしめる。

 細い胴体の弾力と柔らかさは俺に安らぎを感じさせた。

 一瞬強張った友奈は、やがてしょうがないなとばかりに体を弛緩させ、俺の背中に手を回した。

 

「―――――」

 

「―――――」

 

 無言で少女の顔を見上げると、同じく潤んだ薄赤の瞳がこちらを見下ろしていた。

 深く聞かないでくれる彼女に感謝しながら、甘い香りがする少女の体を抱きしめると、

 服越しで感じる友奈の心臓の鼓動は、かちかちと鳴る時計の秒針を追い抜き、一段と早くなった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それから。

 乃木園子が讃州中学校に正式に転入してきたのは、この出来事の2日後であった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第五十九話 再会は祝福で」

10万UA突破、感想500突破、多くのリクエスト、ありがとうございます。
感想はいつも励みになってます!


 和やかな朝の光に包まれ、青い空は朗らかに晴れ渡り、まだらの白い雲の筋が浮かんでいる。

 昨日の小雨から一変し、心地よい秋の風を感じながらも俺は肌寒さを誤魔化すように首を縮めた。

 

「朝は冷えるな……」

 

「うん、最近は特にそうだね!」

 

 平日の学校へ向かう朝。

 俺は隣で歩く可憐な少女たちに目を向けると、華が咲いたと思わせる柔和な笑顔が向けられた。

 薄紅と、艶のある黒という髪を秋風になびかせ、少女たちが答えてくれた。

 

「―――――」

 

 東郷を俺と友奈で挟み込み登校するのが、ご近所陣でのお約束とも言える。

 実は初めて会った頃の東郷や、以前の戦いの後リハビリをしていた友奈が車椅子の時は、

 一緒に登校する事はあまりなかったが、最近は3人で歩いて登校するということができている。

 

 健常にこうして他愛もない雑談をして歩くという日常がどれだけ尊いか。

 戦場を潜り抜け、絶望と迫り来る理不尽を払い除け御役目を達成した俺たちだから分かるのだろう。

 

 時折こうして少女たちと歩いているとやはり中学生か、何かしらの嫉妬か羨望の視線を多く感じる。

 それらを込めて揶揄してくる愚か者も時々いたが、所詮は昔の話だ。

 小学校だろうと中学校だろうと俺が行う事には後悔をするということはない。

 今では視線はともかく、そういった声は完全に根絶されたと言っていいだろう。

 

「ところで友奈ちゃん、ちゃんと宿題はやったの?」

 

「もちろんだよ東郷さん! 結城友奈、キチンと終わらせました!」

 

 そう言って天真爛漫な笑顔を浮かべながら友奈は隣にいる東郷に敬礼をする。

 その様子にクスリと笑みを浮かべながら、「良かったわ」と東郷が呟いた。

 

「……?」

 

 青いリボンで一束にまとめた、濡羽色と表現すべき黒髪を背中へ垂れ流す少女を無言で見る。

 友奈と反対方向から注がれる視線に程無く気づいた東郷が、その言葉の意味を口にする。

 

「宿題をしない子には、ぼた餅はあげません」

 

「―――あぁ、そういう。良かったね、友奈」

 

「うん! ところでね、昨日テレビで骨付鳥の特集をやってたんだけど―――」

 

「骨付鳥か……」

 

 その言葉に、そういえば昨日自宅のリビングで見たなと思い出す。

 骨付鳥とは、鳥のモモ肉を骨つきのまま焼き上げた料理で、丸亀市で生まれたご当地グルメ。

 丸亀市だけでなく、香川県内でも多くの人に好まれており、俺も好物として認定している。

 

 あれはいつだったか。

 この世界に加賀亮之佑として生を得て、数年が経過した頃だったはずだ。

 唐突な思いつきで宗一朗や綾香に連れられ、初めて食べた鶏肉は俺の世界に革命を起こした。

 

 鼻腔を擽る鶏肉の匂いと、噛んだ時の皮の食感。そして口の中で溢れ出す肉汁。

 生前はあんな美味しい料理にありつけた事は無く、人生で3番目くらいに神に感謝したものだ。

 せっかくなので以前自宅で作り、ふと七味を掛けて食べると味覚の革命が起きたのは別の話。

 

「友奈ちゃんはどっち派なの?」

 

「私? 私はどっちも好きだよ」

 

 友奈と東郷が話しながら、無言で俺は相槌を打つ。基本的には朝はこんな感じである。

 最近ふとした事で昔を思い出すなと胸中で自嘲しながら話に頷いていると、

 讃州中学校の校門が見えてきた辺りで、白い高級車が俺たちの少し前で止まった。

 

「―――でね、……あれ?」

 

「…………」

 

 立ち止まる少女たちの一歩前に出て一応警戒する俺は、後部座席を開け、横に回転するように出てきた人物を見て、そう言えば今日は園子が讃州中学校に来る初日だったと思い出した。

 

「じゃじゃじゃ~ん! 乃木さんちの園子だよ!」

 

「……園子」

 

「驚いた?」

 

 金色の長い髪は以前と変わらず。

 ほにゃりとした笑みを浮かべた少女の白い肌を包み込むのは、隣にいる少女と同じ制服だ。

 この世の不思議を一身に集めたような少女が、乃木園子が校門の前で俺たちの前に立っていた。

 

「――えへへ」

 

「―――っ」

 

 小首を傾げ、片側の琥珀色の瞳を瞼に隠し、ウインクという愛嬌ある仕草を方向的に俺へとする園子に片頬を緩めながらゆっくりと目を逸らしつつ、隣の呆然とする少女たちの方を窺い見た。

 

「―――えっと……、あの?」

 

「――――、……!!」

 

 口を半開きにし、薄紅の瞳が数秒だけ逡巡するが、記憶が誰であるか該当したのだろう。

 友奈はおそるおそる、もしかしてという思いで口を開くが、園子は薄く微笑むだけだ。

 隣に佇む黒髪の少女は刹那の間息を止め、目の前に立ち柔和な笑みを浮かべている相手を見る。

 

 俺とタイミングが異なる時ゆえに居合わせることは無かったが、

 ちょうど園子と過ごした怠惰で非生産的に溺れた1週間の後、二人は一度園子に会ったらしい。

 東郷に至っては叛乱を起こす動機とも呼べる世界の真実を園子の口から聞かされたはずだ。

 

「今日から同じクラスだよ~。よろしくね~!」

 

「その、っち……」

 

 東郷は認識が追い付いていないのだろう。

 彼女にしては珍しいきょとんとした白い顔は、震える薄い桃色の唇が以前呼んでいたあだ名を紡ぐ。

 

「へいへいわっしー! 園子だよ~」

 

「そのっち……」

 

 両手を振りながら徐々にこちらに歩き、近寄ってくる金髪の少女から深緑の瞳を離せない。

 空気を求めるように喘ぎ、震える唇。その震えが全身へと回る頃、大きく瞳は見開かれた。

 

「驚いてる驚いてる~、サプライズは大成功〜!!」

 

 驚愕に体を震わせている目の前の少女に、園子は悪戯が成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべ、

 

「そのっち!」

 

「わわっ!?」

 

 ようやく認識が染み込んだ東郷が学校用のカバンを放り投げ、感極まったように園子に抱き着いた。

 万力の如き膂力で背中まで伸びる金髪ごと抱きしめられた園子は、倒れそうになるのを堪えつつ全身で喜びを示す東郷の背中に、聞き分けの無い子供をあやすかのように手を回した。

 

「ちょ、ちょっと、わっしー……」

 

 ここまでサプライズが上手くいくとは思ってはいなかったのか。

 校門前で繰り広げられる百合の花。美少女同士の熱い感動の抱擁に群がり始める群衆。

 その中にチラホラといる『お友達』である有能なる紳士や淑女が微笑みを口の端に渦巻かせる。

 

 きっと同じ気持ちなのであろう彼ら彼女たちは、たった今気づいたように俺に片手を振る。

 俺も紳士淑女に応じつつ、東郷がアスファルトに落とした白い学生カバンを手に取りながら、

 

「じゃあ行こうか、友奈」

 

「ええ!? いやでも……」

 

「彼女たちは今感動のハグの途中だ。邪魔なんて出来ないよ」

 

「――――うーん。それもそうかもね。東郷さんと、……あとでね!」

 

「ちょ、かっきー!」

 

 いつ味わったか忘れたが、俺の手をも粉砕しかねない膂力で抱き着かれている園子は、

 助けを求めるように震える東郷の背中越しにこちらへ手を伸ばすが、俺は微笑み首を横に振る。

 どのみち同じクラスならば数分後に会うだろうし、東郷が案内してくれるだろう。

 

「また後で、な」

 

 朝はいつも静かである方が俺は好きだ。

 決して朝から高いテンションで誰かと絡むのが面倒だったという訳ではない。

 どのような思いであれ、言わぬが華である。

 

 

 

 ---

 

 

 

 讃州中学校。

 その家庭科準備室が勇者部の部室である。

 授業終わりの放課後、少し早めに集合していた俺たちは、ノックと共に開かれた扉を見た。

 

「勇者部に入部希望の――――乃木園子だぜぇーー!!」

 

 引き戸から手を離し、謎のテンションで声高らかに自己紹介をする少女。

 乃木園子の姿に平然とする部員の中で、明らかに動揺する煮干し……夏凜が口を開いた。

 

「乃木園子!? えっ、あの……?」

 

「2年前、大橋の方で勇者やってたんだぜ~」

 

 冗談染みた口調で真実を告げる園子の姿、おどけた態度に目を丸くし驚愕に口を開く夏凜。

 制服を着ると全く分からない薄い胸と腕に抱かれた煮干しの入った袋にくしゃりと皺が寄る中、

 先代の勇者が何故こんなところにいるのかと疑問を口にすると、

 

「う~ん、家にいてもやることないから?」

 

「そんな理由で?」

 

「あ、あとはかっきーやわっしーがいるからかな~」

 

「誰!?」

 

「実は私、これでも小学校中退なんよ~」

 

「そんな重いことをしれっと!?」

 

 眦を和らげ後頭部へと手を回す園子とツッコミを入れていく夏凜。

 初めて目にする、テレビのような漫才染みた光景に俺は思わず苦笑してしまった。

 やや事情が分からず曖昧に笑う樹には、部長である風が非常に簡潔で明瞭な説明をした。

 

「御役目から解放された乃木さんは、普通の生活に戻ることを大赦に要請したの」

 

「改めて、よろしくお願いしま~す」

 

「またそのっちと勉強できるなんて……」

 

「授業中に居眠りしたら注意してね~」

 

「しないように気をつけないと駄目よ」

 

 そんな少し駄目な娘と、厳しさと優しさを両立したような母親の如き会話を目にした。

 

「まさか本当に普通の生活が出来るなんてね~」

 

 ほにゃりとした金髪の少女は微笑を浮かべる。

 その姿はお嬢様然とした姿を彷彿とさせ、見る者を惹きつける可憐さがあるが、

 笑顔で話し掛ける相手が既に東郷ではなく持参してきた両手に持つサンチョという奇行は、

 

「―――――」

 

「ふ、不思議な人ですね」

 

 夏凜に「伝説の勇者?」という顔をさせ、思わずといった感じで樹に呟かせるには十分だった。

 その後、乃木さんを歓迎するという言葉を口にした我らが勇者部の部長に対し、

 誰であっても特に態度の変わらない少女、園子は両腕でサンチョを抱きしめながら、

 

「乃木とか、園子で良いですよ~。フーミン先輩」

 

「ふ……?」

 

 彼女の中では恒例行事なのか、親しみ深くなるようなのかは本人に聞いていないが、

 勇者部全員に対して、風には『フーミン』と、樹には『イッつん』とあだ名を付けた。

 本人たちは戸惑うが特に嫌がる様子も無く受け入れていく中で、

 

「よろしくね、にぼっしー」

 

「――これ教えたの、あんた?」

 

「……チガイマス」

 

 『にぼっしー』というあだ名に憤りを感じた夏凜は、隣に立っていただけの俺に冤罪を掛けた。

 冤罪は許さない俺だが、その指に挟んでいる一匹の煮干しを強奪し笑うだけで許すことにした。

 唇に挟み込み、タバコを吸う感じで苦い味に顔を顰めていると、園子が友奈の目の前に立った。

 お互いにふわふわとした笑みを浮かべる二人。

 

「友奈ちゃんは、ゆーゆかな」

 

「わあ〜素敵! じゃあ、私は園ちゃんで!」

 

「―――。おお! さすがに良いセンスしているよ~。それでおねが〜い!」

 

 何故か笑みを浮かべた園子の頬が硬直したように見えたのは、瞬きの一瞬だけだった。

 ニコニコとお互いに笑みを浮かべる金と赤の髪の少女達。

 その姿を自らの視界に収めるという一種の奇跡に、感じた懸念を捨て、ひたすらに感動した。

 

 

 

 ---

 

 

 

「ところで乃木は、亮之佑とはどんな関係なの……?」

 

「かっきーと、ですか?」

 

 勇者部の面々が園子を歓迎し、少し時間が経過した頃。

 新たな新人の歓迎会をするべく、部長の鶴の一声により『かめや』でうどんを食べることになった。

 

 何てことはない部活の歓迎会。

 隣に座った園子のうどんを食べる姿が品を感じると樹が感嘆の声を上げる中、

 実は東郷と俺と園子が同じ神樹館小学校に居たという事実が勇者部で共有されたりなど。

 

 初対面とは思えないフレンドリーさを発揮し、時々眠る園子の扱いを東郷に任せながら、

 俺は七味をうどんに掛けスパイシーな味わいへと変化させ、赤白くなった麺を啜っていた。

 そんな中、何気ない感じで呟いた風の声が、ゆっくりと着実に俺の耳朶を響かせた。

 

「うん。東郷とはその……記憶を失う前からの関係だってのは分かったけどさ」

 

 既に3杯目に挑戦しようとしている風が、僅かに揶揄の意味を込めた声音で「お二人は~、いったいどんな関係なのかな。グヘヘ」といった中年のおっさんを模倣した感じで聞いてきた。

 流石にその聞き方はどうかと思うのだが、これも親睦を深める為のコミュニケーションなのだろう。ひとまず無言で俺は赤いうどんの汁を飲みながら、隣のお嬢様に回答を任せた。

 

「う~ん、そうですね~……かっきーは―――」

 

「うんうん、この女子力の化身たる存在に言ってみなさいな!」

 

「お姉ちゃん……」

 

 気のせいか、『かめや』の空気全体が静かになっているかのような空気の中。

 他の女性陣も手を止めて聞く者、止めないまでも耳を傾けている者などがいる中で、

 傾聴されていることすら気に留めず、ひたすらにマイペースな園子は頬に手を当てながら、

 

「――かっきーは、私にとって特別な人ですね~」

 

 何てことないかのように、それが当たり前の事実であるかのように、

 僅かに頬に朱色を色づけながら、うどんを食べる手を止めて悠然と、平然と言い放った。

 

「―――――」

 

 園子の言葉が勇者部の面々の脳裏に、胸中へと浸透していく中で。

 その言葉を聞いた時、胸の奥底、湧き上がる感情の渦の中で何かが産声を上げた。

 それは隣の少女から容易くもたらされた歓喜と、それ以上に感じる薄暗い快感があった。

 

「かっきーとは、5歳から小学校4年生までよく一緒に過ごしていたんですよ~」

 

「なるほどね~。いわゆる幼馴染って奴ね」

 

「そういうのって憧れます!」

 

 幼馴染という存在がいるのは、年頃の少女たちにとっては目を輝かせる対象なのか。

 盲目的に目を輝かせる樹はいつになく高いテンションで園子の話に食いついていた。

 

「なら、亮之佑のこれって前からなの?」

 

「どれ~……?」

 

「この赤いのよ」

 

「赤いのって……、お前七味様になんて無礼を。謝れ煮干し、鶏肉取るぞ」

 

「誰が煮干しよ」

 

 そんな中で、ふと気になったのか夏凜が俺のうどんのお椀に視線を誘導させた。

 既に食べ終わったきつねうどんの汁だけとなったお椀は、七味によって赤く染まっていた。

 

「あ~、これは初めて見るかもね~」

 

「亮くんったら私が何度言っても直さないのよ。これが美学だーとか言って」

 

「困った人ですね~わっしー」

 

「そうなのよ、そのっち」

 

 困ったように眉を顰める東郷と向かい合う席に座る園子は穏やかに笑みを浮かべながら、

 示し合わせたかのように俺を使って茶番劇を繰り広げ、向けられる眼差しに俺は肩をすくめた。

 そんな中で、

 

「――――」

 

「ん、どうかした友奈?」

 

「―――うぇ!? なんでもないですよ? あっ、うどんが冷めちゃう!」

 

 周囲の視線、向けられる如何ともし難い女子たちの視線を搔い潜りぬけていると、

 ふと真顔でいる友奈に気づいた風がその様子を問い掛けたが、何でもないと言う友奈は普段通りの笑みを浮かべながら、再びうどんのお椀へと向き直った。

 

「……ん」

 

 その様子を見ていると、ふと制服のズボンに入れていた端末が僅かに震えた。

 友奈へと向かった意識が体を震わす小さな振動へと向けられるのを感じながら、一体誰からのメールなのかと騒がしくなり始める空気の中で端末を開き―――

 

 

 

 ---

 

 

 

 絨毯と仮面を着けた顔が、息を吐けば届く距離にある。

 深く深く頭を下げた神官の座礼は、目の前に座る一人にのみ向けられていた。

 その頭を下げる顔に隠された感情は誠意か畏怖か、尊敬か、何とも読み取れない。

 それでも、目の前に相対する人物が誰なのか、分からない訳が無かった。

 

「―――――」

 

 雨が降る夜。

 既に園子の歓迎会を終え、静寂な夜に霧のような小雨が降る中で。

 かつての恩師でありながら、その後はほとんど会うことなどなかった一人の女性。

 それらは白い仮面と神官の装束によって、顔も感情も全てが無へと塗り固められていた。

 

「顔を上げて下さい、安芸先生」

 

「―――既に私は教師の職は辞めました」

 

「それでも、俺にとっては先生ですよ」

 

「―――――」

 

 淡々と冷淡に語る安芸の声音に感情は感じられない。

 あの頃の安芸先生を思わせる姿はどこにもなく、懐かしき思い出は遠い忘却の彼方であった。

 

「この度は、勇者である加賀様にご用件が――」

 

 多少長く装飾された言葉を聞き流し、重要な部分のみを抽出するとこうなる。

 まず、前回の唐突な防人の援護に関して、大赦側では感謝する声は少なく、むしろ何故端末も無いのに勇者装束を纏うことが出来たのかという疑問の声が上がっているらしい。

 

 その事に対しては、初代との契約の都合上、誰にも語ることは出来ない。

 黙秘を続けながら無言で続きを促していると、不自然に安芸は一言だけ単語を呟いた。

 

「加賀家の、指輪」

 

「―――――」

 

 静寂の空間で響くのは外から聞こえる微かな雨音のみ。

 見下ろす濃紅の瞳と、見上げる神樹のマークが施された仮面が交錯すれど、一瞬だけだ。

 数秒の間をおき、再び神官は頭を下げ淡々と告げた。

 

「いえ、なんでも御座いません」

 

「――安芸先生。一つだけ質問が」

 

「……」

 

「壁の外、結界を抜けた先で燃え盛る炎ですが。明らかに温度が上がってますよね」

 

「天神、彼の神の怒りによりこの世界を覆う炎の温度は確かに上昇してきています。ですが、我々は既に対処に向けて準備を進めております。どうかご安心下さい」

 

「……そうですか」

 

 それ以上の追及を許さないと、静かに厳かに安芸は頭を下げる。

 そうして後ろにもう一人控えていた神官が、紫の布に包まれた物を俺の前に差し出した。

 

「大赦は今回の件について、不明である手段が存在する事実に対しては不問とする事にしましたが―――」

 

「…………」

 

 結び目を解く。紫の布に包まれていたのは、小さな携帯端末。

 白い端末が、かつて勇者の御役目にあたって使用していた端末がそこにあった。

 

「今後はそれを常に所持して下さい。それが今後の御役目となります」

 

「監視ですか」

 

「―――――」

 

 無言は肯定である。

 だが、同時に頭を上げた安芸の視線が向く先、服の袖から見える小さな火傷痕。

 

「―――――」

 

 無言を貫くが、それでも何となく言いたいことが分かった。

 要するに彼らは、大赦は、通りすがりで助けただけの存在が怖いのだ。

 端末抜きで変身が出来るならば、以前の風のような反逆行為も可能であると考えている。

 馬鹿げているとは言え、対処としては合理的であった。

 

 同時に、今後変身するならばこちらの大赦が用意した端末での装束を纏って欲しいのだろう。

 以前の防人との邂逅で、多少なりともボロボロであったのが上に報告されたのだろう。

 そこから大赦は、なんらかの手段で装束を着たにせよ、精霊バリアは無いことに気づいたか。

 もしくは、男の勇者という貴重なサンプルを失いたくはないのだろうか。

 

 ――いずれにせよ、この端末は枷であるが、鎧にもなりえる。

 

 端末の電源を点ける。

 起動した端末の液晶には見慣れた機能も多い中で、異質さのあるアプリが二つ。

 

「勇者アプリ……」

 

「使用はお控え下さい」

 

「あ、はい」

 

 以前は有事の際に使用していた、勇者としての力を得るアプリ。

 他にも様々な事で使っていたのだが、今後はGPSか何かで場所を知られるという制限がある。

 そしてもう一つはひどく懐かしく感じるアプリ。『Y.H.O.C.』とだけ書かれたアプリがあった。

 

「先生、これは……?」

 

「―――それは先代である加賀宗一朗様が、亮之佑様に作られたアプリだそうです」

 

 質問に答えたのは安芸ではなく、先ほど端末を出し、背後に控えていた神官のほうであった。

 その神官に目を向けると、体格、声の低さ、纏う装束など、仮面はしているが男であるのが見て取れた。

 

「父さんが、ですか」

 

「はい、亮之佑様と神樹様の融和性を高めるというアプリだったそうです。この度技術部の方で残りの部分が完成した為、端末の方へとインストールさせて頂きました」

 

「―――。そうですか」

 

 年は二十歳程度だろうか。

 非常に礼節に理解が及び、明らかに年下であろう自分に対してもその態度は変わらない。

 その声をふとどこかで聞いたような気がしたが、それを思い出す前に、

 

「我々の用件はこれで以上となりますが―――」

 

「せっかくですし、夕飯でもどうですか?」

 

「……この後も少し、やることがありますので」

 

 立ち上がり、リビングから玄関へと向かう神官たちを見送る。

 玄関の扉を開けると、深まる夜の帳の中で陰鬱な小雨が地面のアスファルトを黒く染めていた。

 屋根下から家の前に停めてある車へと向かう二人を見送る中、途中で安芸がこちらを振り返った。

 僅かな逡巡があったのか、数秒の沈黙の末、安芸は口を開いた。

 

「……、そう言えば―――」

 

「――?」

 

「国防仮面という者をご存知でしょうか」

 

 淡々と、口にした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第六十話 消える想い」

 ――淡々と語られる中で、俺は呟いた。

 

「国防、仮面」

 

「はい」

 

「……分からないですね。それが、その、何か?」

 

 目の前のかつての恩師、安芸が夜に降る霧雨の中、唐突に告げたそのワード。

 去り際に口にするにはあまりにも唐突に感じられる謎の言葉に対して、

 放たれた言葉の裏の意味を考え訝しむ俺の姿から、大赦の仮面を着用する安芸は顔を背け、

 

「いえ、ちょっとした事ですので。忘れて下さい」

 

「はあ……」

 

 そう言って安芸が乗り込む大赦のマークが付いた車、運転席には誰もいなかった。

 助手席に座り、こちらを一瞥することない安芸の仮面を見ていると、男の低めの声が聞こえた。

 恐らく運転手の役もあるのだろう、仮面を着けた男の方の神官が乗り込む前にこちらを向いた。

 

「亮之佑様」

 

「はい?」

 

「不肖の妹を、今後も宜しくお願いします」

 

「―――――」

 

 唐突なソレに返事をする前に車のドアは閉められ、程なくしてエンジンの音を小さく響かせた。

 乗り込む寸前の男の声音には何の感情も無く、その真意も、告げた表情も仮面に隠されていた。

 少し前、風が暴走していた際に俺の端末に電話を行い、的確なナビゲートを行った声と似ていたと、

 暗く悲しいだけの仲間との戦いの記憶を媒介に、俺は目の前の人物の正体を察した。

 

「有能なんだろうけどな……」

 

 その言葉に応じる者は誰もいない。

 白い霧雨が走り去る車を徐々に覆い隠していく中で、俺が呟く声は雨音に塗りつぶされた。

 後に残るのは、握り締めた掌にある新品の携帯端末だけであった。

 

 

 

 ---

 

 

 

「ああ、国防仮面ってのは、確か最近になって讃州市付近に出没するヒーローもどきですね」

 

 讃州中学校の教室。

 休み時間、ロッカーを背もたれにしながら男二人、そんな中一世に国防仮面について聞いてみると、その言葉と共に緑色の自分の携帯端末をポケットから取り出し、亮之佑にある映像を見せた。

 差し出された携帯端末の液晶が映すのは、ある動画サイトにアップロードされている動画であった。

 

「これですよね?」

 

「―――――」

 

 呆然としながら画面を見る俺は、一世に掛けられる声に応えることなく無言でその動画を見た。

 動画が進む中、視界を通して伝わるその動画の内容に対して思うことは一つだけだ。

 

 ――なぜ、と。

 

 再生される動画を見た時、直感で何が起きているのかを察した。

 分からないはずがない。その存在を分からないと言えるほど薄情な付き合いをした覚えはない。

 その声に、その体格に、その髪色に、その瞳を忘れるような絆を育んだ覚えもない。

 コスプレじみた変装で騙せていると思うならば、騙せているのは己だけだろう。

 

「これ、は」

 

 昨日安芸と青年が帰った後、体に感じる倦怠感が酷く、件の言葉の意味を調べる前に寝てしまった。

 それでも眠りにつく寸前、寝台に横たわりながらもその言葉の意味を知ろうと思っていた。

 あの安芸が最後に呟いた言葉が脳裏から離れなかった。

 

 学校では期待する訳ではなく、惰性で聞いてみたところ、容易に的中してしまっただけだ。

 液晶に映る背景の見覚えのある道路は、讃州市内であることを地元民である俺は即座に理解した。

 動画では何人かのギャラリーが囲み、見上げる先にいる一人の人間、否少女が撮られていた。

 

『国を守れと人が呼ぶ! 愛を守れと叫んでる!』

 

 堀の上にいるその少女は、軽やかに二本の脚で立っている。

 強い衝動を深緑の瞳に宿らせ、立ち誇る少女の姿は凛々しさをも感じさせる。

 しなやかな肢体を包む過去の将校を思わせる黒寄りの軍服と黒の外套は微風に揺られ、

 帽子と赤いマスクを着け、正体を隠している少女は動画の最後に高らかと名乗りを上げていた。

 

『憂国の戦士! 国防仮面見参!!』

 

 その出で立ちは、かつての日本軍の将校を彷彿とさせるものだったが、声高に叫び、低めの声で自らを国防仮面と名乗る人物は、間違いなく少女であるのは直感でなくても分かった。

 

 声が決定打という訳ではない。先ほどから舐めるように映りこむ服の上からでも判る豊満な胸と白い肌、正体を包み隠す赤いマスクの顔を往復していれば、大抵の人物ならば分かるだろう。

 単純にその撮り方、アングル等に、脳裏を掠める程度だが見覚えがあると思った。

 

「なあ、これってさ。誰が撮ったんだ?」

 

「十六夜さんです」

 

「ああ、彼女か」

 

 唐突ではあるが、十六夜涙という淑女がいる。

 彼女にも強い癖があり、普段は隠しているが性的に女子の事が好きという少女であった。

 

 十六夜の弱みを掴み、『お友達』になった際に判明した写真と動画を撮る趣味なのだが、

 見せて貰った変態の如きアングルや撮り方は、俺ですら素晴らしいと思わせる程だ。

 将来は立派なカメラマンとして活躍するのは間違いなく、有望な人物であると評価している。

 

「―――――」

 

 隣のクラスにいる可憐な淑女から、意識を目の前に映る少女へと戻した。

 携帯端末の液晶、その動画の中で、背中に垂らされた黒髪は外套と共に風にたなびいている。

 その濡羽色の髪をまとめる青いリボン、低めとはいえ聞きなれた声が機械越しに映りこむ。

 確信を抱き始める中で、こちらを見る一世は切れ長な瞳を輝かせ、亮之佑に声を低くする。

 

「ボスはこのコスプレイヤーのファンか何かですか?」

 

「――。まぁそんなところ。……この少女って、最近どんな感じで活躍しているんだ?」

 

 その後、あまり詳しくは無かった一世と共に他の紳士や淑女に挨拶がてら聞いてまわったところ。

 国防仮面は讃州市を中心として活動し、平日は夜のみ、休日は昼から出没するという情報を得た。

 その実態は国を愛する戦士の一人で、ファンとなる人物も増えているらしい。

 

 様々な情報によって、俺の心中では誰が国防仮面をしているかの確信は更に深まっていく。

 ――というよりも話を聞き反応を見る限り、亮之佑と同じ予想をしている紳士や淑女は多く見受けられたが、やっている事は慈善活動、多感な時期なのだろうと傍観者を気取るつもりらしい。

 

「…………」

 

 昼休み。

 教室に戻ると自分の机の上で突っ伏して眠る東郷と、それを遠巻きに見る少女達を見かけた。

 友奈や夏凜、そして園子が仲良く昼御飯を食べている姿を見つつ、東郷の席へと俺は向かう。

 

「東郷さん」

 

「――――ん」

 

 数秒ほど見下ろすと、自席に突っ伏す少女の白い首筋と髪の黒さに目を奪われた。

 呼吸する度に上下する肩、カーディガンと艶のある長い髪を見下ろし名前を呟くが反応は薄い。

 腰を下ろし、前髪と腕で隠されている少女の顔を見ながら俺は彼女の二の腕を突く。

 東郷の席は以前と変わりなく、廊下側の一番後ろの席であったが、今は周囲に人はいない。

 

「―――――」

 

 学校特有の休み時間、多くの生徒が騒々しい中で一人眠る普段は真面目な少女。

 この少女との付き合いは既に2年が経過したのだなと思うと、僅かに感慨深いものがある。

 こんな風に気安く話をし、触れ合うことが出来るようになってから随分と時が流れたと感じた。

 

「……ぅ」

 

 そんな風にカーディガンに包み込まれている東郷の二の腕をぼんやりと掌で揉んでいると、

 体に伝わる反応に東郷は呻き、顔を動かして腕と髪の間から普段より陰る深緑の瞳を覗かせた。

 

「亮くん? どうしたの……?」

 

「――東郷さんが気になって。具合でも悪いのか?」

 

 腰を下ろし、机で突っ伏しながら目を擦る東郷と瞳を交わらせながら口を開く。

 そう聞くと、寝起きでぼんやりとしていた東郷は緩慢とした動きながらも健気に微笑んだ。

 目の下には少しではあるが隈が出来始めている彼女は、その言葉に少しずつ身を起こし始めた。

 

「大丈夫よ、亮くん。気にしてくれてありがとう」

 

「……保健室とか」

 

「大丈夫」

 

 きっとここで東郷を問い詰めても、頑固で極端な行動をする彼女はきっと否定し続けるだろう。

 平日の夜遅くまで活動を重ね、体に無理を強いながら、少ない体力を懸命に学校で補充している。

 

 どのみち、何かしら決定的な証拠は何も無いのだ。今はまだ。

 そう考えた俺は悪戯に眠りから目を覚まさせた事に申し訳なさを感じ、肺の中の息を抜いた。

 

「――亮くん?」

 

「……」

 

「あ、あの……」

 

 戸惑いの声を上げる東郷を無視しながら、無言で彼女を見つめ子供をあやすように頭を撫でる。

 身を起こし始める彼女の動きを止めさせて、寝ていた初期の状態へと体勢を戻していく。

 

「起こして悪かった。だからもう少し寝てていいよ」

 

「……でも」

 

「時間になったら、ちゃんと起こすから」

 

「……亮くんは優しいわね」

 

「――だろ?」

 

「そこは謙遜するところよ? でもありがとう、亮くん」

 

 いつもならば強情に意地を張り起きようとする東郷だが、今日はそんなことは無かった。

 むしろ大義名分を得たとばかりに小さく疲れの見える微笑を浮かべながら、再度机に突っ伏した。

 昼休みはおよそ15分ほどしか残ってはいないが、仮眠ならば十分だろう。

 

「―――――」

 

 数分ほどで再び眠りについた東郷を、引っ張ってきた近くの椅子に座り頬杖をつき見下ろす。

 沈み込むように、失神するように眠り込む彼女の近くで僅かに聞こえ出す吐息を聞きながら、

 他人がいる教室で無防備に眠る少女の寝顔を前に、脳裏でスケジュール調整を始めるのだった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 そうして学校も終わり、月夜と星々が見下ろす夜がやってきた。

 社会人ならばいざ知らず、中学生などは補導されかねないが、奇術師を舐めてはいけない。

 そんな訳で、既に俺は国防仮面との接触に成功していた。

 

「財布ってコレですよね?」

 

「はい! ありがとうございました。――ところで貴方は……」

 

 白い手袋から渡される小銭入れは、間違いなく俺の物であった。

 それを受け取りながら、そっと俺は眼鏡越しに笑顔で頷きながら計画の完璧さに肩を震わせた。

 その震えを歓喜故であると受け取り、笑みを浮かべる軍服の少女は、月下で名乗りを上げた。

 

「私は憂国の戦士―――国防仮面!! 財布が戻って良かったですね、では……」

 

「まっ、待って下さい! ぼ、僕は貴方のファンなんです! あの、貴方の愛国の精神に触れて、僕も貴方に国防色に染められたくて……どうか握手をお願いします!」

 

 お互いに変装した者同士、偽りを着飾り会話する。

 自分で言っていて何だが、護国精神に染まったつもりは無い……という思いは決して顔にも態度にも出すことはしない。相手を騙すには、まず自分から騙すことが変装の基本であると俺は考えている。

 

「……国防」

 

「はい、国防」

 

「――――ッ」

 

 ポツリと呟かれる国防という言葉に反応する少女に再度告げると、少女は体を僅かに震わせた。

 そうして暗がりに一人、外套をたなびかせ夜に溶け込もうとする少女を懸命に引き留める。

 緊張に喉を震わせ、頭に載せた帽子へと伸ばす手を抑えて、必死に自分の支持者であると告白する少年は、国を護り、人を護り、平和を愛する仮面少女にどう映ったのだろうか。

 

「……どうか、お願いします」

 

「―――分かりました。これからも共に国防をしていきましょう」

 

 そうして恐る恐る出される国防仮面の白い手袋に包まれた手を俺は握る。両手で握り締める。

 白い手袋越しであっても判る柔らかさと感触は、昼頃に触ったソレと同一であった。

 

「あ、あの……」

 

「―――今は夜の10時30分を少し過ぎた頃」

 

 何かを確かめるように己の手を握手と言うにはねっとりとしたソレに戸惑う声を、

 演技の為に低めに出している少女の声を塗りつぶすように、俺は微笑を浮かべ首を傾げた。

 

「月明りが少し過ぎる頃、人通りの少なくなった町で人助け。昼夜を問わず誰かを助けようという慈愛の心は実に素晴らしい。だが―――――」

 

「……?」

 

「だからこそ、こんな簡単に悪ーい男に掴まれるのさ」

 

「なに、を……」

 

 震え、戸惑いに地声を思わず出す声に応える声はない。

 唐突で脈絡の無いどこか過剰な演技で語り出す、臆病であったはずの少年の姿はどこにも無い。

 愕然とするその眼差しを見つめ、とっさに離れようとするその手を握り締めながら、

 

「そんなコスプレして街中を歩き回るってどんな気持ち?」

 

「――――りょ」

 

 元に戻した声に、目の前の人物が誰か気付いたのか、少女は安堵と不安を瞳に宿らせる。

 月夜が僅かに照らす中、深めに被った帽子を上げ、薄い笑みを口端に浮かべながら、

 状況の変化に追いつけず唖然とする目の前の少女を反応を余所に、俺はクツ……と笑った。

 

「東郷さん、つーかまえた」

 

 

 

 ---

 

 

 

 夜の散歩も悪いものではない。

 誰もいない中で、唯一自分以外の存在を強く感じ取ることが出来るからだ。

 国防仮面は東郷美森であったことが数分前に判明し、事情聴取の為に俺たちは移動した。

 

「―――はい」

 

「―――ありがとう」

 

 途中の自販機で買ってきたお茶の入ったペットボトルを渡す。

 受け取りながらも神妙な顔をして両手をお茶で暖めている東郷を尻目に、俺も買ったお茶を飲む。

 舌から食道へと伝わっていくふくよかなほうじ茶の香りと甘み、温かさが体を包み込み、

 数回ほど繰り返し味わっていると、血の循環が良くなっていく感覚が分かった。

 

 既に変装は解いていた。

 東郷はマスクだけを取り、その雪のように白い肌を外気へと晒していた。

 

 加賀家も東郷家からもそう離れてはいない、およそ徒歩5分程度にある小さな公園。

 街灯が小さな木製ベンチへと薄暗い光を浴びせる中、俺と東郷は二人で座っていた。

 

 ――街灯の届かない先は、ひたすらに暗闇が広がっていた。

 

 寒さと時間と季節も関係しているのか、薄暗く静寂な空間は、この世界に二人だけになってしまったのではないか。

 そんな在る筈のない幻想を抱かせ、お互いの体の体温が分かる程に隣に座って密に触れ合っていた。

 

「それで――申し訳ないってのは?」

 

「その、体が元気になったら居ても立ってもいられなくて……」

 

「――――」

 

 無言で促すと東郷は続けた。

 

「私が壁を壊してしまったこと。一時の感情とは言え、世界を危機に陥れてしまったのは事実で、それって赦されないことだから……。私、これからどうすれば、どうやって償えばいいのか、分からない……」

 

 過去の後悔を語る東郷の声に、微かな震えが混じる。

 それは、大赦からお咎めの無かったことへの安堵と不安、後から生じた罪悪感と、様々な矛盾に満ちた感情の混ざり合ったものであり、急に感じた寒さに俺はそっと身を寄せた。

 

「何か罪滅ぼしがしたくて……何か出来ないかと考えて……」

 

 極端な行動に奔る東郷は、焦燥と後悔に襲われている。

 下を向く東郷にこの表情をさせる要因に、彼女の心は襲われている。

 

「だから、国防仮面」

 

「ん」

 

 俺の問いかけに小さく答える東郷の唇は震えた。

 やらかした罪の重さに、一時の感情で起こした行動への後悔を東郷は吐き出した。

 犯した罪の意識に耐え切れず、決して自分の行動を赦さない、赦したいと思えない。

 ならば――

 

「――俺が赦すよ」

 

 その一言に、東郷は顔を上げた。

 

「……ぇ?」

 

 全ては終わった事だと、そう言い切り、割り切る事が出来たのは、『今』だからだろう。

 あの日、俺は間違いなく東郷が憎かった。溢れ出す憎悪と殺意を胸に灯し、この世界を見捨て、

 切り捨てようとする東郷の想いに対して、風と異なり何一つ共感出来なかった。

 

 結局は結果論でしかない。都合良く何とかなっただけ。運が良かった程度だ。

 この先がどうなるかは判らないが、ひとまずは何とかなっただけ。

 多くの犠牲を出しながら、心を砕き、苦しみと戦って今を掴み取った結果でしかない。

 それでも――

 

「東郷さんが、自分のことを、行ったことが赦せないって言うのなら―――俺が赦すよ」

 

「――――ぁ」

 

 万感の思いを込めて、俺は告げた。

 顔を上げて、東郷はようやく正面に立つ俺を見つめた。

 眦を下げ、目尻を赤く染めながら、丸く大きな深緑の瞳に俺の姿を映している。

 

「確かに東郷さんがやったことは許される事では無いのかもしれない。壁を壊し、人を焼き焦がし、世界を絶望に陥れようとした事は。でも――」

 

「――――」

 

「友奈や、園子、風や樹、夏凜を想って行動し、世界を破滅へと導いたことを、俺が赦す」

 

 傲慢に、不遜にそんな戯言を口にする俺の姿を東郷は見つめる。

 深緑の瞳がこちらを見つめる。その瞳を、俺は穏やかに見返した。

 誰にも裁かれない巨大な罪。その重さに耐え切れないのならば、皆で一緒に持てばいい。

 

「俺だけじゃない。皆だってちゃんと赦してくれるよ。絶対に」

 

「亮、くん……」

 

 その言葉に、不安な光を湛えて赤く潤んだ東郷の瞳に波紋が生じる。

 告げられた言葉を受け、なお不安気な東郷の、細い、彼女の体を抱きしめた。

 

「亮くん……っ」

 

 世界中が空気を読み、二人の邪魔をさせないかのように静寂が満ちる世界で、

 秋の終わり、冷える夜の空気の中で、細く柔らかで暖かい東郷の体を抱き寄せる。

 最初は東郷の家で話をすることも考えたが、どうしても二人だけで話をしたいと東郷が告げた小さな公園には誰も、人一人いない状況であった。

 

 抱きしめ、僅かに身じろぎをする東郷は、小さく俺の名前を呟く。

 そうして堪えた涙を頬に流して、

 

 ―――ありがとうと、涙声でそう言った。

 

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 

 最近流行の風邪は、俺にも直撃したらしい。

 

「んん……」

 

「亮さん、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫だよ、樹ちゃんや。それよりそろそろサイトの更新の時間じゃない?」

 

「あっ、そうですね!」

 

 幸い喉が多少痛む程度なので、のど飴を舐める等の対処で誤魔化している。

 椅子に座り、デスクトップ型のパソコンに向き直り、拙さのある手でキーボードを操作する樹の背後から、悠然と業務を懸命に遂行する後輩を見る。

 

 勇者部のホームページ更新作業は、少し前から俺ではなく樹へと継承された。

 今は研修期間中である樹の髪色と旋毛を見下ろしながら、着々と成長している姿を見る。

 そうして作業をしている途中で突然、「あっ!」と驚きの声を樹は上げた。

 

「どうした?」

 

「見てください……幼稚園の方達からお礼のメールが届いてますよ! お姉ちゃん! 一杯来てるよ!」

 

「本当ね。この間のは滅茶苦茶好評だったしね」

 

「親御さんは苦笑いだったけどね。あれ考えたの誰よ?」

 

 樹の声に集まってきた風が調子良く告げるのに対し、夏凜のツッコミが炸裂する状況。

 それらには目もくれず、俺は受信トレイに届いている固いビジネス文章で練り上げられた感謝メールの一字一字をじっくりと読み込んだ。

 

 そんな12月が遂に始まった平日の放課後。

 外では運動部が相変わらず騒がしく活動し、人のいない校内では放送部等が程ほどに騒がしい。

 僅かに物足りなく、つまらなく感じる日常風景を今日も俺は過ごす。

 

「ごめんごめ~ん。掃除の途中で寝ちゃったんよ~」

 

「園子……そんな時に眠れるのは貴方くらいよ?」

 

「褒められた~! ……あっ、かっきー。喉は大丈夫?」

 

「まあ、そこそこ」

 

 呆れた口調で告げる夏凜の言葉を、褒められたとポジティブに喜ぶ園子。

 その様子を見ていると、その視線に気づいた園子がテクテクと歩き近寄り僅かに眉を顰め、

 「これ抱きしめてていいよ~」と学校に持ってきていたサンチョを渡して来た。

 

「というか、本当に大丈夫なの?」

 

「――大丈夫ですよ、風先輩。心配せずとも移しませんよ」

 

「いや、そこじゃなくてね……まあいいか。それじゃ全員揃ったし、みんな、部会始めるわよ!」

 

 相変わらず依頼の中に猫の里親探しを見つけた俺は、そっと部員全員の様子を見た。

 友奈に樹、園子、夏凜が椅子に座り、時折頷き相槌を打ちながら風の話を聞いている。

 

「…………」

 

 いつもの日常風景だ。

 何も異常なことは無いはずだと、そう思いながらも、心がざわついた。

 そんな事を考えている中で、ふと俺は思った。

 

 

 

 ――誰かがいない、と。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第六十一話 ――誰かがいない」

「―――――」

 

 ふと過ったその考え、湧き出した唐突な思いに、俺は押し黙っていた。

 風により開かれる定例部会。園子が加入し、今後の部活動と依頼内容について冗談も時々入り混じりながらも説明が進む中で、ふと胸中に生じた謎の違和感。

 

 無言で薄い笑みを張りつけながら、胸中で生じた唐突な疑問に俺は動くことは出来ない。

 依頼内容を話す少女の話以上に己の脳裏を占めているのは、異質に感じられる疑念であった。

 

 ――誰かがいない。

 

 自分でも意味が解らないと思った。どうしてそんな考えに至ったのか。

 “誰”とは一体何のことか。それは誰のことで、それが何を意味しているのか、解らない。

 

 周囲をそっと見渡してみても何か問題があるという訳ではない。

 何も問題はないのだ。風がいて、樹がいて、夏凜がいて、園子がいて、友奈がいる。

 全員揃っている。そんな当たり前の事実の中で、唐突に生じた思いに胸中で波紋が広がる。

 

 授業の最中、教師の話を聞いている間、ふと『どうでもいいこと』へと意識が離れる。

 窓辺を見ると寒々とした晴天の中で、数匹の鳥が中空を舞う姿に視線が数秒だけ奪われる。

 そういった『どうでもいい』事象は、教師の話す内容に意識を戻してしまい覚えておくことはない。

 

 これはそういったレベルの事だ。デジャブのようなもので、以前にも似たような事はあった。

 そういう程度の低い話であり、俺はそんなものよりも目の前の事に集中しなければならないのだ。

 そう、分かっている。だが、どうしても違和感が、生じる考えが払拭できない。

 

「―――――」

 

 忘れてしまうべきだ。

 重要な事ではないのならば、大切な人は目の前にいるのだから。

 ならば、切り捨てても何も問題は無いだろう。

 

「亮之佑、大丈夫?」

 

 ふと考え込みすぎたのか、説明の大半を終えた風がそんな事を口にする。

 黒板を背にこちらと向き合うように立っている薄緑の瞳に囚われ、俺は静かに息を抜いた。

 ちらりと周りを見ると、部長である風の言葉を受け、こちらに振り向く少女達と目があった。

 

「やっぱり気分とか……」

 

「――えっと、その、こ」

 

「ん~……?」

 

 彼女たちは気づいているのだろうか。

 考えないようにすればするほどに膨らむ違和感は、俺だけしか理解できていないのか。

 忘れたい、忘れられない。知りたい、知りたくない。

 

 矛盾に満ちた思いが思考を支配していく中、解答を俺は望む。

 この不快感を絶ち切り、明瞭なる解答を導く為の手段が欲しい。

 

 ―――その答えはどうすれば導けるのか。

 

「かっきー、やっぱり具合悪いんじゃないの……? 熱っぽいなら帰って眠った方がいいよ?」

 

「風邪ですか?」

 

「あ、いや……」

 

 咄嗟に言葉に詰まる俺の姿を琥珀の瞳が捉える。隣に座る園子、彼女との距離が縮まり、

 

「うーん、熱があるかも……」

 

「大丈夫だって」

 

 ひんやりとした少女の手のひらに視界の上部が黒く染められる。

 穏やかな口調とは裏腹に僅かに低い声、心配する園子の姿に俺は思わず頬を緩めた。

 片手を額に当て、もう片方の手は頬や首筋を遊ぶように触れてくる園子の柔な手の感触に思わず目を細めていると、少し離れている椅子に座る友奈の声が聞こえた。

 

「うーん。でもそんな鼻声だとやっぱり心配かな」

 

「――大丈夫だって。問題ない、話も聞いてた」

 

 視界を塞ぐ白く柔らかな少女の手を名残惜し気に手に取りつつ俺は友奈に告げるが、

 ふと周りを見渡すと、こちらを見る少女達の純粋に心配してそうな視線に俺は息を詰めた。

 

「……まあ、そこまで言うならおやつを皆にあげたら撤収するとしよう」

 

「亮ちゃんのお菓子、やったー!」

 

 数の力とは偉大である。

 どれだけ強靭な意志を持ってしても逆らえない時が来る。

 片手で収まる程度の数ではあるが、一斉に向けられる視線に対して、俺は自分の考えを改める。

 

「亮之佑のお菓子は美味しいもんね」

 

「今日は何かな~……?」

 

「羊羹だよ」

 

 ひとまず頭を振り、口端に笑みを渦巻かせた俺は、鞄からお菓子を入れた箱を取り出す。

 加賀家のレシピ本に記載されていたお菓子の一つであるが、ふとなんとなく作りたくなった。

 部室で一度出してみたら思いのほか好評であった為に、時々俺は少女たちに作ってきている。

 

「あれ? 今日って和菓子なんだね」

 

「ん。まあなんというか……気分ですかね」

 

 樹が皿を出す中で、友奈がふと出した疑問の声に気分という曖昧な答えで応じながら、

 基本的には洋菓子しか作らない俺が、なんとなくで作りたくなった和菓子。

 羊羹を人数分に切り渡していくと、黒色をした羊羹はさながら夜の海を思わせる。

 

「ん~! 美味しい!」

 

「かっきーかっきー、お店屋さんやろう! ゆくゆくはフランチャイズで!」

 

「やりません。それよりも旧世紀の福井県では羊羹を冬季に食べる習慣があったとかないとか……」

 

「ほへー」

 

 適当な冗談を園子と言い合いながら、食べる周囲の評価は上々である事に安堵を覚えた。

 爪楊枝に刺した羊羹は今生まれたかのように艶やかで、一個の芸術品にも思えるが、

 同時に口に含めばたちまち崩れるほど繊細で柔らかな舌触りは、西洋のお菓子では見られない。

 

 羊羹を食べていると、先程まで感じていた違和感が少し薄れていくのを感じた。

 糖分を摂取した為か、先程よりは静止していたはずの自らの脳が動き出すのが分かった。

 

「―――、ぼた餅」

 

「ん? どうしたの、友奈?」

 

 一体なんだったのか、そう思う矢先。

 にこやかに羊羹を食べていた友奈は、ふと僅かに困惑したような表情で一言だけ呟いた。

 その小さく呟いた言葉は隣にいた風が拾い、小首を傾げた。

 

「なんか、前に部室でぼた餅食べなかったかなーって……」

 

「ああ、前に友奈さんが家庭科の授業で作ってきたんですよね」

 

「――。うん、そうだったね」

 

 何かが納得いかない。そんな顔をしながらも樹の言葉に対して友奈は頷いていた。

 実際に友奈が以前、家庭科の授業終わりに作ったぼた餅を部室に持ってきたのを覚えている。

 夜海色を思わせる羊羹とぼた餅は、形は違えども和菓子であり色合いも似てはいる。

 

「さっ、おやつの時間はおしまい。みんな明後日の劇の練習開始よ。あと亮之佑はさっさと帰って休みなさい。体壊したりしたら洒落にならないからね」

 

「まあ、大丈夫だと思いますけどね」

 

「そういう事言っている人に限って風邪ひくんだから」

 

「煮干し食べないからよ……まあ、お大事に」

 

「亮ちゃん、後で様子を見に行くからね!」

 

「いや、大丈夫だって」

 

 心配してくれる姉御肌の部長たちに見送られながら、苦笑いで俺は部室を出た。

 基本的に演劇は俺はあまり出ない。裏方としてモノづくりをしている方が好きだからだ。

 もちろん人手や役が多い時などはしっかりと演技もするのだが、今回はなしであった。

 

 

 

 ---

 

 

 

「―――――」

 

 可能な限り早く自宅へと帰還しつつ、途中から本当に熱っぽさが身体に感じられた為、スーパーで買ってきた諸々の食糧を冷蔵庫に放り込んでから学校の制服を脱ぐと、さっさと部屋着へと着替えた。

 普段加賀家の自宅で過ごす時は、紺色のシャツの袖を捲った物と黒色のズボンだ。

 

 しかし、今回は自身でも落ち着いた途端に熱が発生するという経験則に基づく風邪の予知をしていた為、ゆったりとしたいつも着ているパジャマへと着替える。

 着替え終えた俺は、壁に固定されている時計を見やり自身の部屋へと移動する。

 先程胸中を占めた違和感はなく、それらは身体全体に感じる微かな熱に塗り潰されていた。

 

 どのみち今日は眠って体力を回復させた方がいいだろう。

 このまま放置して何かをして風邪を悪化させるよりは、今すぐに眠った方が良い。

 他の家と異なって誰も身内のいない俺は、誰かに頼ることなく、速やかに治さなければならない。

 

「――――」

 

 部屋のカーテンを閉め、寝台に横たわる。

 そうして眠りにつく準備を整えた後は、最後に自分のペンダントに触れた。

 ペンダントと言っても、その実態は指輪にチェーンを通しただけの物でしかない。

 

 降り出しそうな雨空模様を思わすチェーンに通された蒼色の指輪は結晶の様に光る。

 代々『加賀』の血を受け継ぐ者のみに、そして後継者であると認められた者だけが所持する事ができる指輪は、俺を勇者とし、現実と夢の世界を繋げるパスポートの様なものだ。

 

 ――誰かがいない。

 

 目を閉じ、己の意識を指輪へと集中させると、鈍い頭痛も、気持ち悪い違和感も、熱を帯びた身体も、意識すら全てが遠ざかっていくのを感じる。

 それこそが、もう何度目か分からない夢と現実が入れ替わる瞬間だ。

 瞬間、瞼を閉じると見える暗闇、それ以上の昏い光が意識を塗り潰していった。

 

「――――ん」

 

 世界の切り替えは一瞬で終わり、沈んだ意識が再浮上するのを感じる。

 閉じていた瞼を開くと、見えるのは月夜の光を呑み込む無限に広がる黒い夜空だ。

 天の光を蔽い塗り潰さんとする空で輝くのは、何物よりも美しく天上に輝く黄金の満月だ。

 

 満月から注がれる月光は宝石の如く煌めき、草木を照らしていた。

 幻想とも呼べる夜空、いつまでも見たいと思える意識と視線を下げていくと、見慣れた壮大な草原があった。

 水平に広がる空の昏と大地の緑が無限に広がる光景は、美しさと寂寥感で心を埋め尽くした。

 

 草の海と表現すべき背の高い草は穏やかな風に揺られ、来訪者のために道を作る。

 ある種のファンタジーとも呼べる魔法は数秒ほどで一本の道を形作った。

 

「―――――」

 

 作られた道、柔らかな地面を歩き、しばらくして見えてくる大樹こそが世界の中心だ。

 常闇の世界、黄金の満月に照らされる夜桜は季節を無視し、いつまでも咲き誇り続けている。

 その大樹の下で、黒服の王は白いテーブルに肘を乗せこちらを見下ろしていた。

 無言で椅子への着席を求められる。

 

「―――で?」

 

「違和感がある」

 

 単刀直入に、聞かれた言葉に回答する。

 勇者部には聞きづらく、空気を壊してまでしようと思えなかった疑問、それを王にぶつける。

 

「違和感」

 

「誰かがいないと、そう思うようになった。それから生じた違和感。デジャブのようなそれは、なんとなくだが無視出来る物じゃない。まるで誰かに魔法でも掛けられたかのような……」

 

 上手く理論立てた説明が出来ない。

 かといって、友奈のようにあやふやな擬音での説明ではないが、どうにも稚拙な言葉。

 それらを目の前で余裕ぶっている少女の皮を被った王に吐き出す。

 

 拭い切れない違和感。

 粘り付いた粘液のようなソレが気持ち悪い。その正体を俺は知りたい。

 直感ではあるが、目の前に座る少女が答えを持っていると理屈ではない何かが俺に告げていた。

 

 その言葉を受け、白いカップを片手に忽然と息を抜く少女は俺の言葉に肩をすくめると、

 

「魔法、ね……。そんな都合の良い代物が存在するなら是非見てみたいものだ」

 

 神秘の塊のような存在、初代が小さく吐息をつき、赤い手袋で覆われた指を二本立てた。

 

「まず大前提にバーテックス、ひいては天神による精神に対するキミ自身への直接攻撃かと言われると、決して無いとは言い切れないが―――これはまず無いだろう」

 

「なぜだ……? 相手は曲がりなりにも神。何のつもりか知らんが、出来なくは無いだろう?」

 

「いや、出来ない。キミの魂に限っては、この指輪の世界――ボクと契約を交わした時点で既に天の神からの干渉は受けられない。あらゆる精神的干渉、呪術の類ならばほとんど無効化できるだろう。物理的なものならともかく、だが」

 

 桜の下で開かれる夜会において初代が口にする言葉は、基本的に希望的観測はない。

 差し出されるカップ、僅かに湯気が立ち上る白いマグカップにはコーヒーが入っている。

 何も無い空中、そこからテーブルに音も無く出現したそれを手に取りながら、俺は初代の言葉に耳を傾けた。

 

「だから、もう一つ」

 

 唐突に桜吹雪が舞う小さな風に、肩ほどまである黒の髪をなびかせながら、

 

「彼女は人を想い行動することができた。他者の為にと行動しながらも中途半端に鍵を残し、極端に行動することしかできない愚かしさはいっそ愉快でもあるけどね」

 

「誰の話だ……?」

 

「中途半端、彼女へのボクの評価はそんなところだけど。キミも多分だがそんな辺りの評価だったと思うよ」

 

「―――――」

 

 文脈を無視したその言葉。

 何を言っているのか解らない、『誰か』へと向けた批判の言葉。

 唐突に告げられた初代の言葉。お前は一体何を言っているのだと追及しようとして――

 

「西暦の時代、ひとまず人類と天神は戦いの末に一応の和解という形へと持ち込んだ。そこにはかつての勇者たち、幾千の人間たち、多くの国を犠牲にしながら、『四国から外には出ない』という講和の象徴である壁を破壊したことが主な原因だろう」

 

「―――――」

 

「加えて防人―――大赦の犬たちだ。あれは恐らく『類感呪術』の真似事だが、あんな装備、雑な儀式の準備で堂々と壁の外に出ているのも天神の逆鱗に触れたんだろう。実に愚かなことだね」

 

 ――開いた口からは、何も出なかった。

 何かが脳裏を過り始めた。クツクツ、クツクツと嗤う少女、目の前で哂う初代を見ながら、

 緩慢に、だが明確に忘却の彼方に飛んでいた存在を思い出し始めていた。

 

「絶対に忘れない、だったか。……綺麗ごとでこの世界が救えるなら神世紀なんてものは来ないんだよ。犠牲を出さないなんて考えが甘いんだよ」

 

「―――――」

 

 重ねられる初代の言葉に、その内容に俺が目を細めると、彼女は慣れた仕草で肩をすくめた。

 その動作、何気なく行うそれらは男の目を奪う気品と雰囲気で溢れている。

 

「まったく、自業自得にも程がある」

 

「―――――」

 

 彼女との付き合いの中で、彼女が悪態をつき、暴言を吐き捨てるのは極めて稀だ。

 無言でその言葉を受け取りながら、消える違和感、同時に発生する疑問を口にした。

 

「西暦時代は、何をして講和が成立したんだ?」

 

「この地より出ないことを条件に神の信仰を赦して貰いたい――――神代の前例を模倣とした儀式を、大社は『奉火祭』と名づけた」

 

 常闇の下で、少女の紅の瞳と少年の紅の瞳が交差する。

 一呼吸置いて数秒交わされる中、先に目を逸らし遠くを眺める初代は、遠い過去を思い出すかのように、色の薄れたアルバムを見て懐かしむかのように、

 

「外の炎の世界へ、7人の巫女を生贄にして赦して貰ったんだ」

 

 

 

 ---

 

 

 

 意識が現実へと帰還する。

 

 目を覚ました時、鈍い頭痛に思わず俺は顔をしかめた。

 同時に額に掛かっている白いタオル、水を絞り濡らしたタオルに気づいた。

 指輪の世界へと向かう前に自らの額に載せた覚えは無い。

 

「―――――」

 

 枕元の小さな電灯以外は薄暗い部屋、静寂がある中でただ一つ、壁に掛けられた時計の針の音を聞きそちらを向いた時、こちらを静かに見下ろす薄紅の瞳と目があった。

 

「……友奈」

 

「―――ぁ」

 

 僅かにしわがれた声で名前を告げると、暗い部屋の中、ひっそりとこちらを見る少女、友奈は驚きに目を丸くした。

 同時に意識が戻り出す中で、全身を包む熱さと喉の渇きに俺は思わず呻いた。

 

「いつから……?」

 

「さっき、部活が終わったから。言ったよね、私。様子見に来るからねって」

 

 小テーブルに予め置いていた小さなグラス、水を飲むために体を起こすのを、友奈は俺の背中に手を回して手伝う。介護されている気分になりながらも、手に取ったグラスを傾ける。

 乾いた口内、甘露のような水が喉を潤す感覚に、ようやく思考が戻るのを感じた。

 

「大丈夫……?」

 

「――ああ。友奈に看護されて元気が出たよ」

 

「……そっか」

 

「このまま一緒に寝る?」

 

「――風邪、私がひいたら、亮ちゃんが責任とってくれるならね?」

 

 その言葉に、小さな電灯に照らされた友奈の頬が赤らんでいるのが見える。

 一瞬風邪が移ったのかと心配し、彼女の頬に手を伸ばすと餅のような柔肌が掌に収まった。

 きょとんとする友奈は僅かに微笑み、伸ばした俺の手を更に自身の掌に包み込んだ。

 

「ねえ、友奈」

 

「なーに?」

 

「俺さ、思い出したんだ。俺を風邪になるように仕向けた元凶、その原因とも言える人が」

 

「えっ、そんな人がいたの? ……ちなみに何て人?」

 

 俺の言葉に首を傾げ、友奈は目を丸くする。

 可愛らしい少女の疑問に、俺は掠れた笑みを浮かべて、告げた。

 

「――東郷美森って人だよ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第六十二話 レールの上」

 凍り付いた少女の瞳に過るその感情は、いったい何と呼べばいいのだろうか。

 

「とうごう、さん」

 

 その言葉を耳にして、その名前を口にして、寝台の端に腰掛け硬直した友奈は目を見開いた。

 ゆっくりと見開かれる瞳には戸惑いと不安、何故という困惑で埋め尽くされていく。

 揺れる薄紅の瞳、桜色の唇は震えと共に、友奈は何度も何度も己の親友の名前を口にした。

 

「―――東郷さん……東郷さん」

 

 意味が分からない、と。

 なぜ、どうして、その存在を今まで忘れていたのかと少女は首をゆるゆると振った。

 心臓が弾み、胸が痛くなり、熱い何かが目に溜まり始め、そっと己の体を腕に抱いた。

 

「私……私は……!」

 

「――――」

 

 掛ける言葉が見当たらず、亮之佑は無言で友奈の顔を見つめた。

 大切な親友の存在を忘れていたという後悔に苛まれ、呼ぶたびに思い出す彼女と築いた思い出。

 今はいない少女と紡いだ絆の全てが友奈の胸を掻き毟り、感情が堰を切って漏れ出し始めた。

 

『絶対に忘れない』

 

 かつて戦いの中で、暴走する東郷に対して強く、友奈自身がそう言ったのだ。

 自分という存在を忘れられたくない、大切な存在を忘れたくはないと感情を爆発させ壁を破壊し、世界へと反逆を翻す東郷へ、誰よりも懸命な想いで告げたはずだ。

 絶対に東郷を忘れない。誰よりも強く思って、いつまでもずっと覚え続けているのだと。

 

 それなのに。

 ――告げた言葉は偽りの物となり、交わした約束は無価値な物へと成り下がった。

 

「友奈」

 

「わたし、私は……ずっと! 一緒にいるよって約束したのに……!」

 

 昏々と眠っていた為、ひどく重く軋む体を亮之佑は動かし、悔恨の表情を浮かべる友奈へと手を伸ばす。

 軽はずみに言う言葉では無かった。だがそれ以上に速やかに告げなくてはならなかった。

 脳裏に、胸中に過っていたあの吐き気を催す違和感は既に無い。

 

「したのにぃ……!」

 

「―――――」

 

 カーテンを閉め薄暗い部屋の中、小さな電灯が枕元を薄く照らす中で、

 肩を細かく震わせて友奈がこぼす一筋の涙は、両方の眼に溜まった水滴から流れ出ていた。

 こんな状況にありながら、少年は親友を想って涙を流す友奈の姿を、どうしようもなく綺麗だと思った。

 

「ぅっ……、ぅ……」

 

 唇を噛み、嗚咽を小さく溢す友奈の姿。

 瞳に過る様々な感情が、瞬きをする度に涙と共に頬を伝っていく。

 そうして泣いている友奈の体を抱きしめると、パジャマの鎖骨部分が濡れていくのが分かった。

 

「――――」

 

 嗚咽をこぼし、背中に回した手、強く亮之佑を抱きしめ泣く友奈の姿を少年はそっと見下ろす。

 友奈のぼやけた視界に、穏やかに悲しげにこちらを見る彼の姿が映りこむ。

 自分の泣き顔を見られることへの羞恥などよりも、喪失していた悲しみがこみ上げてくる。

 

「――大丈夫だよ」

 

「……ぁ」

 

 根拠などない、その場しのぎの言葉でしかない言葉は、それでも少女へと届いた。

 自分を抱きしめる力は決して強くなく、寧ろ自分を気遣っている優しさに涙がこぼれる。

 同時に親友を忘れていたという後悔と悲しみに、心が砕けそうになる。

 

 以前よりも少しだけ背の伸びた少年。背中を擦り、親愛と友愛に満ちたその声に、

 

「――――」

 

 薄暗い部屋の中で、大粒の涙がゆっくりと頬を伝った。

 

 

 

 ---

 

 

 

 昨夜まで泣き続けた友奈を抱きしめていると、時間は既に夜の10時手前であった。

 泣き疲れ抵抗の薄い友奈の服を着替え己のベッドに入れながら、以前使っていたSNS『NARUKO』に代わり、現在使用しているSNSの勇者部グループチャットで東郷に関しての話を進めていた。

 

 神世紀の住人といえど夜10時には寝ない人も多いが、そこは中学生。

 日々の学業や部活など青春に勤しんでいれば、当然真面目な夏凜などは既に眠っている。

 とはいえ、樹や風はまだギリギリ起きており『東郷美森』という字を載せただけで、

 現在の自分たちに何が起きているのかを断片的ながらも理解したらしい。

 

 だが時間は既に深夜になり、時計の針は上を指していた。

 俺自身はともかく、少女たちが出かけるには神世紀であろうと無理があるだろう。

 

 そうしてひとまず朝にどこかへ集まろうという風の指示の下、

 今現在も風邪で動けない俺の家へと勇者部全員が集合することとなり、一先ず友奈と仮眠を取った。

 それから数時間後、5時頃には起きた夏凜が僅かな眠気を衝撃に吹き飛ばし、電話を掛けてきた。

 

『これ、一体何が起きてんのよ!』

 

「分からない。けど、ひとまずメッセージの通りに全員集合ってこと」

 

『――――ッ。……分かった、すぐ行くわ』

 

 少し前に園子と、そして現在夏凜と続いて電話を終えた後、俺は端末を見た。

 実に白々しいやり取りであったと、口端に浮かべるのは己への嘲笑である。

 初代との会話で戻った記憶、壁の外で行われている儀式――奉火祭といった情報などを踏まえると、東郷がどこにいるかは明白であろう。既に判っているが、意図的に伝えなかった。

 

「壁の外、か……」

 

 手の中の携帯端末を持て遊ぶ。

 安芸先生、というよりも大赦から再び渡された携帯端末、その中に収められた勇者アプリ。

 以前の防人との接触に対して、大赦側が監視の名目で俺に端末を渡した事は誰にも教えていない。

 

 あの時はまだ、確かに東郷は存在していた。

 もしも、この端末がそれを想定して、事前に監視という名目で渡してきたというのならば。

 

「―――――」

 

 そんな益体もないことをふと考えて、俺は頭を振った。

 人間の本質が、根本が短い時間で変わることが無いように、組織もまた同じだ。

 隠蔽体質が300年。箱庭の世界で強大な力を持つ組織が、勇者の反乱で簡単に変わると思えない。

 

 だから、今考えることはそこではない。

 現に俺は、既に東郷がいる可能性が高い場所の情報と、そこへ至る為の手段を所持している。

 

「――――」

 

 ふいに勇者部五箇条という勇者部の誓いの言葉が脳裏を過った。

 何も言わず、何も語らず、何かを決意して一人で先走った東郷。

 東郷だけではない、相談をせず一人で抱え込むのは風など、部員の中には多くいる。

 

 だから今回は、今回だけはきちんと相談しようと思う。

 一人で先走らず、仲間に相談して行動しようと、今回俺はそう決意を抱いた。

 勇者システムがある今、人類の叡智たる武器群を携えてあの地獄へと行くことは確かに出来る。

 だがそこから先、何があるか、何が待ち構えているか、不可解な要素が多すぎる。

 

「――――」

 

 加えて、東郷が何故壁の外にいるか、俺は知らないという体を取らなければならない。

 端末についても話をしなかった為に、聞かれた場合適当な誤魔化しを考えなければならない上に、

 奉火祭も、壁の外の熱量が上昇していることも、天神のことも語ることは出来ない理由がある。

 

 即ちそれらは初代から聞いた情報であり、夜会で手に入れた情報であるという事だ。

 加賀の血筋であっても、直系の子孫であろうとも、根本的に男は勇者には成れない。

 

 神に見初められない男が勇者になる。

 それは、数多の不正行為をして現在、砂上のバランスで亮之佑は戦うことが出来るのだ。

 その不正行為を成り立たせる為の条件の一つが、『夜会での会話は口外しない』ということだ。

 

 勇者の力を行使する為の条件、強大な力には相応の代償がいると言うが、地味に面倒な点もある。

 初代との約束は破ったことは無いが、どう考えても勇者としての力の剥奪という可能性がある。

 加えて契約の際の対価というのもいつ提示されるか分からない。本人曰く、オマケらしいが。

 

「面倒くさいな……」

 

 ひとまず、全員が揃ってからそれとなく東郷救出に向けて行動しよう。

 こちらも体は軋むが、昨日の時点で連絡を入れ、他人任せではあるが準備は完了した。

 そう考えていると流石は完成型だけあるのか、丁度1時間後、最初に玄関のチャイムが鳴らされた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「悪いけど、俺の家には煮干しは常備してないからね。あと加賀さんちの朝御飯は洋食だから」

 

「さすがに朝から煮干しは食べないわよ」

 

 朝7時を少し過ぎた頃、加賀家に勇者部全員が揃いつつあった。

 風邪ひきの体なれど、朝御飯を用意する程度ならば友奈という手伝いのおかげで容易い。

 トースト、スクランブルエッグ、コーヒー(ミルクと砂糖はお好み)をリビングに運び込む。

 

「それよりも、大赦はなんて……?」

 

 リビングの白いテーブル。そこに各々座る少女たちは、一様に険しさと小さな疲れを見せていた。

 俺の質問に対し、誰よりも険の入った表情である風は、眉間に皺を寄せ横に頭を振った。

 僅かに目の下に薄い隈が見え、責任ある部長として睡眠が出来なかったのだろう。

 

「大赦は何も知らないって……」

 

 昨日の俺のメッセージより、およそ10時間が経過しようとしていた。

 みんなの反応は、やはり一番色濃いのが混乱、戸惑いと悲嘆と、様々であった。

 

「私のところもよ、同じ答えが返ってきたわ」

 

 風の言葉に同調するのは夏凜だった。

 大赦本庁とアドレスでのやり取りが出来る彼女たちはすぐに大赦に連絡を取ったらしいが、

 やがて返ってきたメールには知らぬ存ぜぬという回答があるばかりであったという。

 

「――――」

 

 沈痛な面持ちで紙切れを眺めているのは樹だ。

 紙切れと言うのは失礼で、以前歌の授業で緊張する樹を励まそうと、

 当時の勇者部全員で応援メッセージを書いた時の用紙が小さな手の中にある。

 

 その紙、不自然に空いている空白の欄を、樹は無言で指でなぞっている。

 「ここに東郷先輩が『みんなカボチャ』って書いてくれてたんです……」と樹は先程ポツリと言っていた。

 

「大赦は、またとぼけているってこと……?」

 

「――どうでしょうか?」

 

 眉間に皺を寄せる風の言葉に対して、俺は否定した。

 隠蔽が得意な組織、大赦といえども、人一人の存在を完璧に隠すことが出来るだろうか。

 紙に書かれた筆跡も、写真などの画像データ、人の記憶を数日で改竄するのは可能だろうか。

 

 不可能だ。人間の出来る範囲を超えている。

 十中八九、神樹による力であるのは間違いないだろう。

 しかし、それでは東郷はどうやって神樹に頼み事をすることが出来たのだろうかという疑問があるが。

 

「亮之佑は……落ち着いてるわね」

 

「ん……」

 

 思考の海へと飛び込んでいた俺を引き戻したのは、僅かに苛立つ風の声であった。

 向けられる視線に、俺は少し痛む喉を鳴らしながら言葉を選ぶべく顎を掻いた。

 

「慌てても仕方がないですよ。それにそろそろ来るはずですから」

 

「来るって……。そういえば乃木は?」

 

 向けられる薄緑の視線、見渡すと友奈も、樹も、夏凜も、全員がこちらに視線を向けていた。

 彼女たちの瞳に過る感情、それらから目を逸らし、家の時計を見ながら俺は呟いた。

 俺の呟きに眉を顰めた風が問いかけ、その言葉に答える前に、最後の一人が現れた。

 

「ここだよ~」

 

「園子」

 

「――お待たせ」

 

 音も立てずリビングに入ってきた白いコートに身を包んだ園子は、扉に片手を掛けている。

 流石にというか真面目な表情をし、凛々しさを感じる琥珀の瞳が俺たちへと向けられている。

 

「乃木、アンタどこに……?」

 

 勇者部最後の一人が到着したことで、全員の視線が園子へと向けられた。

 

「大赦本部にさっきまで。私が話せる地位の神官さんたちに聞いたけど、みんな震えながら知らないって……」

 

 告げる園子の横顔を見ていると、視線に気づいていたのか園子がこちらへと歩いてきた。

 見ればアタッシュケースを持つ手を持ち上げ、俺へと渡してくる。

 

「――これしか手段はないんだよね」

 

「最初からなかったよ」

 

 言葉を交わしながら受け取り、テーブルの上に置きアタッシュケースを開ける。

 緩衝クッションに包まれた5つの長方形の穴、そこに収められた4つの携帯端末を風は覗き込んだ。

 

「それって……、勇者システム?」

 

「そそっ。かっきーに頼まれて大赦の人たちの所に少し……ね。ちょっと『お願い』したら震えながら出してくれたんよ」

 

 そう穏やかに告げる声音はいつもと同じであっても、その言葉の端には真摯な意志と凛とした態度が今の園子を飾っていた。

 真面目な時にはキチンとする子は個人的に好感度が高いと思いながら、園子から説明を引き継ぐ。

 

「結論から言うと、東郷さんは壁の外にいる。俺と園子の端末のレーダーにも彼女の反応は壁内には存在しない。だから……」

 

「―――壁の外。確かに東郷ならやりかねないわね。ぶっ飛んでるし」

 

「……だから、勇者になって行ってみようと思うんだ」

 

 言葉にする園子、指を鳴らした瞬間、その頭上には彼女の精霊である烏のような天狗が現れた。

 同時に僅かに己の頭上に感じる小さな重みと感触が、茨木童子が出現したことを悟らせた。

 金色の片角鬼が頭上より周囲の勇者を見下ろす中、おずおずと言った様子で樹が手を挙げた。

 

「あの、代償って……」

 

 以前の戦いにおける不和の原因となった存在。

 満開の代償、散華に伴う身体機能の喪失を大赦が黙っていた事は、大きな引き金となった。

 確かに知っておきたいのは当然だろう。俺自身も熱の所為かそこまで頭が回らなかった。

 

「うん、やっぱり気になるよね。それは――」

 

「――待ちなさい」

 

 正直以前と同じであっても精霊バリアがあれば良いと思っていたが、やはり変更点があったらしい。

 それについて園子が言及しようとした矢先、反対側から静かな声色が聞こえた。

 振り返る先、視界に飛び込んできたのは、園子の言葉と俺に懐疑的な目をする風だ。

 

「確かにこれがあれば、東郷を探しに行くことが出来る――けど、アタシは勇者部の部長として、前の時とは違って簡単にみんなを変身させたくない。それはもちろん乃木も、亮之佑も」

 

「――――」

 

「――――」

 

 静かに、厳かに告げる風の言葉は、詰まるところ言外に勢いだけで行動をするなという物だ。

 以前の何も知らされていない状況で戦い、その先がどこへ繋がっていたかを知り、誰よりも裏切られたと激昂したのは、一体どこの誰であったのか、知らないとは言わせない。

 

「まあ、いきなりの話だし、慎重に行くべきという気持ちも解るんですけど……」

 

「けど?」

 

「確かに私たちは被害にあった。けど、勇者は身体を供物にして戦わなければ世界は滅んでいた」

 

 慎重に言葉を模索する俺に代わって、風に応じたのは園子であった。

 風の瞳の奥底には大赦を信用出来ないという想いが込められている。その風の瞳に真摯な態度と眼差しで応じる園子は、事前に相談して以来、東郷を助けようという俺の味方だ。

 

「仕方なかったんだよ。大赦はやり方が拙かっただけで、誰も悪くない」

 

「――――」

 

「大赦はね、勇者システムについて今後一切の隠し事をしないって言ってくれた。私はそれを直接聞いて、信じようって思ったんだ。だから今回は私は納得してやるから……私たちは行くよ」

 

 “信じる”という言葉を口にする園子の言葉に、全員が黙りこんだ。

 勢いではない。誰かに命じられた訳ではない。ただ己の意思で東郷を助けに行く、と。

 その上で、

 

「別に大赦を信用しろってことじゃない。――単純に俺と園子のことなら信用出来るだろ?」

 

 園子の言葉を僅かに否定しながらも、自分たちを信用しろと暴力的な理論で告げた。

 

「――――」

 

 その俺の言葉を聞いて、やがて小さくため息をつくのは懐疑的な目を向けていた風であった。

 自らを抱いた腕を放し、アタッシュケースに収められていた端末を1つ手に取った。

 

「まったく……部長を置いて勝手に行くんじゃないわよ」

 

「……風先輩」

 

「乃木や亮之佑なら、アタシも信じているからさ」

 

 真剣な表情の中、ふと眦を下げ小さく微笑む風に、俺は頷いた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 風が端末を手に取ったのを皮切りに、友奈、樹、夏凜も端末を手に取った。

 これで東郷を救出するのに必要な戦力は十分に揃ったと言えるだろう。

 

 その後、園子から改めて新しい勇者システムに関する話があった。

 更にアップデートされた勇者システムは、満開ゲージが最初から5枚全て溜まっている状態だ。

 精霊がバリアで勇者を護るが、肝心のバリアは使用の度にゲージを1枚ずつ消費するらしい。

 

 加えて、ゲージが最大値の状態での満開は変わらず、しかし使用すればゲージは一気に0になる。

 ゲージ回復の手段は無く、精霊がバリアを張れない為、直接命の危機に瀕するらしい。

 

「――――」

 

 園子の言葉通り、俺の所持していた端末も洩れなくアップデートされているらしく、左肩のゲージは既に溜まっていたのだが、果たしてこれが本当にアップデートと呼べるのかは少し疑問が残る。

 

 確かに説明通りならば、散華の心配無しに一度のみの満開が可能だろう。

 しかし安全を優先した結果、今度は戦闘継続能力が下がっているのが新たに問題だ。

 そして何より――

 

『本当に、大赦は隠し事をしていないのか』

 

「――――」

 

 背後から囁くように、唄うように初代が声を掛けてくる。

 その声は誰にも聞こえない。この世界でただ一人、加賀亮之佑しか聞くことが出来ない。

 

『逆に言えば、大赦は勇者システム以外については隠し事があるのは間違いないのだろうけど』

 

「黙れ」

 

 悲しいくらいに、いっそ開き直りかねないくらいに疑り深い自分がいるのが分かる。

 人が信用出来なくなったのは何時の頃からだろうか。間違いなく生前からだろう。

 ――人は簡単に嘘を吐き、平然と裏切るのだ。

 

「かっきー、大丈夫?」

 

「――、体はまずまずかな。一先ずこのミッションを終えたら一眠りするけど」

 

「それならいいけど。ここから先はズゴゴゴッ……!! って感じだから気をつけてね」

 

 考え事をしながら強化された脚力で跳躍を繰り返すと、あっという間に壁の上に辿り着いた。

 四国を囲む巨大な根で編み込まれたような壁は、何時見てもその珍しさに目を奪われる。

 その存在を目にする度に、慣れた筈なのに非現実的だと感じるのは前世の名残だろうか。

 

「私が先頭で行くから、園子は後ろでサポートをお願い」

 

「――にぼっしー、あまり前に出ないでね」

 

「……? ええ」

 

 前に出ようとする完成型勇者の姿に何かを見たのか、困り顔の園子は軽い苦笑いをした。

 その光景を尻目に、やや軋む体と断続的に発生する頭痛に眉を顰めながら、

 

「――――」

 

 外の世界に広がる地獄、途方も無く無限に続く死の世界へと足を踏み入れた。

 幸いなのが、今回は精霊の守護のおかげで体に外からの高熱を感じないことだ。

 ただし、内側から発生する風邪の熱が着々と自らの体力を削っているのが俺には分かった。

 

「それにしても、この世の光景じゃないわね」

 

「相変わらず凄まじい景色ね……」

 

「わっ、レーダーに反応あったよ!」

 

 この世界を誰かと見るのは、そういえば東郷の叛乱時以外は無かったなと思いながら、

 似たような感想を告げる夏凜や風から目を逸らし、端末を持つ園子へと意識を向けた。

 壁の外、つまり異界側から少し離れた所に、『東郷美森』と名前が表示されていた。

 しかし、その方向に目を向けても灼熱に炎や赤黒い空が広がるばかりで――

 

「……ぁ」

 

「東郷さんが……」

 

 前回防人の援護をした時との違い、これまで見られなかった異界での変化があった。

 衝撃に全身が貫かれる中で、勇者部全員に代わり、友奈が衝動的にその思いを叫んだ。

 

「東郷さんが……ブラックホールになってる……!!」

 

「いや、それはない」

 

 友奈の言葉を否定しつつも、明らかにあのブラックホールが怪しいのは分かる。

 その周囲を護るように、数体のバーテックスと無数の星屑たちが勇者を捕捉したらしく、

 着々と集まってきているが、対するこちらは遥か上空、天高く存在している東郷への道が無い。

 あと十数秒後に戦闘になり、ジリ貧になるのが直感で分かったのは、夏凜もだった。

 

「このままじゃ……。そもそもどうやって東郷の所まで……」

 

 手段は、方法は、無い訳ではない。

 この状況は、いつかの蛇遣座の状況と似ている。

 つまりは――

 

「あそこまでなら、私の船でいけそうだね」

 

「船?」

 

「――満開っ!」

 

 満開によって得られる浮遊能力が必要になるのは、園子も分かっていたらしい。

 戸惑う夏凜や風、躊躇した俺へと振り返る園子、紫の花が咲き誇り出現するオールの付いた戦艦は、どことなく東郷の乗っていた可動砲台を搭載した戦艦と似ていた。

 

「アンタ、いきなり満開しちゃって……精霊の加護が無くなっちゃうのよ!」

 

「昔はバリアなかったし、問題ないよ~」

 

「――――」

 

「さあ、これがわっしー行きの船だよ。乗って乗って~」

 

 絶句する風を置いて、前代勇者・乃木園子は浮遊する戦艦から俺たちを見下ろした。

 火の鳥のようなデザインの戦艦へ飛び乗る為、脚に力を入れ跳躍し園子の背後、空いた場所へと降り立った。

 

「それじゃ任せた、船長」

 

「任されました~」

 

 全員が乗り込んだのを確認し、園子の船が一気に急上昇し―――

 ―――――――――――――――――

 ―――――

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第六十三話 火の点いた導火線」

 意識と肉体、それら全てが重く暗い世界から引きずり出される感覚があった。

 己の嗅覚がツンとした消毒液の匂いを嗅ぎ取り、同時に自らが呼吸している事に気づいた。

 震える瞼越しに感じる光にそっと目を開けた東郷の視界に、白い何かが映り込んだ。

 

「―――ぅ?」

 

 唐突な光、天井の白い光を放つ電灯に反射的に目を細めた。

 曖昧で断片的な記憶とぼやけたピントの合わない自らの視界の中、東郷が疑問の声を上げると、

 目覚め、掠れた東郷の声に明るく反応する見慣れた少女たちの姿が己の瞳に映り込んだ。

 

「やった! 目が覚めた、東郷さん!」

 

「わっしー!」

 

 歓喜の声を上げ、薄紅と琥珀の瞳に宿る感情は、親友が目覚めたことへの喜びで満ち溢れていた。

 どちらも無邪気に笑みを浮かべる友奈と園子の姿、その背後には他の勇者部の面々もいた。

 

「―――みんな」

 

 掠れた声、小さく呟く声に刺激され、自身を見下ろす彼女たちから目を逸らし周囲を見渡した。

 

「ここ、は――?」

 

 自分で呟いた質問、その答えを東郷はなんとなくであったが理解した。

 消毒液の匂い、白い壁や天井、今現在自らの肢体が身を横たえている寝台は、部屋は、

 鷲尾須美として勇者の御役目を果たした後、車椅子に乗り、動かない脚に慣れるべく入院していた病院の個室と似ていた。

 

「――――ッ!?」

 

 そこまで思考を張り巡らせ、ようやく東郷は大赦より自分に課せられたはずの御役目を思い出した。

 それは少し前の出来事であった。讃州市の東郷が住まう屋敷へと、大赦の神官たちが訪れていた。

 少女に対し、神官たちは過剰なまでの敬意を払い、畳に手をつき平伏し、ある話をした。

 

 過剰な敬意と裏腹に、神官たちが東郷に話す内容は残酷であまりにも非情であった。

 話では、西暦の時代で行われた奉火祭と同じく、7人の巫女たちを天の神に捧げるつもりらしい。

 現在神樹が護る結界の外では火の勢いが強まり、それを鎮める為に奉火祭を執り行うのだという。

 つまりは、神の声が聴ける巫女を外の炎に捧げることで、天の神に赦しを乞うというものだった。

 

『天の神に捧げる巫女は7人、既に儀式は執り行える体勢となっておりますが……」

 

『――7人を犠牲に』

 

『…………』

 

 無言であれ神官たちが平伏する姿には、東郷がどのような発言をしようとも儀式を執り行う意思を感じた。

 平伏し無言で肯定する神官たちは、決して悪戯で東郷に残酷な話をしている訳ではない。

 彼女たちに何も伝えなかったことで起きた悲劇は、この場にいる誰の記憶にも新しい物だ。

 それを大赦は重く受け取り、結果大赦は隠すことなく、残酷に真実を東郷に告げることにしたのだ。

 

 ――東郷が開けた神樹の壁の穴、その罪を7人の巫女たちが命で償うのだと。

 

 その無言を、真意を理解した東郷は考えるまでもなかった。悩むまでもなかった。

 7人の巫女たちの命と世界の延命では、命の天秤は必ず後者に傾く。釣り合いなど取れる訳がない。

 

『――――』

 

 何よりも、自らの尻拭いの為に巫女たちを犠牲にする事は、東郷自身が絶対に許さない。

 続けて神官たちは、東郷は勇者としての適性がありながら、巫女としての力を持つ唯一無二の存在であると口にした。平伏し、淡々と語るその言葉に対し、その意味を察せない東郷ではなかった。

 つまり――

 

『私が犠牲になれば、私だけの犠牲で済む……』

 

 これは誰でもない、東郷美森が犯した『罪』で、そして目の前に転がってきた『罰』なのだから。

 かつて神樹の壁に銃を向け、穴を開けた時、東郷は確かにこう思った。

 友奈たちを殺す決意を抱き、国を裏切り、神への憎悪と殺意を胸中に宿し、確かに思っていた。

 “私だけが生贄なら、まだ良かったのだ”と。

 

 7人の巫女を不条理に犠牲に奉げることなどありえない。そんな事は誤っている。

 会ったことはないが、立派に御役目を果たしているであろう巫女たちが東郷の所為で死ぬことなど、

 そんな理不尽な行為は絶対にあってはならない。これは他の人が被ることでは決してないのだ。

 

『――――』

 

『…………』

 

 亮之佑は叛乱した自分を赦してくれた。殺し合った今でも、以前と変わらずに接してくれた。

 友奈は今までと変わらず、可憐な笑顔で叛乱後も笑いかけてくれた。「東郷さんは悪くない」と。

 風も、樹も、夏凜も、誰も東郷を責めることなどせず、普段通りに自らに接してくれたのだ。

 

『選び出した巫女たちの御役目を解いてあげてください。私が供物になります』

 

 単純な計算の話でもある。7人よりも、1人の方が犠牲は少なくて済む。

 誰かにその責務を負わせない。こんな自分に優しくしてくれた世界を自分の命で救えるならば、

 この命一つで世界を救えるのならば、自分で蒔いただけの自業自得を受け入れよう。

 そう思っていたのに――

 

「助けて、くれたの……?」

 

「うん!」

 

 震える声、喉を鳴らしながらやや掠れた声の疑問の声音を、明るい友奈の声が溶かしていく。

 その鈴音のようなあまやかで太陽の如き友奈の笑顔に、ゆっくりと東郷は目を細めながらも、

 

「でも……でも、このままじゃ世界が火に……」

 

「事情は大赦から聞いたわよ。火の勢いはもう安定したから、生贄はもう必要ないんだって」

 

 生まれた疑問、生じた不安を部長である風が穏やかに潰していく。

 だが、それでもありえないと、気持ちと裏腹に思考は冷たく冴えわたっていく。

 白い清潔感のある枕に東郷は後頭部を沈み込ませながら、ふとある考えに至った。

 

「――。なら、まさか……他の、代わりの人が……?」

 

「違うわ、東郷。普通なら死んでいるくらいの生命力をゴッソリ奪われて虫の息だったって。きっとそれで御役目を果たしたのよ。でもタフだったからまだ生きていて、私たちが間に合った。そんな感じみたい」

 

「いっぱい体を鍛えていて良かったね~」

 

「どこも異常なしだそうです」

 

 本当に果たしてそうなのか。天の神がその程度で赦すのだろうか。

 東郷はその可能性を考えようとしたが、体の倦怠感と意識を襲う小さな睡魔に意識を奪われた。

 だから今は、単純な事を聞きたかった。

 

「本当に、私助かったの……?」

 

 その答えは彼女たちの顔と態度が物語っていたが、どうしても東郷は言葉で聞きたかった。

 未だに信じられず、己の寝台に集まり口々に目覚めたことへの祝福を告げる仲間達の言葉に、

 御役目が終了した事の期待と、御役目を果たせた事への安堵が東郷の胸中を過り始めた。

 

「そうだよ、わっしー。これで改めて勇者部全員集合だぜ~!」

 

「お勤め、ご苦労さん」

 

「――――」

 

 園子のほわほわとした笑顔、瞳の奥で煌めく感情は東郷が読み取る前に瞬きの合間に消え、

 夏凜はまるで牢獄から出所した元囚人に向けるような言葉を苦笑と共に自分へ向けてくる。

 これで自分は御役目を果たし、少しは自らの罪を清算することが出来たのだと、そう思えた。

 

「みんな……」

 

「東郷さん、ごめんね。あの時私、絶対に忘れないって言ったのに――」

 

 悔恨の表情で謝ってくる友奈は、「忘れない」と言ったにも関わらず忘れてしまった己を責めていた。

 先ほどまでの華が咲いたような笑みが萎れる様子を見て、東郷は慌てて首を横に振った。

 全てを忘れて貰うつもりで東郷は神樹に『世界から己の存在を消して欲しい』と願ったのだから。

 

「私の方こそ、ごめんね」

 

 自然と口をついて出た言葉は、小さく震えのある声で呟いていた。

 

「みんな、ごめんね。これ……夢じゃないんだよね?」

 

「当たり前でしょ? こんな女子力の塊が夢な訳ないでしょーが!」

 

 当たり前の光景が返ってきた。

 園子に頭を撫でられながら、友奈に微笑まれながら、夏凜に、樹に、風に―――

 

「ねえ、友奈ちゃん、そのっち。亮くんは……?」

 

 今更ながら、本当の意味で意識が覚醒した。

 目を大きく見開き、唐突に愚鈍な脳が彼の存在を思い出し、遅れて東郷は愕然とした。

 この場にあの少年がいない訳がない。友奈と同じくらいに優しく笑いかけてくれた少年が。

 

「亮ちゃんは、ちょっと入院しているんだ……」

 

 その言葉、亮之佑の所在を聞くと、明るかった空気が僅かに暗くなったような気がした。

 

「えっ……まさか怪我でも!?」

 

「あっ、いやそうじゃなくて……ちょっとドーンって感じで悪化しちゃって……」

 

「風邪がちょっとだけ悪化しちゃって、明日には退院するって~。さっき見たけどまだ寝てたんよ~」

 

 慌てて擬音語を交えて説明する友奈に代わり、園子が簡潔に説明をする。

 友奈たちの話を聞くと、数日前から体調が悪く、色々あり疲れと共に本格的に崩したらしい。

 

「そうなのね……」

 

 病気は怖いが、ここは病院なので大丈夫だろう。

 寧ろ怪我が無くて良かったと、東郷は僅かに杞憂であったことにホッと安堵のため息を吐いた。

 

「同じ階の個室だから、会おうと思えばすぐに行けるからね、わっしー」

 

「ま、東郷も数日は入院生活だろうしね」

 

 東郷自身も先ほど覚醒したばかりなのだ。

 これから検査などもしないといけないだろう。その間に時間は作れるはずだと頷いた。

 頷く東郷の姿を見ながら、笑みを浮かべて友奈は全員を見渡した。

 

「よーし! 亮ちゃんも東郷さんも全員が揃ってクリスマス! そして大晦日にお正月だー!」

 

「ふふっ」

 

 いつもよりも明るく振る舞う友奈を見て、本当に日常が返ってきたのだと東郷は思った。

 個室に勇者部の笑い声が響く中で、自然と東郷も小さく微笑を浮かべるのであった。

 そんな彼女たちを夕刻の陽射しへと変わりつつある――太陽が見下ろしていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「――――」

 

 そっと肺から息を抜きながら病室の引き戸、扉に掛けた手を亮之佑は無言で引き戻した。

 何てことはない、あの優しくも暖かな空間には少し入りづらい物を感じたからに過ぎない。

 

「――――」

 

 病院の屋内とはいえども、流石に薄手の病院服で廊下を歩きまわるものではない。

 襟や裾から冷たい空気が入り込み、寒さに体を震わせ、自分の病室へと歩き出した。

 静寂に満ち、無音に支配された白い病棟をスリッパで歩き、数分で自分の個室に辿りついた。

 

「よいしょっと……」

 

 年寄りのような独り言を呟きながら個室内部、どこにでもあるような患者用の寝台に亮之佑が腰を掛けると、ギシッと音を立てて体が少し沈み込んだ。

 先ほど目を覚まし、壁に配置されたアナログな時計は小さく針を刻み、夕刻を示していた。

 

「――――」

 

 あれから。

 園子の満開によって生じた戦艦に全員が乗り、東郷がいるブラックホールに向けて飛翔し、

 途中で熱波による暴風や、13星座の内の数体のバーテックスと交戦しながら、その近くまで辿り着いた。

 

 赤黒い世界、初代のいる指輪の世界と似た暗い空であれど、似て異なる冷たさを感じる空の中心。

 轟と噴き、火炎と星屑が渦巻くブラックホール周囲を飛翔する鳥を模した園子の戦艦は、

 

「私が、行ってくる……!」

 

 迫る敵を撃退しながら、辛うじて友奈がブラックホール内部へと潜航することが出来た。

 そうして僅か数分程が経過し、突如ブラックホールは膨大な光と共に赤黒い天上から消え去った。

 そんな中、気絶した東郷と、彼女を抱える友奈を船に回収することに成功したのだった。

 

「かっきー!」

 

「東郷さん!」

 

 途中から追ってこなくなった星屑やバーテックスに疑問を覚えつつも、

 壁内へと俺たちは無事帰還することが出来たが、どうやらそこが体力の限界であったらしい。

 

 薄れゆく意識と狭くなる視界の中、もたれ掛かった園子に抱きかかえられながら、

 高熱を発したらしい俺と意識の無い東郷は、共に大赦が経営する病院へ運ばれたらしい。

 つまり、いつもの病院で、いつものナース服のお姉さま方、そして禿げ医者が見下ろしていた。

 

「―――ぁ」

 

「やあ、意識も戻ったようで何より。今回は少しマズかったね」

 

「――。……と、言いますと?」

 

「うん。風邪を放置しすぎて肺炎になりかけだったんだよ。そのうち死んでたかもね」

 

「―――。知っているのだぜ、先生。医者っていうのはオーバーな事言って患者を大人しくさせる生き物だってな……!」

 

「――――」

 

「え、本当に?」

 

 ダンマリを決めた知人である禿げ医者に無言の圧を掛けられた俺は、2日ほど入院となった。

 大赦からも何か言われたか不明だが、今までの風邪よりも少し辛かったので有難かった。

 目覚めた俺にもその後、先程風たちが言っていた内容を大赦より伝えられたのだが、

 

「外の世界の炎が沈静化した、ね……」

 

『結局、その事も大赦が確認した事を彼女たちに話しただけだったろう?』

 

「あんな確かめれば分かる嘘を言って何がしたいのか……」

 

 寝台に寝転がり楽になった体を丸めていると、妖艶な声音が背後から囁くように聞こえた。

 風たちは単純に、勝手に姿を眩ました東郷を奉火祭を妨害して奪還することに成功したことで、

 既に異界の事への関心は大赦からの言葉のみで納得する程度の意識しか持ち得ていない。

 

『昨日の深夜に病院を抜け出したキミが壁の外に行った結果、炎の勢いは弱まってはいなかった』

 

「生贄が中途半端に逃げたからだろうな。神なのに器が小さいな」

 

 前回の奉火祭、西暦時代に行われた催事では、巫女の命を以て天の神に赦しを乞うことで完遂を果たしたという。つまり、東郷が脱出を果たしたことで現状はふりだしへと戻ったに過ぎないのだ。

 

「けども、そもそも放っておいてもいいんじゃないか」

 

『寝ぼけてるのかい、半身? 如何に神樹の結界がこの箱庭を護っているといっても、その耐久性は有限なんだ。加えて―――』

 

「神樹の寿命も長くはない……か」

 

 西暦2019年より、現在神世紀300年を迎えるまで、神樹は四国の結界に力を入れつつ、

 約300年にわたり四国の人々が生き残る為に有限のリソースである恵みを与えてきたのだ。 

 西暦の時代が終わる少し前に、現在の四国結界はより強化された物となり、それによってようやくバーテックスが侵攻できなくなったらしい。

 

 だが、それも初代曰く終わりが近い。

 回復手段が無く、西暦の時代から神の力を行使し、延々とリソースを減らせばどうなるか。

 加えて神樹の結界は確実に弱体化をし、その上異界の炎の所為で更に削れているようだ。

 

『想定よりも多少の期日はあるにせよ、このままいけば近い未来に人類は何も出来ずに押し切れられる』

 

「……焼かれたくはないな」

 

 いずれ来るであろう遠くない未来を語る初代、その言葉に小さく亮之佑は軽口を叩いた。

 大赦側は何も言ってこない。その事が不愉快で不穏で、何よりも信用が置けない。

 もしも、大赦の組織力と勇者の戦闘力が上手く噛み合えば、状況は打破出来たのかもしれない。

 

 ――太陽が見下ろしていた。

 

 寝台から足を下ろし、そろそろカーテンを閉めるべく亮之佑は窓際へと駆け寄った。

 ペタペタとスリッパが音を立てる中、窓越しで見る外は寒々しく紅葉は既に散っていた。

 見上げる空、黄昏時で朱に染まり、遠くの地平で好ましい黒い夜の色が迫ろうとしていた。

 

 ――太陽が見下ろしていた。

 

 気まぐれに窓を少しだけ開けると、やはり肌寒い風が亮之佑の肌を悪戯に擽る。

 心地良さを期待したのだが、想像よりも冷たい風が黒い髪をなびかせ、慌てて窓を閉め直した。

 

「例えば、国土を増やせれば神樹はその力を増せるんだよな?」

 

『増加もだろうけど、かつて日本と呼ばれた国土を取り戻せば、まず間違いなく天と地での完全な拮抗まではいけるかもね』

 

「なるほど。防人たちがやってたのって、つまり俺が今言った国土の奪還の準備だったり?」

 

『――。恐らくだけどもね。それよりも、眩しいからカーテンを閉めてくれるかな?』

 

「ん? ああ」

 

 初代に言われ、立ち話をしていた亮之佑はようやく灰色のカーテンを引き、部屋が日光を遮断する。

 そうして本来のカーテンを閉めるという目的を果たし、スリッパの感触を足裏に感じながら、

 

「あっちもこっちも、協力なんて考えずに自分のことばかりか」

 

『そうだね。……その点に関しては、キミも他の人の事は言えないけどね』

 

「――かもな」

 

 寝台に戻り、顔をしかめた亮之佑の言葉に軽い毒を吐きながら初代が同意する。

 今後の大赦がどのような活動をするのか、その犬である防人がどう動くか。

 天神によるこの箱庭への火炎の温度は上昇し続け、人類を守護する神樹の活動時間も足りない。

 ――分からない事だらけではあるが、

 

「まあ、これからも頼りにさせてもらうからな、初代」

 

『そういう契約だからね。こちらこそ、キミがどうこの世界を救済へと導くか楽しみだよ、半身』

 

 だが、あいにく相談相手だけは困ることはない。

 壁に目を向け、夕飯までは少し時間的な余裕があるのを亮之佑は理解した。

 病院暮らしをしていると、家事や食事の用意をしなくて楽でいいと思うのはどうなのか。

 そんな益体の無い考えが過るが、頭を振って苦笑した。

 

「それじゃ、残りの話はそっちで始めますか」

 

 枕に頭を乗せ瞼を下ろすと、あらゆる光の届かない世界へと己の意識が導かれるのを感じた。

 

 

 

 ――太陽が見下ろしていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第六十四話 安らかな日々さえ、私を苦しめる」

 神世紀300年の12月。

 完全に秋は終わりを迎え、冷たく寒い冬が少しずつ、だけども確実に近づいてきていた。

 まだクリスマスの日は近くは無いが、まだすぐに雪が積もるという訳ではないだろう。

 

「もう飾り付けされてるね、東郷さん!」

 

 勇者部の催し事で使うための道具を買いに讃州駅前のショッピングモールへと向かった帰り道。

 冬の季節だからかすっかり早い時間で夕日が地平線へと沈み、空が暗くなってきていた。

 今年も街中で飾られ始めるイルミネーション、友奈が意見を振ると東郷は恍惚とした表情で、

 

「外国の祝祭をも祝う我が国の寛容さ……、あぁ……やはりこの国は素晴らしいわ」

 

「なんか言い方が怖いよ、東郷さん……」

 

 国を愛するやや偏りの激しい隣の少女のトリッキーさには慣れているため、特に何も言わない。

 お互いに学校が指定する紺色のコートを着込み、東郷と友奈は荷物を持って歩いていた。

 友奈が持つ茶色の紙袋が歩き揺れる度に枯葉を思わせる乾いた小さな音を立てていた。

 

「ツリーの飾り付け、どんな風にしよっかな……?」

 

 まだ少し先のことではあるが、それでも飾り付けという準備もみんなで行えば楽しく思える。

 そんな事を思いつつ同じく荷物を持つ親友、微笑む東郷が友奈を見ていることに気づいた。

 クリスマス仕様の街灯、イルミネーションの淡い光が、東郷をより可憐な姿へと変えていた。

 

「――良かった」

 

「……え?」

 

 綺麗な姿に僅かに見惚れ、危うく聞き逃す程の小さい声が、それでも友奈に届いた。

 心地良い声に耳を傾け、その言葉の真意が解らずに小首を傾げると東郷は薄く微笑み、

 

「友奈ちゃんと亮くん、また今年もみんなで一緒にクリスマスを迎えることが出来そうで」

 

「――――」

 

 その言葉にどれだけの想いを籠めたのだろうか。

 きっともう一緒にクリスマスを過ごすことは出来ないと、東郷はそう思っていたのだろうか。

 二度と会うことはない。それほどの覚悟を抱き、東郷は一人で奉火祭へと向かったのだろう。

 

「当たり前だよ」

 

 自分もイルミネーションの温かみのある光に当てられたのか柔らかく東郷へと微笑み返し、

 少しだけ歩調を隣の東郷よりも早めて彼女の正面に立つと、自然と東郷の足が止まった。

 

「東郷さんが、どこにも行かない限り、一緒だよ?」

 

 少し自分よりも背の高くなった東郷。彼女に向けて優しく、悪戯っぽく微笑むと、

 その濃緑の大きな瞳を驚愕で更に大きくしたが、数秒の間をおき東郷も友奈へと微笑んだ。

 友愛に、親愛に満ち溢れた、誰でもない友奈だけへと向けられる東郷の暖かな笑みは、

 

「もう……。その表情、亮くんに似てる」

 

「えっ、そう? そうなのかなー?」

 

 僅かな苦笑交じりの指摘に思わず友奈は己の頬をこねる。

 夜の外気に晒され、やや冷たくなった頬を指の腹でくすぐると少しだけ熱が戻った気がした。

 そんな他愛ない一時を終えた後、友奈と東郷は再びゆっくりと足並みを揃えて歩き出す。

 

「――――」

 

「そういえば」

 

「どうしたの?」

 

 足を向け歩く先、学校の部室でまだ活動しているであろう彼らの方角へと歩く中で、

 なんとなくという様子で小さくこぼした東郷の言葉に友奈は再び足を止め、目を向けた。

 

「去年は、友奈ちゃんと亮くんの3人でクリスマス会をしたじゃない?」

 

「うん、そうだね」

 

 東郷の言葉に頷きながら、少しだけ友奈は1年前の事を思い出した。

 当時、風と東郷と亮之佑の4人だけでの勇者部は、今ほどの知名度は無かった。

 結成してからまだ半年程度、雑用を少しずつ行い、地道に堅実に活動を積み重ねてきた。

 

 そうして夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が来た。

 あの頃はまだ樹や夏凜、園子の顔も名前も知らなかったのだと思うと少し感慨深く感じる。

 当時は部長の「人見知りで可愛い妹がいるから」という事情で、勇者部としてのクリスマス会は無かった。

 去年は亮之佑風に言うならば、東郷の家でご近所陣営だけでの催し事を色々と行ったのだ。

 

「それが、どうしたの?」

 

「去年は3人で、その、『いぶ』の日に集まったじゃない? それでふと気になったのだけれども、その前の年ってどんな風にクリスマスを過ごしていたのかなって」

 

「――う~んとね……」

 

 その言葉に指を顎に這わせ、友奈は少しだけ考える。

 去年の去年。つまりは一昨年のクリスマスの時はどうしていたかを目の前の少女は聞いてくる。

 その頃は友奈と亮之佑は小学生、まだ東郷に出会っていなかった時期であったのを覚えている。

 

「確か、亮ちゃんが腕を折って、私が亮ちゃんのお家で修行を始めた頃だったかな……」

 

「ん?」

 

「あっ、でもね、今の時期には腕が元通りになってたっけ。クリスマスの日にね、私のお父さんに頼まれたらしくてね、夜にサンタのコスプレして家に来たんだ!」

 

「んん?」

 

「でねっ! 凄く渋い迫真の演技で『前世からやってきたサンタだよ』って言ってきて、もう凄くビックリしたんだ! それで一緒にケーキ食べて、プレゼントを交換して、その日は一緒に眠って……」

 

「同衾!? それでどうしたの……?」

 

 何となく思い出す言葉を口にしながら、記憶の回廊から当時の記憶を引っ張り出す。

 今でも色褪せない色彩豊かで、何より暖かで、楽しかった思い出を友奈は振り返った。

 加賀家で過ごすのと似た感じ、他愛の無い話をして、じゃれ合って、穏やかな時を過ごした。

 

 流石に冬、一緒に眠ると温かい肌の温度で沼地に沈むように眠りについたのを覚えている。

 当時はまだサンタなる存在がどこかにいるのではないかと子供心に思っていた。

 そんな自分を想って、優しい両親が毎年自分の枕元に贈り物を用意してくれていたのは知っている。

 

 その渡す役割がどういう理由かは不明ではあるが、仲の良い少年が両親によって選ばれたらしい。

 どのみち彼が来なくても、その日は向かいである加賀家へと行くつもりではあったのだが。

 

 彼の家の事情が複雑なのは何となく分かってはいたが、面と向かって聞くことはしなかった。

 それは亮之佑との関係を悪化させたくないという臆病な打算もあったのかもしれない。

 両親や家の周囲の人たちは事情を聞いていたらしいが、いつも彼は大きな家に一人きりだった。

 

 訪れる度に胸中に過るのは、決して変な同情や哀れみの気持ちではない。

 彼と深い絆を紡いでいくのが楽しくて嬉しくて、ずっと一緒にいたいと思うようになっただけ。

 

「えっとね……秘密」

 

「私の知らない……ユウナチャンが」

 

「東郷さん?」

 

 その時の事を思い出すと、体が熱を帯びた様な気分になり、なんとなく東郷にも秘密にした。

 別にそこまでの何か衝撃的な事は無く、よく少年とするちょっとしたスキンシップ程度だ。

 唇に指を当てて微笑むと、何故か顔を強張らせ片言になる東郷の姿に疑問を生じさせていると、

 

「――そんなことがあったんだ~」

 

 金髪の髪をたなびかせ、穏やかな顔の園子とクリスマス仕様のサンチョが忽然と姿を現した。

 白いコートがその華奢な体躯と肢体を包み込みながらも、着用者を美しく引き立てている。

 園子も買い出しを終えたのか、左手には友奈が持っているのと似た茶色の紙袋を下げている。

 

「――ハッ! そのっち!」

 

「えへへ~、実はかっきー以外で誰かとクリスマスするの、初めてなんよ」

 

「そう言われると、確かにね……」

 

「――。今度は勇者部みんなと一緒だよ! 盛り上がろうね、クリスマス!」

 

「マ~ス!」

 

「マース、マース!」

 

「まぁーす?」

 

 園子と不思議な感性が絡み、お互いに意味は無い言葉を呼び合うのが楽しかった。

 よく分からずも友奈と園子の何か魂的な物が通じ合う中で、何となく東郷も口にした。

 ちょっと困ったような、嬉しいような顔の東郷を見て、園子を見て、友奈は自然と笑みを溢した。

 

「そういえば、園ちゃんと亮ちゃんはどんな感じでクリスマスを過ごしたの?」

 

「う~ん、そうだねぇ……二人だけの夜、私の家でかっきーの手品ショーを見て、料理を食べて、お風呂に入って……みたいな普通の感じだったよ」

 

「そっか……なら今年はみんなで、ガンガン楽しもうね!」

 

「――うん!」

 

 一瞬きょとんとした表情の園子であったが、目尻を和らげて心底楽しそうに頷いた。

 そうして園子と笑い、釣られて笑顔を溢す中で、そっと紺のコート越しに左胸を押さえた。

 小さな痛みが胸中を過ったが、それでも友奈は笑顔を保っていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 最近は部室でも勤勉に勉強に取り組む風と、下級生のはずなのに風に教えている園子。

 あべこべの光景は本来は逆のはずだが、それは園子のハイスペックさが可能へと変えていた。

 丸い眼鏡を掛けている風が夏凜に揶揄われながらも、園子の作ったテストを解答し終える。

 

「まぁほら、先週は忙しかったしね」

 

「ああ……、確かに受験勉強よりもブラックホールが急務だったもんね」

 

「確かに」

 

 優しい彼女たちは、決して悪意を持って東郷を揶揄った訳ではないのだろう。

 部長である風はともかく、一割程度は揶揄いの意識があったかもしれない夏凜の言葉。

 それに頷く樹の言葉に対して、真面目で極端な行動に奔るトリッキーで長い黒髪の少女は、

 

「陳謝っ……!!」

 

 惚れ惚れするような土下座を部室の床で決めた後、カッターで切腹しようとしていた。

 唐突に始まる親友の奇行を全員で抑え込んでいると、園子によるテスト採点が終わった。

 勤勉な風と、教えるのが上手いらしい園子のおかげで随分と進んだらしい。

 

「ありがとね、乃木。来週は樹のショーがあるからね、姉としてどうしても行かねば」

 

「お姉ちゃん! 私のショーじゃなくて街のクリスマスイベント! 学生コーラスだって!」

 

「なら、風邪には気をつけないとね……そのっち!」

 

「あいよ~、合体技だね〜!」

 

 学校代表として赴くという樹に友奈が関心していると、風邪をひいてはいけないと東郷と園子が樹の目の前で謎の動きを始めた。手をかざし、時計回りに一定の動きで腕を回転させる。

 それは以前東郷自身が言っていた『アルファ波』なる物の応用技らしい。

 

「健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康健康……」

 

「けんこーけんこーけんこーけんこーけんこーけんこーけんこー……」

 

「えっ、いきなり何を……!」

 

 らせん状に両手を回す二人は、『健康』の二文字をひたすら口にしながら樹へ謎の動きをする。

 先輩たちの奇行に対し驚愕に身を竦める樹ではあったが、謎の温風が二人から発生したらしく、

 何故か体の体温が上昇し、「ぽかぽかする」という暖かさにそっと目を細め目尻を下げていた。

 

「あはは……」

 

 そんな彼女たちを、友奈は薄く笑みを浮かべて見ていた。

 そう、戻ってきたのだ。全員が揃った日常を、友奈たちは再び取り戻すことが出来たのだ。

 誰もが楽しそうに笑っている。みんなが戦って東郷を取り戻すことができ、幸せにしている。

 

 ――誰も友奈の左胸にある物を知らずに。

 

「―――っ」

 

 東郷を助けたその日から、友奈に御役目が引き継がれたのだ……と思う。

 ブラックホールの先、秋に獅子座を撃退した後に訪れたことがあった、何もない淀んだ場所。

 炎に焼かれ、水晶の如き鏡に囚われていた東郷を引き摺り出した際に、太陽の様な印が友奈の左鎖骨の下付近に現れ、その後現実の肉体の同じ箇所にも、同等の歪で小さな焼き印が現れたのだ。

 

 タオルで擦っても、お湯で洗っても取れない、拭えない、決して消えない。消えないのだ。

 時折針を刺したかの様に痛むだけで、今のところは特に何かがある訳ではない。

 病院に行って治る類の物ではないだろう。早急に大赦か誰かに相談するべきだ。

 

「――――」

 

 分かっている。分かっているのだ。

 だけど、それをしたら、結局東郷が自分たちを想って行動した全てが無駄になってしまう。

 御役目がただ友奈へと移っただけに過ぎないのだと、苦しませてしまうことが嫌だった。

 

 ――相談するか、否か。

 

 東郷と園子によるポカポカな行為、それが現在夏凜へ行われている。

 それを受けている夏凜もなんだかんだで満更ではないらしく、微笑ましい光景が生まれている。

 なんとなく不安で手が制服越しにある印に触れながら、ふと自らの視界がある物を捉えた。

 

「悩んだら、相談……」

 

 勇者部五箇条。5つの誓いとも言えるそれは、かつて1年生の頃に作成した物だ。

 風と東郷と亮之佑、4人だけの部活動をしていく中で、みんなで考えて作った物だ。

 今まで友奈は、その5つの誓いを胸に勇者として戦ってきた。

 

「風、あんたも勉強終わったんなら飾りつけ手伝いなさいよ」

 

「何よ~。アタシが手伝う以前にほとんど終わっているじゃないのよ。さすが完成型の飾りつけは違いますな~」

 

「馬鹿にしてんの?」

 

 そうだ、なせば大抵なんとかなる。そうであって欲しい。

 言わなければ、相談しなければ、自らが一歩踏み出さなければ何も変えられないのだから。

 今は放送部の手伝いに行っている亮之佑、彼以外全員が揃っているこの場で、喋るのだ。

 

「あっ、あの……みんな」

 

 小さな痛みが胸中に過るのは胸の印のせいか、それとも緊張のせいか分からない。

 それでも友奈は懸命に唇を震わせ、どう伝えるべきかを考えて、話そうと思い――

 

「ん、どうしたの友奈?」

 

「私ね、実は――」

 

 ――その瞬間、何が起きたのか友奈にはよく分からなかった。

 単純に視界がジャックでもされたかのように、目の前で疑問を瞳に浮かべて聞く少女たちが、

 耳を傾けて友奈の話を聞こうとする東郷、風、樹、夏凜、園子の全員に、見たことのある太陽の模様が己の位置と同じ場所に出現したように見えた。

 

「――――ぇ」

 

「……ゆーゆ?」

 

「――。あ、青鬼の話なんだけどね、えっと……赤鬼が人々の恐怖をこっそりと肩代わりしたら、どうなるでしょうか?」

 

 それは、一瞬の出来事。瞬きをし、元の視界に変わる1秒にも満たない時間。

 臆病な本能が、勇者としての直感が、何かを察知し震える心が、咄嗟に話の内容を変えた。

 その行為の意味があるかは論理としては不明だが、瞬きをし、見直す頃には太陽は見えなかった。

 赤黒い太陽のような刻印が、話そうとする友奈に対し見せ付けるように増殖したように見えた。

 

「――――」

 

「何かの問題?」

 

「えっと、学校新聞のクイズを考えてて――」

 

 焦る胸中、自分が何を言っているのか分からずとも、とにかく今は別のことを喋った。

 身振り手振りで話をし、どうにか必死に頭を動かし、僅かな恐怖と戦いながら誤魔化した。

 今のはまさか、幻覚なのだろうか。友奈には分からなかったが、答えは次の日に現れた。

 

 

 

 ---

 

 

 

「それは災難だったな」

 

「私の家の電灯も急に壊れちゃうし……」

 

「大変だったんだね」

 

 東郷と夏凜はどうやらお互いの家の電灯やエアコンが点かなくなったらしい。

 その話を聞きながら相槌を打ち頷く亮之佑は、特に昨日は何も起きなかったらしい。

 少年の隣で同じく話に耳を傾けていると、どうも犬吠埼家でも不幸が起きたらしい。

 

「うちなんて昨日、樹が鍵を落として寒空の下で本当に大変だったんだから」

 

「い、言わないでよ~」

 

 憤然と悲嘆さの篭った顔の風が肩をすくめ、慌てる樹という光景は珍しい。

 少しコンビニへと向かい、その足で帰る途中に失くしたらしく、大騒ぎだったらしい。

 

「まったくドジね」

 

「本当よ、しっかりしてきたと思ったんだけどね」

 

「あわわ……」

 

 苦笑いする夏凜と姉からの評価が若干降下している事に泡を食ったかのような困り顔の樹。

 突然4人を襲ったらしい謎の不幸。それに覚えがある友奈は何かを言うことは出来なかった。

 昨日告げようとした結果、一瞬の瞬きで見えた太陽の様な刻印が脳裏を過った。

 

 偶然だろうか。これで園子も何か不運な出来事に遭遇していたのならば。

 そう考え込みながらふと開いた扉、部室の出入口で遅れたことに謝る園子の姿を見て、

 

「―――っ」

 

「あれ、園ちゃん、その手どうしたの?」

 

「ああ、これ? ちょっと朝にポットで火傷しちゃって。小怪我だから大丈夫だよ」

 

「火傷は怖いから、本当に気をつけなよ」

 

「うん、かっきーも気をつけてね」

 

 右手に包帯をし、特に問題なさげな表情を浮かべる園子と少し心配気な亮之佑。

 彼女らを見て、昨日のソレが幻覚ではないのだと友奈はある種の確信を抱き始めた。

 しかし、それでも、一度の偶然ならば。

 

「勇者部全員、厄払いにでも行った方がいいんじゃない?」

 

「ちょっと縁起でもないこと言わないでよ。それより全員来たんだから作業の続き始めるわよ! 各自持ち場についてー!」

 

 部長の音頭で部員たちは各々の仕事に取り組み始める。

 大なり小なり風に返事をし、行動を開始する亮之佑を、東郷を、樹を、夏凜を、園子を見る。

 一度の偶然ならば、もう一度相談してみるべきではないかと脳裏を過るが、口は動かない。

 

「――――」

 

 相談するべきだ。

 この部室で唯一先輩の頼りになる風に目を向ける。少年の方は既に業務に取り掛かり話し辛い。

 もしもまた、何か変なことが起きてしまったらと、嫌な方向へしか想像はいかないが――

 

「風先輩」

 

「ん?」

 

「――ちょっと、いいですか」

 

 願わくば偶然で、気のせいであれ。

 純粋にどうしたのかと疑問を生じさせる薄緑の瞳、風に決意を固めて友奈は告げることにした。

 あまり大事にはしたくない。東郷や亮之佑に話すのではなく、まずは風に話すことにした。

 

 

 

 ---

 

 

 

「――――」

 

「――――」

 

 二人、友奈と風が正面から対峙し、お互いを見つめ合った。

 部室を離れ少し歩き、足を止めた校庭が見える渡り廊下を茜色の夕焼けが照らし始める。

 見上げると亮之佑と同じくらいだろうかと、やや現実逃避しがちな友奈を見下ろす風は、

 

「どしたの? 悩み事?」

 

「えっと……えっとですね……」

 

 あれだけ語ろうと決めたはずなのに、不安で口が重かった。

 もしもまた、あの炎の刻印が風に見えたらと思うと、体が少し強張っているのが分かった。

 そう悩む己の痴態を見ていた風は、憂慮を帯びこちらを見る表情を一変させ、

 

「もしかして、恋愛のことだったりして……」

 

「―――ぇ?」

 

 悪戯するとある少年のような、腰を屈め友奈と目線を合わせる風はニヤリと笑った。

 己の体躯を腕で抱きながら揶揄するように告げる風に対して思わず呆気にとられると、

 

「うーん、亮之佑なら東郷も煩くないだろうし……。あっ、でも乃木に取られないか心配なんだー!」

 

「ち、ちがっ、違いますよ!」

 

 見当違いの先輩に、熱くなる頬を夕日に誤魔化し、しかし相談の内容は違うので否定する。

 あまりに唐突で、それでもドキリとさせられる言葉を受けながら、緊張が抜けていくのを感じた。

 

「ふーん。まあそれよりも、何? 言ってみなさいよ」

 

 道化めいた動き、その口調に強張っていたはずの体が僅かに緩んでいた。

 その気遣いに、優しさに対して心の中で感謝しながら、一息に勢いで語ろうと息を吸った。

 風の顔を見ることが何となく出来ず、それでも少し下の地面を見つめた視線を上げることにした。

 

「実はこの間、スマホを返して貰った日」

 

「うん、何かあった?」

 

 いつものように相手の目をキチンと見ようと友奈は視線を上げ、

 

「その、東郷さんを助けに行くときに――」

 

「――?」

 

「――――」

 

 残りの言葉全てが、ただ肺の中の息を抜くのと同時に霧散していく。

 中途半端に言葉を切り上げ、疑問に首を傾げる風の表情が目に映らない。

 その一瞬、時間にすれば一秒もない筈だが、その刹那、風の左胸に明確に赤黒い刻印が見えた。

 

「友奈?」

 

「――――」

 

「………ぁ! いえ……、前に撮った写真、スマホに入れていたんですけど、消えちゃってて残念だなって」

 

「ああ、大赦からの検閲で消えちゃったのかもね」

 

「ですよね、あはは……みんなにちょっと悪いなーって」

 

「……もしかして、結構恥ずかしい写真とかあったりして」

 

「――うぇ!?」

 

「あれ、もしかして図星? 亮之佑や東郷、一体どんなヤバイ写真だったのか……」

 

「ちちち、違いますよぉ!」

 

 話をするのを止めると同時に、己の瞳に映りこむ刻印が瞬時に消えた。

 いつもの調子で風に少し揶揄われながら、必死に動揺を悟られないようにした。

 それでも隠し切れない友奈の微かな声に震えが混じったが、幸いにも変には思われなかった。

 

「――――」

 

 結局、誰にも相談出来なかった。

 風への相談を終えて、部室に戻って活動し、その後解散して一緒に帰る亮之佑や東郷にも。

 誰かにこれ以上何かを告げようとすると、友奈はひどく喉が渇くような感覚に襲われた。

 

「――――」

 

 一体どうするべきなのだろうか。

 友奈には分からない。どうしたらいいのか、分からない。

 

 これからどうするべきか、地面に足がつかないような不安に沈黙するしかなかった。

 押さえる左胸、胸の奥で心の臓が震えるのが己の手のひら越しに伝わった。

 

「よし……」

 

 少し気を落ち着けよう。

 自宅に帰宅し、目の端で出現する牛鬼を尻目に、押し花をする準備を始めた。

 トンネルのように何も見えない状況だけども、暗いことを考えていても良いことはない。

 不安を押し殺し、せめて平常心を取り戻そうとして――

 

 

 

 ---

 

 

 

「……ぇ」

 

 唖然とする友奈は、何度も何度も同じ文面を見返した。

 

『お姉ちゃんが車にはねられてしまって』

 

 押し花に取り組んでいる最中、手に取った端末に、現実味の薄れた文面が目に入った。

 淡々と綴られた文章、混乱が伝わってくる樹の文面に衝撃で頭が真っ白になるのを感じた。

 嫌な予感が的中したことに己の左胸へと目を向けるが、どうすればいいのか分からない。

 

 ――どうしたらいいのか、分からなかった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第六十五話 憂鬱を呑み込み、私は笑った」

「――友奈」

 

「みんな……」

 

 羽波病院の3階、逸る鼓動を抑えながら友奈が風が搬送されたという場所へ向かうと、

 東郷や園子、亮之佑といった風本人を除いた勇者部全員が待合椅子に座っていた。

 誰もが無言で話すことの無い静寂、病院の白い壁に背中を預け腕を組んでいた夏凜が気づいた。

 

「風先輩は……!」

 

「―――」

 

 無言で向けた視線、夏凜の視線の方向を見ると、壁に『緊急外来』と書かれている標識があった。

 緊急外来。その言葉の意味を友奈は知らずとも、暗く最悪な方向への予想だけは出来た。

 立ち止まり見回す勇者部の面々、彼女たちの悲痛の表情が、心配気な瞳が友奈に向けられた。

 

「―――ッ」

 

 頭を垂れ、ジッと病院の床へと向ける双眸、不安に薄緑の瞳を揺らす樹は何も言わない。

 誰も彼もが暗い表情であっても、それでも何も、誰とも口にはせず、その時を待っていた。

 

 友奈も椅子に座った。

 冷たい白い椅子に座り込み、何も言わず、何も言えず、ただ待った。

 俯き暗い顔をしている樹に掛ける言葉など、何もなかった。どんな事を言えばいいのか。

 

「――――」

 

 それから更に1時間ほどの時間が経過した。

 たったの1時間であっても、体感的にはそれ以上の時間に友奈は感じられた。

 背中に不快な冷や汗が流れ、もしかしたら……と、何度目かの暗い考えが脳裏を過った。

 

 せめて回復を、と願うばかりではあるが、果たして自分にはその資格があるのだろうか。

 ただ友奈は自分の秘め事を先輩である風に相談しようとしただけだったのだが、

 最初に5人に話をした時に己の瞳が捉えた太陽の刻印は、決して気のせいではなかったのだ。

 

 ――相談しようと思ったことが間違いだった。

 

 気のせいだと思って、不安に駆られて、もしかしたら偶然かもと期待して、

 もう一度確かめようと先輩である風に相談をしようとしたのが、そもそもの間違いだったのだ。

 だって、偶然に2度目はないのだから。風が怪我をしたのが、誰の責任かで言えば――

 

「――――」

 

 この時、友奈の頭の中を支配していたのは、沼の如き明確な答えの見えない自問自答であった。

 確証はないが、偶然であると言い切るにはあまりにも出来過ぎている。

 まるで、いや間違いなく、友奈が誰かにこの事を話す事で被害は出ている。

 

「―――?」

 

 ふと考え込む友奈の耳朶に、誰かの声が響いた。

 小さな、それでも耳に届いた少女の声は疑問であり、同時に聞こえるカラカラという車輪の音は、

 ずっと目を閉じていた亮之佑も、呆然と床を見ていた樹も、音源である廊下へと目を向けて、

 

「―――ぁ」

 

「お、お姉ちゃん」

 

「いやー、まいったわ……」

 

 青色のストレッチャーにその体躯を乗せ、看護師に運ばれてくる風の姿を目に映した。

 友奈も何度か着たことのある薄い緑の手術着を身に着け、頭には包帯、首には固定具がされていた。

 袖口から見せる腕は白い包帯で幾重にも巻かれており、素肌を見る事は出来ない。

 

「風先輩……」

 

「フーミン先輩」

 

「あー、大丈夫大丈夫……。そんな大したことないって。まったく、信号無視するなっての……」

 

 皆が口々に風の名前を告げてストレッチャーに近寄る中、咄嗟に友奈は傍にまで行けなかった。

 単純に何を言えば良いのか分からず、明るい口調と裏腹にボロボロなその姿を目にして、動けなかった。

 

「―――っ」

 

 友奈自身は車に轢かれた経験はない。

 だから想像と反して、実際に見た風の痛々しい姿に足が竦み、ズキリと胸が痛んだ。

 

「みんな、来てくれてありがとね」

 

 風を取り囲み、よほど心配気な顔をしていたのだろう。

 一歩後ろにいた友奈には、その一言が友人たちの強張らせていた体を弛緩させるのが見えた。

 見えずとも、風の明るい口調に、先程までの淀んだ空気が減っていくのが友奈には分かった。

 

「まったく……人騒がせなのよ、あんたは」

 

「うっ……。少しは部長を労わりなさいよ」

 

「命に別状はないんですか?」

 

「それは大丈夫だから、大げさね」

 

「受験生に酷な事を……」

 

「いや、大丈夫だから、絶対受けるから! すぐに治すから!」

 

「なら肉と酒とチーズを食べた方が良いよ、3日あれば大体治る」

 

「聞いた事ないんだけど!」

 

「――病院ではお静かに」

 

 ホッとしたのか、冗談交じりに話す夏凜、真面目な顔で受験の話をして心配する東郷。

 亮之佑に嘘か本当か分かり難い治し方を伝授され、ツッコミを入れる風と、厳かな口調の看護師。

 さっきまでの空気は嘘のように、大事には至らず、安堵の空気が満ち出す中で、

 

「妹さんですか?」

 

「は、はい」

 

「入院の手続きがありますので、一緒に来ていただけますか?」

 

「はい」

 

 処置を終えた為、入院手続きへと移行するべく、姉妹である樹に看護師は声を掛ける。

 静かに問われる看護師の言葉に慌てて答える樹の声は、僅かに疲れが滲んでいた。

 それは樹だけではなく、ここで風の容体を知るべく駆けつけた全員が同じ状態であった。

 

「あ、それじゃあね。みんな来てくれてありがとう!」

 

「――お静かに」

 

 ストレッチャーに運ばれていく風の姿、包帯に巻かれながらも変わりない姿を見ていた。

 緊張感の消えた廊下で、喜ぶ友人たちの姿をどこか范洋とした感覚で見ていた。

 運ばれる風、彼女の姿が廊下の角で消えるのを、友奈は未だ消えない衝撃に無言で見ていた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 未だに漠然とした意識の中でも、どうにか友人たちと話はできていた。

 抱えた不安には気づかれず、誰かに胸の刻印を悟られず、平然と帰宅しようとしていた。

 園子と夏凜、二人とは病院から徒歩10分程度の、信号のある交差点で別れた。

 

「それにしても、道路交通法違反なんて、やっぱり許せないわ!」

 

「あはは……、さっきも東郷さん同じこと言ってたよ?」

 

「まあ、轢かれる側って、本当にどうしようもないからな」

 

「そうなのよ。……本当に、みんなの身に何かあったら私、きっと正気じゃいれらない」

 

「――――」

 

 静かな夜道、東郷と亮之佑の3人で自宅を目指しながら、ゆったりと雑談をして歩いていた。

 近所に住まう中で、自然と仲良くなった2人、彼らと他愛の無い会話をしながら、

 ポツリポツリと街灯が並ぶ夜道を、時折吐く息が白くなる温度を肌で感じながら帰宅する。

 

 やがて、最初に東郷の住まう屋敷が見えた。

 相変わらず和風の武家屋敷とでも言うべきか、以前の車椅子生活のバリアフリー環境の名残が残る屋敷の門扉に東郷が手をかざしながら、亮之佑と友奈に振り返った。

 

「それじゃあ二人とも、夜更かししないで寝なさいよ。特に亮くん」

 

「はいはい。あっ、東郷さん。――今日は月が綺麗ですね」

 

「えっ……!!」

 

「――?」

 

 声を上げる東郷と亮之佑の言葉に釣られて、何となく友奈は夜空を見上げた。

 少年の言葉通り、時折星が瞬く夜の中、浮遊する雲の間から三日月が覗き見下ろしていた。

 青白い優しい光を放つ三日月の光は、友奈の暗い心を照らさんと静かに降り注いでいた。

 

「……本当に綺麗だね、東郷さん」

 

「えっと、そうね、うん」

 

「あれ? 東郷さん、どうしたの? 月の光景が綺麗だなって言っただけなのに、どうして驚いているの? ねえねえ」

 

「――亮くん。この辱め、いずれ返しますので。おやすみ。友奈ちゃんもおやすみ」

 

「おやすみ、東郷さん」

 

 門扉が閉まり背を向ける黒髪、東郷の背中から目を逸らし、亮之佑に友奈は目を向けた。

 世界はすっかり夜の暗闇に染まる中で、月と小さな街灯だけが唯一の光源であった。

 東郷が自宅へと帰宅したことで2人きり、自然と沈黙しつつも歩き、結城家へと向かった。

 

「その、大丈夫か?」

 

「……ぇ?」

 

 隣を歩く少年、亮之佑が唐突に発した言葉に、一瞬何を言われたのかよく分からなかった。

 その言葉の意味が理解できず、友奈は少しだけ首を傾げて亮之佑に問いかけを発する。

 掠れた静かな声で見上げる友奈の表情をチラリと見た亮之佑は数秒ほど黙り、一呼吸おいて、

 

「今日は、辛そうだったから」

 

「――――」

 

 脚を止めると既に結城家の門扉前で、門の前には小さな明かりが来訪者を歓迎していた。

 見抜かれていたのかと恐々する中、思わず黙り込んだ友奈は何か言い訳を考え、

 訝しんだ亮之佑に自身の薄紅の瞳に宿す様々な感情を悟られる前に、辛うじて口を開いた。

 

「あっ、えっと……寒くて……」

 

「――。もうすっかり冬だもんね」

 

「うん」

 

 キチンと笑えているのかどうか、友奈自身よく分からなかった。

 向けられた濃紅の瞳に、精一杯の嘘をついて、震えそうになる声を押し殺した。

 

「じゃあ……」

 

 向かい合う友奈と亮之佑の距離は近く、2人を邪魔する者は夜道には誰もいない。

 平穏に、静寂に包まれている夜の空を、ただ青白い月光が降り注いでいるだけだ。

 そんな状況で、逡巡する感情が亮之佑の瞳を過ったが、友奈が読み取る前に瞬きで消えた。

 

「手を握ってあげよう」

 

「うぇ……?」

 

 突然の言葉であった。

 ニヤリとした口端、悪戯寸前でよく見る少年の顔に友奈が呆気に取られた直後、

 友奈の左手が少年の温かな両手に包み込まれているのに、僅かな時間の後に気づいた。

 

「本当だ。手、冷たいから暖めてあげよう」

 

「あはは……、ありがとう亮ちゃん」

 

 そうして包まれる少年の両手から伝わる体温に、初めて己の手の冷たさに気づいた。

 緊張に不安、焦燥の所為か、いつの間にか氷のように冷え切った手を亮之佑の両手が包み込んだ。

 細長く、それでも少しゴツゴツした手の感触は、暖かな温度にふと泣きそうになった。

 

「――本当に、ありがとうね」

 

 これ以上触れ合うと、湧き出す感情に本当に駄目になってしまいそうだった。

 名残惜しさを感じながらも、そっと少年の手のひらに預けた左手を離した。

 決して不快感があった訳ではない。むしろその逆、いつまでも触れ合っていたい。

 

「じゃあ、また明日」

 

「ああ。おやすみ、友奈」

 

「おやすみ、亮ちゃん」

 

 このまま内心に秘めた思いの全てを口にしてしまいたい。

 不安な思いを、抱えた秘密を、風やみんなを少なからず傷つけた罪悪感を、全て吐き出したい。

 痛いのだと、苦しいのだと、助けてと目の前の少年に縋るように言ってしまいたい。

 

 優しさと気遣いを帯びた濃紅の瞳に、その体躯に抱きついて、泣き出してしまいたい。

 湧き上がる感情のままに、乱れた思考と体を預けて、亮之佑に溺れてしまったらどれだけ良いか。

 

「――――」

 

 でも、そんなことは出来ない。してはいけない。

 実際に風に改めて相談をする寸前に、あの太陽の様な刻印が風の左胸に発生した。

 その後に事故に遭遇したのだ。友奈が風に話をしようとした為に事故にあった。

 

 天の力とはそれだけ強大なのだ。現実世界にいる自分たちに干渉出来るほどに強い。

 今ここで亮之佑に頼ったら、話をしたら、きっと、間違いなく彼を傷つけてしまうだろう。

 相談をすれば傷つける。語れば傷つける。だからいつも通りに笑うのだ。

 笑うのだ、結城友奈。笑え。願わくば、彼にこの思いが決して届かないように。傷つけないように。

 

「――ただいま」

 

 そうして家の玄関の扉を閉める。

 その寸前まで、友奈の背中に突き刺さる、亮之佑の瞳を見返すことは出来なかった。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 この世界に朝は来ない。

 降り注ぐ光は太陽ではなく、静けさのある現実よりも美しい金色の月と満天の空から降り注ぐ。

 幻想的な世界、永遠に舞う夜桜が中心の世界で、亮之佑はその答えを初代から聞いていた。

 さきほど交わした握手。友奈の冷えた柔らかい手を通じて初代が調べた結果、判明した言葉。

 

「『祟り』ね……。呪いとは違うのか?」

 

「相違点としては、呪いというのは人や霊が人間に害を与えるべく悪意を持ってする行為のことかな。例えばだけども、呪いの藁人形とかに対象となる相手の髪の毛や爪を入れて釘を打ち込んだりするのは有名だよね?」

 

「丑の刻参りって言ったか?」

 

 生前に聞いたことのある言葉であったが、こちらの西暦時代でもあったらしい。

 『丑の刻参り』というのは、鬼門を開いて鬼を呼び寄せ、藁人形には憎い相手の魂を乗り移らせ、自分自身には鬼を乗り移らせるという呪術の組み合わせだという。

 7日にわたる呪いで、憎い相手に呪いの念が届くことも、失敗し自分も不幸になる可能性もある。

 

「呪うという心の念は、相手だけでなく自分自身にも影響があるものだ」

 

「人を呪わば穴二つ……。いや、話を逸らして悪かった。続けてくれ」

 

 促すと、小さく息を抜くように肩をすくめた初代はゆっくりとカップを傾ける。

 一服する初代を見ながら、白いテーブルの上にあるクッキーを手に取った。

 口に入れると生ぬるい舌を包むような甘さが広がった。独特の香りが鼻腔に抜ける。

 

「これ、桃か」

 

「あたり。それで祟りの方についてだが。祟りというのは、知っているだろうけども、神仏や人の霊魂が人間に与える災いのことだ」

 

「それが友奈に宿っていると……」

 

 呪いも祟りにも違いがあるが、共通点としては神仏や宗教と深い関わりがあるという点だ。

 この世界でも、神や仏、生き物や土地を大切にしないと災厄に見舞われる、などの『人』による『神』に対する畏れといった考え方があったらしい。

 

「治し方とかは無いのか?」

 

「一度祟られると手の施しようがない。根本をどうにかしなければ、どうしようもないだろうね」

 

 すらすらとどうしようもないと告げられる。

 理不尽であると、あまりに不条理であると、俺は奥歯を噛み締めた。

 

「神を倒すといかずとも、撤退させ力を削げば神樹がどうにか出来るかもしれないが、希望は薄いだろう」

 

「――――」

 

「あの様子だと来年の春を越えるかどうか。残念だが長くはないだろうね」

 

「は」

 

 友奈が祟りで死ぬ。

 残酷に、冷静に、淡々と、いずれ来る事実を告げられた。

 その事実が体の芯まで響き、衝撃に打ちのめされる心中、それを余所に思考は解答を導く。

 

「大赦……、勇者……、天の神」

 

「――――」

 

「初代、俺はさ。どのみち、友奈のいない世界なんて、俺は生きたいとは思えないよ」

 

 友奈がいない世界。そんな世界に用はない。

 世界はモノクロで、白と黒しかない冷めた世界よりも醜悪だ。

 無言で続きを問う初代の目線に、微かに口角を上げた。

 

 ――友奈は殺させない。

 

「人の弱みっていうのは、握っておいて損はない」

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 時間は刻々と流れていく。

 川の流れを、水の流れを堰き止める事など出来ないように時間は流れていく。

 表面上は平和で、誰かを犠牲にして誰もが無知で幸せな日々を送ることが出来る。

 

 ――自分が黙っていればいい。

 

 この1週間、不安に眠れず、時折体に奔る痛みに眉を顰めそうになる。

 それでも懸命に、堪えても、我慢しても、苦しみは減ってはくれなかった。

 体調は今のところ良好であったことだけが幸いであり、慰めであった。

 

「自分のことばかり……よくないな」

 

 友奈は勇者なのだから。

 誰かの為に頑張ることの出来る勇者でなくてはならないのだ。弱音を吐いてはいられないのだ。

 自分が何も言わなければ、誰も巻き込まず、みんな平和で幸せでいられるのだから。

 

「――――」

 

 そうして、友奈は風がいる一般病棟の個室、その部屋の前で足を止めた。

 実は勇者部の全員で、夜から風の病室で簡単ではあるがパーティーをすることになった。

 発案者は夏凜であったが、全員が満場一致での賛成となった為、本日は早めに来ていた。

 

 クリスマスイヴの日、街のイベントで学校の代表として歌うはずであった樹は、出場を辞退したらしい。

 姉である風が病室で寝ているのに、自分だけ楽しいことは出来ないと主張していた。

 ――これは友奈の所為だろうか。

 

「―――っ」

 

 暗くなる頭を振り、気合を入れる。分かっているが、風の前で暗い顔をしてはいけない。

 明るく、いつも通りに風へお見舞いとパーティーをして楽しませよう。

 そう決めて病室の、中にいるであろう風の部屋の扉に手を掛けて――

 

『ちゃんとご飯は食べている? 出前取っていいからね?』

 

『作ってるよぉ……。スーパーの御惣菜とか、亮さんに教えてもらった物とか』

 

 ――扉の先で、穏やかな雰囲気で話をする姉妹の会話の内容に思わず立ち止まった。

 

『ほんと、少し前までお米も炊けなかったのにね……。あいつ、教え方が上手いのかね』

 

『いつの話してるの、お姉ちゃん。随分と前の話だよ。朝もキチンと起きて準備もしっかりしているから、家のことは心配しないでね』

 

『――。なんか、樹の方がお姉ちゃんみたい』

 

『私のこと、お姉ちゃんって呼んでみていいよ……?』

 

『馬鹿言わないの。まったく………ありがとね』

 

『うん!』

 

 信頼に満ちた声が、向ける相手に対する親愛の言葉が、扉越しでも友奈には分かった。

 冗談交じりに交わされる家族の、お互いを思いやる暖かな家族の団欒が扉の先に広がっている。

 その2人だけの会話を、樹と風の会話を邪魔出来ず、ただ茫然とドアの前に立っていた。

 

 ――胸が痛かった。

 

『退院したら絶対楽しい事、いっぱいしようね』

 

『お正月……楽しみね』

 

『うん』

 

 いつの間にか引き戸に掛けていたはずの手は、己の胸に、刻印がある部分を押さえていた。

 唐突に起きるあの針が刺すようなチクリとした痛みではない。目の前で交わされる会話が、親愛と家族としての会話を交わし、明るい未来が必ず訪れると疑わないことに――

 

『今年は大変だったわねぇ。あれだけみんなが頑張ったんだから……』

 

『うん、みんな幸せにならないとね』

 

「――――」

 

 シアワセ。

 そんな物は、幸せは、魔法とも呼べる奇跡は来ないだろう。

 だって、それは、友奈がいる限り来ないかもしれないのだから。

 

 友奈が相談をしようとしたから、事故に遭った風は扉の先で寝台に身を横たえることになった。

 心優しい樹は、以前から楽しみにしていたはずの歌のイベントに参加しなくなった。

 そんな『不幸』を呼び込んだのは一体誰だ? 誰の所為だ? 

 

「―――ごめんなさい」

 

 小さくこぼれた言葉の意味は、友奈自身もよく分からなかった。

 胸中を過る痛みは刻印の所為ではない。ただ黙っている事への、傷つけた事への、謝る事も話す事も出来ない自己満足に過ぎない言葉が、震える唇から出た。

 

『みんな良い子達だわ。友奈も東郷も亮之佑も、夏凜も乃木も』

 

「――――」

 

『あの子たちの部長をやれて、勇者部を作って本当に良かったわ』

 

「―――っ」

 

 湧き出しそうな様々な感情に脳裏を支配され、熱い雫が睫を濡らし、視界を歪ませていく。

 グチャグチャな胸中で、彼女たちの前で笑うことなんて出来なかった。出来る訳がなかった。

 感情に従って、せめてここで爆発させないように、扉に背を向けて友奈は走り出した。

 

 

 

 ---

 

 

 

 走った。

 背を向けて、懸命に、逃げるように、遠ざかるように、走って、走って、走りぬいて――

 

「あぐっ……ぅ……」

 

 地面の雪に足を取られて、バランスを崩した。

 急速に接近する地面、咄嗟に頭を守るように手をかざし、崩れた姿勢のまま倒れこんだ。

 

「げほっ……げほっ……」

 

 病院の外は空から降る白、12月になって初めて見る冷たい雪が地面を白に染め上げていた。

 萎んだ肺を膨らませ、また萎ませて、不足した酸素をようやく取り込んでいく。

 必死に走って、全力で走って、転んで、足も体も疲れきっていた。

 

「――――」

 

 崩れた姿勢のまま、友奈の体は動けなかった。

 白い雪が降り積もる中、土と雪を掴んだ手のひらは転んだせいで僅かに痛む。

 土が、雪が、痛みが、衝撃が、そうして立ち止まった友奈に襲い掛かった。

 

「うぅっ……」

 

 嗚咽がこぼれる。

 転がり倒れ、掠れた吐息が白く曇り、寒さが体を浸食していく。

 

『――あれだけみんなが頑張ったんだから……』

 

 体が痛む。

 耳を塞いでも、声が聞こえる。

 

『――うん、みんな幸せにならないとね』

 

 心が痛む。

 耳を塞いでも、声からは逃げ切れない。

 

「う、ううう……うぅぅっ!」

 

 誰にも、何も、話すことはできない。打ち明けることなど許されない。

 

 みんなに話せば、みんなが幸せになれない。

 みんなで戦えば、もう戦いを終えた彼女たちをまた巻き込んでしまう。

 一人でいなくなっても、東郷さんのようにみんなを苦しませ、悲しませてしまう。

 一人で抱え込んでも、またみんなを不幸にしてしまうかもしれない。

 

「うっ……うわあああぁぁん……!」

 

 込み上げる涙も隠せずに、冷たい頬を熱い雫で濡らしていく。

 堪えられない叫びが、空から深々と降る灰色の雪が吸い込んでいく。

 路上に倒れ込んだ体に雪が積もり、心が冷えていく。凍りついた雪が降り注いでいく。

 

 どうしたらいいのだろう。

 分からない、分からない、分からない――

 

 

「――友奈」

 

「――――」

 

 

 声があった。

 嗚咽が漏れて、ぼやけていく視界で。

 静かな雪原の世界で、ふいに聞こえた少年の声音が、友奈の鼓膜を震わせた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第六十六話 運命の分岐路 Part3」

 柔らかな夜の風が俺の頬を撫でつけ空へと駆け上る。

 見えない無色のソレは小さな音を立てながら俺の間をすり抜け、草木を凪ぎ月へ舞う。

 風が行き着く先、金色の油を溶いたような黄金の満月は、黒い布のような夜空で輝き続ける。

 

 どれだけ時間が経過しても、この世界が変わることはない――らしい。確かめたことはない。

 一度も朝が来たことのない世界、今となってはある種の心地良さすら感じられる。

 そんな中で、ふと鈴音のような声が耳朶に響いた。

 

「加賀家について……?」

 

「ああ」

 

 太陽は決して来ることはない――そんな世界の中心、桜の大樹の下で俺たちは話をしていた。

 最近初代がよく出す、桃の風味のする『謎クッキー』を口にしながら俺はコクリと頷いた。

 頷く俺に、白いテーブルを挟み向かい合う初代は形の良い眉を顰め首を傾げた。

 

「どうして今更そんなことを……?」

 

 赤い手袋を外し、夜の外気に晒した白い手で持っているカップをそっと受け皿に置きながら、

 緩慢とした動きをする初代はテーブルに頬杖をつき、血紅色の瞳に小さな疑問を浮かばせた。

 それに対し口内に広がる中毒性を感じるクッキーを飲み込み、それから俺は口を開いた。

 

「まあ、なんとなく……っていうのもあるけども、結局宗一朗にも綾香にも自分の家について聞く機会は得られなかったし。せっかくだから『加賀』について知りたいなって」

 

「このボクを知ろうだなんて……、キミは相変わらず節操がないね。既に両手に華なのに、女性の全てを知り尽くしたいなんて。この変態め」

 

「――いや、加賀についてだから! あと俺はそんなに節操がないわけではない」

 

「変態であることは否定しないと」

 

「紳士であることは誇りだ。一部の対象が特別なだけだ」

 

 己の体躯を抱くように腕で自らを抱きしめる初代に俺は少しの焦りと共に苦笑した。

 お互いが冗談であると知りながら繰り広げる多少の茶番は場の空気を和らげるものだ。

 冷えた視線、呆れ顔を向けてくる姿をやや理不尽に思いつつも、ふと指に収まる指輪に触れる。

 

「二股よりも三股の方が若干聞こえが良い風に聞こえはするが……」

 

「何の話だ? ――それに、加賀家の歴史から現状を紐解く鍵とかないかなって。例えば俺って何代目なのかなとか」

 

 笑みを浮かべ口にする言葉に嘘も偽りもない。現状の問題は困難であると言って良いだろう。

 友奈が近い将来に刻印の所為なのか、祟りによって徐々に体を弱らせ死んでしまうらしい。

 その言葉を受けた時は衝撃を受けたが、それでもなお不思議と取り乱すことは無かった。

 

 問題は他にもある。それは神樹の力自体が枯渇し掛けであるという世界の現状である。

 こちらもまた友奈ほどではないが、確実に訪れるであろう未来であり明確に近づく破滅だ。

 対策が見つからないこの2つの問題に、一体どうするべきであるかと頭を悩ませていた。

 ――そんな時のちょっとした休憩の一時であった。

 

「……キミは『勇者として』ボクから十三代目にあたるかな。もっともボク以前にも加賀家は存在してたけどね。それだとキミが何代目かは覚えてないな」

 

「へー、当時から結構な名家だったのか」

 

 応じるとは思わなかった為か、実際に『初代』が僅かに逡巡しつつも答えたことに少し驚いた。

 以前までは彼女に纏わる質問などに関しては何も答えず、代わりに何かしらの知恵を出す存在。

 しかし、頭を振り告げる答えは疑いもなく、すんなりと亮之佑の中に入り込むのが分かった。

 

「いや、まあ、そうだね……。西暦の頃は名家ではなく、呪術を研究するような家だったかな」

 

 「昔の話さ……」と冗長でありながら自嘲するかのような低い声が静寂の世界に小さく響く。

 どこか遠くを見つめる初代、彼女が揺らす瞳に広がる物は決して読み取ることは出来なかった。

 かつて西暦の時代、初代がまだ『初代』ではなかった頃は、ある研究をする家だったらしい。

 その頃から実は大赦の前身となっている『大社』は細々ではあるが存在していたらしい。

 

 だがそういった呪術はこの時代には聞いたことはない。眼前に広がる世界は見たことがあるが。

 現在天の神に敗北後は、そういった呪術の研究どころか、脅威となりえる物は廃棄されたらしい。

 かつての勇者システム廃棄についても奉火祭後、天の神が講和の条件として提示したという。

 

「――なんの研究だったんだ?」

 

「秘密、と言いたいが……そうだね、ボクの家は主に魂に関する研究だったね」

 

「魂……それは蘇生的な?」

 

「キミは何を言ってるんだい?」

 

 何となしに肩を竦めて告げる初代だが、西暦では呪術の研究をする家は多かったらしい。

 本来ならばそんな呪術の研究なんてものは胡散臭いとしか感じられないのだが、西暦が終わる原因、敵の襲来によって、皮肉にもその脚光を浴びる時が来たのである。

 

 西暦の終わりの原因を作った星屑の襲来は、いとも容易く人間達の世界を破壊した。

 これまで築いてきた全ての建物や農作物、人工物は喰い壊され、必死に抵抗する人間たちを嘲笑い、通常兵器は“ほとんど”効果はなく、敵の歯が噛み刻む度に多くの人が死んでいった。

 

「最初の勇者システムの基盤作りに、そういった呪術研究の専門家たちが集ったらしい」

 

「らしい? ……その頃のシステムってどんな感じだったんだ?」

 

「――酷いものだったね」

 

 精霊バリアによる守護もなく、辛うじて勇者装束と呼ばれる物で多少の力が上がるだけ。

 また今と同じで神に見初められた者か、社で神器を手にした者だけにしか扱えないらしい。

 通常の攻撃についても、今と比べると軽機関銃など豆鉄砲に等しかったと初代は口にした。

 最初から今のような『過去の』人類の叡智と呼べる武器群が備わっていたのではないと言う。

 

「これが今キミが使っている剣の大本だ」

 

「――似ているな」

 

 初めて手にした武器はこれだと手に出現させたのは、この世の黒を吸い込んだような色の剣。

 かつて初めて掴み取った武器であり、直剣だけを武器にして初代も戦っていたのだという。

 今俺が使用しているRPGや機関銃、拳銃はその後、この世界で作ったものだという。

 

 その剣は俺が使用している剣とは少しだけ意匠や形が違うが、非常に似ていた。

 初代が持っているその黒剣は、『とある社』に納められていた一振りであったという。

 他にも刀の神器を扱う勇者はいたと言いながら、暗闇に剣を消して初代は再び話を続ける。

 

「懸命に彼女たちは戦い、一人一人死に、和解に至るまでに一人を残して全滅した」

 

「……」

 

「こうして一応は神との戦いは決着した。――だが、戦いはそこからだった」

 

 戦いが終わり神世紀が始まり、一先ずであれ外の世界から敵が押し寄せて来なくなった。

 それを理解した人類はしばらくの間、赦された平和を享受していたのだが、かつて勇者として戦っていた最後の生き残りが死亡した年に、ある問題が発生したらしい。

 

「問題……?」

 

「人の敵は、結局は人って事さ。赦されている事が気に入らない人間達、そういった奴等が集った集団が『人』ではなく『神の眷属』として生きていこうと言い出したのさ」

 

「は……?」

 

 何を言っているのか意味が分からなかった。

 眉を顰め、訝しんだ表情で俺は初代を見るが、向ける瞳の感情を読み取り僅かに苦笑される。

 俺を見返し目を細める初代は一呼吸置きながら、そっと手を顎にやった。

 

「いつかキミは、この世界を箱庭のようだと言ったろ? それが我慢ならないって言う『外の世界』や『勇者』を知っている一部の大赦や生き残りたちによる騒動。自分たちが土地神の眷属として神の末席に加われば、天の神がもう二度と『人間』やこの世界を襲うことはないと考えて、いわゆるテロ行為を始めたんだ」

 

「――それを、初代が止めたのか?」

 

「話を聞いてたかい? とっくの前にボクは死んでここにいるよ。で、その時に対処したのが、当時発足した『大赦』で地位を上げていた上里家や乃木家ではなく、当時の加賀家の当主で、二代目になる」

 

「はあ」

 

「加賀家の二代目を筆頭に、弥勒家と赤嶺家を率いて、テロを行う人間たちを『粛清』して回ったのさ。その時には既に勇者システムは表向きは凍結していたから、武器のみで戦う彼女たちは多くの人を殺し殺され、壮絶な戦いの末に勝利した。これが加賀家が名家となった要因の一つかな」

 

「なるほどね」

 

 神世紀72年に、テロ事件が発生したらしい。それから少しずつ勇者や外の世界に関する記述は人々の記憶から消えていった。神世紀100年の節目に大赦が主導となり、文章等からも情報を抹消していきつつ、秘密裏に少しずつ勇者システムのアップデートをしていたという。

 

 そうした過程で、絶対に天の神に悟られず、いつか必ず報復するという決意だけを抱いていた。

 しかし大赦は時を経る度に少しずつその理念を薄れさせ、秘密主義の多い組織へと成った。

 こうして300年という時間を隠れながら、コソコソと気が遠くなるような時間の果てに今がある。

 

「参考になったかな……?」

 

「ああ……、結構良い感じに」

 

 開示された情報は多いが、それでも謎の多き共犯者に片頬を上げて微笑む。

 この機会に聞きたいこともあったが、ソレは恐らく初代は答えることはないだろう。

 何よりも、本題はソコではない。

 

「キミの方はどうだったかな?」

 

「見てただろ? 安芸先生経由で『上』の方に言ったけど、ひとまず反攻作戦の凍結は解除されるらしい。あとは俺次第だとか」

 

「計画通り?」

 

「全然さ。最悪一歩目から綱渡りだな」

 

 いつまでも冷めないコーヒーを飲み干し、椅子から立ち上がる。

 月は沈まない。常世に浮かぶ満月に照らされる草木は来訪者の帰宅を察知して移動する。

 草木が自分で移動するという幻想染みた光景は見慣れつつあり、出来た小道を下って行く。

 

「――――」

 

 この世界から出る為の方法――出入口のような物はない。

 俺が歩く先、草木が避け、出来た道の果てにあるのは扉ではなく、沼地のような闇だ。

 あらゆる光を吸い込むようで、暖かな湯舟に浸かるように歩くほどに体が溶かされて――

 

「――――」

 

「……またな」

 

 後ろを振り返ると、こちらの視線に気づいたのかクツクツと小さな笑みを浮かべる初代。

 彼女に特に何かをする訳ではなく、俺はそのまま再度、目の前の闇の中を歩き続けた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 時計の針が動く音が聞こえた。

 

「……ぁ」

 

 浮上する意識、沈んだ意識に人工の光が瞼越しに入り込み俺は目を覚ました。

 目覚めと共に感じるのは酷く鈍い頭痛、思わず眉を顰めながら寝台から立ち上がる。

 一階に降り、洗面台で顔を洗いながら腕時計を確認し、カレンダーを見てようやく思い出す。

 

「しまったな……。風の病室に行かないとな……」

 

 既に学校は休みでありながら、部室で風以外集まった全員でクリスマス会をした。

 その後、以前から夏凜が提案していた、風のいる病室での軽めのパーティーをする予定になっている。

 一度帰宅し準備するつもりだったが、途中で初代との夜会後、少し寝ていたらしい。

 

 結果、俺は遅刻しそうであった。

 慌てつつも『準備』をし外に出ると、曇天模様の空からは凍った雨が降り注いでいた。

 雪だ。白く冷たい雪が、この冬初めて地面のアスファルトを白色に染めようとしていた。

 

「雪か……」

 

 何物にも容易く染まり、儚く消える雪は見ているだけならいい。

 だが雪が降る中で歩くと、コートを羽織っていても凍える冷たさが骨身に染みた。

 時折白い息を吐きながら俺は歩く。白い地面に足跡を作り、一歩一歩病院に足を向けて、

 

 ――その途中で震え泣く友奈に出会った。

 

 

 

 ---

 

 

 

「――友奈」

 

「――――」

 

 病院までの道の途中、静けさのある中で、何処か遠くから聖歌のコーラスが聞こえる。

 中学生の少年少女たちが学校から集まり、この日の為に練習したのだろう。

 それが遠くから聞こえる中で、その道程の小さな路上で、白い雪の上で泣いている少女。

 

「友奈」

 

「――――ぁ」

 

 再度呼びかける。

 既に風の病室にいるはずの少女。その存在を間違えるような浅い付き合いはしていない。

 いつも笑っていて、みんなを笑顔にする少女が、友奈が雪の上で伏せて泣いていた。

 嗚咽をこぼし、苦痛に顔を歪ませ、悲しみに大きな瞳から涙を流していた。

 

「……亮ちゃん」

 

「ああ」

 

 足を止める。

 呼びかけに気づき、友奈は必死に紺色のコートの袖で目元を拭うが顔は上げない。

 華奢な体躯に白く冷たい雪を載せ、放置すれば間違いなく風邪をひいてしまいそうだ。

 

「違うの! えっと、その、これは少し転んじゃって……!!」

 

 ――だというのに、近づけない。

 こぼれる涙を必死で拭い、土の付いた白い頬に無理に笑みを浮かべ、辛うじて言葉を紡ぐ。

 明らかに何かがあり、それでも今まで通りになんでもないのだと気丈に口にした。

 

 その声は震えている。

 雪の冷たさと、『何か』に友奈は震えている。

 直接的な原因は判らないが、それでも俺に出来ることは一つだ。

 

「――帰ろう、友奈。このままじゃ風邪、ひくだろ」

 

 残念ながら、これでは今日の風とのクリスマス会には参加出来ないだろう。

 そしてこの状態の友奈を俺は放置して行くつもりは毛頭ない。そんな事だけはしない。

 祟りを受けた友奈の救出に向けた準備は完了してはいないが、手を差し伸べない訳がない。

 

「……わ、私は」

 

 雪を吸った友奈の髪が揺れる。

 言葉を掛けると、震える友奈の瞳に波紋が広がるが、隠すように瞼を閉じる。

 それから友奈は無理して笑みを浮かべるが、結局苦悶の表情を浮かべ俯いてしまう。

 

「――。帰ろう、友奈。俺も付き添うから」

 

「……ううん、大丈夫。ちょっと、今日は、体調が悪いだけだったから。うん、亮ちゃんだけでも風先輩の所に――」

 

 涙は止まらない。それでも友奈は頬を伝う涙を必死に止めようとしていた。

 それでも、風の所で行うクリスマス会を、他人のことを友奈は想っている。

 祟りを受けながらも、ソレを誰にも――俺にすら相談しようとせず、普通に振る舞おうとした。

 

「友奈の方が心配だ。風も笑って許してくれるよ」

 

「――――」

 

 雪は止まない。

 凍りついた雨は、延々と静かに少女の頭や肩に積もっていく。

 

「なあ、友奈。辛いなら辛いって――苦しいなら苦しいって、そう言ってくれよ」

 

「私は……そんなこと……」

 

 強張った表情をする友奈に、一歩一歩歩み寄る。

 足音を立て、ゆっくりと白い地面に座り込んでいる少女の下へと歩いていく。

 こちらの準備も対策も終わってはいない。まだ完璧とは呼べない状況なのは間違いない。

 

「――――」

 

「……『祟り』が怖いんだろ?」

 

「――! ……えっ?」

 

 だけど、間違っていると分かっていても、それでも友奈を独り泣かせるのは嫌だった。

 どれだけ苦しんでいても、どれだけ嫌であっても、友奈は誰にも相談しないのだろう。

 一人で抱え込んで、祟りを受けても日常を大事にして、秘密にしてきたのだろう。

 

 結城友奈は勇者であり、自分ではない他の誰かの為に行動することができ、それを見てきた。

 他の人を思いやり、仲間や友人、家族の幸せを願い戦うことの出来る少女であると俺は思う。

 ――だけど、誰かの為に一人で戦う友奈には誰も手を差し伸べてはくれない。

 

「待って……、なんで……」

 

「友奈、俺には『祟り』は効かないんだ」

 

「そんな、ことって……」

 

 ありえないと驚愕に目を見開き、目尻に涙を浮かべた友奈はこちらを見上げる。

 そんな彼女と目線を合わせるべく、彼女の目の前で立ち止まり、俺は腰を下ろした。

 友奈が眼を向けるのは俺の胸――左胸で、薄紅の瞳には様々な感情が過っていた。

 

 左胸、そこに祟りが発現するのだろうか。だが俺には顕現しないはずだ。

 それがどういう効果をもたらすのかはまだ判らない。何が起きるかも未知数だ。

 もっと慎重であるべきだ。けれど、目の前で泣く友奈の心を、今だけは救いたいと、そう思った。

 

「――――泣くなよ、友奈」

 

「でもっ、私は、みんなの為に……、勇者でないと……、私が頑張らないと……!!」

 

 戸惑いと不安を瞳に宿す少女と向き合う。幼さが顔に残る友奈、赤い髪の少女が見上げる。

 誰も友奈を助けてはくれない。善意で友奈が誰かを助けても、誰も助けてはくれない。

 ――なら俺が友奈を助ければいい。これから先、ずっと友奈を護り続ければいい。

 今はまだ具体的な段階までは来てはいない。それでも、必ず。

 

「――――」

 

「あ……」

 

 そっと髪に載った雪を払い除け、俺は――友奈を抱きしめた。

 冷え切った体、回した腕の中にいる冷えた少女の体躯は、酷く小さく、脆く見えた。

 息を呑み、戸惑いと不安が混ざり込んだ友奈の息遣いが腕に伝わる震えと共に聞こえる。

 

「りょう、ちゃん」

 

「約束するよ。たとえ相手が誰であっても、たとえ『天の神』だろうと、『祟り』であったって、俺が友奈を助ける」

 

 昔、誓いを立てた。あれからもう14年も前になる。

 かつてある男は一度死に、そして生まれ変わり、『加賀亮之佑』としての生を得た。

 俺は後悔しないと、誰にも邪魔をされず、楽しく生きる努力をすると美しい月夜に誓った。

 

 それからも俺は『星』に、『桜』に、誓いを重ねて生きてきた。

 あれから幾千の夜を過ぎ、そして今、俺は新たな誓いを立てる。

 今はまだ抱きしめることしかできなくても、今まで立てたどの誓いよりも堅いだろう。

 

「俺が友奈の勇者になるよ。たとえ神を殺してでも、俺が絶対に友奈を守るから」

 

「…………」

 

 抱きしめた腕を友奈は振りほどかない。それどころか、ゆっくりと背中に少女は手を回した。

 お互いの吐く息は白い。雪は止まず、それでも少しその勢いは弱くなった気がした。

 凍える夜空を見上げても月は見えない。星も見えない。桜の華はない。だから友奈に誓う。

 抱きしめ合う俺と友奈を見下ろすのは、曇天の空と降り注ぐ白銀の雪だった。

 

「帰ろう、友奈」

 

「――うん」

 

 

 

 ---

 

 

 

 だから、誰も気づかなかった。

 抱きしめた亮之佑も、抱きしめられた友奈もソレには気づけなかった。

 時間は刻々と過ぎていく。川の流れのように止まる事はなく過ぎ、今運命の分岐路が決まった。

 

 ――『太陽が見下ろしていた』

 

 時刻は既に夜であった。太陽は既に水平に沈み、夜が訪れていた。

 地面に伏せた少女を抱き上げ、手を繋ぎゆっくりと帰路に就く一組の少年少女がいた。

 

 ――『太陽が見下ろしていた』

 

 少女の刻印は、祟りは伝染する物だ。

 だが、少年には決して感染する事だけはない。世界中の誰もが感染しても、彼だけは感染しない。

 

 ――『太陽が見下ろしていた』

 

 ところで、祟りと呪いは似ているが、“祟り”は人間には絶対に回避する事はできない。

 人間が神の意に反したとき、罪を犯したとき、祭祀を怠ったときなどに神の力は人に及ぶ。

 それが絶対的な法則であり、回避するという行為はあり得ない。あってはならない。

 

 ――『太陽が見下ろしていた』

 

 だからこそ、加賀亮之佑は捕捉された。祟りが効かなくとも関係ない。

 既に運命は決まった。確定した。少年の誓いは、少女以外にも届いていた。

 救いの代償は重い。少年の誓いは、少女の刻印を通じて、神への侮辱として届いていた。

 

 

 

 ――『天の神が見下ろしていた』

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第六十七話 死の味」

 羽毛のような軽やかな雪が黒と薄紅の髪を所々白く染めていく。

 

「少し冷えてきたな……」

 

 乾いた軽い雪が降っているが、その勢いは先程よりは弱まっている。

 しかし、それでも感じる寒さは変わらず、コートをすり抜けて僅かに骨身に染みた。

 白銀の粉雪が地面に座り込む友奈の体を凍らせていくのか、少女も唐突に体を震わせた。

 

「……くちっ」

 

 抱きしめて分かったのは、たった今くしゃみをした友奈の体は雪の所為で冷え切っていたこと。

 このままお互い地べたで抱き合っていても埒が明かず、悪戯に体温を失うだけであること。

 いつまでも抱きしめていたいが、心を鬼にして俺は力を入れていた腕を解いた。

 

「――俺の勘だと、風邪ひく一歩手前ぐらいだな。今から風先輩の所に行っても移すだけだな」

 

「……そうかな?」

 

「これまでに何回友奈の看病してきたと思ってんだよ?」

 

「うーん。5回くらい?」

 

「7回だ。あれ8回だったっけ……。だいたい年に2回のペースだな」

 

 転んだのだろう、土で頬や手を汚している友奈。

 少女の顔を汚している土を手で払いながら片手で携帯端末を取り出し、『友奈が体調を崩したので一緒に帰還する』といった趣旨のメッセージを勇者部のSNS『NARUKO』に送ると、部員たちからある程度予想通りの返答がすぐにきた。

 メッセージは送ったので、これでひとまず風の方にいるであろう勇者部員たちは大丈夫だろう。

 

「どのみち、その顔で行ってもみんな心配するだろうし……」

 

「――――ぅ」

 

 雪の勢いが弱まったと言っても、津々と曇天の夜空から降る雪は止まることを知らない。

 地面の色を蹂躙するかのように、穢れを知らない無垢の『白』一色へと染め上げていく。

 そんな空の下で息を抜くように告げながら、目尻を赤くした友奈を立たせる。

 

「――――」

 

「――――」

 

 俺の腕に掴まり立ち上がった友奈は一応泣き止み、表面上は元の状態に近くなった。

 笑顔は浮かべておらず僅かに小さく微笑む程度だが、無理に作る『嘘』の笑顔ではなかった。

 最後に手早く紺色のコートや履いている長い黒のソックスに付着した雪を払う。

 いつもと異なり、気恥ずかしさの所為か無言であった友奈はされるがままであった。

 

「――。あらやだ、お尻にも雪が。払わなきゃ」

 

「わひゃ!」 

 

 当たり前だが、雪の上に座り込んでいれば土や雪が付着してしまう。

 加えて、友奈が現在着用しているのは学校の冬用の制服であり、スカートが僅かに汚れていた。

 制服は汚れると洗うのが面倒なので可能な限り、揉んででも汚れを取らなければならない。

 

 そんな訳で少女の衣服や体に付着した土と雪を手で払い取り、合間に『不可抗力』もあったが、

 頭に軽い勇者パンチを受けた後は少しでも寒さを和らげる為に何となく手を繋いで歩き出した。

 寒い中でやることではなかったが、多少は元気が出たようなので何よりである。

 

 このまま歩けば、およそ15分ほどで加賀家が見えてくるだろう。

 降り積もる雪に足が取られることと、隣で歩く友奈を考慮すると20分ほどになるだろうか。

 右手に確かな温もりを感じながら、俺は友奈を引き連れ大通りに向かって歩き出した。

 

「――――」

 

「――――」

 

 無言で数分ほど歩き、市民会館前の大通りにまで戻ってきた。

 白銀の世界に彩りをもたらさんとする色とりどりのイルミネーションが光を灯している。

 歩いてしばらくすると、病院へ向かう途中聞こえた少年少女によるコーラスが行われていた。

 外で歌う彼女たちは一人一人が桃色の唇を震わせて、清らかな声で歌を唄っていた。

 

「良い歌だな……」

 

「――うん、そうだね」

 

 立ち止まって聞いても良いが、流石に優先順位が異なっている。

 コーラスも聴くだけの価値が感じられる物であり、道行く人も降雪の中で立ち止まっている。

 僅かな人混みの中をゆっくりと歩いていると、ふと握っていた右手に力が籠るのを感じた。

 

 右手に込められた手、掴んでいる友奈の顔をそっと窺い見ると、友奈はこちらを見て何か言いたげな顔をしていた。寒さで降る雪と同じような色白の肌にほんのりと朱色を混じらせている。

 

「どうかしたのか? 友奈」

 

「ううん、ちょっと……ね」

 

 そうして疑問に対して答える友奈の薄紅の瞳が向ける視線の先、クリスマスイヴだからか、

 よくよく落ち着いて周りを見回すと、仲の良さそうなカップルが多く通りを歩いていた。

 大胆なことに、クリスマスツリーのイルミネーションの下で微笑ましくキスをしている男女もいた。

 そんな光景を見てから俺がもう一度視線を向けると薄紅の瞳と目が合い、逸らされた。

 

「幸せそうだったね……」

 

「爆発しろとしか思わないけどな」

 

「そんなこと言ったら駄目だよ」

 

「そうだね、友奈がいるからな。幸せ係数はいい感じだよ」

 

「係数? 良く分からないけど……うん、私も亮ちゃんが暖かくて幸せだよ」

 

「――そっか」

 

 にへらっとした笑みを浮かべた友奈の様子は、表面上は少しずつ元に戻っているように思える。

 流石に活発な元気を見せる訳ではなく、先程まで流していた涙の痕は残っているが。

 

 そんな彼女の姿に僅かに眉を顰め、周囲にいる恋仲と思わしき人たちを見る。

 誰も彼もが世界で一番幸せであるのは自分たちであると、柔らかな態度や雰囲気で語っている。

 寒々とした夜空の下で、彩りのある街で、その隣にいる愛おしい人と共に歩いているのだろう。

 

「どいつもこいつも、幸せそうにしやがって……」

 

 それが何故か無性に気に入らなかった。

 隣で歩く少女、己の手を握る柔らかい手をしている友奈が苦しい思いをしているのに。

 世界の真実も何も知らず、与えられた平和をただ享受し、無知という幸せを抱く愚か者共よ。

 

 彼らにはわかるまい。その幸せを築く為にどれだけ多くの犠牲を――友奈を苦しめているのか。

 戦いは終わってなどいない。もしそんな事を言う人がいれば、それを俺は笑う。嗤ってやる。

 

 そんなわけがない。この世界は外に地獄がある限り、一部の者が戦わなければならない。

 かつて多くの勇者が死に、数百年経過してもなおその屍の上で、更に身体機能を捧げて戦った。

 その理は何一つ変わってなどいない。寧ろ更に状況は刻一刻と最悪の方向へと向かっている。

 

「――――」

 

「―――っ」

 

 そんなことを考えて、俺は思わず小さくため息を吐いた。

 霧のような薄く白い息は瞬く間に雪景色に消え、ゆっくりと友奈の手を引いて歩き出した。

 暗い考えだ。八つ当たりにも近い考えであると言っても良いだろうと自嘲気に頭を振ると、

 

「ねえ、亮ちゃん」

 

「ん……?」

 

「本当に風先輩の所に行かなくて良かったの?」

 

 ふとそんな事を友奈が口にして、俺は思わず視線を向けた。

 言葉を告げ震える桜色の唇、向ける瞳に様々な感情が過り、掴む手に先ほどよりも力が籠る。

 

 俺がその感情を読み取ろうと視線を向けるが、瞬きの後には何も感じ取れなかった。

 今更になって不安になったのだろうか、それともため息を勘違いでもされたのだろうかと苦笑しながら、手持ち無沙汰な左手で頭を掻いた。

 

「さっき連絡いれたのを見ただろ? それに友奈の方が大事だよ」

 

 情緒不安定気味なのだろうか、不安そうな顔をする友奈に対してそう口にした。

 その想いに嘘はなく、足を止めて真摯な意志で、正面から友奈を見て口にしようとして、

 

「――そっか、ありがとう。私も――」

 

「――――」

 

 熱の所為なのかうっすらと顔を赤くする友奈、幼さの残る顔よりも下に視線を動かした。

 前世から培ってきた直感が、勇者としての本能が、釘付けになる己の脳裏に警鐘を鳴らした。

 それ以前に警鐘を鳴らす鳴らさないに関わらず、ソレが危険である事を目で理解した。

 

 友奈とは自分の右手で手を繋ぎ合わせ、人通りの多い場所まで歩いてきた。

 そこまで強く握った訳ではなく、対照的に必死に掴む様に握る友奈との距離は近い。

 不安なのだろう。溺れた川でもがき苦しみ、助けのない中で唯一掴んだ藁という心象だろうか。

 紺色のコート越しではあるが、友奈の少しずつ成長している柔らかな感触が腕に伝わってくる。

 

「――――」

 

 問題はそこではない。

 先ほど友奈が向けていた視線、俺の左胸付近へ戸惑いの目を向けていたのを思い出す。

 ある種の含みを持って向ける視線、その些細な動きを逃す様な薄い関係ではないつもりだ。

 だから、人間が祟りを受けたのならば、恐らくだが左胸付近に何かが出現するのだと予想していた。

 

「太陽……」

 

「えっ……、―――っ!!」

 

 俺の視界に映るのは、友奈の左胸に浮かび上がっているように見える太陽の刻印であった。

 初めて見た『祟り』。その形状は何となく太陽の記号を模しており、呟くように口にした。

 悪寒が胸中を過る中で、ふと降り続いていた雪が止んでいることに気づいた。

 

 ――突如、轟音が世界に響いた。

 

 空を見上げ、音の方向に耳を傾け、それに俺は意識を奪われた。

 気のせいだろうか、気のせいであれと、呆然としそうになる感情が胸中を過るのを余所に、

 雪で冷め切っていた思考が冷静に、冷徹に、あれが何であるか、疑問の答えを模索する。

 

「へ」

 

 海岸の方向、その上空に膨れ上がる有り得ない光景と違和感があった。

 結界が壊されたのだろうか、空にパキリと皹が入り、やがて小さな穴が開いたように見えた。

 曇天の空模様、赤い光点、暗がりに歪に浮かぶ『ソレ』が、俺を捉えたように思えた。

 

 小さな穴、その先に広がる赤黒い光景は、見慣れた吐き気のする地獄であった。

 こちらに向ける殺意に、憎悪に呆然とすると、白い星々、その先にいる『ナニカ』と目が合った気がした。

 随分と遠くに見えるはずだというのに、不思議と俺にはその確信があった。

 

「あ」

 

 ――想像を絶するほど光輝く複数のビーム状の針が、こちらに放たれた。

 

 あれはサジタリウスの矢だろうか。

 迫る敵の一撃に対して、未だに樹海化は始まらない。端末から『警報』は鳴らない。

 神樹にその余裕が無いのだろうか。空を裂く轟きに周囲にいた人たちも悲鳴を上げず、呆然と見るだけだ。

 

「亮ちゃん!!」

 

 矢が迫る瞬間、隣で友奈が叫ぶのが分かった。

 飛来する矢が周囲の建物を砕き、破壊していき、凄まじい破壊の渦を展開していく。

 

 

 

 ---

 

 

 

 その瞬間、俺には友奈を抱きしめて回避することしか頭に無かった。余裕はない。

 10秒あれば勇者服に着替えて撃退することも出来ただろう。その10秒がとても遠い。

 光の矢の先端がこちら目掛けて飛来してくるのに対し、咄嗟に手をかざした。

 

「――――」

 

 その瞬間、意思を読み牛鬼と茨木童子が同時に出現し精霊バリアを展開、光矢の一撃を防いだ。

 恐らく精霊が一匹であったら防げなかったであろう、それを痛感させるような破壊音であった。

 だが他の人は精霊バリアなど持ってはいない。周りの建物は砕かれ衝撃波が広がる。

 

 意識が遠ざかりそうになるような凄まじい衝撃波が吹き荒れ、多くの人が叫び声を上げる。

 衝撃に音が遠くなり、血と瓦礫と人体であった何かが舞い散る中で、建物が崩壊する音が聞こえた。亀裂が奔り床や天井、壁が崩れていくことで多くの人が恐怖に悲鳴を上げた。

 

「な―――、ん」

 

 未だに樹海化が始まらないのは何故なのだろうか。

 そう思っている矢先、外側から破壊された結界の修復が始まり、凄まじい速さで穴が消えていく。

 かつて、東郷美森が瀬戸内海にある壁を攻撃して穴を開けた事があったが、天に開いた穴はあれほど大きくはない。

 樹海化して対応するよりも、堅いはずの結界の穴の修復にリソースを回したのだろう。

 

「――くそ」

 

 たったの一撃、それでこの様である。

 油断した。油断してしまった。慢心してたつもりはないが、足りなかった。

 

 敵は神であり、決して舐めていたつもりはない。なかったはずなのだ。

 だが現実は泣く友奈を抱きしめて、彼女の勇者になると誓いを立てて、この様である。

 周囲には血の匂いが漂い、多くの人が世界を呪うような呻き声と泣き声を響かせている。

 

 咄嗟に友奈を庇い、その上で精霊バリアを展開し直撃だけは避けたが、それだけだ。

 その後の衝撃に多少巻き込まれた体のあちこちに痛みが奔り、血が滲んでいる。

 先程の衝撃の中でなんとか少女の体を庇ったが、気絶したのか友奈の意識は薄い。

 

「―――うぅっ」

 

「たくっ……痛いな、まったく……痛い……」

 

 喉で呻き声をこぼしながら、俺はぐったりと意識のない友奈を背負った。

 この原因を作ったのはいったい誰だ。目の前で悲しむ少女を救ったと思い上がった自分だ。

 その場だけ救おうとして湧き上がる感情に従った結果、この地獄の光景を作り出した。

 

 俺の周囲で先程の神の一撃とでも呼ぶべきか、降り注いだ矢によって火の手が上がる。

 理不尽とも、不条理であるとも言えるソレは『神』の名前を持つに相応しい攻撃であった。

 先程の攻撃だけで終わったのか、曇天に開いた穴が瞬く間に塞がった後は何か来る気配はない。

 

「終わったか……?」

 

 あの一撃で十分だと思ったのか。ひとまず凌いだと思って良いのだろうと、そう思って――

 

『半身』

 

「今忙しいんだ、後にしろ」

 

 ――思考を遮るように、唐突に背後から囁くような声が聞こえた。

 見知った声に、その柔らかで艶のある声音の人物に、俺は苛立ちと共に返答した。

 

『唐突なんだが、少し聞いてくれるかい? 大事な話だ』

 

「――? 手短にな」

 

 傍から見ると一人で会話している頭の可笑しい人だが、周りも呻き叫んでいる。

 通報があったのか、遠くから救急車のサイレンの音が響くように聞こえる。

 友奈を背負い、引き摺る右足は先程の攻撃で裂傷により血が流れ出し、まだ止まらない。

 止血の必要性があったが、まずは現場を離れ、二次被害を防ぐ必要があった。

 

『以前、契約するにあたって3つボクの望みを叶えるって誓っただろ? アレ、今すぐ叶えて欲しいのだが』

 

「今かよ!? 状況分かってんのか、軽く棺に片足突っ込んでいるんだけども!!」

 

『いや、今のキミでも出来る簡単な事だ。端的に言えば――』

 

 苛立ちに叫ぶ俺の声に対して、揶揄するかのように飄々とした態度で告げる初代。

 遠くから爆発音が聞こえ、どこかで建物の崩壊する音が聞こえる中で、それらの音を無視して冷静に語る初代の声に俺は耳を傾けた。傾けてしまった。

 

『――今すぐ、死んでほしい』

 

 何てことないように、当たり前のように、声音を変えず、初代は対価を要求した。

 唐突な対価に数秒だけ本当に俺は呆然として、脳裏が一瞬驚愕のみに染め上げられた。

 

「うっ………あれ……?」

 

「――――」

 

 気絶していた友奈が俺の背中で呻き声と共に覚醒を果たしたらしいが、無事を喜ぶ場合ではない。

 初代のつまらない『冗談』を無視して、背後にいる友奈に声を掛けようと振り向き――、

 彼女の左胸で蠢いている太陽の刻印と、猛スピードで走り来る大型のトラックを目にした。

 

「亮ちゃん?」

 

「―――に」

 

 にげろと言っている場合ではない。混乱する思考の中で必死に逃げ道を模索する。

 友奈の背後、あと数秒しない内に確実に速度を上げて大型トラックが走り衝突するだろう。

 轟とエンジンを唸らせ、何かしらの意志を感じるトラックは白い地面に跡を作り迫り来る。

 

 明らかに速度がおかしい。

 それに生きていた他の人々も気づいたのか逃げようとする中で、俺も射線から外れるべく走った。

 走ろうとしたが異常に体が重く、また身体中が軋み痛みを上げ、転びそうになった。

 

「――――ぐっ!!」

 

 無理だ。このボロボロの体では間違いなく友奈ごと一緒に轢かれてしまう。

 回避など無理だ。思考が加速し、スローとなる視界の中で友奈を背中から下ろし、抱きしめる。

 状況を判断できず、ただ戸惑いと不安に目を潤ませる友奈の頭を抱きしめ横へ飛ぼうと―――

 

 

 

 ---

 

 

 

 衝撃。

 爆音。

 悲鳴。

 

 固い地べたの感触を顔面に感じながら、俺は地面に転がっているのを自覚した。

 誰かの叫びが、悲痛に溢れた叫びが、友奈の声が近くから聞こえ、ゆっくりと瞼を上げた。

 自分を見下ろす曇天の空から暖かな雨粒が頬へと流れ、それが友奈の流す涙だと気づいた。

 

「亮ちゃん、亮ちゃん……!!」

 

「―――ぁ」

 

 口を開くとゴボゴボと大量の血がこぼれ落ちる。どれだけ気絶していたのだろう。

 無事だと、大丈夫だと告げようと体を起こそうとしても、立ち上がるための手足は動かない。

 灼熱に体を焼かれ、痛む体は軋むどころかピクリともせず、断続的な痛みに眉を顰める。

 

「待ってよ、どうして……、私を……」

 

「――――」

 

 緩々と首を振り、所々血で汚れた制服姿の友奈の姿を視界に収めると胸が痛む。

 何か圧迫感を感じ視線を向けると、友奈が必死に己のコートを俺の胸に押し付けていた。

 支離滅裂な言葉を語り、錯乱しかけのその姿は、多少の擦り傷はあっても大事には至ってない。

 だがその眦から際限なく頬を伝い、俺の頬に涙を落とし叫ぶ姿は、安堵と同時に後悔した。

 

 『どうして』とは、何のことだろうか。

 『どうして』こんな事になってしまったのか、だろうか。

 『どうして』友奈を助けたのか、だろうか。

 

「あ、あぁ―――」

 

 その薄紅の瞳を見ていると、ふと思い出す事があった。

 かつて、生前の幕を下ろす時に助けた、名前も知らない少女の瞳と似た色をしていた。

 随分と前の転機を、あれこそ運命の分岐路と呼べる出来事を、死の間際に思い出していた。

 

 改めて周りを見渡し、再度降り出す白い雪、地面を飾る雪を冷えた紅が染めていく。

 嗅覚がむせ返るような血の匂いと、炎の匂いと、焼け焦げた肉の匂いを拾っていく。

 首を振り、必死に出血を抑えている友奈の両手とコートが赤く染まり、申し訳なく思う。

 

 死。

 

 かつて、一度だけ味わったことがある死が迫りつつあるのが分かった。

 『死』という味は冷たい血と鉄であるというのは、きっと誰も知らないだろう。

 きっとこの世界で俺が、俺だけが知っている『死』の冷たい感触が体に触れてくる。

 その恐ろしくもありどこか懐かしさすら感じる感覚は、死にゆく者にしか分からないだろう。

 

「――ゆ……な」

 

「亮ちゃん!」

 

 目の前の少女を泣かせた後悔と、無力さへの憎しみと、敗北の屈辱と、未練が浸食してくる。

 痛みも熱さも遠くなりつつ、冷たさが襲い来る中で何かを言うべく口を開いた。

 だけども悲しいかな、あまり多くのことを告げる時間は無いだろう。だから――

 

「――好きだよ」

 

 万感の想いを籠めて、息を抜くように、俺は友奈へと微笑んだ。

 それを最後に、俺の意識は闇へと沈み込んだ。

 

 

 

 ---

 

 

 

 涙をこぼし続け、少年を抱き叫ぶ少女の周りには無数の屍や瓦礫が転がっている。

 少年が息を抜くように告げた言葉を最後に、赤毛の少女が抱えた体に重さが増した。

 それを確認し、慟哭を上げ続ける少女の胸で蠢いていた刻印は、ゆっくりとその動きを止めた。

 

 救急車の音が近づく中、少年の体は動かない。

 血に塗れ、首から垂れ下げるチェーンに掛かる蒼い指輪は少年の血に浸されている。

 

『――――』

 

 そして。

 少年の肉体に隠れるようにアスファルトから芽を出し、急速な勢いで生えた小さな樹木の根が少年の体に突き刺さったことは、この世界の誰も、天の神ですら知らない。

 

 

 




【第六幕】 勇者の章-完-

NEXT


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【第七幕】 反逆の章
【閑話】 泡沫の雪夢


 赤色を見ると、ふと思い出すことがあった。

 そう、赤い色彩には多くの思い出があり、俺自身かなり好きな色だと言っても過言ではない。

 同じくらいに金色と黒色が好きなのだが、今は置いておこう。そう思いながら手を動かしていた。

 

「……亮くん、編み物しているの?」

 

「そうだよ」

 

 ある冬の日、それはちょうどこの世界で『クリスマスイヴ』と呼ばれる日の前日のことであった。

 神世紀299年の3月頃に、目の前で興味深そうに首を傾げている東郷と出会って9ヶ月が経過した。

 当時散華の影響で車椅子に乗る東郷と、暖房の効いた部室で二人きりの時であったのを覚えている。

 

「――最近は寒くなってきてさ。人肌が恋しいよ、東郷さん」

 

「そうね……最近は雪も降ってきたからね」

 

 東郷が向ける視線、濃緑の瞳は部室の窓ガラスを通り抜け、外の白銀の世界を見ている。

 釣られて俺も外を見ると、窓越しなれど津々と降っている雪は見ているだけで肌寒さを感じる。

 あまり長く見ていると体温が冷えそうだと思い、テーブルにあった温かな湯呑みを手に取った。

 独特な模様のある湯呑みは俺専用の物で、いつだったか友奈と一緒に駅前で購入した物である。

 

「明日は東郷さんの家に16時に集合でいいんだよな?」

 

「ええ。友奈ちゃんと3人で、その、『くりすますぱーてぃー』するんでしょ? ……あ、もしかして亮くんが作っているソレって贈呈品用?」

 

「友奈と東郷さんのは既に用意しているよ。これは……まぁ、新しい趣味かな」

 

「亮くんって結構家庭的よね、素敵よ」

 

「ありがと」

 

 車椅子にその華奢な体躯を乗せ、黒いタイツに覆われた足にブランケットを掛けている。

 濡羽色とも呼ぶべき髪、長い黒髪を青いリボンで一本にまとめ、肩から垂らしている東郷。

 いつもと変わらない姿を見ながら、唐突に告げられた褒め言葉に対して俺は苦笑していた。

 

「――――」

 

「――――」

 

 お互いあまり多くを喋らず、時間がゆっくりと過ぎていく、そんな感覚に包み込まれていた。

 湯呑みを手の中で回して一口飲み、温かでふくよかな玉露の香りとトロリとした甘みを楽しむ。

 そして部室に置いてある、ある人物から貰った大量の蜜柑の一つを手に取り、皮を剥いて頬張る。

 

 お互いが無言でそれぞれの事をしている。その沈黙は特に嫌な物ではない。

 東郷は部室にあるパソコンを弄り、勇者部ホームページの更新やコラムを書いている。

 対して俺は――赤いマフラーを黙々と作っていた。ある人へ届くか不明のプレゼント用にである。

 

 去年のクリスマスは結城家にお邪魔させて貰った。

 その前々の年までは、宗一朗や綾香といった両親、そして園子とクリスマスを楽しんでいた。

 

(園子、元気かな……。悪い男に引っ掛かってないかな……)

 

 こういう寒い季節になると時々、喪失感に狂いそうになる。

 寒くて、寂しくて、瞼を閉じると思い出す金色の髪色の少女のことが脳裏を過ってしまう。

 園子に関してはふわふわとした困った人に見えるが、しっかりしているのできっと大丈夫だろう。

 

「――――」

 

 そんな事を思いながら、ジッと俺は己の太股にある完成しかけのマフラーを手に取った。

 結構本気で真面目にコツコツと編み物に取り組んだ結果、中々の物になった気がする。

 毛糸に関しては特にこだわり、丈夫で暖かい物にしたつもりではあるが、

 

(1年以上も会ってないし……忘れられたりはしないだろうけど……)

 

 完成したソレを見ながら、自分でも珍しく園子に対する思考が臆病になっていると感じた。

 大赦内部での派閥争いは徐々に終息に近づいているらしいが、そもそも暗殺の危険から逃れる為に、俺は加賀家と乃木家で用意したらしい讃州市の別荘に住んでいる。

 

 宗一朗と約束した期限はあと半年も無いだろう。

 およそ2年と半年前、加賀家本家の屋敷で、月下で宗一朗と誓ったのだ。

 だからあれ以来、全く園子とは音沙汰がない。それは俺自身も納得しているのだが、

 

(大赦の連中、みんな死なないかな)

 

 このマフラーはプレゼントする事はないだろうと、やがて出来上がったソレをそっと鞄に入れた。

 恐らくではあるが、宗一朗に頼めば五分の可能性で園子に渡してくれるかもしれない。

 だが、やはり“かもしれない”という希望的観測であり、本当に園子にまで届くのか不明だ。

 

 最悪渡されることすらなく、どこか見知らぬ場所のゴミ箱に捨てられたりしたら流石にショックだ。

 何よりも相手の、園子の顔を見て渡して、喜ぶ顔を見たいと思うのは我侭なのだろうか。

 なにせ『加賀亮之佑』として生まれて半分ほどを園子と過ごしたのだ。大切に思わない訳がない。

 

「あと半年か……」

 

 蜜柑を片手に椅子から立ち上がり、部室の窓際に寄り暗くなりつつある空を見上げた。

 現在風と友奈がどこかの部活かは忘れたが、依頼という形で買出しを行っている。

 彼女たちの荷物は部室に置いてあり、彼女たちが帰って来たら今日は解散するつもりであった。

 

「何が?」

 

 呟いた独り言、ふと気を抜いて口から漏れた言葉に対して、小さくも応える声があった。

 己の背中に掛けられた少女の声、パソコン作業を終えたのか東郷がこちらを向いていた。

 いつの間にか誰もいない己の家にいる感覚で喋っていたことに心の中で悪態を吐きながら、

 

「――。ううん、春は遠いなって思っただけだよ、東郷さん」

 

「――? そうね、まだ冬は始まったばかりね」

 

「だから、東郷さんも風邪ひかないように気をつけて」

 

「ふふっ……ありがとう。亮くんも気をつけてね」

 

 そんな事を車椅子に乗る少女、ほんのりと頬を赤らませ微笑む東郷に俺は『いつもの笑み』を浮かべて話をし、蜜柑とお茶を飲み食いしながら時間を潰していると、廊下から足音が聞こえた。

 

「帰ったわよー」

 

「結城友奈帰りました! ……あっ、蜜柑美味しそう!」

 

「二人とも、おかえりなさい」

 

 数秒せずに扉が音を立てて開き、依頼を達成した風と友奈が部室に戻ってきた。

 それを東郷が迎えるのを見ながら、なんとなく暗くなった外の景色が気になり窓辺に寄った。

 背後から聞こえる女性陣の声を聞き流しながら窓に寄り、最初に映った景色は自分自身の姿。

 

「…………」

 

 やや癖がある黒髪と、昏色の目が窓に映りこみ、何故か懐かしさに駆られた。

 ゆっくりと目を細めて見続けるのも気分が良くないので、おもむろにカーテンを閉めた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 雪景色が目の前の世界を覆い尽くしていた。

 冷たい風と身を切るような極寒の気温に、吐く息は白く、世界の変わり様に思わず息を呑む。

 

「寒っ! 何これ……」

 

 意識の浮上と共に周囲を見渡し、瞳を瞬かせる俺の喉は驚愕に凍り付いていた。

 暗闇の世界に浮かぶ黄金の満月が俺を見下ろしているのは以前と変わらない。

 ただ、靴が踏んでいるのは暖かな土でも、草原でも無く、白い雪が見渡す限りに広がっていた。

 

「何これ……、やだこれ……」

 

 いつものように雪下にあるのであろう草木が横に移動するが、出来た道も雪が積もっている。

 滑りそうになる道を懸命に歩きながら、緩やかに道を上り俺は目的地を目指した。

 一歩一歩進む中で、気を抜くと雪に足を取られそうになる。懸命に雪を掻き分けて進む。

 体に吹き付けるような風が服の袖や裾に入り込み、寒さに腕で体を抱いていると、

 

「やあ」

 

「……やあ」

 

 小さな丘の上、桜の大樹は相も変わらず健在で、降り注いだ雪によって白化粧をしている。

 しかし花は枯れることは無い。散ることのない桜に不自然さを覚えながら、いつものテーブルも椅子もなく、場違いなコタツに足を入れ、蜜柑の皮を剥く黒髪の少女に話しかけた。

 

「なに、もしかして模様替えでもしたの? この世界ってリアルタイムで変動するっけ?」

 

「せっかくのクリスマスイヴなんだ。この世界はボクを中心に回っているし、ちょっとくらい変えてもいいだろう。それより、突っ立っているぐらいならさっさと入りなよ」

 

「――――」

 

 横暴な理論を語り、だが事実であろう言葉を放つ指輪の世界の王、初代に着席を勧められる。

 無言でコタツ布団に足を入れると、途端に体の芯まで温まるのを感じ、僅かに口端を緩める。

 小さく息を抜き、首を巡らせ、この世界でここが唯一の休息地であるのだと何となく理解した。

 

 ――ここには誰もこない。

 

「――――」

 

「――――」

 

 当たり前と言うべきか、見知った事実に、俺は何故か安堵した。

 俺が知りうる限り、この世界には俺以外の誰かが入り込んだことは無いはずだ。

 

 改めて周囲を見渡すと、更に強くなる暴風が雪を巻き上げ、世界を白と黒のみへと変えていく。

 何かしらの結界が張ってあるのか、丘の上、一部だけには視界を埋め尽くす白い雪が避けていく。

 初代は何も言わずに蜜柑を頬張りながら、無言で白いカップをコタツのテーブル上に出現させる。

 

「コーヒーは……?」

 

「残念、今日はボクによる、気まぐれココアだ」

 

「そんなシェフの気まぐれランチみたいなことを……」

 

 カップを覗き込むと、湧き上がる白い湯気に混ざるあまやかな香りが脳に染み込む。

 お互い言葉少なにテーブル上にあるカップを手に取ると、ふと思い出す事があった。

 この世界の風景は、“亮之佑が”見て感じた物を心象風景として再構築していると、こちらに紅の瞳を向ける少女が初めて出会った時に口にしていたのを思い出す。

 

「――――」

 

 まさか、この荒れ狂う雪景色が自分の心象風景なのかと思うと、何故か笑えた。

 そうして意味も無く、己が笑った意味も考えずクツクツと笑っていると、初代が口を開いた。

 湯気が昇るカップを持ち上げて恋する乙女のように微笑み、唇を緩め血紅色の瞳を向けてくる。

 

「乾杯しよっか、半身」

 

「……何の?」

 

「今年は平和だった事に、ね。まあ来年は知らないけど」

 

「平和か………退屈でつまらないがな。あとさっきから足の爪先で文字書くの止めてくんない? 興奮するから」

 

 軽口を叩きながら、俺も仕方なしにと肩を竦めつつココアの入ったカップを持ち上げる。

 脈絡のない言葉に苦笑しながら、小さなテーブルを間に挟み、間近で紅色と昏色の瞳が交錯する。

 

「――退屈ならきっとすぐに消えるよ」

 

「壁の外からあの白いのが来るとかか? まあ期待したいけども……時々お前の思考が分からないよ。辞書とか売ってないかね」

 

「ボクの辞書は非売品だよ……乾杯、半身」

 

「それは残念だ……乾杯、初代。メリークリスマス」

 

 結界の外は寒々とした暴風も、身を切り裂くような雪も止むことは無かった。

 凍りついた雪が降り続け、降り落ちた雪もまた吹き上げられて布のように舞っていく。

 そんな中で、俺たちが鳴らしたカップの音は、静寂の中で確実な余韻を鳴らして消えていった。

 

 

 




久しぶりに短め。
山も谷もない(雪はある)ある日の話


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【IF】 花結いの空で、貴方に愛を

UA100000記念作品。
完全にIFの話で、本編の平行世界という扱いとしています。
また、注意があります。
このIFルートは 
        ①他の話よりも多少長いです。
        ②【結城友奈は勇者である 花結いのきらめき】のネタバレがあります。
        ③本編と異なりキャラクターの関係が大きく異なっています。
        ④この話は第四十七話からの分岐となっています。
        ⑤また完全なるバッドルートです。救いは1人を除きありません。

これらを理解した方のみ、お楽しみください。


 ――お互いに銃を向けていた。

 

 向け合う銃、その形状は違えども本物と変わらぬ威力を持ち、相手を傷つけることが出来る。

 死の匂いが充満し、空模様を不快な『星』が疎らながら覆い始めていくが、目は向けられない。

 

 見ることも、目を逸らすことも出来なかった。

 ソレをして、隙を作ればどうなるかは一目瞭然だった。

 

「――私たちに未来はない」

 

 すぐ近くに激情を湛えた瞳がある。

 丸い瞳はどこまでも広がり、蔓延するような怒りと、その無意味さを理解した絶望を宿す。

 悲嘆に暮れた深い緑色の瞳、思わず吸い込まれてしまいそうな程の『狂気』が映りこむ。

 

「――私が、この世界を、終わらせる」

 

 脳に染み込ませるように。

 ゆっくりと、区切りながら、明確な意思を示す。

 

 ポツリと、だが確かに告げた言葉には、多くの思いが籠められていた。

 掠れた声で、疲れたように、それでいて明確な殺意を滲ませて、怒りに目を細めて睨み付ける。少しずつ研ぎ澄まされていく殺意の向かう先は、間違いなく自分に向いている。

 

 どうしてこうなったのだろう。

 どうすれば良かったのだろう。

 

 いったい、何をどうすれば、こんな結末へ通じているのだと分かったのだろうか。

 

「は、は」

 

「―――っ!!」

 

 乾いた声が、同じく乾ききった喉から漏れた。その言葉ですらない音に意味はない。

 相手に対して嘲笑するべく、馬鹿にする為に作った物でも、この状況に対する物でもなかった。

 ただどうしようもなく悲しくて、悔しくて、虚しくて、憎らしくて、何かをこぼしただけだった。

 

 ――衝撃が頭に響いた。

 

 喉からこぼれた物は、銃口を突き付けていた相手にとっては嘲笑であると思われたらしい。

 その時、“いつも通り”笑って話をする自分とは別に、呆然と理解を拒む自分がいるのが分かった。今自分は何を相手にされたのだろうか。5メートルほどの距離から撃たれたのだ。

 

 鈍く重い音が鳴り響いた瞬間、致命傷と判断して黄金色のバリアが出現する。

 視界の端で出現した金色の鬼、デフォルメされた片角のある鬼の精霊によって、自分が守られるのを知っていての相手の判断であるのは分かっている。だが、それでも撃たれたという事実は変わらない。

 

「――分かって」

 

 “いつもの笑み”の内側で震える自分に対して、声が掛けられた。

 理性的で、利他的で、その薄い桃色の唇を震わせて、冷たくもよく通る声音だ。

 

「分かって! これでもう誰も、二度と苦しい思いをしなくて済む!」

 

 根拠などない確信めいた言葉を放つのは、先程から殺意を向ける長い黒髪の人物だ。

 冷静でありながらそうではない。全ては自分で考えて、そうであって欲しいという願望だ。

 彼女は盲目的でありながら、己の行動が正しいと思い込む『狂気』に満ちていた。

 

「―――、皆を殺すつもりなのか?」

 

「そうよ! これ以上友達も大切な人が傷つくことに、私は耐えられない……!!」

 

 告げた言葉に吼えられる。返される言葉には、一切の躊躇いは感じられなかった。

 自分の行いが正しいのであると過信して、これが相手の為であると善意を押し付けていた。

 誰かが傷つくのを見たくない。その部分だけ見れば、彼女は優しい人であると思うだろう。

 

 だがそれ以上に、嘘であると思った。

 ただ“自分が”嫌な思いも苦しい思いもしたくないと言っているようにしか聞こえなかった。

 

「そ、うか」

 

 きっと、自分自身ではそう思い込んでいるのだろう。

 きっと、こちらに向けている瞳に広がる景色には、全てが地獄に見えるのだろうか。

 そう見えたのならば、思うことなど一つだ。可能ならば地獄から逃れたいと思うのが普通だ。

 

 ――だが殺すと言われた。

 

 己を殺すと。友達を殺すと。知り合いを殺すと。仲間を殺すと。大切な人を殺すと。

 歯を食いしばり、憎悪に目を細め、冷え切った声音で、「お前の大切な物を壊す」と言われた。

 

 自分は今まで何を見てきたのだろうか。

 大切に思って、心を砕き、言葉に共感し、多くの時間と感情を共にしてきた。

 『前世』での経験という反則がありながらも、そのおかげで絆を紡ぐことが出来た――はずだった。

 

 それだけ信頼して相手を思いやっても、結局は“裏切る”のだ。銃口を突き付けてくるのだ。

 息がこぼれる。唐突に白と黒しかない目の前が歪み、不意に息の仕方を忘れそうになってしまう。自分は一体どこまで愚かなのだろう。理不尽と不条理に振り回されて苦しむのは何度目か。

 

「―――ふへ、へ」

 

「――?」

 

 気持ち悪さに笑みがこぼれる。

 そんな自分に、訝しげに冷たい視線を向けられるのは変わらない。

 いつもの笑みを浮かべているつもりだが、自分がどんな顔をしているのか分からなかった。

 ただ今は萎んだ肺を膨らませ、また萎ませて空気を己の中へと取り込んでいく。

 

 何度も何度も呼吸を繰り返し、睨みつけてくる敵の瞳を黙って見返す。

 踏みつける壁、根によって作られた壁に開いた穴から、津々と白い星が空へと上っていく。

 命を喰らい、貪り、多くの人を殺し、魂の尊厳すら陵辱せんとケタケタと空を哂い上る。

 

 その光景を目尻で捉えつつ、相手の姿を再度確認する。先程と何ら変わりない。

 青色を基調とする勇者の装束だが、不自由な脚を補うように白いリボンの様な物が出ている。

 小型の拳銃を構えている凛々しさのある姿は、思わず吸い込まれてしまいそうだなと思った。

 

 こちらに向ける拳銃、彼女が持つ手には震えなど無く、照準はピタリと自分を狙っている。

 そんな彼女に対して、左手に持っていた拳銃と右手に持っていた黒色の剣を構え直した。

 

「そんなに一人で死ぬのが嫌なら――」

 

「――――」

 

 もはや言葉はいらない。お互いの主張は平行線で、どうにもならない。

 にも関わらず、女々しくも最後に何かを告げようと思った。それを昏い心が渇望していた。

 消えることのない昏い炎が――絶望という病が、己の心をジワジワと浸食しているらしい。

 

 きっとソレは満開の代償、散華による結果なのかもしれないが、それだけとは思えなかった。

 今となってはどうでもいいが。運命の分岐路は、この手の中で引き金を引けば直ちに決まるだろう。

 お互いが目の前の心臓を撃ち抜かんと己の武器を構えながら、最後に一言、呪いを告げた。

 その『呪い』は、きっと相手だけではなく、自分にも掛けられたのだろう。

 

「一人で死ねよ」

 

 ――信頼を裏切り、裏切られた指が引き金を引いた。二つの銃声が鳴り響いた。

 

 鳴り響いた。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 意識が覚醒すると同時に感じるのは、酷く鈍い頭痛だ。

 二日酔いのような吐き気を催しつつ、同時に意識が眠気から乖離していくのを感じる。

 直前の出来事は覚えている。誰かの叫び声の中で、撃って撃たれたはずだ。覚えている。

 

 きっとこの光景は忘れられないだろう。彼女と過ごした記憶の中では笑うこともあった。

 だが、それ以上に向けられた声音が、憎悪を帯びた瞳が、憤怒の表情が、ソレを塗りつぶしていた。

 

 忘れたい。

 忘れようと思っても、思えば思うほどに瞼の裏から離れず、寒気に己を腕で抱いた。

 

「寝ぼけてるのかな……?」

 

「――――」

 

 不意に少年の耳に、足音とその声が届いた。

 見知った声に近いと言っていいだろう。いや、近いというレベルではない。

 やや低めであり、常に何か人を喰うような、そんな声ではあるが聞き覚えがある。

 

「それとも、実は起きているのかなー?」

 

「…………」

 

 聞き覚えはある、だがそれだけだ。記憶の中の人物とは別人であると少年は直感で思った。

 だから瞼を下ろし、眠ったふりを継続する。

 現状が分からないならば、情報を得た上で攻撃を――

 

「あっ、もちろん君の事はしょーさん……君の初代様から聞いているからね。指輪は没収しているよ」

 

「――。お前は誰だ」

 

「やっぱり起きてたんだ、おはよう」

 

 湧き出す疑問、質問したいという欲求を噛み殺し、舌打ちをして瞼を開け、その姿に驚く。

 ありえない。記憶にある顔と、目の前に映る顔がほとんど同一の存在が目の前にいた。

 亮之佑にとって誰よりも親しい少女2人の内1人と、顔のパーツも声も、体格すら似ている。

 

「友奈、なのか」

 

「……うーん。確かに友奈だけど……ね。安心してよ、こっちの陣営にいる以上危害は加えないつもりだから」

 

 対峙する少女の言葉に、警戒心の薄い声音に、亮之佑は眉を顰める。

 見れば見るほどに、その少女の顔は瓜二つと言っていいだろう。他人の空似だと思えない。

 かと言って奇術師のように変装しているとも思えないのは、その小悪魔的な態度の所為か。

 

 記憶の中の少女と異なるのは、やや釣り目がちであること、髪型はポニーテールであり、

 肌の色が褐色であるなど細部に違いがある。また勇者服のデザインも記憶とは異なっている。

 赤と黒を基調とした勇者装束に身を包み、右手には生前見たパイルバンカーのような装甲、

 そんな衣装の中で強調しているのが胸だろう。よく知る少女と比べると、スタイルを強調したデザインである。

 

「危害を加えない……ね。ならまずは説明をしてくれるか」

 

「その落ち着きようは流石ゆーりの子孫かな。でも私からの説明だと擬音が混ざるんだよね、ドーンとか、バゴーンとか」

 

「――だから、ここからはボクが説明するよ」

 

 背後の扉、僅かに軋んだ音を立てて開いたドアから現れた一人、見知った少女が言葉を引き継いだ。

 現在向かい合っているのはどこかの客間であろうか。白いベッドに腰掛け、亮之佑は硬直した。

 その一人称と、響きと、声と、その顔を見て、初めて衝撃が全身を貫くのを感じた。

 

「……初代、なのか」

 

「やあ、半身」

 

 褐色の『友奈』の傍に、小さな足音を立てて一人の人物が近づきながら桃色の唇を笑みで歪める。

 それは白い肌を引き立てるような黒を基調とした服、だが装束ではない見慣れないワンピースを着込み、血紅色の瞳を光らせる少女は――加賀亮之佑の契約者にして共犯者であった。

 

 何となくだが、何か亮之佑が予期せぬイレギュラーが発生しているのだとその瞬間理解した。

 指輪の世界には亮之佑以外に住人はいないと思っているが、他に例外はあるかもしれない。

 しかし、直感ではあるが、その可能性は低いと思った。世界に入った前後の記憶がないのもあるが。

 

「まず、『キミ』は造反神側の勇者として召喚された。そして今のキミならば間違いなくあらゆる手段を用いて必ず勝利を掴みとってくれるだろう」

 

「なにを……言って……」

 

 穏やかに、それでいて冷静さを保ちながら、平然とした顔でそんな言葉を共犯者は口にした。

 そうして事情と状況、目的を初代の口から聞かされながら、亮之佑は首をゆるゆると横に振った。

 驚愕に震え見開かれる瞳、だがそれとは裏腹に心の中で燃え広がる昏い炎は未だに消えない。

 

「この争いの理由は……大体、分かった。そういうことなら協力しよう。彼女については……」

 

「――ん? ああ、私? そうだよね、疑問だよね。だから一応ちゃんと話すね」

 

 口に微笑の形を描き、再度友奈の顔をした別人がにこやかな顔をして口を開く。

 

「――私の名前は赤嶺友奈」

 

「赤嶺……」

 

「盟友弥勒家と共に、加賀家の両翼として……まぁゆーりと――あっ、君の先祖で、そちらの初代さんの子孫かな。それで、私が造反神に協力しているのは君とは異なる理由だけども、方向としては同じだからよろしく」

 

「――――」

 

「それと、私の子孫と仲良くしてくれてありがとね」

 

「――顔はずいぶんと違いますが優秀ですよ。しばらくの間よろしく。赤嶺……ちゃんでいいかな」

 

「うん、全然いいよ。加賀亮之佑くん」

 

 そうしてようやく笑みを浮かべ、薄く微笑む少年の濃紅色の瞳を、向かい合う少女は見る。

 そこに宿る感情は、当時西暦の人間たちが持っている感情と同じで、見慣れたものだった。

 それは、星を見た者の胸に巣食い、裏切られた者のみが宿す、『絶望』という黒い炎であった。

 

「――半身」

 

「おっと……」

 

「これからまたよろしく」

 

「ああ……」

 

 短く告げる言葉と共に、亮之佑の下へと飛来する小さな物体があった。

 直後、掴み取り少年が手のひらに広げた物は、チェーンが通っている蒼色をした指輪であった。

 首に掛け、その重さが馴染む感覚に思わず苦笑する彼を、ジッと二人の少女の双眸が見つめた。

 

 一方は感情が読めず、それでも楽しそうで。もう一方は、恍惚と吐息を漏らし小さく哂った。

 ここにいる者は全員、お互いに心から信頼している訳ではない。互いに利害が一致しただけの関係。同じ神に駒として『召喚』されただけの関係であり、大した付き合いがあるという事もない。

 

 それが心地良くて、善意を押し付けられるのではないと解って、亮之佑は口を緩めた。

 色彩がある世界を愉しいと思った。きっと鏡を見れば、一目瞭然であっただろう。

 

「――――」

 

 久しく戻った、色のある世界。

 ふと近くの窓を見ると、冴えた黄金の月が、変わらずに狂人を見下ろしていた。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

「勇者様に最大限の敬意を」

 

 冷たい床に平伏し、巫女服を着た少女は目の前の少年の言葉に耳を傾けていた。

 手のひらに広がる冷たさが、早鐘の如く鳴り続ける心臓の鼓動を少しだけ遅くした。

 だが、それだけでは呼吸の間隔も変わらず、小さな体を必死に縮めようとしていた。

 

 少女の名前は、国土亜耶と言った。

 神樹からの神託を受け取る力を持っている大赦の巫女の一人であり、ある事情によって『防人』と呼ばれる少女たちと行動を共にし、少し前まで一緒に過ごしていたのを記憶している。

 

 直前に神樹の神託によって、神樹の中の世界に来たと理解していたのだが、

 出現した先で、数名の少年少女が部屋の端に、そして中央に2人の少女と、彼女たちの間に挟まれた少年が椅子に座り、亜耶を見下ろしているのを理解して瞬時に挨拶をした。僅かにだが、どよめきの声が部屋に上がる。

 応接間のような場所で、敬意を尽くし頭を下げる少女は、目の前にいる少年が誰なのか知っている。

 

 一方的にしか知らないが、当時遠目にであってもその姿を見たことはあった。

 数週間前の出来事ではあるが、現実世界での御役目として亜耶本人も壁の外へ出ることがあった。

 危険な任務だと忌避する仲間も多くいたが、それを盾に自分だけ逃げるのは嫌であった。

 

 怖いという気持ちはあった。

 行きたくないという気持ちもあった。

 

 それ以上に何も出来ない自分が嫌で、信頼する防人の少女たちと共に壁の外に赴いたのだ。

 当時行われた御役目、その内容は順調であったが、帰還する際に防人部隊は襲撃を受けたのだ。

 防人の装備は勇者と異なり弱い。それでも懸命に少女たちは戦い、そして神樹に亜耶は祈った。

 

 ――どうか、彼女たちを守ってくださいと。

 

 そして神樹様は、自分の祈りに応えてくれたのだと、当時の亜耶は思った。思っていた。

 本人が聞けばきっと偶然だと言うかも知れないが、その偶然に亜耶は心から感謝していた。

 偶然を導き出した加賀亮之佑という勇者に敬意を抱いていた。

 

 今でも目を閉じると、瞼の裏に広がる。

 赤黒い世界の下で重厚な音を轟かせ、金粉がこぼれる黒衣をはためかせた『勇者』の姿を。

 恐怖を感じた蛇遣座の哂い声を、紅と金色の光が奔ったと同時に地面に叩き落とした姿を。

 

「そんなに畏まらなくていいよ?」

 

「――いえ、そんな、勇者様にそのような不敬な事は」

 

「いいから。座って」

 

「……はい」

 

 一瞬、考えが遠くへ行きそうになった所で静かに声を掛けられ、亜耶は気を引き締める。

 見ると椅子に腰掛けている少年が微笑を張り付かせ、穏やかな表情で紅瞳を向けてくる。

 椅子に座り、だが頑なになる少女の敬意に対して困ったような顔をして、勇者は肩を竦めた。

 

「個性が強そうな子がきたね。純粋そうな子みたいだよ?」

 

「何がガチャ王だよ。見事に引きをミスっているじゃないか、半身。キミは以後その称号を名乗るなよ」

 

「黙ってろ。――さて、亜耶ちゃんでいいんだよね。状況は分かっているかい?」

 

 そんな勇者を揶揄するように、亜耶には解らない言葉を時折放つ少女たちもまた勇者なのだろう。

 そう判断した亜耶を見つめる少年の目には、悪意や敵意といった物は何も感じられなかった。

 神樹からの神託に対して召喚された筈だというのに、造反神側の巫女として呼ばれたらしい。

 

「えっと、――はい。神託である程度までは」

 

「そうなんだ」

 

 造反神もまた神樹の一部だ。敬意を払うべき存在であるが、何故か警戒心をもてなかった。

 そんな様子の亜耶に対して、丁寧な口調で、静かな声の調子で少年も亜耶に敬意を払っている。

 その姿にふと疑問を抱いた。何故このような方が造反神側にいるのかと。何か理由があるのかと。

 

 見れば、記憶の中にある勇者とは少しだけだが印象が異なっていた。

 外見に違いはない。亜耶と同じく椅子に腰を掛ける少年は黒衣を纏っており、装束を羽織っている彼の顎に添えられた手を覆う赤い手袋は印象的で、記憶と一致している。眼の色も一致している。

 

「――さて」

 

 だが眼の奥、彼の紅瞳に見つめられた瞬間、僅かな恐怖を感じた。

 相手は決して武器を向けてきた訳ではない。ただこちらを見てきただけだ。

 柔らかな笑みを浮かべ、穏やかな表情をしていても、眼の奥が相手の一挙手一投足を観察している。何か攻撃をしてこないか、その心情を見透かそうとしている。

 

「なぜ亜耶ちゃんがこの世界に呼ばれたのかだけど………うん、本当はね、こちら側での戦力として勇者を召喚しようと思ったんだけども……。キミは神世紀300年の秋から来たんだよね。そう、少しだけ未来から。この状況は神樹から事情を聞いているなら警戒するのはもっともだろうけども、一つの情報で判断しないでね」

 

「……はい」

 

 その言葉に亜耶は素直に頷いた。打算に基づいた訳でも媚を売った訳でもない。

 ただその通りであると思っただけだ。その態度を受け、亮之佑はしばし思案し小さく微笑んだ。

 

「――――」

 

「一つだけ質問するけどね? 亜耶ちゃん」

 

 微笑を浮かべた表情に、少女は先程のような恐怖を感じることはなく、

 ただ真剣な顔をして聞こうとする姿勢に勇者は頷いて、小さく光る物を取り出した。

 

「たとえばの話だけども。自分の大切な人の命を犠牲にして代わりに多くの人の命を救えるよって言われたら、亜耶ちゃんはどうする? 大切な人を犠牲にして多くを救う? それとも多くの人を犠牲にして大切な人を救う?」

 

「それは――」

 

 少年が取り出した物は、鈍く輝く金色の弾丸であった。

 それを手のひらで転がし遊ぶようにして亜耶に見せ付けてくる。その意味は何となく分かった。

 向き合い、紅瞳を亜耶に向けて、少年はたった一つの質問をしてきた。“お前は俺の敵なのか”と。

 

「わ、たしは……」

 

「……」

 

 沈黙だけはしてはならない。

 目の前の少年が望むのは答えだ。

 『はい』か『いいえ』ではない。自らの意志、考えを述べられるかどうか。

 

「……」

 

「わたしは」

 

 威圧感の中、そんな状況下で、頭がおかしくなったのかもしれない。

 もしかしたら、この少年は臆病なのかもしれないと、ふと場違いな事を思った。

 そう思いながら、自分の大切な人たち、防人の少女たちの事を頭に浮かべると自然と答えが出た。

 

「私は、その……、―――――」

 

「――そうか」

 

 質問された内容を必死に考えて、自分の大切な人たちの顔を浮かべて拙くも亜耶は答えた。

 その答えに、少し嬉しそうな顔をして少年は弾丸を懐に仕舞い、椅子から立ち上がった。

 何かに満足したのか、ゆるりと立ち上がった少年は、そっと手を亜耶に差し伸べた。

 

「亜耶ちゃんは、得意な事はあるかい?」

 

「えっと、掃除が得意です」

 

「掃除。清潔感がある人っていうのはオレは好きだよ。衛生を保つのって大事だからね、うん。しばらくの間よろしく。ああ、そうそう自己紹介を忘れてたね。オレの名前は加賀亮之佑。造反神側の……いや、それよりお腹減ったでしょ。少し話もあるし、この後一緒にご飯食べよっか」

 

「はい! これからよろしくお願いします」

 

「そっか、うん。ならうどんにしよっか」

 

 巫女とは無垢で純粋な存在でなくてはならない。世俗に染まってはいけない。

 また勇者も条件としては同じである。どちらも神に見初められる為に必要だからだ。

 だからこそ、純粋で無垢であった事が少女の命を救い、同時にある種の不幸でもあった。

 

 ――純粋ゆえに、簡単に見えない狂気が伝染するのだ。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 これ以上神樹側へ新たな勇者の増援が来る前に、こちらの準備を急がせていたが、

 

「あ、ああああああぁぁっ……!!」

 

「あぐっ……」

 

 腹を貫かんとする凶悪な威力に、球子と背後にいた杏が蠍座の尾針にバリアごと貫かれ空を舞う。 致命傷と判断したのか、精霊が瞬時に張ったバリアごと、関係ないとばかりに蠍座が尾針で突く。

 バリアのおかげで致命傷はない。

 だがそれだけだ。勇者といえど、痛みも衝撃も恐怖も生まれる。

 

「タマちゃん!」

 

「杏!」

 

 球子の口から絶叫が漏れ、意識を失った杏の二人は空中に飛ばされ、地面に叩き落とされた。

 そこを狙い、蛇遣座が指示を出した星屑の軍勢がとどめとばかりに周囲で自爆した。

 星屑やその進化系に邪魔されて近づけない勇者たちは、その容赦の無い、無慈悲とも言える爆撃に悲鳴に近い怒声を上げた。

 

「あ―――、うぐっ」

 

「樹! このおおおぉぉおおっ……!!」

 

「風、前に出すぎよ!」

 

 確かに勇者の力は強大だ。だがお互いをあまり知らない者同士の連携など大したことはない。

 特に分断して弱い勇者を集中して狙えば、庇おうとする無能が新しく隙を曝け出すことになる。

 彼女たちの連携とはそういう足の引っ張り合いでしかないと、空中から見下ろす少女は思った。

 

「――それにしても、手数がないとはいえ、まさかバーテックスを操れる日が来るなんてな」

 

「まあ、本物ではないんだけどね。造反神様は天の神寄りの神様で、限りなくバーテックスに近い物を作れるってだけだから」

 

「それでも、だよ。赤嶺ちゃん」

 

 隣に立つ亮之佑と赤嶺が踏みしめているバーテックスは、あちらでは蛇遣座と呼ばれている。

 少年にとって、対峙すれば殺し殺される関係だというのに、今は戦艦の代わりとして乗っている。

 その事が痛快で、上から見物する感覚で指示を出し、雑談をする程度の余裕すらある状況だった。

 

 銃も槍も届かない上空から、強化された視力で地面の戦況を淡々と見る。

 彼女たちに怨みや妬みがある訳ではない。以前までは共に戦った仲間もいる。だがそれだけ。

 敵対するというのならば容赦はしない。反逆するというなら徹底的に叩き、殺してやる。

 

「オフューカスさんとカプリコーンさんでの地面と空からの妨害。スコーピオン先輩とキャンサーさん、サジタリウスさんのコンボ。これって相当豪華な顔ぶれだと思うんだよね、亮之佑くん」

 

「あとはアタッカとマエストーソ部隊と、後方からカデンツァとカノン部隊での掩護射撃で勇者の動きを止める。……ここまでして3人撃破にこんな時間が掛かるとは。ま、戦力を用意してくれた造反神と裏方で頑張っている初代に感謝だな」

 

「……うーん。ここまで来るとなんか、こっちが卑怯なんじゃって思ったりしちゃうな。開始のゴングも鳴らしてないし」

 

「ゴングなら最初の時点で鳴ったんだよ。それに舐めプして撃退されるなんて恰好悪いだろ? やるなら徹底的にだ。先に芽は摘み枝は切り落とす。それにこの作戦で堅実に3人は戦闘不能に追い込めた」

 

 見下ろし戦っている敵は13人の勇者である。

 勇者部の5人と、他3人、西暦時代の勇者が5人であり、しかも精霊が全員に備わっている。

 簡単な攻撃では相手を倒すことも殺すことも容易ではないだろう。バーテックス級が必要になる。

 

 精霊の力は強力だ。勇者同士が戦ってもバリアを削り取るのは容易ではない。

 神様級の攻撃ならば可能かもしれないと初代は言っていたが、攻撃としては現実的ではない。

 そんな例外は置いておき、どんな攻撃も精霊が絶対に守護しようと力を働かせる。

 

「きゃああああっ……!!」

 

「なんだこの連携は……! みんな固まれ!」

 

 ではそんな勇者たちはどうやって倒すのか。

 地面を転がっている勇者たちは簡単には殺せない。意識が無くとも精霊たちが命を繋いでしまう。

 だから遠慮はしない。ありったけの殺意を込めて、変身が解けても徹底的に攻撃をし続ける。

 そうして心を折るのだ。

 徹底的にその魂を陵辱し、二度と立ち上がれないように恐怖を与える。

 

「まあ、死んだほうがいっそいいかもしれないけどな、東郷とか。死ねばいいのに、友奈以外」

 

「――? まあ確かに『カガミブネ』を使用されると厄介かな」

 

 淡々と口にする亮之佑、その横顔を見る赤嶺には、少年の過去に何があったかは知らない。

 ただその過去に、彼を非情にさせ、確固たる意思を芽生えさせる出来事があったのだろう。

 

 年単位で親しげに接した人間が唐突に裏切り、憎悪と殺意を向け、吐き出される経験。

 そんな経験がトラウマを刺激し、改めてこの少年に経験を与えてしまったのだ。

 

「信頼っていうのは、優しい毒なんだよ。絶対にオレは、もう騙されない」

 

 血紅の瞳を濁らせて、狂気に満ちた薄い笑みを亮之佑は浮かべる。己の体を腕に抱いた。

 3人が血を吐き出し恐怖を瞳に刻み込み、爆発に華奢な体躯を転がせている姿に何も思えない。

 “思わない”、ではない。“思えない”。これこそが満開の影響、散華システムの所為なのかは不明だが。

 

 自分を兄のように慕ってくれた少女が死に体でも、多少胸がムカムカするのは仕方がない。

 他で塵のように転がる西暦の勇者になど死んでも興味も湧かない、だが樹を殺すのは少し胸が痛む。

 

「――友奈と同じ顔が他にいるのもムカつくな。情報通りにいるんだな」

 

「神樹様が生態系のサイクルに因子を混ぜたんだよ。逆手を打って生まれた子はある意味特別なんだ。だから高嶋さんは私の先輩。君の大好きな結城ちゃんは私の後輩になるの」

 

「ふーん、そうなんだ。……ひとまずこの地区の土地の再奪還は完了したし、拠点を移そうと思う」

 

「拠点……。西暦の勇者、風雲児たちが居たっていう丸亀城だね。亜耶ちゃんのご機嫌取り?」

 

「……いや、それよりも精霊の用意は出来ているのか?」

 

「時間の都合とリソースを最大にしても2体だけしか出来てないよ?」

 

「上等だ。……この世界に長居してもしょうがない。……ここまで計画が順調だとは」

 

 敗北し、神樹側が管轄している地域へ撤退していく勇者たちを見下ろしながら赤嶺は口にする。

 今回士気の高い勇者勢をバーテックスと進化体での連携を用いて、特に後方部隊を撃破した。

 傷ついた者、何かを考え込む者、恐怖に悲鳴を上げる者。バーテックスに撃破される者。

 

「これで少し時間は稼げるだろう。明日の夜に次の手を打つ」

 

「分かったよ。……ところで後輩ちゃんに顔、見せなくて良かったの?」

 

 勇者との戦いは、これが初めてではない。

 亮之佑が召喚され、初代と赤嶺の3人で戦略を練り、毎日襲撃を行ってきた。

 朝も昼も、特に夜中を集中してアタッカや星屑による襲撃を開始して土地の奪還を防いだ。

 

 その間にこちらも造反神にバーテックスを作成してもらい、今日初めて本格的に攻撃をしたのだ。

 いつも通りに終わるだろうという油断を狙い、奇襲を狙った戦法の成果はまずまずといえる。

 撤退していく勇者たちに追撃は行わず、堅実に得られた成果で満足することにした。

 

「――黒幕っていうのは安易に顔見せはしないのさ」

 

「ふーん。ねえ、あれって殿か何かかな?」

 

 敗走する彼女たちを亮之佑と赤嶺は並んで見守り続ける中で、ふと赤嶺が口を開いた。

 その中で、前列にいた一人の勇者が立ち止まっていた。赤い装束を纏った少女に面識はない。

 2つの斧を両手に持ち、小学生くらいの姿の少女は、どうやら殿を務め、勇者達を逃がすつもりらしい。

 

 その姿を何となく興味深く感じて、オフューカスもどきに命じて地面へと高度を落とした。

 唐突に敵の進行が止まったことに疑問を浮かべていた少女は、こちらの姿を見て何かを納得した。

 

「お前が、悪の親玉か――!!」

 

 立ちはだかる少女は眦を吊り上げ、決死の表情だ。

 二本の斧を手に、こちらに歩み寄る姿は、さながら正義の味方か。

 

「――そうだ」

 

 きっと目の前の少女には、亮之佑は『敵』としてその目に映っているのだろう。

 数多の星を前にしてもなお一歩も引かない姿、強靭な意志をその瞳に宿す姿は美しく思えた。

 彼女がもしも生きていたのならば、偉大な勇者になれただろうに。まあ死ぬが。

 

「……オレがここで彼女たちを追うのを止めると言ったら、信じるか?」

 

「――信じられない、だからアタシが残った。須美たちを追わせたりはしない」

 

「まあ、そうだよな」

 

 その凛とした『勇者』の姿を見て、本当に惜しいと思った。

 時が、場所が違えば、きっと友達になれたかもしれない。そう思えた。

 

「お前の名前は……?」

 

「アタシの名前は三ノ輪銀! それと人様に名前を聞くときは自分から名乗るべきだとアタシは思うんだ!」

 

「――。それは悪かった。オレの名前は加賀亮之佑」

 

「亮之佑……。ああ、もしかして園子の言ってた『かっきー』か? 苦労人の」

 

「……たぶん。いや苦労人になった覚えはないけど」

 

 共通の話題が出たことに、『赤色の勇者』と『黒色の狂人』は苦笑しあう。

 その一部分だけ抜き取れば、きっとただのじゃれ合いのように思えただろう。

 だが現実は非情で、ここは戦場で、周囲は絶望という『白』一色に覆われていた。

 

 亮之佑には亮之佑の計画が。銀には銀の意地と誇りがあり、それは対峙せざるを得ない。

 片頬に久方振りの笑みを浮かべる。本当に残念で仕方ないと、その存在を目に焼き付けた。

 これ以上話をすることはない。互いに武器を向け合い、そうして決意を告げる。

 

「――ここから先は、通さない!!」

 

「――消し飛ばしてやるよ、跡形もなく」

 

 本当に残念だと思った。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

「90……91……」

 

 敗北した。油断したつもりはなかった。

 昨日もいつものように襲撃してきた星屑等の雑魚を狩っていたら、予期せぬ形で奇襲を受けた。

 バーテックス達の統率された動き、雑魚の一匹一匹すら何かしら考えて行動していたような。

 

「92……93……94……、は――」

 

 言い訳はやめるべきだと、腕立て伏せをしつつ息を吐きながら夏凜は考えていた。

 鍛錬をしないと嫌な事を考えてしまう。夏凜もそれなりにダメージはあるが、それだけだ。

 ともかくも、奇襲を喰らった夏凜たちは星屑の群れによってバラバラに散らされてしまった。

 

 その後はよく思い出せない。

 地面から、空から、全方向から、忙しなく淡々と命を刈り取ろうとバーテックスが攻撃してきた。

 仲間と合流する時間も、再度連携を取る時間もなく、攻撃力に乏しい勇者が地面に伏していった。

 

「98……99……」

 

 バリアがあろうとも意識を失う者も出た。衝撃に悲鳴を上げる者もいた。最後には敗走した。

 追撃は無かった。だが、その代わりに多くの仲間を失ってしまった。

 

「樹……、銀……」

 

 樹と、杏、球子、そして気絶した勇者を守るべく殿を務めた銀は戻らなかった。

 その後、神樹がもう戦えないと判断し魂が強制的に離脱したと、帰還した後ひなたに告げられた。

 

(私……仲間を置き去りにしちゃった……)

 

 魂の離脱、それはすなわち死んでしまったのか、それともショックを受けすぎたのか。

 真相を知る手掛かりは文字通りに消えた。だが、夏凜は忘れない。絶対に報復してやると。

 あれから風は部屋に引きこもっている。あれだけ和気藹々としていた空気が嘘のようだった。

 

(一般の人にも、死者が出ちゃった……)

 

 バーテックスは最終的に撤退したものの、決して勝利などではない。寧ろ見逃してもらったのだ。

 あれだけの激しい戦いで、樹海も酷くダメージを受けてしまった。

 仲間が4人命を落とした。四国に住まう人々からも死人を出してしまった。

 

(何が完成型よ……)

 

 後悔と悔しさに夏凜は唇を噛み締めた。

 血の味が屈辱を教え、もっと自分を鍛えようと更なるトレーニングをしようとして、

 

「ん……? 誰よ」

 

 チャイム音が部屋に響き、夏凜はトレーニングを中断した。

 壁に掛けられた時計、短い針は左下を示している。少し遅いが、勇者の誰かが来たのだろう。

 木刀を持っていく事も考えたが、この時間に勇者の誰かが来ることも珍しくはない。

 

 もしかしたら、友奈あたりがサプライズで来たのかもしれない。

 僅かに駆け足で、それでも『完成型』として迎え入れてやろうと思い、玄関の扉を開けた。

 

「――やあ、夏凜。久しぶり」

 

「―――え?」

 

 その瞬間、完成型にあるまじき間抜け顔を晒しただろう。

 ドアを開けて呆然とする夏凜の目の前、向き合う少年の姿を大きな瞳に収めた。

 決して長めではない少し癖のある黒い髪、微笑を浮かべた表情は見覚えのある者だったが、

 血紅色の瞳はやや濁り、冷たさを感じさせ、少年は、奇術師は、亮之佑は、低く笑っていた。

 

「あんた……なんで、いや、それよりも――」

 

「突然だけど、紹介するよ。こちら夏凜」

 

「え……」

 

 驚愕に見開いた夏凜の瞳は、目の前の人物を目にして固まった。

 亮之佑の隣、開いた扉の影に隠れていた少女は、紛れもなく三好夏凜の姿形をしていた。

 やや強気な目、髪色、身長、体格は本物瓜二つと言える。だが瞳だけは汚れた鈍い色をしていた。

 

「このダサいシャツのセンスもさすが完成型だよな。……やれ」

 

「――そういう訳だから、どーん」

 

「ちょっと……! ぁ――――」

 

 説明は無かった。

 そんな義務も優しさも狂人は与えない。

 

 気絶させた夏凜を抱き抱え、隣にいる造反神に作られた夏凜の形をした『精霊』を引き連れ部屋に入り込む。

 部屋にある少女の寝台にそっと寝かし、毛布を掛け、その寝顔を見下ろした。

 既に精霊と夏凜との『対決』は始まっている。そして助けてくれる仲間の応援も無い。

 

 誰も夏凜の危機に気づかない。バーテックスも連れていない為に樹海化も無い。

 次の手として赤嶺が提案したのが、この精神が脆いとされている勇者への精神攻撃であった。

 上手くいけば、この世界ではもう戦うことは出来なくなるらしいが、精霊の作成に時間が掛かった。

 

「だから、2体だけ。あとは風もこれでさよならだ」

 

 誰の精神が一番脆いかは知っている。

 それは経験と過ごした年月によって得られる負の信頼であった。

 彼女たちに対し、どのようにすればその精神を破壊することが出来るのかは、おおよそ分かっている。

 苦しげに喘ぐ少女――夏凜の髪をそっと撫でながら、風の方を任せた赤嶺のことを懸念する。

 

 友奈の名前だけあって、多少甘い部分があるのが少年にとっては信頼の出来ない要因だった。

 だが、『人』についてはよく見ていると言えるというのが亮之佑の評価だった。だから彼女に任せつつ襲撃を夜にして、樹海化で対処されないように、この作戦を任せた。

 

「――終わったわよ」

 

「分かった。――さよなら、戦友。お前のことはわりと好きだったよ」

 

「――――」

 

「きっと夏凜なら天国にいけるよ。いや……元の世界に戻れたなら、きっと幸せになれるよ」

 

「――――」

 

 それから少しして、隣に居た『精霊』が亮之佑にコクリと頷いて消えていった。

 寝台の端から立ち上がり、去る直前。もう息をするだけの存在となった戦友の姿を瞳に納める。

 眠ったように目を閉じた夏凜は、これで目を覚ますことはない。その姿を随分と呆気なく思う。

 やがて半年程度の関係だが、からかい甲斐のある可愛い少女から目を背け、出口へ足を向けた。

 

 ――少女は二度と目を覚まさなかった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 そんな風にして勇者の数を削り、その精神を削り、着々と計画のための暗躍を繰り返した。

 虎視眈々と機会を狙い、バーテックスを操り、その精神を殺す方法を考える。

 

「そういえば、彼女たちって中学生なんだよな……」

 

 無垢な少女しか勇者になる事は出来ない。

 その精神は未成熟で、単純で、世界の汚れた部分を知らない、よく言えば純粋だ。

 だからこそ、その悪意に呑まれ、一度は死んだ人間の悪意に染まり、殺されるのだ。

 

 ――狂気は周囲に伝染する。

 

 『男』が死に、『加賀亮之佑』として目覚めても、その根底に根付いた物は簡単には変わらない。

 誰かを助けて格好良く死にたいなどと考えるような男が、普通の神経などしているはずがない。

 それが散華の影響によって、再び目覚めてしまっただけに過ぎないのかもしれない。

 

 ――亮之佑は人が怖かった。信用できなかった。

 

 穏やかな態度で、優しげな笑顔を浮かべ接してきても、その実態は真実を隠している。

 後ろに回した手に、刃物を握っているかも知れない。そんな人が怖くてしょうがなかった。

 

「――勇者部、か」

 

 あの頃の、輝いていた日々をふと思い出す。

 何も考えず、人の弱みを握り、仲間と過ごした日々。

 その色彩に溢れた思い出は、白と黒のモノクロの世界で、一発の弾丸に壊された。

 

 そしてこの彩りのある見知らぬ世界で目覚め、初代と赤嶺からある事情を知らされた。

 赤嶺はともかく、初代すら信用が出来ない自分に愕然とする思いを置き去りに情報を得た。

 この神樹と造反神と呼ばれている神々の戦い、その駒である自分たちの戦いの意味を知った。

 

 ――相談するという事は考えなかった訳ではない。

 

 だが信用できなかった。

 この世全ての人間は、亮之佑が弱みを握って優位に立てない限り、信頼など出来ない。

 絆を積み重ね、時間と感情を共有しても、結局は裏切るかもしれないのだから。

 

 見える世界には色が付いている。だがそれだけ。

 初代も赤嶺も、拉致してきた有能な『友達』や、亜耶。誰もが裏切るかもしれない。

 

 だが、そんな疑心暗鬼の世界でも。

 時を重ねる度に、彼ら彼女らと共に行動し、少しずつ協力者のように思えるようになったことは。

 ひょっとしたら、甘えのような、どこかに救いのような物を求めていたのかもしれない。

 

「殿方とは一緒にお風呂に入るものなんですか?」

 

「そうだよ、それが常識なんだよ。恥ずかしいと思うけど……それが普通なんだよ、亜耶ちゃん」

 

「そうなんですか……。分かりました!」

 

「この時代でも警察を呼ぶ電話番号は変わってないよね、赤嶺くん」

 

「やはりゆーりの子孫だね。……あっ、番号は変わってませんよ。しょーさん」

 

「ところで、亮之佑様は……今日も殺したんですか?」

 

「今日も明日もずっとだよ、亜耶ちゃん。――信用できないから殺すんだ」

 

 最前線の拠点として、丸亀城を制圧して過ごす毎日に、少しずつ何かが和らぐのを感じた。

 何も亮之佑は、好きで勇者たちを殺そうと思っている訳ではない。邪魔をするから排除しただけ。

 与えられた情報、裏を取り真偽を確かめた上で決めた『計画』。その過程で邪魔だっただけだ。

 神樹側の勇者に相談をすれば、何か変わったかもしれない。だがそれは出来なかった。

 

 たとえ、独りでも、悪魔と契約してでも、仲間を利用してでも、必ず勝つと決めた戦い。

 

 ――淡々と戦いは終わりに近づいていた。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 ――ケタケタ、ケタケタ

 

 その笑い声を最後に、地面に蛇遣座が墜ちた。

 既に世界には亀裂が奔っていた。亮之佑が覚醒してから、半年と数ヶ月が経過していた。

 残った領土の取り合いは、少なくなった勇者の抵抗が激しく、だが徐々に押していった。

 そして多くの犠牲を生みながらも、先ほど神樹に致命的な攻撃を与える事に成功したのだが、

 

「赤嶺ちゃん」

 

「まったく、本当に人使いが荒いんだから……亮之佑くんは……。じゃあね、楽しかったよ」

 

「――。ああ、先に地獄に逝ってな」

 

 呆気ない別れであった。随分と淡白な別れであった。

 腕の中で赤嶺友奈は死んだ。亮之佑を庇って死んだ。庇うような関係ではなかったはずなのに。

 用意した戦力の大半が地に墜ち、砕ける中で、突然の勇者の奇襲から咄嗟に少年を庇ったのだ。

 

 そんな仲良しこよしな関係ではなかったはずなのに。

 もう何も感じないはずなのに、それでも少しだけ、胸の奥が痛みを発しているのが分かった。

 この手はもう血で汚れてしまった。そんな風に思い、思われる資格などもう無いというのに。

 

「――――」

 

「ありがとう、『友奈』」

 

 あの弾丸に、心の中で燃え上がる昏い炎に突き動かされて亮之佑はここまできた。

 本来ならば、もっと早くにこの世界とは決着をつけるつもりであったのだ。

 だが、ある人物に、あちらの切り札が導入されてからは、やや膠着状態に陥り難しくなっていた。

 

「ひさしぶりだね、かっきー」

 

「園子……」

 

 待ち構えていたのは、黄金の長い髪を風に揺らし、紫の槍を携えた少女。

 星が次々と堕ちていくのを背景に、神樹を背にして立つ姿は、何者よりも美しく輝いて見えた。

 おっとりとした様子はなく、園子の僅かに細めた琥珀の双眸が、真っ直ぐに亮之佑を射抜く。

 

「かっきー……そうか、お前があの加賀の……。お前が球子を、杏を……!!」

 

「貴方が高嶋さんを……!!」

 

 園子の近くで刀を向けてくる乃木若葉、並び立つ先祖と子孫の姿は、髪色以外似ていなかった。

 それだけではない。生き残っている勇者たちはこちらに、少年に視線を向けていた。

 ある者は驚愕を、ある者は理解を、ある者は憎悪を、ある者は悲しみを。そして、

 

「亮ちゃん!」

 

「……よお、友奈。会いたかったよ……」

 

 桜色の髪の少女、結城友奈の姿がそこにあった。

 この戦いで最も警戒していたのは、勇者の満開と一番満開したであろう園子だ。

 だがこの戦いでは神樹のリソースは減るばかりで、結果的に誰も満開は出来なかった。

 だが、それでもこちらは大量のバーテックスや星屑を倒された。赤嶺友奈も二度負けた。

 

「――――」

 

 赤嶺の遺体をゆっくりと地面に降ろしながら、己も地面に降り立った。

 ゆっくり歩く亮之佑は、黒衣も、勇者装束も、蒼い指輪も持ってはいなかった。

 勇者としての力を十全に扱ってもらうために、最後の作戦の一環として初代に返却していた。

 

 そう、少年は何一つ武器など持ってはいない。懐かしい讃州中学校の制服に身を包んでいた。

 ただ悠然と無防備に立っている少年は、奇術師は、勇者は、薄く笑みを浮かべていた。

 

「殺す……!!」

 

「待てっ、千景!」

 

「郡千景……。名も亡き大赦に消された勇者。最後には名声も地位も何もかも亡くした勇者」

 

「何を言って……」

 

「黙って聞けよ」

 

 人の話は聞くべきで、それが礼儀なのだと唇に指を当てる。

 その仕草に、何の武装も無い狂人の言葉に対して、少女は押し黙る。

 

「――――」

 

 死神の如く大鎌を持つ、若葉に制された昏色の長い髪をした少女の名前を言い当てる。

 そして亮之佑はその結末も知っている。銀と会った後は、キチンと全ての勇者の情報を得ていた。

 だが千景の方に面識はなく、それでも亮之佑が告げた名前と武器を持たない姿に不可解さを覚えた。

 

「お前の末路の、いずれ来る、嗤える未来の話だよ」

 

「――――」

 

「オレは、お前なんかに殺されてなんてやらねぇよ」

 

 この場に勇者全員が集まっている。

 当たり前だ。こちらも全戦力をこの場に集結させたのだから。

 だが、今しばらくこちらに注意を惹きつけなければならない。だから亮之佑は嗤って、哂った。

 

「かっきー、どうしてミノさんを……」

 

「園子」

 

 包帯を巻いていない乃木園子。中学生になり成長したその姿は、相変わらず美しかった。

 彼女のことは好きだ。長い年月を共に過ごしてきた。好きであるという感情は消えなかった。

 だがそれ以上に黒い炎は燃え広がっていて、勇者と狂人の想いはすれ違ったままだった。

 

「なあ園子。あの時、あの場所に、お前がいてくれたら、『俺』に味方してくれたのなら、もっと簡単に東郷も止められたのにな……」

 

「――――」

 

「選択は出来たはずなのに、お前はただ何もせず見ているだけだったもんな。あの時は……そう、本当に憎たらしい程に悲しかったよ」

 

「―――っ」

 

 その言葉に意味はない。もう終わった話なのだから。

 だというのに、一瞬だけ、ほんの僅かに園子が持つ槍の切先が震えた。

 そんな少女から目を逸らすと、小さくも可憐な声音が亮之佑の耳に届き、目を向けた。

 

「どうして……?」

 

「――――」

 

「どう、して……?」

 

 その言葉には、久方ぶりに向けられる視線には、多くの戸惑いと疑問が向けられていた。

 『どうして』、杏や球子、樹、銀、夏凜、風、高嶋を殺して、壊してしまったのか、だろうか。

 『どうして』、数百人の一般市民を無差別に殺してしまったのか、だろうか。

 『どうして』、東郷美森を――

 

 数えきれないほどの疑問を、『どうして』を瞳に宿らせる友奈の表情は怯えていた。

 悲しみに涙を流す姿は何よりも綺麗で、それを自分に向けていることを嬉しく思った。

 だが、その多くの疑問に対して、亮之佑は1から10まで全てを答えようとは思わない。

 それでも最後に誠意を尽くして、この瞬間の為に用意していた言葉を、唇を震わせて告げた。

 

「お前の為だよ。友奈」

 

「私の……? えっ、なん……私の……」

 

「ゆーゆ、落ち着いて」

 

 多くの勇者が散っていった。多くの一般人が犠牲になった。

 狂人から与えられた全ては、誰でもない自分の為に、自分の所為だと言われ少女は動揺した。

 ただ頭を振り、悲しみに涙を流す少女の姿は、狂人の胸中で薄暗い歓喜を芽吹かせた。

 

 きっと彼女の目には、綺麗な薄紅の瞳には、狂人が映っているのだろう。

 歪な笑みを浮かべ、囁くように冷たく告げる言葉の数々には人を傷つけるものがあって。

 だがそれでいい。もはや分かって欲しいとは思わない。ただその心に刻みつけてやろう。

 

「お前たちはいつもそうだ。無知であることを隠しもせず、いつも誰かに頼ってばかり。気づいた時には裏切られる。いつだって受動的なお前らの事がオレは……オレは嫌いだよ!」

 

 何を言っているのか、亮之佑にすら分からない言葉がこぼれる。だがそれは本音だった。

 しかし、残念かな。その意味は誰にも理解されない、ただの狂人の戯言でしかないのだ。

 それでも哂え、亮之佑。この最後の幕を、終わりに相応しい場で踊り狂え。

 

 ――クツクツ、クツクツ

 

 向けられる視線に、脚が震え、喉が凍り付きそうになる。

 だがそんな無様な真似だけは絶対に、決して彼女たちの前には晒さない。

 少年は、手品師は、奇術師は、勇者は、加賀亮之佑は、両手を広げて勇者たちを見渡す。

 

「そういえば、自己紹介がまだだったな」

 

 その道化のようにクツクツ、クツクツと嗤う姿に、若葉は目を細め、思わず刀を構える。

 対峙する狂人は武器など持っていない。だがそれでも警戒せざるを得ない何かがあった。

 ある者は弓を、槍を構える中で、園子と友奈だけは驚愕に目を見開くままであった。

 

「はじめまして、勇者諸君。オレの名前は加賀亮之佑」

 

 亮之佑は、自分が誤った道を選んだ事を理解している。

 亮之佑は、自分が正しくなく糾弾される立場であるのも解っている。

 亮之佑は、悩んだ事の一部でも彼女たちに相談すれば、何かが変わると思っていた。

 

 だが、そんな事はできなかった。

 たとえ、友奈を苦しめても、多くの犠牲を出しても、仕方無いと割り切るしかなかった。

 疑って疑って疑って、いつの間にか誰も信用が出来ず、相談などできなくなっていた。

 

「――造反神スサノオに仕える『神婚否定』派閥勇者。そして、■■■を殺す者だ……!!」

 

 それでも、友奈の事は好きだった。

 友奈は一度も亮之佑の事を裏切らなかった。味方でいてくれた。

 だからこそ、この世界の神樹を殺してでも、神婚だけはさせないつもりでいた。

 

 ――この戦いは、そういうこと。

 あちらの世界で、神婚させるかさせないかという争いに過ぎない。

 

 名乗りをあげると同時に、世界に奔る亀裂が繋がり、砕けていく。

 こちらに注意を惹きつけ、力を返還された初代が致命的な一撃を神樹に与えたのだろう。

 世界は白く染まっていく。今、神樹は倒され、ここに造反神側の勝利が確定した。

 

 ――世界のバランスが崩れていく。

 

 ある勇者は言った。神樹が倒されたら、その力が大きく削がれてしまうと。

 だが、そんな確証がある訳ではない。あくまで“かもしれない”だけだ。

 そして、そんな事は亮之佑にとってはどうでも良かったのだ。ただ彼女の為に走り抜けただけだ。

 相談などせず、ただ友奈を想って駆け抜けたのだ。その過程での犠牲は考慮せずに。

 

「友奈」

 

「亮、ちゃん」

 

 体が消えていくのが分かった。この世界の何もかもが無になっていく。

 最後に映った薄紅の瞳、その瞳に小さく微笑む。

 

 散々駆け回って、戦って、失って。

 その万感たる想いは、この身から喪われる血と共に、たった一つの言葉を紡ぐ。

 

「――好きだよ、友奈」

 

 狂人は1から10まで説明はしなかった。

 ただ勝手に万感の想いを籠めて、息を抜くように愛を囁いて、世界は終わった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 成すべき事はもうない。資格は得た。

 この世界での戦いは終焉を迎え、■■■との闘いはオレに委ねられた。

 結城友奈や乃木園子。彼女達が好きだから、彼女達だけの勇者でありたいならば。

 

「――あとは、任せたぞ。『加賀亮之佑』」

 

 この経験が僅かでも本体に還元されるなら。

 この想いが微かにであれ、魂に宿るならば。

 

 そうして意識が消えていく瞬間。オレは――いや俺は思ったのだ。

 この記憶が元の世界に戻ってなお、維持されているならば、墓参りに行こうと。

 赤嶺はこの記憶も経験も全てリセットされると言っていたが、もしかしたら――、

 

 心に巣食っていた昏い炎は、達成感と同時に消えていった。

 この世界が終わると同時に、あらゆる苦痛から取り除かれたからだろうか。

 全身を包む感覚、この世界では一度も入らなかったあの闇に意識が包み込まれるのを感じた。

 

「――――」

 

 次に意識を取り戻したらどうなっているのかは、俺には分からない。

 だが一世一代の博打に成功したような、そんな清々しい気分であった。

 

 不思議と満足であった。不思議と後のことが心配にならなかった。

 もう十分だと思えたのだ。だからここが、俺の戦場の、旅路の終わりでいいだろう。

 

「……またな」

 

 ――だって俺は後悔することなく、最後まで駆け抜けられたのだから。

 

 

 

【IF】 花結いの空で、貴方に愛を   END

 

 

 




---

このルートは、亮之佑の満開の後遺症と東郷に裏切られた(と感じた)事によって誰も信用出来なくなった上で、四十七話から五十五話までに造反神側の勇者として召喚されたルートです。
造反神と神樹の戦っていた理由は話のとおり。真実を知った亮之佑が加担しない訳がない。

【IF 結城友奈は勇者である 花結いのきらめきルート加賀亮之佑】を略称として“ゆっきー”と作者は愛を篭めて呼んでいます。ゆっきーって頭おかしい、亜耶は可愛い、と思っていただければ。ゲーム版も大体こんなダークな感じですよ(嘘)
あとで活動報告の方で、補足説明か設定の話をするかも。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第六十八話 You Have Once Chance」

「……どうして」

 

 どうしてこんなことになったのだろうか。

 ふとそんな事を思うと同時に意図せずに口にしてしまい、冷えていた両手を握り締める。

 

 あれから友奈は既に病院に亮之佑と共に運ばれ、看護師から治療を受けていた。

 一瞬で白銀の雪世界を地獄模様へと変えた一撃を多くの人が目撃し、同時に被害を受けた。

 彼らも怪我を負い、もしかしたら死んでいるかも知れなかったが、そこまで頭が働かない。

 

「……」

 

 なんとなくだが、大赦のおかげなのか自分たちへの対応が他の人よりも早かった気がする。

 手のひらに巻かれた包帯の感触は、握り締める度に亮之佑の血の暖かさを思い出す。

 彼と精霊達が身を挺して自分を守ったおかげで、友奈自身は擦り傷程度の軽傷であった。

 

「――――」

 

 忘れられない。鮮血の色が忘れられない。

 両手に広がる感触が、そこから漏れ出る血の温かさが、告げられた言葉が忘れられない。

 あの色を見ると思い出すのは、彼の瞳――血紅色の瞳であり、その度に唇を噛み締めた。

 

「では、行きましょうか」

 

「――ありがとう、ございます」

 

 衝撃が抜けずあまり言葉を発しない自分を見かねたのか、看護師が待合室まで送ってくれた。

 廊下を歩いても多くの人がいるという状況ではないのはおそらく大赦側が何かしたのだろう。

 あれだけ多くの人が怪我をして、あれだけ頑丈そうな建物が一瞬で粉砕したのに誰もいない。

 

 ここではなく別の階に運ばれたのだろうかと考えて、友奈はそっと頭を振った。

 どうにも頭がこんがらがっている。何かを考えようにもグチャグチャで整理が出来てない。

 そうして呆然と、大赦が手配している友奈も何度か世話になった事のある病院の待合室で、

 

「……ゆーゆ」

 

「――。園ちゃん」

 

 治療を終えて看護師に連れられた友奈の瞳が、白いコートを着た園子の姿を捉えた。

 黄金の稲穂の様な長い髪は純粋に美しいと思わせ、その姿はこんな時でも妖精を思わせる。

 だが普段のおっとりとした様子はなく、東郷がいなくなった時のような険しさがあった。

 

 硝煙と血の匂いのあるクリスマスイヴ、寒さか分からず震える端末で救急車を呼び、

 直ぐに来た救急車の中で、以前風が車に轢かれた時と同じく『NARUKO』でメッセージを送った。友奈と亮之佑以外はその時風の病室にいたらしく、駆けつけるのは早かった。

 

 待合室で待っていたらしく、園子以外にも、風を除いて全員がいた。

 樹も夏凜も東郷もみんな心配そうな、悲痛に満ち、悲しみに溢れている顔をしていた。

 

「かっきーは……、まだ?」

 

「――うん」

 

 低く冷たさのある園子の声音に、思わず友奈は首を竦め体を震わせていた。

 そんな友奈の姿を見下ろし、園子は走ってきたような息の荒さを整え椅子に腰を下ろした。

 先ほどまで友奈がいたのは、亮之佑がそのまま手術をするべく連れて行かれた部屋の前だった。

 

「友奈ちゃんは怪我、大丈夫だった?」

 

「――。大丈夫だったよ」

 

「――――」

 

「大丈夫だよ、東郷さん。本当に」

 

 心配気な顔で東郷が友奈の白い包帯で巻かれた手を見る。

 だから自分は少し転んだだけ。少し掠り傷を作っただけだと掠れた声で友奈は告げた。

 どこかぼんやりとする意識の中で何故か園子に両腕で優しくそっと抱きしめられた。

 優しく抱きしめられている中で、窓側の壁に背中を預け、己を腕で抱く夏凜が口を開いた。

 

「――それにしても、結界の外から攻撃されるなんてね」

 

「大赦も想定外の事だったらしいよ」

 

 神樹の作った結界に穴を作り、サジタリウスの矢が市街地へ雪に代わって降り注いだ。

 この奇襲による被害は甚大であり、多くの建物が一瞬で瓦礫となり、一般人にも被害が出た。

 雪の上に瓦礫と血が色を作る中、その攻撃の影響で周囲の車が暴走する等被害は拡大していた。

 交通規制が掛かる中で皆が元から病院に集まっていて、こうして会えているのは不幸中の幸いだった。

 

「――風先輩は……?」

 

「風も飛び出しそうになって、慌てて止めておいたわ」

 

「お姉ちゃん、止めるの大変でしたから」

 

「……そっか」

 

 それから皆は無言で椅子に座って待っていた。

 本来は入院患者しかいないであろう小さな休憩室には、小さなテレビとリモコンがあった。

 壁から身を離した夏凜はテーブルの上のリモコンに手を伸ばしてテレビの電源を点けた。

 

『はい、急に空に穴が開いたような。ええ、急に何かが落ちてきたような……』

 

『いえ、幻覚なんかじゃなくて、光っている何かが接触と同時に爆発したんですよ!』

 

『空に何か白い物を見たような……。えっと、その……すいません』

 

 テレビの内容は、讃州市の市民会館前で起きた『爆破事故』についてのインタビュー映像だった。

 既に隠蔽するべく大赦や政府が手を回しているようだが、鎮火には程遠い。

 それだけの人間がクリスマスイヴだからか外に出ていており、その数だけ目撃したのだろう。

 

『えー、このようにガス爆発により、多くの人が集団での幻覚症状を見ているという状況で、このあと政府からの――』

 

 淡々と原稿を口にしている女性のアナウンサーの顔には何の表情も浮かんではいない。

 感情を押し殺し、静かに、それでも聞く者全てに話が伝わるように、そんな話し方をしていた。

 ぼんやりとその報道を見ていると、ふと小さくも可憐な声音が友奈の耳に届いた。

 それは友奈の右隣に座っている園子の低くも確かな言葉であった。

 

「かっきーなら……大丈夫だよ」

 

「……うん」

 

 ふと左隣に座る東郷が友奈の手をそっと握った。

 彼女の暖かな手の温度は、少しだけ冷えた友奈の体温を優しく温めてくれた気がした。

 

「――――」

 

 根拠などはない。だが信じる。

 それが、それだけが、今の友奈に出来ることの全てであったのだから。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 ――暗く、重く、昏い闇が広がっている。

 

「――――」

 

 全ての色を呑み込み、喰らい、咀嚼した末に出来る重苦しい闇が全身に纏わりつく感覚。

 顔が、体が、闇に溶かされていき、形の無い存在へと変わる。そんな感覚に満たされていく。

 だが不思議と不快感があるという訳ではなく、寧ろ生ぬるい湯に浸されているような感じだ。

 

「――――」

 

 瞼を開けても閉じても意味はない。

 目の前に広がる無限の泥沼に等しいソレに対しては、あらゆる手段は意味を持たない。

 あるがままに受け入れて、川の緩やかな流れに身を任せるように意識が移ろい行くのを感じた。

 

「――――」

 

 オレは、俺は、この感覚を覚えている。

 目に見える範囲で体が崩れ、存在が上書きされ、魂の形が塗り変わっていく。

 生命に対する陵辱とも取れる冒涜でありながら、心は波の立たぬ水面の如く静かだった。

 

 初めて俺が死ぬ瞬間に感じた感覚。

 それはあの日、『男』が死んだ時の刹那に感じた感覚だ。

 同時にこの漆黒の海は、初代との夜会の際に訪れるあの世界への往来で感じる物と同質だった。

 

 理屈ではない。何かの理論に基づいて結論を出した訳ではない。ただの直感だが。

 そうして静寂と暗闇が生み出す孤独な空間に、俺が体と意識を預けていた時であった。

 

「――――」

 

 声が聞こえた。

 無力を嘆き、恐怖に慄きながらも、それでも不条理を許さず抗おうとする誰かの声が。

 慈愛に友愛に親愛に満ちた、愛おしさを感じる穏やかな少女の声が、どこからか聞こえた。

 

『かっきー。私ね〜、――かっきーが、大好きなんだよ~』

 

「――――」

 

 その声は。

 俺の鼓膜を、すぐ近くで揺さぶるような声音であった。

 優しく穏やかで芯が強く、時折凛とした一面もあり、そして愛おしい声音だった。

 

 ――声が聞こえた。

 

 それを聞いて胸が痛む。心臓が弾み記憶の回路に火花を奔らせる。

 これは走馬灯という物なのだろうか。それとも夢なのか。それとも――、

 

『園子―――――!!!』

 

 ――声が聞こえた。

 

 随分と情けない声音が深い深い闇の海の中で聞こえた。見知った声だった。

 何も出来ず、みっともなく、大切に思う人に全てを預けて、震えるだけの愚かな少年の声。

 

 きっとその姿を見て幻滅しただろう。

 情けないと思ったのかもしれない。

 今となっては分からない。

 

 掴めず遠ざかる距離。手繰り寄せようにも、戦い方など分からなかった。

 経験もなく、技術も少なく、離れていく姿に虚しさと共に手を伸ばしていたのを思い出す。

 金色の長く美しい髪が紫の装束に覆われた肩の上を流れ、その瞳の煌きの美しさを覚えている。

 

「――――」

 

 懐かしい夢だと思う。

 あの時の自分は勇気が足りず、迫り来る理不尽と不条理に対して何も出来なかった。

 思い出と虚構によって、恐怖に錆び付き震え軋む体と心に熱を点して立ち上がっただけ。

 

 加賀亮之佑は、大勢の人を守るような勇者などではない。

 見ず知らずの人の為に命など掛けられない。勇者部の少女たちのような遵奉精神など元々持ってはいない。

 笑顔を作り、己の時間と身を砕いてまで誰かの為に頑張ろうとは思えないような人間だ。

 

『俺は―――』

 

 だからこそ、あの日、あの時、あの場所で、少年が戦う理由は、酷く単純で明快だった。

 この世界に生まれて得たもの、宗一朗や綾香といった両親は亮之佑の事を心から愛してくれた唯一無二の存在。彼らは立派な両親だった。

 知っていたさ。その愛情という物は、前世では一度も得られなかった価値のある物だった。

 

 だから、偽りのない本当の笑みを、優しさを、親愛を、友愛を、愛情を向けてくれる人を。

 加賀亮之佑が見出した、あの暖かな優しさをくれる人だけは。

 加賀亮之佑が本当に大事であると思う人だけは、何をしてでも守ってみせようと思っていた。

 

「――――」

 

 ゆっくりと声の聞こえる方へと、体が、意識が流れていくのを感じた。

 本来ならば計画には無かった出来事だ。これが夢なのかは不明であるのも変わりない。

 だが、『加賀亮之佑』が格好悪い真似など出来る訳がない。そんな真似はするべきではない。

 

『――園子を守りたい。……俺は、園子を、助けたいんだ―――!!』

 

 傲慢で、だが本当に大切な人の為だけに力を行使する。それでいい。今は、それでいい。

 弱々しく傷付き、不条理という絶望に蝕まれながらも、かつて少年はそれでも願った。

 園子の、貴方の無事を、安寧を、幸せを望むと、願うと。

 

 ならば、その願いには答えなくてはならない。

 

 傲慢で不遜で愚かな男の願いに。

 

 ――その声に、誰よりも『加賀亮之佑』は、応えなければならない。

 

 生暖かい泥沼に身を委ねるような停滞感が俺の心をぐずぐずに溶かしていくのを感じる。

 そんな感覚を振り切って、やがて小さな螺旋を描く緑の光が、闇の海に現れて。

 その光に向かって、その魂は――

 

 

 

 

 ---

 

 ・

 

 ---

 

 

 

 

 

 瞬間、深い眠りの淵から意識を引き上げ、亮之佑は目を覚ました。

 

「―――ぁ」

 

 睡魔の指先に抗いながら目を開き、瞬きをして視界にかかった霧を明瞭なものにしていく。

 樹木の海、彩りに溢れた根を寝台に、どうやら少しの間意識を失っていたらしい。

 ゆっくりと血を肉体に巡らせながら腕を立てつつ、呻き声をこぼしながら体を起こした。

 

「――は、――あ」

 

 体を起こした際に勇者装束を身に纏っている事に気づきながら、ゆっくりと呼吸した。

 深呼吸を繰り返し、肺に冷たい空気を入れ膨らませ、また萎める。その行為を繰り返す。

 体に痛みはない。強いて言うならば、多少の擦り傷や体に残る倦怠感が酷いが、その程度だ。

 

 すぐ近くに、同じように寝転がっている少女が視界に映る。

 見知った少女だ。髪の長さ、髪型、母校である神樹館小学校の制服など小学生であるのが分かる。

 そうして見ていると、倒れた主人を守るように、青色の光を放ち卵のような精霊が目の前に現れた。

 

「――鷲尾須美」

 

 知っている。その少女を知っていた。

 気を失っているのか、それでもその白肌は美を損なうことはなく、可憐さと幼さを両立させていた。

 この少女と亮之佑が出会ったのは、最初で最後の機会。あの忘れもしない運命が決まった日だ。

 

 もちろん、目の前で体を弛緩させながらも、それでも何度も見たことのある青いリボンを持つ姿、

 後の東郷美森とは会うのだが、それを彼女本人は覚えてはいない。

 だから、この日が彼女の命日なのだ。記憶こそが人格を作ると亮之佑は思っている。

 

「―――っ!!」

 

 その時だった。

 紫の花、色彩に溢れる花火よりも美しい光を放つ存在に、亮之佑は目を奪われた。

 そうだ。樹海化が行われているならば、誰かが敵を食い止め、撃退しなくてはならない。

 

「園子……」

 

 小さく呟いた声に応える者は誰もいない。

 目の前で広がる爆発、轟という音を立てる火炎、その中心に彼女がいる。

 たった一人で。独りきりで園子は戦っているのだ。

 

「――茨木童子、いるか?」

 

 告げると同時、金色の光が瞬く間に、小さな小鬼が亮之佑の左隣に出現した。

 優秀な精霊という守りはある。目を閉じれば兵装があるのも分かった。封印は掛けられてはいない。

 

「…………」

 

『…………』

 

 あえて、いるであろうその名前は言わなかった。呼ばなかった。

 ゆっくりと手を伸ばし左肩、金粉が飛び交う黒衣の肩にある黒百合の刻印に手を伸ばした。

 花のゲージは溜まっている。それを使用する事への躊躇いも恐怖もない。

 

 これが夢なのか。

 これが妄想なのか。

 これが走馬灯なのか。

 

 どうでもいい。目の前に広がる敵は、この脆弱な体では簡単には倒せない。

 だから集中するのだ。バーテックスと呼ばれる敵を殺すには、決して犠牲なしなどありえない。

 そして救い出せ。弱さに嘆き、掴み取れなかったその温もりを。彼女との思い出に誓って。

 

「――満開」

 

 

 




前回書いた別ルートの補足ですが、活動報告の方に上げておきました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第六十九話 あの日の続きを」

 常闇の草原。消えぬ満月が桜の大樹を見下ろす。

 世界の中心である小高い丘にその少女はいる。

 喉の渇きを潤すために白いカップを傾ける黒服を着た紅目の少女は、何よりも優美で、優雅だ。

 白い椅子に腰を掛けつつ、時折空から舞い落ちる桜の花弁を自らの手のひらに載せながら、

 

「キミの父親が作ったアプリは、本来ならばキミが勇者となる上で、少しでも神樹との融和性を図る為に作った物らしいね。勇者が選ばれる基準として無垢な少女である必要があるが、キミはやはり少年なんだ。その前提を崩したいなら、巫女を使ってより強く主張しなければ無理だろう。それこそ奉火祭のような……。だからそのアプリは無駄でしかない」

 

 温かな茶の味を舌で感じながら、少女はゆっくりと大きな目を細めた。

 向ける視線の先、白く丸いテーブルを挟み、座っている少年に静かに語りかける。

 

「だが、それによって神樹とのパスを繋ぐことが出来た。これは意味のあることだろう」

 

「――――」

 

「“彼”がここに逃げることが出来た。その手段があったのは素直に宗一朗の成果だろうね……」

 

 語りかける先、少し癖のある黒髪の少年は答えない。答えられない。

 白い椅子に体を預け、夜風が優しく前髪をくすぐる様に揺らしたが、一切起きる気配はない。

 目の前に置かれている白いカップから香ばしい湯気が立ち昇るが、取ることはない。

 

 僅かに俯くような姿勢で少年は両手を重ねて椅子に座り、死んだように眠っていた。

 昏色の瞳を覗かせることはなく、ただ無言でその瞼を下ろしたまま、人形のようにそこに座る。

 少女の言葉に返事どころか一切の反応すら見せない、いっそ死んでいるような少年を見ながら、

 

「……順調なようだ。キミの叫びに、助けに応えたのはキミ自身らしいね」

 

「――――」

 

 肩を竦め、再びカップを傾けて、少女は自身の舌を潤す。

 目の前にいる少年、先程まで現実にいた『加賀亮之佑』の魂はこの世界に凍結された。

 死んではいない。ただ意識はなく夢を見ることもなく、ただ昏々と眠り続けているのだ。

 

「それなりに使いこなせているのか……。まあ当然か」

 

 指輪を通じて、眠れる少年に代わり、現在戦っている亮之佑の因子を通じて世界を知る。

 銃火器を扱う動作や仕草を通じてどの程度の習熟度かを見ていき、恍惚とした息を吐いた。

 

 現実世界で、彼の精神体が来た理屈に関しては、簡単に言えば以下の理屈になる。

 アプリ『Y.H.O.C.』によって神樹とのパスを繋ぎ、魂の到着地点を指輪に設定したのだ。

 神樹経由で精神を過去に送る為、タイムリープの様にも思えるが、この手段は問題しかない。

 

 まず、加賀亮之佑の魂が2つ同じ時間に存在するという事になり、世界に矛盾が生じる。

 だからこそ、この指輪の世界に急遽、『神世紀298年』の加賀亮之佑の魂を凍結、移動させた。

 

 同時に、アプリを通じて送られてきた未来の亮之佑の魂を召喚させるという物だが、リスクが高く、また同じ人物とはいえ肉体へかかる負荷は非常に高いだろう。精霊の守護に関係なく、何かしら体にダメージが入るかもしれない。いや既にダメージは生じ始めているだろうと初代は推測した。

 

「だからこそ、チャンスは一度きり……」

 

 強引とも取れる手段は何者かによって為されたのだろうが、次に行えば肉体が耐えられない。

 故に、この疑似タイムリープとも言える精神移動は、たとえ神の奇跡であっても一回が限度。

 

「貴方にチャンスをもう一度、ね」

 

 恐らく未来で『何か』が起き、神樹が何らかの事情によって、魂を移動させたのだろう。

 今日と同じような、それ以上の苦難の時が、理不尽な運命が、少年に降りかかったのだろう。

 それが具体的には何かまでは初代には判らない。ある程度の予想は出来るが――、

 

「まあ、キミなら大丈夫だろう。何せボクの半身なのだからね。死なない限りは力を貸し、命を張り続ける限りは知恵を吐き出そう。キミがボクとの契約を続ける限りね」

 

「――――」

 

 あらゆる可能性を考えて、枝分かれする『分岐路』のどれが“あの”少年に至らせたのか。

 その道を想像すると非常に楽しみであって、忽然と吐息を溢しながら舌先を茶で潤す。

 どれもが可能性を持ちながら、そのどれもが結局は想像の域を出ない。だから楽しみだ。

 

「――本当に、キミは素敵だよ。半身」

 

 桜の花弁がふと少年の黒髪に一枚落ちた。

 そっと手を伸ばし、ゆっくりとソレを細い指で摘まみながら王は笑った。

 

 ――クツクツ、クツクツ

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 地獄の中を、赤黒い世界という絵の中に華を咲かせるような爆炎と、少し遅れて爆音が響く。

 無限に広がり続けていると思わせる、時折轟という音と共に火炎が散るのを尻目に飛び続ける。

 跳躍ではない、満開時にのみ得られる飛翔能力は、慣れるまでは常に内臓の浮遊感が最悪だった。

 

「オオッ―――!!」

 

 雨の代わりに星屑が降り注ぎ、対抗するように軽機関銃を振り回すように回転しながら撃つ。

 火薬と硝煙の匂い、肩から骨を伝い全身に広がる振動を頼もしく感じながら銃口を向ける。

 重厚な音が形作る鉛と紅色をした雨音を、否定するように轟音に紛れて鳴き声が聞こえる。

 

 キチキチ、キチキチと鋸のような刃筋の大きい歯を鳴らし合わせ、獲物を威嚇し近づいてくる。

 星屑は人間を、勇者を殺すべく、隣の同胞が文字通り粉砕されようともこちらに飛翔する。

 破綻した化け物は牙と牙を噛み合わせ、銃弾の雨の中を掻い潜りつつ近づいてくる。

 

「――?」

 

 数匹の星屑を生み出した剣で水平に斬ると、僅かな抵抗を感じつつも切り裂いた。

 手のひらに感じる重厚な振動と星屑を切り裂いた時の感覚に僅かな違和感を覚える。

 数十分前に感じていた本来の肉体と比べ、己の体であれども2年前の体は少し動かし難い。

 それでも、残っている数匹のバーテックスへと接近するべく黒衣を翻し――

 

「―――ぉ、落ちっ……!?」

 

 直後、満開システムが終了し、地面に向けて羽をもがれた鳥のように僅かな浮遊感の後、落ちた。

 重力に引かれて、喉を灼熱に焼かれる感覚と共に樹海の根へと浮遊感を伴い俺は落ちていく。

 このまま地面に落ちても、恐らく死ぬことはないだろう。だがそれだけ。

 

 恐らく一度でも意識を失えば、次に目覚めるのは少なくともこの場所ではない。

 病院で目覚めるという意味ならば正しいだろうが、“この時代の”病室という意味ではない。

 時間が経過する程に感じる肉体の至る所に奔る僅かな痛みが、直感で感じさせるのだ。

 

 そして何よりも、再び紫の光を放ち、理不尽に抗い幾度と戦う少女に対して申し訳が立たない。

 敵は数百の星屑と不出来な黄道十二星座だ。星座の方は、園子が既に何体かを撃退している。

 だが、やはりその代償は決して軽くはない。既にこの短時間の間に数回は散華しているのだ。

 

 息を吐き、バリアごと噛み砕こうとする星屑を、真上から踵を打ち落として胴体を踏み潰す。

 風船を指で押したような感触と弾けるような音と共に地面に蹴落とし、落下速度を遅らせる。

 だが、同時に背中に無視できない爆撃を浴びて、今度は真横に水平に飛ぶように吹き飛ばされる。

 

「――――あ、―――ぎぐっ!!!」

 

 乙女座だ。本来の色は何一つなく、太陽に炙られたように全身に熱が奔っている。

 それでもなお、不条理に抗う者を嗤い殺すべく、腹の様な部分を膨らませ爆弾を吐き出す。

 

「――――」

 

 爆炎と熱を黄金色のバリアが防ぐのを感じながら、衝撃に奥歯を噛みしめる。

 血の味を噛みしめて、屈辱と湧き出す復讐の想いを噛みしめて、俺は再度決断を下す。

 満開の持続時間も、その攻撃力も明らかに以前の物とは違っている。だがそれだけだ。

 

「――満開」

 

 覚悟なら既にできている。後悔も不安も、過去に置いてきた。

 体中から、細胞の全てが熱を発するような感覚と共に、紫黒色の花が咲き誇る。

 

 その光を煙たがるように、羽虫を叩かんとするように、乙女座は首らしき部分に巻かれたスカーフを伸ばしこちらを薙ぎ払おうとするのを、再度飛翔しギリギリで回避する。

 殺意を帯びた風が頬を撫でるのを感じながら、乙女座の頭部分に生み出した砲筒を向ける。

 

 何十発もいらない。乙女座程度と侮る訳ではないが、RPGの砲弾を至近距離で浴びせるのだ。

 満開の持続時間は少ない分、節約しつつ、だが強力無慈悲な一撃をお見舞いしてやるのだ。

 空中で放ち体に伝わる衝撃に奥歯を噛みしめながら、放たれた金色の砲弾は標的を狙い、

 

「――はっ」

 

 ドゴッ!! と重さのある衝撃音が響く。満開状態での一撃は容易に乙女座の頭部分を穿つ。

 回転しながら放たれた頼もしき人類の叡智の結晶は、中の御霊ごと星座を撃ち砕き、爆散させた。

 数体の星屑を巻き込み、砂状へと体を変化させ崩壊していく様に嘲笑を浴びせながら、

 

「―――獅子座ぁ……」

 

 乙女座の爆弾よりも大きい、いっそ太陽を思わせる一撃を、咄嗟に上昇して回避する。

 だが、多面的な状況――つまり空中戦自体はあまり経験がない為か、僅かに右腕に被弾する。

 もしも東郷や園子のような満開――戦艦タイプならば、直接対峙か被弾の二択しかなかっただろう。

 

 この時には既に俺は、3回の満開をしていた。

 バーテックスを撃退し、力尽きて他のバーテックスや星屑になぶられ攻撃される。

 中空で漂いながら、時折星屑を踏み台にしながら、落下だけは避けながら満開する繰り返し。

 ここまでの散華はやはり体のどこにも異変はなかった。ならば問題はないだろう。

 

 そうして戦っている間、園子も更に何回かの満開をしていた。

 一人だったら更に時間が掛かっていただろうか。独りで戦っていたならばきっとそうだろう。

 戦闘の最中に、幾度園子に話しかけたいと思っただろうか、分からない。

 

「あと、お前だけ、なんだよ……」

 

 恐らく、いや間違いなく園子はこちらに気づいている。気づかない訳がない。

 それでも戦闘の最中だから、目の前の敵に集中して、堅実に着実に対処していたのだ。

 だから無駄なく十一体の星座の怪物たちと、散華をしながら戦ってこられたのだ。

 

 星屑を蹴り飛ばし、樹海の壁を背後に置く獅子座へと近付こうとするが僅かに距離がある。

 その上で、射線上に神樹を狙うようにしつつ、太陽の如き球体を獅子座は既に構築していた。

 

「――――」

 

 回避は出来ない。してもいいが、確率的に神樹が破壊されてしまえば文字通りに世界は終わる。

 だが迎撃しようにも、軽機関銃やRPGの砲弾程度では間違いなく焼け石に水でしかない。

 最悪、剣で特攻すればなんとかなるかもしれないが、意識を奪われるのはまずい。

 

「――かっきー」

 

 僅かに逡巡していた俺、その背に他のバーテックスを撃退した園子の声が掛けられた。

 叫んでいるわけでもないのに、静かなその声は5メートルほど離れた俺の耳に明瞭に届いた。

 振り返ると、片目の光を失くした、それでも美しい琥珀色の瞳が映りこんだ。

 

「あれは私がなんとかするから。かっきーが」

 

 ――とどめをさして。

 灼熱の太陽が構築され、陽光に照らし出された美貌はかつてないほど剣呑な表情を湛えていた。

 なぜ自分が戦えているのか、そんな疑問を浮かべてもいいはずなのに、彼女は戸惑わなかった。

 冷静に、懸命に、静粛に、ただこの戦場で勝利に向けて思考を加速させていた。

 

「――わかった」

 

 背後で戦艦に乗り、冷徹な光を宿らせる槍使いの双眸に一瞬だけ視線を送り、一言だけ返した。

 お互いに喋りたい事はきっと多くある。語り尽くせばきっと日がまた昇るだろう。

 だが今は、目の前の敵にのみ思考を傾ける。絶対に勝たなければならないと、再度集中する。

 

 瞬間、チャージが完了したのか、獅子座から太陽が放たれた。

 この攻撃を乗り切れば、獅子座は致命的といってもいい隙を曝け出す。

 それは数秒にも満たない、次のチャージの間のみなのだが、それでも十分である。

 

「ハ、アアアァァアアアアアッ!」

 

 勝利をもぎ取るため、園子は鋭い気合いとともに戦艦から紫色のビームを放った。

 複数のビームを収束させ、一直線に迫る太陽の塊と衝突、同時に衝撃波が生じる。

 瞬間、俺はその衝突の下から掻い潜るように、コートをはためかせて加速した。

 

 衝撃波が僅かに体を叩く中、己の身を守るべく茨木童子が追随する。

 黒衣から金粉をこぼれさせながら、周囲の星屑を無視しつつ左手に愛剣を出現させる。

 通常の遠距離攻撃ではなく、この時剣の方に頼ったのは、ただの直感でしかない。

 

 砲弾を複数ぶつけるよりも確実に敵を斬り裂けると確信していたわけではない。

 しかしこの時だけは、俺はこの一刀に、手のひらの中の剣にすべてを賭けることにしていた。

 

「オオオオッ!!」

 

 “園子に”任されたのだ。ならば俺は、全身全霊を賭けて確実に敵を排除しなければならない。

 そういう思いで腹の底から雄叫びを迸らせ、愛剣を捻りながら突き上げる。

 剣尖から鮮紅色の光束が幾つも迸り、その光を黒剣が呑み込んでいく。

 

 背後に下がろうとする獅子座。ここは反撃を恐れずに渾身の一撃を叩き込み、意思を示すのだ。

 星屑の追撃を振り切り、隙を曝け出した獅子座の御霊部分目掛けて左手の剣を解き放つ。

 

 『獅子座』の名を冠するバーテックスは巨大で、接近すればする程自分がどれほど小さいか分かる。

 加えてその装甲は完成したばかりなのか、全身に熱を帯びさせ近づけば火傷をしかねない。

 だが関係ない。どれだけ巨大であっても、どれだけ強くても、立ちはだかる壁は破壊する。

 

 そんな思いを左手に乗せて、俺は剣を突き刺す。

 装甲を一瞬だけ掠めて小さな火花を散らした剣は、僅かな抵抗感を切り裂き、潜り込み――

 中の御霊を貫き、左の手のひらから頭の芯まで伝播する、重厚な音を周囲に鳴り響かせた。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 冷たい夜風が肌を撫でつけ、その風に煽られたように獅子座が砂状に変わっていった。

 同時に獅子座の中心に右手を押し当て、俺は黒剣を引き抜いた。

 

 崩れ落ちていくバーテックス、その残骸から七色の光が空へと舞い上がっていく。

 その様子を見ながら、他の星座が残っていないかを確認しつつ、冷たい空気で肺を膨らませた。

 まだ満開の時間が微妙に残っている為か、黒衣が翼のように浮遊感を作り、空を漂っていると、

 

「―――ぁ」

 

「…………」

 

 ふとこちらを見る視線を感じ、その方向を俺は見た。

 根で構成された壁の上、外の世界と内の世界の狭間に位置するように、その存在はいた。

 星屑を捏ね合わせたような、白い粘土の塊を思わせる造形は何者であるか、正体は掴め―――

 

「オフューカス……」

 

 端末で見れば、おそらく『???』といったマークがつくだろう。

 まだ完成すらしていない、黄道十二星座に後に加えられるであろう新たな星座の原型がいた。

 他のバーテックスのように敵対の意思を示すわけではなく、ただこちらを観察していた。

 

 目のような器官が表面にあるわけではないが、なんとなくそういう行動をしていると思った。

 こちらが数百年の時間を掛けて成長しているように、あちらもまた学習しているのだ。

 着実に、堅実に、勤勉に、勇者の力を確かめて、次は確実にこちらを倒し殺すために。

 

「――――」

 

 その結果を知っている。実際に蛇遣座の攻撃が一番、どのバーテックスよりも被害を出した。

 知っているとも。勇者の大半が意識を持っていかれ、指示に従う星屑は揃って樹海を破壊した。

 だから、こちらに背を向けて立ち去ろうとする、その歪な塊を追うかを考えて……やめた。

 

 どのみち、あの個体を倒しても、もう意味はないだろう。

 既にあちらも望みのデータは手に入れて、二年後に記憶にある形に造られるのは変わらない。

 そうしてその個体が結界の外に姿を眩ませた瞬間、神樹は敵が去ったと判断したのだろう。

 

 世界に白い閃光が奔り、樹海は元の世界へと再変換されていく。

 この戦いを乗り切ったことで、何かが変わったのかは分からない。

 可能な限り、園子に負担を負わせないように戦ってきたつもりではあったが――

 

「――あ……」

 

 ふと思考を遮るように、小さく可憐な声音が俺の耳に届いた。

 慌てて声の方向に目を向けると、満開の時間が終了したのか、少女の戦艦が光に解けていた。

 金色の長い髪をポニーテールにしている少女、紫の装束を纏った園子が地面に落下していく。

 

「おっと」

 

「わわっ……!!」

 

 それを阻止するべく、なんとか飛翔し、落下する園子を抱きとめることに成功した。

 そのまま慣性に従って、破壊された大橋、その残骸付近の座れる場所へと俺は向かった。

 この肉体で、両腕を使って抱き上げた園子の身体は、随分と軽いなと俺は思った。

 

「……」

 

「……」

 

 この時、正直に言えば俺は少し気まずかった。

 この夢というか、現実のような世界では、敵を排除するのが何かの目的だと思っていた。

 だから、バーテックスを排除すれば自然と何かが終わると思っていたが、現実はそうではない。

 

 直感に従って気絶なり意識を失うなりすれば、この夢は終わると予感していた。

 だが園子を放置するというのも寝覚めが悪いので、どこかしらで降ろそうと思ったのだが、

 

「……」

 

 残念なことに、この腕に抱えた金色の髪をしたお嬢様は、無言ながらも右手で俺の装束を掴んでいた。意識を失うことはなく、きっと疲れただろうに、光の残った片目を爛々と輝かせる。

 琥珀色の瞳は、瞬きをする度に多くの感情を宿らせているのが俺には分かった。

 

 しかし、なんと声をかけたらいいのだろう。

 園子にとって、『俺』にとっては、この後2年は確実に会えなくなる。

 ならば、せめて彼女の心に何かを残せないだろうかと、俺はそう思った。だから――

 

「かっきー」

 

「園ちゃん」

 

 奇しくも言葉を紡いだタイミングは同じで、思わず僅かに唇を片方上げてしまった。

 そうしていると、壊れた大橋の残骸、それでも二人程度ならば座れそうな所に着地した。

 同時に満開の効果時間が終了し、身体に残ったのは言いようのない虚無感だけだった。

 

 ――だが身体は動く。

 

 この手は剣を、銃を握れる。ならば問題はないと、俺は園子の目を見つめた。

 いわゆるお姫様抱っこで至近距離、お互いの息が届きそうな距離で、園子の瞳を見下ろした。

 戸惑いと不安、そんな感情が混ざり合いながらも、期待が見えるのは俺の思い上がりだろうか。

 

 現実世界は夜で、微かな夜風が梢を鳴らした。

 おそらく大赦の霊的医療班か、安芸先生が来れば一悶着あるかもしれない。

 だがそれでも、放置してきてしまった鷲尾須美だった少女をキチンと回収するだろう。

 

 彼らが来るまでの時間、いや来ても邪魔はさせないが。

 この奇跡とも言える時間は、せっかくなのでこの腕の中の少女の為に使おうと決めていた。

 

「園ちゃん、俺からいいか?」

 

「――うん」

 

 コクリと小さく頷く少女、その身体は弛緩していた。

 気を緩ませているわけではない。体の一部を散華した結果がこれなのだ。

 そんな状態でも、眦を震わせ、片目を閉じながら、縋るように抱きつく少女に言葉を告げる。

 

「俺に少しだけ、園子の時間をくれるか――?」

 

 彼女に断るという選択肢はない。

 既に自力では立てない体、加えて足場のよくない状況は、彼女に選択肢など与えない。

 それはきっと彼女自身が一番分かっているはずだ。だから勇者装束を纏ったままなのだ。

 

 そんな残酷なことを迫る少年に対して、少女は「この人は困った人だな〜」という笑みを浮かべて、

 

「――いいよ~」

 

 そんな少女の柔和な微笑みを見下ろしながら、ふと頭上を見上げると、

 満天の夜空が広がる中で、一際大きな黄金の月が俺と園子を照らしていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第七十話 祝福と夢の終わり」

 戦いを終えて、飛翔と言うよりやや落下しかけの状態で着地した。

 正確には少し違うだろうか。鉄骨に俺の背中を預けつつ、彼女の体を腰に下ろす形か。

 戦闘の熱がゆっくりと空気に漏れ出るように、コート越しに鉄骨の冷たさを感じた。

 

 向かい合いながら、月夜の明かりがお互いの姿を映し出す。

 己の左手を園子の背中に当てて、何を話そうかと思案していると、先に園子が口を開いた。

 

「――久しぶりだね、かっきー」

 

「あぁ、そうだな。2年ぶり――」

 

「1年と272日ぶりだよ~」

 

「……そうだったな」

 

 こちらから誘っておきながら、この時俺は彼女に何を話せばいいのか分からなくなってしまった。当たり前だが話し方を忘れたわけではない。華奢で可憐な少女を前にして緊張したわけでもない。

 ただ、こうして拉致しておきながら、肝心の話の内容は未だに考え付いてなかったのだ。

 

 そもそも、今彼女の美しい瞳に映り喋っている俺は、この時無様を晒していた『俺』ではない。

 園子とは異なり、体感時間で言えば俺は昨日、クリスマスイヴの前日に未来の彼女に会っている。何の他愛もない話をして、一緒に歩いて、軽く肌で触れ合ったりして普通に過ごしていたのだ。

 

 それがいきなり、こんな形であっても、あの頃の『俺』が会いたいと切実に願っていた場面。

 俺にとっては少し昔に感じられる4年の歳月を経て、あの頃渇望していた園子と対面した。

 だが、そんな残酷な事実は、いずれ来る未来など、目の前の少女が知る由もないのだ。

 

「えっと、その、元気、だったか……?」

 

「うん。かっきーに会えなかったのは少し寂しかったけど、元気だったよ。多分知っているかもしれないけど、御役目で勇者になったんだ~」

 

「……」

 

「それが5年生の時で、6年生になってからは、ミノさんとわっしーっていう素敵な友達を作れたんだ」

 

「そっか、うん。良かったな。俺も今の学校で……」

 

 彼女を目の前に、薄っぺらい言葉を喋っていると思った。上辺だけを塗り固めた言葉の数々。

 知っているとも。この2年後に会う園子と怠惰に溺れ合った1週間に多くの過去を語り合った。

 だが、やっぱりこの腕の中にある金色の長い髪のお嬢様は、知る由もないのだ。

 

「ねぇ、かっきー……?」

 

「うん?」

 

 ふと俺の思考を遮るように、低くだがこの小さな世界ではよく響く声に意識を戻した。

 見下ろすとこちらを見上げる紫の装束を纏ったままの園子。それはこちらもだが。

 俺の体を下に敷いている槍使いは、ゆっくりと散華の影響を免れた右手をこちらに伸ばした。

 

「私、重くない?」

 

「え? 軽いよ? そうだな、数値で言うなら具体的には――」

 

 緩慢とした動き、その薄手の手袋が覆った小さな右手は、俺の頬に伸ばされた。

 その行為に眉を顰めながら、僅かにデリカシーに欠ける言葉を言いかけた俺の頬に園子は触れた。優しく撫でる行為の意味は分からなかったが、一先ず喉から出かかった言葉を呑み込み瞬きをする。

 

「かっきー?」

 

「どうした……?」

 

「かっきーは、本当にかっきーなの……?」

 

「――――」

 

 その哲学じみた言葉に、その真意に、俺は少しだけ理解するのが遅れた。

 僅かに目を逸らそうと顔を動かしそうになるが、彼女の手のひらがソレを許さない。

 決して強くない力だが、不思議と少女の瞳に宿る琥珀色の感情が、俺を見上げる。

 

「何を、言って……」

 

「何となくなんだけどね、少しだけ私の知っているかっきーと違うかなって」

 

「――――」

 

 いつもはほにゃほにゃとした笑みを浮かべていた園子が、この時は真顔であった。

 確かに今の俺は、未来の俺として接するべきか、この時代の俺として接するべきか明確ではなく、不安定である気がする。それだけで賢い園子は違和感として何かに気づいたのかもしれない。

 

「人は成長する。――俺は俺だよ。園子」

 

「――うん。分かっているよ~。かっきーはかっきーだもんね」

 

 己の頬に触れる手、その手に何となく自らの掌を被せると、彼女の手は少し冷たく感じられた。

 確かに戦闘を終え夜になり、10月頃ではあるが、そこまで寒々しいという季節ではない。

 以前記憶の中にある園子は「心臓を散華した」と言い、触れた手も冷たかったのを覚えている。

 

「かっきーの手は温かいね」

 

「そうか? こんな手で良ければいくらでも温まってくれよ」

 

「かっきーの手がいいんだよ」

 

「俺も園子の手、好きだよ。すべすべで」

 

「嬉しいな~」

 

 手を握り、そんな言葉を交わし、ゆっくりと時間は過ぎていく。

 月光だけが明かりの中で、俺と月に照らされた少女は華の如き可憐さがある。

 そうして少しずつ話をしていく中で、ふと園子は俺の首から下、勇者装束に目を向けた。

 

「……かっきーも勇者の御役目に選ばれたの?」

 

「ああ……まぁそうなるかな? 今日あたりから……」

 

「そうなんだ……」

 

 実際は今日が初めて勇者装束を身に纏い、壁の外の真実を知り、樹海化と他の勇者を知った。

 この日こそ本当に『運命の分岐路』とも呼べる、実に多くの展開が巡る中、絶望に追いつかれ運命に足を止め、心をグチャグチャにされながら、それでも希望を求めて歩いていたのを俺は覚えていた。

 

「今日のかっきーは凄かったね〜。滅茶苦茶にカッコ良かったよ~」

 

「園子の方が凄かったよ」

 

「私は……、ただ必死だっただけだよ」

 

 俺の返答を耳にした園子の眉尻が小さく震える。

 己の体躯を俺に預け、こちらを見上げ小さく息を吸いながら首を横に振り、小さく微笑む。

 俺の手を握る彼女の手、力をわずかに込めながら、ふと園子は現実の夜空を見上げた。

 

「ねぇ、かっきー」

 

「――――」

 

「もしも、もしもかっきーがもっと前に来ていたら……ミノさんは……、わっしーも……」

 

「園子?」

 

 どこか遠くを見るように、ふと思い返すように呟く言葉には、複雑なものが混じっている。

 少しだけ投げやりで、その琥珀の瞳をたゆたう感情は、混迷を極めつつも穏やかであった。

 「もしも」と、腕の中にいる少女は、そんなありもしない幻想にわずかに浸っているように思えた。

 

「……三ノ輪銀」

 

「うん。ミノさんはね、強かったんだよ。すっごく大きな斧を持ってさ~。でも………死んじゃった」

 

 そう口にした自分が無神経であったのかは判断できない。

 ただ、目の前の少女が浸る幻想については、実体験とも呼べることを往々にしてある。

 これまでも俺自身、後悔と自己嫌悪と、二度と戻らない幻想に浸りながらも前に進んだつもりだ。

 

 三ノ輪銀という少女がかつて存在し、御役目の中で命を落とした事は知っている。

 かつて消えた乃木園子の消息を追うべく、様々な情報を探っていく中で初めて知った。

 彼女が使用していたという端末は、未来で夏凜に譲渡されるという形で再利用されているらしい。

 

 俺自身は園子が語るミノさん――三ノ輪銀に会った事は残念ながら一度もない。

 一応4年生までは園子と同じ格式高い神樹館小学校に通ったが、面識は無かった。

 後に未来の園子と昔話に花を咲かせる中で、銀と過ごした頃について聞いた程度だろうか。

 

 もしも、そう“もしも”なんて都合の良い話はない。あってはならない。

 園子が語っていた俺の知らない1年と272日には、加賀亮之佑は存在してはいない。

 そして何よりも時期を考えると、三ノ輪銀が死んだ時期はまだ勇者因子が足りないはずだ。

 そんな事を考えて、俺はゆっくりと頭を振った。園子も分かっていて言っているのだろう。

 

「そうか」

 

「うん。それでその後はね、わっしーと一緒に二人で戦ってね~。今日初めて満開、しちゃったんだ~」

 

「……」

 

 園子の語る言葉には思い出が込められていて。

 小さく、掠れた声は、震えていた。

 

「かっきー。私ね、脚の感覚がしないんだ」

 

「――園子」

 

「ほら……分かるでしょ? 脚だけじゃなくて、心臓も、ぜんぜん、動かないんだ~」

 

 いつもの口調で、困ったように眦を下げて、園子は俺の手をその慎ましい胸に押し当てた。

 装束が包み込む柔らかな感触を手のひらで感じながら、それでいて何の鼓動も聞こえない。

 心臓があるであろう部分は、臓器としての役割を放棄し、完全に停止しているのが分かった。

 

 一時的に戦闘力を飛躍的に向上させる満開システムに隠された――散華という機能。

 そのシステムは、戦闘時においては強力無慈悲とも言える強大な力であると言えるだろう。

 だが代償として、体の一部をヤスリで少しずつ骨を削るように神樹に奉げる必要がある。

 

 当然、人体のどこかを失えば、日常生活は困難になるだろう。知っているとも。

 そうして失くして、喪って、そうして奉げていく生贄に対して大赦が施しを与える。

 この世界は、そういう少女たちの屍の上で、多くの無知な罪多き人たちが今日も生きている。

 俺は知っている。だが園子は知らない。大赦からは知らされていない。だから知らない。

 

「わっしーも」

 

「……」

 

 静かで消えてしまいそうな声に俺が眉を上げると、彼女はじっと俺の瞳の奥を覗くように、

 

「わっしーも……あの時ね、たぶん記憶を失くしてしまったかもしれない」

 

 だが知らされずとも、聡明な彼女は自分で真実に気づけるのだ。

 些細な情報に、ほんの少しの切っ掛けさえあれば、園子は気づける。そういう少女なのだ。

 そうして園子が主張し、語る話をただ黙々と聞いていく中で、俺はふと気づいた。

 

「かっきーは……、かっきーは“こう”なるって知ってたの?」

 

「――――」

 

 目を合わせず、下を向き、唇を噛んだ園子は目を見開いている。

 その美しい瞳いっぱいに涙を溜めて、流れ出さないように、堪えるように。

 いつも穏やかな少女は、瞳に様々な感情を宿らせて、涙声で俺に『問』をぶつけた。

 

「――知ってたよ」

 

 嘘は吐けなかった。

 園子に対して、咄嗟に仮面を被ることも、適当な事を言うことも彼女の瞳が許さなかった。

 だから語るのは真実であって、そしていずれ知る真実ほど残酷な物は無かった。

 

「……どうして」

 

「――――」

 

 俯き、涙をこぼす園子が、力のない手が俺の胸を叩く。

 

「どうして……?」

 

 『どうして』と、園子は言った。その言葉には、きっと多くの『どうして』が含まれていて。

 聡明な園子は違和感に気づいていても、おそらく本人の口から直接聞きたいのかもしれない。

 

 当たり前だ。

 俺がそれを他人に告げられても、正直言って半信半疑になるのは間違いないだろう。

 

 知っているとも。今日、この日、四国を大きな自然災害が襲ったのだ。

 死亡者は二名、負傷者は十数名だったか。樹海が傷ついた災いが現実世界に反映されたのだ。

 その悲しい情報は、きっとまだこの時間帯では、世界中でおそらく俺しか知らないだろう。

 

「俺は……」

 

 未だに迷い、その瞳を向けられながら、必死に考えた。

 園子に「大丈夫だ」と、わかったような態度をとればいいのだろうか。涙をこぼす意味を考えず、とりあえず取ってつけたように謝罪を口にするべきか。ただ抱きしめればいいのだろうか。

 

 事ここに至り、答えを出せない考えは俺の頭の中でひたすらに渦を巻く。

 何をしたらいいのか、どうしたらいいのか、どうすればいいのか、どうすれば――。

 加賀亮之佑ならば、どんな答えを返すことが出来るだろうか。そう考えると、簡単だった。

 

「俺は、――園子、キミに逢うために未来からやってきたんだ」

 

「……ぇ?」

 

 ひどく突拍子もない、それでいてこの空気を払拭するような言葉を、空気に震わせた。

 今も涙を浮かべる琥珀の双眸を見開き、時折涙をこぼしながら、園子の視線が俺を捉える。

 涙を浮かべる少女の視界には、きっと俺の姿は揺れる水面に映るようにぼやけて見えるだろう。

 

「みらい?」

 

「そう、未来。少し遠い未来から。奇術師は時間を越えて園子に逢いに来たんだよ」

 

 少しおどけたように、片方の頬を上げて俺は笑う。園子の心に響かせるべく。

 俺の言葉に対して、園子の目が信じられない物を見たように、面白い物を見たように片方の眼が大きく見開かれる。瞳を縁取る長い睫を震わせて、園子は俺の言葉に耳を傾けた。

 

 そうして俺の告げる言葉に意識を奪われる園子の姿に、俺はかすかに頬を緩めた。

 先ほど園子が俺にしたように、そっと優しく、労わるように彼女の柔らかな頬に手を伸ばす。

 

「どうして……?」

 

 愛しい少女の目の端に溜まる涙を赤い手袋で拭い取りながら、俺は彼女に笑いかけた。

 3度目の『どうして』という言葉、それは疑いの意味ではない。俺の言葉を理解した上での言葉。

 敏い少女に、悪戯っぽく、優しく、愛おしく。勇者は、奇術師は、亮之佑は微笑みかける。

 

「俺が園子に逢いに行くのに、いちいち理由がいるのか?」

 

「――ううん」

 

 その質問に否定で返されなかったことに少しだけ安堵する。

 なんとなくだが、目の前の少女が何を不安に思っているのか分かった気がした。

 聡明な少女だ。1を聞き10を知るを地で行く少女であると俺は経験で知っている。

 

「大赦は満開システムの裏、神樹に身体機能の一部を支払う『散華』システムについて隠している」

 

「――――」

 

「咲き誇った花は散るんだ……。俺はそれを見てきたよ」

 

 その言葉に大きな目を見開く園子は、驚愕の表情ながらもどこか納得気であった。

 きっと自身の満開終了後に起きた身体機能の喪失で、おおよその予想はしていたのだろう。

 触れた手のひらに対して、くすぐったそうに園子が目を細める姿を俺は見下ろした。

 

「なら、かっきーは……?」

 

「俺の場合は……まあ、特殊ケースというか。見た目には表れないというか。――俺のことは別にいいんだ。それよりも園子は俺のこと、信じられるか?」

 

「――うん」

 

「俺を信じてくれるか――?」

 

「うん。私はかっきーの事、信じているよ~」

 

 真面目な顔で頷く園子の琥珀色の瞳は、真っ直ぐに俺だけを見ている。

 そんな彼女を腕に抱き、長い金色の髪ごと背中に回した手、額を合わせて囁いた。

 

「なら俺は、園ちゃんの為になんだってできるさ」

 

「――――」

 

「バーテックスの大群を殲滅することも、夜空に満天の華を咲かせることも、――時間だって飛び越えて園子の為に逢いに来るさ。奇術師ってのは凄いんだぜ?」

 

「――――」

 

 これから先の園子の未来は決して明るい物ではない。

 およそ二年の月日が流れ、蛇遣座の攻撃の影響で両親が死に、見た泡沫の夢の果てに。

 自己嫌悪と孤独と寂しさの果てに、そこまでしてようやく俺はベッドの上の令嬢に逢うのだ。

 

 その間、園子は一人なのだ。独りっきりなのだ。

 学校で仲の良かった二人、戦友で仲間で友達の二人は死んでしまったのだ。

 三ノ輪銀という少女は死んだ。鷲尾須美は器を除きその記憶は失われた。

 

 空白の2年の出来事は、そこまで不自由を感じたことはないと、後に園子は言っていた。

 神樹館小学校を中退という形になり、両親と神官以外では誰とも会うことはなかったという。

 それがどれだけ苦しいか、悲しいか、寂しいか、俺が知らないわけがないのだ。

 

「なら――、私と一緒に居てくれる? ずっと、ずっと……私と一緒に……」

 

「――――」

 

 だから、園子の瞳に宿っていた感情は、懐かしくて、切なくて、何かを残そうと思ったのだ。

 それがせめてもの償いで、傍に居られない愚かな自分に代わり、園子の心に居られるように。

 園子のその言葉に、期待と不安を混ぜたような、その言葉に対して、

 

「――好きだよ、園子」

 

 愛を囁き、彼女の頬に触れていた手を握り締め、開いた瞬間、紫の鮮やかなバラがあった。

 6本の紫色のバラは、月の光の加減によっては青色にも見ることができる精巧な造花だ。

 昔、いつか園子に会うことがあったらと女々しく考えて、眠れぬ夜に作っていたのを思い出す。

 

「答えになってないよ~……?」

 

「なっているよ。――なぁ、園子。どうかこれを、受け取ってはくれませんか――?」

 

 その行為に、わずかに園子は苦笑する。

 結局あの時は渡すことが出来なかったが、眠れる自分に代わって渡すのだ。

 演技口調で、奇術師として、昏色の瞳を向け、その言葉に琥珀の瞳が花を見た。

 

「――綺麗」

 

 おずおずと、園子は自身の手を伸ばして、バラの花を受け取った。

 いつか彼女に送ろうと考えていた花と、その意味は何がいいかと、あの頃はずっと考えていた。

 

「なぁ、園ちゃん―――知っているか?」

 

「――――」

 

「この花は、誰よりも園子にこそ相応しいと俺は思っている」

 

「私に……?」

 

 バラの花言葉は、数や色によって多く異なっているのだと当時友奈は言っていた。

 だからその後キチンと調べると、自然と花に関する知識も少しずつ増えていった。

 知識は力なり。だから懸命に、必死に、毎日を積み重ねて、俺は、加賀亮之佑は勤勉であった。

 

「この色は、世界でも作るのが不可能だとされていたんだ。だけど、当時の人々が努力した結果、なんと不可能だと言われた色を作りだす奇跡を起こしたんだ」

 

「――――」

 

「その花に与えられた言葉には、奇跡以外にも、こんな言葉がある」

 

「――――」

 

「神の祝福。この言葉が、誰よりもお前に相応しいよ、園ちゃん」

 

 そう、俺は微笑みながら言った。

 微笑みながら、青白い肌に朱を差している少女に言った。

 

「――好きだよ、園子」

 

「私は……」

 

「俺は忘れない。世界中の誰もが園子を忘れても、俺は忘れないよ」

 

 唇を震わせて、園子が何事か、奇術師然とした俺へと言葉を紡ごうとした。

 その姿を目に焼き付けて、バラを持った園子を再度抱き上げ跳躍、直後に大橋が更に崩れた。

 骨組みが文字通り鉄屑へと変化していき、次々と瀬戸内海の冷たい海へと落ちていく。

 

「かっきー……」

 

「答えはいつか、聞かせてくれよ」

 

 細くて柔らかい体を抱きながら、崩れる橋から距離を取り跳躍を繰り返す中で、園子が囁く。

 潤ませた瞳に微笑みながら、俺は少しずつ意識が薄れ始めるのを感じていた。

 眠るように魂が己の肉体から分離していくような感覚、2度も経験した死に近しい感覚を。

 

「必ず逢いにいくよ、園子。信じてくれるか?」

 

「――うん」

 

 やがて、少し離れ、大橋記念公園の近くに俺は着地し、小さなベンチに園子と座り込んだ。

 大した距離でもなく、勇者装束さえ纏っているはずなのに、随分と身体が酷く重く感じられた。

 細胞の一つ一つが己の制御下を離れていくような、深い闇に包まれるような感覚が迫る。

 

「――――」

 

 俺にはまだやるべきことがある。

 だから、園子に逢う役目は、答えを聞く役目は、加賀亮之佑に任せよう。

 

 この出会いも別れもきっと、意味があることなのだ。

 この行いが未来に何か影響を与えるとも思えない。

 

 後悔はある。だからまだ死ねない。死ぬわけにはいかない。

 彼女が、彼女たちが笑いかけてくれる限り、俺はその信頼に応えるのだ。

 

「かっきー、眠いの?」

 

「あぁ……。たぶん次に会うのは、1年と半年後くらいかな……」

 

 もともとありえる筈のない幻想だ。本当に現実なのかすら怪しい。

 だが、それでも問題ない。俺に関してならば、誰よりも知っているのだから。

 

 俺は、加賀亮之佑は信頼に応える。

 執念を燃やし、クロユリの花言葉通り、必ず園子を見つけ出す。

 

 

「好きだよ、園子。――ずっと」

 

 

 遣り残したことがある。だからこの旅路は終わらない。終わらせないと魂に刻み込む。

 ベンチに背中を預け、再度ゆっくりと園子を腕に抱き寄せると、ふと園子の顔が近づいた。

 意識が闇色に塗り潰されていく中で、最後に月夜を背景に、園子は微笑み、

 

「――――」

 

「おやすみ、かっきー」

 

 ――唇に感じる柔らかい感触が、夢の終わりを告げていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第七十一話 裁きを嗤う」

 そして、俺は眠りから醒めるように意識を覚醒させた。

 柔らかな草が天然のベッドになっていたらしく、俺が目覚めると同時に散っていった。

 

「…………」

 

 その様子を見ながらなんとなく己の唇を指で触るが、少しかさついた感触に俺は眉を顰めた。過去の中、運命に抗う『自分』に代わって戦い、敵を撃破した矢先に感じ始めた眠気を思い出す。

 消える最後の瞬間は、意識が文字通り離脱していく様な感覚の中で、彼女にしてやられた。

 

 公園のベンチにまで移動し、限界の中で朦朧とした意識。

 その中で、ボロボロであった俺に対して口づけをした園子の心境など判るはずもない。

 そしてあの時間を切り取るように眠った俺も、その時の心境も感触もあの時間に置いてきてしまった。

 

「――――」

 

 何の感慨も残らなかった事はしょうがない。

 回想としては残りはしたが、今の俺にとっては感慨深く振り返っている時間はない。

 

 結局あの後、記憶通りなら俺は園子と引き離され、大赦管轄の病院へと運ばれるはずなのだ。

 大赦によって後に『瀬戸大橋跡地の合戦』などと呼ばれた戦いであったが、当時本当に何も分からず、知らず、無知であった俺は、その被害者として表面上は扱われていたのを覚えている。

 

 意識を消毒液の匂いがするベッドで取り戻した俺は、最初端末と指輪を持ってはいなかった。

 だが当時はそれどころではなく、知らぬ間に折れていた腕の痛みと空白の記憶に苛まれていた。

 

 入院中に戦闘データは抜き取られ、兵装の類はこの時に封印された可能性が一番高いだろう。

 戦闘データは園子や鷲尾須美からも取ったはずだが、大赦がどう判断したかは不明だ。

 真相は文字通り過去に置いてきてしまったが、今の俺にとっては重要な情報ではない。

 

「――さて、と」

 

 そう言いながら、俺は目の前の草原を見下ろした。

 見覚えのある空間、どこまでも広がるような草木は風に靡けども、虫の音は全く聞こえない。

 静寂な暗闇を照らし出すのは、幻想染みた現実よりも優美に見える黄金の満月だ。

 

 頬に張り付いていた葉っぱを払い落とし、緩慢な動きながらも俺は立ち上がった。

 見覚えがある光景というよりも随分と見慣れた光景であると思いながら、周囲を見渡す。

 しかし、あの巨大な桜の大樹と、傲慢で不遜な先祖の姿が見られないと眉を寄せ――

 

「――んんっ」

 

「―――っ!」

 

 小さく喉を鳴らす音に、まだ寝ぼけていたらしい俺は音の方向、背後を振り返った。

 己の不覚に心の中で舌打ちをし、途端に桜の花弁が数枚、俺の頬を撫でるように優しく当たった。

 その感触よりも、奇妙なことにその存在を視界に収めたことに己が安堵しているのに気付いた。

 

「――おかえり」

 

 白いテーブルにカップを置き、優雅に椅子に座る共犯者。

 聞き慣れた声を掛けられたことに対して、俺は思わず肩を竦めて笑った。

 片頬を吊り上げながら、ゆっくりと空いている彼女の向かいの席に腰を掛けた。

 

「ただいま」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 待合室で寄り添うように座っていた友奈たちは、夜も遅いという事で大赦の車で家に送られた。

 最初は渋っていた友奈たちであったが、途中で手術が成功したという報を受けた為に受け入れた。

 その次の日も、彼の姿を一目見ようと少女たちは病院へ向かったが、家族以外面会謝絶とされた。

 

 そして、血のクリスマスイヴから2日後の事であった。

 

「友奈様に、急ぎお知らせしなければならないことがあります」

 

「――――」

 

「ご両親には、全て了解していただいております」

 

 一人で家に帰り、両親が不在である時を狙ったように、大赦の神官が結城家を訪れていた。

 白い装束、神樹のマークの入った仮面を着けている大赦の神官は、髪の長さから女性と見て取れた。

 その女神官は深々と赤髪の少女に頭を下げながら、淡々と友奈だけにある事を語った。

 

「私たちを約300年の間守ってきてくださった、神樹様の寿命が近づいております」

 

「……え?」

 

「神樹様が枯れてしまわれれば、外の世界から守る結界が無くなり、我々が暮らすこの世界は炎に呑まれ、消えてしまいます」

 

「消え、る……?」

 

「――遺憾ながら」

 

 目の前の神官が何を言っているのか、告げられた言葉が唐突過ぎて友奈には理解できなかった。

 いや、理解できなかったわけではない。ただ決して軽くはない衝撃が脳内を支配していたのだ。

 神樹様が消える。その事実がいずれ来るのだと、友奈は告げられた。

 

 神樹が消えれば必然、世界を守る結界はたちどころに消え、世界はあの炎に包まれる。

 そうなればどうなるかなど――

 

「消えるのは、だめ……」

 

 この世界に暮らす多くの人たちには、大切な人と呼べる者が存在するだろう。

 それは友奈も同じで、育ててくれた両親や学校の同級生、商店街の人たちや、勇者部の仲間達。

 彼らが、彼女たちが理不尽に蹂躙され、不条理に消し飛ばされてしまうなどあってはならない。

 

 分からないなりに箱庭が壊れた結果は想像に難くはない。2日前にその縮図を見たのだから。

 無意識に、取れない何かを拭うように、何となく両手を摩りながら友奈は一言だけ告げた。

 その言葉には、拙くも少女の想いが、思いが込められていて、

 

「仰る通りです。人間を全滅させるわけにはまいりません。そして全滅を免れ、皆が生きる解決策を我々は見つけております」

 

 そしてその言葉に、その想いに優しく寄り添うように、目の前の神官は友奈の言葉に賛同した。

 賛同すると言いながら、目の前に相対する神官の仮面は淡々とあらゆる感情を閉ざしている。

 

「皆が助かる方法は一つ、選ばれた人間が神樹様と結婚するのです」

 

「結婚……?」

 

「はい。神との結婚を古来より『神婚』と云います。神と聖なる乙女の結合によって、世界の安寧を確かなものとする儀式です」

 

 自分が天の神に祟られているのを大赦は知っていながら、ある話を持ち掛けてきた。

 神婚という儀式を行えば神樹は新たな力を得て、人は神の一族となり、永久に神樹と共に生きる。

 神官にそう言われ、よく分からない話ではあったが、それでも友奈が思うことは一つであった。

 

「よく分かりませんけど………でも、とにかく全滅だけは……」

 

「私たちも、友奈様と同じ気持ちです。神婚が成立すれば、選ばれた少女の存在は神界に移行し、俗界との接触は不可能になります」

 

「えっと……」

 

「――神婚した少女は死ぬということです」

 

 死ぬ。そんな言葉を告げられて、一瞬だけ頭の中が真っ白に染まった。

 自分と志が同じであると告げながら、皆が助かるという方法の果てにあるのは『死』だという。

 最近、友奈は最も死に近づいた瞬間があったのを思い出し、咄嗟に震える両手を握り締めた。

 

 両手を握る度に思い出す、温かく、そして冷たくなっていく血紅色の光景は僅か2日前の事だ。

 大勢の悲鳴と怒号が飛び交い、神樹の結界を嘲笑うように容易く破壊した、文字通りの天の一撃。

 大赦の隠蔽能力が高いと言えども、それでも隠し切れず未だに噂が飛び交っている事件となった。

 

『――俺が友奈の勇者になるよ』

 

 優しく、愛おしく、狂おしく、静かに囁かれた心地良い言葉が耳から離れない。

 それがまるで遺言のように、凍り付いた息で血を零しながら、こちらの身を案じるように告げられた。

 

『――好きだよ』

 

 甘い、甘い優しい言葉が友奈に寄りそって、そして目の前で血の海に沈んでしまった。

 

「―――っ」

 

 消えない震えを、瞼を閉じると忘れられない感触を己を抱いて抑える友奈を神官は見ない。

 ただ懸命に、淡々と大赦の神官として、目の前の少女に、その優しさに、良心に訴えかける。

 世界中の人々を救うために、生贄として、人柱として、神婚することで死んでくれと頭を下げる。

 

 神樹が神婚の相手として神託で指名したのは、友奈であったのだと神官は口にした。

 以前の戦いによって全身を散華させた友奈が、心も身体も神に近い『御姿』となったかららしい。

 その表情は白い仮面に覆い隠され見えずとも、どこか機械的に話すような印象を感じさせた。

 

 神官が言うことには、神婚をすれば人は神樹に管理された優しい世界で生きるという。

 神の膝下で、神の眷属として幸せに存在することが出来るのだと、淡々と神官は語った。

 その言葉の意味は友奈にはやはり理解は出来なかったが、それでも何となく歪に感じられた。

 

「えっと、すみません。すぐには答えられなくて……」

 

「私たち大赦は人類が生き延びるために様々な方法を模索し続けてきました。他にも意見はありましたが、神婚という選択肢のみが残りました。天の神の怒りを背負われることはさぞお辛いでしょう。祟りの為に皆にも話せずに……」

 

「いえ……、もっと賢いやり方もあったのかもしれないんですけど……私、大切な人を傷つけちゃって……」

 

 脳裏に浮かぶのは、鮮血の光景だ。それが頭から離れない。

 ここ数日はそればかりが、後悔と悲しみと共に友奈を苦しめる。

 はやく会いたいと、この2日でどれだけ思い、どれだけ泣いてしまっただろうか。

 

「――亮之佑様は、友奈様が天の神に祟られているのに、お気づきになっておりました」

 

「――――」

 

 そんな中で、気のせいかもしれないが淡々と語る声音に、僅かに色が混ざった気がした。

 無言で友奈の薄紅の瞳は、畳の上で頭を下げたままの神官に自然と向けられていた。

 声を殺して、呼吸すら止めて、友奈は目の前の神官を見下ろす。

 

「亮之佑様はその身をもって友奈様をお守りになられました。彼を、友達を、人間を救うことが出来るのは友奈様だけです」

 

「――――」

 

「どうか……この世全ての人々をお救いください。どうか慈悲深い選択を……」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 白いカップに注がれるコーヒーの匂いが漂い始め、わずかに俺の鼻腔をくすぐった。

 静寂な空間で、月夜の下で俺と初代、二人が向かい合って座っていた。

 

「神婚。神に近い御姿になれるのは現状で結城友奈、次点で乃木園子が妥当だっただろう」

 

「まあ、俺は反対だから行動を開始していたんだけどな」

 

 頬杖をつき、極力抑揚を減らした声音の少女に告げる。

 神婚というのは、神世紀の始まり頃にも『未遂』ではあったが執り行われかけたらしい。

 神世紀72年に、当時最後の勇者を生贄にしようとする動きがあったのだと初代は語った。

 

 だから、大赦の選択肢として神婚の可能性があるのには気づいていた。

 だからそれだけはさせないと、ある計画をクリスマスイヴの1週間前から進めていたが――

 

「神の一撃っていうか……ワンパンで逝っちゃったんだけど、俺」

 

「あれはキミが調子に乗った結果だとボクは思うけどね」

 

 友奈への告白は、彼女の呪印を通じて天の神に知られていたらしい。

 人間一人の戯言すら聞き逃さない器の小ささには失笑ものだが、現実は笑えない状況だった。

 目の前で含み笑いをし、唇に指を当てて悪戯っぽく笑いながら初代が俺に語る。

 

「あの時点で天神は絶対にキミを殺すまで攻撃を止めなかっただろう。呪術が効かない存在が我慢ならないのか、強引に結界を破ってまで攻撃するとは、キミも偉くなったもんだね」

 

「神よりも、気になる子からの痛くない可愛らしいアプローチの方が良かったけどな」

 

「だから、キミは死ぬ必要があった」

 

 軽口を叩く俺を無視し、初代は吐息をこぼす。

 そうして自身の黒髪の先を指で弄りながら、目を瞑り、

 

「仕込んだ血糊程度よりも、魂ごと神樹経由で体から引き離す方が神を騙せる可能性が高い。ついでに歴史の矛盾を正しくする為に、過去との調和を保つ為に霊的に死んでもらった――という話が現状なのは理解しているかな?」

 

「しているさ。計画に狂いが生じるのもだが、まさか過去に行くとは思わなかったがな」

 

「――本当に予想外だった」

 

 つまりはそういうこと。

 あの場で最適な解を模索し、解れた計画を強引に修正するべく、咄嗟に初代の誘いに乗った。

 確かに即入院レベルの怪我を負ったが、本当に肉体的に死んでしまうというわけではなかった。

 霊的に死んだと思わせ、神を欺くことが出来たから、今俺の意識はこの世界に戻ってこれたのだ。

 

「笑うなよ」

 

「悪かったよ。――ところでキミは怒らないのかい? 不本意な状況と『対価』はあったが、それでも死ななければならない状況に追い込まれた事に」

 

「え? ……いや、対価というかそういう契約だったし。まあ、いきなり死ねっていうのは多少驚いたがな」

 

「――そうかい」

 

 確かに過去に飛ばされたことで散華してしまったのは間違いない。

 だが生活に支障が出るような障害も、大切な記憶が無くなったわけではない。

 手は剣を、銃を握ることが出来る。足は動き走ることも出来る。記憶は減ったが問題ない。

 どのみち前世の分であるのだ。トラウマが減った所で困るものでもないと己を納得させる。

 

「友奈を神婚させるくらいなら、世界中の人間を生贄にして神樹に奉げるさ」

 

 何よりも、誓いは覚えている。

 加賀亮之佑の原点となった、今もなお満天の夜空で輝く満月の光景を覚えている。

 後悔しないという己の指標は、今までもこれからも変わらずに俺を支え続けている。

 

「満開を続けても、手足や五感には未だに影響は出ていない。これってやっぱりお前の仕業だよな?」

 

「――そうだよ。とはいっても、散華に指向性をつけただけだが」

 

 園子の散華の回数は13回だった。

 そして俺もその回数にまでは届かずとも、それなりの回数を散華したのだ。

 例外と言っても、命を弾丸に勝利を掴みとるためにロシアンルーレットを行ってきたのだ。

 

 勇者部の皆は眼や味覚、耳や声などが失われる中で、俺だけは大した物は失わなかった。

 運が良いという話ではないのだ。実際に戦っていれば、その疑問に気づかない訳がないのだ。

 戦う度に、空に刹那の華を咲かせる度に、この身は戦闘を行う度により洗練されていった。

 

「別に恨んでる訳じゃない。この力があったから戦ってこれたんだから」

 

 大いなる力には、それ相応の代償がある。

 神の如き力を一瞬であれど得るには、何かしら失う物もあるというだけのこと。

 結局自分はその代償を知りながらも使用したのだから、初代を怒る資格などないだろう。

 

「――神というのはいつだって理不尽極まりない。それを撃退するのは人の身に余る行為だ」

 

「かもな」

 

 話は変わり、静かに、わずかに声音を上げて初代が当たり前の事実を指摘する。

 少し前にその神の力を思い知った。所詮は人である事をよく思い知らされたのだ。

 今回は運よく、運命の魔手から隠れ逃れることが出来たが、二度目は神に通じないだろう。

 

「死ねば終わりだ、半身。次は無い。本のような、不条理に勝つ物語なんて物は実在しない」

 

「――なら物語を創ればいい。内容は諦めないで神に抗う勇者の物語。主人公は俺。摂理に抗う勇者は戦いの末にお姫様を守り抜いたのでした……ってな」

 

「――――」

 

 初代は、一度神の不条理に敗北を喫した少女は、静かにその愚かさを嗤う。

 既に話し合いは決着しており、加賀亮之佑が結城友奈を救うという意見を変えることなどない。

 その姿を見て、肩を竦めた初代は無言でカップを傾け優美に中身を飲み干し、瞳を向ける。

 

「キミの覚悟は分かったよ、半身。だが、『対価』はあと2つ残っている」

 

「――――」

 

「2つ目の望みは、必ず叶えてもらう。その為に因子と土台を作ったのだから」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 死んでしまったのかと思うぐらい、床に伏せた少年は静かであった。

 

「――――」

 

 寝台に体躯を、清潔な枕に頭を預け、昏々と眠り続けている少年を神官は見つめている。

 少年の着ていた薄緑色の手術着は呼吸をする度に上下に動き、それが辛うじて目の前の少年が生きているということを物語っていた。

 

 手術着の裾から覗かせる包帯と、全身にある切り傷やかすり傷などが少年の痛ましさを思わせる。

 辛うじて峠を越えることが出来たが、未だに死人のように意識を戻すことはなく、昏々と眠り続けていた。

 手術を終え、運ばれた先の病室は、本来ならば誰も入室は出来ないものとされていたが、

 

「3日目となりました」

 

 病的に白い肌を撫でて、本来ならば必要の無い報告を神官――安芸は行う。

 バイタルを示す機器の音が小さく部屋に響く中で、淡々と意識の無い少年に語っていく。

 

「亮之佑様が意識を失われて3日。最悪の事態だけは避けましたが、大赦はすぐに次の行動に移らなければなりません」

 

 返事はない。

 それでも淡々と安芸は目の前で眠りにつく少年を見下ろす。

 仮面は外さず、それでも静かな声音には僅かながらも色が込められていた。

 

「友奈様は神婚を行うと言われました。儀式が行われるのは5日後です」

 

「――――」

 

「時期を同じくして天の神が襲来することも予想されています」

 

 安芸は大赦の神官として訪れたわけではない。

 あれはクリスマスイヴの前だったか。ふらりと大赦を訪ねて来た亮之佑は、安芸に面会を求めた。

 久しぶりに安芸の教え子として、勇者として、安芸個人と話をしたいのだと。

 

 彼の家庭教師をしてから随分と経つというのに、彼は今も自分の事を先生と慕ってくれる。

 そんな彼が話した内容は、きっと大赦全体からしてみれば喜ばしい物ではなかっただろう。

 神婚を行い、人類を神の眷属として、幸せな世界へとその身を奉げる事こそが大赦の総意。

 

 それをどこから嗅ぎつけたのか、神婚を囮として天の神と戦うつもりはないかと彼は口にした。

 天の神を倒すには、わずかであれど、大赦の力が必要になるのだからと泣き落としに来た。

 しかし、今も変わらず亮之佑が演技派であるのは、一応書類上彼の保護者となっている安芸には分かっていたので相手にはしなかったが――

 

「ゴールドタワーの改装も完了し、防人たちにも通達はしています」

 

 だというのに、律儀に眠る教え子の様子を見に来るのはなぜか。

 湧き出す感情を呑み込み、大赦の神官として少女たちの矢面に立つのは慣れていた。

 人は最も身近な存在に当たりやすいものだ。それがせめてもの贖罪とも呼べぬ行動で、

 

「――――」

 

 自分でも分からぬ感情を抑えながら、それでも少しだけ心情を彼の方向に傾けてしまっていた。

 この行動に意味はないと知りながら背を向けて、安芸は部屋を離れ、本庁に戻ろうと――

 

「安芸先生」

 

「―――っ!」

 

 部屋を出る直前だった。

 その小さな声音に振り返った安芸を、空虚な血紅の瞳が見つめていた。

 あの頃とは異なる色、散華の影響で昏色の瞳ではなくなった色の瞳に、仮面越しに安芸は息を呑む。即座に動揺する自身を、肺から息を抜いて冷静さを保とうとする保護者。

 そんな動く死体を見たような反応をする彼女の前で、亮之佑は掠れた声で、わずかに微笑む。

 

「5日もあれば十分ですよ」

 

「――――」

 

 薄く開いた瞳、紅色の瞳は仮面の奥の保護者の顔を見つめる。

 唐突に意味の分からない言葉を吐く彼の言動を、安芸は知っている。

 舞台で踊るように、楽し気に、仰々しく、彼は言うのだ。

 

「それだけあれば」

 

 勇者は嗤う。

 

「――運命なんて、変えてみせますよ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第七十二話 摂理に抗う、小さき火花」

 ――『防人』と呼ばれる存在がいる。

 

 まず天の神と地の神、人間による長きにわたる戦いは、人間の視点からは『勇者』の存在を中心として語らなければならないだろう。歴史が隠蔽されていなければの話ではあるが。

 

 土地神の集合体である神樹に見初められ、華々しい活躍を上げる勇者たち。

 そして勇者の活動の裏でもう一つ、同じく神の力を得て活動する少女たちの存在がある。

 

 彼女たちは『防人』と呼ばれ、その役割は大赦が天の神への対策を行うための補佐である。

 縁の下の力持ちと言えば聞こえはいいが、その実態は命じられるがままに行動する大赦の犬。

 勇者たちを可憐な『花々』とするならば、彼女たち防人は誰も見向きしない『雑草』なのだ。

 

「まあ、前回チラッと見た感じ、可愛い子がそこそこいたように見えたけど。好みじゃないが」

 

「彼女たちは容姿で選ばれたわけではありません。神樹様が見初められた少女たちです」

 

 個人的な感想を言うと、隣にいる仮面の女性に淡々と、しかしやや冷淡な声音で否定される。

 防人側は勇者との接触は大赦によって禁じられ、また勇者もその存在を知らされていない。

 それは様々な思惑が絡んだ結果だったのか。本来ならば亮之佑も知らされてはいないのだ。

 

 ――知らされてはいなかったのだが。

 それは少し前、神世紀300年の秋を過ぎ冬が訪れた頃だ。

 亮之佑が朝のジョギング中に遭遇した、偶然とも呼べる防人たちとの出会いがあった。

 

 接点は偶然に、運命に。呼び方は何であれ、そこから生じたのだ。

 彼女たちを追いかける形で壁の外、あの地獄以外の表現を思いつかない世界へ足を踏み入れた。

 そこで彼女たちがバーテックスによる奇襲を受けているところに、運よく援護射撃を行った。

 結果的に、御役目でも任務でもなく勇者が防人を助ける形で、彼らは一度出会ったのである。

 

 危機を脱出し、彼女らと巫女らしき少女と少し話をし、そして別れた。

 何となく勇者として彼女たちを助けた手前、気安い感じではなく意識して凛として接していたが。

 その時、遠目に見ていた少女の姿は、やはり記憶の中にある物と同一であった事を確信した。

 それはいつだったか。愛媛から来たという少女はわざわざ勇者部に訪れたことがあって――

 

「――雀って言ったっけ。彼女とだけは勇者部で会ったんだったよな。……まあそれはいいか」

 

 彼女達『防人』の構成員は32人で、4人1班で戦うスタイルなのだという。

 勇者部に所属している『勇者』は7人と圧倒的に防人の方が数は多いが、纏う神気が違うらしい。

 彼女たちも神樹から勇者の素養、つまり勇者適正を与えられていたが、結局は選ばれなかった存在だ。

 故に彼女たちは自身の力が非力であるのを理解した上で、数を合わせ力を発揮しているらしい。

 

 彼女たちと連絡先を交換してからまだ3ヶ月も経過していないが、人の縁とは数奇なものだ。

 そんな事を思いながら、亮之佑は隣に座る大赦神官――安芸に血紅色の視線を向けた。

 数秒ほどジッと見ていると、やがて首を動かし白い仮面越しにこちらを見返してくるのが分かった。

 

「――――」

 

「何か?」

 

「仮面、取ってみては?」

 

「……いえ、むしろ亮之佑様は、千景殿に到着してからは仮面を外さないで下さい」

 

「ああ、上手くやりますよ。……それよりも、『様』なんていらないですよ、安芸先生。前みたいに加賀君、もしくは亮之佑君でいいですよ」

 

「――もう、先生は辞めました」

 

 現在亮之佑は車に乗り、防人たちのいる場所へと向かっている。

 乗るというよりは搬送されているような気分だが、既に儀式の準備は始まっている。

 自然回復力が常人よりも多少上昇する勇者装束を着込み、その上から大赦の装束を着ている。

 

 あとは神樹のマークの入った仮面を着ければ、何処にでもいる大赦所属の神官が出来上がる。

 何故この様な恰好をしているのかというと、この姿の方が彼女たちに会いやすいかららしい。

 先ほども述べたが、勇者と防人が顔を合わせることを大赦は是としてはいない。

 

 そこには多くの思惑が絡んでいるだろうが。

 しかし、大赦の力を借りたい亮之佑としては、彼女たち、というよりもその住居に用がある。

 だから、建前としては大赦の神婚の儀に『勇者』として賛同の意を示し協力を申し出た。

 

 大赦側としては、やはり神婚成立までの時間稼ぎが出来る戦力は欲しいのだろう。

 協力の要請は受け入れられ、亮之佑も対天の神への時間稼ぎに協力する事を大赦側は受け取った。

 そういうわけで、大赦の用意した車に乗っている亮之佑は出来る限り楽な姿勢を取っていた。

 

「俺、この戦いが終わったら再入院するんだ……」

 

 フラグの様な事を言いながら後部座席で横になるという状態だったが、以前よりもマシだ。

 天の神の攻撃を受け、車の爆発による破片で抉る様に傷を負って身体は昏睡状態だった。

 本来は絶対安静の身なのだが、意識の覚醒から回復に数日だけ治療に専念していたのだ。

 血を増やすため、ずっとベッドの上で食っては寝るというサイクルを繰り返していただけだが。

 

「体の方はどうですか?」

 

「ええ、この3日でそれなりに回復しましたね。大丈夫でしょう。七味肉ぶっかけうどんのおかげですね……ゴホッゴホッ!」

 

「――大丈夫ですか?」

 

「え、ええ……ちょっとむせただけです。それにしても、なぜこんなに神婚の時期が早いんですかね。神樹……様の寿命ってそんなに余裕ないんですか?」

 

「いえ、本来ならば、神婚は2月頃を予定していたのですが。天の神が強制的に結界を破壊し、直接の攻撃を仕掛けるという異例の事態を大赦は重く捉えております。大赦内部でもすぐに次の行動を開始するべきだという声が大きく」

 

 神樹の寿命が間もなく尽きるという状況下で、大赦は打つ手をなくしていた。

 そこで計画されていたのが、真に最後の手段である『神婚』であった。

 もはや大赦にとっても他の選択を考慮する時間などなく、追い詰められていた。

 そして決め手となったのが、1週間前になるクリスマスイヴでの攻撃であったのだろう。

 

 安芸が言うには、大赦内でも神婚に対する考え方は違うのだと言う。

 大赦全体としては神婚によって神の一部となり、人の形を失っても土地神と共に生きるというものだが、一部だが天の神を激怒させて誘き出す切っ掛けとして神婚を行い、彼の存在を討とうという考えもあったという。

 

 大赦内部でも色々と騒ぎがあったらしいが、亮之佑にとっては重要ではない。

 大事なのは、結局神婚が行われる事と、そしてその時間に天の神が現れると想定される事だ。

 想定がされているのならば、襲撃される時間も正確に分かって当然なのだ。

 

「――――」

 

「――――」

 

 静かな車内で、お互いが無言で語ることはなく、亮之佑は小さく息を吐いた。

 以前、安芸に対しては血のクリスマスイヴの1週間前に協力を要請した。

 その時は素気無く淡々と断られたが、意識を戻した後には淡々ながらも力を貸してくれる。

 

 確かに大赦側の事情を理解した上で、時間稼ぎという名目で協力は得られた。

 安芸の心境に関しては分かるはずもないが、それでも何となくだが信用できると思った。

 これで裏切られた場合は目も当てられないが、今は彼女との昔の思い出を信じたい。

 たとえその仮面に感情を隠し、大赦の神官という立場であっても、根底は『先生』であると――

 

 そうして後部座席に亮之佑と安芸、運転を別の神官が行い、讃州市を離れて、

 

「そういえば、実はゴールドタワーに行くのって初めてなんですよね。丸亀市に行ったことはあったんですが……」

 

「以前に、骨付鳥を食べた時でしたね」

 

 やがて亮之佑の乗った車は、30分ほど時間を掛けて香川県大束町のガラス張りのタワーに着いた。

 昔話を一方的に語り、時折安芸が相槌を打ってくれるのを嬉しく、懐かしく思いながら、防人たちが家として住まい、彼女たち専用の訓練施設でもあるゴールドタワーを見上げた。

 

「このゴールドタワーが大赦内で『千景殿』と呼ばれ、かつての大橋と同じく霊的国防装置であることは先ほど話しました」

 

 先ほど車の中で聞いた話をもう一度安芸は伝える。

 これから他の大赦神官数名がゴールドタワーを訪れ、防人たちに任務を言い渡すらしい。

 明後日、天の神が襲来する中で、一番最初に天の神と接近する場所がこの千景殿となっている。

 

 千景殿の攻撃方法は二段階存在している。

 一つ目は大地より霊的エネルギーを吸い上げ、上空の敵に向けて放射する『千景砲』だ。

 外観がビルのようにも見えるタワーの屋上にアンテナ状の装置があり、そこから発射するらしい。

 

 二段階目は千景殿そのものが射出され、標的を穿つ絡繰だが、まだ設備が未完成で使えないらしい。

 大赦は神婚が始まり天の神が襲撃してくるのに対して、この千景殿で侵攻の妨害を行うつもりだ。

 あくまで大赦は防人にも勇者にも、神婚が成立するまでの“時間稼ぎしか”求めていないのだ。

 

「――――」

 

 そのことに対して、亮之佑も思わないことはない。

 ぶっちゃけた話、結局は見知らぬ他人を犠牲にして多くの人が助かるならそれでいい。

 ただ、その犠牲になる人が自分にとって大切な人だから神婚を阻止しようとしているだけ。

 

 だから、大赦の合理的で非情とも言えるやり方に対して、あまり否定的には思わない。

 しかし、結局は全員が人間的には死んでしまうという『狂気』は受け入れられなかった。

 当たり前だ。自分はともかく、身近にいる友達、仲間、大切な人が死ぬなど絶対に駄目だ。

 

 大赦は大赦。亮之佑は亮之佑の考え方がある。

 要は『それはそれ、これはこれ』という考えでしかない。

 だから多くの思惑がある中で、亮之佑が考える事はただ一つに専心する。

 

「傲慢でもなんでも、俺は友奈を神婚なんてさせない」

 

 その決意だけは変わらない。誰にも誓ったわけではない。強いて言うならば自分への誓いだ。

 友奈本人に断られても、否定されても、拒否されても、彼女自身が望んでも、神婚はさせない。

 そういう己の身勝手で愚かで自己満足な思いで今、亮之佑は大地に再び立ち上がったのだから。

 

 それから数分後、車が千景殿の正面へと着き、ゆっくりと停車した。

 滑らかに停止し、エンジン音が切れる音を確かめて、亮之佑は車のドアを開けた。

 

「安芸先生。色々ありがとうございました」

 

「――いえ、私はこの程度の事しか出来ません」

 

 安芸は防人の監視役だったが、何かの事情で同行しないらしい。

 どのみち他の神官たちも、防人たちに次の作戦を告げて、大半は撤収するらしい。

 だからここで別れる。安芸がこの後どうするかは亮之佑は関与せず、安芸も亮之佑に関与しない。

 

 そうしてゴールドタワー前で車を降りた亮之佑は身体の痛みにわずかに眉を顰めながらも、

 緩慢な動きで、血紅色の瞳で、こちらに跪く安芸の姿を見て唇を緩めると、

 

「――本当に、ありがとうございました」

 

「――――」

 

「――――」

 

 息を抜くように感謝の言葉を告げた。

 本当ならば手伝う義務も必要性も無いことに、わずかであっても安芸は手を貸してくれた。

 だから十分だ。ここからは一人で行動するべく、亮之佑は仮面を装着した。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 

「――やっぱり、少し疲れやすいな」

 

 身体は動くのを確認した亮之佑は、事前に大赦に用意された部屋で休んでいた。

 千景殿にある防人の居住区、そこから少し離れた部屋を割り振られていた。

 誰もいないが、掃除の行き届いた部屋の寝台に腰を下ろしながら、瞑想するように目を閉じた。

 

「――――」

 

 亮之佑は、千景殿の主砲とも呼べる兵装――千景砲に目を付けていた。

 大地の、つまりは土地神の力を、巫女という回路を用いて屋上のアンテナに込める。

 その一撃はそこまで天の神に大打撃を与えられるわけではなく、時間稼ぎに過ぎない。

 

 そう大赦側は考えていた。

 今回亮之佑に命じられている御役目とは、その回路である巫女を守ることである。

 本来ならば、巫女の一人くらい防人に守らせるのだろうが、不穏分子は避けたいらしい。

 要するにそういう口実が、大赦にとっても亮之佑にとっても、お互いに都合が良かったのだ。

 

「――――」

 

 この4日で亮之佑が出来たことは正直に言ってあまりない。

 情報収集と可能な限りの肉体の回復に力を注ぎ、仕込みをしたぐらいだ。

 本日、ゴールドタワーの展望台で、防人が明日天の神がこの地を訪れる可能性が高いと説明を受けていた。

 

 安芸や自分と同じく大赦から千景殿を訪れた神官が説明をしている間に、亮之佑は主砲となる千景砲を見てきた。そうしてわずかに細工を施しておく事に成功した。その程度だろうか。

 神官たちは足止めの後は勇者たちに託すと言っていたが、それは抗うという意味ではない。

 

「――――」

 

 そう考えて、ふと亮之佑は彼女たちが今何をしているのか気になった。

 彼女たち、勇者部の少女たちとは、意識を戻した後も連絡を取れてはいなかった。

 携帯端末は手元にある。だから、彼女たちに連絡することはいつでも出来るのだが――

 

「悩んだら、相談、か……」

 

 勇者部五箇条の一つを、寝台の上に寝転がりながら呟いた。

 そろそろ風も退院した頃だろうか。受験勉強に支障がなければいいのだが。

 もしも受験に失敗してしまったら、もう先輩と呼べないと思うと少し悲しい。

 

 樹は入院中の風がいなくてもしっかり自炊出来るだろう。

 それなりに厳しく自分が指導したのだ。優しくしたが甘くしたつもりはない。

 そして彼女は勇者部の中でも芯が強い少女だ。根底部分では姉すら凌駕するだろう。

 

 夏凜はきっと変わらずに黙々とトレーニングをしているのだろう。

 年末だろうが年を越そうが、『完成型』勇者に意地と誇りを持つ勤勉な少女だ。

 彼女が勇者部に入部してから、一番変わることが出来たのではないかと亮之佑は思う。

 

 東郷はきっと友奈の状況に薄っすらとだが気づいているだろう。

 自分以上に友奈を親友として大切に思い、すぐさま行動を起こす事の出来る少女だ。

 彼女の傍にいる東郷が気づけないはずがないのだ。その確信は紡いだ絆が証明する。

 

 園子も聡明な少女だ。

 年中何ものにも囚われないような不思議な少女だが、いざという時は頼りになる。

 

 友奈は――

 そこまで考えて、小さく亮之佑は呟いた。

 

「みんな、俺のこと、心配してくれてるのかな……」

 

 今まで全く連絡をしていないのだ。風のように心配してくれていたら嬉しく思う。

 真面目にその様子をビデオか何かで撮影して観賞したい程度には嬉しく思うだろう。

 家族以外面会謝絶にされているなど、大赦からの嫌味かと亮之佑は本気で思ったりもした。

 

 しかし、友奈に関してだけは対応を誤るわけにはいかない。

 前例は己が作ってしまった。友奈を通じて天の神に情報が行き渡ることが不安の種だった。

 虎視眈々と、一匹の鼠を喰らうべく暗闇に身を潜める毒蛇のように隠れていたのが無駄になる。

 

「あとは、そう、タイミングだ……」

 

 讃州市から千景殿までは彼女たちが勇者装束に着替えればすぐに来られるだろう。

 どのタイミングかは不明だが、亮之佑の知っている友奈が何も言わずに去ることはないだろう。

 そして自分の知っている勇者部の面々が『神婚』に反対するという絶対的な確信があった。

 彼女たちが喧嘩するというのは終ぞ見たこともなかったが――

 

「みんなに、逢いたいなぁ……」

 

 少しだけ寂しく感じている自分がいた。

 それを堪えて冷徹に思考を冴えさせる自分もいた。

 そうして手持ち無沙汰に携帯端末を手のひらで弄り回していると、

 

「――――」

 

 小さく、遠慮がちにドアを叩く音が聞こえた。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

「勇者様に最大限の敬意を」

 

 ゴールドタワーに備えられた住居施設、その一角で床に平伏する巫女服を着た少女がいた。

 敬意を向ける相手は神官の装束を身に纏っている少年、仮面を着けた勇者であった。

 防人たちは現在、明日襲来するとされている天の神との戦いに向けての準備中だという。

 

 向けられる感情の意味が分からず、亮之佑は困惑した。

 一応、大赦からは防人との接触は控えるようにと言われていたので従っていた。

 従う道理はないが、余計な混乱が生じないように大人しくしていたつもりなのだが、

 

「明日は加賀様直々に私の警護をしていただけるとのことで、心より感謝いたします!」

 

「――――」

 

 警護対象には告げられていたのか、それとも大赦の神官から挨拶に行けと言われたのか。

 いずれにせよ、『勇者』であるだけでここまで敬意を向けられるのはいい気分ではない。

 結局は大赦と亮之佑間だけで決まった密約のような物だ。本人は知らないだろうが。

 

「任務だから。……それに、そんなに畏まらなくていいよ?」

 

「い、いえ! そんなこと、勇者様にそのような不敬なことは!」

 

「――いいから」

 

「……は、はい」

 

 怠惰ながら、身体的にもあまり動かしたくなかったので静かな声音で言うと、少女は従った。

 緊張を顔に貼りつけ、綺麗な亜麻色の髪をした少女は立ち上がり、素直に椅子に座った。

 その様子に思わず険が抜け、自らも緊張していた事に軽く苦笑してしまう。

 

 そうして向かい合う中で、亮之佑はその少女の顔を仮面越しに見つめる。

 幼さと可憐さのある可愛らしい顔をした少女は、中学1年生くらいだろうか。

 大赦からの差し金だろうかと思いながら、緩慢と大赦の仮面を外すことにした。

 

「――――」

 

「――それで、うん。それだけかな? 明日の準備には早いと思うけど」

 

 仮面を外し、手袋越しに顎に触れながら己の瞳を彼女に向けると、少女は僅かにどもりながら、

 

「その……お礼を言いにきました!」

 

「――お礼?」

 

 そうして真剣さを帯びさせ告げる少女の言葉に、思い出すことがあった。

 亮之佑が以前彼女たち防人の援護をした時、僅かに記憶の残滓にだが、目の前の少女がいたのを思い出した。気のせいかと思っていたが、あの時目が合った気がしたのだ。

 

「あの時は、芽吹先輩……防人のみんなを守ってくださり、ありがとうございました!」

 

「――――」

 

 再び自らに頭を下げて感謝を告げる少女に、亮之佑は少し戸惑っていた。

 あれは本当に気まぐれでしかない物だった。ただ好奇心で見に行き、ついでに助けただけ。

 彼女はそれを知らず、亮之佑に媚を売るわけでもなく、ただ本当に感謝を告げていた。

 

「気にしなくていいよ、好きでしたことだから」

 

 何となく重なって見えた。

 外見は全く違うのに、赤い髪の少女と重なって見えた。

 最も逢いたくて、助けたくて、華奢なあの身体を抱きしめたい少女と重なって。

 

「――確か、名前は……」

 

「国土亜耶です」

 

「そっか、うん。いい名前だね。――俺の名前は加賀亮之佑。勇者で奇術師さ」

 

 彼女は仕事なのか、温かい食事を持ってきてくれた。

 亜耶は掃除が好きらしく、防人の少女たちの部屋も掃除をしているのだという。

 この千景殿の中にも食堂はあるが、大赦側の都合なのか彼女に配膳係をさせるようだ。

 2日程度の付き合いとはいえ申し訳なく思うが、亜耶はそんな事はないと笑顔で否定した。

 

 どのみち既に準備は終わった。

 後はその時が来るのを待つだけなのだ。

 そう思って亮之佑は舌と喉を震わせて、僅かに逡巡しながらも口を開いた。

 

「せっかくだから、少しお話でもしよっか。亜耶ちゃん」

 

「お話ですか――?」

 

「うん。俺は亜耶ちゃんの話、聞きたいな。防人の子たちの事とか、日頃の生活とか興味が湧いたよ。……あ、でもその前に――」

 

 小首を傾げる巫女の少女に対して、何も持っていない両手を見せる。

 その行動を不可解に思い瞬きを繰り返す亜耶に小さく微笑み、両手を握り締める。

 

 握り締めた両手、そこに彼女の小さく柔らかな手を触れさせ、巫女の力を取り込んでいる風体で両手を開くと――、右手には鈍く輝く緋色の弾丸と、左手には蒼色に光る指輪が亜耶の目に映り込んだ。

 

「わぁ……! 凄いですね!! どうやったんですか?」

 

 両手を合わせ、簡単な手品に目を煌めかせる亜耶。

 その無邪気ながら喜びを示す姿に亮之佑も頬を小さく緩めた。

 

「ん~、知りたいかい? ――なら1つだけ質問しよう」

 

「――?」

 

「たとえばの話だけども。自分の大切な人の命、そう例えば防人の少女たちの誰かを犠牲にして代わりに多くの人の命を救えるよって言われたら、亜耶ちゃんはどうする?」

 

「――そうですね……」

 

 その言葉に真剣な顔をして考える少女の姿を、亮之佑は目を細めて見つめて。

 あまり時間を掛けずに彼女が出した答えに、静かに口端を上げて小さな笑い声を上げた。

 

 ――そうして夜が更けていき、やがてその日が来た。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第七十三話 ――撃ち抜け」

 数日前まで、防人たちも正月の為に交代制ではあるが親元に帰省する人も多かった。

 しかし、大赦側からの通達を受け、全員が千景殿に戻り、現在展望台で指示を受けていた。

 

 天の神に捧げる奉火祭は、勇者たちの手によって退けられたのは防人達も知っていた。

 その行動に大赦が泡を食い、次の手を打てなくなりあらゆる手段が中断された事も知っている。

 だから、大赦から訪れた神官たちが、また壁の外での任務内容を告げるのだと少女たちは思い、

 

「明日、天の神が襲来する……!?」

 

「――はい」

 

 淡々と告げられたその内容に対する驚愕を、この場にいる仲間31人に代わり芽吹が口にする。

 以前まで防人たちの監視役を勤めていた安芸の姿は、今回訪れた神官たちの中にはいない。

 その姿を見ないことに対して思うことは多々あれども、それ以上に何故という思いが強かった。

 

「それは……神託によるものですか?」

 

「――――」

 

 芽吹の言葉に対して、その仮面に隠した表情は何も見えない。

 いつも通りに、ただ淡々と何の感情を見せることはなく彼女たちは神官として口を開く。

 勇者として華々しく活躍するのではなく、32人の『大勢』として、いつも通りに裏方に徹しろと。

 

「千景砲だけでは、天の神に対して大きなダメージを与えることはできないでしょう。しかし、多少でも侵攻の妨害が出来れば良い。その後は勇者に託すしかありません」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 大赦からの指示を受け、準備は着々と進んでいた。

 翌日早朝から、大赦より命じられた任務を遂行するべく千景砲のエネルギー充填を進めていた。

 

 襲来の予想時間から逆算し、直前に発射できるように起動時間は先に決められていた。

 千景砲は、大地のエネルギーを汲み出し、充分に貯まるまで相当の時間がかかる。

 

 巫女の亜耶と彼女を守る神官はタワー地下の一室に待機している。

 彼女の肉体そのものが、大地のエネルギーをタワーへ送る回路となる。

 エネルギーが溜まり次第、亜耶と芽吹の所持するスイッチを同時に押せば、発射となる。

 

 そうして時間が午後を回った頃、タワーが揺れを起こした。

 地震かと思われたが、まるで大地が悲鳴を上げるような、そんな揺れである。

 その異質な感覚に、防人の一人が思わず過剰に恐怖を感じ、生存本能に従い悲鳴を上げる。

 

「じ、地震――!? 崩れる~~!! タワーが崩壊するよ~~!!!」

 

「落ち着いて、みんな! それよりも、これは……!!」

 

 耐震補強を施された霊的国防装置たる千景殿は軽度の地震程度では倒れない。

 このタワーが倒壊する時は、それこそ他の建物が全て跡形もなく倒壊する時だ。

 故に、彼女たちは展望台からガラス越しに外へと視線を向けて、その悪夢を見る。

 

「――――」

 

 その光景を、何と表現すればいいのだろうかと芽吹は思う。

 美しい瀬戸内海、青い空に、一滴一滴絵の具を垂らすように結界に穴が生じていく。

 大赦の神官から聞いた、去年の24日に天の神が攻撃した物と似ているらしいが多すぎる。

 

 そうして神樹が形成していた壁を呑み込んでいくように、外の炎が舐め燃やしていく。

 結界に穴を開けながら、通る物全てを外の地獄と同じ色へと燃やし、溶かし、壊しながら、

 

「あれが、――天の神」

 

 空が不条理に呑まれるように、赤黒く染まっていく。

 それこそがこの世界に相応しいと、摂理を押し付ける巨大な円盤状のモノが現れた。

 この場にいる誰もが『天の神』を見たことは無かったが、その存在感に本能が理解した。

 

「――――」

 

 あまりに巨大なその存在に目を奪われながらも、芽吹は大きく息を吸う。

 息を吸って吐いて、吸って吐いて。驚愕と僅かな恐怖を己の信念と怒りが押し流す。

 問題は千景砲の充填完了までまだ20分以上もあること。だが今こそ踏ん張り時だと思い直す。

 

『敵の出現が想定時間よりも早い! 天に近い千景殿は、他の物よりも優先的に狙われます! 千景砲発射までタワーを守り抜きなさい!』

 

 スピーカーを通じて、大赦神官の声が防人たちに響く。

 想定外の事に対して悪態を吐く防人がいる中で、芽吹は冷静に指示を全員に下す。

 

「相手は神、想定外の事を起こす事が想定内よ! 総員、配置について!!」

 

『『『了解!』』』

 

 結界の内側には星屑程度は侵入することは出来ないはずだが、天の神の襲来によって出来た穴。

 天の神に付随してきたのか、神自身が生成しているのか、いずれにせよ白い星が四国の空を舞う。

 千景殿へと星屑が向かって来るのが見える中で、防人たちは不条理へと抗うべく武器を手に取った。

 

 4人1組をゴールドタワーの屋上、展望台、地上1階の3か所に配置する陣形である。

 加えて今回は千景殿で敵を迎え撃つ為、専用の足場を展開し、5か所に防人を配置する。

 屋上にある千景砲発射装置こそが今作戦の要の為に、一番戦闘力の高い芽吹が配置された。

 

 そうして予定していた通りに全員が各々の武器を構え、事前に決めた配置について。

 およそ2分後には、白い流星群が群がるようにゴールドタワーに到達した。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

「…………」

 

 そうして、俺は彼女たち防人が戦っているのを地下室に配置されているモニターで見ていた。

 外用に取り付けられた監視カメラを通じて、亜耶の通信機を通じて、彼女たちの戦いを見守る。

 

『総員、戦闘態勢! 千景砲充填完了まで残り約20分、タワーを防衛する! 今回も誰一人死なせず、犠牲を出さず、任務を達成してやりましょう!!』

 

「犠牲を出さずに、か……」

 

 防人の士気を上げるべく告げられた言葉には、強大な信念を感じられた。

 「誰一人犠牲にしない」という素晴らしい言葉に眩しく思いながらも、思わず俺は顔を顰める。

 そんな夢物語のようなことを実現出来るわけがないと、脳裏では冷静に冷徹に答が出される。

 

 隊長である芽吹の言葉に了解し、懸命に戦う少女達がモニターに映し出される。

 発射装置だけでなく、地下にいる亜耶を殺されれば彼女たちの負けである。

 一応は戦力として俺もこの場に来たのだが、残念ながら文字通りに手を放すことが出来ない。

 

『私たちの千景殿を星屑などには壊させません! 皆さん、気合を入れて守り抜きましょう!』

 

 地上を守り星屑の侵攻を防ぐ指揮型防人の一人が勇ましく果敢に声を上げる。

 それに追随する防人たちの士気も高く、着実に少女たちは迫りくる星屑を駆除していく。

 その鬼気迫る相貌には、それだけ彼女たちのこのタワーへの思い入れを示していることが分かって、

 

「――あと、何分だ?」

 

「14分です」

 

 言葉少なく告げた言葉に、少女の言葉が返ってくる。

 繰り返される何度目かのやり取りになるが、亜耶の声音に呆れはない。

 

「――――」

 

 左手に繋いだ小さな手、巫女装束を着た亜耶を見下ろす。

 あくまで俺の御役目は亜耶を守る最後の砦という形だが、今回はそれ以上にやることがあった。

 初代の入れ知恵もあり、霊的改造を施し、千景砲のエネルギー上限を上げることに成功した。

 

 俺は千景砲の一撃を、ただの牽制の一撃で終わらせるつもりはなかった。

 わざわざ千景殿を訪れた以上は、屋上の兵装も、天の神に拳をぶつける程度の攻撃力ではなく、例えるならば至近距離から銃口を向けて撃ち込む程度に攻撃力を跳ね上げるつもりであった。

 

 だがその分、タワーを通じて発射装置へとエネルギーを溜める量は必然的に増える。

 そのために指輪の世界から指輪を通じ、俺の因子を通じて、亜耶という回路へ力を送る。

 俺自身は亜耶へ力を送るだけの回路として彼女の手を握るだけなのだが、

 

「―――っ」

 

「――大丈夫ですか?」

 

「ああ、これくらいならバーテックスと戦うよりも楽だよ。良いリハビリだ」

 

 指輪の蒼色の石から力を亜耶へと送っていく際に、身体中の細胞が焼けそうになる感覚。

 気を抜くと身体中が内側から弾け飛びそうな痛みが押し寄せるが、歯を食い縛り我慢する。

 心配気にこちらを見上げる亜耶に対して、俺は辛うじて片頬を吊り上げて何とか笑って見せる。

 

「実は俺って、結構根にもつタイプなんだ」

 

「――?」

 

 全身の血が沸騰し、細胞が、因子が暴発しそうな感覚を必死に制御する。

 胸の傷が痛みを伴い、傷が開いてしまいそうだが、ソレを確認する暇はない。

 白い装束の裏側で、己の心境に相応しい花言葉を持つ黒百合がわずかに輝きを放つ。

 

『化け物どもを国土さんに近づけるな!! 絶対に死守! 人間の力を見せてやろう!』

 

『星屑の一匹だろうと、絶対に逃がさないで!』

 

 通信機を通じて指揮型の誰かがそう告げた言葉に、ふと意識を向けた。

 彼女たちにとって、今握っている小さな手の少女がどれだけ大切な存在なのか。

 亜耶が防人たちにとって、どれだけ想われているのか、ほんの少しだけ理解できた気がした。

 

「みんな、亜耶ちゃんのこと、好きなんだな」

 

「嬉しいです――本当に」

 

 ポツリと呟いた言葉。それに無邪気に笑い答えて亜耶は小首を傾げた。

 ブロンドヘアの少女の無垢な笑顔に俺も少しだけ楽になった気がして、再度気を引き締め直すと、

 充填まで残り5分という所で、通信機を通じて、戦っている防人たちの困惑した声が聞こえた。

 

「あれは……何でしょうか?」

 

 その光景をモニター越しに見ていた亜耶も疑問の声音を上げるが、それには答えない。

 外で戦う防人たちの戦衣の胸部分に、太陽の紋章の如き烙印が浮かび上がっている光景。

 記憶の中にある赤い髪の少女のものと酷似している呪印が、少女たちにも浮かび上がっている。

 

「…………」

 

「私には、浮かんでないですね」

 

 咄嗟に亜耶の左胸付近を見るが、どういう条件か亜耶には浮かび上がってはいない。

 この千景殿の回路の一部として、外部からは切り離されていることが対象外の理由なのか。

 そんな事を考えながら、モニター越しに敵を、摂理を語る『神』という存在を睨み付ける。

 

「――?」

 

 そうして睨み付けると、俺は違和感を抱いた。

 理論ではなく、死という味を舐め知った本能が、俺に警鐘を鳴らす。

 あの烙印が現れても、即死するような類の物ではなかったと思いたい。だが、ただ空を見上げる愚かな一般人と異なり、明確に『神』に反逆の意思を示す存在を烙印を通じて認知したのなら――

 

「――茨木」

 

 何となく嫌な予感がした。

 喧しく鳴らす警鐘に従い、精霊を呼び出す。遅い。

 目などないはずなのに、『神』がこちらを見たような気がして、

 

 ――瞬間、赤い光が弾けた。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 赤々と脈動する巨大な円盤、神と語るその存在が赦せない。

 人間をそこらへんの塵のように、虫けらを気まぐれで踏み潰すように、平然と殺してしまう。

 そんな傲慢で上から見下ろし続け、運命という言葉で人を殺す傲慢な神が芽吹は嫌いだ。

 

 防人たちを8か所に分散させた弊害で銃弾の数は少ないが、射撃の精密さは訓練で補う。

 訓練の日々を思い出しながら、一発一発を正確無慈悲に星屑に命中させ駆逐していく。

 途中から自らの戦衣の左胸付近に現れた太陽の様な烙印に、防人達の困惑の声が聞こえる。

 

「なんですの、これは!?」

 

「絶対ヤバいやつだよ、これ! 死んじゃう死んじゃうよ~~!!」

 

「落ち着いて、みんな! 千景砲充填までもう少しの辛抱よ!」

 

 禍々しさを感じさせるこの烙印は恐らく危険な物だと芽吹の本能が告げる。

 だが、それがどうしたと、同じくタワーで戦っている仲間たちに懸命に呼びかける。

 

「――――」

 

 息を吐き、タワーの屋上から四国の大地を見下ろすと、人々が困惑の表情で空を見上げていた。

 自分たちが敗北すれば、きっと彼ら彼女たちが次に不条理に蹂躙され、魂を凌辱されるだろう。

 彼らだって今を精一杯生きているのだ。その人生を塵のように天の神は踏みつけ壊すのだ。

 

「許せない……」

 

 怒りを燃やす。あの傲慢たる存在に、この怒りの全てを叩きつけるのだ。

 

 天の神。あれが存在するだけでどれだけ多くの人が犠牲になったのだろうか、想像もつかない。

 自らに勇者のような力は備わってはいないけれど、せめて一撃、人の命を弄んだ返礼をしよう。

 仲間と共に、銃弾を回避する星屑に対しては銃剣の刃で斬り倒しながら、

 

「――は」

 

 その光景に芽吹は、いや防人達は、思わず双眸を限界まで見開いた。

 その光景は先の任務で見たことがある。だから知らないはずがない。

 あの地獄の、赤黒く、生命を感じさせない、死を彷彿とさせる空間で見た物。

 

「サジタリウスの矢――!!」

 

 それも複数。あの巨体から神々しい光と共に四国の大地に放たれる。

 当たり前だ。天の神が作り出した神の尖兵、バーテックスの能力が神に扱えないはずがない。

 創造主でありながら、恐らくは全てのバーテックスの能力を有しているのかもしれない。

 

 回避は許されなかった。

 自分たちの役目はタワーの死守であって。

 

 全ては迎撃できない。

 あれだけ多くの疾い矢がタワーだけではなく、その周辺をも。

 思考を働かせる間もない、一瞬の出来事だった。赤い光が――

 

「あ――」

 

 優に100を超える膨大な数がタワーの壁に直撃し、他の建築物を破壊し、見上げた人を蹂躙する。

 一瞬の出来事に、それこそが運命だと言うように、この箱庭が血と煙の臭いで満たされていく。

 何も出来なかった。そう考える前に攻撃によって揺れるタワーの屋上から落ちるのを回避する。

 

「――――」

 

 悲鳴を押し殺し、転げ落ちるのを必死で回避し、他の防人たちの悲鳴を通信機越しに耳にする。

 誰一人犠牲にしないという信条が、容易く破壊されていく音が聞こえた。神の嗤い声が聞こえた。

 壮絶な破壊音。これが神であると教えるように、その光景を目の前で見せつけられて――

 

「――――」

 

 赤黒い衝撃が芽吹を殴りつけ、叩きのめし、ぶちのめす。

 己の怒りを凌駕するように、純粋な破壊が、芽吹の、防人たちの胸中に恐怖をもたらす。

 どれだけ頑張ろうとも、神という絶対的存在が、避けがたい恐怖が――――

 

 

『―――狼狽えるな!』

 

 

 冷たく、低く、そして真剣な声音が、通信機から防人たちの胸中に鳴り響いた。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

『―――狼狽えるな』

 

 再び誰かの声が、その有無を言わせぬ声音に、防人の誰かが息を呑んだ。

 目の前で広がる絶対的な絶望。この敗北こそが運命であるという状況下で、

 冷たく、低く、真剣な声音が、芽吹の、雀の、夕海子の、シズクの、防人たちの耳朶に響く。

 

「この声……?」

 

 どこかで聞いたことのある声だった。

 男の声音。だが神官の声音ではない。低い声音が、その言葉が魂を震わせる。

 目の前で起きた残虐な景色を肯定しながら、それでもなお愚直に前に進まんとする言葉。

 

『―――寧ろ教えてやれ』

 

 何をだ。何を言っているのだ。

 この声は、ノイズ混じりに聞こえるこの声は、自分たちに何を伝えたいのだ。

 

『ここに誰がいるのかを』

 

「――――」

 

 言われるまでもなかった。

 そう思い、弱気に挫けそうになった己の心に喝を入れながら、再度星屑と戦う。

 そうだ、教えてやるのだ。天の神に。人間の、防人の力を思い知らせてやるのだ。

 

 先程の天の神による直接攻撃の後も、星屑による攻撃は終わらない。

 確かに犠牲は目の前で出てしまった。だが決定的な敗北はしてはいないのだ。

 雑草のように必死に勝利に食らいつきながらも、それでも勝利に向けて銃剣を振るう。

 

 自分たちは勇者の様な、あの神を殺す力はない。

 だが、それがどうした。防人の力を、頭上から見下ろす神に教えてやろうではないか。

 

「――みんな、もう少し頑張って!!」

 

「――。もちろんですわ!」

 

「怖いよ怖いよ……けど頑張る!」

 

 自身を落ち着かせ、怯んだ戦線を星屑に明け渡さないように防人は不条理に抗う。

 息を吐き、芽吹の怒りを再熱させ、防人の戦衣に仕込んだ通信機を通じて、再び声が聞こえる。

 先程の男の声音ではない。柔和で静かながらも、防人なら知らない人はいない少女の声音。

 

『芽吹先輩、発射準備が完了しました!』

 

 通信機を通じて、先ほどの攻撃を受けながらも、凛とした亜耶の声が芽吹へと届く。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 柄にもなく変なことを言ってしまったと思う。

 壊れてしまったモニター、恐らくは天の神の攻撃によるものだろう。

 先程の衝撃は乗り切ったが、通信機は辛うじて生き残り、防人の狼狽えた声が聞こえた。

 だから落ち着かせるために、考える前に何かを告げようと、勇者として奇術師として口を開いた。

 

「芽吹先輩、発射準備が完了しました!」

 

 隣で通信機に告げる亜耶、彼女の握られた手は全く震えてはいなかった。

 怖くないわけがない。だがそれ以上に防人たちを信じて、この場で己の役割を果たしているのだ。

 

『亜耶ちゃん、一緒に撃つわよ!』

 

「はい! 一緒に!」

 

 先程の衝撃を受け、やや暗くなった地下室は爽緑の光が迸っている。

 大地の力を一身に受け、その身を回路とし、充填された人類の叡智にして反逆の狼煙。

 

「――――」

 

『3、2、1………ゼロ!』

 

 充填は完了したのに、未だに少女は右手でこちらの左手を握り、片方の手でスイッチを押す。

 ふとチラリとこちらを見上げる亜耶、その双眸に片頬を吊り上げて不敵に笑いかけた。

 今こそ、傲慢たる神に、人の底力を見せつけてやろうではないか。そう思って。

 

「――撃ち抜け」

 

 瞬間、力強い唸りと共に爽緑の光が収束し、不条理を唾棄する反撃の一撃が放たれた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第七十四話 星に死を、乙女に愛を」

 その光景を、勇者たちは見ていた。

 大赦の神官によって集められ、結城友奈が神婚をすると勇者たちは伝えられていた。

 結城友奈が神樹と神婚するという事実と、友奈が天の神に祟られているという事実。

 残酷な真実を知る機会を彼女たちは得て、しかし現実は変わらず、時間が止まることはない。

 

「――――」

 

 そして、天の神が来た。

 バーテックスとは異なる大きさ。世界を覆わんとするその巨大さを見上げ、思わず息を呑む。

 

「何なの、あれ……」

 

「敵、なの……?」

 

 圧倒的な威圧感に思わずといった具合で樹が呟き、その言葉に呼応するように夏凜も一人呟く。

 赤く脈動する巨大な円盤の様な姿、あれこそが絶対なる頂点にして運命を形作る『神』の姿。

 その存在が在るだけで周囲の結界は解けていき、全ての色は生命を赦さない死へと変貌する。

 

「これが最後の御役目、神婚成立まで敵の攻撃を防ぎきりなさい」

 

 淡々と、その天を覆う敵の姿に神官は感情を示さず、集まった勇者を前にして指示を下す。

 結城友奈を犠牲にして、彼女を土地神の王に奉げることで神の眷属となる神婚の儀。

 

 神と人が一つになるという未来。それは、そんなものは生きているとは呼べない。

 自分たちの大切な友達を、仲間を犠牲にする未来に決して先などありはしないのだから。

 そう彼女たちが思い、改めて各々の決意を固め、力を内包した端末を握り締めていた時だった。

 

 ――大地から天を穿たんとする爽緑の光を見た。

 

「――! あれは……」

 

 あの収束された緑光がどういう物なのかは、この場にいる勇者たちには分からなかった。

 だが、あれが天に向かって放たれているのは、天の神と敵対しているのだけは分かった。

 光の一撃を受け、あの巨体に罅が奔ったような、完全な不意打ちでダメージを受けたような、

 

「――――」

 

 それを、あの光を放つ何かを知っているであろう目の前の神官に、勇者は改めて向き直る。

 今は仮面にその顔も感情も隠されていて分からないが、東郷と園子だけは彼女を知っていた。

 こちらを一瞥することなく、何かを思い、食い入るように光へと顔を向ける神官に東郷は言う。

 

「やります。けど、友奈ちゃんを神婚なんてさせない!」

 

 その決意を胸に秘め、東郷は告げた。

 そうして樹海化は始まっていく。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 ――轟、という音と共に爽緑の光が顕現する。

 

 大地のエネルギーによる光が収束し、半壊したタワー、その屋上の発射装置から放たれる。

 天の神による攻撃を防人たちは凌ぎ、彼女らより渡された意志こそが反逆の一手となる。

 タワーの壁に祝詞が刻まれ、膨大な大地のエネルギーが集まり、天の神を穿つ。

 

『成功よ――!!』

 

 轟く人類の反逆の狼煙の音、収束された千景砲の一撃が着弾したことを俺は察知した。

 先の攻撃でモニターは破損し外の様子を見ることはできないが、通信機越しの防人の声で理解する。

 少女たちの歓喜の声音を察すると同時に、勇者としての本能が直ぐに樹海化が始まると予感した。

 

『後は、任せたわよ。勇者』

 

「―――、ああ」

 

 通信機越しに、言葉少なにその少女と会話する。

 その防人とはあまり言葉を交わしたことはない。恐らく片手で済む程度ではないだろうか。

 

 聞こえる少女の声音、上辺しか知らない相手だ。亮之佑にとって友達でも仲間でもない。

 だが、今この時だけは同じ戦場を共にした戦友なのだと勝手に思い、解釈することにする。

 今回目の前にいる亜耶を除き、諸事情もあり防人とは全く会話をしなかったが、通信機の向こうにいる相手もこちらが誰なのか恐らくは理解しているのだろう。

 

 ――世界が白く染まっていく。

 

 これが最後の樹海化となるか否かは今のところ不明だ。

 だが、障害となる芽は摘み、枝は切り落とすという亮之佑の考えは今後も変わらないだろう。

 作戦は成功し、不要になった大赦の白い装束と神樹のマークの入った仮面を目の前の亜耶に渡す。

 

「じゃあな、亜耶ちゃん。楽しかったよ」

 

「私も楽しかったです、亮之佑様。どうかご無事で」

 

 最後まで敬意を向け微笑む小柄な少女、亜麻色の髪の巫女を見下ろしながら最後に思う。

 結局2日程度では彼女の誤解を解くことは出来ず、最後まで『様』付けであったのだけが残念だと。

 

 失敗すれば次はない。

 既に戦いは始まっている中で、目の前の少女に何か告げるべきかと考えて――

 

「――――」

 

「――――」

 

 世界は白く染まっていく。

 それでもこちらを見上げ、柔和に微笑む巫女に、優しく、不敵に、勇者は微笑み返した。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 瞬きの間に変わる世界。

 彩りに溢れた様々な大きさの根、どこまでも広がるような不可思議な樹海の世界に亮之佑はいた。

 タワーの地下室に居たにも関わらず、神樹によって座標を移動させられたのだろうか。

 

「――――」

 

 そんな事を考えつつ、チラリと俺は誰もいない樹木の根へと目を向ける。

 そこに、先程まで亮之佑に向かって言葉と眼差しを向けてくれた巫女姿の少女はいない。

 

 非現実に思える世界にいながら、当たり前の事実だけがそこに残っている。

 だが、それでいい。死んでいなければ、またいつか会えるだろう。

 

「さて」

 

 思考を切り替える。

 自分でも驚くくらい頭が冴えている。静かな心音が内側から一定に響くのを感じる。

 行うべきことは分かっている。あとはその道筋に沿い、ひたすらに前へと進むだけだ。

 

「――満開」

 

 黒百合の、復讐を誓う黒紫の光が周囲に広がり、収束する。

 一切のリスクを負わない、きっと最後の満開を完了させ素早く携帯端末を呼び出す。

 最後まで他の勇者と比べて変化の少ない満開ではあるが、内側で脈動する力は確かに存在する。

 片目を閉じ、己の内部を確認すると同時に飛翔、次に呼び出した端末で目的の人物に電話を掛ける。

 

「もしもし、俺だ」

 

『亮くん!?』

 

 低めの声音で呼び出した相手に声を掛けると、それを遥かに上回る驚愕の声に眉を顰めた。

 何てことはない、既に2年ほどの付き合いがある黒髪の似合う和風な美少女の柔らかな声音だ。

 ただ、機械越しに聞こえる少女の声音には溢れんばかりの感情が込められていて、

 

『良かった……亮くん。無事だったみたいで』

 

『えっ嘘、亮之佑!?』

 

「どーも、亮之佑です」

 

 わずかに涙声で掠れた東郷の声に、そういえば2週間以上は顔を合わせていないなと思い出した。

 実際にはそこまでではないだろうが、『これ』が新年最初にする会話となってしまったと少し苦笑しつつも、彼女達にここまで驚かれるという事に少しだけ薄暗い快感を感じながら、

 

「風先輩もいるんですね。状況説明をお願いします」

 

『えっ、でもアンタ怪我は……』

 

「――。ピンピンしていますよ、先輩に見せつけたいくらいです」

 

『――――』

 

 息をするように嘘を吐きながら機械越しに風と話し、時折風を切るような音が亮之佑の耳に届く。

 その原因は、現在端末で確かめた彼女たちの場所へ最短ルートで飛翔しているからではない。

 勇者部の部長である風が近くにいたのは幸運で、落ち着いた声音で亮之佑は尋ねる。

 

「友奈が神婚の儀を始めたのは分かっています。それに誘われて天の神が来たことも、みんなはどう行動しているか教えて下さい」

 

『なんでそれを……、アンタ入院していて……』

 

「いいから、早く」

 

「…………」

 

 怪我という物は我慢する為にある。致命傷さえ防げればいい。

 無茶をして現状をどうにか出来るのならば、幾らでもして見せよう。

 そんな思いが機械を通じてノイズ越しに伝わってかは不明だが、その言葉に風は状況を教えてくれた。

 

『アタシと東郷は今、友奈の所に向かっている! 夏凜と樹、乃木の3人があのでっかいのと戦っているわ!』

 

『最大船速で向かっているわ!』

 

 風と東郷の報告を受けながら飛翔を続ける。

 少し意外に感じたのは、風が樹を置いて東郷と行動を共にしている事だ。

 亮之佑がいない間に彼女たち姉妹にも何かしら変化があったのだろうか。

 

 指先のささくれ程度に気になる事ではあったのだが、彼女たちとの時間は後であるだろう。

 そう思い、黒衣が翼の様に変化し熱風を受けながら、『天の神』の下へと雷撃の如く移動する。

 見れば見るほど巨大であって、嫌でも視界に入るその存在は歪で不快で不愉快で――

 

「―――っ」

 

『亮之佑――?』

 

「ああ、いえ了解です。東郷さんと風先輩は友奈の奪取をお願いします。俺は夏凜たちを援護しますので!」

 

『大丈夫なの?』

 

「もちろん」

 

 懐かしく感じる見知った少女たちの声音は、死から這い上がり聞くには随分心地良く感じる。

 東郷は満開をし、以前見た浮遊型戦艦を乗り物として、それに風が乗り込む形で神樹に向かっている。

 相当な速さで移動しているのだと時折ノイズが入る理由に納得しながら、戦闘準備を完了させる。

 

「――――」

 

 心臓が痛む。骨が軋み肉が弾け飛びそうな感覚に襲われる。問題ない。

 睡眠は十分に、休息は取れるだけ取り、失われた血も補うことはできた。だから問題ない。

 再度風が東郷に端末を返却したらしい。わずかな沈黙の後で、東郷の声が聞こえた。

 

『亮くんも、その……気をつけてね』

 

『そうよ! アンタ絶対病み上がりでキツイんだから、無理しないのよ!』

 

 東郷や風のこちらを優しく気遣うような声音に苦笑する。

 大変であるのはそちらも一緒であるというのに、それでも心配してくれるのが嬉しく思う。

 そうこうしている内に、こちらも樹海で天の神と戦っている夏凜たちを見つけた。

 

「東郷さん、友奈の事は任せるから、――花嫁を奪う大役は任せるよ。失敗したら撃つから」

 

『任せて』

 

 死んでいては何も出来ないのだ。

 だが、生きていれば神だろうとも倒してみせる。

 

 神樹がいる方向に一瞬目線を亮之佑は向け、そして逸らす。

 言葉少なに端末を仕舞うと、見計らったように静かな声音で囁くように初代が口を開いた。

 

『覚悟はいいかい?』

 

「―――はっ」

 

 答えるまでもなかった。

 ただ頬が緩み、亮之佑は微笑をこぼす。

 その顔を見ることは出来なかったが、きっと彼女もまた笑っているかもしれないと。

 

「――――」

 

 まるで雨のように降り注ぐ光の槍、神を中心として広がる炎が樹海を燃やしていく。

 不条理に行われ、天の神より迫る破壊の衝撃に、彩りある世界に紅蓮の炎が燃え咲く。

 一切の容赦のなさに目を細め、亮之佑にも迫る熱波がジリジリと全身を焼け焦がそうとする。

 

「夏凜! 樹! 園子!!」

 

「えっ……!?」

 

「亮さん!」

 

「かっきー!」

 

 その熱波を10の金色の砲弾が炸裂し、爆炎をもって道を作り出す。

 天の神の攻撃は精霊のバリアを容易く突破する力を持っているが、それを力で押し通る。

 そしてあの巨大な存在に抵抗を続けている少女たちの名を叫ぶと、彼女達はこちらを見て目を見開いた。

 

 夏凜は既に満開をしたのか、4つあるアームが全て刀を持っている状態だ。

 驚愕を浮かべているその瞳、あちこちに傷と出血を増やしながらも未だに戦意は衰えていない。

 同じく満開し、輝く緑の鋼糸を張り巡らせる樹が周囲の攻撃を通さないと停止させている。

 

 そんな彼女たちから視線を移し、ただの跳躍によって戦っていた園子に手を伸ばした。

 躊躇うことはなく、金色の髪をした少女は亮之佑の赤い手袋越しに力強く掴みこちらを見る。

 

「――――」

 

 様々な感情を瞳に過らせている園子ではあったが、亮之佑の視線に何度も瞬く。

 そうして亮之佑を中心に、夏凜と樹も中空に集まった。

 

「あんた、どうして……」

 

「かっきー、どうするの?」

 

 敵の攻撃が止んだ数秒の出来事。

 そこに介入した亮之佑を見て、園子が告げた言葉は驚愕ではなかった。

 冷静に、この状況を打破する『何か』を亮之佑が持ってきたのだと期待に満ちた瞳でこちらを見る。

 

「3人とも、力を貸してくれ。そうしたら俺たちが決めるから」

 

「……かっきー」

 

「あの神への道をどうにかして切り開きたい。一人じゃできなくても、みんなとなら出来ると思うから」

 

 だから簡潔に、彼女たちに助力を請う。

 あの天上で世界を見下ろす頭の高い神を、この箱庭から退場させる為に。

 感傷に浸ることも、再び出会えた喜びも、心配を掛けたことへの悲しみも今は必要ない。

 

 そして、少女たちの決心はすぐに固まり、全員が頷いた。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 天の神に抗う人間たち。

 明確に反逆の意思を持って、加賀亮之佑は天を目指して飛翔する。

 神にとって見れば、ただの虫けらに過ぎないだろう。ただの人間では神には勝てない。

 

「――――」

 

 翼のように勇者装束をはためかせ、一直線に天の神を亮之佑は目指す。

 付随するように夏凜が満開の限界時間が迫る中で、同じく飛翔し、天の攻撃に再び息を呑む。

 再び雨の如く降り注ぐ光の矢。あの一撃一撃は容易く人を殺し、建物を壊す必殺の矢だが――

 

「それは、もう見切ったぁああ―――!!!」

 

 亮之佑の背中を乗り越え、4つのアームを駆使して雨に風穴を作り出す。

 それは、人間の努力と一日一日の研鑽が生み出し、少女の意思が成せる技であった。

 それでもいくらかは掠めていきながら、断固として致命傷だけは決して貰わず突き進む。

 

「さっすが夏凜!」

 

「あったりまえよ!!」

 

 視界を埋め尽くすほどの量の矢。

 それを捌き斬り咲く刀の一つ一つを生み出す完成型勇者を亮之佑は褒め称える。

 そして、それを当たり前と豪語する夏凜と亮之佑の背後に、蟹座の反射板を通じて矢が迫り来る。

 

「背中も気をつけないとダメだよ、にぼっしー! かっきーも!」

 

「園子を信頼しているから前を見れるんだって!」

 

 無防備な彼らの背中を貫かんとする矢の逆雨を、傘を開くように槍のシールド機能を展開して園子が防ぐ。

 同時に横から地面へと叩き潰さんとする星屑や、蠍座の尻尾を樹のワイヤーが絡み押さえていく。

 彼女たちが一丸となり、そしてこの暴風雨の如き攻撃に対して連携という技で迎撃を可能とする。

 

 そうして勇者の力によって、わずかに攻撃に穴を作ることに成功した。

 不条理をも打ち返す人間の力によって創られた勝利への光明。

 そして、ここまで道を作ってくれた彼女たちに振り向くことなく、亮之佑は隙間を縫うように飛んだ。

 

「決めて来いっ!! 亮之佑ぇぇええ!!!」

 

「友奈さんがまた幸せに笑えるように!!」

 

「なせば大抵、なんとかなる!!」

 

 少女たちの声援が背中に響く。

 ふと、どこか遠くでこちらを見る少女の声が聞こえた気がした。

 彼女たちの信頼に応えるという意志が、全身に灼熱の如き熱を灯らせていく。

 

 天上に座す神に人間は勝つことは出来ない――否。

 神に人間が敵わないなどと、一体誰が決めたのだろうか。

 

「――行って来る!」

 

 背後から聞こえる少女たち、ワイヤー使いの少女と、二刀流の少女と、金色の槍使いに見送られる。

 そうして飛翔する。己の全てを賭けて手繰り寄せた奇跡という名のチャンスを逃さない。

 不条理に、頭上から見下ろす強大な存在に、人間の力を見せつけてやる。

 

 天へと上昇する俺に、神は慢心すれども一切の容赦はしない。

 神に触れること、近づくことが罪であると言わんばかりに光の矢が迫り、

 

「オオオおおおぉおお――!!」

 

 その一つ一つが絶命へと至らせる必殺の光雨を、人類の叡智が迎撃する。

 中空に展開した黄金の砲弾が強烈な回転と共に射出、無数の緋色の弾丸が道を切り開く。

 それでもなお躱しきれない絶死の光矢を黒剣で一閃、重厚な音と火花を響かせる。

 

「――、あ―――!」

 

 天神を目前にして全ての兵装が破損した。それがどうした。

 身体中の全てが痛みに悲鳴を上げている。だからどうした。

 目の前の敵が在ることが、友奈を苦しめている事実が、絶対に赦せない。赦さない。

 

 息を押し殺し、呼吸を殺し、心臓の鼓動すら機能を停止し、目の前の敵に専心する。

 神という『運命』こそがこの世の摂理であるという事を否定してみせるという一心。

 上昇し続ける度に致命傷だけは避け、目の前の神をただ一瞬だけ凌駕するという意思が。

 

「――――」

 

 脈動する。それは愚かにも不相応に求め続けていて。

 それでもなお、求め、欲し、大切な物を繋ぎ留めたいと、この手から離したくないと。

 それが例え『神』であっても奪うと言うのならば、運命であろうとも抗い続けて見せると。

 そんな傲慢で不遜な『願い』に呼応して、不条理へと反逆する『力』となって開花を果たす。

 

 ――勇者因子を通じ、存在を呼び出す。

 

「出でよ、――『大精霊』加賀■■」

 

 亮之佑の中で蠢く膨大な因子は、ある世界へと直結する。

 契約は、宿願は果たされ、その因子を伝い、現実へとその姿を呼び出す。

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

「それで、お前の2つ目の望みってのは何だ?」

 

「ボクが天の神と決着を」

 

「――――」

 

 低く、いつもよりも小さく静かな声音で告げる指輪の世界の王は、毅然とした姿であった。

 初代と天の神の関係について、俺はあまり深く聞くことはしなかったが、それでも目の前の彼女が何故この300年間、魂という形で時間と血と因子を揺蕩っていたのかは何となくだが分かっていた。

 

「これは誰にも譲らない。ボクがするべき事だ」

 

「……初代」

 

「キミにはキミの物語があるように、ボクにはボクの物語がある」

 

 真面目な声音でこちらを見る初代の血紅色の瞳を俺は無言で見返す。

 思えば彼女は自身の事については多くは語らず、自分も聞くことはしなかった。

 

 この広大な幻想的な世界に居ながらも、その肉体が死してもなお彼女が独りでいる理由。

 その理由が天の神に紐付いているのならば、勇者の刻印に宿る意味と合致しているのだから。

 

「勝算は?」

 

「3割」

 

「――――」

 

 だから、自分で決着をつけたいが、己の半身の頼みなら、望みならば仕方ない。

 あの頭上から人を見下ろし苦しめる害悪な存在、友奈を泣かせる愚かな存在である神。

 たとえ神であろうが、世界中の人が奴を許しても、俺だけは死んでも許すつもりはなかった。

 

 彼女と過ごした年月が、仕方ないと亮之佑を頷かせるだけの信頼を築いてきた。

 そして、世界を通じて空を見上げ睨みつける初代の瞳に宿す敵意に、俺も何かを感じた。

 だから理屈ではなく、ただ信じようとそう思い、カップの中身を飲み干し、ゆっくりと頷いた。

 

「お前なら十分だ」

 

 

 

 = = = = =

 

 

 

 かつて、西暦の勇者たちにも精霊がいたという。

 だが、現在の神世紀の勇者たちを守護する外側に出現するタイプの精霊ではなかった。

 

 勇者は神樹との間に霊的な繋がりを持つ。

 西暦の勇者たちは己の意識を身体の内に集中させ、その繋がりを通じて神樹から精霊の力を取り出し、魂への精神的汚染というリスクがある中で、勝利の為に己の肉体に宿したのだという。

 

「――――」

 

 息を吐き、神が目前に迫った状況下で黒衣の少年に小さな変化が起きる。

 満開時のような目に見える強大な力が発生したわけではなく、分かりやすい変化はない。

 

 ただ少年の勇者服、その左手の指輪が輝くと同時に紅色の手甲が出現するだけだ。

 黒色の剣でも、紅の銃弾でも、黄金の砲弾でも、ましてや核弾頭でもない、ただの手甲だ。

 

「――見せてやるよ、天の神」

 

 呟く一人の勇者。連携を繋ぎ、天の神の眼前にまで到達した少年は呟く。

 既に満身創痍と言っていい姿だ。致命傷は避けたが、それでも躱せない攻撃に全身が血に滲む。

 そうして身体を己の鮮血に染め上げながら、爛々と血紅色を瞬かせ冷淡な声音で神に告げる。

 

 ――それは300年越しの復讐だ。

 

 かつて西暦で最初に戦う勇者たちがいた。

 彼女たちは強力な武装があったわけでもなく、星屑一匹程度にも致命傷を負う程に脆弱だった。

 だがそれでも彼女たちは明日を求めて戦ったが、戦場を潜り抜ける度に一人一人死んでいった。

 

「――――」

 

「これがボクの、人間の執念だ」

 

 その小さな変化を天の神は見逃す。

 ただの拳の一撃である。神の力すら感じられない、脆弱な人間の拳だ。

 回避する必要もない。その必要性を微塵も感じず、すぐに殺せると傲慢にも見逃してしまう。

 その緩慢でちっぽけな攻撃を天上より見下す存在に、加賀亮之佑に宿る精霊が小さく呟く。

 

 

「勇者パンチ」

 

 

 かつて存在した勇者、結城友奈ではない少女の必殺技。

 そしてその勇者が着用していた手甲と同様に、宿っている霊力の名は〈天ノ逆手〉。

 地の神の一人が天の神に殺された時に放った呪詛が、天に属する全ての存在を崩壊へ導く。

 

 同時に、手甲を纏った手に嵌められた蒼色の指輪が天の神と接触する。 

 ただの指輪だ。しかし侮ることなかれ。接触の瞬間、その中の『世界』が神に牙を剥いた。

 

 文字通り世界を内包した一撃。

 幻想的な世界を構成・維持する為の地の神のエネルギーが、存在を通じて神樹から引き摺り出した地のエネルギーが、300年にわたる復讐の念が、ちっぽけな人間の拳に籠められていて、

 

「――失せろ、天の神」

 

 ――その一撃が、神を打ち砕いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第七十五話 願わくばこの手に」

 拳に伝わる鈍い感触と、何かを貫く感覚。

 

「――――」

 

 決まった。

 手応えのある一撃であるのが分かった。

 

 パキリという音が聞こえる中で、目の前の存在が崩れていくのを俺は見ていた。

 天の神。その巨大な存在は、砂がこぼれ落ちるように、ゆっくりと空中に消えていった。

 それを見届けながら満開が終了し、『精霊』が己の肉体から離れていくのを感じる。

 

「あ――」

 

 ゆっくりと重力に従って、地面に向かって落ちていく己の肉体。

 自らの意思で肉体が動かせるようになったのが分かりつつも、動こうという気力が抜けていく。

 このまま落ちれば落下死だと思いつつ、同時に展開された金色の精霊バリアに身体が包まれる。

 

「茨木童子……」

 

「――――」

 

 返事はない。いつもの事だが。

 金色の妖精。片角の小鬼をデフォルメしたような精霊が目の前に無言で現れる。

 力の入らない手でそっと小鬼の頭を撫でると、柔らかな感触が手のひらに広がる。

 

「――――」

 

「そうだな……」

 

 ゆっくりと地面に向かって落ちていく中で、茨木童子に話しかける。

 上空にいた天の神は、崩壊と同時にその欠片すら残さず空中に消えていくのが見えた。

 一応は、不条理という名の『神』に対して、一矢報いることが出来たのだろう。恐らくだが。

 

「…………」

 

 襲来者は撃滅に成功した。

 だが神の襲撃は、繰り出した攻撃の一つ一つが樹海の根を砕き、壊し、燃やしてしまった。

 このまま樹海化が解かれれば、きっと四国に住まう人も建物も、何もかもが失われてしまうだろう。

 

「…………」

 

 朦朧とし出す意識の中で、そんな事を思った時だった。

 視界の端で虹色の光が映り込み、その光を見て緩慢とする動きで息を吐いた。

 神樹のいる方向から膨大な虹色の光が、炎で焼かれた周囲へと放射されていくのが見えた。

 

 その暖かで優しい光に目を細めながら、凄まじい速さで樹海が再生していくのが分かった。

 神樹の心境は不明だが、こちらの勝利を見て、地の神も人間に何かを感じたのだろうか。

 紅蓮の炎に神樹の光が干渉することで、世界を舐め焼く劫火を鎮火し、正常へと戻していく。

 

「…………」

 

 そうしてある程度樹海が修復された後に樹海化が終わり、白光が奔り、現実世界へと再変換されていく。

 天の神が四国を去ったことでひとまず戦いは終わり、あの赤黒い空が夜空へと戻っていく。

 満天の夜空だ。手を伸ばせば幾千の星に届きそうな程の冬の夜空が俺の視界一杯に広がった。

 

「……ああ」

 

 だから、その光景を見て安心した。

 軽く吐き出した息。肺の中の空気を吐き出すと、空気に触れた吐息が薄く白に染まる。

 

 ――少し休もう。

 

 唐突にそんな事を思った。

 いや、唐突ではないかもしれない。身体は鉛の如く重く、意識は夜空に溶けかけている。

 不条理に、摂理に、運命に、頂点に、天の神に、人間の力と執念を見せてやったのだ。

 

 神婚の儀は風と東郷が中止に追い込んだのだろう。

 どのように行ったのか、何が起きたか不明ではあるが、自分の信頼に応えてくれたのだろう。

 その証拠に自らは神に取り込まれることもなく、神樹はその力で焼かれた樹海に修復を施した。

 

 こちらの勝利と捻くれずに捉えても良いだろう。

 天の神に対して勝利することができ、神婚の儀も防ぐことが出来ただろう。

 

「――――」

 

 恐らく友奈も無事だろう。

 だから、もういい。少し休むとしよう。

 少し眠ればきっと、また立ち上がることができるだろうから。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 大きな月と星空が眼前に広がっている。

 見慣れた静かな夜の風景は、寒々としながらもいつもの平穏な日常の光景だ。

 まだ新年は始まったばかり。神世紀301年が始まってから、まだ数日しか経過していない。

 

「もう、夜なんだ……」

 

 勇者たちは気が付くと学校の屋上にいた。

 天の神が消え去り、樹海化が終わると讃州中学校の屋上に全員が横たわっていた。

 背中に感じるアスファルトの冷たさに、生きていることを少女たちはゆっくりと実感した。

 

「帰ってきた?」

 

「えっ、世界は……?」

 

「終わったの……?」

 

「神樹様が、最後に樹海を回復させた……?」

 

 口々に己の目で、主観で得た情報を呟くが確証は得られない。

 6人の少女たちと1人の少年、場所は違えども同じ戦場で戦っていた『勇者部』は、

 戦闘の熱が、横たわり続け体温を奪う屋上のアスファルトと外の寒さによって冷えていくのを感じた。

 

「…………」

 

 それは友奈も例外ではなく、神婚の儀のために着ていた専用の装束を見下ろす。

 左胸付近を捲り見るが、あの太陽を思わせる痛みを伴う呪印は無く、健常な白い肌があるだけだ。

 それが意味することは、もう友奈は天の神に祟られて死ぬという運命を回避したということで、

 

「うっ……、うぅっ……」

 

「どうしたの、友奈ちゃん! 身体の具合が……!?」

 

「……ううん」

 

 その事実がじんわりと己の胸中に広がり、安堵が友奈の涙腺を緩めていった。

 何よりも熱い滴が頬を伝い、屋上のアスファルトに染みを作り、隠せない嗚咽がこぼれていく。

 

「消えてる……」

 

「烙印が消えてたの~……?」

 

「うん……、うん……!」

 

 その嗚咽の意味、東郷や園子も友奈の烙印が消えたことを理解して、安堵のため息を吐く。

 友奈の呪印が無くなり、天の神の祟りで死ぬことは無くなったという事実を、勇者部の全員が知る。

 

「夏凜ちゃん……みんな、ごめんね……っ」

 

 涙が止まらない。

 袖で拭っても拭っても、温かい涙が雪解けの水のように流れ落ちる。

 友奈は泣きながら、勇者部のみんなへと謝った。謝らなければならないことが一杯あったのだ。

 

 ずっと友奈は不安だったのだ。誰にも話せずに独りで堪え続けていく日々が。

 痛みを堪えて、それでも相談しようとした自分の所為で風を交通事故に巻き込んだことが。

 東郷にも園子にも夏凜にも気づかれていながらも、何も話せずに悲しい思いをさせたことが。

 

 亮之佑がいない間は苦しみと自己嫌悪の日々で、食べた物は結局吐いてしまった。

 夜は眠れずに、明日が来ない事への恐怖で電気を消して眠ることが出来なくなってしまった。

 そうして大赦から持ち掛けられた『神婚』を行うか否かで、勇者部のみんなと言い争った。

 

 祟りの所為で自分の心が弱っていたというのもある。

 目の前で広がる鮮血が、血紅色が、昏色が、雪が赤に染まる光景が脳裏から離れなくて。

 

「――おかえり、友奈」

 

 そんな友奈に、勇者部部長は、風は暖かな言葉を投げかけてくれた。

 その周囲で己を見る園子も東郷も夏凜も樹も、友奈に対して暖かな視線を向けてくれる。

 だから自分の居場所は失われていないと、そう思って涙が――

 

「かっきー……?」

 

 小さく呟く園子の声が夜空に響いた。

 その静かで震える声音に友奈は視線を向けた。

 

「――――」

 

 亮之佑はいた。

 夜露に濡れたような黒髪を夜風に揺らしながら、友奈の手の届く位置にいた。

 ただ無造作に転がっているような、糸の千切れた人形のように、瞼を下ろしたままだった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 ――夢から目覚めた時、最初に感じたのはわずかな頭痛だった。

 

「――――」

 

 睡魔の魔手から意識を離し、目を開いて瞬きを繰り返す。

 ぼんやりと浮上する意識は酷く重いままで、血の巡りが少し悪いのだろうかと疑問に思う。

 瞬きを再度繰り返し、呼吸を意識的に繰り返してどこかの白い天井と照明を見上げた。

 

 白い部屋だ。

 周囲に視線を向け、鼻腔を擽る消毒液の匂いに、病院であるとぼんやりとした意識で考える。

 

「あー、あ」

 

 声を出し、聞きなれた己の声であることに安堵する。

 間延びした声を出しながら、されど大事なことなのでしっかりと行い、己の生存を確かめる。

 声の調子を確かめ、呼吸ができていることを確認し、手足が問題なく動くことを認識して、

 

「――?」

 

 左手に違和感を感じて、天井の照明からそちらに目を向けた。

 何かに包まれているような感覚、毛布ではなく誰かに触られているような感覚に気づく。

 亮之佑が目を向けた先、赤い髪の美少女が自分の手を握っていることで、意識が明瞭となった。

 

「友奈」

 

「んぅ……」

 

 掠れた声で呼びかけると、友奈の眦が震え、ゆっくりと開かれる。

 眠っていたのだろうか、少しぼんやりとした表情の少女の薄紅の瞳が静かにこちらを見返す。

 数秒ほどその煌めく彼女の瞳と視線を交差させていると、小さな声音で亮之佑の名前を呼んだ。

 

「亮ちゃん……」

 

「友奈? おっ、とっ!」

 

「良かった、亮ちゃん……亮ちゃん……!」

 

「……」

 

 その大きな瞳で亮之佑の姿を捉えるや否や、友奈に抱きつかれ、白いベッドに押し倒された。

 そうしてその懐かしい鈴の声音と彼女のあまやかな匂いと、身体の柔らかさを感じて初めて、

 亮之佑はここが天国でも地獄でもなく現実であるのだと受け止めることが出来た。

 

「――――」

 

「死んだかと思った?」

 

「―――ぅっ」

 

 改めて再会できた友奈を見ると、泣いてこちらに強く抱き着いている彼女は変わりなかった。

 確かな温もりが、痛いほどの抱擁が、私服を着た友奈から亮之佑へと与えられる。

 己の衣服を見下ろすと、身に纏っているのは薄緑の手術着で、友奈の涙が染み込んでいく。

 

「よしよし……」

 

 そうして少しずつ現実を受け入れて、疑問を浮かべる脳裏はそのままに友奈を抱きしめる。

 背中に手を回し、わずかに冷えていた友奈の体躯を抱きしめ返すと、彼女は顔を上げてこちらを見た。

 薄紅に波が奔り、涙を浮かべ、堪えきれずに零し続けていく姿が亮之佑の眼球に焼き付いていく。

 

「……心配だった、ずっと……会えなくて……」

 

「――俺も、逢いたかったよ」

 

「―――ッ!!」

 

 静かで、涙まじりの消えそうな声に亮之佑が眉を上げると、彼女はジッとこちらを見てくる。

 思えば友奈とこうして顔を合わせるのは去年のクリスマスイヴ以来だろうか。

 今年初めて友奈に会うのかと思うと、僅かに感慨深い物を感じる。

 

 同時にこうして今年も友奈と会話をし、感情を交わし、身体を触れ合わせることが出来た。

 全てがハッピーエンドかどうかは分からないが、今はそれを為せたと亮之佑は頬を緩めた。

 

「――。天の神の祟りはもうないんだよな?」

 

「……うん、ほら」

 

 白いベッドに身体を預け、亮之佑の上におぶさるように友奈が寄りかかる。

 そうして呪印が消えた証拠を示すように、己の服の襟をそっと引っ張り亮之佑に肌を見せた。

 涙声で詰め寄る友奈と亮之佑の互いの息が掛かるような距離で見つめ合うのは変わらない。

 

「――良かったな」

 

「……うん」

 

 子供をあやすように彼女の柔らかな背中を手で弄っていると、友奈の瞳が揺れる。

 

「ねえ、亮ちゃん」

 

「どうして、こんな無茶をしたの……?」

 

「――――」

 

 そう問いかける友奈の緋色に淡く輝く瞳を向けられて、安堵に緩んでいた口元を引き締める。

 いつものふにゃりとした顔ではなく、少しだけ真面目で、それでいてわずかに哀しげに見えて、

 その表情を最も近くで見上げる亮之佑に対して、友奈はたどたどしく事の顛末を告げた。

 

 神婚をしようとしていた友奈は、阻止せんとする東郷の声に「助けて欲しい」と心の内を告げた。その声に応じた東郷を神樹の結界によって妨げられていたが、神樹の中に宿る多くの勇者の思念が力を貸してくれ結界を抉じ開け、ギリギリのところで神婚の儀が阻止されたらしい。

 

 解放された友奈ではあったが、同時に神樹による力が世界に広がるのを見届けたこと。

 そうして気がつくと、夜になっていて学校の屋上に勇者部全員が怪我なくいたこと。

 その時には既に亮之佑は意識がなく、すぐに病院に運び込まれたということ。

 

「それで、俺が意識を失ってどれだけ時間が経ったんだ?」

 

「――3日だよ」

 

「そっか……」

 

 擬音の入る友奈らしい説明を脳内で補完し、最も恐れていた疑問を解消する。

 天の神を撃破して、体力と精神の限界で半年位経過していたらゾッとしただろう。

 3日程度ならば、入院し慣れている身としては大丈夫だろうと患者は頬を緩ませた。

 

 身体に纏わりつく倦怠感はあるが、確かに痛みは少ない。

 世界の修復ついでに、亮之佑の傷も治してくれたのだろうか。

 

「それで亮ちゃん。どうして、私を助けてくれたの?」

 

 繰り返される二度目の少女が問う質問。

 亮之佑の両頬に友奈は手のひらを合わせて、わずかに声を震わせて告げる。

 その表情は、こちらを見る瞳は、あの冬の日、最後に見た記憶の中の少女と一致していて、

 

「――好きだからだよ、友奈」

 

 だから目を逸らさず、真っ直ぐに友奈の瞳を見つめ返して、はっきりと亮之佑は告げた。

 あの時と変わらない答えを、死してもなお、決して変わらない愛を囁くように、

 

「たとえ神が相手だろうと、世界中の人を敵に回そうと、俺は友奈が好きだよ。好きだから友奈を助ける。ずっと」

 

「……」

 

 背中に回した両手から、片手を友奈の後頭部へと移動させ髪の毛を梳くように撫でる。

 そうして友奈の眼を見て告げると、亮之佑を見る友奈の瞳に再び涙が溜まっていく。

 それは瞬きと同時に流れ出し、乾き始めた彼女の涙跡を上書きするように透明な軌跡を描く。

 

「友奈を神樹と結婚させない。結婚式で友奈を奪ってしまうくらいに好きだよ」

 

「……私も」

 

 亮之佑が笑いかけると、友奈も泣き笑いのような表情を見せた。

 困ったような、嬉しいような、そうして頬を伝い零れ落とす涙は何よりも綺麗で、

 

「私も……亮ちゃんのことが大好きだよ……!」

 

 たった一言。そこに万感の想いを乗せたような言葉が耳朶に響く。

 そうして額を触れ合わせて、お互いの頬に感じる体温を擦り付けて、彼女はそう言った。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 身体の傷は少なくとも、検査は必要だと入院する事になった。

 勇者部のみんなも交代で見舞いに来る予定だったらしく、その後に全員と会った。

 久し振りにゆっくり言葉を交わし笑い合いたかったが、検査の為にやむなく別れる事になった。

 

 勇者御用達の病院、いつもの先生という組み合わせに苦笑しながら数時間。

 解放され、就寝時間にはまだ早く、休憩室で一人俺はテレビを見ようとリモコンを探していた。

 

「あれ……」

 

 探しながらふと我に返り、奇術師でも勇者でもなく、素になった俺は思った。

 

 ――これって浮気なのか? 

 

 記憶の中の出来事で、直接は確認していない出来事だが園子にも愛を囁いた気がする。

 あの時は肉体の主である己に代わり思いを告げただけだが、最後にキスをされた気がする。

 でも確認はまだしていないし、愛のベクトルが違うし、付き合っている訳でもないのでセーフ。

 友奈に対する「好きだよ」と、園子に対する「好きだよ」云々の話は完全に別問題なのだ。そうであれ。

 

「……いや、宗一朗は六刀流だから。全然辿ってはいないな、うん」

 

 そうブツブツと誰もいない部屋で呟く俺だったが、やがて目的の物を見つけて思考を中断する。

 適当なパイプ椅子を引っ張り座りながら、数回ほどリモコンの電源ボタンを連打する。

 

 残念ながら、緊急入院という形で家からはパソコンを持ってきてはいない。

 端末は持ってはいるが、現在は充電中で外部の情報を得ることは出来なかった。

 そうして、ノイズを吐き出しながらも、テレビは視聴者に求めている情報を与えた。

 

『御覧ください。廃墟です、廃墟! 本土に人がいる気配はありません!』

 

 映像は生中継のようで、ヘリコプターを使用し、そこからリポーターが状況を伝えていた。

 どこかの放送局が視聴率を稼ぎたいのか、夜にも関わらず本土の様子をライブ放送している。

 

「――――」

 

 彼らが放送している映像では、確かに瓦礫や時々炎が闇夜に映っている。

 わずかに興奮を抑えられない様子で、それでもリポーターとして現場の様子を語る。

 これが本当ならば、外の世界は既に平和だと言うべきなのだが――

 

「情報が足りないか……」

 

 ここからではどうしようもなく、ただその映像を見つめる。

 きっと視聴率も鰻上りなのだろうかと他のお茶の間の様子を想像して、

 

『――? あれはなんでしょうか? 何か白い物体が此方に近づいてきて……、あ』

 

 次の瞬間に起きた凄惨たる血の光景、その数秒の出来事に意識を凍りつかせた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「第七十六話 変わらぬ空で、笑い続けて」

 生前、俺がニートとなり数日、とあるゲームをしていた時の話だ。

 

 いわゆる『ロールプレイングゲーム』という勇者が魔王を倒し世界を救うというゲーム。

 主人公はその旅路で仲間や武器を集め、敵を倒し、最後に邪悪の根本たる魔王を倒して終了。

 「世界は平和になりました」とエンドロールが流れる度に、素直という言葉を失くした俺は言う。

 

「そんなわけないだろ」

 

 世界全土に蔓延る邪悪な魔物たち、奴等が一匹でも残っている限り、平和などありえないと。

 魔王という頂点を排除しても、烏合の衆となった敵軍から新しい魔王が生み出されるかもと。

 魔王が死んでも、結局は魔物が同じ世界に居続ける限り、自由も安寧もまた蹂躙されるだろうと。

 

 そう捻くれた俺は、そんな風に思ったことがあったのを覚えている。

 何故だか、当時の思い出が蘇っていた。

 

「ちょっと、亮之佑。話聞いてる?」

 

「――。ん~、昔の話を思い出しててな。いや聞いてたよ」

 

 唐突に掛けられた少女の声音、夏凜の声に振り向きざまに苦笑する。

 俺は現在、勇者部の部室にいた。周囲を見回すと可憐な少女たちが黒板に絵を描いていた。

 彼女たちに加わらずに俺の隣で腕組みをする二刀流使い、夏凜はおもむろに口を開いた。

 

「もうすぐ風も卒業ね……」

 

「あと1ヶ月ほどあるけどな」

 

「そうよ。卒業しても遊びにくるわよ、アタシは」

 

「お、そうですか」

 

 聞いていたのか背後にいた風が話に乗ってきた。

 未だに妹離れが出来ない大剣使い、姉御肌である勇者部部長はこちらに視線を向けてくる。

 いや、既に部長ではなかったと俺は頭を横に振りながら呟き、新しい部長に目を向ける。

 

「――らしいけど、樹はどう思う?」

 

「えっと……お姉ちゃん、あんまり来なくても私は大丈夫だからね?」

 

「がーん!!」

 

 新しく決まった部長、樹は困ったような、しかし嬉しそうな顔をして少々慌てた声で応じた。

 その言葉を成長と取ったか否定と取ったのかは不明だが、衝撃的な顔を風はしていた。

 擬音を口にする風を見て苦笑する夏凜、彼女たちから目を離し、俺は無言で上を見上げる。

 

「――――」

 

 園子や友奈、東郷のそれぞれの個性が現れている絵、その黒板よりも上にある物。

 『勇者部六箇条』と書かれた、五箇条に代わる新しい勇者部の誓いが貼られている。

 

 ――無理せず自分も幸せであること。

 

 以前の五箇条に追加された新しい一文。

 その意味は、きっと誰よりも友奈自身が一番分かっているのだろう。

 

 世界中のみんなの為に、今日を頑張ることは確かに大事かもしれない。

 だがそれ以上に、みんなだけでなく自分自身も幸せでなくてはならない。

 戦いの果てに得たそんな勇者部の想いが、少し前から新しく五箇条に追加されていた。

 

「風先輩」

 

「ん? 何?」

 

「改めて受験合格、おめでとうございます」

 

「ありがとう。……ま~ね? アタシぐらい女子力を活性化させればこれくらいは余裕よ!」

 

「よく言うわよ。結構ギリギリだった気がするけど」

 

「そんな事ないわよ!」

 

 風と夏凜のじゃれ合いをニコニコと見ていると、「何よ……」と夏凜が噛みついてくる。

 照れ隠しのつもりなのかやや頬に朱を混じらせ、こちらを見て眉をわずかに吊り上げる。

 そんな少女に対して適当にいつもの笑みを浮かべて目を逸らしていると、声が掛かった。

 

「それじゃあみんな。横に並んでね」

 

「はーい!」

 

「キャメラだぜー!」

 

「誰が撮るの?」

 

「……脚立で時間式で撮るのよ、友奈ちゃん」

 

「タイマー!」

 

 去年のクリスマス以前から、東郷が事あるごとに写真を撮ろうと言い出したのが発端。

 こうして俺が勇者部に復帰してからも、彼女が持参するカメラで写真を撮ってきたのを覚えている。そして今回は樹の新部長就任と、風の受験合格を記念して写真を撮ろうという事になった。

 

「掛け声、何にしよっか」

 

 風、樹、夏凜、友奈、東郷、園子、そして俺。

 黒板に描かれた少女たちによる独創的な絵が並ぶ中で書かれた祝福の文字。

 その彩りに溢れた黒板を背景にして、見目麗しい可憐な少女たちと奇術師が横に並ぶ。

 

「うーん。……うちの部の黒一点、何かいいのある?」

 

「じゃあ、『うどんピース』で」

 

「採用」

 

「はやっ!? 何その掛け声!」

 

 掛け声が何かいいかと振ってきた元勇者部部長に対して、ふと思い出した言葉を告げる。

 何を思ったのか荘厳な顔でコクリと頷く風に夏凜のツッコミが炸裂し、思わずクツ……と笑う。

 久方振りに感じる『日常』という感覚、この部室は相も変わらず平和である今日この頃である。

 

 ――後で見た写真は、みんな良い笑顔だった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 俺が入院して、そして病院のテレビの電源を点けたのは、今からおよそ3週間前の出来事だ。

 あの日見た映像、リポーターが生存していたらしい星屑に惨たらしく喰われる光景を俺は見た。

 そして、そもそもあの映像の発端は、独断で壁の外を見ようとする報道陣の行動が原因だったらしい。

 

 自業自得による物だったが、大変だったのは大赦である。

 秘密主義の組織ではあるが、その人員は神婚の儀によって随分と数を減らしてしまった。

 神樹と一つになるという思想が強い順に、多くの神官の魂が肉体という呪縛から解き放たれた。

 

 そういうわけで情報を隠蔽する以前に、表の政府と裏の大赦は行動を迫られた。

 結局大赦が行ったのは、神世紀に至るまでの真の歴史を全世界に公表するという事であった。

 元々大赦側も本来東郷の叛乱が無く順調に事が進めば、情報を開示するつもりだったらしい。

 

 生き残った信仰心が低かった者によって、大赦から情報が開示されると世界は荒れた。

 

 四国以外はウイルスではなく、映像にあった星屑、バーテックスという存在により滅んだこと。

 奴等に対しては通常兵器は意味をなさず、勇者と呼ばれる存在が迎撃していたということ。

 ――そして現在も外の世界には、天の神が去ったにも関わらず『残党』がまだいるという事実。

 

『廃墟、廃墟! 生存者の姿は見られません!』

 

『では、大赦は昔から壁の外を知っていたと?』

 

『―――子供達に罪はありません』

 

 開示される情報に色めき立つ報道陣、毎日の新聞、ラジオ、テレビなどは大騒ぎだった。

 そういった情報を与えられて騒ぐ者、疑う者などもいたが、騒ぎは表面上は収まっていった。

 

 ――神樹は変わらずに存在しているからだった。

 

 大地の神々が集いし神樹。

 四国を覆う緑樹の壁は以前よりも強度は下がっていたが、それでもまだ“在る”。

 神樹というこの神世紀を人間と共に生きてきた存在と長年の教育が騒ぎを鎮火させていった。

 

 300年の教育の成果によって、表面上は鎮まり返る。

 大人たちの世界は荒れはするが、そんな中でも子供たちの世界は変わらなかった。

 世情に問わず学校の授業は休みはあっても変わらず進み、そして、ある高校の受験日も変わらなかった。

 

「しかし、フーミン先輩は私の教えで無事合格出来たのであった……まる」

 

「凄いね、園ちゃんは」

 

「えへへ~、私がフーミン先輩を育てたんよ~」

 

「へー凄いね。それよりほら見て俺の包丁捌き! リンゴからウサギ。お食べよ」

 

「かっきー食べさせて〜」

 

 というのは3日前の俺と園子の会話である。

 お互い乃木家とその分家という事もあり、英才教育により既に大学レベルの教養は得ている。

 今更高校の受験程度、問題などないのだと少しドヤ顔で胸を張る園子は、相変わらず可愛かった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 神樹は確かに未だに存在している。

 だがその寿命は既に底が見え始めているのが現状で、あと3ヶ月もないだろう。

 表面上は多少の恵みがあってもいずれは尽きてしまい、星屑程度に蹂躙、滅ぼされるだろう。

 

 現在四国を囲う壁の強度は、星屑や進化体ならば通れない程度でしかないらしい。

 このままでは人類に明るい未来など永久に訪れず、また薄氷の上の平和は崩壊するだろう。

 だからこの数週間、限られた日数の中で、大赦含めて俺たちは手段を模索し、そして――

 

「あれ、亮之佑は行かないの……?」

 

「俺は少し寄るところがあるので、みんなは先行ってて」

 

「遅刻しないでよ」

 

「……はいはい」

 

 そう言って、少し前に勇者部の部員たちと別れた。

 どのみちそこまで距離があるわけでもないので大丈夫だろうと小さく吐息をつく。

 

 彼女たちと別れて行う用事は、墓参りであった。

 宗一朗と綾香がいるであろう大赦御用達墓地にある『加賀家之墓』に、俺は一人報告と挨拶に来ていた。

 黒く光を吸い込むような墓石を軽く掃除し、用意してきた酒瓶や花束を添えて一人手を合わせる。

 

「――また来たよ、2人とも」

 

 この場所は静かで落ち着く。

 一人で飲む酒は相変わらず喉を焼くような感覚がして、俺はそっと目を細めた。

 

「――――」

 

 墓前で語る言葉は多くはない。

 ただ助けたいと思った愛する少女を、神を相手に勝ち取ったという話をしただけだろうか。

 そうして目の前の墓石と向かい合っていると、砂利を踏む音が聞こえて、その人物を目にした。

 

「安芸先生」

 

「――こんにちは」

 

 旧大赦で生き残った神官の一人、かつての自分の先生がこちらに歩み寄ってくる。

 彼女は白い仮面を着けてはおらず、砂利上に胡坐を掻く俺と目が合うと、その片目を見張った。

 晒された素顔は、彼女の右目は以前とは異なり、白い医療用の眼帯で覆われていた。

 

「先生も墓参りですか?」

 

「――ええ、そうですね」

 

 そう言いながら、ふとこちらが持つ酒瓶に視線を向けたので、そっと背後に隠した。

 訝しむような安芸はこちらの行為を見逃し、近くに屈み、線香を置き両手を合わせて目を閉じる。

 2人がいる墓を前に両手を合わせ瞑目する安芸を見ながら、残りの酒もさっさと飲んでおく。

 

「その目はもう治らないんですか?」

 

「これは……、私自身への罰のような物だと思います」

 

「そうですか」

 

「そうです」

 

 目を開け、そう語る安芸の横顔はちょうど眼帯で感情を窺うことは出来ない。

 神婚の儀が進行する過程で多くの大赦神官がその身を神樹に捧げた中で、彼女は生き残った。

 大赦の神官として役目を果たしながら、その心中がどのような感情に満ちているかは不明だ。

 

「――――」

 

 だが、知る必要のない事だと首を横に振り息を吐く。

 どう思っているかを考えても、本人が言わなければ胸中を理解することなど出来ないのだから。

 今度眼帯をプレゼントしようと俺は脳裏にメモしながら、安芸の横顔に向かって口を開いた。

 

「今の大赦……、いや『大社』の状況はどうですか?」

 

「ひとまず最低限の準備は完了しました。後は実行するだけです」

 

 如何に神樹を祀り、勇者を始めとした神秘を管理し、世界を裏から支配する組織でも、ある程度の糾弾はあった。

 これを口実に大赦は解体、西暦時代に名乗った『大社』に名前を変えて再編を開始していた。

 とはいえ、大社の組織としての機能が十全に果たされるのは、もう少し時間が必要であるだろう。

 

「天の神が倒されても、状況は変わってはいません」

 

「――――」

 

 淡々と、仮面を取りその素顔を晒しながら安芸は口にする。

 世界は、この箱庭は、時間が経過する度に刻々と崩壊への道を辿っている。

 

「辛うじて神樹様が壁を維持していますが、それも限界がきています。だから貴方たちには――」

 

「分かってますよ」

 

 安芸の言葉、その先を言われるまでもない。

 既に両親に挨拶を終えた俺は墓前から立ち上がり、砂利道を歩いていく。

 そうして去り際に、安芸に対して全てを解決させる言葉を、一拍溜めて口にした。

 

「――だって俺は、勇者だから」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 空を見上げると、青空が延々と広がっている。

 偽りの、幾千と繰り返し見慣れた空に時折ノイズのような物が奔っているのは気のせいか。

 それを見てゆっくりと歩を進めつつ、わずかに寒さの残る空気を肺へと取り込みながら、

 

「――――」

 

 左手中指に嵌めた、長い付き合いとなった家に伝わる蒼色に鈍く光る指輪を空へとかざした。

 以前よりも輝きの薄れた指輪からは、あの戦い以降そこに宿る力を感じにくくなっていた。

 目を閉じると感じられる、因子を通じた存在が希薄になりつつあることを俺は感じていた。

 

「――なあ」

 

 呼びかける。

 だが、返事はない。

 

 あれから俺は一度も、現実よりも美しい幻想の如き夜の世界に脚を踏み入れてはいない。

 厳密に言うならば、己の意識を指輪に移動させる事ができず、未だ夜の密会は催されていない。

 因子に問題は感じられず、原因としては事前に予想されていた指輪の世界での問題なのだろう。

 

「――――」

 

 天の神を撃滅する。

 口で言うのは簡単だ。言うは易し、行うは難しという言葉通りである。

 あの瞬間、俺の肉体に憑依を果たした初代によって放たれた世界を内包した一撃は神を砕いた。

 

 しかし最初で最後の必殺の一撃で、指輪内部にある膨大なエネルギーを使用してしまった。

 彼女を構成したシステムを維持するだけの力、外部供給源の神樹の力はどちらも残ってはいない。

 それでも、こうして目を閉じると微かに感じる残り香が脳裏に囁きかけてくるような気がした。

 だから――

 

「俺とお前は共犯者だ」

 

 この偽りの空の下で一人、俺は唇を震わせる。

 会話は成り立たず、だがそれでもこの声が、この想いが届いていると思って、

 

「契約はまだ終わってはいない。一人だけ先に終わるなんて事は、俺が赦さないよ、初代」

 

 結局残りの一つ、彼女からの最後の望みは聞き届けてはいない。

 脳裏に浮かべば思い出せる昏色と濃紅色の少女の姿は、この世界で唯一自分だけが覚えている。

 

「――だから、いずれまた会おう」

 

 記憶という名の楔が、その存在が、俺を前へと進ませるのだ。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 そうして俺は歩いた。

 いつの間にか己の体躯を包み込む黒衣を身に纏い、瀬戸内海の聳え立つ壁上に到着した。

 墓参りをしていたからか、独り言を呟いていたからか、どうやらわずかに遅刻した気がする。

 

「――待たせたな、みんな」

 

 赤い手袋に包まれた手を振り、そう口にすると、俺の存在に気付いた少女たちが視線を向ける。

 

「遅いわよ! 亮之佑」

 

「時間通りだろ」

 

 時間厳守、30分前行動が当たり前な赤衣の勇者、夏凜が少し低い声音で告げる。

 完成型の追及を躱しながら、しっかりと予定していた全員が揃っているのを見て取った。

 夏凜、樹、風、東郷、園子、友奈、俺を含めた勇者部の面々は、勇者装束を身に纏っている。

 

「――東郷さん、祝詞はちゃんと覚えている?」

 

「もちろんよ、亮くん」

 

 両手を胸の前で組む国防系少女にして巫女の適正があると判明した東郷こそが作戦の鍵。

 この後の作戦を前にして穏やかに微笑む東郷の背中には、死神の握る大鎌を思わせる武器。

 名も無き勇者が使用したとされる〈大葉刈〉を、東郷は背中に刃を折り畳んで背負っている。

 

 少し前に、新生『大社』は次の手を打つことにした。

 失われつつある神樹の恵み、枯渇を始めるエネルギーと外の敵などの問題を解決する手段。

 このまま何もせずにいれば、真実を知ったばかりの世界は泡のように弾けて消えるだろう。

 

 その為に大社が計画したのは、ある儀式を改良したもの。

 神樹の力が減る中で、当然勇者の力も減少の一途を辿り、精霊の護りすら展開出来ない状態。

 これから行われる任務は本当の意味で死と隣合わせの状況であるのだが、

 

「バリアが無い状態の方が当たり前だったからね~」

 

「――――」

 

「かっきーが行くなら、私はついていくよ。どこまでも」

 

「……そっか」

 

 そう言って小首を傾げ告げるのは、紫の装束を纏った園子だ。

 平然と惚れそうな言葉を口にする天然気質のある金髪の美少女が肩にある刀を背負っている。

 その武器は、かつて西暦で幾千の敵を斬り裂き、明日を求めた勇者の刀――名を〈生大刀〉。

 

「似合うわね、園子の日本刀」

 

「そう……? ご先祖様の刀なんよ~」

 

「ホント、どこから引っ張り出してきたのよ」

 

「昔の勇者たちが使用していたらしい……でしたよね? 亮さん」

 

「そうだよ。大社にある秘密の資料を園子とスコップで掘って見つけた結果、キチンと保管していたらしいよ」

 

「えっ、掘ったの……?」

 

 そう口にする風の左腕には、修繕された盾が装着されている。

 だが厳密に言うならば、盾にも成りうる旋刃盤〈神屋楯比売〉は風に似合っていた。

 

 微妙に馴染むと口にする風の隣で、樹が持っているクロスボウもまた神器の一つである。

 女神が岩屋を打ち抜いた弓矢に因む〈金弓箭〉の力を宿したクロスボウを樹が所持する。

 

 少女たちが所持する武器は確かに外の世界にいる敵に有効ではあるが、今回は別用途だ。

 外の世界、本土にいる残党から完全に土地を奪還し、土地神の力を取り戻すという儀式。

 神樹は土地神の集合体。神樹の一部である土地神の数柱を、旧日本の霊山に祀るという儀式。

 

「言うなれば、『真・国造り』かな……」

 

 西暦時代に存在していた、富士山、立山、白山、大峰山、月山と呼ばれた霊山に神器を祀る。

 四国外の世界は、天の神によって一度理を書き換えられ、地獄の如き世界に変わってしまっていた。

 今回はその逆、『真・国造り』により、旧日本本土にいる“星屑が存在する”その理を書き換える。

 

「よーし、それじゃあみんな集合! あれやるわよー!!」

 

「やりましょー!」

 

 世界を存続させる重要な任務。しかし重い空気はない。

 元勇者部部長の掛け声で久方ぶりの円陣を作る勇者部に、緊迫という文字は見られない。

 それは潜り抜けた死線の数の所為か、お互いを信用して背中を任せられる為かは分からない。

 

「それじゃ……樹、お願い!」

 

「ええっ!? ……そ、それじゃあ、皆さん。無理をしないように、自分も幸せであれる程度に、この旅を頑張りましょう!」

 

「樹……いつの間にか立派な事を言えるようになっちゃって……!」

 

「ゆ、勇者部、ファイトーー!!」

 

「「「「「「オーーーーーッ!!」」」」」」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 外の世界は、中の世界となんら変わりない。

 同じ天気、青い空が、変わらない空がどこまでも続いている。

 

「――――」

 

 神樹も内側から外の世界を見えなくする力は既に失っているらしい。

 だからこそ内側の報道陣が外の様子を映すことができ、そして結界の外に出て星屑に喰われたのだろう。

 

「なあ、友奈」

 

「何?」

 

「怖いか?」

 

「うん……けど」

 

 ふと思うことがあり、湧いた疑問を友奈に告げると、彼女は隠すことなくその心境を口にした。

 そう桃色の唇から紡ぐ言葉はそこで終わらず、俺の左手に友奈の柔らかな手が触れた。

 勇者服の彼女、その両手の〈天ノ逆手〉を宿す手甲越しに、友奈の確かな熱を俺は感じた。

 

「――亮ちゃん」

 

「なんだい……?」

 

 俺の返事には答えず、仲間たちが次々と神樹の壁から飛び降りていく中で。

 そうして彼女たちに続く中で、友奈は薄紅色の瞳を煌めかせて、俺の姿を捉えた。

 

「ずっと、一緒だよ」

 

「ああ」

 

「私ともね~、かっきー」

 

「――もちろんさ」

 

 そうして、友奈に手を引かれて俺と園子も壁から飛び降りた。

 わずかに不快な浮遊感は、左手を友奈が、右手を園子が生む確かな熱が溶かしていった。

 周囲から向けられる生温かい視線に対しては片頬を吊り上げて、いつもの笑みを浮かべた。

 

 変わらない空がどこまでも広がり続ける。

 眼下には崩壊した廃墟、かつての文明の名残と星屑が見えた。

 

 刻々と川のように時間は流れていく。だが俺は前を進み続ける。

 

 

 笑いながら、俺はこの旅路を歩き続けるのだ。

 

 

 




【第七幕】 反逆の章 -完-

ラスト一話。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

「エピローグ:夜が終わり、日がまた昇る」

 明確に『死』を意識したのはいつだったかと、少女は思い出す。

 

「――なん、で」

 

 紅が暖かく、蒼が冷たい色だと、一体誰が言ったのだろうか。

 そんな訳がないと、血紅色の瞳の少女は今ほど思ったことは後にも先にもないだろう。

 だって、こんなにも紅とは死を連想させるじゃないかと、黒髪を血に染めながら場違いに思う。

 

 『紅色』も『昏色』も、どちらも少女にとっては嫌いな物だった。

 生まれた瞬間からどちらも自らを構成する要因だが、幼少期に散々揶揄われたからか。

 どちらにせよ、今はどうでも良いことだと、地面のアスファルトに己の血を染み込ませながら、

 

「―――――ゴッ、―――――ブッ」

 

「―――ぁ」

 

 強烈な痺れに襲われて動けぬ己の身体、代わりに人の吐音と思わしき音の方向に目を向ける。

 見知らぬ男性だ。いや、数秒前まで全く知らない人なのに、逃げるのが遅れた自分を助けた。

 唇を舐めると判る味、焦げ臭い匂いよりも充満し鼻腔を擽るコレは、男の血なのだろう。

 

 そんな彼はゴボゴボと血塊を口から溢し、濃密な『死』の色を滲ませている。

 

「――――」

 

 白く染まりつつある意識と耳から、己の背後で起きた事故を理解したが、全く体は動かない。

 彼の身体が盾となってくれたにも関わらず、脆弱な肉体は衝撃を受けて立ち上がることも出来ない。

 ただ無様を晒し、醜態を晒し、無能を晒し、そうして目の前の男が死に至る瞬間を見届ける。

 

「――ど、うし、て」

 

 小さく掠れた声が目の前で転がる男に届いたかなど分からない。

 想いも、考えも、どうして助けたのかなど他人に分かるはずがない。

 

 どんな思いで、松葉杖をつく己を助けたのか、本人に聞かなければ分からない。

 そしてその時は恐らく二度と来ないことを、どこか冷静な頭脳が答えを導いた。

 そうして何とか男の顔を見ようと、己の狭まる視界に入れようと首をわずかに動かし、

 

「―――は」

 

 どこか現実離れした血の光景の中で、その瞬間を、男の顔を見て、小さく笑みがこぼれた。

 死に逝く彼の瞳に、昏色の瞳に宿る感情、自らにも宿り巣食う『絶望』という名の病を見つけた。

 

 自分と同じこの世界に希望を見いだせず、狂気に染まり、狂喜を求めた双眸を少女は見た。

 きっと鏡を見れば、自分も目の前の男と同じ目をしているはずだと場違いに頬を緩めた。

 

 全てを救う『勇者』など、この世のどこにも存在しない。

 ただの偽善が蔓延り、目の前の自殺者に救われただけ。

 

 ――それを少女は嬉しく思い、そして祈った。

 

 もしも、彼の人生の終わりの果てに『次』があるのなら、彼に幸福があらんことを。

 この狂気の偽善者がどのような心境で他者を救っても、それで救われた者もいる。

 青白く冷たくなっていく手の持ち主、魂を血に染め死へと赴く男への、最初で最後の祈り。

 

 それが男の旅路の終わり。

 そして少女の旅路の始まり。

 

「――――」

 

 意識が途絶する瞬間。

 少女が最後に首を上に傾けると、空に七色に輝く暖かな光を見たような気がした。

 その光の先、濃紺に広がる黄昏の闇を貫かんと、無限の白い星々が隕ちてくるのを見た。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 ――思い出せない長い夢を見たような気がした。

 

 瞼を開き、自らの肉体がどこか見慣れた地面に立っていることを認識する。

 同時に湯舟に沈むような柔らかな眠気から意識が乖離していく感覚に満たされていく。

 

「――――」

 

 思わず息を吐き、肺から空気を抜き、また冷たい夜の空気を取り込んでいく。

 そんな夜風が自分の頬を優しく撫でていき、同時に周囲にある草木を揺らし空へと舞い上がる。

 小風に巻き込まれた小さな木の葉を照らし出すのは、黄金色に光を放ち輝く満月と夜の星々だ。

 

「やあ」

 

 そうして数秒月夜に目を奪われていると、神経を溶かすような甘やかな声音。

 果てが見えず、ひたすらに闇が広がり、漆黒に塗り潰された中で僅かに煌めく光の下で、

 

「――よお」

 

 この少女は背後から話し掛けるのが好きなのだろうかと、そんな事を思いながら振り返る。

 柔らかな土を踏みしめる感覚と共に、己の視線がその可憐な黒髪の少女の姿を確かめた。

 何となく掠れた声を震わせて、決してその少女の名前ではないが、呼び慣れたソレを口にする。

 

「久しぶりだな、初代」

 

「そうだね」

 

 血紅色の瞳を煌かせ、クツ……と独特な含み笑いを響かせる少女は、いつもの場所にいた。

 巨大な桜の樹を背後に置き、白い丸テーブルを挟みながら、抑揚を減らした声音で此方に応じる。

 トントンと指先がテーブルの上を叩く小気味良いリズムが、言葉に出さずとも座れという意思を示す。

 

「――。どうして俺、ここに来たんだっけ……」

 

「うん?」

 

 小首を傾げる指輪の王。

 その胡散臭さと可愛さを両立させた仕草をする黒髪の少女に、俺は小さく頷いた。

 己の意思でこの世界に入ったにしては、その過程に至る前後の記憶はない。

 当然、目の前に座る少女が呼んだ可能性も考えられるが、それにしては突然だった。

 

「俺って、どうなったんだ……?」

 

「――――」

 

 おぼろげだが記憶はある。

 神世紀301年2月、新生『大社』の最初の任務、『真・国造り』作戦は結果から言うと成功した。

 霊山に土地神の一柱を納めていくことで、枯渇し掛けていた神樹の力を少しずつ取り戻していった。

 

 外の世界は、天の神によって理を塗り替えられた時点で時が止まっていた。

 だから、崩壊からおよそ5年ほどしか経過していない廃墟群や星屑に喰われたらしき人骨も見てきた。

 人にしか興味を示さない星屑、しかしその余波だけで、かつての人類の英知は尽く瓦礫へと消えていた。

 

 そんな状況下で『真・国造り』の儀を執り行い、本土から星屑等の敵は消えたように思えた。

 それから人類が箱庭の外、近畿地方に仮拠点を配置し、少しずつ生活拠点を広げていた。

 神の庇護から自立して、少しずつ自分たちだけで生きていけるように。

 

「けど、西暦の時代のようにはいかなかった……」

 

 確かに人類の生存圏は旧四国から、日本の領土を奪還することは出来た。

 少しずつ復興していく中で生き残った人類は、それでも一丸となることは出来なかった。

 

 真実を知り、そして天の神を復活させようとする集団。人工勇者。海外からの敵と勇者。

 そんな風に敵は現れて、事件に遭遇して、新たな仲間を得ていき、そうして時が流れた。

 

 土地神に力が戻り、国土防衛の為に新たな勇者が生まれ、無垢な少年少女に継承されていった。

 何を思ったのか、神樹は無垢な少女だけではなく、少ないが少年も勇者に選ぶようになった。

 いつか、必ず世界に平和が訪れるまで、勇者は戦いを終えることはないだろう。

 

「そうだったね、ボクも見てたよ」

 

「そうかい……」

 

「――――」

 

「――――」

 

 久方ぶりの夜会は、静かだった。

 俺は彼女に何を話していいのか分からなかった。

 だが、あれからも絶えず指輪を身に着けていたのなら分かるだろう。

 

「なあ、初代」

 

「なんだい?」

 

「俺は、死んだのか」

 

「そうだよ」

 

 淡々と、静かで真面目な声音で肯定を返された。

 だが同時に、ストンと何か詰まった物が突き抜けた感覚があった。納得がいった。

 記憶はあった。望み続けた家族を作り、子供を作り、病院で彼らに囲まれて死んだらしい記憶。

 

 あれから少なくない年月が流れていた。

 どこか認めたくない思いもあったに違いない。

 だから、彼女の言葉に対して、憤りよりも安堵を覚えた。

 

「そうか……」

 

「55歳なら、それなりに生きた方じゃないかな。あの時代は平均寿命もそんなに長くないようだし。加賀の家系はあまり長生きはしない方だね」

 

「――――」

 

「結局キミは宗一朗ほどとはいかずに、結構ヤらかしたしね。面白かったよ」

 

「……そうだっけ、覚えてないな。終わり良ければ総て良しだ」

 

 何となく手を見ると随分若い気がする。

 それなりにヤンチャした記憶どころか、虫食いのように記憶に穴がある。

 この身体、意識もまたボロボロに酷使されたのだけは何となくだが覚えている。

 

「まあ、いいや」

 

 今更になって思う事があるとすればわずかな後悔だろうか。

 あの時こうすればとか、もっと上手くやることが出来た場面もあった気がする。

 

 ――後悔しない。

 

 あの日の『誓い』、加賀亮之佑の始まりの日を覚えている。

 あの冴えた月に見下ろされて立てた『誓い』に、俺は今まで突き動かされてきた。

 その強大な思いが今は嘘のように軽いのは、肉体という鎖から解き放たれた所為だろうか。

 

 だけれども、もういいのだ。

 もう、満足だ。

 

「――そうだ、初代」

 

「うん? ああ、ボクの旅路はあの瞬間に果たされたような物だからね。もういいんだ」

 

「――――」

 

 わずかに微笑を浮かべる少女の姿を己の双眸に見る。

 あの瞬間とはつまり、天の神を撃破した瞬間の事だろう。

 

「ボクはキミを待ってたんだ」

 

「――死ぬのをか?」

 

「そうだね……。うん、そう、この意識はその為だけに残ってたんだ」

 

 そう穏やかに自らの胸に手を当てる初代の姿は、本当に静かな声音だった。

 確かに彼女がいなくとも、指輪の機能が働かなくとも、世界のほとんどは平和になった。

 天の神へ復讐するという彼女の思いは果たされ、あとは意識を残すだけなのだろう。

 

「死ねばどうなるんだ?」

 

「全てが無に、因果が巡る。それは神樹を介して、大地に溶け、時間を流れ、別の物になる」

 

「――――」

 

 残念ながら、初代曰く天国や地獄という物はないらしい。

 ただこの意識ももうすぐ消え、何か別の物に生まれ変わるのだろう。

 ……もしくは、目の前の少女がただ知ったかぶりをしているという可能性に賭けるとしよう。

 

 そんな事を思っていると、椅子から初代が立ち上がり、指である方向を示した。

 その指先、何となく俺も立ち上がり振り向くと、この世界で終ぞ見られなかった光景を目にした。

 

 夜が終われば朝が来る。

 この夜の世界にも、その果てから和やかな白い光が昇っていく。

 生まれたばかりの太陽が、この世界に新しい幻想的な景色を作り出していく。

 

「そうだ、半身。あの時の最後の望み、聞いて貰おうか」

 

「――――」

 

 その光景を見て呆ける俺は、ただ心地よい少女の言葉に耳を傾ける。

 俺の隣に並び立つ少女、わずかに俺よりも低い背丈の少女は手袋に包まれた手を差し出した。

 

「――ボクについてきてくれ」

 

「……よろこんで」

 

 ダンスに誘うように。

 交錯する血紅色の瞳は揺らぐことはなく。

 

 差し出された少女の手は、朝日の光を受けて透明に薄く照らし出されている。

 小さな最後の望みを叶えるべく、彼女の手を握った俺の手も、その意識も既に薄れかけていた。

 そうして暖かな彼女の体温を感じながら、ゆっくりと散歩するように白い光に向かって歩いていく。

 

 

 冴えた月が消える中、少女とその半身は、歩いて、いく――――

 

 

 

 ---

 

 

 

 永久に続く戦いの果てに得た、悠久の安寧。

 後悔も、復讐も、全てを終わらせた、穏やかな時間。

 

 死によって始まり、死によって終わる。

 これは、人生という旅路を、ただの一度も後悔せず生き抜いた男と少女の物語。

 

 

『変わらぬ空で、貴方に愛を』-完-

 

 




---

以上で本編は終わり。
死で開幕したなら、死で閉幕するという男の物語。
この後は、リクエストや蛇足話、ギルティな話など書きたいなと。
最後に80話と長くなりましたが、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。
感想、評価よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【第八幕】 蛇足の章
後日談「信頼という少女への証」


 こたつ。

 

 暖房器具の中で最も人を堕落に陥れる神の魔道具の一つと言っても過言ではない。

 床や畳床等に置いた枠組みの中に熱源を入れ、外側を布団等で覆って局所的空間を暖かくする。

 こたつ布団に脚や下半身を入れると、段々と身体の全てが取り込まれるという恐ろしい道具だ。

 

「まあ、もう入っちゃったけどね」

 

「かっきー、誰に言っているの~……?」

 

「独り言さ」

 

 そんな事を言いながら声の方向に目を向ける。

 鈴音のような声音の持ち主は、きっとこの世界では知らぬ者などいない名家『乃木』のお嬢様。

 稲穂を思わせる長く癖のない金髪を白色のリボンで纏めている少女もこたつに脚を入れている。

 

 正方形状のこたつをリビングに配置したのは数日前。

 加賀家もそろそろ今年も出そうと、エアコンよりも節約できる為に去年買ったこたつなのだが。

 今年は誰よりもいち早く本家の乃木家、その御令嬢が家主の次に脚をこたつ布団に入れていた。

 

「あっ、かっきーの脚発見なんよ~」

 

「……絡めるんじゃないの」

 

 俺が座る席から見てちょうどテーブルの右側に座る園子。

 靴下を履いた園子の滑らかな感触がある細い脚がやんわりと俺の脚と絡まる。

 先ほど加賀家別宅に来た園子の脚はわずかに冷えており、俺の体の熱を少し奪っていく。

 

 こたつの上に置いた小さな籠から、知り合いからのプレゼントである蜜柑を取り出す。

 決して愛媛に実家がある少し弱気な少女から強奪した訳ではなく、寧ろおすそわけとして頂いた。

 絡まった俺と園子とこたつの熱が溶け合う中で、本日2個目の甘い果実の皮を無言で剥いていく。

 

「今年も冬が来ましたね、かっきーや」

 

「そうね、園子嬢や」

 

 暖かな陽の色に染まっている蜜柑の皮を剥きながら、園子の話に耳を傾ける。

 蜜柑の実についている白い筋のような部分を食べるかどうかで意見が割れる人も多いだろう。

 維管束と呼ばれる部分だが、食物繊維やビタミンが多く含まれているので俺は取り除かず食べる。

 

「この白い筋って、アルベドって言うんだと」

 

「ほへ~」

 

 園子も筋を食べるのは同意見らしく、何故かこちらを期待に満ちた目で見つめてくる。

 その方向、琥珀色の瞳に映りこむのは、俺が剥いている蜜柑の薄皮に包まれた実部分だ。

 何を期待しているのか、両手をこたつ布団に突っ込んでいる園子は上目遣いで小さく口を開ける。

 

「あ~」

 

「……しょうがないな」

 

 苦労をしない人間に蜜柑を与える気はない。

 その仕舞い込んだ両手を使えと思いながら、期待の眼差しを向ける園子に蜜柑を与える。

 雛鳥に餌を与える親鳥の気持ちになりつつ、小さな桃色の唇が少しだけ指に触れる感触があった。

 

「甘いね~。くるしゅうない、じゃんじゃん持ってこ~い」

 

「……」

 

 気分は殿様なのか。本当に名家のお嬢様だから困る。

 しかも加賀家にとっては本家にあたる存在だからちょっと反応に困り俺は苦笑いした。

 残りを口の中に放り込み、甘味と酸味の調和を舌の上で楽しみつつ両手をこたつ布団に入れる。

 

「わひゃ……ッ!」

 

「おっ、柔らかい」

 

 蜜柑に触れていたからか少しだけ冷たくなった己の手を布団内部に忍ばせ数秒。

 俺の脚に自分の脚を絡めて遊ぶ園子の太ももに触れ、その柔らかさと少女の体温で温める。

 唐突な冷たさに小さく悲鳴を上げる園子だったが、特に何かの抵抗をすることはなかった。

 

「かっきーの手、冷たいね~。……大丈夫?」

 

「大丈夫って……」

 

「かっきーは今年怪我しすぎだから、心配なんだ~」

 

「……」

 

 寧ろ間延びした声だが、明らかに心配気な表情を向けられることに複雑な気分になる。

 冷え性と言うほどではないが、寒い日は手が時々冷えるので眠れなくなる時があった。

 こたつ布団の中で太ももの太さを測ろうとする俺の手を剥がし、両手を柔らかな手で擦られる。

 

「ん、園子の手は温かいな」

 

「蜜柑のお礼にかっきーの手、温めてあげるんよ~」

 

 手のひらのツボを押すように俺の手が園子に遊ばれるのを感じながら、ふと俺は過去を振り返る。

 天の神を退けた俺はいつもの病院に再入院して数日後、何事もなく退院し、風の受験を静かに見送った。

 同級生になるかもと少しだけ心配していたが、結果、風は望んでいた高校に無事合格した。

 

 その後、『真・国造り』作戦を開始し、半年以上の時間を掛けて2つの霊山を攻略した。

 5つの目標の内、まだ2つの霊山にしか神器を納めることが出来ていないのは勇者の力が低下した為。

 星屑や進化体に対して有効である力、神樹からの少ない力で確実に成功させる必要があった。

 

 連携を密に強め、死なないように最小限の動きで攻略する。

 以前のように精霊の守護はないのだ。それでも少しずつ、着実に道を切り開いた。

 

「――――」

 

 ひとまず峠は乗り越え、作戦通り奪還した土地によって神樹も少しずつ回復してきた。

 大社からの報告を受け、ひとまずこの箱庭がどうにかなる事はなくなったので少し休暇を得た。

 というよりも、大社側の3つ目の霊山攻略に向けた準備の為に、勇者達は休まざるを得なかった。

 

「園ちゃんや」

 

「何~……?」

 

「俺たちは『勇者』でありながら、今年はなんと受験生なんですよ」

 

「そんな季節だね~」

 

 情報開示されたことで世界は一時期大荒れしたが、それでも神樹と時間がソレを沈めた。

 300年という時間、人に寄り添った神の存在は、世界の真実を知った人間たちを、それでも前に進ませたのだ。

 そんな状況下でも、俺たちが世界を救い奮闘する勇者でも、樹と風を除けばみんな受験生なのだ。

 

「俺と園子、友奈、東郷さん、夏凜と結構いるからね」

 

「ゆーゆが一番心配だけど、私とわっしー、かっきーの3人で教えているし、何より成績の向上がすごいんよ」

 

「そうだな……友奈なら大丈夫だろ」

 

 こたつのテーブルに頬をくっつけながら穏やかにのんびりとした口調で園子は告げる。

 ちなみに夏凜については裏でひっそりと努力する完成型なので、彼女に関して問題は特にない。

 園子の言う通り、同期では一番不安に感じるのが友奈だが、持ち前の集中力で成績は上昇中だ。

 

 もしもの時は大社の力で何とかさせようと思っているが、友奈ならば大丈夫だろう。

 そんなことを思いながら、ふと壁に掛けられた時計に目を向けると晩御飯の時間が近い。

 こたつから惜しいと思いながら懸命な意思で立ち上がり、見上げる園子と目を合わせる。

 

「園子」

 

「食べてくよ~」

 

 阿吽の呼吸とでも言うべきか。

 主語以前に名前を呼んだだけだというのに、園子は聞きたいことに答えた。

 随分と長い付き合いになったのかと感慨深いものを感じつつ、ゆったりする園子を置きキッチンへ。

 

「さて、何作るか」

 

 折角園子が家に来たのだ。

 美味しいと思える物を作りたいと思いながら、冷蔵庫の中身を見る。

 うどんが3玉、七味唐辛子、いんげん、温泉卵、赤パプリカと夕飯を作るには少し心もとない。

 

「園ちゃん、ちょっと買い物行ってくる」

 

「あっ、じゃあ私も行くんよ」

 

「いや、近所のスーパーに行くだけだし、外は寒いよ」

 

 どのみち必要な食材はそんなに多くはない。

 豚肉や野菜、ちょっとした調味料くらいで十分だろう。

 それでも食い下がる園子を結局俺は引き連れて、近くのスーパーに歩いていった。

 

「かっきーかっきー!」

 

「なんぞ?」

 

「呼んだだけ~」

 

 木の葉が枝から剥がれ落ち、寒々とした街路樹を見ながら園子と二人で歩いていく。

 ちなみに今日は部活はなく、少女たちは自分たちの家で勉強か静かに過ごしているのだろう。

 そんな静かで穏やかな日も良いものだと思いながら、地面の硬さを足裏に感じていると、

 

「……あれ? 園子じゃない、亮之佑も」

 

「ん~? あっ、にぼっしー!」

 

「にぼにぼ」

 

「誰がにぼにぼよ、鳴き声か!」

 

 即座にツッコむスキルはこの1年で随分と上昇した少女、夏凜がいた。

 肩に背負っているのは恐らくは木刀だろうか、布に包まれたソレから日課の鍛錬帰りと推測する。

 ジャージと動きやすそうな格好の上にコートを羽織っていることも推測の要因の一つなのだが。

 

「夏凜ももしかして夕飯の買い出しに?」

 

「そうよ」

 

 同じ方向なので、3人で通い慣れたスーパーに向かう。

 ピンク色の籠を持ちながら、そっと夏凜の買う物を見ていると驚くことがあった。

 以前風がスーパーで夏凜を見かけた際、スーパーの弁当を買っている所を見たと聞いたが、

 

「なんだかんだで、ちゃんと自炊してるんだ」

 

「まあね。私もそこそこ自炊するようになったんだから」

 

 トレーニングが日課の少女は、遂に食事についても少しずつ改善が見られていた。

 以前はサプリ、煮干し、適当な惣菜があれば問題ないと、完全食云々と食を舐めた発言をしていた。

 どれだけトレーニングしても、キチンとした物を食べないと付くものは無いだろうにと思ってた。

 

「まあ、あんまり変わってないようだが」

 

「……? なによ」

 

「あ、いや……おかまいなく」

 

「ちょっと、気になるんだけど。ねえ、今どこ見て言った?」

 

「おかまいなく、ぼた餅(小)よ」

 

「はあ!?」

 

 腕立て伏せをすれば胸の筋肉も増えるだろう。希望はある。

 そっと夏凜の肉体の一部から目を逸らし、曖昧ないつもの笑みを浮かべる。

 そんな俺の様子をわずかに睨む夏凜だったが、一先ず会話の方向を変えることで対処した。

 

「ところで夏凜は、今日はどこでトレーニングしてたわけ?」

 

「まあ、ゴールドタワーでちょっとね」

 

「ほう」

 

 大束町にある千景殿、ゴールドタワーには防人たちの居住施設及び訓練施設がある。

 大赦から大社として組織改革を進めていく中で、情報は全て統合され、戦力は一つに集った。

 

 あれから『真・国造り』作戦を進めていく中で、芽吹や亜耶といった少女たちに会うこともあり、天の神に対する一番槍、人類の反逆の第一手として共に戦った防人と勇者の交流の機会が増えた。

 

 彼女たち、32人の防人たちを束ねるリーダーである楠芽吹と夏凜は知り合いであったらしい。

 聞くところによると、何でも三ノ輪銀の端末を賭けて競い合ったという仲なのだという。

 そんな防人たちは、『真・国造り』作戦の途中経過で奪還した土地と、この箱庭の防衛を担う。

 

「ちなみに勉強の方はどんな感じ?」

 

「――私を誰だと思っているの?」

 

「にぼ、……完成型勇者、三好夏凜様ですね!」

 

「そうよ!」

 

 自信満々に言う少女を見ながら、勇者に対する境遇を考える。

 防人たちはゴールドタワー内部に設置された教室で神官が教鞭を執っている為、即座に対応できる。

 だが俺たちの場合、大社側が出席関係を御役目として誤魔化しているが、それでも学校に行く必要がある。

 

 今後3つ目、4つ目の霊山を開放していくにあたり、更なる戦力が必要になるかもしれない。

 予想される防衛面に対する戦力数、勇者の数がおよそ40名の状況は今後課題となってくる。

 加えて、確かに今は日常面で他の人たちと同じ生活を送れるが、世界の状況は未だ予断を許さない。

 

 情報面でも勇者の個人情報は大赦時代から変わらず隠匿されているが、いつ漏れるか分からない。

 大社側の人員すら神婚の儀によって多くの神官たちが消滅し、人材が不足しているという状況。

 どこもかしこも相変わらず薄氷の上でワルツを踊るような危険な状況と、以前と変わりない現状だ。

 

「後継『勇者』育成学校みたいなのがあればいいかもな……」

 

 いっそ防衛・攻撃において因子の高い勇者のみを育成する学校があれば安全かもしれない。

 豚肉の値段に眉を顰め、鶏もも肉を籠に入れ、今度大社で提案してみようと脳内でメモしつつも、

 

「ところで夏凜」

 

「ん――?」

 

「今日、家でご飯食べない?」

 

 それはともかく。

 折角なので、夏凜を夕飯に誘った。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 今日の加賀家の夕飯は、鍋焼きうどんだ。

 以前勇者部で鍋パーティーをした事があったのを思い出し、即決で判断した。

 夏凜を誘うと快い返事をしたので、園子と夏凜、両手に花の状態で連れ帰ることに成功した。

 

「鍋って簡単だし、楽でいいな……」

 

 手伝うという申し出をやんわりと断りながら、彼女たちの舌を唸らせるべく調理に専念する。

 一人暮らしゆえに凝り始める今日この頃、一人前の土鍋を人数分、棚から取り出しコンロに置く。

 

 土鍋につゆとうどんを入れて中火にかける。

 煮立つ頃合いで鶏肉、長ねぎ、油揚げ、小松菜、かまぼこを加えて、鶏肉に火が通るまでコトコトと煮込んでいく。最後に中央に温泉卵を入れて蓋、火を止めたら、およそ20分ほどで完成だ。

 

「あれ、キミたち七味は……?」

 

「美味しかったわ」

 

「ご馳走さまです~」

 

「ねえ」

 

 空腹に飢えた勇者たちは言葉少なに食べ終える。

 グツグツと煮立ったうどんをこたつに座りながら食べると汗が止まらなかった。

 密室で汗を掻いた男女、何かが起こる事もなく、夏凜が買ってきたジェラートアイスを食べる。

 

「今年も12月か……」

 

「なんだかんだで早いものね」

 

 抹茶味、煮干味、醤油豆味と各々が選んだアイスを取り、スプーンで掬いながら夏凜が口にする。

 言われてみればと、抹茶味のアイスを掬いながら夏凜の意見に俺と園子は頷き賛同する。

 今年、神世紀301年の始まりは血みどろでベッドの上だったなと思い返しながら舌鼓を打つ。

 

「まあ、なせば大抵なんとかなるのが勇者部だから」

 

「そうだね~」

 

 きっと来年も忙しいだろう。

 というより、今年もまだ一月ほど残っている。

 

「園子、それって美味しいの?」

 

「にぼっしー、食べてみて。この味が癖になるんよ」

 

 園子が醤油豆味のアイスを夏凜に布教しているのを見ながら、何となく己の胸に触れる。

 服の布越しに確かに感じるチェーンと指輪の感触、そこから感じられるわずかな力の感覚。

 

 『彼女』から未だに応答はない。

 それは単純に世界を維持する力が戻っていないからか、別の理由か。

 

「かっきー」

 

「うん?」

 

「はい、あーん」

 

「……ん」

 

 園子のスプーン、醤油豆味のアイスは何とも言えない味わいだ。

 夏凜に目を向け布教の結果を尋ねようと思ったが、無言であったのを何か勘違いしたのだろう。

 わずかに顔を赤らめ、スプーンと俺の顔を見比べた後、煮干味のアイスを掬い差し出してきた。

 

「……ほ、ほらっ」

 

「……あー」

 

 シチュエーション的には美味しい。わざわざ断る理由もないのだから。

 だが、口の中で味覚の大革命が発生するのだけは眉を顰めないようにするのに必死だった。

 無言で抹茶味を布教しようと、溶け出したアイスをスプーンで掬いながら辛うじて返答した。

 

「どっちも美味しいです」

 

「りょ、亮之佑。もう一口、いる?」

 

「……いや。それよりほらっ、夏凜あーん」

 

「ぁ、あー……」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 食器を片付け終わると、もう夜もすっかり更けていた。

 リビングでくつろいでいる二人、夏凜はともかく園子は俺のサンチョを枕に寝ていた。

 こたつ布団に身を包み、テレビの適当なバラエティー番組をBGMに園子は睡魔に襲われている。

 

「園ちゃん。こたつで寝ると身体に悪いから」

 

「むにゃむにゃ……もう食べられないよ~」

 

「なんという典型的な寝言!」

 

 夏凜が思わずツッコむのを聞き流しながら、園子をそっと起こそうと近づく。

 

「もう食べられないんよ~、……かっきーを」

 

「――!?」

 

 やがて時間は経過し、今日は二人とも泊まることなく自宅に帰る事になった。

 夏凜は徒歩で来たので送ろうと思ったが、園子の家の車に乗って一緒に帰るらしい。

 少し寂しく思ったが、既に太陽は沈み、暗い空と化した状況では夏凜と言えど危ないだろう。

 

「ご馳走様、亮之佑」

 

「あいよ、また来いよ」

 

 迎えが来たので、お礼を告げ颯爽と背中で語るように玄関から夏凜は立ち去る。

 門扉の前に停車している乃木家の車に向かうのを見ながら、園子が去り際に振り返る。

 

「そうだ、かっきー」

 

「ん……?」

 

「お正月なんだけどね……、私の家で親戚が集まるんだけど、一緒に来てくれない……?」

 

「ああ、それは大丈夫だ。――それよりも、渡す物があったんだった」

 

 今年は忙しくて忘れていたとは言い訳にはならないだろう。

 よく家に来てくれた信頼できる金色の髪の少女に対して渡すのが遅れてしまった。

 今日1日、チャンスを窺いながらも帰り際になってしまったのが少し申し訳なく感じる。

 

「これからは、コレで家に入ってきてくれ」

 

「――――」

 

 衣服のポケットに忍ばせておいた金色の鍵を取り出し、少女の白い手に握らせる。

 ただの鍵だ。この家の、加賀家別宅の鍵。それを乃木園子になら渡せるという信頼の証。

 手のひらにある小さな鍵と俺の瞳を園子は交互に見つめ、やがてゆっくりと無言で握り締めた。

 

「かっきー」

 

「……」

 

「ありがとう!」

 

 ――その表情に、笑顔に、俺は思わず見惚れてしまった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談「めりーめりーくりすます」

 うどんを食べると身体が喜びの声を上げるのが解る。

 それは年月の長さによるUDON因子が、麺を汁を啜り食べる度に活性化していくからか。

 それとも独りで食べるのではなく、目の前の誰かと共に食事をする事が嬉しいと思うからか。

 

「……美味いね」

 

「うん!」

 

 ズルズルと細くコシが強く歯ごたえのある白い麺が己の舌を通り喉を滑り抜けていく。

 つゆは滑らかなうどんの肌を優しく包む薄絹の風合いで、お互いが自然と融合しているのが分かる。

 しみじみと心に染みる味と彩りは俺の胃袋を満たし、冷めた心を温かくしていくのを感じた。

 

「ねえ、亮ちゃん」

 

「ん……?」

 

 しばらく無言でうどんと二人だけの世界にいると、テーブルを挟み相対する少女から声が掛かる。

 己の名前を呼ばれ、その鈴音のような声が鼓膜に響き、器から顔を上げ無言で少女に目を向ける。

 

 無邪気な笑顔が世界で誰よりも似合う、華が咲いたと言えば脳裏で一番最初に浮かべる少女。

 赤い髪、薄紅色の瞳を長い睫が彩り、白い肌が幼さとあどけなさのある少女の童顔を可憐に飾る。

 友奈との長い付き合いは、彼女の向かいに引っ越してから既に4年目が経過しようとしていた。

 

「で、どうしたんだ? 友奈」

 

 キチンと口の中にある物を飲み込み、ついでに汁を一口飲み俺は口を開いた。

 

「……一昨日の部活は面白かったね!」

 

「ああ、そうだな。勇者部での放送も面白かったな」

 

「だね!」

 

 楽しそうに喋る友奈の姿に自然と頬が緩むのは彼女の人徳の所為か。

 にへらっとした笑みを浮かべる友奈の柔らかな笑みを見ながら、一昨日の出来事を思い出す。

 

 勇者部と、俺が以前から実質掛け持ち状態の放送部とのコラボ企画の放送が行われることになった。

 コツコツと人脈を広げ、部の名前が広がる中で、俺以外の勇者部の少女が出演する機会を得た。

 放送部側から持ち掛けられ、部の宣伝も兼ねるとのことで名誉部長の風のテンションは最高潮だった。

 

 当然、少女たちの中で誰が放送に出るか決める勝負がある日の放課後に行われた。

 内容は学校の敷地を使った『かくれんぼ』と、色々と一悶着あったがそれはまた別の話だ。

 

『勇者部活動報告ーー!!』

 

『えー、木曜日の昼の時間を借りて始まりました、今回は勇者部のみなさんです!』

 

『こ、こんにちはーー! えっと、私たちは……えー』

 

『お姉ちゃん、ここ読んで』

 

『ああ、ありがとね樹……友奈!』

 

『はい!』

 

『ここは任せた!』

 

 結果から言うと、戦いの勝者は友奈、風、樹の3人に決まった。

 一応台本はあり、どんな活動を行っているのか、普段は何をしているのか、そういった内容を語る。

 本番は放送室で収録したのだが、実際は緊張した風を樹と友奈がフォローするという状態だった。

 

 中々新鮮な少女たちの語りではあったが、それが受けたらしい。

 次の日、改めて認知度が上がったのか勇者部への依頼が少し増加したのは先週の話だ。

 

 そうして週が変わり、一昨日また少し慣れた彼女たちの声音を昼ご飯のお供に聞いていた。

 そんな事を思い出し思わず小さく含み笑いをすると、友奈もまた楽しそうに笑みを浮かべた。

 

「みんな良い声だったよ。きっと声優にだってなれるくらいにさ」

 

「んへへ、嬉しいな!」

 

 今日、俺と友奈は二人で『かめや』にうどんを食べに来ていた。

 そろそろ12月も中盤を終え、既に讃州中学校は冬休みに入ろうとしていた。

 いつの時代も長期休暇という物は素晴らしい。そんな感傷に小さく俺は笑みを浮かべる。

 

「友奈の、美味しそうだね。二個頂戴」

 

「じゃあ、亮ちゃんのと交換ね!」

 

「……おーけい」

 

 友奈が頼んだ『肉ぶっかけうどん』と、俺が頼んだ『エビ天ぷらうどん』のトレード。

 このやり取りに懐かしさを感じながら交渉が成立したので天ぷらと牛肉を交換していく。

 箸で彼女の椀に天ぷらを入れ、友奈の箸でうどんのつゆが染み込んだ牛肉が俺の椀に運ばれる。

 

 ユウナエキスが染み込んだ牛肉はホロホロと柔らかく、口に含んだ瞬間に舌の上で溶けていく。

 口の中で満開したような引き締まった極上の風味にコクコクと頷きながら飲み込んでいく。

 

「美味しい」

 

「だね……!」

 

 そんな風に黙々とうどんを食べていると、ふいに見知らぬ人の声が耳に届いた。

 店内の片隅に配置されている小さなテレビ、そこから流れるニュースを目端で捉える。

 

『社会的現象として若者の間で人気となっている映画“うどんが前世”の続編である“そばが来世”が来年緊急放映するという会見がありましたが――』

 

『そうですね、確かに凄まじいタイトルですが、その内容がまた――』

 

「えぇ……」

 

「この映画凄いよねー。次の作品も楽しみだね!」

 

「えっ……、あ、はい」

 

 この世界に転生してもう十数年と生きてきたが、この世界の住人のセンスは不明だ。

 この箱庭の住人の方が考え方としては普通なのだろうが少し疑問に思わない訳ではない。

 ニコニコと少し前に東郷と観に行ったと口にする友奈の顔を見ながら、コクリと曖昧に頷き同意する。

 

『続いてのニュースです。血のクリスマスイヴから1年。被害者の悲しみは未だに――』

 

「……」

 

「ごちそうさま。そろそろ行こっか、亮ちゃん」

 

「……そうだな、ごちそうさま」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 『かめや』を出ると冬の乾いた風に首を竦める。

 空を見上げると未だ雪は降らずとも曇天がどこまでも広がり、静かに俺と友奈を見下ろす。

 すっかり気温は下がったなと思いながら、二人でゆっくりと家までの帰り道を歩いていく。

 

「そろそろ雪が降りそうだな……」

 

「そうだね」

 

 街道に飾られたイルミネーションを見ながら呟くと、静かに友奈は同調する。

 その声色に、道で何かを売っている可愛いお姉さんたちから隣で歩く赤色の少女に目を向ける。

 

「……どうかしたか、友奈」

 

「えっ……?」

 

「なんか元気なくなったから」

 

「……ちょっとだけ、嫌な事思い出しちゃって」

 

「――――」

 

 そう言いながら静かに友奈は笑みを浮かべた。

 それは笑みでありながら、いつもと異なりどこか辛そうで寂しそうで悲しそうだった。

 その表情はどこかで見た覚えがあり、どこだったかと記憶の中を探ると思い出す事があった。

 

 神世紀300年の12月24日。

 つまり去年の冬、世間では『血のクリスマスイヴ』と呼ばれている天の神の襲撃があった日だ。

 神に祟られていた友奈の手を引いて歩き、結界が破壊された直後に見た彼女の悲痛に満ちた顔に似ている。

 

 あれから1年、それなりに色々とあったがそれでも時間は巡る。

 季節は春に夏に秋になり、そして今年も冬はやってきたのだ。

 

「……りょ」

 

「友奈」

 

 唐突に友奈が口を開くのと、俺が唇を震わせ愛おしい彼女の名前を呼ぶのは同時だった。

 歩みを止めずお互いの歩調を合わせたまま、拳一つ分お互いに距離が開いた中で言葉を紡ぐ。

 

「手、つなごうか」

 

「ほぇ……?」

 

 一体何を言っているのかとこちらを見上げる友奈の冷えた手を俺は取る。

 外気に触れたからか少し冷えているが、友奈の手は柔らかく女の子だと思わせるには充分だ。

 この手が多くの人に勇気を与え、多くの敵を退けてきたのだと思うと少し感慨深く感じる。

 

「……亮ちゃんの手、冷たいね」

 

「友奈だって冷たいよ」

 

「……ふふっ」

 

 何が面白いのか、小さく微笑む友奈は俺の手を解くことなく握る手に力を入れる。

 唐突な行為だったが、友奈の態度的に問題はなさそうなので握り締めた手を己のコートのポケットに入れる。

 ポケットの中で指を絡め合っているとお互いの熱に少しずつ手が温まるのを感じた。

 

「……あったかいね」

 

 それは友奈も同じだったらしく、小さく息を吐くように言う。

 ゆっくりと歩調を合わせて二人、俺と友奈は家への道を歩いていく。

 

「……私ね、去年の事、思い出してた」

 

「そっか」

 

「あの時は本当に、亮ちゃんが、死んじゃったって……、そう思って……」

 

「――――」

 

「―――私の目の前で冷たくなっていく亮ちゃんを見て、私ってこんなに無力なんだなって」

 

 声を、身体を震わせて、友奈は自分の想いを吐露する。

 脚を止めて友奈の方をそっと見ると、僅かに顔を上げて薄紅色の瞳を揺らしている。

 いつの間にか少しだけ彼女との身長に差が出来たことに時の流れを感じつつ、それでも口を開く。

 

「だけど、俺は生きてた」

 

「うん……でもね、私不安なんだ。またあの時みたいな事が今後も起きるんじゃないかって……」

 

 いつも明るい友奈とは正反対の表情を浮かべている。

 不安を瞳に宿し、見えない未来という暗闇に怯えるただの少女が隣に立っている。

 珍しいとは思わない。寧ろその心情をこんなにも簡単に吐露してくれることを嬉しく思う。

 

「――――」

 

 こういう時、どんな事を言えばいいか分からなくなる。

 笑うことも出来ず、いつもの紳士調の語りもできず、それでも何とか思いを口にする。

 確かに怪我を負い、血を流し、友奈とは今生の別れと思ってあの時告白したのを覚えている。

 

 あの時の怪我は、胸部分に確かな傷跡として残っている。

 それを知っているからか、友奈の瞳は揺らぎ、コートを通して胸元に向けられていた。

 唇を小さく噛み、かつての記憶に囚われて、友奈は悲しみを瞳に宿し微かに涙を浮かべている。

 

 唐突だとは思わなかった。

 この季節だからだとか、さっきのニュースを耳にしたからだとか。

 

 ただ、未だに天の神の影響は、微かにだが友奈の心の中に残っているのだと理解した。

 だがあの憎き不条理の影を前にして、俺の言葉も態度も彼女に届き伝わるとは思えない。

 だから、

 

「――ぁ」

 

「――――」

 

 その震える小さく華奢な身体を俺は抱きしめた。

 二度とどこにも離さないように、その意志をただ行動で目の前で不安に怯える少女に伝える。

 抵抗はなかった。抱きしめた瞬間、僅かに身体を硬直させたが、やがてゆっくりと弛緩させる。

 

「――言っただろ。俺は友奈の勇者になるって」

 

「……」

 

「たとえ神だろうと、運命だろうとも、俺はもう二度と友奈を離すつもりはないよ」

 

「―――っ」

 

 この想いがせめて友奈に届くように。

 去年のクリスマスが嫌な思い出だというのなら、今年も来年も幸せにして見せると。

 今一度この腕の中にいる友奈という少女を俺は見下ろし、少女もまた俺を見上げ視線が交錯する。

 

「俺は友奈が好きだ」

 

「――――」

 

「この想いは、死してもなお……いや、どんなに傷を負っても、どれだけ死に追われても決して変わらなかった。あれから時間は経ったけど、それでも俺は変わらずに友奈が好きだ。だから大丈夫だよ」

 

「答えになってないよぉ……」

 

「なっているさ。これからも友奈を離さないし、もう二度と不安になんて絶対にさせないよ。だって……」

 

「好きだから……?」

 

「ああ」

 

 背中に手を回し、こちらを見上げる友奈と至近距離で息を忘れて見つめ合う。

 俺の言葉を引き継ぎ、理屈でも何でもない言葉に、ただそこに込めた想いに友奈は呆然とする。

 お互いの額を合わせて、少女の白い頬を伝う涙は月の滴のように煌めき落ちていく。

 

「重いか?」

 

「ううん。私は……、私も、亮ちゃんと離れたくないよ……」

 

「なら、こうして掴まえていてくれよ。こんな風に、ずっとさ」

 

「……うん、うん!」

 

 先程までコートのポケットに入れていた握り合った手を見せる。

 この話の最中も決して離すことはなかった、握り締めた行動の証明だと俺が笑っていると、

 ふと俺の頬に片手を触れる友奈の顔が、視界に広がるように接近するのに対し咄嗟に動けず、

 

「――んっ」

 

「――――」

 

 息すら間に入れない距離、その距離すら縮めて互いの息遣いが絡み合った。

 唇が触れるだけの啄むようなキス、だが膨大な熱と柔らかさに意識が奪われていく。

 思考すら奪われるような、そんな暖かみのあるキスはほんの数秒の出来事だったが、

 

「――――」

 

「え、へへ……」

 

 馬鹿みたいに呆ける自分に、友奈の唇がかすかに微笑を描いた。

 そうして俺の腕の中から抜け出し、だが握った手は離さずゆっくりと歩き出す。

 それは空元気なのかもしれない。本当に不安を払拭出来たのかすら俺には分からない。

 

「帰ろ、亮ちゃん。お家に!」

 

「……ああ」

 

 そんな思いは、振り返る友奈の笑みに吹き飛ぶ。

 桜が咲き誇るような、わずかに頬を赤く染める俺が好きな笑顔に小さく見惚れる。

 だから彼女の言葉に返事をして、手を引かれながら曇天の空模様の下を一緒に歩き出したのだ。

 

 歩き出したのだ。

 

 

 




ちなみに、友奈の言う『お家』が加賀家の方だった事は亮之佑の心を温めたらしい。

メリークリスマス。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談「萎れた薔薇に、親愛という水を」

 大晦日が過ぎ、正月が来た。

 夜が終わり、朝日が巡る。新年が今年もまた訪れることを感謝し、神社へと初詣に出掛ける。

 可憐な少女たちが揃う勇者部の面々と新しい年を迎え、彼女達と1日目から過ごすのは何か感慨深い。

 

「ぐろっきーだったもんね~、かっきーは」

 

「……かっきーが、ぐろっきー……、アハッ、アハッハハハ――!!」

 

「樹ぃ。……ちょっと甘酒の飲み過ぎのようだな。東郷さんの甘酒が胸の発育に良いよって言葉に簡単に踊らされるんじゃない!」

 

「えっ、なんですか亮さん? あっ、やめっ、くすぐらないで――!!」

 

「こらーー!! 妹に手を出すな!! アタシも、混ぜなさいよおぉおッ――!!」

 

「いや、本当にあんた高校生か」

 

 高校生になった“元”勇者部部長と、園子の言葉に爆笑する“現”勇者部部長。

 彼女たちの手には甘酒があり、気づくと何杯も飲んでいた樹は笑い上戸になってしまっている。

 対照的に泣き上戸となり亮之佑に面倒な絡み方を始める風には、夏凜が即座にツッコミを入れる。

 

 本人にとっては笑えない出来事だったが、一応笑い話にできる程度には多少時間が経過した。

 ちょうど去年の今頃は意識すら危うい状況だったなと思い返し、ふと遠い目をしていると、

 

「かっきー、かっきー」

 

「かっきーだよ」

 

「……どう?」

 

 主語を省いて聞いてくる振袖を着てきた園子は、琥珀色の瞳を煌めかせる。

 ここで「……えっ、なんのこと?」と聞くほど察しが悪く何も気づけないような関係ではない。

 改めて見ると、紫色を主体とした振袖は彼女の蜂蜜色の髪と相まって妖艶にも可憐にも見える。

 

「似合うよ、凄く」

 

 もう少し何か言うことは無いのかと思う言葉が口から出るが、今日は奇術師モードはお休みだ。

 とはいえ、彼女の瞳を見つめて告げた言葉に込められた気持ちは伝わったらしく、唐突にはにかむようなほにゃりとした笑顔を見せる園子の姿に亮之佑も思わず頬を緩め――

 

「亮ちゃん、亮ちゃん!」

 

「亮ちゃんだよ」

 

 服の肘辺りを引っ張るように鈴音の声音が聞こえ、その方向に目を向ける。

 聞きなれた声の持ち主にして短めの赤い髪の少女もまた、彩りある可憐な振袖を身に着けている。

 ――と言うよりも、亮之佑と夏凜以外の少女たちは、自身に似合う振袖を着て初詣に来ていたのだ。

 

「友奈のも似合うよ、可愛らしい」

 

「えへへ、ありがとう!」

 

 にへらっとした笑みを浮かべる少女の姿を眼球に焼き付ける。

 1年の初めからこうして笑顔になれるというのは中々に良いことではないかと亮之佑は思う。

 そんな事を思うと、背中をトントンとリズム良く、わずかに遠慮がちな指の感触に振り返った。

 

 個人的に一番和服が似合うと思う可憐で聡明な少女、長い睫に縁取られた深緑の色が少年を映し出す。

 その美貌に何度となく息を呑むような、写真に撮って額縁に収めたくなる姿の少女が口を開く。

 

「亮くん、亮くん」

 

「……亮くんです」

 

 無限ループ。

 そんな言葉が出掛かるのを亮之佑は何とか呑み込み、コクコクと小さく頷いた。

 こんな感じで今年の1日目、勇者部は仲良く平和に過ごし、新年を迎えたのであった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 あれから3日が経過した。

 こたつで餅を食べたり、加賀と乃木の親戚で集まり近況を話し合ったりした。

 讃州中学校の休み明けはまだ先で部活もなく、家で怠惰に過ごし食っては寝る生活を送る。

 

「――ケホッ」

 

 ――はずだった。

 ゴロゴロとソファの上で読書をして、掃除をして、手品の練習をして凝った料理を作ったりと、そんな風に一人で過ごすつもりだったのだが、どうしてこうなったのか。

 

「ケホッ――、ケホッ――」

 

「……」

 

 そっと咳が止まるまで背中をゆっくりと擦る。

 細くわずかに温かすぎると感じる人肌、服の上から背中を手で擦ると掠れた声が聞こえた。

 微かに涙声が混じり、庇護欲を誘うような、そんな声音が浸透するように鼓膜に届く。

 

「う~、がっぎー……」

 

「無理して喋るなよ、喉痛むんだろ」

 

「ん~、ちょっと……ケホッ、ごめんね」

 

 加賀家別宅、その二階に位置する自室。

 その寝台に身体を横たえる少女、やや赤く染まった顔、その額からタオルを取り桶に置く。

 風呂場にあった木製の桶に注がれた水、そこに白い清潔なタオルを浸して水を染み込ませ絞る。

 

「いいから、あんまり喋るな。そして気にするなよ、俺と園子の仲じゃないか」

 

「――ぅん」

 

 そうして俺の寝台に横たわり、小さな頭を枕に預ける蜂蜜色の長い髪をした少女、乃木園子。

 いつものマイペースで穏やかな様子は鳴りを潜め、病弱なお嬢様という肩書きを枕元に置いている。

 その姿は萎れた花のようで、以前友奈の看病をしていた時の事を思い出し小さく笑みを浮かべる。

 

 さて、どうしてこんな事になったのか。

 話は数時間ほど前になる。

 

 親戚同士での集まりに参加する事になり、新年の2日目に乃木家の本家に俺は行くことになった。

 色々と家柄故か、彼女の家に行くことも多いのだが、大体は顔を見せに行き食事する程度だ。

 そんな風に新年の挨拶をして彼女の家に一泊し、その次の日3日に俺は別宅へと帰宅したのだ。

 

 ――園子を連れて。

 特に断る理由もなく、讃州中学校に通うために最近は一人暮らしの園子も俺に付いてきたのだ。

 一つ屋根の下、年頃の男女が二人きりでお泊りという状況に園子は年甲斐もなくはしゃいだ。

 

「……、ん~んっ」

 

「……」

 

 彼女は決して病弱なお嬢様ではない。絵面的には似合うが。

 確かに2年程寝たきりに近い生活を送ったが、減少した体力も今では元に戻っている。

 そんな彼女が翌日体調を崩したのは、羽目を外して夜更けまで遊び過ぎた所為かもしれない。

 

 ともあれ、原因が何であれ彼女の様子から風邪だと推測した。

 この状態で無情に一人暮らしの家に帰すわけにもいかず、こうして看病中という訳だ。

 

「かっきー、私ね……、あの木の葉っぱが落ちたら死んじゃうかもしれない……」

 

「――いや、そっち壁だし。こんな事で死なないから」

 

 回想を終わらせた俺に告げる園子、震える指で示した方向は自室の壁が広がっている。

 仮にその先を見ているとしても、木どころか時期的に草も生えてはいなかったはずだと思い直す。

 妄言か寝言か戯言か、そんな事を告げるご令嬢の額にタオルを載せると、小さく目を細める。

 

「ほら、大人しく3秒で寝なさい。じゃないと、お手伝いさんか救急車呼ぶぞ」

 

「う~」

 

 こちらの要求にもはや人語でもなく、喉を鳴らし唸り声を上げる金髪の美少女。

 口元まで布団を持ち上げ、熱で潤んだ少女の琥珀色の瞳は、ただただ無情に見下ろす俺を映し出す。

 そんな園子の枕元に本人から貰ったサンチョを配置すると、ふと唐突に思い出す事があった。

 

 あれはいつ頃だったか。

 当時流行していたインフルエンザの猛威に対し、勇者部は一人を除き全滅した。

 俺自身も一人暮らし故に予防はしていたのだが、それでも発症した事を悟った時は絶望した。

 そうしてこのまま死ぬのだと思い意識が黒く染まり、そして次に意識を戻すと東郷の家で寝ていた。

 

 その時、園子も隣の布団でぐっすりと寝ており、赤らんだ横顔が印象的だったのを覚えている。

 更にその隣には東郷もおり、インフルエンザという最悪なお揃いの状態で数日過ごす事になった。

 ちなみに、学級閉鎖を一時起こす程の猛威の中で、勇者部の中で唯一元気だったのが友奈だった。

 

 脳裏で「今日も1日頑張ろー!!」と言う明るい赤色をした少女の声音が過る。

 そんな風にぼんやりと空想に浸る中でふと我に返り、園子の顔を見下ろし気づく。

 

「……、すぅ……」

 

「――――」

 

 静かに彼女の頭を撫でていると、やがて本当に眠ったようだ。

 小さく寝息を立て、わずかに布団が上下する姿を数秒見て小さく安堵のため息を吐く。

 別に看病が嫌なわけではない。原因は何であれ、こうして甘えられるのはとても嬉しく感じる。

 

「…………」

 

 何となく、園子の頭を静かに撫でる。

 その無防備な寝顔を見て、湧き上がる感傷に小さく頬を緩めた。

 こうして弱った姿を見せてくれる事が何故か、酷く、薄暗い快感をもたらし、笑みがこぼれそうだった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 それから少し時間が経過した。

 昼も随分前に過ぎ、病人への食べ物としてうどんとお粥で少し悩んだが、結局お粥にした。

 園子も間違いなくUDON因子の保有者であると思うが、確実に消化の良い方を選んだ結果である。

 

 大晦日に磨き上げたキッチンでお粥を作り終え、そそくさと階段を上がり自室に運ぶ。

 なるべく静かに運んだつもりだが、自室のドアを開けた瞬間、少女の琥珀色の瞳と交錯した。

 その瞬間、彼女の瞳に様々な感情の渦が見えたが、瞬きをすると同時に柔和な笑みで迎えられた。

 

「……おかえり。どこに行っちゃったのかな~って思っていたところだったんよ」

 

「ただいま。お粥作ってきたよ。食欲はあるか?」

 

「うん、美味しそうだね~。……ねぇかっきー」

 

「どうした?」

 

「かっきーが食べさせてくれると嬉しいな~って」

 

 上目遣いで微かに眉を下げながら、普段よりも甘えん坊な少女はそう言った。

 案外言いたいことはスパッと言う素直なお嬢様だが、こうも直球で言われるとグラッとくる。

 

「……しょうがないなぁ」

 

「ありがとう~、……ケホッ」

 

「……大丈夫か」

 

「うん」

 

 既にグラグラどころか陥落していたと思い直し、お盆を膝に寝台に腰掛け距離を縮める。

 病気で寝込み心身共に弱る病人に対して特別に優しくするのは、俺としては当たり前のことだ。

 実際に病気で独りで寝込むと、孤独に怯え不安に体力を削り、うなされ続けて本当に苦しいのだ。

 

 レンゲで純白に輝きを放つ薄塩で味付けし梅干しを入れただけのお粥を掬い、口元に運ぶ。

 こぼして熱い思いをしないように手を添えながら、何か期待の眼差しを向ける少女に口を開く。

 一瞬何を期待しているのかと思ったが、それでもすぐに察したことは褒めて欲しいところだ。

 

「はい、お嬢様。あーん」

 

「……あ~んッ」

 

 苦笑しながらも希望を叶え、満足したらしい少女はお粥を口に含む。

 モキュモキュと口を動かし上品に食べる園子の桃色の艶やかな唇を静かに小型照明が照らす。

 

「――!」

 

 食べさせる側の技量が不足していたのか、彼女の口端に一粒の米粒が付いていることに気づいた。

 なんとなく即座に指先で掬い取るようにその米粒を取ると、ジッと園子の瞳がこちらに向いた。

 

「ん~……?」

 

「……」

 

 彼女の琥珀色の瞳が告げていることは一つだ。

 その指に付着した米粒を、この後どうするつもりなのかと。

 

 ここで俺が取る選択肢は3択ほどあるだろう。①は何事もないように何かで拭きとることだ。

 ②は彼女の目の前でご飯粒を食べるということだ。だがこの2つは紳士的には不正解になる。

 正解は――、

 

「ん――」

 

「……ぉ」

 

 プクリとした艶やかな桃色の唇に指先が触れると、柔らかさと小さな吐息にわずかに驚く。

 それでも肉厚な唇の抵抗を擦り抜けて、人の歯の感触と生暖かい舌へと米粒を到達させる。

 その唐突な行為に対して少し瞳を大きくする園子だが、一切の抵抗はなく即座に舌で舐めとる。

 

「はむ――、んちゅ――」

 

「――――」

 

 人差し指が僅かにざらついた舌と熱い吐息に溶かされていくような感覚。

 爪の間が、指の腹が、皺が、柔らかい舌と唇と歯の全てに優しく丹念に蹂躙されていく。

 小首を軽く傾げ、どこか愉しそうな琥珀色の双眸と指先の感触に神経がゾクリとする。

 

 目の前の聡明で礼節のある少女が、普段決してしない行為。

 背徳行為とも呼べる何かに対して、突発的な悪戯をわずかに後悔する脳すら溶かされる。

 

 指の神経を通り抜け、脊髄と脳裏に過る快感とも呼べぬ何か。

 心地良いお湯に浸かるような何とも言えないその感触に少しずつ鼓動が高まるのを感じる。

 その鼓動に抗うように園子の顔との距離が縮まる中、無言で己の指を彼女の唇から引き抜く。

 

「……」

 

「……」

 

 唾液が付いた指先は外気に晒されると同時に冷たく感じる。

 そうして桃色の唇から離れた瞬間、先程の行為を証明するようにつぅ……と透明な糸が尾を引いた。

 不思議とお互いが無言で何か喋ろうかと思考を練る中で、恥ずかし気に園子が先に口を開いた。

 

「かっきー、残りも食べさせて……ね?」

 

「……」

 

 妖艶な笑みが瞳に焼き付き、俺はただ無言で頷かざるを得なかった。

 

 

 

 ---

 

 

 

 正月のこの時期は、少し飽きが来る頃と言って良いだろう。

 テレビではニュースも何もやってはおらず、特番ばかりが連日放送されている。

 特に見る気も湧かず、園子を一人にする気も無く、買い溜めした本を手に自室に二人で籠る。

 

「……、すぅ……」

 

 途中で園子の様子を見ては本を読むことを静かに行う。

 マイペースな少女の面影は薄く、ただ規則的な呼吸音と共に布団を浮かせ沈める。

 

 先日地元の本屋で気に入り購入した本のページを捲り、一段落した所でふと思い出すことがあった。

 背中を預けていた寝台に振り返り、少女の首筋に手を当てると寝汗を少し掻いているのが分かった。

 

 彼女が着てきた服はパジャマとしては適しておらず、クローゼットに仕舞っている。

 園子は現在、俺が貸している青色のシャツとズボンという状態だが、シャツが僅かに汗で滲んでいた。

 

 先ほどよりも体温は下がってきているが、それでも微熱であるのは変わらない。

 風邪の時の対処として、水分を多く摂り、汗を掻くことで体温を下げるのは前世とも共通している。

 どの道悪化させるわけにはいかないという思いで、軽く華奢な金色の少女の身体を揺すり起こす。

 

「園子」

 

「……う~ん、どうしたの……? もしかして、夕ご飯の――」

 

「――服、脱がされるのと自分で脱ぐの……どっちがいい?」

 

「………………う~ん?」

 

 ぼんやりとした顔で瞳に疑問を浮かべる少女に告げる少年。

 ただ、過程を省き過ぎて危ない人の発言になったことに即座に気づき、修正しようと口を動かす。

 アワワ……と狼狽える俺の様子を見る園子は聡明な少女なので何かを察したのか、頬を朱に染める。

 

「かっきー」

 

「はい」

 

「その……、自分で脱ぐからあっち向いてて」

 

「了解です」

 

 園子の言葉が最後まで耳に届く前に、可能な限りの速さで彼女に背中を見せる。

 やがて、シュルッと衣服の擦れる音と掠れた吐息が自室に響く中で、俺は呼吸すら殺して壁を見る。

 心臓が早鐘のように鳴り響く中、どれだけの時間が経過したのか不明な中で小さな声が聞こえた。

 

「……いいよ」

 

「――――」

 

 いつもの間延びした声音は一切なく。

 照れ臭さとわずかに緊張を残したような、鈴音の見知った声に振り向く。

 

「……」

 

「……」

 

 寝台に座り、白い背中を園子は晒している。

 先程まで着ていたパジャマ代わりのシャツは腰付近に落ちているのを目端で確認する。

 だが、そんな物に目を向けずに新しく用意していたタオルを持ち、寝台に腰掛け近づく。

 

「――――」

 

 上半身、何も着ておらず、背中を梳かれた黄金色の長い髪が簾のように掛かる。

 その細い腕は身体を抱くように前に回し、抱いたサンチョが彼女の成長中の双丘を潰し隠す。

 正しく俺の言葉の意味を読み取った彼女だが、それでも恥ずかしいのか見える顔は耳まで赤い。

 

「かっきー」

 

「……あ、ああ」

 

 数秒ほど凝視していた俺だが、名前を呼ばれて行うべきことを思い出す。

 一つ屋根の下、他に誰もいない状況で、顔を赤くし息の荒い可憐な少女に近づく黒髪の少年。

 

 絵面はともかく実際は病気の悪化阻止なので、きめ細かい肌に浮かぶ汗を拭かねばならない。

 そうして紳士の皮を纏いながら無言で近づき、その度にビクリとする少女に告げる。

 

「髪が背中に掛かっているから……」

 

 療養中である為、彼女の長く綺麗な髪を結ぶ白色のリボンは外されている。

 その所為で彼女の蜂蜜色の髪が白い肌に掛かっている事を指摘すると少女も気づく。

 

「――あ、えっとえっとえっと………こ、こう?」

 

「―――。うん、じゃあ……」

 

 羞恥か熱か、理由の分からない赤面と同時に口数が減った園子は慌てて片手で髪を上げる。

 やや平静さを欠いた動きで何か見えた気がしたが無言を保ち、濡れタオルを背中で拭き始める。

 

「つみゃっ――ッ!!」

 

「はは――、あ」

 

「……」

 

 恐らく「冷たいんよ~!」辺りの事を言おうとしたのだろうか。

 温めだが唐突なタオルの感覚に思わず園子の背中が仰け反り、俺は思わず苦笑する。

 慌てて口を閉じるが、こちらを振り向く園子は、それはもう凍えるような笑みを浮かべていた。

 

「……かっきー?」

 

「いや、待ってくれ。かっきーさんとしては普通に拭いたつもりでして。はい。だから、その……悪戯目的ではなかったのよ!!」

 

「……、口調がおかしいよ~」

 

 それから少しだけ眦を吊り上げた園子に軽く怒られて、ひとまず反省する。

 とはいえ偶然か、先程までの空気はわずかに緩和し、園子も弛緩した口調に戻る。

 やや顔が赤いままだが、恐らく怒り故なのだろうと思い、タオル片手に真面目に取り掛かることにした。

 

「……」

 

「――んっ」

 

「……」

 

「気持ちいいよ」

 

「……、そりゃ良かった」

 

 園子の背中、きめ細かな染み一つない柔和な肌を、傷をつけないように優しく汗を拭きとる。

 近づき背中を拭いていると、何も付けていないはずなのに少女の甘い匂いが鼻腔を擽る。

 ただ黙々と行う度にくすぐったそうに小さく吐息する園子に反応せず、背中に手を当てる。

 

「ん~? かっきー」

 

「どうした?」

 

「あれれ~、……前は拭かないの~?」

 

「えッ」

 

 その仕草を終わった合図と思い、唐突に園子は口を開いた。

 意趣返しか、驚く俺の様子が見たいのか、こちらを振り向かずに園子はそんな事を言う。

 だがその手には乗らないと、表面上は(必死に)平静を保ちながら、唇を舌で舐める。

 

 少女の鼓動を感じる。

 園子の心臓の鼓動を手のひらから感じながら、静かに反撃の言葉を口にする。

 

「……拭いてやろうか?」

 

「―――っ」

 

 瞬間、手のひらに感じる少女の心臓の鼓動が確かに大きく跳ね上がるのを感じた。

 そして顔は見せずとも園子の形の良い耳が、先程よりもはっきりと赤くなるのが見えた。

 それから数秒ほど部屋に沈黙が広がる中で、何かの葛藤があったのかポツリと園子は告げた。

 

「……冗談だよ」

 

「――そっか。じゃあタオルと、これ。新しいシャツな」

 

「うん」

 

 タオルを受け取り身体の前方を拭いた園子は、黙々と新しく用意した紺色のシャツを着る。

 それからモゾモゾと布団に身体を横たえ、両腕でサンチョを抱き、顔を押し付けて小さく唸る。

 何となくそんな姿に悪戯をしたくなってくるが、相手は病人なので自重して後片付けをする。

 

「かっきー」

 

「どうした?」

 

 その後、夕飯を食べ、片付け諸々を終え、ゆっくりしようと思い自室に戻ってきた時だった。

 こちらを見る園子は先程よりも熱が引いたのか、顔の赤みも随分と薄れ平時に戻っていた。

 そんな彼女はポンポンと小さな手で己が寝ている寝台を叩き、こちらに来るように告げる。

 

「かっきー」

 

「……一緒に寝たいの?」

 

「うん」

 

 何となく察し先に口にすると、園子はコクリと頷く。

 こちらとしては忌避感もなく、この様子ならば明日には風邪も完治するだろうと思い頷く。

 そして床で寝ることを検討する中で、俺の反応を見て明るい顔をした園子は僅かに横にずれる。

 

「……そこに寝ろと」

 

「もしかしてダメ……だった?」

 

「まさか。電気消すよ」

 

「あいあいさ~」

 

 自室の寝台は微かに音を立て二人分の身体が沈むが、問題なく機能を十全に果たす。

 至近距離で園子の穏やかな表情を見ると寝られるかと思ったが、いつの間にか疲れていたらしい。

 久方ぶりに訪れる睡魔に意識が囚われるのを感じつつ、こちらをジッと見る園子に優しく微笑む。

 

「もし俺が風邪ひいたらどうしよっか」

 

「その時は私が看病してあげるんよ」

 

「それは……楽しみだな」

 

「うん! 頑張るよ~」

 

 布団の中で彼女の手が俺の手と絡み合うのを感じる。

 園子の方が俺よりも体温が高いのか、彼女の熱に溶けるような感覚に包まれる。

 

「おやすみ、かっきー」

 

「――――」

 

「――今日は、ありがとね」

 

 園子の体温と寝台の柔らかさに誘われ、暗闇に瞼を下ろす中で返事すらできたか曖昧になる。

 そんな親愛に感じる少女の声音に導かれるように、およそ数秒ほどで俺は眠りに落ちたのだった。

 

 

 




---
あけましておめでとう。
リクエスト要素
・園子の看病詰め合わせ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談「俺が貴方で、貴方は誰?」

 ふと悪夢を見たらしく、嫌な気分の中で瞼を開ける。

 どうやらうつ伏せに寝ていた所為か、胸が圧迫されている感覚に眉を顰めた。

 

「――――」

 

 心地良さの中で、体内時計が午後の時間を告げている。

 一瞬だけ開いた瞼を閉じ、意識を再び優しい眠気に渡そうとする瞬間に、

 

「――?」

 

 眠りながらも瞼の裏に映った物、直前に見た光景に違和感を抱く。

 念のため寝台の上でそのまま目を閉じたまま前後の記憶を探るが、何も思い出せない。

 記憶がないという訳ではない。己の状態、自らが加賀亮之佑であるという自己は確立済みだ。

 

「――ふあ」

 

 何となく柔らかい欠伸を漏らし、淡々と身体の状態を確かめる。

 両手両脚を動かし異常がないことを確認、身体の気怠さは少なく意識は冴え始めている。

 では目覚めてから感じる違和感は一体何かと考えて、最後に俺は瞼を開け現状把握に努める。

 

「――――」

 

 目の前に映る薄青のカーテンと、自らが横たわる白い枕とシーツ。

 鼻腔を擽る香りに混じるアルコールの匂いは消毒を主とする用途なのだろうか。

 なんとなく勇者となってからよく運び込まれる病室と似ているが、雰囲気はもっと柔らかい。

 耳に集中すると、部屋の主の趣味かゆったりとしたリズムの音楽が流れているのに気づく。

  

 何度か訪れたことのある場所だ。

 真面目で勤勉な人間、ある程度健康な学生ならば訪れる機会は少ない場所。

 周囲を薄いカーテンで覆われながら、遠くから聞こえる多くの学生の声という判断材料を加味し結論を下す。

 

「……保健室、か」

 

 声に出して驚愕する。

 その声は掠れていながらも分かる程度に、明らかに自らの声ではなかった。

 そんな少し焦る自分の心を沈めたのは、自分が何者かの理解とアイデンティティだった。

 

「風邪……、いや」

 

 声帯模写や変装はある機会に身に着けた自慢出来る特技だ。

 だから、つい無意識に快活な少女の声音を出してしまったのだと無理やりに納得する。

 脳裏に過り始める嫌な予感を無視しもう一度、今度は意識して“自分”の声を発声する。

 

「……おれ、オレ、俺は、加賀亮之佑だ……!」

 

 その声は明らかに少女の声音だ。

 可憐さと幼さが残る陽だまりのような桜色の声。

 

「……ぁ?」

 

 何となく頬に触れようとして、自らの手のひらを注視する。

 手のひらと手の甲を呆然と見ながら上体を起こしてみると、違和感は確信に変わる。

 

「………」

 

 最初は変装したまま眠ってしまったのだと思った。

 だが、頬に触れた手の感触と視界の端に映り込む短めの鮮紅色の髪という現実が幻想を砕く。

 見下ろした讃州中学校の“女子”の制服と布団を捲って分かる短めのスカートに鼓動が高鳴る。

 

「――は、――あ……」

 

 冷たい汗を掻きながらパニックだけは抑える。

 己の小さな手で華奢な身体を抱くと分かる少女の柔らかさに、自己を見失いかける。

 掻きむしるように薄くはない少女の胸元に触れ、あるはずの指輪を探そうとするが、

 

「ない」

 

 口にした途端、足元がぐらつくのを感じる。

 寝台に腰を掛けるのすら疎ましく、倦怠感に包まれながら再び寝台に横たわる。

 

 股に触れて息子が無くなった絶望の中、胸に触れて柔らかさしかない事に気づく。

 乱れた衣服、曝け出した下着を直す気にすらならず、自らは男だと呆然としながら寝転がる。

 己を囲うカーテンの外、その世界に出ることも検討はしたがその気力すら削がれてしまった。

 

「……、どうしよ……」

 

 このまま引き篭もろうか。

 毛布を頭まで被り、考えることを止めようと思い始めた頃に救いは来た。

 ガラガラという引き戸を開ける音と共に入り込む靴音、上履きと思わしき足音を立ててこちらに近づく。

 

「――友奈ちゃん」

 

「……と、東郷しゃん?」

 

「……しゃん?」

 

 女神のような声音が、方向的に己を気遣っているのだと分かった。

 内と外が噛み合わないというホラーな状態の中で訪れた、赤い髪の少女と黒髪の少年の親友。

 

「東郷神! こっち来て!」

 

「えっ、かみ……?」

 

「はやく!!」

 

「う、うん……」

 

 戸惑う声を無視して懸命に呼ぶ。

 その祈りが通じたのか、シャッという音と共にカーテンが開き少女が姿を見せる。

 奥の照明器具が艶のある長い黒髪をリボンで纏めた少女を後光の如く照らし出す。

 

「友奈ちゃん? どうしたの、そんな布団に包まって……寒いの? もしかして風邪?」

 

「未だに自己の定義が揺らいでいる故の悪寒かな……」

 

「……風邪のようね」

 

「――いいから、こっち来て東郷さん」

 

 小さな白い手で寝台の上をポンポンと叩くと、わずかに頬を赤らめた東郷が腰を掛ける。

 背筋を伸ばした姿は美しく、布団に身を包めながら人肌を求めて凛とした少女の隣に座る。

 室内のどこかにある時計の針音が聞こえる中で、小さく息を吸い、口を開く。

 

「東郷さん。単刀直入に聞くけど……、俺って友奈だよね」

 

「……え、ええ、そうよ、友奈ちゃん。……俺? さっきからちょっと変よ?」

 

「――加賀亮之佑って知ってる?」

 

「知ってるも何も……、亮くんなら隣で寝てるわよ?」

 

 心配そうな顔をして、冷たく柔らかい手のひらを俺の――友奈の額に触れさせる。

 難しい顔で熱を測っている東郷は、「熱は……ないようね」と独り言を呟きながら此方を見る。

 その反応を見ながら、己の知っている少女の姿に思わず身体を傾け、全体重を東郷に預けた。

 

「東郷さぁん……」

 

「うん」

 

 両腕で腰に抱き着く俺を拒否せず、文句も言わず、優しく頭を東郷は撫でる。

 その行為に安堵を抱き、落ち着きを見せる精神の中でわずかな逡巡と共に唇を震わせる。

 

「実は……俺……」

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

「友奈と亮之佑が入れ替わったぁ!?」

 

「そうらしいんです」

 

 勇者部部室。

 その後、目覚めた友奈――俺の身体を客観的に見るという経験はいい気分ではなかった。

 男物の制服を着た姿、長くはない黒髪、血紅色の瞳は見る者の記憶に焼き付くようで、そんな風貌の少年を園子が優しく抱いているのは、何か心の奥で湧き上がる感情があった。

 

「ゆーゆ、大丈夫?」

 

「……うん、大丈夫だよ園ちゃん」

 

 そう柔和ながら快活な笑みを浮かべる少年。

 楽観的にこの状況を楽しんでいるようにも見える少年は、中身は友奈であった。

 

「それで、なんでこんな事になってるの?」

 

「いま大赦の方に連絡したけど……、調査中だって」

 

「なるほど……」

 

 端末片手に俺を見下ろす夏凜に頷き返す。

 東郷に全てを話すと半信半疑ではあったが、その後目覚めた友奈の反応を見て理解したらしい。

 直後に勇者部員を招集、既に授業は終わり放課後になった為にこうして知恵を出し合っている。

 

「……ん?」

 

「あんたが亮之佑なのよね……?」

 

「えっと……」

 

 それでも、やはり信じ難いだろう。

 夏凜の双眸はわずかな疑問を宿しながら、ジロジロと動物を見るようにこちらを見下ろす。

 何と答えるべきか、東郷の豊満な身体に先程から抱かれながら数秒程考えて顎に手を這わす。

 

「酷いよ、夏凜ちゃん……」

 

「え?」

 

「こんな可愛らしい私の事が信じられないの? 煮干しの食べ過ぎで頭沸いちゃったの? そんなんだから東郷さんのように大きなぼた餅になれないんだよ、夏凜ちゃん!」

 

「なあっ――!? あ、あんたね……」 

 

「うわぁああん! 小ぼた餅が怖いよぉ、煮干しにされちゃうよぉ、東郷しゃぁああんッ――!!」

 

「よしよし、大丈夫よ亮くん。――あと、夏凜ちゃんには後で少しお話が」

 

「いやいや横暴よ!!」

 

「やだな冗談だよ、本気にしないで。私、夏凜ちゃんの事、大好きだから!」

 

「なっ……!!」

 

 唐突にギアを切り替えて今度は友奈らしく快活そうな笑顔を見せる。

 そんな東郷に慰められる俺に狼狽える夏凜の姿に、周囲は何故か納得の様子だった。

 若干慣れつつある中で、元の身体の持ち主よりもあざとさを増しているのは気分だ。

 

「……ま、まあ、確かに友奈なら言わないわね」

 

「そんな事ないよ! 私も夏凜ちゃんの事だーいすき!!」

 

「――!!」

 

「……どんな状態でも、かっきーはかっきーだよ~」

 

 便乗する気か、恐らくは天然が入っている黒髪の少年が口を開く。

 そんな風に夏凜を赤面させる友奈――俺の身体を抱く園子の言葉に小さく笑みを浮かべる。

 そして此方をジッと見つめる、鏡越しでしか見たことがなかった血紅色の瞳から目を逸らしていると、

 

「――っていうかあんた、今日はやけに東郷に触れているわね」

 

「そう? 私っていつもこんな感じじゃない? ねえ、東郷さん?」

 

「そうよ友――亮くん」

 

「完全に口調を変えられると、ほとんど違和感ないわね」

 

「亮くんは可愛い演技派だから……」

 

「可愛い……?」

 

 何故か今日は随分と東郷は俺を甘やかす。それは見た目が友奈だからだろうか。

 椅子に座る東郷の膝に借りた猫のように座り、背中に触れる柔らかさを感じながら夏凜と話す。

 その状態で何気なく園子の方に目を向けると、友奈は俺の身体で、園子を膝の上に乗せていた。

 

「重くない、ゆーゆ?」

 

「全然! すっごく軽いよ! ……そうだ、ぎゅーってしてあげるね!」

 

「えっ、待ってゆーゆ。それは……、ふわぁ~……!」

 

「……もしかして嫌だった?」

 

「ううん、かっ……じゃなくてゆーゆだったね……。うん、もっと力入れて良いよ~」

 

「ぎゅー!」

 

「ん~」

 

 絵面はともかく、中身だけだったら百合の花が咲いているだろう。

 楽しそうに自分と園子がイチャイチャしている姿を客観的に見ているのは微妙な気分になる。

 やはり自分を客観的に見つめるのが不思議と良い気分ではないのは、精神的な部分からだろう。

 

 それはともかくと頭を振り、周囲を見渡す。

 現在、この部室には夏凜、園子、俺、友奈、東郷が集まっている。

 樹と風は少し用事があるらしく、遅れて来ると連絡があった。

 

「――それで、そもそもの原因とかは分からないわけ?」

 

「うーん? そもそも確か……」

 

 腕を組んだ夏凜が壁に背中を預けて聞いている。

 原因は判らず黙り込む俺に代わり、友奈に可愛がられている園子が当時の状況を語る。

 彼女曰く、俺と友奈が意識を失ったのは一時間前、放課後になってからだったという。

 

「その時ちょうど曲がり角で運悪くゆーゆとかっきーがぶつかって……」

 

「その衝撃で入れ替わった……?」

 

「多分……」

 

「なるほど……」

 

「こういう展開で定番なのは~、もう一度同じことを繰り返してみることかな……あっ、ゆーゆもう良いから……」

 

「ううん、せっかくだから園ちゃんの身体、マッサージしてあげるね!」

 

「――――」

 

 外野を無視して、改めて自らの風貌を見下ろしてみる。

 見慣れた讃州中学校の制服、袖から覗く白くほっそりとした腕は間違いなく己の物ではない。

 短めのスカートと黒いハイニーソ、鏡で確認した瞳の色や顔の造形は紛れもない少女の物だ。

 

 自らを抱くように腕を組むと胸部が腕に触れ、小さく頬を緩める。

 ラッキースケベというか、触れているのが自らの身体なので興奮が少ないのが残念な限りだ。

 頬を緩めた俺に視線を向ける東郷と夏凜に肩を竦めながら、何てことないように口を開く。

 

「まあ、大丈夫だろ」

 

「いやあんた……そんな適当な」

 

「なんとかなるって」

 

 心配し慌てる人を見ると自然と落ち着ける。

 落ち着けるからこそ血が巡り、冷静な頭脳が役割を果たすべく稼働する。

 何となく脚を組み、はしたないと東郷に怒られながらも一つの結論には至っていた。

 

 素晴らしい椅子から立ち上がり夏凜の前に立つ。

 ジッと見つめ、にへらっとした笑みを向けると、夏凜はわずかに頬を染めて顔を背ける。

 

「……なによ、亮之佑」

 

「ありがとう、夏凜」

 

「えっ、ちょっと……」

 

「――それにしても、夏凜ちゃんは良い匂いだね!」

 

「や、やめ……、友奈の真似するなぁ!!」

 

「夏凜ちゃんは優しくて可愛いね!」

 

 何だかんだで精神的な安定が生まれ余裕も出来た。

 感謝の意を表し、友奈の身体のまま親し気な笑みを浮かべて夏凜に抱き着く。

 亮之佑の肉体ならば怒られていただろうが、友奈の身体故に抵抗は薄くされるがままだ。

 

「ところで……風先輩と樹は?」

 

 夏凜とのじゃれ合いを止め東郷へと振り返る。

 薄っすらと笑みを浮かべ続けていた東郷だったが、俺の質問に小首を傾げる。

 わずかに逡巡した様子で思い出したように口を開くと、廊下を走り此方に寄る音が聞こえた。

 

「さっき連絡が入って……、多分そろそろだと――」

 

「おっまたせー! 皆の部長が来たわよ! 待ったー?」

 

「待ってない……って!? 樹じゃない。風の真似なんかしてどうしたのよ、しかも結構似ているし……」

 

「……? 何変な事言っているのよ……ってあれ、夏凜背が伸びた?」

 

「いや、あんたの背が縮んでいるというか……樹の身体になっているというか……ええい、ややこしいわね!!」 

 

 扉を開け、部室に入ってきたのは樹と風だった。

 だが今の挨拶をしたのは樹でありながら、その言葉は如何にも風が言いそうな言葉だった。

 この瞬間、何となくだが、樹と風も入れ替わっていると本能が脳裏に囁くのを感じた。

 

 こうして新たに部屋に入ってきた部員で勇者部全員が揃う。

 だが、現状は更なるカオスとなっているのには違いなく、もはや苦笑の一つも浮かばない。

 乱入してきた樹に入っていると思わしき風にノリツッコミと説明をする夏凜から目を背ける。

 

 目を向けるべきは混沌と化した部室内ではない。

 外見が樹の風と共に部室へと入ってきた少女を、俺は訝しげに見つめた。

 友奈の身長は目の前のブロンド髪の少女よりも少し低い為に、見上げる形で見つめ合う。

 

「……そんなに見つめられると照れるじゃないか」

 

「お前か」

 

「ボクだ」

 

 確証といった物がある訳ではなく、ただの直感でしかなかった。

 だが実際に口を開き、少女の声音を台無しにする淡々とした響きと態度で確信に変わる。

 見た目が風という状態で肩を竦めながら抑揚の少ない口調の少女は、何より見知った存在だ。

 

 俺の、加賀亮之佑の力の源。

 男である俺に勇者としての力を貸してくれる存在。

 

「樹はどこなんだ?」

 

「さあ」

 

「――――」

 

「今キミが考えている通りだったら、犬吠埼樹がどこにいるかは気にする必要はない」

 

 ただ、彼女とこうして対面する機会は闇夜に浮かぶ月下での夜会が常なので新鮮に感じる。

 小首を傾げる仕草は本体ならば似合うだろうが、その妖艶な姿は見た目が風なのが残念だ。

 決して風の見た目が悪いなんてことは無い。ただ外見と中身の不一致が過ぎるだけなのだ。

 

「一番似合うのは園子辺りだろうが……」

 

「似合わないことは自覚しているさ。そういうキミは……」

 

「きゃるーん、可愛い可愛い友奈だよ!」

 

「――楽しそうだね」

 

「……まあ、少しはな」

 

 塵を見るような目を風から向けられるとゾクゾクする。

 何かに目覚めそうな冷たい視線なので、茶番を止めて二人でため息を吐く。

 

 当たり前だが、俺は人にぶつかった程度で人格の入れ替わりなんて起こることはないと考えている。

 神樹による物だとも考えたが、流石に神がそんな暇つぶしのためにリソースを割くはずもない。

 しかし現状俺の、結城友奈の目に映るこの世界は、明らかに異常であるのは間違いない。

 

「なあ、初代」

 

「なんだい半身」

 

「一応聞くけど、新種のバーテックスの可能性は?」

 

「無いと断定はしきれないだろう。ボクの知る限り大型――つまりバーテックスと呼ばれる物は大赦より与えられた星座の名を冠するモノだけ。実際に天神が作成した……そうだね、第十四の星座からの攻撃であっても、この世界で唯一キミの精神と肉体を分離させえるのは難しいだろう」

 

「それは契約の効果でか」

 

「その通りだ」

 

 以前初代と勇者因子を繋いで交わした契約。

 その効力は、たとえ世界が変わろうと加賀亮之佑は『加賀亮之佑』のままでいられる程らしい。

 だが実際の俺の身体は、この可憐で華奢で愛らしい快活な笑みが素敵な赤い髪の少女である。

 

「つまり――やっぱりそういう事なんだな」

 

「キミ……覚えているのかい?」

 

「ああ、タイミングは?」

 

「いつでも」

 

 コクリと風の見た目をした初代に頷く。

 ひとまず話し合いを終え、騒がしい部室、数人の中身が複雑な少女(+少年)たちに呼びかける。

 だが誰も聞かないので適当に制服に入っていたホイッスルを鳴らすと、ようやく静かになった。

 

「みんな、ちょっと聞いて!」

 

「何よ、友奈……じゃなくて、ええと、亮之佑!」

 

「もしかして何か分かったの?」

 

「ああ、樹……じゃなくて……、まあ誰でもいっか」

 

 抗議する樹の外見をした風を無視して話を進める。

 ふとこちらをジッと見る園子に気づくと、パチンと金髪の少女からウインクを貰う。

 

「園子は何か分かった感じ?」

 

「う~ん、何となくだけど分かっちゃったかな」

 

 聡明な金髪の少女に心の中で喝采を送りながら、未だ困惑する少女たちを見渡す。

 全員の顔を見渡し、そして最後に隣でまるで処刑人の如くハリセンを持つ少女を見る。

 

「さて、みなさん。今回の事件は多分……」

 

「「「「たぶん?」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――夢オチです」

 

 処刑人は、片手に持つハリセンを俺の頭に叩きつける。

 直後にパッコーン! と鳴り響く音と共に、世界という名の『夢』は壊れ去ったのだった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 何か悪夢を見た気がした。

 上体を起こすと背中にびっしょりと汗を掻いているのが分かる。

 一体どんな夢だったのかを思い出そうとするが、ただ悪夢だったとしか覚えていなかった。

 

「……、なんか酷いオチだったような」

 

 掠れた声で、寝台の近くにある目覚まし時計を見る。

 これで4時頃なら二度寝を、6時頃なら起きるのだがと手を伸ばして――違和感。

 

「…………あれ」

 

 声に出して気づく違和感に眠気が吹き飛ぶ。

 身体を動かして気づく違和感に意識が覚醒する。

 周囲を見渡して気づく違和感に徐々に鼓動が高鳴る。

 

「まさか……、そんな、いやいや……冗談はよしてくれよ……うふふ」

 

 独り言を言いながら小さな鏡を手に取り己を見る。

 わずかに物が散乱している部屋に見向きせず、ただ食い入るように見つめる。

 

 金髪の少女、ただ髪は短めでやや気弱な相貌だ。

 だが今は、額に流れる汗で前髪を張り付かせながら絶句した表情が鏡に映る。映ってしまった。

 鏡に浮かぶ少女の姿は、どこからどう見ても犬吠埼樹であり、加賀亮之佑ではなくて――

 

「い、イヤヤアアアぁァああああっっ――!!」

 

 

         




リクエスト回でした。なお続かない。

【リクエスト要素】
・勇者部で身体と精神の入れ替わり


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談「時が和やかに過ぎていく」

「――めでたしめでたし!」

 

 快活な少女の言葉と共に騒音の如き歓声が響く。

 子供特有の高い声音に眉を顰めたくもなるが、子供たちの手前我慢する。

 代わりに小さく息を吐き、勇者部主催での紙芝居が成功で終わったことを喜ぶ。

 

 紙芝居というが、馬鹿には出来ない。

 声の強弱、展開と話のテンポ、聞き手を飽きさせない工夫が必要だ。

 今回の脚本を担当した風による『這い寄れ蕎麦屋のうどん』が好評だったのは、目の前にいる無垢な、それこそ友奈のような無邪気さに溢れたロリとショタの歓声と笑顔が証明している。

 

「まさか、蕎麦屋が―――だったなんて……」

 

 感慨深く呟く先生たちの小さな声には多少の困惑も見られたが些細な事だ。

 今回、裏方ではなく何故か部長より任された読み聞かせの大役だったが、楽しかった。

 声でのお仕事とはこんな気分なのかと、そんな事を思いながら劇は終了、恒例の時間が訪れた。

 

「それじゃあ、みんな~! はしゃぎすぎないようにね!」

 

「「「は~い!!!」」」

 

 ――即ち、子供たちとの触れ合いだ。

 加減など知らない数年程度の人生しか送っていない少年少女達。

 彼らの無垢な瞳と遠慮のないタックルと触れ合いは、終わる頃にはすっかり疲れてしまう。

 

 ならば身体を鍛えれば良いという話ではない。

 単純に生命力の塊のような存在が、それこそ波の如く押し寄せるのだ。

 まさしく少年少女の触れ合いに精神的な物を吸われるような気分を味わうことになる。

 

「ねえねえ、手品のお兄ちゃん! 今日は何見せるのー?」

 

「水だしてー」

 

「あの物を小さくするやつー!」

 

「あんちゃん、声マネしてよー!」

 

「騒ぐなロリショタ、もとい子供達よ。……はい、キミたちが静かになるのに10秒かかりました」

 

「先生か!」

 

 チラリと声の方向に目を向けると、少し離れた所にいる少女にもチラホラと幼女たちが集っている。

 ツインテールの少女、三好夏凜というやや子供達にとっては近寄りがたいオーラを放っていた少女だが、最近は随分と丸くなった為か集ってきた幼女たちに懐かれ始めている。

 

 こちらに律儀にツッコミをする程度には順応したらしい。

 他にも少年少女たちは思い思いの勇者部の下へと遊びに行っている。

 

 樹と風は少女の割合が多く、折り紙教室を開催している。

 東郷も似たような感じで少年少女と遊びながら、国防思想をひっそりと説いている。

 そして勇者部で人気なのは、陽だまりのような笑みを浮かべた友奈に、一応は俺と自負する。

 

「ほら、ちびっ子たち。よーく見てなよ」

 

「………………」

 

 驚くほどに真面目に見る子供達。

 肩に圧し掛かり、全方位から見逃さないとばかりにジッと手元を見られる。

 俺の手元にあるのは一枚のカード。この幼稚園にも置いてある普通のトランプカードだ。

 

 ハートの3が描かれたカード。

 それが、それだけが、俺の左手の手のひらにある。

 右手には何も持ってはおらず、しきりに幼女たちが何か無いかと手のひらに触れる。

 

「これをどうするのー?」

 

「うん、じゃあ幼……じゃなくて、えっと、手のひらをカードに乗せて念じてみて」

 

「……、はー!」

 

「そう……、もう離していいよ」

 

「……? ぇ……! あっ……!」

 

「かわってる!」

 

「さらに……、こう、こう、こう!」

 

「すっごーい! えっ!? おうさま、きえちゃった!!」

 

 手のひらでパン、パン、とトランプを叩く度に、11、12、13……と数字が変わる。

 簡単な手品とは言えども、こうして目の前で目を輝かして見られるのは楽しく感じる。

 ハートのキングをカードの中から姿を消すと、驚きの歓声を上げる子供達に小さく笑う。

 

「王様はほら、……12の妃の下へ引っ越しちゃったよ」

 

「えぇー!?」

 

 無垢故に変に捻くれた人もいない。

 ただあるがままの現実を受け入れ、驚きに声を上げるばかりだ。

 

 その後も幾らかの奇術を披露し、手品ショーも終わった頃。

 ――ふと一人の少年が俺に声を掛けてきた。

 

「じゃあさじゃあさ、兄ちゃん。この折り紙でなんかやってよ!」

 

「たっくん! そういうのってむちゃぶりって言うんだよ」

 

「いいじゃん。……ねぇ、できるでしょ?」

 

 気丈そうな表情で俺に話しかける幼き少年と、それを窘める少女。

 黒髪で金色の瞳と、狼のような見た目を思わせる少年は俺に正方形の紙を差し出した。

 恐らくは風や樹の鶴や兜などに使用しているピンク色の薄紙を渡されて、数秒程思考する。

 

「坊主、名前は?」

 

「たつや」

 

「いい名前だ。……たつや、お前のリクエストに応えようじゃないか」

 

「ホントか!?」

 

「ああ」

 

 そう言いながら、俺は微笑を浮かべて幼き少年の目の前で紙をぐしゃぐしゃにする。

 折る訳ではなくただ両手でぐしゃぐしゃと握り、皺の一筋すら無かった紙はただの塵と化す。

 そんな紙塵となったソレを呆然と見やる少年と少女の目の前で、片手で包むように掴みながら息を吹きかける。その行為に若干涙を滲ませる少年はしかし泣くことはなく、懸命に俺の手に注目する。

 

「見よ……まずは鶴だ」

 

「ぉ」

 

「更にもう一握りで兜……カエル……小人に……サイコロ……俺を轢いたバスに、龍だ」

 

「わっ!」

 

 ぐしゃぐしゃの紙を握り潰し、拳を開く度に変わる様々な折り紙。

 左手のみで見せる奇術に徐々に目を輝かせる少年、少し退屈そうな少女には花の折り紙を。

 薔薇や桜といった物を右手の手のひらから咲かせ、小さな手に渡すと少女は仄かな笑みを浮かべた。

 

「……そして、最後に手裏剣だ」

 

「おお……! 凄いね、兄ちゃん!」

 

「もっと褒めていいぞ」

 

「――なあ、どうしたら兄ちゃんみたいになれるんだ?」

 

「そうだな……」

 

 一瞬、少年の言葉の意味を考える。

 幼き瞳に宿る光、十中八九どうすれば奇術を扱えるかを聞いているのだろう。

 その問いに、実際に自分はどういう道を歩んできたのかと思い直すと、答えは簡潔に出た。

 

「継続、やり続けることだ。ちょっとした事で諦めずに毎日コツコツと頑張れば、お前もこれぐらいできるようになるさ」

 

「――ぼくに、なれると思う?」

 

「知らんけど」

 

「え」

 

「……全てはお前の努力次第だ。見せたい相手でもいるのか?」

 

「うん」

 

 尋ねるとコクリと頷くたつやという少年。

 彼の金の瞳が一瞬向いた先には、先程から隣に立つ一人の幼き少女。

 ほんの一瞬、だがその瞳に宿る感情とも言い難いソレが目的の為の力になるだろう。

 

 人は目的が、目標という指標があれば努力できる生き物だ。

 愚かにも死んでから初めて人生の目標という物が出来た自分。

 加賀亮之佑として生きてきた経験が、ここまでの旅路の全てが、その考えを肯定する。

 

「――なら大丈夫だ」

 

「……なあ、兄ちゃん。……ぼくを弟子にしてくれないか」

 

 そう告げる少年の金色の瞳。

 どこにでもいそうな悪ガキだが、その瞳に宿る真摯な思いに息を吐く。

 正直弟子と言われても反応に困るのだがと思いながら、ポケットから二枚の折り紙を出す。

 

「俺は割と教え方がスパルタ……厳しいらしいぞ」

 

「うん」

 

「俺に逆らわない、真面目にやらない、弱音を吐いたらその時点で教えるのを止めるからな」

 

「うん!」

 

「……言ったからな」

 

 両手でグシャグシャにして、一つの手裏剣を作り出す。

 戯れの中で見つけた出会い。目の前の金瞳の少年が本当にやる気かは不明だ。

 長年の付き合いがある訳でもなく、ただの己の直感とふとした戯れがきっかけでしかない。

 

「じゃあ……!」

 

「まあ、良いだろう」

 

「兄ちゃん、ありがとう!」

 

「暑苦しいわ。……ほら、お嬢ちゃんもおいで」

 

 胡坐を掻き、あまり重さのない二人の身体を両腿に乗せる。

 たつやの熱意が如何ほどかは不明だ。次に会ったら忘れているかもしれない。

 所詮は幼稚園児の言葉だと思いながら、先ほど浮かべていた拙くも熱い感情に否定を忘れる。

 

「じゃあたつや。お前に一つ指令を与えよう」

 

「……はやいね、兄ちゃん……ししょー?」

 

「師匠にしよう」

 

「あの……私も呼んでいいですか?」

 

「……あ、ああ」

 

 便乗する茶髪の少女におざなりに頷く。

 澄んだ瞳をジッと向けられながらニヤリと笑い、俺は『弟子』に指示を下す。

 指を差した方向、そちらに目を向ける無垢で幼き少年少女に笑みを浮かべながら、

 

「あそこで護国思想を説いているやべー奴。もとい長い黒髪のお姉ちゃんいるだろ?」

 

「うん。そのやべー奴が、にい……ししょーの恋人?」

 

「あいじんー?」

 

「……どこでそんな言葉を……、まあ、そんな感じだ」

 

 一瞬本当に幼稚園児かと耳を疑ったが、話の進行を優先するために適当に頷く。

 視界に映り込む制服と黒いタイツ、長い黒髪を青いリボンで纏めた美麗な少女。

 他の勇者部員(夏凜ですら)たちもそれぞれ子供達への対応にせわしなく追われている。

 

 東郷の奇行、着々と進んでいる愛国心の布教は、先程から気になっていた。

 そろそろ誰かがツッコミか何かで止めなければと思い、腿に腰を下ろす子供達を見下ろす。

 バーテックスと対峙する時のような顔を作ると、二人は何かを読み取ったのかゴクリと喉を鳴らす。

 

 ――俺は言う。

 

「――いいか、東郷さんを止めるため、つまりは彼女のために……スカートを捲ってきてくれ」

 

「……! スカート、を?」

 

「それって……」

 

「遠慮はいらない。全力でやって、その覚悟を……俺に見せてくれ。いいか、これが全ての第一歩だ。この一歩は小さいが全ては奇術へと繋がる大きな一歩になるだろう。さっ、二人とも……やっておしまい!」

 

「わかった!」

 

「うん!」

 

 なんて素直で良い子たちなのだと思う。

 腿から立ち上がり、二人は決意を瞳に宿し、実に真面目な顔で俺に頷く。

 そうして背中を向けて立ち去る中で、ふと幼き少年がこちらを振り向き俺に言った。

 

「そういえば、ししょーの名前ってなんだっけ?」

 

「俺か? 俺の名は加賀亮之佑。奇術師で勇者だ」

 

 そんな出会いがあった。

 直後に、少女のスカートは重力に抗うようにひらひらと上に舞い上がった。

 黒いタイツに覆われた少女の曲線美と下着は、完全な無防備故に子供に容易く晒される。 

 その全ての光景を俺の眼球は焼き付け、直後にギュルッと此方を向く東郷と目が合った。

 

「……水色」

 

 徐々に頬を赤らめる深緑の瞳をした少女に、俺は穏やかな微笑みを浮かべた。

 何故だか速攻で気づかれながらも既に後悔などはなく、ただ静かに笑うだけだった。

 

 

 

 

 ---

 

 

 

 

「そんな事があったんだ~」

 

「ちょうど園ちゃんが来る少し前だったね」

 

「かっきーは相変わらずやんちゃだったんだね~。私の時にもね―――」

 

「―――ええ、そんな事が!?」

 

 その後の記憶はどうにもあやふやだ。

 何か怖いものに追われるように、走って走って最後には追いつかれたような気がする。

 あまり気にする事ではないなと頭を振り、悪寒を追い出しながら座布団を丸め頭を乗せた。

 

 ちなみにたつや――竜也とはその後も交流を続けている。

 意外と真面目な彼は、時々教える手品を傍にいる少女と必死に学び吸収していった。

 調子に乗らず、更に研鑽を続ければ、いずれ俺をも超える手品師になるかもしれない。

 

「……って亮ちゃん、こたつで寝たら駄目だよ。風邪ひくよー」

 

「寝てはいないさ、園子じゃあるまいし」

 

「私だって寝ないよ~」

 

 現在加賀邸(別宅)のリビングには、俺と友奈、そして園子の三人がいた。

 三人でコタツ布団に脚を、または身体ごと突っ込み、こたつの暖かさに酔いしれる。

 外は寒いが、それもまたこうしてこたつから外に出ようという考えを無くしてしまう。

 

 俺の向かいに座るのが友奈。

 俺の右隣に座り、蜜柑の皮を剥いているのが園子。

 こたつ布団の中では三人の脚が動く度に触れ合い、若干くすぐったく感じる。

 

 せめてもの反撃に冷えた手をコタツ下、誰かの脚に触れると小さな悲鳴が聞こえた。

 若干蹴られ、怒られながらも、冷えていた両手を少女たちに温められる。

 

 特にやる事もなく、ただ無意味に時間を削る平和な時間。

 少女たちは楽しそうに過去の思い出話を語り、こたつテーブルにある食べ物は段々と消えていく。

 ある種のパーティとも言えなくは無いが、今回は本当にただ少女二人とだらだらしているだけ。

 

「この時期はやっぱりこたつだよね~」

 

「そうだね、暖かいなー」

 

「んー……」

 

「かっきー」

 

「ん?」

 

「面白い話して」

 

「……園子さんよぉ、そういう無茶振りは東郷さん辺りにしてくれよ」

 

「ないの~?」

 

 突然園子から話題を振られる。

 渋々寝転がるのを止め、起き上がり何か話題提供のために記憶を探る。

 しばらく無言のままテーブルにある湯呑み、中にある甘酒を口に含むと思い出す。

 

「そういえば先週、風先輩が告白されたらしい」

 

「えぇ!? 風先輩が……!?」

 

「君だけが頼りなんだ! ってさ」

 

 衝撃的だったのか、驚愕の声を出す友奈。

 何気なく失礼だと思いつつも、口を出さずに淡々と話を進める。

 

「それを樹が立ち聞きしていたらしくてさ、ちょうど部室にいた俺と一緒に尾行しようって言ってきてさ。あんまりにも鬼気迫る表情だったから仕方なしに探ったらさ……、その男の母親に料理教室を依頼されただけだったとさ……っていう話」

 

「フーミン先輩らしいね~」

 

「授業参観の時に目を付けたんだとか」

 

「風先輩の作る料理は美味しいからね!」

 

 そう穏やかに告げる園子からお礼に蜜柑の実が一房俺の口へと伸ばされる。

 唇に少女の指が触れる感触と同時に小さく開いた口を閉じると、仄かな酸味が口内に広がる。

 毎年こたつと蜜柑はセットにしているが、このコンボの中毒性は凄まじいの一言に尽きる。

 

 ぼんやりと口を動かし咀嚼する。

 スルリと食道を伝い、胃へと消えていくのを感じていると、

 

「はい、ゆーゆも。あーん」

 

「あーん……、んっ! 美味しい! じゃあじゃあ、園ちゃんも」

 

「あ~ん」

 

 楽しそうに少女二人、可愛らしい薄赤と金色の花を咲かせている。

 その光景は目の保養になるなと若干頬を緩ませながら適当な菓子の袋を開ける。

 

「何となく思ったけどさ」

 

「どうしたの?」

 

「二人が作った餅は、きっと凄く柔らかそうだなって、そんな事を思った」

 

「ゆーゆと私で? そうだね~、きっと美味しいだろうね~」

 

「じゃあ、来年二人で作ろうよ」

 

 平和だからか、随分と気が緩むのを感じる。

 俺の言葉に賛同する少女たちの優しさに身体から疲れが抜けていく感覚に包まれる。

 彼女らが生み出すほんわかした空気に浸り、静かに甘酒と共に菓子を齧っていると、

 

「そうだ、餅で思い出したんだけどね、かっきー」

 

「どうした?」

 

「今日の夕ご飯はどうするの~?」

 

「そうだな……鍋とかどうだ?」

 

「闇鍋~?」

 

 その言葉に頭を振って否定する。

 以前、実際に闇鍋パーティなる物を夏凜の家で行ったが、色々と酷かった。

 

「加賀さんちではあんな食材から廃棄物を練成するような恐ろしい真似はしません。普通の鍋だけど……駄目か?」

 

「私は大丈夫だよ」

 

「私も~」

 

「それじゃあ――」

 

 平和な時間を過ごす。

 時折窓からは雨の音が小さく聞こえながらも、穏やかに過ごす時間。

 時には、こんな風な何もしない怠惰であれども穏やかで落ち着ける時間も大切なのかもしれない。

 

 

 




後半はリクエスト要素
・オチも何もない友奈と園子と亮之佑のだらだらと過ごすだけ。
……これが何気に結構難しいという。すまぬ……。

前半は車椅子という拘束具が消え機動力が上がった愛人、東郷さん。
そんな回復した彼女が嬉しくも様子が気になり、ついつい子供を仕掛けるかっきーという構図。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【続IF】 花結いの夜に、私と夢を

バレンタイン記念。甘さは控えめ。
【IF】花結いの空で、貴方に愛を、のある日の一幕。此方を読んでからがおすすめ。


 とある拠点の、ある部屋にて。

 唐突に告げられた言葉を、亮之佑はオウムの如く唇を震わせ復唱した。

 

「バレンタイン?」

 

「そうだ」

 

 トントンと指でテーブルを叩く目の前の少女。

 向かい合う短めの黒髪と白い肌、血紅色の双眸は吸い込まれる程に鮮やかに輝く。

 可愛さと美しさを混ぜ合わせたような美貌を持つ少女は、向かい合う少年に口を開く。

 

「今年もあったじゃないか」

 

「……まあ、そうだな」

 

 見た目が少女の姿、その紅色の双眸が捉えるのは一人の少年だ。

 時折黒髪を片手でかきあげながら、少女ではなくノートパソコンへと視線を向ける。

 黒く丸いテーブルを囲み、似た色の椅子に座る二人は、準備の合間に小さな雑談をしていた。

 

「企業の陰謀に踊らされる奴らを見て心の中で笑う日だろ?」

 

「そういう奴にあげる人間がいるのだから世の中は公平ではないよね」

 

「――は」

 

 皮肉には嗤いで応じる。

 笑いには皮肉を投じる。

 

 挨拶を交わし、眉間にわずかに皺を寄せながら亮之佑はPC画面より視線を上げる。

 微妙に機嫌が悪く見えるのは、トントンと少女の爪先が亮之佑に小気味良く当たるからか。

 わずかにずれた黒縁眼鏡を掛け直し、白シャツを着た少年は目の前の少女に視線を向ける。

 

「ああいう風習こそ、この世界で必要のない事だろうに」

 

「確かに結論から言えば無意味かもしれない。だが同時に企業からの陰謀を利用し、バレンタインと印象付けられた特別な日に何かしらの贈り物を贈り、同時に告白するというのは定番だろう?」

 

「そうか?」

 

「ああ、キミには関係の無い話だったね?」

 

「いや、告白された事ならあるんだが。お前だって見ているだろうに」

 

「四六時中キミを観察しているという訳でもないのだが。乙女なボクに何を言っているんだい?」

 

「ああ。この世界でも、乙女の定義は変わっているらしい」

 

「どこからか童貞の喚き声が聞こえるんだが」

 

「こいつ……!」

 

 淡々とした物言いには毒が込められる。

 弾丸のように射出される言葉には、さほど悪意は感じられない。

 睨みつける少年の視線を肩を竦めて回避する少女は大したことなさげに告げる。

 

 目の前の白いワンピースを着た黒髪の少女。

 黙っている限り、髪の色と瞳の色のアンバランスさ含めて紛れもなく美少女だ。

 優雅に両手で回しているアイスコーヒーのグラスを優雅に飲む姿だけは絵になるだろう。

 

「それで? お前にはさっきやっただろうに」

 

「もう食べた。だが、まさかと思うが、悪魔への貢ぎ物が手作りケーキで足りると……?」

 

「コーヒーでも飲んでろ」

 

「知らないのか、半身? コーヒーは……食べ物ではないよ」

 

「……」

 

 少々煩い声音を無視して、亮之佑は再びパソコン画面へと向き直る。

 既に完成し掛けの作戦資料を完全とするべく、無言でキーボード入力を続ける。

 およそ十分が過ぎた頃に、ようやく完成させた亮之佑は小さく息を吐き、目線を再び上げる。

 

「――出来たか」

 

「ああ」

 

 悪魔の問いに答える唯一の信奉者。

 眼鏡を外すと目の下に浮かぶ薄い隈、以前よりもわずかに痩せた少年は腕を上に伸ばす。

 動かすとコキッコキッと骨が鳴る音が部屋に響く中で、未だにいる昏色の少女に視線を向ける。

 

「そういえば初代、確かお前にはワンホール分作ったはずだったが……」

 

「……?」

 

 亮之佑の言葉に小首を傾げる初代。

 人形のような動きを彷彿させ、わずかな苛立ちが胸中を過る。

 

「……もう全部食ったのか?」

 

「……さっき言わなかったかい? 食べたけども、何か拙かったかい?」

 

「――――」

 

 暴食とはこの事だろう。

 別腹とは言うが、流石に食べ過ぎではないだろうか。

 そう口を開くが言葉はなく、ただ吐息だけが空気に溶けていくばかりだった。

 

 幾度と繰り返された小言は生まれない。

 食べ過ぎるなとか、せめて明日に回せとか、野菜もちゃんと食えとか。

 そもそも、何故自分が目の前の女のために気を使わなければならないのかと眉を顰める。

 

「そうだ、初代。亜耶ちゃんはどうした?」

 

「ああ、彼女なら今は赤嶺友奈が構っていると思うけど」

 

「そうか」

 

「節分の事を説明したら、『鬼は外~』って無邪気に笑って赤嶺友奈に豆を投げつけているよ」

 

「掃除が大変だな……、なんだその笑みは?」

 

 色々と予期せぬイレギュラーにより、こちらの陣営に入り込んだ幼き巫女。

 掃除が好きな純粋無垢な少女について目の前の少女に聞いただけで小さく笑われる。

 何かを勘違いしたようにクツクツと笑う少女は愉快そうな笑みを口端に浮かべる。

 

「キミってロリコンだったかい?」

 

「馬鹿を言うな。使えそうな人質に関心ぐらいは持つだろ」

 

 悪魔の揶揄に対して、亮之佑は小さく眉間に皺を寄せる。

 含み笑いで自分を見やる血紅色の瞳からそっと視線を外すと、

 

「半身」

 

「ん? ―――むぐっ」

 

 突然、唇の間を通り抜け口内に侵入する何か。

 思わず歯を立てると同時にカリッと小気味良い音が口内に響く。

 舌の上で広がるチョコレートの程良い甘味と、棒状のスナック菓子の食感に咀嚼をする。

 

「美味いか?」

 

「……まあ」

 

「そうか、美味いか」

 

「何のつもりだ?」

 

「お返しだ」

 

 続けざまに少女の細い指、親指と人差し指に挟まれたスナック菓子を突き付けられる。

 何のつもりか考えて、毒は効かないからと己に仕える精霊の存在に再度小さく口を開く。

 親鳥に餌を与えられる雛鳥の気分になりながらも、ポリポリと細長い菓子を食べていく。

 

「――ん、――んむ」

 

「――言っておくが、市販じゃないぞ。ボク直々に作った」

 

「ああ、どうりで」

 

 舌触りの良い食感にコクリと亮之佑は頷く。

 眉間の皺が薄くなるのを感じつつも、この数ヶ月で随分と痩せた少年は頷く。

 あの指輪の世界で時折目の前の少女が客人に振舞っていた菓子類と似た味がしたのだ。

 

「店でも開いたらどうだ?」

 

「労力に合うとは思わないが。キミも手伝うかい?」

 

「……どうだろうかな」

 

 適当な軽口を叩きながら、部屋を出るべく亮之佑と初代は扉へと向かう。

 今日は珍しく何もせず、準備のために用意したアジトに籠っていてしまった。

 扉に亮之佑が手を触れると同時に、その扉が離れていくことに誰か来たのかと目を細めるが、

 

「ぁ……」

 

「……亜耶ちゃんか」

 

「その……時間、大丈夫ですか?」

 

「ん」

 

 亮之佑よりも幾分背の低い、淡い金色の髪をした巫女。

 走ってきたのか、僅かに頬を上気させる姿は可愛らしいとすら感じられる。

 小さく笑みすら浮かべ、顔を上げ亮之佑を見る少女は、後ろ手に隠していた物を見せる。

 

「これは?」

 

「亮之佑様からのチョコのお礼に、バレンタインクッキーです!」

 

「――――」

 

「日頃、お世話になっている人に贈る物なんだって聞きましたから……、駄目……でしたか?」

 

「駄目ではないよ、うん。……これって……オレに?」

 

「はい」

 

 混じり気の無い純粋な笑みを、虚無の瞳がジッと見つめる。

 ふと彼女の指に貼られた絆創膏に視線を向けて、静かに小袋を受け取った。

 手のひらにある小さくもずっしりとした重さのソレは、焼き菓子の仄かに甘い香りがした。

 

「――ありがとう、亜耶ちゃん」

 

 やがて『狂人』は頬を歪め、ひどく痛々しくも薄い笑みを浮かべた。

 その形相を見て、亜耶は痛みを覚えたような表情を作りながらも頬を小さく緩める。

 

「喜んでもらえて嬉しいです」

 

「うん、嬉しいよ。今度また何かお返ししないとね」

 

「えっ、お礼なんて……」

 

「いいから、オレがしたいだけだから」

 

「……、分かりました。亮之佑様からのお返し、待ってますね!」

 

「――ああ」

 

 その日までこの世界が続いているかどうかは分からない。その保証もない。

 明日になれば突如こちらが敗北しているのかもしれない。その逆も然りである。

 いずれにしても、この彩りに溢れた世界が終焉を迎える日まで狂人はひたすらに歩き続ける。

 

 旅路の中で定めた、ある目的を果たす。

 その過程、有象無象を踏み潰し、結果のみを掴み取る。

 それこそが、それだけが『狂人』が求める最後の道標なのだから。

 

「もう遅い時間だから、亜耶ちゃんも早く寝るんだぞ」

 

「はい、今日はもう寝ますね。……亮之佑様も」

 

「ああ、おやすみ」

 

「……」

 

 トテトテと自室に足を向ける少女。

 その背中が廊下の角に消えるまでジッと見つめた亮之佑も、やがて自室へと向かった。

 廊下を歩きながら小さく独り言を呟く狂人の言葉は、背後にいる悪魔に聞き取られる。

 

「あの子は弱みがないから苦手だ」

 

「キミにすら懐いているようだが」

 

「それでも噛みつかないとも限らない」

 

 亜耶はこれまで接してきた人間の中でも、一位二位を争う程に優しい子だと思える。

 たぶん、きっと、亜耶は亮之佑に対して真摯に接してくれているのだと思う。

 だがそれでも、一度芽吹いた黒い炎と、記憶の中の弾丸が『信じる』ということを否定する。

 

 どんな人間にも弱みというのは存在する。

 家族、親友、恋人、仲間、人間関係を構築するにあたって自然と増える物なのだ。

 だから、亮之佑は自身の人間関係をシンプルにし、余計な物は捨て、簡略化することにした。

 

 ――否、それだけではない。

 単純に、この世界の人間が恐ろしく、おぞましく感じられた。

 

 笑顔を浮かべて接してくる中で、実際は何かの思惑を器用に隠している。

 その腹を探り、だが隠しているかすら分からず、悪意を見抜けない故に人間が怖く感じる。

 

 だから弱みを握るのだ。

 悪意があるないに関わらず、この世全ての人間が悪意を隠しているという前提で。

 亮之佑がこの世界で生きていく上で、少しでも自身の安定のために、弱みを握ろうとする。

 

「そうすれば――」

 

 世界中の人間が亮之佑を恨んでも。

 亮之佑は平気な顔をして、憎悪を糧に生きていけるだろう。

 

「――――」

 

 狂人の隣を、その半身が静かに歩き進む。

 彩りある視界の中、他の人間と等しく色が付いた黒髪の少女。

 彼女が亮之佑の隣を歩くことに関してだけは、不思議とどうしても拒否反応を抱けない。

 

 それは元々が自身の内側にいる存在だからか。

 契約故に裏切ることが無いのだと分かっているからか、悪魔だからか。

 彼女を引き連れ、歩くこと。それが亮之佑の弱さであるとするならば、いずれは――

 

「――――」

 

 一度満開の影響で、『色覚』が散華で失われていた時期。

 あの頃、指輪の世界へ入った少年は、あの幻想的な世界の『色』に魅せられたのを覚えている。

 

 不思議な話だったが。

 今目に見える色のある世界よりも、色の無かった世界の方が亮之佑には相応しく思えた。

 風景も、人も、友奈でさえも、誰も彼もが薄汚れて見えたモノクロの視界が懐かしく感じる。

 

「――――」

 

 いつの間にか辿り着いていた寝室に、いつものように鍵を掛ける。

 亜耶にも入らせない部屋は、いくつかの資料が床に散らばっている以外は綺麗だ。

 綺麗と言うか、殺風景であるとも言える自室兼寝室を歩き、机にノートパソコンを置く。

 

「今日は早く寝た方が良い。明日の作戦の為に体調は万全にしておくべきだ」

 

「眠くないんだが」

 

「変な嘘をボクに吐かなくて良い」

 

 この部屋に寝台は一つだけだ。

 何気なく部屋に居座る短い黒髪の少女は、不遜にも部屋主の寝台に寝転がる。

 部屋を変える度についてくる少女の行動と言動に諦めたのは、随分と前のことだったか。

 

「――――」

 

「隈、酷いよ」

 

 指摘され、ふとクローゼットに備え付けられた小さな鏡で己の姿を見る。

 死相が浮かんでいると言われかねない隈が、はっきりと目の下に浮かんでいる。

 その少し上にある大きな瞳、どこまでも冷たく、そして弱り切った瞳の色は汚れ切っている。

 

「……知っているさ」

 

「そのうち、死にそうだね」

 

「それは……まだ困るな」

 

 肩を竦めながら、亮之佑は一つしかない寝台に転がる。

 以前はどちらが床で寝るかと、無意味な口論を交わしたのが昔に感じられる。

 半分となった寝台は二人分の体重を容易く支え、寝台であることを理解した瞼が重く下がる。

 

『――分かって』

 

 頭蓋を内から刺すような声。

 目を閉じ、耳を塞ぎ、逃げようとする。

 

『これでもう、誰も!』

 

 あの憎悪を帯びた瞳から。

 自らが正しいと思い込んだ声音から。

 向けられた銃口と、脳を震わせた弾丸から。

 

『二度と苦しい思いをしなくて済む……!』

 

 逃れられない。

 どれだけ耳を塞いでも。

 どれだけ目を閉じても。

 

「――!!」

 

 忘れようと思う程に、脳は鮮明なまでに記憶を焼き付かせる。

 執拗と言わんばかりに、この思いを忘れるなと、悪夢が亮之佑に襲い掛かる。

 

「――――」

 

 今頃は讃州市で活動している勇者達。

 彼女達は、厳密に言えば亮之佑よりも未来から来た存在らしい。

 幾度の交戦、姿を隠しながらも得た情報で、赤嶺からも裏を取り、知り得た情報である。

 

 だから彼女たちは、『あの時』同じ戦場にいたあの少女たちではない。

 亮之佑と、友奈や東郷、夏凜、風、樹には僅かに、だが決定的なまでに認識に差がある。

 遠目に見た彼女たちはこの世界故か、傷一つなく仲間たちとバーテックスと戦っている。

 

「――――」

 

 いつまでも憎悪を抱えているのは馬鹿らしいと思う。

 この湧き上がる怒りを彼女達にぶつけるのは理不尽であることも理解している。

 この世界を脱するにあたって、何一つ正しい事をしていないことも十全に理解出来ている。

 

 だが、それでも、彼女たちが平然と何も無かったように生きていることが。

 何も失わず、結局なんてこと無いように笑い合っている少女達が、どうしようもなく憎かった。

 他の勇者達も、夏凜も、風も、樹も、東郷も、――園子と友奈ですら怖くて憎らしかった。

 

「―――ぁ」

 

 ふと誰かに抱かれているのに気付く。

 暖かく、柔らかい感触に頭を抱かれていることに気付いた。

 誰か、言うまでもない。この部屋には、亮之佑以外に存在するのは他に一人しかいないのだ。

 

 昏色が、白色が、血紅色が、亮之佑に触れていく。

 唐突に旅路の目的が揺らぐ自分を優しく抱きしめる少女。

 それに縋らずにいられない女々しく弱い自分は、少女に安らぎを求める。

 

 ――初代は、いつか、亮之佑を裏切るのだろうか。

 

 来るかもしれない。来ないかもしれない。

 そんな日が来ないで欲しいと思い、願っているのだろうか。

 鼻腔を擽る少女の甘い匂いと柔らかさに、思わず溺れてしまいそうになる。

 

「……おい」

 

 子供をあやすように亮之佑の頭を一定のリズムで撫で始めた初代に抗議の声を上げる。

 それを無視し、悪魔は静かに己の半身に、亮之佑に血紅色の瞳を向けて、言った。

 

 

「少し眠ると良い。……言っただろう? ボクがキミの傍にいると」

 

「――――」

 

 

 静かな声音が心地よく感じる。

 同時に、どうしようもない程に重い瞼を亮之佑は再び下ろした。

 

 ――幸せな悪夢は、何も、見なかった。

 代わりに、涙が出る程に懐かしく、彩りに溢れた頃の夢を見た。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談「みのわぎん」

 その日は、普段の暑さを忘れたようなそれなりに涼しい日であった。

 それでも半袖でなくては耐えられない気候である事には変わりないのだが。

 

「――二人とも、また来たよ」

 

 滑らかな墓石、時々ふらりと訪れる度に掃除をしているからか小奇麗である。

 宗一朗には透明な酒を小さな酒器に注ぎ、綾香には生前好んだ美しい花々を供える。

 ときおり草木を揺らす風に冷たさは少なく、仄かな暖かさをシャツ越しに肌で感じる。

 

「久しぶりだね……。ああ、まだそっちに行く気はないよ」

 

 クツクツと小さく含み笑いをしながら少年は一人黒光りする石と、二人と話をする。

 それは酷く一方的なもので、目を閉じると思い出す様々な感情を酒と共に胃へと流し込む。

 暑さが少ないと思えば、今日はやや曇り空で日差しが少ない事も原因になるのだろうか。

 

「まだ一年……。それとも、『もう』なのかな」

 

 墓石が返事を返すことはない。

 

「あれからも、随分と濃密な日々だったよ。……最低限の領土を取り返すことは出来たけども、神器もまだ二つしか奉納出来ていないし。人は死ぬし、怪我も絶えないし、記憶を失くしたこともあって、散々な事が多かったよ」

 

 墓石が返事を返すことはない。

 だがそれで良いと、独り言はきっと届いていると俺は思う。

 

「だけど、俺は一人じゃないから。それに大切な人は欠けていない。……うん、今は次の奪還戦の準備中だよ。まあ死なないように頑張るさ」

 

 残った酒を飲み込み、小さく息を吐き再度空気を吸い込む。

 それからも少し話を続け、やがてそれも無くなった頃、少年はゆるりと立ち上がって、

 

「また来るよ」

 

 墓石に背を向けて、砂利の音を聞きながら歩き出した。

 この世界にラスボスという物は存在しない。巨悪を撤退させても未だに敵は多い。

 それは神の悪戯のように、サイコロの目が出違えた結果であるのかもしれない。

 

 どこで、間違えたのかなど分かるはずもない。

 何故、こんなことになってしまったかだけは知っている。

 

 砂利の音が、硬い感触が靴裏に感じられる。

 どの世界であっても、やはり人間は罪深い生き物であるのだろう。

 最近は真実を知り、何の因果か天の神を崇拝しようという輩が見え隠れしている。

 

「――関係ないさ」

 

 後悔はしないという生き方を選んだのだ。

 亮之佑が生きている限り、戦うという選択を選んだ以上、それ以外の分岐路は存在しない。

 

「芽は摘み、枝は切り落とす」

 

 最低限、勇者の敵を減らすための行動は惜しまない。

 人類にとって、否、亮之佑の大切なものを虐げる者があるのならば、容赦はしない。

 それが、それこそが、天の神と戦い、生き延びた中で亮之佑が貫き通した道なのだから。

 

 

 

 ---

 

 

 

 

 その帰り道のことであった。 

 夕御飯の事をぼんやりと考えながら別宅への道のりを進んでいると、

 

「ん……?」

 

 歩道からわずかに外れた公園、一本の木に何となしに俺は目を向けた。

 何故目を向けたかという理由は特になく、視界の端で何かを察知した程度のもの。

 

 ――木登りをしている子供がいた。

 頂上付近には青色の風船が絡まり、根元には泣いている子供が一人。

 その光景で、何となく何が起きているのかを察した俺は無言で公園内に入り込む。

 

「……」

 

 地面の確かな感触を靴裏に感じながら静かに歩いていく。

 きっとあの風船を取ろうとしているんだろうなと思いながら自販機に向かう。

 余興に見てやろうと考えつつ、硬貨を入れて適当な飲料水を購入し、木へ向かう。

 

 ここは助けてやるべきなのか。

 下手に介入してお節介を焼くべきなのか。

 

 他人事である以上、亮之佑にとってはどちらに転がってもいい。

 我ながら薄情であるかもしれないが、生まれながらの性根とは中々治らない物だ。

 せめて、木登りをしている子供が風船を取るかどうかだけを確認しておこうと見上げ、

 

 ――上から子供が落ちてきた。

 

「おっと」

 

「わわ……ッ!?」

 

 背中を地面に向けて落ちてくる瞬間に両手を広げる。

 猫でもない限り、間違いなくどこかを痛めそうな落ち方に身体が先に動いた。

 ずしりとした重みと衝撃が手、肘、肩と伝う中、衝撃を和らげる為に後ろに転がる。

 

 受け身を取りながら空を見上げると、青い風船が空を舞うのが見えた。

 決して下に落ちることはなく、何者にも触れられないように上へ上へと昇っていく。

 衝撃を受け流しながら、青色が点となって見えなくなるまで静かに見上げていると、

 

「い、てて……、ぁ、あの、大丈夫ですか?」

 

「ああ、平気平気。トラックよりは大したことはないよ」

 

「いやいや、比較対象が凄いっすね。轢かれたことあるんですか?」

 

「あるんだな~、これが。痛いとかじゃ済まないんだよ」

 

「……よく生きてますね」

 

 腹の上に覆いかぶさる子供、見下ろして初めて少女であるのが分かった。

 小柄な体躯で、わずかに日焼けした姿は、正しく快活そうな運動系少女というところだろう。

 俺の胸板を支えに上半身を上げた少女は、灰色の後ろ髪をゴムで束ね、花柄のヘアピンを付けている。

 

「というか、そろそろどいてくれないか?」

 

「ああ、すいません」

 

 快活そうな姿、友奈ともまた異なる明るい笑顔を浮かべた少女は呆然とする子供に近づく。

 何も出来ず、オロオロとする子供――恐らくは少年に空から落ちた少女が笑い掛ける。

 

「あー、ごめんな! さっき取ってくるって言ったのに、飛んでっちゃった」

 

「……ううん、お姉ちゃんは怪我とか無い?」

 

「アタシ? 全然、ヘッチャラさ!」

 

 証明するようにその場でジャンプする少女に、幼い顔の少年はようやく笑みを浮かべた。

 立ち上がり、服に付着した砂埃を払いながら、少年少女の下へと俺はゆらりと近づいていく。

 そうして近づく部外者の存在に二人の目線が向けられながらも、俺はポケットに手を入れた。

 

「……」

 

「ああ、お兄さん! さっきは助けてくれてありがとうございました!」

 

「気にするな。それよりも少年、風船が欲しいのか?」

 

「……ぇ、うん。でも……」

 

 わずかに俯いた少年に、困ったように頬を掻く少女。

 上着のパーカーと青色の短パンという服装の彼女は、何をするつもりなのかと目線を向けてくる。

 訝し気な目を向ける少女ではなく、俺は少年の方に屈み込みポケットからある物を出した。

 

「……!」

 

「ポケットを叩くと風船が一つだ」

 

 萎みきった赤色の風船は、俺も何故入れていたのか忘れていた代物である。

 未使用だったはずだとゴムを伸び縮みさせながら、数回程風船を叩くと一瞬で膨らんだ。

 流石にヘリウムガスは所持していなかったが、既に泣き止みこちらを見上げる少年に小さく笑う。

 

「そして数回叩いて出来上がりっと。これをやるよ、これなら飛ばないだろうし……」

 

「……ォ、おお! 良かったな!」

 

「……うん! ありがとう、お姉ちゃん! お兄ちゃん!」

 

 膨らんだ風船を受け取り、新しい玩具に少年は目を輝かせ、お礼の言葉を告げる。

 そのまま自宅に帰るのだろう。クルリと背を向けて走り出した姿を少女と二人で見送る。

 何度か瞬きをする頃にはその姿は薄く消え去り、それからようやく俺は隣に立つ少女と向き合う。

 

 改めて近くで見ると、小学生程度の少女であった。

 小柄な体躯で快活そうな表情を浮かべる少女はジッと俺の顔を見てくる。

 

「…………、じゃあ、キミも気を付けて帰りなよ」

 

「えっ!? 待ってくださいよお兄さん! さっきのなんスか!? こう……いきなり風船をぶわって!! 魔法使いですか!!?」

 

 先ほどの芸を見たからか、年齢的にも食い付きそうな少女は目を輝かせて言う。

 確かに生前は魔法使いになりそうな人生だったと思いながら、初対面のはずの少女に口を開く。

 

「……ふふ、まずはキミから名乗ってはどうだい?」

 

 陽気というか、底抜けたような明るさを少女から感じる。

 相手からすれば初対面で年上であろうに、壁を作ることはなく積極的に話し掛けてくる。

 とはいえ、このまま帰るのもどうなのかと思い、やや中二風な感じで自己紹介を促した。

 

「ふぇ? ぁ、アタシっすか? ……ああ、そっか、うん」

 

「……?」

 

 明朗快活な少女は苦笑を浮かべ静かに首を振る。

 その笑みは、喜びと悲しみと、嬉しさと切なさといった感情を含んだ物であった。

 一瞬、もしかして覚えていないだけでどこかで会ったのかと焦る俺に、少女は頬を掻きながら、

 

「ああ、なんでもないです。アタシの名前は三ノ輪銀って言います。好きな物はうどんとしょうゆ豆ジェラート! ……銀って呼んでください!」

 

「――――」

 

 知らない。

 覚えていないという訳でもない。

 少なくとも俺の記憶の中で目の前の少女と会うのは初めてだ。

 

「銀か、いい名前だ」

 

「いえいえ、そんなテレますよ! よっ、褒め上手!」

 

「俺の名前は加賀亮之佑だ。好きな物はうどんと骨付鳥。俺のことは好きに呼んでいいよ、銀」

 

「じゃあ、亮さんって呼ばせてもらいますね! ……駄目っスか?」

 

 無邪気そうな笑みの裏を無意識に探ろうとする自分がいる事に気付いた。

 そんな俺を、丸く大きな瞳に映し込む銀という名前の少女はニシシと笑った。

 

「ああ、大丈夫よ。……友好の記念にうどんでも食べてく? 奢るぜ~?」

 

「マジっすか!? じゃあ遠慮なく行きましょう、亮さん!」

 

 その笑顔に釣られるように俺は笑みを浮かべた。

 ――首に下げた指輪が熱を発したように酷く、熱く、感じられた。

 

 

 

 ---

 

 

 

 昼のピークを既に過ぎ去り、銀と二人で入ったうどん屋は席がそれなりに空いていた。

 考えている事は一緒だったのか、それとも単純に昼ご飯が遅かったのか中学生が多く感じる。

 骨付鳥の事を議論している仲の良さそうな少女達には、ここはうどん屋だと言ってあげたい。

 

 適当な所に腰を掛け、向かい合う少女にメニューを渡すと目を輝かせて睨めっこをする。

 ムムム……、と眉間に皺を寄せながら、どれを選ぼうかと考え込む少女に俺は思わず笑った。

 

「……、全部選んだら?」

 

「いやいや、しませんよ流石に。アタシはこの大盛り冷やし梅干しうどんをお願いします」

 

「あいよ、トッピングは?」

 

「じゃあネギで!」

 

 そんな風に俺と銀はうどんを食べることにした。

 ちなみに俺が頼んだのは肉ぶっかけうどんであり、友情の印に肉を三切れ上げると喜ばれた。

 うどんの器を片手にしばらく話をすると、俺と銀はまるで旧知の仲のように仲良くなった。

 

「くーっ! やっぱり美味しいなぁ……」

 

「安いし、美味いよな」

 

 ほろほろと柔らかい牛肉は程良い脂と肉が舌の上で溶けるようだ。

 夏だが、うどんは――と言うよりも麺類は基本熱い物しか頼まない俺はうどんに七味を掛ける。

 決して冷たい麺類が嫌いという訳ではないのだが、何となく生前から熱い方が好みであった。

 

「ふーん、大橋から友達に会いにね……」

 

「そうなんですよ! ついでにイネスにも行ってみたんですけど」

 

「しょうゆ豆ジェラートが無かったと。あんまり人気無かったのかもね。ところで小学生?」

 

「はい、永遠の小学六年生ですよ! 二ヒヒ」

 

 ただし、目の前の相手が時折小さな嘘を交えているのも分かっていた。

 悪質な嘘という訳でもなく、わずかに目を泳がせることからも見逃すことにした。

 キチンと汁まで飲み干し、「ご馳走様でした」と告げた後、俺は会計をするべく席を立った。

 

「ゴチになりました! 美味しかったです」

 

「うい」

 

 そそくさと会計を済ませて、店から出た俺と銀は当てもなく道を歩いていく。

 小腹を満たし、日差しの和らいだ外の景色、地元と呼べる讃州市を俺は案内していた。

 

「いや、こっちには久しぶりに来たんですけど、少し変わったんですかね?」

 

「まあ……どうだろうな」

 

 大橋市の方向から来たらしい銀だが、あまり世情や物事には関心が無いらしい。

 あるいは今まで知る機会が無かったか、得られる情報が少なかったのだろうか。

 そう問い詰めるか悩んで、何故かこの少女に深入りしようとしている自分に気付いた。

 

「大橋、あるじゃないか」

 

「はい」

 

「あれ、バーテックスとの戦闘で壊れたけど色々あってさ、再建計画が進んでいるんだ。あとは神樹が四国を囲んでいる結界が薄れて、最近では船が旧中国地方に行けるようになってきたかな」

 

「はー、時間の流れっていうのは早いっすね。――から聞いてたけど随分と変わったんだな……」

 

「とはいっても、この内側自体は比較的平和なのは変わらないけどな」

 

 そうして二人で歩いていると、今度は銀がアイスを奢ると言い出した。

 唐突に感じながらも、アイスの屋台に向かう俺が先頭を行く小さな背中に目を向けると、

 

「同じテーブルで食事もしたし、もうアタシ達、完璧にダチコーですよね」

 

「ああ、そうだな。……キミ、根性とか気合いって言葉好きでしょ?」

 

「よく分かりましたね!」

 

 と言う彼女の理論は何となく理解でき、俺の中で知り合いからダチコーに認識が変わる。

 ――要するに奢られたから奢り返したいという彼女の意思を尊重するべく、俺も脚を速める。

 

 そうして徒歩十分程歩いて、穴場とも言える場所にひっそりとアイスの屋台を見つけた。

 銀が友人たちを探すついでにふらりと立ち寄ったという屋台には、様々な味のメニューがあった。

 

 チョコレートや抹茶、苺などの大衆向けの物や、おでん味や、味噌味等の独特な種類。

 良く言えば豊富なメニュー、悪く言えば誰得だと思わせるそれらを楽しそうに銀は見る。

 

「あれ、しょうゆ味が出てる! ラッキー!」

 

「いや、それは止めた方がいいだろ。塩分が凄まじいって」

 

「そんな事ありませんって。アタシ、しょうゆ味大好きですし。亮さんは何にしますか?」

 

「うーん、じゃあね……」

 

 改めて屋台のメニューを見下ろす。

 自然と普通の味に目を向け、頭を働かせるまでも無いと、直感で浮かんだ物を口にした。

 

「宇治金時で」

 

「ああ、亮さんはそういう方向なんですね」

 

「え?」

 

「いえいえ。じゃあここはアタシが持ちますね!」

 

「ああ、ご馳走さん」

 

 なんというか、人の懐に近づいてくるのが上手いなと感じる少女だと思う。

 人懐っこく向日葵の如き笑顔で接してくる姿は、心地良いと思わせる物であった。

 生前では考えられなかったが、こんな風にぐいぐいと来られるのは少し嬉しかった。

 

 そんな訳で、食後のデザートをベンチに二人で腰掛けてしばらく食べる。

 多少涼しくとも、スプーンでアイスをすくう手の動きは止まりそうに無かった。

 しばらく無言で甘味を頭と胃袋に送り込んでいると、目の前にスプーンが映った。

 

「ん? どうした?」

 

「へへへ……。布教活動ですよ、亮さん。一口どうぞ」

 

「……あー」

 

 見た目はチョコレートに近い彩りのアイスが、スプーンが口元に近づいてくる。

 しょうゆって確か調味料じゃなかったのかと思いつつ、口を開けるとスプーンが侵入してきた。

 ワクワクしたような表情を向ける銀を余所に、しばらく舌の上で溶かすようにアイスを転がす。

 

「……うん。癖はあるけど、美味しいかな」

 

「お」

 

「ほら、お返しだ。口を開けな、お嬢さん」

 

「あーん」

 

 人間、行動する前から苦手意識を作るものでは無いことを痛感した瞬間であった。

 案外悪くない味であった事を告げると、「マジっすか!?」と何故か銀に滅茶苦茶に喜ばれた。

 そんな風に俺と銀がアイスに舌鼓を打ち、お互いの話に和やかに耳を傾けていた時であった。

 

「まあ……奇術に限界は無いって事さ」

 

「亮さんって女装が好きなんですか?」

 

「いや、好きっていうか、変装が得意なだけさ。女装は……“萌え”だよ」

 

「ほへー……、あッ!」

 

 そんな事を話していると、突然銀が走り出した。

 その挙動の意味が分からず、無言のまま彼女の走る方向に目を向けると一人の老婆がいた。

 路上に恐らくは買ったばかりのリンゴを転がしている状況を見て、俺も走り寄ることにした。

 

「婆ちゃん、手伝うよ」

 

「あら、ありがとうね。そちらのお兄ちゃんも」

 

「いえいえ、お礼はこの子に」

 

「いや、アタシはそんな」

 

 そんな事を言い合いながら手早く赤い果実を拾い集めていく。

 こんなに集めてリンゴジャムでも作るのだろうかと思いながら、十数秒程で片付いた。

 お礼にリンゴを二つ貰い、皮ごと噛り付く銀とは反対に俺はスラックスのポケットに入れた。

 

「亮さんのポケットって、四次元に繋がっているって風の噂で聞いたんですけど、本当なんですか?」

 

「その噂した人って、キミの友達?」

 

「はい。なんというか掴み所のない、雲みたいな感じです」

 

「面白そうだね。ちなみに俺のポケットは四次元には繋がっていない」

 

「なんだ……」

 

「二次元に繋がっているのだ」

 

「マジで!? って、あ!」

 

 適当な軽口を叩いていると、俺と銀の横を通り抜けようとした自転車に乗る少年が転んだ。

 純粋に下手なのか調子に乗ったのか、仕方なしに少年を助ける銀に消毒液と絆創膏を渡した。

 子供の世話をするのが上手なのか、泣き止んだ子供を見送り、少し進むと腰痛らしき老婆がいた。

 

 流石に銀が背負う訳にもいかず、俺が老婆の家まで背負って歩いた。

 幸いそこまで遠い場所ではなかったが、気が付くと夏の夕闇がにわかに迫って来ていた。

 午後の光が薄れ、空の淡い青色が、より深みのある青へとゆるやかに推移しつつあった。

 

「もしかして銀、キミってトラブルに巻き込まれやすい体質なのかな?」

 

「昔っからね……ついていない事が多いんですよ。ビンゴとか全然当たらなくて……」

 

「まあ、キチンと全員助けるのは偉いと思うよ」

 

「そういうわけじゃないですけどね、……というか亮さんだって手伝ってくれたじゃないですか」

 

「成り行きだ」

 

「もしかして、ツンデレって奴ですか?」

 

「うるさいぞ、トラブルメーカーめ。キミといると退屈だけはしなそうだな」

 

「あはは、そう言って貰えると何よりですよ」

 

 歩く。歩く。歩いていく。

 日差しが常闇に追われ、濃紺へと変わりつつある中で、己の両脚は向かう方向を決めていた。

 次第に無言となり、それでも銀と俺は、小さなトラブルを解決しながら歩いていく。

 

 他愛無い話をした。

 誰が好きで、普段はどんな事をしているか。

 人が減った道を、水に浮いたように出始めた星々が見下ろす中を、俺たちは進む。

 

 そうして。

 歩いて、歩いて、歩いて。

 ――やがて、俺と銀は曲がり角で立ち止まった。

 

「――――」

 

「……」

 

 左側への道は、俺が現在住まう別宅への道が続いている。

 もう一つの道は、駅へと続いているからか、見知った美少女が二人こちらに歩いてくるのが見えた。遠目に見える二人の少女、共に知っている少女の髪色は、艶のある黒色と稲穂のような金色。

 

「二人とも、すっかり見違えたなぁ……」

 

「東郷はともかく、園子はあんまり変わったとも思わないけどな」

 

「いやいや大将。ああ見えて園子も中々に立派な物に育ってるんですぜい?」

 

「知ってる」

 

「ははは……」

 

 楽しそうに、朗らかに銀は鈴音の笑い声を浮かべた。

 そんな彼女は、夕焼けの光に照らされて、薄く透けているように見えた。

 今にも溶けるように消えてしまいそうな少女を前に、俺の掛ける言葉は少なかった。

 

 ――指輪の熱は、すっかりと薄れていた。

 

「会わなくて、良いのか。キミの友達に」

 

「いいんです、あいつらの顔を最後に見れたので。……それに、アタシ達、ズッ友ですからね!」

 

「――――」

 

「今回は亮さんともダチコーになれましたしね! 大成果ですよ!」

 

「――――」

 

 安堵したような、俺を慈しむような瞳。

 何かを見て安心したような表情に、薄れていく彼女の姿は、まるで儚い夢のようで。

 咄嗟に伸ばしそうになった左手を俺は静かに握りしめ下ろし、そうして銀の瞳を見返す。

 

 灼熱の太陽の如く輝いた瞳は、事態への理解を示したように穏やかで。

 夜が迫り、この指輪の熱が消える時が、きっと彼女が消えるということで――。

 だというのに、何も出来ず、ただ無様に少女を見下ろすだけの瞼の奥が痛みを告げた。

 

「……亮さん」

 

「――銀」

 

「須美と園子のこと、これからもよろしくお願いしますね」

 

 夕焼けの光に照らされながら、銀は唇を緩めて言った。

 後悔はないと、銀鈴を思わせる声音が、俺の耳に聞こえた気がした。

 

「――またね」

 

「――――」

 

「――――」

 

 息を抜くように、下校時のような気軽さで。

 銀に別れを告げられた。なんてことないように、笑みを浮かべて告げられた。

 

 ――そして、夕刻の光に瞬きをすると同時に、彼女は消えた。

 

 あっさりとした別れであった。

 木登りから始まり、うどんを食べ、なんてことは無い日常の話をし、二人でアイスを食べて涼しみ、小さなトラブルを二人で解決していき、最後に風が連れ去るように銀は笑って消えた。

 

「――またな。ダチコー」

 

 それはきっと、運命の悪戯であったのかもしれない。

 それとも、神様が今日だけはと、何かのきまぐれで送り出したのかもしれない。

 いずれにせよ、俺は今日、新しい友人を得ることが出来たのだと、少女達の下へと歩き出した。

 

 歩き出した。

 

 

 




 ---
 お久しぶりです。
 リクエスト回となります。銀ちゃんは今作で初めて出ますね(IFは除く)
 本当は一切出すつもりは無かったのですが、まあ銀は可愛いなと思います。
 
 そして、宣伝を。
 この作品の派生、R-18版『果てなき夜で、貴方に愛を』を投稿しています。
 まあ、平和にかっきーが勇者とイチャイチャしているような作品です。良ければどうぞ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【短編】 誰もいないから

「――抱きしめると、凄いんだって~」

 

 その言葉に、加賀亮之佑は血紅色の瞳を向けた。

 どこか間延びした穏やかな声音が、すぐ隣に座る少女から発せられた。

 付き合いも長く聞き慣れた、見知った少女の声が独り言の如く、少年の耳朶に響く。

 

「――――」

 

 少年が向けた視線の先、隣のパイプ椅子に座る金色の少女。

 ワンピースタイプの制服に身を包み、長い金色の髪を白いリボンで束ねた少女だ。

 

「――――」

 

 乃木園子。正真正銘のお嬢様である彼女は、しかし亮之佑を見る事は無い。

 『サンチョ』というキャラを模した枕を抱えながら、器用に本に目を向けている。

 だからこそ、どこか独り言のような、聞いて欲しいような言葉に亮之佑は反応に困った。

 

 ペラリ、と単行本のページを捲る音が聞こえる。

 わずかに俯き、どこか真剣みを帯びた少女の視線は、連なった文字に注がれている。

 その眼差しの先にあるのは空想の御伽噺か、何かの学問書か、定かではない。

 

 ならば聞けばいいだけの話だ。

 「一体何を読んでいるのか」と。今更躊躇うような関係ではないはずだ。

 

「――――」

 

 だというのに、亮之佑は園子の横顔を見て躊躇していた。

 金色の髪、雪肌の如く白い肌、琥珀色の眼差し、形の良い眉、薄い唇と、ただ静かに見ていた。

 端的に言うなら、現実離れした超絶美少女の人形のような姿に、ただ、見惚れていただけだ。

 

 少年と少女の距離は近い。

 拳一つ分という隙間しかなく、少女の甘い香りすら仄かに感じられる程だ。

 このままずっとこうしていたいと、そう思える程に穏やかで、静かな空間であった。

 

 ――今は園子と亮之佑以外誰もいない。誰も。

 

「……抱きしめると、凄いんだって」

 

「……」

 

 再び、少女の薄い唇から金鈴の如き声が言葉を紡いだ。

 ゆっくりと息を吐くように呟いた少女の声は、しっかりと亮之佑に届いた。 

 

 ペラリ、と再びページが捲れる。

 少女の細い指が白い紙を捲り、本の中の文章を進めた証だ。

 繰り返すように告げた園子の言葉、しかしその眼差しは隣に座る亮之佑に向けられない。

 

 物語ならば、きっと何かしらの話が進んだことだろう。

 きっと、園子が好きそうな奇想天外な展開が目まぐるしく進んでいるのだろう。

 それだけ熱中する何かがある事も、そういう経験がある亮之佑にも理解はある方だ。

 

「――――」

 

 ただ、それでも個人的に一つだけ気になる事があった。

 ゆっくりと亮之佑は、己の右手の人差し指を無言のままで園子の頬に伸ばした。

 虚空を漂い、漂流したような動きだったが、目指す場所には何一つ間違うことなく届いた。

 

「抱き……」

 

「そい」

 

「……ん、ん……?」

 

 ふにゅんと指が少女の頬に触れた。

 柔らかでしっとりとした頬肉と、プリンのように指が沈む感触に、言いようのない感覚に襲われた。何度も触りたいと思う動きは少女の唇から息を漏らし、何とも言えない不思議な気分になった。

 

 思わず笑いたくなる程の心地良さに、亮之佑は小さく口角を上げた。

 こういった行動が一部の人間から悪戯っぽいと言われる要因だったが、どうでも良かった。

 他人の考えなんて物は脅迫したところで変わる訳ではない。どうしようもない部分は多々ある。

 

 何よりも、亮之佑がしたかったのは頬を突くことではない。

 それは手段でありながらも、決して目的ではなかったのだ。

 異物が頬に触れ続ける感触に、本に視線を向けていた園子は顔を上げ、琥珀色の視線を向けた。

 

 そうして初めて園子の瞳に亮之佑が映し出された。

 不満気に、それでいてどこか満足気な紅色の瞳の少年がゆっくりと頬から指を離した。

 

「えっと――」

 

「俺と話をしたいなら、キチンと目を見てからにして貰おうか。園子」

 

「……ぁ、うん。ごめんね~」

 

「いいよ」

 

 どこか呆然とする瞳に、亮之佑の言葉を噛み砕くのに時間は掛からなかった。

 理解を示し、謝る園子に頷き返しながら、頬を突きたがる指を拳を握り抑えながら告げた。

 

「それで?」

 

「うん?」

 

「抱きしめると凄いってのは?」

 

「う〜んとね〜、一日30秒抱きしめ合うと1/3のストレスが無くなるんだって~」

 

「凄いじゃないか。他には?」

 

 どこか楽しそうな顔をしながら、園子は亮之佑に説明した。

 サンチョを抱きしめながら柔和な微笑を浮かべる少女に、亮之佑は相槌を打つ。

 園子の言葉が正しければ、90秒抱きしめ合えばストレスフリーの生活が待っているのだ。

 

 疑う訳ではない。相手は園子なのだ。

 亮之佑にとって、この世界で少ない信頼と信用のおける少女の言葉である。

 

「他には不眠にも効くんよ。あと多幸感も増えるって~」

 

「ほう」

 

 聞く限り良い事尽くめである。

 この世界では確認されていないが、旧世紀の外国人のハグの効果は高いらしい。

 医療でも『ハグヒーリング』なる物があるのだと力説する園子の語りに亮之佑は頷いた。

 

「そうなんだ」

 

「かっきー、今日は反応が薄いよ。大丈夫? 疲れてない? ハグしよ?」

 

「急だな。園ちゃんらしいけど」

 

「わ~! 褒められた~」

 

 だからこそ、両手を広げ小首を傾げる園子の言葉に対しての驚きは少なかった。

 何となくではあるが、付き合いの長さも相まって彼女がこう言ってくる予感はあった。

 椅子に腰掛け、重心を亮之佑の方に傾けながら向けられる園子の視線を亮之佑は見返す。

 

「……まあ、いいけど。なんか今更感というか、それ以上の事も」

 

「かっきー」

 

「独り言だよ」

 

 何かを口走りかけた亮之佑の名前を園子は呼ぶ。

 特に意識する程の事ではない。ただ抱きしめ合うという行為でしかないのだ。

 ただ場所が場所である。亮之佑と園子、二人がいる場所はお互いの家ではなく学校なのだ。

 

 即ち、現在他の部員たちが留守にしている部室にいる。

 既に放課後ではあるが、それでも壁に耳あり障子に目ありという言葉がある。

 尤も、『夜の奇術師』という評判は凄まじく、様々な噂が有象無象の間で既に流れているが。

 

「そういうの私、気にしないよ~」

 

「……そっか。そうだったな」

 

 噂や見た目、評判で人を評価しない。

 言葉にすれば簡単だが、実際に行動できる人間はほんの一握りしかいない。

 目の前のフランクで温厚な彼女であっても、『乃木』家であるというだけで自然と避けられた。そんな風に神樹館小学校ではお互い以外に友達が出来なかったのは懐かしい話だ。

 

 ゆるりと立ち上がる亮之佑とほぼ同時に園子は立ち上がった。

 中学生故かあまり身長に差は無く、僅かに園子が亮之佑を見上げる程度である。

 

「それで……どうすればいいんだ?」

 

「抱きしめ合うだけだよ~」

 

 向かい合い尋ねる亮之佑に、端的に告げる園子の頬にはわずかに朱が差していた。

 そんな少女を前にして、照れ臭さに亮之佑の頬が不自然に緩みかけるが、辛うじて自制する。

 

「じゃあ」

 

「うん」

 

 一歩分の距離。

 お互いに言葉少なにその距離を縮め、亮之佑は園子を両腕で抱きしめた。

 

「――――」

 

 細く、柔らかく、暖かい身体に腕を回す。

 背中に回した手が長い金色の髪の毛に触れ、同時に少女の香りが鼻腔一杯に広がる。

 そうして数秒の内に、亮之佑の背中に感じる園子の手の感触にゆっくりと力を抜いた。

 

 鼓動が聞こえた。

 トクン、トクン、と目を閉じると感じられる心の鼓動が身体を通じて聞こえる。

 息を吐き再び吸い、肺に息を入れながら、安らぎという意味を亮之佑は真に知った気がした。

 

「……幸せ」

 

「――――」

 

 神経が過敏になったようだった。

 ボソリと呟かれた少女の声、安心したような声音で亮之佑に囁かれた。

 脳に直接響くような言葉に同意の意味を込めて腕に力を入れると、「ん」と少女の声が漏れる。

 

「……そうだな」

 

 10秒、20秒、30秒。

 それ以降の時間を数え忘れて、それでも亮之佑は園子から離れることが無かった。

 タイミングを失くした訳ではない。嫌なんてはずがない。単純にこのままでいたかった。

 

「こうしていると、落ち着くよ。毎日したいくらいだよ」

 

「……本当に~……?」

 

「ああ、本当さ」

 

「…………そっか。分かった」

 

「何が?」

 

「明日も、明後日も、かっきーと抱き合うんよ」

 

「それも……いいかもな」

 

 それは紛れもなく奇術師としてでも勇者としてでもない、亮之佑の本心だった。

 二人を除き、誰もいない静寂、静けさだけが広がる部室でただ抱き合う男女。

 割れ物を扱うように、愛おし気に、優し気に背中に触れる園子の手の感触が伝わる。

 

「――――」

 

 人肌は心地良かったが、だからこそ、それに溺れてしまいそうで怖かった。

 まるで大切なモノを扱うような、繊細な手つきが、亮之佑を大事にしていると分かって。

 

「もう少しだけ、こうしていたいな~」

 

 少女の頬の感触が亮之佑の頬に軽く触れる。

 二つが一つになったような触れ合い、目を閉じると伝わる二つの心の鼓動は穏やかだ。

 

「――――」

 

 離し時を見失って、背中に回した手はそのままで。

 その柔らかさが、その香りが、その暖かさが、その言葉が亮之佑に染み込んでいく。

 

「……」

 

「かっきー?」

 

「――。園子を抱いていると落ち着くよ。だから、これからはこうして抱き合ってもいいかもな」

 

「――かっきーは私のこと、スキ?」

 

「ああ、好きだよ。本当に。……さ、そろそろ他の部員たちが帰ってくるぞ」

 

「かっきーがデレた~!」

 

「冗談だ」

 

「わわ!? どっちが~?」

 

 そっと離れた残り香が亮之佑の鼻腔をくすぐる。

 そうして離れながらも目の前の少女に血の瞳を向け、少年は薄く微笑んだのだ。

 

 

 




ハグって浮気防止の効果もあるらしいです。
ちなみに今話は何かの記念日でもなく、ふと思いついた小ネタです。
そして誤字報告、評価、感想。ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【短編】 いつか死ぬまで

 息を吸っては静かに息を吐く。

 肺の中に空気を入れて、再び外へと吐き出していく行為。

 

 その行為を意識的に繰り返しながら、赤い髪の少女はふと窓を見る。

 窓から見える景色、眼前に広がる土と草木と華と、青色の空がどこまでも広がる。

 幼さのある顔立ちの少女は、薄紅色の瞳に窓から見える景色を映しながら小さく呟いた。

 

「春だね」

 

「……そうね」

 

 小さく呟かれる言葉に同意する言葉。

 後頭部で纏めた髪を揺らし、その声音が聞こえた方向に少女は顔を向ける。

 彼女が視線を向ける先、長い黒髪を青いリボンで束ねた壮麗な少女が頷き返す。

 

「今日はぽかぽかしてるね……東郷さん」

 

「そうね、友奈ちゃん」

 

 窓から見上げた空は一面が青色と白色に彩られている。

 小さく開けた窓からは静かに風が入り込み、少女の髪をたなびかせる。

 

「こういう日は外で鬼ごっことかしてみたいね!」

 

「ふふっ……友奈ちゃんったら……、みんなに連絡してみる?」

 

「……ううん、言ってみただけだよ」

 

 今日は久方振りに天気が良いと、少女達の考えは一致していた。

 既に勇者部でお花見も済ませたが、再び行きたくなるような天気だ。

 

 ――だが、今は難しいだろう。

 

「――――」

 

 東郷の視線を受け友奈はわずかに俯く。

 それは後ろめたさではなく、単純にその視線に誘導された結果に過ぎない。

 

「――――」

 

 友奈の膝の上で寝ている少年。

 死んでしまったのかと思うくらい、少年の寝顔は静かなものだった。

 特別に寝不足というわけでもなく、最近は『勇者』としての活動も少ない方だが――、

 

「亮くん、大丈夫?」

 

「うん。きっと、もう少しすれば起きるよ」

 

「……そう」

 

 最近、電池が切れたように少女の膝の上で亮之佑は眠る時がある。

 金色の長い髪が特徴的な少女の癖が移ったように昼寝をする少年を少女は見下ろす。

 額を撫で、睫毛を指で弄り、寝顔を自由にする友奈の隣に腰掛ける東郷は周囲を見渡す。

 

「――――」

 

 畳と障子、和を中心とし、バリアフリーの痕跡の残る屋敷のとある一室だ。

 東郷の住まう屋敷の一室、目の前の二人が訪れた際に真っ先に案内する自室だ。

 赤い髪の少女はともかく、東郷が見下ろす黒髪の少年が寝るのは珍しく――嬉しく感じる。

 

 他人の家で眠るという行為。

 一部の人間を除けば、それはある程度の信頼が培われなくてはあり得ない行為だ。

 乱れた少年の髪の毛に手を伸ばし、そっと指で弄りながら東郷はそんな事をふと思った。

 

「ねえ、友奈ちゃん」

 

「なに……?」

 

「ぼた餅、食べる?」

 

「ありがとう。……でも、せっかくだし亮ちゃんとも一緒に食べたいなって……」

 

 自然と小声になり、少年を起こさないように友奈と東郷は顔を合わせ囁き合う。

 そんな気遣いの精神より生まれた行動故にか、死んだような寝顔の少年は目覚めない。

 スカートとハイニーソの出で立ち、時折太腿に髪が擦れくすぐったそうにする少女は微笑む。

 

「ねえ、友奈ちゃん」

 

「何? 東郷さん」

 

「30秒間抱きしめ合うと身体のストレスが随分減るらしいっていうの……知ってる?」

 

「うん、園ちゃんから聞いたよ!」

 

 そんな少女の隣で、薄青色の洋服に身を包む東郷も言葉少なに微笑み返す。

 そうして数分が経過した頃、赤い髪の少女の膝に頭を乗せていた少年は身動ぎした。

 

「――ん」

 

「ぁ、起きたよ、東郷さん」

 

 瞼を震わせ、血紅色の瞳を覗かせた少年。

 その瞳は虚ろながら、ぼんやりと周囲を見渡し二人の少女と視線に気づいた。

 徐々に意識の覚醒に伴い、瞬きを繰り返す少年はしばらく少女達と視線を交わらせる。

 

「おはよう、亮くん」

 

「おはよう!」

 

「ああ……おはよう」

 

 欠伸を噛み殺し、僅かに残った眠気に抗いながら亮之佑は身体を起こした。

 友奈の腿肉の感触を惜しく感じつつも起き上がり、東郷の姿をぼんやりと見つめる。

 

「大きいぼたもち」

 

「……亮くん?」

 

 正確には東郷の首から下部分を見ながら亮之佑は呟いた。

 その言葉の真意を数秒で理解した東郷は、静かに微笑みながら少年の名前を呼んだ。

 

「あ、いえ……マッサージ、じゃなくて……、二人とも何の話をしてたんだ?」

 

 取り繕うように口を開く亮之佑に東郷は疑惑の視線を向ける。

 完全に目覚めたのか、その視線を受け流しながら余裕の表情で少年は応じた。

 

「えっとね、ハグすると凄く身体に良いんだってって東郷さんと話をしてたんだよ!」

 

「ああ……なるほど」

 

 天真爛漫な笑顔を見せる友奈に小さく微笑みながら亮之佑はコクリと頷く。

 どこかで聞いたような話だが、発生源を気にしてもどうしようもないだろう。

 もしかしたら、ネタを発掘する為にと手帳片手にどこかに潜んでいるかもしれない。

 

「いいんじゃない? 二人でやってみたら?」

 

「りょ、亮くん!?」

 

「うん! それじゃ……東郷さんにハグー!」

 

「ぁ……ッ、も、もう……友奈ちゃんったら」

 

 何となくして欲しそうな顔をしていた東郷に友奈は笑顔で抱き着く。

 百合の花が咲いた光景に欠伸をする亮之佑だったが、ふと思いつきで呟いた。

 

「あれって一人で1/3減るから、二人で抱き着けば2/3減るんじゃね?」

 

「そうなの?」

 

「たしか、交互にやるか、一緒に抱き着くかだったような……そうじゃないような」

 

「そっかー」

 

 東郷に抱き着きながら亮之佑と話をする友奈。

 おずおずと両手を友奈の背中に回しながら東郷は慌てたように口を開いた。

 

「あ、あの、友奈ちゃん」

 

「亮ちゃんも東郷さんに抱き着いてみて!」

 

「よしきた」

 

 無邪気な笑顔を浮かべながら友奈はそんな事を言った。

 ほんわかと笑みを浮かべる友奈に笑みを返しつつ亮之佑は東郷に近づく。

 わずかに邪悪な笑みを混ぜながら、抱き着かれ動けない東郷の背後に迫る。

 

「ぐへへ……」

 

「あ、あの、亮くん?」

 

「東郷さんをサンドイッチだー!」

 

 何かあっても寝起きだからという理由にしよう。

 すっきりと醒めた意識の下、亮之佑はすぐ近くにいる東郷の背中に抱き着いた。

 後悔はなく、むしろ乗り気で少年は黒髪の少女と赤い髪の少女を両腕に抱いたのだった。

 

 

 

---

 

 

 

「カップラーメンってさ」

 

「ん……?」

 

 静寂の空間を切り裂くような言葉、唐突な少年の言葉に友奈は耳を傾けた。

 加賀別宅のリビングにて、訪れていた友奈に構う黒髪の少年は台所から口を開く。

 

「カップラーメンってさ、たまに食べると美味しいよね」 

 

「そうだね!」

 

「寒い時に、ここぞって時に食べると良い感じだよね……分かる?」

 

「今日は少し寒いもんね」

 

 明るい同意の声、柔らかな少女の声音を聞きながら少年はケトルを手に取る。

 ヤカンでお湯を沸かすのも良いが、最近買ったばかりだからか何度も使いたくなるのだ。

 

「あ、もしかして」

 

 開口一番、亮之佑の言葉に何か気付いたのか友奈も台所に脚を向ける。

 ふわりと柔らかな石鹸と少女の香りが鼻腔をくすぐり、自然と明るい髪に目が向く。

 ポニーテールにした髪、うなじが見える白い首筋は噛みつきたくなる程に綺麗だ。

 

「ん、まあ……な。夕飯にはまだまだ時間はあるし。ところで友奈って味、何が好きだっけ?」

 

 そんな年頃の男子的な衝動を抑え、亮之佑は視線を逸らす。

 その視線に気づきながらも後頭部の髪を揺らし、微笑み掛ける友奈は答えた。

 

「うーん、どれも好きだよ。亮ちゃんは……」

 

「味噌味」

 

「ザ・亮ちゃんって感じだね」

 

「……うん?」

 

 独特の表現だと思いながら戸棚から取り出した適当なカップ麺の容器を見せる。

 醤油味や塩味などを見せ、目線で選ばせながらお湯が沸くのを亮之佑は待った。

 顎に指を置き、ムムム……と形の良い眉をひそめた少女は数秒程で醤油味を選んだ。

 

「そういえば、この前駅前に新しいラーメン屋さんが出来たんだって」

 

「ふーん。今度行ってみる?」

 

「そうだね。園ちゃんも誘ってみようと思うんだけど」

 

 蓋を半分まで開き、お湯が沸くのを二人、亮之佑と友奈は待つ。

 背中を壁に預け、肩に感じる少女の体温と香りに少年は小さく欠伸をした。

 

「大丈夫?」

 

「いや、最近妙に眠くて。まいったね」

 

「……」

 

 軽い冗談で笑う亮之佑だったが、隣の少女の反応は乏しい。

 わずかに顔を向けると、どこか心配したような表情で友奈が距離を縮める。

 そうして元々無いような距離は縮まり、正面から見据える形で向かい合う。

 

「――本当に大丈夫だよね?」

 

 どこか不安気な表情を友奈は見せた。

 そんな表情を作らせた事に、少年は酷く心を軋ませた。

 

「ただの寝不足だよ。大丈夫だよ」

 

「……そうだよね」

 

「たぶん」

 

「ぇ」

 

 口角を上げ小さく笑いかける。

 そうして少女の小さく柔らかい手を握り、安心させるように微笑む。

 

「そうだな……、今日友奈と一緒に寝たら解消されるかも」

 

「……じゃあ、泊まる」

 

「……」

 

「……」

 

 ムムム……としばらく友奈と睨めっこしていると、ケトルの蒸気が噴出した。

 お湯が沸き、目を離したのはどちらが先か、亮之佑はケトルを手に取った。

 同じく無言になった少女は一歩離れ、コポコポと音を立てて熱湯が容器に注がれるのを見る。

 

 この世界に生を受けたが、以前の世界と似た物を見つけた時は衝撃的だった。

 その時の事を思い出しながら、お湯を注いだ容器に蓋をし、亮之佑は口を開いた。

 

「この3分間って異様に長く感じるんだけど、どう思う?」

 

「どう? ……うーん、長い、かな?」

 

 亮之佑の問い掛けに小首を傾げた友奈はそう答えた。

 その答えは概ね同意見であると亮之佑は思いながら隣の少女に目を向ける。

 

 無防備とも、無警戒とも言える距離感なのは、今に始まったことではない。それだけの信頼を構築できたのだろうかと、しかし口にも出し難いという微妙な心境だと何気なく少女の手を手に取る。

 特に抵抗もなく薄紅色の視線を向けられながら、友奈の手に亮之佑は関心を向けた。

 

 暖かく生気を感じる少女の白く滑らかな手だ。

 この拳で、『勇者』として多くの敵を屠ってきたのだと感慨深く感じる。

 

「んっ……どうしたの?」

 

「いや、人肌が恋しい時期だなって」

 

「そっか」

 

 ただいつまでも触れていたいと感じる少女の手の感触。

 玩具を弄るように、ただしこの世の何よりも繊細に扱う亮之佑に友奈は小さく声を掛けた。

 

「寂しがり屋だもんね、亮ちゃんは」

 

「――――」

 

 視線を手のひらから上に上げると少女の瞳と交錯した。

 肩に掛からない程度の赤い髪を揺らし、その薄紅色の瞳を亮之佑に向け、薄く微笑む。

 

「寂しがり屋……ね。なら構ってくれないと気付いたら死んでるかも」

 

「それは嫌だよ。亮ちゃんには長生きして欲しいよ!」

 

「――――」

 

 長生きして欲しいと、孫が祖父母に言うような文言を友奈は告げる。

 告げた言葉に偽りなど無いと、本心であると告げる少女の瞳に亮之佑は吐息をした。

 小さく「は」と吐息をし、やがて少しずつ喉を震わせる笑い声へと変わった。

 

 加賀亮之佑は笑った。

 『勇者』としてではなく、誰かの為の『奇術師』としてではなく、素の亮之佑として。

 

「本当、友奈って……、そういうところだよ」

 

「ええ!? もしかして怒ってる?」

 

「まさか。ぐうの音も出なくて面白かったのさ」

 

 肺の中の息を吐き尽くして、再び息を吸い込む。

 どこか生活臭のある空気を新鮮な物に感じながら亮之佑は小さく笑った。

 そうして、目の前に置いてある蓋をしたカップ麺の容器に手を伸ばした。

 

 3分など気が付けばあっという間であった。

 長いと友奈は言っていたが、亮之佑にとっては短いとすら思わせた。

 結城友奈が傍にいるだけで、日常の退屈も停滞も消え失せてしまうのだから。

 

「――そうだ、友奈の元気を分けてちょうだい」

 

「うん!」

 

 いつか行ったやり取り。

 友奈の手のひらは温かく、不思議と活力が湧いてくるのを感じた。

 

「あっ! そういえば、亮ちゃんの味噌味も美味しそうだね」

 

「……一口の交換で手を打とう」

 

「にゃす!」

 

「―――。昔、思っていた事だけどさ……」

 

「うん?」

 

「生きてても良い事なんて無くて、最後はどうやって死のうかって考える事が多かったけど」

 

「――――」

 

「今はもう、そんな事はないよ」

 

 

 

 ---

 

 

 

 かつて、絶望と後悔の果てに死んだ男がいた。

 生前の思いを苦渋の糧に、決して停滞も後悔もしないと男は誓いを立てた。

 

 己の人生という旅路を誰にも邪魔させないと歩みを止めずに。

 第二の人生で、神を殺し、少しずつ退屈に殺されかけた男は。

 

 愛する少女達と共に、生きていく。

 少しの停滞を、日常として受け入れて、生きていく。

 

 ――いつか死ぬまで、幸せに、生きていく。

 

 

 




平成最後の日という事で。
多くの感想、評価、お気に入り、誤字報告、ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【番外】 「ぼた餅、お持ち帰りで」

「久しぶり」

 

「……? あぁ、独り言ね?」

 

 コクリと頷くと安心したような微笑で少女は前を向く。

 頭のおかしい人だと思われたのだろうか。それは今更か。

 挙動のおかしい奇術師を無視し、或いは既に受け入れているのか、少女は話題を提示した。

 

「それで、この後なんだけどね」

 

「……」

 

 思考を切り替え、隣を歩く少女に目を向ける。

 春が来て、夏を過ごし、今年も秋が来た。去年の今頃は何をしていたのかを考えると、恐ろしいと思う程度には平和である。それが例え、束の間でしかなくともだ。

 

「聞いてるの? 亮くん」

 

「ああ……、聞いてるよ、東郷さん」

 

 濡羽色の髪は艶を帯び、深緑色の瞳はいつ見ても吸い込まれる。

 いっそ溺れたくなるような微笑は、時折街を歩く有象無象の視線を惹きつける程には大和撫子然とした美少女であると思うのは、親友兼、戦友兼、■■としての自惚れではないだろう。

 彼女は、東郷美森は亮之佑の目から見ても間違いなく美人だ。

 

「ぁ……、ありがとう……」

 

 大きな瞳で幾度か瞬きをする彼女は、ふいっと奇術師から目を背ける。

 相も変わらず白皙の肌は朱色に染まる瞬間が分かりやすく、愛らしく感じる。

 歩く度に微かに揺れ動く双丘、クリーム色の縦セーターと黒色のスカート、黒タイツといった格好は何といえば良いのだろうか。プレゼントした本人としては着用してもらえて嬉しい限りだ。

 

 ――DT殺し(キラー)が歩いてるよ。

 

 ――なんであんな服を。

 

 ――ふぅ。

 

 ――かきわし……。

 

 どこか遠くで聞こえる奇声に耳を傾ける奇術師ではない。

 確かに彼女はある属性を持った人間を、視覚を通じて殺害できる服を着用している。

 だが、流石に外で雪肌のような白い背中を街中で晒すような真似をする少女ではないし、流石に亮之佑も止めている。何が悲しくて他の人間に彼女の素肌を見せなくてはならないのだ。

 

 背中部分は追加で着用している蒼色のシャツで隠されている。

 だが、何も肌を隠せば、衣服を着用すれば何も問題が無いのだろうか。

 奇術師が思うにだ、巨乳+縦セーターというコンボの方が、凄まじい破壊力を秘めていると思わざるを得ない。

 

 その破壊力は、パンデミック感染に匹敵する。

 視覚の制御を破壊し、神経を伝い、思考と脳の回転を止めてしまうのだ。

 一言で言えば、“エロい”。この一言に万感の思いが凝縮される。

 

 閑話休題。

 

 現在、奇術師と黒髪の少女は二人きりだ。

 とはいえ、何もいかがわしい事をしている訳ではない。

 健全たる日の当たる下、彼女の買い物に付き合うという形で休日を過ごしている。

 

「亮くん、これなんてどう?」

 

「微妙」

 

「じゃあ、これは?」

 

「うーん、似合うと思うけど……」

 

「……これは?」

 

「――! 良いと思います」

 

 亮之佑の買い物は基本的に即決だ。

 視覚情報を基に、九割を己の直感に従い購入している。

 たまに後悔することもあるが、それでも止めないのはあまり時間を掛けたくないからだ。

 

 買い物が嫌いという訳ではない。

 選ぶ時には最低限似合う物を心がけており、適当に選ぶつもりは毛頭ない。

 ただ、あれも、これも、と目移りしていれば買う物も買えず、効率的とも言えない。

 

 ただの買い物に効率など求めても仕方がないかもしれない。

 そう口に出した途端、全国の女性陣を敵に回しそうなので絶対に言わないのだが。

 

「試着してきたら? 似合うと思うよ」

 

「……そうね」

 

 何を考えているのか。

 薄青色のシルクのパジャマを手に取った少女はいそいそと試着室に入った。

 漆黒の黒髪を束ねる青色のリボンがカーテンに消えるのを確認すると、そっと椅子に座った。

 

 試着室の前に置かれた四角状の椅子。

 店員の細かな配慮に感謝の念を抱きつつ、亮之佑はそっと目を閉じた。

 ――衣擦れの音と、パサリと衣服が床に落ちる音が聞こえた。

 

 ふと、このままカーテンを開けたらどうなるのだろうかと思った。

 彼女は許してくれるだろうか。涙目で羞恥に顔を赤くし、赫怒を表情に宿すのだろうか。

 笑って試着室に招いてくれるならば嬉しいが、それを東郷に求めるのは性格的に厳しいか。

 

 座っては立ち上がり、立ち上がっては座り込む。

 別段筋トレをしたい訳ではないが、絶賛奇術師の頭の中では戦争中だ。

 隙間から覗けという悪魔の声と、紳士らしく黙って待てという神による果てなき戦いが。

 

「――――」

 

 最低限気を紛らわせる為に、この時間を何かに使うとしよう。

 亮之佑は無言のまま携帯端末を取り出し、弄り始めた。すると、

 

『――お元気ですか?』

 

 いつの間にか防人の人間から連絡が来ていた。

 カーテンの下から僅かに覗く隙間、忙しなく動く少女の影を目端に捉えつつ、返事をする。

 

『元気だよ、スマホちゃんと使えてる?』

 

『はい! 防人の皆さんに教えてもらいましたから。ばっちりです』

 

 要するに、電波塔の復旧には成功したという事である。

 僅かに聞きたい事とは異なりつつも、この通信が成り立つことが答えだろうか。

 現在、彼女達防人チームは、ひとまず敵がいなくなった近畿地方に拠点を作成中である。

 

 とはいえ、最前線にいることには変わりない。

 今も巫女である亜耶は戦闘においての力を持たないが、その存在は確かに防人達の支えだ。

 

『何してるの?』

 

『お掃除中です』

 

『そっか』

 

 たまにこうして、亮之佑は亜耶と連絡を取る。

 別に連絡を取るのならば彼方のリーダーに取るべきなのだが、それはそれ、これはこれだ。何よりも今回こうして他愛の無い話をするのは、友人として変なことではないだろう。

 女の買い物と着替えは長いと決まっている。少しくらい時間を潰しても良いだろう。

 

『そちらは何をしているんですか?』

 

『東郷さんと買い物』

 

『それって、もしかしてデートじゃないですか!!』

 

『そう?』

 

『はい! ……あれ? でもこの前は友奈さんで、その前は樹ちゃんで、その前は……』

 

 どこの世界でも、人間関係とは複雑な物なのだ。

 ただ、複数の異性と買い物をする程度には、亮之佑の人間関係は愛憎入り乱れている。

 奇術師の真相に無垢な少女の瞳が濁る日を予感し、小さく口端を緩めつつも端末を弄る。

 

 俗世から隔絶された場所に住んでいた亜耶にとって、神樹への信仰だけが自己の全てだったのだろう。

 それが、防人と出会い、勇者部と出会い、世界を知り、己の世界を広げていった。

 何も知らない無垢で汚れを知らない少女に、少しずつ彼女を成長させる『色』が付着する。

 

 それはきっと、良いことなのだろう。

 世の中には知らなくて良いこともあるだろうが、周囲が彼女を守るだろう。

 

「亮くん、亮くん」

 

 やがて友人との通話を終え、端末を仕舞う少年に、僅かに喉を震わせる少女の声が届く。

 薄布一枚を隔て、黒髪の少女は着替えた自らの姿を見せる訳でも無かった。

 確かに、『試着=相手に見せる』といった方程式が正解という訳ではないが、少しぐらい少女のパジャマ姿を見せてくれても良いのではないのだろうか。

 

 そんな事を考える自らの思考が伝わったのか。

 ゆっくりとカーテンの端を掴む、白く細い少女の指が焦らすようにカーテンを開く。

 パジャマを着用した少女は、ジッと見られることに羞恥を覚えたように柔肌に朱色を差した。

 

 彼女が好みそうな薄青色のパジャマだ。

 昨日履いてた下着と同色のゆったりとした衣服は、主に一部が盛り上がっている。

 東郷のぼた餅がやはり勇者部随一であることが間違いないのは、不変の事実なのである。最近加速的に彼女の母性が、色気が磨かれていると感じる奇術師は静かに吐息した。

 

「どう……?」

 

「――――」

 

 控え目に言って、可愛らしい。

 十五歳の少女。青春真っ盛りの巨乳JCの新規パジャマ姿だ。ひゃっほー!!

 これがガチャならば、大衆はその姿を収めるべく、課金という一線を越え、やがては脳汁を噴き出すことへの快感の為に回し続けるのだ。経験者には分かる。札をカードに変える姿が見える。

 

 パジャマは別に露出が激しい訳ではない。皆無だ。

 だが、恥ずかし気に佇む少女の生活の一部を感じさせる装いに、心が震える。 

 

 奇術師の思考は燃え上がった。

 燃え上がった思考は、すぐに鎮火された。

 一定のラインを超えた畜生の変態思考は、紳士的に消し飛ばされたのだ。

 

「これ……買うわ」

 

 彼女の眼差しが決意に満たされる。

 その要因として、亮之佑は一言も喋ってはいないのだが、何かを感じ取ったらしい。

 一度凝り固まった彼女の思考は解すことは難しく、何より奇術師は解すつもりはない。

 むしろ嬉々として勧めた。

 

 

 

 +

 

 

 

 休日に少女と過ごす平和な一時は、何物にも代えがたい。

 平和過ぎて、人気のないベンチで奇術師の肩を枕にして眠ってしまっても許されるだろう。

 普段の戦闘からの疲れが溜まっていたのかもしれない。しっかり休んで貰いたいものである。

 

「すぅ……」

 

 それなりの荷物を片手に持ちながら、亮之佑は隣の少女に目を向ける。

 年甲斐もなくはしゃいだと言うにはお互い肉体的には若いのだが、そういう時もあるのだろう。これが見知らぬ人ならば美人でも何でも立ち上がるのが奇術師だが、相手は向かいの隣の家のお嬢様だ。――もう、他人ではない。

 見知らぬ相手ではなく、むしろお互い殺し合う程度には仲も良いと奇術師は思う。

 

「んん……、そのっち……それは違うわ」

 

 寝言を呟く少女の寝顔は年相応だ。

 普段の落ち着いた雰囲気は霧散し、柔和な表情の東郷は夢の中で園子とよろしくしているらしい。具体的には何かを論破しているようだが、それ以上の内容は亮之佑には見通せそうにない。

 

 僅かに身じろぐ少女は簡単には目覚めない。

 いい感じに寒くもなく暑くもない本日の午後。

 普段は絶対に見ることの出来ないであろう少女の寝顔を外で拝む機会はそうそう無い。

 

 月明りや薄光ではなく、太陽の下での少女の寝顔。

 これを撮らない男など、獣にも劣る存在に成り下がるのは間違いないだろう。

 

 ――キミは畜生だけどね。

 

 一瞬、何かを受信した。

 具体的には首にかけた指輪から。

 

 しかし彼女が何かをすることはないだろう。

 唯一神ではなく、悪魔を信仰している最も近しい信者に何かをするとは思わない。

 血紅色の悪魔は言った。少しくらい寝顔を撮って、少しくらい触ってもいいだろうと。

 

「ぼたもちぃ……っ!! すぅ……」

 

「――!」

 

 突然、それなりの音量で声を上げる東郷。

 一瞬心臓が止まる程度には驚く奇術師だが、大きな寝言だったようだ。

 密着する彼女は肩どころか、僅かに身体の重心をずらすだけでもたれかかってくる。

 

 完全に奇術師は大和撫子の枕だった。

 或いは、そっと膝に頭を預けさせる高性能のベッドだろうか。

 

「これは有罪(ギルティ)ではないな」

 

「ぅ……ぁ」

 

 ふにゅん、と服の上からでも分かる豊かな双丘が膝の上にぶつかるのは事故だ。

 寝言を呟きながら、内容を聞く限り何とも言えない世界観の中に東郷はいるらしい。

 手持ち無沙汰の奇術師は、少女の髪の毛や乱れた衣服を整えながら少女の顔を見る。

 

 随分と無防備を晒している。

 まるで赤い髪の少女のように。

 

 ここが神世紀ではなく、奇術師がかつていたあの地獄だったら、今頃は悲惨な目に遭っているのは間違いないだろう。二度と家の外には出られないような、具体的にはR-18な展開どころか陰惨な鬱のある展開に繋がるだろう。

 

 ふにふに。

 ぷにぷに。

 ふゆんふゆん。

 

 おっと手が滑った。指が踊り、触覚が歓喜の声を上げた。

 基本的に紳士な亮之佑は、こうして安心したように眠りこける少女の頬の感触を弄び、愉しむ。驚く程にきめ細かく、雪肌のように白い乙女の柔肌を蹂躙する楽しみにしばらく耽った。

 

「んやぁ……」

 

 突く指が嫌なのか瞼を震わせる少女は、しかし起きる様子は無い。

 繊細な手つきで、卑猥な手つきでガラス細工に触れるような奇術師の指先は、触り過ぎて少女を起こすというような素人がよく行う単純な過ちは起こさない。周囲から見ればただの変態だが。

 

「ん、ん……ッ」

 

 起きるか、起きないかの境界を見極める。

 開閉する薄い唇の隙間から覗く透明な糸、手のひらに掛かる吐息は僅かに熱が籠っている。そっと額に手を添えて確認するが別段熱がある訳ではない。東郷は少し体温が高いようだ。

 

「――――」

 

 こうして隣人の顔をマジマジと見る機会はない。

 起きている時に見つめ合うと、先に目を逸らされるか、顔を赤らめられるのだ。睨めっこは多感な少女には厳しいのだろう。いつだったか、顔を背ける東郷と目を合わせようと彼女を中心に一周して怒られたのは懐かしい話だ。

 

「ん……? ふわ……」

 

 膝を枕にしている少女の長く艶のある髪の毛に触れて遊んでいると、やがて体力が回復したのか、小さく欠伸をする少女は薄く瞼を開いた。蕾が花開くように開かれた深緑の瞳は透き通る程に美しく、何度見ても飽きるという事は無い。その未来も来ないだろう。

 

「――りょう?」

 

「――――」

 

 しばらく見つめ合う二人。

 人気のない公園で、否、多少人はいるが誰も近寄らない木陰のベンチ。

 

 ――これはメモらないと~。

 

 ――わしかき? かきわし……?

 

 ――こんな外でなんて……ぼた餅ね。

 

 ――きっとこの後あそこの茂みで……ぼた餅。

 

 遠くで聞こえるBGMはこの公園専用なのだろう。最後の声の持ち主の顔は覚えた。

 茂みや遊具付近から聞こえる楽しそうな、愉しそうな声音の持ち主とは後で話をするべきか。否、奇術師としては特にネタにされて困る事と言ったら、眠る少女の身体をぷにぷにした程度なので大丈夫だろうか。

 

「だ、大丈夫じゃないよ!?」

 

「おはよ」

 

「お、おはよう……ございます、亮くん」

 

 少女の覚醒は早かった。何故か敬語だった。

 奇術師の指先を掴み、しばらくぼんやりとしていたが、青空の下、遠くから聞こえる声を運悪く拾ったのだろう。聡明な頭脳は誰を指しており、誰を揶揄っているのかを理解したようだ。

 

 羞恥に悶える少女が突然上体を起こし、あわや衝突の事故になりかけた。回避に成功した事に喜ぶ思考を余所に、「あー」とか「うー」とか形の良い耳まで赤くする少女は唸り声を上げながら奇術師と目を合わせない。

 

「と、取り敢えず亮くん、今日は帰ろう?」

 

 涙目で上目遣いをする少女の言葉には賛成だった。

 遠巻きに暖かい目を向けられている二人はそのまま茂みに――ではなく公園を抜けて自らの邸宅へと、何故か少年が少女に手を引かれる形で足早に移動することとなった。

 

 

 

 +

 

 

 

「あ! 東郷さーん!」

 

「……! 友奈ちゃん」

 

「亮ちゃんも! こんばんはー」

 

 コンビニ帰りの少女と帰り道に出会った。帰り道というか家の前で。

 ほにゅんとした快活な笑みを向ける少女は今日も可憐だ。明日も、未来永劫。

 満開した桜のような笑顔を向ける友奈は、後頭部で纏めた髪を振り東郷に笑い掛ける。

 

「楽しかった?」

 

「え、ええ……。今度は友奈ちゃんも一緒に……」

 

「そうだね! みんなで一緒に行こうね!」

 

 にこにこと楽しそうに笑う友奈に釣られて、東郷も微笑を浮かべる。

 あはははは。うふふ。

 

「あれ?」

 

「どうしたの? 友奈ちゃん」

 

 小さく小首を傾げる友奈は、そっと東郷の白い頬に手を伸ばす。

 既に薄暗くなりつつある時間帯、夕日は姿を消しつつある中で、友奈は東郷に尋ねた。

 

「東郷さん、頬に何か跡がついてるよ? どうしたの?」

 

「――――」

 

「これって……」

 

「その、少し眠っちゃって……、それで」

 

「そっかー! 珍しいね」

 

 少年が着用しているスラックスの生地の跡だろう。

 面白いことに片頬にだけ跡が出来上がっている少女の姿など普段見る機会はない。

 物珍し気に告げる少女と固まる少女という構図を見つめていると、友奈はゆっくりと自らの家の門扉に手を掛け、亮之佑にも微笑みを向けた。

 

「ごめんね、二人とも。お母さんにおつかいを頼まれてるから」

 

「ええ、気にしないで友奈ちゃん。おやすみ」

 

「おやすみ」

 

「うん! おやすみ!」

 

 快活な少女がゆっくりと家の中に入っていく。

 後頭部で結われた髪が扉の向こうに消える姿を、二人で見送った。

 

「――月が綺麗ね」

 

「――――」

 

 そうして彼女の後姿を見届けると、小さく東郷が呟いた。

 彼女の言葉に夜空を見上げるが、しかし月など見当たらない。

 ならば東郷の独り言なのだろう。自分もそれなりに口にしているのだから。

 

「ねえ、亮くん」

 

「どうした?」

 

 心配しなくても、キチンと家まで送るつもりだ。

 友奈の隣の家。当時の大赦の思惑が伝わりそうな配置なのは奇術師の別荘もだが。

 そう告げると、小さく首を横に振る少女の髪から、ふわりと甘い甘い華の香りが漂った。

 

「実は今日ね………お母さん達には、友達の家に泊まるって言ってるのよ」

 

「――ほう」

 

 その友達は既に家の中に入ったのだが。 

 そんな軽口は飲み込みつつも、微妙に挙動不審な少女の行動を見守る。

 

「それで――?」

 

「それで、えっと……」

 

 別段、お泊りができなかったから何だというのだろうか。

 泊まると言った手前、その日の内に自宅に戻れば、友人との不仲を勘繰られかねない。とはいえ、そういった話になったとしても、東郷ならばそんな事はないとしっかりと否定することは容易だろう。そうして自らの部屋の寝台で一夜を明かすのだ。

 ――そういう展開を望んでいないと思うのは、果たして傲慢だろうか。

 

「せ、責任取って!」

 

「ん……?」

 

「亮くんのせいで私、眠れなくなっちゃったから……」

 

「――――」

 

 秋の柔らかな日差しに眠ったのは東郷の責任だ。

 当然そんな事は理解出来ているだろうし、結局は理由を作る為の建前でしかない。大体、見知らぬ他人ならばともかく、ちょっと可愛い声で「同衾していい……?」と聞けば即答なのに、どうしてこう面倒な手順を踏もうとするのだろうか。

 その辺りの東郷の固まった価値観は分からないが、ここは男の出番なのだろう。

 

「東郷さん」

 

「あ、あの……、これはそういう意味じゃなくて……」

 

「東郷さん」

 

「――――」

 

 いつの間にか、加賀家別宅の門扉に二人は来ていた。

 家の明かりは無く、住んでいる人間は亮之佑一人しか存在しないのだ。

 

 門扉を開き、少女の細く白い手を取る。

 もう言葉など要らなかった。握り返す少女は俯き表情は窺えない。

 

「――――」

 

「――――」

 

 

 

 ――家の窓から見上げた夜空には、やはり月は見えなかった。

 

 

 





リクエスト回。
東郷さん、可愛いよ。東郷さん。

《縦セーター》
ただの暖色系の縦セーター。実は奇術師の手編みで彼女への貢ぎ物。
時間と労力を掛けて、相当に拘って作ったらしく軽いのに重いという不思議な服。
一つだけ言えるのは『巨乳+縦セーター』というのは素晴らしいという事だけだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【番外】 「この空はあと何回見れるのか」

最近東郷さんの配信系の小説が完結しました。興味がある人はどうぞ。
それより読者の方々は是非、アンケートに一票をくださいな。



 ――寒さが己の意識に呼び掛ける。

 

「――――」

 

 睡魔の指先に抗い目を開き、何度か瞬きをして意識を浮上させる。

 習慣とは恐ろしい物で、すぐに意識は眠気から乖離し、肉体に活動力をもたらす。

 

「ふぁ」

 

 欠伸をして毛布から脚を出し、寝台から床に下ろす。

 途端、剥き出しのフローリングの冷たさを感じるが、数秒程でその冷たさにも慣れた。

 

 僅かに寝台が軋む音を背後に聞きながら亮之佑がぼんやりとした頭で周囲を見渡すと、見慣れた自室――小奇麗に整理された棚、折り紙や謎の装置が無造作に置かれた机といった生活感の感じられる自室の内装が目に入りこんでくる。

 

「――――」

 

 ぺたぺたと素足で窓辺に向かう亮之佑は、隙間から光射すカーテンを引っ張る。

 シャッ、とカーテンレールの滑る音と共に、朝の和らいだ日差しが亮之佑の目を細めさせた。

 夜が終われば朝が来る。当然の摂理であるがそれは絶対ではない事を亮之佑は知っていた。

 

 しばらく何も考える事なく、窓から映る面白味に欠ける住宅街を見る。

 向かいの家、その隣の家、その奥の家、雲の無い澄んだ青空は寒々しくも美しい。

 

 ――この空も、あと何回見れるのだろうか。

 

「ふぁ……」

 

 弛緩した身体に活を入れようとする意識に欠伸が水を差す。

 「寒いしもう一眠りしようぜと」いう悪魔の如き甘言と、「いやいや煮干しは今頃走ってるしお前もジョギングしろよ」という神樹の如き小言。普段ならば品行方正、真面目、誠実、紳士の看板が身体に張り付く亮之佑だったが、ある理由により既に意識は悪魔の手の中にあった。

 

「そういえばもう、休みに入ったんだな」

 

 壁に貼られた何てことはないカレンダーに目を向ける。

 中身はともかく身体は学生の亮之佑にとって、早起きは朝の習慣だ。

 勤勉な亮之佑は普段の休日も大体朝早くに起きて掃除なり朝食を作るのが常だ。

 

 たまに亮之佑の事を誤解する輩に遭遇するが、基本的には健康的に生きている。

 家でこっそり飲酒したり、可愛い子にちょっかいを出すのは勇者だからだ。

 ――単純な話、バレなければ何も問題は無いのだ。

 

「そう、バレなければ良い」

 

 勇者どころか犯罪者、魔王寄りの思考だが、それを止める者はいない。

 二桁になり久しいカレンダーの数字から目を逸らし、亮之佑は寝台に脚を戻す。

 

 無理して早起きをする理由は無くなった。

 誰かが朝早く来るという可能性もあるが、基本的に身近な人間以外は居留守だ。

 首元に掛けた指輪を無意識に弄る亮之佑は二度寝の為に寝台に戻るが、ふと脚を止めた。

 

「ぁー……」

 

 吐息と共に漏れた声には理解と安堵が込められている。

 忘れていた訳ではない。ただそこにいるのが自然過ぎて認識が遅れていただけ。

 

「んにゅ……」

 

「友奈」

 

 寝台の布団に包まる少女、赤い髪の毛が無造作に枕に広がっている。

 起きた時に彼女の姿が目につかなかったのも、純粋に見えなかったからだろう。

 そう誤魔化す自らを許すように寝顔を晒す友奈を見下ろし、ふと携帯端末を手に取る。

 

 多少傷が表面に残る端末だ。

 それなりに生まれた愛着の度合いは、年数に比例する。

 

「……」

 

 手のひらに収まる程度の大きさの端末を片手で弄び、そっと少女の前で構える。

 布団を捲ると、長い睫毛を震わせる少女は何かを呟くように薄い唇を小さく開いた。

 

 ――控えめに言って可愛らしい。

 

 だからこそ、つい無音カメラを起動し写真を撮っても仕方がないだろう。

 可愛いは正義であり、悪であり、同時にあらゆる事象に対する免罪符となりえるからだ。

 

 しばらく息を殺し被写体の画像を秘蔵フォルダに送る作業に勤しんだ亮之佑は、今度こそ二度寝の為に寝台に身体を横たわらせる。添い寝の相手としては極上の相手の存在に頬を緩めざるを得ない亮之佑は、友奈の頭にそっと手を乗せた。

 

「――――」

 

 少女の髪の毛を指で梳き、ふわりとした赤い髪の毛の感触を楽しむ。

 静かな朝、新聞すら届いていないような時間帯に彼女に触れるこの時間が愛おしい。

 自らの身体を彼女の身体が休息を取る寝台に横たえ、ぼんやりと指先で友奈に触れる。

 

 目の前に、手を伸ばせば届く距離に、彼女がいる。

 柔らかな頬も、薄い唇も、寝癖のついてしまった髪の毛にも手が届く。

 

 ガラス細工よりも繊細に少女に触れていると気づく事がある。

 どれだけ静かに触れていても、決して眠りの浅くはない彼女でも目覚める時がある。

 布団を被った薄暗い空間の中で、ふにゅんと彼女の唇を指でなぞっていると、ひくひくと小鼻を動かす少女は僅かに瞼を震わせ、ルビーと見間違える程に美しい薄紅色の瞳を緩慢に開いた。

 

「ぉ」

 

「あむ」

 

 同時に何を思ったのか、上唇と下唇が僅かに開き亮之佑の指を口内に招き入れる。

 ぼんやりとした眼差しで、赤子のように友奈の熱を持った舌が亮之佑の指を丁寧になぞっていくのが分かった。その独特の感覚に、ぬめる口内の温かさに、ぞわぞわと背筋に身震いが奔る。

 

「いあじゅらひちゃやめやよ」

 

「う、うん」

 

 起こし方に抗議を上げる為の行為だと知る亮之佑に友奈は半眼を向ける。

 そっと少女の口内から脱出を果たした指には唾液が付着しており、その処理方法について亮之佑は考えることになった。

 

「流石に目の前で舐めるのはどうなんだ……、いや後悔はしないっていう誓いが……」

 

「あ、ごめんね」

 

「あー!」

 

 判断が遅い。

 その結果、慌てて友奈は自らのパジャマの袖で亮之佑の指の唾液を拭いとる。

 わななく亮之佑に「パジャマは今日洗濯するからね」と告げる友奈は微笑を浮かべている。

 

「今何時?」

 

「そろそろ6時かな」

 

「わー、早いね」

 

 布団の中、二人だけの秘密基地にいるような気分で友奈と朝のトークを始める。

 鼻先が触れるような距離で、寝台の柔らかさを感じながら彼女の瞳を見つめる。

 

「起こして悪かったな」

 

「ううん」

 

「でも、起こし方は普通だったろ?」

 

「普通……? あっ、でも亮ちゃんの手、冷たかったよ!」

 

 そう告げる友奈は先程まで自らが咥えていた指、手全体を自らの手で包み込む。

 じんわりとした少女の熱が冷えた手に伝わってくる事に、亮之佑は小さく吐息した。

 

「あったかい……?」

 

「ああ」

 

「そっか……、じゃあもっとぎゅーってしてあげる」

 

「――――」

 

「ぎゅー」

 

「――――」

 

「これで悪戯できないね!」

 

「……悪戯してほしかったの?」

 

 ころころと笑う少女に亮之佑は嗤い掛ける。

 何てことない日常会話、友奈と話をすることに生きる意味すら感じた。 

 自らの手に感じる少女の温もりに、消えたはずの微睡みが優しく迫り始める。

 

「そんなこと言って無いよ〜」

 

「冗談だ」

 

「ほっ」

 

「次は過激な起こし方でいこうか」

 

「ラッパとか鳴らさないでね?」

 

「さあ?」

 

「むぅ……」

 

 友奈を揶揄うとズシリと腹部に重みを感じ、亮之佑は一瞬息を止める。

 何かが転がってきたように、否、生きた少女が布団の中で器用に亮之佑の身体に圧し掛かってきたのだ。仰ぐと此方を見下ろす友奈の顔を一望することが出来る。

 はらりと少女の赤い髪の毛が重力に従い垂れ下がり、彼女の身体の柔らかさと温かさがじわりじわりと亮之佑にもたらされる。

 

「そういえば亮ちゃん」

 

「なんだよ」

 

 少し重くなっただろうか。

 身長も少し伸びた気がする。

 口には出さず、しかし手が少女の臀部にそっと触れることを気にせず友奈はジッと亮之佑を見下ろすだけだ。その反応に思わず眉を顰めるが、

 

「勇者部六箇条一つ。挨拶は……?」

 

「ああ」

 

 少女の態度の意味を理解して、亮之佑は小さく苦笑する。

 何てことはない。彼女が求めている事は些細な事でありながらも大事なことだ。

 頬を膨らませる友奈に「悪い悪い」と謝りながら、亮之佑は囁くように告げた。

 

「――おはよう」

 

「おはよー!」

 

 

 

 +

 

 

 

 『猫はコタツで丸くなる』というフレーズを覚えている。

 どこで聞いたかは覚えてはいないが、猫でなくともコタツで丸くなりたくなる。

 全ての事から解き放たれて、ただ一人の人間として堕落していたくなるのは仕方がない。

 

「いや、仕方なくはないわよ!!」

 

「夏凜ちゃんもおいでよ」

 

 背中に感じる程よい温かさを感じながら、欠伸。

 抱きしめた人の柔らかさ、抵抗の無いことに頬を緩めながら亮之佑はコタツの中に潜んでいる。隠れている訳ではない。住んでいるだけだ。こたつ布団越しに聞こえる二人の少女の声音に何となしに耳を傾けてみる。

 

 片方はいつか高血圧になりそうな、日増しにツッコミのスキルを上げる少女の声音。

 もう片方は、無意識に亮之佑の腰に爪先を触れさせながら、笑顔で対応する少女の声音だ。

 

「わ、私はいいわよ」

 

「えー、夏凜ちゃん入らないの……?」

 

「あ、後でね……。それより、元凶は?」

 

「ゲンキョウ?」

 

 小さく小首を傾げたであろう友奈、しきりに誰かを探す夏凜。

 人の家で騒ぎ立てる少女に家主として対応するべく、仕方なしに床を這う。

 緩慢な匍匐前進、懸命に力を振り絞りコタツ布団から這い出ると、丁度見知らぬ両脚に遭遇。

 そうして人の家に入り込んだ少女が友奈と話す姿を、しばしローアングルで見上げる。

 

「ん……、わっ!?」

 

「……」

 

 大きな目を丸くする夏凜の姿を亮之佑は捉える。

 

「いや、いると思ったけど! 無駄に気配を隠さないでよ」

 

「何用か」

 

「その口調こそ何よ……。いや最近全然家から出てないらしいし、東郷にもそこから出すように頼まれてさ」

 

「ふーん………夏凜」

 

「何?」

 

「家主を見下ろすなよ。服、剥ぎ取るぞ?」

 

「あ、ごめん……って、そんな所にいるからでしょ!? ちょっ、這い寄るな!」

 

「ほら、夏凜ちゃんも座って。蜜柑美味しいよ?」

 

「くっ……、い、いや、私は鍛え方が違うから……っ」

 

 大声を上げる夏凜の声に手で耳を塞ぎ、怒りに顔を赤く染める少女に友奈は蜜柑を分け与える。

 礼を告げながら、しかしコタツに入ることをせずに蜜柑の皮と格闘を始める夏凜は、何とも言えない顔をしながら加賀家リビングを見渡した。

 

 勇者部随一の刀使いの少女の視線は、壁に掛かったカレンダーで止まる。

 時期としては十二月になって程々、雪が降る日もある寒々しい季節である。

 

 当然、今年の加賀家でも暖房器具がリビングに設置された。

 その名をコタツという。

 

「まあ、東郷が散々言ったんだろうけどさぁ」

 

「――――」

 

「だらけすぎじゃない?」

 

「いや、休みはゴロゴロするものだろ? なあ、友奈や?」

 

「そうだね、ご主人様!」

 

「……ご主人様?」

 

「勇者部だって休みだし良いだろぅ……、東郷さんがちょっとアレなんだよ」

 

「いや、言いつけるわよ……本人に」

 

 讃州中学校は現在冬休みに入っている。

 与えられた課題は既に終え、ただコタツで食っちゃ寝生活を続ける日々。

 それなりに大きなコタツ、丁度北の方向に亮之佑、東の方向に友奈という配置である。身体の上半身に寒さを感じ、コタツ布団内部に戻ろうとする亮之佑の肩を慌てて夏凜は掴んだ。

 

「いいから、外に出てきなさい!」

 

「――くらえ。【冷え性の手】!!」

 

「にゃわ!?」

 

 腰を屈ませ亮之佑の肩を掴み、コタツから身体を引き摺り出そうという外敵。

 抵抗する亮之佑が冷えた両手を彼女の首筋に当てると、夏凜は可愛らしい悲鳴を上げた。 

 

「まあ慌てんなよ、夏凜」

 

「こ、こいつ……!」

 

「だから怒るなよ。そこの戸棚に煮干しあるから、それで許して」

 

「……ふん」

 

「あ、もうすぐ御飯だから。食いすぎるなよ」

 

 久方振りに上半身をコタツの外にまで出すと、再び亮之佑は欠伸をした。

 凝り固まった身体を解し、しかしどんな時でもお腹は減る物だと実感し、一時コタツから身体を出すことを決意した。それはバーテックスと戦うよりも苦痛に満ちた決意であった。

 

 うつ伏せをやめ、コタツのテーブルに肘を置く。

 即座にころころと転がってくる蜜柑が一つ。目を向けると赤い髪の少女が一人。

 亮之佑の血紅色の視線に気づいた少女は、キメ顔で一言呟いた。

 

「――私の奢りだ」

 

「……昨日のドラマ?」

 

「似てる?」

 

「似てる似てる」

 

 暖色のセーターに身を包む少女はふりふりと後頭部の髪を揺らし笑顔を浮かべる。

 蜜柑の皮を剥く少女は、何となしに黒ニーソに包んだ脚をコタツ布団の下で絡ませてくる。亮之佑の回答に満足したのか、蜜柑を一房細い指で摘まみ、亮之佑の口元に運んだ。

 

 断る理由も無い為、雛鳥の如く小さく口を開ける。

 口内に侵入してきた蜜柑を咀嚼すると、ぷつぷつとした甘みと酸味が舌上で広がった。

 

「ふわぁ~」

 

「――――」

 

 そんな風に友奈に食べさせて貰っていると、ふわりとした声音が亮之佑の近くで聞こえた。

 先程から腰に感じる違和感、布団を捲ると金色の髪の少女が眠っているのが見えた。サンチョを抱きしめ、すや~と声を出して眠る美少女を煮干しの袋を抱える夏凜と共に見つめる。

 

「園子もか……」

 

「園ちゃん、起きろ。起きないと夏凜の前で凄い事するぞ」

 

「凄い事!?」

 

「……ん。おはよ~」

 

「はいはい、お嬢様」

 

 ふわわと小さく欠伸をする御令嬢は緩慢とした動きで上体を起こす。

 そうして彼女と友奈に夏凜の相手を任せ、寒さに震えながら亮之佑は食事の準備をするべく台所へ足早に向かった。そうして向かっている途中で、その存在に気が付いた。

 

「あっ、亮くん」

 

「東郷さん。……準備させちゃって悪いね」

 

「ふふっ、良いのよ。……お鍋運んでくれる?」

 

「勿論」

 

 エプロン姿の東郷と共にリビングに戻る。

 楽しそうに騒ぐ少女三人は、亮之佑が手に持つ鍋の存在にピタリと口を閉じた。

 既に陥落寸前の夏凜をコタツに引き摺り込もうとする友奈と園子が、ジッと鍋を見つめる。

 

「ほ~ら夏凜、鍋ですよ~」

 

「……み、見れば分かるわよ」

 

「そう? じゃあほら、コタツに入れよ。そこじゃ食えないだろ?」

 

「ま、まあ、そうね……!」

 

 自然に彼女をコタツに誘う。

 渋々とばかりにコタツ内に脚を入れる夏凜の姿を視界に捉えながら、自らも席につく。

 冷蔵庫にある物、肉や魚、野菜などを入れた鍋は、かぐわしい香りと湯気を放っている。

 

 友奈、東郷、夏凜、園子、亮之佑。

 見事に同学年の仲間がコタツの暖かさと鍋の魅力に吸い寄せられていた。

 貰い物である蜜柑の籠を寄せ、黙々と眼前の鍋で煮えた食材にジッと目を向ける。

 

「友奈ちゃん、ちゃんと葱も食べないと駄目よ?」

 

「はーい!」

 

「にぼっしー、美味しい?」

 

「まあ、美味しいわね」

 

「そっか~」

 

「さて、女性諸君」

 

「うん?」

 

 しばし無言のまま食事をする彼女達は、目線で何かと問いかけてくる。

 何気に食べ方が綺麗な少女達に、亮之佑は豆腐に息を吹きかけながら問いかけた。

 

「このあと、雑炊にするか、うどんにするか。多数決にしようと思うのだが――」

 

 ――この世界の住人ならどちらを選ぶかなど、明白だった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【短編】 TANTAN呼びたい

アンケートありがとうございました。色欲で強欲な六股編書いてます。
それはともかく、
友奈ちゃんとのイチャイチャ、ふわふわでとある未来でのお話。頭を空っぽにどうぞ。


 加賀亮之佑。

 

 血紅色の瞳と漆黒の髪が特徴的な彼の事は、一言で言うには難しい。

 勇者からは程遠いとか、どちらかと言えば魔王だとか、冗談めいた口調で本人に告げる友人達がいる事も知っている。そうした友人達は、彼の愛称として『亮さん』と呼ぶ。

 

 樹もこの呼び方に該当する。

 讃州中学校のラジオという奇怪な縁から始まったらしい彼女は親愛を込めて、そう呼ぶ。

 では、その姉である風もそう呼ぶかと言えば、今までそういう呼び方をしたことは無い。

 

 『亮之佑』と呼び捨てで呼ぶのは名誉部長となった風と夏凜ぐらいだ。

 最初から礼儀正しく『くん』付けをしたりせず気安く呼ぶ様は、少しだけ羨ましく思えた。

 

「亮之佑」

 

 ただ呼ぶだけだ。名前で、呼ぶだけ。

 誰にも聞こえないように、聞こえないことを願って、聞いて欲しいと思って。

 自室で枕を抱きしめて、虚空に言葉を溶け込ませるように、そっと名前を呼ぶ。 

 

 少しだけ、彼の事を呼び捨てで呼ぶことに憧れていた。

 ただ、今更そんな風に呼ぶのも少し気恥ずかしく思える。

 

「……かっ」

 

 喉を詰まらせる。掠れた声に口を閉じる。

 独特なセンスで編み出された渾名は、彼女だけの物だ。

 

 どうしてこんな事を考えているのか。

 きっかけなど些細な物だ。ただ、もう少しだけ『特別』が欲しいと思って。

 ただ何となく、もっと彼にとって特別な存在でありたいと、ふと思ったのだ。

 

 ――誰よりも。

 

 

 

 +

 

 

 

 人生で風邪に掛かった回数を覚えているだろうか。

 意識して数え始めたことなどない。自意識が芽生える頃には、当然だが風邪をひくこと自体に違和感を覚えることは無かった。そういう物だと理解していた。

 身体を冷やしたから、菌が口内に入ったから、季節の変わり目だから。理由など様々だ。

 

 寝台に横たわり薬を飲み、発熱や咳の症状の果てに完治する。

 そうして繰り返し病気に掛かることで、自分の体調の変化については理解できる。

 

 遅くなったが結論を言おう。

 どうやら、風邪をひいたらしい。

 

「……あー」

 

 天井を見上げながら亮之佑は静かに声を上げた。

 久方振りに風邪をひいてしまったのは、個人的には好ましい状況ではない。

 

 時間とは有限だ。何物よりも代え難い。

 何かをしていても何かをしなくても、全ての人に時間は平等だ。

 

 こうして自分が寝転がっている瞬間にも、他所では誰かが生産的な行動をしているのか、或いは逆か。

 他人の行動についてはそんなに興味は無い亮之佑だが、熱の所為かそんな事を考えてしまう。

 自らの身体の不調を感じ、事前に風邪薬を服用していたのが効果を発揮したのか、動けないということも無い。すぐに治る程度の軽い症状であると、自らの身体の状態をそう判断する。

 

「……」

 

 手足を動かし、死んだように亮之佑は天井を見上げる。

 見慣れた天井だ。病院ではない、住み慣れた自らの部屋にいる。

 

 微睡みと覚醒を数回程繰り返す。

 中途半端な状態で、僅かに頭の回転も鈍い。

 

 そうしてふと天井を仰ぐと、此方を見下ろしている存在に気づいた。

 薄紅色の瞳をぼんやりと見上げる。此方を見下ろしている少女――友奈は、今日は髪の毛を纏めていないのかセミロングの状態だ。瞳と似た色の髪の毛を揺らしジッと此方を見下ろす少女は此方の覚醒に気づいたのか、目を細め微笑む。

 

「おはよ」

 

「……おはよう」

 

 自らが思うよりも、深く眠りこけていたらしい。

 蕾が花開くように微笑を浮かべる友奈は、ふと亮之佑の顔に手を伸ばす。

 突然の行動に、ピクリと身体が反応し上体を上げそうになるが、その手の行方に気づく。

 

「いつから」

 

「さっき」

 

 言葉少なに話す少女の手は亮之佑の頭部に伸ばされる。

 頭頂部から後頭部に掛けて上から下へ、柔らかな少女の手のひらが少年の髪の毛を撫でる。

 

「――――」

 

 愛玩動物を撫でるような、慈しみを籠めた手のひら。

 少女の細い指が亮之佑の髪の毛を手櫛で通す度に、くすぐったさに少年は目を細める。

 その血紅色の瞳に少女を映し、特に何かを言うことなく無言でジッと見返す。

 

「嘘」

 

「……え?」

 

「友奈が着ているの寝巻きだろ。そこそこ、いただろ」

 

「うーん、そんなでもないよ? ほんとだよ?」

 

「起こしてくれても良かったのに」

 

「そんな事できないよ」

 

 柔らかな頬を和らげ、親愛を瞳に宿す少女。

 会話の間も、何が楽しいのか少年の頭を撫でる行為を止めることは無い。

 

「ふわふわしてる」

 

 言葉少なに告げる少女。

 髪の毛の感想を告げ、ついでに額に手のひらを当てる少女は、僅かに眉を顰める。

 

「うん、……熱ももう無いね!」

 

「そうか? ……きっとそうだろうな」

 

「誰にだって体調が悪い時ぐらいあるよね」

 

「友奈も?」

 

「私? 私はいつも元気一杯だよ!」

 

 今度こそ華やかな笑顔を浮かべる友奈に釣られるように、家主もまた微笑を浮かべる。

 

「りょーたん」

 

「うん?」

 

「一緒に寝ていい?」

 

「……移るぞ」

 

「馬鹿は風邪をひかない!」

 

「……」

 

 パジャマ姿の少女の為に、独占していた寝台に半分程の隙間を作ると、子供のように転がってくる無邪気な少女。しかし明るい口調で発せられたその単語に、思わず亮之佑が眉を顰めるのは無理もない。状況と彼女の視線を一身に受けながら、その意味を考える。

 噛んだ訳ではない。普段よりも僅かに甘い呼び方。

 

「『りょーたん』って俺?」

 

「うん! そう呼んでいい?」

 

 友奈の唐突な行動は珍しい物ではない。

 とはいえ、急に呼び方を変えてくる理由は謎だ。

 

「なんで?」

 

「……駄目?」

 

 質問に質問で返す友奈は、答えるつもりがないのだろうか。

 悪意は感じられず、しかし断ればその表情は悲し気な物に変化するのは容易に察しが付く。

 看病する気なのか、ジィっと至近距離で見つめてくるパジャマ姿の少女と寝台に転がる。

 

「家の中でなら、そして二人だけの時で」

 

「……! わーい!」

 

 流石に園子どころか、東郷にもバレると知り合いに拡散される可能性が高い。

 そんな事を考えて条件付けしたが、思いの外彼女は無邪気な笑顔で亮之佑に抱き着く。

 

「じゃあ、私の事は『ゆーたん』って呼んでね」

 

「ゆーたん?」

 

「りょーたん」

 

「ゆーたん」

 

「りょーたん!」

 

「ゆーたん!」

 

「えへへ……、りょーたん、りょーたん」

 

「――――」

 

 そのうち飽きるだろう。

 年を経る度に甘えん坊になる彼女は可愛らしい。

 ふわふわとした性格と同様、成長を続けている彼女の身体もまたふわふわしている。

 

 少年の頭部を抱き抱え、そっと頭を撫で始める友奈。

 薄い衣服越しに感じる少女の双丘の柔らかさと温かさに逆らうことは出来ない。

 水風船のような感触を鼻先で感じながら、後頭部を優しく撫でる感触に、そっと目を閉じる。

 

「んっ……」

 

 深く息を吸い込む。 

 控え目で優しい花の香り。

 

 抱きしめる腕に力を籠め、顔を包む感触に頬ずりをすると柔らかな身体がピクリと震える。 

 くすぐったいのか、亮之佑の頭を抱き抱えながら、赤子をあやすように少女は後頭部を撫でる。

 

 いつまでも子供のように明るい彼女は、そっと少年の頭を胸に抱く。

 まるで壊れ物を扱うように、大切な物を壊さないようにするみたいに。

 それが分かって、彼女から伝わってきて、彼女が優しくしてくれるのが心地良くて。 

 

「……どこで覚えたんだ」

 

「風邪をひいてると心細いでしょ? 昔、こうしてもらって嬉しかったから」

 

「――――」

 

「疲れてる?」

 

「そろそろ元気になるさ」

 

「ん、そっか。早く元気になってね」

 

 頭部に熱い吐息の感触を感じて、彼女からの触れ合いで亮之佑は自分が彼女に必要とされている事を実感した。

 「りょーたん」と甘く囁いて、友奈が亮之佑を求めて、必要としている。

 

「今年も、もうすぐ終わりだね」

 

「そうだな。あとはクリスマスと大晦日だな」

 

「うん。今年もちゃんと来たね」

 

「当たり前さ」

 

 たとえ来なくても、また掴み取るだけなのだから。

 窓の外、カーテンの隙間から覗く空は暗く、そして僅かに白い粉雪が窓に付着している。

 あれから何度目かの巡る空は寒々しく、変わることの無い様相を友奈の瞳が静かに捉える。

 

「りょーたん」

 

「うん?」

 

「雪だるま、また作ろうね」

 

「おいおい、一昨日作っただろ。また風邪ひかせる気か」

 

「あはは……」

 

 寒々しい空、カーテンの隙間を完全に閉じようとする友奈は、静かに腕を伸ばす。

 柔らかな温もりが顔を包み、互いの脚の甲が触れ合い、一つになろうと密着し合っていた中で隙間が生まれる。僅かに開いたカーテンを閉じようとして伸ばされる少女の腕。

 

 窓辺は寝台と僅かに距離がある。

 その僅かな距離の分、友奈との距離が離れていくから。

 

「わっ」

 

「――――」

 

 抱き寄せた友奈の身体は、柔らかく細く温かい。

 カーテンから遠ざかった腕は困惑したように、呆れたように、慈しむように背中に回される。そんな些事を気にする独占欲のような何かに苦笑しながら、再度少女の身体に顔を埋める。

 

 少女の柔肌が自らを包むと雄の昂りを感じるが、同時に安心感を得る。

 不思議なものだ。彼女は、友奈は、絶対に亮之佑を裏切らないと、分かっているから。

 

「ねえ、りょーたん。風邪治ったら、したい事ある?」

 

「じゃあクリスマスにサンタ服を着た姿、見たいな」

 

「私がサンタさん?」

 

「ゆーたんがサンタだ」

 

「うん、分かった!」

 

 柔らかな日差しが全身を包んでいる。

 桜の花が自らを見下ろしているような、お花見をしているような感覚。

 

 薄布越しに彼女の双丘に耳を傾けると、鼓動が聞こえる。

 僅かに速く感じる鼓動、じわりとした熱が着実に眠気を呼び込む。

 

「……りょーたん、おやすみ」

 

「――――」

 

 額に感じる柔らかく熱い感触。

 吐息と甘やかな言葉に、何故だか涙が出そうだった。

 

 

 

 +

 

 

 

 薄暗い部屋で彼の頭をそっと抱く。

 赤子のように、或いは死んだように眠る彼は、やはり疲れているのだろう。

 

 身体が弱まると精神も弱まる。

 それは友奈も経験したことがある。

 

「――――」

 

 だから、こうして風邪の彼を看病することが嬉しい。

 弱った彼は、ひたすらに庇護を求めるように、抱き着いてくるから。

 

 亮之佑と触れ合うことは珍しくはない。生活の一部のような物だ。

 ただ、くすぐったり、じゃれ合ったり、スキンシップを行っても、あまり甘えてはこない。

 

 だから、普段は見ることの無い姿が、友奈にとって愛おしい。

 ずっと風邪をひいていたらと思ってしまう程度に。そんな事を思う自分に嫌悪する程度に。

 

 それでもなお、思うのだ。

 こうして弱った彼が求める先が自らであることを。

 

「――――」

 

 ――甘えられ求められる事を心待ちにしている、そんな自覚が友奈にはあった。

 

  



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 5~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。