IS-Beyond- (アカトーム)
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Prologue ―過去―

 その日の始まりはいつもと変わらない平凡なものだった。朝目覚めて、学校に行き、友達と喋り、授業を受け、そしてまた家に帰る。いつもと同じ。やがて昔を振り返る時でさえ思い出さないであろう、平凡な1日。でも、そうはならなかった。

 偶然立ち寄った神社。家に帰りたくなかったのかそれとも知らない場所を探検でもしたかったのか。結局、風に流される雲みたいに理由なんてものはどこかに消え去っていた。ドラマチックに言えば、運命、とも言えるだろう。

 道なりに歩き、鳥居をくぐったそこに“あの人”がいた。キーボードを叩くその姿だけで、僕はあの人が普通じゃないと分かった。だからこそ、あの第一声は失敗だったと今でも後悔している。多分この時の罪悪感があるから、僕は人と話すのが苦手なのだろう。

 

「何をしているの?」

 

 僕はそう尋ねた。まったくもって愚かで軽率だったと思う。あの人を侮辱した、とも言えるかもしれない。そんな風に考えている僕を一瞥もせずにあの人はキーボードを叩いていた。質問を無視してくれたのは僕にとってはとてもラッキィなことだった。一生分の運を使い果たしたのではないか? と思うほどだ。だから僕はあの人の後ろに回って何のためにキーボードを叩いているのかを見た。次の質問は失敗できないものだったから、少しだけ頭の中でシミュレーションをして、よし、と声に出さずに呟き、

 

「どこまで行けるの?」

「え?」

 

 あの人は鏡に映った自分が勝手に動いたのを見たかのように、目を見開いた。よかった、まともな質問ができた。僕はただそれだけで満足だった。

 

「君はこれがなんだかわかるの?」

「なんとなくだけど、わかる。」

「へぇ…」

 

 そう呟いてあの人は、僕の顔をじっと見つめた。そんな風に見られたことがなかったから、僕は少し照れてうつむいた。あの人は一瞬不思議そうに首を傾げながらも、すぐに僕の意図を理解したらしく、口を斜めにして笑った。

 

「ところで、君はいったい誰なのかな?」

 

 興味を持ってもらえた、とは思ったがまさか名前まで聞かれるとは思っていなかった。驚いた僕は思わず顔を上げあの人をじっと見つめ返してしまった。整った顔立ちに、無邪気な笑顔。とても美しい人で、僕は一瞬魅入ってしまった。

 

「そんなに見つめられるとちょっと照れちゃうな~、とりあえず君の名前を教えてよ」

 

 頬に朱を滲ませて言ったのを聞き、僕は名前を訊かれていたのを慌てて思い出した。

 

「ご、ごめんなさい。僕の名前は三海隆宏です」

「じゃあ、君はたーくんだね。よろしくね~」

 

 そう言って、僕の手を握って大きく振る。いきなり手を握られた僕は驚きと嬉しさに心を奪われ、ただなすがままだった。

 

「じゃあ、たーくんには特別にこれが何かを教えてあげよう。これはね…」

 

 近くの階段に二人で腰かけ、あの人は嬉々として語りだした。その時の僕はその言葉の三割、いや一割も理解できていなかっただろう。でも、そんなことは関係なかった。わかることだけでも十分に僕の心は躍ったし、何よりあの人が話をしてくれているということだけですでに最高だったからだ。

 

「とりあえず、大体の説明はこんな感じかな~。5%も理解できていないと思うけど、何か質問ある?」

 

  一通りの説明を終えたらしく、あの人はそう僕に尋ねてきた。僕としては、二回目にした質問に反応してもらえただけで十分な成果だったから、ほかに何を言うのかなんて全く考えておらず、困惑してしまった。少し考えていると、ふとあることに気付いた。

 

「あの…、あなたの名前は何ですか?」

 

 そう、まだあの人の名前は知らなかったのだ。でも今この場所には僕とあの人しかいないのだから名前なんてものは必要なかった。なのにこんなことを訊いたのは何でもいいから話をすることでこの時間を終わらせたくなかったのだろう。

 

「ああ…そういえばまだ言っていなかったっけ。うっかりしていたよ」

 

 軽く舌を出しておどけて、焦らすようにゆっくりと言う。僕は待ちきれなくなって少し身を乗り出した。あの人は微笑みながら、

 

「そんなに焦らなくても、教えてあげるって。私の名前はね――」

 

 その時、どこからか声が聞こえてきた。おーい、とか居るのか、とかそんな感じのことを言っていた。よく研がれた日本刀みたいに凛とした声だ。あの人はその声に聞き覚えがあるみたいで、いきなり立ち上がった。

 

「この声はちーちゃん!? 今いくよ~」

 

 そう言って、あの人は声のする方へと駆け出そうとする。僕はとっさにその手を握った。

 待って。まだあなたの名前を訊いていない。もっと話をしたい。もっと、もっと。

 でも僕の口から言葉が発せられることはなく、ただただあの人を見上げることしかできなかった。あの人は一瞬驚いたような顔をして、悪戯をした子供のように笑って言った。

 

「またここに来なよ。そしたら次は必ず名前を教えてあげるから。約束だよ」

 

 あの人は僕の手からすりぬけるようにして手を放して走っていった。僕はあの人をつかんだ右手を眺めた。また、ここに来よう。次は名前を教えてくれるとも言っていた。約束してくれた。だから、次こそはきっと…

 

*******************************************************************

 

 室内電話のコール音が鳴り響く。その音で目が覚めて、受話器を持ち上げる。モーニングコールを頼んでいたのを思い出し、受話器を下ろした。その頃にはすっかり夢を見たかどうかすら忘れていた。なんとなく部屋を見回す。持ってきていた荷物は前日にすべてしまってあるから、今置いてあるのは肩掛けカバンと充電器に接続された携帯電話、段ボール箱が3つとギターだけだ。携帯が充電されていることを確認してカバンに入れ、ハンガーに掛けられている制服を取って、着替える。その後部屋で朝食をとりテレビをぼんやりとみていると、ドアがノックされた。誰なのか確認してみると見知ったスーツの男だったので扉を開けた。

 

「おはようございます、間もなく出発ですが、よろしいでしょうか?」

「はい。」僕は簡潔にそう答える。

 

「なお、お荷物の方は後で直接貴方のお部屋にお届けいたしますので」

「よろしくお願いします。丁寧に扱ってください」

「承知しました。では参りましょう」

 

 僕は部屋のカードキーを渡し、スーツの男――確か前原(マエハラ)と名乗っていた――についていく。今日は僕がこれから通うことになる学校の入学式である。と言っても、僕は特別扱いで入学式には出ないらしい。別に出てもいいのではないか、とも思うのだが混乱を避けるための対処らしい。結局、混乱―というより騒ぎだろう―が起きるのが遅いのか早いのかだけの気もするのだが、まあ、長ったらしくつまらない話を聞かないですむのだから不満はない。それに騒がれるとしたら僕より1人目の彼の方だろうとも思った。でも、残念なことにきっと僕のことが騒がれないなんてことはないだろう。なんせ、これから行くのは世界で唯一のIS操縦者養成機関であるIS学園であり、僕は世界で2人目の男性IS操縦者なのだから。

 



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第1話 ―入学―

 インフィニット・ストラトス、通称IS。

 篠ノ之束によって発表され、本来は宇宙開発用のマルチウェアスーツであったが、10年前に起きたある事件をきっかけに現在では兵器――表向きはスポーツだが――として扱われている。

 それはシールドエネルギーという未知のエネルギーや多数の兵器運用を可能にしたこと、絶対防御と呼ばれる搭乗者の生命を保護する機能などにより、現存するほぼ全ての兵器を凌駕していた。

 しかし、世界が虜になっているこの兵器(オモチャ)には2つの大きな欠点があった。

 1つ、ISをISたらしめている源であるISコアが467個しかないこと。これは開発者の篠ノ之束が作製した(その中でも存在が確認されている)コアの総数であり、本人がそれ以上作製することを頑なに拒んだためこの数に留まっている。またどの国も企業も複製はおろかコアの原理や機能が全く解明出来ないために下手に扱えないというのが現状らしい。

 2つ、ISは女性にしか扱えない。女性の中でも適正はあるのだが、男性ではまったく動かすことが出来ないのだ。理由は前述したコアのこともあり全く不明である。また、このことにより社会において男女の優劣が逆転、というかそれ以上に女性の権利が膨れ上がり、女尊男卑とも言われているらしい。

 

「そんな中現れた2人の男性操縦者、か」

 

 校門の前で待つ僕は呟いた。確かに僕がその1人ではあるけど、だから何だというのだろう。これが10人や20人乗れる人が現れたというのなら分かるが結局男性適合者は2人しかいなかったのだ。それに、僕の方はまだ知られていないけれど、もう一人の彼はあの人と面識があったことが知られているはずだから、それが関係しているのだろうと誰かが考え付いてもいいはずなのに、誰もがむやみやたらに騒ぐだけ騒いで、研究すべきとか保護すべきとか喚くだけだ。これでは、昔の人が鳥は羽ばたくことで空気を押し下げて飛んでいるのだと考えているのと一緒だろう。見当違いも甚だしい。

 

「まるで他人事だな」

 

 そう言って、校舎の方から女性が軽く息を吐いてこちらに向かって歩いてきた。黒いスーツを着こなし、その姿には一部の隙もない。

 

「あれ、千冬さん? お久しぶりです」

 

 僕は少し驚いた。織斑千冬。モンド・グロッソと呼ばれるISの世界大会の第一回での総合部門と格闘部門の優勝者で『ブリュンヒルデ』の異名を持つ人だ。そして、それよりも前に知り合い、多少の武道の手ほどきも受けたことがある。こうやって面と向かって話すのはあの時以来だろう。一時期は名前を聞くことすら嫌だったこともあったが、今は平気なようだ。時間というフィルタのおかげか、それとも様々な経験を重ねたことでそういう感覚がどこか隅の方に追いやられてしまったのかもしれない。

 

「入学試験で一度戦っただろう。それからあまり時間は過ぎていないぞ」

「ああ、そうでしたね。でも、あの時は戦うことに必死だったから結局話せませんでしたし、こうやってちゃんと話すのは久しぶりですよ」

 

 入学試験の時に一度会っているらしいが、実はその時のことは記憶が曖昧だった。わかるのは、気づいたら保健室のベッドで寝かされていた、ということだけだ。後で聞いた話によると、その時は我を忘れて突撃してしまっていた挙句に、これでもかというほど叩きのめされていたらしい。この人に叩きのめされたなんてゾッとしない。きっとハンバーグのミンチの方がまだ丁重な扱いを受けているに違いない。とにかくよく生きていられたものだ。

 

「あれでもまだ全力は出していなかったがな。とにかくついて来い、教室まで案内する」

 

 どうやら考えていることを読まれたらしい。そんなことまで出来るのは流石としか言いようがない。そんなことを考えているうちに千冬さんは歩き出していた。僕はおいていかれないように、少し早足でその後をついていった。

*****************************************

 廊下を歩いている僕らは言葉を交わすことなく、ただ歩いていた。何か話しかけようとも思ったが、なんだか躊躇われて、結局言葉になることはなかった。

 

「緊張しているのか?」そう千冬さんが話を切り出してくる。

「いいえ、別に緊張することは何もしないでしょう?」

 

 僕はそう返す。入学式で生徒代表の挨拶をするとかであれば多少なりとも緊張はするだろうが、あいにく入学式にすら出ないのだから何も緊張する要素はない。世間一般では、自分が新しい社会や集団に入ったときには人は緊張するらしく、そのように言っている人もいた。そいつらはそんなに他人が自分のことを注目してみているとでも思っているのだろうか。僕に言わせてもらえば、自意識過剰もいいところだ。

 

「確かにな、あいつにもお前の態度を見習わせたいものだ」

 

 あいつとは間違いなくもう一人の彼のことだろう。後ろを歩いているからその表情は確認できないが、苦笑している様子が雰囲気から窺える。それと同時に家族に向ける優しさも伝わってきた。

 

「そういえば、彼はもういるのですか?」僕は尋ねた。

「いや、お前よりは遅いだろう」

 

 その後、会話が途切れて再び静寂が訪れる。廊下には淡々と刻まれる二つのリズムだけが響いていた。

 

「なあ、三海(ミウミ)……あのことだが――」

「千冬さん」

 

 少しの沈黙の後に彼女が発した言葉を僕は遮った。予想はしていたが、実際に言われるとこんなにも嫌なものなのかと自分の言葉が厳しくなっていたのに少し驚く。

 

「今はまだその話をする気にはなれません。3年もあるのですから焦らずとも話す機会は幾らでもあるでしょう?」

「…そうだな、すまない」

 

 彼女は立ち止まり、僕をじっと見据えていた。僕はなんとなく彼女の顔を見るのがはばかられ、目を逸らした。

 

「いえ、別に謝られるようなことはされていませんよ」

「そういってもらえると助かる。それと、学校では織斑先生だ」

「わかりました、織斑先生」

 

 僕の返答に満足したように、織斑先生は前を向き直し再び歩き始めた。優しい人だと思う。きっと人を守りたいという思いがあるからなのだろう。僕には到底真似できそうにもない。だってそうだろう。僕は人を守りたいなんて思わないし、僕が守りたいと思っていた人もそんなことを望んでいなかっただろうから。そもそも、自分を守ろうとしないのに人を守ろうだなんて、おこがましいではないか?

*********************************

 

 教室に着いて自分の席に案内された後、彼女はこれから会議があると言って出て行った。まだ入学式の最中らしく、教室には誰もいない。とりあえず荷物を置いて自分の席に座る。窓際の後ろから2番目の席だ。何もすることがなかった。本の一冊でも持ってくればよかったかもしれない。とりあえず僕は音楽でも聞いていようと思い、カバンから音楽プレーヤを取り出した。画面を見ずに曲を選んでイヤホンを耳に着け、机に伏せ目を閉じた。速いテンポで重めのバンド・サウンドが心地よく流れる。人が入ってくる音がしたが、そちらを気にすることなくそのまま少し微睡んでいた。その後、周りがいきなり騒がしくなったかと思うと静かになっていた。僕にとっては好ましい状況だから気にせずいると、頭の上に何かを乗せられる感触がした。顔を上げてみると、千冬さんが目の前に立っていた。どうやら僕の頭に乗せたのは出席簿のようだ。

 

「いい加減起きろ、もうショート・ホームルームが始まっている」

「すいません、退屈だったものですから」

「今回は初犯だから大目に見てやるが、次からは容赦しない」

「以後気を付けます」

 

 少しクラスを見回すと真ん中の列で一番前の席に座る人物が頭を押さえながらこちらを見ていた。おそらく出席簿ででも叩かれたのであろう。僕が叩かれなかったのが不思議だったらしく信じられないというような顔をしていた。

 

「ちょうどいい。三海、自己紹介をしろ」

 

 その言葉に返事をして立ち上がる。すべての視線が僕に向けられた。ずいぶん期待しているみたいだった。それに応える気はさらさらないけど。

 

三海隆宏(ミウミタカヒロ)です。皆さん知ってのとおり、2人目の男性操縦者です。趣味は音楽を聴くことと、楽器を演奏することです。これからよろしくお願いします」

 

 教科書を読むみたいに坦々と話して、再び席に着く。途端に周囲がざわめき始め、同級生たちが口々に感想を言っていた。なかなか騒ぎが収まらず、教壇に立つ眼鏡をかけた教員らしき人がどうすればいいのかと戸惑っていた。

 

「静かに!諸君らにはこれからISの基礎知識を半年で覚えてもらう。その後実習だが、基本動作は半月で身につけろ。いいか、いいなら返事をしろ。よくなくても返事をしろ!」

 

 まるで、というか軍隊の教官そのものみたいな台詞だったが、2人を除いてクラス全員が返事をする。それと同時にチャイムが鳴った。

 

「では次の時間から授業を始めます。ちゃんと準備をしておいてくださいね」

 

 眼鏡をかけた先生がそう言って、二人は教室から出て行った。それと同時に生徒たちも話し始めた。なぜか僕と彼の周りには誰も近寄ってこない。話し声に聞き耳を立ててみると、話してみなさいよ、とか抜け駆け禁止、とか言う声が聞こえた。なぜ気になることがあるのに自分で訊ねてこないで、いちいち他人と調子を合わせているのだろう。周りでひそひそ話をされるより、質問攻めにあう方がまだましなのに。そんなことを思いつつなんとなく前を見たら、彼が僕の方を見ていて目が合った。席から立ち上がり、僕の方に向かってこようとしたところで誰かに呼び止められている。長い髪をポニーテールにした少女で、そのまま2人は教室を出て行った。出ていくときに彼が名残惜しそうに僕の方を見ていた。必然的に僕に視線は集まったが、わざわざ自分から話しかける気もなかったから、窓から見える空を眺めていた。生憎、ぼくはそんなに優しい人間じゃない。




 初回なので2話連続投稿です。感想、批評お待ちしています。


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第2話 ―邂逅―

 隔週更新とはなんだったのか…
 とりあえずストックがなくならない限りは毎週更新していこうと思います。それではどうぞ


 チャイムが鳴ってすぐに、出て行った2人は戻ってきた。その際に彼だけ千冬さんに出席簿で叩かれていた。やっぱりいくつになろうと弟は弟ということだろう。

 この時間から早速授業が開始された。内容はISの基礎理論とIS運用協定、通称アラスカ条約について。ISの基礎知識はシールドエネルギーやPICと呼ばれる浮遊、加減速を行うシステムのことについての説明で、もう1つのアラスカ条約とは、簡単に言ってしまえば、ISの軍事転用の禁止・ISコアの譲渡の禁止・ISに関する情報の開示とその共有を取り決めた条約である。今熱心に説明している眼鏡の先生――山田真耶という名前らしい――には悪いが、たったそれだけのことを何故こうも長ったらしくしかも分かり辛く書く必要があるのだろう。それに、今や各国の軍隊では自衛用と称してISを配備し、こんな風にスポーツと称した戦争ごっこに勝つために多くの企業が躍起になって武器や機体を開発している。こんなとってつけたような条約なら、まだ案山子のほうが役に立っているだろうという感じだ。そもそもISはそんなオママゴトをする兵器(オモチャ)じゃないというのに。

 気づかれないように内心でため息をつき、頬杖をつきながら前を見ると、彼が挙動不審な態度をとっていた。どうやら山田先生もそれに気づいたようだ。

 

「織斑君、どこかわからないところがありますか?」

「え、えっと……」

「分からないことがあったら何でも質問してくださいね、何たって私は先生ですから」

 

 そう言って、胸を張る山田先生。これまでの説明も分かり易かったし、見た目以上に頼りになるのかもしれない。

 

「あの、先生。……全部わかりません」

 

 僕はまさかそう答えると思っていなかったから、危うく顎が左手から離陸しそうだった。でもそのまま飛行できる機能はなかったからそんなことにならずホッとした。山田先生の困惑ぶりは言わずもがなだろう。

 

「えっと、今の時点でわからない箇所がある人はいますか?」

 

 山田先生が辺りを見回すが、誰も手を挙げる者はいない。それも当然だろう。僕や彼は特例だが、他の生徒たちはここに入るために遅くとも中学校からはISについて学び始めているのだから。

 

「三海君はどうですか?」同じ男性ということからか、僕も質問された。

「大丈夫です。理解できているつもりです」

 

 もともと僕は将来ISの研究職に就こうと考えていたからこの程度のことは既に知っていたし、もっと言ってしまえばおそらく2年生程度の知識は持っていると思う。

 

「織斑、入学の際に渡された参考書はどうした? 必読と書いてあったはずだぞ」

 

 見かねた千冬さんが訊ねた。彼は一瞬考え込み、探し物の場所を思い出したようにハッとして言った。

 

「古い電話帳と間違えて捨てました」

 

 言い終わると同時に頭上へと出席簿が振り落されていた。そのままコント大会に出ても十分通用するくらい鮮やかで無駄のない一撃だった。

 

「後で再発行するから、一週間で覚えろ」

「え、さすがに一週間ではちょっと」

「いいな」

「は、はい」

 

 あまりの剣幕にいいえとは言えない様子であった。流石に少し不憫に思えてくる。でも、僕にはちょうどいいかもしれない。

 

「とはいえ、三海。こいつに教えてやれ」

「できる範囲でやってみます」

「よろしく頼む。さて山田君、授業を進めてくれ」

 

 千冬さんに頼まれたのも好都合である。というのも、授業が退屈だったから時間を持て余していたのだ。IS以外の普通の勉強も高校程度のものは学習済みだから、どうしようかと思っていた時にちょうど教えるように頼まれたのである。彼用に授業を要約したノートでも作れば、時間もつぶせ、自己の知識の再確認もできるからうってつけだった。彼は従順な宗教家のように僕の方を振り返ってみていた。あまりにも大袈裟すぎたから僕は思わず口が緩んだ。

 

「初めて笑ったね」隣の席の女の子が小声で話しかけてくる。

「そうだっけ?」

「うん、さっきまでず~っとつまらなそうだったよ」

「きっと、さっきはドアが開いていたからだよ」

「え? どういうこと?」彼女は首を傾げた。

「今はドアが閉まっているから、詰まったんじゃない?」

 

 それを聞いた彼女はクスクスと笑いだした。幸いにもジョークは通じたようだ。満足した僕は、私語は終わりだというように前を向いて、彼用の要約を作り始めることにした。

****************************************

 授業が終わった休み時間。先ほどの彼が僕に話しかけてきた。

 

「ちょっといいか?」

「なに?」

「さっきは自己紹介できなかったからな。俺は織斑一夏だ。よろしくな」

「知っていると思うけど、僕は三海隆宏。こちらこそよろしく、織斑君」

「別に名前で呼んでくれて構わないぜ。俺も隆宏って呼ばせてもらうから」

「わかったよ、一夏」

 

 僕は彼―織斑一夏―に右手を差し出す。一夏もすぐに右手を出して握手をする。

 

「それにしても、俺以外に男がいてよかった。俺一人じゃ絶対に耐えられなかった」

「確かにね、こうも見世物になるとは思わなかったよ」

「本当だぜ。今なら動物園のパンダと愚痴も言い合えそうだ」

「じゃあ、僕は水族館のペンギンとでもお話ししていようかな」

「ははっ、あいつらもなかなか大変そうだよな」

 

 どうやらこのジョークは一夏には好評みたいで、なかなかいい滑り出しができたようだ。

 

「そうだ、さっきISのこと教えてくれるって言ってたけど、本当に良いのか?」

「僕のできる範囲でだけどね。それで早速なんだけど――」

「ちょっとよろしいかしら?」

 

 これを見て、と言おうとした声は突如横から発せられた声に遮られた。そちらに視線を向けると、金髪の少女が立っていた。腰くらいまである髪の先の方はロールがかっている。あのロールの軌道ができる操縦者はそうそういないだろう。

 

「うん、なんだ?」一夏が聞き返す。

「まあ、なんですのそのお返事は! わたくしに話しかけられるだけでも光栄なことなのですから、それ相応の態度というものがあるでしょう?」

「それで誰に用があるの? イギリスの代表候補、セシリア・オルコットさん」

「あら、貴方の方が少しは賢いようですわね。褒めて差し上げますわ」

 

 どうやら彼女は明らかに僕たちを蔑んでいるようだ。最近では特に珍しいというわけでもないが、ここまであからさまな人は初めて見た。

 

「なあ、1ついいか?」

「いいですわよ。下々の者の質問に答えるのも貴族の務めですから」

「代表候補生ってなんだ?」

 

 一瞬教室全体の空気が固まった。まさかそんなことを質問されると思っていなかった彼女も怒り半分、呆れ半分という顔だ。

 

「貴方、本気でおっしゃっていますの?」

「おう、隆宏はわかるか?」

「読んで字の如し、だよ。ISの国家代表の卵って感じかな」僕も呆れて言った。

「なるほどな。つまりエリートなのか」

 

 大きく頷いて納得する一夏。さっき書いた要約で本当に大丈夫なのか不安になってきた。

 

「そう、エリートなのですわ!」

 

 そんな僕の不安も露知らず、彼女はここぞとばかりに畳み掛けて言う。

 

「ましてや入試主席でもあるこのわたくしのような選ばれた人間とクラスを同じくすることだけでも奇跡、そう、幸運なことですのよ。その現実をもう少し理解していただける?」

「そうか。それはラッキーだ」

「貴方、馬鹿にしていますの?」

 

 馬鹿にするというよりも呆れているようだ。初対面の人物がいきなりこんな態度で接してくれば無理もない。

 

「大体、ISのことを何も知らないとは正直落胆しましたわ。期待外れもいいところです。よくもまあこの学園に入学出来ましたわね」

「俺に何かを期待されても困るんだがな」

「でも、まあ、泣いて懇願するというのならこれからご指導して差し上げてもよろしくてよ。何せ、わたくしは入試で唯一教官を倒したエリート中のエリートなのですから!」

 

 どうやらこのセリフがとっておきの切り札のようだ。でも、おそらくその相手は織斑先生ではないだろうし、入試なのだからその教官が本気を出したとも限らないだろう。そのことを言ってやろうかとも考えたが、今の状態では耳なんて飾りだろう。

 

「入試って、あのISを動かして戦うやつか?」

「それ以外に何がありますの?」

 

 一夏には何か思うところがあるようだ。まさか倒したとか言うんじゃないだろうな。

 

「あれ、俺も倒したぞ。教官」

「え……?」

「冗談抜きで?」オルコットさんに続いて僕も思わず呟いた。

「ああ。といっても相手が突っ込んできたのを避けたら壁に衝突して、勝手に動かなくなっただけなんだけど。そういう隆宏はどうなんだ?」

「僕の相手は織斑先生だったからね。一方的に叩きのめされたよ」

 

 それを聞いて、一夏とオルコットさんはそろって同情の念を込めた眼差しを向けてきた。あの人に勝つことは今世紀中にはどうやっても不可能に違いない。

 

「それは大変でしたわね。……って、そうではありませんわ!教官に勝ったのはわたくしだけと聞いておりましたが?」

「女子ではってオチじゃないのか?」

 

 案外一夏の言ったことも間違いじゃないかもしれない。でも、今ここでそれを言うのは火に油を注いでいるとしか思えないくらい間違っている。

 

「本当に貴方も教官を倒したと言うんですの!?」

 

 案の定軽く錯乱したオルコットさんが一夏に詰め寄る。

 

「あ、ああ。多分な」

「多分ですって! いったいどういう意味ですの!?」

「まあ、とりあえず落ち着けよ」

「これが落ち着いて――」

 

 授業開始のチャイムが鳴った。オルコットさんはそれを聞いて幾分か正気を取り戻したようだ。と言っても、まだ納得しかねているみたいだけど。

 

「まだ後で来ますわ! 逃げないことね! 良くって!?」

 

 そう吐き捨てて席に戻っていった。まだ続ける気があったのにはいい加減うんざりしたけど、とりあえずは一難去った、と考えて良さそうだ。

**************************

「さて、この時間は実戦で使用する各種装備について説明する」

 

 この授業は千冬さんの担当らしく、山田先生も僕たち同様座ってノートを広げている。僕はこれまでにある程度ISの知識を習得してきたけど、武装に関することは意図的に避けてきた。とはいえ、ここではそんな我儘は通じないから切り替えるしかなさそうだ。

 

「そうだ。その前にクラス代表者を決めないといけないな」

「先生、そのクラス代表者とは何ですか?」

 

 思い出したように言った千冬さんに対し、女子の一人が質問を投げかける。

 

「クラス代表者とはそのままの意味だ。来月行われるクラス対抗戦に出る代表者のことで、他にも生徒会関係の会議や委員会への出席もしてもらう。早い話、クラス長と考えて差し支えない」

 

 小声での会話が始まり、教室が色めき立つ。どうせ、一夏か僕をクラス代表にしたいのだろう。学園唯一の男子だから、インパクトは抜群だろうし。

 

「はい。織斑君を推薦します」

「私もそれが良いと思います」

 

 予想通り、一夏が推薦された。当の本人は何のことだとでも思っている様子みたいだが。

 

「では候補者は織斑一夏。他にはいないか?自薦他薦は問わない」

「え、俺?」

 

 本当に自分のことだと思っていなかったらしく一夏は思わず立ち上がっていた。

 

「邪魔だ。席に就け、織斑。他にはいないか?いなければ無投票当選だが」

「くっ、じゃあ俺は隆宏を推薦する!」

「私も三海君を推します」

「わたしも、みうみうがいいと思うな~」

 

 苦し紛れに僕を推薦してきた。それに乗じて何人かも僕を推薦している。別にそれは構わないが、みうみうって何だろうか。後で聞いてみよう。

 

「納得がいきませんわ!」

 

 そう言って、机を叩き勢いよく立ちあがったのはオルコットさんだった。

 

「そのような選出は認められません! 男がクラス代表なんて良い恥さらしですわ。それに、クラス代表は実力トップであるこのわたくしがなるべきですわ」

 

 どうやら、随分な女尊男卑主義者らしい。そんなに嫌なら最初から自分で立候補しておけばよかったろうに。

 

「物珍しいという理由だけで代表者を極東のサルにされては困ります! わざわざサーカスをするためにここに来たわけではありませんわ」

 

 さすがにそれは言い過ぎだろう。僕や一夏はともかくとしても、クラスの半分くらいは日本人のようだし、それに千冬さんや山田先生も日本人だと言うのに。

 

「そもそも、文化としても後進的な国で暮らすこと自体、耐え難い苦痛だというのに――」

「イギリスだって大した国じゃないだろ。世界一不味い料理で何年グランプリだよ」

 

 耐え切れなくなった一夏がオルコットさんに罵倒を仕返す。とはいえ、脱線しかかっていた話をさらに脱線させている気がしないでもない。あまり気が進まないが、仲裁した方がいいかもしれない。

 

「あ、貴方! わたくしの祖国を侮辱しますの!?」

「最初はそっちが言ったんだろ。だいたい――」

「はい、そこまで。」軽く手を叩いて二人に呼び掛ける。

「話がずれてきているよ、オルコットさん。それに一夏も乗っちゃったらダメでしょ」

 

 いきなり僕が発言したことにクラス全体が驚いたらしく、全員の視線が僕に向けられる。

 

「で、オルコットさんは何が言いたいの? 言いたいことがあるならはっきり言ってくれないかな?」

「だからわたくしは、サルのサーカスなんかを――」

「正直に言いなよ。僕や一夏みたいな男がクラス代表なんて嫌だって。自分こそふさわしいって思ってるんでしょ?」

 

 オルコットさんの言葉を遮って、確認するように言った。最初からはっきり言ってくれれば済んだというのに。

 

「貴方まで、わたくしを侮辱するのですね。…いいですわ、決闘です!」

「おう、四の五の言うより分かり易い」威勢よく言い放つ一夏。

 

 なぜそんな流れになったのか全く分からなかった。もしかして、僕が助長させてしまったのだろうか?

 

「言っておきますけど、手加減などして負けたりしたら、わたくしの小間使い、いいえ奴隷にして差し上げますわ」

「侮るな。真剣勝負で手を抜くほど腐っちゃいないぜ」

「そう、それを聞いて安心しましたわ。何にせよ、このセシリア・オルコットの実力を示すにはいい機会ですわ」

 

 オルコットさんは余裕を取り戻したようで、手を腰に当て、空いているもう片方の手で髪をなびかせた。

 

「そうだ、ハンデはどのくらいつける?」

「あら、早速お願いかしら?」

「いや、俺がどのくらいハンデを付ければいいかってことだよ」

 

 その瞬間、クラスの女子が一斉に笑い出す。さっき、真剣勝負で手を抜かないって言っていたことに対してではない。

 

「織斑くん、それ本気?」

「男が女より強かったのなんて、大昔の話だよ」

 

 そう、今の社会ではISによって男性の地位は著しく低下している。男性はISを使えない、でも女性なら使える。だから女性の方が強いし偉い。そんな理屈があるらしい。

 馬鹿馬鹿しい、本当に馬鹿馬鹿しい。お前らみたいなのが安易にISを語るな。お前らのせいだ。お前らみたいな馬鹿が自分に都合のいいオモチャのように扱うから……

 

「そうですわよ、むしろわたくしの方がハンデを付けて差し上げましょうか?」

「じゃあ、お願いしようかな」僕はオルコットさんを見据えていった。

「あら、殊勝な態度ですわね。言ってご覧なさい」

 

 オルコットさんが悠然と言う。その言葉と僕を見る目には明らかな軽蔑も交じっていた。

 

「おい、何言ってるんだよ?」

「そうだね、1週間の猶予が欲しいかな」一夏の言葉を無視して続ける。

「流石に今日、明日にすぐやるなんて言われたら勝てないけど。まあ、1週間くらいあれば話は別だろうし」

 

 おどけてそう言うと、僕の頭の上に出席簿が置かれた。

 

「そんな今すぐに出来るか、馬鹿者。そもそもどこで戦うつもりだったんだ?」

「そこまで考えていませんでした」

 

 オルコットさんに視線を向けると、僕を睨んで肩を震わせている。当然だろう、僕はあからさまに1週間準備すれば勝てると挑発したのだから。

 

「まったく。それでは1週間後の月曜日、その放課後に第3アリーナで行う。三海、織斑、オルコットの3人は準備しておくように。それでは授業を再開する」

 

 教壇に戻っていく千冬さん。僕が席に着くと、2人も席に着いた。どうやらどちらも釈然としていないようだった。僕はというと、意識を切り替えようと、ノートに授業の内容をひたすらに書いた。でも、僕の右手は出番がなかったことが不満みたいで、何度もシャープペンシルの芯を折っていた。僕は誰にも聞こえないように舌打ちをした。本当に、馬鹿馬鹿しい。

 




 感想・批評お待ちしています。


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第3話 ―対話―

 放課後になり教室の外にまた人が集まり始めた頃、僕は机に倒れ伏している一夏の所に行った。

 

「大分お疲れみたいだね」

「ああ、この周りからの視線と授業が訳分からなすぎて、もうヘトヘトだ」

「じゃあ、その片方を解消する手助けをしてあげるよ」

 

 そう言って、僕は少し勿体ぶってカバンからノートを取り出し、一夏に渡した。

 

「これは?」

「とりあえず中を見て」

 

 ノートをパラパラとめくる一夏。1枚めくるごとに驚きの表情に変わっていくのはなかなか愉快だった。

 

「これって、今日の授業のか!?」

「御名答。僕なりに噛み砕いて理解し易くしたつもりだけど、まだ理解し辛い箇所があれば言って」

「いや、かなりわかりやすいぞこれ。借りてもいいか?」

「勿論。というか、元々一夏用に作ったから次の日の朝までに渡してくれれば、これからの授業分も作っておくよ」

「マジか?」

「マジだよ」

「スゲェ助かるよ、ありがとう」

 

 誰が見てもわかるくらいの笑顔を浮かべ、一夏は僕に向かって大袈裟に手を合わせて頭を下げた。顔立ちが整っているから一夏の笑顔は男の僕がみても魅力があった。女子達が一気に色めき立つのも無理はない。

 

「でも、隆宏は大丈夫なのか? 俺のせいで隆宏の方を疎かにさせちまったら、申し訳ないんだが」少し不安を滲ませて訊ねてくる。

「大丈夫だよ。僕は此処に入ることが決まる前からISのことを学んでいたから。渡された教科書と参考書に書かれている内容くらいは頭に入っているし」

「す、凄いな」

「そんなことはないよ。学び始めるのが今か昔かの違いだけだよ」

「いや、本当に凄い。苦労かけるけど頼りにさせてもらうぜ」

「遠慮しないでいいよ」

 

 それから、ノートをめくる音と時折漏れる感嘆の声だけが流れていく。まあ、相変わらず周囲にいる女子の会話がBGMになっているけど。

 

「ごめんね」ポツリ、と呟く。

「いやいや、謝るのは俺の方だって。わざわざここまで――」

「そうじゃなくて」

 

 少し声を荒げてしまったかもしれない。一夏がノートから目を離しこちらを見上げていた。

 

「僕が余計なことをしたせいでオルコットさんと決闘することになったんだ。だから……」

 

 言葉が続かなかった。何を言っても言い訳になってしまうのが分かっていたからだ。

 

「なあ、そんなこと気にするなよ」

「え?」

 

 全くの予想外の言葉をかけられ、驚いて思わず僕も一夏の方を見た。

 

「お前が言わなくても結局こうなったと思う。俺もあいつも折れる気はサラサラなかったからな」

 

 それに、と言って言葉を続ける。

 

「お前、あの時かなり怒ってただろ? 何が気に障ったのかはわかんないけど、あの怒り方は大切なものを傷つけられたような感じだった。それこそ、あそこで言ってやらなきゃ男じゃねーだろ」

 

 確かにさっきは男性や日本のことが貶められたことに少なからず不快感を抱いたけれど、それよりもその後の周りが発した言葉があの人を侮辱しているようだったことの方が僕には耐えられなかったのだ。だから実際はオルコットさんに対する言動は八つ当たりみたいなものだったのだけど。そんなことを考えていると、僕の胸が軽く叩かれた。

 

「だからさ、これからどうするかを考えようぜ」

 

 ほんの少し、一夏の前向きさが羨ましくなった。でも、僕には全然似合わない代物だ。

 

「うん、そうだね」

 

 

 僕は自分に言い聞かせるように呟いた。すると、今度は一夏から右手を出してくれた。だから僕はそれを思いっきり握り返してやった。

**********************************

 

「よかった、まだ二人とも教室にいたんですね」

 

 その後、一夏と会話をしているところに山田先生が片手に書類を持ってやってくる。どうやら早歩きでもしてきたらしく、少し息を切らしていた。

 

「どうかしましたか?」

 

 訊ねてから一夏の方を見るが、一夏も何のことか分からないようで、首を傾げている。

 

「寮の部屋が決まったのでそれをお知らせに来たんですよ」

「ああ、そういえば今日からここの寮で生活するんでしたね」

「はい、その通りです。という訳で、これがお二人の部屋の鍵です」

 

 そう言って、僕と一夏にそれぞれ鍵が渡された。教室の扉も自動ドアだったから、部屋の鍵もてっきりカード式のものかと思っていたが、実際はカギ穴に差し込むタイプのようだ。案外アナログな方が信頼をおけるのかもしれない。

 

「あれ、俺の部屋はまだ決まっていないって話じゃ? 一週間は自宅から通えって言われましたよ?」

 

 

 流石にそれは不用心すぎるだろう。今や一躍時の人なんだから、そんなことをしたらどうぞ攫ってくださいと言っているようなものだ。

 

「そうだったんですが、事情が事情なので特例措置として無理やりでしたが部屋割りを変更して対応したとのことです」

「なるほど。そういえば隆宏も自宅からなんじゃ?」

「いや、僕は初めから寮で暮らすことになっていたよ。入学までは取材や研究所の人間なんかを避けるためにずっとホテル暮らしだったし」

「そ、そうだったのか…」

 

 若干顔を引きつらせて答える一夏。実際はホテルで軟禁されているみたいなものだったけど、わざわざスイートルームを用意してくれただけましと考えよう。

 

「とにかく、部屋のことはわかりましたが今日はもう帰ってもいいですか? 一度荷物を取りに行かないといけないし」

「あ、荷物なら――」

「私が手配をしておいた」

 

 いつの間にか千冬さんが山田先生の隣に立っていた。気配を断っていたのだろうか。多少悪趣味が過ぎるような気もする。

 

「とはいっても、生活必需品だけだがな。服と携帯の充電器でもあれば十分だろう」

 

 一夏のかなり落胆した様子が見て取れた。僕でさえ何冊かの小説とギターを持ってきているのに。というか、僕の場合は服よりそれらの方が多いかもしれないけど。

 

「じゃあ、そういうことでお願いします。夕食は6時から7時までに寮の一年生用食堂で取ってください。あと、各部屋にはシャワーが備えられています。大浴場もありますけど、織斑君たちは今のところは使えません」

「え、ダメなんですか?」

 

 どう考えても駄目だろう。僕たち以外は全員女子なんだから当たり前だ。むしろ一夏の頭の方が駄目なんじゃないだろうか。

 

「馬鹿か、お前は。まさか同年代の女子と入りたいとでも言うんではないだろうな」

「え、女子と入りたいんですか?! ダ、ダメですよ織斑君!」

 

 師走のお師匠さんなんか目じゃないほど慌てる山田先生。それは早計すぎるだろう。

 

「い、いや。はいりたくないですよ」

「えっ? 女の子に興味がないんですか!? ……それはそれで問題のような」

 

 だから早とちり過ぎる。おかげで周囲の女子がとんでもなく騒々しくなっている。中には過去の交友関係なんかを洗い出そうとする人もいるくらいだ。

 

「ええっと、それじゃ私たちはこれから会議なので。二人とも、道草食わずに寮にちゃんと帰るんですよ」

 

 と言って教室から出て行こうとするが、

 

「きゃあ!?」

 

なぜか何もないところで躓き、書類が紙ふぶきのように舞う。

 

「大丈夫ですか?」僕は慌てて近寄り、散らばった紙を拾い始めた。

 

「ご、ごめんなさい」

 

 少し涙目になって謝る姿は、申し訳ないけど先生というより同年代に見えてしまう。何だか小動物的な感じもした。

 

「いえ、気にしないでください。……僕はこれを持って行くのを手伝うから、一夏は先に部屋に行っておいて」

「俺も手伝おうか?」

「そんなに量はないから大丈夫。それに、先生に相談があるから」

「わかった、また後でな」

 

 教室から出ていく一夏。廊下にいた女子たちが一斉に道を開けているのが見えた。

 

「これで全部かな。立てますか、先生?」手を差し出した。

「うう、ごめんなさい」

 

 僕の手を取って立ち上がる。どうやらあまり男の手に触れたことがなかったらしく、顔を赤くしていた。

 

「それで相談とは何だ?」横から千冬さんが訊ねてきた。

 

「歩きながら話します。会議に遅れるといけませんからね」

******************************

 

 三人で廊下を歩く。時折、すれ違う女子が皆悲鳴みたいな歓声を上げていた。三人の内一人は今絶賛話題の渦中である男性操縦者だし、一人はあのブリュンヒルデだから仕方がないと言えば仕方ないのかもしれない。

 

「あまりその呼ばれ方は好きじゃない。それで相談とは何だ?」

 

 どうやらまたしても僕が考えていたことを読んだようで、少々うんざりした様子が見て取れる。

 

「相談って言うのは、僕にISの操縦をレクチャしてほしいってことです。実際にISを動かす授業は来週以降ですから、放課後にお願いしたいと思って」

 

 歩きながら二人に向けて言う。一週間後の決闘に備えて少しでも動かせるようになる必要がある。付け焼刃もいいところだが、当日初めて乗ります、ではいいお笑い草だ。

 

「そういうことか。だが生憎、私はここのところ仕事が立て込んでいて厳しいな。……山田先生、お願いできますか?」

「わ、私ですか?! 私なんかでよければですけど」

 

 そう言って上目づかいでこちらを見てくる。その眼には本当に私でいいのかという不安の色が混じっている。

 

「勿論です。よろしくお願いします、山田先生」

 

立ち止まって礼をする。少しドジな所もあるが伊達にIS学園の教師をしてはいないだろう。今日の授業からもそれが分かった。

 

「そんな畏まらないでください。こちらこそ不束者ですがよろしくお願いします」

 

 そう言って、こちらに深々と頭を下げる。かなり意味が違う気もするが誠意は伝わってきた。

 

「なに二人で頭を下げ合っている。早く行くぞ」

 

 呆れた様子で先を歩く千冬さんに慌ててついていく僕と山田先生。山田先生を見ると思わず失笑していた。僕もきっと口元を緩ませているのだろう。

 

「訓練機を借りるのとアリーナの使用には申請書がいる。職員室でそれを渡すからその場で書いて提出しろ」

「分かりました」

「おそらく、明日すぐには使えないだろう。明後日以降になると思う。」

 

 それもそうだろう。ここにある訓練用のISは全生徒の10分の1以下なのだから、順番が回ってくるのにも時間がかかる。男ということで多少の融通は利かせてくれるのが幸いといったところだ。

 

「大丈夫なのか?」

「何がです?」

 

 質問の意味はわかっていたが、聞き返した。僕がISで戦えるのか、ということだ。あの事があって以来ISを使った戦闘行為は忌避していたが、ここにいる以上仕方がないのも理解している。

 

「いや、何でもない。忘れてくれ」

 

 そう言うと、千冬さんは何も言わず再び歩き出した。僕も話をする気にはなれず、黙って後をついていった。事情を知らない山田先生がうろたえているのが少し申し訳なかった。

 

「そ、そういえば三海君はどの機体を使いますか?」

 

 雰囲気に耐え切れなかった山田先生が話を切り出してくる。

 

「ここにあるのは打鉄とラファールでしたよね」

「は、はい。その通りです」

「そうですね。……ラファールにしようかと思います。打鉄もいい機体だとは思いますが、今回に関しては近接タイプでは分が悪いと思うので」

 

 幾分か空気も和らぎ、僕は機体特性や武装について山田先生に質問した。千冬さんが心配そうだったが、結局何も口に出さず前を歩いていた。

 

「ここが職員室です。では、申請書を渡しますね」

 

 二人についていき職員室の中に入る。やはり、男の僕は教職員にも珍しいのか何人かがちらちらとこちらを窺っていた。山田先生は申請書を取りに行ったようで、千冬さんは自分の席に座っていた。千冬さんと目が合う。心配しているのが見て取れた。

 

「大丈夫です」

 

 思わず口に出していた。千冬さんは少し目を見開いて、すぐに元の凛々しい顔つきをして、もう一度僕をじっと見た。今度は目を逸らさなかった。

 

「そうか」

 

 そして、僕から目線を外しどこか安堵したとも諦めたとも取れる調子で一言だけ呟いた。

*******************************

 

 申請書類を提出した僕は寮の廊下を歩いていた。時折既に寝間着姿の女子を見かけたが、もともと女子校だったから仕方ないとはいえ、些か無防備すぎるような気がした。でも結局僕が口に出すべき問題ではなかったから何かを言うことはしなかった。

 

「ここか……」

 

 誰に言うでもなく呟いた。鍵に記されている部屋番号と照らし合わせて、間違いがないことを確認する。とりあえず軽くノックをしてみた。何も反応がないようなので、ドアを開けて中に入ってみる。どうやら一夏はまだ戻ってきていないみたいだ。軽く部屋を見回すと、ここに来るまで滞在していたホテルに勝るとも劣らない部屋だった。並んでいるベッドの片方にはケースに入ったギターが置かれている。

 とりあえず荷解きをしておこうと思い立ち、ベッドの脇に置かれている段ボールを開けて荷物を取り出しては、備え付けの本棚や机に並べていく。そんなに量は無かったから30分程度で終わった。

 その後は、シャワーを浴びて並べたばかりの本から一冊を取り出して読むことにした。もうすでに何回も読んでいて内容は覚えているから、流し読むようにパラパラとページをめくる。大体4分の1ほど読んだところでドアが開く音がした。

 

「遅かったね、一夏。どこで道草食っていたの?」

「え? 誰?」

 

 本から目を離さずに言ったが、直後に聞こえた声は明らかに一夏のものではなく女子だった。驚いて僕は顔を上げる。

 そこには眼鏡をかけた少女が立っていた。セミロングの髪は水色で内側にはねている。驚きの様相を映し出している瞳からは暗い陰のようなものが感じられ、その姿からは触れたら壊れてしまいそうな儚さも感じられた。

 

「えっと……どちら様でしょうか?」

「……それはこっちのセリフ。何でこの部屋にいるの?」

「何でと言われても、僕はこの部屋を割り当てられたからで……もしかして、君もこの部屋なの?」

「……うん、そう」

 

 幾らなんでもこれは不味すぎる。僕が気にしなかったとしても、相手からしたらいきなり見知らぬ男と同じ部屋で寝るなんて耐えられないだろう。逆の立場だったら絶対に無理だ。

 

「えっと、僕はとりあえずドアのところで寝るとするよ。隣が男なんて流石に嫌でしょ?」

 

 そう告げると、彼女は理解が追い付いていないようで、しばらく頭の中で僕が言ったことを反芻していた。

 

「いきなり飛躍しすぎ。……それに、隣で寝るくらいなら別に気にしない。」

「ごめんごめん、驚いて少し取り乱した。とりあえず着替えとかシャワーとかのルールを決めよう。」

 

 彼女は頷いてくれたので、生活上のルールを取り決めた。粗方決まったところで時計を見ると、もうすでに消灯まで30分を切っていた。

 

「とりあえずこのくらいかな。他に何かある?」

「ううん、時間はそれで大丈夫。……でも、聞きたいことがある」

「答えられる範囲なら答えるよ」

「……そもそも、貴方の名前は?」

 

 僕は思わず首を傾げた。そういえば、まだ僕たちはお互い名前すら知らないことに気付いた。

 

「そうだった、まずは名乗るのが先だったね。僕の名前は三海隆宏。二人目の男性操縦者です」

「私は更識簪。一応、日本の代表候補生」

「へぇ、凄いな。ISのことで相談とかしてもいい?」

「……少しくらいなら、いい」

 

 これは本当に心強い。代表候補生ということは操縦技術も相当なものだから動きの参考にもなるだろう。

 

「それでも十分だよ、ありがとう更識さん。そろそろ消灯時間だけどもう寝ようか?」

「ううん、やっておきたいことがあるからもう少し起きている。……それと、名字で呼ばないで」

「初対面の人を名前で呼ぶのは馴れ馴れしいと思ったんだけどいいの?」

「……あまり名字で呼ばれたくないから」

 

 そう言う更識さん、いや簪さんの顔に陰りが見えた。どうやら事情があるらしいが深く詮索するのは失礼だと思い、邪推するのを止めて肯定の頷きを返した。

 

「わかったよ、簪さん。それと僕ももう少し本を読んでから寝るから明かりは消さなくて構わないから」

「…うん、ありがとう」

 

 僕は枕の上に置いておいた本を手に取り再び視線を落とし始める。簪さんはキーボードを叩いていた。しばらく経って、ふと何をしているのか気になって簪さんが操作している画面を横目で見てみる。

 

「機体の機動に関するプログラムか。自分でISを組み立てているの?」

「え? これが何だかわかったの?」

「何をいじっているか程度はね、それくらいは誰にでもわかるよ」

「……そんなことない」

 

 そう言う簪さんは何かを思案していたが、首を横に振っていたことからどうやら否決されたみたいだ。とはいえ、まだ悩んでいる様子だったけど。

 

「何も聞かないの?」唐突に訊ねてきた。

「別に聞く気はないよ。聞いてほしいなら話は別だけど」

「……やっぱり今のは忘れて、おやすみ」

「うん、おやすみ」

 

 どうやら今日はここまでのようで、投影されていたディスプレイを消してベッドに潜り込んだ。僕も途中の箇所にしおりを挟んで枕の脇に置き、明かりを消した。彼女は僕に聞いてほしいことがあったのか、それとも聞きたいことがあったのか。少し考えてみたけれど、結論は出なかった。考えることを放棄して目を閉じると、あの眼鏡の奥にあった瞳が浮かんでくる。ふと携帯を開いて画面を見た。そこにはぼんやりと自分の顔が映っている。でも、瞳の黒だけは鮮明に見えた。

 




感想、批評等お待ちしております。


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第4話 ―始動―

 だんだん私生活の方も忙しくなってきたので、毎週更新も厳しいかもしれないです。その場合は活動報告でも連絡します。まずはそうならないよう頑張ります。……決して書きためが無くなってきたとかいうわけではないです。
 前置きが長くなってしまいましたが、それでは第4話をどうぞ。


 携帯のアラーム音で目が覚めた。まだ眠りたいと信号を発する頭をどうにか動かしてアラームを止める。隣を見ると彼女はまだ目を覚ましていないようだ。もう30分は寝ていても大丈夫そうなので起こさないよう出来るだけ物音を立てずに制服とタオルを手に取り、洗面台に向かう。顔を洗い前髪を下ろして制服に着替える。身支度が整ったところで念のため書き置きを残して食堂に向かった。

 やはりまだ朝食には早かったようで他に生徒はほとんどいない。メニューを一瞥して、トーストとスクランブルエッグ、それに冷たい牛乳を選んで食券を渡す。昨日の夜は定食を頼んだがとても美味しかった。様々なメニューがあるから飽きも来ないだろう。

 

「こんな量で大丈夫かい? お昼までもたないよ」

「いえ、朝はあまり食べられなくて。それに案外もちますから」

「そうかい? おかわりが欲しかったら言いなよ」

 

 礼を言いつつ、注文したものを乗せたトレイを受け取り空いている席に着く。僕はどうも朝は駄目らしく、食べることはおろかまともに歩けないことさえある。朝が嫌いだというつもりはないけど、きっと僕の細胞は朝に対応するシステムがないのだろう。お化け屋敷を歩くような速度で食事をしていると、段々人も増えてきた。時折出入り口の方に目を向けたが彼女が現れることはなかった。どうにか全部食べきって一口ずつ牛乳を飲んでいると、一夏が誰かを連れてこっちに向かってきた。僕とは違う理由で朝がつらそうだ。

 

「おはよう、隆宏。隣いいか?」

「おはよう。いいよ、と言っても僕はもう食べ終わっていったん部屋に戻ろうと思っていたところだからニアミスだったね」トレイを持って立ち上がる。

「そうか。じゃあまた後でな」

 

 左手をヒラヒラと揺らし別れを告げる。再び部屋に戻るとまだ彼女は寝ていた。流石にもうそろそろ起こさないと遅刻してしまう。

 

「簪さん、起きて。もうそろそろ用意した方が良い」

「ん、……え?」

 

 どうにか目を覚ましたようでぼんやりとした瞳で僕を捉えると一瞬ポカンとしていたがすぐに僕のことを思い出したようだ。

 

「あ、えっと……三海君?」

「覚えていてもらえて何よりだよ。もう目が覚めたみたいだから僕は先に行くね」

 

 そう告げて部屋を後にする。教室に着くと、すでに何人かは来ていたがそれでも精々3分の1程度だった。自分の席に座り授業の準備をして、教科書を手品師が扱うトランプみたいにパラパラとめくっていると、一夏たちが教室に入ってきた。

 

「よお、さっきぶりだな。ところで聞きたいことがあるんだがいいか?」

「奇遇だね、僕もだよ」

 

 そして、少しの間の後で同時に口を開いた。

 

『お前(君)は1人部屋だった?』

「同じ質問ってことはやっぱり……」

「君も誰かと相部屋だったわけだね」

「ああ……、幼馴染だったからよっぽどマシだったけどな」

 

 そう言いながらも深いため息を吐く一夏。何やら一悶着あったようだ。

 

「へぇ、知り合いがこの学園にいるんだ」

 

 あえてそのことには触れずに質問をする。倍率数百倍とも言われているこの学園に知り合いがいるなんてかなり珍しいことだろう。

 

「知り合いっていうか幼馴染だな。小学5年になる前に別れて以来6年ぶりに再会したんだよ」

「へぇ、運命的だね」

 

一夏の話に相槌を打ちながらそれらしき人の方を見ると、どうやらあちらも見ていたらしく慌てて目線を逸らした。その目には幼馴染に向けるものよりももっと深い感情があった気がした。

 

「それでお前は誰と一緒の部屋だったんだ?」

「僕? 僕は……」

 

 そこで言い淀んだ。全くの赤の他人だということを打ち明けたくなかったのもあったけれど、それよりも何故だかまだ他の人には彼女のことを言いたくなかった。

 どうしようかと悩んでいるとチャイムが鳴った。

 

「おっと、もう授業が始まるからまた後でね」話を切り上げて席に戻る。

「お、おい。ちゃんと聞かせ――」

 

 バシン、と快音が鳴り響く。千冬さんが教室に入るや一閃、出席簿を振り下ろした。

 

「席に就け、織斑。授業を始める」

「……ご指導痛み入ります、織斑先生」

 

 渋々といった様子で席に着く。その際に恨みがましく僕を見ていたようだが、そんなことは全く気にせず授業の用意を取り出した。

 今日の授業も内容的には退屈なもので、何度か瞼が重たくなったがあの出席簿による一撃はどうしても避けたかったのでどうにか意識を保ちながら授業を聞いた。一夏用のノートを作っている時に、山田先生が僕と彼を交互に見て赤面していたがちょうどそのとき話を聞いていなかったので何のことか分からなかったので気にせずノートのまとめ作業を続けた。

 気が付くとどうやら昼休みのようで、銘々に昼食をとっていたり食堂に向かっていたりするのが見受けられた。僕も何か食べに行こうと思い、席を立って一夏に呼び掛ける。

 

「お昼食べに行く?」

「そうだな。他に誰か一緒に行かないか?」

 

 一夏が周囲に声をかけると、何人かが勢い良く返事をする。

 

「ほら、箒も行くぞ」

「……私はいい」

 

 箒、と呼ばれた少女は拒否の態度を一度は示したが一夏が腕をとって連れて行こうとする。何か言い合っていたかと思うと、突如一夏が投げ飛ばされていた。見事な円軌道を描いて床にたたきつけられた一夏を見たところで僕は食堂へと向かうことにした。

 

「先に行っているよ。あんまり遅くならないようにね」

「痛ぇ。……ってちょっと待ってくれよ、ほら行くぞ箒」

 

 結局少女は腕をとられて渋々ついてきた。食堂はなかなか混雑していたけど、幸いちょうどいい多人数掛けの机が空いていたのでそこに座った。正面には一夏が座り、その隣に先ほどから不機嫌そうな顔をしている少女、そして僕の隣にはどこか抜けているようなのんびりしているような雰囲気で服の袖を随分と余らせた少女とその友人らしき人が座った。

 

「みうみうはソバなんだ~、なかなか渋いね~」

「そうかな? ところで2つ質問してもいい?」

「いいよ、どんと来たまえ~」

「まずはみうみうって何ってことと、君たちの名前は? ってこと」

 

 一応同じクラスだということはわかるが、逆に言えばそれしか知らなかった。訊ねられた2人は一瞬驚いた表情をしたがすぐに口を緩ませた。

 

「私の名前は布仏本音だよ」

「私は鏡ナギ! よろしくね、三海君」

「よろしく」差し出された手に応じる。

「それとね、みうみうはみうみうだよ」

「つまり、僕のあだ名ってこと?」

「そうとも言う~」

 

 なかなか独特なネーミングセンスだと思う。そういえば、もう1人似たようなニックネームをつけてくれた人がいたかもしれない。でも、今はもうどうでもいいことだ。

 

「そして、貴女は誰?」先ほどから口を開かない一夏の隣に声をかける。

「私は、……篠ノ之箒だ」

 

 その姓を聞いて、僕の鼓動が早まったがどうにかそれを表に出さないよう平静に努めた。なぜ一夏が幼馴染といった時にその可能性を考慮しなかったのだろう。自分の思慮の浅さに嫌気が差す。

 

「そうそう、なんで隆宏には専用機がないんだろうな?」

「専用機? 何の話?」

 

 口を挟んで話しかけてくる一夏に聞き返す。果たしてそんな話していただろうか?

 

「え!? お前話聞いてなかったのかよ?」

「多分そうなるね。それで、どういう内容?」

 

 一夏は呆れたように息を吐いてから説明してくれた。要するに、一夏には専用機が用意されるということだった。でも一方で僕については一切言及されなかったので一夏が千冬さんに訊ねたところ、結局はぐらかされてしまったらしい。

 

「多分、対照実験みたいなものじゃない? 片方は専用機、もう片方は訓練機を使わせてその比較データを取るとか」

 

 一通りの話を聞き終わってから僕は口を開いた。でもおそらくはそれだけではないはずだ。僕にはこれといった後ろ盾がないが、彼は千冬さんの弟なのである。そんな事情も専用機の配備を進めることに繋がったとみて間違いはなさそうだ。

 

「理由がどうであれ、それはそれとして受け止めるしかなさそうだね。僕としては訓練機で臨む気だったから問題ないけど」

 

 軽く言ってソバに箸を付ける。すると今度は隣に座っていた二人が心配そうにこちらを見てきた。

 

「そ、それはなかなか厳しいんじゃないかな?」

「しかも、たしかセッシーの機体はイギリスの――」

「BT-01ブルーティアーズ、イギリスの第三世代機でマインド・インターフェース兵器、通称『ビット』の運用試作機。また、BT適正率100%においては偏光射撃も可能となっている」

 

 布仏さんの言葉を遮り、一息で言い切る。皆を見てみると篠ノ之さんまでも唖然としていた。

 

「え? なんで隆宏はそんなに詳しいんだ?」

「詳しいも何もこのくらいは調べればすぐにわかることだよ。それに、ここに来る前に各国の最新機体なんかは粗方調べてあるし」

「そ、そうか。というか、それを全部覚えてるのか?」驚いた様子で訊ねてくる。

「一応はね。それはいいとして、一夏はこれから特訓とかするの?」

 

 別に自慢したいわけでも、するほどのことでもなかったから適当な調子で答えて、話題を変えた。

 

「ああ、もちろんそのつもりだ。それでどうしようかと――」

「ねえ、君たちが噂の子?」

 

 突如横から現れた人に話しかけられる一夏。リボンの色を見ると赤だったことから、どうやら3年生のようだ。話を聞いていると、ISについて教えてくれるということらしい。

 

「じゃあ、今ようやく理論が確立してきたとの噂がある第四世代の仕様はどうなっているんですか?」思わず口を挟んだ。

「え、えっと……私にはよく分からないかな」

「それなら、ドイツで開発が進んでいるらしいAICについては?」

「ま、まあそんなことより私がISの操縦なんかを教えてあげるから」

 

 結局僕の質問には一切答えることはなかった。僕は少し落胆して残っていたソバを食べきって立ち上がった。

 

「じゃあ、お先に」

「あ、ああ。」一夏が驚いたかのように言う。

 

 先輩と思しき人物はまだ何か言い続けていたが、もう興味はなかったからそれに応じないで食堂を後にした。深くため息を吐く。僕は何か思うことがあった気がしたけれど、教室に戻ってきたころにはすっかりどうでもよくなっていた。こんな風に今までのことを考えることができたら、と思う。でも、それも結局どうだっていいことかもしれない。

********************************** 

 

 トレーニングルームと表示された扉をくぐると最初に様々な機具が見えた。詳しくは分からないが、見るからに全て最新型のものが取りそろえられているようで、大体部屋の3分の2を占めていた。

 どんな機械があるのかと辺りを見回していると、奥の方から物音がしたのでそちらに向かってみる。奥にはサンドバック、その隣にはリングがあった。サンドバックの前には誰かがいて、隙のないフォームでサンドバックを殴りつけている。更に近付くと相手もこちらに気付いたようだ。

 

「あら、こんな所に何のよう?」

 

 女性にしては低めのハスキィな声だった。肩より少し下まで伸びている黒髪は後ろで1つにまとめられている。振り返ってこちらを見る目には研ぎ澄まされたナイフを思わせる鋭さがある。

 

「あの、ここを利用したくて。使ってもいいですか?」

「別に許可を取る必要はないわ。空いていれば誰が使おうと問題ない」

「そうですか、ありがとうございます」

 

 礼を言って機械のところに戻ろうとすると不意に呼び止められた。振り向くとグローブが投げ渡される。

 

「これは?」

「それを着けてリングに上がりなさい、実力を見せてもらうわ」

「別に、僕はそんなこと――」

「イギリス代表に勝ちたくはないの?」

 

 思わず目を見開いた。その女性はすべてお見通しだとでも言うように薄い笑みを浮かべている。僕はその人を睨むように見つめる。

 

「悪くない目ね。早く来なさい」

 

 グローブを付ける前に手早く目の下くらいまで伸ばした髪をかきあげてゴムで留める。リングに上がりつつグローブをはめた。

 

「時間は無制限で貴方は私に一発でもパンチを当てたら勝ち。貴方が降参したら負け」

「分かりました」言って、腕を上げて構える。

「あら、なかなか冷静ね。てっきりそんなハンデはいらないと言うかと思ったわ」

「自分の力量くらいは把握しているつもりです」

 

 一応かつて千冬さんに武道の基礎を習ったとはいえ、それを使ったことはないから実質宝の持ち腐れと言っていい状態だろう。それに、さっきの様子を見る限りではこちらのパンチが当たるとも思えなかった。

 

「そう、それならかかってきなさい」

 

 そう言うと相手は腕を体の脇に下ろして構えを解く。挑発だということは全く分かりきっていたので、焦ることなく間合いを詰める。

 

右手を打ち出す。

左に移動され簡単に躱された。

自分も方向転換して距離を空けられる前に連続で拳を出す。

狙っているはずなのにまるで見当違いのところに打っているように躱された。

息が詰まる。

いつの間にか腹部を殴られていた。

「ほら、もっと本気を出しなさい」声と同時に拳が繰り出される。

ヘッドギアをしていないからか顔は狙ってこないが、すべてが体に的確に当てられる。

苦し紛れに打ち返すが全く当たらない。

苛立ちが募る。

それを嘲笑うように更に殴られていく。

拳を出すたびに5倍以上の拳が返ってくる。

割に合わない。

息が上がってきた。

まだ2分も経っていない。

避けた先に拳が来る。

防御すらできなかった。

立っていられない。

膝をついた。

「まだ続ける?」

まだ、やれる。

立ち上がることでその質問に答えた。

相変わらず拳は空を切るばかり。

思考が追い付かない。

どうすればいい?

その十分な隙に拳が差しこまれる。

膝から崩れ落ち、前のめりに倒れる。

僕は見上げ、彼女は見下ろす。

何とか立ち上がる。

息をすること自体辛くなってきた。

腕でどうにか防御するのが精一杯だ。

もはやサンドバックと同じ状態。

何か、手はないのか?

再び思考の隙を突かれ、腹に今までで一番重い一撃が入った。

倒れ伏す。

呼吸をしても全く酸素を取り入れられない。

彼女は何も言わず只々僕を見下ろす。

なぜ僕はこんなことをしているのだろう?

どうすれば勝てるのか。

もう、諦めた方が良いかもしれない。

様々な思いが頭の中をめぐる。

僕の荒い息だけが聞こえた。

何をすればいい?

そうだ、勝たなければ。

それは何故?

分からない。

でも、引く気はなかった。

引くくらいなら死んだ方がましだ。

僕は再び立ち上がり、腹部や胸部を守るように腕の位置を下げる。

相手は防御の上から殴りかかってくる。

まだだ、まだ早い。

段々腕の感覚もなくなってきた。

肩を上下させて息を吸う。

もっと、もっとだ。

更に殴打は苛烈になる。

一瞬だけ気を緩める。

とどめと言わんばかりの一撃。

狙い通りだ。

防御を解いて、足をバネにして自ら拳に迫る。

相手は驚愕しているようだがもう遅い。

僕も拳を突き出す。

腹に衝撃が走る。

そのせいで殴る勢いは弱まったが、相手は避けられない。

軽く触れる程度の拳が相手の肩に当たる。

「僕の、勝ちだ」

果たして口に出していたのかどうかはわからなかった。

そして、僕は体を三度リングに預けた。

************************************

 

「合格、と言いたいところだけど」

 

 並んで座り、まだ荒い息を整えているとそう切り出された。

 

「最後のアレはこれからギリギリまで使わないこと」

 

 アレ、とは一発当てるためだけに使った相打ち狙いの攻撃に違いない。

 

「あんな戦い方は無謀か死にたがりよ。命を大事にしなさい」

 

 僕は頷いては見せたけど、内心では納得していなかった。ああでもしなければ一発当てることは叶わなかったわけだし、それにそこまで命を蔑ろにしているつもりはない。そもそも、生きていること自体が命懸けなわけで、今回の場合は時間当たりに懸ける量が多かっただけだ。

 

「あのね、別に禁止するつもりはないの。本番や実戦ならともかく、練習では駄目だってこと」

 

 僕の不満を察したらしく、優しく諭すようにして語りかけてくる。

 

「私も捨て身の戦法は幾つか知っているつもりだったけれど、まさか肉も骨も切らせる覚悟で向かってこられるとは思ってなかったわ」

「自分でもよく思いついたな、という感じです」

「本人が予想外なら私じゃなおさら想像つかないわね」

 

 半ば呆れたように笑って、肩をすくめる。思わず僕もつられた。

 

「それで、一応僕が勝ったわけですけれど…」

 

 何と続ければいいのか分からず言葉に詰まった。別に何かを賭けているわけでもなかったから何かあるのかと聞くのも不自然だろう。

 

「そうね、私が貴方の特訓に協力しようと思うけど、どうかしら? 勿論、貴方が嫌で無ければだけど」

「それは、是非お願いしたいです」

 

 迷わず即答した。どれだけISの操縦訓練をしても自分の身体能力を上げなければ意味がない。自分一人ではできることも限られていたからこの申し出は本当に嬉しいものだった。

 

「わかったわ。私は3年の天音夕(アマネユウ)。放課後は大抵ここにいるからいつでも声をかけて」

「僕は三海隆宏です。これからよろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ。よろしくね三海君」

 

 その後、早速僕は特訓を始めたいと告げたけれど、まだダメージが残っているからと却下された。その代りにメニューの確認や鍛えるポイントなんかを話し合った。天音先輩はどうやら大体の事情を知っているようだ。でも、僕は天音先輩のことを全く知らない。だからといって何かを訊こうとは思わなかったし、彼女も特に話そうとはしなかった。ただ、僕と先輩は少なくとも同じことを思い、行動しようとしている。それだけで十分だった。

 




 感想・批評・要望等々お待ちしております。


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第5話 ―暗転―

 活動報告で月曜とか言っておきながら、火曜日になってしまいました。本当に申し訳ないです。次からは毎週更新できるよう頑張ります。
 それではどうぞ。


 その後、天音先輩と一緒に夕食を取り、部屋へと戻ってきた。まだ簪さんは戻ってきていない。溜まっていた疲れが噴き出してきて瞼が重くなってくる。耐え切れずにベッドに横になった。どうにかシャワーだけは浴びようと思っていたが、結局そのまま目を瞑っていた。誰かに呼び掛けられている気がして目を開ける。目の前には既に制服姿の簪さんがいた。

 

「あれ? もう朝?」

「うん、私が戻ってきたら明かりがついたままで三海君が眠ってた」

 

頭を左右に振ってなんとか記憶を手繰り寄せる。ベッドに倒れこんだところで記憶は途切れていたから、そのまま眠ってしまったということだろう。

 

「そっか、ありがとう」

 

 起き上がって時間を確認する。何とかシャワーと朝食をとる時間くらいはありそうだ。

 

「僕はシャワーを浴びてから朝食を食べるつもりだけど、簪さんは?」

「……朝ごはんはまだ」

「じゃあ、早く行った方が良い。あまりゆっくりしていると遅刻するよ」

「ううん、あ、あのね……」

「どうかした?」

「……やっぱり、何でもない」

 

 足早に部屋を出ていく簪さん。何を言おうとしたのか少し気になったけど、時間がなかったから僕は慌ててシャワーを浴びた。

 どうにか朝食を食べて始業の鐘にも間に合った。授業を聞きながら、今日は実際にISに乗る日だったことを思い出す。使う機体はラファール・リヴァイヴ。使いこなせるだろうか? それに、ただ動かすだけではない。戦うための、相手を倒すための兵器として使う。それが嫌だったのに、これまでの関係を投げ出してまで避けてきたというのに、結局こうなった。なんて脆い、なんて薄弱な意思だろうか。自分を殴ってしまいたくなる。でも、本当に嫌なのか? 途端に僕の頭がざわめきだす。じゃあ、何故僕はオルコットさんに挑発し返した? 昨日は何故天音先輩と戦った? 何故……

 ふと、右手を見る。ペンを握りしめている。知らず知らずのうちに力が入っていた。その手は必死にブレーキを握ろうとしているようにも、そのまま思いっきり振り出して走ろうとしているようにも見えた。

*********************************************

 

「どうですか、乗ってみた感想は?」

 

 訊ねられた僕は手を上下させてその動きを見る。機械を付けているという違和感はほとんどない。

 

「なんて言ったらいいのか……とにかく凄いと思います」

「まさに科学技術の結晶ですからね。……それにしても、本当に動いているんですね」

 

 しきりに感嘆の声を上げて僕を見る山田先生。アリーナには僕たちの他にも訓練している生徒がいて、程度の差はあるにせよほとんど全員が僕のことを興味深そうに見ている。

 

「あの、先生。まずは何をすればいいですか?」視線に耐え切れなくなり声をかける。

「は、はい! ま、まずは歩いてみましょうか!?」

 

 本来の目的を思い出し、慌てて聞き返してくる山田先生。僕は首肯して右足を踏み出して歩き始める。普段通りに歩こうとするがどうにもぎこちない。そのまま歩き続けようとするがバランスを崩して転んでしまう。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 すぐさま駆け寄ってきて手を差し出してくれた。周囲では嘲笑の声が漏れる。それにいちいち反応することなく手を取って立ち上がった。

 

「すいません。普段通り歩こうとしたのですが、上手くいかなくて」

「それは初心者にありがちなことですね。簡単に言ってしまえば、ISに乗ると足の長さや重心のバランスが変わりますから日常の動く感覚とは変わってきます」

 

 なるほど、と頷く。いきなり重心が変わってしまえば慣れないのも当然だ。でもそんなことも言っていられない。いつでもISを使った訓練が出来るわけではないからこんな初歩で時間を取られるわけにはいかない。

 

「先生、少しお手本を見せていただけますか?」

「お手本、ですか?」

「はい。慣れている方の動きを参考にしたいと思うので」

「わ、わかりました。では少し動いてみますよ」

 

 何故だか緊張した面持ちで歩き出す山田先生。僕のようなぎこちなさは全くなく、軽々と歩く。段々とスピードを速めていき走っているがそれも安定している。

 

「こんな感じでどうでしょうか?」恐る恐る言ってくる。

「とても参考になります。ありがとうございます」

 

 僕は目を閉じた。先程の動きを思い出しトレースしていく。次第に自分の体が軽くなるような錯覚も覚える。今ならいける、直感でそう感じた。ゆっくり目を開いて、前を見据える。

 

「三海君?」

「行きます」

 

 心配そうに呼びかける声にそう答えて、僕は歩き出す。

 先程のような違和感はない。

 次第に歩く速さを速めて走る。

 いつも走るのと変わらない。

 更に速度を増していく。

 全力疾走に近いスピード。

 切り返して、先生のところへと戻る。

 

「どう、でしたか?」

「す、凄い。もう普段歩いたり走ったりしているのと変わらないですよ」

 

 驚きを隠せない様子で僕に言う。息を整えながら周りを見渡すと、まるで合わせたかのようにだれもが同じ表情を取っていた。

 

「次は何をするのですか?」

 

 まだ息が整っていないままで多少声を上ずらせながら訊ねた。心なしか声が少し大きくなったかもしれない。

 

「そ、そうですね。では次は空を飛んでみましょう」

 

 僕の態度に気圧されて、声を小さくして答える。瞬間、僕の心は躍った。ようやく願いが叶う。掴めないと知りながらも、これまで何度も手を伸ばしてきた。遂に手が届く。空を飛ぶということに。

 

「まずは上昇からですね。私が先に上がって見せますね」

 

 ゆっくりと先生のラファールが上昇する。そして地上から10m位の高さのところで停止した。

 

「では、ここまで上がって来てください!」

 

 僕の方を向いて声を張り上げた。その声に頷きを返し、上昇するイメージを固めていく。下から押し上げられる。そして次第に地上から離れていく。何の抵抗もない。重力も、意思も。余計なものは何もない。それだけを思い浮かべた。

 テイク・オフ。自分だけに聞こえるようそっと呟く。その言葉に呼応するかのように上昇を始める。足が完全に地上から離れる。そのまま上がり続け、先生と同じ高さに辿り着く。

 

「これから空中での機動を教えますけど、その前に空中を動く上で何が一番大事か分かりますか?」

 

 口元に手を当てて考えを巡らせる。複雑な動きをすること? いや、それは違うだろうと自分の考えを否定する。他に考えられることは……

 

「――速さ、ですか?」

「それも重要ですけどちょっと違いますね。正解は“姿勢”です」

「姿勢?」とっさに聞き返す。

「はい、重心とも言い換えられます。空中では何処にも接していませんから如何にバランスを崩さないかが重要ですよ」

 

 確かにその通りだ。どこにも接しないということは、すなわち体を支えるものが何もないということになる。鳥を模して、飛ぶために作られた飛行機であるならばまだしも、そもそも人は空を飛ぶことができないし、飛ぶための形をしていない。それをISによって人の形を保ったまま飛ぶのだからどこかで不都合が出るのも当然である。その中で最たるものが先生の言った姿勢であり、重心ということだ。

 

「ですから、これから飛ぶときには常に姿勢や重心を意識してくださいね」

 

 僕は頷いてそれに応えると、先生は地上の時同様に基本の飛行を見せてくれた。僕に合わせてくれたようで、あまり速度は速くなかったが無駄のない美しい動きだった。

 

「それじゃあ、今度は……あれ、どうかしましたか?」

「いえ、美しい動きでしたので少し見とれていました」

「そ、そんな……美しいだなんて」

 

 両手を頬にあて、顔を夕日なんかよりも真っ赤にさせて慌てふためく先生。近くにいた他の生徒にも聞こえていたらしくあちこちから歓声が上がる。ほとんど無意識のうちに出ていたので改めて思い返すと恥ずかしさが込み上げてくる。

 

「じゃ、じゃあやってみます」

 

 耐え切れなくなり、逃げ出すようにして飛行を開始した。焦って飛び出したためスピードを出しすぎて、壁が一気に迫る。強く制動をかけて壁との衝突を避けたが、その分体に負担がかかった。

 一旦、呼吸を落ち着ける。

 再度上昇。

 すぐさま降下し、そこから滑空するように地面と体を平行にする。

 右へ旋回。

 最小で回ることが出来ず大きく膨れ上がる。

 もう一度だ。

 再び上昇、そして滑空。

 今度は左へ。

 右の時より上手くいった。

 楽しい。

 心が高ぶっているのが分かる。

 スピードを速める。

 そのままロールに入れる。

 1回転で勢いを殺しきれず上下が逆さまになる。

 構わずに飛び続ける。

 次はバレルロールをしながら下降。

 地面が近づく。

 あと5秒くらいで地面に衝突しそうだ。

 心の中で3秒数えて急停止する。

 体が上方へと押しつけられる。

 その勢いを使って急上昇。

 抵抗に体が押され息が詰まる。

 苦しい。でも、嫌いじゃない。

 もっとだ。

 もっと綺麗に飛んでやろう。

 再び上昇しようとすると、目の前に影が差した。

「三海くん、勝手に、飛びださないでください」

 息も絶え絶えに先生が僕を上目遣いで睨む。

「すいません、でも僕の飛び方はどうでしたか?」

「え、あ、えっと、まだまだ荒い飛び方ですけど良かったと思いますよ。ISを乗り始めたばかりとは思えないくらいでした。」

 凄く嬉しかった。まだ先生みたいに飛ぶことは無理でも少しでも認められた。飛べたことと合わせれば、それだけでも十分すぎるくらいだ。

「少し早いですけど、試しに武器を扱ってみましょう」

 一瞬、何を言われたのかが分からなかった。頭にノイズが走る。体が硬直してしまった気がした。 夜の砂漠に吹く風にさらされたみたいに僕の熱は失われていった。そのまま一緒に地上へと降りて、試しに使う武器の説明を聞いたけれど、使うのが銃であることと構え方くらいしか僕の意識には落ちてこなかった。むしろ一度でそれだけでも聞き取れたことはミラクルに近い。

 耳だけでなく視界にも壊れたテレビが流すような砂嵐が現れる。どうにか気づかれないように振る舞って、差し出されていた銃を受け取る。その際に先生は不安そうな顔を僕に向けていたから、頷くことで大丈夫だと示した。言葉にもしようと思ったけれど、実際に音を発することが出来たのかどうかまで、思考を巡らせる余裕はなかった。

 先生が何か言うがノイズばかりが頭に響き、聞き取れなかった。狭まった視界で前を見ると、的らしきものが出現している。きっとアレに向かって撃てばいいのだろう。

 言われたとおりに銃を構える。ノイズが一際酷くなる。何も聞こえない。何も見えない。立っているのだろうか。苦しい。自分が呼吸をしようとする感覚だけは伝わってくる。体が動かない。このまま心臓も止まるのだろうか。それもいいかもしれない。

「大丈夫、そこだ」

 声がした。優しく、優しく僕を停止から突き放す。

 的が見える。指も動く。全てがクリアに。

 引き金を引いた。発砲音。

 的は見なかった。見なくても分かる。

 僕はその場にへたり込んだ。あわてた様子で先生が近づいてくる。手を、正確には手にまとったISを見る。

「ありがとう」

 そう呟いた。でも、きっと誰にも聞こえない。

 少し遠くで中心を射抜かれた立体映像の的が、倒れるグラフィックを表示していた。

***************************************************

 

 その後、僕は目に涙を浮かべた山田先生に説教を受けた。説教というより泣き付かれたという表現の方があっているかもしれない。とりあえず、大事を取ってその日の訓練は終了した。それから3回ほどISでの訓練を行ったけど、武器を扱ってもノイズが走ることはなかった。まだ武器への忌避感はあるけれど、幾らか割り切れるようにもなっていた。そして一番の変化は、飛行技術だった。まだまだ上昇や下降、旋回なんかは荒いのだが、速度の面に関しては異常といっていいくらい成長した。すでにラファールの限界速にも慣れるどころか物足りなさすら感じていた。偶然それを見ていた整備課の上級生が速度を速めるようにラファールのエネルギー配分を変えてくれた。確か速度が1.3倍になるように調整してくれたとのことだったが、とても飛びやすかった。恐らく、初期状態よりは戦いやすいと思う。

 

「……それで、私にエネルギー配分を変えてほしいってこと?」

「うん、今日の内に明日使うISを確保して整備しておく許可を織斑先生にもらったから、あらかじめやっておきたくて」

 

 廊下を歩きながら簪さんにこれまでの経緯を掻い摘んで伝える。もちろん、ノイズのことなんかは言わなかった。念のため時計を見てみたが、まだ夕食を終えたばかりだったから消灯まで十分に時間がある。

 

「でも、それなら、その先輩に頼んだ方が良いんじゃ?」

「それがその時に名前を聞き忘れていてさ」

「……もしかして、三海君って天然?」

「そんなことない、と思うけど」

「でも、初めて会った時なんて――」

「よし、整備室に着いた。早速だけどお願い。」

 

 無理に話を逸らした。それが不服だったらしい簪さんは梅雨時のようにジトッとこちらを見つめる。僕は思わず苦笑することしかできなかった。

 作業を始めて10分ほど経った。僕は後ろからその様子を眺めていたが、どうやら簪さんは左右の手で1台ずつ、計2台のキーボードを操作していた。なんとか僕も2つのスクリーンを眺めているが気を抜いたらその工程をすぐに見逃してしまいそうだった。

 

「……これで、大丈夫だと思う」

 

キーを軽快にタンと鳴らし、こちらを振り向く。

 

「凄いというか、凄まじいというか。よく2つを同時並行で打てるね」

「そんなに、たいしたことじゃない……」

「いやいや、十分たいしたことだって。誰だって出来ることじゃない」

「……ありがとう」

 

 それを最後に会話が途絶える。どちらからともなく視線を逸らす。今度は僕がキーボードを操作して、武装のチェックを行った。カタカタとキーボードの打鍵音だけが響く。

 

「……三海君は、」

「何?」

「勝てると思ってる?」

 

 不意に名前を呼ばれたので、素早く作業を終わらせてから振り向く。簪さんがこちらを向いて俯いていた。

 

「それはやってみないと――」

「相手はイギリスの代表候補生で少なくとも300時間はISを動かしている。それに専用機だって持っている。……どうあがいても無理だよ」

 

 僕の言葉を遮り簪さんが一気に言い切る。何故だか分からないけど、その物言いは僕に向けているだけではないように感じた。

 

「確かに、負けはほぼ確実だろう」

 

 でも、と一息おいて続ける。

 

「それはただの予想だから。実際どうなるかは分からない」

「そんなの……ただの詭弁」

「そうかもね。無駄なことかもしれない。それでも、やらないよりはましだ」

「無駄だと分かっていても?」

 

 首を縦に振ることで答える。

 

「……どうして、それでもやろうと思えるの?」

「どうして、か。……矛盾しちゃうかもしれないけど、どこかで無駄じゃないと思っているのかもしれない。だって、自分で勝手にそう判断しただけで、もしかしたらすごく意味があることかもしれない。それに……」

 

 一旦言葉を止めて、再びしっかりと簪さんを見据える。

 

「僕は負けない」

「……本気?」

「もちろん。賭けてもいい。もし、僕が負けたら簪さんの言うことを何でも聞く。でも、勝ったら簪さんが抱え込んでいることを僕にも手伝わせて」

 

 簪さんは、顔を上げて目を見開いた。視線がぶつかる。

 

「……分かった」

「よし、じゃあ部屋に戻ろう」

 

 同時に立ち上がり整備室を後にした。明日は絶対に勝つ。

 ふと上を見上げたけど、天井しか見えないから空の様子はわからなかった。でもきっと、天井のむこうには雲に遮られていない綺麗な空が広がっているだろう。賭けてもいい。

*************************************

 

 放課後。僕は第3アリーナのピットに歩を進めていた。遂に今日が決闘の日だ。程度の差はあるにせよ、クラスの全員がそのことを意識していてあまり授業に集中出来ていなかったようだ。とはいえ、僕も授業中はこれまで調べたブルーティアーズの機体性能や実際に動いている映像を思い出していたり、僕の戦術を確認し直して時々ノートに書いてシミュレーションをしていたりだったから、似たようなものだろう。

 

「調子はどう?」

 

 戦い方についてもう一度イメージをしようとしたところに声をかけられた。前を向くと、壁に背を預けて腕を組んだ天音先輩がいた。

 

「心身共に悪くはないコンディションです。今日までの先輩との訓練のお陰です」

「そう。ところで、貴方は今日自分が勝てる可能性はどのくらいだと思っている?」

 

僕の言葉を否定も肯定もすることなく、表情を変えず僕に質問をぶつけてくる。

 

「そうですね。30……いや、25%くらいだと思っています」

「へぇ……」

 

 先輩は初めてポーカーフェイスを崩し、薄く笑みを浮かべた。

 

「ちなみに先輩はどうお考えなのですか?」

「15、いや10%弱程度ね」

「それは低く見積もって?」

「いいえ、もちろん貴方が最高のパフォーマンスを出した場合の可能性よ」

 

 つまり、現実的にはせいぜい5%が妥当という意味だろう。僕の換算は相手が油断しているという前提を入れた状態での値だったから、純粋に技術や機体性能だけを比較すればそうなることはすぐに分かる。

 

「どう? 腰が引けた?」

「いいえ、逆に安心しました。ここで先輩が嘘を吐いて高い値を言っていたら、それこそ僕は逃げ出していました」

 

 軽く肩をすくめて、おどけて言って見せた。先輩は僕を試していたようで、意地の悪そうな笑みを解いて、優しく微笑んだ。

 

「そう。じゃあ私は観客席で見物させてもらうわ」

 

 壁から離れ、観客席へ向かうために僕の方に歩いてくる。何も言葉はなかった。すれ違う時に肩を一度叩かれただけだ。でも、それで十分励まされたから、僕も何も言わずにピットへと向かった。

 ピットに着くと、既に一夏と篠ノ之さんがいた。何か2人が言い争っていたから、それを遠巻きに眺めていた。すると、一夏が僕に気づいたようで声をかけてきた。

 

「なあ、隆宏! 聞いてくれ、箒のやつが――」

「ええい、もう過ぎたことじゃないか! そもそも、お前があんまりにも弱すぎるのが悪いのだろう!」

 

 僕が向かうやいなや詰め寄ってくる一夏、を篠ノ之さんが止めて再び口論になる。どうにか2人を諫めて話を聞くと、どうやらこの1週間剣道の特訓しかしておらず、一度もISに乗ることなく今日を迎えたらしい。

 

「まあ、ドンマイ」

「止めてくれ、余計に虚しくなる」

 

 文字通り沈む一夏。でも、専用機だからまだ望みはあるだろう。

 

「あれ? そう言えば一夏の専用機は?」

 

 ピット内を見回したが、僕が乗るラファールだけしかなかった。

 

「……まだ来てない」

 

 一夏は更に頭を垂れる。もうそろそろ頭が地面に着きそうになっていたので心配になるくらいだった。

 

「2人ともいるか?」振り向くと、声の主は千冬さんだった。

 

「織斑の専用機は到着が遅れている。既にオルコットはアリーナで待機しているから、すまないが先に三海が出てくれ」

「はい、分かりました」

 

 答えながら僕は腕につけていたヘアゴムをとって、素早く髪を束ね上げる。そして、ラファールに近づいて装着する。すぐさま空中にウィンドウが展開されたので、全てに目を通す。

 エネルギィ、100%

 駆動、異常なし。

 武装、インストール済み。

 ハイパーセンサ、感度良好。

 

「大丈夫か、隆宏?」

 

 千冬さんが声をかけてきた。まさか名前で呼ばれるとは思っていなかったので、驚いて振り向いてしまった。

 

「えっと、だ、大丈夫です」

「そうか、ではカタパルトに乗れ」

 

 言われたとおりにカタパルトへ移動する。

 

「隆宏、頑張れよ!」

「応援している」

 

 2人からの声援に腕を上げてサムズアップで答えた。カタパルトにOKのサインが表示される。

 

「ラファール・リヴァイヴ、行きます」

 

 カタパルトが作動し一気に押し出される。それと同時にブースターを加速させた。そして、僕はアリーナの空へと飛び出した。

 




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第6話 ―直下―

 とても遅くなってしまいました。
 毎週更新と言いながらなかなか書く時間が取れず隔週更新がやっとの状況です。しかも、今週からテストが始まってしまうので、さらに更新が…
 どうか長い目で見守ってくださると幸いです。
 


 アリーナの地面へと着地すると、ほぼ満員の観客席とこれから沈むのを待つばかりの太陽が浮かぶ空、そして、その空よりも濃い青色の機体が中空に浮かんでいた。

 

「あら、貴方だけでして? てっきり2人まとめてかと思っていましたわ」

 

 僕が一切の反応を示さないでいると、余裕の表情だったオルコットさんの顔が次第に苛立ちを示していく。

 

「……ああ、わたくしと戦うことが怖くて話すこともできませんのね。まあ、いいですわ。そんな貴方にチャンスを差し上げます」

 

 僕が無言である理由を勝手に解釈し言葉を続けていく。チャンス、と言った瞬間に彼女の視線が物理的な高さ以上に僕を見下したものになっていた。

 

「わたくしが勝つことは誰から見ても明らか。この大勢の前で恥をかきたくないのでしたら、ここで数々の無礼なふるまいを謝罪すれば許してあげてもよくてよ?」

 

 それに、と彼女は続ける。

 

「日本にはこういう時にふさわしい謝罪の仕方があるのでしょう?」

 

 つまり、土下座をして許しを請えということだった。しかも、手に持っていた2メートルほどの長さの銃―ハイパーセンサには《スターライトmkⅢ》と表示が出ている―のセーフティを解除しているのが、これまたハイパーセンサから報告される。何と単純な脅しだろう。内心ため息を吐いた。

 右手に視線を落として、ヴェント、と小声で呟く。すると僕の右手に光の粒子が集まり、アサルトライフル『ヴェント』が現れる。この展開の仕方はIS乗りたてのビギナがまだ武装の展開イメージができない時に使う方法らしい。1週間でイメージのみの展開を練習しても実戦で使う水準には達しないだろうと考え、展開練習はほとんど行わず声に出して武器を展開する方法に決めていたのだ。

 そして、僕は右手に持ったライフルのセーフティを解除し、オルコットさんへと向けた。

 

「……それが貴方のお答えですか」

 

 スッと彼女も銃口を僕に向ける。沈黙。それが5秒ほどたったところで、僕はゆっくりと口を開いた。

 

「初手は譲るよ。レディファーストだ」

 

 言い切るかどうかという瞬間にトリガーが引かれた。レーザが走る音と光を認識するとほぼ同時に僕もヴェントの引き金を引き、右足を軸にして体を90度回転させて相手の初弾を回避した。

 

「くっ! やりましたわね」

 

 しかし、相手は完全に油断していたらしく直撃だった。僕は地表を滑るように移動しながら2発連続で撃つ。

 

「甘いですわ」

 

 直撃したことを引きずることなく、最小限の動きで回避される。

 スターライトの発射口が3回瞬く。

 避けようとした場所を的確につぶされる。

 ブースタを吹かし回避するが、1発が右足に直撃。

 ダメージ38 残量282 と表示された。

 短く舌打ち。

 切り替えろ、と自分に言い聞かせる。

 左手にマシンガンを呼び出し、弾幕を張る。

 相手はさらに距離を取ってきた。

 詰めるか?

 いや、まだ早い。

 お返しといわんばかりにレーザの雨が降り注ぐ。

 こちらも落ち着いて距離を置いた。

 実弾とレーザとが間断なく行き交う。

 どちらもほとんどが当たらない。

 

「思いのほか足掻きますわね。では、わたくしも本気を出すと致しましょう」

 

 突如、打つのを止めて語りかけてきた。相手にとってはまだウォーミング・アップのつもりだったようだ。本気を出す、とは間違いなくアレを使うということだろう。

 

「行きなさい、ブルー・ティアーズ! さあ、貴方はわたくしとこのブルー・ティアーズが奏でる円舞曲に相応しいお相手かしら?」

 

 相手の機体の肩部ユニットから4機のユニットが分離する。

 BIT兵器。

 あれこそがブルー・ティアーズ最大の特徴である。

 マインド・インターフェースにより独立稼働を可能にしているらしい。

 地上での平面的な動きでは直ぐに囲まれると判断し、空中へと飛び出す。

 ビットも僕を追いかけてくる。

 どうやらオルコットさんはこいつらを僕の死角を狙って移動させている。

 幾らハイパーセンサにより全方位を把握できても、普段見えない部分はなかなか注意を回しづらく、どうしてもタイムラグが出てしまう。

 そして、4機のビットから一斉にレーザが発射される。

 どうにか全てを回避するが回避先にビットが回り込む。

 不味い。

 そう思って上へ回避しようとした瞬間、背部から衝撃が走った。

 油断した、と考える暇もなく別のビットからも撃ち込まれる。

 そこからはひたすらに防戦一方だった。

 どうにか機動のパターンを変えつつ回避を続ける。

 だが、どう動いても徐々に回避先が狭められ、レーザが直撃してしまう。

 どうにか撃ち返してはいるが、精彩を欠いた攻撃は全く当たらない。

 焦りが募るばかりの悪循環だった。

 

「はあ、はあ……」

「18分、ですか。よく初見でここまで耐えたものです。褒めて差し上げますわ」

 

 言いながらも油断なくビットで僕を包囲している。

 

「さて、もう降参することをお勧めいたしますわ。これ以上続けて醜態を晒すよりはましではなくって?」

「僕はまだ、負けていない」

 

 僕はemptyと表示が出たヴェントを投げ捨て、近接ブレードを展開する。

 

「減らず口を!」

 

 ビットが動き出すのと同時に、ブースタをフルスロットルに入れる。

 空気抵抗で機体が軋む音が聴こえる。

 ビットから何発か貰ったが、その分一気にオルコットさんとの距離が縮まる。

 

「なんてムチャな!!」

 

 特攻に驚いているようでビットの動きも一瞬だが停止した。

 逃すものか。

 すれ違いざまに1基をブレードで切り裂く。

 もう、彼女までの道を塞ぐものは何もない。

 オルコットさんは動かない。

 もらった。

 そう確信した時だった。

 

「狙い通りですわ」

 

 にやり、とオルコットさんが笑う。それと同時に腰部のアーマーが分離した。

 

「あいにく、ブルー・ティアーズはそれだけではなくってよ!」

 

 言うと同時に、分離したブルー・ティアーズから何かが発射された。

 ミサイルだ。

 そう気づいた時には既にそれが目の前にまで迫っていた。

 この距離では避けられない。

 直撃。

 負ける?

 約束したのに?

 嫌だ。

 それだけは絶対に。

 そんな僕の拒絶なんか知らん顔でミサイルが迫る。

 そして、僕は爆炎に包まれた。

********************

 

「呆気ない、所詮男はこの程度ということですか」

 

―相手が呟く―

 

「あー、惜しかったわね」

「でもでも、代表候補生相手に善戦したんじゃない?」

 

 ―名前もまだ覚えていないクラスメイトの声がする―

 

「あら、あっさり負けたようね」

「いいえ、それはどうかしら?」

 

 ―誰か知らない人の言葉に、きっといつもみたいに

 不敵な笑みを浮かべているだろう先輩が答える―

 

 ここにいる全ての人の声が聞こえてくる。

 しかも、それら1つ1つがはっきりと分かる。

 不思議な感覚だった。

 でも、何故か悪い気はしない。

 

「……三海、君」

 

 ―祈るように僕の名を呼ぶルームメイト―

 

 そうだった。

 約束、したんだ。

 負けない。

 絶対に。

 そして、次第に煙が晴れていく。

 

「そんな、ありえませんわ!!」

 

 相手の叫びに呼応して、会場が騒然となる。誰から見ても僕はあそこでやられたはずだったのだから。

 右手を見る。装甲は所々が黒く焦げ、近接ブレードは半ばから砕けている。ハイパーセンサで損傷を確認する。

 エネルギィ、残量13

 武装、ヴェント1丁、ブレード1本

 ダメージ判定、中破以上

 ところどころ装甲がえぐられているが、十分続行できる。

 

「まだ、戦える」

 

 そう、まだ飛べる。

 だから、綺麗に飛ぼう。

 ただそれだけのために。

 僕は命を懸けよう。

 

「往生際の悪い!」

 

 飛び立とうとする僕に全ての銃口から一斉にレーザが発射される。

 軽く体をひねって全弾を回避。

 上昇。

 再び僕の周囲にビットが張り巡らされていく。

 遅い。

 包囲が完了する前に一気に下降する。

 それに負けまいとビットも光弾を放ちながら接近する。

 その内の1つに右手の壊れたブレードを投げつけて相殺させる。

 

「なんですって!?」

 

 相手の驚愕の声がする中、相殺した1基に接近。

 その場で後ろに宙返り。

 サマーソルトキックの要領で相手へ蹴り飛ばす。

 間を置かず左手にヴェントを展開、飛ばしたビットを打ち抜く。

 爆煙が上がる。

 自分もその中へと飛び込む。

 ハイパーセンサで互いの位置を確認。

 右腕を伸ばす。

 金属の接触する感触。

 相手の肩部分を掴み、そのまま自分ごと煙の外へ押しやる。

 視線がぶつかる。

 

「Shall we dance?(1曲いかが?)」

「遠慮しますわ!」

 

 僕から逃れようとビットが狙いを定める。

 でも、今更2基のビットでは無理だ。

 掴む手を離さずに頭上からの攻撃を躱す。

 

「なっ!?」

「Lady, dancing has only just begun? (御嬢さん、ダンスは始まったばかりでしょう?)」

 歌うように囁く。

 それと同時に手を放して方向転換。

 相手を蹴りつけ、その勢いを利用する。

 頭上の2基を落とそう。

 どうやら相手も僕の思惑に気付いて、攻撃を仕掛けようとしている。

 でも、すでに僕は目標の目前にいた。

 右手を振り下ろす。

 ビットの直前でブレードが展開され、縦に切り裂いた。

 その隙を突いて最後の1基が逃げ出す。

 そして、僕を中心としてその逆には本体が移動する。

 どちらを狙おう。

 迷うまでもないか。

 ビットに背を向けて加速。

 前後からの挟撃が迫る。

 スピードを緩めずに回避。

 BGMはもう用済みだ。

 ハイパーセンサを頼りに左手だけを後ろに。

 2度引き金を引いた。

 爆音。

 バレルロールに入れながら全ての銃撃をくぐり抜ける。 

 ブレードの間合いまであと少し。

 機動を曲線から直線へ。

 最短距離を狙う。

 

「なんと愚かな。貴方の負けですわ!!」

 

 再びミサイルが発射される。

 焼き増ししたかのような展開。

 思わず口が緩む。

 僕は笑った。

 声を上げていたかもしれない。

 着弾まで1秒あるかどうか。

 十分だ。

 フルスピードから強制的に急停止。

 その時の勢いを利用し、ふわりと浮かぶ。

 下方を掠めるギリギリでミサイルが通過。

 すかさず左手の銃で撃ち抜く。

 弾丸の軌跡を見ずに振り向く。

 きっとこれがラスト・チャンス。

 逃すものか。

 ライフルを投げ捨て、両手でブレードを構える。

 間合いに入った。

 一閃。

 まだ浅いか。

 ハイパーセンサが警告音を鳴らす。

 こちらも限界のようだ。

 相手の長大なライフルを踏みつけて、上昇。

 2秒数えて、スピードを0に。

 ストール・ターンのように真下を向く。

 その勢いを利用してスピードを上げていく。

 ブレードを叩きつける。

 接触面から火花が散る。

 このまま地上へ落とせば。

 

 

 そして、

 

 

 

 突然、視界が目まぐるしく回転した。

 

 

 

 なんだ?

 背部で爆発音。

 オルコットさんの機体から引き剥がされる。

 錐揉み状態になっている。

 僕は今どこを向いている?

 重力が容赦なく僕に降りかかる。

 手足を動かすが、落ちる勢いは変わらない。

 背中に強い衝撃。

 一瞬、呼吸が止まった。

 墜ちた、と気づくのに数秒かかった。

 まだだ。

 あと少しなんだ。

 黄と灰色が入り混じった煙が視界を塞ぐ。

 視界が狭まり、ノイズがかったようになる。

 負けられない。

 勝つんだ。

 煙が一瞬途切れ、赤みがかった空が見える。

 綺麗だ。

 手を伸ばす。

 でも、届かない。

 僕の手は、何も掴めない。

 そして、僕はゆっくりと目を閉じた。

********************

 

「つまり、…が…で」

「ええ、…を――」

 

 何か話し声が聞こえて目を覚ました。ここは何処だろうか?

 

「ん、気がついたのか?」

 

 千冬さんの声だった。声のする方をむこうと思い、体を起こそうとすると、体に鈍く痛みが走った。

 

「無理に起きようとするな」

 

 少し慌てた様子で、肩を掴んで再びベッドに戻そうとしてくれる。

 

「勝負はどうなりましたか?」

 

 肩を掴む手が止まる。そして、ため息を吐きながら、優しく僕をベッドへと寝かせた。

 

「……全く。勝負はお前の負けだ」

「そう、ですか。そう言えば、ここは何処ですか?」

 

 千冬さんは一瞬呆気に取られたようだったが、直ぐに表情を緩ませた。

 

「やれやれ、普通は順番が逆だぞ」

「ISに乗れる時点で普通だとは思っていませんよ」

「そういう話じゃない。とにかく、ここは保健室だ。お前は全身の軽い打撲で、2・3日は痛みが続くだろう」

 

 そうか、と僕は呟いた。最後の最後で僕は墜落して気を失い、ここに運ばれてきたというところだろう。

 

「じゃあ、僕はミサイルを撃ち損ねていて、それにやられたということですか?」

「違う」

 

 僕の問いに即答し、千冬さんは一息おいてから口を開いた。

 

「あの時、お前の使っていたラファールはかなりのダメージを負っていた。そこへ急激な加速が加わり、推進部分が破損、結果爆発を起こした」

「つまり、自滅」

「簡単に言ってしまえばな」

 

 ところで、と話しを続ける。

 

「お前はあの機体に何をした」

「エネルギィの配分を調整して、ブースタ類の出力を30%増加させました」

「やっぱりか」

 

 頭に衝撃が走る。頭を押さえながら千冬さんを見ると、何時の間にか出席簿を持っていた。

 

「僕は一応怪我人ではないのですか?」

「手加減はしたつもりだ。全く、初めて見たよ。あんなISの壊れかたは」

「そんなに酷いのですか?」

「推進器の類は全て内部からの爆発により破損。加えてその衝撃で機体のシステムにも影響が出ていた」

 

 思わず千冬さんから顔を背けたくなった。僕が我儘を言ったせいでこんなことになってしまった。ISを傷付けてしまったのだ。それに、もしも使い物にならなくなってしまったら。

 

「もう終わったことだ」

「え?」

「誰もお前が必死にやったことを責めるつもりはない。それに、もう整備課の生徒が修理を始めている。腕が鳴る、と言って張り切っていたから心配するな」

「……そう、ですか」

「そうだ。だから今は身体のことだけ考えておけ」

 

 会議があるから、と言って千冬さんは保健室から出て行った。心配するな、とは言われたがやはり機体のことが気になった。本当に大丈夫だろうか? また飛べるだろうか?

 そのことばかりを考えていると、ドアがノックされて誰かが入ってくる。僕は痛みにどうにか耐えつつ体を起こして、誰が来たのか確認した。

 

「……三海君」

「簪さん」

 

 沈黙。簪さんは俯いていて、どことなく表情が暗く感じられた。

 

「寝ていなくて、大丈夫なの?」

「そこまで酷いわけじゃないから、問題ないよ」

 

 詳しくどの程度の怪我かは知らなかったが、余計に心配を掛けさせたくはなかった。

 

「結局、僕は負けたみたいだ。だから昨日言った通り――」

「ごめん、なさい」

「……何が? 僕は何かされた覚えはないけど」

「私の……私のせいで三海君は傷付いた」

「違う。それは違うよ。」 すぐさま否定する。

「違わない。……私があの時に出力の変更をしたから」

「それは僕がお願いをしたからで――」

「私があの時止めていれば、こんな風にはならなかった!!」

 

 顔を上げて叫ぶように声を出す簪さん。眼鏡の奥では涙が溢れんばかりに溜まっていた。

 

「……私が、私が調子に乗って、こんなことをしたから」

「違う! そんなこと、ッ!」

 

 身を乗り出そうとした時に、一際体が痛み思わず呻いてしまう。それを見ていた簪さんは目を大きく開かせ、涙が零れ落ちる。

 

「ごめん、なさい。……本当に、ごめんなさい」

 

 涙を拭こうともせずにそのまま走り去ってしまう。

 

「簪さん!!」

 

 どうにか、呼び止めようとするが体の痛みに遮られてしまう。途中誰かとぶつかりそうになっているようだったが、結局足音は聞こえなくなってしまった。

 

「三海君!? まだ寝ていないとダメですよ!」

 

 入れ替わるように山田先生が現れる。隣には見知らぬ女性が立っていた。

 

「……はい、すいません」

 

 僕はベッドによりかかって、改めて2人の方を向いた。

 

「ところで、さっき更識さんとすれ違ったんですけど、彼女と何かあったんですか?」

「まったく、真耶は不躾だなあ。先生は生徒の青春に口出ししない」

 

 唐突にその女性が先生の頬を掴んで、円を描くように動かした。

 

「ひょっほ、あいふぁ。止めてよもう。生徒の前な、ん」

 

 先生と目が合った、と思いきやポストみたいに顔を真っ赤にした。

 

「ところで、こちらの方はどなたですか?」

 

 今のことは忘れてと言わんばかりの目に耐え切れず、僕から話を切り出した。

 

「この人はですね――」

「よくぞ聞いてくれたね少年!」

 

 先生の言葉を遮り、その女性はショートカットの髪を揺らして僕を指さす。

 

「私の名前は九条愛葉(クジョウアイハ)。十朱財団所属のIS操縦者。そして」

 

 一度間を置いて僕を見据える。好戦的とも言えるような瞳。

 まるで僕の全てを見透かされてしまいそうな錯覚に陥った。

 そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「あなたを十朱財団にスカウトに来たの」




 ふと感じたのですが、私は6000~8000文字を目安で1話を書いているのですが、それって多すぎるのでしょうか?
 他の作者様の作品を拝見させていただくと、1話が3000字程度かそれ以下なものが多く見受けられたので、少し疑問に思っています。
 ぜひ、そのような点に関するご意見も募集しております。
 もちろん、その他の質問・感想・要望・批評等もお待ちしております。


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第7話 ―財団―

 年が明けましたね。今年もよろしくお願いします。
 1か月半も間をあけてしまい、申し訳ないです。


 まだ眠たそうな朝日が道路を照らす。カーステレオから流れる音楽は煙に包まれているようにハスキィなジャズ・シンガの声。ギターの柔らかな音色とタイヤから伝わる低い振動音が心地よい響きを奏でる。隣からはそれに合わせて指でハンドルを軽快に叩く音が響く。

 

「貴女が運転してくるとは思っていませんでしたよ」

「あら、意外?」

「割と」

 

 そう言うと、ハンドルを握る女性は口元を綻ばせた。

 

「一応、運転手を申し出てくれた人はいたよ。でも、自分で運転する方が楽ね」

「ただ乗っているだけよりも?」

「ただ乗っているだけよりも」

 

 確かに、と口には出さず同意する。誰か他人の運転よりも自分の思い通りに操れる方が遥かに楽だ。缶と喫茶店で飲むコーヒーくらい違うだろう。時々なら缶でもいいかとは思うけど。

 

「そう言えば、今日はもう1人のほうの試合じゃない?」

「ええ、あの後遅れて彼の専用機が到着したみたいです」

「気になるんじゃない?」

「多少は気になりますけど、後で記録映像を見ることも出来ますから」

「……ふーん」

 少し間が空いての相槌を最後に車内は再びラジオの音だけになる。僕は窓越しに流れていく景色に目を向けた。

 一応、昨日の内に山田先生と千冬さんには伝えたが、一夏やクラスの人には何も言っていない。まるで逃げているみたいだ。いや、きっと僕は逃げている。いつだって、今だって。でも、いつまでも逃げ続けられるわけじゃない。そのことは最初から分かっていたことだし、つい昨日に実感したばかりのことでもあった。だからと言って、立ち向かうほどの覚悟も理由もないのだけれど。

 

「ところで、君はどれくらい私たちのことを知ってる?」

「とりあえずサイトを見たりネットで調べたりした程度です」

 

 十朱財団。元は『十朱深海・極地研究所』という、その名の通り何千メートルもの深海や北極・南極といった極地を探索、研究することで地球の起源や生物史、更には未知の生物や物質の発見を目的として創設された研究所だった。10年前にISが発表された当初からいち早く多大な関心を寄せており、その後全世界が注目し始めた前後の時期に『十朱財団』と名称を改め、これまでの調査にISを用いながらも黎明期から現在に至るまでIS研究を牽引してきている。特にISの装甲は十朱財団で発明されたものが現在の主流となっており、世界の市場シェア第1位を誇る。

 

「それなら話が短く済むね。じゃあ、私たちが国から渡されたコアは3基ってこともOK?」

 

 はい、と簡潔に答えると、生徒が思った通りに間違えてくれたことに満足する教師のように九条さんは頷きを返して言葉を続けた。

 

「その3基の内1基は私のISに使われているの」

 

 言いながら、左腕を掲げる。手首につけられた青い石が埋め込まれているブレスレットが太陽の光を反射し輝きを見せた。それが待機状態のISなのだろう。

 

「それでもう1基はもう1人の操縦者のISで、残る1つは解析・研究用に使われていた」

 

 僕は内心驚いた。まさか各国が半ば匙を投げていることをたった1つの団体が行っているとは夢にも思っていなかったからだ。

 

「ほら、ちゃんと座ってなきゃ。そのことが聞きたいのなら直接ウチの研究員に訊ねてみなよ」

 

 言われて僕は思わず身を乗り出しそうになっていたことに気付いた。少しきまりが悪かったがそれを表情に出さないように努めて再びシートに身を預けた。

 

「使われていた、っていうことだと今はそうじゃないってことですか?」

「そう。研究用だったコア、解析の結果5番目に作られたことが判明したから私たちは『フィー』と呼んでいる、そのコアは今製作中の最新機に搭載されているの」

 

 今なんて言った? 5番目のコア? 最新機? 

 あまりに刺激的な情報たちに僕の頭は麻痺していた。と、車が速度を緩め、止まった。窓の外には7・8階建てほどのビルが見える。

 

「さて、到着よ。ようこそ、十朱財団へ。私たちは貴方を歓迎するわ」

 

 天頂に近づく太陽に照らされた笑みはそれまでの情報と遜色ないほど刺激的だった。

**********

 

 ビルの中へと入ると、九条さんは受付と二、三言話を交わすとすぐにこちらへ戻ってきた。そしてゲスト用と書かれたカードを僕に差し出したので、それを受け取った。曰く一応事前に僕のことを伝えてはあるが、いくつかの機密レベルが高いブロックではこれを持っていないと警報が鳴る仕組みになっているとのことだった。

 

「さて、まずは何から見たい?」

「えっと……お任せします。まだ何があるのかもよく分からないので」

「なかなか慎重だね。でも、少しくらい勘に頼ってもいいと思うな」

「まあ、努力はします」

「そんなに固くならない。よし、それじゃあ行こうか」

 

 時間が惜しいとばかりに僕の手を掴んで早足でロビーを通り抜ける。いきなり手を掴まれたから少し驚いたけれど、その手は僕の手よりも冷たかったからか何となく落ち着いた。誰かと触れ合うのは久しぶりだった。引っ張られると体に鈍く痛みが走ったけれど、むしろ心地よいくらいの痛みだった。とは言え、あまりそちらに身を任せているとかなりの力が加わるから僕も足を速めて彼女についていった。

 エレベータに乗って、柔らかな加速度を感じながら上階を向かう。8という表示が現れ、ドアが開く。エレベータから出て左右を見るとIS学園の寮やホテルに似た様相の通路となっていた。

 

「ここは何ですか?」

 

 とりあえず何かは想像ついたが念のため質問してみると、隣には質問するのを今かと待ち望んでいる楽しそうな笑みがあった。

 

「ここはね、なんと社員専用の仮眠室なのだ!」

 

 両手を広げて新しいオモチャを自慢する子供みたいに僕へと告げた。もしかしたら違うのかとも思ったけれど、やはり想像通りだった。先程の惜しげもなく一般には公開されていない、恐らく機密レベルもかなり高いであろうことをさも平然と口に出していたあの妖美とも言える姿と、今僕の目の前で無邪気に笑う姿がどうにも一致しない。どちらが本当の彼女なのだろう? それとも実はもっと違う姿があるのだろうか?

 

「お、その目はたいしたことないと思ってるね? ウチの仮眠室は学園の寮にも劣らないんだから。」

 

 論より証拠、と言って彼女はドアが立ち並ぶ廊下を進んでいく。僕はおいていかれないように後をついていきながら考えた。きっと、彼女は僕が部屋のことを考えていたのではないことなどお見通しだったに違いない。わざと的を外したことを言っている。そのくらいのことは誰だってわかる。重要なのはどうしてそんな振る舞いをしたのか、ということだ。

そのことに考えを巡らせていると、前を歩いていた彼女が1つのドアの前で立ち止まっていた。僕の方を一瞥すると、ノックもなしにドアに手をかける。鍵はかかっていなかったらしく、ドアは音を立てず上品に開いた。僕が立っている位置からはドアが開いていることしか見えないが、部屋を勝手に見るわけにはいかないと思いその部屋に近づくのをやめて、もと来た道の方に体を向けた。部屋に入っていった彼女はその部屋の主を探しているようで、時折名前を呼ぶ声もするが返事をする声は聞こえてこなかったから、部屋の主は不在のようだった。

 

「うん? 見ない顔だな」

 

 不意に僕が向いていた方の右側のドアが開き、中から男性が顔を出して声をかけてきた。少し驚いたが、とりあえず会釈をするとその男性は部屋から完全に出てきて僕の前に立った。

 背は高いが痩せており、ラグビーボールよりも柔らかカーブをした楕円形の眼鏡をかけ、長身の研究者然とした男性は、一通り僕を眺めると顎に手を当て天井を見上げた。これでもしトレンチコートでも着ていたら誰もがこの人物を探偵だと勘違いするほど自然な立ち振る舞いだった。

 

「ああ、君が2人目か」

 

 ゆっくりと発せられたその言葉に頷く。すると後ろからドアを閉める音が聞こえ、少し不機嫌そうな様子で九条さんが部屋から出て僕たちの方へとやってきた。

 

「うーん、いないなぁ……と思えば別に探していない人がいるし」

「スズカゼならアレの武装に関しての意見を求められていたから下で話し合っているんじゃないか?」

「ん、わかった。ところでさ、いつの間に二人は知り合ったの?」

 

 僕と男性を交互に見て尋ねる。知り合ったというよりかは偶然鉢合わせただけだったので、そう言おうとしたところを遮るようにして隣の人物は頭を掻きながら口を開いた。

 

「別に、俺が部屋から出てきたらこいつが突っ立っていただけだ」

「じゃあ、まだ何も話していないのね」

 

 それなら私が紹介するわ、と言って男性の隣へと移動する。

 

「この人は神田(カンダ)遊作(ユサ)。IS開発部門の主任で、ウチのISは彼を中心として設計から開発まで全てを行っているの」

「神田だ」

 

 彼女から促されて、神田さんも口を開いた。ゴミを投げ捨てるような調子での声に対し、僕も自分の名前を言う。すると神田さんは、

 

「知ってる」

 

 とだけ呟いて、九条さんの方へ体を向けると何かを告げてこの場から立ち去ろうとする。しかし、彼女は去ろうとする腕を掴んで引き止めた。その顔には笑みが浮かんでいて、何事かを思案したようだ。再び2人は言葉を交わし始めた。対称的な表情をしていたので、なかなかすぐには話がまとまらないだろうと思ったが、3分も経たないうちに彼の方が一つ息を吐き、両手を上げて降参の意を示した。

 

「分かったよ、俺も一緒に行けばいいんだろ」

「そういうこと。じゃあ、三海君」

 

 声をかけながら僕の方を向く。彼は半ば諦めた様子で背を向けて歩き出した。

 

「行こうか。ウチの最新機のところへ」

 

 彼女も振り返って彼とともに話しながら歩いていく。僕は未だ夢のように感じながら、2人の後をついて行く。窓を隔てた空から降り注ぐ光は依然として強く僕を照らしていた。

**********

 

 降下していくエレベータの中。最初に口を開いたのは、神田さんだった。

 

「堪らんなぁ」

「なんで? いつもは嬉々として私たちに話しているんだから同じようにしてあげたら?」

「素人に話してもつまらない」

 

 僕がいることも気にせずに言い放つ。とは言え、僕もその気持ちが分からないわけでもない。そういえば似たようなことがあった気がしたからだ。確かその時は僕が質問していたかな、と記憶の糸を手繰り寄せようとしたがそれ以上のことを思い出す意味はないと思い、その糸を適当に投げ捨てた。

 

「じゃあ貴方はただの素人がイギリスの代表候補生のビットを全部落としたと思っているの?」

「なに?」

 

 挑発をするような声色で発せられた言葉に反応し、彼は勢いよく振り返り初めて会った時みたいに僕を見る。でもさっきの僕を訝しんでいた様子とは違って、その目には好奇心をたたえていた。

 

「お前、名前は?」

「え、っと……三海隆宏です」

「三海、今各国が躍起になって開発競争を繰り広げている第3世代の欠点は何だと思う?」

「特殊装備によって燃費が悪いこと、ですか?」

「違う、そんなもんはどうにでもなる」

「それじゃあ、特殊装備がISを特定の分野に一極集中させたいわゆる特化機体になってしまっているところとか?」

 

 これは僕が以前から思っていたことの1つだった。本来宇宙開発のために作られたISはあらゆる事態に臨機応変に対処する必要があるのだから、何かに偏ることがあってはいけないはずだ。オルコットさんのブルー・ティアーズだってそうだ。確かにビット兵器や偏光射撃は強力ではあるが、それも距離を詰められてしまえば無用の長物だ。戦闘機ではあえて飛行機としてのバランスを崩すことでその操舵性を高める、ということをかつて聞いたことはあるが、第3世代の場合はそれ以前の問題だ。そもそもバランスという概念すらないように思えた。

 

「うん。まあ、おおむね正解。合格点だ。今のISは完成未完成以前の問題だ」

 

 そうして彼はISについての持論を語りだした。そもそもISはその定義づけすら曖昧だ、というのが彼の主張らしい。時折別の話題に飛躍することもあったが、それも一般人が調べられる以上の事柄が多く、録音機でも持ってくればよかったと後悔するほどのものばかりだった。彼は3,4度ほど篠ノ之女史という言葉を主語にして話をしていたが、ISの研究者にはありがちなまるで神のごとく信仰しているような様子ではなく、純粋に同じ対象を研究する者として尊敬していることが分かったので、その点でもとても話しやすい相手だった。

 

「はいはい、到着だよ」

 

 九条さんの声に僕たちは2人揃って前を向くと、既にエレベータは目的の階に到着していて、ドアを開けて地上へ戻ることを今か今かと待ちわびていた。慌てて降りると、彼女は肩をすくめていた。

 

「気が付いたら仲良くなってる」

「こいつ、なかなか気に入ったよ」

 

 分厚く、重々しい扉の前に着く。カードの認証の他にもいくつか生体認証の機械が備え付けられており、彼女に言われたとおりに全ての認証を行った。合成音声が僕たち3人の名を呼び、情報が一致したことを告げると、何重にもかけられたロックが解除され、扉が開く。

 

「これが、最新機」

 

 気付かぬうちに沿う言葉が漏れていた。室内に入ってすぐに一列に並ぶコンピュータ。そこのガラスを隔てた先にISがあった。

 ダーク・グレイの機体は角ばった印象のラファールと違って、各部は楕円や流線型といった丸みを帯びた形状をしている。加えて、腕や足の部分には四角形の板のようなものも見受けられる。これはまるで……

 

「飛行機の翼?」

「なかなか鋭いな」

 

 彼は口を斜めにして僕にそう告げると空いているパソコンを操作して隣にある立体ディスプレイを起動させた。投影されたのはガラスの向こうにあるこの機体の完成予想図のようだ。映し出された機体の下には名称も表示されている。

 

 

Trial003(試作3号機)? 名前は無いのですか?」

「ああ、ウチでは機体名はそれに乗ることになったやつが決めている」

「というか、声が聞こえるんだよね」

 

 隣に立っていた彼女が不意に呟いた。ISの声、というのはこれまでに何人かの操縦者から報告されている事象のことだろう。機体との同調率が高いと発生する共鳴現象と言うのが今最も有力な説である。

 

「ウチのは売り出すものじゃなくて自分らで使うものだからな。名称はあまり関係ない」

 

 それよりも、という言葉が彼の口から出てくるのと同時くらいにディスプレイには次々とウィンドウが浮かんでくる。機体全体が映ったものから腕部・脚部などの各部分が詳細に表示されたものまで様々だ。そして、目の前にある機体を中心にその左右には見知らぬ機体も表示されている。

 

「Trial003、その名の通り3番目の機体だ。加えて、こいつは今までと気色が違う」

「――なぜなら、十朱財団初の実戦用の機体だから、でしょう?」

 

 横合いから誰かが口をはさんだ。ディスプレイから目を離して振り向く。声の主は腰くらいまでに伸ばした長髪の女性だった。

 

「あ、マイ。やっと見つけたよぉ」

 

 九条さんは顔を綻ばせその女性のもとへと駆け寄る。この人物が先程の部屋の持ち主らしい。いくらか言葉を交わすと、その女性は僕の方へと歩みを向けた。

 

「貴方が、ミウミ・タカヒロ?」

「はい、そうです」

「私は涼風(スズカゼ)真維(マイ)。愛葉と同じ、財団のIS操縦者」

 

 告げることは伝えたと言わんばかりにすぐに僕から視線を外して、横を通り抜ける。そして、神田さんと何かを話し出した。内容は目の前の機体のことのようだった。

 

「ごめんね、彼女あんまり饒舌じゃないから」

「いえ、いきなり来たのは僕のほうですから」

 

 それよりも、と思う。話すのが苦手と言うよりもわざと話をしない、此方の出方を窺っているような気がした。先輩とも九条さんとも違う様子見の仕方、と言った方がしっくりきた。

 

「さて、と。じゃあ次行ってみようか。2人はどうする?」

 

 九条さんが話をしている2人に声をかける。言われた2人は同時に考え出したようだが、先に口を開いたのは涼風さんだった。

 

「私はついて行く」

「うーん……俺はやることがあるからやめとくよ。なあ、三海」

 

 呼ばれたのでそちらを向く。彼は口元に笑みを浮かべていた。

 

「また話そう。楽しみにしてる」

**********

 

 その後、人物は変わったが人数は3人のままで別の部署や設備なんかを見学した。僕と同じかそれ以上に九条さんも楽しんでいたことが印象的だった。

 

「時が過ぎるのは早いもんだ。もうお開きの時間だね」

「そうですね。でもその分とても勉強になりました」

「それはなにより。……さて、それじゃあ聞こうかな」

 

 体が少し強張る。そもそもここに来た目的はそれなのだから。

 

「君は十朱財団のIS操縦者になる気はない?」

「僕は――」

「ちょっと待って」

 

 縦に振ろうとした首が途中で止められる。いつの間にか僕の目の前には涼風さんが立っている。

 沈黙。彼女は僕を見据えるだけで口を開かない。何か言わなくてはと思うが射竦められてしまい言葉が出てこない。

 

「……君は、覚悟がある?」

「覚悟?」

「3号機は実戦用の機体。つまりISを人間なんか簡単に殺せる兵器として使うということ」

 

 兵器と言う言葉に体が拒否反応を示す。

 違う、違う。ISはそんなものではない。

 

「違わない。スポーツとか競技だなんて呼ばれているけれど、ただ人が死なないだけで、結局やっていることは殺し合いと一緒でしょ?」

 

 違う。そんなわけ……

 

「各国ではこぞってISの開発を行っている。世界大戦時での兵器の無制限拡大競争と同じようにね。まるで歴史の焼き増し。そして……」

 

 呼吸が苦しくなり、反論すらもできない。

 地面にうずくまりそうになったところを涼風さんに無理やり腕を引っ張り上げられて無理やり立たされる。視線が交錯する。

 

「白騎士事件」

 

 やめろ。それだけは言うな。言わないで。

 そんな言葉すらも出ない。

 

「2300発以上のミサイルに加え多数の戦闘機や戦闘艦をたった1機のISが撃破したあの事件からもはやISは兵器としてしか見られていない。だから……」

 

 一旦そこで言葉をとめる。もう僕には抵抗も反論もできやしない。そもそも最初からそうだったのかもしれない。

 

「ISを人をも殺せる兵器として扱う覚悟が貴方にはある?」

 

 手を離される。その場にしゃがみ込むような姿勢になった。その後も何か言っていたような気がしたが、僕の耳に届くのはいつか聞こえてきたノイズばかりだった。僕の目に見えるのは、血のように赤い夕陽とそれに照らされてできた黒い、黒い影だけだった。

 




 何点かお知らせがあるので活動報告を書きました。時間があったらご覧ください。
 また感想・質問・要望・批評等々お待ちしております。


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第8話 ―清濁―

 2か月以上も空いてしまい申し訳ございませんでした。
 引っ越しやら何やらも一段落ついてどうにか出来上がりました。
 


 自分がIS学園に戻ってきていたと気付いた時には夜の帳が空に重くのしかかっていた。携帯のホーム画面を開く。デジタル表示の時計は午前3時を過ぎていることを示す。眠っていたのかどうかも分からない。今の物音でルームメイトを起こしてしまったのではないかと心配になったので、どうにか夜目を利かせて室内の様子を探るが、そもそも部屋には自分しかいないようだった。今から眠ったところで3時間と眠っていられないから諦めて部屋の明かりを点ける。

 とりあえず顔でも洗おう。ベッドから立ち上がって洗面台へと向かう。鏡を見た。血の気が引いて青ざめた顔。表情なんかない、パーツの集合体。それだけだ。いつも通りの自分。いつからだろう? きっとあのころから……

 一度考えるともう止まらなかった。思い出したくもないのに次々と頭の中に思い浮かぶ。何年も前のことも昨日ことも全てが一緒くたになって。頭を押さえるけれど、何の気休めにもならない。顔を上げる。目の前には無表情の男。腕を頭から放し、ゆっくりと下ろしていく。首のあたりで手をとめる。そのまま両手で首を掴んだ。

 力を強める。次第に呼吸が苦しくなる。

 まだ緩めない。

 血が止まっていく感覚。

 このまますべて投げ捨ててしまおうか。それもいいかもしれない。

 手から拍動が伝わってくる。

 頬を何かが伝っていく感触。

 まるでそれがスイッチだったかのように腕は力を失い、だらりと落ちる。

 再び鏡を見る。映っているのは僕の顔。急に血が上ってきて少しばかり赤みが増している。頬には一筋の涙が流れた跡。僕は泣いていたみたいだ。悲しくて、どうしようもなく悲しいから。

でも、本当は笑いたかった。無理だと分かっていてもそうしたかった。

だって、こんなにも悲しいのだから。泣くだけではもったいないくらい、悲しいのだから。

**********

 

 他の人たちよりも早めに教室に来たのは自分の思慮が浅かったと思わざるを得ない。誰もが僕を見ると驚いては慌てて平静を装って席に着く。カルガモの親子が道路を横断するみたいに似たような光景が10回も続くと流石にうんざりしてくる。そして決まってこちらには聴こえないと思って小声で話し始めるから、僕としては入学当初の騒ぎの方がまだましだと思えるくらいだった。

 

「あれ、みうみうだ~」

 

 そんな教室の雰囲気を全く気にすることなく布仏さんが僕へと話しかける。他愛なく挨拶を交わすと目つきが普段のおっとりとした様子から幾分か訝しげなものへと変わっていた。

 

「……もしかして、幽霊?」

「そうかも」

「でも、足はあるみたい」

 

こてん、と首を傾げて僕に問いかける。

「実は足がある幽霊かもしれないよ」

「それじゃあ区別がつかないよ~」

 

 そう言って、布仏さんはクスクスと笑う。様子を窺っていた人たちは僕たちの会話の始終を見ると、動きの差異はあれども皆が一様に胸を撫で下ろしていた。僕も周りでひそひそと話をされるのは鬱陶しかったから、彼女が態度を変えずに話しかけてくれたのにはとても助かった。

 

「なんで昨日は休んだの? みんな心配していたんだよ」

「念のために1日様子を見ていたってところかな。おかげで大分体も動かしやすくなったよ」

 

 本当のことを言おうか一瞬迷ったが、あまり他人には言うべきことではないから当たり障りがないような返答にする。布仏さんもそれに納得してくれたようで話はすぐに別の話題へと移り変わった。会話の8割くらいは僕が聞き役だったけれど、あまり自分から話をするのは得意ではないからさっきと比較して1.2倍くらいは助かった。

 それから一夏たちが教室に来たのは昨日あった出来事はとっくに聞き終わって、学食のデザートはどれが美味しいか、というとても今後の参考になる話題の時だった。

 

「え? あれ、隆宏、だよな?」

「多分ね」

 

 一夏と篠ノ之さんの二人はこれまで教室に来た誰よりも僕を見て驚いていた。もしかしたら、本当に自分は幽霊なのではないかと疑ってしまうほどだった。それからすぐに、彼は僕と布仏さんの近くに寄ってきた。

 

「ケガは? 体は大丈夫なのか? それに昨日はなんで休んだんだ!?」

「質問が多少被っているよ。体はもう大丈夫。昨日は大事を取ったみたいな感じかな」

 

 詰め寄ってくる一夏に少し気圧されたが、どうにか全ての質問に答える。それを聞くと彼は半歩ほど下がって、一度大きく息を吐いた。

 

「ならよかった。昨日寮の廊下で見かけて声をかけたのに全然気づいてないから心配だったんだ」

「あ、ああ……。多分、その時は偶然目が覚めて、飲み物でも買いに行こうとしたところだったんじゃないかな。寝ぼけていたから気付かなかったのかも」

 

 まさか戻ってきた直後の様子を見られていたとは思ってもいなかった。別に気づかれたら不味いのかというと、そうでもないけれど、あの試合の後ではいたずらに心配をかけさせたりかけられたりする危険性は、多分、85%よりも高いだろう。当たり付きのアイスが外れるよりちょっと低いくらいの確率だ。

 幸いにも、と言うのはおかしな話だけれど、一夏は納得してくれたみたいだから、これ以上お土産でよく売られているパイの生地みたいに余計な言葉を重ねずに済んだのは良かったと言える。

「そうか……。でも、もし何かあったら遠慮なく相談してくれ」

「うん、分かった」

 

 僕が返答をしてコンマ5秒くらい後にチャイムが鳴った。皆が慌ただしく席に着いていく。千冬さんと山田先生が教室に入ってきた時にはどうにか全員が着席し終えていた。この1週間で早くも見慣れた出席簿による教育的指導(その対象はほとんどある特定の生徒に限られている)は今日のところはなさそうだ。

 

「さて、これからショート・ホームルームを始める。山田君、よろしく」

「は、はいっ」

 山田先生がつつがなく出席を取っていく。最初の2,3日は彼女も緊張が取れておらず恐る恐る言葉を発している、という場面が時折見受けられたが、今ではそれもほとんどなくなり授業なんかも円滑に進められていた。既に愛称なんかも付けられているらしく、彼女がただ優秀なだけではなく、誰からも慕われるからこそ、皆が友好的に接してきて、それで緊張がほぐれたというのもあるだろう。

 

 

「――以上で連絡は……あ、失礼しました。最後にもう1つ連絡、というより発表があります」

 

 出席を確認した後、部活の入部届の締め切りだとかISでの実習についてだとかの幾つかの事務連絡が一通り終わってから、手に持っているノートらしきものを確認しながら言った。

 

「1年1組のクラス代表は、織斑一夏君に決定しました。一繋がりで縁起もいいですね」

 

 教卓の後ろの電子黒板に織斑一夏と名前が浮かぶ。その上にはクラス代表という表示が出ていた。この発表にはクラスのほとんどが驚きを隠せないようだったが、それよりも嬉しさの方が勝っているらしく既にあちらこちらで盛り上がっていた。当の本人である一夏は驚きの表情を浮かべたところまでは他の人とも同じだったが、すぐに顔を引きつらせて手を上げていた。

 

「あの、俺は昨日の試合に負けたのに、どうしてクラス代表になっているんです?」

 

 一夏は立ち上がってそう質問をする。確かにその通りだ。僕もさっき布仏さんから一夏が負けた、ということは聞いていたから疑問に思っていた。

 しかし、その疑問はすぐに解消された。答えようとした山田先生の言葉を遮ってオルコットさんが口を開いたのだ。曰く、自分は代表を辞退して、一夏により多くの実戦経験を積ませることで成長を促したいらしい。恐らく、オルコットさんには昨日の試合で何かしら感じるものがあったのだろう。以前までの他者(特に異性)を卑下するような様子は感じられなかった。もっと自他ともに高めたい、という向上心みたいなものが見て取れる。

 

「ねえねえ、それなら三海君はどうなるの?」

 

 不意に誰かがそう呟いた。オルコットさんはしまった、という表情になる。途端に教室の空気が不穏なものに変わってしまいそうになる。彼女はどうにか言葉を紡ごうとするがしどろもどろになるばかりで一向に解決の兆しは見えなかった。

 

「僕の方から辞退したんだ」仕方なく僕も発言することにした。

 

「理由は3つ。1つは試合の時の怪我。あまりひどくはないけれど、医者から1週間程度は訓練を控えるようにというドクタ・ストップをかけられてしまったから」

 

 実際は激しい運動をするな、という程度のことしか言われていないが、別段このくらい言ってしまっても問題ないだろう。

 

「2つ目は機体のこと。あの時壊したことに対しての処分なんかもまだだからね」

 

 そして、と一息おく。ちらとオルコットさんの方を見ると、申し訳なさそうな、でも安心した面持ちでこちらを見ていた。

 

「3つ目。これは単純に話題性を考えて、かな。専用機を持っていて、尚且つ昨日の試合もかなり善戦したと聞いているから。だから、以前僕を推してくれた人たちには申し訳ないけれど、今回は辞退させてもらいました」

 

 軽く頭を下げてから席に着く。後はオルコットさんが上手く取り繕ってくれるだろう。とは言え、クラス内はもうすでに和気藹々とした様相を取り戻していたから更に言葉を加える必要もなさそうだった。 

「では、クラス代表は織斑一夏。異論はないな」

 これ以上議論の余地は無いと判断した千冬さんがクラス全体に問いかける。クラスのほぼ全員が声をそろえて返事をする。僕は既にその話題の外になっていたし、僕自身も話題に対しての興味は消費し尽くしていたから、ろくに返事をしなかった。つまり、蚊帳の外、と言えなくもなかっただろう。

**********

 

 「はい、では今日はここまでにしましょう」

 

 山田先生がそう切り出したのは、チャイムが鳴り終えてから数十秒後だった。これでようやく今日の全授業は終わったことになる。1コマ1コマが、いつもより遥かに長かった。それは先生たちの熱意で授業が延長されたわけではなく、つまり、実際に授業時間が長かったのではない。感覚的な時間経過がこれまでと比較すると長く感じられた、ということだ。ISに関する授業をまとめていたノートの今日の分を改めて眺めてみる。念のため今日以前の箇所も開いてみたが、やはり、内容的にも書いてある量的にも、控えめに言えば簡素なものになっていた。集中できていない、とは朝の時点から分かりきってはいたことだが、まさかこんなにも如実に現れるとは、と驚き呆れるばかりだ。

 当分はこの状態が継続されるだろう、と思う。短くて3日、長くても精々1週間程度だろうか。こんな風な自己分析とその予測を時々はやってみるけれど、的中率は平均すると45%くらいだ。多くの場合、主観で考えていて考慮から外れてしまった事象があって、しかも、そういったもののほとんどが予測に大きく影響する事象だから、結果予測は外れてしまう。主観、という観察域の狭さは大分前から理解していたつもりだったけれど、どうもそれを活かしきれていないようだ。そもそも、こんな状態になったのだって自分勝手な理想とくだらないプライドのせいではないか。

 息を吐く。一旦寮にでも戻ろう。

 

「三海さん」

 

 立ち上がってノートや参考書なんかを詰め込んでいると、前の方から声がした。顔を上げる。そこにはオルコットさんがいた。

 

「少しお話があります。よろしいでしょうか?」

 

 僕には無いよ、と言いかけた口を閉じて、首を動かすことで肯定の意を示す。ほぼ間違いなく今朝のことについてだろう。まさか、環境問題を議論したいわけではないはずだ。僕としてはどちらも同じくらいどうでもいい内容だから、さほどの差異は感じられないだけだ。

 

「ここではまだ少し人が多すぎますわね。場所を変えてもよろしくて?」

「別にかまわないよ。ただ、場所の選定は任せることになるけれど」

 

 オルコットさんが教室を見渡したので、僕も同じように教室内外を一瞥する。教室内には15人くらい、廊下には30人以上はいることが確認できた。このくらいの密度なら許容範囲内ではと思ったが、誰かに聞かれるといった不安要素を可視範囲からは排除しておきたいのだろう。

 

「では、ついてきてください」

 

 ショルダ・バッグを持って彼女の後をついて行く。廊下を歩いて、突き当たりまで来たところで彼女は立ち止まってこちらを振り向いた。

 

「どうかした?」

「いえ、出来れば後ろより隣を歩いていただきたいのですが……」

「どうして?」

「後ろだと歩きながらお話しできませんから」

「あまり人に聞かれたくないはずでは?」

「あら、意外とせっかちですわね。他にも話せることはあるでしょう?」

 

 怒っているわけではなく、柔らかく微笑んで、優しく諭すような口調だった。体が勝手に、というのはオーバな表現だけれど、思いのほか自然とオルコットさんの隣へと僕の座標を移動させた。僕が隣につくと、今度は満足そうに笑みを浮かべて彼女は再び歩み始めた。歩きながら幾つか言葉を交わす。内容は炭酸が抜けきったソーダみたいに空虚だったが、そもそも会話という手段自体がそんなものだから、気にするだけ無駄であろう。

 

「さて、ここならよろしいでしょう」

 

 屋外に出て2,3分ほど歩くと、並木道に出た。どうやらこの道は体育館に繋がっているようで、部活動で声を出しているのが聞こえてきた。道の途中にはベンチがあったから、オルコットさんにはそこに座ってもらった。僕も座ったらどうかと誘われたけれど、隣に座るのはなんだか気が引けたから、遠慮して近くの木にもたれかかった。

 

「なかなか素敵な場所ですわね。これは何の木でしょう?」

「これは多分もみじ、かな」

「もみじ、ですか? それは秋の紅葉のことを言うのではなくて?」

「うん、それもあるし、木の種類のことも指すね。カエデ、という方がメジャかな。英語だとメイプル」

「Maple」 

 

きっと、クイーンズ・イングリッシュなのだろう。とてもきれいな発音だった。

 

「それで、話ってなに?」

 

 もうそろそろいいかと思って切り出してみる。相手も同じように思っていたようで、一度頷くと、こちらと目を合わせて口を開いた。

 

「まずは、謝罪をさせてください。以前あのように貴方を罵倒してしまい、本当に申し訳ありませんでした」

 

 立ち上がり、僕へと頭を下げようとしたので慌ててそれを制した。

 

「僕だって、言葉が悪かった自覚はあるから、出来れば、そういうことはやめてほしい」

 

 言葉が悪い、などと可笑しなことを言ってしまった。汚いお金、なんかと似たようなものだろう。

 

「そうですか。貴方がそれでいいとおっしゃるならば、この話はここまでにいたしますわ」

 

 オルコットさんは立ったまま、僕と向かいあった。どうやら、まだ何かしらあるようだ。

 

「それで、もう1つ。あの……」

 

 言葉に詰まる。夕陽のせいだろうか、幾分か頬が赤くなっている様子も観察できた。少なくとも、話題について迷っているわけではないのは分かる。

 

「今朝の、話を合わせてくださって、その、ありがとうございました」

「ああ、そのことか……」

 

 僕が初めに予想していたことだった。こっちの方がお礼を言われる筋合いはなかったのだが、もう一度似たようなことを言うのは少しだけ気が引けた。

 

「僕も余計なことをしたのではと思っていたところだったから、そう言ってもらえて助かるよ」

「余計なことだなんて、そんなことありませんわ!!」

 

 いきなりオルコットさんの顔が僕の顔に近づく。どうやら身長はほぼ同じくらいのようで、鼻がぶつかってしまいそうな距離だ。思わず僕が顔を逸らすと、縮まっていた距離に気付いた彼女も慌てて少し距離を取った。

 

「し、失礼しました。でも、そんなこと言われると思いませんでしたから、つい……」

 

 そう言って、ベンチに再び腰を下ろした。先程は頬だけが赤くなっていたが、今は顔全体が赤くなっている。僕も似たようなものだろう。

 

「失礼。さっきの言葉は撤回するよ。それにしても、なんでいきなり一夏を推薦しようと思ったの? もしかして惚れた、とか?」

 

 自分の口から出た言葉に驚いた。どうしてそんなことを聞いたのだろう。選ばれなかったことへの嫉妬だろうか。いや、そんな些細なことを気にしているわけではないはずだ。

 

「……一夏さんに惚れた、ですか。確かに、ある意味ではそうかもしれません」

 

 そんな可笑しな質問を受けたオルコットさんは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにまじめな表情になった。

 

「先日の試合で、わたくしは一夏さんから並々ならぬ情熱を感じ取りました。一夏さんがこれからどこまで強くなっていくのか、それを見てみたくなったのです」

「へぇ、なるほどね」

「……それも、貴方との、三海さんとの一戦のおかげです」

「え?」

「貴方は、臆することなく、そして最後まで勝負を諦めなかった」

 

 彼女は瞳を閉じていた。その姿から記憶を思い出そうとしているのか、それとも忘れぬように再びやきつけているのかを判別することはできなかった。

 

「その姿が、わたくしを変えてくれたのです」

 

 再度、僕と向き合った。開かれた瞳は夕闇が迫る複雑な空の色に染まらない純粋な色をしている。もう二度と見つめられることはないだろうと思っていた瞳の色だった。

 

 

「ごめん、オルコットさん」

 

 濃さを増していく黒に混ぜてしまうように小さく呟いた。僕は木から体を離して彼女の横に立った。

 

「僕は、もうISには乗らない」

 

 そして、歩き出した。

 ここで終わりだ。

 うしろから声が聞こえた。

 答えない。

 その声に答える資格は、僕には無い。

 もう、濁ってしまったから。

 濁らせて、くすませたのは、自分なのだから。

 




 今月中にもう1話更新したいのですが……ちょっと厳しそうです。
 なんとか最低でも月に1話更新できるように頑張りたいと思います。

 感想・批評・疑問・要望等々お待ちしております。


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第9話 ―交錯―

 またしても、前回の更新からかなりの期間が開いてしまい申し訳ありません。
 今回は少し短いかもしれません。


「それでは、織斑君の代表決定を祝って、カンパイ!」

『カンパーイ!!』

 

 数か所で同時にグラスが合わせられて、ガキンと言う音が鳴り響いた。それから、会話を始める者、テーブルに並べられた御馳走を取り始める者など、皆が思い思いの行動をとり始めた。

 

「ほらほら、みうみうも食べなきゃ。なくなっちゃうよ?」

「うん、分かっているよ」

 

 グラスを傾けてその中の液体を口に含み、味わう間もなく飲み込む。そして、大きく息を吐いた。

 

「それで、僕はどうして連れてこられたの?」

「だって、せっかく美味しそうなものがたくさんあるのに、食べなきゃ損だよ~」

 

 そもそも、こんなパーティ――確か正式名称は織斑一夏代表決定記念パーティだったと記憶している――に参加するつもりなんて全くなかった。夕食にしようと思って食堂に来たら、いつもより人が多く、何事かと様子を窺おうとしたら布仏さんに見つかって、半ば無理やり僕も参加することになったのだ。

 

「そうだね。夕食を食べに来たわけだから、頂くことにするよ」

 

 このまま問答を続ける気もなかったので、置かれている料理を何品か取ることにする。別のテーブルから鶏肉やサラダなんかをいくつか取ってから最初にいたテーブルに戻ると、布仏さんが困っているように見えた。

 

「どうかしたの?」

「ううん、ちょっと……」

 

 彼女の見ている方向を向くと、そこにはお菓子やデザートの類が置かれているテーブルがあった。でも、その進路上には何人かがグループとなって、人が通る妨げになっており、加えて話に夢中になってそれに気づいていないようだ。

 僕が行くよ、と彼女に告げて欲しいものを聞く。話をしているグループに近づくが、誰も気づかない。仕方なく、声を掛けてどけてもらった。一瞬眉をひそめられたけれど、その理由が会話を妨害されたからか、それともその内容を聞かれたのではないかという不信感から来ているものかのどちらかは見た目からは判断がつかなかった。とにかく、目的は果たせたからそれを持ってもといた場所へと戻り、ケーキなんかが乗っている皿を渡した。

 

「ありがと~、助かったよ」

「別にいいよ。僕も欲しかったところだから」

 

 それから布仏さんは食事の方に集中し始めたので、僕も食べることにした。皿の半分くらいにしか料理を分けていなかったから、彼女が食べている途中で僕は先に食べ終えてしまった。これ以上食べるつもりはないから、部屋に戻ってしまってもよかったけれど、まだ同じテーブルで食べている人がいるのにそれは失礼だと思い直し、グラスを傾けつつ他のテーブルの様子を見ていることにした。よく見ると、見覚えがない人物もいる。他クラスからも来ている人がいるようだ。

 

「……やっぱり、みうみうは優しいね」

 

 ケーキを食べていた布仏さんがフォークを置いて、ぽつりと呟いた。

 

「今朝のことだって、とっさに言ったことなんでしょ?」

「さあね、どうだったかな」

「そうやって誤魔化す~」

 

 隣を見ると、頬を膨らませて抗議の意を示していた。軽く謝りながらまだ手をつけていなかったケーキを差し出すと、数瞬悩んだようだが、受け取って食べ始めた。

 

「はいはい、失礼するよー。新聞部でーす。話題の新入生2人にインタビューしに来ました!」

 

 騒がしさのギアが1段上がったと思ったら、新聞部の腕章を付けた人が入ってきていた。リボンの色から2年生だということが分かった。

 

「あれ、もう1人の子は? いないの?」

 

 一斉に僕の方に視線が集まった。これでは自分の部屋に戻ることもままならないから、仕方なく一夏たちのもとへ行く。こんなことになるのだったら、さっき退出していればよかった。

 

「お、いたいた。私は2年の黛薫子。新聞部の副部長やってるの。よろしくね」

 

 名刺が差し出されたので受け取る。無造作にポケットに入れるのも失礼だから、このまま手に持っているしかなさそうだ。

 

「じゃあ、先に織斑君ね。まず、クラス代表として、意気込みをどうぞ!」

「えーと、まあ、全力を尽くして頑張ります」

「えー、もうちょっといいコメントしてよ。俺に触れると火傷するぜ、とかさ」

「自分、不器用ですから」

 

 なんだか、漫才みたいな調子でインタビューは続けられている。でも、結局あまり聞きたいことは聞けなかったようで、今度は僕の方にボイスレコーダが向けられた。

 

「次は三海君ね。まず、クラス代表を織斑君に譲った理由は?」

「そうですね、彼の方が僕よりも相応しいと思ったからです」

「またまた、ご謙遜を。じゃあ、次の質問ね」

 

 それからの質問は、生年月日や血液型、趣味や好物といった定番の質問だった。8月15日生まれで、o型、趣味は読書で好物は蕎麦、とそつなく答えた。

 

「――じゃあ君に専用機についての打診があったって聞いたんだけど、それって本当?」

 

 僕は目を見開いた。何故そのことを知っている。誰にも相談した覚えはなかったから、恐らく何処かで僕と九条さんの会話が聞かれていたのだろう。

 

「いえ、ありませんよ。そんな話は」

 

 もう手遅れだとは思うが、表情を変えないようにして言う。黛先輩はそう、と短く呟くと、持っていたメモ帳を何枚かめくって再び口を開いた。

 

「じゃあ、十朱財団からコンタクトがあったという噂があるんだけど、それについてはどう?」

 

「十朱財団? 何ですかそれ? よく分からないのですが」

「これもガセネタだったか。残念ね。よし、ラストはセシリアちゃんにもコメントしてもらおっか」

 

 黛さんがオルコットさんへと体の向きを変える瞬間、ほんの一瞬唇を歪めたのが見えた。僕の見間違いでなければ、私は本当のことを知っている、ということを示したかったのだろう。わざわざ隠す必要があっただろうか。しかし、財団側からすれば情報の漏えいであるし、そのこと自体が不利益となる可能性もあるのだから下手に言うべきではなく、加えて僕にとってはいちいち他人に言いたくはなかったから結果的にはこれでよかっただろう。

 

「――じゃあ、最後に3人並んで、写真撮らせて」

 

 オルコットさんへのインタビューも終わったらしく、黛先輩が僕と一夏の手を取って3人を並ばせる。写真の構成としては女性1人と男性2人だから必然的にオルコットさんが中心となった。撮影側から見て右に一夏、左に僕が立って、手を重ね合わせるポーズをとった。オルコットさんの手の上に僕が手を置こうとした時に彼女を見たところ、ちょうど彼女もこちらを向いていて目が合った。何か言いたげだったが、先に僕が目を逸らし、カメラの方を向いた。結局、何かを言われることはなかった。

 

「うん、いいね。それじゃあ取るよ。はい、笑って―!」

 

 フラッシュが瞬く。多少口元を緩めたつもりではあるけれど、上手く笑えている自信はなかった。取り終えてから、ふと背後が気になって振り向くと、何故か食堂にいた全員がそこにいた。写真に写ろうとしたのだろう。オルコットさんが何か抗議していたようだけど、写真を撮ってしまった後だからあまり意味はないだろう。

 

 再び賑やかさが増している時に、僕の腕に何かが触れた。そちらを向くと、黛先輩がいる。他の人に気付かれないように何かを当ててくるので、手を開いてそれを受け取る。小さく折りたたまれた紙切れのようだ。そして、彼女は左手の人差し指だけを伸ばし、口元に持っていく。誰にも言うな、というジェスチャのようだ。その後、何食わぬ顔で食堂から去っていった。

**********

 

 その後、周りが話しているのに紛れて食堂から出て、今は屋外を歩いている。所々に外灯が設置されているからある程度周囲の確認はできるけれど、夜は確かに更けていて、黒色の画用紙に穴を開けたみたいに星の光が瞬いていた。さらに1,2分ほど歩き、周りに人がいないか確認する。目視できる範囲にはいないようなので、先ほど受け取った紙を右のポケットから取り出した。4つ折りにされているそれを開く。紙面には丁寧に書かれた文字が並んでいた。

 

明朝5時、下記URLの場所に来てください。

 

 この文章とホームページのURLらしきものだけが書かれていた。上着の内ポケットから携帯端末を取り出し、紙に記されたURLを打ち込む。念のためそのページを表示する前にウイルスチェックを行ったが、安全だということが確認された。どうやらそのページの内容自体がトラップということだろう。そのページには1つだけリンクが貼られていた。ダウンロード・ファイルのようで、やはりウイルスチェックをした上でダウンロードすると、写真が5枚入っていた。まず1番上のものから見る。それが携帯端末の画面に現れた瞬間、僕の視線はくぎ付けとなった。

 

 ベンチに座る金髪の少女と木に寄り掛かって立つ俯き気味の少年。間違いなくオルコットさんと僕だ。他の写真も撮られている角度が違うだけで、登場人物と場所は全く同じだ。

 あの時の会話が見られていた? そうとしか考えられない。ほぼ確実にその内容まで把握されているだろう。録音されている可能性だってある。

 

 上がった心拍数をどうにか落ち着けようと深呼吸をする。冷えた空気が体の中に入り、少しだけ頭も冷えた。ファイル内のデータはこれだけだ。つまり、明日の待ち合わせ場所は、この写真の場所、ということらしい。もっとも、取引場所といったほうが正確かもしれないけれど。

 

 自分の状況を整理しよう。現時点で僕はすでに、他者に公開したくはない情報をいくつか握られている。専用機のこと、それに付随して十朱財団のこと、そして先日のオルコットさんとの会話。特に最後のことは学園内での出来事であり、場合によっては僕だけでなくオルコットさんにも迷惑がかかる。結局、明日行かないという選択肢はない。今できるのは、相手の出方を予想して対策を練ることだけだ。

いい加減うんざりだ。貧乏くじ、と言ってしまえばそれだけだが、こんなにも悪い状況が二重三重にも重なるとは。もういっそ、あの屋上から飛び降りてしまおうか? 死ねなくとも、二度とISに乗らずに済む体にはなるかもしれない。そんな出来もしないことを考えると、少しだけ気分が軽くなった。

 

「ねえ、そこの人! ちょっと道教えてくれない?」

 

 携帯端末を上着にしまい、自室に戻るのに歩みを進めようとすると、姿が見えるか見えないかくらいの距離から誰かが僕を呼び止めた。そして、そのまま僕の方へと駆け寄ってくる。

 

「あれ、一夏!? ……じゃない。なんだ、もう1人のほうか」

 

 現れたのは、大きなボストンバッグを持ち、長い髪を左右の高い位置で束ねた少女だった。加えて学園の制服ではなく、私服だった。幾つか疑問が湧いてきたが、それを言葉には出さず黙っていると、再び相手が口を開いた。

 

「ねえ、受付ってどこ? 案内してくれない?」

 

 別段、断る理由もなかったから承諾した。方向転換して、目的の方向へと歩き出す。

 

「……あんたって、2人目よね?」

「そうだけど」

「あ、自己紹介がまだだった。わたしは凰鈴音。中国の代表候補よ」

「三海隆宏。知ってのとおり、2人目の男性操縦者」

 

 ぽつりぽつり、と外灯が照らす道を歩く。言葉を交わしていく中で、いくらかの情報を得た。端的に言えば、凰さんは一夏と数年の交流があり、その一夏がIS学園に入学したことがきっかけでIS学園に転入することを決めたらしい。普通に考えて、勝手なことにも思えるが、国としてはその繋がりを利用して男性操縦者との関わることが出来るならば、という感じだろう。倍率数百倍、などとも言われるこの学園に転入するなんてまず不可能だが、国家代表候補ならば話は別なのだろう。

 

「――それで、一夏は今どんな感じ?」

「今だったら、クラス代表決定パーティがまだ続いていると思うよ」

「何よそれ?」

「一夏が1組のクラス代表に決まったから、それを記念してのパーティ、だって」

「ふーん」

 

 頷くと何か考え始めたのか、会話が途切れる。そのまま歩き続けていると、目的地である受付の前にやって来た。そのことを伝えようとすると、いきなり彼女は立ち止まった。

 

「ねえ、2組のクラス代表って誰か知ってる?」

「いや、流石に隣のクラスまでは知らないよ」

 

 彼女のクラスが2組だからお友達を作るためにまずクラス代表に話しかけるため、というわけではなさそうだ。恐らくは……

 

「なんだ、まあ受付で聞いてみればいっか」

「結局、明日にはわかることだと思うけど? それを知ってどうするの?」

「決まってるじゃない」

 

 そう言って、彼女は不敵な笑みを浮かべた。

 

「お願いするのよ。クラス代表を譲って、てね」

 




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