グラブルオリジナルストーリー(主役:アンナ) (水郷アコホ)
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01「プロローグ~魔導都島プラトニア~」

 ──ここに一冊の本がある。誰かの日記のようだ。最初のページを開くと、次のように綴られている。

 

 

 

   あの日の事は、今でもよく覚えている。きっとあの時から、私は既に決意していた。

 

   貴方には、これを読んで、知ってほしい。

   貴方と私が出会った訳を。私のこれまでと、これから成す事を。

   しっかりと考え、選んでほしい。私の成す事に、貴方はどうするのか。

   冷静に。義理に縛られず。情に流されず。

 

   貴方は私より、よっぽど素晴らしい人なのだから。

 

 

 

 ──暗闇の中、ランプの明かりがぼんやりと照らす騎空艇の一室。

 ──本の持ち主が、そう長くも無い1ページ目を机の上で何度も読み返している。

 

 ──片腕に抱いたぬいぐるみを机の隅に置き、身を乗り出したくなる自分を抑えるように椅子に座り直した。

 ──慎重に。うっかり破いてなどしまわぬように。ページの隅に指をかける。

 

 神妙な面持ちで彼女は──アンナは、ゆっくりと次のページを開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ──団長達の騎空艇は今日も空を行く。その舳先は今、眼前に広がる大きな島へと向かっている。

 

 ──その甲板では、アンナが親友カシマールを抱きかかえたまま艇の縁から身を乗り出し、行く先の島を瞳を輝かせて見つめている。

 

 

 

 

 

 

 

アンナ

「わぁ~~……ホラ見てカシマール、あれが『魔導都島(まどうととう)プラトニア』だよ。本で見たより大っきいねー」

 

 

 

カシマール

「ヨロコブノハイーケドオチツケ! ソンナニノリダシタラ、オレサマタチフネカラオッコッチマウゾ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 ――カシマールの注意も意に介さず、アンナは興奮気味に親友へ語りかけている。

 

 ――先日、近くを航行中と知ったアンナからの強い希望があり、艇は一路プラトニアへと向かっていた。

 

 

 

 ――そんな2人の様子を、少し離れてルリア、ビィ、カタリナ、そして団長が見守っている。

 

 

 

 

 

 

 

ビィ

「やれやれ。いつものアンナとは思えないくらいのはしゃぎっぷりだな」

「何でも昨夜(ゆうべ)は、あのプラトニアって島の事調べてて殆ど寝てないらしいぜ。まるで遠足前の子供みたいだな」

 

 

 

ルリア

「フフフ。何だか見ているこっちまでワクワクしてきちゃいます。よっぽど楽しみだったんですね」

 

 

 

ビィ

「そういやァあの島までの道のり、姐さんがここまで案内してくれたってのもちょっと意外だったな」

 

 

 

ルリア

「言われてみると……いつもは島の事なら、ラカムさんやオイゲンさんの方が詳しそうですよね」

「カタリナ、プラトニアに来た事があるの?」

 

 

 

カタリナ

「ん? ああ、そういえばルリア達に話すのを忘れていたかな」

「私自身プラトニアに赴いた事は無いが、あそこは昔からエルステと国交のある島なんだ」

「エルステである程度の立場に就く人間なら、大体の者はそういった島々の所在や歴史をみっちり学ばされるんだ。それでたまたま、プラトニアへの航路を今でも覚えていた。昔取った杵柄というやつさ」

 

 

 

ビィ

「うへぇ。騎士って、戦うだけじゃなくて勉強もしなくちゃならなかったんだなぁ……」

 

 

 

ルリア

「うぅ……カタリナも苦労してたんだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 ――カタリナの過去に憐れみさえ向ける2人に、苦笑交じりにカタリナが言葉を返した。

 

 

 

 

 

 

 

カタリナ

「こらこら二人とも。教養を得るのに騎士も国も関係あるものか」

「いつどこだろうと学ぶというのは良い事だぞ。使い方さえ間違えなければ、こうして思わぬ所で旅の助けにもなるのだからな」

 

 

 

 

 

 

 

主人公(選択)

・「そうだぞ二人とも」

・「苦労した事は否定しないんだ?」 

 

 

 

→「苦労した事は否定しないんだ?」

 

 

 

 

 

カタリナ

「いや……それは、その……オッホン! とにかく、そういった勉学を疎むような態度は、これから行くプラトニアにも似つかわしくないぞ!」

「何せあの島は学術と技術、2つの面で大きく発展している島なのだからな」

 

 

 

ルリア

「がくじゅつとぎじゅつ……? 前に行った、『叡智の殿堂』みたいな所って事ですか?」

 

 

 

カタリナ

「良い例えだが、少し異なるな。叡智の殿堂は様々な知識を幅広く取り扱っているが、プラトニアでは魔法の知識を特に深く研究し、魔法を利用した製造技術に応用している」

「例えば、同じく技術力が特長のバルツでは主に島の鉱石と地熱を利用しているが、プラトニアはそういった物作りに必要な素材やエネルギーを、一から全て魔力で賄おうという方針だ」

 

 

 

ビィ

「バルツでやってる事を全部魔法で? そいつァ暑くなくて楽そうだけど、本当にそんな事できんのか?」

 

 

 

カタリナ

「私が当時聞いた限りでは、本当に0から魔力で物を作り出すにはまだまだ課題が多いらしい。だが、ごく僅かな資材から様々な道具を作る技術が確立しているそうだ。

「特に昔から魔力を使って作られてきた、いわゆる魔法薬やお守りの類では、最早かつての技術の枠を飛び越えた別物と言っても良い逸品ばかりで、質も量も空域で一、ニを争う程だとか」

 

 

 

ルリア

「あっ、だからなんですねカタリナ!」

 

 

 

ビィ

「ん? 何が『だから』なんだ?」

 

 

 

 

 

ルリア

「アンナちゃんがプラトニアに行きたくてワクワクしてる理由です」

 

 

 

ビィ

「ああそっか。確かアンナは立派な魔女になるのが夢だったよな」

 

 

 

カタリナ

「そういう事だな。アンナにしてみれば、尊敬する『お婆さま』に近づくために一度は行っておきたい場所に違いない」

「それにプラトニアは叡智の殿堂のように、その知識と技術を図書館という形で広く公開している。きっとアンナもそこに行きたくてあんな……」

「……ワ、ドコダ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 ――アンナのはしゃぎっぷりを指差そうとしたカタリナだったが、その先には無人の甲板が広がっている。程なく、指差している方向から声が響く。

 

 

 

 

 

 

 

アンナ

た、たたた、た、助けて~~~~……だだ、誰か~~……!

 

 

 

カシマール

ダカライッタジャネーカ! オ、オレサマヲオトスンジャネーゾ! ……イヤデモムリハスルンジャネーゾ!?

 

 

 

 

 

 

 

 ――よく見ると、船の(へり)に白い手が1つ乗っている。縁の向こうの空間に、アンナの帽子の先端が頼りなく揺れている。どうやら身を乗り出しすぎてカシマールごと落っこちたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

カタリナ

「いかん、団長(キミ)も手伝ってくれ! 二人ともすぐ行く! もう少し持ちこたえてくれ!」

 

 

 

ルリア

「はわぁっ!? わ、私、もももしもに備えて星晶獣を……!」

 

 

 

ビィ

「やれやれ、いつものアンナらしいような、らしくないような……」

 

 

 

 

 

 

 

 ――その後、団長達の手でアンナは無事に救出され、グランサイファーは順調にプラトニアの発着場へと降り立った。




※ここからあとがき

 実は、6つの点々を挟んで上が本来のプロローグ、下がその後の第1話です。

 本文1000文字以上と投稿段階になって知り、慌てて二話結合しました。
 出来ればプロローグは短く切って、雰囲気を持たせたかったのですが……。
 出だしから早速コケてますが、どうかお付き合いいただけると幸いです。

 文章が詰まってると読みにくいかも知れないと、なるべく行間を空けましたが、少しくどかったかも知れません。
 ひとまず第一話は、この行間のままで進行しようと思います。


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02「首都探訪と邂逅」

 ――プラトニアに到着した一行は、逸るアンナを半ば追いかけるように街へと繰り出していた。

 

 

 

アンナ

「わあぁ~~……わあぁ~~~~~~……!」

 

カシマール

「オマエサッキカラ『ワー』シカイッテネーゾ……」

 

 

 

 ──アンナは行く先々で、店のショーウィンドウの中の装飾品から軒先に飾られた小物まで一つ一つに目を輝かせ、感嘆の息を漏らしている。

 ──団長達はそんな先行くアンナを見守りながら、のんびりと後に続きつつ語らっていた。

 

 

 

ビィ

「ハハッ! 言葉もねェってこの事だな」

 

ルリア

「アンナちゃん、本当に嬉しそうです。私も、艇から見た時よりもこの島がすっごく綺麗で大っきくて、ビックリしてます」

 

カタリナ

「技術と発展の証として、自然を残しながらも島全土を開発したとは聞いていたが──これほどとはな」

「島だけでなく、グランサイファーが小さく見える程の巨大な港というのも、そうあるものではない」

「私も正直、驚きと感動を隠せないでいるよ。噂以上の繁栄ぶりだ」

 

ビィ

「それにしても何なんだろうな。さっきからあっちこっちで透明なモンが空飛んだり物運んだりしてるけど?」

 

 

 ――そう疑問を口にするビィの横を、鳩をデフォルメした様な形と大きさの透明な塊が、宙を滑るようにしてすれ違う。

 ──更に眼前でアンナが眺めている店の入口でも、透明なトロッコのような物に積まれた荷物を店員が中に運び入れている。

 ──しかもそのトロッコは、坂道の途中だと言うのに支えも無しにピタリと、その場で静止してみせている。

 

 

 

カタリナ

「私も本物を見た事は無かったが、あれが恐らく『魔導(まどう)グラス』というものだろう」

 

ルリア

「まどーグラス? 確かに見た目はガラスっぽいですけど……」

 

カタリナ

「話に聞いた限りでは、十数年ほど前からプラトニア国内でだけ流通している、魔力を燃料にして動くガラス細工らしい」

「こんな当たり前のように多く見かけるという事は、きっと今ではこの島に欠かせない物なのだろうな」

 

 

 

 ――先ほどビィの横を通り過ぎた物と同じ形のガラス鳩が一件の建物の前で、宙に浮いたままじっとしている。

 ――間もなく窓が開き、そこから伸びた家人の手が、持っている封筒をガラス鳩に当てると、鳩は自身が水であるかのように手紙をその内部に飲み込んだ。

 ――封筒の幅は縦も横も鳩より確実に大きかったが、角一つ飛び出したりはしていない。もちろん差込口のようなものも見当たらない。

 ――そのまま鳩は何事も無かったかのように宙を滑り、対面から向かってくる団長ら一行を丁寧に避けて、向こうへと通り過ぎていった。

 

 

 

ビィ

「あ、あれ本当にガラスかぁ? スライムか何かじゃねぇのか?」

 

カタリナ

「う、うむ。魔導グラスというからには、ガラスのはずだ。詳しい仕組みは見当もつかないが……」

 

ルリア

「でも、ちょっと可愛いですね。ガラスの鳥の郵便屋さんみたいで」

「とっても便利そうなのに、どうして他の島では使われてないんでしょうか?」

 

カタリナ

「確か、製造元と国とで何か諍いがあったという事は覚えているんだが……」

「ダメだ思い出せん。艇で偉そうな事を言っておきながら情けない……」

 

カシマール

「オーイ、オマエラー、ボサットシテネーデコッチキヤガレー!」

 

 

 ――ガラス鳩に釘付けになっていた一向に声がかかる。先程見た時と同じ店で、ショーウィンドウの前に蹲っているアンナの方からだ。一行が駆けつけるも、アンナはショーウィンドウを注視したまま振り向かない。

 ──ウィンドウの向こうには色取り取りのアクセサリーが所狭しと飾られ、大きな帽子を被った人形が隅に座って、心配するかのようにアンナの方を向いている。

 

 

 

アンナ

「え……えへへへぇ……」

 

ビィ

「どうしたんだアンナのやつ。この店のモンに随分夢中みてェだな?」

 

カシマール

「ムチューナンジャネー、ネッチューナンダ!」

 

カタリナ

「ネッチュウ……まさか!?」

「アンナ、立てるか。気分が悪かったりしないか?」

 

アンナ

「だ……大丈夫ぅ。ちょっと、はしゃぎすぎちゃったから……休憩してるだけぇ、だから……」

 

 

 

 ――カタリナがアンナの顔を掴んで振り向かせると、その顔は至福とばかり緩んだ笑みを浮かべているが、頬が上気し、心なしか目の焦点が合っていない。

 

 

 

カタリナ

「……いかん。どこか、日陰の休める所へ。ルリアとビィ君はどこかで水を買ってきてくれ!」

 

ルリア

「は、はい!」

 

アンナ

「ほ、本当に大丈夫だよぉカタリナ……」

 

カシマール

「タテネークライツカレテルノヲ、ダイジョーブナンテイワネーヨ!」

 

 

 

 ――カタリナがアンナを背負い、ルリアとビィが売店へ走り、団長が近くの路地裏にベンチを見つけた数十分後。

 ──介抱されたアンナはようやく正気を取り戻し、まだ多少ふらつきながらも歩けるまでに回復していた。

 ――団長がアンナに肩を貸しながら、一行は路地の出口へと向かっていた。まだ先程の熱が抜けきっていないのか、アンナは未だ頬や額がうっすら赤く、口元は穏やかだが緩んだ笑みを浮かべている。

 

 

 

アンナ

「だ、団長さん……あり、がとう……」

 

カシマール

「アリガトーヨリサキニイウコトアルダロ!」

 

アンナ

「あ、う、うん、そうだった……み、みんな、ごめん、なさい……」

 

ビィ

「良いって事よ。アンナが元気になって何よりだぜ!」

 

カタリナ

「それにしても、まだそんな暑くなる時期でもなし。帽子まで被っていて熱中症にかかるとは……」

 

アンナ

「あ、あのね……街が、あんまり凄くって……」

 

ルリア

「確かに素敵な街ですけど、街が凄くて熱中症に?」

 

アンナ

「ち、違うの。えっとね……」

「ボク、こういう賑やかな所とか、ちょ、ちょっとだけ苦手で……人も、沢山いて……」

「で、でもね。ひと目見て、わかったんだ。家の一件一件も、歩いてきた道の石畳も、売り物も、もちろんあの動くガラス達も……」

「服とか食べ物飲み物以外、みーんな、魔力で出来てるんだ、って」

 

ビィ・ルリア・カタリナ・団長

!!?

 

 

 

 ――驚きの声と視線が一斉にアンナに集まる。

 

 

 

ルリア

「ぜ、全部……ですか!?」

 

カタリナ

「確かに、売られていた道具や小物は皆、独特の意匠が施されて、この島独自の物だろうとは思っていたが……家までもとは……!」

 

アンナ

「あ、でも、全部魔力って事じゃなくって……お家とか、お店の備品とか、大きな物や複雑な物は多分……木とか、石とか鉄が半分くらい混じってる……かな」

「でも、ちょっとしたアクセサリーとか……後、あの動くガラスとかは、魔力だけで作られてるみたいなんだ」

 

ビィ

「マジかよ、姐さんが艇で言ってた通りじゃねぇか! て言うかアンナ、そんな事見ただけで分かるのか!?」

 

アンナ

「え? う、うん。魔法を勉強してたら、いつの間にか分かるようになってたから……多分、魔法に詳しい人なら、大体見分けられる……」

「……んじゃない、かな……た、多分……」

 

ルリア

「す、すごいですアンナちゃん……」

 

アンナ

「そ、そそそうかな……えへへ。あ、ありがとう、ルリア」

 

カタリナ

「しかし、それと熱中症とどう関係が?」

 

アンナ

「あ……そうだった。それが、その……あ、あんまり街が賑やかで、人が一杯いて……森に居た頃はそういう所、全然、見た事も無かったから……」

「ちょっと、その……息苦しいなーって思ってたんだけど……でも、そんな事気にしてられないくらい、街が、どこを見ても凄いものばっかりで……」

「何を見ても頭がふわふわしちゃって、街もキラキラしてて、ガラスもキラキラしてて……何だか、頭の中までキラキラで一杯になっちゃったって言うか……その……」

 

ビィ

「するってーと、つまり……?」

 

カタリナ

「慣れない環境で、度を超えた感動に晒され続けて……ついでに昨夜の寝不足も祟ったか。とにかく、ストレスと驚きで脳がオーバーヒートした……と言った所だろうか」

「これは一種の知恵熱……という事に、なるのか?」

 

カシマール

「マチガマブシスギテ、アヤウクトケテキエチマウトコロダッタッテコッタナ!」

 

アンナ

「と、と、溶け!? カ、カシマール、そんな言い方、あんまりだよぉ!」

 

ルリア

「あはは……あ、ここを曲がったら通りに出られそうです。アンナちゃん、体調はもう大丈夫ですか?」

 

 

 

 ――路地の突き当りが見え、道が左右に伸びている。この路地は丁字路になっていたようだ。

 ──未だ先が見えない分かれ道のどちらからも、街の喧騒が響いてくる。

 ──団長の肩を借りるどころか、気づけば半ば寄りかかるようにしていたアンナがハッと我に帰る。

 ──どちらに進んでも、あの絶え間なく眩しい知恵熱通りへと続いているのは想像に難くない。

 

アンナ

「あ、そ、そっか。……えっと、えっと……ま、まだ……あの、もう……ちょっと……」

 

 

 

 ――モゴモゴと言いかけた所で、アンナの目に団長の心配そうな顔が映り込む。

 

 

 

アンナ

「ッ……!」

「だ、だだだ、だ、大丈夫! ほ、ほほら、もうこんなに歩けるし、ちょっと気をつけてれば、もう、し心配いらないから……!」

 

 

 

 ――カツウォヌスの跳ねるが如く、パッと団長から手を離し、ほんの少しふらつく脚を小躍りで誤魔化しながら、少々強張った笑顔を見せつつ突き当りへと突き進むアンナ。だが……

 

 

 

ルリア

「あっ、アンナちゃん、後ろ!」

 

アンナ

「え……?」

 

???

「え……?」

 

 

 

 ――ちょうどアンナが一行の方を向いて進んでいた時、死角から通行人が現れる。ルリアの声にすくんだ脚がもつれ、アンナは反射的にバランスを取ろうと、更に背後へステップを踏む。

 

 

 

???

「あっ……」

 

 

 

 ――アンナの背が人影の肩を叩いた。

 ──人影の傍らの丸く大きな影……否、光を弾く何かがその手から零れ落ちる。

 

 

 

 

 

 

 ガシャーーーーーン

 

 

 

 ――硬く、脆く、重いものが細かく砕ける音がアンナの背後で響いた。距離を置いたルリア達が思わず耳を塞ぐほど大きく。

 ――アンナの表情が一瞬で凍りついた。



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03「邂逅と遭遇」

 ――アンナの背後で、何かが砕ける音が盛大に響いた。

 ――直前まで火照りが抜けなかったアンナの顔色が一瞬で青ざめる。

 ──その視界の先では、仲間達が完全に硬直して、声もかけられずこちらを見つめ返している。

 

 

 

アンナ

「あ……アア、ア、ア……」

 

 

 

 ――恐る恐る振り向こうとして……足元に何かがジャラリと纏わりついてくる。ビクッと足首から上だけが跳ねて、咄嗟に足元を見るアンナ。

 ――見ると、アンナの足元一帯に、ガラスとも宝石ともつかない透明な物体が散らばっている。間違いなく、今しがた背後の人物から叩き落としてしまった物体の破片だった。

 

 

 

金髪の少女

「あらまぁ……」

 

黒髪の女性

「……不注意でしたね」

 

 

 

 ――まるで他人事と思わせるほど、冷静な声がアンナの背後で漏れる。

 

 ──二人組の女性だった。

 ──方や上等なドレスが人形のように良く似合う、アンナと同年代程の少女だった。細長く真っ直ぐ伸びた金髪と、車椅子のような形状の透き通った物体に体を預けているのが目立つ。

 ──もう一人は眼鏡をかけたフォーマルな出で立ちの大人の女性。こちらは頭から足先まで芸術品のように整った容姿と、妖艶に波打つ黒髪が目を引く。

 

 ――さて、2人から漏れた冷ややかな言葉に篭る感情について、アンナが思いつく解釈は大きく分けて二通りあった。

 ──まず一つは、今しがた砕けたであろう少女の所持品が、アンナが恐れる程には貴重な品で無い場合。

 ──もう一つは、喪われた物よりも喪わせた者への、出来れば持ちたく無いであろう、煩わしく激しい感情の方が勝っている場合。

 ――アンナの混乱する頭は、真っ先に悲観的に、後者を支持した。

 ──黒髪の女性からアンナに、至って冷静な声がかかる。

 

 

 

黒髪の女性

「お怪我はございませんか。危険ですので、そのままそっと……」

 

アンナ

「ご、ごごごごめんなさい!!」

 

 

 

 ――落とし主達の言葉を遮って、アンナは声の方角へ、地べたで靴を削るようにして振り向き、大きく頭を下げる。

 ──その頭を上げきらない内にしゃがみ込み、散らばる破片を素手で拾い集め始めた。

 ――先述した通り、破片はガラスや宝石の類……否、十中八九ガラスである。日陰の路地裏でもその断面は鋭く煌めいているが、憔悴して左右に細かくブレるアンナの瞳には、そんな光は届かない。手当たり次第、指で摘み上げては空いた手に移していく。

 

 

 

金髪の少女

「ちょ、ちょ、ちょっと! お止めなさい危ないったら!!」

 

カタリナ

「……ハッ!」

「そ、そうだアンナ、落ち着け! 割れ物に迂闊に触ると手を切る!」

 

 

 

 ――張り上げた少女の声に、我に帰ったカタリナがアンナを宥めに駆け寄る。団長達もカタリナに続くように、何か手伝える事は無いかとアンナの元へと走る。

 ――しかし、今のアンナに「割れる」は禁句だった。アレルギーのような激しい反応こそ無かったが、たった今の出来事を再確認させる言葉は、アンナのパニックを深く静かに加速させた。

 ――落とし主の少女は、せっかく体はこちらを向いていながら地面ばかり見つめる魔女に声を荒げる。

 

 

金髪の少女

「お止めなさいと言ってるでしょう! 聞こえませんの!?」

 

アンナ

「だ、だだって、ボッ、ボク、ボクこれ、わ……、やっ、ちゃって……こ、こんな、こッ……!」

「……痛ッ!」

 

 

 

 ――アンナがようやく手を止めた。当然の帰結として。

 ――ビー玉ほどの塊となったガラス片を拾い上げた時、どこかの断面を撫ぜたようだ。アンナの指から血が一筋流れる。

 ――しかし、アンナは手を傷つけたそのガラスを反射的に捨てるような事はせず、無意識に指から手のひらへと落とし込んでいた。指先から伝った血の滴が、掌の溝を伝って、拾ったガラス片を包み込んだ。

 

 

 

金髪の少女

「ッ……!!」

こ……の、バカッ!!

 

 

 

 ――途端、落とし主の少女が激昂してアンナの胸ぐらを掴み、頬を平手で張った。勢いで、拾い集めたガラス片が再び地面に撒かれる。

 

 

 

アンナ

「キャッ!?」

 

カタリナ

「なっ……アンナ!」

 

 

 

 

 ──足元から力が抜けたアンナを襟で吊り下げるように引っ立たせて、少女が激しい剣幕でまくしたてる。

 

 

 

金髪の少女

「這いつくばって拾えだなんて誰も抜かしてらっしゃらないでしょうが!」

「求めても無いのに勝手に身代(みのしろ)削って、『貴方のために頑張りました』だぁ!? 嫌味でしかござあませんのよ!!」

「せいぜい道端の有象無象に指差されて嗤われるだけの事がどれほど大切だってんですのよこのバカッ!!」

 

アンナ

「ひぃっ!? うぇ……えぐ……す、すす、す、い、ま゛……せ……」

 

カシマール

「イキナリナンダァテメー! アンナヲイジメンナラオレサマガアイテダ!!」

 

ルリア

「あわわ……、た、大変な事に……」

 

カタリナ

「待ってくれ! こちらの非礼は詫びるが、幾ら何でも言いす──ッ!?」

 

 

 

 ──少女の態度に堪りかね、カタリナと団長達がガラスも構わずアンナを助け出そうと踏み込んだ矢先……。

 ──いつの間にか、先頭に立つカタリナの眼前に黒髪の女性が立ち塞がり、恭しくお辞儀をしてみせていた。

 

 

 

カタリナ

「(今しがたまで、あの少女の傍らにいたはず……アンナや破片を挟んでいながら、こちら側まで一瞬で……?)」

 

黒髪の女性

「先程よりの無礼の数々、後ほど改めてお詫びいたします。」

「しかし、いまだ細かな破片が方方(ほうぼう)に残り大変危険です」

「直ちにカレーニャを黙らせますので、今しばし、辛抱の程お願い申し上げます」

 

 

 

 ──柔らかな調子でいて淡々とした口調で女性はカタリナ達を制する。

 ──呆気に取られるカタリナ達を意に介さず女性は手帳を取り出し、尚も何か怒鳴ろうとアンナを睨む少女の方へと向き直る。

 ──今度はやや厳しい抑揚で少女へ告げる。

 

 

 

黒髪の女性

カレーニャ。暴力行為、暴言、恫喝──各一点」

 

カレーニャ(金髪の少女)

「こんな事が何の……え、なっ……?」

「あ……」

 

 

 

 ──黒髪の女性が唱えると、「カレーニャ」と呼ばれた少女は急に我に帰った。

 ──そして自らの手の内の、蹴り飛ばされた子猫のようになったアンナを見ると、風船の如くその顔から気迫が抜けていった。

 ──そそくさとアンナをその場に立たせ直し、引っ張られた衣服を直してやってから少女は口を開く。

 

 

 

カレーニャ

「……コホン。大変……悪うござあましたわ。つい、カッとなってしまって……」

「ええと……こ、怖がらせてしまって、本当に……えー……ご、ごめん、なさ、い?」

 

 

 

 ──嘘のようにおとなしくなったカレーニャは謝罪の後、アンナを自身が乗る車椅子的な物体の一角に乗るよう促し、カタリナ達の元へ運んだ。

 ──よく見るとその物体は、ガラスで出来た宙に浮く椅子のような造りになっていた。これも恐らく、通りで見た魔導グラスの一種であろう。

 ――アンナを団長達の元へ届けると、黒髪の女性が改めて、カレーニャの頭を押さえつけるようにして揃って団長達へ深々と頭を下げる。

 ──黒髪の女性の視線に促され、カレーニャがやけに格式張った謝罪を唱える。

 

 

 

カレーニャ

「えー……この度は、些細な事故を拗らせて、お連れ様に怪我を負わせ、取り乱して手まで上げてしまい……えー、申し訳ござあませんでしたわ」

「えーですからー……ご迷惑でなければ、後始末を終えた後、この埋め合わせを致したく──」

 

ビィ

「いやあ、そこまで仰々しくしてくれなくても、わかってくれれば良いんだけどよぉ……」

 

カタリナ

「それより、ひとまずどこか落ち着ける場所を紹介してもらえると……」

 

アンナ

「ひっく……ぐす……」

 

 

 

 ──人付き合いに乏しいアンナには、見知らぬ者に面と向かって怒りを向けられるのは相当(こた)えたようだ。ルリア達に支えられながら、土砂降りの路傍に捨てられたように小さな震えが収まらずにいる。

 

 

 

黒髪の女性

「左様でしたら我々の──」

 

「よう。話はそろそろ済んだかい?」

 

 

 

 ──団長達の背後から突如、如何にも人並みの生活にも不自由していそうな、それでいて柄の悪い男が会話に割り込んできた。

 ──明らかに場違いな介入に、その場に居た一同の空気が濁る。雰囲気的なものだけでなく、事実、風上に立つ男からの臭気が微かに打ち寄せている。

 

 

 

「落ち着いたんならよお……落とし物、拾いたいんだろ? 手伝ってやるよ」

 

カレーニャ

「生憎、人数は足りてますの。それにそう気安く拾い集められるものでも──」

 

浮浪者

「手伝うっつってんだよ黙れ! 恩知らずは噂通りかこのクズ!!」

 

 

 

 ──支離滅裂な怒号と共に、男は懐から刃物を抜き出し一行に突きつけた。

 

 

 

ルリア

「っ!?」

 

ビィ

「何だこいつ、まともじゃねぇぞ!」

 

浮浪者

「テメーの持ち物なんだろう、そのキラキラしたやつはよぉ?」

「テメーのお飾りなんかより、俺の生活助ける方が世のため人のためだろうが!」

「テメーにはそんな事ちっとも解りゃしねえんだろうがなぁ、よお!?」

 

 

 

 ──男は据わりきった目で捲し立てる。その目は何故かカレーニャただ1人に向けられている。

 

 

 

カレーニャ

「ハァ……重ね重ね申し訳ござあませんわね。あんなのと出くわさしてしまって……」

 

黒髪の女性

「カレーニャ。皆様の案内を願います」

「あの方の引き渡しとグラスの回収、どちらも私の仕事ですので」

 

カレーニャ

「頼みましたわ。皆さん、一息つけそうな場所にお連れしますので、ここは……」

 

 

 

 ──言い終わる前に、既に団長とカタリナは男に対し構えていた。

 

 

 

カレーニャ

「ちょ、ちょっと……?」

 

ビィ

「何だかわかんねーけどよ、とりあえずあのオッサンを大人しくさせときゃいいんだろ?」

 

カタリナ

「いざこざを抱えていようと、生憎と私達は暴漢を前にして見過ごしてはおけない性分でね。ルリア、アンナを頼む」

 

ルリア

「はい!」

 

カレーニャ

「この方達……揃って人の話聞きゃあしませんのね。だそうですわよ、ドリイさん」

 

ドリイ(黒髪の女性)

「お心遣い感謝します。では、かの殿方の拘束までをお願いします。その後に、皆様は先にカレーニャと移動を。官憲への引き渡しやガラスの回収は、思いの外に手順を要しますので」

 

カタリナ

「心得た!」

 

 

 

 ──勝敗の行方については、詳述するまでもないだろう。




※ここからあとがき

 少し長くなりますが、カシマールの解釈について。

 もう一人の主役という事で積極的に発言させていますがこのカシマール、私の脳内解釈とはやや外れた在り方をしています。

 彼について、「独立した人格を持ったぬいぐるみ」なのか、「アンナの気持ちの一側面を代弁しているだけ」なのか。
 どちらとも判断をつけかねているのですが、どちらかと言えば後者「代弁してるだけ」かなと言うのが、筆者の見解です。

 普段の振る舞いはアンナ自身と違ってべらんめえで、他者ともしっかり会話可能なカシマールですが、

・Rアンナの出会いエピでは、アンナ本人と勘違いしたルリアの挨拶に対して無言。

・Rアンナフェイトでお腹が破けた際は、無事修復されるまで無言。

・水着アンナのフェイトでは、アンナが感じた不思議な気配をカシマール自身も感知している。

・ホワイトデーイベントでは、手紙の返事が待ち遠しい自分を恥じるアンナに「ワガママハホドホドニナ」と更にアンナの自粛を後押ししている。

 他諸々、一見するとアンナとは独立して応対しているようでも、その場でアンナが持つ(と思われる)感情を共有しています。

一方でアンナと異なる視点を持っているような描写もあります。
ダヌアとのクロスフェイトの冒頭、アンナが笑い話として「自分が最初、団長達を幻覚と思っていた」という件について話し、これにウケたグレーテルが茶化した際、カシマールが大声で反論しています。
この場合、自分から笑い話として切り出したアンナに対して、カシマールの対応はアンナと意向を同じくしていない様に感じられます。
しかし、似たような例は他に多くはありません。

 Rの出会いのエピソードで、アンナが団長達を幻覚と思いながらおっかなびっくり出迎えた際の「ラッシャイ!」はアンナとは異なる感情があるようにも取れますが、私はこれを、アンナが幻覚と疑いながらも「来客はもてなさないと」と思っている部分をカシマールが汲み取ったと解釈しています。

 つまりこの話の中での、カシマールの「アンナが溶けちまいそうだった」とアンナをからかう発言にアンナが不平を漏らす場面は、私の解釈とはやや外れる事になります。

 今後もカシマールが独立した感情から発言を行う場面があります。話の進行上、こちらの方が面白そうだからです。
 別に私の解釈は、「絶対独立した人格ではない」とまで確固たる考えでも無いので、これはこれで楽しみながら書いていくつもりです。


 話に関係なく、私の解釈を述べるなら、彼はどちらかといえば、友達としてアンナの意見を汲み取っているというより、アンナの感情をテレパシー的に受け取って、それを独自の文法に置き換えて発信していると言った印象が筆者の中では強いです。

 カシマールという独立した人格は無く、例えば、人見知りで口下手なアンナを心配したお祖母様が、代わりにスムーズな受け答えができるような一種の端末としてカシマールを作ったのかもしれません。

 最後に余談ですが、カシマールにホワイトデーのプレゼントを送った所、返ってきたメッセージカードはビィくんとスタッフ一同からの物でした。
 私の中で端末説がより色濃くなりました。


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3.5「6名様ご案内」

 ──浮浪者との騒ぎの後、カレーニャの案内で行き着いた先は、巨大な屋敷の中だった。

 ──客間に通された一行は、少し待っているようカレーニャに告げられ、各々席について時間を潰していた。

 

 

 

ビィ

「このソファすっげぇフカフカだぜ! 軽いオイラでも沈んじまうソファなんて初めてだ!」

 

ルリア

「ソファも凄いですけど、テーブルも真っ白で鏡みたいにピカピカです……!」

「あ、あの……テーブルの上の物は好きに食べてて良いってカレーニャさん言ってましたけど……」

「あの、当たり前のように置いてあるおっきなカゴ一杯の果物の事、ですよね……!」

 

ビィ

「クンクン……この匂い、やっぱり飾りじゃなくて本物だぜ。リンゴもたくさん入ってる匂いなのに、他の果物に隠れちまって殆ど見えてねえ……ゴクリ」

 

カタリナ

「待て二人とも。そもそも此処がどういう場所なのかもまだ知らされていないんだ。せめて彼女が戻ってくるまでは失礼のないよう大人しく待つべきだ」

「見ろ、アンナはこんなに大人しく……アンナ?」

 

アンナ

「……」

 

 

 

 ──屋敷の豪奢さに圧倒され興奮を隠しきれない二人と、逆に気後れを覚えるカタリナと、そして団長は、アンナが今の今まで一言も発していない事にようやく気がついた。

 ──路地での一件の時からずっと、彼女は俯き、髪に隠れた眉根を痛ましく寄せたままだった。膝下に置かれた手は固く握られている。

 

 

 

ルリア

「あ……」

 

カシマール

「ソーヤッテイツマデモキニシテンナヨ! アイツラガヨケナカッタノガワリーンダ!」

 

カタリナ

「むぅ……」

「アンナ。先程の件、気に病むのはわかる」

「確かに君にも非はあったかもしれない。だが、だからと言って君一人だけが悪い訳じゃない」

「君にも、あの場に居た私達にも、カシマールの言う通りではないが彼女たちにとっても、ほんの少しの備えや咄嗟の機転があれば避けられたかもしれない事なんだ」

「これは、言ってしまえば不運な事故なんだ。事故は、どうしたって起きる時は起きてしまう。それがたまたまこんな形で現れてしまっただけで、君が背負い込む罪なんてないんだ」

 

 

 

 ──ゆっくりと落ち着いた口調でカタリナが宥めるが、アンナの翳りは晴れない。取りこぼしたような頼りない声が返ってくる。

 

 

 

アンナ

「……だけど……あんなに、欠片がたくさん……きっと、凄く大事な物なんだ……代わりの物なんて……ボ、ボクが、謝ったくらいじゃ……」

 

 

 

 ──伏せられたアンナの視線は誰も見ていない。握った拳が小刻みに震えている。

 ──カタリナは、その手にそっと手を添えて、アンナの顔を覗き込みながら苦笑してみせた。

 

 

 

カタリナ

「何を言ってるんだアンナ。誰か、君一人に責任を取れなんて言っていたか?」

 

アンナ

「え……?」

 

カタリナ

「もう一度言うぞ。あれはあの場に居た全員、ほんの少しの工夫や機転があったら避けられた事だ。だったら、この始末は皆で分かち合って付けるべきものだ」

「もしアンナが心配する通りに、これが思いもよらない大事(おおごと)だったとしてもだ。起きてしまった事は戻せない」

「だから私達はもちろん、あの二人も、お互いに自分の背負う分がどれほどか、これから確かめるんだ」

「彼女たちだってそのつもりのはずさ。本当にアンナだけが悪いというつもりなら、こんな立派な場所まで連れてきてもてなす必要なんかないのだから。なあ、団長殿?」

 

 

 

 ──少し冗談めかして、カタリナが団長に視線を向ける。つられてアンナもようやく顔を上げ、団長を見つめている。

 

主人公(選択)

 

・「困った時はお互い様!」

 

・「守ってみせる! 団長だもの!」 

 

 

 

→「困った時はお互い様!」

 

 

 

ビィ

「そうだぜ! こんな時助けられなくて、何のために一緒に旅してるってんだ!」

 

ルリア

「わ、私も……何もできないかもしれませんが、アンナちゃんの傍についていてあげるくらいなら……!」

 

アンナ

「団長さん……皆……」

 

カタリナ

「今は慣れない土地で少し疲れているだけだ。まずは心を落ち着けよう。一人で悩んでみたって、何か変わる訳じゃないだろう?」

 

ビィ

「なぁなぁ。それだったらやっぱりテーブルの果物食べちまおうぜ!」

「オイラ達まだこの島に来て何も食べてないしよ!」

 

ルリア

「賛成です……! 食器と取り皿も、ちゃんとたくさん用意されてますし……ね、カタリナ?」

 

カタリナ

「全く。ルリアもビィくんも自分が食べたくてしょうがないだけじゃないのか……?」

「まあ、そこまで至れり尽くせりなら、そういうことなのかもな。辺りを汚したりしないよう、落ち着いてだぞ?」

 

ルリア

「ハーイ! それじゃあまずはアンナちゃんの分ですね」

 

ビィ

「だったらあの辺から取るのが良いぜ。下にリンゴがぎっしり隠れてんだ!」

 

 

 

 ──フルーツ崩しに夢中になる二人を見て、ようやくアンナの体から力が(ほど)けた。

 

 

 

アンナ

「クスッ……ごめんね、カタリナ。ボク、確かにちょっと疲れてたみたい」

 

カタリナ

「元気になってくれたなら何よりだ。しかしだ、アンナ。そういう時は──」

 

 

 

 ──その時、客間の出入り口の方……設えも蝶番の具合も一級品の扉が、わざとらしくキィと鳴った。

 

 

 

カレーニャ

「あのぉ……ものっすっご~く、入りにくいのですけれども」

 

カタリナ

「あ……ああ、お気遣い感謝する。丁度、落ち着いたところだ。気づかず失礼した……」

 

 ──こんな時は、先に「ありがとう」を言うのが粋である。不意打ち受けて言う相手を間違えなければなお良い。

 

 




※ここからあとがき

 このパートは蛇足かと思い一度削除しましたが、せっかく書いたのだしと、改めて幕間として挿入投稿しました。
 もしかしたら前後の話と若干、文章の脈絡がズレているかもしれませんが、「有っても無くても大きな支障の無かった出来事」として、おかしな所は脳内で調整していただければと。


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04「カレーニャ・オブロンスカヤと魔導グラス」

 ──団長達一行はカレーニャに連れられ、巨大な屋敷の客間へと通されていた。

 ──テーブルの上には来客のためのフルーツ盛り合わせ。今はルリアとビィが神妙な面持ちで注意深く頬張っている。

 ──二人の視線の先にはカレーニャとアンナ。傍らには救急箱。カレーニャが絹細工のように白いアンナの指に包帯を巻いている。

 

 

 

カレーニャ

「はい、おしまい。申し訳ありませんが治療の魔法は全く心得ござあませんので、後の処置は然るべき人と場所にお願いしますわ」

 

カタリナ

「とんでもない、こちらこそ──」

「それに、それほど深い傷でも無いのにそんなに慎重な手当をしてくれるとは……」

 

カレーニャ

「硝子で出来た傷というのは、細かな欠片が傷口に入り込みやすいものですから。幸い、今回はその心配は無いようですわ」

 

アンナ

「……」

 

 

 

 ──アンナは治療を受けた自分の指先を見つめている。正確には、カレーニャの方を見れないでいる。涙も、震えも、傷口の血もとっくに治まっていたが、表情は今にも痛みを訴えて蹲りそうな程に暗い。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ殿……だったな。ここまで案内して早々、有無を言わせずアンナの治療を申し出られたが……本題はここから、という認識でよろしいだろうか?」

 

 

 

 ──カレーニャの注意をアンナから逸らすかのように、声低くカタリナが語りかける。

 ──団長達はカレーニャが落とした物をハッキリとは見ていない。しかし破片の量からして、相当な大きさのガラス細工である事は明白だった。そうそう手に入る品で無いことは考えるに難くない。アンナが塞ぎ込んでいる原因もそこにある。

 ──財物というモノは金銭以上に持ち主の思い入れが関わる事を団長達はよく知っている。それを喪わせたとあれば、事と次第によっては……。

 ──慣れない緊張にビィとルリアは自分達が物を食べている事も忘れてムシャムシャとカレーニャの動向を伺っている。

 ──しかしカタリナ達の態度とは裏腹に、カレーニャはまるで他人事のように飄々としている。

 

 

 

カレーニャ

「そうなのですけれど、ドリイさんが戻ってくるまではちょっとお話のつけようがねぇ……」

「それにしても辛気臭いったら。せめてまずは──」

「お茶にしませんこと?」

 

 

 

 ──今、カレーニャが座っているのは屋外で腰掛けていた物とは違う、この部屋に元から有った木製の上等な安楽椅子。

 ──その手すりに埋め込まれた透明な球体を撫でると、客間の扉がひとりでに開いた。

 ──そして、扉の先には透明な物体がいくつも待ち構えゾロゾロと、しかし静かに客室の各所へ散っていく。まるで団長達を取り囲むように……。

 

 

 

ビィ

「んなっ、何だコイツら。コイツらも魔導グラスってやつか!?」

 

ルリア

「人みたいな形に、宙に浮いてるのや、車輪が付いてるのも……」

 

カタリナ

「なっ……! カレーニャ殿、これは一体どういう……!」

 

 

 

 ──見慣れぬ物体の物々しさに、反射的に警戒心が先立ったカタリナが声を荒げた。もしも彼らの居場所がマフィアのアジトで、目の前に座するのがその首領であったなら……と考えれば、共感するに十分だろうか。彼らはまだ、カレーニャ達の素性を知らないのだから。

 ──透明な物体達は明らかに来客の存在を意識して動いている。1人につき2~3体。それぞれに距離の置き方は異なるが、統制された無駄のない動きで一行を捕捉している。まるで軍隊のように……。

 ──当然、事態に気付く余裕があるかも怪しいアンナの元にも透明な影がにじり寄っていく。

 

 

 

カレーニャ

「だぁからそういう辛気臭いのはよして下さあましな。見てりゃあ解りますわよ」

 

ルリア

「カ、カ……カタリナッ!!」

 

カタリナ

「ルリアッ!? どうした、大丈……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルリア

すごいよカタリナ! この子たちお茶いれてくれてます!!

 

カタリナ

「オチャだとぉっ!? クッ……!」

「ん……お、お茶?」

 

 

 

 ──振り向いたカタリナの視線の先では、ルリアの隣に立つ透明な台車のような物体が、自らの上に乗った透明なポッドから、透明でなくボーンチャイナを思わせる上等な皿に乗った、これまた上等なカップに琥珀色の液体を注いでいた。

 ──空を飛ぶ個体群は、伸ばした腕のようなパーツを器用に操り、皿に果物をよそってお代わりを運び、その内の1体はテーブルから距離のある団長の元にまで健気に果物を届けている。

 ──更にルリアの傍らへ、絨毯を滑るように移動したチェスのコマのような物体が、どこからともなく見るからに滑らかな布を取り出し、果汁まみれのルリアの口元を優しく拭っている。

 ──程なくしてビィの歓声も響いた。こちらもほぼ同様の状況である。

 

 

 

主人公(選択)

・「すごいよカタリナ!」

・「あ、どうも。いただきます」

 

→「すごいよカタリナ!」

 

 

 

カレーニャ

「物々しい(モノ)着けて何を想像してましたの」

「聞こえませんでした? 『お茶にしませんこと』」

 

カタリナ

「い、いやその……失礼した」

 

 

 

 ──不敵にニヤつくカレーニャに手玉に取られたような気分を覚えながら、バツ悪く席に付いたカタリナと、隣のアンナの元へティーカップが添えられた。

 ──二人の傍らについた台車的な物体の上にはクッキーやスコーンと思しき茶菓子も添えられている。

 

 

 

カタリナ

「ああ、ありがとう」

「……色々聞きたい事はあるがとりあえず……今この部屋に招き入れた、その──彼ら? は一体……」

 

 

 

 ──思わず硝子達に礼を返しつつ、カレーニャに向き直るカタリナ。

 

 

 

カレーニャ

「先ほど何方(どなた)だったかが言った通りですわ。この島で、動く硝子と言ったらただ1つ」

 

カタリナ

「あれも魔導グラスと言う訳か。しかし言葉を返すようだが──」

「客をもてなすつもりと言うなら、全く道具ばかりと言うのはどういう……これ程の屋敷なら使用人くらい雇っていても──」

 

カレーニャ

「あらごめん(あさ)あせ。これが我が家流のもてなし方ですの。何せこのお屋敷、魔導グラスの他にはさっき貴方方が手伝ったドリイさんと、家主の私二人こっきりですから」

 

カタリナ

「ふ、二人きり!? この部屋に来るまでに見ただけでも数十人がかりで管理するような規模だぞ。まさか、全部魔導グラスが……?」

 

カレーニャ

「ええ。魔導グラスは決まった仕事が得意ですの。それもちょっと融通効かせたいくらいの小難しい仕事が特に。掃除、修繕、料理、応接、どれも人類顔負けでしてよ」

 

カタリナ

「そ、そうなのか……」

 

 

 

 ──カタリナの言葉には、単純な驚き以外のものが含まれていた。

 ──街を歩いていた時の事が頭をよぎった。目に留まった物だけでも、荷物や郵便物の運搬を請け負っていた。魔導グラスはこの島のインフラを支えているのだ。

 ──そして人の手は最低限に、屋敷一件にかかる全ての仕事までこなしてみせる。幾ら存分に普及しているとはいえ、こんな便利な物が二束三文な訳がない。

 ──実質一人で広大な敷地を構え、大量の魔導グラスを所有するこの少女がつい先程まで持っていた品。もし魔導グラスであったなら……。

 ──そこまで思案を巡らせた今、カタリナにはすぐ隣のアンナに目を向けづらい。

 

 

 

カレーニャ

「それで……ちょっと貴方。アンナさんで良いんですわよね」

 

アンナ

「ぅ……はい」

 

カタリナ

「(来たか……!)」

 

 

 

 ──か細く、どうにか絞り出したような返事を返すアンナ。

 

 

 

カレーニャ

「貴方、会った時からしんどそうな顔してばかりですけれど、もしかして生まれつきそういう(かんばせ)ですの?」

「それとも人と顔合わせるのが苦しくってしょうがないとか……?」

 

カタリナ

「え? あ、いや、確かにアンナは少々人に慣れていない所はあるが、これはその……」

 

カレーニャ

「ハァ……まあそれは良しとしますわ。とりあえずコレ、受け取ってくださあますこと?」

 

 

 

 ──二人の前に腕が伸び、そっと何かを置いた。

 ──台車型の魔導グラスが。

 

 

 

アンナ

「……?」

 

カタリナ

「これは……ミルクティー……か、何かに見えるが……」

 

カレーニャ

「それ以外何に見えますってんですの。我が家自慢の配合ですの。折角淹れたんですもの。ご賞味願いますわ」

 

カタリナ

「あ、ああ。ご厚意は有り難いが……生憎、今はそういう気分では……」

 

アンナ

「ボ……ボクも、あの……」

 

 

 

 ──やや低く、ゆっくりと。擬態語を添えるなら「ぴしゃり」といった具合にカレーニャが言葉を被せた。

 

 

 

カレーニャ

「アンナさん。それとそちら、さっき『カタリナ』さんと呼ばれてましたわね?」

(わたくし)が待機させた魔導グラスを部屋に入れる前、私なんて言いました?」

 

アンナ

「ぇ……あ、ぇと……ぅ……?」

 

カタリナ

「確か、『お茶にしないか』と──」

 

カレーニャ

「その前!」

 

カタリナ

「その前……ええと……ああ、『辛気臭い』だったか──」

 

カレーニャ

「そうソレ!」

「だのに何ですのさっきから。自分からお手手切り刻んだ後は、未練たらしく頑固に辛気臭さ垂れ流して──」

「一体どこの何方のためにわざわざそんなマネなすってますの?」

 

アンナ

「ぅ……」

 

カタリナ

「そんなつもりは断じて無い。しかしだな……!」

 

カシマール

「サッキカラエラソーナクチキキヤガッテ! スコシハアンナノキモチモカンガエヤガレ!」

 

カレーニャ

「……?」

 

 

 

 ──カレーニャが怪訝そうな顔で、挟まれた口の行方を探した。

 ──路地でも大声を挙げていたカシマールだが、彼女の眼中(あるいは耳中)には無かったようだ。

 ──程なくアンナの手元のぬいぐるみから発せられたものと気づくカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「あぁら、持ち主と違って話の解るぬいぐるみですこと」

「お言葉ですけど、貴方がたこそ今は私の気持ちを──」

 

アンナ

「良いの、カシマール! カタリナも、ありがとう……」

 

カタリナ

「アンナ……」

 

アンナ

「その……ご、ごめん、なさい。お、おお茶……いただきます」

 

 

 

 ──アンナは初めから参ってしまっている。

 ──カタリナと団長もアンナをフォローするつもりでいたが、魔導グラスの闖入でペースを乱され主導権を握られてしまった。

 ──アンナとしては、憔悴の余りに黙って従う事を選んだだけかもしれない。これで話し相手が屈強なならず者か、はたまた詐欺師や怪しげな宗教の使いなら、飼いならされる序章である。

 ──とは言え、ここで変に言い争ってもかえって拗れるだけだ。まずは場を仕切り直す事が先決。

 ──カタリナも団長もそう判断し、アンナの献身に複雑な思いを抱えながら、ほぼ同時に茶を口に運んだ。

 

 

 

アンナ

「ン……」

「……ッ!?」

 

カタリナ

「こ……れは……!」

 

主人公(選択)

・「おいしい!!」

・「甘っ!!」

 

→「おいしい!!」

 

アンナ

「すごい……ホッとする香り……」

 

カタリナ

「機械的に作っているだけだろうと思ったが……驚いたな」

 

カレーニャ

「少しは落ち着きまして? ”暴漢を退けた腕利きの皆様”」

「どんだけ貴方がたが息巻いてるのかとんと興味ござあませんけれど、話したい事があるなら、少なくともそのカップ一杯飲み干す事ですわ」

「それまでこっちも実のある話する気はござあませんので、悪しからず」

 

 

 

 ──カタリナ達は、その態度はどうあれ、今カレーニャが求めている所を察した。

 ──被害者が目の前に居るとは言え、一行は今の今まで、割れた硝子の事で頭が一杯だった事に気付く。

 ──そして、言葉にはせずとも、カレーニャが彼らの胸中にあるものを見抜いていた事も。

 

 

 

カタリナ

「……重ね重ね失礼した。年長者として、情けない限りだ」

 

カレーニャ

「だぁからそれが辛気臭いと言ってますの。ほら飲んだ飲んだ」

 

カシマール

「ソレジャヨッパライミタイジャネーカ」

「ツーカ! ソレナラアンナヲイジメルヒツヨウネージャネーカ! カオガドートカ、オレサマチャントキーテタゾ!」

 

カレーニャ

「ま、ちょぉっと物言いが過ぎたのは認めましょ」

「ぬいぐるみさん方があんまりウダウダするものですから、つい──ねぇ?」

 

カシマール

「ンダトォ!? ソレト、オレサマノナマエハ『カシマール』ダ!」

 

アンナ

「い、良いのカシマール。ボクは気にしてないから……あれ、どうしたの二人とも?」

 

 

 

 ──いつの間にかアンナの傍らにルリアとビィが立っていた。手に持った皿をアンナの前に置くルリア。

 ──ビィが引き連れる魔導グラス達は、色とりどりのボトルを抱えている。

 

 

 

ルリア

「あ、あの、魔導グラスさん達、お菓子も沢山持ってきてくれて──」

「アンナちゃんも、お一つどうぞ」

 

ビィ

「なぁなぁ、こいつら頼んだらジュースも持ってきてくれたんだ。相棒(オマエ)も一緒に飲もうぜ!」

 

カタリナ

「持ってきた? カレーニャ殿、これはもしや魔導グラスが勝手に──」

 

カレーニャ

「融通が効くでござあましょ? そういう仕事が得意ですの。魔導グラスはね」

 

 

 

 ──やや饒舌にアンナ達に茶菓子を振る舞うビィとルリア。アンナが小さな声で語りかける。

 

 

 

アンナ

「あ、ありがとうルリア。し、心配してくれてるんだよね」

 

ルリア

「……言い合ってる感じなのは何となく解ってたんですけど、私じゃどうしたら良いかわからなくて……ごめんなさい」

 

アンナ

「ううん、大丈夫。とっても嬉しいよ、ルリア」

 

 

 

 ──しばし砕けた硝子の事は忘れ、一行は茶会を楽しんだ。

 ──その頃……。

 

 

 

ドリイ

「──既に登録済み。間違いありませんね」

 

 

 

 ──既に屋敷に戻っていた、カレーニャの付き人ドリイ。

 ──遠くで茶会の歓声が聞こえる中、炊事場のような一室で手の中の物をじっと見つめている。

 ──手袋の上では、ビー玉程の大きさの深く鮮やかな紅色の物体が、窓からの光を浴び淡く輝いていた。



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05「落とした物は?」

 ──茶会の賑わいも一段落し、茶菓子も交えて気分も落ち着いた団長達一行。

 ──当初よりも大分余裕をもって、改めて砕けた硝子の件を切り出した。

 

 

 

カタリナ

「──さて、カレーニャ殿。私達が出会った時の事なのだが……」

 

カレーニャ

「敬称は結構ですわ。体裁気にするような相手はこの屋敷にゃおりませんので」

 

カタリナ

「そうか。では、カレーニャ」

「都合が良いように聞こえるかもしれないが、これだけの待遇を受けた後という事も踏まえると、我々は穏便に話し合う事ができる。そう期待しているのだが、如何だろうか」

 

 

 

 ──カタリナの問いに、何故か可笑しさを堪えるような態度でカレーニャが答える。

 

 

 

カレーニャ

「穏便も何も……ねぇ」

「そうですわねぇ。さっきも言いましたが、訳あってドリイさんが戻らない事には……あ、そうだ♪」

「ねえアンナさん。そもそも貴方がた、何をそんなに畏まってらっしゃいますの?」

 

アンナ

「え……ボ、ボボ、ボク?」

 

カタリナ

「カレーニャ? 何故も何も我々は君の……」

 

 

 

 ──ニタニタした笑顔を隠しもせず、手を突き出してカタリナの言葉を遮るカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「ストォーップ。ダメですわカタリナさん。(わたくし)はアンナさんに尋ねていますの」

「それでアンナさん、お聞かせ願えるかしら?」

 

カシマール

「オイテメー、ヤッパリアンナヲイジメルキカ!」

 

カレーニャ

「お黙り”パリカール”。私はただ、誰が話しても同じになる話を聞こうとしているだけですのよ」

 

カシマール

「”カシマール”ダ!!」

 

アンナ

「だ、大丈夫だよカシマール……えっと、ね。その……」

「そ、そその、そ、それ、それは、わ、あの……」

 

ビィ

「本当に大丈夫かぁ……?」

 

アンナ

「だ、だだ、だ大丈夫…!」

「あ、あの、ボ、ボクが、その……カレーニャの、も、持ってた硝子……わ……割っ、ちゃった、から……です……」

 

カレーニャ

「あら、そうなんですの?」

 

カタリナ

「そうなんですのって……カレーニャ、ふざけないでもらいたい!」

 

カレーニャ

「クスクス……お気持ちはご(もっと)も。自分が何言ってるかは理解してるつもりですわ」

「でも、断じてオふざけてはござあませんわ。馬鹿げているとはお思いでしょうが、どうぞお付き合い下さいな」

「アンナさん。重ねてお聞きしますけれど、私の持ってた硝子とやらが割れた所、はっきりご覧にでもなりましたの?」

 

アンナ

「う、後ろ向いてたから……は、はっきりとは、見て、ない……です……」

「け、けど……割れた音は、ちゃ、ちゃんと聞こえたし、それに……それ、に……足、元に……欠片が……沢山……」

 

カタリナ

「……ッ、カレーニャ、これ以上は……」

 

 

 

 ──アンナの声色がどんどん沈んでいく。先程の光景がどれほど心に刺さっているかは明白だった。

 ──見かねてカタリナが割って入ろうとするが、カレーニャはまるで意に介さず上機嫌で答える。

 

 

 

カレーニャ

「あぁらやっぱり見てらっしゃらなかったのですわね」

「ご心配なく。上辺が御綺麗(おきれい)だからって見かけ通りの物とは限りませんのよ」

「あれは不良品のただのガラス細工。ほら、プラトニアは魔導グラスが有名でしょう? だからお土産物として普通の硝子細工も結構流通してますの」

「ご存知かしら。工場とか大量生産してる所だと、お店に出せない不良品のサンプルを取っといて、従業員に周知させるんですってよ」

「『こういうのを見つけたらすぐさま放り捨てるように』って。あれはそんなサンプルとしての役目も終わった『不良品の不要品』ですの」

「一周回って芸術的なくらい歪んでましたから、私懇意にしてるそのお店から面白半分で譲り受けただけ。だから思い入れはもとより資産価値だって……」

 

カシマール

「ナンダヨソレ! ダッタラアンナガブタレタノハナンダッタンダヨ!」

 

カレーニャ

「お黙りと言ってますわよ”カリバール”。あれはもう謝罪しましたでしょう」

 

カシマール

「”カシマール”ダッテノ!!」

 

カレーニャ

「いいことアンナさん? あの件については……まあ、確かにちょ~っぴり、やり過ぎました。けど、これだけは言っときますわよ」

「幾らあの場で精一杯頑張ったつもりでもねえ、傷だらけの手で血に薄汚れた欠片を『ハイどうぞ』なんて差し出されて御覧なさいな。私どういう顔で受け取れっつう話ですのよ」

 

アンナ

「う……ごめんなさい」

 

カレーニャ

「敬語は結構!」

 

アンナ

「うぐ……ご、ごめん…ね、カレーニャ」

 

ビィ

「うへぇ……じゃあオイラ達、取り越し苦労だったって事か?」

 

カタリナ

「手に入れたばかりの品を損なわせてしまった点については、申し訳ないのは事実だが……値が付くような物でなく、当人の様子からして特段気に入ってたという風でも……」

 

カレーニャ

「そーいうこと。だのに、そーんなガラクタを必死に手ずからすくい上げて自分から痛い目見ようだなんてなったら、そりゃあ──」

 

アンナ

「で、でも……嘘、だよね……」

 

カレーニャ

「……?」

 

ルリア

「アンナちゃん……?」

 

 

 

 ──アンナの声は、カレーニャの質疑に答え始めた時より輪をかけて弱々しい。

 ──だがそれは硝子が割れた瞬間を思い出したからではない。

 ──むしろその抑揚は落ち着き払っている。視線は下を向いているが泳ぐ様子はなく、何かしらの意志を感じさせる。

 ──その顔は本日何度目かの翳りが差しているが、焦りや恐れによるものではなく、哀しみを孕んでいる。

 

 

 

カレーニャ

「嘘なものですか。何ならお見せしましょうか? 私の珍品コレクショ……」

 

アンナ

「嘘だよ……だ……だって、あれ……」

「ま……魔導グラス……でしょ?」

 

カレーニャ

「……!?」

 

 

 

 ──カレーニャの意地の悪そうな笑顔が一瞬、スッと消えた。その喉から溢れた文字にならない声のニュアンスは、What。即ち「何を言っているんだ」ではなく、Why。即ち「何故言っているんだ」とでも表現する方が近かった。

 ──しかしそれらは本当に一瞬の事で、カレーニャはすぐさま元の顔を取り繕った。

 

 

 

カレーニャ

「あ、あらまあ。ただの硝子細工が、今際の際に随分お高く見積もってもらえました事……」

 

カタリナ

「いや。私は……もとい、私達はアンナの言い分を信じる」

 

カレーニャ

「な……根拠は?」

 

カタリナ

「根拠と言えるほど、確かなものはない」

「ただ、アンナは君達と出会う前、町中に溢れる品々から建物の一軒一軒に至るまで、それらが魔力で出来ていると言っていた。その組成から、魔力がどの程度含まれているかまで事細かに見分けていた」

 

カレーニャ

「んな……!?」

「つ、つまり貴方がた、そのお話を信じると……?」

 

ビィ

「あったり前よ! アンナは知ったかぶりするようなヤツじゃないぜ!」

 

ルリア

「アンナちゃん言ってました。魔導グラスやアクセサリーは全部魔力から出来てて、確か……お家とかが、半分くらい石や木が使われてるって」

「合ってますか、カレーニャちゃん!」

 

カレーニャ

「ちゃ、”ちゃん”……!?」

「ン、ンォッホン……ハァ。驚いた」

「旅行者がそこまでお目が高いなんて、思いつく訳ありませんわ……」

 

ルリア

「じゃ、じゃあ、やっぱり……でも、何で急に嘘なんて?」

 

 

 

 ──ルリアの言葉を聞くや益々顔を俯けるアンナ。その様子を見たカタリナが何かを察する。

 ──カタリナもまた、申し訳なさそうな面持ちになり、カレーニャに語る。

 

 

 

カタリナ

「なあ、カレーニャ。もしかして私達が砕いてしまった物、本当に貴重な物だったのではないか?」

「君の言う思い入れにせよ、値打ちにせよ……恐らく、普通の魔導グラスとでは比べ物にならないような」

 

カレーニャ

「え゛……?」

 

アンナ

「……」

 

カタリナ

「理由は……まさか割り込んで来た暴漢から助けた、という事では無いな。元々、ドリイ殿一人で対処する自信があったようだし」

「だがどんな理由にしろ、君は魔導グラスを駄目にした私達を不問とする事にした」

「しかしそのまま事実を伝えて放免したのでは私達に多大な罪悪感を残してしまう。特に、図らずも原因となってしまったアンナはあの有様だった」

「だから、お茶会で緊張を解し、悪ふざけを交えて、『あれはただのガラクタだった』と」

「多少の疑問は残っても押し通してしまえば、私達は誰も実物をハッキリと見ていないし、見ていたとしても──予定通りなら──その価値を確かめようもなかった」

「そうして私達をただ些細なトラブルに巻き込まれただけと思い込ませるため、こうして一芝居打ってくれた。……と言うのは、考えすぎだろうか」

 

 

 

 ──しんみりとした空気が緞帳のように辺りを覆う。全員の目が複雑そうにカレーニャに集中する。

 ──カレーニャは返す言葉に迷っているようだ。ただし、何とも言えないやや引きつった顔をしている。なんなら、こめかみから頬の辺りに冷や汗でも伝っているかもしれない。

 

 

 

カレーニャ

あ……あれぇ……?

「あ゛……あぁ~~~っと……その……ですわねぇ」

 

ビィ

「お、おい……じゃあ今までのって……」

 

カレーニャ

「い、いや、そうでは無いんですのよ! ホント……」

 

ルリア

「カレーニャちゃん! 本当の事、教えてください!」

 

カレーニャ

「ああのですから、本当の事であってそんな嘘なんてそれほど……」

 

アンナ

「ご……ごめんなさい。カレーニャ……」

 

主人公(選択)

・「カレーニャ……」

・「何か様子がおかしいような……?」

 

→「カレーニャ……」

 

カレーニャ

「んっだぁ~~~~もう! ちょっとお待ちなさい貴方がた!」

「もぉ~……ドリイさんは何してますのよ!?」

 

ドリイ

「お待たせしました」

 

 

 

 ──カレーニャの絶叫が終わるか終わらないかの内に、客間の出入り口から声が届いた。

 ──路地で出会った(たお)やかな黒髪の女がそこに立っている。紳士が着けるような気品漂う純白の手袋。そしてその手には刃物も通さなそうな武骨な麻袋が握られ、恐らくその中に件のガラス片が治まっている。

 ──お互いへ視線が釘付けだったカレーニャと騎空団一行から、客間の扉は完全に視界の外であった。

 

 

 

カレーニャ

「ドリイさん……あなた、いつからそこに?」

 

ドリイ

「丁度、『カシマールダ』というお声が扉の外まで届いておりました」

「どうやらお取り込み中のようでしたので、お邪魔にならぬようそっと扉を開けて、それからはずっとここに」

 

カレーニャ

「と、言う事は……」

 

ドリイ

「ええ、カレーニャ」

 

 

 

 ──ドリイは嬉しそうに優しそうに、ニッコリと顔を綻ばせた。

 

 

 

ドリイ

「虚言並びに偽証、不当な圧力、その他淑女に相応しからぬ行為言動、各一点。いずれも初の科目ですよ」

 

カレーニャ

「不当ですわ! 誰のせいでここまで腹芸引き延ばしたと思ってますの!」

 

ドリイ

「明らかに個人的な利益を企図しており、極めて悪質です」

 

カタリナ

「ちょちょ、ちょっと待った。何やら取り込み中の所すまぬが、二人はさっきから何の話をしてるんだ?」

 

ドリイ

「~~~~~ッ……! もう、ッグダグダですわ!!」

 

 

 

 ──カタリナが口を挟み、ようやく一行の存在を思い出した様子のカレーニャが、明らかに機嫌を損ねた様子でドスドスとドリイへ歩み寄り、その手から袋をふんだくる。

 ──そしてそのまま、茶会をしていた席へドッカと腰を下ろし一行を呼び寄せ、テーブルに置いた袋の口を開く。中にはやはりあの大量の欠片が納まっている。

 ──促されるまま対面の長椅子に一同がかけると、カレーニャが憂さ晴らしか空気を無理やり切り替えたいのか、盛大に咳払いをしてから……

 

 

 

カレーニャ

「とにかくッ、今までの話一旦置いといて!」

「アンナさん。そもそも私、貴方に何されたんでしたかしら!?」

 

アンナ

「え…? だ、だから……ボクが、カレーニャのも、持ってた硝子……割っちゃって……」

 

カレーニャ

「あぁらそうなんですの。なら教えてくださいますこと? その割れたガラスとやらが──『どこにあるのか』!」

 

 

 

 ──カレーニャが言い終わる前に、「ガチャリ」と音が響いた。

 ──言葉を理解する前に事実が目の前に現れていた。カレーニャの手の上数センチの空間。人の頭程の大きさの透明な球体が、内部に虹色の光を波打たせながら、打ち付けたように宙で静止している。

 ──膨らみのあったテーブルの上の袋は中身を失い、今丁度しぼみ始めた所だった。

 

 

 

アンナ

「だ、だから、硝子……は……え?」

 

ルリア

「い……今、何が……?」

 

カタリナ

「袋の中の破片が消えて、カレーニャの手元に硝子のような……という事は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一行

えぇーーーーーッ!?

 

 




※ここからあとがき

 念の為に捕捉しますと、アンナの「魔力で出来たアイテムを解析できる」と言った能力は完全に本作でのオリジナル設定です。

 話を進めるために付け足したもので、原作にそのような描写は(筆者の知る限り)一切ありません。
 ただ、水着フェイトにてアンナだけに見える何かを知覚し会話していた描写があり、そこからあれこれ添加したもので、あくまでも二次創作ですので何卒大目に。

 せめてもの言い訳として、「まともな勉強した魔法使いなら誰でも出来る」のか「アンナだけに備わった能力」なのか、その辺は曖昧なまま描写する予定です。


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06「オブロンスカヤとドリイ・クレアヴナ」

 ──砕けた硝子が、目の前で元通りに戻った。

 ──団長達は、ドリイを交えて一連の出来事の説明を受けていた。

 

 

 

カタリナ

「つまり、まとめるとこういう事か……?」

 

 

 

 ──困惑と苦々しさと呆れの混じった顔でカタリナが語る。仲間達も大体同じ様な表情をしている。

 

 

 

カタリナ

「私達が砕いてしまった……その今キレイな形で浮いている魔導グラスは、確かに大切な物ではあった」

「だが、元々それは『簡単に砕ける』ように出来ていて、なおかつ『簡単に元通りになる』ように作られていた」

「しかし屋外で砕けてしまうと、そのまま修復させると砂などの不純物を巻き込んでしまうため、一旦回収して汚れを落とす必要がある」

「修復する前に私達と別れてしまっては、要らぬ後ろめたさを抱かせかねない。だから私達を引き止め屋敷に案内し、何も問題は無いと説明するためだった……と」

「確かに、先程アンナの治療を念入りに行ってくれた事も、微細な破片を回収するためと考えれば合点が行くが……」

 

ビィ

「でもそれってよぉ、普通に口で説明すれば十分だったんじゃねぇか?」

 

カレーニャ

「すぉ~~~~んな事は今になったから言える事ですわ。何も知らないまま『割れた硝子は元通りになるんです』なんて言われたって貴方がた、幾らお人好しそうな面構え並べなすってたってそうそう鵜呑みにはなさらな──」

 

ドリイ

「きっと、皆様の前で修復を実演してみせて感動と安堵の眼差しを集めたかったのではないかと」

 

カレーニャ

「じゃ、邪推でしてよドリイさん!」

 

 

 

 ──誰ともなく、「うーん」といった感じの呻きが漏れる。

 

 

 

カタリナ

「つまり、『砕けたのはただの硝子』という一点が嘘である、と……で、そんな作り話をした理由というのが……」

 

ドリイ

「はい。私が些事を片付け欠片の洗浄を終え、客間に運ぶまでの時間稼ぎかと」

「引き延ばしのために野放図についた嘘で、謂れのない同情を集め進退窮まり──」

「偽証一点」

 

カレーニャ

「それさっきまとめてカウントなさったでしょうが。サラッと上乗せしてんじゃござあませんことよ!」

 

ルリア

「あのぉ……最初に会った時から気になってたんですが、その『ぎしょーいってん』とかって何ですか」

「カレーニャちゃんが大人しくなったり……何かの呪文でしょうか?」

 

ドリイ

(わたくし)はカレーニャの『保護監査官』ですので、こうしてカレーニャに礼儀作法に反する行いが発覚するたび記録し、罰則として……」

 

カタリナ

「ま、待ってくれ。その『保護監査官』というのも耳慣れぬ言葉だ」

「そもそも君達の名前は成り行きで知れたが、君達が何者なのか全く知らないんだ。自己紹介してくれるのなら、いっそ細かく説明を願いたい」

 

 

 

 ──ドリイが「はて」とでも言いたげに小首を傾げた。よほど予想外だったのか。しかしどこかわざとらしげでもある。

 

 

 

ドリイ

「カレーニャ。まだ我々についての自己紹介は──?」

 

カレーニャ

「ああ……色々やってる間にすっかり忘れてましたわ」

 

ドリイ

「その他マナーに(もと)る行為言動、一点」

 

カレーニャ

「ミスですわよ、純然たるミス! 過失! これから話すから取り消しなさい!」

 

カタリナ

「あー……ドリイ殿。その点数は恐らく何か、お仕置きの類に思われるが、僭越ながら許してやってもらえまいか。言われてみれば私達も翻弄されるばかりで、名乗るのをすっかり忘れていた」

「それと、差し支えなければ先にこちらから貴殿達に自己紹介させてほしい。ここに来てから受け身になってばかりなものでな」

 

ドリイ

「あら。そういう事でしたら仰せのままに」

 

 

 

 ──団長達の簡単な自己紹介を受けたカレーニャとドリイ。

 

 

 

カレーニャ

「旅の騎空士の方々……そちらのアンナさんの希望でこの島に初めて降り立った、と。なるほどね──」

 

 

 

 ──言い終えると、何か小声でドリイに語りかけるカレーニャ。手帳に彼らの自己紹介を(したた)めるドリイもこれに応じて小声で2、3返す。

 ──少し考えるような素振りをした後、何事も無かったようにカレーニャが自己紹介を始めた。

 

 

 

カレーニャ

「では改めまして、先程から通しでお初にお目にかかりますわ皆々様」

(わたくし)の名はカレーニャ・オブロンスカヤ。誇り高きプラトニア貴族オブロンスカヤ家の末裔にして、我が国で魔導グラスを一から生産できる唯一の人間」

「そしてこちらが、プラトニア政府から派遣されたドリイ・クレアヴナさん。私の身の回りのお世話をすると同時に、こうして私を逐一監視するのがお仕事ですわ」

 

ドリイ

「以後、お見知りおきを。──多少の脚色はありましたがカレーニャ、よく出来ました」

 

カレーニャ

「そりゃあもう誰かさんに毎週みっちりシゴかれてますものねぇ。さて、長らくお引き止めしちゃいましたけ、ど……」

「何ですの? 素っ頓狂なお顔並べなすって」

 

 

 

 ──団長達は、皆思い思いに驚きやその他諸々の表情を向けている。畳み掛けるように各々問いを発する。

 

 

 

ルリア

「カ、カレーニャちゃんがこの島の魔導グラスを!?」

 

ビィ

「しかも唯一って事は、一人でこの島のモン全部作ってるって事か!?」

 

アンナ

「ひ、一人でって……カレーニャ、あの……他に、か、家族の人とかは……?」

 

カタリナ

「落ち着け皆。そう捲し立てたらカレーニャ達も困ってしまう」

「……まあ、私もドリイ殿の立場についてよく飲み込めなかった所もあるが……」

 

カレーニャ

「あーはいはい。順番に答えますから。とりあえずまずは……」

 

ドリイ

「……フフ」

 

 

 

 ──受け答えするカレーニャに、それを見て何やら笑みを溢すドリイ。しばしの質問タイムが始まり、カレーニャとドリイの関係が明らかになっていく。

 

 ──魔導グラスはそもそも、カレーニャの祖母が晩年になって発見した物質で、魔導グラスは祖母の直径の血筋で無ければどうしてもうまく造れないのだという。

 ──カレーニャはその末裔にあたる。彼女以外の家族は不幸が重なり既に鬼籍に入った。

 ──しかし魔導グラスが国にとって欠かせない資源となっていたプラトニア政府は、魔導グラスを生み出せる最後の一人となったカレーニャを国を上げて保護する事を決定。

 ──このため、当初はカレーニャの身の回りの世話、教育、身辺警護を担当する「保護管」が派遣されていたが、カレーニャはある時、魔導グラスの研究中に爆発騒ぎを起こしてしまう。

 ──元より保護管に協力的でなかった……有り体に言ってかなりのじゃじゃ馬だった事もあり、他者は元よりカレーニャ自身を危険に晒す訳にはいかないと、従来の保護管の職務にカレーニャの逸脱行動を監視し必要に応じて罰則を課す事を加えた「保護監査官」が新たに彼女の元へ送られる事となったそうだ。

 

 

カレーニャ

「まあつまり、人間国宝サマが素行を危ぶまれてこのザマという訳でござあますわ」

「私のお世話焼きながら、出過ぎた真似には罰を与え、そのくせ魔導グラス作りもサボるなと来たモンですわ。私ったら可~愛そう」

 

カタリナ

「大体は解った。ご家族については、知らぬとはいえ失礼した。しかし何というか、その……」

 

ビィ

「爆発騒ぎって……思った以上にハチャメチャなヤツだな……」

 

ルリア

「でもあの……罰って、一体どんな……」

 

アンナ

「……何だか、息苦しそう……」

 

カレーニャ

「あ、ほぉらドリイさぁん♪ お宅様の方針に皆さんドン引きでしてよ?」

 

ドリイ

「カレーニャ。嫌味は禁止行為に含まれておりませんが程々に」

 

 

 

 ──憐れみの声に対して、カレーニャの態度は待ってましたとばかりに軽い。

 

 

 

ドリイ

「──確かに、余り聞こえの良い扱いではありません」

「しかし役職を預かる身として弁解させていただくなら、あくまで職務を文面通りに執り行えているなら、もう少し体裁を繕う事もできたかと」

 

カタリナ

「ん? というとつまり……」

 

 

 

 ──持って回る口ぶりだが、カタリナは何となく、言い回しの意味を察した。

 ──カタリナ本人の意思に反して、心は苦笑の準備を整えていた。

 

 

 

ドリイ

「カレーニャのこの言動と佇まいが、全ての実態と申し上げてしまっても過言ではありません」

「彼女が今日のようにペナルティを何点ももらう事は珍しくありませんし、勉強時間の延長を始めとした罰則も何度も踏み倒されています」

「そして何より、カレーニャが溢すような──私共が彼女に魔導グラス運用を怠るなと訓告等を下したという事実は一切ございません」

「勉強部屋に押し込んだ時も、ベッドに縛り付けた時もです」

 

アンナ

「そ……それって……」

 

ドリイ

「はい。籠の中の鳥のようだと思われるかも知れませんが、現場の声を表現するなら、檻の中の星晶獣です」

「カレーニャはあらゆる時間を魔導グラスに費やしています。国中の魔導グラス整備を終えてなおも研究に没頭し、そのためには手段を選びません」

「お恥ずかしながら今現在、彼女を責任持って管理できる人材は私一人限りに──」

 

カレーニャ

「あぁらひっどーい。年端も行かない乙女の前で何て言い草なんでしょー」

 

ビィ

「何か、すげぇ納得した……」

 

カタリナ

「つ、強いのだな。カレーニャは……」

 

 

 

 ──ドリイの品位を着せた苦言も意に介さず、不敵な笑みのカレーニャは手にとったティーカップの中身を飲み干す。

 

 

 

カレーニャ

「さあて、いい加減に次は貴方がたの番でしてよ」

「長らくお引き止めしちゃいましたけれど貴方がた、元々何か別にご用がお有りなのでしょう? どうせ今日は私もヒマですし、案内して差し上げますわ。ドリイさんが」

 

ビィ

「あ、そうだすっかり忘れてたぜ! 俺たち図書館に行くためにプラトニアに来たんだった!」

 

カレーニャ

「あー……図書館」

 

ドリイ

「ふむ……」

 

 

 

 ──瞬間、カレーニャの眉がピクリと動く。ドリイのメガネがキラリと光る。

 

 

 

カタリナ

「ああ。これもアンナの希望でな。彼女の役に立つ知識があるんじゃないかと、皆で調べに行く所だったんだ」

 

アンナ

「と……図書館は凄く目立つから、案内してもらわなくても……た、多分大丈夫だよ」

 

ビィ

「だったらなるべく涼しい場所通って行く方法とか教えてもらおうぜ。またアンナが倒れちまわないようにな」

 

アンナ

「ビ、ビ……ビィくん、それは、あの……」

 

 

 

 ──楽しげに語る一行に割り込むように、カレーニャが聞こえよがしな抑揚で声を上げる。

 

 

 

カレーニャ

「それは重畳でしたわねぇ、私達に出会えたのは実に重畳。ねーえドリイさん?」

 

ドリイ

「カレーニャ。悪質ですよ」

 

ビィ

「何だ? オイラたちこのまま図書館行ったら、何かマズかったって事か?」

 

カレーニャ

「クスクス……マズいも何も、ねぇ?」

「貴方がた、真っ直ぐ図書館の正門潜ろうなんて思ってたら……門前払いされてた所でしてよ?」

 

 



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07「ドレスコード」

 ──図書館へ向かうつもりだった旨を伝えた一行。

 ──しかしカレーニャ曰く、図書館に向かっていたら門前払いを受けていた所だったという。一行から困惑の声があがる。

 ──ドリイがすかさず手帳を取り出し、何事か書き込む。

 

 

ドリイ

「カレーニャ、脅迫行為一点。これは重いですよ」

 

カレーニャ

「んな!? 事実じゃありませんの。貴方も入館規定の最新版読んだでござあましょ!?」

「それに脅迫が成立するのは見返り要求してからとプラトニアの判例にも──!」

 

ドリイ

「一部、事実に反します」

 

カタリナ

「入館規定……つまり問題は我々にあるという事か」

 

 

 

 ──不服げなカレーニャを制して、ドリイが一歩前に出て説明する。

 

 

 

ドリイ

「まず、カレーニャの発言には大きな誇張があります。その点について代わってお詫び致します」

「しかし、現在のまま図書館に赴いた場合、入館が認められるのは困難である方が若干名いらっしゃる事も事実です」

 

ビィ

「何だ何だ、図書館って誰でも入れる所じゃないのか?」

 

ドリイ

「原則としてはあらゆる方々に門扉(もんぴ)を開いております。しかし入館にあたっては来館者に幾つかの規則を守っていただく事となっている次第です」

「図書館は我が国の知性の心臓部。産業に欠かせない資料等も所蔵されている場所であるため、何卒ご理解を願います」

 

カタリナ

「そういう事なら、国の重要な施設では何も珍しい事ではない。して、私達の何がその規則に反していると?」

 

カレーニャ

「”ドレスコード”ですわよ」

 

 

 

 ──カレーニャが口を挟む。来るのは解っていたという様子で、特に機嫌を損ねる素振りもなくドリイが嗜める。

 

 

 

ドリイ

「カレーニャ。ここは私が説明いたしますので」

 

ルリア

「ドレスコード……ってあの、レストランとか豪華なお店にあるやつですか?」

 

アンナ

「ふ……服かぁ……」

 

 

 

 ──思わず自分の身なりを自信なさげに見下ろすルリアとアンナ。

 

 

 

ドリイ

「正確には、主に装飾品に関する規定について……」

 

カレーニャ

「ドリイさん。回りくどい話は置いといてバッサリ判定して差し上げなさいな。着飾るのはともかく見定めるのは得意なんですから」

 

ドリイ

「……畏まりました」

 

 

 

 ──ほんの僅かに「やれやれ」と言った具合に目を伏せた後、切り替えたドリイが説明を始める。

 

 

 

ドリイ

「図書館入り口では、入館規定を満たされない来館者様に対し受付係員が呼び止め、入館の是非を判定する事になっています」

「申し遅れましたが私、図書館においても司書を始めとした多少の資格を有しており、入館者様の判定につきましても同様に権限を有する身です」

「よって僭越ながら、現在の皆様が図書館でどのように判定されるか、この場で推定させていただきたく。よろしいでしょうか?」

 

カタリナ

「あ、ああ。そういう事ならよろしく頼む。……何というか、多芸な方なのだな」

 

ドリイ

「恐れ入ります。ではまずは──ルリア様」

 

ルリア

「ハ、ハイ! 私ですか?」

 

 

 

 ──呼ばれたルリアがビシリと背筋を伸ばして棒立ちになる。ドリイは軽く一瞥した後、穏やかに笑んで告げる。

 

 

 

ドリイ

「ルリア様におかれましては、殆ど問題ないでしょう」

「係員によっては厳格な方も居りますので、例えば却って薄着が過ぎるなどと苦言を呈される場合もあるやもしれません」

「しかしながら、入館をご遠慮いただく理由には当たりません」

 

ルリア

「ホッ……」

 

ドリイ

「次に、団長様」

 

主人公(選択)

・「ハ、ハイ!」

・「今日の服、イマイチだったかな……」

 

→「ハ、ハイ!」

 

ドリイ

「服装につきましては差し障り御座いませんが、図書館内では武器の所持に制限が設けられています」

「騎空士様などの武器を生活の一部とされる方の入館も認められてはおりますが、万一の場合に備え、剣なら刀身と鞘を専用の留め具等で硬く固定する。銃なら弾薬のみ受付に預ける等の処置が求められます」

「しかし、いずれにせよその場で問題なく対応できる程度のものですので、団長様も入館に際して心配は無いかと」

 

 

 

 ──ここまでは、隙の無い姿勢ながら穏やかな印象を受ける佇まいだったドリイだが、団長から目を話すと同時、どことなく感じられる雰囲気が固くなった。

 ──実際に、場合によっては規定に抵触する恐れがあるのは、この後の人物という事だろう。

 

 

 

ドリイ

「そして、ビィ様とカシマール様」

 

ビィ

「オイラとカシマールがまとめてって……オイラ、何となく察しついちまった」

 

カレーニャ

「そりゃあもう、プラトニア図書館は原則ペット不可ですもの」

 

ビィ&カシマール

「オイラはペットじゃねぇ!

 オレサマペットジャネー!」

 

ドリイ

「カレーニャの表現は悪意があり、かつ不適切です。申し訳御座いません」

「プラトニアでは種族や外見を理由とした生活の制限は不当であるとし、それらの撤廃に積極的です」

「図書館はお二方を不当に評価する事はないと、責任をもってお約束致します」

 

ビィ

「あ、いや──気持ちはありがてぇけど、そこまで大げさに受け取ってくれなくても……」

 

ドリイ

「お心遣い、痛み入ります」

 

 

 

 ──ビィの寛大な対応に少し綻んだ顔を、一瞬で仕事の顔に引き締め直し、ドリイが続ける。

 

 

 

ドリイ

「お二方につきましては、受付係員と少々会話を交わして頂ければ、入館についてはまず問題無いでしょう」

「同等の知性を有すると係員が判断すれば、平等に入館者として扱われます」

「そのかわり、お二方には図書館のルールに沿う理性をお忘れなきよう、入館前に注意が入るかもしれません」

 

ビィ

「理性……? ウーン……オイラちょっと自信ねぇな……」

 

ドリイ

「具体的には──館内で騒がない。みだりに飛ぶ、走る等して他の来館者様の迷惑にならないといった事です」

「特にお二方は良く通る澄んだ声をお持ちですので、静寂に慣れた係員や来館者様の中には過敏に反応する者も少なくないかと」

 

ビィ

「なんだ。それくらいの事だったらオイラにだって出来るぜ!」

 

カシマール

「ソレナラソートサイショカライエッテンダ!」

 

ドリイ

「配慮が至らず、申し訳ありません」

「そして……」

 

 

 

 ──カシマールとビィに向けて、恭しく礼を返すドリイ。その態度にくすぐったそうにするビィの反応を楽しむのもそこそこに視線を移す。

 ──今度は雰囲気だけでなく、声色まで少し変わっている。残る二人は即座にその意味を察した。

 

 

 

ドリイ

「まず……カタリナ様から」

 

カタリナ

「私が……とは少々意外だったな。自分で言うのもなんだが……」

 

ドリイ

「どうか、お気になさらないで下さい。カタリナ様ご自身は、とても礼に(かな)った佇まいでいらっしゃいます」

「ですがカタリナ様の場合、少々事情が特殊です」

「結論から申し上げて、私共はカタリナ様の入館を、断らせていただかざるを得ません」

 

カタリナ

「ほ、本当に門前払いになる程か……!」

 

ドリイ

「申し訳御座いません」

「不躾ながらお尋ねします。そのお召し物は、エルステ製ですね」

「それも、実力か家柄か……いずれにせよ少なからぬ功績のある方の」

 

カタリナ

「あ……!」

「そうか……そうだったな……」

「確かに、そういう事ならやむをえまい……」

 

ルリア

「え……ええ……? あの、一体どういう……」

 

 

 

 ──訳が解らないでいるルリア達。ドリイが説明しようとするが、それをカタリナが制する。

 

 

 

カタリナ

「ドリイ殿。済まないが、これは私から説明しておきたい」

 

ドリイ

「畏まりました」

 

 

 

 ──すかさず駆け寄るビィとルリア。不満を隠さない二人にカタリナが穏やかに対応する。

 

ビィ

「姐さんが図書館に入れねぇってどういう事だよ。この中じゃ一番マジメそうな格好してんのによ!」

 

ルリア

「それも、あんなにはっきりダメだなんて……」

 

カタリナ

「ルリア、ビィくんも。なんと説明すれば良いか……例えばだ」

「グランサイファーの中で、武装したエルステの兵士が我が物顔で歩き回っているのを見つけたとしよう」

「そいつは誰かを付け狙ったり襲いかかる様子はない。ただただ船内を散策したり、置いてある本を読んだり、倉庫の樽の中を覗き込んだりしている。その兵士を見て、ルリア達はどう思う」

 

ルリア

「それは……すごく怪しいと思う……かな」

 

ビィ

「オイラ達の船で何勝手してんだってなるぜ。ソイツ絶対何か探ってるぜ」

 

カタリナ

「だろう? ……それが、プラトニア図書館での私なんだ」

 

ルリア

「え……?」

 

カタリナ

「プラトニアとエルステはかねてから国交があるという事は、島に着く前に話したな?」

「国交があるという事は互いに相手を認め合い、お互いのやり方を尊重した上で、色々な約束を交わしてそれを守り続けなければならない」

「例えば他国の軍隊を国に受け入れる時は、事前に相手の国からの連絡を受け取り、いつからいつまでの滞在を認めると返事を返し、それからようやく……といった約束をな」

「軍隊というものが何のためにあるかは──説明するまでもないだろう。エルステ軍の鎧を来た私が、プラトニアの知識の中枢を、国同士の許可も無く歩き回る……プラトニアから見たらどう思うか、解るだろう?」

 

ルリア

「そんな……だって図書館を歩いてるその人は、カタリナなんでしょ?」

 

ビィ

「そうだぜ! 姐さんがおかしな真似なんかする訳ねぇじゃねぇか!」

 

カタリナ

「それは二人が、私が誰なのかを知っているからだ。プラトニアの人間にとってはそうじゃない」

「彼らにとって、私が何者かを知る手がかりはこのエルステの鎧だけなんだ」

「それに仮に彼らがカタリナ・アリゼを知っていたとしても、エルステが断りも無く図書館に兵士を侵入させた。そんな状態が出来上がってしまう事に変わりはないんだ」

「間違いなく、エルステとプラトニアとの関係は拗れる。二人が思う以上にだ。そんな事が絶対にあってはならない程にな……」

「それと……意地悪だと思うかもしれないが、さっきの例え話にはわざと『エルステの兵士』を出した。私だって、『グランサイファーの中を歩き回る武装したエルステの兵士』──だからな」

 

 

ルリア、ビィ

「……──」

 

 

 

 ──すっかり黙り込んでしまったルリア達。

 

 

 

カレーニャ

「つまり、アポ無し武器持ちで来た余所の兵隊さんをそのまま入れたら国際問題一直線って事ですわ」

 

ドリイ

「無粋を承知でお伺いします。エルステに纏わる装備を外され、私人として図書館へ赴かれるのでしたら、直ちに断られるような事も……」

 

カタリナ

「お気遣いには感謝する。だが……馬鹿げていると思うだろうが、私はどこまでも軍人であり、そしてそれ以前に騎士なんだ。軽々しく鎧を脱ぐ気にはなれない」

 

ドリイ

「いえ。やはり出過ぎた口を効きました。どうかお許し下さい」

 

カタリナ

「いいんだ。それより……」

 

 

 

 ──カタリナの面持ちが、今しがたとはまた違った趣の、気まずそうなものに変わる。

 

 

 

カタリナ

「変な空気にしてしまったが、確かドリイ殿の話はまだ……」

 

ドリイ

「そうでしたね。では最後に……」

 

アンナ

「あ……あああ、あの……あのっぉ……ボボ、ボ、ボク……そ……そそそんなに……」

 

 

 

 ──アンナは青い顔で小刻みに震えて、縋るようにドリイを見つめている。

 ──カタリナで大きくなりすぎた話がどのように降りかかるか最早想像のしようもつかないでいる。

 

 

 

ドリイ

「アンナ様。どうか落ち着いてください。アンナ様の場合、カタリナ様のような深刻な問題は──」

 

カレーニャ

「そうですわよ、アンナさんの場合もっとつンまらない理由でござあますもの」

 

ドリイ

「侮辱行為一点」

 

 

 

 ──カレーニャのニタニタ顔を見るや、ドリイは手早く手帳に罰点を書き足す。

 

 

 

カレーニャ

「ちょっ……今日ちょっと厳しすぎません事!? 私は事実を述べただけですわよ!」

 

 

 

 ──手帳をしまうと、アンナを落ち着けるため、お茶のお代わりを勧めながら説明を始める。

 

 

 

ドリイ

「まず、図書館には服装についても何点か規則がございます。アンナ様を例とするなら──」

 

カレーニャ

ズバリ!!

 

アンナ

「ひぇ!?」

 

ドリイ

「──カレーニャ、ここは私がせつ……」

 

カレーニャ

「『本が幾らでも仕込めます』と言わんばかりのババ臭いダボダボの服!」

「頭以外にも容量タップリ見せつけてる無駄にデカい帽子!」

「直接の武器でも無いクセにやたら嵩張る長もの!」

「極めつけにこれから本読みに行くってのにローソク生やす人間があるかってーモンでえ、ござあますわ!!」

 

 

 

 ──余程、直接ツッコんで見せたかったのだろう。東方の伝統劇のような節を乗せて、テーブルの上に足を乗り出さん勢いでビシリとアンナを指差すカレーニャ。

 ──「知ってた」といった面持ちで冷静に見栄きりを見届け、再び手帳にペンを走らせるドリイ。

 ──ポカンとカレーニャの奇態を眺めていたアンナは、数秒経ってようやく脳が言語を解読しはじめた。

 

 

 

アンナ

「……え、と……え……ええぇえ! あ、ああの、じゃあ、その……ボボ、ボク……ぜ、全部ダメ!?」

 

ドリイ

「大変無礼な表現が含まれた事を重ね重ねお詫び致します。しかしながら、指摘すべき点は全てカレーニャが……」

「箒と蝋燭は受付に預けられますが、帽子については折れ目等の毀損を与える事無く保管できる保証がないため、係員によっては預かりも断られる場合がございます」

「服装については私共としても……。何分、厳重に警戒しているつもりでも細かな盗難・紛失の事例は起きてしまうのが実情でして」

「仮に入館を認められたとしても、係員が終始随行した上で、場合によっては退館前に身体検査を求められる場合も……」

 

アンナ

「うぅ……」

 

カシマール

「アンナバッカリネライウチミテーナルールジャネーカ! ナットクイカネー!」

 

ドリイ

「申し訳ありません……想定が甘かったと言う他ございません」

 

カレーニャ

「人に何か要求するにも責任が伴うし、責任を負いきれないなら始っめからやるべきでない。社会ってなぁそういうものですのよ”シャムシール”」

 

カシマール

「”カシマール”ダ!!」

 



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08「ニコラさん」

 ──しばし時間を置いて、動揺が治まってきた団長達だったが、入館に立ちはだかる壁に頭を抱えていた。

 

 

 

カタリナ

「……ひとまず、こうするのはどうだろう」

「問題があるのは、私とアンナだ。となれば一旦船に戻って、アンナに替えの衣装を見繕い、団長(キミ)達だけで図書館へ向かう」

 

ルリア

「そんな……それじゃあカタリナはどうするんですか?」

 

カタリナ

「主役はアンナだ。私は外で待っているよ。それにそうすれば、ついでに宿を探したり後々巡りたい店の目星をつける事だってできるじゃないか?」

 

 

 

 ──あくまで気丈に振る舞って見せるカタリナだが、そんな態度で納得できる一行ではない。

 

 

 

ビィ

「でもよぉ。それ、何だかオイラ寂しいぜ……やっぱり姐さんも着替えるって事は……」

 

カタリナ

「済まないが、鎧を着けていないと落ち着かないんだ。ハハ、もう職業病だな」

「かと言って今から防具を見繕っていたのでは、とてもじゃないが図書館に行く時間もない」

 

 

 

 ──拙い自虐ネタを交えながらも、自分の扱いについて譲らないカタリナ。

 ──そしてアンナもおずおずと口を開く。

 

 

 

アンナ

「そ、それに……ボク……ほ、他の服も大体同じのばっかりで……」

 

ルリア

「で、でもアンナちゃん、お婆さんが遺してくれたあの服なら大丈夫かもですよ!」

 

ビィ

「いやぁ……あれもでっかい帽子付いてたしなぁ」

 

ルリア

「じゃ、じゃあ、帽子だけ置いていけば……!」

 

アンナ

「ご……ごめんルリア。帽子が無いと、ボク……は、恥ずかしくて……」

 

ルリア

「あうぅ……」

 

 

 

 ──難航する会議を蚊帳の外から、カレーニャは不思議げに眺めていた。

 

 

 

カレーニャ

「観光一つで随分深刻なお顔ぶら下げなさるのね、あの方々」

 

ドリイ

「それだけ深い繋がりがあるという事ですよ、カレーニャ」

「……もういい加減、汚名返上には十分なタイミングなのでは?」

 

カレーニャ

「ホント、余計な所までお見通しですのねえ、ドリイさんたら……」

「──それじゃあその前に、私に赤っ恥かかせてまでじ~っくり確かめた結果、聞かせてもらいましょうか」

 

 

 

 ──先程までより音量を落としてカレーニャがドリイに問う。その顔も無意識にか、少し冷たい雰囲気を漂わせている。

 

ドリイ

「はい。やはり、カレーニャの予想通りです」

 

 

 

 ──ドリイが懐からなにか取り出しカレーニャに見せた。先程も別室で眺めていた、赤く輝く小さな物体である。

 

カレーニャ

「……はぁ~。可能性はゼロじゃないとは思っていましたけど、まさかこんな日になって……ねえ」

 

ドリイ

「いっそ、しばし延期なされて様子を見てみるというのは?」

 

カレーニャ

「冗談おっしゃい。だからって何の足しにもなりゃせんでござあましょうが」

 

ドリイ

「……左様ですか」

 

 

 

 ──カレーニャが手を叩いて一行の注意を向ける。振り向く団長達。先程の二人の会話に気づいていなかった一行には、見据えた先のカレーニャは、ただずっと自分達を眺めていただけのように何の変哲もない雰囲気だった。

 

 

 

カレーニャ

「はーいはいはい。お取り込み中のトコすいませんけれど、ちょっと聞いていただけますこと?」

「ほいじゃドリイさん、説明お願いしますわ」

 

ドリイ

「畏まりました」

 

 

 

 ──ドリイが一歩前に出て、まず一行にお辞儀をする。

 

 

 

ドリイ

「カレーニャから、一つ提案がございます」

「先程にも申し上げました通り(わたくし)、図書館における様々な資格を有し、未熟ながら図書館と言う職場の実状についても心得ております」

「皆様にもし差し支えなければ。そして私とカレーニャにお任せいただけるなら、皆様を受付にて最低限のやり取りでご入館させる準備がございます」

 

ルリア

「えーっと……つまり……?」

 

カタリナ

「何か、入館規定をやり過ごす裏技のようなものを紹介する……という事か?」

 

ドリイ

「簡潔に申し上げればそのように」

 

ビィ

「お、おいおい、良いのかよそんな事して?」

 

ドリイ

「我々としましても、折角のご旅行に水を差したままでは立つ瀬がございませんので」

「加えて、皆様のお人柄についても先程から私なりに伺って参りました。悪用される恐れは無いと判断致します」

 

カレーニャ

「ま、これは私からの──」

 

ドリイ

「カレーニャの諸々の無礼に対するせめてものお詫びと失態の穴埋めも兼ねて、どうぞお任せ頂きたく存じます」

 

カレーニャ

「ちょ、お詫びとか穴埋めとか余計ですわよ! そんな文言付けろと言ったつもりござあませんわ!」

 

ドリイ

「あら。失礼しました、カレーニャ」

 

 

 

 ──二人の提案にルリア、ビィ、団長がまず食いついた。

 

 

 

ルリア

「カタリナ! ドリイさん達が、何とかなるって……!」

 

カタリナ

「お、落ち着けルリア。そうは言っても私の事情はそう簡単には……」

「それに理由はどうあれルールを破る事には変わりないんだ。おいそれと甘んじる訳にはいかない」

 

ビィ

「まぁ良いじゃねぇか姐さん。マズそうだったらその時考えようぜ」

 

団長(選択)

・「カタリナと一緒が良い!」

・「アンナのためにも!」

 

→「アンナのためにも!」

 

アンナ

「だ、団長さん……!」

「団長さんがそう言ってくれるなら……は、話だけでも……」

 

カタリナ

「……やれやれ、仕方ないな」

「ドリイ殿。こちらの考えはまとまった」

 

ドリイ

「畏まりました。では準備を要しますので、皆様外出のご用意をお願い致します」

 

ルリア

「あ、あのぉ……ドリイさん」

「カタリナが図書館に入れないのは……む、難しい理由だからってさっき聞きました。それで、その……」

 

ドリイ

「どうかご安心ください。ご尽力次第という面はどうしてもございますが、カタリナ様については、今のお召し物のまま入館いただくプランを用意致しております」

 

ルリア

「……!」

 

 

 

 ──いつものルリアらしい、パッと開くような笑顔が溢れた。

 

 

 

ルリア

「わーい! カタリナ、大丈夫だって!」

 

カタリナ

「あ、ああ……」

「(どうも不安が残るが……まあ、ルリアもこんなに喜んでいる事だし……)」

 

 

 

 ──カタリナの拭いきれぬ不安の訳は、その視線の先にあった。

 ──カレーニャが、先程の茶会で度々見せた、含みのあるニヤついた笑みを浮かべているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──少し時間を飛ばして、カレーニャ達に促されるまま屋敷の外へ出た一行。その行き着いた先は……

 

 

 

ルリア

「ここって……」

 

ビィ

「服屋……だよな? 見た事ねぇほどデッケェけど……」

 

アンナ

「ボ、ボボボボク……場違いじゃないかなあ……」

 

カレーニャ

「場違いで無くするために来たんでござあましょうがよ。折角ですから好きに見ておきなさいな」

 

 

 

 ──アンナのドレスコードを回避するための策とは、新しく服を仕立てる正攻法だった。

 ──アンナが気づいた時には抵抗するには既に遅し。ブティックと言う巣に担ぎ込まれた後だった。

 ──団長達はズラリ並んだ礼服や流行りの衣装と小物達に囲まれ、目が泳ぎきっていた。

 ──服、服、服、時々バッグ。その他諸々がどこを向いても飛び込んで来るというのに、なお悠々と歩き回れるスペース。天井も一見して無駄と思えるほどに高い。

 ──客層も、今しがた視界の端を軽やかに駆け抜けた幼い女の子のそれさえ、団長達とは明らかに格が違う。

 ──団長達がこういった場に足を踏み入れるとしたら、レ・フィーエやセルエルを伴っていなければ道理に合わないとさえ思える別世界だった。

 ──遠くに居た、ベテランと言った風の年配の女性店員が、カレーニャを見つけるなり他の店員に一言二言告げている。申し付けられた店員は早足でどこかへ去り、女性店員がカレーニャの元へ歩み寄る。

 

 

 

女性店員

「まあ、カレーニャ様。申し訳ありません、先程ニコラを別の仕事に回したばかりでして……」

 

カレーニャ

(かま)あませんわ。一度帰って、別の用で来た所ですの。余り急がせなくてもよろしくってよ」

 

女性店員

「恐れ入ります。たった今、呼びに行かせた所ですので。少々お待ち下さい」

 

 

 

 ──女性店員は近くの休憩用の椅子に皆を案内すると、先の店員同様、足早にその場を離れていった。

 ──最初に出会った時の浮遊する硝子の椅子に座るカレーニャと、普段からカレーニャと通い慣れているであろうドリイ以外、落ち着かぬ様子で椅子に腰掛けた。

 ──間もなくして、別の女性店員がカレーニャの元へと歩み寄ってきた。カレーニャより少し年上程度で、こういった店の店員にしては随分若く見える。

 ──左手の小指に控えめなピンキーリングが光る以外に化粧っ気のかけらもない。

 ──従業員として節制を心がけるにしても、この様な店では流石に多少は着飾るべきで無かろうか。あるいは、化粧に縁遠いルリア達女性陣には見分けの付かないナチュラルメイクか。

 ──ともあれ、若さと溢れる快活な雰囲気で全てを補えているような女性だった。

 ──彼女は先程の年配の店員より随分と気安い口調でカレーニャに語りかける。

 

 

 

若い店員

「お待たせしました、カレーニャ。何か忘れ物でも?」

 

カレーニャ

「お早い到着何よりですわ、ニコラさん」

「ご心配なく。新しく買い付けに来たんですの」

 

ニコラ(若い店員)

「ご購入ですね。となると……そちらのお連れ様にですね?」

 

カレーニャ

「そういう事。図書館へ行くつもりの旅行者と言えば、(おおむ)ね見て解るでござあましょ」

 

ドリイ

「カレーニャ。悪質な表現ですよ」

 

ニコラ

「あはは……えーとでは、すみません。そちらの赤い髪のお美しいお客様」

 

 

 

 ──カレーニャの言い方のせいで、やや申し訳なさげにニコラがアンナに語りかける。

 ──この場で見るからにドレスコードに引っかかる同行者は彼女しか居ないのだ。アンナもすっかり消え入りたくなっている。

 

 

 

アンナ

や、やっぱりボクってわかっちゃうんだ……って、あ、あの、う、うう、うつ……く……!?」

 

ニコラ

「はい。とても素敵ですよ。失礼ですが、ご職業は魔導士さんでしょうか」

 

アンナ

「あ……えと……その……えっと……」

 

ルリア

「そそ、そうなんですよ。アンナちゃん、ちょっと人見知りさんですけど、とっても頑張り屋さんで……」

 

ビィ

「アンナのやつ、まだ初対面の人間だとアガっちまうかぁ……」

 

 

 

 ──ルリアが精一杯フォローを入れるも気まずい空気を覚悟する一行。だが……

 

 

 

ニコラ

「わ、当たりですか? 良かった~」

「お客様、とってもお似合いですよ。プラトニアの魔法使いの方って大体学者や先生と兼業だからお硬い服装の人ばっかりで──」

「こんな雰囲気あって格好良い魔導士さんに会えるの初めてなんです! 今回は私が責任持ってコーデさせていただいて、もう一生自慢して、それから……」

 

アンナ

「うぇえ!? あ、あの……あのぉ……!?」

 

カレーニャ

「こらこらこらニこらさん。だぁれがお任せすると言いまして?」

 

ニコラ

「えぇ!? そんなあんまりですカレーニャ!」

「こんな綺麗なお(ぐし)で、もうイメージ頭で出来上がってるんですよ!? パッと見スタイルだって絶対素敵な……あ゛っ」

 

カレーニャ

「よぉ~しよしよしよしよし。もーぉ絶対譲らない。第一、何のために私自らここまで案内してきたと思ってますのよ」

 

 

 

 ──いかにも「しまった」と言った仕草で口に手をやるニコラ。

 ──顎と眉間に力の入った笑顔のカレーニャ。

 ──ラインの出ない豪奢な服装だが、どうやらカレーニャに体型の話は禁句のようだ。

 

 

 

ニコラ

「ち、違うんですカレーニャ、そういうつもりじゃ……うぅぅ~……」

「お、お客様。今度……今度ご来店くださる時は、是非私を呼んで下さい……是非ともぉぉぉ……」

 

アンナ

「は、はあ……」

 

 

 

 ──ヨロヨロとアンナの手を取るニコラ。その目には涙さえ滲んでいる。

 

 

 

ビィ

「なぁなぁ。店員の姉ちゃんが楽しいやつなのは解ったけど、さっきから話が全然見えねぇぞ」

「この姉ちゃんがアンナの服選んでくれるんじゃねぇのか?」

 

カレーニャ

「すぐわかりますわよ。ニコラさん、とっとと案内してくださる?」

 

ニコラ

「はいぃ……ん?」

「あっ。あちらの『研修の方』は、ドリイさんの?」

 

ドリイ

「はい。リーナ、行きますよ。ついて来なさい」

 

リーナ?

「う、うむ……」

 

 

 

 ──団長達と少し距離を置いて立っている、「リーナ」と呼ばれた、緑色のローブで顔を隠した女性が短く応える。

 ──ニコラ、カレーニャ、ドリイが先頭に立つ形で店の奥へと連れ立って歩いていく。

 

 

 

ニコラ

「そっかあ。新しい保護監査官さんかあ。ずうっとドリイさん一人でしたから、少しは楽になりますね?」

 

ドリイ

「ええ。まだまだ研修ですので、確定したわけではありませんが」

「良い機会ですのでご紹介します。彼女はリーナ・カーター

「かつてはとある島で騎士を務めた事もあるそうで、とても期待できる方です」

 

ニコラ

「騎士様! わあ格好良いなぁ~。よろしくお願いしますね、リーナさん!」

 

リーナ

「あ、ああ……こちらこそ」

 

ニコラ

「わあ! 喋り方もお声もとってもクールです! フードから覗くお髪もセクシーで──」」

 

ドリイ

「前職の癖が抜けきらないのが玉に瑕です」

 

 

 

 ──ドリイ達や団長達の歓談を見届けながら、リーナ・カーターことカタリナ・アリゼは、カレーニャの屋敷を出る直前の事を思い出していた。

 

 

 

※回想

 

 

 ──屋敷を出る直前、カタリナはドリイにある物を手渡された。

 ──萌葱色より若干暗い布地。面積はほぼ全身を覆えるだろうか。

 ──厚手に見えるが、手触りと言い重さと言い、真夏の炎天下でも無ければ纏っても殆ど不便は無さそうだ。

 

 

カタリナ

「これは……ローブ?」

 

ドリイ

「はい。まずは屋敷を出てから目的地へ向かう間、カタリナ様にはこのローブを纏っていただきます。なるべく、鎧の誂えが見えぬようしっかりと」

 

カタリナ

「これで姿を隠せと言うのはわかるが……却って怪しまれるのではないか?」

 

ドリイ

「どうかご心配なく。そのローブはかつて私が使っていた、保護監査官を始めとした一部の役職に支給される研修生用のローブですので」

 

カタリナ

「研修生用……つまり、このローブが身分の証明になると?」

 

ドリイ

「はい。保護監査官を含め、このローブを纏う仕事は国家を担うに足る役職が期待され、市民にも広く認知されています」

「容貌にも勝る評価を集める故に、研修中は自分の顔も隠れる程にローブを纏う者が珍しくありません」

「私が傍らに立てば、まず殆どの者はカタリナ様の身分を疑う事は無いでしょう。例えそれが図書館の職員であろうと」

 

カタリナ

「なるほど。エリートの証という事か」

「しかし、それでも些か不安は残るな。物にぶつかったり、何かの拍子に鎧が見られてしまう可能性も……」

 

ドリイ

「申し訳ございませんが、その点についてはカタリナ様のご配慮次第となります」

「しかし国民の大半はエルステの鎧を大まかなシルエットでしか認知しておりません。篭手や脛当てのようなごく一部程度ならばまず気付かれる事は無いでしょう」

「また、人混みや図らずも訝しむ声があった場合には、私が全力でフォローさせていただきます」

「まずは目的地までその姿で移動していただいて、問題があるようでしたら、別のプランを用意致します」

 

カタリナ

「……そうだな。解った」

「勝手ですまないが、先程の弱音は忘れて欲しい。厚意に(あずか)る身なのを忘れていたよ。ルリア達のためにも、上手くやってみよう」

 

ドリイ

「誠心誠意、カタリナ様の決意に報いて見せる所存です」

「では、屋敷を出てからのカタリナ様は、元・他国の騎士だった研修生、『リーナ・カーター』として振る舞っていただきます」

「不意に本名で呼ばれては疑惑を招いてしまいますので、略歴についてはルリア様達にも周知し、共有していただきます」

 

カタリナ

「り……リーナ……カーター……わ、わかった」

 

 

 

 ──この際、取って付けたようなネーミングセンスは考えない事にした。

 

 

 

※回想終わり

 

 

 

 ──リーナことカタリナが自らの「設定」を再確認している内に、一行は目的地に到着していた。

 ──別の部屋への入口前のようだ。観音開きの扉が目の前に鎮座している。かなり店の奥まで歩いたようで、振り返っても玄関は見えない。

 

 

 

ニコラ

「では、すぐに『候補』を運び入れますので、アンナ様達は中でお待ちを」

 

ルリア

「あ、はい。ここ、何の部屋なんでしょう?」

 

ビィ

「この中でどんな服買うか決めるんじゃねぇか? 何かそういうの金持ちっぽいしよ。とりあえず入って見ようぜ!」

 

カレーニャ

「ちょい待ち!」

 

 

 

 ──すぐさまニコラはどこかへ去っていった。言われた通りにドアノブに手をかけようとするルリア達をカレーニャが呼び止める。

 

 

 

ビィ

「何だよ。部屋の中で待つんじゃねぇのか?」

 

カレーニャ

「説明する前に……アンナさん、”フラジール”を誰か──とりあえずビィさんにでも持たせて見て下さる?」

 

アンナ

「え? う、うん」

 

カシマール

「イヤマテ”カシマール”ダッテノ! ワザトヤッテルダロ!」

 

 

 

 ──カシマールの抗議を完全にスルーしているカレーニャ。カシマールがビィの手に渡るのを確認すると、おもむろに自らが腰掛ける椅子から降りた。

 

 

 

カレーニャ

「んでは……ちょっとアンナさん、私の”魔導グラスチェアー”に腰掛けてみて下さる?」

 

アンナ

「う、うん」

 

ビィ

「そのまんまな名前だったんだな……」

 

 

 

 ──「立つ」と「座る」の中間のような、絶妙な角度の椅子にアンナが腰を降ろした所で、ニコラが大量に服のかかった大きなラックを引いて戻ってきた。

 ──キャスター付きとは言え、服込みで重さ10キロ単位は確実だろう大物をスイスイと運ぶ姿は流石は店員と言ったところか。

 

 

 

ニコラ

「第一弾、お待たせしました」

「カレーニャ。完成の暁には、一筆スケッチをお願いしても!?」

 

カレーニャ

「時間が余れば、ね。あなたのスピード次第ですわ」

 

ニコラ

「かっしこまりました!」

「それでは私は次のお衣装ご用意致しますので、アンナ様、カレーニャ、ごゆっくりどうぞ!」

 

アンナ

「え……え?」

 

 

 

 ──何が「ごゆっくり」なのか、考える間もなくニコラは去ってゆく。

 ──ところで、ここに来るまで、カレーニャの傍らには例の「割れても戻る」魔導グラス球が浮いていた。それをカレーニャが軽く撫でると……

 

 

 

 ガシャン! ガシャン!

 

 

 

 ──椅子の座面や手摺部分から、捏ねたパン生地を引っ張るように細く硝子が伸び、アンナの両手足首を拘束した。

 

 

 

アンナ

「あ、あれ……か、体が?」

 

カシマール

「ヤイテメー! アンナニナニスルキダ!」

 

カレーニャ

「何ってコーディネートですわよ”タルワール”。この部屋、試着室ですもの。オトモダチとてのぞき見厳禁」

 

カシマール

「”カシマール”ダ!!」

 

 

 

 ──慌てふためいている間にドリイが扉を開けていた。中には応接間のようにソファとデスクがあり、そして入り口から見える奥の壁一面が鏡になっている。

 

 

 

ルリア

「はわ……こんなに広いのに、まるまる試着室……」

 

カレーニャ

「上客用の一等個室ですわ」

「思う様商品を運び入れ、気に入るまで取っ替え引っ替えして、気に入る服だけ持って出て、お片付けはお店任せ! 至れり尽くせりですわねえ」

 

アンナ

「と、とととっかえ、ひっ、かえ……って、ああの……ま、まさか……」

 

ドリイ

「カレーニャ。図書館の規定に沿う程度の衣服の選定でしたら、(わたくし)が迅速に見繕えば、より効率的では?」

 

カレーニャ

「万年礼服の干物が(とお)も歳の違う娘のファッションに責任持てまして……?」

 

ドリイ

「……極めて不服ですが、反論の余地がありません」

 

 

 

 ──ドリイのせめてもの助け舟だったのだろうが、瞬く間に沈んだ。

 ──通路の向こうからニコラが大声で呼びかける。

 

 

 

ニコラ

「それと、センスについてはご心配なくー! 日頃からカレーニャオリジナルのファッションスケッチを見立てている当店が保証しまーす!」

 

カレーニャ

「さあドリイさん服を運び入れて! 久々に腕が鳴りますわ!」

 

ドリイ

「アンナ様。なるべくカレーニャにはブレーキをかけるよう努めますので……」

 

アンナ

「え、あの、あの……カ、カシマ~~ル~~~~……」

 

カシマール

「アンナーーーーーッ!!」

 

 

 

 ──当事者以外全員を置いてけぼりにして、カレーニャ、ドリイ、アンナwith椅子が試着室へと駆け抜け、扉が閉じられた。

 

 

 

主人公(選択)

・「……何だったんだろう」

・「すごく不安だ……」

 

→「……何だったんだろう」

 

 

 

 ──答える者は居なかった。唯一答えられそうな店員ニコラは、異常なペースの早歩きで店の更に奥へと消えていった。

 




※ここからあとがき

 アンナさんについて更にオリジナル設定を出してしまっています。
「帽子がないと外を歩けない」とハッキリ描写された事はありません。
 そもそも水着の時は帽子を被っていません。
 しかし普段は帽子、水着では日傘と、頭周りを大きく覆い隠す物を常に携えているとも解釈できます。
 つまり、この場では「帽子」と表現していますが、アンナさんは「視線を遮る物」あるいは穿って考えれば「自分が視線を受けていると感じなくなる物」が、人通りで欠かせないと考えられないかと思い至りました。
 そこから、このような描写も無理は無いかもと盛り込みました。



 余談ですが、こういった高級服飾店を、今はなんと呼べば良いのでしょうね。
「ブティック」と呼ぶと学んだ世代ですが、ちょっと調べた限りでは、今どきはブティックと言っても「格」の幅は結構広いようで……。


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09「ニコラとカレーニャの事」

 ──アンナがカシマールを残して試着室の奥に消え、15分ほどだろうか。

 ──ニコラが通算3つ目のラックを引いて試着室に運び入れ、入れ替わりに中から別のラックを引き出し店の奥へ片付けに言った。

 ──並ぶ服の色合いから見て、最初に運び入れたラックである。早くも全て候補から外れたらしい。試着室内に便利かつ迅速な着替え装置でもあるのかも知れない。

 ──試着室からは引っ切り無しに声が漏れている。主にカレーニャの熱の入った声と、アンナの悲鳴。時折、ドリイの声も微かに聞こえる。

 

 

 

アンナ

「こ、こ……こんなの、恥ずかしいぃ~……!」

 

カレーニャ

「オフショルくらいで(ぬぁに)ヘナチョコ抜かしてますの田舎娘!」

「ちったあエルーンを見習いなさいな。そのデコルテ持ち腐れるおつもり!?」

 

アンナ

「デ、デコ……?」

 

ドリイ

「カレーニャ。落差が大きすぎます。せめてケープ等を合わせては……」

 

カレーニャ

「O・BA・KA! この色と柄に上から乗っけて合う被せモンが有るってんなら出して御覧なさいな!」

「……っだぁ~もうだからシャンとなさい! 背すじ伸ばしてこそ映えるように選んでますのよ!」

「女が背中(せな)を丸めて良いのは(なお)も突き出すモノを身にツけてからですわ! ヒューマンならD以上!!」

 

アンナ

「デ、デ……Dは無理だよぉ~……!」

 

 

 

 ──試着室の外では、団長、ルリア、カタリナ、ビィ、そしてカシマールが漫然と扉を見守っていた。

 ──最初は皆、気が気でなかったが、次々と押し寄せる綺麗な服やアクセサリーの数々にルリアが目を奪われた辺りから、緊張の糸が続かなくなっていた。

 

 

 

ルリア

「カタリナ、『でぃー』って何の事でしょう?」

 

カタリナ

「さ、さあ~何だろうなあ。た、多分、魔導士の間で通じる隠語の類とかじゃないかな……」

 

ニコラ

「ただいま第四弾を~……っと、白熱してますね。この調子ならそろそろ決まりそうです」

 

 

 

 ──ニコラが新たなラックを引っ張ってやって来た。

 

 

 

ビィ

「店員の姉ちゃん行ったり来たりでもう汗だくになってるぞ。大丈夫か?」

 

ニコラ

「このくらい服飾店員なら日常茶飯事ですよ!」

「それにカレーニャが久しぶりに既成品でコーデ希望してきたんです。疲れてる場合じゃありません!」

「あ、そうだ。待っている間、退屈なようでしたら何かお飲み物など……」

 

カタリナ(リーナ・カーター)

「いや、大丈夫だ。むしろ君が水分をよく採った方が良い」

「それとその……わ、私はこの島に来て日が浅いのでよく解らないのだが、カレーニャのあの熱の入り様は一体……?」

「他人の服を選ぶのなら君達こそ本職だろうに、今のニコラ殿の言葉はむしろカレーニャの行動を待ち望んでいたかのようだし……」

「迷惑という事では無いのだが……ブレーキ役を申し出たドリイ殿もむしろ協力的なようで、少し面食らってしまってな」

 

ルリア

「言われてみると、カレーニャちゃんがアンナちゃんを連れて行った時、ドリイさんが……えーっと、『なんとかいってん』とか、また止めに入ると思ってました」

 

カタリナ

「差し支えないようだったら、少し話を聞いても良いだろうか」

 

ニコラ

「あ、はい。そういうことでしたらお任せください!」

「その前に、ちょっとだけ失礼しますね──」

 

 

 

 ──ニコラは今しがた持ってきたラックを試着室に運び込む。開いたドアの向こうはカーテンがかかり見えないが、喧騒が一層はっきりと聞こえてくる。

 

 

 

カレーニャ

「だーからガーターで吊りゃあお望み通り生脚隠せるってんでござあましょうよ!」

「何でソコだけそこまで抵抗なさあますの!? ドロワ原理主義!?」

 

アンナ

「だ、だだ……だから、せめて一人でやらせてってぇ……」

 

ドリイ

「カレーニャ。不可視の領域まで見立てるのは行き過ぎです。我々の本分を──」

 

 

 

 ──バタン。

 ──ニコラが爽やかに汗を拭きながら、引きつった苦笑を浮かべる一行の元へ戻ってくる。

 

 

 

ニコラ

「お待たせしました!」

 

カタリナ

「……アンナの身が、色々な面で心配になってくるな」

 

ニコラ

「大丈夫です。カレーニャも鬼じゃありませんので。……多分

「えーと確か、『何故カレーニャを誰も止めないか』でしたね」

「率直に申し上げますと──アンナ様にはちょっと申し訳ないのですが……『カレーニャのため』、ですかね」

 

カタリナ

「『カレーニャのため』? ……つまり、アレは敢えて誰も咎めていないと?」

 

ニコラ

「はい。お店としてはカレーニャが上得意様と言うのもあるのですが……ま、そういうアレは別としてですね──」

「まず、そうですね──実は当店の衣装や小物、何点かはカレーニャのデザインを元に売り出されてる物なんですよ」

 

ルリア

「え! じゃあ、カレーニャちゃんファッションデザイナーさんなんですか!?」

 

ニコラ

「はい。今日も皆様お連れでいらっしゃる前に一度来られて、新しいデザイン画を頂いたり、実際に形にした衣装について打ち合わせしてたんですよ」

「あ、でもこの事は他言無用でお願いしますね。カレーニャの要望で、売り出す時に名前は伏せられてるので」

 

カタリナ

「ああ、構わないが……しかし国一つを魔導グラスで支えているだけでなく、服飾業までこなしていたとは……」

 

ニコラ

「はい! ……ん? あ、あーいえそのぉ……すみません。ちょっと嘘つきました」

「正確に言うと、お仕事としてカレーニャにデザインを依頼とかはしてないんですよね……」

 

ルリア

「……? お洋服を作って、商品にして、でもお仕事じゃない……?」

 

ニコラ

「……カレーニャの趣味なんです。幼い頃から、新しい服を考えたり、誰かを綺麗に着飾ったりするのが」

「カレーニャの家庭で、その……色々あってからは彼女、魔導グラスに付きっきりで──」

「大好きな服の事は、たまにデザイン画を私に見せに来るか、出来た服の出来を見るために組み合わせてみるくらい……」

「このお店、カレーニャのご家族に昔から贔屓にして頂いてまして。だからそのよしみで、カレーニャと昔から面識のあった私がデザイン画を受け取って、良いものがあるとカレーニャと合意の上で、たまにお店に並べてるんです」

 

 

 

 ──いかにも話しづらそうに、視線が右に左に泳ぎ、手をソワソワとこすり合わせ、手近に触れたピンキーリングをクイクイと軽く回すように撫でたりと忙しない。良く言えば、見てて退屈しない。

 

 

 

カタリナ

「そうか……そういえばカレーニャのご家族は……」

 

ビィ

「あのハチャメチャっぷりですっかり忘れてたぜ……」

 

 

 

 ──カレーニャが家族を失った身である事を思い出し、しんみりとした空気が降りかかる。が……

 

 

 

ルリア

「あ! だから、『カレーニャちゃんのため』なんですね」

 

カタリナ

「ルリア?」

 

ルリア

「カレーニャちゃん、アンナちゃんのために久しぶりに綺麗なお洋服を選びたくなって、お店に来て──」

「だからニコラさんもドリイさんも、皆カレーニャちゃんを元気づけたくて協力してるんですよね」

 

ニコラ

「はい。……って、そういえばそんな話をしてたんでしたね」

 

 

 

 ──バツが悪そうにニコラが笑う。どうも少し勢い任せな所があるようだ。

 

 

 

ニコラ

「アンナ様は人見知りされるタイプみたいでしたから、悪いかなーとは思ったんですが……」

「でも、素敵な自分をお探しに来たならどの道、って……」

 

ビィ

「いやぁ、だからってあんなに振り回されるの黙ってみてるってのは……」

 

ニコラ

「その辺は、身内として本当に申し訳ないですハイ……」

「でもです! 出来は期待して頂いて大丈夫です! 先程も申し上げましたがカレーニャのセンスは、プラトニアでも一流の当店で十分通用するレベルですから!!」

 

カタリナ

「うーむ……難しい所だが、確かにアンナの新しい服を見繕う必要はあったし、アンナの自主性に任せるのが難しかっただろう事も事実ではあるな……」

 

ニコラ

「更に申し上げるなら、カレーニャはメイクも着付けもバッチリですので」

「出来上がった服の調整とか出来栄えの確認は、いつもドリイさんで取っ替え引っ替えしてますから」

 

カタリナ

「ハハ……つくづくドリイ殿は苦労しているな……」

 

ビィ

「ん? なら結局、服作りも着せ替えもちゃんと続けてたって事なんじゃねえか?」

 

カタリナ

「仕事の一環と趣味とでは全く違うものだ、と聞くからな」

「合間合間の僅かな息抜きとか、勘を鈍らせないための作業的なものじゃなく、カレーニャが純粋に楽しんで打ち込めているか。周りからすれば重要なのはその一点なのだろう」

 

ニコラ

「まさにその通りです! それにカレーニャ、近頃はドリイ様みたいな大人向けの服のデザインばかりでしたし──」

「年頃の近い方をモデルにする今回は、きっと特に燃えてるんじゃないかと思うんですよ!」

 

 

 

 ──ニコラの顔はまるで自分の事のように嬉しさで綻んでいる。

 ──その様子にカタリナの頬が緩む。

 

 

 

カタリナ

「愛されているのだな。カレーニャは」

 

ニコラ

「え、あ、いえそんな……アハハ……」

 

 

 

 ──カタリナの言葉に、くすぐったそうな複雑そうな照れ顔でニコラが笑う。

 

 

 

ルリア

「あ! 普段はドリイさんでお洋服を仕立ててたって事なら、カタリナの服も選んでもらったらきっと凄く綺麗にしてもらえるんじゃあ……!」

 

カタリナ

「ルリア!? そもそも、今回はアンナのためにここに来たのであって──」

 

ニコラ

「いえ、大変興味深いです!」

「ローブの上からでも隠しきれないそのライン……そして整ったお顔のきめ細かい肌ツヤ……ドリイ様に勝るとも劣りません!」

 

カタリナ

「か、からかうのはよしてくれ! 私はそういうのは──」

 

主人公(選択)

・「カタリナの分も選んでもらおう!」

・「リ……リーナさん?」

 

→「リ……リーナさん?」

 

カタリナ

「──ッ!?」

 

 

 

 ──ビィもルリアもハッとする。カタリナの身分は、ここでは「リーナ・カーター」とする段取りだった事を、全員すっかり忘れていた。

 ──こういった店では熱がこもりやすい。カタリナも無意識にフードをずらし、少々汗ばんだ素顔がすっかり見えてしまっていた。

 ──カタリナが慌ててニコラに弁明を試みようとする。ルリア達の発言を許しては正直、墓穴を掘りかねない。しかしかといってカタリナ自身、何も言葉が出てこない。

 

 

 

カタリナ

「あ、いや……ニコラ殿……今のは、その……」

 

ニコラ

「へ……? あ、そうか。そういえば先程は『リーナ・カーター』さんとお伺いしてましたっけ」

 

カタリナ

「い、いや、その件については、何、というか……」

 

ニコラ

「あ、いえいえ。ご心配なさらないで下さい」

「お客様の事は『保護監査官研修のリーナ・カーター』様としか伺ってませんし、他にお客様の事で私共、何も見知ってはございません」

「まだまだ若輩でも私、一流店の従業員ですからね!」

 

カタリナ

「……口ぶりからして、最初から気がついた部分はあったようだな」

 

ニコラ

「それは、そのォ~……何故と訊かれますと、ちょっと説明しづらいのですが……」

「一目見た時から、カタリナ様も含めて皆様は島の外の方だな、と」

「それと先程からお話していて、カタリナ様については多分ドリイ様がそうするよう取り計らってくださってるのかなー、とも……」

「あ、でもそのお姿については全然大丈夫です。最初お会いした時から、何にも気になる所とかありませんでしたので! 本当に!」

「ドリイ様が一緒ならきっと、プラトニアの兵隊さんだって気づきません! 大丈夫です!」

 

カタリナ

「ありがとう……しかし、事実こうして見抜かれてしまうとな。ドリイ殿の手引きという事まで知られてしまうようでは……」

 

ニコラ

「い、イエイエイエイエ! ででで、ですからそれは──」

 

 

 

 ──ニコラが慌てて何か否定しようとしたその時……

 

 

 

カレーニャ

ぃよしオッケー! 一丁上がりですわ!!

 




※ここからあとがき


「ファッションデザイナー」の語句が出た時点で、



ルリア
「コルワさんみたいな!?」

ニコラ
「お。コルワさんが引き合いに出るなんて、カレーニャ喜びますよ」



 と言ったやり取りを挟もうかと思ったのですが、キャラのセリフで出したならば、ナレーションで少しは言及しなければならないかと思い、カットしました。
 レ・フィーエやセルエルはナレーションで名前と設定を引っ張ってきただけで、このお話の団長達との関わりを考える必要はありませんが、セリフで出すなら別です。
 あくまで筆者の個人的なラインの問題ではありますが。

 筆者が未加入のワーさんについてどう説明したものか。
 この作中でコルワは今、騎空団に居る事になっているのか、ただ面識があるだけか評判を知っているだけにするべきか。
 考えたら色々と面倒くさくなりました。

 既にイベントクエスト基準では多すぎるテキスト量と思われるので文字数は今更気にしていませんが、設定は大切なので。
 中途半端に触れるくらいなら始めから書くべきでないと判断した訳ですわ”シャムシール”。

 すみません。ふざけました。


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10「ニコラとドリイの事」

 ──早くもカタリナの変装がバレてしまい、カタリナ達自身、自らボロも出してしまった。

 ──この策は効果的ではないと考え、何とも言えない気分で俯くカタリナと、それを宥めようとするニコラ。

 ──そこに試着室の向こうから、カレーニャのコーディネート完了の雄叫びが響く。

 ──皆、反射的に今までの話を放り出し、試着室の扉へ意識を集中させた。扉から会話が漏れてくる。

 

 

 

ドリイ

「本当に……本当にお疲れ様でした。アンナ様。最後に鏡をご確認下さい」

 

アンナ

「うぅ……や、やっと終わっ──」

「……ぇ……えぇえ!?」

「こ、こここ、こ、こ、こ……ボ、ボボ、ボ……ボ……!?」

 

カレーニャ

「お気に召したようで何よりですわ」

「ほら、面白い鳴き声あげてないでとっとと出ますわよ」

 

アンナ

「で、ででで出る!? ……って、こ、この……か、格好、で……?」

 

カレーニャ

「当たり前でござあましょうが。むしろこれで通用しない場所があるなら教えて欲しいくらいですわ」

 

ドリイ

「大変よくお似合いですよ。皆様、きっと羨むくらいに。さ、こちらへ──」

 

 

 

 ──まだ何事かアンナの呻きが届きつつも、ドアが開かれ、押し出すように3人が出てきた。

 ──苦戦ぶりを見せつけるように、中年の如く肩首を回す硝子の椅子のカレーニャの後から、ドリイに励ますように肩から手を添えられたアンナが懸命に視線を下に向けながらおずおずと出てくる。

 ──この時点で、既に仲間達はアンナの姿に一斉に息を呑み立ち尽くしていたが、アンナはそれに気付く様子も無くきょろきょろと視線を巡らせ、傍らの椅子に預けられすっかり大人しくなった一番の親友を捉えた。

 

 

 

アンナ

「カ……カシマール~!」

 

カシマール

「ハッ! アンナ……アンナ~~~!!」

 

 

 

 ──椅子に駆け寄ったアンナがカシマールを抱え上げ、()()と抱きしめた。さながら十年後しの再会である。

 

 

 

アンナ

「ああ……会いたかったよぉ、カシマール……」

 

 

 

 ──アンナの具体的な装いについては、各自想像で補完していただきたい。

 ──とにかく、会心の出来だった。アンナの周りだけ光線が純度を増しているようでさえあった。

 ──比較的控えめな装飾を交えて「少女のちょっとした余所行き」の枠に留めつつ、恐らくはアンナの希望で露出を控える事で生地のシナジーを存分に発揮させ、樹海の枝のようにうねる髪質との調和を果たしている。

 ──強いて指摘する点があるなら、着替える前より魔女らしさは幾分抜けている事か。仕立てた人間が人間だけに、魔法を嗜むお嬢様と聞けば何の疑いも無い出で立ちだった。

 ──そしてアンナが再会を喜ぶその姿は、この装いにカシマールが加えられる事さえも想定済みである事を示していた。

 

 

 

ニコラ

イヨッシャア!!

「……ハッ、し、失礼しました! 出来栄えについ興奮してしまって……」

「ともあれ──如何ですか! 正直私も、これ程までとは思ってもみませんでした!」

 

カタリナ

「何……だと……!」

 

ルリア

「…………キレイ……」

 

ビィ

「すっげぇなぁ……一瞬、別人が出てきたのかと思っちまったぜ」

 

アンナ

「ハッ! み、皆……」

「うぅぅ……は、恥ずかしいから……あんまり見ないで……」

 

主人公(選択)

・「すっごく似合ってる!」

・「ありがとうございます!!」

・「尊い……」

 

→「すっごく似合ってる!」

 

アンナ

「だ、だ団長さんまで……!?」

「う、嬉しいけど……やっぱり恥ずかしい……」

 

ニコラ

「カレーニャ! 約束通りこのコーデ、スケッチさせていただいても……!」

 

カレーニャ

「どーぞご自由に。(ワタクシ)ャちょっと休憩させていただきますわ」

 

 

 

 ──カレーニャの言葉を受けたニコラは、興奮気味にアンナを椅子へ導き、対面でその姿を絵に収める。後学か、今後の販売戦略に活かすのだろう。あるいは純粋に趣味かもしれない。

 ──鼻息荒くペンを走らせるニコラに興味を示したルリアとビィは、視線を浴びるアンナを励ましながらニコラのスケッチブックを覗き込み感嘆を漏らしている。

 

 

 

カタリナ

「これは、確かに驚いたが……しかし公共施設に赴くだけにしては、まだ些かその──飾り過ぎでは?」

 

カレーニャ

「年中鎧で過ごしてそうなセンスからすれば、(シナ)と腕が良すぎて見えるってだけですわ。プラトニア図書館は(めか)して来る客も珍しくないですもの」

 

カタリナ

「ぐっ……!」

 

ドリイ

「カレーニャ。侮辱行為更に一点」

 

カレーニャ

「不当ですわ! こちとら仕立てだけは誠心誠意尽くしましたのよ、それをもが──!?」

 

ドリイ

「カレーニャ。店内ではお静かに」

 

 

 

 ──カレーニャの的外れな抗議を物理的に封殺しながら、ドリイはカタリナに問いかける。

 

 

 

ドリイ

「ところで”リーナ”。その姿、ニコラ様には見抜かれてしまったのでは──?」

 

カタリナ(リーナ・カーター)

「──ッ!」

 

ドリイ

「その様子ですと、図星のようですね」

 

カタリナ

「やはり、こんな小手先では──」

 

 

 

 ──しかし、カタリナが眉をしかめるより早く、ドリイが笑顔で言葉を被せる。

 

 

 

ドリイ

「図星でしたら──全く問題ないでしょう」

 

カタリナ

「……は? い、いやしかし──」

 

ドリイ

「ニコラ様以外の方からは、指摘や訝しまれるような振る舞いは無かった。お間違いないでしょうか」

 

カタリナ

「あ、ああ。そうだが……」

 

ドリイ

「であれば、問題ありません」

「ニコラ様は幼少からカレーニャを見知っているだけでなく、連れ立ってここへ通う機会の多い私とも、この店で最も交流の深いお方です」

「こと、彼女は私とカレーニャの事に関しては、プラトニアで最も身近で、それ故に特例であると言ってよいでしょう」

「彼女に看破される事は、この店を目的地に選んだ──即ち私がこうして一時”リーナ”の元を離れる可能性を予見した時点から想定されていた事です」

 

カタリナ

「ニコラ殿以外にバレてさえ居なければ支障は無い……と?」

 

ドリイ

「そういう事です」

 

カタリナ

「──フフッ」

 

ドリイ

「ご安心いただけましたか?」

 

カタリナ

「いや、そこは正直まだ半信半疑なのだが──」

「そういえばニコラ殿も同じような事を言って、私を励まそうとしていたな、と」

「ドリイ殿が一緒に居れば、プラトニア兵だって気付きはしない──と。これがドリイ殿の計らいである事さえもだ」

「だのに耳も貸さず一方的に思いつめていた自分が、何だか可笑しくなって──な」

 

カレーニャ

「ふんっ。もがも、もがもがももも」

 

 

 

 ──口を塞がれたままカレーニャがふんぞり返っているが、何を言っているかは全く聞き取れない。

 

 

 

ドリイ

「先程私が申し上げました旨、ご理解頂けたかと」

「それにカレーニャの言う通りです。お恥ずかしながら(わたくし)、ニコラ様に嘘や隠し事を貫けた試しがございません」

 

カタリナ

「通じてたのか、今の……」

「しかし、それも少々意外だな。初めに出会ってからドリイ殿はずっと落ち着き払っていて、私達の中で一番理知的だろうと思っていたのだが」

 

ドリイ

「恐れ入ります。しかしながら私、見かけよりまだまだ未熟者ですゆえ」

 

 

 

 ──どこか嬉しそうに応えるドリイ。

 ──ニコラのスケッチが終わるまで、一同は和やかな空気を過ごした。そして……

 

 

 

ニコラ

「本日はご利用誠にありがとうございました。こちら、お会計になります」

 

 

 

 ──今日一番と言って間違いないだろう、満足振りが溢れ出るツヤツヤした笑顔のニコラが伝票を持ってきた。

 ──反して、何気なく額面を覗き込んだ一行は過去数度も無いレベルで目玉を飛び出させた。

 

 

 

ビィ

「ひえっ……オ、オイラ、買い物でこんなに数字が並んでるの初めて見た……」

 

カタリナ

「相応の店だろうからと覚悟はしていたが……!」

 

ルリア

「な、名前が……聞いた事ない名前が並んでて、どれがどれの事やら……」

 

アンナ

「あ、あわわわわわ……」

 

 

 

 ──固まる一行を縫って、ドリイが何食わぬ顔で一枚の紙切れをニコラに差し出した。

 

 

 

ドリイ

「試着の時点で品目は確認済みでしたので、予め小切手を切っておきました」

 

ニコラ

「えーっと……はい、ピッタリ丁度ですね。いつもお会計早く済んで助かります」

 

カタリナ

「ド、ドリイ殿!? まさか、全額……?」

 

 

 

 ──既にバレているニコラ以外、都合が良すぎるくらいに周囲に店員の影は無い。

 ──遠慮なく「カタリナ・アリゼ」として振る舞う彼女がドリイに待ったをかけた。

 

 

 

カレーニャ

「あぁら。失礼ですけど、お空の路銀に併せてこれも支払うってなったらタダ事じゃ済まないんじゃござあませんこと?」

 

カタリナ

「そ、それは……いや、そういう問題では無くてだな……」

 

ドリイ

「カタリナ様。元々、私共の勝手に付き合って頂いているようなものですので」

「割り切る事は些か難しいかもしれませんが、お互いのためを思えばこそ、ここは私共に支払わせていただきたく」

 

カタリナ

「……? どういう意味だ?」

 

ドリイ

「下世話な話になりますが……この島を支える資源を一手に担う、その見返り──ご想像いただけますでしょうか」

 

カタリナ

「……いや。『想像もつかない』としか、想像がつかない……」

 

ドリイ

「お察しの通りです。如何に奔放なカレーニャと言えど、流れ込む資産の量は、人一人では慈善事業に寄付してもなお余りに多大で──」

 

カレーニャ

「プラトニアに長者番付とかあったら何年連覇してるのかしらねえ」

 

ドリイ

「語弊を恐れず申し上げてしまいますと、資産管理の一端を担う私自身、時折目眩がする程です」

「かと言って、人々の生活のための魔導グラスが経済を滞らせては本末転倒ですので……」

 

カタリナ

「散財しなければ、却って金銭の流れがカレーニャの元で堰き止められてしまうというのか……」

「事情は……理屈では理解したが……スケールが違いすぎてこっちまでクラクラしそうだ……」

 

ルリア

「と、とにかく、物凄いお金持ちさんなんですね……」

 

カレーニャ

「はいはい、解ったらとっとと図書館行きますわよ。お(ぜぜ)の話なんて続けた所で(ろく)な事になりませんわ」

 

ニコラ

「かしこまりました。では、出口までお見送りさせていただきます」

 

 

 

 ──そうして歩き出した一行。出口へ近づくにつれ、試着室では通りがかりもしなかった店員達と幾度もすれ違う。

 ──偶然一行の最後尾を歩いていたカタリナがふと、通路の一角で、最初に出迎えていたベテラン風の女性店員が別の店員と2人で何事か小声で語り合っているのに気付いた。

 ──傍らで帽子を被った女の子が一人、店員達を見上げて会話を立ち聞きしているようだが、2人は全く気付いていない。

 

 

女性店員「あら、ほら……見……やっと帰って……」

 

別の店員「ほんと……なんて……いい加減に……」

 

カタリナ「……?」

 

 

 

 ──何となく、足を止め店員の方を見やるカタリナ。店員がこちらに気付く様子はない。聞こえたのは本当に偶然としか言いようのない距離なので無理もない。

 ──そこに、明るい声と共にニコラが駆け寄る。

 

 

 

ニコラ

「あ、”リーナ”様。ほらほら、お連れ様方、もう先へ行っちゃいましたよ」

「商品に見惚れちゃうのは私達としても光栄ですけど、はぐれちゃうと皆様心配なされちゃうかもですので。ほら、こっちです」

 

カタリナ

「へ? いや私はそんなつもりでは……って、ニコラ殿。そんなに押さなくても……」

 

 

 

 ──ニコラはするりとカタリナの背後に回り込み、その背を押して案内する。

 ──先程も見知ったその快活ぶりに困惑しながらカタリナも歩みを進めると、ニコラが背を押しながら小さく語りかけてきた。

 ──明るさを保とうとしながらも、少し暗い声だった。

 

 

 

ニコラ

「──お店の者が、失礼しました」

「でも、どうかお気になさらないでください。カタリナ様達の事ではないので」

 

カタリナ

「──!」

 

 

 

 ──その言葉と、頑なに背を押そうとする意図を察したカタリナは、傍目におかしな道案内を受け入れながらニコラに小声で返す。

 

 

 

カタリナ

「──聞き間違い、という事にするつもりだったのだがな……」

 

ニコラ

「……ごめんなさい。でも、お客様に嫌な思いと不信感──どっちか持たせてお送りしなくちゃならないとしたら……って思いまして」

「本当に、カタリナ様達の事じゃないんです。ただ……」

「もし、やっぱり気になるようでしたら……ドリイさんに聞いてください。二人っきりの時に」

 

カタリナ

「ドリイ殿に……この店の事をか?」

 

ニコラ

「私の口からは……ごめんなさい」

「さっき聞いた事──ドリイさんに話せば、カタリナ様にならきっと説明してくれるので」

「くれぐれも二人っきりの時に。でないと話してくれないと思います。それと……私がそう言ってたって事は、どうか秘密で」

 

カタリナ

「──解った。しかし、一つだけ答えて欲しい」

「君から聞いたという事を伏せる理由は何だ。君はドリイ殿達とは親しいと聞いている」

「確かに面白い話では無いように聞こえたが、わざわざ君の事を隠す必要は無いと考えるのだが?」

 

ニコラ

「……人が、居ますから」

 

カタリナ

「人……?」

 

ニコラ

「はい。これから行かれる、街中にも、図書館にも……。誰が聞いてるか、解らないので」

 

カタリナ

「それは……確かに店の信頼というものもあるだろうが、そこまで神経質にな──」

 

 

 

 ──言いかけた所で、聞き慣れた声が耳に届く。

 

 

 

ルリア

「あ、来ましたよ! カタ……もが!?」

 

ドリイ

「遅いですよ、”リーナ”」

 

ビィ

「姐さんが迷子になるなんて珍しいな。一体どうしたんだ?」

 

 

 

 ──気づけば出口手前まで来ていた。

 ──うっかり本名を呼びそうになったルリアの口をドリイが優しく、どこか艶かしく塞ぎながら、カタリナとニコラの話など露程も知らぬ一行が楽しそうに2人の到着を待っている。

 

 

 

ニコラ

「お待たせしました! いやー、当店の商品をお気に召されているところに申し訳ないとは思ったのですが」

 

カタリナ

「な……いや、だからそんな理由で立ち止まったのでは……」

 

 

 

 ──ルリア達への誤解を正そうとするカタリナの背から抜け出るニコラ。その顔は既に、先程から見慣れた、快活で少しズレた店員そのものだった。

 

 

 

ルリア

「カ……じゃなかった。”リーナさん”もやっぱりお洋服、気になってるんですね!?」

 

カタリナ

「いや、そうじゃなくてだなル……」

 

ドリイ

「それは良い事ですね。実の所、リーナは少々華に欠けると思っていた所です」

「ぜひ次回は、リーナも服を見立ててもらいましょう。ええ、ぜひとも」

 

カタリナ

「ドリイ殿まで……と言うか今の言葉、何か他意を含んではいまいか!?」

 

ニコラ

「良いですねえ! その時にはぜひ私めにお手伝いを! 出来たらアンナ様もご一緒に──!」

 

 

 

 ──怒涛の三段重ねに逐一ツッコミを返そうとするカタリナ。同時に、最早ニコラからあの声の面影が完全に失せている事に気づく。

 

 

 

カタリナ

「(やれやれ。これ以上は話を聞けそうにないか……)」

 

 

 

 ──カタリナの胸に一抹の疑問を残しながら、一行はブティックを出て、プラトニア図書館へと向かうのだった。




※ここからあとがき

 アンナさんのコーデについては、文章とキャラのリアクションで想像願います。
 逐一文章にしても、長ったらしいだけにも思えたのと、詳しくもないファッションを下手に指定してしまうと、筆者にとって似合ってると思うものでも読者から見て果てしなくダサい事だって充分あり得るので。
 ここは想像の余地を残す方が正解という事で。



 それでも敢えてテーマを考えるとするなら、アンナさんの元来の服装の要素として、「ロウソク」、「大きく広がって隠すもの」、「赤系統」などが考えられます。
 これに准ずるとして、ロウソクは今回の設定上、本物は持っていけないので、魔導グラスのロウソク型イルミネーションなどが精々でしょうか。
 「控えめな装飾」に収まる程度に「視線を隠す小物」もあると思われます。日傘にした方が大きさを確保出来ますが、入館規定との擦り合せを考えると帽子でしょうか。

 筆者の好みで考えるなら、赤系統でない服で髪の色を映えさせ、長物が無いと落ち着かないかも知れないので本を隠すには厳しい細身の日傘かステッキ。それにベルジェールやマンティーラのような被り物、あるいはカクテル棒から濃いめのベール(しかし喪服っぽくなるかも?)で視線から隠してあげるとかでしょうか。髪型もバレッタ等で少し変えるのもアリかもしれません。

 しかしあくまでも想像にお任せします。



 着替えた後の帽子や箒の行方については適当に想像で補完しといて下さい。
 ニコラが預かってカレーニャ宅の応接用魔導グラスに届けたとか、団長が荷物持ちを請け負っているとか。

 きっぱりマクガフィンと割り切って、「アンナが図書館行きの条件をクリアした」とだけ認識して、脳内でいつも通りのアンナさんを動かしてしまっても、大体は問題ないかと。



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11「いざ、図書館へ」

 ──ニコラと別れ、プラトニア図書館へ向かった一行。そして……

 

 

 

ルリア

「わぁ。すっ……っごく、広いです!」

 

 

 

 ──ルリア達はドリイの言っていた通りすんなりと受付を通り抜け、図書館へ足を踏み入れた。

 ──館内は静かで、清涼な空気がゆっくりと循環している。どこかに空調設備もあるようだ。恐らく魔導グラス製の。

 ──建材は木造を石や漆喰で塗り固めているようだが、壁という壁に磨き抜いた大理石のように滑らかな素材が使われており、ひやりとする清潔感に満ちている。

 ──それでいて、壁に触れてみると仄かに暖かい。これも魔導グラスかと思われるが、ドリイの事前の説明からすると、恐らく異なる。

 ──図書館の落成は100年以上昔との事だった。その頃にはまだ魔導グラスは無く、つまりこの建造物の基礎はプラトニアが脈々と研鑽してきた、純粋な魔力と幾らかの自然素材から造り上げた「学術と技術」の結晶なのだろう。

 ──かつて訪れた「叡智の殿堂」とは趣の異なる雰囲気にルリアの興味が探検的な意味で高まっている。

 

 

 

ビィ

「すっげぇなぁ。ここからてっぺんの屋根まで全部見渡せるぜ。こういうの『吹き抜け』って言うんだろ?」

 

カレーニャ

「惜しいですわね。昔はそうだったのですけど、今は一階層ごとに転落防止のために魔導グラスの天井が張られてますの」

 

ビィ

「うぇ!? マジかよ、言われたってオイラ全然見えねぇぞ」

「ほんとは天井なんて無くて、からかってるだけなんじゃねぇのかぁ?」

 

カレーニャ

「フフン。傍目に景観の邪魔にならないよう透明度にこだわりましたから。見えなければ見えない程、造った甲斐があるってもんですわね」

「ああ、ついでに今見えてるフツーな素材の天井もテッペンではなく最上階の床板兼用ですわ。あの上に更にもう1フロア。いつだったかの改修工事で洒落た形にしたそうですから、錯覚するのも無理ござあませんけど」

 

ルリア

「でもカレーニャちゃん、島中の魔導グラスを一人で造ってるって言ってましたし、本当かもしれませんね」

 

カレーニャ

「ええもちろん。今じゃ島の魔導グラスは水道管から指輪の装飾まで全てこの(わたくし)、カレーニャ・オブロンスカヤ製の最新式でしてよ」

 

ビィ

「なあなあ。その天井にあるっている魔導グラス、飛んでいって触ってみても大丈夫か?」

 

カレーニャ

「別に怪我はしませんけど、触ると係員に『何かぶつかった』連絡が入ってすっ飛んでおいでなさいますわ」

 

ビィ

「そっかぁ。あんまり迷惑かけちゃ悪いよな……」

 

ルリア

「あ、じゃあアンナちゃんに、天井に本当に魔導グラスがあるのか確かめてもらうのはどうでしょう。ねえ、アンナちゃ……ん?」

 

アンナ

「……」

 

カシマール

「アンナ、ヨバレテルゾ?」

 

アンナ

「……あぁ……」

 

 

 

 ──アンナは目を潤ませながら、目の前に広がる光景にため息を漏らしている。

 ──ルリア達さえ最早意識に無い。ただただ念願の知識の宝物庫、そして宝物庫そのものに凝らされた技術の粋に一口目から酔いしれてばかりだ。

 

 

 

カレーニャ

駄目(どゎぁめ)ですわね。しばらく使い物になりませんわ」

 

ルリア

「あはは……アンナちゃん、ここに来るだけでも大変でしたから。きっと本当に嬉しくて堪らないんですね」

 

ビィ

「確かに大変だったなぁ。街歩いてるだけで3回くらい声かけられてたし、受付の兄ちゃんもアンナ見た途端にボーッとしちまうし」

 

ルリア

「通り過ぎる人達もみんなアンナちゃんを見て振り返ってました。ただ道を歩いてるだけなのに本当にキレイでした!」

 

ビィ

「姐さんが着てるのと同じ緑のローブ着た奴らとか、メチャクチャ必死にローブバサバサ見せつけてたよな。オイラちょっと笑っちまったぜ」

「そういやついでにルリアに声かけてきた兄ちゃんも居たな。姐さんと相棒(コイツ)がすげえ怖い顔で追い払ってたけど」

 

カレーニャ

当然(とっうぉぜん)。この私が腕によりをかけましたのよ。それくらいで無くては困りますわ」

 

ビィ

「かえってアンナが困ってたけどな……」

「そういえば、姐さんと眼鏡の姉ちゃん遅えなあ……」

 

ルリア

「受付の人が話したがってるって言ってましたけど……」

「カタリナ以外はみんなドリイさんが言ってた通りにちょっとのお話で済んでたのに……心配です」

 

カレーニャ

「大丈夫ですわよ。ドリイさんが付いてますもの。それに大方、入館規定と全く関係ない話ですわ」

「何ならほら、近くによってみなさいな。聞かれても心配ない雑談しかしてないでしょうから」

 

 

 

 ──カレーニャがクイと受付を指差す。カタリナとドリイが受付の男性と何か語らっている。

 ──重苦しい雰囲気は感じられない。それどころか、カタリナはローブのフード部分を取り、素顔でにこやかに受付と言葉を交わしていた。

 ──ルリア達はカレーニャに促されるまま、カタリナ達の元へ近づいてみた。

 ──アンナは未だ音信不通のため、やむなく置いていくことにした。

 

 

 

受付男性

「それにしてもドリイさんに指導してもらえるなんて、あなた幸運ですよ。良い人でしょう、ドリイさんは?」

 

リーナ・カーター(カタリナ)

「そうだな。思えばここに来てから、ドリイ殿には助けられてばかりだ」

 

ドリイ

「フフ──とんでもない。私はほんのきっかけを手伝っているだけです。貴方の努力あってこその事ですよ、リーナ」

 

受付男性

「またまたぁ。そう言う謙虚な所が素敵なんですよ。リーナさんもそう思うでしょう?」

「一昨年だったかな? いつからか国中から信頼される素晴らしい旅人がいるって初めて知って、気付けば異例の早さで国が永住を認めて政府の役人に迎え入れてって──まるでお伽噺のヒーローですよ」

「私も妻も、息子にいつも言ってるくらいですよ。『ドリイさんのような人になれ』ってね」

 

ドリイ

「まあ。いやですわ、お恥ずかしい──」

 

リーナ

「ハハハ。本当にドリイ殿は有名人なのだな」

 

 

 

 ──3人は朗らかに談笑を交わしていた。

 ──特にカタリナは、ローブの下にエルステの鎧を纏っている事など忘れたかのように自然体で振る舞っている。

 

 

 

ビィ

「流石姐さんだなぁ。図書館に入るのあんなに気にしてたのに、いざとなったらすげぇ肝っ玉だぜ」

 

ルリア

「でもカタリナって、ああいう演技とかあんまり得意そうな感じじゃなかったのに──。急にどうしたんだろう?」

 

 

 

 ──驚く二人を余所に、カタリナ達の会話が終わりに向かっていた。

 

 

 

ドリイ

「では、私達はそろそろ──」

 

受付男性

「おっと、そうでした。お引き止めしてすいません。良いひと時を」

 

カタリナ

「しかし、本当に武器はこのままで良かったのか」

 

受付男性

「ええ。ちゃんと規則でも認められてますのでご安心を」

「館内で万が一があった時は我々役人が止めに入らなきゃなりませんし。何より”あの”カレーニャのお目付け役ですしね」

 

カタリナ

「そ、そうか……」

「ともかく、ありがとう。ご子息の立派な成長を期待しているよ」

 

受付男性

「こりゃあご丁寧にどうも。リーナさんも、頑張ってくださいね」

 

 

 

 ──笑顔で手を振って受付を離れるドリイとカタリナ。

 ──そうしてルリア達の所までやってくると、一気に力が抜けたように大きくため息をついた。

 

 

 

カタリナ

「フゥ……。我ながら驚いたな。本当にやり過ごせてしまうとは……」

 

ドリイ

「お疲れ様でした。カタリナ様」

 

ビィ

「すっげぇぜ姐さん。オイラなんかヒヤヒヤしてたのによお」

 

ルリア

「私も、いつ鎧とか見えちゃうんじゃないかと……」

 

カタリナ

「ハハ。実は私もだよ。こういった事は本当に自信が無くてな。いつ膝が笑いだしてもおかしくなかったくらいだ」

「だが、話をしに行く直前にドリイ殿にちょっとしたコツを教わってね。その通りにしたら何とかなった」

 

ルリア

「コツ……ですか?」

 

カタリナ

「あぁ。何でも──……」

「ハハ……やっと解放されたと思ったら言葉が全然出てこない。ドリイ殿、すまないが──」

 

ドリイ

「はい。喜んで。カタリナ様はゆっくり心を落ち着けてください」

「では、先程カタリナ様にお話した事と同じ内容になりますが、ご説明致します」

 

 

 

 ──カタリナが近くの椅子に腰を降ろす。ルリアとビィは興味津々にドリイの話に詰め寄る。

 

ビィ

「なんだなんだ。何か便利な魔法でも使ったのか?」

 

ドリイ

「いいえ。魔法ではありません。結果としてカタリナ様には魔法の言葉となったようですが」

「カタリナ様には、1つ”おまじない”を──『これから得意な事をする自分の振り』をなさるよう、お勧めしました」

 

ルリア

「得意な事をする自分……の、振り……ですか?」

 

ドリイ

「これもカタリナ様にお話した事ですが──仮に、カタリナ様がお料理を得意としていらっしゃるとしますね」

 

ビィ

「お、おう……」

 

ルリア

「あはは……」

 

ドリイ

「カタリナ様が、その中でもひときわ得意な料理に、隠し味を添えて皆様に提供されるとします」

「この時カタリナ様は皆様と語らいながら料理をお作りになるとします。その間カタリナ様は、隠し味を足そうとしている事、あるいはどのような隠し味を足されたか、皆様に見抜かれる事を恐れたりなさるでしょうか」

 

ルリア

「うーん……私がカタリナの立場だったら、多分、そんな事気にしないと思います」

 

ビィ

「そうだな。隠し味の事を教えないようにするっつっても、そればっかり考えたりしないと思うぜ」

 

ドリイ

「ご明察です。カタリナ様も同じ様に答えておられました」

「隠し事は、その事ばかりに気を取られずとも自然にできる事です。得意な事をしている時なら気にも留めません」

「今回、受付の方は新たな保護監査官候補の”リーナ”に純粋に興味を示されていただけの事ですので──」

「カタリナ様には『人との雑談が得意な自分を演じる』あるいは『これから話す相手はこの後カタリナ様が料理をお出しする相手と思う』、と。そのような心構えを提案致しました」

 

ビィ

「うーん……ちょっとややこしいけど、自信持って話せば大丈夫って意味だよな?」

「もしオイラだったら、変に頑張っちまってボロ出しちまいそうな気がするぜ……」

 

ドリイ

「意外と上手くいくものですよ」

「見抜かれてしまう大きな一因となるのは、知られたくない事があると言う、そればかりに気を取られ、無闇に誤魔化すような振舞いをしてしまう事です」

「『隠し事が露見しないようにする』事から『堂々と人と接しようとする』と言う事に意識を逸らすだけで人に与える印象も大きく変わります」

「多少、大げさな振舞いをしてしまったとしても心配はありません。人付き合いで図らずも空回りしてしまう事は珍しくありませんし、大体の方はそういった事に寛容ですから」

 

ビィ

「言われてみると、確かにアガっちまったりでちょっとくらい変になってるやつと話したってそこまで気にしたりは──」

「そうだ! アンナのやつ置いてったままだった!」

 

 

 

 ──カタリナの名演技で、アンナの存在はすっかり忘れ去らていた。

 ──受付から先程の場所まではそう距離は無い。しかし心ここにあらずだったアンナが我に帰った時、辺りに誰一人居ないとなれば少なからず焦るだろうし、順路と逆方向に位置する受付の事は無意識に頭から抜け落ちかねない。

 

 

 

 

カタリナ

「ん? そう言えば姿が見えないと思っていたが、アンナはどうしたんだ?」

 

ルリア

「アンナちゃん、図書館に来た嬉しさで、私達の声が届かなくなっちゃってて……でも、カタリナの事が心配で、そのままにして来ちゃったんです」

「どうしよう。私達の事見失っちゃったかも……」

 

カレーニャ

「大丈夫じゃござあませんこと? アンナさんには”ピサソール”がついてらっしゃいますもの」

 

カシマール

”カシマール”ダーーーー!

 

カレーニャ

「ほーらね」

 

アンナ

「み……みんなー……。ハァ、ハァ……この靴、走りづらい……」

 

 

 

 ──届いた大声に、ルリア達だけでなく周囲の数人も音の先に視線を向ける。

 ──皆がどこへ去っていったか見届けていたカシマールは、我に返ったアンナに往くべき道を示していたようだ。親友を抱えたアンナが小走りでこちらに向かってきた。

 

 

 

アンナ

「ハァ、ハァ……ご、ごめんみんな……ボ……ボーッとしちゃってた……」

 

ルリア

「こっちこそごめんなさい。せめて手紙か何か残しておいてたら……」

 

カレーニャ

「しっかし存外に耳がよろしいお友達ですこと。でも図書館で大声はいただけませんわよ」

 

カシマール

「ダレノセーダトオモッテヤガンダ!」

 

カタリナ

「まあまあ。とにかくこうして全員揃って入館は果たせたんだ。続きは歩きながら話そうじゃないか」

 

 

 

 ──喧騒の音量に各自注意しながら、一行は図書館巡りを開始した。

 



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12「図書館探検」

 ──図書館への全員入館を果たした一行にカレーニャが滔々と図書館について語る。

 

 

 

カレーニャ

「さて、よろしいですこと皆さん」

「このプラトニア中央図書館、上は地上8階、下は地下2階で構成された、プラトニアで最も高~い建物でもござあますわ」

「しかして、1階は受付と職員用の設備を(しつら)えた事務フロアとなっておりますの。基本、出入りの時以外でお客がこの階に留まる理由はござあません」

「書物は大半がここより上の階に所蔵されていますのでまずは──」

 

ドリイ

「カレーニャ。皆様なら既にあちらに」

 

カレーニャ

「んな!?」

 

 

 

 ──ドリイが指し示す遙か先。一行はカレーニャ達よりずっと先を賑やかに、かつうるさくならない程度に楽しく歩いていた。

 ──好奇心から足取りが早まるルリアとビィに、それに付きそう団長とカタリナ。最後尾ををひな鳥のように離れては追ってを繰り返すアンナという隊列だった。

 ──明確な目的を持って訪れたアンナも今は団長たちと知らない地を歩く事を優先し、純粋に楽しんでいるようだった。

 

 

 

カレーニャ

「……まあ、観光客らしいっちゃらしくて大変よろしい事ですけれども」

 

ドリイ

「時間はまだ余裕があります。まずは心ゆくまで堪能していただくのもよろしいかと」

 

カレーニャ

「はいはい。……全く、ああいうノリはよくわかりませんけれどもね」

 

 

 

 ──やや距離を開けながらのんびりと一行を追う二人。

 ──そうこうしている内、一行は1階をちょうど一回りする頃に、風変わりな設備を見つけた。

 ──鉄格子のような物で遮られた向こうに、大人数人分ほどのスペースの空間がぽっかりと空いている。

 

 

 

ビィ

「何だぁここ? 工事中か何かか?」

 

ルリア

「あ、ここに説明が書いてありますよ。えーと、『魔導グラス昇降機』……と、言うそうです」

 

カタリナ

「ふむ……説明を読む限り、その鉄格子の脇にある操作盤に触れるとゴンドラが移動してきて、客を乗せて各階を移動してくれる──という代物のようだな」

 

 

 

 ──要するにエレベーターである。格子状の出入り口の脇に、1メートル弱程の柱が立ち、その上面に魔導グラスが嵌め込まれている。このグラスが操作盤であると見て取れる。

 

 

 

アンナ

「す、すごい便利そう……! こ、こうかな……えい」

 

 

 

 ──図書館に来てからやや興奮気味のアンナが、話の流れに任せて操作盤に触れてみる。

 ──プラトニアの叡智を肌で感じてみたいという欲求もあるのだろう。

 ──が、特にこれと言って変化は見られない。

 

 

 

ビィ

「……ん? これで、ゴンドラってのが1階に向かってきてくれるのか?」

 

カタリナ

「妙だな。説明書きには操作盤に触れると、すぐに呼び出し中のサインとしてグラスが光るとあるのだが……」

 

ルリア

「もう一回、触り直してみたら動いたりしないでしょうか?」

 

アンナ

「や、やってみてるんだけど……あれぇ?」

 

 

 

 ──カタリナの話を聞いた時点から既に、アンナが操作盤にピタピタと触れなおしてみていたが、やはり操作盤はうんともすんとも言わない。

 ──そんな一行の背後まで追いついたカレーニャとドリイは、状況を理解すると何か小声で言葉を交わしている。

 

 

 

ビィ

「故障してんのか? ちょっと、オイラにも試させて──」

 

主人公(選択)

・「いやいや、ここは僕/私が──」

・「一応、人を呼んだ方が──」

 

→「いやいや、ここは僕/私が──」

 

カレーニャ

「ちょぉい待ち!」

 

 

 

 ──ビィが操作盤に触れようとすると、やや強引に割り込むようにして、カレーニャが自らの手を操作盤へ引っ叩き気味に貼り付けた。

 

 

 

ビィ

「おわっと、危ねえなあ。ぶつかる所だったじゃねえか」

 

カレーニャ

御免遊ばせ(ごぉめんあっさあせ)。ちょいとムダに勢い付きすぎましたわ。まあとにかく見ていなさいな」

 

 

 

 ──言われるままに待ってみると、数秒ほどして操作盤が黄色く点灯する。

 

 

 

ルリア

「あ、動いたみたいですよ」

 

ビィ

「さっきは触っても動かないし、今度は光るまで時間かかるし……やっぱどっか故障してんじゃねえか?」

 

カレーニャ

「故障じゃあござあませんわ。これは整備不良。”燃料切れ”ですわよ。おかげで手間が1つ省けましたわね」

 

ビィ

「燃料?」

 

カタリナ

「魔導グラスと言うくらいだ。恐らく魔力を動力にしているとは推測できるが……」

 

カレーニャ

「ドリイさん。長ったらしい説明お願いしますわ」

 

ドリイ

「畏まりました」

 

 

 

 ──エレベーターの到着を待つ間、ドリイが”燃料”について説明する。

 ──魔導グラスは起動する際に、内部に補充された魔力を消費して動く。これが切れている時はただの硝子とほぼ変わらない振る舞いをする。つまり、何の反応も返さない。

 ──基本的な性質が硝子と似ている事が「魔導グラス」と呼ばれる所以(ゆえん)である。

 ──魔導グラスがオブロンスカヤ家にしか造れない事は先だって説明済みだが、その燃料となる魔力もまた、オブロンスカヤ家の人間でなければ補給できない。

 ──厳密には手順を踏めば赤の他人の魔力でも強引に注ぎ込む事が可能だが、魔導グラスを製造できる人間以外の魔力で動作させると、思わぬ動作不良や暴走の危険があるという。

 ──グラスへの魔力補給は、グラス製造適性者なら、ただグラスに触れるだけで行える。逆に言えば、適性者がグラスを動作させようとしても、触れるだけでは補給が優先されて動作しない。

 ──適性者がグラスを触れる事で起動させる場合、まずグラスの内臓魔力を満タンまで充填させる必要がある。それでようやく起動プロセスが実行されるのだ。

 

 

 

カタリナ

「つまり……度重なる利用で昇降機がちょうど魔力切れを起こした所に我々が触れたから、何も起こらなかった」

「そこに製作者であるカレーニャが触れる事で魔力が補給され、魔力が最大まで溜まってようやく操作盤が動き出した──と、これが先程起きた出来事という事か」

 

カレーニャ

「はい大正解。ドリイさんから花丸進呈ですわ」

 

ドリイ

「優秀な後輩で私も鼻が高いですよ。”リーナ”」

 

ルリア

「わあ。いいなあカタリナ!」

 

カタリナ

「ル、ルリアまで……からかわないでくれ」

 

ビィ

「つー事は……この島の魔導グラス全部、造るだけじゃなくて魔力の入れ直しまでカレーニャ独りでやってるのか……うへえ」

 

 

 

 ──街を行き交い、吹き抜けの天井を覆い、日常的に酷使されるであろう昇降機に至るまで1つ1つ歩き回って手を当てて回るカレーニャを想像するビィ。

 

 

 

カレーニャ

「ちゃーんと我が家に補給用の魔導グラスも造ってありますから、トカゲさんが心配するような事にはなりませんわよ」

 

ビィ

「だからオイラはトカゲじゃねぇっ!」

 

ドリイ

「しかしいずれにせよ、現状はグラスの魔力切れが発覚してから補給用グラスかカレーニャ自身が出向く、後手の形を取っています」

「その意味では、こうして外出の傍らに補給が行えた事は、後々の手間を省く事ができたと考えられ、カレーニャとしては細やかな幸運だったと言えるかと」

 

カタリナ

「差し出がましいようだが、グラスに補給を任せられるなら、最初から消耗の激しい設備を持つ施設に補給用のグラスとやらを常駐させた方が良いのでは?」

 

ドリイ

「確かに公私両面からそういった要望は常に出されていますが、悪用防止のためにも許可していないのが現状です」

 

カタリナ

「悪用? 他の実用的なグラスでなく、補給用のグラスによって、という事か?」

 

ドリイ

「はい。具体的には──」

 

カレーニャ

「お話の途中すいませんけれど、ようやっと来ましたわよ。昇降機」

「しっかし、出入りする分にはあっという間に感じられても、待ってる身には長ったらしくてしょうがありませんわね……何とか改良できないかしら」

 

 

 

 ──カタリナが振り向くと、ゴンドラの下半分が姿を見せた所だった。ルリア達が見るからに到着を心待ちにしている。

 

 

 

ドリイ

「では、申し訳ありませんが続きは後ほどに」

 

カタリナ

「そうだな。……いや、その続きは愉快な話題でも無さそうだ。機会があったらにさせてもらおう」

 

 

 

 ──ゴンドラの中には大勢の客が乗っていた。到着に時間がかかったのは、各階で客を出し入れしていたためと推測できた。

 ──格子が開き、先にゴンドラの中の客が思い思いに語らないながら出てきた、その時に……。

 

 

 

ルリア

「……?」

 

 

 

 ──その場でルリアだけ、何か違和感を覚えた。原因はハッキリそれとわかるが、それの何がおかしいかまではわからない。

 ──それでも2つ。客たちが出てきたその瞬間に2つ気にかかった事がある。

 ──1つ。客たちが昇降機から出る瞬間、一斉に、カレーニャの方を見た気がした。しかし目立つ椅子で移動している上に、この島を支える有名人だ。何もおかしな事ではない。

 ──そしてもう1つ。昇降機から客が出てきたその時その場。今こうしている事自体に、何かを忘れたような間違えたような、落ち着きの無さを感じる。

 

 

 

カタリナ

「ルリア? どうした。乗らないのか?」

 

ビィ

「大丈夫だってルリア。何も怖い所なんかねーぞ!」

 

 

 

 ──しかし、それらの違和感は直ちに忘れ去られた。『昇降機が客を乗せて降りてきた』。客が降りた今、今度は自分達が乗る番だ。ゴンドラの中からルリアを呼ぶ一行。

 

 

 

ルリア

「あっ、ま、待って下さーい」

 

 

 

 ──心は再び昇降機への期待を取り戻し、軽やかに足を踏み出した。






※ここからあとがき

 お空の世界に、昇降機ってあるんでしょうかね。
 騎空艇なんてもの作れるからには多分、大昔の延々動き続けて乗客がタイミング見計らって出入りするタイプくらいはありそうですが……。

 とりあえず本作では昇降機の概念自体が団長達には無いものとして描写しています。


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13「別行動」

 ──魔導グラス昇降機に乗り込んだ一行。

 ──ドリイの手慣れた操作で降り立ったのは、図書館4階。

 

 

 

カレーニャ

「ハイ到着。ここ4階はアンナさんお望みの、魔導書や魔導産業に関する書物が納められたフロアですわ」

 

ルリア

「はわぁ……まさに図書館って、感じですね……

 

 

 

 ──ルリアが思わず間投詞の半ばから音量を抑えた。

 ──辺りは1階よりも更に静まり返っている。床には上等な絨毯のような素材が張られているが、それでも足音1つさえ響き渡ってしまうのではないかと(はばか)られる程だった。

 ──吹き抜け部分で繋がっているように見えていながら、雰囲気には明らかに各階ごとの格差と断絶が感じられた。

 

 

 

カシマール

「ココニヤッテクルダケデ、ホントサンザンメニアッタナ。マッタクヨー」

 

アンナ

カ、カシマール、駄目だよ静かに……!

 

ドリイ

「ご安心ください。利用者層の関係で特に静かなフロアではありますが、常識的な範疇での会話であればそうそう見咎められる事はありません」

「また、当館の建材や備品は吸音性にも優れておりますので。思うよりも存外と、他のお客様のお耳に届く事も少ないものです」

 

 

 

 ──ドリイの言葉を受けて、ルリアとビィが「ほー」と息を吐きつつ肩の力を落とした。

 ──日頃から元気に溢れる分、気にする時も人一倍だ。

 

 

 

カレーニャ

「ま、この調子なら予定通りに運んだ方がお互いにとっても気楽そうですわね」

 

カタリナ

「予定? 恐縮なのだが、この後の予定について何か聞いていただろうか……?」

 

ドリイ

「申し遅れておりましたが、図書館での行動について、(わたくし)とカレーニャとでプランを立てておりまして──」

「いかがでしょう。ここで一度アンナ様とお連れ様とで二手に分かれ、後ほど合流する形を取る、と言うのは」

 

アンナ

「え? 団長さん達と一緒じゃなくて……?」

 

 

 

 ──アンナが露骨に不安そうな顔をする。慣れない土地とあっては尚更である。

 

 

 

ドリイ

「アンナ様の調べ物には専門知識も多々必要となるでしょうから、失礼ながらその間、門外の方では持て余してしまわれるかと」

 

ビィ

「う~ん……まあオイラとかルリアなんて、普段から本自体そんなに読まねえしなあ……」

 

ルリア

「はうぅ……」

 

ドリイ

「ですので、アンナ様には多少なりと心得のあるカレーニャを付き添わせ、皆様には僭越ながら、私が図書館の他の階をご紹介しようかと。そのようにカレーニャと打ち合わせておりました」

「参考までに、私共ではお昼頃の合流を計画しております。8階展望フロアに食堂と休憩スペースが儲けられていますので、そちらで落ち合った後、改めて午後の動向を話し合う、と」

 

ルリア

「ここ、ご飯も食べられるんですか!?」

 

ドリイ

「はい。職員も利用する場ですので、おもてなしとしては簡素なものではありますが」

 

カレーニャ

「ご飯はともかく、これはあくまで提案。選択はあなた方のお望みのままですので、気軽に決めてくだすって結構ですわ」

 

主人公(選択)

・「どうしようか……?」

・「まずはアンナの意見を聞こう」

 

→「まずはアンナの意見を聞こう」

 

カタリナ

「私も同感だな。そういう事ならその答えは、私達よりアンナのそれを尊重するべきだろう」

 

アンナ

「あ、ボ、ボク……?」

 

 

 

 ──団長達の視線がアンナに集中する。視線から身を守るようにしながら口をモゴモゴさせて考え込むアンナ。

 ──少しソワソワして見せた後、答えが決まったようで辿々(たどたど)しく口を開いた。

 

 

 

アンナ

「えっと……あの、ボ、ボクも……それで良いと、思う……かな」

「み、皆に、退屈させちゃったら、わ、悪いし……」

 

カレーニャ

「ほんじゃあ、決まりですわね」

 

 

 

 ──団長達はアンナとひとまずの別れを告げた。

 ──ルリアとカタリナの提案で、まずは空や星晶獣の事について目新しい情報は無いか調べてみるという方針が立ち、ドリイの案内で1つ上の5階へと移動した。

 ──ルリアとビィは再び昇降機に乗りたがっていたが、既に他階へ移動した昇降機の待ち時間などを考慮した結果カタリナから却下され、階段での移動となった。

 



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14「団長パート」

 ──5階に到達した一行。5階は歴史書フロアとなっていた。

 ──結論から言って、この階は早々に切り上げる事となった。

 ──主な理由は2つ。

 ──1つは、純粋な知識の宝物庫たる「叡智の殿堂」に訪れた事もある一行にとって、島独自の星晶獣を持つという事もないプラトニアの蔵書には特段に目を引く資料というものが余り無かった事。

 ──もう1つは、それでも探せば有益な資料もあったかも知れないが、ビィが欠伸を始め、ルリアがオーバーヒートしかけたために、これでは観光として本末転倒となったためだ。

 

 

 

ルリア

「うぅ……ごめんなさい」

 

カタリナ

「別に謝るような事じゃないさ。私達はアンナほど確たる目的があって来たわけでも無いんだから。皆が楽しめる事の方が大事だ」

 

 

 

 ──何も問題は無いと笑い飛ばすような口調でルリアを励ますカタリナ。

 ──おどけて見せていながら、生まれ持っての素材に裏打ちされたクールな笑顔を向けていたが、何か思い出して途端に顔全体がとろける。

 

 

 

カタリナ

「それに眠たげなビィ君というのも、私としてはなかなか貴重な収穫だった……!」

 

ビィ

「うぅ……思いっきり見られてたと思うと、ちょっと恥ずかしいな……」

 

主人公(選択)

 

・「口の中までばっちり見てたよ!」

・「次はどこに?」

 

→「次はどこに?」

 

ドリイ

「お次は、6階をご案内致したく。昇降機は今回も階が離れていますので、今しばらくご足労を願います」

 

 

 

 ──ドリイに連れられてやってきた6階は、ここまで見た他の階とは趣が異なっていた。

 ──まず利用者の数と客層があきらかに異なる。親子連れや、散歩ついでに来たような幾分着崩した格好の客が目立ち、視界から途切れる事がない。

 ──静かではあるが時折子供のはしゃぎ声やそれを咎める親の声、咳払い等が届く。のどかな公園に訪れたような幾分気安い空気が漂っている。

 ──そして間取りにも違いが見受けられた。5階には無かった、数人ほど入れそうな個室が幾つか儲けられている。

 

 

 

ドリイ

「こちらは6階、児童書・一般書のフロアです。大衆向けの娯楽用の書籍や絵物語、ゲームブックなども所蔵されております。近年の蔵書では、スフィリア等で出展される──」

 

ビィ

「ゲームブック? ゲームができる本なのか?」

 

 

 

 ──「ゲーム」と言う単語にビィが食い付いた。慣れた様子で話題をゲームブックに切り替えるドリイ。

 

 

 

ドリイ

「はい。本の指示通りのページを開く事で話が進み、本を通して冒険を始めとした悲喜こもごもを体験できるという物です」

「他に、数人でのパーティーゲームをまとめた本や、各人で役割を決めて本の世界の人物になりきるゲームの説明書、その他にも様々に取り揃えております」

 

ビィ

「おお! 何だか聞いててワクワクしてくるぜ」

 

ドリイ

「6階は学術としてではなく、書を通じた交流や楽しみを分かち合う事を重視した構成です」

「受付に申し出れば、個室を借りてゲームに興じる事も可能ですよ。ただし、特に防音に配慮しているとは言え、節度にはご協力願います」

 

主人公(選択)

・「ゲームブックか……」

・「絵物語か……」

 

→「ゲームブックか……」

 

ルリア

「私、そのゲームブックっていう本なら、ちゃんと読めるかもしれません!」

 

カタリナ

「それは本というよりゲームに興味があるだけじゃないのか……?」

 

ドリイ

「とても良い事ですよ、カタリナ様」

「書物を嗜むためには、まず書物に親しまねばなりません。いつ、如何なる書物が切っ掛けでも、それは誇らしい出会いなのです」

 

カタリナ

「な、なるほど。一理あるな……」

 

ドリイ

「ではルリア様、ビィ様のご希望に沿ってご案内致します。ゲームブックでしたら、ここからですと14の棚へ向かい──」

 

 

 

 ──ドリイの案内でゲームブックの所蔵された棚を見つけた一行。

 ──書架に居並ぶ背表紙の列に目を輝かせ、ルリア、ビィ、そして団長は片っ端から開いてみては冒険の行き先を見繕い始めた。

 ──年相応の顔を見せる彼らを微笑ましく見守るカタリナ。そこでふと、彼女はブティックでのニコラとの一件を思い出した。

 ──店員が遠巻きに交わしていた言葉。その意味をドリイに、二人きりの時に聞いて欲しいと説明したニコラ……。

 ──今、団長たちとは距離があり、しばらくは本探しに夢中になっている。

 ──あの一件はやはり気のせいだとしまい込む事も出来たが、ニコラの言葉が引っかかったカタリナは、ここがチャンスかと踏み込んだ。

 

 

 

カタリナ

「その……時に、ニコラど──」

 

子供

「おかあさんはやくー!」

 

カタリナ

「!?」

 

 

 

 ──背後で声が上がった。持ちかけようとした話題が話題だけに、何か咎められているような気分に一瞬、肩が跳ねるカタリナ。

 ──振り向くと、幼い少年が呼びかけた方向から、母親と思しき女性が歩み寄ってくる。

 

 

 

母親

「そんなに急がなくたって本は逃げないわよ。それより今度こそ間違いないの?」

 

子供

「わかんないけど……この前ここで見つけたから多分だいじょうぶ!」

 

 

 

 ──会話の内容から、何か本を探して回っているようだ。

 ──ドリイが率先して親子に声をかけた。

 

 

 

ドリイ

「もし。何か、お探しでしょうか?」

 

母親

「あら、ドリイさん。すみませんが手伝ってくださる? この子が──」

 

子供

「あ、ドリイさんだ! こんにちは」

 

ドリイ

「はい、こんにちは。とても良い挨拶ですね。今日は、どうしましたか?」

 

 

 

 ──少年に話しかけられるや否や、しゃがみ込んでにこやかに目線を合わせて応じるドリイ。

 

 

 

子供

「あのね、こないだ見つけたゲームブック探しに来たんだけど、見つからなくって……」

 

ドリイ

「なるほど。その本の名前や見た目は、何か覚えていませんか?」

 

子供

「えっと……”なんとか”ゲイトって名前で……あと、本に鎌を持った骸骨が描いてあった!」

 

ドリイ

「その本は、私もまだ読んだ事がありませんね……ですが、それだけ覚えていれば大丈夫ですよ」

「見つけ方をお母様に説明したいのですが、よろしいですか?」

 

子供

「うん!」

 

 

 

 ──しっかりと子供の了承を得た上で目線を外し、母親に向き直るドリイ。

 

 

 

ドリイ

「事情は把握致しました。個別に書物をお探しでしたら受付か、お近くの魔導グラスにお問い合わせください」

「ただ今回の場合、魔導グラスに任せるには情報が些か抽象的な部分もございますので、受付にてご子息から直接問い合わせていただくのが確実かと」

 

母親

「あらそう? この子の物覚えだけじゃ却って迷惑させちゃうかと思ってたのですけど……」

 

ドリイ

「いいえ。とても利発なお子様ですよ。部分的ながらも、目に付きやすい特徴をちゃんと覚えておられます。手に取った事のある職員ならすぐに解る事でしょう」

「今後とも係員に申し付けて下されば、所蔵されている書物なら必ずこちらで探してお渡し致しますので、是非、遠慮なくご活用ください」

 

母親

「わかったわ。いつも親切にどうも」

 

ドリイ

「お役に立てれば光栄です」

 

 

 

 ──言い終えると、再びしゃがんで子供に語りかけるドリイ。

 

 

 

ドリイ

「お待たせしました。お探しの本の事を、受付の人に説明してみてください。貸し出し済みの本で無ければ、きっと図書館の皆で見つけてみせますので」

 

子供

「みんなで!?」

 

ドリイ

「はい。あなたのために、みんなでです。ですがもし探すのに時間がかかってしまうと言われてしまったら、他の本を探したり、8階で休憩したりして、お待ちいただけると嬉しいです」

 

子供

「わかった、ちゃんと待つ! ありがとうドリイさん」

 

ドリイ

「どういたしまして。素敵なお返事ですね」

 

 

 

 ──親子に手を振って見送るドリイ。

 ──ここまで傍らで見ていたカタリナは、すっかり聞き出す気が削がれてしまった。

 ──そもそも、今のように不意に人が通りかかる場と解った以上、二人きりの話を切り出すのは相応しくない。

 

 

 

ドリイ

「さて──。お待たせしました。カタリナ様」

 

カタリナ

「え? あ、いや、あーその……」

 

ドリイ

「何かお話があるご様子だったと記憶しておりますが」

 

カタリナ

「あ、あぁうん。た、大した話ではないというか、その……」

 

 

 

 ──声をかけていた事は、しっかり聞き取っていたようだ。

 ──当初の話題がボツになって、咄嗟に代わりの話題が用意できるほどカタリナも柔軟ではない。

 ──見るからにしどろもどろになりながら、どうにか言葉を捻り出すカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「えーと、何だ、その……魔法。そう、魔法の事で少々、な」

 

ドリイ

「まあ。カタリナ様も魔法に造詣(ぞうけい)が?」

 

カタリナ

「そういうのともちょっと違うというか……その、だな」

「……そう、ドリイ殿の事だ。ドリイ殿は、魔法を嗜んでおられるのか?」

 

ドリイ

「私ですか? はい。半ば趣味の側面もありますが、カレーニャの身の回りを支えるためにも少々修めております」

「プラトニアは国家の方針として、魔法の探求には特に力を入れています。一般への普及率も、他の島と比べて決して低くないものかと」

 

カタリナ

「そ、そうなのか……ん?」

 

 

 

 ──どうにか話題を繋げねばと、ドリイ繋がりで必死に記憶を掘り起こすカタリナが、1つネタになりそうな記憶を発見した。

 

 

 

カタリナ

「そういえば、最初に君たち2人と出会った時の事だが──」

 

ドリイ

「はい」

 

カタリナ

「あの時、路地は例の魔導グラスの球が地面を埋め尽くすように砕け散っていた」

「だが、私達がアンナの元に駆け寄ろうとした時、すぐさま君が私達の前に立って止めたな」

「君はカレーニャと一緒に、グラスの向こう側に立っていたはずなのに、まるで瞬間移動したかのように……」

 

ドリイ

「把握致しました。その件についてでしたら──」

 

 

 

 ──ドリイの言葉が終わるか終わらないかの内に、カタリナの眼前から彼女の姿が消えた。

 ──面食らって辺りを見回すカタリナだが、見つからない。

 ──が、すぐさま背後に気配を感じ、思わず戦場で染み付いた条件反射で体が総毛立つカタリナ。

 ──振り向くと、カタリナの背中と密着せんばかりの位置に居たドリイが何食わぬ顔で歩き出していた所だった。

 ──消える直前まで立っていた場所で足を止めると振り返り、お辞儀をして見せてから口を開いた。

 

 

 

ドリイ

「騎士様の背後を取った無礼、お許しください」

 

カタリナ

「い、いや、構わない。私の不覚だ」

「しかし、今のは一体何が……?」

 

ドリイ

「ごく基礎的な魔法です」

 

カタリナ

「基礎? 一瞬で消えたように見えたが……」

 

ドリイ

「ご存知でしょうか。魔法は幾つかの属性に分かれており、風属性の初歩的な魔法の中に、身体の動きを早める魔法がある事を」

 

カタリナ

「ああ。昔、座学で習った事がある。肉体の動作を瞬間的に加速させて──加速って……まさか?」

 

ドリイ

「はい。(わたくし)、趣味で魔法の基礎分野を少々研究しております」

「先の路地の件も今しがたの事も、一足の動作をより早く、より遠くに、よりしめやかにと効率を高めた、初歩的な加速の魔法です」

「ごく短距離ではありますが、虚を突けば人が気付くより速く移動できますので、咄嗟の事故に対応する時などに重宝しています。応用すれば、壁面を足場にすると言った事も造作もありません」

 

 

 

 ──日常生活で活用するほど当たり前のように瞬間移動する人間など、カタリナ達の出会ってきた人間どころか人外に枠を伸ばしてもそうは居ない。

 

 

 

カタリナ

「そ……それは、プラトニアではその……よくあるものなのか?」

 

ドリイ

「はい。プラトニア以外でも基礎分野の研究は魔法に関して少なからず重要な……」

 

カタリナ

「そうではなく。君のそういった……同じ分野で、君ほどの技術の持ち主は、プラトニアで他に前例はあるのか?」

 

ドリイ

「お恥ずかしながら、私の聞き及ぶ限りでは寡聞にして存じ上げません」

「ただ当時、私の技能を審査した魔導士の方々も大層驚いていた様子でしたので、ともすれば過去のプラトニアにおいても……」

 

カタリナ

「……魔法の事は専門外だが、君もカレーニャに負けず劣らずの逸材かもしれないな。色々と」

 

ドリイ

「身に余るお言葉です」

 

 

 

 ──恭しくお辞儀を返すドリイ。謙虚なのか天然なのか、ドリイの態度には嫌味のようなものは一切感じられない。

 ──広い空の下、それが出来る人は幾らでもいて、たまたまプラトニアでは彼女1人だけだった。奢る事も疑う事も無くそう認識しているといった様子だった。

 

 

 

ビィ

「おーい、眼鏡の姉ちゃーん!」

 

 

 

 ──そこにビィ達が幾つかの本を抱えて駆けて来る。

 ──ドリイは彼らの方を振り向き、優しい笑顔のまま唇の前に人差し指を添えてみせた。

 

 

 

ビィ

「おっとと、わりい。静かにしないとだったな……」

 

ドリイ

「お楽しみいただけているようで何よりです」

 

ルリア

「あの、ゲームブック、幾つか面白そうなの見つけました。けど、全部読むのはちょっと大変かなと思って──」

「だから、もしドリイさんが知っててオススメの本があったらまずはそれを読んでみようって。みんなで話してたんです」

 

ドリイ

「まあ。光栄です。今お持ちの中からで、私の知っている物となると、そうですね──」

「そうだ。今の時間なら個室も1つくらいは空いているはずですので、よければご利用なさいますか」

 

ビィ

「いいなそれ。ちょっとくらい騒いじまっても大丈夫なんだろ?」

 

ドリイ

「はい。他にも、ゲームブックを楽しみやすくする小道具なども室内にございます」

 

ルリア

「わあ。楽しみです」

 

カタリナ

「何から何まで済まないな。何分、遊びたい盛りの子たちで……」

 

ドリイ

「あくまで図書館職員としてのもてなしで、他意はございません。どうかお気になさらないでください」

 

 

 

 ──その後、団長達は待ち合わせの時間まで、ゲームブックの攻略を楽しんだ。

 ──ちなみに、最も熱中していたのはカタリナだったという。




※ここからあとがき

「魔法」なのか「魔術」なのか、原作でもどうやら表記揺れがあるようで安定していない印象です。

 一応、某ゲームの世界観のような2つの単語における厳格な区別とかは無いと判断し、それでも一応、今回はなるべく「魔法」で表現を統一するように意識しました。


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15「アンナパート01・4階」

 ──団長たちと別れて間もなく、4階のアンナとカレーニャは早速、書物を1つ開いていた。

 

 

 

カレーニャ

「昔ながらのお薬とかお守りの本なら、まずはその本が手頃なのですけれど……あんまり芳しくないってお(ツラ)構えですわね」

 

アンナ

「う、うん……」

「あの……この本に書いてある事は、殆ど、お祖母様から教わって知ってる事ばかりで……」

 

カレーニャ

「ほ、殆ど……!?」

「一応、プラトニアの学者なら老いも若きもお墓に入る前まで読み返す名著ですけれど……全部、頭の中に?」

 

アンナ

「え……へ、変、だったかな?」

「だって、森で暮らしてた頃は、毎日必要になる事ばかりだったし……」

 

カレーニャ

「下位互換の世界にすっ飛んだ主人公みたいな事言いますのね……」

「ま~……でも、なるほど。確かに、こう言った分野はプラトニアでは都市開発に連れて使わなくなっていった知識と聞いてますわね」

「一般に出回るのも今じゃあアクセサリー半分なのとか健康グッズが主流らしいですし」

「環境が違うと、こうも変わるものですのね……はぁ。田舎娘だなんて囃した件、謹んで撤回致しますわ」

 

 

 

 ──思う所があったのか、グラスの椅子から降りて神妙にお辞儀しだすカレーニャ。

 

 

 

アンナ

「えぇ!? そ、そそそんな、いいよ! ボ、ボクなんてそんな……」

 

 

 

 ──「そんな言葉、言われてただろうか」と一瞬、考え込むアンナだったが、そう言えば試着室で言われたような気もする。

 

 

 

カシマール

「ザマァミヤガレ! アンナハスゲーダロ!」

 

アンナ

「カ、カシマールも、駄目だってば! ボクそんなつ、つもりじゃ……」

 

カレーニャ

「あなたに頭下げたわけじゃござあませんし、もう少し音量落としなさいな”フェルメール”」

 

カシマール

「カシマールダ!!」

 

アンナ

「あ、あわわわ……」

 

 

 

 ──慌ててカシマールの口元を抑えて周囲を見渡すアンナ。

 ─周囲に人影は1つきり。学術書を読むには些か若過ぎるような少女が、顔より大きそうな分厚い本を読み耽っており、こちらを気にしている様子は全く無い。幸いにも迷惑にはならなかったようだ。

 ──アンナがホッとしたのを見届けたカレーニャが、グラスチェアーに座り直しながらぼやく。

 

 

 

カレーニャ

「とにかく、それ1冊への理解で大体の分野と傾向も探れるスグレモノだったのですけれど……こうも万能とあってはねえ」

「改めて専門書や論文集を探るべきでしょうけれど……」

 

 

 

 ──カレーニャが2人の居る机の脇に立つ魔導グラスのオブジェを覗き込む。そして自らの傍らに浮かせたグラス球を一撫ですると、オブジェの丁度覗き込んでいた面が光りだす。

 ──このオブジェは各階に配備された蔵書検索用の端末。本来は表示画面に当たる部分に触れて起動するタッチパネル方式である。

 ──オブジェに映し出された書架の目録を流し見ながら、苦々しく声を漏らすカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「ミスりましたわねえ。門外漢の私じゃ数を持ってくるのがやっとですわ」

 

アンナ

「ミス?」

 

カレーニャ

「1冊の本がどの分野について書かれているかまでは端末である程度は解りますけれども、どれだけ正確に踏み込んだ代物かは、あなたに読み解いてもらって確かめる他にござあませんの」

「となれば、手当たり次第に運んで来る事になりますけれども、そんな虱潰し何日あったって足りませんわ」

「これがドリイさんなら手頃な奴を見繕えるんですけれどもね……だから私が向こうに付いてった方が良かったかもって事」

「あの人ったら、図書館の7割くらいの書物を読破済みですもの」

 

カシマール

「ナ……?」

 

アンナ

「なな……って、あの、こ、この階だけじゃなくて……あの、全部まとめて……七割?」

 

カレーニャ

「そ。ドリイさんは速読術をマスターなすってる上に人並み外れて記憶力もよろしくってね」

「どこまで正確かは存じませんけど、各階の書物の少なくとも半分以上は内容を正確に覚えて、書架の番号まで即座に説明出来ますの。まさに生き字引ですわね」

 

アンナ

「な、何だか……何でも出来る人……なんだね」

 

カレーニャ

「そっのっ(とぅおー)りですわ! ドリイさんは最早、天才の枠さえ超えた超人と言っても差し支えござあませんことよ!」

「……っと、まあそれはともかくとして。不甲斐ないのですけれど、これは一旦ドリイさんと合流して、オススメをまとめてもらった方が効率的ですわね」

 

 

 

 ──急にまるで我が事のようにドリイを誇ってみせたカレーニャだが、これまた急に我に返り弱気に提案する。落差が激しい。

 ──カレーニャの忙しなさにしばしポカンと見ていたアンナだが、回答を求められている事まで頭が追いつくと、すぐさま応えた。

 

 

 

アンナ

「……あ、そ、それじゃあ……別の本、さ、探してもらっても、良いかな?」

「今、探したい本は、お昼にドリイさんに聞いてからで、大丈夫だから」

 

カレーニャ

「助かりますわ。それで、どんな本を?」

 

アンナ

「えっとね……。火の魔法の使い方とか、この階にあるかな?」

 

カレーニャ

「ありますわよ。アンナさん向きのクラシカルな手順の魔術書や儀式の手引きとかなら、まとめてこの階に所蔵されてますわ」

 

 

 

 ──応えながらグラス球を撫でるカレーニャ。手頃な本に心当たりがあるらしく、オブジェから漏れる光が目まぐるしく明滅する。

 

 

 

アンナ

「じゃ、じゃあ、その中から良さそうなの知ってたら、お願い」

「ボク、団長さん達と、魔物とかと戦う時、火の魔法を使ってるから──もっと、団長さんの役に立てたらなって」

 

カレーニャ

「あーら可愛らしいですこと。それなら地下に持ってく手配もした方が良さそうですわね」

 

アンナ

「地下?」

 

カレーニャ

「お話しませんでしたこと? ……ああいや、あの時は聞いてなかったんでしたわね」

「プラトニア図書館は地下階がござあますの。魔法は使ってなんぼですから、地下2階が魔法の実験やトレーニング用の設備になってますのよ」

 

アンナ

「そ、それって、ボク達が使っても大丈夫なの……?」

 

カレーニャ

「もちろんOKですわ。プラトニア図書館は一般に広く開放されてるのがウリですもの。まあ当然、幾つか決まり事はありますけれど」

「で、どうしますの。行く? 行かない?」

 

アンナ

「じゃ、じゃあ……行ってみたい!」

 

カレーニャ

「よろしい。それじゃあ、本を探す時間は極力削りましょうか。アンナさん、ここに書かれてるコレとコレ、ご自分で持ってきていただけるかしら?」

 

アンナ

「えっと……どっちも同じ棚に入ってるって事だよね。ま、任せて」

 

 

 

 ──資料の絞り込みを終えたカレーニャが、アンナに端末に映し出された本のタイトルと所蔵箇所を見せる。

 ──請け負ったアンナは2、3歩走りかけた所で慌てて早歩きに直しながら、二手に別れて資料探しを始めた。

 



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16「アンナパート02・魔導グラスの可能性」

 ──つつがなく資料探しを終えた2人は、4階から地下2階へ移動するため、昇降機が来るのを待っていた。

 ──カレーニャの傍らには、グラス球と加えて、団長達が往来で見かけたグラスの鳩が浮いていた。

 ──地下への持ち込みを認められた書物を、まとめて鳩の中に預けて輸送しているためだ。

 ──昇降機の待ち時間に流れる沈黙に気まずさを感じたアンナが、プランも無しに口を開いた。

 

 

 

アンナ

「そ、その……カ、カレーニャ……」

 

カレーニャ

「何か?」

 

アンナ

「えっと……あの……何でも、ない」

 

カレーニャ

「何ですのよ。話しかけといて」

 

アンナ

「ごめん……な、何か、話した方が良いのかなって、思って……」

 

カレーニャ

「別にお仲間と一緒に居るのでも無し、余計なお世話ですわよ」

(わたくし)からしたらむしろ、静寂を嫌うようなその感性がまったく理解できませんわ」

 

アンナ

「ご……ごめん……」

 

カレーニャ

「何べんも陳謝ばっかり出てくる会話もね」

 

アンナ

「ご──うぅ……」

「えっと、えっと……あ、そうだ。あの、ね……」

 

カレーニャ

「だぁから無理に話すこたあござあませんっての」

 

アンナ

「えぅ……」

 

 

 

 ──今度は何か話題を用意していたらしい事を察したカレーニャ。「しまった」と言った顔で少し考え込み、やがて大きく深くため息をついて誤魔化すように返した。

 

 

 

カレーニャ

「ハイハイ聞きますわよ。怒りもはぐらかしもしませんから。ほら、言ってご覧なさいな」

 

アンナ

「う、うん……」

「えっと……カレーニャの持ってる、その丸い魔導グラスなんだけど……」

 

カレーニャ

「これ?」

 

 

 

 ──言うなり、グラス球が2人の間に入り込むようにスイッと宙を移動する。

 ──グラスの中では、泳いでいるのか明滅しているのか、虹色の光が垣間見える。

 

 

 

アンナ

「う、うん。魔導グラスって、それぞれ色んな役目があるみたいだけど──」

「カレーニャの持ってるそれは、どんなグラスなのかなって」

「と……とっても、大切な物みたいだけど……」

 

 

 

 ──割った時の事をまだ若干引きずっているのか、語尾のトーンが落ち気味のアンナ。

 

 

 

カレーニャ

「ああ。そんな事」

「まあ、そうですわね。これは特別の一品で色々と機能がありますから、一言では何とも……」

「とりあえず機能の1つとしては、さっきみたいな遠隔操作ですわね」

「私ことカレーニャ・オブロンスカヤ製の魔導グラスでしたら、この(たま)を介してどこからでも自由に動かす事が出来ますわ」

 

アンナ

「へえ。だからあんな風に……はっ」

「そ、そういえば、試着室に入る時も確か……」

 

カレーニャ

「ンそういう事♪」

「もともとグラスチェアーに手枷機能なんてござあませんから、球から命令送って椅子自体を変形させましたのよ」

「ですから、まさかあんな仕掛けが飛び出すとは思いもよらなんだでござあましょ?」

 

アンナ

「むう……」

「あ……で、でも、椅子自体を変形って、結構すごい事なんじゃないかな?」

 

カレーニャ

「アラご明察。既成のグラスの形や機能を即座に書き換えられるというのがこの球の真骨頂ですわ」

「それだけに燃費もかかりますけれど、私一人しか使う予定の無い現状、さして問題にはなりませんわ」

 

アンナ

「あ。だから、ずっと持ち歩いてるの?」

「触って、いつも魔力を溜めておけるように」

 

カレーニャ

「んん~、半分当たりで半分ハズレですけれども……」

「ふむ……ま、良いでしょう。本当は企業秘密ですけれども、もうちょっとだけお教えしちゃいますわ」

 

アンナ

「え!? あ、あの、そこまで聞きたかったつもりじゃあ……」

 

カレーニャ

「お構いなく。私が、こういうのハッキリしとかないと落ち着かない性分ですので」

「それにアンナさん、こういう事話しても人にうっかりバラすようなタイプじゃなさそうですもの」

「合ってます?」

 

アンナ

「う、うん……多分……」

 

カレーニャ

「そういうお返事が一番信用できますの♪」

 

 

 

 ──何となく、「口が堅い」とかでなく「そもそも話す相手が居ない」という意味だろうなと邪推して複雑な気分のアンナ。

 

 

 

カレーニャ

「良いですこと。そもそも魔導グラスの真髄は、便利な道具にできるって俗な物じゃあござあませんの」

「それはあくまで出来る事の一部。本当に重要なのは、その中に魔力を封じ込める事が出来るという事ですわ」

 

アンナ

「そ、そう? でも、魔力を閉じ込めた宝石とかよくあるし、それに……余り詳しくないけど、星晶とかも、似たようなものじゃないかな?」

 

カレーニャ

「だと思うでしょう? ところが、魔導グラスの場合、魔力を取り込む媒体自体、魔導グラスという天然に存在しない魔力の塊ですの」

「この意味がおわかり?」

 

アンナ

「えっと……魔力で、魔力を閉じ込めてる?」

 

カレーニャ

「惜しい。魔導グラスの中に閉じ込められた時点で、その魔力はこの空のあらゆる物質から断絶された環境にあるって事ですわ」

「言い換えるなら、魔導グラスの中には、この空ではありえない場所に置かれた魔力が存在するって事ですの」

 

アンナ

「それって……すごい事なの?」

 

カレーニャ

「ええ。ゆくゆくは全空がひっくり返るくらいに」

「魔力がこの空の元素と関わりあって魔法が発生する。逆に考えれば、この空で元素に影響されない魔力は存在しようが無い」

「そのルールを打ち破るのがこの魔導グラスですわ。この中で魔力がどんな振る舞いが出来るか、オブロンスカヤ以前に知る者は1人として居ないんですのよ」

「しかも魔導グラスは、その内部に閉じ込めた魔力を加工する事もできる」

 

アンナ

「加工?」

 

カレーニャ

「例えば、魔力に渦を巻かせるとかそんな感じですわ。魔力をガラス状に固めるのも然り。ただしスケールが桁違いですの」

「例えば、そうですわね……星晶獣も消しされるような膨大な魔力を溜め込んで砂粒ほどにまで圧縮したり、魔導グラスという狭い領域の中だけで大爆発させたり」

 

アンナ

「うぅ……全然想像がつかない……」

「えっと……その”加工”をすると、何が起こるの……?」

 

カレーニャ

「理論上、ですけれど……時間と空間を捻じ曲げる程の力が、魔導グラスの中に生まれる」

 

アンナ

「時間と、空間……?」

 

カレーニャ

「ええ。例えば過去や未来──いえ、この空とは全く違う世界にすら繋がる穴ができたり……ね」

「そしてこの球の最も大切な機能は、内部の魔力を加工する過程と、その結果を外から観測できるという事」

「隔離された環境でしか起きない事をその目で確認できる。探求する者としてこれ以上の事はござあませんわ」

「そのための膨大な魔力を確保し、そしてその過程をも観測するため、こうして充填し続けてますの。何日も、何年も──」

 

アンナ

「それって……そんな事できたら……」

 

 

 

 ──言いかけた所で、ガラガラと金属が滑らかに擦れる音が響いた。

 ──眼の前では、到着した無人の昇降機が鉄格子を開き、乗客を出迎えている。

 

 

 

カレーニャ

「あら、これはラッキーでしたわ。丁度空いてるなんて」

 

アンナ

「あの……カレーニャ」

 

カレーニャ

「ごめんあっさーせ。秘密のお話はひとまずお開き。ここからはアンナさんのお勉強が優先ですわ」

 

アンナ

「……」

 

 

 

 ──思わせぶりに笑いながら昇降機に乗り込むカレーニャ。「ほら」とでも言いたげに手を差し伸ばしてくる。

 ──アンナの想像を超えたグラスの可能性の話が、頭の中で反響していた。狭く、窓もないゴンドラの中から差し伸ばされた手が、ただ招き寄せる以上の意味を持っているような気がして目が離せない

 ──アンナは伸ばしかけた手を中途で引っ込め、カレーニャの手を取る事無く、自分の足で昇降機に入った。

 ──カレーニャから見てそれはアンナの毎度の人見知りでしかなく、気にも留まらなかったようだ。

 ──アンナの胸中では、カレーニャに対する何か底知れない、畏れのような、感動のような表現し難い感情が渦巻いていた。

 



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17「アンナパート03・地下2階」

 ──地下2階に到着したアンナとカレーニャ。

 ──地上階とは打って変わって、些か寒々しい堅牢な石造りの、地下道のような空間に出た。

 

 

 

カレーニャ

「地下2階は、ぐるり一周する廊下一本と幾つかの部屋で構成されてますわ」

「まずは受付で申請せにゃなりませんので、ついて来てくださいな」

 

アンナ

「う、うん……」

 

 

 

 ──カレーニャからは、アンナが昇降機に乗り込む直前に感じた雰囲気は最早無かった。

 ──カレーニャから何かが抜けたのか、アンナのカレーニャを見る目が幾らか落ち着いたのか。十中八九、後者であろう。

 ──戸惑いを頭の隅に追いやりながら歩いていると、カレーニャが廊下の壁面に埋め込まれた小窓の前で立ち止まる。

 ──カレーニャが小窓の前に置かれたベルを鳴らすと、程なくして窓が開き、老年の男性がヌッとこちらを覗き込んだ。

 

 

 

カレーニャ

「あら、今日は館長さんが受付でしたのね?」

 

館長(小窓の老人)

「……なんだカレーニャか。予定は明日じゃなかったか?」

 

カレーニャ

「明日は明日。今日はお客人に図書館の案内してますのよ」

 

館長

「……は? 客? お前のか?」

 

カレーニャ

「あーら、どういう意味ですのぉ?」

 

 

 

 ──心底意外そうな顔の「館長」と呼ばれた老人と、意地悪そうに笑って受け答えるカレーニャ。どうも2人は慣れた間柄のようだ。

 

 

 

館長

「……いや何でもない。それよりその客ってのは……ああ、そこの赤髪の?」

「これはこれは……あ~失礼、お嬢さん。年をとると物覚えが悪くってな。どちらの家の方だったかな」

 

カレーニャ

残念(ずぁ~んねん)、Not貴族の観光客でしてよ」

「入館規定に引っかかるイモいおべべでしたから、この私手ずから仕立て直して差し上げましたの」

 

館長

「なっ……チッ。勿体ぶりやがって」

「しかし……だから客人か。なるほどな」

 

アンナ

「あ……あのぉ……」

 

カレーニャ

「あら失礼、話し込んじゃいましたわね」

「ご紹介しますわ。こちらこの図書館の館長さん。決まった仕事が無い閑職だもんで、たまにこうやって業務の代行なんか押し付けられてますの」

「そして館長さん、こちらアンナさん。プラトニアの名声に惹かれて遥々訪れた魔女さんでしてよ」

 

館長

「そうかい。まあ、ゆっくり楽しんでいくと良い」

「それとカレーニャ、その誤解招くような説明はやめろ」

 

 

 

 ──彼は確かにプラトニア図書館の館長だそうだが、運営が職員代表の合議制に移った現在、実質的に名前だけの役職らしい。

 ──元々、図書館館長という役職も、現・館長の祖先が図書館建造のために土地を提供した縁で設立・任命された名誉職の側面が強く、本業は代々高名な学者にして魔導士の家系らしい。

 ──今では特別な職務を任される事もなく、給与も微々たるものだが、現・館長の自主的な厚意から、職員のシフトに穴が空いた時にサポートや穴埋めを買って出る事があり、こうして地下2階の受付をしているのもそのためである。

 

 

 

館長

「まあ、この図書館が好きでタダ働きしてる変わり者だ──とでも理解してくれれば良いさ」

「それより、設備利用の申請が確かに1件届いているが、お前らが使うって事で間違いないな」

 

カレーニャ

「そーいう事。アンナさんがこれからドンパチなさるんですの」

 

館長

「じゃあ実験じゃなく訓練用の方か。ほれ鍵。場所は解ってんだろ?」

 

カレーニャ

「ええ、ありがとうございますわ。それじゃあお昼頃には一旦上がりますので、よろしくお願いしますわね」

 

館長

「おう。モノ壊すなよ」

 

カレーニャ

「ご心配なく(し~んぱぁいな・く)。誰かさんじゃござあませんもの」

 

 

 

 ──何やら冗談を交わしあいながら館長と別れ、廊下に立ち並んだ扉の1つを解錠したカレーニャ。

 ──通された部屋は、丁寧に切り取られた石が敷き詰められた直方体の空間だった。

 ──どこからか空調が通っているのか、寒気や湿気の類はそれほど感じられず、壁際には様々な用法を想定してか、用途も定かでない様々な器具が並んでいる。

 ──ここまで連れてきたグラスの鳩から4階で借りた書物を取り出すカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「さあて。ここでなら派手にぶっ放しても心配ありませんわ。思う存分、お暴れなさいな」

 

アンナ

「あ、暴れはしないけど……ありがとう、カレーニャ。が、頑張るね」

 

カシマール

「アンナノツヨサヲ、ソコデヨークミテヤガレ!」

 

カレーニャ

「ハイハイ、期待してますわよ”パルクール”」

 

カシマール

「”カシマール”ダッツッテンダロ!!」

 

 

 

 ──そんなこんなで、魔法の実技訓練を始めたアンナとカシマール。

 ──カレーニャが手伝い、居並ぶ器具から的や木偶を次々と活用していく。

 

 

 

カレーニャ

「次のご注文は?」

 

アンナ

「ちょ、ちょっと待って。えっと──この、炎で一箇所だけ燃やして周りを燃やさないようにするの、試してみたい」

 

カレーニャ

「どれどれ──ンだったらこう、当たりの的の周りをハズレの的で囲むようにして──」

 

 

 

 

 ──記された技術から興味や難易度、とにかく気になった物を片っ端から打ち込み、時折繰り返して再確認するアンナ。

 ──書物の知識を一朝一夕では体得できないと解っていても、少しでも身体に覚え込ませ、糧にしようという前向きな意思が感じ取れる。何より、アンナ自身が楽しそうだ。

 

 

 

カシマール

「ワッショーイ!」

 

アンナ

「ワ、ワッショイ!」

 

カレーニャ

「……何ですの、その”わっしょい”って?」

 

アンナ

「こ、こうすると、もっと、強い力が出せる感じがして……」

 

カレーニャ

「あー……まあ、気合は大切ですわね。頑張って」

「──さぁ……て」

 

 

 

 ──何でもない会話を交わしつつ、カレーニャはアンナ達に気付かれないようにしながら器具群の一角へと移動する。

 ──その顔には、一向に出会ってからこれまでに何度か浮かべてきた、意地の悪そうな笑みが滲んでいる……。

 

 

 

アンナ

「──ふぅ。な、なんとか上手くできた……」

 

 

 

 ──幾つ目かの課題をこなし、炎を止めて一息つくアンナ。

 ──練習していたのは、至近距離で高出力の炎を照射し、目標1点のみを焼き、ぶつけた後の火の粉1つとて周囲を延焼させないというもの。

 ──そして今、その応用編を成功させた。梱包・埋没した状態の目標物を、炎で外殻を穿ち露出させ、かつ目標物を焼かないと言うもの。

 ──例えるなら氷の柱に炎を当てて溶かし、閉じ込められたリンゴを焦がす事無く、リンゴまで一直線のトンネルを形成するというテクニック。

 

 

 

アンナ

「カレーニャ、次は──カレーニャ……?」

 

 

 

 ──珍しく燃えに燃えてきたアンナが次の技に挑戦しようとカレーニャを呼ぶが、肝心のカレーニャの姿が見えない。

 ──どこかの器具の陰にでも隠れているのかと当たりを見回すアンナ。そこに……。

 

 

 

カシマール

「ウシロダ! アンナ!」

 

アンナ

「えっ──?」

 

 

 

 ──カシマールの警告に振り向いたアンナの足元から轟音が響き渡る。

 ──音の主は目の前にあった。全長3メートルを(ゆう)に超える硝子の巨人が、拳を地面に突き立てていた。透き通った内部で光が強く屈折し、向こう側がろくに見えない。

 ──直立二足歩行で重量を感じさせるガニ股気味の姿勢。人型のフォルムである以外、つるりとした滑らかな曲面にさしたる特徴は見出だせない。

 ──何が起きているか解らず立ち尽くすアンナに、巨人が再び拳を振りかぶる。

 

 

 

カシマール

「ボサットスンナ!」

 

 

 

 ──アンナの腕の中からカシマールが手を伸ばし、振り出された巨人の腕を打ち払った。巨人が体勢を崩し膝を突く。

 

 

 

アンナ

「──ハッ!? あ、ありがとうカシマール……」

 

カシマール

「イーカラコイツヲナントカスルゾ!」

 

 

 

 ──我に返ったアンナは一歩飛び退き、周囲に炎を展開する。状況はまだ察しきれないが、戦うべきなのは間違いなかった。

 ──カシマールが追撃を加えているが、巨人は小さくよろめきながら確実に反撃の準備を整えている。

 

 

 

アンナ

「これで……!」

 

 

 

 ──訓練で心身ともに温まった今のアンナは、疲労以上に高揚と自信が勝っていた。心なしか炎もいつもより激しく躍って見える。

 ──蛇のようにうねる火柱を幾筋も飛びかからせるアンナ。しかし、硝子の巨人は炎を両腕で受け、着弾点に橙色の熱を孕みながらもなお動き続けている。

 

 

 

カシマール

「シツコイヤローダ!」

 

アンナ

「なら──もっと強く!!」

 

 

 

 ──赤熱した両腕を振りかぶる巨人。そこへカシマールが巨人の頭部に一撃を見舞う。重心が傾き、バランス制御を優先する巨人。隙を突くには充分だった。

 ──極太の炎を(はし)らせたアンナ。炎の中心部は白く輝き、先程よりも一層の熱量を伺わせる。

 ──炎が巨人の上半身とぶつかり合い、勢いのままに呑み込んだ。

 ──火柱が全て宙に散った頃、巨人の腕と頭が地面に転がっていた。いち早く胸元が溶けて消え去り、支える物が無くなったのだ。

 ──残った足腰が立ち尽くし、ピクリとする気配も無い。

 ──上半身の大半が蒸発し、背中部分の表面を構成していたのだろう薄い硝子板が元・巨人の腰から頼りなく伸び、その向こう側を透かしていた。

 ──しかし、巨人の撃退に安堵するより先に、気がかりなモノが目に留まった。その透けた硝子板の向こう側……。

 

 

 

アンナ

「カ……カレーニャ?」

 

カレーニャ

「あらやだ瞬殺……」

 

 

 

 ──アンナ達を気に留めること無く、カレーニャは、かつてグラス人形の上半身があった場所を呆然と見上げていた。

 ──例のグラスの椅子で宙に浮いて、グラス人形の背後でそうしているカレーニャ。もういい加減、大体の察しがついた。

 ──カレーニャが魔導グラス人形を操作して襲いかかったと見て、ほぼ間違いなかった。

 

 

 

カシマール

「オマエノシワザカ! イキナリナニスンダコンニャロー!」

 

カレーニャ

「あら人聞き悪いですわね”ギルバーグ”。せっかく実戦形式のトレーニングを用意して差し上げたのに」

 

カシマール

「”カシマール”ダ!!」

 

アンナ

「だ、大丈夫だよカシマール。怪我しなかったし、カレーニャもボクのために──」

 

 

 

 ──ガチャン! と、甲高い騒ぎを押しのけるように、低く重たい金属の音がした。この部屋の扉が開く音だ。

 ──見ると、入ってきたのは先程の”館長”だった。

 

 

 

館長

「よっ。思ったより派手にやってるようだな」

 

カレーニャ

「あら、アレくらいで受付が駆けつけるものでしたかしら?」

 

館長

「一応、報知機が反応するようだったら見回りに行くって規定なんでね」

 

カレーニャ

「あらやだお硬いことー。今時、警報一発程度で律儀に見に来る係員なんていらっしゃいませんわよ」

 

館長

「国と国民が決めた事だ。住んでる以上は、かかる面倒も責任持って受け入れるのがスジってもんさ」

 

アンナ

「あ、あの……う、うるさくしちゃってたら、ごめんなさい」

 

館長

「ああ心配なさんな。魔力とか温度とか──ある程度以上の強い力が部屋で発生したら受付に連絡が行って、念のため見回りに行くって決まりなのさ」

 

カレーニャ

「安全基準がどーたらで神経質でござあましてね。このくらいのドッタンバッタンは日常茶飯事で建物だってビクともしないのに、受付にポンポン警告が入るんですのよ」

「だからこのくらいでわざわざ本当に見回りに来るのなんて、それこそ館長さんくらいの──」

「そうそう館長さんですわよ! 御覧なさって館長さん、この有様。アンナさんの大活躍を!」

 

 

 

 ──何だか非常に楽しそうに、グラス人形の残骸を指差すカレーニャ。館長も見上げるなり「ほう」と声を漏らす。

 

 

 

館長

「こりゃあ驚いたな。また気持ちの良い壊し方してくれたもんだ」

 

カレーニャ

「でしょう? 牽制に何度か仕掛けてくれたと思ったら、続く大技一発でこのザマですのよ!」

「こぉれはタダじゃ済まされないんで無くって? 館・長・さん♪」

 

館長

「ほざけ。お前ほど捻くれちゃいねえよ」

 

 

 

 ──何やら館長も笑っている。一方、張本人のアンナは気が気でない。

 ──冷静になってから考えてみると、状況が状況だったとは言え、図書館の備品……しかも見るからに消耗品には計上されなさそうな代物を損壊せしめたのだ。

 ──受付でもついさっき、館長が「モノを壊すな」と言っていたはず……。

 

 

 

アンナ

「あ、あの、あの──こ、こ、これ、壊し、ちゃ……ま、まずかった、です、か?」

 

館長

「おっと、そうだった。安心しなお嬢さん」

「このカレーニャ(意地悪)の煽りを真に受けないように気をつけな。元々、このグラス人形は魔法やら武器やらで年中ぶっ叩かれて壊されンのが役目なんだ」

「確か、他のグラスならここまで壊れたら魔力に戻って消えちまうが、細かいパーツを固めてるから、こんな有様でも消えずに残骸が残る──だったか?」

「まあつまり、造り手も壊れる前提で用意してんだ。ビタ一文払う必要は無いさ」

「ただ残骸を見た感じ、こいつは新しく造ってすぐの新品だ。そいつを一度でぶち壊したって奴はそうそう居ないってんで、はしゃいでるだけさ」

 

アンナ

「ほっ──よ、よかった……」

 

カレーニャ

「違うでしょ~館長すぁん? そんな芸当やってのけたのは、今まで館長さんただ1人きりって話でござあましょうが」

 

アンナ

「か、館長さんが……?」

 

カレーニャ

「ええ。館長さんの家系は代々、プラトニアでも指折りの魔法と学問の大先生ですの」

「ほぉら館・長・さん。観光客の小娘に並び立たれて、どぅぉ~んな気分でしゅのぉ~?」

 

アンナ

「ボボ、ボク、な、なんか、えっと……す、凄いこと? しちゃった……のかなぁ……?」

 

 

 

 ──アンナがソワソワキョロキョロしている。期待やら恥じらいやら申し訳なさやら、自分でもどんな感情を持てば良いのかわからないと全身で表現している。

 

 

 

館長

「お前はもうちょっと慎みってものを持てって言ってんだろうが」

「まあなんだ。強いて言うなら……お嬢さん。ちょっとこの年寄りに、2,3ご教授いただいてもいいだろうかね?」

 

アンナ

「ハハ、ハ、ハイ! ──アッ、じゃなくて、えっと、ボ、ボクなんかで、よければ……」

 

館長

「大丈夫、落ち着きな。誰も腹ァ立ててなんかいないさ。むしろ嬉しくて年甲斐もなくワクワクしてるくらいだ」

「なに大した事じゃない。いやね、お嬢さんの実力を疑うわけじゃないが、年寄りってのは意固地なのが悪い癖でね」

「俺がアレを叩き割った時はそりゃあ苦労したもんだ。もしかしたら、お嬢さんの戦い方がアレを壊すのに向いてたんじゃないかって思うのさ」

「生憎と現場を見そびれちまったんで、良かったらどうやってアレと渡り合ったか、聞かせてもらえんかね」

 

アンナ

「は、はい。えっと──」

 

 

 

 ──アンナは館長に先程までのやり取りを説明した。

 ──と言っても、話す事などそう多くない。戦闘はごく短時間で、ただ真正面から攻撃していただけなのだから。

 

 

 

館長

「ふむ……なるほどね」

 

カレーニャ

「あら? あれっぽっちで何か解りましたの?」

 

館長

「ほほう、造り手が見当つかないとは。こっりゃァ光栄だね」

 

 

 

 ──先程の意趣返しとばかりに皮肉をタップリと仕込んだ抑揚で語る館長。

 

 

 

カレーニャ

「む……ハイハイ。お手上げですからお聞かせくださいましな」

「私もアンナさんがここまでやるとは思ってもみませんでしたもの。素直に興味津々ですの」

 

館長

「フフン。良いだろう。まあ、ここまで勿体つけてハズレだったら赤っ恥だ。盛大に笑う準備でもしとけ」

「ガキでも解るくらい単純な事しかしてないのにコトは起きた。つまりだ。少なくとも再現は難しくない──」

 

 

 

 ──言うなり館長の周囲に火の粉が舞う。……否、火だけではない。

 ──水の塊が宙に形成され、小さな竜巻が館長を軸に周回し、その渦の内側では幾つもの小石が館長を守るように飛び交っている。

 ──火の粉はどんどん膨れ上がり、赤・白・青と3色の球となり、水の塊から氷と霧が生み出されていく。

 ──ついでに館長の表情は絶体絶命の窮地に立たされた熱血青年の如く、年を思わせぬ「ニヤリ」とした強気の笑みを浮かべている。

 

 

 

アンナ

「カ、カ、カレーニャ……あ、あれって──まさか……ぞ、属性、全部?」

 

カレーニャ

「そ。言ったでしょ、『指折りの魔法の大先生』って」

「私、魔導グラス専門だから詳しくないのですけど──普通は魔法って、自分に合った属性1つを突き詰めてくものなんですってね?」

「でも館長さんの家は教え方までこだわって、そんじょそこらと格が違いますから。代々多くて4属性、まとめていっぺんに一人前のレベルで修得なすってますの」

「見ての通り、同じ属性でも条件の違う現象を同時に呼び出すなんてのもお手の物」

「まあ最近は寄る年波に負けて、燃費に身体がついていけてないそうですけれど──」

「の、割に随分燃えてますわねぇ。やっぱりちょっと張り合ってますわね。アンナさんと」

 

アンナ

「ボ……ボク、そんな大した事は……」

 

カレーニャ

「とりあえず、後学になると思ってじっくり見ときなさいな」

 

 

 

 ──館長を取り巻く諸々の自然現象が、人形の残骸に打ち込まれた。

 ──しかも全てが残骸の異なる部位へ。属性別だけでなく、同じ炎でも色別。氷と水も距離を置いて違う箇所へと攻め込む。

 ──直後、霧に粉塵に風に熱波にと、煩わしいものが一斉に部屋中に舞い上がり、思わず顔を伏せるアンナとカレーニャ。攻撃が収まり、顔をあげると……

 

 

 

館長

「はーっ、はーっ……ゲェッホゴッホ! あ゛ーったく、流石にちょっと調子乗りすぎた……」

「だが……まあ、実験は成功だ。見てみろ」

 

 

 

 ──開けた視界の先になおも立ち尽くすグラス人形。しかし、変化がある。

 ──白と青の炎が直撃した2箇所が蒸発してクレーターが形成され、赤い炎を撃ち込んだ1箇所が真っ赤に熱を帯びて、少量のグラスが溶けて雫となり表面を伝っている。

 ──それ以外、水属性の余波で霜を被っている箇所などもあるが、いずれも人形の原型を損ねる程のダメージは与えられていない。

 

 

 

館長

「俺が立てた仮設は、つまりこう言うこった。『魔導グラスは魔力の炎に弱い』」

「いや盲点だった。考えてみりゃあ魔導グラスの普段の振る舞いが硝子に近いとは前々から解ってた事だったが──」

「意外と、やって見るまで気づかんモンだな。なまじ凡百な火力なら耐えられるもんで、見過ごされてたんだろう」

 

カレーニャ

「な、ななななな──!?」

 

 

 

 ──膝に手をついて息を整える館長の横を抜け、カレーニャがグラス人形の残骸を間近で観察しだした。

 ──たちまち漏れてくる「うぐぅ」だの「ぬふぅ」だのの呻き声が、顔中のパーツを中心に集めんばかりにしたような表情をしているだろう事を背中越しからでも容易に推察させる。

 

 

 

カレーニャ

「ぐぬ、ぬぅ──(ワタクシ)の、完璧な魔導グラスのはずが……認めたくないけど、確かにこれは──」

「ッ! アンナさんッ!!」

 

アンナ

「ひゃ!? な、なな、なに──?」

 

カレーニャ

「ちょいとこちらへ……」

 

 

 

 ──アンナに顔を向けぬままチョイチョイと手招きするカレーニャ。おずおずとアンナが歩み寄ると……。

 

 

 

 ガシッ!

 

 

 

 ──と、引ったくるようにアンナの手を取るカレーニャ。そのまま両手で握った手をブンブンと縦に振り回す。

 

 

 

カレーニャ

「あなた凄いわっ! 本当に凄い! 魔導グラスが生まれてから20年、誰も気付きもしなかったのに……あなたのお陰よ! この日にあなたに出会えた事は奇跡だわ!」

 

アンナ

「ふぇ? あ、ああの、えぇ……?」

 

カシマール

「ジャクテンミツカッテ、ナニガソンナニウレシーンダコイツ……?」

 

カレーニャ

「大発見だからですわよ。この弱点を改善できれば、魔導グラスは更に完璧に近づきますわ。あなたにもこの造る側の喜びが解りまして”ポムドール”?」

 

カシマール

「ソーイワレルトチョットワカルケド、オレサマハ”カシマール”ダ!!」

 

 

 

 ──カレーニャの表情は高揚に満ち溢れ、輝く瞳から嘘偽りのない歓喜が叩きつけるように伝わってくる。今にも抱きついてキスでも降らせんばかりである。

 ──呆気にとられながらも、珍しくこうも大仰に感謝される事に面映ゆくなるアンナ。

 

 

 

館長

「おいこらカレーニャ。気付いたのも実証したのも俺の方だぞ」

 

カレーニャ

「アンナさんが仕出かして下さらなければ(だぁ~れ)も気付きませなんでござあましてよ」

「気付きさえすりゃあ確かめるのは館長さんで無くても良かったんじゃありませんことぉ?」

 

アンナ

「カ、カレーニャそんな言い方──」

 

館長

「ヘッヘッヘ。相変わらずなこって。いいさ、心配無用だお嬢さん。コレの憎まれ口は元気な証拠だ」

 

 

 

 ──やれやれと言った笑みで答える館長。どうやら本心からの言葉のようだ。

 

 

 

館長

「それよか、俺からも一言、お嬢さんに礼くらい言わせてもらおうかね」

「カレーニャの言う事に一理ない事もないが、それよりこんな大はしゃぎするカレーニャを見るのは初めての事でね。当分は思い返して面白がってやるさ」

 

アンナ

「い、いえ。そんな、ボ、ボクなんか──」

 

カレーニャ

「へぁ……!?」

「う……うっっっわ、キモさ天井知らずですわッ! いい歳の紳士がうら若い乙女を思い浮かべてニヤつこうだなんて!」

 

館長

「ハッハッハ、好きに言ってろジャジャ馬娘」

 

 

 

 ──露骨に照れ隠しを捲し立てるカレーニャ。自分の興奮ぶりに自分で気付いていなかったようだ。

 ──その後少しの間、アンナをおだてたりカレーニャを嗜めたりと談笑する3人と1体。ふと気付いた館長が懐から古びた懐中時計を取り出す。

 

 

 

館長

「おっといけねえ……あーやっぱりな。もうすっかり昼時だ」

 

アンナ

「え? い、いけない。団長さん達、待たせちゃってるかも……」

 

カレーニャ

「どおれ……ああ、まだ大丈夫ですわ。このくらいなら、急いで昇降機乗って8階行けば遅刻の内にも入りませんわよ」

 

カシマール

「ケッキョク、ヨテイノジカンスギテルッテコトジャネーカ!」

 

 

 

 ──カレーニャも真新しい懐中時計を取り出して時間を確認した。こちらは館長の物と違い、全部品に透き通った光沢があり、着色した魔導グラス製である事を伺わせる。

 

 

 

館長

「だったら、余計な時間使わせた穴埋めだ。後片付けはこっちでやっとくから、アンタらはとっとと連れの所に行っちまいな」

 

カレーニャ

「あーら、気が利いてくるものですのねえ。年をとると」

 

館長

「一言余計だってんだ、とっとと行け」

 

アンナ

「い、良いんですか……? あ、あの、まだ……つ、疲れてるんじゃ?」

 

カレーニャ

「良いんですのよ。どの道、エチケット違反のお客が放ったらかしで出てったら係員が片付ける決まりですもの」

 

館長

「そうとも。それに誰も俺1人でやるなんて言ってないぞお嬢さん」

「もうそろそろ次の係員に交代なんだ。そいつに任せちまえば良いってな」

 

カシマール

「ヒッデー……」

 

館長

「ハッハッハ。良いんだよ、この国の連中は基本的にはお人好しでな。こういう事だけは本当に親切なんだ」

「俺みたいな時代に乗り切れん手合いは、無理せず厚意に甘えとくのが無難ってもんさ」

 

 

 

 ──結局、館長とカレーニャに押し切られ、その場の始末は館長に任せて昇降機へと向かったアンナ達だった。

 

 




※ここから後書き

 属性と魔法の解釈は本作オリジナル設定です。話を盛り上げるためにその場その場で考えているものですので、食い違いがあっても大目に願います。

 それと、アンナさんが火を放つ描写はなるべく細かく書かないようにしています。
 奥義以外でどんな風に炎を出しているかが不明瞭なので、いっそ書かない方が読者側がイメージしやすいかなーと。


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18「8階、展望フロア」

 ──昇降機で、地下2階から8階まで一気に移動を終えたアンナとカレーニャとカシマール。

 ──出てきたアンナの顔色は些か気まずいが、カレーニャは構わず話しかけている。

 

 

 

カレーニャ

「そういえば忘れてましたわ。魔導グラスとそれ以外を見分けられるってアレ、本当に本当なんですの?」

 

アンナ

「う、うん……魔導グラスほどハッキリじゃないけど、魔力が篭った道具とかも……わ、解る、かな……」

 

カレーニャ

「は~、魔法使いってそんな事まで解るものなんですのねぇ」

「私なんて魔導グラスとガラス並べられたら動かして確かめるしか無いのに、まさかただの不勉強でしたなんて……」

 

アンナ

「ほ、本当に魔法を勉強してきたからなのか、ちょっと自信ない、けど……」

「そ、それより……よ……良かったのかなぁ……こんな事」

 

カレーニャ

「製造者ご優待ですわよ。むしろもっとお喜びなさいな♪」

 

アンナ

「で、でも……い、いくら急いでるからって、他の階飛ばしちゃうなんて……お客さん、待ってたのに……」

 

カレーニャ

「誰も気付きゃしませんわよ。昇降機なんて、待ってる方からすりゃいつだって理不尽な動き方するもんですもの」

「それよりほら、お仲間さん達いらっしゃあましてよ」

 

 

 

 ──食堂の一角で、団長達が何やら語らっていた。団長以外は何かと目に付きやすい出で立ちなのですぐに見つかる。

 ──展望フロア兼、食堂広場は見通しがよく、カフェテラスを思わせる洒落た開放感がある。

 ──軽く見渡す限り、魔導グラス独特の意匠は見当たらず、それがかえって自然の趣のようなものを感じさせた。

 ──訪れた客や職員の談笑からなる密やかな雑踏がどこか心地いい。

 

 

 

ルリア

「あっ。アンナちゃーん、こっちですー」

 

アンナ

「あ……ルリア。み、みんなも──」

 

 

 

 ──いち早くルリアがアンナ達を見つけ、手を振って応じた。待ち合わせに送れた気後れから、パタパタと小走りで駆け寄るアンナ。

 

 

 

アンナ

「み、みんなゴメン。お、遅くなっちゃって──」

 

ドリイ

「どうかお気になさらず。実は、我々も予定より少々遅れてしまって。今しがた席に着いたばかりですので」

 

アンナ

「そ、そうなんだ──。でもやっぱり、ごめ……あれ?」

「カ、カタリナ……? どうか、したの?」

 

 

 

 ──ゆったりとカレーニャが追いつく間に、ドリイに勧められて座席に腰掛けたアンナ。一行の中で明らかに雰囲気の異なるカタリナに気付く。

 ──心臓を締め上げられているかのような沈痛な面持ちだった。カタリナの周囲だけ暗いもやが這い回っているようにさえ見える。

 ──呼びかけられた事に辛うじて気付いた……あるいは、そこで意識を取り戻したという様子で、カタリナがうわ言のように一言だけ呟いた。

 

 

 

カタリナ

守れなかった……

 

アンナ

「ま、も……?」

「えっと……な、何を……?」

 

 

 

 ──問われてカタリナが「うう」と呻いて片手で目元を覆う。

 

 

 

ルリア

「あはは……実は私達、6階でゲームブックっていう本で遊んでたんですが──」

 

ビィ

「本の指示通りに読んでいって、主人公の勇者に囚われのお姫様を助けさせようって本だったんだけどな──」

 

ドリイ

「最後の最後、それまでの選択にたった一度だけ誤りがあり救出の条件を満たせなかったのです」

「姫君を攫った魔王は討ち果たせましたが、姫君はなおも抗う魔王を完全に封じるため、自らの身を捧げ還らぬ人に──」

 

ビィ

「何だかんだで姐さんが一番ハマっちまってよ。お姫様助けられなかったのが相当こたえちまったみてぇで……」

 

主人公(選択)

・「惜しかったねえ」

・「もう一歩だったのに……」

 

→「惜しかったねえ」

 

カタリナ

「私のせいなんだ……! 私があの時、目先の強さなどに目が眩まなければ、こんな事には……!」

 

ルリア

「そんな……カタリナは悪くないよ!」

 

ビィ

「いやぁ、そもそも本の中の話だしよぉ……」

「ともかく、オイラも姐さんばっか背負(しょ)い込む事ないと思うぜ」

「結局あの時、正解の方選ぼうとしてたの団長(コイツ)だけだったんだし」

 

 

 

 ──励ますルリアとビィ。現場に居なかったカレーニャとアンナは、まだ今ひとつ話についていけない。カレーニャがドリイに詳細を尋ねた。

 

 

 

カレーニャ

「色々と聞きたい所はありますけれど……とりあえずその『謝った選択』ってのは、なんぼなものですの?」

 

ドリイ

「はい。その前に少々の説明から入らさせていただきます。作品の道中、立ちはだかる強敵と戦うため、勇者は最大で10の武器を身につける事ができます」

「その武器の強さを数字で表し、数字の合計が求められる値を超えれば敵を倒したり、あるいは罠を跳ね除けたり──と言った具合に」

 

アンナ

「へえ。ちょっと、面白そうかも──」

 

ドリイ

「ええ。皆様、計算や勇者の取るべき行動の選択など、とても楽しんでおられました」

「しかし手持ちの武器が10を超える場合、それまでに持っていた武器のどれかを捨てる事になるのですが、終盤で2つの武器どちらか1つだけを手に入れるという出来事がありました」

「この時、団長様以外は皆様、より強力な方の武器を取るべきだと考え、結果そのように選択されました」

「しかしこの作品に登場する武器は、1つ1つに額面の強さ以外にも戦いや危険が迫った時に発揮される特殊な力を秘めていたのです」

 

アンナ

「特殊な力──?」

 

ドリイ

「例えば、ある武器は10の力を持ち、障害物を押しのける時だけ倍の20として計算でき、またある武器は5の力しかありませんが、魔物と戦う時だけ10倍の50として計算できるのです」

 

アンナ

「そ、それだと、どこかで計算間違えちゃいそう……」

 

ドリイ

「単純な計算ミスでしたらカタリナ様が適切に指摘なさっていたのですが、未来に求められる状況に応じて計算を──となると、中々容易とはいかないものです」

「その時の勇者の装備では、数字では劣るもう一方の武器を選べば、実戦で算出される値が僅かに(まさ)っていたのです。しかし団長様が違和感を感じられた以外に気付かれる事無く──」

「魔王の力を完全に押さえ込むためには、求められる数値に僅かに届かない。そう気付かれたのは最終決戦の直前となってからでした」

「それでもなお戦う選択肢を選んだ結果、最高と呼ぶには今一歩至らぬ結末と相成ってしまい……」

 

アンナ

「それで、一番頑張ってたカタリナが、あんな風に──?」

 

ドリイ

「はい。お思いになる所があったのか、作中の姫君の行動にそれはもう文字通りの一喜一憂を」

 

カレーニャ

「バッドエンド分岐のゲームブックとか、初心者がエグいの掴みましたわねえ」

 

ドリイ

「より深くお楽しみいただけるよう、読み応えのある書物をと思ったのですが、刺激が強すぎたようですね。不甲斐ない限りです」

 

カレーニャ

「──って、あなたが勧めたんですの!?」

「流石にあんな凹ますようなブツよりはもうちょっと──」

 

 

 

ぐ~~~~……

 

 

 

 ──カレーニャが続けて何事かツッコミを入れようとしたが、突然の重低音に遮られた。

 ──カタリナを励ましていたルリアが、顔を赤くして固まっている。

 ──腹の虫で空気がリセットされ、ドリイがにこやかに場を取り仕切った。

 

 

 

ドリイ

「では、皆様お集まりになった所で、まずはお食事にしましょう」

 

ルリア

「はうぅ……」

 

ビィ

「そうだな。姐さんも、腹空かしたまま落ち込んでたって良い事無いぜ」

 

ドリイ

「同感です。心残りであれば英気を養い、再び皆様で挑まれるのがよろしいかと」

「惜しくも姫君の救出ならぬまま時間を迎えてしまいましたが、過ちを知った次こそはきっと上手くいきますよ」

 

ルリア

「そ、そうですよ。カタリナなら、絶対大丈夫です!」

 

カタリナ

「みんな……!」

 

 

 

 ──カタリナの瞳に再び光が宿る。賑やかな食堂の片隅で、感動の第二幕が上がろうとしていた。

 

 

 

カタリナ

「そうだ……私はもう、あんな結末は繰り返さない。繰り返させはしない!」

 

ビィ

「おう。その意気だぜ姐さん!」

 

アンナ

「えっと……よ、良かった良かった?」

 

ドリイ

「立ち直られたようで何よりです」

「当食堂は、お客様が厨房前のカウンターで注文し、料理を受け取って各々の席でお食事を楽しんでいただく形式となっております」

「実際の細かな手続き等はカレーニャが同行し実演致しますので、何卒お付き合いの程、よろしくお願い致します」

 

カレーニャ

「……へ?」

 

 

 

 ──完全に不意を突かれたようで、数拍おいてから間抜けな返事を返し、自らを指差すカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「わ、(ワタクシ)がやりますの? そこは普通ドリイさんが──」

 

ドリイ

「折角のご賓客との同行ですから。保護監査官として、社交のセンスも審査しませんと」

「私はカタリナ様が落ち着かれるよう、付き添っていますので」

 

カタリナ

「いや、心配してくれるのはありがたいが、私はもう大丈──」

 

ルリア

「じゃあ、カタリナの分は私が買ってきます!」

 

カタリナ

「ル、ルリア──?」

 

 

 

 ──少し持ち直して常識も取り戻したカタリナだったが、やる気満々のルリアに気圧され言葉に詰まる。

 ──小声でカタリナに囁くドリイ。

 

 

 

ドリイ

皆様を安心させるためにも、少しの甘えがあってもよろしいかと

 

カタリナ

「む……」

「──そうだな。では頼む。注文はルリアに任せるよ」

 

ルリア

「──!」

「ハイ! 任せてください」

 

カレーニャ

「──ハァ。もー文句言える流れじゃないでござあませんの……」

「ハイハイ。いっちょやったりますわよ。ついてらっしゃいな。それと、注文なんてそんなに意気込む程のもんじゃござあませんので」

 

アンナ

「あ、カレーニャ。ボクも……」

 

ビィ

「オイラも面白そうだしついてくぜ。手伝える事あったら言ってくれよな!」

 

カレーニャ

「だあから手伝うもへったくれもござあませんてば。聞いてませんわね人の話……。そんじゃあ、ドリイさんとカタリナさん以外、ついてらっしゃ──」

 

ドリイ

「カレーニャ」

 

カレーニャ

「いぃ……っと、出鼻に何ですの?」

 

ドリイ

「しっかりと、見ていますからね」

 

カレーニャ

「ぐっ……ほ、ほら、行きますわよ皆さん!」

 

 

 

 ──カタリナに任される事が無性に嬉しくなり、踊りださんばかりのルリアと、それを横目に完全に観念するカレーニャ。

 ──グラスの椅子を傍らに置いて、歩いてカウンターへ向かうカレーニャに一行が続く。

 ──座席にはカタリナとドリイのみが残り、カウンターへ向かう若者たちを見守っている。

 

 

 

カタリナ

「──心のどこかで、『それでもこれは、本の中の話だ』と。そう思っている自分が居たのだろうな」

 

ドリイ

「カタリナ様?」

 

カタリナ

「いやなに。あの本の結末にショックだった事に嘘偽りはない。しかし、ルリア達をあんなに心配させていたとは思いもしていなかったんだ」

「何と言うかな……こう、本当は作り話だと解っていたからこそ本気で悲しんで、『落ち込む自分に夢中になっていた』んじゃないかと。私もまだまだ未熟だな」

 

 

 

 ──微笑んで返すドリイ。

 

 

 

ドリイ

「カタリナ様のせいばかりでも無いと、(わたくし)にはそのようにも思えますよ」

 

カタリナ

「と、言うと?」

 

ドリイ

「皆様、とてもお互いを信頼なさっているように見えます」

「それ故にカタリナ様の悲しみを、皆様誰もが我が事のように汲み取ろうと親身になられたのでしょう──カタリナ様自身まで戸惑うほど、真剣に」

 

カタリナ

「……そうか──そうかも知れない」

 

 

 

 ──くすぐったそうに、穏やかに微笑むカタリナ。

 ──ふと、思い出したように話を変えるカタリナ。先ほどより、わざとらしく声が低い。

 

 

 

カタリナ

「ところでドリイ殿。あのゲームブック、確か君が選んだものだったな」

 

ドリイ

「はい。お楽しみいただけて、職員冥利に尽きます」

 

カタリナ

「できればもう少し、手心を加えてくれても良かったんじゃないか?」

 

ドリイ

「あら──」

 

 

 

 ──わざとらしく驚いて見せながらも、口元の笑みは隠さないドリイ。

 ──しかし抗議するカタリナの口も、いたずらじみて緩んでいるのを最初からドリイは見逃していない。

 

 

 

ドリイ

「読みかけの書物の先を語ると、争いの火種にもなりますから」

 

カタリナ

「だからって、私達から意見を求められて眉1つ動かさないなんてあんまりじゃないか」

 

ドリイ

「ただ皆様に、ありのままをご判断いただこうと務めておりました」

 

カタリナ

「とんだ名役者だ」

 

ドリイ

「恐れ入ります」

 

 

 

 ──どちらともなく笑いが溢れる。

 ──静かに、しかしひとしきり笑い終えた2人。カウンターを見やると、レクチャーを終えた一行がカレーニャを先頭にカウンターに並んでいる所だった。

 ──そろそろ全員の注文を終えた頃かとカタリナは予想していたが、幾分か進行が遅い。

 

 

 

カタリナ

「おや? まだそれ程しか経って居なかったかな?」

 

ドリイ

「勝手の異なるビィ様と、意気込みが少々空回ってしまっているルリア様への対応に、カレーニャが幾分か手間取っておりました」

 

カタリナ

「そうだったのか? いかんな。話すのに夢中になりすぎたか……」

 

ドリイ

「いいえ。私が元々、こういった並行業務が得意なものですから。カレーニャにもちゃんと見ていると約束しましたので」

「──いえ。少々、失言でした。決して、カタリナ様とのお話を疎かにしたつもりはございませんので、何卒悪しからず」

 

カタリナ

「ん? あぁいや、全然気にしてなんていないさ。むしろドリイ殿の仕事振りに感心していたくらいだ」

「しかし、キミは冗談も中々達者なのだな。こう言っては何だが、少し意外な一面を見られた」

 

ドリイ

「お恥ずかしいですわ……」

 

 

 

 ──笑みは崩さないまま、いかにも少し困ったような仕草をしてみせるドリイと、その姿に思わずまた「ふふ」と笑うカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「しかし……私がどうこう言えた立場ではないかもしれないが──」

「カレーニャに多少、失敗があったとしても、ここは余り厳しい点を付けずにおいてもらえないだろうか」

「折角のみんなでの食事だ。できれば楽しく卓を囲みたいのだが──」

 

ドリイ

「そちらについてはご心配なく。審査云々は建前なので、初めから罰点を与えるつもりはございません」

 

カタリナ

「と言う事は──ルリア達と注文を取りに行かせるのが目的だった、と?」

 

ドリイ

「はい。あのように振る舞ってはおりますが、カレーニャは常日頃から魔導グラスに付きっきりで、人と充分な交流を持つ事が殆どありません」

「お気づきかも知れませんが、人との距離感や礼節と言ったものを忘れている節さえあります」

「こうして、同じ年頃の方々との交流に至っては、恐らくは私とカレーニャが出会うずっと以前から、ただの一度も……」

 

 

 

 ──話しながら視線が段々とカタリナから外れ、何かを誤魔化すようにカレーニャに遠い目を向けるドリイ。

 ──ドリイの目的を察したカタリナが、少し割り込み気味に努めて明るく応えた。

 

 

 

カタリナ

「そういう事ならちょうどいい!」

 

 

 

 ──ハッと我に帰って視線を戻すドリイ。カタリナは屈託のない満面の笑顔だった。

 ──ドリイは話しながら自分の世界に入っていた事にそこで初めて気付いたようで、、半ば条件反射で、初めから綺麗に収まっていた眼鏡を更に直した。

 

 

 

カタリナ

「ルリア達なら、友達はいつでも大歓迎だ。きっと今も何だかんだ、カレーニャとうまくやっているさ」

 

ドリイ

「──『お友達』、ですか。……お心遣い、痛み入ります」

 

カタリナ

「心遣いなんかじゃないさ。誰かと仲良くなれる事は、私にとってもルリア達にとっても純粋に嬉しい。それだけだ」

 

ドリイ

「……はい。ありがとうございます」

 

 

 

 ──カレーニャを想うドリイに、「まるで母親のようだな」と想うカタリナだったが、言葉にはしないでおいた。

 ──単純な話、カタリナと同年代かやや年上程に見受けられるドリイに、カレーニャ程の歳の娘というのは流石に不釣り合いだったからだ。

 

 

 

ドリイ

「思いがけず取り乱してしまい、失礼致しました」

「話題を戻しまして──カレーニャを皆様の案内につけたのは、私の私情もありますがもう1つ、少々のお節介のためです」

 

カタリナ

「お節介?」

 

ドリイ

「はい」

「──カタリナ様には、まだ何か、私に伝えたい事がお有りなのではないかと」

 

カタリナ

「ドリイ殿に伝えたい事──? はて、ここまで随分話しているが……」

 

ドリイ

「6階で1度、私に何か用向きがございませんでしたか?」

 

カタリナ

「6階──」

「……ッ!」

 

 

 

 ──6階をキーワードに、すっかり隅に追いやっていた記憶が芋づる式に引き出される。

 ──6階、ゲームブック、2人きり……そして、ニコラの言葉。

 

 

 

『本当に、カタリナ様達の事じゃないんです。ただ……』

『もし、やっぱり気になるようでしたら……ドリイさんに聞いてください。二人っきりの時に』

 



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19「カレーニャとプラトニア」

 ──今、ドリイとカタリナ2人だけの場が設けられた意図を理解したカタリナ。しかし……。

 

 

 

カタリナ

「い、いや──あの時の話題は、ちゃんとあの時に……」

 

ドリイ

「本当にそれだけでしょうか──」

「受付で指導した通りですよ。”リーナ”」

「なまじ隠そうと意識してしまうから、隠し事があると見抜かれてしまうもの、と」

 

カタリナ

「うっ……」

 

 

 

 ──咄嗟の話題逸らしはやはり見抜かれていたようだ。

 

 

 

カタリナ

「その……気持ちは有り難いが、この空気で話すような話題では……」

 

 

 

 ──ドリイの表情に含むものは感じられない。

 ──今しがた隠し事を見抜いて見せた彼女自身の心をこちらが読み返すと言うのも自信に欠けるが、あくまで親切心からの追求と判断して間違いないようだ。

 

 

 

ドリイ

「お言葉ですが、なればこそ今しか無いと考えます」

「ご様子から、ルリア様や団長様の前では申し上げにくい事と察せられます」

「しかし今後、カタリナ様と皆様とが離れて行動される機会は極めて少ないかと」

「先程から、皆様の仲についてお聞きするにつけ、尚更に」

 

カタリナ

「う、む……」

「……わかった」

 

 

 

 ──カタリナは極力、余計なしがらみを切り捨て迅速に答えを出した。

 ──ドリイが話題を切り出し、自分がとぼけた結果、今こうして残り時間が僅かながらも無為に消費された。

 ──お誂え向きに、カウンターではカレーニャ達とその先客らの列が、調理に手間取っているのか渋滞気味になっている

 ──このまま時間切れを待って有耶無耶にするような選択は、カタリナの個人的なプライドが認めなかった。

 ──何よりブティックのあの時……ニコラは自ら告げた言葉を、確かめてもらいたがっているように思えた。ニコラの真意に、自分なりに応えたい意思が確かに有った。

 

 

 

カタリナ

「服屋でな。アンナの服を選んでもらった後の事だ──」

「本当に偶然だった。店員達が、何か話しているのが聞こえたんだ」

「途切れ途切れにしか聞こえなかったが……余り、人聞きの良い話題では無いように感じられた」

「それで、その──……その──どうも、その話題が私達の事のようでいて、しかし……あー……」

「つまり、観光客の事では無いようだった……んだが……」

「……うまく、”言えない”のだが……この事が、どうにも気になって、な」

「何か……何かを、私は見落としているような。そんな気がしてならないんだ」

 

 

 

 ──無意識に頭を掻いてみたり、両手の指を擦り合わせたりしている自分に気付かないカタリナ。

 ──こうして改めて言葉にして初めて、自分のやろうとしている事にかなり無理があると気付く。

 ──そもそもは、些細な事として忘れるつもりだった。そんな切っ掛けをタネに、ニコラのために聞き出そうとしていながら、肝心のニコラに関わる部分は伏せてしまうのでは、相手を納得させられる道理がない。

 ──そして辻褄が合うように話を脚色するような柔軟さもカタリナにあろうはずがない。

 ──坂道を転がるようにカタリナの声が休息に小さく弱々しくなっていく、が……。

 

 

 

ドリイ

「……そう言うことでしたか」

 

 

 

 ──ドリイは至って真剣に聞き入っている。見る限りは冷静な無表情を繕っているが、聞き出そうとしたドリイ自身への後悔からか、気まずそうな雰囲気が隠しきれない。

 ──カタリナは拙い自分の話術で会話が進んでくれた事に安堵しつつも、少し後悔した。

 ──逆に考えれば、これほど要領を得ない話でさえ、明確に紐付けされてしまう。そのような話題を知らず突っついてしまったのだ。

 

 

 

カタリナ

「(やはり、このような場で話すべきでは無かったか……)」

「自分で言うのも何だが、こんな話し方で、まともに聞いてくれるとは思わなかったよ」

 

ドリイ

「幾つか打ち明けにくい点があるように見受けられました。しかしながら、私に話さねばならない事情がある事も、同じくカタリナ様から見て取れたので」

「また……申し上げにくい事ですが、大いに心当たりのある事柄です」

「もしやカタリナ様。その店員の会話、思いの外に強い言葉が用いられ、私に打ち明けるにあたってその旨を(はばか)っておられるという事は?」

 

カタリナ

「い、いや。最初は聞き違いか、仕事に疲れての愚痴か、その程度で済ますつもりだったが……」

「──というか、それ程の、その……”心当たり”が?」

 

 

 

 ──ドリイは「カタリナが実際に遭遇した会話は、聞くに堪えないような悪口雑言だったのではないか」と懸念している。

 ──思いも寄らぬ所に無用な配慮を受けるカタリナ。否定するもドリイの顔色は晴れない。

 

 

 

ドリイ

「……恐れながら……」

「もし、言葉にすべきでないような思いをなされたのであれば、島の者として、予め深くお詫び致します」

 

 

 

 ──音もなく席を立とうとするドリイ。

 ──流れからして、身振りを交えての格式張った、即ち深刻な意味合いでの謝罪を行おうとしている事が予想できた。

 ──カタリナが大慌てで引き止め宥める。

 

 

 

カタリナ

「ま、待ってくれ! 本当に、切っ掛けは本当に何でもない事だったんだ。それだけで誰かの責任だとか……そんなもの必要ない、それっぽっちの事だ!」

「頼むから落ち着いてくれ。例え、その……”然るべき対応”が必要だったとしてもだ。まずはその理由を説明してくれないか」

「何より、君の方から人目については本末転倒だ……そうだろう。な?」

 

ドリイ

「……仰る通りです。失礼致しました」

 

 

 

 ──腰を下ろし直したドリイにホッと胸を撫で下ろす。

 ──先程まで語らっていた時とは打って変わっての極端な行動に、もしや大声1つ上げただけでもまた何かしでかすのでは無いかと、カタリナの脳髄が混乱しかける。

 ──自らを胸中で叱咤するカタリナ。仮に今ドリイの対応が行き過ぎていたとしても、そのようにさせたのは自分の言葉だ、と。そのケジメは自ら着けねばならない。

 ──ルリア達が帰ってくるまでに、話をまとめてみせなければと、冷静さを装いながらドリイに続きを促す。

 

 

 

カタリナ

「落ち着いてからで構わない。まずは、私が気になっている事を、ドリイ殿はどのように受け取り、それにはどのような背景があるのか。聞かせてほしい」

 

ドリイ

「畏まりました」

 

 

 

 

 ──そっとカウンターを見やるドリイ。先頭のカレーニャが料理の到着を待っている。

 ──視線をカタリナへ戻した。彼女の見立てでは、説明する時間はまだ充分あるようだ。

 

 

 

ドリイ

「カタリナ様のお言葉から察するに、店員の会話には、少なくとも顧客を疎んじる内容が含まれていたものと考えます」

「例えば、『やっと帰ってくれた』等と」

 

カタリナ

「途切れ途切れだったものだから断言は出来ないが、そう受け取れるようには聞き取れたな……」

 

ドリイ

「同時にカタリナ様方、島外からのお客様の事ではないようであると」

「こちらはカタリナ様が何を(もっ)てそう判断なされたか、私には察しがつきかねます。しかし、十中八九その判断は間違いないかと」

 

カタリナ

「私の言いたかった事をほぼ間違いなく受け取ってくれている。そこは率直に有り難く思う」

「その上で──自分で言うのも何だが、これだけの情報で『間違いない』と言える根拠は何だ?」

 

ドリイ

「仮にも国内有数の店舗においてまで、あるまじき言葉を口にされるような対象……プラトニアにおいては、1つしかありません」

 

カタリナ

「それは、一体……?」

 

 

 

 ──相変わらず冷静な表情のドリイだが、そこで一瞬、口をつぐみ露骨に目が泳いだ。

 

 

 

ドリイ

「……少し、例え話をさせてください。屋敷でカタリナ様がルリア様方に語ったように」

 

カタリナ

「ああ。構わない」

 

 

 

 ──呼吸1つ分の間を設けて、「例え話」が始まる。

 

 ──ある国に、とても大層な富豪の一家がありました。

 ──富豪の裕福さときたら、その豪邸には国王の金庫よりもずっと沢山の金銀財宝が眠っていると、誰もが噂するほどです。

 ──なぜなら富豪はその国に、他のどんな国にも負けない便利な魔法をかけて豊かにしてくれているからです。

 ──しかし誰かが言います。「富豪の一家は、そのお金を自分達のためにしか使わない」。

 ──確かに一家は、必要な服や食べ物にしかお金を使いません。大きな家を持っているのに、なぜか使用人の1人も雇おうとしません。

 ──豊かな国でも尚も貧しい人達が確かに居るのに、富豪は自らのお金で助けてやろうとはしませんでした。

 ──誰かが言いました。「あの一家がお金を独り占めするから、私はパンを買う事もできない」。

 ──また別の誰かが言いました。「亭主がロクな仕事につけないのは、あの一家がお金惜しさに亭主を雇ってくれないからだ」。

 ──誰かが言いました。「私が屋敷に忍び込んで便利な魔法を盗み出してやる。皆が便利な魔法を使えれば誰も悲しまない」。

 ──今日も誰かが言います。「便利な魔法さえ無かったら、あんな一家なんて──」

 

 

 

ドリイ

「……以上です」

 

 

 

 ──例え話が終わった頃には、カタリナはテーブルに肘を突き、その手で頭を支えて項垂れていた。

 ──何に(かこ)つけた話なのか。ここまでの事を思い返せば、状況証拠は充分だった。

 

 

 

カタリナ

「……”カレーニャ”か」

 

ドリイ

「正確には、”オブロンスカヤ”です」

「聞く限りでは、魔導グラスが普及し始めた約20年前から、ずっと」

「もちろん、全ての島民がとは申しません。現に私は”そう”ではありません」

「しかしながら、決して見過ごせぬ数、そのような声があるのは確かです」

「『オブロンスカヤ家は、魔導グラス利権を独占し、島全体から搾取している』と」

 

カタリナ

「にわかには信じられないというか、信じたくないな……」

「ここに来るまで、街ゆく人々を何度も見てきた。皆、穏やかで優しい顔をしていた。憎しみなどとは無縁そうに──」

「いやしかし……そうか。あの店員の会話も、路地で出会った男がカレーニャに因縁を付けるような口ぶりだったのも……それにそんな世論があるなら、屋敷に使用人を入れず魔導グラスで賄っているのも──」

 

ドリイ

「それらの点につきましては、一概にお答えできる事情では無いので私からは……」

「しかしこれでも、カレーニャのご両親に不幸が有ってからは、少なくとも表立っての”声”は随分少なくなりました」

「皆様がカレーニャと共に過ごされても、気付かれずにお楽しみいただけた程度には」

 

 

 

 ──カタリナは、今しがたドリイが”然るべき対応”を取ろうと席を立ちかけた理由を察した。

 ──カレーニャは島の誰かにとって敵なのだ。それもカレーニャ独りにはいかんともし難い経緯によって。

 ──そんなカレーニャと連れ添って往来を歩けば、カレーニャを快く思わない者に出くわし何を言われるか、あるいはされるかも解らない。

 ──それでも自分達をもてなそうとしたのはカレーニャの気まぐれか、ドリイの「カレーニャを誰かと仲良くさせたい」親心が踏み切らせたか。事情は定かではない。

 ──しかし結果として、リスクを承知でこうして店を、通りを、図書館をと案内を請け負った。その綱渡りの気苦労は計り知れない。

 ──彼女はカタリナの話を聞いた時、何より「欺瞞を暴かれた」事を気にしていたのだろう。

 ──ニコラにせよドリイにせよ、「全てはカレーニャを思っての事」と考えれば、少なくともカタリナにとっては一通りの事に辻褄が合う。

 

 

 

カタリナ

「(つくづく愛されているのだな。カレーニャは──)」

 

 

 

 ──理由はどうあれ、このような話を聞き出した罪悪感はまだある。島の居心地も何となく悪くなった。

 ──しかし、カタリナはどこか清々しい気分も感じていた。

 ──少なくとも一行の年長者としては、知らぬままよりは知っていた方が良い事を知れたように思えた。

 ──ニコラも、カレーニャと当たり前のように接する自分達にこそ知って欲しかったのかも知れない。

 ──ドリイは尚も視線を下ろしたままでいる。このまま受付に立っていたらお構いなく語りかけてしまいそうな程、精巧な人形の如く涼しげな佇まいを装っている。しかしこうして話をした後では、印象もだいぶ異なる。

 

 

 

カタリナ

「今日の事、とても感謝している」

 

ドリイ

「カタリナ様──」

 

カタリナ

「まあ、始めは少しバタバタしたが──きっと、ルリアもアンナも……みんな同じように思っているはずだ」

「私達はただの観光客で、こうして至れり尽くせり助けてもらって、島を楽しく満喫している。それだけさ」

 

ドリイ

「──こちらこそ、返すお言葉も……」

 

 

 

 

 

 

ビィ

「おーーい、姐さーーん!」

 

 

 

 ──座席からやや距離を置いて、ビィが呼んでいる。

 ──見ると一行が料理を受け取り終えて、座席へと運んでいる──が。

 ──ルリアがトレーを2つ抱えてヨタヨタと歩み寄ってくる。取り巻く一行もハラハラして見守っていた。

 

 

 

ビィ

「悪ぃけどちょっと手伝ってくんねーか。ルリアが──」

 

ルリア

「だ、だ……大丈夫ですビィさん!」

「カ、カタリナも……そこで、待ってて……!」

 

カレーニャ

「運搬用の台車が自由に使えるって言ってんのにコレですもの。何がしたいのやら……」

 

カタリナ

「お、おいおいルリア。そんな無理しなくても──」

 

 

 

 ──どうにかこうにか、カタリナと自分の分を、意地と元気で無事に運び終えたルリアだった。

 ──ただし団長が運んだルリアの「前おかわり」分は数えないものとする。

 ──テーブルに料理を並べ終え席に着き、カタリナの隣で胸を張るルリア。しかしすぐにカタリナの顔をキョトンとした表情で覗き込む。

 

 

 

ルリア

「カタリナ──何か、ありました?」

 

カタリナ

「ん? 何かって──何がだ?」

 

ルリア

「うーん……気のせいかもなんですけど」

「何だか今のカタリナ、怒ったり悲しい顔をしたすぐ後みたいに見えて」

 

 

 

 ──直感か、それとも日頃から顔を合わせているからなのか。ぎくりと僅かに身体が固まるカタリナ。

 ──先程の話はまだルリア達には……ましてやカレーニャの居る前で悟られる訳にはいかない。

 ──平静を装いながら取り繕う。気休め程度に、受付でドリイに教わった心得など思い返しながら。

 

 

 

カタリナ

「あ、ああ実は──ほら。例のゲームブックの事を話していて、そうしたら、その……」

 

ルリア

「ゲームブック……あ、そういえばドリイさん、あの本の中身、最初から知ってたんじゃ──?」

 

ビィ

「あっ、そういやそうだ! あの本、眼鏡の姉ちゃんが教えてくれた奴だし」

 

カタリナ

「それだ! ……じゃない。そうなんだ。それに気付いたら、大人げないとは思いながらつい……な?」

 

 

 

 ──努めて声色に笑いなど交えながら、半ば助けを求めるようにドリイの方を見やるカタリナ。

 ──先程までのガラス細工のような表情はどこへやら。見慣れたにこやかな彼女がお任せあれとばかりに応じる。

 

 

 

ドリイ

「皆様がよりお楽しみいただけたなら、私も嬉しく思います」

 

カレーニャ

「無駄ですわよ。この人、ポーカーフェイスなら全空一でござあますから」

 

ビィ

「いやいや。つってもせめて最後の武器選ぶ所くらいはよぉ……」

 

ルリア

「でもあの時ドリイさんに聞いたら確か、『心のままに選ばれると良いかと』……でしたっけ?」

 

ドリイ

「はい。あの時点まで順調に読み進めた皆様ですので。皆様それぞれがご自身を信じていただくのが最良かと」

 

主人公(選択)

・うんうん

・やっぱり間違ってなかったのに……

 

→やっぱり間違ってなかったのに……

 

ルリア

「はわ! わ、私そういうつもりじゃ──」

 

ビィ

「あんまり拗ねんなって相棒。今度はちゃんと話聞くからよぉ」

 

カタリナ

「ハハ。しかし──ドリイ殿」

 

ドリイ

「はい?」

 

カタリナ

「申し訳なかったとは思うが、それでも、話してみて良かったよ」

 

ドリイ

「──はい」

 

 

 

 ──どこの国でも話しづらい事情の1つや2つあるものだと、先程の話題はひとまず置いて食事を楽しむ事にするカタリナだった。

 

 

 



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20「食後の雑談」

 ──食事を終えて、一息つく一行。

 ──早速ルリアがデザートを追加注文しに行き、カタリナと団長もルリアに付き添い、ビィは他の客の邪魔にならない程度にゆったりと室内を飛び回っている。

 

 

 

カレーニャ

「──アそうだ。忘れる所でしたわ」

「ちょっとドリイさん。アンナさんも」

 

ドリイ

「何でしょう、カレーニャ」

 

アンナ

「ボ、ボクも──?」

 

 

 

 ──2人を招き寄せた後、カレーニャがドリイに相談する。

 

 

 

カレーニャ

「アンナさん向けの書物なんですけど、私が探すのではどうにも役者不足みたいですのよ」

 

ドリイ

「なるほど。では少々お待ちを」

 

 

 

 ──すぐさま意図を察したドリイがアンナに向き直る。

 

 

 

ドリイ

「恐れ入りますが、アンナ様のご専門を伺ってもよろしいでしょうか」

 

アンナ

「ご……ごせんもんって、えっと、その……」

 

カレーニャ

「ソコそんな身構える所じゃござあませんでしょうが。要するに魔女としてどんな事できるかって話ですわよ」

 

ドリイ

「不必要な高圧的態度、一点」

 

カレーニャ

「んなっ? 説明したげただけでござあましょうよ!?」

 

アンナ

「あ、あ、あの……ボクも、教えてもらって助かったから……気にしないで、欲しい……です」

 

ドリイ

「畏まりました。では、ここはアンナ様に免じて取消とします」

 

カレーニャ

「ふぅ……。ほ、ほらアンナさん、ドリイさんに説明。すぐに手頃な本まとめてくださあますから」

 

アンナ

「あっ、う、うん。えっと──」

 

 

 

 ──魔女として出来ること、まだ出来ないこと。得意なこと、苦手なこと等、箇条書き気味に語るアンナ。

 ──慣れない自己PRに何度もつっかえるが、ドリイは臨機応変にフォローしながら聞き取っていく。

 ──しかもアンナの方から目をそらさず、応答にも間を開けず、それでいて全く並行して手帳に何事か次々に書き連ねている。

 ──あまりに迷いの無い筆捌きに、アンナの視線が度々ドリイの手元にチラチラと滑る。後半はむしろ手ばっかり見ていた気さえした。

 ──そしてアンナが一通り説明し終えると、書き込んだ手帳のページ何枚かを切り取りカレーニャに手渡した。

 

 

 

ドリイ

「ご協力ありがとうございました。アンナ様」

「アンナ様に見合う資料については、題名、所蔵書架、各資料の概要をまとめてカレーニャに預からせます。後ほどご確認ください」

「カレーニャ。印を付けた物は第二候補です。それ以外の資料がご満足いただけなかった場合に勧めて下さい」

 

カレーニャ

「はいな了解」

 

 

 

 ──そんなやり取りをぽかんと口を開けて眺めるアンナ。

 

 

 

アンナ

「あの……ほ……ほんとに図書館の本、みんな覚えてる……んですか?」

 

ドリイ

「全てとまではいきませんが、お恥ずかしながら館内蔵書の半分ほどなら、すぐにでも(そら)んじられるかと」

 

カシマール

「ゼンブオボエテンノカヨ……」

 

アンナ

「す……すごい……」

 

ドリイ

「恐れ入ります」

 

カレーニャ

「ああ、それとグラスの事ですけど」

 

 

 

 ──カレーニャが何か言いかけるが、そこで口を閉じ、ドリイの返事を待ち始めた。

 ──ドリイもドリイで、それが当たり前のようにカレーニャに振り返る。

 

 

 

ドリイ

「私からしましても、魔導グラスと通常の硝子細工とは、見ただけでは区別が付きませんよ。カレーニャ」

 

カレーニャ

「ですわよねえ……」

 

アンナ

「ちょ……超能力……?」

 

 

 

 ──序文だけでカレーニャの言わんとする事を読み取り、確認するまでもなく返答したドリイに目を見張るアンナ。

 ──もしや人間では無いのではと、些か失礼とは思いながらそんな疑念が本気で頭を過る。

 

 

 

ドリイ

「驚かせてしまったようで、申し訳ありません」

「アンナ様が魔導グラスを鑑別なされた事は、カレーニャから伺っておりましたので」

「カレーニャとは常日頃から渡り合って参りましたので、私の見解を求めるタイミングはいつ頃か。何となく察しが付いただけの事です」

 

カシマール

「”ツーカー”ッテヤツダナ」

 

ドリイ

「流石はカシマール様。博識ですね」

 

カレーニャ

「あ~でもそういやあ、ドリイさんも魔法が使えるとは言え、早々に基礎かじり倒す道を選んだ変わり者って話ですし、余り参考には──」

 

 

 

 ──アンナの仮説通りに「魔法を修めていれば魔導グラスと硝子の区別がつく」を検証しようとしたが、ドリイが有効なサンプルで無い事に気付いたらしい。

 ──溜息混じりに語るカレーニャ。そこにルリアの声が割り込む。

 

 

ルリア

「お待たせしましたー!」

 

 

 

 ──ルリア達が()()()と菓子類を台車に積んで戻ってきた。

 ──誰が言うでもなく一流のウェイターの如く手早く料理をテーブルに並べ、台車を片付けに行く団長。場数が違った。

 ──もちろんルリアもお礼を忘れない。

 

 

 

ルリア

「ありがとうございまーす!」

「ん~……どれも美味しそうですぅ」

「あ、カレーニャちゃん達も一緒にどうですか」

 

カレーニャ

「”ちゃん”……ンェッヘンッ! お、お構いなく」

見てるだけで胸焼けしそう……

 

アンナ

「あ……じゃ、じゃあボク、この赤いの……良いかな?」

 

ルリア

「わかりました。ハイどうぞ、アンナちゃん」

 

アンナ

「ありがとう。ルリア」

 

ビィ

「おーい。──お、うまそうだな。このリンゴのやつ、オイラもらっても良いか?」

 

 

 

 ──散歩から戻ってきたビィが合流し、団長も同じく台車を片付けて戻ってきた。

 ──ルリアからデザートを受け取ったビィは、一口かぶりついて堪能した後、思い出したようにドリイに話しかけた。

 

 

 

ビィ

「おっと、忘れるところだったぜ。なあ眼鏡の姉ちゃん」

 

ドリイ

「はい。如何されましたか、ビィ様」

 

ビィ

「ちょっと変な事聞くけどよ──」

「この図書館って、8階のここが一番上の部屋って事で、あってるよな?」

 

ドリイ

「──ふむ」

 

 

 

 ──ビィの質問を受けて、ドリイの眼鏡が密かにキラリと光る。

 

 

 

カレーニャ

「そのはずでござあますけど、それがどうかしまして?」

 

ビィ

「だよなぁ? でも、何か変な感じがするんだよなあ」

 

ドリイ

「ビィ様。大変素晴らしい感性をお持ちですね」

 

カレーニャ

「は? ドリイさん?」

 

ビィ

「お。やっぱりこの図書館、何かあんのか?」

 

ドリイ

「そうですね──まずは、何故疑問を持ったか。具体的な経緯をお聞かせ願えますか?」

 

 

 

 ──にわかにビィがワクワクした様子で語りだす。

 ──思いがけず建造物に隠された秘密を見抜いたかもしれない。それも自分だけが。そんな状況に少年の魂が燃えているのだ。

 

 

 

ビィ

「んっとな、さっきその辺飛んでて、ちょっと窓の外に出て島を見てみたんだ」

 

ルリア

「わあ。良いですね。この部屋、景色もすごく良いですし。空が飛べるビィさんならではですね」

 

ビィ

「だろ? んで、外の景色もすごかったんだけどよ。ついでに、図書館もよく見てみたんだ。そしたらよ──」

「この図書館って、8階の下にでっかい時計が付いてるけど、上には何も無いだろ?」

 

カレーニャ

「確かにそういう造りですけれど、8階から上は屋根なんですから、何もへったくれも無いんじゃござあませんの」

 

ビィ

「いやそうなんだけどよぉ。でも、何かちょっと変なんだよなぁ……」

 

ドリイ

「ビィ様。もう一息ですよ」

「つかぬ事をお伺いしますが、8階直下の大時計と8階直上のその”何も無い”箇所。実際に見比べて何か気付いた事はございませんでしたか」

「例えば、『大時計を8階より上に飾ったらどうだったか』であるとか──」

 

ビィ

「ん? ──おっ。わかった!」

「8階の窓の上な、下の時計がそのままくっつけられるくらい壁が広かったんだ!」

 

カレーニャ

「壁……? あ~……言われてみれば、確かに屋根と窓の間、スペースござあましたわねえ」

 

ドリイ

「ご明察ですビィ様。ご覧の通り、カレーニャでさえ全く気付きもしなかった事です」

 

ビィ

「おぉ! オイラってもしかして、自分で思ってるよりアタマ良いのか?」

 

カレーニャ

「あぁん!? ちょっと! 別に建物のデザインくらい建てたその時々でござあましょうが!」

 

アンナ

あっ──

 

ルリア

「アンナちゃん? どうかしました?」

 

アンナ

「あ、う、ううん。何でもない。た、ただの……独り言? ……だから」

 

 

 

 ──つい先程、この地下2階で聞いた館長の言葉を思い出していた。

 ──重大な事を、多くの人が何度も目にしていても、意外と気づかれないものなのだ。

 ──加えるなら、あの場で気付く切っ掛けが重要か、答えを出す事が重要かで持論を振るったカレーニャが今、このザマである。

 ──カレーニャの抗議をスルーしてドリイとビィの問答が続く。

 

 

 

ドリイ

「ではビィ様。8階直上の不自然に広がった壁。実は故あってあのようになっているのですが、何故だと思われますか」

 

ビィ

「う~~ん、そこまでは……」

「もしかしてだけど……実は9階がある、とかか?」

「でも、もう1部屋ってほど高い壁でも無かったような……」

 

ドリイ

「フフフ──。カレーニャの完敗ですね」

 

カレーニャ

「勝手に競ってる事にしないでくださあますこと!?」

 

ビィ

「って事は……い、今のアタリなのか?」

 

ドリイ

「はい。厳密には9階ではございませんが、実は当図書館、この上に屋根裏部屋が設けられております」

 

主人公(選択)

・「ビィすごい!!」

・「あー気付いてたわー最初から気付いてたわー」

 

→「ビィすごい!!」

 

ビィ

「へっへーん。オイラだってたまにはヤるんだぜ!!」

 

カレーニャ

「屋根裏ぁ? ちょっと、初耳でしてよドリイさん」

 

ドリイ

「はい。私もしばらく前に当館の館長より伺い、初めて知った次第です」

「曰く、今でもその存在を知っているのは、自分を含めた少数の年配者だけだろう──と」

「即ち、ビィ様はこの島の住民にさえ知られていなかった秘密を、ご自身の力で見つけ出されたのです。まさに快挙ですね」

 

ビィ

「そこまで言われると、オイラ照れちまうぜぇ……」

 

 

 

 ──そう言うビィの顔は緩みに緩んでいる。このまま全身もろとも液状化して「ビィ」という概念すら消失して宙に漂わんばかりである。

 

 ──その後、ドリイから簡単な屋根裏の説明があった。

 ──まだプラトニアが現在のような発展の影もなかった建設当初、図書館は単純な木造7階建てで、大時計は最上階の上に位置する構造だった。

 ──時代が進み、魔法と魔力の延長線上であらゆる産業を賄えるようになったのが約100年前。

 ──物資に余裕が生まれると同時に、島中に開発の手が伸び、災害用の避難所や倉庫を作ろうという運動が始まった。

 ──洪水や陸棲の魔物に侵入された時に備えて、図書館を大改築すると同時に、7階の上に避難所としての8階と、倉庫としての屋根裏部屋が増築された。

 ──しかし更にプラトニアが豊かになっていくと、倉庫や避難所はより安全で高度な物が島中に設けられるようになり、何十年も前に図書館のそれは役目を終えた。

 ──最近になって8階は展望フロアとして改装されたが、屋根裏は活用するには中途半端な空間で、持て余したまま改装工事完了に伴って出入り口も塞がれ、現在に至るという。

 

 ──そんな説明も話半分に、ビィを褒めそやして楽しむ一行。ドリイもそんな彼らが微笑ましいようだ。

 ──が、ドリイによって勝手に敗者にされたカレーニャはそうでもない。

 

 

 

カレーニャ

「ったく、何なんですの。いきなりクイズ大会なんておっ始めて……」

 

ドリイ

「この島の事でさえ、まだまだカレーニャの見知らぬ事は多い、という事ですよ」

 

カレーニャ

「んなこた当たり前でござあましょうよ。それがどうかなすったと?」

 

ドリイ

「そうですね──ではカレーニャ、屋根裏部屋の実態に興味は?」

 

カレーニャ

「あるわけ無いでしょうが」

 

ドリイ

「では、やはりカレーニャの完敗です」

 

 

 

 ──笑顔で応えるドリイ。訳が解らないとむくれながらドリイへの追求は諦め、一行の会話に割って入るカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「はいはいお戯れはその辺に。それよりこの後のご予定、午前と同じ組み合わせで問題ござあませんの?」

 

 

 

 ──カレーニャの言葉に我に帰り、少し考え込む一同。

 ──アンナだけ置いて遊びに興じていた事に少々後ろめたさがあったようだ。

 ──かと言ってアンナについていった所で退屈してしまうだけなのは想像に難くなく、アンナとしてもそれは本意ではない。

 

 

 

カタリナ

「はっきり決めてしまうのなら、どのみち先程と同じく別行動に落ち着くだろうが──」

「……それで構わない……だろう、か?」

 

アンナ

「う、うん。仕方ない、かな──」

「ちょっと……寂しいけど……み、みんなが楽しんでくれてた方が……」

 

ルリア

「はうぅ……」

 

カレーニャ

「だぁから、なんだってそういちいち深刻そうになさるのよあなた方……」

 

ドリイ

「感情の分かち合いを求めるのが、人の(さが)ですよ。カレーニャ」

 

カレーニャ

「あー、はいはい。なーるほどねーえ」

 

 

 

 ──適当に聞き流すように冷めた調子で返すカレーニャ。

 ──そしてカレーニャとのやり取りなど初めから無かったかのように、ドリイがいまいち煮え切らない一行に声を掛けた。

 

 

 

ドリイ

「後ほど、ゲームブックの貸出を申請なさるというのは如何でしょうか」

「島外に持ち出さず、期日までに返却いただけるなら、多くの書物は手続きの後、図書館の外への持ち出しが可能となっておりますので」

 

カタリナ

「なるほど。それならアンナの調べ物が終わった後、今夜にでも皆で読む事ができるな」

 

ルリア

「アンナちゃんとも一緒に遊べますね!」

 

アンナ

「ボ、ボクも……そうしてくれるなら、楽しみ……かな」

 

ビィ

「だったら、午後は別の本読んだ方が良いかぁ?」

「姐さんはやる気満々だったけど、オイラ達だけ2度も読んでアンナだけ読んでないってのもなぁ……」

 

カタリナ

「あ、あれはひとまず忘れてくれビィ君……」

「もう頭は冷えたよ。楽しみは後に取っておくさ」

 

ドリイ

「では、午後は(くだん)のゲームブックの貸出を先に済ませ、別の娯楽書をご紹介致しましょう」

 

カタリナ

「ドリイ殿。くれぐれも、次はもう少し素直に楽しめる物を頼む」

 

ドリイ

「畏まりました。入念に配慮致します」

 

 

 

 ──ドリイとカタリナの冗談交じりのやり取りにルリア達から笑みが溢れると共に、午後の方針が定まった。

 ──特筆するまでもなく、午前と同じ組み合わせ。アンナ達はドリイのリストを頼りに魔術書探し。団長達はドリイの案内でゲームと土産話探し。

 ──夕方頃に1階での合流を打ち合わせ、ルリアが吸い上げるように残りのデザートを片付け、一行は再び二手に分かれた。

 

 

 

カレーニャ

「ちなみに、一歩でも島から持ち出したり、借りた本汚したりしたら即刻弁償ですわよ」

 

ドリイ

「不必要な高圧的態度、一点」

 



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21「1階にて」

 ──午後は至って平和な時間が流れ、気づけばもうすぐ日が赤みを差そうかという頃だった。

 ──当初の予定通りに1階で昇降機を降りたアンナとカレーニャ。

 ──急ぎ足気味で出てきたアンナに、グラスチェアーに腰掛けたままぐーっと伸びをしながらカレーニャが続く。

 

 

 

カレーニャ

「──ん~、実に有意義な時間でしたわ」

「もうすぐ大きな暇が取れますし、その時にでももうちょっと魔法を齧って見ようかしらね」

「なんたって……こーんな素敵なセンスのカタマリ見せつけられたら黙っていられませんもの♪」

 

 

 

 ──見るからに上機嫌なカレーニャが、背後からアンナの肩に手を置き褒めちぎる。

 

 

 

アンナ

「だ……だから、ボクなんてそんな……そこまでの事……」

 

カシマール

「ナニイッテンダヨ、アンナ。イッペンコイツヲビシットミカエシテヤレ!」

 

カレーニャ

「こればかりは”マタドール”の言う通りでしてよアンナさん」

「ご家族に誇れるアナタになりたいなら、まずは嘘でも良いから、アナタがアナタを認めて差し上げにゃあ始まりませんことよ」

 

カシマール

「”カシマール”ダ!!」

 

アンナ

「そ……それは、そうかもだけど……あんまり、そんな……褒められると……恥ずかしい……」

 

 

 

 ──受け答えながら、アンナはしきりに視線を周囲に配る。

 ──昼にも時間のルーズさを見せたカレーニャが案内役なだけあって、今回も予定時刻を若干オーバーしていたのだ。

 ──翻って、向こうはデキる女ぶりを遺憾なく発揮するドリイに保護者役のカタリナもついている。ほぼ確実に、団長らは先に1階で待っているはずである。

 ──大広間の人だかりの中に緑のローブと青い髪、何よりいの一番に団長の姿を認めたアンナ。団長達もこちらに気付き、お互いに手を振り合う。

 

 

 

ビィ

「お、二人とも来たみたいだぜ」

 

アンナ

「うぅ……みんな、何度もごめんね……」

 

 

 

 ──合流するや、まずは仲間たちに謝罪するアンナ。

 

 

 

ドリイ

「カレーニャ。お客様をお連れしながら、二度の遅刻は感心しませんよ」

 

カレーニャ

「ハイハイ、今回ばかりは悪うござあましたわ。あんまり熱が入ってわざと時間踏み倒しちゃいましたし」

 

カタリナ

「まあ、ドリイ殿。2人にとって有意義だったなら、我々としても異論はないさ」

 

ルリア

「私も全然気にしてません。それより、アンナちゃんの方はどうでしたか?」

「魔法の事はよくわからないですけど、その……お、お勉強になる本とか、ありましたか!?」

 

 

 

 ──慣れない言葉を捻り出そうとして、何だか全身に力がこもるルリア。

 

 

 

アンナ

「う、うん。えっと……は、初めて知った事とか、解らなかった事の答えとか……えっと……」

「だ……駄目だぁ……沢山ありすぎて、言葉にできない……」

「で、でも……図書館に来て、本当に良かったと思う……」

 

 

 

 ──満足の程が見て取れる自然な笑顔のアンナ。更にカレーニャが持ち上げる。

 

 

 

カレーニャ

「見てるこっちも圧巻でしたわ。4階にも簡単な実験設備ありますわよって教えたら、午前中にも大暴れしなすったのに()()()()()食いついてきて──」

「そうそうドリイさん! プラトニアの叡智、アンナさん1人に半分くらい追いつかれてましてよ」

 

ドリイ

「まあ。それは私、大層お見逸れ致しました。職員としてもお恥ずかしい限りです」

 

 

 

 ──言葉とは裏腹に嬉しそうに頭を下げて見せるドリイに、アンナが大慌てで否定する。

 

 

 

アンナ

「い、いいいいえあの、だ、だだって……プラトニアだと、ボ、ボクみたいな魔法はもう殆ど使われてないって……カ、カレーニャが……!」

 

ルリア

「えっと──どういう事ですか?」

 

カレーニャ

「ドリイさん選りすぐりの資料の大半、アンナさんにはとっくに通り過ぎた知識だったって事ですわ」

「午前の実技の方は首っ引きの練習し通しでござあましたのに、知識と応用力の方は素直に脱帽モンでしたわ」

「ぶっちゃけ掛け値なし、我が国で教鞭取れるレベルですわね」

 

ルリア

「はわ……!」

 

アンナ

「だ、だだだからそんな、おおおおお大げさすぎるよぉ……」

 

ドリイ

「確かにアンナ様の扱われる技術は、プラトニアでは古典に分類されております。現役の術者も数える程で、他島ほど現在の水準は高いとは言えないかもしれません」

「しかしながら、古典は現代に至る源流として、研究分野としては国内でも特に盛んなものの1つでもあります。私が紹介致しました資料も、我が国の歴史を代表する誇り高き集合知です」

「カレーニャの言葉通りその半分を解し、あるいはご存知であったなら……もしアンナ様が学者の道を志されれば、遠からず我が国でも十指に数えられるであろう期待の新星と目されたかと」

 

アンナ

「う……うええぇぇぇえ!?」

 

ビィ

「ア、アンナって、そんなに凄ェやつだったのか……!?」

 

主人公(選択)

・「うんうん」

・「アンナはウチの団員ですので!」

 

→「うんうん」

 

ビィ

「ハハッ! 何だよ団長(オマエ)まで急に『知ってた』みたいな風にしてよォ」

 

ルリア

「でも、そう言われてみれば──私達がアンナちゃんと出会った切っ掛けも、『何でも知ってる魔女さんが居る』って噂を聞いたからでしたね」

 

アンナ

「そ、そそれは、お、お婆様の事で、ボクなんてぜ全然──!」

 

カレーニャ

「ご先達がいらっしゃったのなら尚更納得ですわ。ご丁寧に素人の私にも解りやすいレクチャー付きでしたし──」

「かてて加えて、本で得た知識だけですぐさまこ~んな腕飾り(アミュレット)まで私に……」

 

 

 

 ──ごく軽い鉱物が擦れる音と共に、手首の腕飾りを誇らしげに見せつけるカレーニャ。淡い色彩の石を干し草を撚った紐で連ねた、如何にも魔女らしい一品だった。

 ──アンナが、ネコ科動物が突如背後に現れた野菜に飛び退くような挙動でアミュレットを覆い隠そうとするも、グラスチェアーが右に左にアンナをかわす。

 

 

 

アンナ

「わわわっ、た、試しに、作ってみただけ、だから、他の人に、見せ、ちゃ……駄目ってぇ……!」

 

ルリア

「わ~、綺麗。アンナちゃん、今度、ぜひ私にも作ってもらえませんか!」

 

主人公(選択)

・「同じく!」

・「これは絶対に流行る(*´ω`*)」

 

→「同じく!」

 

アンナ

「ち、ちが、こ、これはそんな、あの……」

「も……もぉみんな勘弁してぇ~~……」

 

カシマール

「ソ、ソノヘンニシネート、アンナガホントーニトケルカラナ!?」

 

カタリナ

「ほらみんな。カシマールもこう言っている事だし──」

 

 

 

 ──笑いながらもカタリナが止めに入り、ひとまずアンナを冷ましつつ雑談に話題を切り替える一行。

 ──ルリア達が6階でのゲームの様子を語り、アンナも段々と落ち着いてきた。

 

 

 

ビィ

「──でよォ、今度は団長(こいつ)がムキになっちまって、『ここは絶対こっちだー』って」

「そんで言う通りにしてみたら、なんと落とし穴に引っ掛かっちまったんだ。勇者も仲間もまとめて泥だらけだぜ」

 

アンナ

「えぇ!? じゃ、じゃあ……また……し、失敗……?」

 

ルリア

「いえ。大怪我とかにはならなくて、その後はゲームもちゃんと最後まで行けました」

「でもあの時の……プフッ」

 

ビィ

「ページ開いて落とし穴に落っこちた絵ぇ見た時の団長(こいつ)の顔ときたら、なあ……クヒヒヒ……」

 

主人公(選択)

・「もう忘れてくださいっ!!」

・「だ……誰にでも間違いはあるから……」

 

→「もう忘れてくださいっ!!」

 

ルリア

「ご、ごめんなヒャい……でも、あんな顔するとクフッ……は、はじめて見て……」

 

アンナ

「フフ……みんな、楽しそうで良かった」

 

カレーニャ

「あらあら団長さんたら。年の割に出来たお方と思ったら、見かけ通りに可愛らしい所もあるんですのねぇ」

 

カシマール

「オメーハモーチョットカワイゲヲモテヨナ」

 

アンナ

「こ、こらカシマー……」

 

 

 

 

 

 

女性の声

キャーーーーーッ!!

 

 

 

 ──突如、遠方から絹を裂くような声が響き渡った。

 ──厄介事には慣れたもの。団長らがすかさず声の届いた方角を見ると、何人かの客が通路から飛び出してくる。

 ──客達は自分達が出てきた通路の奥を見やりながら、こちらの方へ駆けてくる。

 ──興味なさげに軽く通路に目を向けたカレーニャが、意味深げな冷めた態度で呟いた。

 

 

 

カレーニャ

「あぁ。大方、『また』ですわね……」

 

ドリイ

「トラブルのようです。ここは我々職員で対処致しますので──」

 

ルリア

「いえ。困っている人がいるなら、放っておけません!」

 

ドリイ

「お気持ちは大変嬉しく思います。しかし皆様は──」

 

 

 

 ──問答を抑えつけるように、群衆の方角から()()と、複数の大声が重なり合う独特の音波が押し寄せる。

 ──そして次の瞬間、ルリア達の間を横切って、何かが図書館の床にぶつかり、高い音を立てながら大きく跳ねた。

 ──余りに速すぎて、誰もがソレが横切ってから事態を認識した。……否。1人、察知していたようだ。

 ──ソレの軌道上に最も近かったルリアの周囲を薄く、透明な壁が取り囲んでいる。

 

 

 

ルリア

「こ、これ……水?」

 

ドリイ

「初歩的な水の防護壁です。それよりも、お下がりくださいルリア様」

 

 

 

 ──答えながらドリイが視線を向けた先には、魔導グラスの鳥の姿があった。

 ──街中で手紙を取り込んで配達していたのと、ほぼ同じ物体である。

 ──しかし様子がおかしい。宙に浮いたその佇まいは、滑るように静かに移動していた記憶の中の姿とは程遠い。

 ──力一杯に握りしめた拳のように細かく、素早く、無軌道に震えている。

 

 

 

ルリア

「あの魔導グラスさん、何だか様子が……キャッ!?」

 

 

 

 ──ルリアが悲鳴を上げた時には、事態は既に終わった後だった。

 ──人の反射神経より遥かに速く、グラスの鳥はまず、自ら床へ急降下し、床材を削り取りながら弧を描いて急上昇。

 ──続いて天井にめり込む程に激突しながら、ただ跳ね返っただけかのように軌道を変更し、ルリアの顔面へと飛んできた。

 ──しかしルリアと衝突する直前、先程のドリイの「水の壁」が間に立ちはだかった。

 ──物理法則を超えた高密度の水がグラスを受け流し、軌道を曲げられた鳥は近くのテーブルを粉々に砕いて、再び空中で痙攣を始めた。ルリアの悲鳴はこの後に発せられたものだ。

 

 

 

ドリイ

「ルリア様、お怪我は!」

 

ルリア

「だ、大丈夫です。ありがとうございます。でも……あの魔導グラスさんは……?」

 

ドリイ

「暴走しており、大変に危険です。カタリナ様、皆様を遠くへ」

 

ルリア

「ぼ、暴走って?」

 

カレーニャ

「説明は後。ドリイさんが黙らせますから、ほら行きますわよ」

「……って、ちょっと団長さん!?」

 

 

 

 ──制止も聞かず、団長が魔導グラスに飛びかかる。

 ──受付で武器の持ち込みに制限がかかっており、咄嗟に扱える状態ではない。故に実質の丸腰である。

 ──それでも団長は、宙で震える魔導グラスを捕まえ、抱きかかえるようにして抑え込んだ。

 ──しかし、グラスの馬力の方が優っていた。グラスは抵抗するように再び知覚外の速度で虚空を跳ね、その勢い1つで団長の拘束を文字通り弾き飛ばした。

 ──投げ出された団長にルリアとビィが駆け寄る。グラスが鳩尾(みぞおち)かどこかを押し潰したらしく、(うずくま)ってすぐには動けそうにない団長。

 

 

 

職員

「皆さん、ここは職員が対処します! 危険ですので……うわっ!?」

 

「おい、あれ『暴走』だろ。”今度こそ”……ひぃっ!?」

 

 

 

 ──グラスは明後日の方向へ一瞬で長距離を移動し、野次馬の群れの足元へ突っ込む。

 ──大小の瓦礫が飛び散り、散弾銃のように野次馬を襲うが、これも唯一グラスに対応できているドリイが水の壁を展開し防ぎきった。

 ──ドリイ含め、職員達は来客を守る事に手一杯なようだ。離れろと呼びかけているのに見物人が増える一方とあっては無理もない。

 ──カタリナがドリイの隣から一歩前へ出て、剣の柄に手をかけた。

 

 

 

カタリナ

「ドリイ殿。勝手で申し訳ないが、皆は君1人に任せるつもりは無いようだ」

「それに、あれ程の速さと質量……どこへ退避しようとグラスの進路上に入ってしまった時点で無意味だ」

「君は人命の保護に集中していてくれ。要はグラスを無力化すれば良い。その認識で問題ないな」

 

ドリイ

「はい。魔導グラスは形状と機能とが密接に関係しています。2割程でも原型を損なわせれば機能不全で停止します」

「──しかしカタリナ様だけは、何があろうと、館内で剣を取る事はご遠慮願います」

 

カタリナ

「何故だ!?」

 

ドリイ

「あなたは研修生の”リーナ・カーター”ではありません。エルステ騎士”カタリナ・アリゼ”様です」

 

カタリナ

「あっ……クソ!」

 

 

 

 ──ごく自然に振舞い続けて、カタリナ自身すっかり忘れていた。

 ──彼女は今、プラトニアの役人の証であるローブに隠れてこの場に立っている。

 ──仮に、ここでカタリナの活躍で事態が一件落着したとして、図書館がこの件の事後処理を取りまとめる段になれば、その事を誤魔化しようが無くなってしまう。

 ──待っているのは、同僚達を騙し、エルステ兵の装いをした者を不当に入館させたドリイの責任問題である。もちろん、カレーニャにも(るい)が及びかねない。

 ──苦々しげにドリイの元を離れ、団長達を庇うように立つカタリナ。彼女自身が先程分析した通り、どこに居ようとグラスに狙われたらどうしようもない。

 ──そしてここは広間のど真ん中。ルリアとビィと、何より自由の効かない団長を連れて通路や館外へ逃げようとした所で、その間にグラスは幾度でも飛び回って見せるだろう。安全な場所へ退避するための安全が無い。

 ──せめて自分が盾になるのが精一杯。そしてカレーニャと、意外にも団長の元に駆け寄らなかったアンナに呼びかけるカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「二人共、こっちに来て私の陰に入るんだ!」

 

ビィ

「お、おい姐さん!?」

 

カタリナ

「悔しいが、ドリイ殿に要らぬ迷惑をかける訳にもいかない……」

「なあに。このローブの下は自慢の鎧さ。あの程度の1発や2発、受け止めて見せるさ」

 

 

 

 ──落ち着き払った笑顔で宥めるカタリナ。

 ──甲冑で身を固めた相手には、ハンマーのような鈍器で鎧ごと変形せしめる打撃が有効であるなどとはとても言えない。

 ──だが、カタリナの指示に対して異議が申し立てられた。

 

 

 

アンナ

「ま……待って!」

 

カタリナ

「待っても何もあるか! いつ魔導グラスが動き出すか……」

 

アンナ

「そ……それでも、待って」

「カレーニャ。あの魔導グラス……こ、壊しちゃっても、本当に大丈夫……なの?」

 

カレーニャ

「は……? まあ、壊した所で魔力になって空気中に還るか、私が修理して元通りですけど……」

「それより、私も逃げるなり隠れるなりなさる方に賛成ですわよ。ああなると私にも制御が──」

 

アンナ

「わかった……!」

 

カレーニャ

「あ、ちょっと、あなたまで……!?」

 

 

 

 ──その返答は、カレーニャの「説明」にであって、「意見」にではなかった。

 ──走り出したアンナはドリイの横に付き、尋ねた。

 

 

 

アンナ

「あの……少しだけ、あの魔導グラスを魔法で閉じ込める事って、出来ますか」

 

ドリイ

「時間によっては、断言致しかねます」

「保証できる範囲としては、再びグラスが動き出した状態から、数秒ほどかと」

 

アンナ

「そ……それだけあれば、多分、大丈夫です」

「あの……えっと、えっと……」

 

 

 

 ──グラスの鳩の影が激しくブレた。

 

 

 

ドリイ

「退避を!」

 

「ひぃっ!」

 

 

 

 ──野次馬に呼びかけるドリイ、ほぼ同時に客の眼前で水とグラスがせめぎ合う。

 ──アンナが語りかける間にも現在進行系で魔導グラスが飛び回り、ドリイと職員が防衛にあたっている。

 

 

 

ドリイ

「どうぞアンナ様。お構いなく、そのまま続けてください」

 

アンナ

「あ……う、うん……。き、今日、えっと、ま、魔導……グラスは、えと……ま、魔力の火に、弱いって……その……カレーニャと……それ、で……」

 

 

 

 

 ──伝えるべき事を伝えようと焦っては、グラスの動きが気にかかり言葉が出てこない。

 

 

 

ドリイ

「把握しました。二次被害は私が全力で防ぎます。いつでもどうぞ」

 

 

 

 ──が、ドリイには意図する所が通じたらしい。

 

 

 

アンナ

「え……! あ、ああああの、い今のでホントに……?」

 

ドリイ

「多少の齟齬はこちらで調整します」

「今は、貴方が頼りです。まずは行動される事をお(すす)めします」

 

 

 

 ──油断ならない状況のはずなのに、アンナの目を見て、落ち着かせるように笑顔でゆっくりと語りかけるドリイ。

 

 

 

アンナ

「は……はい!!」

 

 

 

 ──応えるなり火球を作り始めるアンナ。その熱量を誇示するように火球の色が見る見ると白くなる。

 

 

 

カタリナ

「アンナ!? ここは図書館だぞ、火なんて起こしたら……!!」

 

カレーニャ

「あー、はいはい。ま~ぁ熱血冒険譚ですこと」

 

 

 

 ──カタリナが狼狽える一方、カレーニャは何だか皮肉げに笑みを浮かべて冷静に眺めている。

 ──ドリイに続いてカレーニャも合点がいったのだ。カレーニャはアンナがこれからやらんとしている事を「既に見ている」ためだ。

 

 

 

アンナ

「う……撃ちます!」

 

ドリイ

「畏まりました」

 

 

 

 ──火球の直径が人の頭一つ分ほどまで圧縮され、球の中心から噴き出すように細く火柱が伸び、グラスへと飛んでいく。

 ──火球から火柱が抽出されているとも表現できるだろうか。火柱が細く長く伸びるほどに、火球は僅かずつその体積を縮めている。

 ──火柱の発射を確認したドリイも魔法を展開。暴走グラスを梱包するように周囲の空間で激しく風が巻き起こる。

 ──グラスがまたも宙を走るが、空気の流れに弾かれて狭い空間をピンボールの玉のように目まぐるしく跳ね回るばかり。

 ──乱気流に躍らされる度にその勢いを受けてますます速度を上げる暴走グラス。

 ──今にも風を突き破って飛び出しかねん勢いだが、そこにアンナの放った火柱が飛び込んだ。

 

 

 

カタリナ

「燃え移……らない?」

 

カレーニャ

「ご心配なく。午前中に覚えたばかりの付け焼き刃ですけれど、こちとら腕前は身を以て確認済みですわ」

 

 

 

 ──レーザーのように収束させた炎がグラスに触れるや否や、鳥の尾羽根のように燃え広がり、鳩の全身を包み込んでいく。木製の椅子、図書館案内などが収まったラックが周囲に転がる中、グラスに至るまでの長い火柱からは火の粉1つも散らしていない。

 ──更にドリイの発生させた風が火勢を増幅させ、グラスはたちまち逆巻く火球に包まれ見えなくなった。

 ──炎が収まり、2人の魔法が解かれた跡には、拳1つ程の表現し難い形状の残骸を遺して、グラスは沈黙していた。

 ──誰ともなく、野次馬達から「おおーっ」と歓声が上がった。



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22「魔導グラスの正しい使い方」

 ──アンナの機転で魔導グラス暴走の一件が片付いてから10分ほど。動けるまでに回復した団長がルリア達と共にアンナを持て囃していた。

 

 ──溶け残った魔導グラスは、グラスとしての形を維持する事も出来なくなり、魔力が虹色に瞬く砂のように分解され、風に舞うように消えていった。

 ──事件が落ち着いたのを機に野次馬も散っていき、職員達が慌ただしく後始末に右往左往している。

 ──現場近くに残っている一般人は、上階から降りてきたばかりで初めて事件を知ったらしい若い男女や、騒ぎで親とはぐれたのか近くの椅子に座って膝をプラプラさせている女の子くらいだ。

 ──アンナ達は現場の当事者として、簡単だが諸々の手続きを受ける事になるため、職員の仕事が一段落するまで、広間の損壊を免れた一角で体を休めていた。カタリナに対する追求をかわすためにも、ドリイとカレーニャも一行に付き添っている。

 ──謙遜するアンナをあの手この手でおだてながら、特別にと職員から振る舞われたお茶など囲んでいると、やや離れた所から言い争うような声が聞こえてきた。

 

 

 

職員の声

「──ですから、あのグラスは貴女のもので間違いないのですよね?」

 

女性の声

「だからそう言ってるじゃありませんか。早くカレーニャを呼んできてくださいな」

 

 

 

 ──見ると、現場保存のためか未だ片付いていない広間の一区画に職員と老婦人、それに事情聴取に出向した2,3人の兵士が屯している。身振りからすると、老婦人の言い分に職員と兵士が困り果てているようだった。

 

 

 

ビィ

「なんだなんだ?」

 

ルリア

「今、カレーニャちゃんがどうとかって──」

 

カレーニャ

「あー……まぁたあのヒトですのね。まさかやらかす程だったなんてねぇ」

 

ドリイ

「カレーニャ。皆様。私が出向きますので、こちらでお待ち下さ──」

 

老婦人の声

「あら、あんな所にいるじゃないの。カレーニャ、ドリイさん!」

 

兵士

「あ、こら!」

 

職員

「ちょ、ちょっと、困りますよ!」

 

 

 

 ──ドリイが収拾に向かおうとした矢先、老婦人が目当てのカレーニャを見つけてこちらにスタスタと歩いてくる。

 ──兵士・職員両方から止められているのに、「まあ見ててなさい」と言わんばかりに悠然とした足取りだった。

 ──目を付けられたカレーニャの方は、喜劇でトラブルメーカーがやらかす瞬間を見るような、皮肉げな苦笑を浮かべていた。

 ──ドリイもこれから起こる事が解っているかのように、速やかにかつさり気なく、カレーニャの隣に移動した。

 

 

 

カレーニャ

「あーあ」

 

職員

「待って下さい、ご婦人。さっきから申し上げてますように──」

 

老婦人

「お久しぶりねえドリイさん。今日もお美しくいらっしゃるわ」

 

ドリイ

「恐れ入ります」

 

 

 

 ──職員らの抗議の声を簡単に無視して、にこやかにドリイに挨拶する老婦人。

 ──そしてカレーニャの方に向き直ると、穏やかな面持ちながらもキッと真剣な眼差しになり、荒れ果てた現場を指差す。

 

 

 

老婦人

「そしてカレーニャ。あれだけの事になって、解らないアナタじゃありませんね?」

 

カレーニャ

「あー、そりゃーもー」

 

老婦人

「何ですか、その気のない返事は。ご両親はいつでもアナタを見ているのですよ」

「全く。またアナタはそうやって突っ張って。アナタにはまだ自覚が足りません。こんなにも人様に迷惑かけているんですよ?」

 

 

 

 ──老婦人の言葉を鼻で笑いながら受け応えるカレーニャ。団長たちには話が見えてこない。

 

 

 

ビィ

「なあなあ。この婆ちゃん、さっきから何の話してるんだ?」

 

カタリナ

「魔導グラス暴走の責任がカレーニャにある──と言いたいようには聞こえるが……そもそも、このご婦人は何者なんだ?」

 

兵士

「すいません。私どもで対応する事ですので、関係者以外にどうとは……」

 

ドリイ

「いいえ。先程、事件の解決に尽力して下さった当事者の方々です。事件と関係がお有りなら、むしろ知る権利を有するかと」

 

兵士

「うぅむ……まあ、そういう事でしたら──」

 

 

 

 ──何やら老婦人の説教が始まり、カレーニャがのらりくらりと聞き流している中、説明を受ける一行。

 

 

 

兵士

「手短に話してしまえば、あのご婦人が先の魔導グラスの持ち主という事が解りまして」

 

ビィ

「んなっ! じゃあ、あの婆ちゃんが犯人って事か?」

 

職員

「いえ、それが……『グラスが突然暴れだしてどうしようも無かった』とか『不良品を掴まされたのだから責任は製造元のカレーニャにある』の一点張りで」

 

カタリナ

「そういえば魔導グラスの管理は、グラスを造ったカレーニャにしかできないと先ほど聞いたような……」

 

ルリア

「じゃ、じゃあ……」

 

 

 

 ──ルリカレーニャの責任問題を懸念し、ルリア達が不安げに実質の保護者たるドリイを見る。ドリイはと言えば、実に落ち着き払った様子だ。しかしカタリナが展望フロアで見たような無機質な佇まいでもない。

 ──ドリイはルリア達の視線に気付くと、笑顔を返した後に兵士らに向き直る。

 

 

 

ドリイ

「然様でしたら、対応に難儀される事も無い筈かと存じますが」

 

兵士

「その通りなんですが、とにかく話が通じないし……相手が相手だけに無理強いも気が引けて……」

 

職員

「まるで自覚が無いっていうか、自信がありすぎるっていうか。こっちの言い分に一歩も合わせてくれないんですよ……」

 

ドリイ

「なるほど。正面からでは聞き入れて頂けない──と」

 

 

 

 ──語らうドリイ達に、痺れを切らしたビィが割り込んだ。

 

 

 

ビィ

「なぁなぁ眼鏡の姉ちゃん。それで、結局どうなんだ? 魔導グラスが暴走するのって、カレーニャのせいなのか?」

 

ドリイ

「あら、ビィ様──」

「……カレーニャの事を、案じておいでですか?」

 

 

 

 ──ごく僅かに、ドリイの言葉に奇妙な抑揚が混じった。

 ──突き放しているような、ビィを試しているような。ただの気のせいかも知れないほど、さり気なくだが。

 

 

 

ビィ

「そ、そりゃそうだろ。オイラ、難しい事はよくわかんねぇけど……さっきまで一緒に居たし、アンナの事も色々世話になったんだぜ!」

 

アンナ

「あ、あの……それに、カレーニャ……島の人のために、沢山の魔導グラス造ってるのに……こ、こんな事になって、カレーニャのせいにされるのは、その……あ、あんまり……だと、思う……」

 

兵士

「あぁ……皆さん、旅行者でしたか」

 

 

 

 ──まるで島の事情を知らない彼らを憐れむような、何やら煮え切らない兵士の態度が一行の不安を掻き立てる。

 ──ドリイが穏やかな微笑みを浮かべ、一向に軽く頭を下げた。

 

 

 

ドリイ

「皆様のご厚情、カレーニャの身辺を預かる者として、大変嬉しく思います」

「そして、ご安心下さい。今回のケース、昇降機前にてお話した通りです。十中八九、カレーニャの非は認められません」

「後ほど改めてご説明致しますので、今しばらくお待ち下さい」

 

カタリナ

「昇降機前……?」

「待てよ。確かに、そういうことなら──」

 

ルリア

「カタリナ? ど、どういう事?」

 

カタリナ

「多分、すぐに解るさ。まずはドリイ殿の仕事が先だ。良い子で見ているんだ」

 

 

 

 ──ルリア達を宥めたドリイは向き直り、未だ岩清水の如く説教を溢れさせる老婦人にそっと声をかけた。

 

 

 

ドリイ

「お客様。本日はお騒がせ致しまして、誠に申し訳ありません」

 

老婦人

「──カレーニャ、アナタは私がどれほどアナタを信じて……あら、ドリイさん。良いのよそんな事」

 

 

 

 ──「話が通じない」と職員らが辟易していた老婦人が、一言で振り向いた。余程ドリイの事が気に入っているようで表情も明るい。

 ──老婦人を受け流していたカレーニャは、ようやくお役御免かとばかり大きく伸びをしながら2人から距離を取った。

 

 

 

ドリイ

「恐れ入ります。時にお客様。例の魔導グラス、いつ頃お求めになられた物でしょう?」

 

老婦人

「そうそう、あれねえ。こないだの誕生日に息子が贈ってくれた物なのよ」

「使ってもう半年くらいだったかしら。孫も随分気に入ってねえ。あれ鳥みたいな形してたでしょう?」

「『ピーちゃん、ピーちゃん』なんて呼んでもう可愛くって。今ではどこに行くにも一緒に連れて行ってたのよ」

 

ドリイ

「然様でしたか。ではせめて後ほど、私から替えのお品をお孫様の元に贈らせていただきます」

 

老婦人

「あら良いのよ。貴女がそこまでする必要ないわ。カレーニャのワガママが招いた事なんだから」

 

ドリイ

「……カレーニャには私も、よく振り回されております」

 

老婦人

「でしょう? 大体あの子も年頃だからって、自覚が足りなすぎるのよ」

「若いから、自分だけの特別なものが欲しい気持ちはわかりますよ? でもねえ。世のため人のためになる事してるのに、身内にしか手を付けられないようにするわ、あまつさえ暴走するような物を作るだなんて──」

 

 

 

 ──どんどんと口数が増えていく老婦人に、穏やかかつ的確に受け答えを続けるドリイ。

 ──傍らから見ている団長達も職員達も到底割って入れそうに無く、持て余した一同は小声で語らい始めていた。

 

 

 

ビィ

「何かさっきから聞いてると、あの婆ちゃん、ちょっと偉そうな感じだよな?」

 

職員

「あのご婦人、プラトニアで魔法の教師として、とても名のある方なんですよ」

「魔法の事については一家言あって、島の外にまで無償で教えに行くくらい熱心で優しい人で……普段はあんなに意固地じゃないんですがねえ」

 

兵士

「まあ、気持ちは解るな……」

 

主人公(選択)

・「相手がカレーニャだから?」

・「気が動転してるって事?」

 

→「気が動転してるって事?」

 

ビィ

「あー……自分の持ち物があんな大惨事起こしちゃなぁ……」

 

兵士・職員

「……──」

 

 

 

 ──団長達の言葉に、決まり悪そうに視線を泳がす役人達。観光客の前で、島民がこの振る舞いとあっては、そうしたくなるのも無理は無いのかも知れない。

 ──そんな会話をよそに、老婦人の逸れに逸れる話題を一通り聞き終えたドリイが老婦人に問う。

 

 

 

ドリイ

「……お客様の抱える不安は、私の不徳の致す所でもございます」

「では、お客様。今後のより良いグラス製造のために、魔導グラスのご利用実態について、幾つかお伺いしても?」

 

老婦人

「そういう事なら大歓迎よ。貴女からも、ちゃんとカレーニャに厳しく言ってあげてね」

 

ドリイ

「善処します。それではまず、お客様の場合、運送用のグラスを日頃からご利用なされているとの事でしたね」

「魔力の補給の頻度や、どちらの設備をよくご利用なされるか、お伺いしてもよろしいでしょうか」

 

老婦人

「ええ、良いわよ。実はあれねえ。孫のお気に入りだから私が眠っている時も飛ばしっぱなしなのよ」

「だから──大体2,3日に1回くらいかしら。出かけるついでに魔力を補給してるのよ」

「そうそう、あの補給用の魔導グラス、あれって売ってらっしゃらないんですってねえ。あれも何とかならないものかしら」

 

ドリイ

「補給用のグラスに関しては度々要望は受けておりますが、悪用の恐れがあるため、オブロンスカヤ直轄の施設以外における配備は見送られております」

 

カタリナ

「(補給……やはりそこか)」

 

 

 

 ──黙って話を聞いていたカタリナがピクリと反応した。昇降機前……エレベーター待ちの際に聞いた魔力補給の話でも出て、そして中途半端に終わった話題だった。

 

 

 

老婦人

「あらそうなの。いやだわあ。誰も悪い事に使おうなんて思わないでしょうに……そもそも補給のためだけのグラスが何に使えるって言うのかしらねえ?」

 

ドリイ

「そちらについては私の口からは……」

 

老婦人

「あらごめんなさい。変な事言っちゃって。気になさらないで」

「でも本当、有ったら助かるのにねえ。一昨日だって、子どもたちと旅行に行った時にグラスが途中で魔力切れ起こしちゃって……」

「孫が『ピーちゃんかわいそう』って泣いちゃったのよ。その島に『魔導グラスに詳しい』って人が居たから良かったけど──」

 

兵士

「え?」

 

職員

「ん──?」

 

ルリア

「ど、どうかなさったんですか……?」

 

 

 

 ──にわかに職員と警官が驚いた顔を見合わせた。黙って頷きあうと兵士が合図し、遠くで待機していた残りの兵士達が静かにこちらにやってくる。

 ──それと同時に2人はルリアに何も応える事無く、ドリイの元へ歩み寄る。足音を忍ばせるようで物々しさを感じさせる。

 

 

 

ドリイ

「それはご不便をおかけしました。よろしければ、ご旅行先の島や、お手伝い頂いた方について詳しくお伺いしても?」

 

老婦人

「もちろん。ドリイさんと私の仲じゃないの。……あ、でも魔力を補給してくれた人が『特別だから秘密にしててくれ』って──」

 

兵士

「ドリイさん。ご協力、誠に感謝します」

 

ドリイ

「いいえ。後の事は、よろしくお願い致します」

 

老婦人

「あら、どうしたのドリイさん。……あら。あらあら……これって?」

 

 

 

 ──2人の会話に兵士が割り込む。気付くと残りの兵士と、他に駆けつけた職員数名が老婦人の背後に回っている。

 ──ついでに距離を置いて事態を眺めていたカレーニャが口を抑えて露骨に笑いを堪えている。

 

 

 

ルリア

「え、え? あの、これって何が──」

 

カタリナ

「昇降機の前での、ドリイ殿の説明を覚えているか。ルリア?」

「魔導グラスにカレーニャ以外の魔力を補給すると、思わぬ動作不良や暴走を招く恐れがある──と」

 

ルリア

「あ、そういえば……」

 

カタリナ

「その暴走の結果がコレで、そうなる事が解っていたなら、他人の魔力を補給する事をプラトニアが認める訳がない。確実に法で禁止されているだろう」

「元から魔導グラスに興味が薄かったか、単に偶然知らなかったのか──ともかく婦人は旅行先で『魔導グラスに詳しい』と宣う他人に魔力を補給してもらった」

「だとすれば責任は、不法行為を行った、そして持ち主である彼女にある。そういう事になるな」

「補給用グラスを普及させたくない訳だ。第三者の魔力を充填されるような事があれば、暴走するグラスが爆発的に増えてしまう」

 

 

 

 ──丁度、同じ説明を老婦人も受けていたようだ。しかし老婦人に取り乱すような様子は見られない。

 

 

 

老婦人

「あらやだそうだったの? ごめんなさいねえ。魔導グラスが出来たのって最近でしょう? よく知らなかったのよ」

 

ドリイ

「魔力補給に関する法整備が整った時期が約10年前です。プラトニアとしては充分に周知してきたつもりでしたが、私共の努力不足です」

 

ビィ

最近って……10年って結構前だよなぁ?

 

カタリナ

10年20年前でも、つい最近の事だったように錯覚する事はよくある。御老体なら尚更だろうな

 

ルリア

カタリナも、よくあるんですか?

 

カタリナ

た、たまにな。私の場合は、ごくたまーに、な……!

 

ドリイ

「過去のグラス暴走の事例を鑑みても、その原因は例外なく第三者からの補給を受けた事によるものでした」

「今回も、暴走したグラスの持ち主が発覚した時点で、私共もそのように備えてご協力をお願いしていた次第です」

 

老婦人

「お巡りさん達がカレーニャの事そっちのけでよく解らない事ばかり言ってたのは、そういう事だったのねえ」

 

兵士

「いえですから、現行法上、こういったケースで製造元に責任は及ばないと何度も──」

 

老婦人

「そこがおかしいんですよ、お巡りさん。よく考えれば解るはずですよ」

「魔法も魔力も、よっぽど事情がない限りは誰にだって扱えるモノなのよ。空気や他人から魔力を取り込む技術まであるのに──」

「魔力で動くなら魔導グラスも魔法。それが古くから決められた摂理なの。決まった人の魔力でしか動かない道具なんて、わざとそうなるように作らなければ普通ありえないんですから」

「カレーニャのワガママに国が合わせて考えるのを止めてしまうなんて、言語道断じゃありませんこと?」

 

 

 

 ──老婦人の口調は徹頭徹尾冷静だった。

 ──話を逸らして煙に巻こうとか、ましてや苦し紛れに言い訳を捲し立てている等と言った様子は微塵もない。

 ──それが、今この場を正しい方向へと導く選択だと確かに信じる者の言葉だった。

 

 

 

兵士

「確かに間違っていたとしてもですね。今現在の法がそう定めている以上は──」

 

職員

「あ、あの~ご婦人。言いたくは無いのですが、私共としましても貴女ご自身のために、ここはどうか……」

 

老婦人

「いやだわ貴方まで。良くないことを良くないと言う事の何がいけないの?」

 

ドリイ

「お客様。心苦しいのですが、お客様の証言から、お客様には魔導グラスの島外持ち出しの疑いがかかっております」

「現在、公私の別なく魔導グラスの輸出は全面的に禁じられており、これを破られた場合、魔導グラスの不正運用より遥かに重い罰則が定められております」

「今回は初犯であり、故意で無いとの事ですので、お客様のためにも、グラスの補給を請け負った第三者について説明をなされるなど、今は酌量の余地を得る事が賢明かと」

 

 

 

 ──丁度その時、図書館の入口から、老婦人の罪状の程度を伺える程度に応援の兵士がゾロゾロと押し寄せてきた。

 ──己の罪状を理解してなお毅然と説き伏せにかかった老婦人も流石に空気を読み始めたのか、あるいは何か別の思惑か。四面楚歌を見るなり困り顔で軽くため息をついた。

 

 

 

兵士

「詳しく、お話を聞かせていただけますね?」

 

老婦人

「ハァ……嘆かわしいこと」

 

職員

「あ、あのですから……」

 

老婦人

「良いですとも。悪法もまた法なのですから。誇りあるプラトニア市民としてお受けしますわ」

「でもねえ、お巡りさん。1つだけやらせてちょうだい」

 

 

 

 ──言うなり老婦人は歩き出し、職員・兵士の制止も聞かず、確かな足取りでカレーニャの前へと詰め寄る。

 ──当のカレーニャは老婦人の一連の失態が余程ツボに入ったのか、グラスチェアーから降りてその側面にもたれ掛かり、息を堪らえながら一通り笑い倒した身体を休めていた。

 

 

 

カレーニャ

「ブッ……クッヒククク、ふふぅ……あ~、やっと落ち着きまし──ぁん?」

 

老婦人

「カレーニャ。よく見ておきなさい」

「アナタが造ったモノがどれほど世の中に大切で、そのためにどれだけ多くの人の生活を左右するのか。アナタはそれがまだ全く解っていません」

「アナタのためにも、私はこれから胸を張って罪に服します。アナタの勝手で、こうして必要も無い法で裁かれる人がある意味をよく考えなさい」

「ご両親が見ても悲しまないようなアナタであるためにもね……!」

 

 

 

 ──カレーニャにお構いなしに一方的にまくし立て、老婦人はさっさと踵を返して兵士達の方へと歩んでいった。

 ──老婦人が遥か遠くへ兵隊と共に去っていった頃、カレーニャは一杯に膨らませた口から我慢していた呼気を盛大に吹き出し、グラスチェアーをペシペシ叩きながら膝から崩れ落ちた。



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23「ディナーパーティー01」

 ──暴走グラス騒ぎも落着したその日の晩。一行はカレーニャの邸宅で夕食を振る舞われていた。

 ──図書館での出来事を思い返しながら、ビィがリンゴをパンパンの頬からポロポロ落としながら愚痴っている。

 

 

 

ビィ

「まったく、何だったんだよあの婆ちゃんはよぉ」

「自分の魔導グラスであんな事になったってのに、最後まで全部カレーニャが悪いみたいな態度でよぉ──ハグッ、ムゴムゴ、ムォッムムンモムモゴゴ……」

 

ルリア

「ビ、ビィさん、食べながら喋ったらお行儀悪いですよ」

 

アンナ

「魔法が誰にでも使えるもの……って言うのは……た、多分……間違ってなかった……と思う、けど……うーん……」

 

ドリイ

「魔法という側面から見れば、アンナ様の仰るとおりです」

「しかし魔導グラスは魔力を扱いながらも、いわゆる魔法の理論とは根本から異なる点ばかりです」

「例えるなら魔力一つ取っても、魔法の定説においては、魔力そのものに個人を特定する要素は無いとされています」

「例としては、一つの魔力機関に複数人の魔力を供給しても、均一な燃料として扱われるように」

 

ルリア

「あっ、前に私達の仲間や沢山の人から、艇の動力に魔力を入れてもらった事があります」

 

ドリイ

「とても明晰な理解力です、ルリア様。まさしく、そのような事例が該当します」

「この定説が真であるからこそ、魔力の供給も滞りなく行えると言えます」

「しかしながらそれ故に、オブロンスカヤの魔力でしか正常に動作しない魔導グラスは、この定説に適合しません」

「そのため、本来の魔法の在り方を良く知る方ほど、魔導グラスに懐疑的な意見があるのが現状です」

 

カタリナ

「……」

 

 

 

 ──あの後、グラス沈静化のお礼と老婦人騒ぎに巻き込んだお詫びを兼ねてカレーニャ邸に招かれた一行。

 ──ドリイから積極的に提案され、カレーニャも思う所があったのか消極的ながらも賛同したため、好意に甘える事にしたのだった。

 ──グラス球の一件で催された午前の茶会より遥かに豪勢に、魔導グラスが一流のホテルかレストランの如き非の打ち所のないサービスを徹底してくれている。

 ──しかし、一貫して正義は我にありと言わんばかりだった老婦人の態度に納得が行かなかったビィは、渦巻く不満の行方をまだ探し続けていた。

 ──ドリイからプラトニアの負の一面を聞いていたカタリナも、その一端を目の当たりにした気分で些か表情が晴れない。

 

 

 

ビィ

「ハグムグ──ゴックン」

「言われてみりゃあ爺ちゃん婆ちゃんって、新しいモノ嫌がったりする事もよくあるし……あの婆ちゃんもそんな感じだったのかもなあ」

「でもよお、それにしたってありゃ行き過ぎだと思うぜ。思い出してきたらまた──」

 

魔導グラス

「──」

 

 

 

 ──スッと魔導グラスがビィの横に立った。

 

ビィ

「お、悪ぃな。そうそう、丁度リンゴのおかわり欲しかったトコなんだよ」

 

 

 

 ──ビィが求める前から、グラスの持つ盆にはリンゴが幾つも乗っていた。途端に顔を綻ばせてリンゴに齧りつくビィ。

 

 

 

カレーニャ

「ハイハイ。言いたいことの残りはおかわりと一緒に飲み下しておしまいなさいな」

「その穴埋めのためのディナーですのよ。もてなされる側としてもスジくらい通していただきたいものですわ」

 

ドリイ

「でしたら、ビィ様のためにリンゴのお料理を新たにお持ち致しましょう」

 

主人公(選択)

・「食べてみたいかも!」

・「わざわざすいません」

 

→「わざわざすいません」

 

ビィ

「う……リンゴ料理も気になるけど、そういえば眼鏡の姉ちゃん、さっきから働いてばっかだよなぁ……」

 

ドリイ

「どうぞ、お気になさらずに。団長様、ビィ様」

「私が保護監査官に就いてから、このようにカレーニャがお客様をお招きした例は無かったもので。やり甲斐の余りに、舞い上がってしまいそうなくらいです」

「むしろ思いがけず干渉が過ぎてしまうような事がございましたら、遠慮なくお申し付け願います」

「それに……」

 

ルリア

「モゴ? ……(ゴックン)、あ、あの、どうかしました?」

 

 

 

 ──ドリイがちらりと目をやると、既にルリアの両脇にうず高く皿が積まれていた。

 ──魔導グラス達の給仕を上回る速度で、今も最後の一口を詰め終わってのおかわり待ちだったからこそ、ドリイの視線に気づいたようなものである。

 ──団長達の視線が集中している事を察したルリアは落ち着かない様子だが、その理由には見当がついていないようだ。

 

 

 

ドリイ

「今宵は、魔導グラスばかりに任せては手落ちを招きかねませんので」

 

 

 

 ──冗談交じりのドリイの言葉の端々には、心から楽しんでいる様子が伺えている。

 ──思わず吹き出す団長とビィに、訳が分からず戸惑うばかりのルリア。

 ──そしてそんな団長達とドリイの姿をカタリナは感慨深げに見つめていた。

 

 

 

カタリナ

「(カレーニャがドリイ殿以外と団欒を共にする事自体、久方ぶりという事か──)」

「(……そうだな。こんな時に、湿っぽい事を気にするのはよそう)」

 

カレーニャ

でも(どぅえ・も)、お料理作るのは魔導グラスにやらせなさいよ」

「ドリイさんのお料理、お茶と粉物(コナモン)以外は人格吹っ飛ぶくらいの素敵なブツばっかりなんですから」

 

ビィ

「うえぇ!? それって良い意味……じゃあ、なさそうだな……」

 

ルリア

「あ、あはは。でも、ドリイさん何でも出来そうなのにちょっと意外ですね」

 

ドリイ

「ご心配なく。お客様にお出しするお品で粗相は致しません」

「ですが普段は、レシピ通りに作るよりも新たな味への探究心が優ってしまい、つい──お恥ずかしい限りです」

 

カレーニャ

「それって普段の食卓で私を実験台になすってるって事!?」

 

ドリイ

「心外ですカレーニャ。カレーニャの安全を預かる身として、無体な食事を与える真似は致しません」

「味につきましても、私なりに新基軸の美味として一定の評価を下せる品をお出ししているつもりです」

 

ビィ

「そのつもりで作った料理でこんな事言われるって、もしかして……」

 

カレーニャ

「あなたのベロと循環器まで責任持てません事よ私……」

 

ルリア

「あはは……」

 

カタリナ

「ふむ。新たな味への探究心か──なるほどな」

 

主人公(選択)

・「(急に嫌な予感が──!)」

・「カタリナ……?」

 

→「(急に嫌な予感が──!)」

 

カタリナ

「私も常々、レシピに従うばかりの料理というものに一抹の疑問を覚えていたのだ」

「レシピ通りに作る──それ自体は良い事だ。先人が試行錯誤の末に見出した知恵の結晶。それに倣う事は何事においても大切だ」

「だが、しかしだ。甘んじてしまうようでは話は別だ。先人の知恵を修めたその次なる段階を、我々は常に目指すべきではないかと私は思う!」

 

カレーニャ

「──ドリイさん、お酒でも出しまして?」

 

ドリイ

「料理の香り付けになら少々。火は十分に通しておりますので、ルリア様はじめ、お体に障られる事は無いかと。──何か、お気に召さない所が?」

 

カレーニャ

「そうじゃなくって……」

 

 

 

 ──先ほどまでの憂鬱を振り払おうとしているせいか、些か演出過剰に自論を語るカタリナ。

 ──そして、おもむろに自らが腰掛ける椅子に手をかけるカタリナ……。

 

 

 

カタリナ

「そうだ、受け身でばかりというのも性に合わないな。ここは一品、私も腕を振るって──」

 

主人公(選択)

・「こっ、こっちの料理もすっごく美味しいよ!」

・「カ、カタリナ……ッ!!」

 

→「こっ、こっちの料理もすっごく美味しいよ!」

 

ビィ

「お、おお~! 本当にすっげえウマそうじゃねえか!」

「ほ、ほら姐さんも食ってみようぜ! こんなにウマそうなの沢山あるのに、キッチン篭ってて冷めちまったら損だぜ。な、なあ?」

 

カタリナ

「う、うむ? まあ、他ならぬビィ君の勧めなら一口──」

 

 

 

 ──すかさず誤魔化しに入る団長とビィ。

 ──カタリナは随分とやる気だったが、団長の勧めた皿をビィが運び、更にビィ手ずから「あ~ん」で食べさせる事でどうにかその場は有耶無耶に収まった。



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24「ディナーパーティー02」

 ──夕食会も一息付き、一行は食後のデザートを囲っていた。

 ──リンゴを使った物を始めとした色とりどりの菓子が居並び、初めて屋敷に来た時にも振る舞われたカレーニャ自慢のお茶が各人の元に配られている。

 ──夕食にリンゴで、デザートもリンゴであるが、ビィは全く問題なさそうだ。普段ならいざ知らず、魔導グラスに饗される雰囲気が助けになっているのかも知れない。

 

 

 

カレーニャ

「──ま、つまり……魔導グラスにはそう遠くない未来、例えばあの星晶獣にだって誰でもタメ張れる時代を(もたら)す──そんな可能性が秘められてるってえ話ですわ」

 

ビィ

「誰でも星晶獣と、かぁ……何だかスケールでかすぎて想像つかねえような──」

「アレ? でも以外と簡単に想像つく気もするぞ?」

 

アンナ

「そ……そんなに凄い物だったんだ……」

 

カレーニャ

「──って、アンナさんには図書館で軽くご説明して差し上げた(さしゃーげた)でござあましょうが」

 

アンナ

「う……そういえば、そうだったけど……」

 

 

 

 ──締めのお茶会は、魔導グラスの話題が主役となっていた。

 ──発端はドリイが、アンナに魔法についての話題を振った事だった。

 ──ドリイとしては、アンナが夕食中に一行のやり取りにワタワタしたりしながらも、これと言って発言する事が無かったための気遣いがあったようだ。

 ──が、そもそもこう言った場が得意でない故に口数に乏しかったのがアンナである。

 ──見る見る話題が尽きていくのを察したドリイが、魔法と絡めながら魔導グラスの話題にシフトさせ、気がつけばカレーニャによる魔導グラス説明会となっていた。

 

 

 

アンナ

「あの時は……星晶獣とかの話は、あんまり……出てきてなかったし……」

「あ、でも……えっと……星晶獣って、普段は団長さんと……み、皆で……力を合わせて戦ってるけど──」

 

 

 

 ──今回の魔導グラスの話では、グラスの純粋な力と、人類に齎す可能性についてに焦点が当たっていた。

 ──逆に、アンナに話した「時間と空間」を始めとしたグラス自体の可能性については全く触れられていない。

 

 ──自分達に身近な星晶獣が引き合いに出た事で、より魔導グラスという物をイメージしやすくはなったが、それでもアンナの理解では両者の説明を繋げられるには至っていなかった。

 ──昇降機前で説明を受けた時の、あの言い知れぬ不安に似た感情を、この賑やかな雰囲気の中で簡単には紐付けできなかった所もある。

 ──図書館と今。両者の話が同じ線の上に立っていると、カレーニャに指摘されてようやく理解できたくらいだった。

 ──最初に自分がスピーチ役に仕立て上げられた影響か、どうにか「星晶獣」方面で、話題が続けられそうな受け答えを絞り出すアンナ。

 

 

アンナ

「で、でも、それが1人ででも何とか出来たら……星晶獣が暴走して、困ってる島の人とか……とっても助かるかも……」

 

カレーニャ

「『普段は』……って、星晶獣ってそんなポコジャガ魔物みたいにヤりあう相手でござあましたっけ……?」

 

ビィ

「そう言われりゃそうだけど──オイラ達にとっちゃ、もういつもの事だな。星晶獣が暴れてるってなりゃ、ルリアを連れてかなきゃ始まらねえし」

 

カレーニャ

「ルリアさんが!? 純朴そうに見えて活け〆担当って事ですの?」

 

ルリア

「いけじめ……?」

 

カタリナ

「あ~……カレーニャ。私から説明しよう。実は──」

 

 

 

 ──カタリナからカレーニャに、一行について追加の自己紹介が入る。

 ──何度か星晶獣の暴走に立ち会ってきた事。その度に星晶獣を鎮めるために戦ってきた事。そしてルリアが星晶獣を従える能力を持っている事を伝えた。エルステとの因縁などの複雑になる部分は省きつつ。

 

 

 

カレーニャ

成る程(な~る)、そういう担当ですのね。納得しましたわ」

 

カタリナ

「え? あ、ああ……」

「普通、もっと驚かれるものと思っていたが……」

 

カレーニャ

「ルリアさんは、星晶獣を実体化させたり、隠れた星晶獣を見つけたり、星晶獣の力を操ったり、星晶獣の力を取り込んで呼び出したりできる──で、間違いござあませんのよね?」

「まあどこにでもあるお話じゃござあませんでしょうけども──私、この島から出た(こた)ぁござあませんが、本を読むだけでも世界の広さを知るには充分ですのよ。そのくらい、あるかも知れないって思えりゃ信じるに充分ですわ」

「そもそも、この島で私にしか造れないモノ造ってる私が、オンリーワンが他所(よそ)にも居たくらいでびっくらこくなんざぁ、ケッタイな話じゃござあませんこと?」

 

カタリナ

「そこまで理解してもらえたのは嬉しいが……そういうものなのか?」

 

ルリア

「あ! じゃあ、私とカレーニャちゃんはお揃いって事ですね」

 

カレーニャ

”ちゃん”……

「……って、な、な、何を?」

 

 

 

 ──にわかにルリアが嬉しそうな声をあげる。

 ──カレーニャはルリアが何を言ってるのか全く解っていない。

 

 

 

カタリナ

「どちらも、この広い空で滅多にない能力(ちから)を持つ者同士と言いたいのだろう」

「フフ……どうだろう。これを機に、良ければ今後ともルリアと仲良くしてやってもらえまいか」

「分野は違えど、お互いに思い合える所があるかもしれないしな」

 

カレーニャ

「そんな安直な──」

 

ルリア

「カ……カレーニャちゃん!」

「あの──『お友達』に……なって、くれますか?

 

カレーニャ

「ぐぬ゛……っ」

 

 

 

 ──気持ち眉を落として、期待と不安につぶらな瞳を潤ませて見つめてくるルリア。何の鍛錬も打算も無く繰り出される神業である。空気が選択肢を許さない。

 

 

 

カレーニャ

「~~~……、お好きになさいな……」

 

ルリア

「わーい! よろしくお願いします、カレーニャちゃん!」

 

ビィ

「だったら、そのうちカレーニャが言ってた事も試せるかもな!」

「ルリアの星晶獣とカレーニャの魔導グラス、どっちが本当に(つえ)えか、オイラちょっと見てみたいぜ」

 

 

 

 ──ビィの脳裏では星晶獣と巨大魔導グラスロボが激戦を繰り広げている。少年魂を揺さぶられてワクワクが止まらない幼いドラゴンだった。

 

 

 

カレーニャ

「まあ、それは造り手として是非お願いしたいくらいですけれど──。まずは場所を見繕ってからですわね」

 

ルリア

「あ、はい。星晶獣はとっても大きいので、うんと見晴らしの良い所が良いと思います」

 

カタリナ

「いやルリア、流石に星晶獣をそんな軽率に召喚して良いものか──」

 

ルリア

「大丈夫! カレーニャちゃんのためになるなら私、頑張っちゃいます!」

 

カタリナ

「そういう事でなくて──」

「フッ……まあいいか」

 

 

 

 ──ルリアの意気込みに苦笑しつつも嬉しそうなカタリナ。

 

 

 

カレーニャ

「言っときますけれど、例え今日からでもカチ合わせたなら、勝つのはまずこの私ですので悪しからず」

「何故なら──誇りあるオブロンスカヤとして、お祖母様、お父様が担ってきた魔導グラスに敗北など有り得ないのですから!」

 

 

 

 ──ドヤ顔で勝利宣言をかますカレーニャ。

 ──その振舞いには嫌味の類は感じられず、魔導グラスへの確固たる自信と、家族への敬愛の情が伺える。

 ──そしてそんなカレーニャに団長が頷いてみせた。

 

 

 

主人公(選択)

・「”父さん”かあ……」

・「頑張れ、カレーニャ!」

 

→「”父さん”かあ……」

 

アンナ

「ボ……ボクも、お婆さまの事、とっても尊敬してるから……ちょっと、わかるなあ」

 

ビィ

「お、ルリア、団長(コイツ)もアンナもカレーニャの味方する気だぜ? 負けてらんねえぞォ」

 

ルリア

「むむ~っ……い、いーですよーだ。私だってビィさんとカタリナがついてるんですから!」

 

 

 

 ──談笑に沸き立つ一同。

 ──皆につられて小さくクスクスと笑うアンナ。しかし一行を見つめるアンナの瞳には、どこかしみじみとした、純粋な楽しさとは別の色が滲んでいる。

 ──ふと、アンナの肩を軽く叩くように誰かの手が置かれた。元々小さな声を同じく小さく呑み込みながら振り向くと、その手は食器を片付けに出ていたドリイだった。

 

 

 

アンナ

「ド、ドドドドリイさん……? び、びっくりしたぁ……」

 

ドリイ

「あら。これは大変失礼しました」

 

アンナ

「あ……う、ううん。こ、こっちこそ……ごめんなさい……」

 

 

 

 ──心ここにあらずだったために必要以上に心臓を跳ねさせてしまい、途端にばつの悪さに駆られるアンナ。ドリイも振り向いたアンナの表情に、少し申し訳なさそうに手を引っ込めた。

 ──カレーニャとルリアの微笑ましい張り合いの最中、他の面々はアンナとドリイに気付いていない。

 

 

 

ドリイ

「──皆様、(つつが)無くお楽しみ頂けていらっしゃるようで何よりです」

 

あんな

「う、うん。ルリアなんて、もうカレーニャと仲良くなれたみたいで……」

「……皆、本当にすごいなあ……」

 

ドリイ

「アンナ様──?」

 

 

 

 ──賑わいを見つめるアンナの様子に、何か含む所があると察したドリイ。

 

 

 

ドリイ

「……思う所がある時は、(つと)めて言葉にするのが良いと聞きますよ」

 

アンナ

「あ……う、ううん、そ、そういう……その……そういう、事じゃ……」

 

ドリイ

「私が『どういう事』を指摘致したのか、心当たりがお有りなのですね」

 

アンナ

「あ……」

 

 

 

 ──思わずドリイを見上げるアンナ。眼鏡の下で慈母のような微笑みがアンナを見下ろしている。

 

 

 

ドリイ

「今は、誰も聞いておりません。私で良ければ誠心誠意、お伺い致します」

「余り自慢できた事ではありませんが、私、忘れる事も得意なのですよ」

 

アンナ

「え……?」

「──クスッ。ありがとう……あっ、ござい、ます……」

 

ドリイ

「私と話される時も、どうか改まらず、皆様と同じようになさって下さい」

「アンナ様はカレーニャの大切なお客様ですので」

 

 

 

 ──少し緊張の解けたアンナ。一息入れるとポツリポツリと話し始めた。

 ──アンナ自身が思うよりも吐き出したがっていたのか、辿々しいながらも、ドリイの相槌も待たずに言葉は続く。

 

 

 

アンナ

「えっと、ね……ボクが、だ……団長さん……達と、会った時も……こんな、感じだったんだ……」

 

「ボ、ボク……ずっと、森の中で暮らしてて……お祖母様以外の人とは……ぜ、全然、顔も合わせた事なくて……」

 

「それで、……団長さん、達の事、うらやましいな……って……そしたら皆……すぐ、『じゃあ、一緒に行こう』って……」

 

「そ……それからも……団長さんも、ルリアもビィくんも……皆、沢山の人と、すぐ……と、友達になれて……本当に、色んな人と……」

 

「それで……」

「あ、あれ……? ボ、ボク……えっと……な、何が言いたかったんだっけ……お、おかしいね。あは、は……」

 

 

 

 ──自嘲で誤魔化すアンナ。気付いているのか居ないのか、聞き流してしまいそうなほど僅かにだが声が震えている。

 ──アンナ自身に対してのものか、あるいは身近な誰かに対してのものか、その本心は未だ心の内から連れ出しきれていない。

 ──しかしドリイはアンナの言葉に何か感じる物があったらしい。

 ──アンナの独白を、再び肩に手を置いて制するドリイ。今度は驚かさないよう、抱くようにゆっくりと。

 

 

 

ドリイ

「──時にアンナ様。図書館でのカレーニャ、何か粗相はございませんでしたか?」

 

アンナ

「え? う、ううん……ちょ、ちょっと、時間の事、とかは……その……アレだった、けど……」

「で、でも……ボクのために、色々……か、考えてくれて……」

「魔法の事も……い、色々……上手く出来た事とか……出来なかった事、とか……ちゃんと解ってくれて……」

「それに……あの……凄いって。ボクのやった事に、とっても嬉しそうで……ボクも……凄く、う、嬉しかった……」

 

ドリイ

「──そうですか。良い結果となられたようで、私も安心しました」

 

 

 

 ──独り、浸るように視線を落としながら語るアンナ。

 ──距離を置いてみれば落ち込んでいるようにも見える姿だったが、その顔は言葉が本心からの物であるのを証明するように、はにかんだ笑顔で一杯だった。

 

 

 

ドリイ

「アンナ様。実の所、私はヒトの心というものを察する事は、余り得意ではございません」

「しかしながら、今のアンナ様について、私はこのように考えるのです」

「アンナ様も『カレーニャとお友達になりたい』のでは、と──」

 

アンナ

「──……」

「……うん」

 

ドリイ

「もしそのようにお望みであれば、私としても大変に喜ばしい事です」

「是非、打ち明けてしまうのがよろしいかと」

 

アンナ

「……あり、がとう。でも……それ、は……いいんです……あ、い、いいの」

 

 

 

 ──敬語に言い直したら敬語は要らないと言われた矢先、今度は先に敬語が出てしまい慌てて言い直した。

 

 

 

ドリイ

「──それは何故?」

 

アンナ

「団長さ──。ル、ルリア、の……と、友達に、なって……くれるなら……きっとボクも、な……仲良くなれる、から……た、多分」

 

ドリイ

「……なるほど」

「私はこういった話題に疎いもので、軽々に口を挟むべきでは無いのかもしれません」

「しかしお言葉ながら、私にはアンナ様が『そのように』される必要は無いと。そう思えるのです」

 

アンナ

「え……?」

 

ドリイ

「既にアンナ様自ら、先んじて準備を整えておられます。お互いに一歩が足りないだけで──」

 

アンナ

「えっと……な、何の話──?」

 

ドリイ

「──少々お待ち下さい」

「残る手筈がアンナ様の重荷となるようでしたら、カレーニャに整えさせます──」

 

 

 

 ──見慣れた人好きのしそうな笑顔を締めに、アンナとの会話を切り上げるドリイ。次の瞬間にはドリイの姿はアンナの隣から消え、見渡せば、始めからそこに居たかのようにカレーニャの隣に佇んでいた。

 ──実の所ドリイにはもう一つ思い当たる所があった。

 ──アンナを差し置いて「団長と友達になるカレーニャ」、「カレーニャと友達になる団長達」に心をざわめかせているのでは無いかと。

 ──しかし、そこまで考えるのは邪推である。流石に無粋と判断する弁えがあった。

 

 

 

ルリア・ビィ・カタリナ

「!?」

 

 

 

 ──カレーニャと語らっていた一行は、この時点で初めてドリイの存在に気付き驚きの声をあげる。

 

 

 

カレーニャ

「……? 何よ、皆さん素っ頓狂な(ツラ)ぁなすって……」

 

ビィ

「いや、う、後ろ後ろ!」

 

カタリナ

「ドリイ殿……戻っていたのか」

 

カレーニャ

「あぁ……」

「あなた本当、神出鬼没がお好きですのねぇ」

 

 

 

 ──リアクションから理解したカレーニャは慣れた様子でグラスチェアーの脇を覗き込み、ドリイの存在を確認した。

 ──どうやら日常的に「風属性の加速の応用」を行使しては見る人を驚かせているらしい。

 ──ドリイは大して気にする様子もなく話し始める。

 

 

 

ドリイ

「偶然が重なるだけですよカレーニャ。それより──」

「そちらの腕飾り、随分とお気に召されているようですね」

 

カレーニャ

「ん? あぁ、これ」

 

 

 

 ──ドリイの視線がカレーニャの手元を示し、カレーニャが軽く袖を捲る。

 ──その手首にはアンナが作ったアミュレットが収まっており、()()()と硬くも優しい音を立てた。

 

 

 

カレーニャ

「そりゃあも──」

 

ドリイ

「普段でしたら、お食事前に装飾品は取り外されているものと記憶しておりますが」

 

 

 

 ──カレーニャの言葉に露骨に被せてきた。

 

 

 

カレーニャ

「──だから今それを答えようとしてるんでしょうがよ……」

「まあ、お高いモノを無闇に汚してしまう趣味はござあませんし、いつもは見せびらかすような相手もいらっしゃいませんし?」

 

ドリイ

「『汚してしまっても構わない品』と言う事ではございませんね」

 

カレーニャ

当たり前(あったりめぇ)でござあましょうが。何ですのその言い草……」

「私だって良い歳のレディですもの。日頃から万一に備えはしても、物食べる(たんび)に袖口汚すなんて真似は致しませんわ」

 

ドリイ

「『カレーニャ自ら配慮してでも身につけていたい品』という事ですね」

 

カレーニャ

「遠回しに人を物ォ大切にしないド外道みたいに呼ばないでくださる!?」

「何ですのさっきから。アンナさんからの戴き物ですし、お陰で私も魔法に俄然興味出てきた所ですのよ?」

 

ドリイ

「では──」

 

カレーニャ

「ええハイハイ。そりゃあもう気に入ってますし、当分は四六時中でも着けていたいくらいですわよ。気に入って何かおかしい事でも?」

 

ドリイ

「いいえ。保護監査官として、とても喜ばしく思います」

「でしたらカレーニャ。そのお返しは済ませましたか」

 

カレーニャ

「お返しぃ……?」

 

ドリイ

「はい。頂くばかりでは貴族としてもよろしくありません。価値に代わるモノでなくとも、気持ちとしてのお返しがあって然るべきかと」

 

カレーニャ

「そのくらいもうとっくに──んん……?」

「い、いや、ちょっとお待ちなすってよドリイさん! そんなはず──」

「あ、あるはずですわ! だって、そんなお返しだとか今の今まで気にも……だから、ええっと~……」

 

アンナ

「あ、あの……」

 

 

 

 ──「お返し」に値する何かが、既にあったと思いながらも1つも例示出来ないカレーニャ。

 ──そんなカレーニャに何か声をかけようとするアンナ。

 ──見返りが欲しくてアミュレットを贈ったつもりは毛頭ない。何よりその贈り物は、服やら図書館やら諸々へのアンナからのせめてもの「お返し」と言っても良い。カレーニャに自覚が無いだけで、立場は逆のはずなのだ。

 ──しかしアンナが異議を唱える前に、先んじてドリイが視線で制してきた。

 ──人差し指を口元にあてて沈黙を求めるドリイに従い、大人しく成り行きを見守る事にしたアンナ。

 ──団長達の視線が、何が起きているか解らないままドリイの視線の先を辿ってアンナに刺さる。非常に居た堪れない。

 

 

 

ドリイ

「カレーニャ。確かに『お返し』はあったのかもしれません」

「しかしその確証が持てないなら、『贈り物』で無くすれば良いかと考えます」

 

カレーニャ

「はぁ?」

 

ドリイ

(ささ)やかな言葉遊びです。資産の出入りとしての『贈り物』ではなく、恒久的な親睦を深め合うための『贈り物』──」

「後からであろうと、そのような関係であると確約なされるなら、必ずしも受け取るばかりが不実とはなり得ず、今後の『お返し』も明確な形を取る必要は無いかと」

 

カレーニャ

「……何言ってるのか全然(ぜんっぜん)解りませんことよ?」

 

カタリナ

「──ああ」

「フフ……確かに、これでは回りくど過ぎるな……」

 

 

 

 ──カタリナだけがドリイの言葉の趣旨を理解し、苦笑した。この場でカタリナだけが、ドリイの胸中というものをこの場の誰よりも少しだけ理解していたからだ。

 

 

 

ビィ

「あ、姐さん何かわかったのか? オイラ、難しい言葉ばっかりで何が何だか……」

 

カタリナ

「まあな。これも勉学の賜物というやつかな」

「ドリイ殿。カレーニャ自身から察して欲しいのだろうものと思うが、こういう事は結局、はっきり告げてしまうのが一番では無いかな」

「失礼ながら、このままでは何時まで経ってもカレーニャには伝わらないと思うぞ」

 

ドリイ

「ええ。保護監査官としてお恥ずかしい限りですが、そのようです」

 

カレーニャ

(ぅわぁる)かったですわね……」

「本っ当~に何言ってるのか解ンないんで、そろそろ勘弁してくださいませんこと?」

 

ドリイ

「ではカレーニャ。単刀直入に申し上げます」

「ご友人として、友誼(ゆうぎ)を結ばれるよう申し出て下さい。貴方から、アンナ様へ」

 

ビィ&ルリア

「!」

 

アンナ&カレーニャ

「!!」

 

 

 

 ──咄嗟に顔を見合わせるビィとルリア。今度はドリイの言うことが理解できたのと、これはもう1つ楽しい事が訪れそうだと嬉しそうに。

 ──咄嗟に視線がぶつかるアンナとカレーニャ。お互いに相手の顔を思わず見た事が相手にバレてすぐさま目を逸らし、こちらは少し気まずそうに。

 

 

 

カレーニャ

「なっ……がっ……ンォッホンン゛!」

「あ、あのねえ。あなたと言いルリアさんと言い、ちょっと軽々しすぎませんこと?」

「単なる人付き合いと『お友達』ってなぁもうちょっと──」

 

ドリイ

「僭越ながら、カレーニャは逆に重く捉えすぎていると考えます」

「図書館での事、アンナ様から伺いましたよ。カレーニャが相手を尊重し、認め、その姿によい影響を受け──」

「そしてアンナ様も、カレーニャに記念のお品を……。私の語彙では、この関係を『友人』とお呼びする他に表現が見当たりません」

「ルリア様には誠に申し訳御座いませんが、ここはカレーニャの初めての『お友達』として、カレーニャ自ら追認を願いたいのです」

「何しろ先程も申し上げました通り、現在カレーニャは『贈り物』の借り主なのですから。筋を通されるべきかと」

 

カレーニャ

「い、い今サラッと論理の順序立てゴチャ混ぜにしましてよ!? もう友人だと言うならあーたが言った通り『贈り物』はチャラでしょう! 詐欺の論法ですわよソレ!」

 

ビィ

「初めての? ルリアが先じゃねぇって事か?」

 

カタリナ

「アンナとカレーニャの図書館での様子を聞いて、夕食会よりずっと前から2人はもう友達になっていたと、ドリイ殿は考えたのさ。2人が変に遠慮して気付かなかっただけで」

「そんな2人に『もう十分打ち解けている』と解らせるために、ドリイ殿はこうして少々強引で、しかも遠回りな手に出たのだろう」

「私はドリイ殿の考えに賛成なのだが──ルリアはどうだ。やはり、少し不満か?」

 

ルリア

「そんな事ありません。私とカレーニャちゃんが『お友達』なのは変わりませんし──」

「カレーニャちゃんに特別な人が出来るのなら、私もとっても嬉しいです!」

 

カレーニャ

「部外者ァ!! ちょっとお黙りなすってくださあます!?」

 

 

 

 ──屈託のないルリアの笑顔に、一抹の不安が拭われるのを感じるカタリナ。

 ──そしてカレーニャは何やら一杯一杯になりながら反論を捲し立て、ドリイはそれを(ことごと)くかわしている。アンナは肩を縮こませ、カレーニャ達をチラチラ見ては逸らすばかりだ。

 

 

 

カレーニャ

「それに第一、公的な貸し借りでも無しに期限なんてござあません事よ。『お返し』が必要だってんでしたら”後日”改めてでも──」

 

ドリイ

「……カレーニャ」

 

 

 

 ──ドリイがカレーニャを見つめながら僅かに目を細める。呼びかけた声も同じく僅かに低い。

 ──途端に、カレーニャが「しまった」とでも言うように一瞬、身を強張らせて視線をあちこちに泳がせ始めた。

 

 

 

カレーニャ

「あ……いゃ……ぅ……」

「……ッだぁ~~~モウ!!

 

 

 

 ──大声を上げるなり、蹴飛ばすようにグラスチェアーから降りるカレーニャ。

 ──フカフカの絨毯に少しでも足音を響かせようと健気に大股を踏みしめながらアンナの元に歩んでいく。

 

 

 

アンナ

「あ、カ、カレっ、ニャ、あ、えと、まっ、ちょ、あの、えと……?」

 

カシマール

「ママママチヤガレッ! ト、トトト、トケルゾ! モエルゾ! ソレデモイイノカー!」

 

 

 

 ──カレーニャの進軍に気付くなり、身振り手振りをワチャワチャさせながら、意味にならない言葉を絞り出すアンナ。

 ──アンナとしては、ルリアのように友達と認め合う形を取るにしても、せめてもっと2人で静かで豊かな時と場合にして欲しかった。それならちゃんと冷静に対応できたかもしれない。

 ──しかし、こんな仲間たちの視線が集まる中で舞台の中心に据えられては、既に予定されているのであろう仲間の歓喜と祝福まで含めてもはや羞恥の最終地獄である。

 ──加えて、同じく渦中のカレーニャが如何にも不機嫌そうに迫って来て、頭がもうどうにも止まらない。

 ──しどろもどろで、逃げ出そうにもこっ恥ずかしさが足腰に来て既に椅子から立つのもままならないアンナ。気絶できない自分が理不尽にさえ思えた。そうしてパニクっている間にカレーニャが眼前に立ちはだかっていた。

 ──カレーニャは威嚇するネコのような音を立てている。

 

 

 

カレーニャ

「フー……フー……!」

 

アンナ

「あ……あ、ぅ、ぁ……カ……カ…………」

 

カレーニャ

「……ハァ……全く──」

 

 

 

 ──若く瑞々しい眉間にこれでもかとシワを集めて見下ろすカレーニャ。対するアンナは顔が赤かったり青かったり涙が滲んでたり息の吐き方が解らなくなったりしている。

 ──カレーニャは、本当に仕様が無さそうに溜息を吐くと、引ったくるようにアンナの手を取った。

 

 

 

アンナ

「ひぃぃっ!?」

 

カレーニャ

「せめてもう少し品のある悲鳴にしてくださる?」

「で、アンタはお邪魔っ!」

 

アンナ

「あぁ、カシマール……!」

 

 

 

 ──ついでにアンナの腕の中に佇むカシマールをふん掴み、テーブルの手近なスペースに置くカレーニャ。

 ──引き離された親友に気を取られたアンナを呼び戻すように、引ったくった手に半ば叩くようにしてもう一方の手を添え、両手で包み込む形を取るカレーニャ。

 

 

 

アンナ

「あぅ──」

 

カレーニャ

「ほら、腹ぁ(くく)る! この程度の同調圧力なんざ生きてりゃ物の数にも入りませんことよ」

 

アンナ

「あ、あの、ボ、ボク……こ、こ、こんな事、しな、く、ても……」

 

カレーニャ

「”オトモダチニナッテクダサイナ”! ハイ返事ィ!!

 

アンナ

「ひっ、は、は、はい!」

 

 

 

 ──脊髄反射じみたアンナの返答を聞くと、カレーニャは投げ出し気味にアンナの手を開放して、再び目一杯に床を踏み鳴らそうとしながらグラスチェアーへ引き返していった。

 ──カレーニャの渾身の怒号に静まり返っていた一行だったが、ドリイが何食わぬ笑顔で拍手を贈り始めた。

 ──これを受けて、カタリナがやや無理しながら精一杯に拍手を合わせ、程なくしてアンナが危惧した通りの喝采がやって来る事となった。

 ──当の2人はと言えば揃って顔を真っ赤にし、カレーニャがすっかりヘソを曲げ、アンナは終始あたふたするばかりだったが、概ね楽しい雰囲気で晩餐会はお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カレーニャ

「何なのよこれは……」




※ここからあとがき

「カレーニャとアンナが友達になる」という展開を消化するだけのはずが、何だか少しややこしくなってしまったかも知れません。
 より率直に言えば、書いてるこっちが恥ずかしくなりました。

 構想を元に書き出そうとしても、「どう動かしたら自然に予定通りの事をさせられるか」は構想を練っている時点では忘れがちです。
 カタリナがドリイにブティックでの件を聞き出す際の「無理」も、本文書いててようやく気付いた部分だったりします。

 何事も経験として、出来はどうだろうと、まずは完成目指して頑張りたいと思います。


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25「食後の一時」

 ──テンパり気味の「お友達劇場」と夕食を終えた一行は、それぞれの個室へ案内されていた。

 ──あの後、寝室の用意を整えた旨をドリイから聞いた一行は、カタリナがすっかり宿の事を忘れていた事を恥じるのをフォローしながら好意に甘える事にした。

 ──ドリイの積極的な要望により、カレーニャがアンナを、ドリイが他4名を案内する事になった。図書館と同じメンツである。

 ──カレーニャが渋ったがカタリナがドリイに加勢し、半ば勢いで押し切る形になった。

 ──カレーニャにアンナが優先的に宛てがわれている事にルリアが少しむくれてみせたが、どちらかと言えば「焼きもちを焼く」をやってみたかっただけで、そこまで気にしていないようだった。

 

 

 

 

ドリイ

「こちらが皆様の寝室です。各お部屋に一通りの設備を備えておりますので、ご自由にお使い下さい」

「テーブルの上に、室内の魔導グラスの配置と機能をまとめた説明書もご用意しましたので、必要の際はお役立て下さい」

 

カタリナ

「何から何まで、本当に感謝の言葉もない。それにしてもこれは──月並の宿では比べ物にならないな」

 

ルリア

「カタリナ! ベッドが、ベッドが3人くらい寝れそうなくらいおっきいです!」

 

カタリナ

「こ、こらルリア……」

 

ドリイ

「お気に召して頂けたなら何よりです。どうぞご遠慮無く」

「お1人あたり一部屋をご用意しましたが、どなたかと同室頂いても構いません。組み合わせは皆様の望むままに」

 

ビィ

「オ、オイラ用の部屋まで用意されてんのかぁ……」

「まあオイラには広すぎちまうし、悪ぃけどオイラは団長(コイツ)と──ん?」

「ひいふうみい……ドアは5つあるみてぇだけど、あの突き当りの部屋は何があるんだ?」

「アンナはこっち来てねぇからアンナの部屋って訳じゃなさそうだし……」

 

ドリイ

「そちらもお客様用のお部屋です。一際間取りが広いので、今回は空き部屋としました」

「もちろん、そちらもご自由にお使い頂いて構いません。皆様でお集まりになる時などにどうぞ」

 

ビィ

「お、そういえばゲームブック借りてたんだったな。後でアンナも呼ばねぇとな!」

「じゃあ、あの奥の部屋は集会用の部屋って事か?」

 

カタリナ

「貴族の家となれば、目上の客人が有った時に幾つもあるような部屋を充てがう訳にもいくまい。そのための部屋だろうな」

「逆に私達の場合、1人だけやたら良い部屋を使うのも気が引けてしまう。だからこの部屋だけ使わない事にしたと言った所か」

 

ドリイ

「勝手ながら、団長様は格式や序列と言ったものを好まれない方とお見受け致しましたので」

 

主人公(選択)

・「ありがとうございます」

・「あの部屋もちょっと興味あったなぁ」

 

→「ありがとうございます」

 

ドリイ

「こちらこそ。ご意向に添えたなら光栄です」

 

ビィ

「おーい、みんな見てくれよ! すっげぇ便利な魔導グラス見つけたぜ!」

 

 

 

 ──ビィの歓声に振り向く一同。先程のカタリナの説明から幾許も経たない内に、ビィは1人(?)で客室の散策を始めていた。

 ──見ると、ご機嫌なビィが宙に浮く魔導グラスに乗っかって悠々と団長達の方へと移動している。グラスの形状とビィの姿勢が相まって、まるでグラスがビィをおんぶしているように見える。

 

ルリア

「わあ、ビィさんすっごく可愛いです!」

 

ビィ

「こいつに乗って行きたい所考えるだけで連れてってくれるんだぜ。飛ばなくっても楽チンだぜ!」

 

カタリナ

「ビ、ビィくん。グラスの仕組みも確かめずにそんな愛らし……じゃなかった。勝手な使い方は……」

 

ドリイ

「そちらは手荷物などを載せて運搬するためのグラスですが、緊急時には複数基用いて、動けない方の搬送にもご利用頂けます。正常な用途の範疇と言えますので、存分にご堪能下さい」

 

ルリア

「じゃ、じゃあ……沢山あれば、あの……わ、私も、飛べますか!?」

 

 

 

 ──説明を聞くなり目を輝かせるルリア。

 ──流石にビィと同じような飛び方を期待している訳では無いだろうが、プレゼントをねだる子供のような姿勢で、今にも駆け出さんばかりだ。

 

 

 

ドリイ

「ルリア様の体格ですと、恐らく3基程で事足りるかと。グラスは各部屋に1つございますので、説明書を充分お読みの上で試される事をお勧めします」

 

ルリア

「!! ビィさん! このグラスさん、どこにありましたか!?」

 

ビィ

「おう、任しとけ! こっちだぜルリア」

 

 

 

 ──言うなりビィを乗せたグラスが旋回した。

 ──ビィの普段の飛行速度より幾らか緩慢だが、ルリアはワクワクしながらもグラスに合わせてゆっくりついて行った。

 

 

 

カタリナ

「あぁっ……ふ、2人とも、せめて程々になー!」

「ふぅ……やれやれ。アンナを呼びに行くのは少し先になりそうだな」

 

主人公(選択)

・「2人ともまだまだ子供だなあ」

・「2人を見張ってないとね!」

 

→「2人を見張ってないとね!」

 

カタリナ

「全く……そんな楽しそうな声で言われても説得力ないぞ?」

「まあいい。団長(キミ)もついていてあげてくれ。多分、あの2人では説明書なんて忘れてしまうかもしれないからな」

 

 

 

 ──我先にと別の客室へ突撃するルリアとビィ、それに団長がついていき、苦笑と共に見送るカタリナ。

 ──少なくとも、見守るドリイの笑顔が相変わらずな内は何とかなるだろうと考える事にした。

 

 

 

カタリナ

「さて──お恥ずかしながらこの有様だ。皆が落ち着くまで、私も一息入れる事にするよ」

 

ドリイ

「では、カタリナ様にはお茶をご用意致します」

 

カタリナ

「ありがとう。それと、先にアンナの部屋がどこか聞いておきたいのだが、構わないだろうか」

 

ドリイ

「はい。アンナ様のお部屋は──」

 

 

 

 ──アンナの部屋は、団長達の客室が並ぶ通路とは、廊下を挟んで反対側にあった。

 ──大通りが廊下、そこから伸びる脇道が各部屋の並ぶ通路と言った構図である。木の幹と枝の関係にも置き換えられる。

 ──アンナ側と団長達とでは通路の配置に若干ズレがあり、お互いが通路に立っても顔が見える造りでは無いが、会いに行くのは簡単で、迷うような距離でもない。

 ──そしてその頃、カレーニャの案内で客室に通されたアンナは……。

 

 

 

アンナ

「わぁ……こ、ここ……全部、ボクとカシマールだけで?」

 

カレーニャ

「ええもちろん」

「むしろドリイさんたら、『急拵えで至らない所があるかも知れない』とか『”キラシール”様の部屋も用意すべきだったか』とか物足りなそうにしてたくらいですわ」

 

カシマール

「”カシマール”ダ! ワザワザイイカエルナ!」

 

アンナ

「じゃ、じゃあ、ドリイさんにお礼と、大丈夫って……後で、伝えておいてあげて」

「で……でも……こんなに広いと……ボク……そ、ソワソワしちゃう……かも……」

 

 

 

 ──間取りや広さは、団長達に充てがわれた部屋と全く変わらない。

 ──しかし、日用品1つとて、うっかり使って汚すのを憚られるほどに手入れの行き届いた部屋は、アンナの目には最早、芸術品と言っても差し支えなかった。

 ──家具の一つ一つに使われる生地1つ取っても、上等なドレスの裾のように白く柔らかい。遠くから見ていると一瞬、束ねられたカーテンの下部のシルエットが、帽子を被った女の子のように見えてくる。

 ──カレーニャは構うこと無く、「やれやれ」といった態度で部屋の出入り口に手をかけている。

 

 

 

カレーニャ

「遠慮は結構。お客さんに気品だのマナーだの求めるのは成金のやる事でしてよ」

「どうしても解らないことあるようでしたら、この通路は私の寝室とドリイさんのお部屋も並んでますから好きにお呼びなさい」

「他の事はご自分で頑張ってくださいな。これを機に少しはそのびんぼ……ほげぁっ!?

 

 

 

 ──愉快な声を上げたカレーニャが床に尻餅をついていた。

 ──退室しようとドアを開いたカレーニャの前にドリイが待ち構えていたのだ。それもカレーニャの目線と正面で向き合うようにわざわざ屈んで待機していた。

 ──驚くと同時にグラスチェアーを後退させながら、椅子の上で自らも反射的に飛び退こうとしたためバランスを崩し、椅子からずり落ちてしまったのだった。

 

 

 

カレーニャ

「あっだだだだ……。ドリイさん、あなたやっぱり好きで脅かしてませんこと……」

 

ドリイ

「心外ですカレーニャ。ご用件をお伝えに参った所、扉のすぐ向こうからカレーニャの声が聞こえたものですから。こうしてお待ちしていただけです」

 

カレーニャ

「わざわざ私の真っ正面にお顔持ってくる謂れは無いでしょうが……」

「まあとにかく、用件って何ですの?」

 

ドリイ

「はい。まずはアンナ様にカタリナ様から。『ルリア達がはしゃいでしまっているので、落ち着いたら迎えに行く』……と。原文ママで失礼致します」

 

アンナ

「あ、うん。ありがとう、ドリイさん」

「フフッ……皆、いつも元気一杯だなあ」

 

ドリイ

「そしてカレーニャ。特別に今夜のお勉強は取り止め、自由時間とします。就寝まで、ごゆっくりどうぞ」

 

カレーニャ

「ぬぉ!? それは願ったり叶ったりですわね!」

「それじゃあ早速グラスの調整に──」

 

ドリイ

「いいえ。併せてカレーニャには、カタリナ様方がいらっしゃるまでアンナ様に付き添っていただきます」

 

アンナ&カレーニャ

「え?」

 

ドリイ

「先ほどお伝えしました通り、皆様がアンナ様をお迎えにいらっしゃるまで些か時間がございます」

「私はこの後、カタリナ様にお茶を届けに伺いますので、カレーニャにもアンナ様に部屋の説明やお話相手をお願いします」

「もちろん、アンナ様のご迷惑でなければ──ですが」

 

アンナ

「め、迷惑なんて、そ、そんな……あ、えと……カ、カレーニャは……?」

 

カレーニャ

「ふぅむ──まあ良いでしょう。そんな時間もかかりませんでしょうし、自由時間の対価なら安いモンですわ」

「心得ましたわ。そうとなりゃぁお茶だの何だのは私が用意しますから、手出し無用ですわよドリイさん」

 

ドリイ

「はい。くれぐれも丁重に。よろしく頼みましたよ」

 

カレーニャ

「ほらアンナさん、ついてらっしゃい」

「あなたにとってだだっ広いらしいこのお部屋、少しは手狭にして差し上げますわ」

 

アンナ

「あ、う、うん」

「あ……ド、ドリイさん」

 

ドリイ

「はい」

 

アンナ

「えと……す、すっごく、良いお部屋で……その……あ、ありがとうございます」

 

ドリイ

「──冥利に尽きます」

 

 

 

 ──パタパタとカレーニャを追うアンナを見送って、満面の笑みのドリイは静かに扉を閉じた。

 ──しばらくして、アンナの個室に団長達が訪れた。図書館で借りたゲームブックを皆で読み返すためだ。

 ──アンナ達の夜は、もう少しだけ続くのだった。



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25.5「魔導グラスの作り方」

 ──団長達がアンナを迎えに行く少し前。

 ──ルリア達が魔導グラスに満足するのを待つ間、カタリナはドリイからの誘いに応じて共にお茶を囲んでいた。

 

 

 

カタリナ

「しかし──冷静になって考えてみても、夕食の時のアレは、やはりだいぶ無理があったと思うぞ」

 

ドリイ

「アレとは──?」

 

カタリナ

「君がアンナとカレーニャを『お友達』にしようしたアレだ。2人ともすごい顔をしてたぞ」

「カレーニャを見守ってきたドリイ殿の気持ちは解るし、それに勢い任せに手を貸した私の言えた事でもないかもしれないが──」

「結局は2人の間の事。いつか互いに認め合えるまで、さり気なく手助けするくらいで良かったのではないかな」

 

ドリイ

「そうかもしれません」

「しかし、時には強引に距離を押し縮めてしまうべき場合もある──と。私はそのように考えるのです」

 

カタリナ

「まあ、結果良ければ──と思っておくよ」

 

 

 

 ──苦笑を交えつつもチクリと告げたカタリナだったが、今日一日ですっかり見慣れたドリイの笑顔には一片の乱れもない。恐らくあの結果は、少なくとも彼女にとっては上々だったのだろう。

 ──色々と言いたい事はあったが、上等の茶の香りと共に飲み込むカタリナだった。

 

 

 

カタリナ

「それにしても──」

 

 

 

 ──カタリナがテーブルの上に佇む魔道グラスをチラと見やる。

 ──すると砂糖やミルクを載せたその魔導グラスは、カタリナの視線に気付いたかのようにテーブルの上でクルリと方向転換し、ゆっくりとカタリナの手元へ移動を始めた。

 

 

 

カタリナ

「つくづく、まるで生きているかのようだな」

「ビィ君が遊んでいた魔導グラスも、行き先を思っただけで連れて行ってくれると言っていたし──まるで心でも読んでいるかのようだ」

 

 

 

 ──カタリナが魔導グラスに笑いかけながら身振りで遠慮を示すと、魔導グラスは再びテーブルの中央へ引き返していく。

 

 

 

カタリナ

「何だか、断るのが少し申し訳なくなってしまうくらいだ」

 

ドリイ

「実際には、民間用の魔導グラスにはそこまで柔軟な機能はございません。ただ、幾つかの機能がヒトにそのように思わせているのか知れませんね」

 

カタリナ

「例えば──?」

 

ドリイ

「例えばこの魔導グラスの場合、グラスの表面部分全体で周囲の景色を読み取り、その中からヒトを──取り分けその顔部分を認識するよう作られています」

 

カタリナ

「ふむ。ヒトより広い視野を持ち、ヒトとそれ以外を認識する──そういった機能は、ゴーレムや機械に関する話でもたまに聞くな」

 

ドリイ

「はい。このグラスは起動すると、ヒトに触れられるか、ヒトの顔が目線や角度からこちらを向いたと認識した時に、対象の元へ移動するよう作られています」

 

カタリナ

「それで、私が見ていると気付いたグラスが来てくれた訳か」

 

ドリイ

「仰る通りです。そして対象が『グラスに触れる』以外の動作を完了したと認識すると、予め設定された地点へ戻る仕組みです」

 

カタリナ

「となると──ハハ、『ミルクも砂糖も結構』と解ってくれた訳では無かったという事か」

 

ドリイ

「予め、そういった対応を想定して融通の効く造りにする事はできます」

「しかしながら如何に魔導グラスと言えど、残念ながら今の所は、カタリナ様の期待なされるような段階には至りません」

 

 

 

 ──試しにカタリナがもう一度グラスを見つめると、やはりグラスが子犬のように寄ってくる。

 ──カタリナがグラスを撫でてみると、確かにグラスは動かない。構造上、砂糖やミルクを取ろうと思えばグラスに触れざるを得ないからして、これは「物を取る動作」の一部と認識されているのだろう。

 ──手を引っ込め、グラスの前でお茶を一口含んでカップを皿に戻すと、グラスは引き返していった。

 ──カタリナの口が綻ぶ。期待していたよりは味気ない実態だったが、これはこれで愛らしいと思えた。改めて、茶を一口呷るカタリナ。

 

 ──少し勢いよく、ドアが開け放たれる音がした。

 

 

 

ルリア

「カタリナー! み、見てください、これ……!」

 

カタリナ

「む?」

 

 

 

 ──同時にルリアの声がした。振り向くと、ビィが乗っていた物と同じ運搬グラス4基に支えられて、大の字で空中を移動するルリアの姿があった。その頭にチョコンとビィが乗っている。

 

 

 

カタリナ

「ぶふぉっ!?」

 

ドリイ

「まあルリア様。とてもお上手ですわ」

 

ルリア

「ありがとう、ございます……で、でもまだ、ちょっとバランスが……!」

 

 

 

 ──思わず噴き出すカタリナ。すかさずテーブル脇で控えていたグラスがテーブルに飛んだ飛沫を拭き取っていく。

 

 

 

ビィ

「姐さん姐さん、どうだ、格好いいだろ?」

 

カタリナ

「ゲホッゲフッゲフン……ほ、本当に飛べるんだな」

 

ドリイ

「はい。傷病人の救助にも既に幾つもの実績を上げておりますので」

 

ルリア

「はわっ! カタリナ、大丈夫? 驚かせちゃった?」

 

カタリナ

「あ、あぁ、大丈夫だ。その……まあ、良いんじゃないかな」

「ただ、余り調子に乗りすぎて怪我をしないよう、程々にな」

 

ルリア

「はーい。お、おっとっと……」

 

 

 

 ──元気な返事につられてバランスを崩しかけるも、グラスの方から姿勢を補助してくれている。団長もついているので大きな心配は無さそうだった。

 ──ドリイから差し出されたハンカチで篭手にかかった汚れを拭き取るカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「──そういえば、ビィ君お気に入りのあのグラスの場合はどうなんだ?」

「ビィ君の言う通りなら、行き先を告げる事無く導いてくれているようだが」

 

ドリイ

「運搬用グラス……とりわけあちらの型番の場合、起動のために触れた人物もしくは起動後最も近くに居る人物を暫定的に『持ち主』と認識します」

「その後、自身が貨物を有しているのを確認した後、『持ち主』の顔の向きを読み取り、その方角へと移動を開始します」

「ビィ様達のように意識のある生物の搬送を任せる場合、搬送する対象が貨物と『持ち主』の条件を兼ねております」

 

カタリナ

「起動した時点では、持ち主の望む行き先を把握してはいないと言う事か」

 

ドリイ

「いいえ。最初から、『希望の目的地』という概念がございません」

 

カタリナ

「む?」

 

ドリイ

「グラスが『持ち主』の希望とは違う方向へ進もうとすれば、『持ち主』は意図しない動作に対して何かしらの反応を示すものです」

「例えば、無意識に目的地の方を振り向く、グラスの不調を疑ってグラスを注視する。連れ立って歩いている場合は足をもつれさせたり歩みを止めたり──等が挙げられます」

 

カタリナ

「確かに、『言わなくても目的地に向かってくれる』と思っていればそう言った振舞いもまた──」

「待てよ、もしかして──」

 

 

 

 ──テーブルの上の魔導グラスが「生きている」ように見えたのは、その幾つかの動作を見てそのように思い込んだ事に起因している。

 ──それを知ったカタリナの脳裏から、1つの解が躍り出た。

 ──カタリナの変化を読み取ったドリイも一際嬉しそうな表情を浮かべた。

 

 

 

ドリイ

「閃かれましたか?」

 

カタリナ

「フフ──少し自信がある」

 

ドリイ

「では、是非答え合わせを」

 

カタリナ

「うむ。つまり──」

「あの、『運搬用グラス』──だったか。あれは持ち主が望まない方向へ自分が進んでしまった時の『そうじゃない』という無意識の意思表示を読み取っているんだ」

「意思表示の形は人それぞれあるはずだから、恐らく様々な反応から総合的に読み取っているのだろう」

 

ドリイ

「正解です。ではその後、どのようにして目的地まで?」

 

カタリナ

「例えば、その場でクルっと一回転するんじゃないだろうか。辺りを見回すようにして」

「そうして持ち主が望む方角を向けば、持ち主も何らかの反応を返してくれる。それを読み取って、今度はその方角へ進む」

「それか……ビィ君のように常にグラスに触れているなら、行き先が違う時、咄嗟に持ち主が行きたい方向へ引っ張ったりするかもしれない」

「そうしたら引っ張られた方へ方向転換する。このどちらかか、あるいは両方を目的地まで繰り返している。どうだろう?」

 

ドリイ

「流石のご慧眼です。まさしくあちらのグラスは、その両方の方式を採用しております」

「では最後に、どのようにして目的地を把握しているかについては、如何にお考えでしょう?」

 

カタリナ

「あ、そうか──そうだなぁ……」

 

 

 

 ──思いついたばかりの考察では、思いがけず詰めの甘い部分があったようだ。

 ──しかし、大まかな正解の導き方は理解した。想定外の事態に対し、慌てふためくばかりがカタリナではない。

 

 

 

カタリナ

「……目的地に着いた時、歩いていたなら、直前まで少し足早になって、到着と共に足を止める」

「ビィくんや先ほどのルリアのように身体を預けて居ても、降りようとしたり引き止めるような動作を取るはずだ」

「やや寂しい表現だが、魔導グラスを心の通じ合う生き物だと錯覚しているなら、そういった振舞いは顕著になる。乗っている馬に止まるよう指示するように──」

「つまり目的地かどうかを理解しているのではなく、そういった動作を読み取ったら移動を取りやめるように出来て……」

 

 

 

 ──もう九分九厘答えが出ている。ドリイも称賛の声を発しようとした直前、不意に少し考え込むカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「……思えば、テーブルの上のこのグラス、ビィ君達を乗せているグラス、……後、先程テーブルを拭いてくれたグラスもか」

「そう考えると、言わば彼らは……正確にはカレーニャは、私達人間の『きっと気持ちが伝わる』、『人のために在るなら解ってくれる』。そう言った、一種の期待を驚くほど見抜いている」

「だからこそ、人々の生活の支えになるほど急速に普及していったのだな。実際は、通じ合うような、我々が期待するような意味での『心』は持ち合わせていないのに──」

 

 

 

 ──魔導グラスというものを知ってみて、改めてその仕組みを作り上げたカレーニャに驚きを禁じ得ないカタリナ。

 ──記憶を辿ると、図書館で騒ぎを起こした老婦人も、孫が名前をつけるほど魔導グラスを気に入っている旨を語っていた。

 ──子供が玩具に名前をつける事など珍しくないと思っていたが、改めて考え直すと、複雑な気分が胸に迫る。

 ──直後にカタリナは現実に引き戻された。優しく腕を引かれる感覚に顔を上げると、ドリイがカタリナの手を取ってじっと見つめてきていた。

 ──心の内から熱を与えてくれるような、今まで見てきた中で最も胸に迫る笑顔だった。

 

 

 

ドリイ

「カタリナ様が、本当に私の後輩であったなら、どんなに良かった事でしょう」

 

カタリナ

「──……」

 

 

 

 ──思わず心奪われかけていた。

 ──島中の人間に好かれるだけあってか、ドリイにはどこか余人とはかけ離れた不思議な魅力のようなモノがあった。

 ──特に今のドリイに正面から見つめられると、呑み込まれてしまうような奇妙な感覚に襲われる。

 ──カタリナは自分でも友好か反発かも解らない感情に戸惑い、握られた手を咄嗟に引っ込めた。

 

 

 

カタリナ

「い、いやそんな……! それは些か持ち上げすぎというものだろうドリイ殿──」

 

 

 

 ──恐らく、カタリナでなくても殆どの人間が同じ立場に立たされれば、同じ態度を取っただろう。

 ──先程の一瞬、ドリイは確かにそうさせるだけの何かを纏っていた。

 ──訳もなく狼狽する自分を隠すように、カタリナが話題を替えにかかった。

 

 

 

カタリナ

「し、しかし、これほどの逸品の数々、確かに誰でもおいそれと造れるものでは無いだろうな──あっ」

 

 

 

 ──「しまった」と口を覆うカタリナ。

 ──結果としてのオブロンスカヤの利益の独占。オブロンスカヤにしか造れないという事実と民衆との理解の溝。

 ──グラス普及に関する話題は地雷原だった事を忘れて口走ってしまった。ドリイが自分の言葉に感銘を受けていたようだったと思うと尚更気まずい。

 ──恐る恐ると言った面持ちでドリイの様子を伺うカタリナ。相変わらずの笑顔だったが、先程の魅入られるような雰囲気は失せていた。

 ──ドリイに変化が有ったと考えるよりは、あの『何か』は、相対する者自身の心が見せていたモノなのかも知れない。

 

 

 

ドリイ

「実用化に求められる品質の問題もございますが、オブロンスカヤにしか製造できない理由は、より根本的な所にもございます」

 

カタリナ

「そ、そうなのか……じゃなくて、ドリイ殿。その、今のは恐縮だが失言というやつで──」

 

 

 

 ──まるで先程までの話題の延長線上とでも言うように何も気にする様子なく語り始めるドリイ。

 ──止めに入ろうとするカタリナだが、ドリイがやはり先程まで同様、世間話をするかのような調子で制する。

 

 

 

ドリイ

「差し支えなければ、今度は私からお話させていただいてもよろしいでしょうか」

「身内の者以外に、初めてこう言ったお話ができるものですから。できれば第三者としての見解も伺いたく思うのです」

 

カタリナ

「──そういう、事なら……」

 

 

 

 ──椅子に座り直し、茶の残りを飲み干すカタリナ。

 ──経緯はどうあれ、「相談に乗る」という事に積極的に……悪く言えば軽率になっている自分を感じるカタリナ。

 ──団長の影響か。いやそう考えるのは無責任というものか。ひとまずそんな自問自答はすぐさま頭から押し流し、ドリイの次の言葉を待った。

 

 

 

ドリイ

「魔導グラスはオブロンスカヤの血筋の者にしか製造できない──と言うお話は、覚えておいででしょうか」

 

カタリナ

「ああ。今日知ったばかりだ。そう簡単に忘れはしないさ」

「──だが、異議を唱えるようで済まないが……少し疑問はある」

 

ドリイ

「本当にオブロンスカヤの手によってでしか魔導グラスがこの世に姿を現さないなら、誰もその事を疑うはずがない──」

 

カタリナ

「──その通りだ」

「図書館での一件──あの婦人の口ぶり、魔導グラスが誰にでも造れるものだと知っているとでも言いたげだったのが気にかかってな」

「それにあの時のカレーニャの態度も、人に糾弾されている時のそれとは到底……」

 

ドリイ

「カレーニャについては申し上げにくい事ですが、私の見る限り、純粋に品位の問題に尽きるかと」

 

カタリナ

「そ、そうか……」

 

 

 

 ──有り体に言えば、カレーニャが相当な捻くれ者だから、と言いたいらしい。

 ──どうあれ、カレーニャ達からすればグラスがオブロンスカヤにしか造れないのが事実。

 ──そこにあって、お門違いの文句を捲し立てる老婦人は底抜けに滑稽だったという事だろう。

 ──これは苦笑で流すべきか、ドリイの苦労を慮って控えるべきか、判断に迷う。

 

 

 

ドリイ

「しかし、かのご婦人の主張に関しましては──実は、『生み出す』所までは、第三者にも可能なのです」

 

カタリナ

「む? だが、君達に出逢って自己紹介を受けた時、オブロンスカヤの者にしか造れないと──」

 

ドリイ

「正確には、『どうしても上手くいかない』のです。そして、いずれの表現も逸脱してはおりません」

「魔力で構成されたガラスに酷似した物質──それを生み出すまでなら、ごく少数ですが、プラトニアでも可能な人間はおります」

「しかし、そのままではその魔力の塊は形を保てず、見る間に霧散して消えてしまいます」

 

カタリナ

「では正確には、作るまでなら他にも出来る者は居るが、その魔力の塊を消させる事無く魔導グラスとして機能させられるのはオブロンスカヤのみ──という事か?」

 

ドリイ

「はい。言わば中途半端に出来てしまうばかりに、オブロンスカヤを疑う土壌が育まれてしまったのでしょう」

 

カタリナ

「確かに、魔導グラスがそれほどまでに特殊な物で無ければ、人類の新たな文明に他ならないだろう。難しいものだな……」

 

 

 

 ──何気ない仕草でドリイが顔を横に向けた。無意識にカタリナも視線の先を追うと、先程テーブルを拭いてくれた例の魔導グラスが立っている。

 ──魔導グラスが動き出し、テーブルの上の2人のカップにお茶のお代わりを注いだ。

 ──仕事を終えて再び所定の位置へ戻るグラスを笑顔で見送るドリイ。お茶を一口味わってから話を続けた。

 

 

 

ドリイ

「グラスの崩壊を防ぎ、固定させる方法。それもまた問題でした」

 

カタリナ

「それも、『方法が確立されていれば、誰にでも出来るはずだ』──と?」

 

ドリイ

「はい。それも、実に解りやすい方法でした」

 

カタリナ

「企業秘密とはならなかったのか?」

 

ドリイ

「魔導グラスが発見された当初は、オブロンスカヤも一般化を目指して技術を積極的に開示していたそうです」

「魔導グラスを固定させる方法は2つ。1つは製造者の魔力を絶え間なく供給し続けること。もう1つは、魔力を込めた体組織を溶け込ませる事」

 

カタリナ

「魔力を込めた……体組織?」

 

ドリイ

「具体的には、グラスの体積にもよりますが、生きている人間の髪一本、血の一滴あれば充分です。魔力は使い方を知らずとも大体の人が持っているモノなので、これはほぼ全ての人間が提供可能です」

「後は体組織をグラスに触れさせれば、グラスが自ずと取り込みを始めます」

「更に申し上げれば、この場合、グラスの製造者と体組織の提供者は同一人物である必要はございません」

 

カタリナ

「ふむ。髪一本差し出して魔導グラスが造れるとなれば、門外の者でも試したくなるだろうな」

 

ドリイ

「はい。実際、体組織の提供者を募った際には、島民の大半が希望したと聞いております」

「何より、魔導グラスには体組織の登録者の意思を優先して動作する特性が既に判明していたため、当時の期待は計り知れないものだったと思われます」

 

カタリナ

「優先──とは?」

 

ドリイ

「詳しくは現在もカレーニャが研究中ですが、体組織が登録されたグラスと体組織の提供者とは、何か”繋がり”のようなモノが構築されるようなのです」

「提供者はグラスに対し一種の権限を有し、一例としては、提供者の一存で魔導グラスを強制的に停止させる。触れる等の本来の条件を満たさずにグラスを起動させる。グラスに本来組み込まれていない動作をさせるといった例が確認されています」

「これらの権限は、例えカレーニャの魔力で造られたグラスであろうと、与えられるのは登録された体組織の持ち主に限られます」

 

カタリナ

「名前通りの魔法じみた特性もある訳か」

「グラスの登録者となれば、実質そのグラスはその者の自由に扱えるかもしれない──それも髪一本差し出すだけで良い、か」

「想像するだけでも、島民からすれば宝くじでも配られたようなものだったろうな」

「しかし、そうはならなかった──と」

 

ドリイ

「結局、オブロンスカヤ直系にあたるカレーニャ、カレーニャの父君、そして魔導グラスを最初に発見なされたカレーニャの祖母君(おばぎみ)の三名以外に、提供された体組織を魔導グラスが取り込んだ例は皆無だったそうです」

「第三者が造ったグラスにおいても、やはりオブロンスカヤの登録を経て安定し、実質の持ち主はオブロンスカヤと言う事に」

 

カタリナ

「それは──そんな事になったら……」

 

ドリイ

「はい。その後の世論は、お察しのとおりです」

 

 

 

 ──「こうすれば出来る」と喧伝して製造者以外に出来た例が無いとなれば、「騙した」と、被害感情の声が挙がるのは想像に難くない。本当に出来ないのだと実演したとて、手品にしか見えないだろう。

 ──魔導グラス自体を作る事は少数ながら可能となれば、その次の段階も同じだと根拠も無く期待してしまうのも無理からぬ事。

 ──そしてそうはならず、その傍らで今日も当たり前のようにその先を実現して見せる者達が居れば、「隠している」と一抹も思わないのは難しい。

 

 

 

カタリナ

「だが……だが、何というか……せめて、説明はしたんだろう?」

 

ドリイ

「はい。当時の記録が、議事堂や法廷に今も残っています」

 

カタリナ

「……気の毒に」

 

 

 

 ──そう言った場に記録が残ると言う事は、喚問や訴訟を受け追求されなければそうそう有る事ではない。

 ──成果が出なかった以上、オブロンスカヤは島民の大半の感情を扇動し、たかが髪の毛一本の送付だろうと無駄な労力を費やさせ、何より社会を徒に混乱させた。その責任を負わされたという事だ。

 ──当初は「第三者の意見」の持ち主として身構えては居たものの、ここに至って冷静に論を練るには、カタリナは一本気過ぎた。憐憫の一言を絞り出すのが精一杯だった。

 

 

 

カタリナ

「ドリイ殿……済まないがこの話、私から何か話すのは差し控えさせてもらいたい。……少なくとも、今は」

「島民の落胆も理屈としては理解できる。だが、それが理由でカレーニャまでと思うと……服屋でも、図書館でも……」

 

ドリイ

「畏まりました。お付き合い頂き、誠に感謝致します」

「そして、申し訳ありません。(みだ)りに答えを求めるような話では無いと、自覚はしながらもご清聴願った旨、お詫びいたします。ただ──」

 

カタリナ

「ただ──?」

 

ドリイ

「カタリナ様が控えられた、本件への『答え』──」

「遠からず、カレーニャにはそれを示す『時』が訪れます」

 

カタリナ

「……そうだろうな」

 

ドリイ

「どのような形であれ、カタリナ様もその『時』を同じくするでしょう」

「その『時』に、1人でも多く、『人としての』カレーニャを知る者が在るべきではと。この頃は、その事をばかり考えているのです」

 

カタリナ

「グラス産業のために島を離れられず、島の中では味方も作りにくい──か」

「そう言う事なら大歓迎だ。こんな大きな問題をカレーニャ1人が背負い込むべきじゃない」

「いつか、ルリア達にも話すよ。こう言った事には馴染みの薄い私達だが、分かち合えるなら、多いほうが良いだろう」

 

ドリイ

「ありがとうございます」

 

カタリナ

「何を水臭い事を。無理して打ち明けてくれた君だって、その『時』は味方なんだ。そうだろ?」

 

ドリイ

「…………微力ながら」

 

 

 

 ──すっとドリイがカップを目の高さに掲げ、僅かにカタリナに近づけた。

 ──最低限の所作だけで『NO』の意思が伝わるように、多くの人は、その仕草だけで何を求めているか伝わってくる。

 ──カタリナも同様にカップを掲げ、飲み口を軽くぶつけ合う。済んだ音が響いた。

 

 

 

ドリイ

「生憎、屋敷には料理酒しかございませんので」

 

カタリナ

「こういうのも乙なものさ。少しだったら、いつか付き合うよ」

 

 

 

 ──静かに茶を含む2人。優雅な雰囲気が流れる。

 ──ドアが開いた。

 

 

 

ビィ

「うぉっしゃーーー! ルリア担いで1周大成功だぜー!」

 

カタリナ

「べふぉっ!?」

 

ドリイ

「まあビィ様。とても逞しいですわ」

 

 

 

 ──運搬グラス1基の上にルリアが乗り、十字のポーズで広げた両腕の下から2基が体重を支え、ビィがルリアの乗るグラスを下から神輿を担ぐようにしてペタペタと爆走している。何故かルリアもドヤ顔だ。

 ──ルリアの重量の殆どをグラスが支えているので、実際のビィにかかる荷重はごく僅かだ。しかし普段から移動手段を翼に頼っているビィには良い運動になっているようだ。

 ──すかさず魔導グラスがテーブルを拭きに来ている。

 

 

 

ビィ

「へっへーん、マッチョビィって呼んでくれよな!」

 

主人公(選択)

・「ユー アー ザ・マッチョビィ!」

・「ルリアも格好いい!」

 

→「ルリアも格好いい!」

 

ルリア

「ハイ! このポーズで空を飛んでると、何だかとっても強くなった気がします!」

 

カタリナ

「エェッホ、ゲホッゲホ、オォッホエッホ……!!」

 

ルリア

「はわわぁっ! ま、また驚かせちゃいました……」

 

 

 

 ──慌ててグラスから降りてカタリナの背を擦るルリア。

 ──余談だが、むせた人を救助する時は相手の年齢や健康状態にもよるが、擦るより叩いた方が良いらしい。とにかくむせさせて気道の異物を吐かせるのが肝要である。

 

 

 

カタリナ

「エッホ、ゲホッフフ……クッ、ハハッアハ……ケホ、エホ……ハハハ……」

 

ビィ

「お、おいおいどうしたんだ姐さん。むせながら笑ってるぞ……」

 

 

 

 ──先程までの会話との落差に、どこかの張り詰めていた糸が切れたようだ。咳込みたいのが先だが、それを押しのけて笑いが止まらないカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「ケフッハハハハ……ハァ~。いや、何でもないんだ。なあ、ドリイ殿?」

 

ドリイ

「カタリナ様も、頼り甲斐に満ちたビィ様の雄姿が嬉しいのですよ」

 

カタリナ

「いや、私はむしろ余りにも愛ら……」

「ああいやいや。うむ、その通りだ。今までより一段と男らしく見えるぞビィ君」

 

ビィ

「おう! 今なら魔物だって星晶獣だってドンと来いだぜ!」

 

 

 

 ──何かの格闘技の真似か、中段突きを素振りしてみせるビィ。

 ──皆で一通り笑いあった後、時計を見るカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「さて。いい加減、アンナの部屋に行くとしよう。あんまり放っておいたら寂しがらせてしまう」

 

ビィ

「あっ。いっけねぇ、すっかり忘れてたぜ……」

 

カタリナ

「おやおや、前言撤回かな?」

 

ルリア

「ほ、ほんのちょっとだけ夢中になっちゃっただけですよ。ね?」

 

主人公(選択)

・「ルリアもか……」

・「そ、そうそう仕方ない!」

 

→「そ、そうそう仕方ない!」

 

カタリナ

「やれやれ団長(キミ)もか」

「そうだ、ドリイ殿。カレーニャはまだ起きているだろうか?」

 

ドリイ

「カレーニャでしたら、皆様がお迎えに上がるまでアンナ様のおもてなしを任せておりますが、何か?」

 

カタリナ

「これからアンナと皆で読むゲームブック、カレーニャも誘えないかと思ってな」

 

ドリイ

「そういう事でしたら是非、私からもよろしくお願いします。強情を張るようでしたら、引っ張ってでも」

 

カタリナ

「ハハハ、任された。それじゃあ皆、準備は良いか?」

 

ビィ

「おう! ……あ、そうだ眼鏡の姉ちゃん。あの空飛べるグラス、アンナの部屋行く時に持ってっても良いか?」

 

ドリイ

「はい。決してご遠慮はありません」

 

ビィ

「よっしゃ! あんがとな姉ちゃん!」

「そんじゃ行くぜルリア! 第2ラウンドだ!!」

 

ルリア

「はい!」

 

カタリナ

「プフッ……ククク……またやるのか……」

 

 

 

 ──こうして、ビィとルリアのチェインブレイクはアンナ達にも色々な意味での感動をもたらすのだった。



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26「深夜」

 ──ゲームブック会も終わり、一行がそれぞれの個室に戻って静まり返った真夜中。

 ──アンナはカシマールを抱きしめながら、もう何十回目かの寝返りを打っていた。

 

 

 

アンナ

「う~~ん……ぜ、全然眠れない……」

 

カシマール

「ウナッテネーデ、オトナシクシテリャイーンダヨ」

 

アンナ

「うん。解ってるつもりなんだけど……」

「今日は色んな事が沢山あって、何だか頭の中がグルグルしちゃって……」

 

 

 

 ──興奮冷めやらぬアンナは未だ一睡も出来ていなかった。

 ──押し寄せる記憶を全て思い返していたら、感想に浸る間に夜が明けてしまいかねないほどだ。

 ──プラトニアの街中、カレーニャとの出会い、綺麗な服、図書館、グラスの暴走、友達、そして……。

 

 

 

アンナ

「ねえカシマール。あのゲームブックの終わり方、どう思う?」

 

カシマール

「マオーヲヤッツケテハッピーエンドダロ?」

 

アンナ

「そうだよねぇ……そうなんだけど……」

 

 

 

 ──あのゲームブックの結末は、2つだけでは無いかもしれない。少なくともアンナはそう信じたかった。

 ──カタリナ達が図書館で体験したものは、魔王の封印と引き換えにお姫様がその身を犠牲にすると言うもの。

 ──そして今日、アンナとカレーニャを加えて挑んだ結果は、また別の結末だった。

 

 

 

アンナ

「魔王を呼び出したのが、お姫様だったなんて……」

 

 

 

※回想

 

 

 ──とうとう君は魔王を打ち倒した。

 ──城を震わす咆哮と共に地に伏す魔王。その体は最早ぴくりとも動かない。

 ──君は魔王の最期に安堵する。だが、今や事切れた魔王に駆け寄る影があった。

 ──姫だ。姫は君が止めるのも聞かず、魔王が完全に息絶えているのを確認すると、そっと躯に手を添えた。

 ──「ごめんなさい」。姫は一言呟き、そして静かに語った。

 ──なんと、魔王をこの地に呼び寄せたのは、囚われていた姫自身だったのだ。

 

 ──姫は生まれた時から「この国で最も強く勇敢な者と結婚する」事を父王に運命づけられていた。

 ──王の求めるまま、誰よりも美しく聡明で幸せな姫として、彼女は何の疑問も無く育てられてきた。

 ──しかし年頃になった姫は、そんな自分を日に日に嫌うようになっていった。

 ──「私は私の望むままに生きたい」。いつしかそう思うようになっていたのだ。

 ──姫は、かつて王宮の魔法使いに習った召喚の魔法を使った。

 ──魔法の世界に生きる、最も力強い者を。最も猛々しい者を。その願いが魔王を呼び寄せたのだ。

 ──魔王にわざと拐われる事で、姫は初めてお城の外の世界を知った。

 ──そして、王宮と同じ暮らしが出来るよう魔王に城を築かせ、世界中の本を呼び寄せた。

 ──王様が姫を諦めたその日に備えて、外の世界を学ぶために。

 

 ──全てを語り終えた姫は、灰となって崩れ落ちる魔王に背を向けた。

 ──「ですが、ようやく解ったのです。こんな事は間違いだったのだと」

 ──笑顔で語る姫の瞳には大粒の涙が溢れていた。

 ──「私は魔王を呼び、国を陥れた女です。どんな罰でもお受けします」

 ──そう語る姫の肩を、君は優しく抱き寄せた。姫は君の心を理解したのか、強くその抱擁を受け入れた。

 ──「帰りましょう。あの国へ。私は姫。そして、あなたは王国の最も勇敢なお方。私の……勇者様」

 ──ここに居たのは、悪しき魔王と、清く美しい囚われの姫の2人だけだ。

 ──君は姫を抱き上げ、悠然と王国への帰路を歩むのだった……。

 

 ──完

 

 

 

カタリナ

「ふぅ……。どうやら、今度こそ姫を救い出せたようだな」

 

 

 

 ──結末を読み終えたカタリナは大きく安堵の溜息を吐いた。相変わらず読み入っていたようで、腕を大きく上に挙げて伸びをしている。

 

 

 

アンナ

「え……こ、これで……終わり……なの……?」

 

ルリア

「そんな……」

 

 

 

 ──しかし、一方で表情の晴れない2人。アンナが納得の行かない様子で続きを捲るも、ページは既に末尾。後には奥付と遊び紙しかない。

 

 

 

カタリナ

「どうした2人とも。何か気に入らない部分でもあったか?」

 

アンナ

「だってこんなの……あんまりだよ……!」

 

ルリア

「そうです、お姫様が可哀想です!」

 

カタリナ

「可哀想? 魔王も倒して、助け出せたのにか?」

 

 

 

 ──どうも3人の会話が噛み合わない。喧々諤々となる前に、カレーニャがパンパンと手を打って注意を向ける。

 

 

カレーニャ

「はーいはい。そんでは穏便にご意見箱設置ですわ」

「順番に皆さんでエンディングの感想語らって、それから煮詰めましょう。誰からになさいます?」

 

ルリア

「わ、私から、お願いします!」

 

 

 

 ──若干食い気味にルリアがビシッと手を挙げる。カタリナの理解を得られないのが大分ご不満のようだ。

 

 

 

カレーニャ

「はいな。そんじゃルリアさんから時計回りでって事でよろしいですわね。どうぞ」

 

ルリア

「ハイ! お姫様が可哀想だと思うんです!」

 

カレーニャ

「だぁから何で可哀想なのかって聞いてんですのよ。このお話がカタリナさんの主張とどう違ってらっしゃると?」

 

ルリア

「何故って……だってお姫様は、王様の決めた人と結婚するのが嫌で、お城の外に出たくて……それで魔王さんを呼んだんですよね?」

「それなのに、魔王さんをやっつけて、お城に連れ戻すなんて……ちょっと、ひどいです」

 

アンナ

「あ、あの……ボクも、ルリアと大体同じ……かな」

 

 

 

 ──アンナが割り込む。順番の上でも次はアンナの番だったので、そのままアンナの主張を聴く一同。

 

 

 

アンナ

「えっと……ま、魔王は、お姫様の精一杯の……て、抵抗……だったんじゃないかな……あのまま、王様の決めた一生を生きていく事への」

「さ……最後にお姫様、泣いてたの……ちょっと、解る気がする。お姫様なりに、沢山頑張ったのに……結局、王様の決めた勇者様に、全部……無駄にされちゃったんだって……」

 

 

 

 ──アンナの言葉に腕を組むカタリナ。次はカタリナの番だ。しばし考え込んでから、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開くカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「言われてみれば、そういった解釈は、確かに一理ある。だが──」

「2人の意見を否定するつもりは無い。それでも、だ。国王はなにも、姫君を獣のように飼い殺しにしていた訳じゃない」

「……ああいや、この例えは極端にしてもだ。確かに若い姫君には窮屈だったかも知れないが、立派な教育を受けていたからこそ、魔王を呼ぶ技術を持てたと言っても良い」

「話の冒頭では国民も家臣も皆、国王を信頼していた。私には国王の行いは、安全な環境で、人並の家庭を築いて欲しいという、そんな自然な親心だったのだと思う」

「それに、自由のためにと言っても魔王を呼んで世界に混乱を招くのは、幾ら何でもやりすぎだ」

「姫君の涙は、そういった己の行いを悔い改めた──そういった意味合いではないだろうか」

 

アンナ

「それは……そ……そうかもしれないけど……」

 

ルリア

「で、でも! 結婚する人を生まれた時から勝手に決められちゃうなんて、酷いです!」

 

カタリナ

「それも、魔王が世に現れる以前から決めていた事で、そして何を基準に『勇敢な者』とするかはハッキリしていない」

「姫君は自分の在り方に疑問を持った日から、国王に結婚相手を自分に選ばせるよう訴える事も出来たはずだ」

「私だって、姫君の気持ちが全く解らない訳じゃない。だがだからこそ、魔王を呼んで国の敵となる思い切りがあるなら、もっと被害の無い方法だって選べたはずだと思う」

「夢のない話になるが、恋の相手さえ勝手に決められる不満を民に打ち明けてしまえば、反対運動を起こせたかもしれないし──例えば城の兵士を味方に付けて国を出て、運命の相手を探す旅に出る事だって出来たかもしれない」

「人生を他人に左右される辛さはもっともだ。だが、だからって何をしても美談になる訳じゃない」

「結果として、魔王を呼んだ事で、国王の決めた婚約者たる人間を浮き彫りにしてしまった。これはやはり、姫君の若気の至りとしか……」

 

アンナ

「うぅ~……」

 

ルリア

「じゃ、じゃあビィさん、ビィさんはどうですか!?」

 

ビィ

「うえぇ! オ、オイラぁ?」

「う~~ん……ややこしい終わり方すんなぁとは思ったけど、オイラ読み終わった時は『やっとクリアできたー』としか思わなかったし……」

「……やっぱオイラ難しい事よく解んねえし、パスで良いか?」

 

ルリア

「むぅ~……」

 

ビィ

「い、いやそんな顔されてもよぉ……」

 

 

 

 ──余程この結末が気に入らないのか、それとも仲間内で意見が相容れないのが受け容れられないのか、頬を膨らませて恨めしそうにビィを見つめるルリア。

 ──そんなルリアにお構いなしとでも言いたげな、涼しい声が投げ込まれた。

 

 

 

カレーニャ

「次は私ですけど、概ねカタリナさんに同意ですわ」

 

ルリア

「!?」

 

カタリナ

「カ、カレーニャ。こんな時に火に油を……」

 

アンナ

「そんな……カレーニャまで……」

 

カシマール

「ウラギンノカテメー!」

 

 

 

 ──口々に抗議が投げつけられる。やれやれと肩をすくめて軽く息を吐くカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「良いですこと? 先に言っておきますけれど、意見の交換で『お友達』の馴れ合い持ち出そうなんてのは、愚かを通り越して卑怯者のやり口ですわ」

「そして議論ってモンは、どんなに大切なお仲間に真っ向から文句付けられようと恨みっこなし。終わった後も蒸し返さない」

「見るも思うも人それぞれなんですから、絶対の答えなんてござあませんの。『そういう考えもありますわね』で済ます、これが鉄則! お解り?」

 

ルリア

「ぅ……はい」

 

カレーニャ

「アンナさん?」

 

アンナ

「は……はい」

 

カレーニャ

「よろしい」

 

 

 

 ──縮こまるルリアとアンナ。カレーニャの言い分を理解したというより、とりあえず『叱られた』と言う認識の方が強いようだが、とにかく2人とも、少しは頭が冷えたようだ。

 

 

 

カタリナ

「場を納めてくれた事はありがたいが、何と言ったものか……ドリイ殿のような口ぶりだったな」

 

カレーニャ

「少しは頭の良さそうな事も言えるでござあましょ?」

 

カタリナ

「い、いや、断じてそんなつもりでは……!」

 

カレーニャ

「口喧嘩と討論を間違えないのが、探求する者として最も大事な事ですわ。え~え、それはもう何よりも。さておき──」

「私はこのお話、もう少し距離を置いて観察してみたいと思いますの」

 

 

 

 ──何事も無かったかのように考察を語り始めるカレーニャ。ルリア達も少しバツが悪そうにしながらも耳を傾けている。

 

 

 

カレーニャ

「まずこのお話。魔王討伐、お姫様救出ってテーマからして、最初から『やっつけるべきモノ』があるってのが大前提だと思いますの。皆さんだって、『魔王をやっつけるぞ』と。まずそこから読み進めたでござあましょ?」

「アンナさん達が着目なすった『お姫様のお悩み』が主題であるなら、事情があるから魔王をやっつけないって選択肢だってあるはずですわ」

「それが少なくとも今回の冒険ではおくびにも出なかった。であれば、これは『魔王は倒される』として話がまとまるよう作られた──と考えるのが妥当と考えますの」

「アンナさん達の解釈も結構ですけれど、見ての通りこの本、最終ページの後は奥付だけで後書きもへったくれもござあませんでしょう?」

「これが不親切なバッドエンドだとしたら、そんなもんクライマックスに用意しといて弁解も無いなんてのは不自然ですわ」

「大方、これが正規の終わり方でしたけど、作者が締切に追われて後書き省いて脱稿したか、その拍子に紛らわしい表現が校正されないまま出版されたと言うのが私の仮説ですわ」

 

ビィ

「長くてよく解かんねぇけど──『魔王をやっつけてハッピーエンドな本だから』って事か?」

 

カレーニャ

「あらまっ、ビィさんが理解なされるなんて!」

 

ビィ

「どういう意味だよ!!」

 

カタリナ

「しかし──賛同してくれていると言うのにこう言うのもなんだが、その……冷静な見方過ぎると言うか……」

 

カレーニャ

「お話に切り込んだ方が宜しかったかしら?」

「だったら、魔王が『倒してスッキリするための悪役』で無かったりしたら──例えば他に魔王なりの事情やキャラ立てが有ったってんでしたら、それだのにお姫様の都合で呼ばれてボコられるだけでオシマイなんて、立つ瀬無さすぎでござあましょうが」

「持論ですけども、悪は悪として輝き倒される。それがせめてもの、退場する人物への手向けってもんですわ」

 

ルリア

「うぅ……魔王さんの事は、考えてなかったです……」

 

カレーニャ

「ほらほら。それより最後のご意見、伺った方が宜しいんじゃなくって?」

 

 

 

 ──皆の視線が最後の1人……団長に集まる。団長()の答えは……。

 

 

 

主人公(選択)

・「アンナ達に賛成」

・「カタリナに賛成」

・「オイラよく解んねぇや……」

 

→「?????」

 

 

 

※回想終わり

 

 

 

アンナ

「結局、皆の考えは纏まらなかったけど……」

「でも、やっぱりあれは、良い終わり方なんかじゃ無いと思うんだ……」

「だって、先にカタリナ達が読んだ時は、お姫様は倒された魔王を封印するためって言って……自分で呼んだ魔王を、自分から……」

「そんなの、まるで……」

 

 

 

 ──思い返す間にも、5回、6回と寝返りを繰り返したアンナ。頭につられて身体も全く落ち着いてくれない。既に何十分経っただろうか。

 

 

 

アンナ

「……うぅ……やっぱり眠れそうにないや。お水でも飲んで一息つこう……」

 

 

 

 ──枕元に待機する魔導グラスに触れたアンナ。

 ──カレーニャの説明では、触れれば起動し、望む品物の単語を言えば持ってきてくれるのだという。

 

 

 

アンナ

「こうして……『お水』」

「…………あれ?」

 

 

 

 ──呼びかけてみるも反応が無い。ピタピタ触り直しながら、言い方が悪かったかと抑揚や表現を変えて「お水」を連呼してみるも結果は変わらない。

 ──そもそもカレーニャが実演して見せた時は、触れてカレーニャの魔力で満たされたグラスは淡く虹色に光って起動を知らせていた。しかし今はウンともスンとも言わない。

 

 

 

アンナ

「おかしいなあ。確かこの子、寝る前にドリイさんが新しいのに替えてくれてたから、魔力切れなはず無いし──」

「……仕方ないか。自分で汲んで来よう」

 

カシマール

「ダレカヨンダホーガイーンジャネーノカ?」

 

アンナ

「もう夜も遅いから、起こしちゃ悪いよ」

「それに、少し歩いた方が、気分転換にもなるかなって……」

 

 

 

 ──悩み通しで脳が興奮状態なのか、夜更かしがそうさせるのか。今夜のアンナは少し大胆だった。

 ──アンナはなるべく音を立てないように、そっと個室のドアを開いた。



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27「異変」

 ──廊下に出たアンナとカシマール。

 ──今更通る人も居ないのに、別に悪い事をしている訳でもないのに、つい辺りを見回してしまうのは人の性である。

 

 

 

アンナ

「あれ──?」

 

 

 

 ──通路は両側に部屋が設けられてあるため、窓は突き当りの小さなバルコニーに繋がるそれだけである。

 ──アンナの使っている最奥の部屋の前だけは、バルコニーから差し込む月明かりに照らされているが、そこから奥へは月では力不足だ。

 ──消灯しきった屋内は真っ暗だが、明かりも持たずに飛び出した後ですごすご引き返すのも何だかイヤだった。手探りで進むのを覚悟していたアンナだったが……。

 

 

 

アンナ

「明かり──あそこは、カレーニャの部屋だっけ?」

 

 

 

 ──ぼんやりと、暗闇の中に一筋の明かりが灯っていた。蝋燭の類とは異なる寒色。光量は月明かりよりはハッキリとしている。

 ──カレーニャから受けた説明では、光源の場所にはカレーニャの寝室が位置しているはず。

 ──暗闇の中の光明というだけで、吸い寄せられるには充分である。何の気なしに近づいていくと……。

 

 

 

???

「では……しい……ですね」

 

???

「ええ……」

 

アンナ

「話し声……カレーニャ、まだ起きてるのかな?」

 

 

 

 ──徐々に光源の方から聞き慣れた声が漏れてくる。ドリイとカレーニャだ。

 ──近づくにつれて、カレーニャの寝室の扉が薄っすらと開いており、そこから光が漏れているのだと解る。しかし、光の正体は不明のままだ。

 

 

 

カシマール

「オキテンナラ──モガッ!」

 

アンナ

カ、カシマール、しーっ!

 

 

 

 ──別に2人に隠れて何かしている訳でも無いが、ついカシマールを押さえつけてしまうアンナ。思わず息を止めて耳を澄ます。

 ──カシマールの言わんとしている事は解っている。起きているなら、グラスの不調を伝えて飲み物を頼むなり、充分な気分転換だったと引き返すなりすれば良い。

 ──しかし気分はすっかり潜入任務(スニーキング・ミッション)である。たった1人の家族以外に満足に交流を持たず、誰に憚る事もない一人暮らしを続けてきた彼女には、他所様の家を出歩くだけでも大冒険なのかもしれない。

 

 

 

アンナ

「(ちょ……ちょっと、様子を見てみて……み、見つかったら……素直に話そう……)」

 

 

 

 ──期待と背徳感と、一抹の諦めとを胸中でシチューのようにかき混ぜながら、何だか急に力の入りづらい足を抜き上げ、差し込み、忍ばせて、扉の薄明かりへ歩み寄る。

 

 

 

ドリイ

「ところで……ーニャ。そちらの……まとめ……り込んでしまっても?」

 

カレーニャ

「ん? あぁ……ずかっといて下さる? また……時にでも返……さいな」

 

ドリイ

「畏まりました……時にカレーニャ。今宵の……」

 

カレーニャ

「ドリイさん」

 

ドリイ

「はい」

 

カレーニャ

「く・ど・い」

 

ドリイ

「はい──」

 

アンナ

「(何の話だろう──?)」

 

 

 

 ──気にはなるが立ち聞きするつもりも無い。

 ──少し様子を見て、どちらも気付いていなければ廊下に出てしまおう。ついでにこっそり団長だけ起こして手伝ってもらおうか……。

 ──そんな余計な事も考えながら、アンナは光が漏れるドアの隙間をそっと押し広げ、中を覗き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──最初に目に写ったのは、光の正体……部屋の大半を埋め尽くし、床と天井に根を張るようにそびえる巨大な魔導グラスの柱だった。

 ──グラスの中を泳ぐように、脈打つように、朧げに尾を引く虹色の光が現れては消えていく。グラスの表面も氷が輝くような、冷めた光を放っていた。

 ──次に、グラスの柱の前に立ち、威容を見上げるドリイの後ろ姿。そしてその足元から……追えば壁に、天井にと続いていく夥しい赤黒い染み。

 ──最後に……否、それは本当の一番最初に、アンナの瞳が捉えていたはずだった。

 ──頭が理解する前に、逃げるように視線を泳がせ、それからは見えない振りさえしていた。

 ──グラスの中をカレーニャが眠るように揺蕩っている。もとい、平常時のグラスにそこまでの流動性は無いはずだ。生き埋めになっている。

 ──そしてグラス越しのカレーニャのドレスは、部屋中にぶちまけたように広がる染みと全く同じ色に染まっている。

 

 

 

アンナ

「……ぇ……ぇ……?」

 

 

 

 ──「何を見ているのか」は理解が追いついた。だが、「見ているのは何なのか」はどこにも理解を繋げるアテが無い。

 ──アンナに気遣う訳もなく目の前の光景は変化し、グラスの柱が醸し出す光が強まる。

 

 

 

 ──瞬きも忘れたアンナの目の前で、カレーニャが色を失っていく。

 ──文字通りにである。纏っている汚れたドレスもろとも、それこそガラスのように身体が末端から透けていく。

 ──思考は置き去りとなり、不安を感じる機能も痺れ、腕の中のカシマールが僅かにずり落ちかける。

 ──時間にすれば十秒にも満たない長い長い時間をかけて、カレーニャだった影は光の屈折でぼんやりと判別できる程度になり……そして、完全にグラスの中に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

???

如何(いかが)なされましたか。アンナ様」

 

アンナ

!?

 

 

 

 ──アンナはドアから飛び退き、そして背後を振り返った。

 ──呼びかけられたのは、確かに前方からだった。だが、カレーニャが消えて以降、景色は何一つ移ろってはいなかった。アンナを呼べるはずの、視界に唯一人残った人物は背を向けたまま微動だにしていない。

 ──心が「まさか」と訴えていながらも、他の誰かを探さずには居られなかった。「振り向かずに呼んだ」と言うごく平凡な答えさえ、今は明らかに異常だった。

 ──部屋からの明かりで辺りを見回すには充分。当然、誰一人そばには居ない。「じゃあ何なのだ」と部屋の中へと向き直れば、声の主が今にも鼻面が触れんばかりの距離に立っていた。

 

 

 

ドリイ

「寝付けませんか。何か、暖かい物でもお持ち致しましょうか?」

 

 

 

 ──何一つ変わらない笑顔だ。

 ──何一つ変わらない対応だ。

 ──隙間から覗いていただけなのに。

 ──ドアを開けたりなんかしなかったのに。。

 ──何の音もしなかった。

 ──声なんて出す間も無く。

 ──悲鳴よりも胃液がこみ上げる。

 

 

 

アンナ

「………………うぐ……………………」

 

ドリイ

「あら。顔色が優れないようですね」

「何か、悪い夢でもご覧になられたのでしょうか」

 

 

 

 ──ドリイが見つめる少女の瞳は、裂けんばかりに見開かれ、こちらを注視していながらその中心は細かく上下左右に震えている。

 ──柔和な笑顔に、魔導グラスの冷たい逆光がかかる。

 ──心から人を安心させたいという気持ちが伝わるような穏やかな口調。

 ──アンナの肩にドリイの手が添えられる。夕食の時にそうしたのと、全く同じ優しい手付きで。

 

 

 

ドリイ

「落ち着いて──目を閉じて──ゆっくりと息を吐いて下さい」

「そしてゆっくりと息を吸い、肩を落とすようにしながら吐く──幾らか、気持ちも鎮まるはずです」

「何か安らげる物を持って参りますので、まずはお寛ぎください」

 

 

 

 ──小さな子どもをあやすように、やや屈み、片腕を背に回し、もう一方の手のひら一杯でアンナの後頭部をゆったりと撫でる。

 ──顔はアンナの横を抜けて耳元へ。そっと抱きしめるような姿勢になり、ドリイの陰に阻まれていた、開け放たれたドアの向こうの光景が、再びアンナの視界に飛び込む。

 ──グラスの柱に群がるように、床に、壁に、絵画に、窓に。冗談のように広がる血糊と、鼻腔に訴える確かな生々しさ。

 

ドリイ

「どうぞごゆるりと。カレーニャの寝室とはいえ、決してご遠慮はありません

 

アンナ

……ぃ……イヤァッ!!

 

 

 

 ──アンナ自身、何をどうしたのか記憶になかった。とにかくドリイを引き剥がして走り出していた。

 ──見た限りでは、今しがたの光景……カレーニャを消し去ったのはドリイと考えるより他にない。

 ──それでもあの惨状を見せつけて、何事もなく接するドリイ。とても正常とは思えない。

 

 

 

アンナ

「だっ……れか、……誰かっ! だ……団長さん!」

 

 

 

 ──仲間たちの部屋は廊下を挟んで向こう側。逃げながらも精一杯に声を振り絞るアンナ。一刻も早く誰かに気付いてくれないと、もうどうなってしまうかも解らない。

 ──足に思うように力が入らない。こうして走れているのも不思議なくらいだ。皆を起こさなくちゃならないのに、息ができているかも自信がない。

 ──廊下を横切り、団長達の個室が並ぶ暗闇へ飛び込むアンナ。団長達側の通路の奥はVIPルームが設けられ、完全に光源が無い。だが、部屋へ戻る前に皆がどの個室に入ったかは覚えている。1番手前は団長の部屋だ。大体の距離も把握している。

 

 

 

アンナ

「団長……さ……誰か起きて! た、たす……わぷっ!」

 

 

 

 ──もう後数歩と言う所で目の前の暗闇にぶつかる。

 ──行く手を遮られながらも、アンナは確かな安堵を覚えた。

 ──触れた感触、僅かに押された後に姿勢を保つように押し返す挙動。ぶつかったのは同じ人間だ。それも自分より長身。であれば、候補は1人しか居ない。

 

 

 

アンナ

「カ、カタ、リナ! た、助けて、カレ……ド、ドリイ、さんが、グラスっ、グラスがぁッ!!」

 

 

 

 ──手探りで再度見つけた”カタリナ”の腕に縋り付き、懸命に足腰を踏み留めながら助けを求めるも、気が動転して意味を成さない。

 ──背すじが訴えるままにガクガクと揺れるアンナの手に、包み込むように暖かな感触が触れ、食い込む程に込められた力を解きほぐす。

 ──”カタリナ”はもう一方の指で、アンナの目に浮かぶ涙をそっと拭いながら恐慌状態の彼女を宥めた。

 

 

 

???

「如何なされましたか。アンナ様」

「そんなに慌てられて──」

 

アンナ

「ぁ……ぁぁ……ぁ……」

 

 

 

 ──ダメ押しとばかりに、最も近くの壁にかけられた魔導グラス製のランプが1つ灯る。

 ──アンナの手を取る優しげなドリイを照らす明かりは、就寝前に見た暖色から変わり果て、今しがたカレーニャを呑み込んだアレと同じ冷たい色に染まっていた。

 ──とうとう限界に至り、膝からその場に崩れ落ちるアンナ。ドリイもアンナに合わせて、アンナを支えながら、けが人を座らせるようにゆっくりとしゃがみ込む。

 ──この底冷えのする光の中で唯一暖かに微笑むドリイの瞳からどうしても目を逸らせない。それが更にアンナの正気の底を掘り下げる。

 

 ──魔物に襲われるとか言う次元じゃない。

 ──こんなの普通じゃない。

 ──今、逃げてきたばかりなのに。

 

 ──耳の後ろあたりが焼けているような、重い靄がのしかかるような感覚。

 ──頭の中に重く粘る何かが大量につっかえている。

 ──髪の生え際から体温と意識が抜けていく気がする。

 ──ドリイの表情はこんなにも穏やかだ。優しい瞳が迫ってくる。もう全て投げ出してしまっても……

 

 

 

アンナ

「……ひっ……ぃ・ぃ……ぃぃ……」

イヤァァァーーーーーーーーーーーッッ!!!

 

 

 

 ──生存本能が理性を押し退け、命を懸けてなけなしの絶叫を引き出させた。

 ──呼応するように壁の向こうから、重い物がぶつかるような「ドン」とか「バン」と言った騒音が響き渡る。

 ──暗闇の向こうで一際強く、蹴破らんばかりにどこかの扉が乱暴に開き、新たに何かが迫る気配がする。

 

 

 

アンナ

「ひぃぃ!」

「や、やだ、もうやだあああ!」

 

 

 

 ──半狂乱のアンナは頭を抱えて蹲った。

 ──カシマールをどこかで落としている事にも気付いていない。解るのは「カシマールが居ない」事だけだ。どこにも居ない。

 ──暗闇の気配はあちらこちらの壁を殴るように音を立てつつ駆け足でこちらに迫る。夜闇に寒々しい、しかし幻想的な光がその姿を照らし出し……。

 

 

 

カタリナ

「どうした! そこに居るのは──ドリイ殿か!」

「今の悲鳴は痛ったっ……クソ、明かりは他にないのか!?」

 

アンナ

「あ……!」

 

 

 

 ──カタリナの声だ。飛びつくように顔を上げる。ドリイはアンナの期待に応えるように、スイと横にずれてアンナに視界を届けた。

 ──今度は姿も間違いない。暗闇に目が慣れるのを待たずに果敢に状況を確かめようとした結果、今も個室脇に置かれた机の脚に膝をぶつけている。

 ──アンナが辿り着きたかった扉が自ずと開いた。出てきた団長がへたり込んだアンナを見て真っ先に駆け寄った。ビィは団長の肩に乗ってまだ眠そうだ。

 

 

 

アンナ

「だ……団長さ……団長さあああん……!」

 

ビィ

「むにゃ……何なんだよこんな遅くによぉ……」

 

アンナ

「カ、カレーニャが……ひっく……グラスの……血が……う……うええええん……」

 

 

 

 ──要領を得ないが、未だに震えが収まらず幼子のように泣きじゃくるアンナに何か尋常でない事があったと察する団長。

 ──せめて落ち着くよう肩を擦ってやりながら、ふと隣のドリイを見上げ、不審感を覚える。ドリイはアンナに目もくれず、通路の奥の暗闇を満面の笑みで見つめている。

 

 

 

ルリア

「み、皆さんどうしあイタぁっ……どうしたんではわぁっ!?」

 

 

 

 ──カタリナよりも軽いが盛大な音を響かせながらルリアの声も近づいてきた。

 ──それを待っていたかのようにドリイが片手を(かざ)した。その手の内で一瞬、光が深紅色に反射した。

 ──ドリイの動作を機に通路の魔導グラスランプが一斉に点灯する。全て灯しても尚、室内プラネタリウムのような淡い光量だ。

 ──白く、蒼く、時折七色が溶ける照明に、ようやく躓く心配の無くなったルリアが思わず足を止めて辺りを見渡す。

 

 

 

ルリア

「きれい……」

 

ドリイ

「配慮が至らず、ご不便をおかけして申し訳ございません」

 

カタリナ

「まあ、それはこの際どうでも良いさ。だが──」

「ふざけて言う訳じゃないが、アンナがあの様子だと言うのに君が穏やかにしているのは、却って穏やかでないな。ドリイ殿」

 

 

 

 ──カタリナも団長と同じ不穏な気配を感じていた。

 ──流石と言った所か、カタリナも団長も寝込みから慌てて飛び出していながら、緊急に備えて最低限の装備は忘れていない。

 ──そして、二人とも無意識に、戦士の勘に従って、己の武器に手をかけている。

 

 

 

ドリイ

「直ちにご説明致します。しかしながら今暫くお待ちを」

 

 

 

 ──恭しくお辞儀を返すとアンナに向き直るドリイ。小さく悲鳴を上げて団長に()()としがみ付くアンナ。

 ──団長から離れず、なおかつ後ずさろうとするアンナに構わずドリイが歩み寄ると……。

 

 

 

ドリイ

「アンナ様──」

 

アンナ

「ひっ……こ……こな……」

 

ドリイ

「カシマール様が、大層心配なさっておいででしたよ」

 

アンナ

「カシマール……カ、カシマールっ、が……!?」

 

 

 

 ──アンナが問うより早くドリイがそっと両手を突き出した。

 ──手の中には見慣れた親友の姿。

 

 

 

ドリイ

「カレーニャの寝室の前で落とされたようです。お怪我など無いかご確認下さい」

 

アンナ

「え……あ、う……?」

 

 

 

 ──ドリイの持つカシマールをじっと見つめるアンナ。

 ──細かなくたびれ具合や汚れからして、間違いなく本物だった。少なくとも魔導グラスの偽物などという事は無いと、アンナの目なら見抜ける。

 ──団長と一瞬目が合い、意を決してカシマールを受け取るアンナ。おずおずと抱きしめると、腕の中のカシマールが声を張り上げた。

 

 

 

カシマール

「ヤイテメー、カレーニャヲドーシヤガッタ!!」

 

カタリナ

「カレーニャ? カレーニャがどうしたんって言うんだ?」

 

 

 

 ──共に見てきたドリイの凶行をアンナに代わって訴えるカシマール。

 ──カレーニャの部屋の惨状、カレーニャの消滅、そして室内で全てを見届けていたドリイの不気味な対応。全てを早口に捲し立てた。

 

 

 

カタリナ

「それは……そんな思いをしたならその様子にも納得できるが、些か突拍子もないと言うか……」

 

ビィ

「夢でも見たんじゃねぇかぁ?」

 

主人公(選択)

・「アンナは昨日から寝てないし……」

・「アンナを信じる!」

 

→「アンナを信じる!」

 

ドリイ

「ご心配には及びません。カシマール様の証言は私が保証致します」

 

ビィ

「いや、眼鏡の姉ちゃんの方から認めんのかよ……」

 

カタリナ

「ドリイ殿。まさかふざけては──」

 

 

 

 ──カタリナの言葉が終わる前に、ドリイが再び手をかざす。

 ──やはり一瞬、深紅の光が見えたかと思うと、アンナが駆けてきた方角からバキバキとただならぬ音が迫る。

 ──皆が振り向くと、廊下と通路との間の空間がキラキラと光っている。

 ──そしてその不自然な光の反射だけが、壁、天井、床を伝って雪崩のようにこちらに迫る。

 ──よく見れば、その正体は魔導グラスだ。魔導グラスが通路のあらゆる「面」を覆い尽くしていく。

 

 

 

ビィ

「ななっ、何だ何だ!?」

 

カタリナ

「ドリイ殿、今……何をした!?」

 

ドリイ

「現在進行系です、カタリナ様。ただいま、館全体を魔導グラスで覆い尽くしております」

「なお、館の建材、備品以外への影響はございませんのでご心配なく」

 

ビィ

「さっきのアンナ達の話の後で信じられるかぁ!」

 

 

 

 ──等と慌てふためく間に、一行の足元はとうに魔導グラスでコーティングされていた。

 ──足首までグラスに包まれるとか言った事は無く、床がグラスに置き換わる瞬間の感触をほんの一瞬、足裏で感じただけだった。

 ──どうやら本当に害は無いようだと、安心しても居られない。グラスの侵食する先を追うと、VIPルームの扉と壁面を覆い尽くし、氷山のような厚みを形成した。

 ──廊下側の空間の不自然な輝きからして、同様の壁が廊下側にも築かれている。

 ──開かれた戸を伝うように団長達の個室も一面ガラス張りだ。つまり、完全にこの通路に閉じ込められ……否、密閉されてしまった。

 

 

 

カタリナ

「なるほど……確かに、これならカシマールの言葉も信じられる」

「何のつもりか、改めて説明してもらおうか。()()()

 

 

 

 ──自分達もまたアンナと同様の立場に置かされている事を理解したカタリナが険しくドリイを睨みつける。

 ──ドリイの方は相変わらずの笑顔のままだ。

 

 

 

ドリイ

「少々、皆様に武力を行使させて頂きます」

 

カタリナ

「口封じと言うわけか」

 

ドリイ

「いいえ。あくまで個人的に、皆様の全力の程を確かめたく」

「殺害の意思はございませんが、場合によっては止むを得ない場合も考えられます。予めご了承下さい」

 

カシマール

「デキルカ!!」

 

カタリナ

「であれば、こちらは君と無理に争う理由はないな」

「ルリア、ビィ君! まだ個室には出入りできるな。荷物をまとめたらグラスを打ち破ってここから脱出するぞ!」

 

ドリイ

「でしたら──」

 

 

 

 ──ドリイが三度(みたび)手をかざすと、通路のランプが一斉に青白い炎を上げた。

 ──そして、通路の全方位からパキパキと澄んだ音を忙しなく響かせる。

 

 

 

ドリイ

「私はグラスの硬質化と再生に徹し、皆様が酸欠を呈し昏倒なさるまでお待ち致す所存です」

「しかしながら私を無力化なされば、グラスの活動は停止し、炎は消え、グラスの破壊も容易となります」

「加えて申し上げれば、戦闘中はグラスの操作を万全に行えない可能性も充分にございますので、グラスをより堅固にしない為にも合理的かと」

「こちらには万全の準備がございますので、どうぞご遠慮無くお選びください」

 

カタリナ

「クッ──!」

 

 

 

 ──ダメ元で手近なランプを斬り砕くカタリナ。ランプは砕けても炎は消えず、ランプ自体も見る見る内に再生する。

 ──殺すつもりは無いと言うが、大人しく捕まってはろくな目に遭うとも思えない。

 ──何故こんな事になったかも理解しきれないまま、団長とカタリナは武器を構えた。



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28「VS.ドリイ・クレアヴナ」

 ──カレーニャが血みどろの自室で、自らも血塗れの姿で魔導グラスの中に溶けた。

 ──それはドリイの犯行で、ドリイ自身がそれを認めた。

 ──そして今度は、一行に自分と戦えと言う。戦う意志を見せなければ、密閉された空間で酸欠を待つのみ。

 ──事態を把握しきれないが今は戦う他に手は無く、カタリナが応戦し、団長はアンナを連れて距離を取る。

 

 

 

カタリナ

「お手並拝見と──いこうかっ!」

 

 

 

 ──最短距離で間合いに飛び込み放った刺突剣が、ドリイの眼鏡の向こう……瞳孔への直線軌道を捉える。ドリイの視線が一瞬、対手からその剣へ移ったのをカタリナは見逃さなかった。

 

 

 

カタリナ

「(かかった!)」

 

 

 

 ──その切っ先がレンズに触れる直前で、刀身は横薙ぎに滑った。己の視線はあくまでドリイを睨みつけたまま、翻した剣閃は弧を描き、ドリイの足首へ流れていく。

 ──初手急所のフェイントから対手の機動力を封じる。普段の彼女なら思い出しもしない小手先の技だが、今はルリアが巻き込まれ、しかも一刻を争う。

 ──果たして狙い通りに、カタリナの剣先はドリイの足元へと吸い込まれる。しかし突き立てた手応えは硬い。

 ──おまけに切っ先が何かに引っかかってバランスを崩すカタリナ。足先ごと床まで貫いたにしては剣に独特の重みが来ない。思わず目で状況を確認する。

 

 

 

カタリナ

「外した──!?」

 

 

 

 ──埃を被っていた技とは言え、卓越した技量と愛用の一振りから放たれた突きが、ドリイの足元を外れて床……もとい床を覆うグラスに潜り込んでいる。

 ──そして見る間にグラスが、まるで凍りついていくかのように剣に纏わりついていく。反射的に足を踏み直し全身で引き抜こうとするもビクともしない。

 

 

 

ドリイ

「お手伝い致します」

 

 

 

 ──ドリイの手が、カタリナの肩と腹に触れる。考えるまでも無く反撃の予備動作だろうが、騎士たるもの軽々に退きはしない。

 ──あくまで剣は離さず、もう一方の手で組み付きにかかるカタリナだったが、ドリイの迎撃が早かった。

 ──触れた手から光が弾け、爆音と共にカタリナが2,3メートルほど吹き飛んだ。ドリイの触れていた箇所から小さく煙が上がる。

 

 

 

ルリア

「カタリナ!?」

 

 

 

 ──カタリナの言いつけ通りに荷物を集めていたルリアが、抱えていた品々を投げ出してカタリナに駆け寄る。元々、軽い気持ちの観光で降り立った一行には、財布以外に大した手荷物も無い。

 

 

 

ドリイ

「火属性の基礎は、火種を介さない発火現象、小規模の爆発その他──」

「見た目にも刺激的で、子供たちが魔法を学ぶ時には最も人気なのですよ」

 

 

 

 ──まるでお茶でも交わすように呑気に語るドリイは、取り残された刺突剣を易々と引き抜く。このグラスの檻全てが、彼女の武器と鎧になる事を物語っていた。

 

 

 

カタリナ

「くっ……大、丈夫だ。ルリアは、いつでも逃げられるよう準備していろ」

 

ルリア

「で、でも……!」

 

ドリイ

「私としましても、カタリナ様の意見を支持したく存じます」

 

ルリア

「!?」

 

 

 

 ──ほんの1往復の会話の内に、ドリイが2人の間近に立っていた。転んだ子供を励ますような笑顔だ。

 ──やはり足音1つ無い。急拵えのガラスの床板は細かに凹凸があり、小柄な上に裸足のルリアが歩いてもピキパキと小さく軋むというのに。

 

 

 

カタリナ

「フッ……風属性の基礎の1つは加速──だったか。何度見ても驚かされる」

 

ドリイ

「正解です、”リーナ”。そして他にも、衝撃と反作用の緩和、気流の解読と操作等があります」

「基礎中の基礎でありながら、飛行魔法にまで深く関わる非常に重要な技術です。よく覚えておきなさい」

 

カタリナ

「私の初手が外れたのも風のせい──か」

「ああ……ご教授、感謝するっ!」

 

 

 

 ──答えながら、足払いをかけるカタリナ。

 ──今度は確かにドリイの足首を叩いたが、ダメージを受けたのはカタリナの方だった。

 ──ドリイのカモシカのような足は摩擦力の低いガラスの上でありながらビクともしていない。一方でカタリナの足には骨まで響く嫌な感触が広がる。

 

 

 

カタリナ

「グゥァッ!? お、重い……!」

 

ドリイ

「地属性の基礎──これも幾つか分野が別れます。例えば土壌、鉱物の操作。そして──」

「ただ今実演して見せましたのは、対象の硬質化と質量増加。格闘家の方などは、そうと気付かぬままに会得なされている場合もあるそうですよ」

 

 

 

 ──山のごとくそびえる極太の鉄柱を蹴るような感触だった。僅かなやり取りの間にカタリナは片腕と片足、そして腹にダメージを負ってしまった。

 ──このくらい、戦士として負傷の内にも入らない。だが戦闘に、特に一瞬が勝負を決める至近距離においては万全とは言えない。最優先でルリアを庇うカタリナ。

 ──ドリイはカタリナの目線に合わせてしゃがみ込むと、彼女に置き去られた刺突剣を差し出した。ご丁寧に柄の方を向けて。

 

 

 

ドリイ

「まだ、戦えますね。カタリナ様」

 

カタリナ

「……何のつもりだ」

 

ドリイ

「先ほど申し上げた通りです。皆様の”全力”の程を確かめたく」

 

カタリナ

「降参は認めないという事か……良いだろう」

 

 

 

 ──励ますような笑顔からは、その真意は読めない。

 ──ルリアに下がるよう手で促し、ゆっくりと愛刀の柄を取るカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「だが──」

 

 

 

 ──負傷したもう一方の腕を鋭く伸ばし、ドリイの腕を掴むカタリナ。そのまま剣を奪いつつ全身で腕に絡みつく。

 

 

 

カタリナ

「私一人に構いすぎだ!」

 

 

 

 ──引き倒しにかかるカタリナに、反射的に踏みとどまって抵抗するドリイ。その硬直が隙となる。

 ──既に背後には、アンナの退避を終えた団長が忍び寄っていた。放たれる団長の一撃に、周囲を覆うグラスが唸る。

 ──ドリイと団長の間に瞬時にグラスの壁が形成された。しかし団長の攻撃はグラスの壁を砕き、ドリイの(うなじ)に突き立った。

 

 

 

カタリナ

「よし……!」

「──じゃ……ない……!?」

 

 

 

 ──できれば致命傷は避けたかったが、四の五の言ってはいられない。勝利を確信していたカタリナ。しかし、団長の様子がおかしい。

 ──団長の反応は、何かに驚き、焦っている。カタリナもその訳にすぐに気付いた。

 ──団長の攻撃を受けた瞬間、カタリナはドリイから伝わるはずの振動、重心の変化を感じ取っていない。

 ──死角からの一撃を受けて、微動だにしていないのだ。攻撃は突き立ったのではない。項で止められている。

 ──地属性の「硬質化」で受け止めたとしても慣性までは防ぎきれないはずなのに。

 

 

 

カタリナ

「クッ!」

 

 

 

 ──すかさず拘束を解きながら、一切の無駄なく刺突を放つカタリナ。狙いは腹。重傷となるが即死の可能性は低い。

 ──そして、ごく一瞬の合間にドリイの防御の種と仕掛けとをカタリナは見届けた。

 ──完璧に捉えた軌道。もうカタリナ自身にも止められない必殺の一刺し。その刃が届く前に、直径数cmにも満たない着弾地点が見えなくなる。

 ──正確には、何かに遮られた。幻想的な照明の中で白く光を反射する、透明感のある不定形の物体に……。

 ──グラスでは無かった。剣先と物体が衝突した次の瞬間、剣先が僅かに、しかし大した抵抗もなく物体に埋まったのだ。

 ──グラスのように割れる事無く、液体のように、物体は尖端を受け容れ、そして離さない。大樹の幹にでも差し込んだように、剣先が重い感触に阻まれて完全に止められてしまった。

 ──先の団長の一撃は、この液体に直前で完全に抑え込まれていたのだ。体に当たりもしていないなら、衝撃を受けようはずもない。

 

 

 

カタリナ

「何だコレは! スライムか!?」

 

ドリイ

「30点。それでは及第点はあげられませんよ。”リーナ”」

 

 

 

 ──さっきまでカタリナがしがみついていた礼服の袖をのんびりと直しながらペケを与えるドリイ。

 ──その背後で団長が追撃を加えているが、まるで背中に目があるかのようにピンポイントで液体の粒に阻まれている。

 ──風属性の基礎の1つは気流の解読。団長の体捌きで生じる僅かな風から、攻撃の軌道を読み取っているのだ。

 

 

 

ドリイ

「では、答え合わせです。風魔法で浮かせているこの流動体、今から浮遊を解除します」

 

 

 

 ──前後の2人に見えやすいよう、白手袋の眩しい長い指を軽く握って見せ、パッと開くと同時に、剣先に纏わり付く水滴が重力に捕われる。

 ──その瞬間、カタリナの手に埒外の重量が襲いかかり、剣先が床に叩きつけられた。床面のグラスに広く細かなヒビが広がり真っ白になる。

 ──背後でも団長の攻撃を防いでいた大量の粒が落下。一斉に落ちた衝撃で軽く周囲が揺れる程だった。

 ──そして流動体が着弾した後には、辺り一面が水浸し……否、脛の半ばまで一瞬で浸水した。カタリナもルリアもバランスを崩して膝をつく。

 ──床面の魔導グラスのヒビから直ちに水が吸い上げられ、グラスのヒビもふさがり、まるで夢の出来事かのように元通りとなった。

 

 

 

ドリイ

「水属性の基礎分野は特に幅広く、初めて魔法を学ぶ方に非常にお勧めです」

「冷気を生み出す事、液体を生成する事──他にも様々にございますが、その1つがこの、液体の圧縮です」

「紙も丸めれば硬く頑丈になるように。何の変哲もない水とて無理矢理にでも押し固めるなら、その中心はギガス鋼にも優る強度を示すのです」

 

 

 

 ──説明が終わる前になおも飛びかかる団長。ドリイが片手一杯に乗る程度の水を生み出し、後ろ手に団長に浴びせる。

 ──水を腹に受けた団長が武器を取り落として後ずさり、腹部を抱えてうずくまった。程なく、うめき声と共に重い液体を床に吐き落とす音が響く。

 

 

 

ドリイ

「もちろん、質量はそのままに維持されてございます」

「樽1杯ほどの体積を極小の1点に浴びるなら、水とて立派な鈍器となり得る次第です」

 

 

 

 ──涼しげに説明を終えるドリイ。幾つもの修羅場を潜って来た2人が翻弄されるばかりだった。

 ──相手の出方を伺うようにゆっくりと立ち上がるカタリナ。痛めた方の足がいやに重い。

 

 

 

カタリナ

「そういえば、図書館で言っていたな……君は、魔法の基礎を研究しているとか。その成果がこれか」

 

ドリイ

「はい。しかしながら今宵は訳あって格別に調子が良いもので。私自身も驚いている所です」

 

カタリナ

「その調子の良さは、アンナの見たモノと関係があるのか?」

 

ドリイ

「はい。ただし、間接的に」

 

カタリナ

「詳しく伺ってみたいものだな」

 

ドリイ

「残念ながら、説明を終える前に人類が生存可能な酸素濃度を下回るかと」

「しかしながらご要望とあらば──戦いながらででも」

 

カタリナ

「やれやれ……進退窮まるとはこの事か」

 

 

 

 ──少しでも団長の回復を待つつもりだったが、これ以上ドリイ相手に会話は引き伸ばせそうに無い。

 ──気だるそうに剣を構え直すカタリナ。普段より遥かに消耗が早い。ランプの炎は確かに空気を焼き尽くしにかかっているようだ。

 ──団長も腹を抱えたまま動けず、先程より頭と床との距離が近づいている。時間稼ぎはそもそも無駄だったらしい。

 ──最低限の形振(なりふ)りも構っていられないか。低酸素特有の苛立ちがカタリナの脳に囁く。そこへ……。

 

 

 

ルリア

「ドリイさん──もう、やめてください」

 

カタリナ

「ル……ルリア?」

 

 

 

 ──カタリナの……もとい、ドリイの前に立ちはだかるルリア。その瞳は毅然とドリイを見上げている。

 ──ドリイは笑顔のまま眉1つ動かさず、操り人形のようにゆるりと小首をかしげる。

 ──何か仕掛けがあるのだろうドリイは別として、ルリアはまだ身体を殆ど動かしていないから自覚症状が少ないだけだ。じきに限界を来すのは目に見えている。

 ──カタリナの手が震えだす。集中力の低下に加え、ルリアの想定外の行動に対処するために脳が余計に働き、酸素の欠乏を傲慢なほどに訴えている。

 ──「何をすればルリアを解放してくれるか」。そんな考えが押し寄せては追い返しを繰り返す。それしか出来ないまでに頭が鈍ってきている。

 

 

 

ルリア

「これ以上戦っても、みんな弱っていくばかりです。全力なんて出せるわけありません」

「それより──どうしてこんな事をするのか。ドリイさんが本当にしたい事が何なのか。教えてください」

「もしかしたら、私達が何か力になれるかもしれないじゃないですか」

 

カタリナ

「ルリア……大丈夫だ。下がって──」

 

ルリア

「下がりません! 大丈夫じゃありません……!」

「ドリイさんの事は大好きです。でも、皆をひどい目に遭わせるなら──こんなこと許せません」

「だから……もしドリイさんがみんなを解放してくれないなら──」

「このお屋敷を壊してでも、私……戦います!」

 

 

 

 ──ルリアを中心に、どこからか光が湧き上がる。星晶獣を呼ぶ際の前兆だ。青い髪が微かになよぶ。

 ──ルリアが星晶獣を従える力を持つと話した時、ドリイはその場にいなかった。

 ──だが例えドリイがルリアの能力を知らなかったとしても、辺りを取り巻く不可思議な力が、それがハッタリでない事を否応なくドリイに知らしめる。

 ──ルリアの力の影響か、吸い寄せられるようにドリイの髪がなびき、ルリアとカタリナの髪も背後へ仄かに流れていく。

 

 

 

ドリイ

「(風を呼び寄せる、謎の力──)」

「ルリア様。私、戦う力を持たれない方に無理強いは致しません」

「私個人としましても、ルリア様と争うのは本意ではございません」

「実力が未知数であられるルリア様がお相手とあれば、想定外の事態を未然に防ぐためにも手心は加えられません」

「それでも──争われますか?」

 

 

 

 ──心配を隠して強がるような、儚げな笑顔で涼しく語るドリイ。

 

 

 

カタリナ

「ルリアもう充分だ、頼むっ!」

「(だから下がれと言ったんだ……!)」

 

ルリア

「……」

「──始原の竜……」

 

 

 

 ──返答に代わり、瞳を閉じ詠唱を始めるルリア。

 

 

 

ドリイ

「──申し訳ありません……カタリナ様」

 

カタリナ

「私に……?」

「まさか……やめ──!」

 

 

 

 ──ほんの一瞬だけ、ドリイの表情が失われた。そしてすぐ、菩薩のような汚れなき笑顔が戻る。

 ──そしてその手の内でまたも何かが深紅に光った。

 ──瞬きする間もない一瞬が何十秒にも感じられた。

 ──床面のグラスが波打つように変形し、何枚もの薄い板となってルリアへと伸びる。

 ──薄くテラテラと光を反射する末端は、試すまでも無く抜群の切れ味を確信させる。

 ──伸びる板は3枚。ルリアの首、胸、腰を狙って一直線に。

 ──悲痛な叫びと共にルリアへ飛びかからんとするカタリナだが、とても間に合う状況ではない。

 ──風に煽られ波打つ青髪にグラスが触れ、何本かの切れ端が通路の奥へと踊り去る。

 

 

 

ドリイ

(やはり風……風!?)

「まさ……っ」

 

 

 

 ──何かに気付くドリイが振り返るのと、『それ』が起きるのは同時だった。

 ──ドリイの背後が茜色に光り、ルリアに迫るグラスが炎に包まれた。体積の乏しい刃先から真っ先にグラスが溶け落ちていく。

 

 

 

ルリア

「キャアッ!?」

 

 

 

 ──目下で噴き上がる閃光と熱風に思わず身をかがめるルリア。しかし、その毛先一本焦がされては居ない。

 ──強力な炎が気流をかき乱し、膨張した空気が『逃げ道』に殺到する。

 ──そして気圧の落ちた空間に所在の知れぬ『逃げ道』から新鮮な空気が風となって押し寄せる。

 ──酸素をふんだんに含んだ風に炎は更に勢いを増し、通路を覆うグラスを蒸発させ、建材へ突き抜け、そこかしこを引火させた。

 

 

 

カタリナ

「風……息苦しさが、消えた……?」

「火まで燃えているのに……空気なんてどこから?」

 

 

 

 ──床を、壁を焦がす炎と、それに覆い被さって消火するグラスの応酬。

 ──その戦線をずっと辿ると、行き着く先は団長の個室。

 ──勢いよく燃え上がっている扉が左右に揺れ、熱で膨張・変形した蝶番が擦れあいキイキイとすすり泣いていた。

 ──その扉の陰から、何故か肩で息をしながらアンナとビィが歩み出てくる。

 

 

 

ビィ

「ハァ……ハァ……ふぃー。オイラ、ちょっぴり目の前暗くなりかけたぜ……」

 

アンナ

「ハア、ハア……ご、ごめんねビィくん……よ、よかったらカシマールの隣、つ、使う?」

 

カシマール

「コンジョータンネーゾ!」

 

 

 

 ──団長がアンナを退避させたのは、部屋から飛び出して扉が開きっぱなしだった団長自身の部屋。そこまでは察しが付く。しかし一体、何が起きたのか……

 

 

 

ドリイ

「流石は、アンナ様──」

 

 

 

 ──本当に嬉しそうに呟くドリイ。彼女にだけは状況が理解できた。

 ──完全に死角となった部屋で、恐らくはビィとカシマールが付き添う事で立ち直ったアンナ。

 ──この空間が密閉され、酸素を燃焼していると聞いていたアンナは、風穴を空ける事を画策。

 ──グラスを部屋の窓と壁諸共に溶かす計画だが、ここに大きなリスクがある。

 ──魔力の炎も維持するためには酸素が必要となる。しかも魔導グラスを溶かす程の炎にはかなりの高温が要求される。

 ──グラスを溶かす程の熱量を確保するために、少なくともこの部屋だけでもほぼ全ての酸素を消費しかねず、戦場となっている通路にも低酸素は少なからず波及する。

 ──低酸素・無酸素での呼吸はほんの一息で人体に重大なダメージを及ぼし、命にも容易く届く。

 ──そのため、事前に息を胸いっぱい溜め込み、穴が開くまでひたすら息を我慢し続けていたのだ。

 ──ドリイが戦闘に集中してグラスの修復を疎かにしている隙に風穴を確保。

 ──意識を保てる分だけ呼吸を整え、すかさず援護のために空間の床一面へ火を放つ。

 ──絶対に引火させてはならない仲間を守れたのなら、多少家に火が点こうが図書館での特訓は存分に活かされたと言えるだろう。

 

 

 

ドリイ

「そうですね。アンナ様こそ、確かめねばならないお相手──」

 

 

 

 ──成長を喜ぶ師のような眼差しで、ドリイの瞳がアンナを捕捉した。



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29「決着」

 ──アンナの炎は見た目以上にしぶとく、そこかしこに通気孔を形成しながらなおも揺らめいている。

 

 

 

ドリイ

「まずは消火をなさいませんと」

 

 

 

 ──炎の中でもなお際立つ深紅の光が瞬くと、各所の風穴をグラスが急速に覆い隠す。

 ──グラスの下で消える炎もあれば、グラスの向こうの酸素を頼りに暖かく周囲を彩り続ける炎もある。

 ──アンナ達が、自分達が出てきた扉の向こうを見て呆気に取られている。折角の大穴も同様の結果となったらしい。

 ──注意を逸らしたアンナを見逃さず、ドリイが加速と共に踏み込む矢先……。

 

 

 

ルリア

「し、──始原のっ!!」

 

ドリイ

「──!」

「なるほど──悩ましい局面ですね」

 

 

 

 ──聞こえよがしにルリアが詠唱を再開した。

 ──死が喉元まで迫った事実にも怯まず、果敢にドリイの注意を引いている。

 ──自身を最前線に晒す戦いに慣れていないルリアがどこまで計算の内かは定かでない。

 ──しかし、団長やカタリナに用いなかった危険な技を以てしてまでルリアを無力化せしめんとしたドリイが、彼女を無視できるはずはない。

 ──更には大きく声を張り上げる事で、アンナ達の意識を戦場に引き戻した。

 ──グラスを溶かす術を持つアンナと、屋敷を巻き込む大質量を予感させるルリアとの挟み撃ちである。

 

 

 

ドリイ

「では、ルリア様か、ら──!?」

 

 

 

 ──ターゲットを決めたドリイが、掌から水を生成し、加速を開始したその瞬間と全く同時。

 ──ドリイの傍らで蹲っていた団長がドリイの下半身をしっかと抱きしめた。

 ──酸欠と大ダメージの合わせ技から回復したばかりで、これが精一杯だったともいえる。

 ──しかし十中八九偶然としても、人間の知覚を超えた挙動のその「起こり」を抑えた事は大きな成果だった。

 ──どんなにエネルギーを得ようと、足を固定された物体が前方に加速すれば、その挙動はほぼ一律である。

 ──10cmほど団長を引きずるも、大きく全身を倒れ込ませるドリイ。手の中の大質量を圧縮した水だけがルリアの全身へと飛散する。

 

 

 

カタリナ

「いかん──!」

 

 

 

 ──見た目は子供のいたずら程度の水滴でも、その破壊力は団長の犠牲によって照明済みだ。

 ──カタリナがルリアを庇うために飛び出すも、慣性の乗った水と、たった今始動した人体との競走とあっては絶望的だ。

 

 

 

ドリイ

「な、……クッ!」

 

 

 

 ──その時、初めてドリイの顔が歪んだ。何に対してかは定かではない。

 ──ドリイの手元から何度目かの深紅の光が走る。

 ──ルリアの足元を残して、その周囲に大質量の魔導グラスが隆起し、牡丹の如くに咲き広がった。

 ──ルリアを守ろうと接近していたカタリナの眼前からも、グラスが爆発的に迫る。

 

 

 

カタリナ

「ぐはっ……!」

 

 

 

 ──流氷の如き質量にカタリナは跳ね飛ばされ、一方でその質量が水滴の砲弾を全て受け止めた。

 ──重なり合い屈折するグラスの向こうで、ルリアが声もなく崩れ落ちる。

 

 

 

カタリナ

「ぐっ……ルリア……ルリ、アァっ!」

 

 

 

 ──呼吸の整わない腹から無理矢理に声を絞ってルリアに呼びかけるカタリナ。

 ──流氷も圧縮から開放された大量の水も、すぐに床面に沈んで消え、カタリナがよろめきながらルリアに駆け寄ると……。

 

 

 

カタリナ

「何だ、これは……口枷?」

 

ルリア

「ッ……ッッ……ッ!!」

 

 

 

 ──グラスがルリアの鼻と口を覆っている。

 ──ルリアは口枷を無我夢中で外そうとしている。明らかに呼吸を封じられていた。

 

 

 

ドリイ

「仮に詠唱を必要とせずとも、その状態ならば、力を使う余裕は無いでしょう」

 

 

 

 ──倒れ込んだ姿勢からゆっくりと上体を起こすドリイ。緊急手術に成功した医師のように晴れやかな笑顔がそこに戻っていた。

 ──渾身の力で両足を締め上げる団長を意に介さず、打ち上げられた人魚のような佇まいのまま眼鏡を直している。

 ──カタリナは、ドリイの言葉が聞こえているのかいないのか、ルリアの口枷を外そうと四苦八苦している。ルリアへの傷を省みず剣の柄で枷を殴打するも傷一つ付かない。

 

 

 

カタリナ

「クソッ、外れない……」

「ッ……ドリイ!! 幾ら何でもこんな──」

 

ドリイ

「カタリナ様。先程、申し上げました通りです」

「『申し訳ございません』」

 

 

 

 ──答えるドリイの表情は伺えない。カタリナには目もくれず、その瞳は再びアンナに向けられていた。

 ──絡みつく団長は動けないでいる。ダメージが残っているという事もあるが、ドリイを重りから解放してしまえばあの加速に誰もついて行けない。である以上、この腕を解けば一層の不利である事は明白だった。

 ──カタリナはルリアの窮地に冷静さを見失い、団長は膠着状態。風穴も塞がれ再び刻一刻と酸素が失われていく。絶体絶命だった。

 ──残ったアンナとビィはと言えば、アンナが手元で火球を渦巻かせていながら、眼前の状況にオロオロするばかり。

 

 

 

ビィ

「お、おいアンナ、何で撃たねぇんだよ! 早くしねぇと──」

 

アンナ

「で、でも……あれじゃ、だ、団長さんに、当たっちゃう……」

 

ビィ

「バカヤロー! 団長(アイツ)がこんな時にそんなん気にす──」

 

 

 

 ──ビィの発破掛けをかき消しながら、幾重にも高く鋭い轟音が響き渡った。思わず目と耳を塞いで(すく)むビィ。

 ──ビィが再び目を開くと、さっきまで居た場所にアンナが居ない。

 ──見回すと、ビィよりも更に背後……通路と廊下を隔てるグラスの壁にアンナが叩きつけられ、その喉元をドリイが抑えつけていた。

 ──ドリイの表情は、プレゼントの箱を開ける子供のように朗らかだ。

 

 

 

アンナ

「ぅ……ぁ……!」

 

ビィ

「ア、アンナ!?」

「そんな……眼鏡の姉ちゃんには団長(アイツ)が──」

 

 

 

 ──先程までドリイ達が居た方向を向き直って唖然とするビィ。

 ──こちらへ近づくように、四面の各所に巨大なヒビが幾つも形成され、団長はその中途でボロきれのように転がっていた。

 ──団長を引きずったまま、ドリイが更なる加速で壁に、天井に団長を叩きつけて振りほどき、ここまで移動した事を物語っている。

 

 

 

ビィ

「ウソだろぉ……」

 

ドリイ

「アンナ様。アンナ様もお聞きでしたでしょうか」

「私、皆様の”全力”の程を確かめたき所存でございます」

「よろしければ、アンナ様にはより一層……お互いの身を案ずる間を惜しんででも、事態の解決を模索していただきたいと──」

 

 

アンナ

「……カフッ……との……た、めッ……!」

 

ドリイ

「──失礼しました。これでは会話もままなりませんね」

 

 

 

 ──今にも消え入りそうなアンナの言葉は断片的にしか聞き取れない。

 ──ドリイは首から手を放すと、指先で素肌をなぞりながらその手をアンナの胸骨の位置に移し……。

 

 

 

アンナ

「ぐぅ……っ!」

 

 

 

 ──胸元からアンナを壁に押し付けた。厚さ数十cmにまで成長したグラス壁が絶え間ない悲鳴をあげる。

 ──思わずドリイの腕を掴んで抵抗するアンナだが、その身体はドリイに腕一本で釣り上げられ、アンナの足は爪先が辛うじて地に付いている状態。気休めにもなっていない。

 ──だが、その瞳は()()と力強くドリイを睨み返す。

 

 

 

アンナ

「全、力……は……大切な人の、ために……出せるんだ……」

「こん、な……脅し、なんかで……引き出せたり……しない!」

 

ドリイ

「大切な……。それは、とても興味深い仮説です」

「しかし現在のこの状況は、脅迫という手段を介したとて、全力を出すに足る条件を満たしていると考えられますが──」

 

アンナ

「違う……!」

「あなたに、だって……カレーニャが、いる、のに……何で……」

 

ドリイ

「カレーニャ、ですか? カレーニャと現在の状況とに関連性は薄いように思われますが──」

 

アンナ

「あるよ……カレーニャは……あなた、の……」

 

ドリイ

「しかし、カレーニャは既に故人です」

 

アンナ

「ッッ!!」

 

 

 

 ──叶うなら、その言葉を聞く事の無きよう願っていた。

 ──首だけになったカレーニャを拾い上げたという訳では無いのだ。

 ──アンナの理解の内では、何か不可思議な現象を経て、赤く汚れたカレーニャの姿が消えたに過ぎない。

 ──あんな大量の血が1人の人間から出てくるはずないじゃないか。最後に見たカレーニャの顔は眠るように穏やかだったじゃないか。

 ──例えば姿が見えなくなっただけで、あのグラスの柱の中に閉じ込められて、そして元凶のドリイを倒せばグラスから開放されて元通り……。

 ──団長たちと戦った、いつかの冒険だってそんな結末だったじゃないか。そんな期待をはっきりと否定された。優しく、静かに。

 ──瞳の焦点を失い、手の力が抜けるアンナを知ってか知らずか、能書きを続けるドリイ。

 

 

 

ドリイ

「少なくとも、人類の生命と死を区分する諸定義に照らし合わせましても、カレーニャの例は──」

 

アンナ

「何で……」

 

ドリイ

「はい。ご不明な点がございましたら、何なりと」

 

アンナ

「何で……ドリイさん……何で、カレーニャを……」

 

 

 

 ──伏せた顔の下で、ドリイの手首に()()()()と熱い雫が落ちる。

 ──ほんの1日だけの出会いに過ぎなくとも、一行の中で誰よりカレーニャと関わってきたのはアンナだった。

 ──何より、他でもないドリイが、カレーニャとアンナを無理矢理なまでに引き合わせたというのに。

 ──アンナの頭の中で深く重たい渦がうねり、胸の内では見慣れぬ色の炎が灯る。

 ──ドリイの目が一瞬、アンナから外れ、空いているもう一方の手を覗き込む。

 ──手の内で脈打つように灯る深紅の光が漏れぬよう、さり気なくその手を握り直した。

 

 

 

ドリイ

「如何なされましたか。アンナ様?」

「その心の動揺は、何処(いずこ)から(もたら)されるモノでしょうか」

 

 

 

 ──この期に及んでも諭すように穏やかなドリイの言葉が、アンナの炎に()べられる。

 ──胸の炎は気勢を上げ、覆う胸骨の軋みを物ともせずに燃え盛る。

 

 

 

アンナ

「……解らないの?」

「あなたが……教えてくれたのに……」

「あなたが……ボクとカレーニャを……友達に、してくれたのに……」

 

ドリイ

「……”それ”は違います。しかし──」

「嘘偽りなく申し上げるなら……『早く答えを見てみたい』──とだけ」

 

アンナ

「……!!

 

 

 

 ──ドリイの表情は、我が子の成長を見守る母のような、実に和やかな笑顔だった。アンナの内で張り詰めていた最後の一本が切れた。

 ──ドリイの腕を掴む両手の内から、僅かに橙を帯びる白い炎が噴き出した。

 ──ロウソクや魔法陣を媒介する普段のアンナの魔法とはかなり勝手が異なる。

 ──それ故かアンナの周囲で余剰した魔力が火の粉となって飛び交い、アンナ自身の衣服が端から焼け焦げていく。

 ──自分の魔法から自分自身を守れていない。最も強く熱く燃え盛る手も、すぐには焦げていない以上何かしらの対策があるようだが、長くは保たないだろう。

 

 

 

ドリイ

「──アンナ様についてだけは、確信を以て申し上げられます」

「まだ、アンナ様は”全力”に至ってはおりません」

 

アンナ

「ぅ──ぐ、ぁ……!」

 

 

 

 ──相変わらず、応援するかのように優しく微笑みかけながら、胸元の手を更に押し込むドリイ。

 ──手の炎の下……もとい、ドリイの衣服の下から蒸気が巻き上がる。袖の生地中に浸透・圧縮させた水でアンナから放たれる炎のダメージを防いでいる。アンナが我が身を削る一方だった。

 ──圧力が気管支に届き、咳き込むのもままならないアンナだが、その目は強くドリイを見据えて……。

 

 

 

アンナ

「……ありがとう──”ビィ君”。我慢してくれて……!」

 

ドリイ

「ビィ様……?」

「──そういえば……アンナ様……」

 

 

 

 ──何かを察したドリイの眼球が素早く周囲を見回す。

 ──自らの腕を掴むアンナの両手、伝って両腕、脇、足元、左右の床、念のために天井……。

 ──人知を超えた速度で確認し、理解に至るも、それでもなお遅すぎた。

 

 

 

ビィ

「オッシャ行くぜ、”カシマール”!!」

 

カシマール

「マカセテガッテン!」

 

ドリイ

「なるほど──」

 

 

 

 ──アンナに特段の興味を示している間、ビィはその背後でずっと待機していた。

 ──ビィに戦闘能力を見出していなかったドリイは幼いトカゲを捨て置き、背後を取られているという状況に慣れ、麻痺していた。

 ──そして、戦闘前にカシマールを失ったアンナの狼狽ぶりを確かめたからこそ、『アンナがカシマールを手放すはずはない』と思い込んでいた。

 

 ──アンナは、ドリイがルリアに気を取られた時点からビィと打ち合わせていた。

 ──ビィを引っ掴み、目を見て、再三言って頼んだ。「何が有っても、合図するまでじっとしてて」。

 ──そしてカシマールを託したのだ。アンナ自身がここまで全ての過程を想定できていたかは怪しい。だが、奇襲作戦は大成功と言えた。

 

 ──ビィがカシマールを盾にするような姿勢で突進、カシマールは縦横無尽に爪を振り回す。

 ──ドリイがアンナを押さえつけたまま半身で振り向き裏拳を見舞う。それをくぐり抜けるビィ。飛び込んだ腹部を文字通りに引っ掻き回すカシマール。

 ──服は裂けたが、地属性の硬質化によってダメージは浅い。

 ──直ちにドリイがカシマールの首部分を片手で挟み込んで捕まえ、放り投げた。

 

 

 

ビィ

「うおっとっとお!」

 

カシマール

「ヤッチマウゼ!!」

 

 

 

 ──2度3度回転しながらも体勢を立て直すビィとカシマール。

 ──いつの間にかカシマールが両手にロウソクを一本ずつ携えている。

 ──アンナが宙に振りまく火の粉を受けてロウソクが点火された。ロウソクの先端からロケット花火の如く炎が轟音と共に立ち昇る。

 

 

 

ドリイ

「カシマール様が真打ちを……これは予想──」

「──?」

 

 

 

 ──分析しながらもカシマールとの間に水の壁を形成するドリイ。しかし、何かに気付き言葉が途切れた。

 ──僅かに目を見開きながらアンナに向き直り確認する。

 ──アンナは自ら燃え盛らせるその手をドリイから離し、大きく広げている。その両手間とほぼ同じ直径で、2人の間に魔法陣が展開し、壁の如くに立ちはだかっていた。

 ──魔法陣を形成する光を、ドリイの前腕がその中ほど辺りで遮っていた。

 ──すっ、とアンナの胸元を押さえる腕を引くと、腕は陣に触れていた部分から先が離れ、床に転がった。

 ──内に炎を宿し紅く輝く陣は高熱を発し、ドリイを守る水分を突き抜け、その腕を焼き切っていたのだ。

 

 

 

ドリイ

「(身を挺した炎は、攻防一体の魔法陣を構築するため──)」

 

 

 

 ──自らの負傷に大して驚く様子もなく、美しいものに出逢ったかのような笑みを崩さない。カシマール達へ向き直ると、その背から爆炎が轟き、アンナの魔法陣とぶつかり合う。

 ──ドリイとアンナとカシマール。三者の発動はほぼ同時だった。

 

 

 

アンナ&カシマール

エレメンタリーブレイズ!!」

 

 

 

 ──カシマールとアンナによる挟み撃ちに対し、ドリイは前門にて水壁で封鎖し後門にて炎と爆風による相殺を図る。腕を守る大質量の水を貫いたアンナの炎をまたも水で受ければ、水蒸気爆発による共倒れの危険があったためだ。

 ──渾身のアンナ達の一撃はそれでも尚ドリイと互角だった。カシマールの炎は水壁に潜り込むも貫くには至らず、アンナの炎も火勢ではドリイに勝っていたが、ドリイ本体へのダメージは軽微。

 ──むしろ、せめぎ合う熱風と自らでも防ぎきれない出力過剰の炎はアンナの髪に、爪に引火し、僅かづつだが焼き焦がしていた。

 ──急速に水分を失い痛みを訴える目に、顔を顰めるアンナ。そもそもこの技はその高火力故に、至近距離で放つような代物では無いのだ。

 ──前後で展開する灼熱の拮抗状態を涼しい目で再確認したドリイが、優雅に振り向いてアンナに語りかける。

 

 

 

ドリイ

「アンナ様。これ以上の実力を超えた魔法の行使は、アンナ様の身を滅ぼすのみならず、酸素の浪費による皆様の危機をも招きます」

「僭越ながら、戦法を転換なされるべきかと」

 

アンナ

「こんなの……何ともない!」

「あなたを、足止めできれば……充分……だから!」

 

ドリイ

「なるほど。お察しの通り、私は現在、お二方の攻め手を防ぐ事で手一杯です」

「正確には、都合何倍もの出力を容易に引き出せますが、安全に運用する技量がございません」

「追加の魔法の発動は元より、アンナ様の魔力切れを待つまで移動もままならない状況ですが──」

「アンナ様。策を仄めかしてしまうのは、よろしくないかと」

 

 

 

 ──アンナが「足止め役」である事を理解したドリイ。

 ──指摘されたアンナはしかし、一歩もたじろがず無言でドリイを見据えている。

 ──ドリイはそんなアンナを称賛するような笑みを見せて、首を前方へ戻した。

 ──アンナの心情がどうあれ、彼女が足止めならば、炎の轟音に紛れて団長やカタリナが迫り来る事は間違いない。

 ──小さなビィやカシマールは障害物になりえない。圧縮された水越しの光景は光を屈折させるが、ドリイの頭脳を持ってすれば実像との計算・修正は容易い。ドリイがその向こう岸に人影を捉えたその瞬間……。

 

 

 

カシマール

「イマダ!」

 

ビィ

「おう!」

 

 

 

 ──ビィがカシマールを放り投げた。

 ──ドリイの頭上を飛び越えるカシマールの手からは尚も炎が噴き出している。

 

 

 

ドリイ

「あら。弱りましたね──」

 

 

 

 ──言いながらも、ドリイの口調も表情も、相変わらず心底嬉しそうなそれであった。

 ──炎が頭上から遅い来る以上、水壁を移動させねばならない。

 ──水壁を移動させるには風魔法を……それもこの質量を浮き上がらせる相当の出力が必要になる。

 ──そしてそれ程の魔力をリスク無しに扱う技量は無く、それをしようとしない事は告白済みだった。

 ──ドリイは水壁の体積を落とし、削減した分で水壁を浮かべ、カシマールの炎をよりピンポイントに防ぐ形で対処する。

 ──この一瞬、ドリイの真っ正面はがら空きとなる。取り払われた水壁の向こうから団長が全力で距離を詰めていた。

 

 

 

ドリイ

「(予測被害箇所の硬質化を──

 

ビィ

「まだまだぁ!」

 

 

 

 ──団長の動作を目で追おうとするドリイの視界が塞がれる。

 ──ビィがドリイの顔面に飛びついたのだ。味方から浴びせられる熱波に全身の体毛が逆立つも、このくらいで怖気づくようなヤワな旅はしていない。

 ──視界を絶たれて団長の追撃が予測できない。ドリイは硬く握られた拳を見せつけるように突き出した。

 

 

 

ドリイ

「団長様──お覚悟を」

 

 

 

 ──熱と酸欠で滲む視界で、アンナが言葉の意味を理解した。

 ──目の前を落下していくカシマールの向こう、ドリイと団長との間に位置する床・天井、壁から棘状のグラスが形成されていく。

 ──例えばこのグラスが見たままの棘として一直線に伸びれば、四方から団長を刺し貫く事になる。部位によっては充分致命傷となる。

 ──未だ少なからぬダメージを抱える団長は、周囲に気を配る余裕もなく、ドリイだけを見据えている。これに気付いていたとしても、とても止まってくれそうには無かった。

 

 

 

アンナ

「ダ……ダメェーーーーッ!!!

 

 

 

 ──最悪の事態が脳裏をよぎり、思わず目を瞑って叫ぶアンナ。

 ──あらん限りに炎の出力を上げようと試みるも、限界は先程から既に行き着いている。

 ──カシマールと共に水壁も落下を始めている。

 ──カシマールが完全に地に伏せば足止め役はアンナ1人。ドリイが防御に回す魔力リソースが確保されてしまう。そうなれば全ては無駄に終わる。

 

 ──しかしその瞬間、有利が約束されたドリイの表情から、笑顔が抜けていた。

 

 

 

ドリイ

「これは──」

 

 

 

 ──ビィの身体の下で、その目は突き出した己の拳の方向を見ていた。

 ──深紅の光と際限なく高まる熱とが、ドリイの拳を突き破るように溢れ出ていた。

 ──その光に団長が気を取られた刹那、輝く拳は光と同じく、深紅色の炎に包まれた。

 

 

 

ドリイ

「──”やはり”……!」

 

 

 

 ──何が起きたのか。ともあれその途端、団長へと伸びていたグラスの棘が風に吹かれた砂のように崩れ、魔力の粒となって空気中に溶けて消えた。

 ──団長を阻む物は全て消え失せ、その両腕がドリイの両肩を掴む。

 

 

 

ドリイ

「アンナ様伏せて!」

 

アンナ

「へ……キャァッ!」

 

 

 

 ──ドリイの言葉より、目の前で起ころうとしている事態に反応し、アンナは反射的にしゃがみこんだ。

 ──団長の接触を許したその瞬間、アンナの眼前に展開していた爆炎も水壁も消え失せ、ドリイは団長に押されるまま背後のアンナへ迫っていたのだ。衝撃でビィがドリイの顔から剥がれ飛んでいる。

 ──蹲って無意識に地べたのカシマールを抱き上げるアンナの頭上で大きく鈍い音と、それに混じってややくぐもった鋭い音がした。

 ──見上げると、飛びかかった勢いそのままに、団長がドリイを背後のグラスに叩きつけていた。

 ──這い出すように慌てて脇へと退避するアンナ。グラスにヒビが入っているが、砕くには厚みに比して心許なさすぎる。

 ──片腕を切断され、もう一方の手は今も激しく炎上していながら、ドリイは落ち着き払って団長と向き合う。

 

 

 

ドリイ

「お見事です団長様。しかしながら、まだ私を無力化するには──」

 

 

 

 ──言わせる間もなく、ドリイの額に団長の頭突きが叩き込まれた。先程振り回された勢いで武器を手放してしまった団長の精一杯の追撃だった。そのまま数度頭突きを繰り返し、愚直なまでに渾身の力でドリイを壁に押し込み続けている。

 ──慈しむような笑みを浮かべるドリイ。アンナがハッとして再び魔力を振り絞る。全ての防御を解いた今、ドリイの迎撃リソースは万全のはずなのだ。

 

 

 

アンナ

「だ……団長さん……ごめん!」

 

 

 

 ──予め団長に謝罪しながら、ちっぽけな種火を少しずつ膨らませるアンナ。既に魔力も酸素も足りていないが、諦めては居られない。

 ──そんなアンナを見て、笑顔で頷いて返す団長。むしろ自分を確実に巻き込む一撃を決意してくれた事への期待と信頼で胸が満たされていた。そして……。

 

 

 

カタリナ

頼むぞ『団長』ォーーーーッ!!

 

 

 

 ──落ち着きを取り戻し、ルリアに託されたカタリナが、今なすべき事をなすために再び剣を取っていた。

 ──渾身の踏み込みで、低空を滑るかのように間合いを詰めるカタリナ。

 ──カタリナもまた、団長が直前に身を引いてくれる事を信じて……それでも最悪の場合をも覚悟して、剣を突き出した。

 ──迫りくる決定打を見定めると、ドリイは何かを感じ入るように瞳を閉じた。

 ──何故かこの期に及んで団長を引き剥がそうともしないドリイ。再び瞼を持ち上げると、切断された腕を団長の向こうへ伸ばす。

 ──その断面から溶岩色の球体が形成される。封じたい所だが、団長はカタリナの一撃のために拘束を解く訳にはいかず、アンナも打ち放つには準備が全く足りていない。

 

 

 

アンナ

「もうちょっと……もうちょっと……だけでも……っ!」

 

 

 

 ──意識も限界が近づき、うわ言のように祈るアンナ。

 ──すると、急にアンナの形成する炎が勢いを増していく。

 

 

 

アンナ

「わっ、あっ……あれ?」

 

 

 

 ──ワンテンポ遅れて驚くアンナ。軟球ほどしか無かった火球が、両腕一抱えほどに膨れて溶岩色にうねっている。今の自分にこれだけの炎を作る余力は無いと、自分が1番解っている。

 ──つい、どうした物かと困惑して団長たちを見る。団長はカタリナとの呼吸を背中越しに合わせるために集中し、それどころではない。ドリイは……アンナを優しく見つめていた。

 

 

 

ドリイ

「アンナ様──”○○○”」

 

アンナ

「え……?」

 

 

 

 ──後の方の言葉が、アンナには辛うじて聞き取れた。だが、同時に発射されたドリイの火球の音にかき乱され、それが正確かどうかは自信がなかった。そもそも、聞き取った言葉に間違いが無ければ、こんな時に口にする単語ではない。

 ──ドリイの放った球体は真っ赤に焼けた泥へと弾けて、しかし桶の水を放り出すように軽快にカタリナへ押し寄せる。

 ──思わずドリイの言葉の意味を考え込むアンナにカシマールが呼びかける。

 

 

 

カシマール

「アンナ! コレドースンダヨ!!」

 

アンナ

「え……あぁっ!? や、ど、どどどうしよう……!」

 

 

 

 ──アンナの手元の火球が制御不全で爆裂しようとしていた。枯渇していて造れるはずの無かった火球だ。早々に打ち出さなければ安定させる魔力も無いのだから、こうなる他ない。

 ──今のアンナの技量では発射する他ないが、既にドリイに先手を撃たれた今、団長を巻き込む程の火力は最早意味を持たない。かと言ってこのまま爆裂させれば距離のあるカタリナとルリア以外ただでは済まない。

 ──アンナがパニックを起こしていると、目の前で火球が水に包まれた。更には強風が巻き起こり、水に飲まれた火球は風に煽られ、グラスの壁に叩きつけられた。

 ──水とグラスを蒸発させながら火球は見る見る小さくなっていく。呆気に取られながら、こんな芸当の出来る心当たりに目をやると、彼女は、いつの間にか肩口にまで届くほど燃え盛る自分の片腕を、何故か面白そうに見つめていた。

 

 

 

アンナ

「ドリイ──さん?」

 

 

 

 ──その頃、カタリナは自らに迫る溶岩流を物ともせずに、むしろ速度を上げて突き進んでいた。

 

 

 

カタリナ

アイシクル──ネイル!!」

 

 

 

 ──構えた剣を中心に長大な冷気の剣……あるいは突撃槍が形成された。普段のそれとは異なる応用技だった。

 ──意思を持つように自分へと収束していく不定形の熱量に、奥義を以て真正面からぶつかるカタリナ。

 ──冷気の剣はその身を細らせながらも持ち主を守り、溶岩を打ち破っていく。そしてついにその全てを貫き、毎日のように見慣れた背中が眼前に飛び込む。

 

 

 

カタリナ

避けろぉーーーーッ!!

 

 

 

 ──カタリナの言葉に身を強張らせた団長だが、まだ動かない。

 ──自らを易易と振りほどいた相手に、2度も同じ手を仕掛けている今、一瞬でも油断する訳にはいかない。

 ──ほんの一瞬でも長くドリイの障害となるべく、むしろ拘束を強める団長。ドリイは未だ他人事のように自分の腕の炎に見惚れている。

 

 

 

アンナ

「だ、団長さん! ドリイさん、もう──」

 

 

 

 ──言い終わらない内に、ドリイの拘束が解かれた。

 ──団長自らの意思では無かった。ドリイが団長との隙間に高圧力の風を起こして引き剥がし、同時に足払いをかけて団長のみを足元に沈めたのだ。

 ──反撃を警戒するアンナとカタリナだったが、カタリナの突きが届くまでのその一瞬の猶予、ドリイの取った行動は、まるで迎え入れるように両腕を広げるのみだった。

 

 

 

カタリナ

「な──?」

 

 

 

 ──困惑も半ばに、到底、人に向けて返って来るモノでない音が響いた。

 ──茨より粗く、剃刀より鋭利な氷を纏った「ルカ・ルサ」の刀身が腹部を貫き、そして背後のグラスの強度に辛うじて勝利した。

 ──グラス全体にヒビが走り、今や乱反射で彩られた白い塊だった。

 ──数秒の沈黙が流れた。呆然と決着を眺めるアンナ達。ドリイの腕の炎が鎮まっていき、連動するようにグラス壁のヒビが音を立てて広がっていく。

 ──だらりと項垂れたドリイの容態は伺い知れないが、その顎を1滴、赤い雫が滴った。

 

 

 

カタリナ

「──すぐに治療する。だから…………済まない」

 

 

 

 ──柄を握り直し、剣を引きずり出した。グラスの壁がガラガラと崩れ、炎に晒された熱気と夜闇の冷気とが、風となって混ざり合った。

 

 



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30「眠れぬ夜」

 ──辛くもドリイに勝利した一行。

 ──グラスの壁が崩壊した事で空気が確保され、カタリナはドリイの応急処置を始め、他の一行はルリアの元へ駆け付け、アンナがルリアの口枷を焼き切り介抱した。

 ──ルリアの容態は、苦しさの余りに多少喉元を引っ掻いたが、跡が残る程では無く、ひとしきり団長の胸で泣いて恐怖を癒やすと、すぐに元通りのルリアへと立ち直った。

 

 

 

ビィ

「姐さーん、ルリアはもう大丈夫みてぇだぞ」

 

カタリナ

「ああ、聞こえてた。ルリアの泣く声でホッとするなんて、そうそう無い体験だったよ」

 

ルリア

「ごめんなさい、カタリナ。心配かけて……」

 

カタリナ

「良いさ。今回もルリアのお陰で何度も助けられた。よく頑張ってくれたな……」

 

アンナ

「そ、それで……ドリイさんは……?」

 

カタリナ

「ああ。それなんだが──」

 

 

 

 ──カタリナに合流した一行は、ヒールを施すカタリナ越しに、横たわるドリイを覗き込む。

 ──余裕の素振りに振り回されて気付かずにいたが、片腕を切り落とされ、もう一方の腕も焼け、服を一部裂かれ、何より腹に風穴を空けられ、その姿はボロボロだった。

 

 

 

ビィ

「うぅ。危うく殺されかけたとはいえ、改めて見るとひでぇ事しちまったなあ……」

 

ルリア

「はい……。でも、この腕って……」

 

ビィ

「そういや火傷でこうはなんねぇよな。義手か何かなのか?」

 

 

 

 ──団長との攻防の最中に突如燃え上がったその腕は、服が焼け落ちたのは自然な末路だが、その肌は焦げ目ひとつ付いていない。

 ──もとい、焼けたのでは無く溶けたと形容するのが妥当な状態だった。その表面はツヤツヤとして、癒着した拳の端には肌と同じ色の雫が冷えて固まっている。

 

 

 

カタリナ

「腕も気になるが、腹の傷も妙なんだ。血は止まっているが、こうして回復魔法をかけても、一向に塞がる気配がない」

 

ルリア

「よ、良くないんですか……?」

 

カタリナ

「わからない。普通は血が止まるなら傷口も少しくらいは良くなるはずだし、魔法で手の施しようが無い傷なら出血も簡単にはおさまらないはずだ」

「医療は専門でないからな……。やはりこうしてまごついているよりは、誰か人を呼びに行くべきか……」

 

ルリア

「じゃあ私が──!」

 

アンナ

「ル……ルリアはまだ休んでて。ボ、ボクならそんなに傷も無いし──」

 

ビィ

「でも、本当に眼鏡の姉ちゃん具合悪いのかなぁ? 汗1つかいてないし、気絶してるってより呑気に寝てるみてぇな顔だしよぉ」

 

 

 

 ──ドリイの口元は穏やかに微笑んでいる。確かに口元の一筋の血を除けば、その顔は何か幸せな夢でも見ているのかのようだった。

 

 

 

ドリイ

「ちゃんと起きていますよ」

 

ビィ

「おわぁあ!? ビ、ビックリしたぁ……!」

 

 

 

 ──ビィに次いで皆も騒然となった。打ち負かされる前と何も変わらない調子で返答するドリイ。

 ──カタリナの制止も聞かずに悠々と起き上がった。

 

 

 

ドリイ

「お手間を取らせてしまい、申し訳ございません。修復を試みるために、しばし安静にしていたものですから」

 

カタリナ

「修復って……あ、止せ!」

 

 

 

 ──カタリナ達の驚きを他所に、健康そのものにしか見えないほど軽々と立ち上がるドリイ。

 ──調子を確かめるように2、3歩進み、そして一行に向き直ってお辞儀するドリイ。そしてその姿に起きた「異変」に再び驚きの声が上がる。

 

 

 

カタリナ

「まともに動けるような傷じゃあ……って……傷が、消えてる!?」

 

アンナ

「て、てて手が──さっきまで、き、切れて──」

 

 

 

 ──腕も腹もいつの間にか元通りになっていた。ついでに爪痕も頭突きの痕も。

 ──服も、切り裂かれた乱れはそのままだが、染み付いていた血が綺麗サッパリ消えている。

 ──余りの事に青くなったアンナが、先程焼き切ったドリイの腕を探せば、確かにまだグラス壁の残骸近くに転がっている。再びドリイに向き直れば、その手はちゃんと2つ付いている。

 ──安直に考えれば、新たに生やしたとしか思えない。

 

 

 

ビィ

「も、もしかして眼鏡の姉ちゃん、実は幽霊とかなんじゃ──」

 

ルリア

「そそそそんな訳ないじゃないですかビィさん! ……です、よね?」

 

ドリイ

「ご安心下さい。いわゆる伝承上の幽霊ほど不確かな存在ではございません」

 

ビィ

「何でちょっと含み持たすんだよぉ……」

 

 

 

 ──ちょっと腕時計でも見るような仕草で焼けた方の自らの腕を確認するドリイ。

 ──溶けた雫などは消えているが、動きがぎこちなく、拳は未だ癒着したままで隙間が埋まり、指のレリーフを掘られた塊のような質感だった。

 

 

 

ドリイ

「やはり、この損壊だけは修復が容易ではありませんね」

 

カタリナ

「ドリイ……いや、ドリイ殿。こちらとしてはまだ君の容態は心配だが、話せるようなら、こちらの質問に答えてもらっても良いだろうか」

 

ドリイ

「はい。お答えできる事でしたら何なりと」

 

ビィ

「な、なぁ。悠長に話しかけてるけど大丈夫かぁ? こんなピンピンしてて、また襲って来たりとか……」

 

カタリナ

「だったらとっくに襲われているさ。──とは言え確証は無い。まずはその点について聞こうか」

 

ドリイ

「カタリナ様の仰る通りです。先程の結果が皆様の”全力”にあたると判断致しました」

「率直に申し上げてしまえば、今一歩、充分とは評価し難い結果となりましたが……」

 

カシマール

「ソッチカラフッカケトイテ、ナンダソノイーグサハヨー!」

 

アンナ

「あ──」

「じゃあ、もしかしてあの時の、聞き間違いじゃあ……」

 

ドリイ

「お聞き取り頂けて幸いでした。今一度申し上げますと、”70点”という所かと」

 

 

 

 ──団長も「あっ」と言う顔を見せた。

 ──カタリナの最後の一撃をドリイが迎え撃つ直前、アンナより間近に居た分、よりはっきりと聞き届けていた。そして同じく聞き間違いかと思っていた。

 

 

 

ビィ

「それって、言う程悪くない点数なんじゃぁ……」

 

ドリイ

「はい。カレーニャも得意科目以外で滅多に取る事のない得点です」

「しかしながら今回に限っては、要求される水準が遥かに高いものですので」

 

カタリナ

「その『今回』──とは何だ。私達は君に何を評定(ひょうてい)されていたんだ?」

 

ドリイ

「そちらにつきましては、お答えできない事柄です」

 

カタリナ

「では、君は何のためにこんな事を?」

 

ドリイ

「同じく、お答えできない事柄です」

 

カタリナ

「ふむ──。ダメ元で聞くが、君の評価に適わなかった事で、私達は何か不都合を負うのか?」

 

ドリイ

「同じく」

 

カタリナ

「だろうな……。やれやれ。こうなると、余り実のある話は聞き出せそうに無いな」

 

 

 

 ──カタリナが(かぶり)を振る。仮に、無理にでも聞き出そうとした所で、殆どの傷が痕も無く消え去ったドリイ相手に疲労困憊した自分達では勝負は見えている。

 ──他の仲間達も、今は情報より休息が欲しいと言った様子だ。皆、質問はカタリナにほぼ丸投げした状態だった。

 ──暫し唸ってアレコレ考えていた様子のカタリナが続けて質問する。

 

 

 

カタリナ

「話を変えよう。単刀直入に言って、君は我々を殺すつもりが無かった──と言うより、殺してしまわないようにはしていなかったか?」

 

ドリイ

「元より殺害の意思は無い事を宣言しておりましたが──どのような点から、そのようにご判断を?」

 

カタリナ

「最初は、君が不意を突かれ、ルリアに水の魔法を事故に近い形で放ってしまった時だ」

「私は遠くに居たが、君が舌打ちするような……良からぬ状況に直面したような声を聞いた」

「そして君は、ルリアに口枷を与えるのみで、傷一つ付けない形でグラスを召喚し、自ら作り出した水を自らのグラスでせき止めた」

 

ルリア

「そう言われてみれば……」

 

カタリナ

「次に、ビィ君達の奇襲を退けた時だ」

「魔法を打ち返す余裕なら充分あっただろうに、二人とも見ての通り、大した傷もなくピンピンしている」

 

ビィ

「そういやあん時、眼鏡の姉ちゃんカシマール掴んで放り投げただけだったな」

「こう、首の所だけ挟むみたいに、親指と人差し指の間でガシって」

 

カシマール

「オレサマ、クビシメラレタクライジャナントモネーゼ」

 

カタリナ

「そして、最後に私が奥義を見舞う直前だ」

「あの時は私自身、急所は避けながら……それでも、”諸共に貫く”覚悟をしては居たが──」

 

 

 

 ──ドリイに転ばされた時の事を思い出す団長。

 ──確かに、あれのお陰で団長は最悪の結果を免れたと考えられなくもない。

 ──そしてドリイは、打てただろう手を打つ事もなく、棒立ちでカタリナの奥義を受け入れた。

 

 

 

カタリナ

「そう考えると、最初にルリアに牙を剥いた時の事も──あれは脅しに留めるつもりだったんじゃないか、とな」

「例えば、自在に姿形を変えるグラスの事だ。ルリアを傷つける直前に変形させて、拘束具のような物へと変えるつもりだった──とかな」

 

ドリイ

「ご想像にお任せします」

 

カタリナ

「なら、そうだとした上で聞くが、何だってそんな回りくど──」

 

ドリイ

「先ほど申し上げた通りです」

 

 

 

 ──溜息をついて、追求を諦めるカタリナ。

 ──仮にカタリナの想像通りであったとして、そこから先をドリイは応えるつもりがない。逆説的に、殺さないよう配慮していた事は認めたと考えて良いが、その情報だけでは不十分過ぎる。

 ──これを退けられては、カタリナの弁舌で更なる情報を引き出すのは絶望的だった。

 ──質問タイムが終わったと理解したドリイが、今度は逆に一行へ投げかける。

 

 

 

ドリイ

「では、人を呼ばれる前に、私から1つ最後の設問をさせていただきたく存じます」

 

ビィ

「なっ!? やっぱり()る気かオイ!」

 

ドリイ

「ご心配なく。口頭でお答え頂ければ結構ですので」

「どうかアンナ様にお答え願いたいのですが、よろしいでしょうか」

 

アンナ

「ボ、ボク……? えっと……い、良いけど……」

 

ドリイ

「ありがとうございます」

 

 

 

 ──今がごく平凡な夜で、彼女の他愛ない仕事を手伝ってやった後のような、そんな笑顔と謝辞だった。

 ──ドリイはおもむろに歩き出し、グラス壁の残骸へと移動しながら語りかける。

 

 

 

ドリイ

「アンナ様の”全力”……アンナ様の主張では、『大切な方のため』に引き出されたお力である──と。お間違いないでしょうか」

 

アンナ

「う、うん……」

 

ドリイ

「それは誰?」

 

アンナ

「誰って……」

「カ……カタリナや、ルリアやビィ君や……だ、団長さんとか……それに……」

 

 

 

 ──俯いて、自分に言い聞かせるように一呼吸置くアンナ。

 

 

 

アンナ

「それに、カレーニャのため……!」

「カレーニャの事が、一番……ゆ、許せなかったから……」

「ねえ……ドリイさん……何で、カレーニャを……その……その……」

 

ドリイ

「『何故カレーニャを死に至らしめたか』」

 

アンナ

「……っ」

 

 

 

 ──実際に見届けた身として、そんな言葉は使いたくないし聞きたくもない。痛みを堪えるように胸元で手を強く握り合わせるアンナ。

 ──そんなアンナを知ってか知らずか、グロテスクなほど、日常会話のように穏やかに返すドリイ。

 

 

 

ドリイ

「そうですね。本来ならばお答え出来ない事柄ですが──」

「1つだけ、お答えしましょう」

 

ビィ

「何だよ。さっき姐さんが聞いた時は殆ど教えてくんなかったのに」

 

カタリナ

「良いんだビィ君。些細な事だ。話を続けてくれ」

 

ドリイ

「畏まりました」

「しかしお答えする前に、少しお話を遡らせていただきます」

「アンナ様。その力は、『カレーニャのために』振るわれたと解釈してよろしいでしょうか」

 

アンナ

「……うん」

 

ドリイ

「何故、カレーニャのために”全力”が引き出せるのですか?」

 

アンナ

「っ! まだ……まだそんな事ッ──!」

 

ドリイ

「アンナ様。どうかお答え下さい」

 

 

 

 ──すっかり鎮まりかけていた胸の火種に再び熱が点く。

 ──語気を荒げるアンナに畳み掛けるように回答を要求するドリイ。要求しながら、自身はアンナに背を向け、残骸に転がる”古い”自らの腕を”新しい”自らの腕で拾って、何やらその炭化した断面を眺めている。

 ──その断面が、見る見る黒一色から、およそ生物の質感ではないツヤツヤした肌色に変色していったが、気付く者は居なかった。

 ──アンナは、先程とは違う力で強くその手を暫く握り合わせ、目を閉じ再び一呼吸置くと、手の力を解きながら答えた。

 

 

 

アンナ

「だって……カレーニャは、ボクの……友達に、なってくれた」

「皆が……ドリイさんが……友達に……してくれたのに……」

 

 

 

 ──アンナの頬に涙が一筋伝う。森に篭りきりだったアンナにとって、多少でも打ち解けた相手というものは人一倍に大切な存在である。

 ──夕食会までのドリイは、その意味では正しく恩人であるとさえ言えた。

 ──そのドリイにこのような質問をされる事自体、訳がわからない以上に自分を、カレーニャを嘲笑われているかのようで、情けなく、悔しかった。

 

 

 

ドリイ

「……確認致します」

「『カレーニャはアンナ様の友達になってくれた人だったから』。こちらが回答の主題であると見てお間違いないでしょうか」

 

 

 

 ──カタリナだけが、眼鏡を直しながら応えるドリイを見て、2つの事に気付いた。

 ──1つは、手の中で弄んでいた”古い”腕が消えている事。その袖だけがいつの間にか彼女の足元に落ちている。

 ──だが、欠損した手が再び生えるような相手だ。今更考えてもしょうがないと、早々に驚くのも止めた。

 ──もう1つ。声色が少し異なる。つい先程までの声より僅かに低い。

 ──ドリイが声を低める事自体に覚えが無い訳ではない。しかし、抑揚と言うものか。重たく、その一音一音が相手に何かを訴えるようだった。

 ──そして、その独特の声色は、聞いた覚えがあるはずの物だった。どこだったか。夕食会で一度だけ聞いた事までは思い出せるが、どの瞬間に発せられたかが出てこない。

 

 

 

アンナ

「そう……」

 

ドリイ

「もう一度、お聞きします。お間違いございませんね」

 

カタリナ

「アンナ、少し待ってくれ。何か妙──」

 

アンナ

「そう!!」

 

 

 

 ──仲間でも聞いた事の無い、怒鳴るような声で返すアンナ。

 ──カタリナの声も、皆の驚きの視線も届いていない。疲労と度重なるショックのためか、ドリイの態度に情緒を大きく乱されている。

 

 

 

アンナ

「何で……何でドリイさんがそんな事聞くの……!」

「ボクの……ボクの気持ちを聞いてくれたのは、何だったの……」

「カレーニャを友達にさせてくれるように、頑張ってくれてたのは、何のためだったの!?」

 

 

 

ドリイ

「…………」

 

 

 

 ──ドリイはまるで聞こえていないかのように、自らの癒着した拳を見下ろしている。

 ──中途半端に続く沈黙に、時折アンナのしゃくり上げる声だけが響く。

 ──カタリナがドリイの返答を諦めアンナを宥めようと歩み寄った時と、アンナが痺れを切らし再び大声を上げようとした時はほぼ同時だった。

 ──そしてそのほんの僅か直前に、じっと拳を見つめながらドリイが口を開いた。

 

 

 

ドリイ

「10点減点」

 

アンナ

「ド……!」

「……へ?」

 

ドリイ

「そのお答えでは、現状より10点減点です。アンナ様」

 

アンナ

「……何、言って……?」

 

ドリイ

「1つだけ、ご説明するお約束でしたね」

「アンナ様がご覧になった光景について1つ。何者に誓っても、嘘偽り無く申し上げます」

「カレーニャをグラスに取り込ませたのは──カレーニャ自身の意思に従ったまでの事です」

 

アンナ

「──ッッ!?」

 

 

 

 ──アンナの身体が、糸が切れたように暫し停止し、やがて小刻みに震え出した。聞き取りと理解に大きく時差が生じている。

 ──よしんば冷静に聞き分けられたとしても、ドリイの供述は更に話を見えなくしている。

 ──言葉通り、カレーニャ自身の要求でドリイが彼女を殺害したと言うなら、カレーニャは事実上、自殺したと言う事になる。

 ──カレーニャの自殺にドリイが手を貸す意義があるのか。そもそもそんな行動に出る予兆が何処に有ったのか。

 

 

 

アンナ

「……何で……何で、そんなこと…………どこまで……」

 

 

 

 ──立ち尽くすような姿勢はそのままに、声が絞り出す程に張り詰めていく。

 ──目に見えて、錯乱せんばかりの尋常ならざる雰囲気を色濃くするアンナ。重く見たカタリナが、その震える肩を強く抱いた。

 

 

 

カタリナ

「アンナ落ち着くんだ! 真に受けるんじゃない。今のドリイ殿の様子は何か変だ」

 

アンナ

「……変って……『どこ』から……?」

 

カタリナ

「……!?」

 

ルリア

「ア……アンナ……ちゃん?」

 

 

 

 ──急に冷静な声色をアンナが返す。先ほどの怒声とも異なる、そして更に聞き慣れない声だった。一行の背筋に、急に寒気が走るほどに。

 ──カタリナからは髪に隠れてアンナの表情は読み取れない。背後に立つ仲間たちも同様だった。

 ──しかしその声は確かに、仲間であるはずのカタリナを責めるかのようなニュアンスが投げ込まれている。静かで、しかし激しく濁った感情が滲んでいた。

 ──取り巻く仲間たちもいよいよただならぬ気配を感じ始める。

 ──「取り押さえるべきか」。誰ともなくアンナに対してそのような考えがよぎる。

 ──肩に置いた手に思わずかかる力が、できるだけ柔らかいものとしてアンナに伝わるよう苦慮しつつ、カタリナが懸命に穏やかさを装って呼びかける。

 

 

 

カタリナ

「ア……アンナ。君は今、疲れてるだけで──」

 

ドリイ

「カレーニャは──」

 

 

 

 ──しかしドリイが口を挟む。

 ──誰ともなく、反射的に「黙れ」と胸中で叫びかけるのをこらえた。

 ──癒着した手からアンナに視線を戻し、先程まで眺めていたその手は胸元に、自力で計算を解いて見せた子供のような眩しいくらいの笑顔だ。心なしか本当に赤々とした光に照らされているようにさえ見える程だ。

 ──ドリイの声色は、再び聞き慣れた穏やかで優しいものに戻っていた。

 ──そして、だからどうと言う事も無いが、カタリナは気付いた。先程アンナを宥めようと取り繕った声色。その理想として想定していたそれが、まさに今のドリイと同じトーンであった事を。

 

 

 

ドリイ

「カレーニャは、残念ながらアンナ様を『お友達』とは見做しておりません」

 

アンナ

「…………」

「……嘘だ」

 

ドリイ

「事実です。私としても遺憾な事ですが、カレーニャにとって晩餐の席での一件は茶番でしか無かった」

 

アンナ

「そんな事、あなたに解るはずない……」

 

ドリイ

「解ります。私はこの島で誰よりもカレーニャを理解している自負があります」

 

アンナ

「デタラメ言わないで……!」

 

ドリイ

「全て心底からの言葉です。少なくとも私は、アナタよりはカレーニャと親しい間柄です」

 

アンナ

「…………もう、止めて……」

 

ドリイ

「ではこの場で、追認を願います。『カレーニャはアナタを何とも思っては──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンナ

カレーニャをバカにしないでッ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──次の瞬間、複数人の短い悲鳴が上がった。

 ──高圧力の爆発音。それも鉄火場を渡り歩いてきた団長達にも耳慣れない類の。そしてやはり目に入れた覚えの薄い”おかしな”色彩の閃光。

 ──反射的に耳と目を押さえる一行の中で、アンナだけが呆然と、何が起きているのかも解っていない様子で眼前を眺め立ちつくしていた。

 ──自分達に被害が無い事を確認した一行が、続々と爆心地を確認して驚きの声を上げる。

 

 

 

ルリア

「ドリイさん!!」

 

カタリナ

「ド、ドリイ殿……君は、まさか……」

 

 

 

 ──音と閃光の中心に立っていたドリイは今、虹色の光に包まれていた。

 ──光の正体は、恐らく炎だった。その独特のうねりは炎と呼ぶ他無いが、何しろ虹色の炎など普通はお目にかかれる物ではない。

 ──癒着していた方の腕が消えてなくなり、身体は直立していながらも上半身が()()()と、未だ残る腕の方に傾いている。

 ──何かが爆発し、最も近くにあった片腕が消し飛んだ。そんな有様だった。

 ──そして眼鏡が吹き飛んだその顔に。一層著しく損壊した服から除く肩に。腹に。人体ではあり得ない深く大きなヒビが刻まれていた。

 ──それこそ、まるで硝子のように。

 

 

 

カタリナ

「ドリイ殿、じっとしてろ! 今助け──」

 

ドリイ

「いけません!」

 

 

 

 ──珍しく強い口調で制止しながらも、悠長に眼鏡を直す仕草をし、そこで初めて眼鏡を無くした事に気付くドリイ。

 ──明らかにただ事で無いというのに、眼鏡を無くした事に気づかなかった「うっかり」に笑みを浮かべ、柔らかな物腰を微塵も崩さない。最早狂気すら覚える。

 ──ゆったりと、足元で赤々と光る小さな何かを拾い上げるドリイ。

 ──その最中にも炎に炙られる髪がドロリと溶け、雫が垂れ落ち、毛先部分だった赤熱した不定形の物体が床へシロップを垂らすようにうず高く広がっていく。

 

 

 

ドリイ

「この炎は、見かけよりも遥かに危険な現象ですので」

「そして──90点です。まずまずの及第点ですね」

 

ビィ

「採点なんか続けてる場合じゃねえだろ。危ないって言われたって見てられっかよ!」

 

ドリイ

「では、救助なさる前に、2つ申し上げたい事がございます」

 

カタリナ

「──何だ」

 

ドリイ

「1つ。朝を迎えましたら、この島の動向をよくお見届け下さい」

 

カタリナ

「動向──? 何を、どのように?」

 

ドリイ

「ごく一般的な範疇にて、ごく一般的な手段をご利用下さい」

「そして2つ目──残る10点は、アンナ様の……いいえ」

「皆様の、お心次第です」

 

カタリナ

「待て、全く要領を──」

 

 

 

 ──異議を唱えた頃には、そこにドリイは居なかった。

 ──辺りを見回してもどこにも居ない。そしてアンナまで。

 ──五感と経験が遅れて訴える。「背後で物凄い音がしていた」。

 ──余りに一瞬の事で、音が鳴っていた事実すら意識から抜け落ちていた。

 ──グラス壁の残骸を前に語るドリイと向き合って、その状態から背後……。

 ──廊下の奥を見やる一行。未だ炎上し続けるランプに照らされた突き当り。

 ──グラスにフタをされていたはずのVIPルームの扉に、グラス諸共に大穴が空けられていた。穴の縁には虹色の炎が燻っている。

 

 

 

カタリナ

「まさか──逃したか!」

 

 

 

 ──まさかこの期に及んで逃走を図るとは思わなかった。

 ──しかもあんな派手な炎を纏って、逃げてどうなるなどとも到底思えない。

 ──我先にと駆け出す一行。

 ──通路の端から端へと駆け抜け、VIPルームに飛び込むと、そこには……

 

 

カタリナ

「アンナ!」

 

 

 

 ──扉から真っ直ぐに進んだ先の壁際で、アンナが遠い目をして座り込んでいた。

 ──駆け寄る一行。何故か胸に一冊の本を抱き抱えていた。

 ──ドリイの姿は無い。否、「あった」事は推察出来た。

 

 

 

カタリナ

「アンナ、怪我はないか。……まさかと思うが、ドリイ殿はもしや──」

 

アンナ

「う、うん。大丈夫……ドリイさんは……ア、アレ──」

 

 

 

 ──アンナのすぐ手前で、虹色の炎に包まれた小包ほどの不定形の塊が、魔力の塵と消えながら見る見る小さくなっていた。

 

 

 

カタリナ

「逃走を図って、結局燃え尽きた──のか?」

「それにアンナ。その本は?」

 

アンナ

「えっと……あの……」

「ご、ごめん……その……言葉が、出てこない……」

 

カタリナ

「……無理もないか。今夜は色々と起こりすぎた」

「ルリア達は、近くの駐屯所から兵を呼んでくれ。……いや、この際協力してくれるなら誰でも良い」

「私はここで現場の保存と、アンナの付き添いをしている」

 

ルリア

「は、はい」

 

ビィ

「合点だ。行けるか、団長(相棒)?」

 

 

 

 

 ──頷く団長。同時に、一斉に出口を探しに駆け出す3人。

 ──慌ただしい夜はもう暫く続くのだった。



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31「夜から夜へ」

 ──カレーニャ邸での事件から夜が明け、太陽が通り過ぎて、すっかり日も落ちて夕食時、団長はグランサイファーの一室に赴いていた。

 ──そこは船内の言わば休憩スペース。幾つかある中でも団長の部屋に最も近い一室で、団長を待っていたルリアとビィが夕食の準備を済ませた所だった。

 

 

 

ルリア

「あ、おはようございます──って言うのも、何か変ですね」

 

ビィ

「オイオイ、まだひでェ顔してるぜ。大丈夫か?」

 

 

 

 ──少し疲れは残ってるけど大丈夫と笑いかけ、自分も席に着く団長。

 

 

 

ビィ

「まあ変な時間に寝る事になっちまったから、しょうがねぇか」

 

ルリア

「アンナちゃんもまだ起きて来ませんし……今日は、ちょっと無理してでも早く寝てくださいね!」

 

 

 

 ──団長を心配しながらも、いつもの元気さで食卓を賑わせてくれる2人。

 ──団長は、事件が終わった後の事を思い返しながら食事を口に運び始めた。

 

 

 

 ──ドリイの突然の発火、そしてドリイだったモノの焼失の後、間もなく兵隊を呼んで戻った一行。

 ──何しろ国を支える人物の死、その自宅を覆うグラス、そして保護監査官の凶行と消滅とあって、事実を把握させるだけでも相当に骨を折る事になった。

 ──話が突飛すぎた事が却って幸いしたか、団長達が疑われるような事は全く無かったが、現場の保存と形式的な調査が終わるだけでも日の出まで時間を要し、更に事実関係の調査に協力するよう同行を求められた。

 ──殆ど眠らずに命を削る激戦を繰り広げ疲労はピークに達していたが、カタリナがこれに応じ、団長もカタリナに健康を案じられながらも後に続いた。

 ──そしてルリア、ビィ、アンナは先に艇に帰して休ませる運びとなったが、ここでアンナが調査協力に応じると言い出した。

 ──やんわりと大人しく帰るよう促すも、何故か頑として聞き入れず、結局根負けして3人で事情聴取へ。

 ──そして帰ってきたのが同日昼過ぎ。当事者で無ければ想像のしようのない事だらけの、当事者にとっても解らない事だらけの調書をまとめるのは大いに難産となった。

 ──しかもどうやら別々に聴取を受けた内、アンナが事実確認だけでも担当官と揉めに揉めたらしい。

 ──何か調書の内容に食い下がったため、団長達の三倍近く時間を要し、聴取する側が幾度か応援・交代を要する程だった。

 ──このアンナの行動にカタリナ共々大いに驚いたが、奮闘を終えて出てきたアンナは、大勢の担当官達同様疲れ切って項垂れた様子ではあったが、思った程の変化は感じられなかった。

 ──そしてグランサイファーに帰り、寝床に入り、起きて食事でも取ろうと部屋を出て今に至る。

 

 

 

ビィ

「そうそう。姐さんは団長(オマエ)より先に起きて、何か調べに外に出てったぜ」

 

ルリア

「カタリナ、無理してないと良いんですけど……」

 

ビィ

「見た感じは今の団長(コイツ)よりよっぽど元気そうだったし大丈夫じゃねぇかな」

「それより姐さん何しに行ったんだろうな。出てったのが夕方だから、もう結構経つと思うけど……」

 

主人公(選択)

・「そんなにヒドい顔してる……?」

・「何か事件に関係あるのかも」

 

→「何か事件に関係あるのかも」

 

ルリア

「あ、それなんですけど──」

「昨夜、艇に戻る前にカタリナから『艇の皆に、島の新聞や雑誌を出来るだけ多くの種類買い集めてもらうよう言ってくれ』って頼まれたんです」

「それで皆にお願いした後、私はすぐに眠っちゃったんですけど……多分、その事に関係あるんじゃ──」

 

 

 

 ──そこでドアが開き、何やら大きな荷物を脇に抱えたカタリナが入ってきた。その表情は酷く重苦しい。

 

 

 

カタリナ

「待たせたな、今戻った。──ああ、団長(キミ)も起きたか。よく眠れたか?」

 

ビィ

「ひでぇ顔だけど団長(コイツ)は大丈夫みたいだぜ。それより姐さんこそ大丈夫か?」

 

カタリナ

「私か? 大丈夫だ。出かける前にも言ったろう?」

「一日二日の全力でへばってしまうようじゃあ騎士は務まらない。むしろこのくらいからが私の本領発揮さ」

 

ルリア

「でもカタリナ、とても辛そうな顔してます……」

 

カタリナ

「それは──うむ。確かに、そうかもしれないな……」

 

 

 

 ──普段は極力、ルリア達に余計な心配をかけないように振る舞っているカタリナ。

 ──徹夜の働き詰めには気丈に返しながら、余程の事があったのか、晴れない面持ちについては素直に認めた。

 

ビィ

「な、何だよ。何かあったのか?」

 

カタリナ

「いや、その……」

 

 

 

 ──少し答えに窮したカタリナだったが、深く溜息を吐くと、部屋の隅に置かれたテーブルを食卓の隣に移し、その上に荷物を広げた。

 

 

 

カタリナ

「……正直、ルリア達には余り見せたくない代物だ」

「だが、隠し通すのも恐らく不可能だ。食事を終えたら、手近な物から読んで見て欲しい」

 

 

 

 ──荷物の中身は、ルリアに頼んで仲間たちに集めてもらった、プラトニアで発行されている新聞や雑誌類だった。

 ──政府発行の広報誌から、大衆向けのタブロイドまで多岐に渡り、新聞も各社の朝刊から夕刊まで一通り揃っている。

 ──テーブルを埋め尽くさんばかりの活字の海に、ビィとルリアの顔もカタリナ並に曇る。

 

 

 

ビィ

「うへぇ……手近なつったってなぁ。何だか食欲失せちまうぜ……」

 

ルリア

「はぅぅ……と、とにかく、今は一旦忘れてご飯にしましょう。ね!」

 

 

カタリナ

「そう気負わなくても大丈夫だ、二人とも。昨夜の事件についてだけ読んでくれれば良い」

「──そうだ。帰る途中、通りで幾つか料理も買ってきたんだが、食べるか?」

 

ビィ

「お、流石姐さん。気が利いてるぜ!」

 

ルリア

「わーい! 今夜はごちそうです」

 

 

 

 ──食べ盛り達の顔はすぐに元通りになったが、カタリナの表情は舌鼓を打つ時も笑顔の時も、どこか陰を残し続けていた。

 

 

 

 ──食事を終えて、カタリナの持って帰ってきた書物を広げる団長。腹が膨れて幾らか頭の巡りも整い、ルリア達も果敢に挑みかかった。

 ──そして、読むに連れて一行の眉はどんどんと下がっていった。カタリナのような憂鬱と言うより、その表情は困惑……あるいは通り越して恐怖の色を感じさせる。

 

 

 

ビィ

「な……何だぁ、これ?」

「どれも何だか……ムチャクチャな事しか書いてなくないか……」

 

ルリア

「この本もです……。それに……どれも何だか……」

 

主人公(選択)

・「カレーニャが悪者になってる?」

・「事情聴取で話した事とぜんぜん違う!」

 

→「事情聴取で話した事とぜんぜん違う!」

 

カタリナ

「そう、見えるだろうな……」

「だが実際の所、大半の誌面ではあの事件について概ね、我々が話した事に沿って事実を描いている」

「カレーニャがどのようにして死んだか。全ての犯行はドリイ殿が行った事。証言した我々の個人情報の秘匿──然るべき節度は守られている」

「現場の大量の血がカレーニャの物と判明したという発表も、ほぼ確かなのだろう。だが──」

「問題は、どの誌面もこぞって、この事件をめでたい事のように締めくくっている。だから結果として、我々の意図とは違う事を書いているように見えてしまうのだろうな」

 

ビィ

「な、なぁ……この本なんか、本当はカレーニャがオイラ達を襲って、眼鏡の姉ちゃんがオイラ達を守って相討ちになったとか書いてあるけど……」

 

カタリナ

「聞いた所、その雑誌はプラトニアでも指折りの眉唾な噂を書いているゴシップ誌だそうだ。一際いい加減な事しか書かれてないだろうな……」

 

ビィ

「なあ姐さん……オイラ……」

 

カタリナ

「ああ。もうこれ以上は読まなくて良い。……いや、読まない方が良い。ルリアもだ」

「だが、つまりこう言う事なんだ。どれを読んでも、カレーニャの死を祝福し、実行犯であるドリイ殿を讃え、そしてそれで明るい未来がやって来るかのように嬉々として書かれている」

「他の仲間達にも手伝って一通り目を通したが、例外は政府広報誌だけだった。端的な事実を羅列しただけだが、他が酷すぎる分、ホッとしてしまうくらいだ」

「おまけに……いや、何でも無い」

「ドリイ殿が言っていた『この島の動向を見届けろ』とは、多分この事で間違いないのだろうな……」

 

 

 

 ──おまけに、当日家主に招かれ屋敷に泊まった自分達について、カレーニャに味方して悪事を働こうとしたためドリイに成敗されたかのように書いた雑誌。更には自分達が悪の手先のみならず、ドリイの正義の手から逃げ延び、今もプラトニアのどこかに潜伏しているかもしれないと仄めかす雑誌などもあったが、これらは流石に前もって破棄した……などと正直に話しても誰も得する訳がない。

 

 

 

カタリナ

「(この島とカレーニャとの溝……これほどだったとはな……本当に……とんだ名役者だったよ……!)」

 

 

 

 ──この島の事情を知らないルリア達がこんな物を見せられて、受ける困惑は如何ばかりかを思いながら、胸中でドリイに恨み節を零すカタリナ。

 ──カタリナ自身、思いも寄らなかった。確かにこの国にはカレーニャを敵と見做す人が居るとドリイは言った。確かにそれらしい人物にも出会った。

 ──しかしそれが世論の一部や半数程度に留まらず、島の情報一色を染め上げ、ドリイやニコラのような味方の実在を微塵も感じ取れない程とは……。

 ──自分達をこんな針の筵でエスコートし、それで居ながら、彼女はこの島の真の姿だけはカタリナ達から隠し通して見せたのだ。

 ──見当違い過ぎる文言に、見知らぬ世界に迷い込んだような錯覚させ覚えるルリア達。重い沈黙が流れる部屋に、新たにドアを開く者があった。

 

 

 

アンナ

「お……おはよう~……みんなぁ……」

 

ビィ

「お、おう、アンナか……って、うおぉい!? マジで大丈夫かお前!」

 

ルリア

「ア、アンナちゃん……物凄いクマで、顔色も……」

 

 

 

 ──訪れたアンナは、寿命を吸い取られて余命半年かそこらなのかと思わせる程に憔悴しきっていた。

 ──明らかに足元が頼りない。思わず立ち上がった団長だが、触れただけでも昏倒するのでは無いかとあらぬ不安に駆られ、どうしたものかと手を広げていながら拱いてしまっている。

 

 

 

アンナ

「あ、あははぁ……ちょ、ちょっとまだ、寝不足かもぉ……」

 

カシマール

「バカイッテンジャネー! ネブソクドコロカイッスイモガガッ!」

 

アンナ

「だだ、大丈夫……だからぁ。あは、はぁ……」

「あれぇ……こんなに沢山の本、どうしたのぉ……?」

 

 

 

 ──何事か抗議するカシマールを押さえつけ、心配する仲間の言葉も聞いて居るのか居ないのか。

 ──フワフワと一行の集うテーブルまでやって来ると、おもむろに、今しがたまでビィ達が読んでテーブルに開きっぱなしにしていた雑誌に目を向けた。

 

 

 

ビィ

「ア、アンナ待て、それ読んじゃダメだ!」

 

ルリア

「あああの、アンナちゃんは座って休んでて下さい、いい今、お茶入れますから!」

 

アンナ

「どうしたのみんなぁ。何かヘンだよぉ……あれ?」

 

 

 

 ──ルリア達の大慌ての対応を、何やら冗談か何かと思っているのか。ヘラヘラクラクラと聞き流すアンナ。

 ──そして雑誌の例の事件の記事が目に留まると、急に黙りこくって食い入るように読み始めた。

 

 ──ほんの数秒の間に、「無理にでも止めればよかった」と、後悔の念が部屋に充満する。

 ──何か起きた訳ではない。ただアンナが一言も発さず雑誌に見入っている。

 ──それだけで、微動だにしないアンナの雰囲気があからさまに変わっている。その場の誰にも感じ取れた。

 

 

 

アンナ

「──ったのに……」

 

ルリア

「ア……アンナ、ちゃん……?」

 

アンナ

「……そんなんじゃ、無いって……ボク……」

 

 

 

 ──雑誌に置かれたアンナの指が紙に食い込みシワを作っている。

 ──骨の白さまで透けそうな細腕が、込めた力の丈を誇示するようにブルブルと震えている。

 

 

 

アンナ

何度も、言ったのにっ!!

 

ルリア

「ひぅっ!?」

 

 

 

 ──両腕を振りかぶり、割らんばかりに雑誌をテーブルに叩きつけるアンナ。ルリアが恐怖に竦む。

 ──噛み締めた歯の隙間から唸るように荒い呼吸が漏れ、尚も誌面に拳を振り下ろす。明らかにいつものアンナじゃない。

 

 

 

アンナ

「何で!? 何でこんな事──!」

 

ビィ

「お、おい、ア……アンナ……?」

 

カタリナ

「落ち着けアンナ! こんなのはただのデタラメだ。気持ちは解るが腹を立てるだけ──」

 

 

 

 ──何度目かの振り上げた拳をカタリナが捕まえ諭すが、アンナはそれでも叫び散らす。

 

 

 

アンナ

「だって! 何度も、何度も言ったのに! カレーニャは悪い事なんかしてないって!」

「あの夜見た事だって、全部……! カレーニャは、こんなコじゃない! こんな、の……」

 

 

 

 ──カタリナの手を振り払おうと、掴まれた腕に精一杯の力を込めたと思った途端、糸が切れたように崩れ落ちるアンナ。

 ──咄嗟にカタリナが抱き抱え、皆が駆け寄る。頭に血が上りすぎたのか、気絶しているようだ。

 

 

 

ルリア

「アンナちゃん、どうして急に……」

 

カタリナ

「解らん……。とにかく休ませよう。私がアンナを部屋に運ぶ。皆は片付けを頼む」

 

 

 

 ──気まずい空気のまま、アンナの豹変で散らばった書物を拾う一行だった。




※ここからあとがき

 原作の世界観において、「警察」と明記された組織が島単位で活動している描写を余り見た覚えが無いため、ひとまず「兵士」と表現しています。

 正直な所、「警察」と表現して、それに基づいた表現(捜査官、警官隊など)で書いていければ楽なのですが、なるべく原作に沿わせて表現したい部分もあり、難しい所です。


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32「新たな異変」

 ──カタリナがアンナを寝かせて部屋に戻ってきた。

 ──大量の紙束達は即座にしまうあてもなく、ひとまずテーブルと共に部屋の隅に追いやられている。

 

 

 

ルリア

「カタリナ……。アンナちゃんの様子は……?」

 

カタリナ

「今の所は落ち着いている。診てもらった所、極度の過労状態だったそうだ」

 

ビィ

「アンナが『寝不足』って言った時、カシマールが何か言おうとしてたからなぁ。もしかしたら、アレから全然寝てなかったんじゃぁ……」

 

カタリナ

「原因は解らんが、恐らくそうだろうな……」

「……所で、少し確かめたい事があるのだが、良いだろうか」

 

 

 

 ──団長を見て問いかけるカタリナ。団長が頷く。

 

 

 

カタリナ

「アンナが叫んでいた事を聞いて、少し思い出した事があってな」

団長(キミ)が事件について取り調べを受けた時、何か違和感を感じはしなかっただろうか」

「例えば──我々は現場に居なかったと言うのに、カレーニャについての質問が妙に多かったとか」

 

主人公(選択)

・「あったような……」

・「無かったような……」

 

→「あったような……」

 

カタリナ

「やはりか。私もそうだった」

「被害者の我々の扱いがどこか軽いと言うか、始めから結論ありきで取り調べをしていると言うか──」

「その時は気のせいかと思ったが、あの見出しの数々を見た後だと、どうもそうは思えなくなってきた」

「多分、現場を見ていたアンナは私達よりも突っ込んだ……更に言えば偏った聞き込みを受けたのだろうな……」

 

ビィ

「アンナはカレーニャが悪いって決めつけてる奴らと話させられてたって事か?」

アレ(雑誌)に書かれてるみたいな事ばっかり聞かれてたら、オイラだったら絶対やってらんなくて飛び出してただろうなぁ……」

 

カタリナ

「アンナの事情聴取だけいやに時間がかかっていた。恐らく、根強く抗議し続けたのだろう」

「そして慣れない苦労を積み重ねた結果が……アンナが取り乱すのも無理はないな……」

 

 

 

 ──重たい空気がどんどん降り積もっていく。

 ──艇の外の喧騒まで届いてきそうな程の静寂が暫く場を包んだが、カタリナが切り出す。

 

 

 

カタリナ

「……そろそろ、この騎空団の団長として、意見を聞きたい」

 

 

 

 ──急に呼ばれて、話の見えない団長がキョトンとした顔を返す。

 

 

 

カタリナ

「当面この島に残るか、あるいは今すぐにでも島を離れるか、結論を委ねたい」

「こんな事があって、ここまで知った後だ。もう観光という気分ではない」

「私個人としても、こんな雰囲気の中で余りルリア達を長居させるのは良くないと思っている」

 

 

 

 ──ルリアを見やるカタリナ。目が合ったルリアはリアクションに困って俯いた。

 ──カタリナは、最悪の場合としてカレーニャへの非難がルリア達に飛び火する可能性を考えていた。

 

 

 

カタリナ

「だが、私達はあの事件の当事者で、そしてカレーニャとドリイ殿の事についても解らない事だらけだ」

「筋を通すなら、今後のカレーニャとドリイへの処遇や、事件の真相を私達なりに確かめるのも1つの選択だと思う」

「もっとも、これ以上島に留まる事が我々の利益に繋がるとは思えないし、何一つ成果も無く時間だけを浪費する事になるかもしれない」

「それも踏まえて決めて欲しい。君が決めた結果なら、私も異論は無い」

 

ビィ

「なんだよ姐さん。そんな事なら今更聞くまでもねぇぜ。な?」

 

 

 

 ──団長に先んじてビィが答える。

 ──こんな時にとる行動はいつだって決まっている。

 

 

 

ルリア

「このままカレーニャちゃんが酷いこと言われ続けるなんて、私も絶対イヤです!」

 

 

 

 ──ルリアも同調する。数の上でも、既に答えは決した。

 

 

 

カタリナ

「フッ──。確かに愚問だったな」

「それじゃあ、明日の朝にでも早速──」

 

 

 

 ──言い終わらぬ内に突然、何か重い物がどこかにぶつかる音と共に艇が大きく揺れる。

 

 

 

ルリア

「キャアッ!」

 

ビィ

「な、何だ急に!?」

 

カタリナ

「今の音は船底──それも外からだ!」

「皆、まずは状況を確かめる。行くぞ!」

 

 

 

 ──部屋を飛び出す団長達。状況を確認するために甲板に上がり、外の光景を確認する。

 ──すると、一行の目に飛び込んできたのは、悲鳴と共に逃げ惑う人々と、大量の魔導グラスだった。

 ──よく見ると、人々は我先にと近くの艇へと駆け込み、グラスがそれを追いかけている。

 ──広大な発着場の一角で一際大きな悲鳴が上がる。一行がその方向を見ると……。

 

 

 

市民

「ヒッ、ヒィィ……来るな、来るなぁっ!」

 

魔導グラス

「──」

 

 

 

 ──男性が、例のグラスの鳩を前に腰を抜かし、後ずさっている。

 ──ゆっくりとグラスの鳩が男に接近したかと思うと、その姿が液状化したように崩れ、そのまま男に投網を広げるように迫り……。

 

 

 

市民

「うわっ……い、嫌だ……助けてっ! 誰かっ!! 誰か助──」

 

 

 

 ──グラスの先端が男に触れたかと思うと、全身を薄く包んだ。中の男は見る見る末端から透明になり、そして最後には完全に消えてしまった。

 ──男を消し去ると、グラスはまた鳩の姿に戻り、次の獲物を探すかのように宙を滑り始めた。

 

 

 

ビィ

「何だこりゃ──魔導グラスが人を襲ってるのか?」

 

ルリア

「もしかして、また魔導グラスさんが暴走を?」

 

カタリナ

「可能性はゼロではないが、図書館で見たものより随分大人しい」

「それに図書館の時から考えれば、暴走中もある程度、グラスの機能の範疇で動いている。あんなおぞましい機能が元から有ったとは考えにくいな」

「とは言え、今は考えている場合でもないか。ルリア、ビィ君、艇の皆を呼べ。総出で一人でも多くの者を避難させるんだ!」

 

ルリア

「ハ、ハイ!」

 

 

 

 ──ルリアとビィが船内に引き返し、団長とカタリナは梯子もステップももどかしいとばかり甲板の縁から飛び出し、発着場に降り立った。



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32.5「発着場にて」

 ──時間を少し遡る。団長達とドリイが戦いを終えた、その日の早朝の事。

 ──プラトニアの発着場にて、島外行き最初の便がもうすぐ発とうとしていた。

 ──出港を待つ船内で、緑のローブを纏った二人組がお茶を酌み交わしていた。

 ──口元のカップをゆっくりと置いた長身の人物が、向かいの小柄な人物に語りかける。

 

 

 

長身

「このお茶とも暫しのお別れになるかと思うと、少々淋しくなりますね」

 

 

 

 ──小柄な人物が何事か語り返す。それを受けて答える長身の人物。

 

 

 

長身

「心外です。私も、これまで情緒というモノをよく学んできたつもりですよ」

「今では、少しくらいなら操ってみせる程度には──」

 

 

 

 

長身

「”死んでみた感想”──中々趣のある表現ですね」

 

 

 

 

長身

「──はい。確かに、遠隔操作した複製体と言えど、停止する瞬間まで感覚を共有しておりました」

「しかしながら、強いて申し上げるなら──『お互い様』です。貴方にとってそうであるように、私にとっても、一朝一夕で言葉に表すのは些か困難です」

 

 

 

 

長身

「はい。皆様、とても驚かれておりましたよ。特に──」

 

 

 

 

長身

「はい、何か」

 

 

 

 

長身

「……畏まりました」

 

 

 

 ──しばし沈黙し、長身の方がテーブル脇に設えられた窓の向こうを眺める。

 ──舷窓に広がる景色には民間用の発着場が広がり、龍を模した二層式の大型騎空艇が朝日に照らされ、一際美しく目を引く。

 ──その大型騎空艇の船首を眺めながら、長身が口を開く。

 

 

 

長身

「それにしても、『自由の身』と言う表現も、余り実感が湧きませんね」

 

 

 

 

長身

「そうかも知れません。しかし私には、この島で貴方と過ごした日々も充分に──」

 

 

 

 

長身

「まさか。不満など微塵も。貴方の要望通り、私は私の意思で貴方を手伝ってきたのですから」

「ましてや貴方には感謝こそすれ、私から直接手を下すような謂れはございません」

 

 

 

 

長身

「それはそれ、これはこれです。業務に私情は挟みません。それより──」

 

 

 

 ──室内と扉越しの廊下の気配を伺い、自分達以外に誰も居ないことを確認した長身が、ローブのフード部分を取り去り眼鏡を直す。

 

 

 

長身(ドリイ)

「ふぅ──」

「それより、私の役目はカレーニャ・オブロンスカヤの肉体をグラスに取り込ませた時点で満了した。間違いございませんね」

 

 

 

 

ドリイ

「役目を満了した時点で、私が何をするかに貴方は干渉しない。今しがた貴方から例示された通り、例え貴方に不利益な行動であったとしても」

 

 

 

 

ドリイ

「契約内容の確認は、いつだって大切な事ですから」

「間違いないようですので、仰せのとおり、私は私なりに好きにしてみます」

 

 

 

 ──出港間近の合図が鳴り渡る。出迎えだったらしい小柄な方が席をゆっくりと立つ。

 

 

 

ドリイ

「もう少々、お待ち頂いても?」

 

 

 

 

ドリイ

「はい。暫しのお別れです。挨拶くらいは、互いの顔を見合わせながら交わしておきたいと思うのです」

 

 

 

 

ドリイ

「それくらいの情緒を持つ私だからこそ、私に選ばせたのでは?」

「あんまり連れないようでは、私だって少しはヘソを曲げてしまいますよ」

 

 

 

 ──小柄な方が静かに溜息を吐き、自らの顔を隠すフードを取り払った。

 

 

 

ドリイ

「では、また”すぐ”会える事を期待しています。カレーニャ

 

小柄(カレーニャ)

「ええ、待ってなさい。どうせ”すぐ”片付きますわ」

 

ドリイ

「誠心誠意尽くされるよう、応援しています」

 

カレーニャ

「ハンッ、指先1つで一捻りでしてよ」

 

 

 

 ──フードを被り直したカレーニャが背後に手を振りながら扉へと向かう。

 ──扉を開こうとしたその瞬間、ドリイに呼び止められた。

 

 

 

ドリイ

「カレーニャ」

 

カレーニャ

「ぬぐっ……何ですの人がクールに立ち去ろうとしてる矢先に……?」

 

ドリイ

「いつかまた──こうしてお茶を飲ませて下さい。一緒に、笑いながら──」

 

カレーニャ

「──?」

 

 

 

 ──目をテーブルに伏せ、お茶の残りを静かに飲みながら語りかけるドリイ。

 ──カレーニャは余分な締めの意図が解らず首をかしげている。

 

 

 

カレーニャ

「そんなん、”終わった”頃にいつでも会いにいらっしゃいな」

「──もう良いですわね? 行きますわよ」

 

ドリイ

「はい。いってらっしゃいませ。カレーニャ」

 

 

 

 ──廊下の向こうへ去っていくカレーニャ。

 ──目もくれずに見送ったドリイは、カップに残った一口分にも満たない僅かなお茶の残りを暫し見つめ、カップを置くと硝子窓の向こうの朝日を見上げ、(つや)やかに目を細めた。

 



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33「打開の手」

 ──発着場に飛び降りた団長とカタリナ。

 ──全身に鎧を纏いながらも、カタリナが着地と同時に踊るように剣を一閃。付近を漂っていたグラスの鳩が2つに砕けた。

 ──鳩は地面に墜落し、そのまま魔力の粒子となって消えていく。

 

 

 

カタリナ

「フッ──。武器が使えれば、ざっとこんな物だ」

 

 

 

 ──図書館での雪辱を(そそ)いだカタリナ。勇ましく団長に振り返り指示を出す。

 

 

 

カタリナ

「まずは私が切り込んでグラスを砕いて回る。君は生存者の避難と、可能であれば経緯を聞き出してくれ」

 

 

 

 ──頷く団長。カタリナが駆け出し、団長が周囲に人影が無いか探す。

 ──とはいえ騒乱の只中だ。優先すべき被害者もすぐに見つかった。

 ──グランサイファーの傍らで横たわっている男性が居た。近くで一部が欠けたトロッコ型のグラスが横転したまま消えかけている。

 ──先程船内で聞いた音も、彼かグラス、あるいは両方が艇にぶつかったためだろう。

 ──助け起こすと、男は途端にパニックになり、団長の手を振り払って負傷した身体を引きずりながら逃げ出した。

 

 

 

「ひっ、よ、寄るなぁ!」

「くそっ……こんな、こんな島、二度と来るかぁっ!」

 

 

 

 ──その足取りは負傷のためか、一般人が歩くより遥かに遅い。

 ──自分の艇に回収すると引き止める団長の言葉も、恐慌を来した頭には届かない。

 ──粘り強く団長が男に組み付くも、男は殴って、引っ掻いて、全身をよじりながら叫び散らす。

 

 

 

「バカ言ってんじゃねぇ! 逃げんだよ、みんな逃げんだよぉ!」

「島の奴らが言ってたんだ、”アレ”は本物の悪魔になる前兆だって!!」

「本当だったんだよ! いきなり人を呑み込むんだ! だから逃げんだよ離せぇ!」

 

 

 

 ──男の言葉は要領を得ない。抵抗する男の拳が団長の顔面に命中し、思わず拘束が緩んだ。

 ──その隙に倒れかけながら逃げ出す男。再び捕まえなければと団長が駆け出した瞬間、背後で悲鳴が上がる。

 ──遠くで親とはぐれたらしい女の子が地面に倒れ込み、グラスの車輪の馬車が猛スピードで女の子に迫っていた。

 ──助けに行こうにも、既に足は反対方向の男へと踏み出した後。女の子と馬車の距離も、団長が方向転換してる間に衝突してしまうと容易に予想できる近さだった。

 ──見届けたくなんて無いが、目を閉じちゃいけない。切羽詰まって女の子へと手を伸ばすが、届く訳もない。胸中で覚悟したその時……

 

 

 

???

「ワ……ワッショイ!」

 

???

「ワッショーイ!」

 

 

 

 ──威勢のいい掛け声と共に当たりが真っ赤に照らされた。次の瞬間には、女の子は無事で、馬車と車輪は幾許かの煙だけ残して消えさっていた。

 ──幸いにも、騒動に気付いたらしい女の子の母親がすぐさま駆け寄り、女の子を抱き抱えて足早に去っていく。

 ──声がしたのはグランサイファーの甲板。見上げると、先程カタリナに運ばれたはずのアンナが甲板の手すりに立って肩で息をしている。

 

 

 

主人公(選択)

・「ありがとう!」

・「無理はしないで!」

 

→「無理はしないで!」

 

アンナ

「あっ、だ、団長さん……!?」

「あ、あの、ボ、ボクは大丈夫だか──ひゃっ!?」

 

 

 

 ──呼ばれて初めて団長に気付き慌てて応えるアンナ。しかしその真っ最中に、アンナはぐらりと身体をよろめかせた。足を踏み外してからワンテンポ遅れて悲鳴を上げ、そのまま落っこちた。

 ──咄嗟に飛び出した団長がアンナをキャッチして事なきを得る。

 

 

 

主人公(選択)

・「まだ休んでた方が……」

・「大丈夫……?」

 

→「まだ休んでた方が……」

 

アンナ

「あ……」

「……あ、いや、あ、ごご、ご、ごめん……」

 

 

 

 ──ワタワタと団長の腕から離れ自分の足で立つアンナ。

 ──抱きかかえられたアンナは、しばらく団長の顔をぼんやりと見つめていて、返事も数拍遅かった。強がっていても、やはり体はガタガタのようだ。

 ──不安そうな視線を送る団長。しかしアンナはその瞳に気付くと、自らに力を入れ直すように語気を強めて、言った

 

 

 

アンナ

「し、心配かけちゃってるのは……ごめんなさい」

「で、でも……お願い。今は、無茶させて……ほしいの……!」

 

 

 

 ──団長を見据えて申し出るアンナ。その目には、何か強い意志が感じ取れる。

 

 

 

主人公(選択)

・「──わかった!」

・「でも……」

 

→「──わかった!」

 

うわああぁぁあ~~~、くく、来るなぁ~……!

 

 

 

 ──団長の言葉をかき消すように新たな悲鳴が上がる。

 ──振り向くと、先程の錯乱した男性だった。

 ──腰を抜かして座り込んでいる。叫び散らす先にはまたもやグラスの鳩。

 ──自分の艇へ一心不乱に逃げようとする余り、周りに目が行かなかったようだ。

 ──加えて男の更に向こう……鳩から男への直線上の先に、島の住民と思しき老人の姿もあった。

 ──老人もこの騒ぎに揉まれて負傷したらしく、足首を押さえて蹲っている。

 ──このままでは男、老人と2人まとめてグラスに呑まれてしまう。大急ぎで駆け出す団長とアンナ。

 

 

 

「いぃ、嫌だぁ、来ないでくれぇ~、頼むぅ~~~……」

 

 

 

 ──恐怖の余り、その場でベッドシーツに自らを包むような姿勢で丸まる男性。

 ──グラスがゆっくりと男性へと迫る。この距離ではまたも間に合わない。アンナも走りながら炎を練っているが、間に合うかどうかは怪しい。

 ──が、グラスの鳩は男性の真上を通り過ぎ、そのまま無視して老人へと接近していく。

 ──思わず顔を見合わせる団長とアンナ。だが呆気にとられている場合ではない。すぐさまアンナが炎を撃ち出す。

 ──レーザー状に細く伸びた炎が鳩を貫き、一拍置いて鳩の横腹から穴が広がり、瞬く間に蒸発して消え去った。

 ──図書館で暴走グラスを沈黙させた時より、明らかに威力が上がっている。

 ──追いついた団長が尚も錯乱する男性を半ば羽交い締めにし、アンナが老人を介抱している頃に、ルリアとビィがやってきた。

 

 

 

ビィ

「おーい、艇の奴ら呼んできたぜ!」

 

ルリア

「皆さん、襲われている方達を助けに行ってくれました。これなら何とかなりそうです」

 

 

 

 ──改めて辺りを見てみると、見知った顔がグラスを無力化し、負傷者を手当し手近な艇に運んでいる。

 ──ホッと一息つく団長。そこへアンナが口を開いた。

 

 

 

アンナ

「み……皆、お、お願いがあるんだけど……」

 

ビィ

「お? どうしたこんな時に」

 

アンナ

「ボク……も、もしかしたら……だけど……この、魔導グラスが暴れてるの……何とか、できるかもしれないんだ」

 

ルリア

「何とかって……グラスさん達を元に戻せるって事ですか?」

 

アンナ

「あ、あ、いや……も、元通りかは、ちょっと解らないけど……と、とにかく!」

「ボ、ボクと一緒に……図書館までついてきてほしいんだ……!」

 

 

 

 ──図書館と聞いて、条件反射的に図書館の方角へ目を向ける一同。

 ──プラトニアで最も高い建物だけあって、発着場からでも若干、空気に霞みながらも見て取れる。

 ──そして図書館の姿に息を呑む一同。

 ──カレーニャの邸宅を包んだそれと同じ……否、それより遥かに分厚く、激しく、禍々しい形状のグラスに覆われ、シルエットが二回りは太って見え、そこかしこから棘のように伸びるグラスが要塞のような威圧感を醸し出していた。

 

 

 

アンナ

「あそこにきっと……カレーニャが居るから……!」

 

ルリア

「カ、カレーニャちゃん!? カレーニャちゃんは、無事だったんですか?」

 

ビィ

「っていうか何でそこでカレーニャが出て来るんだ? 全然話が見えねぇぞ……」

 

アンナ

「えっと、それはね。その……うぅ……ど、どこから話したら……」

 

カシマール

「セツメーハアトダ! イクノカイカネーノカ、トットトキメヤガレ!」

 

 

 

 ──混乱する一向にカタリナが合流する。

 

 

 

カタリナ

「皆、無事か。周辺のグラスは一通り片付けたが1つ気になる事が……どうした、何かあったのか?」

 

ルリア

「あ、カタリナ。私達は大丈夫です。ただ──」

 

 

 

 ──アンナの言い分を、聞いたままにカタリナに説明する一行。

 ──カタリナは少し考える仕草をした後、アンナに問いかける。

 

 

 

カタリナ

「アンナ。君はこの異変について何か知っているんだな」

 

アンナ

「うん……。ただ、説明すると長くなっちゃいそうで……」

 

カタリナ

「そうか。なら事情は移動しながら聞こう」

「図書館なら少しでも土地勘のある私達で向かおう。この広い発着場全体の避難を完了させるためにも、人員を割くのはなるべく控えた方が良い」

 

ビィ

「あ、姐さん信じるのか?」

 

カタリナ

「何だビィ君。アンナが信用ならないか?」

 

ビィ

「い、いやそう言うんじゃねえけどよぉ……やっぱり、突然そんな事言われても……」

 

カタリナ

「私もアンナが何に突き動かされているかは疑問だ。ビィ君の不安も解る。だが──」

「きっともう答えは決まっているさ。そうだろう?」

 

主人公(選択)

・「図書館が明らかに怪しい!」

・「ここでじっとしてるよりはマシ!」

 

→「ここでじっとしてるよりはマシ!」

 

ビィ

「ん~……確かにグラスから逃げてばっかでもどうしようも無ぇしなぁ」

「ま、団長(オマエ)はそう言い出したら聞かねぇしな。オイラも覚悟決めるぜ!」

 

ルリア

「私も、カレーニャちゃんが居るなら絶対に会いに行きたいです!」

 

カタリナ

「よし。近くの仲間に伝えたら、そのまま図書館まで直進だ。準備は良いな!」

 

ビィ

「おう!」

 

ルリア

「はい!」

 

 

 

 ──走り出す一行。

 ──アンナは何を知ったのか。図書館に居るというカレーニャとこの事件の関係は……。

 ──疑問は今は飲み込み、島を覆い尽くさんばかりに溢れ返るグラスをなぎ払いながら、一行は発着場の出口へと向かった。

 



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34「再会」

 ──発着場を脱し、街道を駆ける一行。しかしその行軍は遅々として進まない。

 ──プラトニアのあらゆる生活を支えている、全ての魔導グラスが一斉蜂起していた。

 ──あちらこちらで悲鳴が飛び交い、特に団長とルリアがこれを放っておけず、最短ルートを外れ街中を右往左往していた。

 ──今も、何十かあるいは百を超えたか、数えるのも止めたグラス粉砕数を1基更新して、図書館に続く大通りへ引き返していた。

 

 

 

ビィ

「ふひぃー……お人好しも良いけどよう……流石に、こいつはちょっと……」

 

ルリア

「はぁ……はぁ……でも、見捨てるなんてできません……」

 

アンナ

「はー……はひぃ……うぅ……」

 

カタリナ

「アンナ。辛いようなら私がおぶって行くぞ」

 

アンナ

「お、おぶ……!?」

「い、いいよ。大丈夫だから……」

 

カタリナ

「しかし、君が案内役なんだ。もし倒れられでもしたら──」

 

アンナ

「だ……ダメでも……大丈夫……!」

「自分の力で……た、辿り着きたいの……」

 

カタリナ

「むぅ……」

「気持ちは尊重するが、本当に危なそうだったら無理矢理にでも私か団長(どちらか)が君の足になる。いいな?」

 

主人公(選択)

・「大丈夫、まーかせて!」

・「──え?」

 

→「大丈夫、まーかせて!」

 

アンナ

「えぇえ!? だだ、だ、だだ団長さんも!?」

「うぅ……ぜ、絶対に、絶対に大丈夫だから……!」

 

カシマール

「チョ、チョッピリタヨリタイナンテ、ゼンゼンオモッテネーンダカラナ!」

 

 

 

 ──何故だか意固地になって手助けを拒むアンナだが見るからに消耗しており、立ち止まる度にどこかに寄り掛かるか膝に手をつくかを繰り返している。

 ──徹夜の上に、結局1時間も休んでいない。その1時間も、取り乱した末の気絶によるもの。アンナの体力を案じる一行。

 ──そこに、とっくに団長の肩で休憩していたビィがふと呟く。

 

 

 

ビィ

「しっかし、こんな事言うのもなんだけどよぉ。オイラ達、よくまだ無事でいられるよなぁ」

 

ルリア

「そういえば、今の所は街の人達は助けられてますけど、発着場の人達はちょっと触られただけで……」

 

 

 

 ──人がグラスに取り込まれる有様を思い返す一行。ほぼ例外なく、犠牲者はグラスに触れられた途端、カエルに捕食されるが如く一瞬で全身を包まれ、そして消えていった。

 

 

 

カタリナ

「それなんだが、発着場で戦っていて気付いた事がある」

「私の推測が正しければ、恐らく私達はグラスに触れたとて取り込まれる事は無いだろう」

 

ビィ

「ん? どういう事だ?」

 

カタリナ

「魔導グラスと戦っていて、何度か一般人を襲うグラスに巻き込まれた事がある」

 

ルリア

「えぇ!? じゃ、じゃあカタリナも……」

 

カタリナ

「飲み込まれたりはしていないさ。こうして元気なのがその証拠だ」

「ただ、高速で迫って来るタイプに跳ねられたりしてな──」

 

 

 

 ──大通りに到着し、グラスが居ない事を確認する一行。

 ──カタリナが先行して進んでいく。その背中を見ながら団長は、高速で移動する魔導グラスについて思い返していた。

 ──トロッコのような形状に跳ねられたと思しき男性は、グランサイファーに強く身体を打ち、歩くのもやっとの状態で逃げ惑っていた。

 ──カタリナを改めて観察する団長。鎧で固めているとはいえ、ダメージ1つ感じさせない。場数で鍛えた受け身の妙か、成人男性を超える頑丈さなのか……。

 

 

 

カタリナ

「私はただ跳ね飛ばされるだけで済んだのだが、そのグラスはそのまま他の一般人に接触してな。すると今度はその人を飲み込んでしまったんだ」

「助けられなかったのは無念だったが──そこでふと思ったんだ。グラスは襲う相手とそれ以外とを区別しているのでは……とな」

 

ビィ

「つまり、オイラ達は襲われない側だから触られても平気って事か」

「でも、どうやってそんなの見分けてんだ?」

 

カタリナ

「うむ。そこがまだ解らなくてな……だからあくまで推測の域を──」

 

アンナ

「……余所の人……かな」

 

カタリナ

「ん? アンナ、今なんと?」

 

 

 

 ──アンナの呟きに振り向く一行。

 ──大通りを進み、見覚えのあるショーウィンドウが見えてくる。初めてこの島に降り立った時、アンナがオーバーヒートして座り込んでしまったアクセサリーショップだ。

 ──団長達がここに来るまでにも相当な犠牲者があったのだろう。昨日とは打って変わって、すっかり静まり返ってしまっている。

 

 

アンナ

「えっとね……だ、団長さんも、覚えてる、よね?」

「魔導グラスの鳥が、男の人を通り過ぎて、お爺さんを襲おうとしてたの……」

 

 

 

 ──頷く団長。

 ──発着場で、パニックを起こしていた男性は逃げる意思を失いその場に蹲った。

 ──しかしグラスの鳩は、男性が始めからそこに居ないかの如く、その直上を素通りしていた。

 

 

 

アンナ

「あの人……自分の艇に逃げるんだって言ってたから……島の外から来た人だと思う」

「グラスは島に住んでる人だけ、その……”あんな風”にして、島の外の人には多分、自分から襲いかかったりは……あんまりしないんだと……思う」

 

カタリナ

「そう言われてみれば……確かに私がグラスを破壊して回っていた時もそうだ」

「人を襲おうとしているグラスに割り込んで巻き込まれる事はあったが、明確に反撃を受けた覚えは無かった」

 

アンナ

「ボク達も……よ、余所者……だから……」

「だから、助けに入ってもグラスはボク達の事、気にしないで……そのまま、壊されちゃってるんじゃないかな」

 

カタリナ

「確かに辻褄は合うが……何か他に根拠でもあるのか?」

「もしかして、それもアンナがカレーニャの居場所を知っている事と関係があるとか……」

 

アンナ

「う、うん……あ、ち、直接じゃないけど……」

「でも……多分、”そうする”って思うから……」

 

カタリナ

「そうするって、一体誰が……首謀者が居るというこ──」

 

ビィ

「姐さん、前、前!」

 

カタリナ

「まえ? ……ぁがっ!?」

 

 

 

 ──カタリナが先陣を切る隊形で、カタリナはアンナの推理に興味を示し、後ろを向きながら歩いていた。

 ──その結果、カタリナは前方の障害物に後頭部を強打した。頭を押さえて悶えつつ前方を確認するカタリナ。

 ──推理から我に返って前方を見るアンナ。たちまち目を丸くする。

 ──残りの3人はアンナより後方に立ちすくんでいる。先程から、カタリナが衝突した物体を目の当たりにして呆気にとられて居たからだ。

 

 

 

カタリナ

「ぐっ……つ~~~……!」

「一体何が……って、何だこれは! 魔導グラス!?」

 

 

 

 ──例のショーウィンドウの店から、その向かいの店まで。高さはその屋根の辺りまで。

 ──分厚いグラスが道を横断し、壁となって立ちはだかっていた。

 ──いつの間にかショーウィンドウが消えて商品が剥き出しになっている。

 

 

 

ルリア

「き、急に、あのお店のおっきな窓がぐにゃって動いて……」

 

ビィ

「そんであっという間に壁になっちまったんだ。姐さんがぶつかるちょっと前までただの道だったのに……」

 

カタリナ

「くっ……先頭に立っておきながら情けない……」

「しかし、何で急にこんな……」

 

アンナ

「(やっぱり……居るんだ……!)」

 

 

 

 ──グラス壁の遥か向こう……聳える図書館を見上げるアンナ。

 ──グラスの壁は昨晩ドリイが廊下を封鎖した物よりも、磨き抜いたように滑らかで、そして頑丈だった。団長が一撃加えて見るも、機械兵さえ叩き潰す団長の業前でさえ傷一つ付かない。

 

 

 

カタリナ

「強行突破は難しいか。一旦引き返して脇道を──」

 

アンナ

「大丈夫。さ、下がってて……」

 

 

 

 ──声に振り向くと、アンナが既に魔法を放つ構えに入っている。

 ──グラスへの有効性は図書館での暴走騒ぎで実証済みだが、カタリナはアンナの体力を案じて消極的だ。

 

 

 

カタリナ

「頼りたいのは山々だが……」

 

アンナ

「こ、このくらいなら──何ともないから……!」

 

カタリナ

「──わかった。くれぐれも無茶はしないでくれよ」

 

 

 

 ──どちらかといえば「言っても聞かないだろう」と諦め半分で認めたカタリナ。アンナの邪魔にならないよう、グラスの壁から離れる。

 ──スウッと一呼吸挟んで、アンナが火球を発射する。

 ──壁に比してかなり小さな火球だったが、弾丸の如き速度で射出され、グラス壁に衝突した途端、大きなヒビを入れた。

 ──更にグラスにめり込むように凄まじい力で直進し続け、見る見る壁のヒビが広がっていく。

 ──壁の周囲が火球の熱量で陽炎を立ち上らせ、遂には派手な音を立ててグラス壁が崩壊した。

 ──明らかにいつものアンナの火力を超えている。

 

 

 

ビィ

「うおーっ! さっすがアンナだぜ!」

 

カタリナ

「しかしこの破壊力……アンナ、無茶はするなと──」

 

 

 

 ──カタリナが咎めようとアンナを見るも、アンナもあんぐりとその結果に驚いている。

 ──ひとまず、ここまで歩いてきた疲労以外に消耗した様子は見受けられない。

 

 

 

カタリナ

「な……何とも──無いのか?」

 

アンナ

「う、うん……ちょ、ちょっと試して見て……疲れそうだったら止めて置こうって感じ……だった、んだけど……」

 

主人公(選択)

・「才能が目覚めた──?」

・「疲れすぎてハイになってる?」

 

→「疲れすぎてハイになってる?」

 

ビィ

「まあ壁も壊せたんだし、とりあえず細けえ事は後にして進もうぜぇ」

「……って、見ろ! 壁の向こうに人が居るぞ!」

 

カタリナ

「ま、まあアンナに支障なければ──」

「──何!? ならまずは保護だ。グラスが現れる前に、どこか安全な……待て、あの人影は……」

 

 

 

 ──崩れた壁が路面の石を砕き砂煙を上げる。

 ──その向こうに立つシルエットに、一行は確かな覚えがあった。

 ──背丈はアンナより少し小さいくらい。ゆったりした高級感のある服装。

 ──金色の直毛はルリアのそれより見るからに柔らかく、せせらぐように枝垂れて容易く風に遊ばれる。

 ──その人影は地に足が着いていない。丸みのある何かに乗って宙に浮いている。

 ──そして、傍らには同じく宙に浮く限りなく真球の物体が……。

 

 

 

???

「あらまあ──」

「一般向けのグラスじゃあ質量増やしてもこんなもんですのねぇ」

「本当、こんなギリギリで脆弱性に気づけたなんて──日頃の行いの賜物ですわね」

 

ビィ・ルリア・カタリナ

「!!」

 

アンナ

「……カレーニャ……」

 

 

 

 



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35「悪魔」

 ──砂煙が晴れ、死んだとばかり思われていたカレーニャが姿を現した。

 ──もう欠片も残っていないグラス壁がかつて存在していた地点を見下ろしながら上機嫌だ。

 ──アンナの予言通りの、昨日までと何も変わらない姿のカレーニャに、思い思いの驚愕を(あらわ)にする一行。

 ──しかし当のアンナには驚きの色は見られず、その表情は重く、今にも泣き出しそうなほど悲しげだった。

 

 

 

カレーニャ

「ハァイ、皆様ごきげんよう」

「チマチマとグラス壊して回ってまで、こんな物騒な街で何かお探し物でも?」

 

ルリア

「カレーニャちゃん、無事で──」

 

 

 

 ──ルリアが何よりもカレーニャの生存を喜び駆け寄ろうとするが、その行く手をカタリナが妨げた。カレーニャに向けるその視線は険しい。

 

 

 

ルリア

「カ、カタリナ……?」

 

カタリナ

「行くなルリア。様子がおかしい」

 

 

 

 ──街は静まり返り、未だ続く発着場の喧騒が聞こえてくるほどだった。家々の明かりも一つまた一つと消え続けている。一方で所々で火の手が上がり、皮肉なくらい明かりに困らないゴーストタウンだ。

 ──魔導グラスに襲われ、一夜も待たずに街は荒れ果て、島民は十中八九が常日頃からカレーニャを敵視している。

 ──カレーニャがどんな経緯でこの場に居たとしても、彼女が何も知らずにこの大混乱の中を歩けば無事で居られる訳がないのだ。

 ──だが、目の前の少女はこの惨状の中で傷一つ無く、むしろ快適そのものとでも言いたげだ。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ。昨夜から今まで、君は何処で何をしていた」

 

カレーニャ

「あらやだ、そんな遠巻きから確かめてぇ。お答え出すまで何年問答続けなさるおつもり?」

「もう解ってるってお顔なすってるじゃあござあませんの」

 

カタリナ

「私の思っている通りだというなら……無念でならない」

 

ビィ

「いやいや、勝手に話進められてもオイラたち全然解んねぇって!」

 

カタリナ

「あくまで勘違いであって欲しいが、つまり……む?」

 

カレーニャ

「お?」

 

 

 

 ──ビィ達に説明しようとするカタリナだが、何かに気付いて顔を上げた。カレーニャも同じく感知したようで後ろを向く。

 ──カレーニャの背後、大通りから外れる路地の1つ。その向こうから複数人の走る音が聞こえてくる。

 

 

 

兵士

「──皆さん止まって! 大通りにも魔導グラスが徘徊している可能性があります。まずは本官が……」

「……カ、カレーニャ・オブロンスカヤ!?」

 

 

 

 ──路地から軍服の男が1人現れ、背後に何か呼びかけていたが、道の先のカレーニャに気付き上ずった声を上げる。

 ──途端に、兵士を押し退けて数人の島民が飛び出して来た。

 

 

 

兵士

「あ、駄目です! 危険だから下がって!」

 

男性A

「カレーニャだと!? うわ、ほ、本当だ!」

 

女性A

「キャーーーッ!! やっぱり……やっぱりそうだったんだわ!」

 

女性B

「カレーニャは本物の悪魔になるために命を捧げたって、まさか本当だったの……?」

 

女性A

「兵隊さん早く! 早くあいつを撃ち殺して!!」

 

男性B

「あいつのせいで娘が……くそっ、寄越せ俺がやる!」

 

兵士

「うわぁ! お、落ち着いて! 民間人が使って良い物じゃ……っ!」

 

 

 

 ──カレーニャの姿を見るなり島民達は叫び立て、兵士の提げた銃を奪い取ろうと取っ組み合いを始めた。

 ──そんな醜態をカレーニャはニヤニヤと眺めるばかりで驚きもしない。

 

 

 

ビィ

「お……おいおい。何言ってんだあのおっさん達。頭どうかしちまってんじゃねえか……?」

 

カタリナ

「この島の人間にとって、カレーニャとは彼らが今言った通りの人物で……そしてそう思う事が自然なんだろう」

「夕食の後に読んだ新聞や雑誌……残念だが、あれこそがプラトニアの常識だ」

 

ルリア

「じゃあ、カレーニャちゃんは誤解されてるって事じゃないですか!」

「カタリナ。早く助けないとあの人達、カレーニャちゃんを撃つって……!」

 

カタリナ

「……誤解では無くなったかもしれない」

 

ルリア

「え……?」

 

カタリナ

「とにかくカレーニャ伏せろ! この場は私達が取り持──!」

 

 

 

 パァン!

 

 

 

 ──カタリナが剣を抜き鎮圧を試みようとしたその瞬間、乾いた破裂音が響く。

 ──警官を殴り倒し銃を奪い取った男がカレーニャに向けて発砲。

 ──その瞬間は、スローモーションのように確かに一行の目に焼き付いた。

 ──カレーニャのこめかみを銃弾が穿ち、どこからか突き抜けた弾はグラスチェアーの縁を削る。

 ──そのままカレーニャの身体は椅子から投げ出され、地面に音を立てて倒れた。

 

 

 

ルリア

「……そ……そんな……」

 

男性B

「や……やった!」

「ハハッ、見てやがれ。カレーニャに苦しめられた皆の怒り、この俺が解らせてやる!」

 

女性A

「そうよ、悪魔が撃たれたくらいで死ぬもんですか。絶対……アイツだけは絶対に倒さないと……!」

 

 

 

 ──青ざめヘナヘナと座り込むルリア。対照的に、島民達は心から喜びに満ちた顔で横たわるカレーニャに歩み寄る。

 

 

 

カタリナ

「クッ……お前たち、自分が何をしたか解っているのか!!」

 

 

 

 ──これ以上の暴虐を見過ごす訳には行かないと、同じくカレーニャに駆け寄るカタリナと団長。

 ──しかし、カタリナの眼力は冷静に彼らを見定め、そしてその胸にやり切れない感情が湧き上がる。

 ──島民達の瞳に狂気の類は感じ取れない。むしろ希望すら感じる程に熱く清らかに燃えている。

 ──その顔は先程までの恐怖が失せ、勇気と活気を取り戻し、互いに喜びを分かち合い励まし合うように輝いていた。

 ──さながら一大巨編のクライマックス。絶対悪に絶体絶命まで追いやられたその瞬間に、逆転の一手が功を奏した瞬間のようだった。

 ──市民の暴行で気絶している兵士だけ、主役の機転を妨げる無粋な舞台装置と言わんばかりに放置され、誰もが己の正義と信念を疑っていなかった。

 

 

 

アンナ

「……──」

 

 

 

 ──立ち上がる事も忘れて声も出せないルリアと比べて、アンナは幾らか冷静だった。

 ──とは言え、両手でカシマールを強く抱きしめ、倒れたカレーニャをじっと見つめて動けないでいる。

 ──その唇から、うわ言のように小さく声が漏れる。この先に起こる事を知っているかのように。しかし一抹の不安を拭いきれずに。

 

 

 

アンナ

でも……大丈夫、なんだよね……そう、だよね……カレーニャ……

 

 

 

 ──先んじてカレーニャの元に到着したカタリナ達が島民の前に立ちはだかり武器を構える。

 ──自分達に敵意を向けるグラス以外の存在に、心底から怪訝そうにする島民達。

 

 

 

女性A

「ど、どうなさったんですか……? 大丈夫、私達は味方です。危ないから、早くカレーニャから離れてこっちへ」

 

カタリナ

「問いたいのはこちらの方だ!」

 

 

 ──こんな状況で人間同士で争わねばならない事に胸中でカタリナが歯噛みした、その時だった。

 

 

 

カタリナ

「今、君達は、何を撃ったと思って──」

 

カレーニャ

「っあ~もうったく……結構衝撃エグいじゃござあませんのよ……」

 

男性B

「お、おお、お、お……起き上がったぁ!!」

 

 

 

 ──島民達の顔が再び恐怖に歪む。その視線の先はカタリナ達の背後。

 ──団長達も振り返ると、カレーニャがドレスについた土やら砂やらを払っている。

 ──銃撃を受けた頭部より、その衝撃に振り回されたらしい首筋を気にして擦っている。

 ──そして、確かに撃ち込まれたはずの銃創が影も形もない。グラスチェアーの縁にも傷一つ無かった。

 ──何が起きたか解らず、呆然とカレーニャを見るばかりのルリア達。人知れず、アンナがホッと胸を撫で下ろした。

 

 

 

男性B

「クソッ……だったら、く……くたばるまで、やってやらあ!」

 

 

 

 ──再び銃を構える男だが、その手はガタガタと震えて照準が定まらない。

 ──発砲に備えて構え直すカタリナと団長だが、そんな2人を押し退けてカレーニャが前に出る。

 

 

 

カレーニャ

「はいはい、ちょっくらお退きくださる?」

 

カタリナ

「下がれカレーニャ。彼らは興奮している。あまり──」

 

カレーニャ

「だから好都合なんでしょうが。私まだまだ”試運転”したりませんの」

 

 

 

 ──言いながらカレーニャが傍らのグラス球をそっと撫でる。

 ──カタリナが無理矢理にでもカレーニャの前に立とうとした時、島民達から悲鳴が上がった。思わず足を止めて目を向ける。

 ──見ると、銃を持っていた男性が脂汗を吹き溢しながら自分の腕を押さえている。

 ──押さえた腕の先では、銃が踊っていた。引き金にかけられた指を巻き込みあらぬ方向に捻りながら、弄ぶ指に逆さまにぶら下がって、今もグリグリと。

 

 

 

男性B

「ぐぎぃぃ……指……指がぁ……!」

 

男性A

「銃が……銃が、勝手に動いて……」

 

カレーニャ

「魔導グラスって、軽くて丈夫ですのよ。それこそ色ぉ~んな部品に使われてますの」

「魔力の炎でなければそうそう傷んだりしませんから、国内でしか使わない物なら、鉄砲にだってそりゃあもう金属代わりにた~っぷりと」

 

 

 

 ──銃は更に右へ左へ、回転を加えながら持ち手の指を”ほぐし”、腕ごと引っ張りながらある角度で静止した。

 ──銃口の軌跡を読み、目で追っていくカタリナ。かなり高所を狙うような角度だが、有ろう事かその軌道上を遮るようにカレーニャが手を高々と挙げている。

 

 

 

アンナ

「あ……」

 

 

 

 ──掲げられたカレーニャの手に、遠巻きに見ているアンナが何とも言えない声を上げた。

 ──アミュレットが無い。

 ──夕食会でアミュレットに言及したカレーニャの言葉と、深夜にドリイと交わした最後のやり取りが同時に脳裏を過る。

 

 

 

カタリナ

「何してるカレーニャ! 当た──」

 

 

 

 ──言い終わる前に発砲音が割り込んだ。そして直後にガラス細工が弾けるような音。

 ──着弾したカレーニャの手が、キラキラと輝く破片になって砕け散った。

 ──呆気に取られる一行の前で、散らばった破片が瞬時に手首の先に集まり、元の傷一つ無い手に復元された。

 

 

 

カレーニャ

「うん。こんだけされても痛くないってなぁ実に快適ですわね」

 

カタリナ

「カレーニャ……まさか君も、ドリイ殿と同じ──」

 

カレーニャ

「同じじゃあござあませんわ。ドリイさんは魔導グラスピュアっピュアの100%。私は魔導グラスと有機物のハイブリッド」

「記念すべき第一日目ですもの。ガンガン試していきませんとねえ」

 

 

 

 ──元通りになった自分の手を面白そうに握って開いて繰り返すカレーニャ。

 ──そして思い出したように、すっかり腰を抜かした島民達に語りかける。

 

 

 

カレーニャ

「所でその鉄砲、持ち主に返してあげた方が宜しいんじゃなくて?」

 

男性A

「も……持ち主?」

 

 

 

 ──すぐ後ろで横たわっている警官を確かめる島民達。

 ──そこには魔導グラスで出来た巨大な人形が立っている。図書館の地下に配備されているのと同じ物だ。

 ──そして警官はグラス人形の体内で、最後に残った胸周りが色を失い消え去る直前だった。

 

 

 

女性B

「い、嫌ァーーーー!!」

 

男性A

「じゅ、銃だ! おいアンタ、まだ弾は残ってるんだろ?」

 

男性B

「指がぁ……指がいだくて、取れねぇよぉ……」

 

カレーニャ

「あぁら、兵隊さん見当たりませんわねぇ」

「じゃあ──ちゃぁ~んと届けに行って差し上げなさいな」

 

 

 

 ──路地の両隣の建物の壁をぶち抜き、更に続々とグラス人形が現れる。

 ──人形たちは他にも様々な大きさがあったようだ。普通の大人程度からハーヴィンサイズの小型の物まである。

 

 

 

ビィ

「これって、まさか……!」

 

カタリナ

「信じたくなかったが、私の勘は大当たりだった……この事件の元凶はカレーニャだ!」

 

 

 ──島民を救助しようと駆け出す団長達。しかし背後からも同様にグラス人形が押し寄せる。

 ──建物の外壁を打ち破り、跳ね上がった瓦礫がルリア達に降りかかる。踵を返さざるを得ない。

 

 

 

女性B

「やっぱり……やっぱりグラスの暴走なんて、オブロンスカヤの茶番だったのよ!」

 

女性A

「あ……悪魔ぁ! 人殺しぃ! アンタなんか、アンタなんか生まれてこなければ……!!」

 

カレーニャ

「『カレーニャ・オブロンスカヤは死んでない。悪魔に身を捧げて本物の悪魔になろうとした。ドリイさんはそれを阻止しようとしていた。今は嵐の前の静けさ』──でしたっけ」

「朝っぱらから呑んだくれてた紳士サマの与太話を、皆さん随分と信じたかったんですのねえ」

「お望み通り悪魔になってさしゃーげたんですのよ。もっと喜んで、く・だ・さ・る?」

 

 

 

 ──ふざけて見せるカレーニャに島民からの返答は無かった。カレーニャが語り終える頃には全員グラスに取り込まれてしまっていた。

 ──応戦するカタリナ達だが、人形たちは他の魔導グラスと違い、力も頑丈さも数段上だった。しかも団長達をはっきり敵と認識し、防御・回避を試みて来る。

 ──カタリナがグラス人形の拳を受け止める。ダメージは防いだが勢いで吹っ飛び、カレーニャのすぐ隣に着地した。

 ──人形は壁を破り、屋根を飛び越え、マンホール下から路面を砕いて尚も増えていく。

 ──カタリナはカレーニャの襟首を掴み、剣先を突き付けた。

 

 

 

カタリナ

「答えろカレーニャ! 何が目的だ!」

 

カレーニャ

「刺しても無駄ですし、そんなシワぁ増やした顔なさらなくても、島を出てくれるなら貴方がたの安全くらい保証したげますわよ」

「まあそちらから首突っ込んで事故るのはしょうがな──」

 

カタリナ

「私達の事など聞いてない! この島を、人々を、どうするつもりだ!」

 

カレーニャ

「島はともかく、人の方は後で追々考えとくつもりですわ」

「取り敢えず……ハラワタ引きずり出せば苦しいでしょうから、まずはそのへんかしら」

 

カタリナ

「……何……?」

 

カレーニャ

「勘違いされない内に説明したげますけど、グラスの中で皆さんちゃ~んと生きてらっしゃいますわ」

「でもグラスの機構の一部に組み込まれたからには、皆さんには死ぬ自由も気絶する自由もない」

「まずは図書館で『世界拷問大全』とか、そんな如何にもな題名の本とか無いか探してみようかしら」

「未来永劫、老いも若きも幼きも、悪魔らしく私が皆さんを虐め抜いて差し上げますのよ」

 

 

 

 ──グラスに襲われている現状が、どこか遠くに感じられた。一瞬、何を言っているのかも解らなかった。

 ──ごく自然に将来の夢でも語るようにあっさりとカレーニャは打ち明けた。

 ──目が据わっているとか、歪んだ笑みを浮かべているとか、せめてもう少し悪役らしい態度でもしてくれればすんなりと飲み込めた。だが目の前の彼女は強いて言っても、幼い悪戯っ子が友達に自慢している程度のそれだった。

 

 

 

カタリナ

「……君、は……君はッ!」

「君は……確かにこの島から不当に疎まれて来たかも知れない。島を憎む気持ちも解る。だが、だからってそんな──!」

 

カレーニャ

「あ、そういうの結構ですんで」

 

カタリナ

「な……?」

 

カレーニャ

「居るんですのよねー。私が独りになってからもそうやって勝手に可愛そうなモノ扱いなさる人。反魔導グラス掲げてる人の中にまでいらっしゃますのよ?」

「言っときますけど、私にはオブロンスカヤとしての誇りがござあますの」

「人々の望みを叶える魔導グラスの本分を違えず、お祖母様やお父様の願いも果たす。それがまず第一」

 

カタリナ

「願い……?」

 

カレーニャ

「まあ、そりゃあちょっとくらい私情もありますけども。愛する人がゲーゲー血を吐く所を目に焼き付けさせてやりたいとか……フフフ」

 

カタリナ

「さっきから言ってる事が──ん?」

「──そうか。君は……」

 

 

 

 ──さっきまで無邪気に人を虐め抜くと言っていた顔が、私情とやらを語りだした途端に、今度は眉間を寄せた嗜虐的な笑みを浮かべている。

 ──その一貫性の無さから、カタリナは察した。

 

 

 

カタリナ

「(この振る舞い……私は知っている)」

「(そっくりだ……新兵が、初めて人を殺めた時……)」

「(心のどこかで気付いているんだ。自分が何をしているか。だが無意識に目を逸らしてしまう。血に薄汚れた己の手を──)」

「(そうして、演じるんだ。演じて、自分の心を守っている。自分は”こんな行い”に耐えられる……楽しめるほど受け入れられる人間なのだと)」

 

 

 

 ──先程からの問答は、「何をして、何を以て完遂となるか」という結果より「自分が何をしたいか」、ひとまずの展望を語る事にばかり終始している。

 ──教える気のない計画ならそもそもぐだぐだと口を開いたりしない。要領を得ない計画の端々だけ朗々と語るのは即ち、地に根を張った確かなプランが無いという事。

 

 

 

カタリナ

「(手を汚せるだけの、大義も覚悟も持ちきれないからだ)」

「(そしてそれでも突き進むしかない。国家の威信をかけて託された任務のように、止まれない理由があるから……)」

 

 

 

 ──大義が無いから、まずはひとまず私利私欲である事を否定して、それで居ながら言い分が二転三転する。

 ──仮に今後の計画が万全であっても、その全てを自ら是とできない、後ろめたい何かがあるから、今こうして明言を避けている。

 

 

 

カタリナ

「(だから、己の賢さが現実を直視してしまう前に全てを終える──)」

「(そのために君は今も、狂気と正気の境を逃げ惑っている……)」

 

 

 

 ──カレーニャは、己の内の何かに追い立てられ、先走っている。

 ──自分でもどうして良いか解らないまま、ただ「やらねばならない」と、焦るようにこの事件を起こしている。

 ──彼女自身が、こんな事の果てに彼女の望む結末があるのか、心の何処かで信じきれずに居る。しかしやらずには居られないのだろう。彼女の若さと、オブロンスカヤへの風評に晒された半生を思えば無理もない。

 ──長い逡巡を終えたのは、実時間にして数秒足らずだった。

 

 

 

カタリナ

「……何が君にそこまでさせるのか、私には解らない」

「だが──」

 

 

 

 ──己の頭に昇っていた血の気がスッと引いていくのを感じるカタリナ。

 ──決断するより早く、突きつけた剣をゆっくりと下ろし、口を開いていた。

 ──まだまだ若い団長達の保護者として振る舞ってきた性が、戦いの只中でカタリナに戦場を忘れさせた。

 

 

 

カタリナ

「……カレーニャ。今からでも、落ち着いて考えなお──」

 

ビィ

「姐さーん、これじゃキリが無ぇ! ひとまず逃げるぞ!」

 

カタリナ

「ハッ、……しまった!」

 

 

 

 ──ビィからの指示を受けて立ち返り、周囲を見回すカタリナ。

 ──アンナの炎でも物量の前に対処しきれず、そこかしこの屋根が順番待ちのグラス人形で埋め尽くされている。

 ──そしてカレーニャがわざわざ襲わせずにいてやっただけで、既にカタリナも何重ものグラス人形に包囲されていた。

 ──状況を忘れて、説得しようと情に流されきっていた。騎士としては大いに失態だった。

 

 

 

カレーニャ

「だぁいじょうぶですわよ? 焦らなくても、もうちょっとくらい引っ張って差し上げますから」

 

カタリナ

「クッ……待ってろビィくん、私が退路を拓く!」

 

 

 

 ──図書館の方角を見定め、退路と目的地への進行を同時に果たすべく、最適の突破口を瞬時に見定めるカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ……図書館で待っていろ。私達は必ず君を止めて見せるからな」

 

カレーニャ

「やれやれですわね。だったら、こちらも真心込めて強制退去させたげますわ」

「行き先がお艇の上か、空の底かまでは責任持てませんけど──」

 

 

 

 ──カレーニャが、割れずに残っていた手近な窓ガラスに手を触れる。

 ──すると、溶け込むようにカレーニャがグラスチェアーごと窓ガラスの中へと消えた。窓一枚にまで魔導グラスが普及していたようだ。

 ──グラスの包囲網をどうにか強行突破し、一行は身を隠せる場所を探して大通りを駆け上がった。

 

 



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36「アンナの回想」

 ──時を遡り、団長達がグラスの大暴動に気付く少し前。

 ──カタリナが、アンナが大人しく寝息を立て始めたのを確認して部屋を出たその少し後。

 

 

 

アンナ

「(あれ……ボク……?)」

 

 

 

 ──アンナの視界には、自分の手と、1冊の本。傍らにはランプの明かりと、小脇に親友の頭がちらつく。

 ──自分の手が、目の前の本の表紙を勝手にめくる。

 

 

 

アンナ

「(そっか。これ……夢、見てるんだ……)」

 

 

 

 ──これが昼間の自分の記憶だと気付くと同時に、目の前の映像が夢である事を自覚するアンナ。

 ──途端に視界が自由に動く。ここは騎空艇のアンナの部屋。窓を見る。嵐を航行する時のための雨戸まで使って、外の光を締め出している。

 

 

 

アンナ

「(うん。やっぱり、間違いない)」

「(この”本”を読まなくちゃって。でも、寝不足で外の光は目が痛くって、ボーっとして……だから真っ暗にしたんだ)」

 

 

 

 ──視界を再び本に戻す。それは誰かの日記のようだ。最初のページを開くと、次のように綴られている。

 

 

 

   あの日の事は、今でもよく覚えている。きっとあの時から、私は既に決意していた。

 

   貴方には、これを読んで、知ってほしい。

   貴方と私が出会った訳を。私のこれまでと、これから成す事を。

   しっかりと考え、選んでほしい。私の成す事に、貴方はどうするのか。

   冷静に。義理に縛られず。情に流されず。

 

   貴方は私より、よっぽど素晴らしい人なのだから。

 

 

 

 ──夢の中でも、その序文はクッキリと視界に映し出された。夢の自分がページをめくるより早く、その先の文章に思いを馳せるアンナ。一文一文、正確に思い出せる。内容を少しでも深く理解するため、何度も何度も、日が落ちるまで読み返したのだから。

 ──その瞬間、光ったのかも知れない。本の中に沈み込んだのかもしれない。

 ──記憶では確かにこの時、本を読んだだけだ。だが夢特有の意識の混濁が、不可思議な場面転換を引き起こした。

 

 

 

 ──気づけば、アンナは昨夜のカレーニャ邸に居た。

 ──最後にドリイに連れ込まれたVIPルーム。扉に大穴が空いているのに、ドリイが庇ってくれたのか身体は何とも無かった事をよく覚えている。

 ──そして目の前にドリイ。あの時は全身が燃えていたドリイが、夢の中では普段どおりの傷一つ無い礼服で、座り込むアンナに対し、這い寄るような姿勢で瞳を覗き込んでいる。

 ──そんな夢に少し感謝したアンナ。実際には、ドリイは目の前でドロドロと溶け崩れ、立っていたのか座っていたのかも解らない姿だった。あの光景を再び見なくて済んだ。

 

 ──あの時、最後に溶けて無くなったのは腕だった。魔法で精一杯防御していたのか、その片腕だけは中々火が回らずにいた。次のドリイの行動を思い出し、視線をその腕に向ける。

 ──ドリイがどこからか、真珠玉のようなグラスを取り出す。そして軽く撫でると、真珠の中から1冊の本が飛び出した。

 ──そして取り出した本を、事態が飲み込めないアンナの腕に抱かせ、続いてその手に何かを握らせた。

 ──無意識に確かめた手の中のそれは、宝石のように深く色を溶け込ませた深紅のグラスだった。

 ──夢の中のドリイが、燃えても居ないのに身体を溶かし始めた。やはり見てしまう事になりそうだ。

 ──溶けて傾いた唇で告げる。「その2つを、どうか決して手放さないで。何卒、お願いします」と。

 ──それだけ言って、溶けかけのドリイは一気に虹色の炎に包まれた。記憶でもこんな風に、抵抗を止めたように急に火の手が強まっていた。

 ──気がつくと、ドリイはあの晩の最後に見た、片腕の溶け残りになっていた。その上に燻る炎を見ていると、また場面が変わった。

 

 

 

 ──アンナは見知らぬ部屋の片隅に立っている。

 ──よく見れば一部の家具やその配置は、長年住んだ実家や、グランサイファーの一室……あるいはいつか泊まったどこかの宿で見た気がする。

 ──しかし部屋のおおまかな内装は、それらに不釣り合いな程に豪奢で広かった。

 ──記憶と想像がこの部屋のモデルに選んだのはカレーニャ邸。カタリナ達とゲームブックを読んだ、そして先程の場面でドリイが溶けて消えた、一際大きなVIPルームだった。

 

 ──窓の外は真夜中だった。雨が降っているかもしれない。

 ──大きなベッドの周りに大人が3人、子供が1人寄り添っている。

 ──大人たちはすすり泣いている。ベッドの中では、老婆が1人横たわっていた。

 ──大人と老婆は、記憶の中に代役が無かったか、影絵のように黒塗りだった。

 

 ──ベッドに歩み寄り、幼い女の子の隣に立つアンナ。

 ──覗き込もうとしても、女の子は屋内だと言うのに大きな帽子を被っている。どんな顔をしているのかよく見えない。

 ──ただ、その子がじっとベッドの老婆を見つめているのは解った。

 

 ──アンナの頭の中に、カレーニャの声が響く。

 ──いや、カレーニャの声を思い浮かべながら、本の文章を思い返しているだけなのかもしれない。夢はどうにも不確かな世界だ。

 ──アンナにとってはどちらでも良かった。頭の中の言葉に意識を向けると、目の前の映像が少しづつ動き出した。……少なくとも、そんな気がした。

 

 

 



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37「手記01」

 この日の事は何もかも、今でも鮮明に思い出せる。

 横たわったお祖母様が「泣くのはお止し」と皆を慰めていた。

「私ゃやれることは全部やった。悔いなんか無いよ」って。

 お父様は、「でも母さん、こんなのはあんまりだ」って、ボロボロ泣いていた。

 お父様が泣いてる所なんて始めてみた。

 

 

 

 お祖母様が亡くなられたのは、私が6歳の頃。この日が全ての始まり。

 今でも、私が世界で一番愛し、尊敬する人。誰にでも優しくて、一生懸命で、時にはお父様達が呆れてしまうくらい。

 でも、だからこそ、お祖母様はこの島に喰い殺されてしまった。

 

 

 

 私が物心ついた3歳の頃には、魔導グラスはこの島の半分以上に普及し、誰にも欠かせない物になっていた。

 その頃はまだ良かった。

 プラトニア中がお祖母様を尊敬していた。皆が魔導グラスに大喜びしていた。

 本を一度に何百冊だって運べる。火にかけないで料理を温められる。食べ物をいつまでも腐らせず保存できる。浮力に頼らず空が飛べる。

 なのに、たった3年の間で何もかも変わっていった。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──老婆がスーツを来た老人たちの前で魔導グラスを掲げ、老人たちは不満そうにそれを眺めている。やはり黒塗りの人物達。

 ──プラトニア図書館の展望フロアだった。アンナの記憶では、イメージに相応しい情景はここだったようだ。

 ──アンナは皆と食事したテーブルに座っている。隣には先程の場面にも居た女の子。

 ──しかし老婆は厨房からグラスを披露し、老人はトレーを手にカウンター越しにそれを眺めている。夢は不確かだ。

 

 

 

 魔導グラスはオブロンスカヤの直系にしか造れない。造れたとしても、すぐに元の魔力に戻って消えてしまう。

 そんな事、我が家では常識だった。婿入りしたお祖父様は全く造れなかったし、嫁いできたお母様もただのグラスの塊しか造れず、一分も保たずに消えてしまった。

 でも、プラトニアは認めなかった。

 誰かが言い出したらしいの。「オブロンスカヤにだけ出来るのは、何かコツがあるんじゃないか」。

 だからお祖母様は、島の偉い人達の前で実際に1からグラスを造ってみせた。

 そしてオブロンスカヤにしか造れない理由は自分達にも解らない事を説明した。

 

 

 

 グラスを造った事のない貴方に、どんな例えを出したら解ってもらえるかしら。

「どうやって涙を流してるの? 流してみせて」って言われたらどうかしら。

 貴方が自在に涙を流せる人でも、「こうやったら誰でも流せるよ」って簡単に説明できる?

 涙が解りにくいなら、手足の動かし方とか? とにかく、どこかで言葉で説明しきれない、感覚のお話になるの。

 お祖父様やお母様みたいに、グラスを造るだけなら出来るって人達も居た。

 その人達も「絶対にこうしたら出来る」って説明は難しいって、そこは認めてくれたらしいわ。

 

 

 

 でも当然、駄目だった。

 グラスを安定させるためにオブロンスカヤの体の一部が必要って事が、どうしても納得がいかなかったらしいの。

 お祖母様やお父様の話では、偉い人達はすっかり「秘密がある」って信じてしまっていたそうよ。

 どうしてもグラス産業で儲けたかったのかしら。

 先進的で平等を売りにしてるプラトニアで、生まれで最初から決まってるなんて事、認めたくなかったのかしら。

 でも多分、そんな難しい事抜きに「そうだったら良いなあ」ってだけだったんでしょうね。

 偉い人達は、グラスも魔法も専門じゃないもの。

 解ってくれないお役人に、お祖母様は何度も説明に行って、高まる需要に応えて新しいグラスも作り続けて。

 最期の1年くらいは、ろくにお話も出来なかった。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──図書館地下の実験室。扉を少しだけ開いて、一組の男女が通路を覗き込んでいる。

 ──何故かその後ろ姿は、ニコラと館長のものだった。2人の邪魔にならないようにアンナも扉を覗き込む。

 ──通路では婦人がしゃがみ込み、つば広の帽子を被った女の子に目線を合わせて、その肩を優しく両の手で包み、何か言い聞かせている。

 ──斜向かいの扉も僅かに開いている。隙間の向こうは真っ暗闇で、幾つもの目玉だけが婦人と女の子をジロジロ見つめている。

 

 

 その内に、島の人達も噂した。「オブロンスカヤが作り方を教えようとしない」って。

 仕方ないんでしょうね。オブロンスカヤはすっかりお金持ち。魔導グラスのせいで仕事が潰れた人もいる。

 一般市民サマでは私達をガメついとしか思えないのだろうし、親戚の貴族も飛び抜けて儲けるオブロンスカヤが気に入らない。

 あっちこっちでお祖母様達を”許すな”って叫ぶ人達ばかり。

 私が出かける時はどこへでもお母様が付き添って、私に大きな帽子を被せて、絶対に取ってはいけないと何度も言っていた。

 

 

 

 最初は私達に味方してくれていた人達も、陰口や嫌がらせを受けてどんどん離れていった。

 オブロンスカヤの親戚筋と言うだけで有る事無い事言い触らされて、家族以外に口を利く人も無くなった。

 そうして、とうとうお祖母様も倒れてしまった。

 

 

 

 ──場面が老婆の横たわる寝室に戻る。

 ──男性がベッドに縋り付いて無き、女性は床に跪くように座り込み顔を手で覆い、老爺が目元を押さえて顔を背けている。

 

 

 お祖母様が、最期に言い遺したの。

「本当ならこんな事、いつでも放り出して良いんだよ」。

 そこから先も何か言いたそうだったけど、誰にも聞き取れないまま、静かに息を引き取った。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。夕食会で使った食堂。3人の大人と1人の子供が食事をしている。会話をしている様子はない。

 ──アンナは女の子の向かいの席に座っている。

 ──アンナの前にも食器が並ぶが、置かれている料理は質素な物ばかり。

 ──否、ある意味、質素と呼ぶのはとんでもない。アンナがお婆様から教わった、森の木の実と草花だけで作った料理だ。

 ──そう言えば、団長たちと旅をするようになってから、久しく作っていない。

 

 

 

 お祖母様が亡くなってからは、皆どんどん遠慮が無くなっていった。

 お祖母様が生きていた頃は、この島を支える大発見をした人だからって気後れがまだあったらしい。

 それに、お祖母様は誰に対しても堂々として、簡単に折れるような人じゃなかった。

 お祖母様に言い負かされた人達も元気を取り戻して、遺された私達は、お祖母様ほど強くはなれなかった。

 

 

 

 お父様がグラス産業を相続なされてすぐ、お父様は法廷に呼び出された。

 もう誰も「オブロンスカヤは造り方を隠してる」って疑わなくて、市民団体がお父様を訴えた。

 お父様は疲れ果てて、訴えがあるたび示談で済ませ、引き下がらなければ裁判所の命令に従った。

 一番グラス造りの上手いお祖母様が亡くなって、お父様1人だけで島を支えていたのだから。

 訴える団体は幾らでも増えた。親戚の貴族もついでに汚職やスキャンダルをほじくり返されてカンカン。

 毎週のように法廷に出向いて水掛け論。親戚が家まで押し寄せて文句の嵐。嫌にもなるわね。

 

 

 

 貴族のはずの我が家は、服を売ってパンを買うようになった。

 沢山の示談金に、経済と福祉のためだからと国がグラス産業の収益を管理する事を決めたから。

 貴族としてのお仕事はとっくに干されて、魔導グラスだけが頼りだったのに。

 あれから何年も経つのに、未だに信じてる人がいるのよね。「貴族は人を働かせて食べている」なんで嘘っぱち。

 仕事もしないで認められる身分なんて無いのに。オブロンスカヤの下で働かせられる人間なんていないのに。

 でもおかしいのよね。当時の新聞読めば解るけど、何も大して変わってなかったの。

 我が家への抗議のデモも、国内にこんなに貧困に苦しんでる人が居るって報道も。

 福祉のために吸い上げた我が家のお金、どこに行ったのかしらね。

 それとも、物質的な豊かさで心の豊かさは満たせないってやつかしら。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──アンナは女の子と手を繋いで、屋敷の廊下……カレーニャの寝室の前に立っている。

 ──何気なく見つめる前方、記憶ではドリイの部屋にあたる扉の前で、婦人がその手に持った何かをじっと見下ろしている。

 ──どうやら新聞のようだ。隣の女の子の顔は相変わらずよく見えないが、彼女も新聞が気になるようだ。

 

 

 

 あの頃の新聞と言えば、今でも覚えてる。

 示談金が払えなくて、先祖代々の思い出の品を競売に出すよう言われて、お父様達が抗議したらしいの。

 次の日。普段お母様が見せないようにしてた新聞の見出し、その日だけはチラッと見えてしまった。

「オブロンスカヤ、気にするのはカネばかり」

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──カレーニャの邸宅に初めて通された時の応接室。アンナはその時と同じソファーに座っている。

 ──床一面に大きく乱暴に文字が書かれた紙が散乱している。

 ──紙いっぱいに1単語程度。なのに何と書いてあるかは読めない。

 ──ただ、その紙の一枚一枚を見る度、とてつもなく陰鬱な気持ちになる。

 ──女の子はアンナの隣で、個室の並ぶ通路に並んでいたあのランプの1つを両手に持って、男性に見せている。

 ──窓の外に、展望フロアの場面で見た老人たちが並んで不満そうに2人を眺めている。バルコニーでもあるのか、宙に浮いているのかは定かでない。夢は不確かだ。

 

 

 

 話を戻しましょう。

 8歳の頃、私は初めて魔導グラスを動かした。

 お父様は忙しくて自宅のランプに魔力を補充する暇も無かったから。

 幼い私は誇らしくって、お父様に胸を張ってその事を報告した。

 お父様は痩せこけた顔で笑ってくれた。髪はお祖父様みたいに白くなったのに、肌は少し青黒くなってた。

 

 

 

 ──女の子がランプをテーブルの上に置くと、男性は立ち上がって足早に部屋をでた。

 ──いつの間にかテーブルの上には、例のショーウィンドウの店で見たグラスの小物が所狭しと並んでいる。

 ──男性が応接室に戻り、機械人形のように足早にギクシャクとやって来て、テーブルの小物を両腕で一遍に抱えて、またギクシャクと部屋を出る。それが何度も繰り返される。

 

 

 

 それを切っ掛けに、私も少しづつ魔導グラスを造るようになった。

 この隅々まで人の手が入った大きな島の、全土にグラスが行き届いていた。

 納期が遅れれば、こぞって売り渋りだとかインフラ長者の脅しだとか言われて、国からもせっつかれる。

 私が起きている間、お父様が眠っているのを見た事が無かった。お父様は余り目を合わせてくれなくなった。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──動けなくなったアンナが仲間に介抱してもらった、例の路地裏だった。

 ──アンナは横になっており、女の子がアンナの額に布を置いている。

 ──アンナが起き上がって布を取ると、その布は見るからに乾いていて、温度など感じない。

 ──だがアンナの脳は、それを解っていると同時に、この布は濡れてよく冷えていると認識していた。夢は不確かだ。

 ──視界の端に人影がちらつき、ふと見てみる。婦人と老爺が血を流して倒れていた。

 ──倒れる2人の傍らに男が1人立っている。男のモデルはカレーニャ達と初めて出会った時に割り込んできた浮浪者……に、似ている気がする。

 ──何しろあの時は気が動転していたので、記憶も不確かだ。

 

 

 

 もうすぐ9歳の誕生日。そんな日に、お母様とお祖父様が亡くなった。

 心労ですっかり衰えたお祖父様をお医者に診せるため、お母様が付き添って出掛けた。

 その帰りに、何の面識も無い男に襲われた。

 私達は会った事も無くても、向こうは私達を知っていた。一家揃って”札付き”だから不思議じゃない。

 男はグラス産業で職を失くし、家族に逃げられ、家も失ったそうだ。

 プラトニアには死刑が無いから、どうせならやりたい事して刑務所でゆっくり暮らそうとしたらしい。

 法廷でわめき散らして無事に終身刑を言い渡されたそうだから、今もよろしくやってるんじゃないかしら。

 囚人は捕まった理由で上下関係が決まるって聞くし、すっかり牢屋のヒーローだったりしてね。

 

 

 

 犯人が立ち去ってからもお祖父様達は息が有ったらしいし、騒ぎを聞いた人も結構居たらしい。

 でも、通報があったのは2人が亡くなって、すっかり硬くなってから。

 犯人の犯行を証言した人が、何で通報しなかったか聞かれて答えた。

「だって、被害者はオブロンスカヤだったんですよ」。

 

 

 

 私、ちゃんと調べたのよ。

 この頃はまだ、オブロンスカヤが島の支えになっているのは事実だからって穏健派も居たらしいの。

 そしてこの証人について取材したって当時の記事に間違いなければ、証人も穏健派。

 でもそんな考え、私達を許さない人達からしたら裏切りだもの。きっと家族や友達にそういう人が居たのね。

 今じゃ穏健派なんて名前すら無いのもしょうがない。

 モラルでどう思ったって、自分が現場で選択を迫られたら、自分の人生ふいにする覚悟なんて簡単には出来ない。

 しょうがない。しょうがない。しょうがない。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──図書館の1階広間。グラスが暴走した後のあの荒れ果てた中で、2つの人だかりが出来ている。

 ──1つは誰もが物を振りかぶり足を持ち上げ、何かに殴る蹴るを繰り返している。

 ──暴行を受けているのはグラスの鳩だった。暴走の前触れのように時折痙攣しているが、いつまでも飛び立つ気配がない。

 ──もう1つは、そんな暴行集団に汚い物を見るような視線を送り、何かを撫でくり回したり物をあげたりしている。その中には、昨日のグラス暴走でしょっ引かれた老婦人も居る。

 ──寄って集って慰み物にされているのは女の子の人形だった。かなりいい加減な造りであちこちほつれている。老婦人は魔法の教科書を読ませようとしているらしい。

 ──本物の女の子は、広間の椅子に腰掛けたアンナの、その膝の上に座って大人しくしている。

 

 

 

 お祖父様達の悲劇があって、流石に少し考えが変わったみたい。

「正しい側で居るには、”ほんのちょっと”やり過ぎたらしい」って。

 事件の後、判例が出来たのを良い事にオブロンスカヤから毟り取ろうとする訴訟の順番待ちが幾つもある事とか、色々バレたのも有るかしら。

 元から余りデモとかに加わらず、積極的に我が家を貶さなかった人達と、少しのがっつり貶してた人達が言い出した。

「”愚かな”人達のように”可愛そうな”親子を貶めるような事は出来ない」。

「私達はオブロンスカヤを辱めた事など一度もない。ましてや幼い女の子を悲しませるような事など」。

 子供ってお得よね。

 可愛そうな子供が居さえすれば、自分がその親の財産ブン捕る署名に参加してても、「一家を牢獄へ」なんてカード掲げてた事も、全部棚に上げて”優しい大人達”になれるんだから。そりゃあ子供は貴重な財産よね。

 きっと皆、9歳の頃の自分がどんなに賢くて行動力が有ったか、忘れているのね。

 私はちゃんと覚えてるし、記録も調べられる限り調べ上げたのに。

 

 

 

 そうしたら、ますます皆はオブロンスカヤを憎んだ。

 愛しの妻が「カレーニャが可哀想」なんて馬鹿げた事を言い出すのは、オブロンスカヤが汚く情に訴えたからだ。

 愛しの夫が「カレーニャが可哀想」と言った自分を殴って離婚したのは、オブロンスカヤが夫を変えたからだ。

 これ、当時の週刊誌の引用だからどこまで本当か知らないけどね。

 でも大した予言だった。結局、貶すのも甘やかすのもオブロンスカヤが気に入らないからでしょうね。

 今のプラトニアを見れば解るでしょう。陰口ですら「悪しきオブロンスカヤに裁きを」なんて言わないプラトニア市民が居るなら、厳重に保護してやりたいくらい。

 文句が減って当たり前。ちょっと名前を出せば、どんな言い分でも、貶せば責められ護れば責められ、そうしてお仲間から吊るし上げられるのだから。

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──アンナが服を着せ替えさせられたブティックの試着室前。

 ──アンナは試着室の扉を背にして立ち、広い店内を眺めている。

 ──目の前では女の子がそこら中にフラスコやら如何にも安物な茶器やらを散らかして、紙の山をクッション代わりに魔術書を読み耽っている。

 ──尻に敷き、靴底をなすり付ける紙には女物の服が幾つも描かれている。

 ──ふとアンナが背後を確認すると、ファッション誌の切り抜きらしき絵と女の子の手書きと思しき拙い絵とがピンで留められ、その上からも更に絵やら切り抜きやら重ねてピン留め、試着室の扉が完全に隠れてしまっている。

 ──張り出されているモデルは誰もが豊かな黒髪で、艶っぽく波打ち、ファッションモデルに相応しい見事なプロポーションだった。

 

 

 

 お父様は、とうとう私と話もしなくなった。

「幼い娘を働かせている」と文句を言われたらしくて、お父様は私の造ったグラスを売るのを止めた。

 お祖父様みたいな身体で。お祖父様より痩せて骸骨みたいなお顔で。また独りぼっちで働き始めた。

 きっともう、まともな判断力も無くなっていたのでしょうね。あの頃の私にはそんな事解らないし、解っていたって、きっとどうしようもなかった。

 忙しくて、忙しくて。食事も睡眠も、本当に出来ているかも解らないくらい。

 お父様に会えるのは日に多くて3度、私からお茶を淹れて仕事部屋に届けに行く時くらい。

 だから、どんなに安くて古い茶葉でも美味しく淹れられるように頑張った。

 

 

 

 独りになった私には時間がたっぷりあった。

 家事は魔導グラスに魔力を入れてやれば良い。恐ろしくって家庭教師も付けられない。

 迂闊に外にも出られないのは、幼い私でも解ってた。だからお祖母様の蔵書を読んで、自分で勉強した。

 魔導グラスの仕組みは魔法と全然違うと聞いていたけど、どう違うのかは知らなかったから。

 魔法とか、錬金術とか、魔導グラスの事を知るためにも色んな事を勉強した。

 あの頃は、魔導グラスが不便だからお父様を苦しませているのだと思って、沢山勉強した。

 魔法の勉強以外の時はお茶の事を勉強して、お茶の事ばかり考えた。

 お父様のために何が出来るか、お茶以外には何も思いつかなかったから。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──ここはどこだろう。なんとなく、カレーニャの屋敷の一室だとは思う。

 ──石造りが剥き出しの水はけ優先の内装、質素で大きな木のテーブル。

 ──大きな家ならどこにでもあるような炊事場だった。部屋の隅の竈や食器棚は、長年使われた形跡がない。

 ──テーブルの上には空の麻袋と、パーティー用のパイを焼くような大きな器。器には大量のグラスの破片が盛られている

 ──グラスの破片から、カレーニャのグラス球を割った苦い思い出が蘇る。

 ──桶の水をぶちまけたような音がした……気がする。

 ──音がした気がする方を振り向く。部屋の出入り口前に女の子と、恐らく男性。

 ──男性らしき人影は土下座するような姿勢で、テーブルの陰になってよく見えない。

 ──女の子はテーブルの死角から外れ、男性らしき人影のすぐ近くで男性を見下ろしながら、ぽつねんと立ち尽くしていた。

 ──気がつくとアンナも自分の足元を眺めている。

 ──男性の方から広がる赤黒い……ほぼ黒い液体が自分の靴を濡らして通り過ぎる様を、何故か驚きもせず見つめていた。

 

 

 

 深夜、お父様は突然どこかへ出掛けて、そして帰ってきた。

 丁度その夜、その頃の私が淹れられるお茶の中でも、会心の1杯が造れた。ドアが開く音に大喜びで出迎えに行った。

 お父様は、手押しの井戸から汲み上げるようにジャバジャバ血を吐いた。

 私の目の前で、その痩せた身体のどこにそんなに入ってたのか不思議なくらい。

 何だか「こんなものか」ってくらいの驚きしか無くて、それでもどうして良いか解らなくて。

 お父様を揺すっていたら、一言だけ。

「どんなに辛くても、魔導グラスを憎んじゃいけないよ」と。

 いつからか見せてくれなくなった、優しい笑顔で。

 それからもう、揺すっても呼びかけても動かなくって。血塗れのまま外に飛び出して、お医者を探して街を駆けずり回った。

 帰ってきた頃には血も乾ききって、お父様は冷たくなっていた。

 

 



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38「手記02」

 ──場面が切り替わる。

 ──プラトニアの発着場。アンナはグランサイファーの甲板から発着場の景色を眺めている。

 ──大小の艇に乗り込もうとする大勢の人と、それをしがみついてでも阻止しようとするこれまた大勢の人。

 ──引き留めようとする人々は何故か皆、魔導グラスを手に持つなり脇に抱えるなりしている。

 ──そしてグラスを抱えた群れの最後尾には神輿のように担がれた椅子に座る女の子の人形。

 ──今度の人形は丁寧な造りだ。しかし、人形的な可愛さをこれ見よがしに強調して、本物の女の子とは大分印象が異なる。

 ──椅子を担いでいる者達は、何故か互いの顔ばかり覗き込んでいる。蔑ろにされた人形は今にも椅子からずり落ちそうだ。

 ──本物の女の子はアンナの隣で、手すりに座って膝をぶらぶらさせながら騎空艇の甲板を眺めている。

 

 

 

 お父様が亡くなって、プラトニアはしばらくゴタゴタが続いた。

 魔導グラスを造れるのが私だけになって、グラス産業が大きく停滞したから。

 こんな事になって、多分初めてお役人が理解したのかもね。私達にどれだけ無理を強いたか。

 お父様の不在がどれだけの損失を出すか試算して、そこでようやくお父様1人で担ってたのが奇跡な仕事量なのを実感したって所かしら。

 政府がそんな地獄みたいな事してたなんて自分から発表はしなかったけど、それでも生活が不便になる事は国民に伝えざるを得なかった。

 

 

 

 その後はもう大騒ぎ。元々仕事で滞在してた人達は魔導グラスがアテにならないと聞いてこぞって見限り付けて島を出ていった。

 魔導グラスに入り浸ってた人達も何故か一斉に島を出て行こうとした。結局フリだったけど。近所の店で食べ切れない量の食べ物買い占めるなんて事も有ったみたい。

 島の人口を減らしたくない人達の言い訳は大体決まってた。

「まだ当分は使えるから」。「いたいけな子供のために大人が忍耐できなくてどうするのか」。

 そして島を出られない人、出るのが億劫な人達にも言うの。同じお口でね。

「これはオブロンスカヤの悪意を受け継いだカレーニャの報復だ。屈してはいけない」。

「いや、幼いカレーニャを”許し”て、”正しい”社会の一員になれるよう皆で”助けて”あげなくては」。

 

 

 

 小さい頃は正反対の事言ってるように思えたから、何でそれで皆仲良く出来てたのか不思議だったわ。

 特にあの婆さんが「あなたのためにやってる」とか言って送りつけてくる本は、こんな事しか書いてない本か、子供にはちんぷんかんぷんな堅苦しい文体の魔術書ばかり。

 私の事が心配とか言いながら、魔導グラスは魔法的見地からインチキだとか言い触らして、本当にあの婆さんは存在自体が冗談みたいな人ね。

 

 

 

 結局は、そうやって「カレーニャのために」なんて言ってた人達も舌の根乾かぬうちに手の平返してた。私はちゃんと知ってる。

「オブロンスカヤは親としても人としても責任を果たさず逃げた」。

「魔導グラスで貧富の差を広げたのは擁護しようのない事実」。

「オブロンスカヤは家族以外を人間とも思ってなかった。カレーニャはそれを知らずに育った」。

 私さえフォローしとけば良いとでも言わんばかり。

 自分達の生活が直接不便になるって知ったら、モラルなんてそんな物よね。今なら解る。

 

 

 

 島のために働いて死んだお父様が、何故こんな扱いを受けるのか。

 たくさん考えたけど、きっとこの島にとって、魔導グラスは麻薬と同じだったのね。

 余りに便利すぎて、もう他の島での一般的な生活水準にさえ戻れなくなったから。

 向こうからすれば、そんな生活に変えられた自分達こそ被害者なんでしょうね。

 自分達からこぞって手を出して、何を得て何を失うかも考えず入り浸って、それで面倒が起きれば、知りもしないで手を出した自分たちは何も悪くない。責任は全部人のせい。

 何もおかしくない。だって皆、悪党になろうとして生きてる訳がない。

 立派な国の一人に生まれて、悪い事をしないように生きてきた。だから皆は”正しい”。

 正しい事と悪い事を知ってて、自分は正しい事をしようと生きてる。だったら悪者になるわけない。

 だから正しい自分が嫌な思いさせられるのは、悪者のせいか、自分”を”誤解している人のせい。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──昨夜見た、カレーニャの寝室。あの時の光景のまま、一面に血が飛び散って、グラスの柱が空間の半分近くを占めている。

 ──アンナはあの時と同じ様に、扉の隙間から部屋を覗いている。

 ──部屋では、図書館地下にあった3mのグラス人形が女の子をしきりに叩き、放り投げ、押さえつけている。

 ──女の子は床に座り、引きずられながら黙々とグラスの小物を造っている。その首にはグラスの首輪が着けられ、グラスの鎖の先をグラスの人形が握っている。

 ──女の子の服は無造作にハサミを入れたようにボロボロで、残った面積の半分以上は不潔な色に染まっている。

 ──助けに入りたいのに、何故か何度試しても扉に上手く触れない。ドアノブを掴んだつもりで手がすり抜けたり、ドア本体に指を差し込もうとして何故か爪先しか引っ掛けられなかったり。夢は不確かだ。

 

 

 

 その後の数ヶ月、私に何人かの保護官が付いた。

 私はこの国のグラス産業の最期の要。お父様が死んで、表立ってオブロンスカヤを悪く言うのも憚り始めるようになった。

 もちろん、理由は週刊誌の予言通り。ありもしない「オブロンスカヤを追い込んだ異常なごく一部」を探して、仲間内でいざこざが耐えなくなったから。

 でも、どんな施設もオブロンスカヤの子なんて受け容れたくない。グラスショックでただでさえ忙しい。

 私が島のために働くまでにいつ魔導グラスが止まってしまうか気が気でない。

 だから、少なくとも私を”事故死”させなさそうな人間に面倒を見させる事になった。

 

 

 

 人生で1番嫌な時期だった。

 孤児になった私に同情的な世論が強くなって、政府がグラス産業の収益に手出しする割合を大幅にカットしたの。”可哀想な”子供の生活のために。どうせ当分はグラスで国庫に入るお金も期待できないし。

 だから、お父様の死は便利なグラスを”寄越さない”だけじゃなく、プラトニア経済の潤いまで奪った悪事になった。

 元々我が家のお金をバラ撒いて成り立ってたのにね。自分たちで「カレーニャが可哀想だ」ってお上に抗議した結果なのにね。

 儲かってるって文句言って、今度は搾り取られてるって文句言って、緩めたら緩めたでまた文句言って。どうして欲しいのかしらね。

 グラスが使えなくなるより先に、お金がどんどん減っていく。それもこれもグラスのせい。そんな思いしてる人達が私の身の回りを世話する。どんな目に遭うか想像つくでしょう?

 服は諦めても、髪は好きにはさせなかった。

 

 

 

 私が10歳になる頃には、もう皆、私が家族を失った可哀想な子供なんて言ってた事を忘れていたわ。

「仲間が居れば、楽しい思いは何倍に、嫌な思いは何分の一に」。この言葉、とっても的を射ていたのね。

 誰だって、オブロンスカヤに死んで欲しいだけで、自分が子供殺しの外道になんてなりたい訳じゃ無いものね。

 ところで最近、私の保護官だったって人達のオブロンスカヤ暴露本が所蔵されてたから読んでみたの。当事者の私まで大笑いだったわ。

 お父様の手伝いで培ったノウハウで自宅用の、自衛のためのグラスを造り続けてたのを偉い人が見つけて、グラス産業の再開が課せられたのもこの頃。

 言っとくけど、グラス造りを任された事は純粋に感謝しているわ。お祖母様、お父様の跡を継ぎたくてうずうずしてたのだから。

 

 

 

 10歳。解るでしょう? あの爆発騒ぎもこの頃の話。

 皆で大喜びよ。とうとう娘が、解りやすい悪事を働いてくれた。

 たちまちプラトニア史上最年少のテロリスト疑惑。

 もちろん本物のテロリスト扱いなんてしてない、冗談半分の面白ニックネームだったんでしょうね。

 でも当時の俗な雑誌なら「テロリスト」と書けば「カレーニャ」で文脈が通るような文章ばかり。

 さぞかし流行ったのかもね。当時の本は残っても、空気までは残ってないから想像するしか無いけど。

 

 

 

 すぐに保護官から保護監査官に付き人の役職が変わって、出過ぎた真似をしないよう徹底的に”監督”される事になった。

 新しく保護監査官の主任として配属されたのは元・看守だった。まあ、助かることも無くはなかった。

 正義感があって、私にネチネチした事するやつは問答無用で罰して、口答えすればすぐ解雇して。

 最終的に保護監査官は1人だけ。

 でも流石は元・看守。悪者の言葉には耳を貸さないし、罰を与えるのを遠慮しない。

 今でこそ冷静に考えてあげられるけどね。大方、島の正義の代表として意気込んでたんでしょうね。

 時間を守らなければお腹に拳骨。食欲が無いと言えば無理矢理押し込んで鼻も口も塞ぐ。グラスの納期に間に合わないからと夜更かしすればベッドに縛り付ける。

 手足を縛って更にシーツの上からぐるぐる巻き。息苦しくて寝られやしない。

「『できない』『したくない』は怠慢が言わせているのだ。人はやれば動き、やれば出来るように作られているのだ」とか何とか。ああ言うのも一種の天才なんでしょうね。

 正真正銘、グラスを造る以外の事は何もかもが労役だった。よくハゲなかったと自分を褒めてやりたいくらい。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──カレーニャ邸の個室。団長達が来るまで、カレーニャにグラスの使い方を教わったりお茶を交わしたりしたアンナの部屋だ。

 ──外は昨夜と同じ、月明かりが差し込む夜。アンナはベッドに腰掛けていた。

 ──窓の脇に束ねられたカーテンの陰で女の子が、カレーニャが持ち歩いていたグラス球に向けて本を開いて見せている。

 ──窓の外ではグラスの人形が巡回し、時折部屋を覗き込んでいる。外からでは死角になって、女の子の存在には気付かない。

 

 

 

 あの看守の愚痴は、挙げたらキリが無いからこの辺で。

 貴方も覚えているかもしれないけど、あの爆発騒ぎで貴方は生まれた。

 10歳で初めて開通させた異界へのゲート。

 結局は制御不足で家をふっ飛ばしたけど、貴方の製造には成功した。

 空も上下も無い、知性を持つエネルギーだけが漂う混沌の世界。

 その世界のほんの一部を抽出して、限りなく人間に近いグラス人形に封じ込めた。それが貴方。

 

 

 

 私は貴方の存在を誰にも悟られぬようにしながら、貴方に私の教えられる限りを教えた。

 貴方を隠し通すために、時には自ら面倒を起こして罰を受けに行った。

 たった2年で貴方は本当に、どんどんこの世界の事を学んでいった。

 私が本心から自分を誇れるとしたら、貴方をこの空に喚び、そして貴方がそれを受け容れてくれた事だけ。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──ブティックの試着室の中。壁と天井の一部が鏡張りで、他にも大小様々な鏡も用意され、気に入った服をストックするためのハンガーラック。更にソファとデスクもある。

 ──アンナは試着室の出入り口に立って、女の子の後ろ姿を眺めている。

 ──女の子が、硝子のマネキンの服を着せ替えている。

 ──新しい服を着せるたびに、うっとりするように動きを止めて、じっとマネキンを見つめている。

 ──マネキンには波打った黒のウィッグが被せられている。

 

 

 

 でも、こんな私の感傷は、どうか計算に入れないで欲しい。

 とにかく、そこから先は貴方も知っての通り。

 12歳の誕生日に貴方をプラトニアに放ち、貴方は旅人として見事にこの島に溶け込んだ。

 島の誰にも愛される程に活躍して、僅か2年ちょっとでプラトニア国民として認められ、そして役人に。

 貴方は2代目の保護監査官ドリイ・クレアヴナとして、私の人並の生活を引き連れて帰ってきた。

 そして、この本を受け取った。

 

 

 

 交代の時の事を覚えてる? あの看守の演説。

「心無い大人達がカレーニャを苛もうとしているが、私はこれまで彼女を果敢に守り、正しい道を進めるよう心から愛を以て接してきた。貴方にこの意志を託す意味を深く考えて欲しい」

 私を飛んでいくほどブン殴る所を貴方が陰から見てきたなんて知らずに、貴方の目をまっすぐ見て、私が立ち会っているのも構わず言い切ったあの面構え。

 もちろん解ってる。あの頃からとっくに。

 あの看守は本当に正しい事をしたと思ってる。心を痛めて愛の鞭を好き放題振り回していた。

 その鬼看守を、貴方が労い倒して泣いて喜ばせてやった時、本当に貴方を造って良かったと、胸が空く思いだった。

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──また見知らぬ場所だ。カレーニャの屋敷のどこかだろうか。

 ──それにしては狭すぎる。ドラフの男性などは屈む必要があるほど低い天井。出入り口も見当たらない。まるでペットを入れるケージだ。

 ──内装からして子供部屋だと言う事は解る。ぬいぐるみ、小さなベッド、壁と天井に下がる星の装飾。可愛らしい造りのランプが部屋の中央から吊るされ部屋を照らしている。

 ──小さな本棚に揃えられた絵本は、破損こそ無いが見るからに古びている。棚共々……否、この部屋全体が、長年に渡って人一人の出入りも無かった事を物語っている。

 ──小さな子供用の机の前で、グラスのマネキンがピシリと直立して本を読んでいる。装丁からして、アンナがドリイから託されたのと同じ本だ。

 ──マネキンはウィッグも服も着けていない。艶かしく波打ったグラスの髪と、芸術的なまでに整ったグラスの肢体を晒している。

 ──マネキンの背後で、女の子が天井をじっと見つめている。

 ──天井にはこの部屋唯一の窓がある。そして女の子の隣には、窓へ登るためだろうか、遊具に備え付けるような階段状の梯子が据えられている。

 ──女の子は、その向こうに用があるかのように熱心に窓の向こうを見上げ、梯子に片足をかけているが、その状態のまま動こうとしない。

 

 

 

 貴方はきっと、この空で最も優れた知性になれる。

 だから、私なんかにかかずらって居て欲しくない気持ちもある。

 私の目的は、この本を渡す前に説明してあるはず。

 そして貴方はこの島で、プラトニア側の言い分も充分に理解してきたはず。

 冷静に選んで欲しい。協力するか、しないかを。

 協力すべきで無いと思うなら、貴方の望むように取り計らう。

 貴方が本当は私をずっと軽蔑していて、破滅させてやりたいと思っていても、貴方になら悔いはない。

 

 

 

 でももし協力するなら、どうか最後まで付き合って。私も、貴方を何よりも信じるから。

 私は、お祖母様の、お父様の夢を叶える。

 貴方と同じグラスの身体を手に入れて、誰にも殺されず、磨り潰されず、大切な人達の夢の中で生き続ける。

 

 

 

 今度は私が幸せになる番だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──どこかの騎空艇の中のようだ。アンナは壁際に据えられた椅子に座っている。眼前のテーブルにはお茶が1杯。

 ──壁に設けられた窓には発着場の景色。とても見覚えのある大きな騎空艇が見える。

 ──空は青紫に微かな茜の光。これから日が昇るのか、沈むのか。それは解らない。

 ──対面に座っているのはドリイだった。何故か、カタリナに着せていた緑のローブを纏っている。

 ──テーブルの上、ドリイのすぐ手前には、アンナに預けたあの本が開かれている。

 ──そして彼女の手には赤子ほどの大きさの、グラスの人形が抱かれている。

 ──人形は、ドリイの胸で眠るように安らかな表情をしていた。

 ──人形の頭を慈しむように撫でるドリイ。人形を見下ろす彼女の顔は、腕の中の人形よりも人形らしい、寒気がする程に美しい無表情だった。

 

 ──「ここからは違う」と、慎重に文章を思い返すアンナ。夢の中だと言うのに、起きている時以上に頭が冴えている気がする。

 ──手記は先程の(くだり)で完結していた。

 ──ここから先は、余った白紙のページに記された別の筆跡による文章だった。

 ──芸術品のような……悪く言えば人間味の感じられない筆致に、アンナはその”後書き”が誰による物かを一目で確信していた。

 ──目の前のドリイの唇が動く。彼女の声だけは、この夢のどんな音より鮮明に、実体を伴って聞こえた気がした。

 

 

 

 カレーニャはグラス製造を任ぜられてからの6年間、この夢のために尽くしてきました。

 日々際限なく膨らむグラス需要に応え、殴られ罵られても己を見失わず、合間にグラス製造用のグラスさえ考案し、既存のグラスの機能向上にも惜しみなく知識と発想を捧げました。

 その果てに、この島の全てのグラスはカレーニャ製の物に置き換わりました。

 全ては、この島に間もなく起きる事のために。

 

 

 

 私はこの文を(したた)め終えた後、カレーニャを殺します。

 カレーニャをグラスに取り込ませ、以降はグラスがカレーニャの想いを代行します。

 カレーニャはもう、『お友達』と言うその言葉だけでは止まらないようです。

 最後にもう一声試みる所存ですが、何も思う事など無いと確信しております。

 誰よりも間近でカレーニャという人間を学んできた自負に懸けても。

 

 

 

 私はカレーニャの想いに協力する事を誓いました。

 この選択に疑問は無かった。少なくとも、その時は。

 しかし、カレーニャを知る程に、思うのです。カレーニャに寄り添う事も、反発する事も、カレーニャの想いを満たすものでは無かったのでは、と。

 故に私は、かねてより独自に策を講じました。恣意的に皆様を利用した事もその一環です。

 

 

 

 結果として、当初は策の補強程度と見做していた皆様こそが、最も有力であると判断致しました。

 その”時”に貴方が応じられるならば、図書館の頂上へお出で下さい。彼女はきっと、そこを拠点とするでしょう。

 選択は皆様に一任致します。過度な期待と思われましたら、遠慮なさらず島を去って下さい。

 私は、それがカレーニャと私との努力の末であるなら、どのような結果であれ心より満足です。

 人類の価値観に照らし合わせれば、非合理的かもしれません。しかしながら本心です。

 私は、カレーニャの目的が達せられる事も潰える事も同時に願い、いずれかが満たされぬ事に一片の不満もございません。

 

 

 

 この本と同時にもう1つ、託した物があるはずです。

 貴方がどう選択なさるとも、それは必ずや貴方の今後の大きな助けとなります。

 私からのせめてもの気持ちとして、何卒お納め下さい。

 

 

 

 最後に。

 貴方がこの本を読まれる頃には、私は貴方と皆様へ多大なご迷惑を強いた事でしょう。

 どうか、私を憎んで下さい。

 このような形で皆様を巻き込む横暴を。

 相反する願望のために皆様を利用する傲慢を。

 どのような結果をも望み、同時に望まぬ理不尽を。

 ここまで読んで下さったなら、御理解いただけるはずです。

 想いの力に貴賤はございません。それは何人のどんな願いをも叶える奇跡です。

 きっと、その憎しみは必ずや、(きた)るべき”時”の皆様の力となるはずですから。

 

 

 

 しかし、もしも──もしもこの上に1つ、願いを聞き入れて頂けるなら……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──そこで目が覚めた。雨戸を閉め切った暗闇の部屋。誰かが灯したのか、机の上に蝋燭が一本。

 ──身体は鉛のように重く、瞼は蕩けているように思うように持ち上がらず、それでいて意識だけは熱いくらいにハッキリとしている。

 ──這うようにして時計を見る。本を読み終え、団長の様子を見に行こうとした時からそんなに時間は経っていない。丸一日眠っていたような体調の変化も無い。

 ──しかし、それで何故自室で眠っているのか思い出せない。いつか、海に投げ出され溺れかけた時も、似たような体験をした気がする。

 ──しかし記憶をたどるより、疑問を持つより早く、そんな些事は追いやって机に向かった

 ──机の上の本を取り、しおり代わりの小さなお守り(サシェ)を挟んだページを開く。

 ──最後のページ。その先は白紙の束。最後の文章を読み返す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カレーニャを、よろしくお願いします。

 

 親愛なるアンナ様へ。  ──ドリイ・オブロンスカヤ

 

 

 

 ──紐を通した親指程の小さなお守り。その口を開くアンナ。柔らかく深い香りが鼻腔を抱き、後から気品を纏った強い香りが微かに訪れる。

 ──普段から趣味半分で作っている簡単な魔女のお守りだが、しおり代わりにしたのは手近にあったからだけではない。

 ──そっと指を挿し入れ、詰めた物の中で唯一硬い物体を取り出す。

 ──血のように深く紅い小さなグラスの欠片。この本と共にドリイに託された物だ。

 ──指から滑らせ、手の平の中に落とし、まじまじと見つめる……。

 

 ──不意に艇が大きく揺れた。反射的に握りしめたグラスを、いそいそとお守りの中に戻す。

 ──間を置かず、発着場の悲鳴や諸々の音が飛び込んでくる。

 ──”時”が来た。机に向き直り、お守りを見つめた。。

 ──アンナは逡巡する。これから起こる事よりも、その渦中でお守りを落としたり壊したりしてしまわないかを懸念した。

 ──すぐに結論を出し、お守りを首にかけ、服の下に通したアンナ。

 ──大丈夫。古い作り方は得てして丈夫に出来ている物だ。何よりこれだって、お婆さまから教わった物なのだから。

 

 ──アンナはドリイから託された本を机の引き出しにしまい、腕の中の親友に向けて応えるように頷いて、部屋を出た。




※ここからあとがき
 グラブルの世界の死生観ってどうなってるのか、私の知る限りソースがありません。
 要するに「地獄」という概念があるのかが自信ありません。
 ゼエン教やら何やらありますから、死後の世界を説く所もあるでしょうし、敵も味方も技名に天国地獄絡み沢山あるから大丈夫とは思いますが……。


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39「善良」

 ──石造りの空き家に身を潜め、息を整える一行。

 ──騒ぎの二次災害で火が点き、燃え尽きた後のようで、屋内は広々として煤だらけだった。

 ──使われていたグラスは全て蜂起した後のようで、窓一枚残っておらず、建材に使われたグラスが抜け出たらしく不自然に傾いていた。

 ──グラス人形の大群に追われ、大通りを外れ、手近なこの家に飛び込んでいた一行。

 ──人形たちは再び島民探しに戻ったらしく、追ってくる影はない。

 

 

 

アンナ

「──そ……そういう事、らしくて……だから、カレーニャは……」

 

ルリア

「じゃあ、カレーニャちゃんは小さい頃から、ずっと……」

 

カタリナ

「成る程……納得するには充分だ。……いや、充分過ぎる」

 

ビィ

「何か、飛び飛び過ぎてオイラはイマイチ実感湧かねえんだけど──」

「とにかく、この島の奴らがヒデェ連中で、カレーニャとカレーニャの家族がヒデェ目にあったって事だよな?」

 

カタリナ

「まあ、ひとまずはそんな所で良いだろう。ただ、この島の者は──」

「……いや、何でも無い。ともあれ、話が断片的なのは恐らくカレーニャに配慮しての事だ。やむを得まい」

 

 

 

 ──様子見と休憩を兼ねてしばらく空き家に留まっていた一行。

 ──誰ともなく、アンナがこの事件について何か知っている様子なのを疑問に思い、改めて問われたアンナがドリイに託された本について打ち明けた。

 ──とは言えその全てを開示し、カレーニャの過去を暴露するのは大いに気が引けた。

 ──そのため、オブロンスカヤがこの島からどう思われ続けて来たかをざっくりと説明し、ビィ達の質問に大いにぼかしながら答えるのみに留めた。

 ──同時に託されたグラスや、ドリイが書き加えた末文といった部分には全く触れなかった。

 ──こちらは単に、話題に直接絡む事柄でなく、アンナの会話スキルもそこまで言及できるレベルで無かったためだ。

 

 

 

アンナ

「ご……ごめん、ね……。ボク、お話しするの……上手くないし……」

 

カタリナ

「そんな事はない。本当なら私達にも知らせたくなかったはずだろうに。よく話してくれたな。アンナ」

 

アンナ

「……このまま、皆だけ何も知らないままじゃ……多分、ダメだと思ったから……」

 

 

 

 ──グラス人形が近づいてくる気配も無いため、移動を再開する一行。

 ──見知らぬ道に入り込んで、無我夢中で駆けてきたため、大通りへの道を探してしばらく彷徨い歩いたが、どうにか見覚えのある通りと建物を見つけた。

 

 

 

カタリナ

「しめた、例の服屋だ。ここからなら道もわか──ん?」

 

 

 

 ──アンナの服を見立ててもらったブティックを見つけた一行。店先を通り過ぎようとした矢先、店内から悲鳴が聞こえてくる。

 

 

 

ビィ

「まだ生き残りが居るみてぇだ。早く助けねぇと!」

 

カタリナ

「いや待て。声がこちらに近づいてくる。皆、扉の脇で待機だ。いつでも戦えるように備えろ!」

 

 

 

 ──格調高い正面玄関のすぐ横に、二手に分かれて張り付く一行。

 ──その瞬間、カタリナの読み通りに玄関が跳ね飛ばすように押し開かれ、10を超える店員と客が濁流のように飛び出してくる。

 ──あのまま飛び込んでいたら逆に団長達の方が押し倒されて居たかも知れない。

 ──扉を率先して開いていたらしい2人の店員が最後に出てきて扉を閉めた。片方は若い男性。もう片方は昨日も会った、ベテラン風の女性店員だった。

 

 

 

男性店員

「チーフ! お客様の人数、変わりありません!」

 

女性店員

「なら、あなたはお客様とスタッフ達を例の場所へ。私は裏口を見てきます!」

 

男性店員

「だ、駄目ですチーフ! ニコラの努力を無駄に──」

 

女性店員

「私にあの子を見捨てろって言うの!?」

 

男性店員

「そうは言っても──うわぁっ!」

 

 

 

 ──ドアを抑えつけながら言い争っていた2人が吹っ飛ばされ、今度こそ文字通りに玄関を跳ね飛ばして、店内からグラス人形が現れた。

 ──男性ドラフ程のサイズが2体。店内で暴れて引っ掛かったらしい衣服が纏わりついているが、まるで支障無いようだ。

 ──悲鳴と共に我先にと散り散りに逃げ出そうとする生存者達。しかし彼らの足より早く、団長とカタリナの不意打ちがグラス人形の足を砕いた。

 ──それを確認してルリア達が生存者に呼びかける。

 

 

 

カシマール

「シズマレー! シズマレーイ!」

 

ルリア

「皆さん、じっとしていてください! 魔導グラスさんは私達が何とかします!」

 

ビィ

「街中こんな状況なんだ。無闇に逃げ回ったって危ねぇだけだぞぉ!」

 

 

 

 ──呼びかけ以上に、団長達が見る間にグラスを無力化していく様が効き、生存者達は足を止め2人の活躍に見入った。

 ──念入りに砕き、グラスが形状を維持できなくなり、光る灰のように消えていくのを確認して手を止める団長達。遮る物を失った玄関から店内を覗き見るが、他にグラスは見当たらない。

 ──団長に警戒を任せ、落ち着きを取り戻した生存者にカタリナが事情を聞く事にした。

 ──アンナ達を覚えていたベテラン風の女性店員が受け答えに応じた。

 

 

 

カタリナ

「貴方がたは、ずっと店内で避難を?」

 

女性店員

「はい。この店の方針で、魔導グラスの利用は最低限だったもので……」

「暴れ出したグラスを、ラックや服で手当たり次第に個室に押し込んで、事が収まるまで待つ事にしたのですが──」

「どこからかあの人形が入り込んで、部屋を壊して他のグラスも──そうよニコラよ!」

 

 

 

 ──何か思い出すなり、血相を変えてカタリナの手に縋り付く店員。

 

 

 

女性店員

「ニコラが、ニコラが私達を助けるために、グラスを引きつけて店の奥に……どうか、どうか助けてやって下さい……!」

 

カタリナ

「ニコラ殿が……!」

「助けに行きたいのは山々だが、しかし彼らは……」

 

 

 

 ──他の生存者に目を向けるカタリナ。

 ──ここまで助けてきた島民達には、仲間たちが奮闘してくれている発着場に向かうよう指示した。

 ──しかしここから発着場まではかなり距離がある。

 ──生存者を護送していたのではニコラは絶望的だ。それにカタリナ達の主目的は図書館にあり、来た道を戻らなくてはならない。

 ──二手に分かれるにしても、この中でグラスに直接対抗できるのは団長、カタリナ、アンナの3人。少数精鋭で来た以上、簡単には人員を割けない。

 

 

 

女性店員

「私達なら心配いりません。すぐそこの路地に隠れ家があるんです」

 

カタリナ

「隠れ家?」

 

 

 

 ──店員が路地の一つを指差しながら説明する。

 ──その路地の一角には、もしもの時に備えて、魔導グラスを一切使わずに築いた避難所があるのだと言う。

 ──ついでに聞いた特徴から、その路地がアンナを介抱し、カレーニャ達と出くわしたあの丁字路である事に気付いた。

 

 

 

カタリナ

「(そう言えば、カレーニャ達と最初に会った時も、丁度服屋でニコラ殿と話した帰りだったとどこかで聞いたような……)」

「解った。ならその路地までは我々が付いて行こう」

「皆、この方達の警護を頼む。私はニコラ殿の救出に向かう」

 

ビィ

「あ、姐さん1人でか!?」

 

カタリナ

「店員の話を聞く限り、残っているグラスはそう多くないはずだ」

「むしろ街中の方が、大群が物陰に潜むには丁度いい。くれぐれも気をつけてくれ」

 

 

 

 ──団長達は生存者を路地まで見送ってから図書館へ。

 ──カタリナもニコラの安否を確認し、無事なら連れ出して路地に送ってから独自に図書館へ向かう事となった。

 ──団長達が他の店員達と、人数の確認と隊列を模索し始めた。その間にカタリナが女性店員に問いかけた。

 

 

 

カタリナ

「ニコラ殿を案じている時に済まないが、1つだけお聞かせ願えないだろうか」

 

女性店員

「構いません。私で良ければ何なりと」

「既にあの子と別れてから大分経っていますし……でもあの子なら、きっと持ち堪えていてくれると信じています!」

 

カタリナ

「感謝する……」

「先程の話を聞いてどうしても気になった事がある。何故あんなひっそりとした路地に避難所を?」

「そういった設備は普通、もっと人が集まりやすく、安定した立地に設ける物だと思うのだが」

 

女性店員

「それでしたら、まさに()()()()時のためですよ」

 

カタリナ

「と、言うと?」

 

女性店員

「旅行者の方からも見ての通りですが、カレーニャは本当に酷い娘なんです──」

「今までも沢山の人が、カレーニャとその家族に苦しめられて来たんです」

「それでも人の子だからと、彼女の両親が死んだ後は誰も自粛してましたが、それでも皆解ってたんですよ」

「『カレーニャは今に、自分の楽しみのために私達を甚振りに来る』って」

「だからこんな日のために、プラトニア市民達で密かにカレーニャに立ち向かうための拠点を、島のあちこちに作って来たんです」

 

カタリナ

「……──」

「……そうか」

 

 

 

 ──拳を痛いほど握るカタリナ。言い返す事の無意味さが解らないような人生は辿っていない。

 

 

 

女性店員

「ニコラの事、宜しくお願いします」

「私達も避難所で落ち着いたら、必ず戦います! あの恩知らずのカレーニャに、ニコラの悲しみを思い知らせてやるんですから……!」

 

カタリナ

「恩知らず……?」

 

女性店員

「ニコラは昔、オブロンスカヤの小間使いの子だったんですよ」

「雇い主だとか関係なく家族ぐるみで仲が良くって、幼いカレーニャは姉のように慕ってくれたと、ニコラはいつも嬉しそうに……」

 

カタリナ

「それが、何故こうしてこの店の店員に──」

 

女性店員

「オブロンスカヤのせいなんです!」

「自分達の勝手で評判が悪くなったのに、勝手に人間不信に陥って家の者を残らず解雇したんです」

「魔導グラスのせいでどこも不況の真っ只中なのに、オブロンスカヤに雇われたばっかりに心無い人達に中傷されて、ニコラのご両親は若くして……」

「幼いニコラを、私が引き取って面倒を見てきたんです。血は繋がらなくても、あの子は私の娘です!」

「ニコラに面倒見てもらった恩も忘れて、あんな良い子を理不尽に追いやって、その上こんな仕打ちなんて──私は、絶対にオブロンスカヤだけは許せないんです!!」

 

 

 

 ──ニコラの苦難を想う店員の目には美しい涙が溢れ、瞳は嘘偽りのない真心と、確かな憤りで輝いていた。

 ──ルリア達が怪訝そうにこちらを見ている。ぼろぼろに泣き崩れながら放たれるくぐもった店員の声は、相対するカタリナにしか上手く聞き取れていない。

 ──カタリナは顔を曇らせ、堪えるように歯を噛み締め、店員の肩に手を置いた。

 

 

 

カタリナ

「……ニコラ殿は……必ず助ける……」

 

ルリア

「あ、カ、カタリナ──?」

 

 

 

 ──それだけ告げて、足早にブティックへ向かうカタリナ。

 ──呼び止められて立ち止まるが、顔はルリアに向けない。

 

 

 

カタリナ

「──すぐに追いつく。頼んだぞ。ルリア」

 

 

 

 ──そのままブティックの中へと消えていってしまった。しかしカタリナを案じている暇はない。

 ──顔を覆ってその場に座り込む女性店員を助け起こし、路地までのごく僅かな道のりを慎重に歩みだす一行。

 ──家々の明かりは殆ど消え失せ、炎上した家屋も大方燃え尽き、いよいよ島は暗闇が支配し始めていた。



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40「正当」

 ──団長達が生存者を路地まで無事に連れて行くと、もう既に全員がその場所を知っていたようで、一行に礼を返しながらも我先にと路地の向こうへと駆けていった。

 

 

 

ビィ

「あ、おい待てって。まだグラスがその辺に居るかも──」

 

 

 

 ──ビィが止める間もなく、一刻も不安から逃れようと路地の向こうへ去っていく生存者達。

 ──10人単位で通り抜けるには路地は狭く、無理に制してでも先頭に立つべきだったかと焦る一行。

 ──だが、丁字路に差し掛かった先頭集団がそのまま特に驚く様子もなく道を曲がって行った。幸いにも危険は無かったらしい。

 ──念のために生存者達の後を追うと、昨日アンナを介抱した辺りで、最後尾の人影が壁の何処かを引っ張るような仕草をしている。そしてその向こうへ滑り込むように消えていった。どうやらあの近くに隠れ家があったらしい。

 ──生存者の安全を信じて、隠れ家らしき地点を過ぎ、団長達も大通りへ抜けた。先程カレーニャと対峙した時よりも一層暗くなってきている。

 

 

 

ルリア

「結局、隠れ家がどんな所か解らないままでしたけど、皆さん、本当に大丈夫でしょうか」

 

アンナ

「隠れ家は、魔導グラスを使ってないって言ってたから、大丈夫……だと、思うけど……」

 

ビィ

「まあ、入った途端にもうグラスに荒らされてたってんなら、1人くらい飛び出したり叫んだりしてるだろうしなぁ……」

 

主人公(選択)

・「今は信じるしか無い」

・「襲われてても今更助けられない」

 

→「襲われてても今更助けられない」

 

ビィ

「止めろよぉ……団長(オマエ)は相変わらず変な所でドライだよなぁ」

 

アンナ

「それと……皆、さっき、カレーニャが街の人達を襲った時の事、覚えてる?」

「カレーニャが……う、撃たれた時の……人達……」

 

ビィ

「お、おう……でもそれがどうかしたか?」

 

アンナ

「あの時ね……」

「その……カレーニャが『悪魔』になるために死んだ……って、街の中で噂になってたって、島の人の誰かが言ってて……」

「カレーニャも……その事を知ってるみたいだった……噂を誰が言い出したかまで……」

 

ビィ

「そういや、オイラもそれ聞いたな。確か、『朝っぱらから酔っぱらいが言いふらした』──みたいな事言ってたはずだぜ」

 

ルリア

「私も聞きました……けどカレーニャちゃん、何でそんな事まで?」

 

アンナ

「ここに来るまでも、何度か気になってたんだけど……」

「多分、カレーニャ……魔導グラスを通して、この島を見てるんだと思う……昨日の夜から……」

 

ビィ

「グラスを通して……見てるだぁ?」

 

 

 

 ──アンナの推理では、この島の魔導グラスが認識した映像や音を、カレーニャはどこに居ても見聞きできるのでは無いかとの事だった。

 ──ショーウィンドウのグラスを巨大なグラス壁に変え、窓ガラス代わりのグラスの中へと消えていったカレーニャ。理屈は解らないが、彼女は恐らく昨夜の一件を通して、魔導グラスと一心同体になっている。

 ──グラス越しに島の状況を読み取る事で、今朝に酒場で交わされた会話を拾い、噂が広まっていく様を見届け、夜にはブティックのグラスが全て対策されたのを知りグラス人形を送り込んだのではないか。

 

 

 

ビィ

「う~ん……確かにそう考えりゃぁ辻褄は合うけどよぉ……」

「だったらカレーニャの奴、生き残ってる島の人間がどこでどうしてるかとか、全部お見通しなんじゃねぇのか?」

「何ならオイラ達が図書館に行こうって決めたの知って、すぐに発着場をあのグラスの壁で閉じ込めたりできただろうしよ」

 

アンナ

「多分だけど……全部を一遍には見られないんじゃないかな」

「い、一度に沢山の人に話しかけられたら、何を言ってるか聞き取れないみたいに……グラスの1つ1つが見たり聞いたりした事から、その時々で幾つか選んでる……とか、かなあ?」

 

ビィ

「かなあって言われても……」

 

ルリア

「でも、カレーニャちゃんが遠くからグラスで見たり聞いたりできると、何で服屋さんの人達は大丈夫なんですか?」

 

主人公(選択)

・「隠れ家はカレーニャに見つからない」

・「グラスが無ければ大丈夫」

 

→「隠れ家はカレーニャに見つからない」

 

アンナ

「そ、そう、それ! だ、団長さん、ありがとう……!」

「グ、グラスから島の様子を見てるって事は……グラスを使ってない隠れ家は、外を歩いているグラスに見つからない限りは、安全なはずなんだ……」

 

ビィ

「なるほどなぁ。グラスが無い所までは確かめようが無いって訳か」

 

アンナ

「うん。島の人が通った道とか、ずっと見てたんだけど、グラスはどこにも無かったから……た、多分、隠れ家に逃げ込む所も、見つかってないはずだよ」

 

 

 

 ──話していると、大通りの向こうに数人の人影が見えてきた。

 

 

 

ビィ

「お、また生き残りか。隠れ家の事とか教えてやんねぇとな。おーい!」

 

アンナ

「ッ……!」

「ビ、ビィくん待って」

 

 

 

 ──話しかけに行こうと飛んで行くビィにアンナが咄嗟に手を伸ばす。

 ──その手がビィの尻尾をむんずと掴み、自らの推進力で自らの尾を引き伸ばすビィ。

 

 

 

ビィ

「いっでぇ!!」

「な、何すんだよアンナぁ……」

 

アンナ

「ご、ご、ごめんね……でも、行っちゃダメ──」

「あ、あれ……魔導グラスだから……!」

 

 

 

 ──暗がりで、団長達の目には人型の影が蠢いているようにしか見えない。

 ──だがアンナの目はこの闇の中でも健在だったようだ。

 ──先程の隠れ家談義とは打って変わって、確信に満ちた声で注意を呼びかけるアンナ。

 

 

 

ビィ

「だったら尚更じっとしてる訳にはいかねぇぜ。オイラ達はこの先に用があんだからな!」

 

 

 

 ──意気込むビィ。団長も同感とばかり武器を取る。

 ──すると、人影はまるで団長達の行動を悟ったかのように、急に景色の隅の方へと歩んでいく。

 

 

 

ルリア

「あ、グラスさん達、どこかへ行っちゃいました」

 

アンナ

「み、皆、走って。島の人を、見つけたのかもしれない……!」

 

 

 

 ──駆け出す一行。

 ──アンナの予感は的中した。グラス人形が消えた辺りから一本の路地が伸びているのを暗闇でも捉えられて来た頃、その路地から女性の悲鳴が届いた。

 ──路地に飛び込むと、三体の大型グラス人形が路地の幅一杯に並んで奥へ奥へと直進している。

 ──人形たちの奥から子供の声が聞こえる。

 

 

 

子供の声

「そ、そそ……それ以上、近づくんじゃねー! たた、タダじゃお置かないぞ……!」

 

 

 

 ──どうやら間近まで迫られているようだ。一刻を争う。

 ──団長が飛びかかるが、脇を固める2体が振り向き団長への防衛を始め、決定打が通らない。

 ──そうこうしている間に中央の1体が腕をゆっくりと振り上げる。背を向けたままに構えたその拳は十中八九、団長達に向けたものでは無い。

 ──考えている暇は無いと中央の人形に突撃する団長だが、焦る余り気付いていない。その死角から「待ってました」とばかりに二体の人形の拳が迫っている……。

 

 

 

アンナ

「だ……団長さん、伏せて!」

 

 

 

 ──アンナの声にすんでの所で我に返り、瞬時に指示に従う団長。滑り込むように石畳に寝そべった直後、その直上を帯状の炎の塊が”虹色”に輝いて駆け抜ける。

 ──周囲を照らす鮮やかな光と背中の熱気が失せた頃に団長が顔を上げると、3体のグラス人形は足首を残して消滅していた。

 ──両隣の建物は石造りなのもあり、若干の煙を残すだけで殆ど燃えていない。よしんば燃えたとして、既にこの辺り一帯は倒壊した家屋ばかりだ。被害は大差無かっただろう。

 

 

 

ビィ

「い……今、何かすげえ技が出なかったか……?」

 

ルリア

「火の色も、とっても綺麗で……」

「そう言えば、昨夜も見たような……?」

 

アンナ

「あ……あれぇ?」

 

 

 

 ──呆気にとられながらアンナを見る一行。アンナ自身も何が起きたのか解らないと言った顔をしている。

 ──本人に聞いても今は仕方が無さそうだと判断し、団長がグラスに襲われていた島民の保護へ向かい、ルリアとビィもそれに続く。

 

 

 

アンナ

「(これって……やっぱり……)」

 

 

 

 ──グラス壁の時と言い、アンナ自身から見ても今のアンナの力は異常だった。そして、アンナにはその力の理由に心当たりがあった。

 ──胸元をきゅっと握りしめて、今は考えている場合じゃないと自分に言い聞かせて団長達の後を追う。

 

 

 

少年

「な……何が、起きたんだ……?」

 

 

 

 ──グラス人形の向こうで、材木の破片を握った幼い少年も呆然とこちらを見ている。あんなに強大な存在が一瞬で蒸発したのだから無理もない。

 ──少年と、その背後でへたり込んでいた女性とを保護した一行。

 ──話を聞くと、どうやら2人は親子で、今の今まで命からがら逃げ惑い、先の団長達同様、倒壊した近くの建物の中で休んでいたらしい。

 ──グラス人形の足音が聞こえて逃げようとした所、却って運悪くその人形たちに気づかれてしまい、少年は転んだ母を守るため立ちはだかっていたと言うのが、先程までの顛末のようだ。

 

 

 

母親

「本当に、何とお礼を言って良いか……」

 

ルリア

「気にしないでください。お怪我も無くって何よりです」

 

 

 

 ──だいぶ疲れているだろうに、しきりに頭を下げる母親。線の細い優しげな雰囲気で、感謝に満ちた瞳を見ているだけでルリアも温かい気持ちになる。

 ──ルリアは屈んで、隣の少年にも語りかける。

 

 

 

ルリア

「君も、お母さんを守って、とっても格好良かったですよ」

 

少年

「へ、へん! あれくらい、オレだけでも何とかなったぜ!」

 

ビィ

「ハハッ! この調子なら心配無さそうだな」

 

少年

「あったりまえだ。オレはドリイさんみたいに強くなるんだ。父ちゃんが居ない間はオレが母ちゃんを守るんだ!」

 

ルリア

「ドリイさん……?」

 

少年

「父ちゃんがいつも言ってるんだ。『ドリイさんみたいに立派になれ』って」

「言われなくたって、オレだってドリイさんみたいになりたい。だからドリイさんがカレーニャやっつけたみたいに、オレもカレーニャの手下くらいやっつけてやるんだ」

 

ルリア

「ぁ……」

 

母親

「この子ったらまたそんな事言って……」

 

ビィ

「そ……そうだぜ。そもそもカレーニャは、その……」

 

母親

「そうよ。カレーニャは、私達がやっつけないといけないのよ」

 

 

 

 ──母親が少年を優しく、哀しげに抱きしめる。

 

 

 

母親

「ドリイさんは立派な人だったわ。だけど──」

「私はカレーニャをやっつけても、それでお前まで居なくなってしまうなんて嫌よ」

「ドリイさんはもう居ないの。だから『ドリイさんみたいに』じゃないわ。『ドリイさんよりも』立派に、強く生きて頂戴……」

 

少年

「母ちゃん……うん。解った」

 

ビィ

「い……いやぁ、だから……」

 

 

 

 ──ビィが口をモゴモゴさせていると、母親がハッと何か察してこちらに向き直る。

 

 

 

母親

「あ、そうだったわね。ごめんなさい私ったら──」

「今は、皆さんが代わりに魔導グラスを退治して下さってるのですものね」

「どこか、少しでも安全な場所をご存知でしたら教えて下さい。皆さんのご迷惑にならないよう、ちゃんと待っていますので」

 

ビィ

「うぅ……」

 

ルリア

「あ、え、えと、それでしたら、島の皆さんが作った隠れ家があるらしいですよ!」

 

母親

「まあ、噂は本当だったのですね。場所さえ教えて頂ければ、自分達で向かいますので──」

 

少年

「何だよ隠れ家ってー。そういうの泥棒とかが逃げる時に使うヤツじゃん」

 

母親

「こういう使い方もする言葉なのよ」

「大丈夫。今は隠れるしか無くっても、皆で力を合わせれば何だって乗り越えられるわ。今は皆で集まって、どうやってカレーニャに勝つかを話し合いましょう」

 

少年

「ちぇー。せめてカレーニャがどこに隠れてるか解れば皆でやっつけに行けるのになー」

 

ルリア

「あ……あは、は……」

 

 

 

 ──ルリアは引きつった笑みを浮かべるのが精一杯だった。ビィは言いたい事が山積みになり過ぎて、もう何が言いたいかも解らなくなって頭をひっかくような捏ね回すような仕草をして小さく唸っている。

 

 

 

少年

「お姉ちゃん達も頑張ってな。カレーニャなんて卑怯な奴に負けるんじゃねえぞ!」

 

ルリア

「う……うん。が、がんばるね……」

 

少年

「心配すんなって。カレーニャなんて、本当は全然弱っちいんだ」

「魔導グラス造る以外に何もできねーし、家に引き込もってばかりでまともに人と話せないんだぜ?」

「それに魔導グラスでラクしすぎて、婆さんみたいにちょっと歩いただけで息が上がるんだって皆言ってるんだ」

 

ルリア

「そ、それは、あのね……」

 

 

 

 ──楽しそうに語るその笑顔が眩しく、それが苦しい。少年のカレーニャへの悪口は尚も続く。

 ──母親も言葉遣いの悪さを窘めながらも、元気を取り戻した息子を頼もしげに見守るばかりだ。

 ──流石に聞くに堪えず、ルリアが口を挟みたがっているが、こんな時に何と言ってやれば良いのか解らずまごつくばかり。

 ──その時、2人の間にねじ込むように、見慣れた人影が割って入った。

 

 

 

ルリア

「あ……アンナ、ちゃん?」

 

アンナ

「キミは……」

 

 

 

 ──ボソッと呟いて、少年の両肩に手を置くアンナ。

 ──膝は曲げず前かがみに。やや覆いかぶさり気味に見下ろしながら少年に語りかける。

 ──その表情は夜闇に霞み、僅かな明かりさえ逆光となり定かでない。

 

 

 

アンナ

「キミは……カレーニャの事、嫌い?」

 

少年

「うん!」

「って言うか、この島でカレーニャの事が好きって奴なんて居る訳ないよ」

 

 

 

 ──屈託なく、むしろ誇らしげに語る少年。

 

 

 

アンナ

「……どうして?」

 

少年

「どうしてって……だって、カレーニャに味方するような奴なんて学校じゃ先生に怒られるし、皆からも仲間はずれにされるんだぜ?」

「こないだだって作文の授業で『カレーニャのグラスで皆が助かってる』なんて書いた奴がいて──」

 

アンナ

「そうじゃない。どうしてキミはカレーニャが嫌いなの?」

 

少年

「ん……? 何言ってんの姉ちゃん……?」

「だから皆がカレーニャは悪い奴だって言ってるんだって。父ちゃんも母ちゃんもそうだよ。父ちゃんなんか図書館の受付やる前は『ぼーえき』って仕事してたけど、カレーニャのせいで仕事できなくなって大変だったって──痛っ!?」

 

 

 

 ──さっきまで肩に軽く置いていただけだったアンナの手はブルブルと震え、か細い指が少年の肉を裂かんとばかりに握りしめられている。

 ──少年が反射的に身を飛び退かせようとするも、アンナの手が逃してくれない。

 

 

 

アンナ

「キミは……カレーニャに何かされたの……?」

 

少年

「姉ちゃん、手ぇ痛いって──」

 

アンナ

答えて!!

 

少年

「ヒッ!?」

 

アンナ

「カレーニャがキミに何かしたの……お父さんでもお母さんでも友達でも無い、キミに……!」

「カレーニャに会った事あるの? カレーニャと話した事があるの? カレーニャが何か悪い事したの……キミは、それを直接見た事あるの!? ねえ!!」

 

ビィ

「お、おい、アンナのヤツ何だかヤベェぞ!」

 

 

 

 ──異常を察して団長と母親が両者を引き剥がす。

 ──何者が自分を(いまし)めているかも解らない様子で抵抗するアンナの形相は、先だってグランサイファーで豹変した時とそっくりだった。

 ──否、より酷いかもしれない。唸る獣のように鼻筋を限界まで引きつらせ、目は抵抗する最中にも少年だけを睨みつけ、解放してしまえば喉笛にでも食いつかんばかりだった。

 ──我が子を抱き寄せた母親が強くアンナを睨み返した。

 

 

 

母親

「急に何をするんですか!」

 

ルリア

「アンナちゃん、駄目です! 落ち着いて──」

 

アンナ

「カレーニャはっ! カレーニャはそんな()じゃない! 何も知らないのに、酷い事言わないで!!」

 

少年

「な、何なんだよこの姉ちゃん、おかしいよ……」

 

 

 

 この世ならざるものを見るように青褪めた顔で困惑する少年。

 少年を庇う母親が、アンナを睨み返して叫んだ。

 

 

 

母親

「何も知らないのはあなたの方じゃないですか!」

「そりゃあ私達みたいな一般人が、仮にも貴族のカレーニャと直接面識なんてありませんよ。でも!」

「この島の誰もが思い知っているんです。魔導グラスに振り回された20年を。オブロンスカヤに富を吸い上げられ苦しめられてきた人々を!」

「カレーニャがグラスを作り始めてから、生活は便利になっても懐は苦しくなるばっかり。悪徳貴族を私達平民が許さない──これはそんな当たり前の話じゃないですか!」

「第一、悪事ならもう目の当たりにしてるじゃないですか。グラスに島を襲わせるなんて、カレーニャ以外に誰が出来るって言うんです!」

 

アンナ

「だからッ! だからカレーニャは──キャッ!?」

 

 

 

 ──団長がアンナを抱えて走り去った。

 ──これ以上、アンナをこの場に置くのはお互いのためにならない。最悪、民間人相手に魔法を行使せんばかりの剣幕だった。

 

 

 

ビィ

「あ、オイ待てよぉ!」

 

ルリア

「お、置いてかないでくださ──あぁぁ、忘れてた!」

 

 

 

 ──慌てて後を追うビィ。ルリアも走り出そうとするが、第一歩に急ブレーキをかけて親子に振り向く。

 

 

 

ルリア

「す、すみません! アンナちゃん、ずっと戦ってばかりで疲れちゃってて──」

「あと、隠れ家は、おっきな服屋さんの近くの路地です。お気をつけて!」

 

 

 

 ──ペコっとお辞儀して改めてビィの影を追うルリア。

 ──呆気に取られる親子だったが、先に我に返った少年が肩を擦りながら溢す。

 

 

 

少年

「何だよ、あの姉ちゃん……もしかしてカレーニャの仲間なのか?」

「痛ってー……今度会ったらカレーニャとまとめてとっちめてやる……!」

 

 

 

 ──そんな少年を母親は優しく抱きしめて諭す。

 

 

 

母親

「駄目よ。人は無闇に傷つけ合ったりしてはいけないの」

「次に会う時は優しく迎え入れてあげて。そして私達の事をちゃんと知ってもらうの。落ち着いて話し合えば、人はきっと解り合えるのだから」

「あの人達は、きっとカレーニャに何か騙されているだけなのよ。──可哀想に」

 

 

 

 ──母親は、一行が消えた道の先へ憐憫の眼差しを向ける。

 ──瞳には哀しみの中に、きっといつか手を取り合えると信じる、確信に似た希望が満ちていた。

 ──その後、少年に大した怪我が無い事を確かめた親子は、ルリアから聞いた隠れ家を目指して慎重に歩き始めた。




※ここからあとがき

 隠れ家の描写を考えるのが面倒だったので、とにかく見分けが付かないくらい見事な隠れ家だったって事で押し切っています。
 特に伏線とかいう事はありませんので、適当に流しておいて下さい。


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41「ニコラとオブロンスカヤ」

 ──団長達が親子を狙うグラス人形たちに遭遇していた頃、ブティックではカタリナがニコラの捜索を続けていた。

 ──予想通り、店内のグラスの数は少ない。否、むしろ少なすぎる。

 ──店内の半分以上を調べ終えたはずなのに、先程洒落た造りのトロッコ型グラスを叩き割り、それでようやく3体目。

 ──どこかにもう少し固まっているのかも知れない。もしその渦中にニコラが居たら……。

 ──逸る心を抑えつつ、カタリナは部屋を1つずつ、無事に残っている服だらけのラックの隙間まで念入りに確かめていく。

 ──避難した店員の話では「奥に逃げた」との事だが、そこから難を逃れてどこかに身を潜めているかもしれないからだ。

 ──構造も詳しくないのに、いきなり最奥まで踏み込んで不発となれば、玄関と裏口両方面を調べ直す事となり、手間も危険も倍増する。

 ──また、余りにも見当たらないグラス達がどこかに紛れ込んでいるとも限らない。グラスとニコラ、どちらかを見過ごして両者が鉢合わせるような事態は避けねばならない。

 

 

 

カタリナ

「ニコラ殿! 居るか! 無事なら返事をしてくれ!」

 

 

 

 ──何度目かの呼びかけを試みながら汗を拭うカタリナ。返って来る音は無い。

 ──こう言った場所は、熱がこもりやすく、音が響きにくい。

 ──無事であったとしても、隠れている場所によっては未だこちらに気付いていないかもしれない。

 

 

 

カタリナ

「(魔導グラスに飲み込まれていたら跡形も残らない……頼む、せめて身に着けていた品の1つでも……)」

「くっ……馬鹿を言え!」

 

 

 

 ──何度目かの弱気を振り払い、自らを叱咤する。

 ──もちろん救出するつもりだが、何の収穫も無い現状は着々と焦りを募らせていく。探す場所ももう残り少なくなってきたその時……。

 

 

 

カタリナ

「あれは……何の光だ?」

 

 

 

 ──真夜中の屋内。照明は大半が破壊されている。幸いにも出火を免れたばかりに、店内は所々に差す月光と奇跡的に残った数える程度の照明の灯以外、暗闇に慣らした目だけが頼りだった。

 ──その中で、明らかに炎とも天体とも異なる異質な光が遠くに見えた。積み上がった瓦礫と衣類の向こうから木漏れ日のようにこちらへ伸びている。

 ──火のような揺らめきのない人工的な光量。しかしながら時折、明滅を繰り返している。切れかけの蛍光灯を思わせるが、この空の世間一般にそんな技術は存在しない。カタリナには全く異質な瞬きだった。

 

 

 

カタリナ

「何かあるなら──まずはそこから確かめる!」

 

 

 

 ──己に言い聞かせるように口に出して、瓦礫を乗り越え突き進むカタリナ。

 ──幸い、散乱した備品以外に前進を邪魔する物も無く着々と光源へとたどり着く。

 ──そして、光がどこかの部屋の中から漏れている事が解る。それと同時に、ハッと身構えた。

 ──光源とカタリナとの境で不自然に光を反射し、あるいは屈折させる物体がある。それも複数。

 

 

 

カタリナ

「魔導グラス──やはりまだこんなに……!」

 

 

 

 ──グラス達は部屋の前に(たむろ)したままでカタリナに気付く気配は無い。

 ──慎重に距離を詰めていくカタリナだったが……すぐに違和感に気づいた。

 ──光に照らされたグラスのどれもが微動だにしていない。床にはグラスの鳩が転がってさえいる。

 

 

 

カタリナ

「……停まっている?」

 

 

 

 ──剣先で小突いてもビクともしない。より強く押してみれば、バランスの悪い物は簡単に倒れてしまう。

 ──不自然に機能を停止したグラスにしばらく気を取られていたカタリナ。ふと顔を上げると、カタリナが来た方とは反対側……光る部屋を挟んだ向こうの通路から、まだ稼働している別のグラスの鳩が近づいてくる。

 

 

 

カタリナ

「しまった……!」

 

 

 

 ──光を放つ例の部屋まではまだ距離がある。

 ──その部屋の中にニコラが居るとすれば、救助する前に邪魔なグラスを踏み越えねばならない。

 ──その間に鳩がニコラを捕捉したなら、自分の方が確実に遅れを取る。

 ──だからと言って黙って見ている訳にも行かないと、殊更に音を立てて注意を惹きつけながらグラスへ突き進まんとするカタリナ。

 ──しかし2,3歩進んだ所で足が止まった。

 ──飛んでいた鳩が、殺虫剤を浴びた羽虫のように突如、地面に転がり落ちたのだ。

 

 

 

カタリナ

「──何が起きた?」

 

 

 

 ──落ちたグラスに歩み寄り、拾い上げるカタリナ。別段、変わった所は無い。

 ──記憶を頼りに、グラスが動きを止めた辺りに掲げてみる。そこで「もしや」と勘付いた。

 ──グラスが飛んでいたその位置は、停止したグラス人形の頭部分のすぐ真横。そして鳩は、その位置に掲げた時だけ、グラス同士の反射と屈折の繰り返しの末にその身に僅かに光を照り返していた。

 

 

 

カタリナ

「光を浴びて……停まった?」

 

 

 

 ──限りなく乳白色だが、微かに虹色を湛えて見えるその光は、今も扉を失った部屋の向こうから漏れて、カタリナの頬をも淡く照らしている。

 

 

 

カタリナ

「ここは──確か、試着室……」

 

 

 

 ──周囲に散らばる備品と、出入り口や壁との位置関係に見覚えが有った。

 ──カレーニャがアンナを拘束して連れ込んだ例の試着室だった。

 ──室内の光景が妙に眩しく像を結びづらいのは、恐らく壁に張られた鏡が光を反射し合っているからだ。

 ──この中にニコラが居てくれるなら……。

 ──光の正体が鬼でも蛇でも望む所と、カタリナは躊躇う事無く室内へと乗り込んだ。

 

 

 

カタリナ

「ニコラ殿! ニコ……ッ?」

「これは──何が、起きたんだ?」

 

 

 

 ──光に目が慣れ、試着室の惨状に息を呑むカタリナ。

 ──ひしゃげたラックの数々に衣類が蔦のように捩れて巻き付き、そこかしこに転がっている。

 ──室内にも複数のグラスが屯しているが、やはりこれらも機能を停止して無粋なインテリアと化している。

 ──しばらく明滅していた光が段々と弱くなっている事に気付くカタリナ。

 ──光が小さくなれば、自ずと光源も特定しやすい。目で追っていくと、試着室の入り口真正面の一部。集中したグラスの群れに遮られたその向こうから、光が放たれている事が解る。

 ──3m級のグラス人形達が膝を突いて停止し、光源を弾き捻じ曲げ続けている。これが邪魔で潜り抜ける余地がない。剣で人形を叩き割ると……。

 

 

 

カタリナ

「居た──ニコラ殿!!」

 

 

 

 ──頭から血を流し、壁に力なくもたれるニコラを発見した。光はその手のピンキーリングから発せられていた。

 ──駆け寄り、揺り起こしたい衝動を抑えて容態を確認するカタリナ。

 ──気を失っているようだが、息はしている。目立った異状もなく、脳を損傷していない限りは大事無い。

 ──他に足首が腫れ上がっているが、こちらも骨に異常は無い。歩行は困難だろうが、回復魔法で処置すれば後は肩を貸せば良いだけの事だ。

 ──軽く頬を叩きながら何度か呼びかけると、ニコラが薄っすらと目を開け、瞳が指輪の残光を頼りにカタリナを捉えた。

 

 

 

ニコラ

「カ……タリナ、さ──ぅ痛っ……!」

 

カタリナ

「動かない方が良い。額と足を怪我している。すぐに応急処置をするから、じっとしているんだ」

 

 

 

 ──ニコラの意識が明瞭なのを確認すると、すぐさまニコラを寝かせ、散乱した服を漁るカタリナ。

 ──場所が場所だけに、上等かつ比較的清潔な布が揃っていた。指輪の光が蝋燭程に頼りなくなる中、なるべく損傷の無い服の裏地を切り抜く。

 ──切り取った布をニコラの足に巻きつける。本来なら魔法で施術してからが望ましいが、指輪の光を失ってからでは手間になる。

 ──処置を終えた頃には指輪の光はタバコの先程になり、この密室では互いの顔も伺えない。

 ──しかしカタリナが回復魔法を展開すると、治癒の光がニコラの顔を再び照らした。

 ──そしてニコラがカタリナの顔を見つけるや否や、口を開いた。

 

 

 

ニコラ

「カタリナ様……逃げて、下さい……グラスが……」

 

カタリナ

「逃げるものか。立ち向かうためにここまで来たんだ」

「それより、話せそうならこの状況を説明してくれないか。何故グラスに囲まれて無事で済んでいたのか。そして、何故どのグラスも停止しているのか」

 

ニコラ

「それは……お客様を助けるために──」

 

カタリナ

「それは聞いている。君が身を挺して助けた店員達からな。よく頑張ってくれた」

「君が囮になって店の奥へ去って──そこからが解らない」

 

ニコラ

「あはは……恐れ入ります。その後は確か──」

「私、グラスから身を護るために、ラックを盾に、引っ張りながら逃げたんです」

「その間に、この部屋は殆ど壊れてなかったのを見つけて、持ってたラックでバリケードを作って、逃げ込んで──」

「でも、グラスにドアごと破られちゃったみたいで──ドアが頭にガーンってなってからは、目の前が暗くなって……あ、そうだその時に足もアイタタタッ!」

 

 

 

 ──咄嗟に自分の足元を確認しようとして、そこでようやく足の負傷に気付いたらしく悶えるニコラ。

 ──こんな状況だが、「これは大した事は無いか、よっぽどの重傷かだな」と冗談半分に思うカタリナ。ニコラを押さえつけ、おとなしくするよう促す。

 

 

 

カタリナ

「だから動くなと言ってるだろう。さっきも言ったが、君は頭と足を痛めている」

「この場で完治とまでは難しいが、ちゃんと処置しておけばすぐに治るさ」

 

ニコラ

「あ~たたた……お手数かけます……」

 

 

 

 ──確かにニコラの言った通り、見回すと真ん中辺りから2つに畳まれた扉の残骸が近くに転がっている。

 ──今しがた服を拝借したラックも、改めて見てみれば、ニコラが怪我をした足首の傍に横たわっていた。

 ──確認している間に頭の傷はほぼ癒えた。続いて足を治療しながら質問を続ける。

 

 

 

カタリナ

「それで、グラスが停まっている件だが──」

 

ニコラ

「それは……あはは。何故なのか、私にもさっぱり──」

 

 

 

 ──途端に露骨に目を逸らすニコラ。それを映し出す程度には、治癒の魔法は充分な光量があった。

 

 

 

カタリナ

「自分が身に着けている物が原因だとしても──か?」

 

ニコラ

「あ……い、いえこれは、その……あはは、は──」

 

 

 

 ──ニコラもこの島の住民である以上、何か訳ありなのだろうと察するカタリナ。小さく溜息を吐いて切り口を変えてみる。

 

 

 

カタリナ

「──ところで、例の話はドリイ殿から聞いた」

 

ニコラ

「あ……そう、ですか……」

 

 

 

 ──昨日の店員達の会話の一件の事だとすぐに察したニコラ。誤魔化すためとはいえ充分に活力を感じさせていた作り笑顔がシュンと消え失せた。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャがどのような半生を送ってきたかも、大まかにな。この騒ぎをカレーニャが主導しているのもこの目で確かめたし、その心境も垣間見えた」

 

ニコラ

「……」

 

カタリナ

「今、私達はカレーニャを止めるために戦っている」

「私達は余所者かも知れないが、もう無関係では居られない。……出来れば、全て話してくれないか」

 

ニコラ

「…………」

 

 

 

 ──あくまで穏やかに語りかけるカタリナ。返答はなく、長い沈黙が流れた。

 ──そろそろ足の治療も終えて店員達の避難する路地へ連れて行こうかと考えた頃、不意にニコラが口を開いた。

 

 

 

ニコラ

「カレーニャの……お祖母ちゃんの物なんです」

 

カタリナ

「む?」

 

ニコラ

「この指輪──カレーニャのお祖母ちゃんが造って、私の両親に送ったものなんです……餞別にって」

 

 

 

 ──完全に光を失ったピンキーリングを、カタリナの手の光に当てながら眺めるニコラ。

 

 

 

ニコラ

「カレーニャのお祖母ちゃん──ナタリーさんって言うんですけどね」

「ナタリーさんの生きてた頃は、みんな堂々と、今とは想像も付かないくらい、魔導グラスとオブロンスカヤにひどい事ばかり言ってたんです」

「その内に、オブロンスカヤと関わりのある人たちまで悪者呼ばわりされて──話をしたってだけで厳しく責められる人も居たくらいで……」

 

カタリナ

「そういえば先ほど、君が助けた店員から聞いた」

「君のご家族はオブロンスカヤの家で働いていて、仕事の関係以上に家同士で親密にしていたと」

 

ニコラ

「はい。ナタリーさん、まるで私の本当のお祖母ちゃんみたいに優しくて──住み込みの使用人の子なんて働き手にもならないのに、カレーニャと一緒に遊ばせてくれて、色んな洋服の絵を描いたり──本当に幸せでした」

「でも、私達まで嫌がらせを受けるようになって……ナタリーさん達の方から、ウチにお暇を出されたんです」

「使用人ですから、家の人より外を出歩く事も多くて。このままだと、出掛けた先で酷い事も起きてしまうかも知れないからって」

 

カタリナ

「それを、受け容れざるを得ない程だった──と言う事か」

 

ニコラ

「あの頃は解らない振りしてましたけど──買い出しの帰りとかの度に、同じ人がお屋敷の前まで後ろを付いて来てたりしてましたから」

 

 

 

 ──カタリナは答えず、治療の仕上げに専念した。苦笑して見せるニコラに、返す言葉が見つからなかった。

 

 

 

ニコラ

「お屋敷を出る日に、ナタリーさんが私のお母さんに、この指輪をくれたんです」

「『もしもの時のために、どんなに苦しくてもこれだけは手放しちゃいけない』って」

「お母さんが亡くなる時に、私にこれを託して、指輪の力を教えてくれたんです」

「指輪に嵌っている石、魔導グラスなんですよ。『魔導グラスが持ち主に危害を加えようとした時、それを弾き返して無理矢理グラスを停止させる』──そういう力があるグラスなんだって」

 

カタリナ

「そんな物──こんな時になって力を発揮するような物を……?」

 

ニコラ

「もっと便利なのだと、造る時間とか無かったかもですし、人に見られたら盗まれちゃうから──ですかね?」

 

 

 

 ──バツが悪そうにフォローを入れようとするニコラ。

 ──言葉の意図を大分取り違えられているが、指摘するのは諦めた。

 ──身の危険……それもオブロンスカヤ自身が造った物で齎される被害。そんな事態が当然のように付き纏い、麻痺してしまうほど、ニコラ達までもが追い込まれていたのだろう。

 ──グラスに襲われるなど当たり前。怪我をして、気を失って、間近までグラスが迫るギリギリになってようやく発動する。そんな物しか託せなかった事を問われている。そう自然に解釈できる半生など、カタリナの想定をとっくに通り越している。

 

 ──処置を終えると、カタリナは肩を貸すどころか、ニコラをおぶって移動を開始した。

 ──歩き出すと、背中で恥ずかしそうに抗議の声があがる。

 

 

 

ニコラ

「あ、あ、カタリナ様! 自分で歩けますんで!」

 

カタリナ

「まだ魔導グラスが残っていないとも限らない。逃げるにも戦うにもこの状態が1番素早く動けるんだ。悪いが我慢してくれ」

 

ニコラ

「い、いえいえ! カタリナ様のお陰で、私もう今すぐにでも走り出せそうなアギヒィッ!」

 

 

 

 ──カタリナがニコラの脹脛(ふくらはぎ)を軽く叩いて揺さぶると、足首から喉元へ素っ頓狂な悲鳴が走り抜ける。

 ──治療を施したとはいえ、アレもコレも直ちに魔法で治せれば専門の医者などこの空に必要ない。現状ではこれでも大分治まっている方だ。

 ──これ以上ニコラの足を揺らさないよう持ち直して、再び歩き始めるカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「なるべく刺激しないように移動するが、多少の痛みは耐えてくれ」

 

ニコラ

「うぐぅぅ……あ、あのでは、せめてお店を出たら、降ろしていただければ──」

 

カタリナ

「何故だ?」

 

ニコラ

「へ……?」

「い、いえいえいえ、何故も何も、カタリナ様達も他に目的があるはずですし、お義母さん達が避難してる場所が近くの”秘密の会議所”なのも想像つきますし──」

「あ、それに、痛いって言っても歩くくらいならちゃんと出来ます! これは本当ですとも! 余計なご迷惑は──」

 

カタリナ

「駄目だ。降ろせない」

 

ニコラ

「何故ぇ!?」

 

カタリナ

「──解らないか?」

 

 

 

 ──ニコラからはカタリナの後頭部しか見えない。しかし、口調がどこか冷たい事は感じ取れる。

 ──カタリナが何を思っているか本当に解らず、気まずくなるニコラ。

 

 

 

ニコラ

「あ……あれ? あの……わ、私、何か気に障るような事を……?」

 

カタリナ

「怒っている訳じゃない。ただ──」

「答えてくれ。君は何故、店の奥へ逃げた?」

 

ニコラ

「え……? それは、ただもう無我夢中で──」

 

カタリナ

「君は身に着けた指輪の効力を知っていた。だから囮を買って出たと思っているのだが、どうだろう?」

 

ニコラ

「それは──確かにあります。だからすぐにグラスに捕まったりはしないだろうなって思ってました……」

「でも、それよりも私は皆の安全を──」

 

カタリナ

「そうじゃない。確かめたいのは、君は自分の身の安全に多少なりと自信があったと言う事。そうだな」

 

ニコラ

「ええ、まあ……それが何か……」

 

カタリナ

「それじゃあもう一度だ。何故、店の奥へ逃げようと思ったんだ」

「──いや。その様子だと、君自身は本当に考えるよりも体の動くまま、そうしただけなのかもしれないな」

「質問を変えよう。君は、『逃げ場を自ら潰していくような自分の行動を、疑問には思わなかったのか』」

 

ニコラ

「え……?」

 

 

 

 ──試着室で見つけた時、カタリナの脳裏に一抹の疑問が過ぎった。

 ──ニコラの反応を見る程に、段々とカタリナの抱くそれは確信に変わっていった。

 ──整頓されているとは言え、店内は大量の物に溢れ、大きな建屋は素人が見ても頑丈さが伺える。

 ──そんな店の裏口側でもない、奥の奥へとニコラは逃げた。お陰でカタリナも随分労力と時間をかけた。

 ──更には窓1つない試着室に立て籠もった。一度発動した指輪の光は稼働を続け、今にも魔力切れ寸前だった。

 ──店員の証言では、後から侵入したグラス人形が、他のグラスを閉め出した部屋をこじ開けて回ってこの騒ぎとなった。魔導グラスがバリケードを破壊する事は充分想定できたのに、ニコラは手持ちのラックと指輪1つだけを頼りに、いつ終わるとも知れない騒動の中で籠城を決め込んだ事になる。

 

 

 

ニコラ

「で……でもホラ、少しでも時間を稼がないとって──」

 

カタリナ

「その果てに、だ。時間を稼ぐだけ稼いで、試着室の外でグラスの好きにさせて……その後、君はどうするつもりだったんだ。君を心配する育ての親を残して」

 

ニコラ

「そっ……それ、は……その……」

 

 

 

 ──振り向かないカタリナにニコラの顔色は伺えない。しかし声で解った。

 ──ニコラは理解した。カタリナの詰問の意味を。そしてニコラ自身にも恐らく自覚の無かった、その行動原理を。

 

 

 

カタリナ

「まず1つ。君を助け出す事を、君の義母上と約束している」

「そしてもう1つ。君は……」

「君は、どこか”危なっかしい”」

「だから、君がアジトに迎え入れられるのを見届けるまで、君の元を離れない」

 

ニコラ

「──……」

「か……考え過ぎ……ですよ」

 

 

 

 ──ニコラの声が震えている。

 

 

 

ニコラ

「たまたま試着室に行き着いただけですよ。アッチからグラスが来てるからコッチに逃げよーって、それで、たまたま……」

 

カタリナ

「なら──」

 

 

 

 ──カタリナが立ち止まり、振り向いた。

 ──お誂え向きに窓の近くを通りがかり、丁度月明かりが綺麗に差し込んでいた。

 ──背後のニコラの顔を確かめる。ニコラは目を泳がせ、カタリナの視線にも気付かないままブツブツと弁解を続けている。

 

 

 

カタリナ

「ニコラ」

 

ニコラ

「はひゃいっ!」

 

カタリナ

「私の目を見て、正直に答えてくれ」

「もし君の望み通り、店先で君を降ろしていたら……君はどこへ向かった?」

 

ニコラ

「ど、どこって……」

 

カタリナ

「もし私が、そんな君を密かに尾行していたら、私は”まっすぐに”路地へ向かう君を、見送っていたか?」

 

ニコラ

「それ、は……」

 

カタリナ

「『グラスが隠れ家を探しているかもしれない』とか、『たまたま近くを通りがかっている人が居るかも知れない』とか。そんな考えに突き動かされたりしないと、ここで私に誓ってくれるか……?」

 

ニコラ

「…………」

 

 

 

 ──10秒、20秒と沈黙が続く。ニコラが何度、無意識に目を泳がせても、戻ってくれば微動だにしないカタリナの目が深く強く射抜いてくる。

 ──やがて、ニコラが「うぅ」と力なく呻いて、ゆっくりと頭をカタリナの背に埋めた。前面に回した腕がカタリナをぎゅっと締め付ける。

 ──それを答えと判断し、カタリナは再びゆっくりと歩き始めた。

 ──その後ろでニコラがぽつぽつと語り始める。いつの間にか、声に涙が混じり、時折しゃくりあげている。

 

 

 

ニコラ

「私……ずっと、ずっと無視して来たんです……カレーニャの事……」

「家族を……殺されて……お金も、取り上げられて……ドリイさんの前の、保護官の人達の事も……全部、全部知ってたのに……」

「お義母さんに、この仕事を任されて……カレーニャが来るようになっても……何にも……し……知らない振りして……」

 

 

 

 ──カタリナは黙って、昨日のこの店での件を思い返していた。

 ──最初にカタリナ達に接客し、ニコラに後を任せ、そして帰り際に陰口を溢していた、あの女性店員が育ての親だった。

 ──陰口の訳を確かめさせるように勿体付けて、そのくせ自分が仄めかした事は隠したがっていたニコラ。理由は「人が居るから」。

 ──ニコラは、この島でカレーニャに味方する者がどう扱われるのか、義理の家族を通して目の当たりにしてきたのだろう。

 

 

 

ニコラ

「…………降ろして下さい」

 

カタリナ

「駄目だ」

 

ニコラ

「……そんなの……それこそ駄目ですよ。駄目じゃないですか……言うじゃないですか……いじめを見て見ぬ振りしたら、その人も同罪だって。私が、誰よりも……誰よりも、近くで……」

 

カタリナ

「君がどう思おうと……君は誰より近くで、カレーニャを愛し、見守っていた──私には、それしか解らない」

 

ニコラ

「違う……!」

「私は……私は、逃げちゃいけないんです……私はぁ……っ!」

 

カタリナ

「……」

 

 

 

 ──カタリナの背にボタボタと涙を落とすニコラをそのままに、手探り足探りで出口への道を探る。

 ──ようやく玄関だった場所まで行き着くと、カタリナは一呼吸置く。

 ──まだ背中ではしゃくり上げる声がするが、会話を切り上げた直後よりは落ち着いている。

 ──少しの間、通りの気配を探るように目を泳がせたカタリナ。少なくとも何かが潜んでいる様子はない。

 ──背後へ声をかけた。

 

 

 

カタリナ

「……何と言ってやったものか、先程から考えていた」

「今の君に、私の言葉がどれほどの意味を持つかは正直、自信が無い。ただ──」

 

 

 

 ──もう一度、頭の中で言葉を練り直すカタリナ。

 ──ニコラがどんな顔をしているか、見る気にはなれない。だが、泣き声はしばし止んでいた。

 

 

 

カタリナ

「ただ──逃げてはならないとするなら、それは魔導グラスからでも、君の背負ってきたモノからでもない。カレーニャからだ」

「本当に君に果たすべき”けじめ”があるなら、カレーニャの前で、地べたに額を打ち付けてでも謝り倒してからだ」

「スジを通すにせよヤケを起こすにせよ、突っ走るのはそれからにしろ」

 

 

 

 ──そこから先のカタリナは、もう背後に気を遣うのを止めた。

 ──どんなに案じてみても、これ以上はカタリナにはどうしようも無い。心配の押し売りになるだけだ。

 ──そしてここからは、短距離と言えど、自分の足がニコラだけでなく、グラスまでも路地に導くような事が有ってはならない。

 ──心を凍てつかせてでも切り替えて、周囲に神経を張りながら、月明かりの下へと踏み出した。



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42「いざ、図書館へ」

 ──図書館の前まで辿り着いた一行。全員に明らかな疲労の色が見える。

 ──団長達は、その後も幾人もの島民を助け出し、アジトの場所を教えあるいは聞き出し、避難を誘導した。

 ──右へ左へ寄り道を繰り返して行き着いた図書館では、覆われたグラスの下で針を刻む大時計が、もうしばらくで空が白む頃だと伝えていた。

 

 

 

ビィ

「うぅ~……ホントによぉ。団長(オマエ)のお人好しだけはムテキだよなぁ……」

 

団長(選択)

・「さすがにちょっと反省してる……」

・「冗談が言えるくらいなら大丈夫そうだね」

 

→「冗談が言えるくらいなら大丈夫そうだね」

 

ビィ

「うへぇ……もう色々と冗談じゃねぇよぉ……」

 

 

 

 ──団長が気丈に振る舞う一方、アンナがとうとう座り込んでしまった。

 ──口元を手で押さえている。体がついて行けなくなって来ているようだ。

 

 

 

ルリア

「アンナちゃん、本当に休んだ方が……!」

 

アンナ

「だい……じょ、うぶ……だから……」

 

カシマール

「コ、コンジョーダケデモ、ヤッテヤラァ……」

 

ビィ

「いや本当にヤベェって! マジで体がもたねぇぞ!」

 

 

 

 ──仲間の制止も聞かずフラフラと立ち上がるアンナだが、直立した瞬間に小枝のように体が傾いていく。

 ──すかさず団長が抱き止めるが、アンナの目は虚空を漂い、荒いがゆっくりとした呼吸を繰り返している。

 

 

 

ビィ

「だから言ってんじゃねぇか……なぁ、こんな状態じゃあ無茶するだけ損だぜ?」

「さっきの子供に怒鳴ってた時もそうだけど、今のアンナ、正直フツーじゃねぇって。悪い事言わねぇからさぁ……」

 

ルリア

「私も、あの時のアンナちゃんは……気持ちは解りますけど……」

 

アンナ

「はぁ……はぁ……だって……カレーニャ、は……」

 

 

 

 ──団長の腕を離れて、両足に気合を入れ直すアンナ。しかし上半身はだらりと項垂れ、頼りなく息を整えている。

 

 

 

アンナ

「カレーニャは……ボクの事……『凄い』って……」

「ボクに……『友達になって』って……言って、くれたんだ……」

「団長さん達の……お陰じゃない……団長さん達……以外の……初めての……」

 

ルリア

「アンナちゃん……」

 

 

 

 ──ずるずると歩き出し、図書館の正面玄関前に寄りかかるアンナ。

 ──入り口も分厚いグラスで覆われドアノブの輪郭にすら触れられない。

 ──そのままグラスに、気つけとばかりに頭突きを打ち込むアンナ。

 ──騒然となる一行に振り返ったアンナは、額を赤くし、まだ細かく体が震えているが、瞳に力が戻っていた。

 

 

 

アンナ

「だから……皆……まだ、やらせて」

「カレーニャは、図書館の”頂上”に居る……ボクが、ボク自身が確かめないと……絶対にイヤだから」

 

 

 

 ──決意の表情に団長が頷いて返す。

 

 

 

ビィ

「お、おいおい本当に良いのかよ。頑張るにしたって限度ってモンがあるぜぇ?」

 

団長(選択)

・「ここまで来たら進むしかない」

・「また倒れたら抱いて運ぶ」

 

→「ここまで来たら進むしかない」

 

ビィ

「そりゃぁ休んでる場所も時間も無ぇかもだけどよぉ……」

「ま、お前はそう言い出したらもう止まらねぇしな。よっしゃ、アンナがぶっ倒れねぇようにオイラ達でフォローするぞぉ!」

 

ルリア

「はい。がんばります!」

 

 

 

 ──ルリアにも既に火が点いていた。一行は決意を新たにして図書館と対峙する。

 

 

 

ビィ

「──って、意気込んだは良いけど……どうやって入りゃ良いんだ?」

「入り口からしてこんなじゃあ、窓だって入れそうにねぇしなぁ」

 

 

 

 ──玄関前はもとより、図書館は石棺のようにグラスに包まれてしまって、図書館だった部位が露出する隙もない。

 ──砕いて進もうにも、厚みはカタリナの剣の刃渡り程もある。ドリイと戦った時のグラス壁より分厚いのは間違いなく、一筋縄では行かない。

 

 

 

アンナ

「任せて……!」

 

ルリア

「やっぱり、アンナちゃんでないと──む、無理はしないでくださいね!」

 

 

 

 ──目を閉じ、胸元に手を添え、何か念じるアンナ。

 ──そっと人差し指を正面に伸ばすと、その指先に火の玉が灯る。

 ──火の玉は膨らみながら温度を高め、赤から白へ、白から青へと移ろい、プロミネンスさえ纏う光の塊となった。

 

 

 

アンナ

「必要な物だけ……残して……こんな、感じで……!」

 

 

 

 ──図書館地下での特訓を思い出しながら、目を開いて目標との距離を計り、火球を打ち出した。

 ──玄関を塞ぐグラスは、火球が迫るだけで触れる前から蒸発し、まるで火球から一斉に飛び退くように大穴を形成していく。

 ──光が失せた頃には、玄関までアーチ状の洞窟が形成されていた。団長達から完成が上がるが、アンナは少し残念そうにしている。

 

 

 

アンナ

「あぁぁ……やっちゃった……」

 

 

 

 ──玄関扉の半分以上が炎に巻き込まれ、煙を残して消え去っていた。

 ──グラスだけを溶かして扉を損壊しないのが理想だったようだと察する一行。

 

 

 

 

アンナ

「た、建物壊しちゃった……どうしよぅ……」

 

ビィ

「まあこんな時なんだし、通れるようになっちまえば結果オーライだって」

 

ルリア

「そうですよ、アンナちゃんはやっぱりすごいです!」

 

 

 

 ──フォローを入れる一行だったが、硝子にヒビが入るような鋭い音にハッとして玄関に向き直る。

 ──ドリイとの戦いでも聞いた、グラスが形成されていく音だ。

 ──先程の通りでショーウィンドウが変形した時には無音だったが、さっきと今との違いは解らない。

 ──とにかく、今しがた空けた穴の断面から、じわじわと新しいグラスが生み出されている。

 

 

 

ビィ

「のんびり話してる暇もなさそうだな。このままだと、きっとグラスが元通りになってまた塞がれちまうぞ」

 

アンナ

「み……皆、早く中に……」

 

ルリア

「あっ、でも、私達だけ中に入ったら、カタリナが入れなくなっちゃうんじゃあ……」

 

団長(選択)

・「図書館の中にもまだ人が居るかもしれない」

・「カタリナならきっと何とかしてくれる」

 

→「カタリナならきっと何とかしてくれる」

 

アンナ

「ボクも、急いだ方が良いと思う……」

「この島の人達を全部取り込んじゃったら、カレーニャが次に何をする気なのか、ボクにも解らないから……」

 

ルリア

「──解りました。私、カタリナを信じます」

 

 

 

 ──意思を固め直した一行は、飛び込むように玄関の穴を駆け抜けた。



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43「図書館潜入」

 ──図書館の玄関を抜け、今や無人の受付を過ぎ、エントランスを見渡す一行。

 ──先頭を切っていた団長がその景色を見るや目を見開き、後に続く仲間を押し込むように物陰へと誘導した。

 

 

 

ビィ

「な、何だ!? 早速グラスのお出ましか?」

 

 

 

 ──小さなビィが団長の脇を抜け、見つからないように気を付けつつもエントランスを覗き込む。

 ──確かにグラスのお出ましだった。そこかしこをグラスの鳩や、地下に並べられているはずの3m級の人形達が徘徊している。

 ──だが、まだ気付かれては居ないようだ。グラス達は、かなりの距離を隔てた中央窓口周辺に集中している。

 ──周囲には蹴り倒され転がされたのだろう備品達が散乱し、貴金属や帽子、服の切れ端に何故か靴下までもが見える。

 ──グラスが暴れ出した当時の混乱振りが伺えた。

 ──いつの間にかビィの後ろから同様に確認していたルリアとアンナも息を呑む。

 

 

 

ビィ

「うへぇ……やっと図書館まで来たと思ったら、今度はあいつらまで相手しなきゃならねぇのか……」

 

アンナ

「あの様子だと、昇降機も使え無さそうだね……」

 

ルリア

「でも、ここでじっとしてる訳にも行かないですし──私、邪魔にならないように……えっと、気を付けます!」

 

 

 

 ──まだ全滅すると決まった訳でもない屋内で、星晶獣を呼び出す訳にもいかない。

 ──特に具体策は無いが、せめて足を引っ張らないと意気込みを語るルリア。

 ──ルリアのやる気に覚悟を新たにした一同は、足音を忍ばせながら移動を開始した。

 ──目的地は階段。”頂上”が目的地なら、生存者を探すためにもまずは上階を目指す他ない。

 ──戦闘を極力避けるため、グラスに気付かれまいとしながらも、緊張を紛らすためか小声でビィが独りごちる。

 

 

 

ビィ

そういやあ、ここの図書館って上の階まで天井ぶち抜いてたよな──

何か道具とか使って登るとかってできね──うひぃっ!?」

 

ルリア

ビ、ビィさん、シーッです……!

 

ビィ

だ、だってよぉ……上を見てくれよぉ

 

 

 

 ──言われて見上げる一行。ルリアが驚きかけて慌てて自らの口を塞いだ。

 ──すぐ眼前の吹き抜けの縁から空間の中央へ、グラス人形が宙を歩いている。

 ──よくよく見てみれば、上空を歩くグラス人形の足裏の質感がおかしい。

 ──丁度、硝子に密着させた手の平を向こう側から見たように、足裏の色味が変わるのだ。

 ──その光景は、「何か透明な足場がある」と一行に直感させる。

 

 

 

ビィ

そういやカレーニャのやつ、天井の穴のとこに、落っこちねえようにグラスの天井造ってあるって言ってたな……

 

ルリア

はわ……こうして歩いているのを見ても、全然グラスがあるように見えませんね

 

アンナ

で、でもそれって……吹き抜けの下を歩いたら、ボクたちグラスから丸見え……って、事じゃあ……

 

ビィ&ルリア

「あ……!」

 

 

 

 ──慌ててコース変更する一行。吹き抜け部分を通過する経路は極力避けて、外周部分の下に隠れるようにして進む。

 ──幸いにも館内のグラス照明はまばらで、夜闇と柱や大型備品の陰が大いに役立ってくれている。

 ──ゆっくりとだが順調に2階階段へ続く廊下へ近づく一行。しかし、進路上の暗闇を見てビィが団長に声を掛ける。

 

 

 

ビィ

「な、なぁ。今、向こうの物陰の方で、何か動かなかったか?」

 

ルリア

「もしかして、魔導グラスさんも暗闇に隠れてるんじゃあ……」

 

アンナ

「う~ん……こんなに暗いと、ボクにも魔導グラスがあるか、ちょっと自信ない……ゴ、ゴメンね……」

 

 

 

 ──警戒する一行の前で、今度は確かに暗闇の中で何かがモゾモゾと動いた。

 ──すかさず構える団長とアンナ目掛け、その「何か」は近寄ってきているようだ。

 ──吹き抜け部分に飛び込んだ「何か」が月明かりに照らされ、同時に「何か」が声を上げた。

 

 

 

受付男性

たっ……助けてっ!! もう誰でも良いからぁぁっ!!

 

 

 

 ──昨日、受付でカタリナとドリイを呼び止め談笑していた受付職員の男性だった。

 ──日頃から何人もの来客の相手をする仕事だ。一行の事を覚えていなくても無理はない。

 ──だが、彼の言葉がそういった理由から発せられたのでは無いと、一行は一目で理解した。彼はとても記憶を辿れる状態で無いのだ。

 ──記憶にある男性とは10は年老いて見える顔から、出せる限りに体液を絞り出し、その頬には引っかき傷がある。

 ──上着の肩と袖とが破けて糸数本で繋がった状態で、ボタンを引き飛ばされたシャツの裾には血のような黒ずみが転々とある。

 ──そして全力で走っているらしい事は伝わるのに、片腕をだらしなくブラブラさせている。明らかに折れたか脱臼している。

 ──加害者がグラスであれば触れた時点で取り込まれている。散乱した状況証拠より遥かに生々しく、図書館で巻き起こった地獄絵図を物語っていた。

 ──敵でなかった安堵以上に、その常軌を逸した有様に、飛び出しかけた悲鳴を飲み込む一行。

 

 

 

受付男性

「た、ダすけっ、助けてくだしゃ──ヒィィッ!!」

 

 

 

 ──何が起きたか、団長達は理解に時間を要した。

 ──だが今現在、目の前に広がる光景を見れば経緯を推測するのは容易だった。

 ──男性が突如として宙に浮いた。薄っすらと透明な物体が彼の体のどこかに取り付いているようだ。

 ──宙吊りのその姿勢から、腰辺りに巻き付いているのだろうか。僅かに光を弾く物体の朧げな像を辿っていくと、天井の吹き抜けへと伸びている。

 ──転落防止用のグラス天井が、その一部を変形させて初めて屈折率を変え、辛うじて目に見えているのだ。

 

 

 

受付男性

「イヤだぁぁぁぁ! おがあぢゃあああアゴボッ!?

 

 

 

 ──全ては10秒もかからない内に終わった。団長達は呆気に取られているしかなかった。

 ──男性が奇妙な悲鳴を上げた所で、顔までグラスに覆われたのだろう。

 ──そのまま正視に耐えない顔をこちらに向けたまま、見る見ると色が抜けて、完全に男性は消え去った。

 ──取り込んだグラスが天井に引っ込む最後まで、一行には男性の周囲にぼんやりと透明な何かが見えていただけだった。どのような形状で男性を包んだのか、それすら見えていない。

 

 ──グラス天井が落ち着いた頃、カチャンと、ペンか何かを落とす音が聞こえた。

 ──グラス以外に音源の無いこのエントランスでは良く聞き取れる。団長たちとは対岸、斜め前方の外周沿いの柱の方だ。

 ──音の方を見る一行の視界の中で、グラス人形達も全く同じ方向を向いているのに気付いたその時……。

 

 

 

 ゴトゴトゴトゴトゴトゴト──!

 

ルリア

「キャッ!?」

 

 

 

 ──異常な音が響き渡り、ルリアが思わず身を縮める。

 ──ここで、片手の人差し指と中指をテーブルに乗せ、出来るだけ素早く人差し指、中指、人差し指、と交互にテーブルを叩いて見て欲しい。

 ──丁度そんなテンポで、聞えよがしに4、5体グラス人形が高速で足踏みしながら、柱へと殺到して行ったのだ。

 ──しきりに首や上体を痙攣させるようにブルブルと動かしている。ここまでのグラスが見せた事の無い、本能的な嫌悪を催す挙動だった。

 

 

 

職員

「く……来るな、来るなぁっ!」

 

 

 

 ──柱の陰からヨタヨタと職員がもう1人這い出て来た。

 ──やはり衣服は遠目にもボロボロで、足か腰を怪我したらしく、3歩程歩いて倒れ込み、両腕の力で必死に体を引きずっている。

 ──団長の視力が鈍っていなければ、やはり彼も見覚えがあった。昨日のグラス暴走騒ぎで警官と共に老婦人に手こずっていた職員だ。

 

 

 

職員

「クソォ……」

「クッ──ハハッ、見ろやっぱりだぁッ!」

「噂通りじゃないかッ! 暴走なんてカレーニャが邪魔者をムショ送りにするための嘘っぱちだッ!」

「アッハハハ、アヒッ、ヒハハハハハッ! 今に見てろぉカレーニャぁ! ドリイさんが、お前を惨たらしく──」

 

 

 

 ──叫びは途中で途切れた。その時にはグラス人形の群れが職員を取り囲み、這いつくばる彼に拳を振り下ろしていた。

 ──地面を砕く轟音から、その残響が消え入らぬ内にバッと手を床から話すグラス人形達。2、3秒も経っていない。

 ──暗闇とグラス人形の陰になって見えなかったが、その短時間の内に完全に取り込まれてしまったのだと、そう信じる事にした。

 ──トドメの動作からして、ほぼ間違いなく、グラス人形たちは職員の一部分づつを取り込む形となっていたはずなのだから。

 

 

 

ビィ

「お、おい……あいつら、こっち見てるぜ……?」

 

 

 

 ──ビィの言葉通り、グラス人形も、鳩も、トロッコも、全て団長達に向き直っている。グラス天井の向こうを歩く人形達もだ。

 ──グラス達が先程の物音だけで居場所を探知したのなら、思わず口にしたルリアの悲鳴を聞き漏らす道理は無い。

 ──じわじわと近づいてくるグラス達だが、先程のグラス人形のような恐怖を煽るような挙動は見せない。街中で何度も相対してきた無駄のない動作だ。

 ──誰ともなく、その理由を察した。

 ──受付の男性も、職員も、とても正気とは言えない状態だった。

 ──宵の口から、夜明けも近い今までずっと、脱出の手立ても無く狂気じみたグラス達と隠れんぼを強いられていたとすれば無理もない。

 ──何故、再生できるグラスの照明が飛び飛びにしか灯っていないのか。何故、受付等をグラスに巡回させず死角をわざわざ生み出したのか。

 ──その答えが先の2人だ。そもそも、カレーニャはグラスの質量・体積さえ操れる事をショーウィンドウで実践して見せている。島民を取り込むだけが目的なら、直ちに島全体をグラスで包めば良かったのだ。

 ──島民でない団長達とは、ただ単純に戦う以外に余計な演出は必要ないのだ。カレーニャへの憎悪が無いのなら恐怖を煽った所で効果も薄い。カレーニャはこの有様を見通した上でグラスを操作している。

 

 

 

ビィ

「こんなの──本物の悪魔じゃねぇか……」

 

アンナ

「カレーニャ……」

 

 

 

 ──これから向かおうとしていた階段の方からも硝子細工の音が近づいてくる。これ以上は考えている場合では無かった。



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43.5「別ルート」

 ──団長達が図書館に突入してからどれほど経った頃だろうか。カタリナは図書館の前に立っていた。大時計を見上げて眉根を寄せる。

 

 

 

カタリナ

「大分道草を食ってしまったな。ルリア達は無事だろうか──」

 

 

 

 ──救助したニコラは無事に路地へ運び、アジトへ入る所を見届けた。

 ──間近で見ていても壁の中を出入りしているようにしか見えない仕掛けには驚かされたが、あれなら当分は勘付かれる心配も無いだろう。

 ──カタリナがここに着くまでかけた時間の内訳は、団長とほぼ同様だった。助けに行っては通りに戻る。行って帰った方角の他に大した違いはない。後は人数差の分、時間を少し費やしたくらいか。

 

 

 

カタリナ

「しかし、想像はしていたが……これは中々どうしたものか」

 

 

 

 ──図書館の外周を回って見るカタリナだが、どこもグラスに閉じ込められて、これは剣で砕くとか言う次元では無さそうだった。

 ──再び玄関前で考え込むが、ふと気付いてグラスの向こうを覗き込む。

 ──入れそうな場所を探すのに気を取られていてよく見ていなかったが、グラス越しの玄関には大穴が開けられている。そして夜中と言えど、穴の縁が真っ黒に焦げているのを見逃さなかった。

 

 

 

カタリナ

「皆、突入した後という事か。良い判断だ」

 

 

 

 ──ここに着くまで、自分を待ってまごついては居ないかと言う心配が少しあった。

 ──それが杞憂に終わり、自分を置いて進んで行った事が何だか誇らしい気さえした。

 ──拳と手の平を打ち合わせながら気合を入れ直す。

 

 

 

カタリナ

「ヨシッ! 私もこんな所で突っ立ってる訳にも行かないな」

 

 

 

 ──図書館を見上げるカタリナ。入れる場所が無くとも、今は行ける所まで行くまでだ。

 ──グラスの表面は、昨夜のカレーニャ邸の四方を埋め立てたグラスと同じ、岩山の岸壁のように角ばった面が連なっている。

 ──否、今回は周囲の全てを拒むように棘や突起状の部位があちこちに形成されている。好都合だ

 ──更に言えば、全体的に要塞のような輪郭を型どりながらも、図書館の形に対応して、屋敷のそれより凹凸が顕著になっていた。

 

 

 

カタリナ

「ふむ──」

「どれ……」

 

 

 

 ──おもむろに剣を抜くと自身の腰辺りの高さに構え、柄頭(ポンメル)でグラスの壁を強かに打ち据える。

 ──叩く度にヒビを作り、細かな破片が散り、5回ほど打ち込んだ所で、小さく、そこそこ深いクレーターが出来上がる。

 ──クレーターに足先を突っ込み、そこを足場に飛び上がり、瞬時に頭上へ手を伸ばす。

 

 

 

カタリナ

「せっ……!」

「ふむ──これならいけそう……だ!」

 

 

 

 ──伸ばした手はグラスのスパイク状に突出した部分を握り締めている。

 ──足元でグラスが再生する音がする。すかさず足先を離し、片手1つでぶら下がるカタリナ。

 ──次の手がかりを見定め、スパイクを握る手が胸の高さと並ぶまで体を引き上げ、空いた方の手で剣の柄を構える。

 ──踏ん張りが効かないのに器用に柄頭を振るい、今度は渾身の力で柄をグラスにめり込ませる。

 ──差し込んだ柄を頼りに更に体を持ち上げ、すぐさま次の手がかりを掴む。

 ──次々に手がかり足がかりを見つけ出し、無ければ作ってよじ登っていくカタリナ。

 ──難なく5mほど登った所で、比較的広い足がかりの上に立ち、一息ついた。

 

 

 

カタリナ

「うん、思ってたより軽いな。私もまだまだやれるじゃないか」

「ひとまず登れるだけ登ってやろう。どこかにグラスが薄い箇所もあるかも知れない」

「しかし……身をもって思い知るとはこの事かな。あの頃は帝都と戦艦を行き来するばかりで、山岳訓練などすぐに錆び付くと思っていたが──」

「やはり、学ぶというのは良いものだ」

 

 

 

 ──騎士として……かはともかく、軍人として昔取った杵柄との思わぬ邂逅に手応えと興奮を覚えるカタリナ。

 ──不謹慎とは思いながらも、少し楽しさを覚えながら、グラスのフリーソロ・クライミングを再開した。



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44「6階」

 ──どうにかグラスの大群を切り抜け、階段を駆け上がっていく団長達。

 

 

 

アンナ

「ハァ……ハァ……い……今、何階……?」

 

ビィ

「えっとぉ──ここは6階だな。後もうちょっとだぜ」

 

カシマール

「トンデルヤツハキラクダゼ……」

 

ルリア

「はぁ……ふぅ……アンナちゃん、肩、貸しましょうか……?」

 

アンナ

「う……ごめん、ちょっとだけ、お願い……」

 

 

 

 ──歩みは遅いながら、一行には息を整える程度の余裕が見られた。

 ──3階まではゴリ押しでどうにか突き進んでいたが、4階でアンナが閃いたのだ。

 ──蔵書検索用のグラスは自力で移動する機構を持たず、他に有用なグラスが有ったためか置き晒しになっていた。

 ──これに目を付けたアンナの提案で、転がして運び、階段を登ってくるグラス達に投げ落とす事で、存外に足止めとして機能した。

 ──更に、居ても立ってもいられなくなったルリアが手近なテーブルに広げたままになっていた書物を無我夢中で投げつけた所、グラス達がこれを丁重に受け止めた。

 ──余り褒められた事ではないが、多勢に無勢で手段は選んで居られなかった。

 

 ──手近な本棚を押し倒してやると、グラス達が棚を支え、こぼれ落ちた書物を受け止め、更に書物を本棚に戻してと、コミカルな程に狼狽えた。

 ──先の1階の”ホラーショー”のためにかなりのグラスを投入していたようで、上階に移るほど待ち構えるグラスの数はまばらになっていった。こうなると、戦闘を回避しながら進むのも難しい事ではない。

 ──歴史的建造物ゆえか、図書館の建材に窓以外でグラスは使われていないらしい。明かりを避けて移動する団長達を、グラス達は完全に見失ったようだ。

 ──魔導グラスに付きっきりで生きてきたカレーニャは別に戦術のプロでも何でも無い。この不手際も無理からぬ事だった。

 

 

 

ルリア

「次の階段は……確か、そこの個室を過ぎた先の──」

「あ、あの部屋……」

 

ビィ

「そういやぁ、あの部屋でオイラ達、ゲームブックで遊んでたんだったなぁ……」

 

 

 

 ──半開きになった個室の扉の前で思わず立ち止まるルリア。昨日とは変わり果ててしまった館内を見渡す。

 

 

 

ビィ

「でも、今は先に進まねぇと……グラス達がいつ追いつくか解んねぇんだしよぉ」

 

ルリア

「はい……あの、でもちょっとだけ、良いですか……?」

 

 

 

 ──ルリアの要望を団長が認め、ルリアが個室の中を覗き込む。すると……。

 

 

 

女性の声

「ヒィッ!」

 

ルリア

「はわっ!?」

 

 

 

 ──月明かりに照らされた個室から悲鳴が上がる。

 ──ルリアの驚く声でグラスで無いと判断したのか、室内のテーブルの陰から女性職員がこちらに顔を覗かせた。

 

 

 

女性職員

「ま……まだ、生きている人が居たの──?」

 

ビィ

「たまたま部屋ぁ除いたら──こりゃとんでもねぇラッキーだぜ!」

 

 

 

 ──急ぎ職員を介抱する一行。額から少し血を流し足をくじいているが、他に目立った傷も無かった。

 ──精神状態も比較的落ち着いていたため、騒ぎの経緯について聞く事にした。

 

 

 

女性職員

「私達にも、何が起こったか解らないんです──」

「最初は窓を伝って何か流れていたのを見つけて、雨が振っているか、清掃でもしてるのかと思ったんですが、何か妙で──」

「天気も良いし夜間清掃の予定なんて聞いてなかったので、窓を開けて確かめようとしたら、ビクともしなくて開かなかったんです」

「その内に窓を流れてる物がそのまま固まって、大きくなって……何これって思ってたら悲鳴がして──」

 

 

 

 ──頭を抱え、声が甲高くなっていく。

 

 

 

女性職員

「お客様が持ち込んだグラスが、他のお客様を……!」

「他の職員も、地下からグラスが這い出して来てるって聞いて、もう、もうどうして良いか解らなくて……!!」

 

ルリア

「お、落ち着いて下さい! もう、大丈夫ですから……」

 

 

 

 ──慌てて職員を宥めるルリア達。

 ──そこからは記憶が曖昧で、気付いたらこの部屋で先程のように蹲っていたらしい。

 

 

 

ビィ

「結局、この姉ちゃんもよく解らない内にこうなっちまったみてえだなあ」

 

アンナ

「あ、あの……一つだけ……い、良いですか……?」

 

女性職員

「な、何か……?」

 

アンナ

「えっと……最初の……窓を何か、流れてるって言ってた所……なんですけど……」

「その時、外は何か……変な事って、無かった、ですか?」

 

女性職員

「変な……?」

 

アンナ

「例えば……えっと、火事があったとか、夜なのに街が暗かったとか……」

 

女性職員

「火事──いいえ、いつも通りの景色だったと思いますが」

 

アンナ

「やっぱり……」

 

ビィ

「何だよ、何がやっぱりなんだ?」

 

アンナ

「最初に何か起きたのは……やっぱり、図書館からかも知れない」

 

ルリア

「確かに、最初に窓を流れてた物って多分、今この図書館を覆ってる魔導グラスでしょうし」

 

ビィ

「でもそれがどうしたってんだよ」

 

アンナ

「だから、カレーニャが居るのも、やっぱりこの図書館で間違いないと思う……!」

 

 

 

 ──アンナの言葉に職員が反応する。

 

 

 

女性職員

「カレーニャ……!?」

「やっぱり……やっぱりこれはカレーニャの仕業なんですか!」

 

アンナ

「あっ……!」

 

ルリア

「え、えーっと、それは、その……」

 

 

 

 ──カレーニャ自ら認めた瞬間に立ち会った以上、軽々に「違う」と言えるほどルリア達も達者ではない。

 ──かと言って、肯定すれば次に職員から飛び出す言葉はもう容易に想像が付く。

 ──先程、子供相手に我慢ならなかったアンナがこの場に居てはどうなるか、余り考えたくない。

 ──アンナ自身も、自身の失言を悔やむように、歯噛みして視線を落としている。

 ──しかし、誰が口を開くより早く、団長が声を上げた。

 

 

 

主人公(選択)

・「それを確かめるために来た」

・「必要な事だけ話したい」

 

→「必要な事だけ話したい」

 

女性職員

「ひ、必要な事……?」

 

ビィ

「そ、そうそう。とにかくオイラ達、急いで上に行かなきゃなんねぇんだよ」

「そのぉ……カレーニャの事で色々言いたいのは解るんだけどよ。知りたい事だけ教えて欲しいって言うか……」

 

ルリア

「あ、も、もちろん、職員さんが襲われないように私達が守りますので!」

 

女性職員

「そう……そうでしたね。すいません、私ったら取り乱して──」

 

 

 

 ──少し項垂れながらも引き下がる職員。

 ──ルリア達の言葉を受け入れたというより、カレーニャを罵る気力も今は絞り出せないと言った様子だった。

 ──アンナが団長の傍らに歩み寄り、小声でそっと礼を告げた。

 

 

 

女性職員

「いつまでもここに隠れていても、見つかるのは時間の問題ですしね」

「私も、微力ながらお供します。館内の事なら何なりと頼ってください」

 

ビィ

「お、こりゃ頼もしいな。だったら早速図書館の”頂上”──」

「……あ~……なあアンナ、図書館の”頂上”って、そういやどこの事なんだ?」

 

アンナ

「へ? あ、ああ、えっと、えっと──」

「ご、ゴメン……そういえば、具体的にどこの事なのか……わ、解らないまま、ここまで来ちゃった……」

「図書館の”頂上”にきっと居るって、その……書いて……わ、解ったのは、それだけだったし……」

 

 

 

 ──人差し指の先端を突き合わせながら、申し訳なさそうに視線を逸らすアンナ。急に力が抜ける一同。

 

 

 

ビィ

「オイオイ……」

 

アンナ

「えっと……1番上って事だから……とりあえず、8階の事かなって、思ってた……ん、だけど……」

 

女性職員

「8階は──もしかしたら違うかもしれません」

 

ルリア

「えっ。もしかして、場所が解るんですか?」

 

女性職員

「残念ながらそこまでは……でもつまり、その”頂上”と言う場所にカレーニャが居るかも知れないという事──ですよね?」

 

ビィ

「おう。そういう事らしいんだけど──」

 

女性職員

「だったら、8階は少なくともカレーニャが根城にするには向いてないはずです」

「あそこには、魔導グラスが一切使われていないので」

 

アンナ

「魔導グラスが、無い……?」

 

女性職員

「8階は何年か前に改修工事があって……最初はフロア全体に魔導グラスを取り入れる予定だったそうです。『天井を魔導グラスにして、天気の良い時は日光を取り入れよう』みたいな事を──」

「ただ、少しして……誰だったかしら。どこかから鶴の一声があって、建材はもちろん、窓1枚、備品1つに至るまで魔導グラスを一切使わずに組み立てる事にしたんです」

「それはそれで、島の人も大喜びでしたよ。こんな大事業から爪弾きにされてオブロンスカヤもさぞ悔しがって──」

「あ、すみません。手短に済ませないとでしたね……」

 

 

 

 ──息を吐くように継ぎ足される悪態に大して悪びれる様子も無く、軽く咳払いする職員。

 ──思わず一行がアンナを見るが、幸い、当のアンナは冷静に続きを聞こうとしている。

 

 

 

女性職員

「それで、どこまで話したか──そうそう。とにかく、8階部分には魔導グラスを使用していないんです」

「それどころかグラスの置き忘れが無いか日に何度も調べるよう義務付けられてて、何故か改築当初から最近の修繕まで、機材や職人の道具さえもグラスが使われないようチェックしてるくらいなんです」

「カレーニャが魔導グラスを1から造り出せると言ったって、普段の発注してから届くまでの期間を考えると、1つ造るのにも何日かは要すると思うんです。図書館を覆うほどのグラスを8階で用意するのは難しいんじゃないでしょうか」

 

団長(選択)

・「異変があった時、8階に人は居たと思う?」

・「展望フロアは夜でも使える?」

 

→「展望フロアは夜でも使える?」

 

女性職員

「いいえ。流石に日が沈んでからは、お客様方も帰り支度を始める方が殆どですし、食堂も片付けを終える頃のはずです」

「人が居たとしても、厨房の皆さんと、残業前に残り物で小腹を満たしに来る職員くらいでしょうか」

 

 

 ──職員には、今のカレーニャがショーウィンドウ程度のグラスを、道を塞いで見せる程に増量させられる事など知る由もない。

 ──しかし、職員の証言では公共機関には珍しく、片付け半分とは言え夜中まで図書館は開放されている。そして事件当時、退館者と職員が主ながら、8階にも人が居た可能性が高い。

 ──魔導グラスの生産スピードはともかくとしても、人目の十分にある8階で死んだはずのカレーニャが現れれば、その時点で大騒ぎになったはずだ。

 

 

 

アンナ

「あの……カレーニャが居たのを見たって人とか……居ない、ですよね?」

 

女性職員

「はい。記憶が曖昧なのに、こんな事を言うのもなんですが、そんな事を聞いていたら忘れるはずがありません」

 

ビィ

「って事は、8階は本当に違うかも知れねぇなぁ」

 

ルリア

「他に”頂上”って言うと……もしかして、屋根の上とか?」

 

アンナ

「うぅ……もしそうだったら、どうやって行けば……」

 

女性職員

「その──差し出がましいようですが、これ以上はひとまず上に行って確かめてみるしか無いかと」

「確かに屋根ならここまでの辻褄も合いますけど、そうだった場合、私も機材無しで屋根に上がる方法は存じません」

「でも、少なくとも8階が屋根に最も近いのも事実です。その時はその時で改めて工夫してみるとしか……」

 

ビィ

「う~ん……それもそうだなぁ。ここまで来ちまった訳だし、下には……」

「じゃ、じゃあなくて、え~と……と、とにかくまずは上に行ってみようぜ。案外、カレーニャも8階に隠れてるのかもしれねえしな」

 

 

 

 ──ここで考えていても仕方ないという考えでまとまり、館内に詳しい心強い仲間を加えて行動を開始する一行。

 ──外の様子を探るため、職員には非常時に備えて部屋の中ほどに退避させた。

 ──個室のドアをそっと開けて様子を探る。何かが動く気配も無く、シンと静まり返っている。

 

 

 

ルリア

「だ……大丈夫、みたいですね。それじゃあ、付いて来てくださ──」

 

 

 

 ──振り向いて職員に呼びかけたルリアから表情が消えた。

 ──先頭で外の様子を伺っていた団長が最後に気付き、振り向くと……職員の姿がどこにも無かった。

 

 

 

ビィ

「お、おい。あの姉ちゃん、どこ行っちまったんだ……?」

 

ルリア

「わ……私が見た時には、何か、キラキラした物が、どんどん小さくなってて……」

 

ビィ

「何だそりゃ。何言ってるかよく解んねぇ──ん?」

「キラキラって──おいもしかして!?」

 

 

 

 ──先程まで居た場所を調べると、微かに光を反射する物が落ちている。

 ──拾い上げると、小さな光る石のような物。そして近くに、ネジとチェーンの付いたリング状の小さな金具も落ちている。

 

 

 

ルリア

「これって──イヤリング?」

 

アンナ

「だ、団長さん……その石……ま、魔導グラスだよ……!」

 

 

 

 ──途端、そう遠くない距離でグラス人形の足音が幾つも響く。

 ──つまり、女性職員は恐らくその自覚も無いまま、魔導グラスのイヤリングを身につけていた。そして最初からカレーニャに捕捉されていた。

 ──恐らくは1階の職員たち同様、(いたずら)に彼女をグラスで追い立て苛むために。

 ──そして偶然にも一行が出会った事で居所を感知し、魔導グラスを6階に配備する時間稼ぎのために。

 ──そして用済みになった今、イヤリングのグラスを増大させ、職員を飲み込んだのだ。

 ──これ以上図書館の情報を渡さないためか、はたまた希望を与えた直後に突き落とすためか。理由はどうあれ、その結果が今の状況である。

 

 

 

ビィ

「クソゥ! なんて悪趣味な事しやがんだ!」

「いくら事情があるっつったって、こんなのやりすぎだぜ!!」

 

アンナ

「カレーニャ……もう、やめようよ……」

「こんな事……こんな事したって……」

 

 

 

 ──イヤリングだったグラスに語りかけるように呟くアンナ。

 ──しかし、その最中(さなか)にもグラス達の足音は止まらない。

 ──この部屋は他に出口も無い。飛び出し、駆け抜ける他に無いのだ。

 ──ドアを蹴破るように開き、もう間近まで迫ったグラス達に脇目も振らず、一行は階段へと走り去っていった。



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45「館長とオブロンスカヤ」

 ──カレーニャに出し抜かれた一行は、7階を半ば荒らすようにしながら駆け抜けていた。

 

 

 

ビィ

「お、おい、この本とか丈夫そうだし、ちょっとくらいなら──!」

 

アンナ

「だ、ダメだよ。見た目が良い本って、それくらい大切で貴重な本のはずだから──!」

 

 

 

 ──結果として、6階の個室で休憩を挟めたとは言え、グラスの大群をちまちまと相手取る訳にもいかない。

 ──罪悪感に苛まれながらも、通り過ぎる棚から取れる本を抜き取っては背後に放り投げていく。

 ──逃げながら余計な動作を挟めるような身軽な人員が限られている事もあり、全ての罪を背負わんばかりに、殿(しんがり)の団長が棚から本を抜き取っては投げ捨てていく。

 ──先を行く3人は棚と本の選別に専念し、手頃とあらば棚ごと押し傾けていく。

 

 

 

ビィ

「クッソゥ……やっぱり棚ごと倒しても人形1つしか止まらねぇ……」

 

ルリア

「投げた本も、鳩さん達が飲み込んでそのまま追っかけて来てます……」

 

 

 

 ──効果は下の階でのそれと比べて格段に薄い。

 ──流石にカレーニャも学び、複数のグループに分けて移動させ、足止めを食らうグラスの数を最小限に抑えてきていた。

 ──7階の蔵書検索用のグラスは先んじてどこかへ撤去されていたため、階段を登ってきた人形の最初の1体を団長が体当たりで突き落とした。

 ──しかし他のグラスは先頭の人形が下まで落ちきったのを距離をおいて見届け、人形の上を踏み越えて追って来た。突き落とされ踏みつけられた人形も傷一つ無く立ち上がり後に続いた。

 ──今しがたのように、人形1体を棚で止められればまだ良い方で、数羽の鳩が棚の上端に取り付き支えきってしまう事もままある。そうしている内にも後続のグラスが追跡を続ける。

 ──投げた本も倒れた棚も、次々に分担して対処されていく。気付けば人形1体に鳩3羽ほどの編成が定着し、団長達を追うだけでなく、先回りを試みる余裕まで生まれている。

 

 

 

ビィ

「な、なあ。このまま8階に上がっても、もし本当にカレーニャが隠れてたらオイラ達、挟み撃ちにされちまうんじゃあ……」

 

ルリア

「屋根に上がる方法を考えるのも、グラスさん達に追われながらになっちゃいます……」

 

主人公(選択)

・「気合で何とかなる!」

・「先に足止めする事を考えよう!」

 

→「先に足止めする事を考えよう!」

 

アンナ

「じゃ……じゃあ、二手に別れて、もうとにかく本をあちこちにバラ撒いちゃうのは……!」

 

ビィ

「気は進まねぇけど、こんな状況じゃ考えてもいらんねぇぜ……」

 

 

 

 ──戦闘になった場合とアンナの体力が切れた時の補助を考え、団長と残りの3人とに分かれ、階段へのルートを外れて7階を駆けずり回る一行。

 ──今度は存外に効果があった。カレーニャも団長達を追い込む事ばかりに集中しすぎたのだろう。彼らが広く散った場合の準備は全くと言っていいほどに無かった。

 ──想定ルートを外れた一行へ半々にグラスを差し向けたまでは良かったが、カレーニャにとって最悪の想定外があった。団長達の無知故の思い切りだった。

 

 

 

アンナ

「こ、こっちの本は、古そうだし……こっちは表紙が革って余り無さそうだし……」

「あぁぁ、グラスが……も、もう全部まとめて……!」

 

 

 

 ──この階だけ、一般客用の通路と書架の間が受付で仕切られている構造である事に気付く余裕は、今の一行には無い。

 ──7階は職員以外の立ち入りに制限が設けられている。古文書や偉人の手記、修復待ちの書物を扱うフロアであるためだ。

 ──歴史的・文化的価値から保管を第一に優先される逸品揃いで、見た目がどうこうという次元ではないのだ。

 ──こうして開架されているなら、どこかに厳重保存されているだろう本物の遺産よりは、盗難や焼失といった自体も覚悟されている程度の品と言えるが、それでも劣化を防ぐため、一般客には手袋等の着用を義務付けている程だ。

 ──そんな事は露知らず、平積みされた新書の如くに手当り次第引っ掴んでは、最早労る手間も惜しんで放り投げる一行。

 

 

 

ルリア

「あわわ……何だか、グラスさん達の動きがさっきより速くなってるような……」

 

ビィ

「ルリア、もう後ろに来てんぞ! こんのぉ、これでもくらいやがれぃ!」

 

 

 

 ──戦闘力が無く事更に危機感と鬩ぎ合うビィとルリアは特に遠慮がない。空中で開かれたページがビラビラと踊り、大暴投の果てに近くの棚の角へと飛んでいく。

 ──団長に至っては火事場の馬鹿力で棚ごと吹き抜けのグラス天井へと投げ落としていく。

 ──7階・6階間を塞ぐグラス天井を歩く人形たちは他の階より配備数が少ない。球技さながらに駆けずり回り、グラス天井自身まで書物の回収に奔走し、それによって生じた凹凸でその上を歩く人形がすっ転ぶ始末。

 ──これに気付いたビィ達も、両手一杯に書物を抱え、階段へ向かいながら次々と書物をグラス天井に投げ落とす。

 ──製本されていない手稿・楽譜・論文と言った紙束が個々に散らばり、団長達を追っていた人形たちまでグラス天井へと飛び降りていく。

 

 

 

ビィ

「よっしゃ、今の内だぜ!」

 

 

 

 ──最初は躊躇していたビィも今では状況に呑まれ、達成感すら覚えている。

 ──1階や6階の惨状に、ここまで追い回された分の鬱屈と、すぐ隣まで迫る身の危険とを、一辺に晴らす安堵と高揚を受け止めるには、彼らは心身共に若すぎた。

 ──頃合いを見計らい、以心伝心で団長とルリア達は同時に階段へと駆けていった。

 ──背後では滑稽な程にグラス達が書物の回収に忙殺されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──8階への階段を上がり、展望フロアに到着した一行は、慎重に気配を伺いながら周囲を調べ始める。

 ──8階は広大な館内面積の外縁部全てを飲食スペースに割り当て、中心部は厨房の他、備品を保管する倉庫が幾つかとなっている。

 ──設備の隙間を縫って外縁を繋ぐ通路が何本かあるが、この状況ではそれが厄介だった。

 ──先のカレーニャ潜伏説はもちろん、ヒューマンサイズ以下のグラス人形なら8階に忍び入る事くらい容易にできる。

 ──設備の陰、設備の中、連絡通路、テーブルの下……敵が身を隠す場所は幾らでもある。全く別の罠が仕掛けられている可能性だってあるのだ。

 ──頼りの月光も、閉館準備でブラインドが降ろされた後なので中央までは殆ど届かない。かと言って明かりを求めて窓際に移動すれば、こちらの居場所を見せつけるようなものだ。

 ──窓際の明かりは青みを増して見え、光源を遮断されながらも階下を移動したときよりは視界に不便していない気がする。もう夜明けも近いのだろう。

 

 

 

ビィ

ゴクリ……

 

アンナ

「……」

 

ルリア

こ、こんなに静かだと──何だかちょっと、怖くなっちゃいます……

 

 

 

 ──辺りは静まり返り、一行の足音さえ、どう工夫しても響いてしまう。

 ──外からの喧騒も届かない。その高さ故か、技術の粋を凝らした防音性か、あるいはもう街では音を立てるような存在が消え失せてしまったためか。

 ──窓際まで行って確かめる事はしなかった。中央設備に張り付くように移動した方が、こちらも相手の死角に入り、不意打ちを防ぐ事ができる。

 ──ただ、一行は内心で「カレーニャ8階潜伏説」を早々に却下していた。

 ──窓に降りたブラインドをめくって確かめるまでもない。ブラインドの隙間から微かに漏れて差し込む明かりは、コップの水から透かしたような不規則な揺らぎに彩られている。

 ──職員の証言通りなら、グラスは上から流すようにして図書館を覆っていった。となれば、残るは屋根の上しか無い。

 

 

 

ビィ

ん……? お、おい、向こうの角から何か見えるぜ?

 

 

 

 ──ビィの声に足を止める一行。設備沿いに進んだ先。階段とは丁度反対側に位置する前方。

 ──目の錯覚でなければ、設備の死角から何かの影が、こちらに飛び出して居るようにも見える。

 

 

 

アンナ

そう……かな? 暗くて良く見えないけど……

 

ビィ

オイラも何なのかはよく解んねぇけど、何か陰から手だけこっちに伸ばしてるみたいな──

 

 

 

 ──言い終わる前に、前方で何かが光った。

 ──それは光ではなく、炎だった。丁度ビィが何か見えると言った辺りを起点に、色温度の絶頂を示す深い蒼に染まった炎の渦が押し寄せてきた。

 

 

 

アンナ

「ッ!!」

「皆、下がって!」

 

 

 

 ──言うが早いかアンナが前に踊り出す。

 ──何をするのかと思うも、アンナは胸元を固く握り締めて眼前の炎を睨みつけるばかりだ。

 

 

 

ルリア

「アンナちゃん、危な──」

 

 

 

 ──ルリアが叫び終わる前に、炎が突如、霧散して消えた。

 ──アンナが何かしたようには見えない。素人目に見ても、それは炎が自ら消えたとしか思えない挙動だった。

 ──真っ先に一行を庇って見せたアンナもまた、何が起こったか解らない様子でポカンとしている。

 

 

 

アンナ

「あ……あれ?」

「──あっ、そうか! だ、団長さん、来て! 多分、無事な人が居る!」

 

ビィ

「な、おいアンナ! どういう事だよ!?」

 

 

 

 ──言うなりアンナが炎の出処へと駆けていく。

 ──急ぎアンナの後を追う一行。先んじて角を覗き込んだアンナが何かに驚いた仕草を見せた後、飛び込むように死角へと消えていく。

 ──団長達が追いつくと、アンナが1人の老年男性を助け起こしていた。

 

 

 

アンナ

「だ……大丈夫ですか、館長さん!」

 

館長

「ゼーッ、ゼーッ……ハハ……覚えてくれてたとは……光栄、だね……」

「なあに……無駄弾撃ったと思ったら、ちょっと……気ぃが抜けちまっただけさ……」

 

 

 

 ──団長達には面識が無かったが、アンナが地下2階で世話になった、この図書館の館長だった。

 ──高くか細い音がするほどに喉を震わせ、酸素か肺が足りぬとばかりの荒い呼吸を繰り返す姿に、アンナが少しでも楽な姿勢を取らせようと四苦八苦している。

 ──手伝おうと館長を支えた団長の手に、冷え切った汗の感触がじっとりと伝わってくる。少なくとも一度、同じだけの消耗状態に陥り、それから大分時間が経っているようだ。

 ──よく見ると、館長もまた階下の職員たちと同じく、衣服こそ整っているが所々から血を滲ませている。近くにも流れ落ちた血を引きずった跡があった。

 ──館長を落ち着かせると、そのまま壁に寄りかからせた。近くの座席に運ぼうとしたが、明かりの側に移動するのを警戒したのか、館長が頑なに拒んだのだ。

 

 

 

アンナ

「あの……館長さんは、どうしてここに……」

 

館長

「帰ろうと思って、1階で荷物まとめてたんだがな。グラスが暴れて、地下から人形が這い出してるって聞いてな──」

「我先にここまで逃げてきたのさ。年甲斐もなく、生き汚く──な」

 

ルリア

「そ、そんな──無事で居てくれたなら何よりですよ!」

 

館長

「無事なもんかよ。逃げる客に張り倒されようと、同僚が助けを乞うて来ようと──」

「脇目も振らずに、良い年してここまで駆け上がって、ここで篭城決め込んでたのさ。大の男がブルってただけさ」

 

アンナ

「グラスは、ここには──?」

 

館長

「さっきの俺のお出迎え見たなら解るだろ。2、3度くれぇは上がって来やがったさ」

「それでも、お嬢さんのお陰で生き永らえたがね」

 

 

 

 ──地下2階での一件で魔導グラスの弱点に気付いた館長は、今まで巡回に来たグラスを魔力の炎で消し去って来たようだ。

 ──館長がグラス人形を溶かした原理を実証して見せた時の事を思い出すアンナ。

 ──まるで臆病風に吹かれて震えていたかのように自虐的に振る舞っているが、万全の状態でも瞬時に息が上がるような魔法で、この傷だらけの老体に鞭打って戦い続けていたという事だ。

 

 

 

ビィ

「でもよお、爺さんは何でここに逃げようなんて思ったんだ?」

「普通は1階から出ていこうとするだろうし、だから8階に居た奴らも逃げちまって一人ぼっちなんじゃねぇか?」

 

館長

「それももっともだ。だが8階にはなぁ──安全地帯があんだよ。トカゲのボウズ」

 

ルリア

「それって、8階には魔導グラスを使ってないって事ですよね──」

「でも、魔導グラスさん達が入ってきてますし、ここも安全じゃないですよ?」

「それに、その──もうすぐ、私達を追って、下のグラスさん達も来ちゃうかもですし……」

 

 

 

 ──ハッとなって階段の方に注意を向ける一行。

 ──まだグラスの音1つ聞こえて来ない。慌てるような時間では無いと判断し肩の力を抜いた。

 

 

 

館長

「んにゃ、8階は”ついで”だ。まあ確かに、あいつらに見つかっちまったら流石に安全とは言えねぇが──」

「今の内ならまだ隠れられる。その安全地帯はドリイにもよく言って、カレーニャには絶対に知られねえようにして来たんだからな」

 

アンナ

「えっ──?」

 

 

 

 ──その言葉に再び体を強張らせる一行。

 ──それはつまり、館長もまた、この事件がカレーニャの犯行であると信じている事を意味する。

 ──それも、こうなる事を予期して対策を立てていたかのようだ。街に築かれたアジトのように。

 

 

 

館長

「グラス共に見つかる前に隠れちまえば、カレーニャにはもう見つける手立てが無え」

「だからここまで来たんだが、ちょいと膝に来ちまってな。それで、階段登れるくらいには疲れが取れるの待とうと思ったんだが──歳は取りたかねぇな」

 

 

 

 ──自嘲しながら館長は語るが、件の足の片方は少なからぬ量の血で黒ずんでいる。

 ──それだけの出血を齎す傷の深さと、辺りを汚す血の量を考えれば、安静だけで回復を期待するというのは絶望的だった。

 

 

 

館長

「ま、どうせこれ程の騒ぎだ。落ち着くの待った所で、後はカレーニャの目に怯えながら飢え死にするくらいしか──」

 

アンナ

「……も──」

 

館長

「ん?」

 

 

 

 ──アンナは俯いて肩を震わせている。

 ──激情の再来を感じ取り、身構える一行だったが誰もアンナを止めようとはしない。

 ──出来ないのだ。6階の職員のような、隙あらばカレーニャを罵ろうという素振りが館長に無く、現状で聞き込みたい話題も無い以上、さり気なく話題を逸らすような言葉が咄嗟に出てこない。

 ──かと言って、この場で立ち所にアンナを鎮めるような、そんな魔法の言葉など持ち合わせては居ない。

 

 

 

アンナ

「館長さんも……カレーニャを……カレーニャを……!」

 

館長

「──なるほど。ちったあ調べて来ている訳だ。感心だね」

 

 

 

 ──アンナの言葉には既に怒気が滲んでいる。

 ──それが解らぬ耄碌には見えないが、館長は冷静だった。皮肉がかった笑みすら浮かべている。

 

 

 

館長

「ああ疑ってるさ。こんだけのグラスを操って、仕様に無い事させて人を襲わせる──」

「そんなマネ、カレーニャ以外に出来るやつが生き残ってるなら教えて欲しいくらいさ」

「お嬢さん。アンタだって同じ考えなんだろう。そうやって、カレーニャのために怒ってやれるんならな」

 

アンナ

「……え?」

 

 

 

 ──言葉の違和感に顔を上げると、先程までとは一転して、館長の面持ちは静かで、そして真剣そのものだった。

 

 

 

館長

「お嬢さんが、どれだけカレーニャの事を知ってるかは俺には解らん」

「だがな。そうやってカレーニャの側に寄り添えるくらいなら、解るはずだ」

「カレーニャには、これだけの事をせにゃ気が済まねぇギリがある。アイツの仕業以外に考えつかねえ」

 

アンナ

「……そう、だけど……だ、だからって……」

 

館長

「『だからってワタクシの目の黒い内ゃ、カレーニャを寄って集って悪者扱いで、悦に入ろうなんざあ許しゃしねぇ』ってか」

 

アンナ

「そ、そこまでは……え……か、館長さん……?」

 

館長

「──所で、グラスはまだ来てねぇか?」

 

 

 

 ──困惑するアンナを置いて一行に警戒を促す館長。

 ──慌てて確認する一行だが、未だに気配も無い。

 ──館長が懐から懐中時計を取り出し、針を眺めながら語る。

 

 

 

館長

「気ぃつけろ。地下の人形ならともかく、飛んでるヤツは物音1つ立てやがらねえ」

「頼みのコイツも、アンタらが来てからイカレちまってアテにならねぇしな……」

「ちっとばかし長え話がしたいんだ。誰か見張っててくんねぇか」

 

 

 

 ──要望を受けて、団長が見張りに立った。

 ──取り出した懐中時計の長針。その根本から先端まで光の筋が走って煌めいている。

 

 

 

館長

「魔導グラスがこっちに近づいて来るほど、光が伸びて知らせてくれるってえ代物なんだが──」

「さっきっからすぐ隣に居るみてぇな反応したっきり戻りゃしねぇんだ」

 

ビィ

「あぁ。それでさっき、オイラ達をグラスと勘違いして魔法をぶっ放して来たって訳か」

「肝心な時に故障しちまうなんて運が無えなぁ」

 

館長

「んにゃ、故障するようなポンコツじゃ無いはずなんだがな」

「なんたって魔導グラス製だ。暴走でも無きゃおかしな事するはずが──」

 

ビィ

「ま、魔導グラス!?」

 

 

 

 ──青ざめる一行。先ほど6階で、イヤリング程度の小さなグラスが人を取り込んだばかりだ。

 

 

 

ビィ

「おいやべぇって。早く壊さねぇと、爺さんも取り込まれちまうぞ!」

 

館長

「その心配が無えからこうして頼ってんだよ」

「カレーニャが操れるのはカレーニャ自身の血だの髪だの混ぜてやったグラスだけだ」

レーヴィンに造らせたこいつをカレーニャがどうこうする事ぁ無え」

 

ルリア

「レーヴィン──さん?」

 

館長

「そこは知らねえのか。カレーニャの親父だよ」

 

アンナ

「な、何で、そんな物を……?」

 

館長

「そうさな……」

「昔は色々と真っ当な理屈が有ったつもりだが──結局、怖かったんだろうな」

「いつかカレーニャが俺に復讐するって時に、後悔する間も無くおっ死ぬのが……」

 

アンナ

「復讐……それって、あの……この島に、じゃなくて……館長さんに?」

 

館長

「まあな──」

「……丁度いいや。どの道、その辺りも話すつもりだったんだ。このまま本題に入らせてもらうぞ。一旦ここまでの話は置いとくとして──」

 

 

 

 ──フウ、と一息入れると、館長は急に目元を険しくして、一段声を低くして告げた。

 ──その表情は敵意や警戒と言ったものとは異なるが、団長達を拒絶する意思が如実に現れている。

 

 

 

館長

「──お前ら、何だってこんな所に来た」

 

ビィ

「な、何だよ急に──」

「何でも何も、こんな事止めさせるために決まってんだろ?」

 

ルリア

「そうです。アンナちゃんが、カレーニャちゃんがここに居るって……」

「だから、島の人達を助けるために皆でここまで──」

 

館長

「助ける──ねえ」

 

 

 

 ──眉間のシワを一層深めながらも、口の端が皮肉げに歪む。表情と口調に満ち満ちた嫌気が見ている者にまで伝わってくる。

 

 

 

館長

「悪い事してるヤツを成敗して、苦しんでる人を助けたいってえ、そういう話がしてえ訳だ?」

 

ルリア

「はい──!」

 

館長

「だったら……何だってカレーニャをとっちめるって話になるんだね」

 

ルリア

「へ?」

 

ビィ

「何言ってんだよ、カレーニャが島の皆を襲ってんだから当たり前じゃねぇか!」

 

館長

「カレーニャが島の皆を成敗してるのは駄目だってか?」

「プラトニアってな首都の人口だけで100万近いんだ。お前らがここ来るまでに2、3人くらいは生き残りにも会えたろうがよ。そいつら見て、何も気付きゃしなかったのか?」

 

ルリア

「それは……」

 

 

 

 ──2、3人どころか積極的に生存者を探し回り、出会った数は10や20どころではない。

 ──そしてその誰一人として、死んだとされたカレーニャが甦った事を疑いもせず、まるで始めから同じ人間では無いかのようにカレーニャを邪険にしていた。

 ──報道はカレーニャの死を祝し加害者を称賛し、警察さえカレーニャを悪と信じて疑わず、市民はカレーニャに銃弾を撃ち込んで喜びを分かち合っていた。

 

 

 

館長

「この国に生まれて、この国に守られて生きてく事を選んだ時点で、俺達はこの国にかかる面倒も責任持って背負わにゃならねえ。余所者からどれだけ理不尽に見えたってなぁ、こいつぁ正義感でどうこう言って良い問題じゃねえんだ」

「この国は、国民は、オブロンスカヤに自分達の理不尽全部おっ被せて”清く正しく”生きる事を選んだ。そのツケが来たってだけの事さ」

 

ビィ

「バカヤロウ! そんなの関係無えよ!」

「だったら何だよ、爺さんはオイラ達に助けるなとでも言いてえのかよぉッ!?」

 

館長

「ああそうだ。帰れ」

 

ビィ

「ん、なァ──!?」

 

 

 

 ──ビィには一瞬、本気で何と返されたのか理解できなかった。

 ──子供が口喧嘩の勢いで開き直ったかのような即答だったが、その抑揚は欠片の興奮も感じられない。

 ──ごく簡単な足し算が解けない集団に解を一言伝えてやるような、そんな、事も無げな、しかし確固たる冷静と確信に根ざした声で、館長は一行のここまでの努力を全否定してみせた。

 

 

 

館長

「この島の事しか知らねえカレーニャの事だ。余所者なら、今からでも大人しく捕まりゃ穏便につまみ出してくれるさ」

「言ってるだろ。こりゃあツケだ。なるべくしてなった。欲しい物に金ぇ払うように、俺達のやらなきゃならねえ義務だ」

 

ビィ

「ぅ……な……この……さ、さっきっからデタラメ言ってんじゃねえ!」

「だったら何でここまで逃げて来たんだよ! グラスと戦って無いで、大人しく取り込まれちまえば良かったじゃねえか!」

 

ルリア

「ビ、ビィさん、そんな言い方──」

 

館長

「じゃあ聞くがねぇボウズ。お前さんが、人に死んで償わなきゃならねえトンでも無え事やらかしたとして、『ハイごめんなさい』って、すんなり首ぃ括れるかい?」

 

ビィ

「え、ぅ……そ、そんな、急に聞かれても……」

 

館長

「だろう? 解ってたって死ぬのは怖い。ここまで、全部、怖いってだけのさもしい根性さ」

「こんな”老害”だってなあ。みっともなく、無駄と解ってたって、一分一秒でも長く生きたくて仕方がねえのさ」

「さっきも言わなかったか。安全地帯に逃げ込んだって、こうなっちまったら後はもう野垂れ死ぬしか無え。結局はカレーニャの思惑通りさ」

「それでも足掻きたいから足掻く。ちょっと学が有るからって人は”ご立派”にゃなれやしねえ。それっぽっちの話だ」

 

ビィ

「だからって……だからって、そんなのってよぉ……」

 

 

 

 ──黙り込んでしまうビィ達。

 ──仮に、このまま館長の言い分に何も言い返せなかったとしても、カレーニャの巻き起こすこの惨状を看過して良い理由にはならない。当然、戦う道を選ぶだろう。

 ──だが、一行が知る限り、誰より冷静にこの島を見てきたのだろうこの老人は、団長達の行いを認めようとしない。この状況は起こるべき結果だと言わんばかりだ。

 ──この島でようやく出会えた、信頼できる数少ない当事者を納得させられないままで、それでカレーニャを止められたとして、本当に解決と言えるのか。

 ──疑問のうねりは勢いを増すばかりで、うめき声1つさえ飲み込んでいく。

 

 

 

アンナ

「でも……館長さんは、そうじゃ無かったん……ですよね?」

 

館長

「あん?」

 

 

 

 ──数秒の沈黙が流れた後、アンナが口を開いた。

 

 

 

アンナ

「あ、あの……ごめん、なさい。ボク、館長さんの事……誤解、してました……」

「館長さんも他の人みたいに、本当は……カレーニャに酷い事、考えてたんじゃないかって……」

「でも……館長さんは、カレーニャは何も悪くないって、知ってたんですよね?」

「なら、その……う、上手く言えないけど……館長さんだけでも、助けなくちゃ……いけないと、思うんです……」

 

館長

「あ~……つまり、何だ」

「俺はこの島の生まれだが、他のヤツみたいにオブロンスカヤを悪者にした事ぁ無いし、嫌がらせした事も無い、そのはずだ──ってか?」

 

ルリア

「そ……そうですよ!」

 

 

 

 ──かすかな糸口を見つけたと、ルリア達も畳み掛けるように合いの手を入れる。

 

 

 

ルリア

「カレーニャちゃんは、きっと館長さんみたいに心配してくれていた人達の事に気づいてないだけなんです」

「だからカレーニャちゃんに会って、ちゃんと話し合えば解ってくれますよ」

 

ビィ

「そ、そうだぜ。カレーニャと街で会って話したんだけどよ、グラスに取り込まれた連中、まだ死んでないそうだぜ?」

「こんだけの事になるくらいヒデェ事してたんだって解れば、この島の連中だって少しは懲りるに違いないぜ」

 

ルリア

「その──館長さんもきっと、カレーニャちゃんを助けてあげられなくて、だから自分を責めてしまってるんだと思うんです」

 

館長

「──そう、見えるかい?」

 

ルリア

「は、はい! 私達、色んな所を旅してきて、そういった人達にも何度も会ってきました!」

 

館長

「クッハハ……若いってなぁ~ホンっト、羨ましいねえ」

 

 

 

 ──笑い声混じりの館長の言葉には尚も皮肉が溢れ出ている。目元の険も少しも緩んでいない。

 

 

 

館長

「なあトカゲのボウズ。青髪の嬢ちゃんの方でも良い。答えてみな」

「お前さん方が、ただ食って、寝て、笑って──まぁそのお人好しっぷりなら人助けも何度かやった事だろう」

「その”いつも通り”生きて来た全部引っくるめて、それが何年もどこかの誰かを虐め抜く事になってたんだって言われたら──『全部間違ってました』って頭ぁ下げられるかい?」

 

ビィ

「な……は、ハァ?」

 

館長

「明日っから、間違ってるって言われた全部、辞められるかい?」

 

ルリア

「それって、あの、……どういう……?」

 

館長

「どうだい嬢ちゃん。ハイかイイエで済む話だぜ」

 

ルリア

「えっと……その……ぁぅぅ……」

 

館長

「ボウズ、答えな。謝れるかい?」

 

ビィ

「オ、オイラぁ……?」

「ん~~とぉ……ん~~……だ、だったらソイツをオイラ達が助けるって、どうだ?」

 

館長

「謝りたかねぇってこったな」

 

ビィ

「だ、だって、オイラ達が普通に生きてたせいだなんて、その……辛い思いしてたヤツに事情があるとしか──」

 

館長

「まあボウズのそれぁ答えとしちゃ理想だ。誰が悪いとかに拘らず、これからどうするかを考える。だが理想は所詮、”理想”だ」

「じゃあ付け加えてみようか。その可愛そうなヤツは、お前さん方のせいで親が自分の前でゲーゲー血ぃ吐いて死んじまったと言ってる。だったらそんなお前達が、どうやってヤツを助けるね?」

 

アンナ

「ぁ……」

 

ビィ

「そ、そんなん後出しで言われたって……ズルイじゃねぇかぁ……」

 

館長

「ボウズにとって後出しでも、当人からすりゃ昔から今まで年中無休の真っ只中だ」

「根っこの根っこから許し合うなんざ、結局は神様でもなきゃ出来っこねぇのさ」

 

 

 

 ──この場に居る若者たちは、誰もが人の可能性をバカ正直なほどに信じている。

 ──だがそれでも、「そんな事は無い」と言い返せる者は居なかった。

 ──今、目の前で力なく座り込む館長が、彼らの信じる人の善性というものに見比べて、何か1つでも劣るとは到底、思えなかった。団長達と同じ側に立ちながら、その上で団長達を否定していた。

 

 

 

館長

「この島の連中だって一緒だ。当たり前に生きて、助けたい家族や隣人のために、オブロンスカヤと言う”悪”と戦って来ただけだ。10年以上もだ」

「俺みたいにオブロンスカヤに負い目のある連中以外、この島で今更、自分の正しさが間違いだらけなんて考えつく人間は居やしねえ」

「今のお前達と一緒なんだよ。誰が背負える? どうやって償える?」

「今から全員生きて帰った所で、カレーニャのやった事はタダのテロにしかならねえ。悪の親玉ぁ牢屋にブチ込んで、とっちめたお前達が”勇者”になるだけさ」

 

ビィ

「ぅ……オイラ……オイラもう解んねえよぉ……」

 

 

 

 ──これからカレーニャと戦おうという気が削がれに削がれる。かと言ってこのままスゴスゴ帰って島を出るなど以ての外だ。

 ──にっちもさっちも行かず頭の中で立ち往生に陥るビィとルリア。

 ──しかし、アンナが尚も食い下がる。

 

 

 

アンナ

「なら……」

「なら、館長さんのために、カレーニャを止めます……!」

 

館長

「お? あー、そういやあそうだったな」

「本当にカレーニャに何もしちゃいない人間が居るなら、それを解らせてやるためだけに喧嘩も辞さないってんだろう?」

「この島が何も変わらなくても、お前達にとって虚しい戦いでも、その聖人サマのためになら戦えるってか」

 

アンナ

「それもあるけど……それよりも、ボクは──」

 

館長

「御高説の前に──良いかい?」

 

アンナ

「な……何?」

 

館長

「聞き漏らしたかね? さっきの俺のセリフ」

「『”俺みたいに”オブロンスカヤに負い目のある連中』──と、言ったんだが」

 

アンナ

「あ……!」

「……か、館長さん……もしかして……?」

 

館長

「ちょっと長くなるがね。年を取ると思い出話がしたくなっていけねぇやなあ」

「若いモンの気ぃも考えずに、誰かに言ってやりたくてウズウズしてたんだ」

 

 

 

 ──ビィとルリアが思わず俯いていた頭を持ち上げる。その顔に「まだあるのか」と大きく書かれている。

 

 

 

館長

「どこから話すべきか──もう10年になるかな。最初に魔導グラスを造った、ナタリーっつうそりゃあ格好いいババアが居たもんだ」

「魔導グラスの造り方を1から10まで全部まとめて、島中に広める気前の良さでな。だのにナタリーと息子のレーヴィン以外、誰もまともにグラスを造れやしねえ」

 

アンナ

「それは、知ってます……それで、島の人達が、誤解して……」

 

館長

「そりゃ助かる。じゃあその辺は端折るとしてだ」

「ある時、島のお偉い同士の親睦会があってな。それ自体は毎年の事なんだが、その時に『何で魔導グラスが上手く造れねえのか』って話が出たのさ」

「その席で俺は何となく思いついて、言ったんだよ。『もしかしたら、オブロンスカヤの造り方は、自分達も気付いてない特殊な手順を踏んでるんじゃないか』ってね」

「魔法や錬金術なら、こういう事態は大体そういう答えに行き着くってえ……まあ他愛も無え推測だったんだがな……」

 

アンナ

「あ……誰かが、コツがあるんじゃないかって……」

 

館長

「詳しいじゃねえか。そうとも。オブロンスカヤの20年、どこが転機かと辿ってみればその”噂”に行き着く」

「ただの年寄りの茶会だ。議事録なんて取っちゃ居ねえ。だが何日かしたらもう島中で持ち切りだ」

「その内に尾ヒレがついて、(おか)に上がって──落ち着いた先は『自分達にしか造れないと思わせるためにデタラメ広めてた』ってなザマさ」

 

アンナ

「で、でも、館長さんのせいって決まった訳じゃあ──」

 

館長

「ああ、証拠は無い。噂なんだから有る訳無い」

「だがなあ。俺が知る限り、そして調べた限り、俺の”思いつき”以前に誰も考えた奴が居やがらなかった。『オブロンスカヤの公開した製法に不備があった』なんて事は──な」

 

アンナ

「でも、噂なんて……その……う、噂でしかないよ!」

 

館長

「そう考えるのも間違っちゃ居ないだろうな。だが『噂ごとき』と切り捨ててみたって、、年寄りのホコリはこれだけじゃあ無えぞ」

「オブロンスカヤが、ただでさえふざけた訴訟でカネを毟り取られてたのに、そのクセ政府にまで毟られてた時期が有るのは知ってるかい?」

 

アンナ

「えっと……魔導グラスで稼いだお金を、管理する、とか──」

 

館長

「そう、それだ。政府がそんな事を決める前に、役人にコネのあるジジイが1人、オブロンスカヤの現状に文句言いに出向いたんだ」

 

アンナ

「それって──」

 

館長

「しかしだ。そうは言ってもジジイにゃ身分も家族もある。ご時世に体裁繕えるように切り口は考えたのさ。でもってそれが却ってマズかった」

「お偉方に愛想尽かされねえよう、オブロンスカヤを締め付ける風潮の何が悪いか、あくまでオブロンスカヤを悪役と仮定して話をしちまったんだなぁクソジジイは」

「そしてそれでも”常識”とやらを譲ろうとしない役人どもに頭ぁ来ちまって、ついポロっとな──」

「『これ以上オブロンスカヤの恨みを買うマネを捨て置いて見ろ。奴らがやろうと思えば、魔導グラスに爆弾詰めて出荷する事だって出来るんだぞ』──」

「役人も自分たちのやってきた事にようやく気付いて真っ青さ。もう島のどこ見ても魔導グラスが見えてた時代だったからな。次の日からさっそく国会で、新しい法律の話し合いだ」

「──テロリスト予備軍を財源から無力化する法律の……な」

 

アンナ

「それだって、館長さんが悪い訳じゃ……」

 

館長

「本当に言い切れるかい? 現にそれから2年と保たずにレーヴィンはくたばったんだ」

「大発見は、その切っ掛けを世に見せたモンと、そこに答えを見出したモン……どっちが”悪い”って決まりがあるかね?」

 

アンナ

「ぅ……」

 

館長

「どの道な。風評に負けて、距離置いて、悪党の子分が逃げたと後ろ指差されて──オブロンスカヤより手前(テメエ)の生活選んだあの時から、(ちか)しい連中は揃ってスネに傷抱えてるんだ」

「俺がオブロンスカヤの名前も口にしなくなった切っ掛けは、そりゃあお笑い草さ。息子夫婦が心底悲しそうなツラで真っ正面から言いやがった。『そんな人間とは思わなかった』ってな。幾ら何でもこれは知らなかったろう? ワッハッハッハガッハ、ゲホッ……!」

 

 

 

 ──殊更盛大に笑い飛ばそうとして咳き込んだ。

 ──アンナが慌てて背を擦ってやる。息を整えながらも話を止めない館長。

 

 

 

館長

「ゲホッ、ゲフ……ハァ。この島に生きて、オブロンスカヤと──魔導グラスと共に生きてきた。それだけでもう、どう足掻いたってアイツらを追い込んじまう。そういう仕組みが……もうとっくに出来てんのさ」

「……これだけ話せば解んだろう。お前らが安心して、カレーニャが間違ってる事に出来る──そんな証拠も証人も、この島にはありゃしねえ……」

「悪い事は言わねえ。お前らのワガママで、カレーニャを地獄に蹴り返す──そんな覚悟が出来ねえなら、いっそこんな島放っといた方が、幾らでもお前らにとってマシだ……!」

 

 

 

 ──そこに、見張りに専念していた団長が慌てた様子で駆け戻ってくる。

 ──耳を澄ますと、遥か遠くからグラスの足音が近づいてくる。息を殺す一行。団長は既に武器を取っている。

 

 

 

館長

「おうおう。いつ来ちまうかとヒヤヒヤしてたが、気付けば言いてえ事は大体言っちまった後だ」

「下のドタバタがこっちまで聞こえてたから予想はしてたが、アンタら随分ハデに暴れてからここに来たみてえだなあ」

 

アンナ

「か、館長さん……!」

 

 

 

 ──残された時間は少ない。掴みかからんばかりに詰め寄るアンナ。そんな態度にも館長は冷ややかだった。

 

 

 

館長

「何だ」

 

アンナ

「もしかしたら、全部……館長さんの、言う通りかも知れない。でも──」

「ボク達が──ううん。ボクがどうするかは……カレーニャに会って、話して、それから決めたいの」

「館長さん。図書館の頂上に行く方法……何か、知らない?」

「……あっ、し、知り、ませんか……?」

 

 

 

 ──我に返って言葉遣いを改めるアンナに、思わず苦笑する館長。

 

 

 

館長

「こんな時だ。作法なんか気にすんな」

「とにかくまあ、話するだけってなら、確かにそこまでケチ付ける謂れは俺にゃ無えな──」

「要は屋根に上がりてえんだろ。知ってはいるぜ」

 

ビィ

「ほ、本当か!?」

 

館長

「嘘ついてどうすんだよ。屋根裏さ」

「8階の改装工事の時、あるバカヤロウに頼まれてな。俺とそいつと魔導グラスでせっせと造った秘密の部屋さ」

「屋根からじゃ見分け付かないようにしてるが、明り取りに内側から屋根を一箇所だけ(ひら)けるようになってんだ。人1人(くぐ)るくらいなら問題ねえ」

 

ルリア

「もしかして、さっき言ってた安全地帯って……」

 

館長

「ああそうだ。カレーニャがその上に居るってんなら、まさに灯台下暗しだな」

「もちろん、その鍵も俺が持っているが──さて、どうするかなあ」

 

 

 

 ──食事を取りにどの店に入るかを悩むような態度の館長。壁の向こうの足音へ視線を泳がせた。

 

 

 

ビィ

「どうするかなも何も無ぇだろ、時間が無えんだ!」

 

ルリア

「お願いします、館長さん! 屋根裏部屋の行き方、教えて下さい」

 

館長

「ボウズ達は黙ってろ。そんなだから行かせたくねえってさっき話したばかりだろうが」

 

 

 

 ──小さく咳払いして、一息置く館長。再び眉間にシワを寄せ、声低くアンナへ語りかける。

 ──グラスの足音は既に確実にフロア内を反響している。いつ、視界の奥から姿を現してもおかしくない。

 

 

 

館長

「アンタ達じゃなく、お嬢さんがカレーニャとケリ付けに行きたいってんなら、考えてやらんでもない」

「答えてもらおうか。さっき遮っちまった御高説の続きをな」

「──お嬢さんは、何だってこんな所まで来た」

 

 

 

アンナ

「──……」

 

 

 

 ──僅かに俯き、瞼を伏せ、心に湧き上がるものを反芻し、整理する。

 ──迫るグラスを一時だけ意識の外に追いやり、館長と一対一で向かい合う。

 ──まるで、昨日までの普通の展望フロアで語らうように、穏やかに話し始めるアンナ。

 

 

 

アンナ

「館長さん……カレーニャは、ボクの……友達になってくれたんだ」

 

館長

「と、も……んん?」

「カ……カレーニャがか!?」

 

 

 

 ──目を見開き素っ頓狂な声を上げる館長。思わず真剣な顔が解けるほどに、心底驚いている。

 

 

 

アンナ

「うん──ドリイさんが手伝ってくれて……ちょ、ちょっと、無理矢理な所も有ったけど……」

「でも、カレーニャの方から、友達になって──って」

 

 

 

 ──改めて説明するのは気恥ずかしいのか、視線を泳がせ、人差し指の先を擦り合わせながら語るアンナ。

 

 

 

館長

「…………まじか……」

「昨日もカレーニャがドリイ以外引き連れてゴキゲンだったり、人の服を自分で見立てたって言ったり、随分たまげたつもりだったが……そうかぁ……」

 

 

 

 ──アンナにとってのそれよりも遥かに意味深い事だったのか、もう今、何の話をしているかも吹っ飛んでいそうな様子の館長。

 ──これまでと日頃のカレーニャを見てきた老人は、思わず視線を落とし、信じられないと言った様子で顎を手で擦り、小さく呻りながらアンナの言葉を反芻している。

 ──逆に見ているアンナの方が声をかけて良いものかと困惑する程だった。

 

 

 

アンナ

「(そ……そんなに凄い事だったのかな……)」

「えっと……つ、続き……良いかな?」

 

館長

「あっ、お、おう」

 

アンナ

「それで……ここからが、さっきの話の続きなんだけど」

「──……」

 

 

 

 ──もう一度、目を閉じて深呼吸した。ここからは決して言い損じるものかと自らに言い聞かす。

 ──カッと目を開き、表情を引き締めた。心持ち姿勢も前のめりだ。

 

 

 

アンナ

「もう、館長さんのために戦うとか、言わない」

「でも、他に理由が無くたって、ボクはカレーニャを止めたい。カレーニャに、こんな事して欲しくない」

「例えこの先に誰も救う事が出来なくても、ボクは──ボクが、カレーニャの友達だから……!」

 

 

 

 ──見つめ合うアンナと館長。片や明日に向けるが如く真っ直ぐに前を見つめ、片やその瞳を慈しむように僅かに目を細め静かな視線で応えている。なのにまるでその間に火花が散るかのようだった。

 ──割って入るように雑音が響き渡るが、二人の耳に届いているかも定かでない。テーブルをひっくり返す音、設備の扉を乱雑に開く音。光源の足りない展望フロアで、グラス達もこちらを探すのに少々手間取っているようだ。

 ──時折、こちらに光線が差し込まれる。迎え撃つつもりでいた団長が、照らし出される前にアンナ達の居る死角に転がり込む。グラスの仕様を書き換え、幾つかのグラスに照明機能を持たせたらしい。

 ──8階は袋小路となれば、相手に場所が知られようと索敵の効率を上げる事になんら問題も無い。いよいよ戦闘は時間の問題だ。

 

 

 

ビィ

「な、な……なぁ、ホントにやべぇってオイ……!」

 

ルリア

「館長さん……!」

 

館長

「……フゥ。やれやれ──」

「まあ、言いたい事は理解したつもりだ……」

 

 

 

 ──懐中時計を取り出す館長。どこかのスイッチを押したようで、パカっと文字盤を覆う硝子のカバーが外れる。

 

 

 

館長

「お嬢さん。悪いが、立たせてくれるかい」

 

アンナ

「あ、はい……!」

 

 

 

 ──肩を借りて立ち上がると、館長は空いた方の自分の手を見つめている。

 ──手の中にあるのは懐中時計の長針。立ち上がるまでの間に、どういう仕組みか片手で針を外したらしい。本体は近くの床にそっと横たわっている。

 

 

 

館長

「あのバカの注文でな。8階以上に魔導グラスは一切置かせなかった。この島の連中はグラスに頼り切って、通り魔の凶器まで魔導グラスな有様だからな」

「だが、仕掛けを用意する事は出来る。動かし方を組み込んだグラスさえあれば、グラスの魔力で道を造る仕掛けくらいは、な」

 

 

 

 ──長針にはグラスの接近を知らせる光の筋が煌々と輝いている。

 ──その針を先程まで自分がもたれかかっていた壁に押し当てると、針が壁にピタリと張り付いた。

 ──間もなく壁一面に一瞬だけ、レンガの目地のように光が走ったかと思うと、存外なほど静かに壁の中心部分に空洞が開き、一本の上り階段を形成した。

 ──階段は8階の天井の高さの分、そこそこの距離があり、登り付いた奥がどうなっているかは暗くて見えない。恐らく扉か何かで遮られているのだろう。

 

 

 

ルリア

「これが──屋根裏部屋への階段……!」

 

ビィ

「ちょ、ちょっとカッケェかも……!」

「でもこれ、階段にしちゃかなり狭くないか?」

 

 

 

 ──ビィの言う通り、階段は横幅がかなり狭い。

 ──華奢なルリアやアンナはまだしも、防具を纏っている団長ではカニ歩きで登らなければ引っ掛かってしまうかも知れない。

 ──これが鍛えた成人男性にもなれば、よほど無理をしないと通り抜けるのは難しいだろう。

 

 

 

館長

「10にも満たねえ子供を逃がすための屋根裏なんだ、当たり前だろう」

「まだ若いアンタらならまだしも、大の大人が楽に通れちまったら本末転倒ってもんだ」

 

ルリア

「子供を、逃がす……?」

 

館長

「レーヴィンだよ。あのバカな教え子が、自分が長くないの悟って、屋根裏使わせて欲しいって地主の俺に頭下げに来やがった」

「この島が娘まで手にかけるようだったら、誰も知らないこの部屋に匿わせるって寸法さ」

「レーヴィンは落成から一月足らずで遺品ごと弔われ、今じゃあここを(ひら)けるのは俺のスペアキーだけってな」

 

アンナ

「じゃあ……安全地帯って、カレーニャのために……」

 

館長

「そのカレーニャから逃げようとして、真っ先に思いついたのがここだったんだから、人生最高の皮肉だよ」

「ここまで辿り着いた時も腹の底から笑ってやったのに、まぁだ顔がニヤけやがる……!」

 

 

 

 ──アンナから離れ、傷ついた足を引きずりながら壁伝いに歩き出す館長。

 ──先ほど、団長達の接近を感知した時もそうしたのだろう。壁の陰から腕を、グラス達の迫る向こう側へと突き出す。

 ──間を置かずに水色の光と熱気がフロアを照らす。遠くから差し込んでいた光線の幾つかが消え去り、慌ただしく壁や床にグラスのぶつかる音が行き交う。

 

 

 

館長

「グッ……フーッ、フーッ……!」

 

ビィ

「お、おい爺さんムチャだ、そんな体で……!」

 

 

 

 ──炎を一発撃つと、そのまま壁伝いにズルズルと崩れ落ちる館長。

 ──意識まで霞みかけたらしく、歯を食いしばり、目は見開かれ、一瞬で顔中に脂汗が滲んでいる。

 ──しかし尚も両腕を支えに起き上がると、心配する一行をキッと睨み付ける。

 

 

 

館長

「とっとと行けお人好しども!! 今のでこっちの居場所バレてんだぞ……!」

 

ルリア

「だったら館長さんも──」

 

館長

「登れねぇから今まで座り込んでたんだろうが……ゲェッホ……アンタらの誰かが担いだ所で横幅アウトだ……!」

「良いか……開けてやった以上、お前らが何しに行こうがお前らの勝手だ……だが俺を助けようなんてヨタで進む事だけは認めねえ……その勝手は俺の取り分だ」

 

ルリア

「そんな……それじゃあ、館長さんは……!」

 

館長

「トカゲのボウズが言った通り、グラスに取り込まれても死なねえってんなら……むしろこっちは好都合だ」

「それなら少しは捕まる覚悟もできらあ……どうせロクな事が待っちゃいないだろうが……あいつの鬱憤晴らし、せめて俺だけでも神妙に受け入れてやるさ」

 

ビィ

「そんな事言われて放っとけるワケ無ぇだろ!」

 

団長(選択)

・「いや、行こう」

・「後で助かっちゃっても、こっちの勝手ですからね」

 

→「後で助かっちゃっても、こっちの勝手ですからね」

 

館長

「ヘヘッ……青臭ぇナリして言うじゃねぇか……行った後なら好きにしな」

 

ビィ

「んなっ、置いてく気かよぉ!?」

 

アンナ

「ボクは……行く!」

「館長さんの悩んできた十何年……ボク達の一日で変えちゃいけないと思う……」

「でも、必ず何とかするから……そうだよね、団長さん」

 

 

 

 ──頷く団長。

 ──館長が待ち構える側とは反対の外縁部からもグラスの足音が迫る。急ぎ団長を先頭に、一行は階段に身を潜り込ませた。

 ──最後尾のアンナが、階段に一段足をかけたところで、ふと立ち止まり、館長に振り向く。

 ──館長はその間にも二発目を撃ち終え、ガクリと項垂れながら深く弱々しい呼吸を繰り返している。

 

 

 

アンナ

「か……館長さん!」

 

館長

「ハッ……ハッ……っの……何だよ、早く行け。ッハァ……ガハ……」

 

アンナ

「か、館長さんの時計……グラスが近くに居るって知らせてたの……あれ、壊れたからじゃないの!」

「ボクも……ボクがグラスを持ってたから……!」

 

 

 

 ──少し驚いた顔でアンナを見る館長。

 ──その言葉の意味に何か察しがついたらしく、地下2階で大魔法を披露した時のような、若々しい「ニヤリ」とした笑みを見せた。

 

 

 

館長

「だったら……一発、ガツンと決めて来な!」

 

アンナ

「──うん!」

 

 

 

 ──ルリア達に急かされ、アンナも階段の向こうへ消えた。

 ──見送った館長は死角から自ら這い出し、冷え切って痛みも曖昧な足腰を乳児のように投げ出し、眼前に両腕を構えた。

 ──充分に引きつけて焼き払ったつもりだったが、早くも人形と鳩の小隊が3つ、肉眼で見えるほど接近している。

 

 

 

館長

「若い頃は──パニックモノでバカやるヤツが大っ嫌いだったがね……!」

 

 

 

 ──第3の火球を練り上げる館長。その顔の笑みは薄れず、先程よりも、なお一層に強気だった。



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46「屋根裏部屋」

 ──屋根裏部屋に突入した一行は真っ暗闇の中に居た。

 ──室内に続く小さな床板を押し開き、最後尾のアンナが踊りこむと、即座に階段の横幅が狭まり元の壁に戻ってしまった。

 ──館長の話では採光用の窓がどこかにあるらしいが、どうやら普段は光を通さないように工夫されているらしい。

 ──少しカビ臭い空気の中、他に視界を頼る物も無いため、止む無くアンナが慎重にマッチ程度の火の玉を灯した。

 

 

 

ルリア

「これって──子供部屋?」

 

 

 

 ──照らし出された室内は想像以上に小ぢんまりとした造りだった。

 ──ドラフ男性などは屈む必要があるほど低い天井はまだ仕方ない。ビィが昨日、8階上の奇妙なスペースを発見した時から、天井と床の厚みを考慮すれば1階層設けるのに些か高さが足りない事は解っていた。

 ──だが、広さも階下の3分の1程しか無く、大部分は壁で埋め立てられ、まさに一般家屋の屋根裏部屋程度の空間しか無い。恐らく、単純に人員不足で屋根裏全てを活用するのは困難だったためだろう。

 ──子供用の机に、ペッド、古びたぬいぐるみ。しかし先程通った床板を閉じれば室内に出入り口は見当たらず、ペットのケージのような印象を受ける。

 ──成長した10代が3人はもとより、1人で住むにも幾分か窮屈に感じられた。

 

 

 

ビィ

「カレーニャの親父さん、子供がデカくなるの考えて無かったのかなぁ?」

 

アンナ

「多分、造ってすぐ必要になるって思うくらい、島の人から酷い事を言われてたんだと思う」

「それか……もう、カレーニャが大きくなったらとか考える余裕が無いくらい……限界だったか……」

 

 

 

 ──思わず言葉に詰まるビィとルリア。

 ──この中でカレーニャの事情に最も詳しいアンナが言うだけに、大げさな表現とも思えなかった。

 ──アンナが何気なく低い天井の中央辺りを調べると、可愛らしい意匠が施されたランプが天井に括り付けるように固定されていた。

 ──解いて吊るした状態にして指先の火を入れると、中の燃料がまだ生きていたようで、一段と強い明かりが室内を照らした。

 ──天井の各所に吊るされた、星を象った装飾がキラキラと暖色の光を反射している。

 ──テーブルの上に「カレーニャへ」とだけ書き添えられた封筒が微かに埃を被っている。館長の言葉通りなら、これを置けたのは館長とカレーニャの父・レーヴィンしか居ない。開くべきでは無いだろう。

 

 

 

ルリア

「このお部屋……館長さんのお話の後だと、何だか悲しくなりますね……」

 

ビィ

「オイラも気が滅入ってくるぜ……早えトコ窓を探そうぜ」

 

 

 

 ──探索を始める一行。探す箇所は天井しか無いので、窓らしきものはすぐに見つかった。

 ──はめ込んだ硝子の上に屋根板が覗く。窓は内開き、屋根は外開きになっているようだ。

 ──早速、団長が腕を伸ばして窓の解錠を試みる。

 

 

 

ビィ

「有ったには有ったけど……これ、ルリアやアンナが登るにはちょっとキツイんじゃねぇかなぁ」

 

 

 

 ──ビィの懸念通り、問題はその高さだ。当然、窓は天井と同じ高さだ。

 ──2mも無いとは言え、一行が直立する程度の余裕はある。ここから屋根に出るとなると、懸垂の用量で這い上がるしか無い。華奢なルリア達では引き上げてもらわなければ難しいだろう。

 

 

 

アンナ

「それは……大丈夫だと、思う」

「多分、窓まで上がるための梯子か何かが、部屋のどこかにあるはずだから」

 

ルリア

「そうですね。この高さだと、ちっちゃい頃のカレーニャちゃんだと窓に手が届かないでしょうし」

 

ビィ

「なるほどなぁ。でもアンナ、よくそんな事解ったな?」

 

アンナ

「あ、うん……何だか、きっとそうだって気がして……」

 

 

 

 ──早速、団長に窓を任せて梯子を探す一行。

 ──天井にランプがある事も、窓に登る梯子があるという確信も、アンナに確たる根拠は無かった。

 ──ただ、何故かアンナはこの部屋にデジャヴを感じていた。空へと続くこの行き場のない部屋を、どこかで見たような気がしていた。その記憶が一瞬でかき消えてしまっただけで。

 ──程なくして、部屋の片隅に階段状の梯子が安置されているのが見つかった。軽い木で出来ており、子供向けの丸っこい作りだが十分な高さと強度が有る。

 ──ルリア達が車輪付きの梯子を押して戻ると、団長が窓を見上げたまま難しい顔で腕を組んでいる。窓ガラスは開かれているが、屋根板が手付かずだ。

 

 

 

ビィ

「ん? どうしたんだ。何かあったのか?」

 

主人公(選択)

・「窓が開かない」

・「何か引っ掛かってる」

 

→「何か引っ掛かってる」

 

ビィ

「オイオイ何だよぉ。放ったらかしすぎてガタが来ちまったのか?」

 

アンナ

「……違う。多分、これは──」

 

 

 

 ──アンナが言い終わらない内に、大きな鈍い音と共に屋根裏部屋が少し揺れた。

 

 

 

ビィ

「うぉおっ!? 何だ何だぁっ!」

 

 

 

 ──驚いている最中にも、また轟音が屋根裏を震わせる。どうやら下から響いている事は感じ取れた。

 ──階段が塞がれて以降、8階の喧騒は少しも届いて来なかった。しかしそれ故に、今何が起きているのかを判断する物は、この断続的に繰り返す音と振動以外に無い。

 ──しかし、アンナはこの状況を理解したらしく、重い表情で一行に語る。

 

 

 

アンナ

「きっと……館長さんが誰かと話しているのを、魔導グラスが聞き取ってたんだと思う……」

「だから、どこに逃げたのか探して、多分、昨日ドリイさんから聞いた屋根裏部屋の話を思い出して……」

 

ビィ

「グラスが壁に体当たりしてる音って事かよ!」

 

ルリア

「じゃあ、館長さんも、もう……」

 

ビィ

「もしかして、下手すりゃ柱もブッ壊されて、無理矢理ここまで登ってくるんじゃあ……」

 

 

 

 ──焦る一行。団長が武器を手に、屋根板を叩き壊しにかかる。

 ──幸いにも屋根板は簡単に砕け空が覗く。陽の光にはまだ大分遠いが、深い青紫に星が点々と光っている。

 ──しかし一行と空との間に硬く透明な物体が横たわっていた。嫌というほど見慣れた光沢。透き通った内部では時折、虹色の靄のような光が揺蕩って見える。

 

 

 

ビィ

「魔導グラスで塞がってやがったのか!」

 

アンナ

「やっぱり……。カレーニャが屋根から図書館を覆ったとしたら、多分、屋根一面がこんな感じに……」

「(カレーニャ……この部屋と空……塞いじゃったんだ……)」

 

 

 

 ──それがどうしたと言うのか、アンナ自身にも解らない。

 ──ただ何故か、その事が胸に突き刺さる程に悲しくて堪らなかった。

 ──しかしすぐに頭を切り替えた。感傷に浸っている場合ではない。グラスが相手なら、自分がやらねばならない。

 

 

 

アンナ

「み、皆……梯子を下げて、離れて。ボクが何とかする……!」

 

ビィ

「頼みたいのは山々だけどよぉ……こんな狭い穴からグラスだけ溶かすって、結構難しくねぇか?」

「疑ってるワケじゃねぇけど、この部屋に引火したらシャレにならねぇし……このくらいの厚さなら団長(コイツ)が突っついて割れるんじゃあ……」

 

アンナ

「ううん。図書館を覆ってる魔導グラスだけ、街に始めから有ったグラスと全然違う」

「多分、他のグラスよりずっと丈夫だから……お願い。ボ、ボクにやらせて……!」

 

カシマール

「マーミテナッテ!」

 

 

 

 ──アンナの熱意に押され、託す事にした一行。

 ──窓を塞ぐグラスをキッと見上げて炎を練るアンナ。

 

 

 

アンナ

「──やあっ!」

 

 

 

 ──威勢のいい掛け声とは裏腹に、鉛筆程の直径の細い火柱が立ち上る。瞬きする間もなく、肩幅1つ程から覗くグラスに炎が突き立った。

 ──見た目は弱々しいが、火柱の温度は十分なようで、炎としては見慣れぬ程に白熱している。火柱はグラスを掘り進みながら周囲を溶かし、見る見るクレーターを形成した。

 ──だが、グラスが僅かに波打って見えたかと思うと、自らが溶けるより更に速く再生を始め、グラス越しの景色がレンズを通すように歪む。グラス自体が不規則に厚みを増しているのだ。

 

 

 

ビィ

「どうなってんだよ。入り口のグラスはあっさり溶けたのに……」

 

 

 

 ──こうして魔導グラスと対面した以上、カレーニャもグラスを通してこちらに気付いているのだろう。

 ──アンナの見立てた所の「全然違う」グラスは本腰を据えて炎に抗い、完全にアンナの熱量に打ち勝っていた。

 ──何度目かの振動に伴って、固い物がガラガラと崩れる音がした。本当に力ずくで屋根裏への出入り口を掘り当ててしまいかねない。

 

 

 

アンナ

「(落ち着け──この先に行きたいのは、グラスから逃げたいからじゃない。カレーニャをやっつけるためでもない……)」

 

 

 

 ──首筋に通していた細い紐を手繰るアンナ。

 ──植物を1から、干して解して撚り上げた自作の首紐。まだまだお婆さまほど上手くは出来ず、所々でほつれた線維が毛羽立っている。

 ──紐の先のお守りを取り出し握り締め、何もかもを押さえつけんとするグラスの向こう、その先に居る人に届くと信じて、屈折した星空を見上げる。

 

 

 

アンナ

「カレーニャ…………ううん。何て言ったら良いか、言葉にならないや──」

「でもね……」

「絶対、そこに行くから……待ってて!!」

 

 

 

 ──アンナの声に呼応するように、お守りを握る手と、火柱が溢れんばかりに光った。

 ──傍らで見ていた団長達には、何が起きたか解らなかった。

 ──虹色の光が目に押し寄せ痛みを呼び、思わず塞いだ瞼を再び開いた時には、窓を覆っていたグラスだけが消え去っていた。

 ──否、もう一つ変化がある。窓の外から室内へ、虹色の光が仄かに注いでいる。

 ──呆気にとられる一行にアンナが呼びかける。

 

 

 

アンナ

「皆、早く梯子を! グラスがいつ再生するか、解らないから……!」

 

 

 

 ──我に帰った一行は大急ぎで梯子を窓に立て掛けた。

 ──見るからに真っ先に登りたそうなアンナだったが、押し込むように一行が登るのを優先させる。

 ──窓のグラスが再生するにせよ、階下のグラスが這い上がってくるにせよ、最も迅速に対処できる自分が殿(しんがり)を務めるという事のようだ。

 ──団長が先陣を切り、続くルリアとビィを引き上げたのを確認して、アンナが梯子に足をかけた。ただの穴と化した窓の向こうから団長の手が差し伸べられている。

 

 

 

カシマール

「チャントミエテルカ?」

 

アンナ

「うん。今度は、ボクから──」

 

 

 

 ──淀み無く足元を踏みしめ、空に続く腕を強く握り締めた。



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47「図書館頂上」

 ──団長の手を取りながら図書館の頂上に辿り着いたアンナ。

 ──ルリアとビィが唖然としながら辺りの景色を眺めている。遅れて確認する団長も、その景色を造りあげたアンナ自身も、思わず言葉を奪われた。

 

 

 

ビィ

「スゲェ……あ、、あれも、グラスなのか?」

 

ルリア

「でも、あの辺のグラス、どんどん溶けていってます。やっぱり、アンナちゃんの……?」

 

 

 

 ──アンナの名を口にしながら、ルリアは視線をアンナに向けられずに居た。もとい、眼前から目を離せずに居た。

 ──天井を覆うグラスを溶かした後、窓から注ぎ込んできた光。その正体は今、一行の周囲を照らし、各々の目を釘付けにしていた。

 ──図書館の屋根は水はけのための僅かな傾斜以外にほぼ平面。その全景を見渡せる屋根を囲むように、虹色の炎の壁が立ち昇っている。さながら地上のオーロラだった。

 ──屋根一面を覆っていたであろうグラスは殆ど消え去り、飛沫のように残ったグラスが、赤熱する間も無く見る見る光の砂塵に溶けていく。

 ──虹色の炎は屋根と呼べる一面からグラスのみを焼き払い、今は壁を覆うグラスとせめぎ合っていた。グラスは再生する側から溶けていく。アンナの手から離れたにも関わらず、その勢いはグラスとほぼ互角だった。

 

 

 

アンナ

「ボ、ボクも、ここまで凄い事になっちゃうなんて……」

「ハッ! そ、それより、カレーニャは……?」

 

 

 

 ──アンナの言葉に改めて周囲を確認する一行だが、自分たち以外に人影1つ見当たらない。

 

 

 

ビィ

「もしかして、こっから落っこっちまったとか……でなきゃ、アンナの火を被っちまって……」

 

アンナ

「そ……そんな……」

 

カシマール

「ンナワケネーダロ! アレミヤガレ!」

 

 

 

 ──カシマールが指図したのは遥か上空。

 ──見覚えのある真ん丸いグラスがゆっくりと屋根へと降下してくる。

 

 

 

アンナ

「あのグラス……魔導グラスと、よく解らないモノが混じってる……アレだよ!」」

「……カレーニャ!」

 

 

 

 ──身構える一行に反し、グラス球はスピードを変える事も無く悠々と高度を落とし、屋根から上、数十cmの空間で停止した。

 ──しばらく様子を窺うように動きを見せなかったグラス球だったが、前触れもなくその輪郭が水銀のようにうねり、表面からニュッと気品ある袖口と共に腕が突き出す。

 ──間もなくグラスの中から、窓から屋内に入るような動作でカレーニャが現れ、屋根に着地した。グラスチェアーは付属せず、自分の足で降り立った。

 

 

 

 

カレーニャ

「うー、どっこいせっと……」

「アンナさんたら、見かけによらずこんな隠し玉忍ばせてたなんて──」

 

 

 

 ──驚く一行に目もくれず、自慢のグラスを一掃した炎を見回している。表情に嫌味の類は微塵もなく、純粋に興味と感心が先行しているようだ。

 

 

 

ルリア

「カ……カレーニャちゃん!」

 

カレーニャ

「む゛っ……まだ”ちゃん”……

「ハァ……。あぁら、皆さんご機嫌麗しゅー」

 

 

 

 ──ルリアの呼びかけに一瞬、呆れたようなむず痒いような顔をするも、すぐに気を取り直すカレーニャ。

 ──適当な挨拶を返しながら、一行の頭数と欠員の有無を確かめる。

 ──人は複数の対象の中から、特に気になった物にはほんの一瞬でも注目する時間が長くなる。しかしカレーニャの視線は誰に対しても……アンナにもルリアにも平等に流された。カタリナの不在を気にかける様子もない。

 

 

 

カレーニャ

「本当にこんな所まで来るなんて、ご足労痛み入りますわ。まさかホントのホントに屋根裏部屋が有ったとは……一本取られましたわねぇ」

 

ルリア

「屋根裏部屋……カレーニャちゃん、その屋根裏部屋なんですが──」

 

カレーニャ

「ちょぉい待ち!」

 

 

 

 ──ビシリと手の平を突き付け、ルリアの言葉を遮るカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「なーんか真面目なお話をしたいのでしょうけれど、何より先に言わせてくださる?」

 

ルリア

「へ……? あ、は、はい……」

 

 

 

 ──ルリアが発言権を譲ると、大仰な深呼吸を始めるカレーニャ。吸う時は勢いよく。吐く時は長く、低く、眉間にシワを寄せてかぶりを振りながら。

 

 

 

カレーニャ

「スーーッ……ハァ~~~~……」

「……あーた(がた)ねえ……」

 

ルリア

「は、はい……?」

 

カレーニャ

本を何だと思ってやがりますのよこのスットコドッコイ!!

 

ルリア

「はわっ! す、すっとこ……?」

 

カレーニャ

「7階ですわよ、7階ッ!」

 

 

 

 ──ズビシ、と一行の誰とも無く指差し激昂するカレーニャ。

 ──ルリアの締りのない返答に足元をタンタン踏みつけながら抗議を続ける。

 ──カレーニャは一行に、7階に収められている書物の価値を説き、それを他の階より一際ぞんざいに扱った彼らの行い、そしてその後始末に追われた苦労に、一方的に怒りを顕にしている。

 

 

 

カレーニャ

「アンナさんも!」

 

アンナ

「ボボ、ボクも……?」

 

カレーニャ

「忘れたたぁ言わせねぃですわよ! あなただけは信じてましたのに手につく端からポンポコポイポイ……!」

 

アンナ

「ご、ごめん……」

 

主人公(選択)

・「正直、ちょっと楽しくなってた」

・「カレーニャが追い回すのが悪い」

 

→「カレーニャが追い回すのが悪い」

 

ビィ

「そうだそうだ! グラス達が全然止まらねえから、オイラ達だって必死だったんだぞ!」

 

カシマール

「ジゴージトクダ!」

 

カレーニャ

「せがらしっ! それであーたらが貴重な資料を毀損して良い理由になってたまるもんですか!」

「本と人っ子何人かくらいの命とどっちが大切だと思ってますのよオタンコナス!」

 

ビィ

「いやそこは普通、命だろ……」

 

カレーニャ

「フツー本でしょ! 1人助けるためなら図書館に火ぃ放てるとでも仰れますの?」

「それともあーたらアレ? 命が秤に乗っかるたんびに思考停止で命だけ選べば良いとか思ってませんこと? 代わりに何が犠牲になっても『イノチイノチー』とかナントカ言っときゃおキレイにまとまるとでも?」

 

カシマール

「ダレモソコマデイッテネー!」

 

 

 

 ──主にビィとカシマールに対して舌戦を繰り広げるカレーニャ。内容は回りくどいが、本質はほぼ子供の口喧嘩である。

 ──文句を一通り並べ立て満足したのか、カレーニャが大人しくなった頃には、一行はここに来るまでの苦労や犠牲で張り詰めていた空気をどこかへ見失ってしまっていた。

 

 

 

ビィ

「ハァ……ハァ……何だよもぉ~。これじゃ昨日までのカレーニャと全然変わんないじゃねえか……」

 

カレーニャ

「何を当ったり前の事言ってますのよ。人が一日ぽっちでホイホイ変わるなんて英雄譚や訓話の中だけでしてよ」

 

ルリア

「だ、だってカレーニャちゃん……手が元通りになったり、魔導グラスさんの中に潜ったり……それに、こんな事……」

 

 

 

──口ごもりながらルリアが視線を泳がせた先では、虹色の炎の向こうに明かり1つ無い街並みが、明けかけの夜空の中でぼんやり浮き上がっていた。

 ──発着場の方に見える微かな明かりは、恐らくグランサイファーの物だろう。その発着場も、たった一日で何倍にも広くなったように見える。殆どの騎空艇が逃げ去った後なのだ。

 

 

 

カレーニャ

「こんなって……島のこと? これがどうかしまして?」

 

 

 

 ──カレーニャの口調は煽るような調子を全く含まず、純粋に何を言ってるのか解らないと言いたげだった。

 ──愕然としながらもすぐさま反駁する一行。

 

 

 

ビィ

「どうも何も見りゃ解るだろうが! これ本当にお前が全部やったってのか!?」

 

カレーニャ

「街でのやり取り見てたらお解りでしょうが。島の皆々様のお望み通り、私が一肌脱いで差し上げましたのよ」

「それに私が島の悪魔になって差し上げた事と、私が『いつも通り』とやらなのと、どういう関係が有るってんですの?」

 

ルリア

「どういうって……」

 

ビィ

「お前こそ、何言ってんだよ……」

 

カレーニャ

「え……ハァ???」

「ってか……何ですのよこの空気さっきから?」

 

 

 

 ──れっきとした疑問と不満がありながら、言葉の続かないルリアとビィ。憐れむような非難するような、何とも言えぬ視線を投げかけるしか出来ないでいる。

 ──カレーニャも、本気でルリア達の言いたい事が解っていない。

 ──例えば、これ程の凶行に出た今の彼女は、さながら冒険譚の魔王が真の姿を現すが如く、ルリア達の知らぬ凶悪な本性を見せつける。昨日までのカレーニャはルリア達を油断させる演技だった。

 ──そんな顛末を、ルリア達は無意識に期待していたのかもしれない。それは彼らにとって、悪事を働く者に対する自明の定理ですらあったかもしれない。誰かと……自分たちと打ち解けられた人間が、同じ顔で見も知らぬ人々に牙を剥くなど思いも寄らずにいた。

 ──2人には自分たちがそんな大前提の上で思考していたと言う自覚はない。故に、前提と食い違う実例が目の前に現れても、自分たちの認識とどこに齟齬があるのか、自分で把握する事も出来ていない。

 ──ただ「こんなのは間違っている」と言う感情以外に引き出せないでいた。

 

 

 

カレーニャ

「ぁ~~もう。とにかく……ナニ? 私が下手人だって事が、どうしてかあなた方には信じられない……っぽい? みたいですわね」

「だったらまあ、丁度良いですわ。ちょっと実演したげますから、良うご覧になってくださあましな」

 

アンナ

「実演……まさか……!」

「カレーニャ、待っ──」

 

 

 

 ──「しょうがないなぁ」と言った様子のカレーニャにアンナが一歩駆け寄ろうとした時には全てが終わっていた。

 ──カレーニャが指を2本揃え、クンッと引き上げるような動作をする。爆発に似た鈍い音と共に、ほぼ同時に、背後の景色で文字通りの氷山のような、高く巨大なグラスの塊がそびえ立った。

 ──周辺の家屋のみならず、石畳やその下の土まで宙に巻き上げ、グラスが地中から隆起した事をまざまざと誇示していた。

 ──それが何なのかをいち早く理解したアンナの顔が失意に染まる。

 

 

 

アンナ

「あ……あぁ……」

 

ビィ

「な……何だアレ?」

 

アンナ

「……魔導グラス…………」

「あの辺り……ボク達が、服屋さん達を送った……隠れ家が……」

 

ルリア

「隠れ家のある所に魔導グラス……じゃ、じゃあ──!」

 

 

 

 ──会話を許さぬかのように、相次いで同様の轟音が方方(ほうぼう)から押し寄せる。

 ──見回せば島のあちこちに同様のグラスの山が出来上がっていた。

 

 

 

カレーニャ

「はい。これで島の住民、残らず収容完了ですわ」

 

 

 

 ──得意な勉強や仕事を、ちょっと目の前でスラスラこなして見せたかのような。そんなちょっと得意そうで、しかし事も無げなカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「ふっふーん。『グラスさえ使わなきゃ大丈夫ー』ってな考えだったんでしょうねぇ。本当に夢見がちな方々ですこと」

「ご自分たちが毎日恩恵に預かってるプラトニアの上下水道──」

「水を届けるために不純物も交えず、丈夫で長持ち、開拓される街並みに柔軟に対応できる。そぉんな便利な水道管がどうやって地中に据えられてるのか……」

「ちょ~っと考えれば解る事ですのにねぇ? んのっほっほっほっほ──」

 

 

 

 ──隠れ家の存在は、プラトニア地下に張り巡らされたインフラ設備で初めからお見通しだったのだ。

 ──団長達の活躍は、むしろ最後の一網打尽の一助となっていたも同然だった。

 ──如何にもお嬢様チックな高笑いをわざとらしく奏でるカレーニャ。

 ──その姿はルリア達の目に、やはり昨日までと変わらずに映った。やはり得意分野を見せつけて舞い上がっている。そんな笑い話の一幕のような振る舞いだった。

 

 

 

ビィ

「何で……何でだよ……」

「何でお前は、こんな当たり前みたいにヒデェ事が出来るんだよ!」

 

 

 

 ──ようやく思いの丈を言葉に置き換えられたビィ。

 ──だがカレーニャは何やら腑に落ちないような顔を返す。

 

 

 

カレーニャ

「何でって……あなたこそ何でそんな事が気になりますのよ?」

「物理的に出来る事をやってる。それっぽっちにケチ付ける方こそ不可解でござあませんこと? 生まれてこの方ただの一度も人を不快にさえした事ないと立証できるとでも?」

「せっかく犯行を実証して差し上げたってのに、それをさっきっから”こんな事”だの”ヒデェ事”だの……」

「今日もどこかで誰かがやってるような事に何を大騒ぎしてるのか、そっちの方がよっぽど疑問でなりませんわ」

 

ルリア

「そんな……」

 

 

 

 ──カレーニャと自分達との価値観の隔たりに、先程とは別の形で言葉が続かなくなる一行。

 ──例えばカレーニャの言葉の理由が、その本性が目的のためなら手段を選ばぬ形態の悪だからと仮定しても、結局そんなやつなのだと呑み込めたとしても、それでも彼らがこれまでカレーニャと言う人間に下してきた、純粋すぎる評価とのギャップが理解を阻む。

 

 

 

アンナ

「じゃあ……カレーニャがやった事は、もう聞かない」

 

 

 

 ──相変わらず首を傾げるばかりだったカレーニャに、アンナが新たに問いかける。

 

 

 

アンナ

「でも、カレーニャの事と……『やりたい事』は、聞かせて……」

「ドリイさんが言ってたの。グラスに取り込まれたカレーニャは……も、『もう死んだ』って……」

「今、ここに居るカレーニャは、本当にカレーニャなの?」

「本当にカレーニャなら、グラスの体を手に入れて、やりたかった事がこれなの?」

「カレーニャはこの後……この島を、どうしたいの?」

 

 

 

 ──カレーニャの目を見据えて語るアンナ。

 ──諸々の感情が入り混じったりそれを抑え込んだりで弱々しい瞳だったが、決して視線は外さなかった。

 

 

 

カレーニャ

「畳み掛けますのねえ」

「……ま、良いでしょう。やる事ぁ殆ど済ませましたし、皆さんも何だかんだここまでご足労なすったんですし、労い代わりって事で順に話してあげましょうか」

 

 

 



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48「質問タイム」

 ──アンナの要求に応えながら、傍らに浮かぶグラス球に手を伸ばし、一撫でするカレーニャ。

 ──途端に、虹色の炎と押し合いへし合いしていたグラスが勢いを増し、炎を飲み込んで面積を広げ、再び屋根一面を覆った。

 ──咄嗟に団長に縋り付くルリアとビィだが、カレーニャの屋敷でドリイが行ったそれと同じく、団長達を害する事無く、その足元の屋根板だけを覆った。少なくとも今の所は、攻撃する意思は無いようだ。

 

 

 

カレーニャ

「まずは……そうですわね。変な誤解の無いよう、ドリイさんの言い分は一部訂正させていただきますわ」

「見ての通り、私は私としてここに居ますし、私自身としては、ドリイさんが言うほどハッキリとは『自分が死んだ』等とは思っておりませんわ」

 

ビィ

「んん……? つまり、死んだんじゃねぇって事、だよな……」

「『違う』って言えば良いだけじゃねぇか。ややこしいなぁ」

 

アンナ

「でも……ドリイさんは、『グラスがカレーニャの想いを代行する』って……」

 

カレーニャ

「ったくドリイさんたら、ハンパに細かいトコまでぶっちゃけてくれやがりましたのね……やっぱあの時のバトル最後まで見届けとくべきでしたかしら……」

 

 

 

 ──ため息混じりに頭を引っ掻くカレーニャ。

 ──何気に「グラスを通してドリイと団長達の戦いを見ていた」と取れる言質が得られたが、特に口を挟む者は無かった。

 ──いずれにせよ、「死んだ」という部分を明確に否定する気は無いようだ。

 

 

 

アンナ

「お願い、カレーニャ……もっと、ちゃんと説明して。ゆうべ、カレーニャはどうなったの?」

「部屋の中も、す……凄い、血で……」

 

カレーニャ

「ああ、あの血は定期的に採血してたストックですわ。人間1人分であんだけの部屋を真っ赤になんざ出来る訳ゃござあませんでしょうが」

 

ルリラ

「す、すとっく……?」

 

カレーニャ

「毎日わんさか魔導グラスを造ってますもの。一働きした後から血だの髪だの引っこ抜いてたら今頃ミイラかツンツルテンですわ」

「暇を見つけて定期的に採血して、魔導グラスに持ち主登録する時のために保管してましたの」

「一応は私本人の血ですから、私が行方不明でなく死んだって思わせて、グラス製造元をオシャカにした島の反応でも見ようかと──」

 

ビィ

「うへぇ。趣味悪ぃ……」

 

カレーニャ

「お互い様ですわよ。幾ら私でも、まさか人っ子一人『魔導グラス産業この先どうしよう』なんて考える人がいらっしゃらなかったのは仰天でしたわ」

「それどころか一人分にしちゃ血が多すぎる事まで、だぁ~れも気にして無かったみたいですし」

 

アンナ

「じゃあ、ボクがカレーニャの部屋で見たのは……?」

 

カレーニャ

「アレはマジモン。こうして魔導グラスと人間のハイブリッドとなるために、自分をグラスと同化させましたの。理屈はさっきまで島の皆さん取り込んだのと大体おんなじ」

「ただ──私がそれで死んだのかどうかでしたわね。私の感覚ではグラスに取り込まれる間、意識も体の感覚もちゃんと連続してましたわ」

「人間なのかって意味では、まあ100%魔導グラス製のドリイさんよりは、この体もたまには寝て食べて有機物の部分を維持せにゃなりませんから、人間なんじゃないかしら。私も誇りあるオブロンスカヤの血筋を絶やすつもりは──」

 

アンナ

「じゃ、じゃあっ……生きてるのと同じ……で、良いんだよね……ね?」

 

 

 

 ──説明中のカレーニャに食いつくように結論を急がせるアンナ。

 ──カレーニャの方は怪訝な顔をしている。説明が聞きたいのか違うのか、この態度の理由に見当がつかないようだ。

 

 

 

カレーニャ

「……ま、そうと言えるんじゃないかしら?」

 

アンナ

「……良かったぁ……」

 

カレーニャ

「……?」

「何が良かったか存じませんけど、あくまで対外的には、でしてよ」

「ドリイさんほど断言するつもりはござあませんけど、理屈として『カレーニャ・オブロンスカヤは死んでいる』って考えは一理あると思ってますもの」

 

アンナ

「え……?」

 

ルリア

「えっと……カレーニャちゃんは生きてるけど、カレーニャちゃんやドリイさんは死んでいると思ってて……?」

 

カレーニャ

「あー……ちょっとまって。今、おポンチな皆さんにも通じそうな例え話考えたげますから……」

 

カシマール

「サラットシツレーッポイコトイッテンジャネー!」

 

 

 

 ──カシマールのツッコミを無視して暫し考え込むカレーニャ。

 ──解らないことだらけのままここまで来た団長達には助かるが、事件の元凶と対峙しているというのに、マイペースぶりに流されてばかりだ。

 ──手持ち無沙汰で取り敢えず一行が互いに視線を交わしている内に、カレーニャの考えがまとまったようだ。

 

 

 

カレーニャ

「……よし、これでいこう」

「例えばあなた方やお知り合いの中に、粉微塵になっても生きてられる人間はいらっしゃって?」

 

ビィ

「こ、こなぁ……?」

「いやぁ、流石にそれは無理じゃねぇか?」

 

ルリア

「星晶獣だったらもしかするかもですけど……人間だと……うーん」

 

カレーニャ

「でしょう?」

「魔導グラスに人間を取り込む時は分子……あ~まあ、一度グラスの中で体を目に見えない細かなレベルまで”ほぐす”必要がござあますの」

 

ルリア

「ほぐす?」

 

カレーニャ

「強いて例えるなら……霧とか砂煙みたいにするってとこかしら」

 

ビィ

「そ、そんな事したら死んじまうじゃねぇか!」

 

カレーニャ

「まあ、普通でしたらね」

「魔導グラスの中では、人を分解するのと同時に『人間としての』機能をグラスが代行しますから──」

「まあ結論だけ言えば、痛くも痒くも無いし、意識を失ったりもしないんですの。そもそも体や頭がグラスに置き換わってるなんて感覚自体がありませんわ」

 

ルリア

「じゃあ、それって魔導グラスさんの中で生きてるって事……ですか?」

 

カレーニャ

「そこが難しいんですのよねえ。哲学とかの煩わしい話になっちゃいますのよ」

「グラスが機能を代行してるって事は、『ただグラスがその人の真似をしてるだけ』ってのと大して違わないとも言えますわ」

「植物状態の人間だって、魔法や機械を駆使すれば生命反応だけは維持できますもの」

「つまり、生身の『本物の』その人は、グラスの中で粉微塵になった時点で死んじゃってるとも言えますの」

 

ルリア

「えっと、カレーニャちゃんは生きてるけど本当は死んで……はうぅ……?」

 

 

 

 ──ルリアが頭に両手指を添えてフラフラし始めた。これが絵物語の世界なら、目は間違いなくグルグル渦巻きである。

 ──研究者の性か、持って生まれた性分か、カレーニャも妙な所で親切に、少しでも解りやすい例えを探して頭を抱えている。

 

 

 

カレーニャ

「ええっとねぇだから~……」

「実は本物の私は、グラスに取り込まれた時点で死んでいて、ここに立ってるのは記憶と体を写し取っただけの、自分をカレーニャ・オブロンスカヤと思い込んでる偽物のグラス人形なんだと疑ってみてご覧なさいな」

「私が本物にせよ偽物にせよ、それを確かめる事は私を含めて誰にも出来ないって事……こ、これでどうかしら?」

 

ルリア

「あ、そ、それなら何となく解ります……」

 

カレーニャ

「ふ~……」

「まあそんな訳で、ドリイさんからすれば、今まで生きてきたカレーニャ・オブロンスカヤは死んだんだと。そう考えているみたいですわ」

「理屈は解りますし、他でもない魔導グラスそのものを体にしてる方ですから言い分を無碍にもできませんからして」

 

ルリア

「でも、仮にそうだったとしても……私は、ここに居るカレーニャちゃんは本物だと思います!」

 

カレーニャ

「別に私としては人間だとか生きてるとか言う事にこだわりは無いですけれども──」

「どう思おうと思うまいと、本物だろうと偽物だろうと。私は私として、今もこのお空に影響を与えている。この事実だけが全てですわよ」

「アンナさんも。これでひとまず納得していただけまして?」

 

アンナ

「うん……」

 

 

 

 ──途中から聞くに徹していたアンナの声には安堵の気色(けしき)があった。心なしか涙ぐんでさえ見える。

 ──どんな経緯を経ているにせよ、カレーニャが自らを死に追いやる事を認めた訳で無く、そしてアンナ自身がカレーニャの実在を信じられる。それで充分だった。

 ──昨夜からカレーニャの消滅を目の当たりにし、屋敷で、手記を通してと、3度もカレーニャの死を突き付けられた彼女にとって、少しでもそれを否定できれば何でも良かった所もある。

 

 

 

カレーニャ

「んじゃ、これで1つ目の質疑は(スミ)って事で」

 

 

 

 ──カレーニャには、そんなアンナの胸中を知る由もなかった。

 ──誰かが自分をどう思うのか、全て撥ね付けたからこそ生きて来れた彼女なら尚更である。

 

 

 

カレーニャ

「えぇっと2つ目──『グラスの体を手に入れて、やりたかった事が、コレニャニョ~』でしたっけ?」

 

カシマール

「バカニシテンノカテメー!」

 

カレーニャ

「ちょ~っち舌がもつれただけですわよぉ”マルセーユ”ゥ♪」

 

カシマール

「”カシマール”ダ! コンナトキマデボケテンジャネー!」

 

アンナ

「あ、ああの、そ、それで間違いないから、あの、こ、答えを……」

 

 

 

 ──赤子をあやすように顔の両隣で指をクニャクニャさせながら猫なで声でカシマールを小馬鹿にするカレーニャ。

 ──出会ってこの方、一度もまともに名前を呼ばれないカシマールも、ここらが我慢の限界よとばかりにアンナの腕からこぼれ落ちんばかりに手足をブンブンさせている。

 ──人付き合いもままならないのに仲裁せざるを得ないアンナの苦労は如何ばかりか。カシマールを抱きしめて強引に話を進めるのが精一杯だった。

 

 

 

カレーニャ

「まぁ、おちょくりたくもなりますわよ」

「アンナさんの言う『こんな事』って、今しがたやり終えた『島民の取り込み』の事でしょう?」

 

アンナ

「それもあるけど……カタリナが……カレーニャは取り込んだ島の人達、に……その……ひ、酷い事するつもりだって……」

 

カレーニャ

「ヘッ。”おっ嬢様”ですこと」

 

 

 

 ──露骨に鼻で笑うカレーニャ。わざとらしく、両手に盆を乗せるようなポーズで肩をすくめる。

 

 

 

カレーニャ

「どっちも”事のついで”。んにゃ、私なりの”お慈悲”と言っても良いくらいですわ」

 

ビィ

「し、島の皆をあんな目に遭わせといて、慈悲だぁ……?」

 

カレーニャ

「街でお会いした時も言いませんでしたこと?」

「私、悪魔になって”さ・し・あ・げ・た”、んですのよ?」

 

 

 

 ──誰ともなく、カレーニャの言いたい事を察した。

 ──ここに至るまで、館長のような例外を除けば、誰もがカレーニャを打ち倒す事を願っていた。

 ──しかしてそんな己を一片も疑う事無く、彼らは同じ顔、同じ口で、余所者の自分達を警戒せず、逆に信頼してさえ居た。

 ──例えば図書館へ向かう途中に助けた親子の例を思えば、カレーニャを、オブロンスカヤを、醜く陰険で狡賢い、絵に描いたような悪魔である事を望んでさえ居たと。そう考える事もできる。

 

 

 

カレーニャ

「別に? 私のやりたい事をやるだけなら、島の地盤ごとひっくり返して、ちりとりのゴミ捨てるみたいに空の底に放り出しても良かったんですのよ」

「それをわざわざ、思いつくままにタップリ怖がらせて、取り込んでからも好きなだけ私を恨めるようにと、そんなシュミもないのに甚振って差し上げようってんですのよ?」

「これからは今までと違って、この私がちゃ~んと市民の皆様に『直接』、悪事を働いて差し上げますの」

「グラスの中では死ぬ事も生き返る事も私の気分次第ですから、それはもう至れり尽くせり──」

 

ビィ

「な、何が”わざわざ”だよ! そんなのホンモノの悪魔じゃねぇか!」

「お前、人間の心ってモンを忘れちまったんじゃねぇのか!?」

 

カレーニャ

馬鹿(ぶぁーか)おっしゃいな。人間だからこそヤるんでござあましょうが」

「そりゃぁちょびっとくらいは楽しくなくっちゃこんなマネできませんわよ。そして私には楽しめるだけの建前もござあますわ。プラトニアが今までそうしてきたように」

 

ビィ

「ぅ……」

 

 

 

 ──事も無げに言い放つカレーニャに、思わず口を噤む一行。

 ──その半生を思えば、大切な動機も、譲れない複雑な動機も多々有ろうが、一行に想像しうる最も単純な動機が、憂さ晴らしだ。

 ──それは実行する規模さえ異なれど、プラトニアの住人がこれまでオブロンスカヤに行ってきた仕打ちも、カレーニャが現在とこれから行う事も同じなのだ。

 ──カレーニャを否定すれば、その言葉はこれから助けるプラトニアへそのまま跳ね返っていく。

 ──これまでのように、どんなに度し難い人間でも助けると志せば……あるいは開き直るなら、今度はカレーニャを救わず倒すという首尾が立たない。

 ──つい先程、館長とのやり取りでも投げかけられた事だった。

 ──そして、この問題に答えを出せない、あるいは出さない一行へ、館長は屋根裏へ導く事を渋った。

 ──それでも鍵を引き出させたのは……一行の視線の先に立つアンナが口を開いた。

 ──今にも倒れそうな体で、ここまで這い上がってきた意味を再確認し、静かにカレーニャを見つめている。

 

 

 

アンナ

「……カレーニャ。ボク達に、こんな事言う資格は無いかも知れない──」

「でも。それでも、カレーニャ。……島の人達を、許してあげる事は、どうしても出来ない……の、かな……」

 

カレーニャ

「ゆるす……何を?」

 

 

 

 ──意地の悪そうな半目に不敵な笑み。考えるまでもなく、解っていてすっとぼけている顔だ。

 

 

 

アンナ

「確かに、この島の人達はカレーニャに──カレーニャの家族に取り返しのつかない事をしちゃったかもしれない。でも……」

「カレーニャは、本当に良いの? 今、カレーニャがやってる事は、カレーニャの大切なモノを奪ってきた事とおんなじだよ……!」

 

カレーニャ

「それが何か?」

「それこそ『許す』なんて言葉と関係ない話じゃあござあませんの。私が、私の幸福を希求する、ただソレっぱかりの事と違いまして?」

 

アンナ

「違う……!」

「カレーニャが、1番解ってるはずだよ……こんな形で……誰かを苦しめて得られるモノなんて、幸せなんかじゃないよ」

 

カレーニャ

「ええ、ええ。よおっく知ってますとも。──オブロンスカヤを飯のタネにプラトニアがどんだけ幸せに暮らしてきたかをねえ」

 

 

 

 ──カレーニャの態度は横柄にして冷静だった。まるで子供と口論する嫌味な大人のそれだった。

 ──しかし口数だけは徐々に増えていく。隠しきれない感情を斜に構えて誤魔化すように。

 

 

 

カレーニャ

「健康で、団欒で、食う物も困らず、いつでも今日と違う明日を考えて、笑顔で生きてきたんじゃありませんの」

「ヤレどこそこが儲けてる、仕事を失くした、もっともっともぉ~っと良い暮らしが出来ないなんてアァ不幸だと、金持ちから貧乏人まで平等に嘆く」

「今日に失ったモノと妬みだけを理由に勝手に捨てたオゲンキな気持ちを、オブロンスカヤに明日を感じて拾い直す。そうやって未来を信じられるコレが、幸福で無くって何と言いますの?」

「10年間、たっぷりと考え学んだ結論ですわ。人間の幸せってのはコレの事。それが人類の道理、摂理、仕様ですわ」

「あなたが何と言おうと、コレは10年かけて実証された紛うことなき”幸せ”ですの」

「人間が、当たり前の幸福を得るために、同じ人間が実践した手段を共有する事は正しい。この命題に異論があるというなら、どうぞご説明なすってくださあますこと?」

 

 

 

 ──カレーニャの演説が収まると、しばらく辺りが静まり返る。

 ──ルリアやビィには、その話は断片的にしか理解できなかったが、言わんとしている事は大体理解できた。

 ──カレーニャがプラトニアと同じレベルの行為を働く事に、カレーニャは何も問題ないと言い切ったのだ。

 ──それは、少なくとも彼女にとっては、人として当然の、幸福に生きるための術であって、貶される謂れもないただの世界の仕組みなのだと。

 ──カレーニャに見えている空と、団長達が見ている空は余りにも違いすぎていた。そう歳も変わらない彼女の半生には、幸せとは、何が足元にあるか良く確かめて踏みつけ、そうして成り立つそれ1つしかない。

 ──アンナは、あるいは他の仲間も、泣きそうになる心を抑えつけていた。何となくで吐き出してしまいそうな謝罪を飲み込んでいた。

 ──もう少しでも早く自分達と出会えていれば、自分達が”本当の”幸せを教えてやれれば、こうはならなかったかも知れないと、つい考えてしまう。ただの独り善がりでしかないと解っていても。

 ──異論はある。もしかしたら理路整然と説明だってできるかも知れない。だが共有できる根拠がない。ここにカレーニャの知らない幸福など持ち込んではいない。一行は、カレーニャと敵対するつもりでここに来たのだから。

 

 

 

カレーニャ

「あ、そうそう。そもそも『プラトニアの住人を許せないか』ってお話でしたわね」

 

 

 

 ──誰も言い返す様子が無いのを確認して、「勝ち」とでも判断したのか余裕そうにカレーニャが言葉を続けた。

 

 

 

カレーニャ

「それってつまりは、オブロンスカヤに辛酸舐めさせて来たこの島を許せって事ですわよね? 別に構いません事よ」

 

ビィ

「──ん?」

「ハ……ハァァ!? ここまで言っといて、許すぅ?」

 

 

 

 ──急な手のひら返しを、やはりアッケラカンと言い放つカレーニャだった。

 



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49「カレーニャの夢」

 ──カレーニャの突然の提案に、口々に驚きの声を上げる一行。

 ──ざわめきを制して、カレーニャが続ける。

 

 

 

カレーニャ

「さっきの『許せないのか』って、アンナさんなりの折衷案だと思ったんですけど、違いまして?」

 

アンナ

「え……う、うん。もう一度、島の人達と話し合って……」

 

カレーニャ

「それじゃあ話が早いですわ。じゃあこうしましょう」

「私はプラトニアがオブロンスカヤに行ってきた仕打ちを水に流す。条件として、あなた方は平和的にこの島を出ていく。それで如何かしら?」

「こっちとしましても、厄介の種は少しでも穏便に片付けておきたい所ですもの」

 

ビィ

「お、おいおい……さっきまでの話は何だったんだよ……」

 

ルリア

「でも、誰も傷付く事が無いなら、それに越した事は……」

 

カレーニャ

「はいはい。もちろんあなた方もお仲間もお船も、これ以上手出ししないと約束しますから」

 

アンナ

「あ、あれ……あれぇ……?」

 

 

 

 ──何だかトントン拍子に話が進み出し、完全に調子が狂う一行。

 ──だが「平和的」「穏便」という言葉につい流されてしまう。

 

 

 

 

 

 

主人公(選択)

・「カレーニャも一緒に行こう」

・「島の皆はどうなるの?」

 

→「島の皆はどうなるの?」

 

 

 

 

 

 

カレーニャ

「そりゃあもちろん皆殺しですわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──5秒、6秒と空気が硬直する。

 ──朗らかな笑顔で答えていたカレーニャは、キョトンとした顔で一行の顔を見比べている。

 ──皆、複数の感情が押し寄せ相殺した結果のような、理解の一歩目から脳が停止したような、力の抜けた何とも言えない顔でカレーニャを見ている。

 ──団長だけが、声を上げた時と変わらず、魔物を見るような険しい表情だった。

 

 

 

カレーニャ

「……な、何ですのよ。またこの空気? 私なにか変な事言いまして……?」

 

ビィ

「……い、いやいやいやいや、変しか無ぇだろ!?」

 

ルリア

「何でですかカレーニャちゃん!? さっき、島の人達の事は許してくれるって……!」

 

カシマール

「ドコマデバカニスリャキガスムンダテメーハ!!」

 

カレーニャ

「え、ハ……えぇぇ……?」

 

 

 

 ──カレーニャは本気で解っていない。むしろ詰め寄る一行の変貌ぶりに混乱しかけている。

 

 

 

主人公(選択)

・「許す事は、殺さない事にはならないの?」

・「グラスに取り込んだままと違いはあるの?」

 

→「許す事は、殺さない事にはならないの?」

 

 

 

カレーニャ

「なるわけないでしょ。元々は事のついでってさっき説明したじゃござあませんの!」

「この計画を果たすためには、どのみち島から私以外の生き物を排除せにゃなりませんの」

「島がやって来た事チャラにするって事は、それを口実に虐めてあげようって計画は破棄して、取り込んだ人間今から吐き出して空の底にでも──」

 

ビィ

「いやワケ解かんねぇよ!」

 

ルリア

「せ、せめて、島の人達を艇に乗せてあげるとかは出来ないんですか?」

 

カレーニャ

「出来るもんならどーぞ。ですけど、島の総人口100万200万じゃ納まりませんことよ。どうやって何に乗せるおつもり?」

「それにそんなんじゃ”中途半端”じゃござあませんの。正直言えばちょっと承服し難いですわ」

 

ルリア

「はうぅ……」

 

アンナ

「中途半端って……?」

 

カレーニャ

「さっき言った通りですわよ。お望み通りに、ただの人の子でしかない私がプラトニアの悪魔になるのが慈悲。これから掃いて捨てる有象無象への(はなむけ)ですわ」

「過程はどうあれ、この島と住民が無ければ私の打ち立てたアレやコレやも無かったでしょうから。贈り物と同じだけの物をお返しする、当然のマナーでしてよ」

「それを、取引に応じて五体満足のままで生かすだなんて、生き残った方々からすれば私は遥か彼方のボヤケた悪役止まりのまま、それも住処を追われた難民として勝手にのたうち回るしか出来ない。誰も得しませんわ」

 

ビィ

「んっとぉ……お前が悪者になれないからヤダとか、人の嫌がる事がマナーだとかって言いてえのか……?」

「ツッコミ所ありすぎだろ……」

 

カレーニャ

「どーしてそーなるの!」

「島の人間の願いがそうだから、それに応えて解りやすい悪役やってさしゃーげる方が、プラトニアにとっても少しは『足し』になるって、6階とかであーた方も身を以て解ってるはずじゃござあませんの!?」

 

 

 

 ──先程までカレーニャに感じていた憐憫が、じわじわと困惑と恐怖に染まっていく。

 ──カレーニャの口ぶりもまた、カレーニャにとっての当然の常識が伝わらない困惑と苛立ちが溢れている。

 ──話せば話すほどにカレーニャの歪みは深刻で、根本的なズレを思い知らされるばかりだった。

 ──もはや若い彼らには……あるいは老練の仲間がこの場に居たとて、彼女に寄り添うのは困難だ。

 

 

 

主人公(選択)

・「どうしても、島の皆を無事に帰す事は出来ないの?」

・「島の皆を無事に帰す方法があるって事?」

 

→「島の皆を無事に帰す方法があるって事?」

 

ビィ

「いや団長(オマエ)も何言ってんだよ!? カレーニャが島の連中元に戻さないって言うからこんな──」

 

アンナ

「あ……で、でもさっきから、『吐き出して』とか『五体満足で』とかって……!」

 

 

 

 ──頷く団長。押し問答で頭に血が上ったカレーニャを宥めて確認を取る。

 

 

 

カレーニャ

「あぁ? つまり、元に戻すって……?」

「そりゃあ出来ますわよ。取り込む手順も大体私と同じですから、取り出す時も私と同じように。混じりっけなしの生身なら私より簡単ですわ。それが何か?」

 

主人公(選択)

・「それが解れば充分」

・「アンナ、ごめん」

 

→「アンナ、ごめん」

 

アンナ

「団長さん……!?」

 

 

 

 ──カレーニャの眼前で武器を構える団長。

 ──これ以上は話しても溝が開くばかりだ。ゆっくり歩み寄っている余裕も無い。ここまで来て後戻りも出来ない。

 ──この戦いにどれほどの問題が横たわっていたとしても、どんなに考え決断したとしても、今の彼らにはまだ、カレーニャを力ずくで止める以外の手持ちが無いのだ。

 ──団長の意図を察し、ルリアとビィがその背後へ下がり、カレーニャは冷めた素振りで溜息を吐く。

 

 

 

カレーニャ

「ったく……どーせこうするしか無いだろうと思って、わざわざこっちから話し合いに持ち込んで差し上げましたのに」

「ま、この調子じゃあ、絵に描いたようなお花畑な平和的解決なんて有り得ませんものね。あなた方がどんだけアーパーに生きてきたのか存じませんが……」

 

 

 

 ──カレーニャの傍らでは、すっかり一行の意識から外れていたグラス球が漂っている。

 ──その中で、虹色の光のような、うねりのような色彩が一際忙しく蠢いている。

 

 

 

ルリア

「カレーニャちゃん……もう一度、お願いします。こんな事、もうやめてください」

 

カレーニャ

「あなた方のために止める理由がどっかにござあますの?」

「それとも、誰かの願いが何かを犠牲にするのは駄目だけど、あなた方のハッピーエンドのために誰それの夢や立場を潰すのは良いんだとでも?」

 

 

 

 ──悠々と背を向けて、歩いて屋根の端まで遠ざかるカレーニャ。

 ──団長は既に一触即発の心構えだったが、ルリア達を庇うようにその場を動かずカレーニャの動きを注視する。

 ──戦う意思を見せた団長達に、カレーニャは一歩も狼狽えない。一対多数の状況を物ともしない自信と、その根拠……武力がある事の証左だ。

 ──カレーニャの向こうで弾けるような音がした。魔導グラスが何か動きを見せたようだが、団長達からはカレーニャが陰になって伺い知れない。

 ──グラス球の姿が見えない。つまり、グラス球はカレーニャの陰に入っている。そしてこの音……既に何かを仕掛けていると見て良い。

 

 

 

アンナ

「カレーニャ!」

 

 

 

 ──呼ばれて振り返るカレーニャ。

 ──その姿がアンナの目に、昇降機の中から手を差し伸べて来た時の姿と重なる。

 ──光の量も向きも、カレーニャとの距離も立ち位置も姿勢も、何もかも違うのに、在り在りと。

 ──ただ、アンナへ忌憚なく伸ばしたあの手だけ、ぼやけて所在が知れない。

 

 

 

カレーニャ

(アん)ですの? アナタの団長さんがやり合うって決めてんですのよ?」

 

アンナ

「最後……最後の質問、まだ聞いてない……」

「カレーニャは……この島を、どうしたいの……」

「ボク達がここに居なかったら、カレーニャはこの後、何をしてたの……?」

 

カレーニャ

「ああ。すっかり忘れてましたわ」

 

 

 

 ──出かける前にボタンの掛け違いに気付いたような軽い調子でアンナに向き直るカレーニャ。

 ──その背後から、氷山が割れるような音が絶え間なく。

 

 

 

カレーニャ

「お祖母様がね、最期に仰ってたの」

「『こんな事、いつでも放り出して良いんだ』って」

「お父様もよ。『どんなに辛くても、魔導グラスを憎んじゃいけない』って」

 

 

 

 ──思い出を振り返りながら語る音1つごとに、その声は優しく、その顔は輝きを湛えた、年相応の少女のそれだった。

 ──距離を開けたアンナへ呼びかける大きな声は、こんな状況で無かったら、遠くへ旅立つ友の乗る艇へ呼びかけるような、そんな風景が似合いの抑揚だった。

 ──謎の音が一際大きく空を裂くと、カレーニャの背後で華のように魔導グラスが広がった。

 ──団長が防御の構えを取り、背後のルリアとビィが身を寄せ合う。アンナだけはグラスに目もくれず、カレーニャだけを見据えている。

 

 

 

カレーニャ

「ずっと考えてましたの。お祖母様が、お父様が託した言葉の意味を」

「オブロンスカヤの最後の独りとして、私に何が出来るかを」

 

 

 

 ──グラスの華は花弁の先をくっつけ合うように折り畳まれ、ホオズキのような立体を形成する。

 ──その大きさは目測で、縦の長さがドラフ男性2人強ほどだろうか。

 

 

 

カレーニャ

「放り出すんですのよ。お祖母様の恩恵に預かりながら、意地でも認めようとしなかった、この島の全部。守って貢献するなんて信頼在りきの志も」

「魔導グラスは、お父様を苦しめてなんか居ない。お父様を苦しめた全てに立ち向かう力を授けてくれる希望なの」

「だから──」

 

 

 

 ──グラスの花弁は、その内側の空間からグラスを生み出し、隙間を埋め立て、1つの巨大な球体となった。

 ──グラスは更にその輪郭を磨きあげるように変形しながら、衛星のような小型のグラス球を周囲の中空から生み出す。

 

 

 

カレーニャ

「だから、(わたし)が叶えるの。お祖母様の夢。お父様の夢を」

「この島の全てをグラスに溶かして、グラスの島を造るのよ」

「魔導グラスは私のトモダチ。空の一番低い所に島を移して、誰にも邪魔されず、愛に包まれて静かに過ごすの」

 

 

 

 ──グラスが変形を終えた。小さな宮殿のような、巨大な玉座のような姿だった。

 ──幾つかの柱状の突起が極彩色にその色を変え、その表面に、流れる水の紋の如く光を泳がせた。

 ──人の目に最低限の視界を得られても、雲海の果てに未だ白も見えない時間帯。その光は殊更に艶かしく、美しかった。

 

 

 

カレーニャ

「それが私の夢。愛する人達の夢のために生きてきた──」

「だから私……今、最高に幸せよ」

 

主人公(選択)

・戦う

・守る

 

→ 守る

 

 

 

 ──グラス柱が一際輝くのと同時、団長が背後の仲間を抱えて飛び退いた。

 ──ルリア達の安全を確認して振り向くと、炎、氷、岩、風の柱、そして得体の知れない眩い柱と黒いガスのような柱。

 ──6つの柱が、先程まで団長が立っていた地点を取り囲むように天へと突き上がり、間もなく消えた。

 ──6柱の建った箇所を覆うグラスには、それぞれの影響を思わせる傷跡が残っていたが、見る間に再生しキレイに消え去った。

 ──団長がその場を一歩でも動かなければ、傷一つ受ける事無く、中からあの柱達を見届けていただろう。中途半端な行動であったら……考えるまでも無い。

 

 ──豪奢な威嚇射撃と共に火蓋は切られ、ルリア達の無事を確かめた団長がカレーニャの懐へ飛び込んだ。



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50「VS異界の座」

 ──カレーニャからの先手を許した団長達。

 ──団長が切り込み、アンナが慌てて魔法を準備する。

 

 

 

カシマール

「ボサットスンナヨ!」

 

アンナ

「う、うん!」

「カレーニャ……ごめん……!」

 

 

 

 ──団長を援護するため、流れ弾の被害を避け、火力を可能な限り抑えた火球の散弾を牽制に放つアンナ。

 ──しかし巨大なグラスから伸びる柱が、夏の空のように輝くと、屋根を覆う足元のグラスから、突如として青々とした液体が間欠泉のように噴き放たれ、火球を掻き消す。

 

 

 

アンナ

「あれは、水……じゃない。魔導グラス……!?」

 

 

 

 ──アンナの目が識別した結果では、液体は確かに魔導グラスだった。よもやソーダグラス等と寒い冗談でもあるまい。

 ──どうあれ魔力の炎に弱いはずのグラスが、正に水そのもののように火球を難なく消し去ってしまった。

 ──牽制が全く役目を果たさぬままに潰されてしまった。

 ──そしてカレーニャは駆け寄る団長をニヤニヤと待ち構えている。夢を語った先程の面影が欠片もない、ただの見慣れたカレーニャだ。

 

 

 

カレーニャ

「大体……このへん!」

 

 

 

 ──仰々しくカレーニャが腕を振ると、背後の巨大グラスの一部が水面のように小さく波打ち、その内部から何かが高速で撃ち出された。

 ──咄嗟に防御した団長だったが、錐揉み回転で迫る飛翔体は砲弾のように重く、団長は着弾の慣性に負けて吹っ飛ばされた。

 ──団長はそのままルリア達の脇を抜け、硬く角ばったグラスの上で2、3度跳ね返り、屋根の縁へと勢いよく滑っていく。

 

 

 

ビィ

「オ、オイッ!?」

 

ルリア

「ダメッ、止まってぇっ!」

 

 

 

 ──ルリア達が事態を把握し振り返った時には、団長は半身を屋根から宙に投げ出していた。

 ──無駄と解っていながらも一行が駆け寄ろうとしたその時、団長が(すんで)の所で、屋根と壁の境に出来た僅かな凹凸に指を引っ掛け、落下を免れた。

 ──場数で鍛え抜かれた腕力で復帰した団長に胸を撫で下ろす仲間たち。多少の打ち身と、服が一部裂けた以外に目立ったダメージも無い。

 ──団長の見据える先では、先程飛び出した飛翔体の正体……魔導グラスチェアーと、それを手元に引き寄せゆったり腰掛けるカレーニャの姿があった。

 

 

 

カレーニャ

「スプラッタは好みじゃござあませんけど──本気で(ワタクシ)を止めるつもりなら、こちらも貴族の娘として誠意ある態度で臨ませていただきますわ」

「まあ、逃げるなら止めやしませんわよ? 人殺しが好きな人間なんてそうは居りませんもの」

 

 

 

 ──クスクスと笑いながら、カレーニャを乗せた椅子が宙に浮かび、巨大グラスの一部にガチリと収まった。

 ──巨大グラスは椅子同様、滑るように宙を移動し、団長達の方へと迫ってくる。鉱物質の塊が威風堂々と浮遊する様は、さながら難攻不落の要塞を思わせた。

 ──態勢を立て直した団長だが警戒心が勝り、案じるルリアたちを庇う姿勢のまま踏み込めないでいる。

 ──幾多も相まみえて来た星晶獣の類に比べれば随分と小柄だが、人の身にその質量は充分に圧倒的だった。何より、戦っている場所が余りに不利だ。

 ──先程のような一撃を二度も三度ももらうようでは、ルリアの星晶獣に頼らねば転落は免れない。

 

 

 

カレーニャ

「折角ですから、とくと自慢してさしゃーげましょうか♪」

「これがあなた方にさんざ見せつけたげたグラス球の最終形態──名付けて『異界の座』ですわ」

「魔導グラスの中に魔力をた~っぷり閉じ込めて捏ね繰り回してやると、不思議な世界と繋がってしまうんですのよ」

「そこは空も地平も無い、そんなものさえ作らないままの、使い道の決まって無い膨大なエネルギーだけが存在する世界──」

「『異界の座』はそこからエネルギーを汲み上げて、私の──そう、全組織で以て”登録”し、座と同化したこの私の思い通り、エネルギーに形を与えてくださあますの」

 

ビィ

「エネルギーを汲み上げてって事は……他の魔導グラスみてえに魔力切れもしないって事か!?」

 

カレーニャ

「ん~惜っしい。向こうの世界のエネルギー使い果たせば流石に停まりますわよ。世界1つ使い潰す程のエネルギーを私に絞り出させればあなた方の勝ち♪」

 

ビィ

「そんなの底なしと同じじゃねぇか!」

 

カレーニャ

「さあどうかしら。本当に星晶獣を従えられるなら、もしかしたらって事もござあますでしょう?」

 

 

 

 ──カレーニャの愉悦に満ちた視線がルリアを捉えた。

 ──ルリアが覚悟の瞳で睨み返す。やろうと思えば、カレーニャが自分達を屋根から払い落とす事など造作もない。そのくらいの事はルリアでも解る。

 ──この状況はカレーニャに弄ばれているか、さもなくばカレーニャが殺人を躊躇い、その温情に与っているかでしかないのだ。

 ──心を研ぎ澄ませ、己の中で応える声を探し始めたルリアを、団長がそっと手で制した。

 

 

 

主人公(選択)

・「挑発に乗っちゃいけない」

・「まだ慌てるような時間じゃない」

 

→「挑発に乗っちゃいけない」

 

ルリア

「あ……は、ハイ!」

 

 

 

 ──返事を受けて、団長が再び異界の座へと駆け出す。

 ──呼ばせようとしている内は、カレーニャも封殺する備えがあると言う事。見守る事にだって勇気と覚悟が要るのだ。

 ──団長の言葉に落ち着きを取り戻したルリアは、余計な被弾で足手まといにならぬよう、ビィを抱えてその場に屈み、真っ直ぐにカレーニャと、その周りとを注視し始めた。

 ──いつ本当にいよいよとなっても応じられるよう、星晶獣を呼び出す用意も忘れない。

 

 

 

カレーニャ

「あらまあ。せっかく夕食会の約束、果たしてあげようと思いましたのに……」

 

 

 

 ──大して気にしていない素振りで、わざとらしく口だけは尖らせて見せながら、座の上からカレーニャがピッと団長を指差す。

 ──すかさず武器を構える団長。直後に座の柱から放たれた光線が、吸い寄せられるように団長の武器に弾かれた。

 

 

 

カレーニャ

「あら……まさか、見えてますの?」

 

 

 

 ──またも直撃と確信していたカレーニャが、少し慌てて追撃を放つ。

 ──立て続けに極彩色の柱から熱湯やら突風やらが襲いかかるが、全て紙一重で交わして距離を詰めていく団長。

 ──攻撃が見えている訳ではない。だが、修羅場をくぐり抜けてきた勘が、無意識に柱との距離と予測される軌道とを読み取り、被害を最小限に抑えているのだ。

 

 

 

カレーニャ

「だったら……!」

 

 

 

 ──カレーニャが手をかざすと、座を衛星のように取り囲むグラス球の内、6つが座を離れる。

 ──周囲に広がったグラス球はそれぞれの属性を思わせる色鮮やかな光線を放ち、球同士を互いに光線で結び合う。

 ──そして六芒星を更に綿密に線で埋め尽くしたような図形を描き、面積を駆使して団長へと飛びかかった。

 ──光線の正体は知れないが、触れればろくな事にならないのは容易に想像できる。

 ──ほんの一瞬、歩幅を縮めた団長だが、それでも止まらず光の網へ飛び込んでいく。

 

 

 

アンナ

「させない!」

 

 

 

 ──アンナの声が割り込むと同時、白い炎の大波がグラス球の群れに押し寄せた。

 ──波が過ぎた後には、半分以上とろけたグラス球達がフラフラと落下し、光の粒に還元されていった。

 

 

 

カレーニャ

「アンナさん……!?」

「フッ……やっぱり凄いんですのね。耐火調整入れてもまだ溶かして来るなんて……!」

 

 

 

 ──先程の火球散弾とは逆に、団長への被害も覚悟しての広域魔法。今度はこちらが手を潰されたと言うのにカレーニャは、炎をかわして駆け寄る団長さえも無視して嬉しそうにアンナを見やる。

 ──アンナは既に第二波の準備を終え、いつでも撃ち出せる状態だった。

 ──団長が咆哮を上げて注意を引く。反射的にカレーニャが振り向くと、既に団長は間合いに入っている。

 

 

 

カレーニャ

「まーぁ、お強いですこと」

 

 

 

 ──アンナへのそれよりも露骨にいい加減な称賛と共に、粉を蒔くような手振りをするカレーニャ。

 ──座の周囲で待機していたグラス球の残りが変形し、その身の一部をニュッっと団長の方へ伸ばした。

 ──トゲ一本だけのウニのようなシルエット。その先端は鉄杭のように尖りどこまでも伸び、矢のように速く団長の体へと迫ってくる。

 ──そこにアンナの炎の波が再び押し寄せる。

 

 

 

カレーニャ

「フフン……まだまだぁっ!」

 

 

 

 ──グラスが炎に飲まれたのを確認した瞬間、急に熱の込もった声で椅子の縁をグーで叩くカレーニャ。

 ──途端にグラス球達の蓄える虹色の光が増し、外へと溢れ出る程になった。

 ──グラスの槍と化した部分は、炎の中で赤熱しながらも今度は持ち堪え、勢いもそのままに深々と、狙いの地点を射抜いた。

 ──が、そこには団長の姿は無く、自らが敷いたグラスにその先端が突き刺さっている。

 

 

 

カレーニャ

「あ、あら……どこに?」

 

 

 

 ──思わず椅子から立ち上がり、辺りをキョロキョロと見回すカレーニャ。

 ──団長を探そうとしながらも、視界の隅のアンナがいつ打って出るかと気になり、無意識に視界がアンナの周囲に絞られてしまう。

 ──当の団長はと言えば、アンナの炎がカレーニャとの間を遮った瞬間、ガラス面の摩擦の少なさを利用して滑り込み、座の背後へと回り込んでいた。

 ──互いの信頼があればこそ為せる、打ち合わせ無しのフェイントである。ただし、硬いガラス面に擦られた団長の服はまた少々犠牲になった。

 

 ──異界の座を相手にしての勝算は、正しくここに有った。

 ──カレーニャはこの島で、魔導グラスのみに人生を捧げてきた、言ってしまえば一般人である。

 ──多くの敵と、多くの戦い方を目の当たりにしてきた団長達とは経験が違う。

 ──必要な心構え、知識、機転……反射神経に叩き込んできたノウハウに圧倒的な差があるのだ。

 ──それが証拠に、隙を丸出しにして見失った団長探しに執心し、それでいながら視界の隅で待ち構えるアンナの存在も振り切れず、その時点で手一杯だ。

 ──防御に専念するとか、目下の不安となるアンナに牽制を放つとか、いっそ上空へ退避するとか。岡目八目なら幾らでも思いつくだろう対策を咄嗟に講じられない。

 

 ──アンナがこれ見よがしに炎を生み出し、カレーニャの全神経が完全にアンナへ傾く。

 

 

 

カレーニャ

「くっ……まずはアンナさんを──」

 

ルリア

今です!

 

カレーニャ

「んなっ……!?」

 

 

 

 ──迎撃を準備した矢先にルリアが目いっぱいに声を張り上げ、振り向かされるカレーニャ。

 ──初の実戦となるカレーニャに視界の外にまで気を配る技術も余裕も無い。

 ──アンナを攻撃したい。団長の所在も気になる。ルリアの声に次なる手への予感まで押し寄せ、もうしっちゃかめっちゃかだ。

 ──もちろん、ドリイのようにぶっつけ本番で全てをこなす天才的器量も無い。

 

 ──ルリアの声の真意は、第三の手では無い。カレーニャの背後に回った団長へ向けたものだ。

 ──アンナに敵の注意が向いた瞬間を、団長の付け入る隙だと独断で判断し、もし異界の座に視界を遮られていても伝わるようにと呼びかけただけの事だ。

 ──しかし素人のカレーニャ相手には大成功である。

 ──すかさず団長が座へ一撃を叩き込む。座は団長のその体に似つかわしくない程の威力に、大きく深くヒビを入れ、拳半分ほどの破片が幾つか飛び散った。

 ──ドリイとの戦いでも、ドリイの意識から外れた個室のグラスをアンナが破壊して見せた。本体と言えど、カレーニャの不意を突けばダメージは充分に通るようだ。

 ──もしかすると、今なら図書館を覆うグラスも比較的容易に砕けるのかも知れない。

 

 

 

カレーニャ

「う、後ろぉ!?」

 

 

 

 ──座がカレーニャ諸共に悠然と団長の方へ旋回を始めた。

 ──その巨体と安定した動作は、明らかに見た目より損傷は軽微である。

 ──攻撃された部位に座の核となる物体でも収まっていない限り、攻撃されるに任せてアンナに注力した方が合理的だが、背後を取られた事にようやく気付いたカレーニャの頭に思考する余地は無い。

 ──アンナへ振り向き、今度は団長へ振り向き、座も創造主も玩具のように首を振るばかり。ほんの10度ほど頭と視線が外れれば、アンナの本命を放つにはもう充分すぎた。

 

 

 

アンナ

「カレーニャを……傷つけない……ように!」

 

 

 

 ──炎を気持ちカレーニャより遠く、座に集中するよう照準を定め、真っ青に魔力を蓄えた高温の炎が、龍の如く宙を駆けた。

 

 

 

カレーニャ

「しまっ……ぐぅぅ!」

 

 

 

 ──死角からの熱波と風圧に事態を察したカレーニャだったがもう遅い。

 ──唸りを上げる青い龍を視界に捉えたその瞬間に、龍の(あぎと)が座に喰らいついた。

 ──ガラスが砕け散る轟音と共に異界の座が揺らぎ、その形を湯をかけられた砂糖菓子のように変えながら、ゆっくりと高度を落としていった。

 

 

 

ビィ

「やったぜ! グラスが壊れちまえばこっちのもんだ!」

「何でえカレーニャのやつ。偉そうな事言ってた割にはあっけないじゃねえか」

 

ルリア

「このまま、終わってくれれば良いんですが……」

 

 

 

 ──ルリア達が見守る間にも火だるまと化した座はじわじわと落下し続け、熱波で周囲のグラス球まで蒸発し、本体が屋根に接触したと同時、ガラガラと突き出ていたグラスの柱達が折れ、屋根に落ちて干菓子のように崩れ去った。

 



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51「第2ラウンド」

 ──アンナと団長が残骸に駆け寄る。墜落の衝撃で投げ出されていたカレーニャが頭頂部を(さす)りながらゆっくりと起き上がった。

 

 

 

カレーニャ

「う~~……あんまり痛くなかったけど、芯までグワングワンしますわね……」

 

アンナ

「カレーニャ! ごめん、怪我は無……」

「っ……!?」

 

 

 

 ──砕けた形のまま横たわる大小の破片達を飛び越え、アンナの容態を第一に確かめる団長とアンナ。

 ──しかし、カレーニャの姿に息を呑む。

 ──座の熱に炙られた体の端々が赤熱し、溶けて輪郭が微妙に崩れている。虹色の炎に包まれたドリイのように。

 ──髪や指の先なら見るのは二度目だが、身に纏ったドレスの裾も同様に溶けていた。片方の靴は半分ほど残して赤熱した爪先を晒し、その足も足首で溶けて体から離れ、あらぬ方を向いて転がっている。

 ──カレーニャはその衣服まで魔導グラスで仕立てていた。

 ──仮にグラスの中を移動する仕組みが、グラスに取り込まれるのと似たようなものであるとすれば、出入りする度に1から体を再構成する事になる。着替え用の服をいちいち取り込んで再構成するより、グラスから編み出してしまう方が効率的なのかもしれない。

 

 

 

アンナ

「ご……ごご、ごごごごめん、なさい! カレーニャ、ボ、ボク、き傷つけないように、がが頑張ったん、だけ、ど、あの……!」

 

 

 

 ──声を上ずらせ、カレーニャの頭の天辺から足の先までひっきり無しに視線を上下させるアンナ。

 ──ドリイが焼き切られた手を再生させた事や、溶け出しながらも冷静に一行とやり取りしていた事を考えれば、鎮火した今なら大した損傷ではないのかもしれない。

 ──それでも見た目に受けるショックが勝る。自分が招いた結果だと思えば尚更だ。おぼつかない様子でカレーニャに触れようとしたアンナが、その中途でビクッと手を引っ込めた。

 

 

 

アンナ

「熱っ……!?」

 

 

 

 ──熱いどころではない。よく見ればカレーニャの肩口や頭上には薄っすらと陽炎まで立ち昇っている。

 ──先程までのカレーニャの話では、カレーニャの体は魔導グラスと元の肉体が混ざり合っている状態らしいが、カレーニャに自身を案ずる様子は無い。何か便利な機能で生身が焼けるのを防いでいるのだろう。

 

 

 

カレーニャ

「当ぁったり前でしょうがおバカ! 溶けてるガラスに素手で触れるおバカが在りますかこのおバカ!」

 

カシマール

「バカバカウッセーゾバカ!」

 

カレーニャ

「『取り敢えず自分の身も省みずに手ぇ出そう』っておバカをおバカ以外に何て呼べってんですのよこの”バカドール”!」

 

カシマール

「”カシマール”ダッテンダコノ”バカーニャ”!!」

 

アンナ

「カ、カシマール、今のはボクも悪かったから……」

 

ビィ

「おいおい、子供のケンカじゃねぇんだからよぉ……」

 

 

 

 ──ルリアと共に駆け付けたビィがツッコミを入れた所で、団長が武器を手にカレーニャの前に立った。

 ──立ち向かった以上、敵対者としてのケジメは付けねばならない。カレーニャのノリにいつまでも付き合う訳にはいかないのだ。

 

 

 

主人公(選択)

・「勝負あったね」

・「島の人達を解放して」

 

→「島の人達を解放して」

 

カレーニャ

「あぁらあら気のお早いこと」

 

 

 

 ──降伏勧告を涼しい顔で突っぱねられた。

 

 

 

主人公(選択)

・「お願いだから、言う通りにして欲しい」

・ 黙って武器を突きつける

 

→ 黙って武器を突きつける

 

 

 

 ──団長はその鼻先に押し付けるように武器を構え直した。

 ──その眉は顰み、突きつけた先端は微かに震えている。こういった事は普段の団長が望むような行いではない。

 ──しかし、この場でこう言った選択ができる人間は他に居ないのだ。

 ──団長の心の秤では、カレーニャへの同情より人々の安寧の方が幾分か重い。

 ──どんな事情があれ、島1つをそこに住む人達ごと巻き込むような真似は看過できない。

 

 

 

ビィ

「お、おい待てって。何もそこまでしなくたって……」

 

カレーニャ

「あら好都合。この体、理論上は首が飛んでもヘッチャラですけど、まだ試してませんの」

 

ビィ

「お前も刺激してんじゃねぇ!」

 

 

 

 ──ルリアが、団長の掲げる武器に触れ、そっと押し下げる。

 ──団長もルリアの無言の訴えを聞き入れ、一旦、武器をしまった。

 

 

 

ルリア

「カレーニャちゃん。もう、止めましょう?」

「島ごと魔導グラスにして、遠い所でずっと1人でなんて……そんなの、哀しいです」

「辛い事もあったかも知れないですけど、この空には、カレーニャちゃんを幸せにしてくれる事だって沢山ある筈です。だから……」

 

ビィ

「そうだぜ。それに本当に全部魔導グラスにしちまったら、楽しいモノも全部無くなっちまうだろ?」

「自分の造った魔導グラスしか無いなんて、オイラだったら退屈すぎて3日も耐えられねぇぜ」

 

カレーニャ

「へえへえ。眩しいですこと」

 

 

 

 ──おアツいカップルのノロケ話を聞いてるような態度のカレーニャ。

 ──真摯に聞き入れる気が無いと言うのも多分にあるだろうが、ルリア達の心からの言葉は、カレーニャからすればそれこそ絵本の向こうの言葉なのだ。

 ──そんなセリフが通用するキレイな世界はフィクションの向こうにしか無いのが、語るまでも無いこの世の仕組み。そのように考えている。

 ──そのニヒリズムが凝り固まった妄執で有ったとしても、当人に罪まで求められない。そしてそのような相手に、真っ直ぐな気持ちだけでは心に届きようも無い。

 

 

 

カレーニャ

「所で、このプラトニア図書館の蔵書がどれほどのものかご存知?」

 

ルリラ

「え? えーっと……も、ものすご~く沢山有ったのは、覚えてます……」

 

カレーニャ

「ドリイさんが読書時間を1冊10秒ちょっとに縮めて読み倒しても、開架分だけで少なくとも3割の書物が未だ手付かずですのよ?」

「ただ読むだけに留まらず、魔術書や学術論文の読解、古代の資料、閉架行きの書物まで勘定に入れれば、読み切るのに1000年かけたって足りませんわ」

「お生憎ですけど、むしろ退屈する時間が欲しいくらい。ご心配には及びませんわ。お外に逃したドリイさんも、たまには手土産でも持ってここまで帰って来るでしょうし──」

 

アンナ

「ド、ドリイさん、無事だったの……!?」

 

カレーニャ

「そこはご存知ござあませんでしたの?」

「私の最高傑作を簡単にパアにして堪るもんですか。あなた方が戦ってたのは──」

 

 

 

 ──またもカレーニャのペースに飲まれていく一行。

 ──団長達が戦ったドリイが一種の偽物だった事、今は自由の身にして島の外に旅立たせた事だけ説明した所で、カレーニャが自分の体を確かめ始めた。

 

 

 

カレーニャ

「──ん。熱もすっかり引いたみたいですわね。ハイ、休憩タイムおしまいですわ」

 

ビィ

「き、休憩タイムぅ?」

 

カレーニャ

「まさかあれっぽっちで座をこうまでしてくれるとは完全に予想外でしたけど……さっきも言いましたでしょう?」

「こんなんで私を諦めさせようだなんて、気が早すぎますことよ」

 

 

 

 ──片足を失って座り込んだ姿勢のままふんぞり返って見せるカレーニャ。

 ──”休憩タイム”の延長線上とでも言いたげな余裕の態度だ。とても追い詰められた側の振る舞いには見えない。

 

 

 

ビィ

「負け惜しみ言ってんじゃねぇぞ!」

「お前のとっておきはアンナがぶっ壊したんだ。これ以上何が出来るってんだよ!」

 

アンナ

「うん……カレーニャには、悪いと思うけど……」

「それに、魔導グラスは、形が壊れちゃうと駄目なんだってドリイさんも……」

「形…………もしかして……!?」

 

 

 

 ──アンナが何かに気付いた様子で異界の座の残骸に目を向ける。

 ──ガラス片は相変わらず方方に散らばり、うんともすんとも言う気配も無い。

 ──しかし、残骸を見つめるアンナの顔は徐々に険しいものになっていく。

 

 

 

カレーニャ

「ア・ン・ナ・さん♪」

 

アンナ

「ひゃ!? な、何……?」

 

 

 

 ──猫なで声で呼ばれて、肩を跳ねさせながら振り向くアンナ。

 ──意地悪そうな笑みのカレーニャが、溶けて小さな”つらら”を形成した自分の髪をいじくっている。

 

 

 

カレーニャ

「ど~やら皆さん方で一番おつむの回るらしいアンナさんに、1つお聞きしたい事がござあますの」

 

アンナ

「う、うん……」

 

カレーニャ

「アンナさん、先程私に駆け寄ってきた時、『ごめん』とか言ってましたわよねえ?」

「アレって……何の事でござあましたの?」

 

アンナ

「何でって……」

「あの……ボク、異界の座だけ溶かそうと思ってたけど……その……カレーニャまで、そんなにしちゃって……」

 

カレーニャ

「そんなってどんなぁ?」

 

アンナ

「だ、だから……カレーニャの……髪とか、服とか……と、溶かし、ちゃって……」

「(あれ……? 何だか、前にもこんな事が有ったような……)」

 

カレーニャ

「ま~あ、そうなんですのぉ。それは大変ですわねぇ」

 

 

 

 ──髪の先の”つらら”をポキリと折って手から落とすカレーニャ。

 ──落ちた”つらら”は、かつてカレーニャの足首を形成していた……今は冷えて固まったグラス溜まりに上に落ち、2つに割れた。

 

 

 

ビィ

「さっきから何言ってんだ? 大変も何もオマエの事じゃねぇかよ」

 

主人公(選択)

・「何かをごまかしてる?」

・「何だか既視感が……」

 

→「何だか既視感が……」

 

 

 

カレーニャ

「だぁって、私の体が溶けてるだなんて初めて知りましたもの?」

 

ビィ

「はぁ? なぁ、カレーニャのやつ、もしかしておかしくなっちまったんじゃぁ……」

 

カレーニャ

「それじゃあ教えて下さる?」

「アンナさんの魔法で溶けちゃったという私の体──”どこにあるのか”?」

 

 

 

 ──反射的に、一行の視線がやや上を向いた。

 ──人は誰かと会話する時、相手の目を見ようと見まいと、視線を一箇所に集中させる。

 ──そしてその一箇所が移動すれば、移動した先へ目で追おうとするものだ。

 ──団長達が見ていたのは、カレーニャの瞳だったかも知れない。額の辺りかも知れない。襟の辺りかも知れない。

 ──いずれにせよ、『そこ』がより高い所へ移動したのだ。

 

 

 

ルリア

「あ、あれ……カレーニャちゃん……立って……?」

 

 

 

 ──スックと立ち上がったカレーニャは、「さあもっと見ろ」とばかり澄ましたポーズを取っている。

 ──思わず足元に目をやれば、転がっていたはずの足首は消え、カレーニャの足はちゃんと2本付いている。

 ──溶けて崩れた服も、髪も元通り。ガラス製とは到底思えない上等かつリアルな質感を再現している。

 

 

 

アンナ

「だ、団長さん、皆、気を付けて!」

「やっぱり……異界の座は壊れてない。あれは……最初から”壊れやすい”ように出来てたんだ!」

 

 

 

 ──アンナが告げる間に、その言葉通りに座の破片がガラガラと宙に浮き、カレーニャの周りを回遊し始めた。

 ──得意満面のカレーニャがトンと足元を蹴り小さくジャンプすると、何も無い空間からグラスチェアーが生み出され、そこにカレーニャが腰掛けた。

 

 

 

カレーニャ

「ハイ大当たり。言ったでしょう? 異界の座の正体はアンナさんが落っことしてくれたあのグラスの球って」

「座は1個の球体じゃござあませんわ。異界へと繋がる機構を備えた小さな魔導グラスが集合して、球体を形作ってますの」

 

 

 

 ──如何にも「お嬢様の自慢話」の抑揚で種明かしをするカレーニャ。

 ──その傍からグラス片達が個々にその体積を増量させていく。

 

 

 

カレーニャ

「異界の座は魔導グラス技術としてまだまだ草分け。不具合があったり、こんな風に砕かれただけでオジャンではみっともないでござあましょ?」

「ゲートは1つ開いていれば充分。一欠片でも残っていれば、座には座を複製する設計図も仕込んでござあますから、後は異界のエネルギーを元手に再構築するだけ……」

 

 

 

 ──グラス片同士が癒着し合い、先程の座の形に戻っていく。

 ──そうはさせじと団長が駆け寄るが……。

 

 

 

アンナ

「団長さん、危ない!」

 

 

 

 ──団長の視界を、アンナの炎が駆け抜けた。過ぎ去った先……団長のすぐ真横で、巨大なグラスの塊がアンナの炎に溶かされ押し返されながら、尚も質量を頼りににじり寄っていた

 ──市民のアジトから聳え立つグラスの氷山。その1つが根本から浮き上がり、団長目掛けて飛んできたのだ。

 ──グラス球には、カレーニャ製のグラスを遠隔操作する機能がある。登録者の意向を優先して動作するグラスの特性を、カレーニャが独力で僅かに解析し、さらに拡張したものだ。

 ──座を復元しながらカレーニャは、グラスの山をへし折って投げつけていた。この島全てがカレーニャの武器なのだ。

 ──グラスの山は、団長に肉薄する間もなくアンナの炎に溶かされ、跡形も無く蒸発した。

 

 

 

カレーニャ

「あーら、やっぱりもう一般向けグラスの再利用じゃ足止めにもなりませんわねぇ」

「では改めて、今度は異界の力をもうちょっと贅沢に使わせていただきますわよ」

「落っことすのはもうちょっと先にしたげますから、頑張って戦ってくださあまし。折角ですし、異界の座にどこまで出来るか、あなた方で試させていただきますから」

 

 

 

 ──人1人に規格外の質量をぶつけておきながら、ちょっとした悪戯程度のようにクスクスと笑って見せるカレーニャ。

 

 

 

ビィ

「くっそぅ、完全に悪者みてぇなこと言い出しやがって!」

 

ルリア

「一欠片も残さずに消滅させないと元通りになっちゃうって事ですよね……」

 

 

 

 ──項垂れるルリア達の横を縫って、アンナが前に出た。

 ──躊躇うこと無く、再び青い炎が湧き上がる。

 

 

 

ルリア

「ま、待って下さいアンナちゃん!」

「全部溶かしちゃえば異界の座も止まるかも知れないですけど、そんな事したら──」

「そんな事したら、溶けたカレーニャちゃんが元に戻れなくなっちゃうんじゃ……!」

 

 

 

 ──ルリアの声に振り向くアンナ。しかし、炎は止めない。

 ──自信を感じさせる微笑みだけ返すと、アンナは正面に向き直り、眼前のカレーニャに問いかけた。

 

 

 

アンナ

「カレーニャ。聞きたい事があるの」

「カレーニャは、カレーニャの全部を使って、異界の座を自分の物にしたって事だよね……?」

 

カレーニャ

「ええ。魔導グラスは造ったその場から魔力を注ぎ続けるか、オブロンスカヤの体の一部を取り込ませる事で、初めてこの空に存在し続けられますの」

「だから座は私が直に魔力を送り続けて維持して、昨日の晩に初めて、全部まとめて”登録”しましたわ」

「座に私の体組織を登録する時は、私がグラスの体を手に入れる時って決めてましたもの」

 

アンナ

「じゃあ──」

「本当は、『今ある』異界の座だけ壊しちゃっても、カレーニャは大丈夫って事だよね?」

「今もカレーニャの体には、魔導グラスと、『よく解らないモノ』が混じってる。足もすぐ治った。それって、カレーニャを生かすためだけに、幾らかの座が使われてるから……そうだよね」

 

カレーニャ

「……本当に羨ましい目利きですこと」

 

 

 

 ──話している間に、異界の座の復元は完了してしまった。

 ──しかしカレーニャが仕掛ける様子は無い。むしろ一行が攻撃してくるのを待ってさえいるかのようだ。

 

 

 

カレーニャ

「いかにも。私の中に残ってる座の一部は、有機体をあらゆる環境から守り、先程みたいに体が溶けようとも、体内の有機物と座同士を迅速に修復する事へ常に殆どのリソースを割いてますわ」

「仮にアンナさんが外に出ている座を全て溶かしきって見せたのなら……私の体を維持しながら新しく座を造るのは一筋縄ではいかないでしょうね。座じゃあなく、私の培ったグラス技術の限界として」

「まあ、それっぽいモノで戦うくらいはできますけれど。それは普通に造って形を真似たタダの魔導グラス。今みたいなハチャメチャは出来ませんわ」

 

 

 

 ──あっさりと認めるカレーニャに、団長が違和感を覚えた。

 ──自慢したがりにしたって、これからアンナの攻撃を受ければ自分が負けるかもしれないと打ち明けるのは度が過ぎている。

 ──先程から待ち構えるばかりのカレーニャ。アンナの一撃を誘っているようにすら感じられた。

 ──しかし、待ったをかける間もなく、アンナの準備が完了する。

 

 

 

アンナ

「なら、大丈夫……!」

「もしやり過ぎちゃっても……ボクが、何とかするから!」

 

 

 

 ──青い龍が再びカレーニャへと飛びかかる。

 ──団長が懸念した通り、カレーニャはこれを避ける様子も防御する様子も無い。

 ──間もなく、異界の座は再び巨大な人魂と化した。

 

 

 

ビィ

「いっけえ! 今度こそ全部溶かしちまえ」

 

ルリア

「うぅ……アンナちゃんを疑うわけじゃないですけど……カレーニャちゃん、大丈夫かな……」

 

 

 

 ──大勝負を固唾を呑んで見守る一行。

 ──しかし段々と、先程とは違う展開となっている事に気付く。

 

 

 

ビィ

「……な、なぁ。さっきより随分立つけどよ……もしかして……」

 

ルリア

「炎が、全然小さくならない……これって、もしかして……」

 

アンナ

「ボクの魔法が……効いてない……!?」

 

 

 

 ──ようやく空の向こうが朝らしい色になってきた頃。それでも直上の空の色はまだまだ暗く濃い。

 ──そんな空を煌々と照らすアンナの炎だったが、その勢いが衰える気配が無い。即ち、薪が減っていないのだ。

 ──火だるまの中で、座は雫1つ垂らしては居ない。それどころか、目に映る色味からして、赤熱化すらしていない。

 ──座に鎮座するカレーニャも同様だった。熱に耐えるかのように眉根を寄せて目を閉じ、頬杖を突いてじっとしているが、毛先1つとて変化が無い。その口元は不敵な笑みを浮かべてさえいる。

 ──それでも根気よく炎を供給するアンナだったが、火種の魔力はジリジリと目減りし、とうとうほんの僅かに火力が弱まった。その瞬間、カレーニャの瞳がカッと見開かれた。

 ──同時に炎を突き破って、座から虹色の液体が噴き出した。液体は炎の更に上から異界の座本体を包み込み、アンナの渾身の一発を立ちどころに消火してしまった。

 ──座は虹色の球体となって炎を一切寄せ付けず、アンナがこれに観念して魔法を中断すると、少しして液体は、座とカレーニャに吸収されるようにして跡形も残さず消えた。

 

 

 

ルリア

「そんな……傷一つ無いなんて……!」

 

ビィ

「な、何でだよ! さっきはあんなにボロボロだったじゃねぇか。壊れやすく出来てるんじゃ無かったのか!?」

 

アンナ

「ハァ、ハァ……何で……」

 

 

 

 ──消耗からその場にへたり込むアンナを団長が支えた。

 ──見据えた先では、カレーニャが腕組みしながら、ゆっくりとグラスチェアーから立ち上がっていた。

 ──悪役が3段階に分けて大笑いする時の第一段階のような顔をしている。

 

 

 

カレーニャ

「フッフッフッフ……手段なら幾らでもありますわ。溶けるより速く再生させるなり、表面を絶え間なく冷却させるなり──」

「単純な答えですわ。アンナさんの熱量を押し返すくらい、大量のエネルギーを一気に引き出せば良いだけですの。後は思いつく方法で抗えば良い」

「人の話聞いてない皆さんに何度でも言って差し上げましょう。ここからは、異界の力をもうちょ~~~っと、贅~~~沢に使わせていただきますわ」

 

 

 

 ──欠片1つから全てを再生する耐久力に、団長達の対魔導グラスの要をも凌ぎ切る防御力。そして火力は言わずもがな。

 ──カレーニャが本気を出していない可能性は想定しては居たが、落差がありすぎた。

 ──ルリアもビィも唖然とするばかり。アンナは汗を滲ませて呼吸を整えるので手一杯。団長の表情にも苦悩の色が浮かぶ。

 

 

 

カレーニャ

「ほぉら皆さん、本番はここからでしてよ。あなた方のお相手は、グラスの向こうの世界丸ご──」

 

 

 

 ──その時、カレーニャの背後で剣閃が輝いた。

 

 



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52「到着」

 ──勝ち誇るカレーニャの背後で鋭く閃くものがあった。

 ──次の瞬間、カレーニャの肩に突剣が咲き誇り、微かに血の花びらが舞い散った。

 

 

 

カレーニャ

「ぬ、あ……!?」

 

 

 

 ──首と視線を捻って背後を見やるカレーニャ。

 ──淡い栗色の長髪と、輝く甲冑にビィ達から歓声が上がる。

 

 

 

ビィ

「あ……姐さん!」

 

ルリア

「カタリナ!!」

 

 

 

 ──ルリア達に応えるように、剣の主カタリナが、貫いたカレーニャを座から屋根へ投げ落とす。

 

 

 

カレーニャ

「ふぎぁ!」

 

 

 

 ──顔面から落っこちるカレーニャ。

 ──傷口から飛び散った血が、屋根に落ちると小さな音を立ててガラスのように砕け、そして砂のように細かく瞬き、空気中に消えた。

 ──完全なグラスの体を持つドリイも、腹や口元から血を流していた。そしてドリイのそれらもすぐに消えた。魔導グラスは血液をも再現し、本当に人体の代替として機能するようだ。

 

 

 

カレーニャ

「く、ぬぅ……無茶な事なすってるのは感知してましたが、まさか本当に登りきって来るなんて……!」

 

 

 

 ──起き上がったカレーニャが鼻を押さえながらカタリナを睨み付けた。

 ──負傷を気にする様子は全く無く、肩に広がった赤い染みも見る見るドレスに溶けるように消えた。

 ──ルリア達は、遅れて登場した仲間に興奮仕切りだった。当のカタリナも、座から飛び降りるとカレーニャに目もくれず、一目散に団長達の元に合流した。

 ──アンナが僅かに目配せした以外、カレーニャの傷が消える瞬間に殆ど誰も目を向けていない。

 ──カタリナのそれは仲間を第一に案じての行動だったとして、団長達はもう、カレーニャ自身が銃弾も炎も凌いで見せただけに、少し感覚が麻痺してきたのかも知れない。

 

 

 

カタリナ

「皆、遅くなった。怪我は無いか」

 

ルリア

「私達は大丈夫です。でも、アンナちゃんが……」

 

アンナ

「ぼ、ボクも、大丈夫……ちょ、ちょっと、疲れただけ……だから……」

 

カタリナ

「大事ないなら何よりだ。だが無茶はするな」

団長(キミ)も、大丈夫か? 些か派手に立ち回った様子だが」

 

主人公(選択)

・「このくらいかすり傷にも入らない」

・「服が破けた……」

 

→「このくらいかすり傷にも入らない」

 

カタリナ

「ふふっ、相変わらず頼もしい団長殿だ」

「では、まずは状況を確認したい。戦いに至った経緯は察しが付く。私が駆け付けるまで、どのように戦ったかを教えてくれ」

 

 

 

 ──ルリア達が戦いの一部始終を説明する。それは同時に、カレーニャの力の程を共有する事にも繋がる。

 ──地形の不利、素人ゆえの隙の多さ、多様な攻撃手段、そして今しがた発揮した圧倒的タフネス。

 ──団長達が語らっている後方で、半ば忘れ去られているカレーニャ。しかしそれを特に気にする様子も無くグラスチェアーを呼び寄せ、座り直している。

 

 

 

カレーニャ

「全く……本当にこの人達は身内の事になるとイチイチ大げさですわね」

 

 

 

 ──チェアーがカレーニャを乗せ、木の葉のように宙に浮き上がり、座へと移動を開始する。

 ──カレーニャが両手を前に突き出すような仕草をすると、その手元から魔導グラスが生成される。

 ──完成したそれを掴み、構えるカレーニャ。手にしたグラスは、フライパンとお玉のような形をしていた。両手のグラスを何度も打ち合わせると、半鐘のような騒々しい音が響き渡る。

 

 

 

カレーニャ

「ホラホラ、いつまで作戦会議やってますの」

「あんまりノンビリしてると不意打ち仕掛けちゃいましてよ?」

 

 

 

 ──騒音に思わずカレーニャを注視する一行。

 ──ルリアが律儀に返事を返した。

 

 

 

ルリア

「す、すみません。今、ちょうどお話も終わった所です!」

 

カタリナ

「わざわざ待っていてくれたとは存外に親切だな」

 

カレーニャ

「異界の座の本領をたっぷり試して差し上げたいですもの」

「それに失礼ですけど、お一人増えたくらいでどうこうなるとも思えませんし」

 

カタリナ

「確かにな。今しがた聞いた限り、このまま無闇に突っ込んだのでは手の打ちようも無いだろう」

「だが……我々とて、絶望的な戦いに立ち向かった試しは一度や二度ではない」

「この”たった1人”──君が思うよりは、相当重いぞ」

 

 

 

 ──カタリナの言葉と同時に、誰が指示するでもなく、一行が陣形を立て直した。

 ──傍目には夢見がちにすら見えるほどに一行は、カタリナと再開し言葉を交わしたそれだけで、再びその瞳に闘志を宿していた。

 

 

 

カレーニャ

「ホントに、その寄り合えば勝手にフィーバーできる仕組み。理解できませんわね……」

「ほんじゃあ、そちらも準備オッケーみたいですし──」

 

 

 

 ──座から伸びる柱にまた光が満ちる。

 

 

 

カレーニャ

「どうぞどこからでも。どれだけ心強い味方なのか、見せていただきましょうか」

 

 

 

 ──柱の先端から光球が生まれ、ゆっくりと宙に放たれた。

 ──それらはガラス球へと姿を変え、衛星のように異界の座を取り巻いて漂い始めた。これで完全に仕切り直しだ。

 ──カタリナがカレーニャに聞き取られない程度の小声で仲間たちに指示する。

 

 

 

カタリナ

「皆、聞いてほしい」

「私達が勝利する──その意志に嘘は無いが、バカ正直に飛び込んでも勝ち目は薄い」

「だが策はある。余り使いたくない手だが……とにかく、全員でカレーニャの隙を誘う事に専念してくれ」

「タイミングを見計らったら──」

 

 

 

 ──そこで口を噤み、ジッと団長を見つめる。

 ──その瞳の意図を理解した団長が強く頷いた。

 

 

 

カタリナ

「よおし、各自散開だ!」

 

ビィ、ルリア、アンナ

「おう!

 はい!

 うん!」

 

 

 

 ──各自、走り出す団長達。

 ──ルリアとビィは屋根の中心、それでいてなるべくカレーニャから距離を取れる位置へ。

 ──継続して戦況全体の見張り役と同時に、万一の際の転落防止だ。

 ──カタリナは真正面から飛び込み、団長とアンナが左右に展開する。

 

 

 

カレーニャ

「大口叩いた割には大して変わり映えしませんのねぇ」

 

 

 

 ──拍子抜けした顔でまずカタリナの迎撃に動くカレーニャ。

 ──グラスの柱から赤と青の光線が放たれ、数個のグラス球が前に出てその身を棘槍に変えてカタリナに襲いかかる。

 ──それら全て一瞬の出来事のはずだったが、カタリナはこれを難なくヒラリとかわした。

 

 

 

カレーニャ

「んなっ……あらら?」

 

 

 

 ──思わず目の錯覚を疑い目を凝らすカレーニャ。しかし何度見直しても、カタリナはマントの端すら傷ついていない。

 ──カレーニャの想定では光線がカタリナの動きを鈍らせ、グラスの槍がその全身を余す所なく貫けるはすだった。一発も掠りもしない等とは全くありえないと言ってよかった。

 

 

 

カレーニャ

「くンの……そんな鎧来て一体どんなイリュージョンですの!」

 

 

 

 ──更に広範囲へ向けてカラフルな光と槍の雨が降り注ぐ。左右に全力で飛び退いてもまだ射程範囲を脱せないだろう程だった。当たればひとたまりも無い。

 ──だがそれでもカタリナの髪一本にすら届かなかった。

 

 

 

カレーニャ

「またぁ!?」

 

カタリナ

「下だカレーニャ!」

 

 

 

 ──カレーニャが目線を着弾地点より下……もとい手前に向けると、グラスに張り付くようにして、高速で座へと迫るカタリナの姿があった。

 ──カタリナは攻撃の瞬間に合わせ、足元のガラス面に自らを平行に倒しスライディングの姿勢に移行していた。

 ──金属鎧と硝子面とは、布や人肌よりも安全かつ素早く滑れる。先の団長と同じ、それでいて更に効率的な対処法だった。

 

 

 

カタリナ

「槍だの銃だの当たり前の時世に、伊達に剣一本を磨き続けてはいないぞ!」

 

 

 

 ──蓋を開けてみれば、カレーニャの困惑を裏切るほど、全ては単純すぎる成り行きだった。

 ──カレーニャの力が増そうと、基本的な対処法は変わらない。相手は、敵の腕前を推し量る尺度さえ持たない素人なのだ。

 ──ただただ単純に、団長よりも場数の分で勝るセンスで以って初激の飛び道具をかわし、カレーニャの意識をカタリナへ集中させる。

 ──力量差も判断できず、しかも冷静さを失った相手なら、もう一度くらいは同じ手だって通用する。トリックのトの字も無いゴリ押しが全弾回避の実態だった。

 ──加速し続けるカタリナは剣の間合いへ到達すると同時に、軽々と身を起こして勢いそのままに飛び上がり、カレーニャへ刺突を放った。

 

 

 

カレーニャ

「あぶな……!」

 

 

 

 ──カレーニャの言葉が終わる前に、刃の切っ先が埋まった。ただし、相手はカレーニャではない。

 ──複数のグラス柱から放たれた光がカレーニャとカタリナの間で交差すると、交点の空間から泥の塊が湧き出した。

 ──カタリナの剣はその切っ先10数cm程が泥に差し込まれた所で止まってしまった。

 ──この手応えには覚えがあった。カレーニャ邸でドリイとの戦闘で、高質量の水に阻まれた時とよく似ている。

 ──攻撃は失敗に終わったが、カタリナに動じる様子は無い。それどころかカレーニャに語りかけた。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ! 聞き飽きたろうが今一度問う。考え直す気は無いか!」

 

カレーニャ

「本当に聞き飽きた話ですのねぇ。つまり……そういうこと!」

 

 

 

 ──律儀に返答しつつ払いのけるように腕を横に振るカレーニャ。

 ──途端にカタリナの剣を捉えた泥塊が、大砲で放たれたように飛んでいく。カタリナも道連れだ。

 ──その軌道上には高温の火球を蓄えたアンナが居る。しかし、カタリナの体は剣を起点に上下逆さまに投げ出されていて着地もままならない。このままではぶつかった挙げ句に、最悪二人とも屋根から真っ逆さまだ。

 ──そして異界の座はその行く末を見守る事無く、ゆっくりと旋回し背を向け始める。

 

 

 

カレーニャ

「作戦会議は──丸見え丸聞こえでしてよ!!」

 

 

 

 ──視認するのも待ち遠しいとばかり、見もせずに、そこに居るはずの団長へ光線とグラス球が殺到する。

 ──カレーニャとカタリナ達との距離は充分にあったが、そのすぐ足元は魔導グラスである。

 ──足元から彼らの会話を拾い、そして一部始終を見通していたのだ。

 ──隙だらけにする方針。カタリナが陽動を買って出た。そして、作戦タイムの最後にカタリナは団長を見た。即ち、本命は団長だ。

 ──アンナ側から見える、異界の座を挟んだ屋根の対岸。その視界の限り全てを目が痛む程の光の柱と、棘の塊と化したグラス球が蹂躙していく。

 ──その最中に、未だ宙を奔らされ始めたばかりのカタリナがアンナへ叫んだ。

 

 

 

カタリナ

「構うな! まずは撃て!!」

 

アンナ

「わ……解った!」

 

カレーニャ

「ハンッ! 今ならアンナさんの火ぃくら──」

 

 

 

 ──何か仕掛けるのだろうが、何するものぞと見向きもしないカレーニャ。堂々とアンナの一発を受け、戦場に似つかわしくない肌とドレスとに火の手が上がる。

 ──それだけではない。

 

 

 

カレーニャ

「ぶほぅ!?」

 

 

 

 ──炎上と同時に愉快な声を上げてカレーニャが軽く宙に飛び上がり、グラスチェアーから転げ落ちた。連結された座に、倒れる勢いそのまま燃える額を強かに打ち付けた。

 ──燃えているのはカレーニャだけで、座には全く影響がない。

 ──アンナが放ったのは、野球ボールほどに凝縮した火球1発。それをカレーニャが旋回しきる前に、その頬骨に叩き込んだ。

 ──高温の炎は燃え上がるだけで風を起こす。熱量の塊と運動エネルギーのみがカレーニャを殴り飛ばしたのだ。

 ──その瞬間、カタリナの剣先から統制を失った泥が霧散。持ち主は体を捩って、空中で半回転し着地した。

 ──自らの足腰とグラスに突き立てた剣先とが足元のグラス面を削りながら、アンナに受け止められながら数十cmほど滑って、何とかカタリナは慣性に勝利した。

 

 

 

アンナ

「だ、だだ、大丈夫、カタリナ?」

 

カタリナ

「ああ。アンナこそ、怪我はないか」

 

アンナ

「うん。ボクは──あれ? これは……?」

 

 

 

 ──カタリナの肩口に『何か』が乗っているのに気づき、手に取るアンナ。

 ──小さく、硬く、鈍く光る何かであるとしか解らぬ内に、半ば引ったくるようにカタリナがその手から『何か』を取り上げた。

 

 

 

カタリナ

「ああ、これは、まだダメだ」

「必要な物だが、今は何というか……少し印象が悪いだろうからな」

 

 

 

 ──慣れない隠し事に歯切れが悪いカタリナ。

 ──アンナから回収したそれは、糸で繋がって首から提げていたようだ。

 ──何かをアンナは察したらしい。そんな『何か』の話題は切り上げる事にした。

 

 

 

アンナ

「解った。次は、どうしたら良い?」

 

カタリナ

「そうだな。今のは実に良かった。次のタイミングでも頼む」

 

アンナ

「うん……!」

 

カタリナ

「では、気を付けてくれ」

「──カレーニャ、こっちを見ろぉ!」

 

 

 

 ──アンナに背を向け、カレーニャへ再び突撃しながら呼びかけるカタリナ。

 ──しかしカレーニャは応じること無く、座に寝っ転がったまま燃え盛る自らを消火し、討ち取ったであろう団長の所在を確認している。

 

 

 

カレーニャ

「こ……んどは、騙されるモンですか。(たく)らの団長さんさえ黙らせれば……」

「あ~……見当たりませんわね。やっぱりちょっとやりす──」

 

 

 

 ──前方に人影は無く、グラスで屋根板への被害を防いだ整然とした景色が広がっている。

 ──跡形もなく消し飛んだか、今頃地べたでぺっちゃんこになっているかと思い巡らした矢先、異界の座が大きく揺れた。

 

 

 

カレーニャ

「はぎぇぅ!?」

 

 

 

 ──うつ伏せで前方のテレビを眺めるような姿勢だったカレーニャは、押し上げられた異界の座に今度は顎先を強打した。

 

 

 

カレーニャ

「あぎぎ……一体何が……」

 

 

 

 ──グラス体となった今では大して痛くもない顎と、ついでに噛んだ舌を、ついつい気遣いながら座を通して足元を観測するカレーニャ。

 ──カレーニャの脳内に投影されたその映像には、残心の構えを取る団長の姿が映し出された。先程の攻撃を受けた様子は無い。

 ──団長は、カレーニャがカタリナと応酬を繰り広げて注意から外れている間に、最初から座の真下目掛けて直進していたのだ。

 ──そして今、今度はより強力な一撃を座の底部に叩き込み、座を揺るがした。

 

 ──耳と目だけでは、以心伝心までは読み取れない。カタリナが団長に向けたアイコンタクトの意味は、「私がやる」。

 ──カタリナの策の全容など与り知らぬまま、皆、カタリナへの信頼と培ったチームワークだけで、ただ不意打ち第一で動いていた。常識はずれのダメージを与えていながら、それでも本命は団長では無いのだ。

 ──しかし、カレーニャにそれを知る由も無い。ただ、今こうして団長が無事で、至近距離に相対している。それが今、対処すべき全てだった。

 ──ゆっくりと立ち上がりながら、グラスに攻撃を指示するために片手を振り上げるカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「どなたもこなたも……レディーの足元を何だと──!」

 

 

 

 ──その背後で爆走するカタリナが尚も声を張り上げる。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ! 君の夢には、大きな勘違いがある!」

 

カレーニャ

「っ──!」

 

 

 

 ──僅かに。ほんの僅かだけ、カレーニャの体が硬直した。

 ──誤差の範疇に収まる程の、ほんの一瞬。

 ──これまでに未だ見せた事のない激情に染まった瞳がカタリナを射抜く。それでも攻撃の矛先は変えない。

 

 

 

カレーニャ

「これ以上は惑わされませんことよ!」

 

 

 

 ──団長が第二撃を構える直上、異界の座の底面が輝き出す。攻撃の予兆と見て間違いない。

 ──カレーニャは未だ、団長を一行の勝負の要と思い込んでいる。

 ──カタリナを睨みつけ、吐き捨てるような言葉と共にカレーニャが腕を振り下ろしたのと、カタリナが「撃て」と号令をかけたのは同時だった。

 ──アンナの第二の火球が、今度はカレーニャの足に直撃した。炎上と共に、着弾の風圧で思わずバランスを崩すカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「なっ、しまっ──!?」

 

 

 

 ──収束しかけた底面の光がプリズムを介したようにあらぬ方角へと、まばらな光条となって散った。その瞬間、畳み掛けるようにカタリナが号令を放つ。

 

 

 

カタリナ

今だ、全力で行けぇ!

 

 

 

 ──団長へ向けてのものだ。全身全霊の奥義が、迎撃に集中して再生しきっていない、底部の僅かな傷を穿つ。

 ──轟音を上げて、再び異界の座が砕け散った。今度は一つ一つが更に小さく、座の下側半分ほどがボロボロと砂利のように崩れていく。

 ──吸収しきれない衝撃が残りの座の表面を伝い、あちこちにヒビを入れ、座から伸びるグラス柱も幾つかは深い亀裂が刻まれ、また幾つかは中程でへし折れた。

 

 

 

ビィ

「効いてるじゃねぇか! 強くなっても割れやすいのは変わんねぇみてぇだな!」

 

ルリア

「でも、さっきまでとちょっと違うような……?」

 

ビィ

「ちょっとって──あっ!」

「おーい、気をつけろ。カレーニャのやつ、まだ何かやる気だぞ!」

 

 

 

 ──ビィの警告に、座の底部から飛び出す団長。

 ──見上げると、異界の座の上部では、ヒビの入ったグラス柱がその傷を埋め立てて再生している。

 ──団長の一撃をもってしても、今の座が相手では半壊程度に追い込むのが限度だったようだ。

 ──そして、そこに立つカレーニャと目が会った。疲れ切った日に限って夜通し踊らせてくれた蚊が、壁に止まって寛いでいるのを見つけた時の顔だった。

 ──とっくにアンナの炎を鎮火し、両腕を振り上げている。同時にグラス柱に虹色の光が充填される。じわじわと再生を始める座本体にも光が泳ぎ、全方位への攻撃準備を整えた。

 

 

 

カレーニャ

「手玉に取られてばかりで癪に障りますけれど……魔導グラスの圧倒的完成度の前にはてんで不足ですわ!」

 

 

 

 ──カレーニャの表情には、それでも確かな余裕が感じ取れる。回避する場所が無いと本能的に察知した団長が防御の姿勢を取る。

 ──だが、すぐに気付いた。

 ──今まさに攻撃の指示を出すのであろう、掲げた両腕をもう一段ぐっと反らして見せたカレーニャの背後に、いつの間に回り込んだのかカタリナが立っている。

 ──驚く団長の表情を見て、カレーニャも何か妙な事が起きていると察する。そしてその耳が、全力疾走で若干上がったカタリナの呼吸を拾った。

 

 

 

カタリナ

「ハァ、ハァ……聞けと言っただろう? カレーニャ……」

 

カレーニャ

「い、いつか、ら……?」

 

 

 

 ──カタリナの声色は、若干の冗談を含んでいた。

 ──カレーニャが振り向こうとするのと同時、カタリナがカレーニャの頭を鷲掴み、前方に向き直らせながら座から飛び降り、ダンクシュートの要領で屋根に叩きつけた。

 

 

 

 



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53「想いの力」

 ──盛大に屋根……正確には屋根を覆うグラスに叩きつけられたカレーニャ。落下地点のグラスに大きなヒビが広がった。

 ──張り詰めたエネルギーを開放する直前、一瞬とはいえカレーニャの指示と制御を失った座は、各所から行き場の無くなったエネルギーを破裂させ、ゆっくりと墜落した。

 ──カタリナの元に駆け寄る一行だが、彼らの不安は拭えない。ただ破壊するだけならさっきもやった。カレーニャを座から下ろすだけがカタリナの目的だったのか。

 ──「私がやる」の意味が座の撃破にあるならその通りかも知れないが、それでは成果として余りに乏しい。それに何より、こうして座から引きずり下ろす一連の経緯が、全てカタリナの思惑通りと考えるには、偶発的な出来事も多すぎる。

 ──縋るような仲間たちの視線を受けるカタリナだが、今はまだ答えずにいる。カタリナは腕の下でグラスに額を押し付けられているカレーニャに語りかけた。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ。一瞬、私の言葉が届いたはずだな」

「『君の夢に、大きな勘違いがある』と、そう言った時──私は見逃さなかったぞ」

 

カレーニャ

「ぐぬ……ンなのいいから、手ぇをどけてくださあます?」

 

カタリナ

「やろうと思えばいつでも出来るだろう。どいて欲しければ先に答えてくれ」

「聡明な君は、もう解っているはずだ。どれほど必要で、どれほど大切な事でも、成し遂げた後には瑕疵と遺恨が必ず残る」

「君自身、心のどこかで気付いているんだろう。君の成さんとする果てに、割り切れない後悔が待ち構えている事を」

 

カレーニャ

「何がなん……だかっ!」

 

 

 

 ──腕立て伏せの要領で身を起こそうとするカレーニャ。

 ──グラスに補われた瞬発力は、鍛えた現役騎士の腕力をも押し返して見せる。

 ──が、カタリナが一層の力に体重も上乗せすると、容易くベチャっと貼り付け直された。

 

 

 

カレーニャ

「おぉう!?」

 

カタリナ

「あくまで何の根拠もない勘だが、今しがたの異界の座の壊れ方、あれは本調子のそれではないな」

「こうして私一人剥がすのにも難儀している事もだ。君の力は今、大きく損なわれている」

「これも根拠は無いが自信を持って言える。その力の衰えは、私の言葉に君が反応した、あの瞬間からだ」

 

カレーニャ

「思いつきでッ、物をッ、語られたってぇ~……!」

「ぐぬっ……ツッコミ所の見つけようもっ、ご・ざあませ・ん・でして・よ……!」

 

 

 

 ──応えながら何度か全身で踏ん張ってみせるカレーニャだが、カタリナの腕はビクともしない。

 ──話している最中にもカタリナが体勢を変え、ダメ押しのマウントポジションを完成させていた。輪をかけてカレーニャの不利だった。

 ──その有様は、確かにカレーニャが弱っているように見えた。だが、それを裏付ける理由が無い。そしてカレーニャにはまだ、ふざけた返事を返すだけの余裕がある。

 

 

 

ビィ

「お、おい姐さん。あんま油断しねぇ方が良いんじゃぁ……」

 

カタリナ

「大丈夫……とまでは、私も断言は出来ない。不安なら、もう少し離れていてくれ」

「だが、不意打ちをもらう覚悟くらいは出来ている。そうするだけの価値も……責任もあると思っているしな」

 

ルリア

「不意打ちって、カタリナ……」

 

カレーニャ

「ハンッ、今更こんな問答で何か変わるとでも?」

 

 

 

 ──カタリナはルリアに微笑みを送って元気づけた。

 ──再びカレーニャを見下ろすと、何故か少し意気消沈したような声で話を続けた。

 

 

 

カタリナ

「ああ、変わるさ。今この状況が、変えられるという自信も与えてくれた」

「『こんな問答』を続けようか。君が島民全員をグラスに閉じ込め、暴虐を尽くそうとする理由を今一度聞きたい」

 

カレーニャ

「またそれぇ?」

「ですから、それが全ての島の人間達の願いだからですわよ。そして結果として私にこれだけの力を培わせたプラトニアへの私の──」

 

カタリナ

「その『願い』──例外が居たとしたら、どうだ?」

 

カレーニャ

「例外ぃ? 例外なんて所詮例外止まり。誤差でしょうが」

 

カタリナ

「その例外が、君のご家族が健在だった頃から君達を心配し、君達の受難に心を痛め、何かしてやれないかと足掻き、それでも何も出来なかった無力感に打ちひしがれてきた……そんな人間でもか?」

 

アンナ

「っ! それって……」

 

 

 

 ──団長達が驚きの眼差しを寄せる。カタリナの言葉に心当たりがあった。

 ──館長だ。しかし、館長と出会った場にカタリナは居なかった。

 ──仮に一行が展望フロアに居た頃、カタリナも同じ高さを登っている最中で、グラスの外壁と窓の向こうから団長達を見つけていたとしても、そのやり取りまで聞き取れるはずは無い。

 

 

 

カレーニャ

「まぁた都合の良い真反対な例え出しなすって……」

「関係ござあませんわ。どの道、お祖母様とお父様の夢を叶えるのが第一。そのためにはこの島に生き物は邪魔なんですから」

「オブロンスカヤの安息と、魔導グラスの本当の可能性。そして『先祖の誇りを体現する私』の実現。それが全てでしてよ」

 

 

 

 ──再び、家族の遺言とそこから導き出される結論を滔々と語るカレーニャ。

 ──カタリナ達の表情は暗い。カレーニャが例外の存在を切り捨てた事にではない。

 ──彼らが確かに出会い、その胸の内を聞き届けた「例外」を、彼女は「都合の良い真反対な例え」と表現した。

 ──館長やニコラのような、一行からすれば人間として当たり前な存在。その実在をオカルトの如く信じない事が当然となった、そんな彼女の心を思うと、その一言はどこまでも重かった。

 

 

 

カレーニャ

「むしろ、そんなお目出度い御仁が実在なさるなら、その方のためにもなるでござあましょうよ」

「優しい自分気取るネタに、よりによってこんな私なんぞを使ってた今までの愚かを、これからじ~っくり感得できるんですもの」

 

カタリナ

……こんな、か……

「君を想い続けた人にまで咎は求めない。それでも地獄へ連れて行く。全ては君のご家族のため──それが、君の全てか」

 

カレーニャ

「だからそうだと何度も言ってるんで……ござあましょうが!」

 

 

 

 ──何度めかの起き上がりを試みるカレーニャに、カタリナが身構えたその瞬間、傍らで様子を見守っていた団長が吹っ飛んだ。

 ──抵抗はブラフ。屋根に張られたグラスの一部が変形し、柱となって突き出し、団長の腹を強かに突き上げたのだ。

 ──呆気にとられる仲間達も、山脈のように隆起するグラスに足を取られてよろめくばかりだ。

 ──その隙を突いて、カレーニャがカタリナの拘束から這い出してしまった。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ! くっ……やはり、私のやり方では甘かったか……!」

 

カレーニャ

「フフンッ、今度は私から一本取って差し上げましたわ」

 

 

 

 ──グラス山脈は今度は砂のように表面を流動させ、一行を押し流して更に惑わし、カレーニャはその隙にグラスチェアーを召喚して空中に陣取った。

 

 

 

カレーニャ

「そうですとも。何度も何度も、何度でも……オブロンスカヤの誇りを胸にここまでやってきたんですもの──」

「何度叩き伏せられようと、どんな物言い付けられようと、私は止まりませんことよ! この想いがある限り、私と魔導グラスは無敵ですわ!」

 

 

 

 ──座の破片が再びカレーニャに集結し、復元されていく。

 ──その再生速度は、カタリナが駆け付ける前よりも圧倒的に速い。

 ──見る見る内に全てのプロセスを完了し、異界の座は更なる変形を始めた。

 ──座はグラスチェアーごとカレーニャを内に閉じ込め、より豪奢で輝かしいフォルムへと進化を遂げた。

 ──まるでカレーニャが自らグラスの中へ引きこもるかのように。

 

 

 

ビィ

「オイオイ……急にさっきより強そうになりやがったぞ!?」

 

カタリナ

「あれでは、また引きずり下ろすという訳にもいかないか……!」

 

 

 

 ──何とか立ち直ったビィとカタリナが苦々しげに座を見上げる。

 ──ルリアは、辛うじて転落を免れた団長の元へと駆けていった。

 ──アンナが、高みに閉じこもるカレーニャへ何か問いかけた。

 

 

 

アンナ

「カレーニャ!」

「カレーニャ、『この想いがある限り』って……それって、もしかして──!」

 

ビィ

「おい、これ以上ノンキに話してる場合かよ!?」

 

アンナ

「お願い、答えてカレーニャ!」

「魔導グラスと、別の世界の力を繋ぐ”鍵”……それが、”カレーニャの想い”。そうだよね!」

 

 

 

 ──カレーニャ邸でアンナが目撃したあの瞬間のように、グラスの中のカレーニャの目は静かに閉じられていた。それがアンナの声を聞くとゆっくりと開かれ、アンナを捉えた。

 ──まるで水槽の中で揺蕩うように、グラスの内部でゆらめきながら、それでいて何の抵抗も無さそうに軽々と身振りを交え、口を開くカレーニャ。

 ──声が異界の座で反響し、マイクを通したような響きを伴って一行の耳に届く。

 

 

 

カレーニャ

「人の言葉尻から、よくそこまで読み取れましたこと……」

 

ビィ

「あ、あんな状態で喋れるのか……!」

 

カタリナ

「こちらの声も届く、か……!」

 

カレーニャ

「やっぱりあなた、私なんかよりよっぽど良いおつむしてますわ。眩しいくらい」

 

アンナ

「カレーニャは、『なんか』じゃない。ボクの知らない事、たくさん知ってるよ」

「だから教えて。合ってる……よね?」

 

カレーニャ

「こんな時までお世辞がんばらなくたって良いでしょうに。まあ、まずまず正解ってとこですわ」

「異界の力は、世界そのものであるが故に主体性を持たない。どれだけエネルギーを抽出できるかは、如何に術者が異界を感化させる程の感情──言い換えれば想いを持てるかにかかっていますの」

「つまり、魔導グラスは『想いの力」。今日までの10年、片時も欠かさず積み立ててきたこの愛と信念こそが、私の全て。私だけの奇跡……!」

 

 

 

 ──新たな形態を取った異界の座はグラス柱を持たない。

 ──蓮の花のように美しく広がった座の各部が、思い思いの色に光を漲らせていく。

 ──これまで以上の攻撃を察知したカタリナが、ビィとアンナを庇う。

 ──だが、アンナがその腕を抜けて、カレーニャの元へと駆け出した。

 

 

 

カタリナ

「なっ、アンナ止まれ!」

「くっ……ビィくん、急いでルリア達の所へ避難だ!」

 

ビィ

「お、おい姐さん!?」

 

 

 

 ──ビィの返事を待たずにアンナを追うカタリナ。

 ──走りながら、アンナはその周囲に炎を纏わせ、魔力を焚べて勢いを高めていく。

 

 

 

アンナ

「(魔導グラスの力が、”想いの力”なら……)」

「(想いの強さが、カレーニャに力を与えているなら……)」

「だったらッ!」

 

 

 

 ──アンナの瞳は、確信と賭けと。相反する決意が共に同じ方向を見ていた。

 ──立ち止まったアンナが、異界の座を……その内のカレーニャを見据える。

 ──狙う場所は異界の座の正面。否、座の存在する高さと角度を考えれば、ほぼ真下と言っていい。

 

 

 

カレーニャ

「出来れば、あなただけは手荒な目に遭わせずに放り出してあげたいのですけども?」

 

アンナ

「そんなの……嫌だ。”みんな一緒”が良い。だから……絶対に退かない……!」

 

カレーニャ

「ハァ……つくづく、そういうトコだけは解らず仕舞いでしたわねぇ」

 

 

 

 ──アンナの背後で魔法陣が展開する。

 ──周囲を取り巻く炎が、解放の時をねだって一層激しく踊り狂う。

 ──呼応するように異界の座からスポットライトのような光がアンナに照射される。

 ──光自体に害は無い。単なる照準合わせか、あるいは最終警告か。

 

 

 

カタリナ

「アンナ伏せろぉ!」

 

 

 

 ──両者の力がぶつかり合うその直前、追いついたカタリナがアンナに飛びかかった。

 ──自分が割り込んでどうなるか、確証はない。伏せたからアンナへのダメージが防げるとも信じきれない。

 ──それでも自然とそうせざるを得なかった。叫ばざるを得なかった。

 ──アンナの方が先手を打ち、炎を座へと飛び込ませた直後、カタリナの体が覆いかぶさりながらアンナを突き飛ばした。

 ──同時に座の一つ一つから光が溢れ出し、混ざり合って、真っ白に図書館を染めた。

 

 



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54「本当の味方と敵」

 ──ルリアの介抱を受け、持ち直した団長は、慌ててこちらへ逃げてくるビィに事情を聞くなり、逆にその最前線へと駆け出していた。

 ──至近距離で座に対峙するアンナと、アンナへ身を飛び込ませるカタリナを見た次の瞬間、図書館の輪郭さえ消し去る光の塊が押し寄せ、反射的に目を庇った。

 ──光が止んだ後、ルリアとビィも団長に追いついた。

 

 

 

ビィ

「おーい、大丈夫かー?」

 

ルリア

「ど、どうしたんですか? ぼーっとして……」

 

 

 

 ──団長は光に思わず立ち止まったその地点で立ち尽くし、呆然と目の前の光景を眺めていた。

 ──その視線の先を追ったルリアとビィもまた息を呑んだ。

 ──アンナとカレーニャが互いの力をぶつけ合い、カタリナがそこに割り込んだ……はずだった。

 ──しかし、光に遮られた僅かな間に何があったのか。異界の座が屋根に墜落していた。

 ──全体から色も光も抜け落ち透明な塊と化して、カレーニャが座の中から内側を叩くような動作を繰り返し、何やらてんてこ舞いになっている。

 ──その傍らで、運良く座に押し潰される事無く、アンナとカタリナが横たわっていた。見た所、2人に目立ったダメージは無い。

 

 

 

ビィ

「何だこりゃぁ? アンナがカレーニャを撃ち落としたのか?」

 

ルリア

「それにしては、異界の座はどこも溶けたりしてませんし……カレーニャちゃんの様子も何だか、上手く動けないみたいな……?」

 

 

 

 ──アンナ達の元へ駆け付けたいが、これは迂闊に動いて問題ない状態なのか。

 ──団長達が手を拱いている間に、カタリナがゆっくりと起き上がった。

 

 

 

カタリナ

「う……無事、だったか。直撃を覚悟していたが……」

 

 

 

 ──少し前にアンナに指摘された『何か』を取り出し見つめるカタリナ。

 ──そしてカレーニャを見やる。グラスの中から何かこちらに叫んでいるカレーニャだが、声は全く届いていない。そしてそんなカレーニャを、何故か状況を理解しているかのように冷静に見つめるカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「勝利──とは、ならないだろうな。時間を稼げれば充分か」

「アンナ、怪我はないか。……アンナ?」

 

 

 

 ──隣で未だ倒れているアンナを揺するカタリナだが、返事がない。

 ──不安に駆られて抱き起こし、頬を軽く叩いていると、ビクッと体を揺すってアンナが目を開いた。

 

 

 

アンナ

「──ハッ! ……あ、カ、カタリナ……?」

 

カタリナ

「大丈夫か。気を失っていたようだが、どこか痛む所は?」

 

アンナ

「あ、だ、大丈夫。その……一気に魔力を使っちゃったから……横になった拍子に、フラッてしちゃって……」

 

 

 

 ──大丈夫とは言いつつも、その口調は今ひとつ呂律が回っていない。

 ──いよいよ限界が近いようだ。むしろ、日頃から体力がある方でないアンナが、自力でここまでやってこれただけでも奇跡に近い。

 

 

 

カタリナ

「無理はするなと言いたいが、こんな状況だ。もう少しだけ、堪えてくれ」

 

アンナ

「大丈夫、だから……あっ、カレーニャは!?」

 

 

 

 ──ようやく頭が現在に追いつくと、全力をぶつけ合った相手を探すアンナ。

 ──すぐ近くに傷一つなく転がる異界の座と、その中で右往左往するカレーニャに、アンナも少しの間、呆気に取られた。

 

 

 

アンナ

「これ、何が起きて……?」

「でも……ボクの力じゃ、無いよね。やっぱり……」

 

カタリナ

「やっぱり?」

 

アンナ

「ボク、ちゃんと見てたんだ。カタリナが助けてくれた瞬間に、ボクの魔法が、カレーニャの光にかき消される所……」

「やっぱり、ボクじゃ……ダメなのかな……」

 

 

 

 ──アンナの落ち込み様は、単に異界の座にダメージを与えられなかった事とは別の意味を含んで見えた。

 ──競り勝ったはずのカレーニャの奇妙な醜態を余り気に留める余裕も無いようだ。

 ──カタリナがアンナの肩を取り、向かい合わせた。

 

 

 

カタリナ

「確かに、カレーニャの想い──それが愛であれ執念であれ──築き上げてきたそれを、私達が打ち破るのは容易ではないかもしれない」

「だが、そんな時のために、私達が居るんだ」

 

アンナ

「皆が……」

 

カタリナ

「そうだ。戦っているのはアンナ1人じゃない。私が居るし、ビィくんもルリアも、そして私達の団長が付いている」

「そして、私達の想いは1つだ。『カレーニャを止める』。そのためにここまで来たんだろう?」

 

アンナ

「そうだけど……」

「でも……ここまでだって、皆で、沢山頑張ったのに……なのに……」

 

カタリナ

「いや。ここからは違う。実は──助っ人は私1人だけじゃないんだ」

 

アンナ

「え……?」

 

 

 

 ──アンナの疑問には答えず、優しく笑みを浮かべていた顔を急に引き締めるカタリナ。アンナの両肩に置いた手にも少し力が入る。

 

 

 

カタリナ

「アンナ。こんな時だが、少し個人的な話をしたい。大切な事だ。聞いて欲しい」

 

アンナ

「う、うん……?」

 

カタリナ

「私が何故、ルリア達と旅をする事になったか。その切っ掛けは聞いているか」

 

アンナ

「うん。確か、えっと……ルリアが、エルステの悪い人に捕まってて、カタリナはそれを助けるために……」

 

カタリナ

「そうだ。私はビィくん達が住む島の上空で謀反を起こし、ルリアを連れて逃げた」

「だが──ここからは、ルリア達には秘密にして欲しい」

「実は私は……あの時の事を今でも時々、後悔している」

 

アンナ

「それは、あの……そのせいで、団長さんが──」

 

カタリナ

「違う。それもあるが、今言いたいのはそこじゃない。そもそも私がエルステに反旗を翻した、それ自体に対してだ」

 

アンナ

「え……? でも、ルリアを助ける為にやった事なんだよね。それに、その後は色々あっても、今はこうして皆で……」

 

カタリナ

「ああ。ルリアの為に、躊躇いなんて持たなかった。ルリアの笑顔を見る度に私も『これで良かったのだ』と思う日もある」

「だが、それは私の都合の話だ」

 

アンナ

「カタリナの都合……?」

 

カタリナ

「確かにエルステ帝国の所業は見過ごせなかった。だが同時に、あの時に居合わせた全ての兵士が、従事する作戦の真相を知っていた訳でない事も、私は知っていた」

「騒動に巻き込まれて負傷した者も居る。私の行動の責任を取らされた者も少なくないはずだ。そしてその一人一人に、生活と、夢と……私にとってのルリアと同じ、大切な人達が在ったはずなんだ」

 

アンナ

「あ……」

 

カタリナ

「アンナ。よく聞いてくれ──」

「私には……カレーニャを止める資格が無い」

「私は、帝国から出奔したあの時、自分の中の正義と、自分の守りたい物のために、取り返しのつかない迷惑を働き、その事を疑問にも思わなかった」

「私は、この島の人間と同じ側に居る。故に力ずくで蹂躙する以外、カレーニャを止める術を持てないんだ。どんなに理想を求めてもだ……」

「そして今、その力で到底適わない差を見せつけられている」

 

アンナ

「でも、さっき『カタリナ達が居る』って……」

 

カタリナ

「手助けなら出来る。だが、本当の意味でカレーニャに立ち向かえるのは──私じゃない」

 

 

 

 ──空から来るものとは異なる光が、2人の頬を照らした。異界の座が魔力を充填し、その身を僅かに浮かせ始めた事を摩擦音で示している。

 ──眩さに細めた視界の向こうでは、カレーニャが座の内壁(?)に手と額を貼り付け「待ってやがれ」と言わんばかりの面持ちでこちらを睨んでいた。

 

 

 

カタリナ

「時間が無いな……。アンナ。改めて聞かせて欲しい。君は、”何としても”カレーニャを止めたいか?」

「カレーニャのために立ち上がった”私達”の中で、今、君だけなんだ。身も心も、最も彼女の近くにあるのは」

「君の手をカレーニャの元へ届けるためには、手段は選べない。仮に私のやり方が功を奏しても、その先に何が出来るかはアンナ次第だ」

「それでも…………託せるか──?」

 

 

 

 ──カタリナの瞳は、強い覚悟を促すのと同時に、縋るようでもあった。

 ──これからカタリナは、カタリナにとって決して許されない、そして極めて気の進まない手段を取ろうとしている。勝機の見えぬ相手から仲間を守り、戦うために。

 ──かつて「ルリアの為」にそうしたように、最後の決意を固めるための大義を、そしてその是非を、アンナに委ねようとしている。ともすれば身勝手極まりない要求である事を、痛いほど承知の上で。

 

 ──全てを察したアンナが、力強く頷いた。

 

 

 

カタリナ

「……良いんだな……」

「私にも、どうする事が正解なのか解らない。そもそも正解など無いのかも──」

 

アンナ

「お願い……!」

 

 

 

 ──カタリナの、瀬戸際の弱気を押し倒した。

 

 

 

アンナ

「弱くたって……立派になれなくたって、何も出来なくたって……ボクは、行かなきゃならないから……!」

 

カタリナ

「……ありがとう」

 

 

 

 ──いよいよ異界の座が本調子を取り戻し、極彩色の華を咲かせた。

 

 

 

ビィ

「おーーい、姐さん達も早く逃げろー! もう座が動き出してるぞぉー!」

 

カタリナ

「ビィくん達は一旦、下がっていてくれ。ここからが正念場なんだ!」

 

 

 

 ──ビィ達に退避を促しながら、団長に目配せするカタリナ。

 ──アイコンタクトの答えは先程と変わらず「私がやる」。

 ──カタリナの作戦は……その本命は、まだ終わっていないのだ。

 ──僅かに躊躇した団長だったが、すぐさま了承してルリア達を座から遠ざけた。極力、2人が巻き込まれないよう。それでいてすぐにでも自分が前線に飛び込めるよう慎重に。

 ──団長達が移動を始めた矢先、機能を回復した座から大音量でカレーニャの怒号が響き渡った。

 

 

 

カレーニャ

アンナさん!! カタリナさん!!

どっちの仕業ですの! 今……今ぁ、何をなさあましたの!!

 

 

 

 ──怒鳴り散らす息は荒く、明らかに取り乱している。

 ──魔導グラスを誰より理解しているカレーニャ自身にも、何が起きたのか全く理解できていない。

 ──余りの爆音に耳を抑えて蹲るアンナ。その肩を軽く叩いてカタリナが立ち上がり、前に歩み出る。

 

 

 

カタリナ

「はしたないぞカレーニャ。そんなに大声を上げずとも聞こえている」

「私だ。私が仕掛けた。どういう仕組みかも理解している」

「嘘だと思うなら──もう一度やってみろ」

 

 

 

 ──バッと両手を広げるカタリナ。剣も鞘にしまって完全に丸腰だ。

 

 

 

カレーニャ

「カタリナさんがぁ……?」

「……んにゃ、どっちがやったにしても到底信じられないのは同じでしたわね」

「それでも──如何にも頭も体もカタそうな騎士様に、本当にそんな知恵が働くとはやっぱり思えませんけれどねぇ!」

 

 

 

 ──律儀にボリュームを抑えて返すカレーニャ。

 ──憎まれ口を忘れないが、座が一時停止する以前の小馬鹿にした言い回しではなく、警戒と苛立ちが如実に現れている。

 ──単なる挑発と言うより、カレーニャなりに相手の出方を伺っている様子だった。

 

 

 

カタリナ

「(やり方はどうあれ、まずは一枚、引き剥がせたか……)」

「だったら確かめてみろと言っている。それとも怖気づいたか。君だけの得意分野で、その堅物に出し抜かれて」

 

カレーニャ

「っ……!」

「っあぁ~~~ら、やっっっすい挑発ですこと……!」

 

 

 

 ──見え透いていると言いたげに振る舞っているが、見るからに乗せられている。

 ──拡声器を通したようによく響いているカレーニャと、演説の如く真っ直ぐに声を張り上げるカタリナの会話は、距離を置いた団長達の耳にも届いていた。

 

 

 

ビィ

「おい、何考えてんだよ姐さん!?」

 

ルリア

「カタリナ、普段はあんな言葉……」

 

 

 

 ──心配するルリア達を他所に、座の花弁の輝きが増す。余剰したエネルギーが迸っているのか、時折、電気が弾けるような音もしている。

 

 

 

カレーニャ

「どうせ確かめるつもりですもの……お望み通りにしてあげますわ!」

 

 

 

 ──座の中でカレーニャが手を振り上げた。同時に座のすぐ前方にエネルギーが集束する。

 ──先程の光線とは攻撃方法が異なる。再び本体が墜落するのを避けるためだろう。

 ──束ねられたエネルギーは巨大な杭の形に変じ、高純度の金属を思わせる質感と光沢を纏った。

 ──狙いはカタリナ。避けなければ心臓を貫くどころか、鎧ごと胴体が真っ二つに千切れる太さだ。

 

 

 

ビィ

「オイオイオイ、シャレにならねぇって!」

 

ルリア

「カタリナ、避けて! 死んじゃう!」

 

 

 

 ──矢も楯も堪らず駆け寄ろうとするルリアとビィを取り押さえる団長。

 ──この状況では間に合わないばかりか、不用意に座に近づいて攻撃の余波を受けかねない。

 

 ──カレーニャの手が槍投げのように振り下ろされると共に、射出されるグラスの鉄杭。

 ──ルリア達に悲鳴を上げる時間も目を覆う時間も与えず、体積に似つかわしくない弾丸の如き速さでカタリナの胸元に肉薄する。

 ──だが……ほんの一秒にも満たない時間の後、カタリナ以外全員があんぐりと口を開けてその光景に目を奪われた。

 

 

 

カレーニャ

「……な……な……にが?」

 

 

 

 ──杭が、カタリナに突き刺さる直前で停止していた。

 ──鎧が弾いたと言う事は無い。証拠に金属音の1つも無い。

 ──只々、杭が止まっているのだ。ブレーキなど到底期待できないスピードで撃ち出された巨大な物体が、空中で。

 ──誰もが呆気に取られている前で杭はズゥンと屋根の上に落ち、ゆっくりと光の粒となってかき消えていく。

 

 

 

カタリナ

「先程も言ったな……君の夢には大きな勘違いがある、と」

 

 

 

 ──杭の向こうのカタリナは、当然無傷だった。その表情は険しい。怒りのような哀しみのような、何とも言えない感情が伺える。

 ──そして、いつもよりその姿が眩しい。印象がどうとかでなく、実際に光に照らされている。胸元で何かが光を放ち、しばらく明滅して、消えた。

 

 

 

カタリナ

「これがその証拠だ」

 

アンナ

「……指輪?」

 

 

 

 ──首に提げていた光の正体……ピンキーリングを手に取り見せつけるカタリナ。

 ──その場の誰もが見覚えの薄い物だった。立ち寄った服屋の店員の、その1人が身に着けていたアクセサリーのデザインを、いちいち覚えていられる人間の方が珍しい。

 

 

 

カタリナ

「アンナ。この指輪、何で出来ているか解るか」

 

アンナ

「え、ボ、ボク? えっと……」

「……あれ? これ……石の所が、魔導グラス?」

 

カレーニャ

「ま、魔導グラスぅ!? そんなおバカな!」

 

 

 

 ──露骨に狼狽えるカレーニャ。

 ──カレーニャの認識では、この島の全ての魔導グラスはカレーニャの支配下にあり、どこでどうしているかを確かめる事も容易いはずだった。

 ──しかし今、カタリナが手にしている指輪は、完全にカレーニャの観測外にあった。全く情報を感知できない。

 

 

 

カレーニャ

「アンナさん、デタラメ抜かしてんじゃござあませんわよ! この島で私に操れないグラスが──」

 

カタリナ

「ある。君がグラスを造る以前から、グラスはこの島に存在していた」

 

カレーニャ

「お祖母様がたの作だと……?」

「それだったら尚更ですわ。この島のあらゆるグラスは、私がより便利で丈夫で美しい、大衆が買い換えずに居られない上位互換に置き換えて──」

 

カタリナ

「そんな事では決して手放さない物だってある!」

「これは君のお祖母様が、オブロンスカヤの家を去らざるを得なくなった者達へ贈った品だ。持ち主に危害を加える魔導グラスを感知し、弾き返し、無力化させるよう造られている」

 

 

 

 ──指輪を吊っていた糸を引きちぎり、手に納めてツカツカと座に歩み寄るカタリナ。

 ──カレーニャは目を丸くして、全身をギクリと硬直させながら、わなわなと細かく震えている。

 ──何故こんな場面で、敬愛する家族の名が余所者の口から出てくるのか。思考が滑稽なほどに乱されていく。

 

 

 

カレーニャ

「お…………お、お、おお……お祖母……様が……?」

 

カタリナ

「(……済まない。カレーニャ……)」

「私はこれを手にした時から、君を私達の理屈で説き伏せるのは無理だろうと考えていた」

「だから、君の聡明さと、家族を想う良心に託して、君自身から己の夢に疑問を持つよう仕向けようとした」

「だが、悟ったよ……長年に渡って君を支えてきた思いは、真摯な言葉をぶつけるだけでは決して揺るがせない」

 

 

 

 ──至近距離にまで歩み寄ったカタリナが、地上スレスレで浮遊を続ける異界の座へ、指輪を握った方の手で拳骨を見舞った。

 ──座に小さなヒビが入り、細かな破片が散る。

 

 

 

カタリナ

「だからもう私も腹を決めた。ハッキリ言わせてもらうぞ」

「君のお祖母様が作ったこの指輪。その仕組みを考えれば、オブロンスカヤでない一般人にどんな思いで贈られたか、君にも解るだろう!」

「この指輪が必要になる時とはどんな事態だ! 君のお祖母様がこれを造るほどに恐れたのはどんな輩だ!」

「今ッ、君はッ、ソレになっているんだ!!」

 

カレーニャ

「ヒッ……!!?」

 

 

 

 ──カタリナの拳から生まれた座のヒビが、ひとりでに深く、大きく広がった。

 ──この瞬間に、カタリナは理解した。

 ──魔導グラスは……正確には異界の座は、その全てが想いの力だ。逆に言えば、想いを強く保ち続けられ無ければ維持できないのだ。

 ──やはりカレーニャは、妄執に捕われるには賢すぎた。

 

 ──阿鼻叫喚の街中で浮ついた所信表明を聞いた時に思った通り、彼女は彼女自身、心の何処かで自分のやっている事に間違いを感じている。

 ──しかし自らを壊されないための威勢と、押し迫る必要とに煽られ続け、追われる小動物のようにカレーニャは人生の大半を生きてきた。

 ──考える時間も無く、埋め合わせる大義も定まらないまま、間違いも弱さも、減らず口とハッタリで塗り込め、絶対の自信と力があると言い聞かせて突き進む。

 ──彼女の生き方はそれしか残らなかった。二度と止まれないのだ。

 

 ──そして今、彼女は自覚へと辿り着いてしまった。座の自壊が全てを明け透けにしている。それはカタリナ自身、非道を覚悟した甲斐が十二分にあると思える程、効果的だった。

 

 

 

カレーニャ

「な……フヘッ、ナニ……言って……だって……お祖母様は……お祖母様の夢は……」

 

 

 

 ──引きつった笑みは虚勢か、混乱によるものか。

 ──親に真上から怒鳴りつけられた子供のように声が震えている。

 

 

 

ビィ

「あ、姐さん、何もそんな言い方しなくても……」

 

主人公(選択)

・「でも、似たような話を聞いたような……」

・「そういえばこの下も……」

 

→「でも、似たような話を聞いたような……」

 

ルリア

「あっ! 屋根裏部屋も確か……!」

 

 

 

 ──言いかけて、自分の口を両手で抑えるルリア。

 ──この状況で持ち出せば、カタリナの言葉を補強する事になる。今のカタリナは、何だか少し怖かった。

 ──何より、今のカレーニャの狼狽えようは、背後から見ても異常で、何だか哀れだった。追い打つような真似はルリアには出来ない。

 

 

 

カタリナ

「ルリア!」

 

ルリア

「は、はい!?」

 

カタリナ

「もう、近くに来ても大丈夫だ」

「気付いた事があるなら……話してやってくれ」

 

 

 

 ──声はやはり、どこかルリアには怖い調子に聞こえた。

 ──しかし、それ以上にルリアの胸を打ったのは、カタリナが今にも逃げ出したいような、悲痛に満ちた顔で自分達を呼んだ事だった。

 ──こんな場で思い出すのもおかしいと思いながらも、ゲームブックで姫君を助けられなかった、あの時のカタリナと、どこか被って見えた。

 ──カタリナが苦しんで選んだ選択に、自分はどう応えられるのか。一転して、ルリアは今のカタリナと並び立つ決意を固めた。

 

 

 

ルリア

「──はい」

 

カレーニャ

「ふ、ふざけんじゃござあませんわよ! 異界の座はこんくらいのヒビじゃあビクとも──」

 

 

 

 ──気付けばルリアが先頭を切って座に……否、カタリナの元へ歩み寄っていた。

 ──迎撃してやろうと旋回する異界の座。いつの間にか高度が落ちて底部が屋根を擦っているが、カレーニャは気付いていない。

 ──加えて言えば、動作には支障無いようだが、先程のヒビも全く塞がっていない。

 ──カレーニャとルリアが完全に向き合うと、座が何度目かの光をチャージし始めた。

 ──すると、ルリアがその場で立ち止まり、先程のカタリナのように両腕を広げて構えた。背後の団長達を止めるように、庇うように。

 

 

 

カレーニャ

「何ですの。あなたまで一芝居打つおつもり?」

 

ルリア

「違います。でも、こうすればカレーニャちゃん、驚いて話しかけてくれるかなって!」

 

カレーニャ

「ぐぬ……!?」

 

ルリア

「カレーニャちゃん、聞いて下さい。この下の屋根裏部屋は──」

 

カレーニャ

「お黙り! もうこちとら堪忍袋がズタ切れてんですのよ!!」

 

 

 

 ──放たれた座の光が、今度は虹色の激流となってルリア達に押し寄せる。グラスの無力化を警戒してか、光さえ飲み込まんばかりの大洪水だ。

 ──それでもルリアは一歩も怯まない。カタリナが今、心を擦り減らしてカレーニャを苛んでいるのなら、せめてカタリナの力になりたい。愚直で無垢な勇気が、決然と喉を駆け抜ける。

 

 

 

ルリア

「屋根裏部屋は、小さい頃のカレーニャちゃんのために、カレーニャちゃんのお父さんが作ってくれてたんです!」

 

 

 

 ──虹の濁流が、ルリアたちを押し流す直前で消え去った。より細かく表現すれば、全てが光の粒となって、宙に撒いた白粉のように、力もなく拡散していった。

 ──虹色の靄が晴れた向こうで、異界の座がピキパキと鱗のように破片を散らしていた。歯を食いしばり、道理に合わぬ物を見るようなカレーニャの目がルリアに釘付けになっている。

 

 

 

カレーニャ

「何……なのよ……」

「何でッ、そこでぇッ、お父様が出てくるんですのよッ! どこまで私を侮辱する気ですの!?」

 

ビィ

「いや、本当なんだって。ベッドとか机とか、どれも子供用だったしよ」

「嘘だと思うんなら降りて見てみろよ。何か、手紙とかも有ったぜ?」

 

ルリア

「図書館の館長さんが言ってたんです。カレーニャちゃんのお父さんに頼まれて、2人だけで作ったって」

「カレーニャちゃんにもしもの事があった時、誰にも気づかれない場所に匿えるように、ずっと秘密にしてきたって……」

「お星様とか、いっぱい飾ってありました。退屈しないように、絵本も!」

 

ビィ

「こういう事、言っちまうのもなんだけどよぉ……」

「あのじーさん言ってたぜ。カレーニャを守るために作ったのに、カレーニャから逃げるのに使う事になるなんて”ヒニク”だーとかって」

 

 

 

 ──カタリナの側から見て、カレーニャは座の内面にベッタリと貼り付いていた。

 ──ルリアが真摯な気持ちを表すかのように、語りながら座へと詰め寄るほどに、無意識に後ずさりを始め、今も笑いだした膝で健気に背後へと踏ん張っている。

 ──その背中へ、ストレスで重たくなる眉間をどうにか支えながら、カタリナも畳み掛ける。

 

 

 

カタリナ

「これでもまだ、『都合の良い真反対の例え』と切り捨てるのか?」

 

 

 

 ──振り向いたカレーニャの顔色は、グラス越しにも明らかに青ざめていた。

 ──自分の血が滝のように流れ落ちていくのを見つめているかのように目は見開かれ、何もしてやいないのに息は吐き気のピークのように荒く、両の手はドレスの適当な箇所を全力で握り締めてシワを作っていた。

 

 

 

カレーニャ

「ぐ……ぅぁ……たち、に……アンタ達にオブロンスカヤの何が解るって言うんですのよ!」

「私の何を、この島の何を知ってンなご大層な口利いてんですの!? 勝手な思い込みで、私を──」

 

アンナ

「……知ってるよ」

 

 

 

 ──いつの間にか、カタリナの隣にアンナが立っていた。口は一文字に結ばれ、目元は髪で隠れ、表情が伺えない。

 

 

 

アンナ

「……知ってるよ。カレーニャが、沢山……沢山がんばって来たこと。全部」

 

カレーニャ

「あなたまで適当な事を!」

 

アンナ

「これ……カレーニャのだよね」

 

 

 

 ──カレーニャの前に、手を開いて差し出した。

 ──隣に立つカタリナが覗き込むと、それはビー玉ほどの大きさの、紅い石の欠片のように見えた。

 ──アンナの手の中身を見たカレーニャは数秒ほど停止し……。

 

 ──座を内から叩き破って、手の中のソレを奪い取ろうとした。

 ──が、アンナの方が早く手を引っ込めて回避した。欠片を首に提げたサシェにしまうアンナ。

 ──割れた座の中に空間は無く、カレーニャのおおよそ腿からした辺りがグラスの中に埋まって転倒を免れている。グラスの中を回遊できるのは、あくまでグラスと同化したカレーニャだけのようだ。

 ──紅い物体を奪い損ねたカレーニャは、座の中に引っ込むのも忘れて、「ギィィ」とでも表現したものか、言葉にならない呻きと共に頭を滅茶苦茶に掻き回している。ただ悔しがっているだけと見るには、余りに過剰な荒れ様だった。

 

 

 

カレーニャ

何で!? 何でよ!? 何でアンタがそれを!!?

 

アンナ

「やっぱり……そうだったんだね」

 

 

 

 ──カレーニャは座から完全に出ないようにしながらも、尚もアンナからソレを奪い取ろうとするが、リーチが足りない。アンナのスカートの腰部分を辛うじて掴むのがやっとだった。

 

 

 

カタリナ

「アンナ。それは一体……?」

 

アンナ

「…………”異界の座”……だよね、カレーニャ」

 

カレーニャ

「……何であなたが持ってんのかって、聞いてんですのよ……」

 



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55「VSカレーニャ」

 ──騒然となる一行。

 ──アンナが手にする小さな欠片。それが、今まさに一行が立ち向かっている異界の座だと言う。そしてそれをカレーニャも実質的に認めた。

 

 

 

ビィ

「ど、どういう事だよ? さっきの戦いで破片を盗んだってのか?」

 

カタリナ

「いや、だったらカレーニャの一存で力ずくででも取り返せるはずだ。それに、カレーニャのこの取り乱し様は……」

 

 

 

 ──仲間たちの視線が説明を求めてアンナに集中するが、アンナはカレーニャとの対話を優先している。

 ──カレーニャは下半身を固定した前傾姿勢で器用に項垂れている。

 ──完全に地に転がった異界の座からしても、カレーニャは今、まともに戦える精神状態では無いのだろう。

 ──だが決着が着いた訳ではない。それでもアンナは、警戒を解かない団長やカタリナとは対照的に、ごく自然な調子で話しかけた。

 

 

 

アンナ

「ドリイさんが、ボクにくれたんだ。『絶対に手放さないで』って」

「その時に、カレーニャのお祖母様が亡くなってからの事も、全部一緒に」

 

カレーニャ

「……本当に、好きにしてくれやがりましたのね。ドリイさん……」

 

アンナ

「この魔導グラスがどんな物かは教えてくれなかったけど……でも、さっきカレーニャも言ってたよね。グラスに持ち主を『登録』する時は、その人の血や髪の毛を使うって」

「それで、解ったんだ。ボク達が最初に出会った時、カレーニャのグラスをボクが割っちゃって、その……何が何だか解んなくなっちゃって──」

「あの時、ボクが指を切っちゃって、血で汚しちゃった欠片……それがこれ。……合ってる?」

 

カレーニャ

「……」

 

カタリナ

「ちょ、ちょっと待ってくれ、アンナ」

 

 

 

 ──2人の間の空気を読んで尻込みしていたカタリナが割り込んだ。

 

 

 

カタリナ

「その『登録』について、私もドリイ殿から大まかにだが聞いた事がある。ただ──」

「その時に聞いた話では、グラスが体組織を受け入れたのは、この島でもオブロンスカヤの血筋の者だけだったと記憶している」

「確かにアンナはあの後、怪我した指を手当してもらっていた。割れたグラスに血が付着したかもしれない。だがドリイ殿の話が正しければ、それだけでは……」

 

アンナ

「ううん。それで、充分だったんだよ」

「ボクも、カレーニャと同じ……魔導グラスを造れる人間だったから……そうだよね、カレーニャ」

 

 

 

 ──その場の人数に見合わない程に大きなどよめきを上げる仲間達。

 ──驚いてばかりでは話が進まない。アンナも含めた全員、稲穂のようなカレーニャに目を向け、回答を求めた。

 ──やがて、姿勢通りに意気消沈しきった調子で。それでも僅かにやさぐれた調子でカレーニャが口を開いた。

 

 

 

カレーニャ

「……ハンッ……」

「……別に驚きゃしませんでしたわよ。オブロンスカヤにしかグラスの『登録』が出来ない。当然サンプルも少ないのですから、原理の解明も出来ていない──」

「だったら何かの拍子に、私以外に適性を持つ人間と出会うって事も想定してましたわ。よりによってこんなタイミングとは思いませなんだけどね……」

 

アンナ

「もしかしたらって思ったら、心当たりも幾つかあったんだ。魔導グラスを造れる人は、魔力を満タンにしないとグラスを動かせないって……ボク、この島に来てから殆ど魔導グラスを動かせてないし……」

 

 

 

 ──図書館の昇降機に触れた時の事を思い出す一行。

 ──呼び出し用のグラスにアンナが触れても全く反応が無く、他の仲間達が触ろうとする前に、カレーニャが割り込んでグラスに触れていた。

 

 

 

アンナ

「カレーニャより先に『登録』しちゃったから、この欠片はカレーニャの物に出来ない──」

「だから要らなくなった欠片を、島を出る約束だったドリイさんにあげて、ドリイさんはボク達と戦う時に、この欠片を使った」

「だから、座から作ったグラスを操って、家を覆って……別の世界の力を魔力に変えて、ボク達に負けないくらいの魔法で戦えた」

「……えっと、間違ってない……よね?」

 

カレーニャ

「……いちいちお伺い立ててんじゃござあませんわよ」

 

アンナ

「ぅ……ごめん……」

 

カレーニャ

「……何べんも陳謝ばっかり出てくる会話も大っきらい……!」

 

 

 

 ──巨大な質量が擦れる音がする。カレーニャが自ら叩き割った部分がじわじわと再生を開始していく。

 

 

 

カレーニャ

「……謝罪なんかが何の足しになるってんですのよ……卑屈になって誰が得するんですの……まごついてばかりで、何が変えられるってんですの……」

 

カタリナ

「まさか……まだやる気かカレーニャ!」

 

 

 

 ──武器を構え、距離を取るカタリナ達。

 ──カレーニャも一歩、後ろに退いた。グラスは煙同士が溶け合うようにスルリとカレーニャを受け入れる。

 ──完全にカレーニャがグラスに隔てられ、向こう側へ行くその直前、まだこちら側に残った手をアンナが掴んだ。

 ──睨み返すカレーニャ。苛立ちに満ちて濁った、見下すような目だった。

 

 

 

アンナ

「……変わるよ……沢山、変わったよ……」

 

カレーニャ

「……」

「……離して下さらないとそんなお手々、取り込みもせずに座でペッチャンコにしちゃいましてよ?」

 

アンナ

「それでも良い。だから聞いて」

 

 

 

 ──口調は精一杯に強く、ハッキリと。しかし表情は弱々しく、自分の足で立ったばかりの幼子が、大切な人との別れを惜しんでいるようだった。

 ──取られた手を振りほどこうと力いっぱい引っ張るカレーニャだが、アンナは踏み止まって動じない。座の力が万全なら握り潰す事も難しくなかったが、今はもう躯体の強化に回す余裕はない。

 ──ならば、同じ深窓育ちと言えど、団長たちと旅を続けてきたアンナの方が基礎体力で勝る。

 

 

 

カレーニャ

「……チッ」

 

 

 

 ──暫し睨み返すカレーニャだったが、観念したように視線を外し、抵抗を止めた。

 ──余計な力を使う必要が失せたアンナが続きを語る。

 

 

 

アンナ

「館長さん、言ってたよ。屋根裏部屋は、ドリイさんにもよく言って、カレーニャにだけは秘密にしてたって」

「何で秘密にしてたんだろうって思ってた。けど、あの部屋に入って、思ったんだ」

「もしも屋根裏部屋をカレーニャが知って、もしも一歩でも入ったら……上手く言えないけど、カレーニャは二度とそこから出て来れなくなるって」

 

カレーニャ

「それが?」

 

アンナ

「ずっと、カレーニャの事、心配してたんだよ。歳をとって、すぐに息が切れちゃうようになっても、今でもカレーニャにあの部屋が必要になるかもしれないって、もしもに備えてドリイさんに託したんだ」

「誰にも言えない『ごめんなさい』を重ねて、この島の当たり前を演じて生きて、昔の約束を守り続ける事しか出来なくて……だから、だからそのお陰で、ボク達がここまで来れたんだよ」

 

カレーニャ

「あーそう。もういい加減にしてくださあますこと……」

 

 

 

 ──台詞の平坦さとは裏腹に、カレーニャの顔は威嚇する獣のように引き絞られている。

 ──言葉が届いていないのでは無い。心に届いてしまう前に、懸命に跳ね除けようとしている。

 ──振り払おうとするカレーニャの手を、更に両の手で抱え込むようにしてアンナは離さない。

 

 

 

アンナ

「ねっ……もう、いいんだよ。カレーニャはたくさん……あぅっ!?」

 

 

 

 ──アンナが小さく悲鳴を上げ、その瞬間に繋いだ手が引き剥がされた。座の一部が細い針となってアンナの腕を突いていた。

 ──再び浮上を始める異界の座に、追いすがるようにカタリナが尚も説得を試みる。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ! 君は何のために戦うつもりだ!!」

 

カレーニャ

「……夢のため」

 

カタリナ

「何が夢だ! もう何もかも解っているはずだ。ドリイ殿は何故、アンナに座の欠片を託したと思っている!」

「私の指輪も、アンナ達が見てきた屋根裏部屋も、君を心から案じ続けた人々が、魔導グラスから愛する人を遠ざけるために造られた──」

「その想いの力が、私達をこの場に導いた。これが君の愛する人達の答えだ!」

「もう意地を張る意味なんて残ってないだろう。君は君の愛した、そして君を信じてきた人達の、その望みから最も遠い──」

 

 

 

 ──足元に広がるグラスから、吹雪のようにグラスの飛礫がカタリナに浴びせられた。

 ──ほんの一秒ほど、光がグラスを撥ね付けたが、たちまち光は途切れ、後続のグラス弾にカタリナは滅多打ちとなった。魔力切れだ。

 ──崩れ落ちるカタリナを受け止める団長やルリアの足元で、指輪の光を浴びたグラスが蒸発し、屋根板がむき出しになった。落ち着くべき元の形を持たずに作り出されたグラスは、停止すれば消え去るのみだった。

 

 

 

カレーニャ

「意味が有るとか無いとか、あーた方に決めつけられる謂れなんざコレっぽっちもござあませんわ……」

 

 

 

 ──グラスを介した声が響き渡る。先程までよりもゆっくりとだが、ジワジワと座に虹色の光が根のように浸透していく。

 

 

 

カレーニャ

「私はね……聞いたんですのよ」

「お祖母様の、お父様の、最期の言葉を! この世で唯一人、私だけが!!」

「真のオブロンスカヤの悲願はッ、それを叶えられるのはッ、なれるのはッッ、この私だけなんですのよ!」

「間違ってようが何だろうが、やらなきゃ始まらないでしょうが! 後悔なんざ、やってから、幾らでもすれば良い!!」

 

 

 

 ──眩しいが故に、今は濁ってさえ見える何度めかの光が、図書館を照らした。

 

 

 

 

 

 

 



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56「夢はりつめて流れ星」

 ──光が止むと、図書館の屋根に深い溝が形成された。

 ──座が砲撃した瞬間、咄嗟にアンナが炎の防壁を作り、団長はルリア達を庇った。

 ──先の指輪の光で屋根板を覆うグラスが取り払われていたため、光と炎がぶつかり合った部分の建材が吹き飛んだのだ。淵を覗き込めば、屋根構造の根本にまで届いている。

 ──しかし階下へ及ぶ被害には至らず、アンナが防ぎきれなかった光線を捌いた団長にも大きなダメージは無い。迫力の割に乏しい威力は、蔵書を重んじる理性がカレーニャに残っていたためか、はたまた全力を振り絞っても今やそれが限界だったのか。

 

 

 

アンナ

「ハァ……ハァ……うぅ……」

 

 

 

 ──アンナが木の葉のようにその場に崩れ落ちた。

 ──とっくに限界を超えているアンナの、自分の技量すら超えた火力は異界の座によって齎されている。

 ──だが、まだまだ魔導グラスの扱いを心得た訳ではない。ドリイのように魔力のリソースの全てを異界の座に転嫁する技術は無い。

 ──火種となる分の魔力をどうしても消耗してしまう。そしてその魔力も、底を突いては僅かに継ぎ足されるのを待っての繰り返しだった。

 

 

 

カレーニャ

「お話の中だったら、高所から落としただけじゃトドメを刺した事になりませんものねぇ……」

「ここまで私を……オブロンスカヤを愚弄して、もう逃してなどやるもんですか! あーた方だけは、私がこの手できっちり看取って差し上げますわ!」

 

 

 

 ──カレーニャの威勢は充分だったが、異界の座の出力は、屋根から僅かに浮き上がった程度しかない。

 ──座の周囲にグラスの槍が形成されていく。穂先は疲弊したアンナと、先の不意打ちからようやく立ち上がったばかりのカタリナに向いている。

 ──槍が造られていく速度は見る影も無い程に緩やかだが、手負いの2人より先んじて放つには充分だった。

 ──しかしカレーニャの背後で座が大きく削れ、砕けた。団長の攻撃が、ツルハシで坑道を拓くように軽々と座に突き立っていく。

 

 

 

カレーニャ

「なっ、こんなに……チィッ!」

 

 

 

 ──既に破壊力を知った相手の攻撃で、ここまで容易く削られるとは思っていなかったようだ。予想を超えた座の弱体ぶりに愕然としながら、慌ててグラス槍を団長へと向け直し発射するカレーニャ。

 ──しかしこれも容易く空中で叩き折られる。最早、団長との一対一ですら手こずる有様だった。

 ──ことごとく捌かれては的確に反撃を差し込まれ、欠損やヒビの再生もままならず、異界の座からの攻撃は段々と、駄々っ子が八つ当たりで物を投げつけるが如く乱雑さを増していった。

 

 

 

カレーニャ

「どうして……どうしてよ……!」

「グラスは……魔導グラスだけは、(ワタシ)の味方のはずなのに……!」

 

 

 

 ──うわ言のような声が、異界の座を伝って漏れ聞こえてくる。

 ──カレーニャ自身がうわ言に気づいている様子はない。がむしゃらに光線を撒き散らし、最早細かな造形も省かれたグラスの塊を投げつけるばかりだ。

 

 

 

ルリア

「何だか……これ以上戦うのは、カレーニャちゃんが可哀相です……」

 

ビィ

「ンな事言ったって、向こうから襲って来てるんじゃ、大人しくしてるワケにもいかねェしよォ……」

 

 

 

 ──実際、カレーニャは時折、思い出したようにルリア達を狙って攻撃を仕掛けてきている。

 ──残らず団長が回り込んで防いでいるが、砕いたグラス塊の破片が流れ弾となって飛んでくる事もあり、ビィの言う通り、哀れんでばかりも居られない。

 

 

 

カタリナ

「……やりすぎたな」

 

 

 

 ──異界の座の背後では、団長の陽動のお陰で無事に体勢を立て直したカタリナが立ち尽くしていた。

 ──剣を手に、未だ膝を突いたままのアンナを守るように前に立って居るが、その佇まいは力なく、足掻き続ける敵へ踏み出せずに居る。

 

 

 

カタリナ

「確かに成果はあった。あれほどの力を削ぐには、他に手も思いつかなかった──」

「だがあの状態では、カレーニャは意地でも敗北を認めないだろうな」

「寄ってたかって、心折れるまで叩き伏せるしかない。虚しい戦いだ……」

 

 

 

 ──慣れない手管の代償を噛みしめていると、背後のアンナがそれに応えた。

 

 

 

アンナ

「……ううん。まだ、足りない」

 

カタリナ

「まだ……?」

 

 

 

 ──思わず耳を疑って振り向く。

 ──枯渇した魔力を絞り出した反動は収まったようだが、アンナはまだ座り込んで俯いたままだ。

 ──アンナは頭を抱え、深い呼吸を繰り返している。やはり聞き間違いかと思い、カタリナが問い返そうとした所で、アンナが続けた。

 

 

 

アンナ

「カタリナが、指輪の話をしてから、……やっとカレーニャは、ボク達の話を聞いてくれるように……なったんだ」

「だから、まだ……。きっと、カレーニャが無理やり『正しい』って思い込んできた事、全部否定しなくちゃ、ボク達の言葉の全部は届かない」

「館長さんやドリイさんの想いを託されたボク達は、カレーニャをやっつけるだけじゃ、ダメだから……!」

 

 

 

 ──ゆっくりと立ち上がったアンナだが、途端に立ちくらみを起こして2,3歩踏み直す。

 ──咄嗟に支えるカタリナ。アンナがすぐに持ち直した様子なのを見て、話を続けた。

 

 

 

カタリナ

「確かに、私だって力ずくで決着を付けるような形は望んでいない。しかし──」

「異界の座がカレーニャの想いを──心を現しているとすれば、あの痛々しい姿は……今の彼女は見るに堪えない」

「泣きじゃくる子に足蹴をくれるような気分だ。それに……仮にアンナの言う通り、それでカレーニャが己の間違いを受け入れたとして……後悔しないか」

 

アンナ

「後悔なんて……もう、とっくにだよ」

 

 

 

 ──顔を上げたアンナは、悲しげに自嘲していた。

 

 

 

アンナ

「カレーニャの夢を壊して、怒らせて……きっともう、許してなんてくれないよ。カタリナ達まで巻き込んじゃって……」

「もっと早く出会えてたら……カレーニャの事を知っていたら、こんな事しなくても良かったんじゃないかなって、そんな事ばっかり……」

「でも……そうじゃなかったから……」

「ボク達は一昨日会ったばかりで。ちょっと特別ではあったかもしれないけど……それだけで──」

「だから、よそ者のボクには、これしか無いんだ。どんなに嫌な事でも、どんなに恨まれても……」

「それでもカレーニャと、この空で、一緒に居たいから」

 

 

 

 ──グラスが島を襲った直後のアンナはまだ、その凶行を止める事が先立っていた。その半生を知った以上、復讐に生きるとて無理からぬと思えた。

 ──復讐は許されぬと、書物も人も口を揃えて言い伝える。ならば一も二もなく引き止めねばと。

 ──しかし、その最終目的と、歪み(こご)った心を知った今は違う。

 ──カレーニャを止めるとは即ち、ただ勝利するだけでなく、夢を諦めさせて、外の世界で生きるよう仕向ける事。否、アンナにとっては、それが第一でなければ成り立たないのだとさえ言えた。

 

 

 

カタリナ

「……──」

 

 

 

 ──やりきれない表情を隠すように、ゆっくりとアンナから顔を背け、思案するカタリナ

 ──カレーニャの口から「逃さない」と殺意の表明があった以上、仲間たちを守るためにもどの道、カレーニャを倒す他にない。

 ──それに、冷徹に考えるなら、やる事は変わらない。アンナが多少言い繕った所で、それはつまりカレーニャが音を上げるまで追い込むだけだ。その後でどうするかの違いでしか無い。

 ──徹底的に否定して、無防備になった心につけ込む。有り体に言って洗脳の手口だ。だが、何重にも固められたカレーニャの心に隙間を空ける手は、少なくともカタリナ達にはそれしか無い。他に残る選択肢は、殺すか殺されるかだけ。

 ──アンナの言う通り、彼らは偶然に事情を知った一介の旅人である。彼らはこの場において只々、力の化身であり、一方的に正しい敵でしかない。

 

 

 

カタリナ

「……解った」

 

 

 

 ──短く告げると、アンナに背を向けた。

 ──次の瞬間には一瞬で間合いを詰め、カタリナの突剣は座へと深々と挿し込まれ、四方に巨大なヒビを作り上げた。

 

 

 

カレーニャ

「なっ!? あ、う、あぅぅぅ……」

 

 

 

 ──予感していた挟み撃ちがついにやって来た。カレーニャは言葉にならない声を漏らしながら、団長とカタリナとの間で視線を忙しなく行き来させている。

 ──団長に翻弄された前面では既に相次ぐ攻撃でトンネルが形成され始め、背後のヒビは座の半分ほどを覆うまでに伸びている。

 

 

 

カレーニャ

「う……嘘よ……こんなの、夢よ……!」

 

 

 

 ──弱音が口を突くカレーニャだが、まだ折れてはいない。

 ──どちらを優先的に相手取るか決めあぐね首をしきりに振りながらも、異界の座全体を眩い光で包み、全方位攻撃の準備に入る。

 

 

 

カタリナ

「ああそうだ。これは夢だ」

「何の罪もない少女が、人々の悪意に晒され、貶められ、とうとう本物の悪魔を求めた──。これはそんな救いのない、ただの悪夢だ!」

 

カレーニャ

「ッ……!!」

 

 

 

 ──険しく眉根を寄せながら、拭い捨てるように言い放つカタリナ。

 ──カレーニャが直ちにカタリナへ目を剥く。指先を獣の爪のように曲げて見せた手を突き出すと、座が変形してカタリナの剣の柄部分を飲み込み、逃さぬよう固定した。

 

 

 

カレーニャ

「何が……何が悪夢よ!」

「ええ良いですとも、何とでもおっしゃいなさい! この島全て! (ワタクシ)という悪夢で包んで! 決して終わらせてなどなるものですか!」

 

カタリナ

「夢を見ているのは君の方だと言ってるんだ、カレーニャ!」

 

 

 

 ──カタリナは決して剣を離さない。至近距離に迫る危機を恐れもしない。

 ──カタリナには解っていた。こうしてカレーニャの注意を自分に向けた今、座の抵抗が止んだ向こう側で何が起こるかを。

 

 ──異界の座から光が溢れ、カタリナの肌に産毛を焼くような熱を感じた瞬間、一際に大きな音が駆け巡った。

 ──防御も、ルリア達の防衛も、隙を探る必要も無くなった団長が、狙いたい箇所に打ち込みたいように武器を振るった。

 ──カタリナが広げたヒビで強度を損なった座とあっては、満を持しての団長の大技を受け止めきれ無かった。

 ──形成不全のエネルギー達は空中に拡散し、座はヒビに沿って盛大に打ち砕かれた。

 ──攻撃の勢いに押されて座の破片が方々へ散っていく。落とした溶けかけの氷のように呆気なく、その大小に関係なく、メートル単位のそれまで一様に。

 ──アンナの魔法然り、この空で戦士の外見と破壊力とは必ずしも一致しない。

 

 ──自らを包んでいた座の全てが散り、残され立ち尽くすカレーニャの眼前では、何事もなかったようにカタリナが剣先を突きつけている。

 ──カレーニャが茫然自失のまま膝から崩れれば、それを剣で追う。そんなカタリナの背後から、真っ赤な光が押し寄せた。

 ──アンナが放った炎が、人と屋根とを避けながら異界の座の破片を包み、蒸発させていく。

 

 

 

カレーニャ

「あ……グラス……私のっ……!」

 

 

 

 ──我に返って座の復元を試みるカレーニャだが、既に心は屈しかけていた。

 ──辛うじて引きずるように破片を動かせる程度。消火もままならない。

 

 

 

カレーニャ

「あ……あ……」

 

 

 

 ──異界の座が失われていくのを見守る事しかできないでいる。

 

 

 

カタリナ

「……まだやるか。カレーニャ」

 

 

 

 ──返事はない。カレーニャは、熱湯に放った氷の如く縮んでいく破片を、人形のように眺めていた。

 ──僅かに火力を管理しきれず、破片の周囲の屋根板が若干焦げたりしているが、引火の恐れはなさそうだ。

 ──駆け付けた一行は、これ以上、何と声をかけたものか言葉を探しあぐねている。

 

 ──おぼつかない足取りで、アンナがカタリナの脇から前に出た。

 ──思わずカタリナが肩を貸そうとするが、それに気付く様子もなく、アンナはカレーニャの前に座り込んで、その手を取った。

 

 

 

アンナ

「ハッ……ハァッ……カ、レーニャ……もう、やめよう?」

 

カレーニャ

「……──」

 

アンナ

「辛い、思い出だけ……背負って生きていく、なんて……哀しいよ……魔導グラスと心中するのと……一緒だよ……」

「全部、諦めてなんて言わないから……お願い。少しだけ、考え直して……」

「その……カレーニャさえ良ければ……ボクたちと一緒に、色んな島を見たり、色んな人に会ったり……それから決めても、きっと遅くないよ……」

 

 

 

 ──鶴のような細い両手が、更に透き通る白い片手を握りしめている。疲労に潤む瞳で訴えるアンナ。

 ──カレーニャは目線だけアンナに向けた。

 ──その瞳を見た瞬間、カタリナは既に、胸に嫌な予感が滲むのをはっきりと感じ取っていた。

 ──ガラス細工か陶磁人形(ビスク・ドール)を思わせる装いとは余りにかけ離れていた。足元一歩前で腹の裂けた猫が腐りきって、蛆の塊と化しているのを見つけたような、この世の[[rb:汚穢 > おわい]]を見る目だった。

 ──カレーニャが本当に全てを投げ出していない限り、届くはずもない。アンナの言葉は文章だけを見れば、既にルリアが呼びかけたそれと、似たりよったりだ。

 ──カタリナの予感が正しければ、アンナの言葉は、カレーニャの心のどす黒いものを膨れ上がらせているだけだ。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ。冷静に考えてくれ。異界の座も君も死に体だ。これ以上の戦いは、お互いに何の利益にもならない」

 

カレーニャ

……シ……

 

カタリナ

「……頼む。解ってくれ」

 

カレーニャ

「…………フッ……フフ……」

「ッハッハハハハ……アハ、ハハハ、ハ……!」

 

 

 

 ──目を伏せたカレーニャが、乾いた笑いを溢す。正気の沙汰の声色ではない。

 ──団長やルリアは、成り行きと言えどカレーニャをここまで追い詰めてしまった事への自責の念に駆られた。

 ──カタリナは、積み上がる胸騒ぎに、剣を持つ手に一層の力を込めた。

 

 

 

カレーニャ

「ハハハ、ハハ……ハァ。どうして、もっと早く気付かなかったのかしらね」

「そうよね。今からだって、ねぇ……」

 

アンナ

「カレーニャ……」

 

 

 

 ──言葉の意味を好意的に解釈したアンナの表情が明るくなると同時、周囲が虹色の光に包まれた。

 

 

 

ビィ

「ウォァッ、ま、眩しい!?」

 

ルリア

「この光、異界の座の……?」

 

 

 

 ──困惑の理由は、その光が未だ燃え盛る座の破片からもたらされた物で無いからだ。

 ──光はカレーニャの、ドレスを含めた全身から万遍なく放たれている。

 ──間近で飛び込んでくる光に目を細めたアンナだったが、輝くカレーニャを改めて見るや、血相を変えた。

 

 

 

アンナ

「カ……カレーニャ! そ、そ……”ソレ”って……!」

「そ、そんな事して、大丈夫なの!? 何で今、そんな事……ねえ、カレーニャ!!」

 

カタリナ

「くっ……離れろ、アンナ!」

 

 

 

 ──からくりはどうあれ、それは異界の座が攻撃を行う前動作に酷似していた。何より、カレーニャの髑髏のような歪な笑みがその目的を高らかに物語っている。

 ──この期に及んで妙な真似に出る理由など、大体はロクなものではない。すかさず剣を突き立てにかかるカタリナ。

 ──相手は銃弾を頭に受けても平然と立ち上がる。何らダメージは及ぼすまいが、何もしないよりはマシだった。しかし……。

 

 

 

アンナ

「ダ……ダメェッ!!」

 

 

 

 ──アンナがカレーニャに抱きついた。

 ──意表を突かれたカタリナだったが、その剣先は辛うじてアンナのうなじ数ミリ手前で停止した。

 ──安堵の息を吐く間も惜しんで、庇い立てしたアンナを問い詰める。

 

 

 

カタリナ

「何をしているんだアンナ! 余り言いたくは無いが、彼女は最早普通の人間とは──」

 

アンナ

「ダメなの! 今のカレーニャにそんな事したら──キャアッ!?」

 

 

 

 ──満足に言い争う間もなく、アンナとカタリナの間に真っ赤な炎が飛び込んできた。

 ──転がったままカレーニャにも操作しきれず、炎上し続けていたはずの座の破片、その溶け残りだった。

 ──不意を突かれて力の抜けたアンナをカレーニャが突き放した。全く同時にカタリナがアンナを背中から抱え上げ、座り込むカレーニャを飛び越え団長達の方へと転がり、破片の直撃を回避した。

 ──カタリナとアンナに大事無い事を確認した一行は、先程までカタリナ達が立っていた地点を見据える。

 ──虹色に光るカレーニャを中心に、砕けた破片が衛星の如く漂い、未だ燃え盛るその体積を見る見る増やしていった。

 

 

 

カタリナ

「力を……取り戻している?」

 

ビィ

「どういう事だよ、さっきまでボロボロだったのによぉ!?」

 

 

 

 ──破片がその一部から虹色の粘性を伴った液体を噴き出し、炎の上から自らを包み込んで消火した。

 ──そのまま液体は固化し、大小のグラス球となった破片がそれぞれにぶつかり合い、粘土のように一塊のグラスに変じて行く。

 

 

 

カレーニャ

「やっぱり……」

「ほんのちょっぴり溢しただけで屋敷の部屋1つ吹き飛ばしたエネルギーが、全部使ってようやくドリイさん一人分なんですもの……」

「命を模倣するリソースは、私の想像を遥かに超えていましたのね」

 

 

 

 ──異常な高揚感を滲ませるカレーニャの顔は、しかし自ら放つ光を差し引いても明らかに血の気を失っている。

 

 

 

アンナ

「カレーニャの体……光ってから、魔導グラスも、『よく解らないモノ』も殆ど無くなって……」

 

ルリア

「そういえば、カレーニャちゃんは生きていくために、異界の座を幾つか体の中に……って、それじゃまさか……!」

 

カタリナ

「体を維持するためのエネルギーを、兵器としての異界の座に明け渡したのか!?」

「魔導グラスが肉体の再生を司っているとするなら、もしあのまま刺し貫いてしまっていたら……」

 

アンナ

「カレーニャ! それ……大丈夫なんだよね!? 怪我とかしなければ大丈夫だから、そんな無茶な事……」

 

カレーニャ

「……ハンッ」

「何で気付かなかったんでしょうね。あなた方もこの島の連中と同じ……正義のために死んで欲しいだけで、人殺しなんてまっぴら御免な手合ですものねぇ」

 

アンナ

「……ッ!?」

 

カタリナ

「自分の命を盾にしようと言うのか……!」

「そうまで……そうまでして、抗うべき相手だと言うのか。私達は……?」

 

 

 

 

 

 ──空中に水晶玉ほどのグラス球が生み出され、その上にカレーニャが寄りかかると、すかさずグラス球はグラスチェアーの形を取り、宙に浮かんだ。

 ──巨大な1つの球となった異界の座が、カレーニャとグラスチェアーを取り込み変形する。

 ──数秒と立たぬ内に、カタリナに引きずり降ろされた直後に見せた、あの全力の異界の座と寸分違わぬ姿がそこにあった。

 

 

 

アンナ

「だ……ダメ、だよ……」

「そんなの……カレーニャ、死んじゃうよ……お父さん達、悲しむよ……」

 

 

 

 ──座り込み、そのまま土下座でもし始めそうな心許ない有様で、懇願するようにアンナが訴えかけた。

 ──見開かれた目には、今しがたカタリナに覚悟の丈を説いた意志の光は無く、焦点が定まっていない。

 

 

 

カレーニャ

「……──」

「知ったような口はもう沢山ですのよ……!」

「じゃあ何? 私の愛する人達は私に、死んだように、無為に、虚しく寿命を貪る生活をお望みだと仰いますの?」

 

 

 

 ──口を開くまでに、僅かに間が空いたカレーニャ。捉えようによっては答えに迷ったようにも受け取れるが、返ってきたのは結局、恨み骨髄に徹さんばかりの極論だった。

 

 

 

カレーニャ

「ねえアンナさん。私、早速指先から痺れて感覚無くなって来てますの」

「魔導グラスは形が8割。あなた方が私を手こずらせて有機体を傷ませでもしたら即刻オダブツ腐るだけ……」

「だから……とっとと諦めてちょうだいな。あなた方から見えるお空がどんなに美しくて、どんなに立派で、どんなに”当たり前”なのか、偉そうに語るくらいは止めやしませんから──」

「だから、二度と動かないで。私のために体ァ張ってるつもりなら……!」

 

 

 

 ──カレーニャの言葉には、底知れぬ否定と嫌悪があった。

 ──先だってのアンナの決意は、カレーニャがこの戦いの後、この空で一人の人間として生きていくという希望を諦めないからこそ持てたものだった。

 ──カレーニャの命あってこそ、許されないやり方さえ受け入れられた。しかしカレーニャの方から死に向かわれたのでは、全てが無駄になる。

 ──このままなら結果は三通り。傷つけて死なせるか、腐らせて死なせるか、そして大人しく討ち取られるかだ。

 ──どう転んでも希望は遠く、失意と罪悪感だけが早くも胸を埋め尽くしていく。

 

 

 

アンナ

「だっ、……だって……だっで……ボ……ボク、は……だ……ただ……っ!」

 

 

 

 ──言い返したくて堪らなかったが、もう言葉を紡げる状態ではなかった。

 ──意思とは無関係に涙が溢れ、喉が痙攣し、なけなしの文句もしゃくりあげて形にならない。

 ──只々、目の前の座が、持ち主ごと虹色の光の塊と化すのを、まるで言われた通りにするようにへたり込んだまま、滲んだ視界で見届けているだけだった。

 

 

 

アンナ

ボク……カレ、ニャ、と……

 

ルリア

「アンナちゃん、逃げて!」

 

ビィ

「いやこれ、オイラ達もヤベェぞ!」

 

 

 

 ──団長とカタリナがアンナの元へと飛び出した直後、虹色の光が白に溶け合い生き生きと、一行の影一つ残さず解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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57「アンナとカレーニャ?」

 ──最初に起き上がったのはカタリナだった。

 ──異界の座が光を放つ瞬間、無我夢中でアンナの前に躍り出て、少しでも相殺できればと、アイシクル・ネイルで応戦していた。

 ──そして気付けば……。

 

 

 

カタリナ

「ここは……屋根裏部屋か……」

 

 

 

 ──団長達が屋根へ上がるために経由した、カレーニャの父と図書館の館長が造ったと言う屋根裏部屋だった。今はその跡地だ。

 ──異界の座の、恐らくは光線によって、部屋の天井部分を構成していた全ては消え去り、壁も一面を失い、いつ日が差し込んでもおかしくない、青紫の空が見渡せた。

 ──子供用の小さなベッドが半分だけになって投げ出されている。

 

 

 

カタリナ

「(……これが、カレーニャの答えか)」

 

 

 

 ──部屋の家具同様に打ち転がされたカタリナも、先程の衝撃で持っていたはずのニコラの指輪を紛失してしまった。

 

 

 

カタリナ

「(過去の想いでは、最早届かないのか……)」

「(ならカレーニャ。君は今、何のために戦っているんだ……。自分の知らなかった家族の一面を突きつけられて、それを知っていた私達が恨めしいのか。だから命まで(なげう)つと言うのか……?)」

 

 

 

 ──カタリナは、今のカレーニャを自分が理解してやる事に、どうしようもなく在りありと、限界を感じていた。

 

 

 

???

「あっ、わ……あぁあっ!?」

 

 

 

 ──耳に飛び込んだ悲鳴に我に帰るカタリナ。

 ──見ると、声の主はアンナだった。団長にルリア、ビィも彼女の傍らに居た。

 ──しかし当のアンナは、壁面を失った部屋の崖っぷちから、バランスを崩して転落せんとしていた。

 

 

 

カタリナ

「アンナ!」

 

 

 

 ──慌てて身を起こすカタリナだが、到底助けに入れる距離ではない。

 ──より近くに立つルリア達が駆け寄り、団長がギリギリまで身を乗り出して、八方に支えを失ったアンナに手を差し伸べた。

 ──アンナもこれに応じようと、片腕を伸ばした。もう片方の腕はカシマールを強く抱きしめている。

 ──しかし届かない。否、手指の先まで一杯に伸ばせば取り合えたはずだったが、アンナは突き出した手を固く握りしめ、その拳を開く事無く落ちていった。

 

 

 

ルリア

「アンナちゃん!!」

 

 

 

 ──堪らず、崖のその先へ躊躇なく足を踏み出そうとするルリア。

 

 

 

ビィ

「おぉい落ち着けルリア! お前まで落っこっちまうぞ!」

 

 

 

 ──それを押し返して止めるビィ。だがルリアの背後……上空を見て血相を変えた。

 

 

 

ビィ

「グ、グラ、グラ……グラスが、た、沢山……!」

 

 

 

 ──直径2mほどの、蓮の蕾のような形状のグラスが、空一面を覆い尽くさんばかりに宙に縫い付けられていた。その中心では異界の座が高々とこちらを見下ろしている。

 ──屋根裏部屋に隙間なく敷き詰めても間違いなく余る数だった。これを叩きつけられれば逃げ場はない。

 ──蕾の先端が一斉に屋根裏部屋に狙いを定めたのを認めると、カタリナが団長達に叫んだ。

 

 

 

カタリナ

「ここは私が何とかする! ルリアと皆はアンナを頼む!」

 

ビィ

「何とかって、あんなの一体何をどうするんだよ!」

 

カタリナ

「良いから早く行け! アンナがどうなっても良いのか!!」

 

 

 

 ──急き立てる余り脅しのような物言いになるカタリナ。

 ──地上8階建ては高いように見えて、落ちてみればあっという間だ。こうしている間にも既に最悪の事態が完了している事さえあり得る。

 ──意を決して、団長はルリアとビィを抱えて、アンナの後を追うように屋根裏部屋の縁から飛び降りた。

 ──それと同時、上空のグラスの蕾達が一斉に屋根裏部屋へ降り注ぐ。

 

 

 

カタリナ

ライト・ウォール!」

 

 

 

 ──上空に光の筋が踊り、限りなく透明な、しかし屈折率の異なる層が形成される。

 ──防御の魔法がカタリナとグラスとの間に障壁を設えた。

 ──降り注ぐグラスは光の層に触れると、その速度を半分近く減衰させられていく。

 

 

 

カタリナ

「(頼むぞ……アンナ)」

 

 

 

 ──この世界で、個人で扱える防御魔法の殆どは完璧たり得ない。

 ──余程の伝説的な使い手でも無い限り、迫り来る干渉を軽減するのが精一杯だ。

 ──しかしカタリナは抑えきれぬ脅威から視線を外し、背後を向いた。

 ──団長達がアンアを負ったそこに、今はもう誰も居ない。

 ──減速しながらもグラスは光の層を抜け、未だ十分に残る慣性に重力加速度を加え、そんなカタリナを部屋一面諸共に飲み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──場面が切り替わる。

 ──アンナは全く見知らぬ空間に居た。

 ──幾つもの球体が数珠のように連なり、二重螺旋となって、下から上へ、あるいは上から下へ、霞んで見えなくなるほど、どこまでも遠く続いている。

 ──同じ様な螺旋が幾つも周囲を漂い、広さもまた果てが知れない。

 ──アンナはその球体の1つに立って、どこかぼんやりと、その景色を眺めている。

 ──振り返ると、空間に窓があるかのように一箇所だけ、この景色に似つかわしくないものが見える。

 ──魔導グラスに覆われた向こうに、ブラインドの降りた窓。窓枠は上下逆さまで、景色は下へスクロールしていく。

 ──アンナには解っている。逆さまなのは窓の方ではない。窓を見せている方だ。

 ──映像は時折ブレて、別の映像がチラつく。生前のお婆様の姿、カシマール、自宅を訪れた団長、グランサイファーの風景……。

 ──球体の螺旋へ視界を戻す。階段のように続く螺旋を少し昇った所に、小さな女の子が一人、立っている。

 ──何の気もなく、螺旋を登って女の子の隣に立つアンナ。

 

 

 

アンナ

「──……キミは……」

 

 

 

 ──その女の子の事は覚えていた。目が覚めた時には忘れてしまっていたのに、今は初めから覚えていたかのように鮮明に。夢は不確かだ。

 ──女の子も、景色に空いた窓を眺めていた。紙よりも薄く、しかし鮮明に浮かぶ映像は、アンナが昨夜見た、カレーニャの半生の再現だった。ただし、上下逆さまの。

 ──隣り合って、ぼんやりと映像を見送るアンナ。隣の女の子はアンナを気にする様子もなく、微動だにしない。

 

 

 

アンナ

「……ごめんね。カレーニャ……」

 

 

 

 ──握りしめた手を胸元で一層固めながら、呟くアンナ。差し伸べた団長の手に届かなかったあの瞬間から、片時も開いていない。

 ──聞こえているであろう女の子に反応は見られない。つば広の帽子に隠れて、顔色も伺えない。

 

 

 

アンナ

「カレーニャのために、ボクができる事……こんなやり方しか、考えられなくて」

「どんなに恨まれても構わなかった。けど……」

「やっぱり、ダメだった。カレーニャを追い詰めるだけだったんだね」

「死んじゃうかも知れないのに、それでも戦うのは……きっと、それくらいボク達を許せなくなっちゃったからだよね」

「生きていて欲しかったのに……死ぬまで戦わせる事になっちゃった……」

「……バカだなあ……本当に……何で、こんな……バカなんだろうね……」

 

 

 

 ──二重螺旋がゆっくりと動き出す。(あざな)うように、見通せぬ果てへと上昇していく。

 

 

 

アンナ

「どうしたら、こんな事にならなかったか、全然解らないや……」

「最初から、間違ってたからかな」

「最初から、何もしないで、カレーニャの思う通りにさせてた方が……きっと、ずっと良かったのかな……」

「ドリイさんに託されたのが、ボクなんかじゃ無かったら……団長さんや、ルリアだったら、良かったのにね」

「二人とも、沢山の人と出会って、誰とでも仲良くなれて、苦しんでる人を救って……」

「だったら、せめて……せめて、カレーニャに、あんな事だけはさせなくて、済んだかも……知れないのにね……」

 

 

 

 ──見上げる映像が滲む。

 ──事も無げに、「てへへ」で済ませたがって紡いだ言葉が、掠れていく。

 ──涙がみっともないほど溢れて、顎から滴り、あるいは首筋を伝って襟を濡らした。

 ──それはきっと、夢の中ばかりの事では無かった。

 

 

 

アンナ

「仕方……ないよね。ボクだって、きっとカレーニャみたいな事があったら、この空の全部、敵に見えちゃうかもしれない」

「カレーニャを守ってあげられるのは、カレーニャしか居なかったんだ」

「なのに、勝手なことして、ボク達を……憎ませて……結局……何も、変えられない……」

「……本当に、ごめんなさい。カレーニャ……こんな……出会ったのが、こんなボクで──」

 

 

 

 ──首を横に向けるアンナ。隣で一緒に映像を見ているであろう、女の子を見下ろす。

 ──せめてもの謝罪を伝えようとした、その少女は、同じくアンナを見上げていた。

 

 

 

アンナ

「……え?」

「……カレーニャ、じゃ……ない?」

 

 

 

 ──霞んだ視界越しにも確かな違和感があった。目を擦って再び確かめる。

 ──帽子の女の子は、アンナの心に訪れた、手記の中に生きるカレーニャ自身なのだと、そう思っていた。

 ──その顔には見覚えがあった。しかしカレーニャのそれでは無かった。

 ──帽子の下でまとめた赤髪から、束ねきれなかった遊び毛が枝葉のようなクセに任せてあちこちに跳ねている。

 ──そして、飽きるほど馴染みのある顔貌。日陰で暮らしてきたアンナだって、鏡くらいは生活に欠かせない。

 

 

 

アンナ

「キミは──……ボク?」

 

 

 

 ──常日頃から浮かぶ目の下のクマは、幼い頃はもっとマシだったと記憶しているが、女の子のそれは今現在の彼女よりも深く色を落とし、落ち窪んで見える。

 ──固く結んだ口元と、猜疑に歪んだ暗い瞳が、軽蔑を込めて魔女を()め返している。濁った緑の虹彩には粘膜の反射さえ感じ取れない。

 

 ──もう一人の自分……。アンナはその答えを察した。夢はどんな理不尽にも軽薄なほどに答えを紡ぎあげてくれる。

 ──少女はカレーニャではない。カレーニャと同じ道筋を辿っていた、「もしも」の幼いアンナの姿だった。

 ──カレーニャの手記を読み、憤ったアンナの心は、ある事実を見落とした。否、あるいは目を逸らした。

 ──「これだけの事があれば、カレーニャが凶行に及んでも無理はない」。そう思っていた。

 ──「これだけの事があれば、自分なら同じ凶行を働いている。だからカレーニャもそうするのだろう」。それが正確な答えだった。

 ──人が他人の心を真に理解する事は有り得ない。同情や共感は、あくまで相手を模った自らの心の一部に対して向けられる。

 ──アンナの夢に立ち会ったその少女は、カレーニャの半生に感化され、同じ立場に投影された、アンナの心そのものだった。

 ──見も知らぬ人々へ、暴力を決断してもおかしくない……普段のアンナなら思いも寄らない、認めたくない。だからそんな自分の一面を、アンナの理性は突き放していた。「これはカレーニャの事だから」と。

 

 

 

幼いアンナ

「…………」

 

アンナ

「……うん。そうだったね」

「ボクとカレーニャは、やっと”同じ”になれたんだ」

 

 

 

 ──これまでのアンナなら、カレーニャが働いた”悪事”など、理解しようも無かった。今の今まで、まさにそうだった。

 ──話し合う程にカレーニャの歪みを思い知った一行は、ただ憐れむ事しか出来なかった。

 ──何故カレーニャにそんな世界が見えるのか、歩み寄る事をやめた。遠巻きに悪と狂気を見下すばかりだった。

 ──しかし今、アンナの目に見える景色は、仲間たちとは少しだけ異なる。

 ──カレーニャの残した文字を拾い、カレーニャが島を蹂躙する拠り所を、心で理解していた。

 

 ──心の奥に何かが見えてくる。その怒りと悲しみと、憎しみは、確かにアンナの心から生まれている。この点で、アンナとカレーニャの違いは、実際に島に報復を行ったか否か、それだけでしかない。

 ──他者とは「私」を疎み、全てに罪と責任を求め、恵まれれば根こそぎ奪っていく存在であり続け……そして虐げる社会しか知らない半生を生きて、それでもアンナが人に殺意を持たない等という保証はどこにもない。

 ──狂気は正気の延長線上にある。どんなに目を背けても、道筋は確かに繋がっている。アンナの心の届く所に、カレーニャの心は立っている。

 

 ──アンナは、小さく、か弱く、不相応に卑小な自分を抱き寄せた。突き飛ばすような抵抗が有ったかも知れない。それでも腕の中に押し込んだ。

 ──肌身離さず小脇に抱えているはずのカシマールは今は居ない。夢は不確かだ。

 ──自分と”自分”に言い聞かせる。

 

 

 

アンナ

「どんなに苦しくったって、離すもんか……!」

「『会いたかった人』に、やっと近づけたんだ。燃え尽きそうなら、黙って見てちゃダメなんだ」

「正しいとか、良いとか悪いとかじゃない。カレーニャを追いかける。追いついて、絶対に離さない」

「やめさせたいなんて、関係ない。忘れちゃダメだ……ボクが、カレーニャと、”こっち”に居たいんだ……!」

 

 

 

 ──上昇を続けていた螺旋が、動力を失ったようにガクンと停止した。

 

 ──幾つかの答えは、既にアンナ自身が出し終えていた。

 ──カレーニャが何故戦うのか。今ならその動機はアンナの中にもある。カレーニャの全てを理解できずとも、アンナに見える道筋から1つずつ、同じように考えていけばいい。

 ──即ちアンナ自身が、カレーニャと同じような行動に出るのは、それはどんな想いによってか。

 ──”ボク”が己の殺意を肯定する時。

 ──老人子供だろうと手にかけられる時。

 ──疑問を拭えないやり方でも、それでも突き進む事を選ぶ時。

 ──否定をぶつけられ、打ちひしがれても、意地でも諦めない時。

 ──限界を超えて。無茶を束ねて。本末転倒になろうとも、命を賭けてでも行動する時。

 

 ──ずっと握り続けてきた手を開くアンナ。中には、屋根裏部屋に残されていた手紙の僅かな切れ端。

 ──カレーニャの懸命の一撃に巻き込まれ、焼けて風に散った、文字も残っていない一欠片を、危険も顧みず拾いに走った。

 ──案の定、体勢を立て直せず、団長の手よりも手の中の紙片を選び、そしてこの有様だった。

 ──何の意味も無くなってしまっても守りたい。残しておきたい。これが目の前を泳いでいた時、咄嗟にそう思った。

 

 ──にわかに信じがたい自分の可能性を1つずつ認めていく。その先に、10年かけて手探りで先駆けた、カレーニャが居る。そして、更に目指すべき向こうが見えてくる。

 ──眼下に広がる螺旋の底が、橙がかった青色と、幾つかの青みがかった白とで満たされた。

 

 

 

アンナ

「ねえ。”ボク”は──」

「カレーニャと同じ様に生きてきた……そんなボクだったら、どうしたら諦められる?」

「ずっと戦ってきたカレーニャ(ボク)は、どうなったら、止まっても良いと思える?」

「言葉だけじゃ足りないなら、ボクは何を信じて……生きてても良いって、思える?」

「苦しみだけの世界を少しだけ忘れて、ボクが”こっち”側でやり直せるために……ボクは、何が欲しい?」

 

 

 

 ──胸に抱いた片割れは答えない。問いは願いとなって、静かに己が心へ打ち寄せ、反響が在り処を探る。

 ──やがて、アンナが少しだけ腕の力を緩めた。幼いアンナと少しだけ距離を開け、彼女の眼前にそっと差し出した。

 ──カシマールだ。いつの間にか、いつもの定位置に居た。夢は不確かだ。だからこれだけは、確かにしなくちゃならない。

 ──アンナが両手に大事に持ち直した親友を、幼いアンナがおずおずと受け取る。

 ──微笑みながらアンナは、もう一度、優しく自分を胸に埋めた。

 

 

 

アンナ

「うん……それでも、考えてるだけじゃ、ダメだよね」

「ボクは、カレーニャと同じになれても、カレーニャにはなれない」

「だから、確かめに行こう──」

「一緒に!」

 

 

 

 ──腕の中の少女諸共に、球体から飛び降りた。

 ──二人の魔女と一体のぬいぐるみが螺旋の間を潜るように、蒼い空間へと加速していく。

 ──逆さまの景色が、上へ上へと流れていた。

 ──下が上なら、飛び降りた灯は空へと舞い上がる。

 ──不確かな夢の底から、確かな現の(おもて)へ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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58「夢ともしてや夜明け星」

 ──ビクリと体を跳ねさせたアンナの視界は、図書館上空にあった。

 ──ほんの少しだけ、自分はこれから空の向こうへ逝くからだろうかなどとも思ったが、すぐに現実に返った。

 ──その感触を知っている事が、少しだけ誇りでさえある。そんな腕に抱かれたアンナは、星晶獣の肩の上で、団長、ルリア、ビィと共に異界の座と対峙していた。

 

 

 

ルリア

「アンナちゃん、気が付きました!?」

 

アンナ

「ルリ、ア……みんな……」

 

 

 

 ──辛うじて意識を保っている状態のアンナだったが、周囲の状況からすぐさまここまでの経緯を把握した。

 ──アンナを追って飛び降りた一行は、落ちて行くアンナを見定めるや、ルリアの力で星晶獣を召喚。アンナと自分たちを受け止めさせたのだ。

 ──魔導グラスに対抗すべく呼び出した、紅蓮の炎と陽炎を漂わせた竜人を思わせるその巨体の名は「イフリート」。

 ──プラトニア随一の全高を誇る図書館よりもその威容は更に大きく、立って並べば頂上より上に肩口が飛び出す。

 ──その背から、地平線を越えた陽光がいよいよもって溢れ出し、イフリートの姿を、正義たれと言わんほどに輝かしいものにしていた。

 ──イフリートの目線やや下、陽光の陰に入って浮遊する異界の座は、周囲に数限りなくグラスの砲弾を生み出し続けている。

 ──眼下の図書館頂上、屋根裏部屋のあった箇所は先のグラスの蕾達が隙間なく敷き詰められていた。そのどこかにカタリナが居るのだろうが、影も形も見当たらない……。

 

 

 

ルリア

「カタリナ! カタリナー!」

「カタリナ……きっと、無事ですよね……」

 

主人公(選択)

・「カタリナが簡単に負ける訳がないよ」

・「今は戦いに集中しよう……」

 

→「カタリナが簡単に負ける訳がないよ」

 

ビィ

「まあアンナだけでも助けられたのは良かったけどよォ。こっからどうすりゃいいんだァ?」

「このまま戦っちまったらカレーニャが……その、マズイんだろ……?」

 

 

 

 ──異界の座の中では、カレーニャが安楽椅子に腰掛けるような姿勢で頬杖をついている。

 ──怨敵を前にしているのだろうに、口元はボンヤリと開かれ、遠い目でこちらを眺めている。

 ──失われる体力と生命力に意識も朧げなのか、あるいはその生命力を維持するために努めて余計な消耗を避けているのか。

 ──つまらなそうな目がイフリートを上から下へと流し見て、口元がだらしなく緩んだ。

 

 

 

カレーニャ

「フフフ……指一本動かすのも惜しいって時になって、ようやく寄越して来るなんて……」

「でも、約束ですものねえ……ワクワクしますわよ、ルリアさん……!」

 

 

 

 ──座を取り巻くグラス達が一斉にイフリートへ飛びかかる。

 ──取り分け、図書館頂上から更に突き出した頭と、イフリートを足場とする一行へと砲撃は集中している。

 

 

 

ビィ

「や、やっぱり来やがったぁ!」

 

ルリア

「カレーニャちゃん、もう──止めてくださいッ!」

 

 

 

 ──ルリアが呼びかけると同時、イフリートが自らの眼前で片腕を横薙ぎに払うと、グラス弾はその腕に触れる間もなく、巻き上がる炎に煽られたちまち蒸発した。

 

 

 

カレーニャ

「座から生み出したグラスでも、こうもあっさり……流石の星晶獣って事ですのね」

「でもねえ……!」

 

 

 

 ──ルリアの声など聞き入れる様子もない。

 ──カレーニャが座の中で、気怠そうにゆったりと椅子から立ち上がるような動作を取ると、座の直前に黒いグラスの塊が音を立てて広がる。

 ──黒銀に鈍く光るグラスは、その径をイフリートの頭部と同等まで膨れ上がらせた。更にその周囲に白く霧のような物が立ち込めている。

 

 

 

カレーニャ

「約束は違えない! オブロンスカヤの誇りたる魔導グラス……この私が自ら泥を塗るような結果は、絶対に有り得ません事よ!」

 

 

 

 ──質量を感じさせる若干鈍い初速と共に、黒いグラスが打ち出される。

 ──自ら纏わせた霧を払い除け、尾を引かせながら迫る姿は、天体の墜ちるが如き威容を伴っている。

 ──眼前に迫る闇が徐々に大きくなる中、それでもルリアは、闇の向こうのカレーニャへと説得を続けた。

 

 

 

ルリア

「カレーニャちゃん、お願いです! これ以上続けたら、カレーニャちゃんの体が──」

 

ビィ

「ダメだルリア、こっちも防御くらいしねぇと身が持たねぇ!」

 

ルリア

「カレーニャちゃん……こんな……こんな戦いなんて……」

 

 

 

 ──やり切れない思いに苛まれながらも、ルリアはイフリートを操作し、黒いグラスを受け止めた。

 ──しかし、イフリートがグラスを完全に捕まえたその瞬間から、ルリア達を大きな振動が襲う。

 ──団長が、まだ満足に体を動かせないアンナを強く抱き支える。

 

 

 

ルリア

「キャアッ!」

 

ビィ

「な、何だ何だ!?」

「……って、見ろ! イフリートのヤツ、急にどんどん押されてるぞ!」

 

 

 

 ──辛うじてイフリートにしがみつき、体勢を立て直した一行は、振動の正体を直ちに理解した。

 ──どうやら黒いグラスは急加速を始めているようだ。イフリートは増大した運動エネルギーを受け止めきれず、地面を削りながら後退を始めていた。図書館周辺の建造物がイフリートの踵にこそぎ取られていく。

 

 

 

ビィ

「な、なぁ……何か、急にちょっと肌寒くなって来てねぇか?」

 

ルリア

「そういえば、何だか霧も出てきて……まさか!」

 

 

 

 ──グラスを押さえているイフリートの両腕に、背後の陽光に輝きを返すほどの夥しい霜が降りている。その腕から巻き上がっているはずの炎も、消えかけの焚き火のように燻っていた。

 

 

 

ルリア

「この魔導グラスさん、周りの……イフリートの熱を、吸い取ってます!」

 

ビィ

「んなっ!? そんなんアリかよぉ! 魔導グラスは火に弱いんじゃ無かったのか!」

 

カレーニャ

「フーーー……フフフフゥ……」

「アンナさんの炎を跳ね返した時と同じですわよ……燃え上がるより早く転換すればいい。単純な馬力の違いですわ」

 

 

 

 ──ゆっくりと一呼吸置いてから得意げに語るカレーニャだが、座の中で尻もち突いて座り込み、そして宙に浮くような挙動でフワッとその身を起こした。

 ──足先は力無くブラリと伸び、先程座り込んでいた高さには靴の先端ほどしか触れていない。明らかに座の力の補助頼みで立ち上がっている状態だった。

 ──そしてその姿は、黒いグラスに遮られて手一杯のルリア達には見えていない。

 

 

 

ルリア

「もっと……もっと力を上げないと、このままじゃ……!」

 

 

 

 ──霜に包まれたイフリートの指先にヒビが走った。このままでは腕が凍てつき砕け、イフリート諸共に小蝿の如く叩き潰されるのは想像に難くない。

 ──ルリアがイフリートの力を更に開放した。黒いグラスの丁度上下の空間に魔法陣が広がる。2つの魔法陣から放出される無色のエネルギーは、両者がぶつかり合った一点で渦巻き、膨れ上がり、太陽の如き紅蓮の球を形成する。

 ──火球は黒いグラスの内から噴き上がるように形作られ、黒いグラスを飲み込んだ。熱波を受けてイフリートを覆う冷気も融けていく。

 ──しかし、黒いグラスはそれでも止まらない。否、ますます質量を増したように、最早イフリートなど障害足り得ないとばかりに押し出していく。

 

 

 

ルリア

「だ、ダメです……魔導グラスさん、イフリートの熱を自分の力に換えてるみたいで……」

 

ビィ

「抵抗するほどドツボって事かよ! こんなのどうすりゃ良いんだぁ!!」

 

 

 

 ──慌てふためくルリアとビィ。

 ──団長も、諦める事無く何か手は有るはずだと精一杯に思考を巡らせる。

 

 

 

???

「──……ん、……、……」

 

 

 

 ──その時、団長は服の袖を引かれる感触を覚え、腕の中の魔女を見た。

 ──熱波に薫ぜられたお守り(サシェ)が、微かに団長の鼻腔をくすぐった。

 ──まるで余命幾ばくかも無いような光の乏しい瞳で、しかしアンナは懸命に意識を繋ぎ止めながら、団長を呼んだ。

 

 

 

アンナ

「団、長さん……立たせて……」

 

 

 

 ──既に図書館から伸びる大通りの三分の一が、イフリートの足元に消えていった。

 ──遠く発着場では、グランサイファーの他は船員不在で取り残された幾つかの艇が残るだけだった。

 ──人々の避難を終えた仲間たちも、既に異常を察知して図書館へ向かっているのだろうか。だがこのままでは明らかに一行が限界を迎える方が先だ。

 ──よしんば駆けつける仲間が居たとて、立ち向かうべき相手は遥か上空。避難者を匿っているであろうグランサイファーごと駆けつける事はできない。グラスを止めるもカレーニャを止めるも、地上から一手二手で打開するのは高望みが過ぎる。

 ──程なく、イフリートが力を抑制し、呼び出した火球と魔法陣が立ち消えた。星晶獣の炎をも凌ぐ冷気が、反動とばかりに空気を瞬時に濃霧とダイヤモンドダストに変え、イフリートを覆い隠す。

 

 

 

カレーニャ

「ま~あ、おキレイですこと」

「島から落っこちるまでフィーバーなさるか、街への被害を避けて元栓締めるか、どっちかだとは思ってましたけども」

「自重した所で(グラス)の方が力は上。後はチマチマ足掻くなり、潔くジャイアント顔面キャッチするなりお好きな──」

「……んん?」

 

 

 

 ──勝利を確信したカレーニャだが、視界に違和感を覚え言葉を呑み込んだ。

 ──ベタに目を擦って確かめようとして、もう指先がそこまで精密に動かせない事に気付き、とにかく座の内壁にへばりつくように近づいて確かめた。

 ──死が迫ってのブラックアウトやかすみ目では断じて無かった。そうであったとて、「あんなモノ」は見えない。

 ──湖1つ蒸発させたような水蒸気と氷の細粒。その煙幕を見透かせたとして、団長達の姿は黒いグラスにほぼほぼ遮られている。そのはずだった。しかし……。

 

 

 

カレーニャ

「……やっぱり見えた!」

「グラスの……向こう? 何か光っ、──」

 

 

 

 ──カレーニャの視界が七色に染まった。

 ──理不尽に重たい腕を、反射的に振り上げ眼前を遮るカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「ぬっ、ぎっぃ……!」

「グラスの光──まさか、あの子まだ……!?」

 

 

 

 ──生身の名残で半ば錯覚で押し寄せる目の痛みが落ち着いてから、改めて光の正体を確かめるカレーニャ。

 ──黒銀の意地が鎮座していたはずのそこに、虹色の星が輝いていた。

 ──立ち込める冷気をも呑み込み、暁よりもなお明く(あかく)、空の青さえ塗り替えんとばかりに。

 

 

 

カレーニャ

「何よ……あれ……」

「グラスの炎……でも、熱くない……」

「熱くもないのに、溶けてる……グラスの結合だけが……!」

「何よ……何なのよそのムチャクチャぁ!」

 

 

 

 ──グラスを通して事態を観測できても、それでも何が起きているか理解しきれない。

 ──虹の星の底から、卵を割ったように透明な塊がデロリと落ちた。

 ──効力も色も失った、かつて黒かったそれは、図書館を包むグラスにぶつかると、バシャリと弾けて光の粒へと消えた。

 ──読み取れた端的な事実は、「人肌程度の火で、とっておきのグラスが溶かされている」。そしてもう一つ。

 ──グラスが成れ果てるまでを我が身の如く観測したカレーニャだけが知り得た事だった。

 ──それは強いて言葉にするなら、「グラスに役目と形を一時的に忘れさせる」。そのような機序だった。

 ──座から生み出されたグラスは、既成品のように安定した形を与えられていない。一時でも形を失えば、そのままただの魔力へと還る。

 ──単に力と熱で焼き払っていた今までのそれとは根本的に異なる。炎は、グラスの在り方それのみに立ち向かっている。

 ──燃焼の種を失った虹色の炎がかき消え、掻き消えた冷気の向こうには、未だ健在のイフリート。

 ──透明なオペラグラスを生成し、イフリートの操り手達も無傷である事を確かめたカレーニャが、座を通して大音量でがなり立てた。

 

 

 

カレーニャ

アンナさんッ!

「聞こえてるんでしょう! 答えなさい! 今のは何!? どんなカラクリ使いましたの!」

「グラスの組成に直接干渉するなんて、あなたにそんな知恵あるわ、け……う゛……」

 

 

 

 ──語尾を失速させよろめくカレーニャ。頭に血を昇らせようにも届けるモノが足りない。

 ──問われたアンナも、虹色の炎の代償に天地を見失い、団長に支えられながら片手で口元を押さえて吐き気に耐えていた。

 ──絞り出せる限りを絞って、後は身を千切る他になく、五臓六腑がうたた寝から叩き起こされるように前触れ無く戦慄(わなな)き続けた。

 

 ──既に全神経が昏睡を決議し、強制執行を始めている。

 ──中枢だけが辛うじて抗い、夢の大海からどうにか顔だけを(うつつ)に漂わせていた。

 ──手足は浮いているようにも鉛になったようにも感じられ、目は霞み、水底からは暖かな夢が優しい光と共に纏わりついてくる。

 ──それでもアンナはまだ沈むものかと喘いでいた。現の(おか)に引き上げたいのは、己が身一つだけでは無いからだ。

 

 

 

アンナ

「ッ……ッハァ……ハァ……」

「だ……って……いつもの炎じゃ……カレーニャ、また真っ赤になっちゃって……傍にいてあげられないって、思って……」

 

 

 

 ──臨界の波をどうにか凌いだアンナが応じる。

 ──震える呼吸に辛うじて乗せたように声はか細く、つい今しがた喉元まで迫ったモノを押し下したばかりで些か焼けている。

 ──そんな声が確かに届いていると、理屈に合わない確信を持ってアンナは言葉を紡ぐ。

 ──そして実際に、カレーニャの食い気味の返答が飛んできた。

 

 

 

カレーニャ

「ンなクッサイ台詞なんざ誰も求めてませんのよ!」

「魔導グラス一つ形にするのにどれだけ技術が居ると思ってますの。やろうと思って出来るモンじゃござあませんのよ!」

「それを何で……何でアナタなんかが……!」

 

アンナ

「ううん。今のが、ボクの答えの全部だよ」

「ただ、精一杯想いを込めて……それで後は、全部このコが手伝ってくれたから」

 

 

 

 ──ずっと胸元で握っていた片手を開くと周囲の仲間たちが思わず小さな悲鳴と主に目を細めた。

 ──先の虹色の星にも負けんばかりに、手の中のお守りが……アンナの座の欠片が光を放っていた。

 

 

 

カレーニャ

「ふ……ざけんじゃ……」

「座が……異界の座まで、私に、楯突いて……!?」

 

 

 

 ──ただカレーニャが認めたがらないだけで、何ら不可解な事では無かった。

 ──魔導グラスを、元々の機能をも超えて遠隔操作するのが異界の座の機能。本人が図書館でアンナに説いた通りだ。

 ──実際にカレーニャは、島を支えるグラス全てを凶器に変貌せしめた。持ち主の望む通りの機能を与える仕組みが、既に座には備わっている。

 ──ここまでカレーニャが魔導グラスで一行に応戦してきた通り、新たなグラス製造を補助する事も座の管轄。

 ──後はグラスを造れる人間が持ち主であれば。要求に見合う程の異界のエネルギーを同調させられる想いがあれば。例えそれがアンナでもカレーニャでも無くとも、必然として同じ結果が導き出される。

 

 ──愕然とするカレーニャの言葉を座が拾い、一行に届けたのを最後に異界の座の動きが止まり、しばしの静寂が挟まれた。

 ──完全に沈黙した訳では無いが、攻撃するような素振りは無い。

 ──座の欠片を再び握りしめたアンナはルリアに呼びかけた。

 

 

 

アンナ

「ルリア。星晶獣を異界の座に近づけて。できるだけ──うんと近くに」

 

ルリア

「は、はい!」

 

 

 

 ──促されるままにイフリートを進軍させるルリア。

 ──その足音に反応するように、座の内部で微かに虹色の光が泳いだ。

 ──黙りこくっていたカレーニャはまだ無事なようだ。すかさずルリアが叫んだ。

 

 

 

ルリア

「カレーニャちゃん! お願いです! もう止めてください!」

「こんなに離れてたって、解ります……今のカレーニャちゃん、もう……ホントに危ないんです!」

 

ビィ

「そうだそうだ! 意地張るのも無茶すんのも人の事言えねえけどよォ、それでも死んじまったらどうにもならねェだろうが!」

 

 

 

 ──愚直に説得を続けるルリアとビィ。

 ──座から返ってきた声は、消え入りそうな気怠い嘲笑だった。

 

 

 

カレーニャ

「フフ……フフ、フフフ……違うでしょう?」

「『貴方たちが』……『ヒロイックに助け出す前に』……死んだらどうにもならない……」

「貴方たちの目の前で、得にもならず死なれるのが……見苦しくて、汚らしくて、不愉快だから止めるんでしょうが……!」

 

ルリア

「そんな事、思ったことなんてありません! ただカレーニャちゃんが苦しそうだから──」

 

カレーニャ

「私の命もッ! 苦しみもッ! 貴方たちに口出しされるためにあるんじゃござあませんのよ!!」

 

ルリア

「そんな……そんなの、お……おかしいです!」

「辛くて重たい心なんて、抱え込んでも良い事なんてありません。皆で分け合って、少しでも軽く──」

 

カレーニャ

「そうやって見向きもせず捨ててきたからそんな事が言えるんですのねぇ!」

「都合の悪い事~~~んぶ!!」

 

ビィ

「ダメだァ……やっぱり何言ってんのか全然わかんねェ」

 

 

 

 ──問答の合間にも黒いグラスが生成される。今度はイフリートの手のひらに収まる程度の大きさの物が複数。

 

 

 

カレーニャ

「人が殺すのは命ばかりじゃござあませんのよ。私はもう何一つ殺させやしませんわ……」

「本当に私のタメになりたいなら、何度も言ってる通りですわ。貴方がたが私のために死ねば良い!」

 

 

 

 ──黒いグラスの群れにルリアが気圧され、操るイフリートの歩みも鈍る。

 ──小さくなった所で、相手は抗うほどに力を増すグラス。複数で来られては対抗策など思いつかない。

 ──アンナの炎に頼る事もルリアの性分が許さなかった。アンナの消耗ぶりは、気絶を通り越してこのままカレーニャのように息絶えてしまうのではと真に思わせるものだった。

 ──しかし、そのアンナがルリアを促した。

 

 

 

アンナ

「止まっちゃ、ダメ……だ、大丈夫だから……お願い!」

 

ルリア

「アンナちゃん!? で、でも……」

 

アンナ

「まだ、造りかけの黒いグラスも、幾つかあるから……カレーニャも、すぐには仕掛けてこない……と、思う」

「それでも襲ってきたら……ボ、ボクが何とかするから……」

 

ビィ

「いや、それよりもアンナがヤバそうだから困ってんだって……」

 

アンナ

「なら……尚更、お願い……」

「ボクが、大丈夫じゃ無くなる前に……ボクをカレーニャのすぐ近くまで……」

「ボクがカレーニャを、助けるから……!」

 

 

 

 ──団長が、最早完全にアンナを抱き抱えた状態で、ルリアの手を取った。

 ──幾つもの冒険の中ですっかり見慣れた、決意の瞳がルリアを真っ直ぐに見つめていた。

 ──言葉はいらない。どの道、アンナの狙いに託す他に打開策も無い。ルリアは強く頷き、イフリートを再び踏み出させた。

 ──大声を挙げた事で目眩を起こしていたカレーニャが、早められない呼吸で意識を繋ぎ直しながらニヤリとほくそ笑んだ。

 

 

 

カレーニャ

「ほォらねェ……結局ヤる事は変わらないんですのよ」

 

アンナ

けど……違うよ……

 

カレーニャ

「あン?」

 

 

 

 ──か細すぎて正確に聞き取れなかった。座の集音機能の精度を上げるカレーニャ。

 ──弱々しく口を挟んできたアンナが今は深呼吸している。その音さえも拾って耳を傾けた

 

 

 

アンナ

「スーー……ハァ……スゥッ……」

カレーニャ! 同じなんかじゃないよ」

 

 

 

 ──両足をイフリートの上に乗せ、胸を張って呼びかけるアンナ。

 ──殆ど、団長が等身大の人形を立たせているような状態だが、それでも懸命に震える足に力を込めている。

 ──カレーニャが反射的に顔を顰めて、即座に集音の精度を下げ直した事は誰も知る由もない。

 

 

 

アンナ

「結局、戦う事になるのは、変わらないかもしれない……」

「でも、カレーニャが思っているような戦いじゃない」

「ボクは、死んでもカレーニャを助ける。でも……ボクが死ぬのは、カレーニャを助けてからだ」

「命の瀬戸際に立ったって、そこに諦めたくない希望があるなら……ボクだって、絶対に戦うのをやめたりしないから……!」

 

 

 

 ──仲間たちがこの世の終わりのような顔を向けてくるのも構わず「死」を口にするアンナ。

 ──聞き届けたカレーニャはと言えば、動じる様子もなく鼻で笑って返した。

 

 

 

カレーニャ

「勿体つけて何を言うかと思えば……」

「それの何が違うってんですのよ。結局、綺麗事で自分の得ばかり押し通そうってハラじゃあござあませんの」

 

 

 

 ──カレーニャはアンナの意図を取り違えている。しかし訂正する気は無かった。

 ──アンナ自身、カレーニャの指摘するような意図が自分に無いとは言い切れないと、そう自覚していた。

 

 

 

カレーニャ

「私、言いましたわよねぇ? 貴方がたのドコに私を邪魔する権利がお有りですのって」

「この島のキレイ好きとどこまでもご一緒の、その思いつきばっかりの正義感ってのは、人の夢に好き勝手狼藉働いてでも叶えたいほど大切で仕方ありませんの? 貴方がた”清い一般人”ってのは!」

 

ビィ

「ムチャクチャ言ってんじゃねェ! どんなにゴタク並べたって、こんな事やって良いわけ無ェだろ──」

 

アンナ

「ビィくん、ゴメン。そうじゃないんだ」

 

 

 

 ──ビィの眼前に手を差し出して遮るアンナ。

 ──その手首から先に力は届ききっておらず、腕自体も老人のように上下に揺れているのを見て、大人しく黙らざるを得ないビィ。

 ──二度三度、呼吸を整えてからアンナが口を開く。

 

 

 

アンナ

「カレーニャ。今までは、ボクが間違ってた」

「カレーニャの想いを、もう絶対に否定しない。正しいとか悪いとか、そんな事は二度と言わない」

 

ルリア

「……えっ、ア、アンナちゃん!?」

 

 

 

 ──思わず耳を疑う一行。ビィだけでなく、この場にいる仲間たち全員の、ここまで来た目的を根底から否定しうる発言だった。

 



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59「アンナと友達」

 ──仲間たちがこれまで戦ってきた根拠を否定しだしたアンナ。

 ──当然、困惑の声が上がり、聞こえていたカレーニャも呆気に取られた。

 

 

 

 

カレーニャ

「な……ハ?」

「だ、だったら、この大立ち回りは何だってんですのよ?」

「私にケチ付けないってんでしたら、とっととお仲間共々地べたに這いつくばって見せなさいよ。デタラメも休み休みおっしゃって!」

 

アンナ

「イヤだ。カレーニャの思い通りにはさせない……!」

 

カレーニャ

「全ッ然わかりませんわ。他に何の謂れがあればこんな真似に出られるってんですの」

 

アンナ

「カレーニャ、覚えてる? 最初に皆で図書館に行く前……」

「カレーニャが、ボクの服の事、良くないって」

「館長さんと初めて会った時も言ってたよ」

 

カレーニャ

「は……? ふ、服……?」

 

 

 

※回想

 

 

 

ドリイ

「まず、図書館には服装についても何点か規則がございます。アンナ様を例とするなら──」

 

カレーニャ

ズバリ!!

 

アンナ

「!?」

 

ドリイ

「──カレーニャ、ここは私がせつ……」

 

カレーニャ

「『本が幾らでも仕込めます』と言わんばかりのババ臭いダボダボの服!」

「頭以外にも容量タップリ見せつけてる無駄にデカい帽子!」

「直接の武器でも無いクセにやたら嵩張る長もの!」

「極めつけに、これから本読みに行くってのにローソク生やす人間があるかってーモンでえ、ござあますわ!!」

 

 

 

 ──図書館、地下二階にて。

 

 

 

館長

「……いや何でもない。それよりその客ってのは……ああ、そこの赤髪の?」

「あ~失礼、お嬢さん。年をとると物覚えが悪くってな。どちらの家の方だったかな」

 

カレーニャ

残念(ずぁ~んねん)、Not貴族の観光客でしてよ」

「入館規定に引っかかるイモいおべべでしたから、この私手ずから仕立て直して差し上げましたの」

 

 

 

※回想終わり

 

 

 

アンナ

「本当は、あんな事言われて、凄く嫌だった」

「大好きなお婆様がくれた服だった。お婆様が、な、亡くなってからも、お婆様を思って、ボク一人で同じ服を縫い続けたんだ。図書館の決まりに合わないのは仕方ないけど、バカにしたみたいに言われるのは、許せなかった」

「だから、これはその仕返し。ボ……ボクは、怒った。から……カレーニャのやりたい事を邪魔してやるんだ!」

 

 

 

 ──言い淀むのは、疲労で舌も呼吸もままならないからだけではない。

 ──隠しきれない建前の色をカレーニャは見逃さなかった。

 

 

 

カレーニャ

「あぁ~らそう? アレやコレやちゃぶ台ぶちかましといて、それは御大層なお題目ですことねぇ──」

「問答で勝ち目が無いからって、お子ちゃまじみた好き嫌いで開き直ってでもブチのめすアテが欲しいってワケ!」

「そんな言い分でよくもまあ猫背を突っ張れたモンですわねぇ。化けの皮ァ丸剥げツンツルテンのバカ丸出しで!」

 

アンナ

「バカだって何だってなるよ! 友達だもんッ!」

 

カレーニャ

「とォも……ん? と……あン?」

 

 

 

 ──素で「何か聞き間違えた」と解釈したカレーニャの気の抜けた声が返される。

 ──アンナはそれ以上答えず、霞む意識と視界に耐えるために歯を食いしばり、強く異界の座を見つめ返している。

 ──カレーニャが何と聞き取ったか。そしてその聞こえたまま、全て相違ない事を、アンナは訳もなく確信できた。

 

 

 

カレーニャ

「いや、黙らないでくださあます? 今なんて?」

「トモダチとか聞こえて……あっ」

 

 

 

 ──自分から口にして、カレーニャはようやく思い出した。

 ──先日の夕食会、宴も(たけなわ)を過ぎた頃、ドリイに強引に引きずり込まれて交わしたやり取り……。

 

 

 

※回想

 

 

 

カレーニャ

「ほら、腹ぁ(くく)る! この程度の同調圧力なんざ生きてりゃ物の数にも入りませんことよ」

 

アンナ

「あ、あの、ボ、ボク……こ、こ、こんな事、しな、く、ても……」

 

カレーニャ

「”オトモダチニナッテクダサイナ”! ハイ返事ィ!!

 

アンナ

「ひっ、は、は、はい!」

 

 

 

※回想終わり

 

 

 

カレーニャ

「いや、え、まさ……ハ、ハァァァあ!?」

「あの茶番いつまで真に受ける気ですの? ここまで何やってきて、今どんな状況か解ってますの? 流石にドン引きでしてよ!?」

 

 

 

 ──心底から予想外だったようで、驚愕と呆れを隠そうともしないカレーニャ。

 ──同時にカレーニャにとっての「友人」という関係の定義が垣間見られた。

 ──仮に”茶番”を交わしたあの時点では互いに友人であると認められたとしても、一連の事件の間にソレは無効となったはずだった。そしてその機会も十分に用意されていた。

 ──団長達にとっての無辜の民を襲撃した時。その牙が団長達にも向いた時。その犯人がカレーニャだと自ら認めた時。図書館職員に存分に恐怖を味わわせてから取り込んだ時。お互いの価値観は相容れないと痛感した時。

 ──そして、どちらかの敗北無くして決して譲らない事を示した時。

 ──これが「友達だと思っていたのに残念だ」なら、カレーニャもまだ合点が行っただろう。

 ──団長やカタリナが剣を取る事を決意した時、そういった感情が無かったとは言えない。

 ──だが、アンナはそれでも言い切った。まだ「友達」だと信じている。しかも、それ故に戦うと言う。子供じみた理屈を堂々と掲げて。

 ──それがカレーニャには全くもって理解できない。

 

 

 

アンナ

「……った……」

「嬉しかった。カレーニャは、魔女としてのボクを見てくれた。女の子としてでも、仲間としてでもない。お婆様の遺した功績も、何も関係なく、ボクを──」

「そして理解して、認めてくれたんだ。ボクのなりたいボクより、今のボクを。立派な魔女になりたくて、それでも自分の事を認められないボクを」

「茶番でも嘘でも、本当に嬉しかったんだ。ずっと……団長さん達が仲間に誘ってくれた時より、悔しいくらいにずっと……!」

 

カレーニャ

「黙ッ……ぐ……ゼェ~……ハァ……」

「……もういい、お黙んなさい! 痒いのよいちいちセリフが!」

 

 

 

 ──怒鳴ろうとした息が、殆ど肺に残ってない事に気づいたカレーニャが一呼吸挟む。怒鳴り返した後も肺病を患った老人のように細く乾いた咳を漏らしながら続ける。

 

 

 

カレーニャ

「大体黙って聞いてりゃ、バカがハジケるばっかで全然説明になってないじゃないの!」

(ワタシ)がオトモダチ? だったら”お下がり”コケにされたなんてチンケな看板で私の邪魔する本音は何?」

「アナタの言うオトモダチってのは、命削り合ってまで自分の正義で叩き潰したい人間の事を言いますの?」

 

アンナ

「”いつか魔法”、を──」

 

 

 

 ──答えかけたアンナがそのまま停止した。

 ──その顔は完全に力を失って目は虚空を向いて静止している。

 ──口元は放っておけば十中八九、唾液を滴らせる形に開かれている。一瞬の油断で睡魔に囚われたようだ。

 ──団長が慌てて揺すって呼び起こした。

 

 

 

カレーニャ

「あ゛んですって? 続きは?」

 

 

 ──その様子を知ってか知らずかカレーニャが急かす。

 ──意識を取り戻したアンナが団長へのお礼もそこそこにカレーニャに向き直った。

 

 

 

アンナ

「……カレーニャが言ってた事だよ。ボクと図書館で一緒に勉強した時。『今度、暇が出来たら魔法の勉強をしてみたい』って」

 

 

 

※回想

 

 

 

カレーニャ

「──ん~、実に有意義な時間でしたわ」

「もうすぐ大きな暇が取れますし、その時にでももうちょっと魔法を齧って見ようかしらね」

「なんたって……こーんな素敵なセンスのカタマリ見せつけられたら黙っていられませんもの♪」

 

 

 

※回想終わり

 

 

 

アンナ

「ボクも、もっともっと、魔法を学びたいんだ。カレーニャと一緒に」

「ううん。今度はボクが教えてあげたい。この図書館で腕飾り(アミュレット)を作った時みたいに。カレーニャが魔導グラスの事、沢山教えてくれたみたいに」

「カレーニャをやっつけたいんじゃない。戦いたくなんかない。でも、カレーニャが夢を叶えたら、カレーニャは独りになっちゃう……それじゃあ、一緒に魔法を勉強できなくなる」

「ボクの本音は、最初からずっと変わってない。出任せなんて1つもないよ。カレーニャに、この空で生きていて欲しいんだ。ボク達と一緒に」

 

カレーニャ

「……あぁもう……も~う沢山……」

「魔法が何よ。そんなモン、こんな空で無くても1人で十分学べるわよ!」

「あんなムチャクチャなノリで言わされた御為ごかしで、私の10年が不意にされてたまるもんか。アンタなんか友達でも何でも無い!」

 

アンナ

「何でも無いなら、これから何かになる。あの時のカレーニャが全部ウソだって言うなら、これから本当にする。今度はボクの方から、カレーニャの友達になって見せるから」

 

カレーニャ

「そもそも友達なんかじゃ無いんだから意地突っ張るだけ無駄だっつってんのが解らないのこのバカ!?」

「アンタに私の友達が務まるもんか。私がアンタを良い気にさせるのは簡単でも、アンタの何一つだって私の得になんてなれないのよ!」

「失ったモノまで満たされてるオマエに、私なんかの必要な物は永久に理解できない!」

 

アンナ

「解ってあげられなくても、何もしてあげられなくても……ボクをあげる事ならできる!」

「カレーニャの救いが見つかるまで、どこに行ったって、どんな辛い時だって、それでも絶対に離さない!」

「だからカレーニャ。このケンカが終わったら──ボクと、友達になろう!」

 

カレーニャ

ケンカから入る友達があるかこの特大バカ!!

 

 

 

 ──カレーニャの怒号と共に、図書館を覆う流氷の如きグラスが被覆面積を増し、周辺の路上や建物をもグラスで包んでいく。

 ──グラスの侵食は見る間に広がり、イフリートの足元へも迫ってくる。

 

 

 

ビィ

「オイオイ……このまま進んだら、イフリートも魔導グラスに飲み込まれちまうんじゃァ……?」

 

ルリア

「ア、アンナちゃん。どど、どうしましょう!?」

 

 

 

 ──イフリートの後退で築かれた更地を埋め立て、グラスは洪水のように、早回し映像の氷の結晶のように押し寄せてくる。

 ──アンナの答えは既に現れていた。アンナの想いの丈に応える座の欠片は虹色の光彩を保ち、包まれた手をも透かさんばかりだった。

 

 

 

アンナ

「進んで……ううん、飛び込んで!」

「ボクの残り全部、どこまで保つか解らないから。少しでも届くように……一歩でも指一本でも、カレーニャの近くへ!」

 

 

 

 ──アンナの声に迷いは無かった。

 ──返答の間も惜しむようにルリアはイフリートを全速力で走らせる事で応じた。

 ──辛うじて倒壊を免れた家屋が全霊の熱気に溶け落ち、路面に灼熱の足跡が穿たれる。

 ──仲間が覚悟を決めたなら、遠慮も恐れも拭い捨てて全てを託す。これまで何度だってそうしてきた。そして解決してきた。

 

 

 

ルリア

「飛びます! 掴ま……気をつけて!」

 

 

 

 ──信じて踏み出す炎の一歩が虹色の氷河に触れるその直前、イフリートの巨体が陸上選手さながらに宙に舞った。

 ──掴まる所もそう多くないイフリートの上で、振り落とされぬよう各々苦心する中、やがて巨人の足がグラスを踏み砕いた。

 ──着地の衝撃、全力疾走の慣性、そして吹き上がる熱波がグラスを押し分け、滑るようにグラスの河を遡上していく。

 

 

 

カレーニャ

「だから何よ。この期に及んで……!」

 

 

 

 ──しかし、既に魔導グラスは星晶獣の炎にさえ押し勝っている。僅かばかりの前進の後、イフリートは足首をグラスに固められ、急ブレーキの反動に煽られながら前方へと大きく傾いた。

 ──同じく反動を受けながらも、どうにか落下を免れた一行が進路を見やると、それでも異界の座とはまだ大分距離があった。

 

 

 

ルリア

「もっと……もっと近くへ!」

 

 

 

 ──アンナの求めに愚直に応じんと、ルリアはイフリートを立たせる事無く、むしろ自ら倒れ込ませる。

 ──星空に伸ばすように両腕を掲げさせ、イフリート全体を架け橋に仕立てようとしている。

 ──しかしこれも中途半端に終わった。

 ──空中に待機する小型の黒いグラス達が一斉にイフリートの下半身に突撃を仕掛けた。

 ──黒いグラスはイフリートに激突するや否や弾け、路面を覆うそれと同室の透明なグラスに変質し、巨体を瞬く間に覆っていく。

 ──イフリートの凍結は胸の下まで一気に進行し、中途半端に傾いた姿勢のまま完全に固定されてしまった。

 ──残った黒いグラス達も後に続き、イフリートを一変の隙間なく閉じ込めていく。団長達さえ飲み込むのに、もう何秒も要さないだろう。

 

 

 

アンナ

「諦め……ない!」

 

 

 

 ──アンナが団長を押しのけるようにして駆け出す。

 ──イフリートの腕はまだ健在だ。これを渡ろうと言うのだろう。

 ──しかし、その一歩目から、アンナの体が崩れ落ちる。

 

 

 

アンナ

「あ、れ……──?」

 

 

 

 ──アンナの足が、始めから飾り物だったかのように膝を折った。

 ──団長に支えられながらも、辛うじて自力で立っていたつもりのアンナだったが、その足腰は既に使い物にならなくなっていた。

 ──足だけでは無い。座の欠片を握っているつもりのその手も、アンナが期待するような握力は残っておらず、ただ形を保っているだけだった。

 ──地に付けた足を踏ん張ったはずが、糸の切れた人形のように抵抗もなく膝が折れ、腕を走るどころか転落確実だった。

 ──海原に揉まれるアンナの意識が、いやに冷静に事態を理解し、存外に小さな無力感を味わいながら眼下に広がる虹色の夢に落ちていく……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

団長(一択)

・「もっと近くへ!」

 

 

 

 ──団長の両腕がアンナを掬い上げ、我こそはとばかりアンナの足となって、血潮そのものの如き星の豪腕を駆け上がった。

 

 

 

 

アンナ

「だ……団長さん……!」

 

 

 

 ──アンナの意識もまた繋ぎ止められた。

 ──仲間として、これ以上も無く信頼を置くその人の全てが、現実とはどこにあるかを再認識させる。

 

 

 

カレーニャ

「しぶ……っといのよ……いつまでも、フラフラしてる……くせに……!」

……フッ……お互い様、だけどね……

 

 

 

 ──怒鳴り散らした反動で益々呼吸を弱めながらも、カレーニャは眉間にシワを刻みながらアンナを睨みつけている。

 ──もう本人にも何故いらぬ力を費やして眉根を寄せているかも解らないでいる。

 ──ただ、尚も諦めないあの魔女が、先に意識の限界に沈むまで、少しでも気を抜くような真似はするなと、心のどこかが吠えていた。

 ──カレーニャが、老い先短いように震える手を弱々しく握ると、突撃待ちのグラスの内2つが、他のグラス達とは全く別の軌道へと飛んだ。

 

 

 

ビィ

「オッシャー、こうなりゃ行けるとこまで行っちまえー!」

 

ルリア

「……アッ! ビ、ビィさん危ないッ!」

 

 

 

 ──1つはビィとルリアの立つイフリートの肩口へ。

 ──咄嗟に気付いたルリアがビィを引き寄せると、グラスはビィの飛んでいた座標を通り過ぎイフリートの体表へ激突する。

 ──しかし弾けたグラスはたちまちに広がり、直撃を免れたはずのビィとルリアをまとめて飲み込んでしまった。

 ──図書館に並び立つイフリートの表面積を覆い尽くすには数を要するとしても、人1人と小動物1匹が相手なら造作もなかった。

 ──事態を理解した時、ビィとルリアは己がプラトニア市民のように取り込まれる事に恐怖するより、先へと進む団長とアンナを案じた。

 ──グラスの中はまるで水中のように体の自由が効いた。取り込む準備は既に万端なのかもしれない。しかしそれはまだ後回しのようだ。グラス越しにイフリートの残る腕を見やる。

 

 ──団長たちはイフリートの手首の上。今や力なく垂れ下がった手の甲に到達しようかと言うその直前で……団長が魔導グラスに足を掬われていた。

 

 

 

アンナ

「だ、団長さん! だん……」

「ウッ……くぅ……」

 

 

 

 ──足首から先がグラスに埋まった団長は、倒れ伏しながらも両腕を差し出し、アンナを少しでも前方へと押し出していた。

 ──団長を案じるアンナだが、手足は震えて自分の身一つ起こせず、平衡感覚まで失い体があらぬ方向へ転げようとする。

 ──黒いグラスがルリア達を狙った時、同じくカレーニャの指令を受けた残り一方は、団長とアンナを狙っていた。

 ──そして団長の脚力は、僅かにこれを回避するに至らなかった。

 ──団長はグラスを砕こうと足掻くが、傷一つ付かない。

 ──そして未だなお、アンナ達から異界の座まではイフリートが直立で一体分の距離が開いている。

 ──アンナがここで団長を救助するために力を使えば、最早次に転じる余力はない。

 ──それでも一か八か、最期の力を振り絞るべきか。アンナは異界の座を見上げるが……。

 

 

 

アンナ

「(だ……ダメだ……ここからじゃ、まだ……)」

「(……違う……ボクが……ボクが、弱すぎたんだ……!)」

 

 

 

 ──目が霞むだけでなく、視界の隅が暗くてよく見えない。。

 ──倒れた拍子に投げ出され、横たわった体が、意思と無関係に代謝を落とす。力だけでなく体温まで失われていくのが感じ取れる。

 ──力を開放するどころではない。ただ祈り、想いの力を繋ぎ止めるのが精一杯だった。

 ──ここまで奮闘し続けて、アンナの身が真に脆弱であったとは、少なくとも仲間は誰一人として思いはすまい。

 ──それでも、アンナがアンナ自身を許せなかった。最後の誤算を覆す、もう一押しだけの力を持ち合わせていれば……。

 ──しかしもう、全力振り絞ったとて、せいぜい手足を2、3度振り回して見せるのがやっとだった。

 ──どこかで巨大な物体が落下し、地響きを立てた。

 ──イフリートの反対側の腕がグラスによる凍結で損傷し、肩口からまるごと地に落ちたのだが、そんな事を確かめる事もままならない。

 

 

 

アンナ

「(あ……グラスが……ボクの足まで来てる……)」

「(団長さん……みんな…………カレーニャ……)」

「(ごめんね……)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

???

マダオワッテネーダロ!!

 

 

 



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60「決着」

 ──カレーニャは異界の座をゆったりと上昇させ、さながら憂鬱な雨空を窓から眺めるような姿勢で座の底面に座り込み、虚ろな目でイフリートを見下ろしていた。

 ──ルリア達がグラスに飲み込まれ、団長が転倒するのを見届けたカレーニャ。

 ──勝利を確信して、戦闘に回していた座の幾つかを体内に回収し、肉体の修復に専念していた。

 ──眼下では団長が今しがた、頭までグラスに浸かった所だ。

 ──既にグラスに飲まれたルリアは団長達に何事か呼びかけ、ビィは内側からグラスを破れないかと体当たりを繰り返している。

 ──戦闘に割いていたリソースを延命に宛て直した分、残るアンナに迫るグラスの侵食は緩慢になっている。

 ──ルリア達をプラトニア市民と同じ地獄に取り込むか否かは、全てがグラスの内に収まってから考えればいい。

 

 

 

カレーニャ

「ホント……バッカみたい……」

 

 

 

 ──座を介した音声伝達も解除し、静寂に包まれた座の中で独り言つカレーニャ。

 ──およそ生命的と言える全ての熱量を限りなくゼロに傾け、そうまでして抗った相手もこれから消え去ろうとしている今、カレーニャの緊張の糸は緩み、とにかく全てが億劫になっていた。

 ──呼吸も手足の痺れも落ち着いてきたが、寒気だけが全身の末端から背骨へジクジクと滲み続けている。

 ──アンナはまだ食い入るように座を……カレーニャを見上げ、意思とは無関係に下がる頭を持ち上げ直し、這うように手足をモゾモゾと動かし、それでも一歩進む事も、僅かに体を起こす事さえも出来ない。

 

 

 

カレーニャ

「このまま……騎空艇に投げ込んで、叩き出して──でも、諦めないんでしょうね」

「……勿体ない……」

「……」

「……アナタが、悪いんだから……」

 

 

 

 ──仮にこの後、地獄に取り込みはしないとしても、始末だけは付けねばならないと結論した。

 ──「悪魔」となった今、カレーニャの行為を良しとしない組織など幾らでも出てくるだろう。逃した団長達が味方を募ったとして、そういった連中が押し寄せる時期が早まるだけで大した違いはない。

 ──しかし、これからアンナの座の欠片を奪還したとて、ここで鎬を削り合った彼らは万一にも、思いも寄らない魔導グラス攻略の糸口を掴んでいるかも知れない。

 ──座の大半を焼き尽くされ、当面は修復と再構築に専念する必要がある。どんなに僅かな危険でも、活劇の悪役みたいに軽んじたりはしない。

 ──だが、彼らの艇に控える連中なら魔導グラスの実態までは知らないはず。このまま放置して、島を発つなら見逃し、挑みかかるなら返り討ちにしよう。

 ──考えをまとめながら、アンナを見下ろすカレーニャ。アンナの足首を捉えたグラスが、そのまま膝まで至ろうとしている。

 ──意識がまだ残っているなら、迫りくるグラスの感触が伝わっているはずだが、アンナは遠目にわかるような抵抗も見せず、すっかり大人しくなってしまっている。

 

 

 

カレーニャ

「フッ……そうなさいな。おねむの時間くらいは与えてあげますわ」

「けったいな根性論は最後まで気に入りませんでしたけど、アナタは──」

「……ん?」

 

 

 

 ──手のひらに収まるほど小さく離れたアンナの体がまだ微かに動いている。

 ──拡大して確認するのも億劫だった。目を凝らすとどうやら俯せのまま、懐の辺りをまさぐっているようだ。

 

 

 

カレーニャ

「寝相……なわけないですわね」

「今更あの炎を出した所で、溶けた分を埋め直すだけだと解らない人でも無いでしょう、し……?」

 

 

 

 ──アンナの体が、少し横にずれた。

 ──それ自体は奇妙な事ではない。足場としているイフリートの腕は、大雑把に捉えれば円筒形だ。バランスを崩せば、今アンナがそうなっているようにずり落ちる。

 ──アンナは既にグラスに足を取られて固定されている。動いた距離は僅かで、イフリートの腕の脇から自らの腕をダラリと垂れ下がらせて止まった。

 ──そして、力なく揺れるその手に何か握っている。どこか見慣れたシルエット。

 ──シルエットが動き出す。ソレが何かを理解すると同時に気付いた。アンナが握っているのではない。ソレがアンナの手にしがみついている。

 ──アンナの腕は、残り幾ばくもも無い力を込めてゆっくりと腿の辺りまで引き絞られ、そして振り子運動を加えて前方へ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──僅かに時を遡る。

 ──敗北を悟り、泥のような夢に沈みかけたアンナの意識は、何故か再び現実へと浮上していた。

 

 

 

アンナ

「(ボク……まだ、起きてる……?)」

「(誰かに呼ばれた気がするけど……)」

「(……ダメだ。頭も体も、石で出来てるみたいで、何も解らないや)」

「(まだ、諦めたくなくて、だから目だけ覚めちゃったのかな……?)」

「(でも、もう、これ以上は……)」

 

 

 

 ──再び瞼を伏せようとした矢先、今度はハッキリと聞こえた。

 

 

 

カシマール

ネボケテンジャネーゾ!

 

アンナ

「んぇ……カ、カシマー、ル……?」

 

 

 

 ──お守り(サシェ)を握る腕に抱えられ、今は伏せるアンナの小脇で押しつぶされているカシマールが藻掻いている。

 ──この親友の声に呼び戻されたのだと理解するアンナ。

 

 

 

アンナ

「あり、がと……カシマール。でも……ボクも……みん、なも……もう……」

 

 

 

 ──親友の激励に辛うじて応じるアンナ。

 ──しかし、もう舌を動かすだけでも苦痛だった。感謝に続く言葉には謝罪しか引き出せそうにない。

 

 

 

カシマール

「マダオレサマガイルダローガ!」

 

アンナ

「え……?」

 

カシマール

「サンザンヒトノナマエマチガエテクレヤガッテ──」

「アキラメルナラ、オレサマガイッパツブンナグッテカラニシロッテンダ」

 

アンナ

「……」

 

 

 

 ──動機はどうあれ、カシマールだけはまだ諦めていない。諦めざるを得ない理由も無い。

 

 

 

アンナ

「で、でも……カシマール1人じゃあ……」

 

カシマール

「ヒトリジャネーダロ」

「アンナノオモイハ、オレサマノオモイダ!」

 

アンナ

「……!」

 

 

 

 ──体に僅かに、熱が戻ってくるのを感じる。胸元の、ただその形に固まっただけの拳に力が蘇る。

 

 

 

アンナ

「じゃあ、さ。カシマール」

「カシマールも、このケンカが終わったら──」

「カレーニャと、仲良くしてくれる?」

 

カシマール

「アタボーヨ!」

 

アンナ

「フフ……ありがとう、カシマール」

 

 

 

 ──今度の「ありがとう」に続きは要らなかった。

 ──拳を解き、お守り(サシェ)から座の欠片を取り出す。

 ──幾らかの香料を溢しながら、手に取った欠片をカシマールに近づけると、カシマールの口の縫い目がひとりでに解け、欠片をパクリと飲み込んだ。

 ──身を捩って反対の腕を宙に垂らす。その手の先をカシマールが()()()と掴んでいる。腕を後方に引き絞り……。

 

 

 

アンナ

「ボクの……団長さんの……ルリアの、ビィくんの、カタリナの……ドリイさんの想い……」

お願い、カシマール!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──時間軸が合流し、カレーニャの眼は投げ出されるカシマールの姿を捉えた。

 

 

 

カシマール

ワッショーイ!!

 

 

 

 ──宙を舞うカシマールが一声かけると、その体を虹色の炎が包む。

 

 

 

カレーニャ

「異界の座を、捨てた!?」

「いや……座の力を、他人に寄越すなんて……!」

 

 

 

 ──来る事は想定していたはずの七色の閃光に、しかし竦むように身を強張らせるカレーニャ。

 ──眼下に輝く光景は、それはカレーニャには到底理解し難い光景だった。

 ──登録されているのがアンナだろうと、異界の座からエネルギーを引き出そうと、カシマールが何者だろうと、座の欠片は今アンナの手を離れ、別人のカシマールが所持している事になる。登録者の特権は働かない。

 ──ならばカシマールに操れる機能は、カレーニャが登録したグラスへ働きかける事。異界のエネルギーを単に抽出させる事。この二点。

 ──意のままにグラスを操る事も、エネルギーを別の姿へ転換させる事も、然るべき技術を心得なければ特権なくして実現たり得ない。そのはずだった。

 ──だのに虹色の炎は柱となって今も際限なく膨れ上がり、図書館の全高にまで迫りつつある。それはつまり……。

 

 

 

カレーニャ

「何で……何でアンナさんじゃなくアナタが……アナタがそれだけの『想いの力』を……」

「何でアナタに、そんな真似ができるのよ……カシ……ヒィッ!?」

 

 

 

 ──炎の塊がドオンと激しく爆ぜ、思わず眼を背けるカレーニャ。

 ──恐る恐る視線を戻すと、そこには図書館より高く、異界の座より更に上空からカレーニャを見下ろす、巨大な虹色のカシマールが立ちはだかっていた。

 

 

 

カレーニャ

「な……何よ、コレ……ふ、ふざ……ふざけて……」

「ッ! ア、アア、アンナさん!!?」

 

 

 

 ──しばらく唖然と見上げていたカレーニャは我に返り、再び座の全てを戦闘に配分させ、音声伝達を再開し、拡声器のように響かせてアンナに呼びかけた。

 

 

 

カレーニャ

「今度も何か……何か、仕掛けてるんでしょう!?」

「有り得ませんわよ! あなたがどれだけ必死こいてても、あなただけの想いを、他所に手放すなんて出来る訳が……ちょっと、聞いてま……な、なんかッ、なんか言いなさいよ!?」

 

 

 

 ──アンナの答えは無かった。

 ──再び戦闘に特化した座の影響でグラスの侵食は再び急速に進み、既にアンナは顔を残して全身をグラスに包まれ、死体ともつかぬほど脱力しきった姿勢のまま固まっていた。

 ──意識を失ったのではない。少なくとも、今はまだ。

 ──ただ祈っていた。カレーニャの声を聞き届けて応じたい気持ちよりも、一層強く祈っていた。

 ──この祈りが力となって異界の座に届く事を。この想いが強いほど、仲間たちが同じだけの想いをカシマールに託してくれている事を。

 ──何より、この瞬間が、決して夢ではない事を。ここまで追い縋って来た自分が、心に見出した自分が、全てカレーニャと同じ現実を生きている事を。

 

 ──弓を引き絞るように振りかぶった巨大カシマールの腕から、虹炎(プロミネンス)が舞い踊る。

 ──カシマールの体表を構成する炎達が流動し、美しい波紋を彩りながら腕へと集約していく。

 ──プロミネンスから光冠の如く、熱とも呼べない温もりを伴った光の波動が辺りを照らしていく。

 ──グラスから異状を共有するカレーニャが困惑の声を漏らした。

 

 

 

カレーニャ

「溶けてる……魔導グラスが、こんな、簡単に……修復が追いつかない……!」

 

 

 

 ──光の波動が、周囲の魔導グラスを洗い流すように溶かしていく。

 ──図書館は厚いグラスの外殻を脱ぎ去り、内外の魔導グラスが窓一枚まで残らず液状化して溢れ、路面へ流れ広がった。

 ──イフリートを覆うグラスも溶け落ちていく。ルリアとビィが這い出して水面から上がるように息を吐き、星晶獣の腕から落下しかけたアンナを団長が抱き上げた。

 

 

 

カレーニャ

「う、ウ、うゥう、うぅ……」

「う嘘よッ! こんなの嘘よッ! 何で、何でこんな、ここまで来て……せめてっ!」

「せめてアンナさんがスジってもんでしょォッ!?」

 

 

 

 ──叫び散らす内にも再び黒いグラスを生成するカレーニャだったが、作るそばから魔力の塵となって消えていく。

 ──何故こんな力が出せるのか。カレーニャの中に仮説はあった。至ってご都合主義な仮説が。ずばり「想いの力は共有され、合算される」。現実に起きている以上、嫌でも考えついてしまう。

 ──異界のエネルギーが自ら役目を求め、在り方を変えるほどにまで感化させる……それほどの想いがあれば技術は不要と、アンナの虹の炎が既に実証している。

 ──アンナが座を手放す直前になら、同じくグラスである座自身の機能を、座の力で書き換える事だって不可能ではない。

 ──アンナの最後の火種を頼りに、グラスが想いの供給先を拡張。仲間達の想いを座に集約したか。

 ──さもなくば、元より想いの力は、個体を超えて集結し合えるのか。

 ──それともよもや、カレーニャが見くびっていただけで、カシマールの身一つの赤心が、これほどの形となったとでも言うのか。

 ──在り来たりな言葉に直せば、あるいは「絆」。あるいは「愛」か。虫唾が走る。断じて認めない。論拠など無い。私見だ。精神論を感情論で断じて何が悪い。

 

 

 

カレーニャ

「(そんな結末、あってたまるもんか! そんな生ぬるい理屈があるなら、こんな事になんてなるもんか!)」

「(だってそうじゃないの……気持ち1つで無限に力が出せるのなら……そんな奇跡が起こせるなら……!!)」

私達の夢が、一度だって敗ける訳無いじゃないのォッ!!

 

ギガント・カシマール

メェサマシテヤンヨ!

 

 

 

 ──カシマールの腕が、異界の座めがけて突き出される。

 ──プラトニア全土から轟音が鳴り響き、各所の地盤が広く深く陥没した。

 ──カレーニャの要請に応じ、掛け値なしに島中の魔導グラスが集結し、座の防壁となった。

 ──上下水道を始め地下に敷設された魔導グラスまでも引きずり出され、穴だらけになった地面が相互に潰れ合ったのだ。

 

 ──質量でも硬度でも、導き出せる限り最高の守りを顕現させた異界の座だったが、カシマールの拳は砂の城を進むが如く易々と突き進んでいく。

 ──そも、相手は魔導グラスの根幹を溶かす炎だ。対抗するなら、溶かされながら新しくグラスを造るより他ない。であれば、後は造る事と壊す事。どちらが容易いかに尽きる。

 ──見る間に即席の防御は貫かれ、座をも溶かしてカシマールの手が迫りくる。

 

 

 

カレーニャ

(ワタシ)が……私が、負ける訳、無い……のよぉ……!」

「守るんだから……私だけが……私の夢、オブロンスカヤの……」

「夢を……夢……だけは……絶対に、私……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「が……至らない、ばかりに……」

 

 

 

 ──その視界に虹色のうねりしか見えなくなった時、少女は喉を掠れさせながら自らの顔を両手で覆った。

 ──間を置かずに炎の腕がカレーニャを包み込み、異界の座は内側から虹色の滝となって、プラトニアに降り注いだ。




※ここからあとがき

 ギガントカシマールに「デイスター・ブレイズ」なんて技名も考えてあったのですが、名乗らせる機会を見失いました。


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61「OverGlass Dreamer」

 ──異界の座の防壁を突き進む炎のカシマールは、徐々にその体を縮ませていった。

 ──渾身の一発がカレーニャに届く頃には、突き出した腕のサイズはそのままに、体は最初に出現した時の半分ほどしか無かった。

 ──そのまま体が腕に吸い込まれるかのように形を崩し、異界の座をほぼほぼ溶かした今では腕の影も無く、僅かに残った座の残骸を、虹色の残り火を燻らせながらゆっくりと溶かしていた。

 

 

 

ビィ

「か……勝った、のか……?」

 

ルリア

「だと、良いんですけど……」

 

 

 

 ──座を砕かれても、心を折られても、命を削ってでも抗い続けたカレーニャが相手だけに、未だ勝利を信じきれない2人。

 ──そんな2人に、イフリートの腕の先に立つ団長の声が届いた。

 

 

 

団長(選択)

・「アンナから伝言ー!」

・「このままイフリートを図書館の前へ!」

 

→「このままイフリートを図書館へ!」

 

ルリア

「ふえっ!? は、はーい、わかりましたー!」

 

 

 

 ──まだ辛うじて底面の一部を残す異界の座を警戒しながら歩みを進め、ルリアはイフリートを図書館に隣接させた。

 ──もう、地表にもイフリートにも、そして図書館にもグラスは欠片も残っていない。

 ──否、よく見れば、図書館の窓を形成していた魔導グラスがいつの間にか綺麗に収まっている。

 ──イフリートが歩いた地盤も、陥没後の歪さを残しながらもしっかり紅蓮の巨人を支えていた。

 ──いずれも、それに気付いたとて疑問に思える程にルリア達に洞察力は残っていない。

 

 ──彼らには知る由もないが、全ては魔導グラスに組み込まれた仕様である。

 ──殊に公共設備のグラスは、己の形状と設置された座標を記憶している。そして「記憶された座標と異なる場所に居る」、「体積を損なっていない」。この条件を満たした時、独自に記憶した座標へと「帰巣」し、かつての形状へ「再生」する機能がある。

 ──定期点検や改修を終えての再設置の手間を削減するものである。これで工事の頻度と、それに伴う事故と、インフラ停止被害と、そして関係企業の収益が大きく減少した。

 ──もちろん、最たる目的はカレーニャが島を取り込んだ後、襲撃に駆り出したグラスの管理と回収を簡略化するためのものである。

 

 ──加えて、これもまだ一行の知る所ではないが、既にぽつぽつとプラトニア市民が気を失った状態で街に復活し始めている。

 ──こちらは仕様の副産物だ。

 ──取り込んだ住人は、グラスを介して異界の座に送り込まれる手はずだった。

 ──しかし座が沈黙した事で、座に取り込まれた住人らは緊急措置として残存するグラス達へ差し戻された。他ならぬカレーニャ自身がグラス取り込みを活用して移動するのだからして、欠かせないセーフティだ。

 ──そのままグラス達は異界の座の統制下から解き放たれ、気体化・液状化など各々の手段で在るべき座標へ帰巣し、在るべき形態に再生する。

 ──アンナの想いの炎は、「一時的に」元の形と役割を損なわせるに過ぎない。「一時」を過ぎて、既に全ての既製品は帰巣と再生を始めているのだ。

 ──そうなれば、内部の「不純物」はどこかで排出せねばならない。しかも魔導グラスは融通をきかせるのが得意だ。相互に再生の障害にならない様な場所を選ぶ。

 ──結果として市民達は、周囲のグラスに干渉しない開けた場所、図書館などの屋内に再構成して放り出されているのだ。

 

 ──つまり、今度こそ、異界の座の猛威は完全に停止した事を意味している。

 

 

 

 

ルリア

「このくらいで良いですかー?」

 

 

 

 ──ルリアが確認を取ろうと、突き出されたままの腕の向こうに呼びかけると、団長に抱かれるアンナの影が急に大きく動いた。

 

 

 

アンナ

「カレーニャ!!」

 

 

 

 ──叫ぶなりアンナは、自身を抱きかかえていた団長を押しのけるようにしてイフリートの腕に降り立ち、そのまま前方の空間へと勢いよく飛び込んだ。

 

 

 

ルリア

「はわっ! アンナちゃん!?」

 

ビィ

「お、おい、アンナが飛び降りたぞ!?」

 

 

 

 ──先程まで起き上がる事もままならなかった体のどこにそんな力が残っていたのか。飛んだ先はちょうど異界の座の真下に位置している。

 ──ルリア達がアンナの行動に悲鳴を上げたその直後、異界の座から人影が落下し、アンナの影と重なった。

 ──カレーニャだ。どうやら気を失っているようだ。

 

 

 

ルリア

「アンナちゃん、カレーニャちゃんを助けるために……!」

 

ビィ

「つってもかなり高さ有るぞ! このままじゃ2人ともヤベェ!」

 

 

 

 ──先の激戦、図書館の屋根部分は消し飛び、屋根裏部屋が露出し、屋根裏部屋の床板もまた、グラス塊の絨毯爆撃に晒され、もはや二人を受け止めるのはただの瓦礫置き場である。

 ──仮に命に別状のない落差だったとしても重傷は免れないし、折れた建材でも転がっていれば致命傷になり得る。よしんば無事な床に落ちたとしても、どちらかがどちらかの下敷きにでもなれば絶望的だ。

 ──イフリートでキャッチするには、今回は落下距離が短すぎる。一瞬で、自由落下を超える速度で安全に、というのは無理がある。

 ──団長も押しのけられた事で事態を把握するのにワンテンポ遅れた。今から飛び降りても後追いにしかならない。

 ──ルリアが目を覆い、アンナは折れた梁の刺々しい断面が迫るのが見えて、腕の中のカレーニャを祈るように強く抱きしめた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

???

間に合えェーーーーーッ!

 

 

 

 ──心強さを呼び起こす聞き慣れた声と共に、瓦礫の隙間から人影が飛び出し、アンナ達の真下に飛び込んだ。

 ──人影が勢いそのままに、スライディングでアンナ達の真下に伸びる梁の残骸を蹴り付け角度をずらす。

 

 

 

ルリア

「カタリナ……ッ!」

 

ビィ

「今の声、姐さんだよな!? やったぜ、無事だったんだな!」

 

 

 

 ──自らの身体と、その上に纏う鎧とで二人分の質量を受け止めたカタリナが、受けきれなかった衝撃に咳き込みながらアンナ達を気遣った。

 

 

 

アンナ

「カ、カタリナ……!?」

 

カタリナ

「ゲホッ、ゲホッ……間一髪だったな。怪我はな……ぶっ!?」

 

 

 

 ──遅れてカシマールが降ってきて、カタリナの顔に覆い被さった。

 

 

 

カタリナ

「ぷはっ……ハハッ、やれやれ。折角の見せ場だったのに格好がつかないな」

 

 

 

 ──顔の上のカシマールを拾い上げ、アンナに返すカタリナ。カシマールは()()()1つ無くピンピンしている。

 ──2人を床に移しながらカタリナは、己を案じてくれていた仲間達へ手を振って無事を示した。

 ──イフリートを伝って屋根裏に降り立ったルリアが、満面の笑顔でカタリナに抱きついた。

 

 

 

ルリア

「良かった……カタリナ……!」

 

カタリナ

「あ、ああ……。ただ、流石に無傷とまではいかなくて……すまんルリア、ちょっと痛い……」

 

ルリア

「はわっ! ご、ごめんなさい!」

 

ビィ

「ルリアの力でもイテェって、どっか()()()ちまったんじゃねえか…?」

「姐さん、そんな体でよく飛び出せたな……」

 

カタリナ

「ついさっき、自分の無事に自分で驚いていた所だよ」

「体の具合を確かめる前にアンナ達が降ってくるのが見えて、後は無我夢中で──」

「そうだ! それよりアンナ。カレーニャの方は? 状況からして、今度こそ勝負は……」

 

 

 

 ──言いながら、自らの鎧に留めたマントを乱暴に取り外すカタリナ。

 ──カシマールの炎で中途半端に溶け落ちたカレーニャは、体こそ無事だったが、服を構成していたグラスが殆ど溶け、裸同然だった。

 

 

 

アンナ

「ボ、ボクの座の欠片をあげられれば良いんだけど、カレーニャが起きてくれないと、どうにも……」

「(結局、少しも傷つけないのは、無理だったなぁ……でも……)」

 

 

 

 ──カタリナからマントを受け取りながら、アンナはカレーニャの髪をそっと撫でた。軽く、細く、滑らかで、これがガラスで出来ているとはとても信じられない。

 ──服は諦めても、髪だけは残してあげなければと思っていた。

 ──そして、マントで身を包んでやろうとした時……。

 

 

 

カレーニャ

「お気遣いなく……」

 

アンナ

「ッ! カ、カレーニャ、目が覚めたの!?」

 

 

 

 ──力無くカレーニャが声を上げた。目は開かれているが、ぼんやりと空を見上げている。

 ──驚きと歓喜の声をあげるアンナ。ルリアも乗り出すように身を寄せて来た。

 

 

 

アンナ

「カ、カカ、カレーニャ、大丈夫!? 苦しかったりしない!?」

「あ、あの、ボボ、ボクの『異界の座』がまだ残ってるから、これで、少しでも、その──!」

 

カレーニャ

「あなたの方が一杯一杯じゃござあませんの。それこそ無用ですわよ」

「情けない話ですけど、やられる前に無意識に座の残りを幾らか体に取り込み直しちゃったみたいですの。人並みの活動するくらいなら差し障りませんわ」

 

アンナ

「よ……良かったぁ……本当に……」

 

カレーニャ

「それに、最初から失神も亡くなりもしてませんから、目醒めるも何もござあませんわ。この体にそんな非効率的な機能は付けてませんもの」

「さっきまでノリに任せて無茶してたから、力ぁ抜いたら指一本動かせなくなってただけで──」

「……って、だから、もうそんな施しは結構だと……」

 

 

 

 ──話している最中にもマントを着せようとするアンナに抗議するカレーニャ。

 

 

 

アンナ

「で、でも、幾ら何でもそんな格好じゃ……」

 

カレーニャ

「もうどうでもいいんですのよ……それに、そんな手で本当に人様のお召し替えなんてできますの?」

 

 

 

 ──アンナの手首は愛玩犬のように震え、腕全体の挙動もフワフワとして頼りない。

 ──先ほどカレーニャを助けに飛び降りた底力も抜けきり、マントさえ重たいかのように、今にも取り落してしまいそうな様子だった。

 

 

 

アンナ

「こ、このくらいなら、何とか……」

 

カレーニャ

「『何とか』で着せかえ人形にされる方は堪ったモンじゃござあませんのよ」

 

ルリア

「じゃあ、私がやります! ケッコウでも何でも、勝手にやっちゃいます!」

 

カレーニャ

「ハァ……どいつもこいつも。もう勝手になさいな」

 

 

 

 ──観念したのか、ため息1つついて大人しくなるカレーニャ。

 ──その態度は徹頭徹尾、気怠げで、他人事のようで。

 ──これが戦いの後で無かったなら、そのままフラリとどこかへ消えてしまいそうだった。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ。今言った、『もうどうでもいい』とは……」

「『どう言う意味』だ」

 

カレーニャ

「……──」

「……どう言うって? どの辺の意味が解らないと?」

 

 

 

 ──ルリアが着付けを終えたのを見計らって、カタリナが口を開いた。

 ──空気が冷え込むのを感じ狼狽える一行。その声は冷たく低く、強くは無いが確かな怒りの類を感じさせた。

 ──カレーニャは尚も虚ろに空を見上げて、鼻で笑った。白々しいとでも言いたげに。

 

 

 

ルリア

「カタリナ……?」

 

カタリナ

「君よりは長生きしているからな。今の君のような言葉を私は知っている」

「服は要らない。食事は要らない……。手当ては要らない。情けはいらない──もうどうでもいい」

「聞き慣れているよ、そんな言葉は。イヤというほどに」

 

ビィ

「お、おい、まさか……」

 

 

 

 ──皆が思い思いの困惑を浮かべてカレーニャを見た。

 

 

 

ルリア

「カレーニャちゃん! えっと、その……その、ダ、ダメです! えっと……は、早まっちゃ……?」

 

カレーニャ

「ご心配なく。もう、残りの座じゃぁ悪あがきする程の出力も残ってませんわ」

 

カタリナ

「そんな事、もう誰も考えちゃいないさ」

「あくまで本気でそう思っていると言うのなら……皆が君に何を感じているか。しっかりと説明しようか?」

 

カレーニャ

「そーゆーのが『もういい』って言ってる事、解ってて仰ってるくせに」

「あなた方こそ、一握りも無い命しか残って無い私に、そんなツラ見せつける権利があると本気で思ってるんですの?」

「思ってンなら、それこそ懇切丁寧に説明したげてもよろしくってよ。立場ってものを」

 

 

 ──上体を起こし、アンナの腕を離れて自分の力でその場に座り直すカレーニャ。

 

 

 

カタリナ

「確かに、私達は君の夢を奪い去った。10年費やした切り札も、体を作り変えた利点すらも。しかし──」

 

カレーニャ

「ハンッ……ほんっとーに解って無いんですのね。バカのやる事が正解だなんてお話の中だけかと思っていたのに……」

「ああ、そうね。皆がバカのまま生きるのが理想って事にしたいから、だからバカばかり正しい事にされるって、そういう事ね」

 

ルリア

「カ、カレーニャちゃん……何を言って……?」

 

ビィ

「もしかして、負けたショックでどうかしちまったんじゃ……?」

 

 

 

 ──独り言ちては冷笑を浮かべるカレーニャに困惑する一同。

 ──アンナがカレーニャの手を取った。カレーニャの笑みが消え、感情に乏しい目がアンナを射抜く。

 

 

 

アンナ

「ボク達が……勝ったから……だよね?」

「カレーニャの、お祖母さん達のための想いに、ボク達が勝ったから……」

 

カレーニャ

「……」

「……当然だったって事よね。どうせ」

「だって、正しいんですものね。立派なんですものね」

「ヘッ……私の捻くれた10年より、あなた達の、降って湧いた、バカ丸出しの想いの方がよっぽど……バカバカしい」

 

ルリア

「そ、そんな事……」

 

カレーニャ

「人が世の中の仕組みって物を理解してやってんですのよ。否定してもらうの前提な『僻み』と一緒にしないでくださあます?」

「想いの丈にだって、質だの良し悪しだの貴賤がある。そうでなくて他に何の説明が付きますの」

「人殺しのための想いなんて、昨日今日立ったばかりの正義感に比べたら、10年集めて固めたって、一欠片にも届きやしない」

「フフ……ククク……そうして何もかも燃え尽きて。この島だって何日もすれば元通りで。全部片付いて世はなべて事もなし。そしてこの上、退場した悪党絞りカスの私に何をやらせたいってんですの。ねえ?」

「土下座? 改心? キラッキラのお目々で感涙しながら『ホンットーのホントーに大切な物が、貴方様がたの中にこそ在るのだと大悟いたしました』と? 台本なら幾らでも用意ができましてよ」

 

 

 

 ──手放してはならないものを振り切った、ニタニタと浮ついた顔がルリア達を睨めつける。

 ──アンナは何とも言えない顔で視線を落とし、両手に取ったままのカレーニャの手を、震えを増しながら強く握った。

 ──傍らのルリアの背すじが急速に冷えていった。

 ──あくまで面白い物を見るかのようなカレーニャの絶望的な笑顔が。自分たちがカレーニャをこうしたのか、どうあってもカレーニャに勝つという事はこんな結果しか呼ばないのかという恐怖が。目を逸らす事すら許してくれない。

 

 ──しかし、アンナの隣にカタリナが割って入った。何かを堪えるように、その顔に表情は無かった。

 ──カタリナは静かに膝を突き、カレーニャの顔に片手を添えてこちらを向かせ、もう片方の腕を伸ばすと……

 ──パァンと盛大な音を立てて、強く、カレーニャの頬を張った。

 

 

 

カレーニャ

「ッ……ク、フフ……」

 

 

 

 ──咄嗟にアンナが支えなければその場に崩れ落ちていた。否、アンナが一緒に崩れ落ちて間に挟まったから倒れては見えないだけか。

 ──ともあれそんな一発にも、カレーニャは粘着質な笑みを崩さない。

 

 

 

アンナ

「カ、カタリナ……!?」

 

カタリナ

「……」

「叩いたくらいじゃ解らないとは、可愛い所もあるじゃないか」

 

カレーニャ

「……あぁん?」

 

 

 

 ──冷ややかに、しかし聞き捨てならないとでも言いたげにカレーニャが食いついた。

 ──カタリナの顔は、少し意地悪そうに、しかし穏やかに微笑んでいた。そしてすぐに厳しい顔つきに変わる。

 

 

 

カタリナ

「まず1つ。想いの力だけが勝敗を分けたなんて思っているのは、君だけだ」

「自慢するつもりは無いが、これでも私達は幾つもの危険を乗り越え、星晶獣のような相手とも生身で渡り合って来ている」

「その私達が、守り切れない犠牲に目を瞑り、使いたくもない手段に出て、死力を尽くしてようやくここまで漕ぎ着けたんだ」

 

カレーニャ

「そんなとっくに解ってる事実が何だと? そうさせたのが、あなた方の──」

 

カタリナ

「君に負けない、それだけのためにだ。星晶獣のように島1つ沈める力に、10年費やしてやっと届いた程度の君にだ。ドリイ殿さえ手放してたった独りの君にだ」

「我々は、そのドリイ殿の手助けを受けて、やっとだぞ」

「君という奴は、君に生み出せる(ささ)やかな力1つで、この島の全てに勝利してみせた」

「君に敗因という物が本当にあるとするなら、それは精々、君が力の使い方を間違えた事だ」

「良い悪いじゃない。偶然、我々の気に入らない使い方をして、限界を超えてまで我々に意地を張らせてしまった。それだけだ」

 

カレーニャ

「……何が言いたいと──」

 

 

 

 ──スッとカレーニャの顔から笑みが消えた。向き合う価値も無いとばかり煩わしそうに首をだらりと降ろし、続けて低く何か口走ろうとするが、ビィの声に遮られる。

 

 

 

ビィ

「そ、そうだそうだ!」

「島の連中が襲われたりしなかったら、俺達だってもっとトンでもねぇ仲間一杯引き連れて来れたんだぜ!」

「それにオマエの言ってる想いの力って、アンナの異界の座の事だけじゃねぇか。オイラ達の頑張りを無視すんなってんだ!」

 

ルリア

「カレーニャちゃんの魔導グラス、本当に星晶獣にも負けませんでした。凄くないわけ無いです!」

 

 

 

 ──2人にはカタリナの言葉が何を成そうとしているのかは見通せていない。

 ──しかし、それがカレーニャを立ち直らせるための言葉だろうと信じたビィとルリアは、とにかくその勢いに乗っかった。

 ──見ればカレーニャは、僅かながら震えるように口元を歪め、眉根も痙攣するように動いている。良い予感が全く無い。それでも幼い二人には、我武者羅に現状を払拭しようと足掻くのがやっとだった。

 

 

 

カタリナ

「敢えて率直に言わせてもらうなら、君の想いが賤しいだ等と、憎まれ口も大概にしてくれ」

「本物の想いが、島1つと私達とを相手取り、10年かけて戦い抜いた泥仕合だ。負けたからって君本位の『僻み』で扱き下ろされてはこちらも堪ったものじゃ──」

 

カレーニャ

「……っけんじゃないわよ」

 

 

 

 ──ドス黒い声だった。伏せられた顔色は伺えない。

 ──ルリアとビィが一歩引くように身を強張らせた。何が……どれが癇に触れたかは解らないが、逆効果だったとしか思えない。

 ──二人が思わず縋るようにカタリナを見ると、頼りの大人は険しい顔で、一片の狼狽えも無く、カレーニャの次の言葉を待っていた。

 

 

 

カレーニャ

(ワタシ)はね……夢なのよ。オブロンスカヤの……」

「お祖母様の、お父様の、最期の願いに相応しい、そんな私になるために生きてきたのよ! 全部……全部ッ!」

「家族の願いと、私の想いと、その2つ掛け合わせて今のこのザマで、それで私が『本物』だったってんなら、あと何がダメだったって言いたいのよ!! え゛ぇッ!?」

 

 

 

 ──カレーニャの噛みしめた歯の間から、唸り混じりの荒い呼吸が漏れている。

 ──周囲はカタリナとカレーニャとの間で目を泳がせる事しか出来ない。ルリアに至っては、いっそカタリナを止めてどこかへ引き下がらせでもしたいのか、手を半ばまで上げては下げてしている。

 ──たっぷり一呼吸置いてカタリナは、カレーニャが自ら悟る様子はなさそうだと判断し、口を開いた。

 

 

 

カタリナ

「では、もう1つだ。自分や誰かの落ち度ばかり欲しがるんじゃない。それこそプラトニアと同じ轍を踏むも同然だ」

 

カレーニャ

「質問に答えなさいよ!」

 

カタリナ

「もう答えてる。『それは精々、君が力の使い方を間違えた事だ』」

 

カレーニャ

「最高傑作まで焼き払っといて、この上どんな使い方があったって言うのよ!」

 

カタリナ

「いつ私が『君の力』が魔導グラスだなんて言った!」

 

カレーニャ

「な……、ハァ……?」

 

 

 

 ──訳が分からず言葉に詰まるカレーニャに、見る見る顔色を悲痛に染めながらため息を1つ吐くカタリナ。ここまで精一杯に厳しさを繕い、そして今、限界を来したらしい。

 

 

 

カタリナ

「なあ、カレーニャ。これは、君にしか確かめようの無い事だ。よく聞いて欲しい」

「君自身が、君の愛する人達の想いから遠ざかってしまっている。戦いの最中、私はそう言おうとしたのを覚えているか」

「憶測故に、これだけは聞きあぐねていたが……」

「どうあっても諦めなかった君の寄る辺……ご家族の最期の言葉は、本当に、君が聞いた通りで全てだったのか?」

 

カレーニャ

「し……知りもしないでケチ付けようって──」

 

カタリナ

「私なら!」

 

カレーニャ

「!?」

 

 

 

 ──まるでマフィアの恫喝のような、突発的に腹の底から突き上げる声に、思わず身を強張らせるカレーニャ。

 

 

 

カタリナ

「私なら……今際の際に、大切な人に言葉を遺せるのなら……自分と同じ苦難を歩ませるような言葉は、絶対に言わない」

 

ルリア

「カタリナ……?」

 

カタリナ

「カレーニャ、君の言う通りだ。私は君について、アンナとドリイ殿から伝え聞いた事しか知らない。だから、全てを知る君の答えを聞かせて欲しい」

「君の聞き届けた願いは──愛する人から愛する人へ命からがら絞り出したその言葉は、君に同じ道を歩めと、心からそう望むものだったのか」

 

カレーニャ

「そ……──」

「そ……れ、は……」

「ぅ……ぅぅ゛~~~……」

 

 

 

 ──アンナに握らせていた手を引き剥がし、蹲って頭を掻きむしるカレーニャ。パリパリとか細い音を立てて、髪の毛を構成しているグラスが砕けていく。

 ──アンナが血相を変えて、引ったくるようにカレーニャの片手を取り直した。飛び散り消えていく髪が、幾度も打ち砕いた異界の座を想起させた。

 

 

 

カレーニャ

「…………だか、らって……だったら……だからってぇ……」

 

 

 

 ──頭を掻く手が一本減った事にも気付かないまま、どうしても何かが納得いかない様子のカレーニャ。カタリナがその理由を察して言葉を続ける。

 

 

 

カタリナ

「語りきれる状況では無かった……聞き取れなかった言葉も有るかも知れないのだろう?」

「だが、もし君の解釈が違ったとして、今の君には真意に気付けないでいる。そんな所か」

「……これも憶測だが……」

「私が君のご家族と同じ立場なら……正直、君に魔導グラスを受け継いで欲しいとは思わない」

 

カレーニャ

「ッ!? バカ言わないで! 魔導グラスは誇りなのよ! 私の……オブロンスカヤの!」

「魔導グラスは希望で、力で……! お祖母様達が、無駄死にで終わる事を望んだとでも言いたいの!?」

 

カタリナ

「だが実際はどうだ。人々を増長させ、創造主の命を擦り減らし、親類縁者までも巻き込んだ」

「どんなに便利で素晴らしくても、幼い頃の君にまで累が及ぶようなものを……他の誰かに背負わせるなんて、私にはとても出来ない……」

「私なら……君には魔導グラスも何もかも忘れて欲しい。島への怒りも、大切な人の苦しみも、枷になるなら愛した事さえ全て、忘れて欲しい」

「逃げでも恥でも、こんな生き地獄から這ってでも抜け出て、1人の女の子として穏やかな一生を送って欲しいと……そんな願いだけで……

「……もう、それだけで、一杯なんだ……」

 

カレーニャ

「…………!」

「……忘れて……こんな、事……放り……出して……

 

 

 ──頭を掻く手が止まり、ずるりと地べたに投げ出された。更に何かブツブツと呟き始めたが、よく聞き取れない。

 ──先の平手とは打って変わって、慈しむように、カタリナの手がカレーニャの肩に置かれた。

 

 

 

カタリナ

「君は利発で、快活で、それでいて冷静だ。君のその『力』は、幾らだって君を幸せにしてやれたはずなんだ」

「君は魔導グラスを信じて、裏切られて、全て奪われても……それでも希望だと縋り付いて、『希望になれ』と何もかも費やして来た」

「魔導グラスに囚われながらでも、君は立派に戦ってきたさ。だからもう、──」

魔導グラスを憎むのは止めにしよう」

 

ルリア

「ッ!? カタリナ、ダメッ!」

 

カタリナ

「えっ、ル、ルリア? 何だ急に……」

 

 

 

 ──狼狽え、背後のルリア達に振り向くカタリナだが、すぐにカレーニャに向き直る事となった。

 ──注がれた炭酸水のように細かく早く、小さく続けざまに、しかし甲高く硬質な、何か弾ける音が聞こえたからだ。

 ──音の正体は一目で知れた。カレーニャの体の末端から細かくヒビが入り、ポロポロと崩れ落ちている。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ……!?」

「おい、どうしたんだカレーニャ! 何が起きている!?」

 

カレーニャ

「……フフフヘ……ハ、ハハ、ハハ、ハ……」

 

 

 

 ──伏せたカレーニャの顔を持ち上げて安否を確かめようとしたカタリナだが、すぐさま手を離した。

 ──垂れ下がった髪が、軽く触れるだけで折れて崩れ、触れた頬からは指が「ジャリッ」とめり込む感触があった。

 ──ガラスどころか、その辺の泥を練って風に晒しただけの粗悪な砂場細工よりも脆い。

 ──カレーニャがどんな顔をしているかは伺い知れない。これが生身の人間なら涎でも垂らしていそうな、そんな発音で締りのない笑い声を漏らすばかりだった。

 

 

 

カタリナ

「な……何なんだ……ル、ルリア、私は何か……!?」

 

ルリア

「た……戦う前に、カレーニャちゃん……言ってたんです。カレーニャちゃんの、お父さんが……」

 

ビィ

「あっ……そういや、まだ姐さんが駆けつけに来る前に……」

 

 

 

※回想

 

 

 

カレーニャ

「お祖母様がね、最期に仰ってたの」

「『こんな事、いつでも放り出して良いんだ』って」

「お父様もよ。『どんなに辛くても、魔導グラスを憎んじゃいけない』って」

 

 

 

 ──思い出を振り返りながら語るその声は優しく、その顔は輝きを湛えた、年相応の少女のそれだった。

 ──距離を開けたアンナへ呼びかける大きな声は、こんな状況で無かったら、遠くへ旅立つ友の乗る艇へ呼びかけるような、そんな風景が似合いの抑揚だった。

 

 

 

※回想終わり

 

 

 

カタリナ

「そんな……じゃあ、今、私は……!」

 

 

 

 ──有機物を「人間」足らしめるための一切を、カレーニャは既に魔導グラスに……異界の座に委ねてしまっている。

 ──想いの力でもって異界のエネルギーを引き出せなければ、カレーニャとはグラスと有機物の混ぜものでしか無く、肉や脂がガラスと溶け合えるはずもなく、つまり、想いの力は命より遥かに重い。

 ──今、生き抜いてきた全てが、その目的の対偶にあったと結論し、全てが無為だったとしか想えなければ。

 ──よしや、想いが存在の逆を希求したとしたら。

 

 

 

カタリナ

「ッ……カレーニャ、聞けッ!!」

「まだ終わってない! ここまで来た意味は絶対にある! 何もかもこれからなんだ!」

「君の描いた夢は、君の望み続けたモノにはなれなかったかも知れないが……おいカレーニャッ!」

「聞くんだッ! 頼むからッ! どうして……どうして君と言う奴はそうやって……!」

 

 

 ──朝日が、カタリナの真っ青な顔を照らしていた。地につけた膝が、腕が微かに震え、精一杯の言葉を並べる舌にも思うように力が入らない。

 ──真摯な言葉を幾らぶつけて見ても、カレーニャの崩壊は止まらない。薄ら笑いも。

 ──如何なる賢者が語彙を掘り返した所で、この世に口に出すだけで通じる魔法の言葉なんてものが無いように。

 

 

 

カレーニャ

「ハハ……ァハハ、ハ、ハ……」

 

 

 

 ──喉から漏れる音が、限りなく乾いていくのを感じていた。

 ──頭の中で、ガラスのようなものがいつまでもいつまでも砕けて響き続けている。

 

 

 

アンナ

「……──」

 

 

 

 ──カタリナが、ルリアが、皆が慌ててカレーニャを引き留めようとする中で、アンナだけが、冷静にカレーニャを見つめていた。

 ──カレーニャを心配していない訳では無い。しかし、確信のような何かが胸を支えていた。何に対してかも定かでない、しかしどうしようもなく『確か』だった。

 ──何のために、ここまで『来たい』と想い続けたか、今、やっと答えに会えた気がした。

 ──カレーニャがこうなる事を、心のどこかで予知していた。そんな気がした。

 ──後出しで、運命を知った気になってみたいだけかも知れない。今を正当化したいだけかも知れない。自分でもそう思う。それでも良いと、そんな傲慢な自分でも良いと思えた。

 ──アンナの両手に収まった、その細い指だけは、未だ握られるままに柔らかく、暖かった。

 

 

 

アンナ

……カレーニャ

カレーニャは、どうして笑っているの?

 

カレーニャ

「ハ、ハ……ハ…………」

「…………」

……可笑しいから

 

 

 

 ──触れる事もままならず、ただ絶え間なく呼びかける事に全身全霊を注ぐばかりのカタリナ達の声に、確かにかき消されている2人の言葉は、しかしどうしてか確かに届き合っていた。

 

 

 

アンナ

何が可笑しいの?

 

カレーニャ

「……」

こんな話……何度も読んだ……

勝手に勘違いして……バカのマネして……疑いもしなくて……

悪者はいつだって……都合の良い間違い抱えてて……

赤の他人にツッコまれて……バカバカしくて……なのに正しくて……だから負けて……

叶えたかった……夢……踏みにじって……こんな……ふざけた島……10年……10年も……こんな……

 

アンナ

それが、可笑しいこと?

 

カレーニャ

可笑しい……止まらないくらい

「…………」

 

 

 

 ──カレーニャの喉は止まっていた。

 ──だが、確かに笑っていた。心の底から笑っていた。

 ──「ハ」と1つ奏でる度に、声が倍々に増え、1音単位で輪唱していた。

 ──聞き覚えのある声が木霊していた。一生かけても忘れたくない声達が、幾つも幾つも、カレーニャと一緒に嗤っていた。

 ──今や膝まで塵と消えたカレーニャの中では、絶え間なく砕け散る空白に、ガラスのようなノイズと共に不明瞭になっていく嗤い声だけが満たされていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンナ

「誰も笑ってなんかないよ」

「カレーニャが頑張ってきた事、みいんな、知ってるもん」

 

 

 

 ──透き通る朝焼け色の髪が風を泳いだ。

 ──白磁のような傷一つ無い足がドレスの裾に隠れた。

 ──抱きかかえられた頭に、胸の鼓動が木霊する。

 ──握らされたサシェから浮き立つ、木深い香りに満たされる。

 ──重ねた2人の手の間から、虹色の光が溢れていた。

 ──想いの力が共有され得るものならば。

 ──よしや、分かち合える事が真であるならば。

 ──ありふれた言葉に託し続けた想いの、その必然だった。

 

 

 

カレーニャ

「……嗤いなさいよ……」

「…………嗤ってよぉ……っ」

 

 

 

 ──魔法になれない、使い古しの言葉が今、初めて届いた。

 ──あかい他人だった胸に委ねて、産声のような慟哭が溢れた。10年分の涙と共に、熱く激しく。

 ──呆気にとられながらも安堵する聴衆に憚ること無く。

 ──下方から、駆けつけた仲間たちの声がする。

 ──もう空の赤みもすっかり失せて、どうしようもない程に、いつもの朝だった。

 

 

 

アンナ

「(ごめんね、カレーニャ。ボク、沢山つらい思いさせちゃった)」

「(でも……もう、大丈──)」



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エンディング1「カタリナVSプラトニア」

 ──図書館での激戦を終え、所変わってプラトニア発着場。繋留中のグランサイファーの一室にて……。

 

 

 

カレーニャ

「まあったく、度肝抜けるたぁまさにあー言う事でしたわね」

「そろそろ落ち着いてさしゃーげようかと思ってたら、アンナさんたら真っ白に事切れてんですものねぇ」

 

ビィ

「縁起でもねぇ言い方すんな! お前のせいで疲れて気絶しちまっただけだろうが!」

 

 

 

 ──時刻は同日の昼過ぎ。太陽もとうにピークを通り過ぎた頃。

 ──あの後、アンナはカレーニャを抱きしめながら、今度こそ安寧の浜に意識を預け、一行も一件落着の緩みから疲れと睡魔によろめく顛末となった。

 ──グランサイファーの仲間たちに半ば救助される形で帰り着いた一行は、すぐさま泥のように眠り、今しがた目覚めて、朝食かつ昼食かつティータイムの卓を囲っていた。

 

 

 

ルリア

「アンナちゃん、カレーニャちゃんのお屋敷の後もずっと寝てなかったみたいですし……ズズ~……ふはぅ~」

 

 

 

 ──カレーニャの淹れた茶に、年寄りのような感嘆を漏らすルリア。まだ眠気が残ってフワフワしている。

 ──徹夜の体に、いつもなら朝食の頃から昼過ぎまでの周期のズレた睡眠では、活気溢れる少年少女と言えど十分とは言い難い。

 ──とは言え生活サイクルを乱す訳にはいかない。最低限の休息で済ませ夜に早く眠らせるべきだと、仲間たちに叩き起こされたのが今現在である。

 ──ただしアンナについては、ルリアの言う通りの事情から消耗を懸念し、まずは休めるだけ休ませて体力を養う事を優先する事となった。今もまだ自室で静かに眠っている。

 

 

 

ビィ

「そういや、この島に来る前から興奮してあんまり寝てなかったらしいしなぁ」

「初日から店先で座り込んで動けなくなってたし……」

 

カレーニャ

「私達に会った日にいらすってたんでしたかしら? そっから図書館行って、ドリイさんとドンパチして……」

「働きっぱなしで実質二徹……うぅむ、あんな生っ白いお体でよくもまぁ……」

 

ビィ

「だから他人事みたいに言ってんじゃねぇよ!」

 

カレーニャ

「あぁらゴメンあさーせ。お気持ちトカゲには客観的な観察ってものは難しすぎましたかしら」

 

ビィ

「ったくぅ、図書館じゃ子供みてぇにビービー泣いてたクセに、すっかりいつものカレーニャだぜ……」

「って、だから! オイラはトカゲじゃねーっての!」

 

 

 

 ──ツッコむだけツッコんで、寝不足の気だるさにため息をついて席に座り直すビィ。

 ──そんなやり取りを、どちらに物申す事も無く団長とルリアが和やかに見守っている。

 ──カレーニャの淹れたお茶は、砂糖にミルクに、キャラメルに香辛料にと、寝不足の体を呼び覚ます工夫の数々で、お菓子のように脳を暖めた。

 ──良くも悪くもお人好しな2人には、それがカレーニャの言外のメッセージにも思えて、一口ごとに湧き上がる安らぎに身を任せていた。

 

 

 

ルリア

「はぁ~。美味しいです~。カタリナも無理しないで、一緒に休んでくれたらもっと良かったですけど……」

 

カレーニャ

「そういやぁ、お艇に着いて早々出ていくのを見かけましたけど、何しに行ったんですの?」

 

ビィ

「それがよぉ、『最後の一仕事がある』って言って何人か仲間連れてったらしいんだけど、目的は誰も聞いてないみたいで……」

「……って、ちょっと待てよ? 帰って来た頃にはもうオイラ達も半分寝てたくらいなのに、カレーニャはいつ寝たんだよ?」

 

カレーニャ

「ご心配なく。何度も言った通り、この体は殆ど魔導グラスで動いてますから。あなた方よりは飢えだの疲れだのに振り回されたりしませんの」

「少なくとももう半日くらいは余裕シャクシャクのはずですから、宅の団員さんとじっくり親交を深め合いましたわ」

「どこの部屋に勾留しとくとか、キッチンだの何だのお借りする時は監視は何人くらいとか──」

 

ルリア

「え、えぇ? そ、そんな、えっと、でも……!」

 

ビィ

「ちょちょ、ちょっと待てって、そんな話聞いたつもりじゃ……」

 

 

 

 ──カレーニャが乗船している理由は既に仲間たちから聞いていた。

 ──事件後、島とカレーニャの関係から、野放しには出来ないとしてグランサイファーに一時保護する事になった。

 ──そして本人から、どこかプラトニアと全く無縁の島まで運んで欲しいと希望があったのだ。

 ──最終的に団長の判断を待つとして、ひとまず団員達でこれを了承したとの事だった。

 ──島1つ巻き込んで敵対した後という事を考えれば、措置としては有り得ない事ではない。

 

 

 

カレーニャ

「そぉんな紳士的で麗らかなお話を振って差し上げたってのに、この艇の方々と来たら一言、『自由にくつろぐと良いよ』ですってよ」

「よっくもまあこんなんでこの規模の騎空団がやって来れたもんですことねぇまったく」

 

ビィ

「な……なんだよビックリさせんなよぉ……」

 

ルリア

「キボ……とかはよく解らないですけど、ここではそんなに珍しくないですよ。いつも皆いっしょで楽しいです」

 

ビィ

「お前が思ってるより世の中捨てたもんじゃねぇってこったな!」

 

カレーニャ

「いやぁ……流石に限度ってモンを感じますわよワタクシ的に……」

 

 

 

 ──談笑する一行らの部屋に、足音が近づいてくる。

 ──団長達はその足音から、我が身に一層の活力が湧き上がるのを感じた。足音の重量、間隔、伴って聞こえる金属の触れ合う音。もう毎日のように聞き慣れている。

 ──程なく扉が開き、期待通りの姿に一行の視線が集まる。

 

 

 

ルリア

「カタリナ!」

 

カタリナ

「おはよう、皆。ちゃんと休めたか?」

 

ビィ

「姐さんこそ大丈夫かよぉ? アンナほどじゃないにしても姐さんだって昨日から殆ど寝てないじゃねぇか。一体何してたんだ?」

 

カタリナ

「やるべき事を終えたらちゃんと休むさ。それにまだ大丈夫。腐っても騎士だからな。鍛え方が違うのさ」

 

 

 

 ──にこやかに力自慢なポーズなど取ってみせるカタリナ。若干、いつもよりテンションが高く感じられる。ふらついたりする様子は見られないが、やはり少なからず疲労はあるようだ。

 

 

 

ルリア

「カタリナ。その『やるべき事』って、何ですか?」

「その手に持ってる袋と、何か関係が?」

 

 

 

 ──カタリナは脇に布の袋を抱えている。グランサイファーに幾つか積んである物と同じなので、出かける前に持ち出したようだ。その袋の中には、どうも固く角張った物が収まっているように見える。

 

 

 

カタリナ

「ああ。まあそういう事だ。中身については──」

「悪いが、ここで開けるのは待って欲しい。もうすぐ……遅くとも夕方には必要になるだろうからな」

 

カレーニャ

「人様の依頼先送りにしといてその上、夕方までチンタラするつもりみたいな言い草じゃござあませんこと」

「とっとと島を出てってくださあませんと、そろそろ……って、まさか?」

 

カタリナ

「そういう事だ。『事情』を知っている私以外、適任は居ないだろう?」

 

 

 

 ──カレーニャには何か察しがついたようで、やれやれと言いたげな顔を見せている。

 ──カタリナの方は、ウインクなどして見せて何やらやる気満々だ。

 

 

 

カレーニャ

「ハァ……立場はそうかも知れませんけど、素質の方は大丈夫なんですの? 余計な事しないで突っ走る方がお似合いに見えますけど」

 

カタリナ

「やるだけやってみるさ。私だってもういい大人なんだ」

「君だって、少しくらいは『精算』しておきたいだろう?」

 

カレーニャ

「ほんっと、おかしな人達ですこと。まあ、本末転倒にならない程度にご勝手に」

 

ルリア

「???」

 

ビィ

「お、オイオイ、2人だけで納得してないで、ちゃんと説明してくれよ……」

 

カタリナ

「その時になったらちゃんと説明するさ。すまないが、今は先に確かめたい事があって、ここに来たんだ」

 

 

 

 ──そう言うと、カタリナはカレーニャの方に向き直った。

 ──顔つきは相変わらず穏やかな笑顔だが、少し真剣な雰囲気が漂っている。

 

 

 

カタリナ

「カレーニャ。島を出ると言う件──本当に、良いんだな」

 

カレーニャ

「何ですの急に? 良くない理由があるとでも?」

 

カタリナ

「ここに居る皆、薄々感じている事だ。君はまだ、夢の全てを諦めた訳じゃない」

「君自身の事には幾つか整理を着けられたかも知れないが、人が一朝一夕で変われれば苦労はしない」

「もし君が望むなら、今までのプラトニアを糾弾し、社会を変える事で戦っていく事もきっとできる」

「そのような形であれば、私達としても協力は惜しまない。団長も同じ考えのはずだ」

「お互いが歩み寄り、建設的に居場所を勝ち取れる。そんな『復讐』なら、ご家族だって悲しむ事は無いと思うのだが」

 

 

 

 ──カタリナの表情に変化はない。あくまで諭すように穏やかだった。

 ──ルリア達の視線が、少し決まり悪そうにカレーニャに集まる。

 

 

 

カレーニャ

「……先に2つ」

「まず、復讐なんかじゃありませんわ。これは絶対、譲りませんことよ」

「そして……そー言うとこだけはホント、ハッキリ言って気に入りませんわ」

「戦って、勝って、正しくて、平和で、絆で、清潔、王道……その外側には『人間』なんざ居ないとでも言わんばっかり」

 

ビィ

「いやそこまで言ってねぇだろ……」

 

カタリナ

「良いんだ。ビィ君」

「カレーニャ。君の言う通り、我々は『そちら側』では無いのかも知れない。そこは真摯に受け止める」

 

カレーニャ

「結構」

「そして質問の答え。これは断固、ノーですわ」

 

カタリナ

「──解った」

「だが、良ければ君の考えも伺いたい」

 

カレーニャ

「歩み寄るのは、あなた方の見ている人間じゃなく、私に見える人間。それは全く別の生き物でしてよ。そして人は一朝一夕じゃ変わりゃしない。命が懸かっててもね」

「私のやった事に咎が無いなんて断じて思いませんけど、それをこの島の”裁判官”に裁かれるなんて事だけは真っ平ゴメンですの」

「最初の一歩はケダモノのお口の中。そして、気安く手伝うなんていうあなた方もまとめてペロリ」

「暴力なんてただの手段ですわ。相手はこの世で最も強く、恐ろしく、正しい『本物の力』。出てくる前で無きゃ殺せないの。お解り?」

 

カタリナ

「心得た」

「私なりに──で、構わなければだが」

 

カレーニャ

「充分ですわ」

 

ビィ

「んん~……なに言ってたんだか全然わかんねぇ」

 

カタリナ

「世の中は、私達が願うより優しくなってはくれないと、そう言いたいのだと私は理解した」

「そして、島を出る決意に変わりは無いそうだ。私達のためにも、な」

 

ビィ

「何だよ、まだそんな暗い事言ってんのかよ」

「そんな事ばっかり考えても楽しくねぇだろうがよ、もうちょっと──」

 

???

「騎空艇グランサイファーへ告ぐー!」

「こちらは、プラトニア治安警備隊である!」

「至急、代表の者に取り次ぎ願いたい!」

 

 

 

 ──外から男の声がする。反響具合からして発着場。グランサイファーのすぐ足元辺りだ。

 

 

 

ビィ

「な、何だ何だぁ!?」

 

カタリナ

「来たか。丁度いいタイミングだ」

 

 

 

 ──落ち着き払った様子でカタリナが踵を返す。

 

 

 

カレーニャ

「バッチリ見届けてさしゃーげますわ。期待しませんから、精々気張ってらっしゃいな」

 

ルリア

「ま、待ってカタリナ! な、何が……起きてるの?」

 

カタリナ

「大丈夫だ。プラトニアの役人が話をしたいと言うだけだ」

「終わったら合図する。そうしたらすぐ艇を出す。皆にもそう伝えておいてくれ」

 

ビィ

「で、でもよぉ。今の声、まともな話って雰囲気じゃ無かったぞ……?」

 

団長(選択)

・「一緒に行く」

・「この艇の代表って……カタリナだったの……!?」

 

→「一緒に行く」

 

カタリナ

「気持ちだけ受け取っておくよ。君の仕事は、今夜もグッスリ眠って体を整える事だ」

 

 

 

 ──そう言って部屋を出るカタリナ。

 ──気が気でなく後を追おうとする一行をカレーニャが引き留めた。

 

 

 

カレーニャ

「何か策があるって事ですわよ。お仲間ならドッシリ帰りをまってなさいな」

「それでもそんなに野暮な事したけりゃ……」

「コッソリ覗き見るなり盗み聞くなりで済ませなさいってハ・ナ・シ♪」

 

 

 

 ──カタリナの足音がすっかり遠のくと、どこかで見た気がする意地の悪い笑みを浮かべたカレーニャが、率先して部屋を出た。

 ──足音を立てないようになのか、無駄に壁に張り付くようにしてズリズリと、カタリナが去っていったであろう方へ。

 ──いまいち要領を得ないまま、とにかく一行もカレーニャの後に続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──甲板に出たカタリナが眼下を見渡すと、馬を傍らに待機させた兵士らしき男が3人、こちらを見上げていた。

 ──兵士の鎧、馬の装備、いずれも所々に欠品があったり、意匠の一部が取り払われたように不格好だったり、明らかに急場しのぎで取り付けたようなバランスの悪さが目立つ。

 ──グラスの反逆の後だ。グラスを含む物品を取り払い、手当たり次第の代替品で取り繕ったのだろう。

 ──カタリナは甲板の上から、兵士に呼びかけた。

 

 

カタリナ

「プラトニアの使いは君達かー?」

「生憎だが、今は出港準備の真っ只中でなー」

「余り長話もできない。用があるなら、この場で要点だけ伝えてもらいたい」

 

 

 

 ──カタリナは落ち着き払っている。いや、いつもよりどこか、見下ろした兵士を値踏みしているような、尊大な佇まいにも感じられる。睡眠不足特有の高揚だろうか。

 ──兵士3人の内、2人がカタリナに応じる。残る1人はカタリナが口を開くなり、黙々と手元の書類に何か書き込んでいる。どうやら、この場の両者の発言を速記するための人員らしい。

 

 

 

兵士A

「ならば即刻ー、出港準備の中止を願ーう!」

 

兵士B

「貴艇並びに乗員には、犯人蔵匿の嫌疑がかけられている! 速やかに協力を願いたい!」

 

 

 

 ──甲板の物陰では、団長達とカレーニャが事の行く末を見守っている。

 

 

 

ルリア

「はんにんぞーとく?」

 

カレーニャ

「犯罪の下手人、もしくはその疑いのある人間を、お偉方に見つからないように匿ったら、この国では犯罪になるって事ですわ」

「言ったでしょ? 私、こんな国のお裁きを聞き入れる気なんざ毛頭ござあませんの」

「島中恐怖のズンドコ入りさせた悪魔を、あなた方は匿ってあまつさえ高跳びさせようってんですもの。そりゃあ事件の後始末で国中ごった返してようが黙っちゃいませんわね」

 

ビィ

「自分達が苦しめてきたせいでヒデエ目に遭ったってのに、反省ってモンがねぇのかアイツラは!」

 

カレーニャ

「それとこれとは話が別って事。それにあなた方だって、最初は私の方こそ『ヒデエ事』してた奴扱いだったでござあましょうがよ」

 

ビィ

「いや、そりゃそうだけどよぉ……」

 

 

 

 ──甲板では、カタリナが顎に手を当て、何か考えるような仕草をしている。

 ──なお、以降の台詞は甲板~発着場感の距離からなる大声でやり取りしているが、大声を示す表現は省くものとする。

 

 

 

カタリナ

「はて……貴殿らの示す嫌疑に対して、こちらはまるで心当たりがないな」

「我々も、このような騒ぎの後とあって慌ただしい身だ。根も葉もない言いがかりに煩わされるのは御免被りたい」

 

兵士A

「とぼけないでもらいたい! 他に残っている艇もろくに無いというのに、無関係を決め込もうなどと──」

 

兵士B

「待て。まずは正当な手続きを踏まえるべきだ」

 

 

 

 ──片方の兵士Aが声色に怒りを滲ませると、もう片方の兵士Bが止めに入った。

 ──兵士Bが懐から何か巻かれた書類の束を取り出し、掲げて見せた。

 

 

 

兵士B

「聞いていただきたい。我々は事件後の調査により、本事件中にカレーニャ・オブロンスカヤの凶行を見たと言う証言を多数入手している」

「我々はカレーニャ・オブロンスカヤが犯行に関与したものであると判断し、現在プラトニア国内を徹底的に捜査しているが、未だ発見には至っていない」

「停泊中の騎空艇は全て調べ上げ、残りは貴艇を残すのみである。私が持っているのは、発着場内の全騎空艇に対する政府からの捜査令状である」

「繰り返し申し上げる。穏当かつ平和的に、我々に協力願いたい」

 

カタリナ

「プラトニアの方針については理解した。だがまだ解せない」

「貴殿らは未だカレーニャの足取りを掴めていないと見える。であるなら、何を根拠に我々が彼女の蔵匿に関与していると判断した?」

 

兵士B

「それも市民からの証言によるものである。即ち、グラスの暴動に対抗していた騎空士の存在が証言から得られた」

「多くは市民に協力的であるとの証言であったが、幾つか看過し得ない情報があった」

「1つ。当該騎空士らは魔導グラスに対し、少人数でありながら同等以上に渡り合っていた」

「2つ。当該騎空士らがカレーニャに対し同調していると判断しうる発言をしていた」

「以上をもって、当該騎空士らは事件中、カレーニャと何らかのコンタクトを取る事が可能であったと判断した」

「そして、証言から得た外見的特徴から、当該騎空士らの所属艇が貴艇である事まで調べが着いている。これにはエルステの鎧を纏った女性騎士の情報も含まれている」

「最後に。嫌疑はあくまで嫌疑である。我が国には推定無罪の原則がある。取り調べに応じ、貴艇並びに船員がカレーニャと無関係であると判断されれば、即刻諸君らを解放し、可能な限りの埋め合わせを約束する。返答を願う」

 

 

 

 ──自らが事件に関与している可能性を指摘されても、カタリナは眉1つ動かさず余裕の態度だった。

 ──物陰のビィが大あくびを見せている。

 

 

ビィ

「長ったらしいし難しい言葉だらけだし、寝不足にはキツイぜ……」

 

ルリア

「はぅ……私も何が何だか……」

 

カレーニャ

「プラトニアの誰かが、あなた方の大活躍をお偉方にお話したんですのよ」

「で、兵隊さんにもどうしようも無かったグラスを叩きのめして、それと何だか人助けしながら『カレーニャは悪くないもーん』みたいな事言ってたって証言があったんですってよ」

 

ルリア

「あ……そう言えば、アンナちゃんが……」

 

カレーニャ

「まあ今更その辺の事情はどうでも良いですけど。つまり市民を助けてくれたと言っても、あの時、私と話し合いにまで持ち込めるような奴は他に居なかった筈だって言いたいワケ」

「例えば私と取引して島から逃がすとか、そんな事が出来るのも魔導グラス黙らせられるあなた方くらいで、島から私が見つからないなら、そりゃあお艇が怪しいってなりますわね」

 

ルリア

「じゃあ、このまま兵隊さんに協力したら、艇中探されて、カレーニャちゃんが捕まっちゃうって事ですか!?」

 

カレーニャ

「最初っからそう言う話をしてるんでしょーが……ついで言うと、あなた方も私を匿ってたの確定って事で牢屋行きですわ」

 

ビィ

「まぁ本当にカレーニャを島から出そうとしてるしなぁ……」

 

カレーニャ

「もうちょっと言えば、魔導グラスと力ずくで渡り合うあなた方の『武力』にも興味津々ってところかしら」

「もしあなた方をしょっ引ければ、このゴージャスなお艇も国が押収。私と直接無関係なお仲間は強そうな人だけお国のために有効活用とか──」

「まあ、本当にそこまであからさまなマネできる図太い国かは怪しいトコですけどね」

 

ルリア

「そ、そんなの絶対にダメです!」

 

ビィ

「もしかして結構ヤバい状況じゃねぇのか!? もうアイツら力ずくででも追い返して──」

 

カレーニャ

「お控えなさいな。そうしないためにカタリナさんが出張ってらっしゃるんでしょうが」

「とっとと島を出ようと出まいと、疑われて追い回されるのは変わらないのに、わざわざ残った……って事は──」

 

 

 

 ──団長がルリアとビィを宥める横で、カレーニャがカタリナをニヤニヤと見守っている。

 ──兵士の言い分を聞き届けたカタリナは、殊更大仰に鼻で笑ってみせた。演技するように、自分を焚きつけるようにグッと胸を突き出しながら。

 

 

 

カタリナ

「まるでお話にならないな」

「確かに、貴殿らの語った事は事実かも知れない。『エルステの鎧を来た女とは私の事』だろうし、我々は事件中にも市民の安全のために独自の判断で行動した」

「そしてこれも事実だ。我々は、我々の事情があって、すぐにでも島を発たねばならない」

「もう一度言うぞ。『貴国』の市民の救助に従事したのも、我々がこの島を離れるのも、『我々』の権利に基づいての事だ」

「──この意味が、解るな?」

 

兵士B

「……あっ!」

 

兵士A

「何を言っている! 協力には感謝しているが、それとこれとは別問だ──」

 

兵士B

「ま、待てバカッ! 余計な口は慎め!!」

 

 

 

 ──慌てて兵士Bが兵士Aの口を塞いだ。速記に専念していた兵士が信じられないと言いたげに顔を上げカタリナを見た。

 ──抗議する兵士Aに兵士Bが何か説教を始めた。速記役はその内容をもすかさず記入し、兵士Aの顔が見る見る険しくなり、カタリナの距離からでも、彼らの顔に冷や汗が溢れ出していくのが見て取れる。

 

 

 

カレーニャ

「あッら……まぁ……!」

「あの人、あんなマネも出来ましたのね……」

 

ビィ

「何だ何だ? 今度は何が起きてんだ……」

 

カレーニャ

「カタリナさん、エルステの騎士様なんでござあましょ? そこそこ名誉もお持ちって話も確か私、聞いたはずですわ」

「自分から『私はエルステの騎士だ』と認めたって事は、そこからは騎空艇じゃなくエルステの代表として話をするって事」

「国交を交わしたプラトニアにおいて、有事に際してエルステが独自に協力する事に何の非もなく、全ては取り決めで認められていますもの」

「エルステとしてはそれでも出港の理由は明かせない、つまり国家機密であるとブラフ張って、お互いの機密への不可侵を盾に、この艇を引き止めるあの木っ端役人を──」

 

ビィ

「いやいやいや、だから難しいこと全然わかんねぇんだって!」

「もっと簡単なトコだけ説明してくんねぇか……」

 

カレーニャ

「そうねぇ──」

「大雑把に言うと、『この艇にこれ以上文句抜かすなら、アンタら下っ端兵士のせいでエルステとの国交にヒビが入るけどそれでも良いのか』ってブチかましましたのよ」

 

ビィ

「んん? 何でそうなるんだ? だって姐さんは──」

 

カレーニャ

「そこが解らないってご自分から言い出したんでござあましょうが?」

「とにかく、これで連中に出来るのは2つに1つ」

「大人しく役所に帰って私達を取り逃がすか、エルステとコトを構える覚悟で艇に押し入るか……ですわ」

「ほら皆さん。誰でもよろしいから、お仲間にいつでも艇を出せるようお伝えなさいな。出発の時間は近いですわよ」

 

 

 

 ──兵士2人はカタリナに構う余裕も無く、ああでも無いこうでも無いと議論を始めた。

 ──捜査対象にエルステ兵が乗船する艇があると解った時点で、プラトニアは多少の関係悪化を覚悟で、カレーニャ捕縛を優先する心積もりでいた。

 ──そのための法的な段取りは急拵えながらも可能な限り整え、その上で兵士達を遣わした。この場に居る彼らもそれを承知済みだった。

 ──しかし、相手は国家規模の重罪人の捜査に対してさえ自国の事情をして拒否し、それが互いの取り決めから逸脱しない事を仄めかしている。

 ──自国の物でない一般の騎空艇を用いての極秘の活動。冷酷無比な鉄血政策の歴史を持つエルステなら、そんな横紙破りも充分に考えられた。

 ──そして、そこまでの事態はプラトニアの想定を逸脱していた。

 ──エルステの装備と見分けが付く市民は多いが、階級の違いまで知る者は稀だ。得られた証言の多くは「エルステの騎士(≒鎧を着た者)が居る」に留まっていた。

 ──故に、乗っているのは訳あって一時的に艇を借りている下級兵士だろうと高を括っていた。一般の艇で単独で活動している兵士と聞けば無理もない。

 ──しかしプラトニアの公人には解る。カタリナの纏う鎧が支給される人材とは、国家機密を託されるに足る充分な信頼と承認を得た者である。

 ──そんな人間が何故、連絡も無しにプラトニアの土を踏んでいたのか疑問は突きないが、それでもその言葉を無碍には出来ない。だからこそ、兵士Bは高圧的態度を軟化させ、後から礼状を提示した。最悪の事態となってからでは遅いのだ。

 ──そして暗に外交関係まで持ち出されては、現場の一存で判断しかねる。しかし上司に確認を取りに行くような暇を、カタリナ達が認めるとも思えない。

 

 

 

カタリナ

「いつまで待たせるつもりか。答えが出ないなら、我々もこれ以上ここに留まる義理はないぞ」

 

 

 

 ──カタリナが勿体つけて片手を挙げる。その手を一振りでもすれば、すぐにでも騎空艇の舳先が回頭し、見る間に島を離れていきそうな、如何にもそんな風に厳かに。

 ──それを見た兵士Bは、兵士Aに何事か言いつけると、兵士Aは悲壮な面持ちで馬に飛び乗り、その場を離れた。

 

 

 

兵士B

「い、今しばらくお待ちいただきたい。我々の決定を伝える!」

「貴艇の重要性については理解した。しかし、我々もまた国家の威信を懸けて、この場に赴いている」

「今、然るべき管轄の者を呼びに向かわせた。貴君らにかかる損害についてはその者が責任を負う。故に──」

「折衷案だ。こちらの準備が整うまで、貴君らの船内における自由を認める。我々は船内において、人1人を隠し得ない事象に対して指一本触れず、また関知しない事を誓う。求めるならば、今この場で如何なる責任をも負う。如何か」

 

ルリア

「こ、今度は何て言ってるんでしょう?」

 

カレーニャ

「兵隊さんが意地見せてくれやがりましたのよ」

「多分、兵隊さんのトップとか、エルステとコネのある相当なお偉いさん呼びに行ったんでしょうね」

「んで、無理を通した穴埋めは偉い人に交渉任せて、あの兵隊さんも、この場で誓約書でも何でも書くし、クビになっても構わない。だから調べさせろ、と」

「その代わり、お偉いさん達が来るまでに、私が隠れられそうな場所とかに見られちゃマズイもの置いてあるなら、まとめて別のトコに移してねって。そうしてくれれば、テーブルの上に丸出しでも絶対に見なかった事にするからと、そう仰ってるのよ」

 

ビィ

「普通そこまでするかよぉ……」

 

カレーニャ

「あなた方だって、何としても野放しにしちゃならない悪者見つけたらそれくらいの覚悟なさるんでなくて?」

「『オブロンスカヤだから』。答えはそれで全部導けますわ」

 

ルリア

「カレーニャちゃん……本当に大変だったんですね……」

 

ビィ

「でもよぉ、そこまで言われちまったら、姐さんも流石に断りにくくねぇか?」

 

カレーニャ

「ま、ダメだったら全身丸ごとグラス球にでも変形させて戸棚にでも収まっときますわよ」

「それより、カタリナさんがこの大勝負をどう凌ぐのか、そっちの方が私、気になってなりませんわ」

 

 

 

 ──当のカタリナは、少し考えるような仕草をして見せた後、手すりの陰から何かを取り出した。

 

 

 

カタリナ

「少々重いぞ。割れ物では無いから、落ちてから拾うと良い」

 

 

 

 ──言って、取り出した物を兵士の方へ投げ落とした。

 ──言われるままに回収する兵士B。

 

 

 

兵士B

「袋……中身は……書類か?」

 

 

 

 ──先程、カタリナが脇に抱えていた布袋だった。

 ──兵士Bが袋の口を解くと、新聞紙や雑誌の類がバサバサと躍り出た。速記役も思わず落ちる紙の束を見送る。

 

 

 

兵士B

「これは、プラトニアの情報誌……しかも全部、正午にようやく発刊された号外?」

「済まないが、これらの書類は一体いかなる意図を示すものか」

 

カタリナ

「君の公僕としての矜持は確かに見届けた。敬服に値する」

「だがしかし、我々としては尚もプラトニアの要求は受け入れ難い」

「その根拠は、プラトニアやエルステのみならぬ、数多の国家が同様に掲げる『人道的理念』に基づく」

「ここまでは、君の口から我々の疑問に対する回答がなされる事を期待して呼びかけに応じてきた。だが説明が果たされる事はついぞ無かった」

「敢えて言おう。君達の要求は……如何なる友好を築いたとて、初めから承諾するに値しない!」

 

兵士B

「な、何を……?」

「詳しい説明を求める! よもや今からこれだけの資料を読み込んで理解しろとは申すまいな!」

 

カタリナ

「あぁもちろん、そんな無茶は言わん。それはあくまで証拠だ。我々が『カレーニャ罰すべし』の世論と、君達が我々に”協力”を求めるだろう事を織り込み済みだった事。そして──」

「今ある状況で汲み取れる限りの情報から、プラトニアは『死者を処罰し、そのために生者への介入をも辞さない』国家であると、そう判断したと言う事のな」

 

兵士B

「な……な、何だと!?」

 

 

 

 ──引きつった声を挙げる兵士B。

 

 

 

カタリナ

「何を驚いている。ならば政府の代表たる君に改めて問おうか」

「プラトニアはいつ、『カレーニャの死亡を撤回』した。そしてそれを如何なる媒体を通して公布した?」

 

兵士B

「その侮辱は聞き捨てならない! カレーニャを目撃したと、多くの市民が証言しているのだ!」

「カレーニャが存命である事は疑いようのない事実だ。我がプラトニアは……」

「プラトニア、は……あ……ぅ……」

 

 

 

 ──大見得を切ろうとした兵士Bだったが、見る見る顔を歪ませ、縋るように速記役を見た。

 ──速記役の兵士も、この世の終わりのような顔で兵士Bを見ていた。ゆっくりと首を横に振る速記役。

 

 

 

カタリナ

「では読み落としたかなあ?」

「ならば手数だが、その袋の中にあるなら提示してもらいたい。プラトニアがカレーニャの死を取り下げ、生者であると公式に認めている誌面を」

「政府広報誌から大手新聞社、眉唾なゴシップ誌まで可能な限り取り揃えてあるからな」

 

カレーニャ

「あーらら。やっちゃったわねぇ」

 

ビィ

「あ、姐さん、何か失敗しちまったのか……!?」

 

カレーニャ

「逆ですわよ。やらかしたのぁプラトニアの方」

「ドリイさんとやりあった後、あなた方も新聞の1つくらい読んだんじゃござあませんこと?」

 

ルリア

「1つどころか……カタリナが島中から取り寄せてくれて……」

 

ビィ

「ありゃぁ胸糞悪かったぜ……」

 

カレーニャ

「そりゃご苦労さま」

「どこも『私が死んだ』って大盛りあがりだったアレ、政府から直々に認められたからですのよ」

「あなた方が通報して、プラトニアが現場検証して、それで公式に『オブロンスカヤの最後の血筋が途絶えた』って」

「そんで今日。多分、パンピーの声聞きすぎてウッカリその気になっちゃったんでしょうね。国として『私が死んでない』って会議で決めず、国民に伝えもせず、そのまま捕まえに来ちゃった訳ですわ」

 

ビィ

「それって、何かマズイのか?」

 

カレーニャ

「例えば、悪者の頭に銃弾くれてやって、どう見ても死んでるのに──」

「『仲間達の分だぜヒャッハ~』とか、『やっと大人しく罰を受ける気になったか~』とか言って、追加で何発も撃ったり踏みつけたりしてるの見てどう思います?」

 

ルリア

「そんなの残酷です! 卑怯です!」

 

カレーニャ

「死者を裁いちゃうと、そういう事してる事になっちゃう訳ですわ。”ご立派”な国を謳ってきたプラトニアには尚更これは認められない」

「しかもそれを知られるのが国民ならまだしも、相手はよろしくやってるエルステの騎士様。仕事の途中でこんな言いがかり付けられて足止め食らったなんて事、エルステに報告されたら赤っ恥どころじゃござあませんわね」

「まあ今朝から今までの間に私の死が撤回されてたら不発だったでしょうから、カタリナさんとしてもギャンブルだったでしょうけど……」

「まあそれでもこうなっちゃったら、私が直接出ていって差し上げても捕まえられはしませんわね。死体は法の主体になれませんし、死体遺棄の嫌疑なんてのも持ってきて無いでしょうし」

 

 

 

 ──慌てふためく兵士達をじっくり見届けてから、カタリナが口を開いた。

 

 

 

カタリナ

「誤解なきよう言っておく。我々は君達を尊重している」

「このまま穏便に事が運ぶなら、我々は『何のトラブルも無く』プラトニアを出国できたものと判断する所存だ。予定をオーバーしない限り、『どこの誰』に対しても同じように説明するだろう」

「しかし、尚も我々を君達の正義で抑圧したいと言うなら、その前に1つ聞かせて欲しい」

「君は、君が助力を願った『然るべき管轄の者』について、この場で如何なる活躍を期待したのか──」

「つまり──その者の口から、君はカレーニャと言う故人に関して何を言わせようとしていたのかを」

 

兵士B

「……ぐ……ぅ、ぐぎぎぎぎぃ~……」

 

 

 

 ──泡でも吹き出さんばかりの呻きをあげて、兵士Bは頭を抱えた。

 ──自分の一存で、遥か上層部の人間を現場に呼びつけるだけでも相当なリスクを負ったはずである。その結果がこれでは、これでもまだ冷静な方かも知れない。

 ──速記役がオロオロしている。しばらくして、兵士Bがゆっくり顔を上げた。

 

 

 

兵士B

「……我、々は……いや……」

「プラトニアは……本事件中における貴君らの助力と、貴国の名誉を信頼し、貴君らの出国を認めるものである……」

「……ただし! カレーニャ・オブロンスカヤ捜索において協力を得られなかった事実は揺らがない!」

「故に、貴君の氏名、階級、所属を明示願いたい。日を改め、エルステ本国を通じ、貴艇を含めた各所への捜査協力を要請するものである!」

 

ルリア

「えっと……カ、カレーニャちゃん……?」

 

カレーニャ

「これくらいは解りなさいよ……」

「今日の所は勘弁してやるから、カタリナさんが何者なのか教えろって言いたいのよ。今は騎士様が忙しいってんなら仕方ないけど、後でエルステに問い合わせてみっちり調べてやるって」

 

ビィ

「あ、オイラ解ったぞ! それ、負け惜しみってヤツだろ?」

 

カレーニャ

「まぁね。でも最初っから私をとっ捕まえるのに執着しなけりゃ、初めからそこが落とし所だったはずでしょうけどね」

「あんまりガサ入れ渋られるもんで欲が出て、結局は損ばかり増えちゃいましたわね。ご愁傷さま」

 

 

 

 ──いつの間にか、グランサイファーの各部の帆が開ききっている。

 ──先程から団長が船内へ戻り、仲間達へ「カタリナの合図で島を出る」旨を伝えて回っていた。

 

 

 

カタリナ

「良いだろう──」

「私の名はカタリナ・アリゼ。所属は"仕事"の性質上明かせないが、階級は中尉だ」

「詳細な説明が欲しくば、エルステにてポンメルン・ベットナーの名をあたれ。私の名を出すだけでも随分と"対応を変えて"くれる事だろう」

 

兵士B

「了解した……」

「然る後、貴君らに再び協力を願う日まで、貴君らの”平穏なる”旅を祈るものである!」

 

カタリナ

「ありがとう」

「では皆、出港の準備は良いか!」

 

 

 

 ──大仰な身振りに、これでもかとマントをはためかせカタリナが兵士に背を向ける。

 ──とっくに準備を済ませていた仲間達の手により、まるでカタリナの意思で動いているかのようにスムーズに、グランサイファーは発着場を飛び立った。

 

 

 



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エンディング2「明けても暮れても」

 ──グランサイファーがプラトニア発着場から錨を上げて、数分も経たぬ頃。

 ──先程、ルリア達がカレーニャの茶を味わっていた部屋にカタリナが居た。

 ──周囲にはルリア、団長、ビィ。そしてカレーニャ。

 

 

 

カタリナ

「ハァー……一気に疲れた。今日はよく眠れそうだよ」

 

 

 

 ──上ずった声色の混ざるため息と共に、カタリナが手近な席に腰を下ろした。

 

 

 

ルリア

「カタリナ、お疲れさまです!」

 

ビィ

「何だか全然よく解かんなかったけど、とにかくカッコ良かったぜ姐さん!」

 

カタリナ

「やっぱり見られていたか。改めて思い返すと気恥ずかしいな」

「済まないが、誰かお茶を一杯頼めないか。慣れない事をしたら、緊張で口の中がカラカラで──」

 

 

 

 ──言い終わる前に、カレーニャが宝石のように澄んだ一杯を差し出した。

 ──目の前で勝手にミルクを注いで宝石を濁らせ、一方的に味を整えていくカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「言っときますけど、寝しなにお茶は余りよろしいモンじゃござあません事よ」

 

カタリナ

「ありがとう。実を言えば、さっきこの部屋に入った時のお茶の香りがずっと気になっていてな」

「君の一杯が飲めるのを期待して、自室に戻る前にこっちに来たのが本音なんだ」

 

ルリア

「あ、あの、カレーニャちゃん……私も、もう一杯だけ、良いですか……!」

 

カレーニャ

「はいはい、そこの天然タラシさんと一杯引っ掛けたかったんですものねえ。ちょっとくらい待ってなさいな」

 

カタリナ

「てん、ねんた……?」

 

 

 

 ──ルリアの分のお茶を淹れ始めたカレーニャを見ながら、とりあえず目の前のカップに口を付けるカタリナ。

 ──思わず舌諸共に顔中の筋肉が緩みそうになるカタリナ。艇に積み置きの茶葉にミルクにその他諸々。どれもカレーニャの屋敷で味わった物とは格が違うはずだが、全く引けを取らない。より正確に言えば、高級品とは異なる、別の代えがたい良さが活かされているような印象を受けた。あくまで茶に疎いカタリナの主観ではあるが。

 ──ところで、カレーニャの声には何やら不機嫌そうな気色が感じられ、時折カタリナに怪訝そうな、どこか刺々しい視線を向けている。

 

 

 

カタリナ

「あー……と。お嬢様に気安くお茶など淹れさせるのは、些か礼に欠けたかな?」

 

カレーニャ

「別に。プラトニアと縁を切った時点で私なんざ1人の小娘ですもの。お茶汲みくらいドンと来いですわ」

 

カタリナ

「なら、その……何だか、怒ってないかカレーニャ?」

 

カレーニャ

「バカおっしゃいな。理解に苦しんでるだけですわ」

 

 

 

 ──答えながら、ルリアに差し出したお茶に『また甘くして欲しい』と頼まれるカレーニャ。

 ──律儀に応じ終えると、カレーニャはカタリナの向かいの席に腰を下ろした。

 ──余談だが、ルリアはカタリナの隣で、ほくほく顔で茶を啜っている。

 

 

 

カレーニャ

「なかなかエキサイティングな見世物でしたけども……結局、何のためにあんなマネやらかしましたの?」

 

ビィ

「おいおい、今更ナニ言ってんだよ。何してたかは全然だったけど、カレーニャのためにやってた事くらいオイラにだって解るぜ?」

 

ルリア

「ハイ。何だかいつものカタリナじゃないみたいっていうか、いつも大人っぽくて素敵なカタリナが、もっと大人っぽかったっていうか──」

 

カタリナ

「あー……済まない。先にルリア達に言っておきたいんだが──」

「あのやり取りはほぼ全部、私と新聞やら何やら買いに出てくれた仲間達が台本を練ってくれたものなんだ。だから、褒めてくれるなら後で皆に頼むよ」

 

ビィ

「じゃあ、あれぶっつけ本番で演技してたって事か!? それはそれでスゲエじゃねぇか!」

 

カタリナ

「自分でも驚いてるよ。まだドリイ殿の『おまじない』が効いてたみたいだ。だが流石に二度は絶対に──」

 

カレーニャ

「まっすます解りませんわ」

 

 

 

 ──すんなりと話が逸れかけたのを、カレーニャが割り込んで引き戻した。

 

 

 

カレーニャ

「私絡みで何かしでかそうとしてたって事ぐらいは当然(とぅぉ~ぜん)、察しがついてますわよ」

「じゃあそれで、私との面識そこそこなお艇の皆さんまで駆り出して、私がどんな反応するのを期待してたってんですの?」

 

カタリナ

「ふむ……強いて言えば、君が面白がってくれる事……かな」

 

カレーニャ

「は……?」

 

ルリア

「あ、それなら大丈夫です! カレーニャちゃんも『続きが楽しみ』みたいな事言ってました」

 

カレーニャ

「お黙りゃ! 私が話してんですのよ、余計なコメント禁止!」

 

ルリア

「はうぅ……」

 

カタリナ

「まあまあ」

「何というかな……君のためというのもあるが、それ以上に私のためでもあったんだ」

「私なりに、カレーニャのためになれたと思える物が欲しかったと言うか……」

「私達が期待するような幸福とまではいかなくても、せめて少しくらい、溜飲を下げてやれるような、そんな何かが私にも出来ないか……とな」

「買い出しの直前に、そんな事を皆に話したら、誰からだったかな。『じゃあこんなのはどうだろう』って。そこからはもう、あれよあれよと……」

 

 

 

 ──つい吹き出した苦笑が収まらず、茶を飲もうと持ち上げたカップを一旦戻すカタリナ。

 

 

 

カタリナ

「まあ、それだけだ。カレーニャ」

「何しろ、気軽に友達になろうと言うには、流石に歳も離れているしな。少し回りくどくなってしまった」

 

カレーニャ

「ハァ……どいつもこいつも甘ったるい事がしたかった、と」

「正直、それを知ったら却って楽しんで差し上げられませんわね。プラマイゼロ突き抜けてマイナスですわ」

 

ビィ

「オイオイ何だよ急に! せっかく姐さんがお前のためにって言ってんのに、文句つけるトコなんか全然ねぇだろが」

 

ルリア

「そうです! カタリナはこう言ってますけど、きっと凄く悩んだと思うんです!」

「カレーニャちゃんとプラトニアの事、きっと、大人のカタリナが一番悩んできたはずです。それなのに──」

 

カタリナ

「二人とも落ち着け。私の事は私の事、カレーニャの事はカレーニャの事だ」

「受けが悪かったのは残念だが、私なりにやりたい事はやった。悔いはないさ」

 

カレーニャ

「あなたに悔いが無くっても、トンでもないトコにリスク丸投げじゃござあませんのよ。流石に神経疑いますわ」

 

カタリナ

「とんでもないとこ?」

「……はて。別に、この艇の皆以外に特段の迷惑をかけたつもりは──」

 

カレーニャ

「エルステですわよ。あなたの祖国」

 

ビィ

「ん? エルステだぁ……?」

 

カレーニャ

「わざわざ使いっ走り1人のクビ飛ばして、ついでにプラトニアの面子も潰したまでは良いとしてもですわよ?」

「エルステにあなたの大芝居のしわ寄せ任せて、この後どうする気なんですの」

「プラトニアは絶対あなたを目の敵にするでしょうし、エルステもプラトニアの追求からあなたを庇い立てする義理なんざ無いでしょうに」

「下っ端の吠え面で私を楽しませたくて、そのお釣りであなた方はプラトニアに追い回されて、エルステからも煙たがられて板挟み──」

「それで何をどう喜べと?」

 

 

 

 ──3秒、4秒と静寂が流れる。

 ──最初に声を上げた、というか、吹き出したのがカタリナだった。

 

 

 

カタリナ

「プッ……クク、ハハハ……なるほど。それは確かに割に合わない」

 

ルリア

「えっと……カレーニャちゃんのためにカタリナが頑張ったけど、そのせいでプラトニアにすっごく怒られちゃった……って、事ですか?」

 

カタリナ

「少し違うな。カレーニャは心配してくれているんだ。『カタリナ中尉がエルステから”仲間外れ”にされてしまわないか』とな」

「ルリア達に説明するとすれば、そんな所だろう?」

 

カレーニャ

「心配だのどうこうでなく、私のためとか責任おっ被せてわざわざ要らぬ苦労買うとかオふざけんじゃねぇと言ってんですの!」

 

ビィ

「な……仲間外れだぁ? 今更何言ってんだ?」

 

カレーニャ

「今更……って、何よ?」

「それにそもそも、お仕事絡みでしょうから詮索しなかったですけども、このお艇もあなた方も、カタリナさん以外明らかに軍属で無い見てくればっかりなのもどう言うことですの?」

「軍規みたいなものの一片も感じ取れないし、どんだけひた隠しかと思えばカタリナさんは大っぴらに身分見せつけなすってるし……」

「つーか本当にココ、私みたいな民間人が内情知って良いような──」

 

ビィ

「いや、ちょっと待てって。難しくって相変わらず何言ってるかさっぱりだしよぉ。それに──」

オイラたちは軍隊じゃねぇし、姐さんだって仲間外れも何も、今はエルステの軍人でも何でもねぇぞ?

 

カレーニャ

「だぁから、エル……」

「ん……ん…………?」

ンン!??」

 

 

 

 ──声がひっくり返るカレーニャ。その声に再び盛大に吹き出しかけるのを、口を押さえて体を震わせながら堪えるカタリナ。

 

 

 

カレーニャ

「ちょ……ちょっと、何よ。全然話が見えてこないし……」

 

ビィ

「いや、だからぁ──」

 

カタリナ

「まッ……ま、待ってくれ。私が、クク……私が、説明する……!」

「……ハァ……いや、済まない。誤解させたのは、多分私のせいだ」

 

カレーニャ

「誤解って……どっから、どこまでが?」

 

カタリナ

「私は、エルステを抜けた身なんだよ」

「どうしても譲れない理由があってな。エルステの最高機密を持ち出し、軍を出奔。晴れてエルステから追われる身となったのさ」

 

 

 

 ──言いながら、ルリアに目配せするカタリナ。

 ──団長達が冒険を始めて、もう随分経った。辛い過去にも、団長たちへの罪悪感にも向き合い続けた蒼の少女は、今はもうこのような話題に心痛める事もない。

 ──それはそれとして、カレーニャの『誤解』の意味を察し、何だかちょっと気まずそうに、はにかみながら目を泳がせてはいた。

 

 

 

カレーニャ

「しゅっぽん……オワレ……」

「は? ちょ、ハァ!?

 

 

 

 ──テーブルに両手を叩きつけて立ち上がり、カタリナに詰め寄るカレーニャ。

 

 

 

カレーニャ

「だ、だってあーた、『軍人である前に騎士だー』とかナントカ……!」

 

カタリナ

「ああ。言った。軍人である自分も騎士である自分も完全に捨てたつもりはない」

「ただ、軍人として、騎士として。己の誇りに従って生きたら、いつの間にか国に立ち向かう事になっていただけさ」

「ついでに言うと、私は城塞都市アルビオンを出てエルステに所属した身であって、エルステは別に祖国ではない」

 

カレーニャ

「そ、ガ……ぬ、ガ、ナ、kaッ……!!?」

 

 

 

 ──何か言ってやりたくて堪らないようだが、頭がこんがらがって言葉が出てこないようだ。

 ──とりあえずカタリナを指差した手がブルブルと震えるが何も変わりはしない。

 ──その手もガクリとテーブルに落とし直し、深呼吸1つ挟んで、「カタリナ達が見てきたもの」を理解し始めた。

 

 

カレーニャ

「……つまり……最初っから……反逆した国の鎧、着たきりスズメの……大バカ・グランデ空域で……」

「エルステに問い合わせたって、勘当した身内の責任なんて引っ被りに行く訳ないし……私達の所在も解る訳なし……」

「自分から国に見限り付けといて……あんな偉そうに『自分はエルステの騎士だ』なんて……」

 

カタリナ

「何を言ってるんだ。君も聞いていたなら覚えているだろう」

「頼もしい仲間達の知恵でな。私がエルステ関係で認めたのは、『エルステの鎧を来た女とは私の事』、これだけのはずだ」

 

カレーニャ

「ヌグッ……!」

「あ、ああああなた! 本性はどっちですの!?」

「軍人も騎士も捨ててないだの、誇りがどうだの言っといて……言質ゴマかしたってねぇ、気安く捨てた国の身分詐称したのは事実でござあましょうが!」

 

カタリナ

「私はいつだって私だ。私は私の信条に背いたつもりは一片も無い。それはハッキリ言っておく」

「それに……人聞きの悪い事を言わないでくれ。昔捨てたものを、ちょっと拾い直しただけだ」

 

 

 

 ──カレーニャへ意味深げに、いたずら混じりに微笑み、ウィンクなど飛ばしてみせるカタリナ。そして茶の残りをあおり、満たされる味覚と嗅覚に感無量と言わんばかり顔を緩ませた。

 

 

 

カレーニャ

「ひ、ろ……ハ、……ハハ……ハヘハ……」

 

 

 

 ──宙を仰ぎながら、フニャフニャと椅子に崩れ落ちるカレーニャ。

 

 

 

ルリア

「カ、カレーニャちゃん!? 大丈夫ですか!?」

 

カレーニャ

「ハハ……フフ、フ、フ……」

「クク……アッハハハハ……!」

「アハッハッハッハッハッハ! アーッハハハハハハハハッ!」

 

 

 

 ──爆笑し始めるカレーニャ。一方の手で顔を抱えて身悶え、もう一方の手で手すりをテシテシ叩き、時折脚をバタつかせている。

 ──後から後から、腹を抱えて、息を整え、また笑い転げた。

 ──老婦人の説教を受けた時とも、ましてや団長達との戦いで見せたそれとも、全く違う声で。

 

 

 

ビィ

「オ、オイ……これ、放っといて大丈夫かぁ?」

「姐さんの事カン違いしてて、それが解ったと思ったら急に笑いだして、さっきっからもうワケわかんねぇ……」

 

主人公(選択)

・「そっとしておこう」

・「でも、何だか楽しそうだよ」

 

→「そっとしておこう」

 

カレーニャ

「アハハハハ……アハッ、アハハハハ……」

「……ハァ……可っ笑し……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──そしてしばらく後。グランサイファーの甲板。どこまでも続く空には茜が差している。

 

 

 

アンナ

「ふあぁ~……」

 

 

 

 ──出入り口の戸を開いて、寝ぼけ眼のアンナが出てきた。ぼんやりした身振りだが、どちらかと言うと寝起きのそれである。体力はすっかり回復したようだ。

 ──あるいはむしろ少し眠り過ぎて、頭が回りきって無いのかも知れない。

 ──無論、腕の中にはカシマールも一緒だった。

 

 

 

カレーニャ

「あら、ごきげんよう」

 

アンナ

「あ、カレーニャ。おは……」

「あれ? カカ、カレーニャ? ど、ど、どうしてグランサイファーに!?」

 

 

 

 ──甲板ではカレーニャが、テーブルに肘をついてぼんやり空を眺めていた。甲板に他に人の気配は無い。

 ──よく見るとテーブルも、腰掛けている椅子も、魔導グラス製だ。体に残る異界の座で拵えた物だろう。

 ──この程度の備品を作るくらいなら何ら支障は無いようだ。

 

 

 

カレーニャ

「ここ以外にどこに行き場があるってんですのよ」

「どっか適当な島で降ろしてもらって、バカンスがてら少し頭でも冷やそうと思ってましてね」

 

アンナ

「そうなんだ……」

「あ……。じゃ、じゃあ……それまでは一緒だね」

 

カレーニャ

「まあ、そうなりますわね」

「折角ですし座んなさいな。どうせする事なくて目の保養にでも来たってクチでござあましょ」

 

アンナ

「あ……うん」

「あ、ありがとう。カレーニャ」

 

 

 

 ──言うなり、カレーニャの席の向かいで液状の物体が膨張し、見る見る椅子の形を作り上げた。

 ──遠慮なく腰掛けるアンナ。見た目は硬質なガラスの光沢を湛えているが、触れてみると上等のクッションのようにフワリと沈み込む。

 

 

 

アンナ

「わあ……何だかちょっとポカポカしてる。気持ちいい……」

「まだ朝早くてちょっと冷えるから、嬉しいなぁ」

「それに……カ、カレーニャも一緒だし……」

 

カレーニャ

「あっらぁ~? ぬぁ~にを言ってんのかしらこの子ったら」

 

アンナ

「へ……?」

 

カレーニャ

「私、『おはようございますわごきげんよ~』なんて一言でも言ったかしらぁ?」

「いやー、丸一日通り越して夕方までグッスリ。そこまで無理させてしまったなんて私も思わず痛々タタしすぎていたたタタタまれなくって……」

 

 

 

 ──悲しみの欠片も無い顔を「ううっ」と伏せて目元にハンカチを当てるカレーニャ。

 

 

 

アンナ

「え、あ、あれ? い、今って、日の出じゃなかったの?」

「でで、で、でも、夕方にしては、みんな静かすぎるし、時計ちゃんと見たし……そ、それに、誰も居なかったから、お、起こさないようにって、静かに甲板に来たんだし……」

 

カレーニャ

「まことに~? 100%(ヒャクパー)断言できますのぉ~?」

「じゃあ今このお艇がどっちの方角飛んでるかお解り? あの太陽は西に沈んでますの? 東に沈んでますの? あ、ホラ今ちょっと動きましたわよホォ~んのちょっぴり下ぁにぃ──」

 

カシマール

「アンナデアソンデンジャネーーー!!」

 

 

 

 ──カシマールが腕をワチャワチャと荒ぶらせて威嚇している。

 

 

 

カレーニャ

「あぁら怖い怖い」

 

カシマール

「アンナモ、アサデモヨルデモドッチデモイーダローガ!」

 

アンナ

「そ、そうかなぁ……」

 

 

 

 ──アンナはしかし、今はきっと朝なのだろうと思った。

 ──カレーニャの冗談が、プラトニアで見知ったそれよりも間髪無く畳み掛けてきている。

 ──カレーニャも、艇の殆どが寝静まった今、グラスの体では眠気も訪れず、暇を持て余してここに来たのだろう。

 ──明るいのに誰も居ない、こんな珍しい時間も他にない。

 

 

 

カレーニャ

「はい、出来ましたわ」

 

 

 

 ──等と思いを馳せていると、いつの間にか目の前にティーカップが置かれていた。

 ──カレーニャは椅子に座ったまま屈み、足元からもう1つカップを取り出し、同じく手に持ったポッドからお茶を注いでいる。

 ──呆気にとられながらテーブル下を覗き込むと、カレーニャの椅子の足元に茶を煮出すためと思われる道具一式がズラリ並んでいる。

 

 

 

アンナ

「い、いつの間に……」

 

カレーニャ

「最初っからですわよ。あなたが来なんだら1人で嗜むつもりでしたわ」

「グラス作りを一気に簡略化できるようになっちゃって、本も手元に無し。後、時間つぶしになるものなんてこれだけですもの」

 

アンナ

「あ……」

「……え、えっと……!」

「ボッ……ボク、が、来て……よ、良かった、ね……!」

 

カレーニャ

「フッ……似っっっ合わないセリフ」

 

 

 

 ──アンナが「えへへ」と照れたりしながら、しばし静かにお茶を飲む2人。

 ──少し辺りを意味もなくキョロキョロしてから、アンナが呟いた。

 

 

 

アンナ

「そのぉ……ド、ドリイさん……どうしてるかな」

 

カレーニャ

「どこぞの島でよろしくやってますわよ」

「『まずは”マトモな国”ってものを肌で感じて、帰ってくるのはそれからね』って言っときましたから、多分本当に当分はどっかの国に入り浸ってますわね」

 

アンナ

「ドリイさんも勉強熱心なんだね」

 

カレーニャ

「ジョークのセンスはまだまだか、天才過ぎてついていけませんけどね」

「図書館に『石の上にも三年』を物理的に研究したあの子の論文があるし、今でも大真面目でその時の事話すんですもの」

 

アンナ

「フフ……うっそだぁ……!」

 

カレーニャ

「ホントよ。今度本人に聞いてみれば良いですわ」

 

アンナ

「うん……きっと……すぐ、会えるよね」

 

カレーニャ

「……『すぐ会える』……か」

 

アンナ

「? ど、どうかした?」

 

カレーニャ

「いいえ。こっちの話」

 

アンナ

「そ、そっか……」

 

 

 

 ──また暫し静寂。

 ──何度目か、アンナが飲み干したティーカップの底を見つめ直した頃。

 

 

 

アンナ

「カッ……カレーニャ……」

 

カレーニャ

「何?」

 

アンナ

「う、うん。えっと……」

「えっと……お、おかわり、良いかな……?」

 

カレーニャ

「……」

 

 

 

 ──黙ってティーカップを受け取るカレーニャ。

 ──紅茶が注がれるまでを黙って見守るアンナ。

 

 

 

カレーニャ

「別に、今更何聞かれたって、怒りもはぐらかしもしませんわよ」

 

アンナ

「ぅえっ!?」

 

カレーニャ

「コミュ障のクセに、話したがってるのを誤魔化そうだなんて器用なマネ出来るとでも思ってますの?」

 

アンナ

「ぅ……」

 

カシマール

「ウルセー、ワリーカ!」

 

カレーニャ

「別に悪いなんて言っとらんでござあましょうがよ。……で?」

 

アンナ

「う、うん……その……えっと……」

 

 

 

 ──茶を淹れるカレーニャの慣れた手付きに眼が吸い寄せられる。

 ──少し視線が泳いで、また戻る。タップダンスのように踊る指先。ビロードのように滑らかな手のひら。ドレスの袖口……。

 

 

 

アンナ

「ボク……の……ボク、ね……」

「カレーニャ……と、一緒に……魔法の、勉強……し、たい……なっ、て……」

 

カレーニャ

「今から……?」

 

アンナ

「あ、い、いや、そうじゃなくって……だ、だから……あの……ぅぅ……」

 

カレーニャ

「……フゥ」

「ハイハイ、覚えてますわよ。私とお勉強したいって、そのためだけに私の異界の座コンガリトロトロブチ砕いてくださりやがっていただきましたんですものね」

 

カシマール

「ナニゴシャベッテンダオメーハ」

 

カレーニャ

「ハイソ語でしてよ、カシマール」

「ホント、まさかあなたが真打ちだったなんて──」

 

カシマール

「ダカラ”カシマール”ダッテノ!!」

 

アンナ

「あ、えっと……そ、それであの……でも、さっきの……その……カレーニャ、は……」

「ま……また、しばらく……一人ぼっちになっちゃ──」

「…………あれ?」

 

カレーニャ

「だからその前にお約束を果たそうって?」

「杓子定規ですのねぇ全く。まあ、状況が状況でしたから大目に見ますけど──」

 

カシマール

「…………アレ?」

 

アンナ

「…………」

 

アンナ&カシマール

アレェッ!?

 

 

 

 ──あまりの大声にカレーニャがアンナのカップを取り落しかける。

 

 

 

カレーニャ

「とわっ、たっ!? な、何ですの急に!?」

 

アンナ

「だ、だだ、だ、だだだ、だ、だ、だってい、い、いい、今、今……」

 

カシマール

「オ、オ、オマエイマナンツッタ!?」

 

カレーニャ

「いやだから、本気で言葉通りに、早速一緒にお勉強でないとダメってんなら、杓子じょ──」

 

カシマール

「ソッチジャネー!!」

 

アンナ

「い、い、い今、カカ、カシマールの……」

 

カレーニャ

「は……? ”パラセール”が何だってんですのよ」

 

アンナ&カシマール

「……──」

 

カシマール

「オレサマハ”カシマール”ダ!!」

 

カレーニャ

「んっもー、あーだのこーだの理不尽ったらありませんわ……」

 

アンナ

「えっと……ゴメン。や、やっぱり、つ、続き、お願い……」

 

カレーニャ

「ハァ……わっけがわかりませんわねぇ、むぁったく……」

「オッホン。とにかく──」

 

 

 

 ──お茶のおかわりを差し出すカレーニャ。

 ──今度は何かスパイスの香りが効いている。香りだけで何だか体が温まっていく気がする。

 

 

 

カレーニャ

「あなたがどれだけ必死で『あんな事』言ったのか。まあ私なりに真面目に受け取りはしますけども──」

「さっきも言った通り。今は遊びたい気分なんですの。バカンスして、大暴れした頭も冷やして……今はそんな期待だけで”胸が一杯”なんですの」

 

アンナ

「あ……そう、だよね」

「ゴメン……ボク、まだちょっと心配で……」

 

カレーニャ

「あなたのお望み通り、どうせこの空の下でドンブラやっていきますわよ。あなたもまずはお勉強のネタでも見つけて、それから私を見つければよろしいんでなくって?」

 

アンナ

「……うん」

「うん。そうする。な……何だか、ちょっとラクになった気がする」

 

 

 

 ──言葉1つごとに、表情が軽くなっていくアンナ。その気持ちに嘘は無かった。

 

 

 

アンナ

「ボク、今よりもっと魔法を覚えて、カレーニャに教えに行くね」

「だから……カレーニャも、また魔導グラスの事、いっぱい教えて」

 

カレーニャ

「それは素直に賛成ですわ。魔導グラスの製造元が増えれば、効率も可能性も倍々。魔導グラスの未来も明るいってモンですわね」

 

アンナ

「あ……で……でも……えっと……」

「魔導グラスの事……その……辛くなったり、しない……」

 

カレーニャ

「そりゃあ……」

「これ1つあるだけで、お祖母様方の夢から外れてしまったのかも──とか、少しくらいは思いますわ」

「でも、カタリナさんの言った事だって全部が全部確かとは限りませんでしょ」

「それに結局、”一生”を共にした魔導グラスと、今更スッパリ離れられもしませんわ」

「今は、それくらいの希望で良しとしてくださいな。夢なんて、眠る度に見られるんですもの」

 

アンナ

「……うん」

「……また、会おうね。カレーニャ」

 

カレーニャ

「私が艇から降りる時に言いなさいな」

「それに、言うほど長いお別れにならない気がしますわよ。何となくですけど」

 

 

 

 ──三度、言葉無く、同じ空を見つめる。

 ──太陽からの光は赤い。だが、それももう間もなく。

 ──もう間もなくで、赤みは全て消え失せ、いつもの朝。早起きな仲間達も朝練や艇の庶務を始めるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当にそれだけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンナ

「……え?」

 

カレーニャ

「ん?」

 

アンナ

「カレーニャ、今……何か、言った……?」

 

カレーニャ

「何かって──」

「……何を?」

 

アンナ

「それ、は……」

「……ううん。何も言ってないなら……た、多分、気のせいだから……」

 

カレーニャ

「まあ、他にしゃべくるようなモノも他にござあませんものねぇ……ふあっぁ……んむ」

 

 

 

 ──大口あけて欠伸するカレーニャ

 

 

 

アンナ

「あ……カレーニャはそろそろ眠る時間?」

 

カレーニャ

「えぇま……オホン」

「やることなさすぎて眠いだけですわ。これでも元は人間ですもの」

 

アンナ

「い、今も人間で良いと思うよ」

 

 

 

 ──笑みを漏らしながら、アンナなりに咄嗟のツッコミを披露する。

 ──頑張ってビィ達のように振る舞おうとしたのか、一度やってみたかったのか。

 ──いずれにせよ恐らく、無難すぎて通じていない。

 

 

 

カレーニャ

「どの道、朝っぱらは暇でしょうがありませフハァ~~ア……」

「~~ダメね。ちょっくらお布団借りて来ますわ」

 

アンナ

「あ、うん。カレーニャ、おやす──」

 

 

 

 ──言いかけて、ふと空を仰ぐ。

 ──暁の赤は間もなく消え失せて、白よ青よと染まる営み。

 ──いつもなら、もう少しした頃に目覚めている。もう少しして、ベッドから起きて、いつも通り……。

 

 

 

アンナ

「カ……カレーニャ」

 

カレーニャ

「んお?」

 

 

 

 ──半ば無意識に、カレーニャの手首をそっと取っていた。

 ──僅かな間に露骨に垂れ落ちている瞼がアンナを見返す。

 

 

 

アンナ

「も……もう少しだけ、い、良いかな」

「魔法の前に、1つだけ、教えたかった事があるんだ」

 

カレーニャ

「……?」

 

 

 

 ──グランサイファーの一室に移動した2人。

 

 

 

アンナ

「えっと……ちょっと……だ、だいぶ散らかってるかも……と、とにかく、ぶつからないように気をつけて」

 

カレーニャ

「ま、危なくなけりゃそれも風情ってやつ……って、何かこの部屋、匂いがカラくありませんこと?」

 

アンナ

「そ、そうだった……!? ゴ、ゴメン。何かの香草だと思うけど、ボク、もう慣れちゃって……」

 

カレーニャ

「まあ細かい事は結構ですから。それで何ですの。朝っぱらだってのに締め切ってらっしゃるし」

 

 

 

 ──ここはアンナの部屋。

 ──カレーニャの手記を読んだ時のまま、誰も手を付けず、部屋の主は眠り続けていたので、雨戸まで締め切って真っ暗である。

 

 

 

アンナ

「教えたかったのは……ボクの事」

「明日が良い天気だって解ると、夜の内に暗くしとくんだ」

 

カレーニャ

「何でまたわざわざそんな辛気臭く……」

 

アンナ

「えへへ……こうしておくと、思い出せるんだ……」

「団長さん達と旅をして、初めて知った事……」

「ボク……ずっと森の奥で暮らしてたから、知らなかった事があるんだ」

 

カレーニャ

「それが、窓を閉め切る事?」

 

アンナ

「ううん。その逆……」

 

 

 

 ──窓を開け放った。

 ──少し見ない内に、赤の抜けた視界は、胸を締め付けるほどに濃く、厚く、深い世界に雲を溶かしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンナ

「夢から覚めて見る空は……とっても……とっても綺麗なんだ」

 

 

 

 ──fin.



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エピローグ

・267

 ──さあ、数多の試練を乗り越えた君の前に、とうとう魔王が現れた。

 ──玉座の間に広がる大穴のような暗闇から、黒き異形を這い出させている。

 ──君は勇気を胸に武器を握った。その傍らで、姫は祈るように君を見つめている。

 ──今ここで君が倒れるような事があれば、助け出したばかりの姫は再び暗い世界へと閉じ込められてしまうだろう。

 ──これが最後の「戦闘」だ。君の手にある力をもう一度よく計算し直し、勇者として悔い無き行動を選び給え。

 

 

 

 ──君の『戦闘』の力が300に満たないならば、

 ──戦うなら280へ。戦わないのなら214へ。

 

 ──君の『戦闘』の力が300以上であるならば、

 ──戦うなら300へ。戦わないのなら215へ。

 

 

 

???

「──……」

 

 

 

 ──とある、どこかの島にて。

 ──島の外縁に、人影が1つ立っていた。

 ──前方には島の終端を示す崖。そこから先は青い空。青く霞んだ眼下の先には赤き地平。

 ──木々と草花と共に、そよ風に煽られる人影の手には、一冊の本。

 ──開かれたページを、たおやかな指がスルリと読み戻す。

 

 

 

・215

 ──勇者は颯爽と姫の手を取り、玉座の間を飛び出した。

 ──城から逃げ去ろうとする勇者を、魔王が黙って見送るはずもない。

 ──扉を破り、壁を砕き、魔王は勇者をどこまでも追いかける。

 ──勇者の力は魔王を上回っている。それでも、勇者はその歩みを決して魔王へは向けない。

 ──姫を守り、逃げ、守り、逃げ。勇者はジワジワと追い詰められていく。

 

 ──いつしか勇者は、城の地下牢へと追いやられていた。

 ──勇者も姫も、しきりに息を切らせている。

 ──「何故、魔王を倒さないのですか。貴方にはそれが出来るはずなのに」

 ──姫の言葉に勇者は答えない。武器を取り、追ってくる魔王を待ち構えている。

 ──暗闇は魔王の世界だ。この地下牢には、明かりは僅かな松明しかない。

 ──魔王の足音が近づいてくる。勇者は姫に傷が無い事を確かめると、城門の鍵を姫に託した。

 ──魔王を惹きつけている間に、姫だけでも逃げて欲しい。

 ──しかし、姫は首を横に振った。

 ──「そんな事は出来ません。戦いもしないで、貴方は何のためにここへ来たのですか」

 ──姫の頬を涙が伝った。姫を庇い続けた勇者の体は至る所に深い傷を負っていた。

 ──それでも姫を案ずる君の姿は、姫にとって見るに堪えなかった。

 ──「全て白状します。だから、貴方はここから逃げてください」

 

 ──全ては姫が仕組んだ事だった。

 ──父王に、王国に定められた未来。姫の結婚相手は「この国で最も強く、勇敢な者」。

 ──愛する事さえ自由ならぬ未来を憂いた姫は、魔法の世界から最も強く、勇敢な存在を呼び寄せたのだ。

 ──「私と魔王を引き離す事は出来ません。魔王は形なき暗闇。姿を与えているのは私の影なのです」

 ──「貴方がこの城に訪れた時、私は死を覚悟をしました。貴方が魔王よりも強いお方だから」

 ──「私は姫です。貴方の物になるために生まれてきた女です。貴方に全てを奪われる女です」

 ──「なのに何故、貴方は戦ってはくれないのですか。何故逃がすのですか。何故、奪ってくれないのですか」

 ──「もう貴方に魔王を倒す力はありません。もう貴方は勇者ではありません」

 ──「だからもう、私に痛ましい姿を見せないでください。ここを離れ、静かに生きてください」

 ──姫は涙に声を震わせる。勇者は姫の言葉を黙って聞き届けた。

 

 ──そして、勇者のしなやかな指が、鋭く姫の頬を打った。

 ──困惑する姫の手を取り、勇者は地下牢の出口へと歩んだ。

 ──その先には魔王が待ち構え、勇者へ牙を向き飛びかかる。

 ──しかし、勇者は止まらなかった。姫の手を優しく握ったまま、まっすぐと。

 ──地下牢を打ち砕かんばかりの魔王の巨体は、しかし勇者を害する事無く、その身をすり抜けた。

 ──魔王はその勢いのまま勇者の背後に続く姫へと飛びかかり、そして姫の足元へと吸い込まれるように消えた。

 ──破られた地下牢の天井からは白く光が差し、魔王は姫の影へと還り、一時の眠りについた。

 ──いつの間にか、荒れ狂う魔王によって城は崩れ落ちていたのだ。

 ──廃墟と化しても、眩しく照らされた魔王城は、姫の生まれ育った王城に劣らぬ美しさを誇っていた。

 ──空の下に立った勇者は、姫の頬を手当してやり、そしてまた歩き出した。

 ──姫と共に、どこへともない方角へ。

 ──姫が勇者に訪ねた。

 ──「貴方は何故、魔王を退けられたのですか」

 ──「貴方は何故、このような戦い方を選んだのですか」

 ──「貴方は……私は、これからどこへ行くのですか」

 ──勇者は多くを語らなかった。しかし、微笑んで答えた。

 

 

 

???

「『君が姫として生まれてきたのなら、ボクは勇者として生まれてきた』──」

「『ボクは、君を助けるために、ここまで来たんだ』……」

 

 

 

 ──その後、勇者と姫の行方を知る者は誰も居ない。

 ──世界をも変えられる影と、世界をも変えられる光とが、手を取り合い、ありふれた空を見つめていた。

 

 ──完 216へ進め

 

 

 

 ──ページを開く。

 ──そこには、『ただの冒険の途中』に見せかけた後書きと、この結末を見つけた読者への賛辞が綴られていた。

 

 

 

???

「図書館の備品を持ち出すなんて──初めてですよ」

 

 

 

 ──木々がざわつき、一際強い風が吹き上げた。

 ──人影の纏う緑のローブが煽られ、フードが捲れ上がった。

 ──官能的なまでに弄ばれた黒髪を整えながら、本の世界のように濃く、厚く、深い空を見上げた。

 

 

 

ドリイ

「またすぐ、会える事を期待しています。カレーニャ」

「貴方と。笑顔で──」

 

 

 

 ──ローブの下に手を差し込み、取り出した物を光にかざした。、

 ──決して失ってはならぬ物のように、大事に握り直す。

 ──淡い色の石を、撚った干し草で繋いだ腕飾り(アミュレット)が、小さく心地よい音を奏でた。



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