桃鳥姉の生存戦略 (柚木ニコ)
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幼少編 ぜろ.苦労するニューゲーム

 心臓が鼓動を止め、思考が完全に磨滅して、脳細胞が壊れて──そんな状態を死と規定するのなら、澪は間違いなく『それ』を体験している。それも──幾度となく。

 

 一番最初──もう思い出すことも難しい──遠い遠い時間の果てでそれを迎えてしまった時は、

 

 痛みは辛かったけれど

 

 別れは悲しかったけれど

 

 暗闇は怖かったけれど

 

 終わりは苦しかったけれど

 

 だけど、ほんの少しだけ、嬉しかったのに。

 

──でも、神さまといういるんだかいないんだかも分からない謎の存在は、とことん澪が嫌いらしい。

 

 そんな僅かな安寧は新たな生という形で押し潰され、その度澪の魂は軋み、慟哭を上げた。

 安寧が齎されることはなく、終着点は訪れず、人生ぐるぐる──繰り返し。

 

 知らない人。知らない生き物。しらない、せかい。

 

 そんな場所で澪は時間の差こそあれ、必ず『澪』として意識を取り戻し、記憶を喚起してしまう。あまりにも唐突で理不尽だが、それは避けようもなく脳髄に全てを刻み込む。

 

 過去の自分が犯してきたすべての罪。侵してきたすべての罰。なにもかもが消えもせず、澪の中に蘇った。

 

 絶望があった。悔恨があった。諦観が支配した。途方もないほどの寂しさが澪を埋め尽くした。

 

 残酷なほど鮮やかに記憶に残る大切なひとたちは──この世のどこにも、いないのだ。

 

 誰も悪くないなんかない。責める人なんかいない。みんながいないのは、当たり前。あえて言うなら、死んでしまった自分が一番悪い。

 

 それを理解してしまって、打ちのめされて、ぜんぶぜんぶ辛くなって。

 

 それでも自ら断ち切った試しがないのは、衝動的に終わらせようとしなかったのは、もし自分で喉を貫いたとしても、また『こう』ならないとも限らないという恐怖と(そしてその予想は当たっていたのだ)、『生前』の誓いという名を借りた呪いと──そして、新しい『誰か』の存在だった。

 

 新しく出会う家族、新しく出会う友人、道端で会話を交わし、笑顔を向けた誰か。

 紡がれていく親交に、向けられる親愛の情に、背を向けることはどうしてもできなかった。

 

 澪の中でごっそりと抉れてしまった部分が埋まることはなくても、記憶では感じることのできないあたたかさが、それを少しずつくるんでくれる気がした。

 

 けれど──澪にとってそれは邯鄲の夢のようなもので。

 

 どれだけ懸命に努力しても、今度こそはと願っても、終わってしまうのだ。大抵はひどく突拍子もなくてあっけなく、無残なかたちで。

 

 生まれて死んで、人生ぐるぐる──繰り返して、繰り越して。

 

 嵐のように訪れる理不尽に抗う手段も、根性もとうに尽きてしまった。

 

 だから、刹那に(こいねが)う。

 

 

──これで『おしまい』だったらいいのに。

 

 

 人骨を踏みしめ、怨念を啜り、血道を這うように生きてきた。

 

 もし『本当に』死を迎えることができて、地獄というものがあるなら自分はそこに行くのが当然だと思っていた。そこに疑問の余地はない。後悔もまた──ない。

 身の内に孕み続け、重ねに重ねた慚愧の念を刑罰という形で贖うことが叶うのならば、むしろ望むところだったのだ。

 

 しかし──運命というのは思う通りにならないのが常で。

 

 そんなの否応なく体験してきた澪だったけれど、どうやらそれは今回においても同様らしかった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 死んだと思ったら、既に次の段階だったなんてのはもう何度目のことか。

 

 しかも周囲の反応や父母たちを鑑みるに、かなり高い身分らしい。社会最底辺を這ってきた身として、この地位の爆上げっぷりには戸惑いしかない。

 

 今生での自分の身分は、なんでも世界貴族――天竜人という世界政府を創設した一族の末裔とかいう、言ってみれば王侯貴族?のような感じらしい。なにそれ気持ちわrげふん。

 

 ついでに言うなら、昔の天竜人がどうだったかは知らないが、現在の天竜人なんて権力を笠に肥え太った豚である。天井知らずに暴走した権力を、無能な輩が何の労苦も背負わずに得るとどうなるか、なんてお察しである。腐ってやがる、遅すぎたんだ……!

 

 幸いなことに、うちの父母は天竜人の中では比較的良識を持ち合わせていたので、そこだけはよかった。上げ膳据え膳の生活はまだしも、奴隷とか下々民とか……ないわー。そういうのがフツーに横行してるなんてデカダン趣味にもほどがあんだろうがよ。

 とはいえ出自は自分で選べないので、そこら辺は早々に諦め、ほどほどに日々を過ごして数年後、可愛らしい弟がひとり増え、ふたり増え、五人家族になった。

 

 ドフラミンゴとロシナンテ。

 

 可愛い僕の弟たち。

 

 守るべき、いとしい家族。

 

 まぁ、環境的に少々ドフラミンゴは天竜人特有のプライドキリマンジャロに毒されつつあるし、ロシナンテは逆に野に放ったら最後、三日でお陀仏になりそうなまれに見るドジッ子だが、それでも大事な家族である。

 

――なので。

 

 うちの父母が時々下界(という表現もイヤなのだが)で一般人に混ざって生活したい、とかドえらいことをのたまい始めたため、僕は家族を守るためにあらゆる手段と泥を被る決意を早々に固めざるを得なかった。

 父よ、ご高説はもっともだし同意もやぶさかではないが……リスクマネージメント能力をもう少し養ってくれまいか。下手を打つと家族が詰むぞ。……いや、マジで。

 

 前置きが長くなりましたが、どうもこんにちは今生での名前はドンキホーテ・ミオであります。

 

 生前がアレすぎたため、自分の世話をさせるのは最小限。奴隷を買うこともなければ気まぐれに殺すこともない、極めて特殊な子供と認識されております。いや無理だって。鳥肌止まらんし。

 

 まぁ、例外はあるけどね?

 

「この奴隷もう飽きちゃったえ~、動きもトロいしイライラするえ~」

 

 あほ丸出しの絵に描いたようなクソガキが、自分の人生の倍以上を生きてきた男を足蹴にしてやがる。

 周囲の人間は、そんな異常な光景に何も言わない。

 胸糞悪いが、これも『日常』のいちぶである。雲上人だから何をしても許されてしまう。許されて当然、という意識しか存在しないというのは本当に厄介だ。

 

「なら、僕がもらい受けても?」

 

 心の内でため息を漏らし、クソガキが『処分』を言い出す前にそう口に出す。

 今日はドフィもロシーもいないから、『こういうこと』ができる。クソガキはきょとんと首をかしげ、「いいのかえ?使い古しだえ?」と念を押してきた。

 すると、その隣にいたクソガキの友人らしきクソガキBがひそひそとクソガキに耳打ちする。

 

「こいつ、アレだえ。『中古好き』だえ」

「ああ、そうだったのかえ。納得だえー」

 

 するとクソガキがうんうん頷き、奴隷を繋いでいた鎖を手放す。

 

「好きにするといいえ」

「ありがとう。では、彼はこれより僕のものになりました。手配を」

「はっ」

 

 僕の隣にいた護衛というか傍仕え()のひとりがてきぱきと奴隷(むしろ被害者)譲渡の手続きを済ませ、こちらへと彼を誘導してきた。

 クソガキたちは手放した奴隷に興味などないのか、もはや姿も見えない。けたくそ悪い話である。

 

 ああ、自分で歩けるならまだ運が良い。身体つきもがっしりしているし、これならばそう遠くない内に『送還』できるだろう。

 まじまじと男性を観察していると、全てに絶望しきっていたような声がぽつりと落とされた。

 

「お前は……おれに、何をさせるつもりだ」

 

 淀んだ目には希望の欠片もなく、そこには生活に倦み疲れた者特有の諦観だけがあった。

 

「そうですね、まずはお風呂、投薬治療、食事による栄養摂取でしょうか」

 

 男に関する書類にざっと目を通しながら、さばさばと答えてやる。既往症もないね、よしよし。

 

「……あ?」

「身体が回復したら、最低限渡世できるだけの手に職をひとつは身につけてもらって……あとは、自由です」

 

 即殺されるだろうから復讐はお勧めできないが、それ以外ならば最大限の便宜を図る。故郷に帰るも行きたい国に行くも、好きにすればいい。

 

 そう淡々と告げるとぽかりと男が口を開けたまま動かなくなり、傍仕えの青年がくつりと笑う。彼も僕がもらい受けた『中古品』のひとりだ。

 

「ミオ様のお目に留まったお前は、運がよかったな」

 

 面白そうに呟き、男に向かって声をひそめて。

 

「ちなみに、おれも元は奴隷だ。勝手にすればいいと言われたから、ミオ様に登用してもらった」

「帰りたくなったら、いつでも言ってくれて構わないと言っているのに」

 

 いつもの言葉を投げると「いいえ」とこれまたいつも通りに首を横に振られる。

 

「おれはアンタが気に入ってるからな。もう少し付き合うさ」

 

 本来なら天竜人にタメ口をきいた時点で即打ち首だろうが、僕はべつだん気にしていない。彼もそれが分かっているから、こうして気安く話しているのだろうけど。

 

 年上なのに敬語はやめろと言われたので、それだけは不満ですわ。

 

「ありがとね」

 

 ぽつりと呟くと、傍仕えが茶化すようにかしこまった礼を返す。そんな気安い空気に男はようやく事態を飲み込んだのか、声もなく瞳からぼろぼろと涙をこぼした。

 

 雫が堕ちるたびに、瞳が洗われたように生気を取り戻していく。

 

「貴方の苦境に報いるには到底足りませんが……僕にできるのは、これが精一杯」

 

 知らず、声に悔恨が漏れる。

 

 僕は(自分が気付いた範囲程度でしか無理だが)奴隷が処分されそうな時に取引交渉を行っている。

 大抵はあっさり引き渡してくれるので、僕は彼ら(或いは彼女)を元気にして、ひとりで生きてゆけるだけのスキルを教え込み、頃合いを見て彼らの望む場所へと『送還』している。

 

 逃げるように故郷へ帰る者が大多数だが、時たま物好きな者がいて、彼らは僕に仕えてくれたり、故郷へ戻っても他の奴隷が『送還』される際に率先して手伝いをしてくれる、とても奇特でありがたい存在だ。

 

「貴族としての義務すら忘れ去った愚物の末席を汚すものとして、恥じ入るばかりです」

 

 貴族、まして王族が背負う義務は果てしなく重い。特権階級に座する者は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきなのだ。

 

 本来自分たちのような立場にいる者たちこそが社会の模範となるように振る舞うべきであり、それが社会的責任というものだ。そんな当然のモラル・エコノミーすら守れない自分たちのような存在など、権力と金に縋るしか能のない寄生虫と同義である。

 

「どうか、恨んでください。呪いあれと――願ってください」

 

 そうされるだけのことを、我々はしているのだ。

 

 許す必要などないのだと、それは貴方が持つ当然の権利なのだと道すがらに説いて、あとのことは傍仕えに任せて家に帰る。

 

 すると、廊下をぱたぱたと走る小さな足音がふたりぶん。

 

 可愛い家族のお迎えだ。

 

「あねうえ!」

「ね、ねぇさま……!」

 

 どうぶつみたいに跳ねてきたドフィを片手で受け止め、いつものようにつんのめったロシーをもう片方の手で掬うように抱きとめる。

 

「ただいま。ドフィ、ロシー」

 

 すると二人はぎゅうぎゅうと服を握って更なるハグを要求してきた。なんとも可愛らしいことである。

 

 まだまだ小さい弟たち。天竜人の中では変わり種扱いされている僕にも懐いてくれている。

 

 子供特有の高い体温としがみつく腕の力を実感して、その度に守らなければと強く思う。いやまぁ、自分もまだ子供っちゃ子供に分類される年齢なんだけど、中身がアレですからね、はい。

 

 某名探偵じゃないけど外見は子供でも中身は○○歳。天竜人の異常さや世界情勢の流れなんかは、うっすらとだが把握している。

 

 天竜人という種族に与えられる果てしない特権と、天上金などにまつわる様々な恩恵、そして天国というぬるま湯に隔離されているからこそ我々は生きることができているのだ。

 

 だからこそ、我が父の言う『下界で一般人に混じりともに暮らしたい』というお花畑願望に関しちゃ理解はできるが、実行するとなるとかなりの無理ゲーであることもまた、理解できてしまうのだ、これが。はっはー、胃が痛いぜ。

 

 なんせ、下界の人にとっちゃ我々なんて不倶戴天の敵だろう。

 

 蛇蝎の如く嫌われるくらいならまだいい方で、下手を打てば敵討ちという名の虐殺待ったなし。拷問されてもおかしくない。『天竜人』という後ろ盾を失った天竜人なんて体の良い生贄と変わらない。

 なので、折に触れては性善説を旨としている父にそれとなく下界の危険性を説いているのだが、わかっているかはいまいちだ。思考の差異があるとはいえ、父母も結局は天竜人。天国育ちの純粋培養だからなぁ。ダメだこりゃ。タガの外れた人間の醜さを、暴走を知らない。

 

 優しいのは父母の美徳だが、生きるにはそれだけでは足りないことを僕は骨身に染みて理解している。

 

 だもんで、早々に説得は諦めた。

 

 こうなると家族の今後を守るために奔走するのは僕しかいない。まぁ、こういうのは年長者()の役目でしょう。

 ちいさな身体が歯痒いが、それでも僕はおねーちゃんだ。

 家族を守る為に汚れ仕事を被るくらい、なんてことない。

 

「だいすきだよ、ドフィ、ロシー」

 

 抱きしめ返して、そっと告げるとふたりも満面の笑みを見せてくれる。

 

「おれも大好きだえ! あねうえ!」

「ぼ、ぼくも……だいすき」

 

 堂々と返すドフィと控えめながらに答えてくれるロシー。いつの間にかあらわれていた両親も微笑みを浮かべていた。

 

 今の自分は、言ってみれば中途までのセーブデータを無理矢理別のゲームでロードして『はじめから』進めているようなものだ。少なくとも自分はそう認識している。

 

 無理を押し通しているのだから合わない部分もあれば、それまで上げてきたレベルの分だけ突出している部分もある。基本操作が同じなら、選択肢に余裕だって持てるだろう。

 

 けれど、いや、だからこそ──バグも出る。

 

 たとえ空が空で、人が人でも、そこにある法則は自分の知るそれとは、大なり小なり違いが生じている。それが吉と出るか凶と出るのかは、その時にならなければ分からない。

 

 コンティニューですらないのだ。

 

 保持したままの『記憶』と『経験』が根幹にあるから、僕は自意識から逃れることすら叶わない。『やりなおし』じゃないことが、何よりきつい事実だ。

 

 ああ、頑張らなくちゃ。

 

 

 



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いち.生存戦略開始!

 ついに、『その日』は来てしまった。

 

「あねうえ? 旅行に行くのかえ?」

「でも、にもついっぱい……」

 

 宅配業者もかくやという勢いで次々梱包されていく品々を見て、ドフィが首を傾げ、ロシーは困惑している。

 おいおい父よ、弟たちに説明してなかったのか。

 

「父様がね、お引っ越ししたいんだって。ロシーもドフィも、持って行きたいものをまとめておいで」

「……戻ってこられるのかえ?」

 

 頭の回転が早いドフィが、じいっとこちらを見上げてきた。たぶん、いや、絶対に無理だろうなぁ。

 ドフィはうちの家族にしては珍しく(いや普通の天竜人らしい、と言うべきか?)自分の血統至高主義である。なので奴隷の扱いも雑だし、それをして当然だという考えが、なぜだか染みついている。

 今回のことなんてもう少し分別がつく年齢だったなら真っ向から拒否していただろう。この『引っ越し』で受ける精神的痛手は、おそらく家族内でもひどい方だろうから。

 

 とはいえ、ただでさえ不安いっぱいな弟たちに、いらん不安要素を増やしても仕方がない。

 

「そこまでは僕にも分からないんだ。気になるなら父様に聞いておいで、もっと詳しく教えてくれるよ」

 

 ぽんぽん、と二人の頭を撫でると彼らは頷き合ってから廊下を走って行った。おそらくは尋ねに行ったのだろう。

 さて、僕も準備をしなければ。

 元々父から話が出た時点で準備は進めていたけれど、まだ細々とした処理が残っている。

 

「ミオ様」

 

 自室に戻る途中、長年傍仕えを務めてくれていた青年がこちらへ心配そうな目線を向けてきた。

 

「チェレスタ、長年ありがとう」

 

 僕は柔らかく笑んで部屋に入り、彼も当然のようについてくる。

 

「あなたたちの脱出については、例の手筈通りに」

 

 青年──チェレスタを始めとして僕を主として務めてきてくれた元奴隷の人たちを連れて行くことはできないから、そちらの準備を整えるのも必要不可欠である。

 

「そちらは万全です。ですが……」

 

 チェレスタが言い淀むなんて珍しい。

 まとめていた荷物から顔を上げると、彼の表情は沈痛そのものだった。

 

「チェレスタ?」

 

 名を呼んで話を促せば、チェレスタは苦虫を噛み潰したような渋面で絞り出すように呟く。

 

「……おれも含めて、あんたについて行きたいヤツばっかりだ」

 

 敬語をかなぐり捨てて、元奴隷の焼き印を上書きした星と魚の紋章──どうしても僕のものだったという『証』が欲しいとせがまれて許可を出したものだ──を見せつけるように。

 

「天竜人は今でも憎い。だが、あんたは、ミオ様は、おれたちをもう一度『人間』にしてくれた。恩人だ。それを――」

 

 いつの間にか集まってきていた、チェレスタ以外の元奴隷たちも一様に心配そうだ。彼らには分かるのだろう。

 天竜人という姓を捨て去ったものたちが下界で辿るであろう、末路を。

 

 でも、

 

「大丈夫だよ。みんな、ありがとう」

 

 僕はなにも死にに行くのではない。そのための準備を怠ったつもりはないし、それなりに作戦は考えている。

 なんせ自分だけじゃないのだから。

 大事な家族をみすみす可哀想な目に遭わせるつもりなんてないのだ。

 

「これでも僕はタフなんだよ、みんなのおかげで」

 

 独り稽古では無理のある時に付き合ってくれた元海賊。

 サバイバル知識をくれた元植物学者。

 世界情勢を教えてくれた元情報屋。

 裁縫を教えてくれた縫製屋や、庭師……みんな、僕に生きる術をくれた。

 

「きみたちがくれたもので、僕らは明日から生きていく。生きて、いけると思うんだ」

 

 だから、と僕は彼らひとりひとりと視線を合わせながら、

 

「みんなも、どうか笑顔で見送って欲しい」

 

 そうすれば、僕も笑顔で行ける。生きていけるんだ。

 

「みんなの幸せを、祈っているよ。──いつだって、どこででも」

 

 恨んでいいのに、呪っていいのに、唾を吐いてくれたっていいのに。

 

「ミオ、さまぁ……ッ!」

 

 優しい彼らは、僕の行く末を、この身を案じて涙を流してくれる。

 

 天竜人はなんて勿体ない奴等なのだろうと、つくづく思う。こんなにも、彼らはいとおしいのに。

 

 ただあれだ、これでも生き延びる気まんまんなので、そんなお通夜もかくやという空気を出されると困ってしまう。

 

「ほらほら、曲がりなりにも僕らの門出なんだよ。笑って笑って~」

 

 すすり泣きのおさまらないみんなを宥めている間に、時間になってしまった。

 船に揺られながら脳内で考えられる限りの事態を想定し、作戦を考える。

 

 天竜人というブランドを持つ家族に、仇討ちという大義名分を錦の御旗に掲げた民衆がどんな反応を示すかなんて想像に難くない。

 おそらく、絶死の思いをするだろう。

 父は後悔するかもしれない。彼の思想は正しく、けれど足りないものが多いから。

 

 しかし、それを補うのが家族というものだ。両手で自分の頬を軽く張り、気合いを充填する。

 

 生存戦略、始めます!

 

 

 

×××××

 

 

 

『天竜人、出てこい!』

 

 与えられた住居が世界政府『非加盟』の国、という点で懸念していた事態が的中してしまった。

 人の口に戸は立てられない。天竜人の船が停泊しあまつさえ家族が住み始めたらしい、なんてセンセーショナルな話題はあっという間に街中に広がった。

 

『お前達のせいで、飢え死ぬ奴等がどれだけいると思ってるんだ!』

 

 最初は半信半疑だった町の住民も、ドフィの口調や傲慢な態度、父母の気品にあふれた所作で確信を得てしまったらしい。

 

「ミオ、お前はこれが分かっていたのかい?」

 

 天竜人を出せとわめく、復讐と怨念で暴徒と化した民の声が壁一枚向こう側から聞こえる。

 荷ほどきすらしていなかった荷物を背負い、片手にロシナンテを抱えている僕へ青ざめた表情の父様が問いかけた。

 

「父様、人は善意だけで生きるものではない。再三申し上げましたよ」

 

 にこり、と笑って言ってやる。そもそも天竜人の腐りきった精神を見れば、他の人間だって似たり寄ったりとわかるだろうに。

 これまで思いつく限りの危惧を具申してきたけど、父様はやんわりと受け流すだけだった。考えたこともなかった、とは思っていないが、それを押しても行きたかったのだろう。

 それなら、できる限りで守るのは家族の役目である。辛いのは僕より心のきれいな父の方だろうから。

 

「ああ、だがまさかこんな……ミオ、すまな」

「家族に謝罪なんていりませんよ。それよりとっとと逃げましょう。ドフィ、走るよー」

 

 あらかじめ調べておいた噂の届いていない地域への脳内地図を浮かべながら、足を進める。

 ドフィの背中を軽く押して促し、戸に手を当てた。

 

「あいつらなんでひれ伏さないんだえ!?姉上!こんなのおかしいえ!」

「そりゃひれ伏す理由がないもんよ。口閉じてなさい、舌かむよ」

 

 ざっくりと説明して勝手口の方から這々の体で逃げ出す我が家族。やれやれだぜ。

 いちばん足が速いのは僕なのでしんがりを務めて、なんとか全員を無事に連れ出せた。

 

 この島に到着して、素性がバレる前に持ち出した宝石類を換金して購入しておいた隠れ家に案内する。

 

 燃えてしまった屋敷よりずっとこぢんまりとした、小さなおうち。まぁ今の僕らには相応だろう。

 

「姉様は、ぜんぶ分かってたの?」

 

 まさか家まで用意しているとは思っていなかったのか、唖然とする家族の中でいち早く復活したロシーが僕の服をぎゅっと握った。

 その頭を撫でてやりながら、くすりと笑う。

 

「まさか。でも、いくつか考えていたからね。これもその内のひとつ」

「すごいえ! 姉上!」

 

 目をきらきらさせるロシーとはしゃぐドフィ。いや凄くないから。逃亡生活で拠点の分散は基本です。

 大変なのはここからだよ、と噛んで含めるように言い聞かせる。この場所が割れてなければいいが、一時凌ぎになるかどうか。

 

 そう、ここまでは想定内だ。

 世界政府はおそらく自分たちを生かすつもりなんてない。最高の生贄として利用し潰すつもりだろう。

 それをかいくぐるには、なんとか策を練らなくてはならない。

 

 でも、なんとしてもやり遂げなくては。

 

「みんなは僕が守るから」

 

 だから、笑え。気丈に、威風堂々と、何も心配することはないのだと表情で伝わるように。

 

「だいじょうぶ、だよ」

 

 

 

×××××

 

 

 

 噂の届いていない地域へ行き着いて始めた僕の活動は氏素性を隠しての仕事と、『噂』流しである。

 こちらが天竜人だと先に勘付かれる前に、こちらから流してしまえばいいと判断しての行動だ。

 

 ただし、それは実際とは多少の違いがあるけれど。

 

 酒場の樽を担いでいると、今日も聞こえる世間話。

 

「元天竜人が近くにいるらしいって、アレ、マジか?」

「ああ、けどその天竜人に危害が及ぶといけないからって、あちこちに替え玉を用意したらしいじゃねぇか」

「じゃあ隣町で襲撃したってヤツらも?」

「そうかもしれねぇな。だとしたら可哀想な話だよ」

 

 よしよし、今日も順調に噂は広がっているようだ。

 

 僕がこの町で流した噂は『天竜人が姓を捨てて暮らしているらしい』『その天竜人を守るために、替え玉が用意されているらしい』『替え玉であることがバレるとその家族は天竜人に殺される』このみっつだ。この町で、幸運なことに協力者を得られた僕は彼の助力を得て噂を広めた。

 僕はともかく父母やドフィ、ロシーが天竜人らしく振る舞えば振る舞うほどこの噂は効力を発揮する。

 

「ケッ、天竜人のやりそうなこったぜ。胸糞悪ィ」

 

 吐き捨てるような男の言葉は、噂の信憑性が高まっている証左だ。

 

「おやっさん、お待たせしました!」

「ああ、そっちの樽は倉庫におねが……頼む。そしたら今日は上がっていいぞ」

「はい!」

 

 ほんの少しだけ言い淀んでしまったこの酒場のマスターは、過去僕が引き取った元奴隷だったひとだ。

 彼がこれまで受けてきた所行を考えれば、すぐさま自分たちのことを周りにバラしたっておかしくなかったのに、マスターは僕を雇うだけでなく噂まで率先して広めてくれた。もうマスターに足を向けて眠れない。

 

「ジマドールさん、ありがとう」

 

 倉庫から戻ってこっそりと礼を述べると、彼は樽みたいな身体をゆすって少しばかり照れくさそうにぷいと横を向いた。

 

「おれぁ、アンタに恩がある。それだけだ」

 

 作りすぎた、と賄いの余りを包んだ袋を受け取って思わず微笑んだ。まだ温かいそれは、彼の思いが詰まっている。

 もう一度頭を下げて、僕は家族の待つ家に帰った。

 

 実は、迫害による悪罵と暴力の凄惨さを肌身で味わった父は一度マリージョアへドフィたちの帰還を打診していた。返事はもちろん「ムリ。捨てたものは戻らないよ!」。そりゃそうだ。

 

 既に権威を失効した時点で僕らは彼らの仲間ではなくなった。『元天竜人』という体のいい生贄なのだから、せいぜい民の鬱憤の捌け口になってくれというのも当然である。

 断られた時の両親の落ち込みっぷりは尋常じゃなかったので、慰めるのにわりと苦労した。ほんと、いいひとたちなんだよ。……計画性がないことを除けば。

 

「ただいま」

 

 海の近くの小さな家が今の自宅である。

 ゴミ捨て場がわりと近くにあったので安価で借りられた。潮風のおかげでそうイヤな臭いはしない。

 「おかえり」とか細く呟く椅子でうなだれている父は、またぞろマリージョアに電話してボコボコにされたのだろう。スープを温めてカップに注いで置いておく。

 

「すまない、お前には苦労ばかりかける……」

「覆水盆に返らず、ですよ。過ぎた過去を悔やむよりも、今日を生きてください」

 

 オブラートに包んでいるが、ぶっちゃけネガキャンに付き合うのも限度がある。いい加減にしないとケツ叩いて森に放り込むぞ、という言葉は呑み込んで曖昧に笑むに留めた。

 そもそも手に職くらいつけてから出奔しましょうよ、財産に胡座かいてるからこうなるんです。

 同じようにスープを注いで全員分の食事を準備してから、まずは母のベッドに持っていく。

 

「母様、ただいま戻りました。食事ですよ」

「ありがとう、ミオ。ごめんなさい……」

 

 力なく微笑む顔色は白く、呼吸が浅いせいで声には力がない。母は随分痩せてしまった。

 やさしいひとだから、これまでの迫害による傷は誰よりひどい。絶え間ないストレスが心と身体を蝕み、家族を危機にさらすことになったという後悔が母を常に苛んでいるのだ。憔悴の色が濃い。

 ベッドの傍で心配そうに母を見上げているドフィとロシーにも声をかけた。

 

「ほら、二人もご飯にしよう。それとも母様と食べる?」

「……ん」

 

 ふるふると首を振り、ドフィはロシーを促してテーブルについた。

 粗末ではあるが、最低限の栄養は摂取できる食事。味については言及しないでくれ、僕の料理はなぁ……食べられるけど美味くないんだ。すまない。

 

 ちなみにドフィはちょこっと料理ができる。自分にもし何かあった時のために仕込んだのだ。ロシーは教えてみたが……包丁握らせたら死人が出そうだったんだ、察してくれ。

 

「……あねうえ」

「どした? ドフィ」

 

 ご飯を食べてから僕の膝によじのぼってきたドフィがぎゅうっ、と抱きついてきた。ロシーと父は母についている。

 

「あねうえは、父上が憎くないのかえ?」

 

 あらぁ、直球。

 

「ドフィは憎いんだ?」

 

 ぎっとこちらを睨み据えるドフィの目は子供とは思えないほどの憎悪に満ちて、貪婪だった。

 ドフィにしてみれば当たり前に享受していたものを全部剥ぎ取られて、勝手にどん底まで道連れ一直線。一方的で理不尽だ。抵抗できる手段が皆無だったのだから、そりゃ憎かろう。

 

「当たり前だえ! だって、ここに来てからイヤなことばっかり起こる! 誰も頭を下げない! 馬鹿にされて、叩かれて、うんざりえ!」

 

 恵まれた子供時代は勝手に幕を下ろされて、上がった二幕は地獄ときたものだ。

 

 地獄への道は善意で舗装されている、というのは上手い言葉だ。よかれと思って行ったことが悲劇的な結末を招いてしまうこと。うちの父はまさにそれ。

 欲しいものは手に入れて当然、イヤなものは遠ざけて当然。歪んだまま育っても許される地位は、父が放り捨ててしまった。まぁ、天竜人方式の育て方なんてほぼ優しい虐待だったのだが、こっちはこっちでもろにひどい。

 

「だよねぇ」

 

 住処を追われ、町に出れば罵倒や投石。ひとたび身分がバレたらまた逃亡。子供じゃなくてもイヤになる。うーん、改めて考えるとほんとにひっでぇな。

 

「こんな所で、生活で……それに、あねうえばっかりしんどいえ!」

 

 少しばかり驚いたけど、ドフィの優しさにほっこりする。

 頭のいいドフィなら、僕のしていることを少しは把握しているのかもしれない。ドフィの頭をゆるゆると撫でて、思ったことを口にした。

 子供は敏感で、聡い。嘘なんてすぐに見抜いてしまうから、素直に。

 

「父様のことは憎くないよ。多少、いやだいぶ、考えなしだったけどさ。色々、たいがい」

 

 出奔にあたり計画性皆無だったりとかな!

 

 弁護するとすれば、父本人としては心配してなかったのだろう。身分はなくても財産はある程度持ち出せたし、清く貧しく幸せに、人々と手を取り合って家族でともに生きて行こうと。夢を見ていたわけだ。

 

 現実は非情である。

 

「でもまぁ、父様がやりたかったんだからしょうがないよね。すごいめんどくさいけど」

「そ、それで片付けるのかえ!?」

 

 これで僕らが成人してりゃあ付き合う必要ないからよかったんだけど、未成年が両親の方針に巻き込まれるのはもうどうしようもない。

 親は子を選べないが、子供だって親を選べないのだ。ここまでくると不幸な事故に近い。遭遇したのは超運が悪かったけど、くじけたら終わりなのでなんとか踏ん張ろう、みたいな。

 

「そりゃそーだよ。あえていうなら、止めきれなかった僕も悪いから……ドフィは僕も憎んでいいよ」

「ッ!」

 

 反射的にかドン、とドフィは僕の胸を叩いて、それからまた抱きついた。

 

 そうだよね、ごめん、お姉ちゃん意地悪言ったわ。

 

「いたいよ。ドフィ」

「ずるいえ、あねうえ」

「うん、ごめん。大人はずるくて汚いんだ」

 

 子供は大人よりも周回遅れで走り出してるから、その背中を捕まえて引きずり倒すには死に物狂いで努力するしかない。

 僕はちょっとずるしてるけど、それでも足りない。食い潰されるだけなんてまっぴらだ。

 べそをかくドフィの背中を軽く叩きながら、寝物語のように言葉を紡ぐ。

 

「でもさ、ドフィとロシーが大きくなるまでは僕が守るから。そしたら好きに生きればいいよ」

「好きに?」

 

 うん、と頷く。

 べつに天竜人じゃなくたってドフィとロシーには未来がある。

 幸い、腕っぷしが立てば働けるクチはいくらでもあるような物騒な世界だ。彼らをこれから鍛え上げれば、そこそこには使えるようになるだろう。

 そうすれば賞金稼ぎになってもいいし、海軍に入ってもいい。いっそ海賊だって構わない。

 

 楽しく幸せになれるなら、それで。

 

「ねぇさま? なんのお話をしてたの?」

「んー? ドフィとロシーは僕が守るよって話」

 

 いつの間にか傍に来ていたロシーも抱き締めて、くしゃくしゃと頭を撫でてやる。

 猫のように擦り寄るロシーに微笑んで、二人分のぬくもりを感じながら正直なことを口にする。

 

「強くおなりよ、二人とも」

 

 なんせ父母がアレだ。

 頼れるものは必然的に己となる。

 まだまだ甘えたい盛りの弟ふたりには酷な話だけれど、こればっかりは知っておいてもらわないと今後どころか人生が危うい。

 

「教えられることは教えるし、鍛えるから。二人は賢いし、きっと強くなれる。そうしたら、好きなところに行っておいで。父様と母様は僕に任せて、さ」

 

 二人はなんにでもなれる。足枷は全部置いていって構わない。

 まぁ父と母に関してはある程度は面倒みるがそこそこで勘弁してくれよな、いい大人なんだから。

 

 とにかくこの世界は弱肉強食。強い方が生きやすい、そういう場所だ。

 

「色んな所に行って、色んなものを見ておいで」

 

 ぶっちゃけ腐敗したマリージョアより自分の肌には合っている。……父母と弟二人がどう考えているかは別問題だが。

 

「そうすれば──ここもそんなに、悪い世界じゃないよ。たぶん」

 

 そう締めくくって、僕らは寝床に入った。

 

 次の年の冬。

 

 環境の変化か過労かストレスか、その全てか……蝋燭の火が消えるようにひっそりと、母が息を引き取った。

 

 ドフィは8歳。ロシーは6歳。そして僕は12歳の時だった。

 

 

 

 



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に.生存戦略おわり

 それからもしょぼしょぼと月日は流れた。働いて、ドフィたちを鍛えて、教えて、引っ越して、また働いて……。

 どこから話が流れていたのか、それまでで最も苛烈な迫害──否、暴徒と化した人々の襲撃に遭った。

 

「元天竜人だァ! 殺しても海軍は動かねぇ!」

 

 罵声とともに投げられる石からドフィたちを守り、父を促して走る。

 

「できるだけ生かすんだ! すぐ死なれたら興ざめだからな!」

 

 罵倒が飛び、無数の矢が降ってくる。

 悪夢のようだ。きっとこれは天竜人が話を流したのだろう、そんな確信がある。

 

「苦しめ!後悔しろ! 絶望しろよぉ!」

「痛めつけろ! できるだけむごたらしく! 凄惨に!」

 

 せっかくの生贄なのに、格好の的なのに、いつまで経ってもいたぶられることなく姑息に生き長らえる僕らにきっと業を煮やした。だから焚きつけ、熾火に油を撒いた。

 燎原の火は生半可なことでは、消えやしない。

 

 僕らは全力で逃げるしかなかった。着の身着のまま、路地から路地へ、人通りの少ない場所へと。

 

 でも、それも限界だ。

 

 町中すべてが敵だ。安全な場所がどこにもない。こうなってしまっては──仕方がない。

 

「はぁ、ハァ……!」

「いたい、いたいよぉ……」

 

 運良く人いきれの途切れた路地に入り込み、僕はドフィとロシーの怪我をみる。擦過傷はいくつかあるけれど、まだ五体満足。よし。

 僕は布を噛んで歯が割れないようにしてから背中の矢を引き抜いた。早く抜かないと筋肉が締まって抜けなくなってしまう。刺さったのが一本でよかった。

 

「ぅぐッ!」

「あねうえ! ち、血がぁ!」

「は、ぁ、へいき。動くから」

 

 幸い、重要な血管は傷ついていない。まだ動く。動ける間は大丈夫。

 慌てる二人をなだめながら手早く止血してから膝を折って視線を合わせ、二人の肩を掴む。

 

「いい? ふたりとも、僕の言うことをよく聞いて」

「! い、いやだ!」

 

 ああ、賢いドフィは勘付いてしまったか。

 でもだめなんだ。

 

「ドフィ、いいこだから」

「いやだッ!!」

 

 耳をふさいでイヤイヤと首を振るドフィの頭をあやすように撫でてみたが、拒否の姿勢は変わらない。

 一分一秒が惜しい今、子供のわがままを聞いているヒマはなかった。残念だな、お姉ちゃんの最後のお願いかもしれないんだけど。

 

「じゃあ、父様、ロシー。よく聞いて、あとでドフィに伝えてね」

「ね、ねぇさま?」

 

 この上なく真剣な様子にロシーも何かを察したのか、不安げにこちらを見つめている。

 聡いロシーに賢いドフィ。あと、頼りにならんけど父親。彼らならきっとなんとかなる。否、なんとかしてもらうしかない。だってもう彼らしかいないのだから。

 

 信じて、託す。

 

「お金や換金しやすい物は島のあちこちに隠してあるから、逃げ切ったら探して。場所はね──」

 

 常に身につけていた地図を取り出して×印の地点を手早く教えて、くるくると丸めて父のポケットに突っ込む。

 これは宝の地図。三人の命を繋ぐ糧。大事にしてね。

 

「それから、もし、どうしようもないことになった時は……星と魚の刺青を入れたひとたちを探してみて。きっとロシーたちの力になってくれる」

 

 星を見上げる魚。

 

 星が僕で、魚が自分たち。消費されるだけだったのに、いっとう綺麗な星に見つけてもらえた、幸運なさかな。そう誇らしげに教えてくれた。ずいぶんと照れくさい話だ。

 彼らは元奴隷だが、ありがたいことに僕を慕ってくれていた。刺青を上書きして、各々各地に散っている。僕の家族ならば、きっと邪険には扱われまい。

 

 それから、それから、ああ考えがまとまらない。でも、そうだ。

 

「父様、二人をお願いします」

「……ああ」

 

 この時ばかりは頼りない父も真摯に頷き、くしゃりと顔を歪めた。

 

「本当に、最後まで頼りにならない父ですまない。すまない……!」

 

 元々老けていたが、この短期間に随分とやつれてしまった。頼りない、計画性皆無の、色々とだめだめな父様。でもね、僕はあなたがあんまり嫌いじゃない。善を愛おしみ、ひとを信じようとする姿勢は、清廉でひどく眩しかったから。

 

 謝らなくていいって言っているのに謝ってばかりの父に、こんな時なのに笑みが浮いた。こんな時だからかな?

 

「適材適所ですよ。それに、逃げ切れるとしたら僕しかいない。父様には父様の仕事がある。それを全うしてください」

「ああ、ああ!」

「ねぇさま、なんでそんなこと言うの?そんな、それじゃ、それじゃあ……!」

 

 言葉の端々から悟ったのだろう、ロシーの目にみるみる涙が浮かぶ。ロシーはいい子だ。ドジばっかりで、それはもう呪いかよって勢いで厄払いを真剣に考えたけど。でも優しい。頭だって悪くない。ちゃんと人を思いやれる。いいこだ。

 僕はいつの間にか耳から手を離して涙を堪えているドフィと、ロシーを抱き締めた。

 このあったかさを、尊さを、ずっと覚えていよう。

 

「大丈夫。運が良ければまた会えるよ」

 

 そうだ、これだけは必ず伝えなくちゃ。

 

「ごめんね、ふたりが大人になるまで守れなくて」

 

 あわよくば生き残る気まんまんだけれど、もしもの場合はあるかもしれない。むしろそっちの可能性の方が笑っちゃうくらい高いので先に謝っておく。

 でも民衆の目を引きつけて、囮になって、できるだけ人数を削って、それでもなお逃げ切れるとすれば──僕しかいない。

 

「うそつき!」

 

 ドフィの鋭い声が胸に刺さる。

 

 でもじんわりと服が濡れて、背中にしがみつく手には強い力が籠もっていた。ロシーもだ。こんな状況だ。僕が何をしようと思っているのか分かっちゃったのだろう。

 いかないで。

 ここにいて。

 そんな声なき声が聞こえてくる。そりゃ、できるもんならそうしたいけど、そうなると全滅するんだよなぁ。それじゃ駄目なんだよ。

 少しだけ口の端を上げて作った笑みは、歪んでいるだろうか。

 

「そうだよ。大人はずるくて汚くて──うそつきなんだ」

「あねうえはまだ子供だ!」

「……そうだね」

 

 ドフィの言うことは正しい。肉体の年齢でいえば、まだまだ小さい。

 

 でもね、こころはそうじゃないんだ。そうじゃないから、頑張れることがある。

 それがなにより、僕には誇らしい。

 

「ドフィ、ロシー、父様」

 

 全力で二人を抱き締めて、そっと囁く。

 

「だぁいすき、だよ」

 

 寸の間も置かずに父に向かってふたりを突き飛ばし、踵を返して駆け出した。

 「ねぇさまあ!」「あねうえ!あねうえぇえッ!!」悲鳴が聞こえるけど追ってくる様子はないから、きっと父が止めてくれている。

 

 それを信じて駆け抜ける。

 

「いたぞ! 天竜人だ!」

「捕まえろ! 矢をありったけ持って来、ぐあッ!?」

 

 動きを止めようと躍り出た男の顎に膝蹴りをかまし、驟雨の如き矢を避け、手近な人間を片っ端から叩きのめす。

 その辺で拾った鉄パイプだって、立派な武器になる。

 

「邪魔ぁ、」

 

 弟たちのみちゆきを、未来を穢そうと立ちはだかる輩は全部敵だ。

 

「すんなぁあああああッ!!」

 

 信じられないくらいの怒声が出た。獅子吼だった。

 びりびりと気圧され、何人かの男たちが怯むが上回る怒りが再起動させる。構うもんか。

 銃を構えた男の手首をへし折り、胸ぐらを掴んで振り回す。倒れた頭を無慈悲に踏みつけ、周囲もまとめて吹っ飛ばす。力の限り暴れに暴れ、大通りの障害物に乗り上がり、少しでも家族からこちらへ意識が向くように。

 

 どうか逃げて、未来を掴んで欲しい。

 

 それだけが、お姉ちゃんの望みだよ。

 

 

 

×××××

 

 

 

 どれだけ暴れたか……いつの間にか振り回していた獲物はなくなり、拳はぼろぼろ。多勢に無勢とはよくいったもので、さすがに限界が近い。打撲と骨折で腕が上がらない。あちこちに受けた矢で穴だらけだ。嘘みたいに血が流れている。思ったよりこの身体は丈夫にできている。

 でも、腿に受けた打撃がとどめだった。筋がイカれて動きがにぶってしまう。

 

「おい、まだ息があるぜ」

 

 蹴り飛ばされ、身体が転がる。ああ、これはヤバいな。体力も空っけつだ。

 

「そりゃいい。長く苦しんでもらわにゃあ」

「けど虫の息だぜ?」

 

 鼓膜もやられたのか、それとも死が近いのか声が遠い。抵抗しようにも動ける気がしない。

 

 でも、うん、いいや。

 

 たぶんドフィとロシーは逃げられる。父様は無能だし頼りないし考えなしのうえ計画性もないが、子供を思う気持ちだけは、それだけは本当だから。

 きっと助けてくれる。逃がしてくれる。それこそ命をかけてだって。

 

 だから、いいか。……いいな、うん。

 

「なぁ、殺すならおれがやってもいいか?」

「え? アンタが?」

「そうか、アンタ元奴隷だったもんな。恨みは深いか」

 

 水の中にいるように声が遠い。痛みも遠い。意識があるのが不思議だ。

 ドフィとロシーが大人になるまで守ってあげられないけど、ぼく、がんばった。わりと身体張ったし。ぼろぼろだ。ドフィはわがままばっかりだけど、ちょっとは鍛えられたし、ロシーもドジは直らなかったけど知識は与えられた。父様には必要最低限しか叩き込めなかったけど、あとは任せても大丈夫だと思う。

 

「どうせ長くは保たないだろうし、いいぜ」

「ああ、ありがとよ」

 

 声が途切れ、身体がふわりと浮いた気がした。ゆらゆらと揺れて、足がぶらぶらする。

 誰かが抱えたらしいことは、なんとなく分かった。誰だろう。父様じゃない、そんな力ないんだよなぁ、これが。

 べつに燃やしたってなにしたっていいけど殺してからにして欲しい。これ以上苦しいのはちょっと。見せしめもなぁ……もし見られたら、泣いちゃうかもしれないから勘弁してあげてくれないだろうか。

 

 ぼんやり考えて、気付くと、あんなにあった人の気配が消えている。うるさいくらいだった怒りの声も、恩讐の叫びも聞こえない。ふと潮風を感じて、腫れ上がったまぶたをがんばって上げると、こちらを見つめる瞳に見覚えがあった。

 

 彼は、かれ、は──

 

「ちぇ、れ、すた?」

 

 回らない舌をなんとか動かすと、目の前の顔がぐしゃりと歪んだ。

 チェレスタ。僕が始めて買った奴隷で、それからはずっと傍仕えになってくれた、元海賊。最後まで僕らについていきたいってゴネてた。

 

「ああ、そうだよ、おれだ。ミオ、ミオ様……なんでアンタがこんな、こんな、なんてひどい」

 

 ぽたぽたと頬になにかが当たってひどくしみる。目にも入って視界が歪んだ。

 ……そうか、涙か。チェレスタが泣いてるんだ。

 

 彼らはひどいのだろうか、よく分からない。

 

 恨みを晴らす相手がたまたま僕らしかなかった。だって天竜人は恐いもんね。下手に逆らったら死んじゃうし、死んでまで恨みを果たしたいひとはあんまりいない。奴隷にだってなりたくない。みんなそうだろう。

 でも『元』天竜人ならいたぶれる。いじめられる。こっぴどく痛めつけても報復されないから。やり返されないことをみんな知ってる。それに誰も責めない。むしろ褒めてくれる。

 不倶戴天の天竜人をいじめるなんて、偉いな、すごいぞ。だったらみんな、やるよなぁ。こわくないんだから。なんて都合のいいサンドバッグ。

 

 だったらこれは──仕方のないことなのだ。

 

「しょうが、ない、ね」

「しょうがなくなんてねぇよ!」

 

 チェレスタの声はほぼ悲鳴に近かった。

 

「全部あんたのせいなんかじゃ、ない。あんたはなにも悪くない。あんたは、ミオ様は、おれたちの恩人で、救ってくれた、命を、人生をくれたひとだ! なのに、おれは、あんたを助けること、すら……!」 

 

 慟哭だった。

 どうしようもないことを、己の不甲斐なさを嘆く懺悔だった。

 チェレスタが嘆くことなんてひとつもないのに。僕はやれることをやったけど力不足で不覚を取った。それだけだ。申し訳ないと思うと同時にちょっとだけ嬉しくなっちゃうのは、許して欲しいな。

 

「いい、よ」

 

 いいんだよ、本当に。

 

 ほんのちょっとだけ、誰かを助けられた。自己満足だった。でも報われた。それを確信できた。

 だってチェレスタが泣いてくれた。惜しんでくれた。彼なら惨めな遺骸を晒すことはしないでくれるだろう。

 

「ありがと、ちぇれすた」

 

 だから、これでじゅうぶんだ。

 

「……おれは、海賊だ」

 

 じゅうぶん、なのに。

 

「海賊は欲しいものを奪うんだ。だから──おれは、あんたを奪う」

 

 なんで、チェレスタはそんな不穏なことを言うのだろう?

 

 懸命に口を動かそうとしたら、ふわりと手で顔を覆われた。あたたかくて、少し乾いた、おおきな手。

 

「おれは、コチコチの実を食べた凍結人間。おれは触ったものを『凍結』させる。空間も、時間も──なにもかも」

 

 すぅ、と身体から力が抜けていく。

 くたくたに疲れた身体からもっと力が抜けて、痛みも薄れて遠ざかる。

 

 悪魔の実。

 聞いたことがある。人の域を超えた異能力を得る代わりに海に嫌われ、泳げなくなるリスキーダイス。

 

「今のおれじゃ、あんたの怪我を癒やせない。だからあんたの時間をここで止める」

 

 ちょっと待って。

 そんなの困る。困るよ。

 

「それじゃ、どふぃ、たちが」

「知るか。おれが大事なのはミオ様だけだ。いつまで経ってもミオ様におんぶに抱っこの、特権意識を、天竜人を捨てられない、くずどもなんか」

 

 吐き捨てるような声にイヤでも分かってしまう。これはダメなやつだ。

 チェレスタは本当にドフィたちのことをなんとも思っていない。そうだ、彼らは海賊。欲しいものは手段を選ばずに奪い取る、海の無法者たち。

 

「どうかおれを恨んでくれ。呪いあれと願ってくれ」

 

 凍る、凍り付く。なにもかも。

 温度が失せて、指先のひとつさえ動かない。ゆるゆると眠くなる。穏やかな午睡のような、柔らかな睡魔だ。

 

 どうしよう、抗えない。柔らかく手を取られて、連れて行かれる。

 

「それでようやく、とんとん(・・・・)だ」

 

 それきり、ぷつんと、僕の意識は消えて失せた。

 

「完治させられる場所まで運んで──必ず治す。グランドラインに医療技術が発達した国があると聞いた。そこなら、きっと……」

 

 

 

×××××

 

 

 

 同日、深更。

 

 夜闇に紛れて一隻の海賊船が出航した。無法者たちの名前は『ラグーナ海賊団』。

 ラグーナとは湖沼の意。転じて、取り残された(あるいは放逐された)魚たち――どこからも見放され、見捨てられたはずの無法者たちが作り上げたコミュニティの異称だった。 

 

 彼らは魚だった。

 陸揚げされてしまえば呼吸もままならず、消費され、磨り潰されることだけを運命付けられた哀れな魚だった。

 けれど地べたを這いずるだけだった魚は、星を見つけた。寄る辺のない絶望の闇のなかで、小さく輝く星灯り。

 

 小さな星は、懸命に彼らの願いを叶えてくれた。ていねいに掬い上げ、治療を施し、自由の海へと返してくれた。

 

 魚たちはならず者だけど恩を忘れなかった。受けただけの恩義を、一生かけてだって返したかった。

 

 

 そして──今しも儚く消えそうな星を大切に抱えて、彼らは一縷の望みを胸に大海原へと漕ぎ出した。

 

 

 

 




これにて『幼少編』は終了です。
ちょっとした閑話を挟み、それから時間がどかーんと進みます。


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幕間.ドフラミンゴの慨嘆

 

 

 

 ミオは天竜人としては異端の子供だった。

 

 集める奴隷は中古品ばかりで、虐げることもなく、気付くと増えたり減ったりしていた。何かしているようではあったが、周囲にそれを悟らせることはなかった。

 やりすぎて殺したとてそれは『普通のこと』であったし、元々奴隷は替えのきく代用品に過ぎないのだから誰も気に留めなかったからだ。

 ただ、ドフラミンゴが自分の奴隷を折檻しようとすると目に見えてげんなりするので、それが見たくなくて控えたりはした。

 

「そもそもガキが大人叩く時点で頭おかしいと思うし、奴隷であってもひとの形をしているものを良心の呵責なしに折檻とか、弱いものいじめじゃん……引くわー」

 

 不思議に思って尋ねたらそんな返事が返ってきた。

 変な理屈だし、ズレた返事でドフラミンゴの方が反応に困った。姉の価値観は異端らしく変だということしか理解できなかった。

 けれど試しに折檻をせずに注意で済ませてみたら、奴隷は言うことをよく聞いたし、いつもよりずっと長保ちした。なるほどと思う。効率は大事だ。

 

 ドフラミンゴはそんな妙ちきりんな姉が好きだった。それは姉に対する思慕であったし、珍奇な生き物を観察する好奇心でもあった。

 

 だからこそなのか、天竜人をやめるということをよくよく理解していたのだと思う。

 下界に行くという父を何度も説き伏せようとして失敗し、やがて諦めてからは何かをしていた。今なら分かる。それは家族を守るための準備だった。

 

 見下していた下々民でも、集まれば力だ。

 

 圧倒的多数の暴力に屈することなく生きるためには、知恵が必要だった。それを姉は理解していた。両親はそれを知らなかった。それは歴然とした差となって襲いかかってきた。家族数人ができる抵抗など限られている。既に権威を失墜した『天竜人』は、虐げられたものたちにとっては格好の的だった。

 

 『正義』は恐いものだとドフラミンゴは知った。

 

 浴びせられる罵声を聞き流し、理不尽な暴力をいなして家族を守る姉を、ドフラミンゴは心底尊敬していた。その辺で両親に対する好感度がダダ下がりだったのは致し方ないことだろう。

 人の感情の流れを把握して疑われぬようにと噂を流し、常に逃走経路を念頭に置いている姿はまるでおとぎ話の勇者のようで、そんな姉が誇らしかった。だから貧しい暮らしにも耐えられた。少ない食事も我慢ができた。

 

 だからこそ疑問だった。

 なぜ元凶を恨まないのか、と。父が阿呆な発案を実行したせいで自分たちはこんなに苦しんでいる。父は空回るばかりで母は病床について、姉ばかりが苦労している。それはどう考えてもおかしかった。

 そんな疑問に姉は疲れたように笑うだけだった。

 

──父様がしたかったんだからしょうがないよね、と。

 

 親の庇護下でしか生きられない子供なのだから、どうしようもない。それがイヤなら早く大きくなって強くなればいい。そのためならば協力は惜しまないし、独り立ちできるまでは守るから。

 親を恨むワケではないが面倒臭い。まぁ止めきれなかった自分も悪いから恨みたければどうぞ。

 つまるところそういうことだ。世界も理不尽だが姉の物言いもたいがいだった。

 

 けれどドフラミンゴは理解した。

 

 姉はそもそも両親に期待していない。

 だから、恨みもなければ憤慨もしない。

 地位を利用しても、拘泥していないから未練もない。

 そういう意味で、姉は誰より大人だった。父などよりずっと。外的要因は容易に喪失されうるものだという前提で生きていた。納得はできないが、恰好いいとすなおに思った。

 

 ドフラミンゴは、そんな姉に頼られたかった。

 

 ほんの数年、年嵩なだけの姉が懸命に守ったとて限界がある。

 元々身体が強くはなかった母は、環境の変化に耐えきれず、ある日糸が切れたようにぷつりと亡くなった。

 なんとか荼毘に付すことはできたが、悲嘆に暮れる暇はあまりなかった。迫害はますますひどくなり、姉は家族を守るために奔走した。働く合間にドフラミンゴを鍛え、ロシナンテに知恵を与え、父の尻を叩いて生き抜くための術を教え込んでいた。遊んでもらえないことは不満だったが、目の回るような忙しさだっただろうことは想像に難くない。

 

 姉は強かった。

 年齢に反して非常識なくらいに。何度挑んでも勝てなくて、ドフラミンゴはその時だけ自分たちのみじめさを忘れることができた。

 野生のどうぶつみたいな勘の良さと、危機管理能力の高さで姉は家族を守り続け、そうやってなんとか日々をしのいで数年の時が過ぎて──唐突にその日は訪れた。

 

 どこから住処が割れたのか、経験したことのない大人数の襲撃だった。否、町すべてが敵だった。悪意の坩堝で、敵意の塊だった。

 

 恐かった。ひたすらに。そして憎かった。数の暴力に酔って拳を振るおうとする人間たちが、原因である父が、ろくな抵抗のできない、自分が。

 

 どうしようもない混沌の只中でも姉の行動は的確だった。用心深く、慧眼だった。家族を、弟たちを守るために全力を尽くした。

 姉は賢く強かった。非常識なくらいに。そして優しく甘かった。

 

「ふたりとも、僕の言うことをよく聞いて」

 

 暗い路地裏、殺意と熱気が充満するなかで視線を合わせた姉の言葉にドフラミンゴは反射的に否を唱えた。何をしようとしているのか、分かってしまったから。

 けれどそんな子供の駄々で覆るような状況ではなかった。ちょっとだけさびしそうな表情を浮かべた姉は、すぐにロシナンテへ視線を移して口を開いた。

 

 告げられたのは生存の秘蹟だった。

 

 どれだけの時間をかけて準備していたのだろうか。人目の届かない各所にひっそりと埋められた資金と、刺青を目印にした人脈。

 

「ごめんね、ふたりが大人になるまで守れなくて」

 

 運が良ければ会えるとのたまいながら、次に飛び出した謝罪の言葉。

 うそつきと糾弾すれば姉はそうだよと嘯いた。大人はずるくて汚くてうそつきなのだ、と。

 

 姉は子供だった。

 大人よりずっと頼りになる子供だった。

 それが姉の不幸だったのだと、今なら分かる。強く優しく馬鹿だった。

 短い説明を終えた姉は、自分たちを抱き締めて、突き飛ばした。受け止めた父は、見たことのない強靱な意志と力でドフラミンゴとロシナンテを押さえつけた。

 どれだけ暴れても噛みついても父は離さなかった。根性なしのくせに、こんな時ばっかり父親面しやがって。身も世も無くドフラミンゴは泣き喚いた。ロシナンテも同様だった。野太い悲鳴が聞こえる。姉の声は聞こえない。今はまだ。

 

 姉は家族を守る為に、真っ先に自分を切り捨てた。

 

「だぁいすき、だよ」

 

 心からそう思っているとわかる声だった。ドフラミンゴだってそうだ。大好きな姉。なにより大事な家族。いなくなるなんて考えたことがなかった。何があっても一緒にいると勝手に信じていた。愚かなことに。

 稽古のたびにボコボコにされて、それでもいつかは勝って、高笑いしようと思っていた。もう守ってもらわなくても大丈夫なのだと胸を張りたかった。大人になって、力をつけて、どんな悪意からも守れるようになって、そうしたら姉も連れて行こうと思っていた。ここではない、どこかへ。

 

 ドフラミンゴの覚醒は間に合わなかった。

 

 ミオの消息は不明だった。一騎当千の働きで民衆を倒し、それでも力及ばず攻撃を受けた。虫の息だったと聞いた。遺骸はまだ見つかっていない。元奴隷だった海賊が意趣返しのために持ち去ったという噂があったが、真偽は不明だ。どれだけかかっても真偽を確かめ、突き止めなければならない。

 何より愛しい姉を奪ったのだ。報復はドフラミンゴの持つ当然の権利であると信じて疑わない。

 

 あの後、父を殺した。

 

 姉はうそつきだった。

 

 

 世界はちっとも楽しくない。

 

 

 

 



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幕間.ロシナンテの懺悔

 

 ロシナンテは昔、少しだけ姉が怖かった。

 

 ドンキホーテ家の長女は変わり者で偏屈、というのが周囲の認識だったからだ。

 もちろん、家族にいつも優しい姉だったからそこを疑っていたわけではない。

 けれど集める奴隷は誰かの『使い古し』ばかりで、社交界にも興味が薄い姉はそこそこに評判が悪く、だからロシナンテは兄のドフラミンゴとは違った意味で怖かった。

 

 なぜ、姉は周りの言葉を気にせずいられるのかと。

 

 貴族社会は風聞が馬鹿にできない。それは気弱で臆病なロシナンテだからこそ痛いほどに理解している。

 なのに姉は露ほどにも気に留めない。誰に何を言われたって馬耳東風で、天竜人としての『常識』なんか知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいた。

 

 あるとき、ほんの些細な出来事がきっかけでそんな不安が爆発した。

 

 姉様はどうして平気なの。みんなが姉様は変わり者って笑ってるのに、どうして気にしないでいられるの。こわくないの?

 姉は笑って答えた。

 

「怖くないよ。だって心配してくれるロシーがいるもの」

 

 変な理屈だった。

 でも、『心配』という言葉はやけにストンとロシナンテの胸に落ちてきた。そうかと思った。ロシナンテは姉が怖いのではなく、不安で、心配なのだ。

 

「変わり者? 偏屈? 大いに結構。僕は大事なものを大事にしてるだけ。それを馬鹿にするひとなんてこっちから願い下げだから、それでいいよ」

 

 きっぱりと告げる姉はなんだか眩しくて、なぜだかロシナンテは泣きそうになった。

 それからロシナンテは姉が怖くなくなった。躊躇せずに駆け寄ってお喋りできるようになった。

 そうすると不思議なもので、見えなかったものがどんどん見えてきた。

 

 『天竜人』の連れている奴隷と、姉の連れている奴隷は瞳のいろが、まるで違っていた。

 

 人形のように虚ろな目で、己の葬列を歩くようなみすぼらしい格好の奴隷たちと、簡素だが清潔な格好で生き生きとなにくれとなく走り回る奴隷たち。

 外出の時なんてこっそり『馬』役を取り合って殴り合いが勃発したりするくらいには元気な彼らを、姉はたいそう大事にしていた。

 それは奴隷と主人の関係ではない、もっと美しくて、柔らかくて、尊いなにかだった。

 ロシナンテにはそれが分かった。

 

 大事なものを大事にする。簡単だけどとても難しいことを姉は実行しているのだと、理解できた。

 

 それからロシナンテは姉が大好きになった。

 それは、自分が怖がっている間も姉に構われていた兄に、ちょっぴり嫉妬してしまうくらい。

 

 姉は家族に優しく、わりと容赦がなかった。

 家族以外には時に平気な顔で残虐なことをする兄を真正面から叱り飛ばし、遠慮なくひっぱたいていた。

 とはいえ、それでドフラミンゴが姉が嫌いになるかというと意外とそんなことはなく、かといって更正するかというとそれもまた微妙で、たびたびやらかしては叱られていた。

 

「ロシーはドフィを見習わないで欲しいなぁ。もし同じ事をやらかすなら……おねーちゃんは心を鬼にしてロシーを叱って場合によってはひっぱたかざるをえない」

 

 疲れた顔で言い出された時はとても困った。

 頼まれても無理だと訴えると、安心したように笑う姉の顔が好きだった。

 

 姉は優しくて賢くて、家族をとっても大事にしていて、そしてとても強かった。ロシナンテはそう信じて疑わなかったし、それは事実でもあった。

 

 それが姉にとって悲劇だと分かったのはマリージョアから住居を移してすぐのことだ。

 

 天竜人という『壁』をなくした特権階級はあまりにも弱く、脆い。それを姉は理解していた。

 

 マリージョアという隔離空間の『常識』は通用しない。だってここは下界だから。下界の人間にとって『天竜人』はただの敵で、悪の代名詞だった。圧倒的多数の暴力に屈することなく生きるためには、姉が頑張るしかなかった。浴びせられる罵声を聞き流し、理不尽な暴力をいなして率先して家族を守るのはいつだって姉だった。

 

 いつまで経っても天竜人としての癖が抜けない兄や両親たちに疑いが向かないように噂を流し、働き口を見つけて収入を確保して、見つかってしまった時のための準備を常に整えていた。──すべては、家族を守るために。

 

 母が亡くなった時も悲しかったけど、辛かったけど、姉がいてくれたから耐えられた。姉は沢山のことを教えてくれた。兄を鍛え、父には生きるための術を教え込んでいた。

 不安なんておくびにも出さず生きる姿を、ロシナンテは凄いと思った。姉と一緒ならなんでも頑張れると思った。

 

 でも、それはもう叶わない。

 

 これまでで一番の襲撃だった。それは迫害なんて生やさしいものではなかった。ただの蹂躙で、私刑だった。

 

 膨れ上がった悪意と暴虐に家族数人で対抗なんてできるはずがなくて、姉は家族を守るための術を父とロシナンテに託して単身囮になった。

 父に塞がれた指の隙間から見えたのは、猛烈な勢いで集ってくる民衆を薙ぎ散らす姉の姿。

 

「だぁいすき、だよ」

 

 抱き締める手はほんの少しだけ、ふるえていた。ロシナンテは気付いた。気付いて──いたのに。

 気付いたら信じられないくらいの声で泣いていた。ロシナンテはその時、己の罪を痛いほどに理解した。

 

 ミオは子供でいることを許されなかった子供だった。

 

 庇護されて当然の年齢だったのに、父母は姉より弱かった。肉体面でも精神面でも。だったら姉が守るしかないじゃないか。

 

 辛くないはずがないのだ。いつだって姉の身体は悲鳴を上げていた。心は軋んで壊れそうだっただろう。不安で潰れそうな夜だってあったはずだ。

 それなのに。

 嫌だ、苦しい、逃げたい。そんな言葉は一言だって聞いたことがなかった。口にしてよかったはずなのに。そんな時間は与えてもらえなかった。

 

 ほんの数年先に生まれてしまったばかりに、子供らしさを許されなかった姉から自分たちは命すら簒奪してしまった。

 

 本当は、姉は家族を見捨てて逃げることだってできたはずだ。そうすれば器用で賢い姉は、間違いなく生き延びられただろう。

 でも、姉の大事なものが、家族が姉を縛り付けてしまった。枷になって、優しい姉は逃げられなかった。

 

 ロシナンテは己の弱さを呪う。幼さを嫌悪する。もっと大きく強ければ、姉はきっと生きられた。

 

 大好きと伝えると、嬉しそうにはにかむ姉が好きだった。ドジを踏んだとき、ちょっとだけ困ったような顔で抱き締めてくれる時のあたたかさが、好きだった。

 

 でも、それはもう見られない。誰でもないロシナンテのせいで。

 

 兄を止めることはできなかった。

 

 目印のひとたちはロシナンテのことを覚えてくれていて優しかったけど、とても哀しそうな目をしていた。ミオ様らしい、そうつぶやいて涙をこぼした。

 

 

 ごめんなさい、姉様。

 

 

 あなたのいない世界を、好きになれそうにないんだ。

 

 

 

 



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お姉ちゃん?編 とある船長のねがいごと

 

「あんたになら、いいか」

 

 くひひ、と息だけで壮年の男は笑った。

 震える手が己の懐をまさぐる。足りない指先でつまんだ地図がふるえていた。古ぼけた、あちこちが血で汚れた地図だ。

 

「仲間を、家族と呼べるあんたなら」

 

 辺り一帯が奇怪な植物と、奇妙な生き物の残骸だらけだ。硝煙と血の臭いが蔓延している。

 得体のしれない熱が焦土から立ち上り続け、周りにはいくつもの肉塊が垂れ下がり、哀れな骸を晒していた。激戦のあとだ。

 焼け焦げた木の根が、かろうじて壮年男の身体を支えていた。

 駆けつけた時には遅かった。

 

「おれたちの隠し財宝、丸ごとぜんぶくれてやる」

 

 生き残っているのは、口を開けるのは、見える範囲では目の前の男だけだった。

 

「そりゃまた豪気な話じゃねぇか」

「くひ、地獄にゃ持っていけねぇからよ」

 

 一言、一言発するたびに、猛烈な勢いで彼の命が消費されている。

 長年海賊暮らしをしているのだ、それが痛いほどに理解できてしまう。

 目の前の壮年の男はとある海賊団の船長で、自分たちの友人だった。

 海賊のくせに奴隷が嫌いで(自分も嫌いだが)奴隷商を見つけちゃ潰して回るので、そういう界隈では災害扱いされていた。当然、そういった組織のブラックリストにも載っているため小競り合いなんてしょっちゅうで、たまにうちの海賊団も巻き込まれてえらい目に遭った。

 

 しかし、侠に生き、仁を貫き、義に報いることがおれたちの誇りなのだと恥ずかしげもなく嘯く友人たちのことを、自分は存外気に入っていた。

 

 予期せぬ奇襲を受けて壊滅寸前になっているという情報を受けた瞬間、全てを押して急行してしまうくらいには。

 

 それでも──間に合わなかった。

 

 島に上陸した時には既に彼らの仲間は死に果てて、かろうじて命を繋いでいる友人の命脈もあと僅か。海賊稼業で友人の死を間近で看取れるだけ僥倖といえば、そうかもしれない。

 血痰混じりの唾を吐き出して、友人は言葉を絞り出す。

 

「財宝ぜんぶくれてやるから、ひとつ、頼まれちゃあくれねぇか」

 

 今、喋れているのだって蝋燭の最後の瞬きのようなものだろう。

 奇跡で、長くは保たない。

 力なくつままれている地図は今にも落ちそうだ。友人の目が早く取れと促してくるから、男は慎重に地図を受け取った。

 

「こいつが隠し財宝とやらの地図か?」

「ああ、そこに溜め込んだ財宝と……おれたちのいっとう大事な『たからもの』が、ある」

 

 地図を無事に渡せたという安堵からか、男の全身が弛緩して見えた。

 泥のように木へもたれかかり、ひゅうひゅうと笛のような呼吸を繰り返す。

 

「『それ』は、それだけは大事にしてやってくれ。それが、頼みだ」

 

 おおよそ財宝を対価に口にするような頼みではなかった。

 

「大事に、だぁ?」

 

 そして友人の言葉だけでは『宝物』の詳細がてんで掴めない。

 大事にする?宝石か?生き物か?

 怪訝な顔をすると、男は少しばかり口の端を緩めた。死にかけた海賊が浮かべるものとは思えない、ゆるい笑みだ。

 

「ああ。なぁに、心配すんな、悪いもんじゃねぇ。きっとお前も気に入るさ」

 

 その時だけ、友人の瞳にほのかな光が宿った。

 本当に大切なものを誇るときのそれだ。

 息苦しそうな呼吸の隙間から、途切れ途切れに訴えた。

 

「けどよ、おれはこのザマだ。どうしようもねぇ。だからあんたに頼むんだ。白ひげ、頼む。おれたちの、いっとうだいじなおほしさまを──たのむよ」

 

 いっとうだいじな……『おほしさま』。

 なんだろう、やはり要領を得ない。

 だが、末期の友人の願いを断る方がどうかしている。考えるまでもなかった。

 

「ああ、任せとけ」

「ありがとよ」

 

 大柄な男の──白ひげの返事に、友人は安心したように深く息を吐き出した。

 

「これでようやく、筋がとおる。誇って逝ける」

 

 少しだけ笑って、静かになった。遠くで怪鳥のいななきが聞こえる。この静寂もそうは保たない。

 それは分かっていたが、白ひげはまだ動けない。

 潰える命のひとしずくまで、見届けなくてはならない。

 

 そうして、もう自分が目の前にいることを忘れたかのように、ぽつりと。

 

「ちくしょう」

 

 友人は、呻いた。

 悔しげに目を細めて、拳を握る。端から見てもろくに力が入っていなかった。

 目の端に、血の混じった涙のつぶが浮かぶ。生への渇望と未練が叫んでいるみたいだった。

 

「ちくしょう、ああ畜生、しにたくねぇ、なぁ……」

 

 死に瀕した海賊が口にする、当然の願いだった。

 けれど少し温度が違った。ひたひたと迫る死の感触を感じ、容認してなお残る後悔と未練。

 

「ほんとは……おれが、助けたかった。恨まれて、呪われて、怒られたかった。ふざけんなって叱り飛ばされて、そんで、」

 

 (はな)を啜り上げながらくしゃりと顔を歪めて、男は空を見上げた。

 グランドラインでは珍しいくらいの澄んだ夜。

 

 闇夜の中でひときわ煌めく星灯り。

 

 伸ばしたてのひらは、どこにも届かない。

 

「なかなおりが──したかった」

 

 その祈りは、到底海賊の口にするようなものではなかった。

 どこにでもあるような願いで、悩みで、希望で──だからこそ、なにより尊いもののように白ひげには思えた。

 

「ああ、けど……」

 

 いい大人がするとは思えない、悪戯をしでかした青臭いガキのような顔だった。

 バツが悪そうに照れくさくはにかんで、どこかくすぐったく、しあわせそうに。

 

「きっと、泣いてくれるんだろうなぁ」

 

 それが、最後だった。

 

 鼓動が止まり、命が消えた。

 

 奴隷嫌いで有名で、漁業が趣味の、すぐ医者を勧誘したがる風変わりな白ひげの友人たちがこの世から消えた瞬間だった。

 

 

 

 

 



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さん.託して託され受け継がれ

 

 

 目を開けたら天井が見えた。

 

 映る紋様はゆらゆら、きらきらと形を変えて、海面の反射だとぼんやり思う。さわさわと耳を刺激するのは船が水を切る音だ。

 つんと刺激する臭いは消毒薬のそれで、目を瞬かせる。

 壁にも天井にも彩り豊かな紋様が描かれ、鈍く光る塗料は派手すぎず、かといって地味でもなかった。ベッドだけが真っ白で、色彩の中で浮いていた。

 

 腕からは何本ものチューブが繋がっていて、点滴の雫が一定の間隔で絶えず落ちている。左手の違和感に視線を動かすとギプスで固定されていて、まだ身体のあちこちに包帯が目立つ。

 

 どこだろう、ここ。

 

 なんでこんな大怪我してるんだっけ?

 

 動かそうとすると、からだのあちこちからじくじくと鈍痛が走って、起き上がるのは無理っぽい。

 少し息を吸うだけで肺がぎしぎし痛んで、呼吸そのものに難儀する。

 

 というか──そうだ、そうだよ。

 

 カチッとスイッチが切り替わった気がした。

 怒濤のように記憶が蘇って、こめかみがずきずきする。全身の血の気がざぁっ、と引いた。

 

「! どふぃ、ろし、とうさま、ちぇれ、す、ごほッ……」

 

 喉が掠れて激しく咳き込む。そうだみんな思い出した。

 あんにゃろう、なにしてくれたんだ。もしや拉致? 拉致ですか? 怪我人を拉致るとか鬼かよ。いや海賊だったわ、おいおいおい勘弁してくれよ。

 

 咳き込みまくってたら部屋の外からバタバタと足音が聞こえてきた。誰だ、チェレスタだったらぶん殴ってやる。

 

 そう間を置かずバン!と扉が開いた。

 

 顔を出したのは、知らないひとだった。気合いを入れたのに反応に困る。でもなんか、髪型が面白かった。パイナップルに似てる。あと背が高い。

 

 え、だれ?

 

 呆然としている僕とお兄さんは数秒視線を合わせ、ハッとしたように外へ怒鳴った。

 

「おいオヤジに知らせろ! 『おほしさま』が起きたよい!」

 

 任せろ! と何人かの野太い声と足音。よ、よい? 口癖かな? あとお星様ってなに?

 面白い口癖のお兄さんはそのままずかずかと部屋に入って、隅っこにあった小さな椅子をベッド脇に持ってきて腰掛けた。

 

「よお、随分寝てたなぁ。ひょっとしたら、このまんま目ぇ覚まさないのかと思ってたよい。まぁひでぇ怪我だったから、無理もねぇか」

 

 気安い感じで話しかけ、お兄さんは手に持った水差しを傾けてコップに水を注ぐと、差し出してくれた。ありがたく受け取って、ゆっくりと飲んだ。喉からじんわりと染み込む感じが心地良い。それにしてもまたよいって言った。やっぱり口癖みたい。

 随分とフランクかつ親切なお兄さんにどう答えればいいのか迷う。

 

「え、あの、えっと……おはよう、ござい、ます?」

 

 迷った末に出たのは朝の挨拶でした。いやだって、随分寝てたとか言うから。

 お兄さんは僕の返事に一瞬瞠目して、ぶはっと噴き出した。

 

「おうそうだな、おそようさん。あんた、自分の名前わかるか?」

「あ、はい、ミオと申します。はじめまして」

 

 頭を下げようとしたら、うまくいかなかった。

 それを見ていたお兄さんが、僕をそっと起こして背中にクッションを入れてくれた。いいひとだ。

 

「おれら的には初めましてって感じじゃねぇんだけどな、まぁいいか。おれはマルコ、よろしくな」

「よろしく、です。あの、ここどこですか?」

「海賊船だよい。おれたち白ひげ海賊団の」

 

 ……海賊船かーそっかー。

 じゃあなんだ、僕は略奪品かなんかだろうか。いやーそんな価値ないし、もっというと厄種に近いぞ。

 そもそもチェレスタは海賊だったので、マルコさんは同業他社? っていうのか? この場合。

 

 だめだわからん。

 

「……チェレスタて、知ってます?」

「『奴隷嫌い』の?そりゃ知ってるよい。だいたい、あんたはあいつらのもんじゃねぇのか?」

 

 奴隷嫌い。元奴隷なんだからそりゃ憎かろう。

 

 いやしかし聞き捨てならない点が。僕はチェレスタ率いる海賊団のもの扱いされている、みたい?

 状況的に考えるとそう、なのか? ボロ雑巾で保護? 拉致? されたワケで。

 

「略取品としてならたぶんそうですけど、強いていうなら僕は僕のもんだと思います」

「ほーん? 『おほしさま』だってのに報われねぇ話だねぃ」

 

 なぜかチェレスタに同情してるらしいマルコさん。なんでだ。

 

「てか、お星様ってなんでしょう?」

「チェレスタのやつがそう呼んでたって、オヤジが言ってたよい」

「なにそれ恥ずかしい」

 

 そんなメルヘンな呼び方しないでくれよ。

 しかしなんだろう、話が噛み合ってない気がする。マルコさんもそれは感じていたようで、腕を組んで不思議そうに首をひねっている。

 

「まてまて、あんたは『ラグーナ海賊団』の『隠し財宝』と一緒にしまい込まれてた。んで、オヤジはそれをあんたごと託された。ここまではいいか?」

「すいませんその海賊団の名前すら初耳です」

「ええ……?」

 

 しょっぱなからお互いの理解している部分が乖離しているという、残念な事実が発覚してしまった。

 お、おかしいぞ。

 海賊なんて無法者の代名詞みたいなひとがめっちゃ困惑している。だめだこりゃって顔してる。

 

 そこへ、

 

「おう、目ぇ覚めたって?」

「オヤジ」

 

 開けっ放しだった扉から窮屈そうにぬう、と常人離れした巨大な男性が入ってきた。

 肥えているとかではなく、均整のとれた身体つきで、そのまま大きい。なんだか遠近感が狂いそうだ。

 オヤジって呼ばれてたってことは、このひとが白ひげ海賊団の船長なのだろう。すごい、めっちゃ納得する。おひげが見事に白ひげ。逆三日月みたいなブーメランひげ。

 巨体の白ひげさんはこっちを見て、少しだけ目を細めた。迫力はあるけど、怖くはない。

 

「死にかけてたってのに大したもんだ」

「あ、えっと、」

 

 海賊団の船長とは思えぬ良識あふれた言葉に、戸惑ってしまう。いや、治療してくれたんだから、そんなヤバいひとには思えないけど。

 なんとか言葉を絞りだそうとすると、大きな指で頭を小突かれる。

 

「ああ、いい、いい。今日はツラ見にきただけだ。よく養生するんだな、面倒な話はそれからだ」

 

 それだけ言って、白ひげさんは出ていってしまった。マルコさんもそれに続く。ええー、聞きたいこといっぱいあるのに。

 しかし、養生がいちばんだと突っぱねられてしまうと、なにも言えない。

 満身創痍とはこのことか、というくらいにはボロボロであるからして。包帯とかすごい。皮膚呼吸が心配になるくらい巻かれてる。

 

 そして、入れ替わりに入ってきたのはマルコさんだった。この船の船医さんも兼ねているらしい。包帯を取り替えながら容態を説明してくれた。

 失血量が多かったから、一時は危なかったらしい。けれど峠は既に越えているから、重要な臓器や腱は無事なのでしっかり治療すれば、完治するとのこと。ありがたい。

 

 「ただ、傷痕だけはどうしようもねぇ」

 

 悔しそうに告げるマルコさんに僕は構いませんよ、と返した。

 

 「名誉の負傷ですから」

 

 付き合い方は知っているから、大丈夫だ。

 マルコさんは苦虫でも噛み潰したような顔で「……そうかよぃ」とつぶやいて、僕の肩をぽんぽん、と優しく叩いてくれた。

 

 

 

×××××

 

 

 

 肝心な疑問はちっとも解消されないまま、どんどんミオは回復した。

 

 そうなると肝心なことを何も聞けていないので、さりげなく探りを入れてみたりしたのだが、「それは完治してからオヤジに聞いてくれ」と言われるとぐうの音も出ない。

 

 迷惑をかけたいワケではないので、そうなると引き下がるしか選択肢がなかった。

 ちょっともどかしいが、同時に自分を心配してくれているというのがなんとなく分かってきたので、それ以上突っ込めなかったのだ。

 

 船員たちともわりと仲良くなった。

 というか、彼らは海賊なので年下の相手をするなんて機会がそもそも少なく、外見にびびらないミオに構いたくてしゃあないらしい。

 お世話になりっぱなしは心苦しいので手伝いを申し出たら、芋の皮むきとかをさせてくれたのでサッチという船員と仲良くなった。頭部がフランスパンに似ている。

 

 そうして大部分の包帯が外れた頃、唐突にその日はきた。

 

 甲板掃除を手伝っていたらオヤジが呼んでると言われたので、モップを近くの船員に預けてのこのこと船長室に向かった。

 軽くノックをしてから応えの返事を待って、ドアを開ける。中には珍しく白ひげしかいなかった。いつもは船員のひとりかふたり、何か相談したり報告したりしているのに。

 

「白ひげさん?」

「よく来たなァ、まぁ座れ」

 

 ちょいちょいと手招きされたので、椅子を引っぱって白ひげの近くにちょこんと腰掛けた。

 ミオはべつに白ひげの一員ではないので、迷った末に「白ひげさん」と呼ぶことにした。オヤジと呼ぶのはなんとなく、憚られた。

 白ひげはミオが椅子に座ったのを確認してから、口を開いた。

 

「今日はお前さんの疑問に答えてやる。聞きてぇこと、全部な」

「!」

 

 ぴん、と背筋が伸びる。

 これまで抱き続けていた疑問の数々が一気にあふれて、逆に言葉に詰まった。

 

 そんな様子を見て、白ひげは酒瓶を傾けて水みたいに呑んだ。そういえば白ひげが酔ったところをミオは見たことがない。よっぽどザルなのだろうか。

 そう考えたらちょっとだけ落ち着いて、最初の疑問が口を注いで出た。

 

「白ひげさんは、チェレスタを知っていますか?」

「ああ、『ラグーナ海賊団』の船長でおれたちの友人……だった、男だ」

 

 だった。

 

 薄々勘付いてはいたが、改めて言われると刺さる。

 何らかの理由で袂を分かった、ワケではないだろう。過去形で、痛ましいものを見るような白ひげの眼差しとくれば、イヤでも理解せざるを得ない。それでも確認はしなくてはならなかった。

 ふるえそうになる喉を叱咤して、絞り出す。

 

「その海賊団、今は……?」

「……全滅した。船長も含めて、だ」

 

 がつんと頭を殴られたような気がして、目の前が揺れた。

 

 頭のどこかでああそうか、と思う。

 船員たちはこれを危惧して何も教えなかったのだ。おそらくは知己のひとたちが全滅しているなんて事実を、病床の人間に聞かせるリスクを彼らは避けた。

 英断だ。分かる。自分でもそうするからだ。

 

 でも。

 

「あいつらは『奴隷嫌い』と揶揄されるくらい、奴隷を嫌ってた。いや、扱う人間を、か。奴隷商やヒューマンショップを見るとすぐ潰しやがる。方々で恨みを買ってやがった……睨まれた時点でお終い、そういう奴等からもな」

 

 最後の文言で事態は把握できた。

 天竜人だろう。奴隷が大好きなこの世の最高権力者。権力を笠に着てのさばり続ける豚どもにとっては、玩具を定期的に仕入れることができないなんて、我慢できない。

 原因をどうにかしろと駄々をこねて、焚きつけて、そして『どうにか』させられた。おそらくはそういうことだろう。

 

 手のひらでぐしゃりと髪を掴み、なんとか続けた。

 

「白ひげさん。チェレスタ以外の船員の名前を、教えてください。僕は、チェレスタしか──知らないんです」

「ああ」

 

 白ひげは思いつく限りの名前を挙げていった。時折酒で口を湿らせて、ひとつひとつ。

 疑問に全て答えると言ったのは嘘ではなかった。

 多くの名前を聞いた。知っている名前があった。知らない名前もあった。

 

 奴隷が嫌い。当然だ。

 扱う人間が憎い。そうだろう。

 かつて地獄を見た彼らは地獄を作る人間が我慢ならなかった。

 

 海賊にだって一定の不文律はある。海軍に目を付けられると面倒だ。それをかなぐり捨ててでも、彼らにはそうするに足る理由があった。ミオはそれを知っている。

 

 だけど、言わせて欲しい。

 

「……ばか」

 

 馬鹿、馬鹿なひとたち。

 

 彼らのしたことは褒められるべきことだ。

 無辜の民が奴隷から解放され、自由を得た。それは凄いことだ。彼らは得た自由を好きに使った。賞賛されてしかるべきで、責められるいわれなんてない。

 わかっているのだ、そんなことは。

 

 それでも辛い。苦しい。

 

 ミオは彼らに幸せになって欲しかった。長生きして欲しかった。死んで欲しく、なかった。

 どこかで生きているかもしれない、という希望は打ち砕かれた。けれどミオには聞く義務があり、白ひげには話す責務があった。

 

 だからミオは白ひげを責めたりしない。

 膝に乗せた手を痛いほどに握りしめ、つぶやく。

 

「彼らの遺体、は」

「おれたちで埋葬した。まぁ、見つけられた分だけだがな」

 

 白ひげは悔やむような声音だったが、じゅうぶんだ。

 むしろ海賊の死に様としては、上等の部類に入るだろう。海の藻屑になるのが道理の人たちが、土に還る権利を得たのだ。

 

 ミオは深く頭を下げた。

 

「ありがとう、ございます」

 

 その様子に白ひげは「ああ」と頷いただけだった。

 何かを悟ったのか、礼を受け取るだけで問いを返したりはしなかった。

 

 胸がいたい。苦しい。喉がひきつって、鼻の奥がつんとする。目の裏側が熱くなって目の前に白ひげがいるのも忘れて、椅子の上で膝を立てて丸まった。

 膝にまぶたを押し当てて、どうにか涙をこらえる。

 

「しんどい」

「だろうな」

「ばか、ほんとばか。えらいけど、すごいけど、長生きしてよぉ……たたみのうえで孫に囲まれて大往生とかしろよばーか」

「海賊にゃ夢のまた夢みてぇな話だ」

 

弱音と独り言にも、白ひげは律儀に合いの手を入れてくれた。ありがたい。ちょっとだけ気が紛れる。

 

「大体なんで、じゃあぼくだけ生き残ってんですか」

「お前はあいつらの『隠し財産』に混じってたからな」

 

 ああ、それはマルコさんが言っていたなと思い出す。それを白ひげさんに丸ごと託した、とも。

 

「あのアホンダラども、しょっちゅう海軍どもと揉めてたからな。あちこちに財宝を溜め込んでたんだ」

 

 理屈の上では、ミオが家以外のあちこちに金銭を隠したのと同じだ。

 海賊稼業がいくら板に付いているとはいえ、ここはグランドライン。天候不順による海難事故や、海軍・海賊との乱戦で船が壊れる可能性とは切っても切れない間柄である。

 

 そうした危険を常に孕んでいるのだから、高額な金銀財宝を持ち歩くのは現実的とはいえない。大切なものなら尚更だ。

 これが商人なら、現金を守る方法としての為替発行などもあるだろうが、そこは海賊。信用を担保できないのだから、銀行なんて無理だ。

 そうなると、資産をどこかに隠すくらいしか方法がない。

 

 白ひげによると、そんな隠し財産……財宝のひとつにミオが入っていたそうだ。

 

「『たからもの』で『いっとうだいじなおほしさま』。チェレスタの野郎は、おれに隠し財宝ぜんぶくれてやるから、お前を頼む、とよ」

 

 ……だから、白ひげ海賊団にミオは保護されていたのだ。友人の最後の頼みを引き受けたという、何よりの証拠だった。

 

「隠し財産の中に、お前はしまい込まれてた。あいつの、コチコチの実だったか? あの能力で固まったまま、おれが触った途端に息を吹き返した。虫の息で焦ったがな」

 

 そこまで語り、ややあってから白ひげは顔を上げた。どこか懐かしむような、得心入ったという風に。

 

「あいつら、腕も気骨も申し分ねぇくせに医者との縁だけはやたらと悪くてなァ……勧誘しちゃあ、やれヤブだった悪徳野郎だった、あんなのに治療は任せられねぇと愚痴ってたもんだ」

 

 あれはお前を治せる医者を探してたんだな、と白ひげは言った。

 

 ミオを確実に癒すことのできる医者が見つかるまでは危険極まりない海より、財宝と一緒に隠した方がまだ安全だと判断したのだろう。

 でも神様は意地悪で、本当に欲しい『縁』だけは彼らに与えてくれなかった。

 ろくな設備のない場所でヤブに任せたら、ただでさえ瀕死のミオは解凍した途端に死んでしまう。

 それじゃ生かした意味がない。

 信用のおける医者を確保できない限りミオを解凍できないので、結果大事な場所→隠し財宝と一緒に放置……安置? されていたわけだ。

 

「なんにせよ、あいつらはお前を死なせたくなかったんだろうさ。それこそ、何が何でもな」

 

 理解はできるが納得は別問題だ。

 沈黙が落ちる。

 泳ぎ疲れたあとのようなそれ。まばたきひとつすら重いようで、それがひどくもどかしい。

 なにか言わなくては、という気持ちはあるのだが、お腹の辺りが重くて様々な感情が渦巻いているようだった。

 

 心が詰まって言葉が出ない。

 

 何を言っても八つ当たりになりそうで、けれどここまできたらなにを言ってもいい気すらしてくる。

 

「海賊は勝手なやつばっかりだ」

 

 考えるより先に口が動いた。

 滑ったといってもいい。言葉が、そのまま。

 

 そして一度滑ったら止まらなかった。

 

「僕はあそこで死んでもよかったのに、ドフィとロシーと父様が元気でいられるならそれでよかったのに。ああこれで守れたって、大丈夫だって満足して勘違いできたのに、そんなのイヤだ僕ばっか割りに合わねぇっつって、凍らせて連れ去ったのチェレスタのくせに」

 

 自分が何を言っているのか実感がなかった。白ひげが珍しく驚いているようだった。

 

「なのに、いざ目が覚めたらチェレスタいないって、丸ごと全滅ってひどいよ。マイヨール、ヘリッタ、ネクト、自由で誰にも優しくない海が好きだって、だから海賊は最高なんだって言ってたじゃん。覚えてるよ。忘れないよ。そんな薄情じゃないよ」

 

 ミオは自分が買い上げた奴隷のことを、全員覚えている。忘れたりしない。

 

 

「ぼくだって、あいたかった」

 

 

 膝の上に乗せた手を、強く強く握りしめる。手の平に爪が食い込んでいるだろうけれど、どうでもよかった。

 

「ちゃんと起きて、なんてことしやがるって! 怒鳴って! ぶん殴りたかった! そしたら、ありがとうって言えた! いえた、のに」

 

 目の前の白ひげの存在すらどこかに行っていた。

 感情がそのまま言葉として吐き出される。これまで溜めていたものが、ぼろぼろと。

 

「ひとりぼっちにするなら、いっしょに、つれてってよ……!」

 

 白ひげ海賊団に預けられたって、託されたって、そんなの知らない。

 どうせ助けるなら、助けきってからやらかして欲しい。ミオだって会いたかった。ちゃんと怒って、怒られて欲しかった。

 

 だって、そうじゃなかったら、

 

「……チェレスタは、お前と仲直りしたかったって、言ってたぜ」

 

 

 仲直りだって、できないじゃないか。

 

 

「ッ、ぼくだってしたかった! くそ馬鹿! ゆるしてるよ! 大好きだよ! でも、置いてったことだけは、ゆるさない! 一生うらんでやる!」

 

 子供みたいにわめいて、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱して叫ぶ。

 

「ぜったい忘れてなんか、やるもんか!!」

 

 頬から熱いものが滑り落ちて──床に『転がった』。

 

 ひとつぶ、またひとつぶと落ちて床に散らばっていく。涙色のちいさな、ビー玉めいた鉱石のようだった。

 

 白ひげが目を瞠った。

 

「そりゃ、あいつの能力か?」

 

 ミオもびっくりして涙が止まった。

 悪魔の実の能力は、はっきり解明されていない部分がある。

 能力者が死亡後、どこかで同じ能力を持った悪魔の実が生まれるというのが通説だが、ひとを不老不死にできる悪魔の実があるという話もあるのだから、例外があっても不思議ではない。

 

 コチコチの実は、凍結のちからは──どうやらミオが受け継いでしまったらしかった。

 

 それはたぶん、チェレスタの根性と気合と願いが無理やり引き寄せた奇跡だった。

 

 涙の粒をひろって、理解して、ミオはそれを握りしめたまま何も言わずに涙をこぼした。

 

「よかったな、チェレスタよ」

 

 グラララ、と白ひげが笑った。

 乾杯をするように酒瓶を掲げて、うまそうに酒を干して、満足そうに息を吐く。

 

 そして、

 

 

「なぁミオ。おれの娘にならねぇか」

 

 

 なんでもないことのように、そう言った。

 

 

 

 

 



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よん.白ひげさん家の娘ちゃん

 

 

 え、むすめ? 白ひげさんの?

 

 白ひげさんの唐突な発言に、なんと答えればいいのか分からなかった。というか、そもそも意味がよくわからない。

 

「えーと、養子縁組ですか?」

「ちげぇよ。家族になれってこった」

 

 どうちがうのそれ?

 

 よく聞いてみたら、白ひげ海賊団は船員をすべて身内とみなして『家族』と呼んでいるそうだ。だから船員は一人残らずみーんな白ひげさんの息子で、家族。なるほど。

 ちょっぴり魅力的だが、こちとら死に際に親兄弟と引き離され海賊に拉致された身の上……まともに考えるとこれはこれでヤバいな。

 命冥加に生き延びられたことには感謝するが、そうなると今度は弟ペアの安否が気にかかる。

 

「お誘いすごく惹かれますが、僕、弟たちの安否確認したいのですが」

 

 あとおまけで父親。

 

「安否?」

 

 ああ、そういえばその辺りのいきさつを、白ひげさんは知らないのか。

 元天竜人云々はどうしようかなぁ、もう権利剥奪されてるから話す必要ない気もするんだけど、かといってそこを隠して説明しようとすると、チェレスタたちとの関係とか、瀕死だった理由がうまく話せない。

 

 うん、隠しごとはよくない。

 

 それに元天竜人ってたぶんスゲー厄ネタだから、勧誘された身としては白ひげさんには、そういうデメリットを説明しなくては駄目だろう。その辺はきちんとしないと道義に悖る。

 

「話すと長いんですけど」

「かまいやしねぇよ」

 

 言質を頂いたので、洗いざらい話した。

 元天竜人であること。チェレスタたちのこと。弟たちと父のこと。権威すべてを捨てた先での出来事。その顛末と逃亡の日々。とある島で迎えた最後の日。

 

 話し終える頃には、丸い窓から夕日が差し込んできた。まだ明るい、みかん色の夕焼けが部屋を柔らかく染めていく。

 

 白ひげさんは僕の長い話を、何も言わずに聞き続けてくれた。

 

「……そうか」

 

 聞き終えて、組んでいた腕をほどいて白ひげさんは僕へと手を伸ばした。

 ぽん、とおおきなてのひらが、頭に乗せられる。

 

「よく頑張ったなァ」

 

 しみじみと、心からの賞賛の声だとすぐに分かった。

 思いもよらない言葉と一緒に、ぐっしゃぐっしゃと乱暴に撫でられ、なんだか呆然とする。

 

「世界の悪意だの憎悪だのってよォ……ハナッタレのチビガキが、到底背負いきれるもんじゃねぇよ」

 

 白ひげさんの瞳はびっくりするほど優しいものだった。

 

「お前は家族を守った。大したもんだ。大人だって根を上げらぁ、それを弱音も吐かずに、そんな小せぇ身体がボロ雑巾になるまで気張ったんだ。誰にだってできるもんじゃねぇ、まずはそれを誇れアホンダラ」

 

 予想外のことばっかり言われて頭がパンクしそう。

 誇れアホンダラと言われても。その、困る。

 

「だって、そんなの、当たり前で。でも、最後まで守れなくて、だから」

「親が唐変木だから、お鉢が回ってきちまっただけの話だろうが」

 

 あ、反論できないどうしよう。

 うぐ、と言葉に詰まると白ひげさんはやれやれとばかりに肩を竦め、それから噛んで含めるように言った。

 

「お前の弟たちに父親がついてるってんなら、それを信じてやりゃあいい。大人だって馬鹿じゃねぇんだ、そこまでお膳立てされてりゃどうにでもならぁ。まぁ、弟たちを探すってんなら止めやしねぇが……」

 

 そう言って立ち上がった白ひげさんが、僕をそっと抱きしめてくれた。でっかくて硬くてあったかい。

 

「いいかげん、お前が守られる番になったって、誰も責めやしねぇよ」

 

 ぎゅうっと力がこもって苦しいくらいだった。でも、不思議と心地良い苦しさだった。なんだかすごく安心する。

 

「責めるやつがいたら、おれたちがぶっ飛ばしてやる。いいからとっとと娘になりやがれ。──白ひげはな、家族をいっとう大事にするんだよ」

 

 言葉はまっすぐに深く心の奥まで染み込んで、気付いたらまた涙が落ちていた。

 知らずに背負っていた荷物を外されたら、こんな気持ちになるのだろうか。

 苦しくないけど、つらくないけど、ぽろぽろ落ちて止まらなかった。

 

 こんな涙は、はじめてだった。

 

 そのすぐあと、泣きはらしてぐちゃぐちゃの顔だからイヤだって言ったのに、白ひげさんは僕を抱っこして「今日からうちの娘だ!」と船内中に触れ回った。

「やっとかよい、よろしくなぁ」「可愛い末っ子がきたぞー!」「野郎共であえであえ!末娘の爆誕だ!」「よっしゃ宴だああ!!」とあちこちで歓声が上がって恥ずかしかった。

 あと、喜びすぎじゃないかなと、思いました。

 

 

 

×××××

 

 

 

 真っ青な空に、建物みたいに硬そうな雲がよく映える。

 気候は春と夏との境目に似て、見張り台の上の日差しは眩しいくらいだ。

 

「ふあ」

 

 あくびを噛み殺し、気ままに揺れる波間から水平線へと目を凝らす。

 

 ミオが白ひげの家族になって、少し経った。

 

 客分から家族となると扱いが変わるのは当然のことで、とりあえずは現段階の実力と何ができるかの確認から始まった。

 

 幼い頃からあほみたいに鍛えていたミオは、いっぱしの船員なんか相手にならないくらいの技倆があった。

 加えて元は『彼』のものであった能力も、時間とともにようやく把握して、使いこなすことができるようになってきている。今は隊長格のひとからヒマな時に稽古をつけてもらいながら、こまごまとした雑用をこなしている最中だ。

 

 現在、ミオは『白ひげの娘』にはなったものの、『白ひげ海賊団』かといわれると首をびみょうにひねるようなポジションである。

 

 大きな要因は年齢的なもので、若いどころか幼い身空で日陰者になる決意を固める必要はないというのである。

 またミオの現在の目的が『弟たちの安否確認』ということもあり、変に立場を縛ると自由行動に差し障りが生じるだろう、と白ひげが案じてくれたことも大きい。

 

 今の内に身体を鍛えて学を修めて渡世を身につけ、ある程度のお墨付きを出せるようになったら一度世間に出て弟たちの安否を確認して、それからのことはその時に考えてもいいのでは? つまりはそういうことだ。

 

 ……精神年齢は横に置いても肉体的にもう14かそこらなので、早い者なら既に将来を見据えていいはずなのだが、どうも自分には適用されないらしい。

 

 というのも、ミオの身長が『生前』とさして変わらない……否、成長期の関係で当時より低いせいで、周りからかなり幼く見積もられているらしいのだ。

 確かに、周りの大人たちの身長がやたらと高いわガタイがいいわで、相対的にミオはひどくちんまりして映る。

 

 年齢を自己申告しても『もう背伸びしなくていいんだぜ…?』と生ぬるい微笑みを浮かべられてしまうと何も言えない。どうしろと。

 仕方がないので成長期に期待して、今のところは実力を上げることに腐心している。

 

 『ミオ は ちからを ためている!』というやつだ。

 

 といっても海賊船に乗っている以上、実力主義なところは健在なので海賊と矛を交えるなんて時は、容赦なく駆り出される。そういう割り切り方は好きだ。

 

 なので。

 

 

 

×××××

 

 

 

 がんがんがんッ!!

 

「おとーさーんんッ!!」

 

 船影を確認して襲撃用の鐘をガンガン鳴らしながら叫ぶ。

 

「二時の方向から新造船の調子見るっつって海にさんp……哨戒に行った四番隊のおふねが、海軍くっつけてまーっす!!」

 

 僕の声に反応してドヤドヤと船員たちが出てきて「なにやってんだよサッチ~」「疫病神じゃねぇか!」「海軍とやり合うのは久しぶりだなァ」と口々にぼやきながら準備を始めた。

 

「海軍はともかくどこの所属だ?」

「ミオ、見えるかー?」

「んん~~??」

 

 すごく目を凝らして見るが、いかつい海軍船以外の情報は見えない。

 けど、なんだろう、違和感がある。

 これまでの海賊船もそうだったけど、腕のいい海賊ってのは船の動きや甲板に立つ人間の動きでわかる。

 トリム合わせのタイミングやタッキングなどの操船技術もそうだが、何より、人の動きがきびきびとして無駄がないのだ。

 

「あ」

「どしたぁ?」

 

下のジョズさんが変な声を出した僕を見上げた。

 

「あの海軍、新兵さんたちかもしれない」

「はああッ!?」

「そりゃねーだろ、白ひげの船狙ってんだぞ?」

「いやだって船の人たち、あんまりキビキビしてないし! むしろ、こっち見てオロオロしてる……みたい?」

 

 ひょっとして、新兵たちの実践訓練で手頃な海賊船だと思って、狙ったのだろうか。運が悪すぎる。

 段々とサッチさんたちの船が近付き、それに伴って他の船員たちもくっついてる軍船の海兵たちを確認できたのだろう、殺意や敵意がどんどん目減りしていき、代わりに出てくるのは「え、どうする?」という困惑。

 

「グラララ……ずいぶんとドジな海兵もいたもんだ」

 

 呼ばれて出てきたお父さんだけど酒瓶から手を離すことなく、完全に傍観体勢。ぐびりと一口飲むと、ぐるりと背中を向けた。

 

「適当に教えてやれ。『白ひげ』に手ぇ出すとおっかねぇぞってな」

 

 『おう!』と声が揃い、それをグラグラ笑いながらお父さんは船長室に引っ込んだ。雑魚兵の相手をする気はないらしい。お父さん出ると一発で軍船終了のお知らせだからね、仕方ないね。

 そうそう、僕は悩んだ末に白ひげさんをお父さんと呼ぶことにした。オヤジさん、だと白ひげ海賊団に入ってるみたいだから。

 

 

「手柄、賭けねぇか?」

「あん?」

 

 ふと、ビスタさんが提案するとマルコさんが眉を寄せた。

 

「何をだよい」

「んー、一番手柄あげたヤツの隊で、一週間ミオが事務手伝いってのは?」

「乗った!」

「乗るなー!」

 

 全員の士気、爆上がり。僕の意見聞こう!? 

 慌てて見張り台から飛び降りた。みんな事務仕事嫌いすぎるだろ!

 僕の得物を持ってきてくれたマルコさんに礼を言って腰に佩き、ついでに提案。

 

「みんな頑張って書式とか簿記とかおぼえよ!? おしえるから!!」

「いや、おれたち海賊だから……」

「頭使うとか、むり……」

「ウッ、数字を学ぶと脳味噌破裂する病が……」

「もー!!」

 

 全員が示し合わせたように明後日を見る。まったく勉強意欲のないひとたちでちょっと悲しいです。

 などと、とてもどうでも言い争いをしている間に、軍船はどんどこ近付いて、ついにサッチさんたちの船と接敵可能な距離に。

 ついでにサッチさんたちの船も、こっちからアプローチできる距離になったので、それを確認しつつ各員ひょいひょいとモビー・ディック号を飛び越え、船に乗り込む。

 

「サッチてめぇなにくっつけてきてんだよい!」

「うっせー! ちょっとテンション上がって景気づけに一発撃ったらこのザマだすまん!」

 

 あ、うっかり海軍の船に当てたんですね。なるほど把握。

 

「自業自得じゃねぇか!」

 

 ジョズさんのツッコミが冴えわたる。

 そして一方海軍の船の方からは……阿鼻叫喚が聞こえる。

 

「中佐ぁあああ!? あんたこんなところでドジっ子発動させんでも!!」

「珍しく新兵訓練の引率引き受けるなんて言うから! 言うから!」

「あれ白ひげですよ!? 無理ですってむりむりむり!」

「もう駄目だぁ……おしまいだぁ……」

 

 ……なんか聞いてて可哀想になってくる叫びである。

 

「あのー、もうお互い見なかったことにした方がいいのでは?」

 

 マルコさんにくっついて船に移った僕は、片手を上げて提案してみる。

 そしたら手柄の話は立ち消え。事務仕事の押しつけもなし。素晴らしい。

 

「おれたちは最悪それでも構わねぇけど、海軍はそうもいかねぇんじゃねぇか?」

 

 マルコさんがちらと海軍へ視線を向ける。新兵諸君はぶるぶる震えながらも手に軍刀や鉄砲を手に取っていた。

 海賊と接敵して逃げ帰りました、と報告するワケにはいかないのだろう。本当に可哀想だ。

 象と蟻の戦いというか、もう完全に弱い者イジメなので、マルコさんたちもニヤニヤしている。イジメ、かっこわるい。

 

「その意気やよし、ってか? 手加減はしてやるよい。乗れミオ」

「おっす」

 

 言葉と同時、青白く煌めく炎がマルコさんの全身を覆い尽くし、美しい青い鳥へと姿を変える。

 『トリトリの実(モデル:幻想種)』のちからだ。すかさずその背に跨がると、バサリと羽根がはためく。

 中空へと舞い上がり、じゅうぶんな距離を取ってから燕の如き速度で疾走し、軍船へ一直線。

 

「あっズリィ! 一番とられた!」

「オラ野郎共行くぞ!」

 

 後方の声はとりあえず無視して軍船へIN。

 砲撃だのまどろっこしい手段取られる前に乗船しちゃうのは、いいんだかわるいんだか。

 

「ひぇッ!(気絶)」「ふ、不死鳥のマルコだ! 新聞でみたやつだ!(気絶)」「がんばれ、おれ!(気絶)」なんで甲板に降りただけで死屍累々なのだ。覇気とか使ってないのに。

 

「これで海軍大丈夫なのかねェ……?」

 

 これにはマルコさんもびっくりである。こっちの良心が痛むのは戦略なんだろうか。

 他の新兵らしきメンツも、軒並み子鹿のように震えているし、かろうじて戦意を保っているのは、中佐と呼ばれていた青年とお付きくらいだ。

 

「ちっとは歯応えありそうか? ミオ、その辺散らしとけよい」

「アイサー」

 

 ごきばきと指を鳴らすマルコさんに元気よく答え、軽快に駆け出す。

 こういう時は年齢関係なく実力で重用してくれる白ひげ海賊団、好きです。

 

「ミオ、だと……?」

 

 なんか名前呼ばれた気がするけど、気のせいだろう。

 敵が迫っていることを認識した海兵たちは、その相手が小柄であることでなんとか戦意を奮い立て背たのか、武器を構え、銃の照準を合わせ始める。がんばれ。

 

「せめて、あのちびだけでも討ち取るぞ!」

「お、おう!」

 

 意気込んでいるところに申し訳ないが、僕は『見かけ騙しのサメ』とか最近言われてるので、その、すまない。

 甲板の床を吹っ飛ばすような勢いで一気に距離を詰めると、鞘も抜かずにぶん回した。

 

「どっせーい」

 

 気のない声で振り回された武器はしかし、遠心力を味方につけて凄まじい勢いで新兵Aを吹っ飛ばした。

 腹に鞘をまともに喰らった新兵Aは「ひでぶッ」と潰れた声を漏らしながら吹っ飛ばされ、錐揉み回転のちの海ポチャである。

 

「え゛ッ!?」

 

 残った新兵たちがぎょっとする間も僕は動く。

 相手を武器ごと弾き飛ばし、時には鞘を軸に回し蹴り。わっしょいわっしょいと新兵たちを海へと叩き込んだ。

 面白いくらい新兵が飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ。

 

「うそおおお!?」

「飛びます!」

「とびま~すッ!」

 

 ぼちゃぼちゃぼちゃん、と水音が響く。

 まぁ海賊と遭遇したのはすこぶる運が悪いが、血に飢えたタイプじゃないだけマシと思って欲しい。強く生きるんだ。運のない新兵諸君に幸あれ。

 

「あ、僕がMVPだったら賭け不成立じゃね?」

 

 ぼそっと呟いた言葉は幸い誰の耳にも届かなかった。

 

 水に落ちた船乗りは誰かに掬い上げられない限り、まず間違いなく死亡する。だから海に落ちた船乗りは、ただちに戦闘行動をやめる。これは海兵であっても同様だ。

 なので粗方の新兵を叩き出し、もういいかな、と振り向くとなぜだかマルコさんサイドは膠着状態だった。

 

「あれ?」

 

 てっきり適当にあしらって終了、かと思っていたので首をひねると、マルコさんがなんか変な顔をして手招きしてきた。

 のこのこ近付くと、こそこそと耳打ちしてくる。

 

「おい、ミオ、その海兵と知り合いか?」

 

 その海兵、を視線で示される。さっきの中佐と呼ばれていた、金髪のもしゃりとした髪で目許がよく見えない青年である。

 まだそんなに年食って見えないのだが、正直この世界だと年齢があてにならない。お父さんなんていくつ? めっちゃ強いし若々しいし元気だし。

 ちょっぴり生き別れている弟に似ていなくもないが、サイズから違うので却下。

 見覚えがなかったので、素直に首を振る。

 

「いや、海兵に知り合いとかいないんですけど」

 

 これまで世界政府と海軍が信用できない生活だったので。目が覚めてからは言わずもがな。

 

「だよなァ。なぁ、やっぱり人違いしてねぇか?」

 

 じゃっかんの戸惑いを含めたマルコさんが問いかけると、金髪の青年はがくんと床に膝をついてうなだれた。ネガティブ全開だった。

 

「たしかに海兵だが知り合いと、すら……!?」

 

 なんか衝撃受けてるみたいだけど、心当たりがないのでどうしようもない。

 そして大の男かつ中佐という、この軍船においてはトップであろうひとがこんなんで大丈夫だろうか。別の意味で心配である。

 

「本当に知らないのか? あいつ、さっきからずーっとお前のこと目で追ってたよい」

「なにそれこわい」

 

 やたら必死な形相で見てたので、ケンカをふっかけることもできなかったそうだ。なにそれこわい。

 ひそひそ話してたら、うなだれていた中佐とやらが気力を振り絞るように顔を上げた。視線は完全にこっち向いてる。もしゃ髪の間から覗く瞳は熱視線である。

 

「その、名前は?」

 

 ええーこの人に自分から名乗るのじゃっかんイヤだ。しかしマルコさんが肘でつついてくる。仕方がない。

 

「はぁ、ミオです」

「!!」

 

 なんでそこでショック受けるのかな?

 

「……そのひと大丈夫ですか?」

「中佐になんてこと言うんだこのやろう! これだから海賊は!」

「中佐はすごいんだぞ!? 肝心な時にドジだけど! ドジだけど!」

「ばっかそこが可愛いんだよ! ドジッ子最高だろうが!」

 

 大丈夫かどうかはともかく、慕われてはいるようだ。

 周りがやいやい言っているので多少は持ち直したのか、質問は続く。

 

「……家族構成、は?」

「血縁って意味なら両親と弟ふたりで、そうじゃないなら白ひげさんぜんぶ。んもーなんですか尋問ですかケンカ売ってるんですか買いますよ?」

「ち、ちがう!」

 

 腰に手を当てて眉をしかめると、もしゃ髪中佐さんが鋭く否定した。その声は鋭く、真剣だった。

 

「さいごに、ひとつだけ」

 

 その言葉は静かで、なんだか泣き出す寸前の子供みたいな表情に見えた。自然とこっちも身構える。

 

 でも、次に吐き出されたのは、

 

 

「『ロシナンテ』という名前に」

 

 

 僕にとっての──逆鱗だった。

 

「聞き覚えおぼろばぁッ!?」

「ちゅ、ちゅうさー!!」

 

 聞いた瞬間、頭が瞬間湯沸かし器みたいに沸騰した。

 何も考えず突撃を敢行、甲板を踏みしめ疾走しその勢いをまるごと叩き込むつもりで、もしゃ髪中佐の腹を前蹴りでぶち抜いた。

 もしゃ髪の大柄な身体が思い切りぶっとび、顔面から着地。何度も何度も床をごろごろ転がり、まだ無事だった新兵諸君を巻き込みながら派手な音を立てて停止した。

 うしろでマルコさんが「あーあ」とかつぶやいている。

 でもしょうがない。こいつが悪い。

 

 ずかずか甲板を歩いて、仰向けでひっくり返ってる中佐のお腹に跨がって胸ぐらを掴み上げた。

 

「なんで、その名前を知ってるの?」

 

 自分でもびっくりするぐらい低い声だった。

 

 もし同名の人間を探しているとしても、それを僕の前で口にする方が悪い。繋げて、連想できるような人間は限られている。

 元奴隷にこんなヤツはいなかった。家族じゃないのに、ともだちじゃないのに、知り合いじゃないのに……その名前を出す人間は僕にとって敵に等しい。

 

 ありったけの殺意をかき集めて凄んだ。

 

「もし、その名前のぬしを、僕の……だいじな家族になにかするつもりなら──ぶっころすぞ」

 

 僕を見てロシナンテの名前を出すなら、家族と知ってる公算が高い。しくじった、素直に答えるべきじゃなかった。油断していた。

 世界政府が、海軍が、僕の家族に仇なすつもりなら容赦はできない。

 

 そう思って凄んだ、のだが。

 

「……」

 

 もしゃ髪の中佐の瞳がまるまると見開かれ、次第にじわじわと潤んでいくのがわかった。

 

 そして、

 

「ふは」

 

 なんだろう──心底安堵したというように、せいせいと笑った。

 それは真冬の雲間から差し込む光に目を細めるような、寒い、寒いところからようやく暖炉にあたれた人のような、安心と喜びの混じった顔だった。

 

「は、ははっ、ふふ……そんなつもりはない。安心してくれ」

「ほんと? うそついたら真っ先に探し出して討伐するよ?」

 

 表情の変化に当惑しながら確認すると、しないしないと首を振る。

 

「本当だ、信じてほしい」

 

 なぜだかその言葉は、不思議とするっと信用できた。

 

「うん、わかった」

 

 即答しながらお腹からどいて、マルコさんの方を見ると両手に掴んでいたお付きさんABを解放するところだった。ああ、マルコさんが引き留めててくれたのか。感謝。

 あとうちの仲間たちがだいぶ集結して見物してた。時間経ってるからね、そりゃそうだ。

 

「中佐! 大丈夫ですか!?」

「ああ、問題ない。……うう、ぐすっ」

「泣いてる!? ちゅ、中佐! 中佐ー! お気を確かに!」

「なんでボロ泣きしてるんです中佐!? おいそこのクソチビ! 中佐に何をしやがった!」

「一発蹴り入れただけですけど!?」

 

 お付きBさんに悪鬼の形相で睨まれたので、慌ててぶんぶん首を振った。それだけで泣く中佐って方がやばいと思う。

 

「ずびっ、これ以上、新兵の損耗は、ぐずっ、好ましくない。撤退だ」

「アイアイサー! おら海賊ども出てけ!」

 

 号泣しながら指令を出す中佐さんに元気よく答えて、僕らを追い出しにかかるお付きさん。

 海ポチャしたひとたちの回収も、いつの間にか終わっていた。

 一応は敵対関係だけど、ここまでぼろくそに戦線崩壊している海軍を追い打つほど白ひげは鬼畜ではないので、やれやれと肩を竦めてみんなも船に帰った。

 

 なぜか中佐のひとが最後まで手を振っていたので、振り返したらやたらと嬉しそうだった。

 

 ちなみに、いちばん偉いひとを蹴っ飛ばしたので、事務仕事を押しつけられることはなかった。やったぜ。

 

 

 



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閑話.とある中佐の歓喜

 世界が丸ごとひっくり返るような驚愕と、歓喜で全身がふるえた。

 

 なんでもあり得るのがグランドラインだと思っていたが、これはその中でもとびきりだった。

 

 

 兄を見限り、姉の縁を辿って放浪生活をしていたロシナンテは海軍に拾われた。

 自分を拾ってくれたセンゴク中将は優しくも厳しく、その人柄に惹かれたロシナンテは海軍に入り勉学に励みながら研鑽を積み、本部付きの中佐にまで上り詰めることに成功した。

 

 成長できるのは嬉しかったが、感謝と罪悪感と寂しさがあった。

 姉と同じ年になった時、ロシナンテは少しだけ泣いた。

 

 海軍の情報網を駆使しても、姉の消息は終ぞ掴めなかった。

 いい加減諦めた方がいいのではないか、とセンゴク中将にやんわりと諭されたこともあるが、こればかりはどうしようもなかった。

 

 自分が探し続ける限り、死亡が確認されない限り、可能性がゼロになることはないと思えたからだ。

 ただ、情報精査に混じってくる『ドンキホーテ海賊団』の文字が増えてきたことが懸念材料だった。

 

 海賊界隈において、ドンキホーテ海賊団は恐ろしいほどの成長速度で頭角をあらわしつつある。このまま放置しておけば、いずれ海軍にとっての脅威に変貌するのもそう遠い話ではあるまい。

 これを重くみたロシナンテは、センゴクへドンキホーテ海賊団への潜入捜査を具申した。センゴクは多少難色を示したものの、ドンキホーテ海賊団の危険性を鑑みてこれを許諾。

 ただし、一時的とはいえ中佐の任を解くことになるため、仕事の引き継ぎや潜入に関する段取りを整えるため、潜入捜査は来年以降に実行される予定となった。

 

 そんな時、ちょっとしたきっかけでロシナンテは新兵の実地演習の引率を引き受けることになった。

 本来の引率がインフルエンザでダウンしたため、ちょうどいい人物がいなかったのだ。

 その上官が、自分が研修時代に薫陶を受けたひとだったこともあり、ちょっとした恩返しのつもりだった。

 

 実地演習といっても、情報部から近所に(たむろ)していて比較的レベルの低い海賊をリークしてもらい、それを討伐するという限りなく実践に近い演習だ。

 

 当該海賊の討伐は成功したものの、その後がいけなかった。

 いつの間にか近くに接近していた別の海賊から砲撃を受けた。

 砲弾が飛んできたのは一度きりで、海賊船はそのまま舵を切って逃走を始めた。

 しかし、勝利の昂揚に酔っていた新兵たちが、ついでにあの海賊もとっちめてやろうぜ! と息巻いて舵輪をぶん回したため、慌てて止めようとしたら甲板でスッ転んだ。己のドジが憎い。

 痛みに悶絶している間にみるみる距離が縮まり、気付けば接敵可能な範囲まで近付いてしまっていた。

 

 髑髏に不似合いなひげを蓄えたジョリー・ロジャーに気付いた瞬間、血の気が引いた。

 

「中佐ぁあああ!? あんたこんなところでドジっ子発動させんでも!!」

「珍しく新兵訓練の引率引き受けるなんて言うから! 言うから!」

 

 補佐に助け起こされながら怒られた。じゃっかんの理不尽を感じたが、新兵たちを止めるのは上官の務めなので、素直に謝った。ドジッ子ですまない。

 そして、間髪入れずに中空で舞い踊る青の炎。白ひげ海賊団一番隊隊長、不死鳥のマルコだとすぐに分かった。その背になにか、白いものが光った気がしたが何かは分からなかった。

 

 白ひげ海賊団。

 

 海賊王の時代から、今もなお戦い続けている古強者たちの中でも抜きん出た実力を誇る、世界最強との呼び声も高い海賊団だ。どう考えてもこの戦力で勝てるワケがない。

 どう撤退すべきか、と考えるヒマもなく舞い降りた青い鳥は即座に変化を解き、甲板に立つ二人の海賊。南国の果実めいた髪をした青年。

 

 不死鳥のマルコ。

 

 そして、その横に立っていた小柄な人物を視認した瞬間──ロシナンテの思考が完全に停止した。

 背後で新兵たちが不死鳥のマルコに怯えて気絶してゆくのも、意識から外れていた。

 

 初雪色の髪と、淡いコーラルピンクの瞳。華奢でいとけない、子鹿のような体躯。

 

──ロシナンテの記憶と、寸分違わぬ姉の姿がそこにはあった。

 

「ちっとは歯応えありそうか? ミオ、その辺散らしとけよい」

「アイサー」

 

 驚愕と混乱で棒立ちになる中、ミオ(同名だなんて!)と呼ばれた姉そっくりの少女は、元気いっぱいとばかりに駆け出した。

 自然と姿を目で追ってしまう。

 あり得ない。別人だと脳のいちぶで声がする。確かに姉ならば年齢が合わない。これでは逆転している。

 けれど、その仕草が、笑顔が、何もかもがミオ本人だとロシナンテの本能に訴えてくるのだ。

 

「せめて、あのちびだけでも討ち取るぞ!」

「お、おう!」

 

 意気込んでいる新兵にうっかり止めろと言いそうになって、口を噤む。そんなことをしたら免職である。

 だが、そんな心配は無用だった。

 ミオは踊るように軽快な足取りで、新兵たちを翻弄しながら次々に海へと叩き落としていく。鮮やかともいえる手際で、見とれてしまう。

 

「うちの末っ子になんか用かい?」

 

 あまりに見つめすぎていたのか、不死鳥のマルコが怪訝そうに聞いてくる。

 末っ子、という言葉には大いに疑問を呈したいが、それよりもなんとか言いつくろわねば。

 

「ああ、いや、知人かも、しれないと……」

「知人だぁ?」

 

 ますます不審を募らせる不死鳥のマルコはあらぬ方向を見て、手招きをした。

 さして待つことなく、鞘を腰のベルトにおさめながらミオが不死鳥のマルコの横に並ぶ。

 その光景に、なんだか腹がもやついた。新兵たちは粗方海に落とされたらしい。実力が記憶の通りならば無理もないと思う。

 

「おい、ミオ、その海兵と知り合いか?」

 

 不死鳥のマルコが問いかけると、ミオはちょっと考える素振りを見せてから首を振った。横に。

 

「いや、海兵に知り合いとかいないんですけど」

 

 にべもない返事にグサッとくる。

 ぐらぐらと頭が揺れて、立っていられずに膝をついた。

 人違いの可能性はほぼ消えて失せている。声のトーンも、口調すら変わらないのだ。

 

「本当に知らないのか? あいつ、さっきからずーっとお前のこと目で追ってたよい」

「なにそれこわい」

 

 ひそひそされてもよく聞こえる。

 まずい、このままでは変態だと思われてしまう。ロシナンテは気力で顔を上げた。

 

「その、名前は?」

 

 猛烈にイヤそうな顔をされた。

 現時点ではナンパか尋問かそうでなければ変態だ。めげそう。しかし答えてはもらえた。

 

「はぁ、ミオです」

「!!」

 

 人が名前を呼んでいることより、自分から名乗られる方がよっぽど衝撃だった。

 聞き間違えではなかったのだ。その事実になぜか愕然とする。

 

「……そのひと大丈夫ですか?」

「中佐になんてこと言うんだこのやろう! これだから海賊は!」

 

 呆然としていたら補佐たちがなぜか騒ぎ始め、少しだけ冷静さを取り戻せた。

 

「……家族構成、は?」

「血縁って意味なら両親と弟ふたりで、そうじゃないなら白ひげさんぜんぶ」

 

 淡々と答えながら不機嫌になるのが分かった。

 

「んもーなんですか尋問ですかケンカ売ってるんですか買いますよ?」

「ち、ちがう!」

 

 ケンカ腰になってきた声に慌てて否定する。

 そうじゃない。そうじゃないんだ。

 

「さいごに、ひとつだけ」

 

 聞くのが怖かった。

 けれど聞かずにはいられなかった。

 浮かび上がった可能性を確かめるためには、どうしても聞かなくてはならなかった。

 

 ふるえる唇で、祈るように言葉を紡いだ。

 

「『ロシナンテ』という名前に、聞き覚えおぼろばぁッ!?」

 

 瞬間、なぜか身体がぶっとんだ。

 

「ちゅ、ちゅうさー!!」

 

 補佐の声が遠く聞こえ、一瞬遅れて凄まじい速度と膂力で前蹴りをかまされたと理解した。

 慣性の法則でごろんごろんと転がり、新兵まで巻き込んでようやく停止した。受け身も取れなかったため、全身に痺れが走る。青天井というやつだ。

 仰向けでひっくり返っていると、どすんとお腹に重み。ミオが馬乗りになっていて、ロシナンテの胸ぐらを掴み上げた。

 

 瞳の奥には氷結の殺意。

 

「なんで、その名前を知ってるの?」

 

 低い、低い声音だった。

 ほんの少しでも返答を間違えば死ぬ。

 直感的に察するくらいの覚悟と、心臓を握り潰さんが如き圧力を感じた。

 

「もし、その名前のぬしを、僕の……だいじな家族になにかするつもりなら──」

 

 だが、それは間違いなく。

 

「ぶっころすぞ」

 

 ロシナンテにとっての、福音だった。

 

「……」

 

 叫びだしてしまいそうだった。景色がどんどん歪んでいく。

 手を伸ばして、抱き締めないようにするので精一杯だった。

 

 目の前にいるのは紛れもないドンキホーテ・ミオだった。

 

 家族を愛し、弟を慈しみ、そのためならば全てを捨て去ることを是とする、ドンキホーテ家の長女がそこにいた。

 

 そして、ロシナンテは理解する。

 姉の時間はロシナンテたちが幼い頃──おそらくは、最後の襲撃を受けた時だろう──で、止まっている。

 悪魔の実か、別の何らかの事象なのか、それは分からない。

 だから、ミオの中のロシナンテは幼いまま、変わっていないのだ。それでは成長した自分を認識できるワケがない。

 

 だが、目の前でミオは生きている。

 

 今はそれで──じゅうぶんだった。

 

「ふは」

 

 とてつもない安堵で笑ってしまう。

 何があって所属しているのかは分からないが、白ひげ海賊団なら構わない。彼らは、船員を家族として扱うことで有名だ。きっと大事にしてもらっているだろう。

 それと、家族に危害なんて加えられるはずがない。

 

 自分がその家族なのだから。

 

「は、ははっ、ふふ……そんなつもりはない。安心してくれ」

「ほんと? うそついたら真っ先に探し出して討伐するよ?」

 

 相変わらず家族以外には手厳しい姉が念押ししてくるので、しないしないと首を振った。

 なるべく真摯に聞こえるように、静かに告げる。

 

「本当だ、信じてほしい」

「うん、わかった」

 

 ミオは、拍子抜けするほどあっさりと信じて頷いた。

 無意識にどこかで、何かを感じ取っているのだろうか。どうぶつみたいな所のある姉だからあり得る。

 そうだとすれば、とても嬉しい。

 

 心地良かった重みが離れると、待ってましたとばかりに補佐たちが駆け寄ってきた。

 

「中佐! 大丈夫ですか!?」

 

 問題ないと答えながら、離れてしまうのが寂しくて、けれど感じていた温かさに姉の生を感じて……堪えていたものが噴出した。

 

「うう、ぐすっ」

「泣いてる!? ちゅ、中佐! 中佐ー! お気を確かに!」

「なんでボロ泣きしてるんです中佐!? おいそこのクソチビ! 中佐に何をしやがった!」

「一発蹴り入れただけですけど!?」

 

 あらぬ疑いをかけられている姉には申し訳ないが、しばらく涙は止まらないだろう。ごめんなさいと心の中で謝っておく。

 

「ずびっ、これ以上、新兵の損耗は、ぐずっ、好ましくない。撤退だ」

 

 涙声で(はな)を啜りながら命令すると補佐たちが動き始め、海賊たちを追い払っていく。

 

 積もる話は山ほどあった。

 自分がロシナンテなんだと叫びたい気持ちもあった。けれど、そんなことをしても混乱させてしまうだけだとも、思った。

 

 姉はとても楽しそうだった。怪我もなく、笑顔だった。

 

 今はそれでいい。

 それだけでいい。

 

 ロシナンテは大きくなった。

 強くなって、立場を得た。小さくなってしまった姉を守れるだけの力が、今のロシナンテにはある。

 撤退する間、堪えきれなくて遠ざかる姉に手を振ったら振り返してくれた。

 嬉しくて、幸せで、また涙がこぼれた。

 

 見上げた空はひたすらに青かった。

 常にかかっていた暗い紗のようなものが、取り払われた気がした。

 

 世界が塗り替えられたように何もかもが鮮やかで、きらきらしているように見えた。

 

 

 世界はなんて美しいのだろうと、ロシナンテは初めて思った。

 

 

 



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ご.軍曹と赤髪

 

 

 冬島で蜘蛛を拾った。

 

 ぬいぐるみぐらいのサイズで色は黒。全身の体毛がびろうどみたいで艶がある。複眼が暗い柘榴石みたいでわりと綺麗。

 八本あるはずの脚が二本くらい欠けてて、岩礁の端っこに引っかかっていた。

 特に恐怖を感じなかったので「くる?」と聞いたら、脚を上げて返事をしてくれたので招き入れた。みんなには内緒。

 

 水陸両用なのか部屋でも問題ないらしく、ベッド脇でぬいぐるみ役をしてもらった。

 普通の蜘蛛みたいに虫を食べるのかと思ったらなんでもイケる口だったので助かる。根菜が好みらしい。とっても異世界を感じる。あとサイズに合わない俊敏さでちょっと驚いた。

 ゴキ○リを駆逐する例の蜘蛛そっくりだったので、軍曹と名付けた。

 

 ミオが白ひげの娘になって二年。

 身長はちょっぴり伸びて、でも生前とそう変わらなかったので相変わらず小さい。ぎりぎり160cmにとど……かないので、相対的に仕方ない。

 

 隊長クラスとは、五回やって一回くらい不意打ちを食らわせられるようになった。

 手加減を忘れさせることができるようになったあたりで、戦闘面のお墨付きをもらえた。そこからは世情の勉強を頑張った。

 この前襲ってきた海賊と交戦したところ、悪魔の実をたまたま手に入れたので船内オークションを開催して軍資金を入手。ミオには既に忘れ形見という名の能力があり、悪魔の実を追加するのは危なすぎたのでちょうどよかった。

 

「なに買うんだよい?」

「ひとり用のふね!」

 

 マルコに聞かれたので正直に答えたところ、競り落とした船員がよってたかって責め倒された。「独り立ちしちゃうだろ馬鹿!」「まだ早いって!」「どこに溜め込んでたんだよ!」「くっそ落札額こっちで決めとけばよかった!」最後の後ろ暗い裏取引を口にした船員が爪弾きにされた。

 それから船員たちにさんざん引き留められたけど、白ひげの「可愛い子には旅をさせてやるもんだ」という鶴の一声で全員がしぶしぶ引き下がった。

 

「金を稼ぐアテはあんのか」

 

 ミオの弟捜索は白ひげ海賊団とはまったく関係のない私事である。

 なので、個人が餞別をくれてやるのはともかく白ひげから資金を出してやるのはなにか違うし、ミオもそこまで世話になるつもりはない。

 

「賞金稼ぎを目指します!」

 

 というか、白ひげを背負わずに自由がきいて、かつ選べる職種がバウンティハンターくらいしかなかった。

 

 討伐対象も選べるし、ミオの実力なら問題ないだろうと白ひげは頷き、晴れてミオは『はじめてのおでかけ』へと旅立てることになった。

 準備中、船員たちからの餞別で船がいっぱいになりそうだったので、各隊ごとに代表して渡す形式になった。

 水・食料・ログポースなどの基本的なものとは別に、白ひげ以下隊長数名のビブルカードと緊急用にと電伝虫の番号、暇つぶし用の本や防寒具とだいぶ過保護なラインナップである。

 

 それから船員たちに心配と激励を口々に言われ、最終的には連絡の義務付けとたまには顔見せに帰ってくることを約束させられ、号泣する船員をバックに出航するという、なんともアレな船出となった。

 

 ちなみに出航前夜、白ひげに挨拶と秘密にしていた新しい相棒というか、家族の軍曹を紹介したら二度見された。

 

「フクラシグモじゃねぇか、どこで拾ったんだ」

 

 フクラシグモというのは、水を吸って自由に体積を変えられる蜘蛛。

 分布図や生態の詳細は不明ながら糸は強靱で知られており、一度ひっかかると海王類でも抜け出すのは困難とかなんとか。

 まさに漁師垂涎の糸なのだが、その強さと捕獲の困難さから超がつく高級素材扱いらしい。パワー・スピードともに某軍曹並なのだから、それが巨大になればどうなるかといえばお察しである。

 

 うってつけの相棒だなと白ひげはグラグラ笑ってミオの頭を撫でた。

 

「気を付けて行ってこい」

「うん、行ってきます!」

 

 白ひげは、数奇な運命を辿る愛娘の門出を笑って見送った。

 

 かつての友人に託されたものは、彼の言う通り悪いもんじゃなかった。

 彼らが誇り、守るに値する、小さいけれど元気よく飛び跳ねるあかるい星だった。

 

 悲惨と称しても過言ではない過去を、そう悪いものではないと胸を張れる強い子供だった。

 弱音を吐くことも許されない環境で、なにも憎まずにいられる希有な子供だった。

 

 そうされて当然の年齢だったのに、頼ることも甘えることも許されなかった、哀れな、子供だった。

 

 息子たちも接する内にそれを察したのか、やたらと過保護になったり甘やかしたりしていたが、そうされるたびにぎこちなくなるのが可愛らしくも痛々しかった。

 年越しにようやっと、年相応の顔が見られることが増えてきていたのに、本人たっての希望で唐突な出奔だ。止める気持ちもまぁわかる。とはいえ、区切りをつけるにはいい年齢だとも思う。

 

──行ってきますと言ったのだから、おかえりと迎えてやるのを変わらず待っているのが、家族というものだ。

 

 白ひげは寂しがって泣いている馬鹿息子たちに喝を入れるべく、大きく息を吸い込むのだった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 白ひげ海賊団御用達の船大工さんから調達した船は、今日も快適である。

 

 簡単に説明すると、キャンピングカーならぬキャンピング船だ。

 船内の天井は高く、キッチン・バス・トイレに寝室までついた至れり尽くせりな作りである。

 普段は舵輪を回して操舵しているけれど、近場に島があるのに凪に当たってしまった時にはなんと、軍曹が牽いてくれる。どーだすごいだろ。いやすごいのは軍曹なんだけど。

 軍曹は海水につけるとみるみる大きくなり、最大だと八畳くらいのサイズになって、お尻の糸で船を固定して引っぱってくれるのだ。ありがたい。

 

「うーん」

 

 甲板に持ってきた椅子に座って、ニュース・クーから届く定期新聞に目を通しながらため息。

 世情の勉強をしていく内に、とても重大な事実に直面した。

 

 なんと僕は──浦島太郎状態だったのだ!

 

 きっかけは、お父さんが見せてくれた新聞の年号。

 本来の家族と生活している時は新聞代も惜しくて、そこらのゴミ捨て場にあった新聞を流し読むくらいだったのだが、それでも変だった。ズレまくっていた。

 慌てて教師役の隊長に聞いて、お父さんにも確認を取って、結論。

 

 ざっと見積もっても少なくとも十年くらい、僕は時間をスキップしている。

 時の流れが残酷すぎて涙でそう。

 

 どれだけ凍結されていたのか……こちら的にはいっても数ヶ月だと思っていたのだが、それがなんと十年ちょっとである。めっちゃ混乱する。そしてヤバい。

 

 そこまで時間経ったら、弟たちの見分けがつかないかもしれない。

 男子三日会わざれば刮目して見よ、なんて言葉があるのだ。二次成長を遂げた弟たちの顔がまったく想像できない。どうしよう。

 うんうん悩んでいたところで、更なる爆弾投下。

 

 なんと、最近破竹の勢いで成長している海賊団の中に『ドンキホーテ海賊団』なるものが存在するそうな。

 

 これはあれですね、確かめるしかないですね。

 人違いならそれでよし、そうでないならまぁ……いいか!(投げやり)

 人生楽しめといったのはお姉ちゃんであるからして、海賊でも人生謳歌してるならなんでもいいよ、もう。

 そうでも思わないとやっていられない。現実は厳しい。

 

 新聞を握りしめたまま、確かめなくてはいけないという義務感と、見たくねぇなぁという個人的感情で身もだえしていると、ふ、と影が差す。

 

「ん?」

 

 時刻は昼間で天気は快晴。影が差すとはこれいかに。

 軍曹が反応していないので、サイクロンとかでもないみたい。

 顔を上げて、赤い竜をかたどった船首が目に飛び込んできた。モビー・ディック号にも比肩しうる巨大な、僕の船なんか一発で轢き壊されるレベルの船だ。

 あらやだぜんぜん気付かなかった。

 

「おうい」

 

 大口あけて見上げていたら船首に一人の影。

 日差しで煌めく赤い髪。大柄な身体に似合わぬ稚気にあふれた動きでぶんぶん腕を振っている。

 大きく手を振り返し、ご丁寧に既に垂らされている縄ばしごを確認。碇を降ろしてから軍曹と一緒に上ると、案の定な方々がお出迎えしてくれた。

 

「こーんにーちはー」

「よっ、元気そうだな!」

 

 ニカッと笑ったのは筋骨隆々とした体躯に威風堂々、白ひげ海賊団にもたまーに遊びにきてた赤髪海賊団の船長。通称が赤髪のシャンクス。見たまんまでとてもわかりやすい。

 その横でタバコをふかしているのが副船長のベックマンさんで、骨付きまんが肉を貪ってるのがルゥさん。食生活の偏りが心配になるなぁ。

 見張り台でヤソップさんがサムズアップしているので、彼が気付いたらしい。

 

「なんだなんだ家出かおい? 誰とケンカしたんだよ、一緒に謝ってやろうか?」

 

 背中をべしべし叩いてくる親戚のおじさん感が半端ないシャンクスさんである。なんで家出一択なの?

 いや前科があるからなのだけど、原因は忘れたが一回船員とものすごいケンカをしてプチ家出(船内限定)したことがあるのだ。

 大捜索中にちょうど赤髪海賊団の皆さんが来て、めちゃめちゃに笑われた。ちなみに僕はたたんだ帆の隙間で拗ねていた。見聞色の覇気はずるいと思います。

 

「家出じゃなくて、ちょっとお出かけです」

「あの過保護な連中がよく許したな。その蜘蛛のおかげか?」

 

 過保護……うん、稽古と交戦時以外は過保護ですね。否定はしません。

 ベックマンさんは軍曹がフクラシグモだとすぐ看破したみたい。さすがです。

 ちなみに軍曹は絞ると縮むので、現在僕の肩に乗っかっている。サイズ的には仔猫。縮む限界がこれくらいなのだ。

 

「軍曹は関係ないですよ? そろそろ家族捜しに行きたくて、お父さんに許可もらっての旅路ですので」

「ん? ミオの家族は白ひげだろ?」

 

 シャンクスさんの疑問はもっともである。

 

「それはそーなんですけど、血が繋がってる方です。弟たちを捜しにえんやこらと」

「へぇ、弟なんていたのか」

 

 ブチィ、と豪快に肉を噛み千切ったルゥさんが口をもごつかせた。よく噛んで食べていただきたい。

 

「二人いるんです。可愛いのとくそ生意気なの」

「……家族と暮らすつもりなのか?」

 

 そこまで話を聞いて、なんとも複雑そうな顔つきになるシャンクスさん。お父さんとこも海賊なので、足を洗うつもりなのかと考えても不思議ではない。

 首を横に振る。

 

「んにゃ、純粋に安否確認です。元気でやってるなら、それで」

 

 どうするかは、会ってみなければわからない。

 というか、弟のどっちかが既に海賊デビューしているので、元気なのは間違いない気はする。

 とりあえず様子見したいなー、というのが正直なところだ。

 

 それに。

 

「僕、お父さん好きだし、白ひげのひとたち大好きなので」

 

 言ってる内に照れてきて、うへへと笑ってしまう。

 託されたからって、助けない選択だってあった。

 それを治療して、娘にしてくれて、みんなで大事にしてくれた。それを恩に着ない方がどうかしている。

 でも、恩とか抜きにしても彼らはもう、大事な家族だ。

 

「どうあれ、ちゃんと帰ります。だから、お出かけ」

 

 行ったっきり、ではないのです。

 ちょっとだけ目を瞠ったシャンクスさんは、ニカリと笑って僕の頭をガシガシ撫でた。

 

「そうかそうか! 気を付けて行けよ?」

「捜すといってもこの海だぞ。あてはあるのか?」

「う、あの、『北の海』の方です。港町らしいので、とりあえずはそこから」

 

 頭をバスケットボールくらいの気安さで揺さぶられているせいか思い出せない。

 なんだっけ、蜘蛛っぽい名前だったんだよな。

 頑張って捜すんだぞ見つからなくてもへこたれるなよそうだ宴やってくかと激励をもらって、赤髪海賊団から退散することに。宴は遠慮した。うちの弟海賊団(暫定)に拠点を移動されると困る。

 

「あー、お金については賞金首狙おうかな、と。さすがにお小遣いだけじゃむりなので」

 

 白ひげさん家でお金を稼ぐ方法は、海賊との交戦でお宝ゲットした時の山分けとかが主になる。それとお小遣い。

 年齢的な問題で主に雑用をこなしていたうえ、モビー・ディック号にいるとそこまで金銭に関わらないし、山分けとか心苦しいのでわりと遠慮していた。

 なので貯金があんまりなくて、あの悪魔の実オークションを開催できなかったら……あと半年くらいお出かけが延びていたかもしれない。

 

「お、おれを狙うつもりか!?だめだぞ!?」

 

 何を考えたのか、大げさに首元を隠すシャンクスさんである。グランドラインきっての実力者がなにを世迷い言を。

 

「どんだけ人生投げ捨ててんですか僕は。でも、ば~ん☆」

 

 誰も本気にしていないが丸分かりなので、遊んで指鉄砲作ったら「ぐあ-、やられたー」と大げさに倒れた。みんな爆笑している。仲良し海賊団。

 その間にベックマンさんが一旦部屋に戻り、餞別だと言ってワインと『北の海』中心に動いてる賞金首の手配書最新版をくれた。赤髪海賊団の副船長はデキる男です。

 お礼を言ったら「まぁ、がんばれ」と頭を撫でられた。どうも白ひげさんちの娘になってから、みんなに撫でられる。身長の問題だろうか。ちょっと悔しい。

 

 帰り際、拠点にしている町の名前を思い出した。おおスッキリする。

 

「そうそう、『スパイダーマイルズ』です。まずはそこから捜します!」

「よし行ってこい!」

 

 びしっと指差すシャンクスさんに敬礼して、消防士みたいにしゅーっと縄ばしごから降りて、まだ手を振ってくれているひとたちに大きく手を振ってから再出発した。

 

 なので、その後の会話を僕は知らない。

 

「……あー、お頭」

「ん? どうした?」

「『北の海』の『スパイダーマイルズ』は確か、『ドンキホーテ海賊団』とやらが勢力を伸ばしていた気がするんだが」

「えっ」

「まぁ、白ひげの連中に揉まれてたんだ。そうそう迂闊なヘマはしないだろう」

「うーん、ミオは勘もいいし、いざって時の逃げ足早そうだから大丈夫じゃねぇかな。……白ひげはそれ知ってんのか?」

「おれが知るかよ」

「だよな。…………おーい野郎共! 呑もうぜ!!」

 

 

 



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ごのに.小さな密航者

 

 軍曹に引っぱってもらって『凪の帯』を抜け、やってきました『北の海』!

 

 うん、これ軍曹いなかったら詰んでたね、感謝。

 

 そんで、近くの町に停泊して生活必需品を買おうとしました。

 三回カツアゲされて全部倒して、うち一回賞金首だったので賞金をゲットしました。物騒じゃね?

 

 あっちから声かけてくる男は全部詐欺師だと思え、いや怪しいヤツはまず殴れとお出かけ前にさんざん言われてたのが正しい気持ちになってしまう。

 どう考えても過剰のはず、なんだけど。ううむ。

 臨時収入で懐があったかくなったと考えておく。やったぜー。……むなしい。

 買いたいものは買えたので、とっとと船に戻って目的地を目指そう。

 

 と、早足で戻ったのだけど船の手前で軍曹が警戒。ちょっと遅れて気付いた。

 誰か乗ってる。

 なんかスゲー足元見られたから、ドックに入れるのをやめたのが失策だったか。

 

 でも不思議なことに気配が小さい。

 子供が遊んで迷いこんだのだろうか。

 なんにせよ、自分の船に他人が密航してるのは面白くないので、軍曹には裏から回ってもらい、ズカズカ入って気配のある風呂場のドアをスライドさせた。

 

「ここ、僕の船なんだけど。乗る船間違えてない?」

「……間違いじゃ、ねぇ」

 

 空の浴槽からのっそりと出てきたのは、やせっぽちの子供だった。

 雪豹柄の帽子を被った、あちこち汚れてぼろぼろの、ひどく淀んだ目つきの少年だ。

 知っている。これは地獄を見た目だ。血と臓物の間を這いずって、怨念と泥水を啜って生き延びた目だ。

 わぁ……ドフィそっくり。

 昏い瞳をなお黒い憎悪で煮立たせて、少年は手榴弾のピンに指をひっかけた。

 

「あんた、スパイダーマイルズに行くんだろ。乗せていけ」

「ええで」

「えっ?」

 

 真顔で頷くと、少年がびっくりする。その隙にシャワーのコックをひねって水をぶっかけた。

 

「ぶわ!? な、なにしやがる!」

「火薬使うのにお風呂場選ぶ方が悪い」

 

 少年がはっとした顔をする。

 倉庫の方行けばいいのにと思ったけどあっち鍵かけてたので、たぶん行き場に迷ったのだと思う。

 びしょびしょの少年が忌々しそうに手榴弾を放り投げてくるので、ぱしりとキャッチ。

 

「それ、もうちょっと待つとお湯になるから。そんでそっちシャンプーとリンスで、身体はそっちの石鹸使って。服脱いだら洗濯するのでこっち渡してね」

「え、あ?」

「ちゃんとあったまってから出てね。タオルとか持ってくるわ」

 

 言うだけ言ってドアをスライドさせようとしたら「ま、待てよ!」と怒鳴られた。

 ええー、なんだよ。

 

「おかしいだろ! おれ、お前を脅したんだぞ!?」

 

 失敗してるからなぁ。別に気にしない。うーん、歪んでるけど悪い子ではなさそう。

 なので普通に言った。

 

「乗せてけって言って、いいよって言った。したら少年は密航者じゃなくて僕のお客だよ」

「なんだその理屈!」

「叩き出された方がいいの?」

「んなワケねぇだろ!」

 

 おっと案外に面倒くさいぞコイツ。……密航を企む少年が素直なわけないか。

 仕方がないので、お風呂場にずかずか入って身構える少年の帽子を取った。

 

「あっ!」

「これ返して欲しかったら、身体洗ってお風呂入ってあったまって」

「……チッ」

 

 形勢不利と見たのか、舌打ちをかまして服を大人しく脱ぎ始める少年。

 やれやれと嘆息して改めて風呂場をあとにする。

 バスタオルを用意してから帽子を綺麗に洗って絞り、形を整えていたらドアがちょっとだけ開いてびちょびちょの服が飛んできた。隙間から、小さい手が中指を立てている。

 

 すげぇクソガキだなぁ。

 

 当然子供用の服なんてないので、乾くまでは僕の服で我慢してもらおう。

 シャツと紐で腰を閉められる短パンを用意しておく。すまないが、ぱんつはない。

 服を洗濯して甲板に干していたら、軍曹が「どうする?」という感じでこっちを見つめていた。

 

「いいよ、出航しよう」

 

 了解、という感じで軍曹がもやい綱を解いてスルスルと碇を回収する。うちの相棒まじ優秀。

 その間にご飯の準備。

 昨日作ったおでんが余りまくってるので、お米を炊いておにぎりにしよう。二日目なので昨日よりはマシな味である。

 

 茶飯にでもすればよかったと炊き始めてから気付いた。くっ。

 

 はじめちょろちょろなかぱっぱ、と火加減を見ていたらだぼだぼのシャツを着た少年が飛び込んで来た。

 

 

「おい! なんで出航してんだよ!」

「スパイダーマイルズ行くんでしょ? いいじゃん」

「いいじゃん、って、おまえ……」

「ちゃんと髪拭いてくれ、廊下濡れる」

「うわ、さわんな!」

 

 タオルでぐっしゃぐっしゃと髪の水気を抜いたら、振り払われた。警戒心強くて猫みたいだ。

 あらあらとは思うけれど特にショックを感じないので、少年がそんな顔することないんやで。罪悪感が湧くので、そんな悲愴な顔をしないで頂きたい。

 世の中には、治療してもこっちを殺しにかかるヤツがいっぱいいるんだから大丈夫(経験)。

 

「……えらぶふね、間違えた」

 

 絞り出すような声が、なんだか笑えた。

 

「それは少年の審美眼が悪い。次は頑張って切符買おう。ところで、昨日作ったおでんがいっぱいあるんだよ渡航代として消費手伝ってくんない?」

 

 ぐぅううぅうう。

 

 軽い調子で問いかけたら、少年のお腹が返事をした。

 慌ててお腹を押さえる様子が面白かったので笑ったら「笑うな!」と怒られた。

 そこでちょうどご飯が炊きあがったので、おにぎりを握りながら具材を聞いたら「……梅干し以外」と答えてくれた。じゃあなまり節と鮭と昆布にしようか。

 

「あんまうまくねぇ」

「あはは、僕もそう思うけど上達しないんだ。ごめんね」

 

 おでんを食べての感想。

 失礼千万だけどゆるす。事実だから。これでも昨日よりマシなので勘弁してくれ。

 少年はおにぎりをもりもり食べて、おでんを食べて水を飲んでひと心地ついたのか、はー、と息を吐いてぼんやりと中空を見つめている。

 

「ところで、よくこの船がスパイダーマイルズ行くって分かったね」

「海図を買ってただろ」

「ああ、それで。僕ぐらいなら脅して制圧できると思ったんだ」

 

 すぐ後にカツアゲパート2を喰らったから気付かなかった。

 そうか、あれ隠れてる仲間じゃなくて少年だったのか。どうりで増援が来なかったワケだ。

 スパイダーマイルズまでの海図は、グランドラインみたいにエターナルポースがないのを失念していたので、慌てて購入した。不覚である。

 

「そうだよ。それに……次なんて、ねぇよ」

 

 少年は何度か視線を彷徨わせてからふてくされたように、あるいは何かを諦めたように、自分の腕を見つめながらぽつりとつぶやいた。

 

「おれは『白い町』で、育った」

 

 言われてみれば少年の肌には、やけに白い痣のようなものがある。雪花石膏、どころかそのもの(・・・・)の色だ。

 そして白い町といえば……あ、あー、もしかしてフレバンス?

 地理の勉強をしている時に知った町の名前だ。

 かつてのおとぎの国。上質の地層があったがために、世界政府の悪意と隠蔽に食い散らかされた町。

 その因果は次世代の寿命を削り、それが少年を苛んでいるとすれば、答えはひとつだ。

 

「珀鉛病」

「そうだ」

 

 合点が入った。

 少年は、文字通りの地獄を見たのだ。

 研究者が珀鉛病の治療法を確立するまで、世界政府は待てなかった。偏見と情報操作によって、町そのものが鏖殺された。

 悪意と迫害を一身に受けた少年。

 

 なるほど、似ているのも道理だ。

 

「そっか」

 

 うん、と頷くと少年は思っていた反応と違ったのか、少し動揺しているようだった。

 

「こわく、ねぇのか」

「自家中毒をおそれる必要はないでしょう」

 

 珀鉛という鉛の一種が引き起こす中毒症を『珀鉛病』という。

 環境汚染によって体内に蓄積された珀鉛は、世代を引き継ぐごとに人間の平均寿命を削り落としていく。

 おそらく、少年の寿命も相当に縮んでいるはずだ。

 世の栄耀栄華を享受していた者たちが作りあげた負の遺産を引き継ぐ羽目になったフレバンスの住人、おそらくはほぼ最後の生き残りである少年に思うところがないでもないが、口にするべきではないだろう。

 当事者ではない者から受ける同情や憐憫を受けて自己陶酔できるようなタイプとは思えない。

 

「どうあれ、少年は生きてここにいる」

 

 だから、言えることがあるとすれば。

 

「それは、とても、すごいことだと──僕は思うよ」

 

 あの病的に隔離された死の町から抜け出してきたのだ。

 辺り一面にはびこる死臭を振り切って逃げ延びるために、少年が何を覚悟して何を捨ててきたのか、想像するに余りある。

 十に届くか否か、それぐらいの年齢の子供が背負うには酷に過ぎた。

 まるで理解のできない宇宙の言葉でも聞いたような顔をしていた少年の顔が、唐突に歪んだ。

 

「おまえ、ひどいやつだ」

 

 怒っているようにも、泣きそうにも見える顔だった。

 

「そんなこと、いうな」

 

 小さくしゃくり上げ、椅子から下りてどこかへ行ってしまった。

 狭い船内だ。探せばすぐに見つかるだろうけど、そうしようとは思わなかった。

 

「……そうだね、ひどい」

 

 少年は生き延びた。

 

 諦めず、必死に、生にしがみついた。

 

 そしてここにいる。

 

 それを、僕は凄いと思う。

 

 賞賛する。心の底から。

 

 ……羨望すら、覚えた。

 

 小さな背中が、とても眩しいもののように見えた。

 

 

(だって、それは、僕が真っ先に切り捨てたものだ)

 

 

 

 

 



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ろく.【悲報】うちの弟がやべぇ海賊だった

 

 

 

 少年を乗っけたままうちの船はすいすい進んで、やってきましたスパイダーマイルズ!

 

 そして、到着直後に少年はいなくなりました。

 だろうな、という感じだったので驚きはない。会ったばっかりで自分から地雷差し出してきたので、こっちも不用意な発言しちゃったからしょうがないね。心の扉はフルクローズでした。

 結局名前もわからんかったけど、こっちも名乗ってないのでお互い様だ。

 

 スパイダーマイルズは港町なのでそこそこに大きな町である。

 まぁいくらスパイダーといっても、本物の蜘蛛を連れていると怒られそうな気がしたので、今回軍曹はリュックに入っていてもらうことにする。

 船は前回の教訓をいかしてちゃんと隠しました。

 

 そしてぼちぼちと町を散策しつつ情報収集に勤しんでいるワケですが、問題がぽこぽこ浮かんできてどうしようかという感じ。

 だいぶ疲れてきたので、近くの喫茶店でティーブレイクしつつ脳内作戦会議。

 議長も進行も書記もオール自分。すごい、良案が浮かぶ気配が欠片もない。

 

(ドンキホーテ海賊団のアジトは割れました。彼らはゴミ処理場をアジトにしています)

(闇を感じる)

(それな)

(それな)

(海賊団の規模が思ったよりでかい)

(人員豊富で思ったより海賊してた。しかもイタリアン形式だった。幹部とか噂になってる)

(シャンクスさんとかお父さんの海賊見てて麻痺してた感ある)

(わかる。もっと牧歌的な海賊でいてほしかった)

(我ながら牧歌的な海賊に矛盾を感じるけど、それより問題はどうやって弟に会うかです)

(最高幹部の更に上。船長。ボス)

 

「どうやって会いに行けばいいんだ……?」

 

 頭を抱え、可決も否決もしないままむなしくなって閉会した。

 ドフィなのかロシーなのかわからんけど、いや限りなくドフィっぽいけど、ドンキホーテ海賊団のボスなんてどうやって会えばいいのかさっぱりわからない。正直に名乗り出たところで詐欺師扱いがオチだ。

 お父さんにしろシャンクスさんにしろ、船長がフレンドリーもとい気さくすぎて参考にならない。

 

 お父さんの名前を使う?……迷惑かけそう。却下。

 

 こっそり忍び込む?……アジトは割れたけど地図は入手できてないので、途中で見つかると詰む。却下。

 

 手紙でも書く?……絶対他のひとのチェック入ってる。却下。

 

 誰かに相談する?……白ひげの誰に聞いても、見なかったことにして早く帰って来いって言われそう。むり。

 

 いい加減脳味噌が茹だってきたところで、なぜかお髭の似合うダンディーな紳士が脳裏をかすめた。

 

『逆に考えるんだ』

 

 僕は真理に気が付いた。

 名乗り出なくてもいいじゃない。

 

 海賊団の規模からしてボスに危害が加えられる可能性は低いし、わりとあくどいことしてそうなので資金も潤沢。反対勢力を黙らせられる兵力も完備している。そうそう潰れる気配はない。

 同性なだけの別海賊団疑惑はこの町で払拭されているので、もう本気で顔だけ拝めればそれでいい気がする。

 うちの弟、お姉ちゃんがいなくても立派に独り立ちしてるよ。

 ボスがどっちなのかだけ確認して、もう片方を探しに行こう。両方いれば万々歳なのだけど、世の中そううまくできているとは思えない。

 

 限りなく投げやりな作戦だけど、考えついたのだから実行に移す。

 お会計を済ませてゴミ処理場を目指した。

 

 てくてく歩いている間に、ふと嫌な想像をしてしまった。

 

「うざがられたらどうしよう……」

 

 そうだよ、僕のしてることってカーチャンが息子の職場に見学来るようなもんじゃない? めっちゃ気まずくない?

 あああ思いつくんじゃなかった。めっちゃ悩む。困った。どうしよう、その辺で紙袋でも購入してかぶる? それはただの不審者だ。あうう。

 

 ……もういい、わかった。

 

「とりあえず船長の名前だけ確認して、帰ろう!」

 

 自分でハードルをがんがんに引き下げている自覚はあるけど、羞恥と申し訳なさで身悶えするよりマシだ!

 姉は自分が可愛い!

 そうこうしている間に『KEEP OUT』のテープがべたべたくっついた金網が見えた。

 ここから先がゴミ処理場、つまりはドンキホーテ海賊団のナワバリである。

 はーやれやれどっこいしょと金網を乗り越えて、さて誰か掴まるかいなと周囲をきょろきょろ。

 

「べっへへへ、また侵入者か?」

「観光にゃ物騒な場所だぞ、とっとと帰れ」

 

 すると警戒網に引っかかったのか、でっかいひとが二人出てきた。

 全体的にべったりした印象の大男と、しっしと手を振る全体的にひょろりと長い、カマキリみたいな男性。

 あ、この二人強い。

 見た感じ、お父さんは無理でも白ひげの隊長の何人かに迫るくらい。その辺のちんぴらとはレベルどころかステージが違うっぽいので、かなり地位は高いのではなかろうか。

 

「あのー、ここはドンキホーテ海賊団のナワバリであってますか?」

「そんなことも知らねーの? 迷子? んねーんねー、迷子?」

 

 にゅうっと首を動かして、すごく顔を覗き込まれた。

 なんだろう、このべったりなひとは煽り役担当とかなのだろうか。……見た目で? え、それは……ええー。

 

「? んねー、なんで気の毒そうなカオ? んーんー?」

「なんか勘違いしてそうだが、ちび。トレーボルの口調は元からだ」

 

 人材に恵まれて……いるんだろうか。この場合。

 ちょっとお姉ちゃんはこの海賊団に一抹の不安を覚えました。これ以上首を突っ込むと逆に心配が募りそう。実力がありそうなぶん、余計に。

 

「えーと……この海賊団の、船長のお名前を教えてもらえませんか?」

「なんだよ、入団希望者か?」

「ドフィのことも知らない入団希望者? それっておかしくねー?」

 

 あっハイ。

 もういいです。

 ドフィかー! やっぱりねー! 似合いすぎて困るー!

 

「入団は希望してません。ちょっと確認したかっただけなので、ありがとうございました!」

 

 ぺこりと頭を下げて、そそくさと踵を返す。

 

 ドフィ、いい仲間に恵まれたのかどうかの判断はつかないけど強く逞しく頑張ってくれ。

 お姉ちゃんは遠くから見守ってます。手配書とかで。なんかバラしてもややこしいことになりそうだし、僕がおらんでも元気いっぱいなのは理解したので草場の陰のままでいようと思います。グランドラインで会える日を楽しみにしていよう。

 その前にドフィの保護者さんもできれば見つけたい。ご挨拶しないと……。

 

 そしてロシーはどこだろう。

 またイチから情報収集しなくちゃなぁ。教訓を生かして所属が分かったら探るくらいで。ロシーにうざがられたら心が折れる。

 ドフィめっちゃ目立つから見つけられたけど、ロシー目立つの好きじゃなかったし、ドフィより難易度高いわー、はー、がんばろ。

 

 でも一回おうち帰るー。お父さんとこ帰るー。

 めちゃんこ疲れた。だるだるしたい。

 

 船に帰る道すがら、おいしい匂いに誘われてらーめん屋さんを発見した。

 麺料理は正義。入店した。

 まだちょっと時間が早いので店内には人がいなかった。席が空いてるから、と四人がけに案内してもらえた。ありがとうございます。おすすめらーめんと、軍曹用に大根餅を注文してお冷やをもらう。

 

「はいお待ち!」

 

 そう待たずに両方とも運ばれてきた。

 大根餅をリュックの隙間から放り込む。美味とのこと。それはよかった。お代わり頼む?

 豚肉と野菜の入ったらーめんは、熱くてちょっぴり辛くて細切りのネギがいい感じだ。美味しい。スープの絡んだ麺を噛みしめると小麦粉の甘み。口いっぱいに詰め込んだ。

 

「よう」

「むぐ」

 

 どすんと椅子が揺れる。

 らーめんを堪能してたら、見知らぬ大柄な男がいきなり向かいに腰掛けた。席、まだ空いてるのに。

 端整な顔立ちにサングラスをかけているので、カタギには見えない。

 二人掛けの椅子なのに、それが窮屈に見えるくらい大きい。たぶんピンクのもっふもっふしたコートのせい。とても邪魔そう。店内に入る前に脱いで欲しい。

 

 しかし、どちら様だろう?

 

 ひょっとしてカツアゲ?

 店内で犯罪行為はちょっと……あれっ店長がいない!? 店員さんも!? らーめんに人生捧げてる頑固一徹って感じの親父がいなくなってる!

 そして、あれれー、おかしいぞー? 店外から気配がするぞー?

 お店側と裏口にひのふのみ、これは逃がさない配置。おっと軍曹ステイステイまだ相手はなにもリアクションしてない、なんかこっち見て含み笑いはしているけれど。

 

「フッフッフ。お嬢さん、ひとりか?」

 

 ……人身売買のブローカーかな?

 

「もぐもぐ。身売りの予定はないのですが」

「ちげぇよ」

 

 ちがったらしい。反省。

 ひとを見た目で判断するのはよくな……いや、退路塞いでるしな、もっとタチの悪いひとと考える方が妥当か?

 麺がのびるのはイヤなのでらーめんは食べ続けます。

 ピンクいお兄さんは特に不機嫌になる様子はなく、むしろどこか楽しそうだ。「それで足りるのか?」とか聞いてくるので大丈夫ですと返した。

 

「ちいせぇのは食が細いせいか?」

「うるせーこちとら気にしてるんだよ」

 

 だいたい、こっちのご飯事情が大盛りすぎるのである。

 海賊は身体が資本なのはわかるけど普通の町でもわりと多い。生前からさほど変わらない食事量では、デザートに辿り着けないのだ。最終的にはお持ち帰りしかない。現場で食べたいというのに。切ない。

 

「フッフ、肝の方は随分と図太いじゃねぇか。変わらねぇなぁ」

「ん?」

 

 おっと聞き捨てならないワードが。

 変わらない? 肝が太いのは否定しないけれども。

 麺と野菜を食べきってからティッシュで口元を拭いながら、まじまじと目の前の相手を見つめてみる。

 サングラスはともかく、ガタイとかピンクモフの外部装置が目立ちすぎてその可能性には行き着かなかったけど、喉を鳴らしてご機嫌なお兄さんは幼少期にテンション上がったくそ生意気な弟に……。

 

 え、マジで?

 

「……ドフィ?」

 

 二分の一の可能性にかけるとピンクモフのお兄さんがにぃ、と唇を吊り上げた。

 ビンゴかよちくしょー。

 

「実の弟に挨拶ひとつねぇとは、薄情な姉もいたもんだ。おれから逃げるつもりだったのか?」

「なんで唐突に逃げるとか言い出してんのかわかんないけど、えええ、ドフィ? ドフラミンゴ? でっかくない? ちょ、脳内情報更新するからまってまって」

「……早くしてくれよ?」

 

 くつくつ笑いながらもお許しが出たので頭を抱える。

 あんなちっちゃかった弟が、こんな劇的ビフォーアフターを遂げているとは。

 やだショックでかいーぜんぜん可愛くないー。弟の爆速すぎる二次成長に驚きを隠せないー。

 うちの家系はそんなに伸びる家系だったっけ? なんで僕にはその遺伝子来てないの? 設計ミス?

 

「えーと、ドフィいくつ?」

「25」

「うおええええ? うっそぉ、めっためたに追い抜かされている……もう姉と名乗れば詐欺師まちがいなし、しんどい」

 

 じゃあロシーは23?

 男盛りですね本当に以下略。もうなにもかもが信じられない。現実が僕をサンドバッグにしてくる。

 ショック過多でらーめんのどんぶりを横にのけて突っ伏すと、上から声が降ってくる。

 

「そう、それだ」

「えー?」

 

 どれですか?

 お姉ちゃん今頭回ってないので、ろくな答えは返せないぞ。更新情報多すぎた。

 

「おれの目から見ても、姉貴はちっとも老けちゃいない。こりゃいったいどういう理屈だ?」

「ああ、それ。理屈というかあれですよ、悪魔の実。十年くらい凍ってて、最近解凍された」

 

 自分で言っててなんだけどこの説明、冷凍食品のレンチンみたいでなんかもにゃってなる。

 信じられない現象でも、無理やりに実現させてしまうのが悪魔の実だ。詳細説明なんかしなくても大体それで片付く。

 あくまのみって、すげー!

 

「命冥加に生き延びたけど、そんな時間経ってるとかわかんないし。この前知って超びっくりした。んで、弟ズの安否確認をしたくてここまできたワケです」

「フッフッフ、なら、なんだっておれの所に顔も出さずに島を出ようとしやがった」

 

 的確に突いてくるところまじドフィ。

 

「理由言って引かない?」

「聞かなきゃわかんねぇなぁ」

 

 せやな、ってなったのでしぶしぶ答えた。

 

「うざがられるのが恐かったからです」

「あァ?」

 

 ドフィの眉間に皺が寄るけど、聞いたのはそっちなのでここまできたら全部ゲロるぞ。

 

「だっていわば保護者の職場訪問だよ? 気まずくない? うざくない? げっ、あのババアなんで来やがったとか思わない?」

「思わねぇし、うざくねぇよ」

 

 何言ってんだこいつ馬鹿か、みたいな弟の目線がサングラス越しに突き刺さる。

 ドフィはうざくないのか。それはすげぇな。僕なら気まずさで内心悶死する。

 

「ドフィ案外に心広い」

「そんなくだらねぇ理由でシカトこいて逃げようとしたのかよ」

「くだらなくないですー、お姉ちゃん的には大問題だったんですー。まぁ、弟のうわこの姉めっちゃうざいという目線に耐えられる自信がなかったので、そこは逃げようとしましたごめん」

 

 素直にそこは謝罪しておこう。ごめんな、自己中心的な姉で。

 居住まいを正してぺこんと頭を下げると、ドフィは肩を揺すって笑い出した。

 ちょっと見ない間(推定十余年)にうちの弟が笑い上戸になっていた件。

 

「おれはミオをうぜぇと思うことはねぇし、言うやつがいたらおれが消してやる」

「やだ物騒」

「おれは海賊だぜ?」

 

 悪辣に過ぎるその顔、とっても上にヤの付く自由業っぽいです。

 そうだった。物騒の代名詞のボスだった。

 

「それにもうコラソンがいるんだ。今更じゃねぇか?」

「こら……だれ?」

 

 そんなコラ画像みたいなお名前に心当たりがないのですが。

 えっ、うちの父親どっかで隠し子こさえたりしてたの? それはできれば知りたくなかった。秘密のままにして欲しかった。

 

「ああ、そうか……ロシナンテだ。今はそう名乗ってる」

 

 まさかのダブル当選!

 よかったあのままスルーしないで! 的外れを延々探し回る羽目になってたわ!

 そしてよかった、父の不義の子追加説は消えた。

 

 ……それは、それとして。

 

「ドフィはまんま名乗ってるのに、ロシーは偽名? なにそれいじめ?」

 

 年上権限で弟に無体を強いているというなら、お姉ちゃんは心を鬼にしてドフィが泣くまで殴る所存。

 

「二代目コラソンが今のロシナンテだ。そう理解しろ」

 

 こぶしを握って決意を固める僕へ、ドフィが説明になってない説明を投げてきた。久しぶりに再会した弟が無茶ぶりしてくる。

 

 二代目ってことは初代がいるのだろうけど、ドフィが立ち上げたとすれば十年未満じゃろ?

 名前を引き継ぐという、もはや海賊じゃなくてマフィア式になってることは突っ込まないけど、世代交代してるのはちょっと疑問。あとでロシーに聞けたら聞いてみたい。

 

「ロシーが海賊って意外だなぁ。もしかして、お兄ちゃん権限とかっつって強引に勧誘したんじゃあるまいな」

 

 年上権限で弟に以下略。

 

「してねぇからその疑惑の目をやめろ。それとコラソ、ロシーは口がきけねぇ。あいつを見つけた時からそうだった」

 

 あのあと──僕がチェレスタに凍結されて、見ることもできなかった時間。

 ドフィとロシーには何があったのだろうか。いいことも悪いこともあったのだろう。

 でも、ドフィもロシーもここにいる。

 大きくなって、生きている。

 こうして再会して、会話できているのは何物にも代え難い奇跡だと思う。

 

 十年。

 たった二文字なのに、途方もない時間だ。

 

 人は変わる。自分はそれを支えることも、守ることもできなかった。

 

「……そう」

 

 あそこでくたばってたら悩むこともなかったんだろうけど、そう考えると幸せな悩みなのかもしれない。ちょっとへこむけど。

 ドフィは面影がちょっぴりしかないくらい大きくなって、海賊団を立ち上げて、そこには信頼できる仲間も弟もいる。

 あのべたっとしたトレーなんとかさんが「ドフィ」って呼んでるくらいだ。

 そう呼ばれることを、パーソナルスペースの広いドフィが許容しているのだから、浅い付き合いではあるまい。

 

 彼は彼の世界をちゃんと作っている。

 立派だ。いいことだ。

 

「ねぇ、ドフィ」

 

 でも、そうだな、できればだけど。

 

「僕はドフィのお姉ちゃんでいて、いいかな?」

 

 もうなにもかも全部、追い抜かれてしまっただめだめな姉だけど。

 その世界のほんの隅っこに、僕を置いといてもらえると、とても嬉しい。

 

「当然だろう?」

 

 即答するドフィの目はサングラス越しでもわかるくらい真剣だった。

 

 うん、それが聞ければお姉ちゃんは満足です。

 

 

 



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ろくのに.よかったり悪かったりする再会

 

 

 

 小さな『姉』はほっとしたように息を吐いて、とても嬉しそうにふわりと微笑った。

 

「そっか、うん、そっかそっか。ありがと、ドフィ」

「フッフ、どういたしまして」

 

 そうだ、ずっとその顔が見たかった。

 

 雪みたいな髪をした、妙な子供がアジト近くをうろうろしていたという報告を聞いた瞬間、ドフラミンゴは椅子を蹴立てていた。

 トレーボルがドフラミンゴの名前を出した途端、ディアマンテの問いに入団希望はしていないと告げ、頭を下げて立ち去ったという。

 

「おい、そのガキの目の色は?」

「え? ああ……そうだな、ピンクが近いか?」

「べっへへへ、キャンディみたいだったなー」

「そうか。今すぐ探し出せ」

 

 ドフラミンゴの常にない厳命に、束の間動きを止めた二人だったがそこは幹部。すぐに部下たちを手配してきびきびと動き出す。

 姉だと半ば本能的に直感していた。報告を待つ間も惜しかった。

 

 真っ先に海岸線を封鎖して四方に部下を散らし、逃走を防ごうとしていたら近所の店にそれらしい姿を見つけたという急報。

 現場に駆けつけ、店主と店員を追い出して店の外に幹部を配置。

 念のため連れて来た二人に確認すると間違いなく本人だと言ったので、ドフラミンゴはひとりで店に入った。

 

 生存は絶望的でせめて遺骸を見つけようと血眼になって探していた姉が、五体満足でらーめん食ってやがる。

 

 夢中で麺を啜ってる姉に、身体のよくわからない部分から力が抜けるのを感じる。

 無残な死体を見つけたいとは思っていなかったが、浪漫もくそもない再会だった。

 

 ほんの少しばかり成長したようにも見えるが、記憶に残る姉の最後の姿は血と泥で汚れたあの時のままだ。自信が持てない。

 

 何も言わずに向かい側の席にどかんと腰を落とすと、びっくりしたように顔を上げた。

 

 さらりとして指通りのよさそうな初雪めいた髪に、ごく繊細に配置された目鼻立ち。際立って美しい瞳は飴玉のように愛らしいチェリーピンク。

 ただし口はもぐもぐ動いていたし、食事を止める気はさらさらないらしかった。

 無難なところから一人かどうか尋ねところ、ナンパを通り越して真っ先に人買いと疑われた。

 危機管理的には合格点だが、甚だ遺憾である。

 

 空になった皿がひとつとらーめんしかないので、それで足りるのかと聞いたら悪態を吐かれた。

 小さいのを気にしているらしい。このふてぶてしさ、間違いない。

 

「ドフィ?」

 

 ろくでもない確信だったが、名前を呼ばれて内心浮かれた。

 

 姉は小さかったはずのドフラミンゴが予想外に大きくなっていて混乱していたが、それはこちらも同じである。

 怪我と服装を除けば記憶とそう差異がないことを問えば、どうやらあの襲撃の日から十数年ほど凍結されていたとのこと。

 悪魔の実は時に人知を超える。

 姉の説明は雑にもほどがあったが、本人にも未だによく分かっていない部分が多そうではあった。今はそれでいい。

 

 顔も出さずに逃げるようなマネをしようとした事には純粋に腹が立ったのでなじったら、しぬほどくだらない理由で謝られた。

 相変わらず、奇天烈な論理で動く姉である。そこじゃねぇよ。

 ともあれ、再会が叶ったのだから逃がすつもりは毛頭ない。あんな思いはもうまっぴらだ。

 

「さて、行くか」

 

 食事も終えているので問題はないだろう。ガタンとドフラミンゴは立ち上がり、ミオに手を差し出した。

 

「お会計まだなんだけど」

「済ませてある」

「それはまた……ご馳走様です」

 

 なぜか上司に奢られた新人の風情で頭を下げるミオである。

 そのまま傍らに置いてあったリュックサックを背負って、特に何か考える様子もなくドフラミンゴの差し出した手に自分のそれを乗せた。

 ぎゅっと掴む。あちこちに胼胝(たこ)があって硬い、けれど小さい手だった。

 

 あの頃、こんなにも細い指で姉は家族を守っていたのだと思うと、過去の自分に腹が立って仕方がなかった。

 

 けれど、今日からは違う。

 

 ドフラミンゴは大きくなって力を手に入れた。もう、このちまっこい姉が肩肘を張る必要はない。

 時間に置き去りにされて、自分が十近く年上になっているのも素晴らしい。好都合だ。

 

 姉は報われるべきで、それは自分が与えればいいと疑いなく思う。

 

「ロシナンテにも挨拶してやるんだろう?」

「? それはもちろん」

 

 やんわり手を引くと頃合いを見計らったのか、すいっとドアが開く。うちの部下どもは優秀だ。

 外に出ると、控えさせていたトレーボルとディアマンテが既に待機していた。

 

「フッフッフ、聞いていたとは思うがおれの『姉』だ」

 

 二人が同時に頷いた。身長の多寡や年齢は関係ない。ドフラミンゴが言えばそれが正解なのである。

 

「あ、先ほどはどうも」

「んねーんねー、ドフィの身内だったの? ならそう言ってくれるー?」

「ええと、その節はすみませんでした。あといつもドフィがお世話になっているようで、ありがとうございます」

 

 ミオが二人にぺこりと頭を下げるとトレーボルが「うわーやめてー! 鼻でるわー!」とぶんぶん手を振った。本当に鼻水を出していたので「鼻炎……?」とかつぶやいている。

 ティッシュを出そうとするミオを制し、ドフラミンゴは眉間に皺を寄せる。

 

「おい、うちの幹部連中にいちいちやるつもりか?」

「やるつもりです」

 

 即答である。

 だって絶対迷惑かけ通してるだろう、と言外に告げる顔だった。

 

「やめろ」

 

 ボスの威厳とか沽券を切々と説き、ディアマンテが「そういうのいらねぇから」と言うとしぶしぶ諦めたような顔をした。

 しかしドフラミンゴには分かる。これはあとでこっそり言えばいいか、とか考えている顔だ。しばらくは監視していた方がいいかもしれない。ドフラミンゴの心の安寧のために。

 

 ああ、けれど、心が躍る。

 

 この煩わしささえも愛おしい。

 

 手を繋いだまま歩いていると、ミオはしっかりと絡ませた手をじーっと見て、それからドフラミンゴを見上げてぽつりとつぶやいた。

 

「ドフィ、でっかいなぁ。いいなぁ」

 

 十年の間に成長期を越えたドフラミンゴは体格もさることながら身長も高い。

 並んで歩くと大人と子供だ。どういう遺伝子の悪戯なのか、ミオの身長はさほど伸びていないようだった。

 それとも、これからなのだろうか。見たところまだ十代半ば、二十歳はいっていない。

 

「これからに期待か?」

「いや、どうだろ……どうかな? だったらいいんだけど」

 

 ドフラミンゴの成長ぶりに期待を抱いたのか、少しばかりわくわくしているようだ。これにはドフラミンゴの頬も自然に緩む。

 

「フッフ、そんなに大きくなりてェのか?」

「そりゃあ、そうだよ。このままずーっと弟たちを見上げ続ける生活じゃ、首痛くなっちゃう」

 

 すでにじゃっかん痛いのか、空いた方の手で首の後ろ辺りをさすっている。

 

「なら、抱えてやったっていいんだぜ?」

 

 迎え入れるように片腕を広げると、ミオはぱぁっと顔を輝かせた。

 

「ならおんぶして! おんぶ! 3mの視界ちょう見たい!」

 

 ミオがジャンプするたびに、繋ぎっぱなしの手がびよんびよんと跳ね踊る。

 あれ、姉はこんなんだっただろうか……実家でふざけてる時はこんなもんだった。

 プリンセスホールドを決めて華麗にアジトへ凱旋する、というドフラミンゴの構想は粉々に粉砕された。

 

「……」

 

 言い淀むドフラミンゴを、自然と上目遣いで期待するチェリーピンクの瞳には、きらきらとした星屑がたっぷり詰まっているようだった。

 

「…………アジト近くまで、だな」

「やったああ! ありがとドフィ! らぶ!」

「やっすいラブだなァ、おい」

 

 何か言いたげな幹部と部下をひとごろしの視線で黙らせ、ひょいとミオをおんぶしたドフラミンゴはコレジャナイ感を存分に味わった。

 

 そして当の本人はといえば。

 

「おお、もふもふ! もっふもふ! めっちゃ身体埋まる! 視界、高っ! でも安定感すごい! あははは!」

 

 ハイテンションが留まることを知らず、天井知らずに上がっていった。ついでに、おんぶのはずが肩車になっていたのはどういうことだろうか。

 

「すっごい、すごいよドフィ! ありがとう!」

 

 ドフラミンゴの後頭部にしがみついているミオは弾けるような笑顔で、昂奮で頬には朱の差し色。

 

 全身で喜びを表しているミオに笑みが漏れる。

 そういえば、自分は『弟』なのだったと今更理解する。

 姉の無茶な理不尽による被害を被るのは、弟の背負った宿命だし、この姉の理不尽なんて可愛いものだ。

 

 

──この世でいちばん愛しい姉を捕まえた。

 

 

 ここにはドフラミンゴがいて、ロシナンテがいて、新しい家族がいる。

 もう寂しい思いはさせないし、苦労なんて以ての外だ。欲しいものはすべて与えてやる。

 邪魔をするものはすべて押し潰して粉砕しよう。

 

 今なら分かる。心の底から理解ができた。

 

 

 この世界もそう──悪くはない。

 

 

「ところで、ドフィのコートすっごいね。ピンクでもふもふしててフラミンゴみたい」

「フッフ、似合うだろ?」

「着こなしてるのがすごいと思う。ファッションセンスの塊」

 

 真顔で頷いているが、それは果たして褒めているのだろうか。

 ミオの分のコートも誂えようとドフラミンゴは思った。

 

 

 



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なな.【凶報】可愛かった方の弟が斜め上にグレてた

「フッフッフ、ようやくお前たちに紹介できるな……ドンキホーテ・ミオ。おれの実の『姉』だ」

 

 招集された幹部(らしい)ひとたちの前で、ドフィがそう言って僕の肩に手を置いた。

 

「ミオはおれたちの大切な実の姉。コラソン同様、傷一つでもつけた奴にはおれが死を与える!」

「与えんなよ! こっちが罪悪感で死ぬわ!」

 

 ずらりと並ぶキャラの濃いひとたちを前に、そうのたまったドフィに腹パンを喰らわせた。左ショートフックで一撃。

 突然のことで対応できなかったのか、もろに喰らったドフィは「ぐっ」とか言って腹を押さえてうつむいた。

 

「若様!」

「貴様ァ! 若様に何をする!」

「ち、『血の掟』を破っただすやん!?」

 

 途端に色めき立つ幹部らしきひとたち。

 ここのトップに拳入れたら当然の反応だが、姉として弟があほな事を言い出したら拳で言い聞か……え、あの青年、頭が膨らんでるんですけど?

 反射的に構えそうになると「よせ」とドフィが静かに告げる。船長ではなく『若様』呼びもマフィアっぽいよね。

 傷ひとつとか死を与えるとか、もろにマフィア思考で困る。海賊じゃないの?

 

「フ、フフ……的確に肝臓狙うんじゃねぇよ」

「理不尽なこと言うからだばーか。傷のひとつふたつでぐだぐだ言わないし、なんなら自分でやり返すからそういうのいりません」

「あァ、そうだな。自分で始末しねぇとスッキリしねぇか」

「ちっっげーよ!」

 

 マフィアどころかヤクザじゃねーか!! なんでそうなる!

 ぎゃいぎゃい抗議したものの、ちゃんと伝わったかどうかはすこぶる疑問。耳に指つっこんで「あー、わかったわかった」とか言いやがったからな。

 パンチ入れても反撃をくれることもなく、なおざりだけど説教を聞く姿勢になるドフィを見て、彼の仲間たちも一応は血縁だと納得してくれた模様。

 あの膨らんでいたひとも元に戻ったので一安心。

 

 改めてどうもどうもこんにちは、ドフィたちが常日頃お世話になっておりますと挨拶回りしつつ自己紹介。

 ドフィが案の定、苦虫を噛み潰したような顔をしていたが気にしない。挨拶大事。

 最初に会ったのがトレーボルさんとディアマンテさん。

 それからお爺さんから子供まで、性別から年齢層まで幅の広いこと広いこと。そう、こど……え、ちょっときみたちいくつ? あの赤ん坊も? へ、へぇ、若いね……いや、その年齢で海賊って色々察するけど、そうかぁ……。

 ちょっとしんみりしたけど気を取り直す。

 

「あれ、ロ……コラソンは?」

 

 危ない危ない。名前の変更なんて急に言われてもまだ慣れない。

 

「じき戻る。楽しみにしていろ」

 

 なんでも所用で少し出ているそうだ。

 この海賊団はそれぞれトランプのスートになぞらえた幹部がおり、各々役目が違うというのは情報集めの時に知っていた。今まで紹介された中にハートがいないということは、元ロシー現コラソンがハートの幹部なのだろう。

 

「若様のお姉様? 若様よりずぅっとお若く見えるわ?」

「だすやん?」

 

 こわごわと近寄ってきた黒髪の可愛い女の子と、体格がよくて触覚みたいに髪が伸びた男の子が揃ってきょとんと首を傾げる。ベビー5ちゃんとバッファローくんというそうな。

 膝に手を当てたまま折り曲げて目線を合わせ、怖がらせないようにとにっこり笑う。

 

「うん、色々あって十年くらい凍結……えーと、固まってたの。だから今はドフィの方が年上になっちゃったんだ」

「そうなんだすやん!」

「まぁ、童話のお姫様みたい! すてき!」

 

 すてき……どうだろう?

 延命措置としての苦渋の選択、という意味合いが強いので眠りの森のなんとか、みたいな浪漫は残念なことに存在しなかった。だいたいお姫様ってガラじゃないし。

 だがそれはこちらの話。子供さんの夢を壊すべきではない。

 

 

「すてきかどうかはちょっと難しいけど、ドフィとまた会えたから……うん、よかったなって思うよ」

 

 しみじみとつぶやいて、ベビー5ちゃんの頭をふわふわ撫でたらふにゃりと笑ってくれた。よしよし。

 

「フッフ」

 

 はいそこー、含み笑いしない。名前確認だけして帰ろうとしたのは悪かったよ。

 比較的可愛い子供さん組や、ジョーラさんという女性とお喋りしていると、唐突にドアがばたんと開き──でっかい大人の尻がスライディング入室してきた。

 

「のわ!?」

「きゃはは!コラさんがこけたー!」

「やっぱりだすやーん!」

 

 どうやら足がもつれて転んだようだが、それをやんやと囃すちびっこたち。

 その反応を見るに、どうもこの青年常日頃こういったことを引き起こしているということで……。

 身体を起こして立ち上がると、青年は随分と背が高い。ドフィとタメを張れるくらいの上背に黒いもっふりしたコートを羽織り、顔には道化師を思わせるペイントを施していた。

 

 ……うわー、イヤだなー! 現実から目を背けたいなー!

 

「フフ、フッフッフ……! しまらねぇ再会だな、コラソン」

 

 はい確定です。

 コラソンと呼ばれた男が、爆笑するドフィの指の先──つまりは僕を見て硬直する。

 ピエロな男がこちらを見て、ドフィを見て、あたふたしながら懐から小さな紙を出して何かを綴って差し出してくる。『ミオ?』と書いてあったので頷く。

 

「うん、えと、久しぶり」

 

 こくこくと必死で頷く様子は幼い頃を彷彿とさせるが、まさか可愛い方の弟がビジュアル系に成長しているとは夢にも、思わず……。

 抱き締めようと伸ばされた腕を避けても仕方がないと思って欲しい。

 もう全身で「なぜ!?」って感じでショックを受けているコラソンに僕はごめんと首を振る。

 

「ドフィもそうだけど、弟たちの進化の方向に驚きが隠せない……! 慣れるまでちょっと待って」

 

 頭を抱える僕と、オロオロし通しのコラソン。ドフィ、知ってて黙ってたな。

 

「どうだ、ミオ。おれの新しい家族たちだ」

 

 誇らしげに胸を張るドフィに自然、こっちも嬉しくなる。

 

「うん、いい家族だね」

 

 下っ端までは分からないけれど、幹部のひとはみんなドフィを慕っている。心酔しているといっても過言ではないくらいの好かれっぷりなので、別の心配はあるけどおおむね安心できる。

 素直にそういうと、ドフィは笑みを深めて自慢げに腕を広げた。

 

「だろう? お前も今日からファミリーの一員だ、気兼ねなく──」

 

 おいおい、さらっと何を言い出してるんだこやつは。

 

「え? 入らないよ?」

「……あ?」

 

 物凄い勢いでドフィの機嫌が降下した。

 グッピーならしんでる。

 殺気すら漂う様子に周囲のひとたちが一斉に口を噤み、コラソンがぎょっとする。この人数の中、痛いほどの沈黙があたりを包み込んだ。

 いやいやしかし、こちらにも言い分があるわけでして。

 僕は確かにドフィたちの姉だけど、それとこれとは別問題。いきなりファミリーとか言われても困ります。

 

「何故だ?」

「なぜって、ドンキホーテ海賊団って海賊じゃないですかー」

「そうだな」

 

 それがどうした、と言わんばかりのドフィである。え、そこからかよ。

 

「僕は二人の安否を確かめたくてここまで来たけど、海賊にはなれないよ。賞金稼ぎデビューしたばっかりだし」

 

 もし海賊になるとしても、お父さんところがいいかなとも思う。……これ、口に出すとなんかヤバそうだから言わないけど。

 

「転向しろ」

 

 お姉ちゃんの職業を弟に斡旋される悲しみ。

 相変わらずの傍若無人ぶりに少しげんなりする。そういうところは変わってないらしい。

 お断りなのでべぇ、と舌を出す。

 

「やだよ。職業選択の自由を主張します。べつに、ドンキホーテ海賊団をターゲットにするつもりはないから安心して」

「そうまでして、おれから逃げるつもりなのか?」

「なんでそうなる」

 

 最初に会ったときからドフィは僕が逃げることを懸念していた。そこがどうにも理解できない。

 あるいは、十余年の歳月で隔たったものが最も露出しているのが、その点なのかもしれない。

 

 家族は逃げるとか、そういう次元のものではないだろうに。

 とても不思議で、首を傾げた。

 

 なぜだろう。ドフィはおおきくなったのに、ちっともそう見えなかった。

 

「僕はどこにいても、何をしててもドフィたちの家族だし、それは変わらないよ」

 

 逆を言えば、それはドフィもロシーも同じこと。

 血は水より濃いとはよく言ったもので、切っても切れないのが肉親というものだ。

 ドフィが信頼するに値する家族を自力で手に入れたことはすごいと思うし祝福するけど、無理やり手元に置こうとか立場で縛られるのはお断りだ。

 

「大事な家族に会いたいから、顔が見たいなって思ったから会いに来た。遊びにきただけなんだからさ、その、就職の斡旋とか勧誘とか変じゃない?」

 

 言いたかないが、アレだぞ?

 久々に再会した姉が、職業不安定だから弟がおれの大企業(ただし法的にはアウト)にコネ入社しろって言い出してるようなもんだぞ?

 

 いつかは、どこかに所属する日がくるかもしれない。

 でも、それは今じゃない。海賊は自由なんだってお父さんが教えてくれた。ドフィが僕から自由を簒奪しようとするなら、仕方がないから戦おう。

 

 望外の幸運で手に入れた人生だ。

 僕には僕の、そしてドフィとコラソンにもそれぞれの人生があって道がある。それを邪魔すべきではないし、してはいけないと思っている。

 甘えるのもいいだろう、頼られるのも歓迎する。

 けれど依存して寄りかかられたり、所有されるとなれば話はべつだ。

 

 いつまでも一緒にはいられない。

 

 だって二人は──大人になってしまったのだから。

 

 ドフィの額に青筋が浮かぶ。

 びりりと空気が震え、凄まじい圧迫感が襲いかかってくる。まるでここだけが深海の底だ。計り知れない圧力がこちらを気圧してくる。

 悪寒で首筋がざわつき、ぶつぶつと肌が粟立った。知っている、これは。

 

「ドフィ」

 

 低く、鋭く、声を上げるとドフィの指先が不自然にぎしりと動いた。腰に佩いた柄に指先を這わせ、強くドフィを睨め付ける。

 

 

「今やろうとしていることを、本当にやるなら──嫌いになっちゃうよ(・・・・・・・)

 

 

 なんでかな、言葉は通じてるのに通じていない感じがして、すごく悲しくなる。

 

 ドフィが何をしようとしているのかは分からないが、おそらくは悪魔の実。その異能を発揮するというのなら、こちらも全力で相手をする。

 僕はドフィの部下ではないから、意に沿わないことは真っ向から反対するし、場合によっては叱り飛ばして喧嘩する。

 尻だって叩くぞ? 大人のお尻ぺんぺんはそういうプレイでもない限り羞恥の極みだぞ?

 

 呼吸すら難しいような、威圧と暴威の気配が室内にひたひたと満ちている。

 

 けれど。

 

「……昔から、そうだった。ああ、思い出した」

 

 ふ、と威圧感が消えた。

 

「思い通りになった試しなんか、一度もねェんだ」

 

 こちらへ伸ばそうとしていた腕で自分の頭をガシガシとかいて、肩を大げさに竦めて両手を上げた。降参、という感じだ。

 

「オーケイ。わかった、ようはミオの滞在中にここに住みてぇって思わせりゃ、おれの勝ちってことだ」

「そうそう、そーゆーこと。ひさしを貸してくれるってんなら、その分はちゃんと働くよ。外注とかそういう扱いでよろしく」

 

 フッフッフ、とドフィが笑う。

 

「おれたちはしつこいし手強いぜ? なんせ、こっちにはコラソンと家族(ファミリー)がついてるんだ」

「そいつは恐いね。お手柔らかにお願いしまーす」

 

 こっちも、ありもしないスカートみたいにコートの裾を引っぱって、優雅にカーテシーなんぞを披露してみせる。

 緊張が一気に弛緩して、コラソンがほっと息を吐いた。

 そうだね、こういうケンカ見るの苦手だったもんね、ごめん。

 

 そこへ──

 

「おいコラソン!さっきはよくも──」

 

 開きっぱなしだったドアから、小さな影が飛び込んでくる。

 なにがあったのか、せっかく洗濯した服は薄汚れてあちこちに傷をこさえた、先日の密航者の少年だった。

 情報収集のためにかけた時間は一週間。

 その間に少年を見ることはなかったから、てっきりもうこの町を離れたと思っていたのだが、思わぬ再会である。

 

「少年?」

「あっ、おま、なんで、ぶへッ!?」

 

 呼びかけに少年が驚くのと、コラソンが足を踏み出して長い腕で少年をぶっ飛ばしたのはほぼ同時。

 矮躯が軽々と吹っ飛び、壁に叩きつけられて転がる。

 

「うわあああ!? 唐突になにしてんだコラァ!」

 

 仰天して、全身で思いきりコラソンにドロップキックをかました。

 

「!?」

 

 まさかこっちから攻撃がくるとは思わなかったのか、コラソンのどてっぱらに渾身の蹴りが突き刺さり、その場でずでんとぶっ倒れる。なんてこった! 可愛かった弟がヤバい方向にねじ曲がっとる!

 周りの目も構わず、僕は激情のままに馬乗りになり、さっきの気分を引き摺ってることもあって、そのままお説教タイムへと突撃した。

 

「うっ、くそう、ドフィも大概だと思ったけどコラソンお前もかー! 年端もいかないガキんちょに手ぇ出すDV野郎に育つなんて!」

 

 十年で人は変わるだろうが、それにしたってこれはない。

 怒りと悲しみを込めてコラソンの胸ぐらを掴み上げ、顔面をびったんびったん平手打ち。

 

「もー、最低! 海賊じゃなくても普通に駄目だ! ファッションと化粧には言及しないけど暴力行為は咎めるし怒るし容赦もしない! 君が反省するまで! 殴るのを! やめない! オラ少年にごめんなさい、しろ!」

 

 腹パン! 腹パン!

 

「!? 、!」

 

 待って欲しいというニュアンスは伝わるが、待たない。全面的にコラソンが悪い。

 ぶつけた箇所を押さえながら少年が目を丸くしている。ちょっと待っててね、すぐ謝らせる。

 半泣きでアカン方向の非行に走ってしまったコラソンをボコ殴りにしていると、見かねたドフィが僕の腕を掴んできた。

 

「おいその辺にしておけ。コラソンはこれでもうちの幹部、」

 

 言うに事欠いて、組織の上下関係を引っ張り出されてぶち切れた。

 

「そんなもん関係あるかぁあ! ドフィもドフィだ! 幹部っつーなら、最高権力者兼兄貴があほやらかした弟叱らなくてどうすんの!?」

 

 矛先がこっちに向いたことを敏感に察したドフィは黙り込んで露骨に目を逸らした。

 あ、その態度。

 

「ちょ、おま、さては、ドフィ、今まで知ってて黙認──」

「あーわかったわかった、やるなら余所でやってくれ」

 

 言われてみれば、これ以上身内のごたごたを他人様にさらすのはよろしくない。

 少しだけクールダウンできたので、コラソンからどいて居住まいを正して頭を下げる。

 

「お騒がせしました! すみません!」

 

 唖然としている幹部さんたちから背を向けてドアに向かう。

 コラソンのコートは掴んだまま離さず、そのまま引き摺るようにして退室した。

 

 

 

 




副題:ロシナンテはタイミングが悪い。


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はち.ロシナンテの裏事情

 

 

 

「あれがドフィの姉か」

 

 嵐が過ぎ去ったあとのような室内。

 見た目にそぐわぬ甲高い声で、ピーカがつぶやいた。ドフラミンゴの刺すような怒気をいなして平然とする姿は、全く年相応ではなかった。

 既に決定事項のようなものだったファミリー入りをあっさりと蹴り、遊びにきただけとぬけぬけとのたまう肝の太さはなるほど、彼の姉だと思わせるものがある。

 

「ああ、最高だろ?」

 

 ミオを連れて戻ってからこっち、ドフラミンゴは上機嫌だ。

 幼い頃、自分と弟を生かすために自分を囮にしたという姉。

 古参の幹部はその存在を聞き及んでいたし、つい先日まで死亡したとばかり思っていたので情報収集の傍ら、遺体を回収すべく動いていた。

 それが生きて姿を現したのだから少なからず混乱はあったが、現在はドフラミンゴがあれだけ求めていた存在が生存していたことを素直に喜ぼう、という空気だ。

 

「若様のお姉様はとっても強いのね! びっくりしたわ!」

「ニーン、コラさんボコボコだっただすやん!」

 

 ローに手を上げるのを見るや否や、鮮やかなまでのドロップキック。

 そこから平手打ちに腹パンまでのコンボは流れるようで、普段からひっぱたかれている子供たちは溜飲が下がる思いだった。

 

「若、よかったのか?」

 

 セニョール・ピンクが問いかける。

 あの僅かに垣間見えた所作から、ミオがそれなりの戦闘能力を有していることは誰にでも分かった。賞金稼ぎは伊達ではないということだろう。だが、ドフラミンゴの実力ならば、ファミリー入りを強行することも不可能ではなかったはずだ。

 

「構わないさ。言質は取ったからな」

「住み心地のよさだったらお任せザマス!」

「ドンキホーテ海賊団より良い場所などあるわけなかろう」

 

 ジョーラが胸を張り、グラディウスが腕を組んで頷く。

 ドフラミンゴに拳を叩き込んだ時は沸騰して思わず能力を発動させそうになったが、ドフラミンゴがミオを求めているならば最善を尽くす。それが当然なのだ。

 

「んねー、ドフィ。乗ってきた船はどうするー?」

「先に潰しとくんだイーン?」

 

 トレーボルとマッハバイスの提案に「よせよせ」とドフラミンゴは軽く手を振った。

 

「それをやると、どんな手を使っても逃げる。そういうヤツだ。こっちで保管しておけばそれでいい。……今はな」

 

 もし、それを実行に移すとすればドフラミンゴとミオの間に、決定的な溝ができた時だ。

 能力の発動をミオは察していた。

 十余年を悪魔の実によって凍結されていたとしても、まだ数年の空白がある。これまでミオがどこで何をしていたのかをドフラミンゴは知らない。

 問い質して聞き出せるかは、五分五分とみている。勝算が低い内は手を出さない。敵対こそ避けられたが、それはドフラミンゴがミオの『身内』だからだ。

 

 自分の成長は喜ばしいものではあったが、ある意味ネックとなっていることにドフラミンゴは気が付いた。

 ドフラミンゴは既に自他共に認める『大人』で、自らの海賊団を率いている。

 

 つまりは『独り立ち』しているのだ。

 

 そうなると、ミオにとって既に兄弟は庇護対象ではない。

 姉は当時、ドフラミンゴたちが大人になるまで守ると言っていたが、その論法でいくと既に約束は履行されている。

 ファミリーに入らないならば、賞金稼ぎという職業上、どこに出て行ってもおかしくない。手配書が回る類でもないから、もし逃げられると足取りを追うのも困難だ。

 そもそも、足枷ともいえる幼い弟と父母を抱えたまま逃亡生活を半ばまで成功させていたのは誰であろうミオである。雲隠れされると厄介だ。

 

 滞在期間を決めてはいないが猶予をもぎ取ったのだから、有効利用するしかない。

 

「ねぇ若様! 若様のお姉様は、私たちが頑張ったらずっとここにいてくれる?」

「フッフ。そうだな、上手に捕まえような」

 

 ベビー5の無邪気な声にドフラミンゴはにんまりと笑う。

 子供が嫌いでないのなら、懐かれて悪い気はしないだろう。離れたら子供が泣くぞというのはいい材料になりそうだ。

 そうして少しずつ見えぬ鎖をかけていけば、あの優しい姉は滞在期間を延ばさざるを得ないだろう。そうでなくとも、ちょくちょく立ち寄る理由付けとしてはじゅうぶんだ。

 

「フッフ、フッフッフ……!」

 

 イトイトの実の能力者は、己の能力同様見えぬ糸で姉を縛ろうと画策を始めた。

 

「……」

 

 暗い瞳でローは何を言うでもなく、ミオたちの去ったドアを見ていた。

 ローがひっぱたかれた瞬間、コラソンにネズミ花火みたいな勢いで蹴りをかましたのは……確かに一週間前、密航した自分を叩き出しもせずに風呂に入れてメシを食わせた変なやつだった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 最初は僕が引っぱっていたのだけど、どこで説教すればいいのだろうか。

 

 迷っていると、途中からコラソンが僕を引っぱって、まだ知らないドンキホーテ海賊団のアジトの裏側に連れて行かれた。

 ゴミ山というよりはガラクタの山があちこちに見える。

 錆臭い金網やぼろぼろになった塀の内側。おそらくは子供が遊ぶために誂えられた遊具なのだが、すでに塗料は剥げて埃がうっすら積もっていてなんともうら寂しい。

 

『すわれ』

 

 ぺらりと紙を見せられ、大人しく遊具のひとつに腰掛ける。それを確認すると、コラソンが指をぱちんと鳴らした。

 

「"サイレント"」

「え?」

 

 今喋りませんでした? と、疑問を口にする前に──コラソンを中心として同心円状に『何か』が広がった。

 これはおそらく悪魔の実の能力だ。コラソンも能力者だったのだ。

 咄嗟に効果範囲から出ようと腰を浮かしかけると、

 

 

「大丈夫だ、姉様を害するようなものじゃない」

「あ、うん?」

 

 しっかりと口を開いて、声変わりしてしまった低いそれが耳朶を打つ。

 

「おれはナギナギの実を食った無音人間。今、ここらに"防音壁"を張った。これなら外におれたちの声は聞こえない」

 

 コラソンも悪魔の実を食べていたのか。しかもなかなか便利そうな能力である。

 

 しかし、なんだやっぱり喋れるんじゃないか。

 安心しかけたところで声が脳裏をよぎる、わりと前に白ひげで接敵した可哀想な海軍。

 そういえば馬乗りになった時の体格は、ほぼ同じだった。

 もしかして、あのもしゃ髪の中佐って……?

 

「……転職したの?」

 

 おそるおそる問いかける。

 海軍から海賊へ身を窶すことになった話には事欠かない。コラソンもそうなのだろうか。

 

「やっぱり覚えていたか。いや、していない」

 

 してないのかやっべぇな。

 家庭内不和、じゃ済まないよこの場合。完全に潜入捜査やんけ。

 ああ、だからこんなメイクしているのか。なるべく奇抜な格好をしている方が印象がそちらに移りやすい。

 

「兄上には言わないで欲しい」

「言わないよ」

 

 転職せずに海軍所属のままだというのなら、喋れないという『設定』はなかなか都合がいい。

 なんにつけコラソンはドジだから、口を滑らせないようにするなら、いっそ喋れないという方が手っ取り早くて確実である。

 

「それにコラソンにはあんまり海賊似合わないから、なんか安心した」

 

 そう正直に言うと、コラソンは居心地悪そうに身じろぎした。

 

「今は、ロシナンテと呼んで欲しい。昔のように」

「うん、僕もそっちの方がいいな、ロシナンテ。ロシー」

 

 そう呼んでへらりと笑うと、コラソンもといロシーはくしゃりと泣きそうな顔で微笑んだ。ああ、その顔は変わらないね。

 

 さて、

 

「で、ちびっこに手を上げた理由は?」

 

 にっこり笑ってパン! と拳を自分の手の平に叩き付けて鳴らすと、ロシーはさっと顔色を悪くして両手をあわあわさせながら必死で理由を語り始めた。

 曰く、ドンキホーテ海賊団には日々大人から子供まで幅広い入団志望者があらわれる。

 大人はともかく未来ある子供たちを海賊にするわけにはいかないとロシーは『子供嫌い』を自称して、なるべく年少者を追い出すために苦心しているのだそうだ。

 頭を抱えた。

 

「小姑かよ……とりあえず問答無用でぶん殴ったのは謝る。ごめんなさい」

「いや、普通の感性、まして女性から見ればただの弱い者いじめだ。仕方がないさ」

「うう、そう言ってくれると申し訳ないやら罪悪感があるやら……あとそれ、ごめんだけど効果が薄くて確実性がわりと低い、かも」

「なぜだ!?」

 

 ガビンとショックを受けるロシーに顔を上げて、思うところを口にする。

 

「ぜんぶが無駄だった、なんて言わないよ。でも、にわか決意のガキんちょくらいなら有効かもしれないけど……あとがない子供は、暴力くらいじゃめげない、しょげない、諦めない。それに海賊はここだけじゃないから、別のところに行く可能性の方が高い」

 

 ロシーなりの理由があってのことだとは理解したが、本当の意味で海賊に入らないと生き延びることができないと肌身で感じている子供は、それを苦にしない。

 必死だからだ。

 他に行き場があるなら、先にそっちに行っている。どうしようもないから、犯罪者の中でも玉石混交の海賊に一縷の望みを賭けるのだ。

 

 おそらく、ドフィが黙認しているのは、それが『選別』に一役買っているからだろう。もし貴重な戦力を叩き出そうとしているなら、ファミリーを預かる身として、何らかの制裁を加えていて然るべきである。

 

 身を斬られるような思いで、心を鬼にして懸命に拳を振るってきたであろうロシーには申し訳ないが、成果は無駄とは言わないけれど余り芳しくないだろうことは伝えておく。

 ロシーの努力を切って捨てたくはないのだが、またぞろやらかされると僕の精神衛生上大変よろしくないので訥々と指摘した。

 ロシーは僕の言にがっくりと項垂れ、けれど悩むように顎に指を当ててこちらを見る。

 

「別の海賊なんていくらでもいる。それは、確かにそうだ……姉様なら、どうする?」

 

 うーん、これは相談相手がいなかったことも要因かもしれない。

 本格的に相談の姿勢になってきたので、こちらも腕を組んで真剣に考える。

 自分なら、物騒な海賊団に子供を置いておかないために、どうする?

 

「……僕なら、そうだな、比較的温暖で孤児院ないしは教会がある島にいくらか寄付を包んでから、頃合いをみてまとめて放り出す、かな」

 

 場所さえ選べば年中温暖な気候の島は存在する。そういう場所は、食糧自給率が高くて島民も穏やかな気質の者が多い。

 あらかじめ数人の子供たちをまとめておいて、ある程度の結束力ができあがった頃合いを見計らって放り出す。

 個人だと根性あるやつが戻って来るかもしれないけれど、数人いるとお互いが足枷になって思うように動けないだろう。生き延びるためなら協力するだろうし、そういう場合は人数がいた方が役割分担できて生存率も格段に跳ね上がる。

 

 そんな感じの思いつきを説明すると、ロシーも真剣な表情で頷き、やがてつくづくと言った。

 

「……すごいな、姉様」

「穴も多いし、机上の空論だからすごくないよ。子供を逃がそうって考えるロシーの方がすごいよ」

「え? あ、いや」

 

 行動はわりと稚拙だが、潜入捜査なんて薄氷の上を渡るような仕事中に、子供のことまで考えられるロシーはとてもまっとうな海兵らしい。

 

 ……まっとうで正しい、ああ、そうか。

 

 思い至って嬉しくなった。

 生来優しい子供だったけれど、この年齢になってもそれを失っていないなら、それは教え導くひとがいたからに違いない。

 

「ロシーはいい人に会えたんだね」

 

 すごいという言葉に照れていたロシーの頬が紅潮して、小さな子共みたいにきらきらした笑顔になる。ちょっぴり瞳が潤んだのは、その人を思い描いているからだろうか。

 

「! ああ!」

「ご挨拶したいなぁ」

「いや、それは難しい、かも……」

 

 だよね。

 今の立場とかあるものね。あと僕お父さんの娘なので、所属自体はしていなくても海兵さんにご挨拶するには外聞がとっても悪い。

 

「そういえば、白ひげから降りたのか? さっき賞金稼ぎになったと言っていたが」

 

 すでにエンカウント済みということは、ロシーは当然僕がお父さんの娘になったことを知っている。

 あの時は蹴り倒して脅してすまんやで。考えてみると僕、ロシーにやたら手を出している。理由ありきではあるんだけど、下手をするとこっちが訴えられそう……。

 ともあれ、誤解は解かなくてはならないので首を振る。

 

「ううん、二人の顔を見に『お出かけ』してるだけだよ。賞金稼ぎになったのは、私事だから自分のお金は自分で稼ごうって、そんだけ」

「そうか」

 

 首を振って否定すると、ロシーは明らかにほっとした様子で息を吐いた。

 

「姉様……ミオと呼んでも?」

「おっけーおっけー」

 

 年月ぶっとばしたぶん年齢差えげつないからね、ちょっと考えるよねそこんとこ。

 ついでに身長差もえげつない。不公平を感じる。

 

「うちの両親、僕を作る時だけ手抜きしたんじゃあるまいな」

「えっ!? いや、そんなことは……」

 

 暗い顔つきでしみじみ全然関係ないことをぼやいたら、ロシーが慌てた。そりゃね、今となっては分からないよね。

 ふと、ロシーの顔が真剣みを帯びる。

 

「それより、早く白ひげの元に帰った方がいい。ドフィの、ミオに対する執着は尋常じゃない」

 

 それはなんとなく感じた。

 生き別れた姉に再会できたという喜びとはなにか別種の、粘ついた感情が見えたからだ。

 

「ミオがファミリー入りを断ったとき、おれは心底ホッとしたんだ。あのとき頷いていればこれから先、ドフィは絶対にミオを手放さない」

「あーうん、確かにそんな感じだった」

「今だって安心とは言えない。どんな手を使ってでも、自分のもとに置こうとするはずだ。それは、それだけは、だめだ」

 

 ロシーの長い手が伸びて、そおっと、砂糖細工でも触るみたいに頬に触れてくる。

 ゆっくりとなぞって、手の甲で温度を確かめるみたいに輪郭を探る。

 そのあたたかさと、少し乾いた手の感触がくすぐったくて笑うと、ロシーの顔が痛いような笑みになった。

 

「ミオ、姉様。生きて会えたことは、嬉しい。本当だ。こうして話せるのが、幸せでしょうがない。──でも」

 

 息の中に言葉がつまって、ぐしゃりと顔が歪んで、大きな身体が僕を抱きすくめた。

 

 縋るみたいにぎゅう、と力がこもって少し苦しい。すっぽりとくるまれて何も見えない。親鳥に温められる雛みたいだと思った。黒いモフモフがおでこに当たる。

 潮と煙草と汗の匂いがロシーの匂いに混じっていて、胸の鼓動が聞こえた。そうか、自分と違う生き物なんだと、唐突に悟って驚いた。

 大人の男のひとなのに、間違いなく弟で、その落差にどうしようもなくもどかしさを感じる。

 

「できるなら、なるべく早く白ひげに帰ってくれ。おれの、ドフィの手の届かないところに。でないと、……」

 

 泣き出す寸前の絞り出すような声で、そこから先の言葉はロシーの喉でつぶれてしまった。

 ……本当に、いいひとに巡り逢えたのだろう。

 まっすぐで、優しいロシナンテ。

 こんないい弟にこんな声を出させるドフィに、ちょっとだけ腹が立つ。

 僕は精一杯腕を伸ばして、ロシーの背中をぽんぽんと叩く。まったく、もう、大きくなったのにドフィもロシーも肝心なとこがほんと変わってない。

 

「ロシー、ありがとう。ほんとできた弟に育ってて、お姉ちゃんは感無量です」

 

 早く帰れと言っているのに、その手はあの時とちっとも変わらない。言葉よりずっと雄弁にロシーのこころを教えてくれる。

 

 いかないで。

 ここにいて。

 置いていかないで。

 

 胸苦しくなる寂寞感と悲しみが伝わってきて、切なくて苦しくて、きゅうきゅうとお腹が軋んだ。

 唐突に理解できたのは、ロシーがいまひとりぼっちだということ。

 

「相変わらずの泣き虫さんだなぁ。だいじょうぶだよ」

 

 あの頃とは違う、強がりでも虚勢でもなく、心からの言葉を紡ぐ。

 僕はまっさきにこれを言わなくちゃいけなかったのに、すっかり遅くなってしまった。

 

「ロシナンテ、大きくなって、生きててくれて、ありがとう。また会えるって言ったのに時間かかっちゃって、ごめんね」

 

 僕が言葉を綴るたびにロシーの体温がどんどん高くなって、肌が汗ばんでいくのがわかった。

 小さな、引きつるような嗚咽が聞こえる。

 ドフィが離れたくないなら、ロシーだってそうだよね。

 

「しんどいこともあったけど、僕も生きてるよ。またこうやって会えて嬉しくて、すごく幸せ」

「おれも、おれもだ……!」

「うん、だからね、だいじょうぶ。なんでもできる。どこにだって行けるし、ドフィのあほな企みなんてどうにでもなるよ」

 

 上げたロシーの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、垂れ下がっているコイフを引っぱったら何も言わずにかがんでくれた。

 ぴたん、と両手で頬を挟み込む。熱い涙が指先を伝って落ちていく。

 

 涙の膜のむこうがわにある瞳を覗き込むと、ますますぶわわっと涙が浮いて、いよいよ収拾がつかなくなってきた。

 

「ロシーの目の前にいるのは、お姉ちゃんだよ。心配しなさんな、華麗にとんずらぶっこくから」

 

 最悪の手段としてお父さんに緊急援軍を要請するという切り札がある。やりたくないし、やるつもりもないけれど。身内の恥だから。

 でも、いざって時にそうして頼られない方がみんな悲しいって、もう僕は知ってる。

 申し訳ないとかで遠慮すると頼らせることもできないのかと、自分の不甲斐なさに腹を立ててしまう優しくて大好きな『家族』ができた。

 

 まぁ、そんなどうしようもない展開にはたぶんならない。

 ドフィは今のところ、軍曹の存在も僕の悪魔の実(暫定)の能力も知らないだろうから、逃げるだけならどうとでもなる。

 

「んもう、そんなに泣かないでよ。僕の年なんかとっくに追い抜いちゃったのに、これじゃ心配で帰ろうったって帰れないよ」

「ご、ごべんなさい」

 

 苦笑しつつハンカチで顔面をぐしぐし拭うと、メイクも一緒に剥げてものすごい有様になってしまった。鼻水がびろんと伸びて橋を作る。ティッシュにすればよかった。

 そういうところばっかり昔と同じで、懐かしくて笑ってしまう。

 

「いいよ、ロシーはドジッ子でひたむきでがんばりやさんで、おまけに我慢しいなの、よく知ってるから」

 

 ここはとても静かで、ロシーの音しか聞こえない。だから彼の心がよくわかる。

 他のひとの音を拒絶している壁の向こう側には、ドフィの仲間がいるけれど、それはロシーの仲間じゃない。

 心をゆるして傾けて、何も怖がらないでほうっと息をつける場所がここにはないんだ。

 

 うんと背伸びして「よしよし、ロシーはえらいなぁ」と口調は昔のまま、フードの隙間から手を突っ込んで、とうもろこしのひげみたいな髪をもしゃもしゃ撫で回す。

 

「ロシーの言う通り、長居はしないつもりだけど、いる間は甘やかしてあげよう」

 

 わざと偉そうに言ってみる。

 ほんのちょっとだけ、ロシーが息をつける場所になれたらいい。気を詰めて、ぴりぴりしないでいられるように。

 

「しんどい時にしんどいって言えないのは、しんどいよね」

 

 僕は、それを──教えてもらえたよ。

 

「ところで、ごめん。ロシーの部屋どこ? メイク直そう。やばいよ、ホラーだこれ、山姥みたいになっちゃった」

『……、! ──!!』

 

 自分を『無音』にしているのか、声もなくぼーぼー泣いているでっかい弟に道を聞きながらなんとかロシーの部屋に彼を送り届けることに成功した。

 

 そのあと、メイク越しでもわかるほど厚ぼったく目を腫らしたロシーの様子を見たドフィたちがぎょっとしたので、「泣くまで説教した」と言って誤魔化した。

 

 

 



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く.がらくたワルツ

 

 

 

 ロシナンテ──コラソンとの約束通り、一週間くらい滞在させてもらってさてそろそろいっぺんお暇を頂きたく……とドフラミンゴに申し出たところガチギレされた。解せぬ。

 

「解せぬじゃねぇよ。短すぎる、セミかよ」

 

 滞在期間に対して、十日と待たずに死に行く代表格を引き合いに出さないで欲しい。

 こちらとしても言い分があるので、くちびるをとんがらせつつ物申す。

 

「旅行とか、長くてもそんなもんじゃん」

「うちは出先じゃねぇだろ。ここを拠点にすればいい」

 

 賞金稼ぎにも拠点は必要なのだからドンキホーテ海賊団を拠点にしろ、というのがドフラミンゴの言である。

 それがイヤなら総力を挙げてふん縛るぞ、と指をわきわきさせながら言われ、少し考えてから了承した。目つきがガチだったから。ひと一人捕まえるのにそんな迷惑をかけないでくれ。

 

 ミオとしても、寄り道せずにスパイダーマイルズへ来たので、拠点とよべる場所がないからちょうどいいといえばそうだった。

 しかし、忘れがちだがドンキホーテ海賊団は海賊なので彼らも拠点を変える。

 特に海軍に目を付けられている……どころか、がっつり潜入されているドンキホーテ海賊団はしょっちゅう通報されては海軍船に襲撃されるので、そのたびに探し出すのはわりと面倒臭い。

 

 その辺りを聞いたら電伝虫の番号を渡された。

 ビブルカードではないのか、と疑問を覚えたのだがビブルカードはグランドライン中盤以降の文化なので、この辺りまでは浸透していないことに思い至った。

 

 なるほどと思いつつ、それからもう一週間くらい追加滞在してから念のためド深夜にこっそり出航して白ひげに帰ったら、ドフラミンゴから鬼電かかってきて電伝虫が過労死しそうになった。す、すまねぇ。

 海賊を狩りながらお土産を買って遊びに行ったら、しこたま愚痴を吐かれた。

 

「一ヶ月は滞在しろよ。あとベビー5たちに言ってからにしてくれねぇと、あいつらがやかましくてしょうがねぇんだが?」

 

 その言い方はずるいと思う。

 

「それは、そのー、ごめん。次は挨拶してからにするよ」

 

 お土産に購入したお高いワインを渡しつつ、じゃっかん気まずくなって目線を逸らす。

 

 成人をとっくに通り越した弟たちはともかく(まだまだ幼いデリンジャーはそうでもないが)ベビー5とバッファローはミオにとてもよく懐いてくれた。

 そのぶん、帰ろうとする気配を察すると全力で引き留めにかかるので難儀する。しかも、最近はことある事に海賊団に勧誘してくるので、言質を取られないようにするのが大変なのである。

 

 それがドフラミンゴの策略なのか、子供の純粋なお誘いなのかは判じかねるので、さすがにばっさり突っぱねられない。遊びに行くとこれでもかと構い倒して甘やかすので、それが要因な気がしなくもないが。

 

 基本、女子供は可愛がって守る主義である。

 

 劇的とはいえない再会をして、しばらくドンキホーテ海賊団に滞在していて分かったのは、この海賊団はすべてがドフラミンゴを中心に回っているということ。

 大人になる過程としての知識や手練手管そのものは学び取っているけれど、その本質は傲岸不遜でわがままで、子供の頃と変わっていない。

 むしろその点は助長しているようにすら見えた。

 

 幼い論理そのままに、ミオを自分のもとに縛り付けて繋ぎ止めておきたいのがよくわかったけれど、そんないい大人の駄々に付き合うほどミオは優しくもお人好しでもなかった。

 

 ミオはあくまで賞金稼ぎのスタイルを崩さなかったし、ドンキホーテ海賊団に入ることもなかった。

 ドフラミンゴのみならず、実力を認めたセニョールやディアマンテからも、やれ居着け襲撃行くぞ取引に付き合えとさんざん言われているがすべて「(∩゚д゚)アーアーキコエナーイ」と素知らぬ顔で通している。

 

 なんだか最近はドフフラミンゴも慣れたのか諦めたのか「出かけるならこの海賊潰してこい」と手配書を渡されている。

 やだお姉ちゃん便利に使われてる。大抵評判悪いからやるけど。

 

 その日もわりと長い間ご無沙汰していたので、ご機嫌取りの意味もこめてたっぷりのお土産を抱えてドンキホーテ海賊団を訪れた。

 

 ジョーラがお着替えさせていたデリンジャーに服とぬいぐるみを見せるとぱぁーと目が輝いて、彼女にも新作だという化粧品を渡した。

 他のちびっこ組を探してきょろきょろと歩く。

 

 最近拠点にしたばかりだという春島はのどかで暖かく、過ごしやすい気候だ。

 

 海岸の辺りをそぞろ歩いていると、遠目にバッファローとベビー5、ローがお喋りしているのが見えた。

 大きく手を振ると、こちらに気付いたベビー5たちが走り出す。

 

「ねーさま! ミオ姉様おかえりなさい!」

「おかえりだすやん!」

「ベビー5、バッファロー。よかったー、元気そうで」

 

 走る勢いそのままのベビー5を抱き留めると腕の中で本当に嬉しそうにはしゃぐものだから、だらしなく笑み崩れてしまう。

 海賊団には入らないと毎回言っているのだが、どうにも一員とみなされているらしい。

 

 姉と呼ばれるのはちょっとだけ申し訳なくて、とても嬉しい。

 

「ミオ姉様もドンキホーテ海賊団に入ればいいのに!」

「ニーン、若様も歓迎するだすやーん!」

「ええ-、でも僕がお出かけしないとお土産を買って来れないよ?」

「あっ!」

「そ、そうだった! 悩むだすやん!」

 

 あちこちの島で購入したアイスや、宝石みたいにきらきらしているお菓子を差し出すと、子供たちが目を輝かせてから「どうしよう!」という感じで顔を見合わせた。ローだけはそっぽを向いたままだったが。

 

 名も知らぬ少年改め、トラファルガー・ローはミオが知らない間にドンキホーテ海賊団に入団していた。ファミリーの幹部たちは既にローの病を知っているらしい。

 

 むしろその『白い町』にまつわる体験と憎悪を育てていっぱしの海賊にしよう、というスタンスのようだ。

 それに、海賊となれば普通に過ごすよりも悪魔の実と接触する可能性が高い。

 ミオが生き残ることができたのも、悪魔の実が持つ人知を超えた力があってこそだ。ローの治療を可能とする悪魔の実だって存在しているかもしれない。

 

 それを体験として知っているから、ミオはローもできればそうなって欲しいと願っている。ドンキホーテ海賊団は闇取引を主に扱っているので、他の海賊団よりも生存率は上がるだろう。

 

「ローも選べば? ミオ姉様、たくさん持ってきてくれたよ?」

「いらねぇ。それより稽古つけろ」

 

 己の寿命が尽きるまでに何もかもを壊したいと切望するローは、自分を鍛えることに余念がない。

 命の短さを知るからこそ、その焦燥と憤りは深く、切迫感に突き動かされるように稽古をせがむ。その必死な様子は見ていて痛々しいほどで、余裕がない。

 時々、ミオはなんともいえない気持ちになる。

 

「いいよ。でも今のアジトに戻ってからね」

 

 ローは幹部たちから稽古を受けているようだが、体格が小さいのに多数の海賊を打倒しているミオの体術を学びたいらしい。

 頷くと、ほんの少しだけローの頬がゆるむ。ローはミオが好きではないが嫌いでもないらしく、気が付くと近くにいることが多かった。

 

「あ、コラさんだ!」

「隠れるだすやん!」

 

 わぁわぁと騒ぎながらババッとバッファローたちがミオの後ろに隠れる。彼の体格ではミオの後ろに隠れたって丸見えなのだが、気分の問題らしい。

 最初の一件以降、守ってくれると学習したらしく、ミオがいる時はこうして防波堤扱いされるのだ。

 コラソンはコラソンで、最初の相談から子供に手を出すのを控えているのだが、ぱったり止めると怪しまれるし一定の成果はあるので頻度を減らして続行している。

 

「やっほう、コラソン」

「……」

「そうだね、久しぶり。今回は少し長く滞在するつもりだよ」

 

 筆談も用いることなくスムーズに会話をしていると、ベビー5がこてんと首を傾げた。

 

「なんでミオ姉様はコラさんの言っていることがわかるのー?」

「コラさん喋ってないだすやん?」

「んー、あんまり喋らなくてもわかることって、あるよ。あとは勘かな」

 

 生前──『前世』と言い換えてもいい──ミオは、沢山のひとと縁故を結んできた。

 中には饒舌なひとも、無口なひともいた。そんな人たちとのことを考えると、コラソンはむしろ分かりやすい部類に入る。

 コラソンは頷き、煙草を咥えてライターの蓋をカチンと開く。先の展開が読めてひくりとミオの頬が引きつる。

 火打ち石がじゃりりと音を立てて火花が散り、ボッと煙草を通り越して──コートに引火した。

 

「もう煙草やめたらどうかな!?」

 

 すかさず、自分の腰のホルスターから水鉄砲を取り出してコラソンめがけて打ち放つ。ぷしゅう、と弧を描いた水がコートにかかってまだ小さかった炎が鎮火された。

 

「……、!?」

「おっと」

 

 その、水鉄砲で濡れた地面で器用なまでの足捌きで滑って転びそうになるコラソンの腕を掴んで、引き寄せる。

 位置取りがいいのか、巨体に押し潰されることもなく相手の体勢を整えたミオは、眉をへの字に曲げてぺしりとコラソンの腕を叩いて苦笑する。

 

「もうコラソンのドジは奇跡的だね。お祓い行った方がいいよ、ほんと」

 

 再会してからもコラソンのドジッぷりは変わらず、むしろ煙草を嗜むせいで危険性が増したように思う。ミオはやむなく水鉄砲を購入して腰に常備している。

 水鉄砲の腕ばかり上がっても使いどころがないのが悩ましい。

 

「……」

「どういたしまして、え? ああ、そうか……ロー」

 

 ミオはコラソンの様子を見てからローに振り向き、ごめんねとつぶやいた。

 

「稽古はあとでもいいかな? ちょっとコラソンと話してくるから」

 

「えっ!? ……チッ、はやくしろよな」

 

 一瞬だけ悲しそうな表情を見せて、すぐにそれを打ち消して仏頂面で舌打ちするローにミオは申し訳なさそうに苦笑する。

 

「うん、ありがと。ちょっとだけあとでね」

 

 ぽすりとローの頭を帽子越しに撫でて、持っていたおみやげをバッファローとベビー5に渡してから、ミオはコラソンと連れ立ってどこかへ歩き始める。

 コラソンとミオの背中を眺めていたバッファローとベビー5が頬を膨らませて不平を漏らした。

 

「……コラさんに取られちゃっただすやん」

「ぶー、つまんないのー」

 

 デリンジャーが泣き止まない、といった事態でもないとミオはドフラミンゴとコラソンを優先する。

 子供たちがわがままを言えばその限りではないのかもしれないが、若様に睨まれるリスクが感じ取れないほど馬鹿ではないから、そういった時は大人しく見送るしかない。

 

 子供たちはミオが大好きだ。

 

 それはドフラミンゴに勧誘しろと言われていることもあったけど、たぶんそれがなくても好きになっていたと思う。

 

 ファミリーに所属していないミオは『血の掟』や上下関係に縛られることなく付き合うことができたし、遊びにくる時は必ずたくさんのお土産を手にあらわれる。

 稽古をねだると厳しいけれど、理不尽な行動を要求したりはしなかった。最後にはお疲れさまと、よくがんばったねと頭を撫でて褒めてくれる。

 

 ミオは人を陥れようとしない。無理な時は無理と言うし、いやだと思えば正直につっぱねる。自分たちを無条件に好いてくれていることが肌でわかるから、そういったあけすけで単純な好意は心地が良くて離れがたかった。

 

 だから──彼女がファミリーに入ってくれればいいなと思うけれど、それで彼女らしさが損なわれるのもイヤで強く出られないのも、本当なのだ。

 

 

 

 



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じゅー.みすたーすくらっぷは気に入らない

 

 

 ローにとってミオは『奇妙ないきもの』である。

 

 白い町──かつてフレバンスと呼ばれた町に巣喰っていた因果は、幼い子供にどうにかできるようなものではなかった。

 隠蔽されたまま積み重ねられ続け、濃縮された毒素は世代を越えて猛威を奮い、ロー自身の命を刮ぎ落としていく。

 

 それは例えようもない恐怖で、絶望で、憎悪で自分を奮い立たせないとおかしくなりそうだった。

 

 憎かった。なにもかもが。

 

 臭いものに蓋をするように町を見捨てて、ごみ掃除みたいに家族や友人を殺していった政府も海軍もまとめて潰してやりたかった。目に付くもの全てを壊せるだけの力が欲しかった。

 おびただしい死体の隙間に小さな身体をねじこんで、埋まるように国境を越えてローは生き残った。まだ残る肉の温度はおぞましかったけれど、同時にとても悲しかった。

 

 心のどこかがこわれたのがわかったけれど、どうしようもなかった。

 

 必死で逃げて、走って、泥水をすするようにしてべつの町へ潜り込んだ。スパイダーマイルズで勢力を伸ばしつつある海賊がいると聞いて、狙いを定めた。

 

 壊すにも殺すにも、そのための力と技術をどこかで学び盗む必要があった。

 政府も海軍も信じられない今、非力な自分が力を得るためには非合法な組織でもリスクを覚悟して飛び込むしかない。けれどそこで問題になったのは渡航手段で、文字通り身一つで落ち延びたローにはなにもなかった。そうなると、どこかの船に入り込むしかない。

 

 密航先を吟味していた矢先、海図屋の軒先で、初雪色に目を奪われた。

 

 未だ捨てられぬ、美しかった頃の故郷を偲んでしまう色だ。まだ若い、少年のようにも少女のようにも見えた。

 

 スパイダーマイルズの海図を店員に尋ねていて、こいつしかいないと思った。先回りしてみるとさほど大きくない船を見つけて、忍び込んだ。中には誰もいなくて一人旅だということに少し驚いたが好都合だった。倉庫には鍵がかかっていたから、迷った末に風呂場に隠れた。

 

 武器はあの町で不発だった手榴弾がひとつだけ。

 見つかったときも、これを見せつけて脅せばなんとかなると思った。

 

 

 なんともならなかった。

 

 

 白い、小さな生き物は淡い桃色の瞳を見開いて、それからローの要求にあっさり頷いて許可を出した。

 即答されてうろたえたのはむしろローの方で、その隙に水をぶっかけられて火薬を駄目にされた。

 

 許可を出した時点でローは密航者じゃなくて自分の客だと謎の論理を振りかざし、反抗したら面倒そうに帽子を取られて、返して欲しけりゃ風呂入れと脅してきた。

 面白くなかったけど風邪を引いてもつまらないからおとなしく従った。

 

 そうして本当に久しぶりに湯船に浸かって、ほっとしていたら船が出航していてまた仰天した。

 飛び出したら警戒心ゼロで火加減を見ながらいいじゃんとか言われた。よくはねぇだろ。言い募ろうとしたら船代代わりにおでんを食べるのを手伝えと言われて、空腹を思い出した。

 

 温かい飯は久しぶりだった。おでんはあまり美味しくはなかったけど、じんわりと身体があたたかくなった。

 

 いいように流されているのが面白くなくて、白い町の者だと明かしたけど、すぐに後悔した。町の外で自分たちがどのように言われているのかを知っていたから。

 けれどミオは珀鉛病のことを知っていて、頷くだけだった。偏見や醜聞を意にも介さず、正しい知識を持っていた。

 怯えることも蔑むことも、薄汚い子供だからと嘲笑することもなかった。

 

 ただ、ローをまっすぐに見て、素朴に言った。

 

「どうあれ、少年は生きてここにいる」

 

 同情も憐憫も、嘘も嫌悪もそこには──ひとかけらだってなかった。

 

「それは、とても、すごいことだと──僕は思うよ」

 

 表情も変わらず淡々と告げられたのは、ただの感想だった。

 

 けれど、ローは頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。

 自分でもどこにそんな動揺するところがあったのかわからない。それでも、名乗りもしない、珀鉛病の、忌まわしい町の生き残りに投げかけるような言葉ではないと思った。

 

 どこかに行かないと、なにかとてもひどいことを言ってしまいそうで、そんな自分が許せなくて船外に飛び出した。

 心臓がどきどきして落ち着かなかった。

 

 ミオは追いかけてこなかった。

 

 気まずくて仕方がなかったが、当の本人はちっとも気にしていないようだった。

 スパイダーマイルズまでは数日かかるから逃げ場がなくて、ローはやっぱり選ぶ船を間違えたと後悔した。

 

 礼儀知らずの密航者のガキをミオは本当にお客さん扱いしていて、馬鹿なのだろうかと思った。

 夜になったら「児童虐待になる」と言って寝室に引っ張り込んできて、ベッドを譲って自分はどこにあったのか布団を敷いてさっさと寝てしまった。止める間もなかった。

 気まずくてむずがゆくて、腹いせのつもりで床の隅で寝て、朝になったらいつの間に運ばれたのかベッドに入れられていた。むかつく。

 

 一から十まで謎ばかり。だけどその距離感は、あまり嫌いではなかった。

 

 そんな地味で阿呆な攻防をしている間にようやっとスパイダーマイルズに着いたから、すぐに船を脱出した。結局、挨拶も名乗りもしなかった。

 

 ゴミ処理場で未処理の手榴弾を見つけて、身体に巻き付けてドンキホーテ海賊団に突撃して、無理やりに入団した。

 コラソンという子供嫌いの大男にこてんぱんにされたが、めげずに海賊団に居続けて一週間経ったとき、いつものように痛めつけられたコラソンにせめて文句を言ってやろうと幹部たちのいる部屋に駆け込んだらミオがいた。

 

「少年」

 

 これはなんと意外な、という口調で目を丸くしながらそう呼ばれて、なんだか泣きそうになったけどコラソンにぶっ飛ばされて──次の瞬間にはコラソンが蹴りで沈められていた。理解が追いつかない。

 

 呆気にとられている間にコラソンは馬乗りになって鬼の形相をしているミオにボコボコにされていた。子供に手を出すDV野郎と正論で殴っていてちょっとスッキリした。

 

 聞けば、ミオはドフラミンゴとコラソンの『姉』なのだという。意味が分からない。

 

 そういうプレイかと疑ったがどうやらそうではないらしく、本人を捕まえて問うたら悪魔の実の力でそうなってたと説明した。

 十年と少しくらい、凍結されていたのだと。

 その時には、ファミリー入りを正式に許可されると同時に悪魔の実の話を聞き及んでいたので、そういうこともあるのだと考えただけだった。

 

 ファミリーに入るのだろうかと、ほんの少しだけ期待した。

 

 ドフラミンゴからもファミリーに引き込めるように努めろと言われたけれど、やっぱり思うとおりになんかてんでならなかった。

 

 ミオはだいたい二週間から一ヶ月くらい滞在するとふらりといなくなり、またいつの間にかふらりとアジトに戻ってくる。

 気まぐれな猫か、そうでなければめちゃくちゃに仲のいい親戚みたいだった。そういうときは大量のおみやげを抱えてきて、バッファローたちに渡していたので後者の方が近いのかもしれない。

 

 ほぼ毎日ファミリーの幹部から虐待みたいに鍛えられてローは実力をつけていったが、その分見えていなかったミオの実力がわかるようになってきた。

 

 飄々としていてつかみ所がなくて、強いのに、強いから、ファミリーにも入らず、自由に海を渡り歩くさまは鳥みたいで腹立たしかった。

 

 そうこうしている間に賞金稼ぎとしてを名を上げ始めて、ドフラミンゴはファミリーに入れるよりその立場を利用して遊撃のような扱いをし始めた。

 ほっといても定期的に戻って来るし、そうそうくたばらないと判断したらしい。

 

 

 バッファローやベビー5がミオを気に入る理由はなんとなく分かっている。

 

 許容範囲が並外れて広く、好意にためらいなく好意と感謝を返せるからだ。誰かのせいにしないで、八つ当たりをしないからだ。

 

 それは当然のことかもしれないけれど、少なからず後ろ暗いことに関わって人間の薄汚いところを見ている自分たちにとって、とても物珍しい生き物のように映る。

 おまけに子供が好きだと公言してはばからず、あけっぴろげな好意を向けてくる。

 ドフラミンゴやコラソンに平気で口答えして、場合によっては手も出す。

 

 正直なのだ。ずるいくらいに。

 

 ローはミオのことが気に入らない。でも同情していないから、近くにいると気が楽だった。

 

 強くなるためには体格が近くて技術を持っている人間が必要だった。

 そう思って、言い訳して、ミオの滞在中にはしょっちゅう稽古をねだった。

 

 昼行灯みたいにぼやぼやしているくせに、いざ戦闘となると非常識なくらいに強かった。ほぼ詐欺みたいだった。

 この見た目に騙されて、油断して、他の海賊は討伐されるのかもしれない。

 そのくせローを適当にあしらったりはせず、ちゃんと強くなるために向き合ってくれていることが分かった。

 

 手合わせの時だけ帯びる、抜き身の刃物のような雰囲気。瞳に宿る高圧の焔。触れればたやすく斬り捨てられそうな、背中に氷柱を押し当てられるような寒気と恐怖。

 

 稽古が終わってしまえばそんな雰囲気はすっかり消えて失せて、いつものほにゃほにゃした空気に戻ってしまう。極端な落差が不気味で、けれどほんの少し憧れた。

 

 ──そして。

 

「……ッ」

 

 息が詰まった。

 

 春の穏やかな日差しから隠れるように、ひっそりと。

 海にほど近い、朽ちかけたベンチにコラソンとミオが寄り添って座っている。

 

 まるで恋人同士のような距離だったが、ミオの表情はローにも見覚えのあるものだった。

 かつて、自分が手のかかる妹に向けていたそれ。理屈抜きに、彼女が間違いなくコラソンとドフラミンゴの『姉』なのだと、理解させられる光景だった。

 

 どうやらコラソンは寝ているのか、ミオの小さな身体に頭を預けられずにどんどん傾いていく。

 ミオはやれやれとばかりに息を吐いてから腰を浮かして横にずれると、コラソンの頭を柔らかく引き寄せた。

 

 フードに隠れて顔が見えないせいで大きなカラスの雛みたいだった。

 ミオは病気の子供にそうするように、肩のあたりをゆるゆると撫でて、甘く、胸苦しくなるような表情で微笑んでいた。

 そうしてちらとローを見て、人差し指を自分の薄いくちびるに押し当てていたずらっぽく笑う。

 

 ぱくりと動いた口は、ないしょだよ、そう読めた。

 

「~~、──ッッ!!」

 

 息を呑んで、自分の中で感情がぐちゃぐちゃに混じって掻き回されて爆発しそうで、気付けば逆方向に走り出していた。

 開きそうになる口をぎゅっと引き結ぶ。そうでもしなければ叫びだしてしまいそうだった。

 

 なぜか目の前が潤んで、それが悔しくて乱暴に袖でぬぐう。なんで、どうして。そんな文言で頭がいっぱいになる。わけのわからない苛立ちと激昂で吐きそうだった。

 ローが生きるためにあきらめて、切り離して、捨ててきたものを、捨てざるを得なかったものを、ぜんぶミオは持っている。

 

 大切に集めて、こぼれないように抱きしめている。

 

 嫉妬で、羨望だった。

 

 殺意すら覚えるほどの。

 

 誰に対してなのかは、もうローにすらわからない。

 

 そうだ、ミオの傍にいると心が腐らない。

 

 肩の力を抜いて、余計なしがらみを考えないで、たったひとりの自分としていられる。そうあることをゆるされていると、なにも言わずとも伝わってくる。

 凍結されていたのか生来の気質なのか、ミオの周りは時間の流れが違うような気がする。

 木漏れ日色の空気のなかで、深い安堵を吸い込める。

 

 それがどれほど得難いものなのか、きっとあの兄弟は理解している。

 海賊だからこそ、余計に。

 だからドフラミンゴは手放せないし、手放したくない。あの手この手で引き寄せようとしては失敗している。

 

「くそぉ……!」

 

 ずるい。

 くやしい。

 ずるい。

 むかつく。

 どうして。どうしてどうしてどうして!

 

 おれには、もう、なにもないのに。

 

 それからがむしゃらに走ってアジトに戻るともうミオは待っていて、でも稽古をする気分には到底ならなかったから「やっぱりいい」と言い捨てた。

 

「そっか」

 

 ミオは怒るでもなく始めて会ったときみたいにあっさりと頷いて、それからふと思いついたように口を開いた。

 

「そういえば、もうすぐローの誕生日だね。欲しいものがあったらがんばるよ?」

「いらねぇよ。そんなの勝手に考えろ」

 

 お腹の中に重りが入っているみたいにわだかまりがあって、トゲだらけの言葉しか出てこない。

 ミオは残念そうな顔をしてそっかー、とつぶやいてから猫みたいなのびをする。

 

「じゃあ、ローがとびきり喜ぶものを考えないと。責任重大だ」

「そんなのいい」

 

 この頃になるともう口癖になっていた言葉を吐き捨てた。

 

「どうせ死ぬんだ」

 

 珀鉛の影響は日々身体を蝕んでいく。肌の色素が抜けて、上書きするように白粉めいた痣が身体のあちこちにでき始めていた。

 

 ミオがローに同情も憐憫も抱いていないと確信しているから、言えることでもあった。

 

 けれど、

 

「そうかもしれないけど、困るね」

 

 いつものように「そうかな」と曖昧な返事がくると思ったのに、まったく違う言葉がほろりとこぼれて、弾かれたように顔を上げた。

 

 ミオはローをまっすぐに見つめて、痛いような、苦しいような、なんだかこちらの胸まで軋むようなぎこちない笑みを浮かべていた。

 

 そうして、もういちど、ぽたんと言葉を落とす。

 

「ローがいなくなったら、さみしくて──困るなぁ」

 

 自分の無力さを心底嘆くような、情けない声だった。

 その音が耳から胸の奥に響いて、言葉のかたちになってぐるぐる渦巻いて、それが頭まで染み込んできてガンガンした。

 

「ッ、そんなこと、いうな!」

 

 ようやく絞り出した声はかすれて、途切れ途切れだった。

 

 それだけで息が詰まって、肺が締め上げられるように猛烈に苦しくなる。

 胸の奥の深くまで杭を突き刺されたような、じくじくとした痛みに耐えかねて服の上からぎゅっと掴む。

 顔を見ていられなくて俯いて、膝を叱咤して崩れないようにするので精一杯だった。

 

 わかってしまったのだ。ミオがローに抱いていたのは同情や憐憫ではなかった。そっちの方がずっとよかった。

 

 もっと自分勝手で、ひとりよがりで、厄介なものだった。

 

 ローには残された時間が少ない。

 

 自覚していたから必死だった。

 ろくな成長も望めないほど縮んでしまった命の全てを燃やし尽くしてでも、破壊したいものがあった。

 だから、がむしゃらに前だけ見て走ってきた。後ろを振り向く余裕はなかった。

 ひたすらに前へ、前へと。

 

 ミオはそんなローを止めなかった。

 でも意思に身体がついていかなくて、限界を通り越してぶっ倒れそうになると、いつの間にかそこにいて、寝床に運んでくれた。

 

 最初の印象から変わらない。ミオはひどいやつだった。

 ローの気持ちなんてちっとも斟酌してくれない、いやなやつだ。

 嘘も打算もない目でまっすぐに見てくるから、自分でもわからない胸の裏側まで見透かされそうで苦しかった。

 

「……ごめん」

 

 ほら、まただ。

 

 なんでそこで謝るんだよ。なんでそんな顔するんだよ。おれがいなくなったら困るって、そんなの、言われたってこっちが困るんだ。どうしようもないのに、そんなこというな。

 

 心残りなんか、作りたくないんだ。

 

 でも、そんな言葉をどこかで嬉しいと感じている自分が、うとましくて仕方がなかった。

 

 顔を見せたくなくて背を向けると、また、ぽつりと。

 

「そうか」

 

 しみじみと、ひとりごとのように。

 

「ロシーとドフィは、こんな気持ちだったのかな」

 

 意味がわからない。おもしろくない。

 

 

 やっぱり──ミオはひどいやつだ。

 

 

 

 

 

 



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幕間.あくむとあさと中華鍋

 

 そこは地獄だった。

 

 凄惨で、血(なまぐさ)い、地獄のような光景だった。

 

 あちこちに打ち捨てられ、がらくたのように散らばっているのは、かつて人であったもの。

 生きて、動いていて、そうして無残に散らされた。薄汚い欲望や誰かの都合で、理不尽に鏖殺された果ての姿。

 

 これまで自分が食い散らかしてきた、ちっぽけな命ひとつで贖えない罪の証拠だ。

 

 土色の腕があった。蝋のように白い腿があった。生温い臓物を垂らす胴体が、首が、物言わぬ骸が足の踏み場もないほどに転がっている。

 

 死臭に引き寄せられた蠅がわんわんと集い、行き交う中、澪は裸足で歩いている。水よりも重く、おぞましいものが土を濡らしてぬかるんでいた。

 

 ぐちゃ、ぬち、と足を踏み出すたびに粘ついた音が聞こえ、指の間を醜悪な色の糸が引く。卵の中身のような脳漿が、鋭く尖った骨片が、緩んだ肉から引いた筋繊維が指に絡まり、足裏を傷つけ、形容し難い感触が心の膿んだ箇所を更に抉っていく。

 

 けれど、もうなんの痛痒も感じない。そんな感覚は、とっくに擦り切れてしまった。

 

 どうせ目を覚ました自分は何も覚えちゃいない。

 決まって次の日は眠れなくなる。それだけだ。単なる確認作業の一環に過ぎない。

 

 ぼたぼたと落ちてきた眼球が肩に落ちて、粘液を垂らしながら転がって、服を汚し、濁った視線が澪を責め立てる。忘れたことなどないのに、念を押すように。

 決して軽くないものを、複雑怪奇で重いものをやすやすと奪ってきた。流せる血の絶対量すら足りないくせに。

 

 ならば──背負えと。

 

 大事な何かが、やすりのように刮ぎ落とされていく。釣り合わない天秤を落としてしまった自分が、請け負わなければいけないことだと、納得して、歩くしかない。前を向いて、ひたすらに。

 

 ちゃんと、理解している。

 

 たとえ心が干涸らびても、砕けることすら許されない。そんな卑怯で下らぬ、最も愚かな道を選ぶことはできない。

 身の(うち)に孕み、足掻き、苦しみ、倒れることすら良しとせずただひたすらに、愚直なまでに歩を進めるしかないのだ。

 

 生きて、生きて、生き延びて──そして、その時がきたら。

 

 消化も叶わず、忘れたいけど、絶対に捨てちゃいけないものの集積所で、狂うこともできない少女が、曖昧に微笑んだ。

 

 

「また今度、ね」

 

 

 

×××××

 

 

 

 暗闇の中で目覚めた。

 

 荒く呼吸をつきながら、ミオは跳ね踊る心臓の動きを実感する。

 

 額に浮いている脂汗をぬぐい、寝汗で服が張りついていた。

 

「うわ……」

 

 じっとりとした不快感に眉をしかめ、ひらひらレースを引っ張ってため息をひとつ。

 

 背骨に冷水でも伝っているような悪寒と、頭のはしにこびりついているような恐怖の残滓。たまにあるのだ、こういう日が。

 夢の内容はさっぱり思い出せないが、寝起きはいつも同じだ。だから分かる。

 

「今日は寝れないなぁ」

 

 月に一度程度の割合で決まって、眠れない日がやってくる。こうなると睡眠そのものを身体が拒否しているように、眠気の欠片もやってこない。そうしてまんじりともせずに夜を明かし、明日を迎えなくてはいけない。合図はこの寝起きの悪さだ。

 

 昔は、どうしても眠りたくてホットミルクを飲んだり身体を酷使したり、と努力をしてみたものだが結局眠れなかったから途中で諦めた。それに、ほぼ習慣のようなものなので慣れている。ただ面倒なので朝っぱらだというのに夜のことを考えて憂鬱になってしまう。

 

 広いうえに天蓋までついたクイーンサイズのベッドからもそもそと降りて、ぺたぺたと裸足で窓に寄ってカーテンを引っぱった。目が眩みそうな光が差し込んでくる。

 そのまま窓を開けるとざぁ、と瑞々しく清澄な空気が室内に吹き込んで、肺の奥まで洗われるようだ。

 

 鳴き交わす小鳥の囀りも聞こえてきて、段々気分が浮上してくる。

 

「よし、ラジオ体操でもしよう」

 

 拠点なのだから部屋は必要だろう、と用意されていたミオの部屋はやたらと豪華で身の置き所にじゃっかん困る。

 あるものは利用しよう、の精神で箪笥に入っていたひらっひらのドロワーズは着心地そのものはいいけれど落ち着かない。夢見が悪かった気がするのは、この寝間着のせいではなかろうか。

 

 ドフラミンゴの心尽くしにひでぇ冤罪を着せつつ、ベッドの傍らに立てかけてあった自分の主力武器を指先で撫でる。

 

「おはよう、『庚申丸』」

 

 この世界ではたまに見る日本刀そのものの作りで、銘は『庚申丸』。

 ひょんなことから手に入れたのだが、歌舞伎の『三人吉三郭初買』に登場する因縁の刀の名前と同じなのが面白くて斬れ味も抜群、とても気に入っている。あちらは短刀だが、こちらは刀身が生前の愛刀と同じ長さなのも好んでいる要因である。

 

 自前のジャージに手早く着替えて、柔軟や腹筋、腕立て伏せ等の日課を済ませてからタオルを引っかけつつ廊下に出て、途中のランドリールームでさっきのドロワーズを籠に放り込んだ。

 そのまま外に出て、アジト周りを軽くジョギング。どこか適当に広いところで体操をしようかなと考えていたら、向こうからスーツ姿の男の姿が見えた。

 

「おはようございます、ミスタ・セニョール」

「ああ、おはよう」

 

 挨拶ついでに紫煙を吐き出すダンディな彼はセニョール・ピンク。ドンキホーテ海賊団の幹部のひとりだ。

 以前、若の血縁なのだから敬語はと苦言を呈されたのだが、どう見ても年上にそれは無理ですすいませんと謝り倒してしぶしぶ了解させた。

 

「トレーニング中に悪いが、若を起こしてきてくれないか?」

「まだ寝てるの珍しいですね。わかりました」

 

 あんなんでもマフィ……海賊団のボスなのでドフラミンゴの朝は早い。

 なんでも昨日の夜にどこぞの客人を接待して、疲れているだろうから今まで起こしていないとのこと。快く了承して、戻る道すがらにばったりコラソンに会った。

 

「あ、おはよう」

『おはよう』

「これからドフィ起こしに行くんだけど一緒に行く?」

 

 コラソンは少し考える素振りを見せて、ややあってから頷いた。ついでに厨房に寄ってからドフラミンゴの部屋に急ぐ。

 ノックしても反応がないのでドアを開けた。

 

「ドフィー、朝だよーうわ酒くさっ!」

 

 どうやら昨日の客とやらは結構な酒飲みだったらしく、室内には酒精の匂いが残っていた。

 

「うーん……二日酔いだったら、これ使うのまずいかな」

 

 厨房で借り受けた、すりこぎと中華鍋を見せつつひそひそ言うとコラソンがポケットからメモを取り出した。

 

『やれ』

「えっ」

『GO!』

「まさかの二枚目!?」

 

 ここまで推奨されたならばやるしかなかろう。

 最後のチャンスとして窓を思い切り開けたのだが、こんもり膨らんだ布団は身じろぎひとつしない。

 

「ドフィ……残念だ」

 

 しんみりつぶやくと、ロシナンテがミオの耳をそっとふさいでくれる。ワクワクしている空気が伝わってくるのは気のせいだろうか。

 いや正直ミオもわくわくしている。ドフィの反応、とっても楽しみです。

 

「では、」

 

 すりこぎを思い切り振りかぶり、中華鍋の裏側目掛けて叩き付ける!

 

 力一杯やったのでカーン、どころかゴォンッ!と鼓膜が爆撃されるような凄まじい音がした。手が振動でびりびりする。

 

「うぉ!?」

 

 間髪入れずにドフラミンゴが布団を跳ね上げた。

 敵襲かと思ったのか即座に周囲を警戒……しようとして、すりこぎと中華鍋を持ったミオと、その耳をふさいでいるコラソンを発見して動きが止まる。

 

「……」

 

 さっさとサングラスをかけて、なんだか地鳴りでもしそうな笑顔を浮かべるドフラミンゴは控えめに言っても超怖かった。

 

「ミオ、とコラソン。朝っぱらからやってくれるじゃねェか……フッ、フッフッフ」

「ひえっ、ごめん! ごめんー! でもおはよう!」

『大成功』

「コラソン出すメモ間違ってない!? 謝った方がいいって! すっげぇ機嫌悪いもん!」

「機嫌悪くした張本人がよく言うぜ……とりあえず、ふたりとも」

 

 くい、とドフラミンゴが親指をひっくり返す。

 

「正座しろ」

 

 それから昨日の接待の重要性と二日酔いの辛さを延々と説教され、ついでにミオは梅干しをくらった。こめかみをぐりぐりされるアレである。とても痛い。

 コラソンがやられないのはずるいので、焚きつけたことをチクッて同じ目にあってもらった。

 

「うう、まだ頭いたい~、ドフィひどい」

「フッフ、寝てる人間の耳元で中華鍋鳴らすのはひどくねェのか」

 

 キンキンする頭を押さえながらぶーたれると、没収した中華鍋をぶらぶらさせながらちくちく言われる。案外根に持たれていた。

 

「それはそれとして、ミオ。随分とダセェ格好してるな」

「その辺走ってる時にミスタ・セニョールにドフィ起こしてくれって言われたから、そのままこっちに。コラソンには途中で会った」

 

 ミオの格好はカエルというか青汁みたいな色をしたジャージである。ついでに首にタオルをかけているので、ダサいと言われれば反論の余地はない。

 

「おれの用意したコートは着ねェのか?」

「え゛」

 

 ぎくんとミオの肩がこわばる。

 用意したコートとは、ついこの間贈られたコートのことだろう。最高級品だと胸を張って差し出された……真っ白のもっふもふしたやつ。

 

「あれ、汚れ目立つし動きにくいんだよねー……」

 

 思わず遠い目をしてしまう。

 コラソンのコートが黒だったのは焦げが目立たないからだと知った時の切なさったらない。自分の年齢的にはともかく三姉弟でお揃いって、どうなの?

 なにより、一回試着して鏡を見て真っ先に、売れないロックシンガーじゃねぇかと自分にツッコミを入れてしまった。着られりゃいい、の精神でも限度がある。

 

 あれを着て三人で町を歩くとか、考えただけでつらい。そうだ今すぐモビー・ディック号に帰ろうと現実逃避してしまう。

 

「ごめんね、メンタルひょろひょろな姉で……」

「ザイルみたいなメンタルしてるくせに、何を言い出してやがる」

 

 その件に関しましては前向きに考えて検討させて頂きますのでいずれ、おいおい、日を改めて云々と全力で誤魔化していたところグラディウスが朝食のご用意が、と部屋に訪れたことで終了した。

 

「グラディウスさんありがとう」

「は?」

 

 意味が分からないという顔をされた。そりゃそうだ。

 しかしドフラミンゴの顔がまったく諦めていないので、いろいろ気を付けようとミオは決意する。

 

 後日、三人お揃いを見たくねェかフッフッフとコラソンまでそそのかしたドフラミンゴに猛攻を喰らうのだが、知らぬが仏というものだ。

 

 

 




テンポ悪いので前半のあちこちカットしました


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じゅーいち.盲目ドン・キホーテ

 

 親兄弟の保護という枷から解き放たれたミオは、ドフラミンゴの予想の範疇を超えて自由気ままで奔放だった。

 

 何事か興味を引かれることがあればドフラミンゴの希望もむなしくあっちこっちを渡り歩き、電伝虫で連絡しなければ一ヶ月くらい平気で留守をする。戦闘において一日の長があり、ついでに生活力に長けて勘働きがよいのも悪い方に働いた。

 当初は資金がなくなれば戻らざるを得ないだろうとたかをくくって、借金でも背負わせて飼い殺しにするつもりまんまんだったのだが、本人が自力で賞金首を上げて金を稼いでいるので意味がない。

 

 一度、逆ギレして弟たちが海賊なんて姉として心配じゃねぇのかと聞いてみた。ファミリー入りを正面切って断ってきた当てこすりである。

 

 ミオは心底不思議そうに首を傾げた。

 

「謀反の心配がないのに、なにを心配すればいいの?」

 

 確かに部下は軒並み忠誠心が高く、またそうなるようにドフラミンゴは仕向けてきた。そういう意味では非の打ち所がない自慢のファミリーだ。

 だが、ちがう。

 なんかこう……違うだろ。

 

「もし倒産しても、うーん、資金の援助はむりだけど……あっ無職になっても一年くらいは面倒みるから心配しないでがんばれ! あくどいしずる賢いし経営手腕はあるって! 大丈夫大丈夫!」

 

 駄目押しに失礼千万な言葉とともにべしべし背中を叩かれ、元気付けられた。逆にげんなりした。海賊に倒産はない。

 

 そうだった。この姉は全力で斜め上にかっとんでいるのだ。認識の差異をドフラミンゴは改めて思いしった。嬉しくもなんともない。

 最近はドフラミンゴも引き込むことを諦めて、賞金稼ぎという地位を利用するようになってきた。下手に策を弄するより、ミオが出かけるときに手配書を渡すと、いつの間にか潰していることが多いのでなにかと楽なのだ。

 

 昔は光り物を大事にしていたことを思い出したので、戦利品の宝石類などの宝飾品をプレゼントだと大量に貢いでみたところ、単に資産価値が変わらなくて持ち歩きに便利だから最小化していただけだったという事実が判明した。

 宝石を飴玉の包み紙で包装するとバレにくくて便利だという『明日使えるかもしれない無駄知識』を得た。当時の苦労が偲ばれる。

 

 仕方がないので、海賊の手配書横流しを『外注』として成功報酬を支払うようにしたところ、こちらはすんなり受け取らせることができた。

 ただし、報酬額を高額にするとかかった経費と賞金首の値段から適正価格を算出されて、リテイクを言い出されるのでとても面倒臭い。請求書を用意しないで欲しい。ドンキホーテ海賊団をいちばん会社扱いしているのはミオである。

 

 スパイダーマイルズをアジトにしていたドンキホーテ海賊団は、勢力を拡大しつつ一路グランドラインを目指していたため、リヴァースマウンテンを越えたら追いかけるのは至難の業である。チャンス到来。

 

 山越えをしている最中はミオが不在になるように仕込み、頃合いを見計らって迎えを寄越そうかフッフッフと恩を着せようとしたのだがこれも失敗に終わった。

 

「リヴァースマウンテン越えたの? すげぇええ! おめでとう! お祝い楽しみにしててね!」

 

 電伝虫越しにはしゃいだ声が聞こえ、数週間後にプレゼントを山ほど抱えて合流した。あの小さな船でリヴァースマウンテンを越えたのなら大した手腕だが、船にはさしたる損傷はなかった。

 こっそり調べさせてみたのだが、やたら丈夫で設備が整っていることくらいしか判明しなかった。謎は深まる一方である。

 

 ドフラミンゴはミオを手元に置いておきたかった。

 自分の目の届くところで、真綿でくるむように大事に、掌中の珠のように愛でていたかった。それが許される立場だと信じて疑わなかった。

 

 己の未熟さゆえに姉を喪ったと確信したときの絶望と悔恨は、今もなおドフラミンゴの心の奥底に焼き付いている。

 

 でも、無力さに泣いていた子供はもういない。ドフラミンゴは大人になり、ミオはその時間を止められた。

 立場が逆転し、今度はこちらが守る番だと息巻いていたらこの有様だ。どうしろというのだ。

 

 ドフラミンゴはミオを愛している。

 

 執着し、拘泥している。そうでなければ、遺骸の捜索などという徒労に貴重な労力を割いて、十年来に渡って続けたりなどするものか。

 だからこそ、生きている姉の姿を見たときに感じたのははっきりとした歓喜だった。姿かたちがちっとも変わっていなくてもどうでもよかった。

 

 ドフラミンゴの独占欲は並外れて強い。

 それは本来の資質であったし、地獄の如き環境と経験でより強固に育った。家族は自分のもので、ファミリーは一人残らず所有物だ。そう思えばこそ、大切にする。裏切りは決してゆるさない。実の姉であれば尚更のことだ。

 

 けれど、ミオの家族というのはドフラミンゴのそれとはどうやら違うらしかった。

 

 身内を大事にするのは当然で、ドフラミンゴとロシナンテにも変わらぬ好意を抱いているのは言わずとも伝わるが、それを理由に拘束しようとも、されようともしない。

 

 ミオにとって『家族』は四六時中、一緒にいなければ絆を感じられないような稀薄なものではないようだった。

 

 ひとりひとりが、自分の人生を謳歌する。

 その手伝いはするけれど、強制はしない。根底にあるのは深い信頼で、変わらぬ愛情だった。

 

 けれど、もはやそれでは足りないのだ。

 

 ドフラミンゴはミオを愛して、甘やかしたい。──彼女なしではいられないほどに。

 

 姉を思い慕う心は苛烈な体験で歪み、執着と欲望で醸造された。あたたかで柔らかな姉弟の親愛を求める時期は、とっくに通り越して凍てついてしまった。

 

 再会してからドフラミンゴの欲望は日に日に募り、飢えて渇いてどうしようもなかった。触れる度、言葉を交わすたびそれは強くなる。

 心が蕩けそうなほどの安堵と、ぢりぢりと(うち)側に燻り続ける、煮えたぎるような感情。それは、愛しい日々を根こそぎ奪われた時からドフラミンゴに取り憑いてきた宿痾だった。

 

 奇跡と運命の重ね合わせであらわれた時非(ときじく)の花は──ドフラミンゴのものだ。

 

 もう十分だろう。我慢嫌いの自分がこれでも我慢してきたのだ。

 

 ミオが好き勝手にやっているのだから、こっちだって好きにすればいい。妥協してきてやったのにちっとも居着かないのが悪いのだ。

 好意を持って接して来た相手を、ミオは無下に扱えない。優しくされたら振り払えない。子供たちが良い例だ。その優しさが何より尊い最大の力で、弱点であることをドフラミンゴはもう知っている。

 

 ならばそこを狙う。苦い経験は繰り返さない。ドフラミンゴは海賊で、大人だ。

 大人がずるくて汚くて嘘つきだと教えたのは姉だった。すべてを駆使して奪うことに何の痛痒があろう。

 

「フッ、フフ……!」

 

 暗い部屋の中でドフラミンゴは喉を鳴らして嗤い続ける。

 

 欲しいものは力尽くで奪うのが海賊の流儀だ。

 

 

 

×××××

 

 

 

 ミオの与り知らないことだが、かつて『奴隷嫌い』で名の通った『ラグーナ海賊団』船長であるラウネ・チェレスタは他の海賊たちからも一目置かれる実力者だった。

 

 それは彼の卓越した技倆のおかげでもあったし、食べた悪魔の実の能力故でもあった。実の名前は『コチコチの実』。

 その能力を本人は『凍結』と呼び、また周囲もそう認識していたが、その本質はあらゆるものの『固定』である。

 

 コチコチの能力はとにかくなんでも固定する。

 炎も電撃も空間ごと固定され、分子運動すら停止させる彼の能力は攻め手にこそ欠けるものの汎用性が高く、無類の強さを発揮した。

 

 そしてコチコチの実は他の実にはない、ある特性を持っていた。

 

 それは能力者が死亡した際、いちばん『最後まで固定されていた生物』に、その能力を引き継ぐというものである。能力を引き継がれたものは、それがどんな生き物でも固定されたまま、誰か『別の能力者』に触れられるまで固定が解除されることはない。

 

 そういう意味で、ミオは本当に運がよかった。

 託された先が白ひげでなければ、もし先に別の下卑た海賊に隠し財産を発見されていたら、チェレスタの望みが叶うこともなくミオの命も無駄に散って終わりだっただろう。

 

 かくして、かつて数多の海賊をびびらせた能力を受け継いだミオはそのちからを知る彼の友人、エドワード・ニューゲートから開陳され、血の滲むような努力を続けて磨き上げ──とっても便利な冷凍庫として活用していた。

 

「こっちもください!」

「はいよ、気前いいねぇ」

 

 ぽんと渡された箱に入ったアイスクリームをこっそり『固定』してから紙袋に突っ込む。

 バッファローがアイス好きなのでよくお土産に買うようになったのだが、日持ちしないのでどうしたもんかと悩んでいて、ふと能力を使ってみたらいい感じに保存できたので活用している。もっと早く気付けばよかった。

 

 ドンキホーテ海賊団と縁故を結んでそろそろ二年の月日が経とうとしていたが、ミオの生活はあまり変わらなかった。

 変わったことはドンキホーテ海賊団の勢力が日毎に増していることと、ミオの行動範囲が広がっていることくらいだろうか。

 

 彼らがリヴァースマウンテンを越えたことで、毎回危険を侵して『凪の帯』を軍曹頼りに渡航しなくて済むようになり、ログポースなどの独特の文化を隠す必要がなくなった。そうなるとミオもエターナルポースなどを活用して島々を渡り歩くことが可能になり、結果──以前よりも行動範囲が広がったのだ。

 

「……」

 

 最近、少し悩む。

 

 ミオの生活はおおむね平和だ。

 ドフラミンゴとロシナンテと再会を果たし、彼らの職業を知ってしまったので海賊になることは保留にして賞金稼ぎとして活動している。

 賞金稼ぎとして生活が成り立っているので、白ひげも無理に白ひげに入れとは言わずに好きにさせてくれている。

 

 問題なのは生活面ではなく、ドンキホーテ海賊団の可愛いちびっこギャング……もっといえばローのことだ。

 

 ローは医者の息子で幼い頃から手ほどきを受けてきたのか医学に詳しく、自分のカルテから残り寿命を類推している。彼の計算ではあと一年、保つかどうか。そこに偽りはないだろう。

 

 ないから、厄介なのだ。

 

 彼を癒やせる異能を秘めた悪魔の実と出会うチャンスはこの先、本当にあるのだろうか。

 

 ドフラミンゴはローの運次第だと言っていた。事実、そうなのだろう。

 医学知識に乏しいミオではどうにもできない問題である。

 

 だから、遠出するたびに悪魔の実について探るようにしているが、成果は芳しくない。悪魔の実は無数にあり、能力は千差万別。食べてみなければわからない、なんてことも珍しくない。

 けれど、悪魔の実を食べられるチャンスはひとりにつき一度きり。欲を掻いて二つ目を口にしたものは死亡すると聞く。

 

 この広大な海の、どこかにあるかもしれないローを治療できる力を秘めた悪魔の実。それを探し出してローが食べられる可能性を考えると目眩を覚える。砂漠に落ちた砂金を探すようなものだ。

 

 時間が足りない。いつだってそうだ。歯痒くて、もどかしい。

 

「……ッ」

 

 知らず噛みしめていた唇がぎり、と音を立てる。舌に血の味。

 

 ミオのローへ向けている感情はなかなか複雑で、あえていうなら罪悪感がいちばん近いかもしれない。

 

 

 あの、運命の日。

 

 

 生きて弟たちの元に戻れるなんて、はなから期待していなかった。二人には悪いが、あの時すでにミオは生きた死人だった。彼らが生き残れるなら、自分の命なんてどうでもよかった。そうするだけの価値があって、大切な人のために命を賭すのは望外の喜びですらあった。

 

 ミオはいつだってその瞬間を欲している。そうとは知らず、無自覚に。

 己というものに価値を見出していないから、せめて大切だと、好意を寄せてくれたひとのために自分を使い潰して──果てたいのだ。

 

 幾度となく望まぬ生を受け、余人には言えない奇矯な人生を歩んでいるミオは、その芯が歪んでいる。平たくいえば病んでいるのだ。

 ただ、基本的に善人であるからこそ、気付かれることは少ない。

 

 そこそこの常識と倫理を被って、かろうじて人がましく擬態することに長けているだけで──とっくに『まとも』ではないのだ。

 

 無私と優しさを土台にして、まじめにこつこついびつな成長を遂げたミオは、まれにそれと知らずに人の心を踏みにじる。そこにあるのはねじくれ曲がった優しさで、本人なりの信念に基づいた行動なので悪気なんてかけらもない。狂人が己を狂人と自覚できないことと少し似ているかもしれない。

 

 大事なひとは、自分のぜんぶで大事にする。大事なひとの好きなものは傷つけず、なるべく大事にしよう。敵には相応の態度で臨んで、それ以外はテキトーに。

 そんなごく単純な論理で生きている。下手に実行できているからタチが悪い。

 

 だから──相手は傾けた心の分だけ傷を負う。踏み込めば踏み込むほど、より深く、より強く。

 

 それは悪人も善人も等しく変わらず。

 

 なべて人と人の関係はそういうものだが、ミオの場合はより強烈だった。

 

 そういう存在に、なってしまった。

 

 そうして、頑固であほで考えなしで、おまけに無類の死にたがりは己の命をびた銭程度で売り払い、嬉々として死出の旅へと飛び出した。

 

 ぼろくずみたいになって、心から満足して──うっかり生かされてしまった。

 

 文句を言おうにも、自分を生かした相手は墓の下。

 まんまと死に損なったミオは、ひとりぼっちになったのだと途方に暮れて──その直後に家族ができた。しかもいっぱい。

 

 白ひげの規格外の包容力と家族愛は、これまでミオが知らなかったもので、内心とても戸惑った。まっとうな家族というものに会った試しがなかったため、無条件に与えられる愛情がむずがゆくてこそばゆい。おまけに、白ひげの薫陶をうけた船員たちも年相応の子供扱いしてめいっぱい甘やかした。

 

 頼れる『大人』が、そうして欲しいと望んでいる人ばかりに囲まれた生活は新鮮で、これまで苦しかった日々のご褒美みたいだった。

 

 今を生きているのは奇跡のような偶然が糸のように撚り合わせられて、誰かさんの願いと根性が引き寄せてくれた、いわば余録のようなものだとミオは思っている。

 

 すでに命は売り払ったあとだ。

 

 思いがけず大切な家族に巡り会い、弟たちの成長を見届けることもできた。

 ぶっちゃけ、思い残すことは特にない。仮にここで誰かに殺されてもまぁいいか、と割り切れるくらいには未練がないのだ。弟たちは立派に成人して、白ひげ海賊団はお父さんがいるので安泰だ。

 

 心の底から切望していたことは、もう全部叶っている。

 

 だから。

 

 降って湧いた幸運で命を繋いでしまった自分と、ひしひしと迫る命の終わりを感じ取りながらも、懸命に前を向いて走る少年。

 

 

 ひどく、後ろめたい。

 

 

 ローに会う度、申し訳なさが募る。心配で、落ち着かない。それは同情のような綺麗な感情じゃなくて、もっと独りよがりなものだ。

 

 もし、ひとの寿命を粘土のように切り貼りできるのなら、ローにまとめてあげられればいいのに。

 あのまっすぐ斜めに曲がって未来を諦めきっている少年に、未来を、人生を、寿命を、渡すことができれば。

 

「そんな悪魔の実、ないかなぁ」

 

 ぽつりと、つぶやく。

 いかな悪魔の実にもそんな異能があるだろうか。わからない。寿命の左右となれば、それはもはや神の領域だ。

 

 始めてローを見た時、目つきが弟にそっくりだったから世話をした。

 

 ほんの気まぐれで、それ以上の意味はなかった。珀鉛病に侵された町の生き残りだと言われても、よく逃げ延びたものだと感心するだけだった。どうせこれきりの出会いだと、たかをくくっていたのだ。一期一会。

 事実そうなるはずだったのだけど、なぜだか弟たちの海賊団に入り込んでいて驚いた。

 

 そうなると向き合わないわけにもいかず、生き急ぐ子供の稽古に付き合って、彼の孤独に触れた。心配になって、情が湧いた。だからって、どうにもできないけど……。

 無力を痛感するたび、罪悪感で埋まりたくなる。目的もなくのうのうと生きていることが、自分にまだ寿命があることが、とてもひどいことのように思えるのだ。

 

「軍曹、ただいまぁ」

 

 解決しない問題に暗澹としつつ船に戻って番をしてくれていた軍曹に声をかけると、片脚をひょいと上げて部屋の一角を示した。

 一年くらい経った頃に脱皮した軍曹は、足りなかった脚も元に戻って今日も元気いっぱいです。

 

 テーブルに据えられた電伝虫が、ぷるぷると鳴っていた。

 

「あ、さんきゅ」

 

 買ってきたカブと人参とカボチャを放り投げると、軍曹は投げ網のように糸を出してキャッチしてぼりぼり食べ始めた。

 荷物を傍らに置いて椅子に座りながら電伝虫を引き寄せる。

 

 がちゃ。

 

『よう、ミオか?』

 

 にゅいーっと電伝虫の顔がドフラミンゴそっくりになる。毎回思うのだが、これは電伝虫のこだわりなのだろうか。

 

「こんにちは、ドフィ。なんか海軍本部? の、おつるさん? に襲撃されたから、しばらく連絡できないかもって言ってなかった?」

 

 実の弟という名の獅子身中の虫を飼っているドンキホーテ海賊団は、彼の密告によって海軍本部からちょくちょく襲撃を受けている。

 中でも熱心に追いかけてくるのは本部の『おつる』というおばあちゃんだ。遠目に見たことがあるけれど、老齢の域には入っていたものの姿勢のいい、矍鑠(かくしゃく)としたご婦人だ。女傑って感じ。

 

『目下逃走中だ。だが、問題が発生した』

「問題?」

 

 いちばんの問題は弟が海賊なんて犯罪者集団のボスやってることなのだが、置いといて。

 電伝虫が一度黙り、ややあってからひどく言いにくそうに口を開く。

 

『コラソンが、ローを連れて船を出た』

「え、家出?」

 

 コラソンの愚痴なんて山ほど聞いている。嫌気が差して出て行ったとて、誰が責められようか。いや、ドフラミンゴはボスなので責められるか。

 

『ちげぇ。『ローのびょーきをなおしてくる』だとよ』

 

 ……珀鉛病って、治せる類の病気なのか?

 

 あれは病気じゃなくて中毒症の一種だ。水俣病のような公害病にごく近い位置にあるとミオは認識している。

 普通の病気のように抗生物質の投与や腫瘍の摘出、なんて風に治せるとは考えにくい。でも、コラソンが行動を起こしたということは、それなりの理由があるのかもしれない。

 まさか何も考えず子供を誘拐同然に出奔なんて……ないよね?

 

「そっか、治るといいな」

 

 素直な気持ちを口にすると、電伝虫が面白くなさそうな顔つきになる。

 

『動じねぇな』

「だってコラソン優しいもん。驚きとかはべつにないな。むしろ案外遅かったなー、くらい」

『……そうかよ。こっちはまだ逃げてる最中だ。落ち着いた頃に連絡する』

「はいはい。逃走がんばって」

 

 てきとうに返事をして、がちゃりと通話を切る。

 

「……ふむ」

 

 コラソンがローを連れて家出した。

 

 彼はドフラミンゴに隠しているが海兵である。潜入捜査という立場をかなぐり捨ててもローを救いたいと思い、行動に移したのだろう。それは彼の性格上、いつやってもおかしくない。

 なぜ、二年という月日を経てから動き出したのかの方が、気になる。病院にかかるなら早期治療は基本である。もっと早く行動してもおかしくない。

 

 それが、なぜ、今になって。

 

「よし」

 

 気になるなら、聞きに行こう。

 決断すれば早い。船室から飛び出してもやい綱をほどき、帆を張りながらカボチャに齧り付いている軍曹に声をかける。

 

「軍曹、出発しよう! まずはそうだな、ドラム王国!」

 

 医療技術の傑出した国といえばドラム王国だ。

 グランドラインでも一、二を誇る医療大国だからコラソンたちが立ち寄る可能性が高い。

 確か世界会議にも出席していたはずだから、エターナルポースもどこかで入手できるだろう。

 

 この時、ミオはコラソンことロシナンテが直情的でまれに見るドジッ子だという事実を完全に失念していた。

 

 

 




主人公の精神構造は戦国期の人生葉っぱ隊のそれがいちばん近いです


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じゅーに.ピノキオメランコリック

 

 

 

 はずれだった。ちくしょー!

 

 頑張ったのに。ものすごく頑張ってエターナルポース入手してドラム王国まで行ったのに、そこにはコラソンとローの姿どころか噂ひとつ存在しなかった。

 

 ドラム王国は冬島だ。

 見渡す限り銀世界の幻想的で、美しい場所だった。寒冷な気候は天然の滅菌空間。医療器具やウィルスの研究にはうってつけなので、他国に輸出できる事業として医療技術が発達するのも当然といえる。

 

「ひっひ、残念だったね」

 

 幸いだったのは、とっても博識かつファンキーなお婆ちゃんことDr.くれはから話を聞くことができたことだろうか。

 彼女は珀鉛病の研究こそしていなかったが、政府に隠れて研究を続けている医療機関をいくつか教えてくれた。すっっごいお金取られたけど。ほとんどオケラになったが悔いはない。

 たかだか知り合った子供のために、ほぼ全財産を「もってけどろぼー!」とためらいもせずに支払ったミオをDr.くれははわりと気に入ってくれたらしかった。

 

「あの町のことは聞いているよ。まったく、忌々しい話さね」

 

 医療に携わる者として、あの一件は憤懣やるかたないと彼女は静かに語った。

 治療法が発見されていないことを逆手に取った閉鎖政策。いわれのない偏見と情報操作で巻き起こった悲劇の戦争とその顛末は、医療従事者には殊更つよく胸を打つ出来事だった。

 

「生き残りがいたとは、ね。それが医者の息子となれば、なんて、皮肉な……」

 

 そこから先は、言葉にならなかった。

 黙祷にも似た時間が流れ、無言で立ち上がり、頭を下げる。二人がいないとなればこれ以上滞在する理由がない。

 

「見つかるように祈ってやるよ。ハッピーだろ?」

 

 Dr.くれははにんまり笑って見送ってくれた。

 船に戻る途中、医者に追われている医者という不思議以外のなにものでもない人物を匿ってあげたところ、結構なヤブだということが判明した。イモリの黒焼きは普通にだめだろ。

 

 さっきのひとたちに突き出した方がいいかなぁと悩んでいたら、ヒルルクというらしいその初老のヤブ医者はミオに感謝を述べると同時に、ひとつお願いをしてきた。

 

「あんたのその目を、よぉく見せてくれ!」

 

 なんでも彼は『サクラ』の研究をしているそうで、ミオの瞳の色を目に焼き付けたいという。

 とっとと船に戻りたいところだったが、あまりに必死な様子につい少しだけならと頷いてしまった。ほだされたとも言う。

 

 道端で長時間喋っていると普通にしぬ気候なので、知り合いの家でじっくり見たいと言うヒルルクに付いていったらDr.くれはの家にとんぼ返りすることになってしまった。

 

「こんなヤブ医者に捕まってんじゃないよ!」

 

 ヒルルクどころかとばっちりでミオまで物凄い勢いで叱られた。ひどい。

 Dr.くれはからミオの事情を聞いたヒルルクは、自分の心臓を抉り出されたようなひどい顔をして黙り込み、

 

「すまねぇ、だが……じゅう、いや、五分。五分だけでいい。おれの研究にはどうしてもその色が必要なんだ! 頼む!」

 

 地べたに座ってがばりと土下座した。

 そこまで言われて断れるほど非情ではないので、わかりましたと大人しく椅子に座った。ヒルルクはミオの頬を両手で包み込んで試す眇めつ、瞳の色を覗き込んでまなじりを緩めた。

 

 懐かしい、あこがれを見るようなまなざしだった。

 

「ああ、そうだ、この色だ。こんな色がいっぱいに広がって、こんな綺麗なもんが世の中にはあんのかって、魔法みたいだった。懐かしいなぁ……」

 

 その響きを口にするのが、幸せでたまらないとわかる感触の声だった。

 自分の瞳の色を通して思い返しているのは分かったけれど、それでも少しだけ照れて視線を動かそうとしたら「まだまだ」と固定された。

 

 ヒルルクはいつか見た『サクラ』に、命を救われたのだという。

 

 サクラ。桜。

 

 弥生の空は、みわたすかぎり。

 

 そんな光景を、見たのだという。

 

 ミオにとってもそれは故郷を偲ぶものだ。

 みっしりと花を抱えた枝からはらはら、ひらひらと、春に降る雪と見紛う幻想的に舞い散る花弁を思い出す。

 

 あの、風にすら色がついているような──胸の奥があたたかく満ちる景色でどんな病も癒えるというなら、それは世界でいちばんやさしい治療薬だろう。

 

「叶えてくださいね」

「ああ、もちろん!」

 

 別れ際にそう言うとヒルルクはガッツポーズを作って自信まんまんに笑って、風変わりな医者たちとミオはそうやって別れた。

 

 まだまだ時間はかかりそうだけど、きっと、いつか彼は夢を叶えるだろう。根拠はないけれど、そう信じさせるだけの情熱と意気込みがあった。

 

 

 それは誰かの心を救う、とびっきりの万病薬になるに違いない。

 

 

 

×××××

 

 

 

 コラソンがローを連れてドンキホーテ海賊団を抜け出して、五ヶ月が経過した。

 

 その間、コラソンはあらゆる大病院を巡りローの治療法を見つけるために活動していたが、結果ははかばかしいどころかむしろ最悪だった。

 

 国と世界政府が総力を挙げて作り上げた噂と印象操作による偏見は、町の人間どころか医療従事者にまで及び、彼らの心を苦しめた。

 悪質な流言飛語と『伝染病に感染するかもしれない』という恐怖から受ける迫害と罵声は、まるで幼い頃の焼き直しのようで、辛いと泣くローに申し訳なさが募る。

 

 大人たちから受ける差別と偏見の視線、侮蔑の言葉がどれだけ幼い心に傷をつけるのか、コラソンはいちばん知っているはずなのに。

 

 次の町には必ずいい医者がいる、と気休めににもならない言葉ももう何度目だろうか。

 

 それでも、次こそ。今度こそはと願い続けて──五ヶ月。

 

 正直、気が塞いでいた。

 出口のない迷路にいるような漠然とした不安が付きまとっていて、けれどそれをローに悟らせるわけにもいかず、袋小路だった。

 

 その島は夏島で、大きな町も病院もないごく素朴な島だった。

 

 次の島の中継として利用した場所だったので、気晴らしになるだろうかとローを連れて森に行き、自分の能力を披露した。

 

 コラソンの食べた『ナギナギの実』は周囲で発生するあらゆる音を遮断する事ができるため、それを利用して壷を割ったりバズーカをぶっ放したり。最終的には屁までこいた。ローにはブキブキの実の方が恰好良いと不評だった。グサッときた。確かにあれは恰好いいが、なにも正面から言わなくても……。

 

「だが"安眠"において、おれの右に出るものは……」

「どうでもいいよ!」

 

 ローが怒鳴り散らすと、前触れもなくその背後でがさりと音がした。小動物よりもっと重い──人間が枯れ葉を踏む音だ。

 

「ロー!」

 

 咄嗟にコラソンはローを庇って前に出る。ローも無意識にか、コラソンの足にしがみついて警戒も露わに音の発生源を睨み付けた。

 しばらくガサゴソと木立を分けるような音が聞こえ、恨みがましいのに耳に慕わしい、小鈴のような声が響いた。

 

「ああ、いたいた。やぁっと、見つけたぁあ」

「!?」

 

 木の間から出てきたのは、小柄な少女のように見えた。

 頭のかたちに沿うように切られた雪色の髪に、桜色の瞳。全体的にほっそりと華奢なので大人しそうな印象だが、内実が色々と裏切っている残念な子だということをコラソンはよく知っている。夏島なのに袖の長い服を着て、全体的にもっさりした様子であちこちにいくつも葉っぱをくっつけているミオだった。

 予想もしていなかった人物の登場に目を剥く。

 

「ミオ!?」

「お、おまっ、なんで!?」

 

 もしやドフラミンゴの命令で連れ戻しに来たのかと、コラソンに緊張が走る。

 子供を守る親猫みたいに威嚇するコラソンをなんだかぼへっとした顔で見たミオは、癇性に髪をがりがりとかくと、ため息を漏らした。

 

「なんでって、二人が家出したって言うから追いかけてきたんだよ……」

 

 ああくたびれた、とそのままぺたんと腰を下ろして重そうに膨らんだリュックサックを横に置いてそのまま大の字になってしまう。

 屍体でなければゾンビみたいだ。敵意どころかやる気もないその様子に二人からも緊張が抜けていく。

 

「勝手気ままにできるのが、自由業のいいところだよね」

「ドフィの命令じゃ、ないのか……?」

 

 寝そべりながらどや顔するミオにこわごわと近寄り、膝を折ってヤンキー座りで問いかけると、心底不思議そうな顔をされた。

 

「? なんでそこでドフィが出てくんの。僕が勝手に追っかけただけー」

 

 言われてみれば、ミオは『遊びにくる』だけでドンキホーテ海賊団に所属しているわけではない。賞金稼ぎという立場はどちらかというと、海兵の方が近いかもしれない。

 

「そう、なのか」

 

 あっけらかんとした言い方には嘘も虚飾もなくて、それだけでコラソンは安堵できた。

 そこでようやく事態を把握したらしいローは、コラソンの足元から飛び出してミオの頭を覗き込んだ。

 

「おいミオ! お前、知ってたのかよ!」

「なにがぁ」

「コラソン! 喋るの!」

 

 ずびっ、とコラソンを指差して捲し立てた。

 コラソンが喋れることをローが知ったのは、旅立つ本当に直前のことで、記憶している限りではバラす余裕なんてなかったはずだ。

 やきもきするローに対して、ミオは拍子抜けするほどこともなげに答えた。

 

「そんなん、初日から知ってるよ」

「ッ!? ドフラミンゴに言わなかったのか?」

「なんで?」

 

 胡乱な顔をされてローの方が戸惑った。なんで、って。

 その様子を見て、ミオはやれやれどっこいしょとオッサンくさいことをつぶやきながら身体を起こし、その場であぐらをかいて座り込む。

 

「コラソンが知って欲しくないって言ってたから、言わなかった。そんだけ」

「そ、それだけの理由、で?」

「いちばん大事じゃない? 兄弟だって人間だし、隠し事のみっつやよっつくらいしたっていいと思う」

 

 そう言われると困る。

 

「べつに弟たちの邪魔がしたくて会いに行ったわけじゃなし、隠したいことを吹聴して回るほど鬼じゃないよ?」

 

 なんでそんなことを聞かれるのだろう、といわんばかりの態度でようやくローにも理解できた。

 本当に大したことではないのだろう。

 弟が兄に隠し事をしていて、内緒にしてくれと頼まれたから了承した。ただそれだけの、本当に単純な話なのだ。ミオにとっては。

 

「そんなことより、コラソン。ローは治りそう? いい病院は見つかった?」

 

 痛いところを突かれて、コラソンが黙り込み、ローの頬がひきつった。その様子から察したのだろう、ミオは眉をしかめてから軽く手を振った。

 

「ああ、いい、いい。わかった。聞いてごめん。僕の方もね、あんまりちゃんとした実りがなかったから、偉そうなこと言えないし」

「え?」

 

 考えもしなかったことを言われて、動きが止まる。ミオは今、何を言った?

 

「姉様、いや、ミオ?」

 

 コラソンが問い質そうと口を開きかけ、ミオは話を聞いているのかいないのか、傍らに置いてあったリュックを引き寄せるとジッパーを開いていく。はち切れそうなほどいっぱいに詰まっていた紙の束が、何枚かまとまって飛び出した。一枚一枚にびっしりと文字が書き連ねてあり、読むだけでもうんざりしそうだった。

 

「こっちはまず、ドラム王国に行ってみました」

「ドラム王国って、あんな遠い国に!?」

「遠いけど、医療関係はドラムが有名だから。残念ながら、珀鉛病の治療法はわかんなかったけど。ごめん。でも、そこから世界政府に隠れて珀鉛について研究してる機関を教えてもらって、そこを回ってた」

 

 風に浚われそうな紙片をローが咄嗟に押さえると、それは論文のようだった。

 何気なく何行かに目を走らせてぎょっとする。途切れなく詳細に、地層の特質から掘り出す際の注意点から、人体に与える影響について。珀鉛の持つ特色と危険性に関するレポートだった。

 

「まさか、これ、ぜんぶ……?」

「持ち出しは無理って突っぱねられたんだけど、こっちも時間ないしさ、いやコラソンの電伝虫の番号聞くの忘れてた僕も悪いんだけど。しょうがないからこっちの事情話して拷も……必死の話し合いをして資料まるっと平和的にコピーしてもらった」

「いま拷問って言った!」

「いってない。だいじょうぶ、手は出してないからせーふせーふ」

「嘘だー!」

 

 ぜったい嘘だ。ならこの紙のはしっこについている、赤茶けた染みはなんなんだ。

 

「で、研究機関みっつ回って、その間に病院潰してる大男がいるって噂聞いて、それ追いかけて、きたって、わけ」

 

 説明している間にミオの声はだんだん途切れて、間延びしていく。瞳が眠たげに半分伏せられて、うとうとと。

 

「あっこら! 寝るな! 説明しろ!」

 

 肩を掴んでがくがく揺すると、ミオは子供がむずがるみたいにくちびるをへの字にして、なんとか言葉を作り出す。

 

「うえー、えーと、聞き込みしたらあの男の関係者かって、うー、弁償しろ、いわれるし、どくたーにお金はらってすかんぴんで、医者のたいど、むかつくし、それで、だから、ここまで強行軍、で……う、むり。げんかい」

 

 もうむりねむいと両手を上げる。

 後半はもにゃもにゃしていて聞き取りにくく、自分でもなにを言っているのかわかっているのかどうか。

 ごしごし、と目をこすってあくびをもらし、ねむたげな瞳のままミオは肩を掴んでいるローを見た。よくみたら目許にはひどい隈ができている。

 

「これ、たいへんだけど、読んでおいて。ろーならわかること、あるかも」

 

 ローに負けず劣らずの青ざめた顔色で帽子越しに頭を撫でながら、ふわりと微笑んだ。

 

 小さな白い、花みたいに。

 

「ぼく、ばかだから、これくらいしかできなくて、ごめんね」

 

 ふわふわと、おぼつかない口調で紡がれる陳謝の言葉。意識が曖昧なせいかまとまっていなくて、だからこそ本音だと知れた。

 

「ロー、コラソン、いっしょにいさせてね。……おいて、いかないで」

 

 それきり、とうとう限界がきたのかそのままかくんと俯いて動かなくなる。細い寝息が聞こえて、眠ってしまったのだとわかった。

 コラソンは置いてあったコートを取ってきてミオをそっと倒して、かけてやった。

 

「……しばらく寝かせておいてやろう」

 

 ローはなにも言わずに頷いて、紙を無理やりリュックに詰めてジッパーを閉めた。持ち上げようとしたら、子供の体重ではひっくり返りそうなくらい重かった。

 

 もう治らないと、死ぬのだと諦めきっているローに諦めるなとのたまう馬鹿が二人もいる。

 

 言葉だけではなく行動でそれを示してくる。

 コラソンとは別のアプローチで、けれど同じだけの時間をローのために使って駆けずり回っているひとがいた。

 

 それが分かってしまったから、どうしようもなかった。

 

 目の奥が熱くて、喉の奥がひきつる。涙にも温度があるのだと知った。瞼が熱い。たまらずしゃがみこむと視界がゆらゆらと揺れて、地面にいくつも染みができた。コラソンの(はな)を啜る音が聞こえる。

 なんでそっちが泣くんだよと言いたかったが、嗚咽が混じってしまうのが分かっていたので言えなかった。

 

 それからしばらく、泥のように眠りこける少女の横で男二人がべそをかくという、とても人には見せられない光景が展開された。

 

 ミオは本当に疲れきっていたらしく、夕日が落ちる頃になっても起きなかったので、コラソンがおんぶしてひとまずはと自分たちの船に戻ると、その横にしれっと彼女の船が係留されていた。

 船室で寝かせてやろうと船に乗り移ろうとしたら、シュタッと音を立ててローと同じくらいのサイズの黒い蜘蛛が現れてとっさに後じさる。

 

「うおおお!?」

「でっけ、蜘蛛!?」

 

 蜘蛛は声こそ出さないがキチキチと歯を鳴らして警戒しているので、ローとコラソンは迂闊に動くことができず顔を見合わせる。

 すると、その振動と声でミオが目を覚ましてしまった。

 

「あー……船まで運んでくれたんだ。ありがと」

「そんなことより蜘蛛! 蜘蛛が!」

 

 わたわたするコラソンの背中を「まぁまぁ」とミオはなだめるようにぺしぺし叩く。

 

「留守番しててもらったの、僕の相棒なんだ。ただいま軍曹。コラソンとローだよ、よろしくね」

 

 そう言いながら手を振ると軍曹と呼ばれた蜘蛛は、警戒をやめてしばらく二人を見つめるような仕草をしてから、よろしくという感じで片脚を上げた。

 意思疎通ができるのが驚きだが、フクラシグモと聞いてもっと驚いた。

 海王類も捕縛する強靱な糸と、それらを捕食できるだけの強さで知られる蜘蛛だ。

 

「ローはこっちの船おいでよ。夏島でも子供を野外で寝かせるのは、ちょっと」

「ああ」

「おれは!?」

 

 ガビーンとショックを受けるコラソンにミオはちょっとイヤそうな顔をした。

 

「子供連れでその船使い続けたっていうの、ぶっちゃけ引く……」

「引くな! すまん! 時間がなかったんだ!」

「ごめんごめん、冗談。二人でおいで」

 

 けらりと笑ってコラソンの背中から降りたミオはリュックサックを受け取り、そのまま手招きしてくる。コラソンが使ってきた船は、ロープと軍曹の糸でミオの船に繋いでもらった。

 よく見るとこの船はどことなく、くじらに似ている。

 

「この船、名前あるのか?」

 

 ローは以前とはまったく違う気持ちで船に足を踏み入れて、すでに勝手知ったるこの船のことを何も知らないことを思い出した。

 ミオはなぜだかえへへと照れくさそうにはにかみながら答えた。

 

「あるよ、モビーっていうんだ。モビー・ジュニア」

「ふーん?」

 

 ローに続いて船内に入るコラソンがそれを聞いて苦笑していた。

 

「いい名前だな」

 

 そうつぶやいているのが、なぜだか印象に残った。

 

 

 



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じゅーさん.きみわずらい

 

 

 夜になって、美味くないけどまずくないびみょうな腕の料理を披露したら、ローは「なんで上達しねぇんだよ」と文句を垂れて、一口食べたコラソンが懐かしいと言って泣き出した。上達しなくてごめん。

 

「そうだ、なんで今になって飛び出したの?」

 

 追いついた安心感で寝てしまったが、これを聞こうと思っていたのだ。

 レタスの炒め物を食べていたコラソンは口の中のものを呑み込んでから、一度ローと視線を合わせた。ローが頷いたことを確認して、神妙に口を開く。

 

「ローは"Dの一族"だ」

 

 とん汁をすすっていたミオはお椀を置いてちょっと考えてからがおー、と大魔王のポーズ(両手を無意味に前に伸ばす)をした。

 

「Dってこれ? 食べちゃうぞの?」

「それだ」

「は-、えー、実在してたんだあれ。いや、かの『海賊王』がそれだったっけそういえば。それで、あー、そうかそうか。そりゃドフィから離したいか、ろくなことにならなそうだもんね。ふんふん、ふーん」

「勝手に納得してんなよ。なんなんだよ、それ」

「うちの地域の子供を躾けるときの常套句。悪い子はディーが食べちゃうぞって」

 

 ローが頬を膨らませるので適当に説明してやる。

 Dの一族にまつわるなんやかんやを知るまで、ミオの中のディー想像図は某食べちゃうぞの緑色の怪獣だったのだが、割愛。

 

「要はあれだ、ドフィとローはめっちゃ相性悪いってこと」

 

 食事を再開したコラソンが何度も頷き、とん汁を口に含んだ瞬間に噴き出した。すかさず用意しておいたお盆を立てて、おかずをガードする。

 それをぼんやりと見ていたローが、箸を置いてぽつりとつぶやいた。

 

「……おれは化け物かよ」

「さぁ? そういう話があるよってだけだから、どうなんだろうね、実際」

 

 コラソンの噴いた味噌汁を布巾で拭いながら、ものすごく適当かつざっくりした返事をされた。

 それにむっとしてローが口を開くより早く、話が続く。

 

「それに、僕にとってローはローだから、べつに怪物でもモンスターでも化け物でもなんでもいいかなぁ」

 

 日常会話の延長で世間話のように、本当に、心底からなんでもないことのように口にされた言葉だったから、衝撃を受けるひまもなかった。

 反応すらできずに硬直するローに首をひねってから、ミオはコラソンに向き直る。

 

「コラソンだってそうでしょ?」

「もちろん、そうだ」

「だよねぇ。じゃなきゃ、可愛くないくそがきをわざわざ連れ出したりしないし、僕だってこんなあっちゃこっちゃ行かない。理由も動機も、ぜーんぶローだからだよ」

 

 ぜーんぶ、とミオは両手を広げてローをとびきり綺麗な花でも見るみたいに笑った。

 

「ローが可愛くないけどほっとけないくそがきだから、できることをやっただけ。勝手にね。コラソンもそうだと思う。だからさ、そんな情けない顔しないでよ」

 

 そして、ちょうどケトルが甲高い音を響かせる。

 言いたいことは言ったとばかりに、ミオはお茶淹れてくるわと言ってさっさと席を立ってしまった。

 

「……あいつ、馬鹿だろ」

 

 ぐったりとテーブルに身体を預けて頭を抱えたローのか細いつぶやきに、コラソンは視線をあちこちに彷徨わせて、それから口元を苦く吊り上げながらもごもごと言った。

 

「まぁ、その、ああいうひとなんだ、昔から。あー、だからなんだ、うん、諦めてくれ」

 

 

 

×××××

 

 

 

 食後の皿洗いなどを追えたミオは、二人にとりあえずお風呂入ってきなさいとタオルと着替えを押しつけた。

 彼らがこれまで使ってきた船は、ドンキホーテ海賊団の救援用ボートのままで小さく、設備が乏しいからそれもむべなるかな。

 時刻も遅いし、ましてローは珀鉛の影響で徐々に体力が落ちているようだった。なるべく清潔を心がけるべきである。

 

 コラソンはタオルを受け取ったものの「こういうのはレディファーストだろう」と難色を示してきたので、ミオはちょっと考えてから折衷案を出した。

 

「じゃあ、ローと一緒に入る」

「んな!? アホ言うなばか! いいからさっさと行け! ばか!」

 

 瞬間湯沸かし器みたいな勢いで真っ赤になったローに怒られた。よく考えたらローの年齢的に恥ずかしかったかもしれない。悪いことをしてしまった。

 じゃあ先にさっさと入ってくるよ、と告げて浴室に行ったら後ろで「ぶじょくだ。おれ、男なのに」「よしよし、今のはミオが悪かったな。あとで言い聞かせておくからな」という会話が聞こえてきた。交流内容がびみょうである。

 

 なんとなく釈然としないまま浴室に入って身体を洗い、湯船に浸かる。ローはともかく、コラソンは全身つかれるかどうかギリギリだ。

 お湯はぽかぽかして温かく、疲労どころか思考までがとろけていくようだった。うんと身体を伸ばし、心地よさに吐息をもらす。ここまで追いつくのが本当に大変だったのだ。

 

「おあ~……」

 

 だらしない声を上げて、沈思にふける。

 

 ドラム王国から得た情報をもとに、秘密裏に珀鉛に関する研究機関を尋ね回ること約五ヶ月。

 

 表沙汰になった途端に潰されるから資料は渡せないと首を振る研究者をおど……話し合って資料を入手して、渡してもいいがその少年を治験にさせてくれないかとマッドな提案をしてきた博士をしば……そういう考えにいかないように説得して、極めつけはほぼ革命軍寄りの研究所だ。世界政府に反感を抱く研究者となれば予想して当然の流れなのだが、いちばんやばかった。しぬほど苦労した。

 睫毛と顔の濃いおネ、いやおじ、いやいや性別不詳のひとが口を利いてくれなければ無理だったと思う。

 

 資料が役に立つかどうかは、わからない。本当にローの運次第だ。

 

 いい病院というセンは、研究所を回る内にほぼ不可能と悟った。そうなると、悪魔の実に賭けるしかない。

 

 悪魔の実の能力は、万能な魔法でもなんでもない。

 扱うには相応の技術と知識が必要だ。そうなれば、珀鉛に関する資料はローの一助にはなるはずだ。なってくれることを、ただ願う。

 

「……ねむぃ」

 

 昼寝程度で抜けるほどの疲れではないので、身体があたたまるにつれて眠気が襲ってきた。能力者になってから余計に顕著になった気がする。

 このままだと溺れそうなので、のろのろと湯船を出て身体を拭いてから脱衣所でぱんつをはき、バスタオルを肩から提げて適当に水気を抜きながら戻った。

 

「お風呂あいたよ~」

 

 声に気付いたコラソンが「ああ、わるい、な……!?」と顔面を盛大に引きつらせた。

 

「き、キャアアアアアアッ!?」

「どうしたコラソン! って、ウワアアアア!?」

 

 雑巾を裂くような野太い悲鳴にローが飛び込んで来て、同じく奇声をあげた。

 幽霊でも見たような絶叫にびくっとして、寝惚けた頭が覚めてくる。

 

「うぉびっくりした。なんなん二人して」

「ちょ、なんッ、おま、ふく! 着ろ!」

 

 ローが帽子で自分の顔を覆いながら叫んだ。紳士。

 コラソンは慌ててコートをひっつかんで、駆け寄ろうとした挙げ句にスッ転んで大惨事である。

 

「あ、そーかごめんごめん。ねむくて忘れてた。いやー、いつも一人旅だったもんだから、つい」

「自己申告いらねぇよ! 早くしろ!」

「おっふ、そんな怒らんでも。ごめんて」

 

 なだめようと手を伸ばそうとしたら、もはや悪霊退散とか叫ばれそうな勢いだったので、仕方なしに早足で一旦戻って着替えた。

 紳士なのか、どちらもがまだ両手で顔を隠したままだったので「もういいよ」と声をかけたら「姉弟でも男なんだ気を付けてくれ!」「次やったら痴女で訴えるからな!」とやたらと息の合った二人は口々に叱り飛ばしながら風呂に行った。

 

「あったまってきてねー」

「うるせぇ! 分かってるよおたんこなす!」

 

 罵倒のレパートリーばかり増えていくことが悲しい今日この頃。

 

「あ」

 

 ……コラソンとローがお風呂に入ってしばらくした頃、二人が上げた悲鳴の意味に気付いて悪いことしちゃったなぁ、と反省した。

 

 

 

×××××

 

 

 

 思い返せば、ドンキホーテ海賊団が夏島をアジトにしている時も必ず長袖の服を着ていた。

 肌の露出があまり好きではないと言っていたから、そうなのかと思った程度だった。水着になったところを見たことがない。

 

 そして、それをドフラミンゴがからかうこともなかった。

 

 口からほとばしってしまった悲鳴は、決して羞恥と驚愕だけのものではなかった。

 

 愕然としたのだ。

 

 タオルとぱんつでかろうじて局部は隠れていたが、ミオの全身には惨たらしい疵痕が刻まれていた。

 柔らかな風貌に到底似合わない、凄惨な古傷である。拷問跡じみた切り傷や打撲傷に縫合痕。銃創や骨折の痕跡。火傷の痕だろうか、腹には皮膚が変色している箇所も見てとれた。

 

 華奢な体躯に執拗に刻まれたそれらは、海賊という生傷の絶えない環境で受けるそれとは明確に種類が異なっていた。

 父から受け継いだ医療知識がローにそれを教えてしまう。

 

 あれは死なないように丁寧に痛めつけられた──嬲り殺しにされそうになった人間の、傷だ。

 

「あれは昔、おれとドフィと……父を守るためについたんだ」

 

 シャンプーで髪を泡だらけにしながらコラソンがぽつりと言った。懺悔にも似た、舌に針でも刺さっているような声だった。同じ事を考えているのだと、その背中が語る。

 身体は温まっていくのに芯が冷えていくようだった。

 

「なにが、あったんだよ」

 

 ローはドフラミンゴとコラソンとミオの過去を知らない。気にする余裕なんてなかったのだから当然だ。

 それでも、この月日でコラソンの心に触れて、うっかりだとしても凄惨な出来事を思わせるものを見てしまえば、知りたいと思うのもまた当然で。

 

「ぐぉッ! う、その……うちの家系は、あんまり評判がよくねぇんだ。だからバレねぇように暮らしてたんだけどよ、バレて、ひでぇ目にあって」

 

 コラソンはシャワーで泡を流し、シャンプーが目に入ったのか悶絶しながら言葉をこぼした。

 

「そん時ゃ、おれもドフィもまだガキで、どうにもならなくて……ミオが、姉様がおれたちを庇ってくれた。そこから行方不明になって……あとは、悪い、かんべんしてくれ」

 

 たぶんシャンプーのせいだけではない涙目でコラソンは語って、湯船に浸かる。

 一人用の船にしては大きい浴槽だったけれど、コラソンが入るとギリギリだ。お湯があふれて、ローの身体もわずかに浮いた。

 

 コラソンの聞いているこちらの胸がつぶれてしまいそうな声音と、細い身体に刻まれた苛烈な半生を物言わず語る疵痕。そういえばコラソンにも傷が多い。

 

 奇妙なほどの納得と共感があって、ああそうかと思い至る。

 

 ローとコラソンたちは理由こそ違えど、似ているのだ。

 

 だからドフラミンゴは偏見の目を持たずにローを受け入れ、噂に踊らされて拒絶しようとしたジョーラを厳しく叱責した。他のどんな人間よりもまともに扱ってくれたのは、思い込みと無知が生み出す危険性を誰より知悉していたからに他ならない。

 

「……」

 

 身体はさっぱりしたけれど、なんともいえないわだかまりがあって、二人は何も言えずに浴室を出た。

 

 甲板で蜘蛛と一緒に涼んでいたらしいミオがそれに気付いて寄ってきて、今日はもう寝ようよと寝室へ誘う。ベッドは二人に譲るからとさっさと布団に入ろうとするのをコラソンが引き留めて、協議の結果ローとミオでベッドを使い、布団をコラソンが使うことになった。コラソンの体格だとベッドから足がはみ出るのである。

 

「おやすみ」

 

 ぎくしゃくするふたりにミオはちょっとだけ申し訳なさそうに苦笑したけれど、なにも言わなかった。

 ランプの灯が消され、カーテンの隙間からあえかな月光が差し込んでいる。

 

 ベッドはあまり広くないから自然と身体がくっついた。しなやかな硬さが目立つ、けれど柔らかい身体。

 

 低い体温と吐息。響く鼓動。

 

 生きている、とローは思った。当たり前だった。けれど、それは奇跡に等しい『あたりまえ』なのだとローはもう知っている。

 

「ごめんね」

 

 ほろ、と言葉がこぼれた。枕に頬をこすりつけながらミオがローを見つめて眉を八の字にする。

 

「子供に見せちゃ、だめだった」

 

 深い藍色の降りる室内で、その声はとてもしょんぼりと響いた。

 誰かの秘密を知ったとして、それで変わるのは自分の認識と感情だけで、本人が変わるものではない。まして、ミオのそれは彼女自身のせいではないのだ。

 

 横になった身体の、よじれた布の隙間から真珠色の肌に少しだけ見えた疵痕。縫い跡。つみのあと。

 

「……憎く、ないのかよ」

 

 傷から伝わる体験に触れて、ローは素直に聞くことができた。

 その問いに、なぜだろう、ミオはほんのりと微笑んだ。瞳はどこか傷ついているようだったけれど、それを上回る、何か、豊かな感情で潤んでいた。

 

「憎いとかはないんだ、ほんとに。まぁ、時々腹は立ったけど、生きるのにとにかく必死だったし、ろ、コラソンとドフィは生きてるしね」

 

 それに、と続ける。

 

「僕を殺そうとしたのは人だったけど、救おうとしてくれたのも──人だったから」

 

 そうなると恨みようにも恨めないんだ、困るねとミオはひっそり囁いた。ローから外れた視線の先で、何かを懐かしんでいるようだった。

 内緒話のように密やかな声はローの壊れてしまったところに染み込んで、ひりひりするような気持ちをもたらした。

 

 ささやかな波音が遠く聞こえて、濃紺の暗がりの中で自分の手を見つめる。まだまだ小さい手だ。所々に白い痣が浮かび、それがローを責め立てる。

 

 もし、もしも。

 

 ローがとびきり腕のいい医者になったら、あの疵痕を残らず消せるようになるだろうか。

 

 暑い日にプールに行って、人目を憚らず水着になって涼むことができるような。そんな、当たり前のことを考えつきもできないくらい、疵痕との付き合いに『慣れてしまった』ひとに、それを与えることはできないだろうか。

 

 叶いっこない願いがそれでも胸の中ではち切れそうで、ローはその夜夢を見た。

 

 そこにはコラソンがいて、大人になったローがいて、ミオがいた。

 

 果てしなくダサい柄のTシャツを着たミオとコラソンが手を振っていて、ローの横には見たこともないシロクマとツナギを着た若者たちがいた。

 

 

 みんな──笑顔だった。

 

 

 




明日までに完結までアップしてしまいたい…


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ふたりの泣殻

 

 

 

 ミオが合流してから三人の旅路はぐっと楽になった。

 

 船の設備もさることながら、一人旅のために白ひげの航海士から厳しい薫陶を受けたミオがいれば海の変化を敏感に察して相談することができるからだ。

 夕方、島での買い出しも済ませたから先に進もうと言うコラソンに、ミオは見張り台から南の空を見て、渡り飛ぶ鳥の飛ぶ高さを確認してから甲板に降りて、苦い顔をしてから首を振った。

 

「出発するなら明日の朝にしよう。たぶん、小さいけど嵐が来る」

 

 越えられないことはないだろうけど、リスクを背負うよりも一晩やり過ごして安全に行く方がいいと思うと言って、全員で船室に戻った。

 

 コラソンが料理を作るとキッチンが殺人現場みたいになるので、ミオとローで夕飯を作って食べているとにわかに風の音が騒がしくなる。扉に叩き付けてくる音を聞きながら明日にして正解だったなと頷きあった。

 

 それから、リビングとして使用している部屋に据えられたソファで、ローは軍曹を背もたれにしながら例の資料を食い入るように読み込んでいた。

 ミオが持ち込んでからこっち、ローは空いた時間をひたすらに資料を頭に叩き込む作業に注ぎ込んでいた。

 紙束にはいくつもの付箋が貼られ、気になる部分には線を引いて、種別分けされた束がそここに積まれている。さながら受験生か、それこそ医学研究生のようだ。

 

「やっぱり難しい?」

「走り書きの解読はちょっと面倒だ。けど、読めないわけじゃない」

 

 ローの両親は本当に優秀な医学者だったので、幼い頃からそれらの技術と知識に触れてきたローにとって、医学論文の解読は馴染み深いものでもあった。

 ミオはそんなローの向かいで床に敷いたクッションに座り込んで、裁縫道具を持ち出してコラソンの服になにやら縫い付けている。

 

「その服、ほつれてるところなんてあったか?」

「ほつれてないけど、ちょっと予防策というか最近物騒なので色々と。ほら、コラソンって肝心な時にドジ踏むから」

「ふーん?」

 

 喋りながら、淀みなく動く針と糸。刺繍のようにも見えたのだが、少し違うらしい。

 冬島が近いので火を入れたストーブの上には、薬缶が据えられて羽毛のような湯気をしゅんしゅんと吐き出している。

 

 ちなみにコラソンはソファの下で、こちらはクッションを枕にして爆睡している。彼も子供を守りながらの旅で相当に疲労していたのだろう。ローのことを任せられる人間が傍にいるというのは、大きい。

 ぐっすり休むというのと睡眠を取るというのは意味が違う。何かを警戒せずに眠れるという贅沢を思うさま享受しているようだった。

 

「一段落したら教えて。お茶にしよう」

「ほうじ茶な」

「うん、了解。そのときはコラソンも起こさないと。さびしがるから」

「……ん」

 

 しばらくは、時折聞こえる物凄いいびき以外は静かなものだった。ほっこりと暖かい船室。ぱちりぱちりと薪が爆ぜる音。

 

 興が乗ったのか口が暇なのか、小さな鼻歌。

 

 本当にささやかな声でうるさくはなかったから、ローは指摘しなかった。きっと指摘したらやめてしまう。それはなんとなく、もったいなかった。

 

 人の気配はあるけれど、それが互いの邪魔をすることはない。誰も自分を傷つけない。穏やかに流れる時間は心地がよかった。

 

 ミオが追加で参加するまでの間の二人旅で、ローの心には変化が起きつつあった。

 コラソンは誰より真剣に治療法を求め、ローへ向けられる悪意に誰より強く憤慨した。諦観と破壊衝動の塊だった心に、そんな行動のひとつひとつが波紋を起こしている。

 

 すでに何もかもに倦み疲れ、諦めきっている子供を叱咤して無理やりにでも引っ張り回して行動し続けるのは何故だろうか。普通の大人ならばとっくに諦めているのに、コラソンにはそんな気配がちっともない。

 

 

 その理由を知りたいと、少し思う。

 

 

 

×××××

 

 

 

 合流してからもコラソンはローを連れていくつか病院行脚をした。

 その病院はいずれも有名であったし、まだ希望を捨て切れていないせいでもあった。

 それでも対応はこれまでとほぼ変わらなくて、やれホワイトモンスターだあっちにいけと罵る声に素早くローの耳を塞いだミオは「そりゃ、火つけるわ」と顔をしかめていた。

 

「何をやってんだおれは……、」

 

 藍色に染まる空にひとつの月。

 

 明るく滲む月光の下でコラソンは物憂げにつぶやいた。

 服が汚れるのも構わずワインをラッパ飲みして、これまで後生大事に持っていた病院までの海図や資料をまとめて海にばらまいた。

 背後で聞こえるローの細い寝息。船までは距離があるからと今日は野宿だ。

 

「悲劇の町に生まれたガキに、散々悲劇を思い出させて……結果、少しもよくなりゃしねェ……!!」

 

 自分の無力を痛感させられる。どうにもならないことは世界にいくらでも転がっていることは知っていても、どうにかしてやりたかった。

 だから足掻いて、もがいて、けれど結果はついてきてくれない。

 

「"D"のためか?いや、それはもうどうでもいい……」

 

 自問して首を振る。そんなことはどうでもいいのだ、本当に。

 

「おれはずっと、同情してた……。傷つけるだけのこんなバカに、言われたくねぇだろうが」

 

 寝こけるローに近付いて、寝相ではだけてしまった毛布をかけ直してやる。白い痣はずいぶん増えてしまった。それが痛々しくて、ひどく悲しい。

 なにひとつしてやれないことが、情けなくてたまらなかった。身体は大きくなったのに、心はいつまでもガキのまま成長できていない気がした。

 

「まだ幼いクソガキがよ、「おれはもう死ぬ」なんて、かわいそうで……」

 

 あどけない寝顔に浮き上がる白。

 ぬぐっても消えない絵の具のようなそれが、コラソンにも突き刺さってぎりぎりと締め付けてくる。

 

「あん時おまえ、おれを刺したけど──」

 

 それは世界でいちばん優しい懺悔で、慟哭だった。

 

「痛くもなかった」

 

 あの熱さと痛みはそのままローの叫びだと思った。

 

 助けて、と言われた気がしたのだ。

 

「痛ェのは、おまえの方だったよな……ッ」

 

 けれどコラソンにはそれすらできない。悔しくて、苦しくて、たまらない。

 声がふるえて、涙が止まらなかった。

 

「かわいそうによお……っ、ロー……!」

 

 同情なんてされたくないだろう。わかっている。だけど無理だ。

 これ以上泣くとローが起きてしまう。

 視界がぐにゃぐにゃ歪む中で距離を取ろうとしたら、小石を踏んで思い切り転んだ。脳天を打って悶絶していたら、ふと影が差す。

 

「あ、また転んでる」

 

 薪をもったミオが自分の顔を覗き込んだ。涙について言及しなかったが、その顔は笑みのかたちだったけれど痛々しく、きっとコラソンと同じ気持ちなのだと分かった。

 転んで仰向けになっているコラソンを起こさずに、ミオは薪を置いて上を見上げた。滲むような月と、星屑の腕。

 

「……僕はね、ローに僕の寿命をあげられたらいいのにって、ずっと思ってた」

 

 小さな背でせいいっぱい、踵を持ち上げてうんと背伸びをして両手を伸ばす。

 

「だってほんとはあの時死んでた。でも死に損なった。生きて欲しいって願ってくれたひとはとっくにいなくなってて、でも、大きくなったコラソンたちにもこうして会えた」

 

 伸ばした指先はなにも掠めずむなしく揺れて、訥々と零れる言葉が、雨のようにコラソンの心を打つ。

 

「一緒にはいられなかったけど、二人は立派に自分の道を見つけてて、すごく安心したんだ。それでローに会って、申し訳なくてしょうがなかった」

 

 その気持ちは、コラソンにも少しわかる。

 己の命の終わりを知っている子供の前に立ったとき、未来がそこにあると変わらず思える自分にひどくもどかしい思いを抱くときがあった。

 ミオはコラソンには視線を向けずに、ただ空を見上げ、誓いのように宣誓する。

 

「だから、この拾った命をまるっとローのために使いたい。僕はじゅうぶん生きたよ。寿命も、未来も、ぜんぶあげて、幸せになってほしい」

 

 心臓のあたりに手を乗せて語る言の葉はひたむきで、まっすぐだった。

 こわいくらいに。

 

「けど、姉様」

 

 その時、ロシナンテは本当に自分が幼い頃に戻ったような気持ちで素直につぶやいた。

 

「そんなことしたら、ローもおれも泣くよ」

「うん、でもローがいなくなったらコラソンも僕も泣いちゃうよ。さびしくて」

 

 ままならないなぁ、とこぼす声は弱々しくかすれていて、ああ哭いているのだと思う。

 

 泣くことがひどく下手くそな姉の代わりに、月のこぼした涙のような星屑がこえなき声で嗚咽していた。

 

 

 

×××××

 

 

 

 大人たちの韜晦の言葉を、ローはすべて聞いていた。

 

 コラソンの理由は同情で、行動は親愛で、結論は慈愛だった。

 

 砕けて散ったはずの心がかたちを作っていく。

 コラソンの涙で芽吹いた感情が猛烈な勢いで育っていくのがわかった。ツギハギだらけの心が暖かいものでくるまれて、大切なもので満ちていく。

 ぽろぽろと、堰を切ったように、双眸から涙が零れてくる。頬を伝って毛布を濡らし、それでも止まる気配がない。

 

 たったひとりの、なにも持っていない少年のために恥も外聞もなく走り回るひとたちがいる。ローのために怒って悲しんで無力さに悔しいと、泣いてくれている。

 

 そんなひたむきな思いをすべて無視して、どうしようもないことだからと諦め続けるのは、なにか、とてもひどいことをしているように思えた。

 

「──、ぐす……!」

 

 こっそり洟を啜ると、頬があたたかいものに包まれた。おなかの辺りに細い腕が回ってミオだとわかる。

 触れる温度はいつもより高い。どうしてかはもう知っている。ローは寝惚けたふりをして胸の辺りに顔を埋めた。服に涙が染みていくのがちょっぴり申し訳なかったけど石鹸と埃とひなたの匂いがして、いっぱいに吸い込んだら冷え冷えとした淋しさがどこかに消えて行くようだった。

 

 そんな二人を守るようにコラソンが寄り添って、大きく腕を伸ばして抱きすくめた。

 息苦しささえ感じるくらいの窮屈さだけど、いやな感じはこれっぽっちもしない。煙草の匂いが混じってお互いの体温が毛布の中で曖昧になっていく。まるでひとつの生き物になったみたいで、安らぎに全身が包まれていく。

 

「おやすみ、ロー」

 

 夢寐にとろけるほどささやかな声で、聞き逃さなかったのが不思議なほどだった。

 

 ローはもう、とっくにひとりぼっちじゃなかった。

 

 目眩のような息苦しさを感じて毛布の上からこっそりと胸のあたりを掴む。もうあまり時間は残っていない。知っている。だけど、その残された時間すべてを二人のために使いたいと思った。

 

 それは、目に付くもの全てを壊すよりも──ずっとずっと大事なことだった。

 

 翌朝、しょぼつく目をこすりながら身体を起こすとミオが先に起きていて、屈伸運動をしながら朝食の準備をするからコラソンを頼むねと言い置いて、どこかへ行ってしまった。

 

 たぶん魚でも捕りに行ったのだと思う。

 アジト以外で会ったことがなかったから知らなかったが、彼女は大した野生児なのだ。

 

 爆睡しているコラソンの頬をひっぱったりしてみたが、ちっとも起きる気配がない。その間に思いついて、口の中でずっと言おうと思っていた言葉を転がして練習する。

 

「こらさん、コラさん……うん、よし」

 

ぷるるる……

 

 

ローは、コラソンの荷物の中から音がしていることに気が付いた。

 

 

 

 



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じゅーよん.よろしい、ならば

 

 

 

 追加の薪と捕獲した魚を手に戻ったら、ぷるぷる鳴く電伝虫をほったらかしにしてコラソンがローを高い高いしながらぐるぐる回っていた。

なんだろうこの状況。

 

「カオスだ!」

「おっ、ミオ! 聞いてくれ!」

 

 喜色満面のコラソンが気付いて、ローを振り回しながら駆け寄ってくる。ぬいぐるみのようだ。

 ローは体格の問題でぶんぶん振り回されながらもそっぽを向いているけれど、その頬は照れているのかじゃっかん赤い。なんだなんだ可愛いな。

 

「ローがおれのこと、コラさんって呼んでくれた!」

「マジ!? よかったねコラソン! おめでとう!」

 

 それはめでたい。

 全力で喜びを表現しているコラソンと、魚を持ったままバンザイしたら「バカばっかりか! 電伝虫出ろって言ってるだろ!」と宙ぶらりんのローが怒鳴ってきた。

 電伝虫はじゃっかん疲れたような顔つきでぷるぷる言っているので、ひょっとしたらかなりの時間放置されていたのかもしれない。

 

 コラソンはいかにもしぶしぶ、といった体でローを下ろしながら「照れちゃって!」とか言いつつ上機嫌で電伝虫を取る。

 

『──おれだ、コラソン』

 

 聞き覚えのあるテノールボイス。響いた途端、コラソンの表情がびきりと強ばった。

 ドフィの声に、今までも浮かれきった空気がまとめて吹っ飛ぶ。そういえば、コラソンは喋れない設定で電伝虫をどうしていたのだろうか。スカイプみたいに相手の顔も見えないし。

 

『コラソン、おまえだな?』

 

 なんて思っていたら、コラソンはあぐらをかいて返事の代わりに電伝虫の頭を指先で叩く。

 トントントン、と三回。どうやらモールス信号のような感じで通話しているらしい。

 

『そうか、おまえらが飛び出してもう半年だ……ローも一緒か?』

 

 イエス。

 

『そうか、二人共無事で何よりだ。いい医者はいたのか?』

 

 これにはノー。二回叩く。

 

『──だろうな、ローを連れて船に戻れ。病気を治せるかもしれない』

 

 それは、どういう意味だろう?

 

 横で聞いていると、『オペオペの実』の情報を手に入れたのだとドフィが語った。

 コラソンの表情が驚きに変わり、こちらと顔を見合わせる。たぶん僕の顔も超びっくりしているだろう。世に知られている悪魔の実の中でもローを治せる可能性の最も高い実の名前なのだ。

 

 もちろん、こっちの反応なんか見えないので話は続く。

 海軍に巨額の金を提示された、価値を知らないバカな海賊が取引に応じるらしい。必ず政府が裏で糸を引いていて危険だろうが、これを奪うと。

 

『手に入れたら『能力の性質上』、最も信頼出来る人間が食う必要がある』

 

 ドフィの笑みが電伝虫越しでも深くなるのが、わかった。

 

『おまえが食え、コラソン──そしてローの病気を治すんだ』

「!」

 

 その言い方はどこかコラソンを試しているようで、内心うーんこれはと顔をしかめる。コラソンのこと、ひょっとして勘付いたか?

 僕はコラソンが海兵でドフィが海賊だと知っているが、それをどうこう言ったことは一度もない。二人が選んだ人生だから、それに口を挟むのは違うだろというのがその理由だ。

 

 二人の邪魔はしないけど、ちょっとした手助けはする。そういうスタンス。

 

 ドフィはオペオペの実強奪のための算段を、日付から場所まで微に入り細に穿ちとうとうと語り、最後に。

 

『それと……ミオ、そこにいるだろ』

「いるよー、なに?」

 

 ドフィから口頭で説明された内容を必死でメモっているコラソンから、ひょいと受話器を持ち上げて返事をする。

 

 コラソンたちを追いかけ始めてから、あっちこっちの国を回っていたのでドンキホーテ海賊団には一度も寄っていない。

 たまに電伝虫に連絡が入ってきたのだけど、大抵タイミングが悪くて「いま忙しいからあとで!」つってガチャ切りしていた。わりとひどいことをしている自覚はある。しかし反省はしていない。

 

『おれよりコラソンを取るとは……フフ、さすがのおれも傷つくぜ?』

「コラソンとローのコンビ旅とか心配の塊、そりゃ追いかけるって。追いつくのにめっっちゃ時間かかったけど。しかもドフィの電伝虫、タイミングくっそ悪いんだよ! おかげでエターナルポース一個割れたんですけど、弁償してくれませんかねぇ? ドラム王国のやつ」

 

 ちなみにドフィタイミング悪いランキングワーストは、海賊に襲撃されている真っ最中にかかってきたやつ。それでエターナルポースが壊れた。入手するのすごく大変だったのに。

 矢継ぎ早に文句をつけると、電伝虫の顔がじゃっかん歪んだ。心なし申し訳なさそう。

 

『あー、うちにドラムのエターナルポースはねぇな……』

「そっち闇取引ばっかだもんね。健全な取引はお呼びじゃないんですよねー、わかりますー」

 

 思い出してやさぐれてきたので、イヤミを込めてぶぅぶぅ言うと『それよりも、だ』と話を変えられた。ちっ。

 

『これ以上ご無沙汰していると、デリンジャーに顔を忘れられるぞ?』

「ええー、それは困るけど……ローとコラソン心配だから、しばらく顔出すのはむりかな」

 

 ドンキホーテ海賊団に身を置いている以上、子供たちの身の安全だけは保障されている。それなら先行きが不安な方につくのは当たり前である。

 僕はドフィの不満げな沈黙をあえて気にせず受話器に向かって続けた。

 

「それより、コラソンにオペオペの実食わせるって……本気で言ってる?」

『ああ、実の弟に食べさせるのに、なにか、不安要素でもあるのか?』

 

 えらい意味ありげに区切りながら問いかけてくるが、不安要素があるのかって、そりゃあ……ありまくりですよ。むしろ不安要素しかない。

 それは、僕よりドフィの方がよっぽど分かっていると思うのだけど。本人も認めた公認であるからして。

 

「いや、だって、コラソン……ドジッ子じゃん」

『あん?』

「コラソンだよ? 立てば転ぶし座れば火災、歩けば惨事のドジッ子ラソンだよ? 神がかり的なタイミングでドジをやらかすコラソンにオペオペの実なんて……本当にいいの? 後悔しない?」

『……』

 

 ドフィが電伝虫でもわかる物凄い形相で黙り込み、コラソンが半べそになっているのをローが必死で慰めている。ごめん、でも言わせてくれ。

 手術とか医療とか、繊細な作業の目白押しです。それを、日常生活においてあれだけドジをかますコラソンに与えるなんて、どう考えてもヤバい。ひとのいのちの危険が危ない。

 

「これ以上はコラソンの名誉を毀損しそうだから言わないけど、ドフィならお姉ちゃんの心配をわかってくれるものと期待します」

 

 確かにべつの人が絡むとドジは減るのだけど、皆無というワケではないので、ミリ以下のミスで人の命を左右する重要な仕事に関わる実を食べさせるって、どうよ。

 いやコラソンはもう能力者なのでおかわりは不可能なのですが。

 

 そんなことを考えていると、しばらくの沈黙ののち、ドフィが意外なことを言い始めた。

 

『フッフ、そうだな、確かにコラソンはドジッ子だ。なら、おまえが食べてもいいんだぜ?』

「はあああ?」

 

 おいおいなんの冗談だ。

 

 予想の斜め上にかっ飛ばしたことを言われて、眉間に皺が寄るのが分かった。いきなり何を言い出しているんだいマイブラザー。

 

「僕が? オペオペの実を? そもそもドンキホーテ海賊団ですらない、いち賞金稼ぎに渡してどーすんの」

『お前はおれを裏切らない』

 

 まるで、それが最も重要であると誰かに言い聞かせるように。

 

『信頼には信頼で応え、道義に悖る真似は絶対にしない。ミオのことはおれが一番よく知っている。食うのがお前でも文句はねぇさ。それならそれで、使いようもある』

 

 使いようとは言ってくれる。

 

 横でメモを書いていたコラソンの動きがぴたりと止まり、指で×印を作りながらこちらへ向けた。

 迷うような、すがるようなコラソンの眼差しにローもつられるようにこちらを見ていて……あ、そうか。

 お土産の保存のために便利に使っていたけれど、結局コラソンを含むドフィたちの前で、自分の能力を見せたことがない。引き継ぎの能力者が悪魔の実を食べると、どうなるのだろう? 考えたことなかった。

 

『オペオペの実は、人体改造能力の最北端……使いこなせばローの病気どころか、あらゆる難病奇病を治せる奇跡の手術ができるようになるだろう』

 

 それに、とつぶやくドフィの声は笑みを含んで甘く、したたるような毒に満ちているようだった。

 

『──その身体の疵を』

 

──けれど。

 

『消したいとは、思わないか?』

 

 言葉の衝撃でぼんやりした。

 

 なに、言ってるの。

 

 なにいってんの?

 

 僕のことは一番よく知っているとのたまったくせに、その口で、それを言うのか。

 頭の芯が熱くなるのを感じた。あるいは冷たく沈むのを。

 

「思わねぇよ」

 

 受話器を割れそうなほどつよく握りしめて、吐き捨てた。

 

「ばっかじゃねぇの」

 

 

 

×××××

 

 

 

『──その身体の疵を消したいとは、思わないか?』

 

 受話器を持っている手が凍り付くのがローにも分かった。

 

 華奢な身体に刻まれた凄惨な疵痕をローもコラソンも知っている。いくら気にしていない風を装っていたって、着替えるたびに目に映ってしまうだろう。

 ローの白い痣のように、逃げることもできないのだ。少女が持つには惨いそれを消したいと願っていたとて、誰も彼女を責められない。

 

 そう、二人は思っていたのだけど。

 

「──」

 

 ドフラミンゴの言葉にミオの顔から血の気が引いて、直後、溢れかえったのは濃厚な怒気と果てしない悲嘆。それはローが今まで一度だって感じたことのない感情の奔流だった。咲き誇る花が残らず枯れ落ちるような、死の匂い、虚無の気配、どこまでも空っぽなのにひたすらに強い、心臓が縮むような圧力だった。

 

 総毛立ち、ローは思わず数歩後じさる。全身から冷たい汗が噴き出して、小刻みに震えるのを抑えられない。

 腰が抜けてしまいそうで、思わずコラソンにしがみつくと彼も無意識にかローを守るように抱きしめる。

 

 表情という表情すべてが抜け落ちたまま、ミオが口をひらいた。

 

「思わねぇよ」

 

 唾でも吐くような言い方だった。

 

「ばっかじゃねぇの」

 

 心底の侮蔑がこもった声だった。

 

 ドフラミンゴが次の言葉を発する前にミオは受話器を落とした。ガチャンと音を立てて通話が切れる。

 

 ミオはその場でずるずるとかがんでうずくまり、ふーっ、ふーっ、と猫が威嚇するような呼気を漏らす。暴れそうになるのを決死の思いで抑えているようだった。

 めまぐるしいまでの感情の変化についていけず、コラソンとローは抱き合ったままミオの奇行を見ているしかない。

 

「うがああ! むっかつく!」

 

ゴンッ!

 

 満身の力をこめて振り上げられた拳が、えげつない音を立てて地面に叩き付けられる。草がめくれ上がり、土が露出した。

 びくっと二人が肩をそびやかすが構う余裕がないのか、がんごんがんと少女が出したらやばい音を響かせつつ拳で地面を抉りながら、ミオは怒鳴り散らした。

 

「ふっざけんなあの野郎! あああむかつく腹立つ頭にくる! よりにもよって! ドフィが! それを言うのかよッ!!」

 

 土だらけの手でぐしゃぐしゃぐしゃっと頭をかきむしり、子供みたいにわめき散らす。

 それはいつもお姉さん然として飄々と笑っている様子ばかりが目立つのミオの、始めて見るかもしれない強烈な感情の吐露だった。

 

「ローのためならなんでもするよ! 当たり前だ! だけど、僕は、自分の傷を消したいと思ったことなんて、一度もない! ねぇよそんなの!」

 

 ここにいないドフラミンゴにぶつけるように言葉を放つ。

 怒りすぎてなのか、目に涙すら浮かべて吼えた。

 

「あるわけないだろ! 汚くたって、好きじゃなくたって──誇りで、自慢だ! 傷も痛みもぜんぶぜんぶ、僕のものだ!」

 

 悲痛なまでの魂の叫びだった。

 

 けれど、暗闇の中で星がひととき壮烈に輝くような、それは宣戦布告だった。

 

 放たれた怒号に貫かれるように、コラソンは理解した。

 

 ドフラミンゴはそうと知らずミオの逆鱗の触れた。

 無遠慮にかきむしり、虚仮にしたのだ。ミオはあの疵痕を厭ってなどいない。人が見てしまうとイヤな気持ちになってしまうだろうから、と分別をつけているから普段は適当に隠していただけだ。

 

 あの傷は、ミオの生きてきた矜持そのもので、証なのだ。

 

 それをよりにもよって、ドフラミンゴが突いてしまった。

 本人の希望を質すような物言いは、そのまま相手を貶すのと同義だった。致命的なまでの認識の差異を理解していなかった。

 

 すなおにローのために実を食ってくれと言えば悩んだだろう。自分を不老不死にしてくれと言われたら、考えたかもしれない。だが、その選択はドフラミンゴ自らの手で潰してしまった。

 

「うう、も、ドフィなんかきらい」

 

 もう一度、きらいだとうめいて、ふらふらと座り込む。

 

「人が思ったこともないことを、したり顔でよくもまぁ……」

 

 散々叫んで疲れたのか項垂れて、それからはっとした顔で『おろ、おろ』と手元を動かした。

 

「あ、わ、わぁ、ごめんコラソン。電伝虫切っちゃった。どうしよう、かけ直す?」

「くくっ。いいよ、大丈夫だ」

 

 こんな時なのに、コラソンは笑ってしまった。

 腹の奥が愉快でたまらない。ざまぁみろとすら思う。我欲だけで動くからこうなるのだ。ミオは平素から利他的で優しくお人好しだが、決して譲れないものがあることをコラソンは知っている。

 

 侵そうとする人間は、それが誰であろうと絶対に容赦しないことも。

 

「喜べロー! 生きられる可能性はある! 医者なんかもういい!」

 

 浮かれた気持ちのまま、足にしがみついて事の成り行きを見守っていたローを持ち上げてぐるぐる回る。唐突な展開できょとんとした顔で頭に疑問符を量産しているローにできる限りで説明した。

 悪魔の実は便利な魔法じゃないから、扱うには相応の知識がいる。それならローが食べるのにうってつけだ。

 

「おれ? ドフラミンゴはコラさんかミオに食わせるって……」

「悪魔の実は二つ食えば死んじまう。ドフィはおれが能力者だと知らねェからそう言ったんだ。それに、ミオは」

 

 ちらと様子を窺うと、案の定ミオは怒りを引き摺っているのか猛烈にイヤそうな顔をしてから、取り繕うようににこりと笑った。

 

「食べるくらいならローに食べさせるし、それが不可能ならドフィの目の前で海に捨てる」

 

 絶対に食べない、という決意がありありと見えた。ローの命に関わることなのでそんなに勢いよく素振りをしないで欲しい。笑顔だがちっとも笑っていないのがよくわかる。

 今の怒髪天を衝く様子を見ていればだよな、という相槌しか打てない。

 

「おれもお前も、もうファミリーには戻らない! この旅が長引いた時から、そう決めてた」

 

 再会したときからコラソンが海兵だということをミオは知っているが、ドフラミンゴを含め誰にも漏らしていないことも、よく知っている。

 

 けれど今回の旅路は長すぎた。

 海軍への定期連絡も途絶えているから、襲撃の回数も激減しているはずだ。ドフラミンゴはコラソンをファミリー内の裏切り者と見抜いているだろう。

 

 『オペオペの実を食わせる』ということは、なにも病気快癒のためだけではない。

 能力者の命と引き替えに、不老不死をもたらすと言われる実である。自分を使って、ドフラミンゴが永遠の命を得るというハラなのだろう。

 

「いいか、ドフィたちを出し抜き! オペオペの実はおれ達が横取りするんだ!」

 

 コラソンはローの肩を力強く掴んだ。

 

「実はおまえが食え! 病気が無事治ったら二人でどこかに身を隠そう!」

「あ、それなら一緒に賞金稼ぎやろう! 楽しいよ!」

 

うってかわって楽しそうに挙手する顔は期待でわくわくしていて、コラソンも嬉しくなってミオとローを抱えてぎゅうぎゅうと抱き締める。

 

「うっぷ! おいコラさん!」

「そりゃいいな! 絶対に楽しいぞ!」

「でしょ! うん、それでさ、」

 

 コラソンのコートに半ば埋まりそうになるローが潰れた声をあげて、隣のミオの笑顔に剣呑なものが混じったのが分かった。

 これは知っている。

 なにかろくでもない悪戯を思いついた時のものだ。

 

「ドフィたちの取引前に当の海賊が『運悪く』、『賞金稼ぎ』に襲われたってそれはしょうがないことだよね? 海賊と賞金稼ぎは、そういう関係だから」

「は」

 

 おいおいちょっと待ってくれ。

 

 どうやらこの小さな姉は表面上落ち着いて見えるがその実、相当なおかんむりだったらしい。

 ちょっと大人しいのは、目の前にドフラミンゴがいなくて叫び疲れただけだったのか。コラソンの想像を遙かに超えてろくでもないことを考えている。

 

「それで乱戦の最中に『おたから』が行方不明になったってしょうがないし、それを偶然手に入れちゃったひとがどうしたって、そのひとの自由だよね?」

 

 冗談めかしてむふー、と小鼻を膨らまして胸を張っているのに、声は真剣そのものでぞわりと鳥肌が立った。

 

「おい、それは……」

 

 海賊と賞金稼ぎの関係性のみに焦点を絞れば正当な行為だが、ミオの立場からいえば明らかにドフラミンゴを裏切る行為だ。

 

 海賊と、賞金稼ぎ。

 本人のバランス能力でぎりぎり保ってきた危うい綱渡りのような生活を、自分で捨て去るということに他ならない。

 現に今、ドフラミンゴはコラソンに計画内容を言って聞かせて、ミオはそれを傍らで聞いていた。ドフラミンゴはそれを知っている。意図的に『不運な事故』を装ったとしたって、真っ先に疑われることになるだろう。

 

 そういった懸念があったのだが、ミオは清々しいほどはっきりと言い放った。

 

「ドフィはさ、ド級のケンカ売ってきたんだよ? そりゃもう高く買うよ? 買っちゃうよ? お値段的には、悪魔の実をポーンと買えるくらい」

「お、おう」

 

 完全に真顔だったので思わず頷いてしまった。

 

「ドフィを、ドフラミンゴをめっためたにへこましたい。けちょんけちょんにして吠え面かかせてやりたい。当分は会いたくないけど、とりあえず慰謝料としてオペオペの実は頂いちゃおう。ふんだ」

 

 ふんだ、とか可愛らしく言っているがその目つきはどこまでも本気のそれで、直感的にこれはヤバいと感じた。横のローもじゃっかん引いている。

 幼児期にドフラミンゴが癇癪起こして、奴隷を撃ち殺そうとした時と同じ目つきをしていた。否、当時以上かもしれない。

 

 あの時、ミオはドフラミンゴを全力でひっぱたいてから耳を掴んで両親の元に連行していた。

 

 ここまで怒っている姉を、コラソンは初めて見た。

 

 たぶん、自分のことを云々もあるが、ローの命をダシに使うような真似が、心底許せなかったのだろう。

 どうやって止めても、止まりっこないことを理解させられた。

 

「……わかった。とにかく、おれのツテで詳しい情報を聞いてみるから」

「っしゃあ! そうこなくっちゃ! コラソンらぶ!」

「らぶかぁ」

 

 ノリノリでガッツポーズを作るミオの頭を宥めるようによしよしと撫でて一旦離れ、出航の準備をしておいてくれと言い置いて電伝虫に慣れた番号をプッシュした。

 

 

 



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じゅーご.嵐と選択

 

 

 

「フッフフ、怒らせちまった」

 

 底冷えするような声で、語彙力のない罵倒をもらした電伝虫がガチャリと切れて、ドフラミンゴは肩をそびやかした。コラソンの反応をみるついでの、ほんの余録のようなものだったのだが、思いの外怒らせてしまったようだ。

 ……実際は怒らせたどころかガチギレさせたのだが、幸か不幸かドフラミンゴはそのことを知らない。

 

 しかしおふざけはここまでだ。

 切れた電伝虫の前で気を取り直し、背後の幹部たちに問いかける。

 

「お前ら、どう考えてる?」

 

 以前から執拗にドンキホーテ海賊団を目の敵にしてきた海軍からの襲撃が最近、鳴りを潜めている。そしてそれはコラソンがローを連れて家出してから、これまでの期間とぴたりと一致するのだ。

 

「それまで、あいつが軍に情報を流してたってのか?」

「ウハハハ! 偶然かもしれねェ」

「そう願いたいもんだ。おれも疑いたくはねェよ……実の弟だ」

 

 ピーカとディアマンテの言葉にそう返した。

 そうだ、なにも疑いたいワケではない。コラソンは実の弟だ。だが、状況証拠と第六感に訴える感覚が、ドンキホーテ海賊団に入り込む虫の正体がコイツだと告げてくるのだ。

 

 ミオに関しては、どうせコラソンにくっついているだろうと思っていたので、行動を制限するつもりはない。なにせ、ミオは賞金稼ぎの浮草稼業。ファミリーだの『血の掟』だのは一切の関係がない。

 正直すぎるツッコミでちょっと悩んでしまったが、コラソンに実を食わせると言ったのは一種の賭けだ。

 ……確かに本当に食べさせるかどうかは考えた方が、いいか?

 

 そう、ただドフラミンゴは行動で証を立てて欲しいだけなのだ。

 

 コラソンはドンキホーテ・ドフラミンゴの弟なのだということを。

 

 

 

×××××

 

 

 

 コラソンのぼそぼそと話す声を半ば聞き流しながら荷物を手早くまとめていて、手が止まる。

 

 違和感が、あった。

 

 後方で毛布を片付けているはずの、ローの音がしない。

 

「ロー?」

 

 返事がこない。

 無性に胸騒ぎがして振り向くと、ローは毛布に突っ伏すような姿勢で動いていなかった。

 

「ロー!!」

 

 ちょうど通話を終えたらしいコラソンが異常に気付き、ローに駆けよって抱き起こす。

 

「おい、お前……ウソだろ!? しっかりしろ!」

「! 揺らしちゃだめ!」

 

 咄嗟に言ってミオもローのもとに飛び出した。コラソンの抱き寄せた華奢な肩に触れて──絶句する。

 

 異様に、熱い。

 

 慌てて顔を覗き込むと、ローは耳の先まで紅潮させて、ぐったりと脱力している。白い痣の部分だけが浮き上がるようで、あきらかに尋常ではない。

 

「やべぇ、熱がある……どうしたらいいんだ! 医者はどいつもこいつも使えねぇし……」

「コラソン、落ち着いて」

 

 ミオはオロオロと視線を彷徨わせるコラソンの後ろ頭を、落ち着かせるために一発はたいた。

 衝撃で目を白黒させるコラソンに構わず、ミオはローの頬に手の甲をそっと当てた。濡れているのは、ひどく汗をかいているせいか。

 

「ロー、ロー、わかる?」

「あ、う──」

 

 ローは薄目を開いて、こちらに焦点を向けたのが分かった。

 意識はあるようだが、朦朧としているらしい。反応はにぶく、頼りなかった。

 

「コラ、さん……?」

 

 熱に浮かされ潤んだローの瞳がコラソンを認識して、少し和らいだようだった。

 けれど呼吸は荒くて安定せず、身体に痛みがあるのか時々苦悶の表情を見せる。これまでの旅で溜まった疲れやストレスは、小さな身体では抱えきれないほどの負担をかけていた。

 風邪をこじらせたというより──病状の進行とみる方が妥当か。

 

「どうすりゃいい! 教えてくれ!」

「とにかく船に運ぼう。荷物は持つから、コラソンがローを運んで。揺らさないように」

「ああ、ああ!」

 

 一度、コラソンはローをつよく抱き締めてから柔らかく持ち上げる。それこそ、脆い細工の芸術品でも扱うように丁寧に。

 

「ロー、なんとか頼むよ……あと三週間、生きててくれよ……! チャンスをくれ!!」

 

 祈るような叫びに、衝動的に声が出た。

 

「死なせない」

 

 決意が燃え立つようだった。

 

「絶対、死なせない」

 

 

 あと三週間、なにがなんでも守り抜く。

 

 

 

×××××

 

 

 

 ひときわ大きな波に、持ち上げられて落とされる。

 船全体を襲う腰が砕けるような衝撃。緞帳のような雨に遮られて、雲の様子すら定かにならない。

 

 目的地である島までの航行中である。

 

「クソッ! こんなときに大嵐か……!」

 

 窓の向こう、真昼なのに夜のような暗さに、コラソンが忌々しそうに舌打ちする。

 まるで行く手を遮るような大嵐に苛立ちが募るのも、仕方がないことだろう。

 

「コラ、さん──」

 

 コラソンの声に反応したように、腕の中でローが小さくつぶやいた。薄目を開き、ひたむきにコラソンを見つめている。

 

 ローの身体は、あれから小康状態と発熱を繰り返している。

 医学的な根治が不可能な現状、対症療法しか方法がないのであまりに熱が高いときは解熱鎮痛剤を投与して様子を見るくらいしかできない。

 

 時々、まだ熱が引いていないのに無理していつも通りに振る舞おうとするのが切なかった。

 

 コラソンとミオに心配をかけまいと、ローなりに必死なのだとわかった。

 そんなとき、コラソンは心配で怒りながらローを抱き上げて布団に突っ込むので、ミオは水にひたした濡れタオルで汗をぬぐって、氷嚢を作って特に熱のこもる胸や頭部にあてがってやる。

 

 そんなやり取りが習慣化しつつあって、運悪く天候が崩れて、限界まで航行したもののさすがに動けなくなった。ミオは台所で氷枕を作るために氷塊を砕いている。

 

 だから、そこにいるのはコラソンとローだけだった。

 

「政府は、おれたちが死ぬことを知ってて……金のために珀鉛を掘らせたんだ……」

 

 その頬はげっそりと痩けて、目許の隈もひどくなっていた。

 声も聞き取れないほどか細いが、コラソンが聞き逃すはずがなかった。

 

「おれの家族も『白い町』も、政府が殺したんだ……!」

 

 毛布の隙間から、細い指がすがるようにコラソンの服を掴む。

 ローは高熱に冒されたまま、息苦しそうな呼吸の隙間で、途切れ途切れに問いかけた。

 

「だからもし、コラさんがその仲間の海兵なら……正直に言ってくれ……」

「バカいえ! おれは海兵じゃねェ!」

 

 コラソンは怒鳴るように即答した。他に言えることなど、あるはずがなかった。

 嬉しそうに、ローは痛々しいぐらいに、ほっとしたように微笑んだ。

 

「よかった……」

「それどころか、よく理解しとけ!」

 

 小さな身体を抱き締めて、コラソンは必死で捲し立てる。

 

「『オペオペの実』を盗むってことは、『ドフラミンゴ』も! 『海軍』も! 『政府』も! みんなを敵に回すって事だ! 生きるのにも覚悟しとけ!」

 

 今にも消えてしまいそうな意識を繋ぎ止めるために、『これから』の話を。

 

 ローは微笑んだままかすかに頷いて、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

 呼吸は細いが、生きている。今はまだ。

 

 今にもふつりと消えてしまいそうな鼓動を感じ取りながら、コラソンはローを抱き締め続けた。

 

 

 

×××××

 

 

 

 三週間というのは案外に長い期間で、ローの発熱が微熱程度に落ち着いたときも何度かあった。

 

 すっかり定位置になっていたソファの上。

 着替えやすいようにと、寝間着のようなラフな格好のローを毛布でぐるぐる巻きにして、コラソンが後ろから抱えていた。コアラの親子のようでなんだか微笑ましい。

 

「まぁ、そもそもさ」

 

 そして、これまた習慣付いてきた向かいのクッションであぐらをかいて、ミオがリンゴを器用に剥きながら、ふと口を開いた。

 

「僕はオペオペの実食べられないんだけどね。たぶんしぬ」

 

 しゅるしゅると細く赤い皮が用意されていた器に落ちていく。ちょっと理解が遅れた。

 いち早く気付いたコラソンが声を上げる。

 

「まさか、能力者だったのか!?」

「うん。悪魔の実は食べてないんだけど、能力者だったりするんだなぁこれが」

 

 だから二個目は食べられないんじゃないかな、と嘯いたミオは悪戯が成功したみたいにいひひと笑った。

 

「なんで黙ってたんだよ」

「聞かれたことなかったし、披露する場もなかったもんで」

 

 詭弁と言えば詭弁だが、声高に主張して回るものではない、ということくらいはローにも理解できる。

 ミオはナイフを置いて、まだ剥いていないリンゴをひとつ手に取るとひょいっと宙に放る。慣性の法則に従って弧を描いていたリンゴが中空でぴたり、と止まった。

 

「能力はこんな感じ。面白いでしょ」

 

 目を丸くする二人に、手品でも見せるように指をぱきりと鳴らす。すると、それまでの停止が嘘のようにリンゴが落ちてくる。

 それを受け止めて、ミオはニュートン先生涙目、とかわけのわからないことを呟いた。

 

「この能力で僕は十年以上……凍結、むしろ『固定』かな。『固定』されて、そのちからを受け継いだ。実の特性でね……その実の名前は、」

「『コチコチの実』」

 

 答えたのはコラソンで、ミオはやっぱりと言わんばかりに笑みを深くした。密着しているローはコラソンの胸の鼓動がいやに早くなっていることに気付く。

 コラソンは金魚のように口を開閉させて、おそるおそると。

 

「その能力は聞いたことがある。あらゆる攻撃を、空間をコチコチに固定する……『ラグーナ海賊団』の、船長の」

「そう、僕をあそこから連れ出して『固定』したのは、その船長だよ」

 

 全身の骨が抜けたように、コラソンは脱力してガタンとソファからずり落ちそうになる。危機回避能力を発揮した腕の中のローがとっさに脇に寄ると耐えきれなかったのか、ずてーんとひっくり返った。

 

 そしてそのまま動かない。

 

「おい、コラさん?」

 

 ソファの上から覗き込むと、天井を仰いでいたコラソンが自分の顔を手で覆って、やがてくつくつと笑い出した。

 

「は、はは……そうか、そうだったのか。なるほどなぁ」

「納得した?」

 

 いつの間にか小さく刻まれたリンゴを皿に乗せて、フォークを添えてからローに差し出しながらミオが問うと、コラソンもようやく起き上がる。

 

「ああ。けど、なんでおれたちに教えたんだ?」

「ん? そんなの決まってるじゃない」

 

 そう言って、ミオは皿を受け取ったローに視線を向けた。

 

「ロー、オペオペの実が見つかるまで『固定』して欲しい?」

「え?」

 

 食べようとしていたリンゴがぽろりと落ちた。

 

「オペオペの実を手に入れるまでの三週間、なんだったら実を手に入れて安全を確保できるまでローを今、この時点のまま『固定』することができる」

 

 そうすれば、少なくとも現時点以上は病状が進行することはないよ、と当の能力を受けて十数年を『固定』された生き証人が語る。

 

「『固定』されたら三週間どころか、何年でもほんの一瞬だよ。意識も『固定』されて、時間経過しないから」

 

 そこまで淡々と静かに語り、ミオは目線でどうする?と問いかける。

 

 コラソンは何か言いたげにローに向けて口を開きかけたが、一度強く首を振って、自分で自分の口を手でおさえた。どんな選択もロー次第で、口を挟んではいけないと思ったのだろう。

 ローは少し考えてから問うた。

 

「なんで、『今』だったんだ?」

「オペオペの実をローが食べてなくて、ローの病状が悪化しつつあるから。もしもだけど、ローを『固定』したあとで何かがあって僕が死ぬと、この能力はおそらくローに移譲される」

 

 そうなると、もうローがオペオペの実を食べることができるかどうか、わからない。

 

 万が一のリスクを背負って『現状維持』のまま、オペオペの実を待つか。

 

 それとも、固定されずに己を責め苛む病状と戦いながら、耐え抜くか。

 

「もちろん、どうするかはローが決めて。これは、そういうこともできるよって、それだけの話」

「……」

 

 ローはしょりしょりとリンゴを囓り、咀嚼して、呑み込んだ。

 そして、自分を見つめるコラソンとミオにそれぞれ視線を合わせ、胸元をぎゅっと握った。

 

「おれは、このままがいい」

 

 その声には硬い決意があった。

 

「『固定』された方が安全で、楽かもしれない。けど、でも、それより、おれは──」

 

 ローはまっすぐにミオを見つめた。

 

「苦しくてもいい、辛くてもいい、残った時間ぜんぶ、コラさんと、ミオと、一緒にいたい」

 

 返答を聞いて、ミオはふわりと柔らかく笑った。

 

「うん、わかった」

 

 なんだかとても、嬉しそうに。

 

「僕とコラソンと、一緒にいて」

 

 

 



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じゅーろく.突撃!となりの海賊団

 

 

 作戦内容そのものはとっても簡単である。

 

 ドフラミンゴに提示された日付の三日前に取引相手の海賊──バレルズ海賊団──を襲撃して悪魔の実を奪取。そのままとんずら。以上!

 海賊が根城にしているミニオン島には、コラソンが手を回して海軍の監視船が貼り付き、合流地点のスワロー島にも軍艦が二隻と大盤振る舞いである。

 

「コラソンは能力で自分を『無音』にしておいて。そっちの方が盗みやすい」

「わかった。けど、ミオも『凪』にしておいた方がよくないか?」

 

 コラソンの広げた地図を前にミオは首を振った。

 

「隠密裏に盗むならそうするけど、その海賊は『賞金稼ぎ』が潰す。むしろ盛大に暴れるから、コラソンはその間に悪魔の実を盗ってローのところに行って」

「それは……」

 

 昔のことを思い出したのか、一気に暗い顔になるコラソンの肩をぺしりと叩く。

 

「囮じゃなくて陽動だから、そんな顔しない。それとも、僕の実力じゃ信用できない?」

「そんなことはない!」

「うんじゃあよろしく。襲撃中、ローには軍曹をつけるよ」

 

 傍らにいた軍曹が、任せろという感じで脚を上げる。

 ドフラミンゴがコラソンの裏切りに気付いているとすれば、おそらく時間との勝負だ。短い打ち合わせを終え、ミオはコラソンからいくつか手榴弾を譲り受けた。

 

 ローは病状がかなりひどいので船に置いていくことも考えたのだが、頑としてついていくと言って聞かないので海賊のアジト近くに軍曹と待機していてもらうことにした。

 

「ロー、軍曹と待っててね。すぐだから」

 

 ミニオン島は冬だ。

 

 降りしきる雪の中、いつもの帽子と手袋に襟巻きを巻いて厚めの毛布でくるまれたローの頬を両手で包む。手が熱くなるくらいに熱が高い。

 ローの呼吸は浅く、痛みがあるのか安定しない。

 

 でも、もうすぐ、もうすぐだ。そう自分に言い聞かせて気合いを入れる。

 

「コラソンが悪魔の実と一緒に戻って来るから、そしたら離れちゃだめだよ」

「ミオ、は?」

 

 ローの心配そうな声にミオは不敵に笑いながら、腰に手を当ててえへんと胸を張った。

 

「僕は賞金稼ぎなので、海賊を討ち取ったらお金を請求する権利があるのです。隣町で落ち合う時にはお金持ちだ! なんでも買ったげるから楽しみに待ってて!」

「……そっか」

 

 つられるようにへへ、とローも笑う。

 そんなローを支えるように軍曹がぴたりと寄り添った。

 大きさは有事の際にローを乗せて走れるようにと、ポストぐらいのサイズである。

 最近慣れきってしまったのでアレだが、絵面だけだと大蜘蛛が子供を食おうとしているように見えるので、他人が見たらびびるかもしれない。

 

「ロー、ここでちょっと待っててくれ。きついだろうが……」

 

 コラソンがそう言ってローを抱き締める。

 それを微笑ましく見ていたミオはそうだと言って自分のポケットを探ると、手を握ったままローの上着の隠しに突っ込んだ。

 

「? なんだ?」

「いい子でお留守番をするローに、ごほうび」

 

 先払いだよと笑って帽子越しに小さな頭をぐりぐり撫でて、それからミオは膝を折ってローを包むように抱きしめて、その頬に自分のほっぺたをくっつけた。

 ぬくもりを尊ぶように、身体に焼き付けるようにほんのひととき、目を閉じて。

 

「元気になったらいっぱい遊ぼう、なんかして。もう、どうせ死ぬなんて言い訳は使えなくなっちゃうんだから、諦めちゃだめだよ。ローの望みはぜんぶ叶うから、だからさ、やりたいこと、してみたいこと、たくさん考えておいて。それで、僕らが戻ってきたら教えてね」

 

 たっぷりの愛情をこめて、囁いた。

 

「大好きだよ、ロー。行ってきます」

「すぐに戻るからな! オペオペの実を手に入れて!」

 

 アンバランス極まりない二人なのに、その背中がとても頼もしいものに見えて、少しだけ笑った。

 

 あとから何度も、ローはこの時の会話を思い出す。

 

 

 ローがミオの姿を見たのは、それが最後だった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 バレルズ海賊団のアジトは混乱の渦中にあった。

 

 突然、何の前触れもなく屋敷の一角が爆発したのだ。

 気付けば宝物庫には火の手が上がり、熱波が届いてくるのに依然として物音ひとつしない。明らかに異常である。

 

「火を消せ! どういうこったァ!?」

 

 船長のディエス・バレルズは命令を飛ばしながら、忌ま忌ましさに歯噛みした。これからという時になんという失態だ。

 三日後には、手の中の悪魔の実と引き替えに大金を手に入れる予定である。

 その額、実に50億。海賊でも海軍でも、一生に一度拝めるかどうかもわからない途轍もない金額だ。

 

「侵入者でもいるのか!?」

 

 油断なく周囲を見回しながら部下に怒鳴りつけた刹那、部屋中の灯りが落ちるように消えた。頭上からいくつものガラス片が降り注ぎ、ランプが割れたことが分かったがやはり無音。

 いくつか悲鳴が上がったので破片で怪我人が出たのかもしれない。

 

「誰か明かりをつけ、──」

 

 それ以上は言葉にならなかった。真横からの凄まじい衝撃でバレルズは吹っ飛ばされ、手の中にあった『オペオペの実』の感触がかき消える。

 焦燥を覚えると同時に、今度はけたたましい音を立てて扉が開いた。

 

「どうもご機嫌うるわしゅうバレルズ海賊団の皆々様! それとご愁傷様! 今夜が年貢の納めどきですよぉ!」

 

 靴音高く入り込み、その声は高く遠く、朗々と響いた。

 

「だ、誰だ!?」

 

 怒声混じりの誰何の声を、相手はとんと気にした風もなくけらりと笑う。

 

「言うに事欠いて、誰とはまたとんだご挨拶! やぁやぁ、遠からんものは音にも聞け! 近くば寄りて目にも見よ! 賞金稼ぎのおなりであるぞ! なぁんちゃって、あはははは!」

 

 足元には爆発のせいかなんなのか、倒れた部下の姿。それをあろうことか足蹴にした小さな影が呵々大笑する。

 薄暗がりに目が慣れて、ようやく慮外者の正体が明らかになる。

 

 その声の持ち主は一見すると少年のように見えた。

 外で降りしきる雪のように色の脱けた髪。淡い桃色の瞳。流麗な着流し姿で肩に打ち掛けを羽織り、腰から日本刀らしきものを提げている。

 

 部下のひとりを蹴り飛ばし、ついでにテーブルに飛び乗り仁王立ちになって腕を組み、船長を見下しながら戦意は万全。

 

「賞金稼ぎだとぉ!? くそったれ、こんな時に……! さてはオペオペの実を奪りやがったのもてめぇだな!?」

 

 賞金稼ぎは、清々しいほどそらっとぼけた態度で肩を竦めた。

 

「ええ~なんの話でござるかぁ? 僕はちょっと立ち寄った島に悪い海賊がいるっていうから、狩りにきただけですよ? まぁその、手元不如意なもので」

「ふっ、ざけるなあああッ! おいそいつをぶち殺せ!」

 

 おちょくるような態度に、あっという間に激昂したバレルズが怒声とともに命令を飛ばし、部下たちが動き出す。

 

「オペオペの実を盗みやがった黒コートもだ! 見つけ出して、取り返せ! 50億の取引だぞ!!」

「目の前でそれを言うとか、船長のくせにわりとお馬鹿さんですね、びっくり。それを許すと思います?」

 

 にやにや笑いの賞金稼ぎが、いっそ感心したようにつぶやいて組んでいた手をほどき、いつの間にか握っていた手榴弾の安全ピンを──ぴーん、とふたつまとめて躊躇なく引っこ抜いた。

 

「げぇ!?」

「よぉしまとめて吹っ飛べー! てきとうにー!」

 

 それなりの大きさの手榴弾を、豆まきのようにフルスイング。

 弧を描いて飛んだ手榴弾は黒コートの男が逃げ去った窓近くの壁にぶち当たって、ごろごろと転がり──大爆発!

 

 視界のすべてを白く染め上げ、爆風が部屋中の人間を強打する。

 点ではなく面での攻撃。密集している人間なんていい的以外のなにものでもなかった。木の葉のように人間が吹き飛び、テーブルの破片や瓦礫が凶器と化してかろうじて無事だった部下たちの皮膚を引き裂き、あるいは砕いた。

 

 バレルズも無傷ではいられず、あちこちに擦過傷を作った。

 

「くそっ、あのふざけたヤツはどこだぁ!」

「ここです、よッ!」

 

 間近で爆風を喰らったはずの賞金稼ぎは傷ひとつもなく、バレルズの進路を遮るように飛び込んでくる。

 

「てめ、おぶぅっ!?」

 

 不自然なまでの素早さにバレルズは対応できず、鞘で股間をしたたかに撃ち抜かれてその場にばったり倒れた。痛恨の一撃である。

 衝撃にぐるりと白目を剥き、口からぶくぶくと泡を吹いて手足が不規則に痙攣していた。

 

「船長ぉおおおお!?」

「て、てめぇ! やっていいことと悪いことがあるだろうがッ!」

「男にはなぁ、鍛えられない場所があるんだよぉ!!」

 

 男として股間が縮み上がる暴虐に及び腰になる部下の前で、賞金稼ぎは瀕死の蟹みたいになっているバレルズを蹴倒し、すらりと刃を引き抜いた。剃刀の如き刀身を太い首筋ぎりぎりに滑らせて、にぃと口の端を上げる。

 

「ほい人質」

「ぎえええ!? なんてことしやがる!」

「お前それでも人間か!」

「え、海賊に人権があるとか、本気で思ってるの……?」

「し、心底不思議そうな顔すんなぁ!」

 

 半泣きでぎゃわぎゃわと騒ぐ船員たちに『うるさいなぁ』とばかりに顔をしかめたそのとき──賞金稼ぎはなにかに引っぱられるように、全身で振り返った。視線の先は、先ほど自分が開け放した扉の向こう側。

 

 賞金稼ぎは顔を引きつらせ、慌てたように刀を引いてそそくさと踵を返した。

 

「やば、思ったより早っ! で、では、これにてどろん!」

「させるかよ」

 

 ずどん。

 

 容赦なく撃ち出された凶弾をからくも避けて、ごろごろと床を転がる。足元でのびていた、避けるどころか身動きすらとれないバレルズが無駄に被弾してしまった。

 けれどすぐに賞金稼ぎは跳ね起きて体勢を整え、新たな襲撃者を油断なく見据えた。

 

「あちゃー……」

「よぉ、なにやってんだ……『お姉ちゃん』?」

 

 苦く笑う賞金稼ぎを前に、硝煙をくすぶらせる銃口を向けたまま──ドンキホーテ・ドフラミンゴがちっとも楽しくなさそうに、にんまりと笑った。

 

 

 

×××××

 

 

 

 時は少しばかり遡る。

 

 バレルズ海賊団を急襲して『オペオペの実』奪取に成功したコラソンは、ミオが陽動のために突入する寸前、窓をぶち破って脱出を果たした。

 うずまき模様の入ったハート型の不気味な果物を大切そうに握りしめ、達成感と喜びに目の前が潤み──ドジを踏んだ。

 固まった雪に足を取られ、姿勢ががくんと崩れて耐えきれず、斜面を滑り落ちていく。

 

「うぉおおおぉぉおおおお!?」

 

 問題なのは、斜面を滑り落ちる勢いが尋常ではなかったことだ。

 

 ただのアイスバーンどころか完全に凍結され、ジェットコースター顔負けの勢いで急滑降していくコラソンは、見張りに立っていた海賊団の部下たちにも追いつけない。

 なにせ「あ、」と思った瞬間には遙か彼方だ。咄嗟に発砲してもパン!パン!とむなしく音が響くばかり。銃弾も届かず、どうにもならない。

 

「な、な、なんだこりゃ!? まさかミオ!? あいつ、なんかしてたのか!?」

 

 奇しくもコラソンは正解を言い当てていた。

 

 先行して悪魔の実を奪ってくると突撃したコラソンを心配したミオは、一計を案じていた。あらかじめコラソンが通りそうな箇所の斜面を、自分の能力で『固定』したのだ。

 なにをどうしたってドジを踏むのだから、もうこうなったら徹底的にドジらせてやろうという、投げやりというか逆の発想である。

 

 果たして、考え得る最速のスピードでバレルズ海賊団から脱出を果たしたコラソンは、斜面の終わりに対応しきれず、尻をしたたかに打ち付けて悶絶した。

 尾てい骨が割れたのかと思うくらい痛かったが、海賊と一戦交えると考えれば軽傷の方だろう。あまりの勢いでだいぶ距離が離れてしまったが必死で走り、コラソンはなんとかローの元に到着した。

 

「コラさん……!」

「見ろ! オペオペの実だ!」

 

 周囲に防音壁を張って、ピースサインを作って全身で喜びを表現する。

 先ほどからボカボカ爆発音はするし銃声は響くわで心配していたローは、コラソンの帰還に安堵のため息を吐いた。

 

「よかった。なんか、あったんじゃねぇかと……」

「そんな話してんじゃねぇ! 喜べよ! お前を救う悪魔の実だぞ!」

 

 そしてコラソンは有無を言わさず、ローの口に悪魔の実を押し込んだ。端から見ると完全に虐待のそれであるが、幸いというか、目撃者はいなかった。

 くっそまずい実を無理やり口に突っ込まれたローは、抵抗むなしく呑み込まされ、じゃっかん吐きそうになった。丸ごとはひどい。

 

「オエ、まっず……!?」

 

 瞬間、どくりとローの心臓がおかしな鼓動を刻む。

 自分のちからではない、形容し難いなにかが己に宿る感覚で全身が総毛立つ。それを見届けたコラソンは、ローに寄り添って大人しくしていた蜘蛛に声をかけた。

 

「ミオはまだ奴等のアジトで暴れているはずだから、行ってやってくれ。ローはもう大丈夫だ」

 

 約束通り隣町で落ち合おうと伝えると、頭のいい蜘蛛は片脚を上げて軽く振ると、目にも留まらぬ速さでその場からかき消えた。

 

「これでいい……ドフラミンゴを出し抜いた。おれたちの、勝ちだ!」

「コラさん! おれ、まだ能力者になるなんて心の準備もできてねぇよ!」

「準備もなにも、これでローは能力者だ。早いとこ、使いこなせるようにならなきゃな」

 

 おれも協力するから早く自分の病気を治そうなと笑って、コラソンはひょいとローをおんぶして歩き出す。

 さくさくと雪を踏んで歩くうち、ローはふと道が違うのではないかと思った。

 

「コラさん、隣町に行くんだろ?」

「ああ、けど、もうひとつ片付けなきゃいけないことが……ある」

 

 ドフラミンゴを出し抜いてオペオペの実を奪取してローに食べさせることはできた。

 けれど、これだけでドフラミンゴの計画が頓挫するワケではない。もうひとつ、手を打っておく必要があった。

 

 ごそごそと胸元を探ると指先にコツリと硬い感触。海軍ならば誰でも知っている鍵のついた金属製の筒。

 『情報文書』だ。兄を止めるために潜入捜査をしてきた、長年の成果がこの中に詰められている。

 

「西の海岸に『海軍の監視船』があった。そこに『これ』を渡せばもう、この島に用は──」

 

 それは、本当に神がかった……奇跡的なタイミングだった。

 

 朝から降り続けていた雪が自重に耐えかねて枝から滑り落ち、その勢いで跳ね返る。

 

「いでっ!?」

 

 僅かに残っていた雪が吹き飛んでコラソンの目に直撃して、思わず手にしていた金属筒を取り落としてしまった。それはカラカラと小さな音を立てて勢いよく転がっていく。

 

「コラさん? なにか落ちたぞ」

「えッ!? ああ、ドジッた!」

 

 よりにもよってこのタイミングで! と嘆きながら慌ててコラソンは筒を追いかけた。

 軽い音を立てて転がっていく筒は緩やかな斜面を転がり続けて、やがて誰かの足元にこつりとぶつかり、止まる。

 

「ん?」

 

 夢中で追いかけていたコラソンは、それが『誰』の足なのかに気が付くのが遅れた。

 それが海兵の格好だと悟った背中のローが全身を硬直させ、親切なのか純粋な好奇心か足元の筒を拾い上げた男は持ち主であろう、走ってくる相手に視線を向けて──気付いてしまった。

 

「コラソン!?」

「ヴェルゴ!?」

 

 コラソンの必死な様子と焦った声。手の中の『情報文書』。

 彼の背中に貼り付いているローを見て、ヴェルゴは全てを察してしまった。

 

 それがコラソンの犯したあまりにも致命的な──ドジだった。

 

 

 

 



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じゅーなな.トゥーランドットはねむりたい

 

 

 

「申し開きはあるか?」

「むしゃくしゃしてやった。反省も後悔もしてません」

 

 バレルズ海賊団の船長どころか船員まで区別なく死屍累々の中、きっぱりと言い放って胸を張ったらドフラミンゴの額に青筋が浮いた。

 

 けれどこちらだって怒っているのだ。おこではないのである。もう、激おこスティックファイナリアリティプンプンドリーム飛び越えて憤怒バーニングファッキンストリームぐらいにはむかむかしている。

 

「こちとら賞金稼ぎです。ジョブの一環として海賊を一件潰しました。問題ないでしょ」

「おれたちの『仕事』を知っていてしゃあしゃあとよく言うぜ……なら、海賊の流儀としててめぇを潰そうか」

 

 ぎしりとドフラミンゴの指先が奇妙な音を立てて軋んだ。

 

 彼の言い分もわかるっちゃ、まぁわかる。

 

 しかし、第三者から見れば海軍と海賊の取引を、更にべつの海賊が横槍入れようとしていたというだけの話。

 こっちはそれを更に利用して先んじて海賊団を襲って、奪った。ドングリの背比べではなかろうか。

 

「奪われる方が悪いってのは、海賊の専売特許だと思ってたよ。ああ、それともこう言おうか?」

 

 ここにドフラミンゴがいるなら都合がいい。

 今頃、コラソンはオペオペの実を持ち去ってローに食べさせているだろう。それさえ達成できれば、あとは尻に帆掛けて逃げるだけ。

 ミオはくちびるを歪めてあっかんべえ、と舌を出して下品に中指をおっ立てた。

 

「ざまみろばーか。すっげぇいい気味!」

 

 ドフラミンゴの笑みがなにか一線を越えて、固まったように見えた。苛立ちが殺気へと変換され、爆発する。

 

 ひたすらに濃密で信じがたいほどの威圧感は、それ自体がすでに攻撃のようだ。

 室内がびりびりと鳴動して、倒れ伏した海賊たちが一斉に呻き声をあげる。それは力の掟において、自らの上位存在を本能的に認めてしまった小動物の命乞いだ。

 

「ットレーボル! ここを任せる! 手足の一本くらいなら許してやる、こいつを捕まえておれの前に連れて来い!」

 

 悪魔の実がないなら用はないとばかりに踵を返し、ドフラミンゴの命令に従いトレーボルが進み出る。

 

「んねー、ドフィの姉ちゃんなのになーんでドフィの邪魔ばっかすんのー? んねー、んねー」

「大人のドフィより、子供の命の方が大事でしょ。どー考えても」

 

 見上げるほどの巨体に小柄なミオ。

 文字通りの大人と子供くらいの体格差があった。垂らす粘液じみた鼻ちょうちんがぷくうと膨らむ。

 身体中をいつも粘性の強い物体で覆っている──超人系・ベタベタの実の能力者。捕獲するには確かに最適の人選だろう。

 

「賞金稼ぎとして腕は立つみたいだけど、おれに勝てると思ってんのー? んねー、んねー?」

 

 己の能力そっくりのねばついて挑発的な態度はいつものことだが、どこか演技が混じっているように見えた。

 幼いドフラミンゴの、傑出した才能を見出したのは彼だという。有り体に言えば、トレーボルはドフラミンゴの『保護者』だったのだ。

 

 それは逆を言えば、あんなクソガキのまま育て上げたのもまた、トレーボルということで。

 

「さぁ、やってみれば分かるのでは?」

 

 ミオの八つ当たりの相手として、これ以上なかった。

 身体中に戦意が循環し、静かな高揚感が爪の先まで行き渡る。感覚がみるみる明瞭になり、それでも心は湖面の如き静謐さを。戦闘時における心得が水のように浸透していく。

 ごちゃごちゃ言わずにかかってこい、とばかりに手招きするとトレーボルのべったりとした態度にも、じゃっかん怒気が混じったようだった。

 

「"ベタベタチェーン"ッ!」

 

 衣服のように纏っていたゲル状の液体が毒蛇のようにうねり、捕らえようと迫ってくる。

 

 ミオはその軌道を見極め、足に力を込めて跳躍。

 壁を蹴って更に上へと駆け上がり、間髪入れずに引き抜いた庚申丸の刀身を壁面に突き込んだ。柄を握りしめたまま、ぶらりと身体を揺らしてトレーボルを観察する。

 

 ぐずぐずにとろけた蝋燭のような液体が床にわだかまっていく。

 おそらく、あれに捕まれば身動きが取れなくなる。とりもちをくっつけているようなものだ。

 

「べっへへへ、ちょこまかしてると逃げ場がなくなるけど、いーの? いーのかなー?」

「……」

 

 ミオはぶら下がったまま無言で片手で胸元から最後の手榴弾を取り出すと、安全ピンを歯でぴーん、と引っこ抜いた。

 

「べへぇッ!?」

「えいや」

 

 ていっと無造作に放り投げると、物凄い勢いで慌てたトレーボルが鼻水でそれをキャッチ。ドフラミンゴたちとは逆方向に思い切り投擲した。

 数秒ののち、地面を揺るがすような爆発音が響き渡り「何があったんだイーン!?」とか悲鳴みたいなのが聞こえた。

 

「いっ、いきなり爆弾投げるとかありえなくねー!?」

「あ、やっぱり燃えるんだ」

「冷静すぎて鼻出るわー! やっぱドフィの姉ちゃんだわー!」

 

 言葉の通り鼻水をべろべろに流しながら驚いている。あれだけ慌てるということは、あの粘液は可燃性らしい。

 

 ついでにあのベタベタ、とても防御力が高い。

 

 相当の膂力でなければ、攻撃はすべて絡め取られて封殺される可能性がある。そうなると、能力を使って対抗しない限り負ける。

 

「物理攻撃はおれには通じねーよ? どーする? んねー、どうする?」

「どーするって」

「あんた能力者じゃないんだろー? 勝ち目なくね? もうドフィにすなおに謝れよー」

 

 ここまで煽りに煽られて、反応できないほどミオは聖人君子でもなんでもない。むしろ沸点がひとより高い分、一度キレると厄介だ。

 

 ミオにとってトレーボルは『身内』ではない。

 ドフラミンゴの仲間であっても、そこには明確な区別があり、つまりは手加減無用。

 

「うるさい」

 

 どん、と壁が揺れた。

 

 壁を蹴たぐり、刀を無理やり引き抜きながらくるりと身体をひねって、まだ無事だったテーブルに着地する。

 

「"ベトランチャー"ッ!」

 

 そこを狙ってすかさずトレーボルが己の粘液を弾状にして一斉に発射した。

 

 粘液の弾丸は人間を死に至らしめるほどの威力はないが、それなりに衝撃はある。当たれば打撲を引き起こす程度には痛いし、おまけに粘液で動けなくなるはずだ。

 そんな驟雨の如き粘液の弾丸を前にミオは腰に刀を納め、ただふらりと両手を上げた。

 

 降参のように、見えた。

 

 けれどトレーボルは気付いた。

 

 降り注ぐ粘液の弾丸が、ミオに触れる寸前にぴたりと停止していることに。動きを阻害されることもなく悠然と立ち、そこには余裕すら垣間見えた。

 

「……『能力者だってことは、そうほいほい吹聴して歩くもんじゃないよい』」

 

 どころか中空で不自然に硬直して──否、固着、されている?

 

「『いざって時のとっておき、くらいに扱っとけ。その方が、相手さんも油断するってもんだよい』……以上、僕の大好きな『兄さん』の助言です」

 

 ぽつり、ぽつり、と温度のない声をもらしながらミオはてくてくてくと歩いた。

 

 ベタベタしたゲル状の粘液の──上を。

 

「能力には、相性がありますよね」

 

 よくよく見れば、粘液には冷え切ったもの特有の奇妙なツヤがあり、かっちりと凍り付いているようだった。その上を踏みしだくように進んでくる。迷いなく、力強い足取りで。

 トレーボルの背中に、ベタベタ以外の汗が伝う。

 

「んねー!? あんた、まさか──!」

 

 鼻水がまき散らされる寸前、踏み出した初速のままつるり、と氷上を滑るような不自然な動きでミオはトレーボルに肉薄すると、

 

「僕とトレーボルさんの能力は──とっても、相性がいいみたい♪」

 

 粘液から出ている生身の指先につん、と触れた。

 瞬間、びきりとトレーボルの表情から足先、のみならず全ての粘液が『固定』された。身じろぎひとつできず、まるでトレーボルだけが静止画にでもなってしまったようだ。

 

 騒音もない。危険も、もはやない。ひたすらの静寂。

 

 水を打ったように静かな室内で、白い息をふぅっと吐いた。

 

「"カウント・5"。五分経ったら、自由になれますよ」

 

 巷で名を上げている賞金稼ぎ、通称『音無し』の本領発揮であった。

 

「トレーボルさん、ドフィを甘やかしすぎです。途中退場した僕が言っても仕方がないけど、……まぁ、言っても聞こえないか」

 

 なんだかとても虚しい気持ちになって、ついぼやいてしまう。けれどここでぐずぐずしているヒマはないのだ。

 

 ローが待っている。

 

 この骨さえしびれてしまいそうな極寒の中で、苦しい身体で懸命にミオとコラソンを待っている。

 その気持ちで胸の奥が明るくなって、ドフラミンゴのいない方角の窓でも開けて出ようかと見回した、その時。

 

 銃声が轟いた。

 

 腹の底に響くそれは、一発ではなお飽き足らぬとばかりに二発、三発と続く。

 

「ッ!」

 

 うなじがぞわりと粟立ち、猛烈に嫌な予感がした。何も考えず銃声のした方へ身体が勝手に動いていた。

 外の世界はミオとトレーボルが争っている間、もしかしたらそれよりも前から、様相を様変わりさせていた。

 

 アジトを中心とした同心円状にあれは、なんだろう。

 鳥かごのような細い、糸のような格子が無数に走っている。

 

 目の前には硝煙をくすぶらせる銃把を握ったドフラミンゴ。その周りを守るように、トレーボルを除く幹部たちが勢揃いしていた。

 

 そして、うずたかく積まれたバレルズ海賊団の財宝と思しき宝箱のひとつに、もたれるようにして力なく横たわる──コラソンの姿。

 

 

 

 そこでは──すべてが終わっていた。

 

 

 

「これはさすが、というべきか? フッフ、トレーボルのやつは何をしてる」

 

 バレルズ海賊団のアジトから飛び出してきたミオを見咎めて、ドフラミンゴは少しばかりの驚きをみせた。彼の能力は捕獲に関して超一級だ。

 けれどその服にはベタベタの残滓ひとつ見当たらない。賞金稼ぎの名は伊達ではないということか。

 

 多少の感心と苛立ちをこめて見据えても、ミオはこちらに一瞥もくれない。

 状況から何が起こったのかを理解したのか、顔色を蒼白にして、幽鬼の如く頼りない足取りでコラソンの元に歩み寄る。

 

「コラソン……ロシー」

 

 雪の上に膝から崩れ落ち、震える指先を伸ばして抱き寄せて、頬に触れる。まだぬくもりは残っているだろう。流れ続ける血が白い肌と服を汚した。

 

「なぁ、ミオ。お前はロシナンテが海兵だと、知ってたな?」

「だったら、なに?」

 

 心底からどうでもよさそうな返事に、苛立ちが募る。

 

「不倶戴天の敵を腹の内に飼ってる海賊団は、さぞ面白かっただろうなァ」

 

 低く嘲弄を込めてなじるような物言いになったが、心の片隅ではわかっていた。

 

 ミオは本当にドフラミンゴとロシナンテの『職業』に関心がなかったのだ。

 

 海賊だろうと海軍だろうと、あるいは他の職業だろうと自分が充実して仕事ができる場所ならばなんでも構わない。

 そう、取るに足らぬ些事と割り切っていたから、ミオは気にすることなくドンキホーテ海賊団へ『遊びに』きていた。

 

 そもそもそんな確執を気にするようならば、危険を侵してドフラミンゴたちの前に現れることもなかっただろう。

 ただ、兄弟間の確執が姉の想像を遙かに超えて根深く、海軍と海賊には断絶があった。見敵必殺。発見したら殺し殺されるのが海軍と海賊だ。それが例え──身内であろうとも。

 

 そういう意味では、ミオは甘く見ていたといっていい。

 兄弟に手を上げることはあっても、殺すことはないと無意識に思い込んでいた。

 

「ドフィ」

 

 声には抑揚がなく、なんの感情も読み取れない。ただ、淡々とした確認作業のようだった。

 

「父様を殺したね」

 

 脈絡のない、けれど確信を持った言い方だった。

 のろのろと横顔がこちらを向き、ドフラミンゴの手にある拳銃に向けられる。

 そうだ、実の父親を殺したのはこの拳銃だ。鉛玉で撃ち抜き、殺した瞬間にドフラミンゴの『許し』は完了する。

 

 今も、また。

 

 ロシナンテに鉛玉をぶち込んで──許したところだ。

 すべての裏切りを、彼の死を以て精算した。

 

「ああ」

「……そう。ロシーが隠したがってたから、聞かなかったけど。やっぱり、そうだったの」

 

 不思議と納得したように頷いたミオはロシナンテに視線を戻し、血と雪で貼り付いた髪を梳くように撫でた。

 ドフラミンゴより、すでに事切れた死体に気を払うことが気に入らない。

 

「コラソン……ロシナンテはおれを裏切った大罪人だ。だからおれの手で処刑した。オペオペの実を食っちまったローは海軍に保護されたそうだが、なぁに、すぐに奪い返すさ」

 

 虚ろな声には感情のきざはしすら見えず、知らずドフラミンゴは意固地になって喋った。

 ミオの己を責めることも、声高に罪を糾弾することもない様子が、ひどく落ち着かない。むしょうに苛々する。

 

「てめぇも同罪だ、ミオ! オペオペの実を横からかっ攫いやがって……!」

「ローのために必要だったんだから、それくらい我慢してよ」

 

 冷めた口調でそれだけ言って、ミオは立ち上がった。

 

「それくらい、だと!? あの実にどれだけの価値があると──」

「ローの命を救う実なんだから、それだけの価値はあるでしょ。お兄ちゃんなんだから50億くらい見逃してよ。どうせ、唸るほどお金持ってるくせに」

 

 死ぬほど自分勝手な理屈をこねながら、どういう腕力をしているのか、ロシナンテの身体の膝裏と背中に手を入れてこともなげに担ぎ上げると、ドフラミンゴに背を向けてさくりさくりと歩き出してしまう。

 

「ローは海兵さんになるのかなぁ。でも、おっきくなれるなら、それでいいか」

「おい待て! どこに行く!?」

 

 思わず銃口を向けて質すと、白い息を吐き出しながらミオが振り向いた。

 

「どこでもいいでしょ。ロシーをこんな寒いところに置いていけないから、連れて行く」

 

 その瞳はドフラミンゴを見てはいるが、以前まで確かに存在していた親愛の情は、綺麗さっぱり消えて失せていた。

 

 義務のように無感動な口調で、ぽつりと。

 

「せいぜい家族を大事に、元気でね」

 

 そこには、叱責も動揺も義憤も殺意もなかった。

 

 ただ、ただ、すべてを諦めたような──否、もはやそれすら読み取れない、凪の如き瞳だった。

 

「ばいばい、ドフラミンゴ(・・・・・・)

 

 それは訣別の言葉で、込められたものはひたすらにからっぽだった。

 

 好意の反対は無関心とはよく聞くが、感情のひとかけらさえ己に向けられないという事実は、ひどくドフラミンゴに衝撃を与えた。

 

 ミオは自分の身内だと認めたものにはひどく甘い。

 

 それこそ親鳥が雛を守るが如き甲斐甲斐しさと、めいっぱいの親愛で包んで、愛してくれる。

 反面、身内以外の人間には容赦も遠慮も存在しない。そこにはくっきりとした断崖と、あまりにも深く底の見えない海溝がある。

 

 好意には好意で、敵意には敵意を以て鏡のように相対する。

 そして、それすら値しないと見なされたら最後──関心すら喪うのだ。

 

「お前も、おれを裏切るのか」

 

 気付けば撃鉄を引き起こしていた。

 銃口はひたりとミオに向けられて、ほんの少し引き金を引けば、最後の一発が彼女の薄い身体を貫くだろう。

 

「先に裏切ったのは、そっちでしょ」

 

 ようやく見せた感情の色は、怒りを孕んで揺れていた。

 

 

 対峙する二人を見て時が止まったような気がした。

 

 

 ぷつんと脳の一部が機能不全を起こしたように、なにも考えられなかった。正直、ドフラミンゴに何を言われて自分がどう答えたのかすら判然としていない。

 哀しみと虚脱感で腰が抜けてしまいそうだった。それでも最後の意識のひとかけらで、ここにロシナンテを置いていけないと強く思った。

 

 ドフラミンゴが思うほど、ミオは強くない。

 

 心は軋み、見えぬ血を垂れ流しながら悲鳴を上げて、嗚咽していた。

 関心がないのではなく、衝撃が強すぎてかろうじて平静を保てていたに過ぎない。

 全身から力の抜けた身体は存外に重い。ロシナンテなんて体格がいいから尚更のことだ。それを根性で担いでこの場から離脱する。

 

 それだけを、今は考える。

 

 海軍がローを保護してくれたのなら、安心して任せられる。なんせロシナンテを育てた場所だ。

 

「父様を殺して、ロシーに弾丸ぶち込んで、それで僕がドフィを変わらず好きでいるなんて……そんな都合のいいこと、ないでしょう?」

 

 本気でドフラミンゴの脳内構造はどうなっているのだろうと一瞬、心配になった。

 自分の意思でどうにもできない者には癇癪を起こして、『許し』と称して殺意の弾丸を撃ち込む。

 

 これでは、天竜人の頃となにも変わらないではないか。

 

「……ああ、そうだな」

 

 ミオの言葉にほんの束の間、何事か考えたらしいドフラミンゴがくるりと銃把を回して胸に仕舞いこむ。けれどミオの第六感に訴える嫌な感覚は強くなった。

 気候のせいではない悪寒が走る。頭皮の毛穴が残らず締まるような不快感があった。産毛が総毛立って、本能が警鐘を鳴らす。

 

 

「なら姉上にも──堕ちてもらおう」

 

 

 くい、とドフラミンゴの指先が踊る。

 

「おれと、同じところまで」

 

 瞬間──だった。

 

「うあ!?」

 

 まるでドフラミンゴの指先につられるように、ミオの身体がべしゃりと地に伏した。

 衝撃でロシナンテの身体まで投げ出されてしまう。口の中に雪が入って舌がびりびりした。

 

「な、なに、なんで」

「フッフ、フッフッフ、おれの能力を知っているか? あんたに使ったことはなかったが……」

 

 混乱がおさまらない間にも指先が動き、ミオの身体が本人の意思に反して動き出す。

 ぎくしゃくした動作で立ち上がり、歩き出し、視線の先にはロシナンテが持っていたであろう拳銃が──。

 

 まさか、まさか。

 

 血の気が引く。目眩がしそうだ。

 

「嫌われたくなかったからなァ。けど、愛されねぇってわかってんなら、いっそ憎悪されたいじゃねぇか」

 

 恍惚と、どこか陶酔の混じった声が遠く聞こえる。

 まるで、ではなくまさに、操られている。

 

 今、ミオはドフラミンゴの繰り出す糸に絡め取られた木偶(でく)人形だ。超人系・イトイトの実の能力者。その真骨頂。

 

 懸命に抗おうとするものの、身体の支配権が完全に乗っ取られている。勝手に動く。

 

「い、やだ」

 

 雪に埋もれるようにあった拳銃を拾い上げ、銃把に指が引っかかる。

 

「やだ、いやだ」

 

 冷や汗が背筋を伝う。

 

「ぜったい、やだぁあああ!」

 

 絶叫を上げ、惑乱したように首を振る。浮いた涙が散って、ドフラミンゴが気持ちよさそうに背筋を震わせながら哄笑した。

 

「フッフッフ! ああ、いい声だ。お前のそんな声がずっと聞きたかったよ」

 

 意思に反して動かされている腕はぶるぶるとふるえ、安定しない。それでも少しずつ焦点が定まっていく。

 未だ動かぬ、ロシナンテのおおきな身体に。

 

「さぁ、ロシーを撃て。ミオ」

 

 堕ちてこいとはそういう意味か。

 

 引き金を引けば、本当に引きずり落とされる。

 

 ドフラミンゴの糸に足をとられ、二度と身動きできなくなってしまう。それがわかる。

 

 意識には手を出していないのは、ロシナンテを殺したのはミオ自身なのだと、骨の髄まで知らしめるためだろうか。

 金属の冷たい感触が、頭蓋に刻みつけられる。ロシナンテは逃げられない。既に傷ついている身体に、更なる傷を与えるなんて冗談ではない。

 

 絶対に、駄目だ。

 

「ッ──」

 

 自分の肉体を、領土を侵されている。

 

 ならば、抗わなければならない。それはミオの魂の矜持。誰にも譲れぬ一線だ。

 できることがある。なんだってできる。どこにだって行ける。そう教えてきたのは自分なのだから、実行しなければ嘘になる。

 

 そんなのイヤだ。絶対に。

 

 歯を食いしばり、ミオの瞳に怪気炎が宿る。引き金に引っかけた指に不可視の力がかかる。

 

 

 それは、ほぼ同じタイミングだった。

 

 

「ドフィ~ッ!!」

 

 五分間の魔法から解き放たれたトレーボルが、大慌てでドアから飛び出してきた。

 

 瞬間──ミオの身体ががくんと不自然に傾き、転んだ。まるで『氷面で滑ったように』。

 

「お前の姉ちゃん! 能力者だッ!!」

「なに!?」

 

 驚愕にほんの一瞬制御が緩んだのか、ミオの手に馴染みはじめていた凶器の銃口がロシナンテから逸らされる。

 逃さず、身体を曲げて、銃把を握り込んだ手をかき抱き──引き金を引いた。

 

「な、やめろォ!!」

 

 ドフラミンゴの能力ではない怒声での制止など無意味だった。

 

 至近距離からの直撃に身体が震撼する。激痛と流血。銃声がくぐもって、一発毎に全身がいびつに跳ねた。

 構わず何度もぶち込んだ。手の平、腹、太股、そのうちの一発が自分の腰のベルト辺りに命中した。がちんっ、と弾切れの異音が響く。

 

 それはロシナンテのドジを未然に防ぐために常備していて、この寒さで中身が凍り付くと困るからと入れ替えた、ベルトに差し込んでいた水鉄砲。

 

 所詮は子供のオモチャだ。

 弾丸でいとも簡単にボトルが割れて、中身がこぼれ落ちる。手の平にぱしゃりと『それ』がかかる。

 

 

 能力者が最も忌み嫌う液体──海水が。

 

 

「う、ぁああ!」

 

 獅子吼を上げて、僅かに己の支配権を取り戻した。銃を放り捨てて能力を発動。

 痛みが支配を凌駕しているのか、変な脳内麻薬でも出ているのか、さほどの抵抗なく身体が動いた。

 

 バネ仕掛けの人形みたいな動きで跳ね起きて、獣の如き低い姿勢から地面を蹴り飛ばした。そのままロシナンテの腕を浚うように掴んで、信じがたい速度で滑走を開始する。

 

 流れ落ちた血液が瞬時に『固定』され、急制動など考えない摩擦係数ほぼゼロの滑走路を作り出しながら、最大速力でひた走った。

 

「くそ、待て! お前ら追えッ、逃がすなァ!」

 

 王者の一喝で部下たちが動く。

 だが追えと言われて追えるような速度ではなかった。天然の急斜面を更に凍結して滑り落ちていく。

 

 もっと。もっと。もっともっともっと速く!

 

 風が頬に当たって痛い。でもスピードは殺せない。息が苦しい。構わない。鼻が痺れて、風に打撃されて眼球が痛い。

 流星のように。燕のように。渡る風のように斜面を滑り、断崖からジャンプ台の要領でそのまま空中へと投げ出された。

 

 一切ブレーキを踏んでいないのだから、間近に迫るドフラミンゴの罠。人間の肉など簡単に裁断してしまう糸の檻。

 

 けれど怯まない。最後に残った一呼吸で叫ぶ。

 

「ッやっちゃえ! 軍曹!」

 

 いつの間にか、すぐ背後まで追いついていたミオの頼れる相棒が、全力で海水を噴射する。

 フクラシグモは海水を吸い込んで己の体積を自在に変える蜘蛛だ。体内に残っていた海水全てを一点集中。能力者の能力は総じて海水に弱い。

 

 何も考えず、勢いのまま海水をぶっかけた糸に渾身の蹴りをぶち込んだ。

 

 濡れた障子紙のように抵抗なく糸は千切れ、同時にミオも能力を発動。再び糸が再生しきる前に周囲を『固定』させて阻害し、くぐり抜ける。

 余剰海水すべてを吐き出してぬいぐるみサイズになった軍曹を片手に抱え、ロシナンテをもう片方の腕で抱き締めて、ぎゅっと目を閉じた。

 

「なむさん!」

 

 物理法則に従って落ちる先は夜の海。

 

 重油を流し込んだような、能力者にとっての魔女の釜の底。

 

 ドフラミンゴの支配から逃れて、部下たちが立ち入れない場所といったらここしかなかった。吸血鬼みたいだと思って少しだけ笑う。

 

 直後、全身がひきちぎられるような衝撃。

 

 上も下もわからない。ただ苦しい。真っ暗だ。力が抜けていく。能力者ってたいへん。でもロシナンテだけは離さない。絶対に。

 

 ミオは残った力を振り絞ってロシナンテにしがみつき、暗闇のような海の中へとただ沈んでいった。

 

 

 



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残されたふたり

 

 

 

 ロシナンテとミオが海に落ちたと報告を受けた。

 

 手持ちの部下は能力者ばかりで回収不可能。厳寒の夜の海はただでさえ危険が伴うので、すでに老体であるラオGを行かせて死なれても寝覚めが悪い。

 能力者ではない実力者と言えばヴェルゴがいるが、彼は海軍に潜入させている手前使えない。

 

 まして、あの二人も能力者。

 

 ロシナンテはともかく、ミオの生存も絶望的だ。

 

「くそ、まさか自分を撃って弾切れさせるとは……」

 

 ドフラミンゴは歯噛みする。

 

 サングラス越しでも分かるほどその眼光は鋭い。睨み付ける、などという言葉では優しすぎる。凶悪さをいや増したそれは牙で抉るような眼差しだった。

 あれから海軍の中でもドフラミンゴを捕まえることに執心している『つる』に追われ、早々に撤退せざるを得なかった。

 

 船の上だ。

 

 雪は未だに降り止まず、甲板をうっすらと白く染め始めている。

 トレーボルによればミオの能力は、何かを固めることに特化しているとのことだ。彼自身も固められていたらしく、気付けばミオの姿は影も形もなかったらしい。

 

 自分が能力者だと土壇場まで明かさなかったミオは、なるほど昔から注意深かった彼女らしい。けれど腹が立つ。恨めしい。

 

 これでドフラミンゴはミオを二度、殺した。

 

 なにが悪かったのか。どこで間違えたのか。──否、間違ってなどいない。

 

 もう血の繋がった者はいない。すべてドフラミンゴの手から零れて落ちて、ぱしゃりと崩れた。

 

 けれど、彼には『家族』がいる。絶対にドフラミンゴを裏切らない忠義の徒がいるのだ。

 

 

 ならば、もう、それでいい。

 

 

 

×××××

 

 

 

 無数の砲撃音が響く中、子供が泣いている。

 

 

 五連の鐘のようにわんわんと、尽きぬ悲しみすべてを空にぶつけるように大声で泣き喚いている。

 

 あふれる涙を慌てて拭ってくれた手はもうどこにもない。

 

 不器用に、なだめるように頭を撫でてくれたひとはもういない。

 

 いつもどじばかり踏んでいるくせに、子供の悲しみにばかり敏感な男はもういない。

 

 いつもにこにこしているくせに、肝心な部分をないがしろにしていたあほな女ももういない。

 

 望みが叶うなんて大嘘だ。

 

 二人は子供の手の届かないところへ行ってしまった。

 

 否、本当ならすぐにだって届いた場所だった。けれどもう、子供はそこには行けない。

 

 それをしてしまえば、二人の努力そのものが水泡に帰してしまう。

 

 前が歪んでなにも見えず、足元の小石につんのめって転ぶ。

 

 痛くて、寒くて、でも、何もかもどうでもよくて。

 

 そんな子供の、上着の隠しから転がり落ちるものがあった。

 

 飴玉のようだった。既製品の包み紙にくるまれたそれがみっつ、雪明かりの中で輝いて見えた。

 

 小さな手で拾い集めると手の中でかちり、とぶつかり合って音がした。飴の出す音ではなかった。

 

 なにも考えずにひとつ、包み紙を開くと中から転がり出てきたのは大粒の宝石だった。

 

 色も輝きも種類もまるで違う、けれど価値だけは総じて高い鉱石がみっつ。

 

 その色はまるで三人をそれぞれ表しているようで──

 

「──ッ!!」

 

 魂の、脆い部分に手を突き立てられ、爪の先で執拗に削られた人間にしか生み出せない悲鳴だった。

 

 悲痛、無力感、絶望、後悔、悔恨、慚愧、それらもろもろが一気に心にあふれ、あまりの密度に心という容れ物が破けそうな、奇妙に虚ろでひどく、物悲しい。

 

 

 そんな哀哭が、しんしんと降り続ける雪に吸い込まれては消えていった。

 

 

 



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終幕.ロシナンテのねがいごと

 

 

 

「──ぶっは! し、しぬかと思った……!」

 

 ずぶ濡れの身体が放り投げられ、ごろりと転がる。全身の力が抜けきっていて立ち上がれる気がしない。海から上がった軍曹が、僕とロシーの身体に巻き付いた投網のような糸をブチブチと切ってくれる。

 肺が酸素を求めて変な風に膨らんでいる。耐えきれず、四つん這いになって思い切り咳き込むと、胃に入った海水がまろび出てきて一気に吐いた。

 

「ぼええ……」

 

 口の中がぜんぶしょっぱい。最悪だ。しかし今回、ほんと軍曹いなかったら死んでた。もう足向けて寝られない。

 

 僕の船の甲板の上である。

 

 横には、同じくずぶ濡れで転がってる巨体もといロシナンテ。

 

 

 あの、操られたとき。

 

 

 ドフィの糸自体を『凍結』というのも考えたのだけど、それが自分の神経もろもろにどういう影響を与えるのかが不明で止めた。万が一、意識がなくなったら完全に終了してしまう。

 不確定要素が多すぎて、ドフィたちから逃げおおせるために取れる手段はそう多くなくて、もう全部軍曹に預けてアイキャンフライ。

 結果は御覧の通りです。ああくたびれた。くそ寒いし身体中痛いし散々だ。

 

「ごめんね軍曹、いろいろ助かった」

 

 僕とロシナンテを回収した軍曹は脚をふりふり怒っている。もっと早く頼れと言われている気がしてよしよしと撫でてなだめた。

 『こ、こんなんじゃ納得しないんだからね!』という感じで憤慨する軍曹だけど、そのまま身体を支えるように脇の下の入り込んでくれた。ありがたい。

 

 そのままロシナンテのコートを掴んで、苦労して引き摺って船内に入ると軍曹が暖炉に火を入れに行ってくれた。なにもかもお世話になります。

 

「コラソン? ロシー? いやもうロシーでいいや。生きてるかー、死ぬなよー」

 

 適当にいいながらぺちぺちと冷え切った頬を叩いて、脈を取る。

 うん、ちょっと弱いけど脈はある。海水を飲んでいる様子はないので、ほんとに気絶してるみたい。

 

「意識はなぁ……とりあえず止血するか」

 

 ロシナンテのドジはどこで発揮されるかわからないのに、ドフィたちを出し抜いてオペオペの実奪取という危険極まりない橋を渡ったのだ。安全策はいくつあっても足りるもんじゃない。

 

 なので、いくつも仕込んでいた。

 

「しっかし、ドフィもひでーなー。撃つかふつー」

 

 ぶつぶつ愚痴りながら手早くロシナンテの服を剥いていく。ああ、やっぱり。

 身体のあちこちの皮膚が擦り切れて血が流れている。けれど、どれもそこまで深くない。

 軍曹の糸は天然の防弾繊維に等しい。

 衝撃につよくてとても丈夫だ。海王類を相手取っているのは伊達ではない。

 

 僕はローとの会話の片手間、ロシナンテの服のいわゆる急所に当たる部分に軍曹の糸を縫い込んでいた。今回使用した僕自身の仕事着にも同様に。

 おかげさまでお互い満身創痍だが、そうそう死にはしない程度に怪我をおさめられた。見た目よりはひどくない。

 

 内臓の重要な器官はなるべく傷つけず、まぁ皮膚の陥没と打撲と多少の流血は許容範囲と……諦めたくはないが、仕方ない。くそったれ。

 

 だからといって、放置していていい傷でもない。

 

 特にロシナンテは、放っておくと万が一もあり得るくらいにはひどい傷だ。応急手当でできることは限られているので、的確な医療と処置が必要である。

 何があったのか、全身打撲の痣まみれの上に銃創までこさえている。骨の一、二本くらいは……イッてるかも。

 

「う……?」

 

 とりあえず、この場でできる応急手当を済ませ、自分の止血をしていると、呻き声とともにロシナンテがうっすらと目を開いた。

 

「ロシー?」

「……ミオ、か?」

 

 声もがらがらに掠れてひどい有様だが、気付いてくれた嬉しさに笑えてしまう。

 

「そうだよ、お互いぼっろぼろだからこの止血終わったら病院行こう」

「え? あ、いや……」

 

 え、なんでそこで迷うの。

 

 視線をゆら、ゆら、と彷徨わせるロシナンテは自分が生きていることが信じられないようで、天井をぼんやり見つめたまま動こうとしない。

 

 それとも、あまり意識がはっきりしていないのだろうか。

 

「いや病院。僕もわりとアレだけど、ロシーの怪我も結構やばい」

 

 おかげさまで、穴ぼこもとい疵痕が増えました-。とても痛い。はは、くっそ次ドフィに会ったら殴る。絶対にだ。

 

「びょういんは、いやだ」

 

 夢うつつなのか子供返りでもしているのか、ロシナンテは小さく『いや、いや』と首を横に振ってぼんやりとつぶやいた。

 

 唐突になんつーことを言い出すんだ、このでけぇ子供はよぉ。

 

「いやいやいや、ほっといても治らないから。下手すると死ぬやつ。自覚ないかもしれないけど、ロシーの怪我ひどいよ、ほんと」

 

 痛みが通り過ぎて感覚が麻痺しているのかもしれないが、そうなると一層ヤバい。

 せっかく根性とか気合いとか次善策で、どうにかこうにか生き延びたのだから、ロシーに死なれるのはいやだ。

 

 こうなったら無理やり病院に突っ込むことも視野に入れるか、と僕の思考を読むようにロシーの手が伸びて僕の手首を掴む。

 冷え切った手が、信じられないくらい強く握りしめてくる。

 

 その瞳にひととき、譲れぬものが宿るのがわかってしまった。

 

「おれの医者は、ローだけだ」

 

 硬い、鉱石みたいな決意がそこにはあって、反論しようとした喉の奥に自分の言葉がひっかかってしまう。

 そしてもう一度、絞り出すように。

 

「ロー、だけなんだ」

 

 ああ、ほんと、もう。

 

 なんて瞳で、なんてことを言うんだ。ロシーこのやろう。

 

「ぼくに──チェレスタになれっていうの?」

 

 声がふるえて、たまらなくて、手首を握るロシーの指先を反対の手で包み込む。冷え切った体温がじわり、じわりとぬくもっていく。

 ここで僕が無理やり病院に入れても、ロシーは全力で治療を拒否するどころか脱走するだろう。分かってしまう。頑固で意固地で優しいロシナンテ。

 

 僕がいない間、ローと訪れた病院でどれだけの罵声と理不尽を浴びたのだろうか。

 

 五ヶ月という長い時間は、ロシーの中の医者像を粉々に打ち砕き、地の底にまで貶めてしまった。

 

 無理解の生み出す恐怖をロシナンテはよく知っている。

 それは色と形を変えてより強く、ひどく、おぞましく、鮮明に刻まれてしまった。心からの信頼を預けたローにしか、医療行為を任せたくないと願わずにはいられないくらいに。

 

 苦しくて、胸がぎしぎし音を立てて締め付けられるみたいで、目の前が滲んだ。

 

「う」

 

 もし、ここに、ドラム王国へのエターナルポースがあれば。

 

 そうすれば、あのファンキーなお婆ちゃんドクターとヤブなのに医者としての魂を持った二人に、会わせてあげられるのに。ちゃんとしたお医者さんはいるんだよって、教えられるのに。

 でも、エターナルポースは壊れてしまった。ドフィあのやろう、どこまで邪魔すれば気が済むんだ。

 

「うう~」

 

 歯がゆさと悔しさと、よくわからない感情で言葉が作れない。

 心があふれて落ちてくる。ロシーは意識が本当に曖昧なのか、なんでかへらっと笑ってもう片方の手で僕の頭をくしゃくしゃ、と撫でた。

 

「ごめんなぁ、ミオ」

 

 くるしい。しんどい。つらい。ああ、今ならチェレスタの気持ちがわかる。痛いほど。

 

 このひとに生きていてほしい。

 なにがなんでも命をつないで、元気になって、そうして笑ってほしい。幸せを掴んで欲しい。自分なんて、どうなったっていいから。

 

 でも、それができるのは、世界でたったひとりだけ。

 

「じゃあ、ローが大きくなるまで待たないと」

「ああ、きっとあいつは最高の医者になるぜ」

「そうだね。ローはがんばりやさんだもん」

 

 うまく笑えているだろうか。自信がない。

 

「まってて、すぐだよ」

 

 そうして僕は、握った手を通して──ロシナンテの時間を止める。

 

 意識すら閉ざされるその、ほんの、少しだけ。

 

 

「おやすみ、ねえさま」

 

 

 びっくりするほど満足そうに、ロシナンテは笑った。

 

 

「おやすみ、ロシナンテ」

 

 

 




これにて『お姉ちゃん?編』は完です
みなさま、ここまでのお付き合い、本当にありがとうございました

次回からは、原作本来の時間軸からのスタートになる予定です。

本当はこの中編(?)で終了予定だったのですが、大人ローのネタが出てしまったので…!
申し訳ありませんが、まだプロット段階なので、これからの更新頻度はがくーんと落っこちます

ですが、もし、引き続きよろしくして頂ければ、とても嬉しいです。


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番外編 番外.主人公設定とか余談いろいろ

 

『お姉ちゃん?編』が完結したので、うすぼんやりした主人公設定やボツネタなど

 

 特に読まずとも問題はありません。

 

 次回更新まで時間がかかりそうなので、ちょっとした備考兼暇つぶしです

 あくまでおまけの扱いでお願いいたします。

 

 

主人公(ミオ)

 死にたがりのあほ。

 大事なもののためにすぐヒャッハー道連れだー(物理)!しようとする自分勝手の塊。無自覚なのでとてもタチが悪い。

 名前を漢字にすると澪(澪標→身を尽くし、の洒落)

 人様にトラウマ作ることに定評がある。

 

 白い髪、桜色の瞳、華奢な体躯と無駄に愛らしい外見で中身はほぼ肉食鮫@ディー○・ブルー。とても見かけ詐欺

 動き回るイメージは小ト/トロ。目を離すとすぐいなくなる

 

 コラソン・ロー・主人公が三人揃うと大中小ト/トロ感がすごい、という思いつきが全ての始まりでした

 

 

余談:桃鳥姉のイメソン兼作業用BGM

 

全体(お姉ちゃん?編まで)の流れとしてはからふぃーなさんの『カラフ/ル』とボ/カロ『メア/リーと遊園/地』

 

個人だと、

 

ロシナンテ→米津氏の『アイ/ネクラ/イネ』

 

ドフラミンゴ→からふぃーなさんの『君の/銀の/庭』

 

主人公→同上で『mist/eri/oso』

 

子ロー→同上で『光の旋/律』

 

 まだ途中なので、この先増えたりすると思いますが、今のところこんな感じです。聞いてみると楽しいかもしれません。

 からふぃーさんが多いのは、某魔法少女映画を作業用BGMにしていたからです。そういえばあちらも愛と時間の物語。

 

余談の余談

 

チェレスタ→ささくれさんの『深海のリ/トルクラ/イ』

 

 

ボツになった分岐ルート

 

・白ひげ委託前にロシナンテが発見・保護からの主人公海軍入りルート

 ドフラミンゴ制止の相談中に某ヒューマンショップに姉弟で潜入捜査中、うっかりドフラミンゴに遭遇→お買い上げされて、かーらーのドシリアスルート

 間違いなく18NGになるうえ、下手すると監禁まっしぐらようこそメリーバッドエンドへな流れになってしまったためボツ。

 ちなみにこのルートの場合、ローも海軍入りします。

 

・ローが十年ぐらいの間に主人公厨兼コラさんクラスタ拗らせたルート

 十年の間に立派なクレイジーサイコラブ…もとい残念なヘンタイへ進化してしまったバイファルガー・ローさんが再会した二人をとっ捕まえてモノにするという、地雷しかないルート。

 片や細身(191cm)の青年で、片や身長293cmの大男&小柄だけど能力はピカイチな姉弟ペアなのにまったく勝てる気がしない。Bボタンが欲しいようと泣くふたり。姉弟丼は新しすぎるのではなかろうか。愛の前には関係ない? そ、そうか…(諦め)

 

 このルート、ローがひとりでツヤッツヤでコロンビアしてます。ドフラミンゴ涙目

 主人公とロシナンテは二人で「これ客観的にみてヤバいよね? めっちゃ爛れた関係だよね?」「うっう、おれたちが育て方間違えちまったばっかりに…(※べつに間違えてはいない)」「というか、第三者的にいうと僕が男二人侍らせてる構図になるのつらい」とめそめそ。

 

 しかし、これを本当に第三者がからかうとローが修羅と化す。

「おれが! ふたりを! 侍らせてるんだよ!」十年越しに思い人と恩人手に入れて人生が楽しくてしょうがないドヤファルガーさん

 

 こっちはもうちょっとマイルドになればワンチャンあるかもしれません

 

 

 原作編を上げるまでの、ちょっとした暇つぶしになれば幸いです

 

 

追加

 

・桃鳥姉の配達屋さんルート

 

 『ご.軍曹と赤髪』からのルート分岐で『はじめてのおでかけ』時に賞金稼ぎではなく『固定』能力フル活用で『雑貨屋兼配達屋さん』になっても面白かったかなと思いました。

 

 C家という最強のお得意様を相手にどちゃくそ便利な配達屋さんのまま穏便に十年超を過ごし、無事に死の外科医にコラソンを『配達』できるのか…ファイッ!みたいな(笑)

 

 

 



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もしもの話(海軍分岐√)

反響を頂けたのでこんな感じになるんですおっかないですよね、と書いてみました。日曜日なので


 

 

 ドフラミンゴがそのヒューマンショップのオークションに立ち寄ったのは、ほんの気まぐれだった。

 

 この島に居を構える、とある富豪との裏取引。

 

 査定額に応じた金額を用意しておくとのことだったが、当日向かってみれば運搬船が天候不良で到着しておらず、取引を一日引き延ばして欲しいとのこと。

 

 多少の苛立ちはあれど、自然の理に文句をつけるのも馬鹿馬鹿しい。

 

 延長に表面上は快く応じ、さてどこかで時間を潰すかと考えていたところ、富豪が気を利かせて紹介したのが件のヒューマンショップだった。なんでも、本日は『とんでもない掘り出し物』が出品されるのだとか。

 物見遊山がてらに見物するのも一興か、と供にヴェルゴをつけてオークションが最も盛り上がる時間帯を見計らって足を踏み入れた。

 

 口元にも眼差しにも諧謔、皮肉の気色のみを浮かべていたドフラミンゴが、全ての表情を消し去ったのはその時だった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 運搬人の手が白絹のベールをふわりと外すと、室内は静かなどよめきに包まれた。

 

 それは言うなればスノードームだった。

 楕円状の、大きな硝子をかまくらの形に被せたケースの中──大きなクッションに座り込み、力無く身体を寄せ合う一組の男女。

 

 片や、天井の灯りを反射して強く煌めくアンティークゴールドの髪。

 

 柘榴石のような瞳に、通った鼻筋と酷薄なラインを描く口唇はどこか貴族的なのだが、顔の作りはむしろ精悍で、そのアンバランスさが不思議な色香を醸し出している男だった。

 3mはあろうかという大柄な身体を包むのは、クラシカルな乗馬服めいた黒のティルコート。立ち襟のフリルブラウスとクラヴァット、腰の辺りで切られたジャケットの下から覗くのは深緋のウェストコートだった。

 

 対するは、降り初めの垂り雪を想起させる、鮮烈なまでの白い髪。

 

 銀細工のような長い睫毛に縁取られた瞳は、遙か東で見られるという稀少な花のそれ。甘く繊細な面立ちの中、ゆるゆると潤んだ桜色の瞳に混じるひそやかな蠱惑。

 どこもかしこも華奢で儚げな様子は、一見すると少年にも少女ともつかない神秘性に満ちており、そこには確かに侵しがたい典雅と優美が同居している。

 

 そんな少女を彩るのは、黒いホルターネックに胸元で花開く繊細なフリル。

 なよやかにくびれた腰の後ろには、バッスルスタイルで白と黒の大きなストライプリボンとレースがあしらわれており、まるで大輪のブーケが咲いているようだ。

 形のいい頭には、斜めにつけられた大ぶりなドレスコサージュ。こちらには薔薇とリボン、そして鳥の羽根で彩られており愛らしくも華やかである。

 

 しかし、おとぎ噺の絵本から抜け出たような男女は、互いにもたれるように座り込んだまま微動だにしない。

 

 薄く開いた瞳には光がなく、部屋のどこをも見ていなかった。

 

「……こちらが、本日最後の『商品』でございます」

 

 競売人の声が静かに響く。

 

「さて皆様、こちらの『商品』に、皆様は幾らお出しになりますか?」

 

 競売人の言葉ののちに生じた静けさは、まさに嵐の前触れ。

 直後、爆発した熱気と欲望の渦は筆舌に尽くしがたい。会場に満ちる狂気の中、ただひとり、かの『商品』をひたすらに見つめている男がいた。

 

 よもや、まさか、反駁と惑乱が脳内を巡る。けれど、あれは、あの二人は紛れようもなく──

 

 すると、意固地なまでに注がれる視線に気付いたのか、少女がいかにものろのろとした動きで視線を辿り、ドフラミンゴを見てほんの僅か、薄い口唇を開いた。

 

「  」

 

 会場が一大酸鼻の地獄と化したのは、次の瞬間だった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 ヒューマンショップへの捜査のために『商品』として潜入に成功したしたロシナンテとミオはひとつ、致命的なミスを犯した。

 

 名前を尋ねられたとき、ロシナンテは『声が出ない』という設定だったため、あらかじめ決めておいた偽名……ではなく、慣れ親しんだ本名を書いてしまったのだ。

 片方さえ偽名ならば姉弟と思われることはないだろう、と偽名を名乗ることにしたのは彼の方で、ミオは先に名乗ってしまっていたため、血縁とバレてしまった。ドジッたのである。

 

 既に競売組織から販売先に至るまでのルートを保存した電伝虫は隙を見て外に放り出したので、あとは待機中の部下たちがそれを拾って突入するのを待つばかり。

 二人は折を見て脱出すれば晴れて任務達成、となるはずだった。ここまでならば、まだ計画の修正は可能な範囲だったのだ。

 

 問題だったのは、黙ってれば見目麗しいアンバランスな兄妹(だと思われている)は観賞用としての価値が非常に高く、健康状態という商品価値を引き下げてでも逃亡させない措置を取るべきだと競売人が判断してしまったことだ。

 

 果たして、箱詰めされたショーケース内にばらまかれたガスで仲良く痺れた二人はそのまま『出品』されてしまった。

 

 筋弛緩剤かなにからしいガスは意識こそ明瞭だったものの、指先ひとつ動かせない。ロシナンテも同様なのだから、体格の劣るこちらの薬が抜けるまでどれだけかかることやら。

 己が競りのマグロになった気分で瞳を欲望と狂気に濁らせたバイヤーの競り合いをぼんやりと眺めつつ、突入が間に合わなかったらもう購入者の運搬中、ないしは現地で逃亡するしかないかと脳内で計画を練り直している中、この熱気の中では逆に冷気すら感じるような、異様な視線を感じた。

 

 水を吸った衣服を着ているような重い倦怠感を堪えつつ、苦労しいしい上げた眼の先──硝子越しに見た驚きは筆舌に尽くしがたい。僅かな振動でロシナンテも気付いたことを理解する。

 

 おそらくは会場入りしたばかりなのだろう、ロシナンテに勝るとも劣らぬ大柄な体躯に纏った桃色のコートがひどく目立つ。サングラスを通しても分かるほど、射るような眼差しに含まれた驚愕と困惑。

 

 かの海賊の規模がこれ以上大きくなるようならば、自分たちで止められるように動かなくてはと相談していた矢先だったのだ。

 

 それが、なぜ、こんなところに。

 

 

 ドフィ

 

 

 思わず、口にしてしまったのが最大の失策だった。

 

 口角泡を飛ばしながら幇間さながらに客を煽り、本日最大の『商品』の値を吊り上げていた競売人の腹が、突如として裂けた。

 遅れて噴き上げた血しぶきがショーケースに降りかかり、べたりとした粘性の赤の幕が引かれる。腸は、競売人が倒れ伏した後に切り口から溢れだした。それくらい鋭利な切断面だった。

 

 それでも、かろうじて視界は保っていた。

 

 だから──二人は見てしまった。

 

 背をなにかの中毒者のように、軋む音が聞こえそうなほどに反らせ、喉をかぐらい天井に垂直に突き立て、両腕を水鳥のように広げるその姿。

 垣間見たはずの享楽的な空気は露と消え、冒涜的なまでに狂おしい、黒い炎が人の形を取っているようだ。

 

 かすかに耳が捉えたのは哄笑。

 ただひとりの喉から放たれているとは信じられないくらいの、轟々として滾る熱を孕んだ狂笑が広い会場に渦を巻いて、穢していく。

 

 指が動き、赤が散る。腕が落ちる。首が落ちる。悲鳴が響く。怒声が轟く。しかし、それすらひとりの哄笑には届かない。

 

 ただのひとりが引き起こしたとは信じられない凶行の中、それでも商売人は最高額を約束された『商品』を回収しようと屈強な男たちがケースに集り──虫のように潰された。

 

 穢れた血錆が硝子に貼り付き、もうここからは何も見えない。

 

 あれだけの狂乱を起こしていた会場の音が、気配が、命が死に果てるのにさほどの時間はかからなかった。

 

 砂漠のような、荒野のような、まるでここだけが世界から切り離されたと覚えるほどの静寂だった。

 

 そうして二人ぼっちで完結していた、赤茶けた緞帳に覆われた空間を突き破る硝子の破砕音。澱のように溜まっていたガスが霧散し、いくらか身体が楽になる。

 

 大きく呼吸すれば鼻腔に入り込む、むわりと濃密な鉄錆のそれと、断裂された肉の生臭さ。

 

「──ああ、やっぱり。間違いない」

 

 ひどく、ひどく嬉しそうな声だった。

 

 大きな身体を折り曲げて、こちらを覗き込む顔。

 残っていた硝子を引き剥がし、血とも脳漿とも知れない粘つくしずくを振りこぼしながら、残酷で、狂喜に満ちた声で。

 

「可哀想にな、つらかっただろう」

 

 それは優しく、短い言葉だったにもかかわらず、鬼哭啾々とした鬼気を底に秘め、自由の利かない身体であることを差し引いても、覚えたのはひたすらな恐怖だった。腰などとうに抜けている。

 

「もう大丈夫だ」

 

 返り血に濡れた頬で、ドフラミンゴは微笑していた。控えめに、それでいて晴れやかに。それは心の底から再会を喜ぶ『家族』の顔だった。

 

 鬼だ、と思った。

 

 鬼がいる。これは鬼が望んでやってのけた。鬼の所行だ。二人の想像していたドフラミンゴなど、現実の切れ端にすら及ばない。そんな可愛いものではなかった。

 人離れした鬼形、そんな恐ろしのもの(・・)が、一歩足を踏み出し、二人の肩を掴む。

 

「これからはおれが守ってやる。絶対にひとりにはしない、安心しろ」

 

 生き血を滲ませるような凄惨な笑みで、甘い、こちらの舌がしびれてしまいそうな糖蜜めいた声で、ドフラミンゴは二人をきつく抱き締めた。

 伝わる体温は自分の知る『弟』のそれで慕わしく、募る気配は狂気を孕んで凍てついていた。

 

「帰ろう、ロシナンテ、ミオ」

 

 忌まわしくもあたたかい、戦慄とともに吐き出されるそれは、甘い誘惑を伴っていた。

 

「愛している」

 

 まるで、身を任せてどこまでも、どこまでも堕ちたくなってしまうような──

 

 

 




こっちのSAN値が直葬されるので、この先は皆様の脳内補完に全てをお任せいたします…


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もしもの話(配達屋さん√)

本編の息抜きに。活動報告でポロリした『もしも主人公が賞金稼ぎじゃなくて『雑貨屋兼配達屋』さんになっていたら?』というネタです。


 

 

 島が近付くにつれて、僅かに鼻に届いてくるのは嗅いでいるだけで舌先が痺れてしまいそうな甘い甘い香り。ああまた来てしまった……。

 

 弟たちのことがあったので海賊にはなれず、じゃあ手に職(能力)を活かしましょうと始めた小さな雑貨屋兼配達屋さん。

 

 どこぞの海上レストランみたいにお店そのものを雑貨屋さんとして、航海中の船で不足しがちな消耗品なんかが主な商品です。良心的なお値段で壊血病予防のためのビタミン関係とか、女性向けの商品なんかも扱っているので海賊・海軍間でもそこそこ認知されております。

 配達に関しては最初はおまけのつもりだったのだけど軍曹がいるので納期は完璧、能力で生鮮食品もとれぴちのまま運べるという触れ込みはバッチリ当たってお得意様もできてお仕事は今日も順調です。順調すぎた。

 

 現在、僕の配達屋さんとしてのお得意様はビッグ・マム海賊団……というかシャーロット家である。どうしてこうなった。

 

 いや原因は分かってる。コラソンやドフィたちとのあれこれから一度お父さんたちの船に戻り、雑貨屋さんて新世界ではどうなんだろうと販路を広げたのがまずかった。

 というのも、航海中に嵐で船を破損してしまった遭難船を発見したのだけど、そのお船がたまたまビッグ・マム海賊団に大量の貢ぎ物(青果)を贈りに行く途中の船で、納期が遅れたら殺されてしまうと全員で神に祈ってるというトンデモな状態だったのである。さすがに捨て置くこともできず、納期もかなりやばかったため僕の船で現地まで牽引するついでにこれ以上貢ぎ物が劣化しないように『固定』してあげた。

 

 で、それをホールケーキアイランド近海まで届けたところドえらい感謝された。命拾いしましたとガチで拝まないで欲しかったけど、そこまではよかった。

 なんかその辺から噂が広がって、万国の近くで生鮮食品を主に扱ってる業者の人たちからの依頼が激増したのも許容範囲だった。うん、生クリームとかフルーツ関係は鮮度が命ですよね。絞りたて、もぎたての時点で『固定』して運ぶのでお菓子の品質も上がりましたありがとう、と感謝も頂けてとっても嬉しいし光栄だった。

 

 だめなのはその先だった。

 

 万国のいちぶの島のお菓子の品質が急上昇したのを不思議に思ったらしいビッグ・マム海賊団の幹部? 大臣? が調査に乗り出してしまったのであーる。

 

 ビッグ・マムのお菓子好きはほぼ異常の域に達しており、『食いわずらい』という文字通りの病まで患っているためお菓子の品質は万国で暮らすものたちにとってまさに死活問題。そりゃ敏感になるのも当然で、特に隠しもせずにフツーに営業していた僕の名前は一発で相手に知られてしまった。

 

 それからご依頼リストに『シャーロット・○○』がまぁ増えること増えること。このままだと帳面が一冊まるまるシャーロット家なんて日も遠くない気がする。

 

 幸いなのは、僕がしがない配達屋さんとしてしか知られてないこと。いや『雑貨屋兼配達屋』には変な肩書きいらないから当然といえば当然だ。もちろん『白ひげ』や『ドンキホーテ海賊団』との関係がバレそうな気配がしたら全力で逃げる所存。相手はお父さんと同格の四皇の一角であるからして……怖っ。

 

「やぁ、待っていたよ。ペロリン♪」

 

 船着き場で僕に向かって片手を上げたのは、一見するとピエロと見紛うようなとってもサイケデリックな色彩の男性である。

 魔法使いの杖じみたキャンディケインに、お菓子の包み紙みたいな柄のシルクハットは無数のロリポップで飾られている。特徴的なのは仕舞うのが大変そうな口から伸びる大きな舌。

 

 彼こそがシャーロット家お得意様そのいち、ビッグ・マム海賊団の長兄にして『キャンディ大臣』を預かる『シャーロット・ペロスペロー』氏である。

 

 たかだか一介の配達人風情に国のほぼトップがお出迎えに現れるなんて何事だ。お大尽の登場にぎょ、と硬直しているとペロスペロー氏はにんまりと笑っておもむろにキャンディケインを一振りした。

 すると、その先端からしゅるしゅると飛び出す飴の縄。見る間に僕の船へともやい綱の代わりに巻き付いたそれは、あっという間に船着き場へと僕の船を牽引・固定してくれる。

 ペロスペロー氏は飴を自在に操り望む形を再現できる『ペロペロの実』のキャンディ人間。これくらいの細工はお手の物らしい。

 

「すみません、お待たせしましたか?」

 

 いつの間にやら出来上がっていた飴細工の架け橋をおっかなびっくり降りつつ尋ねると、ペロスペロー氏は首を軽く振った。

 

「いいや、私が待ち遠しかっただけのことさ」

 

 能力的なものではなく製菓技術も高いこの海賊団のお歴々はわりと趣味人な傾向がある。たぶん、本当に配達品が待ちきれなかっただけの話なのだろう。

 

「きみの届けてくれる果実で作るコンフィズリーは最高だからね」

「とても光栄ですが、お褒めの言葉はこの果物の生産者様にお願いしますね」

「くくく、違いない。けれど、きみが運ぶからこそ食材は最高の状態を保てるのだから、そこは誇るべきだよ」

 

 心なし弾んでいるようなペロスペロー氏が話している間に彼が引き連れていた部下たちがきびきびとした動きで配達品を運び出し、彼の前にずらりと並べていった。確認と解除を兼ねて箱を開けると、ほどよく熟れたイチゴが宝石みたいな煌めきを放ちながらお行儀よくぴっちりと詰まっている。

 

「ふむ」

 

 その中のひとつを無造作に選び取り、尖った爪の目立つ魔女のような指先でつまんで矯めつ眇めつ……この瞬間はいつでも緊張する。お金をもらって依頼を受諾している以上、万が一にも商品に不備なんてあってはならない。

 一通り眺めてから、ペロスペロー氏は満足げに吐息をこぼした。

 

「無傷。相変わらず見事なものだ」

「ありがとうございます」

 

 深く頭を下げる。

 航空機のないこの世界には空輸という概念がそもそも存在しない。そのため、製菓材料に使う食材の調達が結構な難事業だということに配達業に携わるようになって気が付いた。

 海賊行為だけでアーモンドプードルだのバニラオイルといったお菓子作りのための高級食材なんて到底賄うことができないのだから、ビッグ・マム海賊団が国土を有しているのも当然である。略奪できないなら作るしかないのだ。

 

「では、こちらに受け取りのサインをお願いします」

「ああ」

 

 ペロスペロー氏はボードに貼った配達票に慣れた手つきでサインをしてから、ふとこちらを見下ろした。

 

「ところで、先日の話は考えてくれたかね?」

「う」

 

 あまり聞かれなくなかったので、ぎくりと反応してしまう。さてはこれが言いたくて待ち構えてたのか。

 

 実は先日、ペロスペロー氏を筆頭にしたビッグ・マム海賊団の何名かに『御用配達人』になる気はないかと持ちかけられたのである。音に聞こえた将星なんて武闘派で囲まないで欲しい。あれがカツアゲだったら有り金全部はたいていた。御用商人はともかく御用配達人なんて聞いたことがないがまぁ、蓋を開ければ簡単な話。

 

「知っての通り、製菓材料は鮮度が出来を左右する物が数多く存在する。卵や生乳、傷みやすい桃やこのイチゴなんかもそうだ。この世界で『採れたてのものを時間差なく使える』なんていうのはね、製菓に携わる者にとっては夢のまた夢のような話さ」

 

 新世界の海は不安定なんて言葉じゃ足りないくらいの気候具合で、それに伴って船便での安定供給なんてあまりにも博打要素が強い。しかも、船が揺れれば繊細な食材はそれだけで傷んでしまうし、熟すまでの日にちを逆算して採取するから食べ頃にドンピシャで到着させられるかというのも微妙なところだ。

 僕の場合、生産業者からの配達依頼をちゃんと受けるようになってからは収穫したばかりのものをその場で『固定』して箱詰め、運搬してきた。『最高のものを最高の状態で届けたい』というのは職人気質としてごく自然なものであるし、僕としても否やはないので軍曹と一緒に精一杯協力した。協力したのでこの結果だ。どうしよう。

 

 ペロスペロー氏の話はまだ続く。

 

「それに、材料だけじゃない。ケーキ、アイスクリーム、プティングに……ああ、クーベルチュールチョコレートなんて風味に影響が出てしまうからね。『出来たてのお菓子を時間差なく提供できる』というのも、我々にとっては何より重要なのだよ」

 

 ……なんか雲行き妖しくなってきた。

 確かに諸島のあちこちで常に作られているお菓子の中にはクッキーやマカロンなどのそこそこ保存可能なものもあるけれど、生菓子も数多く存在する。ある程度は保冷剤などでリカバリーもできるだろうけど、限界はある。

 

 今までビッグ・マムにお菓子届けてください、みたいな依頼が来たことがなかったのは防犯上の話だと思ってたんだけど……これはもしかして。

 

「わかるかね? きみという存在は、私たちにとって腕のいいパティシエ……場合によってはそれ以上の価値がある。材料はお菓子作りの要。お菓子の鮮度は味の命さ」

 

 キャンディケインがすいっと動き、僕を示す。

 

「ママにきみの存在を知らせていないのは、まだ『確保』できていないからに過ぎない。美味しいお菓子がとびきり『美味し~いお菓子』に化けるんだ。知ったら最後、ママは絶対にきみを逃がさないだろうぜ。それこそ、おれたちと結婚しろとか言い出しかねないな。ペロリン♪」

「結婚はともかく、脅迫されてるような気がするんですが」

 

 ペロスペロー氏は心外だとばかりに肩を竦めた。

 

「まさか。ただ、我々が海賊行為をせずにこうして『交渉』している意味を汲んで欲しいとは思っているよ」

「えー……」

 

 紳士的なんだか強引なんだか微妙なラインだが、行動してないだけマシだろうか。

 ビッグ・マム海賊団専用の配達人という肩書きは僕にとって特に魅力的とは感じない。むしろ厄介の種にしかならない気がするので遠慮したいというのが本音である。主にお父さんのアレとかドフィとかのソレで。おっかない噂ばっかり聞くしなぁ、ビッグマム海賊団。

 

「船で寝泊まりしているそうだが、万国のどこにだって家を用意するぜ?」

 

 駄目押しのように一言。

 一介の個人営業配達業者にここまで優遇措置をとるというのだから、本当に僕のことを買ってくれてはいるらしい。

 

 ただなぁ……。

 

「……あのー」

「?」

「『キャンディ大臣』というお役目を預かっている方に言っていいことじゃないとは、思うんですけど……」

 

 さすがにお国を預かる方々のひとりに言うのは憚られて、口をもごつかせる。

 

「構わない。言ってみたまえ」

 

 視線に僅かな威圧を感じて、仕方がないと腹を括る。

 お父さんとかドフィの問題は横に置いても、僕はこの国に定住したいとは思わない。

 

 その理由は。

 

「僕、この国ちょっと苦手です」

 

 途端、足元からじわりとまとわりつく硬い感触。だから言いたくなかったんだけど。

 ペロスペロー氏のキャンディケインから伸びる飴がするすると身体を這い上がってくる。

 

「……それは、海賊が治めている国だからか?」

 

 シルクハットの隙間から覗く瞳は先ほどまでとは全く違う、それこそ『海賊』としての昏い色を宿してものすごい。

 

「あ、そこじゃないです」

「は?」

 

 即答すると、ペロスペロー氏は気の抜けた声を漏らした。染み出していた殺気がもろもろと砕けていく。

 じゃあどういうことだと言外に問われ、ものすごくしぶしぶと続けた。

 

「そのー、この国って家とか服とかみーんなお菓子で出来てるじゃないですか。雨かと思えば水飴だし、雪かと思えばわたあめだし」

 

 ペロスペロー氏が『キャンディ大臣』なんて役目を請け負っているのは、万国の建物の窓なんかが彼の管轄だからだ。

 ヘンゼルとグレーテルの魔女の家よろしく、この国の建物はほぼお菓子で出来ている。賞味期限切れにはそれを食べ尽くす専用の業者がいるくらいだ。ついでに天候もなぜだか甘い。あとチョコレートの島とか島中がほぼチョコレート製だ。噴水までチョコレートなのだから恐れ入る。

 

「ああ、それが?」

「居着かない理由、それです」

 

 生まれた時から住んでいれば慣れきっているから気付かないかもしれないけれど、僕にとっては右見ても左見てもお菓子、お菓子、お菓子の匂いのオンパレード。

 

 とても、しんどい。

 

「甘いものは嫌いじゃないですけど、四六時中チョコレートの香りとかカラメルの匂いに囲まれてると、もう食べる前からお腹いっぱいというか……匂いだけで糖尿になりそうで、ちょっと」

 

 正直、この国のひとは成人病とか虫歯にならないのかたまに心配になる。

 鼻が麻痺しきってしまえばまた話は変わるのかもしれないが、年がら年中甘い甘い匂いが充満している島にいるのはそこそこ辛い。僕が船で寝泊まりしているのは、潮風の強い海辺がいちばん匂いが薄いからだ。

 

「……」

 

 飴の拘束はいつの間にか解けていた。

 僕の話を聞くにつれ『え? この世に甘い匂いが嫌いな人なんているの?』みたいな顔で硬直していたペロスペロー氏は、じゃっかん可哀想なものを見る顔になってぽつりとつぶやいた。

 

「……きみ、糖尿病だったのか」

「いえ。なってないです」

 

 なりそうなのはむしろこの国の国民である。

 

「……そうか」

 

 なんとも言えない微妙な空気が漂い、とりあえず次の依頼の話になった。

 

 御用配達人の話はうやむやになった。助かった。

 

 

 

 

 




砂糖を煮詰める香りって暴力的なまでに甘いですよね
あ、ネタの詳細は主人公設定に追加しました


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新生活と諸島編 1.A Lover's Concerto

ここから原作軸まで巻きます。ぐるぐる巻きます。


 

 

 治療費で路銀が尽きた。

 

 オペオペの実を巡るドンキホーテ海賊団と海軍と、僕ら三人ぼっち(内一名は非戦闘員どころか病人)のパーティで繰り広げられた三つ巴の闘争は、一応僕らの勝ちだと思いたい……で幕を閉じた。

 ローも無事にオペオペの実を食べられたようだし、海軍に保護されたとドフラミンゴが言っていたので当面の心配はいらないはず。病気に関しては本人の技倆に期待するしかないが、彼は大した努力家だったのでさほど不安はなかった。

 問題といえば、コラソンことロシナンテが『ロー以外に治療されるのイヤ、絶対』と空前絶後のわがままを言うので、僕が『能力』で凍結保存せざるを得なかったことだが、これはローが成長してめでたくお医者さんになれば自動的に解決する話。いや探し出したりなんだりする手間はあるけど。……あと何年かかるんだろう。

 

 そうなると、残った問題は自分自身のことで。

 

 ロシーには及ばずともこっちもわりと怪我人だった。怒濤の展開と脳内麻薬で麻痺してただけだった。

 ローに会うにせよロシーを『固定』し続けるにせよ、まずは自分が生き延びないと話にならない。

 ゼロ距離で自分に拳銃ぶっ放すなんてキ印入った真似をしてしまったため、入院は避けられず、そうなると身体が資本の賞金稼ぎはお金を稼ぐ手段を失ってしまうということで。

 

 退院してからなんとか節約しつつ移動していたけど、新世界への登竜門もといシャボンディ諸島で遂に資金が底を尽きてしまった。世知辛い。虎の子だった宝石類もローにあげてしまったからすっからかんだ。

 

 シャボンディ諸島は新世界への入口。

 

 有象無象の海賊やら人買いやらがわんさかいるため、賞金稼ぎも困らない環境である。その分レベルが軒並み高いので、体力が回復しきっていない自分ではちょっと相手しきれるか自信がなかった。

 しかし、お金がないのは首がないのと同じこと。

 

 要は、島からも出られない。

 

 どうしたもんかとウロウロしている間に道に迷って、ひょんなことからシャクヤクさんという女性と知り合い、彼女のお店で住み込みバイトをさせて頂けることになった。ありがたい。

 

 シャクヤクさん──シャッキーさんが経営しているバーは、ぼったくる雰囲気が全面に押し出されている。とても潔くて好きだ。

 そこで僕はお運びさんをしたりお皿洗いをしたり、暴れる海賊を物理で制圧したりついでにぼったくりの手伝いをしたり、と細々した雑用をこなしつつ日々を過ごした。

 

 ちなみに軍曹は夜になると僕の部屋に戻ってくるけど、昼間にどこで何をしているのかはいまいちわからない。

 時々、人さらい屋がバカでかい蜘蛛に襲われたとかの噂が流れてきたけれど、いまいちわかりません(すっとぼけ)。

 

 シャッキーさんのお店に訪れるお客様はやっぱり海賊が多いのだけど、たまに凄いひとが来るので油断ができない。

 いちばんびっくりしたのは、コーティング屋のレイさんことレイリーさんという初老の男性。なんと彼はかの『海賊王』の副船長だったそうだ。すごい。

 

 コーティングの腕に関しても一流だとのことで、早速お願いした。

 シャッキーの従業員から金を取るのはと渋い顔をされたのだけど、さすがにそこまで甘えるわけにもいかない。技術には相応の金額を払うべきだと全力で主張して、割引で引き受けて貰えることになった。

 

 『海賊王』のクルーだったレイさんはなかなか破天荒なひとで、お店に居着いていると思ったらいなくなったりと忙しい。

 

 ようよう体力も回復して、休日には手頃な賞金首を狩り出せるようになり、そろそろコーティング代もできるかなぁなんて思っていた頃。

 

 レイさんがとんでもないお客さんを連れて来た。

 

「おっ、ミオじゃねぇかどうした? 賞金稼ぎやめたのか?」

「あらミオちゃんと知り合いだったの?」

「うわああシャンクスさん!? お久しぶりです賞金稼ぎやめてません! それより、うで!うで!」

 

 

 それがなんと赤髪海賊団船長シャンクスさんそのひとで、しかもお別れしている間になにがあったのかシャンクスさんはトレードマークだった麦わら帽子と、片腕を無くしていた。

 僕の仰天ぶりにシャンクスさんは喪失した腕の辺りを撫でながら「ああ、これはちょっと色々あってな」と少し笑った。

 

 その笑顔には後悔の欠片も窺えず、ただ満足だけがあった。

 

 そうなると追求なんて野暮天は到底できなくて。

 

「……いろいろ、あったんですか」

「おう」

「めちゃめちゃびっくりしました」

「だよなぁ」

 

 いつもみたいにだははと笑ってから、シャンクスさんはレイさんとお酒を酌み交わし始めた。

 そういえばシャンクスさんも海賊王の元船員。見習い、だったか。尽きぬ話があるだろう。

 

 帰りしな、シャンクスさんが新世界に行くけどついでに送ってやろうかと言ってくれたので、ありがたくお言葉に甘えさせてもらうことにした。

 

 シャッキーさんから餞別に電伝虫の番号をもらい、ちょいちょい顔を出しに来ることを約束した。

 

 シャボンディ諸島はいい狩場かつ海軍本部も近いとあって、情報収集にはうってつけだ。

 

「あなたの部屋は残しておくから、いつでも来てちょうだいね」

「はい!シャッキーさん、いろいろありがとうございました!」

 

 煙草片手ににっこり笑うシャッキーさんに深く頭を下げてから大きく手を振って、シャボンディ諸島をあとにした。

 

 

 

×××××

 

 

 

 モビー・ディック号に帰ったら、心配していたみんなにもみくちゃにされた。

 

 怪我してから連絡こそ取っていたけど、帰れていなかったので当然といえば当然である。平謝りした。帰参が遅くなりまして候。

 

「なんで弟に会いに行くだけでそんなずたぼろになるんだよい」

「えーと、ケンカ別れしちゃって」

 

 呆れたようなマルコさんに苦笑いしつつ誤魔化した。

 

 実際はケンカ別れ、と称するにはヤバすぎるものだったけれど、濁した。下手に心配されたくない。

 マルコさんはふーんとか言って半眼になり、おもむろに僕の左手を掴んだ。長めの袖をくるくるとロールアップされて、手の平に新たに出来上がってしまった小さな痕が露わになる。

 

「ちょ、」

「姉弟喧嘩で弾痕こさえるほど、物騒な弟か?」

 

 なぜ気付く。

 

 銃弾が一発貫通したせいでどうしても痕が消えずに残ってしまったのだけど、小さいものだからまず気付かれないと思っていたのに。

 いえいえあははとか言いつつなんとか引き抜こうとするもののマルコさんの手はいっかな緩まず、むしろ早く言えと視線で急かしてくる。傍目には散歩に行きたくない犬状態だ。とても恥ずかしい。

 

「これは、そのー、ちがくて」

 

 ヤバイ。マルコさんの気配がめっちゃこわい。

 

 これ以上誤魔化そうとすると物理で聞き出されそうな気がする。いや、あの時は最適解だったんですって。マジでマジで。

 逃げたい一心で顔を逸らそうとしたら片手でぐわしと顔面を掴まれ、無理やり視線を合わせられた。ガンを飛ばされているというか、圧力すら感じるくらいの迫力である。ひええ。

 

「逸らすんじゃねぇよい」

 

 声ひっくい! 怖っ!

 

 指の力が強くなり、頬が潰されてみしみしいってる。これはひょっとして、かぎ爪が出かかっているのでは?頬骨がじんじんしてきた。痛い。

 もはやこれまで。

 

「う、あ、あれです! 自分で誤射しました!」

「はァッ?」

 

 詳細は省くけど、誤射といえば誤射だ。たぶん。地面か空かそうでなければ誰もいないどっかに撃てれば最高だった。

 あながち間違ってはいないけどすごくグレーな返事に、マルコさんは納得がいかないのかしかめっ面をしていたけれど、こちらがなんとしても言わないという空気を感じ取ったのか、結局ため息をひとつ吐いてアイアンクローをやめてくれた。

 

「……おれたちがいないところで無茶ばっかすんじゃねぇよい」

 

 最終的にはデコピン一発で許してくれました。首がもげ吹っ飛ぶような衝撃でした。星が見えた。

 

 それからお父さんのところに行って、報告と話をした。口に出してみると、自分の中でも案外整理がついていないことに気付いて内心驚く。だから、あまり言えることは多くなかった。

 弟たちには無事に会えたこと。

 色々あってケンカしてしまったこと。

 とっても賢くて頑張り屋さんの子供と暮らしたこと。ちゃんと言えたのはそれくらい。

 

 お父さんはまとまっていない話を黙って聞いてくれて、最後に頭を撫でてくれた。

 

「よく帰ってきたなァ」

 

 ほっとしたような、安堵と心配が混じった声だった。

 それで、帰って来れたんだと、おかえりと迎えてもらえたことが実感として浸透してきて、じんわりと目が熱くなった。

 

 ようやく、思ったより長かった『お出かけ』が一段落ついたと思うことができた。

 

「ただいま、戻りました」

 

 そんな僕を見て頃合いと思ったのか、お父さんはややあってからひとつの提案を口にした。

 

「なぁおい、ミオ。白ひげを背負ってみるか」

 

 賞金稼ぎとして動いているとき、僕は一切お父さんの名前を出さないし、利用しようと考えたことなんか一度もない。

 

 その分自由だけど、孤独はついてまわる。

 

 今まで、それは必要な措置だった。

 

 だって、ドフィたちがどんな職についているのか分からなかったから。海賊という文言だけで忌避されることがないとはいえない。

 

 けれど、そういう意味で区切りはついた。そう判断したからこそ、お父さんはそう言ってくれたのだと思う。

 背負うというのは、白ひげの庇護に入るということ。

 

 守り守られ、家族のように、ではなく──本当の『白ひげ海賊団』の家族として。

 

 居場所にして、いいんだと。

 

 それはとても魅力的な誘いだった。とりわけその時の僕は落ち込んで、しょんぼりしていたことも要素のひとつだ。

 実の弟たちが、片方は殺す気で銃把を握り、片方はかろうじて生きているけれど会話もままならない。

 

 だけど、だけど。

 

 無意識に唇を噛んで、拳を握った。

 ローのことが頭にちらついて離れない。海軍に保護されたということが事実だとすれば、ローはどこかの片田舎の医者なんて牧歌的な道よりも軍属に入る可能性の方が高い。

 

「……」

 

 例えば、大きくなったローにいざロシナンテを治療してくださいとお願いしたときに、海賊の言葉を聞けないと突っぱねられたりしないだろうか。

 これまでの付き合いでロー本人がそんな事を言い出すとは思えないけど、彼を取り巻く周囲はどうだろう。環境がそれをゆるしてくれるだろうか。わからない。考えすぎなのかもしれない。ただの杞憂なのかも。でも。

 

 自分の選択がロシナンテの命を握っていると思うと、どうしても受け入れることができなかった。

 

 だから考えて、考えて、挙げ句に出てきたのは……わがまま千万なものだった。

 

「僕、賞金稼ぎのままでいたい。でも、お父さんの子供のままでいたい……それは、いくらなんでもずるいよね」

「べつにずるかねェよ」

 

 お父さんは即答してくれた。

 

「そりゃ、これまでと変わらねぇってこった」

 

 そう難しく構えんなとお父さんは笑ってくれた。いくらなんでも甘えすぎだろうか、とおそるおそる聞いたら「家族に甘えねぇで、一体誰に甘えんだ?」と不思議そうに返された。

 

 それで、ちょっとだけ楽になった。

 

 僕の悩んでいることは、ちっぽけなものだと思わせてくれた。

 

 

「お父さん、ありがとう」

 

 

 

 



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幕間.ある夜の繰り言

 

 

 (暫定)成人した誕生日にどっさりのプレゼントに囲まれて、酔っ払った頭でぼんやりいろいろ考えた。

 

 ぶっちゃけ、ひとところの世界に留まって二十歳を数えたのは初めてのことで──こんなにあっけなく越えられるものなのかとびっくりした。

 

 とにかくがむしゃらに走り回って鉄砲玉よろしく突っ込んで、ご破算。ご愁傷様。死して屍拾う物なし。

 

 そんな人生ばっかりだった。

 

 だもんだから、成人したらもっと劇的に『大人』になるのだと思い込んでいた。

 年相応の考え方とか、落ち着きとか、そういう大人に必要な要素が合体ロボみたいにくっつくのかな、と。

 

 けど、いざ体験してみたらぜんぜんそんなことなかった。

 思考も性格も感覚も全部が地続きで繋がってて、ぜんぜん変化なんてしなかった。そんな自分にがっかりする。

 

 誰かがおふざけで入れたらしい煙草を見つけて、吸ってみた。苦くてまずかった。しかもニコチンが重かったのか気持ち悪くなってひっくり返った。

 

 目が回る。馬鹿だ。

 

 なんでロシーはこれが好きなんだろう。苦いばかりで美味しくないし、お腹に溜まらないし、けむったいだけだ。

 余ってるのが勿体なくて、一気に残りを吸った。先端がぢりりと音を立ててどんどん灰になって、むせた。涙目になって吐くほど咳き込みながら、自分よりとっくの昔に二十歳を迎えた弟たちのことを考える。

 

 ドフラミンゴもロシナンテも大事な弟だ。

 

 それは変わらない。大好きで、大切で、失いたくなかった。どちらも。

 

 どっちの味方をするのか、ぱっきり決められれば楽だった。でも、そんなの無理だった。

 

 ……ほんとは、ちょっとだけ分かってた。

 

 二人の間に、埋めようのない溝ができていたこと。

 

 食事中の筆談でなされる会話や、すれ違うときの動作、誰かとの電話、ちょっとした時に感じる雰囲気の変化……あちこちに落ちている憂慮の種は、どうしようもないくらい、お互いの心が離れてしまっていたことを示唆していた。

 

 僕は、そんな崩壊の予兆を見ないふりしていた。

 

 ぎりぎりで保っていた均衡を崩してしまう何か、引き金のようなものを自分が引いてしまいそうで恐かったから。糾弾することも、話し合うこともせずにただ逃げたんだ。

 

 ずっと会いたかった。

 

 長い長い時間の果てで、初めてできた弟たち。

 

 でっかくなってても関係なかった。びびって顔だけ見ようと思ってたけど、いざ再会したらそんな気持ちは一発で吹き飛んでしまった。

 

 僕は二人といたかった。できるだけ、長く、一緒に。

 

 やっと会えたことに、変わらず好きでいてくれたことに浮かれてた。

 嬉しくて、幸せで、嫌われたくなかった。捨てられることを恐れた。

 

 初めてできた家族に、長く別れていた大好きなひとたちに嫌われてでもいいから向かい合う、なんて勇気をだせなかった。

 

 きっと三人揃って同じ所でご飯を食べられるのは、そう長い間じゃないと心のどこかで察してて、それでも臆病で弱虫で、おまけに意気地なしでずるい僕は、惜しんで、甘えていた。

 もう少しだけ、あとちょっとだけと、口の中に残っている飴を惜しむような気持ちで。

 

 あれも大事、これも大事で欲張って、結果がこれだ。自分のろくでもなさにうんざりする。

 

 本当は──どうすればよかったんだろう。

 

 僕がもっと頭がよくて、ちゃんと『年上のお姉ちゃん』だったら。誰も思いつかないような華麗な手段で快刀乱麻に問題解決、誰もが納得できるハッピーエンドになったのだろうか。

 そういう『大人』になってたら、もっと上手くやれる方法が思いついていたかと期待してたけど、これじゃあてんでだめだ。

 

 身体も心も大きくなれない僕は、年食っただけの子供だ。

 

 どうするのが正解だったんだろう。

 きっとどこかで間違えた。

 ちゃんとケンカすればよかったのかな。変な八つ当たりしないで本人に直接ぶつけてたら、何か変わっていただろうか。そんなの今更、遅いけど。

 くだらないことでカッとなって、いや僕にとったらくだらなくないんだけど、めちゃめちゃ気にしてることだったんだけど……ああ、いやだな。言い訳してる。すごくみっともない。恥ずかしい。こういう風に考えてるとき、僕は必ず間違えてるんだ。

 

 今でもちゃんと好きだよ。ロシーぶち抜ぬこうとしたのは、許してないけど。

 

 父様のことは、確認したかっただけで実はあんまり怒ってない。

 

 きっと一生口にすることはないけど、僕は父様も母様も嫌いじゃなかった。

 けど、好きかどうかは今になってもわからないんだ。ふたりが大事にしてたから、がっかりはしたけどそれだけだ。

 因果は応報されるべきだから、巻き添えで死ぬような思いをしたきみは『それ』をする権利がある。

 オペオペの実に関しては後悔なんかしてないけど横からかっぱらったのはそうだから、50億請求されたら一生かけてでもちゃんと払う。ローの命の代金としてなら安いもんだし。

 

 

──ごめんね、ドフィ。

 

 

 

 



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2.とある凶報と押しかけ弟子

 

 

 ある日、新聞をとある記事が賑わせた。

 

 魂消るとはこのことか、というくらいにびっくりしたミオは椅子から転げ落ちてしたたかに頭を打ってしまったのだが、さておき。

 過日、ドンキホーテ・ドフラミンゴがドレスローザという国の国王になったそうだ。あと七武海の一員になった。

 

 意味がわからない。七武海入りはまだわかるけど、海賊が国を治めるとは一体なにごと……?

 

 しかし、これでミオはいよいよもって白ひげどころか、そこらの海賊に所属することもできなくなってしまった。

 

 なんせドフラミンゴは絶大な権力と、海軍の中枢に食い込む七武海のひとりになってしまったのだ。

 

 海賊になる→賞金首の手配書が回る→ドフラミンゴに見つかる

 

 絶対こうなる。そうなったらとても困る。

 ロシナンテが全快してるなら見つかってもまだ、どうとでもなるんだけど、そうじゃないから駄目だ。

 

 白ひげ入りしなかったのは良かったのか悪かったのか……お父さんに迷惑かけたくないから、良かったと思おう。

 

 ミオは一年の数ヶ月くらいをシャボンディ諸島のシャッキーのお店を手伝いながら動き、残りは白ひげの敵になりそうな海賊を狩ったり、あっちこっちの海に出かけて評判の悪い海賊を決め打ちして活動している。新世界への玄関口なので情報が集まりやすく、他の賞金稼ぎがたくさんいるシャボンディ諸島は隠れ蓑としてちょうどよかった。

 

 そうこうしている間に、白ひげ海賊団の中では『食客兼賞金稼ぎ』という、傍から聞いたら意味のわからない地位を徐々に確立していくことになった。

 

 客というには近いけれど、常に白ひげ海賊団に所属しているわけではないから、家族といわれると本来の『白ひげ海賊団』とは少しずれがあるのが主な理由だ。

 元々、ミオが来る前もあとも基本的に傘下を除いて、白ひげ海賊団は女性の隊員はいないということになっている。

 白ひげことエドワード・ニューゲートその人が直接『託された』から一員扱いされていたので、そういう意味では妥当ともいえた。

 

 数年経った頃、能力者の能力を『引き継いだ』という特殊性ゆえなのか、ミオの身体はある時期を境にさしたる変化をしなくなってしまった。記憶に残る『生前』よりはほんの、ほんのすこーしだけ身長が伸びた気がするのだけど、周りが大きすぎてぜんぜん変わらない。ついでに胸もあまりない。この世界における胸囲の格差社会がつらい。

 

 精神は肉体の奴隷とはよくいったもので、いつまで経っても少女と女性との境目をうろうろしている気がする。おかげで白ひげの新入りにも毎回末っ子扱いされるのがとても遺憾である。

 

 何度か、スワロー島にもミニオン島にも行ってみた。海軍に保護されたと仮定すれば居着いてるとは思えなかったけれど、それでも気になった。結局、ローに会えることはなかったけれど……。

 

 誕生日プレゼントの中にカメラがあって、折に触れてはあちこちで写真を撮るようになった。

 

 なぜか遭遇率の高い赤髪のシャンクスに『東の海』はいいところだぞと激推しされたので、どれどれと試しに行ってみた。

 ご飯のすっごく美味しい海上レストランで舌鼓を打って、海賊王が処刑されたというローグタウンにも観光に寄ったところ、海兵と知り合った。スモーカーという名前で、悪魔の実の能力者の青年とその部下のたしぎ。

 

 たしぎはともかく、スモーカーという名前はロシナンテに聞いたことがあったから驚いた。

 

「坊主じゃないんだ……」

「あァ?」

 

 思わずつぶやいたら、この一言が知り合うきっかけになった。

 ロシナンテのことを尋ねたらたいそう驚いた顔をされて、昔世話になった中佐の名前だと言葉少なに教えてくれた。

 

「そういうアンタは中佐のなんなんだ?」

 

 姉です、と言うと弟にいらん性癖の容疑がかかりそうだったので、ちょっと考えてから答えた。

 

「お互いに大事なひとです」

 

 ちなみに、ミオは実年齢と外見年齢がどうがんばっても一致しないので自然と(見た目が)年上っぽいなひとには敬語を使うようになった。その方がトラブルが少なくていい。

 

「そうか……」

 

 その答えをどう捉えたのかは分からないけど、スモーカーはロシナンテ中佐の話は最近聞いていないから答えられない、と少しだけすまなそうに告げた。

 

「おれも気になっちゃいるんだが、悪いな」

「あ、いえ」

 

 当の本人は『固定』されて自分が所有しています、とは口が裂けても言えないので大丈夫です情報提供感謝します、と頭を下げた。

 それから思いついて、トラファルガー・ローという名前の見習いとかがいるかどうか聞いたら、自分の知る限りでは知らないとのこと。空振り。

 年齢的にいえば見習いとか雑用とかかもしれないので、さして期待していなかったから落胆も少なかった。

 

 たしぎとは刀談義で盛り上がり、賞金稼ぎより海兵になりませんかと勧められた。

 海兵は無理だけどお友達になりたいですと申し出たところ、ちょっとだけ驚いてから了承してくれてめちゃめちゃ嬉しかった。潤いの少ない男所帯ばかりだったので、貴重な女友達ゲットだぜ。

 

 これ以上逆走すると戻るのも一苦労なため観光はその辺りでストップして方向転換。双子岬の灯台守と大きなクジラに挨拶して、グランドラインに入った。

 

 ら、途中の島で弟子ができた。

 いやほんとに、なんでか。

 

 立ち寄った島で買い物をしたところ、今ここにタチの悪い海賊が居座ってるから、この買い物が終わったらすぐ島を出た方がいいと店主に忠告されたので、じゃあその海賊潰してこようと軽い気持ちで軍曹と一緒に海賊船を発見、強襲した。

 白ひげと新世界の海賊を相手にしてきたミオにとって『東の海』の海賊なんてものの数ではなかった。さくさく退治して回り、最後のひとりをタコ殴りにしていると視線を感じた。

 

 すわ残党かと顔を上げると、栗色の髪をしたまだ少年とも青年ともいえない微妙な男の子が年齢に不似合いなぎらついた目でこちらを見つめていた。

 

「頼む! 弟子にしてくれ!」

 

 そして開口一番、そんなことをのたまった。

 

 なんでも彼も賞金稼ぎとして動いているのだが、ガタイの違いで当たり負けしてしまうこともしばしば。体格が近いのに海賊を一掃できる腕前を盗みたいのだとか。

 我流で鍛えるには限界があるし、かといって師匠と仰げるような賞金稼ぎには出逢えた試しがない。だから弟子にしてくれと詰め寄られた。ほぼ押し売りである。

 

 大したことは教えられないけど、それでもいいならと了承した。ヒマだったし。

 

 シュライヤ・バスクードというこの世界では珍しい並びの名前の少年は、とにかく強くなることに貪欲で熱心だった。ちょっと昔のローを思い出して懐かしくなった。

 組み手をしてみたら、生まれ持った才能なのか身体能力が高く柔軟で、俊敏性に長けていた。

 ついでに動体視力にも優れていたので何かひとつの武器を決めて使うより、その辺にあるものを利用してのテクニカルタイプの方が似合うと思ったのでそう告げた。どうやら本人も特定の武器に固執するタイプではないらしく、あっさりと頷いた。

 

 あとは思考の瞬発力と反射の鍛錬をするために、場所を変え品を変えひたすら実践形式でやり合った。

 時々、手頃な海賊船を見つけて放り込んだり文句をつけたり、つけられたりしている間にシュライヤはどんどん強くなって、あるとき潰したい海賊がいるのだと零された。そこには隠しきれない憎悪が見え隠れしていて、ああなるほど、似ているわけだと納得した。

 

 相手を殺さないように捕らえるには相応の技術が必要なので、とにかく相手を戦闘不能に陥らせる戦法と、士気を削ぐ技術を磨くことに腐心した。

 そうして活殺自在というには荒削りだが、新世界はともかくグランドラインで生き抜けるくらいの知識と技術を教え込めたので、もう立派に独り立ちできると太鼓判を押した。

 

 職業が同じでも生きる指標も場所も、何もかもが異なっている二人である。

 

 連絡はしていたけれど顔をとんと出さないミオは、いい加減白ひげに帰らないと家出娘扱いされそうだしシュライヤには果たすべき目的がある。僅かな邂逅を留め置こうとて限界があった。

 

 ミオはここ数年でずいぶん身長が伸びて追い越されてしまったシュライヤの顔を見上げて頷いた。

 

「シュライヤはもうどこに行っても大丈夫。保証する」

「ああ。今までありがとよ、師匠」

 

 シュライヤは帽子の鍔をつまんで寂しそうに笑った。

 元々、期間限定の師弟関係だ。それでもある程度を仕込むまでは、とここまで引き延ばして修行に付き合ってくれた。

 とびっきりの技倆と身体能力を持っているのに、合理主義のくせにお人好し。ひどく不均衡な心を持ったあほな師匠。

 

 秘密主義でもないくせに結局素性をバラすことはお互いになかったが、それも自分たちらしいと思う。

 

 短くはない年月を過ごした師弟にしては淡白な別れになりそうだったが、ミオは海岸に視線を向けてから口をもごつかせ、もう一度シュライヤをまっすぐに見つめて、不意に笑った。

 

「お礼を言うならこっちの方だよ」

 

 胸を張って、誇らしげに。

 

「シュライヤに押しかけ弟子されて、僕は賞金稼ぎでいてよかったと思えたから」

 

 自分で選んだ道ではあるが、白ひげや海軍の所属を考えたことがないわけではない。年単位という時間はいかにも長い。

 根無し草のような生活には必定、孤独がついて回る。

 

 無条件に受け入れてもらえることが分かっている大きな容れ物に所属したいと迷った夜は数え切れない。

 

 けれど、シュライヤ・バスクードという危なっかしい賞金稼ぎの押しかけ弟子ができたら、そんなことは言えなくなった。

 

 偶然できた弟子に救われていたのは実のところ、ミオの方だ。

 

「こちらこそありがとう、シュライヤ・バスクード。きみは僕の自慢の弟子です」

 

 そう言って差し出された手を握り、シュライヤも笑った。

 湿っぽい空気になるのはごめんだとお互いにわかっていたから、握手した手を一度離して拳を作った。

 

「おう、師匠も元気でな!」

「シュライヤこそ無茶しないで、元気でね!」

 

 ごつりと拳を突き合わせて、二人は最後まで笑顔で別れを終えたのだった。

 

 

 

 



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3.過日、白ひげにて

 

 

 年を重ねるにつれて、お父さんの具合が崩れる時が少しずつ増えてきた。

 若い頃に無茶をしたせいだと言うけれど心配で、不定期に戻るようになった。

 

 戻るたびに看護師が増えて、医療器具が増えて、お父さんが椅子に座っている時間が増えた。

 

 そしていつものようにモビー・ディック号に戻ると、お父さんから新入りの船員を紹介された。

 

「おれの新しい『息子』だ」

 

 大きな手がずいっと押し出したのは、くしゃりとしたくせっ毛で、そばかすがチャームポイントな黒髪の青年だった。

 七武海入りを蹴ったと新聞で報じていたので印象に残っている。ミオの記憶が確かなら彼は『スペード海賊団』の船長を張っていた『ポートガス・D・エース』のはずなのだが、なにがあったのか白ひげの一員におさまったらしい。

 

 しかしそんな大層な肩書きとは裏腹に、なんだか照れたように目線をそらしているのが面白可愛くて、ミオは相好を崩して新しい仲間の登場を喜んだ。

 

「おわー久しぶりの末っ子だ! ミオですよろしく!」

「お、おれはエース。よろしくな!」

 

 ぎこちなく差し出された手の平をぎゅうっと握ってニコニコするミオを見て、エースもにかりと笑った。

 

「グラララ……言っとくが、ミオはエースより年上だぞ。そうは見えねェだろうけどよ」

「うええッ!? 年上!? マジ!?」

「年相応の落ち着きがなくてごめんね! でもマジです」

 

 えへんと胸を張って実年齢を伝えると、エースは顎が外れそうなくらいな勢いで驚いた。白ひげの新しい隊員にミオを紹介したときの恒例行事のようなものである。

 

 あとから聞いたのだが、エースはかの『海侠』のジンベエ親分と五日間も喧嘩して(その時のエースはもっとガラが悪かったと聞いた)引き分けて、いざ白ひげ入りしてからもしばらくはお父さんを殺そうと狙っていたらしい。それが三桁に上るというのだから驚きである。けれど徐々にお父さんを認め始めて、最近ようやっと『家族』になったそうだ。

 

 余談だが、ミオが自分の立場というか賞金稼ぎであることを明かしてもあまり驚かなかったのは新鮮だった。

 大体は驚くし、場合によっては嫌悪されるし、こっぴどく貶されたことだって一度や二度ではない。

 

「海賊にだって色々あるんだから、賞金稼ぎにだって色々あったっていいんじゃねェか?」

 

 オヤジの迷惑になりそうな事はしないんだろ? じゃあいいじゃねェか。そう言ってもらえて、ミオはなんだかとてもホッとした気持ちになった。

 

「あ、おれは『姉ちゃん』って呼ばないといけねぇの?」

「どっちでもいいよ。エースが呼びやすい方で」

「んじゃ、ミオな」

 

 明るいひなたの笑顔を浮かべる新入り──エースが入ってからもミオの生活リズムはあまり変わらない。

 

 押しかけ弟子の育成中と期間が被ってしまったので、ジンベエの言う『人斬りナイフ』のような雰囲気を纏っていた時分のエースを知らないミオにとって、エースはいたずら好きで陽気な青年にしか見えなかった。彼の仲間たち(ペット込み)も白ひげ入りしているので事実上の吸収合併のようなものだろうか、と認識している。

 

 まぁ、変化があったとすれば。

 

「なぁなぁ、やっぱりミオも白ひげに入ろうぜ~!」

 

 なぜかエースに懐かれたことだろうか。そしてめっちゃ勧誘してくる。

 

 心当たりがあるといえば、どことなく弟子初号機……シュライヤに似ている気がして、ことある事に構い倒していたことだろうか。ちょっとした仕草とか、笑顔がお日様みたいなところとか、燃費が悪くて気が強いところ。さすがに食事中に突然死みたいに寝るなんてのはエースが初めてだが。

 

 だからなんとなく気になって、外見年齢が近いせいか『モビーディック』号にいる間はよくつるんで行動するようになった。見かけより手がかかるエースは、ミオのお姉ちゃん魂が刺激されてなにかにつけ世話を焼きたくてうずうずしてしまう。

 エースはエースで『どう見ても年下にしか見えないけど年上かつ白ひげ所属じゃないけど娘』という奇妙な生物が気になるらしく特に反発もせず普通に接していた。

 傘下でも白ひげでもないことを本人が望んでいるという変な距離感を面白がっているフシがあり、例えるなら実家近くに住んでる付き合いのいい兄ちゃんという感じだった。

 

 そんな気安い間柄だったのだが、最近やたら白ひげに入れと誘ってくるのである。

 色んな賞金稼ぎ云々と言ってくれた張本人のくせに。ナースより身近で付き合いやすいとか言ってた日々が懐かしい。手のひらくるっくるですごく戸惑う。

 

「なんと、今ならおれの部下になれるおまけつき!」

「入らない~、今の生活気に入ってるから~」

 

 子泣き爺のように背中にべったり貼り付くエースを引きずりながら船内を歩いていると「おーい、またエースがミオの背中にくっつき虫してるぞー」「重くなったら剥がせよー」と実に適当な激励を頂いた。

 もうこうなったら本当に子泣き爺として扱ってやろうか、としゃがんで足を掴んでおんぶしようとしたら「それはやめろ!」と器用に避けられた。しかし背中から離れるつもりはないらしく、お返しとばかりにヘッドロックを決めようとしてくるので腕をつねって牽制。

 

「いってぇ! わざわざ皮膚の内側を狙うんじゃねぇよ、底意地悪ぃの」

「エースがヘッドロックしようとするからじゃん。大体、なんで今更勧誘?」

 

 背中におぶさっているぬくもりはぽかぽかと熱いくらいだ。

 さすがに火傷はしないけれど、それでも湯たんぽでもくっつけてるんじゃないかと錯覚するくらいにはあったかい。彼が『メラメラの実』の能力者だからだろうか。

 

「だってよォ、ミオっていっぺん海に出ると何ヶ月か戻ってこねぇじゃん」

 

 確かに。

 

 ミオが海に出るときは遊撃兼賞金稼ぎのいわゆる本業か、シャボンディ諸島に出向いてシャッキーのぼったくりバーでバイトの時なので、一度外出してしまうとなかなか戻って来ない。

 それがすごくつまらないのだとエースがぶうたれるのでミオは眉を八の字にした。

 

「なんだそりゃ。エースってそんなに寂しがりだったっけ?」

「んなことねーよ。けど、ミオいねェと……」

 

 自分でも感情の整理が追いついていないのか、エースにしては珍しく歯切れの悪いもそもそした喋り方である。

 

「なんか、いつもよりつまんねぇ」

「ふーん? だが断る」

「バッサリ切るなよ!」

 

 うがー、と怒りながらもエースがミオを抱きしめるというか、しがみついている手はゆるまない。

 むしろぎりぎりと締め上げてくるので、離してたまるかという意思すら透けて見えそうだ。

 

「ごめんごめん。でもだめー」

 

 念押しに指で×印を作ると、剣呑な空気のままヘッドロック手前だった腕がほどかれて手が伸びてくる。片方の人差し指を掴んでぐにっと曲げられた。普通に痛い。

 

「いたいでござる」

「いたくしてるんでござるぅー」

 

 文句を言ってもどこ吹く風だ。完全に拗ねている。どうしたらいいんだろうか。

 というか、自分の周りはミオ含めてこんな感じの人ばっかりだ。

 子供のまま大きくなって、それをぜんぜん恥じたりしない。海賊というのはそういうものなのかもしれない。

 

「じゃあ、よ」

「んー?」

 

 悩んでいると、それまでの不機嫌が鳴りを潜めて雰囲気が変わるのがわかった。

 エースはどこか探るように横目でミオを見て、握り込んでいた指を離して、それから。

 

「もし、ミオが白ひげに入ることになったら、そん時はおれの部下な!」

 

 ×印の間にチョップが入って、細い小指をエースの小指で掬い上げられ、絡めて、ゆらゆらと。

 

「予約だ。よーやーく!」

「予約かぁ……」

 

 怒ると言うよりは念押しするように凄まれて、ミオはちょっと考えた。

 

 白ひげに入る、もしもの話。

 

 いつになるかは分からない。シュライヤやローのことがあるから、永遠にこないのかも。

 でも、こうして部下に欲しいとせがまれるのは単純に嬉しいと思う。

 エースはミオが賞金稼ぎでい続けようとするに至ったいきさつや事情を知らないし、知ろうともしない。そういうやつもいるよな、程度のごく軽い認識で交友関係を築いてくれたのでミオとしても付き合いやすかった。

 そういう関係をご破算にする危険性を分かっていてなお誘いたいと思ってくれる程度には、気に入られているらしい。

 

 それならば、と。

 

「うん、予約ならいいよ」

 

 エースは了承するとは思っていなかったのか、きょとんと目を丸くして、それから慌ててミオの正面に回って肩を掴むと目線を合わせた。

 

「マジで!? 撤回はナシだぞ!」

 

 悲しいくらい信用がない。

 長年奇妙な立場を貫いてきたという実績があるので、そう簡単に覆るとは思ってしないのかもしれなかった。

 

「しないしない。ただ、そもそもこの先白ひげに入るかは……わかんないけど」

「そこはいいんだよ! おれが頑張るから!」

「が、がんばれ?」

 

 やたらと強い勢いに押し負けてなんとなく激励してしまった。

 

「おう!」

 

 エースはそれこそ太陽みたいにニカッと笑い、ミオから離れると拳を固く握って天井に突き上げた。

 

「──よ、っしゃああああ!!」

 

 じゃっかん肩の辺りがメラッとしたのは、それだけ昂奮しているのだろう。

 喜びすぎていてもたってもいられないのか、エースは「なんかじっとしてらんねぇから、ちょっと自慢してくる! あっ飯は一緒に食うから勝手に食うなよ!」とそのままどこぞへ走り去ってしまった。誰に自慢するつもりだろうか。

 

 あまりのリアクションに驚いて呆然としていると、背中に声をかけられた。

 

「あーあ、あんな約束しちまってまぁ」

 

 振り向くといつから聞いていたのか、マルコが呆れた感じで立っていた。

 

「予約なんて初めて言われたので、つい。あ、なにか問題ありました?」

「いんや。ただちぃとばかり、面白くないねぃ」

 

 そう言いながら近付いてきたマルコは、さっきエースが取った手とは反対の手の小指を自分の小指で引っぱり上げた。

 

「エースの部下がイヤだったら、おれの部下になれよい」

 

 小指とマルコの顔を交互に見てから、ミオはハッとした顔になった。

 マルコはミオの知る限り普段はすごく真面目なのだが、たまにストライキでも起こしたのかというほど書類を溜めることがある。

 

「ま、また書類溜めてるんですか? 何日分? お手伝いいります?」

「ちげぇ! いや手伝いは欲しいけど、そうじゃねェよい!」

 

 マルコは即座に否定すると、小指は離さないくせにぷいと目線を逸らしてしまった。ひどくつまらなそうな、あからさまに顔に面白くないと書いてある。

 その様子が年上なのになんだか可愛くて、小さく笑ってしまう。

 本当に、なんだってみんなこんなに自分に素直なんだか。あれこれ考えていつも尻込みしてしまうのが、ばかみたいに思えてくる。

 

「それも、予約です?」

「予約」

 

 もしそんなことになったらエースが離すことなんてねぇだろうけど、と苦笑しつつマルコは言った。

 

「おれたちの『妹』をぽっと出の若造にかっ攫われるのは、癪なんでねぃ」

 

 適当に指切りして、指先が離れる。

 

「……」

 

 ミオはその小指を両方ともしげしげと見つめて──ぶわわっ、と顔を赤くした。最初は首筋から温度計のようにみるみる頬にまで赤みが差して、耳殻までが紅潮していく。

 その様子をまじまじと見てしまったマルコは、思ってもみなかった反応にびっくりした。

 

「うぉ、どした?」

「いやあの、なんか……ふ、へへ」

 

 変な笑いを漏らしながらミオは火照った頬を冷ますように自分の手で両頬を挟み、視線をあちこちにさまよわさせてから、観念したようにくしゃりと笑った。

 

 泣く寸前のような、溢れそうな喜びがはち切れてしまいそうな、そんな顔だった。

 

「なんだか変ですけど、あの、すごい、うれしくて」

 

 叶うかどうかもわからない、仮定の話でも自分が仲間になったらと考えるだけで、あんなにも喜んでくれるひとがいる。

 それが自分でも驚くほど嬉しいのだと素直に語った。

 

 頬が紅潮したまま、だらしなく笑み崩れる顔を隠そうと口元まで手で覆おうとする様子は、実年齢を知っていてもひどく愛らしく映る。

 こう、あまり構われたがらないタイプの猫がようやく懐いてくれたような、妙な達成感があった。

 

 うちの末妹がこんなにかわいい。

 

 口に出したら余計に恥ずかしくなったらしく、もじくさと照れ倒しているミオの前で思わず天を仰ぐマルコだった。

 

 

 



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4.錯綜千夜一夜

 

 

 ニュース・クーに挟まれていた新しい手配書を部屋でめくっている内に一枚に目が留まり、わなわなと震え、ミオはゴンッとテーブルに頭を叩き付けた。

 ベッド脇で最近編み物に目覚めた軍曹がびくりと脚を動かす。

 

「海軍じゃないのかよぉおおお!!」

 

 

 痛恨事である。

 

 

 確かに、今年はルーキーが豊作な年だなぁとは思っていた。去年が不作だったのかもしれない。

 思い出すに、キャベンディッシュさんくらいしか印象に残っていない。

 シャボンディ諸島で恒例のバイト中になぜか花屋の前でばったり会ったところ、身構えられたのだ。一度、どこぞの海軍の駐屯所近くで海賊を引き摺っているところを見られたらしい。

 貴族のようなひらひらした衣服を纏った長身痩躯の、豪奢な金髪の巻き毛に端整な顔立ち。『美しき海賊団』という三日くらい徹夜したテンションでないと出てこなそうな名前の海賊団の船長は、その名に恥じない華やかな美形青年だった。

 そんな彼に新人さんは狩ったりしないから安心してください新世界で頑張ってね! と激励したらブチギレされた。

 

「間違いなく新世界の台風の目となるぼくに目を付けないなんて、賞金稼ぎの風上にも置けない! どうかしているとしか思えないね!」

「え、うん?」

 

 いや、目を付けないとかそういう話ではないのだけど。

 しかしキャベンディッシュさんは立て板に水とばかりに己の美辞麗句と愛馬の自慢をぺらぺら話し始め、いかに自分がこの先の海で脅威となるのかを説いてきた。

 十分くらいは聞いていたのだけど、いい加減面倒になってきたので迷惑そうにしていた花屋さんでいっとう綺麗に咲いていた薔薇を一輪購入して、キャベンディッシュさんに差し出した。

 

「キャベンディッシュさん!」

「そう、だから……うん?」

 

 差し出された薔薇を見てきょとんとするキャベンディッシュさんに、ぎこちなく笑った。

 

「キャベンディッシュさんがとっっても優秀な船長さんだということはよーく分かりました! 応援していますのでお近づきのしるしにどうぞ!」

 

 我ながらこんな感情の入らない言い方ができるのだなと思ったのだけど、キャベンディッシュさんはぱぁっと輝かんばかりに眩しい笑顔を浮かべて、薔薇を受け取ってくれた。

 

「そうか、狩らないとはそういうことか! きみがぼくのファンならそうと言えばいいものを! 新世界での活躍を楽しみにしていたまえ!」

 

 キラッキラの笑顔を浮かべたキャベンディッシュさんは、行くぞファルル! と手にした薔薇をてっぺんからむしゃむしゃ食べながら愛馬を駆ってどこぞへと去って行ってしまった。ああそれ、食べるんだ……。

 キャラが濃いというか、あそこまでナルシストなひとはあんまり見たことがなかったから驚いた。

 

 閑話休題。

 

 エースの弟らしい(しょっちゅう自慢している)『東の海』のモンキー・D・ルフィくん然り、『南の海』のユースタス・キッド氏然り、彼らが新聞を賑わすこと賑わすこと。このツートップに最近仲間入りを果たしたのが、『北の海』の海賊。

 

 ハートの海賊団船長、トラファルガー・ロー。その異名は『死の外科医』。

 

 手配写真の中のローはいつも被っていた帽子はそのままに精悍な顔つきになり、身体も大きくなっていた。相変わらず隈はひどいようだけど。無事に成長してくれていたのがわかって泣きそうになった。

 嘘ですちょっと泣きました。ホッとした。よかった。めっちゃ嬉しい。

 

 けど、海賊! 完全に想定外! なんでだ!

 

 あれ、おかしいぞ? おかしいぞ? ……おかしいぞ!?

 

 自分の部屋なので遠慮せず、腕を組んで考え込みながらウロウロウロと歩き回る。

 

「ひょっとして僕の記憶に間違いが……? いやいやいや、あん時保護されたって言ってた。それは絶対」

 

 ドフィがあんな切羽詰まった場面でわざわざ嘘を言うとは思えない。だから、僕はローは海軍に保護されてすくすく育ち軍医のルートへまっしぐら、と思っていたのだけど。

 

 もしかして、前提条件が違うのだろうか。

 

「……ん?」

 

 そこではた、と。

 最後までローと一緒にいたであろう『当事者』に確認してなかったことに気が付いた。

 

「ロシーには、聞いてない……!」

 

 ぬあああああ聞けばよかった! これは僕がドジッた! でもあの時聞ける雰囲気じゃなかった、だめだ言い訳はするまい。

 

「え、え、え!? てことは、あの時海軍が保護したのはローじゃなかった? それとも海軍から海賊堕ちしたってこと? あああわっかんねぇええ!!」

 

 頭を抱えてごんごろごろと部屋中を転げ回る。ベッドの足に激突した。痛い。

 しばらく悶絶してから身体を起こし、外の空気が吸いたくなってのろのろと外に出る。今日は久々の交戦があって、もちろん勝利した我が白ひげ海賊団は宴を開催している。僕もご相伴に預かったのだけど、まぁみんな呑むわ食べるわ。胃の内容量的な問題で一抜けして戻って朝の新聞を確認していたのけど、まさかこんな爆弾があるとは。

 

 どれだけ思考に埋没していたのか、すっかり深夜である。

 

 喧噪も遠く、甲板のあちこちには飲みつぶれた船員が三々五々にくたびれ果てていた。いつの間にか風も冷えていて少し肌寒い。

 水とあとなんか、果物でもあればいいなと思いつつ厨房を目指す。そういえば、今日はサッチさんが悪魔の実を手に入れたと自慢していた。「オークションしねぇの?」「しねーよ!」とか、からかわれていた。

 

 サッチさんが能力者になると、また海に落ちた能力者の救助要員が減るなぁ、とそぞろ歩いているとなんだか宴に似つかわしくない不穏な空気を感じた。反射的に気配を消しながら物陰に隠れ、様子を窺う。

 

 眉間に皺が寄るのがわかった。

 

 ちょっと遠目だけど、言い争っているあれはサッチさんと……ティーチ?

 

 ぶっちゃけ、ティーチはちょっと苦手だ。

 

 マーシャル・ティーチ。白ひげ海賊団の中でもわりと古株。たまにやりすぎることを除けば大雑把でおおらかで、そこそこに力量はあるのに上昇志向には乏しい。そんな印象。

 そう毛嫌いする要素なんてないし、彼も古いといえばそれなりなので多少の親交はある。そう声高に仲が悪いわけでもないのだが、不思議と好きになれないのが自分でも謎だ。

 

 けれど……なんというか、自分とは違う意味で白ひげの『家族』とはズレがあるような気がするのだ。単に生理的に合わないだけで、そんなの気のせいだと言われりゃそうかもしれないけど。

 

──などと、考えながら眺めている先でティーチが大ぶりのナイフを取り出し、慣れた手つきでサッチさんの肩目掛けて埋め込むのが、まるでコマ送りのように映った。

 

 飛び出す暇もないほど、鮮やかな手並みだった。

 

「ッ!」

 

 ティーチはそのまま片手でサッチさんが持っていた悪魔の実を強奪し、咄嗟に取り戻そうと動くサッチさんへ、もう一撃とばかりに引き抜いた血濡れのナイフを振りかぶった。

 正気に返った僕はとっさに手を伸ばして能力発動。

 ぜんぜん関係ないが、それまで『技に名前をつける』という文化が自分になかったので考えたことがなかったのだけど、エースにあった方が絶対いい! と激推しされたため、最近ひとつだけ名前をつけた。それがこれ。

 

「『凝結』!」

「!?」

 

 彼の握っていたナイフを腕ごと『固定』しようとしたら、そこはさすが古参というべきか、咄嗟に手を離されてナイフのみを固定できただけだった。

 ティーチの狙いは正確だった。確実に致命傷になる場所を狙っていた。

 

 産毛が逆立つような怒りがあって、感情のままに怒声を飛ばす。

 

「ティーチ! そこで何やってんだッ!」

「げぇ!」

 

 ティーチはあからさまにイヤなところを見られた、という顔をして慌ただしく視線を巡らせて中空に『固定』されたままぴくりとも動かないナイフに舌打ちすると、あっさりとこちらから背を向け──あろうことか舳先に足を掛けて海に躍り出る。

 

 巨体が水没する大きな水音が響き、嘲弄まじりの笑い声が夜の中でいやに広がった。

 

「ゼハハハ! とんだ邪魔が入っちまったが『ヤミヤミの実』はもらってくぜェ!」

「がっ、くっそ、待てティーチ! あの野郎……!」

「サッチさん動いちゃだめです!」

 

 サッチさんの声は掠れていた。泡食って駆け寄ったものの、暗くて傷の確認ができない。

 

「止めんなミオ! 今ならまだ、」

「怪我人が夜の海に入ったらどうなるかなんてサッチさんがよく分かってるでしょう!?」

 

 引き剥がそうとしてきた腕を掴んで凄むと、サッチさんが低く唸った。間近で見る顔色は白く、掴んだ布がじっとりと湿っている。出血量が多いのだ。

 今にもティーチを追いかけて入水してしまいそうなのを必死で押さえつけながら、慌てて僕は大声で誰でもいいから呼んだ。

 

「だ、誰かぁ! 来て下さい! サッチさんがぁああ!!」

 

 最初に駆けつけてくれたのは、お父さんの様子を見ていなければならない看護師さんのひとりだった。彼女は一目見てサッチさんの怪我に気付いて的確に指示を出してくれた。近くにいて、比較的酔いが回っていない船員を捕まえてサッチさんを医務室に運び込む。その職業意識の高さ、さすがです。

 少し遅れてあらわれたのはお父さんとマルコさんだった。マルコさんは真っ先に血で汚れた床を見て顔をしかめ、お父さんはこちらに視線を向ける。

 

「なにがあった?」

 

 誰何の声はいつになく硬い。

 

「僕も細かいことは……でも、ティーチがサッチさんをそこのナイフで刺して『ヤミヤミの実』、だっけ? サッチさんの戦利品だった悪魔の実を奪って、海に飛び込んだ」

 

 そこの、とまだ固定が溶けていないナイフを指差した。

 てらてらと濡れた色はサッチさんの血で、今更になってぞわりと悪寒が走る。うなじがざわついて、落ち着かない。

 

 今、絶対にティーチはサッチさんを殺す気だった。

 賞金稼ぎにせよ海賊にせよ、やくざな商売をしていると欲望と殺意の気配には敏感だ。だから、愕然とした部分もあったのも、本当だ。

 

 白ひげだって世にその名を轟かせる、歴とした海賊団。どんな思惑を持った船員がいたって不思議じゃない。知ってたはずなのに。

 

「慌ててナイフは『固定』した、けど、……間に合わなくて、ごめ」

「謝るな」

 

 お父さんにぴしゃりと制されて、反射的に口を噤む。

 

「ミオは悪くねぇ」

 

 口にしようとしていた言葉は形にならず、俯いて唇を噛みしめた。

 そうは言って貰えても、起きてしまったことを止められなかったことが、ひどく悔しい。

 

「──ティーチとサッチがどうしたって!?」

 

 後ろからの声に振り向くと、大分呑んだと分かるのに顔色が白くなってしまっているエースだった。彼はつい最近二番隊の隊長に昇格した。

 白ひげ以前の、彼が船長をしていたスペード海賊団の面々とティーチは、彼の部下ということに、なる。

 

「エース……」

 

 そこまで考えたら、なんだが目の前が暗くなって、ぐらぐら揺れた。いっぺんに色々起きたので突き抜けていた混乱が戻ってきた気がする。

 いつの間にか服と指についていたサッチさんの血を、エースから無性に隠したくてしょうがなかった。

 

 僕はティーチ苦手だけど、べつに嫌いだとか、憎いとか思ったことはない。ただなんとなく、本当になんとなく合わないなって、それだけで。

 

 でも、エースにとってティーチはもう守るべき部下で、食堂で隣に座ってご飯を食べながらお喋りしたりして、たまに笑い合ってた。そしてサッチとティーチは友人だった。僕はそれを知っている。

 

 なのに、ティーチは彼を殺そうとしたのだ。

 

 ティーチにとっての白ひげは、エースは、サッチは、簡単に捨てられるものだったのだろうか。こんなにあっけなく、もう用はないとばかりに。

 それとも、そんなにサッチさんが手に入れた悪魔の実が欲しかったのだろうか? わからない。聞けもしない。ティーチは逃げちゃった。サッチさんの傷も深い。

 

 どうしよう、エースになんて言えばいいんだろう。

 

 急にひどく心細くなって、言葉を探して、出てこなくて。

 

「エース、説明はおれたちがする。ミオは部屋に戻れ」

 

 ばん、とマルコさんに強めに背中を叩かれて我に返ることが出来た。

 

 何も言えずに頷いて、それでも足元がなんだかふわふわして頼りなくて、後ろでエースが何か言っているのによく聞こえなかった。

 戻る途中で手を洗って、部屋に入ってのろのろと小さな箪笥から服を取り出して、着替えて、その辺りでようやく。

 

「……そっか」

 

 ちょっとだけ、わかった気がした。

 

 白ひげは海賊団だけど、この十年、紛れようもなく僕の『家族』だった。泣いて笑って喧嘩して、それでも離れようなんて、微塵も考えついたことがなくて。

 それは、みんな同じだと思っていたのだ。強固な繋がりがあると信じていた。馬鹿みたいに思い込んでいた。

 

「不思議だね」

 

 それを、ティーチは。

 

「今、やっとドフィの気持ちがわかったよ、少しだけど」

 

 十年経って、本当にやっとだけど。

 

「家族が家族を捨てるって、こんなにさびしいんだ」

 

 それに、とてつもなくむなしくて、しんどい。

 

 殺そうとかは思わないけど、やり切れない怒りに似た感情が確かにある。

 悔しくて、悲しくて、胸の奥がつぶれたみたいに苦しい。なんで、どうして。そんな風に思ってしまう。

 ベッドにもたれるようにずるずるとうずくまって、膝を抱えて頭を押しつけていると軍曹が寄り添ってくれる気配がした。手を伸ばして、ぬいぐるみみたいに抱き締める。すべすべの感触が心地良かった。

 そのまま、寝付くこともできず、まんじりともせずに夜明けを迎えた。

 

 朝の光が窓から差し込んでくるのが、他人事みたいに見えた。

 

 すると、控えめなノックの音。

 

「ミオ、起きてるか?」

 

 エースの声だった。

 

「起きてるよ」

 

 顔も上げずに返事をするとドアが開いて、足音がする。潮と朝の匂い。

 

「あー、軍曹。わりぃけど、ちょっとミオ貸してくれ」

 

 軍曹はちょっと考える素振りを見せてから、僕の腕からすり抜けてベッド下に潜り込んでしまった。普段はあまり使わないけれど、そこには軍曹の巣がある。

 のろのろと顔を上げると、エースは見たこともない神妙な表情で僕の前であぐらをかいて──ガツン!と両側の床に拳を打ち付けながら頭を下げた。ぎょっとする。

 

「オヤジたちから聞いた! さっきはありがとう!」

 

 思ってもみなかった言葉に思わずこちらも膝立ちになって慌ててしまった。

 

「い、いや、止めるの間に合わなかったしサッチさん怪我しちゃったし、悪魔の実もティーチも逃がしちゃったから、」

「あそこで止めてくれたから、だ」

 

 自分でもよくわからない感情に突き動かされて言い繕ってしまうと、エースはそれを一言でぶった切った。

 こちらを見据える瞳はそれこそ炎のようで、ひゅ、と息を呑んでしまう。気圧される。

 

「怪我は治るけど、死んだら終わりだ。サッチは重傷だけどちゃんと生きてる。おまえがあそこに居合わせなかったら、たぶん、サッチは……」

 

 そこから先は言葉にならず、エースはぎゅっとくちびるを引き結んで、もう一度しっかりと頭を下げてから顔を上げた。

 

「ティーチの馬鹿を止めてくれて、ありがとう。二番隊隊長として、改めて礼を言わせてくれ」

 

 エースはこちらを真摯に見つめたまま、決然と言った。

 

「これから、おれはティーチを追う。どんな理由があるにせよ、サッチに手を出したティーチにはおれがけじめをつけなくちゃいけねぇ」

 

 ティーチは白ひげ海賊団において最大の禁忌を、鉄の掟を犯そうとした。『仲間殺し』は大罪であることは周知の事実である。

 サッチさんがなんとか生きているのは幸いだが、だからといってティーチが彼を殺そうとした事実は消えない。だから、エースは行かなくてはならない。

 

 それがひとつの隊を預かる者の責任で、義務だ。

 

「ティーチが、エースの部下だから」

「ああ、オヤジにはもう話をつけてある。すっげぇ反対されたけどな」

 

 そういえば、あれから何度か怒鳴り声を聞いた気がする。あんまり意識していなかったから自信ないけど。

 しかし、お父さんに反対されたというのが引っかかった。

 

 裏切りには制裁を。

 

 それは『船』という、沈むと全員諸共に沈む宿命を背負っている運命共同体においてはごく当然の約束事である。まして今回は『家族』に手を上げたティーチが相手だ。

 すぐに賛成してもよさそうなものを、お父さんが異を唱えたのは何故だろう。

 

「すぐに荷物をまとめて、行ってくる」

 

 だけど、これは『白ひげ海賊団』の中で起こった出来事だ。

 『食客兼賞金稼ぎ』の自分がくちばしを突っ込んでいい問題じゃない。

 

 筋は通されるべきもので、それを違えることを白ひげは何より厭う。わかっているからこそ迂闊なことは言えなかった。

 

「……わかった。気を付けて」

「ああ、それとこれ。ミオにも渡しとくな」

 

 目の前でびりっと破かれたのは白い紙。エースのビブルカードだ。

 

「いいの?」

「? 当たり前だろ。おれのストライカーもだけど、ミオの船もグランドラインを逆走できるんだから」

 

 エースの持ち船である『ストライカー』は、彼の『メラメラの実』の能力を動力源として動く船だ。風や潮目に左右されることなく自在に走れるから、小回りも利いて好きに航行できる。

 僕の『モビー・ジュニア』も普段は帆船だけど、軍曹に引っぱってもらえばどこにでも行けるから買い物なんかで重宝されているのだけれど、さておき。

 

 渡されたビブルカードにはエースの字で番号が記されていた。電伝虫の番号だ。これからも僕はあちこちを渡り歩くから、どこかでエースとかち合うことがあればいち早く察知して会うことが出来る。それくらいならば、大丈夫だろう。

 僕も慌てて戸棚から自分のビブルカードを出して裏に番号とサインを記すと、その部分を破ってエースに渡した。

 

 そうしてお互いのビブルカードを交換して、握手を交わした。

 エースのそれは僕の『おでかけ』とはワケが違う。

 海賊の中でも最も忌み嫌われる行為を犯したティーチという罪人を追いかけるのだから、何があるのか分からない。

 

「行ってらっしゃい、エース」

 

 だから、いちばん相応しいと思える言葉を贈った。

 

「御武運を」

「おっ、それ、格好よくていいな」

 

 そこで、ようやくエースはいつもの……にはほど遠いけど、ぎこちない笑みを見せてくれたのだった。

 

 

 

 




巻くのはここまでです。


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5.とあるバイトの人間関係

シャボンディ諸島編スタートです


 

 

 エースがティーチを追いかけて白ひげを出奔して数ヶ月。

 

 彼のことは気がかりだけど、新聞を見るにそろそろ『ハートの海賊団』がシャボンディ諸島に到着しそうだったこともあり、例年より少し予定を早めてシャボンディ諸島へ向かった。

 シャッキーさんのお店に顔を出して、宿賃代わりに雑用を引き受けるという恒例の交渉をして了解をもらう。

 

「えっ、そんなに!?」

 

 そこで、既に諸島に到着している大型ルーキーの数を聞いて驚いた。そろそろ十に届きそうだ。

 まだいくつかのルーキーが諸島に来そうな気配があるので、ひょっとしたらそれ以上かもしれない。大豊作すぎる。キャベンディッシュさんなんかごめん。

 

「ふふ、『ハートの海賊団』はまだだけど、時間の問題でしょうね」

 

 ふぅ、と紫煙をくゆらせて微笑むシャッキーさんは今日も美人さんである。

 シャッキーさんは情報通なので、僕はバイトのたびに『ハートの海賊団』に関する動向を聞いていた。そのせいか『ハートの海賊団』のファンであると思われている。

 間違ってはいない。間違ってないんだけど……こう、心理的には氷川○よしを見守るババアに近い気がする。あんなに小さかったのに大きくなって、みたいな。

 

 ちなみに、いつもの部屋にレイリーさんがいないのでどうしたのかと尋ねたところ、ここ数ヶ月は帰っていないとのこと。

 元海賊の性なのか放浪癖のあるレイリーさんはわりとちょくちょくいなくなる。あの人のことだから、その辺に女作って寝泊まりしているのだろうという意見で一致した。いつまでも若い御仁である。

 

 新しい手配書をめくりつつ、諸島に潜んでいるルーキーをシャッキーさんから聞きつつ照らし合わせていく。

 

「ふんふん、『怪僧』に『赤旗』、『海鳴り』……へぇ、『大喰らい』も? ここまで揃うのも珍しいですね」

 

 ユースタス・『キャプテン』・キッドと『殺戮武人』はワンセットとして、新聞を賑わせていたそうそうたる顔ぶれに感心すら抱いてしまう。

 

「ええ、ここまで揃うなんてそうそうあるもんじゃないわ」

 

 海賊の結成時期が違えば当然、諸島に着く時期だってそれぞれ違う。

 学園祭みたいに必ずこの時期に集まる、なんてことはまずないので本当に珍しい。もしかしたら初めてじゃないかな。

 どちらかといえば、異常だ。

 

「……ふむ」

 

 ここまで狙い澄ましたように物事が運んでいると、時代が動く先触れというか、運命めいたものが音を立てて回り出すような気配があってぞっとしない。

 あんまり真剣に手配書を見つめていたせいか、シャッキーさんがくすりと笑った。

 

「お使いがてらに見物してくる?」

「あ、行きたいです!」

「じゃあこれ、買い物のメモとお金ね」

 

 メモとお金を受け取って、一応読み上げ確認。うん、大丈夫そう。

 腰には得物を佩いたままだけどかさばる荷物は部屋に置いてきたので、あとは財布とリュックだけを装備する。

 

「気を付けて行ってらっしゃい、最近『賞金稼ぎ狩り』が多いらしいから」

「賞金稼ぎ『狩り』?」

 

 耳慣れないのにピンポイントなワードに聞き返すと、シャッキーさんはそういえば来たばかりだものねと説明してくれた。

 シャボンディ諸島はよその島と比べて奴隷の売買がわりと大っぴらに行われており、それに伴って人さらいを生業としている者達も存在する。

 『商品』の価値は強さや美しさ、物珍しさなど様々だがとりわけ能力者や他種族となると取引額も跳ね上がる。

 つっても、そういう種族は手に入りにくいからこそハイパーなお値段でやり取りされるわけで、そうしょっちゅう捕まえられるワケではない。

 

 そこで目を付けられたのが賞金稼ぎというワケだ。

 

 海賊が多い分、賞金稼ぎの数も段違いな諸島である。薄利多売にシフトした人さらいチームが実力が足りずに食い詰めた賞金稼ぎをだまくらかしたり、あるいは徒党を組んで襲いかかって身ぐるみを剥いで、親切ごかしに取り入って身売りさせる~なんてのが主な手口らしい。

 

「ただの人間よりよっぽど付加価値はつけられるし、力もあるだろうしね」

 

 『かの有名な○○海賊団を潰した~』なんて冠文句のひとつでもあれば、オークションでも箔が付くだろう。

 売るなら出来るだけ高く、は人情なので分からなくもないが迷惑な話である。

 

「特にミオちゃん目立つから、見つかると狙われるわよ」

「え」

 

 思ってもみなかったことを言われて、一瞬意味が分からなかった。め、目立つだと?

 昔から目立たないように目立たないように生きてきたつもりなのですが。

 

「……僕、目立ちますかね?」

 

 おそるおそる問いかけると、シャッキーさんは紫煙をくゆらせながら新聞でも読み上げるように淡々と言った。

 

「前はそうでもなかったけど、ここ何年かで目立ってきたわね。ミオちゃん神出鬼没だしずっと第一線で動いてるじゃない」

 

 シャボンディ諸島と新世界とグランドラインを行ったり来たりしているので、端から見れば神出鬼没に映るかもしれない。

 

 ただ、これには差し迫った事情がある。

 

 なんせ海軍本部が近いので、僕が世界でいちばん顔を合わせたくない海賊ことドンキホーテ・ドフラミンゴ……王下七武海が招集される時は全力で逃げ隠れするしかない。本当はジンベエ親分にご挨拶とかしたいのだけど、あの弟に見つかってしまう可能性があるような真似は、何が何でも避ける他ないのだ。

 

 あと、ソロの賞金稼ぎってわりと長持ちしないという定説もある。

 体力勝負だし相手が相手なのであっさりお陀仏していつの間にか、なんてのも珍しくないのだ。

 

「それはそうですけど、名前が売れるようなことをした覚えがないのですが」

 

 下手に逃がすと、変な噂を立てられないとも限らない。

 そういうのがめんどくさいので標的の海賊は大体全滅させるか、そうでなければひっそりこっそり船長とか副船長、航海士もしくは料理番なんかの今後存続に支障を来す役職の人間を狙っていた。隠密行動は得意である。

 評判を立てる相手がいないと思うのだけど。

 

「海賊はそうかもしれないけど海軍に知り合い、いるでしょ?」

 

 すぐに何人かの顔が思いつくのでそこは素直に頷いた。

 

「そりゃまぁ、この稼業長いのでそこそこは」

 

 十年以上も賞金稼ぎをしていれば海軍の知り合いが出来るのは自然の流れな気がする。

 そういえばスモーカーさんとたしぎちゃんは昇進したんだっけか。王下七武海サー・クロコダイルが砂の王国アラバスタでなんちゃらかんちゃら。

 

 特に諸島は海軍本部のお膝元なので、本部近くの町をうろうろしていれば海兵はなんぼでもいる。

 ロシーがお世話になったというガープ中将なんてわりと仲良くさせてもらっている方だと思う。おせんべいくれるし。そうでなければ、換金所で顔なじみになった海兵さん以外にも知り合いが何人か。

 弟の育ての親も同然だというセンゴクさんに関しては軍の中でも立場が上すぎて未だに会えていないのが残念だ。

 

「狙う海賊は懸賞金より評判重視で、しかも自分から名乗ることは一切ない。律儀な賞金稼ぎなんて珍しいから海軍筋からけっこう人気あるのよ。知らなかったの?」

「いろいろ初耳です。あー、海軍筋からかぁ……ぜんぜん考えたことなかった……」

 

 頭を抱える僕を呆れたように見ながらシャッキーさんが「ミオちゃんって時々抜けてるわよね」とつぶやいた。はい、うっかりしてました。海軍は知り合いになったひと以外はほぼATえむげほげほ換金所扱いしてました。

 目立つ理由は分かった。しかしどうしようもないから……これは開き直るしかない。

 

「ともかく、気になるので買い物がてらにちょっと見てきます。いざとなったら海軍監視下方面に逃げるんで、ちょっと遅くなるかもしれません」

 

 目立つ原因なので責任とってください。

 責任転嫁かどうか微妙なラインの台詞を吐くと、シャッキーさんは軽く手を振る。

 

「『音無し』を捕まえられるような人さらい屋はそうそういないと思うけどね。ええ、行ってらっしゃい」

 

 自室に置いてあるボンチャリで行こうと思ったけど、置き場所に困るので徒歩に変更。荷物はボンバックに入れてもらえば平気だし、いざという時に置いて逃げて自前のボンチャリ盗まれたらイヤだ。

 

 

 

×××××

 

 

 

 シャボンディ諸島はその名の通り、無数のシャボン玉が漂う幻想的な島である。

 

 その理由はこの諸島を作り出しているヤルキマン・マングローブの自発呼吸と、樹木から染み出している樹液である。呼吸のたびに空気が常に分泌される樹液を膨らませ、シャボン状の球体となって排出されるのだ。

 ミオは諸島に漂う無数のシャボンの上を、水切り石のようにひょいひょいと足場にしながら目的地を目指していた。

 人間にとって真上はわりと死角なので、ある程度の高さは保ったままで。勝手知ったる場所なので地図など見なくても到着できる。

 

 先ほどのシャッキーの話を聞くと無法地帯方面は避けた方が無難そうなので、街に出るまではこのまま行こうと思う。

 

 元々、数年前からドンキホーテ海賊団直営のヒューマンショップが1番グローブの方にできたので近付かないよう努めているのだけど、より気を付けた方がいいだろうと気を引き締めた。

 

「絶対やべーもんなぁ、っと」

 

 物騒な周辺をスルーして、造船所近くの商店街でようやくシャボン玉から降りた。

 馴染みの店主と挨拶をして買い物を済ませて『ボンバッグ』に入れてもらって、ひもをリュックに通して固定する。

 『ボンバッグ』はシャボン玉を利用した買い物袋のようなもので、シャボンが自発的に風船のように浮いているので重いものでも楽々運べる便利グッズだ。

 

「毎度あり! 今回はどれくらいいるんだい?」

「まだ決めてないんです。しばらくはいるつもりなんですけど、気になることがあるので」

 

 ともかくミオは逞しく(?)成長したローに会いたいので、それまでは滞在を決めている。

 

 気になることというのは、エースのことだ。

 

 彼の実力は知っているけれど、ティーチが口にしたであろう『ヤミヤミの実』の能力は未知数。妙な胸騒ぎがしていたミオは、もらった電伝虫の番号に時々連絡を入れていた。お父さんこと白ひげが反対していた、という不安要素も一因である。

 元々携帯みたいに電伝虫を持ち歩いたりしないエースとの連絡は繋がりにくく、たまに繋がったとしても弟の懸賞金が上がっただの、どこぞの海軍駐屯所のコーヒーがしぬほど苦くてまずかっただの、毒にも薬にもならない話ばかりだった。

 それはそれで元気な証拠だったので安心していたのだが、それからしばらくして連絡が完全につかなくなった。

 

 それから、さほどの時間も置かず新聞の一面を飾った事件。

 

 グランドライン『バナロ島』において起こったポートガス・D・エースと『黒ひげ』マーシャル・D・ティーチの決闘。

 この決闘の結果、エースは世界政府に引き渡されインペルダウンに収監。エースの身柄確保と引き換えにティーチが王下七武海へ加入を果たした。

 

 最初は内容が信じられず目を皿のようにして紙面を何度も読み込み、事実として飲み込んだミオはそこらの海兵にそれとなく尋ねて裏取りしてから白ひげに連絡した。

 海賊である以上、海軍に拿捕されることだって当然ありうる事態ではある。しかし、理解と納得は別問題。

 微妙な立場をふらふらしているミオと違って、エースは既に白ひげの『家族』だ。ミオだってエースが大事だし、『家族』に手を出された白ひげの苛烈さは筆舌に尽くしがたい。

 

 彼らの動向如何でミオも腹を括るつもりだった──のだけれど。

 

 電伝虫に出た相手はマルコで、返答はそっけなかった。

 

 曰く、エースの件はこちらでなんとかするからミオは関わるな。

 

 これは徹頭徹尾『白ひげ海賊団』と海軍との問題なので、余計な口を挟まないように。突き詰めるとそういう返答である。

 それを持ち出して突っぱねられてしまえば、ミオも頷かざるを得ない。

 どれだけ歯痒く、理不尽を感じようとも自分で望んだ立ち位置だ。勝手に動くには相手が悪すぎる。

 

 しかしミオの心情的にしおらしく座して待つなんて無理な話なので、そうなると海軍本部の近い諸島の方が情報が手に入りやすいし、いざという時の行動がしやすい。

 

 音に聞こえた新世界は『四皇』の一角、白ひげ海賊団の秘蔵っ子なんて海軍がどう扱うつもりなのか前代未聞すぎて予想がつかなかった。裏取引とかで穏便に出してくれれば喜ばしいのだが、エースはそういうことを甘んじて受けるタイプでもない。

 

 そんなワケで何かあれば動く腹積もりだけれど、今のところは『ハートの海賊団』の到着待ちというのが現状である。

 

「そうかい、ミオちゃんがいると安心できるからねぇ」

 

 この辺りの商店街のひととは大抵が顔見知りで、ミオが実力のある賞金稼ぎということを知っている。というのも、何年か前に無銭飲食している海賊をしょっ引いたからだと思っていたのだが、どうやらそれだけが理由ではないらしい。シャッキーに言われるまで気にしたことがなかったけれど。

 

 というのも、ミオはさきほどシャッキーに述べた通り賞金稼ぎと海軍の関係なんて外注と発注者くらいにしか考えていなかったのだ。個人的な友誼とは別物として認識していた。

 

 賞金稼ぎのあれこれなんて新聞に掲載されることはほぼないし、自船と白ひげとシャッキーのお店以外で定住場所は構えていない。猟場を決めていないから文字通りの神出鬼没。捕まえた賞金首はそのまま監獄直行なので、噂が広がることはないだろうと気楽に構えていた。

 

 個人的には食い詰め浪人、もしくは剣客商売程度にしか認識していなかったのである。

 

 しかし言われてみれば、海軍のネットワークは多岐に渡るしこと賞金稼ぎの情報に関して守秘義務はない。ソロ活動の限界でもあった。

 

 ちょっぴり暗澹としていると、去り際に、店主のおばちゃんがグランドラインまんじゅうをひとつ投げて寄越してくれる。

 

「なにへこんでんだか知らないけど、おやつにもってきな! 甘い物は元気が出るよ!」

 

「ありがとう! またよろしくお願いしますね-!」

 

 手を振ってから、キャッチしたおまんじゅうの包装をぺりぺりと剥がして、お行儀悪くかぶりつく。クリーム餡だった。美味しい。

 そろそろ長い付き合いにも関わらず、いつまで経っても店主のミオの扱いは微妙に子供のそれだ。実年齢を吹聴してはいないものの、そこそこの年だと分かっていそうなものなのだけど……。

 とはいえ、そういう好意は嬉しいので素直に受け取っておく。

 

「そういえば、シュライヤも『海賊処刑人』なんて異名ついてたもんな……」

 

 最近、生き別れだった妹と再会したことで賞金稼ぎから足を洗ったらしい弟子は、グランドラインでも名うての賞金稼ぎになっていたことを思い出す。普通に活動していたって異名がつくのだから、彼の数十倍以上に活動期間の長いミオが有名じゃないワケがないのだ。ちょっと反省。

 

 まんじゅうを食べ終えて、近くで買ったお茶で喉を潤していると──ぬうっとシャボン玉ではない影が差した。

 

「なんだ、あんたも来てたのかよ『音無し』」

 

 知った声に顔を上げると、まさかり担いだ金太郎……もとい、金太郎のような髪型と前掛けをした巨体の男がこちらを見つめていた。

 

「あれ、戦桃丸さん。こんにちは、お久しぶりです」

 

 彼は海軍本部科学部隊隊長という大層な肩書きを持つ将校である。

 主な任務は海軍で開発業務に携わっているDr.ベガパンクのボディガードなので、扱いは非正規の海兵ということになっている。こうして諸島で会うことはよっぽどタイミングが合わないとないことなので、非常に珍しい。

 ミオがぺこりと頭を下げると「あァ、確かに久しぶりだな」と戦桃丸も頷いた。

 

「今日はボディガードじゃないんですね」

「こんだけ諸島に億越えルーキーがいるんだ。わいらも奥に引っ込んでらんねェよ」

 

 自分の全長の倍以上ありそうなまさかりの柄で肩をとんとんと叩きながら、戦桃丸はしかめっ面になる。戦闘力の高い人員を遊ばせておけないと駆り出されたらしい。

 そういえば戦桃丸は、かの大将黄猿と知己のはずなので、大方彼に呼び出されたりしたのだろう。ご苦労様です。

 

 しかしこのガチッぷり。

 

 やっぱり今回の『諸島だよ、ルーキー大集合!』は海軍本部にとっても由々しき事態のようだ。

 

「『音無し』がルーキーの一人でも討ち取ってくれれば、わいらの仕事も減るってもんなんだが?」

「ルーキーは狩らないんですってば。前から言ってるじゃないですか」

「まーな」

 

 言ってみただけだ、と戦桃丸は軽くため息を吐く。

 『音無し』ことミオは賞金稼ぎの中でも古参で指折りの実力者だが、見た目はちっともそう見えないし、こうして対面していてもそんな雰囲気は欠片も窺えない。もっとも、その外見詐欺みたいな部分も実力の内なのかもしれないが。

 

「大体、今日の僕はしがないぼったく……居酒屋のバイトさんなので無理です」

 

 じゃっかん不穏なことを言いながらほらこれ買い物、とボンバッグをゆらゆらさせる様子はそこらの民間人と本当に変わらなかった。やせっぽちで小柄で、腰には一応用心のためか刀を佩いているが、それだって護身用だと言われれば頷いてしまいそうだ。

 ここらに漂っているシャボン玉のようにふわふわして掴み所がない賞金稼ぎは、そういう稼業特有のギラついた空気が一切ないのでどうにもこちらの気が抜ける。

 

「バイトって、金に困るようなことでもしてんのか」

「店主さんのご厚意でひさしを借りているので、宿賃代わりに雑用してるんです。お金はそこそこありますよ、もしもの場合に自分で自分を買えるくらい」

「ああ、例の『賞金稼ぎ狩り』か? んなの、お前みたいなヤツにとっちゃ物の数じゃねェだろ」

 

 そこらのちんけな賞金稼ぎならあり得るが、ことミオに限っては天地がひっくり返ってもあり得ないと戦桃丸は言い切れる。

 ソロの賞金稼ぎと銘打っているが、ちょっと関わった者なら『音無し』には規格外な『相棒』がついていることを知っているからだ。

 

「真っ向から来たら返り討ちにしますけど、できるだけの自衛はしますよ。万が一だってあるのが世の常ですので」

「そりゃそうか」

 

 つい最近、白ひげの隊長がぽっと出の海賊に討ち取られるくらいだ。

 万が一なんてどこにでも転がっていることくらい、戦桃丸でもわかる。

 

「それじゃ、お仕事頑張って下さいね」

「ありがとよ」

 

 世間話と挨拶くらいの関係だが、にこにこ笑って屈託なく言われれば悪い気はしない。

 

「そうだ、どっかでルーキー見かけませんでした?」

「? 狩らねぇんだろ?」

「狩りませんよ? ちょっと生ルーキー見物したいなって」

 

 今年めっちゃいっぱいいるから面白そうですよねと語るミオは、どう見てもそわそわしていた。

 仮にも軍属を前にしてよくまぁぬけぬけと言うものである。

 

「ただのバイト云々言ってたくせにルーキー見物とか言うんじゃねェよ! あとわいに聞くな!」

「すいません調子乗りました自分で探します!」

 

 そのまま手近なシャボン玉を足場にぴょんぴょんと乗り移りながら移動する様子は、控えめにいって(ノミ)のようだった。

 

 居酒屋のバイトさんはそんな動きしない。

 

 

 

 



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6.恐竜のキャロル

 

 

 戦桃丸さんとお別れしてルーキー見物いえーい! とそこそこ治安悪くて海賊がご飯食べたり補給物資調達する方面に舵取りよーそろー、したら人さらいチームに襲撃された。フラグ回収早すぎて困る。

 シャボンディ諸島での活動歴が長いので、人さらいチームとのいざこざはそこそこ経験している。自分の職業を脇にのけてもそりゃ目の前で犯罪が行われれば現行犯逮捕は市民の義務であるからして。ほどほどに恨みも買ってるだろう。

 諸島においては彼らにも独自のネットワークがある。べつに吹聴はしていないが『音無し』であることを隠してもいないので、『賞金稼ぎ狩り』なんてのが流行ればターゲットにされてもおかしくはない。どこから話を聞きつけたのか、妙にデコトラちっくに改造されたボンチャリに乗った男たちに囲まれてしまった。周りをぐるぐる回っているのが昔の暴走族みたいでちょっと面白いなぁと現実逃避。

 

「囲め囲めー! そいつは高く売れるぞ!」

「『音無し』はソロだ! 仲間はいねぇ!」

「人をぼっちみたいに言うなこのやろう!」

 

 失礼千万なことを抜かす野郎にムカついたので、張本人目掛けて突撃した。

 マングローブの樹皮を削るような勢いで跳躍して相手のボンチャリを足場に乗り上がり、判断がにぶっていたらしい男の顔面を鞘でぶん殴ったら「あべしッ!」とか声を上げて吹っ飛んだ。

 ハイスピードで列をなしていたボンチャリの一台が止まれば、後続は当然玉突き事故である。見た目は単車みたいだけど重量に乏しいボンチャリは勝手にボコボコぶつかって、人さらいチームは衝撃に耐えきれず次々に投げ出されてしまう。昭和のコントみたいだった。

 残ったのは最後尾にいた頭部がモヒカンで、裸に革ジャケットというどっかの世紀末みたいな出で立ちの男。どうやらこのチームのボスらしい。生憎、人さらいチームには知り合いがいない……というか入れ替わりが激しすぎてチェックしてもわりとすぐいなくなる(物理)。

 

「えーと、まだやる? すごい勢いでみんな自爆してったけども」

「う、うるせええ! 野郎共ぼやっとしてんな! 行くぞ!」

 

 激昂したモヒカンが背負っていた曲刀を抜いてがむしゃらに斬りかかってきた。抜かれたら容赦はしないぞー。視認した瞬間、戦闘の昂揚が一気に全身を駆け巡る。

 お買い物モードからスイッチを切り替え、大ぶりの一撃を避けて曲刀を蹴り飛ばし間接を極める。いち早く回復したらしい仲間を蹴りで沈めて急所を突き直接的な打撃で吹き飛ばし、全滅までさほど時間はかからなかった。足元にごろごろ転がり、痛みに呻く大男たち。

 

 そのあっけなさに呆れ半分向こう見ずさに感心半分、なんともいえない気持ちで踵を返した。浮かれた気分に水を差された感じでちょっとげんなりする。

 

──その時、僕には油断があった。

 

 彼我の実力差ははっきりしていたし、こっちも刀を抜くとさすがにシャレにならない事態に陥りそうだったので鞘と拳と蹴りで全員沈めていた。

 なので、まだ意識を保っていた人さらい屋のひとりが苦し紛れに放った吹き矢をかるく首を傾けて避けた。それがいけなかった。

 標的を失った吹き矢は僕を素通りして、その更に後ろで浮いていたボンバッグに直撃。

 薬剤でも塗られていたらしくパァン! と音を立てて割れてしまった。

 

「あっ」

 

 シャッキーさんに頼まれていた買い物が空中でバラバラになって落っこちていく。

 中身を『固定』していなかったので、ガラス製の瓶が甲高い音を立てて割れた。有事の際でもない限り滅多に能力を使わないのが裏目に出てしまった。

 そちらに気を取られ、二の矢を失念していた僕目掛けて男は最装填した吹き矢を構えて──その後ろ頭を、誰かが凄い勢いで殴り倒した。殴打音がえげつなかった。

 

「ぐげぇ!?」

 

 つぶれた蛙みたいな声を立ててぶっ倒れてぴくりとも動かなくなった人さらい屋の後ろに、男が立っている。

 海賊のお手本みたいな古式ゆかしいトリコーンに、目元を覆う黒いマスク。胸には〝X〟のマークが刻まれている。手配書でさっき見たばかりのルーキーのひとり、堕ちた海軍将校こと『赤旗』X・ドレークがメイスを片手にこちらを見据えていた。

 

 民間人が襲われてるとでも勘違いしたのだろうか、『赤旗』はこちらを見つめてなんだか驚いているようだった。いや、僕もびっくりしてるけど。

 

 こちらは賞金稼ぎ、あちらは海賊。

 襲われたって文句を言えない間柄、のはずなのだがあまり警戒している様子ではなかった。どちらかというと、思いもよらない人間を偶然発見したかのような驚きと、少しの緊張。

 攻撃してくる気配がないのならと、深く考えず礼を述べることにした。

 

「どうも、助力感謝します」

「礼を言うのか?」

 

 意外そうな顔をされた。

 賞金稼ぎが海賊に? と暗に尋ねられた気がする。

 

「そりゃ助けてもらったんだから言いますよ」

 

 最低限の礼儀くらいは弁えているつもりである。

 ぺこりと頭を下げてからボンバッグ替わりにとその辺に漂っていたシャボンを捕まえて、散らばってしまったものを拾って歩く。比較的硬めの根菜類やソーセージなんかは大丈夫だけど、よっぽど当たり所が悪かったのか蜂蜜の入った瓶が割れてしまっていてしょんぼりする。

 

「あああ……トマトとレタスも潰れちゃって、もー」

 

 ぶちぶちと文句を垂れ流しながらかがんで砕けたガラスを適当にまとめていると、横で同じように『赤旗』が拾ってくれているのに気付いてギョッとした。

 

「うわ、うわ、ちょ、いいですよ! そこまでご迷惑かけられません!」

「おれがしたいだけだ、気にするな」

 

 なんだこのひと男前だな!

 堂々と言われ、無事だった買い物のいくつかを差し出されてしまえば言い募るのも無粋というものだ。

 

「……ありがとう」

 

 改めて礼を述べつつ受け取ると、『赤旗』は口の端を歪めて苦笑めいた形を作る。

 

「どういたしまして、答えるべきか」

 

 そして口元の笑みを消すと、何かを考えるかのように視線を巡らせてから、もう一度こちらを見た。

 

「きみが賞金稼ぎの『音無し』で間違いないか?」

「はい。そう呼ばれています」

「……そうか。だとすれば」

 

 何か、緊張すら漂う真摯な表情に自然とこちらもじゃっかん身構える。シャボンに荷物を押し込みながらなので、さまにはならないけど。

 けれど『赤旗』の次の言葉は、意外にもほどがあるものだった。

 

「きみは、おれの恩人ということになる」

「……は? ?」

 

 ぽかりと馬鹿みたいに口を開けてしまう。

 恩人? 誰が、誰の?

 覚えている限り、『赤旗』とかち合った覚えは一度もない。初対面のはずだ。海軍から海賊に転向したというのも、わりとよくある話なので狙う理由もない。悪い評判も聞かないし。それが恩人とはこれ如何に。

 頭の上に疑問符を量産しているのを察したのか、『赤旗』は少しばかり迷うような口調で続けた。

 

「もう、十年以上前に存在した海賊団なのだが……『バレルズ海賊団』を覚えているか?」

 

 なぜここでそんな懐かしい海賊の名前が出てくるのかさっぱり分からないが、首肯する。

 その名前はよく覚えている。ちょっとやそっとで忘れられるはずもない。なんせオペオペの実を巡る闘争に身を投じることになった、元凶ともいえる海賊だ。あの海賊団そのものは、僕が陽動兼八つ当たりで船長もろともにノリノリでぶっ潰してしまったが。

 船長の名前だってバッチリ記憶に残っている。X・バレルズという、元は海軍だったのだがいつの間にか海賊に身を窶していたという、曰く付きの船長である。

 

 ん? X・バレルズ?

 ……X?

 え、ちょっと待ってくれ。まさか、まさかだよね?

 

 ざぁっと音を立てて血の気が引いていく。手配書が脳裏に浮かび上がった。『赤旗』の本名って、確か。

 とある考えに行き着き、よもやと思ってまじまじと『赤旗』を見つめる。

 ずいぶんと昔の出来事だし、当時は室内が薄暗かったから曖昧だけど、なんとなくその顔立ちが似ている、ような……?

 

 無情に答えは告げられた。

 

「X・バレルズはおれの父だ」

 

 ほぼ反射的にその場で土下座した。

 自分でも会心の動きだったと思う。

 たぶん顔色は真っ青になっているだろう、背中なんて冷や汗びっしょりで気持ち悪いくらいだ。

 

「まことに申し訳ありませんんんッ!!」

「だから、えッ!?」

 

 僕の突然の土下座に『赤旗』がめちゃくちゃ驚いたようだった。いやでもここは謝るのがスジでしょう。

 

「『赤旗』のパパさんとこの海賊団、ぶっ潰したのは確かに僕です! 恩人ってアレですよね、恩人と書いて仇って読むやつですよね? お礼参りってことですよねぇええ!?」

「か、かたき!? いや、そん、」

 

 十余年を越えた因縁がこんなところでこんにちは! そりゃ恨むわ!

 厳密にいえばあの事態にはドフィもいっちょかみしてたけど原因は八割がた僕にある。

 親御さんの海賊生命を絶った元凶なので息子さんなんて、こっちとしては謝る以外になにをすればいいのか。

 

「復讐とか仇討ちとかお望みでしたら受け付けますけど、ちょっと待って頂けますかねぇ!? この買い物を済ませたらすぐ──」

「ちがう! そうじゃないんだ!」

 

 テンパッて自分でもよくわからないことを口走りつつぺこぺこバッタのように頭を下げていたら、慌てた声で強く言われた。顔を上げると、『赤旗』は中途半端な位置で両手を上げて眉を寄せていた。そこには恨みとか怒りの感情は見えない。

 どっちかというと超困っている。

 

「……ちがう?」

「ああ、勘違いはもっともだが……恩人とはそのままの意味だ。きみに復讐したいなどとは、考えていない」

 

 なんにせよとりあえず立ってくれないかと心底困り果てた様子で言われたので、お言葉に甘えて立ち上がる。膝についた泥を払っていると、ほっとした顔の『赤旗』がためらいがちに自分のおでこを指で示した。そうかと思って袖で自分のおでこをぐしぐしと拭うと泥がついた。

 どうやら、本当に僕に対して物騒な悪感情を持っていないらしいのは一連の仕草や様子で窺えた。海賊なのにびっくりするほどいい人っぽくて、それはそれで申し訳なくて、たいへん気まずい。

 『赤旗』は倒れ伏している人さらい屋たちをちらりと一瞥してからつぶやいた。

 

「じきに奴等も目を覚ます。少し移動した方がいい」

「そうですね、買い物もし直さないとですし……」

 

 ぺちゃんこになってしまった野菜や蜂蜜を買い直さないといけない。しかし、ここで『赤旗』とお別れするのはいかにも消化不良で、どうしたもんかね。

 

「その、補給ならいくつか店を案内できるが」

 

 ボンバッグと『赤旗』を見比べて考えていると、なんともおそるおそるという感じで申し出てくれた。

 海賊御用達の店近辺の地理も把握しているけれど、ひとりで行くとまたぞろ面倒に巻き込まれそうだったのでとても助かる。馴染みの商店街まで戻るのが億劫でもあった。

 そういえば、彼も船長なのに供の一人も連れていないのだろうかと気になったので尋ねてみたら、先に食事をしているとのこと。『赤旗』は船に用事があったそうだ。なるほど。自分で聞いておいてなんだが、もっと濁してくれていいんですよ。

 

 けど、

 

「助かります。補給というか、バイト先のお使い途中なので」

 

 リュックから出したひもで改めてボンバッグ代わりのシャボン玉を固定しながら言うと、『赤旗』が立ち止まって首をひねった。

 

「……きみは『音無し』だよな?」

「そうですね」

「……バイト?」

「ぼったくおっと、居酒屋さんでバイトしてます」

「……そうなのか」

 

 なにかちょっと考えていた『赤旗』にあとで仲間とそちらに立ち寄った方がいいだろうか、と問われたのでやめた方がいいですよと返した。「そうだな、迷惑はかけられない」と納得していたけど、ちょっと意味が違うんだなこれが。

 

 うちに来ると海賊はもれなくぼったくられます。

 

 

 

×××××

 

 

 

 『音無し』という名前はX・ドレークにとってある種、特別な存在である。

 

 暴力に怯えながら、けれど未練無く立ち去ることもできず黙々と雑用をこなしていた19の夜。

 突如として現れ、父の海賊団をめちゃめちゃにした賞金稼ぎがいた。今でも当時の出来事は強く脳裏に焼き付いている。

 

 消えた灯り。燃え上がる倉庫。狂騒と惑乱の気配。

 

 その時、バレルズ海賊団は一世一代といえる莫大な額の取引を目前に控えていて、誰もが殺気立ち、ぴりぴりしていた。ドレークはそんな船員や父に鬱憤の捌け口にされるのがイヤで、理由を作っては目立たない方へと逃げていた。だからこそ、あの時助かったのだといえる。

 

「どうもご機嫌うるわしゅうバレルズ海賊団の皆々様! それとご愁傷様! 今夜が年貢の納めどきですよぉ!」

 

 何が楽しいんだか、あほみたいな馬鹿笑いを響かせながら突入してきた小柄な人影は一見すると自分より年下の、やせっぽちの少年みたいだった。

 遠目に見えた、暗闇で浮き上がるような初雪色の髪を揺らめかせて、けれど桜色の瞳には肉食獣めいた獰猛な色を炯々と宿らせた賞金稼ぎは──バレルズ海賊団の目論見をぜんぶ台無しにした。異名が『音無し』であると知ったのは随分と先のこと。

 

 『音無し』は小動物みたいな見た目のくせに、中身はとびきり獰猛な鮫だった。

 

 突然の闖入者に色めき立って襲いかかる船員たちを相手に、丁々発止の大立ち回り。卓抜した技倆で繰り広げられたワンサイド・ゲーム。

 単身乗り込んできた闖入者に殺気立つ船員たちを小馬鹿にするようにせせら笑って、激怒した父ことバレルズを一発で沈め、時に手榴弾を使っての面攻撃まで駆使して鎧袖一触とばかりにボコボコにされたバレルズ海賊団は結局一矢報いることすらもできず、新たな襲撃者によって完膚なきまでに叩き潰された。

 

 混乱と狂乱の隙間から、ドレークは運良く逃れることができた。

 海軍に保護されたことで、かつての夢だった海兵になることもできた。……結局、その立場は自分の手で捨ててしまったけれど。

 

 だから、ドレークにとって『音無し』は恩人だった。

 

 確かにバレルズ海賊団を潰した張本人だけれど、あの騒動がなければドレークは唯々諾々と父の海賊団にいたままだったかもしれない。それはそれでひとつの道かもしれないが、こんなにも自由な気持ちで気の置けない仲間たちと航海するなんてできなかっただろうことだけは、確信が持てる。

 そう思えばこそ、一目会って礼が言えればと願っていた。

 まさか会って早々土下座されるとは思わなかったので大分困惑したけれど。

 

「むぅ……」

 

 そんなドレークの恩人が、両手に蜂蜜の瓶を持ったままどちらを買おうか悩んでいる。

 天気がよくて、格子窓の間から差し込む光は柔らかだ。そんな陽の光に蜂蜜を透かして試す眇めつ、自分なりに厳選しているようだった。

 

 のんびりと穏やかな日常風景のいちぶめいた姿を腕を組んで眺めている自分が、なんだか不思議だ。

 

 『音無し』ことミオと名乗った賞金稼ぎは、ドレークの想像の埒外にいる人間だった。

 少しばかり成長したようだが、僅かな記憶に残る姿とそう変わらない華奢な体躯は一見するとほぼ同年代にはとてもではないが見えない。二十歳にも手が届くかどうか、せいぜい十代がいいところだ。

 そんな疑問を店までの道中にぶつけたら、ふてくされたような顔で「能力の副作用です。たぶん」と曖昧な返事が返ってきた。能力者らしいことに驚いたが、同時に納得もした。

 

 とにかく『音無し』は実体の掴めない賞金稼ぎとして有名なのだ。

 

 標的にされた海賊はその異名通りに音も無く、しかもほぼ確実に捕らえられてしまうため噂ばかりが一人歩きしているのが現状である。

 正体は筋骨隆々とした大男だの、実は数人で『音無し』を名乗っているから各地でその名前が散見されているだのといった、根も葉もない話が流れているけれど……その実体はこれである。分からないワケだ。

 

「よし。これくださーい」

「あいよ」

 

 ようやく決まったらしい。その一声でドレークの意識が引き戻される。

 ミオは会計で財布から紙幣を出して店員から蜂蜜の詰まった瓶を受け取り、ボンバッグに放り込んでいるところだった。

 ドレークだって実際の『音無し』を目撃したことがあるから気付けたが、こうしていると海賊だの賞金稼ぎだのというやくざな商売とは無縁の、本当にそこら辺にいる少女のようにしか見えない。

 流れている噂と本人との激しすぎる落差が、彼女を正体不明の賞金稼ぎにすることに一役買っているのだろう。ドレークの知る限り、明確な素顔を知っている海賊は存在しなかった。

 

「ありがとうございます、ドレークさん」

「いや、気にしないでくれ」

 

 馬鹿笑いしているイメージばかりが先行していたが、こうして話すミオは穏やかで理性的だ。

 初対面の土下座では度肝を抜かれたものの、その理由は納得できるものであったし、店へ案内する間にドレークがミオを恩人だと思ったいきさつを説明したときもそうだった。

 

「──僕みたいな厄種がパパさん海賊に突撃しなくても、ドレークさんは自分の道を選んでいたと思いますけど」

 

 大方の話を聞いて、ややあってからそう言われた。

 耳慣れないことを言われた気がして目を瞠ると、ミオはドレークを見上げたままごく素朴な口調で続けた。

 

「きっかけなんていくらでも転がってますよ。たまたま、強烈なきっかけになっちゃったみたいですけど」

 

 だから恩人なんて大層な考えは早々に捨てて欲しいと苦笑された。己の欲得に従った結果なので感謝を頂いても困ってしまう、とも。

 言われてみれば、あの時ドレークとミオは一言だって言葉を交わしていないし、顔だって合わせていない。本当に一方的な、言ってみれば片思いに近い。

 

 初対面。そう、初対面なのだ。

 

 初めて会ったばかりの人間に突然恩人だなんだと言われて感謝を捧げられたところで、それは困る。ドレークは思ったより自分が舞い上がっていたことに内心驚いて、それから恥じた。

 謝罪の言葉が口を突いて出そうになって、それを察したのかミオはちょっとだけ視線を逸らして早口で言った。

 

「あの、ですがもし僕がやらかしたことが回り回って、ドレークさんの決意を進める手伝いになってたとすれば……」

 

 その時だけ、ミオは浮かべていた微苦笑に僅かな安堵を滲ませた。

 

「それはなんというか少しばかり、救われますね」

 

 静かなつぶやきはドレークの耳にすんなりと通った。嘘のない声だった。というか、彼女はひどく正直だ。聞いているこちらが戸惑ってしまうくらい。

 

 そうか、きみはこんなひとだったのか。

 

「今日、きみに会えてよかった」

 

 思ったことがそのままこぼれて落ちた。

 

 脈絡があるようなないような奇妙なタイミングになってしまったけれど、ドレークの言葉に今度はミオが目を丸くして、それからどこかバツが悪そうに笑った。

 

「こちらこそ」

 

 ただ、気になる点があるとすれば。

 海軍に保護されたというくだりで、ミオの頬が引きつっていたのは少し疑問ではある。

 

「あ、ああー……そうか、ドレークさんだったんですね……なるほど……」

 

 うかつだった、とじゃっかん遠い目をしていたのは何故だろうか。

 

 

 

 



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7.しろくまソナタ

 

 

 枕元に、ちいさな小箱がある。

 

 利便性一辺倒の無骨な船内には不似合いに過ぎる、繊細な細工の施されたその中には──みっつの宝石が仲良く眠っていた。

 

 月の光を浴びて輝きを増すのは、海の色をそのまま写し取ったようなアクアマリン。

 海の精の宝物が浜辺に打ち上げられ姿を変えたともいわれるその石は、海との関わりが深く、船乗りが安全な航海のお守りにする例も少なくない。

 

 中央にあるのは雪の中に虹の彩がかかるオパール。

 古くから希望と幸福の象徴であるその石は、持つ人の憂鬱を取り払い、その人本来の強い芯を作ることを助けてくれる力を持つという。

 

 そして最後のひとつが、熱さえ感じられそうな深緋(こきひ)を閉じ込めたルビー。

 『勝利の石』とも称され、自信と勇気を高め、あらゆる危険や災難から持ち主の身を守り、困難に打ち克ち、勝利へと導く力を与えてくれるのだそうだ。

 

 人の歴史に寄り添ってきた貴石にはそれぞれ意味があって、願いがある。……もっとも、渡した本人はそんなことをちっとも意識しちゃいなかっただろうけれど。

 それでも、ごほうびだとねじ込まれたそれには言葉が込められていた。

 

 しあわせに満ちていますように。

 苦しみを克服して、幸福を得られますように。

 もし、困難に直面するのなら、乗り越えられるだけの情熱と勇気を。

 

 それが、かたちのあるものをほとんど残してくれなかったあのひとたちの、よすがを伝えるしるべの石だった。

 

 この思いは宝石のように残ってくれるだろうか。ひとつも欠けることなく、どれだけの時を越えても──褪せず、倦まず、いつまでも。

 

 苦しいなら忘れていいと、あのひとたちは笑うのだろう。拘泥しないで好きにしなよと叱るのだろう。

 

 だったら──はやくそうしてくれ。

 

 もう告げる術を持たない言葉を閉じ込めて、叶わない願いを封じるように、ひとつもこぼさないようにふたを閉じた。

 

 まだ、夜は明けない。

 

 

 

×××××

 

 

 

 『ハートの海賊団』が新世界の入口であるシャボンディ諸島に到着したその日の夜。

 

 運悪くその日の留守番役になってしまったベポは、変なものに遭った。

 

 ベポはこの海賊団で航海士を務めているシロクマのミンク族だ。

 見た目はそのまま白熊のそれだが他のメンバー同様ツナギを着ており、二足歩行で動きも機敏。船長とも十年来の付き合いになる立派な船員のひとりである。

 

 無数のシャボン玉が浮遊する未知の諸島にベポの興味は大いにそそられたものの、くじに外れてしまったのだから仕方がない。彼らの母船である『ポーラー・タング』号の舳先によっかかって、夜でも煌々と光りを放つ方をぼんやり眺めていた。

 とりどりの光を漂うシャボン玉が反射してて、こんな時間なのにちょっと眩しい。しぱしぱと瞬きして、その視界にふと違和感を覚える。

 

「?」

 

 それがなんなのかいまいち掴めず、探るためにきょろりと一度周囲を見渡して、視界の端でひらひらするものを捉えた。

 

 そちらに顔を向ける。

 

 この諸島を作っているというヤルキマン・マングローブが呼吸のたびに排出するシャボン玉。そういえば、船員のシャチがふざけて乗ってもびくともしなかった。人でもすっぽりおさまってしまいそうなそれは、途切れることなく一定の間隔で宙に浮かんでいる。

 

 その間を、仄白いなにかが音も無く飛翔していた。鳥ではない。もっと大きいものだ。それはベポの見ている先で、シャボン玉の上から上へと、たんと跳ねてはふわりと舞って、楽しげな遊びのようにシャボン玉の上を渡っていく。

 

 蝶みたい。

 

 ひらひらと裾が長く、わずかな夜風を受けてもふわふわと膨らむ衣の様子から思ったのだが、よく見るとそれは人の形をしているようだった。

 

 全体的に白いので、それは夜空によく映えた。

 着地のたびに初雪めいた色の髪が揺れて、薄い、紗のような上掛けの間から見える曲線や華奢な手足は女性のように思える。肌の色も負けじと白く、雪の妖精がいるのならこんな感じなのだろうか。

 

「だれ?」

 

 幻想的な光景につい、警戒も忘れて声をかけてしまった。

 

 グランドラインで沢山の信じられないような経験をしてきたが、こんなものを見るのは初めてでベポは興味津々だった。

 

 諸島そのものは賑やかだけれど、海賊船である『ポーラー・タング』号は海軍の目の届かない場所にひっそりと係留させていたので、喧噪は遠い。

 海の底のように静まりかえった中でそのつぶやきは、思ったより大きく響き、届いた。何かを探すように動いていた白い蝶の顔が、ベポで留まる。

 

 その瞳は、極東に咲く花のいろをしていた。

 

 焦点を引き結ばれた先のベポは、血の気が凍るのを感じた。それは本能に訴えてくる恐怖だった。

 

 まっすぐすぎて、なんだかこわい。

 

 生きているのに、生きていないものに遭遇したら──こんな気持ちになるのかもしれない。ひょっとして、自分はとんでもないものに声をかけてしまったのではないだろうか。

 

 ぶわっと全身が毛羽立って、咄嗟に身構えようと手を上げかけたら、そのひとがいきなりふわりと微笑んだ。

 まるで大好きな花か、お菓子を見るような瞳でベポを見て、なんでか手まで振ってきた。しかもすごく嬉しそうに、めいっぱい。

 

 あれ?

 

 ほんの一瞬前に感じた妙な恐ろしさは、それでいっぺんにかき消えてしまった。自分の感情の変化を不思議がっている間に、そのひとは主人を見つけた犬みたいな勢いでぶっとんでくる。

 

「初めましてこんばんは!」

「うわ!?」

 

 シャボンを伝って甲板に降りるなり元気いっぱいに挨拶されて、ベポはとても戸惑った。こうして見ると随分と小柄で、色味が面白いだけで普通に見える。見慣れない服装で、ひらひらしていたのはただの薄っぺらい上着だった。

 白くて、ちっこくて、ふわふわで、今にもでへへとか言い出しそうな感じでにまにましている。

 

「こ、こんばんは?」

 

 言葉を探しあぐねて、とりあえず挨拶を返した。白くてちっこい人間はうんと頷いて、一度周りを窺ってからベポを見上げる。

 

「ここ、『ハートの海賊団』の船であってます?」

「あってるよ」

「で、あなたは船員のベポ?」

「う、うん、そう」

 

 ベポは手配書にも載っている。ただそれはほんとに一応という感じで、その額は500ベリーという破格の安さ。どうも海軍からは『ハートの海賊団』が飼っているペットという認識らしい。不服である。

 でも、不思議だ。ベポのことを手配書で知っているにしても、この白くてちっこい人間はベポにぜんぜん驚かない。

 おれ、喋る熊なのに。

 

「あのさ」

「ん?」

「おまえ、だれ?」

 

 だからって自分のことをわざわざ聞くのはためらいがあって、まだ聞いていなかったことを尋ねてみた。

 白くてちっこい人間は当たり前のことを問われただけなのに、なぜだか迷うように視線をあちこちに動かして挙動不審である。

 

「えーと、その、僕はあれです。『ハートの海賊団』のファンです」

「ファン? おれたちの?」

 

 思いもよらなかったことを言われて聞き返してしまう。海賊のファンなんているのか。

 白くてちっこい人間改め『ハートの海賊団』のファンは、はいそうですと頷いてから照れたようにはにかんだ。

 

「『ハートの海賊団』が諸島に着いたって聞いたらいてもたってもいられなくて、でも探し回ってたらこんな時間になっちゃったから……さすがに悪いかなと思ったんですけど」

 

 それでも一目見たくて目撃証言を元にうろうろしていたところをベポが見つけて声をかけた、という流れらしい。やたらと身軽で行動力のあるファンである。

 でも、ベポは少し納得した。ファンだからベポのことをよく知っていて驚かなかったし、やたらとはしゃいでいるのも憧れの海賊に会えたという昂奮だろう。正面切ってファンですと言われれば、邪険にしようとは思わない。

 

「時間はともかく、今うちにキャプテンいないんだけど……」

 

 『ハートの海賊団』のファンというなら、当然その中にはキャプテンのローも含まれているはずだ。むしろそっちの比重の方が大きいかもしれない。

 

 キャプテンは人間の雌によくモテるから。

 この白くてちっこいのも匂いが薄くて分かりにくいけどたぶん雌。

 会いたかったんじゃないかなと教えてみたのだけど、なぜだかファンは逆にほっとしたようだった。

 

「いやいや、いきなり会ったら色々パンクしそうだから、むしろよかったかも」

「そうなんだ?」

「そうなんです。心の準備したいので」

 

 したり顔で腕を組む。ベポにはまったく理解できないけれど、ファン心というのは複雑らしい。

 最初から大した緊張もしていなかったが、ここにきてベポはこのちっこいファンに対する警戒を完全になくしていた。

 

 だって、本当に嬉しそうなのだ。

 

 周囲に花でもぽわぽわ浮いているような様子で物珍しそうに甲板を歩き回って、ベポが止めるまでもなく船内に続く扉や洗濯物には一切触ろうとしない。

 それは美術館にあるショーケースの向こうにある絵画や、窓の向こうの景色を眺める瞳に似ていた。超マナーのいいファンだ。

 

 留守番で退屈していたこともあって、ベポはこの正体不明のファンをすぐに追い出そうとは思わなかった。

 危険性に関してはまったく浮かんでこなかった。よくわからないけど、ベポの動物的直感がこのファンは自分達の敵に回ることはないと告げてくるのである。

 

「『死の外科医』ってめちゃめちゃ物騒な異名ついてるけど、船長は本当にお医者さん?」

 

 敬語がむずがゆかったのでそこだけは取っ払ってもらった。

 

「アイアイ! キャプテンは立派なお医者さんだよ!」

「そっか~! よかった、倒した相手を解剖するからそんな異名がついたのかと」

「物騒! キャプテンはそんなことしな……くもなく、ない、よ」

 

 キャプテンの能力的に敵対した相手をバラすことは稀によくある。

 

「ないんだ……」

「う、うん」

 

 そこまで言うわけにもいかないので濁すしかないベポだった。ファンの心が離れないか心配である。

 それから『ハートの海賊団』が遭遇したいくつかの事件について尋ねられたので話して聞かせ、ファンはにこにこしながら聞いていた。子供が寝物語をねだるときみたいな楽しそうな表情が、こそばゆくてくすぐったい。

 

「そういえば、ベポは最初から『ハートの海賊団』に?」

「そう、結成したときから! キャプテンとおれはずーっと一緒だったんだよ。もう十年以上になるかなぁ」

「ほほー。じゃあベポも『北の海』育ちなんだ」

「生まれは違うけど、おれとキャプテンは『北の海』で大きくなったんだ」

「そっかぁ……」

 

 そう言ったファンはなぜかしばらく黙り込み、やがてごそごそと袂を探って一枚の写真を取り出した。

 

「『北の海』ってことはさ、ひょっとして『ここ』……知ってる?」

「んん?」

 

 差し出された写真を見て、驚いた。

 一枚の写真に納められていたのは、今では懐かしい、名前通りの鳥そのもののような造形をした大岩だ。

 

「スワロー島だ!」

 

 勢いよく覗き込んだからか、ファンはスワロー島の写真をそのままベポにどうぞと渡してくれたので遠慮無く受け取ってまじまじと見つめる。

 

「うわぁ懐かしいなぁ! こんな写真、どうしたの?」

「前に行った時に撮ったんだ。すごく綺麗だったから」

 

 ファンはカメラを持っているかのように構えて、かしゃり、と指でシャッターをきる動作をした。

 それにふーんと頷いて、改めて写真に視線を落とす。

 

 日の出の光をおびた橙色の雲と、桃色の影。薄まっていく藍色を背景に佇むツバメの姿は、今にも羽ばたいてしまいそうな迫力があった。

 

 ベポがキャプテンと初めて会った場所。かつてのいじめっ子がいつの間にか仲間になって、『ハートの海賊団』を結成して旗揚げした場所。

 苦しいこともあったけど、楽しいことの方がずっと強く覚えている。記憶のドアがノックされて、ほろほろと蘇って、鼻の奥がちょっぴりつんとした。

 

 確かに綺麗だった。けど、なんだかさみしい気持ちになる。写真は案外に撮ったひとの気持ちが伝わってくるらしい。

 

 ファンはどんな気持ちでファインダーを覗き込んで、シャッターを切ったのだろう。

 

「写真撮るの、好き?」

 

 ベポは自然とそう問うていた。

 ファンは一瞬きょとんとして、それから苦く笑った。

 

「ほんとはね、きらい」

 

 内緒話をするように人差し指をくちびるに当てて、ひっそりと。

 

「残るものってあんまり好きじゃないんだ。でも、他に思いつかなかったから」

「なにが?」

「プレゼント」

 

 そのとき、ファンはベポの方を見ていなかった。夜空を見上げる横顔は、ひどくやさしく歪んでいた。

 好きじゃないと即答して、なのに、おそらくは自前のカメラで撮った写真。適当に撮っただけじゃこんな写真にはならない。

 

 ひどい矛盾と裏腹の研鑽に、なんだかベポはぞっとする。

 

 返す言葉が思いつかなくて、喉がきゅうっと締まる。胸の奥がしくしくと疼く気がした。

 

 プレゼント。

 

 誰かへの贈り物のことを、こんなに苦しそうに口にする人をベポは始めて見た。

 

「とびきり喜んでもらえるようなプレゼントをね、あげたかったんだ。いろいろ考えてみたんだけどしっくりこなくて……そしたら、もう、これしか思いつかなかった」

 

 さみしそうに瞼を伏せて無意識にか、ファンは襟元に挟んでいたシガーケースからごく自然な動作で煙草を一本取り出して咥えると、マッチで火を点けた。

 

 するすると立ち上っていく細くて白い帯と、燐と煙の匂い。

 

「……あ、ごめん」

 

 ひとくち吸ってから思い出したように謝罪されて、ベポはややあってから煙の匂いで鼻に皺を寄せる。

 見た目から到底煙草を嗜んでいるように見えなかったから、少なからず驚いた。

 

「肺が真っ黒になっちゃうよ?」

「たまーにしか吸わないから、そんなに黒くなってないと……それ以前に吸わないひとの前で吸っちゃだめだ。ごめんね」

 

 もう一度謝罪してから自分で火を点けたくせに、ひどくまずそうにもうひとくち吸って、ファンは携帯灰皿を取り出していくらも吸っていない煙草を押し潰した。海に捨てないあたり、やっぱりマナーがいい。

 ぱちりとハートをあしらった携帯灰皿を閉じて、ファンは立ち上がりながらぺこりとベポに頭を下げた。

 

「あの、今日はそろそろお暇するね、お邪魔しました」

「え、おれにしか会ってないのに。他のメンバーとかいいの?」

「ベポに会えただけでじゅうぶん収穫だったよ。それに、あんまり遅くなっても悪いから。……また来てもいい?」

 

 さっきまでとは打って変わって、なんでだか自信なさげに質問されてベポが慌ててそれはもちろんと言うと、ファンはよかったと胸を撫で下ろしながら笑った。

 

「ありがと! じゃあまた近い内に。その写真はよかったらあげるよ」

「いいの?」

「どうぞどうぞ」

 

 ぴらぴらと手を振ってファンは船の舳先に足をかけて軽く跳躍すると、そこらに浮かんでいたシャボン玉に乗り移った。

 

 そうしてはた、と何かに気付いたように一度ベポに顔を向けた。

 

「そうだ、ベポ!」

「なぁに?」

 

 ファンは瞳を細めて口元に手を当てて、ベポにだけ声が届くように。

 

「船長のこと、お願いね」

 

 不思議なことを。

 

「器用なくせに不器用で、優しいのがわかりにくいひねくれ屋さんだけど、悪いやつじゃないから」

「そんなの知ってるよ!」

 

 なんでそんな、わかりきった当たり前のことを言われたのかが分からなかったけど、ベポはすぐにそう返した。

 

「それがおれの大好きなキャプテンだよ!」

「そか。なら安心だ!」

 

 その返事に、ファンは満足そうにいひひと笑って大きく手を振った。

 

「またねー」

「うん、またね!」

 

 

 

 



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8.再会のバルカローラ

 

 

 シャボンディ諸島の情報を拾って歩いて、一度母船に戻る頃にはすっかり夜が明けていた。

 

 甲板には既に帰っていたらしい船員たちが各々勝手に動いている。地図を片手に情報のすり合わせをするもの、あくびを漏らしながら掃除するもの。

 

「あ、キャプテンおかえりなさい!」

 

 ローの帰還にいち早く気付いたベポが声を上げる。

 

「ああ」

 

 いちばん諸島に降りたくてうずうずしていたベポが、案外にへこんでいないことを内心意外に思う。

 出発前のくじ引きで留守番役になってしまったときはあんなに落ち込んでいたのに。

 

「うおおマジだ! 超懐かしい!」

「てか、スゲーな。朝焼けなんてまじまじ見たことねーから、なんか新鮮だ」

 

 ベポの周りでシャチとペンギンが騒いでいる。視線を向けると一枚の紙……写真? を囲んで何やら言い合っていた。

 

「なんだそれ」

「あ、キャプテン! なんか昨日、うちにファンが来たらしいっすよ」

「……はぁ?」

 

 シャチがなにを言っているのか分からない。眠いこともあって半眼になる。ファン? 海賊の?

 そんなローの反応を予想していたのか「やっぱそーなりますよね。でもマジです」「ベポが会ったそうですよ。ド深夜に」「アイアイ!」と三人が口々に言う。

 

 話を総合すると、なんでもベポが留守番をしている夜中に『ポーラー・タング』号にふらりと現れてファンだと名乗る(?)人物が現れて、お喋りしたのだという。

 

 ……胡散臭い。

 

「ファンだかなんだか知らねぇが、得体の知れねぇ輩をうちに上げるんじゃねぇよ」

 

 被害らしい被害が特にないからいいようなものの、それが他海賊や賞金稼ぎだったら目も当てらない事態になるところだ。

 事の大きさに気付いたのか「すいません……」とあっという間にしょげるベポに軽く手を振っておく。何もないならそれでいい。

 

「で、そっちの紙切れは」

「ベポがファンからもらったそうです。『北の海』出身ならこの場所知ってるかって」

 

 今度こそ頭痛がしそうだった。

 

「得体のしれねぇやつから貰うなよ……」

 

 もうこれは実害としてカウントしていいのではないだろうか。

 げんなりしつつ、キャプテンとして確認しておくかと指を軽く動かすと、意図を察したペンギンが写真を手渡してくる。

 

 受け取って視線を落とし、息を呑んだ。

 

 小さな枠におさめられた、朝焼けの中で飛び立つ時を待ちわびるような──ツバメの大岩。

 

「スワロー、島」

 

 口の中がいきなり乾いた気がして、つぶやきが掠れた。

 

「懐かしいですよねぇ、おれらもさっき写真見た時びっくりしましたよ」

 

 ペンギンが懐古を潜めた声で言って口の端を僅かに上げる。シャチとベポも似たような顔をしていた。

 けれど、ローは写真を持ったまま硬直して動けない。写真の中から視線を外すことができなかった。

 

──夜明けのときに、桃色の滲んだみたいになる雲の色には名前があるんだけど、ローは知ってる?

 

 ベポたちに会うよりも更に前の記憶が、柔らかく囁きかける。

 

──淡紅色(たんこうしょく)っていうんだけど、もうひとつあって、僕はそっちの方が好きなんだ。

 

「……あれ? それ、裏になんか書いてある」

「え、そうだったか? ぜんぜん気付かなかった」

 

 ペンギンとシャチの言葉が少し遅れて耳に届いて、なにも考えずローは写真を裏返す。

 写真の裏側には小さな走り書きが書かれていた。

 

「──ッ!!」

 

 その文字列を目で追うにつれローの瞳が限界まで吊れて、ぞわりと悪寒が背筋に走る。衝撃と痺れで全身が硬直した。

 

 濃い藍色のインクで書かれた文字には、見覚えがあったからだ。

 

 

『かくれんぼに使った岩陰より

 

 ここから見える朝焼けはすっっごく綺麗だった

 真冬で夜で豪雪だったからわかんなかったけど、意外と穴場のスポットなのかも?

 

 そうそう、こういう桃色の雲が〝(とき)色〟

 鴇が空を飛んで、太陽の光に白い羽根の根元が透けるとこんな色になるんだって。神秘!

 前に教えた気がするんだけど、覚えてくれてたら嬉しいです

 

 三人でこの景色を見たかったな

 

 ひとりだけで見るの、すごくさみしい

 

 僕のさみしさ、18才のローにとどけー!』

 

 

「キャプテン? 大丈夫?」

 

 あまりに必死な様子で読み込んでいたのだろう、心配そうにベポが近寄ってくる。気付けばシャチやペンギンも困惑したようにこちらを窺っていた。

 のろのろと顔を上げようとして、ベポのオレンジ色のツナギから嗅ぎ慣れない──否、過去にむせるほど嗅いできた煙の匂いが、僅かに香ってくることに気付いた。

 

「ベポ!」

「! な、なに!?」

 

 あまりに必死な様子でローに肩を掴まれ、そんな表情を見たことがなかったベポは気圧されて一瞬怯む。だが、それに構ってやる余裕がローにはなかった。

 

「昨日来たファンってやつ、どんな顔だった? 身長は? 声は? いや、それより髪と瞳の──」

「え? あの、その」

 

 矢継ぎ早の問いに、ベポは答えに窮して戸惑ってしまう。ローの様子が見たこともないほど必死で、焦っていたこともあるだろう。

 

 なんとかベポが言葉を作ろうとすると同時に、それこそ冗談みたいなタイミングで。

 

 

「──うっわああベポごめん!」

 

 

 問いの答えがやってきた。

 

 ローの記憶そのままの声で、シャボンを足場に大慌てでそれこそ狐か猫かと見紛う動きでぴょんぴょんと。

 

「あ、さっきの!」

 

 ベポが説明するより早いと顔を向け、同時にローも視線を巡らせた。

 

 そこには──

 

「はいさっきのファンですおはよーございます!」

 

 敬礼しつつ舳先にすたんッと着地すると、雪色の髪がさんざめく。

 

「さっきあげたやつ、写真間違えちゃったんだ! 交換してもらってもいいかな!?」

 

 本当に急いで戻ってきたのだろう、ほんの少し息を弾ませている自称ファンは──紛れようもなく、ローをかつて救い上げた恩人の片割れだった。

 呆然とする。頭が真っ白になるという感覚はなるほどこういうことなのかと、思考の隅で考えた。

 

「さっきのはあげられない方、でええええッ!?」

 

 どれだけ慌てていたのか、ベポ以外眼中に入ってなかったらしい恩人は駆け足でベポに近寄ろうとして、傍らのローに気付いて急制動。桜色の瞳をまん丸にして思い切り仰け反った。

 

 それから頭のてっぺんから足の先までまじまじとこちらを見つめて──束の間、泣きそうにくしゃりと顔を歪めて、思い直したようにぶんぶん首を振って、それから……ようやく、心から安心したように、ふにゃりと笑った。

 

「ロー、おはよう。背ぇ伸びたね」

 

 その、口にするのが嬉しくてたまらないとわかる響きで、背筋がふるえた。

 記憶よりほんの少しだけ大人びて、だけど相変わらず小さくて、今のローならばすっぽりと抱き締められてしまいそうな華奢な体躯。

 

 生きていた。海に落ちたと聞いて、コラさん諸共に死んだと思っていたのに。

 

 生きて会えた。相手の方から吹っ飛んできた。

 

 全身を駆け抜ける衝撃に半ば自失しながら、ローは久しく口にできなかった名前を無意識に紡ぎ出す。

 

「──ミオ」

 

 そうだ、あんたはいつだってそんなやつだった。誰かの予想通りの行動なんかしてくれなくて、好き勝手に動いて、こっちはいつも振り回されてばかりで。

 

「うん、久しぶり。大きくなっても目の隈消えてないのか……ちゃんと寝てる?」

 

 心配そうに、けれどとことんちゃらんぽらんな返事をしてくる様子に、ローはああ本当にミオなのだと確信を得て、心底安心した。疑う余地がない。こんな行動を本人以外が取れるわけがなかった。

 ゆえに、ローが次に取った行動は──彼にとっては至極当然の流れであった。

 

「"ROOM"」

 

 同時に、ローを中心とした薄い壁が同心円状に広がる。もちろんミオも効果範囲だ。

 

「は、部屋? えっ?」

 

 自分を取り囲む薄い、紗のようななにかにミオが目を瞠る。

 ローの能力を知っている船員たちが「キャプテン!?」とざわつくが、まだローの能力を図り切れていないミオは初動が遅れた。

 頓着せず、ローはそのまま担いでいた『鬼哭』の柄を掴んで抜き払い──『切断』で一閃した。

 

「ひぇッ」

 

 だがそこは歴戦の経験がものをいう。

 ミオは反射的にローの太刀筋を見抜いてその場で軽く跳躍することで回避、

 

「動くな!」

「ッ!」

 

 できなかった。

 ローの鋭い制止にびくりと動揺して、ミオの太股から下が真一文字にすっぱりと切断されてしまう。出血もなく、一拍遅れて足の付け根辺りからずるりと太股だけがずれていく。

 

「うわ、うわ? うわ!?」

 

 痛みを感じることなく、これまでくっついていたのが不思議なくらいに呆気なく外れた両足を咄嗟に押さえようとしていたが、どうにもならない。当然だ。

 突然の喪失感で平衡感覚を見失い、わたわたするミオは奮闘むなしく頭から倒れ込みそうになった。

 

「"タクト"」

 

 すかさず指を動かすと、ミオの身体は床に転ぶことなくふわりと浮いて滑るように動き、ぼすりとローの腕の中におさまった。特に抵抗らしい抵抗はされなかった。

 両足の体積分重量が軽くなっているのは分かっているが、それでも驚くほど軽くて儚い身体だった。

 

「え、あ、ちっっか! これ、ひょっとしなくてもローの能力? すごいね??」

「ああ」

 

 混乱が突き抜けたのか素なのか、相も変わらずズレまくった感想を口にするミオを小脇に抱え、ローはあっという間の出来事で動くこともできなかった船員たちを見渡す。

 

「寝る。起こすなよ」

 

 一日調査に潰していたので徹夜だった上に能力を使ってしまったため、ローの眠気は限界だった。

 ほぼひとごろしの目つきで言われ、その場にいた船員たちは赤べこのように首をがくがく振って了解を示す。

 

「それと、『こいつ』はミオ。おれの命の恩人だから警戒しなくていい」

「あ、アイアイキャプテン!」

 

 いち早く返事をしたのは先に邂逅を済ませていたベポで、ローはそれを見て小さく笑った。

 一方、荷物のように抱えられているミオはようやっと状況が頭に入ったのか、そこら辺に放り出されてうねうねしている自分の足に手を伸ばして嘆いている。

 

「僕のあしが物理的にキャストオフしたー!? 違和感がひどい! べつに逃げるつもりないのに!」

「信用できねぇ」

 

 ミオの抗議を切って捨てながらローはすたすたと船内に続くドアを開けて入っていってしまう。

 ちょっと目を離すといなくなるのがミオという生き物であることをローは知悉している。ここで逃がすなんて冗談ではなかった。

 

「今日、このあとバイトなんですけども……」

「休め」

 

 おずおずとしたつぶやきににべもない返事をしながら「ああ、足はあとで持って来い」とシャチたちに声をかけると同時にドアが閉まる。

 残された船員たちは怒濤の展開で呆気にとられてしまい、うまく動けなかった。

 

「キャプテン、すっごく嬉しそうだったね」

 

 ベポはちょうど近くに転がりながら本人の努力でぐねぐねしている片足を拾い上げた。

 芋虫みたいでじゃっかん気持ち悪いが、気にしない。ベポたちは分解された人体の回収に慣れているのだった。

 

「まぁ、テンション上がってたのはわかった」

「おれもー」

 

 ペンギンとシャチも頷き合う。

 

「恩人って……ひょっとして、あれか?」

「あれじゃね?」

 

 ベポ・シャチ・ペンギンの幼馴染み組はローから聞いたことがあった。かつて、少年だった彼の命を救ったひとたちがいたことを。

 ただ、そのひとたちは能力者なのに海に落ちたと聞いていたので、てっきり亡くなってしまったと思っていたのだが……(実際、当の本人もそう考えているふしがあった)。その話を聞いたのは随分と昔のことだ。

 

 だとすれば。

 

「生きてたのかぁ、そりゃキャプテン喜ぶわ」

「つか、あのひとがキャプテンの恩人なら、おれらにとっても恩人じゃね?」

「そーだよね。あのこがいなかったら、おれたちキャプテンに会えなかったんだもん」

 

 うんうん頷き、しばらくはそっとしておいてやろうぜということで意見は一致した。

 

 『ハートの海賊団』はキャプテンが大好きである。

 

 

 




HPにてローとの再会はロマンチックにしてくださいとお願いされたので頑張った結果がこれだよ!!


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9.ふたりぼっちカノン

作者はまだロマンチックを残しているぞ…(迫真)


 

 

 可愛かった少年と十余年来の再会をした途端に足をぶった切られてお持ち帰りされました。

 

 意味が分からないだろう。安心してほしい、現在進行形でミオだってよくわかっていない。

 

 おそらく『オペオペの実』の能力なのだろうけど、太股のあたりからスパーンと両断された足は、感覚こそ残っているものの自分にくっついていないのでどうにもならない。痛みもないし、ふさふさとした感触が膝の後ろにあるので、ベポが持っているのかもしれない。腰から提げた庚申丸だけがぶらぶら揺れる。

 ずいぶんと縦に長く成長したローに手荷物よろしく小脇に抱えられたまま、ミオは彼らの母船にお邪魔することになった。

 

 相手が相手なので足を海に不法投棄されるとかの心配はしていない。文字通りアシがないので身動きがとれない……いや、ものすごく頑張れば多少のことはできるだろうけど、しようとは思わなかった。ローだし。

 問答無用で真っ先に機動力を封じてくるところに成長を感じる。

 

「おー……」

 

 ドアをくぐって、物珍しさに思わず声が出る。

 『ハートの海賊団』の母船である『ポーラー・タング』号はこの世界でもわりと珍しい潜水艦だ。あちこちの扉は鉄扉で緊急時に備えてだろう、ドアノブの他に取水管とかでよく見るバルブがついている。

 かすかに漂うのは消毒薬のそれで、ドアの隙間から見える部屋には医療器具が沢山積まれているところもあった。白ひげの看護師たちが常駐している部屋に似ていた。

 

「すごいな、病院みたい」

「大抵の処置はできるように誂えたつもりだ」

 

 『死の外科医』という異名の通り、本当に医者としての腕も磨いていたらしい。これならコラソンも安心して任せることができそうだ。感心していると、他とはちょっと違う色味の扉をローがためらうことなく開いた。

 

 見た途端に、あ、ローの部屋だ。と思った。

 

 大きな本棚に収まりきらなかったらしい、あちこちに積み上げられている医学書と機能性重視のデスクとぎちぎちのペン立て。ソファの上に放置されている何枚かのレポートは、何か研究でもしているのだろうか。

 ローはスタスタとデスクを素通りして片手に持っていた長刀を椅子に立てかけると、その奥にあるベッドの上にミオを下ろした。ぺしゃりとうつ伏せのままだ。

 体裁が悪いので両手を使って身体を起こし、ベッド脇に普通に座ろうとしたらバランスを保てず後ろにひっくり返ってしまった。天井が見える。

 両足というか、太股がないというのはびっくりするほど不便だ。尻だけでは体重を支えられません。

 

「足がないって不便」

「あとで返してやるよ」

 

 お気に入りなのか、あの頃と似たデザインの帽子を脱ぎながらしれっとしたものである。そうでないと困ります。

 昨日、『赤旗』ことドレークと会った帰りしなに『ハートの海賊団』を見かけたと聞いたミオは、シャッキーにおつかいの品を渡してすぐに捜索を開始した。

 諸島で海賊が船を係留できる場所は限られているのだけど、いかんせん『ポーラー・タング』は潜水艦。発見にえらい時間がかかってしまって、結局見つけることができたのは深夜を回ってから。

 

 海賊船とはいえ仮にも人の家にこんな時間はなぁ……と悩んでいたら不寝番についていた大きな白熊──ベポと目が合って、うわ本物だすごいほんとに喋ってるとわくわくが止まらなくて、つい突撃してしまった。

 

 手配書でしか見たことがなかった船と、ローの仲間。

 航海士だという二足歩行の喋る白熊は可愛くて大きくてもふもふで、試しにとスワロー島の写真を見せたらローの幼馴染みとわかってびっくりした。

 あんまり長居しても悪いかなと思ったから適当なところで話を切り上げて、お詫びに写真をあげて一旦バイバイして、戻る途中で写真を間違えていたことに気付いたから慌てて取って返した。

 

 そしたらこれだ。

 よもや出会い頭に両足を持って行かれるとは思わなかった。

 情報収集のために諸島で宿とってるなら、戻るまで時間がかかると思ってたのにとんだ誤算である。

 

「あ、そーだ電伝虫貸して電伝虫」

「なんだ急に」

「なんだもなにも、バイト先にお休みの連絡したいんだよ。無断欠勤なんて迷惑かけたらいかんでしょう」

「あァ……」

 

 こっちはきみのおかげで動けないんだから寄越しなさい、と手を出すと、ローは一度視線をずらしてからデスクにあった電伝虫を持ってきて手渡してくれる。

 お礼を言いつつ、あぐらもかけないので電伝虫の前で腹ばいになり、覚えておいたシャッキーの番号をプッシュ。いくらもしない内に出てくれた。

 

「もしもし。あの、急で申し訳ないのですが……今日ってお休み頂いても大丈夫ですか?」

 

 もし難しいようだったらローと交渉しなくてはならない。難航しそうなので、できれば許可して欲しい。

 怪我や病気でもないのに突然の欠勤とか申し訳ないなぁ、と内心しょぼくれていたのだけどシャッキーの声はなぜかとても柔らいものだった。

 

『ええ、いいわよ。ゆっくり休んでらっしゃい』

「すみません、ありがとうございます」

 

 言葉少なに通話を切って顔を上げると、ひょいと電伝虫を回収される。いつの間にかローは上着を脱いでシャツ一枚になっていた。寝るっつってたからそれはいい。

 無駄なく鍛え上げられた体躯は細身だけどしなやかで、黒豹めいて恰好良かった。こんなに大きくなって、立派に海賊やってるんだなという感慨があったのだけど──そんなことより。

 

「ウワアアアめっちゃ墨入れてるううう」

 

 ローの上半身をくまなく取り囲むトライバルタトゥに仰天して、ミオは思わず両手で顔を覆ってシーツに突っ伏した。衝撃である。あんなちっちゃかったローが刺青彫りまくってる、というのがなんかすごいショックだった。

 しかもあれじゃん、刺青のモチーフ全体的にハートだよね? これたぶん、いや絶対ロシーの影響だよね? どうしよう絶対泣くし怒るし場合によったら絶望するよこれうわほんとどうしよう。

 

「似合わねェか?」

 

 なぜそこで不安そうな顔をするのかさっぱりわからないが、嘆いているのはそこじゃない。そこじゃないんだ。

 

「似合ってるかそうでないかなら似合ってるけど! かっこいいけど! そういう問題じゃないんだよおおお!! うわくっそ油断した! 手だけだと思ってたのに!」

 

 以前の手配書で手に刺青を入れているのは知っていた。『DEATH』も大概だと思ってたけどふたを開けてびっくりだ。こんな驚きはいらなかった。

 べしべしシーツを叩いてもおさまらず、取り返しのつかない感じにごろごろ転がったら、おでこになにかがぶつかった。痛い。

 

「あだっ……ん?」

 

 手をどけて見ると枕元にあったのは小さな小箱だった。

 宝石箱だろうか、アンティークだけど瀟洒な細工が施されていてとてもお値打ちっぽい。時計とか短剣でないのが意外だなと思う。

 

「枕元に宝石箱ってすごく海賊っぽい」

 

 ローには似合わないけど海賊には似合うという不思議。

 ごく単純な感想でそう言うと、腕を組んでミオの奇行を眺めていたローが軽く顎を引いた。

 

「開けてみろ」

「いいの?」

「ああ」

 

 いいと言われたので、指でぱちんと掛け金を外してふたを開けた。

 びろうどみたいな布の上に丁寧に置かれていたのは、まばゆく光を弾く宝石たち。

 

 その輝きを目にしてミオの思考が止まった。

 

 ルビー、オパール、アクアマリン。

 

 大粒で純度が高く、見るからに価値の高いそれ。当たり前だ。虎の子にとっといたのは誰あろう自分である。

 見覚えがありすぎてしばらく硬直して、途中で我に返り、慌てて腕立てよろしく両手でがばっと半身を持ち上げてローを見上げた。

 

「売らなかったの!?」

「売れるかよ!!」

 

 噛みつくような怒声だった。

 それまでの静かな様子をかなぐり捨てた大音声がびりびりと部屋をふるわせて、鼓膜が痺れるようだった。

 

「ッ、」

 

 怯んで、ミオはびくりと肩をそびやかす。

 その間に怒りとも悔悟ともつかない表情のローはベッドに乗りかかって、あろうことかミオを背中から押し潰した。

 腹ばいになっていたため、ローの体重がモロにかかって耐えきれず顔面からシーツにダイブしてしまう。ぐえっと蛙がつぶれるような声が出た。

 

「あんたがくれた最後のもんを、おれがほいほい売れると思ってんじゃねぇよくそが……!」

 

 低く、呪詛のように絞り出すような声が背中にぶつかってきて、ローが口を開く度に振動が身体に伝わる。

 苦しいやら反応に困るやらで動けずにいると、焦れたように頭突きまでくらった。お互いが骨っぽいのでわりと痛い。

 ローは動きのにぶいミオのうなじに顔を押しつけて、腕をシーツの間に突っ込んで薄い腹に両手を回した。

 縋るように指先を服に絡めて、体温を感じる。少し早い鼓動がひびく。

 石鹸と埃とひなたの匂い。煙草のそれはほんの僅か。思い出す。大人たちの韜晦の夜。

 

 何もかもを喪って世界を憎んで全部壊したいとわめくくそがきのために、馬鹿なふたりが嘆いて願って悔しがった夜。

 

 トラファルガー・ローの──〝ハート〟ができた夜。

 

 ここにはミオとローしかいないけれど、コラソンもいると疑いなく感じる。記憶に刻まれていたものと同じ匂いに安心して、実感する。

 

 生きている。生きているのだ。このひとだけでも。

 

 細い首筋を鼻先で辿って、耳殻と髪の間に埋める。頬に当たる髪の感触がくすぐったいけれど、みっともなく歪んでいる自分の顔が間違っても見えないように。

 

「──大体、あんたもコラさんも残るもんなんか……何も残してくれやしなかったじゃねぇか……」

 

 我ながら情けないほど細い声だった。

 

 悪魔の実はとっくにローの腹の中で、能力そのものは確かに残るものかもしれないが、それじゃ駄目だ。これでは二人を偲べない。記憶はいつか薄れてしまう。

 それが恐くて刺青を入れた。魂と不可分の肌に痛みを穿って、見る度思い出せるように。コラソンのモチーフはすぐに浮かんだけれどミオのものは結局浮かばなかった。具体的なものでいちばん近いのは雪だったが、珀鉛を残すような真似は断じてできなかった。それでは本末転倒だ。

 

 だから、もう、あれしかなかったのだ。『オペオペの実』がコラソンなら、宝石はミオだった。

 

 年単位で関わっていたのに、ミオがくれた『物』は驚くほど少ないことに気付いたのはいつのことだっただろうか。あの頃、お土産にと購入してきたお菓子や靴、それに衣服。

 どれもが成長に従って捨てられるもの。いずれ忘れ去られてしまうものばかりだ。それだってドンキホーテ海賊団と袂を分かったことでなくしてしまった。自分が拒絶していた部分もあったがそれにしたって偏執的で、異常だった。

 

 二十歳を超えた図体のでかい、いい大人に乗っかられているというのにミオはといえば失礼なことにさして動揺していなかった。

 それはミオの中のローが少年時からてんで更新されていないせいでもあったし、男女の接触に求めるものが一切含まれていないことを感じていたせいでもあった。ただ、でっかくなってもローはローだなぁずいぶん重くなってと苦笑するほかない。

 

「あー、その、ごめん」

「軽く謝るんじゃねぇよ」

 

 ふてくされた調子を隠そうともしない。どうしろというのか。

 十年ちょっとという時間は長すぎて、一体何から話せばいいのかわからない。迷っていると、ろくな反応が返ってこないことに焦れたらしいローが再びぶつぶつと這うようなつぶやきを漏らす。

 

「……おれは、ミオとコラさんは死んだと思ってたんだ。能力者だけで海に落ちたらまず助からねぇ。ましてあんな状況で、」

「あ、それ」

「あァ?」

 

 そんなドスの利いた返しをされても、こちらとしても多少の言い分はある。むしろ確認したいことが。

 

「僕はこないだローの手配書見るまで、てっきり軍属入って軍医やってると思ってたんだ。なんでかっていうと、ドフィにローが海軍に保護されたって言われたからなんだけど」

 

 それは先日、もとい昨日ドレークに会ったことで解消された疑問だ。盛大に勘違いしていたせいで、ミオはまったくの見当違いを気に掛けていたことになる。

 

「あいつの話はやめろ」

「ごめんて。まぁそっちが誤解ってのはもう分かってるから、重要なのはそこじゃなくてさ。あー、その」

 

 ローはよっぽどドフラミンゴに憤懣やるかたない思いを抱いているのか頑とした調子だけれど、当時のことなので出さないと話が進まないのだ。ちょっとの間見逃して欲しい。

 こちらとしてもあまり思い出したくない記憶なのだが、ここを擦り合わせないと話にならないのである。

 

 言い淀んでいたら背中の気配が急かしてくるので、意を決して腹に気合いを入れる。

 

「あの時……ロー、『どこ』にいた?」

「──ッ」

 

 びくりとローの身体が硬直するのがわかった。

 ミニオン島での一件ではコラソンとミオは途中で一旦別れて行動していたので軍に保護されたのがドレークと分かった現状、逆にローが『あの時』どこにいたのかが疑問だった。

 満身創痍にされたコラソンを前にしてドフラミンゴと対峙した、雪降りしきるミニオン島。軍曹は途中でミオに付いてしまったので、こちらもローの行方については知らないままだ。

 

 落ち合う約束を交わした『となり町』でないのなら──どこに?

 

 長い、長い沈黙が落ちて、ローの腕が痛いほど強くミオの腹を締め上げる。

 

「……たからばこ」

 

 そして、口に出すのも苦しいのか、途切れ途切れに。

 

「コラさんのうしろに、あった、でかいやつ。あの中に……おれはいた」

 

 ……ああ。そうか。そうだったのか。

 記憶の中でいくつかのピースが合致して、ローの態度に納得する。同時に罪悪感もあった。あそこでのやり取りを聞いていればなるほど、死んだと思うのも無理はない。

 陸揚げされたマグロよろしく脱力しているミオの耳元、低い囁きが耳朶を打つ。

 

「外の音は、全部聞こえてた。だから──ぜんぶ知ってる」

 

 そうだ、ローはあの時のことを今でも覚えている。絶対に忘れない。

 漏れ聞こえた会話と、慕っていたひとの暴露。

 海兵の懺悔、心が掻きむしられるような拒絶と悲嘆の混じった絶叫。耳を弄する銃声、硝煙と血の臭い。二人が海に落ちたという誰かの報告。無力感と悔恨。叩き付けた拳の痛みも、喉が裂けるほどにわめいても届かなかった叫びまで、全部。

 

 忘れることなど、できるものか。

 

「ミオ。コラさんのために疵、増やしただろ」

 

 確信の籠もったローのつぶやきにミオはぐう、と唸って動かなくなる。

 

「見せろ」

「えええ……」

 

 心底イヤそうだった。

 

「おれは医者だ」

「知ってるよ。もう治ってるよ」

「この場で全部ひん剥いて確認したっておれは構わないんだが」

「やだ物騒。そもそも論で、それは医療行為とはいえません」

 

 やり取りそのものはのらくらしているが、見せたくないという意思は伝わってくる。しかしそれを大人しく聞くほどローは人間ができていない。

 

「ミオ」

 

 喉から絞り出された響きに混じった感情は、哀訴なのか懇願なのか。

 

「たのむ」

 

 その、どこか縋るような口調にミオはしばらく黙りこくり、やがて観念したように顔をシーツに埋めたまま、いかにもしぶしぶと左手を上げた。

 長い袖から手首までがずり落ちて、しなやかな指がわきわき動く。

 

「……ほれ」

 

 抱き締めていた片方の腕を解いて、ローはミオの手のひらにそっと触れた。指の腹で形を探るように辿っていく。

 昔と変わらない、細くて頼りないのに胼胝の目立つてのひら。邪魔にならないように短く揃えられてちんまりした爪。けれどそこにある、少しいびつな感触。

 

「あとはここにないけど太股とえーと、腹だったかな、たぶん」

 

 銃創なんて大層な怪我のはずなのだが、もうそれくらいは意識にすら上らないらしい。確かにいちいち気にしていたら文字通り身が持たないだろう。

 

「そうか……」

 

 ローの親指の先で触れる肌には弾痕らしき痕があって、皮膚の色が少しだけ違っていた。ひっくり返すと甲の同じ箇所にもあった。弾丸が貫通したのだとすぐに知れる。

 といっても、手の上に手をかざした時にできる、うっすらした影のような儚い色味のものだ。目を凝らさなければわからないだろう。ただ、ミオの肌自体がもともと白いので一度気付いてしまうとひどく目立つ。

 

「とにかく弾切れさせるのに夢中だったし、何発かは覚えてないからそれだけで勘弁して」

 

 あまり自分の手を好んでいないミオはローから手を引っぱって回収すると、胸元とシーツの間にしまい込んでしまった。

 ミオが己の手を矜持として誇ってはいるけれど、同時に厭ってもいることは知っている。だから握手はするけれど、一定の信頼を預けた相手……主に家族以外とは手を繋ごうとしない。袖の長めの服が多いのは腕にある傷痕を隠すためももちろんだが、手を布の中にしまい込むための用途の方が強い気がした。

 

 なにか、ひどくもどかしい感情を持て余す。

 

 ローは離れていた年数分年を取って成長したはずなのに、何を言えばいいのかわからない。言いたいことは沢山あったはずなのに、多すぎてかえって言葉が渋滞しているようだった。

 そんなローの雰囲気を察したのか、ミオがシーツに埋めていた顔を動かした。鼻先がくっついてしまいそうな至近距離で、桜色の瞳が悪戯っぽく揺れた。

 

「名誉の勲章ですよ?」

「……そうだな」

 

 堂々と言い切れることにローの口の端が僅かに上がる。

 言われてみれば、これはコラソンの身体に傷を増やさないというミオの決意の証。拒絶の意思が結実したものだ。

 おそらくはローが己に施した刺青と根元が近い。なんとなくそう思う。

 

「それはそれとして、ロー、いい加減いっぺんどいてくれ。この体勢しんどいし、さっきからベルトでおなかのとこ挟んじゃって痛いのなんのって」

 

 めんどくさそうにだらだらと言われ、やや満足したローは大人しく横にどいた。こっちの手に両足があるので逃げるのは無理だろうし、体勢がきついのは本当だろう。

 ミオは器用にごろりと仰向けになると腰のベルトを外して一息吐いた。ガンベルトめいて幅広のそれに固定されている鞘を掴んで躊躇なくローに差し出す。

 

「そこらへんに置いといてくれる? あ、こないだ鞘の底に海楼石仕込んだから、気ぃつけてね」

「あ? ああ」

 

 ずしりと重いそれを受け取って、言われるがままに注意してベッド脇に立てかける。柄を見る限り、作りも拵えも昔と変わらないように見えた。

 その間にミオは上着をもそもそ脱いで、雑に丸めると枕元に放り出した。長袖のシャツ一枚というラフな格好になって「あー楽」とか言いながらのびをしている。

 ちょっと待って欲しい。

 

「おい」

「どーせ誰かさんのせいでろくに動けないし、昨日っから寝てないし、ローも寝るなら僕も寝るから。さすがにきっつい。邪魔ならソファの方にでも運んでおくれ」

「いや、んなことしねェけど……」

 

 「ありがとー」とか言って寝そべってしまった。それまでの雰囲気がまとめて吹き飛んでローの頬が引きつる。

 ミオの両足をもいだ(・・・)のもここまで運んできたのも、ここで逃がしてたまるかというほぼ衝動みたいなもので特にどうこうしようという思いはなかった。相手がローだからこそ無防備で緊張感がないというのは分かるので嬉しいは嬉しいのだが、なんかこう……釈然としない。

 処理しきれない煩悶でぐるぐるしていると、ミオがよくわからないという顔をした。その顔をしたいのはこちらなのである。

 

「なんだどうした、さっきまで背中にひっついてたくせに。てか、しょっちゅう一緒に寝てたじゃん」

「うるせぇ」

 

 それは自分が子供の頃の話である。

 いやでもそうか、ミオの中のローはまだまだ可愛くないくそがき固定で動いていないのだ。

 どうやら手配書でローが成長していたことを知っていたようだが、直接再会したのはほんの数十分前。こっちもまだ戸惑いがあるのでそれも当然ではある。

 そうなると同じ布団で寝るくらい、どうってことないのだろう。なんせコラソンと合流してからベッドの都合でそれこそしょっちゅう一緒に眠っていたのだから。今更ローが縦に伸びたところで同衾程度ではなにも変わらないことが分かってしまい、なんともやるせない気持ちで顔面を手で覆う。

 

 ここで自分はもう守られるだけのガキではないと言うのは簡単で、実際そうしたいと思う自分もいるにはいる。けれど、それは今向けられている無防備であけすけな好意と引き替えであることも分かっている。

 

 ローにとって、ミオはもう二度と会えないはずの存在だった。

 募らせた思慕の念は少年時代のひたむきに無垢で純粋なまま、墓の底まで持っていって埋めるつもりだったのだ。

 それがこうもあっさりと再会してしまい、一体どうしたいのか、事ここに至ってもいまいち判断がついていない。

 

 だって──脳裏にこびりついた、思い出そのままの姿で現れるから。

 

「そもそも、なんで見かけが変わってねェんだよ」

 

 十年以上の年を経ているにも関わらず、ミオの姿はほとんどと言っていいほど変わっていない。改めて観察したところで少しばかり背が伸びて、服装が変わって、本当にそれだけだ。

 苛立ち紛れの疑問に、ミオはくちびるを尖らせてぶーたれる。

 

「僕だってコラソンくらい大きくなりたかったですー。くそ、ここまでくると弟たちに身長吸い取られたとしか思えない……ローにまで追い抜かれてるなんて、こっちだってやんなっちゃうよ」

「コラさんに変な冤罪かけんな」

 

 やんなっちゃうとか抜かしているが、ミオの身長はせいぜい160程度。ローどころか大抵の大人に負けている。

 あと、誰もそこまででかくなれとは言ってない。

 

「背はちょっと伸びたけど、あとは何年経っても変わらなくて……実の副作用説がいちばん有力なんだけど、ひどいよねほんと」

「胸もねェしな」

「うっせぇほっとけ! 僕だってむちむちぼいんぼいんになりたかったわ!」

 

 ぼすんと枕をぶつけられた。気にしていたらしい。

 ミオの能力はあらゆるものを『固定』するものだということはかつて聞いていたが、副作用として細胞の老化まで中途で『固定』、或いは阻害されてしまったのだろうか。

 深く考えたところで相手は悪魔の実だ。どんな副作用があっても不思議ではない。

 適当なところで思考を切り上げて、肩肘をついて頭を支えていると、騒いでいたミオが自分の身体を見つめていることに気が付いた。

 

「どうした」

「……うん」

 

 曖昧な返事をしながらゆるゆると視線が動く。ローの頬、首筋、シャツの隙間から覗くトライバルタトゥをなぞって、腕の先まで。

 観察するみたいにまじまじと見つめて、ようやく納得したのかちいさく頷いて、ほ、と吐息。

 

「……?」

 

 ぎゃあぎゃあ騒いでいたのがうそみたいなしおらしい態度にローが迷っていると、ゆっくりと桜色の瞳が眇められる。安堵のそれだった。

 

「よかった。──どこにもない」

 

 何を探していたのか、それで分かった。

 ミオは天井を仰ぐと両手で自分の顔を覆ってもう一度「よかった」とつぶやいてからローとは逆方向に寝返りをうって、団子虫みたいに丸まった。ローの目線の先、小さくミオの背中が時々しゃくり上げるように跳ねる。

 ああそうかと思い至って、ローは腕を伸ばしてなだめるようにミオの頭に手を置いた。自分でも驚くくらい、柔らかい声が出る。

 

「完治してる」

「うん、ちゃんとみた」

 

 必死に押し殺そうとしているが、ひきつるような涙声だった。なんだかたまらなくて団子虫をひっくり返して抱き寄せた。

 胸元に顔をおさめて背中に手を回すと、布越しに肌が汗ばんでいるのが分かった。さっきよりずっと身体が熱い。

 つむじを顎で押し込んで、笑みを含んだまま小声で話しかける。

 

「泣くなよ」

「ないてない。でもほっとした」

「コラさんとミオのおかげだ」

「ローがちゃんと頑張ったからだよ。あきらめなかったから、治せたんでしょ」

「まぁそうだな」

「えらいよ、すごい」

 

 ぐずぐずと洟を啜りながらよかった、すごいと繰り返すミオの背中をゆるゆると撫でて抱き締めたまま、ローはそっとまぶたを落とした。

 ありがとう、と聞こえた。内緒話みたいな消えそうな声。何も言わず、気付かれないように髪にくちづけた。

 

 胸の奥に星がふるような、そんな気持ちだった。

 

 煌めく星がまき散らすスペクトルが震えて弾け、火花のように輝いて。

 

 息が詰まってしまいそうな、胸に迫る感情の名前は分かっているけれど、いまはいい。

 

 生きててよかった。

 

 また会えて嬉しい。

 

 大事にしたい。

 

 

 今度こそ──ずっと一緒にいたい。

 

 

 



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10.ハートのエチュード

しばらくローのターン!


 

 

 ローと再会してなんだかんだで一緒に仮眠を取ったら……すごく寝てしまったらしい。

 仮眠という名のガチ寝をしてしまった時特有の気怠い感じがあって、天井を見つめながらしばらくぼーっとしてたら「よく寝てたな」と声をかけられる。ローはデスクの方にいるようだったので、動く気配がしたのだろう。そうだここハートの海賊団だったと思い出し、自分の両足がくっついていることに安心する。

 口元に手を当ててくあ、とあくびをひとつ。

 

「ごめん、どれくらい寝てた?」

「もう昼回ってる」

「えっ」

 

 一気に目が覚めてがばっと身体を起こしながら壁掛け時計が目に入ったので、確認。マジだったことにびっくりする。五時間は爆睡していた。

 ベッド下に置いてあった靴を履きながら「起こしてくれてよかったのに」と愚痴ると聞きとがめたらしく「今日は休みなんだろ」としれっとした返事が飛んでくる。そりゃそうかもしれないけど、自分の部屋ならともかく仮にも海賊船で爆睡て、どうなんだろう。

 問答の間もローが近付いて来る気配はしなかったので、何をしているのか気になった。丸めてあった上着を伸ばして袖を通しながらベッドから下りて、少し歩くとローは先ほどの机に座って羽根ペンを動かしていた。前まで移動して何の気なしに覗き込んだら、文字列から察するにカルテのようだった。

 

 番号と名前を見てあれ、と思う。

 

「それ、ひょっとして僕のカルテ?」

「ああ、寝ている間に診察させてもらった。あんまり肺が強くねぇからもう煙草止めろ。あともっと肉を食え」

 

 これはひとの睡眠を脅かさないほど静かに診察できることを褒めるべきか、了解を得ずに勝手をしでかしていることを窘めるべきか。束の間迷った。

 

「ローにだけは言われたくないことを言われてる気がする……それに、確かに煙草は多少吸ってるけど一週間で一箱も──て、ない!」

 

 上着の裏側にあったはずの膨らみがぺしゃんこになっていて慌てそうになったら、その前にシガーケースと携帯灰皿を投げてよこされた。

 

「中身は没収だ」

「ひどくない!?」

「ひどくねェよ。ミオの健康を気遣った結果だ」

 

 いかにも医者の診断です、という感じで心なしドヤ顔されたのでえーってなる。

 ローがいくらお医者さんでも自分のお金で購入している嗜好品をとやかく言われるのはなんかこう、釈然としない。

 

 不満が雰囲気に出ていたのか、カルテから顔を上げることなくローがぽつりと付け足した。

 

「そんなに好きじゃないんだろ、煙草」

「……なんでそう思ったのか聞いても?」

 

 確信だけがそこにはあって、反論もあまり意味がなさそうだったが念のために聞いてみた。

 彼の前で吸っていないのだから、苦言を呈するに至る判断を下す経緯を知る相手は限られている。

 

「ベポだ。『すっごくまずそうに吸ってた』ってよ」

「あ~~ベポか~~、ならしょうがないな~~」

 

 秒で納得したミオはぺちんと手で自分の額を叩いた。彼の前でうっかり吸ってしまったので、モロバレだったんですねわかります。

 あれは悪いことしたなと思う。主に副流煙的な意味で。煙草はすべてシガーケースに移してはあったものの、おそらくローにはどの銘柄かバレているだろう。

 

 ……吸うようになったのは、本当になんとなくだ。

 

 二十歳を越えてから酒と一緒にたまに嗜むようになったけれど、ヘビースモーカーになることもなくここまで来ている。匂いというのは記憶に残るものだから、口とかが寂しいときに咥えて、吸っていた。

 

 だからってしおしおと言うことを聞くのも悔しいので、言うだけ言おう。

 

「本数少ないし、」

「やめろ」

「でも、」

「やめろ」

「…………」

「だめだ」

「念押しやめて。わかった、わかったから」

 

 足掻いてみたものの謎の圧に負けて頷いてしまった。

 両手を上げて降参すると、ようやくローも満足したらしい。

 

「隠れて吸ってもバレるからな。ベポは鼻が利く」

 

 ……読まれてたか。

 しかも自分ではなくベポを出すということは、それだけやめさせたいらしい。これは本当に禁煙するしかないのかもしれない。

 

 それきり会話が途切れて、沈黙が落ちる。

 

 なんとなく、お互いに距離感を図りかねているような微妙な雰囲気があって、ミオはちょっと居心地が悪い。たぶんローもそうだと思う。喋るタイミングを外して、変な緊張が抜けずにお尻がもぞもぞしてしまうあの感じだ。しかも苦し紛れに部屋をちょろつこうとするとローの気配が追いかけてくるので、どうにも困る。結局デスク前のソファに腰掛けつつ、本棚のやたら難しいタイトルを目で追ってみたりしてみた。

 

 理由は分かっているのだ。

 

 十年以上離れていた人間と再会して昔と同じようにすぐ喋れる、なんて無理な話である。ましてローにとってミオは既に故人のはずだった存在だ。

 思い出というには近く、知己というと少し遠い。距離感がつかめないから、うまく会話が繋げられない。何をどこまで話せばいいのか、話してもいいのか、聞いても大丈夫なのか、そういう許容範囲が探りきれていないから口を噤んでしまう。もどかしいけれど、これはミオにだってどうにもならない問題だ。

 

 とはいえ、なんだか据わりが悪いからって理由だけで逃げたりするのは違う気がする。

 

 バイトは休み(休んだ)で、ミオとしてもローともうちょっと一緒にいたいし話もしたい。

 

 そしたら、

 

「どうすればいいかね」

「なにがだ」

「ローとお喋りしたいんだけど、なにを話せばいいのかわからん。いっぱいあるはずなんだけど、なんか、どれから話せばいいのかとかぐるぐる考えちゃうし、こう、難しくて」

 

 思ったことをそのまま吐き出したら、少し驚いたようだった。

 

「……相変わらず馬鹿正直だな。おれだってわかんねェよ」

 

 感心すら滲ませて、ローは羽根ペンをくるくる回してペン立てに突っ込むと観念したように頬杖をついた。

 

「正直、おれの船にミオがいるって事実だってまだ実感が湧いてねぇ。こっちだって聞きたいことも言いたいことも山ほどある。が、どれから話せばいいのかさっぱりだ」

 

 思い出から突然飛び出してきた故人……だったはずの人間は、果たして自分の幻想や都合のいい夢じゃなくて本当に目の前にいるのか。

 ひょっとしたら、カルテ作りはローなりの確認作業の一環なのかもしれなかった。

 

「そりゃそうか。僕も手配書で生存確認できたときすっげぇびっくりしたもんなー、それで今日会ったらすごく緊張したし」

「嘘つけよ。出会い頭にひとの目の隈指摘してきたくせに」

「ほんとだよ。印刷と本物じゃ威力がぜんぜん違う。うわー生だ本物だ動いてるすげぇよかったーって思ったら、頭の中真っ白になっちゃって」

「生ってなんだ」

 

 半ばアイドルのような扱いが不服だったのか睨み付けてくるが、ミオは腕を組んでローを眺めながらしみじみと。

 

「だって手配書の百倍かっこいいし、隈ひどいし、声低いし、動いてるし? まぁ、人の足いきなりぶった切ってくるとは思わなかったけど」

 

 正面切ってかっこいいとか言われたローはちょっと口の端を上げかけたが、すぐに隈とか持ち出されたので真顔になった。

 

「ああでもしないと逃げそうだったからな」

「時と場合と相手によるよそんなの。ローだったらよっぽど切羽詰まってない限りは逃げない」

 

 遁走を図るに足る事態に陥るか、よっぽどの理由がなければローから逃げようとは思わない。

 

 少なくとも現時点では。

 

「断言はしないんだな」

「断言できる自信がないからできない。ごめん」

「……いや、そっちの方があんたらしい」

 

 しょんぼりしているが、できるかどうか分からないことは口約束でも確約しない、というのは本当に彼女らしい。

 ミオはもう一度ごめんと告げてからごくごく素朴な口調で続けた。

 

「それで、その、積もる話とかめんどくさい事をもろもろうっちゃって言いたいことだけ言うと……僕はローと昔みたいに仲良くしたいなぁと思ってるんだけど、ローはどう?」

 

 この際なのでずけずけとぶちまけることにした。

 

「十年以上も生死不明で音信不通だったヤツともっかい仲良くとか、虫が良すぎてやっぱりいやかな」

 

 へたに濁して中途半端に伝わったって意味がないことくらいは、ミオにだって分かるようになった。

 聞いていたローはといえば、途中で頬杖に乗せていた頭をがくっと滑らせた。落ちた頭を引き戻しながら眉間にものすごい皺を寄せて、猛烈に思考を動かしているのが端から見ていてもよくわかる。

 

 少しの沈黙ののち、ローはミオから視線を外しつつ、ぽつりと。

 

「──昔みたいに、は、無理だろ」

 

 思ったより真剣な声と眼差しだった。

 ムシのいい話だったかなと反省しかけたのだけど、考えてみればどだい無茶な話であると納得する。

 

 脳裏に浮かぶ弟たち。ドフラミンゴとロシナンテ。彼らも年を重ねて想像を遙かに超えてでっかくなって、なにより大人になっていた。

 ローも大きく成長して、もう成人だって越えている。親族ですらないのだから子供扱いは失礼だし『昔みたい』な付き合い方ができるワケがなかった。

 

 だから、たぶん。

 

「それ、仲良くすることに関してはワンチャンあるって解釈であってる?」

「ああ」

 

 頷くローに自分の考えが間違っていなかったことを確認できて、満足する。

 

「なら安心。よかった!」

 

 拒絶されないだけでミオとしては花丸満点である。笑顔で万歳して勢いのままに立ち上がる。

 そのまま一度ローの寝台まで戻り、立てかけてあった庚申丸を差したベルトを腰に巻きながら踵を返して机の前を素通りしようとすると、ローの腕が伸びてきて手首を掴まれた。

 

「おい、どこに行くつもりだ」

 

 打って変わって剣呑な雰囲気をまき散らすローに困ったようにミオは眉をしかめつつ、空いている方の手で自分の胃のあたりをぽんと叩いてみせた。

 

「いやさすがにおなか減ったし、外でなんか食べてこようかなと」

 

 安心したら空腹を思い出した。

 昨日の夕方から今まで食事らしい食事をしていないのでいい加減すかすかで、このままだと痛み出しそうだ。

 直球に人間の三大欲求を訴えられたローはしかし、不満そうな顔をしたまま手を離そうとしない。痛くはないけれど離れる気配がないそれを咎めようとして、ふと。

 

「ローはごはん食べてないの?」

「食ってねェ」

 

 ちゃんと聞いてみたらローが起きたの時間はミオが覚醒する数十分前で、起きてすぐに検診して、その結果をもとにカルテを作っていたから何も口にしてないとのこと。

 

「なんだ、じゃあ一緒に食べに行こう。シャボンディ諸島なんだかんだで長いから、いろいろ案内できるよ」

「食べに行くより厨房の方が近いだろ。諸島に関してはあとで聞かせてもらう」

 

 外食が面倒くさいという気配もあったのだが言外に含みを感じて、ミオはまだ掴まれたままの手首とローの顔を交互に見てから、ぽつりと。

 

「ローがごはん作ってくれんの?」

 

 くつりとローが喉を震わせる。

 

「冗談。逆だ」

「えーと、僕の料理のこと覚えてて言ってる?」

「それがいい」

 

 まっすぐにミオの瞳を見据えたままきっぱり言われると、拒否する理由は特になかった。

 

「……そか」

 

 文句言わないならいいよと頷けば手首を掴んでいた手がようやく離れ、ローは席から立ち上がって出口ではなく寝室へ向かった。

 なんとなくその背中を眺めていると、さして間を置かずに戻って来る。

 

「手ぇ出せ」

「ん?」

 

 何も考えずに出して手にぽん、と渡されたのはさっきまで宝石箱で存在を主張していた『ごほうび』がみっつ。

 

「え、いいよ返さなくて。あげるあげる」

 

 意図が読めず、目を丸くしたミオは反射的に突っ返そうとしたがローは受け取ろうとしない。どころか先ほどのように腕を組んでこちらを見下ろしてくる。

 

「いくら『ごほうび』っつっても、あんな時分のガキにやるようなもんじゃねェだろ」

 

 これまでローのよすがとなってきた重く冷たい鉱石たちは、ミオとの再会によってその役目を果たしたといってよかった。

 それならば持ち主に返すのが筋というものだ。疑問の解消にもちょうどいい。

 

「なに考えてたんだ?」

 

 ある程度の年を重ねてから名のある鑑定士に宝石を見せたとき、聞かされた鑑定額は目玉が飛び出るくらいの値段だった。みっつ合わせればそこそこの船くらい即金で買えてしまう。

 結末は別れだったとしても、当時ミオはそんなことかけらも考えていなかっただろう。自分だってそうだ。だというのに、少年だったローに『ごほうび』と称して渡すには宝石の価値が高すぎる。

 それならば、別の意図があったと考える方がしっくりくる。

 

 見下ろした視線の先、ミオは視線を泳がせながら気まずそうに言い淀んだ。

 

「なにって……まぁ、くだらないことなんだけど」

 

 そうだろうな、とは思ったが口には出さない。記憶に残っているミオは考えつく限り、大概くだらないことばっかり考えて行動していたので、今更だ。

 ミオはローの問いに手の中で宝石をひとつ持ち上げて電灯に透かしながら、ちょっとだけ懐かしそうに口を開いた。

 

 アクアマリンの水色を透過した瞳が玄妙な色味を帯びる。

 

「悪魔の実ってくそまずいって聞いてたから、口直し用のつもりだったんだよ」

「食えない宝石をか?」

 

 確かにオペオペの実は噂に違わぬくそまずさだったが、飴玉の包装に包まれていたとはいえ宝石は宝石。食べられない。

 

「ちがうちがう。この宝石と同じ色で形の飴玉持ってたんだ、あのとき。たしか魚人島で買ったんだっけかな?」

 

 彼女の使っている船は風の流れを無視した航行が可能なことは、ローとてよく知っている。ついでにその船を引くミオの相棒は海王類すら捕食する化物クラスの存在なので、あの頃どこで何をしていても奇妙ではなかった。

 そういえば、あの蜘蛛──軍曹は一緒ではないのだろうか。十年かそこらでくたばりそうではなかったのだが。

 

 ローの横道に逸れていた思考が、ミオの声で引き戻される。

 

「で、ローたちと合流してからそっちは食べられません残念でしたーって交換しようと思ってた」

「クソほどくだらねェ理由だった……」

 

 ここ十余年ローを支えてきたはずの宝石は、びっくりするほどどうでもいい理由で渡されていたものだった。

 こめかみを押さえてうなるローにミオは苦笑する。

 

「だからくだらないって言ったのに……でも、合流できなかったからかえって良かったかなって思ってた」

 

 有事の際に売り払って資金繰りでもなんでも使ってくれればいいと思っていたので、本当に意外だったとミオは語る。

 

「まさか戻って来るなんて、びっくりだ」

 

 面映ゆくつぶやいて、ハンカチを取り出して大切に宝石をくるんでいく。傷一つ見当たらないそれは、ローが本当に大事に扱っていた証拠だ。

 

「でも、返してもらうと『ごほうび』あげなかったことになっちゃう。それはよくないな」

「べつに、いいだろ。おれが勝手に返したんだ」

「いや、よくない」

 

 なにかこだわりがあるらしい。

 一度ひとに譲り渡したからには、その物品を相手がどう扱おうと自由だとしても、それとこれとは別問題なのだそうだ。よくわからない。

 

「この宝石ぐらい、はあげすぎだから無理だけどローの『ごほうび』になるもの、なんかあったかな……」

 

 ごそごそとあちこちのポケットを探り出すミオにローは顔をしかめる。

 

 変わらず律儀なのは結構なことだが、まだ子供扱いが抜け切れていないようでこちらとしては面白くない。ある意味では子供時代との訣別で、ミオとローの関係性が変化したことの象徴だ。

 代替品を渡されると、それこそ関係を引きずってしまうようで、こちらとしては困る。

 

「おい、おれは──」

「あ、そうか」

 

 けれどローが言い募る前にミオは何か閃いたのか、顔を上げる。が、またすぐ考え出した。

 

「でも、これはなぁ……あー、どうしよう……」

「?」

 

 眉を寄せて上目遣いにローを見て、それから足元を見たり壁にずらしたりと落ち着かなく視線をうろうろさせてからひとつ頷いた。

 

「まぁ、いいか。どのみちローのだし」

 

 結論が出たのか、ミオは上着の中に手を突っ込んで何かを引っ張り出す。

 さして厚くもない、オリーブグリーンの装丁の小冊子だった。ワインレッドと白の細いリボンのついたそれは、どうやらミニアルバムのようだ。

 

「はいこれ」

 

 なんの前置きもなく差し出され、ローは少し戸惑った。

 

「なんだこれ」

 

 返答は簡潔極まりなかった。

 

「誕生日プレゼント」

 

 ミオは弾かれたように自分を見るローに、してやったりとばかりに瞳を細めて微笑んだ。淡い色合いの中に確かに浮かぶ深い安堵と、渡すことができた喜び。

 

 甘い彩のかかった、とろけそうな笑顔だった。

 

「十一年分だよ」

 

 唐突に、少年のときに瞳に映していたものと同じ笑みを、見下ろしている自分がここにいることを自覚する。

 視線の先で、心なし目許の赤みを増したミオがはにかんだまま、照れくさそうに言う。

 

「ローがとびきり喜ぶ……かはわかんないけど、がんばって考えました」

 

 がつんと木槌で頭をぶん殴られたような衝撃だった。

 

 ローは息を呑み、伸ばそうとしていた指先が震えた。

 

「──ッ」

 

 なにかが胸に迫って、身じろぎひとつとれなかった。

 

──ミオ、おまえ。

 

 欲しいものを尋ねられて、苛立ち紛れに勝手に考えろと悪態をついた馬鹿なくそがきの暴言を真に受けて、本当に考えてやがったのか。

 

 十一年も。ずっと。

 

『じゃあ、ローがとびきり喜ぶものを考えないと』

 

 確かにそう言っていた。だが、言っていたからって本当にやってるなんて思わねぇだろ。

 

 ああ、本当に──このやろう。

 

「覚えて、たのか」

「忘れるわけないでしょー」

 

 考えろって言ったのはローの方だと唇を尖らせるミオに、そうだったなと返すのが精一杯だった。

 

 おれだって覚えてる。覚えてるに決まってるだろ、ちくしょう。

 

 衝動的に抱き締めなかった自分を褒めてやりたい。理性と一緒に目の前がぐらぐら揺れるようだった。

 なにかしないとやらかしてしまいそうだったので、反射的にアルバムを開いた。

 

「ほんとは次の誕生日か、そうでなかったら一緒にあげたかったんだけど、今でもいいや──て、ちょおおなんで開けんの!? 僕いなくなってからにしろよ!」

 

 どかんと顔を真っ赤にしたミオがさすがの俊敏さで手を伸ばしてきたので、ひょいと避ける。

 片手でアルバムを持ったままもう片方の手で白い頭を押さえてしまえば、ミオの手は届かない。

 

 今では、もう。

 

「身長差がにくいいい! 成長は喜ばしいけどにょきにょき伸びやがってくっそー!」

「おれがもらったもんをいつ開こうが、おれの勝手だろ」

 

 う、とぶんぶん振っていた手の動きが止まる。

 あっという間に気勢を削がれてたミオはじゃっかん気まずそうに視線を逸らす。

 

「そりゃそうかもだけど、恥ずかしいじゃん……あとにしてよ、あとに」

「おれに命令するな」

 

 回収を諦めたらしいミオは伸ばしていた手を引っ込めてしおしおとうなだれ、両手で顔を覆いながら命令じゃないよお願いだよと力なくつぶやく。

 

 そんな自称お願いを無視してローは改めてアルバムを開いた。

 

 クリーム色の台紙に丁寧に張られた写真と、その縁にはミオの字らしいとりどりのカラーペンで『Dear.Trafalgar Law Age.○』と必ず綴られていた。

 食い入るような目つきでページをめくっていくローに観念したのかため息をひとつ吐いて、ミオはぽつぽつと言葉を落とした。

 

「……荷物になるようなものはイヤだったから、写真にしたんだ」

 

 真昼の月

 

 朝靄の中で瑞々しく綻んだばかりのライラック

 

 かぎしっぽの猫

 

「一年に一枚だけって決めて、一緒に見たいと思った景色とか──」

 

 一面の、頭を垂れる稲穂が作った黄金色の海

 

 雪まみれのゴマフアザラシ

 

 はしっこが焦げているクッキーとちょっといびつなバースデーケーキ

 

「ローに見せたいなぁって思ったものを、毎年、選んでた」

 

 雲間から差し込む光が作る天使の階段

 

 魚が大口を開けた珍妙な船首の船

 

 水平線で星のように光り爆ぜるひなたの欠片

 

「……そうか」

 

 ミオがきれいだと思ったもの。

 

 ローと一緒に見たいと望んだ景色。

 

 写真はどれも綺麗だったが、なぜか沁みるようなさみしさがあった。

 

 ひどく遠いあこがれを閉じ込めたような、憧憬と隔絶。

 

 それはきっとローも感じていたものだ。

 

──ここにきみがいればいいのに。

 

 同じ道を歩むことはできなかったけれど、写真の数だけ追想して、重ねることはできる。

 

「見れば思い出すことって案外あるから、ローにも伝えやすいと思った、ん、だけど」

 

 だんだんと自信なさげに細くなっていくミオの声。十八歳の部分が空白な理由はもう分かっている。ベポに間違って渡したという、あの写真だろう。

 

 ここには貼られていない、朝焼けのスワロー島。

 

 きっと、すべての写真には裏書きがある。今剥がすとそれこそ手段を問わず没収しそうなので、これ以上のことはしないけれど。

 

「最高のプレゼントだ」

 

 そう零すとミオは気が抜けたようにへにゃりと眉を下げて、泣きそうな顔で笑った。

 そして、おそらくは何年もずっと口にしたかったであろう言祝ぎを。

 

「おめでとね、ロー。生きててくれて、ありがとう」

 

 おそらくは無自覚で、意固地なまでにひとに『残るもの』を渡そうとしてこなかったミオがローのために用意した『とびっきり』。

 

 それは、ミオの抱いてきた十一年分の痛みと願いがローに届いた瞬間だった。

 

 

 

 



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11.食後のリート

本日ふたつめ。これとあともう一話か二話更新したいところです


 

 

「なんでうまいんだ。おかしいだろ」

 

 案内してもらった厨房でチャーハンを作ってローに出した感想がこれである。

 

「失礼な。十年あればスキルアップのひとつやふたつするっての」

 

 向かいの席に座って頂きますと手を合わせ、スプーンで掬って口に運ぶ。うむ、我ながら上出来。

 余ってたご飯とベーコン、それに卵とネギのごく簡単なチャーハンだけどパラパラにできたので満足である。

 

「ましてバイト先がぼったくおっと、居酒屋さんですから。居酒屋メニューは鍛えられましたとも」

 

 栄養摂取のために自分で作るのと、人様からお金を頂いて供するとなれば、伴う責任は段違いだ。

 昔は無人島なんちゃらもびっくりな食べられたら御の字、なサバイバル食が主だったけど今生においては家族にも食べさせるからそこそこ、雑駁な味付けの圧倒的男飯となり、それからシャッキーさんに鍛えられ進化を遂げた現在。人の進化の歴史を凝縮したようなステップアップに改めて妙な成長を感じる。あと米料理はわりと上手くなったと自負している。

 

「ああ、言ってたな。どこにあるんだ?」

「13番GR」

「無法地帯かよ」

 

 昨日着いたばかりだというのに耳の早いことで。

 シャボンディ諸島は大体10グローブずつでそれぞれ特徴があり、番号が後ろになるほど治安がいい。1~29番まではヒューマンショップなんかの後ろ暗い店が多く、通称『無法地帯』なんて呼ばれている。

 

「初めて諸島に入ったときにそこの店主さんにお世話になって、それから年に何ヶ月か住み込みでバイトさせてもらってるの」

「その店主、どんなやつだ」

「どんなって、シャッキーさんって女のひと。昔海賊してたからあんまり海軍近くにいたくないんだって」

 

 ガープ中将に追いかけられたこともあるというのだから、名のある海賊だったのかもしれない。

 

「あとレイさんも住んでるよ。コーティング屋さんなんだけどおじいちゃんで、ここ半年くらいどっか行っちゃっててまだ帰ってきてないけど」

 

 レイさんことレイリーさんの放浪癖は今に始まったことじゃないのだけど、ローは露骨に顔をしかめた。

 

「……それ、徘徊してるんじゃねェのか?」

 

 なんてことを言うんだ。

 

「レイさんそこまでよぼよぼじゃない」

 

 なんたって『海賊王』の元クルーである。一回だけシャボンディパーク一緒に行く条件(デート予定だった彼女さんにドタキャンされた)で手合わせしてもらったけど、びっくりするほど強かった。老いたりとはいえ、たぶん今のローならあっさり負けてしまうだろう。

 

 あんまり素性を明かすのもよろしくないのでこれ以上質問されると困るなぁと思っていたのだが、ローはそれきり興味を失ったのか黙々とチャーハンを食べ始めた。

 僕もそれを見るともなしに見て、食事を再開する。先に食べ上げたローが腰を上げたので目で追っていると、しばらくするとコーヒー片手に戻ってきた。

 

「……」

 

 ご飯を食べている僕を眺めているローはちょっと楽しそうである。

 

「足りなかった?」

「いや」

 

 悠然とカップに口をつけて、薄く上がっている頬に少しばかりの皮肉げな色。普段はこんな感じなんだろうなとぼんやり思う。

 それから僕もご馳走様とスプーンを置いて、空になったお皿を洗い場に持っていって手早く洗って、ついでに自分の分のコーヒーをカップに注いで戻った。

 

「ごめん、カップ適当に借りちゃった。よかったかな?」

「ほぼ共用みたいなもんだ、構わない」

「ん。それで、シャボンディ諸島のどこら辺からレクチャーしようか」

「ああ、そうだな。まずは──」

 

 そんなやり取りをしていると、食堂のドアからオレンジ色のツナギと白い耳が『ぴょこぴょこ』と動いているのが視界の端に映った。その後ろには白いツナギの二人組。ローが心配で見にきたのだろうか。

 僕の視線を辿ってローも気付いたらしく「あいつら……」とため息をひとつ。なんだか微笑ましくて笑ってしまう。

 

「いいクルーだねぇ」

「ああいうのは野次馬っつーんだよ」

 

 おそると顔を覗かせるベポにおいでおいでと手招きすると、ベポは後ろのツナギくんたちと顔を見合わせてからローの方を見た。

 いかにもしぶしぶという感じでローがテーブルを指先でとんとんと叩くと、それが許可だったのかどやどやと三人組が食堂に入ってくる。

 

「どーも、お邪魔してます」

「うぉっ、そのう、初めまして!」

 

 最初に到着したキャスケット帽の似合う青年に挨拶すると、なぜかシャキンと彼の背が伸びた。そんな緊張しなくても。

 

「ベポはもう知ってるな。ガチガチになってるのがシャチで、後ろのがペンギン」

 

 ローの補足説明の後で二人が自己紹介してくれた。手配書で見覚えがあったので、名前と顔を一致させるのは容易である。

 キャスケット帽子の青年がシャチくんで、帽子のポンポンが可愛いのがペンギンくんか、了解。

 

「改めましてミオと申します。今日はバイトさんだけど、普段は賞金稼ぎしてます、一応」

「バイトはともかく、し、賞金稼ぎッスか??」

 

 職業をバラすとシャチくんが仰け反って、横のペンギンくんがびきっと凍り付く。

 なんか勘違いしてそうなので一応先手を打っておいた。

 

「ローの船狙ったりしないから安心してください。元々、ルーキーは狙わないようにしてるし」

「バイトとか言うから廃業したかと思ってたが、なら噂に聞く『音無し屋』は……あんただったか」

「あ、それ僕。屋はつかないけど、なんかそういう名前で通ってるみたいで」

 

 ローのつぶやきに露骨に反応したのは、シャチくんとペンギンくん。

 

「えっ、『音無し』!? 賞金稼ぎの!?」

「めっちゃめちゃ物騒なやつじゃん! 狙われたら終わりの代名詞じゃん!」

「そんな有名? 海賊界隈の噂ってとんと聞かないから知らなかったわー」

「本人がぜんぜん知らなそうなのが逆にリアル! ウワアアキャプテン! キャプテーン! あんたの恩人とんでもないんですけどぉおおお!!」

「うるせぇ。ミオがとんでもないのは昔からだ。慣れろ」

 

 シャチくんの魂の叫びをバッサリ切るローマジロー。そこまでとんでもないことをしてきた覚えはないのだけど、成り行き任せで色々あったからなぁ。

 その横の比較的冷静そうなペンギンくんは顎に指を当て、ややあってからこちらに顔を向けた。

 

「あのー、ミオさん」

「はいなんでしょう?」

「キャプテンの昔の恩人ってわりに、その、若くないですか?」

 

 ローの気安い態度から恩人の部分は疑っていないのか、さして警戒はなかったけれど純粋に疑問だったようだ。

 

「あ、うん。中身は三十路手前なんだけどね、悪魔の実の能力の副作用らしくて外見あんま変わらないんだ。あれだったら敬語の方がいいかな?」

「いや、いやいやいや!」

「勘弁して下さいしんでしまいます!」

 

 外見年齢と中身が一致していないがゆえの弊害なのでそう提案したら、二人揃っての全力否定である。仲良いな。

 

「ミオも能力者だったんだ。キャプテンより年上に見えなかったから、なんでかなって思ってたんだけど」

「ややこしくってごめん」

「ううん、むしろしっくりした」

 

 なるほどと頷くベポの横でペンギンくんとシャチくんは顔を見合わせて「みそッ……!?」とか言ってからまた固まってしまった。すまぬ。だが事実だ。

 年相応の落ち着きとか口調がぜんぜん伴わないのはたまに反省しているけれど、よく考えたら年相応に落ち着いて分別を身につけた大人というものがどういうものなのかいまいち分からない。参考になるのはシャッキーさんとかレイさんだろうか。あとは海軍? ガープ中将はしっかり……している、か? もうちょっとしっかりしたいものなのだけど、こればっかりは難しい。

 途中でベポに写真を渡してなかったことを思い出したので、交換予定だった写真を取り出して「さっきの写真、これでもいい?」と見せたら「あ、こっちは昼間なんだね。ありがとう!」とベポは明るく笑って受け取ってくれた。よかった。

 

 そんな中、ローがコーヒーからくちびるを離して、ぽつりと爆弾を投下した。

 

「つまり、ロリババアか」

「異議あり!」

 

 すかさず挙手。

 しゅばっと手を上げてローに向かって捲し立てる。

 

「それはちょっと聞き捨てならない! 訂正を要求します!」

「なんだよ事実だろ?」

「いや事実だよ? 事実だけどね? まぁ、ロリはしゃあない! 見た目はどうしようもないから! ババアも許す! 二十代にしてみりゃアラサーはババアでしょうよ! でもロリババアはダメ! 一緒よくない!」

 

 ここの世界全体的に大きいし大人っぽいから童顔まっしぐらな現状、ロリと呼ばれても反論が難しい。だがロリとババアは看過できるけどロリババアはダメ、絶対。僕だって色々気にしちゃうお年頃なのだ!

 というか、三十代をババア呼びするとシャッキーさんとかどうなんだって話になるから、ローはもう少し女性のびみょうな心の機微を学んだ方がいい。きっと彼女ができた時に苦労する。

 熱弁を振るうとローはちょっと驚いたように目を瞠ってから僕をまじまじ見つめ、そうだなと頷いた。

 

「まだババアには早いか。訂正する。ミオは立派な合法ロリだ」

「立派でもあんまり嬉しくないけど、うん、そっちの方がマシかな」

 

 「あ、いいんだ!」「心広くね!?」と三人がわぁわぁと騒いでいる。ババアじゃなきゃなんでもいいです。

 気を取り直すためにずー、とコーヒーをすすると舌先に感じる苦みと広がる香り。これを楽しめる年齢になったローがお向かいに座っているのがとても嬉しくて、油断するとすぐ口元がゆるゆるになってしまう。満腹感も相まっておなかの中がくすぐったい。

 薄い湯気の立ち上るカップをのんびりと眺めて、ちらりと盗み見たローも機嫌がよさそうだった。

 

 そんな僕らを見た三人もどことなく安心しているみたいで、ローは仲間に恵まれたんだなとしみじみ思う。

 

 再会からこっち、怒濤の展開でタイミングを逸して口にできなかったけどこれならロシナンテのことも任せて大丈夫そうだ。ローはちゃんとロシーおっとコラソンのこと好きでいてくれてるみたいだし、早いとこ連れて来よう、そんでローに怒られろ。

 

「おい、ミオ」

「ん?」

「おれの船に乗れ」

「ぐふっ」

 

 あっぶね、飲み込んでなかったら噴き出してたわ!

 

 いやちょっと、唐突になに言い出してるんだこの子は。ほら三人もびっくりして固まってるじゃん。

 ひっくり返しそうになったカップを慌てて支えながら見ると、ローの顔はびっくりするくらい真剣だった。

 

「まてまて、いきなりすぎる」

「唐突に出てきたのはそっちが先だ。ことあんたに関して、おれは我慢なんかしねぇからな。するだけ無駄だってことくらいはよく知ってる」

 

 『あいつ』だって途中から引き入れるの半ば放棄してただろ、とドフィのことまで引き合いに出されると何も言えない。

 

「お、おう……」

 

 ドフィの海賊団に所属しなかったのはコラソンが海兵だったことと、先にお父さんとこの娘になっていたという部分が大きい。お父さんとかシャンクスさん知ってるとドフィのところやばいなって思う。海賊のジャンルというか、系統が違うよね、あれ。

 今となると、そりゃドフィに見つかりたくないということが第一義なのだけど、これからローにコラソン(重傷)を引き渡せば万が一見つかったらという心配も解消される。

 

 そうなると、残る問題は優先順位。

 

 突然の『ハートの海賊団』勧誘にぐらぐらしていると、見計らったようにローが追い打ちをかけてくる。

 

「生きてるなら、もう失うなんてまっぴらだ。……おれは賞金稼ぎになれねぇから、あんたが海賊になればいい」

 

 声には熱があって、懐古の色が混じっていた。

 その文言から思い出されるのは、コラソンと僕が描いた未来予想図。ローに悪魔の実を横取りしたらどこかへ身を隠そうと言うコラソンに、僕は一緒に賞金稼ぎになろうと持ちかけた。

 コラソンはそれはいいって、きっと楽しいって笑ってた。ローも満更ではなさそうな顔をしていた。

 

 そんなことまで覚えて、いたのか。

 

 ぽかぽかしてたはずの胸が急速に冷えていく。ぎゅうって絞られたみたいに痛くなって、ひどく切なかった。

 

「ロー」

 

 名前を呼ぶと、ほぼ同じタイミングでローの手が僕の頬に触れる。気付いたら三人は食堂からいなくなっていた。

 まだまだ柔くてぷにぷにだった『おてて』が皮膚の硬い、大人の男のひとの手になっていた。その現実が急に押し寄せてきて、なんだか焦る。

 置いてけぼりをくっていたはずなのに、実は物凄く近くに待ち人がいた。それを見つけて驚いて、けどほっとするような、そんな。

 

 なんだろ、どきどきする。

 

 謎の感情で気持ちが逸って落ち着かず、やたらと瞬きしていたらローが喉の奥をふるわせて笑った。

 あの頃のローが笑った顔なんて数えるくらいにしか見たことがない。大体はひどいしかめっ面か、怒った顔、苦しみを堪えるときの渋い顔。

 

 そうか、ローはこんな風に笑うんだ。

 

「おれは元気になった。どうせ死ぬなんて言い訳は使えなくなったから、諦めねぇ」

 

 ぬくもりと一緒になにか、強い感情が伝わってくる気がした。

 

「おれの望みはぜんぶ叶うって言ったのはあんただ。やりたいこと、してみたいこと、山ほどできたから教えてやるよ」

 

 骨張った指が輪郭を確かめるようになぞって、むに、と痛くない程度につまんで引っぱられた。

 それはコラソンと僕とでバレルズ海賊団に突入する寸前、彼に別れ際に告げた言葉のローなりの焼き直しで、答えだった。

 

「ミオと一緒に世界を見たい。無理強いする気はねぇけど──逃がしもしねぇ」

 

 こちらを見据える瞳は海賊が獲物を見つけたもののそれで、ぞくりと背筋が粟立った。

 

 ハートの海賊団に入ることに関して、否やはない。約束は守るものだ。違えることは決して許されない。

 そして時系列順に考えるならば予約の優先順位は、確かにローとコラソンとの方が先だ。

 そうなると説得しないとならない壁がふたつほど出現するのだけど、これは安請け合いした僕が悪い。エースとマルコさんには責任を持って説明して土下座するしかない。

 

 そんな呑気な計画図を脳内で描いていたのだけれど、ローの次の言葉で思考が途中で寸断された。

 

「おれもあんたが大好きだ、ミオ」

 

 ローの声が耳から滑り込み、脳で咀嚼、理解して──ひゅ、と息が止まる。

 本能が訴える。第六感が全力で警鐘を鳴らす。

 

 自分が口にした大好きと、今のローの『大好き』は──ちがう。

 

 似てるけど温度が違う。字面が同じでも熱量が違う。舌に乗せた重さが違う。

 

 想いを武器に殴りかかられているようで目の前が揺れる。頭が真っ白になって目眩がしそうだった。

 

 半ば反射的に思う。

 

 

 これ、だめなやつだ。

 

 

「──ッ」

 

 心臓が凍るみたいに痺れてざぁっ、と音を立てて全身から血の気が引いた。予想外の反応に驚いたのか、ローがぎょっとして手を引っ込める。

 

 それは、だめだ。ちがう。どうしよう。

 

「だ」

 

 すがるように両手でカップを包み込んで、逃げるように視線を落とす。くろぐろとした水面が小刻みに揺れている。いつの間にか指先は冷え切ってて、カップの表面は熱いくらいだった。

 ローの視線は外れない。突き刺さるみたいで、どこか不審げな気配を帯びるのがわかった。

 

「だめ」

 

 喉の奥が引きつれを起こしてるみたいで、たった二文字を絞り出すのがやっとだった。

 

 どうしよう、今すぐ逃げたい。

 

 しかしさすがに前言撤回には早すぎる。毛穴が締まって背中に冷や汗が出そうだった。首の辺りがどくどくして、血の流れが気持ち悪い。貧血でも起こしたみたいにどんどん温度が下がっていく。

 

「……断る口実なり理由があるなら、全部吐かせてまとめて潰す腹積もりだけどよ」

 

 物騒なことを言うローの口調が、いつの間にか冷静にこちらを探るようなものに変化していた。

 

「その反応は正直予想外だ。あんた、なにをそんなに怯えてる」

 

 何を?

 それが分かっていれば、たぶんこんな気持ちにはならない。

 

「わ、わかん、ない」

「海賊に入ること……じゃねぇな、その時の反応は普通だった」

 

 顎に指先を添えてひとつひとつ、言動を確かめるようになぞっていくローの顔は『医者』のそれだ。

 そうだ、ローは『死の外科医』で、オペオペの実の能力者。自分の孕んでいた不治の病を克服できるだけの医療技術と知識を持ち合わせている。

 

「なら、そのあとか?」

 

 それは、即ち──

 

「ロー、やめて」

 

 患者の中身が暴かれる、ということだ。

 

「やめて」

 

 もう一度、自分でも驚くほど固くて、冷たい声が出た。

 

「ミオ」

 

 落ち着かせるように名前を呼ばれて、惑乱と恐慌の半歩手前でぎりぎり踏ん張っているのが自分でも分かった。

 ここから先に一言でも踏み入れられたら、自分でもローになにをしでかすか予想がつかない。

 

 とにかく、これだけはと思って口を動かす。

 

「ごめん、でもほんと、だめ。ローがお医者さんでも心配してくれてても、それ以上は、言わないで」

 

 これ以上、僕の中身を詳らかにしようとするなら、いくらローでも駄目だ。耐えられない。むしろ──ローだからこそ余計に無理だ。

 コーヒーを飲み干してくちびるを湿らせてからカップを置く。

 

「ローのこと大事だから、嫌いになりたくない。いま、わりと逃げないだけで、ぎりぎり」

 

 片方の手が愛刀の柄に伸びるのを止められない。指の腹で柄を撫でて、ようやく少しだけ正気を取り戻せた。

 

「……」

 

 呼吸を整えながらローを見つめると、こちらに伸ばしかけていた手を中途半端な位置で止めたまま、困惑しているのが見て取れた。

 無意識に席から立ち上がろうとしたらローの視線が動くなと怒鳴ってくるので、なんとか堪えて座り直す。

 

 どうかこれ以上は踏み込んでくれるなと願い、頭の中で言うべきことだけを選別する。

 

「あの、だめっていうのは、ハートの海賊団入りに関してじゃないから」

 

 ああ、煙草が欲しい。一服して落ち着きたい。

 

「そっちはだいじょぶ。ちょっと他の予約入っちゃってるから、先にそっちと交渉しないとだから今は難しいけど」

「……予約?」

 

 胡乱に聞き返すローに頷いてみせる。

 

「ごめん。でも一緒に行こうって僕とコラソンがローに言った時のが優先順位、高いから。ただ説得というか、交渉は手伝って欲しいかも」

「当然だろ」

 

 あともし、ハートの海賊団入りするならお父さんにも御挨拶しないとだな。

 

「予約してきたのは海賊か? ……ッ、まさか──!」

「言っとくけどドフィじゃないからね?」

 

 最悪を想像するのはいいことだと思うけど、僕だってそこまで色々投げ捨ててないです。

 

「ずーっとお世話になってる海賊さんのね、隊長さん」

「隊長?」

「が、二人」

「多いな」

 

 思わず、という感じでツッコミが入った。

 そこまでの会話でようやく、恐慌半歩手前から抜け出すことができた。

 

 深く酸素を吸い込んで、吐き出す。

 

「そんなワケでローの海賊入りは問題なしだけど、一旦保留にさせて。ちゃんとスジは通したいから」

「保留の件はべつにいい。最終的に『ハートの海賊団』入りするのが前提だが……あんたは、約束だけは守るからな」

 

 ローがかすかに瞳を眇めて、僅かに口の端を上げた。

 その笑みが先ほど浮かべていたものとは少し異なっているような気がしたけれど、いきなり変な行動起こしたやつ相手に同じ態度は無理だよなと勝手に納得する。

 漂っていた緊張がお互いに弛緩していくのが分かって、心底ほっとした。

 

「ありがと。それでえーと、今日のところは帰らせてください。ちょっと頭冷やしたい」

「……まぁ、構わねェけど。連絡先くらいは寄越してけ」

「あ、うん」

 

 ポケットからビブルカードを取り出して、ペンで電伝虫の番号と名前を走り書きしてからその部分をちぎり取る。

 

「ほいこれ、電伝虫の番号。繋がらなくて、それでも用があるときはビブルカードで辿ってみて」

「ビブルカード?」

「……ああ、そっか。ビブルカードはグランドライン後半にある文化なんだけど──」

 

 ローにビブルカードの説明をして、ついでにローの電伝虫の番号を聞いてから僕は『ポーラー・タング』号をあとにした。

 適当にシャボン玉に乗っかって上を目指し、ぎりぎりシャボン玉が弾け飛ばない程度の上空まで到着したところで、頭を抱えてしゃがみこむ。

 

「ぐあ」

 

 やってしまった。

 

 猛烈な後悔があった。予期せぬ方向から狙撃されたような気分だった。避けることも躱すこともできず、まともに食らって崩れ落ちた。

 無意識に懐をまさぐってシガーケースを開けたら空っぽで、そうだ煙草は没収されたのだと思い出して舌打ちする。

 

 必死で押さえつけていた動揺と混乱がぐるぐるとおなかの辺りでわだかまっているのがわかった。

 

「あ、あああぁぁああ……ッ!」

 

 意味のなさない音が喉から長々と垂れ流される。吐き出していないとおかしくなりそうだった。

 

 肺の中が空っぽになるまで唸り尽くし、膝を抱えて頭を押しつけできるだけ縮こまって丸くなる。しばらく動ける気がしない。

 

 ほんと、どうしよう。

 

 

 



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Voi che sapete?

ロマンチックといったな?あれはウソだ。


 

 

 あれから、表面上の体裁だけはなんとか整え、ぎこちなさの抜けきらない苦笑を浮かべながら『ポーラー・タング』号をあとにするミオの背中を見送った。

 

 ローは自室でソファに寝そべりながら片手で小さなアルバムを開き、写真を肴にグラスを傾けていた。船員からの情報収集と統合を済ませ、誰も入室することのない深更である。

 予想通り写真の全てには裏書きがあって、物珍しい風景と相まって放浪趣味のローの目を大いに楽しませてくれた。──無論、『楽しい』のはその点のみではないけれど。

 

「……」

 

 ひととおりの写真を眺めて満足してアルバムを閉じ、グラスに酒精を注ぎ足しながら今日の出来事を反芻する。

 思いもかけぬ、どころか想像の遙か埒外にあった恩人との再会。捕獲と同衾……と称すには色気のない仮眠、起きてからの食事やあたたかくも騒がしく過ごした時間、上がっていた料理の腕、そして──。

 

『だめ』

 

 指先すら震わせながらコーヒーのカップを縋るように両手で包んで、ようやく吐き出された拒絶の二文字。

 

 それまでの会話におかしいものはなかったと断言できる。遠い昔に与えられた言葉に、ローの思いを重ねて返した。それだけだ。

 

 けれどあの一言で弛緩しきっていたはずの空気はまとめて吹き飛び、磁器めいて白い頬が更に青ざめ、くちびるすら血の気を失っていった。

 それほどに切迫した、息詰まるほどの緊張と焦燥に炙られた雰囲気。もしあそこでなおもローが言い募れば、ミオがどのような行動を起こしてもおかしくはなかっただろう。

 

 好意や愛という甘い感情とはまるで無縁の、恐懼にも近い表情だった。

 

 だが、同時にローは確信を得た。あの瞬間、ローはミオの心の裏側……己が最も忌避している柔く、脆い箇所に触れていた。

 いつかのドフラミンゴが傷痕を餌にオペオペの実をミオに食べさせようと目論んだ時の空気に似ていたが、当時を知っているぶん僅かに異なっていることは理解できた。

 

 それを目にしたローは劇的なまでの変化にギョッとして──背筋がぞわりと粟立った。

 

 心臓が早鐘を打ち、汗腺が開くほど昂奮(・・)した。歓喜にわななき、ともすれば歪みそうになる口元を隠し通すことができたのは、なにかの奇跡としか思えない。

 あんな顔を、ローは一度だって見たことがなかった。もしかしたら誰も見たことがないのかもしれない。そう考えるだけで仄暗い満足感がじわじわと湧いてきて、ああ自分はどうしようもなく海賊なのだと改めて感じ入る。

 

 万人へと向ける、花が綻ぶ様な笑顔という被膜を剥ぎ取られ、剥き出しになった感情そのままの表情。ローだけに向けられている、怯え歪んだ、その顔。最高だ。

 

 

 そうだ、おれはあんたのそんな顔を拝みたかった。

 

 

 ローにとってコラソンとミオは間違いなく己の命を救った恩人であり敬慕の対象だが、内情は少しばかり異なっている。

 今となっても褪せず残るコラソンへ向ける感情とて紛れのない愛情ではあるが、それは清廉に捧げる信仰にも似た感謝の色をしている。

 

 一方、ミオへ向ける思慕の念はコラソンへ向けるそれとは違う色味を宿していた。

 本来ならば汚されることなくあたたかな木陰色の、ひたむきに純粋で無垢なまま、墓の底に仕舞い込まれるはずだった代物である。

 けれど、再会を果たしてとっ捕まえて生身のミオと触れて話して確かめて、冬に春を偲ぶ気持ちにも似ていたはずのものはより強く、より激しく、より抗い難い感情に塗り潰されてしまった。

 

「……」

 

 舌先で味わうアルコールの刺激と琥珀の妙味を喉へと伝い流し、ほのかな酩酊を感じ取りながらローはミオから没収した煙草の一本を取り出して咥えた。

 仮にも医師を名乗る者として肺を蝕む嗜好品に手を出すつもりはなかったが、今夜は特別だ。ケースがなくても銘柄はわかっていた。火を点ければするすると滑り出す灰色の煙と馴染みのある香り。僅かに口に煙に含めば、独特の苦みがちりと肺を灼いた。

 

 瞼を落とせば、押し寄せるいくつもの情景が脳裏にひらめいては消えていく。ミオがたまに吸っていた理由など察するに余りあった。

 

──ほんの数時間前、徹夜と疲労で限界に達していたミオが眠りに落ちてから、ローは頭痛がするほどの眠気でまどろみながら意識の保つ限り長く、その華奢な身体を抱き締めていた。

 

 今は両足が欠損している(させた)ものの、かい抱く肢体はこれまで抱いてきた娼婦のような熟れて実った女としての柔らかな丸みこそ欠いていたけれど、けして男のように無骨に平坦なのでもなく、かといって未来を予感させるようなふくらみかけというのでもなく、現在で既に完成した──否、この場合は『固定』されたと表現した方が正鵠を射ているのだろう。

 女性と少女というよりは雌雄の間に佇むような……そんな危うい均衡の上に成り立った絶妙の起伏と曲線を描いているように思えた。

 

 そうして自分から転げ落ちぬようにと手の中の薄く、まろい肩をゆるゆると抱き寄せて──落とした瞼の白い睫毛が時折小羽のように震える様子とか、触れている布越しでもわかる肌のしっとりと吸い付く練り絹の如き滑らかさ、薄いくちびるから微かに届く息遣いの音、薄荷めいて涼しく甘い、それら全てを全身に刻み込むように堪能して──かつてなく、今更、初めての、暴風のような凄まじい衝動に襲われた。

 

 それは恋情愛情などと称するにはあまりにもおこがましい、もはや獣と呼ぶに相応しい欲情の発露だった。自分に食人の癖などないのだが、叶うならば髪の一筋から肘の内側、白くやわい肉から小さな爪先までも。それを思うだけで舌の根が引き攣り、ただでさえ空腹の下っ腹がきりきりと痛むようだ。

 

 けれど彼は野で獲物を喰らうだけの獣ではなく人間で、海賊で、『死の外科医』だ。貪り尽くしたいのは当然としても、それは肉体のみに留まらない。

 

 望むのは、丸ごとすべて。

 

 身体のみならずミオのすべてを余すことなく暴き詳らかにしたその上で──根こそぎ奪って喰らい尽くす。

 肌を重ね、情を交わすだけならばその先だ。それを思えばこそ、無防備を晒す身体に悪戯ひとつせずに耐えきることができた。

 

 だから短い仮眠ののちに、手始めに能力を用いてミオの中身を見せてもらった。作りは細いが健康そのもので安心した。

 カルテを作り、やや肺が弱いことが気になったのでようよう起き出したミオに禁煙を申し渡したところ仏頂面をされた。

 

 形見扱いしていた宝石を返却して代わりにと『プレゼント』を手渡されたときは、本当にやばかった。けれど同時にミオの中での『ロー』はまだ少年の頃のままだということも同時に察した。

 

 それでは困るので、食後の頃合いを見計らってまずは最初の一手を。

 

 種別は違えどまだ間違いなく好意を持っていることを確認して、仲間に引き入れることに関して否やがないこともわかった。言質もとった。

 そうして少年時代と今の自分は違うのだと、思い出を打ち砕き生身のローを刻みつけるための第一歩。

 

──果たして、試薬代わりの『大好き』が示した反応はローの予想を超えて劇的だった。

 

 改めてミオと話していて気付いたことがあった。彼女は決して正直なのではない。いや正直ではあるのだが、むしろこう表す方がしっくりくる。

 

 ミオは偽らないだけだ。――否、偽れないと言った方が良いだろうか。

 

 おそらく、彼女はまだ心の肝心な部分が成熟しきっていない。そうなるに至った経緯が過去の外的要因なのか本人の資質によるところなのかまでの判別はつかないが、だからこそ、未熟な雛が卵の内に閉じ篭もるように、ミオは自らの心を柔らかい殻で包んでいる。心の内に他人が触れようとすれば容易く指先はめり込むが、それは膜を隔ててのことで、真意に触れることは叶わない。

 

 その柔いが堅固な壁に、ローは踏み込もうとしたのだ。心の洞のような部分に容赦なく踏み込んで来ようとする存在は確かに恐怖だ。咄嗟に退けようとしたとて無理もない。

 

 だが、そんな反応ひとつでこちらが遠慮してやると思ったら大間違いだ。

 

 そんな分別をつけられるようなら海賊になんかなってやしないのである。分水嶺などとうに越えている。むしろ大いに滾った。

 ただあれ以上つつくと遁走を図りそうなことは想像がつくので、しばらくの間は様子見に徹するつもりである。根こそぎ暴くのはまだ先だ。布石を打ち、手順を組み上げ、しかるのちに障害を潰すのは彼の得意とするところである。しかも先に待ち受けるご褒美が、遠いあの日に恩人とともに失ったはずの思いの片割れだ。猛らぬわけがない。

 

──やはり自分は、世界でいちばん憎たらしいあの男と本質が近いのだろう。

 

 愛されないならせめて憎悪されたいと言ったのはドフラミンゴだっただろうか。全く同感だ。

 だがローはドフラミンゴではないから諦める必要はないし嫌われてもいない。あれがドフラミンゴの限界だとすれば、ローはその先に行く権利がある。ざまぁみろだ。なんせ彼はもうすっかり『大人』でミオの『血縁』ではないのだから、誰憚ることなく異性に『愛』を請い与えて許される立場である。

 

 固く閉じこもっているのならば、舌鋒をメスに、言葉を鉗子に、凝った心を切開し晒け出された患部にくちづけて、選り分けた血管ひとつひとつに愛を注ぎ刺して賦活させてやる。

 

 ローもミオも生きている。生きているなら諦めない。変えられるものがある。叶うことがある。それはローの人生が何よりの証明だ。

 ミオが欲しい。あの生き物が欲しくてたまらない。口にしたのは全て本当だ。もう一度失うなど耐えられない。誰かに盗られるなんて想像だけで腸が煮える。そう、それは新世界で胡座をかいているであろうドフラミンゴが相手ならば尚更だ。

 

おそらく、ミオの生存を知れば何を置いても奪取しようと目論むだろう。それだけは我慢ならない。一度全てを奪った怨敵にもう一度盗られるなんて冗談ではなかった。だったら、ドフラミンゴの入る余地をなくせばいい。

 

 そして、ローはそれを躊躇う理由もなければ必要もないのだ。

 

 あの反応を見る限り、道のりは随分と険しそうだが不可能とは思わない。珀鉛病を克服するより高いハードルなんてそうはないだろう。

 

 すっかり先が灰になってしまった煙草を消し潰し、冷えたグラスを額に押しつけて、死の外科医は密やかに微笑んだ。

 

「……くく」

 

 それは、笑顔と呼ぶにはあまりに悪辣に過ぎたものではあったのだけれど。

 

 ……そもそも、墓まで持っていくはずだった純粋な思慕の念を素知らぬ顔で引っ張り出したのはあちらの方だ。

 

 堰き止められたまま、いつかは乾き朽ち果てるはずだった思いの蓋をこじ開けて暴き立て、決壊させたのはミオなのだから、その責任は身を以て取ってもらわねばならない。

 

 

 

×××××

 

 

 

 いつかの昔、求めても得られないから諦めた。

 

 諦めて、子供じみた自己防衛で削り落として、ミオの『だいじなもの』はぽっかり欠けたままだった。

 

 それはそれでいーや別に死なないし、と自分に関してとかくぐうたらなミオはそのままほったらかしにし続けてしまった。

 彼女の周りにいた人たちはわりと常識的な部分が足りなくて、おまけに変なところで厳しいものだからミオはそれを長年かけて変な風に拗らせていた。

 

 自覚がないものを指摘もせずに勝手に気付け、というのは難しいものだ。懇切丁寧に教える必要はなくとも、きっかけくらいはあってしかるべきだっただろう。

 

 けれど、ミオの周囲環境はそれを許すほど甘くはなかったし拘っているヒマがそもそもなかった。

 

 そんな風に日々を乗り越えることのみに腐心している内に、生き抜く術や技術ばかりに特化してしまったミオは――地頭は悪くないのにあほになってしまった。

 

 研鑽を怠らないのに努力を放棄してしまった。欠けて拗れた挙句にでこぼこな心を、危うい均衡を保ったまま成長せざるを得なかったとも言える。

 付け加えるとすれば、たまさか機会に恵まれたことがあっても、それに気付いて自覚したり友情やら親愛からクラスチェンジする前に人生が物理終了していた。

 かくして『頑固なあほ』というなんとも扱い難い性格で固まってしまったミオはとても『だいじなもの』をなおざりにし続けて、結局――今もってしてもその辺りは改善されていない。記憶をリセットできない弊害は案外あるのだ。

 

 だからローの言葉は嬉しいといえば嬉しいものではあったのだけれど、同時にミオの鬼門でもあった。

 

 人が自分を好んでくれて、長い間仲良くしてくれる。それはとても尊くて、貴重で、稀なことだ。

 理解しているから、ミオも自分の精一杯で相手を大事にする。それはいつでもどこでも変わらないミオの約束事。

 

 けれど、そこに親愛や友愛以外のものが混ざると話は途端に変わってくる。

 欲望なら話は早い。欲望はミオにとってとても身近だ。叶えれば一時的にでも霧散する、刹那的だが断続する感情。

 

 けれどいわゆる異性に向ける情というのはそうではない。それはひとかけであってすべてではないからだ。そういう恋愛沙汰というものがミオにはよく分からない。さっぱりだ。

 とはいえ、ミオにとって未知は恐怖そのものである。

 培われてきた経験上『知らない』ということは即ち死に直結しているからだ。それは根幹にまで擦り込まれた不文律で、そうそう楽に変更できない。

 

 だからミオは僅かでも『そういう』気配を纏った言葉にはとかく敏感で、ひとたび遭遇してしまうと過剰なまでにびびり散らし、最悪の場合は拒絶してしまう。

 

 今回はまさにそれだった。

 

 しかも相手はローである。

 

 最悪だ。

 

「やっべぇ……」

 

 『ハートの海賊団』に入ることはほぼ決定事項である。ローは絶対にミオを逃がさないだろう。確信しかなかった。控えめにいって詰んでいる。

 ついでに、好きなひとなんてそうはいないだろうが自分の内面を暴かれるのがミオは大嫌いだ。探偵とかみんな尿管にごつい結石ができればいいと思っている。けれどローに見せてしまったあれこれは彼に疑問の種を植えるに十分すぎる。

 

「不審がられた、ぜったい」

 

 知ってる、あれアカンやつだった。

 

 誰が悪いって明らかに過剰反応してしまった自分が悪いのだが、あれはもう脊髄反射のようなものでミオ本人でもどうこうできる部分ではない。どうしようもなかった。

 ただ、あそこで頼み込んで追求を一応止めてはくれたので、この先押し込み強盗よろしく内面をかっぱいでくることはない、と思う。思いたい。頼む。もし無遠慮に暴き立てようとしてきた場合、物理的に距離を取るか記憶がなくなるまで固い物で殴打するしかなくなる。

 

「海馬って頭のどのへん狙えばいいんだ……」

 

 ローが物騒極まりない算段を立てているなんて露知らず、葛藤と後悔の坩堝で追い詰められているミオだった。

 

 

 




本編ファルガーさんのイメソンは西○カナのト/リセツ(強制)という感じ


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12.昼行灯と麦わら帽子

 

 

 それから、ふらふらした足取りでシャッキーさんのお店に戻ったらどれだけひどい顔色をしていたのか、僕を見たシャッキーさんに今日はもう寝なさいと寝床に押し込まれた。

 ものすごく気の毒そうな顔をしていたので何か勘違いされているような気がしたが、修正する気力もなかった。

 

 一晩寝て、幾分かすっきりした頭で結論を出した。

 

「よし、放置」

 

 逃避とか言わないで頂きたい。妥当な判断だ。下手な考え休むに似たりなのである。

 どうせこれ以上うだうだ考えたって相手のいることなので結論なんか出ない。それならやるべきことをやって直面したその時にもっかい話し合うなり、最悪の場合は物理行使するなりすればいい。

 ローとはこれから長い付き合いになるんだろうし、相手もでっかくなってるのだから僕が全力で抵抗したって死なない。なるようになるだろ、たぶん。

 

 そんなことより、コラソンの方が大事だ。昨日は動揺が先に立ってローに切り出す前に帰ってしまった。ほんとごめん。

 

 さて、そうなると一旦船に戻ってコラソンを持って来なければ。なんせ彼は3m弱という巨体なので、部屋に置いておくわけにも往年のド○クエよろしく棺桶引き摺ってあるくわけにもいかない。

 なのでこれまでは箱詰めして自船の倉庫をいちぶ改造して押し込んでいた。我ながら表現がひどいな。いやでもあれですよ、業務用冷蔵庫の段ボール箱をどこに収納するみたいな話で、しかも扱いはデス○ートかエロ本だ。

 だって『固定』してるったって、見た目はほぼマネキンかご遺体だから他人に見られたら通報一択だもの。チェレスタが僕を『固定』したのち隠し財宝と一緒にしておいた気持ちもよくわかる。

 

「したらえーと、これから船に戻ってコラソン回収してローと連絡とって引き渡しの時間決め……あ、だめだ」

 

 そうだった、昨日休んだ分は働きますって言っちゃったから今日はお店に出ないと。コラソンも大事だけどお仕事も大事。義理と信用大事。

 突発的にバイトをサボ……サボッてはいないけど、穴を空けたのだから埋め合わせはちゃんとしないと罪悪感がマシマシになってしまう元日本人の悲しきサガ。

 

「じゃあローに先に伝えて……現物がないと駄目か」

 

 そこそこ重傷なので機材の準備しておいてくださいって言うのもアリかと思ったけど、ローの様子見た感じ目の前にコラソン(重傷)ないと信じてもらえない気がする。

 それかコラソン(重傷)引き渡すまでどっかの臓器を人質? 内臓質に取られたりしそう。再会早々にひとの足持ってった輩がなにをしでかしても驚かない。

 

 てなわけで、その日はシャッキーさんのお店で一日せっせと働いた。

 

 夕方頃に部屋に置いていた電伝虫にローから連絡が入ったので少し話をした。昨日のことを蒸し返されたらどうしようかと内心戦々恐々だったのだが、特に話題にされることはなかった。諸島は広くディープな部分もあるので、一日二日歩き回ったくらいでは新参海賊では集められる情報に限りがある。

 現在諸島に集まりつつあるルーキーの数やグローブごとの危険性など、聞かれることは多岐に渡った。前回、結局できなかったレクチャーの焼き直しという感じである。

 

「あとはそうだな……1番GRにドンキホーテ海賊団直営の人間オークション会場がある」

『……! 本当か』

「店の裏手にシンボルマークついてたから間違いないよ。様子見にこないとも限らないしぜっったい会いたくないから、その辺は気を付けてた」

『あァ。そりゃ、あんたはそうだろうな』

 

 せやで。

 カリカリと小さな音がするのは、ローがメモをとりながら話をしているからだろう。

 

「時々、天竜人も見かけるからあの辺はほんと気を付けた方がいいと思う。もし行くとすれば、だけど」

『……そうだな』

 

 僕にとってもローにとっても顔を合わせたくない筆頭の海賊であろう思われるので、注意喚起のつもりで言ったのだけどローの反応は微妙である。

 因縁深い相手な上に海賊同士なのだから、敵情視察したいと考えてもおかしくはないか。国王になってからの勢力拡大っぷりえげつないからな。

 

「あと明日……だと夜中になっちゃうか。明後日に時間とれる? できればローのお船で」

 

 僕が自船を停泊させている場所はお店からかなり遠く、朝からボンチャリを飛ばしても半日かかってしまう。

 コラソンを積んで(……)戻って直接ローの船に搬送できれば最善なのだが、それをするには『ポーラー・タング』号との場所が悪い。一日でこなそうとするとわりと大変だ。わざわざ移動させるのもクルーたちの手前気が引けるので、こっちから出向こうと思う。

 

『そりゃ構わねェけど、なんかあるのかよ』

 

 なんかあるというか、いるというか。

 ここまでくるとローをびっくりさせたくなってきた。ふははせいぜい魂消るがいい。

 

「ふっふっふ、ちょっとしたさぷらいずがあるのですよ」

『サプライズの意味が消失したがいいのか』

 

 含み笑いをしつつ言ったら冷静なツッコミを頂いた。

 いいんだよ、まだローは驚いてないからセーフなのです。サプライズプレゼントと言うには血生臭いが、その辺はローがなんとかしてくれ。

 彼も明日は用があるからちょうどいいとのこと。そりゃ、ローだってひとつの海賊団を預かる船長さんなので、僕にばかりかかずらっているわけにもいかないわな。

 

「じゃあ明後日によろしくー」

『ああ。……』

 

 詳しい時間を擦り合わせてから通話を切る直前、ローがなにか言いたげな雰囲気を出していたので受話器を置こうとした手を止めた。

 

 あ、そうか。

 

「ロー、おやすみ」

 

 最後にそう言い添えると、ふ、と空気が緩んだ。

 

『おやすみ、ミオ』

 

 たぶん、向こうでローはちょっとだけ笑っているんだろうな。

 

 

 

×××××

 

 

 

 コラソンを自船から回収してお昼も回った頃。

 

 ローに見つかるとめんどくさいもとい怒られるので、シャボン玉が割れてしまうぎりぎりの高度で喫煙タイムをとることにした。

 

 一週間で一箱も消費しない僕だけれど、いざ禁煙を申し渡されると逆に吸いたくなってしまうのはなんでだろうな。

 まかり間違って割れると困るのでシャボン玉のひとつを『固定』して足場を確保、あぐらをかいてさっき買った煙草をシガーケースに移しながら一本取り出して吸いながら火を点ける。

 肺いっぱいに吸い込んで、モクの味を堪能する。そういえばスモーカーさんは元気だろうか。あのひとの煙草の吸い方やばいと思う。

 

「ぷは」

 

 ううう久々に吸えた気がする。美味しくないけど染み渡るぜ。

 

 眼下に広がる明るい緑と虹色、それにゆっくりと動くシャボンディパークの観覧車を眺めつつ一服。なんとも贅沢なひとときである。

 満足感を覚えながら紫煙を吐き出し、携帯灰皿にとんとんと灰を落とす。

 

 今日は朝方の風がいい仕事をしてくれたので、思ったより早く自船に辿り着いてコラソンを回収することができた。とはいえ、引き渡し日時を設定してしまったのでローに渡すのは明日の予定。ローも用事あるって言ってたし。

 

 ちなみに梱包済みコラソンを積んだ僕のボンチャリは、鍵を掛けて万が一を考えて軍曹に見張りを頼んであるから置き引きの心配はない。

 なんでボンチャリをやたら気に掛けているかというと自分で買ったというのも勿論だけど、僕のボンチャリはただのカスタマイズを飛び越えて魔改造甚だしいからだ。この世界の物理法則はたまに謎現象で片付けるしかない部分もあるものの、概ねは基本的な理に従っている。

 

 そして僕はボ○ドカーとかあんぱん○ん号とか赤ジャケットおじさんの車にロマンを見出すタイプだ。カリオ○トロ(あっちでは緑ジャケットおじさんだけど)序盤のカーチェイス最高。

 

 構造が単純で安価、かつ改造もしやすい単車(?)をどうするのかなんて察して欲しい。

 何台潰したかは忘れたが、ちゃんと自転車としての機能は残しつつ僕の悪ノリと浪漫をあほほど詰め込まれたボンチャリはもはやモンスターマシンとも呼べる領域に達している。具体的に言うと、世が世ならこれで公道走ると捕まってしぬほど怒られて没収されるレベル。闇市で売ってた空島の貝殻シリーズ(凄い値段だった)ほぼ使い切ったからなぁ。

 風貝(ブレスダイアル)噴風貝(ジェットダイアル)はともかく匂貝(フレイバーダイアル)衝撃貝(インパクトダイアル)のギミックいらないよな普通。いやでもあれこそ浪漫だよ。今度閃光貝(フラッシュダイアル)でビーム作れるか試してみたい。目指せ波動砲。

 

 なんて、益体もない思考をもろもろと繰り広げていると──

 

「ん?」

 

 下の方から気配を感じた。

 

 そこら中に浮遊しているシャボン玉を足場に遊ぶ子供はたまにいるけど、こんな高い場所までは来ない。いくら耐久性があってもあくまでもシャボン玉。なにかの拍子に割れてしまう危険性はつきまとうし、途中で落ちたらグロいオブジェになるからだ。

 親の言いつけを守らないガキ大将タイプでも一回落ちると懲りるし大人は危険性を理解しているため、わざわざ昇って遊ぶ馬鹿は少ない。

 

「ほっ、よっ」

 

 そんな不安定なシャボン玉を足場に、まるで赤いキノコの配管工よろしく楽しそうにぴょんぴょんと。

 首にひっかけた麦わら帽子の目立つ少年が下の方から上ってきているのが見えた。黒髪黒目で目の下にある傷が目立つ──あれ?

 

「しょうねーん」

 

 その、どこにでもありそうなストローハットに僅かな既視感を覚えて、ついでに手配書とエースも一緒に思い出して声をかけた。

 

 とうとう彼もシャボンディ諸島に着いたのか。

 

「んあ? なんだ?」

 

 麦わら帽子の少年こと、今年のルーキーの中でも抜きん出て新聞を賑わせている海賊『麦わらのルフィ』がそこにいた。

 こっちをまっすぐに見て首を傾げる麦わらのルフィにふぅ、と紫煙をくゆらせながら適当に忠告してやる。

 

「それ以上シャボン玉で上を目指すと危ないよ?」

「なんでだ?」

 

 なんでって、そりゃ。

 

「割れるから」

 

 話を聞きながら、なおも次々にジャンプをしていた麦わらのルフィが乗ったシャボン玉が衝撃と気候空域を越えた影響でぱん、と割れた。

 

『あ』

 

 ハモッた。

 一瞬呆けたような顔をした麦わらのルフィは、そのまま落っこちてしまった。あーあ。

 うぎゃあああ、と尾を引く悲鳴が聞こえる。これくらいでくたばるようならここまで生き抜いてくるなんてできなかっただろうから、特に心配はしない。

 

 しかしそうか、彼も諸島に入ったのか。

 

 エニエス・ロビーの件もそうだけど、なにかと台風の目になりがちな麦わらのルフィだ。どんな騒動を起こしてもおかしくはないので、なるべく早くローにコラソンを渡した方がいいかもしれない。お店に戻ったら一回連絡してみるか。

 すっかり短くなった煙草を消し潰して携帯灰皿をぱちん、と閉じた。

 

「さてと」

 

 これで諸島に揃いも揃ったり、億越え海賊の超新星が11人。

 

 どうなることやら。

 

 

 



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13.雪と桜のよしなしごと

しばらく一日一話更新できればいいなぁと思います(願望)


 

 特にギミックなんかは使用せず、きこきことボンチャリをこいでシャッキーの店に戻った僕はそのまま裏手に回って自室の窓から軍曹に手伝ってもらいつつコラソン箱()を引っ張り込んだ。店の中からなんて運びにくいし迷惑になってしまう。

 窓から棺桶サイズのでっかい箱をおーえすおーえすと引っ張り入れる光景になんか覚えがあると思ったらあれだ、ドラゑもん映画だ。あのガンプラ(違)作成途中のパーツ運ぶ光景と激似。

 

「かる○る手袋欲しいなぁ」

 

 そういえば誰も元ネタわからないのか。ちょっとさびしい。

 立てかけたコラソン入りの箱はサイズ感は棺桶なのだけど、それだけではさびしいしどうしても某ド○クエ気分になってしまうのでせめてもの抵抗に全力でラッピングしてある。極彩色のリボンと造花でこれでもかと飾ってあるから、もうこれが誕生日プレゼント(本命)でいいよ。アルバムはおまけということで。

 じゃっかん投げやりな気分で箱の表面を指先で撫でていると、なんだか不可思議な気持ちが湧いてくる。

 

 もうすぐお別れなことは嬉しいことに繋がっている。動かない屍体半歩手前よりも、生きて動いて喋っている方がずっといい。そうなんだけど、なんだろうな、変な気分だ。

 

「コラソン」

 

 生きた彼に会えるという嬉しさと、待ち受ける解放感へ向ける期待と安堵。

 この十年と少し、僕の生活の真ん中にはずっとコラソン(重傷)がいた。意識しているしていない関わらず、頭のどこかに据え付けられていた。

 それは当然のことではある。だって相手は動けないし喋れないけれど間違いなく生身の人間で、弟なのだから。

 

 もし自分に何かあると、それは諸共にコラソンの死に直結している。後悔なんかはしていないけれど、そこには今まで背負ったことのない責任と想像したことのない重みがあった。

 

 『固定』の能力は自分の意思で解除は自由だ。けれど気絶に類する突発事態に陥った場合の保証はできない。だからこそ、この十年はそれなりに沈没と怪我には敏感な生活を送ってきた。

 

 ちょっとした不自由と責任が願いと一緒にバトンタッチされる瞬間は、すぐそこだ。

 

 ローは立派に医者になって海賊になっておまけに今でもきみが大好きだ。二歳差という驚愕の事実におののくがいいふひひひ。

 そこまで考えて、ちょっとした気まずさを誤魔化すように物言わぬ箱へ向けて内心を吐露した。

 

「いちにち遅れなのは勘弁してね。もうすぐだからさ、ほんとに」

 

 ごめんね、コラソンだって早くローに会いたかっただろうに。

 

 ローに再会してすぐに言うべきだったのは分かってたけど、でも、コラソンがローに会いたい気持ちと同じくらい僕だってローに会いたかったし、少しでいいからゆっくり話したかった。……良かったかどうかはともかく。

 だってコラソンのこと言ったら、ローは絶対コラソンのことにかかり切りになって話なんかろくにできなくなってしまう。相手は長年の重傷患者なので医者として当然だしそうあるべきだけど、むしろそうでないと困るけど、僕だって少しだけでいいから再会の喜びに浸るひとときが欲しかった。

 

 だから、タイミングを逸したのは本当のことだけどロシーのことを口にしなかったのは、ちょっとだけわざとでもある。でも、ここに至るまで僕もすごーく頑張ったから許してくれ。

 

 あとでコラソンに文句言われたら謝ろう。ローを一日先取りしちゃった、って。

 だってねぇ、昔の養いっ子が大きくなるまで十年強待って、再会直後にコラソンの治療終わるまで延々どこかで待機するなら先にちょっとだけ話しておきたかったんだよ。

 

 それに。

 

 もしもこの先、状況が最悪の方向に転がったとしたら……僕はローにコラソンを託してゆかなくてはならないかもしれない。

 

「……」

 

 杞憂で済むならそれでいい。

 

 けれど、そうでないとすれば、せめて──はなむけが欲しかった。

 

 大好きな子供が大人になったことを目に焼き付けて、会話を交わして、長久を願って言祝ぎたかった。

 

 これは、そんな僕のわがままだ。

 

「……そーだ、電話」

 

 思い出したのでデスクに置いてある電伝虫でローに電話したところ、出たのはローのところのクルーさんだった。

 キャプテンはベポたちを伴って諸島散策に出かけてしまったとのこと。用事があると言っていたのでこれは仕方がない。よければ伝言しますよと言って貰えたのだけど、どうせ予定は取り付けてあるので丁重にお断りさせてもらった。

 さてそうなるとお店でなにか雑用があるか聞いてみよう。着替えてから壁にかけてあるエプロンをとって腰の辺りの紐を蝶結びにしながら階段を下りると、お客様の気配。

 

「いらっしゃいま、せ?」

 

 カウンターのシャッキーさんは横に置いて、そこに居並ぶ面々に驚いた。

 

 ただのお客様でも海賊でもない。

 

 冷蔵庫にかじりついて中を漁っているのはさっき遭った『麦わらのルフィ』と骨格標本にスーツとアフロを装備させた感じの男……性になるのかこの場合。煮豆がお気に召したらしく器用に箸でつまんで食べている。果たして食べたものはどこへ行くのか、味蕾がないのに味がわかるのか、そもそもなぜイキイキと動いて喋っているのか。この世にはまだまだ不思議なことでいっぱいである。

 冷蔵庫を勝手に開けて物色するという、礼儀なにそれおいしいの? という態度だがシャッキーさんが咎めていないのなら指摘する必要はないと判断して適当に流す。

 

 カウンター横で嬉々としてわたあめを頬張っているのはデフォルメされたトナカイのぬいぐるみ、というのがいちばんしっくりくる謎のいきもの。骨格標本()はともかく、トナカイの方は手配書で見覚えがあるので彼も麦わらの一味なのだろう。バラエティ豊かすぎてすごい。

 ついでに向こうのソファに座っているのは、十年前に一度お店で会ったタコの魚人だった。確か最近は船でたこ焼き屋さんを営んでいるらしいハチさんと、こちらは見たことのない若草色の髪をした年若い(おそらくは)人魚の女の子。それに喋るヒトデ。魚人島ってヒトデも喋ってただろうか?

 

 なんとも奇妙なメンバーにしばし硬直していると、シャッキーさんが気付いてこちらを振り向いた。

 

「あと、彼女がうちで唯一の店員。ミオちゃんよ」

「むあ? ん! さっきのケム子!」

 

 リスどころかゴム風船みたいに頬を膨らませている『麦わら』の口元からぽろぽろとハムの欠片が落ちる。うん、飲み込んでから話そう。

 

「ケム子て」

 

 あまりにもあんまりなあだ名に挨拶も忘れて苦笑してしまう。

 さっきタバコふかしてるところを見られたからだと思うが、それにしてもケム子て。

 

「さっきシャボン玉の上にいたってやつか?」

 

 わたあめをもろもろと頬張っていたトナカイ──『わたあめ大好き』トニートニー・チョッパーが顔を上げた。つられて視線をずらすとバッチリ目が合った、と思った瞬間に椅子の裏側に隠れてしまった。人見知りなんだろうか。隠れ方が逆だけど。ちょっとさびしい。

 

「おう!」

 

 ニコニコ笑顔で頷く『麦わら』は先ほどの出来事を仲間に話していたらしい。

 

「あらもう会ってたの?」

「はい、先ほど少しだけ。改めまして、シャッキーさんのお店に(今のところ)勤めているミオと申します」

 

 シャッキーさんの疑問に答え、『麦わら』の面々に向かって頭を下げる。

 『麦わら』は頬に詰まった食べ物をもぐもぐごくんと飲み込んで堂々と胸を張った。

 黒い瞳に籠もる自信と信念。

 

「おれはルフィ! 海賊王になる男だ!」

 

 そこにはある種の覚悟と、己の矜持のためにひたすら邁進している者特有の雰囲気があり、なるほどシャンクスさんが気に入るわけだと内心納得した。

 

「へぇ、それはすごいな」

 

 すなおな感心を口にすると『麦わら』改めルフィくんはいししし、と歯を出して笑った。

 太陽みたいに明るい、どこかエースに通じるものがある笑顔。血縁かどうかはこの際関係がない。問答無用で弟なのだと理解させられる説得力の塊だった。

 それからルフィくんがシャッキーさんと話している間に自己紹介を済ませ(骸骨にぱんつ見せてくれませんかと尋ねられたのは人生初めてである)、おしぼりなんかを準備しているとハチさんから声をかけられた。

 

「ニュ~、まだ店員やってたんだなぁ」

「年に何ヶ月かですけど、変わらず雇って頂けてます」

「はっちん知り合いなの?」

「ああ、前に来たときからの店員だ」

 

 若草色の髪の人魚さんはケイミーちゃんという名前でハチさんのたこ焼き屋を手伝っているらしい。

 ついでに喋るヒトデはパッパグ氏。職業はなんとデザイナー。世界は広い。

 

「ああ、確かにコーティングならレイさんがいちばんですね」

 

 ルフィくんたちはどうやら魚人島に行くために腕のいいコーティング職人を探しているとのこと。

 ハチさんはルフィくんたちにただならぬ恩義があるらしく、諸島案内を買って出てレイさんに会うためにシャッキーさんのお店まで連れて来たというのが事の経緯のようだ。

 

「だろ? 店にいないのか?」

 

「ここ半年帰ってきてないんです」

 

「ニュ!? そうだったのか、参ったな~」

 

 なんて会話をしているとシャッキーさんも同じ説明をしたのだろう、背後で『半年~ッ!?』とユニゾンが聞こえた。

 

「弱りましたね……じゃあ探すしかないですね。おおよそ見当はつきますか?」

 

 骨なので表情は分かりにくいが、ブルックさんの声は少しばかり困惑気味だ。

 

「そうね……」

 

 シャッキーさんはレイさんがいそうなグローブの範囲を挙げ、最後に範囲外ならと『シャボンディパーク』を付け加えた。

 

「遊園地か!! そこ探すぞ~~ッ!!」

「わーい! ゆーえんちー!!」

 

 それに食いつく麦わら海賊団+ケイミーちゃん。特にケイミーちゃんのはしゃぎっぷりがすごい。パッパグ氏は渋い顔をしているけれど。

 確かにレイさんあの遊園地好きだよね。可能性が高いかどうかはわかんないけど候補になるくらいには。

 

「ミオちゃん、お店の雑用はいいから探すのに協力してあげたら?」

 

 全員で遊園地に行く気まんまんのルフィくんたちを微笑ましそうに眺めていたシャッキーさんがこちらに水を向けた。

 僕としては雑用がレイさん捜索になるだけなので、今日一日くらいなら付き合っても大丈夫だ。なんたってエースが可愛がっている弟なのだから、それくらいはサービスします。

 

「そうですね、いいですよ」

「ん? 白いのも遊園地行くのか?」

 

 わくわく顔のルフィくんに軽く手を振って違うよと返す。

 

「ルフィくんたちが遊園地に行くなら、いくつか賭場に心当たりがあるからそっちを回って聞いてくるよ」

「て、手伝ってくれるのか?」

 

 チョッパーくんがこわごわと聞いてきたので、笑って頷くとようやくチョッパーくんも笑ってくれた。よかった。

 

「ええと、ミオさんは諸島にお詳しいので?」

 

 ブルックさんの質問にはいと頷く。

 

「長いことお店のお世話になってますので。もし見つけたら依頼人がいるから店に戻るよう伝えておきます」

「ミオちゃんも諸島長いものね。それなりに詳しいし、いい援軍になるんじゃないかしら」

 

 シャッキーさんが後押ししてくれたことで、ブルックさんはある程度信用できると踏んでくれたらしかった。

 

「それはそれは! ありがとうございます!」

「白いのも手伝ってくれんのか? なんだお前いいやつだな!」

 

 ルフィくんがこっちを見てニカッと笑う。

 なぜか『ケム子』から『白いの』にランクアップ(?)したらしい呼び名に物申したくなったけれど、しても仕方がなさそうなので諦めた。

 

「ありがとな! 白いの!」

 

 あああなぜかチョッパーくんまで飛び火している。いや白いは白いけど、名前に掠りもしてないって……。

 

 ……あれ?

 

 まじまじとチョッパーくんの帽子を見て、ふと懐かしさを覚えた。ピンク色の帽子で、真ん中部分に『×』マークがあしらってある。

 このマークのついた帽子をどこかで見た気がした。デザインとかではなくて、なにか、誰かが被っていたような……はて、どこだっただろうか。

 

 あ、もやもやする。絶対どっかで見たのが分かってるのに思い出せないこのもじょもじょ感。

 

「んー……?」

 

 腕を組んで中空に視線を泳がせ、悩んでいる間にシャッキーさんがルフィくんたちに億越えルーキーの説明を終えて出発の準備を整えていた。

 それを見たところで僕も思考を切り上げ、準備しなくてはと膝を動かそうとしてところ──

 

「えっと、白いの……じゃないや、ミオ、だったよな」

「うん?」

 

 なぜかチョッパーくんがこちらに近寄ってきて、自分の帽子を押さえながら心配そうにこちらを見上げてきた。

 

「あの……おれの帽子がどうかしたのか?」

 

 あんまりまじまじと見つめていたからか、チョッパーくんが気にしてしまったらしい。

 言われると一度は切り上げた思索が戻ってきてしまう。

 

「ああ、その帽子と似たようなものを昔、どこかで見た気がして……じろじろ見ちゃってごめん」

「ううん、それはべつにいいんだ。ただちょっと不思議だったから……」

 

 チョッパーくんは帽子の鍔を両手で器用につまんで、少しだけさびしそうに笑った。

 

 もう届かない、遠い場所にあるものを懐かしむ顔だった。

 

 ……あ。

 

「わかった。ドラム王国……あ、今はサクラ王国か」

 

 最近政変でもあったらしく国名が変わっていた。あの国のファンキーな老医者たちは元気にしているだろうか。

 

「え」

 

 それにピンク色に×印。そうそう。

 

「そうだそうだ、Dr.ヒルルクが被ってた帽子に似てるんだ」

 

 あのひとの帽子黒かったから思い出すのに時間かかっちゃったけど、うん、めっちゃスッキリした。アハ体験した。

 正答に行き着いた満足感とともにひとりごちたつもりだった。だってチョッパーくんからすればDr.ヒルルクと言われても誰のことかわからないだろうし、見知らぬ人の帽子と似ていると言われたところで困るだけだ。

 

「──ッ!」

 

 と、思っていたのだけど。

 突然表情を変えたチョッパーくんがその場で跳ね上がって僕の胸ぐらをヒヅメで器用に掴んだ。小さな身体がぶらりと揺れる。

 

「お、おまえドクターのこと知ってるのか!?」

「うぉ、ん?」

 

 唐突な重さにがくんと膝が傾き、至近距離の顔とあまりに必死な様子にたじろいでしまう。知ってる? 話の流れからすると、Dr.ヒルルクのことだろうか。

 チョッパーくんの変化にただならぬものを感じたのか、「どうしたチョッパー?」「チョッパーさん?」と仲間たちが声をかけたけれど気付いていないらしい。

 

「ええと、チョッパーくんが言ってる『ドクター』がDr.ヒルルクのことだったら知ってるよ。ずいぶん昔だけど、一度ドラム王国に用事があって……そこで行き会ったんだ」

 

 行き会ったというか、厳密に言うと匿ってから捕まったというべきなのかもしれないが。

 思い出してくすりと笑う。

 

「信念があって、優しくて、夢があって、ちょっとヤブなひと。合ってる?」

「……あってる」

 

 ぶら下がったままのチョッパーくんの表情がほどけて、同時にヒヅメも離れてぽとりと落ちる。

 周囲のざわざわをひとまず無視して、僕はそのまま膝を折ってチョッパーくんと目線を合わせた。

 たぶん、彼にとってDr.ヒルルクはとても大切なひとなのだろう。それはただならぬ様子というより、本能に訴えかける直感だった。

 

「チョッパーくん、気になるならドラム王国に行ったときの僕の話をするよ。でも、少しだけ長い話になりそうだからレイさんを見つけてからにしない?」

 

 ここで話して聞かせたって僕としては一向に構わないが、ルフィくんたちは一刻も早くレイさんを見つけてコーティングを頼みたいはず。

 僕のは過去にあった話でこの先で変化することはない。けれどコーティング職人を探すのは現在の話で仲間と船の安全がかかっている。

 

 どちらを優先すべきかはチョッパーくんがいちばんよく分かっているだろう。

 

「僕のは思い出話だからさ。目的を達成してからでも大丈夫だよ」

 

 チョッパーくんは少し迷うようにルフィくんと僕を見てから、うんと頷いた。

 

「そう、だな。あとで聞かせてくれるか?」

「もちろん。約束する」

 

 即答したことで安心したのか、ほっとした顔でチョッパーくんは「ありがとな」とつぶやいた。

 

「いいのか? チョッパー」

 

 僕らのやりとりに何かを感じ取ったらしいルフィくんがチョッパーくんにそう聞いた。

 

「うん、いいんだ」

 

 彼はリュックのひもをギュッと握ってからニカリと笑った。

 

「今はコーティング屋と、遊園地だ!」

 

 それを見たルフィくんも笑った。

 

「にししし、そうだな! 遊園地行こう!」

 

 うん、いい海賊団だ。

 

 

 

 

 



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14.シャボンディ・バディヌリー

 

 収穫があろうとなかろうと夕方までには一度お店に戻ることを麦わらの一味と約束したミオは一度部屋に戻って着替え、装備を整えて裏手にあったボンチャリに跨がった。

 ヘルメット代わりにパーカーのフードを目深に被り、首から下げていたゴーグルを引き上げ、組み込んだスイッチを切り替えてペダルを固定。ぎゅっとハンドルを握る。

 

「軍曹!」

 

 一声呼べば、頼りになる相棒が待ってましたとばかりに背中のリュックに飛び込んできた。有事に備えてチャックは閉めない。

 ブォン、とエンジンの排気に似た音と共に噴風貝(ジェットダイアル)が唸りを上げ、ボンチャリがバイクの如く疾走を開始した。一度ウィリーのように半身を上げて『固定』した不可視の坂道を駆け上がり、そこそこの高度を維持したままグローブの木々の隙間を縫うように加速していく。

 

 この広い諸島を駆け巡るにはボンチャリの基本性能では機動力に欠けるため、ミオはヒマを見つけてはこつこつと自前のボンチャリを改造していた。

 自転車よりロードバイク、ロードバイクよりはスーパーカブ、スーパーカブよりは……と試行錯誤の末に出来上がったのがこのボンチャリである。普段は自転車として使用しているが、切り替えればこうして大型バイク同様の速度と性能を発揮することができる。

 

 果たして、あちこちのグローブに点在するレイリー馴染みの賭場を探し回ること三軒目。

 

「み、身売りぃ?」

 

 大負けして所持金が底を突いたレイリーがよりにもよって代金代わりに自分を売りに出した、という残念な事実が発覚してしまった。なにしてんだあのじいさん。

 いや普通ならべつに構わないのだ。凡百の人間など束になっても敵わない最強じいさんなので放逐したとて適当なところで抜け出し、ついでにどこぞで金を調達して何食わぬ顔で帰ってくるに違いない。

 それがいつになるのか分からないから問題なのだ。今は依頼人を待たせている状況である。

 

「ありがとうございました」

 

 話を聞いた賭場の常連に礼金を握らせると、手の中を確認して酒臭い息を吐きながらオッサンが乱杭歯を見せてにぃと笑った。

 

「おう、あんたもあの爺に担がれたクチか?」

「担がれちゃいませんが、用事があるんですよ」

 

 嘆息してからお酒はほどほどに、と軽く手を振ってミオは賭場をあとにした。

 

 歩きながら猛烈に思考する。ここの賭場が懇意にしているヒューマンショップといえば確かMr.ディスコ。

 そうなると、レイリーはこれから1番グローブのドンキホーテ海賊団主催のオークション会場で出品されるだろう。見た目は老齢の域に入った男性なので価値を正しく理解していなければ早々に出品されるか、もしくは手続きの関係で最後の方に回されるか。そこまでは分からない。

 

「うわああ行きたくねぇえ……」

 

 偽らざるミオの本音である。

 しかしぐずぐずしていられないのも事実。あのオークション会場には天竜人も出入りしているので、ないとは思うがレイリーを天竜人がお買い上げしてしまったら目も当てられない事態になる。

 ミオはあのオークション会場の内部構造と電伝虫の配置場所から警備員の数、オークションの手順までの諸々をほぼ完璧に把握している。おそらく、この諸島に現存するオークション会場の中で最も熟知している会場であるといっても過言ではないだろう。

 それもこれも、全てはドフラミンゴに会わないためだ。もし自分が売りに出されそうになってもすぐ脱出を図れるように調べ上げ、定期的に情報屋で動向を探るくらいには徹底している。

 

 そして現在、ドフラミンゴは諸島にいない。

 

 ついでにレイリーを救出する必要はない。そういう心配をするような次元の人物ではないからだ。

 ほっとけば帰ってくる。それが早いか遅いかだけの違いで、今はそれが最も重要な違いだ。──なので、ミオに求められているのは「依頼人が待ってるのでなるはやで戻ってきてください」というメッセンジャーとしての役割である。

 

 熟考すること、数十秒。

 

「……しょーがない、エースの弟のためだ」

 

 頭の中で忍び込む算段を組み立て、腹を括った。

 

 ボンチャリを1番グローブまで走らせ、グローブの象徴であるマングローブの裏側に回ってある程度の高度を維持したまま『固定』してから、ミオは無造作に空中を踏んだ(・・・)

 シャボン玉に紛れるように、見えない廊下でもあるかのようにとんとんとん、と小さな足音を立てて無事にオークション会場の屋根に辿り着くと能力を解除。普段はあまり頼らないがこういう小技が使えるので便利な能力なのだ。藁束みたいな屋根から下の方を見渡すと、既に開始時間が迫りつつあるためちらほらと客らしき人々の姿が見える。

 金回りの良さそうな商人風の男や貴族っぽい老夫婦、いかにも裏街道を歩いていますよという感じの集団や、海賊なんかもぼちぼちと。

 

 特に目立ったのは、燃えるような赤い髪の青年と水色と白のストライプ仮面着用の男。二人を中心として追従しているのはおそらくクルーたちだろう。億越えルーキー『キッド海賊団』のユースタス・キッドとキラーという二枚看板の登場に周囲の人が我先にと道を開けていく様子はモーセのそれだ。

 

「案外、海賊に買って貰った方が幸運かもわからんね」

 

 自分の海賊団に抱え込む以上、購入商品は厳選するだろうし、購入された側もクルーとして働くことで購入代金を稼いで足を洗うことだってできるはずだ。

 ……よっぽどその海賊団が外道でなければ、という前提はあるけれども。

 

「って、うげ」

 

 会場のちょうど玄関辺りに見覚えのある首輪と簡素な服を身につけた巨体の男を見つけ、ミオは露骨に顔をしかめた。留守番をさせられている犬のような男はおそらくは奴隷で、天竜人の『馬』だろう。誰が来ているのか知らないが、知っている顔だったらイヤだなぁとぼんやり思う。遙かな記憶ではあるが、いくつかの名前と顔は覚えている。もっとも、あちらは下々民と成り下がった相手のことなんかいちいち覚えてやしないだろうが。

 いつまでも見物していても仕方がないので、屋根を伝って明かり取りのための格子窓の隅っこをこっそりと破壊。軍曹には別ルートから侵入してもらうことにして、ミオは細い穴から身体を滑り込ませた。

 

 外からなぜか揉み合いの声が聞こえてきたがヒューマンショップに小さな諍いは付きものだ。あまり気にしなかった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 頭に叩き込んであった侵入経路を辿って、明かり取り用の出窓から中を窺うと──なぜだかここの司会が牢屋の前で泡吹いて倒れるところだった。なんだろう。

 警備の人間たちが慌ててディスコを担いで運んでいく。残っていた者も司会進行を兼ねているディスコの容態次第ではこれからの興業に影響が出るため、指示を仰ぐために出て行ってしまった。なんだか分からないがチャンス到来。

 

 窓からレイリーの姿を見咎めたミオはこっそりと呼びかけた。

 

「レーイさん」

「んん?」

 

 レイリーが顔を上げると同時にミオは猫のような動きで窓から飛び降り、柔らかく膝を曲げて音も無く着地を果たした。

 目深に被ったフードとゴーグルで人相は分かりにくいが、レイリーはミオだとすぐに看破できたのだろう、にやりと笑った。むしろ驚いたのは彼の隣に腰掛けていた巨人族の方で、一瞬腰を浮かせそうになっていた。

 

「どうしたねミオくん。私を迎えに来てくれたのか?」

 

 あながち間違ってはいないのだが、なんだかなぁ。生憎、金に困ったからって真っ先に我が身を売却するような人間を迎えにくるほどヒマではないつもりだ。

 茶化すような物言いにミオは眉をひそめつつ軽く肩を竦めた。

 

「じょーだん。レイさんにコーティングの依頼が来てるので、とっとと戻ってきてくださいって言いに来ただけです。ギャンブル好きはともかく身売りとか、もー」

「はは、手間を取らせたようだな。すまんすまん」

 

 びっくりするほど謝罪の籠もってないすまん、である。

 

「では、すぐに戻るとシャッキーに伝えておいてくれ」

「了解です」

 

 あっけないが、これでミオの役目は終わりである。

 伝えるべきことは伝えたので、あとは麦わらの一味とレイリーの間の話になる。店に戻ってまだ戻っていなければこの話をすればいいし、もし麦わらたちが捜索の伝手が欲しいというなら情報屋を紹介するくらいはしてもいい。

 突然の侵入者とのなんとも気の抜けるやり取りに、巨人族の男が首輪を揺らした。

 

「おちびさんよぉ、そんなこと言うためにこんなとこ来たのか。見つかったらどうすんだよ」

 

 突然の不法侵入者に不審は感じていたようだが、口に出されたのはこちらを気遣う文言だった。

 レイリーは酔狂で自分を売り出したが、それは何事が起きても対抗ができるという絶対的な自信に裏打ちされている。それをミオも知悉しているからここまで呑気極まりない真似ができるけれど、巨人族の男はそうではないだろう。何があったかはミオの理解の範疇ではないが、販売先から逃げ出せる可能性はそう高くない。

 そんな己の辿る道を察していないはずはないのに、素直にこちらを心配するような言葉をこぼす巨人族の男から少しばかりの申し訳なさを感じて、小さく頭を下げた。

 

「大丈夫ですよ。お心遣いに感謝を」

 

 ミオとて断じて長居したい場所ではないのだ。

 周囲の気配を探ってから巨人族の言葉の通り、すぐに脱出するべく天井の方へと視線を向け──

 

「て、店員さん?」

 

 恐怖にかすれた、若い声に弾かれたように首を向けた。そこには抵抗して暴行でも受けたのだろうか、鼻から血を流し、驚いたようにこちらを見つめる若草色の髪の人魚。

 ミオは仰天して一瞬全ての思考を忘れて慌てて走り寄った。麦わらの一味を案内していたハチと一緒に行動していた人魚のケイミーだった。

 

「え、ちょ、ケイミーちゃん!? なんでオークショ、うわ鼻血出てるし!」

 

 わたわたと懐から手ぬぐいを引っぱり出して、ぐしぐしとケイミーの涙を拭ってから下を向かせて鼻に布を押し当てた。周囲の探るような目線も気にならない。

 記憶の通りならばさきほど麦わらの一味たちと遊園地に行くと言っていたはず。彼らが友人を売り飛ばすとは到底思えない。むしろそういう輩を唾棄している類の人間だというのは、あの短い付き合いでもなんとなく分かる。

 ケイミーは顔見知りが目の前にいるという安心感からか、くしゃりと顔を歪めて更に涙をこぼした。

 

「わた、わだし、ゆーえんち、で、ふぇっ」

 

 まとまりのない短い言葉だったが、大体の理由を察してミオは一気に渋い顔になる。むしろ予期できない自分の方が間抜けだった。

 

「遊園地で、人攫いに襲われたのか」

 

 人魚の販売価格が凄まじいのは、諸島で『商品』を扱うものたちの常識だ。そして、それが常識であることを知っている人魚たちは自衛手段として諸島へ寄りつかない。どんなに遊園地が眩しくても、魅力的でも、底知れぬ悪意が手ぐすね引いて待ち構えているのだから当然である。

 きっとケイミーもそれを知っていて、それでも誰もが一度は行くことを夢見る場所で、そこへやってきた千載一遇のチャンス。麦わらの一味という破格のボディガードがいたからこそ彼女は遊園地へ行くことができた。

 パッパグの渋い顔が思い出される。彼が危惧していたのはたぶんこういう事態で、そして現実になってしまった。

 

 麦わらの一味に油断があったのか他の要因が重なったのかは定かではないが、見つけてしまった以上は放置できない。ケイミーはハチの仲間で、麦わらの一味の友人で、ミオの顔見知りだ。ほんの少ししか喋っていないものの、だからといって自業自得だと切り捨てられるほど木仏金仏石仏ではない。

 

「すぐに出してあげたいけど……鍵の位置が厳しいな」

 

 ケイミーはか弱い人魚ちゃんな上、売りに出されればその希少性ゆえに最悪の買い手も候補に挙がる。レイリーのように楽観視できない。

 けれど彼女の首にも既に首輪が装着されている。手枷の鍵も併せて探すとなると時間が足りない。警備員もすぐに戻って来るだろう。この場で枷を砕いて攫うことも可能といえば可能だが、不確定要素が多すぎる。ここで騒ぎを起こせば目も当てられないことになってしまう。

 

 どうしよう。どうすれば。

 

 必死で考えていると、レイリーから声が飛んでくる。

 

「ミオくん、お嬢さんと知り合いだったのかね」

「会ったのはさっきですけど立派な知り合いです。ハチさんの友達ですよ」

 

 思考を邪魔するような声に知らず、不機嫌な返しになってしまう。

 ハチの名前にレイリーは僅かに驚いたようだった。

 

「ハチが諸島に来てるのか?」

「そうですよ、二人が案内してきたのがコーティングの依頼人です」

「そうか……ふむ」

 

 レイリーは何かを思案するように顎に手を当て、ややあってから顔を上げてひたとミオを見据えた。

 それまでの剽悍とした仕草ではなく、真剣な眼差しにミオの背筋が無意識に伸びる。

 

「わかった、そういうことなら……お嬢さんは私に任せなさい。悪いようにはしないさ」

 

 魚人のハチはレイリーの友人だということをミオは知っている。ケイミーがその連れと知っては呑気にしていられないと判断したらしい。

 そして、おそらくレイリーはミオを気遣った。理由は話していないものの、彼はミオがこのオークション会場を毛嫌いしていることを知っている。

 

 なら、甘えよう。

 

 判断すれば早い。

 

「お任せました!」

 

 後方でドアノブの動く音が聞こえ、即座に頷いたミオは手の中の『何か』を掴んで一度強く引っぱった。

 

 すると──ミオの姿がその場からかき消えた。今までここにいたのが信じられないくらいの早業である。

 

「えっ!?」

「き、消えたぞ!?」

 

 うろたえるケイミーと巨人族にレイリーは人差し指を自分のくちびるに押し当て『静かに』とジェスチャーすると、そっと上を示す。

 

「なに騒いでやがる! もうすぐ出番だ、大人しくしてろ!」

 

 警備員たちがどやどやと入ってきたのはほぼ同時で、彼らの目を盗んで二人がそーっと指の先を見上げると、牢屋の天井近くに張り出している縁にヤンキー座りしているミオが両手を合わせてごめんね、という感じで頭を下げていた。

 その横には暗がりを凝縮したような黒く、ミオとそう変わらないサイズの大きな蜘蛛がいたのでケイミーと巨人族は咄嗟に悲鳴を飲み込んだ。どうも彼女のペットかなにからしい。あの蜘蛛が猛烈な勢いでミオを引っ張り上げたのだろう。

 

「……じいさんの知り合い、凄ぇな」

「生憎、あれほどの変わり種は私もミオくんしか知らんよ」

 

 くつくつと笑うレイリーはなんとも愉快そうだった。

 

 

 



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15.ピーターパン・フーガ

 

 映像電伝虫に撮られる危険を避けるために牢屋兼倉庫にある明かり取り用の窓から一旦外に出て、壁を伝って逆戻り。

 

 生前というか、昔取った杵柄大活躍である。もともとド派手に動くより、こうして陰でこそこそと暗中飛躍する方が得意である。身体は忘れてないもんだ。

 

 屋根とホールの間には構造上の空洞があって、僕はそこを這うように進んでいた。立って歩けるほど空間がないので仕方がない。当然掃除なんてされていないのでうっすらと埃が積もっていて、あちこちに蜘蛛の巣が張っている。たまにネズミもちょろついているのがなんともかんとも。

 薄暗いので一応、先ほどどこぞから水を調達して大きくなった軍曹が先導してくれているが、進むだけで袖や膝がどんどん灰色になっていく。多脚と四足歩行の違いがここに。舞い上がった埃で鼻はむずむずするし喉がイガイガして、ゴーグルまでうすく濁ってしまう。くしゃみだけはしないぞ。

 

 何度か小さく咳払いしながら進むと、やがて暗闇の中でいくつか光が天井へ伸びていく箇所が目についてくる。ああ遠かった。そこまで辿り着き、板の隙間から覗き込むと段々畑のようになっている観客席が見えた。本当はここまで来る必要はなかったのだけど、ケイミーちゃんを見つけてしまったのでそうも言っていられない。

 オークションはどうやら中盤らしく、『商品』のうちひとりが自殺を図ったらしい。これからの己に自由がないと悟り、絶望しての凶行か、それとも脱出を図る方策としての自演なのかは不明だけれど。観客席のざわめきが邪魔でよく聞き取れないが、緊張で鼻血を吹いたとか嘯く司会の声がうっすらと聞こえてくる。やだなー、こういうの。

 

 べつにレイさんを信用していないワケではない。彼が悪いようにしないと言ったのだから、ケイミーちゃんは無事に戻って来るだろう。しかし心配は心配なので、様子見くらいはしようと思っての行動である。あと麦わらくんのことが少し気になった。どんな事情があったのか知らないが、友達のケイミーちゃんが人攫いに誘拐されてしまったのだ。どうにかして取り戻そうと行動するであろうことは想像に難くない。遠からずこのオークション会場に辿り着くだろう。

 

 だってルフィくんはエースの弟だ。

 

 彼は自分から誰かを奪おうとする輩を許さない。その過程で何をやらかしたって驚くに値しないのである。仮にエースだったらこの会場は今頃焼け野原だ。

 そういえば、最近海軍の方が騒がしい。エースのことは新聞の他に情報屋からドフィと並行して定期的に情報を買っているけど目立った変化はなかったはず。警戒のためにか、七武海の何人かは集められているみたいだけど……。

 

「ん?」

 

 ……あれ、おかしいな。なんか変だ。イヤな予感がする。第六感にビンビン引っかかる。

 

 僕、なんかすごい重大なことを見逃してない?

 

 

──そんな思考に埋没していた僕の意識は現実から遊離していて、気付くのが遅れてしまった。

 

 

 不意に、轟音。

 

「うお!?」

 

 一気に意識が引き戻される。

 地面というか会場全体が震撼して、ぱらぱらと小さな木片が落ちてきた。どうやら出入り口付近からの衝撃っぽいけど、何が起きたのかここからでは確かめようがない。ここやばいな。何かあったら逃げ場がない。

 マングローブで形成されている諸島に地震なんて存在しないのだから、攻撃でも受けたと考えるのが妥当だろうか。いや、海軍はヒューマンショップを腫れ物扱いしてるからよっぽどのことがなければ攻撃なんてありえない。例えば天竜人がボコられる、とか。

 そうでないならあとは、海賊の襲撃? メリットがない。……いや、心当たりならあるじゃないか。現在、大事な友達が攫われ烈火の如く怒っているはずの超新星の一角が。

 

 おい、まさか。

 

 とにかく階下の様子を確認したくて下を覗き込もうとした──その時、ドン! という腹の底から不快になる銃声が響いた。それも、何度も。

 

「ッ!」

 

 這いつくばったところで、ここからじゃ観客席しか見えない。『ハチ!』と女性の高い悲鳴が耳に届く。ハチさん? 撃たれた? というか、会場に来てた? うわそれは考えてなかった。そうだよな、危険でもシャッキーさんのお店で待つなんてできないか。え、じゃあ麦わらの一味もいるの? もしかしてさっきの衝撃か?

 もどかしくて苛々してくる。ああもう、ここからじゃなんも見えない! どうする? 穴開ける? 開けよう。

 

 狭い空間の中で懐からナイフを取り出して、床材が比較的薄い箇所に突き立ててゴリゴリゴリッ。いくらもしない間に大きめの穴が開いた。まぁこれくらいならバレないだろ。

 

 んで、広くなった視界でかろうじて見えたのは──天竜人の証としてシャボン玉製のマスクを被った小デブの側頭部を、麦わらのルフィくんが鬼の形相でぶん殴った瞬間だった。

 

「うわぁマジか」

 

 どれだけ重い一撃だったのか、小デブの天竜人らしき男の身体が竜巻の如く激しくスピンしながら観客席を突き破り、頭から瓦礫に埋まって動かなくなった。

 顔面は原型を留めないほどに腫れ上がり白目を剥いて、まだ生きている証として時々痙攣している。死にかけのエビみたいだった。特権階級の人間が無様に転がってるぜ、とせせら笑う勇気ある人間はいない。それより目に見える脅威が迫ってくることをみんな知っているからだ。

 

 やっちゃった。やっちゃったよルフィくん、すごいな。躊躇なしだ。

 

 ほんのひととき、水を打ったような沈黙が場を支配して、それからは阿鼻叫喚である。

 

 怒声と悲鳴が会場内に渦巻き、我先にと人々が出入り口に殺到して押し合いへし合い。それも当然か。

 なんたって海賊が天竜人に手を出したのだから、海軍が軍艦引っぱって『大将』を引き連れてやってくることが確定している。

 

「ケイミーは売り物じゃねぇ!!!」

 

 麦わらの声がやけにはっきりと聞こえた。そうか、これが麦わらのルフィ。エースの弟か。納得だ。強大な権力に阿ることなど一切なく、弱きを助け強きを挫く……言うなれば物語における英雄のような。

 天に愛されているから運が巡り、しょっちゅう試されては窮地に立たされるひとだ。そして、それを知らずに奇貨として好機を掴み取る器。仲間がものすごい苦労を背負い込まされる類だ。

 

 ああいうのを、()()()と呼ぶのだろうな。

 

 曰く形容し難い感動というか、すとんと腑に落ちるような感覚があって無意味にうんうん頷いていたら、唐突に軍曹が僕の襟首を思い切り引っぱった。

 

「ぐえっ」

 

 勢いに負けてごろごろ転がって埃と蜘蛛の巣まみれになり──今まで僕のいた場所に巨大な質量の『何か』が猛然と突っ込んできた。ひええありがとう軍曹。

 

 それは丈夫な屋根を壁を天井を粉砕しながら突き進み、怪我ひとつなく優雅にホールを滑空する。

 

 見た目は大きな、本当に大きな魚だ。

 

 トビウオの一種だろうか、進化した胸ビレと背中になぜかくっついている座席でハンドルを握る男がちらりと見えた。隕石みたいな勢いで屋根と壁をものともせずに貫通したトビウオは細かな木片や瓦礫をばらまきながら中空を滑り、まだ無事だった壁に大穴を開けつつ去って行く。なんだったんだ、あれ。そういえば、最近諸島に仲間入りした人攫いチームになんかそれっぽいのがいたような。トビウオライダーズだっけか。

 

 状況がどんどん進む。置いてけぼりをくっているのが分かるのだけど、どうすればいいやら。

 

 とりあえずはどんな状況なのか把握しようと馬鹿でかくなった穴から会場をこっそり窺うと、麦わらの一味勢揃いという感じだった。ああ、あのトビウオが運び屋してたっぽい。

 そして会場の正面──舞台の上に設置された、すでにまっぷたつになっている巨大な金魚鉢から顔を出しているケイミーちゃんに近寄る天竜人の女性が見えた。あれ、レイさんは?

 

「あいつらの狙いの人魚を殺すのアマス!」

 

 まだ支払いがーと追いすがる司会にまで発砲している天竜人の女性がキンキン声で怒鳴り散らしている。ああいう人々が変わらないのは世の常か。……この状況だ、誰がやったかなんてわかりゃしないだろう。

 僕はその辺に転がっている手頃な瓦礫をひょいと手に取り、振りかぶって全力で投擲!

 

「さぁ"魚"! 死ぬアマぶぎゃんッ!?」

 

 拳銃を構えて得意面していた天竜人の女性の顔面に過たず石くれがぶち当たり、そのまま真後ろにひっくり返った。やったねストライク。

 恐怖に怯えきっていたケイミーちゃんは、いきなり脅威が強制退場したことに呆然としている。ひらひら、と手を振ったら気付いたらしく戸惑いがちに小さく頷いてくれた。僕がリアクションしなくてもレイさんがなにか手を打った気はするけど、まぁ、知り合い未満にできる手助けとすればこんなもんだろう。頼まれれば話はべつだけど。

 

「えっ、瓦礫!?」

「あの石ころ横の方から飛んでこなかったか!?」

 

 小さくガッポーズしつつ視線を避けるために一旦頭を引っ込める。ざわざわしてるけど知りません。

 しかし参ったな、海軍が来るならとっととおさらばしたい。ケイミーちゃんたちだけ連れて戻れないかな。覗き見すると、会場に張られている破けた緞帳からさっきの巨人族のひととレイさんがひょっこりと出てくるところだった。

 姿が見えないと思ったら、どうも騒ぎに乗じて会場の金銭をかっぱらっていたらしい。それは海賊じゃなくて火事場泥棒では?

 

「あわよくば私を買った者からも奪うつもりだったんだがなァ」

 

 わりとあくどいことを適当に喋りながら酒瓶をあおり、巨人さんはそれを呆れたように見ている。既に首輪のない二人の登場で周囲が一気にざわついた。

 枷のない巨人を無力化して捕獲なんて芸当できねぇよと騒ぐ警備の者たちを尻目に、レイさんはハチさんを発見して周囲を見回し、ようやく現在の状況を把握したらしい。

 

「さて、……──」

 

 気を取り直したように顔を上げたレイさんが『覇気』を放った。

 

 覇気というのは悪魔の実とはまた違った特殊能力のひとつで、いくつか種類がある。努力次第で身につけられる技術なのだけど、『覇王色』の覇気だけは才能が必要で誰でも使えるものではないらしい。

 ちなみに僕はといえば『見聞色』と『武装色』を無自覚に使ってるときがあるような気がする、らしい。甚だ曖昧な上にらしい、というのは稽古に付き合ってくれた白ひげの隊長さんが教えてくれたからで、自分で使ってる自覚が特にないからだ。おそらく『生前』から身につけている技能諸々がこの世界に添うようカスタマイズされた結果なのだと思う。

 

 さて、覇王色の覇気というのは要するにとんでもない威圧だ。殺意とはまた異なるものの、喰らえば一定以上の膂力を持っていない人間はあてられて意識を吹っ飛ばされる。

 

 空気すら震撼するような、濃密で爆発的な威圧の暴威が会場内を暴れ回る。すごい、うなじめっちゃぞわぞわする。活火山の激流もかくやという勢いで雪崩れ込む途方もない不可視の奔流は、それ自体が攻撃のように押し寄せて会場内にいる全存在を打撃した。

 その衝撃に耐えきれず、糸が切れたようにばたばたと倒れ伏す観客や泡を吹いて転がる警備員。意識を保っているのは必定、一定以上の実力を持った麦わらの一味やキッド海賊団も無事……あらやだ、ローもいるじゃん。ベポたちも。用事ってこれか。なんだろ、ドフィの力がどんなもんになってるか見たかったんだろうか。

 

 あっという間に静かになったホールの中で、ケイミーちゃんの首輪をかるくぶっ壊したレイさんはいつになくイキイキしているように見えた。口ではもはや老兵なので平穏に暮らしたいとかなんとか言っているが、根から海賊なので血が騒ぐのかもしれない。

 

 そして、会場の外から包囲を完了したらしい海軍の怒声が拡声器越しに響いてきた。

 

『犯人は速やかにロズワード一家を解放しなさい! じき『大将』が到着する! 早々に降伏する事を勧める! ――どうなっても知らんぞルーキー共!!』

 

 ルーキー『共』ということは、ローとユースタスは麦わらの共犯者と見なされたらしい。これはご愁傷様と言うほかない。とはいえ、レイさんの覇気でもびくともしないのだから、脱出ぐらいは大丈夫でしょう。頑張れ。

 ほぼ野次馬のノリでぼんやりしていたらハチさんの傷を見ていたレイさんが顔を上げ、ぐるりと会場を見渡して──僕を見つけてにぃと笑った。おっと?

 

「ここに『関係者』はひとりもいないぞ。いい加減に下りてきなさい」

 

 レイさんの覇気で一部の海賊以外は軒並み気絶しているので、僕が姿を見られたところで特に困らない。司会のひとも裏に回るの見えたし。

 

「はーい」

 

 声をかけられてしまっては出て行かないと攻撃されそうな気もして怖いので、僕は大人しく返事をしつつ壊れた壁から顔を出した。無事な第三者がいると知った周囲が警戒を跳ね上げ、一斉にこちらへ視線を向けてくる。注目やだなぁ。あとローの目がこわい。なんでこんなところにいやがるって顔してる。こっちにも色々あるんです。

 

「よっと」

 

 ビシバシ刺さる視線を感じつつ瓦礫の間から身を乗り出してひょいっと身を躍らせる。中空できり、と身体をひねってバランスを維持してそのまま着地。

 歩きながらフードとか服をべしべしはたくと悪夢のように埃とかちっさいゴミが落ちてきた。うわあ。げんなりしながらのこのこ歩いていると、レイさん以外のほぼ全員がこちらを警戒しているのが伝わってくる。

 

「きみのことだ、様子くらいは見ていると思っていたよ」

「知り合いですし、ケイミーちゃん女の子ですし。それくらいはしますよ」

「なんだお前?」

 

 不思議そうにこちらを見つめるルフィくんは人のどこらへんを見て名前とか一致させてんだろう?

 

「コーティング屋さん探すのに協力するって言ったよね?」

「ん?」

 

 レンズが灰色になってしまったゴーグルを下ろしてフードをはぐと、ようやく誰だか分かったらしい。

 

「あっ、白いのか! そっか、コーティング屋探すの手伝ってくれるって言ってたもんな。ん? じゃあコーティング屋がここにいるのか?」

 

 あれこれ、もしかしてレイさんのこと分かってない?

 

「そうそう。賭場回ったらレイさん身売りしたって言うし、しょーがないから依頼人がいるって伝えに来たらこの状況ですよ」

「そっか、悪ぃな!」

 

 ニコニコ笑顔のルフィくんには悪意の欠片も見当たらない。天竜人ぶん殴ったのを悪いなの一言で済ますあたり、やっぱり大物って感じ。

 

「ルフィ、その子のこと知ってるの?」

 

 仲間たちを代表してか、『泥棒猫』のナミが訝しげに問いかけた。

 頭の形に沿うように切られたみかん色の髪が綺麗な女のひとで、こちらの出方を窺うように緊張を滲ませながら眉をひそめている。

 

「ああ! 白いのだ!」

「説明になってない!」

 

 スパーンと切れのいいツッコミが入った。

 ルフィくんに任せたらダメだと本能が訴えてきたので簡潔に自己紹介することにする。

 

「あー、シャッキーさんのお店でバイトしてるミオっていいます。そこのレイさんが徘徊して帰って来ないんで、探すの手伝ってました。この会場にはその過程でちょっと」

「私の外聞が悪くないかね」

「お店に半年寄りつかないのが悪いんですー」

 

 半目でじろりと睨め付けたらレイさんは小さく肩を竦める。

 しかし彼女たちはどうやらシャッキーさんのお店には寄っていないらしく、謎が深まってしまったようだ。ただ、僕とレイさんが気安く会話していることで多少は警戒を緩める気になってくれたようだった。

 

「ごめん、全ッ然わかんないわ」

「あ、あのな! さっきおれとブルックとルフィで店に行ったんだ! そしたら──」

 

 ハチさんの応急処置を終えたらしいチョッパーくんが『泥棒猫』に説明してくれた。助かります。

 そこへ、背後から警戒や緊張とはまた別種の視線を感じた。振り向くと、麗しい黒髪の女性──『悪魔の子』ニコ・ロビンと目が合った。

 黒曜石を縁取る空色の瞳はなんだか驚いたような戸惑っているような、不可解な色味を宿していた。そうか、エニエス・ロビーの件で彼女も麦わらの一味入りしていたのだっけか。懐かしいなぁ。

 

「あなた、ミオ?」

 

 遠慮がちに問いかけてくるニコ・ロビンに僕はへらっと笑って片手を上げる。

 

「よっす。ニコ・ロビン、元気そうで嬉しいよ」

 

 彼女とは古い馴染みだ。

 何年前かは忘れたけど、あっちこっちの海を回っているときにまだ小さな彼女を匿ったことがあった。というか、彼女が潜伏していた海賊をそうとは知らずにぶっ潰してしまったので責任とって頂戴と言われたのだ。でもあれは