【完結】四肢人類の悩み (佐藤東沙)
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01話 『人間』の定義ってなんなんだろう

 「セントールの悩み」を知らない人の為の、簡単な解説。知ってる人は飛ばして下さい。

・とりあえず様々な種類の可愛い人外娘が出てイチャイチャする話、と思っとけば仔細なし。
 男もいるけど気にすんな。

・「セントール世界の人間」は、「現実世界からすると人外・亜人」。
 他は現代日本と概ね同じ。

・しかし一部の法律や制度が異なっている(国歌が君が代ではない、憲兵が存在する、等)。
 甚だしきは「形態差別罪」という超地雷罪状。詳細は本編で。


 転生。誰しも一度くらいは耳にしたことのある言葉だろう。世界各地で見られる概念であり、古くはインドの仏教や古代エジプト等に息づき、新しいところでは日本のサブカルチャーで一大ジャンルを築いている。

 

 言葉そのものは有名だ。だがそれは概念のみの話であって、現実に存在すると思っている者は少数派であろう。そして実際、大抵はインチキか思い違いだ。だがその中には、現代科学で説明できない事例があるのも確かである。

 

「あ゛ー……」

 

 口から意味のない音を吐き出した、通学路を歩くこの女子高生もまたその一例だった。

 

 この国では特に珍しくもない、黒い瞳と黒い髪。身長は女性という性別と、高校一年生としては高めの158cm。均整の取れたスラリとした肢体に、長い射干玉(ぬばたま)の髪が水墨画のような(いろどり)を添えている。

 

 十人中九人は美しいと認めるであろう、女性になりつつあるその少女。だがその美貌は、死んだ魚の方がまだ生気がある、ハイライトの無い一つきりの瞳によって全て帳消しにされていた。

 

「はぁ……」

 

 朝っぱらからダウナーな彼女には、「普通」ではない事が二つある。

 

 一つはいわゆる前世の記憶。と言っても大したものでもない。現代日本で平凡に生きていた、どこかの誰かの記憶があるという程度のものだ。

 

 単に年を重ねて記憶が薄れたのか、はたまた前世の記憶であるせいなのか、歯抜けで朧になっており、その実存の証拠は彼女の頭の中にしかない。彼女が幼い頃から年にそぐわぬ高い知性や豊富な知識を持っていた事と、その記憶と彼女の身体的特徴が奇妙な合致を見せる事だけが、客観的に見た事実であった。

 

 そしてもう一つが――――

 

「あ、おはよー」

 

「……ああ、おはよう姫」

 

 背中からかけられた声にうっそりと振り向く。その視界に入って来たのは、クラスメイトの君原(きみはら)姫乃(ひめの)だ。

 

 日本人としては珍しい赤毛を長く伸ばし、この年にしては高い彼女が見上げねばならない程の高身長。くりっとした垂れ目にはっきりとした目鼻立ちと、豊満な胸部装甲を有しており、性格や名前も合わせて『姫』というあだ名を奉られている。

 

 他にもおっとりとした外見に反して身体能力が高く、自覚なき天才肌で成績も優秀だとか、実は大名の末裔で世が世なら本当に姫だったという噂があるとかで、色々と目立つ人物ではある。あるが彼女にとってはしかし、最も目立っているのはそのどれでもなかった。

 

「何か元気ないみたいだけど、大丈夫?」

 

「…………大丈夫だから気にしないで」

 

 本来ならば上に向くべき目線が、どうしても下に向かってしまう。もちろん変な意味ではない。少なくとも彼女にとって変なのは、その下半身だ。

 

 アスファルトにぶつかりカツカツと音を立てる(ひづめ)。牛やら馬やらにくっついている、あの蹄である。なおどちらかというと馬に似ている。

 

 その蹄の先に鎮座まします四本脚と、これまた馬にそっくりな下半身。しかして上半身は、頭の上に生えた馬に似た耳を除けば人間のもの。人間の上半身が、馬の首部分から生えている、と言えば分かりやすいか。

 

 この世界では『人馬(じんば)』と呼称される形態ではあるが、彼女にとってはもっと馴染み深い名称が存在する。ケンタウロス(セントール)、だ。

 

「うぃーっす、お二人さん」

 

「おはよう」

 

「あ、おはよう!」

 

「おはよー……」

 

 並んで歩く馬と人に、挨拶を投げつけて来たのはこれまたクラスメイトだ。そのクラスメイト二人の身長は低いが、その雰囲気は正反対と言える。

 

 元気のいい方が獄楽(ごくらく)(のぞみ)。スポーツ万能の空手少女だ。もっと言うなら、体育だけ5で他が2とか3とかの典型的体育会系である。

 

 外見は、黒く短めの髪に、黒にも見紛う程濃い青の瞳。身長は低いため、特筆してスタイルがいいという訳ではないが、その体躯はレイヨウのごとく無駄なく引き締められている。

 

 全体的にボーイッシュな空気を纏っており、あと15cmほど身長が高ければ、同性からのラブレターで下駄箱が埋まるという伝説的光景が日常になっていたかもしれない。

 

 だが何より変わっているのは、尖った耳に蝙蝠に似た翼、先端が矢印状になった尻尾と、まるで悪魔の如きパーツが身体にくっついているところである。彼女の記憶する『前世』ならば、問答無用でコスプレと断ぜられたであろうが、生憎これは生まれつきで、付け外しが出来るような代物ではない。この世界において、『竜人』と呼称される形態であるがゆえの身体的特徴だ。

 

 尤も変わっているとは言ったものの、それはあくまで()()にとってだけの事であり、竜人は特に珍しい形態である訳ではない。獄楽以外にもクラスにはたくさんいる。

 

「どーしたのアンタ、今日はいつにも増してテンション低いね」

 

「あー、ほっといて……そのうち復活するから……」

 

 今話しかけてきた方が名楽(ならく)羌子(きょうこ)。学年トップの秀才少女だ。反面体力はクソザコナメクジであり、分かりやすくもやしっ子と言っていいだろう。

 

 糸目に薄い金髪と、獄楽以上に――ある意味では以下かもしれない――起伏の無い身体。良く言えば幼児体型、悪く言えば寸胴鍋かドラム缶である。何、良く言っていない? そんな事はない、特定層からは大人気間違いなしだ。

 

 一方見た目に反して冷静でしっかりした性格であり、家事も料理も人並み以上、包容力まで完備という、女子力を通り越してオカン力に達している女でもある。これで口調が『のじゃ』だったらロリBBAとして熱烈な信者を獲得していた事であろう。本人が喜ぶかどうかは知らんが。

 

 そして頭には、頭蓋骨に沿って緩く曲がった羊のような角に、ヤギにも似た耳。本来人間の耳があるべき場所には何もなく、腰からは尻尾が伸びている。『角人』と呼称される形態である。

 

「分かった! アレだろ、生理だろ!」

 

「死ね」

 

「おおう、端的で剛直球な罵倒だぁね」

 

「いつになく辛辣だなオイ!?」

 

「つってもねえ……今のは希が悪いよ」

 

「え、えと、そういう話題はデリケートだから、ちょっと気を付けた方がいいかなー、って……」

 

「姫までッ!?」

 

 『形態』。平たく言うなら、『人間』の種類の事である。この世界においては、白人やら黒人やらの他に、人間を大きく分ける軛があるのだ。

 

 見た目はケンタウロスの『人馬』、鱗やエラはないがまさにそのものの『人魚』。他にも『長耳人』『翼人』『牧神人』等々、『形態』は多岐に渡る。

 

 ならばそれらは別種なのかと言えばそうではない。この世界においては彼ら彼女らこそが人間、即ちホモサピエンスなのだ。

 

 同種であるため、形態間の交配も可能であり、きちんと生殖能力のある子が生まれる。またその場合、基本的に子は親のどちらかの形質のみを持って生まれてくる。奇形や、複数形態が混合した個体が生まれる事もあるが、それは稀だと言っていい。

 

 この世界の人間は、一人残らずいずれかの形態の特徴を持つ。

 だが彼女の『形態』は――――

 

「そこの君、ちょっといいかな」

 

「あ?」

 

 彼女が振り向いたその先にいたのは、天使であった。背中からは白い翼が生え、頭の上にはリングが浮いている。これで警察官の格好をしておらず、男でなければ完璧であった事だろう。

 

 『翼人』と呼ばれる形態である。天使とは言ったが、当然全く関係はない。この世界にも天使という概念は存在するが、翼人とは異なる姿をしている。

 

 なお頭の上のリングは頭髪の一部であり、よく見ると髪の一点が伸びて輪を形作っているのが分かるはずだ。見た目そのまま輪毛(りんもう)という名称がついている。これもまた生まれつきのものであり、進化の結果としてこうなったと言われている。

 

「君の形態は?」

 

「……またか」

 

 警察官が彼女の身体を、上から下まで()めつ(すが)めつ無遠慮に眺める。

 

 そう、これこそが彼女が抱えるもの。『どの形態にも属さない』という、特徴がない事が特徴であるその身体。

 

 翼もなければ角もない。当然尻尾もないし、耳は顔の横についていて尖ってもいない。脚の数だって二本だけで、蹄がくっついている訳でもないし、ヒレにもなっていない。

 

 『人間』が持つはずの特徴全てに当てはまらぬその姿は、この若い警察官にとってはさぞ異様に映った事であろう。その証拠に目線は鋭く、何をも見逃さぬという気迫を感じさせている。

 

「知ってると思うけど、例え自分の身体であっても、故意に損壊させる事は禁じられている。もしそうしたとしたのなら、特定の形態を否定したという事で形態差別罪が適用されるけど……証明書はあるのかい?」

 

 この世界においては、歴史的に形態間での強い差別があった。例えば人馬は、中世の欧州では奴隷だった。その反動として、現行法では差別が厳格に禁止されており、『形態差別罪』という罪状が存在するのである。

 

 それはそれは厳しいものであり、形態差別を行うと即時思想矯正所送りにされ、まず出て来る事は叶わない。実質死刑である。『平等は時に命よりも重い』は建前ではない。

 

 証明書とは、『故意に損壊させた訳ではない』と証明してくれる書類の事だ。翼人の輪毛は、散髪時に誤って切ってしまう事があり、そういう時にも発行されるため、特に珍しいものでもない。ただし必ず携帯していなければならないため、いちいち面倒くさいのが難である。

 

「で、どうなんだ――――」

 

「オイバカ、その子はいいんだよ!」

 

 年かさの警察官が横から割って入って来た。彼は大層慌てた風情で、質問から詰問に移行しようとしていた若い警察官を引っ張って行く。

 

「ワリィな、コイツにはきちんと言っとくから!」

 

「えっ、ちょっ」

 

「いえ、お気になさらず」

 

 それを見送る死んだ目の少女。その表情からは感情は窺い知れないが、こちらは全く慌てた様子がないところを見るに、特に珍しい事でもないのであろう。

 

「な、何するんスか先輩!」

 

「あの子のアレは生まれつきだ、形態差別にゃ当たんねーんだよ!」

 

「だったらそう言ってくれれば……」

 

「前に同じ事言った奴が、逆に形態差別罪でとっ捕まったからな」

 

 お前の性格だとうっかり同じ事をやらかしかねない、とは言わないだけの情けがその年かさの警察官にはあった。

 

「え?」

 

「まあそいつは証明書見ても偽造だと言い張って無理矢理捕まえようとしたアホだったから、当然っちゃあ当然だったんだが……」

 

 証明書の偽造や偽発行は、当然のように重罪である。その警察官が疑ったのも無理はないと言えば言えるが、『わざわざ角や翼等を削ぎ落とし、その上で証明書を偽造する』可能性が如何程かと考えれば、公僕として浅慮であったと言わざるを得ない。事故でそういった部位を欠損する者も皆無ではなく、その場合も証明書は発行されるのだから。

 

「それでも『あの子だけの形態を差別した』って事で捕まったんだ。突然変異だろうが何だろうが、生まれつきならそれは形態。なら平等なのは変わんねーからな」

 

「そ、そっスね」

 

「いいか、もう一度言うが、アレは生まれつきだ。偉い学者さんとやらのお墨付きもあるし、ここらの警官や憲兵は大抵知ってる。この事についてはもう触れるなよ?」

 

「ウ、ウス!」

 

「よし、いい返事だ。……まあ伝え損ねてた俺も悪いからな、今日は奢ってやる」

 

「マジっスか!? ゴチになります!」

 

「……仕事終わってからだぞ?」

 

 立ち去っていく警官達を彼女は、眼帯に覆われていない方の隻眼で見送る。その彼女に向けて、クラスメイトが口を開こうとしたその時、吠え声が響いた。

 

「ワン!」

 

「ひゃっ!」

 

 蹄を鳴らして飛びのき、思わず獄楽に抱き着く姫乃。獄楽の方は驚いてはいるものの、少し顔を赤くしてまんざらでもなさそうである。

 

 十数倍の体格差を撥ね退け、巨大な人馬を動かしめたその声の発生源は、何の変哲もない柴犬であった。薄い茶色の身体に、人懐っこそうな能天気な顔と、六本の脚。比喩でも何でもない。脇腹に脚が一対くっついており、計六本の脚が生えているのだ。

 

 どこが何の変哲もないんだと言うなかれ。この世界の動物は、六本脚こそがスタンダードなのである。これは古代魚類のヒレが突然変異で増え、それが全ての陸上生物の祖先たる両生類に引き継がれ、六本脚に進化したためだ、と言われている。

 

 尤も、現生生物で六本脚が残っているかは種族や形態による。例えば翼人の翼はその三対目の腕が変化したものだし、角人や牧神人では退化して消滅している。他の動物では、犬や馬等の持久走を得意とする種族では残り、猫や虎等の瞬発力を重視した種族では退化するという傾向がある。

 

「あらごめんなさいねぇ。コラリュウ、駄目じゃないの!」

 

「い、いえ、大丈夫です。ちょっと驚いちゃっただけですので」

 

「ワンワン!」

 

 ――――そしてこれこそが、彼女が抱える、二つ目の『普通ではない事』だ。

 

 彼女に前世の記憶があるのは前述の通りだが、その記憶の中には六本脚の動物など影も形もない。犬も牛も豚も四本脚。人間に形態など存在せず、差と言えば肌や髪の色に顔つきくらいだ。それはまるで、この世界における有名なフィクション、『四肢人類の世界』のように。

 

「おい、ちょっと急がねえと間に合わねえぞ」

 

「うわ、もうこんな時間か。早く行こう、遅れると面倒だよ」

 

「う、うん、そうだね。じゃあそういう事ですから」

 

「引き留めちゃったみたいでごめんなさいねえ」

 

「ワオン!」

 

 何を隠そう、朝からダウナーだったのもこの記憶が、『前世』の夢を見たのが原因だ。そこでは自身と同じ外見の『人間』が、こことは少しだけ違う社会の中で生きていた。

 

 『人間』。そう、『人間』だ。翼も角も尻尾もない、彼女が元から知っていた『人間』だ。

 

 だがそれはこの世界において、妄想や空想の域を出ることはない。彼女の記憶は歯抜けだし、辛うじて記憶にある地名も『現実』とは異なっていた。例えば今住んでいる場所は、前世では『茨城』と呼ばれていたが、ここでは全く異なる名称だ。即ち彼女は、彼女自身が納得するだけでいい程度の証拠を揃える事すら出来なかったのだ。

 

 こんな記憶さえなければ、と思った事がない、とは口が裂けても言えない。だがこの記憶と、記憶に伴い幼くして保有していた高い知性のおかげで命拾いした事があるのも事実。なければ良かった、と一概に言い切れるほど単純なものではないのだ。

 

 だからこそ、『前世』の夢を見た後は決まって虚しい気分になる。この世界では自身は異物なのだろうという思いと、こんな実存も不確かな、妄想かどうかすら分からない記憶に、無意識的に縋っている自分を自覚して。

 

 考えすぎという自覚はある。気にしすぎという自覚だってある。だが、そう簡単には割り切れないのだ。そぐわぬ記憶と高い知性を持ってはいても、彼女は未だ自らをも知らざる高校一年生で、結局のところ『人間』であるのだから。

 

「ほら、あやちゃんも! 急ご!」

 

「……ええ」

 

 君原に腕を引っ張られ、その勢いのまま走り始める。学校にはまだ距離があるが、程なく辿り着くであろう。

 

 彼女の名は皐月(さつき)菖蒲(あやめ)

 普通の高校に通う、普通ならざる事情を抱えた女子高生である。

 




 「セントールの悩み」の二次がハーメルンに一件もないのを見てむしゃむしゃしてやった。
 これを機に二次が増えてくれればいいと思っている。

 続きを書くべきか、書かざるべきか……。


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02話 文武両道っていうけれど、実際にはなかなか難しいよね

 爽やかに抜けるような青空。暑くも寒くもない、涼やかで過ごしやすい季節。

 

「ま、待って……」

 

 そしてぜえぜえと苦しそうに息をつく、今にも死にそうなクラスメイト。皐月(さつき)の瞳も三割増しで生気が失せるというものである。

 

「もっと……ゆっくり……」

 

「おっせえなあ。羌子は運動しなさすぎなんだよ」

 

「そうね、確かにちょっと体力がなさすぎるわ」

 

 本日の体育は持久走。それも学外を一回りしてくるという長距離である。グラウンドを延々走らされるよりはマシだろうという教師の気遣いなのだが、結局走るのは一緒なので、体力のない名楽(ならく)には全くもって意味がないものであったようだ。

 

「んな、事、言っ、ても、さあ」

 

 死にそうな顔と息遣いなのに、よく走りながら喋れるなあ、と皐月は思ったが口には出さなかった。この女にも一応気遣いというものは存在する。

 

「全員、同じ、距離、ってのが、ありえなく、ない?」

 

「でも私も毎日お母さんとランニングしてるよ。20キロくらい」

 

 帰宅部女子のはずの君原が、さらっと凄いことを言った。その言葉に、僅かに驚いたような風情の皐月が顔を向けた。

 

「ダイエットでもしてるの? 必要なさそうだけど」

 

「そうだな、んな太っては見えねえな」

 

「そう?」

 

 頬に手を当て嬉しそうな君原。やはり女子としてはそう言われるのは嬉しいのであろう。人馬なので体重そのものは相当あるのだが、それは言わぬが花である。

 

「でも見た目の問題だけじゃなくて、人馬は太るとすぐ身体が廻らなくなるから。お尻も拭けなくなっちゃう」

 

「つーか、ちゃんと拭けてたんだな」

 

「当たり前だよぅ!」

 

「いや、てっきりモップみたいな長い棒でも使ってるのかと」

 

「使ってないよ!?」

 

 実際のところ、どうなのであろうか。

 

 ケンタウロス(セントール)こと人馬は、その名の通り人と馬が融合したかのような形をしている。しかしこれは単なる収斂進化*1なので、馬と遺伝子的な繋がりがある訳ではない。そもそもこの世界の馬は、四本脚ではなく六本脚である。

 

 であるならば、おそらく他形態と同じ場所、便宜的に表現するなら人間部分の腰には骨盤は存在しない。存在するなら馬の前足(中肢と言う)部分の骨と干渉し、振り向く際の可動域が狭まってしまうからだ。それこそ尻も拭けないであろう。骨盤と呼べるものは臀部、馬と同じ場所に存在すると考えられる。

 

 しかしそうすると、人間の上半身に存在するはずの内臓を支えきれず、内臓下垂を起こしてしまう。筋肉は骨が保持するものだから、筋肉量も減少してしまい、人間の上半身部分を支えきれなくなってしまう可能性もある。

 

 なのでおそらく、人間の上半身部分には内臓は少なく、肺と心臓程度しかないのではないか、と考えられる。これなら横隔膜*2を強化すれば支えきれなくもない。また空いたスペースを利用して心臓と肺を巨大化させれば、人馬の巨体に必要な心肺機能も捻出できる。

 

 他の臓器は馬に似た下半身に移動させる。そうすると強度が足りず内臓を支えきれないので、肋骨を増やす必要があるだろう。第二肋骨の誕生だ。となるとますます馬に似てくるが、実質的には超胴長だ。

 

 ここまですれば人馬という生物が成立する可能性はある。だがやはり可能性に過ぎず、四肢人類の世界に生きる者では、実際に確認する事は出来ない。まさに永遠の謎である。

 

「まっ、って、ってば……」

 

「ありゃ」

 

 人馬の事情に興味を惹かれ、後ろをすっかり忘れていた獄楽(ごくらく)が振り向くと、名楽が今にも死にそうに追いすがって来ていた。だがこの獄楽、容赦しない。鋭い舌鋒で追い打ちをかけた。

 

「羌子も運動しねえとケツも拭けなくなっちまうぞ」

 

「なるかぁ! ……うぅ」

 

「おいおい」

 

 ぜいぜいと荒く息をつき、足を止めてしまったモヤシ名楽を君原がフォローする。

 

「でも羌子ちゃんは食べても太んないんだよね」

 

「まっ、まあね」

 

「いいなあ」

 

「痩せの大食い、みたいなもんなのかしら……」

 

 単に胃下垂で太れないか、エネルギーを熱量として体外に放出してしまいやすい体質か、その両方なのではないかと思われる。女子としては羨ましいかもしれないが、あまり健康的とは言い難いので、身体には人一倍気を付けねばならない体質だと言えよう。

 

「ふっ」

 

「なっ、なに、今の、笑いは、なんだ」

 

 だがその名楽を獄楽は嘲笑う。中々に悪女の素質があるようだ。

 

「だって羌子は、ただの寸胴だろ。羨ましがることねえよ」

 

「えっ、えっと」

 

 嗤う獄楽に焦る君原。皐月は目を逸らして無言を貫く。今何を言っても、燃え上がるだけであろうから。

 

「アンタ、しばくよ」

 

「じゃここまで追いついてみなー」

 

 名楽は青筋を浮き立たせ、逃げる獄楽を追いかける。その速度は存外速かったがしかし、バテるのもまた早かった。体力クソザコナメクジは伊達ではない。

 

「し、しぬ……もー、ダメ」

 

「大丈夫?」

 

「なんか、気持ち、わるい」

 

「ムチャすんなよ」

 

「誰、の、せい、だと」

 

「でも確かに希は身軽よねえ。やっぱり翼が生えてると違うのかしら」

 

「いや別に飛べる訳じゃねーし、関係ねーんじゃねーかな」

 

「あはは、人一人飛ばすには小さすぎるもんね」

 

 翼人と竜人には翼があるが、これで空を飛ぶことは出来ない。双方、体温調節のための進化ではないか、と考えられている。

 

 翼人の翼が鳥のようにモフモフなのは、寒さへの対応策。飛ぶには足りずとも、上半身くらいなら覆えるので寒さはしのげる。

 

 竜人の翼が蝙蝠そっくりなのは、熱さへの対応策。表面積を増やす事で、放熱しやすい形状にしているのでは、と言われている。要するにフェネックやゾウの耳と同じ理屈である。

 

 尤も確証はないので、数多ある学説の一つにしか過ぎないのだが。

 

「うえっぷ」

 

 そうこうしているうちに、名楽が膝に手をついて下を向き、本格的にグロッキーだ。そんな彼女に向けて、君原が心配そうに言った。

 

「どうする? 背負ってってあげようか?」

 

「いや、そりゃ、まずいよ。形態差別で、思想矯正所行きに、なるよ」

 

「大袈裟な」

 

「大袈裟じゃ、ないって。この国じゃ、人馬は武士だったけど。乗騎代わりの奴隷だった国もある、からね。だから、厳しいのよ。現代法は、そっちが、元だし」

 

 乗騎代わりの奴隷とはいったが、実態は家畜扱いだったようだ。何せ人馬は人間ではなく、人間の言葉も解さず喋らないし喋るはずもない、という事になっていたのだから。現行法はそれが下敷きになっているため、反動もあって非常に厳しい。

 

「ま、こんな、事、喋ってるのも、違法、なんだけど」

 

「違法ついでで、今まで疑問だったのだけれども」

 

 皐月が口を開く。周囲に人影や監視カメラがない事をしっかりと確認して。

 

「人馬って身体能力が高いのに、どうやって奴隷に出来たのかしら」

 

 人馬と他の形態には、同じ種と思えない程の身体能力の差がある。例えば君原は100mを10秒程度で走れるが、人馬の短距離選手と比べるとこれでも遅い。文字通り馬力も脚の数も違うのだ。銃のない時代なら、その差は重かったはずである。そんな人馬をどうやって奴隷に出来たのか、疑問に思うのも無理はないだろう。

 

「どうやってってそりゃあ……どうやってだ?」

 

「人馬一体なんて言葉があるけれど、人馬は物理的に一体よ。生まれついての騎兵で騎射も簡単、馬の首に邪魔されないから白兵戦も強い、これでどうやって奴隷にしたの?」

 

 騎射は特殊技能である。鐙が存在しなかった時代においては特に。両手を手綱から離さなければならないので、(あぶみ)がないと簡単に落馬するのだ。それを防ぐには、馬体を足で強く締め付けながら撃つしかない。そんな事が出来る者はほんの一握りであり、訓練にも時間がかかるものであった。

 

 (ひるがえ)って人馬では、弓を撃てばそれは即ち騎射に等しい。動きながら撃つのだって、ちょっと練習すれば簡単だ。命中精度はお察しだろうが、数を揃えての一斉射撃で解決する問題でもある。おまけに腕力も強いから、その分強い弓を使え、射程距離も長くなるのだ。

 

 白兵戦では差がより顕著に顕れる。騎兵の武器としては剣やサーベルが有名だが、これには弱点がある。自身が乗っている馬の首が邪魔になり、利き手の反対側に攻撃しづらくなるのだ。人馬ならば当然そんな事はあり得ない、何せ馬の首部分が自分自身だ。

 

 また、ランスを構えての突進なら前述の弱点は考えなくてもよくなるが、馬にも鎧を着せねばならない関係上、今度は機動力が失われる。そんな状態で、ただでさえ身体能力が高く、人馬一体(物理)で小回りまで利く人馬に勝てるのか、という事になるのである。

 

 歩兵で人馬に対抗? それは名案だ、実現不可能という点を除けば。体格も身体能力も機動力も段違いなので、白兵戦では踏み潰されておしまいである。

 

「言われてみりゃあ確かにな。昔の日本人馬がヨーロッパに行った時、三人で三万の軍を相手にして無傷で勝った、なんて話も残ってるしな」

 

「それはさすがに誇張が入ってるでしょうけど、まあそういう事ね」

 

 真偽はともかくとして、そういう話が残っている事そのものは事実である。なんでも南蛮の奴隷商人に攫われた妹を探して三千里、ヨーロッパ中を探し回り、その過程で暴れまくったものらしい。

 

 というか当時のヨーロッパでは人馬=奴隷だったので、武士の人馬を同じように扱おうとしてぶった斬られ、なし崩しに領主の軍と戦いになった、というのが真相だったようだ。

 

「うーん、やっぱり人馬は数が少ないからかなあ。いくら強くても、一斉にたくさん来られたら勝てないよ」

 

「三人で三万、つってもしっかり訓練した奴だもんな。空手もそうだけど、ガタイの良さとか才能だけじゃやっぱ限界があるぜ」

 

「絶対数の少なさと、訓練環境の不足か……確かにそんなところなのかしらね」

 

 皐月が納得したところで、今度は獄楽が彼女に顔を向けた。

 

「ところでよ菖蒲(あやめ)

 

「何?」

 

「違法ついでって事で聞くんだが、お前の形態って何なんだ?」

 

「……言ってなかったかしら?」

 

「聞いた覚えはねえな。まあ嫌なら別に言わなくてもいいけど」

 

 気付けば名楽と君原もまた、興味津々といった表情で彼女を見ている。長耳も翼も角も尻尾もないその姿に、興味がなかった訳ではなかったようだ。

 

 彼女らと皐月との付き合いは高校に入学してからなので、知らないのも当然である。尤も説明していなかったのは、たまに抜けている皐月のせいだが。

 

「いや別にそんな事はないから。……そうね、抑制遺伝子って知ってる?」

 

「抑制遺伝子?」

 

「って確か……」

 

「形態を決定する遺伝子、だね。人間は複数の、形態遺伝子を持ってるんだけど、それでも発現する形態は普通一つだけ。それは一つ以外の、形態遺伝子を、発現しないように抑制する遺伝子が、あるから」

 

「おー、さっすが羌子。なるほどな、だから抑制遺伝子なのか」

 

 この遺伝子が上手く働かないと、複数形態の特徴を合わせ持って生まれてくる事になる。事実として彼女らのクラスには、牧神人と竜人の混合形態を持つ者が存在する。

 

 数としては少なく稀である事には間違いないが、特に不具合がある訳ではなく、外見以外では通常形態と変わる事はない。

 

「で、その抑制遺伝子がどうしたんだ?」

 

「私の場合は、それが強く働き過ぎて、結果としてどの形態の特徴も出なかった――という事らしいわ」

 

「そんな事があるんだ……」

 

「まあ実例がここにいる訳だし、あるとしか言いようがないわねえ」

 

「へーえ……」

 

「親の形態はどうなんだ? 翼人とか?」

 

「さあ? 私捨て子だし分かんないわよ」

 

 至極どうでも良さそうに言った言葉であったが、その他三人にとってはそうではなかったようで、時が止まったかのようにピシリと固まった。

 

「まあこっちだってそんなクズが親なのは願い下げだから別にいいんだけど。名前だって捨てられたのが五月(さつき)でアヤメが満開だったからって理由だから、別に受け継いだものでもないし……安直なのは頂けないけど、変な名前よりはマシだし……」

 

「わーちょっとストップストップ!! 悪かった、悪かったから!!」

 

 両手を前に出し、オーバーリアクションで止めにかかる獄楽。高校一年生には少々刺激が強い内容だったようである。

 

「いきなりどうしたのよ、びっくりするじゃない」

 

「そりゃこっちの台詞だっつーの!」

 

「いきなりそんなヘビーな事情を明かされた、こっちの身にもなってよ……」

 

「ヘビー……かしら?」

 

「あ、あははは……」

 

 皐月は小首をかしげるが、よく分かっていなさそうだ。前世の記憶なんてものを持っている割には、微妙に常識がズレた女である。

 

「まあそんな事はどうでもいいでしょ。そろそろ行かないと時間過ぎちゃうわよ」

 

「そ、そうだね。行こっか皆!」

 

「お、おう、行くか! 羌子は動けそうか?」

 

「うー、まだちょっと気持ち悪い……先行ってていーよ」

 

「つっても別に一番狙ってる訳じゃねえし。てか今からじゃ無理だし」

 

「タマちゃんなら頑張ってそうだよね」

 

「委員長は一番大好きだからな」

 

 タマちゃんとはこのクラスの委員長で、御魂(みたま)真奈美(まなみ)という翼人の事だ。何事にもトップを狙えな性格で、えらい美人で完璧超人な委員長である。これで眼鏡をかけていれば完全無欠のザ・委員長であったところだ。

 

「まあ委員長はともかく、だ。このままだと昼休みがなくなっちまうぜ」

 

「だから、私はいいから先に……」

 

「しょうがないわねえ」

 

 言うが早いか、皐月が名楽をひょいっと持ち上げ、腕の中で固定した。右腕は脇の下を、左腕は膝の裏を通すように。そう、お姫様抱っこである。

 

「へ? いや、ちょっ」

 

「動かないでね、落としちゃうから」

 

「うわぁ、大胆……」

 

 自分がどうなっているかようやく把握した名楽が、往生際も悪くジタバタし始める。

 

「い、いや、いいから! 恥ずかしいから!」

 

「遠慮すんなよキョーコ、そのまま連れてってもらえ。菖蒲は力なら俺より強いぞ」

 

「おんぶだと吐かれた時えらい事になっちゃうしねえ。ま、羌子は軽いから何とかなるでしょ」

 

「あやちゃん力あるんだね」

 

「これでも鍛えてるから」

 

「ちょっと、ホントに……!」

 

「ああもう、動かないでってば」

 

 悪戦苦闘する皐月に、何かを思いついたらしい獄楽が、悪い顔で耳打ちする。一瞬訝しげな顔になるものの、暴れる名楽を落としかねないと思ったか、今度は皐月が名楽に耳打ちした。

 

「うぇぅ!? ぅ、ぁ、ぅぅ……」

 

「おお、効いてる効いてる」

 

 効果は覿面。耳まで真っ赤になった名楽は、両手で顔を覆い、借りて来た猫の如く静かになったのであった。

 

「うわぁ、凄い…………あやちゃん、何言ったの?」

 

「それは――――」

 

「オイオイ、バラしたらつまんねーだろ。秘密だ秘密!」

 

「うぅ……もうお嫁に行けない……」

 

「ホントに何言ったの!?」

 

「いや希が言うなって言ってる以上、私の口から言う訳にはいかないわよ。それに結果的には静かになったんだから別にいいじゃない」

 

「良くないよッ!?」

 

「おーい、置いてくぞー」

 

 何だかよく分からないカオス集団と化した一行は、時間に間に合わせるべく学校を目指すのであった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 そして次の日。『中間考査成績表』と書かれた大きな紙の前に、学年のほぼ全てが集まり、その中に四人の姿も混じっていた。

 

「姫、どうだった?」

 

「840/900点で13位、だって」

 

 紙には一学年全ての点数と順位が表示されている。最近は学校によって色々差があるらしいが、この高校は全て公表する方針のようだ。

 

「おー、さっすが姫。菖蒲は?」

 

「860/900点で7位」

 

「やるね」

 

「まあまだ高一だし、これでも奨学生だしねえ」

 

 理数系はどの世界でも答えは同じな事もあって満点なのだが、問題となるのは歴史や地理、現代社会系統の教科だ。歴史は『前世』と人名が微妙に違う事があるし、地理も国名が大分変わっている。

 

 そして現代社会に至っては、完全に前世の知識が足を引っ張っている。『形態』の影響で、社会の仕組みがかなり異なるのだ。それでも高得点を取っている辺り、記憶力そのものは良いようである。

 

「そういうキョーコはどうなんだよ」

 

「私? 816/900点で18位だってさ」

 

 前世やらの上げ底なしでこれである。年齢も勘定に入れると、実は地頭は皐月よりいいのかもしれない。君原には負けてはいるが、おっとりぽややんの彼女とは違い、名楽には向上心がある。逆転するのも遠い未来ではないだろう。

 

「希は?」

 

「えーと――――ん?」

 

「どーした」

 

 動きが止まった獄楽の視線の先をたどると、そこには果たして彼女の名前があった。だが他の者と異なるのは、点数はあっても順位がないところである。これが示す意味はつまり。

 

「『以下の者は補習の上再試験とする』、ねえ……」

 

「299点……こりゃあひどい」

 

 教科平均30点以下だ。名楽の言も致し方なしと言えよう。その表記を見つけた獄楽は、物も言わず涙目を浮かべて君原に抱き着いた。

 

「まあまあ希ちゃん、一緒に勉強しよ?」

 

「姫もあんま甘やかすなよ。普段から勉強してないせいなんだから」

 

「羌子が厳しい……昨日の根に持ってんのか……?」

 

「なぁっ」

 

 一瞬にして名楽が茹蛸になった。あの時、一体何を言われたのであろうか。

 

「かっかかか、関係、なっななっないかっから」

 

「落ち着いてよ羌子、出来損ないのラップみたいになってるわよ」

 

「本当に何言ったの……?」

 

「いや(すじ)として私の口から言う訳にはいかないから」

 

 皐月が謎の律義さを発揮して口を閉ざす。その鍵となるべき獄楽は、君原の胸に顔をうずめる作業にかかりきりだ。

 

 君原の顔にどうしようと書いてあるが、当然どうしようもなく、再度舞い戻って来たカオスのままに昼休みは過ぎていったのであった。

 

*1
似たような生態をしている全く別の生物が、似たような姿に進化する事。オオカミとフクロオオカミ、魚竜とイルカ等が有名。

*2
膜と名が付いているが、実際は筋肉。




 何か思ってた以上に評判良かったので続きを投稿。
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 この調子でセントール二次よ流行れー流行れー。


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03話 子供のあのパワーはどこからくるんだろう

「暑い……」

 

 日曜日は初夏の昼下がり。季節外れに気温が上がり、気怠さと不快指数が鰻登りの陽光の下、皐月は街を歩いていた。

 

「暑い……」

 

 髪の毛が黒いので余計に暑い。ポニーテールに纏めているが、結構長いのもマイナスポイントである。かと言って切ると、何故か判で押したように『振られたの?』と聞かれるので、それが鬱陶しい皐月は短くしようとは思わなかった。

 

「暑い……」

 

 全身から汗が噴き出しているが、最も酷いのは眼帯の裏だ。黒いせいで熱を吸収して熱いし、通気性もお世辞にも良いとは言えないため、蒸れるを通り越して濡れている。かといって外す訳にも行かない。仮にも女子だ、傷痕を晒して街を歩く気にはなれなかった。

 

「暑い……」

 

 さっきから念仏じみて同じ事しか言っていないが、それも無理はない。一ヶ月は早い夏日は30℃を超え、しかも前日に雨が降ったため湿度まで高い。そんな日に外を歩けば、そりゃあ暑いとしか言えなくなるだろう。

 

「暑……ん?」

 

 都合13回目の繰り返しになるかと思われたその言葉は、彼女の一つきりの瞳が見知った人影を捉えた事で中断された。

 

「あれは……」

 

 公園のベンチに座る人馬と翼人。そしてその間には、小さな長耳人が三人に、同じく小さな人馬が一人。小さい方は知らないが、大きい方が誰なのかはよく知っている。皐月は彼女らに近づき言葉をかけた。

 

「委員長に姫? こんなところで奇遇ね」

 

 片方は君原姫乃、もう片方は委員長こと御魂(みたま)真奈美(まなみ)だ。白に近い薄い灰色の長髪に、アクアマリンのような青色の瞳を持った翼人である。目鼻立ちはモデルのように整っており、強い意志を感じさせる僅かなツリ目がそれを引き締めていた。

 

「あやちゃん?」

 

「あら、皐月さんじゃない。今日は奇遇が続くわね」

 

 その言葉に一瞬何の事かと思ったが、どうやら二人は示し合わせて会っていた訳ではないようだと思い至る。まあ会うんなら子連れはない。彼女らの出会いもまた偶然だったのだろう。

 

「この子たちは? 妹さん?」

 

「私はそうだけど、君原さんの方はいとこだそうよ」

 

「「「こんにちはー!」」」

 

「はいこんにちは」

 

 頭の上に獣のような耳をつけ、長い尻尾が装備されている三人の女の子たちが、声を揃えて挨拶してくる。同じ顔に同じ髪色、同じ服。どこからどう見ても三つ子であった。

 

「そっちは……人見知り?」

 

 右に振られた皐月の頭が、小さな人馬に向けられる。しかしその小さな彼女は、君原の腕に捕まり、少々怖そうに皐月を見上げていた。

 

「ふみゅぅ……」

 

「ごめんねあやちゃん。ほらしのちゃん、怖くないよー。お姉ちゃんのお友達だよー」

 

「怖い……」

 

「私そんなに怖いかしら」

 

「目が怖いの……」

 

 その言葉を最後に、しのちゃんと呼ばれた子は君原に強く抱き着いて固まった。君原が宥めてもすかしても全く動く気配がない。御魂が思わずといった風情で、皐月を見上げて声を漏らした。

 

「ああ……」

 

「何でそこで納得するのよ」

 

「その……ごめんなさい」

 

「何でそこで謝るのよ」

 

 あからさまに視線を逸らす御魂。まあ面と向かって『その死んだ目が怖いんでしょ』とはさすがに言えまい。

 

「その顔のくろいの何?」

 

「がんたい? かいぞく?」

 

「かいぞくのおねーちゃんだ!」

 

 今度は三つ子が騒ぎ始めた。皐月の右目を覆う眼帯で海賊を連想したらしい。白い医療用眼帯は使い捨てで不経済、耳が擦れて結構痛い、濡れると地味に困る、等といった理由から使っていない。代わりに本革性の黒い眼帯を着けているので、確かに海賊のそれと似ていると言えば似ている。

 

 ちなみに海賊は皐月とは異なり、別に隻眼だから眼帯を付けていた訳ではない。船内は暗いので、その暗さにすぐ対応できるよう、眼帯で目を慣らしていただけである。

 

「海賊じゃあないわねえ」

 

「違うの?」

 

「じゃあなんでがんたいつけてるの?」

 

「にせものかいぞく?」

 

「海賊から離れて頂戴。こっちの目のところには傷があってね、それを隠してるのよ。たまに義眼が勝手にずれて白眼になっちゃうこともあるし」

 

「ぎがん?」

 

「えーとね、偽物の眼の事よ。本物の眼はなくしちゃったから、代わりに作り物の眼を入れてるの」

 

「なくしちゃったの?」

 

「なんでなくしちゃったの?」

 

「ケガしたの? それともびょうき?」

 

「怪我と言えば怪我だけど、ちょっと違うわねえ。昔……あなた達より少し上くらいの歳だったかしら、まあとにかくその頃にナイフで抉られたの」

 

 さらっと告げられた言葉に、横で話を聞いていた高校生二人が凍結した。だがそれに気付く様子もなく、子供三人と皐月の会話は続く。

 

「ナイフ?」

 

「痛そう……」

 

「そうねー、痛かったわよー。まあその痛みで思いっきり暴れたらロープが緩んで自由になれたから、眼の代わりに命が助かったと思うしかないわねえ」

 

「なんでそんなことになっちゃったのー?」

 

「それは犯人に聞くしかないわねえ。ただ『お前の存在は形態間平等を侵害している!』とか言ってる頭がおかしいのだったし、何より油断してるところをやっちゃったから、もう聞くのは無理かなあ」

 

「そっかー、むりかー」

 

「がんたいのおねえちゃん、さいなんだったのね」

 

「私しってる、そーゆー人のことテロリストっていうのよ」

 

「あらよく知ってるわね。テロリストに人権はないから、見つけたら逃げるか殺すかしちゃいなさい。あ、でも、もちろんその前に大人の人を頼るのよ?」

 

「「「はーい!」」」

 

 三人揃った声にようやく二人が解凍される。君原はオロオロしていたが、御魂の方は反射的に皐月の頭に手刀を叩き込んだ。

 

「痛いじゃない、何すんのよ委員長」

 

「子供になんて事教えてんの!」

 

「えー、事実じゃない」

 

 マジで事実である。テロリストに人権はない。正確には、形態間差別を名分にするテロリストに人権はない。六法全書にもそう書いてある。

 

「こういう事は早めに教えとかないと、私みたいに隻眼になっちゃうわよー?」

 

「だとしても言い方ってもんがあるの!」

 

「いいじゃないのそのくらい。大体、かちかち山とかの童話の方がよっぽどエグいでしょうに」

 

 狸は媼を殺してその皮を被って成り代わり、狸肉と偽って翁に食べさせる。兎は狸を騙して背中を燃やし、薬と偽り火傷に辛子を塗りこみ、泥船に乗せて溺れさせ、最後は櫂で叩き殺してめでたしめでたし。これが子供向けの童話として流通している事に戦慄を禁じ得ない。

 

 いやまあある意味においては、桃太郎よりはマシなのかもしれないが。桃太郎は元々、『桃を食べて若返ったお爺さんとお婆さんが共同作業()を行い、その末に生まれた子』なのだ。

 

 なので別に桃から生まれた訳ではない。『共同作業()ってなーにー?』と子供に聞かれたら、気まずいなんてものではないだろう。

 

「そういう問題じゃないの! それはそれ、これはこれ!!」

 

「ま、まあまあたまちゃん、そのくらいで……」

 

 困った顔の君原が、ヒートアップする委員長を止めに入る。その時彼女らの横から、聞き覚えのある声がかけられた。

 

「おやおや、これはまた珍しい取り合わせだね」

 

「やっ」

 

 クラスメイトの朱池(あけち)美津代(みつよ)犬養(いぬかい)未散(みちる)だ。

 

 朱池は、黒目黒髪の角人少女だ。ただその髪と瞳の色は、皐月よりは少し薄い。オカルト科学部という、何をするんだかよく分からない部活に所属しており、オタクである。それも結構気合が入っているオタクで、たまに徹夜で同人誌を描いて即売会に出したりしている、行動派オタクだ。

 

 犬養もまた角人だが、珍しい事に一本しか角がなく、真っ直ぐなのが額に生えているのみだ。薄いオリーブ色の髪に、濃い青にも緑にも見える色の瞳が特徴的である。優しげな風貌であり、深窓の令嬢という言葉が似合う少女だ。実は家柄で言うなら朱池の方がよほど深窓の令嬢なのだが、全くもってそうは見えない。

 

 そして双方同性愛者であり、恋人同士でもある。犬養の方は付き合う対象は男でも構わないようなのだが、朱池は割とガチだ。男嫌いという訳ではないが、ファッションレズでもない。ガチめのレズビアンである。

 

「そっちの子たちは二人の妹さんかな?」

 

「三つ子が委員長の妹で、人馬は姫のいとこだって」

 

「へぇ~」

 

 朱池がこんにちはと挨拶しながら、まじまじと三つ子を見つめる。三つ子は不思議そうな顔で見返すのみだ。物怖じしない子たちである。

 

違身形(たがみがた)の姉妹だね」

 

「父と母で形態が違うから」

 

 御魂姉は翼人だが、妹三人は長耳人だ。抑制遺伝子が働くため、こういう兄弟姉妹は珍しくなく、違身形と称するのである。

 

「おねーちゃんたちはねーちゃんのトモダチ?」

 

「そーだよ」

 

「ちゅー……」

 

「ちゅー?」

 

「そーだちゅー!」

 

「ちゅーだよちゅー! すきすきちゅー!」

 

「おねーちゃんたちもう大きいから、すきすきでもちゅーしないの?」

 

「ええと、なんでちゅー?」

 

 子供特有の唐突な話題転換である。単に皐月が来る前にキスの話をしていて、今それを思い出したというだけなのだが、朱池を戸惑わせるには十分だったようだ。

 

「ねーちゃん私たちとおとーたんにはちゅーするのに、大きくなったら女の子どうしではちゅーしないっていうのよ」

 

「ちゅーはすきなひとどうしでするのに、トモダチどうしですきすきでもちゅーしないって。ホントなの?」

 

「ははぁ、なるほどなるほど。そんな事ないよ、ホラ」

 

 言うが早いか、朱池は流れるように犬養の腰を抱くと、そのままその唇を奪った。額の一本角を手でよけて邪魔にならないようにしている辺り、熟練の技を感じさせる。

 

「ほらね」

 

「すごーい、テレビみたーい!」

 

「なっ……」

 

 スパァンと軽快な音が響いた。御魂が朱池の頭を、咄嗟に手に取ったネギでぶっ叩いたのだ。

 

「ぐげっ」

 

「子供の前で何やってんのよ! ネギが折れちゃったじゃないッ!」

 

「朱池はネギなのに私は手刀……差別だ差別だー」

 

「アナタはネギ如きじゃあ効かないでしょうが!!」

 

「カッタいなあ委員長。照和(しょうわ)のPTAオバサンじゃないんだから」

 

「誰がオバサンよ!!」

 

「ちょ、ちょっとたまちゃん、人が見てるよ」

 

 止める君原の目線の先には、興味津々に見つめる子供と、それを引っ張って遠くに行こうとしている母親が。しかしその程度では朱池はへこたれない。無駄にメンタルが強い。

 

「別にキスなんて恥ずかしいことじゃないでしょ。ロシア辺りじゃフツーの挨拶」

 

「ここは日本でロシアじゃないの。はぁ……なんで私のクラスメイトはこう、教育に悪いのが揃ってるのかしら」

 

 委員長は朱池と皐月を交互に見て、これ見よがしに大きなため息をついた。

 

「ん? 皐月もなんかやったの?」

 

「そこで『も』を使わないで欲しいのだけれど。まあ大した事じゃあないわ、右眼を無くした経緯をちょっと教えてあげただけよ」

 

「右眼? そーいやいっつも眼帯してるけど、なんで?」

 

「テロリストにナイフで抉られて、その傷がまだ残ってるのよ」

 

「Oh……その歳でハードな人生送ってんねサツキン」

 

「だからテロリストからは逃げるか殺すかしましょう、って言ったら叩かれたわ」

 

「ざ、残念でもないし当然かなって……」

 

「大人しい顔して言うじゃないの犬養さん」

 

 じろりとハイライトの無い瞳を犬養に向けるが、苦笑いを浮かべながら目線を外された。ぶっちゃけ教育への悪さは五十歩百歩である。どっちが五十歩かは言わぬが吉であろう。

 

「ねーちゃんねーちゃん、あの人たちちゅーしてたよ!」

 

「やっぱり女の子どうしでも、すきすきならちゅーするんだ!」

 

「忘れなさい」

 

 すっぱり言い切る御魂の横で、君原がいとこにどう説明すべきか困っていたが、そんな空気を読むことなく朱池が子供たちに向かって言った。

 

「ねっ、大きくなっても好きな人にちゅーするのはいいことよ」

 

「ホント?」

 

「ホントホント」

 

「ねーちゃんはまちがい?」

 

「そうだね。君達はお父さんやお母さんにもちゅーするでしょ」

 

「ちょっと」

 

 その言葉に反応した御魂が朱池に詰め寄り、その耳がぺたりと垂れて謝罪の言葉が出る。ちなみに皐月は事情を知らなかったが、先程の三つ子の話で父は出たのに母は出なかった事から、概ねの事情は察している。

 

 しかしそれでもめげない無駄に不屈な朱池は、咳払いを一つしてから話を戻した。

 

「ゴホン……ただし、おくちチューはすきすきだけではだめなの。してもいいのは、特別なたった一人の人だけなの」

 

「?」

 

「それは、オトナになったらわかるコト?」

 

「まあそうだね」

 

「Hなコトなの!?」

 

「まー、そうかもね」

 

 意外と攻めて来る三つ子に、さしもの朱池も若干たじろぐ。何かを言いたげに朱池を見る御魂に顔を向けた。

 

「何? うまく説明したじゃん」

 

「うまく……と言っていいのかしら、アレ」

 

「ま、まあいいんじゃないかな」

 

「ま、ほっぺにチューは好きな人みんなにしてあげな。ほら、こんな感じで」

 

 朱池が御魂の頬にするりと口付ける。御魂は真っ赤になって、弾かれた栗のように飛びのいた。

 

「ちょっと!!」

 

「うへへ」

 

 じゅるりと涎を拭い、今度は君原に狙いを定める。君原はビクリと背筋を戦慄かせるが、構わず朱池は距離を詰めた。

 

「えー、私達って友達だっけ~」

 

「やだなあ、親友じゃない」

 

 宝くじに当たったら増えた親戚の如き面の皮の厚さに困り顔の君原に詰め寄るが、その朱池の口を下から伸びた小さな手が防いだ。

 

「だめー! ひめねーたんはしのだけがすきすきなの!」

 

「じゃあしのちゃんにちゅーしちゃお」

 

 一体何がじゃあなのか。全く懲りない朱池は今度は紫乃(しの)をロックオンするが、その後頭部を再度衝撃が襲った。委員長のネギアタックだ。

 

「いい加減になさい」

 

「もう時間だよ」

 

「じゃあこれで最後!」

 

 我が辞書に懲りると学習という文字はぬぇ、とでも言い出しそうな朱池は、犬養に時間を告げられても全く怯まず、最後にダッシュで皐月に向かう。だがその頭を、がしりと皐月が引っ掴んだ。

 

「なーにが最後よ。というか私はレズじゃないから」

 

「あっちょっと力いれないで、今ゴリって言った頭蓋骨から変な音した」

 

 めきめきめきと、朱池の頭を掴む皐月の右手に力が込められていく。朱池がその手を掴んで抵抗しようとしているが、全くもってこゆるぎもしない。

 

「うわぁ凄い、足が浮いてる……」

 

「さすがあの子に自分より力がある、と言わせるだけはあるわね……」

 

「いやホントにヤバイヤバイこめかみがヤバイ、何か変な光が見えてる見えてる」

 

「ちょうどいいわ、その光で浄化されてしまいなさい」

 

「浄化なんてされたら私死んじゃうから、煩悩と欲望を取ったら私消えちゃうから!」

 

「余裕ありそうね、もうちょっと行っとく?」

 

 驚くべき事に、体格差があるとはいえ、人一人を腕一本で吊り上げてなお余裕があるようだ。朱池は小柄で細身なので、どう重く見積もっても50㎏はあるまいが、それでもゴリラ・ゴリラゴリラのメスゴリラの所業である。だがそこで、セコンド犬養からタオルが投げられた。

 

「皐月さん、その辺りで勘弁してあげてくれないかな……」

 

「しょうがないわね……というかあなたも恋人なら、きちんと手綱は握っておいてよ」

 

「えっとごめん、それはちょっと無理かなぁ」

 

「うぅ、頭が、頭がー……」

 

 ようやく解放された朱池だが、頭を抱えて悶えている。自業自得なので同情する者はいない。それは腕を引っ張る恋人も同様だったようだ。

 

「ほら行こ、遅れちゃうよ」

 

「くそー、私のキスコレが……」

 

 爛れた欲望を最先端ファッションショーのように言わないで頂きたい。訴えられたら負けそうである。

 

「まあいいや、また機会はあるだろうし! んじゃ、私達は退散するわ」

 

「バイバイ、Hなおねーちゃん」

 

「まったねー、私の子猫ちゃんたちー」

 

 朱池は最後まで無駄に不撓不屈な精神と、ドドメ色に輝く欲望を見せつけ、投げキッスを残し犬養に引かれて去っていった。

 

「ったくもう……ネギがボロボロ……」

 

「ネギに何か恨みでもあるの?」

 

「アナタと朱池さんに恨みが出来そうよ……」

 

 はあぁぁぁ、と地の底まで響くかの如き溜息をつく御魂。いつの間にやらきゃいきゃいと遊び始めたちびっ子たちを横目に、皐月が二人に告げた。

 

「じゃ、私もそろそろ行くから」

 

「あらそう、じゃあまた明日ね」

 

「あ、またねあやちゃん」

 

「ええ、またね」

 

 皐月が立ち去った後、ちびっ子たちが有り余る元気に任せてひと騒動起こしてくれるのだが、それはまた別の話なのであった。

 




 ほのぼのの中に垣間見える闇深。
 これぞ「セントールの悩み」よ……。

 「照和」は誤字ではありません。この巻だと「昭和」だったんですが、もっと新しい巻だと「照和」になってたので、そちらに合わせました。


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04話 人魚は魚類じゃなくて哺乳類です

 潮の香りのする深い緑のトンネルを抜けると、そこは水没都市だった。所々が緑に侵食されている、水に浸かった校舎。水の中には魚が泳ぎ、うだるような暑さを少しでも忘れさせてくれる。

 

 水没都市、と言っても地盤沈下で沈んだのではない。最初からそうデザインされて造られた建造物なのである。

 

 ここは政府に厳重に保護された、人魚の居住区域。本日、新彼方高校の一年生は、形態平等政策の一環として、人魚形態との合同授業を行うべく訪れたのだ。

 

山人(やまのひと)の皆さん、第十四水人高校にようこそ」

 

 彼らを出迎えたのは、この学校の教師と学級委員長だ。教師はスーツ姿だが、委員長の方は水着で、その身体的特徴が殊更露になっている。

 

 人魚といっても、上半身は他形態とさほど変わらない。耳は翼人と同じだし、指に水かきがある訳でもない。あえて差異を挙げるなら、腰の横に申し訳程度の小さなヒレが生えているくらいか。あの大きさではほぼ役には立たないだろう、将来的には退化しているかもしれない。

 

 逆に下半身は、膝の辺りから両脚が融合して一体化し、ヒレになっている。その長さはかなりのものであり、他形態に当てはめた脚の長さからすると、概ね倍ほどもあるだろう。

 

「初めまして、委員長の御魂です」

 

「合同授業をさせてもらう、一組のクラス委員の美浦です」

 

 挨拶を交わし合う学級委員長の横で、双方の教師同士がどうもどうもと頭を下げあっている。日本人の習性はこんなところでも変わるところがないようだ。人魚の方はスーツだが、二足歩行の方は生徒共々水着なので、どことなくシュールである。

 

「すげー、人魚だぜ」

 

「ジロジロ見んなよ」

 

 小守(こもり)(まこと)がアホ面晒して人魚を見つめ、獄楽に窘められている。高一とは思えぬ長身と、筋骨隆々な体躯を併せ持つ、アメフト部所属の竜人の少年である。見た目に違わず怪力であり、その力は人馬にも決して引けを取らない。

 

 反面成績は非常に残念であり、この間の中間試験では900点満点中198点で、文句なしの補習と追試であった。そのせいで試合に出場出来なかったため、先輩にぶん殴られたほどだ。

 

 一言で表すなら、『アホだが悪い奴ではない』という、どの学校のどのクラスにも一人はいるタイプである。

 

「山人ってホント変な形してるわよね」

 

「胸ちっちゃい子、あれほんとに女の子かしら」

 

「では早速教室に移動してください」

 

 人魚の委員長が先導し、廊下にも入れてある膝丈の水を掻き分け、教室へと移動する。水がないと移動もできないための措置だが、陸人の感性だとそれでも浅すぎるような気がする。だが人魚は、泳ぐというよりは縦泳ぎの蛇のように身体をくねらせ、上手く移動している。これでも普段よりは水位低めなのだそうだが、器用なものである。

 

 キョロキョロとそんな人魚を見回していた小守が、半ば感心したかのように口を開いた。

 

「つーか皆美人だよな、オッパイでけえし」

 

「どこ見てんだアホ」

 

「でも確かにそうね、目もぱっちりしてる美形ばかりだわ」

 

 人魚の女子は皆美少女と言って差し支えない造形だし、男子も線は細いがイケメンばかりだ。アイドル事務所やジャニーズにスカウトされそうな顔、と言えば少しは分かりやすいだろうか。数は少ないが陸地で暮らす人魚は、実際にそういったところで働いている事もある。ダンスは無理だが、歌が非常に上手いので、需要は存在するのだ。

 

 そんなのが皆水着な訳だから、健全な男子高校生としては鼻の下も伸びるというものだろう。しかも全員紐パンである。脚の形状的に他のは履けないので仕方ないのだが。ウェットスーツなら着る事も出来ようが、この暑さでは熱中症不可避である。

 

「おっ、分かるか皐月。つか何か意外だな、お前でもそういう事に興味あるんだな」

 

「そこはかとなくいかがわしい言い方は止めて頂戴。というか小守君、私を何だと思ってたの」

 

 残っている左目だけが動き小守を捉える。その死んだ目に見つめられた彼は、少々うろたえた様子で、口早に言い訳ともつかない言葉を吐き出した。

 

「い、いや、なんつーかよぉ、皐月はそういう事に興味なさそうっつーか、超然? みたいな感じだったからよぉ」

 

「まあ恋愛に興味ないのは事実だけど」

 

 正確には、『人間』ではない相手にそんな気になれないだけである。それでも角や尻尾程度ならまだ無視も出来なくはないが、人馬ともなると完全に駄目だ。

 

 この世界の馬は六本脚だが、彼女にしてみれば四本脚こそが馬。つまり彼女からすると、人馬は下半身が完全無欠に馬なのだ。『船の中にヤギを繋いで航海した』という大航海(後悔)時代の如き趣味は皐月には無い。

 

「別に性欲がない訳じゃないし」

 

 喋りながら小守に近づき、見上げる位置にあるその顎に、右手の人差し指の腹を当ててつつとなぞり上げる。

 

「そういう気分になる時だって、あるのよ?」

 

「おっ、おう」

 

 口角を上げて笑みを作り、目を細めて流し目を送る。右目が眼帯に覆われ、残る左目が死んでいてもそれでも彼女は美人である。効果は抜群だ。

 

 小守は顔を赤くしてドギマギし、ものも言えぬ程の挙動不審に陥っている。筋骨隆々の偉丈夫がそうなってる姿は、ぶっちゃけ割とアレであった。

 

「ククッ、ウブねえ」

 

「おい菖蒲、あんまからかってやんなよ。コイツ単純なんだからよ」

 

「どっ、どういう意味だオメェ!」

 

「そういう意味だよ、サルみてーな真っ赤な顔で何言ってんだ」

 

「誰がサルだ!」

 

「少しは落ち着きなさいよ、本当に猿みたいよ?」

 

「お前が言うな!」

 

「オメーが言うな」

 

 期せず息を合わせたツッコミに、隣を泳いでいた人魚がプッと噴き出した。

 

「あはは、山人っていつも漫才してるんだね」

 

「いや違うから」

 

「そうそう、いつも漫才してるのはこの二人くらいのものよ」

 

「さらっとデマを飛ばすのは止めろよオイ」

 

「299点……198点……」

 

 ぼそりと呟かれた点数に、二人の顔が引きつる。まあ確かに漫才のような点数である。仮に試験勉強をせずとも、この点数を取るのは逆に難しいであろう。

 

「性格ワリーぞ菖蒲……」

 

「だったら少しは勉強しなさいよ、別に頭が悪い訳でもないんだし……体育だけ出来ても仕方ないでしょうが」

 

「そ、そうだ、体育と言えばよ!」

 

 小守がわざとらしい大声を上げた。誰の目にも明らかな、あからさまな話題そらしであった。

 

「人魚の泳ぎってスゲエんだよな? どんな感じなんだ?」

 

「え? そうだね、そりゃあ山人とは比べ物になんないよ」

 

 人魚は泳ぐために地を踏みしめる両脚という対価を払い、ヒレを手に入れたのだ。泳ぎという点で他形態と比較にならないのも当然である。

 

「後で自由時間があるから、その時に水人(みずのひと)の本当の泳ぎを見せたげる」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 人魚。この世界においては、魚類ではなく哺乳類、それもホモサピエンスの一形態である。従って鱗やエラもなく、肺呼吸を行う恒温動物だ。

 

 とは言え、体内まで他形態と全く同じかと言えばそうではなく、その身体には寒さに対応するための仕組みが備わっている。動脈の周りを螺旋状の静脈が取り巻いており、熱が体外に逃げづらいようになっているのだ。いわゆる『奇網(きもう)』と呼ばれるもので、潜水に適した構造でもある。

 

 そんな人魚だが、同じ哺乳類のクジラ類には泳ぎでは勝てず、かと言って完全に陸上に上がってしまえば満足に動けもしない。だが陸棲人類よりは泳ぎが巧みで、手や指も存在するため同じことが出来る。ゆえに彼らは、古来より沿岸というニッチに棲息して来た。

 

 そしてその立ち位置を活かし、古い時代において人魚は、交易を一手に担う事によって海や河川を支配した。その権威は絶大で、陸における最高権力者ですら(こうべ)を垂れる程であったという。

 

 だが時代が下ると、周囲から孤立して攻め滅ぼされたり、『人魚の角は不老不死の薬になる(昔は角のあるタイプの人魚が存在した)』というデマによって狩り殺されたりと、その権威には陰りが見えていく。

 

 そして陸で技術が進歩すると、彼らはより厳しい立場に立たされる事となる。戦争では魚雷を抱いて敵艦に突っ込まされたり、企業が汚染水を垂れ流して全滅寸前に追い込まれたり等散々だ。

 

 汚染水の際は、その企業の社長以下社員全員が大量殺人罪で絞首刑になったため絶滅する事はなかったが、それも政治家の計算だ。人魚を生かしておけば、戦勝国に対して道義面で大きな顔が出来、結果として国民からの支持も得られるという。

 事実、『平等』が世界的政治トレンドになっている現在、この政策は一定の成果を挙げている。

 

 そういった事情もあり、かつては世界中に棲息していたものの、現在では日本以外では絶滅している人魚は保護対象だ。軍に守られている居住地区に無断侵入した者は、警告なしで射殺される事がある程度には。

 

 だが人魚もまた、守られているだけではない。前述の歌の上手さを活かして芸能方面で活躍したり、水との飛びぬけた親和性を武器に水産業や海軍やらで働いたりと、陸との関係を深める方向に舵を取っている。孤立は滅びへの道だと分かっているのだ。

 

 そんな人魚の思惑と、平等を国是とする国家方針とが相俟って、水陸の合同授業は恒例行事となっているのである。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 他の場所と同じように、水が床を覆い尽くす教室。左手の窓から太陽光が入ってくる事もあり、非常に蒸し暑い。全員水着と言えど、結構きつい環境だ。

 

「席は決まってるので、黒板に書いてある通りに座って下さい」

 

 デコメガネ人魚委員長の言葉に従い、生徒達が三々五々散って行く。

 

「どうも」

 

「ども」

 

「よろしくねー」

 

「こっちこそ」

 

 そこかしこで挨拶が交わされ、人魚と山人が隣同士に座る。こういった細かいところまでの配慮によって、『平等』は成り立っている。ディストピアじみた面があるとはいえ、それを維持する努力は本物なのだ。

 

「うわ、すっごい腹筋ねえ……山人って皆こんなに鍛えてるの?」

 

「いやこれは、必要に駆られてと言うか何と言うか……」

 

 皐月の隣に座った人魚が、その腹筋を覗き込んで感嘆している。ワンピースではなくセパレート式の水着なので、素肌が晒されているのだ。

 

 総じて女性は筋肉が付きにくいものだが、皐月にはそれは当てはまらないらしい。縦にくっきりとラインが刻まれ、横にも僅かなへこみが見て取れる。筋肉の上にうっすらと脂肪がついているという、見掛け倒しではない、実戦的な体つきだ。

 

「必要? というか今気づいたんだけど、君の形態って何なの? 翼人……じゃないよね、翼も丸い毛もないし」

 

「あー、これは突然変異よ。で、鍛えてる理由はそれに関係するんだけど」

 

「ほうほう」

 

「この形態のせいで昔から事件に巻き込まれやすいから、いざという時動けるように鍛えてるの」

 

 未来の話になるのだが、御魂家の末妹が強盗に人質に取られたり、同級生が銃で襲撃されたり、学校がテロリストに占拠されたり、後輩が銃を携帯し、実際に人を撃ち殺すハメになったりと、何かと危険なのがこの世界だ。

 

 そんな世界で、ほぼ唯一と言っていい形態の皐月はとにかく目立つ。それも悪い方に。そのために差別主義者に目を付けられる事も少なくなく、実際に襲撃される事もまた稀とは言い難い。

 

 連中だって馬鹿ではないので、襲撃は警察の目の届かないところを選ぶ。ゆえに、自分の身は自分で守らねばならぬのだ。

 

 本来なら剣道なり空手なりを修めたいところなのだが、施設暮らしにそんな余裕はない。なのでこの筋肉は全て自助努力の賜物である。怠ると死ぬ可能性が割と無視できない確率で上がるので、文字通り必死だ。後は単にトレーニングが習慣化しているという事もある。

 

「おおう……陸ってズイブンと物騒なのね」

 

「いやそんな事は――――あるわね」

 

「あるんだ……」

 

 ないとは言えない、言えるのならば隻眼になどなってはいない。それを差し引いても、『前世』と比較すると明らかに治安が悪い。こう言っていいのかは分からないが、特別な動機ではない殺人や窃盗などの『普通』の犯罪はあまり変わらないように思える。

 

 だが、形態差別に関する犯罪、即ちテロが多い。これは形態差別罪で強く押さえつけている反動なのか、それともそこまで強く規制しなければならない程差別意識が強く、容易くテロに走ってしまうためなのか。

 

 卵と鶏にも似た問題であり、今更廃法にも出来ない以上、答えが出る事はないであろう。

 

「君、名前は?」

 

「なあなあ、自由時間俺達と()け出さね?」

 

「こっちが先約だって、色々街を案内してあげるよ」

 

「それより俺達と行こうぜ」

 

「えっ、えっと」

 

 そんな若干重い話題とは対照的に、非常に稀な事に名楽がモテモテだ。どうやら糸目と、控えめに言ってスレンダーな体型が物珍しいらしい。人魚の女性は皆お目目ぱちくりでグラマーなので、名楽は逆に新鮮なのであろう。

 

 彼女は別に顔や性格が悪いという訳でもないので、このまま上手く事が運び、双方の熱意が持続するのならば、男の一人や二人は作れるかもしれない。

 

 なお人魚相手でもきちんと子供は作れるので、その点は安心だ。万一奇形児が生まれても、形態平等の観点から、国が強制的に一生面倒を見てくれる。

 

「ねえねえアナタ、ホントに女の子なの?」

 

「は?」

 

「実は男の子だったりとか!」

 

 獄楽の方は、隣席の人魚に詰め寄られて困惑顔だ。引き締まってこそいるが、こちらも十分スレンダー。珍しい事は間違いないのだろうが、それだけでもなさそうだ。何となく妖しげな雰囲気が感じ取れる。

 

「んな訳ねーだろ、何言ってんだ」

 

「えー、だってだって、この本の主人公そっくりなんだもん!」

 

 嬉しそうにカバンから取り出した本のタイトルは、『イミテーションの恋人』。表紙絵には、やたらと線が細く、不敵な笑みを浮かべている男と、女の子と見紛うばかりに中性的な男の子が。後者は言われてみれば、確かに獄楽に似ていなくもない。

 

 右下に18禁と書いてある辺りで察しが付くだろうが、いわゆる一つのBL本である。腐った波は人魚をも容赦なく飲み込んでいたようだ。

 

「ブッフォッ」

 

「いややっぱ男の子でしょ、ちょっと確認させて!」

 

「ちょっおまっ」

 

 思い余って実力行使に出る人魚、必死に防ぐ獄楽。蒸し暑い教室は、超下らない事で突如として死地と化した。具体的には獄楽のパンツの危機である。

 

「オイバカやめろ!」

 

「ゴメン、でもさきっちょだけ、さきっちょだけだから!」

 

「騒がしいわね……」

 

「それでは授業を始めます」

 

 いつの間にか入って来ていた教師が授業開始を告げるが、当然のように誰も聞いていない。見かねた御魂委員長が注意しようとするが、人魚の委員長の方が動くのは早かった。

 

「お静かに」

 

 尾びれを水に叩き付け、一瞬でざわめきを鎮めてみせたのだ。まさに水を打ったように静かになる教室。御魂委員長が謎の敗北感を覚える中、ゴホンと咳払いをした人魚の教師が授業を始めた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「おー、凄いわねえ」

 

「ホントにすごーい」

 

 自由時間。水深が深く、ちょうどプールのようになっている場所で、二足歩行とヒレ脚が混ざって泳いでいた。

 

「さっすが人魚だな」

 

「羌子ちゃんも来れればよかったのにね」

 

「軟弱なんだよ」

 

「熱中症なら仕方ないでしょ」

 

 人魚はシャチやイルカといった、完全水棲哺乳類には泳力の面で劣る。それは単に身体の大きさから来る筋力や心肺能力に差があったり、上半身が流線形ではないため水の抵抗が大きかったりといった理由から来るものだ。

 

 だがそれでも、二足か四足歩行の人類とは比べ物にはならない。結果として、凄い速度で泳ぎ回る人魚と、それにどうにか追いつこうと無理をするか、完全に諦め小高い場所から見学に勤しむ山人、という図式が現出していた。

 

「わっわっ、今2mくらいジャンプしたよね!?」

 

「イルカみてーだな」

 

「凄いバネねえ」

 

 出せる速度が違うため、陸人ではオリンピック選手ですら難しい、そんな芸当も朝飯前なのだ。それを見ていた皐月が、顎に手を当て獄楽を見た。

 

「どーした?」

 

「ひょっとしたら希なら勝てるんじゃないかと思って」

 

「いや、さすがに無理だろ」

 

「そうかしら、やってみたら案外行けるんじゃない?」

 

 少なくとも一部では勝っている、水の抵抗的に考えて。いやまあ、女としては負けていると言えるのかもしれないが。

 

「そういう菖蒲はどうなんだよ、力ならお前の方が強いだろこの腹筋」

 

「水泳は力だけ強くてもねえ……」

 

 『前世』のおかげでクロールバタフライ背泳ぎ平泳ぎと泳げはするが、人魚にはちょっと勝てそうにない。それに運動神経や反射神経は獄楽の方が上だ。

 

「ちょっと待って今私罵倒されたの? 腹筋って新手の罵倒だったの?」

 

「姫はどうだ? 馬力あるんだし、行けるんじゃね?」

 

「うーん、ちょっと無理かなあ。人馬は泳ぐ速度は遅いから」

 

 形状的に水の抵抗が大きく、動力となるべき脚も細く、おまけに犬かきにならざるを得ないので、泳いでも速度が出ないのだ。いや単純な速度はそれなりなのだが、筋力相応か、と言われると首を傾げざるを得ない。当然ながら、速度は人魚に及ぶべくもないのである。

 

「水辺だからって流そうとしないで頂戴この貧乳」

 

「おまっ、言ってはならんことを……!」

 

 胸を抉られた獄楽と、腹を蹴られた皐月がにらみ合う。次の瞬間どちらからともなく両手が伸び、その真ん中でがっしと組み合った。

 

「希ちゃんあやちゃん、落ち着いて……」

 

「落ち、着いてる、わよ……!」

 

「ああ、落ち着いて、ない、のは、菖蒲の、方だぜ……!」

 

 ぐぎぎぎと双方の手が震える。拮抗してはいるものの、皐月の方が若干優勢だ。このままでは程なく押し切ってしまう事だろう。

 

「何やってんのよッ!!」

 

「痛っ」

 

「ぐぉぅ」

 

 だがその不毛な戦いは、後ろから現れた御魂が双方の頭に手刀を叩き込むことによって、強制的に中断された。

 

「まったくもうアナタたちは! わざわざ恥を晒しに来たの!?」

 

「だってコイツが」

 

「複数形にしないでよ」

 

「お黙りなさい、喧嘩両成敗!!」

 

 腰に手を当て仁王立ちで、ガミガミガミと説教のマシンガンが飛ぶ。それを苦笑いで見守る君原を横に、夏の日の午後は過ぎて行った。

 




 腹筋! 背筋! 大殿筋!
 ジェットストリームマッスルをかけるぞ!


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05話 全ての教育は洗脳である、って誰が言ったんだっけ

「現在の哺乳類・鳥類・爬虫類・両生類の体制は六本肢です」

 

 教壇に立つ角人の教師が授業を行っている。内容は生物のようだが、彼女は生物の教師ではない。にも拘らず、彼女が教鞭を取っているのには理由がある。

 

「その起源は魚類にあると考えられています。胸ビレ、前腹ビレ、後腹ビレが肢になったと考えられているからです」

 

 胸ビレ形成遺伝子が突然変異によって重複して腹ビレになり、それが再度重複して腹ビレが二対に増え、ヒレが計三対になった、と古生物学では言われている。

 

「尤も古代には、四本肢の両生類もいましたが、子孫を残すことなく絶滅しました。貧弱な肢で身体を支えるには、四本より六本の方が有利だったのでしょう」

 

 そして六本肢両生類は肢の数をそのままに、爬虫類、哺乳類型爬虫類、恐竜、鳥類、哺乳類、猿人等の祖先となった。

 

「さて、進化の末に生まれた人類は大体、以下の四つの形態に分類できます」

 

 そう言って教師は、黒板にチョークで簡単な図と説明を書いていく。

 

〇『翼人/竜人型』

 上肢(腕)・下肢(脚)を持ち、中肢(四肢生物には存在しない肢)が背中に回り、翼になっている型。

 

〇『長耳人/角人/牧神人型』

 上肢・下肢を持ち、中肢が退化し痕跡のみになっている型。

 (牧神人とは、角人の脚がヤギそっくりになっている形態の事)

 

〇『人馬/人虎(絶滅)型』

 上肢が腕で、中肢と下肢の四本が脚となって身体を支えている型。

 (人虎は優れた狩りの腕を持っていたが、獲物を捕りつくして自らも滅んだ、とされている)

 

〇『人魚型』

 上肢が腕で、中肢が腰ヒレ、下肢が膝下で融合し、尾ビレになっている型。

 (類似種として、一生を完全に水中で送れるケタピテクスという種が存在した。

  だがエコーロケーション能力を持たなかったため、鯨類との生存競争に負けて絶滅した)

 

「この見た目の違いが、過去多くの争いや差別を生み出しました」

 

 それはそれは凄まじいものであり、現在に至っても無くなったとは到底言えない。だからこそ『形態差別罪』などというものが存在するのだ。

 

「ですがもし、四本肢の両生類が生き残って主流となり、そして人類に進化したとしたらどうなっていたでしょう」

 

 その辺りを描いたのが、ジョルジュ・ガブリエル・ヴェルズ(仏)著の『四肢人類の世界』である。驚くべき事に、単なるSF小説でありながら、聖書や聖典すらも超えるベストセラーとなった。

 

「せいぜい髪や肌の色が違う程度の違いしかない四肢人類の間には、深刻な争いや差別は発生しないでしょう。あまり発展しない文明の下で、野山で獣を狩り小さな畑を耕す、そんな穏やかな日々が続いていた事でしょう」

 

 ヴェルズは四肢人類の世界をそのように想像し、描写した。彼は『四肢人類はほぼ単一の形態しか持たない』、『多形態を持たないため、形態間の分業・協同が不可能であり、従って文明が発展する事もない』と考え、大規模な争いや発展のない社会だとしたのだ。

 

「それが良いコトかどうかは分かりません。安定した進歩のない世界を喜ぶ人もいれば、苦痛でしかない人もいるでしょう」

 

 ヴェルズの想像が正しいかどうかは、この世界の人間には分からない。『四肢人類の世界』は論文ではなく、あくまでSF小説であるからだ。

 

 だが人口に膾炙しているため、仮に四肢人類の世界が存在するならば()()なのだろうというのは、ほとんど世界的な共通認識になっている。

 

「もっとも四肢人類の世界は、ありえたかもしれない空想の楽園。現実の我々の世界は、一歩誤れば容易く地獄になり得る世界です。劣等諸国のような争いの世界か、調和のとれた穏やかな世界か。いずれになるかは、我々の平等と団結にかかっています」

 

 ちなみに『発展途上国』ではなく『劣等諸国』と言っているが、これは平等の理念に反するものでは全くない。というか発展途上国という言葉そのものがない。『平等』とは『形態間平等』であり、『国家間平等』ではないのだ。

 

 従って、形態間平等の理念が息づいておらず、差別が蔓延している国や、それが原因で内戦から抜け出せない国を劣等国と見下すのは、一切問題ないという事になる。むしろそういった国は、『形態間平等』に反する以上、軽蔑や敵視されても当然だ、と思われているフシすらある。

 

 とは言えどんなものであれ、国是に反する国の存在など認めがたいのは当然だ。この程度で済んでいる辺り、穏健であるとすら言えるのかもしれない。

 

「ゆえに平等は、時に人権や生命よりも重いのです」

 

 まあ劣等諸国と言い放った口で、その台詞にどれ程の説得力が宿るかはまた別の話ではあるが。自分の言動に一切矛盾や疑問を感じていない辺り、この世界の闇が垣間見える。

 

「では最後に国歌斉唱を。委員長」

 

「起立!」

 

 君が代ではない、平等を旨とする歌詞の国歌が歌われる。この世界でも君が代の元となった短歌そのものは存在するのだが、国歌にはなっていないのだ。

 

「先生」

 

「中々いい授業でしたよ」

 

 退出する教師を、教室の外で見学していた男二人が呼び止め、彼女はそれに礼を返す。男の服装は、片方はスーツ、もう片方は軍服だ。こういった授業には、憲兵や公安、軍人が見学に来ることがあるのだ。

 

 生物の授業なのに、生物教師ではない彼女が出張って来たのはつまりそういう事である。要するに生物学に絡めた思想教育だ。

 

 日本は世界に先駆け形態間平等を打ち出した国であるため、こういった授業が度々行われる。迂闊な事を言うと、形態差別罪でそのまま逮捕されたりするので、教師側も結構命懸けである。

 

 市民、平等は義務です。

 平等ではない市民は存在しません。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 昼休み。人影もまばらになった教室で、いつもの四人組が、机を突き合わせて弁当を広げていた。君原の弁当を覗き込んだ皐月が不思議そうに言う。

 

「やっぱり姫って、体格からすると小食よね」

 

「そ、そうかな? これでも前より増やしてもらったんだけど」

 

 上半身は一見華奢だが下半身が下半身であり、筋力も相応なので、維持にはカロリーを食うと思われる。単純計算でも他形態の三倍は必要なはずだ、体重はそれくらいなのだから。

 

 また参考として、体高が147cm未満の馬であるポニーは、一度の食事に1.5~2㎏近くの干し草やふすま*1、大麦を食べるそうだ。もちろん体格次第だが。

 

「前はお菓子持ち込んで、それで委員長に注意されてたもんな」

 

「まー健康的でいいんじゃない。糖質の摂り過ぎは良くないよ」

 

 肉は植物より消化効率がいいので、馬ほどの量は不要だろう。とは言え人馬の巨体から鑑みるのなら、運動部の男子高校生よりも大食であっても全くおかしくはない。が、そんな量には到底見えない。生命の神秘である。

 

「それもそうね、ケツが拭けなくなるよりかはいいわよね」

 

「まだその話覚えてたの~!?」

 

「そりゃ、まあ、ねえ」

 

「食べてる時に尾籠な話はやめてよ……」

 

「びろう?」

 

「品がないってこと」

 

「ごめんついね」

 

「食ったら出るんだから別にいいだろ」

 

「そういうところだよ希」

 

 なんかもう大雑把としか言いようがない事を(のたま)う獄楽に、名楽が胡乱(うろん)な目を向けた。期せずして元凶になった皐月は沈黙を保ち、君原は苦笑するばかりだ。

 

「話題変えよう話題」

 

「そ、そうだね」

 

「つってもいきなりんな事言われてもなぁ……何かあんのか?」

 

「んー…………さっきの授業の話とか?」

 

「またカタそーな話を……」

 

「四肢人類の世界、だよね。……あやちゃんみたいな感じの人がいっぱいいる世界なのかな」

 

 その言葉に、六つの目が一斉に皐月の方を向く。皐月は複雑な思いを抱きつつも、それを表に出す事なく口を開いた。

 

「…………多分ね」

 

「オイオイ、コイツがたくさんいる世界とか地獄よりヒデェじゃねーかよ」

 

「喧嘩売ってんの?」

 

「外見の話だから、菖蒲みたいな性格の人間ばっかって訳じゃないだろ」

 

「羌子、それフォローのつもり?」

 

 無自覚な言葉の矢が皐月に突き刺さる。常日頃の信頼関係が顔を覗かせる、微笑ましい一幕と言えよう。

 

「で、でも、四肢人類の世界なんてホントにあるのかな」

 

「どーだろーね、結局はIF(もしも)の話だから……でも四肢の両生類が存在してたのはれっきとした事実だから、それが進化して人間になってたら、まあありえない話じゃないと思うよ」

 

「そうなんか?」

 

「お前さっきの授業寝てたろ……。六肢生物は突然変異によって生まれたんだから、それがなかったら四肢生物が繁栄してたのはほぼ間違いないし、それが人間にまで進化する可能性だって否定できない、ってコト」

 

「先生は『四肢人類の世界は、進歩のない穏やかな社会』になるだろうって言ってたけど、そうなるのかな」

 

「ありえないわ」

 

 皐月がきっぱりと言い切る。自分で思ったよりも重い声が出ていたらしく、六つの目が再度驚いたように彼女を見た。

 

「どーしたんだ、何か顔が硬いぞ」

 

「……そう? 気のせいじゃない?」

 

「……ま、そういう意見もあるね。四肢だろうが六肢だろうが人間は人間で、なら発展しないはずもなく、戦争も起きないはずもない、ってのはたまに聞く反論だよ」

 

 名楽が皐月の纏う空気に頓着せずに、『四肢人類の世界』への有名な反論を述べる。彼女は聡い子だ、おそらく雰囲気の変質に気づいてはいても触れない事を選んだのだろう。その聡さが皐月にはありがたくもあり、煩わしくもあった。

 

「そうなの? じゃあ『四肢人類の世界』は間違ってるのかな」

 

「その反論への反論としては、『四肢人類の世界』はあくまでフィクションで、その社会に進歩がない事を証明する論文じゃないからそもそも的外れだとか」

 

 そこで一旦言葉を切った名楽はペットボトルのお茶を一口含み、再び話し始めた。

 

「四肢人類に複数形態が存在しないだろうというのは確度の高い推測であり、ならば形態間での協同が不可能な彼らは、やはり大きく発展する事はないはずだ、ってのがあるね」

 

「えーと……つまりどーゆーこった?」

 

「そだね……例えば『狩り』なら、聴覚に優れる竜人や長耳人が獲物を見つけつつ周辺を警戒、走力に優れる人馬が勢子をやって」

 

「せこって何だ?」

 

「獲物を追っかけて、待ち伏せをしてる仲間の前に追い立てる役のこと。で、短距離の瞬発力に優れる牧神人や人馬が獲物を仕留める。これが形態間での分業と協同」

 

「なるほどなー。四肢人類だと形態そのものがないから、そういう狩りが出来ない、って事か」

 

 さらっと理解している辺り、獄楽はやはり頭は悪くはない。悪いのは勉強の習慣がついてない事である。

 

「そゆこと。狩りはするだろうけど、効率は悪くなるだろね。一事が万事そういう社会である以上、発展は難しいはずだ、ってのがさっきの反論の内容」

 

「うーん、どっちも正しそうに聞こえるけど……ねえ、あやちゃんはどう思う?」

 

「……私? そうね――――」

 

 一つ深呼吸をして心を鎮める。一拍の後、彼女の雰囲気は常のものに戻っていた。相変わらず目は死んでいたが。

 

「一言で言うなら、『的外れ』ってとこかしら」

 

「的外れ?」

 

「ってーと?」

 

「文明の本質は『余剰』よ。発展するもしないも、それが存在するかにかかっているわ。ヴェルズもさっきの反論をした誰かもそれを分かってないから、頓珍漢な事を言い出すのよ」

 

「……ごめん最初から説明して」

 

 全く分かってなさそうな顔で説明を要求したのは獄楽であった。ただ他の二人も似たような顔をしているので、三人の総意であるとも言える。

 

「んー……まず前提として、住んでいる場所で『人間』の能力そのものは変わらない。これはいいわね?」

 

 つまり居住場所がアラスカだろうがイギリスだろうがウクライナだろうがエジプトだろうがオーストラリアだろうが、『人間』の能力が変わる事はない、という意味だ。『平等』の理念にも反しておらず、分かりやすいそれを理解した三つの頭が縦に振られた。

 

「にも拘わらず、『文明』が生まれる地域は限られている」

 

「四大文明ってヤツか?」

 

「別にそこだけじゃないけどね。四大文明が有名ってだけで。話を戻すけど。大きな文明が生まれるのは決まって大河の近くで、極端に暑くも寒くもなく、土地が豊かで食べられる穀物が存在する場所」

 

 ついでに言うなら、流行り病が少ない場所という条件もある。病気で人口が減りまくってしまえば、当然文明は生まれない。

 

「これは偶然じゃないわ」

 

「ひょっとして、農耕の話か?」

 

「その通りよ羌子。そういう場所では、自然発生的に農耕が生まれやすい。一度農耕を始めれば、狩猟とは比べ物にならない程の食料を得て、しかもそれを長期間保存しておく事が出来る。そうなれば、食料を求めてあくせく働く必要が薄れる」

 

「ほうほう」

 

「薄れれば時間的な余裕が生まれ、生まれた余裕で何かを始める事が出来る」

 

「何かって何だ?」

 

「何でもいいのよ。例えば農作業の時期を知るための天文学、便利で強力な武器を作るための鍛冶、増えた食料を管理するための数学、人を管理するための法律。それらを長期保存するための文字の発明、なんてのもあるわね。近くに大河があるのだから、船で遠くに行ったり物を運ぶ事も十分可能。そうやって遠隔地との繋がりも生まれ、発展していく」

 

 そこで彼女は水筒のお茶を一口飲んだ。

 

「そしてこれら全てをひっくるめたものを文明と呼ぶ。つまり余剰こそが文明を作るということ」

 

「おおー」

 

「極北に住むイヌイットや乾燥した大地に住むアボリジニは、劣っているから文明を築けなかったのか、知能が足りないから昔と変わらぬ暮らしをしていたのか」

 

「ええっと、全然そんな事はないけど、生きるので精いっぱいで、文明を築ける程の余剰が生まれなかったって事かな?」

 

「そういう事。厳しい土地で生き残っている事そのものが、彼らの有能さを示している。そうじゃなかったら、とっくの昔に凍死か餓死で全滅してるからね」

 

「なるほど……でもよ菖蒲」

 

「何?」

 

「さっき羌子が言ってた、形態間での協同の話はどうなんだ? ほら、四肢人類は単一の形態しかないだろうから、何をするにしても効率が悪くなるだろう、ってヤツ」

 

「…………いや、そこは本質じゃない。そうだな菖蒲?」

 

 顎に手を当て考え込んでいた名楽が、皐月にその細目を向ける。彼女はそれに、頷きで応えた。

 

「キョーコ、説明」

 

「お前少しは自分で考えろよ……まあいいけどさ。確かに四肢人類は六肢人類に比べて効率が悪い。でも農耕を始めれば、その程度の差なんて吹っ飛ぶほどの食料が得られる」

 

 食料が増えれば余剰も増えるし、人口を増やす事も出来る。区々たる効率の差などあってなきが如しだ。人口が文明の発展にどれほど寄与するか、言うまでもないだろう。戦いも文明も数だよ兄貴、という訳である。

 

「そうすると、多少効率が悪くても、文明は発展する……?」

 

「そういう事。だから『四肢人類の世界』もその反論の反論も的外れ。文明が発展する以上戦争は存在するし、地形その他の条件が同じなら、歴史だってある程度似たようなものになるでしょうね」

 

 それは彼女の頭の中にしかない『前世』のように。記憶の中のあちらもこちらも大して変わらず、やはり戦争は起こっていた。結局のところ、四肢でも六肢でも人間は人間であり、その本質は変わらないという事なのであろう。

 

 そもそも人間以外の野生生物も、同種で縄張り争いを行う事は珍しくない。縄張りとは基本的にエサを確保するためのもので、同種はそれが完全に被る。被ったからといって分け合えば、必要量のエサを摂れずに揃って仲良く餓死する。エサの量が無限でない以上、ライバルを排除して自らの生存圏を確保するしかない。

 

 野生の世界で共産主義は成り立たない。まあ人間世界でだって成り立たなかったがそこはそれ。人間だって野生生物の一種であるからして、何もおかしなところはない。

 

 そして野生動物である以上、人間も縄張り争いは行うし、それは何ら特別な事ではない。ただちょっと規模が大きく、うっかり世界を滅ぼせる域になってしまっただけである。滅んだら縄張りもクソもないので、大規模な戦争は自重する方向へと進んでいる、という訳だ。誰だって放射線まみれの瓦礫の上で暮らしたくはあるまい。

 

「そーゆーモンかね」

 

「そーゆーモンよ、人間なんてね」

 

 だから彼女の胸に今(わだかま)る、鉛のようなモヤモヤした何かは、彼女個人の拘りだ。それは彼女自身が処理するしかないが、処理できるかどうかは彼女にも分からない。こればかりは性分だ、分かっていればもう少し気楽に生きる事も出来ただろう。

 

「と言っても、実はヴェルズはその辺の事は分かっててあの小説を書いた可能性もあるのよね」

 

「おおっと、いきなりちゃぶ台をひっくり返してきたね」

 

「なんでそう思うの?」

 

「だってヴェルズは趣味人じゃなくて小説家だもの、売れる小説を書けなきゃ話にならないわ」

 

 これが趣味の産物なら、どんな内容であっても問題ない。潜在的に人に見せたいという願望が潜んでいたとしても、好き放題に書いても構わない。そもそも人に見せる事を前提にしていないし、積極的に見せようともしていないからだ。

 

 その良い例が枕草子や徒然草だろう。清少納言も卜部兼好も、自分の文章が人に見られるかもしれないとは思っていても、まさか未来の教科書に載り、日本人なら誰でも知る程になるとは思っていなかったはずだ。

 

 だが彼ら彼女らはそれでも構わないし、逆に全く知名度ゼロで終わっても構わない。いくら名文であっても、趣味とはそういうものだからだ。

 

 一方で小説家、それもプロの小説家にそれは許されない。彼らはとにかく、売れるものを書かなければならない。自分自身のみならず、関連会社の浮沈までかかっている以上、まずは売れねば話にならない。

 

 もちろん好き放題に書いてはいけないという意味ではない。そう書いたっていいのだ、売れさえすれば。

 

「いきなり生臭い話になったなオイ」

 

「小説家といっても資本主義の(ともがら)、ならば売れる以上の正義はないって事ね。実際世界的ベストセラーになったんだし、ヴェルズ自身の思想はどうあれ、小説家としては白眉としか言いようがないわ」

 

 仮に『四肢人類の世界でも六肢人類の世界と大して変わらない』という内容だったとしたら、そこまで売れる事はなかったであろう。小説として出版できていたかすらも怪しい。

 

 してみると小説家とは、科学的事実(リアル)ではなく、大衆的真実(ファンタジー)を売るものなのかもしれない。科学的なファンタジー(サイエンス・フィクション)を書いたヴェルズが売れたのも納得だ。

 

「はくびって何だ?」

 

「秀逸、周りに比べて頭一つ優れている、って意味だ。……なあ希、お前マジで勉強した方が良いぞ。頭が悪いって訳じゃあないんだから」

 

「えー、メンドくせーよ。大体俺は羌子ほど頭良くねーし」

 

「んな事ねーよ。…………おい小守(こもり)、今までの話聞いてたろ。どこまで理解できた?」

 

 名楽がたまたま近くの席にいた、筋骨隆々アメフト少年小守(こもり)(まこと)に声をかける。彼は頭の後ろに手をやりながら、少々恥ずかしそうに彼女に答えた。

 

「あー、その、だな……恥ずかしながら、半分くらいしか……」

 

「見たか希、これが本当のアホだ。コイツのクソアホさには小学校の頃から手を焼かされたもんだ。それに比べりゃあお前はまだ間に合う。少なくとも分からん事をすぐに聞けるのは得難い美徳だ」

 

「うぉい、そりゃねーぜ羌子ぉ!」

 

「うるせえ、せめて偏差値10上げてから出直してこい! 198点って何だ198点って、勉強舐めてんのか!」

 

「お前までそれ言うのか!? 反省してんだぜこれでもよぉ!」

 

「二人とも仲が良いんだね」

 

「違う!」

 

「違ぇよ!」

 

 まるで熟年夫婦の如き息の合い方だ。まあ名楽は小守の趣味ではないので、よほどの事がなければくっついたりはしないだろうが。

 

「菖蒲、お前からも何か――――うぉぅ!?」

 

「どうした羌子――――おぉぅ!?」

 

 皐月に話を振ろうとした名楽と、それにつられて彼女の方を向いた小守が揃ってのけぞる。普段の十割増しで目にハイライトが無くなっている皐月を見つけて。

 

「半分……半分て……」

 

 虚ろな目に顔にかかる黒く長い髪、呟かれる呪詛の如き独り言。下手に顔が整っている事もあり、足のない幽霊も裸足で逃げ出さんばかりの不気味さだ。

 

「ど、どうした菖蒲!? コイツのアホがうつったか!?」

 

「人を病原菌みてーに言うんじゃねーよ!」

 

「ああ羌子……半分しか理解できなかったって、私そんなに説明下手なのかしら……」

 

 どうやら説明が半分しか理解できなかったと言われたことで凹んでいたらしい。存外繊細なところがある女だ、目は死んでる癖に。

 

「い、いや、そんな事ないよ、分かりやすかったよ! 悪いのはこのアホだから!」

 

「そ、そうだぞ皐月、俺の頭が悪いのが悪いんだ!」

 

「いーわよ別に、慰めてくれなくても……。説明は、七歳の子供にも分かるように、が鉄則なのに……」

 

 さらっと小守を七歳児以下だと言っているが、言っている事は間違ってはいない。説明とは小難しい言葉を並べたてる事ではない、それは人を煙に巻こうとしているだけだ。誰でも分かる平易な言葉で理解させる事を説明という。

 

「姫」

 

「なぁに希ちゃん?」

 

「俺、頑張って勉強するわ」

 

「うん、私も協力するね」

 

 人の振り見て我が振り直せを地で行く展開であった。

 

*1
小麦の皮部分




 前半の授業シーンが、規約の「原作の大幅コピー」に引っかからないか心配。
 でもあれがないと、話の繋がりが分からなくなるからなあ……。
 後半は原作にないシーンだから大丈夫だとは思うけど。


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06話 なんで勉強しなくちゃいけないんだろう、って誰でも一度は考えたよね

「ああもう、わっかんねー!!」

 

 獄楽が叫び声をあげ、大の字で後ろ向きに倒れ込む。机の上には、使用者のいなくなったシャーペンとノートに教科書が残された。

 

「コラ希! まだ30分も経ってないぞ!」

 

「んな事言われたって、わかんねーモンはわかんねーんだよ!」

 

 うがぁぁぁ、とゴロゴロ転がり、馬の足にぶつかって止まる。そのままもそもそと膝枕の態勢に移行し、そっぽを向いて動かなくなった。

 

「お前なあ、なんでわざわざ日曜に勉強会やってるのか分かってんのか。次のテストで二連続赤点取らないためだろ」

 

「わーってるよ。でもんなコト言ってもよ、こんな公式なんか頭に入んねえよ」

 

 どうやら獄楽は、数字とアルファベットの羅列を見ると目が滑るタイプのようだ。確かに数学には向き不向きがある。あるがしかし、高校一年生、それも基礎的な公式程度なら、努力次第で何とでもなるはずである。

 

「お前なぁ、その考え方からしておかしいだろ。一応これでも『数学』なんだぞ、学問なんだぞ。パズルじゃないんだから、公式丸暗記しても仕方ないだろ」

 

 半ば呆れたように言い聞かせるように名楽が言う。

 

「ちゃんと考え方あるんだからそれを理解しろよ。そしたら公式なんて忘れても、試験中に導き出せばいいんだから」

 

「頭のいい人の理屈ねえ……」

 

 それが出来る人は公式そのものを忘れないし、忘れるような人はそれを出来ないと思われる。忘れた上で、試験中という限られた時間内に公式を導き出せ、それを使って試験問題を解けるのならば、数学者になれるであろう。

 

「それが出来れば苦労しねーよ……なぁ、菖蒲はどうなんだ?」

 

「どうって?」

 

「どうやってこんなややこしいの覚えて解いてんだ?」

 

「と言われても……気合入れて覚えれば忘れないからねえ」

 

「参考になんねえ……」

 

 首だけを180度回し、皐月から顔を背ける獄楽。それを見た名楽は呆れ顔であった。

 

「お前なあ……こん中で一番成績いいのは菖蒲なんだぞ」

 

「地頭がいいのは羌子と姫だと思うけど」

 

「えー、そんな事ないよぉ」

 

「んじゃ私らに勝ってる菖蒲はなんなんだよ」

 

「私がいいのは記憶力と要領。地頭とはまたちょっと違う分野」

 

 それを聞いた極楽の耳がぴくりと動き、皐月の方へと再度顔を向けた。

 

「要領がよくなれば勉強が出来るようになるのか? どうやったらよくなるんだ?」

 

「うーん…………小さい頃から差別主義者と鬼ごっこに勤しむとか? 命懸けだから嫌でも要領はよくなるわよ?」

 

 予想斜め上な答えに固まる三人。だがさすがに慣れて来たのか、今回は解凍までの時間は短かった。

 

「それ、要領悪い奴は生き残れねえだけじゃね?」

 

「そうとも言うわね」

 

「今時そんなのまだいるんか」

 

「ちょっと前だとたまーにいたわねえ。どいつもこいつも『お前の存在は形態間平等を侵害している!』とかほざいて襲い掛かって来たわ。ああいうのってどっかで情報が回ってるのかしら」

 

「形態間平等をはき違えてるとしか思えんな」

 

「だから皆捕まってたわ。ひょっとしたら同じ組織のメンバーだったのかも」

 

 中には『捕まる事も出来なかった』者もいたが、それは口にしない。雄弁は銀で、沈黙は金なのだ。

 

「どっちにしても参考になんねえ……」

 

 興味を失った極楽の首が、再びぐりんと反対側を向く。彼女には喧嘩の経験はあるが、さすがにテロリストに襲われた経験はない。今から同じことをするのは不可能だし、そもそも試験には間に合わない。

 

「ほら希ちゃん、頑張ろ?」

 

「ウボァー」

 

「変な声出してないで。とりあえず公式を丸暗記しちゃいなさいよ、そうすれば何とかなるから」

 

「あんまいい方法とは言えんが、この際仕方ないな。ほらやるぞ希!」

 

「くっそー、しょうがねえな……。やったろーじゃねーか!」

 

 半ばヤケでやる気を捻り出した獄楽が、ガバリと身体を起こす。それを見た名楽が、定規を持って片手をペシペシと叩きながら、鬼軍曹の如き笑みを浮かべて宣言した。

 

「いい覚悟だ。安心しろ、この私が数学と古典と英語と化学と物理を骨身に叩き込んでやる!」

 

「ウボァー」

 

「ウボァーじゃない! このままだとマジで小守一直線だぞ!」

 

「……うし、数学でも英語でも何でもかかって来いや!」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ウボァー」

 

 駄目でした。

 

「希、生きてる?」

 

「目があやちゃんみたいになってる……」

 

 仰向けで大の字に倒れ伏す獄楽。その目は死んだ魚の目であった。数学と古典と英語と化学と物理には勝てなかったよ……。

 

「しぬ……」

 

「はい、あーん」

 

 君原が獄楽の口に、雛鳥にエサを運ぶ親鳥の如くチョコを入れる。獄楽は死んだ目のまま、それをもそもそと咀嚼した。

 

「おいしい?」

 

「あめぇ……」

 

「脳は器官の中でも一番エネルギーを使うからね。しっかし、このペースだと試験に間に合わんなー」

 

「復習に意外と時間取られたわね……」

 

「最初からその予定だったが、歴史とかの暗記は自分でやってもらうしかないな」

 

「うあ゛ー…………暗記とかやってらんねー…………」

 

「一応覚えやすくする方法はあるけど、聞く?」

 

 皐月のその言葉に、獄楽が勢いよくガバっと起き上がる。現金な事に、死んだ魚の目は生き返っていた。

 

「マジ!? どうやんだ!?」

 

 その勢いに若干押されつつ、こちらは変わらぬ死んだ目で答えた。

 

「因果関係を覚えればいいのよ」

 

「因果関係?」

 

「原因と結果と言い換えてもいいけど……そうね、例を挙げるなら……」

 

 そこで泳いだ皐月の目が、本棚に収められている『神倉*1歴史紀行』という本に留まった。

 

「そうね、これで行きましょう。神倉幕府が滅亡したのは何故か」

 

「何故ってそりゃ……元寇のせいじゃねーのか?」

 

「完全に間違ってはいないけど。元軍は九州に上陸する事も碌に出来なかったし、当然神倉や京湖*2が直接攻められた訳でもないのよ。それでどうやって幕府を滅ぼせるの?」

 

「分からん!」

 

「自信満々に言うこっちゃないね。てか中学でやっただろ」

 

「そんな昔の事なんて忘れたぜ」

 

「一年も経ってないだろーが!」

 

「はいはいそこまで。本題に戻るわよ」

 

 パンパンと手を打ち鳴らした皐月に注目が戻る。

 

「まあ一言で言うなら、御家人……部下に給料を払えなくなったせいでそっぽを向かれたからなんだけど」

 

「資金繰りミスって倒産した会社みてーだな」

 

「お、希にしちゃ良い例えだね」

 

「一言多いぞキョーコ」

 

「すまんすまん、でもホントに例えとしては適切だよ」

 

「どういうこった?」

 

「こういうことね」

 

 先程から器用にも、口と同時にシャーペンを動かしていた皐月がノートを見せる。そこには滑らかな字で、『神倉幕府給与システム 御恩と奉公』と書かれていた。

 

「なんじゃこりゃ」

 

「神倉幕府滅亡を理解するために必要な前提知識」

 

「うげ」

 

「柔道だって受け身も出来ないのに一本背負いを教えたりしないでしょうが。いいから読みなさい、分かりやすくしといたから」

 

「俺がやってんのは空手なんだけど……」

 

 ぶちぶち言いながらも、案外素直に獄楽はノートに目を通す。確かにそれは分かりやすかった。

 

 

†神倉幕府給与システム 御恩と奉公† ~~土地のためなら死ねる~~

 

.    ― 御恩 →

. 幕府        御家人

.    ← 奉公 ―

 

〇御恩

 将軍が、『御家人が土地を持つ事』を認め、功績に応じて新しい土地を渡す事!

 土地を持てば、その土地から得られる収入は全部自分の物!

 『新しい土地』、即ち恩賞は、ぶっ殺した敵が持ってた土地を奪うのが基本だぞ!

 土地の開墾はとっても大変だからね! 略奪こそがジャスティスだ!

 

〇奉公

 御恩の対価として、御家人が将軍に忠誠を誓い、戦いの時は一族を率いて戦う!

 つまり『いざ神倉』! 誰でも一度は聞いた事くらいあるよね!

 武士の忠誠は土地で買え、って意味だ! 土地=給料、と言い換えてもいいよ!

 土地を持ってないすかんぴんには誰もついて来ないんだ! ここ重要!

 

※土地所有について

 本来なら、『土地を所有する事』を承認できるのは朝廷だけだったんだ!

 でも当時の朝廷は貧乏で権力もなく、落ちぶれていたんだね!

 代わって『土地の所有』を認めさせることが出来る『力』を持つようになったのが幕府!

 一応『幕府が認めたものを朝廷が認める』という形を取ってはいたけど形だけだね!

 『土地の所有』を認めてくれるからこそ、武士は皆幕府についていったんだ!

 

 こういう、土地を仲立ちにした主従制度を『封建制度』というよ!

 別にヨーロッパの専売特許じゃないから勘違いしないでよね!

 

 

 分かりやすかったが、何というかこう、形容しがたい悪意と稚気が感じられる代物だった。それを見た獄楽が何とも言えない顔になっていた。

 

「何よその顔。分かりにくかった?」

 

「いや、んな事ねーけどさ……」

 

「おぉう……」

 

「た、確かに分かりやすいよね」

 

「分かりやすいがこれはなぁ……」

 

 横からノートを覗き込んだ名楽と君原にも、何とも言えない顔が伝染している。だが皐月はそれに構う事なく話を続けた。

 

「分かったんならいいわ。で、元寇なんだけどその前に」

 

「あ、あぁ」

 

「当時の御家人は基本的に、出陣の前に商人に借金して、その金で軍備を整えてたの。勝って恩賞をもらったらそれで返す、って約束でね」

 

「なんでだ? 貯金とかなかったんか?」

 

「土地からの収入って要するに米だから、秋になんないとまとまった収入にならないのよ。大身ならともかく、零細御家人なら日頃からカツカツだったでしょうね。当然、元寇の前も借金した訳」

 

「んで?」

 

「奮闘の甲斐あって元軍そのものには勝った。でも防衛戦だから、勝っても土地を奪えた訳じゃあない。当然恩賞はもらえないから、借金だって返せない」

 

「じゃあどうすんだ? 一人二人じゃなくて、元寇に参加したヤツ全員の話だろ?」

 

「なので幕府は徳政令を出して、借金を帳消しにした」

 

「それ、商人の方が困るんじゃねーか」

 

「そうね。だから怒った商人たちは、次に金を借りに来た御家人たちには貸さなくなった。出陣以外でも借金する事はあるからね」

 

「そらそーだ」

 

「そうすると御家人は困るから、幕府に何とかしろと訴える。そこで幕府は、たくさん土地を持っていた御家人に言いがかりをつけて潰したの」

 

「あー、何となく分かったぜ。そいつの土地を他の連中に配ったんだろ」

 

「その通り、でもそんな程度じゃ到底足りない。取り潰しは無理筋だから何度も使えない。徳政令を乱発しても全く意味がない。どうしようもなくなった幕府はあえなく滅びましたとさ」

 

「あっさりだな」

 

「他にも色々あるし、詳しくやり始めると本が書けるけど、流れとしてはこんな感じね。で、肝心なとこなんだけど」

 

 そう言って先ほどのノートを手元に戻し、何かを書いていく。今度はすぐに書き上がったそれを獄楽に見せた。

 

 

.  元寇

.   ↓

.  御家人に褒賞(土地)を払えず

.   ↓

.  徳政令・一部御家人の取り潰し等で対処

.   ↓

.  全ての御家人に褒賞を払うには至らず

.   ↓

.  御家人の離反を招き、幕府滅亡

 

 

 簡潔に書かれたそれに目を通した事を確認して、皐月は説明を続ける。

 

「重要なのは何が書かれてるかじゃなくて、この流れそのもの。もっと言うなら原因と過程と結果、つまり因果関係。それが分かれば何でも自然に覚えられるわ」

 

「流れ……んー、空手の演舞みてーなもんか?」

 

「理解しやすいんならそれでもいいけど……逆に分かりにくくない?」

 

「いや、んなコトねーぜ。演舞ってのは敵がこう攻撃してくるからこう捌く、この場合はこう動けば攻撃されずこっちは攻撃出来るとか、そういうのが元になってるんだ」

 

「言われてみれば、まあそうでしょうね」

 

「その『流れ』を、分かりやすいよう基本交互に繰り返すのが演舞で、覚える時も『流れ』を意識すれば自然に頭に入るもんだ。それをさっきの話に当てはめるんなら――――」

 

 今度は獄楽がシャーペンを手に取り、ノートに書き込んでいく。

 

 

.  原因:敵から右拳中段で攻撃された

 

.  過程:その拳を、自分の左手で内側から外側に払いのけた

 

.  結果:相手の攻撃を逸らし、防御する事に成功した

 

 

「――――こうだろ!」

 

「おー」

 

 そこには見事に原因・過程・結果、即ち因果関係が説明されていた。なんだかんだで頭は悪くないのが獄楽希という女である。

 

「やれば出来るんじゃない」

 

「まぁな!」

 

「よし、じゃあその勢いに乗って第二ラウンドだな」

 

「うぉい!」

 

 流れを見て横から入って来た鬼軍曹名楽に、流れるようにツッコミを入れる新兵獄楽。実際この流れでそれは割と鬼である。

 

「ちったあ休ませろよ……さすがに疲れたわ」

 

「きゃっ」

 

 倒れ込むように君原の脚にダイブをかます獄楽。そのまま再び膝枕モードに突入した。

 

「しっかし意外だな」

 

「何が?」

 

「いや菖蒲が。あんな分かりやすく人に教えられるとは思ってなかったよ。あの説明はちょっとどうかと思うけどさ」

 

「施設の子供に勉強を教える事もあるからね」

 

「あやちゃん、教師に向いてるんじゃない? でもあの説明はもうちょっと他のに変えた方がいいかなって思うな」

 

「いやどうかしら、教師は逆に成績が悪い方が向いてるって言うし……」

 

 勉強の出来なかった教師には、勉強の出来ない子供の気持ちが分かるという事である。向き不向きや良し悪しはともかくとして、教師の一つの形ではあるだろう。

 

「そんなん人それぞれだろ。少なくとも私なら、出来ないより出来る教師に教えて欲しいね」

 

「そりゃまあ進学校ならそうでしょうけど」

 

「何か将来やりたい事があるの?」

 

 小首をかしげて君原が訊く。こういう仕草がやたらと自然で似合う女である。

 

「やりたい……というか、興味があるのは生物学なのよね」

 

「生物学?」

 

「なんで?」

 

 その言葉に、目線を君原に合わせ、続けて膝枕されている獄楽に落とした。

 

「同種なのに姿が違い過ぎる。不思議には思わないの?」

 

「ええっと、六肢生物から進化したから、って授業では言ってたよね」

 

「だとしても耳の位置まで変わる必要性はないでしょうに」

 

 長耳人・角人・牧神人・人馬は、頭の上に獣に似た耳が付いている。他の形態では顔の横に付いているのに、だ。

 

「考えてみれば確かに不思議ではあるな」

 

「生物学を学べば、その辺の事も何か分かるのかなって思ってね。でもねえ、ぶっちゃけ儲かんなさそうだし、興味本位で専攻するには難しいところね」

 

「ここでも金かー。神倉時代から変わらんな」

 

「多ければいいとは限らないけど、少ないと確実に破綻するからねえ」

 

 金はまっこと魔物である。人間の生活は魔物の背の上で営まれている、とはよく言ったものである。

 

「色々考えてるんだね」

 

「まーね。さて、それより今は試験でしょ。希、そろそろ再開するわよ」

 

「あと五分……」

 

「それ絶対五分じゃすまないだろ。いいから起きろよ希」

 

「なんつーかさぁ、数学とかやっても、将来何に使うんだとか思わなくね?」

 

「使うかもしれんだろ」

 

「そうね、差し当たっては試験で確実に使うわね」

 

「そーゆートンチを聞きたい訳じゃねーよ」

 

「いーからやんなさい、世の企業は大抵『勉強も出来ない奴が仕事を出来るはずがない』って考えるのよ。道場を継ぐならともかく、迷ってるんなら勉強はしておくに越したことはないわ」

 

「ウボァー」

 

「それはもういいから」

 

 君原の膝に頭をうずめて動かなくなる獄楽。どうやら相当疲れた、というか集中が切れてしまったようだ。

 

「しょーがないなー……」

 

「え? 私?」

 

 名楽が君原に目配せする。それで察した彼女は、少しだけ顔を赤くしつつ獄楽に語りかけた。

 

「あのね希ちゃん、あんまり赤点ばっかりとってると落第しちゃうでしょ」

 

 以前のような点数を取り続けるのならば、決してあり得ない未来ではない。同級生が進級しているのに自分だけは一年生のまま、となれば気まずいでは済まないだろう。

 

「私、希ちゃんと一緒に進学できないと嫌だなー。修学旅行とかも一緒に行きたいなー。希ちゃんいないと寂しくて泣いちゃうかも」

 

「しょーがねーなー、やってやるよ」

 

 ガバっと勢いよく起き上がる獄楽。怒涛の攻勢、と言うには微妙に棒読みだったが、それでもあっさり陥落した。ちょろい。

 

「お前のためなんだぞ」

 

「わーってるよ」

 

「希ちゃん、ガンバ!」

 

「ん――――ん!?」

 

 シャーペンを手に取り、いざ始めんとした獄楽の目が窓の外に吸い寄せられる。精々鳥か飛行機くらいしか見えるはずがなかったのに、あり得ないものが見えたのだ。

 

「あ、あれ!」

 

「ん?」

 

 獄楽の声と窓を指した指に三人が振り向くが、そこには何もなかった。強いて言うなら雲一つない青空くらいである。

 

「……何?」

 

「い、いや、UFOが」

 

「はい?」

 

「お前なぁ」

 

「マ、マジだって!」

 

 名楽は全く信じていない。勉強から逃げる口実だと思っている。皐月は信じる信じない以前に、何言ってんだこいつという顔だ。

 

「はい、これ飲んで」

 

 そして君原は、無言でコーヒーを淹れて獄楽に差し出した。気遣いの女である。

 

「一息入れたらまた集中しよーね」

 

「姫も信用してねーな」

 

「え、でも見なかったし。うん、でもきっと宇宙人はいるよ!」

 

「いや、そーゆーコトじゃねえんだ」

 

「UFOって未確認飛行物体って意味だから、別に宇宙人の乗り物って決まった訳じゃないけど」

 

「いや、そーゆーコトでもねえんだ」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 次の日、学校にて。月曜日から元気な朱池(あけち)が、珍しくも真面目な顔で言った。

 

「昨日、見た?」

 

「えっと、何を?」

 

「UFO」

 

「マジで?」

 

「マジマジ」

 

「私も見たよー」

 

「ホント?」

 

 朱池のみならず、犬養も一緒に見たらしい。これで朱池だけなら疑われもしたが、犬養はそういう事はしない。ゆえにその信用度は高く、少なくとも何かを見たという事は信じられた。

 

「だからー、言ったろー」

 

 なので昨日全く信用されなかった獄楽は、唇を尖らせぶーたれている。まあ仕方ない、たとえ真実であっても、タイミングが悪すぎた。

 

「ゴメンゴメン」

 

「と言ってもねえ。今の希には、UFOより試験の方が大切なんじゃないの」

 

「だな。UFOが何だったのかは分からんが、テスト勉強は続けんとな」

 

「しばらく数式とアルファベットは見たくねーよ……」

 

 現実に撃墜され、ごとんと頭を机に乗せる獄楽。と言ってもテストはまだ先なので、今はどうにもならないのだが。

 

「呑気ねえ、地球が侵略されちゃうかもしんないのに」

 

「え、侵略されちゃうの!?」

 

 朱池が適当に放った戯言を、君原が半ば本気で受け取っている。適当に流せばいいものを、そこで何故か皐月が食いついた。

 

「いや、宇宙人が存在したとしても、わざわざ地球に来るものかしら」

 

「いやいや分っかんないよー、原住民を捕らえて売っ払ってやるんだー、って感じかもしれないじゃん!」

 

「いやいやいや、そんな事で採算がとれるとは思えないわ。そもそもそれが上手く行くんなら、とっくの昔に大規模にやってるはずよ。バレたところで、地球の科学力じゃ太刀打ち出来ないんだから」

 

「いやいやいやいや」

 

「いやいやいやいやいや」

 

「…………何やってんだお前ら?」

 

 よく分からないノリになって来た二人を、獄楽が呆れ顔で見る。朱池が思案顔で大真面目に宣った。

 

「何やってたんだっけ?」

 

「UFOで宇宙人がどうとかこうとか」

 

「そうそうUFO。あれ何だったんだろーね」

 

「どんな感じだったの?」

 

「そらもうUFOよ。いかにもな空飛ぶ円盤」

 

「へえ……宇宙人よりは南極蛇人の超科学だー、とでも言った方がまだ説得力あるわねえ」

 

 南極蛇人。直立二足歩行だが蛇そっくりの頭と尻尾を持つ、ホモサピエンスではない知的種族である。見た目は爬虫類なのだが、驚くべき事に南極に棲んでいる。ちなみに蛇人は蔑称に当たるので、正式には南極人だ。

 

「いや南極人っても、UFO作れるくらいの科学力があるんならアメリカと揉めてないだろ」

 

「まあ羌子の言う通りではあるんだけどさ、宇宙人よりかは現実的じゃない?」

 

「UFOなんて何かの見間違いかヤラセだろ」

 

「もー、羌子ちゃんはロマンがないなぁ」

 

 腰に手を当てた朱池が何かを言い募ろうとしたその時、この世界でもビッグベンを元にしたあのチャイム音が響き渡り、一日の始まりを告げたのだった。

 

*1
現実世界における鎌倉。

*2
現実世界における京都。




 文章整形で崩れるのでピリオドを入れました。

 誤字報告ありがとうございました。地名を原作表記に統一しました。


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07話 南極人の真実は結局謎なのかな?

「南極から来た、ケツァルコアトル・サスサススールさんです」

 

 教壇の横、担任教師の横に立つ転校生は南極人である。女子用の制服を着てバッグを手に持つ南極人である。問答無用に完全無欠な南極人である。有体に言うと、二足歩行の蛇だ。

 

「皆さんと学ぶべく、南極から来ました。よろしくお願いします」

 

 首から上は蛇そのものであるにも拘らず、意外にも人間そっくりの声だ。しかも服の通りに女性の声である。外国人特有の訛りもない。

 

「私服警官がやたらと多かったり、校内にまで入り込んでると思ったら……」

 

「羌子の予想、外れたな」

 

「いやこれは予想外でしょ……」

 

「な、南極人……」

 

「別に取って食われはしないから」

 

 君原が少々怯え気味だ。彼女は幼い頃、南極蛇人を怪物役にしたB級ホラー映画を見て以来、南極人に対して少々トラウマがあるのだ。蛇人が人馬のヒロインを丸のみにしてしまう、という内容のせいだが、本物の南極人は蛇と違って顎が外れないし、体格も人馬より小さいため物理的に不可能だ。

 

「質問はキリないと思うから後でね」

 

 即座に挙げられた手を、予想していたと思しき早さで担任が牽制する。まあ確かにキリなどあるまい。

 

「ではケツァルコアトルさん、一番後ろの空いてる席に座って下さい」

 

 体格はさほどでもないのだが、首から上がちょうど鎌首をもたげた蛇のようになっているので、その頭の位置は意外な程に高い。また、眼は大きく青く、驚いた事に額の上に三つ目の眼が存在する。

 

 腰からは太い蛇の尻尾が伸びているが、地面に引き摺ってはいない。かといって、恐竜のように天秤棒方式でバランスを取っている訳でもない。完全直立二足歩行だ。

 

 手は五本指で、一見哺乳類人と同じなのだが、平爪ではなくかぎ爪だ。ただしほとんど湾曲はしておらず、小さなカラーコーンといった風情である。細かい作業も可能そうだ。

 

 頭と尾は、鱗で覆われているかと思いきやそうではない。ただ、目を近づけなければ分からない程度に、鱗に似た模様がある。質感は滑らかで、黒一色である事もあり、まるでビロードのようだ。

 

 また、頭や尾とは異なり、腕や脚は哺乳類人と同じような感じの皮膚で覆われている。ただし、肌の色は哺乳類人にはありえない、薄い青がかった白に近い灰色だ。僅かに青みを帯びたコンクリートの色、というのが一番近いかもしれない。

 

「君原さん、席が隣同士だし、色々教えてあげてね」

 

 そんな南極人を見ていた君原が、担任の言葉で完全に固まった。新しい机は隣なので当然なのだが、どうやらそこまで頭が回っていなかったようだ。微妙に引きつった顔のまま、一時限目の漢文の授業が始まった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 途中ちょっとしたトラブルもあったが、つつがなく時は過ぎて昼休み。

 

「ケツァルコアトルさん!」

 

「は、はい」

 

「質問の続き、いいかな?」

 

「はい、大丈夫ですよ」

 

 サスサススールが食事を終わらせたところを見計らって、クラスメイトがどっと押し寄せる。午前にも一度休み時間に質問はしていたのだが、その程度では足りぬとばかりに皆興味津々だ。

 

「はいはい並んで並んで。順番よ」

 

 頼まれた訳でもないのに、委員長の御魂が再び仕切り始める。さすが委員長の中の委員長である。

 

「そういえば先程は言いそびれましたが、私の事は名のサスサススールで呼んでください。外に出ている南極人は、皆姓をケツァルコアトルにしていますので」

 

「分かったー。じゃあ私から」

 

 真っ先に声を上げたのは犬養であった。彼女は興味津々そのものの顔で、先程の休み時間にした質問の続きを口にした。

 

「女王がいて、通常種も戦闘種も皆女性って言ってたけど、男の人はいないの?」

 

「分かりません」

 

「分からない?」

 

「はい。理屈の上では、南極人も男女の別はあるはずなのですが」

 

 南極人は蛇に似てはいるが、生物的にはむしろ鳥に近く、恒温動物だ。どうも昔南極に棲息していた恐竜か、それに類するものから進化したようである。従って♂♀の区別はあるはずなのだが、表に出て来る南極人は全て女性なのだ。

 

「少なくとも私は見た事はありませんし、どこにいるというのも聞いた事がありません」

 

「秘密にされてる、ってコト?」

 

「おそらくは」

 

 これは女王が一括して生殖するシステムのせいだと思われる。蜂やハダカデバネズミと同じだ。女王がいなくなれば、南極人は子孫を増やせない可能性があるのだ。

 

 これは蜜蜂の場合なのだが、働き蜂は全て♀なのは有名な話だ。しかし卵を産むことはない、女王蜂が産卵抑制フェロモンを分泌しているからだ。なので何らかの事由で女王蜂のいなくなった巣では、働き蜂が卵を産む。だがその卵から孵る蜂は全て♂なので、遠からず巣は破綻する。蜂の♂は働かない、天然ニート気質なのだ。

 

 蜂の生殖は独特で、受精卵が♀に、無精卵が♂になる。女王は交尾後に精子を溜めて少しずつそれを使い、♀を産む事が出来るが、働き蜂は交尾しておらず精子を持っていないため、♂しか産む事が出来ないのだ。

 

 自分が産んだ♂と交尾すればいい、と言ってはいけない。働き蜂は最短だと一週間しか生きられないのだ。時期によってはもう少し長生きもするが、どっちにしろ♂が成虫になる頃には死んでいる。おまけに♂が交尾を行う時期は決まっていて、それ以外だとニートにしかならないのだ。

 

 もしも南極人がこれと似たような生殖システムを持っていたら、男性の存在はこの上なく大きなものとなるだろう。そうでなくとも女王の配偶者なのだから、重要度は女王に次ぐのは間違いない。となればその存在が厳重に秘匿されるのは、むしろ当然だと言える。

 

 なので、サスサススールが男の南極人について、何か知っていても言いはしないだろう。南極人の男が少ないのは事実のようだし、軽々に部外者に漏らしていい存在では決してない。

 

 尤も、本当に知らない可能性は否定できないが。仮にチョウチンアンコウの如く、女王と物理的に一体化して、産む機械ならぬ孕ませる肉棒になっていたとしたら、『女王に会った事がない』という彼女が知らないのも当然であるからだ。

 

「んじゃ次、私いいかな」

 

 次に手を上げたのは名楽だ。彼女は普段の糸目のまま、それでもやはり興味深そうな様子で口を開いた。

 

「さっき口の中見た時、舌の形が人間……哺乳類人と全然違ったんだけど、それでどうやって喋ってるの?」

 

 何故そんなものを見たかと言えば、サスサススールが笑顔を作ろうとして失敗したからである。南極人には表情筋がないので、笑顔を作るために工夫してはみたものの、何故か大口を開けて牙を見せつけるというものになってしまった。無論力の限り逆効果で、君原はそれで気絶した。

 残念ながら当然である。

 

 さて、そんな些細な事は置いておいて、言語の話だ。文字を持たない言語はあるが、言語を持たない人間はいない。言語というものは、それほどまでに人間に深く根付いている。

 

 だがしかし、声を発する生物は数あれど、喋る事の出来る生物は少ない。喋るためには、それに適した舌や喉の形と、高い知能が必要なのだ。

 

 例えばチンパンジーやゴリラは、人間の言語を聞き取って理解するくらいには知能が高いが、喉や舌の形が人間式発音法に向いていないため、喋る事は出来ない。

 

 これが九官鳥やオウムだと、舌の形が人間に似ているため発音は出来るが、今度は知能が足りていないので人間と同等に喋る事は出来ない。単語の意味を覚えて簡単な文章を作る程度なら可能なのだが、人間と同等、となると無理だ。知能もそうだが寿命が足りない。

 

 南極人は知能面では問題ないが、舌の形は蛇そのものだ。どうやって喋っているか疑問に思うのも無理はない。

 

「喉の形が皆さんとは違いますので、それで発音しています。哺乳類人で言うところの、食道発声法に似ていますね」

 

「食道発声法?」

 

「声帯ではなく、食道入口部分の粘膜のヒダを使って声を出す方法です。熟練者は声帯発声とほとんど変わらない域に達します」

 

「ほー、そんなんあるんか」

 

 もう少し補足するならば、食道発声法では肺は使わない。代わりに使うのは胃だ。胃から食道に逆流させた空気……つまり、『ゲップ』を使って声にする。

 

 サスサススールの言う通り、熟練者だと声帯発声とほぼ変わらない。種類によるが、歌う事だって可能だ。だがその性質上、大声や長時間の発声は難しく、早口が不可能なので独特の僅かな冗長さがある。サスサススールにはそれがないため、喉の形が人類と異なるというのは真実であるようだ。

 

「つまり、舌の形は発音には無関係だと?」

 

「そういう事になりますね」

 

 ちろちろと蛇のように舌を出しながら答えるサスサススール。確かに舌と発音は無関係であるらしい。案外サービス精神がある。

 

「じゃあ次俺! 戦闘種ってどのくらい強いんだ?」

 

 獄楽が元気よく質問した。空手少女としては気になる点のようである。

 

「そうですね……まず戦闘種に二足歩行形態はいません」

 

「そうなん?」

 

「戦闘種の下半身は蛇に似ており、腕は四本あります。大きさも通常種の倍くらいはあるので、力は強いですね」

 

 筋力は筋肉の横断面積に比例するため、身体が大きくなり筋肉が太くなれば、必然発揮できるパワーは上昇する。例えばギネスに載るような長身の人間は、特に鍛えずとも怪力だ。

 

 一方、筋肉の重量は縦×横×高さの三乗で増えるのに対して、筋力は縦×横の二乗でしか増えないため、身体が大きくなると体重に比しての力は落ちていく。

 

 その逆もまた然りなので、小さい生物は体重に比べて大きな力を発揮する事が出来、エネルギー効率も優れている。アリが自分の何倍もの大きさの物体を動かすところは、誰しも一度は見た事があるだろう。

 

 最大筋力を取るか、効率を取るか。

 生物の永遠の命題の一つと言える。

 

「そりゃ随分デケーな」

 

「ただ、瞬発力はあっても持久力はないと思います。形状的にも、長距離走なら皆さんの方が上でしょうね。汗腺も無いですし」

 

 汗腺がないと排熱が上手く行かず、体内に熱がこもる。なので長時間不休で活動し続けると、自己が生成する熱で熱中症になってしまうのだ。南極人に毛皮はないが、それでも熱による活動限界は哺乳類人より早く訪れるであろう。

 

 尤も南極大陸では汗腺など不要なのだから、当然の帰結ではある。寒さへの対策の方がどう考えても先だろう。なんせ南極だ。

 

「結局のトコ、強いのか?」

 

「私は戦いは出来ないので詳しいところは分かりませんが、戦闘種を名乗れる力はあると思いますよ?」

 

 無難な答えに落ち着いた。弱いとはさすがに言えないし、詳しい事も言えないので妥当ではある。

 

「てかよく考えたら、何と戦うんだ? 南極に敵っているのか?」

 

「好戦的原住民や野獣など――すみません、これ以上はちょっと」

 

「いやまあ、いいけど」

 

 その言葉にぴくりと眉を動かしたのは皐月だ。彼女の『前世』の知識と食い違いを見たためだ。

 

 『前世』の知識によるならば、南極には両生類・爬虫類の類は存在しない。哺乳類はいたが、アザラシやイルカ等の半海棲・完全海棲のみで完全陸棲はいない。北極熊はいても、南極熊は存在しないのである。

 

 しかしサスサススールの言によるならば、南極人を襲える程度の獣が存在するようだ。戦闘種は置いておくにしても、通常種たるサスサススールは人間とほぼ同等の体格だ。これを襲える動物となると、熊や狼ほどの大きさや数が必要になる。だがそんな動物は南極にはいないはずで、明らかに知識と矛盾する。

 

 南極は南極人が存在するため、学術調査は人工衛星以外では全く進んでいない。ゆえにこの情報は初耳であり、どういう事なのか考えていると、朱池が力強くサスサススールに質問していた。

 

「南極人はUFOを持ってたり作れたりしますかッ!」

 

「持ってませんし作れません。次の方どうぞ」

 

 にべもないが無理もない、この質問は二度目なのだ。そりゃあ返答だってぞんざいになるだろう。

 

「くそー、ガードが固いなー」

 

「持ってても持ってなくても、ああ答えるしかないだろ」

 

「ロマンがないよキョーコちゃん! こないだも同じ事言った気がするけど何度でも言うよ!」

 

「それはワタシの人生に必要なものなのかね?」

 

「ロマンのない人生なんて、ミチのいない生活みたいなもんだよ!」

 

「ミツ……!」

 

「お宅の恋人はUFOと同レベルのものなのかね?」

 

「ミツ……」

 

「ちっ違うよミチ、今のは言葉のあやってもんで! 羌子ちゃんも変な事言わないで!」

 

「羌子ちゃんの方がいいの……? そうだよね、羌子ちゃん、頭もいいし、私なんかより魅力的だよね」

 

「そういう意味じゃないから! いやそうだけどそうじゃないから!」

 

「私を君らの痴話喧嘩に巻き込まんでくれんかね」

 

 何故か掛け合い漫才風修羅場になって来ている三人は放置して、皐月がサスサススールの方を向いた。

 

「じゃあ次、いいかしら」

 

「はい」

 

「南極人は火山等の地熱を利用して文明を築いた、って言ってたけど、地熱程度で農耕かそれに匹敵するほどの食料を生み出す事は可能なの? 後、南極の獣って全然知らないんだけど、家禽になり得るのがその中にいたりしたの?」

 

 文明は余剰より生まれる。具体的には農耕からの余剰食糧より生まれる。地熱程度で文明を築ける程の余剰(食料)を生み出す事は出来るのか。また、彼女の『知識』にはない、南極の獣とは如何なるものなのか。

 

「まず、私達の食料ですが、苔や菌類、肉を原料としたペーストが主です」

 

「菌類はキノコとして……食用の苔って、イワタケみたいな?」

 

「そのイワタケは知りませんが、食用の苔ならおそらく似たようなものだと思います」

 

 日本や中国の一部で食べられている、岩につく苔の一種だ。味はほとんどないので、食べる時は調味料が必須である。成長に非常に時間がかかり、採集が大変なので、結構な高級品でもある。

 

「そしてその苔や菌類を、地熱を利用して地下で栽培しています。なので一年中栽培可能ですし、量も採れます。美味しいものではありませんが」

 

「へえ……」

 

 苔や菌類にさしてカロリーがあるとも思えないが、その辺りは肉で補っているのかもしれない。そもそも哺乳類とは身体の仕組みが違うはずだから、単純な比較は出来ないだろう。

 

「こちらに生えているような植物もあるにはあります。しかし地下でしか生息できないので……」

 

「大規模生産が難しく、収穫時期も限られる性質上、食用には不向きだと」

 

「はい」

 

 この世界の南極は、地下世界が存在するようだ。地熱で温められたそこが、極寒の世界における生命のゆりかごとなったのであろう。

 

「獣の方ですが、草食獣もいれば肉食獣もいます。概ねは地下に棲息していますが、生態系を作っている程度には種類は豊富ですね。その中に家畜に向いた性質を持つものがいた、という訳です」

 

「というと、恐竜の生き残りの進化形、みたいな? それとも哺乳類?」

 

「恒温動物ではありますが、前者だと思われます。鳥に近いですね。例えるなら……尻尾と牙があるディアトリマ、でしょうか」

 

 ディアトリマとは、古代に繁栄した巨大な鳥の一種である。空は飛べなかったが、優れた脚力と強力な嘴を持ち、強大なハンターとして君臨した。現生生物だとダチョウやヒクイドリに似ているが、それらよりも首が短く頭が大きい。平たく言うなら、大体ファイナルフ〇ンタジーのチョ〇ボである。

 

「ふうん……南極って、雪と氷の世界だと思っていたけれど」

 

「間違ってはいませんが、地熱のおかげで動物も多少はいますよ。地上も夏になれば氷が溶けて、カラフルな地衣類が花のように繁茂したりもしますし」

 

 やはり『前世』とは大分異なるようだ。それも生物学的条件ではなく、地質学的条件が異なっているように思われる。少なくとも知識にある南極は、-90℃に達する事すらある極寒の世界で、火山は存在しても環境を変える程ではなかったし、地下世界など影も形もなかったはずである。

 

 これまで皐月はこの世界を単に、四肢生物ではなく六肢生物が繁栄した、(前世が実在するなら)IFの世界かと思っていたが、ひょっとしたら何か重大なところが異なっているのかもしれない。

 

「ところで折角ですので、私からも質問よろしいでしょうか?」

 

「何?」

 

 その差異に思いを巡らせていた皐月に、サスサススールが逆に声をかける。彼女は表情こそないが、それでも不思議そうな瞳で皐月を見つめた。

 

「皐月さんの形態は、一体いかなるものなのでしょうか? 哺乳類人は様々な形態を持つというのは聞いていましたが、皐月さんのような形態は寡聞にして聞いた事がありません。混合形態ではないようですし」

 

 そこまで言ったところで、彼女はハッと何かに気付いたような様子を見せ、口を手で覆った。どうも感情は顔に出せない分、手の動きに出るようだ。

 

「ひょ、ひょっとして、聞いてはいけない事でしたか!?」

 

「いや別にそんな事ないけど」

 

 慌てるサスサススールの横で、クラスの半分が聞き耳を立てている。何となく気になってはいたが、直接聞くのも憚られ、知らなくても特に困らないので、今まで何となくうやむやにして来た勢である。なお残りの半分は、中学校が同じだったり親しかったりで元から知っていた勢だ。

 

「これは単なる突然変異ね」

 

「突然変異、という事は事故などではなく、生まれつきですか」

 

「そ。混合形態とは正反対に、抑制遺伝子が強く働き過ぎた結果らしいわ。ちなみに私を調べた生物学者曰く、両親は翼人と角人の可能性が高いそうよ。まあ本当のところは分からないけどね」

 

 その言葉に、皐月の事情を知らない、勘のいい一部のクラスメイトが固まる。『可能性が高い』という事はつまり、両親の姿を可能性でしか語れないという事だからだ。それがどういう意味なのかは語るまでもない。

 

「なるほど、双方の特徴が打ち消し合っているような状態なのですね」

 

「そんなところだと思うわ」

 

 だがサスサススールは、皐月の事情には気づいていない様子だ。これは知能云々というより、単に哺乳類人社会に慣れていないが為だと思われる。

 

「ついでと言っては何ですが、もう一つ質問よろしいでしょうか」

 

「ええ」

 

 えっマジかよここで踏み込むのか、という声にならない声が聞こえてくるが、残念ながら南極人にエアリード(くうきよめ)機能はまだ実装されていない。声なき声など南極人には聞こえないので、当然のように質問は口から放たれた。

 

「この国や他の主要各国では、平等を旨とする国家方針を強く規定しているようですが、それは何故なのでしょう。形態間平等の理念は理解できますし、素晴らしいものだと思いますが、形態差別罪という法律を作ってまで強制し、矯正しなければならない程のものなのですか?」

 

「まーた答えづらいところを……」

 

 皐月は右手を額に当てて天を仰ぐ。空気を読まない質問は、結構な爆弾であった。まあ空気から爆弾が作れるのだから、おかしくはないのかもしれないが。

 

「てか答えられんね、迂闊な事言ったら捕まるよ」

 

「まあ警察がいるところじゃあ、間違っても言えないわよねえ」

 

 ちらりと扉の外に視線をずらす。曇りガラスの向こう側に、彼女の護衛として来ている警察官が立っているのがうっすらと見えている。偶然にも獄楽の兄弟子であるそうだが、さすがに違法ど真ん中な話を見逃す程に不真面目という事はないだろう。

 

「す、すみません。無理な事を聞いてしまったようです」

 

「いやいーわよ、相互理解に質疑応答は重要だもの」

 

 教室が微妙な雰囲気になってしまったが、その空気を吹き飛ばすかのように皆が我先に集い、昼休みの質問タイムは続いていった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 睡魔と戦う、午後の数学。抗いきれずに船を漕いでいる頭がちらほらと見えている。そんな中サスサススールは興味深げに授業を受けていたが、その手元に紙が差し出された。

 

「?」

 

 紙の先の手は皐月のものであった。意図が読めずに首を傾げるが、とりあえず折り畳まれたそれを開いてみる。そこにはご丁寧にも、先ほどの質問の答えが手書きの文字で書かれていた。

 

 

『形態間平等のワケ』 ~~何故形態間平等なのか、その表裏~~

 

〇表の理由

 過去の形態間差別が原因、って事になってるね! 嘘ではないよ!

 実際凄かったし、現代で差別が復活したら、内戦に発展する可能性もなくはないからね!

 

 でもそれだけじゃ、形態差別罪が作られた理由には少し弱いよね!

 罰則を定め禁止するって事は、逆説的に差別が厳然として存在する事を認めている!

 スローガンの『平等は時に人命より重い』も大仰だし過激だ!

 だからこうなった裏の理由も見ていこう!

 

●裏の理由

 一言で言っちゃうと『国益のため』だ!

 これだけじゃあ分からないだろうから、もう少し詳しく説明するよ!

 

 昔ナポレオンが、ヨーロッパ各所に戦争を吹っ掛けて回ったのは知ってるよね?

 その時彼は、奴隷だった各国の人馬を解放し、自軍に組み込むという戦略を取った!

 これが大成功し、連戦連勝を重ねたんだね!

 

 当時の銃はフリントロック、一発撃ったら次に撃つまで時間がかかる!

 なので再装填している隙に機動力で飛び込んで接近戦に持ち込む、という戦術が有効だった!

 それには足の速い人馬はうってつけで、かつ元奴隷でもこなせる戦術だったんだね!

 近づいちゃえば素人人馬でも体格差で蹂躙できるからね!

 

 まあそういう戦術面の話は置いておいて、ナポレオンの一件で各国は知ったんだ!

 人馬の力をね!

 

 必然、奴隷だった人馬を解放してナポレオン軍に当てる対抗馬にしなきゃいけない!

 そうしないと次に首だけになっているのは自分達だ!

 しかし人馬を解放すると、他形態から不満が出る!

 その不満を何とかするために、平等という概念を考え出し、長い時間をかけて広めたんだ!

 

 要するに、『平等な国の方が、形態で差別する国より強い』って事だね!

 ナポレオンがそれを証明しちゃったから、どの国も国益のためにそうするしかなくなったんだ!

 結果として、平等と相性のいい民主主義も広まり、現在の形になってるんだよ!

 

〇おまけ

 私見だけど、平等平等喚く人は、争いの原因を形態間の差に求めすぎだね!

 他の動物を見れば分かるけど、そんなもんなくても人は争う!

 争いの本質は『私はあなたではなく、あなたは私ではない』だからだ!

 その辺りを認められない……いいや、認めたくないんだろうね!

 

 ※あくまで私の主観なので信じすぎないように

 ※読み終わったらこっちで処分するから戻して

 

 

 相変わらず悪意と稚気に塗れていたが、それ以上にヤバイ内容だ。この世界に言論の自由などないので、バレれば逮捕は免れない。

 

 だからこそ窓にカーテンが引かれて外から見えず、クラスメイトの目も少ない授業中にわざわざこんな事をしているのだ。そこまでする理由は、単なる南極人への親切か、この世界に対する反感か……それは皐月本人のみしか与り知らぬところである。

 

 ただ確かなのは、程なく戻って来た紙に『ご返答ありがとうございました。よく理解できました』と定規で計ったかのような文字で書かれていた事と、返す時についうっかり()()を作ってしまったサスサススールに皐月の顔が引きつった事のみであった。

 




 感想欄でご指摘があったので、原作と被る部分をなるべく減らしてみました。
 これからも気を付けていく所存。

 でも『読むのが苦痛』とまで言わなくていいじゃん……いいじゃん orz


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08話 人が恋に落ちる瞬間を見てしまった

「野球の応援? 明後日に?」

 

 夏休みも明日に迫った、前期の終業式。その日は、名楽のそんな旨の言葉から始まった。

 

「兄貴が応援に来てくれってうるさくてね……悪いけど皆、付き合ってくれない? 後で兄貴には何か奢らせるからさ」

 

「お兄様がいらしたの?」

 

「一つ上で、常昭(じょうしょう)高の野球部のね。で、皆、どうかな?」

 

 名楽がいつものメンバー+サスサススールを見回す。そこで真っ先に口火を切ったのは獄楽であった。

 

「何で俺らが羌子の兄貴の応援に行くんだ?」

 

「甲子園に行けるかどうかがかかってるから、どうしても勝ちたいんだと。女の子が応援に来れば勝てる、とか暑苦しく語ってたよ」

 

「それで応援に行ってあげようと。兄妹仲が良いのね」

 

「そんなんじゃないから」

 

「別に恥ずかしがることはないんじゃないの。私に家族はいないけど、それが大事にすべきものだとは知ってるわ」

 

 名楽のツンデレに、皐月がさらりと鉛のような金言を吐く。重さに一瞬フリーズする三人に対し、最初に動いたのは南極人サスサススールであった。

 

「ご家族がいらっしゃらないのですか?」

 

「私は施設暮らしだから。南極にはないだろうけど、施設って分かる?」

 

「ええ。児童養護施設、保育者のいない子供を引き取り育てる場所、ですよね。確かに南極には存在しません」

 

「全員女王の子なら、孤児なんている訳ないもんねえ」

 

「ところで、哺乳類人はそういった施設で共に暮らす者を、血が繋がっていなくても家族と呼ぶ、と聞いているのですが……」

 

「そんなの人それぞれでしょ。同居してるだけで家族なら、ルームシェアしてる友人とか、寮の同室に入ったクラスメイトとかはどうなるのよ」

 

「確かに理屈に合いませんね」

 

「将来的に結婚でもするんならともかく、今の私に家族はいない。そういう事よ」

 

「なるほど……」

 

 そこでとっくに解凍されてはいたが、口を挟むタイミングを窺っていた獄楽が割り込んできた。

 

「オイサスサス、コイツは間違っても一般的じゃねーかんな。あんま鵜呑みにすんなよ」

 

「そうなのですか?」

 

「そうかしら?」

 

 同じタイミングで同じような反応を返した哺乳類人と南極人を、僅かに呆れた風情の糸目が見やった。

 

「相変わらず菖蒲はビミョーにズレてんね」

 

「その、あやちゃん……そういうのってちょっと、寂しくない?」

 

「……なんで?」

 

 少しだけ物悲しそうに問いかけた君原に、心底不思議そうに皐月が返す。だが君原が口ごもり返答がないのを見ると、首を傾げつつも本題に戻した。

 

「で、結局応援は行くの? 私は行ってもいいわよ、明後日なら空いてるし」

 

「まあ奢ってくれるってんなら行ってもいいぜ」

 

「サスサスは?」

 

「私が行ってもいいのですか?」

 

「そりゃもちろん。親睦を深めるって事でどうかな」

 

「ではよろしくお願いいたします」

 

「サスサスも参加、っと。姫はどうすんだ?」

 

「え? えっと、うん、行くよ」

 

 そういう事になった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「俺と付き合ってください!」

 

「は?」

 

 試合当日。試合開始までまだ時間があるのでとりあえず挨拶に、という事で向かった常昭高校野球部。そこでいきなり、名楽と顔がそっくりな男が、皐月の手を取り言い放った。

 

 あまりの展開にその場の誰もが固まっていたが、名楽(女)が最初に動いた。彼女はダイナミック告白をかました角人の腕を掴むと、有無を言わさぬ態度で引きずっていく。どうやら糸目の彼こそが、応援を頼んで来た兄で間違いないようであった。

 

「ちょっちょっとこっち」

 

「な、何だよ羌子」

 

「いいから来い!」

 

 そして十分離れた場所に着くと、彼女はこれまた有無を言わさぬ態度で尋問を始めた。

 

「いきなり告白とかどういうつもりだこのアホ!」

 

「どうもこうもねえ、そういうつもりだ」

 

「マジか……マージーかー……。……一目惚れってヤツか?」

 

「そうだ……どうやら、惚れちまったらしい」

 

 妹とそっくりな糸目がマジである。ぐっと拳を握りしめ顔を僅かに赤らめマジである。まあマジでなければ衆人環視で告白なぞ出来まい。

 

「正気か。菖蒲は兄ちゃんの手に負える女じゃねーぞ、悪いこたぁ言わんからやめとけ」

 

「あやめ、っていうのか……キレイな名前だ」

 

「キショイ」

 

「うぐっ……ほ、惚れちまったモンは仕方ねーだろうがよぉ」

 

 兄の本気を感じ取り、妹は大きな大きな溜息をつく。さすがにこんな展開は予想外であったが、妹として最低でも収拾は付けねばならない。

 

「ったく……アイツのどこが良いんだ? 確かに美人ではあるが、顔見ていきなり告白とか、何か海より深く山より高い理由があるんだよな?」

 

「――――顔、かな」

 

「浅っ」

 

 キメ顔と共に放たれた台詞は、水たまりよりも浅かった。妹の目がじっとりとした危険な光を帯びていく。それを感じ取った兄は、慌てて言葉を重ねた。

 

「待て待て待て、それだけじゃねえ。黒髪ロングにストレートもその理由だ!」

 

「確かに珍しいくらいのまっすぐな黒髪で、姫とは違うタイプの美人だな。姫を陽だまりとするなら、菖蒲は砂漠の太陽って感じだが」

 

「おっ、分かってくれるか妹よ」

 

「だがなぁッ、どっちにしても浅いわボケ!」

 

 いつになく口が悪いが仕方ない。頼まれて友人を連れて来たら告白だ、これで微塵たりとも感情が揺らがぬ者は木石か何かだと思われる。

 

「あと、な……」

 

「もじもじすんな、キモイから言いたい事があるならとっとと言え」

 

「その……あの、光のない瞳で見つめられると、ドキドキしちまってな……」

 

「それ単に動悸じゃないのか。お化け屋敷で幽霊を見た的なドキドキじゃないのか」

 

「新たな扉を開いちまった気分だ……俺にこんな面があったなんて、一体どうすりゃいいんだ!」

 

「実の兄に性癖をカミングアウトされた妹こそどうすりゃいいんだ」

 

 ついに頭を抱え込んでしまった妹。マジでこんな時どんな顔をすればいいのだろうか。だが舞い上がる兄は妹に詰め寄る。

 

「なあ羌子、あやめさんの好みのタイプってどんなのなんだ? スポーツマンはどうかな?」

 

「せめて告白する前に聞いて欲しかったよワタシぁ」

 

「そこはすまん! しかし身体が勝手に動いたんだ!」

 

「胸張って言うことかよ……」

 

 本日何度目か数えたくない、しかしこの先何度も吐く事になるであろう溜息を吐き出す。それでも質問には答える辺り、義理堅いのかブラコンなのかは判然としない。

 

「菖蒲の男の趣味は知らん、そういう話はした事がないからな」

 

「そうなのか? JK三人寄ればコイバナ、ってイメージがあるが……」

 

「私も菖蒲もそーゆータイプじゃないんだよ。まだ三ヶ月ぐらいの付き合いだが、菖蒲はそもそも男にあんま興味なさそうだぞ」

 

「てーことは……百合!?」

 

「違う! ……なあ兄ちゃん、さっきも言ったけど、マジで菖蒲はやめとけ。悪い奴って訳じゃあないが、多分兄ちゃんの手に負えるような女でもねーぞ」

 

「……どういうこった?」

 

 ようやく多少は頭が冷えたのか、怪訝そうな目を妹に向ける。妹は真剣さを増した顔でそれを迎え撃った。

 

「アイツはな、事情が重いんだ。本人は軽く扱ってはいるけどな」

 

「重い女って事か? そんなら大歓迎だぜ!」

 

「違う。性格はちょっとズレてるがむしろ軽いくらいだ。性格じゃなくて抱えてる事情の話だ。……その詳しい事情は私からは言えんけど、色々と重い人生を送ってるっぽいんだよ。その重さを一緒に背負えないのなら、悪い事は言わん。やめとけ」

 

 真面目な顔での忠告だ。だから兄も、真面目な顔でそれに応えた。

 

「それは出来ん。一目惚れだったのは確かだが、俺は真剣だ。どんな事情があっても引かんし引く気もない」

 

「そう言うと思ったよ…………」

 

 兄の性格を知る妹は、地の底まで沈み込みそうな勢いで再び溜息をつく。どうしようかと回転の速い頭で悩むが、どうしようもないという結論がすぐに出た。ならば仕方ない、ベストではなくともベターを目指すしかない。

 

「……多分菖蒲と兄ちゃんは、性格的な相性はあんまよくないな」

 

「マジかよそりゃねえぜ羌子!」

 

「私に言っても仕方ないだろ。アイツと相性がいいのは、希みたいに細かい事を気にしない奴か、サスサスみたいに感情的にフラットな奴だ」

 

「サスサス?」

 

「ケツァルコアトル・サスサススール。あの南極人だよ。誰かさんがいきなり告白なんぞしなきゃ紹介できたんだがね」

 

「す、すまん」

 

「で、相性の話だけど。兄ちゃんみたいに一見ガサツで単純なのに実は細かい事気にする、ってタイプだと、多分どっかで上手く行かなくなる……と思う」

 

 何だかんだで周りをよく見ている。観察眼もあるし頭もいい。恋愛アドバイザー名楽羌子の誕生である。アドバイザーであってキューピットではないので、成功の保障はないが。

 

「じゃ、じゃあどうすりゃいいんだ!?」

 

「感情的になるな、細かい事は気にすんな、事情を聞いても憐れむな。事情は聞けば教えてくれるだろうが、それで憐れんだりすんのは絶対NGだ」

 

「よく分からんが分かった」

 

「絶対だぞ、フリじゃねーぞ。アイツ意外とプライド高いとこがあるからな。少なくとも『上から』憐れんでくるヤツを恋人には絶対せんぞ」

 

「お、おう」

 

「いいか、仮に可哀想だとか感じても表には出すな、必ず隠せ、死んでも隠せ。菖蒲は頭もカンもいい、ちょっとでも表に出せばすぐバレるぞ」

 

「ハードル高くねえか?」

 

「いきなり告白なんぞしなきゃこんなハードルもなかったんだよこのアホ兄貴!」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 二人が戻ると、部長が問答無用で兄をぶん殴った。実に体育会系である。

 

「このアホが! 試合前に告白とか何考えてんだアホ!」

 

「す、すんません!」

 

「浮かれすぎで弛みすぎだこのアホ! テメーは次があるが、俺ら三年はこの夏で最後なんだぞ分かってんのかアホ!」

 

 この短い台詞の中に、四回もアホという言葉を入れて来たが無理もなかろう。最後の大会、それも甲子園に出場できるか否かを決める大事な試合が目の前だ。そこで初対面の女子高生に告白なんぞしていれば、そりゃあ怒るに決まっている。

 

「すんません! でも真剣なんス! 俺はアホっスけど、マジなんス!」

 

「だったらせめて試合終わってからにしろやァッ!」

 

「マジすんませんっしたァ!!」

 

 情熱を伝える熱い言葉に返されたのは、もっと熱い正論であった。思わず腰も90度に曲がるほどだ。

 

「ったくアホが………………すまなかったな、えーと……」

 

「皐月です。皐月(さつき)菖蒲(あやめ)

 

 ひとしきり怒鳴ると、部長は皐月に向き直った。そこで名前すら聞いてない事に気付いたが、皐月が自然にフォローする。

 

「丁寧にすまんな、俺はこの部の部長、鈴木健司だ」

 

 顔はいかついが、存外にきめ細かい対応の男である。この兄よりよほどモテそうだ。

 

「では改めて。皐月さん、このアホがいきなりすまなかった。だがコイツはアホだが悪い奴じゃないんだ、許してやってはくれないか」

 

 言葉と共に皐月に頭を下げる部長。出来た男である。ついでにアホこと名楽兄も、部長の手によって強制的に頭を下げさせられている。

 

「『いかに優れた者でも時には我を忘れます』。頭を上げてください、驚きはしましたが別に怒ってはいませんよ」

 

「ありがたい。コイツが優れてるかどうかは疑問だが、そう言ってもらって助かったよ。おう、お前からも言う事あんじゃねえのかアホ」

 

 静かな声だが迫力のある部長に促され、名楽兄が顔を上げた。

 

「ウス! あ、あの、あや――皐月さん!」

 

「はい」

 

「いきなり告白なんてしてすんませんっした! で、でも俺……!」

 

「違うだろうがこのクソドアホ!!」

 

 部長が名楽兄を後ろから再度ぶん殴った。アホの進化形の罵倒付きで。思わず振り返ったその目に映ったのは、鬼瓦と化した部長であった。

 

「まだ自己紹介もしてねえだろうが! 見てても言われなきゃ分かんねえのかァ!!」

 

「す、すんませんッ!!」

 

「俺に言ってどうすんだボケ!! だからテメエはアホなんだ!!」

 

 部長の目が、これ以上言わせるようならどうなんのか分かってんだろうなこの頭ふわふわ野郎、と言わんばかりにぎらりと光る。その眼光に押されるように、名楽兄は改めて皐月に向き直った。

 

「あ、あの俺! 名楽(ならく)羊介(ようすけ)って言います!」

 

「先程も申し上げましたが、皐月(さつき)菖蒲(あやめ)です」

 

「いきなりですんません! でも本気なんです! お、俺と、付き合って下さい!」

 

 勢いよく頭を下げて再び告白する名楽兄。その超直球で男らしい態度に部員たちがざわめく。だが皐月の返答は、ある意味当然のものであった。

 

「ごめんなさい、初対面で告白する方は好みじゃないので」

 

「ぐはぁっ!」

 

「ぶ、ぶった切ったッ!」

 

「バッサリだッ!」

 

「ヤベエ、俺があんなん言われたら立ち直れねえかも……」

 

「な、なんか胸が高鳴るんだが……」

 

「病院行けや、頭のな」

 

 更にざわめく部員たち。名楽兄はキレッキレのお断りに崩れ落ちそうになったが、不屈の闘志で踏みとどまった。

 

「じゃ、じゃあ、友達からお願いします!」

 

「すげえ、あそこから持ち直したぞ」

 

「パネエ……パネエっスよ名楽センパイ……」

 

「この攻めっ気の半分でも試合で上手く出せればな……」

 

「言ってやるな」

 

 口々に感想をもらす部員たちが見守る中、皐月が笑顔と共に返事を返した。

 

「友達まででお願いします」

 

「そ、それは、友達ならオッケーってことっスか!?」

 

「それ以上には行きませんが」

 

「うおおおぉぉぉぉお!!」

 

 両手を突き上げ、身体全体で喜びを表現する名楽兄。実質的に断られているのに、めげない男である。ちなみに妹の方は、皐月が了承した理由を察して両手で顔を覆い小さくなっていた。

 

「おいいつまで浮かれてんだアホ。アップ行くぞアホ」

 

「ウス!!」

 

「ホントに分かってやがんのか……? オイてめえらもだ! 腑抜けた試合しやがったら許さんからな!!」

 

『ウス!!!!』

 

 声を揃えた部員たちが、ダッシュで校庭に向かっていく。名楽兄を小突いたり肘打ちしたりとからかいながら、彼らは部長を先頭に走り始めた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「その…………ごめん、菖蒲」

 

「別に謝る必要はないと思うけど。こんなの誰も予想できないでしょ」

 

「そーだぜキョーコ。南極人が転校して来るより読めねえって」

 

 ばしばしと名楽妹の背中を叩きながら獄楽が気楽に言う。確かにこの展開を読めるのなら、預言者でもやっていけると思われる。

 

「痛いって……てかそういう意味じゃないよ。皆分かってんでしょ」

 

「どういう意味なのでしょうか?」

 

 首を傾げつつ尋ねたのは、哺乳類人の流儀がまだよく分かっていないサスサススールだ。生態上、恋愛関係は特によく分からないと思われるので、当然と言えば当然である。

 

「えーっとね、あやちゃんがあそこで完全に断っちゃうと、羌ちゃんと気まずくなっちゃうでしょ?」

 

「だから菖蒲の好みに関係なく、あの場面で友達になろうって申し出を完全に断るのは無理、ってこった」

 

「そういうものなのですか? 羌子さんとお兄様は確かにご家族ですが、それぞれの人間関係はまた別物なのではないのですか?」

 

「理屈では確かにそうなんだけど……。何と言うか、うーん……理屈と感情は別物、って言うか……」

 

「そんな風に割り切れるヤツばっかじゃねえ、って事だよサスサス」

 

 獄楽の端的な説明に、舌を出しつつシューシューと音を漏らすサスサススール。南極人のジェスチャーは分からないが、不思議そうにしているのは分かる。なので『割り切れるヤツ』筆頭の皐月が追加説明を入れた。

 

「まあ正直私は気にしないんだけど、羌子はそういうタイプでもないから」

 

「ええと……菖蒲さんが羌子さんのお兄さんの生殖の誘いを完全に断り、羌子さんと気まずくなるよりも、菖蒲さんが折れて彼の申し出を部分的に受け、羌子さんとの気まずさを幾分か緩和する方を選んだ、という理解でよろしいのでしょうか」

 

「大体合ってるけど……この場合気まずさを感じるのは私じゃなくて羌子だけね。性格的な話だから分かりにくいでしょうけど」

 

 間違っていないが微妙にずれている理解だ。まだ出会って間もなく、哺乳類人と南極人ではかなり精神構造が異なるので、皐月の補足だけでは不足であったようである。

 

「後は生殖という表現を避けて、一連の流れを口にしないで理解できれば完璧だったわ」

 

「生殖とは真面目な表現だと思ったのですが、まずかったですか?」

 

「まずいって程じゃないけど、そういう直截的な表現はこの場じゃあんま相応しくないわねえ」

 

「難しいですね」

 

「異文化通り越して異種族コミュニケーションだもの」

 

 どうやら名楽妹の言う通り、この二人は相性がいいようだ。まだ出会って僅かのはずだが、上手く()()()()()いる。

 

「ま、あんま小難しく考えることもねーだろ。で、菖蒲。どうなんだ?」

 

「どうって?」

 

「トボけんなよ、羌子の兄貴についてに決まってんだろ」

 

 うりうりと皐月を突っつきながら、意地悪そうな表情を浮かべる獄楽。君原も口にはしないものの、興味そのものはありそうだ。慌てているのは名楽妹だけである。なお生来恋愛の分からぬサスサススールは静観の構えだ。

 

「断ったじゃない」

 

「あれは断るしかねーだろ」

 

 あそこで受ける女は、同じように一目惚れしたか、よっぽど頭が緩いかの二択だと思われる。当然皐月はどちらでもないので、断るという選択肢しかありえなかった。

 

「でもよ、本当に嫌なら羌子は気にしねーで完璧に断るだろ。そうしてねえんだから、案外脈はあったりすんじゃね?」

 

「と言われてもねえ……」

 

 腕を組んでうーむと考え込む。告白されたのが不快という訳ではない。それなら獄楽の言った通り関係そのものを断っている。かと言って()いという訳でもない。強いて言うならどうでもいい。名楽兄は泣いてもいい。

 

「その、あやちゃんの好みのタイプってどんな人なの?」

 

「姫もそういうのに興味あるんだ……なんか意外だね」

 

「私だって女の子だもん!」

 

 上背があって他も色々と大きいのに、何故この子供っぽい台詞が似合ってしまうのだろうか。それがまたあざとくなっていない辺り、世の不公平さを感じざるを得ない。

 

「好み……考えた事ないわ」

 

「その割に結構手慣れた感じで断ってたけど」

 

「告白されるのは初めてって訳じゃないから」

 

 つまり断るのも初めてという訳ではない、という事である。名楽兄はやっぱり泣いてもいい。

 

「それでそれで結局、羌ちゃんのお兄さんはどうなの?」

 

「いや好み以前に、私が求める条件に満たないっぽいって言うか……」

 

「条件?」

 

「最低でも私よりは強い事」

 

「何その蛮族的価値観」

 

 うっかり名楽妹が突っ込んだが当然である。『俺より強い奴に会いに行く!』とか言って旅に出る格闘家でもあるまいし。

 

「いやそういうのじゃなくて。ほら私って、差別主義者に襲われたりするでしょ?」

 

「そこで同意を求められても困るぜ」

 

「……そういう事か、妹としては確かに困るな」

 

「そういう事ね」

 

「どういう事だよ」

 

 頭は悪くないのに使わないせいで分かってない獄楽に説明が飛ぶ。

 

「そういう時、自分の身は自分で守って欲しい、って事。私もそこまで強い訳じゃないから人を守る余裕はないし、人質に取られたりしたら誰も得しない結果にしかならないから」

 

 格闘という括りだと、獄楽の方が皐月より上である。その辺りはやはり経験の差や才能が出るため、力だけでは如何ともしがたい。

 

「誰も得をしない結果とは?」

 

 黙って話を聞いていたサスサススールが、割と最悪なタイミングで割り込んできた。具体的内容を聞いても誰も得をしないからそんな表現にしているのだ。

 

「時と場合によっては人質を見捨てて犯人を殺すって事。私も人質も犯人でさえも得をしない。もちろん羌子だって得しない」

 

「なるほど。確かに誰も得をしませんね」

 

 だが問われれば結構軽く答えるのが皐月である。気遣いはあえなくサスサススールの納得と引き換えになった。

 

「……てかそういう事なら、兄ちゃんは完全に諦めさせた方がいいな。菖蒲もそんな乗り気じゃないんだろ?」

 

「正直あんまり興味がないわね。それに――――」

 

「……ん?」

 

 不自然なところで切れた言葉に、名楽が皐月の顔に目を向ける。形容しがたい何かが微かによぎったが、一瞬の後には普段の表情へと戻っていた。

 

「――――いえ、何でもない。でも私もちょっと軽率だったわ。ところで流れ的に連絡先は教えるしかないと思うんだけど、大丈夫かしら」

 

「そこは何とか誤魔化して……」

 

「あの調子だと羌子のケータイを無断で見かねないわよ」

 

「うっ」

 

 そこで言葉に詰まる辺り、兄をよく理解している。実に麗しき兄妹の相互理解であると言えよう。

 

「ま、大丈夫よ。施設のケータイは全員で一台だから、かけても私が出る可能性の方が低いわ」

 

「そーゆー悪知恵はよく働くのな……」

 

「機転が利くと言って頂戴。先に言っとけば詐欺じゃないし」

 

「羌ちゃんのお兄さん、ちょっと可哀想かも……」

 

「と言ってもねえ。私と付き合いたいって言うんなら、まずは生き残ってもらわないと」

 

「哺乳類人の繁殖は、命懸けのサバイバルなのですね」

 

「オイサスサスが哺乳類人を早速誤解してるぞ」

 

「あのねスーちゃん、これはごく一部の特殊な事例だから……」

 

「というか繁殖って表現も直球すぎんね」

 

「哺乳類人情勢は複雑怪奇です」

 

「どーすんだ否定できる要素がいっこもねーぞ。しかもぜってー何か勘違いしてるぞコレ」

 

「もうほっとけばいいんじゃないかしら」

 

「面倒だからってブン投げるんじゃねーよ!」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 その後。いつの間にか妹が敵に回り、死ぬほど高いハードルを設定された名楽兄が、思いを遂げられるのかどうかはまだ誰も知らない結末である。

 

 彼らが無事甲子園に行けたのか? それは想像にお任せだ。ただ一つ言えるのは、部長はやはり尊敬するに値する男であったという事だけである。

 




 読者の皆様、感想評価その他諸々、ありがとうございます。
 皆、やさしい……(トゥンク

 名楽兄の下の名前は分からなかったので適当です。
 判明したら修正します。しました。


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09話 喫茶店とカフェの違いは、って聞かれてもパッと出てこないよね

 仄かに黄色く柔らかな照明に照らされた、木張りの店内。様々な形のカップが並べられた棚の前に(しつら)えられた、カウンターと脚の高い椅子。高く薫る香ばしいコーヒー豆の匂いが染み付いた、木造りのテーブルたち。

 

 カフェ“The bottom of Hades”。ザクロをモチーフにしたプレートが貼り付けられた扉が開き、ベルが客の来店を告げた。

 

「おー、こんな店あったんだな」

 

「ね、いいカンジでしょ? この間たまたま見つけたんだー」

 

「姫がこういうとこ来るってのもなんか意外だぁね」

 

「ここがカフェというものですか」

 

 感心したように店内を見回す竜人。

 ちょっと自慢気な人馬。

 思いがけぬ面を人馬に見た角人。

 そして興味深そうに諸々を観察する南極人。

 

 獄楽希、君原姫乃、名楽羌子、ケツァルコアトル・サスサススールの四人組である。夏休みに入り、四人の都合が合ったため、こうして街に繰り出してきたのだ。

 

「サスサスはこういう店に来るのは初めて?」

 

「はい。外から見た事はありますが、入るのは初めてです」

 

「あやちゃんも来れればよかったのにね」

 

「用事があるってんならしゃーねーだろ」

 

 その時、ぱたぱたと足音が店の奥から近づいて来た。従業員のようだ。

 

「いらっしゃいませ」

 

 白と黒のモノトーンを基調とした、この店によく映える制服だ。ワイシャツは白く清潔感を演出し、胸元に深く切れ込みが入っているような形状の黒いベストが、より一層白を引き立たせている。スカートは一見長いが、実は後ろから見ると膝上のタイトスカートになっていて、長い部分は前半分だけでエプロンを模しているものだと分かる。

 全体的に可愛さよりも凛々しさを前面に押し出し、嫌らしくない程度にセクシーさを加えた制服だと言えよう。

 

 そんな制服に身に包むのは、均整の取れた体躯の持ち主であった。すらりとして流麗な身体の曲線に、引き締まった四肢。どこか猫科の肉食獣を思わせる、しなやかさと美しい獰猛さを併せ持つ女性である。

 

 彼女の黒く長い髪はポニーテールにまとめられ、業務の差し障りにならないように配慮されていたが、それよりももっと目を惹く要素が存在した。黒く薄い布が左目の上を通り、まるで眼帯の如くなっていたのだ。目鼻立ちは整っているだけにとても目立つ。

 

 事実、その顔を見た君原たちは思わず声を上げる事になったのだから。

 

「あやちゃん!?」

 

「菖蒲!?」

 

「菖蒲さん?」

 

「菖蒲じゃん」

 

「あら、奇遇ね」

 

 そう、外せない用事があると言って来なかった、皐月菖蒲その人である。それがカフェの制服を着て従業員として出て来たのだ、声の一つも上げるであろう。

 

「何やってんの?」

 

「見ての通り、バイトよバイト」

 

「ウチはバイト禁止じゃなかったっけ」

 

「許可があれば可能なのよ」

 

 『やむを得ない事情』があり、校長・担任・保護者が認めれば、社会勉強の一環という名目で許可される。定期的なレポート提出必須、あまり成績を下げると許可取り消し等条件は厳しいが、進学校でアルバイトを公認しているという時点でかなり甘いと思われる。

 

「ま、それはどうでもいいでしょ。四名様ですか?」

 

「お、おう」

 

「テーブルとカウンター、席はどちらになさいますか?」

 

「どっちにする?」

 

「別にどっちでもいいんじゃない?」

 

「それなら、コーヒーを淹れるところを直接見ることの出来る、カウンター席がおすすめでございます」

 

「じゃあそれで」

 

「かしこまりました。ではこちらへどうぞ」

 

 通されたカウンター席の奥には、このカフェのマスターが陣取っていた。ロマンスグレーの初老なら雰囲気的には完璧だが、残念ながらハゲをバンダナで隠したエプロン姿の翼人のオッサンである。太ってはいないが、黒目黒髪にごくごく普通の顔という、何ら特徴的なところのない50代のオッサンである。だがその風貌は優しげで、ここの主であるという気配をごく自然に纏っていた。

 

「いらっしゃい。皐月ちゃんのお友達かな?」

 

「ええ、クラスメイトです」

 

 四人とマスターは軽く挨拶を交わしあうと、彼はごく自然にサスサススールの方を向いた。

 

「ところでそちらは、ひょっとしなくても転校してきたっていう南極人だよね?」

 

「ご存じだったのですか?」

 

「ああ、皐月ちゃんから聞いているよ。一応聞いておくが、食べられないものや飲めないものはあるかい?」

 

「哺乳類人社会用に調整して来ているので大丈夫です。ただ、顎の構造上咀嚼が出来ませんので、餅など喉に詰まるようなものは避けてます。あ、ストローもダメですね」

 

「なら問題ないかな。ではメニューをどうぞ、お嬢様方」

 

 メニューにはカフェらしくコーヒーにエスプレッソや、デザート、サンドイッチといった軽食の名が並んでいた。

 

「なあ菖蒲、何かお勧めとかあんのか?」

 

「当店はコーヒーが自慢の一品でございます。マスターの腕により豆の芳香や味を最大限引き出し、シンプルながら力強く、滑らかで奥行きのある味わいを実現しております」

 

「なんかテレビの通販とかグルメ番組みてえだな」

 

「味を言葉で表現しようとすると、どうしてもある程度は似通ってしまうものですので。ですが一口味わっていただければ違いが分かる、と確信しております」

 

「あやちゃん、ずっとそれで行くの?」

 

「仕事中でございますから」

 

 どうやら仕事とプライベートは分ける性格らしい。それにしたって誰だお前。

 

「んー、じゃあ俺はまずそのコーヒーで」

 

「私もー」

 

「んじゃワタシも」

 

「では私も」

 

「コーヒー四つだね」

 

 マスターがミルを取り出し、コーヒーの準備にかかる。そこでサスサススールがふと皐月の方を見た。

 

「ところで菖蒲さん、今日は普段と眼帯が反対なのですね」

 

「……言われてみりゃ左右逆だな」

 

「うわ、目に光があるよ。何かすっごい違和感」

 

「これは義眼でございます」

 

「ナチスのジョークみたいな事になってんね」

 

 『俺の義眼がどちらか当てれば釈放してやろう』

 『左目だ』

 『ほう、どこで分かった』

 『そちらの方が暖かみがあって人間らしい』

 

 という、ナチスとユダヤ人のジョークの事である。彼女の状況だと結構笑えない。

 

「てか左目隠してたら見えなくね?」

 

「この布は薄いので透けて見えております。ご心配なく」

 

「眼帯の下、初めて見たかも……あれ、でも傷が残ってるって」

 

「ファンデーションで隠しております」

 

「だったら普段からそうしたら?」

 

「面倒な上に時間と金銭がかかり、濡れると落ちる可能性があります。そして何より――――」

 

 言葉と共に左目を覆っていた布を外す。それを見た哺乳類人三人はギョッとして一瞬固まった。

 

「このように、左右で違和感が酷い事になりますので」

 

 見えている左眼は死んでいるのに、義眼の右眼には光がある。知らない人が見たならば、十人中十人が左眼の方が義眼だと思うことだろう。

 

「おおう……」

 

「知っててもビビるなこれは」

 

「さすがにこれでは接客業には相応しくない、という事でここでは左目は隠しております」

 

「だ、だったらさ、新しい義眼を作ったらどうかな?」

 

「義眼は一つ十万円を超えますので、おいそれとは買えません」

 

「え゛」

 

 変な音を出して固まる君原。そんなに高いものだとは思っていなかったのだろう。代わって感想を漏らしたのはサスサススールであった。

 

「随分と高額なのですね」

 

「はい。補助金は出ますが、それでもやはり気軽に買える額にはなりませんので」

 

 個人個人で形や大きさが違うものを、一つ一つ手作りしているので時間がかかる。必然、単価は高くならざるを得ない。

 

 既製品もない事はないが、そちらだと合う合わないの問題が顕著になる。また需要もほとんどないので量産できない。結局、そこまで安くはできない。

 

 3Dプリンターが発達すればもっと安くできるのかもしれないが、現在の技術だとまだそこまでには至っていない。いやひょっとしたらそういった技術は存在するのかもしれないが、商業ベースに乗っておらず、手に入らないなら同じ事である。

 

「貧乏学生にとっては、まさに目の玉が飛び出る値段、という事でございますね」

 

「……オメーのブラックジョークは笑えねーんだよ」

 

「おや、おかしいですね。鉄板ジョークなのですが」

 

 焼き土下座用の鉄板か何かだろうか。何にせよ、色は真っ黒で決まりであろう。

 

「それよりも正面をご覧ください。準備が整ったようですよ?」

 

 その言葉に四人の目が正面に向けられる。そこではまるで化学の実験器具のような、サイフォン式のコーヒー抽出器がセットされていた。

 

「おー、本格的だな」

 

「そりゃカフェだかんね」

 

「いい匂いですね」

 

「そうだね。実は私コーヒーはあんまり得意じゃないんだけど、これなら飲めるかも」

 

「姫は子供舌だもんな」 

 

「そ、そんな事ないもん!」

 

 フラスコの中の水が沸騰し、ボールチェーンに沿ってゴボゴボと泡が沸き出ている。マスターはその上のロートにコーヒーの粉を入れると、ゆっくりとフラスコに差し込んだ。

 

「そういえばマスターさん。少々疑問があるのですが、お尋ねしてもよろしいですか?」

 

「ん、何かな?」

 

 作業の合間、ちょうど手が止まったタイミングで問いかけたのはサスサススールであった。

 

「カフェは休憩や寛ぎのための店である、と伺いました」

 

「そうだね」

 

「しかし“The bottom of Hades”という店名は、その目的にそぐわないように思えます。何か特別な理由があるのでしょうか?」

 

「……なあ、『ハデスの底』ってどういう意味なんだ?」

 

「お、勉強の成果が出てんね」

 

 店名の前半は分かったが、固有名詞の後半だけは分からなかった獄楽が名楽に尋ねた。

 

「ハデスってのはギリシャ神話の神様の一柱で、冥界……つまりあの世の神様だよ。でもこの場合は、聖書に出て来る『死者の行く場所』の方だろね」

 

「おっ、さすが新彼方、博識だね」

 

 作業を進めながら少し嬉しそうにマスターが言う。どうやら店名の由来を知っている事が嬉しいらしい。

 

「いえいえたまたまですよ」

 

「『あの世の底』……確かにカフェっぽい名前じゃねえな」

 

「意訳すると『黄泉の底』『あの世の果て』……余計カフェから離れちゃうね」

 

 なんでそんなものをカフェの店名にしたのか、という無言の視線がマスターに向く。彼は手を止める事なく、機嫌よくその疑問に答えた。

 

「ギリシャ神話を知ってるなら、ペルセポネも知ってるかい?」

 

「ハデスの妻ですよね。確か……冥府で出されたザクロを食べた事で、一年の半分をそこで暮らさなければならなくなったとか」

 

「んな事よく知ってるな羌子」

 

「前読んだ何かの本に書いてあったんだよ」

 

「その通りだ。ギリシャ神話の他にも、あの世の食べ物を食べたから現世に戻れない、という話は世界中に伝わっているよね」

 

「そうなのですか?」

 

「そんな詳しくないけど、ありそうなパターンではあるね」

 

 日本だとイザナミの黄泉戸喫(よもつへぐい)が有名だろう。イザナミは火の神カグツチを産んだことで死んでしまったが、夫イザナギは諦め切れず黄泉国まで迎えに行く。だがそこで会ったイザナミは、『黄泉の食べ物を食べてしまったため帰れない』と返すのだ。

 

 なおその後、日本最古の夫婦喧嘩と離婚劇が繰り広げられるのだが、今は関係ないので割愛する。

 

「でもさ、不思議に思わないかい? あの世の食べ物なんて、誰がどう考えてもヤバイ代物だろう? いくら空腹でも、神様がそんなものを食べるかな?」

 

「言われてみれば、確かに……」

 

「興味深いご意見です」

 

「そんだけ腹減ってたんじゃねーの?」

 

 獄楽が身も蓋もない事を言う。とはいえ実際そう間違ってはいないだろう、ペルセポネは空腹のあまりザクロを口にした、と言われているのだ。

 

「確かにそうだ、空腹は最高の調味料とも言うしね。だが僕は、別の説を推したい」

 

 コポコポと沸くフラスコの中の熱湯が、水蒸気に押されてロートへと上がり切る。ヒーターの火を消すと、黒く染め上げられた熱湯が、再びフラスコへと落ちていく。

 

「きっと、黄泉の国の食べ物は、物凄く美味しそうだったんじゃないかな?」

 

「美味しそう?」

 

「そうだ。どう考えても食べてはいけない代物。しかしそんな理屈を吹き飛ばすほど、魅力的な一品。それこそ、神様ですら我を忘れて口にしてしまうほどに。黄泉の国の食べ物とは、きっとそういうものだったんじゃないかと、僕は思う」

 

「おおー」

 

「叙情的な解釈ですね」

 

「ロマンチックだね」

 

 ロートを外し、フラスコからカップに注いでいく。単なる熱湯から羽化したコーヒーが、(かぐわ)しく香った。

 

「だから僕は、そういうものを出そうと思って、店の名前にしたんだよ」

 

「神々すらも魅了する、みたいな感じですか? ステキですね!」

 

「ははは、そこまで仰々しいものじゃないよ。でも、僕の店に来た人が、もう一度来たい、と思ってくれるような店にはしたいね」

 

 ソーサーに乗せられたコーヒーカップが四客、それぞれの前に差し出された。

 

「神々すらも魅了する、とまではまだ行かないが、それでも我が店自慢の一品だ。無理にとは言わないが、最初の一口はブラックがお勧めだよ。どうぞ、召し上がれ」

 

 そう言われて砂糖やミルクを入れるほど捻くれている訳ではない。彼女たちはそのままカップを手に取り、唇へと運んだ。

 

「おいしい……」

 

「おー……」

 

「さすがプロ……」

 

 感嘆の声が漏れる。味の感想は、聞くまでもないようだ。だが一方のサスサススールは、少しだけ舌をつけると、すぐにカップを置いてしまった。

 

「おや、口に合わなかったかな」

 

「いえ、そういうワケではありません。ただ、私には熱すぎるようなので」

 

「そっか、南極に住んでるんだからね。熱いのは苦手かあ……。これはアイスコーヒーの方がよかったかな」

 

 蛇なのに猫舌なのか、と思ったのがいたが口にはしない。護衛の警察に逮捕されても困るし、何より一応哺乳類人なのでエアリード機能は搭載されているためである。

 

「大丈夫ですよ。頼んだのは私ですし、冷めるまで待てばいいだけですから」

 

「いや、お客様に気遣わせるようじゃあ商売人としては……」

 

「マスター、ここは気遣いを受け取っておくべきかと」

 

 エスプレッソ一つです、といつの間にか接客をこなして注文を取って来た皐月が割り込む。

 

「それを言うなら勧めた私も責められるべきですし、何よりこの場に、南極人にとってはコーヒーが熱すぎるという事を知る者はいなかったのですから」

 

 サスサススール本人ですら、カフェに入るのが初めてだったためにコーヒーの温度までは知らなかった。これはもう不可抗力で仕方ないとしか言えない。

 

「うーん……分かった、ここはそういう事にしておくよ」

 

「それがよろしいかと」

 

 話がまとまったところで、サスサススールが横を向いて言った。

 

「ところで姫乃さんは砂糖とミルクを入れるのですね」

 

「えっ、えっと、ブラックでも美味しかったけど、こうしたらもっと美味しくなるかなって」

 

 慌てたように答える子供舌君原。そんな彼女にマスターが優しく言った。

 

「気にすることはないよ。最初は僕の拘りに付き合わせてしまったが、こういうものは好きに飲むのが一番美味しい飲み方だ」

 

「で、ですよね!」

 

「おお、オトナの対応」

 

「小守のヤツに爪の垢煎じて飲ませたい」

 

 意外にもブラック派の獄楽と、ミルクだけ派の名楽が感心している。後者の感心で流れ弾が飛んでいるが。

 

「そーいや小守っつったらさ、アイツ羌子の事苗字じゃなくて下の名前で呼ぶよな」

 

「ああそれね……」

 

「何かあったんか?」

 

「いや大した事でもないんだけどね。小学生の頃、『オマエって落とし穴みてーな名前してるよな』とか言い出してね」

 

「落とし穴……ってアレか、あの頃流行ってたカードの」

 

「そ。それでふざけんなこのクソアホってなって、気付いたら下の名前で呼ばれるようになってたって訳」

 

「くっだらねー」

 

「くだるような理由だったら、今頃アイツはもうちょいマシな頭になっとるさ」

 

「そらそーだ」

 

 そこで納得される辺り、小守がどう思われているのかよく分かる。哀れではあるが、それ以上に頭が哀れなので仕方ない。二重に哀れな男である。悪い奴ではない、と思われているのがまだ救いか。

 

「スーちゃんはコーヒーに何か入れたりしないの?」

 

「ああいえ、そういうコトではなく、懐かしくて」

 

「懐かしい?」

 

「南極の食事は、苔や肉等をペースト状にしたもの、と言った事を覚えてますか?」

 

「うん。地下で栽培してるんだよね」

 

「幼体の頃はそれらの混ぜ方や注ぎ方を変え、食感を変えるなどして楽しんだものです。姫乃さんが砂糖とミルクを入れて混ぜているのを見て、それを思い出しました」

 

「へー、なんかいがーい。スーちゃんにもそんな頃があったんだね」

 

「南極人と言えども、生まれた時から成熟している訳ではありませんからね。そういった『遊び』は、脳を発達させるために必要な過程なのでしょう」

 

 サスサススールがコーヒーカップを手に取り、口の高さまで掲げた。

 

「そして多様な食文化もまたしかり、です。そろそろ冷めたと思いますので、いただきます」

 

「ああ、召し上がれ」

 

 今度は手を止める事なく、黒く芳醇な液体が喉を流れ落ちていく。そして彼女は、ほぅと息をついた。

 

「美味しいです」

 

「そりゃよかっ――――!?」

 

 サスサススールを見ていたマスターが石化する。彼女がうっかり()()を作ってしまった為に。

 

「スーちゃん、顔! 顔!」

 

「あっ」

 

 君原が慌ててフォローに入るが、それは少々遅きに失したようだ。微妙に打たれ弱いマスターはすでにヘコんでいる。

 

「そっか、牙を剥き出しにするほど不味かったか……」

 

「ちっ違いますから! これが南極人の笑顔なんです!」

 

「お言葉ですがお客様、その笑顔で気絶された方がそう仰られても、些か説得力に欠けるかと」

 

「あやちゃん混ぜっ返さないでッ!」

 

「そんな分かりやすい嘘をついてもらわなくてもいいさ。そっか、僕のコーヒーは南極人には通じなかったか……」

 

「ああほら、もっとヘコんじゃったじゃない!」

 

「ご心配なく、割といつもの事ですので。そんな事よりマスター、コーヒー3つ注文入りました」

 

「この流れで鬼か」

 

「とんでもない、たまたまでございます」

 

「あのお客さんにお勧め聞かれてコーヒーって答えてたみたいだけど」

 

「一介の従業員として、お客様に嘘をつく訳には参りませんので。という事でマスター、ヘコんでる暇があったら仕事して下さい」

 

「あ、ああ、そうだね……コーヒー、淹れないとね……。…………南極人……コーヒー……」

 

「あの、すみません……私のせいで……」

 

 笑顔だと納得してもらうまで30分くらいかかりました。

 




〇喫茶店
 『喫茶店営業許可』を取っている店舗。
 アルコールの提供は出来ず、簡単な加熱以外の調理が出来ない。
 許可は取りやすい。

●カフェ
 『飲食店営業許可』を取っている店舗。
 アルコールの提供、調理全般が可能になる。
 許可は取りにくい。

 ただし喫茶店が『カフェ』、カフェが『喫茶店』と名乗っても、法律上問題はない。
 あくまで問題になるのは業務内容のみの模様。


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10話 両棲類人って全然両棲類じゃないらしいよ

「ところでよ、菖蒲」

 

「何?」

 

「羌子の兄貴とはどうなってるんだ?」

 

 時期は未だ夏休み。だが進学校たる新彼方高校には、登校日というものが存在する。獄楽が皐月に質問を飛ばしたのも、そんな日のうちの一日であった。

 

「どうにもなってないわ。電話はかかってくるけど大抵他の子が取るし、そしたら適当に理由つけて取り次がないようにしてもらってるし、たまに喋っても緊張してるみたいで碌に話せないし」

 

「って事はどうにもなんねえかー。なんかちょっとカワイソーかもな」

 

「いや、そう簡単にも行かないかもしれないのよね」

 

「何でだ?」

 

「施設の子が『ねーちゃん彼氏できたんだろー』とか『姉さんの彼氏って優しい人なんだね』とか言って来るのよ」

 

「んあ? どーゆーこった? 付き合ってねーんだろ?」

 

「どうも他の子に繋がるのを逆手に取って、外堀から埋めようとしてるみたい」

 

「将を射んと欲すれば、ってヤツか。しっかし意外だな、そーゆー搦め手使えるタイプにゃ見えなかったが」

 

「私も同感。だから入れ知恵してるのがいると思ったんだけど……その辺どうなの羌子?」

 

 話題が話題なので入りづらく、結果的に壁の花になっていた名楽に皐月が水を向ける。名楽は顎に指を当て、少し考え込むと微妙に嫌な事を思い出すかのように答えた。

 

「…………そりゃ多分お袋の入れ知恵だな」

 

「お母様の?」

 

「羌ちゃんのお母さんって……生きてたの!?」

 

「誰も死んだなんて言ってねーぞ姫」

 

「ご、ごめん。でもお母さんの話を全然聞かなかったから、てっきり……」

 

「まー家にいないのは事実だからな。離婚したとかじゃないが、この十年親らしいコトなんぞしてくれた覚えがない」

 

「随分奔放な方みたいだけど……そのお母様が入れ知恵してるって事?」

 

「消去法だけどな。親父も他の兄貴たちも恋愛にゃ疎いし、あの兄の友人どもも右に同じだ。女友達なんて高尚なモンがいるわきゃないし、となるとそういうコト教えられるのはお袋くらいって話になる」

 

「羌子さんのお母様ですか……どのような方なのですか?」

 

 恋愛はよく分からないので黙って話を聞いていたサスサススールが、名楽母には興味を覚えたのか入って来た。

 

「そーだな、キョーコそっくりだぜ」

 

「誰がじゃ!」

 

「顔も性格もそっくりじゃねーか。あ、でもお袋さん糸目じゃねーな」

 

「つまり斜に構えてて向上心があり頭が良くて体力がないと」

 

「お前さん私をそんな風に思ってたんかい」

 

「同属嫌悪、というものですか?」

 

「同属じゃないよ、ワタシぁあんなに享楽的で無責任じゃあない」

 

「そうやって否定する辺りそれっぽいけどな」

 

「やかましい!」

 

 珍しく感情的になっている辺り、意識的にしろ無意識的にしろ自覚はあると思われる。なお容姿も含めて、かなり似ているのは事実である。

 

「ってかお袋の話は今はいいだろ」

 

「結構面白そうだから聞いてみたいんだけど」

 

「却下だ却下。それより兄ちゃんだよ、実際どうなんだ? 菖蒲は外堀埋まったからどうこうってタマじゃないだろうケド、迷惑になってない?」

 

「迷惑ってほどでもないわ。誰が何を言おうと意味なんてないし、今んとこ興味もないから付き合う気は全くないし」

 

 つまり名楽兄は歯牙にもかけられていないという事である。

 哀れ。

 

「そんならいいがね……」

 

「ま、迷惑になるようならこっちで対処するから心配しなくていいわ」

 

「そうさせたくないから心配してるんだよ」

 

 ()()の具体的内容を薄々感付いている名楽が断固として言う。碌な事にならないと予感したのだろう。大体合ってる。

 

「あ、メールだ」

 

「お、スマホに変えたのか姫」

 

「えへへー」

 

 子供っぽい笑みを浮かべながら、新品のスマホを取り出しタップする君原。だがその手付きはおぼつかない。まだ慣れていないようだ。

 

「えっと……こうだったっけ?」

 

 慣れていないので操作を誤り、メールではなく別のアイコンに触れてしまう。森の映像と音楽が流れ、何かの広告が始まった。

 

『ジャングルの奥地にのみ咲く、特別なランの花。その成分を配合した――――』

 

「あっ、間違えちゃった」

 

「おやこれは……ジャン・ルソー氏ですね」

 

 スマホ画面には、カエルそっくりの頭をした、四本腕の男性が映し出されている。これはCGでも合成でも何でもない。本当にそういう姿をしているのである。

 

「スーちゃん、このカエルの人知ってるの?」

 

「カエルの人はマズいんじゃない?」

 

「んじゃなんだよ」

 

「両棲類人かな」

 

「言いにくいなー」

 

「あえて言うなら『フランス人』でしょうか。彼は国籍上フランス人ですから」

 

 ジャン・ルソー氏は、子供の頃南米のジャングルで行き倒れていたところをフランス人宣教師に拾われ、哺乳類人社会で教育を受けた。そこから両棲類人としては初めて高校・大学と進学。卒業後南米の小さな貿易会社に入社し、社長に登りつめ、親会社を買収してコングロマリットの会長になったのだ。

 

「――――というのが大まかな経歴ですね」

 

「会長がわざわざCMに出るんか?」

 

「少数民族保護活動等で、元々メディアへの露出も多いですから」

 

「両棲類人と言えばサスサス」

 

「はい、何でしょうか菖蒲さん?」

 

「彼らにとって南極人は神だって聞いた事があるんだけど、本当なの?」

 

「そうですね……それは正確ではありません」

 

「どゆコト?」

 

「両棲類人だけではなく、あの周辺一帯の哺乳類人にも私達をそのように崇める者がいます」

 

 これは歴史に由来する。コンキスタドール――15~17世紀の、スペインによるアメリカ大陸征服事業――によって、アメリカ大陸の先住民達は侵略された。だが、この世界の先住民達はこれを撥ね返した。その原動力となったのが、南極人だったのだ。

 

 元々インカ帝国等の南米先住民達は、蛇に似た頭を持つ南極人を創造神ケツァルコアトルと同一視し、信仰の対象としていた。そのために、スペイン人が攻めて来た時南極人が結束の象徴として機能し、侵略を撥ね返すことが出来たのである。

 

 スペイン人は銃や鉄鎧、馬を持っていたのではないか、という疑問もあるだろう。だが人数としては数百人が精々なので、士気が高い万単位の軍と正面から戦えば勝敗は見えている。

 

 銃と言ってもマスケットなので連射が利かず、近接戦に持ち込まれると人数差が出る。馬だって船で運ぶのは大変だから数は少なく、戦局を左右する要素にはならない。四肢人類の世界でスペイン人が勝てたのは、戦闘能力以外の要因が大きい。

 

 尤も南米先住民は、戦闘には勝てても、天然痘等の免疫を持たない病気には対応出来なかったと思われるが、サスサススール曰く『政治には口を出さなかったが、幾つかの知識や技術を渡した』との事なので、その中に種痘等の防疫に関する知識が入っていたのかもしれない。

 

 とはいえ、侵略に屈した国もまた存在した。ゆえに現在の南米は、先住民族系の国家と、侵略者系の国家の二種類に分かれている。

 

 閑話休題。ともあれそういう事情より、南極人は南米においては神として崇められている。それは現在進行形であり、南極人が他国に行く時には、アステカ諸邦のチャーターした飛行機を使うほどである。

 

「しかし私には、神というものがよく分かりません」

 

「そうなん?」

 

「そもそも神は実在しないと思うのですが、それを崇めるというのがよく飲み込めず……。私達は存在しているのに、実在しないものと同等に崇拝する、とは一体どういう事なのでしょう?」

 

「言われてみりゃ変な話だな」

 

「神っていうのは概念上の存在で、えーと」

 

「人間の力の及ばぬもの、例えば自然現象とか災害とか、そういうものを神の仕業、もしくは神そのものだとしたのが宗教の始まりとする説もあるね」

 

「それって結局、神なんていないってコトじゃね?」

 

「と言っても、科学は『どういう仕組みでその現象が起きるのか』は分かっても、『その仕組みで何故その現象が起きるのか』は分からないからねえ。そっちは哲学とか神学の領域」

 

「えーと……」

 

「空が青くなるのは太陽光が散乱するからだけど、太陽光が散乱したら何故赤でも緑でもなく青色になるのかは科学じゃ分からないって事」

 

「てか科学は、『どのようにして』を追及する学問だから、当然っちゃ当然だぁね」

 

「それで、結局神とはいかなるものなのでしょう?」

 

「いや俺らに聞かれても困るっつーか……そうだ」

 

 何かを思いついたらしき獄楽がポンと手を打つ。

 

「プロがいるじゃん」

 

「プロって……私は実家が神社なだけで、神学者でも拝み屋でもないんだけど」

 

 振り向いた先にいたのは、委員長オブ委員長こと御魂真奈美であった。彼女は一応程度だが巫女であり、実際にお祓い等を行う事もある。

 

「まあまあいいじゃん、それで神って結局なんなんだ?」

 

「そんな事言われても……」

 

 御魂は困惑顔だったが、何かに気付いたように不自然な笑顔になった。まるで商品を売り込む営業マンのようなスマイルだった。

 

「神様というのは、とてもありがたーい存在なの」

 

「お、おう」

 

「ウチの神様は特に霊験あらたかで、痩身美顔・無病息災・交通安全・家庭円満。特に学業に験ありよ」

 

「誰が実家の売り込みをしろと言ったのよ」

 

「あら事実よ」

 

 彼女の成績は学年二位である。そういう意味では説得力はない事もないが、そういう意味で獄楽が話を振った訳ではない事は明白である。

 

「そんな事より、あなた達ジャン・ルソー氏に興味があるのよね?」

 

「断定形な辺り嫌な予感が……」

 

「今度ルソーさん、ウチの学校に講演に来て下さるの。だからあなた達にも準備委員お願いできるかしら」

 

「私達でよければ」

 

「オイ」

 

 間を置かずに了承の返事を返したサスサススールに、獄楽が軽く肘打ちを入れる。それに対しサスサススールが、慌てた様子で言った。

 

「あ、私、何か外しました?」

 

「いや、そーじゃねーけど」

 

「そんなコトないわよ。夏休みが終わってからの話だけど、よろしくね」

 

 言うだけ言って御魂は去っていく。その背中を見送ることなく、皐月が低い声でサスサススールの名を呼んだ。

 

「サスサス」

 

「はい」

 

「ここは外したとかじゃなくて、私達の意見も聞かずに勝手に了承したのが問題なの。複数形で答えた以上、私達もそうせざるをえなくなるでしょ? それじゃダメよ、私達はあなたの部下でも子分でもないんだから」

 

「なるほど……申し訳ありません、考えが足りませんでした」

 

「私は気にしないよ?」

 

「そこまで言わなくてもよくね?」

 

「そういう問題じゃなくて、これは筋の問題なの。親しかろうが何だろうが、曖昧にしていいところじゃないわ。まあ次から気を付けてくれればいいから、グチグチ言う気はないけどね」

 

 皐月に哺乳類人の流儀を聞いているヘビと、スマホの画面に表示されっぱなしだったカエルを順繰りに見て、名楽がポツリと一言こぼした。

 

「しっかし最近ウチの学校は、すごい事になってんね」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 両棲類人。南米ア河(おそらくアマゾン川に相当)流域に棲んでいる、ホモサピエンスではない知的種族だ。

 

 外見は四本腕のカエル人間といったところだが、カエルとは異なり尻尾がある。単に姿が似ているだけで、遺伝子的な類縁関係はあまりない。水辺で暮らしている事は事実で、名称も両棲類人だが、完全肺呼吸で恒温動物だ。幼い子供は本能では泳げないので溺れたりする。

 

 またルソー氏が証明している通り、知能面では哺乳類人と遜色ない。だが現在でも昔ながらの漁・狩猟採集生活をしており、大規模な文明を築く事はなかった。これは熱帯が農耕に不向きである点、肌が哺乳類ほどの乾燥耐性がない点、そして何より水から離れられない点のためだと言われている。

 

 彼らは胎生ではなく卵生であり、卵を孵すには水が、それも条件の整った水が必要なのだ。だからこそ、水から離れた場所で生きていくことは出来ないのである。

 

 そんな両棲類人は、南米諸国、特に侵略者系の国家において、人権は認められていない。より正確に言うのなら、知性の存在しない単なる動物というのが公的見解である。ジャングル開発における邪魔者になる上、知性を認めると各種権利をも認めなければならなくなるからだ。

 

 そんなコストをかけるくらいなら、蛙のように踏み潰してしまった方が手っ取り早い。数も精々数万で、部族ごとに分かれており、碌な武器も持っていない相手である事だし。

 

 ついでに言うなら、両棲類人は水で錆びない(きん)の装身具を身に着ける風習がある。あるからどうだ、というのはまあ、言わずもがなという奴だ。

 

 そして南米諸国のこの政策は、平等を国是とする先進諸国には甚だしく受けが悪い。また当然ながら、両棲類人もやられてばかりではない訳で。表にはまだ出ていないものの、現在の南米情勢は水面下でキナ臭さを増している。

 

 とは言え未来がどうなるのか、今はまだ誰にも分からない事である。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

『――――ありがとうございました。では皆さん、ジャン・ルソー氏に盛大な拍手を!』

 

 体育館に万雷のような拍手が巻き起こる。と言っても全校生徒が集まり、音を反響する構造になっているからであって、本心からそうしている者がどれほどいるかは不明だが。まあいくら珍しい両棲類人の講演とはいえ、高校生ならそんなものである。

 

「んーっ、終わった終わったやっと終わった」

 

「つっても委員の仕事はまだあるけどね」

 

「それは委員長がやんだろ? 俺らの仕事はもう終わりだろ」

 

 講演で喉が渇いたであろうルソー氏に、お茶を出す系の仕事である。メイドっぽく見えるエプロンと、フランス産の紅茶を用意する程度には気合が入っている。

 

「菖蒲がやっても良かったんじゃね? 本職だろ」

 

「確かにウエイトレスは堂に入ってたね」

 

「…………」

 

「あやちゃん? どうしたの?」

 

 返事のない皐月を不審に思った君原が声をかける。皐月は今気づいた、といった様子で応答した。

 

「え、ああ、何でもないわ。……ちょっとぼうっとしてただけよ」

 

「珍しいですね」

 

「……そりゃ私だって、そういう時もあるわ」

 

 そこで言葉を切り、壇上を見上げる。先ほどまでジャン・ルソー氏が喋っていた壇上を。

 

「………………」

 

 その心中に渦巻く感情は複雑だ。本当にカエル頭で驚いただとか、四本腕が器用に動いていただとかそんな事ではない。もちろんそういう生物学的興味もない訳ではないが、割合としては非常に少ない。

 

 彼女がジャン・ルソー氏に抱くのは、主に二つの感情だ。

 

 一つは共感。彼は哺乳類人社会の中、唯一の両棲類人として育った。それは六肢人類の中、唯一の四肢人類として生きる自身と、どうしても被る。だがその感情が占める割合はあまり大きくない。大きいのは、もう一つの感情。

 

 即ち、嫉妬だ。

 

 両棲類人はこの世界に間違いなく存在する種族であり、会う事もまた可能である。つまり、同属が存在する、という事だ。

 

 翻って四肢人類は、この世界のどこにも存在しない。いやそれどころか、本当に存在するのかも分からない。ただ自身の肉体的特徴から、無意識的に作り出した妄想なのかもしれないのだ。

 

 それが厭わしく、腹立たしい。あちらには同属がいるのに、何故こちらにはいないのかと。

 

 六肢人類を同属と思うには、差別主義者のテロリストは疎まし過ぎた。今となってはもう大して気にも留めていないのだが、それでも残るものもある。指先に刺さった1mmにも満たないトゲが、折に触れて意識されるように。

 

 それでも六肢人類を同属と思えたのかもしれない。『前世の記憶』がなければ。それさえなければ、自身を単なる突然変異の一個体と思う事も出来ただろう。

 

 しかしその場合、保護者のいない皐月がこの年まで生き残れていたかは甚だ怪しい。記憶があろうがなかろうが、悪目立ちする彼女は差別主義者に襲撃されていただろうし、記憶のない単なる子供であったのなら、その時点で終わっていた。

 

 彼女が今生きているのは、記憶に伴う高い知性や豊富な知識を幼くして有しており、子供相手で油断しきっていた相手の隙を突けたからだ。

 

 だからこそ、負の念は募っていく。さして強い感情ではなくとも、澱みに溜まる泥のように、確実に。それはルソー氏に対するものなのか、この世界に対するものなのか、本人にすら分かりはしない。

 

「ったく、新学期早々コキ使われた気分だぜ。準備にもうちょい余裕ありゃよかったのによ」

 

「会長さんなら忙しいだろうし、仕方ないよ」

 

「そうそう、姫の言う通り」

 

 とは言えそれを表に出すことはない。ルソー氏には関係のない話であるし、何より皐月にもプライドというものがある。こんな事で当たり散らすなど、出来るはずもない。そも前世の事は誰にも漏らした事はないし漏らす気もないのだ、当たれる相手がいる訳もない。

 

「このパイプ椅子の山ってどうするんだったっけ」

 

「知らねーけど」

 

「何も言われてないんだし、戻ってもいいんじゃない?」

 

「それもそーか。てかこの上で片付けとかカンベン。うっし、戻ろーぜー」

 

「……そうね、戻りましょうか」

 

 だから彼女は何も言わず、先程までルソー氏が立っていた壇上を再び見つめ、踵を返す。分かっていてもどうしようもない感情を、胸に沈めて。

 

「……………………」

 

 外からでは感情を窺わせぬ南極人の三つの瞳だけが、後ろからその様子を見ていた。

 



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11話 馬に乗ってなくても流鏑馬って言うんだって

 秋である。嫁が茄子を食えなくなる季節である。そして秋と言えば、流鏑馬(やぶさめ)である。実は秋に限った事ではないのだが、秋に執り行う事が多い。

 

 それはこの六肢人類の世界でも変わらないのだが、変わった事が一つ。この世界の流鏑馬は、主に人馬が行うものなのだ。

 

 君原もまた流鏑馬を嗜んでおり、今日はいつものメンバーでその見学に来ている。一頻り見た後、師範に普通の弓道をやってみないかと誘われたため移動したのだが。

 

「二人とも……マジ?」

 

「ぬっ……ぐぬぬぬ……!」

 

「重い……ですね」

 

 名楽とサスサススールの二人は、弓を引くだけで精一杯のようだ。弓を保持している腕がぷるぷると震えている。生まれたての子馬よりも震えている。

 

「いくらなんでもこれは……」

 

「ワタシぁつくりが繊細なんだよ」

 

「南極人の通常種にあまり力はないんです」

 

「体育の授業で体力ないのは知ってたけど、だからってここまでとは思わなかったわ。それに比べてあっちは――――」

 

 横に視線をずらす。そこでは獄楽が、的の中心にばすばすと当てまくっていた。

 

「いや、あのスポーツ万能と一緒にされても困る」

 

「弓を引くのは初めてという話でしたが、希さんは凄いのですね」

 

「肉体面での天才ね」

 

 見本として師範の射を一度見ただけのはずだが、あっという間にそれを自分のものにしてしまった。師範は人馬で体格もかなり違うのに、である。まさに天才としか言いようがない。

 

「あの子ホント凄いわね……」

 

「師範の目から見ても?」

 

「そりゃあね。普通は弓を持たせるまででも二ヶ月くらいはかかるもんだけど、あの子なら明日からエースで活躍できそうよ」

 

 感嘆の中に呆れを織り交ぜ、師範がお墨付きを出す。プロの目から見てもやはり凄いようだ。

 

「そういう菖蒲はどうなんだよ」

 

「私? そうねえ――」

 

 前に出て、先程の師範の動きを再現していく。

 いわゆる『射法八節』だ。

 

 一、足踏(あしぶ)

 的を見ながら左足を半歩踏み出し、右足を一度左足に引き付け、逆方向に扇形に開く。両親指を結んだ線上に的の中心が来るように、足の延長線上で作る三角形が60度になるように。

 尤も手本は馬の足だったので、師範に聞いてあっさり再現した獄楽の動きを真似している。

 

 二、胴作(どうづく)

 弓を左膝に、右手は右腰に。勘違いされがちだが、和弓を持つ位置は中心ではなくそのかなり下だ。大雑把だが下から三分の一より少し上の場所だろうか。中心を持つのは西洋のアーチェリーである。

 

 三、弓構(ゆがま)

 右手を弦にかけ、左手を整え、的を見る。『大木を抱えるような気持ちで』とよく言われる。

 

 四、打起(うちおこ)

 先ほどの状態から、静かに掬い上げるように、両方の拳を上に持ち上げる。拳は額の高さよりやや高めに、腕は斜め上に伸ばし、地面と45度ほど。胸や肩の力を抜いて、矢は水平に、弓は地面と垂直に。

 

 五、引分(ひきわ)

 右手首ではなく右肘で弦を引いていき、また左手で弓を押すように開いていく。左右均等に、矢が水平を保ったままになるように。最終的に、矢が口割れ(唇の合わせ目)につくまで引分ける。

 

 六、(かい)

 引分けの完了した状態。弓を射る過程で、最も力を必要とするところ。無理に射ようとはせず、そのタイミングが来るのを待つ。

 

 七、(はな)

 力が頂点に達した所で手を離す。胴がぶれないように。熟達すると、離すのではなく自然と手が離れるという。当然皐月にはそんなのは分からないので適当である。

 

 八、残身(ざんしん)(残心)

 矢を射った後、その体勢を崩さず矢所(やどころ)(矢が当たった所)を見る。この時射の反省をすると言うが、やっぱり皐月には分からないので適当である。正確には、何が良くて何が悪いか、経験不足のせいで分かっていない。

 

「――――とまあ、こんな感じかしら」

 

「外れてんね」

 

 一応的には当たっている。真ん中からは盛大に外れているが。

 

「仕方ないでしょうが、片目だとどうしてもズレるのよ。補正の仕方も分からないし……」

 

 銃とは異なり、弓は両目で狙うものなのだ。片目で当てる方法もないではないだろうが、初心者の皐月にはどうしようもない事である。

 

「いや中々良かったよ。直すところはあるけど、初心者としてなら十分以上ね」

 

「記憶力はいいですから。弓も軽くて引きやすかったですし」

 

「……軽かったの?」

 

「え? ええ」

 

 思案顔の師範が、壁に立てかけられていた弓を一張り取り、それを皐月の弓と交換した。

 

「ちょっとコレ引いてみて」

 

「はあ」

 

 とりあえず射法は考えず、腕力で適当に引っ張る。弓はあっさりみょいんと伸びて形を変えた。

 

「重くないの?」

 

「いえ、特には」

 

「……マジ?」

 

「マジですが……何ですその顔は」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったよう……というより、豆鉄砲を撃つ鳩を見てしまったかのような顔である。

 

「いやそれね……。通し矢用の弓なのよ……それも人馬が使う」

 

「通し矢と言うと……三十三間堂の?」

 

「そうそれ。今でもたまにやる人はいるから、一応準備だけはしてあんの」

 

 通し矢とは、京都三十三間堂(約121m)の軒下を、弓で射通す競技である。遠いとは思うだろうが、実のところ弓で120mを飛ばすのはそんなに難しくはない。大砲のように斜め上に撃てばいいだけだ。当たるか当たっても殺傷能力があるかはさて置いて、そうすれば120m程度なら十分届く。

 

 通し矢の難しいところは、屋根があるせいで射角が限られる点である。角度をつけすぎると、天井に刺さってしまう。必然、強弓を使わなければ届かない。かと言って強すぎると早く疲労するため何回も射る事が出来なくなってしまう。

 

 しかしそこは人馬用。腕力があるため、疲労より確実に届かせる事を優先し、張りを強くしているのだ。そんなもんをあっさり引いたのだからまあ、師範の驚きも当然であろうゴリラ。

 

「おー、相変わらず菖蒲は馬鹿力だなゴリラ」

 

「さっすが姫を担いで保健室まで行っただけはあるねゴリラ」

 

「ええと……力が強いのはいい事だと思いますよゴリラ?」

 

「アンタら……」

 

 三連続の怒涛のゴリラ押しだ。サスサススールだけはよく分かっていなさそうだが、勢いに負けた。順調に哺乳類人社会に毒されてきているようだ。

 

「あの、何故ゴリラなのですか? 菖蒲さんはゴリラだったのですか?」

 

「悪気がないだけ地味に腹立つ質問ね……」

 

「その力はゴリラにも匹敵するだろうってコト」

 

「なるほど、これが比喩表現の実例というものなのですね」

 

「そーゆーこったぜゴリラ」

 

「そのゴリラの力で頭カチ割るわよ」

 

 青筋の浮き始めた皐月から軽やかに距離を取る獄楽。少々からかい過ぎたと覚ったらしい。

 

「ワリィワリィ、詫びにいいもん見せっから許してくれよ」

 

「いいもの?」

 

「詫び?」

 

 獄楽は未だ衝撃から抜けきらぬ師範からさっと許可を取ると、おもむろに靴と靴下を脱いだ。

 

「まさか……」

 

「アレか? え、マジで出来んの?」

 

「アレ、とは?」

 

「そういやサスサスは見てなかったっけ」

 

「まあ見てろって」

 

 そのまま左足の親指と人差し指に弓を挟み込み、矢を尻尾で固定する。そこからえいやとばかりに一気に逆立ちし、両の手で地面を鷲掴んだ。

 

「素晴らしいバランス感覚ですね」

 

「その一言で片づけていいもんなのアレ?」

 

 きちきちきちと、右足指を弦に引っ掛け引いていく。その姿はまるでシャチホコのようだ。そして十分に引き絞られた弦が解き放たれ、空切る矢は見事的に命中した。曲撃ちだ。それもバランス感覚と身体の柔軟性、筋力を高レベルで持ち合わせていないと成立しない曲撃ちである。

 

「っとミスったな、真ん中からはちょい外れた」

 

「いやいや、あそこまで出来れば十分っしょ」

 

「お見事です、希さん」

 

 獄楽は尻尾を弓に巻き付け、落ちないようにしてから跳ねるように元の体勢に戻る。微妙に不満足そうだが、そもそもあの体勢で撃てるだけで十分人間離れしている。

 

「あっきれた……私がゴリラなら希はサルじゃないの。あれって姫のスマホで見た動画よね? 練習してたの?」

 

「いや、初めてだぜ。撃ってるうちに出来るんじゃないかって思ってな」

 

「もう雑技団にでも就職したら?」

 

「金取れる程のモンじゃねーよ」

 

「いやいやいや、すっごい才能よキミ」

 

 驚き冷めやらぬ師範が話に入って来た。その顔は紅潮し、言葉に一切の嘘がない事を伝えている。

 

「ね、ね、ね、今からでもいいから東高に転校しない? たまに弓道部を教えてるんだけど、中々勝てなくてさ……。キミが来ればいい刺激にもなると思うし!」

 

「え、えっと、転校する気はないんで」

 

「そんなコト言わず!」

 

「駄目ですよ、希は姫から離れる気はありませんから」

 

「ちょおまっ」

 

 ゴリラの恨みと言わんばかりに、皐月が獄楽の背中をぐっさり刺す。焦る獄楽を見て、察した師範がにんまりと笑った。

 

「ははぁん……なるほどなるほどそういうコトかぁ。姫ちゃんも罪作りなオンナねぇ」

 

「ち、ちげーよ!」

 

 物凄く分かりやすい。表情が言葉をこれでもかとばかりに裏切っている。これでは三歳児すら誤魔化せないであろう。当然誤魔化せなかった師範が、グッと親指を力強く上に立てた。

 

「そういうコトなら諦めるしかないかぁ。お幸せにね!」

 

「オイ菖蒲テメェ!」

 

「私は真実を口にしただけでございます」

 

 慇懃無礼な煽りに物も言わず殴り掛かる獄楽。技量では負けているので、力任せに弾き飛ばす皐月。ふしゃーと虎と龍が睨み合う。柔よく剛を制すか、剛よく柔を断つか。

 

「止めなくていいのでしょうか……」

 

「じゃれてるだけだから心配いらんよ。てか私らじゃ止めらんないし」

 

「それもそうですね」

 

 南極人特有の合理性を発揮して、二人を放置する事にしたらしいサスサススール。まあ実際問題として、あの二人の間に割って入るのは無理なので仕方ない。

 

「二人とも何やってるの?」

 

「姫!?」

 

 そこにちょうど練習を終えたらしき君原が、後輩人馬を引き連れて戻ってきた。彼女の名は若牧(わかまき)綾香(あやか)。君原をライバル視するが、当人からは子供扱いしかされずに地団駄を踏む中学三年生である。

 

「姫は魔性の女だという話をしておりました」

 

「えっ、えっと、どういうコト? というかあやちゃん、何で敬語?」

 

「それはですね、獄楽様が――――」

 

「わー! わー!」

 

 言いかけた皐月の口を獄楽が慌てて塞ぐ。その手によってもごもごと口ごもるが、何かを思いつき悪い笑みを浮かべた。

 

「はいどうぞ」

 

「ちょおい!?」

 

「?」

 

 ぐいっと獄楽を姫抱きにすると、そのまま君原に手渡す。君原は何が何だか分かっていないが、反射的にそれを受け取った。人馬の腕力なら人一人姫抱きにするくらい余裕である。

 

「ひ、姫?」

 

「希ちゃん?」

 

 やっぱり状況はよく分かっていないながらも見つめ合う二人。獄楽の顔が僅かに赤くなり、妙な空気が漂ってきたところで、後輩が横から割って入った。

 

「何やってるんですか!」

 

「えっと、何だろう?」

 

「いや、俺に聞かれても」

 

「いいから下ろしてください!」

 

「う、うん」

 

 若牧の剣幕に、思わず獄楽を下ろす君原。何となく視線を外せずにいると、痺れを切らしたように若牧が二人を引き離した。

 

「とにかく! 次の競技会は私が勝ちます! いちゃついてる暇があったら少しでも練習する事ですね!」

 

「そ、そんな、いちゃついてるだなんて」

 

「そ、そーだぜ。俺と姫はそーゆー関係じゃねーよ」

 

 再び甘酸っぱい雰囲気が漂わんとするが、それを若牧の地団駄が叩き割る。彼女は捨て台詞を残すと、プンスカしながら走り去っていった。

 

「自覚なき三角関係かあ……若いなあ……」

 

「全員女ですけどね」

 

「これが青春というものなのですね」

 

「青春……なのかね?」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 流鏑馬の歴史は古い。平安時代には実戦弓術の訓練法として、すでに存在していたという記録が残っている。鎌倉時代に最盛期を迎え、笠懸(かさがけ)犬追物(いぬおうもの)と合わせて『騎射三物(きしゃみつもの)』と称された。

 

 だが時代が下り、戦が個人戦から集団戦法に移り変わるに従って、流鏑馬も衰退していく。鉄砲やそれを扱う足軽の登場もまた、その傾向に拍車をかけた。

 

 復活したのは江戸時代に入ってからだ。といっても実戦的な意味合いはほぼなくなっており、儀礼的な色が強いものであった。将軍家の厄除けや誕生祈願等で執り行われていたようである。

 

 その後の明治維新、第二次世界大戦と度々流鏑馬は衰退の憂き目を見るが、それでも絶える事はなく現在に至っている。

 

 

「おー」

 

「走りながらよー当てられんね」

 

「皆さん見事な腕前です」

 

「さすがナチュラルボーン騎兵……」

 

 そんな流鏑馬の競技会を見る四人が口々に感想を漏らす。

 

 選手は全て人馬だ。これは差別などでなく、人馬以外は参加する意味が薄いからだ。そもそもの話として、馬を管理する施設はここに存在しない。

 

 人馬のみの流鏑馬競技会が開かれる理由は、一言で言うと結婚のためだ。流鏑馬には、場所・道具・時間が必要になる。どれも余裕がなければ手に入らない。即ち富裕層である事の証明であり、健康の証明にもなる。

 

 絶対数が少ない人馬にとって、同じ人馬の結婚相手を探すちょうどいい場なのだ。現在では必要性は薄れてはいるが、それでも流鏑馬が出来る人馬は上流だ、という認識はある。

 

「お、姫が出るみたいだよ」

 

「ひめねーだ!」

 

 獄楽の頭の上で、君原の従姉妹にあたる紫乃(しの)が嬉しそうに叫ぶ。君原は弓を片手に一礼すると、流鏑馬のコースへと歩みを進めた。

 

「いけー!」

 

「ガンバレー!」

 

 紫乃とその友達の子供が応援する中、君原が走り出す。100mを10秒で走り抜くその速度の中で、あっという間に一つ、二つ、三つと的に矢が突き立って行く。歓声と拍手が彼女を包み、再度の礼を残して下がっていった。

 

「今回も優勝できっかねえ」

 

「どうだろね、本人は気にしないだろーけど」

 

「最後の的、中心から少し外れてたけど、今のとこトップではあるようね」

 

「後続次第、という事ですね」

 

 的が新しいものに交換され、次に走るべき者の名前が呼ばれる。そこに姿を見せたのは、君原が絡むとポンコツになる、あの若牧綾香であった。

 

「お、次はあの後輩みてーだな」

 

「……なんか目付きがおかしいわよあの子。焦点があってないというか、ぐるぐるしてるというか……」

 

「この距離で見えんのか?」

 

「一つしかないけど目はいいのよ」

 

 具体的には、視力検査のランドルト環が一番下まで見えるほどだ。最低でも2.0である。

 

「あー、ってことは姫、アレを言ったみたいね」

 

「アレ?」

 

「私に勝ったらデートしたげる、って言えばリラックスするよ、って」

 

「キョーコお前んなコト言ってたんか」

 

「逆効果っぽいんだけど……」

 

「大丈夫大丈夫、見た感じあの子は力を入れすぎて失敗するタイプだからね。混乱させて余計な力を抜けば上手く行くよ」

 

「混乱すると力が抜けるのですか?」

 

「余計な事を考えずに練習通りやれば成功する、ってコト」

 

 合図とともに若牧が走り始めた。その結果は――――。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ごめんあやかちゃん、待った?」

 

「待ちました。遅刻ですよ先輩」

 

「あ、あれ、ここは今来たトコ、って返すところじゃないの?」

 

「遅刻しなければそう返してもよかったんですけどね」

 

 駅前の『天を睨む蛙』という謎のブロンズ像の前で、若牧と君原が待ち合わせをしていた。まるで付き合い始めの恋人の如き会話である。

 

「さ、行きますよ。回るところたくさんあるんですから」

 

「え」

 

「競技会、私が勝ったんですから。先輩は大人しく従って下さい」

 

「しょうがないなあ、あやかちゃんは」

 

 若牧は君原の手を取ると、少し赤い顔のまま歩き始める。そして、それを追う瞳が八つ。

 

「なんで後つけんだよ」

 

「いーだろ」

 

 名楽、獄楽、皐月、サスサススールの四名である。なお皐月は隻眼だがサスサススールは三つ目なので、奇跡的に目の数は合っている。

 

「つっても絶対バレるわよこれ。絶望的に尾行に向いてないメンバーよこれ」

 

「いーから」

 

 名楽と獄楽はまだしも、黒い眼帯が顔を覆っている皐月は、その形態も相まってかなり目立つ。極め付けはサスサススールだ。蛇で頭の位置も高い彼女は、隠れるという事には全く向いていないし、街を歩けば目立つを通り越して注目の的にならざるを得ない。実際今も、早速君原に気付かれている。

 

「あの、すみません。バレてしまったようです」

 

「早っ」

 

「やっぱ無理があるって」

 

「いーんだよ」

 

 獄楽はそれでも引き下がろうとしないが、その時若牧と目が合った。ダッシュで飛び出そうとしたところを、皐月が反射的に引っ掴んだ。

 

「ちょ、いきなりどうしたのよ」

 

「アイツ鼻で笑いやがった……!」

 

「そんな性格には見えなかったけど」

 

 考えられるとしたら、練習場での意趣返しであろうか。あの時は見せつけられたのだから、今度はこちらが見せつけてやる、的な。まあその場合悪いのは皐月だし、若牧はそういう性格でもないので、見間違いという可能性も大いに存在しているのではあるが。

 

「てかバレたんなら尾行はここまでだろ」

 

「そうね、どっちにしても野暮してるのはこっちなんだから、大人しく引っ込むわよ」

 

「離せ、離せー!」

 

 獄楽は暴れるが、力に勝る相手にがっしりと抱え込まれてはどうにもならない。皐月がやる気の失せた声で宣言した。

 

「はいてっしゅーてっしゅー」

 

「うおおおおお」

 

「往生際が悪いぞ、希」

 

「青春ですね」

 




 「弓 足で引く 女性」で検索すれば、獄楽がどうやって足で弓を射ったかが分かります。
 凄いね人類!


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12話 魔法少女と民主主義に、一体どんな関係が?

 奇跡じゃないよ必然なんだ 
 守るよみんなの民主主義 魔法少女プリティホーン!
 
 力をあわせ手を取り合えば 叶うよ平等公平正義
 倫理と論理と法の光で 照らそうみんなの民主主義

 愛と自由と平等平和 最大多数の最大幸福
 民主主義こそこの世の正義 みんなで叶える正義の輪

 みんな平和を望んでるのに どうして邪魔をするんだろう?
 コミーにファシスト消毒よ 平和をこの手に取り戻そう

 守るよみんなの民主主義 灯すよ叡智と平和の火
 守ろうみんなの民主主義 導け平等への道を

 魔法少女プリティホーン 魔法少女プリティホーン!
 魔法少女プリティホーン 魔法少女プリティホーン!


「ドッジボール10、サッカー7、野球3、その他2」

 

 舞台は小学校。子供の牧神人がチョークを持ち、黒板に正の字を書きつけていく。彼女は意見が出揃った事を確認すると、正面に向き直った。

 

「という事で多数決により、自由時間はドッジボールを行う事に決定しました」

 

「ちょっと待ってください」

 

「はい、なんでしょうか那智さん?」

 

 手を上げ異議を申し立てたのは、小学生だというのに髪を七三に分けた男の子だ。彼は硬い表情のまま口上を述べた。

 

「これでは少数派の意見が反映されていません。ドッジボールという意見はクラスの半数未満なのに、最終的にはそれで決まってしまう。過半数ですらない意見に、少数派の意見が蔑ろにされています。民主的とは言えません」

 

「ええと……それは前も話した通り、少数派の意見も順番に取り上げていく、という事で決まったはずですが」

 

「そーだぜ那智、へりくつこねんなよ」

 

「屁理屈じゃない、今は冬なんだから水中ドッジなんて出来ないだろう!?」

 

 以前『多数決で決まったドッジボールだと人魚形態の生徒が参加できない』という事があったのだが、その時はプールでの水中ドッジボールという工夫で乗り切ったのだ。

 

「それはつまり公平性を欠くって事だ! このままでは、真の民主主義から遠ざかってしまう事は明白!」

 

「んじゃどうするってんだ?」

 

「委員長といっても所詮はまとめ役、不公平からは逃れられません! ゆえに僕はここに、委員長を超えた超委員長の設立を提案します!」

 

「超委員長?」

 

「その通り! 超委員長は、いろんなことを決める力を持ちます! 少数派の意見をも汲み取り、適切に反映させる事が出来る、真の民主主義です!」

 

「そんなのソイツの思う通りにしかならないって事じゃない」

 

「違います! 最初から罷免規定を定めておけばいいのです!」

 

「ひめん……ってなんだ?」

 

「辞めさせる、って意味よ」

 

「クラスの過半数の賛成があれば超委員長も罷免できる! これなら暴走する事もない! まさに真の民主主義です!」

 

「あー、それはつまり民主的に独裁者を選ぶという事ですか? 駄目です、認められません。というかそんな権限は委員長にもありません」

 

「何を言っているんだ! 独裁者なんかじゃない! 多数決を否定し、少数派の意見も無視するなんて、もうそんなの民主主義じゃない!」

 

 でんでろでんでろと不気味なBGMがどこからか流れ、辺りが黒と紫に侵されていく。那智から黒い煙が噴き出し、それはおどろおどろしい怪物の形を取った。

 

『オォォォ――――! 超委員長ハ全テヲ凌駕スル存在! マズハ罷免規定ヲ削除! シカル後コノ学校ニ君臨! イズレハ国中、イヤ世界中ニ広メナケレバナラヌノダ!!』

 

「民主主義空間が歪んでいく! 民主主義による独裁者の誕生? いやこれは、ファシズム! 民主主義最大の敵!!」

 

 委員長は胸元から、お守りのような形状の物体を取り出す。それを高く掲げると眩く光り、どこからか明るい曲調のBGMが流れて来た。

 

「照らせ 正義の光!」

 

 光が一層強くなり、その身体を覆い隠していく。

 

「満ち溢れよ 法と倫理!」

 

 服が分解され、彼女の周囲に渦を巻く。裸のはずなのだが、都合のいい光であざとく大事なところは見えない。

 

「叶えよ 絶対平等民主主義!」

 

 光が弾け、謎のシステムによって服が装着されていく。

 

「魔法少女 プリティホーン!!」

 

 いかにもなステッキを持ち、着物の上にエプロンという、大正メイド風魔法少女が顕現する。魔法少女は怪物に対しステッキを向け、攻撃を開始した。

 

「先手必勝! プリティ・サンダー!」

 

『フッ』

 

 ステッキからピンク色のファンシーな雷が出るが、怪物はそれを弾いてしまう。その手に握られたものを見た魔法少女の目が見開かれた。

 

「それは! 伝説の武器、ファスケス!!」

 

『ホウ、知ッテイタカ』

 

 それは奇妙な武器であった。斧の周りに数十本の木の束が巻き付けられ、皮の紐で束ねられていた。そこから骨のように白いオーラが放たれ、怪物に力を与えていた。

 

『ナラバ! ファスケスニハ勝テヌトイウ事モ! 分カッテイルデアロウ!!』

 

「きゃあああーっ!!」

 

 怪物がファスケスを一振りすると、突風が巻き起こり、魔法少女を吹き飛ばした。彼女はあざとくボロボロになった姿で、歯噛みして膝をついた。

 

「くっ、このままじゃ、民主主義が穢されてしまう……!」

 

『フハハハハハハ、ドウシタドウシタプリティホーン! 貴様ノ力ハコノ程度ダッタノカ!』

 

「どうすれば……ハッ!」

 

 その時、彼女は何かに気付いたかのようにステッキを見る。弱々しくだが、黄金の光がそこから漏れ出していた。

 

「これは……! そうか、そうだったんだ……」

 

『何ヲゴチャゴチャト! コレデ終ワリダ!』

 

 ファスケスから白い光が斬撃のように放たれる。迫りくる光を前に、プリティホーンはすっくと立ちあがりステッキを掲げた。

 

「これは私達を導く民主主義の光! 民主主義はいつも私と共にある!」

 

『ナニッ!?』

 

 ステッキから黄金の光が溢れ、斬撃を消し飛ばす。それに狼狽えた怪物は、次の攻撃を避ける事は出来なかった。

 

「必殺! デモクラシー・レボリューション!!」

 

 黄金の光が柱のように束ねられ、そのまま怪物に叩き付けられたのだ。怪物はたまらず光の中に飲み込まれていく。

 

『バ、バカナァァァァアアア!!!!』

 

 断末魔だけを残して怪物は消え去り、ファスケスだけがごとりと地面に落ちた。

 

「ファシストは消毒よ!」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

『魔法少女プリティホーン! 来週もまた見てね!』

 

 次回予告が終わり、コマーシャルが流れ始めた。それを見て唖然とする女が一人。

 

「…………なにこれ」

 

 施設の子供に付き合って、魔法少女アニメを見ていた皐月である。そんな彼女を、子供の純粋な瞳が見上げた。

 

「魔法少女プリティホーンだよ?」

 

「最近の魔法少女はえらくアバンギャルドなのねえ……」

 

 皐月はほとんどそういった番組を見た事がない。単に興味が無かったからだ。なので必然的に、『知識』にある魔法少女が連想される。

 

 コンビの片方が洗脳されて殴り合ったり、魂を宝石に変えられてゾンビ方式で肉体を操ってたり、関節技をかけまくるマキャベリストだったり……。なんだかとても偏っているが、それを指摘できる者はもちろんいない。

 

「……いや、よく考えたら普通なのかしら」

 

「なにがー?」

 

「プリティホーンが」

 

「ふつうじゃないよ、プリティホーンはすっごくすごいんだよ! トクベツなんだよ!」

 

「あーうん、確かに凄いわね」

 

 こんなもんを公共の電波に乗せる神経がだが。いやそれは前世も大して変わらないか。

 

「わかればよろしい!」

 

「はいはい」

 

 自慢げに胸を張る子供を適当にあしらい、席を立つ。

 

「じゃ私はバイトがあるから」

 

「えー」

 

「えーじゃないの」

 

「さいきんおねーちゃん付き合いわるいー! あの男とあってるんでしょ!」

 

「変な事言わないで頂戴。大体あれから一回も会ってないわよ」

 

 言わずもがなの名楽兄の事である。兄は会いたがってはいるのだが、妹の方が止めている。

 

「男ができたらこどもを放ってみっかいだなんて、しょうらいあくじょになっちゃうわよ!」

 

「どこでそういう言葉を覚えてくるの?」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 画面は変わって新彼方高校。テレビの薄い液晶に、プラカードを持ったゴツイ男たちが映し出されている。形態は人馬で、人種は白人だ。どうやら外国であるらしい。

 

『ここパリスでは、移民反対のデモが続いています』

 

 アナウンサーの言葉を裏付けるように、プラカードの文字が翻訳される。共和国精神を持たぬ者は国に帰れ、共和国は神に勝る、宗教より憲法、といった文言だ。それを掲げる参加者たちにマイクが向けられた。

 

『我々は、差別主義者でも移民反対論者でもない。共和国の国民とは、共和国の精神を共有する同志でなくてはならない、と言っているだけだ』

 

『移民の中には共和国の憲法や法、平等や民主主義より宗教を上に置く者がいる。これは決して許されない事だ』

 

『それは棄教しろという意味でしょうか』

 

『そんな事は言っていない。しかし宗教はあくまで個人的領域に留めなくてはならない。共和国が神より上でなくてはならない』

 

 そこで画像が途切れ、テレビの電源が消される。教壇に立つ教師が、生徒達に語り掛けた。

 

「はいこの通り、民主主義はどんな宗教にも勝ります」

 

 笑顔で結構とんでもない事を言っているが、これがこの世界のスタンダードだ。民主主義は金科玉条であり、だからこうして子供のうちから政治教育として教え込まれる。

 

「けれども国際政治はそう単純ではありません。非民主的で不平等な宗教を保持する集団を受け入れるには、どのような方便が必要か。どうすれば民主主義国家と矛盾しないか、グループに分かれて考えてみて下さい」

 

「えらく生臭い題が来たね」

 

 ガタガタと机を移動させながら朱池が呟く。

 

「ま、とりあえず否定派と肯定派三人ずつ、席順で分かれて意見出してくか」

 

「入れ替えは?」

 

「後半だな。個人的信条なんか出されたら纏まらん」

 

 名楽が音頭を取り、まずは皐月・サスサススール・君原が賛成派、名楽・獄楽・朱池が反対派という事に相成った。

 

「んじゃ始めっか」

 

「つってもな、神なんかいねーんだから拘る理由なんてなくね」

 

「おおっと始まって即終了しちゃったよコレ」

 

「ええっと……事実はどうあれ、そう信じてる人にどうやって受け入れさせるか、って話だから」

 

「というか、神なんかいないとか言ったら戦争になるだけ……。ああなるほど、そういう事か。希も結構黒いわね」

 

「どういう事ですか?」

 

「挑発して暴発させて、合法的に移民を排除しちゃおうって話でしょ? 宗教を信じてるだけならどうにもならないけど、それが反社会的行動に繋がるなら話は別。実行犯はもとより、その宗教もテロ組織認定して潰せるものね」

 

 ついでに移民=犯罪者というイメージを作る事で国内の移民賛成派も黙らせる事が出来、テロに屈さぬ国家という評価を手に入れる事も出来る。国内外の宗教勢力への牽制にもなるだろう。

 

 デメリットとしては治安悪化、対外的強硬姿勢に傾きやすくなる、安くこき使える移民を使いにくくなるので経済的に悪影響が出る、辺りだろうか。

 

「うわー、サツキン腹黒ー」

 

「いや俺そこまで外道じゃねーし」

 

「なんか私外道認定されてるんだけど」

 

「残念ながら当然ってヤツだね!」

 

「話が逸れてんぞ。てか菖蒲が反対派に回ってどうすんだ」

 

「ごめんつい……でも実際、移民に賛成するって難しいのよ。その国のルールに従わないような連中なら尚更ね」

 

「同じ人間なのにですか?」

 

(ひさし)を貸したら嬉々として母屋(おもや)を乗っ取りにかかるようなのもいるかんね。言語文化宗教習俗、形態以外にも違いは山ほどあって、それら全てが火種になり得るのさ」

 

「難しい話です」

 

「だから議題にもなるんだけど、方便って言ってもねえ……姫、なんかない?」

 

「わ、私?」

 

「こーゆー言い包めみたいな話は得意でしょ。意外と黒かったりするし」

 

「私黒くないよぅ!」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 さて、この世界の民主主義について少々触れておこう。形態間平等は世界的な政治トレンドだが、それを実現させるためのツールが民主主義だ。平等を旨とする民主主義は、形態間平等と相性が良かったのである。

 

 だがしかし、完全なる民主主義かと言えばそうではない。民主主義は、市民の権利が法によって守られることを保障されていなければならないのだが、そんなもんはこの世界にはない。なんせ言論の自由がなく、差別主義者のテロリストには人権がないくらいだ。

 

 正確には言論の自由はあるが、公共の福祉に反さない限りにおいて、という但し書きがついている。その中には形態間平等がまるまる含まれるので、実質的には否定的な事は言えないも同然だ。

 

 そういう意味では、本来の意味の法治国家に近いものがある。法治国家とは元々、法律よりも国民の権利・自由が下にあるという意味を持っていたからだ。その辺りを反省して生まれたのが違憲立法審査権(法令審査権)である。

 

 話題が逸れた。この世界における民主主義は、一種の宗教じみたところがある。それは先程のデモ参加者や、教師の台詞からも察せられるところであろう。

 

 これはまず『形態間平等』ありきで、その手段として民主主義が選択されたためである。形態間平等を実現するためならば、あらゆる手段が肯定される。ゆえにその手法たる民主主義のためならば、幼児向けのアニメにあからさま過ぎるプロパガンダも入れるし、民主主義の下に宗教を置いても構わない。

 

 かと言って、民主主義への批判が許されないという訳ではない。差別発言は即逮捕で矯正所送りだが、民主主義への批判は一応可能である。それこそ民主主義的ではない、という話になってしまうからだ。

 

 なのでその辺りは教育で是正している。民主主義=絶対正義と、あらゆる場面で刷り込んでいるのだ。結果として『民主主義は確かに欠点があるかもしれないが、それを補ってあまりある素晴らしいものである』という認識を植え付ける事に成功している。

 

 なお『欠点』、即ち衆愚政治の危険・意思決定まで時間がかかる等を理解している者もいるが、大抵はその内容に触れたりはしない。うっかり口にすると、当局に目を付けられて監視対象になるからだ。またそういった者たちは、現代に民主主義が合っている事も理解しているため、基本的に批判する事はない。

 

 それでも批判する者は? そんな者は()()()()()

 宗教じみた、と評されるとはつまりそういう事だ。

 かくして民主主義は、錦の御旗となりおおせたのである。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「そういえばさ、さっきの授業じゃないけど、南極の政治ってどうなってるんだ?」

 

 授業後の昼休み。思った以上に『良い』意見が出たのか、機嫌よく去っていった教師を見送り、机をくっつけての昼食時。何かに思い至ったような顔の名楽が、サスサススールに問いを投げた。

 

「基本的に話し合いで決めていますよ」

 

「するってーと、やっぱ民主主義?」

 

「いえ、選挙がある訳ではないので、この国のような民主主義ではありませんね。あえて言うなら直接民主制に近いですが、異なる部分も多いです」

 

「そういえば女王がいるって」

 

「立憲君主制みたいな感じ?」

 

「その辺り少し説明が難しいのですが……」

 

 曰く、女王が頂点であるのは確かだが、政治にはあまり関わらないとの事。通常種が話し合いで諸々を決定してはいるが、明確な上下関係はなく、あえて言うなら年功序列に近い。

 

 また、仕事の区分は人類社会で言うところの縦割り行政に似ており、自分に直接関わりのないところには興味すら持たないのが常であるらしい。

 

「よくそれで回るわね」

 

「哺乳類人とは精神のありようが異なりますので」

 

「そうか? あんま変わんねーように見えっけどな」

 

「私は南極人の中では変わり者ですから」

 

「前に言ってた『他人を知る事は自分を知る事に繋がるけど、自分に興味を持つ南極人は稀』ってコト?」

 

 君原の言葉に頷きで返すサスサススール。それを見ていた皐月が言った。

 

「ジョハリの窓みたいな話ね」

 

「ジョハリの窓、ですか?」

 

「ええ、有名な心理学の話なんだけど」

 

 人には四つの窓がある、という考え方の事だ。もちろん比喩的な意味でだが。『自分に分かっている/分からない』『他人に分かっている/分からない』で分けた、下記の表で表される。

 

 

.          自分に分かる  自分に分からない

 

. 他人に分かる    開放の窓    盲点の窓

 

. 他人に分からない  秘密の窓    未知の窓

 

 

 『開放の窓』は、自分にも他人にも分かっている姿を指す。

 自分が考えている姿と、他人に見えている姿が一致している部分だ。

 

 『盲点の窓』は、他人には分かっているが自分には分かっていない姿を指す。

 意外な長所や短所、自分では思いもよらぬ癖が出てきたりする。

 

 『秘密の窓』は、自分には分かっているが他人には分からない姿を指す。

 コンプレックスや過去の失敗、トラウマ等が該当し、ここが大きいと他人とのコミュニケーションが上手くいかなくなりがちだ。

 

 『未知の窓』は、自分にも他人にも分からない姿を指す。

 日常生活では意識しない限りはまず分からないので、一生知らずに終わる事もある。

 

 ちなみにジョハリとは、この考えを提唱したジョセフ・ルフトとハリ・インガムの名を組み合わせたものなので、そういう名の人物がいた訳ではない。

 

「で、これを南極人に当てはめるなら。『開放の窓』は知っていても、『盲点の窓』『秘密の窓』を意識する事は少なく、『未知の窓』に至っては存在すらも知らなかった、って事なんじゃないかしら」

 

「自分を知るも他人を知るもコインの裏表だかんね。自分を知らない南極人は、結局他人も知らなかったってコトか」

 

「哺乳類人と接して初めて『未知の窓』の存在を知って、開けてみたら案外似たところがあった。その辺がさっき希の言ってた『あまり変わらない』に繋がり、こうして哺乳類人社会に出ようと考えるサスサスみたいな個体の存在に繋がる、って事だと思うわ」

 

 その言葉に対するサスサススールの返答は、大きく90度に開かれた口であった。もちろん笑顔ではない。姿とは全く合っていないが、『目から鱗』が最も近いであろう。

 

「考えもしませんでした。いや、ここに来た甲斐があります」

 

「オーバーだなサスサスは」

 

「イエイエ、それだけの価値があるという事です」

 

「いい事ばっかじゃないわよ。哺乳類人に似たところがあるって事は、哺乳類人が抱える問題が発生する可能性も高い、って事だから。思想的なのは特にね」

 

「というと例えば……共産主義に染まった南極人が生まれたりとか?」

 

 名楽の言葉に首を傾げるサスサススール。

 

「共産主義ですか? 実際に導入した国では全て失敗しているはずですし、上手く行かないというのは分かりそうなものですが」

 

「分っかんないわよー。『哺乳類人では駄目だった。しかし南極人たる我々なら可能だ!』とか考えて、南極の技術を使って革命を起こしちゃうのが出て来るかも」

 

「アカい南極人か……」

 

「自分で言っといてなんだが、洒落になってないな」

 

「そうしたら消毒しないとねえ」

 

 どこぞの魔法少女ではないが、皐月もコミーは好んでいないようだ。目はいつものように死んでいるが、宿す光は本気である。

 

「あ、じゃあさじゃあさ。南極人もそういう問題を解決するために、日本みたいな形式の民主主義を導入するって未来もあるのかな?」

 

「話し合いで決めてるんなら下地はありそうだね」

 

「その辺どうなんだサスサス?」

 

 流れとして必然的に、視線がサスサススールに集まる。その七つの瞳に見つめられたサスサススールは、少しだけ考えて答えた。

 

「可能性は低いと思います。今のままなら、ですが」

 

「ってーと?」

 

「民主主義は哺乳類人の政治体系であり、南極人に合うとは考えにくいです。少なくとも私達は今の形式で不都合を感じていません。ならば変える理由もありません」

 

 サスサススールはあえて言及しなかったが、南極人は数が少ないため、間接民主制が必要な程ではないという事情もある。それに仮に議会を作って何かを決めても、生態上女王には逆らえない。『生殖』を司る者に逆らうと言う事は、種族そのものの滅亡すら意味するのだ。

 

「逆に言うと、不都合を感じたのなら変える事もあり得ると?」

 

「はい。ですがそれは、南極人全体が哺乳類人的になったという事を意味します。それがいい事なのかそもそも上手く行くのか、私には判断が付きかねます」

 

「まー、変化には流血も付き物だかんね。一概にいいとは言えんか」

 

「身内同士で殴り合いしてたら、道場破りにあっさり負けちまうしな」

 

 獄楽が端的かつ適切に例える。それを受けて君原が具体例を出した。

 

「アメリカは介入して来そうだよね」

 

「でも人類社会に関わった以上、変化は必然なのよねえ。何せホラ、目の前に実例がいるんだから」

 

 哺乳類人社会を見たいと望み、実際こうして極東の島国にまで来ている南極人がいる。そういった個体の存在も、それを認める上層部も、これまでの南極の歴史ではありえなかった事だ。

 

「変化は必然、ですか……」

 

「墨守が悪いとは言わないけれど、変わらない存在がどうなるのか。歴史の教科書をめくれば、いくらでも書いてある事だしね」

 

 変わらないという事は安定していて長持ちする、という事でもある。それはそれで悪い事ではないのだが、『変わり続ける』外部と接した時。『変わらない』彼らがどうなってしまったかは、歴史が語る通りである。

 

「つっても小難しく考えるコトでもねーよ。そん時にどうにかすりゃいいだけだって」

 

「ちょっと気楽すぎる気もするけど、まあそんなもんだろね。どう変化するかなんて、それこそ誰にも分かんない訳だし」

 

「ここで学んだ事を活かして、スーちゃんが先頭に立っちゃうって方法もあるよ!」

 

「今日の姫はグイグイ行くね」

 

「さっきの授業でも黒かったしね」

 

「黒くないもん!」

 

「菖蒲といい勝負だったけど」

 

「羌ちゃん酷いよ!?」

 

「ちょっと待って姫、それは名誉棄損に当たるわよ」

 

「ぁっ」

 

 小さく声を上げる君原。思わず口走った言葉がマズイ内容だったことにようやく気付いたようだ。ばっしゃばっしゃと目が泳いでいる。

 

「え、えーと……」

 

「……ま、いいわ。聞かなかった事にしてあげる。それよりもサスサス、参考になったかしら?」

 

「はい。こう考えるコト自体が、私が哺乳類人的になっている証明なのかもしれませんが。それでも重要な示唆だったと思います」

 

 礼を述べるサスサススールは。表情の変わらぬ顔でありながら、確かに笑顔であった。

 




 セントール世界の民主主義の扱いについては結構独自解釈が入ってます。
 なので正しいかは分かりません。あくまでこの話だけの解釈という事でお願いします。

 なお前書きのアレは歌詞ではありません。念のため。
 ただ原作でも本当にあんなノリです。

 文章整形で崩れるのでピリオドを入れました。


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13話 元日は一月一日で、元旦はその日の朝の事なんだって

「今度流鏑馬やるんだけど、皆で見に来ない?」

 

 年の暮れも押し迫る、初雪が降ろうとしている冬。長期休暇も目前なとある一日の朝、君原がそんな提案をした。

 

「流鏑馬? こないだ見学に行ったよね?」

 

「実はね、たまちゃんの神社でやるコトになって――」

 

 本来は君原の師がやるところであったのだが、彼女が骨折してしまったため君原にお鉢が回って来たのだ。当初は辞退していたのだが、報酬につられてやる事にしたのである。

 

「委員長の神社かあ……そういえば行った事ないわねえ」

 

「いいんじゃねえか? いつやるんだ?」

 

「新年祭だから元日だよ」

 

「なら行けるな」

 

「私も大丈夫です」

 

「右に同じく」

 

「以下同文」

 

 そういう事になった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「あけおめー」

 

「あけましておめでとう」

 

「おめでとー」

 

「おめでとう」

 

 新年一日目。初詣で人がごった返す御魂神社の鳥居前にて、四人が集まっていた。皐月、獄楽、名楽は私服だが、君原だけは流鏑馬用の巫女装束だ。

 

『あけましておめでとうございます。行けなくてすみません……』

 

「急な仕事なら仕方ないよ!」

 

 スマホの中の蛇に、馬が元気よく言葉を返している。サスサススールだけは、急な仕事が入ってしまったためこの場にはいないのだ。

 

『――――はい、分かりました。すみません、呼ばれてしまったので、また』

 

 またねと言葉を交わし合い、画面が暗転する。鳥居の外まで伸びる行列に並んでいると、皐月が君原に声をかけた。

 

「ところで姫」

 

「なあにあやちゃん?」

 

「この間聞きそびれてたんだけどさ、流鏑馬の弓と弓道の弓、何で微妙に形が違うの?」

 

 弓道の弓はいわゆる和弓で、中央の若干下が持ち手になっているタイプだ。しかし流鏑馬の弓は、素材こそ和弓と同じであるものの、中央が持ち手になっているのだ。和弓にもそういった種類のものは一応存在するが、本来流鏑馬では使わない。実際、皐月の『記憶』の中の流鏑馬は、普通の和弓を使っていた。

 

 また大きさそのものも、2mを超える和弓に比してかなり小さい。大体だが1m強といったところであろう。

 

「えっとね、流鏑馬の弓は、昔の人馬武士にあやかったんだって」

 

「というと?」

 

「人馬武士は、弓道の弓よりも小さくて強い弓を使ってたみたい」

 

「小さくて強い弓……複合弓とか合成弓?」

 

 複合弓とは、複数の材料を張り合わせて、射程と破壊力を向上させた弓だ。その中でも、木や竹の弓に動物の骨や腱、鉄や銅の金属板等を張り合わせた弓を合成弓と言う。合成弓は小さくて強力だが、その分使いこなすのが難しい。ただし馬上だと取り回しの良い弓が好まれるため、騎射なら世界的にはこちらがメジャーだ。

 

「あんまり詳しくないけど、弓の材料が昔とは変わってるって聞いたから、多分そうだと思う」

 

「合成弓は作るの大変らしいし、変わるのも仕方ないわね……。材料が変わっても、弓の形そのものは変わらずに今に至る、って事かしら」

 

「おかーさんは伝統だって言ってた」

 

「伝統かぁ……流鏑馬は儀礼的な意味が強いし、長いよりも短い方が使いやすいとなれば、変える理由もなかったんでしょうねえ」

 

 人馬が扱うにしても、走りながら射るのであるから、短い方が使いやすい。張りが強くとも、人馬は腕力があるので問題なく扱いきれる。

 

 合成弓は膠を大量に使うためカビやすく、高温多湿の日本では本来発達しなかった。だが、この世界では人馬のために発達したとしても、特におかしなところはない。痛みやすいといっても、手入れの方法がない訳ではない。要はその手間に見合うかどうか、が重要なのだ。

 

「おっ、あれ委員長じゃね?」

 

「お、ホントだ。巫女だね」

 

「巫女だな」

 

「巫女ね」

 

「巫女さんだね」

 

 七つの瞳の向いた先には、銀灰色の長い髪が装束に流れる巫女が。ここ御魂神社の実質的神主、委員長こと御魂真奈美である。巫女なのに神主なのは、母は()()で、父は入り婿だからだ。その彼女が君原達に気付き、近づいて来た。

 

「あけましておめでとう。よく来たわね」

 

「オメ」

 

「おめでとー」

 

「あけましておめでとう」

 

「おめでとう、たまちゃん」

 

「ちーすけ達は?」

 

 獄楽がきょろきょろと周りを見回しながら御魂に尋ねる。ちーすけとは御魂の三つ子の方の妹だ。名前が千草(ちぐさ)千奈美(ちなみ)千穂(ちほ)なので、三人合わせてちーちゃんやちーすけと呼ばれている。

 

「家の中ですえちゃんと遊んでるわ」

 

 すえちゃんとは末摘(すえつみ)という名の、御魂家末妹の事だ。翼人と長耳人の混合形態で、身体が弱い。その名の通り、末っ子でもある。

 

 ちなみに末摘花(すえつむはな)という女性が源氏物語に登場するのだが、醜女だと描写されている。いくら読みを変えたと言っても、よりにもよって何故そんな名前を付けたのかは謎である。

 

「んじゃ参拝終わったらそっち行くわ」

 

「ええ……サスサススールさんは?」

 

「急な仕事だってさ」

 

「そう、残念ね。じゃあ私は仕事に戻るから、また後で」

 

「おーう」

 

「後でねー」

 

 忙しいようで、挨拶だけ済ますと背中を向けて戻っていく御魂。年に一度の書き入れ時だ、当然と言えば当然であろう。

 

「お、ちょうど前空いたな」

 

「姫は何をお願いすんの?」

 

「えーっと、流鏑馬で外しませんように、かなぁ」

 

「『痩身美顔・無病息災・交通安全・家庭円満、特に学業に験あり』がここのご利益らしいけど、流鏑馬は該当するのかしら」

 

「それ委員長が前に言ってたヤツだろ? よー覚えてんな」

 

「まあこの程度はね」

 

 賽銭と二礼二拍一礼を済ませ、今度はおみくじの列に並ぶ。そこでふと思い立ったかのように、獄楽が言った。

 

「そういや」

 

「何?」

 

「いや、神なんていねーのに、どうして俺らはこうして初詣に来てるのかと思ってよ」

 

「そりゃそういう文化だからじゃないかね」

 

「そうねえ。私も神はいないと思ってるけど、それはそれとして文化や風習は尊重されるべきだしね」

 

 そういう皐月は、神がもし存在するのなら邪神かサディストだろうと思っている。根拠は言わずもがな、『前世の記憶』である。何者かが故意にこの記憶を与えたとしたら、それはそれはロクでもない者に決まっているからだ。

 

 きっと悩み苦しみ、それでも記憶を手放せない自身を見て嗤っているに違いない。まさに邪神と呼ぶにふさわしい存在だ。

 

 とはいえ神は存在しないのであるから、そんなものに当たっても仕方ないし意味がない。だからこそこうして初詣にも来るし、賽銭だって落としてやるのだ。一桁だが。

 

「あ、大吉だ」

 

「さすが姫、新年早々運がいいね」

 

「俺は中吉……これってどうなんだっけか」

 

「大吉の次だね」

 

「羌子は?」

 

「希と同じで中吉。菖蒲は?」

 

「凶」

 

「大凶じゃないからセーフ?」

 

「いやそのりくつはおかしい」

 

 君原の天然に皐月がツッコミを入れる。何にせよ一応平和ではあったのだ。そう、この時までは。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ガキの命が惜しかったら、五分以内にナンバー外した車持ってこい!!」

 

 右手に子供、左手にナイフを持ち、本殿の上で声高に喚き散らす竜人の男。どこに出しても恥ずかしい犯罪者である。

 

 この男は別の場所で犯罪を犯し、車で逃走中、運転を誤り止めてあった車に激突。そこから目の前にあった神社に殴り込み、目に付いた子供を人質にして、こうして逃走用の車を要求しているという訳だ。

 

「ウチの子放さないと殺すわよ!!」

 

「ウルセエ! ガキの顔にキズ付けてえか!」

 

 御魂が槍を構えて激高するがそれもそのはず、抱えられている子供は末摘なのだ。実に運のない事に捕まってしまったのである。

 

「チョイと奥さん、犯人を刺激せんでくれるかな」

 

「ていうか、何でケーサツ呼んで来たのがアナタ一人なんですか!」

 

 御魂は警察官相手に半ば八つ当たり気味の態度だが、警察を呼んだら来たのは定年間近の男が一人だけ、という状況では仕方のない事であろう。ちょうど同時に銀行で立てこもり事件が発生し、ドンパチをやらかしているそちらに人手が取られているので、それこそ仕方がない事であるのだが。

 

 兎にも角にも、スナイパーや特殊部隊が来れない以上、今は時間を稼がねばならない。警察官はメガホンを構えると、犯人に語り掛けた。

 

《あー、君、子供を放しなさい。罪が重くなるよ》

 

「るっせえ! 早く車を持ってこい! 三分以内に持ってこなかったら、一分ごとにガキを刻むぞ!!」

 

 まあそんな説得に応じるようなら、最初からこんな事はしていないだろうが。末摘も火が付いたように本格的に泣き始めてしまい、いよいよもって修羅場である。

 

 なお、やはり神はいないと納得しているのがいるが、口に出す事はなかった。一応搭載されているエアリード機能が仕事をしたようだ。

 

「ちょっと、銃持ってるんでしょ!? 撃っちゃってよ!」

 

「拳銃なんぞ当たりゃせんがな」

 

 彼我の距離は5mくらいなので、拳銃でも十分に射程圏内だ。が、素人に毛が生えた程度の腕しかない、ヒラの警察官が当てられるかは、微妙である。ましてや相手は、当ててはいけない対象まで所持しているのだ。銃は最終手段にしておいた方がいいだろう。

 

「サスサスがいれば良かったのにねえ」

 

「いねーモンはどうしようもねーだろ」

 

 もちろん目当ては体力が名楽以下のサスサススールではなく、その護衛の公安である。本業は護衛ではあるが、一応警察なので、こういう状況なら力は貸してくれるであろう。いつも車で尾行してるのがいるから、狙撃銃も持っているだろうし。

 

「こんな時に限ってお父様はいないし……ああもう、どうしたらいいか」

 

 狼狽える御魂の目が君原に留まる。流鏑馬の準備をしていたので、弓を持っている君原に。

 

「ちょっと来て」

 

「え? え?」

 

 御魂は君原を裏手に引っ張って行くと、キッと彼女を見据えて言った。

 

「犯人を射って」

 

「え!? そんな無茶な! せめてお母さんかおばさんがもうすぐ来るから」

 

「時間がないの! やるの! でも妹にはぜえったい当てないでよ!!」

 

「ちょっと待ちなさいよ」

 

 津波のような勢いで畳みかける委員長に、皐月が横から割って入った。

 

「人に押し付けてんじゃないわよ。そんなに妹が心配なら自分でやんなさい」

 

「なっ……すえちゃんの命がかかってるのよ!!」

 

「姫が警察官や軍人なら何も言わなかったけどね。そうじゃないんだから『さあやれ』は通らないわ。姫はあなたの駒でも都合のいい道具でもないのよ」

 

 君原には、末摘を助ける義理はあっても義務はない。仮に何もしなくとも、道義的にはともかく法的に責められる事はない。皐月の言う通り、彼女は警察官でも軍人でもなく、単なる民間人であるからだ。何より失敗した時、君原では責任を取る事はできない。

 

 かと言ってこのまま放っておけば、末摘の命が危険で危ない事は明々白々である。時間がなく、即座に助けられそうなのが君原くらいしかいない、というのも事実だ。

 

 どちらの言い分も正しく、正しい分だけ間違ってもいる。不幸にもそれを一瞬で理解してしまい、結果として酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせる事しか出来なくなった御魂に、皐月は言葉を重ねていく。

 

「それに人質は生きていてこそだから、傷付けられても殺されはしないでしょ。眼が一つくらいなくなっても死にはしないわよ」

 

「なっ……すえちゃんがアナタみたいに捻くれちゃったらどうするのよ!」

 

「あーそーゆー事言っちゃうんだー。姫一人だけだと心もとないし、手を貸してもいいかなって思ってたのになー」

 

 実に鬱陶しい感じで皐月が煽る。とはいえこれは御魂も悪い。面と向かって捻くれていると捻くれた相手に言えば、このように捻くれた反応が返ってくるのは当然である。もちろん一番悪いのは皐月の性格であるが。

 

「ちょ、ちょっとあやちゃん、そんなイジワルしないでも……」

 

「じゃあ失敗してあの子に当てて殺しちゃったらどうすんのよ。責任取れるの?」

 

「そ、それは……」

 

 決してありえない、とは言えない未来を提示された君原は口ごもる。可能性は低いが、起きてしまったらどうしようもないのだ。それは何も言えないであろう。

 

「大体、政治家志望が利も誠意も示さずに人を動かそうなんて、片腹大激痛というものよ」

 

 片腹痛いと言いたいらしい。まあ言っている事は間違っていない。いくら妹のピンチだからといって、政治家志望が本来無関係な相手に向かって、ただ『やれ』と言うだけでは格好がつかぬし道理も通るまい。人を動かしたいのならば、利か情か、もしくはそれに代わる何物かが必要なのだ。

 

「それでもやって欲しいって言うんなら、通さなきゃならない筋ってものがあるんじゃないの?」

 

 一つきりの瞳が御魂を見据える。ハッと何かに気付いた顔の御魂は、一瞬だけよぎった葛藤を振り切り、躊躇なく頭を下げた。

 

「――――お願いします。妹を、助けて下さい」

 

「ん、いいわよ。姫と希はどうする?」

 

 軽く了承の返事を返した皐月が、君原と獄楽に水を向ける。二人はそれぞれの想いを込めて言った。

 

「やるよ」

 

「まー、ここで見捨てんのも寝覚めワリィしな」

 

「わ、私は――」

 

 残る名楽は歯切れが悪い。自分も何かしたいという気持ちと、何が出来るのかという気持ちがせめぎ合っているのだ。だが皐月も、体力クソザコナメクジな彼女に荒事方面での期待はしていない。だから一言だけ残して背中を向けた。

 

「羌子は祈ってて。ここの祭神以外の神とやらにね」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「妹を放しなさい!!」

 

「時間切れだ!! 今すぐ持って来い、でねえとこのガキを殺す!!」

 

「やめて!! やめなさい!!!!」

 

 再び犯人に近づいた御魂が、槍を振りかざし大声を張り上げている。言葉そのものは本心だが、勘のいい者が見れば、挙動が僅かにわざとらしい事に気づくだろう。

 

 『いい、委員長はとにかく目立って注意を引き付けて』

 

「もう終わ――――な、なんだ!?」

 

 たじろぐ犯人。2mほど離れた場所の扉がいきなり、破砕音と共に砕かれたのだ。それを為したのは、君原が射った矢である。

 

 『姫は電話で合図したら射って。意識を逸らせればいいから、誤射を防ぐため犯人には当てないで』

 

「がっ!」

 

 ナイフを持ったままの左手で、反射的に右目を押さえる犯人。獄楽が指で石を弾き飛ばし、正確に眼を打ったのだ。確かに指の力でも届く距離ではあったとはいえ、眼という小さな標的に狂いなく当てるとは、とてつもない精度であると言えよう。

 

 『希は確か指弾使えたでしょ。驚いて動きが止まった犯人の目を狙える?』

 

 『ああ、行けるぜ』

 

 『ならお願い。最後は――――』

 

「シッ!」

 

 ダンと足を踏み込み、皐月が犯人に向けてその全速力を開放する。空いていた距離は一瞬で詰まり、あっという間に犯人の足元に到達した。

 

 『――――私が行って、子供を取り返すわ』

 

 『なら俺も一緒に』

 

 『それも考えたんだけどね……訓練もしてないのに、ぶっつけ本番で連携出来る? 1+1で2になればいいけど、1-1で0になったら目も当てられないわよ』

 

 『それは……』

 

 『ここは少しでも足の速い私が行った方がいいでしょ。希は狙撃に専念して、私が失敗した時の後詰めに回って頂戴。ま、委員長に色々言った手前もあるし、何とかやってみるわ』

 

 犯人は本殿の建物内に立てこもっており、地面からは1mほどの高さに位置している。おまけにその間には柵があるが、皐月にとってはその程度の障害はどうという事もない。脚力に任せて飛び上がり、犯人の眼前に現出した。

 

「なっ!?」

 

 打たれた右目を押さえつつも、残る左目で事態を把握し、驚愕の表情を見せる犯人。それに構わず皐月は、末摘の着物の帯を左手で掴むと、そのまま引っこ抜くように柵を蹴って高く跳び上がった。

 

 いかな子供と言えど、15㎏前後の存在を抱え続けていた犯人の腕は疲労している。ゆえに大した抵抗もなく、末摘を奪い返す事に成功した。

 

「てめ――――」

 

 最後の悪あがきに、反射的に左手のナイフを突き出してくるが、そんなものが届くはずもない。皐月と末摘は重力に引かれて下に落ち、そのまま後ろに飛び退って距離を取った。

 

「この……!」

 

「貴様ぁ!!」

 

「死ねえィ!!」

 

 それでも諦めず腕を伸ばすが、人質という盾のなくなった犯人の末路など知れている。あっという間に前列にいた大人達に袋叩きにされ、ズタボロのボロ雑巾へと転職した。

 

「すえちゃん!」

 

 大人に交じって犯人をのした御魂が、柵から飛び降り妹へと向かう。その無事を確認するように、強く強く抱きしめた。

 

「良かった……無事で……!」

 

「ねーたん、くるしい……」

 

「ご、ごめんね。そうだ、皐月さ――――どうしたの!?」

 

 末摘に苦しいと言われて、ようやく他に気を回す余裕が出来た御魂が見たのは。右目を押さえ、歯を食いしばり蹲る皐月であった。

 

「まさか怪我したの!?」

 

「違う……わよ」

 

 じくりじくりと、無くなったはずの右眼が痛む。犯人の持っていたナイフの銀色が、存在しないはずの右眼に焼き付く。

 

「オイ、どーした!?」

 

 様子がおかしい事を察した獄楽が駆け寄って来た。

 

「何でも……ないわ」

 

「真っ青な顔で何言ってんだ! どっかケガしたのか!?」

 

「ちがう……って、言って……」

 

 痛みが強くなってゆく。眼前に銀と紅が散っていく。遠のく意識が最後に捉えたのは、慌てて走り寄って来る君原と名楽の姿であった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 『お、お前の存在は形態間平等に反している! ゆ、ゆえにこの私が裁きを与える!』『や、やった、私にだって出来るんだ! ざまあみろクソ課長!』『――――え?』

 

 

「……………………サイアク」

 

 目を覚ました皐月の視界に飛び込んできたのは、白い天井と、それをより白くしている蛍光灯の光であった。視線を少し横にずらせば、天井から吊られた薄いグリーンのカーテンが周囲を覆っている。どうやらどこぞの病院であるようだ。

 

「がんたい……」

 

 無意識のうちに右手が動き、眼帯を探す。枕元に置いてあったそれで右目を覆うと、ようやく頭の回転が戻ってきた。

 

「確か、あの後……ハア、ホントに最悪……。……………………振り切ったと、思ってたんだけど…………」

 

「菖蒲、起きたのか!?」

 

 勢いよくカーテンが開けられ、姿を見せたのは獄楽であった。その後ろには君原・名楽・御魂の姿もまたあったが、それを確認した皐月の口から出た言葉は、愚にもつかないものだった。

 

「……神社は放っておいて大丈夫なの?」

 

「お父さんが戻ったから任せて来たわ。バイトの子もいるし、短時間ならどうにかなるはずよ。……それよりもアナタよ! 身体は大丈夫なの!?」

 

「お医者さんは『身体に異常はない』って言ってたけど……」

 

「……何でもないわ。それよりさっさと退院しないと……」

 

 ベッドから身体を起こそうとするが、慌てた御魂に止められた。

 

「ちょ、ちょっと、まだ寝てなさいよ。怪我はなかったけど、倒れたのは確かなんだから」

 

「いや、そんな余裕は私にはないから……」

 

「入院費なら私が払うから。頼むから大人しくしてて」

 

「……はぁ? 自分の尻拭いくらい自分でするわ。いいから……手を離して」

 

「ちょ、ちょっとあやちゃん、寝てないと……」

 

 皐月は肩にかけられた手を押しのけようとするが、腕に力が入らない。それを見た御魂が言い募らんとした。

 

「ホラ、いつもなら私くらい――――」

 

「イインチョ、ちっと黙ってろ」

 

 そんな彼女を押しのけ、獄楽が前に出た。

 

「菖蒲、コイツはお前の言うところの『筋』ってヤツだよ」

 

「……筋?」

 

「そーだよ。委員長の妹を助けるために倒れたんだから、委員長が入院費を出すのが筋だ。違うか?」

 

「…………」

 

「後の事はこっちでやっとくから、とりあえず菖蒲は寝てろよ。妹も無事だったしな」

 

「ん……」

 

 一つきりの瞳がとろんとして、ゆっくりと瞼が落ちてゆく。程なくして、規則正しい呼吸が聞こえ始めた。

 

「……ったく、コイツも大概メンドクセー性格してやがんな」

 

「その……ありがとう。私じゃ多分上手くいかなかったわ」

 

「まーしょうがねーよ、委員長じゃあ微妙に相性ワリーだろうしな」

 

「ここだとなんだし、とりあえず外出ない?」

 

 名楽の提案で、ぞろぞろと連れ立って外に出た。ちょうど通りかかった看護師に皐月の様子を伝え、ロビーへと向かった。

 

「しっかし菖蒲が倒れるなんて……何があったんだ?」

 

「医者は『心因性のものかもしれない』っつってたが……」

 

 名楽と獄楽の言葉に、君原と御魂がどちらからともなく視線を合わせあう。御魂の方が一つ頷くと、重い口を開いた。

 

「…………多分だけど、トラウマがあるんじゃないかと思うわ」

 

「トラウマ?」

 

「アイツにか?」

 

「……ええ。二人は、皐月さんの右眼のコト、知ってるかしら」

 

 首を横に振る二人に、御魂は以前皐月から聞いた事を話していく。即ち、テロリストにナイフで抉られたという話を。

 

「んなコトがあったんか……」

 

「そのせいで、ナイフがトラウマになってるんじゃないかって事?」

 

「確証はないけれど、怪我もないのに右目を押さえてたから、そう間違ってはないと思う」

 

「でも前、家庭科で普通に包丁使ってたぜ」

 

「その程度なら大丈夫なんじゃないかしら。後ろから見てたけど、今回は目の近くにナイフが来てたみたいだから……」

 

「可能性は高そうだね……。それを『何でもない』とは、やっぱプライド高いね菖蒲は」

 

「いや、それはちょっと違うと思うぜキョーコ」

 

 獄楽の言葉に疑問顔を向ける名楽。そんな彼女に向かい、真剣さを増した顔で獄楽は言った。

 

「ありゃ野生の獣みてーなモンだ。いつでも心のどっかは警戒してて、『絶対に弱みを見せねえ』。弱みを見せたら付け込まれて死んじまうからだ」

 

「つまり、私達は信用されてないって事なのかしら……」

 

「だったら俺らの目の前で、無防備に寝たりはしねーだろ。一応信用はしてると思うぜ。ただ、それとこれは別ってだけだ」

 

「私達は、どうすればいいのかな……」

 

 君原が頭の上の耳をぺたりと寝かせ、沈んだ様子でぽつりとこぼす。それを見た名楽は、あえて普段通りの口調を保って言った。

 

「普段通りでいいんじゃない。希はああ言ったけど、菖蒲はやっぱりプライド高いとこがあるから。過剰に気遣われてると感じたら、侮辱だと思うんじゃないかな」

 

「だな。姫は細かい事気にしすぎなんだよ」

 

「希はもう少し細かい事気にしろよ」

 

「普段通り、か…………」

 

 パァン! という景気のいい音が響き渡る。御魂が両手を、自分の頬に叩き付けたのだ。通行人の目が集まるが、それを気にする事なく彼女は力強く言った。

 

「……よし! なら、私達は私達に出来る事をしましょう!」

 

「おっ、いい事言うじゃねーか。さすが委員長」

 

「三人は神社に戻ってもらえる? そろそろ流鏑馬の時間だし、二人には君原さんのサポートをしてもらいたいの」

 

「えっ、流鏑馬やるの!?」

 

「そりゃやるわよ、新年祭の伝統行事なんだから」

 

「委員長は?」

 

「私はこのまま病院に残って、皐月さんの保護者に事の次第を説明するわ」

 

「ああ、そういや電話してたね。菖蒲の携帯で」

 

「緊急事態だったんだからしょーがねーだろ。アイツも気にしねーよ」

 

「出たのは施設長さんだったけど、時間的にはそろそろ来るはずよ。説明が終わったら私も戻るけど、それまで神社の事はお父さんに任せるわ」

 

「その後はどーするよ」

 

「私は神社の仕事で動けなくなると思うから、流鏑馬が終わったら三人にはまた病院に戻ってもらうかもしれないわ。施設長さんと連絡先を交換するから、その時の状況で決めましょう」

 

「うし、なら行くか、姫!」

 

「えっちょっと希ちゃん、引っ張らないで~!」

 

「あっ待ってよ二人とも!」

 

 獄楽が君原の手を取り、名楽がその背を追って出口へと駆けて行く。病院内は走らない! という御魂の声を後ろから聞きながら、彼女らは神社へと走って行った。

 




 暑すぎてPCと作者の調子がやばたにえん。


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14話 妹、来たる

「倒れたと聞きましたが、身体は大丈夫なのですか?」

 

 うにょんと伸びる蛇の頭が、皐月の顔を覗き込む。表情筋のない顔ながら、どことなく心配そうな雰囲気だ。

 

「大丈夫よ、元々どこも悪くなかったんだし……」

 

「オメーの大丈夫は信用できねーんだよ」

 

「いや本当に大丈夫だから」

 

 君原は後ろから心配そうな顔で見ているが、忠告を覚えているようで口を開く様子はない。それに代わり、結局病院には戻らず、皐月は先に帰ったとだけ聞いていた名楽が、若干心配そうに尋ねた。

 

「あの後どうなったの?」 

 

「施設長が迎えに来たから、そのまま車で戻ったわ。その後委員長とそのお父様が、菓子折り持ってお礼に来たわね」

 

「御魂さんのお父様ですか……どのような方でしたか?」

 

「40代半ばの長耳人だったけど、子供と顔はあんまり似てなかったわねえ」

 

 彼が絵を描いているという事はその時初めて知ったのだが、同時に売れてなさそうだなという印象も持ったものだ。ついでに善良そうだけど頼りなさそうとも思ったのだが、さすがに両方口にはしなかった。

 

 ちなみに事実として絵は売れていない。売れていないので契約社員として働いている。週に半分くらいしか働いてないので収入は少なく、末娘の補助金頼りな面が少なからずある。なのでその事について長女、つまり御魂真奈美に度々苦言を呈されている。とは言えその程度でどうにかなるようなら、売れない画家などやっていないだろうが。

 

 ともかくそういう複雑な、御魂の友人曰く『メロドラマ』じみた家庭事情であるのだ。尤も皐月は深入りする気はないので、そこまで踏み込んだことは聞いていない。

 

「母親似なんだろ」

 

「オイ希……」

 

「ああワリーワリー」

 

 御魂の家庭事情を知っている名楽が、獄楽に軽く肘打ちを入れる。その微妙な空気を入れかえるように、君原が口を開いた。

 

「それにしてもスーちゃんの妹かあ。どんな子なんだろ」

 

 空港の雑踏を背景に、まだ見ぬ南極人に想いを馳せる。新年早々空港に来ているのは、サスサススールの()を迎えるためなのだ。

 

「先に言っておきますが、かなーり変わった子ですよ。南極人から見ても日本人から見ても」

 

「想像つかないなー」

 

 なお南極人はほぼ全員が姉妹だが、ここで言う妹とはそういう意味ではない。成長過程で、特に世話をする者される者の関係を、姉妹という訳語に当てはめているのだ。なので部活の先輩後輩だとか、育ての親子とでも言った方が近いかもしれない。

 

「前にメールでの写真は見たけど……その時はアフリカにいたんだっけ?」

 

「そうです。難民キャンプにいたと聞きました」

 

「難民キャンプから日本て……。ん? ひょっとして元日の『急な仕事』って、妹さん絡み?」

 

「ええ、急にこちらに来ると言い出しまして……その調整でどうしても外せませんでした」

 

「なんというか大変そうだね」

 

「ありとあらゆる騒動を巻き起こしてくれた子ですから」

 

「そこだけ聞くと、キョーコのお袋さんにちょっと似てるな」

 

「ぅおい! お袋は関係ねーだろ!」

 

 獄楽からの流れ弾に、瞬間湯沸かし器と化す名楽。やはり母親の事になると、感情的になってしまうようである。

 

「ホ、ホラ、もうすぐ到着するみたいだよ!」

 

 スマホで運航状況を確認していた君原が慌てて言う。思惑通り、獄楽の気がそちらに逸れた。

 

「お、流行りのハイジャックには遭わなかったんだな」

 

「エンギでもない事言わないでください」

 

「そんなとこまで流行の最先端を追い求めなくてもいいのよ」

 

「いやハイジャックは古典だろ」

 

「昔からの流行……天然痘、ペスト、狂犬病?」

 

「流行は流行でも流行り病じゃねーか」

 

「どっちにしてもエンギでもない事言わないでください」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「お姉様!」

 

「ゥゴッ」

 

 ホワイトロリータファッションの蛇人間が、いきなり駆け寄りサスサススールに抱き着いた。勢いそのものは大した事はなかったのだが、そこは体力クソザコナメクジ以下の南極人。変な声を出して後ろに倒れ込むところであったが、獄楽に支えられ何とか踏みとどまった。

 

「ああ、すみません」

 

「いや、いいけどよ……スゲー妹だな」

 

「お恥ずかしい……」

 

 サスサススールは溜息をつくと、四人に顔を向けた。

 

「お騒がせしましたが、こちらが妹のニルニスニルニーフ」

 

「ニルニシュニルニーフです。ニルちゃんって呼んでくださいね」

 

「……ん? ニスとニシュどっちなの?」

 

「ニルニスニルニーフです」

 

「ニシュの方が可愛いよ!」

 

 どうやらニシュは自称であったようだ。ややこしい。合理性や正確性を重んじる南極人にしては珍しい感性である。

 

「可愛いとかそういうコトではなくてですね……ああもう、お説教は後です。こちらが私の上司のファルシュシュです」

 

「よろしくね」

 

 紹介されたのは、スーツ姿の南極人だ。サスサススールとは外皮の色が異なり、額の上の目もない。頭に金属製の飾りをつけており、ニルニスニルニーフやサスサススールと比べると、若干落ち着いた印象を与える南極人であった。

 

 そんな彼女と()に哺乳類人四人の紹介が終わると、君原がファルシュシュの後ろの巨体二つを見上げた。

 

「あの、そちらは……」

 

「ああ、この子達は気にしないで。そうね、護衛ロボットとでも思っておいて。人格がない訳じゃないんだけど」

 

 どうも南極人通常種とはかなり違いそうなその巨体は、驚いた事に3mはある。しかもそれは高さだけの話で、全長は7~8mはありそうだ。横幅も太い。四本腕に蛇のような下半身、ともなればその種別は明白である。

 

「おー、コイツが戦闘種かー。マジでデケーな」

 

「あら、サスサススールから聞いていたの?」

 

「ええ、軽くですが。……これだけ大きいと、人一人くらい丸呑み出来そうね……」

 

 ぼそりと呟かれた皐月の言葉に、びくりと体を強張らせてその後ろに隠れる君原。どうやら南極人へのトラウマ源となった、あのB級映画を思い出してしまったようである。

 

「大丈夫よ、丸呑みなんてしないから」

 

「す、すみません……」

 

 丸呑み()()()()、とは言わないのか、という言葉は首の辺りでどうにか止まった。

 賢明である。

 

「さて、立ち話もなんですし、喫茶店にでも寄りましょうか。サスサススールがお世話になっている方々のお話を、もっと聞かせて欲しいわ」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「それで、学校でのサスサススールの様子はどうかしら?」

 

 人目を集めながら空港内の喫茶店に陣取り注文を済ませた後、ファルシュシュから開口一番に出た言葉がそれであった。代表してという訳ではないが、まず君原が答える。

 

「えっと……しっかりやってると思います」

 

「最初は多少ズレてましたが、最近は大分馴染んで来ましたね」

 

 名楽の言葉に、獄楽が横の皐月を見た。

 

「むしろ菖蒲の方がズレっぱなしなんじゃね」

 

「謂れのない風評被害はやめて頂戴」

 

 皐月はその死んだ目で獄楽をじろりと見るが、全く堪えた様子はない。ファルシュシュがシューという音を立て、疑問を発した。

 

「ズレとは、具体的にはどのような?」

 

「笑顔を作ると言って、大口を開けて牙を見せつけたり」

 

「それで姫が気絶してたな」

 

「お、思い出させないでよぅ」

 

「表現が直截過ぎる事もありましたね」

 

「そういえば、勝手に私達の意思を代表して答えちゃった事も」

 

「お姉様、苦労してるんだね」

 

「恥ずかしい……」

 

 両手で顔を隠すサスサススール。ズレとは即ち彼女の失敗談だ。恥ずかしいと感じるのも当然ではあるが、その感情は哺乳類人的であるとも言えるだろう。

 

「なるほど……やはり私達が哺乳類人社会に溶け込むのは、難しい事なのかしら」

 

「哺乳類人が南極人社会に溶け込む程度には、といったところでしょうか。まあ南極人社会にさして詳しい訳でもないので、想像ですが」

 

 その言葉に、まじまじと皐月を見つめるファルシュシュ。彼女は大きく一つ頷くと、一言だけこぼした。

 

「……なるほど」

 

 何がなるほどなのかよく分からなかった皐月は、内心小首を傾げながらも無言を通す。そこで隣の獄楽が、君原に水を向けた。

 

「でも最近は随分慣れて来た感じだよな」

 

「そうだね、かなり打ち解けたって雰囲気かな」

 

「それは重畳。…………ふむ。ところでサスサススール」

 

「何です?」

 

「この四人は、アナタからはどう見えているのかしら? 親しい友人、という事は分かっているけれど、それ以上の話も聞いてみたいわ」

 

 その言葉に哺乳類人四人が硬直し、サスサススールが不思議そうな顔をした。

 

「報告書で上げているはずですが……」

 

「アナタの口から直接聞いてみたいのよ」

 

「それって何か意味あるのー?」

 

「そ、そうですよ、当人を前にしてそういうコト言うのはちょっと……」

 

 ニルニスニルニーフと名楽が、互いの意図は違えど否定的な言葉を吐く。ファルシュシュはそれに、意外にも真面目な声色で答えた。

 

「あら、『自分を知るも他人を知るもコインの裏表』と言ったのは名楽さんではなくて?」

 

「うぇ!?」

 

「私も哺乳類人に倣って、他人を知るコトで自分を知ろうと思ったのよ。いけなかったかしら?」

 

「うっ……そう言われたら、いけないなんて言えないじゃないですか」

 

「随分と哺乳類人の流儀にお詳しいようで」

 

「誉め言葉として受け取っておくわ」

 

 それでどうかしら、と顔を向けるファルシュシュに、サスサススールはじっと君原を見ると語り始めた。

 

「姫さんは才人(さいじん)ですね」

 

「そ、そうかな?」

 

「祭神?」

 

「希、それ多分字が違うぞ。役に立たん神の方じゃなくて、才能のある人の方の才人だ」

 

「はい、そちらの方です。普段はあまりそんな風には見えないのですが、やってみると大抵の事が出来ますね」

 

「当然だな!」

 

「なんであなたが胸を張るのよ……」

 

 みょいんとサスサススールの首が伸び、君原の顔を覗き込む。

 

「演技も上手かったですし、王様のような人の上に立つ立場が案外向いているのでは?」

 

「えー、ムリだよぉ」

 

「それこそやれば出来そうな気はするがね」

 

「姫はあんまり上昇志向がないから無理でしょ」

 

 能力はあるがやる気はない、という典型的な有能な怠け者タイプだ。やらざるを得ない状況になるか、責任ある立場に就くかすれば化けそうではある。が、現代日本でそんな状況はあまりないと思われるので、おそらくこのままであろう。

 

「羌子さんは逆に上昇志向が強いですね」

 

「まぁね。折角チャンスがあるんだからさ、掴んで前に出ないと」

 

「メンドーそーな生き方してんな」

 

「そうかなー。偉いと思うよ?」

 

「そのための知識の収集に熱心で、学ぶ事に貪欲です。尊敬出来ます」

 

「め、面と向かって言われるとハズイね」

 

「後必要なのは体力かしら? 前テレビで『総理大臣の一日』って見た事があるんだけど、ブラック企業も青くなるハードスケジュールだったわよ」

 

 基本が分刻みスケジュールである。各国王族に天皇陛下との謁見も入るのだから、気疲れも半端ではあるまい。どう見ても労働基準法に違反しているのだが、さて。総理大臣の超過労働は、一体誰に訴えればいいのだろうか。

 

「そこまで行かなくても、最後に物を言うのはやっぱり体力なんだし、少しは鍛えた方がいいんじゃないかしら」

 

「あー、分かってはいるんだけど中々ね……」

 

「キョーコはモヤシだもんな」

 

「やかましい」

 

「体力と言えば希さんですが」

 

 サスサススールの三つ目が、今度は獄楽を捉えた。

 

「体力よりむしろ、あの曲撃ちが出来るほどのバランス感覚や柔軟性といった、身体操術方面の才能がずば抜けているように見えます」

 

「曲撃ちって?」

 

 何の事か分からなかったニルニスニルニーフが口を挟む。君原がそれに応え、スマホをポチポチと操作しとある動画を見せた。

 

「はい、コレだよ」

 

「――――おぉー、スゴイねこの人! 弓って足で撃てるんだ! 希ちゃんも同じ事が出来るの!?」

 

「まーな」

 

「また、ネックだった成績も確実に良くなってきています。努力の成果が出ているようですね」

 

「あ゛ー、新年早々勉強の話はいいって……」

 

「成績は上がってるんだから、ファイトだよ希ちゃん!」

 

「しょーがねーな」

 

「現金だなおい」

 

 君原の言葉に一気にやる気を出した獄楽を横目に、サスサススールの目が皐月に向く。

 

「菖蒲さんは、物事の裏側を読むのが得意なように思えます」

 

「それはあるね」

 

「さらっと外道な事思いつくもんな」

 

「喧嘩売ってんの希?」

 

 睨み合う二人。さすがに場を考えて手は出さないが、火花がバチバチ散っている。それを見たサスサススールが不思議そうに言った。

 

「希さんと菖蒲さんは、一見仲が悪いように見えるのですが、実際はそうでもないという点も不可思議ですね。性質はさほど似ていないはずなのですが、哺乳類人の友情の神秘でしょうか」

 

「遠慮なく力を出せる相手ってコトだろ。中学までの同級生だと、同性で希と張り合えるヤツなんていなかったからな」

 

「喧嘩友達、というものですか?」

 

「そんな大層なものでもないと思うけど。というか本当に喧嘩してる訳じゃないし」

 

「あ、そうだ。それならたまちゃんはどうかな? 何でもできるし、力も強かったよね?」

 

 君原の思い付きに対し、獄楽はヒラヒラと手を振る。

 

「あー、委員長は駄目だ。武道か何かの経験はあるみてーだけど、才能が全然ねーよ」

 

「そうなの?」

 

「そうなの。格闘技は才能がないと、一定以上は絶対いけねーしな。力つってもなあ……俺と大体同じくらいだし、才能のなさを補うにゃ全然足りねえよ」

 

「まあ委員長は、才能のなさを努力で補うタイプだしね。格闘技……というか戦闘は、咄嗟の判断とかに結構左右されるから、才能がないと上手く行かないってのは分かるわ」

 

 その時ちょうど、注文した品を店員が運んで来た。早速ニルニスニルニーフがケーキにかぶりつき、サスサススールに窘められている。

 

『これおいしいよ!』

 

『ああもう、こんな事を言いたくはありませんが、アナタも一人前なのですからもう少し落ち着きを持ちなさい』

 

 シューシューという蛇の擦過音にも似た、哺乳類人ではどう逆立ちしても出せそうにない音の言語だ。君原が不思議そうな顔をしているが、彼女が何かを言う前に名楽が皐月の方を見た。

 

「そういや戦闘と言ったらさ」

 

「ん?」

 

「こないだの事件の時、菖蒲が自然に作戦立ててたよね」

 

「事件?」

 

 事の次第を知らないファルシュシュが首を捻る。それに対し、名楽が簡単に説明を行った。

 

「話を聞く限り、合理的な戦術に思えるわ。それを考えたのが皐月さんだと?」

 

「いえ、考えたというか勝手に出て来たというか……。とにかく、特段意識した事ではありません」

 

「あやちゃんの才能ってコトかな?」

 

「だろうね」

 

「つーか聞いた話からすっと、そういう才能がないと死んでたんじゃね?」

 

「そう言われればそうね」

 

 思わず納得したという風情で声を漏らす皐月。その頭越しに名楽が獄楽に注意を入れているが、それを意識に入れることなく彼女は口を開いた。

 

「戦闘といえば、直接は関連しませんが気付いてますか?」

 

「何にかしら?」

 

「さっきから不審者がうろついてる事に」

 

「えっ、ど、どこ!?」

 

 びくりとして顔を動かさんとする君原を、獄楽が小声で咄嗟に抑えた。

 

「姫、キョロキョロすんなッ!」

 

「ご、ごめん」

 

 名楽が怪訝な顔を皐月に向ける。

 

「私服警官じゃないの?」

 

「感覚的な話で悪いけど、そんな感じじゃないわね。今はちょうど私達の後ろにいる、ソファに座ってる翼人の男よ。黒のダウンジャケットに薄い青のジーンズで、生え際が若干後退してる茶髪」

 

 スマホのインカメラで見てみなさい、と言われその通りにする君原。それを横に回し、名楽と獄楽もまたその姿を確認していく。

 

「ワタシにゃさっぱり分からんけど……希はどう思う?」

 

「……ありそうだな。動きと目付きが怪しいぜ」

 

「私達が空港についた時からいたわよアレ。ずっとその辺をウロウロしてて、怪しいなんてもんじゃないわ」

 

「よく気付いたね」

 

「まあ生き残るんなら、戦闘能力よりもこういう索敵能力の方が重要だからね」

 

 彼女の場合、テロリストと戦って勝つ必要はなく、警察が来るまで凌げればいい。それに必要なのは、不審者を見極める目と逃げ足である。戦闘能力が必要になるのは、戦わざるをえなくなってしまった時だけだ。もちろん絶対に必要な能力だが、生存が第一義なら優先順位は下がる。

 

「それで問題は、狙いが誰かなんだけど……そちらに心当たりは?」

 

 皐月の問いに、シューシューと音を立ててファルシュシュが答える。

 

「おそらく狙いは私達でしょう。嘆かわしい事に、そういった者達が存在するのは確かですから」

 

「でもそのくらいダイジョウブでしょ?」

 

 ニルニスニルニーフの気楽な意見に、皐月が苦言を呈する。

 

「ちょっと楽観視しすぎよ。アレは囮で、本命は別って事も十分に考えられるんだから」

 

「だな。あの戦闘種を見てそれでも仕掛けてくるんなら、そんだけの自信があるってこった。ただの過信したアホならいいけどよ、根拠があるんなら厄介だぜ」

 

「あの人以外にも実行犯がいるとか、遠距離からの狙撃とか?」

 

「流行りの自爆テロもあるんじゃね?」

 

「あらかじめ罠を仕掛けて、遠隔操作で起動する……ならここには来ないか。後は威力偵察用の捨て駒って線もあるけど、それでも油断していい理由にはならないわよ。とにかく、あちらに気取られぬように警戒は必要かと」

 

 その皐月の意見に、ファルシュシュは一つ頷き言葉を返した。

 

「分かりました。こちらでも気を付けておきましょう」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「どうもごちそうさまでした」

 

「この後、私は仕事がありまして。またの機会に。ニルニスニルニーフ、皆様にご迷惑をおかけしてはいけませんよ」

 

「はーい!」

 

「心配です……」

 

 ファルシュシュの注意に、返事だけは元気なニルニスニルニーフ。それを見たサスサススールが心配そうにしている。そんな二人に頓着せず、ファルシュシュは彼女らに背を向けた。

 

「有意義なお話を聞けました。では」

 

「ええ。()()()()()()

 

 カツカツとヒールを響かせ、戦闘種を一体引き連れて外へと歩いていく。その後ろ姿を見送るサスサススールが、先と同じ台詞をこぼした。

 

「心配です……」

 

「ヘーキヘーキ、なんとかなるって!」

 

「……心配です」

 

 ニルニスニルニーフを見ながら、サスサススールが意図の違う同じ台詞を吐く。そんな妹を心配する姉を見上げ、名楽が少しばかりずらした言葉をかけた。

 

「あの怪しい人はあっちに行っちゃったから、私らが出来る事はないんじゃない?」

 

「戦闘種がついているので、大丈夫だとは思いますが……。それよりもこっちの方が心配です」

 

「テロリストに狙われるよりも心配される妹、ってのもどうなのかしら……」

 

 ぼそりと呟く皐月の横で、獄楽の長い耳がぴくりと動いた。竜人の聴力は鋭いのだ。それなりに距離があっても、建物の外に出た者の足音を感知できるほどに。

 

「――――ん、切り抜けたみてえだぜ」

 

「よかったです」

 

「どんな感じだったんだ?」

 

「あの男の足音が早くなって、いきなり消えた。その後ファルシュシュさんの足音と、車のドアを閉める音がしたから、無事なのは間違いねーな。騒ぎにもなってないようだし、()()()やったみてーだ」

 

「上手く……丸呑みにでもしたのかしら」

 

 その言葉にびくりと身体を固まらせる君原。トラウマは解消されているはずだが、条件反射は如何ともしがたいようである。獄楽が皆を見回した。

 

「さて、と。心配事も片付いたし、これからどうすんだ?」

 

 テロリストの末路は誰も気にしていない、それはおっとりな君原であってもだ。この状況で南極人を襲うのは差別主義者だろうし、差別主義者のテロリストに人権はない。人権がないという事はつまり人間ではないという事なので、意識に入れる必要もないのだ。

 平等ではない市民は“存在しない”のである。

 

「あ、それならボク行きたいとこがある!」

 

 そんな微妙にディストピアじみた事情を気にする事なく、ニルニスニルニーフが元気よく手を挙げる。サスサススールがそれに顔を向けた。

 

「どこに行きたいんですか?」

 

「コスプレショップと夕霞(ゆうが)基地!」

 

『ちょっとお待ちなさい。コスプレショップはともかく、軍事基地って。言っておきますが、この国は専守防衛が国是ですよ』

 

 だが九条はないので、先制攻撃は可能だったりする。そもそもの話として、彼らは自衛隊ではなく、れっきとした軍隊だ。

 

『えー、でも専守防衛って、攻撃者の意図及び物理手段を完全に排除する事でしょ? たとえ外国でも、形態平等への侵害は、この国の国是を揺るがしてる訳だし』

 

『貴女は二つの大きな誤りを犯してます。我々は哺乳類人社会に干渉しすぎてはなりません。そして、貴女は他人の血で自分の理想を贖おうとしています』

 

 サスサススールは、姉の威厳を発しながら説教を続ける。

 

『貴女はどうも甘やかされすぎな上に、哺乳類人社会に毒されすぎです。ここにいる間は私がみっちり再教育しますよ』

 

『ふえぇ……』

 

「サスサス、ちょっとこっち」

 

「どうしました?」

 

 皐月がサスサススールを呼ぶ。首を傾げたサスサススールがそちらへと近づく。彼女は声を潜めてサスサススールに尋ねた。

 

「あなたの妹さん、大丈夫なの? 変な思想に毒されてたりしない?」

 

「私達の言葉が分かるのですか?」

 

「まさか。でもね、アフリカの難民キャンプから来た子が軍事基地の名前を出したとなれば、不穏な気配を感じるのも仕方ないでしょう?」

 

 頭はいいのに妙な思想にハマりかけている辺り、アカに染まってアホな事をやらかした、一昔前のインテリ的な臭いがする。どうも南極人には、そういう事への免疫が足りないようだ。南極からほとんど出なかったせいで、経験値が不足しているのであろう。

 

「で、どうなの?」

 

 畳みかける皐月に、サスサススールは深いため息で応えた。

 

「妹は大分哺乳類人社会に毒されているようです。心配です」

 

「やっぱり……。姉妹間の話なら私は口は出せないけど、何とかなりそう?」

 

「何とかします。それが私のすべき事ですから」

 

「おお、姉っぽい」

 

 決意を固めるサスサススールと、姉らしい一面を見て感心する皐月。そんな二人を横に、残る面々はこれからの事を話し合っていた。

 

「コスプレショップなら、電車に乗らないと行けないけど……乗れるかなあ」

 

 高さだけでも3mはある戦闘種の巨体を見上げ、君原が心配そうに言う。それを受け、ニルニスニルニーフがさらっと無情な台詞を吐いた。

 

「なら歩かせるー?」

 

「それはさすがにどうかと思うぜ」

 

「ニルニル、ちょっといい?」

 

「何ー?」

 

 名楽がニルニスニルニーフを見上げて聞く。

 

「8742705×47612は?」

 

「416257670460だけど、それがどうしたの? あ、分かった、なぞなぞだね。えーと何だろ」

 

「いやそーゆーワケじゃないけど……やっぱり南極人だなって」

 



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15話 過去は思いもよらない所からやってくるものなんだね

「私、どうしてここにいるのかしら」

 

 三月も半ばの新彼方高校。巨大な看板に紙が張り出され、その前に中学生……いや、ここの高校生になるかもしれない者達が群がっている。本日は高校の合格発表の日なのだ。

 

「そりゃキミも我がオカルト科学部の一員だからではないかね」

 

「たまにゃ働けって事だろ幽霊部員」

 

 そして在校生は、早速部活の勧誘に勤しんでいるという訳である。尤も、その自覚が薄い者も交じっているようであるが。

 

「部活に入るのはいいけど、あまり顔は出せないって最初から言っておいたじゃない……」

 

「最後来たのいつだっけ?」

 

 次のオカルト科学部部長に内定している朱池(あけち)が、げんなりしている皐月に問う。彼女は指を折って数え始めた。

 

一月(ひとつき)……二月(ふたつき)……三月(みつき)……」

 

「私が覚えている限りでは、新年に入ってからは来ていませんね」

 

 上から首をにゅいんと伸ばしたサスサススールが補足を入れる。朱池の恋人、犬養が苦笑いしつつ口を開いた。

 

「三ヶ月超えは、さすがにちょっとね……」

 

「元から数合わせなんだからいいじゃない……」

 

「センパイ、私合格しました!」

 

 その時横から、元気のいい声が飛び込んできた。君原の前ではポンコツになる事に定評のある後輩人馬、若牧綾香だ。両隣に友人を伴い、合格発表を見に来たのである。

 

「綾香ちゃん、おめでとー!」

 

「姫君の後輩?」

 

「うん、弓道道場の後輩なの」

 

「あ」

 

「あ」

 

 綺麗にハモり、見つめ合う獄楽と若牧。とは言え別に色気のある展開ではない。むしろ、三角関係の二角同士が顔を突き合わせてしまったに等しい。端的に言うなら恋敵の邂逅だ。

 

「あの…………あの時は、すみませんでした」

 

「お、おう」

 

 まあ精神年齢は高いので、どうこうなる事はないのだが。若牧は頭を下げたまま、獄楽への謝罪の言葉を続ける。

 

「頭に血がのぼってしまい、つい……」

 

「いやいいって、俺もあの時はちょっと冷静じゃなかったからよ……」

 

「二人とも、何かあったの?」

 

 ある意味元凶が尋ねるが、答えようのない二人は顔を見合わせて曖昧に笑うだけであった。君原は首を傾げるばかりであったが、まあ仕方ない。二人のデートを尾行して、それに気づいた若牧が鼻で笑った、とはさすがに言えない。

 

 そこから若牧が朱池達に折り目正しく挨拶したり、その朱池がオカルト科学部に勧誘したりと和やかに話が進んだのだが、君原が学校で弓道をやっていないと知ると一転、爆発した。

 

「センパイどうして弓道してないんですか!」

 

「この学校、弓道部なんてあったっけ?」

 

「ないな」

 

「だったら作ればいいだけじゃないですか!! 私、ずーっと思ってたんですけど! どうしてセンパイは能力があるのに大舞台を目指さないんですか! そんなセンパイに負けてる私の立つ瀬がないじゃないですか!!」

 

 言っているうちに興奮して来たのか、ガツガツと地団駄を踏んで悔しがる。その騒ぎを聞きつけ、御魂が姿を現した。

 

「騒がしいわね。どうしたの?」

 

「……そりゃこっちの台詞じゃね?」

 

「……両手に花?」

 

 ただしその両手には、女子生徒が二人ほど引っ付いていたが。

 

犬木(いぬき)っす!」

 

鴉羽(からすば)です」

 

 名前を聞いた訳じゃねえよ、という声にならない声は喉の奥に押し込まれ、皆の視線が御魂に集まる。その意味を理解した彼女は、溜息を一つ吐き出すと投げやりかつ雑な説明をした。

 

「どっちも中学校の時の後輩よ」

 

「おねーさまを慕ってここに来たっす!」

 

 敬語の『で』を省略する癖のある、犬木と名乗った方は、茶目黒髪の長耳人だ。ふわりとした髪を、肩に付くか付かないかの長さのボブヘアにしており、口調も相まって活動的な印象を与えている。分かりやすく裏表のない元気な少女、と言っていいだろう。

 

「よろしくお願いします」

 

 鴉羽は、薄い金髪に青い瞳の、角人と竜人の混合形態だ。長いウェーブヘアを背中まで垂らし、どことは言わないが豊満である。雰囲気はどことなく小悪魔めいており、良く言えば婀娜(あだ)っぽく、悪く言えば夜の街を“オジサマ”と歩いていそうな、一種の生臭い印象を与える少女である。

 男には好かれ、女には嫌われそうな感じ、と言えば何となく分かるだろうか。

 

「で、この二人の事は置いておいて」

 

「すげえ、この流れで強引に話を戻したぞ」

 

「さすが委員長の中の委員長ね」

 

 よく分からない納得の仕方をしている獄楽と皐月を無視し、御魂は君原に向き直った。

 

「全くこの子の言う通りよ。アナタには気概というモノが足りないわ」

 

「ですよね!」

 

「えー」

 

 詰め寄る御魂に困る君原、同意者を得て鼻息が荒くなる若牧。そんな三人を見ていた犬木の瞳が、眼帯に吸い寄せられた。

 

「あれ……?」

 

「ん? ……げっ」

 

 その記憶に引っかかるものでもあったのか、女子高生にあるまじき声を上げ、皐月が視線を横に逸らす。犬木の目がそれを追尾し、何かに気付いたかのように声を上げた。

 

「ひょっとして…………やっぱり!」

 

 御魂から離れ、皐月の手を取る犬木。だが皐月は意地でも目を合わせない。犬木はそんな空気を、ブルドーザーの如く完全に叩き壊して吶喊した。

 

「あの時助けてくれた人っすよね!? 覚えてるっすか!?」

 

「人違いです」

 

「なんだなんだ」

 

「どったの?」

 

 周囲の注目が二人に集まり、皐月の苦虫噛み潰し度数がぎゅんぎゅん上昇していく。お邪魔虫が離れたのをいい事に、御魂を独り占めしていた鴉羽が、顔だけを犬木に向けた。

 

「ひょっとして、中一の時にチンピラから助けてくれたって人?」

 

「違います」

 

「なんで否定するんすか!」

 

「別に隠すような事でもなくね?」

 

「そうだよあやちゃん、人助けだったんでしょ?」

 

「違います人違いです勘違いです」

 

 事情を知らない者から見ても割と一目瞭然なのだが、皐月は頑なに認めようとしない。それを見た鴉羽が、怪訝そうに犬木に問いかけた。

 

「ねえ本当にこの人なの? 金髪の長耳人とか言ってたわよね?」

 

「眼帯もしてなかったけど間違いないっす! この人っす!」

 

 自信満々に言い切る犬木。その自信は一体どこから来るのかという視線に応えた訳ではないだろうが、決定的な一言が放たれた。

 

「その死んだカブトムシのよーな左目! 見間違えるはずはないっす!!」

 

「ブフォゥ」

 

 一斉に噴き出すギャラリー。一つきりの瞳をぎらりと光らせ、彼女らを睨みつける皐月。それで大半は大人しくなったのだが、一人だけ笑いがやめられないとまらない、かっぱえびせん状態の女がいた。

 

「カブッ、カブ、カブトムシ……ッ!!」

 

「ちょっとミツ……」

 

「だ、だって、死んだカブトムシの目って……!! やば、お腹が……!」

 

 変なツボに入ってしまった朱池である。止まらない笑いに腹筋がピンチだ。尤もピンチなのは、腹筋だけではないようだが。

 

「朱池さん? 何がそんなにおかしいのかしら?」

 

「いやだってカブトムシ……カブトムシって……! ヤバイ、これはヤバイ……!!」

 

 誰に問いかけられたか気づいていない朱池が、腹を抱えながら答える。そして次の瞬間、当然のように頭を掴まれ吊り下げられていた。

 

「ああっ頭が頭が割れる割れちゃうぅぅ!」

 

「そう、そんなに喜ぶほど好きなのねカブトムシ……。ならとりあえず土に還って、カブトムシに生まれ変わってみましょうか。男の子に大人気になれるわよ」

 

「いや私にはミチがいればってちょっとマジヤバイヤバイ潰れる潰れる潰れるって!」

 

 九ヶ月ぶり二回目の感触である。回数が多いか少ないかは不明である。じたばたと手足を動かすが、やはりその程度ではどうにもならないのも変わっていない。片手で頭を掴んで人を吊り下げるという、リアル人間クレーンを見た後輩たちの目が点だ。

 

「え、片手で……?」

 

「ウッソォ……」

 

「さすが新彼方……」

 

「あやあやも支えられそう……」

 

「その怪力、間違いないっす!」

 

 これ以上ない証明を目の当たりにした犬木が、目を輝かせて飛びつく。珍しい事にうっかり墓穴を掘ってしまった皐月は苦い顔だ。

 

「あやちゃんって昔から力持ちだったの?」

 

「人馬を蹴りで2mくらい吹っ飛ばしてました!」

 

「ああ、そりゃ菖蒲くらいしかいねーな」

 

「てかどういう状況だったんだ?」

 

「昔街を歩いてたら、いかにもなチンピラに絡まれちゃいまして。一人だけだったら走って逃げられたんすけど」

 

 犬木は陸上部に所属しており、長距離では県の記録保持者である。短距離もまた非常に速い。相手に人馬が交じっていても、逃げ切る事は不可能ではなかっただろう。

 

「友達も一緒だったんで、逃げられずに困ってたんす」

 

「そこに菖蒲さんが来たという事でしょうか」

 

「はい! その人は、チンピラの一人を無言で殴り倒し」

 

 視線が無言で皐月に集まるが、彼女もまた無言を通す。意地でも目は合わせない所存のようである。

 

「うろたえる人馬を蹴り飛ばして、残りの二人もあっという間に畳んじゃったんす! その後すぐに行っちゃったんで、お礼を言えなかったのが心残りだったんす! あの時はありがとうございました!」

 

「分かった、分かったから。人違いだけど分かったから」

 

 90度に腰を曲げる犬木に、困りきった顔で対応する皐月。その様子を見た獄楽が、多少責めるように言った。

 

「そこまで否定しなくてもいいだろ」

 

「てかよく考えたら、菖蒲の中学時代のコトほとんど知らんな」

 

「藤本君が同じ中学校だったって聞いたけど……」

 

「ちらっと聞いた事はあるが、三年間ずっと違うクラスだったんだとよ」

 

「その辺り、どうなんでしょう菖蒲さん?」

 

 サスサススールに見つめられた皐月は、深い深いため息をついて言った。

 

「……今日は部活行くから。ここで話すような事でもないし、その時言うわ」

 

 なお、ぺいっと恋人に放り渡された朱池は、白目をむいて介抱されていた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 路地裏の仄暗い通りを、一人の少女が歩いていた。身長は150cmあるかないかで、メガネとマスクをつけ、長耳人用の帽子を被り、その隙間から長い金髪がはみ出している。

 

 金髪が多少目立つ以外は、何の変哲もない少女と言えるだろう。いや、体格や身体のラインが出ない服からすると、少年にすら思えるかもしれない。その目さえ見なければ。

 

 右眼は特筆すべきところのない、極々普通の目だ。この国の人間に多い、黒い色というだけで特段変わったところはない。

 

 だが、左眼を見ても同じ事を言える者はいないであろう。それは、眼でありながら穴であった。今にも溢れ出さんとする昏い何かが、うぞうぞとのたうつ不吉な何かが、その穴から覗いていた。

 

 とても人の目とは思えない有様であったが、もしもその穴から感情を読み取れるのであれば、底なしの憎悪こそが見て取れたであろう。

 

 事実、彼女は憎んでいた。この世界そのものを。だからこそこうして、胡乱な場所をうろついているのだ。()()()()()()()()()()()()対象を探して。

 

「おい、もっとあんだろ?」

 

「ヒイッ!」

 

「さっさと出せや!」

 

 そしてその対象は程なく見つかった。いかにも柄の悪い三人が、気の弱そうな眼鏡を囲んで脅している。絶滅危惧種かもしれないが、特に貴重でもなんでもない上、図々しくも決して絶滅しない。絵に描いたようなチンピラが、カツアゲをしていた。

 

「…………」

 

「オラ、こんなんじゃ――――」

 

 そのうちの一人が、黒目を白目にしてばたりと倒れた。少女がそこらのガラクタを拾って、力一杯殴りつけたからだ。これがただの少女なら耐えられたのかもしれないが、生憎彼女は体格にそぐわぬ怪力だ。その腕力を無駄なく頭に叩き付けられたチンピラには、倒れるという選択肢しかなかった。生きているかどうか? それは彼女が関知するところではない。

 

「なっ、なん……」

 

 いきなりの意味不明な状況に思考が固まるが、()がそんな事を気にしてくれるはずもない。急所を蹴り上げられ、先程の焼き直しの如く地面に沈んだ。

 

「んだてめえええ!!」

 

 二人を落とされ、混乱しながらもチンピラ本能に従い、敵対者に殴り掛かる最後のチンピラ。彼女は何の工夫もなく、拳でそれを迎え撃った。

 

「んなぁっ」

 

 結果は信じがたいものであった。体格に劣るはずの少女の拳が、中身はともかく外側は成人男性とさほど変わらぬチンピラの拳を、力のみによって弾き飛ばしたのだ。

 

「死ね」

 

 その動揺に乗せて放たれた声は、存外にも若い――いや、幼いものであり。その幼さとは裏腹の重い拳が、チンピラのみぞおちに突き刺さった。

 

「おぐぅ」

 

 思わず膝をついたその頭を、遠慮会釈なしに蹴り飛ばす。最後のチンピラは吹き飛び、二人と同じように地に這う事となった。

 

「あ、あの……ひっ!」

 

 助けられた格好になった眼鏡が声を掛けようとするが、短く悲鳴を上げてしまう。ぎょろりと動いた、闇を押し固めたかの如きその左目を見てしまったのだ。

 

「ひっ、ひいいいっ!!」

 

 臓腑より湧きいずる恐怖に駆り立てられ、もつれる足をどうにか回して脱兎と化す。彼女は興味を失ったかのようにそれから視線を外すと、倒れているチンピラに目を向けた。

 

「ぅ……」

 

 この中で最もダメージが少ない、急所を蹴り上げられた男に馬乗りになり、そして。無言でその顔面に拳を叩き込んでゆく。彼女はここに、被害者を助けに来た訳でも喧嘩をしに来た訳でもない。ただ、()()()()()に来たのだ。

 

「ごふ」

 

 奇妙な声を上げ、顔面がひしゃげていくが、その手を止める気配はない。対象は別に誰だって良かったのだ。表沙汰にならないのであれば。まさに八つ当たりとしか言いようがない。

 

「ぅびゅ」

 

 年に比して不自然な程に聡明な彼女には、こんな事をしても何の意味もないと分かっている。分かっているが、それで止められるなら八つ当たりとは言わない。

 

 何故私が狙われるのか。

 何故眼を抉られなければならなかったのか。

 何故私には同族がいないのか。

 何故私にはこんな記憶があるのか。

 何故、何故、何故――――!

 

「あびゅ」

 

 何故と問う事に意味はない、そんな事は誰に言われずとも分かっている。答えが出るような類の疑問ではないし、仮に答えが出たとしても、彼女を取り巻く状況は全く変化しないからだ。

 

 テロリストに命を狙われた事実は消えず。

 右眼は喪われもはや戻っては来ない。

 この世界のどこにも、同族が存在しない事実は変わらず。

 あり得ざる『記憶』がなくなる訳でもない。

 

 高い知性は、その残酷なる事実をそのまま教えてくる。だが、いや、だからこそ。行き止まりの悪意は噴出する。行き場のない憎悪が、拳という形を取って振り下ろされる。

 

 何の意味もなくとも。虚しいだけだと分かっていても。傍迷惑と理解していようとも。そうでもしなければ、自分自身を保てぬがゆえに。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 

 年にそぐわぬ知性と理性と知識を持っていようとも、彼女は未だ中学生なのだ。ただの、とは到底言えぬがそれでも、自己の確立すら不確かなる年齢の。

 

「ハァ…………」

 

 荒い息を収めて立ち上がった彼女の帽子が、何かに引っかかったのか地面に落ちる。だが落ちたのは帽子だけではない。印象的だった、その金髪もまたずるりと落ちていた。そこから現れたのは、不自然な程に艶やかな黒髪である。金髪は変装であったのだ。

 

 知識や知性はこういった隠蔽工作や、この行為のデメリット、果ては戦い方まで教えてくれるが、本当に欲しい答えだけは教えてくれない。水に囲まれ渇き死ぬ、大海原の漂流者とはこのような心持ちなのであろうか。

 

「クソ……!!」

 

 バリッと歯を食いしばるが、それにもやはり何の意味もない事を理解してしまう。何も感じず考えず、ただ獣の如く暴れ回れるなら多少は違っただろう。しかし彼女の知性や理性は、それを決して許さない。その優れた頭脳は、完全に呪いと化していた。

 

 頭が良くとも力が強くとも、それで問題が解決するとは限らない。そんな事は分かっているし、解決策がないのも分かっている。だからこそ、こうして悪意を振り撒かずにはいられないのだ。

 

 何にしろ今日はもう終わりである。体力はまだ持つが、精神がもはや限界だ。制限時間だって押し迫って来ている。戻らなければならない。

 

「戻ら、なきゃ……」

 

 帽子を被り直し、ふらりとおぼつかぬ足取りで、その場を離れてゆく少女。彼女こそ、若かりし日の皐月菖蒲の姿である。いやまあ今でも十分若いので、幼いと言った方がいいのかもしれないが。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「――――そんな感じで、当時の私はちょっとやんちゃだったのよ」

 

 言えないところは削って語られたその内容はしかし、十二分に刺激的であった。放課後のオカルト科学部部室に集まる部員たちが、ドン引く程度には。

 

「小六の頃ちょっと大きめの襲撃があって、こりゃいかんと受け入れてくれる県外の施設を探してここに来る事になって……まあ若かりし頃の何とやらね」

 

 うんうんと一人頷いているが、同意する者は誰もいない。それはまあそうであろう、女子高生には少しばかり重い話であるからして。

 

「……金髪の悪魔って、菖蒲の事だったんか」

 

「えっ、何その厨二スピリット溢れる名前」

 

 比較的復帰の早かった獄楽が、自身の知る異名を出す。しかし皐月にとっては、全く与り知らぬ名であったようだ。

 

「本人の癖に知らねーのか? 通り魔みてーに不良連中をシメて回ってる、金髪のチビがいるって噂になってたんだよ」

 

「チビ……まあ当時は今より10cmくらい身長低かったし、変装もしてたしね」

 

「そういやあの後輩、金髪の長耳人とか言ってたね……。よく形態偽装罪で捕まんなかったな」

 

「抜け道があるのよ」

 

 形態偽装罪とはその名の通り、自分とは異なる形態に偽装するという罪状だ。特定形態への差別という事で、形態差別罪の一環として罰せられる。作り物の角や長耳等を着ける場合は、あからさまに偽物だと分かるようにしなければ、この法律に引っかかるのだ。

 

 が、これにも抜け道がある。別形態の格好をする事は許されないが、別形態用の帽子や衣服を身につける事は問題ないのだ。

 

 例えば、頭の上に耳がついている、長耳人や人馬用の帽子というものがある。長耳用の穴が開いているか、耳を収める三角形のスペースが存在するかのどちらかだが、この帽子を長耳以外の者が被っても違法にはならない。そして当然、普通の変装もまた違法ではない。

 

 従って、金髪のウィッグをつけ、伊達眼鏡をかけて長耳用帽子を被り、眼帯を外して傷痕を化粧で隠し、(存在しないが)尻尾が隠れる程の長さの上着を着れば、街を歩いていても警察に見咎められない変装の完成である。場合によってはマスクも追加する。

 

 なお金髪にしたのは、咄嗟に目を惹く特徴となる事を期待しての事だ。異名からすると、その思惑は上手く機能していたようである。

 

「そもそも、よーここに入学出来たね……」

 

「学校と施設には隠してたからね。ひょっとしたらバレてたかもしれないけど、証拠は残してないし」

 

 朱池の問いにあっさり答える。まあそうでなければ、いくら親しいと言えども決して口にはしないだろう。

 

「ホントオメーは悪知恵ばっか働くなオイ」

 

「今回ばかりはちょっと否定できないわねえ……」

 

「そ、その……今も、してるの……?」

 

 君原がおずおずと、傍から見たら微妙に勘違いされそうな事を言う。皐月はそれに、手をひらひらと振って答えた。

 

「中三になる前にやめたわよ」

 

「何か心境の変化でもあったん?」

 

「単に色々ヤバくなって来たからってだけ。一応受験もあったし」

 

 あるいは、彼女なりの厨二病であったのかもしれない。あまりにも血腥く暴力的で無意味ではあったが、今はそれなりに落ち着いているところを見ると、不要ではなかったのだろう。巻き込まれた面々は災難だったがまあ、自業自得という事で堪えてもらうしかない。

 

「言いたくなさそうな様子だったのは何故ですか? 菖蒲さんが証拠がないと言うのなら、おそらくその通りでしょうから、逮捕や補導を恐れて、という訳ではなさそうですが……」

 

「えーっと、その……」

 

 言い淀む皐月に首を傾げるサスサススール。皐月は意を決したように、しかしそれでもやはり言いづらそうに口を開いた。

 

「若さゆえの過ちを知られるのは恥ずかしいって言うか、若気の至りはあんまり公言したくないって言うか……」

 

「お前さんの羞恥心はよく分からんわ」

 

 呆れと共に放たれた名楽の言に、皆の頭が縦に振られた。

 




 気付けば15話で10万字を超えている。
 おかしい、予定ではそろそろ畳んで完結しているはずだったのに……。

 ところであんなテンプレみたいなチンピラって実在してるんでしょうか。
 少なくとも私は見た事がありません。


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16話 変態と子供は、混ぜるな危険だったんだね

「ねえ、あなたと一緒に外を歩きたくないんだけど」

 

「唐突に辛辣!?」

 

 弥生(三月)も下旬、一年生から二年生になるまでの短くも長い春休み。皐月は同じ施設の同じ部屋に住む、同じ年齢の女子高生と街を歩いていた。

 

「ヘイあやっちぃ、私に対してちょっちセメント過ぎなぁい?」

 

 ころころと表情を変える彼女の名は愛宕(あたご)沙紀(さき)。光の加減で僅かに緑にも見える白髪に、青色の瞳を持つ角人である。カラーリングだけなら御魂にちょっと似ているが、顔は全く似ていない。身長もかなり低く、むしろ雰囲気的には、朱池の方に近しいだろう。

 

「コンクリ詰めにして海に沈めた方が良いんじゃないかっていつも思ってるわ」

 

「セメント通り越してコンクリートだったッ!?」

 

 そんな愛宕への対応は塩い。皐月とはそれなりに長い付き合いなのに塩い。愛宕の目が、その理由を見つけてしまった。

 

「おっ、あの子イイ感じ。ズボンの下の秘密の花園、夢が膨らむ……!」

 

「捕まるなら一人で捕まってよ……?」

 

 親子連れの子供の方を、欲望100%の目で見つめる愛宕。彼女は、子供が好きで好きで大好きなのだ(マイルドな表現)。

 

「施設の子もいいけど、たまには口直しも必要だよね?」

 

「あなたに必要なのは頭の医者だと思うけど。というか同意を求めないで頂戴」

 

「あーあ、私があやっちくらい成績良ければなぁ。迷わず小児科医になるってのにぃ!」

 

「小児科医は男の子だけじゃなくて女の子も来るのよ……?」

 

「分かってるってそんなコト」

 

 愛宕はきらりと目を光らせ、決め顔を作って言い切った。こんなところで使っていい顔だったのかは謎であった。

 

「サービスタイムって事だよ! 一粒で二度美味しい!」

 

 ショタロリペドの三重苦な女である。ヘレンケラーに土下座しろ。

 

「その頭をカチ割って、メロンパンと入れ替えたら少しはマシになるのかしら」

 

「私の頭はメロンパン入れじゃないよッ!?」

 

 仲が良いのか悪いのかよく分からない漫才をしながら歩いていると、皐月の目が見知った顔を捉えた。

 

「にゃっ」

 

「にゃっ」

 

「にゃーっ」

 

「ふみゅぅ」

 

 御魂家の三つ子、千草(ちぐさ)千奈美(ちなみ)千穂(ちほ)とその妹の末摘である。普段なら挨拶の一つでもしていくのだが、今は実にタイミングが悪い。

 

「ヤッベエ私の超好み! こんにちはカワイ子ちゃんたち!」

 

「無駄に動きが早いッ」

 

 皐月が止める間もなく愛宕は接近していた。ちょっと人間離れした、まるでスライムの如きにゅるんとした気持ち悪い系の動きであった。

 

「こんにちはー!」

 

「おねえちゃんだれー?」

 

「あやしいひとー?」

 

「あやしい人じゃないよ、やらしい人だよー?」

 

「自分で言ってちゃ世話ないわ」

 

 座り込んで子供と目線を合わせていた愛宕の頭を、皐月が後ろから鷲掴みにする。そのままクレーンゲームのように持ち上げ、子供達から隔離した。

 

「ちょ、ちょっと放してあやっち! 天国が目の前に!」

 

「これ以上喋ったら物理的に天国送りにするわよ」

 

 その場合、むしろ行くのは天国ではなく地獄であると思われる。邪淫の罪なので、衆合地獄の悪見処辺りであろうか。

 

「あ! がんたいのおねーちゃんだ!」

 

「こんにちはー!」

 

「はいこんにちは」

 

「こ、こんにちは……」

 

 三つ子が元気よく、末摘がおずおずと挨拶する。会うのは結構久しぶりだが、どうやら覚えていたようだ。

 

「委員長……真奈美お姉ちゃんは?」

 

「いえでおそうじ!」

 

「私たちはたんけん!」

 

「本当に間の悪い……」

 

 つまり委員長こと御魂真奈美は一緒ではないという事だ。子供達だけで外出させるのは些か不用心だが、昼日中の街中なら大丈夫だろうという判断なのであろう。

 

「あっ、ヘビさんたちもこんにちはー!」

 

「おや、委員長さんのところの……」

 

「こんにちはー」

 

 角から姿を現したのは、蛇頭の南極人二人だ。サスサススールとニルニスニルニーフの姉妹である。

 

「あら奇遇ね。今日は二人だけ?」

 

「ええ、一緒に美術館に――」

 

 サスサススールの目が皐月に向けられ、その台詞が途中で止まる。彼女は吊り下げられている女を見、皐月に視線を戻し、不思議そうに首を傾げた。

 

「――何事ですか……?」

 

「この変態の事は気にしないでいいから」

 

「初めまして! 私はあやっちのルームメイトの愛宕沙紀! あやっちのクラスメイトの南極人だよね!? 名前は確か……ケツアナルホル・サスマタドールさん!」

 

「ケツァルコアトル・サスサススールです」

 

「ごめんサスサス、コイツアホなの……」

 

 天を仰いで目を覆う。愛宕はそんな皐月を気に留める事なく、ニルニスニルニーフと挨拶なぞ交わし合っている。頭を吊られたままだが。

 

 彼女は馬鹿ではないし結構機転も利くのだが、いかんせんアホである。おまけに自己の欲望に忠実という事故物件だ。いつ警察に突き出すか、それともいっそ始末するか、皐月は割と真剣に悩んでいる。

 

「さあ私の胸に飛び込んでおいで! 特にそっちのちっちゃい子!」

 

「みゅ、みゅう……」

 

 ハングドウーマン愛宕が末摘に向けて両腕を広げるが、得も言われぬ邪気を感じ取ったのか、見上げるその目はちょっと涙目である。それを見た千草が、末摘の前に出た。

 

「すえちゃん、このおねーちゃんはヘンタイさんみたいだから、近づいちゃダメなのよ」

 

「変態じゃないよ、仮に変態だったとしても変態という名の淑女だ――――イタァイ!!」

 

 めきょっと、愛宕の頭からしてはいけない音がする。皐月のゴリラパワーが、腐った脳髄を物理的に締め上げたのだ。

 

「なにすんのさ! というかそろそろ放して!?」

 

「肉の前にハイエナを解き放つほど愚かではないつもりだけど」

 

「ぷるぷる、わたしわるいハイエナじゃないよ」

 

「良いハイエナは死んだハイエナだけね」

 

 普段ならここから更に締め付け強化(物理)するところだが、未だ愛宕の頭は形を保っている。皐月は愛宕に色々と借りがあり、多少なら融通を利かせるためだ。具体的には皐月が色々荒れていた頃、隠蔽工作に協力したという借りがある。だからこそ、抹殺を視野に入れられている訳だが。

 

「がんたいのおねーちゃん、だっこしてー」

 

「いいわよー」

 

「なっ、あやっちずるい超ずるい! 私も――――イィッ↓ダァ↑イッ!!?」

 

 前衛的な悲鳴を上げて、愛宕が頭を押さえて暴れる。そんなルームメイトをまるっと無視して、皐月が千奈美を抱きかかえた。

 

「がんたいのおねーちゃんはびじんさんね」

 

「どうしたのよいきなり」

 

 唐突に言われた言葉に目をぱちくりさせ、千奈美を見る。三つ子の一人は人差し指を口に当てると、何かを思い起こすように言った。

 

「でも、ウチのねーちゃんのほうがびじんかなー」

 

「ああそういう……」

 

「がんたいとって、目をキラキラさせたらもっとびじんさんかも!」

 

「前も言ったけど、この下は傷が残ってるから取れないわよ」

 

「目はー? なんでほかの人みたいに、キラキラしてないのー?」

 

 何故目にハイライトがないのか、と聞きたいらしい。確かに死んだ魚の方がまだ生気を感じさせる瞳なのだが、本人としてはこう答えるしかない。

 

「何でかは自分でも分からないわねえ」

 

「そっかー、わからないかー」

 

「ぐぎぎぎぎぎ、一人だけ何を甘酸っぱいやりとりを……!!」

 

「あなたからは胃酸めいた酸っぱい臭いがしてるけど」

 

「すっぱいにおい? げぼこ? ふぁぶりーずしなきゃ!」

 

「子供ってたまに残酷な事言うわよねえ……」

 

「何言ってんの、ご褒美だよ! さあ罵って、もっと罵って!」

 

「頭の中もファブリーズできないものかしら」

 

 三つ子まで巻き込んだ漫才の横で、三つ子の残る二人と末摘は、南極人姉妹と異種族間コミュニケーションを始めていた。

 

「すーちゃんはびじんヘビさん?」

 

「にるちゃんもびじんヘビさん?」

 

「どうなんでしょう?」

 

「そういうのはよく分かんないなー」

 

 首を捻る南極人姉妹二人。哺乳類人とは美的感覚が一部異なるようなので、おそらく嘘ではないのだろう。

 

 彼女らには、『x2 + y2 = z2 』を美しいと思う感覚はあっても、ウィレム・デ・クーニングの『インターチェンジ』を素晴らしいと思う感性はない。

 

 もちろん後者は、哺乳類人でもそう感じるかどうかは個人差がある。だが南極人は、種族全体にそういった感性が存在しないようなのだ。実際、美術館巡りをしているサスサススールにも理解しがたいもののようである。

 

 これはおそらく、種族的な特性から来るものだと思われる。美には様々な種類があるが、そのうちの一つ、『形の整った異性を美しいと思う感覚』は、『その相手がパートナーとしてふさわしいかどうか』を判別するために必要なものだ。もちろんそれだけではなく、他にも様々な意味合いがあるが、それは今は置く。

 

 南極人で、生殖行動を行うのは女王のみだ。大半の南極人にその必要はなく、従ってパートナーを探す必要もない。ゆえに、他者の美醜を気にする必要性もあまりなかったと思われる。その性質が、美術方面を発達させる事なく、他者の美醜に頓着しない、現在の南極人の特性に繋がっていったのであろう。

 

 それでも人類の美術に全く興味がない、という訳ではなく、中には経費を使ってまで美術品を買い求める南極人も存在する、というのは不思議なところだ。

 

 なお、ウィレム・デ・クーニングの『インターチェンジ』とは、約三億ドルという、史上二番目の高額で取引された絵画の事だ。抽象画なので素人が見てもさっぱり分からないが、それだけの値をつけた者がいたという事は、逆説的にその絵にはそれだけの価値がある、という事なのであろう。

 

「私たち、ねーちゃんよりびじんさんをさがしてるの!」

 

「ヘビさんたち、ねーちゃんよりびじんさん知らない?」

 

「哺乳類人の美醜もちょっと……お姉さまはどう?」

 

「一応分からないでもないですが、委員長さんよりも美人となると難しいですよ」

 

「そうなの?」

 

「以前アイドルとしてスカウトされた事がある、と聞きましたから、そういう事なのでしょう」

 

「へー、アイドルかー……」

 

 シューシューと音を出し、何かを考えているかのようなニルニスニルニーフ。そんな妹を横目に、サスサススールは三つ子に語り掛けた。

 

「そちらの菖蒲さんはどうでしょう? 美人ではありませんか?」

 

「がんたいのおねーちゃんより、ウチのねーちゃんのほうがびじんよ」

 

「がんたいのおねーちゃんは、やかれる前のおさかなみたいな目をしてるのよ」

 

「びじんさんは、あんな目はしてないのよ。もっとキラキラできれいなのよ」

 

「焼かれる前の魚て……」

 

「ぶあっはっはっはっ子供は残酷だねってホオ゛オォッ!?」

 

 何とも言えない顔の皐月が、意趣返しか先程の皐月の台詞で返した愛宕の頭を、とりあえず感覚で締め付けた。水揚げされた魚の如くビチビチと暴れる愛宕だが、この短時間で人間性が暴露されたせいか、誰からもまるっと無視された。

 

「では姫さんはどうでしょう? 哺乳類人基準で、十分美人かと思われますが」

 

「ひめさん?」

 

「しのちゃんのおねーちゃんよ」

 

「おっきくてふかふかで、かみの毛があかいおねーちゃん」

 

「あのおねーちゃんは、びじんというよりかわいいだよ」

 

「しょうらいはきっとびじんさんよ」

 

「でも今のびじんさんはなかなかいないね」

 

「ねー」

 

「ねー」

 

 顔を見合わせ声をハモらせ、鏡合わせで首を傾げる二人。その視線が、未だ吊り下げられている愛宕に向いた。

 

「ヘンタイのおねーちゃんは、あんまりびじんさんじゃないね」

 

「やっぱりヘンタイだから?」

 

「あひぃん」

 

 変な声と共にびくんびくんと痙攣する愛宕。端的に言って、非常にきもちわるい。放したいが放す訳にはいかない皐月の目は、もはや汚物を見る目になっている。

 

「うわぁ、すごいね。これが哺乳類人の変態ってやつ?」

 

「失礼ですよ、ニルニスニルニーフ」

 

「いやいいわよ、れっきとした事実だから」

 

「酷いよ!? 私だって、最初からこうだった訳じゃないんだからね!?」

 

 愛宕が情感たっぷりに語り始める。頭を吊り下げられたままなので、いまいち締まらないが。

 

「あれは忘れもしない、今から六……いや、七年前だったっけ……」

 

「忘れてるじゃない」

 

「とにかく小学生の頃、両親と妹と一緒に、車で出かけたの」

 

「ねえその話長くなる?」

 

「でもそこで、事故に遭ってしまったの。今でも決して忘れる事はない……」

 

「さっきは忘れてたみたいだけど」

 

「赤色に沈み、目の前で冷たくなっていく妹……。その事故から、小さい子を見ると妹を思い出すように……」

 

「そんな事が……」

 

「サスサス騙されちゃ駄目よ」

 

「つまり私がちっちゃい子大好きなのは、世界の摂理だったんだよ!」

 

「昔からそんなんで、ご家族も匙を投げ捨ててたって前言ってたわよね」

 

「うぉぉいネタバレ早すぎるぅ!!」

 

 なお家族が事故死したのは事実だが、愛宕本人はその車には乗っていなかった。性癖に至っては生まれつきである。割とどうしようもない。

 

「嘘だったのー?」

 

「いや嘘って訳じゃなくてね」

 

「嘘ね」

 

 首を傾げるニルニスニルニーフに、往生際も悪く言い訳しようとしていた愛宕を、皐月が一刀両断にぶった斬る。それを見た三つ子が、こてんと首を横に傾けた。

 

「ヘンタイのおねーちゃん、ウソツキだったのね」

 

「ウソをつくと、舌をひっこぬかれてじごくいきってねーちゃん言ってたのよ」

 

「ヘンタイのおねーちゃん、じごくにいっちゃうの?」

 

「きっとかまゆでにされちゃうのよ」

 

「くしざし? ひあぶり?」

 

「くるまざきー!」

 

「よくそんなもの知ってるわね……」

 

「テレビでみたのー!」

 

「ああ、あの地獄絵特集ですか。私も見ましたよ」

 

 国営放送の名誉の為に言っておくが、至極真面目な内容の番組である。問題があるとするなら、子供が見るものではないという事くらいだ。どうも何かのはずみで見てしまったようだが。

 

「イィ……幼く無垢なる口から出る、残酷な拷問の数々……メッチャイイ……!!」

 

「この汚物は……本当に始末すべきかしら」

 

 皐月が本気で愛宕の始末手段を検討していると、末摘が千穂の袖口を弱く引っ張った。

 

「ふみゅ……」

 

「どうしたのすえちゃん?」

 

「つかれたの?」

 

「おうちかえるー?」

 

「うん……」

 

 コクリと弱々しく頷く末摘。皐月の腕の中で抱かれていた千奈美が、止める間もなくぴょんと飛び降りた。

 

「じゃあかえろう!」

 

「送って行きたいところだけど……」

 

「すみません、私達はこの後少し用事がありまして……」

 

「留学生といっても特殊な立場だし、仕方ないわ。でもそうするとねえ……」

 

 右手の先の汚物を見る。これを連れて送る訳にはいかないし、放置は論外だ。またぞろ問題を起こすのは、コーラを飲んだらゲップが出るくらいには確実である。さてどうしたものかと考えるが、そこで三つ子が元気よく言った。

 

「だいじょーぶ!」

 

「私たちももうすぐいちねんせい! かえるくらいかんたんなのよ!」

 

「だからバイバイ、ヘビのおねーちゃんとがんたいとヘンタイのおねーちゃん!」

 

 蛇と眼帯と変態の返事も聞かず、タタッと走ってあっという間に消えていく三つ子と末摘。どうやら子供なりに気を遣ったようである。将来は有望だ。

 

「はしっこい子たちねえ……」

 

「では私達も」

 

「バイバーイ」

 

「ん、またね」

 

 南極人二人も連れだって立ち去っていく。だがそちらには目もくれず、未練がましく子供の尻を目で追っているのがいた。

 

「ああっ、私のエンジェルたちがぁ~! いい加減放してよぉあやっち!」

 

「こんのクソ変態が……この世から解放したろか」

 

 この二人――特にまだ吊り下げられてる方――が無事に戻れたのかは、誰にも分からない未来であった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ただいまー」

 

「ただいまー」

 

「ただいまー」

 

「ただいま……」

 

「あら、おかえり」

 

 御魂家に、無事戻ってきた三人と一人。それを出迎える長女。オカン系美少女JK完璧超人委員長という、もりすぎたもりそば属性なのに、それを一切感じさせないハイスペック女子高生こと御魂真奈美である。

 

「そろそろ探しに行こうかと思ってたんだけど……どこに行ってたの?」

 

「ねーちゃんよりびじんな人さがしてたのよ」

 

「いた?」

 

「ううん」

 

 三人揃ってふるふると首を横に振る。末摘は早々に御魂に抱かれ、うつらうつらしている。

 

「がんたいのおねーちゃんがおしかったけど」

 

「川にうかんでたおさかなみたいな目じゃ、ねーちゃんよりびじんさんとはいえないのよ」

 

「眼帯に死んだ魚の目……皐月さんに会ったのかしら」

 

 それで分かる辺りこの女も大概である。まあ皐月の方がもっと大概なので致し方ないのだが。

 

「ヘビさんたちはよくわからなかったね」

 

「びじんヘビさんのような気はしたけど、よくわからなかったからねーちゃんの勝ち!」

 

「ヘビさんたち……って事は、サスサススールさんとその妹さん?」

 

 実は妹ことニルニスニルニーフは何度か学校に来ているので、面識があったりする。尤も姉とは違って、入学した訳ではなく、単なる見学だ。公的な身分は南極の領事館所属ではあるが、やる事がないので実質的にはニートである。自宅警備員という言い訳も使えない。むしろ自身が警備される側だ。

 

「ヘンタイのおねーちゃんはダメダメだったね」

 

「かおはそんなにわるくなかったけど」

 

「とってもきもちわるかったから、びじんコンテストからはだつらくよ」

 

「ちょっとお待ち、ヘンタイのおねーちゃんってどういうコト?」

 

 声と表情を少しばかり硬くして、妹に問いかける姉。三つ子はそれに、両手を上にあげながら答えた。

 

「がんたいのおねーちゃんといっしょにいたおねーちゃんよ」

 

「私たちをみてハァハァしてたの」

 

「ウソツキだからきっとじごくいき!」

 

「かまゆで、はりつけ、くるまざきー!」

 

「ねーちゃんちょっと急用ができたからあんたたちはおやつ食べてて」

 

 抑揚のないワンブレスで言い放った御魂の目は、間違いなく閻魔大王をも凌駕していた。地獄の鬼も泣いて逃げ出すレベルである。

 

「はーい!」

 

「わーい!」

 

「おやつー!」

 

「きちんと手は洗いなさいよ」

 

 ばたばたと足音を立てて奥へと走って行く三つ子たち。それを見送った御魂は末摘を寝かせると、携帯電話を手に取った。呼び出す番号はもちろん、死んだ魚の目系眼帯少女こと、皐月菖蒲のものである。

 

「もしもし? はい、新彼方高校の御魂真奈美と申します。皐月さんを――――」

 

 電話口で呼び出す声は、南極のブリザードもかくやな極寒だ。皐月はとんだとばっちりであった。

 




 三つ子とすえちゃんカワイイ!


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17話 四方山話の山は、どこから来たのか不思議だよね

「あ、あの……」

 

「ん?」

 

 新学期が始まり、二年生となった教室。今年度もまた委員長となった御魂が皐月に、おずおずと話しかけていた。

 

「この間はごめんなさい……少し言い過ぎたわ」

 

「いやあれは、あの変態が全面的に悪いから……」

 

「つい頭に血が上っちゃって……」

 

 この間の、皐月のルームメイトこと愛宕沙紀の乱行についてであった。あの後御魂は皐月にクレームを入れたのだが、頭が冷えると言い過ぎた事に気付いたようだ。というかむしろ止めてくれた相手にあの言い方はなかったのでは、と気にしていたのである。

 

「おっ、珍しい取り合わせだな」

 

 横から声をかけて来たのは、今年も同じクラスになった御牧(おまき)(まこと)だ。髪をベリーショートにした長耳人で、顔も中性的なため一見男にも見えるが、れっきとした女である。

 

「二人揃ってシケた顔してどうしたよ?」

 

「あー、ちょっとね」

 

 文字通りの恥を公言したくない皐月は口を濁す。それに首を傾げた御牧は、御魂の方に向き直った。

 

「ちーすけたちが心配なのか?」

 

「……そうね、心配ね」

 

 また変なのに集られてないか、という心の声が聞こえたのは皐月だけである。とは言え御魂も変態の話は出したくないらしく、御牧の勘違いをいいことに、本日から小学生となる自らの妹たちの話題に切り替えた。

 

「イジメられたりしてないかしら……」

 

「いや、大丈夫だろ」

 

「そうねえ。『いじめのない社会は健全ではない、いじめをする者は健全ではない』なんて言うけど、あの三つ子ならその辺りは大丈夫でしょ」

 

 いじめとは、『信頼関係が薄いが、共に行動しなければならない集団』で偶発的に起きる。いじめている間は、信頼関係のない者と共に過ごす不安を忘れられ、自分がいじめられる事もない。いじめそのものの暗い愉しさ、得られる優越感、仲間との連帯感、といった要素もまたいじめを助長する。

 

 であるからして、いじめは絶対になくならない。学校は『信頼関係が薄いが、共に行動しなければならない集団』そのものなので尚更である。もちろん、クラスメイト全員に信頼関係があれば別だが、それが可能なのは相当な小集団だ。そんな事になっているのは、進みすぎた少子化によって滅亡寸前な国くらいであろう。

 

 集団生活においていじめをゼロにしようと言うのは、マグロに泳ぐなと言うに等しい。止まったマグロは窒息して死ぬばかりである。

 

「不吉な事言わないでよ」

 

「まー心配ねーよ。あいつらがイジメられてるとこなんて、どーやっても思いつかねえしな。ちーすけたちなら、どこでも上手くやってくだろ」

 

「そうそう、子供の成長って思ったより早いものよ。ましてやあの三人なら、心配するだけ無駄じゃない?」

 

「そう……かしら」

 

 子離れできない母な御魂は憂い顔だ。正確には姉だが、まあ実質的なところを考えればどちらでも変わりないだろう。そんな御魂を尻目に、御牧は皐月に問いかけた。

 

「妹か弟でもいんのか?」

 

「どっちもいないけど、施設に小さい子はそれなりにいるから」

 

「あっ…………ワリィ」

 

「別に謝る必要はないけど……」

 

 不思議そうな顔だ。そもそも何故謝られるのか、よく分かっていなさそうである。御牧は自らのみが感じる気まずさを振り払うように、一つ咳払いをした。

 

「そ、そーいやよ、皐月の小学校の頃ってどんなんだったんだ?」

 

「小学校? 特に変わんないわよ?」

 

「いや、変わんねーってこたぁねーだろ。大体どこの小学校だったんだ?」

 

「県外だから知らないと思うわ」

 

 そのやり取りを聞いて地味に焦ったのは御魂である。彼女は皐月の詳しい事情こそ知らないが、今まで聞いた話から、大体のところは当たりをつけている。そしてそれは概ね正しい。こういう事に頓着しない皐月によって事情が明かされれば、真っ当な神経を持つ御牧は多少なりとも気に病むであろう。ゆえに話を逸らすべく、御魂は御牧に話題を振った。

 

「ア、アナタは小学校の時からほとんど変わらないわよね」

 

「そうか? これでも色々成長してると思うんだがな」

 

 無知なる御牧は、気遣いの女御魂によって知らぬ間に地雷を回避した。地雷原にその自覚がない辺り性質が悪い。

 

「そーゆータマこそ、かなり変わったよな」

 

「そうね……」

 

「そうなの? どんなふうに?」

 

「当時のあだ名が『お人形ちゃん』だった」

 

「嘘やろ工藤」

 

「ホンマや工藤」

 

「いや誰よ工藤」

 

 全く信じていない。衝撃に思わずエセ関西弁になってしまう程である。まあ現在は人形とは程遠いオカンだ、無理もなかろう。

 

「マジで小学校の頃は、人形みてーな感じだったんだよ。口数もあんま多くなかったし、表情もあんま変わんなかったし」

 

「想像つかないわねえ……」

 

「苦労してたかんなあ……」

 

 しみじみと言う御牧。彼女は小学校から御魂と付き合いがあり、色々と相談も受けている。ゆえに、色々と思うところがあったのであろう。

 

「……ん? その理屈だと、苦労してたのに全く変わってない私はどうなるのかしら」

 

 無自覚系自走式地雷が戻ってきた。焦る御魂が何かを言う前に、御牧が口を開く。

 

「苦労してたんか?」

 

「死ぬほどね」

 

 比喩でも何でもないのだが、そんな事は露ほども知らない御牧は笑う。

 

「なんだそりゃ、大袈裟だな」

 

「大袈裟だったら良かったんだけどねえ……」

 

「ホ、ホラ、それより!」

 

 少々わざとらしくも御魂が声を張り上げる。気遣いと苦労の似合う女、御魂真奈美である。オカン系JKは伊達ではない。

 

「そろそろ時間よ、席に着きなさい!」

 

「はいはい」

 

「委員長は二年になっても委員長ねえ」

 

 その時ちょうどチャイムが鳴り、二年生最初のホームルームが始まった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

『自由・民主・平等! 何故我らには、人類の普遍的原理が適用されないのか! このような不正義に対し、我らはやむなく立ち上がったのである!』

 

 放課後のオカルト科学部部室。名楽の持つスマホの長方形の画面には、カエル人間が吠えている様子が映し出されていた。ちなみに言語は、両棲類人のものでも現地のポルトガル語でもなく、英語である。

 

「センパイ、何見てるんです?」

 

「ニュースサイトだよ」

 

 君原を追って入部した、新入生の若牧(わかまき)綾香(あやか)が画面を覗き込む。

 

「これって両棲類人ですよね。何かあったんですか?」

 

「こないだからキナ臭かったが、ついに武装蜂起したっぽいな」

 

「へー、両棲類人ってネット使えたんですねえ」

 

 大して興味もなさそうに言ったのは、若牧を追いかけて入部した鴉羽(からすば)天音(あまね)だ。その少々迂闊な発言に、名楽が眉を顰めた。

 

「おい鴉羽、その言い方だと差別罪とられるぞ」

 

「あぁ分かってますよぉ、そういう意味じゃありません。両棲類人って現地だと動物扱いなんでしょう? なのに、どうやってスマホとかを手に入れたのかと思いましてぇ」

 

 態度は適当な割に、着眼点は適切である。確かに『両棲類人は単なる動物』というのが現地政府の公的見解なので、それがスマホの契約を出来るはずがない。盗んだところで、即座に契約を切られるのがオチだ。

 

「現地に協力者でもいるんじゃね?」

 

「交易をしてるって聞いた事があるから、そこから手に入れたんじゃないかな? 月々の使用料くらいなら交易で稼いで、代わりの人に払ってもらえばいいし」

 

 獄楽と君原が自然な見解を述べる。確かにそう考えるのが、最も無理のない流れであろう。

 

「いや、他にも可能性はあるわよ」

 

「てーと?」

 

「一つはジャン・ルソー氏ね」

 

 皐月が出したのは、以前この学校に講演に来た両棲類人の名前だ。確かに彼ならば、経済的には問題はない。動機にも十分なものがある。

 

「少数民族保護もやってるって話だし、オトモダチに融通利かすくらいはしてもおかしくないんじゃないかしら」

 

「あー、ありそうだな」

 

「そういう内容の話もしてたもんね」

 

「もう一つは、南極人ね」

 

 その言葉に、この場における唯一の南極人、サスサススールに視線が集まる。彼女は少々狼狽えた様子で聞き返した。

 

「わ、私達ですか?」

 

「南極人は両棲類人の神なんでしょ? だったら信者に応えてやろう、と考えるのが出る可能性はなきにしもあらず」

 

「と言われましても……。私達は基本的に政治には口を出しません。それが流血を伴うなら尚更です」

 

「つってもねえ……南極人にも色々いる、ってのは現在進行形で証明され続けてる訳だかんね」

 

 サスサススールをじっと見ながら名楽が言う。彼女の言う通り、南極人にも思想的多様性があるというのは、今まさにサスサススールが証明しているところである。その多様性が両棲類人に向けられたとて、不思議なところはどこにもない。

 

「うーん、決して無いとは言い切れませんが、中央の情勢はちょっと分かりませんし……」

 

「どっちにしろ、両棲類人に外部から入れ知恵したのがいるのはほぼ確実だし、それが南極人である可能性はゼロじゃないでしょ。確率が高いか低いかは知らないけど」

 

「入れ知恵?」

 

 分からない事があったら聞く、というのが条件反射になっている獄楽が首を傾げる。彼女も考えれば分かるはずなのだが、その気は全くなさそうだ。

 

「さっき鴉羽さんが言ってた通り、両棲類人は現地では動物扱い。当然国際情勢には疎いはずなのに、『自由・民主・平等が人類の普遍的原理』だなんて、一体どこから知ったのかしらね」

 

「それだけならまあ誰かから聞いたって事でもいいが、蜂起の名目にまでしてるんだからな。人類社会にかなり詳しいヤツが裏にいる、と見るのが自然だろ」

 

「さらに言うなら、それなり以上の信頼関係があると思ってもいいわね。じゃなかったら意見なんて受け入れないし、そもそも聞く事すらないもの」

 

「安易に種族間闘争にしなかったのもソイツの考えかもな。種族間の戦いは殲滅戦になりやすいし、そうなったら数に劣る両棲類人は勝てない。でもそういう冷静な意見は、中からだと中々出てこんからな」

 

 皐月と名楽が揃うと、こういう話はテンポよく進む。首を横に傾けたサスサススールが問いを発した。

 

「皆さんは、最終的にはどうなると思いますか?」

 

「どうっつってもなあ、普通に考えたら両棲類人にゃ勝ち目はねーよな」

 

「数が違い過ぎますからね。確か両棲類人は、老若男女全部合わせても数万程度でしたっけ?」

 

 サスサススールに答えた若牧が、無意識に君原の方を見る。

 

「ブラジル政府は戦車とか戦闘機も持ってるもんね」

 

「ジャングルで戦うなら地の利はあるだろうが、ランチェスターの法則を覆せる程とは思えんしな」

 

「ランチェスターの法則?」

 

 聞き覚えのない単語を聞きとがめた獄楽に、皐月と名楽が説明していく。

 

「『軍隊の戦闘力は武器効率と兵力数で決まる』という事実を法則化したものよ。

 第一法則が『戦闘力=武器効率×兵力数』。

 第二法則が『戦闘力=武器効率×兵力数×兵力数』」

 

「前者が接近戦、後者が銃を使う遠距離戦での話だな。ざっくり言うなら、戦いは数が多い方が勝ち、それを覆すには良い武器がいる。そんで銃で撃ち合うような戦闘だと、その傾向が顕著になる、ってコトだ」

 

 詳しくやり始めるとそれこそ本が書けるので割愛するが、今重要なのは第二法則の方である。数が少なく武器の質でも劣る両棲類人が正面から軍と戦えば、どうやっても勝ち目はない事を、この法則は証明している。

 

 これをひっくり返すには、何らかの『強力な武器』が必要となる。無論効果があるのなら、軍事的なものに限らず政治的な武器でもいい。それを用意できるかどうか、勝敗はその一点にかかっていると言えるだろう。

 

「なんつーか当たり前の話だな」

 

「まあその当たり前を法則化したモンだからな」

 

「でもよ、俺一人でも素人五人くらいなら畳めるぜ。菖蒲だってそんくらい出来るだろ?」

 

 言外に、『素手同士の戦いで人数差があるのに、どうして人数の少ない方が勝てるのか』という意を込めて尋ねる獄楽。その意図を正確に汲み取った皐月が答えた。

 

「『戦闘技術』も『武器効率』に含まれるのよ。この場合は、希が持ってる『空手の技術』という『武器効率』が人数差を覆した、という事になるわね」

 

「ほー、なるほどなー」

 

 もっと言うなら、その技術を用いて敵を各個撃破した、とも表現できる。一対五では勝つのは難しいが、一対一を素早く五回繰り返すなら十分勝てる、という訳だ。

 

 ちなみに互いの人数が多くなればなるほど、こうした技術で人数差をひっくり返すのは難しくなる。一人で数人倒せる達人と呼ばれる人間は存在するが、数が少ないからだ。そうすると必然的に、『大勢の中に達人が少数入っている』という形になる。その達人が何十人、何百人と倒してくれるのならともかく、実際は疲労するので上限がある。そうすると、達人と言えども少数では数の差に飲み込まれてしまうのだ。

 

 もちろん軍勢全てを達人にすれば、少数で多数を駆逐する事も理論上不可能ではない。しかし現実的にはまず無理なので、大人数同士の戦いでは数こそがものを言うのである。

 

「それでは、両棲類人には勝ち目はない、という事なのでしょうか?」

 

 逸れかけていた話を、サスサススールが自然に引き戻す。それに応答したのは皐月であった。

 

「そりゃこのまま正面から戦えばね。でも、何を勝利条件にするかによっては変わって来るかも」

 

「と言うと?」

 

「両棲類人の勝利条件は、自分達を人間だと認めさせ、各種権利を得る事。そしてそれは半分成功している」

 

「さっきの動画、英語で喋ってたしな。国際的なアピールって意味だろうし、ニュースで取り上げられてる以上、それは成功してると言える。大統領に国境を超えて批難が集まってるのも事実だ。まあ迂闊な発言をしたのも悪いんだが」

 

 『腰ミノつけたカエルなど、さっさと駆除してしまえ』と言い放ったせいである。平等を是とする国際社会でそんな事を言えば、そりゃあ批難もされるだろう。

 

「対して政府側の勝利条件は、今まで通り両棲類人は単なる動物であると通すか、残らず殲滅してしまう事。でも前者は実質的に不可能」

 

 先程の動画がネットに出た以上、両棲類人が知的生物であると世界が知ってしまった。もはや単なる動物であるという主張は通らない。

 

 また、単なる動物扱いに戻るようならば、両棲類人はそれこそ死んでも戦うだろう。かかっているものを考えるならば、彼らが引く事はありえない。

 

「そして後者は物凄く難しい」

 

「そーなんか?」

 

「ええ。ベトナム戦争を考えれば分かるけど、ジャングルに籠る戦力を排除する、ってのは非常に難易度が高いのよ」

 

 障害物の多いジャングル内だと、銃器の有効射程範囲が落ちるのだ。また、防衛側には地の利があり、罠を仕掛ける事も出来る。その結果、ランチェスターの第二法則ではなく第一法則に近い状況になってしまう。つまり、人数差が活かしづらくなる、という訳だ。

 

「じゃあ、枯葉剤とか……」

 

「自分の国でんなコトしたら、大統領の首だけじゃすまんかもな」

 

 ジャングルは水源地でもあり、その水を利用しているのは当然両棲類人だけではない。そもそも自国領土に枯葉剤など、ジャングルでなくとも国民が許すまい。ブラジルが民主主義国家である以上、民意を大きく無視した作戦は行えない。同じ理由で、大規模爆撃やBC兵器も不可である。

 

「まあそこまでしなくても、戦車とかを使えば最終的には政府側が勝つわよ。RPGとかの対戦車兵器があっても、今は対策もあるし。ただ」

 

「ただ?」

 

「被害がかなり出るはずだから、そこまでやる意義があるのかって問題が出て来るのよね。そもそも殲滅戦って効率悪いし、被害を出し過ぎたら国そのものが傾くわ」

 

 戦争が政治の一手段である以上、勝ったところで後に響くのなら意味がない。両棲類人は殲滅しました、しかし被害が出過ぎて国際社会での発言権を失った上、クーデターが起きて政権が崩壊しました、では割に合わないという事だ。

 

「つまり、どーなるんだ?」

 

「どっちも勝利条件を満たせず、ドロドロの泥沼になるかも、ってコト。両棲類人が都市を占拠するのも、軍がジャングルの両棲類人を殲滅するのも難しいかんね」

 

「決定的な勝利を収めるには、外部からの介入が必要って事でもあるわね。まあその前に、どこかでお互い妥協して落としどころを見つけるかもしれないけど」

 

 名楽と皐月が話をまとめる。今まで横で聞いているだけだった鴉羽が、半ば呆れたように口を開いた。

 

「センパイたちって、いっつもこんな話をしてるんですかぁ?」

 

「いつもって訳じゃないけど……まあ、それなりにね」

 

「ふーん」

 

「興味なさそうだね」

 

「そりゃあ、地球の反対側で起きてるコトですし? 私達にはもっと大切な事があると思うんですよねぇ」

 

 席を立ち、若牧に近づいていく鴉羽。その目はどこか妖しい光を湛えていた。

 

「例えば、来年あやかと同じクラスになれるのか、とか」

 

「ちょっと……」

 

 言葉と共に、若牧の首に両手を回し身体を密着させてしな垂れかかる。その仕草は随分と手慣れており、豹のように優雅で、遊女のように艶めかしい。残念ながら、同性の若牧には全く通じていないようであったが。

 

「センパイたちは今年も同じクラスだったからいいですけど。私は別のクラスですから、来年に期待するしかないんですよぉ」

 

「分かったから離れて」

 

「えぇー、いいじゃない」

 

「あなたがよくても私がよくないの」

 

「ケチー」

 

 ぐいっと力で押しのけられる鴉羽。若牧は一見華奢だが、人馬なので力はある。不満顔な鴉羽に、皐月がストレートに問いを投げた。

 

「鴉羽さんってレズなの?」

 

「ぶっ」

 

「レズじゃないですぅ、百合ですぅ」

 

「ちょ」

 

 噴いたのは君原で、焦ったのは若牧だ。特に若牧は、どう考えても狙われているので焦りも一入(ひとしお)である。

 

「同じじゃない」

 

「違いますー、百合は清純なんですぅー」

 

「レズでも百合でも、本当に清純なら自分ではそう言わないわ」

 

「ならセックスしてみます? 私がチョー清純だって分かりますよ。センパイは頭いーし美人だし、人間的にも興味深いので許容範囲内です」

 

「清純は清純でも、清純派AV女優の清純じゃないかしらそれ」

 

 職業に貴賤はないが、AVに出ている時点で清純ではあるまい。むしろ、たった七文字の中に矛盾を詰め込めるセンスを称賛すべきところなのかもしれない。

 

「私が抱く基準はお金じゃないし、AVにも出ませんからAV女優じゃないですよぉ」

 

「何でもいいけどノーセンキューよ。私レズじゃないし」

 

「そうですか? 気が変わったらいつでも言ってくださいねぇ」

 

「世界が滅んでもそんな日は来ないわ」

 

「なんでお前らコントしてんだ」

 

「掛け合い漫才というものでは?」

 

「スーちゃんスーちゃん、それ多分何か違うよ」

 

 むしろこのやり取りの方が余程掛け合い漫才なのだが、気付いていないようである。そこで鴉羽が、何かを思い出したような表情でパンと手を叩いた。

 

「そうだ、この前言い忘れてたんですけど」

 

「何?」

 

「オカルト科学部の名称変更を提案しまーす」

 

「いきなりどうしたの?」

 

「だって先輩達、オカルトに興味ないでしょ?」

 

「ないな」

 

「ねーな」

 

「怖いのやだし」

 

「そもそもオカルトがよく分かりません」

 

「私もあんまり興味ないかな」

 

 二年生の四人と、若牧の意見が完全に一致する。だが一人だけ、意見を異にする者がいた。

 

「興味がない訳でもないんだけど……」

 

 言い淀んだのは皐月であった。神は信じていなくとも、現代科学で説明できない事象が存在する事は疑っていない。言うまでもなく、自分自身がその証明であるからだ。

 

「意外だな」

 

「菖蒲さんは、そういった事に興味がないと思っていましたが」

 

「……まあ色々あるのよ。でも改名には賛成するわ。最初に聞いた時、何の部活だかさっぱり分からなかったもの」

 

 なんせオカルト科学部である。これで何をする部活か分かるなら超能力者だ。それはそれでオカルト科学部にふさわしいかもしれないが。

 

「なら民俗研究部とかでいいですね。部費で物見遊山する名目も立ちますし」

 

「いい提案だね。まあ今日は部長の朱池と犬養がいないから、正式決定はまた後日として。民俗研究、早速行ってみようか」

 

 名楽がひょいと出したのは、ムンクの『叫び』のような顔をした、しかしどこかコミカルな印象をも与える女性が全面に印刷された、長方形の紙の束だった。

 

「何それ?」

 

「オヤジにもらった映画のチケット。『怨念おんねん』の最新作」

 

「ホラーかコメディか、いまいちはっきりしないネーミングねえ……」

 

 どうやら本日の『民俗研究』は、B級と思しき映画鑑賞に決定されたようであった。

 




 『よもやも(四方八方・四面八面)』がなまって『よもやま(四方山)』。
 なので四方山(よもやま)の山は、単なる当て字。


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18話 アイドルは元々崇拝対象って意味だから、南極人にはピッタリなのかも

「ここがニルちゃんの所属事務所かあ」

 

「なんつーか、エライ建物だな」

 

 いつもの五人が見上げるのは、四階建てのビルである。何の変哲もない……と言いたいところだが、獄楽の言う通り変哲のあり過ぎる建物だ。

 

 最上階に『リリスタジオ』という看板がかかっている、それはいい。が、その下の三階には『大惨寺』、二階には『大惨神社』という看板が出ている。

 

 何でビルに寺と神社が入っているんだとか、同じ名前なのは神仏習合の名残なのかとか、そもそも何故寺と神社の上に芸能事務所を入れてしまったのかとか、どこから突っ込んでいいのか分からぬ有様である。

 

「あの子がアイドル……心配です」

 

「上司のファルシュシュさんの許可は出てる、って言ってたじゃない」

 

「それは、そうですが…………心配です」

 

「姉は大変だぁね」

 

 そんなカオスなビルに来たのは、サスサススールの妹、ニルニスニルニーフがアイドルになると言い出したからである。任務も命令もなく、ぶらぶらしているところをスカウトされたとの事だ。そんな妹に不安いっぱいの姉は、それでも実質的ニート脱出を見守るべく、友人と共にその事務所を見学に来たという訳である。

 

「アイドル……枕…………生殖能力……というか、穴はあるのかしら……?」

 

 小声で皐月が呟く。初手で芸能界の暗黒面を連想する辺り、性格が透けて見える。

 

 それはそれとして、一般的南極人に生殖能力があるのかどうかは確かに気になるところだ。これがミツバチなら、女王が抑制しているだけなので働きバチにも生殖能力はある。だが南極人は、肉体をかなり直接的にいじれる技術を持っているようなのだ。それを用いて、一般的南極人から生殖能力をオミットしている可能性はある。

 

 これにはメリットもデメリットもある。デメリットは、女王に何かあった場合の予備が少なくなる、という点だ。その危険性は言うまでもない。

 

 逆にメリットは、生殖に使うはずのエネルギーを他に回せる、という点である。有名どころで例を挙げるならば、染色体を通常の二対ではなく三対持つ、三倍体であろう。生殖能力はないが、性成熟のためのエネルギーを成長に回せるため、巨大かつ長寿になる。三倍体のニジマスの中には、何と体重20㎏を超えるものすら存在したという。

 

 これと同じ事が、一般的南極人に起きている可能性は低くない。南極人通常種は、総じて高い知能を持つからである。7ケタの掛け算を一瞬で計算し、外国語を母国語と同等以上に使いこなし、一部では哺乳類人を超えた技術をも有している。分野によっては明らかに哺乳類人以上のその頭脳は、生殖能力と引き換えだとしてもおかしくはない。

 

 とはいえ、何らかの証拠や証明がある訳ではない。今現在、南極人の生殖について確かなのは、卵生でありその卵は女王のみが産む、という事だけだ。ゆえに、一般的南極人の生殖能力の真相は藪の……いや、蛇の卵の中である。

 

「おい、何アホな事言ってんだ。行くぞ」

 

「ごめんごめん」

 

 聞こえていたらしい獄楽に促され、皐月は皆と共にビルの中へと入って行った。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「おー」

 

「うめーな」

 

「上手いね」

 

「ニルちゃん上手ー」

 

 巨大なガラスの一枚板の向こう側で、同じくアイドルを目指す事務所の同僚達と共に、ニルニスニルニーフがダンスのレッスンに励んでいる。初心者ながらその動きは非常に洗練されており、今すぐにも舞台に立てそうなほどである。

 

 芸能に直接携わる事自体南極人初らしいが、全くそんな事は感じさせない完成度だ。姉のヘロヘロダンスとは比べ物にすらならない。

 

「サスサスはワタシより体力ないけど、ニルニルは違うんかな」

 

「いえ、体力という面では、私と大きな差はないと思います」

 

「どっちかっつーと、運動神経の差だな。ダンスに必要なのは、思った通りに身体を動かす能力だろ」

 

「長丁場になるなら体力は必要だけど、踊るだけなら記憶力と運動神経の話になるものね。ああ、後は身体の柔らかさもか」

 

 記憶力が良いのなら、ある程度体力の代用にもなるだろう。常人が十回で覚える事を一回で覚えられるのならば、九回分の体力が浮く。もちろん長時間のライブ等では意味がないが。

 

「どうです、あなた方も芸能デビューしてみませんか」

 

 君原の方を見て勧誘するのは、この事務所の社長兼プロデューサー、権堂(ごんどう)リリ氏である。どう見ても芸名だが、れっきとした本名だ。四十代前半の翼人男性で、剃っているのかスキンヘッドで眼鏡でも、れっきとした本名だ。

 

「いえいえ」

 

「いやいや、十分イケると思うんですよ」

 

「校則がイケないと言ってますから」

 

「菖蒲はどーだ? バイトの許可は出てんだろ?」

 

「放課後に数時間ならともかく、アイドルはさすがに無理でしょ。仕事があるから学校を休みます、って言って通ると思う?」

 

「無理だぁね」

 

「だろうなぁ」

 

「それに私、今年の夏休み前でバイトは辞める予定だから」

 

「そうなの?」

 

「元々そういう約束だったもの」

 

 つまり二年生の夏休みから受験勉強に集中する、という事である。それまでになるべく稼がなければならないので、部活にはほとんど出なかったのだ。

 

「それでも物は試しです。折角いらしたんですから、レッスンを一度体験されてみては」

 

「姫ちゃんたちも踊ろーよー」

 

 ガラスの向こう側から、ニルニスニルニーフが大きく手を振っている。姉の威厳を理由に断ったサスサススールと、間違ってもアイドルというガラではないからと、右に倣えで断った名楽を残し、君原、獄楽、皐月の三人がレッスンルームへと入った。

 

「お、菖蒲もやんのか」

 

「アイドルになる気はないけど、どういう事をするのか興味がない訳じゃないから。要するに単なる好奇心」

 

「いやいや、そういう子が案外売れたりするのよ」

 

 長耳人のダンストレーナーが言う。皐月はそれに、右目を覆う眼帯をコツンと叩いて返した。

 

「いえ、どっちにしろこの目では無理でしょう」

 

 傷痕が残っているので、眼帯は外せない。ファンデーションで隠す事は出来るが、反対側の左目にはハイライトがないため、違和感が酷い事になる。顔こそ整ってはいるが、アイドルとしては少々厳しい条件であろう。

 

「そのくらいなら何とでもなると思うけどね。ま、今はいいわ。とりあえず最初に私がやるから、それを真似してみて」

 

 彼女の見本に続けて、三人がステップを踏む。君原はわたわたと、皐月は形は出来ているが少し硬く、獄楽は極々スムーズに。

 

「どーした、姫は演技得意だろ」

 

「ダンスとお芝居は違うよぅ。あと演技が得意って、性格悪いみたい」

 

「悪女の姫か……案外ハマってるかも?」

 

「もーあやちゃん、イジワル言わないでー」

 

「菖蒲の方は、あと何回かやればイケそうだな」

 

「記憶はしてるからね。再現には時間かかるんだけど。姫は何であんなにズレるのかしら」

 

「周り見て合わせてっからだな」

 

「そーは言ってもぉ」

 

「なんなら目ぇ閉じてやってみな。こんなカンジで」

 

 言うが早いか、本当に目を閉じてステップを踏み始める獄楽。その動きは素人目でも完璧であり、直すところが見つからない。プロのダンストレーナーすら感心して見ているほどだ。

 

「――――とまあ、こんなモンだな」

 

「すごーい、でも私にはムリー」

 

「やれば出来ると思うけどねえ」

 

「そうそう大丈夫よ、練習すれば考えなくても動けるようになるから」

 

「えー、ムリですよぉ」

 

「それなら君達、歌う方もちょっとやってみない?」

 

 いつの間にか部屋に入って来ていたリリ氏が提案する。人魚のボイストレーナーにニルニスニルニーフが付き、手本として歌い始めた。

 

「うめぇなオイ」

 

「ニルちゃん、歌も上手ー」

 

「へへー」

 

「サスサスも歌は上手かったわねえ……南極人の特性なのかしら」

 

 適切な例えかは不明だが、まるで写実画のような歌であった。ピントがボケておらず芯があり、かといって手本そのままでもない。自らの主観と感情が籠められた、人を惹き付ける『歌』であった。

 

「それじゃ、希ちゃんから」

 

「おう」

 

 獄楽がニルニスニルニーフを手本に歌い始めたが、何と言うかこう、微妙である。音痴ではない。音程が外れている訳でも、ズレがある訳でもない。だが、微妙としか形容出来ない、途轍もなく絶妙な下手さであった。

 

「希ちゃん、歌は下手だね」

 

「悪かったな」

 

「じゃ次は、そっちの人馬の子」

 

「私?」

 

 君原の歌は、一言で言って上手い。パステル画のように柔らかく、人に安心感を与える声だ。子供に読み聞かせる童話のような、寝かしつける子守歌のような歌である。

 

「上手いわね」

 

「えへへー」

 

「いいよいいよー、随分聞かせ慣れてるね」

 

「最後は菖蒲だな」

 

「ん」

 

 こちらもまた上手い。ただしプロのような上手さではなく、普通に上手いといった印象だ。カラオケでは高得点を取れるが、このままではプロとしては通用しない、という感じか。低めのハスキーな声も相まって、描き込まれた油絵のような、重さのある歌である。

 

「あやちゃんも上手だね」

 

「でも姫とニルニルのが上だな」

 

「まあそうね」

 

「歌は悪くないけど、声と曲が合ってないわね。曲を変えたらもっと良くなるわ」

 

 ボイストレーナーが提案する。確かに明るい曲調と、女性にしては低い皐月の声は合っていないと言える。

 

「というと?」

 

「そうねえ……この曲なんてどうかしら」

 

 椅子に腰かける人魚が歌うのは、低く重く、暗雲垂れこめるような歌だ。重厚で負の情念を感じさせる、低い音質に合った曲調である。ただ、彼女らを驚かせたのはそこではない。

 

「すごい、あやちゃんの声だ」

 

「人魚のプロ、パネェな」

 

 その喉から出て来たのは、皐月の声だったのだ。声帯模写である。人魚は先天的に歌が上手いとは言われているが、事実であったようだ。ここまで来ると努力云々でどうにかなるものではないだろう。凄いとしか言いようがない。

 

「ハードル上げられてない……?」

 

「大丈夫大丈夫、やってみれば案外できるものよ」

 

「と言われても……何かコツとかありません?」

 

「コツ? そりゃあ技術的なのは色々あるけど、すぐに出来るようなものじゃないし……。後はそうね、歌にどれだけの感情を籠められるか、というのが一つの指標になるわ」

 

「感情、ですか」

 

「ええ。感情を歌に籠めて、聞き手の感情を揺さぶるの。一流のプロは、どんな形であれ皆それが出来る人達よ」

 

「余計難しそうなんですが……」

 

「ま、物は試しよ。とりあえずやってみたら?」

 

「それもそうですね」

 

 深呼吸を一つして、歌い始める。重い曲調に合った感情。それはすぐに見つかった。

 

 この世界への憎悪、理不尽への嚇怒、自らの居場所はここではないという拒絶と閉塞。以前よりは落ち着いたとはいえ、決して無くなった訳ではない。むしろ普段は表に出ない分、薄皮一枚下ではより濃く、ヘドロのように蠢いている。煮え立つマグマの如き悪意は、今なお消える事なく燃え盛っている。

 

 重厚で重密な曲に、負の激情を乗せて歌う。重く、苦しく、それでもなお別ちがたい、己の一部を否応なく占める感情を。爛れた熱をひたすらに感じさせる、カンバスに硫酸をぶちまけたような、そんな歌と化した。

 

「―――どうかしら」

 

「重いわ」

 

 わざと軽くバッサリと言い切ったのは獄楽である。彼女に視線を合わせ、皐月は軽く首を傾げた。

 

「そう?」

 

「……なんか、背筋がぞわぞわってした」

 

「……そう言われると、私がゴキブリか何かみたいなんだけど」

 

「そ、そういう意味じゃないよぉ!」

 

「色は似てんな、黒いし」

 

「希ちゃん!?」

 

「いや、才能あるわよアナタ」

 

 割と真剣な表情で言ったのは、ボイストレーナーの人魚であった。お世辞を言う意味もない以上は、本当に何らかの才能を感じ取ったのであろう。

 

「ねえ、本気でアイドル目指してみない?」

 

「いえ、その気は無いので。それに、こういう風に歌うと――――」

 

 そこで皐月は、(おこり)のように大きく息を吸いこみ、それを吐き出すと共に言った。

 

「――――気分が荒みます」

 

 普段から死んだ魚の目であるが、今はそれより酷い。まるでタールか泥のような濁り具合である。それを見た人魚はびくりと体を固まらせ、獄楽が大きな溜息をついた。

 

「……しゃーねーなー。ちっと身体動かすか?」

 

「……ごめんお願い」

 

 社長にさっと許可を取ると、ちょうど休憩時間だったアイドル志望たちに場所を空けてもらい、二人は木張りの床の上で向かい合った。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「フッ」

 

 皐月の死角である右目側に回り込み、その勢いのまま獄楽が一足飛びに踏み込む。軽業師のように身軽で、風に舞う羽のように重力を感じさせない動きだ。

 

「シィッ」

 

 対する皐月は素早く顔をそちらに向けると、その場から動かず右拳を突き出す。本人としては軽く打った一撃であったが、それでも列車砲の如き一撃だ。体格差も大きい以上、当たればただでは済まないであろう。

 

「――っと!」

 

 防御しても上から叩き潰される、と一瞬で判断を下した獄楽は回避を選ぶ。獄楽からは左側、皐月からは右手の外側、即ち完全なる死角側に再度回り込まんとする。

 

 そうなれば完全に勝ち目は消えると理解した皐月は。右手を鞭のようにしならせ、思いっきり外側に反らした。

 

「捕まえたァッ!」

 

「うぇっ!?」

 

 目一杯外側に反らした皐月の右手が、獄楽の腕を鷲掴む。このまま力比べに持ち込めれば皐月が勝つ。何なら握力で握り潰してもいい。だがそうならないのもよく分かっている。技術では獄楽の方が上だ。

 

 だから皐月は。振りほどかれる前に、その腕を力尽くで、上に勢いよく振り上げた。

 

「マジかッ」

 

 カブのごとく引っこ抜かれ、冗談のように宙を舞う獄楽。いくら体格差があるからと言っても、それこそ冗談のような力だ。ちょっと、というか大分、人間離れして来ているような気がしないでもない。まあクラスメイトの小守は、150㎏越えの人馬相手に同じ事が出来るのだが。

 

 空中に放り出されてしまえば、技術云々は関係ない。落ちるところを狙われれば、どんな達人だろうが出来る事など知れている。

 

 だがそこは、転んでもただでは起きないならぬ、飛んでもただでは落ちない獄楽だ。空中で体勢を整えると、付き過ぎていた勢いを利用して天井に両足をつき、そのまま流星のように蹴りを繰り出した。

 

 天井まで3mはあるのだが、これは皐月の力が凄いのか、それとも獄楽の体捌きが凄いのか、判断がつきかねるところである。

 

「うりゃっ!」

 

「アァッ!」

 

 重力と脚力を味方につけた獄楽に対し、皐月はその場での迎撃を選ぶ。振り上げたままの右手を左側に振りかぶり、踏み込む右足と共にしなる裏拳を天に叩き込む。獄楽の足と皐月の拳がぶつかり合い、弾き飛ばされた獄楽が空中でくるりと回る。飛ばされた勢いを猫の如く殺し、獰猛な肉食獣のように彼女は四ツ足で着地した。

 

「お前また力強くなってねえか……?」

 

「成長期だからね」

 

「成長期のゴリラか。アイドルになったら、ゴリラ系アイドルのゴリラルか?」

 

「アイドルにはならないし、何よりゴリラから、離れろっつってんでしょうがッ!!」

 

「そいつぁ、悪かったなッ!!」

 

 虎と龍が再びぶつかり合う。それをガラス越しに見ていたサスサススールが、ただでさえ巨大な目を丸くした。

 

「お二人とも、スゴイですね……」

 

「あそこだけバトル漫画の世界だぁね」

 

 まるで月刊COMICリュウの世界から、週刊少年ジャンプの世界になったかのようだ。そのうちかめはめ波でもぶっ放しそうな二人を、社長が少し引き気味に評した。

 

「さ、最近の女子高生は凄いのですね……」

 

「あ、あの、あんなコトが出来るのは、あの二人くらいなので……」

 

 一緒にされても困る、という感情が見え隠れする君原が答えて言う。彼女は馬力こそあるが、運動神経はあまりよろしくないので、さすがにあのバトル漫画に付いて行くのは無理である。

 

「で、ですよね。いやしかし、本当に驚きました」

 

「あの二人、何か格闘技でもやってるの?」

 

「希ちゃん……えと、竜人の子の方は空手をやってます。あやちゃんは格闘技はやってないはずですけど、見ての通り力が強いです」

 

 ただし昔は荒れており、喧嘩も強いらしいとは口にしなかった。エアリード機能の賜物である。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「あ゛ー…………」

 

 短いが濃密な数分間の後。床に倒された皐月は、そのまま起き上がる事なく仰向けに寝そべっていた。

 

「……やっぱり正面からじゃ、勝てないわねえ……」

 

「こっちも結構神経使ってんだけどな……」

 

「……そうなの?」

 

「一発食らったら死ぬかんな」

 

 正確には、耐えられるが体勢が崩れたところに追撃を食らって死ぬ、である。力は技術でいなせるが、それにだって限度はある。相手に戦いの才能があるなら尚更だ。

 

「一発だけなら誤射かもしれない」

 

「なーに言ってんだオメー……」

 

 床に座り込む獄楽が、某政治家の迷言を吐いた皐月を呆れ顔で見る。彼女は大きく息をつくと、膝を立てて立ち上がった。

 

「……もう大丈夫みてーだな」

 

「…………ごめん、ありがと」

 

「気にすんな、菖蒲がメンドクセー性格だってのは皆知ってる」

 

「素直に礼を言いづらい言い草ねえ……」

 

「何を悩んでんのかは知んねーが、相談くらいにゃ乗るぜ――――有料で」

 

「おい」

 

「冗談だって。……マジで大丈夫そうだな」

 

 答え代わりに一つ息を吐き出すと、勢いをつけてパンと跳ね起きる。その隻眼は、いつもの単なるハイライトのない眼に戻っていた。

 

「さてと……お騒がせしました、権堂社長」

 

「い、いえいえ、凄いものを見せて頂きました」

 

「二人ともスゴかったよー! あれがニンジャなんだね!」

 

「ちげーよ」

 

「違うわよ」

 

 ニルニスニルニーフが妙な勘違いをしている。何故外国人は忍者に拘泥するのであろうか。揃って否定されたが、そこで彼女はハッと何かに気付いたような顔になった。

 

「そっか、ニンジャだから忍ばないといけないんだね? ダイジョーブ、誰にも言わないよ! 秘密だね!」

 

「いやだから、そーゆーこっちゃ……」

 

「あーうん、実はそうなのよ、だから内緒にしててね?」

 

「ハーイ!」

 

「オイ」

 

 しれっと出任せを吐く皐月を、獄楽が肘で小突く。

 

「だって否定すると無限ループになりそうだったし……」

 

「面倒臭くなってくるとブン投げるのはお前の悪いクセだな」

 

「ニンジャだからカラテを使うんだよね。ボク知ってるよ、ノーカラテ・ノーニンジャ!」

 

 それは忍者は忍者でも、マッポー的サイバーパンク世界に生息する、全く忍んでいないニンジャである。ニンジャであって忍者ではない。ややこしいが、そういう事なのだ。

 

「オイどーすんだよコレ。思いっきり忍者を誤解してんぞ」

 

「最近の忍者漫画とかアニメが全く忍んでないのが悪い」

 

 某有名ジャンプ漫画の忍者など、どの辺りが忍者なのか全く分からない。例えば火遁の術は口から火を吐く術ではなく、周囲の可燃物に火をつけて逃げる術である。そもそも火遁の遁は遁走の遁だ。闘争ではなく、逃走の為の術なのである。

 

 まああの世界の忍者はあれでいいのかもしれないが、現実世界の忍者と混同してはいけない。

 

「あとはサスサスに任せましょう。姉の威厳で何とかしてくれるわよきっと」

 

「ブン投げるのはマジで悪いクセだな……」

 

「そ、それにしても、ニルちゃん凄いね」

 

 さすがに流れがよろしくないと思ったのか、君原が強引に話題を戻しに行った。皐月もすかさずそれに乗っかる。乗るしかない、このビッグウェーブに。

 

「そ、そうね。歌もダンスも上手かったものね」

 

「もっとほめてー」

 

「お前らなあ……」

 

「希ちゃん、お願い」

 

「ニルニルはスゲーよ、俺らはどっちもそこまで上手くはなかったしな」

 

 コイツは……という顔を皐月がしているが、都合よく話が逸れているので口には出さない。

 

「へへー」

 

「アイドルなんて私達にはムリだよー」

 

「でも姫ちゃんたちがなれないのは、なる気がないからだよ」

 

 エアリード機能のないニルニスニルニーフが、突如として正論をぶっこんできた。どうやら話が戻り過ぎてしまったらしい。

 

「そりゃまあ、やる気もないのに出来る訳がないしね」

 

「ニルちゃんは、アイドルになりたい?」

 

「うん、なりたい」

 

「それなら、という訳ではありませんが、なりたい人達のパフォーマンスも見て行って下さい」

 

 トレーナーによって曲がかけられ、蛇・翼人・人馬・角人・竜人の合同ダンスが始まった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 ミニライブの宣伝を頼むリリ社長を背に、カオスなビルを後にする。君原がサスサススールを見上げて言った。

 

「思ったより真剣にやってたね」

 

「でも何だか心配なんですよね……」

 

「まー人間関係で苦労しそう――というか、本人は苦労してる事に気付きもしなさそう、って感じはあったわね」

 

「詳しく」

 

 にょいんとサスサススールの首が伸びる。筋肉がないので表情は変わらないが、口ほどにものを言っている目は真剣だ。皐月は上から覗き込むその目に思わずのけぞった。

 

「近い近い」

 

「す、すみません。それで、人間関係に苦労しそう、とは?」

 

「何と言うか……そのつもりもないのに最短効率で嫌われて、本人はそれに気付かず余計嫌われる、ってなりそうなのよねえ」

 

「謎かけですか?」

 

「いや、そーゆーこっちゃないだろ。ワタシにゃ何となく分かるよ」

 

 サスサススールの頭が今度は、口を開いた名楽に向かう。かつてない速度だ。それほどまでに妹が心配なのであろう。

 

「ニルニルは遠慮なしに正論を吐くかんね。そりゃ嫌われるよ」

 

「正しいと嫌われるのですか?」

 

「そ。正論ってのは反論出来ないから、人によってはこれほど腹の立つモンもないのさ」

 

「正しい事が常に正しいとは限らない、って事ね」

 

 常に正論を吐く者が受け入れられるとするならば、その相手と余程親しいか、そうでなければ言われた方の善意や気遣いに寄りかかっているというだけだ。仮に悪気がなかったとしても、それは健全な人間関係ではない。

 

「分かってんだったら、直接言ってやったら良かったんじゃね?」

 

「大して親しくもない私が言ったら角が立つでしょうが。正しかろうが何だろうが、受け入れられなきゃ意味がないのよ」

 

「それこそ“正しい事が常に正しいとは限らない”だな。前も言った気がするが、そういうところだぞ希」

 

「ヤブヘビった……」

 

 “相手を黙らせたからといって、意見を変えさせたわけではない”というのはアイルランドの劇作家、バーナード・ショーの言葉だが、つまりそういう事である。おまけに黙らせた相手が持つのは敵意と恨みであって、間違っても賛意ではない。その辺りを上手く理解できないと、人間関係が複雑骨折する事になるのは請け合いだ。

 

「希は気遣いが出来るんだか出来ないんだかよく分かんないわねえ……」

 

「結構思った事をそのまま言うタイプだからな。近い相手ならそれが気遣いにもなるが、そうでもない相手だとな」

 

「キョーコは俺のオカンか」

 

「結構あってるかも……」

 

「姫!?」

 

 期せずして君原に背中をぐっさり刺された獄楽を尻目に、サスサススールは自分のスマホを取り出した。

 

「なんだかとても心配になってきました。とりあえず、ファルシュシュに連絡を取ってみます」

 

「お姉さんは大変ねえ」

 




 力の一号、技の二号!


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19話 良くも悪くも、親子は似るもの

 痛い程に照りつける眩しい太陽。

 やかましく鳴り響くセミの鳴き声。

 花壇で自己主張する伸び盛りの向日葵。

 

 皐月達が高校生になって、二度目の夏。殺人的な暑さの中、体育の授業が実施されていた。

 

「相変わらず希は速いわねえ」

 

「イインチョもイインチョで、バタフライでよくあの速度が出るな」

 

 目線の先では、クロールで泳ぐ獄楽と、それにバタフライで追いすがる御魂の姿。熟練者ならばバタフライでクロールに近い速度を出す事は不可能ではないが、身体能力とフォームの双方が揃っていなければならないため、難易度は高い。それをあっさりとこなしている辺り、完璧超人の名は伊達ではないという事だろう。

 

「あの羽って、水を吸って重くなったりしないのかしら」

 

「だから翼人の水泳選手の中にゃ、泳ぐ前に油を塗るヤツがいるんだろ。まあ授業じゃそこまでせんだろうが。そういう意味では、お前さんは水の抵抗が少なくて楽そうだな」

 

「まーね」

 

「すごいねタマちゃん」

 

「そうですね、あの泳ぎにくい泳法であそこまでの速度を出すとは」

 

 長い首をうにょんと揺らし、サスサススールが感心している。その水着姿は、思ったよりも哺乳類人に近い。首から上と尻尾と、卵生なのでへそがない点を除けばだが。

 

「バタフライって、ルールの穴をついて成立したものだしね。泳ぎにくいというか、不自然なのはある程度しょうがない」

 

「そうなの?」

 

「確か昔の平泳ぎの規定だと、バタフライは違反じゃなかったんだっけか。人魚の泳ぎ方を参考にしたとか、初めてオリンピックでやった奴がメダルを取ったとか聞いた覚えがあるぞ」

 

「そうそう、それで誰も彼もが平泳ぎでバタフライをやるようになっちゃって、それじゃ平泳ぎじゃないだろって独立させたのが戦後すぐだったはず」

 

 当初の平泳ぎの規定は、『うつぶせで、左右の手足の動きが対称的である事』のみであった。従って、バタフライであっても規定に反さなかったのである。

 

 尤も最初のバタフライは、手の動きだけで足は平泳ぎのままであったが、それでも平泳ぎよりは速く、1928年のオリンピックで初めてその泳ぎを披露した選手は銀メダルを取った。その後、多くの選手が平泳ぎでバタフライの手の動きを使うようになり、1956年にバタフライが独立種目になるまでその状況が続いたのである。

 

「そんな経緯があったのですか」

 

「お、終わったみたいだな」

 

 獄楽と御魂がプールから上がり、御魂がバサバサと翼をはためかせて水切りをしている。フェンス外でそれに群がっていた男子が、聖水だ慈雨だとアホな事を言っている。女子はプールだが、男子は外でマラソンなのだ。

 

「にしても……」

 

 皐月の目が名楽の背に向く。学校指定にしては、かなり背中が空いている水着だ。ワンピースタイプなのだが、背中の布地は腰の上までしかない。そこからX状で幅のある紐が上に伸び、肩を通って前に接続している。

 

 理屈は分かる。翼人、竜人は翼があるので、そのような形状にしないと引っかかるのだ。普通の服のように翼用の穴を開けるタイプだと、強度や着やすさに不安が出る。翼のない形態なら関係ないが、それでも同じデザインなのは、生産者側の都合だろう。その方が作りやすく、コストを抑えることが出来るからだ。

 

 だがしかし、皐月の感覚ではやはり背中が出過ぎているように思えるのだ。キャップやゴーグルを着けている者がほとんどいないのも、感覚に引っ掛かるところである。角や長耳が邪魔で上手く着けられない者がおり、かといって形態で分けると差別扱いになってしまうため、どこでも一律して着用義務はないためなのだが、やはり違和感は拭えない。

 

「どうしたのあやちゃん?」

 

「……いや、なんでもないわ」

 

 とは言え、それを口にする気は無い。生まれた時からそれが()()()()だった君原達には、理解されないだろうから。

 

「それより私達も泳ぎましょ」

 

「そだね、ちょうど空いたし」

 

「お、今日はサスサスも泳ぐんか」

 

「ええ、いつまでも怖がってばかりもいられないと思いまして」

 

 サスサススールが決意を込めた顔で力強く宣言する。南極では水に入るイコール死なので、南極人は本能的に水を恐れるのだ。しかし哺乳類人社会で暮らす以上、そうも言っていられないと一大決心を固めたのである。

 

「う、うぅ……!」

 

「無理すんなよサスサス」

 

「だ、大丈夫です……! 急に深くなるのが怖いだけなので、い、一旦入ってしまえば……!」

 

「スーちゃん、本当に無理はしないでね?」

 

 水深が浅い事もあり飛び込み禁止なので、水に入ってからのスタートである。先頭を切るのは、体格が良く筋力がある皐月だ。クロールでざっぱざっぱと水を掻き、あっという間にトップスピードに乗ってしまった。

 

 その次に続くのは、意外な事に名楽である。体力クソザコナメクジにも拘わらず、泳ぎは得意なのだ。きっと水の抵抗が少ないせいだろう。何故少ないのかは言わぬが花である。

 

 三番手は人馬の君原だ。水の抵抗が大きい形状と、犬かきのようにならざるを得ない泳ぎ方のせいで、速度があまり出ないのである。パワーはあるのだが、それに応じた速度であるとはちょっと言えない。

 

 また、速度とはあまり関係はないが、足の動かし方が斜対歩から側対歩に切り替わっている。これは馬と全く同じだ。

 

 斜対歩とは、対角線上の脚が同時に前に出る歩き方だ。右後脚と左前脚、左後脚と右前脚がセットになって前に出る。身近なところでは、馬や犬が代表的だ。

 

 側対歩とは、一直線上の脚が同時に前に出る歩き方だ。右前後脚、左前後脚がそれぞれセットになって前に出る。猫や象、ラクダ辺りが代表的な例である。

 

 そして馬は、訓練をしていない限りは斜対歩だが、水に入ると側対歩になるのだ。本能であるため、教えなくても勝手にそうなる。人馬もどうやら、これと同じであるようだ。

 

「遅っ……」

 

 50mを泳ぎきり、プールから上がった皐月が思わずこぼす。最後尾で、ようやく25m地点に達したサスサススールを見て。

 

 可動範囲の広い首を前に向け、器用にもクロールで泳いでいる。フォームはそこまで悪くはないのだが、悲しくなるほどに速度が出ていない。体力も筋力も全くない上に、身体を動かす事が苦手で、水にトラウマがあるためだろう。

 

 そも通常の南極人は、泳ぎの訓練などしない。水と即死トラップが同義の南極で、泳ぐ意味などどこにもない。そう考えると、形になっているだけ凄いのかもしれない。

 

「そういや水で思い出したんだけどさ」

 

「ん?」

 

「ブラジルの両棲類人、見事に膠着したね」

 

 水を見てカエルを思い出したのか、プールから上がった名楽が出してきた話題は、人権を求めて蜂起した両棲類人についてであった。

 

 両棲類人は都市に攻め込むには戦力不足で、軍もジャングルに籠る両棲類人への決定打を持たない。もちろん軍が損害を厭わずゴリ押せば勝敗は決定されるが、そこまでする理由は薄い。下手をすれば傷痍年金だけでも国が破産する。

 

 結果としてブラジルのジャングルでは、小競り合いこそあるものの、双方決定打のない、奇妙な凪のような戦闘が続いていた。

 

「羌ちゃんとあやちゃんの言ってた通りになったね」

 

「まああの手のは、なるようにしかならないから……」

 

「やっぱ外部からの介入がないと決着つかないんかな」

 

「普通ならお互いどこかで妥協して、落としどころを見つけるものだけど……今回は事情が事情だし、難しいかもね」

 

 生存権を求める両棲類人は、文字通り死んでも引けない。ここで引くという事は、両棲類人の滅亡を意味する。

 

 両棲類人の殲滅か生存権の不成立を目指す政府には、一応引く余地はある。だが決して、決して決して敗北は許されない。敗北する事は即ち、大統領以下首脳陣の死を意味しているからだ。少なくとも大統領本人はそう信じているし、あながち根拠のない事でもない。

 

 敗北と軍事裁判と死が等号で結ばれるのは、歴史が証明する事実なのだ。おまけに国際社会の反発を招いている現状、両棲類人が()()したところで止める者はない、と考えるのは自然である。

 

 絶対に引けない両棲類人と、絶対に負けられない政府。妥協の余地があるのは政府だが、ではどこまで譲るのか。そもそも軍事的には勝っているのに、妥協する必要はあるのか。こうした諸々の思惑が絡まり合い、泥沼のジャングル戦線が誕生したのである。

 

「お前ら、プールでまでそんな話をしてるんかい」

 

 呆れ顔で近づいて来たのは、水も滴るいい女な獄楽だ。彼女はその顔のまま、皐月達をぐるりと見渡した。

 

「もーちっと色気のある話をしろよ」

 

「希の口からそんな言葉が出ようとは」

 

「鴉羽さんの影響かしら」

 

 それはどちらかと言うと悪影響な気がするが、色気という言葉で記憶が刺激されたらしい君原が、新たな話題を口の端にのぼらせた。

 

「そうだ、羌ちゃんのお兄さんとあやちゃんって、結局あの後どうなったの?」

 

 名楽の兄とは言わずもがな、以前皐月に一目惚れして勢いのままに告白した男である。ばっさりお断りされた事もあり、印象に残っていたようだ。

 

「もう一年くらい経つんか……早いな」

 

「兄ちゃんがえらく落ち込んでた時期があったんだが……正式にフッた、ってコトでいいのか」

 

「そう思ってくれて構わないわ」

 

 実は名楽兄は、皐月のバイト先に何度も来ていたのだ。妹から聞いたのではなく、『片目で美人な店員がいるカフェ』という噂を聞きつけ、もしやと思ってやって来たものらしい。そこで半年ほど常連として店に金を落とす作業に勤しんでいたのだが、肝心の皐月を落とす事は最後まで叶わなかった、という訳だ。

 

 なおこの経緯は、聞かれない限り皐月の口から出る事はない。名楽兄を気遣っている訳ではなく、どうでもいいからだ。半年かけてこれとは、哀れさを禁じ得ない男である。

 

「断っちゃったの?」

 

「んな悪くねーように見えたけどな」

 

「何、二人ともああいうタイプが好みなの?」

 

 怪訝を顔に浮かばせて、皐月が君原と獄楽に問いかける。獄楽はさらっと、君原はわたわたとそれに答えた。

 

「なわきゃねーだろ」

 

「え、えと、そういうワケじゃなくって、その……」

 

「歯切れ悪いね姫」

 

「あやちゃんは、恋人を作ってみる気はないの?」

 

「ないわね」

 

 ばっさり切り捨てられた君原はちょっと涙目である。それに気付いているのかいないのか、皐月は言葉を続けた。

 

「大体ねえ、一帝目指してるのにそんな暇ないわよ。あっちだって受験勉強真っ最中でしょうに」

 

 一帝とは、皐月の記憶に当てはめると、東大に相当すると思われる大学だ。帝国であるこの世界の日本における、最高学府である。

 

「一帝か……キョーコも同じだったよな?」

 

「学部は違うけどね」

 

「羌ちゃんは法学部で、あやちゃんは理学部だっけ?」

 

「そだね」

 

「そうね」

 

 なお皐月は、二年になる際には理系文系でクラスが分かれると思っていたのだが、そうはならなかった。どうやら『前世』とは異なる教育システムのようである。

 

「んで姫が、地元の彼大(かなだい)と」

 

「今のところはだけど。希ちゃんもそうだったよね?」

 

「まー、そーなんだけどな……」

 

 獄楽は珍しく、憂いと思案を混ぜ合わせたかのような顔で空を仰ぐ。大きく息をつくと、その吐息に乗せるように言葉を吐き出した。

 

「将来、かぁ」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「どうも、ご無沙汰しております」

 

 サスサススールと共に現れた、ファルシュシュに向かって頭を下げる皐月。本日は夏休みに入る直前の、三者面談の日なのだ。そこで皐月が、たまたま南極人二人に出会ったのである。

 

「お久しぶりですね。ああそうだ、いつぞやはお世話になりました。おかげで何事もありませんでしたわ」

 

「いえ、お役に立てたのなら幸いです」

 

 よどみなく言葉を交わす二人。その片目の方の後ろで、初めて生で見た南極人に驚き、動きが止まっている男が一人。皐月の保護者役として来た、施設の職員である。

 

 その形態は、そこそこ珍しい牧神人だ。角と長耳に尻尾、そして膝下のヤギそっくりの脚が特徴である。ギリシャ神話の半獣神、パンに似た姿をしている、と言えば少しは分かりやすいであろうか。

 

 ちなみに脚は一見逆関節にも見えるが、いわば背伸びした状態で踵から先が長く伸びているようなものなので、関節が増えている訳ではない。

 

 彼は被保護者に肘で小突かれると、ハッとした顔になり南極人に向き直った。

 

「ど、どうも初めまして。五十嵐(いがらし)(あつし)と申します」

 

「事情はおそらくご存じかと思いますが、私の入っている施設の職員です。今日は私の保護者役としてご足労願いました」

 

「なるほど……私はケツァルコアトル・ファルシュシュと申します。こちらはケツァルコアトル・サスサススール。一応は私の部下という形になりますが、本日は上司というよりも後見人として来ています」

 

「ケツァルコアトル・サスサススールです。いつも菖蒲さんにはお世話になってます」

 

「こ、これはご丁寧に」

 

 驚きにどもり気味の彼ではなく、本来なら施設長が来るところではあるが、施設長は仕事とプライベートは分ける性格なので緊急事態でもなければ休日出勤はしない。このような公私の境が曖昧になりがちな仕事だと、のめり込むタイプと割り切るタイプに分かれるが、施設長は後者のようである。

 

 そんなんで三者面談は大丈夫なのかとも思うが、まあ五十嵐氏は置物なので問題はない。要するに『三者面談』という形を作るだけの人員、という事だ。話そのものは皐月がいれば問題なく進むのである。

 

「サスサスって大学には行くの?」

 

「いえ、進学はしません。そのまま就職……という事になりますね」

 

「南極人の場合は、就職って言っていいのかしら……?」

 

「他に適当な訳語も見つかりませんので」

 

「まあそうね……そういえば、妹さんは? なんかアイドルとして売れて来てるみたいだけど、そのうちそっちは辞めて就職したりするの?」

 

 ニルニスニルニーフは、史上初の南極人アイドルとして話題沸騰中だ。ビジュアルはともかく、ダンスは人並み以上、そして歌に至っては人魚よりも上手い。おまけに物怖じしない性格や、トークもそつなくこなす多芸さもあって、今や一躍時の人と化しているのである。

 

「いえ、南極としてはそのままアイドル路線で押していくとの事です」

 

「へえ、融和路線の一環って事かしら。確かに親しみを持たせるのなら、アイドルは向いてると言えるものね」

 

「そこまでは私には何とも」

 

 その時、面談の終わったクラスメイトが、サスサススールを呼ぶ。彼女達が呼ばれるままに席を外すと、程なくして入れ違いに君原と獄楽にその保護者達が入って来た。

 

 君原の両親と皐月は、流鏑馬の大会で顔を合わせた事があるので面識がある。獄楽の方も、家に遊びに行った時にその母親と顔を合わせたので同様だ。

 

「お久しぶりです」

 

「ああ、久しぶりだね」

 

 皐月が挨拶を交わすのは、ヤクザめいた白スーツの竜人男性だ。男性にしては髪が長くセミロングと言っていい程で、纏う雰囲気はどことなく軽い。この男性こそ、あまり似ていないが獄楽希の父親である。

 

「それにしても相変わらず美人だ、この後お茶でもどうかな?」

 

「遠慮しておきます、後ろの奥様に怒られたくはありませんから。というか普通、娘の友人を口説きます?」

 

「何を言うんだい、美人を見かけたら声を掛けない方が失礼じゃないか」

 

「そちらも相変わらずですね」

 

「何してやがんだこんのアホオヤジ!!」

 

「ほぶっ」

 

 イタリア人紛いな事を宣い始めた父のケツを、娘が思いっきり蹴り上げる。そのまま説教の態勢に移行する彼女を尻目に、君原が驚愕を浮かべて皐月に言った。

 

「あやちゃん、希ちゃんのお父さんと知り合いだったの?」

 

「前に一度だけ空手道場を見学に行ってね」

 

「そのまま通わなかったんだ」

 

「余裕がないのもあるけど、向いてないって分かったから」

 

 格闘技に限らず技術とは、当然ながら一般的な人類基準で作られている。なので人外めいた身体能力を持つ皐月とは、あまり相性がよろしくない。細かい技術を学ぶよりも、怪力でゴリ押す方が手っ取り早いのだ。“柔よく剛を制す”は真実だが、“剛よく柔を断つ”もまた真実なのである。

 

 もちろん技術を学ぶ事には意味がある。同じ体格で同じ力の者同士が対峙すれば、技術を持つ方が勝つのは当然だからだ。だが経済的余裕があまりない皐月には、そこまでするほどの価値が見いだせなかった。要するに費用対効果の話なので、皐月が技術を軽視している訳では特にない。

 

「おっ、揃ってるね」

 

「羌ちゃん!」

 

 声と共に姿を現したのは名楽であった。彼女は他の面々と違い、保護者が同行していない。曰く、ルポライターの父親は〆切り前で動けず、兄を連れて来ても仕方ないから、との事だ。

 

 ちなみにどうでもいい事ではあるが、彼女が『兄』と呼ぶ相手は複数いる。だが実際の兄は一人だけであり、他は叔父やいとこ等の親戚だ。彼らは『おじさん』と呼ぶと怒るため、兄と呼ばざるを得なくなったという、本当にどうでもいい経緯が存在するのである。

 

「あー、いたいた羌子ちゃーん!」

 

「ゲッ、お袋ッ!?」

 

 やほー、と軽く片手をあげて近づいてきたのは、角人の女性だ。そして名楽の言葉が示す通り、彼女の母親でもある。見た目はかなり若く、高校生の子供が二人いるようには思えない。

 

 成人女性にしては背は低めで、娘よりせいぜい5cmくらい高い程度だ。未だに身長が伸びており、ついに160cmを超えた皐月よりも低い。

 

 波状にうねる長く濃い茶髪に、羊のように渦を巻いた角と、一見娘にはあまり似ていない。だが目を糸目にして髪を短くすれば、親子である事が一目で理解できる事だろう。まあそれでも身体のごく一部は、まったく似ても似つかないのであるが。

 

「久しぶりに会った母親に、ゲッはないでしょゲッは」

 

「母親だぁ? どの口でほざくんだ、この十年母親らしいコトなんざしてねーだろ」

 

「あら、でも戸籍上では母親なのよ」

 

 母親相手だと口が悪くなる羌子を見ながら、皐月はその名前に納得する。『羌』は『羊』と『人』が合わさり生まれた漢字なのに、特に羊要素がない事を不思議に思っていたのだ。母親の角は羊そっくりなので、成長したらそちらに似るのではないか、という予想から名付けられたのであろう。

 

 赤ん坊の頃の角人の角は、精々でっぱり程度なので、成長しないとどんな形になるかは分からない。名楽娘の角は、予想に反して父親の方に似たという訳だ。

 

「ま、とりあえずそれは置いといて。どーも皆さん、娘がお世話になってます」

 

 まだ何か言いたそうな娘を一旦放置し、名楽母が実に適当な感じで皆に挨拶する。面食らってどーもとしか言えない保護者達を尻目に、その瞳が皐月に留まった。

 

「眼帯に黒髪、翼と輪毛のない翼人……ってコトは、アナタが羊介(ようすけ)が惚れてフラれたって子ね?」

 

「ええ。どうも初めまして――――何か?」

 

 じーっと無言で見つめ続ける名楽母。怪訝さが皐月の死んだ瞳に浮かぶ。名楽母はその顔を引き締め、若干真剣な表情となって言った。

 

「やー、こりゃ確かに羊介の手にゃ負えんわ。難儀な子に惚れたモンだ」

 

「何ですいきなり……というか息子さんから伺いましたが、色々と入れ知恵して下さったそうで」

 

「いやいや親としてはさ、息子の恋愛事なんて面白そうなコトに肩入れしない訳にゃいかないじゃない?」

 

「限度というものがあります。外野の声など意味はありませんが、だからといって鬱陶しくない訳ではないのですよ?」

 

 その隻眼がすっと細くなり、急速に色が消えて行く。どうやら施設の子たちに彼氏だ何だと言われるのが、かなり煩わしかったようだ。

 

「あはは、ごめんごめん。まー親の贔屓目だと思って笑って許してよ」

 

「贔屓の引き倒し、という言葉もありますが」

 

「倒すまでもなく脈はなかったみたいだけどねえ」

 

「すみません、私達はそろそろ……」

 

 別れの挨拶を残し、君原一家が退出していく。獄楽一家もそれと共に出て行き、そこにちょうどサスサススールが皐月を呼びに来て、名楽親子だけが残された。

 

「――――いやー、久々にマジ緊張したわー」

 

 皐月とその保護者役の姿が見えなくなるや否や、名楽母が大きく息をつく。何言ってんだコイツと顔に書いてある娘に向け、彼女は自分の掌を見せた。

 

「……どーしたんだコレ」

 

 そこにはべっとりと手汗が滲み出ていたのだ。名楽母は、気楽さの中に固さが残る声で言った。

 

「ありゃあ()()()()()()()()()よ。いやいや、おっとろしい友達持ってるわねアンタ」

 

「……確かに妙な迫力はあるが、大ゲサだろ」

 

「あー、付き合いが長いと逆に分かんないのかしら? ワタシぁ羌子ちゃんより少しばかり人生経験があるかんね。あの手の人間にも会ったコトがあんのよ」

 

 そんな物騒な人間にどこで会ったんだよという無言の疑問は無視して、ハンカチで手を拭いながら話を続ける。

 

「あの眼帯もズイブン年季が入ってたし、三年遅れの中学二年生ってワケじゃないんでしょ? なんか込み入った事情がありそうだし、確かに羊介じゃどうにもならんねありゃあ」

 

「前半はともかく、後半は同意だな。兄ちゃんにどうこう出来るタマじゃねーよ菖蒲は」

 

 自分の息子と兄に対して大概な評価である。しかしこれも捻くれた家族愛の発露なのだ。きっとそうだろう。

 

「その兄ちゃんだけど、野球選手になるとか言ってたのよねえ。……………………なれるの?」

 

「沈黙の長さが答えみてーなモンじゃねーか。まあでも兄ちゃん真面目だし、野球は無理でも人生の方は何とかなんじゃね」

 

 腰に両手を当て息をつく娘に、母は少しだけ心配そうに言った。

 

「人生か……アナタはしっかりしてるから、そっちは大丈夫だと思うけど。友達というなら、その為人(ひととなり)くらいは把握しときなさい。ありゃ本気でヤバイ手合いよ。眉一つ動かさずに人の首を掻っ切っても驚かないわ」

 

「物騒だな……菖蒲が仮にお袋の言う通りだったとしても、心配するよーなコトは何もねーよ」

 

「あら、どうして?」

 

「友達だかんな」

 

 軽く言い切った娘に、母は瞳をぱちくりとさせる。彼女は笑顔を浮かべると、やにわに娘を抱きしめた。

 

「うぷっ!? 何すんだいきなり!」

 

「やーやーやー、子供の成長って早いのねー。おかーさんびっくりよ!」

 

「分かったから放せ!」

 

 豊満なる胸部装甲から逃れんと暴れるが、体力クソザコナメクジが祟って全く抜け出せない。母は娘の耳に口を近づけると、一転して静かな口調で語り掛けた。

 

「確かにワタシぁ母親らしいコトなんぞ何もしてない、ダメな母親だけどね。それでもやっぱり母親だから、幾つになっても子供は心配なモンなのよ」

 

「…………」

 

 娘の返事はなかったが、動きが止まったのが何よりも雄弁な返事となっていた。

 

「でも、思ったよりもずっと成長してたのね。色々言おうと思ってた事もあったけど、今のアンタにゃ要らなさそうだわ」

 

「…………」

 

「好きなようにやってみなさい。ワタシはダメな母親だけど、いつだってアンタの味方よ」

 

「……………………こんな時だけ、母親面しやがって…………」

 

「こんな時くらい、母親面させなさいよ」

 

 母はぽんぽんと娘の背中を軽く叩く。娘のその長い耳は毛に覆われ分かりにくいが、近くで見れば真っ赤になっている事に気付けただろう。二人は面談を終わらせた皐月が呼びに来るまで、その体勢のまま動かずにいた。

 




 羌子はきっと母親似。


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20話 最近の怪獣は、頭脳派だったんだね

「ふぅ」

 

「夏だけど、温泉はいいね」

 

「まさかこんなとこにあるとは思わんかったけどな。てっきり銭湯かと」

 

 夏休み後半。オカルト科学部改め、民俗研究部の合宿。建前となる民俗調査をぱっと終わらせ、海で遊んだ帰り道。街のど真ん中に温泉を見つけ、折角だからという事でこうして入っていた。

 

 夏休みとは言え、平日の昼間という事もあって人気(ひとけ)は少ない。年配の女性が数名、ちらほらと見受けられる程度である。

 

「ま、細かい事はいいじゃありませんか」

 

 鴉羽が驚異の胸囲を水に浮かべながら言う。中身は九割脂肪なので水に浮くという理屈は分かるが、こうして目の当たりにすると圧巻である。

 

「これだけいいお湯だと、お(ささ)が欲しくなりますねぇ」

 

「まさかお前、飲んでるんじゃないだろうな」

 

 糸目にじっとりとした色を帯びさせ、名楽が鴉羽を睨んだ。こちらは浮くどころか平坦としか言えない。涙を禁じ得ない光景だ。

 

「それこそまさかですよぉ、バレたりはしません」

 

「オイ」

 

「ジョーダンですって」

 

 鴉羽は軽く微笑むが、同性の名楽には当然効果はない。彼女は獄楽や君原達の方に目を向けつつ、呆れたように咎めるように言葉を吐いた。

 

「お前なぁ、酒があったらこいつらにも飲ます気じゃないだろうな。この連中が酒乱だったら手に負えんのか?」

 

「私も!?」

 

「センパイ、馬力はありますからね。酒癖が悪かったりしたら大変ですよ」

 

 驚く君原に若牧が顔を向けた。同じ人馬だというのに、貧富の差が酷い二人である。貴賤はなくとも格差はあるのだ。

 

「やめてよー、菖蒲が暴れたらまた私の頭がピンチじゃん」

 

「暴れないし、そもそもピンチになるような事を自重しなさいよ」

 

「死ねと?」

 

「あはは……」

 

 皐月に真顔で聞き返す欲望塗れの朱池に、その恋人は苦笑いするしかない。なおこの三人は、朱池・皐月・犬養の順で小さくなる。何の順かは言わずもがなだ。

 

「そーいえば菖蒲センパイ、片手でミツセンパイの頭を掴んで吊り下げてましたよねぇ」

 

「あれは驚きましたけど……先輩、握力何㎏くらいあるんです?」

 

 後輩二人の視線が自然に皐月に向かう。その問いに答えたのは皐月ではなく、名楽といい勝負になってしまっている獄楽であった。

 

「身体測定の時は50㎏くらいだったよな」

 

「それはそれで凄いんだけど……絶対手加減してたよね?」

 

 朱池の視線から皐月はあからさまに顔を背ける。答えになっていないが、答えているも同然である。まあ握力50㎏程度では、人一人を頭を掴んで持ち上げるなど不可能だ。ゆえに、沈黙こそが金であると判断したのであろう。

 

「希ぃ、どんくらい力あれば出来んだ?」

 

「いや、んなの分かんねえよ。重時の兄ちゃんなら出来たはずだけど……確か握力は100㎏超えてるって聞いたぜ」

 

 重時とは獄楽の空手道場に通っていた先輩で、現在は偶然にもサスサススールの護衛を務めている警察官だ。本人の言からすると、公安ではなくSP(スペシャルポリス)のようである。

 

「ひゃっきろ……」

 

「菖蒲はあんま筋骨隆々ってカンジにゃ見えねえのにな」

 

「生物学的にどうなんだよ。筋肉ってのは、太くないと力が出せないんだぞ」

 

「でもあやちゃん、腹筋凄いよね」

 

「姫!?」

 

 意外な相手に、フォローどころか崖に落とされる皐月。それを聞いた鴉羽が、興味津々な顔で彼女に近寄って来た。

 

「腹筋……どんなカンジなんですかぁ?」

 

「目が妖しいわよ」

 

「海では見れませんでしたし、ちょっとくらいいいじゃないですかー」

 

「まあいいけど……」

 

 ざばりと浴槽から上がり、その縁に腰かけ足を組む皐月。露になった腹筋を見た鴉羽が、感心したように息を吐いた。

 

「わぁ……」

 

「すっご……」

 

「なんか前見た時よりも割れてないか?」

 

「ゴリラ腹筋……いや、腹筋ゴリラ?」

 

「何でそんなに鍛えてるんです……?」

 

 口々に勝手な事を言うギャラリーを無視し、鴉羽が自然な動きでつつと近寄る。

 

「うわぁ、硬いですねぇ」

 

「勝手に触らないで頂戴」

 

 鴉羽が腹筋に手を這わせる。柔らかい鋼鉄のような、不思議な感触だ。ナメクジを思わせるその手が、艶めかしく這い上っていく。

 

「たまには筋肉もいいですねぇ……。なんだか興奮してきました。ゴツイ眼帯なんか取っちゃって、私とイイコトしましょう」

 

 無駄に色気たっぷりに、鴉羽が顔を近づけ眼帯に手をかけようとする。が、その前に、皐月の手が鴉羽の顔をがっしと掴んだ。

 

「所かまわずサカってんじゃないわよ」

 

「えー」

 

 反省するという機能が付いてなさそうな鴉羽に、皐月の額に青筋が浮かぶ。彼女はにっこりと笑顔を作ると、ただでさえ低い声を更に低くして言い放った。

 

「このまま握り潰されるか、物理的に頭を冷やすか選びなさい」

 

「ど、どっちもエンリョしたいかなあって……」

 

「そう、なら両方ね。なあに遠慮することはないわ、たっぷり味わいなさい」

 

「え、えーと、怒ってます? ひょっとしてその眼帯って、取ったらマズかったですか? そんなカンジじゃないと思ってたんですけど、菖蒲センパイって厨二の人だったんですか?」

 

「…………」

 

「ああっ頭が頭がぁッ」

 

 頭を掴んだまま立ち上がり、そのまま移動していく二人。入れ歯が取れそうな程にぽかんとしている老人がいるが、誰も気づいていなかった。

 

「…………まあ、あの二人は置いておきましょう。天音さんもいい薬になるでしょうし」

 

 何とも言えない表情で、しかし躊躇いなく見捨てるという選択肢を取る若牧。触らぬ神に祟りなしと判断したのであろう。若牧家は安泰だ。

 

「そーいや筋肉で思ったんだがサスサス」

 

「はい、何でしょう?」

 

「南極人って、鍛えたらあんな風なゴリラ筋肉になるんか?」

 

 獄楽の問いに、手を顎に当ててサスサススールは考える。授乳の必要がない……というか哺乳類ですらないので、その身体は平原だ。

 

「……前例がないので分かりかねますが、おそらくならないと思います」

 

「前例がない……? 南極人って、体を鍛えたりはしないんですか?」

 

 首を傾げて聞き返したのは若牧だ。その胸部は小高い丘であった。同じ人馬でも、隣のアルプス山脈とは大違いである。

 

「戦闘種がいますので、通常種が体を鍛えるという事は基本的にありません」

 

「形態単位での分業制ってコトですか」

 

「そういうコトですね。それにおそらくですが、通常種は鍛えても筋肉はつかないと思います」

 

「そーなんか?」

 

「私はこちらに来て多少体力はつきましたが、それでも皆さんには及ぶべくもありません。少々調べてみたのですが、筋肉がどれほどつくかというのは、生まれつき決まるようですね」

 

「そうなの?」

 

「そうだな。いくら鍛えても、つかねーヤツはホントにつかねーな」

 

 正確には、鍛えれば誰でも筋肉はつく。しかしその最大値は、生まれつき決定されている。いくら鍛えたところで、誰しもが200㎏のバーベルを持ち上げられるようにはならない。筋肉がどれほどつくか、それは完全に才能の世界である。

 

「南極人は、生まれつき筋肉がつきにくい体質、ってコト?」

 

「通常種に限って言うなら、おそらくは」

 

 朱池ににょいんと顔を向け、サスサススールが結論付ける。それにへーと感心する間も有らばこそ。いつの間にか上がっていた君原が、獄楽の後ろから手を脇に回して浴槽から引き上げた。

 

「おい姫、なにすんだ」

 

「希ちゃん、髪洗おっか」

 

「んなモン、自分で洗えるっつーの」

 

「いいからいいから」

 

 胸にうずもれ少しばかり顔が赤くなっている獄楽を抱きかかえ、そのまま運び去っていく。それを見ていた朱池が、自らの恋人の腰に手を回した。

 

「ミチ、私達も上がって洗おっか」

 

「洗うだけだよね?」

 

「そりゃあもちろん、言うまでもないよ」

 

「何しようとしてんだ朱池」

 

 表情と仕草が言葉よりも雄弁に語っている朱池に、名楽がツッコミを入れる。ドドメ色の欲望が透けて見えている彼女は、きょとんとした顔を見せた。

 

「え、そりゃナニだけど」

 

「こんなトコで何言ってるのミツ!?」

 

「こんなトコだからこそいいんじゃない、ミチは頭が固いなぁ」

 

「そういうコトは家でやれ」

 

「見られてると思うと燃えない?」

 

「さもないとああなるぞ」

 

 朱池を完全に無視して名楽が親指で示した先では。鴉羽が水風呂に突っ込まれ、物理的に頭を冷やされていた。

 

「…………大人しくします」

 

「そうしろ」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ちょ、ちょっとあやっち、これ見てこれ!」

 

 夏休みは過ぎたが、未だ残暑がわだかまる初秋の夜。皐月のルームメイトである変態もとい愛宕が、慌てた様子でノートパソコンを見せてきた。

 

「どうしたのよいきなり……また逮捕されそうな画像は止めてよ? いくらあなたの私物って言っても、回線はこの施設のを使ってるんでしょ? 警察には『いつかやると思ってました、犯人は間違いなくアイツです』って言うからね?」

 

「相変わらずの塩対応ッ……いや今回はそういうのじゃなくて! いいから見て! ほら!」

 

 その画面には、怪獣としか形容しようのない何かが映っていた。でっぷりとした、魚と両棲類の合いの子のような生物らしきもの、とでも言おうか。尻尾は一本、脚は二本、腕は四本、指は五本。色は赤黒く、鱗は無数に。そんな怪獣が、三階建ての建物の軽く倍はある巨体を揺らし、二本の足で直立して歩いていた。

 

「なにこれ? 映画の宣伝?」

 

 ヘリから撮っているのか、上空から見下ろす形の映像だ。よく出来ている映像であり、CGや特撮にありがちな“作り物”の感じがない。最近の技術は随分と進んだな、と気楽な事を考えていると、愛宕の声がそれを切り裂いた。

 

「違うって! ブラジル!」

 

「はぁ?」

 

「ブラジルで怪獣が出たの! 現在進行形で! 現実! リアル!」

 

「はぁ!?」

 

 現実は小説より奇なり、とは誰の言葉であったか。期せずして、それを証明する現実がパソコンの画面の中に現出していた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「皆怪獣好きだなー」

 

「あなたは呑気ねえ……」

 

 次の日。学校は休校にこそならなかったが、自習となった。授業をしようにも、世界史の教師を始めとした数人が『急病』で休んでいるため、どうしようもなかったとも言う。

 

「怪獣が実在したってのも驚きだが、喋った上に政治的要求をしたってのにも驚きだよ」

 

「怪獣映画みたいにはならないんだね」

 

 海から出て来た怪獣は、破壊活動を行うでもなく、人が逃げるのを待ち首都へと向かった。まあ道路は足跡の形に凹んでいたが、それはご愛嬌である。

 

 そして誰何(すいか)の声をメガホンで上げる役人に対し、自身は当地の住民であると主張。喋っているという時点で驚きだが、その後の要求に世界はもっと驚いた。なんと、人権と市民権、国民皆保険を要求したのである。

 

 驚きに動きが鈍い政府を尻目に、怪獣は『平和的デモ行進』を敢行。道中戦闘機に攻撃されるものの、空手でミサイルを弾き飛ばし、音波らしき謎の攻撃で戦闘機を落とし、首都の郊外に居座ったのだ。なお平和的というだけあって、死人は出していない。

 

 当然ながら、世界は蜂の巣をつついたような大騒ぎである。

 

「つーかあのデカさでどうやって動いてんだ。菖蒲、生物学志望としてはどう思うよ」

 

「んー……大きさに比して体重が軽い、既存の生物とは異なる筋肉を持っている、実は機械仕掛け、とかかしら」

 

 物体の体積は三乗で増えるが、筋力は二乗でしか増えない。従って、体重が重くなり過ぎると、自分の発揮できる筋力の上限を超えてしまい、動く事すら出来なくなる。

 

 最も大きい現生陸上動物はゾウだが、それでも最大12~13トン程度でしかない。あの怪獣はどう見てもそんなレベルではないが、それでも動いている以上、何らかの仕掛けがあるのは確実だ。

 

 そもそも生物だとするならば、恒温動物なのか変温動物なのか。人類と意思疎通可能な知能がある点を鑑みるに、前者である可能性の方が高い。変温動物だと、体温が上がり切っていないと頭も働かない。

 

 しかしそうなると、そのエネルギーはどこから調達しているのか、という問題が出て来る。要するに食料が大量に必要になる訳だが、あの巨体だ。草食だろうが肉食だろうが、1トン2トンでは到底足りまい。

 

 変温動物ならその辺りはまだマシだが、今度は脳を動かすエネルギーが足りなくなる。周囲から熱を吸収して動くという性質上、気温が下がると活動も出来なくなる。現地は熱帯なのでその辺りの心配はいらないのかもしれないが、今度は逆に熱中症の恐れが出て来る。巨体は熱がこもりやすいのだ。

 

 というかそれ以前に、怪獣が何かを食べている様子そのものがない。冬ごもり中のクマの如く、溜め込んだエネルギーで動いているのかもしれないが、さて。あの巨体を動かすのに、果たしてその程度で足りるものなのか。

 

 機械仕掛けならばその辺りの問題は解決する。しかし今度は、どうやって動かすのかという大問題が発生する。何となればあの怪獣は、ミサイルを叩き落としているのだ。ガソリンエンジンではどう考えても出力が足りないし、音がうるさいので周囲の人間が必ず気付く。

 

 燃料の問題だって無視は出来ない。あれだけのサイズなら、生物以上に頻繁に補給が必要になったっておかしくはないのだ。例えば原子力潜水艦なら、半年くらい無補給で動けるとも聞くが……あんなところでそんな物を使う考えなしもおるまいて。

 

「何にしても喋って政治的要求なんてしてる辺り、真っ当な生物とは思えないから、既存の生物の枠組みで考えても仕方ないでしょうね」

 

「だよなあ……」

 

「怪獣が人間の言葉を喋れるワケねーもんな」

 

 獄楽が尤もな事を言う。確かに海から出て来た怪獣が、人間の言葉を知りえるはずがなく、発声に適した喉の構造を持っているはずもない。その辺りをスルーするにしても、国民皆保険を要求するのはどう考えてもおかしい。

 

 つまり、あの怪獣の裏側には、人類社会に通暁した何者かが存在するという事である。言うまでもなく、それが哺乳類人である可能性は限りなく低い。どこの国であろうが、あんな怪獣を作れる技術を持っているとは考えにくいからだ。

 

 そこまで考えが及んでいたのか、それとも風説をそのまま口にしたのかは定かではないが、君原がサスサススールに問いかけた。

 

「スーちゃん、南極が関係してるってホント?」

 

「と訊かれましても、中央の事はちょっと分かりませんし」

 

 とその時、サスサススールのスマホが着信を知らせる。彼女はシューシューと南極語で何事かを話し、通話を切ると一言だけ発した。

 

「私はこれから欠席します」

 

 そそくさと荷物をまとめ、足早に教室を出て行くサスサススール。見送る君原がぽつりとこぼした。

 

「やっぱり、関係してるのかな……」

 

「このタイミングだし、そうなんだろうな」

 

「むしろ南極としても予想外なのかも」

 

「てーと?」

 

 首を傾げる獄楽に、皐月は答える。

 

「立場は特殊だけど、それでも留学生を呼び戻すって、どう考えても非常事態だもの。第三者の介入があったとか現場が暴走しているだとかで、人手が足りないのかもね」

 

 いくら南極人の数が少ないとはいえ、非常事態に対応出来ない程ではない。少ないのは、哺乳類人の言語を解し、その社会に詳しく、即座に動かせる人員である。

 

「学徒動員みてーだな」

 

「その例えはどうかと思うが……あながち間違っちゃいないのかもな」

 

「これから、どうなるのかなあ」

 

 未来は未だ決定されておらず、不確定の霧の向こう側に揺蕩(たゆた)っている。だが、怪獣の出現が、未来を決定づける一要素であるのは間違いないであろう。

 

 それよりも彼女達にとって重要なのは、サスサススールがしばらく学校からいなくなり、それに伴い護衛の警察もまた不在になった事である。それが如何なる影響を及ぼすのか、誰も知る事はない。今はまだ。

 




 次回、最終回。


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最終話 両目の国でも片目の国でも、人は生きていかなきゃならないんだよね

 『授業中にテロリストが襲撃してきたら』。

 

 有名な妄想ネタである。内容は様々ではあるが一言で纏めると、『テロリストを撃退する俺(私)カッコイイ!』という、ちょっと……もとい、大分アレで暗黒面自己顕示欲満開の妄想ネタである。

 

 とは言え、もちろんこれが実際に起こると思っている者はいない。あくまでも妄想であり、精々がジョークのネタになる程度である。

 

 

「学校は我々、歴史清算委員会が占拠した!」

 

 

 だがしかし、それが現実になってしまった場合は、さて。一体どうすればいいのであろうか。

 

「正義に目覚めた者である我々がこれから、歴史裁判を行う!」

 

「支配者として人民を苦しめてきた特定形態の罪を清算するのだ!」

 

 銃と刃物で武装した、覆面を被り防弾アーマーで身を固めた男三名。生意気にもAKではない突撃銃を持ったのが二名、短機関銃を持ったのが一名。刀のような刃物も全員装備済みで、ジャージが膨らんでいる事からおそらく拳銃も所持している。どう贔屓目に見たところで、授業参観に来た父兄ではない。

 

 そいつらが教室に押し入り、君原に銃を突きつけ口から電波を垂れ流している。どこに出しても恥ずかしい、正気を彼方にうっちゃってしまったテロリストだ。まあ正気でテロリストなどやっていられないだろうが。

 

 ちなみに連中、この場の出来事をネットで生放送しているので、二重の意味で電波を垂れ流している事になる。公共の電波で電波を垂れ流すのは迷惑なので止めましょう。

 

「この放送を見た者は立ち上がれ! 今日は人民の記念すべき日になるだろう!!」

 

「傍観の罪を犯してきたお前達にも、正しい教育の機会を与えよう!」

 

「この罪人の血統を処刑し、正しい歴史認識を得るのだ!」

 

 自称、歴史清算委員会。人馬・人魚=支配者の血筋=悪と主張する、テロ組織である。当然違法組織なので、当局は躍起になって検挙しようとしているが、現状を見るに上手く行っていない事は明白だ。

 

「志願者はいるか!」

 

 普通に考えるなら、助けが来るまで大人しくしているのが正しい行動だろう。だがそんな余裕はどこにもない。このままでは人馬の君原は殺されるだろうし、その後残った生徒達も殺されないという保障はない。

 

 ゆえに彼女は、その言葉に手を上げた。同じ事を考えていたらしい御魂も同様に。

 

「ほう、二人もいるとはな。中々見所のある若者たちだ」

 

「何故手を上げた?」

 

「私は翼人。征服された北方人の末裔よ。理由なんてそれで十分でしょ」

 

 御魂は決然と、薄く笑みさえ浮かべながら言葉を続ける。少々本音が漏れているようだが。

 

「それにこの子はグズでずるくて、何かあるとすぐ人の背に隠れて他人にやらせようとするしね。見ててイライラするのよ」

 

「なるほどな。そっちは?」

 

「私も翼人よ」

 

「そうなのか……? いやしかし……」

 

 懐疑的な目を向けるテロリスト。確かに翼人を翼人たらしめる翼と輪毛が存在しない以上、無理もない事だと言えよう。そのある意味慣れ親しんだ視線を敏感に察知し、彼女は自身が狙いではない事を確信した。

 

「昔は輪毛も翼もあったのだけれども。大火傷をしてね、切除するしかなくなったの」

 

 当然大嘘もいいところである。だがそれを確認する(すべ)はないし、ここでは真実の方が嘘くさい。ならば嘘で誤魔化してしまえという、まさに嘘も方便を地で行く女であった。

 

「火傷の痕は大半消えてくれたのだけど、運悪く輪毛部分の毛根は焼け潰れて生えてこなくなったわ。この目もその時に無くしたの」

 

「ほう……」

 

「それが?」

 

「その火傷の原因を作ったのが人馬なのよ。別にこの子と関係がある訳じゃないんだけど、やっぱりどうしてもね……。後は委員長に大体言われちゃったわ」

 

 そこで言葉を切り、死んだ目のまま思わせぶりに君原を見やる。

 

「それに、個人的な恨みもない訳じゃないし、ね」

 

「そんなぁ」

 

「ふむ。動機は何にせよ、革命的思想を持ち、同志となりうる者が二人もいる事は喜ばしい」

 

「一丁しかないが、処刑用の銃だ。弾は一発だけ、正確に狙え」

 

「どちらがやるのだ?」

 

 掌サイズの小さな銃を差し出しつつ、テロリストが二人に問いかける。だが御魂はそれには応えず、テロリストにするりと近づいた。

 

「いいえ、こっちを借りるわ」

 

「あ」

 

 テロリストの腰からスラリと刀を抜き出すと、やる気も(あらわ)にブンと一振りする。

 

「武士の末裔なのだから、やはり首切よね」

 

「おっ、おう」

 

「ヤル気あんなぁ」

 

 テロリストも若干引くが、そんな事にはお構いなしに、今度は皐月が動いた。

 

「なら私がこっちね」

 

「あ、あぁ」

 

 ひょいっと軽い調子で銃を取り上げる。使い方が分からないと言わんばかりに、上に下にと眺めまわし、その間に周囲を確認していく。

 

 御魂が獄楽に目配せをしているのが横目で見える。獄楽は成績はあまりよろしくないが、地頭は悪くないし察しもいい。あれなら問題なく動いてくれることだろう。

 

 ついでに窓の外をちらりと見ると、警察が来ているのが確認できる。何に使うつもりなのか、戦車まで引っ張り出しているところを見るに、軍も一緒のようだ。初動が早いとは感じるがしかし、未だ動く気配はない。

 

 というか動くなら、とっくの昔に動いているはずだ。内部の様子はご丁寧にも現在進行形で流出しているし、間抜けな事にカーテンを閉めていない。狙撃には絶好のチャンスのはずだが、そうしていない。それはつまり、原因は不明だが、動くに動けない理由があるという事だ。

 

 そこまで高速で頭を回転させた彼女は、仕方がないかという諦観と共にテロリストに声をかけた。

 

「ねえ、これはどうやって使うのかしら。安全装置? というのがついてるはずだけど、解除されてると思っていいの?」

 

「ああ、解除されてる。後は標的に向けて引き金を引けば弾が出る」

 

「何だか随分小さいけれど、これで人が殺せるの?」

 

「問題ない、これだけ近ければな」

 

 そこまで聞いた彼女は、ごく自然に流れるように、テロリストに向けて銃を撃ち放った。パンッと、引き起こす事象に比して軽い音と共に、柔らかい眼球を貫通した銃弾は、その勢いのまま脳を破壊し、テロリストは物も言わず地に(くずお)れた。

 

「あらほんとね、きちんと殺せたわ」

 

 皐月には敵意こそないが、悪意は溢れんばかりに持っているし、殺意は売るほど満ち満ちている。買ってくれる殊勝な相手はいないので、こういう機会に押し売りするしかないのである。

 

「なっ……」

 

「貴様!!」

 

 残るテロリスト二人のうち、片方は想定外の光景に固まったが、片方は怒気と共に皐月に銃を向ける。だがその時、突如として二人は目を押さえて屈みこんだ。

 

「がっ!」

 

「いつっ!」

 

 獄楽が指弾の要領で消しゴムを飛ばし、テロリスト二人の目に命中させたのである。二ヶ所同時に、しかも片方は利き手ではないというのにこの正確さ、まさにスポーツ万能空手少女の面目躍如と言えよう。

 

「おおらぁあ!!!!」

 

 その隙を逃さず、小守(こもり)(まこと)が机を投擲し、テロリストに命中させる。竜人であるにもかかわらず、『人馬の突進を正面から止める』その怪力は如何なく発揮され、強制的に机と一体化させられたテロリストは、横一直線に吹き飛び窓から下へと落ちて行った。

 

 あっという間に残るテロリストはただ一人。当然のように御魂もまた、その隙を見逃す事はなかった。

 

「キャア!!」

 

 君原の後ろ蹴りがテロリストにヒットし、凄まじい勢いで吹き飛ばす。人馬には、臀部に触れられると反射的に蹴りが出るという危険な習性があり、それを知っていた御魂が君原を利用したのだ。

 

「ナイスよ二人とも」

 

 どう見てもテロリストは戦闘不能だが、それで油断する皐月ではない。地に伏すその両手を踏み砕き、片足を鉛筆か何かのようにへし折った。差別主義者に人権はないので、別に殺してもよかったのだが、生かしておけば警察が背後関係を調べやすかろうという気遣いである。

 

 次いで頭を撃ち抜いた方の首を踏み抜いて絶命を確実なものとすると、まだ生きている方のそばに膝をつき、武装解除を始めた。

 

「随分用心深いのね……」

 

「昔油断してえらい目にあったからね。トドメはきちんと刺さないと」

 

「……というか、なんか慣れてない?」

 

「別に慣れたくて慣れたんじゃないわよ――――やだ、血がついちゃったわ」

 

 ぽいぽいと武装を剥ぎ取りながら、そこはかとなく闇の深いセリフを吐く皐月に、御魂が何かを言おうとする。が、それを遮るように校庭から銃声が響き、同時に階下から足音と怒号が聞こえて来た。どうやらようやく警察か軍の狙撃と突入が始まったようである。

 

 それは即ち、この馬鹿騒ぎも終わりだという事を意味していた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

『自称歴史清算委員会の学校占拠事件は、生徒側の被害が死者重傷者ゼロという極めて喜ばしい結果に終わりました』

 

『警察や国軍の対応が良かったのでしょうか』

 

『いえ、生徒の高度な自主性が発揮されたようです』

 

 放課後の地学準備室。民俗研究部の部室となっているそこで、パソコンからニュースが流されていた。

 

「みんな無事でよかったね」

 

 君原が胸の下で手を合わせながら朗らかに言う。豊満な胸部装甲がふにゅんと潰れて強調されている。

 

「ま、ウチのクラスはテロリストが臆病だったみたいで」

 

 鴉羽が何の事もなさそうな様子を見せて話し始めた。

 

「急にがくがく震えだして、そのまま卒倒しました。心不全ですねあれ」

 

 と言っているが、偶然などではもちろんない。鴉羽には超能力じみた力があり、強く意思を込めて睨むとその対象に様々な影響を及ぼすことが出来るのだ。本人は『眼力』と呼んでいる。

 

 軽く動きを止める程度から、今回やったように気絶させるに至るまで、融通が利いて使いやすい。反面、全く効果のない者もいたりと、本人にもよく分かっていない点もある。

 

「それより、あやかの方が」

 

「まあでも、ウチもそんなに」

 

 鴉羽が若牧に話を振った。

 

「私は犯人が教室を占拠した時その場にいなくて。たまたま犯人が廊下に落とした銃を拾って。外から撃っただけですよ」

 

 さらりと言っているが、中々の剛運である。今回のテロリストは人馬を目の敵にしていたので、最初から教室にいたとしたら人馬の彼女はタダでは済まなかっただろう。

 

 銃を拾ったというのも、本来ならばありえない事だ。それが使いやすい短機関銃であったのも運がいい。敵の間抜けさもあったが、まさに天祐というものなのであろう。

 

 まあ彼女は日頃から銃を持ち歩いている(もちろん違法)からそれを使ったのかもしれないが、実際はどうだったのかは若牧にしか分からない。それに真相がどうあれ、『テロリストは間抜けにも自分が落とした銃で撃たれた』というのが真実なのだ。何も問題はない。

 

「やっぱり連中、素人だったみたいね」

 

「そうなの?」

 

「ええ、カーテンも閉めようとしなかった時点で分かり切ってたけど」

 

「ああ、狙撃されるもんな」

 

 少なくとも皐月なら、カーテンは真っ先に閉めて電気も消す。これで窓の外からの狙撃はほぼ防げる。その後は銃で追い立てて、全校生徒を体育館にでも集める。一ヶ所にまとめておけば監視もしやすいし、守る場所が減るので警察に対抗もしやすくなる。

 

 そうしなかった理由は皐月には分からなかったが、何か教室に拘る理由があったにしても、生徒たちは教室の隅にでもまとめて机と椅子でバリケードでも作って隔離し監視すべきだった。そうすれば間抜けにも反撃される事などなかったのだ。

 

 そうしたら後は簡単だ。体育館にしても教室にしても、生徒に処刑させるなどというリスクなど冒さず、自分達でやればよろしい。処刑終了後は生徒達を人質に取って立てこもるもよし、(みなごろし)にして逃げるもよしだ。

 

 どうせすぐに捕まるか射殺されるだろうが、テロの目標そのものは達成できるし、やりようによっては突入してきた警察官も何人か道連れにできるだろう。まさか連中、生き残るつもりでいた訳でもあるまい。

 

 悪辣さと高い知性を有する皐月は、そこまで簡単に思いついたが、口に出すことはなかった。

 賢明である。

 

「狙撃と言えばあやか、よく当てられたわね?」

 

「狙撃じゃなくて、あんな近距離で据え物撃ちだもの、外しっこないわよ」

 

「すごーい、映画みたーい」

 

「ああでも、弓道の心得が役に立ったと思います。それよりも、まだ生きてる犯人を皆が吊ろうとするのを止めるのが大変でしたね」

 

 差別主義者を吊るせをスローガンに、生徒達が自主的に犯人をぶち殺そうとしたのである。若牧はむしろそれを止めなければならなかった。

 

 マッポーでサツバツと思われるかもしれないが、これは何ら法律に反する事ではない。テロリストに人権は存在しないのだ。正確には、形態間差別を名分にするテロリストに人権はない。

 

 形態差別罪は非常に厳しい法律だ。差別発言ですら問答無用で矯正所送り。形態間差別を口にしてテロを起こせばその時点で人権は剥奪され、法的には人間ではなくなる。従ってそのテロリスト共をどうしようが何の問題もない。当然過剰防衛になるはずもなく、むしろ『駆除』を称賛されるのである。

 

 相当強引ではあるのだが、こうでもしないと形態間差別が横行してテロの温床になったり、内戦になって各国に飛び火し、果ては第三次世界大戦が引き起こされる危険性すら存在するのだ。それを思えば、テロリストの人権や命など塵に等しい。

 

 まさに『平等は命より重い』世界なのである。

 

「センパイのところはどうでした?」

 

「私が一人撃ち殺して、小守君が机を投げて一人仕留めて」

 

「姫が最後の一人を、手加減一発骨を砕いておしまいだったな」

 

「それは、希ちゃんが助けてくれたからだし。それに、その言い方だとなんか私がマッチョみたい」

 

「間違ってないと思うけど。いい蹴りだったわよ」

 

「もー、あやちゃん酷いよぉ!」

 

 ぷんすかという言葉が似合う君原を、うっかり失言した皐月がなだめる。本気では全くなかったようですぐに落ち着いたが、そこで若牧の顔が皐月に向いた。

 

「撃ち殺したって、銃はどうしたんですか?」

 

「処刑用って言って渡されたのでね」

 

「自分が処刑される事になっちゃったんですねぇ」

 

「随分手慣れてなかったか?」

 

「まあ別に初めてじゃないし……」

 

 実は銃を撃つのは初めてではない。テロリストに色々と聞いていたのは単なる時間稼ぎである。

 

「センパイのコトだから、テロリストの頭を握り潰したかと思ってましたよぉ」

 

「演舞で真剣白刃取りを見せた男は、『実戦でもそれをやるんですか?』と聞かれてこう返したそうよ」

 

 いきなりの話題転換にきょとんとする鴉羽だが、それに構わず皐月は続ける。

 

「『実戦だったら刀を使うに決まってるだろう』ってね。銃を持ってるんだったらそっちを使うに決まってるでしょうが」

 

 思わず納得してしまう鴉羽だったが、そこでふと何かに気付き、意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「それもそうですねえ……ところでセンパイって、随分戦い慣れてるみたいですけどぉ、今まで何人くらい()ったんですぅ?」

 

「君は今までに食ったパンの枚数を覚えているのかね?」

 

 間髪入れずに飛び出したのは、某吸血鬼の名言だ。それに対する後輩二人の反応は対照的であった。

 

「うわぁ、ハマってますねえ。ラスボスみたいですよ」

 

「まさか実際にその台詞を聞くとは思いませんでした……」

 

 喜ぶ鴉羽にげんなりする若牧。その時君原の表情が、何かに気付いたかのようなものへと変化した。

 

「そういえばスーちゃん、そろそろ戻って来るかな?」

 

「あー、ブラジルの内戦終わったんだっけか。どうなったんだっけ?」

 

「政府が停戦に合意して、両棲類人は人権を認められる事になったわね。あくまで停戦だからはっきり白黒ついた訳じゃないけど、実質的には両棲類人が勝ったって事でいいんじゃない?」

 

 細かい経緯は省くが、怪獣の出現が大きなファクターとなり、両棲類人は人権を勝ち取った。彼らは独立ではなく自治権を得るにとどめ、旧来の政府に合流したのだ。それに伴い様々な変化が起ころうとしているが、一段落がついたのは確かである。

 

 なお人権と市民権を認められた怪獣は、器用にも通常サイズのスマホでツイートしたり、CGなしの怪獣映画やテレビに出演したりと、人類社会に馴染んで生活している。ラウラ・タゴンを名乗っているので、女らしい。どこに驚けばいいのであろうか。

 

「そっか、ならもうすぐ会えるかな」

 

「多分ね」

 

 今回テロリストが襲ってきたのは、サスサススールについてる警察がいなくなったからだろうなー、と皆何となく察しているが、誰も口にはしない。エアリード機能は哺乳類人の必須スキルなのである。

 

「ところで、どうしたの羌ちゃん? 何か元気がないみたいだけど」

 

「えっ……あっと、その」

 

 君原が名楽に声をかける。今まで全くと言っていいほど会話に入ってこなかったので、心配になったようだ。その名楽は、受け答えがしどろもどろである。聡明な彼女にしては非常に珍しい。

 

「あんな事があったし疲れてんだろ。キョーコは荒事にゃ向いてねえしな」

 

「う、うん……」

 

「じゃあ今日は早めに帰る?」

 

「そうですね、暗くならないうちに帰った方がいいでしょう」

 

「ならちょっと早いけど、今日はもう解散という事で」

 

「そだな、帰るか」

 

 そういう事になった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 陽の傾く、どこか物寂しい晩秋の住宅街を、皐月と名楽が並んで歩く。本来降りる駅が違うのだが、不調そうな名楽のために、皐月が送って行く事にしたのだ。なお獄楽は駅は同じだが帰る方向が異なり、君原は駅が異なるので、双方不適である。

 

「――――で、どうしたの?」

 

「え?」

 

 ぼーっとしていた名楽に、皐月の視線が落とされる。名楽は今気づいたというように、左側を歩く皐月を見上げた。

 

「いや、どう見ても様子がおかしいから……。どこか怪我でもしたの?」

 

「い、いや、そんな事はないよ」

 

「ならいいけど……」

 

 名楽が顔を落とし、二人の間に沈黙が流れる。足音だけが響く中、その沈黙を引き裂いたのは、再び顔を上げた名楽であった。

 

「…………その、なんだ、菖蒲は大丈夫なのか?」

 

「何が……ああ、怪我なら無いわよ。それがどうしたの?」

 

「……………………いや、そういう意味じゃ……ごめん、やっぱ何でもない」

 

 どう見ても何でもないという顔ではないが、聞くのも躊躇われる雰囲気だ。皐月は首を傾げるが、何を心配されているのかよく分からない。代わりに別の心配事が記憶の片隅から頭をもたげて来た。

 

「そういえば……一つ心配な事があったわね」

 

「……心配?」

 

「不可抗力とはいえ、私の姿がネットに流れちゃったのがね。私狙いのテロリストがまたぞろ動き出さないか心配よ」

 

 『真の形態間平等』を謳い、特異な形態の皐月を目の敵にしていたテロリストの事である。警察からは大半を捕殺したとは聞いているものの、油断する事は出来ない。

 

 ネットに教室の様子を配信していたカメラは、小守の机投擲に巻き込まれて壊れたが、皐月が映っていたのは事実。彼女は目立つので、知っている者が見れば一目で分かるであろう。

 

「あー……。確か、そのせいでこっちに来たんだっけ?」

 

「そうね。対策としては、なるべくサスサスと一緒にいるとかだけど……。万一を考えると、あんまりやりたくはないわねえ」

 

 サスサススールには護衛の公安やSPが常時ついているが、彼女が傷つけば国際問題待ったなしだ。いかに皐月と言えど、いくらなんでもそれは躊躇われた。

 

「あなた達も、しばらく私と距離を置いた方がいいかもね。巻き込まれるかも――――」

 

「舐めんな!」

 

 突然の大声に、一つきりの瞳をぱちくりとさせる皐月。名楽は僅かに気まずそうにしたものの、その勢いのままに言い切った。

 

「んな理由で、友達から離れると思ってんのか」

 

「ど、どうしたのよ、急に」

 

 珍しく感情を剥き出しにした名楽に、うろたえ気味の皐月。ひょっとしてあの日だったかとアホな考えが思い浮かぶが、さすがに口にはしない。しばらくの間、重い沈黙が二人の間にとぐろを巻くが、それを破ったのはやはり名楽だった。

 

「…………私は、菖蒲を友達だと思ってる。たとえ菖蒲が、私らを人間だと思ってなくても」

 

 ピタリと皐月の足が止まる。それにつれて、名楽の足もまた歩みを止めた。

 

「お袋が言ってたんだ。『()()()()()()()()()』って。今日の事でよく分かったよ。確かにありゃその通りだ」

 

 堰を切ったように言葉を吐き出す名楽に、嵐の前の静けさのような無言を貫く皐月。名楽を見ているはずのその顔は、オレンジ色の逆光に隠れてよく見えなかった。

 

「……………………それで」

 

 普段よりも低く重い声のトーン。皐月が名楽に向けて一歩踏み出した。

 

「そうだとしたら、何だと言うのかしら」

 

「ヒッ」

 

 その時ちょうど陽が建物の影に隠れ、逆光が消えた事によって皐月の顔が薄明かりの中に浮かび上がる。そこにあったのは、『無』であった。いかなる感情も映さぬ無表情であった。

 

 ただ、名楽が息を呑んだのはそのためではない。目だ。その目のせいだ。

 

 普段から死んだような目だが、今はもはや目とは言えないものと化している。どこまでも黒く深く、まるで底なしの穴のようであり、そこから泥かタールのような粘つく何かが覗いている。

 

 ブラックホールのように、何物をも呑み込む穴ではない。漏れ出す何かで全てを焼け爛れさせる、ドス黒く輝く太陽のような穴だった。

 

「ええ、よく分かったわね。さすが年の功とでも言うべきかしら? 確かに私にとっての『人間』はあなた達じゃないわ」

 

 彼女の記憶の中にしかない『前世』。そこに棲んでいた者どもこそが彼女にとっての『人間』だ。

 

 妄想なのかもしれないと思っていても、根拠などないと知っていても、皐月はそれを捨てられない。いかなる形態にも属さぬ身体もまたその記憶を支持し、この世界そのものも、その思いを助長こそすれ否定する事はなかった。

 

 人と違う、というだけで片目は抉り取られ。

 道を歩けば警察官か憲兵に懐疑の目を向けられ詰問される。

 どの形態にも属さないから人間ではない、とクズどもは(うそぶ)き。

 そうして彼女は歪んでいった。

 

 歪みを表に出さぬ理性と、歪んだままでもどう振舞えば人に排除されず溶け込めるかを解する知性を、『前世』のおかげで有していたのはさて。悲劇なのか喜劇なのか。

 

(かん)に障るのよ、(しゃく)に障るのよ。人間だと思い込もうとしても慣れようとしても、ふとした弾みに『違う』と感じてしまうのよ」

 

 人馬が蹄鉄状のゴムで出来た履物を脱ぐ瞬間だったり。

 角人が角を上手くよけてシャツを着る瞬間だったり。

 限りなく似ているからこそ目に付いてしまう差異。

 

 気にしなければいい、そんな事は言われなくても分かっている。分かっていてもどうしようもない。高い知性も豊富な知識も悪辣なる頭脳も、何の役にも立ちはしない。

 

 何故ならばそれは、感情の問題だからだ。理性で感情をどうにか出来るはずがない。そんな事は分かっている、分かっているからこそどうしようもなく(おり)は溜まるのだ。

 

「平等、平等、平等。素晴らしい言葉ね、反吐が出るわ。ええ平等でしょうとも。どいつもこいつも平等に、私にとっては人間じゃないわ」

 

 誰も彼も彼女にとっては亜人で人間ではない、ならば皆等しく平等だ。皮肉にも、何の形態にも属さない彼女こそが、誰よりも平等を体現していた。

 

 盲人の国では片目は王様。ならば、両目の国に迷い込んだ片目とは。足りぬのだから平等ではないのか、見えているのだから平等なのか。その答えは彼女には分からない。ただ、自分以外の誰も彼もが『平等』である事が、彼女にとっての真実だった。

 

「で、それが何?」

 

 ()れ龍の蟲たるや、柔にして()らして()るべきなり。

 ()れども其の喉の下に逆鱗の径尺なる有り。

 ()し人(これ)()るる者有らば、(すなわ)ち必ず人を殺す。

 

 皐月は龍ではないが、逆鱗が存在するという一点において龍と共通する。龍ではないがために逆鱗は目に見えないが、龍ではないがために名楽は未だ生きている。

 

 硫酸の如き気配を何とか抑えこみ、名楽に言葉をかけている程度には冷静だが、誰かに聞かれたら即矯正所送りの、危険な感情をぶちまける程度には激昂している。タガが外れやすくなっている自覚はあるが、それを抑えようとする思考があまり働かない辺り、普段通りではない自覚もある。

 

 それはネットに弾かれたテニスボールだ。冷静と狂熱どちらに落ちるかは、本人にすら分からない。

 

「それ、でも、私は菖蒲の友達だ」

 

 そんな皐月を、名楽はまっすぐに見つめて言葉を吐き出す。声の震えを隠しきれていないが、それでも目を逸らすことはない。

 

「私だけじゃない、希も姫も、サスサスだってきっとそう思ってる。だから――――」

 

 謝罪はしない、プライドの高い皐月には逆効果であるがゆえに。今の状況では、命の危険すらも有り得る。『人を人として見ていない』とはそういう事だ。

 

「――――菖蒲は、一人じゃない。何かあれば皆、菖蒲の力になる」

 

「は」

 

 最初は呼気のような微かな声だった。だが次の瞬間、それは爆発した。

 

「ははははははははははははははははっ!!!!」

 

 その声には、あらゆる感情が含まれていた。ありったけの悪意を込めて愚者を嘲っているようにも、歓喜に満ち溢れているようにも、燃え立つ怒りを吐き出しているようにも、力の限りに憐れんでいるようにも聞こえる声だった。

 

 どうしてそんな声が出たのか、それは本人にすら分からない。ただ分かるのは、瀑布の如き感情の奔流が、声という形を取って流れ出ている事だけだった。

 

「ははははははは―――――――――はぁ」

 

 そして唐突に、いっそ不自然な程に声が途切れる。彼女は何事もなかったかのように、腰を抜かしてへたり込んでいる名楽を見下ろした。

 

「そんな事を言うために、足をガクガクさせて声を震わせて腰を抜かしてるの?」

 

「そんな事を言うために、足をガクガクさせて声を震わせて腰を抜かしてるんだ」

 

 未だ立ち上がれず、腰を抜かしたままの名楽。しかし眼光は真っすぐに皐月を見据え、決して逸らす事はない。

 

 『力がなくとも正しい事を出来る』。それこそが、名楽羌子が持つ強さ。頭が良いとか力が強いとか、そういった事柄とは別次元の、得難き資質にして、揺らがぬ善性。

 

 皐月は深く吸った息を長く長く吐き出すと、眩しいものを見たかのように一瞬だけ目を細め、彼女に向けて手を差し出した。

 

「――――立てる?」

 

「…………ちょっと無理」

 

「ん」

 

 ひょいっと軽く持ち上げ、泡を食う名楽に構わず背負う。そのまま皐月は、ゆっくりと薄暗がりの道を歩き始めた。

 

「…………友達、ね。友達、か。そうね、私はあなたたちを、人間だと思っていなくとも、友達とは思ってるみたいね」

 

「そいつぁ、よかった。恥と無様を、まとめて晒した甲斐が、あったってもんだ」

 

「よかったの?」

 

「よかったさ」

 

 どちらからともなく話が途切れ、無言が二人の間に降りる。宵闇に包まれ始めた住宅街に人気はなく、枯葉が落ちる音すら聞こえそうなほどの静寂で満ちていたが、それは決して不快なものではなかった。

 

「というか何でまた、いきなり友達だとか言い出したの?」

 

「あー、菖蒲は野生動物みたいなモンで、弱みを絶対に見せないって希が言ってたんだが……」

 

 それが話に何の関連があるのか分からず、小首をかしげる皐月。名楽は言いづらそうに、しかしはっきりと口にした。

 

「その、なんだ、テロリストっつっても……殺してただろ」

 

「…………まさか、それを私が気に病んで、でも隠してるんじゃないかとか考えた訳? 人間だと思ってないって分かってたのに?」

 

「気にしてないようには見えたが、ひょっとしたら無意識では、って考えたら、な。実際、情緒不安定だっただろ。前に倒れた事もあったし……」

 

「…………だとしても、腰を抜かしてまで羌子がやる事はなかったんじゃないの」

 

「それは忘れろ! …………友達だし、命の恩人、ってヤツだったからな」

 

 気恥ずかしそうに、ぷいと顔を横に向けながら名楽は言う。

 

「そんな相手に、私が何が出来るか、って考えてたら……勝手に口が動いてた」

 

「……夢遊病?」

 

「なんでじゃ!」

 

 半ば意識的なボケに、名楽が勢いよくツッコミを入れる。どうやらいつもの調子が戻ってきたようだ。

 

「分かってるわよ、羌子の優しさは。いつも私の右側に立つのは、私の死角を補うためでしょう?」

 

「んなっ」

 

 瞬間湯沸かし器の如く、顔が真っ赤になる名楽。幸か不幸か、つるべ落としに暗くなりつつある街のおかげで、それは皐月に気付かれる事はなかった。

 

「気付いてたんかい……」

 

「いい母親になるわよ羌子は。母親のいない私が言うんだから間違いないわ」

 

「反応しづらい自虐だかブラックジョークだかはやめてくれ。てか母性を褒められても困るわ。ワタシぁ自分が前に出たいんだから」

 

 皐月は笑った。何の含みもなく、子供のように笑い声をあげた。重力から解き放たれたカモメのように、軽く羽ばたくような声だった。

 

 彼女の問題は何一つ解決していない。テロリストの脅威はそのままだし、誰も彼も人間として見る事が出来ないのも変わらない。『前世』についても全く決着はついていないし、無くした片目が再生した訳でもない。

 

 それでも、少しだけ。そう少しだけ、気が楽になったのだ。我知らず、口角がほんの僅かに吊り上がっていた。

 

「てか、重くないか?」

 

「軽いわね……胸もないし。お母様と顔はそっくりなのに、そこだけは似なかったのね」

 

「ほっとけ!」

 

 左肩の上から抗議の声を上げる名楽を見る。その頭からは角が伸びており、耳の位置も形も自身とは異なり、尻尾すら生えている。

 

 友達だとは思っているが、やはりどうしても人間だとは思えない。それに折り合いがつく日は来るのだろうか。それとも、折り合いをつける必要などないのだろうか。

 

 未来の事は分からない。だが、明日の事なら少しは分かる。明日はきっと、テロリストが乱入して来る事などない、極々普通の日だろう。そんな日はそう、きっと――――

 

「――――悪くない、か」

 

「何か言ったか?」

 

「何でもないわ」

 

 悪くない。

 同種がいなくとも、問題がちっとも解決していなくとも、この日々はきっと悪くない。

 ならば、この世界もまた、悪くないのかもしれない。

 

 皐月は名楽を背負いなおすと、すっかり陽が落ち暗くなった夜の街を、街灯の明かりを頼りに、しっかりと前を向いて歩いて行った。

 




 この最終回は一話目から決まってましたが、書き直し&書き足しに時間を食ってしまいました。
 ここまで辿り着けたのは、間違いなく応援して下さった皆様のおかげです。

 これにて完結!
 皆様、お付き合い頂きありがとうございました!


 P.S.
 244様、みえる様、誤字報告ありがとうございました。助かりました。

 P.S.その2
 活動報告に後書きを追加しました。


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後日談 異世界編
後日談01話 アンニュイとメランコリックって何が違うんだったっけ


 後日談、開始。


 晩秋から初冬に移り変わろうとしている、少し肌寒い時期。そんな日の民俗研究部にて、皐月は椅子の背もたれに体重を預けてぼーっとしていた。その様子は気が抜けたコーラのようで、スカスカになった高野豆腐のようでもあった。

 

 あの襲撃から、休みを挟んで数日が経っていた。その間には色々あったが、皐月の日常は変わらない。警察はテロリストの検挙に血道を上げているようで、再度の襲撃は今のところなかったし、遠慮のない好奇心を社会正義と称するマスコミどもが群がって来る事もなかった。

 

 それは即ち、来年に受験を控えた受験生として、学生の本分に立ち返らねばならぬ事を意味していた。だがしかし、どうしてもやる気というものが湧いて出て来ず、彼女としては甚だ珍しい事に、集中力に翼が生えて飛び去ってしまったかの如き様相を呈していた。

 

 皐月本人としては、久しぶりの殺しの影響というよりもむしろ、あの帰り道での名楽とのやり取りが、無意識の領域で何らかの作用を自身に及ぼしているのではないか、と分析していた。とはいえそれ以上考えを巡らす事が酷く億劫で、本調子に戻す気もどうにも起きなかった。

 

 普段隙の無い彼女がそんな調子なものだから非常に目立っており、友人達も当然気付いていた。だが、事態を打破すべく話しかけても生返事か気のない返事しか返ってこないのを見て、しばらく放っておく事に決めたようであった。名楽や君原は時折心配そうに視線を向けてはいたが、獄楽の言葉がそれ以上の行動に移させなかった。

 

 実際それは正解であったろう。彼女は過剰な気遣いは侮辱と受け取るかもしれなかったし、腑抜けていても警戒心をなくした訳ではない。襲撃を受けむしろ警戒心はいや増していたし、意思が介在しない分無意識で動く領分が大きくなっており、ゆえにこそそれが君原達に向けられる可能性がないとは言い切れなかった。

 そうなれば獄楽が物理的に止めたし、当人もすぐに気付いて止めたであろうが、誰も望まぬ展開である事は間違いなかった。

 

「寺にやまいだれで痔。昔の人はよーく分かってたと思うんですよぉ」

 

 そんな皐月の様子を知ってか知らずか、宿題を終わらせた鴉羽がおもむろに妄言を吐いた。必要のない、しかしとてもよく似合っている伊達眼鏡と、まるでひとかどの学者の如く真面目くさった表情が、この上ない残念感を醸し出していた。

 

「いきなりどーした」

 

「ヤリ過ぎでついに頭が……」

 

「センパイたち酷いですぅ」

 

 今日は何を言いだしたんだコイツ、と顔に書いてある獄楽と名楽に対し、鴉羽がぷくりと風船のようにむくれた。そんな顔でも彼女の美貌には全く陰りはなかったが、それに全く気を取られる事なく追い打ちをかけたのは、絶対零度の視線を向ける若牧であった。

 

「酷いのは天音ちゃんの頭じゃないかな」

 

「い、いつになく辛辣だねあやかちゃん」

 

「昨日鬱陶しいカンジで迫られましたので」

 

「ああ……」

 

 思わず君原も納得してしまう理由であった。ノンケにレズの相手は辛いのだ。まあ若牧が完全なるノンケかと言えば微妙なところであるが。

 

「寺と痔に何か関係があるのですか?」

 

 皆が触れずに流そうとしていた話題を蒸し返したのは、南米情勢が落ち着いた事でようやく戻れたサスサススールであった。しばらく学校から離れていた事で、ようやく実装されたエアリード機能はさび付いてしまっているようであった。

 

「それはもちろん――――もごもご」

 

「はいはいそこまで」

 

 カツカツと蹄を高く響かせ後ろから近づいた若牧が、問答無用で鴉羽の口を塞いだ。半年を超える付き合いが、鴉羽への適切な対応マニュアルを作成させるまでに至っていた。要するに腕力で物理的に黙らせてしまえという、シンプルイズベストな脳筋的対応マニュアルであった。

 

「むぐもごぉ!」

 

「サスサス先輩に変な事吹き込まないで」

 

 なお()()()()事例そのものは世界中に存在していたし、人間以外の野生動物でも見られるくらいなので特に珍しいものではない。が、衆()と名付け、茶道や華道のような(ゲイ)事だと言い張ったのは日本くらいである。本当に芸能の発展に役立ったりしていたので何も言えない。

 

 十返舎一九の大作、東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんはそういった関係だし、足利義満の保護(意味深)がなければ世阿弥が能を芸術に昇華させる事もなかったであろう。昔からそんなんだから、日本人は未来に生きているとか言われてしまうのである。

 

「……鴉羽さん、生徒会の副会長に立候補するんでしょ? そんな調子で大丈夫なの……?」

 

 普段よりも八割増しで死んでいる目を向け、皐月がうっそりと口を開く。頭は未だぼんやりしているが、音は聞こえているし意味も理解していた。鴉羽は若牧の腕をどうにかこうにか外すと、たわわな胸を張って腰に手を当て、ドヤ顔で言い放った。

 

「センパイたちなら私に投票してくれるって信じてます!」

 

「オメーなぁ……」

 

「こんな時だけ後輩ヅラするんじゃないよ」

 

 獄楽と名楽が、揃って先程以上の呆れ顔を向けた。何か言ってやりたいが、その言葉が見つからないといった顔であった。そんな二人の様子に頓着する事なく、エアリード機能のバージョンアップが待たれるサスサススールが首を揺らした。

 

「対立候補はどなたでしたっけ?」

 

「確か、犬木(いぬき)って子だったよね。合格発表の時、天音ちゃんと一緒にたまちゃんにくっついてた」

 

 黒目黒髪のボブヘアで、敬語の『で』を省略する癖のある、天真爛漫な長耳人だ。その彼女と鴉羽で、両手に花であった御魂の様子を思い起こしながら、君原がサスサススールの疑問に答える。鴉羽はふんぞり返りながら、ふふんと鼻を鳴らして得意そうに言った。

 

「ま、私の圧勝は決まったようなものですね」

 

「あやかちゃんも出るんだよね?」

 

「ええ、会計ですけど」

 

「イインチョが会長で……書記は誰だったっけか」

 

芥子原(けしはら)って一年だね。今回出馬する中では、唯一の男子」

 

「……ああ思い出したわ。あの茶髪で背の高い」

 

 鴉羽をさらっと無視し、生徒会選挙の事に話題が移っていた。無視された鴉羽は、両手でバンバンと机を叩いて抗議した。力が足りないので、どうにも締まらぬ音しか出なかった。

 

「無視しないでくださいよぉ!」

 

「はいはい凄い凄い」

 

 途方もなく雑な感じで若牧が鴉羽をあしらった。どこが凄いのかさっぱり分からない辺り、どうでもいい感がこれでもかとばかりに出ていた。鴉羽は今回の選挙では唯一、対立候補が存在するのだが、それを凄いと言った訳ではない事は明白であった。

 

「それよりセンパイは立候補しないんですか」

 

「わ、私はいいかなあ。たまちゃんには勝てそうにもないし」

 

「……まあ気持ちは分かります。御魂センパイ、ホント凄い人ですし」

 

 普段ならもっと上に行けと君原の尻を叩く若牧はしかし、今回だけは大人しく引き下がった。生徒会の活動の中で御魂の力を見知っており、君原の言い分に納得してしまったからであった。

 

「姫ちゃんセンパイ以外のセンパイたちは、出馬しないんですかぁ」

 

 鴉羽が部室を見回し、砂糖菓子のように整った甘ったるい声で言った。彼女は、今日は不在の朱池と同じ資質を持っているようであった。即ち、同性愛者であり、無駄に不撓不屈の精神を有している、という事であった。

 

「興味ねーな」

 

「ワタシも委員長に勝てる気しないからパス」

 

「生徒会とはいえ、私が哺乳類人社会で指導者的立場になるのは何か違う気がしますし」

 

 獄楽と名楽とサスサススールが、それぞれ異なる理由ながら同じ結論に至っていた。それを見た鴉羽は面白くなさそうに口をとがらせると、椅子でぼんやりととろけている眼帯に水を向けた。

 

「菖蒲センパイはどうなんですかぁ?」

 

「……私?」

 

 皐月は、普段からは考えられない程ゆっくりとした動きで頭だけを傾けると、茫洋とした瞳を鴉羽に向けた。彼女はそれに向け、無駄に色気のある笑顔を浮かべると、言葉を重ねた。

 

「御魂センパイの対抗馬として会長に立候補したりはしないんですかぁ? センパイなら案外行けちゃったりするかもしれませんよぉ?」

 

「…………無理じゃないとは思うけど、私がやると公正公平な恐怖政治になるからダメ」

 

「きょ、恐怖政治ですか……」

 

 物騒な台詞に、若牧が顔を引きつらせた。最近髪型を変えた獄楽が納得したように深く頷き、名楽が糸目に何とも言えない色を乗せて彼女を見た。

 

「あー、スッゲーありそう」

 

「恐怖政治て、お前さんね……」

 

「だってねえ……面倒だし……」

 

 悪手なのは知っているが、それが最も手っ取り早い。全て平等に()()ではない相手に、大層な手間をかけてやる意義も見いだせない。公正公平なのは単に、人間ではない者を特別視しないからである。

 

 それでも友人と見なしている者ならばともすれば、といったところだが、彼女らは友誼を利用して便宜を図ってもらおうという性質ではないので、やはり皐月が公平平等の姿勢を崩す理由にはならぬのであった。

 

「そもそもの話として、御魂センパイに勝てるんですか?」

 

「本人は生徒会長を面倒だって言ってたし……貸しもあるから、頼めば譲ってくれるんじゃないかしら…………」

 

 約一年前、御魂家の末妹を助け出した一件である。それを盾にすれば、譲ってくれる可能性は実際高かった。しかしそれを知らない――いや、知っていても同じ顔をしたであろう――鴉羽が、小悪魔のような笑みを浮かべて問いを発した。

 

「譲ってくれなかったらどうするんですぅ?」

 

「あー…………ネガキャン?」

 

「初っ端からそれかい」

 

「『家族を大切にし過ぎ、公務を疎かにしてしまう彼女には、生徒会長という役職は不向き』みたいな感じで、適当にある事ない事フカすとか…………。私に投票しない者は特異な形態の存在を認めない差別主義者だ、って片っ端からレッテルを貼っていくとか……」

 

「お前な……」

 

「でも一番手っ取り早いのは、どんな方法でもいいから相手を降ろしちゃう事なのよね……。別に勝負しなければならない訳じゃないし、相手を消しちゃえば戦わないでも勝てるし……」

 

 少々呆けてはいても、その悪辣さと頭脳に陰りはない。むしろストッパーになるべき理性が弱っているため、揺蕩う悪意が透け始めていた。黒く輝くその邪悪は、すりガラスの向こう側で妖しく揺らめく篝火(かがりび)のようだった。

 

 付き合いの長い二年生四人は適当に受け流しているが、まだ半年程度の付き合いしかない一年生二人は、先輩が有する思った以上の悪性にドン引きであった。

 

「うっわぁ……」

 

「さすがに私も引きます……」

 

「何よ……聞いたのは若牧さんと鴉羽さんじゃない……」

 

 皐月は気怠さと倦怠感を、溜息に乗せてまとめて吐き出した。だが全く気は晴れなかった。まるで、吸い込む息から再度吸収されてしまったかのようだった。意識にかかる薄霧は依然として、月のない夜の砂漠のように、終わりが見えず茫漠としていた。

 

「まーそんな方法で勝っても誰も付いてこないだろうから、本当に会長になるため“だけ”の方法なんだけどね……」

 

「焼畑選挙かい」

 

「あら上手い事言うのね……。それで後に続かせようと思ったら、恐怖と利益で分断して統治しないといけないから……だから私じゃダメ」

 

 偉大なる外道先達たる、ブリテン式植民地統治法だ。彼らは植民地を、人種民族宗教文化言語等々ありとあらゆる要素で分断し、一致団結できないようにした。その上でヘイトの矛先をずらす為、直接的な統治は現地の人間に命じてやらせ、自分達は最低でも三枚はある舌を使い分けた。『分断して統治せよ』はスローガンではなく、単なる事実だ。

 

 皐月が生徒会長の座に就いたのなら、これに倣い、しかしてもっと露骨に恐怖や利益を使って統治する事だろう。一旦は上手く行くかもしれないが、しばらくすればイスラエルでパレスチナするのが目に見えている。しかしその頃には彼女は卒業しているというのがまたタチが悪い。

 

 名楽の言う通り、まさに焼畑選挙となるであろう。しかも焼いた熱帯雨林が再生不能の荒野になってしまう系の、ダメな方の焼畑だ。

 

「何よりめんどくさい……何が悲しくて愚民を世話する権利を奪い合わないといけないのか……」

 

「愚民て」

 

「ならジャガイモでもニワトリでもいいわ……。とにかくそういう事だから、立候補はしないから……」

 

 そこまで言い捨てると、彼女は力を使い果たしたかのように大きく息を吐き、くたりと椅子の背もたれから頭を半ばはみ出させた。その姿はどこか退廃的で、阿片窟の淫蕩な娼婦のようであり、垂れる直ぐな黒髪は、人を蕩かす麻薬の煙のようでもあった。

 

 鴉羽はその肢体に顔を僅かに赤らめさせると、浮かんだ感情を振りほどくかのように、話題を別のものへと転換させた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「やるな犬木。長いのも短いのも、跳ぶのも跳ねるのも何でも出来るなお前」

 

「いやあ、それほどでも」

 

「このポテンシャルならどの競技でも行けるね」

 

「かけもちでいいからこっちにも来て欲しいぞ」

 

 その次の日。副会長に立候補した犬木が、自らが所属する陸上部にて砲丸を投げていた。彼女の周囲には、御牧(おまき)を始めとした部活の先輩が集まり、その類まれなる身体能力を自身の競技に引き込むべく胸算用を立てていた。

 

「ああいたいた……」

 

 とそこに、波間に漂う海月のように揺れながら、おぼつかぬ足取りで皐月がやって来た。彼女は御牧に近づくと、ポケットからシャーペンを取り出し差し出した。

 

「はいこれ……落とし物……」

 

「ありゃ、落としてたのか。わざわざワリィな」

 

 頭の後ろに手をやりながらペンを受け取る御牧は、こうして見るといつにも増して男のようだった。ベリーショートの髪型とジャージ姿に、すらりとした四肢と中性的な顔つきが、その印象を助長していた。声は高いので喋ればすぐに女だと分かるが、いわゆるところのおっぱいのついたイケメンであった。

 

「あ! 皐月センパイ!」

 

「あらいたの犬木さん……」

 

 ふらふらゆらゆら、ここではないどこかを見つめているような皐月の瞳が、元気よく駆け寄ってきた犬木に向けられた。二人は特別繋がりが強い訳ではなかったが、会えば挨拶と軽い会話を交わすくらいの関係は持っていた。彼女は皐月の様子を見とめると、こてんと首を横に傾げて問いかけた。

 

「センパイ今日はアンニュイでメランコリックでダウナーっすか? 調子悪いっすか?」

 

「……意味分かって言ってる? まあそんな感じだけど……」

 

「……ひょっとして、この間のテロリストのせいっすか?」

 

 原因を推測した犬木が、心配そうに皐月を覗き込んだ。厳密には微妙に違うのだが、否定するだけの理由も気力もない彼女は、曖昧に同意の返事を返し、クラスメイトの御牧へと視線を向けた。

 

「まあそんなとこ……。あの時この女は全く役に立たなかったしね……少しくらいは手伝ってくれてもよかったんじゃないの」

 

「おっとこりゃ手厳しいな。でもワリィな、あん時は手が塞がっててよ」

 

 あの時、怯えるクラスメイトを宥めるために、御牧の両手は使われていた。当然、手を貸す事など出来るはずもなかった。それは当然皐月も見ていたから知っている。その上で彼女は言葉を連ねた。

 

「オトモダチを慰めてれば、テロリストが消えてなくなるの……? 戦えるんなら戦いなさいよ、人任せにしてないで……」

 

 普段の皐月なら思っても言わないであろう、急所を刺し貫くレイピアの如き口舌に、御牧は息を呑んで絶句した。その様子にこりゃいかんと思ったかどうかは定かではないが、犬木が慌てた風情で身体ごと割り込み口を挟んだ。

 

「そ、その、皐月センパイ、しょうがないんじゃないっすか? 誰もが戦えるってワケじゃないっすから」

 

「なら死ねば……?」

 

 躊躇いがちに述べられた正論を皐月は、ばっさりと切り捨てた。それはもう、土壇場の前の首切り役人もかくやという切れ味だった。絶句する長耳が二人に増え、話が聞こえていたギャラリーもまた固まった。

 

「生きる事は戦う事で、戦う事は生きる事でしょ……? 戦えない事が仕方ないって言うんなら、戦えないのが死ぬのも仕方ないわね……」

 

 それは善悪正邪の埒外にある、単なる野生の掟であった。彼女はその事を、骨身と無くした右眼に染みてよく理解していた。

 

 尤も普段は口にする事はないはずだから、こうしている事自体が平常の精神状態ではない事の証でもあった。要するに取り繕ったり他者を理解しようとする余裕がなく、地金が出て来ているという事だった。

 

「戦えないんなら、せめて邪魔にならないようにはして欲しいところだわ……」

 

「…………そいつぁ強い奴の理屈さ。誰もがお前みてえに強い訳じゃねえんだよ」

 

「私より希の方が強いと思うけど……。力では勝ってるのに、正面からだと未だに滅多に勝てないのはどういう事なのかしら……」

 

「いやそーゆー意味じゃ……」

 

「……?」

 

 仕草だけは流麗に、しかして隠し切れない(なまく)らな訝しさと共に、皐月が浄瑠璃人形のように首を傾げた。肩にかかった長い髪が、流れるように下に落ちて行った。

 

 皐月の中で、生存と戦闘が分かちがたく結びついている事を悟った御牧は、それ以上言い募る事を止めた。良し悪しではなく、価値観の乖離を感じ取ったからであった。

 

 御牧は賢く、人の価値観についてどうこう言う事は得策ではないと知っており、そうしたいのならばそれこそ一生をかける程の覚悟が必要になる事も知っていた。それは賢さとは対極にあり、愚かさと呼ばれるべきものであった。もしも彼女が愚かになるのであれば、その理由は御魂であり、皐月ではなかった。

 

 皐月の周囲には『強い』人間が多い。獄楽や君原は物理的にも強いが、この場合はそういう意味ではなく、自身の足でしっかり立っているという意味だ。

 

 御魂は言うに及ばず、名楽もサスサススールも後輩の若牧と鴉羽も、変態だが朱池や愛宕であっても自分というものをしっかりと持っている。犬養は少々怪しいが、皐月とは実はそこまで親しいという訳ではない。どちらかというと、朱池を通した繋がりと言った方が適切であろう。

 

 類が友を呼んだのか、友だから類となったのか。どちらなのかは分からないし重要でもないが、その彼女らの『強さ』こそが、皐月が『弱さ』を理解する事を阻んでいるのは確かであった。

 

「まあそれよりも……犬木さん」

 

「は、はいっ!」

 

「今度生徒会役員に出馬するんでしょ……? ……当選できそう?」

 

 傾いだ首をそのままに、死んだ魚の瞳が犬木に向いた。彼女は内心慌てながらも、立候補者として問われれば答えなければならない事を口の端にのぼらせた。

 

「え、えっと……部活の後援会を作る、っていう公約を出そうかと思ってるっす」

 

「へえ…………いいんじゃないかしら、細部は詰めないといけないでしょうけど」

 

 選挙の公約について話し始めた皐月と犬木を見ながら、御牧は静かにクラスメイトとの価値観の差異を受け入れた。自覚があるのかどうかは本人ですら不明瞭であったが、それもまた人が持つ強さの一つであった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 ここ数日ですっかりと温度の下がった風が雲を吹き飛ばし、青色を空一面に塗りたくっていた。まるで吸い込まれてしまいそうな、遮るものの何もない青色であった。

 

「はあ……何が悲しくて、休みにあなたと一緒に出歩かないといけないのか……」

 

「調子も口も悪いねあやっち!」

 

 憂いと愁いを帯びた皐月が、ルームメイトの変態こと愛宕と共に祝日の街を歩いていた。皐月はルームメイトだからという理由で、この問題児の相手を押し付けられている節があった。

 

「あ」

 

「あら……」

 

「ん?」

 

 曲がり角から出て来た角つきの少女が、黒い眼帯に引かれて足を止めた。その角人を見とがめた皐月も足を止め、それにつられて愛宕もまた同じようにした。

 

「菖蒲じゃん」

 

「羌子……間の悪い……」

 

「知り合い?」

 

 買い物袋を両手に下げた名楽を、愛宕が不思議そうに見た。実はこの二人に面識はない。というか、愛宕と君原、獄楽、名楽の間に面識はない。サスサススールと御魂はたまたま会った事があるので例外である。

 

 その理由は、横目で愛宕を見る皐月の顔が雄弁に物語っていた。会わせたくなかったと、その顔にはでかでかと書かれていた。

 

「……クラスメイト」

 

「その割に親しそうだけど……。まあいいや、私は愛宕沙紀! あやっちのルームメイトだよ!」

 

「名楽羌子と言うんだが……菖蒲から聞いてないか?」

 

「ぜんぜん」

 

 首を横に振る愛宕を見て怪訝そうな顔をする名楽は、苦々しい表情の皐月を見て何となく事情を察した。彼女はその詳細を尋ねようか迷ったが、幸か不幸かその事情の方からやってきた。

 

「おっいい幼女! ヘイ彼女!」

 

 みょんみょんみょんと愛宕の頭のアホ毛が動いた。翼人の輪毛のなりそこないか突然変異だろうと思われていた代物だ。しかしそれがいかなる仕組みで幼児を感知して動くのかは、本人にすら全く分かっていなかった。

 

 その幼児レーダーによって幼女を感知した愛宕が、二人の脇をすり抜け脱兎の如く駆け出した。皐月は精神状態のせいで動きが鈍く、名楽は全く事態を飲み込めていなかったとは言え、無駄に機敏な動きであった。皐月の形相が般若へと転じた。

 

「あんのクソ変態が……!」

 

「……まあ、今まで話にも出なかった理由は何となく分かった。苦労してるんだな」

 

「恥よ」

 

 皐月はこの上なく端的に吐き捨てた。身内の、とは言わない。愛宕は皐月にとって、ルームメイトであるがそれ以上ではないからだ。むしろ本物の身内であったなら、とっくに始末がついていたかもしれなかった。

 

「止めないと……」

 

「手伝うよ」

 

「…………ごめんお願い」

 

「ま、ほっとくのも何だしね」

 

 瞬く間に人波に消えた愛宕を追うべく、二人は足を踏み出した。だがそこで全く唐突に、彼女らの体を浮遊感が襲った。

 

「へ?」

 

「な」

 

 反射的に下に向けた目線は、足元に闇が広がっているのを捉えていた。だが記憶に留める事が出来たのはそこまでであった。何が起こっているのか理解する間もなく、二人の意識は闇に呑まれて途切れた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 狭く薄暗い石造りの部屋であった。壁や床のそこかしこは、意味があるのかないのか分からぬ魔法陣のような記号と文字で埋められていた。直方体の巨大な岩が部屋の中心に鎮座し、それを囲むように四本の松明がぱちぱちと燃えていた。揺らめく炎に照らされるその岩は、まるで祭壇のようだった。

 

「――――い! 起きろ! 起きろ菖蒲!」

 

「う……ん」

 

 その祭壇の上で、名楽が皐月を揺さぶっていた。皐月は目を覚ますと、辺りをゆっくりと見回し、眉を顰めて名楽に問うた。

 

「……どこ、ここ」

 

「分からん」

 

 その返答は簡潔にして明瞭であった。実際、名楽も何が起こったのか分かっていなかった。

 

「…………何だかよく分からないけど、大変な事になってるみたいね」

 

「ああ、大層に変な事になってるようだな」

 

 名楽は以心伝心というには微妙にずれた台詞を吐いた。外見には出ていないが、大層に混乱しているようであった。とりあえず高台から降りて周囲を調べてみようとした時、闇の中から男の声が響いた。

 

「おお、お主らが地獄の魔獣か!」

 

 ぬうっと姿を現した男は、いかにもな黒いローブを身に纏っており、不審人物だと全身で自己主張していた。身長は皐月よりも若干高く、顔つきと青灰色の瞳から、人種は白人のように見受けられた。スキンヘッドのせいで年の頃は分かりにくかったが、不惑(四十)に届くか届かぬかといった程度だと思われた。

 

 だが、そんな事は全く重要ではなかった。少なくとも、皐月にとっては。

 

「我こそが汝らを召喚せしマスターである!」

 

 普段なら譫妄(せんもう)状態だと断じるに些かの迷いもないその男には、翼も角も尻尾も長耳も馬の下半身も存在しなかった。

 

 皐月の一つきりの瞳が、限界まで見開かれた。

 




〇アンニュイ
  フランス語。気怠いさま、退屈、物憂げなさま。

●メランコリック
  英語。憂鬱なさま、塞ぎ込んでいるさま。


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後日談02話 上の毛が薄くなると下の毛が濃くなる……スネの毛だよ?

 日刊ランキングに載っててびっくり。
 皆様応援ありがとうございます!


「つまり、あなたが私達を召喚したと」

 

「いかにもその通り!」

 

 地下室から一階へと上がり、皐月と名楽は男から話を聞いていた。魔術師だと名乗った男は、地獄の魔獣たる彼女らを召喚し、自身はそのマスターなのだと主張した。部屋に電化製品の一つも存在せず、明かりが火である辺りからも、話が噛み合っていない事は明白だった。

 

「私らは地獄にも魔獣にも関係ないよ。それより――――」

 

「そんなはずはない、ならばその角と耳はどう説明するというのだ!」

 

 男は名楽の頭部を指さし、鬼の首でも取ったような顔で言い放った。男の知る限り、角と獣耳、ついでに尻尾を生やしている人間など存在せず、存在しないからにはそれらを装備している名楽は人間ではなく、それは即ち地獄の魔獣であるはずであった。だがそんな三段論法なぞ知らない彼女は、ごく真っ当に反論した。

 

「これは生まれつきで、魔獣とかそういうのじゃないの!」

 

「語るに落ちたな魔獣よ。そのような物を生まれつき生やしている者など、地獄の魔獣くらいであろう!」

 

「だーかーらー!」

 

「ちょっといい?」

 

 このままでは夜が明けても埒が明かぬと見た皐月が口を挟んだ。あまりと言えばあまりな精神的衝撃に、倦怠と草臥の海からはすでに抜け出していた。

 

「魔獣かどうかの話は置いといて、そもそも何で地獄の魔獣なんて召喚しようと思ったの?」

 

「そんな事は決まっておろうが!」

 

 男はぎょろりとした青灰色の目を、顔ごと勢いよく皐月に向けた。あまりの勢いに、正面にいた名楽が若干引いたほどであった。

 

「富! 名声! 権力! 女! 全てを手に入れるためよ!」

 

「思った以上に俗っぽかったわ……」

 

「その手段が地獄の魔獣頼りかよ。いい年こいて情けねーったらねーなオイ」

 

 名楽がまるで獄楽が乗り移ったかの如き口の悪さを見せた。そんな理由でいきなりこんなところに召喚されたと言われて頭に来ていたのか、いつになくキレッキレであった。男は当然のように、青白い肌を赤くして激昂した。

 

「何を言うか! この召喚術はワシの叡智の結晶ぞ!」

 

「使い方がしょうもないっつってんだよ! 叡智とやらで出した答えが他力本願か!」

 

「うぬぬ、言わせておけばこの小娘め!」

 

「その小娘に頼って成り上がろうとしてんのはどこのどいつだ!」

 

「はいはいそこまでそこまで」

 

「お主は黙っておれい!」

 

 皐月が再び割って入るが、名楽はともかく男は引かず、ヒートアップするばかりであった。皐月の――獄楽にも共通する事だが――欠点とも言えぬ欠点が出ていた。つまり、実際のところはともかく、“強そう”には全く見えず、従って抑止力にはなりにくいという事であった。

 

「――――そこまで」

 

 ゆえに皐月は、握りこぶしを思いっきり机に振り下ろした。元からボロかった机は真ん中から折れ、冗談のように真っ二つになった。思った以上の結果に皐月は内心では驚いたが、顔には出さなかった。哀れな机の末路を目の当たりにした男は貝のように黙ったので、彼女はとりあえず良しとした。

 

「今重要なのはそこじゃないでしょう?」

 

「そ、そうだ! 私らは元の世界に戻れるのか!?」

 

 食い気味に名楽が重要な質問を放った。男は目を白黒させ、答えようとした。

 

「む、それはだな――」

 

「――――静かに」

 

 だがそこで、皐月が男の言葉を遮った。その顔には警戒が貼りついていた。今までの付き合いから、ただならぬ雰囲気を感じ取った名楽が、先程までの激情を収めて質した。

 

「どうした?」

 

「……嫌な感じがする」

 

 それは第六感と呼ばれるものであった。明確な根拠は何もなかったが、皐月は自らの『記憶』のせいで、そういったオカルトじみたものでも割と信じるタイプだった。

 

 第六感とは、無意識に五感が受け取っている情報を、これまた無意識に記憶や経験と照合し統合して出した結論だ、という説もあるが、役に立つのなら皐月にとってはどちらでもよかった。

 

「……足音がする」

 

 今度は、名楽の頭の上の獣耳がぴくぴくと動いた。彼女は耳介の形状上、皐月よりも耳がよかった。皐月にはまだ何も聞こえていなかったが、その名楽が言っている以上は事実として扱うべきだった。

 

「これは――――馬か人馬だな。走って、こっちに向かってきてるみたいだ」

 

「なんじゃと?」

 

 名楽の言葉に男が反応した。皐月は嫌な予感しかしなかったが、聞かない訳にもいかなかったので、嫌々ながら男に尋ねた。

 

「……一応聞いとくけど、地獄の魔獣召喚って、違法?」

 

「フン、どうせ国の騎士どもだ! ワシの偉大なる才能に嫉妬した愚か者どもよ! どいつもこいつもこの素晴らしさを理解しようともせぬ!」

 

「つまり違法って事じゃねーかこのハゲ!」

 

「ハゲではない剃っているだけだッ! この頭は魔術師の伝統ぞッ!」

 

「ハゲは皆そう言うんだよ!」

 

「ハゲではないワシはまだ25だッ!」

 

「ウッソだろオイ!?」

 

「あなたの髪はどうでもいいけど、逃げ道は?」

 

 皐月が二人の漫才を冷静に流し、今最も必要とされる事を聞いた。衝撃の事実が発覚したような気がしたが、気のせいであった。男は鼻を鳴らして胸を張ると、胸元から白い何かを取り出した。

 

「フン、騎士なぞ真正面から突破してやるのみよ! 我が秘術を見よ!!」

 

 白い何かは動物の牙や骨だった。男はそれらを地面に撒くと、呪を紡いだ。

 

『骨と牙 角と爪の(よすが)に依りて 呼び声に応えよ 牙持つ二足 切り裂き地を駆け 敵を討て!』

 

 撒かれた骨は急速に成長し、骸骨戦士とでも呼ぶべきものへと変貌を遂げた。身長は概ね160cmほどで、右手に剣、左手に丸い盾を持っていた。二足歩行だが脚は犬や猫に似ており、一見逆関節にも見える、つま先立ちの形状だった。頭は角の生えたトカゲのようであり、生前は――そんなものがあるのならだが――肉食であったと思われる、鋭い牙が口から覗いていた。

 

「あら」

 

「マジか」

 

「見たか! これぞ我が秘術、竜骨兵(ドラゴンズ・ボーン・ウォーリアー)である!」

 

 天狗のごとく鼻高々な男は、早速竜骨兵に命令を下した。馬の足音は、皐月や男にも聞こえる程近くに迫って来ていた。

 

「ゆけい! 騎士どもを薙ぎ払うのだ!」

 

 カシャンガシャンと骨音を立て、竜骨兵は玄関へと向かって行った。筋肉もないのに、動くのには支障がないようで、滑らかな動きだった。男はそれを満足そうに見送ると、二人に顔を向けた。

 

「お主らも行け!」

 

「はぁ!? 何で私らが……」

 

「ワシがマスターだぞ? 命令に従うのだ」

 

「……しょうがないわね。私が行くから、羌子はそのハゲと一緒に隠れてて」

 

「おい、本気かよ」

 

「今このハゲに死なれたり捕まられたりする訳にはいかないわ。それに――――」

 

 意見の妥当さと、言い淀んだ先の内容を悟った名楽は黙った。皐月はともかく、名楽は“地獄の魔獣”扱いされる可能性が高く、そうなればその先は言わずもがなだという事であった。なおハゲではないと主張するハゲはまるっと無視された。

 

 皐月は自身が持っていたバッグをひっくり返すと、黒光りする鋼鉄の塊を手に取った。この世界の人間では知らぬであろうが、現代人なら一度は映画やテレビで見た事があるだろう物騒な物体だった。一言で表すなら、拳銃であった。

 

「オイ、んなモンどっから手に入れた」

 

「この間、善意のテロリストから提供を受けたのよ」

 

 スライドを引いて薬室に弾丸を叩き込みつつ皐月は答えた。要するに、学校を襲撃したテロリストから無断で貰い受けたという事であった。

 

 善意のテロリスト? 何、問題ない。死んだテロリストだけが良いテロリストだ。良いテロリストなのだから、それは善意のテロリストに決まっている。であるならば、人の善意は素直に受け取るべきであろう。

 

「……この際銃刀法だとかは言わねーが、死ぬなよ」

 

「私はあと百年は生きるつもりよ」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「御用改めである!!」

 

「神妙にせよ!!」

 

 シチュエーションには合っているが、国的には合っていない台詞を吐きながら、騎士達が扉を破ってなだれ込んできた。その人数は五名と案外少なかったが、外に後詰めや包囲要員がいると考えるべきであった。さすがに馬は置いてきたようで徒歩(かち)だった。

 

 彼らは板金鎧ではなく布の服で、その下に鎖帷子(くさりかたびら)を着こみ、頭には兜を被っていた。兜はヘルメットのような形状と、バケツをひっくり返したような形状の二種類があった。全員片手には剣を持っていたが、もう片方の手には盾だったり松明だったりと統一性がなく、腰にはメイスやナイフが提げられていた。

 

 ただ、狭い室内で戦う事を考えたためか、槍や弓を持つ者はいなかった。こういう時に使えるクロスボウや小型銃もないという事は、まだ発明されていないか、禁止されているのかもしれなかった。

 

「ヤる気が削がれる台詞ねえ……」

 

 皐月はそんな彼らを、天井に張り巡らされていた梁の上から観察していた。玄関の横側に当たる場所で、骨と騎士達をちょうど斜め上から見下ろせるはずの場所だった。松明と月明かりしか光源のない暗がりでは、発見される恐れは限りなく低いと言って良かった。

 

 どうにも中世ヨーロッパを思わせる連中であったが、魔法という要素が存在している以上、想定を上回る何かがあってもおかしくはなかった。ゆえに皐月は、竜骨兵を威力偵察として正面に立たせ、自身は静観に回ったのであった。

 

「うわっ、なんだ!?」

 

「魔法生物だ!」

 

「スケルトンだ! 剣は効果が薄い、メイスを使え!」

 

「よくもジャックを!」

 

 その竜骨兵が、無言で――発声器官がないので声は出せないのだが――騎士達に斬りかかった。不意打ちで斬られた一人は首から血を噴き出して倒れた。どうも竜骨兵は見た目通り、剣で鎖帷子を抜く程の力はなく、しかし防御の薄い箇所を狙う程度の知恵はあるようであった。

 

「おおおおお!」

 

「いいぞそのまま押し込め!」

 

「コイツは頭が悪い! 足だ、足を狙え!」

 

 だが多勢に無勢で、残る四人に押されていた。両手の剣と盾をそれぞれ一人ずつに封じられ、残る二人によってメイスで骨を砕かれていた。竜骨兵は身軽さや機動力が強みのようだったが、この狭い場所ではどう見ても活かしきれていなかった。

 

「……しょうがない、か」

 

 皐月は梁の上に伏せたまま、右手の拳銃を構えた。彼女は訓練を受けた訳ではないし、右眼がないため利き手で構えると狙いが定めにくいというハンデまであった。だがそれでも、この近距離でこれだけの的の数があれば、連射すれば何発かは当たるはずであった。

 

 言語化できない何がしかの感情が影のように脳裏をよぎったが、彼女はそれを意図的に無視した。箸を持ち上げるように銃を構えると、騎士達に向けて引き金を引いた。

 

「がっ!?」

 

「な、なんだ!?」

 

「魔法か!?」

 

 光源の松明を目標に、三連続で吐き出された銃弾は、鎖帷子など存在しないかのように貫通した。予想通り命中率そのものはあまり良くなく、当たったのも倒れたのも一人だけだったが、竜骨兵にとってはそれで十分だった。竜骨兵は多少骨を砕かれていたが、その程度では動きには影響が無いようであった。

 

 暗闇のマズルフラッシュと発砲音は酷く目立つはずであったが、反撃はなかった。それどころではなかっただけだと思われたが、ひょっとしたら騎士達には、弾ける火薬の光と音が何を意味するか分からなかったのかもしれなかった。

 

「おぐっ」

 

「ベルト!」

 

 倒れた一人に気を取られた隙を突いて、右手側で剣を押さえ込んでいた一人を竜骨兵が斬り捨てた。謎の襲撃者に対応すべきか、目の前の竜骨兵に対応すべきか、残る二人の思考が惑い、動きが一瞬だけ止まった。そこに狙いすましたダブルタップが叩き込まれ、竜骨兵に首を斬られた最後の一人と同時に地に這った。

 

「ぐ……なに、が……」

 

 撃たれた騎士は、重傷ではあったが致命傷ではなかった。そもそも射手の腕がさほどでもないので、当たったのも太腿に一発だけであった。従ってすぐに処置すれば助かるとは思われたが、すぐその必要がなくなった。

 

「さて――――二人を呼んで、とっとと逃げないと」

 

 騎士達は装備からしても、国かそれに類する、大きな組織に属している事はほぼ間違いなかった。それを殺してしまったのだから追手がかかるのは確実だろうし、そもそも後詰めもまだその辺りにいる可能性は高かった。

 

「…………」

 

 だから、死体を見て湧き上がってきた感情が如何なるものか、考えているような時間などないのだ。その感情を感じるのはおそらく初めてでも。それがどういったものか、薄々分かっているとしても。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 その後。人手不足だったのか、予想に反して後詰めはいなかった。魔術師一人程度、取るに足らないと思われたのかもしれなかった。実際、竜骨兵一体だけなら、騎士が五人もいれば突破出来ていた事はほぼ間違いなかった。

 

 しかしその侮りは好都合であった。そこでまず騎士達が乗って来た馬を奪うと、余った馬を暴れさせ、男の家に火をかけて陽動とした。そして三人は馬を走らせ、ここまで逃げて来る事に成功した。正しく火遁の術であった。

 

 なお現代人二人は馬に乗った事は殆どなかったが、皐月が知識だけは持っていたので、運動神経と身体能力と馬に任せてどうにかこうにか成功させていた。名楽はさすがに無理だったので、皐月にしがみつき布で身体を固定した状態で二人乗りだった。夜の乗馬は危険ではあるのだが、そんな事を言っている場合ではなかった。

 

「ふう……ここまで来れば、とりあえずは問題あるまい」

 

 道から少し外れた森の中。男はそこを本日のキャンプ地に決めたようであった。本来なら陽が沈む前に終わらせておかねばならない作業ではあったが、やはりそんな事を言っている場合ではないので仕方がなかった。不幸中の幸いか、野宿でも問題ない気候だった。

 

「森の中はクマとかオオカミで危ないんじゃないの」

 

「来るか分からんが、追手の目をくらますためじゃ、我慢せい。それに見張りもおるからな」

 

「あの骨? 確かに見張りくらいは出来そうだったけど」

 

「いや、あれは出し続けるとワシが疲れる。お主らに決まっておろうが」

 

 ふざけた言い分に、皐月の額に青筋が浮かんだ。真っ先に言い返しそうな名楽は、体力クソザコナメクジin絶対に落馬してはいけない24時のせいでグロッキーであった。

 

「……そういえば、聞かなきゃいけない事があったのよね」

 

「ああ……そうだな」

 

 三つの瞳が男を捉えた。名楽は疲労が顔に出ていたが、引くつもりがない事は見て取れた。怪訝な顔をしながら振り返った男に、名楽が意を決したように問いかけた。

 

「単刀直入に聞く。私らは元の世界に戻れるのか?」

 

「なんじゃ、そんな事か……」

 

「答えて」

 

 男は気のない素振りだったが、皐月の声が低くなっているのを感じ、面倒臭そうに話し始めた。

 

「可能とも言えるし、不可能とも言える」

 

「どういう事?」

 

「お主らを召喚出来た以上、理論上は送還する事も可能なはず。だがワシは、その研究はしておらん」

 

「つまり?」

 

「方法はあるだろうがワシには無理、という事よ。少なくとも今はな」

 

「そう……」

 

「もうよいな? ワシは疲れた、寝る」

 

「そうはいかないわねえ」

 

「何じゃ――――ぐっ!?」

 

 腕という胴体をしならせ、蛇の如き皐月の右手が男の首に絡みついた。牙のような指が、男の喉笛を捕らえていた。男は突然の展開に目を白黒させていたが、皐月はそれに構わず言った。

 

「“地獄の魔獣”を召喚したのなら、こうなる事くらい予想出来たでしょう?」

 

 一つきりの瞳に、冷酷な殺意が静かな怒りによって縁取られていた。それを真正面から見つめてしまった男は、全ての言葉を飲み込まざるを得なかった。その様子を、今の状況を理解していないと解釈した皐月は、分かりやすく理解できるように言葉を重ねた。

 

「召喚された、だから従う、とでも考えてたんじゃないでしょうね?」

 

 あるいは男は、彼女らに安全装置をかけ命令権を得るような、魔術的細工をしていたのかもしれなかった。が、それが全く機能していない事は明々白々であった。

 

「あなたを守ったのは、あの時はそれが必要だったからにすぎない。要するに単なる利害の一致」

 

 送還方法を持っているのかもしれなかったため、あの時点で男をどうこうされるのは都合が悪かった。しかし今、その制限は男の手で取り払われた。であるならば、この世界では異形である名楽の存在を知る男の存在は、不都合以外の何物でもなかった。

 

 これが名楽ではなく例えば君原だったなら、元の世界に戻せなくとも協力者の存在は必要だったであろう。人馬の身体は隠しきれるようなものではないため、必然表に出て何らかの身分を得なくてはならず、それには現地の協力者が必須であるからだ。

 

 しかし名楽にはそこまで大きな制限はない。尻尾も角も耳も隠すのはさほど難しくはないのだ。ならば彼女の存在を知り、上から目線でこき使う気満々の非協力的な協力者など、いなくても何とかなる――いや、いない方がいい、と考えるのは不自然ではなかった。

 

「元の世界に戻せない、というのならもう用はないわ。死になさい」

 

「がっ……」

 

 男の足が宙に浮く。ぎりぎりぎりと、蛇の牙が喉に食い込んでいく。首を絞められ長い呪文を唱えられない男は、それでも決死の覚悟でどうにか言葉を絞り出した。

 

「ま゛っ……待でッ……!」

 

「何?」

 

「も、もどず……も゛どず、から……!」

 

「へえ」

 

 パッと手が離され、地面に落ちた男はぜいぜいと荒く息をついた。皐月はそれを色のない目で見下ろすと、容赦というものが抜け落ちた声で訊問した。

 

「方法はあるだろうが無理、と言ったのはどこの誰? 出任せだったら本当に殺すわよ」

 

「り……理論上は、可能……と、言ったじゃろう……」

 

 男が息も絶え絶えに告げたところによると、送還術式を組むことが出来れば可能である、との事だった。肝心のその方法は、召喚術式が大いに参考になるというのは素人でも分かる理屈だったが、しかし。

 

「召喚は偶然の要素が大きかった、ねえ……」

 

 つまり運任せの面が強く、もう一度やっても召喚術式ですら成功するかどうか分からない、という事だった。もちろん、そこから送還術式を組む難易度は言わずもがなだった。

 

 皐月の目が再び危険な光を帯び始めた。ここまでの流れは、馬上で名楽と打ち合わせた通り――と言っても『強く当たって後は流れで』程度であったが――に進んでいるが、そこから外れる時が来たのかもしれなかった。

 

 騎士達が竜骨兵を魔法生物と呼んだ事から、他に魔術師が存在している事は確定している。この男に固執する理由は弱く、逆に見切りをつける理由は強くなって来ていた。それを覚った男が、狼狽と共に口を開いた。

 

「ま、待て!」

 

「待てと言われたら問答無用と返すのが私の国の伝統よ」

 

「そいつぁダメな方の伝統だろ……」

 

 疲れを隠し切れない名楽が、それでも律義にツッコミを入れた。実際、問答無用と返した連中は失敗しているので、縁起が悪いと思ったのかもしれなかった。

 

「問題は、このハゲが術式とやらを組めるかどうかだろ。召喚は一度成功させてるんだ、なら送還にも成功するかもしれない。少なくとも、他の魔術師を探して一から研究するよりかは早いはずだ。事情を知ってる協力者もいた方がいいしな」

 

「一理あるけど、急がば回れとも言うしねえ。何より羌子、あなたの事を知ってるこのハゲを野放しには出来ないわ。協力者と言っても信用できない以上、どこから情報が漏れるか分からない。ここは後腐れのない選択肢を選ぶべきじゃない?」

 

 どちらの意見にもメリットデメリットが存在した。ならばどちらを選ぶかは、もはや好みの範疇であると言えた。なお、二人称はもはやハゲで固定されているようだった。

 

「私は私と羌子の安全を優先するわ。少しくらい送還が遅れる事になっても」

 

 ようやく会えた同属を殺す事になっても、という言葉は口の中から出る事なく、泡沫の如く形になる前に消えた。いつの間にか皐月の中で、名楽の存在が大きくなっていた事の証左であり、同時に彼女が『人間』と定義する者を殺せる事の証左でもあった。

 

 生来の気質なのか、それとも『人間』ではないとは言え、テロリストを殺してきた事から培われた精神性なのか。それは本人すら知るところではなかったし、彼女はそれについて深く考える事を放棄していた。何となく嫌な予感がしたからであり、現状では都合がいいからでもあった。

 

 兎にも角にも、名楽へ向ける感情の反動として、安全を脅かす者への攻撃性は高まっていた。それを否応なく感じ取ってしまった男は、慌てて自己アピールを始めた。

 

「ど、どちらにしろ術式を組むには魔導書が必要になる! 入手そのものも難しいし、一から組み立てるのなら、それこそ膨大な時間がかかるぞ!」

 

「だからあなたを手助けして、魔導書を手に入れろって? 嘘をついてない保証もないのに?」

 

「う、嘘ではない! 魔術の祖と我が魔術に誓ってもよい!」

 

「嘘はついてないと思うが……」

 

 名楽が判断を求めるように皐月を見た。見られた皐月は内心ではその意見に賛同していたが、それを表に出すのは得策ではないと判断し、沈黙を保っていた。それをどう判断したかは分からないが、男は更にアピールを続けた。

 

「そ、それに、魔導書の入手は金もそうだが、それ以上にツテが必要になる! お主らにそれはあるまい! 持ちだせた魔導書では全く足りぬのは明白だしな!」

 

 それを聞いても皐月は沈黙したままだったが、その意味合いは先ほどとは変わっていた。少なくとも名楽はその事に気付いており、一つ息をついて皐月の肩に手を置いた。

 

「決まり、だな」

 

「…………そうね」

 

 首の皮一枚で繋がった事を理解した男が、安堵したように息を吐き出した。その間隙にするりと入り込むように、皐月が男の頭を強引に上げさせ目と目を合わせた。

 

「あなたに協力してあげる。ただし――――」

 

 穴のような瞳からどろりと溢れる、硫酸の如き何かを直視してしまった男は、思わず体を強張らせた。彼女はそんな男の様子を無視し、耳に口を寄せて低い声で告げた。

 

「――――裏切れば殺す」

 

 男は元から青白い顔を白くして、びくりと体を震わせこくこくと何度も頷いた。それを確認した皐月は、男から離れると慈悲深い天使のようににこりと笑みを作った。

 

「私達に従えば、富と名誉を約束してあげる。地獄の魔獣の名にかけてね」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 ぱちぱちと焚火がはぜ、二人の異邦人の顔を下から照らし上げていた。彼女らは名楽がスーパーで買っていた食材のうち、日持ちしないものを持ちだした鍋で調理して夕食としていた。なお男は、疲れたという言葉は真実だったようで、食事も摂らずに寝ていた。

 

「尻が痛い……馬ってあんなに揺れるんだな……」

 

「まーしょうがないわ、サスペンションなんてついてないし」

 

 馬と言っても名楽の知る馬は、ここまで乗って来た四本脚ではなく六本脚だった。とはいえそれでも乗り心地は大して変わらないのは、幸か不幸か彼女の知るところではなかった。

 

「菖蒲はなんで平気そうなんだよ」

 

「時々脚で身体を浮かせてたからね。(あぶみ)があって助かったわ」

 

「どういう脚力してんだよ……そんなんだからゴリラ呼ばわりされるんじゃね……?」

 

「うっさい」

 

 そこで何となく会話が途切れ、お互い無言のうちに食料を胃に入れていく。木皿が空になり、炎が立てる音だけが静寂を否定する中、名楽がぽつりと問いかけた。

 

「なあ、あんなコト言ってよかったのか」

 

 主語を抜いた言葉だったが、問題なく通じた皐月は、しれっとした顔で返した。

 

「私達は別に地獄の魔獣じゃないもの、そんな名にかけたところで無意味でしょ」

 

「お前さん結構さらっと嘘をつくよな……」

 

「嘘じゃないわ、今はまだね」

 

 実際、魔導書を手に入れる為、何らかの手段を取る必要はあった。その過程で富や名誉が手に入る可能性はあり、ゆえに、全てが全て嘘という訳ではなかった。尤も、嘘となる可能性もまた存在していたが、皐月は特に気にした様子はなかった。

 

「――――なあ、どう思うよ」

 

 しばらくの沈黙の後、名楽が再び主語を抜いた言葉で問いかけた。やはりそれで通じた皐月は、無表情のまま返した。

 

「本物の異世界、量子コンピュータが創った1と0の仮想世界、全く未知の技術による夢。推測だけなら色々立てられるけど、人為的な何かが介在しているのはまあ、間違いないでしょうね」

 

「だよな……映画の吹き替えを見てるみたいだったもんな」

 

 二人は別に読唇術を使える訳ではないが、それでも男の口の動きと聞こえてくる声が合っていないのは分かった。一応確認したところ、翻訳魔術は男の知る限りでは存在しないという事なので、誰か、もしくは何かが言語を翻訳している事は間違いなかった。

 

「と言っても、『内側』の私達にはどうしようもないんだけどね」

 

「それはまあそうなんだが……」

 

 歯切れの悪い名楽とは対照的に、皐月は気のない素振りだった。自身が口にした通り、現状ではどうしようもない、ならばじたばたしても仕方ない、という事だった。

 

 しかしそんな態度とは裏腹に、その胸の内にシミの如く浮かび上がる思いがあった。

 

 この世界が本当に存在しているのなら、それで構わない。しかし、そうではなかったら? もしも、誰かが創った世界であったなら? もしも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 仮に仮想世界を創れるほどの力があるのなら、対象に気付かせずに記憶を読み取る事くらい出来てもおかしくはない。

 ならば。

 ならば、もし。

 もし、そうであったとしたならば。

 もしも、読み取った記憶を元に世界を創り、そこに放り込んだのならば。

 

 ()()()()()()()()()()()。ありとあらゆる手段をもって突き止め、ありったけの悪意をもって応報せねばならない。そいつらは、心の最も柔らかいところを踏み荒らしたのだ。

 

「ああそうだ、忘れるところだった」

 

 だが現状では邪推の域を出ないし、何よりどうしようもない。ゆえに黒い感情は胸の底に沈め、何でもないかのように名楽に声をかけた。

 

「何だ?」

 

「これ、渡しておくから」

 

 ぽんと軽い調子で手渡されたのは、黒く光る鉄の塊、即ち拳銃であった。予想外の展開に名楽は完全に固まったが、皐月はどうという事もなさそうに説明を始めた。

 

「派生品が多過ぎて細かいところは分からなかったんだけど、ベレッタ92とか言うらしいわ」

 

 イタリアの老舗、ピエトロベレッタ社の名銃だ。名銃過ぎてバリエーションが多く作られ、全てを把握するのは至難の業となっている。ネットで調べただけで、ガンマニアでも何でもない皐月が分からずとも仕方のない事だと言えよう。

 

「弾は9ミリパラ。装弾数は15+1の16発。5発使ったから残りは11発。残念ながら補給のアテはないから、使い切ったらそれで終わり」

 

 弾丸の正式名称は9x19mmパラベラム弾。『戦いに備えよ』というラテン語を冠する、極々一般的な拳銃弾だ。まあ拳銃に『ピースメーカー(平和をつくる)』とつけるよりはマシなネーミングセンスであろう。正しいは正しいが、少々露骨に過ぎる。

 

 15+1の+1とは、弾倉とは別に拳銃本体に装填出来る一発の事だ。ベレッタのようなオートマチックの拳銃は、マガジンを入れて手動でスライドを引く事で、最初の一発が装填出来る。そこでマガジンを取り出し新たに一発入れて戻すと、マガジン内の弾数+拳銃内の一発、となるのだ。

 

 なお皐月が手に入れた時は+1まで入っていたが、暴発防止のために抜いていた。今はそれも入れ、自動装填されていた銃身内の一発もマガジンに戻したため、マガジン内に11発入っている状態である。

 

「で、肝心の使い方は――」

 

「ちょ、ちょっと待った!」

 

 再起動を果たした名楽が、慌てて皐月の言葉を止めた。皐月は眉を寄せ、名楽の顔を見た。

 

「何?」

 

「い、いや、こんなモン渡されても……。私じゃ上手く使えるとも思えないし、菖蒲が使えばいいだろ」

 

「私だって訓練を受けた訳じゃないから、練度はどっこいどっこいよ」

 

 それでも名楽よりはマシではあった。ベレッタ92は厚みがあるので、ある程度手が大きくないと持ちづらいのだ。撃った反動だって無視できない。小柄な女性で、しかも力のない名楽には、少々扱いにくい銃だと言えた。

 

 だが、それでも名楽に持ってもらわねばならない。何故ならば。

 

「何かあったら、羌子じゃ抵抗出来ないでしょう? 私も羌子を守るけど、最終的には自分の身は自分で守ってもらわないと」

 

 さらっと告げられた言葉に、だからこそ名楽は体を強張らせた。言い方はどこまでも軽かったが、どこまでも本気だと、理解してしまったからだ。

 

 生きる事は戦う事で、戦う事は生きる事。今がいつで、ここがどこであろうとも、皐月の信条には些かの陰りもなかった。あるいはそれは、自身の生存を自身の手で掴み取って来た彼女が抱く、戒律にして信仰であるのかもしれなかった。

 

「…………そうだな」

 

 それを薄々感じ取っていた名楽は、だから了承の返事を返した。実際問題として、皐月がいつも近くにいるとは限らないため、そういう時の備えは必要だった。戦えないと泣き言を言えば、おそらく守ってくれるであろうが、名楽の自立心と自尊心はそれを良しとはしなかった。

 

 名楽は我知らず、自らの手に視線を落とした。弾丸を含めても精々1㎏程度しかないはずの鉄の塊が、やけに重く感じられた。人を殺すための重みか、身を護るための重みか。どちらにせよ、命の重みである事は間違いなかった。

 

「話が早くて嬉しいわ。まず――――」

 

 そんな彼女の様子に気付いているのかいないのか、皐月はあくまでもフラットに銃の取り扱い方を説明していった。知らない星空の下、焚火に照らされながら、森閑と時が過ぎて行った。

 




 竜骨兵の元ネタは竜牙兵。誤字じゃないです。
 原作には出てませんが、これくらいなら出来てもおかしくないかなあ、と。

 書き溜めはここまでなので、次は遅くなりそう。

 244様、誤字報告ありがとうございました。
 英語が苦手なのがバレてしまう……w


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後日談03話 ヒャッハーで意味が通じるんだから、モヒカンってスゴイよね

 次の日の朝。三人は朝日に照らされながら、固くすっぱい黒パンと、昨日の残りを朝食としていた。名楽が持ち込んだペットボトルが、壊れにくく水に臭いも移らない水筒として、意外な活躍を見せていた。

 

「そういや」

 

「む?」

 

 半々くらいでハゲは逃げると思ってたけど結局そうしなかったって事は、結構追い込まれてるのかしら、何にしろ予備の魔術師は探さなければならないわね、と皐月が内心で黒い事を考えていると、名楽が何かに気付いたように口を開いた。

 

「昨日はバタバタして聞けなかったけど、これからどこに向かうんだ?」

 

 かなり大事な事だった。昨日はそれどころではなかったとはいえ、尋ねる事すらしなかったという事は、皐月も案外混乱していたのかもしれなかった。

 

 そういえば言っておらんかったな、と前置きして男は告げた。

 

「北の魔法帝国だ」

 

「魔法帝国?」

 

「魔法使いが貴族の国だ。いや、だった、と言うべきか。あそこは今、有翼の悪魔によって王が奴隷に、奴隷が王になり、混乱していると聞く。余所者の我らでも、入り込むスキはあるだろうよ」

 

 有翼の悪魔というフレーズに、皐月と名楽が目線を交わし合った。彼女らにとっては、とても心当たりのある言葉であった。具体的には翼人と呼ばれる形態だと思われ、それはとりもなおさず、有翼の悪魔は同じ世界の出身者であるかもしれない、という事であった。

 

「混乱、ね。大丈夫なのそれ?」

 

 そんな心中は一切出さず、皐月は男に尋ねた。混乱しているという事は治安が悪いという事でもあり、皐月はともかく名楽にとっては危険である可能性は低くなかった。

 

「何、地獄の悪魔たるお主らと、優秀なる魔法使いたるワシなら問題はあるまい。王が奴隷になったと言えど、魔術師の出番がなくなった訳ではない。むしろ分野によっては、今まで以上に求められているはずだ」

 

 男の答えは楽観的であったが、道理は通っていた。今まで皐月達が見た魔術は、召喚と使役に、焚火の火種になる程度の発火くらいであったが、それでも中世程度の技術しかないと推測出来る社会においては、非常に便利であろう事は予測がついた。

 

 それはそれとして、呼び方が地獄の魔獣から地獄の悪魔にランクアップしていた。昨日の一件が関係している事は明白であったが、彼女らがそれに気付く前に男は言葉を続けた。

 

「何より混乱しているのがいい。ツテを頼る事になるが、勝算は低くなかろうよ」

 

「要するにピンチをチャンスに変えるしかない、って事じゃない」

 

「何が悲しくて、異世界で万馬券に人生全賭けしないといけないのか……」

 

「まあこうなった以上は仕方あるまい。人生なぞある意味バクチのようなものよ」

 

「その原因が何言ってやがんだハゲ!」

 

「ハゲではないッ!」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「おおっとここは通行止めだ。身ぐるみ置いてってもらおうか?」

 

 馬に乗り道なりに進んでいると、その道に障害物が置かれていた。撤去のため一旦止まると、それを見計らったかのように、男たちが森から現れた。

 

 ヒゲ面にボサボサの髪、ボロボロの服の成人男性が、前に四名後ろに三名、計七名。各々の手には剣や槍にこん棒。現代日本ではまずお目にかかれない、山賊であった。

 

「おぉー……」

 

 思わず皐月は、彼らをまじまじと見てしまった。チンピラや不良、銀行強盗ならともかく、ここまでコテコテの山賊を見るのは初めてだったからだ。危機感が足りないと言われればその通りだが、好奇心は止められないので仕方ない。

 

 騎士の時とは違って第六感は働かなかったが、元々頼りにしている訳でもないし、そもそも不確定なものなので、特に気にしてはいなかった。森の中で動かず静かに待ち伏せしていたのなら、名楽の聴覚に引っかからずとも不自然はない訳であるし。

 

「まずはその馬から降りてもらおう。商品()を傷付けたくはねえからな」

 

 馬とは臆病な動物であり、少しでも傷つけると暴れる危険性がある。そうなればこの場の全員が困るため、その要求は妥当なところであった。

 

 尤も、今乗っている馬は騎士達から貰い受けたものであり、おそらくは軍馬だ。ゆえにやりようによっては、山賊を踏み潰させる事も不可能ではないかもしれないが、騎乗者にそんな技量はなかった。

 

「お、おい、どうすんだ」

 

「一旦降りましょう。なるべくこっちで何とかするけど、銃の用意はしておいて。いざとなったら、躊躇わないで」

 

 小声で素早く意思を交わし、二人乗りをしていた皐月と名楽は大人しく馬から降りた。横で男も同じようにしているのが見えた。

 

 名楽はしっかりと押さえていた為そうはならなかったが、降りる時の風に煽られ皐月のローブがめくれ、その顔が晒された。それを見た山賊の頭と思しき男が、ヒュウと口笛を吹いた。

 

「ほぉ、こいつは上玉だ!」

 

 山賊はにたにたと品のない笑みを浮かべながら、皐月の顎に手をかけ上を向かせようとした。彼女は眼帯をつけていても、美人である事は一目瞭然。ゆえに顔をよく見ようとしたのだろうが、それは明らかな失策だった。

 

「バスケしようぜ」

 

「は?」

 

「お前ボールな!」

 

 意味の分からない言葉に山賊が一瞬呆けた。にっこりと笑顔を作った皐月はその隙を逃さず、山賊の首を素早く思いっきり掴み――ごりっと何かが砕けるような感触がした――その勢いのまま腕力任せに投げ飛ばした。

 

「ヘイパス!」

 

「んなっ!?」

 

 投げ飛ばされた山賊は、その場で唯一弓を持っていた山賊にぶち当たり、その体勢を大きく崩した。弓持ちが一人しかいない、という点が僅かに気にかかったが、弓は結構技術が要るので、当たらない弓は意味がない、という事かもしれなかった。

 

 皐月は吶喊しながら、騎士から貰い受けたメイスを抜き放ち、弓持ちの頭を躊躇なくカチ割った。技術など何もない一撃であったが、力尽くという単純だが強力極まりない一撃を受けてしまった山賊はそのまま地に沈んだ。

 

「ハゲ! そっちは任せたわ!」

 

『――――切り裂き地を駆け 敵を討て!』

 

 吠える皐月への返答は、後ろの三名の盗賊へと向かう竜骨兵とついでに、ハゲではないという渾身の叫びだった。超常の業を目にした盗賊たちに狼狽が奔った。

 

「骨!?」

 

「バカ、スケルトンだ! 魔術師だ!」

 

「何だとぉ!?」

 

「余所見してる暇があるのかしら!?」

 

 『囲んで棒で叩く』。人類の生み出した最強戦術である。原始時代のその前から現代に至るまで、洋の東西を問わず、チンピラから国家まで広く愛用する最強戦術である。数と武器を揃えて袋叩きにするという単純極まりない方法だが、これを超える戦術を人類は未だ見出してはいない。

 

 そういう意味では、山賊たちは実に正しかった。相手を上回る数を揃え、相手を上回る武器を用意し、前後から挟み撃ちにした。追いはぎという目的はともかくとして、戦略・戦術面においては王道中の王道で、完璧とすら言えるものであった。

 

「死ね!」

 

「ぐぁっ!」

 

 だがしかし、彼らは一つ見落としていた。人数の少ない戦闘においては、個人の武勇が大きな意味を持つという事を。

 

 訓練を受けた人間であっても、武器が互いに剣や槍ならば、一人で百人倒すのは困難の極みだ。だが百人ではなく十人なら現実的なレベルになる。十人は無理でも五人なら倒せる、という者はもっと多いだろう。少人数の戦いでは、個々の質が大きな意味を持つのだ。

 

 そして山賊が、まともに戦闘訓練をしているはずがない。しているのなら山賊などになりはしない。即ち彼らは、武器を持っていても技術が伴っておらず、力と多少の経験に任せて振り回すくらいしか出来ない。となれば、同じように技術こそないが怪力を有し、機先を制して二人減らした皐月に分があると言えた。

 

「はぁっ!」

 

「おげっ」

 

 山賊がこれを覆すなら、増援を呼ぶか、効率のいい武器――弓や銃などの飛び道具が有力――を持ってくるくらいしかないが、どちらも現状では期待できなかった。足の速さで劣っている以上、逃げるという選択肢も選び難い。それはつまりこのまま順当に行けば、決着がつく時は近いという事だった。

 

「…………」

 

 蛮族プレイが板につきすぎている、マッポーでヒャッハーな友人を背に、名楽は緊張を隠せない面持ちで眼前の戦闘を睨みつけていた。竜骨兵は機動力を活かして三人をよく押さえ込んでいるが、やはり多勢に無勢で、余裕はあまりなさそうであった。

 

「くっ、速い!」

 

「落ち着け、術者を潰せ!」

 

「俺とジョンで抑える! 行け! 魔法使いは近づけば倒せる!」

 

 尤もそれは、竜骨兵の能力が劣っているという意味ではなく、一人も後ろに通さないように戦っているからであった。ハゲが竜骨兵を追加したり、他の攻撃魔術を使えれば話は早いのだが、残念ながらそれは不可能であるようだった。竜骨兵の足の速さを見ている山賊は、逃げるという選択肢を選んでくれそうにもなかった。

 

「うむむ、いかん、こりゃいかん――――悪魔よ!」

 

「――!!」

 

 そうこうしているうちに、山賊二人が必死で竜骨兵を抑え、その隙を突いて一人が突進して来た。剣はボロく、みすぼらしい身なりに痩せた体だが、目だけがぎらぎらと病的に光っていた。

 

 そんな山賊を目にした名楽の脳裏に、昨夜の皐月の言葉がリフレインした。手の中の銃は、すでに安全装置が外され、初弾が装填されていた。

 

『足は肩幅より少し広く、腰を落として僅かに前傾、銃を目線の高さに』

 

 声に従い銃を構え、トリガーに指をかけた。引き金に指をかけるのは撃つ直前、最後の最後に行うべき動作だと聞いていた。

 

『狙うのは胸よ、外れてもどこかには当たる。頭はダメ、的が小さいし、頭蓋骨の丸みで弾が逸れる事がある。防弾ベストでも着てるなら別だけど、鎖帷子は貫通できたから気にする必要はない。必ず胸を狙って』

 

 拳銃の照準の向こう側に、必死に走って来る男の姿が見えていた。何故かそれが、驚くほど遅く思えた。

 

『10mも離れたら、素人じゃ連射しても当たらない。5m、出来れば2m以内に引き付けて、ダブルタップ――二連続で撃って』

 

 走っているとは思えない程もどかしい速度で、それでも確実に男の姿は大きくなって来ていた。なんだか水飴の海で溺れるアリみたいだな、と詩的な表現が他人事のように浮かんだ。

 

『まあ色々言ったけど、ネットからの知識だから本当に正しいかどうかは分からないわ。私別にガンマニアじゃないし』

 

 耳元がやたらとうるさいと思ったら、それは心臓が拍動する音だった。自らの意思とは関係なく、手が震えていた。今どこにいて何をしているのか頭では理解していたが、現実感というものが酷く薄かった。まるで綿菓子で出来た夢の中のような、ふわふわとした心持ちだった。

 

『重要なのはとにかく当てる事。残弾とか補給とかは一切考えなくていい。当てて、生き延びて』

 

 皐月の光のない、しかし真摯さを宿した瞳が、閃光のように目の前に呼び起こされた。浮ついた心地が、一瞬にして現実に引き戻された。

 

 血走った目で剣を振りかぶった山賊は、もうすでに目と鼻の先まで迫って来ていた。手と意思が連結された。震えはいつの間にか消えていた。名楽はトリガーに力を込め――――山賊の胸から血がしぶき、もんどりうって吹き飛んだ。

 

「…………は?」

 

 思わず手元の銃に目が行くが、何の変化も見られなかった。手に残るべき反動も、排出されるはずの薬莢も硝煙の匂いも何一つなかった。それらは全て一つの事実を指し示していたが、どう見ても目の前の光景と矛盾していた。訳が分からず混乱する名楽の耳に、その答えとなる声が飛び込んで来た。

 

「よし当たった!」

 

「おおよくやったぞ!」

 

 前方の四人を殲滅し終えた皐月が、走ったのでは間に合わぬと判断し、拾った剣を山賊に向けて投げ放ったのだ。その剣が山賊のハートをブロークンしたのである。

 

 投擲を馬鹿にしてはいけない。投石は中世までの戦争における死傷率のNo.1だ。威力射程共にそこそこ、補給が容易で訓練不要、そして何より元手のかからない石は、銃火器が本格的に発達するまで長く戦場のいぶし銀な仕事人だったのだ。

 

 また、アフリカでウホウホしていた頃の人類の祖先は、獲物を追いかけ追いかけひたすら追いかけ、熱中症に追い込んで動きが鈍ったところを、アトラトル(投槍器)を使って槍を投げて仕留めるという方法を取っていた。優れた排熱能力、そこから来る持久力、そして何より相手を一方的に攻撃出来る、生物界トップの投擲力が三位一体となった人類の大正義、持久狩猟だ。

 

 そんな偉大なる投擲力が宿ったのかは定かではないが、皐月が投げた剣は、見事に盗賊の胸に突き立っていた。剣は回転していたので刺さるかは運任せだったが、運命と投擲の女神は異邦人に微笑んだようであった。

 

 皐月はそのまま、その辺に落ちている剣やこん棒、石を片っ端から山賊に投げつけ始めた。竜骨兵はその程度の攻撃は意に介さず、仮に多少骨が砕けても動きに支障はない。反面、碌に防具をつけていない山賊に対しては効果覿面だ。隻眼で遠近感が掴みづらいため狙いは少々甘いのだが、矢継ぎ早に投げればいいだけの話である。

 

 『自分は攻撃されず、相手を攻撃出来る』。それもまた人類の持つ正義だ。全ての兵器はこれを目指して進化している。素手より剣、剣より槍、槍より銃で、銃より大砲だ。大陸間弾道ミサイルはその究極である。現在の技術においては、だが。

 

 『自分の肉体は一切傷つかずに思い通り動かせ、なおかつ一方的に敵をいたぶれる能力』が理想だと言ったジジイがいたが、人類的には実に正しいのだ。その手段として、『自分で殺した部下の死体を使った』事が悪かっただけである。

 

 相手から一方的に攻撃されるという、借金取りと債権者のような関係を覆すには、『間合いに劣る武器が有効な距離』まで接近しなければならない。要するに機動力で懐に飛び込めという事なのだが、当然至難の業である。『拳と槍』くらいならまだしも、『剣と機関銃』になるとまず無理だ。間合いを制する者は戦いを制するのである。

 

 兎にも角にも、今の皐月は間合いを完全に我がものにした上に、一方的に敵を攻撃するという人類正義を体現している。竜骨兵の活躍もあり、瞬く間に分かり切った結果が出来上がった。

 

「ぁ……」

 

 ようやく戻ってきた聡明な頭脳で、それら全ての状況を理解した名楽は、糸が切れたようにその場にへたりこんだ。使われなかった手の中の銃が、鈍い光を放っていた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「大丈夫?」

 

「……ああ」

 

 戦いが終わり、周囲に危険が残っていないか確認して来た皐月が、未だにへたりこんでいる名楽に近寄った。皐月は下手な気遣いは逆効果だろうと判断し、あえて事務的に声をかけた。

 

「とりあえず安全装置だけかけて渡して。弾はこっちで抜いておくから」

 

「………………手が、離れない」

 

 祈るように銃を握りしめた手が、力を入れすぎて白くなっていた。皐月はそれを見とめると、何も言わず名楽の後ろに回り、抱きしめるようにしゃがみ込み、銃に安全装置をかけるとその指を一本一本丁寧に剥がしていった。

 

「…………撃て、なかった」

 

「最初は大体そんなもんでしょ。構えられただけ上出来よ」

 

 口調とは裏腹に、優しく取り上げたベレッタからマガジンを抜き、スライドを引いて本体から弾丸を抜く。それをマガジンに手動で戻しながら、彼女はぞんざいに言った。

 

「……いや、もう少しで、撃てそうだったんだ。でも、撃てなかった」

 

 あの時確かに、名楽は引き金を引こうとした。しかし今では、それが現実だったのかどうにも不確かで、曖昧な心地であった。僅か数分前の出来事だったが、いっそ不思議なほどに、リアリティというものがすっぽりと抜け落ちていた。

 

「撃たなかった、でしょ。撃つ必要がなかったって事よ。弾を節約できた、そう思っときなさい」

 

「…………そう、かね」

 

「そうそう」

 

「…………菖蒲、は――――」

 

「ん?」

 

「――――いや、何でもない」

 

 名楽の糸目が皐月を見上げたが、すぐに伏せられた。それがどういう意味を持っているのか察した皐月は、倒れている山賊に目をやった。その山賊は頭から『ゆめ』と『きぼう』をはみ出させて事切れていた。だがそれを見ても、湧いて来たのは罪悪感や憐憫の情などではなく、『同じ種族が減って残念』という感情だけだった。

 

 以前に殺した時も、やはり罪悪感を感じる事はなかった。それは相手が『人間』ではなかったからかと思っていたが、どうやら違うようであった。

 

 『殺人適性』という言葉が脳裏をよぎる。知識によれば、百人だか千人だかに一人か二人くらい、人を殺しても何とも思わない人間がいるらしい。数がえらく適当だが、統計を取れるような類ではないのである意味当然だろう。まさか実験の為に人を殺させる訳にもいかない。

 

 彼らは確かに存在するようだが、サイコパスとは少し異なる。普通の人間と何も変わらず喜怒哀楽があり、社会生活に適応して生きている。違いはただ一つだけ。人を殺しても何も感じない、という事だけだ。かと言って別に殺人を好む訳ではなく、『罪悪感を感じない事』そのものに罪悪感を感じる、という事すらあるという。

 

「あの時、私がどうして撃てたのか、って聞きたいの?」

 

 そこで思索を強引に断ち切った皐月は、名楽が言い淀んだ言葉をあえて形にした。再び皐月に向けられた糸目が、驚いたように見開かれていた。

 

「殺されるくらいなら殺す、それだけよ」

 

 そう、いくら思い悩もうが、結局のところはそこに帰結するのだ。彼女はそうやって生きて来たし、これからだってそうするだろう。そもそも殺すのが嫌なら、とっくの昔に死んでいる。皐月にとって殺しとは、軽くはないが重くもないのだ。

 

「…………そう、か」

 

「そうそう」

 

 肝心なところで躊躇って、自分と友人を守れないよりは遥かにマシだしね、という言葉は像を結ぶ事なく消えて行った。

 

「それに、殺しなんて生物は皆やってるわ。別に特別な事でも何でもない」

 

 肉食動物は獲物を殺さなければ飢えて死ぬばかりであるし、草食動物とて植物を食い殺している事には変わりない。アレロパシーというのだが、植物も化学物質を出して他の植物を枯らす、なんて事をやっている。

 

 シスデヒドロマトリカリエステル。呪文ではないし、どっかの暗黒卿の親戚でもない。セイタカアワダチソウという植物が根から出す化学物質だ。彼らはこれによって周囲の植物の成長を阻害し、ライバルを排除して繁殖するのだ。

 

 尤もこの物質は同種の発芽も阻害するので、最終的にはススキに負けちゃったりするお茶目さんなのだが、それはそれだ。『ライバルを蹴落とす為の工作がバレて落ちぶれたアイドル』とか言ってはいけない。

 

 生物とは基本的に、他の生物の屍の上に生きている。人間とてその例外ではあり得ない。ヴィーガンだろうがベジタリアンだろうが、農業は雑草を駆逐し害虫を潰し害獣を駆除せねば成立しないので同じである。

 

 殺すのが嫌なら、光合成()()で生きていけるミカヅキモにでもなるしかない。まあそういう生物は得てして食物連鎖の最底辺なので、スナックのように食われるばかりというオチがついているのであるが。

 

「だからまあ、あんまり考えすぎない事よ。考えすぎると碌な事はないわ、私達みたいなタイプは特にね……私が言うのもなんだけど」

 

「そうだな……マジでそうだな、実感籠ってるな」

 

「……少しは元気が出たみたいで何よりよ」

 

 皐月は何とも言えない顔になった。実に味わい深い顔だった。そんな微妙極まる空気を叩き壊すように、山賊からの喜捨を受け取り終わったハゲがやって来た。

 

「終わったぞ」

 

「あら、どうだった?」

 

「しけておったわ。持っておった物からすると連中、魔法帝国の方から来たようじゃな。やはりあちらは荒れておるようだの」

 

「これからそこに行くってのに、不安になる話だな……」

 

「今更じゃろうが、グダグダ言うでないわ」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ところで悪魔よ、その角を切り落とす事は出来んのか?」

 

「いきなり何言ってやがんだハゲ」

 

「ハゲではない」

 

 魔法帝国まであと僅かの距離に迫った、昼日中の休憩中。依然としてハゲだと認めようとしないハゲが、名楽に向かってそんな事を宣った。

 

「どうしたのよ急に」

 

「今向かっているのは魔法帝国の首都だが、入るに当たっては当然関所がある。足税を払えば旅人でも入る事は出来るが、さすがに角の生えた悪魔は通してくれん」

 

「そういう事はもっと早く言いなさいよ……」

 

 閉鎖的ではなく、だからこそ逃亡先に選んだのだろうが、考えてみれば当然であった。話によれば城郭都市であるとの事だし、出入りのチェックくらいはしているであろう。収入源にもなるし。

 

「つっても角を切るのはムリだぞ」

 

 角人の角や翼人の輪毛等を故意に損壊させると、『特定形態を否定した』という罪状で形態差別罪になる。それは自身の身体であってもだ。もちろんここではその法律は関係ないが、元の世界に戻った時の事を考えると取れる選択肢ではない。

 

 また、もっと単純な理由がある。角を切ると痛い上に血が出るのだ。牛やヤギの角と同じで、内部に神経と血管が通っているためだ。身近なところとしては、角ではないが、犬や猫の爪のようなもの、と言えばイメージしやすいかもしれない。

 

「ふむ……やはりそれは、悪魔的な理由によるものか?」

 

「まあそんなとこ」

 

 その二つの理由からして角は切れないのだが、説明する必要を感じなかった名楽は、男の思い込みをいい事に適当に誤魔化した。皐月の方は、ん……? 悪魔……? 魔獣じゃなくて……? と首を捻っていたが、二人はそんな様子を気にかけず話を続けた。

 

「で、何か案でもあんのか? 夜を待って壁でもよじ登んのか? ワタシにゃムリだぞ?」

 

「それは最終手段じゃが、そうはならぬよ。まあ任せておけ」

 

 男は自信ありげに口角を吊り上げ、したり顔で言い放った。

 

「ワシにいい考えがある」

 

 どうにも不安を禁じ得ない言葉であったが。

 




 リアル中世欧州ではなく、あくまでも中世っぽい異世界。
 なので、多少おかしなところがあったとしても優しい心で見逃してください。

 みえる様、誤字報告ありがとうございました。
 ですがニュアンス的にこちらの方が合ってるかなと思いますので、このままにします。あしからず。


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後日談04話 中世ファンタジーは大抵近世が舞台

三行で分かるあらすじ
 ・皐月と名楽、異世界に召喚される。
 ・騎士と山賊をヒャッハーしつつ、北の魔法帝国を目指す。
 ・『ワシにいい考えがある』


 北の魔法帝国。正式名称、エイガム魔法帝国。皇帝を頂点に貴族制を布いている国である。それだけならば周辺諸国とあまり変わらないが、この国を特徴づける特色が存在する。それこそが、魔術師貴族制。この国では例外はあるが基本的に、魔術師が貴族となるのだ。

 

 魔術の有用性は言うまでもない。発火程度でも火打石よりは手軽な火種になるし、例えば火球を飛ばす事が出来るのならば、戦いでも大いに役に立つであろう。他の魔術もまた、中世程度の技術力だと推測されるこの世界では、重宝される事は間違いない。

 

 その利用を国家ぐるみで推し進めていたこの国は、歴史は浅いながらも、この一帯の覇者となり得る可能性が存在していた。そう、あくまで可能性、である。『有翼の悪魔』によって、皇帝を始めとする貴族のトップ連中が奴隷にされてしまった今となっては、全ては過去の可能性にしか過ぎない。

 

 その政治的混乱は今もなお続いており、首都たるここエ・リオミーグは荒れている。だが、だからこそ機を見出し寄ってくる者もいるのだ。例えば今、大通りを歩いている、ハゲと片目と角付きという色物三人組のように。

 

「いまいち活気はないけれど、思ったよりも清潔ねえ……」

 

 周囲を見回した片目こと皐月が感想を漏らした。確かに彼女の言う通り、地面は舗装こそされておらず剥き出しの土なれど、その上は割と清潔だった。欧州中世暗黒期とは明らかに異なる一面であった。

 

「ひょっとしたら『ハイヒール』が必要かもと覚悟してたけど、そうはならなくて何よりよ」

 

「ハイヒールとやらが何かは知らんが、確かに随分と小綺麗になっとるな。昔はもっと汚かったはずなのだが」

 

 彼女の声に応えたのは、ハゲこと魔術師のハゲであった。彼もまた周りを見回し、以前との差異を実感しているようであった。尤も清潔になる分には文句はないようなので、単なる感想の域は出なかったが。

 

 なおハイヒールの起源についての説はいくつかあるため、皐月が言うところの『用途』が必ずしも正しいとは限らない。だが、地域差はあれど、そんな説が生まれてしまう程には中世の道が汚かったのは事実らしい。

 

 『用途』の具体的内容や、道が汚かった理由? 知らない方がいい事もこの世にはある。どうしても知りたいのなら、目の前の箱か板に聞くといいだろう。自己責任で。

 

「それはまた……(ウン)が良かった、と言うべきかしら……」

 

「そうじゃな、あっさりとこのあ……こやつが入れた事も含めてな」

 

 二人の目が、角付きこと名楽に向けられた。その頭を覆い隠すローブの下で、彼女はぷるぷると小さく震えていた。

 

「まだ気にしとるのか。入れたのだからいいではないか」

 

「そうそう、無事入れたんだから良しとしときなさいよ…………ププッ」

 

「……オイ今笑っただろ」

 

 地獄の底から響くが如き声が、ローブの内側から響いた。皐月を見上げる名楽の目が、奈落の底の悪魔のように、ぎんぎらぎんに光っていた。皐月は顔を背けると、口を手で覆った。

 

「いえいえそんな、笑うだなんてとんでもない事でございますわ……クプッ」

 

「やっぱ笑ってんじゃねーか!」

 

 棒読みな丁寧語で煽る友人に、名楽の怒りの導火線に火がついた。激おこぷんぷん丸だった。そんな名楽に、ハゲが顔を向けた。

 

「騒がしいぞ静かにせい」

 

「元凶が何言ってやがんだハゲ!!」

 

「ハゲはおぬしじゃろうが」

 

 と言っているが、もちろん名楽はハゲではない。それが何故ハゲなのかは、関所を通る時のやり取りに端を発する。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 色物三人衆が魔法帝国に着いた頃まで、時は少々巻き戻る。

 

『では次の者』

 

 首都を守る関所に、ローブ姿の三人が入っていった。入国管理を行う役人は、そっけない定型句でそれを出迎えた。

 

『名前と入国目的は?』

 

『ワシはアルベルト・トクトー。親戚に会いに来た』 

 

『私はアヤメ・サオトメ。こっちのキョーコ・ナラサキの友人で、彼女と目的は同じ』

 

 さらっと偽名を名乗っているが、これはあらかじめ決めておいた事だ。本名を知られるとその相手に従わなければならない、という言い伝えを警戒しての事である。下の名前はもうバレているし、そんな魔術が存在するかも定かではないが、警戒しておいて損はあるまい程度の考えだ。

 

『外国人か。その目的というのは……いやその前にフードを外してもらおう。顔を確認せねばならん』

 

 唯一ローブのフードを外していなかった名楽に向け、役人が妥当な事を言った。彼女は少しばかり躊躇う素振りを見せ、しかし素直にフードを下ろした。

 

『む? それはどうした?』

 

 訝しげな役人の目は、その頭部に向けられていた。本来ならば角と獣耳が生えているべき頭部には、全体に布がターバンのように巻かれ、全てを覆い隠していた。角の部分がかなり不自然に盛り上がっているが、そこを突っ込まれる前にハゲが横から口を挟んだ。

 

『これこそが入国目的そのものなのじゃ』

 

『どういう意味だ?』

 

 意味が分からないという顔の役人に対し、情感たっぷりの言葉がハゲの口から飛ばされた。

 

『実はな……この者は、この年にしてハゲてしまっての』

 

『は? ハゲ?』

 

 名楽が下を向いてぷるぷる震えているが、ハゲの舌は止まらない。むしろそれを燃料にしているが如く、より一層滑らかになっていくばかりであった。

 

『うむ。何らかの病気のようなのだが、医者には匙を投げられてしまったのよ。この年でこれでは嫁の貰い手もないしの……いやそれは元からか……?』

 

『嫁の話はともかく。そういう訳で、魔法先進国と名高い帝国の首都たるエ・リオミーグなら、何か手段があるかもしれない、と藁にも縋る思いでやって来た訳です』

 

『な、なるほど。事情は理解した』

 

 皐月の補足説明に、面食らいながらも役人は納得した。その彼に向かって、書類をめくっていた別の役人が頷きを送った。少なくともこの三人は、この国においては犯罪者として登録されていない、という合図であった。

 

『しかしだな。被り物は取ってもらわねばならんのだ、規定でな』

 

 少々どころでなく都合の悪い言葉を役人が告げた。その言葉は一応真実ではあったのだが、それだけではない事を敏感に察したハゲが動いた。

 

『それは年頃の娘に対し、あまりに情が無いというもの。これで一つ、見逃してはもらえまいか』

 

 じゃらりと金属の音が鳴る袋が役人の手に渡った。実に分かりやすい袖の下であった。その中身を確認した役人は、ごほんとわざとらしく咳払いをした。

 

『う、うむ、そういう事であれば仕方ないな。あちらで荷物の検査を受け、問題なければ足税を払って入るがいい』

 

『おお、話が分かる男じゃな』

 

『何、私とて年頃の娘に無体を働きたい訳ではないからな』

 

 その後は足税を払ってすんなりと通れたのだが、名楽と皐月は終始ぷるぷると小さく震えていた。その理由が正反対だったのは確定的に明らかであった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「――――大体な、お前がアルベルトってどういうこった! 全世界のアルベルトさんに謝れ! 土下座してごめんなさいしろ!」

 

「ええい、何を訳の分からん事を言っておるかッ! ワシがアルベルトで何が悪い!」

 

「悪いに決まってんだろ、あのアインシュタインと同じ名前なんだぞ!?」

 

「アインシュタインが誰かは知らんが、ワシが負けるはずがなかろう!」

 

「負けとるわ! 戦う前から負けとるわ!」

 

 ふと気付くと、ハゲと角の争いはよく分からない方向に飛んでいた。初対面が初対面だったので、名楽はハゲ相手だと、どうにも感情的になってしまうようであった。それはそれとして通行人の注目を集めていたので、皐月は手をパンと叩いて二人を止めた。

 

「はいはいそこまで」

 

 一応二人は黙ったが、ふしゃーぐるると睨み合う事は止めなかった。そんな彼らを意図的に無視し、皐月は話題を振った。

 

「そういえば足税だけど」

 

「む?」

 

「足一本につき3銅貨って、そこはかとなく悪意を感じる値段設定よね」

 

 人が三人で足が六本、馬が二頭で足が八本の計十四本だが、ハゲだけは正規の旅券を持っていた為半額となり、39銅貨であった。山賊からの喜捨を使用したので懐にダメージはないと言えばないが、問題はそこではなかった。

 

「あれ計算の出来ない人だと誤魔化されるんじゃない? 実際誤魔化そうとしてきやがったし」

 

 詐欺とも言えない単純すぎる手口だが、識字率がお察しと思われるこの時代では効果は絶大だろう。政治的混乱の影響か、上も止められていないようだ。値段設定からして、むしろ一緒になって『アガリ』を徴収している可能性すらある。

 

「小役人の小遣い稼ぎなどよくある事であろうが。それよりワシとしては、お主らの計算の速さに驚いたぞ。計算棒も使わず瞬時に計算出来るとは、やはり悪魔なのだな」

 

「そんな変な納得の仕方をされても困るのだけれど」

 

 計算棒とは詰所の役人が計算に使っていたもので、元の世界で言うところの『ネイピアの骨』もしくは『ネイピアの計算棒』に酷似したものだ。尤も彼女らはこちらの世界の数字はまだ読めないので、形状からの推測だが。

 

 『ネイピアの骨』とは、ジョン・ネイピアというスコットランド人が発明した、掛け算や割り算を高速で行うための道具である。構造は割愛するが、これがあれば九九を覚えていなくとも、足し算が出来るのなら、掛け算割り算、応用で平方根の計算が出来るようになる。西洋には九九がなかったが故の発明とも言えよう。

 

 史実ではこれが発明されたのは17世紀初頭で、中世を通り越して近世のはずなのだが、こちらの世界ではそれよりも早く発明されているようだ。作りそのものは単純なので、どこぞの天才が生み出したのであろう。

 

「ふぅぅ…………。ところで、目的地はまだなのか?」

 

 大きく深呼吸して気を静めた名楽が、ハゲに向かって問いかけた。ハゲはそれを聞いてか聞かずか、とある場所で足を止めた。

 

「ここじゃ」

 

 そこは何かの店のようであった。壁には、単純化されたタンスのイラストが看板としてぶら下げられており、彼女達には読めなかったが、その上には『トクトー家具店』と書かれていた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「いらっしゃ――――なんや、アルベルトおじさんかいな。久しぶりやな」

 

「何だとはご挨拶じゃな」

 

 古めかしいテーブルや椅子、棚等が陳列されている店内。そこで三人を出迎えたのは、名楽より僅かに背が高い、二十歳くらいに見える若い女性であった。ハチミツのような金髪と、トルコ石のような青色の、くりっとした瞳が特徴的だった。

 

 なお金髪碧眼は劣性遺伝なので相当珍しいはずなのだが、通行人の姿からすると、ここではそこそこ存在するようだ。妙なところで異世界を感じる事象だった。

 

「最近調子はどうだ」

 

「ぼちぼちでんな……と言いたいとこやけど」

 

 はぁぁぁぁ、と女性は重たい溜息をついた。それこそ冥府の底まで届きそうな程に。

 

「アカン」

 

「アカンか」

 

「貴族向けの方の売れ行きが落ちとるねん……。それに引っ張られるよーな感じで、一般向けのまで……」

 

「む? 上が変わったのであろう? ならば新たな上は、新たな家具を求めるのではないか? 貴族なぞ、見栄と虚栄心で生きているような生物であろうが」

 

「ウチもそー思っとったんやけどなぁ……どーも新しいお上は、()()()()()やあらへんよーで」

 

「ふむ……」

 

 考え込み始めたハゲの後ろで、皐月が聞こえてくるイントネーションに首を捻っていた。よくある事なのか、それを察した女性が皐月を見た。

 

「ん? ネリシュ訛りが珍しいんか?」

 

「ネリシュ?」

 

「オカンの出身地や。この辺やとあんま有名やあらへんけどな」

 

「へえ……」

 

 母親の訛りが娘に移った、という事らしかった。それが関西訛りに聞こえているのは、どうやら自動翻訳の都合のようだ。どういう仕組みかは不明だが、随分と高性能であった。

 

「おじさんって事は、お前の姪か?」

 

「そうだ、ワシの兄の娘にあたる。兄はすでに亡くなっているが、この店を残した。それを継いだのが、このマリア・トクトーという事だ」

 

「女性でも継げるのか」

 

「珍しいがない訳ではないな。そもこの国の初代皇帝は女だ」

 

「随分若いように見えるが……」

 

「兄が死んだのは急だったからな。店を潰すワケにもいくまいよ。まあそのうち婿でも取るのではないか?」

 

「立場的に苦労しそうだな」

 

 ハゲが名楽に、女性との関係性を説明していた。叔父と姪という割には年が近い――ハゲが25という自己申告を信じるならだが――ように見えるが、ハゲが兄と年が離れていると考えれば、特におかしな事でもなかった。時代的に婚姻年齢は低いと思われるので、尚更に。

 

「ほんで」

 

「ん?」

 

「あんさんら、どちらさん?」

 

 真顔が皐月と名楽の間を行ったり来たりしていた。割と今更感があったが、当然の疑問でもあった。ハゲが僅かに重みを滲ませてそれに答えた。

 

「その事について話がある」

 

「……なんや事情がありそやな、奥で話そか。クラウス、店番は頼んだで」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「はぁ…………。悪魔、なぁ」

 

 自己紹介と事情説明も終わり、マリア・トクトーはじろじろと皐月と名楽を無遠慮に見つめていた。

 

 皐月達としては、事情を明かすのはもう少し慎重に行きたかったのだが、『これから世話になる相手にいつまでも隠し通せまい』というハゲの意見に押し切られる形となった。止める暇も無くバラされた、とも言う。

 ハゲにはハゲなりの成算があっての事であろうが、それにしたって心臓に悪い話であった。

 

「『有翼の悪魔』は一目で分かったけど、悪魔にも色々おるんやね」

 

「見た事があるの? どんな感じだった?」

 

「一度しか見とらんけど……背中から白い翼を生やして、頭に輪っかを乗っけた若い女やったな。翼は動いとったから作りモンやあらへんとは思うで。その時は『異形の幼子』の方はおらんかったけどな」

 

「『異形の幼子』? 初めて聞くけど、何それ?」

 

「悪魔が連れとった子供や。噂によると、小さな翼と犬のよーな耳と尻尾が生えとるらしいで」

 

「へえ……」

 

 やはり元の世界における、翼人と呼ばれる形態のようであった。『異形の幼子』の方は初耳だったが、彼女の話が正しければ混合形態であろう。となれば、次に聞く事は決まっていた。

 

「その悪魔達って、今どうしてるか知ってる?」

 

「城におるはずやけど、最近姿を見ぃひんとか何とか。詳しい事は分からへんけどな」

 

「そう……」

 

 病気で寝込んでいる、元の世界に戻った、『いなかった』事にされた等々、可能性だけなら色々と考えられるが、何一つ確証はない。そもそもその話が正しいかどうかすらも分からないのだ。何にせよ、後で詳しく調べてみる必要があるだろう。

 

「ウチからもええか?」

 

「何?」

 

「あんさん見た目はウチらと変わらんけど、何か悪魔って証拠はないんか? いやそらまあ、顔つきとか真っ黒な髪とかで、外国人っちゅー事は分かるけど」

 

「黒髪が珍しいの?」

 

「たまーにはおるけど、もうちょい色が薄いな。そないに黒いんは初めて見たわ」

 

 『前世』の日本では髪色と言えば黒が大半だったが、今世ではアジア人でも結構カラフルだ。クラスメイトだけでも白や茶に赤、色は薄めとは言え金髪までいる。黒は数としては多いが、皐月ほどに真っ黒、となるとそうはいない。

 

 この国の人間は色素が薄めのようなので、夜闇を溶かしこんだかのようなその黒は、物珍しく映ったのであろう。

 

「見た目に騙されてはならんぞ。この悪魔は、山賊四人を瞬く間に撲殺してのけたのだからな」

 

「そりゃまた……」

 

「人を血に飢えた悪魔扱いするのはやめて頂戴」

 

 事実なので強く否定する訳にもいかず、さりとて思うところがない訳でもない皐月が、微妙な顔で微妙な牽制を放った。もちろん全く効かなかったマリアは、今度は名楽に目を向けた。

 

「そっちのコは? まさかホンマにハゲとる訳やあらへんのやろ?」

 

「……どーするよ」

 

「……もうこうなったら、見せるしかないんじゃない」

 

 最悪口封じするけどお尋ね者になるのは覚悟してね、という言葉が聞こえたのは、耳の良い名楽だけであった。彼女は酸っぱくない梅干しを食べたような、何とも言えない表情で皐月を見つめ、何かを諦めたような溜息と共に頭のターバンを外した。 

 

「…………おぉ」

 

 露になった角と獣耳を見たマリアの目が点になった。彼女は吸い寄せられるように角と耳に触れ、それが作り物でない事を確認すると、ほーともおーとも付かない声を出した。

 

「顔の横に耳がない……ホンマに悪魔なんやな……」

 

「それで、話の内容なのだが」

 

 おもむろにハゲが本題を切り出した。マリアは名楽の頭を撫でまわす手を止め、叔父の方に向き直った。

 

「ワシとこの悪魔達の面倒をここで見てくれぬか?」

 

「あー……そーくるかー……」

 

「駄目かしら?」

 

「優秀な魔術師のおじさんならいつでも歓迎やけど、悪魔はなぁ……」

 

 悪魔を懐に抱え込むのはリスクが大きい。この国は宗教色が薄いとは言え、無視できるものではない。直接的な関係はないが、悪魔というだけで、『有翼の悪魔』を快く思わない者を敵に回す可能性もある。

 

「バレた時の事を考えると……」

 

「さっき言った通り、元の世界に戻るまでの間だけだから、そんなに長期にはならないはずよ。それに商売に使えそうなアイディアもあるし、私達は計算棒がなくても素早く計算が出来るわ」

 

「ほほう」

 

 マリアの目がきゅぴーんと光った。『計算が出来る』というのは、それだけの価値があるものらしかった。

 

「なら、5643+678は?」

 

「羌子」

 

「うぇっ!? えーと、6321」

 

 皐月のキラーパスに変な声が出たが、半ば反射的に答える名楽。それを聞いたマリアはますます目を光らせ、問題を追加していった。

 

「33248-9024」

 

「24224」

 

「989×631」

 

「あー……624059」

 

「5874÷22」

 

「267」

 

 いつの間にか計算棒を持ち出していたマリアは、それをぱちぱちと並べ替え、答えを確認すると目を輝かせて宣言した。

 

「採用!」

 

「おいちょっと待て!」

 

 華麗なる掌返しに、思わず名楽がツッコんだ。関西人の魂が宿ったが如き、実に見事なツッコミであった。

 

「私らはまだこっちの文字も読めないんだぞ!?」

 

「おいおい覚えてきゃええねん。人をつけるから、差し当たっては計算だけしてくれればええよ。あ、数字だけは早よ覚えてな」

 

「私が言うのもなんだけど、それでいいの……?」

 

「ハン、商売人舐めんなや。悪魔だろうが何だろうが、使えるモンは何でも使うわ」

 

「そうだ、計算といえば、ゲルトの奴はどうした」

 

「オトンが死んだ後、『女なんぞに従ってられるか!』ってタンカ切って出てったわ。田舎に帰ったんとちゃう?」

 

「ああ、やっぱりそういうのはあるのか……」

 

 というか、経理は相当重要なポジションのはずなのだが、それを任せていた従業員に逃げられて大丈夫なのであろうか。大丈夫ではないので悪魔でも何でも使おうとしている、のかもしれないが。

 

「ほんで、片目のあんさんの方も同じように計算が出来る、と思ってええんか?」

 

「まああれくらいなら」

 

「お主はその腕力を活かせる仕事の方がいいのではないか?」

 

 皐月の眉が歪んだ。余計な事を、と顔に書いてあった。それに気付かず、ハゲと関西弁の会話は続いた。

 

「山賊四人を撲殺したとか言う?」

 

「うむ、まさに瞬殺であった。あれなら用心棒でも務まるだろうよ」

 

「いや私は『強そう』には見えないから、用心棒は無理よ」

 

 威圧感や体格というのも用心棒には重要な要素だ。『戦って勝つ』のも大切だが、『戦いを躊躇わせる』というのはもっと大切なのだ。孫氏の言うところの、『不戦而屈人之兵、善之善者也(戦わずして勝つのが最善である)』である。

 

 そういう意味では、皐月は全くもって向いていない。身長163cmは時代的には大きい方だが、それを除けば見かけは単なる外国人の小娘にしか過ぎないからだ。中身がいくらアレだろうが、外からでは分からない。

 

「でもなー……今の状況からすると、戦えるヤツが多くて困る、っちゅー事はないねんなぁ」

 

「状況はそこまで悪いのか」

 

「どーもキナ臭い感じやな。警邏は役に立たへんし」

 

「ふむ……城への仕官も考えていたが……」

 

「そらおじさんは魔術師やからそれは簡単やろけど、今はオススメできひんなぁ」

 

 雑談を始めてしまった二人を置いて、名楽が皐月を見上げた。

 

「菖蒲、用心棒は嫌なのか?」

 

「そりゃあね。危険を打ち払うのと、危険に飛び込むのは全く違うでしょ? 私には多分戦いの才能があるけど、だからって戦いに身を置かなきゃいけない、って事はないもの」

 

 プロ野球選手は全員野球の才能があるのだろうが、野球の才能があるからといってプロ野球選手にならなければならない、という道理はない。ましてやそれが命懸けの仕事なら、尚更だ。

 

 まあ仮に彼女が軍人にでもなったら、職務に則って容赦なくテロリストを消毒し始めるだろうが、それはそれである。そもそも隻眼では軍人や警官にはなれないので、そんな未来は多分来ない。

 

「そらそーか」

 

「そうそう。訓練も受けてないし、殺しが好きな訳でもないし。無駄に戦わずに済むんなら、それが一番いいのよ」

 

 不良やチンピラを殴り倒して回っていた女の言葉ではないが、それはそれでこれはこれ。心に棚を作るのだ。楚人に足りなかったのは、『この矛で盾を突いたらどうなるか、それはお客様ご自身でお確かめ下さい』と矛と盾をセットで売っ払う図太さである。

 

「よし!」

 

 その時、マリアがパンッと手を打ち鳴らし注目を集めた。彼女は腰に両手を当て、背筋を伸ばして皆を見回した。

 

「話をまとめるで! まずおじさんは、ここで働きながら皇城内部や貴族の情報収集と、地獄への送還術式の研究をする。それに付随して、魔導書をこっちのツテを使って探す」

 

「うむ」

 

「悪魔二人は、とりあえず計算棒」

 

「何だか語弊のある言い方だけど」

 

「まあ間違っちゃいないな」

 

「出来れば、用心棒とかもやって欲しいんやけど……」

 

「あんまり気乗りしないわねえ……」

 

「ほなその辺りは要相談ってコトで。細かい条件は後で詰めるとして、大枠はそれでええか?」

 

 確認の言葉に頷きが三つ返され、マリアは満足そうに大きく頷いた。

 

「よし! ほな早速やけど」

 

 彼女はずずいと皐月に顔を近づけ、好奇心と商売心と下心が入り混じった面持ちで問いかけた。

 

「商売のアイディア、ってどないなのがあるん?」

 

「あー、その件だけど」

 

 極々自然な動きで、マリアの頭を掴んで遠ざけながら皐月は言った。

 

「明日以降でいいかしら? まだこっちに慣れてないし、とりあえず一日過ごして使えそうなのを考えてみるわ」

 

「んー……まぁそれでええわ、でもなるべく早く頼むで」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 夜。宛がわれた部屋で悪魔二人が、話し合いを行っていた。

 

「さて、これからの方針だけど。ここの従業員として働きながら、帰還の方法を探す、って事でいい?」

 

「ああ。そういう話だと、城の方の『有翼の悪魔』も気になるとこだが……」

 

「そっちは追々、ね。さすがに城に忍び込むのは無理だし」

 

「菖蒲でも無理か」

 

「いや私を何だと思ってんのよ。普通のJKにそんな事が出来る訳ないでしょうが」

 

 普通のJKはテロリストを撃ち殺したり山賊の頭をカチ割ったりしないんじゃね、という言葉は喉で止まった。異世界でもエアリード(くうきよめ)スキルは健在だった。喉までは来ていたという事なのだが。

 

「段ボールがあれば別かもしれないけど。私も片目だし」

 

「なんで段ボール……?」

 

 段ボールさえあれば、いかなる敵地にも、それこそ最新の軍事基地にも潜入する事が出来るのだ。中世の城なぞ余裕である。ただし段ボールを潜入に使用するには、性欲を持て余す者でなければならない。残念ながら皐月には使いこなす事は不可能であろう。

 

「まあ段ボールは置いといて。商売のネタの話なんだけど」

 

「ああうん……少しは思いつくが、私らじゃ大したモンは作れなさそうだな」

 

 例えば名楽はスマートフォンを持っているが、どうやったって同じものは作れない。知識材料技術経験設備、ありとあらゆるものが不足している。だが、それでも。

 

「私達にとっては大した事がなくても、こっちの人達にとってはそうではない、って事がありそうなのよねえ」

 

「ああ……言われてみりゃそうだな」

 

「……羌子、疲れてる?」

 

 普段なら言われずとも気付くはずだし、どうも元気がなさそうにも見える。それに気付いて問いかけた皐月に、名楽はあくびを噛み殺しながら答えた。

 

「……ちょっとな」

 

「旅の疲れね……ならもう寝た方がいいわ。でもその前に一つだけ」

 

「なんだ?」

 

 糸目のせいで分かりにくいが、普段より明らかにしょぼくれた目を名楽が向けた。

 

「この世界に影響を与えすぎるような事は、避けようと思ってるの」

 

「……てーと?」

 

「例えば、火薬の作り方や四年制の輪作のやり方を伝えたりはしない、って事ね」

 

 黒色火薬と銃は戦争を変え、四輪農法は生産性を上げ、産業革命の一因となった。どちらも世界を一変させるに足る代物だ。この時代では、工作精度的に銃は作れないかもしれないが、それでも概念を伝える事は可能である。

 

「まあもう存在してるんならそれでいいんだけど。この世界の事は、この世界の人間が何とかすべきであって、私達が横から割り込んでどうこう、ってのは筋が違うと思うのよ」

 

「あくまで私らは、いつかいなくなる稀人(マレビト)ってコトか。いいと思うよ」

 

 それは筋道の問題でもあるし、実利の問題でもある。世界を変え得る発明をぽんぽん世に送り出せば、未来の予測が全く出来なくなるし、巡り巡って反動が返ってこないとも限らない。その結果として目的を達する事が出来なくなれば、それこそ本末転倒というものである。

 

「……ん? じゃあ商売の方はどうすんだ?」

 

「それだけど、『缶詰に対する缶切り』を目指そうと考えてるわ」

 

「…………なるほどな。需要も技術も存在するけど、発想がなくて作れない物を作ろう、ってコトか。コロンブスの卵だな」

 

「話が早くて嬉しいわ」

 

 缶詰が発明されたのは1810年だ。しかし発明者は缶切りまでは発明してくれなかったので、当時の人達はノミやナイフに銃剣、時には銃でダイナミック開封していた。缶切りが発明されたのは驚くなかれ、48年後の1858年である。

 

 缶切りの需要そのものは当初から存在したはずだ。にもかかわらず、半世紀近くも発明されなかったのは、技術が足りなかったからではあるまい。少なくとも、銃を作れて缶切りを作れない、という事はなかろう。

 

 では何が足りなかったのか。それこそが、名楽の言った通り、発想だ。需要もある、技術もある、しかし発想だけがなくて作れない、そういう製品は意外と多い。いや、()()()()、か。

 

 例えばティッシュペーパーが商品化されたのは1924年だが、当時は一枚一枚折らずにそのまま箱に入れていた。互い違いに折り畳んで箱に入れ、一枚出すと次の一枚が出て来る、現在のボックスティッシュの形になったのは、5年後の1929年だ。

 

「要するに、『ちょっとした工夫で皆様の生活を豊かに』って事ね」

 

「妥当っちゃ妥当だが、お前さんが言うと何となく胡散臭い詐欺師みたいだな」

 

「詐欺師は胡散臭くないわよ?」

 

「そうなのか?」

 

「信用させて金を出させないといけないんだから、胡散臭かったら意味ないでしょ?」

 

「それもそうか……。……お前が胡散臭いのは否定しないんだな」

 

「…………」

 

「…………」

 

 何とも言えない空気が流れた。その空気を払拭するかのように、どちらからともなく毛布に手をかけた。

 

「……寝ましょう」

 

「……だな」

 




 魔法帝国については独自設定。
 だって原作で一ページしか出てないんだもの……。

 関西弁がおかしかったら自動翻訳の仕様だと思ってください。


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後日談05話 貴族が腐敗してたら、亡国寸前ってコトだよね

「という事で、第一弾が出来ました」

 

「思ったより早かったな」

 

「まあ知ってる物だからな」

 

 数日後。皐月と名楽の二人が、トクトー家具店の主たるマリア・トクトーに、出来上がった『新商品』をお披露目していた。

 

「ほんで、これは何なん? 板に溝を入れただけに見えるねんけど」

 

 マリアが半分期待、半分は訝しそうに見ているそれは、まさに彼女が言う通りの代物だった。大きさはさほどでもなくまな板程度で、それに横に何条もの溝が彫られただけの物だった。その溝にしたって少々――いや大分()()()で、素人細工なのが見て取れた。

 

「洗濯板だ」

 

「洗濯板?」

 

 洗濯板。板に溝を彫るだけの単純極まりない品だが、発明されたのは1797年である。作るだけなら中世どころか古代でも可能なはずだが、存在しなかったのはやはり、発想が存在しなかったためであろう。

 

 ちなみに洗濯板の溝は緩いU字になっている事が多いが、これは湾曲している部分に泡を溜めて汚れをより落ちやすくするためだ。今回作ったのは木の加工については門外漢の皐月なので、そこまで手は回っていない。

 

「こっちの洗濯は大変そうだったからね。余ってる板をもらって作ってみたのよ」

 

 ここの洗濯は、水洗いした衣類を足で踏みつけ、力と体重で汚れを押し出すというものだった。石灰や玉ねぎの汁等を洗剤として使っているようだが、それにしたって重労働だ。洗濯板とて大変な事には変わりはないが、それでも足でやるよりはマシだろう。

 

「家具店なら板の仕入れも簡単だろ? 技術的にも難しいところはないから、量産は可能なはずだ」

 

「本当は脱水機とか洗濯機も欲しかったんだけどねえ」

 

「手回し式のがあったはずだが……ワタシらじゃさすがに作れんな」

 

「実績も何もないのに、ここの職人に頼むのもね……まあ簡単なのを思いつけてよかったわ」

 

 皐月が普段より少々視線を下に向け、名楽を見ながら言った。彼女のどこを見て洗濯板を作る事を思いついたか、そこまでは言わない情けが皐月にもあった。実に麗しき友情と言えよう。

 

「んで、コレどーやって使うん?」

 

「じゃあ、実際に使ってみるか」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ええわ」

 

 マリアが目を炯々と光らせ、洗濯板を見つめてうわごとの如く言葉を漏らした。実験という洗濯の結果、大層に気に入ったようであった。

 

「売れるわコレ……こうしちゃいられへん! すぐ――――」

 

「待った」

 

「――――グヘッ!」

 

 洗濯板を掴んで駆け出そうとしたマリアの首根っこを、皐月が引っ掴んだ。必然的現象として、勢いのまま彼女の首は服に絞められ、妙な声と共に足が止まった。

 

「なにすんねん!! 殺す気かッ!!」

 

「あっゴメン。でも大切な事だったから」

 

「ほほう……それはウチの首より大事な事なんやろな……?」

 

 青筋を立てたマリアが凄んだ。ここの主なのに、クビ(物理)になりそうだったので当然と言えば当然だったが、次に続く言葉を聞いてその怒りも引っ込んだ。

 

「皇都の人口を一万人、一家族を五人とすると、洗濯板は最低二千枚必要になる計算なんだけど、それだけの数を用意できるの?」

 

「数字は適当だが、増える事はあっても減る事はないぞ。売るのは皇都だけじゃねーからな」

 

「む」

 

 国内は確実に、事と次第によっては国外にも売りに行く事になるだろう。となれば必要枚数は膨れ上がる。一万枚どころか十万枚を軽く超えても不思議はない。一家具店の手には少々余る。

 

「それにねえ、コレ絶対に真似されるわよ。私にも作れるくらいだもの」

 

「特許なんてないしな。あとはアレだ、最初は需要に対して供給が追い付かないから品薄になるだろうが、その後下手に量産したら余るぞ。そうそう買い替えるモンじゃないんだから」

 

「むむむ……」

 

 腕を組んで考え込むマリア。指摘されればいちいち尤もな意見だった。高速で回転する、商売人としての頭が解決策をはじき出さんとするが、その思考を光のない隻眼が遮った。

 

「何より、()()()()すると余所から嫉妬されるわ。感情は厄介よー、往々にして損得を超えるからね」

 

 口調こそ軽かったが、その奥底には隠し切れない重みが沈んでいた。それを敏感に感じ取ったマリアは、まじまじと悪魔二人を見つめ返した。

 

「……あんさんら、商売にも詳しいんか?」

 

「いや、さすがに経験はないよ。多少知識があるってだけ」

 

「商売は分からないけど道理と人の感情は分かる、ってとこかしら。全部分かるとまでは言わないけどね」

 

 実際、皐月は人の『弱さ』がよく分かっていない。戦わなければ死ぬ、という状況で、戦わない戦えないという選択肢を選ぶ人間の『弱さ』を、本質的に理解する事が出来ない。戦えないのなら死ね、と臆面もなく言えるタイプだ。というか言った。

 

 だがそれでも、人の持つ負の感情についてはよく知っている。何せ彼女の人生は、良くも悪くも――大体悪いが――その感情によって旋回して来たのだ。嫉妬の炎に身を焦がす者が何をするか、そんな事は考えなくともよく分かる、というものだ。

 

「ほな、どうしたらええと思うん?」

 

「いやそれはあなたが決める事じゃないの? そりゃ他の商会に話を持ち込んで連携するとか、選択肢は色々あるだろうけど、ここの主はあなただし」

 

「なるほど――――成功も失敗も、全てはウチ次第っちゅーこっちゃな!?」

 

「えーと……まあ、そうなるのかしら?」

 

 拳を握りしめ燃えるマリアに、よく分からない方向に飛んだ話に首を捻る皐月。そんなマリアに向けて名楽が何かを言おうとしたが、商売人の動きの方が早かった。

 

「燃えて来たわ……やったるでー!」

 

 今度こそ洗濯板を引っ掴むと、勢いのままに駆け出していくマリア。中途半端に上げられた名楽の手だけが、所在なさげにぽつねんと残されていた。

 

「…………大丈夫かね」

 

「さあ……。でも私達がやるよりはマシでしょ多分。餅は餅屋って言うし」

 

 何から何まで自分達でやる必要はない。出来る者がいるのなら、任せてしまう事も必要だ。それが専門家であり、経験や実績があるのなら尚の事。

 

「私達はあくまでただの従業員。あれこれ口を出すのは筋が違うし、権限もない。なら任せるしかないでしょ」

 

「それはまあそうなんだが。大丈夫かねえ……」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 マリアは新商品発売に当たって色々と動いているが、二人には関わりのない……というか、関われない事であった。今はまだ、だが。

 

「あ゛ー……あ゛ーあ゛ーあ゛ー…………」

 

「うるさいぞ菖蒲」

 

 そんな嵐の前の静けさのような、空いた時間を使って文字の学習に励んでいるのであるが、皐月は奇声を上げてグロッキーであった。大きな帽子で耳と角をまとめて隠した名楽が窘めるが、皐月は獄楽が乗り移ったかのようなやる気のなさと共に、ぐでっと机に突っ伏した。

 

「だってさあ……私には向いてないわよこれ……」

 

「記憶力はいいんだから頑張れよ」

 

 音声は謎機能によって翻訳されるが、文章にまでは適用されない。従って一つ一つ地味に覚えていかなければならないのだが、これが難題であった。少なくとも皐月にとっては。

 

 例えば、『I can fly.』という文章を音読すると、『アイ キャン フライ』だ。しかしこちらの文字で書いてあるそれを読み上げてもらうと、『私は飛べる』と()()()で聞こえる。単語単位で区切って読んでもらうと、今度は『私 出来る 飛ぶ』と聞こえる。

 

 言文不一致かつ、中途半端に入って来る日本語要素が、皐月の理解を妨げていた。表音文字らしく、文字数が少ないのは救いではあったが、それでもすぐにどうこう出来るようなものではないのは明白であった。

 

「羌子は何で平気そうなのよ……」

 

「慣れかね。オヤジの手伝いで似たようなコトしてるから」

 

「ああ、ルポライターだっけ……」

 

 その文章の添削をしているのが名楽だ。時には日本語以外の文章を扱う事もある。異世界でも役に立つ辺り、経験というものは中々馬鹿にできないものであった。あるいは、文系と理系の差なのかもしれなかった。

 

「ほれ、もうちょい頑張れ。付き合ってくれてるクラウス君にも失礼だぞ」

 

「い、いえ、僕の事は……」

 

 気弱そうな様子で曖昧な態度を見せるのは、金髪碧眼の少年だった。少年といっても、この国の慣習的にはギリギリ成人している。顔つきはハゲことアルベルト・トクトーにそこはかとなく似ており、血の繋がりをどことなく感じさせた。

 

 彼の名はクラウス・トクトー。マリア・トクトーの弟であり、トクトー家具店の従業員だ。そして皐月・名楽両名の、異世界語の教師でもあった。

 

 とは言え、教師と言っても()()ではない。教育にはコストがかかるし、彼とて暇という訳ではないのだ。クラウスは彼女らの高速計算術を教わる事と引き換えに、文字を教えていた。ネイピアの骨には九九と同じ内容が刻まれているため、教えたところで特に大きな影響はあるまい、と彼女らは考えたのだ。

 

「で、でも、お二人とも凄く飲み込みが早いですよ」

 

「そう……? でもそれを言うならあなたも中々だと思うわよ、下地があったにしてもね。これなら計算棒なしの計算もすぐ出来るようになるんじゃないかしら」

 

「計算か……ソロバンでも作ってみるか?」

 

「九九ありきの代物だから広まらなさそうだけど……ちょっと影響が大きそうだから、よく考える必要があると思うわ」

 

 ソロバンは、使い方さえ覚えれば誰でも使える。それはつまり、多数の凡人の能力を底上げ出来る、という事だ。となれば文官を量産する事で行政能力を向上させ、結果として上向いた国力を背景に戦争を始める、という事がないとは言い切れない。

 もちろん杞憂で終わる可能性の方が高いのであろうが、考えない訳にもいかない要素であった。

 

「それもそうか。しかしこの調子なら期間次第だが、中一数学くらいまでは進めるかもな」

 

「三平方とか? 測量には使えるとは思うけど、家具店としてはどうなのかしら」

 

「数学的デザインとかで使えるんじゃないか? 3:4:5の三角形をロープで作れば、応用で平行四辺形や六角形も作れるしな」

 

 理解の及ばない内容に目を白黒させるクラウスを余所に、悪魔達の話は進んでいく。

 

「そこまで進んだら、宿題を残してみるのも面白いかもね」

 

「宿題?」

 

「そうね例えば……フェルマーの最終定理とか」

 

「止めろよ? 絶対止めろよ?」

 

 17世紀、フェルマーというアマチュア数学者が残した定理だ。尤も彼は『この余白は証明を書くには狭すぎる』と宣い、証明を残さなかった。そのためプロアマ問わず数多の数学者が証明に挑み――途中から懸賞金すら懸けられた――敗れ去って行った。完全な証明が成されたのは、実に350年以上も経った1995年の事である。

 

 それもこれも、問題そのものは単純なせいだ。『nが3以上の自然数の時、 xn + yn = zn を満たす自然数の組 (x, y, z) は存在しない』というだけなのだから。理解だけなら、中学生程度の知識があれば出来る。しかし証明は死ぬほど難しい。一見全く無関係そうで、おまけに非常に複雑な定理を複数解く必要があるのだ。

 

 うっかりこちらの世界に残そうものなら、大惨事になりかねない。成り行き次第だが、人生を棒に振る人間が量産される可能性は決して低くないのだ。名楽が止めるのも無理もない。

 

「それは『押すなよ、絶対押すなよ』的な……」

 

「ちげーよ!」

 

「何だか嫌な予感がするので、宿題は遠慮しておきます」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 史実において紙の発明は紀元前の中国だが、ヨーロッパへの伝播は遅く、10~16世紀頃だと言われている。だがこの国、エイガム魔法帝国において紙は普及しており、上等が羊皮紙、下等が紙、といった具合に使い分けが為されているのだ。

 

 従って、皇城の一室で貴族達が書類に埋もれていても、何もおかしなところはない。いくら国の中枢と言っても書類量が過剰で、ゾンビの方がまだ血色の良さそうな顔色をしていても、それはそれである。

 

「警邏の方にもう少し人員を回せぬか? スケルトンをつけてくれるだけでもよい。スケルトンの数が限られているのは分かっているが、騎士の手が足りんのだ」

 

「スケルトンは街の清掃から外せん。やりたがる者が少ないのだ」

 

 スケルトンとは、外見は人間の骨格標本そのものの、魔術で生み出される魔法生物だ。頭が悪く力も弱いが、創造主の命令には絶対服従で魔力が続く限り動けるので、奴隷も嫌がるような場所で使い倒されている。ハゲの使う竜骨兵の下位互換、と思っておけば大体間違いない。

 

「清掃なぞ、少しくらい削っても……」

 

「不浄は疫病を招き寄せる、と悪魔は言っていたではないか」

 

「むぅ……そうなれば我らも危うい、やもしれんか……」

 

「病は貴賤を問わんからな。かと言って、我らの足元で胡乱な者どもを蔓延らせる訳にもいかん。悩ましいところだ」

 

 公衆衛生を取るか、治安維持を取るかの話し合いをしていたようだ。不潔にしていれば疫病リスクが上昇するし、さりとて皇都の治安を軽視する訳にもいかない。どこぞの管理出来てない局ではあるまいし、首都の治安がヨハネスブルクでは面子が丸潰れだ。

 

 答えのない難問に頭を悩ませていると、すぐ近くの席から不吉を凝縮させたような呻き声が響いて来た。

 

「う、うぁ……! あ、あああああああぁぁぁあああ!!!!」

 

「い、いかん!!」

 

「またデッカー卿が発狂しておられるぞ!」

 

「薬だ! 薬を持てい!」

 

「ただいま!!」

 

 現代人から見ると微妙に地味だが、それでもこの国では最高峰の服を引きちぎらんばかりの勢いで、男が手足を振り回す。書類が山崩れを起こし、隣の男は暴れ馬を後ろから羽交い締めにし、侍女は慣れを感じさせる動きで急いで薬を取りに行く。

 

 ここ最近の皇城において、日常と化した修羅場であった。嫌な日常もあったものである。

 

「あ、あぁ……」

 

「気が付かれたか、デッカー卿?」

 

「……すまない、少々取り乱したようだ」

 

「何、気にするな。私と卿の仲ではないか」

 

「バルツァー卿……」

 

 見つめ合う二人。これが見目麗しき男女ならまだ絵にもなろうが、残念ながらむさいオッサン二人である。その雰囲気に吐き気を催したのかは定かではないが、侍女が二人の間に割って入って来た。

 

「あの、これを……」

 

 彼女が差し出してきたのは、小さなプラチナ製のバッジであった。この国における貴族の証であり、貴族は常に服のどこかにつける事を義務付けられている。先程暴れたせいで外れてしまっていたようだ。

 

 プラチナは銀より遥かに錆びにくく、金よりも硬い。貴族の象徴としてのバッジの素材としては適切と言える。ただしその融点は約1800℃で、鉄よりも300℃も高い。それでもこの国では、魔術を用いる事で、ごく僅かながら融かして加工する事が可能なのだ。魔法帝国の面目躍如と言えるだろう。

 

「あ、ああ……」

 

 デッカー卿と呼ばれた男は、差し出されたそのバッジを見つめるだけで、どうしても手が伸びる気配がなかった。訝しんだ隣のバルツァー卿が声をかけた。

 

「如何された、デッカー卿」

 

「…………私は、何をやっているのだろうな」

 

「デッカー卿……」

 

 漏らされたのは、質問への答えではなく独白であった。しかしその気持ちが分かってしまうバルツァー卿は、何も言う事が出来なかった。

 

「我らは、前の皇帝を排して取り巻きどもと共に奴隷に落とし、その後を襲った」

 

「それは、有翼の悪魔が……」

 

「煽動したのは確かにあの悪魔だ。しかし乗ったのは我らだ。我らは、それぞれ理由があるにしても、自らの意思で悪魔の言葉に乗ったのだ」

 

 皇帝への恨みを晴らすためであったり、窓際に追いやられた鬱憤からであったり、私ならもっと上手く出来るという自負であったり、単に欲望を満たすためであったり。それぞれ理由は様々だったが、『有翼の悪魔』の下皆一丸となって、皇帝を奴隷に落としたのだ。

 

「それはよい。あの悪魔が皇帝……いや、元皇帝やその取り巻き共を殺さなかったのもまあよい。すでに()()()()話だ」

 

 『有翼の悪魔』が皇帝とその取り巻きを殺さなかったのは、心情的なものと、『魔術師』をなるべく減らしたくない、という心理が働いていたからだと思われる。何しろこの国の特権階級は全て魔術師なのだ。魔術師が減れば、その分だけ元の世界への帰還が遠のいてしまう。

 

 その思惑は上手く行き、『有翼の悪魔』は『異形の幼子』と共にこの国から姿を消した。となれば当然、負け犬連中を生かしておく理由はどこにもない。自身がいなくなった後は好きにしろ、という『有翼の悪魔』の言葉もあり、適切に処理はなされた。

 

「だが、これは……この惨状は、よいとは口が裂けても言えん……!!」

 

 書類の海に溺れながら、デッカー卿は血を吐くように言葉を吐き出した。確かに彼の言う通り、誰がどう見ても多過ぎた。

 

「同感だ……全く同感だよデッカー卿……。だが、どうしようもないではないか。我らがやるしかないではないか」

 

「分かっている……分かっているのだバルツァー卿……! だが、だがそれでも、言わずにはおれんのだ……!!」

 

 今の帝国を現代の会社に例えるならば、会長社長役員を追い出し、代わりに部長課長がその座についた、といったところである。当然回るはずがない。能力才能時間人手、そして何より、信頼が足りない。政治に必要なのは信頼であり、それは地味な努力を、日々真っ当に積み重ねる事でしか手に入らないものなのだ。

 

 それでもこの国が回っているのは、皇族の血を引く男が玉座に座り、神輿となって人心の慰撫に努めたという点が大きい。奴隷になっていた元皇帝の遺産を食い潰している、とも言えるが細かい事は気にしてはいけない。皇帝は王と違って、勝った者勝ちのパワーイズジャスティスなのだ。

 

 また、『有翼の悪魔』が統治システムを作り上げて行った事もある。彼女は自身で統治する事を選ばなかったが、その責任は果たして行ったのだ。外国人である事を考えれば、十分な貢献だと言えよう。

 

 だがしかし、いくら上手く出来ていようが、新しいシステムが早々馴染むはずもない。政務をこなせる人材もまた不足している。ゆえにこそ、新しく支配者となった彼らは、夜も昼もなくこうして缶詰めになっているのだ。

 

「いくら権力があろうが! 金があろうが! 贅があろうが! 使う暇がないのでは何の意味もない……! 違うか、各々がた……!!」

 

 まあどう見ても過重労働ではあったが。このままでは折角手に入れた力を使う前に、書類に溺れて溺死しかねない。過労死認定も労災もこの時代には存在しないので、死んだらそこまでである。最後にこの城を出たのはさて、いつだったか。

 

「――――落ち着け」

 

 嫌な方に転がりかけた空気を、落ち着いた声が切り裂いた。厳めしい顔つきに、白いものが交じり始めた茶色の髪。『有翼の悪魔』を利用し利用され、この国の皇帝の座についた、ガブリエル・シュトラウスである。

 

「……陛下」

 

「デッカー卿よ、そちの言う事は全くもってその通りだ。余とて、このような事になるとは思っていなかったとも」

 

 皇帝は自らの机の両脇にうず高く積まれた書類を見回し、苦笑した。彼とて政務の経験がない訳ではないが、この量になるのはさすがに予想外だったのだ。

 

「ならば……!」

 

「だがな、それでも。それでもやるしかないのだ。バルツァー卿の言った通りにな」

 

「ぅ……」

 

 威厳の込められた目線と声に、デッカー卿は黙り込んだ。彼も分かっているのだ。自分達がやるしかないという事を。

 

「気持ちはとてもよく分かる。余も、何故このような事をしているのか、と思う時は正直ある。だがな、それは言ってはいかんのだ。少なくとも、公の場ではな」

 

 本来はここでも言ってはいかんのだがまあ許せ、と言う皇帝に、自然に貴族達の視線が集まる。貫録と風格を併せ持つ声が、貴族達の意識を捉えていく。

 

「卿らは貴族だ。それも準貴族や木っ端貴族ではない。かつてはそうだった者もいるかもしれぬが、今この場ではそうではない。この国の頂点に位置する、大貴族だ」

 

 皇帝は居並ぶ貴族達の顔を見渡した。彼らに自らの言葉が染み渡る僅かな間を待ち、皇帝は重々しく言葉を紡いだ。

 

「そして余は、その大貴族を束ねる皇帝だ。ならば我らには、義務がある。この国を導く者としての義務が。高貴なる者の義務(ノーブレスオブリージュ)が」

 

 この時代、教育とは高級品だ。貴族や皇族が高度教育を独占しているのは、民に余計な知恵をつけさせない方が統治しやすいという事もあるが、単純に国力が足りないためである。義務教育は余裕のある国の特権なのだ。

 

 であるならば、貴族や皇族がその地位に応じた責任や義務を果たす事は、もはや必然である。何しろ、他に出来る者がいないのだ。やらねば滅ぶばかりである。

 

「この義務は、投げだす事は許されない。押し付けられたのではなく、自らの手で勝ち取ったのだから。権利と義務は表裏一体。事ここに至って、それを分からぬ者はここにはいないと余は信ずる」

 

 ()()()()()()()悪役のような腐敗貴族は、現実にはほとんど存在しない。実際の悪徳貴族は、きちんと仕事はこなし、その傍らで汚職その他の悪事を働くのだ。国も国でそれを把握しておき、何かあったらその貴族を取り潰して資産を没収する気なので、どっちもどっちである。

 

 兎にも角にも、この場にはそのような腐敗貴族や悪徳貴族はいない。常識的な範囲で悪事を働いている者はいるが、あまりにあまりな者は『有翼の悪魔』が弾いている。つまり、皇帝の言を理解できない者はこの場にはいない、という事であった。

 

「だがそんな事よりも、もっと直接的に、やらねばならぬ理由が我らにはある」

 

 意表を突かれたような表情を見せる貴族達に向け、悪戯っぽい、剽げたような笑顔を見せて彼は言った。

 

「――――投げ出すのは、カッコ悪いだろう?」

 

 一国の皇帝に相応しい、しかして優しく(たお)やかなカリスマが場を満たしていく。畏怖ではなくどこか親しみを感じさせる雰囲気が、皇帝から発散されていた。

 

「後世の、口だけ達者な歴史家どもに、『彼らは皇位を簒奪したが、愚かにも国を滅ぼした』なんて言われたくはないだろう?」

 

 貴族と言っても、その人間性まで貴いという訳ではない。ちょっとした善行も悪行もするし、金は欲しいし女も欲しい。つまりはどこにでもいる俗物にして普通の人間という事なのだが、ゆえにこそ悪名は残したくなかった。

 

「家に帰った時に、『ちちうえ、おしごとはどうされたのですか?』なんて、我が子に言われたくはないだろう?」

 

 この場の貴族全員は既婚者だ。この時代、結婚は義務ですらあるからだ。当然子供もいるが、皆が皆そこまで子煩悩という訳ではない。だが常識的なレベルでの愛情は皆持っている。

 

 そんな我が子からの言葉を、後世の人間からの嘲りを、否応なしに想像してしまった貴族達は、言葉を詰まらせるしかなかった。

 

「だからな、これは我々がやるしかないのだ。我らが胸に宿る、一握りの矜持にかけてな」

 

 そこまで言い切った皇帝は、話は終わりだと言わんばかりに再び書類に目を落とした。それを見た貴族達も彼に倣い、羽ペンという剣を手に、書類というドラゴンに無言で立ち向かい始めた。その背中には確かに、国を動かす貴族としての矜持が芽吹いていた。

 

「――――バッジをよこせ、ナターリア・シシリー」

 

 半ば呆然と皇帝の話を聞いていたデッカー卿が、傍らに立ち続けていた侍女に目を向けた。強い光を宿した、鳶色の目だった。

 

「え……。私の、名前を……?」

 

「私を誰だと思っている。この国を統べる大貴族の一人だぞ。侍女の名前如き、覚えられぬとでも思っていたのか」

 

 侍女は、放心したようにデッカー卿を見つめ続け動かなかった。その様子を見た彼は、瞳の光をさらに強くし、傲慢に鷹揚に、されど確かな覇気と共に言葉を重ねた。

 

「私は寛大だ。聞こえなかったようだからもう一度だけ言ってやろう。それを、その貴族の証たるバッジを返せ。必要なのだ、私にはな」

 

「――――はい!」

 

 彼は差し出されたバッジをひったくるように掴むと再度服につけ、朋輩達と同じように書類との格闘を始めた。侍女はその背中に深々と一礼すると、部屋を退出して行った。

 

 

 彼らは、前任者に比して有能という訳ではない。むしろ経験が足りない分、劣ってすらいるだろう。しかしその熱意と矜持は本物だ。俗物なれども無能ならざる彼らは、この国を運営する事が出来る。他国からの介入がない限りにおいてだが、皇都の混乱もきっと治まるに違いない。

 

 だがそれは、今日ではないし明日でもない。時は待ってはくれないし、問題は解決されない限り、とめどなく山積されていく。それは即ち、皇都の混乱は今しばらく続く、という事を意味していた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「――――と、いう事になっておるようだ」

 

 ハゲた魔術師が、自らが召喚した悪魔達に、皇城についての調査結果を伝えていた。皇帝以下の首脳陣は城にセルフ監禁状態だが、人の出入りはない訳ではないし、特に隠してもいないので、調べる事はさほど難しくはなかったのだ。

 

「あー……何と言うか、コメントに困る事態になってるわね」

 

「その、何だ……城の惨状はひとまず置いて、私らに関係あるトコを纏めるか」

 

 名楽はぴっと指を一本立てて話し始めた。

 

「まず、ここ皇都の治安は、しばらく改善を見込めない」

 

「私にとっては直接的にはあんまり関係ないけど、羌子にとってはちょっとまずいわね」

 

 何か事件にでも巻き込まれて、角と獣耳がバレでもすれば最悪だ。口封じにだって限度がある。かと言って、戦闘能力の低い名楽が自衛するというのは難しい。拳銃は最終手段だ。そう軽々しく使える代物ではない。

 

「菖蒲となるべく一緒にいるしかないかね。まあそれはともかく、商売の方にも関係ある話だな」

 

「治安が悪いと商売には悪影響しかないしねえ。気は進まないけど、私が用心棒をやる日も近いのかもね。あなたのスケルトンは弱いし……竜骨兵は出せないの?」

 

「ワシの消耗具合が違うのだ。人足として使う分にはスケルトンで十分であろうが。竜骨兵は、何かあったら出してやる」

 

 労働力として、ハゲは店に一体のスケルトンを提供している。力は竜骨兵より弱く、子供以上成人女性未満といったところだが、命令に反抗する機能のない労働力は何かと役に立っていた。

 

「その話は後にしてくれ。んで、二つ目だ」

 

 名楽が二本目の指を立て、二人の注目が集まった。

 

「城には、高確率で帰還術式が存在するだろう、ってコトだな」

 

 ハゲの話からすると、そういう事になる。二人にとっては、何よりも重要な事であった。

 

「その前にあなたに聞いておきたいんだけど」

 

「何だ」

 

「権力が欲しいって話だったけど、城に仕官はしないの? 話からすると、今なら簡単に入り込めそうよ?」

 

 そも、魔術師貴族制の始まりは、魔術師なら読み書き計算が可能だから、という事に端を発する。魔術師だから偉いといったような選民思想ではなく、文官を求めるための制度だったのだ。従って、ハゲが応募すれば即採用されるだろう。最初は準貴族からだが。

 

 ちなみに、ごく稀に読み書き計算とは無関係に、生まれつき魔術を使える者も存在する。だがそういった者達は例外なく強力な魔術を行使出来るので、どっちにしろ取り込む価値はあるのだ。

 

「最初はそのつもりもあってこの国に来たのだがな……。いくら権力を持とうが、使う暇がないのであれば意味があるまい。明らかに労苦と見合っておらんわ」

 

「罰ゲームより酷そうだからな……」

 

「多分本来は現地で判断するような、細かい事まで上げてるせいなんでしょうけど……それにしたって、さすがに、ねえ」

 

 揃いも揃って、何とも()()()顔となった。うっかり渋柿を食べてもこんな顔にはなるまい、と思わせる顔であった。

 

「ま、ハゲが城に行く気がない、ってのは分かったけど」

 

「ハゲではない」

 

「それならこれからどうするの? 後は金と女とか言ってたわよね?」

 

「当面はマリアに協力する事になるな。新商品とやらを売り出すのであろう? どれほどの物かは知らんが、売れれば金は入って来るだろうよ」

 

 真っ当に売れれば、おそらくハゲが想定している程度では済まないと思われるが、まあ知らぬが花である。どうせすぐ知る事になるのだし。

 

「そういうお主らはどうなのだ? 術式はおそらく城にある。忍び込んで奪って来ればいいのではないか?」

 

「なぁんで二人してそういう事言うかなあ……。城に忍び込むとか無理に決まってるでしょうが」

 

 その言葉を聞いたハゲは、酷く驚いた表情となった。

 

「なぬ? どういう事だ?」

 

「いやどうもこうも……泥棒じゃないんだから、そんなスキルは私にはないわ。段ボールもないし、私に出来る事と言ったら気配を消すくらいがせいぜいよ」

 

「お前さんのその段ボールに対する情熱は何なんだ……」

 

「…………なるほど、完全なる戦闘特化の悪魔という事じゃな?」

 

「いやそういう訳じゃ……まあいいわめんどくさい」

 

 皐月が、面倒になるとブン投げるという悪癖を発揮した。名楽は呆れたようなジト目で彼女を見ていたが、何も言う気はないようであった。皐月はそんな視線を見なかった事にすると、パンと手を打ち鳴らした。

 

「さて! 方針としては、皆ひとまず商売に専念する、って事でいいわね?」

 

「城の方は気になるが、今はどうしようもないからな。差し当たってはそれでいいと思う」

 

「選択肢が増えた、くらいに考えておいた方がいいでしょうね。気になるのは私も同じだけど」

 

 ハゲが仕官しない以上、手っ取り早く城から帰還術式を得る、という事は不可能であろう。尤も、仕官したらしたで無間書類地獄に落ちると思われるので、術式を探す暇があるのかは甚だ疑問であったが。

 

「ワシもそれで異存はない。大商人となり、金の力に物を言わせるのも一興か」

 

「メディチ家でも目指すのか?」

 

「何だそれは?」

 

「昔存在した大商人。最盛期は国ですら頭が上がらず、後には一国の主にすらなった銀行家だ」

 

「ほう……」

 

 ハゲが明らかに興味を見せた。仕官の道が実質的に(つい)えたからといって、野心や欲望が消えてなくなった訳ではないようであった。

 

「ならばワシも、そのメディチ家とやらに倣う……いや! 超えてみせるとしよう! 何、このワシならば容易い事だろうよ!」

 

 フハハハハと高笑いするハゲの横で、悪魔達が声を潜めてこそこそと話をしていた。

 

「メディチ家はそこまで行くのに何代もかかったし、最終的にはコケたんだが……」

 

「黙っておきましょう。やる気に水を差す事もないわ」

 

 何はともあれ、やる事は決まった。目的は違えど道筋は一つ。同床異夢でも手段が同じなら、協力し合う事も可能である。義理人情ではなく利害得失で繋がった二人と一人だが、地獄の悪魔とその召喚者としては、実に健全な関係であると言えた。

 




 誰かセントールとアイマスのクロス書いてくれないかなあ……。

 244様、誤字報告ありがとうございました。


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間話 体育祭って昔は一年に二回あったんだって

 公式ページの最新話で体育祭やってたので。


 天高く馬肥ゆる秋。字面通りの故事成語だが、何故馬なのか考えた事はあるだろうか。身近な家畜には違いないだろうが、それなら豚や牛、何なら家畜に限定せず食用にしていた鹿や猪でもいいはずだ。そこには、馬でなければならない理由が存在している。

 

 この言葉は、日本ではなく古代の中国で生まれた。ここで言う馬とはただの馬ではなく、騎馬民族が保有していた馬だ。夏の間、青草をたっぷり食べた馬は肥えている。秋になるとそんな馬に乗った騎馬民族が収奪にやって来る、という意味なのだ。

 

 とは言え、そんな剣呑な事情も今は昔。現在では、単に秋は晴天が多いだとか、つい食べ過ぎて太って困るからダイエット、のような長閑な理由で使われる事の方が多い。

 

 ここ、新彼方高校でもその例に漏れず、天高く馬肥ゆる秋……と言うには少々過ぎているかもしれないがとにかく秋晴れのとある日に、第114回目となる体育祭が執り行われていた。

 

「あら凄い」

 

「マジではえーな、犬木。まさか姫に勝つとは」

 

 種目は100m走。陸上競技では本来、形態別に分かれるが、あくまでも『遊び』という体の体育祭ではそこまでしない。従って人馬の君原も、他形態と共に走っていた。馬力も脚の数も違う以上は一位は確実だと思われたが、その下馬評を覆し、何と長耳人である犬木が一位になってしまったのだ。

 

「姫ちゃんは100mが9秒くらいでしたよね。人馬以外では世界記録でもそこまでではなかったと記憶していますが」

 

「男子でも9秒半くらいだったか? 女子だと10秒も切れてなかったはずだぞ」

 

 2018年現在、男子の100m最速記録はウサイン・ボルトの9秒58、女子はフローレンス・グリフィス=ジョイナーの10秒49である。しかしこの世界には、ヤギのような脚を持つ牧神人が存在するので、二足歩行でももう少し記録は伸びるのではないかと思われる。

 

「姫~、ちょっとはマジメに走れよ」

 

「走ったよ~」

 

 人類の速度議論を始めてしまったサスサススールと名楽を尻目に、獄楽が君原に咎めるような視線を送っていた。遊びとはいえ、負けるのは気に入らないようであった。

 

「んー……。ひょっとして姫」

 

「なあにあやちゃん?」

 

「ブラのサイズが合ってないんじゃないの」

 

「えっ」

 

 セクハラまがいの皐月の言葉に、君原はびきりと固まった。どうも心当たりが、無い訳では無いようだった。

 

「またデカくなったんか。牛じゃねーんだからよ」

 

「な、なってないよぅ!」

 

 恥ずかしがって大きくなった事を言い出しづらく、結果下着のサイズがそのまま、という流れではないかと思われる。あのサイズだと中々売っていない事もあるだろう。

 

「そう言われりゃ確かに随分揺れてたな」

 

「その揺れが気になって、無意識にブレーキがかかってしまったというコトでしょうか?」

 

 覗き込む蛇の三つ目に、顔を赤くして俯いてしまう君原。女王しか生殖を行わない南極人には、この辺りの微妙な感情が感覚として掴みにくいようだった。

 

「うぅ……牛じゃないもん牛じゃないもん」

 

「すねてるところ悪いけど姫、合ってないんなら早急に何とかした方がいいわ。さもないと……」

 

「……さもないと?」

 

「垂れるわよ」

 

 バックに雷が落ちたかの如き劇画調の表情で、君原が完全にフリーズした。古いパソコンのような、ガリガリガリという音が聞こえんばかりであった。垂れる心配の全くないサスサススールが、にょいんと首を皐月に向けた。

 

「垂れるのですか」

 

「年取ってからね。姫は大きいからまあ、大変な事になるでしょうねえ」

 

「哺乳類人は大変ですね」

 

「サスサスは垂れるモンがねーかんな」

 

「お前それ自爆してるって気付いてんのか?」

 

 サスサススールを見て納得したようにうんうんと頷く獄楽に、おまけのように流れ弾を食らった名楽が鋭いツッコミを入れた。南極人には授乳機能そのものが存在しないので、胸がないのはある意味当然なのだが、哺乳類人平原コンビにはそんな事情は一切ない。泣ける。

 

 ちなみに垂れる原因としてはクーパー靭帯の劣化や損傷が有名だが、それだけという訳ではない。加齢に伴う女性ホルモンの減少や、妊娠出産に伴う身体のサイズ変動等々、様々な原因が絡み合って起こる事なのである。

 

 とは言え一因には違いないので、若いうちから気を付ける事は必要だ。君原のサイズなら尚更に。水中で生活する事が多い人魚ならともかく、完全陸棲の人馬では、垂れてしまえばそれはそれはとんでもない事になるであろう。

 

「私にはピンとこない話なのですが、やはり大きい方がいいのでしょうか?」

 

「小さくても育児は可能なんだし、その辺は好みなんじゃないの」

 

「姫ほどじゃねーけど、菖蒲も結構あったよな」

 

「姫の隣だから目立たないだけで、ガタイはいいかんね。そりゃサイズだって相応になるさ」

 

「ガタイっつーか、筋肉の上に胸が乗ってるってカンジだったけどな」

 

「ほっといて頂戴」

 

 鍛えた肉体を恥じる訳ではないが、やはり女子として思うところはあるようだ。軍人のように全身是筋肉、とはなっていないが、それでも腹筋バキバキになればさもありなん。

 

「というか何でこんな話になったんだっけ」

 

「姫ちゃんが100m走で負けたためでは?」

 

「姫の胸が揺れると、菖蒲の腹筋にダメージが行くのか……」

 

「そんな大風桶屋理論じゃないんだから」

 

 姫が走ると胸が揺れ、胸が揺れると100m走に負け、100m走に負けるとブラのサイズが合っていない事がバレ、ブラのサイズが合っていない事がバレると胸の話になり、胸の話になると皐月の筋肉の話がポップし、筋肉の話がポップするとその持ち主の精神にダメージが行く。一分の隙もない完璧な理論だ。

 

 問題があるとするならば、本格的にフリーズした君原の再起動の目途が立たない事くらいである。体育祭はまだ始まったばかりだというのに、先が思いやられる有様であった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ほら姫、元気出せ。もう次の競技始まるぞ」

 

「うぅー…………垂れないよね……?」

 

「今から気を付けてれば大丈夫よ」

 

 何かトラウマにでも直撃してしまったのか、へこんでしまった君原を励ましつつ、次の競技の綱引きに挑む。男女別で実施され、綱の中央に結びつけてある旗を倒した方の勝ちだ。

 

「それよりもう始まるわよ」

 

「つっても、姫と菖蒲の馬鹿力コンビがいるんだから余裕だろ」

 

「そ、そんなに力強くないよぉ!」

 

「姫はともかく、私はあんまり役に立たないと思うわよ」

 

「そうなん?」

 

「綱引きで重要なのは、腕力より体重……正確には、足裏の摩擦力だから」

 

 相手を強く引っ張るためには、踏ん張らなければならない。それに必要なのは摩擦力であり、摩擦力を発揮するためには重い体重が必要なのだ。腕力が強くとも、体重が軽いと踏ん張れずにずるずると引き摺られてしまう。相撲取りが脂肪をつけて体重を増やすのと理屈は同じである。

 

「技術があればその限りじゃないかもだけど、そんなのないし」

 

「あとは重心を低くすれば有利になりますね」

 

「そういう意味では人馬は不利ね」

 

「屈めねーかんな」

 

 人馬は構造上、中腰で屈んだまま綱を引くという動きが出来ないのだ。蹄の上の関節は内側にしか曲がらないので、屈んだら座り込むしかない。人馬は、二足歩行で言うなら常に指先で立っている状態であり、蹄の上の関節は指の付け根に相当するためである。

 

 ちなみに後脚中央の逆関節っぽい箇所は(かかと)で、膝は身体に非常に近い箇所にあり、太腿に至っては完全に身体と一体化している。

 

 蹄は中指が巨大化して出来たもので、他の指は退化して消えた――――というのはこれまでの通説だったが、近年の研究では異説が出ている。その説によれば、五本指全てが融合して蹄となったらしい。これは馬の話だが、人馬もひょっとするとそうなのかもしれない。

 

「オイ、ホントに始まるぞ!」

 

 そうして始まった綱引きは、君原の体重が全てを持って行った。あまりの勢いに、獄楽のインターセプトが入ったほどだった。物理法則には勝てなかったよ、というのが相手チームたる白組の言い分である。

 

 男子の方は、人馬が二人もいる白組を抑え、小守と猫見のパワーが赤組に勝利を引きずり込んだ。物理法則仕事しろ、というのが相手チームの言い分である。

 

 なお猫見(ねこみ)とは、君原達と同じクラスの長耳人男子だ。地味に一年時から同クラスだったのだが、地味に出番がなかった。尤も彼は、地味からは程遠い体型をしている。有体に言うなら達磨かドラ〇もんだ。その体型に見合った力もあり、小守と腕相撲をした際は机を破壊してしまったほどだ。

 

 そんな猫見と小守の怪力無双を見た獄楽が、端的に評価を下した。

 

「アホな分、全部の栄養が筋肉にいってんだな」

 

「まあ、そーかもな」

 

「単に各形態間の差異が縮小傾向にある、というコトでは?」

 

 サスサススールが、近年の統計から見る事実を述べた。実際彼女の言う通り、形態による身体能力の差等は年々縮まってきているらしい。ただし骨格から異なる人馬、牧神人、人魚は除く。

 

「違う形態同士の結婚が増えたからだっけ?」

 

 両親が異なる形態でも、子は基本どちらか片方のみの形態をとる。双方の特徴が混じり合う混合形態は稀だ。とは言えそれでも、遺伝子が受け継がれている事には変わりない。目に見えないところで、その遺伝子が形態間の差異を埋めているのではないか、という事であった。

 

「形態間平等政策の副産物、でしょうか」

 

「今の平等政策は、実施されてからまだ日が浅い……。精々が二~三世代、そんな短期間では大きな差は出ないんじゃないかしら。同じ形態と結婚する事例もまだまだ多いし」

 

 いくら形態間平等とはいえ、『別形態と結婚しろ』と国が言う事は出来ない。裏にどんな理由があったとしても、『自由恋愛です』の一言で終わりである。そもそも形態間平等は異形態との婚姻を認める政策ではあるが、異形態と強制的に結婚させる政策ではない。

 

「オイ、危ない話はそんくらいにしとけよ。聞かれたらコトだぞ」

 

「全く言論の自由もないなんて、民主主義が聞いて呆れるわ」

 

「そういうところだよ菖蒲」

 

 言論の自由がない? それは酷い誤解だ。この世界にも言論の自由は存在する。ただし、公共の福祉に反する場合はその限りではない、というだけだ。もちろん公共の福祉の中には、形態間平等が含まれる。

 

 いや、この場合はこう言った方が良いだろう。各形態が平等である事は、太陽が東から昇るように自明の理なのだ、と。平等でない市民は存在しないし、平等を保障する民主主義に疑義を呈する市民もまた存在しない。

 

 仮に存在したら? 存在しないのだからそんな心配をする必要はない。存在するとしたらそれは差別主義者で思想的反逆者に決まっているし、反逆者は市民ではない。従って、平等ではない市民は存在しない。完全で完璧なロジックである。

 

 市民、平等は義務です。

 市民、あなたは平等ですか?

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 綱引きに続いてパン食い競争も終わり、昼休み。自前の揺れるパン二つでギャラリーを沸かせた鴉羽が、君原達の下へとやって来ていた。

 

「んふ、こーゆーのもいいですねー」

 

 サラシを巻き、学ランの前を全開にした姿の君原達を見てご満悦だ。午後の応援合戦用のコスである。

 

「お前さんは着ないの? 好きそーじゃない」

 

「生徒会は実行委員会も兼ねてるのでムリなんですよぉ。だから残念です、色々ありえたのに」

 

 名楽の問いに答える鴉羽の脳内はピンク色だ。御魂や若牧の学ラン姿でも妄想しているのであろう。今日も今日とて歪みなく自らに忠実な女であった。

 

「それにしても、いつ見てもスゴイですねぇ」

 

「あまり見ないで欲しいのだけれども」

 

 鴉羽の目が、つつと皐月の腹に寄っていく。こちらもこちらで、今日も今日とてバッキバキだ。何と言うかもう、六つに割れてる時点で女の腹ではない。

 

「筋肉フェチだったんか?」

 

「そーゆーコトじゃありませんけど。やっぱりどーしても目が惹かれるってゆーかー」

 

「まあ気持ちは分からんでもない」

 

「羌子まで……」

 

 梅雨時の洗濯物のようにじっとりとした隻眼が、名楽と鴉羽をねめつけた。それを見た鴉羽が、慌てたように話題を逸らした。

 

「そ、そういえばセンパイたちは、恋人とか作る気はないんですかぁ?」

 

「何だいきなり」

 

「いえいえ、前からちょっと思ってたんですよぉ。センパイたちなら、その気になればよりどりみどりの色とりどりなんじゃないですぅ?」

 

 無駄に色気たっぷりの甘ったるい声が君原達の間を通り抜けた。男ならふらっと行ってしまうのかもしれないが、この場にはそんな者は存在しないのでまさに無駄だった。当然一切なびかなかった君原が、困ったような顔で言った。

 

「うーん、今はそんな気にはなれないかなーって」

 

「受験もあるしな。大体オレが男作ってるトコなんか想像もつかねーよ」

 

「なら女を作りましょう!」

 

 気のない言葉を吐く獄楽に、鴉羽がきらきらとした目を向けその手を取った。普段とは違う学ラン姿に、妙なところが妙に刺激されたようであった。

 

「女は尚更お断りだっつの」

 

「あん」

 

「なんで喜んでんだ……」

 

 これまた当然全くなびかず、逆にデコピンを食らったが鴉羽は嬉しそうであった。呆れ顔を見せる名楽はスルーし、今度は皐月に水を向けた。

 

「菖蒲センパイはどーなんです? センパイなら相当モテるでしょう」

 

「前羌子のアニキに告白されてたしな」

 

「その話は止めてくれ……」

 

 名楽が当時を思い出し、獣耳をぺたんと寝かせてへこんだ。鴉羽は詳しい話を聞きたいような素振りを見せたが、皐月が話し始めたのでそちらに意識を向けた。

 

「んー……希じゃないけど、私が男に愛を囁いてるとこなんて想像できないわ」

 

「それなら是非女に囁いて下さい」

 

「いやそれもないから」

 

 にべもなく切り捨てられた鴉羽は、しゅんと竜人特有のエルフ耳と眉を下に落とした。しかし彼女は、いつものようにいつかの如く、無駄に不撓不屈な精神を発揮し、皐月の腹筋につつつと体を寄せた。

 

「誰にも初めてはあります、私が初めての女になります。だから純粋同性交遊しましょう」

 

「同性なら不純じゃないってか?」

 

「少なくとも動機は純粋に不純だな」

 

「腹筋触りながら何アホな事言ってんのよ」

 

「あぁん」

 

 今度は皐月にデコピンを食らった鴉羽だったが、やはり嬉しそうであった。皐月は溜息をつくと、額を両手で押さえている鴉羽に念を押した。

 

「男でも女でも付き合う気はないからね? それに――――」

 

「それに?」

 

 男だろうが女だろうが、それは皐月にとって等しく人間ではない。親愛を抱けど、恋愛には至らない。南米には両棲類人と付き合っている哺乳類人もいるが、それは特殊性癖というものだ。

 

 万一付き合ったとしても、その結果として()()()()から人間ではないものが産まれてしまったとしたならば、うっかり()()()()()()しまいかねない。その時はやり過ごせたとしても、赤ん坊の()()()は十分あり得るのだ。『よく女子供を殺せるな』『簡単さ、動きがのろいからな』。

 

 そういう根と闇が深い事情があるのだが、さすがに違法ど真ん中ストレートなそれを口外する訳には行かない。従って皐月は、適当な誤魔化しの言葉を口にした。

 

「――――いや、何でもないわ。とにかく、彼女が欲しいなら他を当たって頂戴」

 

「うぅ、ザンネンですぅ。でも私はネコなのでぇ、欲しいのは彼女じゃなくて女のコの彼氏ですよぉ」

 

「心の底からどうでもいいわ」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

『では午後の部を始めます。まずは両軍の応援合戦から』

 

 スピーカーから響く声が午後の始まりを告げ、応援合戦が開始された。そして即座に笑いの渦に包まれた。原因は、赤組の()()だ。

 

「フレーフレー赤組!!!!」

 

 顔を赤くして、半ばやけっぱちで声を張り上げているチア姿の生徒達。と言っても、女子ではない。女子は学ラン姿だ。つまり、チアガールならぬチアボーイである。小守を始めとした、むくつけき男どもがチアをやっているのだ。そりゃあ笑いも起ころうというものだ。

 

「ねえねえあの子、ちょっと可愛くない?」

 

「薄い本がアツくなるわね……!」

 

 もっとも、チア姿が似合ってしまっている男も若干名交じっているようだが。一部女子の視線が熱い。油汚れの如くねとついた欲望を隠そうともしていなかった。

 

「フレーフレー、し・ろ・ぐ・み!」

 

 そんなごく一部の嗜好はともかく。白組女子チアは、負けじと声を張り上げる。だが完全にインパクトで負けてしまっており、旗色は悪いと言わざるを得なかった。

 

「――――オオオオォォォォッ!!!!」

 

 そこに響いたのは、びりびりと大気を引き裂き震わせる咆哮だ。虎の如き雄叫びは、否応なしに場の注目をその発生源に引き付けた。

 

「押忍!!」

 

 その機を逃さず、赤組女子で構成される応援団が声を揃えた。男女の衣装を逆転させ、チア男子でウケを、学ラン女子で凛々しさを狙う作戦だった。

 

「フレー! フレー! あーかーぐーみー!!」

 

 その作戦は当たったようで、明らかに耳目がそちらに集まっていた。獄楽希・(あきら)の瓜二つ従姉妹(いとこ)が皐月によって続けざまに宙に投げ上げられ、くるりと回転し受け止められるに至って、その熱気は高まるばかりであった。

 

「やっぱ凄い力だな」

 

「声もスゴイよね。人虎ってあんなカンジだったのかな」

 

 名楽と隣り合って座る、長髪糸目長耳人の下池(しもいけ)撫子(なでしこ)が、ただ一人で場の注目を全て引き寄せたシャウトを発した皐月を感心したように見た。サスサススールがそれに応じて言った。

 

「いえ、菖蒲さんの方が上だと思います。人虎は樹上からの奇襲攻撃が主なので、威嚇以外では吼える必要がありませんから」

 

「ん? サスサス人虎を見た事あるんか?」

 

「えっと……博物館に行った時、そのような説明文があったので」

 

 名楽の訝しそうな様子に、サスサススールは内心慌てて誤魔化した。汗腺があったのならば、冷や汗をかいていた事だろう。幸いにして名楽は、応援合戦の観戦にすぐ戻ったため、彼女はほっと胸を撫で下ろした。

 

 人虎はこの世界の人間の一形態だが、すでに絶滅している……というのは表向きの話。どうやったのかは不明だが、実は南極人は生きた人虎を確保しているのだ。当然機密である。その機密をうっかり漏らしかけたサスサススールは、随分と哺乳類人的になっているようであった。

 

「声と言えば姫もだな。よく通るし、パーツがデカいから見栄えもする」

 

「見栄えといったら章ちゃんと希ちゃんもだね。ホラ、息ピッタリ」

 

 御魂家の三つ子もかくやの息の合い方だ。双子と見紛わんばかりにそっくりなので、画面映えも一入である。尤も章の方は牧神人と竜人の混合形態であり、髪の色とメガネという分かりやすい差異もあるので、見間違う事はないであろうが。

 

「こっちも負けるな!!」

 

 白組の応援団長もまた、喉も裂けよとばかりに声を張り上げ、天井知らずに熱気は上昇していった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 応援合戦の次は借り物競争だ。とは言ってもただの借り物競争ではない。いやルールは普通なのだが、借り物の題が全く普通ではないのだ。

 

「はいOKです」

 

 禅問答かトンチかよ、と言わんばかりの題が出て来るのである。なお今OKが出た御牧が借りて来たのは御魂で、題は『世界一の男前、ただし男ではない』だ。納得のチョイスだが、借り物競争で出す題ではない。

 

 そんな借り物競争で、自らの番となった朱池(あけち)は、題を見ると迷わず走った。皐月の下へと。

 

「サツキン来て!」

 

「私?」

 

 手を取って皐月を引っ張って行く。ゴールすると彼女は、題の書かれた紙を実行委員に渡した。

 

「では証明を」

 

 証明が要るような借り物競争のお題ってなんだ、と哲学的な事を皐月が考えていると、朱池がおもむろに彼女の胸を揉んだ。それはもうがっつりと。身長相応の大きさの塊が、朱池の手の動きに合わせてもにゅもにゅと形を変えた。

 

「何すんのよ……!」

 

「あぁっなんだか懐かしい感触ッ」

 

 言うまでもなく、流れるような流れで朱池の頭が吊り下げられた。メキメキという音が聞こえてきそうなアイアンクローを見た実行委員が、頬を引きつらせながら宣言した。

 

「は、はい、OKです」

 

「お題は何?」

 

「こ、これです」

 

 実行委員に見せられた紙には、『リアル戦国無双』という文字が記されていた。朱池の頭にかかる圧力が無言で増した。

 

「潰れる潰れる潰れちゃうッ」

 

「何でこのお題で胸を揉むのかしら」

 

「サツキン捻くれてるからやってって言っても素直にやってくんないじゃん! それなら揉める分だけこの方法のがいいし!」

 

「冴えない遺言だったわね」

 

「やめてマジやめてホントに潰れるッミートソースになっちゃうぅッ」

 

 朱池は頭を固定する手を掴みじたばたと足をばたつかせるが、ゴミを見るような視線の皐月の手はその程度では揺るがない。頭蓋骨が土壇場瀬戸際崖っぷちのその時、女らしい高い声が響き渡った。

 

「ミツ!」

 

「ミチ!」

 

 声の主は、朱池の恋人の犬養であった。助けの手が来たと瞳を輝かせる朱池に、犬養は常の気弱そうな姿とは裏腹に、暴走機関車のような勢いで詰め寄った。

 

「も、もう私には飽きたの? 皐月さんの方がいいの……!?」

 

「えっ」

 

 皐月の胸を揉みしだいていたのをばっちり見ていたらしい。どこの世界でも、蜘蛛の糸は切られる定めにあるようだ。やはりブッダはゲイのサディスト。

 

「違っ」

 

「そうだよね……皐月さん美人だし頭もいいし、運動もできるし。私なんかより魅力的だよね」

 

「誤解だよ! いやそうだけどそうじゃないんだよ!」

 

「いいの、ミツが幸せなら私はそれで。二人で、幸せにね……!」

 

「ミチ!!」

 

 涙ながらに走り去る犬養。あまりの展開に皐月が思わず力を緩めると、朱池は脇目もふらずにその後を追いかけて行った。

 

「何だったのかしら……」

 

「さあ……」

 

 嵐のように過ぎ去った修羅場にすっかり毒気を抜かれた彼女は、二人が走り去っていった方向を、微妙な顔で見つめるしか出来なかった。隣で実行委員の眼鏡少女も同じ顔をしていた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

『本日最後の競技、学年別組対抗リレーです!』

 

「それじゃ行って来るわ」

 

「姫が行ければ良かったんだけどな」

 

「人馬は人数制限があるんだから仕方がなかろ」

 

 腰を上げた皐月を見送る。リレーは男女でも分かれているので、まずは一年女子からだ。その待機場所で皐月がふと隣を見やると、見知った顔が目に入った。

 

「む」

 

「あら」

 

 濃い茶色のショートヘア長耳人女子。陸上部の砲丸エース、東鉄(とうてつ)(じゅん)だ。一年の時は同じクラスだったのだが、二年になって別のクラスとなっている。なおあだ名は『フクちゃん』である。本名に一文字たりともかすっていない。

 

「今度は負けないぞ!」

 

「いきなりそれ……? というか、あなたに勝った事なんてあったかしら」

 

「何をとぼけるかっ! あの時の腕相撲での屈辱、片時たりとも忘れた事などない!」

 

「あー、そういやそんな事もあったわねえ」

 

 一年の時に謎の腕相撲大会が執り行われ、その時皐月が東鉄に勝ったのだ。皐月の方は言われるまで忘れていたが、東鉄の方は忘れられない出来事であったようだ。

 

「帰宅部に負けて、私の砲丸選手としてのプライドはボロボロだ……。だから! 今日は勝つ!」

 

「腕相撲と短距離走はあんまり関係なくない?」

 

「細かいコトはいいんだ! 姫君といい勝負ができるほどの腕力があっても関係ないっ! 今日は私が勝つ!」

 

「結局勝ったのは姫だったじゃないの」

 

「あの時途中で力抜いただろ! 私の目は誤魔化せないぞ!」

 

「机から嫌な音が出たんだから仕方ないでしょうが」

 

 左手で机の端を持ち、机の中央の右手で腕相撲、という形式だったので、力がかかり過ぎると真っ二つになってしまう危険性があったのだ。実際、小守と猫見の二人はそうして机一つを駄目にしている。

 

「くっ……あの力があって帰宅部とは……! なんで陸上部に入ってくれなかったんだ。全国優勝だって夢じゃなかったはずだぞ?」

 

「よんどころない家庭の事情ってことで」

 

「よんどころないんなら仕方ないな。世の中よんどころないコトばっかりだからな」

 

「あら素直」

 

「自分じゃどうにもならないコトってのはあるからな。皐月は本当に片目みたいだが、それでも陸上競技ならほとんど関係ない。勧誘もされただろうに入部しなかったって事は、そういう事なんだろう」

 

 思わずまじまじと東鉄を見つめてしまった皐月を、不審そうな色を湛えたブラウンの瞳が見返した。

 

「なんだ?」

 

「いや、意外な言葉が出て来たから」

 

「私をなんだと思ってたんだ!?」

 

「猪と闘牛を足して割らない感じの熱血系?」

 

「誰が赤いマントにあしらわれる直情径行ぼたん鍋まっしぐらだッ!」

 

「そこまでは言ってないけど」

 

「くっ……その余裕顔も今だけだ! とにかく、勝つのは私だからな!!」

 

 そうこうしているうちに一年女子のリレーが終わっていた。犬木無双であった。男子もあっという間に終わり、二年女子、即ち皐月達の出番がやって来た。

 

「あ、あやちゃんが走るよ!」

 

「おー、陸上部でもないのに相変わらず速いな。マンガとかだと、パワータイプは動きがノロかったりするもんだが」

 

「そりゃ長距離の話だな、短距離なら筋肉ついてる方が速いぜ。もちろん限度はあるけどな」

 

「あ、私それ知ってます。赤筋と白筋の差ですよね?」

 

「そうそれそれ」

 

 赤筋は遅筋とも言い、瞬発力や最大筋力は控えめだが、持久力のある筋肉だ。鍛えてもあまり太くならない。マラソンランナーが細身なのはそのせいだ。

 

 白筋は速筋とも言い、持久力はないが、瞬発力のある筋肉だ。鍛えると丸太のように太くなる。ボディビルダーや短距離走選手がムキムキなのはそのせいだ。とは言え、あまり太すぎると重さが邪魔になったり関節の可動域が狭くなったりと弊害もあるので、競技によって適量は変わる。

 

 皐月のように腹筋バキバキなら、身体の浅層にある白筋が発達しているという事なので、短距離走が速くなる。もちろん専門に訓練を積んだ者には及ぶまいが、それでも人一人を片手でぶら下げる腕力がある。脚力はそれを上回るので、遅いはずがないのであった。

 

「ま、負けた……」

 

「いやリレーなんだから、スタートから時間差あったじゃない……」

 

 負けて落ち込む東鉄が、その発想はなかったという顔になった。どうも勝つ事だけに意識が向きすぎて、前提条件が忘却の彼方であったようだった。真っ直ぐなのはいいが、少々真っ直ぐすぎる女であった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「終わった終わった!」

 

「勝てて良かったですね」

 

「まー勝ったからどう、ってコトもないけどね」

 

 体育祭終了後。三々五々散っていく人波の中、普段の五人が自然に集まって歩いていた。

 

「皆この後はどうするの?」

 

「特に予定はないね」

 

「右に同じく」

 

「私もです」

 

「私もそうね……なら姫の下着でも見に行く?」

 

「えっ」

 

 意地悪そうな顔をした皐月に、君原の(ほが)らかだった顔が引きつった。彼女は助け舟を求めて隣の獄楽の方を向いたが、それは泥舟であった。

 

「お、いいんじゃね? 成長具合を確かめっか」

 

「希ちゃんッ!?」

 

「成長具合は置いとくにしても姫、サイズが合ってないんなら買い替えは必要じゃない?」

 

「そ、そうだけど、何も皆で行かなくても……。ホラ、二人は下着のサイズなんて考えなくてもいいでしょ?」

 

「よし今すぐ行こうそうしよう」

 

「おう行くぞ姫逃げんなよ」

 

「えぇ~!?」

 

 盛大に墓穴を掘り抜いた君原を、一瞬で真顔になった名楽と獄楽が引き摺っていった。丑の刻の橋姫もかくやの勢いで目が据わっていた。げに残酷なりしは格差社会であった。

 

「いつになく迫力がありましたが、大丈夫なのでしょうか……」

 

「ほっときゃそのうち頭も冷えるでしょ」

 

 若干心配そうなサスサススールに、割と気楽そうな皐月。その対照的な二人の後ろには、仲直りしたのか普段より明らかに距離が近い朱池と犬養に、それを羨ましそうに見つつ若牧にちょっかいをかける鴉羽、何故か再びチア姿になっている小守と、形容しがたい混沌が広がっていた。

 

 つまりは、いつも通りの日常という事であった。

 




 後日談の方はあと一~二話で終わる予定。


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後日談06話 じけいだんをつくろう

 これまでのあらすじ
・皐月と名楽、トクトー家具店に就職。
・洗濯板を売ろう。
・都の治安改善の見込み、しばらくなし。


 予防、という概念がある。読んで字の通り、予め防ぐ、という意味だ。どんな物事でも、事後にどうにかするよりも、事前に対処しておく方が楽だし確実だ。それが防疫であり軍備であり、知恵の使い方というものである。

 

 だがしかし、それにも限界というものが存在する。どんなに体が丈夫でも、どんなに健康に気を付けていても、風邪を引く時は引いてしまうように。

 

「だからよぉ、俺らがキッチリ守ってやる、っつってんだよ」

 

「その代わりそっちが金を払う。簡単な話だろぉ?」

 

 洗濯板は売れた。売れに売れた。家具店の主マリアは結局他の商会に話を持って行き、協力して売り出す事にしたのだが、それでもおっつかない程売れまくった。というか現在進行形で売れている真っ最中である。

 

 となれば治安がよろしくない現状では、おこぼれ狙いのこういった連中が、当然のように湧いて来るのである。他商会からの嫉妬を防いでも、余所との人間関係に気を付けていても。それでトラブルを完全に予防できるとは限らない。

 

「失せぇや!」

 

 マリアは三人の言を威勢よくつっぱねた。いかにもチンピラ然とした彼らの要求は単純明快、金である。一応その対価として用心棒めいた事をしてやると言っているが、全くもって信用できない。こういった事は信用第一だ。強盗に護衛を頼むアホはいない。

 

「ハッ、威勢がいいな。こりゃあ痛い目見ねえと分かんねえようだな……?」

 

「おいおい、人聞きの悪い事言うんじゃねえよ。用心棒としての力を見せてやる、くらいは言わねえとな? そうすりゃ俺らを雇いたくなるさ、嫌でもな!」

 

「さっすがアニキ、頭いいっすね!」

 

「ギャハハハハハ!!」

 

 あまりの怒りに表情が抜け落ちたマリアが、皐月に目配せした。彼女は小さく頷きを返すと、問答無用の不意打ちでチンピラを一人殴り倒した。予防が出来ないのならば、その時に対処するしかないのだ。

 

「んな……」

 

「遅い」

 

 残る二人は驚愕に目を見開くが、それで皐月の動きが止まる訳ではない。一人は膝を逆方向に踏み折られ頭を殴り飛ばされ、一人はみぞおちに拳を叩き込まれて瞬く間に崩れ落ちた。

 

 頭や首を掴んで持ち上げたりはしない。遊びや脅しにならともかく、相手がナイフでも持っていたら腕を刺される。こういう時に必要なのは有無を言わさぬ先手必勝であり、皐月の力と経験ならそれが可能だ。現役JKに必要なスキルかと言われれば、首を傾げるしかないのだが。

 

「おととい来ぃや!!」

 

 苦痛に呻く三人を、マリアが店の外まで蹴飛ばした。名楽とほとんど変わらぬ体格だが、案外力はあるようだ。彼女は怒りも露に吐き捨てた。

 

「ったく、けったくそ悪い! クラウス、衛兵呼んで来ぃ! こんな時くらい役に立ってもらわんと――――」

 

「待った」

 

 マリアの言葉を皐月が途中で遮った。彼女はギンと感情のままに睨みつけるが、皐月は全く動じることなく冷静に言った。

 

「ちょっと気になるところがあるから、ここは任せてくれない? 悪いようにはしないから」

 

「……何か考えがあるんやな?」

 

「ええ。今は時間がないから説明は後になるけど」

 

「そか。ならやってみぃ、ケツは持ったるわ」

 

「ありがと」

 

 太っ腹なところを見せた上司に内心感心しつつ、皐月は店の奥に大声を放った。

 

「ハゲ! 出番よハゲ! いるんでしょハゲ!」

 

「――――ハゲではないわッ!」

 

 声に押されて出て来たのは、未だに未練たらしくハゲではないと主張するハゲだ。そのハゲた魔術師を皐月が急かした。

 

「カラス出して! 早く!」

 

「はぁ? いきなり何を言っておるか」

 

「叔父さん、コイツの言う通りにしたってや」

 

「む……仕方ないな」

 

 姪に口添えされたハゲは、渋々といった風情で懐から黒い鳥の羽を取り出した。宙に放られたそれは、不可思議な事に大気の影響を受ける事なくまっすぐ地に落ちた。ハゲが呪文を唱えると、鈍い光に包まれた羽が一羽のカラスへと変じていた。

 

 現実世界のヨーロッパには、黒灰や黒白のツートンカラーのカラスが存在する。しかしこの辺りのカラスは黒一色であり、今召喚したカラスも同じ色だ。よく見ると目の色が紫だったり歯が生えていたりで別種なのは明白だが、遠目では分からないので問題はない。

 

「やっぱり凄いわね、魔法」

 

「当然よ、ワシは天才だからな!」

 

「その天才にやって欲しい事があるの」

 

 にっこりと笑顔を作った皐月にハゲがたじろいだ。彼女の笑顔は危険を意味する、といい加減気づいて来ているようだった。そんな様子を気にする事なく、皐月はハゲに要請した。

 

「さっき叩き出したチンピラどもをそのカラスで尾行して、どこに行くのか探って頂戴。一人は足を折っておいたから、速度的には問題ないはずよ。カラスと視覚共有が出来るのよね?」

 

「う、うむ、ワシは天才だからな」

 

 カラスを使い魔として召喚できる魔術師は多少存在するようだが、視覚共有まで出来る魔術師はほとんどいないらしい。天才というのもあながち間違いではないようだ。

 

「なら問題ないわね。頼むわ、天才様」

 

「任せるがいい!」

 

 微妙に心配になってくるちょろさだが、都合がいいので何も言わない。ハゲが命令を下すと、カァと一声鳴いたカラスが店の外へと飛び立った。

 

「ふむ…………見えたぞ。足が折れた男に肩を貸しながら歩いておるな」

 

「やるわね。それじゃあとよろしく」

 

 ハゲは目を閉じ、カラスから送られてくる映像に集中し始めた。この中世程度の時代に、半自律行動可能かつ街を飛んでいても目立たない偵察ドローン、と考えればその威力が分かる。視覚共有は術者専用で射程もさほどではないとの事だったが、二人と二羽用意すれば、文字限定だが超高速通信も可能であろう。十二分にオーパーツと言える代物だった。

 

「そろそろ説明してくれへん?」

 

 マリアが先程よりは落ち着いた様子で、しかして未だに鋭い目を皐月に向けた。彼女はそれに、平坦な声で答えた。

 

「ちょっと不自然だとは思わなかった?」

 

「何がや」

 

「チンピラは基本アホよ。『暴力で脅して金を引き出そう』ならともかく、『強引に用心棒になって継続的に金を吐き出させよう』なんて考えられると思う?」

 

 酷い言い草だが間違ってはいない。こちらのチンピラは碌に教育も受けていない。受けているのならチンピラにはなっていない。教育を受けていないという意味は、おそらく現代日本人が考える以上に大きい。現代日本人なら当たり前に知っている事を知らず、当たり前のように出来る事が出来ない。

 

 一言で表すのならば、思考の幅が非常に狭い。広げる方法を知らず、広げられるとも気付いておらず、広げる手段も持っていない。読み書き計算の出来るチンピラが生息する現代日本とはそこが違う。まあ教育を受けていてもチンピラになる者もいるという事は、教養の有無は当人の賢さにはさほど関係がないのかもしれないが、今重要なのはそこではない。

 

「……誰か、あのアホどもに入れ知恵した奴がおる、っちゅーことか」

 

「その可能性は高いと思ってる。いないんならそれでいいんだけど、いたら対応を考える必要があるでしょうね」

 

「それで尾行して根城を突き止める、か……」

 

 皐月の脳内では、三人をとっ捕まえてインタビューして情報を絞り出すという案もあった。あったがさすがにどうかと思い、穏便な手段に変更したのだ。叩きのめして放り出すのが穏便なのかは気にしてはいけない。

 

「一応聞いておくが、お主には出来んのか?」

 

「尾行は出来ないとは言わないけれど、無理なのは言わなくても分かってるでしょ?」

 

「まあな。聞いてみただけよ」

 

 この国では非常に珍しい黒髪、眼帯、美人、外国人、(時代的には)長身と、目立つ要素しか揃っていない。これほど尾行に不向きな人材も稀であろう。他の面子では尾行という行為そのものが不可能なので、必然的に使い魔の出番となるのだ。

 

「……む。建物に入って行ったぞ。あれは……廃屋だな、『茶色壁』の廃屋だ」

 

「ああ、あの角の……って事は、『ジャック』の手下か」

 

「ジャック?」

 

「最近売り出し中のマフィア、ってとこやな」

 

「詳しく」

 

 曰く、皇都の混乱に乗じて勢力を伸ばしてきた新参のマフィア。ジャックという名も本名ではないだろうとの事。あの廃屋は勝手に占拠しているようで、ジャック本人はおそらくあそこにはいない。拠点はいくつかあるらしいが、ジャック本人がどこにいるのかは不明。

 

「そりゃまた面倒そうな手合いねえ……」

 

「やり口が乱暴で強引なんで、他でも嫌われとるっちゅー話や。ただ勢いがあるから、なびく奴も多いらしいで。あのアホどもみたいになぁ」

 

「そういう輩は諦めが悪いと相場が決まっておる。また来るだろうな」

 

「ハン! 追っ払ったるわ、何度でもな!」

 

 マリアは鼻息が荒い。これは戦力たる皐月と、ハゲが使役する竜骨兵がいるからというよりも、単に元からの気質であろう。尤もこの二者が揃っているのなら、あの程度の人数を追い払う事は難しくない。しかしそれだけでは足りなくなるだろうと考えた皐月が、パンと手を打ち鳴らした。

 

「よし、自警団を作りましょう」

 

「は?」

 

 思考のステップを何段階か飛ばした言葉に、マリアの目が点になった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 数日後。自警団設立の話を、他の商会に打診してみたマリアに、皐月が進捗を尋ねていた。

 

「で、どうだった?」

 

「アカンな」

 

「アカンか」

 

「『必要なのは分かる。しかし余裕がない』っちゅートコや。確かになぁ、どこも余裕がある訳やあらへんからなぁ」

 

「自警団が活躍すれば、安全を買えるだけじゃなくて出資したところの宣伝にもなる、ってちゃんと説明した?」

 

「してそれや。まーその逆もまたしかりやからな、及び腰になるんも無理ないわ」

 

 自警団に悪評が立てば、出資している者にもまた悪評が立つ。信用は築くに難く、失うに易い。であるならば、メリットよりデメリットが上回る、と判断するのも不自然な事ではなかった。

 

「それでも必要性そのものは理解してる、と。なら十分ね」

 

 皐月の口角が小さく吊り上がる。マリアはそれに気付かないが、それなりに付き合いの長い名楽は気付いて呆れたように糸目を向けた。

 

「オイ、悪い顔になってんぞ」

 

「あら失礼ね。自警団を作ればマフィアに対して睨みが効くし、表に出にくい魔導書の情報も入って来るかもしれない。誰がどう見ても善行なのに、悪い顔なんてするはずがありませんわ」

 

「お前さんのコトだから、ジャックとやらを暗殺する、くらいは言い出すかと思ったが」

 

「発想が物騒ねえ。そんな事をしても意味ないわよ、殺しても別のが来るだけだからね」

 

「物騒代表に言われたかねーな……てか考えはしたんかい」

 

 縄張りの主となっている動物を殺しても、また新たな同種の動物がやってくるだけである。それが嫌ならその動物を絶滅させるか、都合のいい主を据えるか、自身が縄張りの主になりおおせるしかない。

 

 今回のケースでは、マフィアの根絶は実質的に不可能。かといって、自身にとって都合のいいマフィアを探すアテもない。であるならば、自身が縄張りの主になるしかないのだ。マフィアの傘下に収まりたくないのなら。しかしマフィアそのものになるのはリスクが大きいので、自警団という形を取る事にした次第だ。

 

「ま、暗殺の話はともかくとして自警団よ。作るんなら早めにしないとね」

 

「焦ってもそんなすぐには出来ひんよ」

 

「でも急がないと、報復や見せしめで店が燃やされたりするかもしれないわよ」

 

「む……」

 

 手に入らないのなら破壊してしまえ、という事である。他に対する見せしめにもなるし、マフィアが暴力の行使を躊躇うとも思えない。もちろん入る金が減る以上、取りたくない手段ではあるだろうが、警戒しなければならない事には変わらない。

 

「ホントそういうコトには頭が回るのな……」

 

「まあ回らなきゃ死んでたし」

 

「姿が変わらんからたまに忘れるけど、やっぱ地獄の悪魔なんやな」

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 人間という生物は、足が遅い。

 

 世界最速の男でも、100mの平均時速は37.6㎞で、最高時速でも45㎞に届くかどうか。一般人なら、30㎞も出れば十分に速い。しかしこれは、陸上動物としてはかなり遅い。

 

 クマやキリンはあの巨体で時速50㎞を叩き出すし、ウサギも種類によっては時速60㎞を超える。人間と同じ二足歩行でも、ダチョウは時速70㎞以上。チーターの時速110㎞超に至っては、本当に生物なのか疑わしいくらいだ。まさに『あんなんチートやチーターや』である。

 

 人間という生物は、足が速い。

 

 42.195㎞を2時間1分39秒。ケニアのエリウド・キプチョゲによって打ち立てられた、2018年現在の世界記録だ。非公式では、2時間を切った事すらあるという。これを超えられる可能性のある陸上動物となると、一部の犬にオオカミ、馬くらいしかいない。当然だが鳥は除く。

 

 動物とは基本的に長距離を走り続ける事が出来ない。長距離を走り続けるには身体能力よりむしろ排熱能力の方が重要なのだが、毛皮に覆われている動物ではこれが上手く働かない。長時間走り続けると、自己の生成する熱によって熱中症になってしまうのだ。

 

 だが人間には毛皮がなく、汗腺が発達しているため、走りながら気化熱で身体を冷やす事が出来る。同じ事が出来るのは馬くらい*1だ。オオカミはほとんど汗をかかず、パンティング*2しか出来ないため、長距離を走る際は寒冷な場所でないと排熱が追いつかない。

 

 そして人間には発汗機能と体毛の薄さ以外にも、長い距離を移動するのに有利な条件が揃っている。体格に比して太めの脚、巨大なアキレス腱、膝関節の精巧さ、生物界で唯一アーチ構造のある足裏、二足歩行のエネルギー効率の良さ等々、枚挙に暇がない。

 

 人間とは、長距離移動速度に優れる、持久型の生物なのだ。特に炎天下の超長距離移動ともなれば、右に出る陸上動物は存在しない。アトラトルどころか石器すら発明していない時代の人間が、生存競争に打ち勝てた一因でもある。

 

「トロトロするな! 走れッ!!」

 

 ゆえにこそ、皐月が人間の男どもを追い立てて走らせているのは、とても正しい行為なのだ。生物的には。

 

「お、鬼……! 悪魔……!」

 

「し、しぬ……」

 

 走らされている方から怨嗟の声が漏れ出ていても、追っかけている方が明らかに楽しそうでも、それはそれ。あくまで正しいのは生物としてだけなので、その他の正しさは考慮外なのである。

 

「くっちゃべっているとは、まだ余裕があるようだな! あと十周追加だッ!」

 

 声にならない声なき悲鳴が響いたが、ノリノリで鬼教官をやっている皐月は容赦しない。声が低い上に大きいので、非常に迫力がある。おまけに()()も嫌と言うほど見せつけられているのだ。追いかけられている方はたまったものではないだろう。

 

「お、おぅうぅぇえ……」

 

「何を吐いている! そんな軟弱さで自警団が務まるかッ!」

 

 何故彼女が男口調で鬼教官なぞやっているか。それは今まさに口にした言葉が答えである。自警団を設立する事に成功したので、その訓練を行っているのだ。

 

 『兵隊は走るのが仕事』という言葉があるように、いざという時に動けない戦闘者など何の役にも立たない。自警団員は軍人ではないが、その点は全く変わらない。とにかく走ってスタミナをつけるのは、基本中の基本である。

 

 また、限界ギリギリに追い込む事で、根性をつけるという目的も存在する。辛い時苦しい時は誰にでもあるが、戦闘者ならばその時にこそ動けなければならない。そういう時に身体を動かす力はもう、根性としか表現しようがないのである。

 

 根性だけでは決して勝てないが、根性がなければ決して勝てない。もちろん『精神力さえあれば勝てる!』とか言い出すのは論外なので、限度というものはあるが。

 

「ま、まだ、ま゛だやれまずっ!」

 

「その意気やよし! ならば走れ、苦しくとも走れッ! それが生存への唯一の道だ!!」

 

 皐月は人員の確保と武器の選定にこそ関わったが、衛兵への根回しや各所からの予算調達、住民への周知、給料の差配等の面倒なところは、頼れる上司マリアに丸投げだ。訓練メニューも、アドバイザーとして招聘した元兵士の老人が決めている。皐月の現代スポーツ知識を元に若干の変更は加えたが。

 

 つまり今現在の彼女の仕事は、新兵(ルーキー)以下の訓練兵(トレーニー)を扱いて扱いて扱き倒す事のみだ。あえて例えるならば、部活の部長に近い。違いと言えば、()()口が悪いのと、たまに手足が出る事くらいのものだ。絶大な体力と、躊躇いなき暴力性を併せ持つ皐月には似合いの仕事であった。

 

「どうした速度が落ちてるぞ! 声出せ声!」

 

「サーイエッサー!」

 

「ふざけるなタマ落としたか! 腹の底から声を出せッ! そして走れッ!」

 

「サーイエッサーッ!!」

 

 どこぞの軍曹のパクリと言ってはいけない。訓練法としては有効なのだ。アドバイザーの元兵士もそれは認めている。代償として、皐月が化物を見るような目で見られたり、目覚めてはいけない性癖に目覚めかけている者が出たりしているが、まあ些細な事であろう。

 

「よし、ひとまずここまで! 休憩に入る――――座り込むなッ! 立ったまま休め!」

 

「サ、サーイエッサー……」

 

「声を出せと言ってるだろうがッ!! 何度同じ事を言わせる、蹴り潰すぞッ!!」

 

「サーイエッサーァッ!!」

 

「よぉしそれだけ元気があるなら休憩はいらんな! あと十五周だ! 走れッ!」

 

 皐月にケツを蹴り上げられ、声にならない怨嗟と共に再度走り始める男たち。逆らうという発想すら出なくなっている辺り、調きょ……もとい、訓練は順調なようだ。何ヶ月か後には、きっと立派な自警団員になっている事であろう。

 

 さて、商会連中は自警団の必要性は認めていても、設立は渋っていた。というのに何故、こうして自警団設立にこぎつける事が出来たのか。そのきっかけとなった出来事が起きたのは、およそ一ヶ月ほど前の事だった。

 

*1
カバも汗をかくが、体温を下げるためではなく、皮膚の保護のため。

*2
動物が体温調節のため行う、あえぐような呼吸。浅速呼吸。暑い時に犬がハアハアするアレ。発汗より効率が悪い。




 気分転換と思ってギャグ短編書いてたら遅れましたごめんなさい。
 それもこれも全て、邪ンヌちゃんのぜかましコスのせいなんです。


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後日談07話 自警団は非公式武装組織だから、普通国はいい顔しない

「はあ? ジャックが死んだ?」

 

 自警団が未だ設立されていない、とある日の事。マリアが重要極まりない情報を持ってきた。あまりに唐突な知らせに、名楽がひそめた眉を隠しもせず尋ねた。

 

「ジャックってマフィアのだろ? こないだのチンピラの上とかいう……それが死んだって、どういう事だ?」

 

「いや、ウチもよく分かっとらんやけど……別のマフィアがジャックを殺したとか何とか」

 

「抗争でもあったのか……? いやでも、そんな気配は……」

 

「暗殺でも成功させたんかもしれへんが、今はこれ以上は分からん。ただ、ジャックに何かがあったんは嘘やないと思う。部下のチンピラどもが浮足立っとる」

 

「へえ……」

 

 皐月の目が一瞬だけ意外な事を聞いたかのように見開かれたが、すぐにそれは消えた。彼女は意図して沈着冷静な表情を作ると、マリアに顔を向けた。

 

「これはチャンスよ」

 

「チャンス?」

 

「自警団設立の、ね」

 

 マリアは怪訝そうな顔で皐月を見返し、言われた事と正反対の意見をぶつけた。

 

「いや、ジャックが死んだんならいらへんのとちゃうか? そら死んだとは限らんけど……」

 

「逆よ逆。商売には詳しくても、こういう事にはうといのね」

 

「どーゆー事や?」

 

 リスのように目をパチクリさせたマリアが尋ねる。その視線を受けた皐月は、よどむ事なく流れるように説明を始めた。

 

「ジャックが死んだ、もしくは大怪我か何かで動けないのなら、部下が蠢動を始めるはずよ。聞いた話だと、二人か三人くらいはそういう事をしそうな感じのがいるらしいわ」

 

「で?」

 

「つまりジャックが生きてようが死んでようが、後継者争いが始まるのは避けられない」

 

 野心家の部下なら、ジャックが『まだ』生きていれば積極的に亡き者にしようとするだろう。そして首尾よく処分出来たのなら、ライバルになり得る者にその罪を着せて排除してしまえばよろしい。謀略における基本中の基本だが、一粒で二度美味しいので廃れる事はない手段でもある。

 

 もちろん義や情で繋がっているのならその限りではないだろうが、噂に聞くジャックのやり口では考えにくい。まあ利益と恐怖で繋がる悪党の関係性としては、実に健全であると言えるのかもしれないが。

 

「始まらなくても、他からジャックの縄張りを狙うマフィアが入って来るはずだから、どっちにしても治安は悪くなる」

 

「確かに、ありそうな話やな……」

 

 腕を組んで考え込むマリアに、皐月が説得の言葉を連ねていく。

 

「治安が悪くなってからじゃ遅いわ。自警団って言っても中身は素人、なら訓練は絶対に必要。人間、練習してない事は出来ないからね」

 

 訓練していない事でも簡単に出来る人間はいるが、それは単に才能があったというだけだ。万人にそれを求めるのは単なるアホである。

 

「今から始めれば、多少なりとも訓練を受けた人員を用意できる。自警団の必要性は皆理解してるんでしょ? なら使えないより使える方がいいわよね? ズブの素人を荒事に突っ込んでも、新鮮な肉の盾にしかならないわよ?」

 

「むむむ」

 

「それにあなたが今主導して組織すれば、先を見る目がある、という評判を得られる。女だからと見下す連中の鼻も明かせるんじゃない?」

 

「むむむむむむ」

 

 腕を組んだまま目を強く瞑り、煙が出そうな程に考え込むマリア。きっとその頭の中では、利害得失損得勘定唯我独尊の秤がぐらぐら揺れている事であろう。

 

「か、金はどうすんねん」

 

「洗濯板で出した利益があるでしょ。何ならまた新商品を教えてもいいわ。ね、羌子?」

 

「お、おう」

 

 いきなり話を振られた名楽が、それでも反射的に答えた。友人の詐欺師の如き弁舌に大分引いていたが、そんな名楽を尻目に皐月はマリアに畳みかけた。

 

「ねーいいでしょマリアー、今なら行けるわよー。一目置かれる女になるチャンスよー。今よ今だけよー、他のところが先に作り始めたら台無しよー」

 

「むぅぅううう」

 

「できるできるマリアならできるわー。邪魔なマフィアをぶっとばしてー、新商品で金もがっぽがぽー、デキる女になれるわー。金じゃ買えない名誉や評判も思いのままよー」

 

「うううううう」

 

 嘘『は』全くない皐月の言葉に、天秤の揺れが激しくなる。実際問題として、皐月の言う通りに状況が推移するなら、自警団の価値は非常に大きいだろうし、それを主導して作り上げた者の価値もまた大きくなるのは確かだろう。

 

「ホ、ホンマにそうなるんか?」

 

「そーねー、このままだと十中八九そーなるわー。他の誰かに聞いてもいいわよー。だからマリア、つくりましょーよじけーだんー。いまだけおとくなラッキータイムよー」

 

 本当にそうなれば、の話ではあるが。彼女は必ずそうなる、とは一言も言っていない。つまり嘘でもないが本当でもない。嘘をつかずとも人は騙せるのだ。まあこれを騙すと言っていいかは不明だが、少なくとも名楽が皐月を見る目はすでに、完全に詐欺師を見るそれである。

 

「だ、誰が」

 

「ん?」

 

「誰が、訓練を付けるんや? 元兵士の爺様は知り合いにはおるけど、体力的に無理やで?」

 

 ぐるぐる回ってバターにでもなりそうなマリアの頭が、重要な事を思い出したらしい。とは言えこの質問が出るという事は、設立に前向きになっているという事でもある。それを一瞬で理解した皐月が、鬱陶しい感じは崩さず追撃をかけた。

 

「もちろん私がやるわよー」

 

「だ、大丈夫なんか?」

 

「だいじょぶだいじょぶテリーを信じてー」

 

「いや誰やねんテリー」

 

 とあるテレビ番組に出ていた、ドリーが相方のコメディアンである。この番組が始まった1998年は自身が生まれた年だというのに、よく知っていたものだ。前世かインターネットのおかげだろう。

 

「まー訓練については問題ないわー、私が強いのは知ってるでしょー? だから自警団つくりましょーよー。作るんなら今しかないわよ本当にー」

 

「ううっ……や、やってはみるけどな、上手くいくとは限らへんで! やってはみるけどな!」

 

「じゅーぶんじゅーぶーん」

 

「何だこの三文芝居」

 

 まるでどこぞの第六天魔王と不老のオカマの如き三文芝居であった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「で、どこまでだ?」

 

「えーと、どういう意味かしら?」

 

 マリアが仕事のために去ってしばらく。先ほどの気の抜けた雰囲気とは裏腹に、名楽が糸目に強い光を湛えて皐月を問い詰めていた。

 

「とぼけんな、どこまで計算通りだったんだ? いや、こう聞いた方がいいか? どこまでやったんだ、ってな」

 

「何もやってないわよー」

 

「オイ……」

 

「いやホントに」

 

 一瞬咎めるような気配を見せた名楽だったが、皐月の言葉に嘘がないのを見て取り、その気配は穴の開いた風船のように霧散した。まだ微妙に疑ってはいたが。

 

「…………嘘じゃないだろうな? お前さんは何食わぬ顔でしれっと嘘をつくからな」

 

「……私が嘘をつくのは、『嘘か本当か確認できない事』か『短期間騙せればいい』って時だけよ、基本的にはね」

 

 正直も誠実も美徳だが、それ以上に強力な武器なのだ。皐月が人を騙すのならば、一片の嘘もなく真実だけで騙してみせる事だろう。マリア相手にやってみせたように。

 

「それに、羌子相手に嘘なんてつく意味がないでしょ」

 

「お、おう……」

 

 思ってもみない言葉に僅かに顔を赤らめる名楽に、皐月が言い募った。

 

「それにねえ、ジャックの暗殺なんて意味がない、ってこないだ言ったばかりじゃない」

 

「そいつぁ自警団の話が出てない時のこったろ。ジャックとやらを消して、菖蒲がさっき言ってた理由で治安が悪くなれば、自警団設立の追い風になる。違うか?」

 

「うわー羌子くろーい、邪魔者の排除を自警団の設立にそのまま利用するなんてー」

 

「お前の考えそうなコトを考えたんだよ!」

 

 噛みつく名楽をいなし、皐月はさらっとその補足説明を追加した。

 

「ついでに言うんなら、ジャックの下にまとまってるマフィアの分断も狙えるわね。ほっといても内ゲバ起こすだろうから」

 

 そうなれば各個撃破の好対象だ。仮にジャックに代わるリーダーが出るとしても、主導権争いが起きる可能性は高いから、その過程での消耗が狙える。一枚岩になれたとしても、勢力縮小は免れない。

 

 内乱や内ゲバとは、言う事を聞かない自分の片手を切り落として『これで万全だ!』と宣う行為に他ならない。命令を聞かずとも腕は腕、切り落とせば大打撃である。

 

「……やっぱ考えてたんじゃねーか!」

 

「考えてただけよー。既遂と未遂と未然の間には、深くて大きい溝があるのよー」

 

 棒読みでおどける皐月だったが、名楽の目に呆れの色が浮かんでいるのに気づくと、肩をすくめてみせた。

 

「まあ真面目な話、まだ情報収集の段階だったわ。暗殺は将来の選択肢の一つってとこで、少なくともまだ実行する気はなかったの。それがこんな出オチみたいに死ぬなんて予想外」

 

 全方位喧嘩外交をやっていれば敵も増えるし、その敵に殺される確率も上がる。部下に反逆される事もあるだろう。今回は皐月が何をするまでもなく、ジャックがその可能性を引き当ててしまった、という事である。要するに身から出た錆で自業自得だ。新興マフィアらしいと言えばらしい。

 

「で、その予想外を自警団設立に繋げた訳か……発想がいちいち剣呑なのはこの際何も言わんが、そもそも何でそこまで自警団に拘るんだ?」

 

「ちょっとハ〇トマン軍曹をやってみたかった……というのは冗談として。前も言ったけど、魔導書の情報が手に入りやすくなるかな、ってね。マリアが頑張ってくれてるのは分かるんだけど、表だけだと限界もあるみたいだし」

 

「それは分かるんだが……」

 

「……? どうしたの? 今手元にある魔導書だけだと無理そうだって言ったのは、他でもない羌子じゃない」

 

 名楽は早々に文字を習得し、ハゲの指導の下に魔法に首を突っ込んでいる。もちろん使う事は出来ないが、理論を考えるだけなら問題はない。だからこそ、現状では帰還術式は組めないと分かっているはずだ。にも拘らず何故か歯切れの悪い彼女に、皐月は不思議そうな顔を向けた。

 

「……危なくないのか」

 

「そりゃ危ないに決まってるわ。でも早いとこ戻らないとまずいでしょ。私はともかく、羌子はこっちじゃ生きてけないもの」

 

 角と獣耳のせいだけではない。何か病気にでもなれば、あまり丈夫ではない名楽が死ぬ可能性は低くないのだ。異世界である以上、未知の菌やウイルスは存在していると考えるべきだし、それが致死性のものである事も考えなければならない。今まで平気だったのは単なる運であり、運を期待し続けるのは単なる愚か者である。

 

「……その――――」

 

 名楽が何かを言いかけたちょうどその時、皐月を呼ぶマリアの声が届いた。皐月は話を打ち切ると、また後で、とだけ残して声の方へと向かった。皐月の後ろ姿に手を伸ばしかけた名楽だけが、ぽつねんとその場に残された。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 棒術、というものがある。何の捻りもない、長い棒を武器とした戦闘術の事だ。剣や槍に比べるといまいち地味だが、れっきとした武術であり、今日でも多くの流派が存在する。

 

 が、いざ棒を武器にしようと思うと、これが案外難易度が高い。習得難易度ではない、棒という武器の性質が問題なのだ。

 

 持ち歩こうと思うと、長くて邪魔だし片手が塞がる。それなら腰に提げられる剣の方がいい。邪魔くささを承知で携行するのなら、殺傷力の高い槍でいい。棒より短い杖を使う技術もあるが、それこそ剣でいいだろう。

 

 だが、その殺傷力のなさこそが逆に都合がいい。この、自警団という組織においては。

 

「おおおおおっ!」

 

「叩け叩けぶっ叩け!」

 

「く、くそっ!」

 

 自警団の彼らが手に持つのは、制式採用された武器、すなわち棒だ。長さは概ね2mほどで材質は木。堅い木を選んではいるが、何の変哲もない単なる棒である。

 

 剣や槍だと殺害前提と受け取られる可能性があるため、殺傷力が低くそれなりに威力がある武器、という事で棒になったのだ。自警団が捕まってしまっては元も子もないし、ついでに言うなら安いというのも大きかった。どんなに屈強であっても、コストには勝てないのだ。

 

 皐月はその棒を装備した自警団に、至極単純な戦術を伝授した。すなわち、人類の最強戦術である、『囲んで棒で叩け』だ。小難しい事は一切ない。元兵士の老人の槍術を参考にはしたが、参考の域を出てはいない。

 

 一応、定められた三人を一組にして、その中で日替わりの『斬り込み隊長』を定めるだとかの方法論を決めたり、閉所用にトンファーを用意したりはした。が、『囲んで棒で叩く』以外の戦術はない。精々が『不利なら一旦退いて態勢を立て直せ』程度だ。あまり複雑なものだと覚えきれないし、いざという時に実践も出来ないのだ。

 

 戦法が新選組のパクリだとか言ってはいけない。銃なしの市街戦で人員の大半が素人、という条件は同じなので、どうしても戦術が似てくるのだ。

 

 弓や投石は、場所を考えると流れ弾が怖くて使いにくい。そもそも街中では弓は使用禁止という法がある。結局、足で追いついて棒で殴る、という戦術に終始するのである。

 

「よしそこまでッ! アルファとベータは捕縛にかかれ、ガンマは衛兵呼んで来い!」

 

 アルファ・ベータ・ガンマは、三人一組(スリーマンセル)のコールサインもどきだ。本当は一番・二番・三番でいいだろうと思っていたのだが、一番隊・二番隊という呼称に被る、という事で雑に皐月が付けたのだ。

 

 フォネティックコードでないだけマシだったのかもしれないが、それにしたってやっぱり雑だ。『五月でアヤメが咲いてる時に拾ったから皐月菖蒲だな。なら誕生日も五月五日でいいか』と自身のプロフィールを決めた名付け親並みの雑さであった。

 

「サーイエッサー!」

 

 皐月の声に、きびきびと行動を開始する男三人。ここまで仕込むのは大変だった。教えられる方も大変だったが、教える方はもっと大変だったのだ。

 

 まず彼らは、整列何それおいしいの、という状態だ。当然、気を付け前へならえ、といった基礎から教えなければならない。いきなり行進させても、よちよち歩きの赤子のようにスッ転ぶだけである。そういう意味では日本の小学生の方がよっぽど上だ。……いやまあ小学生に軍事訓練させてるという事なのだが。

 

 兎にも角にも、ここで手を抜く事は出来なかった。規律のない自警団など、山賊と大して変わらないのだ。暴力は理性によって統御されねばならず、何よりそれを住人に理解してもらわなければならない。従って戦術よりも走り込みよりも何よりも、規律を叩き込む事を皐月は重視したのだ。

 

 その努力と主にマリアの財力の甲斐あって、どうにかこうにか劇的ビフォーアフターに成功した。意気込みしかなかったド素人どもも、今では立派な戦争豚である。物の例えであって本当に戦争をする訳ではないのだが、豚の方は例えではなくなってしまった者が一部誕生してしまった。進歩と発展に犠牲はつきものである。

 

「ご苦労様です」

 

「……フン」

 

 連れてこられた衛兵二人は、気に食わなさそうに鼻を一つ鳴らすと、縄でくくられた強盗を無言で連行していった。それを見ていた自警団員は、当然のように色めき立った。

 

「なんだアイツら……!」

 

「態度が悪いにもほどがある!」

 

「腐るな貴様ら」

 

 いきり立つ彼らに、皐月は不敵な笑みを浮かべてみせた。もちろん演技だが、傲岸不遜という言葉がそのまま形になったかのような笑みであり、彼女の纏う雰囲気に実に似合う笑みだった。

 

「いちいち他人の態度に右往左往するな。貴様らはつい今しがた、確かにこの街を守ったのだ。それを思えば、あんな小役人の態度なぞどうでもいい事だろう?」

 

「教官殿……」

 

 その笑みが、ささくれだっていた彼らを自然に解きほぐしていく。それを敏感に感じ取った皐月は、空気を入れかえるように声を張り上げた。

 

「よし、本隊に合流するぞ! ぼんやりするな、走れッ!」

 

「サーイエッサー!」

 

「声が小さいッ!!」

 

「サーイエッサーッ!!」

 

 上に立つのも大変だ、と考えながら自警団員を追い立て走る彼女の顔には、演技ではない笑みが確かに浮かんでいた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 瞬く間に数ヶ月が過ぎた。色々、本当に色々あったのだが、概ね良い方向に進んだと言える。治安は改善され、マフィアは大人しくなり、マリアの店は今日も無事に営業している。もちろん自警団だけの成果ではないが、その貢献は小さくなかったと言えよう。

 

 そして、皐月と名楽にとって最も大きな事。期待通り、裏社会に多少なりとも関わったおかげで魔導書が入って来たのだ。そのおかげもあって、ついに元の世界への帰還術式が完成したのである。

 

「長かったわねえ……何だかんだで、半年くらい?」

 

「留年確定だな」

 

「まあその辺りは、戻れるだけでも良しとしないとね。こんな事態は予想外なんだし」

 

 街を歩いていたら異世界でした、だ。三文ラノベではありふれた展開かもしれないが、現実でそうなると思っている者はいるまい。いるとしたら狂人か予言者である。

 

「そういや、良かったのか自警団はあれで」

 

「ああ、国軍に組み込むって話? 別にいいわよ拘るもんでもないし」

 

 自警団の評判を取り込みたかった国と、金食い虫の自警団を手放したかったマリア達商人の利害が一致した結果だ。自警団員は正式に衛兵として取り立てられたが、皐月は断りトクトー家具店の一従業員に戻ったのだ。

 

「随分と()()()()()()ように見えたがな」

 

「そう? 自分じゃそんなつもりはなかったんだけど……でも仮にそうだとしても、マリアを見てたらノーとは言えないわ」

 

「あー……」

 

 古今東西、軍事には金がかかる。武器防具、衣食住、各種消耗品と挙げればキリがないが、最も金を食うのはこのどれでもない。人件費だ。

 

 武器は一度揃えればそれなりに()()が、戦闘の専門家を()()()には年単位で時間がかかり、その間も給料は払わなければならない。ゆえにこそ、軍で最も高価な兵器は人間だ、などと揶揄されるのだ。

 

 自警団は促成栽培だったので時間はそこまでかかっていないが、それでも給料は出ている。この点は皐月が譲らなかったのだ。まあケチっていれば、地獄の訓練で全員逃亡していただろうから正しい。

 

 とは言え、金を吸われる方はたまったものではない。金食い虫と分かっていて国が軍を持つのは、ないと周りから攻められて滅ぶからではあるが、軍を支えられるのは国という力があってこそ。自警団程度と言えど、商会ではその負担に耐えかねていたのだ。

 

 どれほどの負担だったかと言うと、毎月の支出額を見たマリアがウキャーと猿じみて発狂するほどである。マフィアも排除でき、名誉や高評も手に入ったため損ばかりではなかったのは確かだ。だがそれはそれとして、バカみたいな額が飛んでいくのは、精神がやすりがけされるようなものであったらしい。

 

「ま、それはいいでしょ。終わった話だし。それより帰還術式の方は大丈夫なの?」

 

「十中八九な。触媒が一つしか用意できなかったから一発勝負になるが……まあ行けるだろ」

 

 名楽はそこで不自然に言葉を切り、黙りこくった。その奇妙な沈黙に皐月が訝しさを含んだ顔を向ける。名楽はその瞳に真剣さを乗せて、まっすぐ彼女を見上げ返した。

 

「――――菖蒲は、こっちに残る気はないのか?」

 

「ん? どういう意味?」

 

「そのままの意味だ…………前に言ってたよな、菖蒲にとっての『人間』は、私らじゃないって」

 

「言ったわね。で?」

 

 彼女の、心のもっともやわらかいところにかかる話題だ。『人間』ではないが、友人だとは思っている相手からの言葉でも、どうしても身構えざるを得ない。その内心を示すかのように、一つきりの瞳がほんのわずかに細くなった。

 

 

「お前にとっての『人間』ってのは……こっちの世界の連中なんじゃないのか?」

 

 

 だが続けられた言葉に、ぴたりと皐月の動きが止まった。その顔からは表情が抜け落ち、能面の如くなっていた。

 

「……菖蒲はこっちに来て、よく笑うようになった。最初は、単純に気質に合ってたからかと思ってたが……。……『人間』を、お前の同胞を見つけたからじゃあないのか?」

 

「…………」

 

 沈黙が落ちた。まるで月のない夜の水面のような、波紋一つない沈黙だった。皐月はその静寂に風穴を開けるように、名楽の帽子を取るとその頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でまくった。

 

「わっ、な、なにすんだ!」

 

 硬いストレートヘアの皐月とは違い、名楽は柔らかな癖毛だ。一度崩れると直すのが大変なので当然のように抵抗するが、力と体格の差がそれを許さない。あっという間に髪とモップの区別がつかなくなり、名楽が何かを言わんとした時、ぼそりと低く言葉が呟かれた。

 

「…………そんなに心配しなくても、きちんと帰るわよ」

 

「…………そうか」

 

 しかしモップの隙間から見える名楽の糸目から、心配そうな色が消える事はなかった。皐月は優しげに目を細めると、意図して作った声で言葉を重ねた。

 

「こっちには、羌子もいない……いや、いなくなるしね」

 

「そ、そうか……」

 

 慮外な言葉に少し顔を赤らめさせた名楽には、皐月の喉から出なかった言葉を察する余裕はなかった。あっちでやらないといけない事があるしという、どこか不穏さを孕んだ言葉は。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「――――よし、これで行けるはずじゃ」

 

 次の日。地面に描かれた、円を基調とした帰還用の魔法陣の前で、ハゲがいつものように自信満々に胸を張っていた。その自信はどこから来るのかと皐月は内心で首を捻っていたが、まあ自信がないよりはいいかと流す事にした。

 

「いやー、なんだかんだで世話んなったなぁ。商売のネタも色々もろてもーたし」

 

「その辺りはお互い様でしょ」

 

「そうだな、受け入れてくれて助かったよ」

 

 マリアと悪魔二人が別れの挨拶を交わしていると、ハゲが声をかけて来た。

 

「準備が出来たぞ」

 

「ん」

 

 皐月は無言で行動を促した。情が皆無という訳でもないが、別れを惜しむような間柄でも、仰々しく別れを告げるべき間柄でもなかった。

 

 それを理解しているハゲ……いや、魔術師は、魔法陣の上に石のようなゼリーのような、不思議な緑色の物体を落とした。この時のために用意した触媒であった。

 

「RSCGBX REXXEJ RBTXHK REATNXXB――――」

 

 高性能翻訳システムでも翻訳しきれない、唄のごとき呪文が朗々と響き渡る。触媒が溶け、魔法陣と一体化し、中空にパチッと緑色の火花が散った。火花は瞬く間に巨大化し、浮遊するリングと化した。それは扉であり、術式が正常に機能しているのならば、元の世界に繋がっているはずであった。

 

「この臭いは……排ガス?」

 

「……重低音……車のエンジン音だな」

 

 懐かしい気配を感じ取った名楽はスマホを取り出した。電源を切って放置していたものだが、充電はまだ残っていた。それに自撮り棒もどきをくっつけ、動画撮影モードで録画してリングの向こう側を偵察する作戦だった。

 

 視覚共有の出来るカラスが使えれば話は早かったのだが、魔術の同時使用は不可能。またリングが電波を通さない可能性も考慮した結果、この形になったのだ。

 

「これで、最後、か」

 

 スマホを操作する名楽を横目に、皐月の口から感傷めいた言葉が出て来た。らしくもない物言いであったが、その隻眼からはいかなる感情も読み取れなかった。パリパリと紫電が立てる音だけが、ただ響いていた。

 

「…………すまなんだな」

 

「――――え?」

 

 ぼそりと、男の声で何かが呟かれた。皐月が聞き返そうと顔を向けたその時、隣の名楽から慌てたような声が発せられた。

 

「うわっ!?」

 

 その声に反射的に前を向くと、リングの中から異形の姿が覗いていた。

 

 まず目に付いたのは白色だ。輪を内側から押し広げるように、白が侵食して来ている。それが化学防護服そっくりだと気付いたのは後の事。今見えているのは、片手に光線銃のような物体を持つ何かだ。

 

 人間にしては高すぎる場所に位置する頭。長い首に、大きな両手。顔こそ見えなかったものの、特徴的にすぎるその姿は――――

 

「――――南極人!?」

 

 皐月の叫びと同時にその場は光に包まれ、彼女達の意識はそこで途切れた。

 




 次で終わるとか言っといて終われなかったアホがいます。私です。
 あ、明日までには書き上げられる……はず。


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後日談最終話 帰還、そして――――

「――――さて、今日は『トクトー』の話をしようと思う」

 

 とある大学の教室にて、世界史の教授が教え子たちを見回し話し始めた。

 

「皆も『家具のトクトー』は知っているだろう。その元祖となった『トクトー家具店』の話だ。今回は、その中でも爆発的発展を遂げた、エイガム魔法帝国時代に着目していこうと思う」

 

 彼らには角も獣耳も尻尾も翼も生えてはいない。髪色は少々カラフルだが、白人なら特に不自然でもない。皐月達が迷い込んだ四肢人類の世界、その遥けき未来の光景だ。時代としては、『現代』に当たると言える。

 

「それまでのトクトーは、単なる家具店だった。貴族向けの家具を作っていたとは言えね。それが大きく変わったのは、さっきも言った通り魔法帝国時代だ」

 

 つまりマリア・トクトーが店主だった時代という事だ。あの後随分と頑張ったらしい。

 

「この時代にトクトー家具店は多種多様な商品を売り出し、一躍大商人に成り上がる。その商品の種類はすさまじく、洗濯板、手回し洗濯機や脱水機にリバーシ、積み木、『悪魔の星』に代表される木製パズルや折り紙等々、枚挙に暇がない」

 

 折り紙が売り物になるのかという疑問もあろうが、現代の折り紙はすでに『芸術』の領域に達している。おそらく世界一複雑であろう折り紙『龍神 3.5』は、100万円の値が付けられた。皐月が覚えていたものはそこまで複雑ではなかったが、それでも十分売り物にはなったのだ。

 

 ちなみに『悪魔の星』とは、同じ形のパーツを六つ組み合わせて完成する、金平糖のような形をした立体パズルだ。英語だと『Devil's Star』ではなく『Star Puzzle』だが、驚くべき事に折り紙で作る方法がある。

 

 本物の数学者が考えた折り方が、人工衛星のソーラーパネルの折り畳みに使われたり、『展開図』だけで先の龍神を折ってしまう猛者がいたりと、折り紙界はマジ魔境である。

 

「あまりの種類の多さに、『悪魔と契約して知恵を借りた』などという噂が流れたほどだ。これはよくある嫉妬ややっかみからのデマだが、根拠がない訳でもなかったようだ」

 

 情報は漏れる。必ず漏れる。何をしようとも、一度口から出てしまえば漏れるのは時間の問題にしか過ぎない。特にその情報を知る者が増えると、漏れる率は加速度的に増加していく。だからこそ『悪魔』の秘密は、マリアとハゲの二人にしか知らせていなかった。

 

「当時のトクトー家具店には、外国人の従業員がいたらしい。それも当時としては非常に珍しい、黒目黒髪だったと記録にある。その従業員と悪魔の噂が結びついたのだろう。国際都市としての性質を表すエピソードとも言える」

 

 そして情報の漏洩は、皐月達が危惧した事でもある。そうなってしまったら言い逃れは不可能だ、何せ名楽という生きた証拠が存在する。皐月だけなら言い逃れも効こうが、彼女は決してそうしなかっただろう。そういった事情もあって、早期帰還を目指していたのだ。

 

「また、『悪魔の証明』……すなわち、『2より大きな偶数は、2つの素数の和として表せる』が誕生したのもこの頃だ」

 

 つまり、『4=2+2』『6=3+3』『8=5+3』『10=5+5』……という事である。こちらの世界では名前が変わっているが、本来は『ゴールドバッハ予想』と言う。『定理』ではなく『予想』なのは、未だに証明されていないからだ。

 

「『単純そうに見えるが、決して証明出来ない事』、つまり『悪魔の証明』の語源にもなったこの予想は、現在に至っても証明されておらず、数学者を嘲笑い続けている。なにせオリジナルと思しき紙には、『悪魔からの挑戦』と記されていたのだからね」

 

 どうもどこぞの片目が、シャレのつもりで書き残していったものであるらしい。そのせいで『悪魔の証明』の意味が変わってしまったようだ。フェルマーの最終定理でなければいいだろう、という問題ではない。

 

「本題に戻ろう。その後、エイガム魔法帝国は滅んだ。直接的な原因は他国から攻められたためだが、根本的な原因は魔法という個人の能力に依存しすぎ、人材が不足していったためだ」

 

 魔法は強力だし便利でもあったのだが、致命的な事に遺伝性が薄かったのだ。血統によって家を保つ貴族制とは相性が悪い。それがなければ今頃この世界は、魔術師と支配階級がイコールで結ばれていたかもしれなかった。

 

 まあその善し悪しは置くにしても、魔法帝国の崩壊によって多くの魔法が失われた事は確かである。例えばスケルトンが残っていれば、原発や下水道掃除、()()()()()等に大活躍だった事だろう。

 

「だが帝国が滅んでも、トクトー家具店は滅ばずむしろ発展を続けた。そして全盛期には、『玉座すらも作り出す』とまで言われるほどの大商人にまで至った。これは家具店であった事に引っ掛けた諧謔(かいぎゃく)だね。尤も当時はすでに家具店の域を脱し、総合商社と言うべき規模になっていたが」

 

 どうやらトクトー家具店は、メディチ家の如き立場になる事に成功したようだ。ハゲこと魔術師、アルベルト・トクトーの夢は叶ったと言える。その頃にはとっくに寿命で死んでいただろうから、本人がどう思うのかまでは分からないが。

 

「だがその後、不運と不況と戦争が重なって潰れてしまい、結果として店は分裂。そこから本業に戻り、成長したのが現在における『家具のトクトー』という訳だ。他にはガラス細工の『エーガ・テール』、食料品の『ニラキッパ』が有名かな」

 

 名前を変えて再出発し、そこから成功を収めた者が結構いたらしい。マリアの子孫は、いつでもどこでもバイタリティにあふれている。

 

「さて、ここまでは前提だ。君達には、『何故トクトー家具店が大きく成長出来たのか』を、エイガム魔法帝国時代を主軸にして話し合ってもらいたい。つまりこれが今回の議題という事だ」

 

 では五人組になって始めて、という声と共に机を動かす音が教室に響き、午後の陽光差し込む中授業は進んでいった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「――――っち! あやっち! 起きてあやっち!」

 

「ん…………」

 

 肩をゆさぶる感触に、皐月の目が薄く開かれる。未だ焦点の合わない目が捉えたのは、白髪に青い瞳の小柄な角人。自身のルームメイトである、愛宕沙紀だ。

 

「ここは……」

 

 見回すと、角や尻尾、翼などなど、『余分なパーツ』が生えた、人間ではない者達が街を歩く光景が広がっていた。厭わしくも懐かしい、六肢人類の世界。彼女の『日常』の光景だった。

 

「戻った……そっか、戻った、か……」

 

「あやっちどうしたのさ、こんなとこで寝るなんて!」

 

「こんなとこ……?」

 

 言われてようやく気付いたのは、自身がベンチで寝ていたらしいという事だ。ついでに名楽も隣で寝ていたが、そちらに気を回す前に愛宕が猪のような勢いで口を回して来た。

 

「いつの間にかいなくなったと思ったらベンチで寝てるとか、マジでどうしたの? 用心深いあやっちにしちゃちょっとおかしいよ? 調子悪いの?」

 

「……ちょっとケータイ貸して」

 

「へ? う、うん」

 

 ルームメイトのマシンガントークをすっぱり無視し、要求だけ伝える。意表を突かれたように一瞬止まったが、それでも素直に渡してくれた。

 

 そのガラケーには、『2015.11.03 Tue. 14:31』と表示されていた。文化の日だ。記憶が確かならばあの世界に召喚された日付であり、あの時から30分も経っていない時刻であった。自身の腕に巻かれた時計も見てみたが、驚くべき事に結果は同じだった。

 

 どういう事かと首を捻るが、未だに少しぼんやりする頭では考えも浮かばない。とりあえず、隣で寝ている名楽を起こす事にした。

 

「…………あやめ?」

 

「あ、起きた」

 

「えーと、名楽羌子ちゃんだっけ。大丈夫?」

 

 三つの瞳が覗き込む先で、名楽がベンチからむくりと起き上がった。開いているか判別が難しい糸目をしばたかせ、彼女はぼそりと独りごちた。

 

「……なんか変な夢を見たような……」

 

「夢?」

 

「…………だめだ思い出せん。なんつーか、変な夢だったのは覚えてるんだが……」

 

「ハゲ?」

 

「ハゲじゃねーよハゲ! ……あれ?」

 

 皐月の言葉に反射的に返した名楽だったが、自分でも何故その言葉が出たのか分からないようで、不思議そうな顔で首を傾げていた。

 

「……覚えてないの?」

 

「何がだ?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 どうやらあの世界の記憶を失っているようだと皐月は察したが、では何故自身には残っているのかという疑問が湧き上がる。偶然か必然か、何かの意図があるのかそれとも技術的欠陥か何かか。仮説が生まれては消えて行くが、そのもつれた思考を愛宕の声が遮った。

 

「なんだかよく分かんないんだけど、二人とも体調が悪いとかじゃないってコトでいいの?」

 

「ええ」

 

「まあそうだな」

 

「よかった……。でもびっくりしたよー、あやっちが外で寝るなんて。……何かあったの?」

 

「あった……はずだけれども」

 

 事実として時計の針は一時間も進んでおらず、名楽には記憶がない。普通に考えるのならば、単なる一炊の夢だ。しかしどうにも、腑に落ちない。理屈っぽい割に感覚を信じる彼女の直感が、引っかかるものを感じ取っていた。

 

「……そういや、菖蒲が寝てるトコはほとんど見た事ねーな」

 

「そりゃあやっちは警戒心強いかんねー。昔はもっと酷かったよ、手負いの獣ってカンジで。今は死んだ魚の目だけど、その頃は泥ヘドロのドブ川だったしね!」

 

「……昔は荒れてたとか言ってたアレか」

 

「あれ知ってるの? ……珍しいねあやっち、あの頃の事、話したんだ?」

 

「あー、成り行きでね……」

 

 未だ鮮明にならない意識が、皐月に曖昧な言葉を選ばせた。そんな彼女を尻目に、二人の会話は進んでいた。

 

「確か、ルームメイトだったか。昔の菖蒲ってどんなんだったんだ?」

 

「ルームメイトって言っても中一からだけど……。会ったばかりの頃のあやっちは何と言うか、触れたもの全てを傷付けるガラスの十代?」

 

 曲のチョイスが古すぎるとか今でも十代だとか色々ツッコミどころはあったのだが、それら全てを流して名楽が感想をこぼした。

 

「想像出来るような出来ないような……」

 

「まー今は割と落ち着いてるし、演技は上手いかんねー。でも昔はマジヤバかったよー。ホントに殺されかけちゃった事もある、って言ったら信じる?」

 

「マジか」

 

「マジマジ。寝てるとこにうっかり近づいたら、首を折られそうになったよあっはっは!」

 

「よー笑いながら話せんね……」

 

「死んだら死んだで、おとーさんたちのところに行けるかなーって思ってたかんね!」

 

「お、おぅ……」

 

 笑顔でとてつもなく重い事情が飛び出してきた。皐月と同室という事は児童養護施設に入っているという事で、そこに至るまでの事情が幸福なものであるはずもない。それでも笑っていられるのは、彼女の強さ故だろう。

 

「……その話はいいでしょ。帰りましょ、沙紀」

 

「あっそうだねごめんごめん。そんじゃ行こっか、幼女が私を待っている!」

 

 まあこの性癖のせいかもしれないが。生前の家族も匙を投げたというのだから筋金入りである。ショタロリペドでスリーアウトだが、娘なのでチェンジ出来なかったのであろう。きっと今頃、草葉の陰で大号泣だ。

 

「それじゃ羌子、また明……」

 

 言いかけた皐月の目が、地面に置いてあった名楽の買い物袋に留まった。何の変哲もない、どこのスーパーでももらえる白いビニール袋だ。だが、彼女が見ていたのはそれではなかった。

 

「…………」

 

「……どったの?」

 

 愛宕の声には応えず、皐月は自身のバッグに手を突っ込んだ。もぞもぞごそごそと中身をかき回し、何かを確認すると顔を強張らせてベンチから立ち上がった。

 

「……それじゃ羌子、私達はもう行くわ。また明日」

 

「あ、ああ。明日な」

 

「あっちょっと待っ……それじゃね羌子ちゃん! 待ってよあやっちー!」

 

 名楽の返事も聞かず、いきなり早足で歩きだした皐月に追いすがる愛宕。彼女は皐月に追いつくと、辺りを憚るように小声で尋ねた。愛宕は変態で成績もあまりよろしくないが、察しは悪くないのだ。

 

「……顔色が変わった。何があったの?」

 

「……ここじゃ言えない。部屋に着いてから」

 

「……分かった」

 

 皐月は愛宕の性癖に辟易しているし、昔の『やんちゃ』の証人でもあるので、抹殺を視野に入れているのも事実だ。しかし『夢』の出来事を話すつもり……いや、隠すつもりがないのも確かなようだ。

 

 信頼と言うには細いが、単なるルームメイトと言うには太い。この二人の間には、名前の付けがたい、どうにも奇妙な関係性が存在するようだった。

 

「…………」

 

 皐月は一つきりの瞳に(にぶ)く強い光を浮かばせ、前を向いた。次に何をするか……否。()()()()()()()()()()()()は、すでに決まっていた。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 次の日、新彼方高校。ケツァルコアトル・サスサススールが、トイレに入っていた。南極人と言ってもトイレには行くのだ。そんな彼女が出ようとしたその瞬間、扉の隙間から何かが滑り込んできた。

 

「失礼」

 

「え?」

 

 それは、皐月だった。いきなりの暴挙に狼狽するサスサススールに構わず、彼女は素早く後ろ手で鍵を閉めた。

 

「ごめんねサスサス。ちょっと話があるの」

 

「え、えと? 話なら、教室に戻って――」

 

「誰にも聞かれたくないの、クラスメイトにもあなたの護衛にも。じゃなきゃこんな事はしないわ。手早く済ませるから。ね?」

 

 口調は優しく表情も笑顔ではあったが、目がその全てを裏切っていた。拒否は許さないと、何よりも雄弁に語っていた。その張り詰めた空気に押されたのか、サスサススールが首を縦に振った。

 

「……分かりました。なんでしょうか」

 

「昨日、変な夢を見たのよ」

 

「夢? ですか?」

 

「そ。私と羌子が、四肢人類の世界に召喚される夢。中世ヨーロッパみたいなところでね、魔法が存在する世界だったわ」

 

「ええと」

 

 話が飲み込めずサスサススールは目を白黒させるが、それを無視して皐月は畳みかけるように続けた。

 

「それでまあ、最終的にはその魔法で元の世界――つまりここに戻る事になったんだけどね」

 

「はあ」

 

「その帰還するための魔法のゲートから、南極人の戦闘種が出て来たのよ。それで気付いたら戻ってたって訳。何故かこっちだと一時間も経ってなかったし、羌子は全部忘れてたんだけどね」

 

「不思議ですね。でもそれは、夢の話なんですよね?」

 

「バッグからある物が消えてなければそれで済んだんだけどね」

 

「ある物、ですか?」

 

「そ。詳細は言えないんだけど、その辺で落とすような物じゃない、とだけ言っておくわ」

 

 昨日見ていたのは、名楽の持っていたビニール袋ではない。そこから覗いていた、ネギだ。記憶が確かならば、あの世界に召喚された初日に食べてしまったはずのネギだ。それが残っていたのは、明らかにおかしな事だった。

 

 そこではたと思い出し、自身のバッグを漁ったのだ。拳銃の弾数を確認するために。その結果、マガジンからは“5発”だけなくなっている事が確認出来た。これは、あちらの世界で使った弾数の記憶と合致する。残りは全て、何事もなかったかのようにマガジンに収まっていた。銃身から抜いていた一発すらも、だ。

 

 何故ネギは残り、銃弾は消えたのかは分からない。しかし、一炊の夢ではないと確信させるには十分だった。

 

「で、本題なんだけど」

 

 皐月はそこで一旦話を切り、サスサススールを正面から見据えた。彼女はたじろいだように一歩後退したが、それを気にも留めず皐月は切り出した。

 

 

「あの世界が何なのか、何か知らない?」

 

 

 もしもあの世界が、()()()()()ものであったのならば。

 もしもあの世界が、『前世』の記憶を元に()()()()()ものであったのならば。

 

 決して許しはしない。それは彼女の心の、新雪のように柔らかな部分を、無遠慮に踏み荒らしたという事を意味するからだ。悪意を抱くには、十分に過ぎる理由となる。

 

 期せずして同属を見つけた事で弱まっていた悪意も、そうなれば燃え上がるであろう。酸欠の炎に一気に酸素が供給されたのなら、爆発するように燃え盛る。悪意のバックドラフトだ。

 

 そんな悪意が、彼女の一つきりの瞳の中で、蛇の舌のごとくちろちろとゆらめいていた。海中から見上げる夜の漁火(いさりび)のように、それは弱々しくも確かに存在を主張していた。

 

 そして、瞳に宿る激情を焔が裏側から照らし上げていた。混沌としていながらも決して混ざり合う事のない、オパールにも似た感情のモザイク模様が、悪意の焔によって浮き彫りにされていた。まるで炎を押し固めた、万華鏡のように輝く宝石だった。

 

「ぁ…………」

 

 その感情に。期待、羨望、不安、ありとあらゆる感情に。南極人が持ちえぬ強すぎる感情に、初めて自身に向けられる強い感情に、サスサススールは見惚れた。哺乳類人の持つ感情に惹かれた南極人は、確かにその三つの目を奪われた。

 

「…………それは、別の宇宙なのではないか、と思います」

 

「別の、宇宙」

 

 だから彼女は、故意に口を滑らせた。まるで恋に浮かされた、夢見る乙女のように。

 

「私も詳しくはありませんが、別の宇宙は確かに存在し、さらにそこに何らかの形で干渉する技術がある、とは小耳に挟んだ事があります」

 

「……仮想世界、とかじゃあないのね?」

 

「そのはずです」

 

「……………………………………………………そう」

 

 短くも長い沈黙の後、皐月は吐息のように言葉を吐き出した。ただの一言に、黒く重苦しい何かが全て詰まっていた。そんな彼女に、サスサススールが首を揺らして問いかけた。

 

「……私が言うのもなんですが、こんな話を信じるのですか?」

 

「聞いといてこう言うのもなんだけど、言っていい話だったの?」

 

「よくはありませんが。誰かに言ったところで、到底信じられないでしょう」

 

「……でしょうね」

 

「それに」

 

 サスサススールはまっすぐに皐月を見つめ、はっきりとした口調で言い切った。

 

「菖蒲さんなら軽々しく漏らしたりはしないと思いますから」

 

 表情筋はなくとも、その顔にはまごう事なき信頼が浮かんでいた。それを見て取った皐月は、驚いたように一瞬だけ目を見開くと、優しげに目を細めた。

 

「………………そ」

 

 彼女はそこで視線を下に落とし、大きく息を吸い込み吐き出した。サスサススールは何も言わずそれを見守っていた。

 

「……こんな形でいきなりごめん、でもありがと。この詫びは後で入れさせてもらうわ」

 

「いえそんな……」

 

「親しき仲にも礼儀あり、よ。あと」

 

 皐月は自身よりも高い位置にある、サスサススールの耳に顔を近づけ言った。

 

「それとは別に、これは借りにしておくわ。一度だけ、何でも言う事聞いてあげる。それこそ暗殺でも何でもね。南極人だけだと、()()()()()事もあるでしょう?」

 

 色気のある声で囁かれた内容は、美しくも艶やかな剣呑さを孕んでいた。あたかもそれは、優美さの中に猛毒を隠すトリカブトのようだった。

 

 その危険な香りを嗅ぎ取ったサスサススールは、本気かとは聞かなかった。聞くまでもない事だったからだ。代わりに、別の問いを投げた。

 

「……そこまでの、事だったのですか?」

 

「少なくとも私にとっては、ね。ああ、この借りの有効期限は、私があなたを信頼し、友情が続く限りにおいて、だから」

 

 機密であろう事を教えてくれた友情に報いる為に、という事だ。ただし、その内容が嘘であったならば――という事でもある。

 

 信頼とはそれだけ重い。他人が何を考えているかなど、究極的にはその本人でないと分からないからだ。()()()()()を信じる、それが信頼なのだ。

 

 その重さを知る皐月が信頼すると口にした以上、それはこの上なく本気という事である。単なる口約束でしかないが、必ず履行される事であろう。彼女にとって、それだけの価値がある事だったのだから。

 

「じゃ、先に戻ってるわ」

 

 サスサススールが何かを言う間に、早業で開けた扉の隙間からするりとすり抜け、彼女は音もなく姿を消した。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「お、遅かったな」

 

 教室に戻った皐月を出迎えたのは、机で頬杖を突いている獄楽だった。彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべると、しょうもない事を口にした。

 

「デカかったんか?」

 

「おりゃ」

 

「イテッ!」

 

 そんな獄楽の後ろから、名楽が容赦なく頭にチョップを入れた。彼女は勢いよく振り向くと、勢いよく端的に苦情を入れた。

 

「何すんだ!」

 

「品がないぞ希」

 

「だからって叩くこたぁねーだろ!」

 

「それはすまん。だが、いきなり下ネタに走るのは品性を疑われるぞ」

 

「うっ……なんか、今日のキョーコは手ごわいな……」

 

 名楽はどうやら完全に忘れているようだが、それでも影響は僅かなりとも残っているようだ。獄楽が言うところの『怖がりの癖に怖いもの知らず』、つまり気が強いのは元からだが、今日はいつにも増して落ち着きがあって腰が強い。獄楽もそれに押され気味だ。

 

 まあ覚えていないのならそれはそれで構わないか、と思いながら二人の様子を眺めていた皐月に、君原が何かに気付いたように横から声をかけた。

 

「あやちゃん、何かいいことでもあったの?」

 

「え?」

 

「なんだか元気が出たみたいだし、顔がいつもより柔らかいように見えたから」

 

「そうね…………そうかもね」

 

 あの、魔法が存在する世界は、別の宇宙に実在するのだと言う。仮想現実でも幻でもなく、今もなお確かにどこかに、在り続けているのだと。

 

 であるならば、『前世』の世界もまた。どこかの宇宙に存在しているに違いない。身体的特徴から無意識に作り上げた妄想ではなく、早熟児の夢想でもなく、確かにどこかに。魔法などありえない、四肢人類の世界は、きっとどこかに。

 

 ああ、本当の同属は、遠く離れてはいても、間違いなくどこかに。一人では、なかったのだ。ならば、この世界でも頑張れる。生きていく――生きていける。その支えがある限り。

 

「――――――」

 

 皐月は、ゆっくりと周りを見回す。その視界に入って来たのは、普段と変わる事のない、どうという事のない光景だ。

 

 また何かをしでかしたのか、小守を説教する御魂。教室に戻って来たサスサススール。机に突っ伏し、恋人の犬養に慰められている朱池。何かを言い合っている名楽と獄楽。そして、隣で佇む君原。

 

「…………」

 

「?」

 

 その君原と目が合う。皐月はそんな彼女に向けて何かを言わんとしたが、口ごもってしまって言葉にならない。珍しい皐月の様子に、君原は不思議そうに首を傾げるが、急かす事はなかった。

 

 僅かな、しかし不愉快ではないそんな沈黙を破って、皐月がおずおずと話しかけた。

 

「……あー、その、姫」

 

「なあに?」

 

「こ、これからも、よろしく」

 

「――――うんっ!」

 

 少しばかり顔を赤くして、似合わない言葉を吐いた皐月。そんな彼女に何かを感じ取ったのか、君原は満面の笑みでそれに応えた。まるで陽だまりのような、見る者を安心させる笑顔だった。

 

 人は、自分の選んだ選択肢を良いものだと思いたがる。これをコントロール幻想と言う。より正確に言うならば、自分がコントロール出来ない事象を制御出来ている、と思い込む事こそが()()だ。

 

 自分の選んだ方は良い、選ばなかった方は悪い。そうなるかどうかは、大抵の場合運任せだ。誰が見ても明らかな場合もあるにはある。だがそういう選択肢は普通選択肢として示されないし、そうでなければのっぴきならない事情があるだけだ。

 

 だがしかし、結果がどうあろうとも、人は選択せねばならない。選択しなければ、結果すらも出はしない。

 

 皐月には、選択肢があった。すなわち、あの世界に残るか、戻るかという選択肢が。そして彼女は、事情はあれども、選択した。六肢人類の世界に帰還する事を。おそらく二度と四肢人類の世界には戻れぬだろうと知りながらも。四肢人類は、六肢人類の世界で生きる事を決めたのだ。

 

 その選択が吉と出るか凶と出るかは、誰にも分からない。それでも生きていかねばならないし、生きていくことを決めたのだ。この六肢人類の世界で。

 

「おっ、今日はどうしたんだ菖蒲? ズイブン殊勝な事言うじゃねーか。こりゃ明日は雪か?」

 

「希も難しい言葉を使えるようになったのか。いつも勉強を見てる身としては、感無量だよ」

 

「おいキョーコ、今日は言うじゃねーか……」

 

「まあまあ二人とも」

 

「何か心境の変化があったようですね、菖蒲さん」

 

「まあ…………そういう事なんでしょうね」

 

 だがきっと、悪い事にはならぬであろう。皐月は、()()()()()()のだから。遥かな彼方には同属がいて、手を伸ばせば届く此方には友人がいるのだから。

 

 人は一人では生きていけない。一人では生きていく甲斐が見つけられない。一人山奥で生きていける能力があったとしても、そうしたいと思う者は稀であろう。

 

 つまるところ、皐月は。この世界で生きる、意義を見つける事が出来たのだ。ゆえにこそ彼女は、この世界で生きていく。友人が『人間』ではないとしても、この世界に『人間』が一人もいないとしても。

 

 それでも明日はきっと明るいと、信じる事が出来るようになったのだから。

 




 今度こそ完結! 皆様、読んで下さってありがとうございました!
 これ以上の後書きは活動報告で。

 公式ページの更新次第で、番外編を書くかもしれません。

 あらすじを変更しました。各話もちょこちょこ修正してます。


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