異世界に転移したらユグドラシルだった件 (フロストランタン)
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ユグドラシル編
#1 プロローグ~魔物の国(テンペスト)からの来訪者


リムルが転移した先は・・・


 DMMORPG〈Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game〉『Yggdrasil(ユグドラシル)

 

 2126年に日本のメーカーが発売した、爆発的人気を誇る多人数同時体感型RPGだ。

 

 RPGといえば、モンスターを倒せば経験値とお金、アイテムを手に入れられ、ストーリーに沿って行動していくもので、ストーリーのエンディングを目指していくのが主要な目的であると言える。

 

 だが、『ユグドラシル』はその一般的なRPGに対する認識とは一味違った。世界樹(ユグドラシル)の葉ら生まれた9つの世界を舞台に未知を探求するのが目的なのだ。

 

 その爆発的な人気の秘密は、プレイヤーの圧倒的な自由度にある。多種多様な種族や職業を選択することができ、その組み合わせによって独自のキャラクタービルドが出来る。意図して作らない限り、全く同じキャラクターは居ないと言われるほどである。凡そ6000もの魔法が存在し、別売のクリエイトツールを使えば、装備品やアイテムの外装や名前、性能に至るまで弄る事が出来、更には住居までも自分でデザインする事ができるのだ。

 

 日本でMMOと言えば『ユグドラシル』を指すとまで言われる程に、日本人のクリエイター魂に大いに火を着けてしまったのである。

 

 なお、『ワールドチャンピオン』という『公式チート』職業(クラス)、『世界級(ワールド)アイテム』と言う名のぶっ壊れ性能のアイテムの存在など、運営は「クソ運営」の名を欲しいままにするハチャメチャぶりであった。

 運営は「世界の可能性はそんなに低くない」という拘りがあるようで、「世界(ワールド)」の名を冠する全てが他のゲームでは考えられないようなバランスブレイカーばかりである。

 

 現実世界は環境汚染と核戦争によって荒廃し、外を気軽に出歩くことなどできい時代である。そんな中、美しい大自然の中を自由に冒険し、未知を探求するこのゲームは大変な隆盛を見せていた。

 

 そして────

 

 

 

 

 草原に佇む二人がいた。

 

 一人は15歳位だろうか、長い青みがかった銀髪の少女。まるでウェディングドレスの如く緻密な刺繍の施された純白のワンピースで、使用されている素材は高級感溢れる逸品だと一目でわかる。

 少しあどけなさを残してはいるが、その美しさはまさに美の化身といわんばかりの魅力を湛えている。

 

 彼女の正体は竜魔粘性星神体(アルティメットスライム)────つまりスライムである。

 サラリーマンが異世界に転生し、そこに君臨する八星魔王(オクタグラム)と呼ばれる、八柱存在する魔王の一柱『リムル=テンペスト』であった。

 

 対するもう一人は、20歳位の黒髪の男性。純白の襟つきシャツ、漆黒のジャケットとスラックスはスーツ、或いは燕尾服のようである。

 その服も法外な値段がするであろう高級感が漂っており、現実に着て歩く者が居れば、羨望の的になることは間違いない。彼と目が合っただけで女性は卒倒する程の美男子の容貌を持ち。一見人間のように見えるが、その正体は悪魔。

 

 彼の魔眼に睨まれれば、普通の人間は瞬時に発狂死してもおかしくないのである。

 

 彼は『大魔王リムル』の配下最強にして"魔神の王(デモンロード)"の称号を冠する大悪魔。その名も『ディアブロ』。

 

 しかし、いま草原に佇む大魔王と魔神王は、はたから見れば貴族の令嬢と執事のように見えるに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

「どうしてこうなった」

 

 

 ────それは十数分前。

 

 

「うあぁぁぁ、は、恥ずかしい」

 

「クフフフフ、流石はリムル様。よくお似合いです」

 

 赤面するリムルに、恍惚とした表情で声を掛けるディアブロ。

 

「そんなことは聞いてねーよ。ディアブロ、覚えとけよ……」

 

 恨みがましく唸るリムルだったが、ディアブロを責めることはできない。悪友であるラミリスとヴェルドラとの賭事に負け、罰ゲームとして可愛いドレスやらメイド服やらを着せられていたのだ。周りには人だかりができていた。

 

 この日はリムルが主として君臨する'魔物の国(テンペスト)'建国記念日で、建国祭が開かれており、ただでさえ人が多い。国の主の珍しい姿を拝めるとあって、いやでも注目が集まっていた。

 

 そこへ一人女性が通り掛かった。

 肩で切り揃えた黒髪に蒼いノースリーブ、白のボトムスという出で立ちをした、端正な顔立ちの妙齢の美女。自由調停委員会の委員長、ヒナタ=サカグチであった。手にはたこ焼きをしっかりと持っている。

 ヒナタはリムルを見て固まり、たこ焼きを食べる手を止めるが、すぐに気を取り直す。

 

「あら、似合うじゃない」

 

 暖かい……いや、生暖い視線を送る。引いている。完全に引いている。

 

 そりゃそうだろう。リムルは見た目は美少女だが、中身はオッサン(前世の記憶があるので)なのだ。ヒナタはリムルと同じく異世界(にほん)から界渡りをして来た異世界人、言わば同郷だ。リムルの中身についても知っている。

 

「ぐはぁっ」

 

 同郷人の反応に羞恥の限界に達したリムルは涙目で逃げ出した。

 

「リムル様!」

 

 逃げる主人をディアブロが追いかける。

 

 ああ、穴があったら入りたい。リムルはそんな事を思いながら転移門を開いた。が、羞恥に混乱していたため、通常の転移ではなく、ウッカリ異次元転移の門(ディファレンシャルゲート)を開いてしまったのだ。

 

「リムル様……おや?」

 

 一緒について来ていたディアブロがリムルを呼び止めようと声を掛けるが、ふと違和感に気づく。

 

「何だコリャ?」

 

 見れば、空中に突如現れた平面的な何かに今喋った言葉が書かれている。まるでゲームのメッセージ欄だな。と思ったところで、

《────解。ここはゲームという仮想世界のようです》

 

 頭のなかに声が響いた。

 

 おお、シエル!って、はあ?

 

 シエル────リムルの究極能力(アルティメットスキル)"智慧の王(ラファエル)"が進化した、意思と感情を持つ、リムルの相棒的存在である。

 

 "智恵の王"の名に相応しく、桁違いの演算・解析能力を備えている。そのシエルが出した結論は『ゲームという仮想空間の中』だった。

 

 えええええ!?

 

 

 

 

 


 

 キャラクター紹介

 

リムル=テンペスト 

 サブカルチャーを愛する日本のサラリーマン(独身貴族)が、異世界にスライムとして転生した。最強の存在である竜種「ヴェルドラ」と出会い、盟友となる。驚くべき早さで成長を続け、8柱の魔王の1柱となる。

 さらに竜の因子を取り込み、竜魔粘性星神体(アルティメットスライム)という竜種と同等の存在に。

 捕食した対象に擬態したり、能力を解析し習得できる。究極の能力"虚空の神(アザトース)"を持ち、自我を持った能力である神核(マナス)"シエル"を相棒に持つ。中世ヨーロッパくらいの文明だった世界に、近代的な文明や日本の食文化、温泉文化を持ち込んだりとワガママ放題であるが、仲間思いで人間好き。見た目は美少女だが中身はオッサン。

 

ディアブロ 

 リムルに召喚された上位魔将(アークデーモン)が進化し、魔神の王(デヴィルロード)になる。リムルの配下の中でも最強であり、悪魔族の中でも最古の魔王に次ぐ実力者。超絶美形。リムルに心酔している。

 魔眼、魅了などの能力と共に悪魔特有の強大な魔力を持ち、肉弾戦にも長ける。

 究極の能力"誘惑之王(アザゼル)"の使い手。

 

ヒナタ=サカグチ

 '魔物の国(テンペスト)'のある世界へ転移してきた異世界人。リムルと同じ日本出身。現在は力の多くを失ってしまったが、人類最強クラスの実力者(ピーク時は覚醒魔王に迫るほど)。聖騎士団団長を努めていた当時は極端な合理主義者で冷酷非情な印象だったが、リムルと和解後は少し丸くなる。外見は妙齢の美女であり、立派なお胸(リッパイ)の持ち主だが、実はアラ○ォー。

 

ヴェルドラ

 竜種。最強の精神生命体にしてドラゴンの祖たるヴェルダナーヴァの弟であり、荒れ狂う暴風の化身。

 4兄弟の末弟であり、ヤンチャで奔放、寂しがりや。最強の勇者に敗北し、"無限牢獄"に封印されていたが、リムルに出会い、"無限牢獄"共々リムルの胃袋に収まっていた。もともと人間好きだったが、リムルとの出会いをきっかけに変わり始め、中二病の天災級モンスター(とにかくめんどくさいヤツ)に。

 

ラミリス

 八星魔王(オクタグラム)の1柱。

 小さな体で力も弱いが、迷宮を創造する力を持つ。迷宮内では、配下を無限に復活させられるという反則的(チート)な権能の持ち主。リムルと出会うまで配下らしい配下がいなかったため宝の持ち腐れをしていた。一応精霊女王なのだが、見た目も中身も子供っぽいので、リムルからは子供扱い。いたずら好きなお調子者。




ディアブロの見た目はweb版では赤髪でしたが、書籍版の黒髪とさせていただきました。


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#2 運命の邂逅

二人の魔王が出会います。


焼夷弾!(ナパーム)

 

 ドドドドォォォーーーン

 ピピピゥーーーーズドドドドドッ

 複数の火球が弾けて爆発が起こる。同時に空には無数の矢が舞い、大地に勢いよく突き刺さる。

 

「クソッ当たらない!」

 

不動明王剣(アチャナラータ)!これもかわすか!」

 

連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)!」

 

 生き物のように激しくのたうつ雷撃が襲い掛かるが、ディアブロはヒラリとかわす。

 

「待てコラー!」

 

「クフフフフ。この状況で待てと言われて素直に待つバカはいません」

 

「全くしつこい奴らだな」

 

 喋る度にポップするメッセージウィンドウに、リムルは少しゲンナリした表情で走っている。

 後ろには人間(のプレイヤー)が追い掛けてくるが、徐々に距離が離れていく。上手く撒けそうだ。

 

「チクショー!また逃げられたぁぁぁ!」

 

 悔しがる彼らに、ヒラヒラと手を振った。

 

 リムルがYggdrasil(この世界)へ来て5日が過ぎていた。しかし魔物の国(テンペスト)へは帰るでもなく、ユグドラシルを旅していた。

 

 帰りたくないわけではない。というか、帰りたくても帰れない。決して未知のゲームの世界にワクワクし、遊び呆けているわけではないのだ。ここが異世界だと気づいてすぐに帰ろうとしたのだが、異世界への門(ディファレンシャルゲート)が開かない。あれ?と焦っていると、シエルがとんでもない事を告げてきた。

 

《世界の法則によって、魔素や能力(スキル)は「データ」というものに置き換えられました》

 

 え?ってことはゲームの世界の住人(キャラクター)になってしまったということだろうか。

 

《その解釈で合っています》

 

 しかし、それならそれで能力(スキル)が使えないのは何でだ?

 

《……一部の能力(スキル)は「データ」への変換に失敗しています。膨大なエネルギーを世界が許容しきれなかったようです。変換されなかった能力(スキル)はこの世界では使用不可能です》

 

 マジか。

 

 つまり、データ量が多すぎて処理しきれず、データの一部が文字化けを起こしてるようなものか。実質この世界(ゲームの中)に閉じ込められたってことじゃねーか!

 

 ディアブロも一部データの変換に失敗した(能力に制限がかけられた)ようだ。使える能力を確かめているのだが、妙に落ち着いている。

 普通、もっとこう、焦るだろ。なにをそんなに落ち着いているのか。

 

「どのような世界であろうとも何も問題は在りません。この世界を征服すればよいだけですから。私とリムル様二人で!」

 

 問題大有りだった。

 

「どうしてそうなるんだよっ。能力(スキル)が使えない以上、魔物の国(テンペスト)に帰れないかもしれないんだぞ!大体、世界征服なんて、事後の管理がめんどくさいわ!」

 

「そうですね、申し訳ありません……」

 

 シュンと肩を落とすディアブロに、悪魔の癖にそんなメンタルで大丈夫だろうか、と思うが今は都合がいい。

 先ずはYggdrasil(この世界)がどんな世界(ゲーム)なのか、情報を集めなくては。それから今後の行動方針を決めよう。

 

 人間はいるのか?動物やモンスターは?このゲームの目的は?プレイヤーはどんな奴らか?人間、だよな。言葉は通じるのか?自慢じゃないが外国語はまったくわからん。魔物の国(テンペスト)がある異世界は、世界の法則で、言葉が勝手に訳されて意志疎通できた。

 だが、そんなご都合主義は当てに出来ない。

 と思ったが、シエルさんがいるのだし、なんとかなるだろう。

 

 ていうか、さっき見たメッセージウィンドウには見慣れた文字が浮かんでいたような……。

 

「えぇー、本日は晴天なり」

 

 リムルが喋ると、先程と同じようにメッセージウィンドウが浮かび上がる。

 やはり、見覚えがある文字。というか、嘗て人間だった時に使っていた文字だった。うん、日本語だな。言葉が通じることは間違いなさそうだ。

 

 

「?……リムル様?」

 

 ニヤリと笑ったリムルを、ディアブロは怪訝な表情で伺う。

 

「この世界の言語は俺の知っているものだった」

 

「っ!なんと。流石はリムル様です。お見逸れしました」

 

 ディアブロはうっとりとした表情で、どこぞの密林の王者の弟子のような科白(セリフ)だが、まあいい。突っ込んでると日が暮れてしまう。Yggdrasil(この世界)で日が暮れるかどうかはわからないが。

 日本語が使われているということで、ちょっと安心した。しかし、転移した先が日本語圏とは、偶然にしてはできすぎではないか?

 

《なんでもかんでも私を疑うなんて、ひどいです。あんまりです!プンプンッ》

 

 ある可能性が頭を掠めた瞬間、シエルさんが突っ込んでくる。この言い方は否定していないな。疑惑は一気に濃厚になった。

 

《黙秘します!》

 

 あー、確定か。なんだか知らんがまぁ、シエルの企みに乗ってやろうじゃないか。

 

《それでこそ我が主(マイマスター)です!》

 

 こうやっていつも乗せられているような気がするが、細かいことは気にしない。うん、きっと気のせいだな!

 

 というわけで、何か町でもないかと草原を当てもなく彷徨っていると、程なく初めて人間と遭遇(ファーストコンタクト)を果たした。

 

 

 ローブを纏ったマジックキャスター(魔導師)に、弓を背負ったレンジャー、鎧武者のような、日本刀を腰に差した剣士(サムライ)の3名か。ゲームの中の登場人物なのか、プレイヤーなのか分からんが、とりあえずフランクに声を掛けてみるか。

 

「いよーっす!」

 

「ん?なんだこいつ?NPCか?うおっスゲー作り込みだな」

 

 リムルと、後ろに控えるディアブロを交互に見やり、驚いたような声を出す。

 お?どうやらプレイヤーっぽいな。これは僥倖。しかし、NPC?NPC(ゲーム中のキャラ)だと思われてるのか。そう言えば今喋ったけどメッセージウィンドウが出ないのはプレイヤーだからか。なるほどね。

 よし、ここはあれだな。スライムの(ラブリーな)姿を見せて、友好をアピールだな。

 

「ボク、リムル。悪いスライムじゃないよ」

 

 人型からスライムの(愛くるしい)姿に戻り、渾身のスマイルを見せる。

 どうだ!

 

「な!マジか」

 

 お、驚いてるな。ゲームだからか表情は動かないが、声の感じから嬉しそうにしている。よし、好印象だ。

 

 ……と思ったら。

 

「ヤリィ!見たこともないスライムだ。こりゃ相当なレアモンスターだぜ」

 

「ああ、レアドロップも期待できそうだな」

 

「え?」

 

 あれぇ?こんなラブリーなスライムを襲うのかよ?あり得ん、くそう。当てが外れたか。

 

「ほう。リムル様に挑みかかるつもりですか?」

 

 ディアブロは笑みを浮かべながら、怒気を放っている。

 マズイ。力の制限を受け、力を十全に発揮できない今、戦っても勝てるかわからん。第一、派手に動けば他にも敵を寄せ付けてしまうかも知れない。そうなれば味方がディアブロしかいない状態では多勢に無勢となりかねない。

 仕方ないな……。

 

 

「ディアブロ」

 

「はい」

 

 ディアブロはリムルの前に立ち臨戦態勢に入る。号令が掛かれば何時でも攻撃できるように。

 

「逃げるぞ」

 

「は?はい、仰せのままに」

 

 二人して脱兎のごとく逃げ出す。

 

「あっ、ま、待てぇ!」

 

 プレイヤー達は一瞬ポカンとしていたが、気を取り直して追い掛けてくる。こうして逃げては撒き、また見つかっては逃げていたのだ。

 彼らの執念も大したもので、何度振りきってもまたすぐに探しに来て見つかってしまうのだ。

 そんな鬼ごっこ(やり取り)を幾度か繰り返しながら、相手の戦力を解析し、どうやら今の自分たちでも敵ではないとわかった。

 最初、どうやってそう何度も見つかるのか不思議だったが、近くの生命の気配を察知したり、遠くの景色を覗く魔法があるようだ。魔物の国(テンペスト)みたいに衛星なんて流石にゲームにはないだろうと思っていたが、そういうカラクリか。しかし、覗くとは、なんとも魅力的な魔法だ。スライムな(性別が無い)のでムクムクと起き上がるものは無いが、スケ……いや、冒険心はムクムクと沸き上がるのだ。

 まあ、解析はできたものの、ただでさえデータ容量オーバーなので修得は出来ないようだった。残念だが仕方ない。何を覗こうと思ったかはヒミツだ。だが、シエルさんは勘づいたようだ。さっきから黙り込んで、無言の抗議をしている。

 

《……》

 

「シエルさん?」

 

《……》

 

「機嫌直してよ」

 

《私という相棒がいながら……》

 

 そうだな、悪かった。相棒はお前だけだ。お前がいなきゃダメなんだ。頼りにしてるからな。

 

ご主人様(マスター)……》

 

 鬼ごっこの鬼(追っ手)を撒き、シエルさんの機嫌も直ったところで、町が見えてきた。

 おお、初めての町。数日間逃げ隠れしてたからな。なんだか嬉しくなった。

 さあ、今度は失敗しないようにしなきゃな。まあ、人に擬態しておとなしくしてればバレないだろう。

 人間の姿で意気揚々と町に入っていった。

 

 町には沢山の人でにぎわっていた。情報を交換したり、アイテムを売り買いしている姿も見かける。

 ここには人間と、エルフやドワーフのような亜人のみが居るようだ。やはり、モンスターは歓迎されないらしい。そりゃそうか。リムル達は誰かに声を掛けたりせず、暫く町並みをキョロキョロと見て回っていたが、なんとなく視線を感じるような……やはり服装が目立つのか?まあ、ディアブロはイケメンだしな。気にしないことにした。

 一通り見たところで、モンスターの町もあるかも知れないと思い、人間の町を出たとき、出くわしてしまった。

 

「みーつけた」

 

「ここで会ったが百年目」

 

「こんなところで会うとはな」

 

 例の3人だ。ご苦労な事だ。

 

「いよーっす。また会ったな」

 

「クフフ、鬼ごっこ(お遊び)再開ですね」

 

 どこぞの地球育ちの戦闘民族のようにフランクに手をあげ、挨拶するリムル。ディアブロは慇懃に礼をする。

 

「コンニャロ、NPCの癖に生意気な」

 

「まさかこれもあの運営の仕業(嫌がらせ)か……?」

 

「攻撃こそしてこないけど、動きからして並みのNPCじゃない。まさかワールドエネミーのプロトタイプとか?」

 

「「うわー、あり得る」」

 

 ユグドラシル(このゲーム)の運営の破天荒振りは有名で、プレイヤー達はいつもそのブッ飛んだ展開に振り回されている。どうやら、此方がただ者じゃないと感づいて、運営の陰謀を疑っているみたいだが、まさかシエルの企みによって異世界から来た魔王とは思いもよらないだろう。

 ゲームの世界に閉じ込められるという、ちょっと間抜けな魔王だが。

 

「あっ」

 

 理不尽な運営の事を思い出し、暗澹とした空気になっていた3人の隙をついて一気に走り出す2人に、3人は完全に出遅れる。

 

「待てコラー!」

 

 

 

 

 

 

 

「土地勘がないのは痛いな」

 

 3バカが仲間を集めて、26名による討伐チームで押し掛けて来たのだ。

 

「どうやら今回は相手の土俵だったようですね。そろそろ逃走劇(駆けっこ)も飽きましたし、頃合いでしょうか」

 

 高い崖の下で壁に追い込まれた状況にもディアブロは余裕の笑みを湛え、悠然と構える。

 リムルも擬態を解き、スライムの姿に戻っていた。

 さて、やるしかないか。そう思った矢先、リムルは何かの音に気づいた。

 

 キィィィイン

 

 風切り音?矢か!

 矢は誰にも当たらず、地面に着弾   したとたん、爆発した。

 プレイヤー数名が爆風に巻き込まれる。

 更に矢が続けて飛んでくるが、射手の姿は見当たらない。いったいどれだけ遠くから射ているのか。100mや200mどころではない事は確かだ。そしてそれほどの距離が有りながら相当な精度でもって、ピンポイントで狙っているのがわかる。まるでどこぞの強面の殺し屋スナイパーだ。ディアブロも射手が強敵である可能性を見抜き、嬉しそうに嗤う。

 その顔は並みの人間が見ればショック死するような寒気を   恐怖を呼び起こすものだ。しかし、ここはゲームの世界のためか、プレイヤー達には無表情に映るらしい。表情だけでなく、二人の声もプレイヤーには聴こえないようだった。

 

 爆風に見舞われ、視界が塞がれた隙に何者かが、リムル達と人間(プレイヤー)達の間に割って入ってきた。

 リムルはその気配にすぐに気づいていたが、此方に敵意を向けていないことはわかったので、成り行きを見守る事にした。しかし、そのうちの1人、いや、1体の姿に目を丸くして(スライム(ボディ)に眼は無いが)驚いていた。

 視界が戻りはじめ、人間(プレイヤー)達が体勢を建て直し始めたころ、空中に禍々しい黒い空間が生まれた。そこから現れたのは、死の顕現。禍々しい光を放つスタッフを持ち、豪奢な漆黒のローブを纏い、腹に紅い大きな宝玉を納めったアンデッド、死の支配者(オーバーロード)だった。

 

「な、ま、まさか……」

 

 硬直した人間(プレイヤー)が喘ぐように言葉を洩らす。しかし、誰もが硬直して動けない。そう、彼、いや彼等こそ、'Yggdrasil(ユグドラシル)最強の異形種ギルド'にして、横行するPK(異形狩り)に対抗し、P K K(異形狩りを狩る)を是とする、悪名高き異端者(DQN)集団ーーーー

 

「そう、我らこそ、『アインズ・ウール・ゴウン』!!」

 

 死の支配者(オーバーロード)が、重々しく、威厳に満ちた口調で言葉を紡ぐ。その様は当に魔王(ラスボス)のソレである。

 ()魔王(ラスボス)キタァーーーー!

 厨二魂を刺激されたリムルは、自分も大魔王であることを棚に上げ、テンションが上がって浮かれていた。

 

 




ディアブロ「お遊びはここまでです」
モモンガ「我らこそアインズ・ウール・ゴウン!」
リムル「魔王かっけー。あ、俺も大魔王か」


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#3 異世界のお友達

アインズ・ウール・ゴウンに出会ったリムルはギルドに招かれ、一緒に行動します。


 瘴気の漂うヘル・ヘイムの毒沼の奥地にギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の拠点『ナザリック地下大墳墓』はある。

『ナザリック地下大墳墓』は、元々天然の地下ダンジョンで、ここを攻略した『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバーが階層を追加し、ギルド拠点として手を加えていたのだ。全十階層のうち、第一~第三階層は墳墓になっているが、第四階層は巨大な地底湖、第五階層は極寒の銀世界、第六階層は森林で、コロシアムのようなものがある。第七階層はマグマの煮えたぎる灼熱世界、第八階層には荒野といった、バリエーションに富んだダンジョンである。第八階層が対侵入者の最終防衛ラインであり、第九、第十階層には玉座の間と、会議用の"円卓の間"、ギルドメンバーの個人居室、さらに、食堂、スパ、ショッピングモール、バーといった、様々な娯楽施設を作る予定である。

 "円卓の間"には『アインズ・ウール・ゴウン』32人のギルドメンバーが揃い、31名が座っていた。そして、バードマン(もう1人のメンバー)が立って熱弁を振るっている。

「社会人である」事と「異形種である」事が加入条件である以外、種族も主義主張も、目的も違うバラエティーに富んだこのギルドの唯一といっていいルールは「意見をまとめるときは多数決で決める事」。

 今回の議題は「偶然出会った謎のNPCスライム(リムル)悪魔(ディアブロ)について」だ。

 

 

 

 

 

 

 即席のレアモンスター(リムル達)討伐隊26名に対し、『アインズ・ウール・ゴウン』6名の戦いはまさに圧巻だった。討伐隊は100レベルに達していない者もおり、連携もバラバラだった。対して、少数ながら精鋭揃いで連携の取れた『アインズ・ウール・ゴウン』の面々。まるで勝負にならなかった。

 敵の攻撃をピンクの粘体が完璧に受け切り、姿の見えない狙撃主からの爆撃により、相手の隊列を2つに分断する。分断された隊へ白銀の聖騎士が突撃し、同時にもう一方に山羊頭の悪魔は魔法を叩き込む。

 散り散りになって逃げ出す者を、影から忍び寄った二刀の忍者が切りつける。瞬く間に人間が倒れていき、残った最後の1人に死の支配者(オーバーロード)が大仰に両手を広げ、語り掛ける。

 

「愚かな人間よ。懺悔は済んだか?死ぬ前に言い残すことがあれば聞いてやろう」

 

「お、覚えてやがれェ!絶対に報復しty」

 

 その言葉は最後まで紡がれる事はなく、死の支配者(オーバーロード)が手を伸ばし、拳を握る動作をすると、目の前の人間は力なく倒れた。

 死んだ人間の肉体(アバター)は次々に光の粒子になって消えていく。最後の1人もーーー

 

「何時でも受けて立ってやる……返り討ちだがな。フハハハハ」

 

 ものの1分足らずの蹂躙劇だった。最後の1人が倒れたところで、バードマンが空から降り立った。このバードマンが先ほど姿が見えなかった射手のようだ。

 

「コイツらやるじゃん」

 

「クフフフフ、面白い」

 

 リムルとディアブロは素直に感心していた。リムルは息の合った連携に、ディアブロは骸骨の魔王の悪魔的態度に。

 

 戦闘が終わったことで6名が此方を見て近づいてくる。

 白銀の鎧を纏った聖騎士が声を掛けた。

 

「もう大丈夫です。あなた方が追いかけられているのを見て、助けに来たんですよ」

 

 ……

 

 スライム(リムル)の沈黙に、気まずい空気が流れ始める。

 

「怖がらせてしまったのでは」

 

 と聖騎士が仲間を振り返る。

 

「きっとモンちゃんのせいだよ」

 

「え?お、俺のせいですか?」

 

「あー、魔王ロールでござるな」

 

「確かに。まさに悪その物だったよな」

 

「うんうん、こないだもチビッ子プレイヤーにマジ泣きされてたし」

 

「うう……」

 

 散々な言われように肩を落として落ち込む死の支配者(オーバーロード)

 さて、どうする?どうも、異形種プレイヤーと勘違いして助けに来たって感じだな。何か反応を返そうにも、メッセージウィンドウが浮かんだ時点で向こうにはNPCと認識されてしまうだけだ。またレアモンスターと思って襲ってくるんじゃ……?いや、レアなのは間違いないんだろうけども。

 ええい、どうにでもなれ!考えるのは性に合わん!

 

「僕はリムル」

 

 発言すると、一斉に視線が集まる。そこで人型に擬態する。折角だから胸も多少盛っておくか。性別や年齢、体型など、見た目は自由に変化させられるのだ。

 

「悪いスライムじゃないよ☆」

 

 ウインクもサービスだ。なんか後ろでディアブロが蕩けた表情をしているが、気付かないフリだ。

 

「……」

 

「……」

 

 今度は『アインズ・ウール・ゴウン』が沈黙した。

 え、ええっと?何だろう、この長い沈黙。やっぱり何かまずいのか?

 

「か……」

 

 か?

 

「カワイイー!なにこの子?」

 

「うおぉぉぉ!ボクっ娘美少女スライム、キタァァァ!」

 

 急にハイテンションで蠢くスライムとガッツポーズするバードマン。さっきから気になっていたが、このスライム……。見た目はあれだ。完っ全に……ピンクの肉棒。他に形容しようがない。それがウニョウニョ蠢く様はまさにアレだった。バードマンもキモいくらいに狂喜乱舞している。二人の様子に他のメンバーは呆気に取られていた。

 

「クフフフフ、はじめまして。私はディアブロ。リムル様の忠実なる僕。以後お見知りおきを」

 

「あ、ああ。これはご丁寧にどうも」

 

 聖騎士が応じ、礼をとる。

 

「真面目だなぁたっちさん。NPCに挨拶返すなんて」

 

「や、なんというか、つい」

 

「ねぇ、この子たち、どうする?」

 

「連れてこうよ、ねーちゃん!みなさん、いいですよね?」

 

「そうしたいけど……」

 

「なんか、怪しくないですか?どう見ても普通のNPCじゃないですよね、コレ」

 

「どこかのギルドのスパイかもってこと?」

 

「いやいや、なに言ってんですか、こんな美少女ですよ?この子にならむしろ騙されてみt「黙れ弟」ハイ……」

 

「何かのイベントのキーキャラ(鍵を握るキャラクター)という線もあり得るか?」

 

 色々話し合ってるな。なんか怪しまれてるみたいだ。こんなラブリーなスライムのどこが怪しいんだか。しかし、やっぱりNPCという認識になるんだな。お、この骸骨の服なかなかイカしてるじゃん。手触りも良さそうだ。

 

「うおっと?」

 

 骸骨が焦った声を出す。その顔を見上げてじっと観察する。うん、なかなか造詣の深いデザインをしている。これはゲームの中にいる俺たちにはそう見えてるだけで、実際のプレイヤーの見え方と同じとは限らないが、もし同じなら大したものだ。表情はわからないな。

 

「え、チョッ……」

 

「モモンガさん、懐かれちゃいましたね」

 

「えぇ?」

 

「きっと付いて来たいんですよ。連れてってあげましょうよ!」

 

「どうする?モンちゃん」

 

「え、そこで俺に振るんだ。じゃあいつもの多数決で決めましょうか。このNPC二人を連れていくことに賛成の方は挙手で」

 

「「「「「賛成」」」」」

 

 そっと服を摘まんで上目遣いで見つめるリムルの仕草は心細そうに見え、皆ハートを射抜かれていたのだった。

 な、なんか知らんが、上手くいったのか?ディアブロはニッコリと、「流石です」と訳知り顔をしている。

 

《全てご主人様(マスター)の狙い通りですね》

 

 わかっていますよ、とシエルさんも誉めそやすが、全くなにがなんだか。ま、いいか。

 

 で、今に至る。

 ギルド長であるモモンガが議題を提起し、聖騎士(たっち・みー)が救助の経緯を、山羊頭の悪魔(ウルベルト)二刀の忍者(弐式炎雷)が間者もしくはイベントキャラクターの可能性を、ピンクの肉棒(ぶくぶく茶釜)がモモンガになついているらしいことを。そしてバードマン(ペロロンチーノ)は。

 

「だから、この娘は俺の嫁、いや愛人なんd「黙れ弟」……ハイ」

 

 頭ん中エロしかないんかいって位のエロゲ脳だった。「エロは偉大だ(エロゲイズマイライフ)」と公言して憚らない男はそのまんまなやつだった。悪いやつじゃないんだけどな。ま、一番積極的に皆を説得しようとしてくれたのは嬉しいかな。愛人になる気はないが、援護してやってもいいか。

 リムルが円卓の上に飛び上がる。

 

「みんな言いたいことはあるだろうけど、ここは俺達を信用してほしい。実力は自信あるから皆は大船に乗ったつもりでいてくれ」

 

 一同が唖然とする。どうなっているんだ?こんなに自由に行動できるNPCが存在するのか?運営が用意したイベントキャラで、中に人が入っているならまだ分かる。だがそれでも机上に立つなんてプレイヤーでも出来ない動きだ。

 

 あれ、なんだコレ?ヤバい、やらかしたか?なんだか気まずい雰囲気に耐えられず、リムルはそそくさと円卓を降りる。ディアブロも生暖い視線を向けていた。

 

「やはり、気になりますね。いったい誰が作ったのか」

 

 黒い粘体(ヘロヘロ)が発言する。現実(リアル)でプログラマーをしている彼は、謎のNPCと聞いて興味を引かれていた。本職(プロ)の目からみても、その動きの精巧さは際立っており、しかも此方の会話に噛み合うような反応を返すなど異常だったのだ。

 一体どのようなプログラムを組めばこれほど自由に動かせるのか、見当もつかないほどだ。二人のNPC達(リムルとディアブロ)を連れてきてすぐに設定を確認してみたのだが、膨大な文字で埋まっているものの、その殆どが文字化けしていてステータスさえわからなかった。

 ただ、「傭兵として雇うことが出来る」とあった。

 

 リムルに関して、辛うじて読めたのは"アルティメットスライム"という種族名と、"虚空"¥¥$+&"というスキル欄の一部、"異世界"、"八星$%@"というフレーバーテキストの一部のみ。

 ディアブロに関しても、文字化けが酷く、種族が悪魔であること、"リムルに心酔している"というフレーバーテキストぐらいしかわからず、結局ヘロヘロも匙を投げるしかなかった。

 

「ヘロヘロさんでもお手上げなんて……」

 

「でも、これほどの作り込みをしといて、外に放ったらかすなんて、普通しないよな」

 

「やっぱり運営が作りかけて頓挫した野良NPC説が有力かな」

 

「ステータスもわからないんじゃどう役に立つかどうか不明なんだよなー」

 

「何かおかしなバグがあったら、危険かもしれないですよ」

 

「でも、異形種狩りの奴等に狙われてたんですよね?」

 

「今更放り出すのは気が咎めるな」

 

「じゃあ、俺が責任もって面倒みますから、ここに置いてやって下さい。お願いします!」

 

 ペロロンチーノ、お前良い奴だな。エロいけど。リムルは感激したように両手を胸の前で組む仕草をする。ディアブロへ目配せすると、ディアブロは恭しく礼をし、

 

「主人共々、此方でお世話になりたく存じます」

 

 と伝えた。ギルドメンバーの空気も真剣なものに変わる。安全とは言い切れないものの、これほどのNPCがもし他ギルドに戦力として渡るとしたらそれも危険だ。

 

「じゃあ、そろそろ裁決します。この二人のNPCを『アインズ・ウール・ゴウン』に迎え入れる事に賛成の方は挙手を」

 

 皆思惑は同じではないようだが、満場一致でリムル達はギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に迎え入れられた。リムル達は隠し玉ということで、第八階層を割り当てられた。ギルメン達にあちこちつれ回されて、殆ど居ないのだが。

 




リムル「とりあえず仲間入りできたな」
ディアブロ「クフフフフ」
ウルベルト「陰謀の臭いが・・・」
ペロロンチーノ「俺の嫁!は、シャルティアだから、愛人?」
たっち「NPCだからってほっとけない!」
茶釜「ウフフフ・・・」
モモンガ「しばらく様子見かな」


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#4 ナザリックでの日常

ギルメンと思い出作り。そしてYggdrasil(ユグドラシル)のビッグイベントやります。


「ホント、よくできてるわよねぇ」

 

「でしょ?ちょっと食い意地張ってるけど」

 

 リムルは女性ギルドメンバーのやまいことぶくぶく茶釜の女子会に連れられて来ていた。やまいこは脳筋先生と呼ばれている。女性にとっては不名誉な渾名だが、「相手の情報を覚えてないから取り敢えず殴ってみよう」というまさに脳筋スタイルなので仕方がないか。神経も図太いらしいし。現実(リアル)では教師をしているという。教師がそんなんで大丈夫なんだろうかと思わなくはないが、俺が教わるわけではないし、突っ込まずにおこう。

 ぶくぶく茶釜は見た目どおりというか、陰で「ピンクの肉棒」とか言われているようだ。本人はその外見の卑猥さを自覚していないのか「キモカワでしょ」と堂々とした態度である。いくらなんでも女子でその外見はないだろう。誰か突っ込んでやれよと思ったが、男性陣にそんな勇者は居ない。一部の間では、きっと引くに引けなかったんだろうとまことしやかに噂されている。

 

 当初は正体不明のNPCということで誰もが警戒(一部逆にこっちが警戒する相手がいたが)して、おっかなびっくりな対応だったのだが、ペロロンチーノとぶくぶく茶釜、そしてモモンガの取り成しで徐々にみんなに打ち解けていった。

 先の二人は、なんというか、危険な香りが漂っていたが、モモンガは懐かれたと勘違いしているせいか、何かと気遣ってくれている。拾ったペットに対する責任感みたいなものか。いいヤツだな、ホント。普段前に出るタイプではないが、ギルド長らしく、締めるべきところはしっかりと締めている。もっと自分に自信もってもいいと思うけどな。まあ、その謙虚さが魅力でもあるのだが。

 ディアブロはやはりというか、女性メンバーの人気を博し、モデルのようにいろんな服を着せられたり、あれこれポーズを取らされたりしていた。

 最初は不満げな顔だったが、俺が誉めてやったら上機嫌でリクエストに答えていた。俺もピンクの肉棒(ぶくぶく茶釜)に散々着せ替え人形にさせられたので道連れにしたわけではない。決して。

 そしてウルベルトからの評価も高かった。彼は「悪」にこだわりがあるらしく、ディアブロの悪魔的(悪魔なんだが)嗜好は高評価だった。

 

「フハハ、なるほど。それは面白い。気に入ったよ」

 

「クフフフ、貴方もなかなかどうして、勉強になります」

 

 先に言っておくが、この女子会の俺の目的は会話ではない。正直、女子の会話になんてマトモについて行けない。俺の目当ては女子の集まりと言えば付き物のアレ。そう、ケーキだ!

 ゲームの中なので、プレイヤーには味や香りはわからないし腹も満たされないが、俺はリアルな質感と香りと味を堪能できる。ナザリックの食べ物はとにかく美味かった。シュナの作るケーキが新進気鋭の新作ケーキなら、ナザリックのケーキは伝統と格式のある高級ホテルで出るそれだ。

 以前食堂に顔を出して食事を取ってみたり、ナザリックの素材を使って勝手に料理に挑戦(もちろん自分で食べるため)してみたりもしたのだが、後で素材が不自然に減っていることが発覚し、「それでしたら……」とディアブロがうっかり口を滑らしたおかげで、叱られる羽目になったのだ。あの時は流石に焦った。追い出されるかと思ったぜ。

 

 

「こんな好き勝手やってくれる奴、ギルメンにも居ないぜ全く」

 

「苦労して倒したドラゴンの最高級肉がぁ」

 

「あぁ、希少な香辛料まで無くなってる」

 

「どんだけ大食らいなんだよ」

 

「自立型NPCの弊害か……」

 

「やはり何者かの陰謀なのか?」

 

 と嘆きの声に混じって非難の声も多かった。

 

「すみません皆さん、今回は俺の監督不行き届きです」

 

 とモモンガが頭を下げてくれていた。

 

 スマン、モモンガ。と思いつつ、

 

「だって、お、おなか空いたんだもん……」

 

 と誰かの真似をして、胸の前で人差し指をツンツンしてモジモジしてみた。

 だって仕方ないじゃないか。三大欲求のうち、性欲と睡眠欲の2つを失ってしまっているのだから、最後に残った食欲にはこだわりたくなるってものなのだ。

 

(((か、可愛い!)))

 

 皆の心の声が一致した。

 

「ま、まあ、今回はこれくらいで、許してやってもらえませんか。今後はちゃんと事前許可を取るということで」とモモンガの声に皆賛同して許してくれたのだ。「カワイイ」は正義だな。ふっ、チョロいぜ。

 

「ク、クフフ。流石はリムル様」

 

 ディアブロまで何故かウットリとしていたが、無視だ、無視。お前が口を滑らせたせいなんだからな。

 

 両手でモモンガの手を取って上下に振り、フォローしてくれた事に感謝の意を表して、軽い足取りで駆けていくのであった。

 

(((か、可愛い)))

 

 残されたメンバーの心は二度目の一致をしたのだった。

 

 あれ以来、食事を作ったりするときはちゃんとモモンガに報告して、許可を取っている。

「また料理したいんだけど」とさらっと何でもないことを言ったつもりだったが驚かれてしまった。「料理スキルまで持っているなんて」と。

 スキル?知らんよ、基本的に「シエルさんにお任せ」で作れちゃうのだ。「ホントにすごい子だなぁ」と呟くモモンガ。よせよ、照れるじゃないか。

 

 女性二人に限らず、ギルドメンバーは大体、自作したNPCも一緒に連れているので、大体の自作NPCの顔と名前を覚えてしまった。

 誰も彼も自分が愛情をこめて生み出しただけあって、親バカになって自慢している。ぶっちゃけ、性癖丸出しのやつもいれば、武人魂みたいなのを詰め込んだやつ、黒歴史確定だなと思えるような中二病丸出しのヤツまで様々だが兎に角濃い!

 そしてメイド多っ!40人以上のメイド。様々なメイド服を着たメイドたちは圧巻だった。魔物の国(テンペスト)にもメイド服を取り入れようと決意した瞬間だった。シエルさんが何か言いたげだったが気のせい、気のせい。

 俺たちの精巧な動きは、作成した拠点NPCたちの改良においてかなり役立っていた。黒い粘体(ブラック エルダー ウーズ)のヘロヘロが、俺たちの動きを観察してモーションを研究し、よりリアルなモーションのプログラムに成功したり、隠し命令(コマンド)も追加出来たと言っていた。

 他にも、刀鍛冶(あまの間ひとつ)が武器を作ってくれたり、ドスケベ野郎(ペロロンチーノ)が「どんなものが装備可能か検証する」という名目で際どい「ビキニアーマー」なる格好をさせようとして、姉のぶくぶく茶釜にしばかれたりと、メンバーとの友好を深めつつ、退屈しない毎日を送っていた。

 ホント言うと、冒険の旅にも出かけたかったが、さすがにそれはわがまま言い過ぎか。

 

 と思っていたら、案外あっさり外出のときは来た。

 どうやら町でのチャリティーバザーイベントがあるらしく、「出店なんかもあるから」とモモンガ達が連れ出してくれたのだ。勿論俺の目当ては食べ物だ。俺は久しぶりの外と、出店の食べ物に目を輝かせていた。そう、浮かれていたのだ。

 

 

 

 町につくと沢山の人、亜人、異形のプレイヤーで賑わっていた。町のNPCもいるが、殆どプレイヤーなんだから、このゲームのプレイヤー人口は相当なものだと窺い知れる。普段いがみ合っている異種族の壁も、今日だけは争うことなくイベントを楽しんでいる。中には空気の読めないPK厨(バカ)も残念ながら少数いるが、警備NPCによって速やかに捕縛され、悪質な場合は垢バン(ゲームから追放)される。ちゃんとT.P.Oは守れってね。

 懐かしさを感じるリンゴ飴やチョコバナナを物色していると、あの異形狩りの3人組がいた。向こうも此方に気付き、近づいてくる。

 

「これはこれは『アインズ・ウール・ゴウン』の皆さんじゃないですか。奇遇ですね。先日のスライムちゃん達も」

 

 言葉は丁寧だが、敬意を払っているわけではない。早い話がバカにする雰囲気だ。フン、安い挑発だ。

 

「ほう」

 

 ディアブロがピクリと眉をしかめるが、目配せをして止める。ここで騒ぎを起こすのはまずい。

 

「今日はチャリティーだ。揉め事を起こすつもりはない」

 

 聖騎士(たっち・みー)が毅然とした態度で前に立つ。

 

「勿論ですよ、やるときは正面から挑ませてもらいますんで。それじゃ、ごゆっくり」

 

 そう言って立ち去っていく3人。

 

「……」

 

「なに企んでやがるんだ?」

 

「フン、何を企んでいようが、叩き潰すまでさ」

 

 そうだ。この間も20名以上をたった6人で瞬殺だったのだ。相手が100人だろうが200人だろうが負ける気はしない。いつでも来いよ。

 

 

 

 そう、彼らを甘くみていたのだ……

 

 

 

 ナザリックが過去最大規模の人数による宣戦をされたという報せが入ったのは、イベントの翌日だった。

 




遂に大侵攻が始まります。


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#5 大侵攻

ちょっと盛っていきます。



「「「「「2000!?」」」」」

 

「マジかよ?」

 

「概算だがね」

 

「2ch連合が動いたか」

 

「全員100LVじゃないにしても数が多すぎる」

 

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の拠点『ナザリック地下大墳墓』────

 

 円卓の間にはギルドメンバー37人が集まっていた。

 

 2ch連合を始め複数のギルドが徒党を組み、『アインズ・ウール・ゴウン』に宣戦布告してきた事を受け、対策を練るためにモモンガが緊急召集を呼びかけたのだ。

 中には貴重な有給を使ってまで召集に応じたメンバーもいる。

 

 異形種ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』はこれまでにも数度侵攻を受け、その悉くを撃退してきた。だが今回は規模が違う。

 

 ぷにっと萌えと死獣天朱雀の情報によれば、敵総数は2500名。一つのギルド攻略に対して、過去類を見ない大連合だった。

 

『アインズ・ウール・ゴウン』結成のきっかけは、ただ人間種でないからと、それだけで差別を受けPKされてきた異形種プレイヤーを護りたかったから。そして何より、不当な差別を強いる者達が許せなかったからだ。

 

 しかし、そんな『アインズ・ウール・ゴウン』にPKされたことで逆に目の敵にする連中もいた。今回はそんな連中の呼び掛けで、上位ギルドに一泡ふかせてやろうと思っていた連中が動きだし、徒党を組んで押し寄せてきたのだ。

 

 人間種プレイヤー2000人を迎え撃つのは異形種プレイヤーたったの41人のギルド。圧倒的な戦力差に、沈痛な空気が流れている。無理もない。単純に50倍の敵が押し寄せてくるのだ。楽観などできようはずもない。

 

 その空気を破ったのは彼だった。

 

「我々『アインズ・ウール・ゴウン』は!不当な数の暴力に絶対に屈しない!」

 

 たっち・みーが吠えた。普段そんな事を滅多に言わない彼の咆哮に皆驚いた。

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の前身、クラン『9人の自殺点(ナインズ・オウンゴール)』。そのリーダーを勤めていた彼は、誰よりも正義感が強かった。しかし、現実(リアル)では警察官(勝ち組)として働きながらも、立場に縛られ信念を貫き通せない、一つの歯車にすぎない自分の無力さに忸怩たる想いを抱えていた。ならばせめてゲームの世界では己の正義を貫きたい────そういった想いから、彼は一方的にPKされて苦しむ異形種プレイヤーを放ってなど置けなかった。

 

「困っている人を見たら助けるのは当たり前」

 

 この誰もが分かっていながら、知っていながら行動に出来ない「当たり前」を本当に「当たり前」の世界にするために。

 

 そんな彼に救われたメンバーは少なくない。ギルド長モモンガもその一人だった。

 

「そうです。地の利は守る此方にある。烏合の衆に負ける気はしませんね」

 

「正義を騙る悪には更なる悪でもって叩き潰す!」

 

「燃えてきたー!」

 

「侍とは死ぬことと見つけたり、か」

 

 ぷにっと萌えを皮切りに次々と戦意を滾らせるメンバー達。

 

(やっぱりたっちさんはすごいなぁ)

 

 モモンガは純銀の聖騎士への憧憬の念を心地よく自覚しながら、立ち上がって大仰に腕を振りローブを棚引かせる。

 

「みなさんやる気は充分ですね!俺達『アインズ・ウール・ゴウン』に喧嘩を売ったこと、とくと後悔させてやりましょう!」

 

 

「「「「「おおー!!!!」」」」」

 

 

 リムルは円卓の間でこの光景を見ていた。人の中にある差別意識の根深さを感じた。そして彼らの高潔さを目の当たりにして、不思議と笑みがこぼれた。

 

 多数派が少数派を押し退ける。それはある意味正しい。民主主義の正義だ。

 

 だが、少数派が虐げられていいなんて誰が決めた?そんな決まりはない。断じてないのだ。たっち・みーに感化されたのか、少し暑苦しいやつになってしまったな。

 

 俺も油断は出来ない。拠点NPCは蘇生が可能らしいが、俺達の場合はどうなるかわからない。

 

 データの一部が文字化けして不安定な状態のため、蘇生できたとしても、何らかの不都合が起きてもおかしくないのだ。そもそも蘇生出来ないかもしれない。この世界にとって俺たちは外部から入り込んだ異物なのだから。

 

 だから気をつけていたつもりだった。そう、そのつもりだったんだ。

 

 

 

 

 

 

「あああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 人間プレイヤー達が『ナザリック地下大墳墓』に雪崩れ込んでくる。

 

 第一~第三階層 「墳墓」

 数々のトラップが侵入者を阻み、アンデッド達が襲いかかる。階層守護者は全階層守護者の中で単騎戦闘能力最強シャルティア。真相の吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)であり、肉弾戦に長け、信仰系魔法を使う。罠と自動湧き(ポップ)するアンデッド達で、弱い者を篩にかけ、シャルティアが敵主戦力を少しでも削る作戦。

 ここでできれば100人位削りたい。

 

 第四階層 「地底湖」

 巨大な湖に沈む巨大ゴーレムが行く手を阻む。これと単騎でまともに戦える者は数えられるほどだろう。それでも数を頼みにすれば撃破はそう難しくはないか。

 それでも80人位は減らせるだろう。

 

 第五階層 「氷河」

 凍てつく冷気と吹雪が行く手を阻み、侵入者を氷付けにする。武器攻撃力最強の階層守護者コキュートスが番を務める。冷却対策がなければ体は凍り付き、容赦ない剣戟によって『人間かき氷』にされる運命だ。

 ここで60人はいけるだろ。

 

 第六階層 「森林」

 広大な森には数多くの魔獣が跋扈し、闘技場には数々のゴーレムが犠牲者を待つ。階層守護者はアウラとマーレ。アウラはビーストマスター、マーレは高位のドルイドだ。どちらも対多人数戦闘を得意とする。

 ここも80人。

 

 第七階層 「溶岩」

 立っているだけで容赦なく体力を奪う灼熱の空間は、熱対策必須。溶岩の河に架かる橋の下には、巨大なマグマのスライムが犠牲者を引きずり込む。いくつもの罠でさらに致死性の高い罠へと誘導する悪辣な罠仕様だ。三体の魔将(イビルロード)と階層守護者デミウルゴス。直接的な戦闘能力は高くないが、悪魔の仕掛ける数多の罠が口を開けて待っている。

 ここも頑張って80人。

 

 第八階層 「荒野」

 荒涼とした大地が広がる、ナザリック地下大墳墓の最終防衛ライン。強力な足止めスキルを持つ階層守護者ヴィクティム。

 そして傭兵として俺とディアブロが守護する。

 

 予想じゃここへはおおよそ1600人が到達か。骨が折れるな。

 

 俺達の役割は時間を稼ぐ事だ。可能な限り足止めし、侵攻軍ができるだけ多く入ってきたところでヴィクティムのスキルを発動し、ギルド総出で攻勢を仕掛けて一網打尽にする。

 

「さぁて、やるか……」

 

 

 

 

 

 リムルとディアブロが待ち構える領域に、侵入者達は一気に雪崩れ込んできた。およその見積り通り1500人強の大人数だ。集中攻撃を浴びないように、素早い動きで相手を撹乱する。隙をついて、一人、二人と確実に戦力を削っていく。

 

 能力の制限がなければもっと有利に戦えたはずなのだが、如何せん肉体能力による武器戦闘が中心になってしまう。それでも休むことなく動き続け、150人程倒したところで、そろそろ準備が整い、ギルドメンバーが合流する時間だ。

 

 だがここで、想定外の事態が起こった。

 

 世界級(ワールド)アイテム「ダイダロス」     使用者自身も死ぬ代わりに、相手に必中の必殺ダメージを与える。この攻撃は一度放たれれば、あらゆる防御も回避も不可能というものだった。

 

 それが放たれた瞬間、二人同時に危険を察知した。これは今までの何よりも危険なものであると。

 

 放たれた槍が向かう先はリムル────

 

 

 

 

 ではなく、ディアブロだった。

 

 ディアブロは両手を広げた。

 

 そして目を閉じた。

 

 閉じてしまった。

 

 だが、衝撃は来なかった。

 

 目を開けると────そこには悪夢があった。

 

 

「ああ……そんな」

 

 嘘だ。

 

 嘘に違いない。

 

 そんなはずがない。

 

「リムル……様」

 

 目の前には、自らを盾にして「ダイダロス」に貫かれたリムルがいた。

 

 ディアブロを振り返り、困ったような、安心したような顔をして目を閉じ、倒れる。

 

 その全てがスローモーションのようで、まるで現実ではないようで。

 

 人型を保っていられず、スライム形態に戻る。

 

 人間達が歓声をあげているが、そんなものは聴こえない。

 

 力なく、側にすがり付く。

 

 それは生のない、ただの塊のように動かない。

 

「リムル様……」

 

 返事はない。

 

「リム、ル……さ、ま……」

 

 

 

 

「あああああああああああああああああああっ!!!」

 

 それは悪魔の慟哭。




リムル様死亡?(嘘です)


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#6 決戦

ナザリック地下大墳墓第八階層まで攻め込まれ、後がない『アインズ・ウール・ゴウン』。
ディアブロを庇って凶弾に倒れるリムル。
慟哭のディアブロ。


 空気が、いや、この荒野全体が震えていた。震えるなんて生易しいものじゃない。第八階層まで侵攻してきた殆どが100Lvに達していたが、誰もが居竦められていた。

 それは時間にしてほんの数秒だったが、荒れ狂う衝撃波のように叩きつけられたそれに、誰もが背筋が凍る恐怖を感じた。

 

 おかしい。こんな特殊技術(スキル)は見たことも聞いたこともない。そもそも、「恐怖」のバッドステータスは、アバターの動作に影響が出るだけで、プレイヤー自身に恐怖を与えるわけではない。

 

 では、これは何だ。この心の芯から震えあがるような感情は。

 そして目の前の────衝撃波のような何かを放った、恐怖を沸き立たせるアレは。なにか、何かとんでもないものを敵に回してしまったのではないか?

 

 この時、その衝撃波の正体がディアブロの「声」であることに、誰一人として気づく事はなかった。あまりに強力過ぎて、その声が「音」として認識ができなかったのだ。

 

 

 

 ディアブロは悔やんだ。あのとき、目を閉じたことを。目を閉ざさなければ、こんなことにはきっと、ならなかったはずだ。

 

 あのとき────あの槍(ダイダロス)が放たれる瞬間、シエルが突然思念を飛ばしてきたのだ。「あれは必殺ダメージを必ず命中させる武器だ」と。

 

 あの槍(ダイダロス)はそれほどの脅威のようには感じなかったが、シエルが「必殺」で「必中」と言うのならその通りなのだろうと思った。その知識、智謀において、全幅の信頼を置いているのだ。

 

 ディアブロは戦慄すると同時に、安堵した。その矛先が敬愛する主人(リムル)ではなく、自分であったことに。逃れられぬというならこの身に受けよう、と目を閉じたのだ。

 

 らしくもない。本来なら受け止めるなり避けようとするなり抵抗をしたはずだ。「主人(リムル)が安全だ」という安堵が、らしくない思考を働かせた。

 

 悪魔は精神生命体であり、たとえ肉体が破壊されても、魂まで完全消滅しない限り、いずれ復活するのだ。ずっと主人(リムル)の側に仕えていたかったが、少しの辛抱だ。200年もすればまた復活して側に仕えられる。

 

(寂しいですが、少しの間、お別れですね……)

 

 だが、再び目を開けて見たその先には貫かれたリムルがいた。

 

(ああ、私はなんという愚かな判断を!リムル様なら私が死ぬことをお許しになるはずがないと解っていた筈なのに。なぜ私はっ────!)

 

 

 

 

 

 ディアブロは叫んだあと、俯いたまま動かず、何かを呟いたようだったが、誰もそれに気づく事はなかった。静寂に包まれた荒野はまるで時が止まったかのようだ。

 

 やがて空間に漆黒の闇が浮かび上がり、巨大な転移門(ゲート)が開かれる。闇の中から現れたのは『アインズ・ウール・ゴウン』ギルドメンバー41人。

 

 つい今しがた、全員が揃ったのだ。戦闘になればあっさりやられてしまうような、非戦闘員とも言うべきメンバーも居るのだが、誰一人座して待とうとする者は居なかった。

 

「ディアブロ」

 

 モモンガがディアブロの姿を捉えて声を掛けると、ディアブロは、ピクリとも動かないリムルの身体をそっと大事に抱き上げ、立ち上がる。瞬間。ディアブロは突然消えた。

 

 いや、そう見えただけだ。消えたと思った瞬間、モモンガのすぐ横にいた。モモンガは驚いたが、気を取り直して声をかけようとした。だがディアブロが俯いたまま抱くそれを見て固まった。

 

 遠目に見たときは何かを抱いているように見えたが分からなかった。しかし、眼前のこのスライムは間違いなくリムルだった。そう気付いた瞬間、モモンガの中で何かが弾け、侵入者(人間)達を睨み付ける。

 

「クソがぁぁぁっ!!」

 

 噴き出すような激情に、モモンガは悪態をつく。

 

「クソクソクソクソォォォ!!」

 

 地面を蹴りあげ、激しく地団駄する。烈火の如き激しい怒気を撒き散らかすように。

 

 普段は謙虚で一歩引いた気遣いのできる優しいモモンガからは想像も出来ない激昂ぶりに、ぶくぶく茶釜とやまいこは小さく悲鳴をあげる。

 

 モモンガにとってリムルはただのNPCではなかった。勝手に動き回り、態度は生意気で、勝手にギルドの消耗品を使い込んだりもされたが、そんな手のかかる子(リムル)だからこそ愛着が湧いていた。きっと妹か弟がいたらこんな感じなんだろうな、と夢想してしまうほどに。

 

 両親を早くに失くして以来、ずっと一人で暮らしてきたモモンガにとって、リムルは家族のような存在だったのだ。そのリムルが、およそ真面(まとも)とは思えない数の暴力に晒され、痛め付けられたのだ。胸中穏やかでいられるわけがなかった。

 

「……茶釜さん、すみませんがリムルを連れて少し下がっていてもらえませんか。ディアブロも下がってくれ」

 

 なんとか落ち着きを取り戻したモモンガは、何時もの口調でぶくぶく茶釜に声を掛ける。

 

「う、うん。わかった」

 

 ディアブロもその言葉に従うように、ぶくぶく茶釜にリムルを預けた。

 

(プレイヤーもNPCも、死亡した場合は身体が光になって消えていく。そうはならないって事は死んだ訳じゃないはず。

 リムルは謎が多いから、当てはまるかはわからないけど、スライムは睡眠不要だし、生きてるなら意識はあるはずで、何らかの反応があってもいいんだけどな。さて、それは一旦置いといて────)

 

『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバーは改めて敵に向き直る。何人かは不意討ちを仕掛けてくるだろうと、あえて隙を見せてカウンターの準備をしていたのだが、誰も仕掛けてこなかった。それならそれで、此方から仕掛けるだけだ。

 

「お前達!生きて帰れると……いや、最早語るも埒無し。一人残らず皆殺しだ!」

 

 と、唐突に後ろから声が掛かる。

 

「モモンガ殿」

 

「……っ!?」

 

「お気持ちは嬉しいのですが、私も大人しく見ているつもりはありません。あれらの半分ほどは私がいただきましょう」

 

「え、な!?」

 

 全員が驚愕した。しかし、それはディアブロの発言の内容にではない。確かに1400人も居るプレイヤーの半数を一人で相手取るなどという発言は驚愕すべきことなのだが、今はそれどころではない。

 

 喋ったのだ。メッセージウィンドウ(テキスト)ではなく、「音声」で。

 

 ディアブロはNPCではなかったのか?実はプレイヤーだった?普段はテキストで会話していただけならば、今声を出して会話しているのも頷ける。

 

 いや、ならば傭兵として雇うことは出来ないはず。混乱しかけた思考を落ち着かせつつ、ディアブロを振り返ったモモンガは、更に驚愕した。

 

「よろしいですね?」

 

 悪魔(ディアブロ)が嗤っていたのだ。無機質な作り物の笑みではなく、背筋が凍るような恐怖を呼び起こす、まさに悪魔の笑みで。

 

 喉が一瞬でカラカラに渇くような感覚を覚え、ゴクリと無意識に喉が鳴る。

 

(一体どうなっているんだ!?いくらなんでもあり得ない。こんな悪意と殺意に満ちたような表情、作れる訳がない。どうやって────まさか本物の!?)

 

「よろしいですね?」

 

「わ、かった」

 

 ディアブロからの二度目の問いかけにモモンガは、辛うじて絞り出すように答えた。

 

 一体何が起こっているのか、未だに頭の整理がつかないが、疑問を頭の隅に追いやり、ヴィクティムを抱える。他の面々も同様に敵に意識を向け、目の前の戦いに集中する。

 

 ディアブロ一人では500人以上もの人数を相手取れるはずがない。公式チート(ワールドチャンピオン)のたっち・みーでさえ、一度に一人で相手取る事ができるのはせいぜい15人程度なのだ。だが、みすみす死なせるつもりはない。

 

 モモンガが漆黒の後光を背負い、開始の号令を掛ける。

 

「始めるぞ。鏖殺だ!」

 

 

 

 

 

 俺は突然のシエルの警告に、無意識に走り出し、気が付けばディアブロの前に立ち塞がって槍に貫かれていた。咄嗟の事に、魂暴食(スキル)で喰うとか、考える余裕がなかった。そもそも使えないかも知れなかったが。

 

 ああ、あのときと同じだな。人生最後の(前世で死んだ)ときと。あのときは田村(後輩)を通り魔から庇って背中を刺されたんだったか。生まれ変わっても似たような死に方するなんてな。

 

 ディアブロのやつ、なんて表情(シケたツラ)してんだよ。田村(あいつ)みたいな表情(カオ)しやがって。

 

 悪魔らしくないと苦笑いする。もっと激痛が走ると思っていたが、痛みは殆どなかった。痛覚は持ち合わせていないが、命に係わるダメージの場合、痛みを感じるはずなんだけどな。案外、致命傷を負って死ぬ時は、こんなものなのかもな。

 

 擬態もやめて、全身の力を抜く。安らかな気持ちで、死を迎え入れるつもりで────

 

ご主人様(マスター)

 

 お、シエルか。すまんな、こんな事になって。

 

《……》

 

 ま、生き返れるかもしれんが、もし駄目でも、また生まれ変わったら、お前と一緒だといいな。

 

ご主人様(マスター)……》

 

 ああ、アインズ・ウール・ゴウンともお別れか。何だかんだ楽しかったな。

 

ご主人様(マスター)

 

 ヴェルドラは、どうなるんだろ。俺が死ぬと一緒に死んじまうのかな?

 

ご主人様(マスター)

 

 ああ、そういやベニマルやシュナ達は大丈夫かなぁ。ディアブロもだけど、あいつら俺が死んだと知ったら後をおいかねない。

 

ご主人様(マスター)

 

 ん?なんだよ、さっきから、ご主人様(マスター)ご主人様(マスター)って。別れを惜しんで今のうちにいっぱい呼んでおこうってのか?死ぬ時はこう、心静かにだな……

 

《…………》

 

 この沈黙は呆れてるときのだな。全く、なんなんだよ。何がいいたいんだ?

 

《生きていますよ》

 

 

 …………。

 

 

《…………》

 

 

 うん?ううーん?意味がわからない。どういう事?

 

《安心してください、ご主人様(マスター)は、死んでませんよ》

 

 何か、とにかく明るいお笑い芸人みたいな言い回しだがそんな事はどうでもいい。

 

 死んでないだと?必殺の攻撃(ダイダロス)をマトモに喰らったんだぞ?必殺なんだろ?

 

《……そうは言いましたが、即死とは言っていません》

 

 じゃあ、暫く経ってから死ぬと?

 

《違います。ご主人様(マスター)は死にません》

 

 わ、わからん……。噛み砕いて分かりやすく教えてくれ。

 

《……わかりました》

 

 この……にため息を吐くようなめんどくさいと言わんばかりの雰囲気を匂わせながらも、シエルは説明してくれる。

 

《必殺となるのはあくまでプレイヤー基準での話です。HPのカンスト(頭打ち)が決まっていて、カンスト値(それ)の理論上最大ダメージを与えるのです。プレイヤーや、通常のNPCに対しては必殺となりますが、例外はあります》

 

 うむ、なるほど。つまり、プレイヤーのHPが999で頭打ち(カンスト)だとすると、ダイダロスの槍(アレ)は999ダメージ必中できるってことか。ということは、それ以上のHPの、例えばボスキャラみたいな奴には例外的に必殺でなくなるんだな?

 

《その通りです》

 

 俺のHP(生命力)はボス並みだってことか。

 

《フッご冗談を。ご主人様(マスター)ユグドラシル(この世界)のボス如きとは桁が違いますよ》

 

 え、なんか自信満々に言い放ちやがった。ゲームの中の俺ってサーバーの都合上制限がかかってるはずなんだよな。それで桁が違うとか本来の俺ってどんだけだよ?どこぞの悪の帝王か?

 

《……》

 

 ん?シエルが急に大人しくなったような……?

 

《そのようなことは……》

 

 シエルさん?何か隠してない?

 

《……黙秘しますっ》

 

 今なら怒らないよ?

 

《……。で、では……白状、します……》

 

 

 

 簡単にいうと、「能力(スキル)が制限され、Yggdrasil(この世界)から出られない」というのはある意味嘘だった。

 

 制限がかかっていたのは、このゲームの都合ではなく、シエルの仕業だったのだ。文字化けしたステータス欄も、メッセージウィンドウも、ケーキの味までシエルが世界の法則(ゲームシステム)に干渉して偽装していた。俺もディアブロもすっかり騙されていたようだ。

 

 でも、何でそんな事を?

 

《……それは……》

 

 まあ、今すぐでなくて構わない。そのうち教えてくれよな。

 

《はい。ご主人様(マスター)

 

 さて、と。

 今叫んでるディアブロを止めてやらなきゃな。放っとくと暴走して誰彼構わずぶっ殺しまくりそうだからな。

 ああ、でも何て言おう……。完全に「俺死ぬから」って顔して倒れちゃったんだよな。今さら「やっぱ平気だった」とか、どの面下げて言えば……。

 

 ああもう、覚悟を決めるか。

 しかし、死ぬ覚悟より躊躇するってどうよ?

 

「ディアブロ?」

 

「っ!」

 

 リムルを見つめるディアブロに思考接続を行った。

 

「リムル様!?よくぞ御無事で」

 

「まあな、死んだフリしてみたんだが、迫真の演技だっただろ?」

 

「クフ、クフフフ。流石はリムル様です」

 

 言えない。「俺もお前もシエルに騙されてたんだよ」なんて言えやしない。

 

「取り乱してしまい、申し訳ありません」

 

「まあ、そこまで大事に思ってくれていたなんて、その、嬉しいぞ?」

 

「くふー、勿体無いお言葉です」

 

 脳内のイメージなのに器用に恍惚の表情を浮かべて礼をする。自由なやつだ。

 

「この世界の法則は解析済みだ。制限されていた能力を解放してやる。そろそろモモンガ達も合流するだろう。俺はこのまま暫く死んだフリしておくから、一緒にひと暴れしてこい」

 

「御心のままに」

 

 思考の接続を切ると、俺たちの能力制限をシエルに解除してもらった。これで自由だ。まだ暫く死んだフリを続けるつもりだが。

 

 お、いいタイミングだな。『アインズ・ウール・ゴウン』のお出ましか。

 おや?今日はずいぶん多いな。1、2、3、……おお、全員揃ってるじゃないか。待てよ、確か全員社会人だったはず。まさか仕事放り出して来てないだろうな……?

 

 まさかゲームのためにそこまでするやつ、いないよな?俺でもそんな事はやって……た、かな?はは。

 

 まあ、俺の事はいいんだ。

 

 全員揃うと壮観だな。うん。

 

 だけど、俺たちがいなかったら41対2000なんて戦力差、どうにならないよな。ま、もしもの話なんてしてもしょうがないか。

 

 制限なしのディアブロなら一人で十分だろう。むしろやり過ぎないか心配なくらいだ。ちゃんと彼らにも見せ場を用意してやらなきゃな。

 

 

 

 

 

 

 7分。モモンガの号令から、たった7分で決着がついた。2000人近くいた侵入者は瞬く間に蹴散らされたのだ。

 

 それはそれは、もう相手が可哀想になるくらいの無双ぶりだった。

 

「『ナザリック地下大墳墓』大侵攻」は、戦力面において圧倒的不利な『アインズ・ウール・ゴウン』の勝利に終わり、この戦闘は後に伝説となった。

 

 因みに、その日から数日間、運営に猛抗議のメールと電話が殺到したという。

 しかし、そこは運営、「仕様です」の一言で切って捨てられた。さすがというかなんというか。

 

 もちろん撃墜王(MVP)はディアブロだが、モモンガもまるで反則だった。なんだよ、あのワ ー ル ド(反則としか思えない)アイテム。「ダイダロスの槍」が可愛く見えるわ。

 

 ……もしかしたら、彼らだけでも結局勝っていたのかも知れないと思ったのは気のせいだろうか。

 




ディアブロ「リムル様ぁぁぁ」
リムル「し、死ぬー」
シエル《死んでませんよ?》
リムル「え」
ディアブロ「くふー」

ディアブロはwebでは騙す側でしたね。

シエル先生の企みは後に語られるかもしれません。

そして、モモンガさん。
モモンガ「クソがー!」
茶釜「モンちゃん、怒ると、ちゃんと怖いんだ・・・ドキドキ」


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#7 懸念

伝説の戦いの決着後。


「じゃるでぃあ"ぁぁぁっ!よぐ頑張っだねぇぇぇっ」

 

「アウラ、マーレ、ご苦労様」

 

「デミウルゴス、よくやったぞ」

 

『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバーは侵入者を撃破したあと、ゆっくり勝利の余韻に浸る事なく、その多くがログアウトしていった。全員多忙な社会人ギルドの悲しい事情だ。残ったギルドンバーは、モモンガ、ペロロンチーノ、ぶくぶく茶釜、たっち・みー、ウルベルトの五名。彼らは、倒された守護者達を復活させるために玉座の間へと集まっていた。

 膨大な金貨を積み上げ、上の階層から順に復活させていく。通常は死亡すると、復活時にLvダウン(ペナルティ)を支払うのだが、金貨を消費することで、Lvダウン(ペナルティ)無しで復活できるのだ。復活させたシャルティアの前でペロロンチーノは号泣している。

 ぶくぶく茶釜、ウルベルトも、自身の作り出したNPCに労いの言葉を掛ける。物言わぬNPCへの彼らの愛情の深さを物語っていた。

 

 そして第八階層のヴィクティムまで復活させたところで、五人の視線がディアブロ────その腕に抱かれたスライム(リムル)に集まる。

 

 

 

 モモンガはマスターソースを確認する。マスターソースにはギルドの所属する者の名前が網羅され、状態異常も表示される。死亡すると名前があった所が一時的に空欄になるのだ。

 

 モモンガはマスターソースに名前が表示されていることに安堵すると共に、あることに気付く。設定欄の文字化けが無くなっていたのだ。以前見たときはとにかく文字化けだらけでまともに文章として読めるものではなかったが、いつの間にか読める文章になっている。

 

(あれ、文字化けが解消されて……って長っ)

 

 膨大な量のテキスト。リムルの情報がこれでもかと詰め込んである。

 

(えーっと……「異世界で生まれ、進化した竜魔粘性星神体であり、八星魔王(オクタグラム)と呼ばれる八柱の魔王の一柱を担う大魔王。魔物の国を建国し、人間の国とも友好的に交流を行う。人間にとって最も身近な魔王」……か。まだまだ長いな)

 

 あまりの長さに全部読むのは諦めて、今度はステータスを確認する。

 

(あれ?うーん?)

 

 ユグドラシルのステータスはHP、MP、物理攻撃、物理防御、素早さ、魔法攻撃、魔法防御、総合耐性、特殊の9つの要素に割り振られる。

 そして、どんなにLvを上げても全てのステータスを同時にMAXにすることは出来ず、装備を充実しても全ての属性に完全な耐性をつけることはできない。種族特有のペナルティー等も同様だ。

 

 だが、リムルは全てのステータスが測定不能となっている。これは能力が高すぎて計測不可能という意味か、それとも何らかのデータの不具合で表示できないのか。

 

 続いて習得魔法とスキルを見る。

 

 魔法

 竜種魔法、上位精霊召喚、上位悪魔召喚、原初の魔法

 

 能力:虚空之神、豊穣之王、万能感知、大魔王覇気、万能変身、法則支配、属性変換、思念支配、未来予測

 

 耐性:物理攻撃、自然影響、状態異常、精神攻撃無効

 

(えー、何だろう虚空の神って。大魔王覇気?なんか凄そうだけど、そんなスキル見たことも聞いたこともないし。はあ、もうなにがなんだか……)

 

 ステータスはマトモな表示とは思えず、スキルも魔法もユグドラシルでは聞いたことの無いようなものばかり。結局分かったのは「人間にも友好的な異世界の魔王」という設定らしい、ということぐらいだった。

 

 ディアブロのも見ようかと思ったが、どうせ読めても意味不明な内容が書いてあるんだろう。直接聞いた方が良さそうだ、と思い直す。

 

「モモンガさん、何かありましたか?」

 

 たっち・みーから声が掛かる。マスターソースを見るのに随分夢中になっていたらしい。

 

「あ、いえ、何でも……」

 

「そうですか?それで、どうですか?」

 

「あ、はい、死亡していないのは間違いないみたいです」

 

「そうですか。でも、全然動きませんね」

 

 普段は四六時中落ち着きなく動き回っていたのに、ディアブロの腕のなかでピクリとも動かない。モモンガとペロロンチーノは心配そうに、たっち・みーとウルベルトが一種の緊張感を持って見つめている。

 

 彼らは何者なのか?あり得ないほどの自由な行動、精巧な動き、どこまでも成り立つ会話。そして声を発したディアブロ。まず間違いなくNPCではないだろう。

 

 となると、プレイヤーなのだろうか。だが、先の戦闘で見せた圧倒的な強さはどんなに戦闘特化のビルドを組み、充実した装備でプレイヤースキルが高くても不可能に思える。

 

 ディアブロは魔法も武器も使わず肉弾戦だけで100Lv(カンスト)プレイヤーを数百人相手に無双してみせた。モモンガのように特殊な条件と世界級(ワールド)アイテムを併用すれば或いは可能かもしれないが、そんな素振りもなかった。

 そんな彼の正体について、ある可能性が浮かび上がり、モモンガを含む全員がその答えに思い至った。

 

 不正改造者(チートプレイヤー)

 

 不正に端末を改造し、ゲームバランスを壊したり、希少なアイテムを量産しRMT(リアルマネートレード)────現実の金銭での取引────で荒稼ぎする、悪質違反者である。

 そういう輩は発見され次第運営に通報され、アカウントを抹消される。極めて悪質な場合は刑事訴訟になることもある。

 

 いかに『アインズ・ウール・ゴウン』が悪名高きギルドだからといって、不正改造に手を出す者はいない。皆、あくまでゲームのルールに則って「悪」を演技(ロール)している善良なプレイヤー(一人正義を掲げている)であり、不正改造者(チートプレイヤー)は敵なのだ。

 

 野良のNPCだと思って迎え入れたキャラクターが、実は不正改造者(チートプレイヤー)だったなんて、どう考えても厄介事でしかなかった。

 

 それが明るみになれば、ギルド外のプレイヤー達には白い目を向けられ、普段理不尽な癖に不正に対しては厳しい運営からも何らかのペナルティーを受ける可能性がある。ギルド解体になりかねない程の危機だ。

 

 仮にディアブロが不正改造者(そう)だったとすると、リムルもおそらくは()()いうことなんだろう。

 メンバー達の中で疑惑が深まり、誰も口には出さないが緊張を含んだ空気が漂い始める中で、モモンガだけは、そうであってほしくないと願っていた。もしそうだとしても、そんな犯罪紛いのことを止めさせて、また一緒に楽しい時間を共有出来ないか、と。

 

 モモンガにとっては、最早リムルはそれほど大きな存在になっていたのだ。それがNPCでなく、同じ人間だとしたら尚更である。

 

 しかし同時に、何とも名状し難い違和感のようなものも感じていた。あのとき、ディアブロのおぞましい表情に気付いたのはモモンガだけだった。あれを単なる不正改造(チート)で片付けられるのだろうか?

 

 重い沈黙の中、モモンガが意を決してディアブロに問い始める。皆も思っているであろう、疑惑について。

 対するディアブロは涼しげな態度を崩さない。

 

「成る程、皆さんの疑問や心配はご尤もですし、説明して差し上げても良いのですが……知れば後悔するかも知れませんよ?」

 

 ディアブロはテキストではなく肉声で語りだす。表情も生々しいほどにリアルで、とても作られたデータには見えない。

 ギルドメンバーは八階層でディアブロが喋ったのは気のせいでも勘違いでもなかったと改めて確認し、疑惑が確信へと変わっていった。だが、それは勘違いでもあった。

 

「ディアブロ」

 

 突如聞こえた女性らしき声に、四人はぶくぶく茶釜を振り返る。

 

『アインズ・ウール・ゴウン』に女性メンバーは三人。ぶくぶく茶釜、やまいこ、餡ころもっちもちだ。そして今この場に残っているのはぶくぶく茶釜だけ。弟のペロロンチーノにまで見つめられたぶくぶく茶釜は、プルンプルンと粘体の頭を動かして答える。

 

「え、違うよ?……てかなんでお前までこっち見てんだ、愚弟が」

 

 ついでに弟に毒づいていた。四人はピンクの肉棒が先端の方を左右に捩る姿に「うわ……」と思いながらも、確かに彼女の声とは違うよなと思い直す。「で、ですよねぇ」とペロロンチーノが震え声で返す。

 

 では今の声の主は一体?少しの沈黙のあと、五人全員の思考が一致した。

 

 まさか────

 

 その時、リムルがディアブロの手から滑り落ちた。同時に、形状を変え始め、人型を取る。その姿は、これまで見慣れていた少女ではなく、大人の女性のそれであった。

 

「その事なんだが」

 

 人型になったリムルが声を発する。やはり、先程の声はリムルで間違いないようだ。動揺は殆ど無かった。ディアブロが普通に喋れるのならリムルもそれができても不思議ではない。

 

「俺に考えがある。もし、君たちが真実を知りたいと思い、その勇気があるなら、外で会わないか?都合は合わせる。そうでないならここでお別れだが」

 

「成る程、リムル様はお優しいのですね」

 

 訳知り顔で言うディアブロをよそに、五人は黙り混んだ。もし目の前の二人が犯罪組織かなにかの一員だった場合、現実(リアル)で会う事は危険だ。口封じのために誘い出して殺そうとしているのかも知れない。

 

「俺は、会います」

 

 沈黙を破ったのは、モモンガだった。

 

「モモンガさん!」

 

 たっち・みーが慌てて反対しようとするが、モモンガの性格を彼は理解していた。一度決断したことは絶対に反故にせず、必ずやり抜こうとする。よく言えば誠実で責任感が強い。悪く言えば頑固者だった。

 

「お願いします、皆さん、どうか俺一人で会わせてください」

 

 頭を下げ必死に頼み込むモモンガに、もう止められない事を四人は悟った。

 

「……もしもの時は、すぐに連絡を下さい」

 

 たっちは警察官だ。危険な目に会うかも知れない彼を放ってなど置けない。本来なら自分も同席すべきと思うのだが、こんなにも必死に頼み込む彼の願いを無下にも出来ない。ならばせめてと、緊急連絡先を教える事にしたのだ。

 

 モモンガは知りたかった。彼らが何者なのか。目的は何なのか。共に過ごした時間をどう思っているのか。

 

 たとえ危険だと言われようが、その想いを止めることは出来なかった。

 

 こうして次の週末、現実(リアル)でモモンガ一人でリムルと会う事に決まった。

 




モモンガ「チートなの?」
ディアブロ「知らない方が良いことも・・・」
リムル「外で会わないか?」


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#8 真実を求めて

遂にモモンガとリムルがリアルで遭遇します。
モモンガさんいつの間にそんな熱い男に?


 アーコロジーから少し離れた、廃ビルに囲まれた人気の少ない一画。そこにポツンと佇む人影があった。

 

「はぁ、緊張してきたな」

 

 モモンガはガスマスクの中でため息を吐く。

 世界は核戦争の影響で放射能に汚染され、ガスマスクと防護コート無しで外を出歩く事はまさに自殺行為だ。アーコロジーでは汚染を気にせず生活できるが、そこに住まうことができるのは一握りの富裕層だけであり、貧困層の彼は仕事で極稀に立ち入ることがあるだけだ。

 

 鈴木悟、それが彼の現実(リアル)の名前だ。リムルとゲーム外(リアル)で会う約束のために、指定した場所で待っていた。時間より早めに到着する事が出来た彼は、リムルが来る前に話したいことを頭の中で整理しておく事にした。

 

 リムルと会う約束をしたあと、その日は解散したのだが、翌日に『ユグドラシル』にログインしたときには、ディアブロとリムルは居なくなっていた。

 二人が数日経っても姿を見せない事に、気になったギルドメンバー達がモモンガに尋ねてきた。

 

「実は、二人はプレイヤーだったみたいなんです。また戻って来てくれるかどうかは、わかりません」

 

 その言葉を聞いて、皆驚き残念そうにしていた。彼らの脳裏には垢BAN(アカウント削除)された可能性も過っていたのだろう。

 

 モモンガはリムルと現実(リアル)で会うという事は伏せておいた。余計な心配はかけたくなかった。

 出会ってからこれまで、二人は()()()()ユグドラシルに居た。それまでは「かなり高度なプログラムを組み込まれた()()()」だと思っていたため、その事に疑問を持ってこなかった。

 しかし、彼らはプレイヤーだったと知り、そこで改めて二人の異様さに気づく。

 

 プレイヤーだとしたらログが残っていないのは何故なのか。通常誰もがその痕跡をログという形で残す。それに、プレイヤーは定期的にナノマシンを補給する必要があるため、常にログインしたままでいる事は不可能なはずだ。それなのに、モモンガの知る限り、二人が居なかった事は一度もなかった。まるでずっとユグドラシルに居続けていたかのようだ。いずれも常識的にはあり得ないハズだ。

 

 その辺りの疑問を、大学教授をやっていて教養の深い死獣天朱雀と、タブラ・スマラグディナにそれとなく聞いてみた。返ってきた答えは「方法がないでもない」というものだった。

 

 まず、長時間のログイン。通常はログインする場合、端末と自身の脳を繋ぐことで、感覚を共有できる外装(アバター)へとダイブするのだが、偽物(ダミー)の個体情報を組み込んだ改造端末を使用し、自身と繋がずに外部からコントロールすることで、ナノマシンを必要としない方法が可能なのだという。

 

 ログについては、メインサーバーに不正にアクセスをしてログを抹消するというものだった。いずれも法に触れる行為だった。

 

「モモンガ君、あまり深追いはしないほうがいい」

 

「心配してくださるお気持ちは嬉しいです。でも……」

 

 死獣天朱雀がモモンガの身を案じて言ってくれているのは分かるし有り難いのだが、それでも会いたい。会わなければいけない、そんな気がしていた。

 

 やはりあの二人は犯罪に手を染めているのだろうか。だとしてもそれがなんだ。大切な友達、少なくとも自分はそう思っている。悪いことをしているかも知れないからと、簡単に割り切って縁を切るようなことなど出来ない。

 ディアブロの方はわからないが、リムルの言動から察するに、彼女はまだ子供で本人も法を侵している自覚は無いのではないだろうか。

 

 それならば、リムルだけでもまっとうな道に戻してやれるかも知れない。

 だが、具体的にどうすれば良いのか。貧困層の小卒営業マンではどうすることも出来ないかもしれない。ディアブロが凶悪な犯罪集団に関係しているのであれば、場合によっては自分の命も危ういだろう。ディアブロの悍ましい表情を思い出し、背筋に冷たいものが走る。

 

 だがしかし、ここで諦めてしまえばリムルとは二度と会えない気がしていた。

 

「頑張れ、俺」

 

 悟はガスマスク越しに頬を両手で叩き、自分を鼓舞した。

 

 

 

 

 ユグドラシルで過ごした期間は一ヶ月近く。一国の主が突然一ヶ月も行方不明になれば大騒ぎになってしまうだろう。

 それにアイツ等が何か仕出かさないとも限らない。以前一週間ほど抜け出(がいしゅつ)したときは、コソコソと勝手に異世界に行って好き放題暴れた挙げ句、危うくその世界を滅ぼしてしまう所だったのだ。油断も隙もないとはこの事だ。

 俺もよくあの問題児軍団を面倒見れてるよな。

 

《…………》

 

 シエルさんが何か言いたげだが、こういうときはスルーするに限る。俺もかつては大手ゼネコンに勤めるサラリーマンだ。空気はそれなりに読める。

 

 さて、転移して(逃げ出して)から30分後くらいでいいか。俺は究極能力(アルティメットスキル)"虚空の神(アザトース)"の力を発動する。「時空間転移」は、空間や次元だけでなく()()()()()飛び越えることができるのだ。

 

 狙い通りディアブロと一緒に魔物の国(テンペスト)に戻る事が出来たと安堵したのも束の間、速攻でミリムに捕獲されてしまい、落ち着く間もなく再び着せ替え人形にされた。

 

 そのあとは国内の族長達や各国の来賓と挨拶。翌日には八星魔王(オクタグラム)の面々が揃って怒濤の勢いで予定を消化し、魔物の国(テンペスト)建国祭は幕を閉じたのだった。

 

 片付けが一段落したところで、俺は自身のここひと月の体験、「異世界に転移したらユグドラシルだった件」について話した。

 

「ぐぬぬ、抜け駆けとはズルいではないか!」

 

「そうだそうだ!」

 

 ヴェルドラとラミリスが憤慨して捲し立てる。

 

「お前達だって行ってたじゃねーか。これでおあいこだろ。そう言えばあのとき世界を一つ滅ぼしかけてたよな?あの時俺がいなきゃどうなってたか……」

 

「う?む、まあ、そのようなこともあった……な」

 

「でもでも、結果的によくなったじゃない?結果オーライなのよさ」

 

 うん、全然反省してないな。コイツら後でシバいてやろうと心のメモにそっと書き足しておく。さて、話をすすめるとしよう。

 

「……では、その異世界のご友人を招待されるのですね?」

 

「ああ、そのつもりだ、シュナ」

 

「てことは師匠!」

 

「うむ、異世界の者達と交流が出来るな!水臭い奴め、最初からそう言えばよいものを」

 

 途端に二人が目をキラキラと輝かせ始める。ゲンキンな奴らである。

 

「わかってると思うが、くれぐれも怪我させたりしないように気を付けろよ」

 

「クアーハッハッハッハ、任せておけ。力の制御は完璧に出来ておる」

 

「アタシもついてるから、ドーンと大船に乗ったつもりでいてほしいワケ」

 

 ホントかよ…その船、泥で出来てないだろうな?

 

「ま、そんなわけだ。我儘言ってすまないが、もてなしてやってくれ」

 

「はいっ!」

 

「我が主の御心にままに」

 

「リムル様の我儘は今に始まった事じゃないでしょ」

 

「うむ、我もそう思うぞ。いつもいつも貴様には振り回されている気がするのだ」

 

「我儘と言えばリムルの代名詞みたいなもんなのよさ」

 

 えっヒドくね?ベニマルあたりから散々な言われようである。解せん。それじゃまるで俺がいつも我儘放題みたいじゃないか。

 

《…………》

 

 うう、シエルまでアイツらの味方か。だが、俺は自重しないと決めたんだ。開き直って我儘放題してやる!

 

「じゃあ迎えに行ってくるから。準備、よろしくな」

 

 そう言い残し、そう言えばモモンガはどんな素顔をしてるんだろうな、なんてことを考えながら俺は異世界への門(ディファレントゲート)を開いた。

 

 

 

 

 

「いよーっす。待たせたか?」

 

 後ろから聞こえた声にモモンガが振り返ると、そこにはリムルが立っていた。

 

 毛足の長い漆黒の毛皮のコートに、黒いカーゴパンツ。服装こそ違うが、ユグドラシルで出会った時に見た美少女の顔だ。見間違えようがない。

 

「えっ…」

 

「えっ?」

 

(コイツ、なんでガスマスクをしていないんだっ!?このままじゃ数十分しないうちに死んじゃうじゃないか!)

 

(オイオイ、なんだよあのダサいお面。なんか、ガスマスクっぽいけど……)

 

 モモンガは慌てて自分のマスクを取り外し、リムルに被せようとする。だがリムルは何故かその腕を掴んで抵抗した。少女とは思えない膂力にモモンガは驚きながらも、必死になって説得する。

 

「ちょ、何する気だ?」

 

「くそ、なんて馬鹿力だ……!いいから、早くこれを着けるんだ!」

 

「馬っ鹿お前、そんなダサいの着けられるかっ!何の罰ゲームだよ!」

 

「ダ、ダサ……?いや、そんなこと言ってる場合かっ!早く着けろって!」

 

 モモンガがしつこくダサいマスクをリムルに着けさせようとしているが、何故そんなに必死なのかリムルにはわからない。他人に素顔を晒してはいけない風習でもあるんだろうか。そんな暢気な疑問を抱きながら、ガッチリとマスクを持つ手を掴んでガードしている。

 

 ぐぐぐぐ、と膠着状態で言い争う二人。誰かが見たら少女にイタズラしようとしている変質者か何かに見えたかもしれない。そんな怪しいやり取りが数分続いた。

 

「はぁ、はぁ」

 

 一頻り言い合って、ようやくモモンガの言わんとしていることがリムルに伝わった。悟は肩で息をしているが、リムルは息一つ乱れていない。彼はこれが歳の差なのか、と内心ショックを受けていた。

 

 空気清浄機がない屋外の汚染された大気の中では、ガスマスクを着用しなければあっという間に呼吸困難に陥り、数分で肺に致命的な損傷を受ける。

 

 だが不思議なことに、()()()ここの空気はまるでアーコロジーの屋内のように澄んでいた。慌ててパニックになりかけていたモモンガは、リムルに言われて初めてその事に気付いた。

 

「汚染された大気から身を守るためにガスマスク着けてたのか。そうならそうと早く言ってくれよ。て言うかホントにガスマスクだったんだな。俺はてっきり素顔を隠さなきゃいけない変な決まりでもあるのかと……」

 

「ははっ、なんだよそのヘンテコな設定」

 

 まるで中二病の発想だと、普段の自分の事は棚にあげてモモンガは笑った。汚染された大気の事など、世間の常識を知らずに生きてきたということはアーコロジーの中でしか生活しない、富裕層の箱入り娘か何かなのだろうか。

 

「さて、落ち着いたところで本題に入りたいが……」

 

 リムルが物陰に目をやると、モモンガははっとして身を固くする。

 

(誰かいる。こんなところに一体……まさか犯罪組織!?リムルだけでも逃がしてあげたいけど、俺一人じゃ……そうだ、たっちさんに助けを求め……え?)

 

「もしかして、たっちさん!?」

 

 物陰からおずおずと姿を見せたのは、ガスマスクをした制服の警察官だった。

 

「えー、た、たまたま近くを通り掛かったら、言い争っているような声が聞こえたので駆け付けたのですが……」

 

「……あー」

 

 たっち・みーは嘘が下手だった。モモンガこのことが心配になって様子を見に来てくれたのだろう。モモンガに彼の嘘はバレバレだった。一体いつから見られていたんだろうとモモンガは恥ずかしくなる。

 

「おーい、まだいるだろ?出てこいよ」

 

 リムルがそう言うと、物陰からそそくさと出てくる人影。

 

「いやー、バレてたか。鋭いね、リムルちゃんは」

 

「え、ペロロンチーノさんにウルベルトさん、茶釜さんまで」

 

 出てきたのは、リムルと会う約束をしたときに居合わせた面々だった。まるで示し合わせたかの如く、あの時の面子が揃っていた。

 

「それで、皆さんいつから見てたんですか?」

 

「最初に居たのが私で……茶釜さんが最後でしたね」

 

「ええ、ほとんど私と同時でしたよ」

 

 モモンガの質問にウルベルトとたっちが答える。ウルベルト、ペロロンチーノの順に来ていて、そこへぶくぶく茶釜とたっち・みーがほぼ同時に合流したということか。

 そしてここでぶくぶく茶釜がうっかり余計なことを言ってしまう。

 

「でもビックリしたなぁ、モンちゃん、いきなりガスマスク取っちゃうんだもん」

 

「そーそー、リムルちゃんが可愛すぎて襲いかかったのかと思っちゃいましたよ」

 

「モモンガさんはそんな事しねーと思うけど……」

 

「そうですよ、私はちゃんと分かっていましたよ」

 

「……皆さん最初から見てたんじゃないですか!」

 

「「「「あっ」」」」

 

「覗きなんて趣味が悪いですよ、全く……」

 

 そう言いながらもモモンガの表情は嬉しそうだ。別に彼らは示し合わせていたわけではなく、それぞれ一人でコッソリ様子を見ようと思って来たら、ここでバッタリ会ったのだとか。それはまさにモモンガの人望の成せる業であった。

 

「じゃあ、そろそろ本題に入ろうか」

 

 リムルに五人が向き直った。彼らの緊張感で空気が引き締まる。リムルの正体は未だに謎に包まれている。現時点では、危険な組織に属しているという可能性も否定は出来ない。

 

「これから君達のうち希望者を、俺が住む世界に案内しようと思う。百聞は一見に如かず。話して聞かせるより、実際に見た方が分かり易いだろう?

 勿論身の安全は保証する。その目で見て、一体俺が何者なのか、それぞれ自分で判断してくれ。それが嫌なら、今から引き返してくれても構わない。どうする?」

 

 何故か一人称が「俺」の彼女(リムル)の住む世界とは一体どんな世界なのか。

 裏の犯罪社会を差すのか、それとも一握りの勝ち組が住まう支配者階級の世界なのか。はたまたもっと別の何かだろうか。

 

 彼らは想像を働かせるが、それが八柱の魔王達が支配する異世界だとは、誰も想像がつかなかったのは無理もないだろう。

 

「俺は……リムルの事をちゃんと知りたい。たとえ何者であっても、受け止める。だから行くよ」

 

「俺もリムルちゃんの事、もっと知りt「黙れ愚弟。モンちゃん、あたしも行くわ」

 

「嫌だと言ってもついていきますからね」

 

「皆さんだけでは心配ですし、同伴しますよ」

 

 こうして五人全員の異世界行きが決定した。

 

                    

 

 

 

 キャラクター紹介2

 

たっち・みー

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の前身、クラン『九人の自殺点(ナインズ・オウン・ゴール)』のリーダーを勤めていた。当時異形種であることを理由に度重なるPKに苦しめられていたモモンガを、「誰かが困っていたら助けるのが当たり前」と言って救い出した純銀の聖騎士。正義という言葉に拘り、態々課金で『正義降臨』のエフェクト(一文字40円)を浮かべるほど。

 公式チートとまで言われる『ワールドチャンピオン』の職業(クラス)を修めている。『ワールドチャンピオン』は、ユグドラシルにある九つの世界(ワールド)ごとに一人しか居ない、まさにその世界(ワールド)覇者(チャンピオン)である。たっち・みーは九人の『ワールドチャンピオン』の中で序列二位で『アインズ・ウール・ゴウン』の物理系最強のプレイヤーである。

 作成NPCはセバス・チャン。

 現実(リアル)では警察官であり、見た目も良く、美人の奥さんがいる。子供はもうすぐ二人目が生まれる予定。

 

ウルベルト・アレイン・オードル

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』最強火力の魔法職『大厄災の魔(ワールド・ディザスター)』の職業(クラス)を修めた山羊頭の悪魔。時間当りのダメージ量は全魔法職中最高を誇る。偽善と傲慢を嫌い、『悪』に並々ならぬ拘りと独自の美学を持つ。正義に拘りを持つたっち・みーとは、事あるごとに対立している。精神に病(厨二病)を患っている。作成NPCはデミウルゴス。偏った特定層の女子にはそこそこモテるが、本人は災難のように思っている。




リムル「俺たちの住む世界(魔物の国(テンペスト))行くか?」

五人「い、行くとも……(裏社会の住人か?それとも大富豪?)」


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魔物の国編
#9 異世界


いざ、魔物の国(テンペスト)へ。


「よくぞ来「うおぉぉぉ!?」

 

「ギャ────!」

 

「アババババ!」

 

「ヒィィィィィ!」

 

「…………」

 

 悲鳴をあげてバタバタと三人が倒れる。失神してしまったようだ。

 

「あぁ、皆さん!……はっ、モモンガさん!」

 

 たっち・みーは腰を抜かして尻餅をついたままガクガクと震えつつも、立ったまま動かずにいるモモンガに呼び掛ける。しかし、モモンガの反応がない。目の前のアレの雰囲気に、完全に呑まれているようだ。三人は既に気を失い、自身も動けない。ならば、まだ立っている、動ける可能性がある彼だけでも逃げてくれと、もう一度呼び掛けようとする。

 

「モモンガさ────」

 

 ぐらり、と彼の体がゆっくり傾いでいく。そしてそのまま────

 

 バタッ

 

 モモンガ()は立ったまま気絶していた。

 

「くっ」

 

 たっち・みーは判断を誤ったと歯噛みする。

 

 まずは会わせたい奴がいる、そう言って彼女(リムル)は近くの廃ビルの地下へと降りた先の空間へと案内した。

 

 そこで合図があるまで目を閉じるように言われて指示に従ったが、油断したつもりはなかった。目を閉じていても回りに意識を傾けて誰かが近付けば分かるよう、気を張っていた。

 

 彼女(リムル)がもし犯罪組織と関係があったとしても、いざとなったら自分の身を盾にして皆を逃がす時間を稼ぐつもりでいた。己を鍛え、目の前の人くらいは守れるだけの力をつけたという自負もあった。だがそれは甘かったと思い知らされる。

 

 もういいぞ、と言われて目を開けてみると、そこはさっきまでの廃ビルの地下ではなく、どこかの洞窟内のような広い空間だった。状況が飲み込めず困惑していると、背後から突如けたたましい音が轟いた。

 

「クアーッハッハッハ」

 

 恐る恐る振り返ったそこには、()が居た。

 

 こんな化け物が現実に存在したのか。目の前の化け物────巨大な漆黒の竜のような────の前では、自分の力など何の役にも立たない。

 この少女(リムル)はこんな(バケモノ)を飼っているのか。ああ、自分達は此処で為す術もなく化け物の腹に収められてしまうのだろう。

 絶望的な状況で意識が薄れていく。竜を見上げていた彼女(リムル)がゆっくりと此方を振り返る。

 

「!?」

 

 たっち・みーが意識を失う直前に見たその顔は何故か、悪戯が見つかってしまった子供がするような、バツの悪そうな表情に見えた。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 ヴェルドラのやつ、なんで竜形態(ドラゴンフォーム)なんだよっ。万能感知のお陰で振り向かずとも後ろにいる彼らの状況は解る。

 

 可哀想に、よっぽど怖い目に遭ったんだろう。最初に倒れた三人のうち、二人の体の下には生暖かい水溜まりがホカホカと湯気を立てているが、()()()の名誉のためにもそれには気づかないフリをしておくのが大人の優しさというものだ。

 

 最後まで意識があったのはたっち・みー。ヴェルドラを目の前にしてもすぐ気絶しなかったのは大したものだが、結局俺と目が合ったと思った瞬間、意識を手放してしまった。

 

「ぐむぅ、我の話も聞かずに気絶するとは。せっかく『ラスボスとバッタリ』という贅沢なサプライズを用意してやったのに……。

 おかしいではないか、本物のように精巧な『ゲーム』で、モンスターも見慣れているのであろう?」

 

「はあ、お前ね……」

 

 何から説明したものかと、額に手を当てる。こいつのせいで頭痛がしてきた。

 いくら映像技術が進んでいて、精巧なモンスターを見慣れていたとしても、竜どころか魔物さえいない世界で暮らしてきた人間が、いきなり本物の最強のモンスター(ヴェルドラ)と出会ったら気絶するのは正常な反応だ。

 

 俺だって初めて見たときは結構、いやかなりビビった。寧ろショック死しなかっただけ大したものだろう。

 

「あー、ディアブロ?」

 

「お呼びでしょうか、リムル様」

 

 側にいるだろうと思って呼んでみたらやっぱり姿を現した。俺はモモンガを抱き上げ、ディアブロに指示を出す。

 

「ヴェルドラと手分けして彼らを空いてる客室に運び込むぞ。あとシュナに五人分の着替えを準備するように伝えてくれ」

 

 畏まりました、と言ってディアブロは動き出す。ヴェルドラも人型をとり、渋々と二人を抱きあげる。サプライズの反応が思っていたのと違って納得いかない様子だった。

 

「ぬ、こやつら、衣服が濡れておるではないか。む?こんなところに水溜まりなど……はうあっ?」

 

 ヴェルドラが水溜まりの正体に気付き、情けない声をあげる。

 

「よ、寄るなよ、ばっちぃな」

 

「ぐ、貴様、それが盟友に掛ける言葉か……?我、泣いちゃうぞ?」

 

 オッサンが「泣いちゃうぞ」とか言っても、ちっともかわいくない。二人を丸太のように両脇に抱き込んでいるため、濡れた体と密着してしまっているが、自業自得である。

 

 ディアブロはというと、然り気無く下半身が濡れていない二人を抱えているあたり、抜け目ないというかなんというか。

 さて、この分だと目覚めても魔物の国(テンペスト)の住人を見たらすぐまた気絶しそうだな。リハビリが必要か……。

 

 よし、着替えさせたらあそこに連れていこう。

 

 

 

 

 

「ん……あれ?」

 

 目を醒ますとソファで横になっていた。いつの間にか部屋でうたた寝をしてしまっていたのか。何か酷い悪夢を見ていたような気がするが、よく思い出せない。

 

「気がついたわね」

 

 突然の女性の声にモモンガは一気に思考が吹き飛び、ガバッと起き上がった。

 

 起き上がった彼の目に映ったのは黒髪を肩で切り揃えた、若く美しい女性。年の頃は二十歳前後だろうか。黒いスーツパンツに、純白のブラウス、腰にはレイピアのような細身の剣を下げている。胸元は少し広めに開いており、形の良い双丘が作り出す谷間がわずかに覗いていた。

 

 年齢=彼女いない歴の彼は女性経験どころか、母親以外の異性と手繋いで歩いたことさえない。会社では仕事モードのスイッチが入っているため、面と向かっても仕事の会話くらいはできるが、寝起きの無防備な状態では思春期の中学生と何ら変わらなかった。

 

「あ、あのっ、えっと……?」

 

(うわー、この()美人過ぎるっ。しかも二人きりなんて緊張しちゃうなぁ。あ、何か良い匂いが……)

 

「あなた気を失っていたのよ。覚えているかしら」

 

 ハッと我に返り、モモンガは自分の身に何があったか思い出そうとする。

 

(ええっと確か、リムルに会うために待ち合わせをしてて、それから……)

 

 徐々に記憶が鮮明になっていき、巨大な生物────恐らくドラゴン────に遭遇したことを思い出した。

 

(あれは、ドラゴンは夢じゃなかった?まさか空想上の生き物が実在したなんて)

 

「いや、まさかこれも夢……?確か、夢には自分の強い願望が現れる、とか聞いたような……。ということは目の前のこの()は俺の願望?確かに俺の理想のおっp」

 

「夢じゃないわよ?」

 

 モモンガはブツブツと呟きながら深く思考に埋もれかけていたところで、現実に引き戻される。どうやら口に出してしまっていたようだ。

 

「それで?『俺の理想のお』……なんて言いかけたのかしら?」

 

 気づけば胡乱げな目で此方を見ていた。

 

「へっ?あ!いや、その、り、理想のお嫁さんのイメージにぴったり……なんて。は、はは……」

 

 モモンガは、顔を真っ赤にしてしどろもどろになりながら答える。何とか誤魔化せただろうか。出会って数秒でセクハラ発言という極めて不名誉な事故だけは避けたい。

 

「ふうん……?何か違うことを言おうとしていたように思ったけど……フフ、まあいいわ」

 

 赤面しながら「理想のお嫁さん」なんて、ほとんど愛の告白のような事を言われて彼女は満更でもない様子だが、何が彼女の琴線に触れたのか、残念ながら恋愛経験のないモモンガは分からなかった。

 

(危っぶねー、『理想のおっぱい』なんて口走ってたら有無を言わせず警察につき出されてたかも)

 

「それにしても、災難だったわね」

 

「え?」

 

「突然異世界へ飛ばされたと思ったら、ヴェルドラ……竜の目の前だったんでしょ?気を失うのも無理ないわよ」

 

「えっ」

 

 目の前の美女から、とんでもない中二病発言が飛び出した気がしたが、気のせいだろうか。

 

「あら、違った?」

 

「えっと、い、異世界……?」

 

「あぁ……あなた、日本人よね?」

 

「え、ええ」

 

「それなら、ここは異世界ということになるわ。時々、何らかのきっかけで偶然次元を越えてこの世界へ来てしまうことがあるの。召喚によって呼び出される事もあるけれど。突然の事で混乱しているとは思うけれど、事実として受け止めなさい」

 

「は、はい……え?えぇー!?」

 

(えぇ、異世界?マジで?聞き間違いじゃなかったよ!えぇー?)

 

 

「鈴木悟といいます。会社では営業職をやっていました」

 

坂口日向(ヒナタ サカグチ)よ。こっちの世界へ来る前はまだ学生だったわ。一時期は聖騎士団にいたけれど、今は自由調停委員会という組織で委員長をやっているわ。あなたみたいにこの世界に迷い混んでしまった人々の保護もしているわよ」

 

 モモンガが落ち着きを取り戻したところで、互いに自己紹介をした。『聖騎士団』とか気になる言葉が聞こえた気がしたが、気のせいだと思うことにした。彼女のこんな細腕で、むさ苦しい騎士団なんて想像できない。何かの間違いだろう。『委員長』という肩書きから、規模はわからないが組織の長らしい、と当たりをつけた。

 

「そう言えば、他にもあなたと一緒に転移してきたらしい人達がいたわ。知り合いかしら?少し前に目覚めたばかりで、詳しい話は聞いていないけれど」

 

「あ……多分、そうだと思います」

 

(混乱しきりですっかり忘れていた。たっちさん、茶釜さん、ウルベルトさん、ペロロンチーノさん、リムルも……一緒に異世界に飛ばされて来ていたのか)

 

 異世界に来たのはリムルの仕業なのだが、モモンガは知る由もない。ここ、ブルムンド王国の自由調停委員会支部長室に、突然大魔王(リムル)竜種(ヴェルドラ)悪魔王(ディアブロ)が、気絶した彼らを運んで来たのだ。

 

 (リムル)曰く、

 

竜形態(ドラゴンフォーム)のヴェルドラの目の前に転移してきたみたいだ。人間の町で少し落ち着かせてやった方がいいだろう。着ていた服は酷く汚れていたので替えておいた」

 

 とのことだった。支部長を務めるフューズは彼らが来た瞬間嫌な予感しかしなかったが、見事に面倒事を押し付けられ頭を抱えていたときに、委員長のヒナタが立ち寄ったのだった。

 

「そう。じゃあ彼らに合流するわよ。支部長室にいるはずよ」

 

 そう言ってヒナタがモモンガを促し、歩き出す。

 

「それで、これからの事なんだけど……元の世界に帰る事ができるなら、帰りたいわよね?帰る方法が無いわけでは無いわ」

 

 ただ……とヒナタが続ける。

 

「その方法はまだ完全には確立されていないの。元の世界へは行けるんだけれど、時間軸が不安定で大きくずれてしまうことがあるらしいのよ」

 

「ええっと、つまり此方に来た頃よりも前に戻ったりしちゃうってことですか?」

 

「知り合いの研究者の話によれば、初めて転移した先は目指していた平成じゃなくて江戸時代だったそうよ」

「平成?ってええっと確か、100年くらい前だったかな。とすると……」

 

 何の気なしに呟いたモモンガの言葉にヒナタが瞠目する。

 

「は?あ、あなたまさか……西暦何年からきたの?」

 

「え?えっと、2137年です……けど」

 

「にせん……ひゃく……?」

 

 彼が正直に答えると何故か衝撃を受けたようだった。何かまずかっただろうか。

 

「あ、あの……?」

 

「……私がいた時代よりも100年以上先だわ。割と歳が近そうだと思っていたのに、すごいお婆ちゃんじゃない……」

 

 え、そこ?何故か悔しそうにしているヒナタに、モモンガは目が点になってしまった。

 二十歳そこそこにしか見えない彼女は、昔の人────時代の先輩だったのか。そう思うと、まぁ、不思議な感覚だ。

 

「そうなると、困ったわね」

 

「え?」

 

「研究者じゃないからあまり詳しくはないけれど、未来に転移できたという話は、聞いたことがないわ。まして100年も先なんて……」

 

「じゃあ……すぐには帰れないかも知れないですね」

 

(俺には家族も恋人もいないから、帰れなくても大して未練はないけど、たっちさんやペロロンチーノさんは……)

 

 彼らの事を思うと、胸が痛む。元々自分のせいで巻き込んでしまった様なものなのだから。

 

「もしかしたら、いやしかし……」

 

 ヒナタが何か言いかけて、言い淀む。

 

「他にも何か手段があるんですか?もしかして、くらいでも可能性があるなら教えてください」

 

「そう、ね。でも、一旦この話はあとにしましょう。部屋に着いたわ」

 

 

 

 ノックしてドアを開けた先には、たっち・みー達四人が座っていた。

 

「あ、モモンガさん!やっと来た」

 

「心配しましたよ」

 

「モンちゃん、寝坊だぞっ」

 

「モモンガさん、そっちの美女とよろしくやってたんじゃないでしょうね。こっちはシブいオッサンと喋ってたってのに」

 

「ちょ、違いますって」

 

 モモンガは焦りながらも、皆が無事だった事に安堵した。だが、ここにリムルの姿はない。はぐれてしまったのだろうかと不安な気持ちになるが、すぐにそれを振り払う。はぐれたなら探しに行けばいいのだ。ただ、今は状況を確認することが先だろう。無闇に行動して全滅などということは避けなければならない。

 

「皆さんは状況は把握してますか?」

 

「ええ、先ほどまでフューズさんという方から、話を聞かせていただいていました」

 

「まさか異世界に来ちゃうなんてねー」

 

「これはエロゲチックな展開が俺を待っt「弟、黙れ」アッハイ」

 

 毎度の漫才のようなやり取りに苦笑する。

 

「えっと、こちらは坂口日向(さかぐち ひなた)さん。今の俺達みたいな、この世界に転移してしまった人々を保護しているそうです。俺達の時代より100年以上前の日本から来たそうで、俺たちの先輩になるんですよ」

 

「よろしく」

 

「若く見えて実はバb……」

 

 失礼な事を言いかけたペロロンチーノの眼球の前に、いつの間に抜いたのか、ヒナタが細い剣先を突きつけていた。1cmも動けば目に刺さりそうだ。

 

「今……なんて言おうとしたのかしら?」

 

 そう言った彼女の目はゾッとするほど冷たい色を帯びていた。

 

「ヒィィ!ごめんなさい!ごめんなさい!許してくださいぃぃぃ!」

 

「……次はないわよ」

 

 涙目で謝るペロロンチーノに、そう言った彼女はいつの間にか剣を納めていた。その動きは武道を軽く嗜む(と言いつつ達人級の)たっち・みーでさえ全く見えなかった。

 

(むぅ、相当できるな。隙のない佇まいといい只者ではない。この世界にはこんな強者が沢山いるんだろうか)

 

 たっち・みーは背中に冷たいものが走るのを感じた。モモンガとウルベルトも顔色が悪い。

 

(こ、コワー……もし『理想のおっぱい』発言なんかしてたら今頃串刺しだったかも)

 

(やっべー、ペロロンチーノが先に言ってなかったら俺がああなってたのか)

 

 直接剣を向けられたペロロンチーノは涙目でガタガタ震えながら「テメェはデリカシーがねーのか」と姉に追い討ちをかけられている。

 

「ところで、モモンガって呼ばれてるみたいだけど何なの?」

 

「え?あぁ、ハンドルネームですよ。俺達ゲーム仲間なんです。あ、ハンドルネームって分かります?」

 

「それは分かるけれど、ず……随分可愛らしい名前ね……」

 

 言いながら小刻みに震えるヒナタ。笑いを堪えているのだ。ギルドメンバー達の普段の態度から、なんとなくセンスは良くないとは自覚していたが、ヒナタにまで笑われて憮然としてしまう。

 

「そんなに変ですかね」

 

「モンちゃん、ネーミングセンスはちょっとね」

 

「いや、姉ちゃん、ちょっとじゃないでしょ」

 

「はっきり言って壊滅的ですよ」

 

「ああ、でもモモンガさんが考えたギルド名は思ったより酷くなかったですよ」

 

「皆さんハッキリ言いすぎですよ。たっちさん、遠回しにそれ以外は酷いって言ってますよね?傷ついちゃうなぁ」

 

「あ、いやその」

 

「もういいです。どうせセンスないですよ。ギルド名だって、渾身の出来だと思って異形種動物園ってつけようとしましたよっ」

 

「こ、渾身の……動物園?プッ、フフッ」

 

 堪えきれなくなったヒナタが遂に吹き出した。ツボに入ってしまったらしい。

 

「あっはっはっはっはっ」

 

 彼女が腹を抱えて大笑いする姿は普段の彼女を知る者が見れば仰天するほど珍しい事であり、非常に魅力的な笑顔なのだが、笑われている本人からすればそれどころではない。気が済むまで散々笑い倒したヒナタが冷静になった頃には、モモンガは死んだ魚の様な目をしていた。

 

「はあ……気を取り直して、今後の話をしましょう。元の世界へ戻る方法はあるけれど、時間軸のズレが大きく、違う時代に着いてしまうかも知れない、でしたね」

 

「ええ、現在の技術では狙った年代に辿り着く事は難しいそうよ。日付まで正確に、となれば困難を窮めるわね。でも、もしかしたら、それが出来るかもしれない者に心当たりがあるわ」

 

 途中まで俯いて苦い顔だった一同が、目線を上げる。僅かな希望を見いだして。

 

「ただ、人間じゃないのよ」

 

「え……」

 

 少しの沈黙。

 

「魔王よ」

 

「魔王だと!?」

 

 ウルベルトは思わず立ち上がる。この世界にはドラゴンだけでなく、魔王なんてものまで居るのか。

 

「この世界にはオクタグラムを名乗る、八(にん)の魔王が存在していて……」

 

 ウルベルトは目を輝かせて興奮した様子でヒナタの説明を聞いている。モモンガはそんな彼をウルベルトを横目で見る。

 

(やっぱりウルベルトさんは生粋の中二病だなぁ。本物の魔王なんて聞いたら、俺だってなんだかワクワクしちゃうけど。ん?そう言えばオクタグラムってどこかで聞いた事があったような……?タブラさんが話してたんだったかなぁ……うーん)

 

 設定厨のギルドメンバーに聞いた話だっただろうかと思うが、詳しい内容は思い出せない。

 

(割と最近だった気がするんだけどなぁ)

 

 ヒナタは一柱(ひとり)ずつ簡単に魔王達の説明をしていったあと、誰を訪ねるべきか考える。

 

(……まず、有益な情報を持っていそうなのは……五(にん)ってところね。その中でこちらに取り合ってくれそうなのは……)

 

「成る程……最古の魔王と呼ばれる悪魔なら確かに人知を越えた力を持ってそうだな」

 

 ウルベルトは期待して呟くが、ヒナタは会うことは出来ないだろうと告げる。

 

「こちらから会いに行くのは不可能ね。人間どころか殆どの生物が生きられないような場所に住んでいるもの」

 

 此方から会いに行けないのであれば、偶然向こうが近くに来るのを待つしかない。かなり気の長い話だ。

 

「全員ではないけれど、魔王の中には人間に対して友好的な者も居るわ。最初にあなた達が転移してきたのは、テンペストといって魔王の一柱(ひとり)が興した国なの。気を失ったあなた達を人間の国、ここブルムントまで運んでくれたのも魔王だそうよ」

 

「そうだったんですか。魔王とは、もっと怖ろしい存在かと……」

 

 たっちは魔王と言えば世界征服を企む悪逆非道な存在で、そんな存在が八人も居るなんて悪夢のようだと思っていたが、優しい魔王もいるのかと少し安心した。

 

「よし、最初に会うのは吸血鬼の魔王にしましょう!」

 

 何か考え込んでいる様子だったペロロンチーノが勢いよく発言した。それはヒナタも候補に入れていた魔王だった。

 

「その心は……?」

 

「うまくいけばロリ吸血鬼の魔王とイケナイ関係に……」

 

「はい却下」

 

「はぁ、スケベもそこまでいけば大したものね」

 

 ペロロンチーノの能天気な発言にヒナタは呆れる。

 

「そりゃもう、エロは偉大ですから。

 技術の発展は最初に軍事、次にエロと医療に使われるんです。これはまさにエロの偉大さを物語っていると思いませんか!」

 

「私には人間の愚かさと業の深さを物語っているとしか思えないわ……」

 

「う……」

 

 見も蓋も無さすぎるヒナタの言葉に、流石のペロロンチーノも返す言葉が見つからなかった。微妙な沈黙。と、ここでモモンガがずっと気にかかっていたことを尋ねる。

 

「あの、ところで……此処へ来たのは五人だけですよね?その、もう一人女の子も居たはずなんですが、見かけませんでしたか?」

 

 リムルの事が気がかりだった彼は、まだ目を覚ましていないだけで、すでに此処へ連れられて来ている可能性に思い至り、尋ねたが、ヒナタから返ってきた言葉は良いものではなかった。

 

「此処へ連れてこられたのはあなた達五人だけ。異世界人の女の子が来たという情報は今のところないわ。その子の特徴は?」

 

 モモンガがリムルの特徴を思い出しながら伝えていく。ヒナタは最初メモを取っていたが、何か思い当たったのか説明の途中から手を止めて何か思案している様子だった。少しそのまま考え込んでいたが、ふうっと小さくため息をついた。

 

「その子、名前は聞いているかしら?」

 

「あ。はい、本名かどうかは分かりませんが……」

 

 

 

 

 

「そう、やっぱり」

 

 まさか、あのスライムと知り合っているとは。しかし、いつどこで?

 彼らは同郷だが生きた時代が違うため、リムルの前世(人間だった頃)と接点などないはず。そもそもリムルは此方で名乗っている名前だ。前世の接点は関係ないか。

 

 では此方へ来てから知り合った?それもないだろう。彼らの話を聞く限り、転移直後にヴェルドラに出会い、その場で気絶し、此処へ来ている。

 

 ならばリムルが彼らのいる世界に転移していた?リムル()ならば人類がまだ確立できていない技術を使いこなしていても不思議ではない。

 ヒナタは短い時間で状況の予測を立て、正解を導きだしていた。

 

(何が目的かまではわからないけれど、リムル(あのバカ)が連れてきたのは間違いなさそうね。でも、この人達、リムル(アイツ)の事を人間だと思っているみたい。正体を隠して騙していたのか)

 

 ヒナタは彼らを連れて魔物の国(テンペスト)へ向かう事を決める。

 

「大魔王リムルに会いに行くわよ!」

 

 え、リムル(あのこ)が?大魔王?五人はヒナタの言葉の意味が解らなかった。あの可憐な美少女と大魔王とが、頭のなかで結び付かない。聞き間違いかと思い、モモンガが訪ねる。

 

「今、何と……?」

 

 その時、部屋のドアがバンッと勢いよく開け放たれた。

 

「いよーっす、元気かね諸君」

 

 馴れ馴れしい(フランクな)挨拶の声の主は、件の大魔王リムル・テンペストその人であった。

 

 

 

 

 

 キャラクター紹介3

 

フューズ

 元冒険者組合ブルムンド支部の支部長(ギルドマスター)。ある事件で冒険者組合は本部上層部の人間を失い解体の危機に陥るが、ヒナタ率いる聖騎士団を擁する西方正教会と協力し、自由調停委員会となって今に至る。

 背は低いが、眼光鋭く抜け目のない男。情報戦に長け、世界情勢の重要な機微を目敏く嗅ぎ付ける。その度にリムル達の破天荒ぶりに振り回されている苦労人。ヒナタに密かに好意を寄せているが……。




五人「わ"ーっ」バタッ
ヴェルドラ「解せぬ・・・」
リムル「やっちまったなー」
モモンガ「ギルド『異形種動物園!』」
ヒナタ「あーっはっはっはっは」
フューズ「あぁ、頭痛が・・・」


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#10 閑話~リムルとシエル

今回は幕間ということで、短いです。
()()()()のお話です。


 気絶しているモモンガ達をブルムント王国に運んだあと、魔物の国テンペストに戻った俺は、ディアブロに改めてモモンガ達を歓迎する準備を進めるように伝え、自室に籠った。

 

 彼等との今後の接し方も考えなければいけないのだが、もっと重要な事がある。

 

 今日は()()()()有耶無耶になっていた、異世界に転移したらユグドラシルだった件に関して、シエルと話すつもりなのだ。

 

 思い返してみれば最近のシエルは何だかおかしかった。妙に口煩く抗議をしてきたと思えば、押し黙って何か企んでいるような素振りだったり。

 

 いや、コッソリと何か企んでいるのは昔からなのだが。

 

 そしてユグドラシルに転移した時、シエルは俺に嘘をついた。これは何気に衝撃だった。

 

 事実を言わずに黙っていたり、訊いても黙秘された事はこれまでにもあった。だが、嘘を吐かれたのは初めてだ。一体何がシエルを犯行に駆り立てたのか……。

 

 あれから、シエルはどことなく余所余所しい気がする。

 

 シエルは俺がスライムとして生を受けてから、楽しいときも死ぬ思いをしたときも、ずっと一緒にやって来た相棒だ。

 

 苦楽を共にしてきた唯一無二の相棒といつまでもギクシャクなんてしていたくはない。

 

 本来なら知覚を引き伸ばして一瞬で意思の疎通が可能なのだが、それでは味もそっけもない。少し時間を取ってゆっくり語り合うべきだろう。

 

《……ご主人様(マスター)……》

 

 なんだ?シエル。神核(マナス)のお前に言うのもなんだが、元気がないな。

 

《怒って、いますか?》

 

 俺もディアブロも完全に騙されたよ。やってくれたな。

 

《あ、あ……の》

 

 ふ、大丈夫だ。驚いたけど、怒ってないぞ。

 

《本当ですか?》

 

 本当だとも。だから、安心しろ。

 

《ああ……ご主人様マスターに嫌われてしまったんじゃないかと思って、とても怖かったです……》

 

 はは、大袈裟だな。だがそうか。いつの間にかシエルは、こんなに感情豊かになっていたんだな。

 

 感情の籠らない、硬質な話し方だった頃を思うと、成長したもんだ。

 

 それで、動機は何だったんだ?なにかよっぽどの事情があったのか?

 

 沈黙するシエルの言葉を辛抱強く待っていると、やがて蚊の鳴くような声でシエルが答えた。

 

《か、かまって欲しかったんです……》

 

 

 ん?ど、どういうことだ?

 

 

《ですから……もっと私の事、かまって欲しかったんです……ご主人様(マスター)に。

 

 最近、ヴェルドラやミリムとばかり仲良くして、私の話は聞き流してばかりで……》

 

 

 そう言えば最近、あまり話をちゃんと聞いてなかった気がするな、忙しすぎて。

 

 ヴェルドラとミリムには仲良くというより、世話をかけられまくっていただけだが、シエルにはそう見えたのだろう。

 

 

《私はもう、必要とされないのかと……不安で……》

 

 

 そうか、そうだったのか。やっとわかった。

 

 誰しも、年頃になると迎える、成長の証。「反抗期」だ。

 

 最近やけにしつこく食い下がって来たのも、時々黙り込んでいたのも、見放されるのではないかという、理性では制御できない不安で押し潰されそうだったからだ。

 

 シエルは頭がいいから、もう大人なんだと思っていたが、それがそもそも間違いだったな。

 

 神童と言われる天才キッズも精神は年相応なように、シエルに芽生えた感情はまだ成長途上で、幼い子供のようなモノなのだ。

 

 子供の健やかな成長には、親の愛情が必要だ。そんなことに今頃になって気づくなんて、俺もまだまだ未熟者だな。

 

 

 俺は子供サイズの分身を作り、シエルをその分身に移らせる。

 

 そして、父親が娘にするように、シエルを優しく抱き締めてやる。

 

「あっ、ま、ご主人様(マスター)?」

 

「こういうのもたまには良いもんだろ?すまなかったな、寂しい想いをさせて。俺もお前も精神的にはまだまだ未熟なようだ。お互い未熟者同士、一緒に成長していこうな。これからもよろしく」

 

「う……ううっ、うえええ」

 

 堰を切ったように泣き出すシエルを抱きしめながら、スライムって汗も涙も出ない筈なのに何で涙流せるんだろうとか、能力(スキル)に名前を付けただけでは飽きたらず、自分の分身に移らせて抱きしめてかわいがる────我ながら()()の変態では?とか思っていたのはシエルにも秘密である。

 

 

 

 そして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あぁ、ご主人様(マスター)……私はやっぱりご主人様(マスター)の事が……フフ、此処まではシナリオ通り……)

 

 

 

 シエルの小さな呟きに俺が気づくことはなかった。

 

 




シエル「かまって欲しかったんです・・・」

リムル「俺って真性の変態・・・?」

シエル「フフフ・・・」


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#11 謝罪と和解と歓迎と

リムルとの再開です。シエル先生も出ます。


「あ、あー……」

 

 モモンガは何か言おうとした。言いたいこと、聞きたいことはたくさんある。だが、こういうときに限って言葉がうまく出てこない。

 

 探そうと思っていたリムルとの思わぬ再会に、一瞬安堵しかけたが、『大魔王』というヒナタの言葉が本当かどうか確かめなくては、と気を引き締めた。

 たっち・みーとぶくぶく茶釜、ウルベルトも表情が固い。

 何せ先程ヒナタから、「()()()リムル」という言葉が出たのだ。そして、そのリムル本人が今目の前にいる。

 先程までの会話のやり取りから鑑みるに、ヒナタは生真面目な性格で、嘘や冗談を言うようには思えない。

 

 という事は、目の前でせっかくの美貌が台無しになる残念な表情を浮かべている美女は、一緒にユグドラシルで過ごした()()リムルは本当に本物の大魔王だというのか。

 呑気に嬉しそうにしているのはペロロンチーノだけである。

 

「ちょっとあなた、どういうことなの?納得のいく説明をしてくれるんでしょうね?」

 

 ヒナタの険がこもった視線がリムルに突き刺さる。

『大魔王』相手にも全く物怖じしないどころか、ガンを飛ばしているヒナタに、どういう図太い神経してるんだ脳筋先生かよ、とウルベルトは内心毒づく。

 

 目の前にいるリムルが、先ほど話に聞いていた魔王達の一柱(ひとり)ならば、一瞬で街を消し飛ばすことが出来る程の強大な存在のはず。

 

 その筈、なのだが。

 

「ま、まあまあヒナタさん、そう怒らずに。これからちゃんと説明するから、ね?」

 

「本当でしょうね?……あと、今壊したドアの修理費も請求するからそのつもりでいなさいね」

 

「えっ、あ……。細かいな……」

 

「何か言った?」

 

「いいや、何も?」

 

「……ケンカなら買うわよ?」

 

 ヒナタに詰問され、タジタジになっている姿は何と言うか、ちょっと、いや全く魔王らしい威厳が感じられない。

 まるで姉に頭が上がらないペロロンチーノを見ているようだ。

 モモンガを初め、四人が呆気に取られている。

 ペロロンチーノはリムルに何かシンパシーを感じたようであったが。

 

「……ホントに魔王なの?」

 

 ぶくぶく茶釜がつい、そう呟いてしまうのも無理はない。

 

「ええ、信じられないでしょうけ、ど……!?」

 

 うんざりした様子で答えたヒナタは、瞠目した。リムルの後ろから、小さな子供がひょっこりと顔を覗かせたのだ。

 

 

 最初に反応したのはペロロンチーノだった。

 

「可愛いぃぃぃーーー!なにこの子ーって、アレ?」

 

 大声をあげて駆け寄るペロロンチーノを見て、慌てた様子で彼女はリムルの後ろに隠れてしまった。

 

「あー、ご、ごめんねー、ビックリしたねー?大丈夫だよー?怖くないよー?」

 

 ぶくぶく茶釜が優しい声で話しかけると、そーっと顔を覗かせる幼女。その仕草を見た五人は保護欲を大いに刺激される。

 

(((((か、カワイイ……)))))

 

 

 身長は100cm程で、仕立ての良い淡い水色のブラウスに、裾に白のラインが入った青色のプリーツスカートをサスペンダーで停めている。

 ショートカットの銀髪。吸い込まれるような澄んだ琥珀色の瞳。

 

 まだあどけないが、将来の美貌が約束されたような整った顔立ち。

 

 ヒナタは観察しながら、誰かに似ているような、と思っていると幼女と目が合った。

 すると慌ててリムルにしがみつく。よく見ると微かに震えているようだ。

 

「ヒナタさん、こんな小さい子睨んじゃダメですよ。怯えてるじゃないですか」

 

 モモンガに窘めるように言われ、心外だとばかりにヒナタが言い返す。

 

「なっ?失礼なっ睨んでないわよっ!そっちの彼のせいじゃないの?手を出そうとしてたじゃない」

 

「何を仰います、幼女ですよ?イエス、ロリータ!ノータッチ!ロリは愛でるものであって、触れるものではないのです!手なんて出しません!」

 

 大仰な動作で熱く語り出すペロロンチーノ。変なスイッチを押してしまったらしい。

 

「いいですか、ロリは決しt「弟、ちょっと黙れ」う、はい」

 

「それで、その子は一体……?」

 

 気を取り直して、たっち・みーが尋ねる。

 

「あー、ホラ、皆に挨拶しろ」

 

 リムルに促され、おずおずと彼女が頭を下げる。そして────

 

「ごめんなさい」

 

「「「「「「……は?」」」」」」

 

 意外な第一声に、ヒナタを含め、六人はポカンとしてしまう。この子は突然何を謝っているのか、全く意味がわからない。

 そこでリムルがふぅ、とため息を吐きフォローを入れる。

 

「あー、自己紹介を忘れるほど緊張してるみたいだ。こいつの名前はシエルという。俺の相棒で、あー、うーん、子供?……みたいなものだ。まあ、宜しくな」

 

 なんだか途中から歯切れが悪かったが、リムルの子供らしいと理解した。モモンガ達は少し驚きはしたが、割と自然にその言葉を受け入れる事が出来た。しかしヒナタはかなり驚いたようで、目を見開いて数秒固まっていた。

 

 

 

 

 

「……という訳なんだ」

 

 リムルは、偶然ゲーム(ユグドラシル)に転移して来ていた事、シエルという子がヴェルドラを唆してドッキリを仕掛けさせた事を掻い摘んで教えてくれた。

 モモンガは肩を落として俯いていたが、やがてポツリと呟いた。

 

「ひどいじゃないか……。俺は、本気でリムルの事が心配で……」

 

 他の面々も、命の危険を感じた竜との邂逅を思い出し、ブルリと身を震わせた。

 何とも重苦しい雰囲気になっている。

 

「本当に、申し訳ありませんでした」

 

「俺にも監督責任がある。すまなかった。どうか謝罪を受け入れて欲しい」

 

 頭を下げる二人の誠実な態度に、若干空気が和らいだ。

 

(相手が誠意をもって謝罪してくれているのに、いつまでも応えないのは社会人として良心に悖る、か)

 

 ふぅ、とため息を吐いてモモンガは応える。

 

「わかりました。謝罪を受け入れます。リムル……さん、いや、様?」

 

「ありがとう。だが、様ってのはちょっとな。もっと気軽に呼んでくれよ」

 

「え、しかし……うーん」

 

 たっちやウルベルトも戸惑う。ゲームで知り合った子供だと思っていた相手が、実は一国の主で魔物を束ねる魔王だったのだ。畏まらない方が無茶というものだ。

 だが、せっかく気安い関係を望んでくれているのだから、無下にするのも悪い気がする。

 

「じゃあ……リムル、と呼ばせてもらうよ」

 

「ん、それでいい」

 

 モモンガ達はそれぞれ消化しきれない凝りのようなものはあったが、ひとまず和解は成った。

 

 

「じゃあ、これから俺の国へ来てくれ。歓待の準備は整っている。謝罪も兼ねて、精一杯のもてなしをしよう」

 

 リムルがそう言うと、足元に模様が浮かび上がった。魔方陣だ。

 

「これは!?」

 

「転移するぞ」

 

「えっ心の準備が……」

 

 眩い光に包まれたかと思った次の瞬間、モモンガ達は先程までとは違う景色の中に立っていた。

 

「ようこそ、魔物の国(テンペスト)へ!」

 

 そこは、大きな建物の前だった。純木造建築のそれは彼らの居た時代には資料でしか見ることが出来ない代物だ。それでいて郷愁をそそられる佇まいであった。

 

 そして空。青い空に太陽が燦々と輝いている。モモンガ達の世界では常に厚い雲に覆われ、青空なんて見たこともなかった。

 

「なんて綺麗な空なんだ。あぁ、ブループラネットさんが見たら何て言うかな」

 

 モモンガがここにはいないギルドメンバーの名を口にする。既に失われてしまった美しい自然を愛し、第六階層の空を作製したメンバーだ。

 五人の誰もが上を見上げて感嘆の声をあげ、改めてここは異世界なのだと実感した。

 

 玄関を開けて中に入ると、着物を着た女性達が出迎えてくれた。

 

「ようこそ御越しくださいました異世界の皆様、ヒナタ様」

 

「これは、ご丁寧にどうも」

 

 律儀にお辞儀をして挨拶を返すモモンガ。

 

「まずは風呂に入って疲れを癒すといい」

 

 そうリムルが言うと、早速女中さんが案内する。男湯にはモモンガ、たっち・みー、ウルベルト、ペロロンチーノ。女湯へはヒナタ、ぶくぶく茶釜、シエルが案内された。

 

「浴衣を用意しておりますので、そちらへお召し変えください」

 

 普段狭いスチームバスで済ませているモモンガ達は、初めて生で見る大浴場にウキウキしていた。

 

 早速かけ湯をして湯船に浸かりだす。

 

「あー、極楽」

 

 モモンガはここ最近の疲れが吹き飛ぶようだと、蕩けた表情になっている。心からリラックスしているようだ。

 

「でっかい湯船だなー。泳げますよホラッ」

 

「こら、はしゃぎすぎだ」

 

 はしゃぐペロロンチーノをウルベルトが窘める。

 一人だけ先に体を洗っているたっち・みー。

 

「皆さん、マナー違反ですよ。ちゃんと体を洗ってから入りましょう」

 

「あぁ、すみません、すっかり忘れてました」

 

 三人が湯船から上がり、体を洗い始める。

 

 

 三人が洗い終わって再び湯船に入ろうとしたとき、もう一つ小さめの湯船があることに気づいた。

 

「なんだこれ……スライム風呂?」

 

「面白そうですね」

 

 側に立っている看板を読んでみる。

 

「美肌効果かぁ、女子受けは良さそうけど」

 

「折角なので入ってみましょう」

 

 看板には効能の他に注意事項も書いてあったのだが、四人とも碌に読まずに浸かってしまった。

 

「あー、なんだかヒンヤリして気持ちいいですね」

 

「ええ、この柔らかな感触が何とも……」

 

「あー、これはいい」

 

「ん?なんだかモゾモゾして……おっふぉ」

 

 スライムがモゾモゾと全身をまさぐりだす。

 古い角質や無駄毛、老廃物などを食べて掃除してくれているのだ。

 それは、くすぐったいような気持ちいいような、何とも形容し難い快感だった。

 四人とも息子がムクムクと起き出してしまい、落ち着くまで身動きとれなくなってしまった。

 

 

「うわ?たっちさん……」

 

「おおっふ、随分ご立派ですね」

 

「え?あー、はは……」

 

「くぅぅ、天は人に二物も三物も与えやがって!」

 

 ウルベルトが恨めしげに呻いた。無理もない。たっち・みーは、顔良し、仕事良し、更に息子は立派と、三拍子揃っている。

 正直モモンガもペロロンチーノもウルベルト程ではないが、お世辞にも立派とは言えないレベルだ。

 たっち・みーのご立派を目の当たりに、勝ち組(リア充)とはこんなところまで格差があるのか、とショックを受けた。

 

 

 

 

 一方、女湯では。

 

「あっ、んんっ、はぁ……スゴい……奥までっ」

 

「ちょっと、変な声出さないで」

 

 ヒナタが注意するが、ぶくぶく茶釜は声が漏れてしまうのを押さえられない。

 

「ヒナっちだって声出てたじゃない。こんなふうにほじくられたら……はぁんっ」

 

 そう言われて、ヒナタは何も言い返せない。

 

「フフフ、どうですか?」

 

「スゴく気持ちいいよぉ、シエルちゃん上手すぎぃ」

 

 シエルは脱衣所のベッドに寝そべる彼女の身体にスライムを這わせていた。

 二人にスライムの美容効果が高い使用方法として提案したのだ。

 最初は手足の先から始まり、次に顔、そして顔から徐々に下の方へと移動して行った。

 

「んんっ、そこばっかりダメ、弱いのぉ」

 

「ご迷惑をおかけしたお詫びに、たくさんサービスしますから」

 

 悶える茶釜を尻目に、ヒナタが腹部に手をやる。

 

「知らなかったわ……()()がこんなに敏感だったなんて……」

 

「さぁ、もっと下のほうも綺麗にしましょうか」

 

「え、待って、そっちはホントにダメェー!?」

 

 ヘソをほじくられて悶絶していた彼女は、更に下へと手を伸ばしかけていたシエルの施術を、すんでのところで阻止した。

 

 

 そして男湯では、暫くして落ち着いた彼らが湯船を出ると、浸かっていた部分の毛が()()きれいに無くなっていたのだった。

 

 

 

 


 

 

 キャラクター紹介4

 

ペロロンチーノ

「エロゲーイズマイライフ」を信条とし、「技術の発展は最初に軍事、次にエロと医療に使われる。これはエロの偉大さを物語っている」と女子の前でも公言して憚らない男。エロゲーをこよなく愛する彼であるが、姉がエロゲーの声優をしており、楽しみにしていた新作エロゲーをやっては姉の声にへこまされてモモンガに泣きつく姿が目撃されている。モモンガを兄のように慕っており、とても仲が良い。姉には頭が上がらない。

 ユグドラシルでの種族はバードマン。超々遠距離からの特殊技術(スキル)を駆使した爆撃が得意。しかし開けていない場所での戦闘は不得意。

 作成NPCはシャルティア・ブラッドフォールン。彼女には彼の性なる癖がこれでもかとブチ込まれている。

 

 

ぶくぶく茶釜

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に三人いる女性プレイヤーの一人。種族はスライムを取得している。外見は一言で言ってしまえば「ピンクの肉棒」。はっきりいって女性が選ぶのは躊躇われる卑猥な見た目だが、ステータスを防御に全振りしたビルドをしており、極めて高いプレイヤースキルを有している。両手に盾を構える鉄壁のタンク役としてだけでなく、指揮官としての能力も高い。

 ペロロンチーノの姉であり、現実(リアル)では売れっ子の実力派声優。いくつも声優としての名前を持っていて、「風海久実」を一番気に入っている。古参のファンからは「かぜっち」と呼ばれている。エロゲーにも出演しており、主にロリキャラを担当していた。とても気さくな性格だが、「弟は姉に従うべし」という強い信条があるようだ。いつも弟を尻に敷いている。

 作成NPCはアウラとマーレ。アウラのコンセプトは「こんな妹がほしかった。弟いらね、ペッ」とのこと。



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#12 宴

遅くなりました。
モモンガさん、魔王と会食します。


 風呂から上がり、用意された浴衣を着たモモンガ達男性陣。女中に食事の準備ができていると聞き、この世界へ来てまだ何も食べていない事を思い出した。

 

 汚染が進んだ二十二世紀の日本では、一般の家庭ではまともな食材は手に入らなくなっている。人工の加工食材を使った、最低限の栄養を摂るだけで味なんて二の次。そんな食事が主である。

 それが当たり前の中で育ったモモンガにとって、食事はただ栄養を補給するだけの「作業」に過ぎなかった。

 

 しかし、案内されている途中で漂ってくる、食欲を刺激する芳醇な香り。モモンガだけでなく、ペロロンチーノやたっち・みーでさえ、期待感に胸を膨らませていた。ウルベルトも何度も生唾を飲み込んでいる。

 

「こちらでございます」

 

 案内された先は宴会場だった。

 畳の敷かれた座敷になっており、大きな座卓と座布団が沢山並んでいる。既に部屋には数十名が座っており、モモンガ達を待ってくれていたらしい。

 

 座っている面々は、人間に似て非なる存在。外見は似てはいるが、頭に角を生やした者、肌が緑色の者、豚のような鼻で口から牙が飛び出ている者等様々だ。流石は魔王が治める魔物の国というべきか。普通の人間はモモンガ達とヒナタだけなのかも知れない。

 

 驚きはしたものの、彼らが怯えて震えることは無かった。幸か不幸か、あの(ヴェルドラ)と出会ったことで、ある程度耐性というか、度胸がついてしまったのだろう。

 

「オーイ、こっちだ」

 

 奥のほうでジンベエ姿のリムルが手招きしている。

 リムルが座っているのは天板が一枚板の、いかにも高級そうな大きな座卓。このサイズの一枚板となると一千万は下らないだろう。華美な装飾こそないが、超一級品だと一目でわかる。

 その卓にはリムルと同じく浴衣やジンベエを着た数名が一緒に座っていた。

 彼らの視線もモモンガ達に集まる。

 二人が興味深げに、見定めるように。

 別の一人は興味なさげに、冷ややかに。

 また別の一人は好奇の目を向けて身を乗り出す。

 そして何故か親しげな視線を向けてくる者も。

 

 壁側中央に座るリムルの左隣には、血の色より濃く深い深紅の瞳を持つ赤髪の男。中性的な整った顔立ちをしている。

 

 その隣に、真白な長い髪と同じく真白な肌の女性。冷たく輝く深海色(ブルーダイアモンド)の瞳。その美しさは人間のものとは思えない。いや、この席に居るのだから、おそらく人間では無いのだろう。

 

 更に隣には、サラサラの銀髪を背中まで伸ばした、赤と青の金銀妖眼(ヘテロクロミア)の少女。落ち着き払った利発な雰囲気だ。

 

 リムルの左には、健康的な褐色の肌に金髪の偉丈夫。彼らのなかでは最も体格が良く、ワイルドながら、人好きのしそうな笑みを浮かべている。

 

 その肩には、30cm位のトンボのような羽の生えた小さな女の子が乗っている。イタズラ好きな妖精のイメージそのままだ。

 

 さらにその隣には、銀髪をツインテールにまとめた、人形のように可愛らしい少女。先の落ち着いた雰囲気の少女とは逆に、こちらは好奇心の塊のような、落ち着きの無い子供のような雰囲気だ。

 

(一緒に座ってるこの人達は魔王の側近とかかな)

 

(一見すると人間のようにも見えるが……多分普通の人間じゃ無いよな)

 

 そんなことを思いながら、一行はリムルのいる席の方へと歩み寄っていった。彼らの向かいに空席がある。そこへ座れということらしい。

 

「ようやく来たか。会うのは二度目だな、異世界の人間達よ」

 

「え?」

 

「……え?」

 

 口を開いたのは金髪の偉丈夫。一見すると人間のようにしか見えない男だ。

 モモンガ達は互いに視線を交わすが、誰もこの人物に見覚えはない。

 再び男を見る。

 

「不躾ですみませんが、何処かでお会いしましたでしょうか?」

 

「何ぃ?我を見忘れたか?五人揃って会ったであろう?」

 

 首を捻って思い出そうとするが、やっぱり見覚えがない。一体どこで会ったのだろうか?

 

「えーっと……」

 

 彼らが焦っていると、リムルがため息を吐く。

 

「お前ね、その姿で会って無いんだからわかるわけないだろ?」

 

「おお、そうであった。我、ウッカリ」

 

 おどけて見せる金髪の偉丈夫に対し、同じ卓に付いていた銀髪の少女が口を開く。

 十代半ば位に見えるその少女が発したその言葉は若い見た目からは想像できない威厳のある雰囲気で、そして辛辣だった。

 

「貴様、脳味噌まで筋肉で出来ておるのではないか?それともただの空洞か?」

 

「ぐぬ、貴様、相変わらず我に辛辣よな……」

 

 フン、とそっぽを向く銀髪少女。余程嫌っているのか、もうこれ以上話したくないと言わんばかりだ。

 気を取り直して男は立ち上がった。

 

「オホン、では改めて……我は竜種ヴェルドラ・テンペスト。リムルの盟友である」

 

 ヴェルドラは腰に手を当て、ドヤ顔をしている。対するモモンガ達はと言うと。

 

「リューシュ・ヴェルドラ・テンペストさんですね、モモンガと申します」

 

「たっち・みーです」

 

「ウルベルトです」

 

「ペロロンチーノです」

 

「うむ、我が名を覚えておくが良い」

 

 モモンガ達は「竜種」を「リューシュ」つまりファーストネームと勘違いした様だ。

 ヴェルドラはそれには気づかず、満足げに頷いていた。

 

「ぶふっ、ククク、はっはっはっは」

 

 彼らのやり取りを眺めていた赤髪の男が突如、笑いだした。モモンガ達とヴェルドラ両者のすれ違いを彼は正確に読み取ったようだ。

 

「いきなり笑わせてくれるぜ。まさか、そう来るとはな……」

 

「む?どういうことなのだ?訳がわからぬぞ」

 

「一体何が面白いのよさ?」

 

 銀髪をツインテールにまとめた少女と、小さな妖精が身を乗り出す。モモンガ達も訳がわからない。

 疑問に答えたのはリムルだった。

 

「お前ら勘違いしてるようだが、リューシュってのは名前じゃなくて()()だぞ?竜種。大雑把に言えば、コイツは……ドラゴンって事だ」

 

「ああ、これは失礼しました、ドラゴンさん」

 

 驚く様子もなくモモンガが頭を下げた。

 

「へー、この人ドラゴンだったのか」

 

 ペロロンチーノも平気そうだ。また気絶するんじゃなかろうかと心配していたリムルは、どうやら杞憂に終わったか、と胸を撫で下ろしかけた。

 

「なあんだ、ドラゴンねぇ……ん?んん?」

 

 ふと、ウルベルトが何か引っ掛かるような、と首を傾げて虚空を見上げる。たっち・みーは、その何かに気づいてしまった。

 

「ドラゴン……五人で会った……まさか、あの黒い竜!?」

 

 四人の脳内で目の前の偉丈夫と漆黒のドラゴンがイコールで結び付いた。

 

「うむ!貴様らが出会った漆黒の竜。それこそ我が真の姿よ!クアーッハッハッハ」

 

 ヴェルドラが愉快そうに笑う。モモンガ達は意識を手放す事こそ無かったが、目を見開いて固まっていた。

 

「大丈夫、モンちゃん?」

 

 後ろから聞こえた声にモモンガが振り向くとぶくぶく茶釜とヒナタ、シエルがいた。

 ぶくぶく茶釜とヒナタ別れる前に比べて見違える程に肌がツヤツヤしている。ぶくぶく茶釜は風呂でのぼせたのか、頬が上気して、何だか色っぽく見えた。

 

(何だか茶釜さん、急に美人になった気が……浴衣のせいかな)

 

「ねーちゃん、すっぴんそんなに綺麗だっけ?もっと草臥れ「うん、黙ろっかー」あ、ハイ……」

 

 モモンガが呆けていると、ペロロンチーノが口を開いたが、一言で黙らされた。いつもの一段低めの声ではなく優しい声音なのに、何故かいつも以上に凄みを感じたのは気のせいだろう、とモモンガは深く考えないことにした。

 

 

 

 

 

 

「へー、ヴェルザードさんってヴェルドラさんのお姉さなんですか?」

 

「そうよ、出来の悪い弟にいつも手を焼かされているわ……」

 

「奇遇ですねー、私も出来の悪い弟にはいつも苦労してるんですよー。ホントに何で弟って……」

 

 全員揃ったところで、一緒に卓に付いていた魔王の面々をモモンガ達に紹介した。

 俺の配下と思っていたらしく、同格の魔王達と竜だと知って、またもや驚愕していた。

 ぶくぶく茶釜だけは豪胆というか、豪放というべきか、ヴェルドラの正体を知っても大して驚く事なく受け止め、姉のヴェルザードと打ち解けて話している。

 女は度胸と言うが、それを地で行っていると感心した。

 

 ヴェルザードは嘗てはもっと近寄りがたい雰囲気を纏っていて、兄弟とギィ以外には気を許さなかった気がするが、ある日を境に急に柔和になった。想いを寄せるギィと何か進展でもあったのだろうか。

 

 互いに逆らえない姉を持つ立場を知ったヴェルドラとペロロンチーノは、同士を見るような視線を交わし、互いの苦労を労るように頷き合うのだった。

 

 と、ここで各席に料理が運ばれてくる。

 

「お待たせしました」

 

 握り寿司、冷奴、天麩羅、唐揚げ、ハンバーグ、エビフライ……。

 この世界へ来てから俺が再現(実際に開発したのは配下達だが)した、日本で親しまれた料理達。未来で暮らす彼らの口にも合うといいのだが。

 モモンガ達の前にも配られ、彼らは喉を鳴らす。

 

「凄い……」

 

 皆唖然として料理を見つめる。がっつくのははしたないと考えているのか、すぐに手を付けようとはしていない。

 

「さあ、遠慮しないで食べてくれ。麦酒(ビール)も冷えてる。ウマイぞ」

 

 俺がそう言うと、ウルベルトがもう辛抱堪らんと箸を伸ばす。それに続くように皆も箸をつけ始めた。

 

「うんまーい!」

 

「あぁ、絶対食べ過ぎて太っちゃう~」

 

「これ程とは……」

 

 ペロロンチーノとぶくぶく茶釜、たっち・みーは感嘆の声をあげた。

 モモンガとウルベルトが目に涙を滲ませている。感涙するほどうまかったか。反応は上々だな。

 五人は凄い早さで黙々とあっという間に平らげていった。

 

「あぁ、こんなに美味しい食事は初めてだ……死んだ両親にも食べさせてあげたかったなぁ」

 

 モモンガがポツリと呟くと、それを聞いたウルベルトは嗚咽し始めた。

 

 二人はポツポツと両親の事を話し始める。

 モモンガもウルベルトも、幼くして両親を失っていた。貧困にあえぎながらも、彼を学校に行かせてやろうと必死に働き、過重労働の末に命を落としたモモンガの両親。

 ずっと孤独に生きてきたんだな。知り合ったばかりの俺に親身に心配してくれるなとは思っていたが、そういう背景があったのか。

 

 ウルベルトの両親も、命懸けの危険な環境で働き、事故で命を落とした。遺骨は帰って来ず、会社からは申し訳程度と言うにも烏滸がましい、極僅かな見舞金が支払われただけであった。

 なるほど、ウルベルトが妙に悪に拘る節があるのは、理不尽な支配者階級に対する怨嗟と体制の欺瞞への反骨心から来てるんだな。

 

「か、可哀想なのだ……」

 

「あんた達、苦労したのね。何だか泣けてきちゃったよ」

 

 ミリムは感情移入してしまい、目を潤ませている。ラミリスも目頭を拭う。普段我儘で理不尽でお子様でアホの子な魔王なんだが、根は気の良いお人好しなんだよな。

 

「よし、ワタシが友達になってやるぞ。人間の友達はお前達だけだからな。わはは、光栄に思うがいい」

 

「しょうがないから、アタシもなってあげなくもないわ」

 

「仕方ないな、我も友達になってやろうではないか」

 

 チョロい。コイツらホントにチョロすぎるな。ていうか、友達ほしいだけだよねお前ら。まあ、俺も彼らと友好を結べることに否はないんだが。

 

「良かったなお前ら、魔王と友達(ダチ)だなんて人間はこの世界でも殆どいないぜ」

 

 ギィが不適な笑みを浮かべて言う。八星魔王(オクタグラム)って、なんだかんだで人間を嫌ってはいないんだよな。

 

「クアハハハ、流石に失禁して気絶した二人を運ぶのはもう勘弁してほしいがな」

 

 それを聞いたぶくぶく茶釜は目を見開きヴェルドラを見た。顔は真っ赤だ。どうやら自覚はあったらしい。

 いい歳した大人の女子が公衆の面前で痴態を暴露されてはとんだ赤っ恥だろう。

 

「え、ねーちゃんまさk「んなわけねーだろっ」ブホッ!」

 

 姉の反応に、ペロロンチーノは疑いの声をかけるが、瞬時に否定され、ついでにボディーブローが突き刺さる。弟の方はどうやら自覚なかったみたいね。そんな二人にアイツがいらん追い討ちをかける。

 

「貴様ら二人とも衣服がビチャビチャになっておったぞ?姉弟揃ってシモの緩いやつよ。運んだ我の身にも……ハッ!?」

 

 ヴェルドラの言葉に二人が赤面する。それとは逆にヴェルドラの顔色は青ざめていく。ヴェルザードの冷気を帯びた視線がヴェルドラに突き刺さっていたのだ。

 

「全く、レディに対する礼儀がなっていないわね。これは再教育が必要かしら?」

 

 ヴェルドラが縋るような目を向けてくる。俺はヴェルドラの肩をポンと叩く。

 

「しっかりお姉さんにご教授いただくんだぞ」

 

「リ、リムルっ!見捨てるのか!?あんまりではないか!盟友(とも)であろう!?」

 

 これは完全にヴェルドラが悪い。決してヴェルザードが怖いわけじゃない。

 涙目で引きずられていくヴェルドラを俺たちは生暖かい目で見送ったのだった。

 

 

 

 


 

 キャラクター紹介5

 

ギィ=クリムゾン

 "暗黒皇帝(ロード・オブ・ダークネス)"。赤い髪の中性的な男性の姿をしているが実は両性具有で、どちらの性にもなれるし、男女両方性欲の対象になる。最強の悪魔族にして最古の魔王。精神世界に居たが、人間の国家間の戦争に召喚された。敵国を滅ぼし、さらに召喚主も国家諸とも滅ぼした。その後は気儘に暴れまわっていたが、世界の創造主「ヴェルダナーヴァ」に挑み、惨敗する。ヴェルダナーヴァの提案で、世界の調停役として世界で最初に『魔王』を名乗る。

 あらゆるスキルを完全再現できる究極能力(アルティメットスキル)深淵之神(ノーデンス)』を持つ。

 

 

ミリム=ナーヴァ

 "破壊の暴君(デストロイ)"。銀髪ツインテール。世界の創造主「ヴェルダナーヴァ」と人間の間に生まれた竜人族(ドラゴノイド)。大昔、あるきっかけからギィと七日七晩の死闘を演じる。その戦場後は広大な不毛の砂漠と化した。二人の戦いに仲裁に入った精霊女王ラミリスは、その力を変質させ、妖精に身を堕とした。

 力はあるが脳筋で、細かいことを考えるのは性に合わない。リムルと出会い、リムルの親友(マブダチ)になる。リムル曰く「目の離せない親戚の子」。

 無尽蔵の魔力増幅炉とも言える究極能力(アルティメットスキル)憤怒之王(サタナエル)』を持つ。

 

 

 

ルミナス=バレンタイン

 "夜魔の女王(クイーン・オブ・ナイトメア)"。銀髪の金銀妖眼(ヘテロクロミア)吸血鬼(ヴァンパイア)の女王。嘗て吸血鬼(ヴァンパイア)の国家を形成していたが、ヴェルドラに「ちょっとした冗談」で吹き飛ばされてしまった。以来ヴェルドラを目の敵にしている。現在は人間の宗教国家"神聖法皇国ルベリオス"の地下に吸血鬼(ヴァンパイア)の国家を形成している。「唯一神ルミナス」として人間を庇護する代わりに、幸福感を得た人間から良質な生気(エナジー)を吸っている。この事実を知るものは極わずか。生と死を司る、究極能力(アルティメットスキル)色欲之王(アスモデウス)』を持つ。

 

 

ヴェルザード

 "氷の女帝"白氷竜。世界最強の竜種の一体であり、暴風竜ヴェルドラの姉。兄「ヴェルダナーヴァ」が認めた存在である魔王ギィ=クリムゾンに嫉妬し、喧嘩を吹っ掛けた。しかし、あしらわれ続けているうちに惚れてしまい、今ではギィの相棒に。ヴェルドラが小さい頃から世話を焼いているが、やり方が過激なため、ヴェルドラにトラウマを与え続けている事には自覚がない。

 究極能力(アルティメットスキル)氷神之王(クトゥルフ)』を持つ。




哀れヴェルドラはドナドナされました・・・
茶釜さん、ごめんなさい。


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#13 今後

もう少し異世界編は続きます。




 夜明け。漆黒の夜空の片隅が、これから昇る太陽の光を浴びて白み始めた頃。布団からモゾリと這い出す影があった。

 

「あー、会社行かなきゃ……あ、そうか。今異世界に来てたんだっけ」

 

 モモンガは夜遅くまで起きていても、この時間帯には自然に眼が覚める。彼の会社は出勤時間が早く、夜明け前に家を出ることもしばしばある。休日でも同じ時間に目覚めてしまうのだから、習慣とは恐ろしいものだ。

 

 早く出社した分、早く帰れるかと言えばそうでもない。繁忙期ともなれば家に戻れない事もある。多忙な他の部署の応援に駆り出されるためだ。それも小さな会社の宿命か。

 

 ただ、個人の営業成績に応じて給料に色を付けてくれる。残業代はないが。上司は「君たちが帰れる時間が定時だから」というのが口癖で、残業を認めない。

 だから早く出社して、夕方までにその日の仕事を終わらせて帰る。彼は入社三年経つ頃にはそういうスタイルを確立していた。残業代が期待できないなら、さっさと帰りたかった。そしてユグドラシルに没頭するのだ。

 

 昨晩は珍しく酒を飲んで酔っ払った。会社の飲み会等では付き合い程度に僅かな量を飲むことはあるが、美味しいと思ったことはなかった。

 異世界へ来て初めて、酒や料理が感動するほど美味しい物だと認識できたのだ。

 

(料理も最高だったし、ついつい飲み過ぎちゃったなぁ)

 

 思わずモモンガの頬が緩む。昨日の食事を思い出すだけで、口内に涎が溢れてくる。

 

(だけど、いつまでもここで過ごすっていうわけにはいかないよなぁ。たっちさんは奥さんも小さな子供も居るし。茶釜さんだって、ペロロンンチーノさんだって、家族が心配してるはず。ウルベルトさんは……ウルベルトさん、大丈夫かな)

 

 ウルベルトについて知っていたのは、社会人であること、中二病だということ位で、昨晩話したような事は知らずにいた。

 昨晩ウルベルトが語った内容は、かなり重たいものだった。一緒にユグドラシル(遊び)に興じているときの彼からは想像もつかなかった。

 

 ウルベルトの職場は現場作業で、大企業から使い捨ての部品のように扱われている。危険な作業だが、十分な安全教育も受けられず、危険手当もなければ作業の安全基準もない。両親も、同じような過酷な環境で使い潰されて命を落とした。そうして命懸けで作業した成果が享受できるのは、一握りの富豪達だけ。何の苦労もせず、知る事さえなくただ座して利益を貪るだけの能無しばかりだった。

 

 両親が死んだ時の事をウルベルトは今でも鮮明に覚えている。見舞金を持ってきた企業側の男が、ゴミを見るような目で自分を見ていたこと。

 謝罪の言葉はなく、たった一言、慰労の言葉を口にしただけだったこと。それすらも煩わしいという思考が透けて見えていたこと。

 自分の都合で無茶な要求を通し、それで人が死んでも何の痛痒も感じてはいないであろうこと。

 

 両親の死を体を震わせながら語ったウルベルトは、状況を変えられない悔しさと、理不尽で傲慢な支配者層への恨みを滲ませていた。モモンガは彼に対して掛ける言葉が見つからなかった。

 

 燻っていたウルベルトの感情は、異世界へ来たことと、ある出来事がきっかけで変貌を遂げる事になるのだが……。

 

 

(帰っても辛い環境で働かなきゃいけないんだよなぁ。ウルベルトさんの場合、こっちでのんびり暮らせるならその方が幸せなのかも知れない。でも、それは本人が決めるべきことか……)

 

 本人の人生だ。心配ではあるが、他人である自分が余計な口出しをするわけにもいかない。今後については各々が考えて決断するしかないだろう。

 

(それでも、選択肢の一つとして提案はできる、かな。何時でも指定の日時に転移できるって言ってたから、慌てて帰る必要はないだろうけど)

 

 それでも余り長居するのもどうかと思い、早めに心を決めた方がいいかと考えをまとめる。

 

 

(取りあえず、リムルに相談してみようかな。

 ん?誰だろう?)

 

 部屋の外から誰かの話し声が聞こえてくる。

 

「頼むよぉ」

 

「知りません」

 

「そんな冷たいこと言わずに……お願いだからさぁ」

 

 モモンガがそっと開けた戸の隙間から見えたのは、シエルだった。そのシエルにリムルが縋るようにして何か頼み込んでいる。

 対するシエルはそっぽを向いている。何やらご立腹の様子だ。

 まるでダメ親父と機嫌を損ねた娘のようなセリフと構図になっているのだが、見た目は美女と美少女なので、違和感が凄い。

 

(どうしよう。出ていくべきか、何も見なかった事にして引っ込むべきか……)

 

 ずっと覗き見をしているのは気が引けたモモンガが、どうするか迷っていると、リムルに気づかれてしまった。

 

「んぁ?あぁ、モモンガじゃないか」

 

 モモンガはばつが悪そうに部屋から出る。

 

「その、話し声が聞こえたので……」

 

「聞いてくれ、シエルが意地悪するんだよぉ」

 

「人聞きの悪いことを言わないでください。ご主人様(マスター)が悪いです」

 

「ほらぁ、さっきからこんな調子でさぁ」

 

 リムルはモモンガにヨロヨロとしなだれかかる。モモンガはドキッとした。リムルはスライムなので性別はないが、見た目は絶世の美女なのだ。しかし、それは一瞬だった。

 

「うっわ、酒臭っ!」

 

 女の子のように良い匂いがするのかな、などと一瞬思ったが、強烈なアルコール臭に思わず声が大きくなってしまった。

 

「ぐぁ、大きな声を出さないでくれ。頭に響く……」

 

 そう言って両手で頭を抱えるリムルを見て、シエルと二人して呆れ顔をしてしまう。

 

(もしかして二日酔い?え、スライムって酔っぱらうの?フラフラしてるし。夜通し飲んでたのかな)

 

「えっと、何か頼んでたみたいだけど……」

 

「モモンガからも頼んでくれ。この頭痛を今すぐどうにかして欲しいんだ」

 

「ご自分で毒耐性を下げて酔っ払ったんですから、自業自得です」

 

「いや、おかしくない?俺は痛みを感じない筈なんだぞ?酔っ払ったからって、頭痛を感じるはずがないじゃないか」

 

 リムルはそう言うが、モモンガに言わせてみれば、スライムが人型になって喋っている時点で既におかしい。更には、酒を飲んでへべれけになっているのである。最早ついていけない。

 

()()()痛覚無効のスキルが弱まっていますね。酔っぱらったせいでは?」

 

「んなアホな。はっまさかシエル……?」

 

「心外です!私は何もしていません!」

 

 プク顔でシエルが言い返す。モモンガはそんなシエルの可愛らしさに身悶えしたくなる。

 シエルの声が大きかったためか、リムルがまた頭を抱えて蹲った。

 

「ちゃんと反省してください」

 

「くぅぅ、は、反省します…………しました。どうか痛みを和らげて下さいぃ」

 

 情けない声で幼女に懇願する魔王。威厳もへったくれもない。そんなリムルにモモンガは呆れながらも、助け船を出してやる事にする。

 

「まあ、リムルもこう言ってることだし、そろそろ許してあげてもいいんじゃないかな」

 

 モモンガの言葉に、同じく呆れていたシエルはわかりました、と呟き、額をリムルの額にくっ付ける。

 すると、リムルが安堵した表情に変わった。頭痛は和らいだようだ。

 

「いやー、助かったよ、モモンガ君」

 

 リムルが苦笑いしながら礼を述べる。先程までのへべれけっぷりが嘘のように、すっかり元気になっている。本当にコイツは魔王なんだろうか、とモモンガはついジト目で見てしまう。

 

「ん?どうかしたか?」

 

「いや、何も……」

 

 今の情けないやり取りを見て、相談する事に不安を覚えたとは言えない。

 

(うーん……やっぱり他の誰かに相談した方がいいかな?)

 

 モモンガがそんなことを考えていると、客室の戸が開いた。

 

「おはようございます。早いですね」

 

「あ、たっちさん。おはようございます」

 

「いよっす。まだ夜更けだ。もっとゆっくり寝ててもいいんだぞ?」

 

「や、なんだか目が冴えてしまって」

 

「俺もいつもの癖で……」

 

「そうか?ならまあいいか」

 

 リムルは折角だから何か作ってやると言い出し、四人は食堂へと向かった。

 

 

 




ちょっと短いですが、一旦切って投稿します。
予定では異世界で交流を楽しんで、皆日本に帰ります。予定では・・・。


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#14 大魔王の理不尽

異世界編は色々書きたくて、設定に悩みました。


「『早起きは三文の得』なんて言いますが、何だか凄く得した気分ですね」

 

「いやー、朝食にウキウキするなんて初めてですよ。ところで、三文ってどれくらいの貨幣価値なんですかね?」

 

 

 モモンガとたっち・みーは食堂でテーブル席に付いて雑談をしている。リムルが手ずから朝食を作ってくれると言うのだ。シエルも一緒に座っていた。

 

「物価によりますが、安い小物が一つ買えるかどうか、と言う程度です」

 

「へぇ、シエルは物知りだね」

 

「たいしたものですね」

 

「この程度は当然です」

 

 シエルはリムルの究極能力(アルティメットスキル)『智慧の王( ラファエル)』に、リムルが気まぐれにも名前を付けたことで生まれた『神知核(マナス)』と呼ばれる存在だ。

 

 この世界では魔物は人間と違い、名前を持たないのが普通だ。人間で言えば、白人や黒人といった様な種族名しかないのだ。

 個体で名前を持つ魔物は名持ち(ネームド)と呼ばれ、人間のそれとは別の意味を持つ。名前を持つことでより強大な力を得るのだ。上位の種族に進化することもある。

 しかし、誰でも簡単に名前を持つことはできない。魔物の身体は人間と違い、魔素と呼ばれるエネルギーで出来ている。魔物の名付けには大量の魔素(エネルギー)を名付け親が消費しなければならない。消費したその魔素(エネルギー)は回復しない場合もあり、名付けによって名付け親が死に至ることさえあるのだ。

 

 転生した当初、そんな事情を知らなかったリムルは、初めての部下になったゴブリンたちに名前を付けまくり、魔素(エネルギー)がなくなりかけて休眠状態に陥った。能力(スキル)は使えず、動くことも喋ることもできない状態になったのだ。

 幸いにも数日で魔素(エネルギー)が回復して目覚めてみると、いかにも弱々しく身長も子供くらいだったゴブリン達が、大人くらいに大きくなり、強くなっていたのに驚いたものだ。ヨボヨボの老人だったゴブリン村の長老なんか、筋骨粒々のマッチョになっていて、「お前誰だよ!」と叫びそうになった程だ。

 

 さて、そんな世界で名前をつけられた能力(スキル)はと言うと……シエルがその答えだ。

 量子コンピューターの如き膨大な知識量や演算を行う能力(スキル)が、感情と意思を持ち、違ったベクトルに成長可能となったのだ。現在の精神年齢は子供のそれであるが。シエルの演算能力をもってしても、新たに生まれた感情の制御は難しいようだ。

 

 流石は魔王の子、英才教育を受けているんだろうな、などと微妙な勘違いをしている二人は、得意気に胸を張るオマセな女の子(シエル)を、微笑ましい目で見ている。

 

「待たせたな」

 

 料理の乗った皿を持ってきたリムルを見て、二人はぎょっとした。

 片手の指と腕とを使って器用に大小8枚もの皿を同時に載せ、更にもう一方の手には、人数分のコップと焦げ茶色の液体が入ったピッチャーが載った盆と、白い粉末や琥珀色の液体、ミルクの入った瓶が載った盆を持っている。まるで曲芸師でも見ているかのようだ。

 

「おぉ、凄い……」

 

「器用ですね」

 

「ん?まあな」

 

 そう言いながらリムルは手際よく皿をテーブルに載せ、各人に配っていく。その手慣れた手付きに感心する。

 メニューは焼きたてのトーストと、ベーコンエッグに生野菜の付け合わせ、飲み物はコーヒー。

 魔物の国(テンペスト)では別段変わったものでもないが、モモンガ達にとってはどれも高すぎて手に入れられない天然食材ばかり使っている。しかもベーコンは、嘗てネットで観た映画で登場する、魔法使いが住まう動く城で出されていたような分厚さだ。

 

「普段も朝からこんなご馳走を……?」

 

「何とも贅沢ですね……」

 

「え、そうか?お前ら普段何食ってんの?」

 

 リムルが驚いて尋ねた。本当に簡単に作った軽食のつもりが、ご馳走だの贅沢だのと言われてしまったのだ。リムルが前世、三上悟として生きていた時代には一般家庭にも普通に食卓に並ぶようなものだ。しかし、モモンガ達の時代には食材が手に入らず、一握りの裕福な者しか口にすることができないのだ。故にモモンガはいつも朝食を十秒チャージならぬ五秒チャージできる液体サプリで済ませている。

 

「普段は、液状のサプリメントとか……」

 

「あとは、合成加工食品ですね。栄養価は悪くないんですが味は……」

 

「うへぇ、マジかよ。そんなの一体何を楽しみに生きていけばいいんだ……」

 

 味気ない食生活をイメージし、リムルはげんなりとする。スライムに転生した彼は、睡眠も必要なければ、生殖器官もない。人間の三大欲求のうち、食欲はたった一つ残された、満たすことのできる欲求なのだ。厳密には、大気から魔素(エネルギー)を吸収しているので、食事も不要なのだが。

 

「ゲームみたいな娯楽はあるので」

 

「ああ、ユグドラシルみたいな?まあ、食べようぜ」

 

 いただきます、と日本人特有の挨拶をして食べ始める。ひとくちトーストをかじっては柔らかな食感に驚き、コーヒーを啜っては豊かな風味に感嘆する二人。リムルは苦笑いしながら食事を口に運んでいた。

 

 

 

 

 

「うわぁ!美味しそー!」

 

「モモンガさん、たっちさん!抜け駆けなんてズリィ!」

 

「二人だけ旨いもの食べようったって、そうはいきませんよ?」

 

 モモンガ達が半分ほど食べ進んだところで、寝ていたはずの三人が合流した。美味そうな匂いに釣られてやって来たようだ。先に食べていた二人を発見して、やいのやいのと騒いでいる。早朝だというのに騒がしい。

 

「慌てんなよ、ちゃんとお前達の分も用意してやるから」

 

 そう言うと、いつの間に平らげたのか、リムルは空になった皿を持って厨房の方へと入っていった。

 

 

 

 

 

「そうだ、今後の事を相談しませんか?」

 

 合流した三人も食事を済ませたところでモモンガが口を開いた。いつ帰るか、大まかにでも決めておきたい。シエルとの情けないやり取りを見た後で若干不安はあるが、一国の支配者たるリムルも居るので、話はまとまりやすいだろう。

 こういった日程や方針の決定時には責任者が同席しているときに一気に進めてしまった方が早い。部下だけで何十時間もあれこれ計画を練った後、上司の一言でちゃぶ台返しされることは仕事ではよくある事だ。

 

「まず、向こうへ戻るのは出発と同じ日がいいよな。帰ったら居場所がなくなってました、じゃ困るだろう。逆に此方に居すぎて年を取っても具合が悪いか。まあ、ひと月位だろうな」

 

「え、そんな泊めて貰っちゃっていいのかな」

 

「タダでそこまでお世話になるのは気が引けるっていうか……」

 

 リムルは何でもないことのように提案するが、五人がひと月も居座れば、その費用はバカにならないだろう。

 

「ん?誰がタダだと言った?」

 

「えっ……」

 

 モモンガたちは思わず身を固くする。これまで食べた分の金銭でも要求されるのだろうか。一体どれだけの額になるのか想像もつかない。目の前の絶世の美女は残念な、いや悪い笑顔になっていた。いかにも悪巧みしてます、と言わんばかりだ。嫌な汗が背中に流れるのを感じた。

 

「クフフフ」

 

「はっ!?」

 

 突然背後から耳元で囁くような声が聞こえた。驚いて振り返ると、ディアブロが笑顔で立っていた。笑顔と言っても悪魔らしい、ゾッとするようなソレだが。

 

「流石はリムル様です。これからが本番という訳ですね?」

 

「ふっふっふ……何も悪い話じゃないさ。キミ達がここにいる間の衣食住は面倒見るから、かわりにちょーっと働いてもらうだけだよ」

 

「は、働くって、一体何を……」

 

「クフフ、悪いようにはしませんとも」

 

「引き受けてくれるよね?」

 

 大魔王と悪魔による笑顔で説得(という名の脅迫)に、モモンガたちは頷くしかなかった。

 

 

 

 

 

「うがっ」

 

 熊のようなモンスターに遭遇すると同時に先制攻撃を受けたモモンガは壁にドンと肩をぶつける。掠めただけであったのに、鋭い爪で引き裂かれ、顔からボタボタと血を流している。傷は深く、頬の骨にまで達していた。苦し紛れに細剣をふり回すが、ヒラリとかわされてしまい、空を切る。だが、一旦距離を取ることができた。その隙にウルベルトとたっち・みーが前に躍り出る。

 

「ヒィィィ!」

 

「ねーちゃん、しっかり」

 

 悲鳴をあげてガクガクと震える姉を、ペロロンチーノが支えている。彼も震えているが、無理もない。一般人である彼らに戦闘の経験などないのだ。モンスターを見慣れたとはいってもそれだけだ。襲いかかられて平然としていられるわけがない。

 

「はぁっ!」

 

 素早い踏み込みから剣を振り下ろすたっち・みー。しかし、横薙ぎに払われた爪に易々と弾かれてしまう。目を見開いて驚いたのは一瞬で、バックステップで距離を取る。隙を突いて懐に飛び込もうとしていたウルベルトは毒づきながら、距離を取って仕切り直す。

 たっち・みーが剣を立てて両手で肩口に構える。所謂上段の構えだ。対してウルベルトは腰を低く落として左手に柄を握り、肘を引いて鋒は前方に突き出した右手で支えている。両者はそれぞれ、「振り下ろし」と「突き」に特化した構えだ。

 

 グオォォォ!

 

 雄叫びをあげてモンスターが突進してくる。それに合わせてたっち・みーは渾身の力を込めて剣を振り下ろす。

 ガキィッと金属音が鳴り響いた。たっち・みーの剣は爪で受け止められていた。一瞬の膠着。その隙を突いて、ウルベルトが突進し、剣を突き立てる。体重を乗せた突きはモンスターの脇腹に深くめり込んだ。

 次の瞬間、ウルベルトの体が宙に舞う。我武者羅に振り回したモンスターの腕が頭部に当たったのだ。

 受け身も取れず背中から落ちたウルベルトはそのままピクリとも動かなくなった。

 たっち・みーもまた、剣を弾き飛ばされ、続く腕の一振りで、壁に叩きつけられた。口からはゴポッと血が溢れ出る。そのままズルズルと座り込むような姿勢で事切れた。

 

「うわぁぁぁ!」

 

 ペロロンチーノが声をあげて突進していくが、鎧袖一触にされ、床を転がった。生き残っているのは顔を押さえて蹲るモモンガと、腰を抜かして座り込んでいるぶくぶく茶釜しかいない。

 ゆっくりとぶくぶく茶釜に歩み寄る脅威。彼女は動くことが出来ない。目の前にあるのは、死。威圧感も殺気も、血の匂いも、ゲームではなく本物。このまま引き裂かれるか、噛み砕かれて死ぬしかないと本能が告げている。

 

「茶釜さん!」

 

 気付けばモモンガがモンスターの足にすがり付いていた。モンスターは鬱陶しいとばかりに足を振って振り落とそうとするが、なかなか離れない。

 

「逃げてください!早く!」

 

 はっとした彼女は急いで首に下げていた笛に手を伸ばす。帰還の呼子笛。この笛を吹けば緊急脱出来る。しかし震えてしまい、なかなか口に咥えられない。何とか口に咥えた時にはモモンガはモンスターの足に踏みつけられて、ボキボキと嫌な音をさせながら口からは血を吹き出していた。

 再び彼女に向けてモンスターが迫る。もう手が届きそうな距離だ。

 

(間に合って   

 

 モンスターが腕を振り上げた瞬間、笛の音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 地下迷宮。それは、魔物の国(テンペスト)から10km程離れた衛星都市に存在する、とある巨大な扉の向こうに広がる空間である。入口の受付にて入場料を払えば誰でも挑む事ができ、さらに有料で、この迷宮内に限り死んでも自動的に復活してくれる腕輪を貸与してもらえる。

 その深さは地下50階層まで存在し、それぞれの階層には幾多の罠やモンスターが挑戦者を待ち受けている。深く潜るほど、罠やモンスターが凶悪になっており、難易度は高くなる。周期的に内部の構造が変化し、挑戦者を飽きさせない。

 迷宮内部には所々に宝箱があり、そこから入手できる武具はどれも通常の店では買えないような良質な物もある。因みに迷宮内で入手したものは持ち帰ることが可能である。

 このようないくつもの特典を設けて挑戦者を募り、入場料を取って魔物の国(テンペスト)の収益にしている。

 

「で、どうだった?」

 

 会議室では九人が座って打ち合わせをしていた。リムル、ヴェルドラ、ラミリス、モモンガ達未来人五人、ミョルマイルという人間の男である。このミョルマイルという男は、魔物の国(テンペスト)で財務管理を行っている。元は他国の商人で、リムルにその手腕を買われて幹部に引き入れられたらしい。

 

 今回の議題は迷宮のリニューアルについて。未来人のモモンガ達が持つ知識を活かして、マンネリ気味になっていた地下迷宮をリニューアル出来ないか、と考えたのである。

 

「あのクソ運営より理不尽な目に遭わされるとは思わなかったよ……」

 

 リムルの問いに、モモンガは恨めしげな視線を向けてこたえた。

 

「いやまあ、復活の腕輪着けてれば死なないし……いい体験だっただろ?」

 

「な訳ないだろっ!たっちさんはともかく、俺たちは剣を握ったこともないんだぞ!怪我はなかったけど、茶釜さんだってあんな辱しめ……あっ」

 

 そこまで言ったところでモモンガはハッとする。ぶくぶく茶釜は涙目で顔を赤らめ、プルプルと震えている。慌ててモモンガが謝罪する。

 

「あ、す、すみません」

 

 地下迷宮がどんなものか知るにはまず体験してもらうのが一番だと言って、リムルは装備だけ揃えさせてモモンガ達を迷宮に放り込んだのだ。結果、モモンガ達は地下迷宮で最初に出会ったモンスターにやられてしまったのだった。

 ぶくぶく茶釜だけは脱出アイテムを使い、無傷で生還できたのだが、そのあとが問題だった。先に戦闘不能になって入口の外で復活していたモモンガ達と合流できたところまではよかった。

 しかし、目を泳がせて挙動不審なモモンガ達の様子にどうしたのかと思っていたら、居合わせた他の迷宮挑戦者の一人に、ポンと肩を叩かれた。二十歳手前くらいだろうか。振り返ると、何故かとてもいい笑顔で丸めた何かを渡された。

 渡された物を広げた彼女はそこでようやく、自分の下半身の状態に気づいた。

 

「あんたら、駆け出しだろ?ネーチャン、次からは忘れずに付けとくんだな、ギャッハッハ!」

 

 丸まった何かはオムツだった。迷宮入口で(たむろ)していたゴロツキ達の嘲笑の中、流石のぶくぶく茶釜も大粒の涙を溢した。

 

 

 

「……つく」

 

「え?茶釜さん?」

 

「ムカつく~!!あの小僧、ぜってー泣かす!」

 

 突如、ぶくぶく茶釜がブチ切れた。

 

「ちょ、ね、ねーちゃん!」

 

「皆だってムカついたでしょ?このまま黙って引き下がったら『アインズ・ウール・ゴウン』の名折れよ!」

 

 そう言って捲し立てるぶくぶく茶釜に、たっち・みーとウルベルトが同意する。

 

「勿論、笑われたままじゃ終われませんよ」

 

「面白い。あの勝ち誇った若僧に吠え面かかしてやりましょう」

 

「たっちさん、ウルベルトさんまで?」

 

「モモンガさん、諦めましょう。昔から、あーなると誰もねーちゃんは止められないんです」

 

 ペロロンチーノはため息を吐きながら言った。

 

「モンちゃん!」

 

「アッハイ」

 

「モンちゃんもそう思うでしょ?思うよねえええ?」

 

(こ、こわいっ怖いよ~茶釜さん)

 

「そ、そうですね」

 

 モモンガはぶくぶく茶釜に気圧されて同意してしまった。押しに弱い男の典型であるが、この場の誰もそれを責められる者はいない。

 

「決まりね……リムルン!」

 

 バンッとテーブルを叩いてぶくぶく茶釜がリムルを睨み付ける。リムルもタジタジだ。

 

「お、おう」

 

「あたし達を強くして!」

 

「で、出た……暴君の無茶b「お黙り!」はいぃぃっ」

 

「ククク、クアハハハ、クアーッハッハッハ!よくぞ言った。我が手を貸してやろうではないか」

 

「アタシもついてるわ。大船に乗ったつもりでいなさい」

 

「オイオイ、お前ら勝手に……」

 

「リ、リムル様。どうしましょう?」

 

「うぅむ……」

 

 ミョルマイルの問いに少し思案顔をしていたリムルだったが、何やらピンッと思い付いたようで、深い笑みを見せた。その顔がどんなときにする顔か知っているミョルマイルは、不安げな表情を浮かべた。しかし、リムルが何やらゴニョゴニョと耳打ちし、わかるね?と、言うと今度はミョルマイルがリムルに耳打ちし、二人して時代劇の越後屋と悪代官宜しく悪いカオになっていた。

 

「よし、じゃあこうしよう!」

 

 かくして地獄の特訓ならぬ、大魔王のレッスンが始まるのだった。




茶釜「あんガキャ泣かしたる!」
モモンガ「えっ茶釜さん?」
ペロロンチーノ「出た暴君・・・」

リムル「ゴニョゴニョ・・・わかるね?」
ミョルマイル「ムッフッフ、ということは、ゴニョゴニョ・・・ですなぁ」
二人「うっひっひっひ」



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#15 大魔王のレッスン

ご感想、間違いのご指摘等いただきましてありがとうございます。

今回はかなり創作設定を混入しました。本名や能力、法則等も色々勝手に作っている部分があります。


 早朝、執務室。

 

「うおぉぉぉぉ!」

 

 ズダダダダダ

 

「ドオォリャァー!」

 

 ズダダダダダ

 

 スライムである俺は眠る必要が無いため、昨晩遅くからからずっと執務室に籠りきりである。

 

「ウリャウリャー!」

 

 ドドドドドドドド

 

 今俺が何をしているかと言うと、膨大な書類の山をと格闘、いや、決裁の印を押しているのである。

 ここ数日、魔物の国(テンペスト)建国祭直後にモモンガ達の歓迎もあり、サボっていた未処理の書類が溜まりに溜まっていた。一国の主ともなると、目を通し、決裁をしなければならない書類は山ほどあるのだ。

 

 俺は『思考加速』で知覚を数万倍に引き伸ばし、一瞬で書類を読み込んだ上で承認か却下の判断を下す。そして却下は弾き、承認は判を押していく。もっと早く動作はできるのだが、紙が破れてしまうので、破れない程度の速度に加減をする必要がある。

 因みに掛け声には特に必要ではない。普段は黙って作業をしている。単純に「サボってしまった分、気合い入れて仕事してますよ」とアピールしているだけである。

 秘書であるディアブロとシオンが処理済みの書類の束を運び去っては御代わりを持ってくる。その光景はさながら新聞の印刷風景のようである。

 ひたすら作業する事数時間。漸くデスクが片付いた。

 

「これでおしまいですね。お疲れ様でした」

 

「お疲れ様でした」

 

「ああ、二人ともサンキューな。少し休むか」

 

「ではお茶にしましょう」

 

 ディアブロが優雅な動きでティーセットを広げる。

 これで溜まっていた書類は片付いた。しかしこれからが本番だ。モモンガ達の育成とイベントの開催告知をしなければ。ゆっくりしている時間はない。

 

 

 

 

 

「アタシ達を強くして!」

 

 彼女にそう迫られた時、正直悩んだ。ヴェルドラ達は既に乗り気になっているが、そんな安請け合いはできない。とにかく時間が無いんだよなぁ。彼らの滞在期間は期間は約一ヶ月。これは幾らなんでも短すぎる。

 

『思念伝達』と『思考加速』を使えば、体感時間を引き伸ばすことができる。この短期間でも、魔法の習熟などであれば有効な手段だ。しかし、肉体的な能力はそうはいかない。彼らの今の一般人レベルの身体能力では、とても迷宮攻略なんて無理だろう。

 

《問題ありません。彼らが界渡りするときに、魔素により肉体を一部変質させています。これにより、短期間で肉体強化も可能です》

 

 モモンガ達が迷宮に挑戦している間に俺と合流(合体)していたシエルから意外な答えが返ってきた。

 な、なにぃ?いつの間に、というのも驚きだが、魔素による変質だと?

 

 この世界に渡ってくる方法は、

 

 ①召喚魔法によって召喚される

 ②偶然生まれた次元の裂け目に吸い込まれる

 ③異世界への門(ディファレンシャルゲート)を潜る

 

 がある。

 ①か②の場合、魔素による影響をモロに受け、肉体にも精神にも大きな負担がかかる。魔素という名の嵐の中を身一つで突き抜けるようなものなのだ。あまりの負荷に肉体や魂が耐えきれず、死ぬ場合もある。その代わり、魔素によって変質した強靭な肉体や、強力なスキルを獲得できるのだ。

 しかし、異世界への門(ディファレンシャルゲート)で界渡りをする場合は、コンクリートのしっかりしたトンネルをくぐる様なもので、殆ど魔素の影響を受けることはないはず。

 そこまで考えた俺はふと、あることに思い至った。モモンガ達を連れてくるとき、異世界への門(ディファレンシャルゲート)ではなく、究極能力(アルティメットスキル)"虚空の神(アザトース)"の時空間転移を使ったのだった。特に理由もなく、完全にただの気まぐれである。

 まさか、魔法の異世界への門(ディファレンシャルゲート)能力(スキル)の時空間転移では界渡りによる負荷が違うのか?

 

《召喚程ではありませんが、時空間転移による界渡りは、魔素の影響を受けるようです。今回の試みにより、実証されました》

 

 やはり、か。これまでにもウッカリ名付けを行ってしまうなど、意図せず配下達を魔改造してきたが、どうやら今回も()()()しまったらしい。

 もしかして、既に能力(スキル)も獲得して……いや、それはないか。"世界の言葉"は聞こえなかったし。

 

 "世界の言葉"とは、この世界の法則が改変されたり、能力(スキル)の獲得や『進化』が行われた際に響く声である。ゲームでいう『レベルが上がった!スキル○○を覚えた!』みたいなのが心のなかに響くのだ。これは本人だけでなく、近くにいれば誰でも聞こえる。

 

 それが聞こえなかったということは……いや、待てよ?そう言えば、シエル先生は"世界の言葉"を秘匿することもできたんだよな。ま、まさか……?

 

《はい。幾つかの能力(スキル)を既に獲得しています。もっとも、本人にも秘匿していたため、先の迷宮では発現すらできませんでした》

 

 お、おう、マジか。ていうか、何で本人達にまで隠してるんだ?

 

《本人が望まない力を手にしても良いことはありません。しかし、本人達が力を望んだ以上、秘匿する必要はなくなりました。ヴェルドラの魔素を浴びた事も合わせて、ここまでの流れは我が主(マスター)筋書き(シナリオ)通りですね》

 

 わかっていますよ、と言わんばかりに、シエルが俺の企んだらしい事を告げてくる。いつの間に俺はそんなシナリオを……。なぜいつも俺は悪企みをしていると思われるんだろうか。まあ、こういうのは深く考えない方がいい。考えたら負け!である。

 

 さてさて、どんな能力か確認してみようかな。俺は加速した思考のなかで、解析鑑定を発動した。それぞれの特徴や適性をつかむ上で重要だからな。

 

 

 

 たっち・みー(近藤 龍巳(タツミ コンドウ)

 能力(スキル):剛力

 技術(アーツ):不要弐之太刀(ニノタチイラズ)

 

 ウルベルト(御堂 和馬(カズマ ミドウ)

 能力(スキル):視線誘導(ミスディレクション)

 技術(アーツ):急所狙い

 

 ペロロンチーノ(梧桐 誠(マコト ゴトウ)

 能力(スキル):気配察知

 技術(アーツ):遠視

 

 モモンガ(鈴木 悟(サトル スズキ)

 能力(スキル):魔素収束

 技術(アーツ):演技

 

 ぶくぶく茶釜(梧桐 悠子(ユウコ ゴトウ)

 能力(スキル):歌手(シンガー)、威圧

 技術(アーツ):アニメ声(萌えボイス)

 

 

 おぉ、やっぱりたっちはこの中で一番強いみたいだな。流石は現役警察官。正面からぶつかるのが性にも合ってそうだ。

 ウルベルトも迷宮ではいい動きをしていた。確か肉体労働系だったか?虚実織り混ぜた駆け引きで戦闘を有利に運ぶタイプだな。

 ペロロンチーノは直接戦闘は厳しいかな。眼は良いみたいだから、盗賊とか向いてそうだ。

 モモンガは、魔法との相性が良さそうだ。何気にコレ凄いんじゃないか?だが、制御出来ないと際限なく魔素を集めて自爆しそうだ。演技って、多分()()の事だよな。これについては触れないで置こう……。

 ぶくぶく茶釜は……声優だったっけ?そう言えば。歌も上手いのか。歌って踊れるアイドル声優ってやつか?

 

 ん?ということは……!

 俺の嗅覚が()()匂いを鋭く嗅ぎ取った。俺はすかさず隣で不安そうな顔のミョルマイル君に耳打ちした。

 

「彼女は異世界の歌手なんだ。彼女に異世界文化交流の協力者になってもらおうと思う。分かるね?」

 

 正確には歌手ではないのだが、歌も上手いようだし、間違いではないだろう。それにミョルマイル君なら、この一言で俺の言いたいことは伝わる筈。そして素晴らしい儲け……いや、文化交流の提案をしてくれるだろう。期待した通り、ミョルマイル君は俺の意を酌み、ワルい顔をして耳打ちしてきた。

 

「ということは、迷宮リニューアルも合わせて、かなりの集客が見込めるかと。我々の懐も……ですなぁ」

 

 ふ、やはりミョルマイル君、分かってるね。俺もきっとワルい顔になっていることだろう。

 

 後の問題は、本人がやってくれるかどうかだ。善は急げというわけで、早速交渉だ。

 

「じゃあ、こうしようじゃないか」

 

 

 

 

 

 彼女達の訓練をバックアップする代わりに、二つ条件を出した。

 

 まず一つ目は、迷宮のリニューアル計画に協力してもらうこと。

 そして二つ目は、彼女に「異世界の文化交流」として、ライブで歌ってもらうこと。

 

 広告や会場設営は魔物の国(テンペスト)が全力でバックアップする。

 嘗て音楽が上流階級だけの嗜みとされていたように、此方の世界ではまだ民衆に親しまれる機会がなかなか無い。彼女の活躍により、一般に音楽が広く親しまれる機会が生まれてほしいと言うのは、偽らざる本音だ。決して儲けたいだけではないのだ。

 

 ぶくぶく茶釜は二つ返事で快諾。モモンガ達も「おもしろくなってきた」と、承諾し、無事に合意出来た。

 

 早速その場で迷宮のリニューアル案を練り上げ始めた。

 ユグドラシルで拠点を作り上げてきただけあり、いくつも斬新なアイディアが出され、次々決まっていった。

 

 まず、現在50階層までの迷宮を下級ランク10階層・中級ランク20階層・上級ランク20階層に完全に分ける。これによって、一回の挑戦にかかる期間を短縮する事ができる。レベルの低い挑戦者にも易しく、高レベルの挑戦者にも、簡単な序盤を攻略する煩わしさなく進めると言うわけだ。

 50階もあると、最奥に辿り着いても、やられてまた最初からやり直すのは精神的にキツイ。セーブポイントもあるが、使えるのは一ヶ所につき一回きりなのだ。

 短期決戦で挑めるならば、一定期間で挑める回数も増える事が期待される。要は回転率を上げる事で運営側も収入アップできるのだ。

 さらに、上級ランクをクリアした者にはランダムで手に入る特質級(ユニーク)装備とエルフの街へのパスポートを進呈する。更に上を目指したい者にはエキスパート級に挑戦する権利も与える。

 

 エキスパート級はまさに人間の限界に挑もうというドM……いや、向上心溢れる者向けになっている。5階層から成り、数々の致死性の高い罠、溶岩地帯、極寒地帯といった、過酷な環境。最奥のボスには地水火風の竜王を配置。これらの4種の竜王を一定期間毎に入れ換えるのだ。

 

 因みに、竜王達の強さは真なる魔王級。はっきり言って「なにその無理ゲー」である。

 とはいえ、挑戦するのは一体のみ。十分に対策をして挑めば、戦いにはなると思いたい。少数では厳しいなら、複数パーティーで連合を組んで挑むのもいいかもしれない。レイドボスイベントのように。

 

 エキスパート級をクリアした者には、それぞれの竜王属性に因んだ伝説級(レジェンド)装備を用意した。一回のクリア毎に1つ、リストから選択できる。これは生産量が結構少ないが、そもそもクリアできる者が居るかどうかもわからない程なので、大丈夫だろう。勲章なんかも用意してもいいかもしれない。

 そして新たに始まる取り組みとして、訓練所を新設することにした。

 以前は一階、二階に簡単なチュートリアルと、魔物と模擬戦できるフロアを設けていたのだが、具体的にどんな事をすれば良いかわからず、使いこなせていない者も多かった。

 そこで、具体的な指令(ミッション)を熟すことで、着実にノウハウを蓄積してもらおうと言うわけだ。

 各指令(ミッション)クリアには報酬も用意する。

 

 そして、モンスター討伐数やタイムアタックなど様々な成績ランキングを着け、上位者に限定報酬を用意する事にした。

 こうした改善を盛り込み、迷宮は生まれ変わるのだ。

 

 

 ん?モモンガ達は何でいきなりモンスターに襲われたのか?チュートリアルはどうした、だって?

 まあ、いきなり十階に放り込んだからな。ダンジョン攻略はゲームで慣れてるだろうし問題ないだろ?ユグドラシルで見せてくれた見事な連携があるし、万一のときも復活の腕輪をつけてるから大丈夫だろうと思ったんだよね。決してチュートリアルの存在を忘れていた訳ではない。

 モモンガ達を放り込み、モニタールームに転移した時、既に待機していたラミリスから、

「ちょ、リムルッ、大丈夫なの?チュートリアルも受けさせずに」

 とか聞かれて「あっ」と言ってしまったのは気のせいだ。いや、そもそもそんなことは言っていない。

 

 散々な目に遭ったモモンガ達だが、やる気を出してくれたので結果オーライだろう。

 

 打ち合わせを終え、モモンガ達が退室した後、いつの間にか来ていたディアブロが

 

「クフフフフ、流石はリムル様です。わざと彼らに屈辱を味わわせることで、心を折るのではなく、逆に奮起させるとは。彼らは自ら強さを求め、我々の要求も進んで受け入れるでしょう。これからはお客様(ゲスト)ではなく仕事の手駒(ビジネスパートナー)というわけですね?見事なお手並みでございます」

 

 とか言って悦に入りだした。それを聞いたヴェルドラとラミリスも乗ってきた。

 

「ふむん、本人達にやる気を出させるために敢えて敗北を味わわせた、というわけか。流石は我が盟友である。まぁ、そんなことであろうと思っておったわ」

 

「ア、アタシはモチロン最初からわかってたけどね。ところで、歌って言えばアタシじゃない?やっぱりアタシの出番もあるってコトだわよね?」

 

 毎度の事ながら調子のいい奴等だ。打合せの途中までジト目で避難がましく此方を見ていただろ?

 

 俺はとりあえず、

 

「お前らにも出番は用意するつもりだから、頼むぞ」

 

 と合わせておくことにした。働いて貰う(コキ使う)事は間違っていないしな。

 

 

 

 

 

 打ち合わせ後の三週間はモモンガ達にとって、最も濃厚な期間となった。

 後に彼らが「大魔王のレッスン」と恐れ呼ぶ、修行が始まったのだ。

 何しろシエル先生の容赦ない育成計画に、これまた容赦ない剣鬼による全員への戦闘の基礎訓練。そして途中から魔法やスキルの習熟を『思念伝達』と『思考加速』によって引き伸ばした知覚の中で行う。これを睡眠と食事や風呂の時以外ほぼ毎日続けたのだ。

 シエルが大丈夫というし、迷宮下層でやっているので、ラミリスの権能のお陰で死にはしないが、何度も中断しようかと躊躇したほどだ。

 彼らも、序盤は泣き言や恨み言をこぼしていたものだ。

 

「オニ!」

 

「ほう、ワシの種族を知っておったか」

 

「そういう意味じゃないし!!」

 

「あ、悪魔……」

 

「おや、私を呼びましたか?」

 

「うわ!いつの間に?いや、そういう意味ではなく……」

 

「ほう?ではどういう意味か教えていただいても?」

 

 こんな調子である。当然二人とも分かっていて揶揄っているに過ぎない。ディアブロがいい笑顔をしているので間違いないだろう。ちょっと可哀想だと思ったが、頑張ってもらうしかない。

 そんな中で、たっち・みーとぶくぶく茶釜は泣き言一つ言わなかった。

 たっち・みーは武道経験者だし、耐えられたとしてもまだ理解はできる。

 だが彼女は一体何故耐えられるのだろう?レッスンの期間中に、ライブの打合せと歌の練習も並行して行っていたため、彼女の負担は相当なものだ。何がそこまで彼女を駆り立てるのだろうか。

 時折だが何となく、悲壮感のようなものが見え隠れしている気がする。気にはなるが、迂闊な事を言って地雷を踏んでしまいそうな気がしたので、敢えて聞かずにそっとしておいた。

 結局、文句を言っていた三人も覚悟を決め、真剣に取り組みだした。挫けそうになる度、五人仲良く円陣を組み、

 

「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ!」

 

 とか、叫んでいたのは良い思い出になっただろう。

 

 思い出と言えば、中日(なかび)に彼らの慰労の為、海へ魚釣りに連れて行った事もあった。皆釣りどころか船に乗るも初めてだった。聞けば彼らの時代は魚が漁れなくなって久しいらしい。

 ということで、俺が色々アドバイスしながら、釣りを楽しんでもらった。釣った魚をその場で捌いて活け作りにし、新鮮な海の幸を堪能してもらった。

 充分に英気を養ってくれたところで、翌日からは更なる厳しいレッスンが待っていると例の鬼教官から告げられ、渇いた笑いを洩らしていた。

 それでもどうにか最後までやり抜いたのだから大したものだ。

 というかどうしよう……。何となく予感はしていたが、たった三週間で強くなりすぎだろ、コイツら。人類でも最強クラスの戦闘集団である聖騎士達ともソコソコ渡り合えるんじゃないだろうか?相変わらずシエルさんの魔改造ぶりはシャレにならない。

 帰ってから、元の生活に馴染めるといいんだが……。

 

 そんなことを思いながら、明日から三日間催すライブのリハーサル風景を眺めるのであった。

 




鈴木悟以外のメンバー名は創作しました。

モモンガお兄ちゃん♪→○○ゥーザ様
たっちさん→とある銃使い。下の名前は公式
オードル→オードリー→ノーブル→高潔→華族(御堂家)


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#16 本物の恋?

少し茶釜さんの心の描写をしておきます。


 公衆の面前で大人として、女子としてとても恥ずかしい姿を晒してしまった。

 ガラの悪そうな男達の嘲笑。知らない人が、遠巻きに此方にチラチラと投げ掛けてくる視線。弟まで、憐憫の目を向けてくる。

 でもそれらは気にならなかった。聴こえていても耳には届かず、見えていても、見ていない。

 正確には、()()醜態を見られてしまった事がショック過ぎて、それどころではなかった。

 

(やだ……モンちゃん、見ないで……)

 

 私は彼に恋している。でも、叶いっこない。愚弟(ヘンタイ)の姉として知られているし、こんな醜態を見られてしまった。イメージは最悪。もう女性として見てもらえるとは思えない。

 

(お願いだから、嫌いにならないで)

 

 地面にへたりこんでいると、すがるような想いとは裏腹に、無情にも彼の足音は遠ざかっていく。後ろを振り返り、呼び止める勇気はない。

 あぁ、嫌われちゃった。

 そう思ったら、どうしようもなく悲しくなった。

 視界が滲んで、涙がポロポロ溢れてきた。よりによってこんな終わり方なんて、こんなの、あんまりだ。股間から漂う忌々しい臭気が惨めな気持ちに拍車をかける。

 

「その……お気になさらず、えー……こういうとき何と言えば……」

 

「ふう、やれやれ。なにやってるんですか、たっちさん。……ドンマイ、あー、ええっと……」

 

「ウルベルトさんだってロクなこと言えてないじゃないですか!」

 

「たっちさんこそ。妻子持ちなんですから、既婚者の余裕とやらを見せてくださいよ!」

 

 たっちんもウーたんも、なにしてんのよ。慰めようとしてくれてたんじゃなかったの?

 まぁ、そんなことされても、余計に惨めな気持ちになるだけだけど。ていうか、なにさっきの。気の利いたこと一つ言えないなら弟を見倣って黙ってて欲しい。

 

 そう内心で舌打ちしていたとき、後ろから何かを被せられた。ローブだった。誰かに借りてきたのだろう。

 

「震えていたので、寒いんじゃないかと。……立てますか?」

 

「う、うん……」

 

 涙を拭い、鼻を軽く啜りながら立ち上がる。

 

(これを探してくれてたんだ……)

 

 ローブは大きく、全身すっぽり隠せる。余計なことを言わず、包み込んでくれるような然り気無い優しさに、胸が高鳴った。

 馬鹿だな、こんなことで嬉しくなるなんて。

 彼にとっては特別でもなんでもない、誰にでも見せる程度の、ただの親切に過ぎないのに。

 

 その時、周りがザワ、と騒ついた。「へ、陛下」とか「リムル様」という声がする。

 

 振り返ると、彼の大魔王が、何とも気まずそうな顔をして立っていた。そんな顔する位なら早く迎えに来てよバカ!

 

「あー、落ち着いて。この人達は俺が預かるから、皆は普段通りに戻ってくれ。……一旦、部屋に戻るか。疲れただろ?」

 

 

 戻った私は個室でシャワーを浴びた。そこでまた少し泣いた。そうしたら少し気持ちが落ち着いた。

 

 どうして彼を好きになったんだろう。

 少し年上で、物腰が柔らかくて、落ち着いていて、余り感情を前面に出すことがない。

 弟と仲良く遊んでくれることには感謝しているけれど、正直タイプじゃないと思っていた。

 

 自分のタイプは、たっちんみたいなイケメンで、堂々とした男らしい人だ。更に言えば、ノリの良い人。

 ボッチプレイしていて、たっちんがギルドに誘ってくれたときは、憧れ以上の淡い感情を抱いた。付き合ってる彼女と結婚秒読みらしいと聞いて、ソッコーで萎えたけど。

 

(モンちゃんはどう見ても、タイプじゃないんだけどな……)

 

 そんな彼を異性として初めて意識したのは、つい最近のこと。彼は今まで見たことがないくらい、感情を露にして怒っていた。あのいつもの柔らかい物腰とは打って変わって、激情を迸らせていた。怖かった。

 普段との余りの落差にビックリして、そして、ドキドキした。

 もしかしてこれが「ギャップ萌え」なの?なんて馬鹿みたいな考えをその時は打ち消そうとしたけど、あの時からこの気持ちは大きくなっていったんだ。直後の無双ぶりも相まって、モンちゃんは凄くかっこよく見えた。

 

 リムルとディアブロに、一人で会うという彼を、本当は止めたかった。ディアブロの得体の知れなさが不安だったのもある。

 でも本当は、あんなに彼に心配してもらえるリムルに嫉妬していたのかもしれない。私がやられちゃっても、あんな風に怒ってくれるのかなって。

 

 それで異世界(ここ)までノコノコ付いてきちゃって、二度も恥ずかしい姿を晒してしまった。

 

(はぁ、なにやってんだろ、私)

 

 ため息を吐いて肩を落としていると、コンコンとノック音が聞こえた。

 

「ねーちゃん、入るよ?」

 

 返事を待たず、無遠慮に戸を開いて入ってくる弟。

 

「……なに?」

 

「リムルっちが迎えに来てるよ。話し合いたいことがあるって。まだゆっくりしたいなら、俺たちだけで行ってくるけど?」

 

(どうしよう。どんな顔して会えばいいの……)

 

「あ、モモンガさんがスッゲー心配してたよ?」

 

(え?モンちゃんが?嬉しいような、申し訳ないような……)

 

「そ、そう。だから?」

 

「ふうん……」

 

「な、なによ」

 

「ねーちゃん、モモンガさんの事好きなんだね」

 

(え、バレてる?いや、カマかけてるだけかも。ここは平静を装って……)

 

「どど、どうしてそうなるのよ?」

 

(あああ、駄目だ)

 

「何年弟やってると思ってんの、それくらいすぐわかるって。ねーちゃん、分かりやすいから」

 

「う"っ……」

 

 そうだった。子供の頃から何故かこういうことには鋭い子だった。そしていつも、背中を押してくれる。バカでスケベで変な趣味してるけど、優しい弟。

 

「モモンガさん、いいと思うけどな。難攻不落だけど」

 

「もう無理だよ……」

 

 いい年して、あんな恥態を晒してしまっては、最早可能性なんて皆無としか思えない。

 お漏らしを目の前で見せられても、好きになってくれるような奇特な人なんて……まさかモンちゃん、そういうシュミはないよね?

 

「まだわかんないかもよ?それに、今まで好きになった人とは全然違うタイプじゃん」

 

「……だから?」

 

「タイプだって言ってた人と付き合って今まで長続きした試しないよね」

 

「は?だから、何が言いたいのよ」

 

「うん、本物の恋、なのかもしれないって、思ってさ」

 

「本物の、恋?」

 

「ねーちゃん割と面食いじゃん?今までみたいに見てくれじゃなくて内面に惚れた事ってなんじゃないの?まぁ、難攻不落だけど。頑張ってみなよ、応援するから」

 

「……ん。アリガト」

 

 弟の癖に生意気な。童貞の癖に。でも、随分心が軽くなったきがする。

 

「じゃあ、俺は行くけど」

 

「あたしも行く」

 

 

 

「どうだった?」って、怖かったわよ。チビったわよ。このスライムめ……

 あぁ、モンちゃんが怒ってくれてる。もちろん、私のためじゃないって分かっているけど、ちょっと嬉しい。

 

「茶釜さんなんてあんな辱しめ……あっ」

 

 いや、今思い出さないで!恥ずかしいから!

 全く、何で私がこんな憂き目に……あぁ、しかも変な小僧(アイツ)オムツ(あんなモン)渡してくるし。思い出したら何か無性に腹立ってきた……!

 

「ムカつく……」

 

「え?茶釜さん?」

 

「ムカつくー!」

 

 

 

「はぁ……」

 

 怒りに任せて暴走してしまった。お陰で地獄の修行を皆でするハメになっちゃった。その成果もあって凄く強くなった気がする。腕力だって、リアルの一般男性にはまず負けないくらいになってると思う。腕が太くならなくてよかった。

 でも、しょうがないじゃない。花も恥じらう乙女の純情を、アイツが……アイツがぁぁっ!

 握りしめたコップがミシリ、鳴った音を聞いて、慌てて我に帰る。

 

(はっ、だめ、だめよ私。皆(と言うよりモンちゃんが)居るんだから。少しは女の子らしく……食事時の話題提供しなきゃ)

 

「二人とも、今日も死にかけたね」

 

(あー、全然女子っぽくない話題だわ……)

 

「そうですね。流石、剣鬼と謳われるだけの事はあります。本当に強い……」

 

「孫にはあんなに甘々なのになぁ。俺たちと目が合うと豹変しやがる。くそジジイめ……」

 

 ウーたんがまた愚痴をこぼしている。モンちゃんと弟は箸と茶碗を持ったまま舟を漕いでいる。何せここ数日は別メニューで大魔王(リムルン)が直々に相手してるって言ってたから、きっとすごく大変なんだろうな。

 

「何かごめんね、アタシのワガママで皆を巻き込んじゃったよね……」

 

「いえ、良き師匠と巡りあえてができてむしろ嬉しいですよ」

 

「げ、ドMですねたっちさん。まぁ冗談はさておき、いいんですよ仲間なんだから、ワガママ言っちゃえば。というか、一番ワガママ言っていい人は寝ちゃってますから、代わりに言っときましょう」

 

「ふふ、そうだね」

 

 

 いつもギルドのためって言って頑張ってくれるモンちゃん。皆に、心から信頼されてる。皆に、あたたかい安らぎをくれる人。コクコクと舟を漕ぐ姿も、可愛くて、愛しく見えちゃう。はぁぁ、一旦好きだと意識しちゃうと、どんどん引き込まれちゃう。

 

「じゃあアタシはラミちゃんに会いに行って来ようかな」

 

「ライブの打ち合わせですか。もう明後日ですね。楽しみにしてますよ」

 

「うん、任せといて」

 

「ついでに誰かさんのハートもゲットしてくださいね」

 

 突然ウーたんがとんでもないことを小声で言ってきた。危うく心臓が止まるかと思った。

 

「へっ!?な、ななななんの事?」

 

「私たちが気付いていないと思いましたか?」

 

 え?うそ?バレバレなの?なんで?

 顔があっという間に熱を帯びていく。

 

「気付いてないのは本人だけですよ」

 

「うそ……?」

 

「ホント」

 

 気付いていないのは当事者だけと言う事らしい。熱い、顔の熱が体まで移ったように熱い。

 

「む、無理だよ……」

 

 またあの日の恥態を思い出してしまう。

 

「まあ、難攻不落ですから、一筋縄ではいかないでしょうけど……」

 

 難攻不落?そう言えば弟もそんなことを言っていたような。

 

「それって、どういう意味?」

 

「まぁ……そのうちわかります。応援してますよ」

 

「え?うん、ありがと……」

 

 私は腑に落ちないながらも、部屋を後にしたのだった。




やっぱりライブは次回に回します。頑張れ、茶釜さん。
トラウマを思い出しては怒りを募らせたり、不安がったり、ポーッっとしたり・・・リムルが茶釜さんに見た悲壮感の様なものは、色々拗らせてるだけだったというオチです。


茶釜「まさかそんな趣味ないよね・・・?」

モモ「・・・?」


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#17 かぜっち旋風!

 秋の涼やかな風が吹き抜け、空には気持ちの良い青空が拡がっている。太陽は高い位置で眩しく輝いていた。

 

 魔物の国(テンペスト)の闘技場には特設ステージが設営されており、ステージの様子は巨大モニターに映し出される。

 備え付けの観覧席には、近隣の一般市民から、各国の重鎮達まで幅広い立場の者が集っていた。改装のために現在は一時閉鎖されている迷宮に挑戦していた者達もおり、種族も人間に限らずゴブリンや獣人属達が分け隔てなく隣り合って座っている。席の通路を飲食物を売り歩く売り子達の姿も見られる。

 ステージ前には特別招待枠の為の一等席が設置されており、そこには各学園都市の学生をはじめとした若者達が座っていた。

 

 大魔王リムルが迷宮のリニューアルと共に、新たな文化を発信するとに大々的に発表した。それを知って集まった人々で一万人入る大会場は既に超満員となっている。

「異世界の素晴らしい文化を再現し、発信する」という謳い文句以外、具体的に何を催すのかは明らかにされていなかった。

 ステージ上にはマイクスタンド、キーボード、ドラムセット、大きな箱状の────会場内にも、あちらこちらに大小様々な────スピーカーが設置されている。だが、それらが何であるか知る者はこの中では極僅かだ。事前に知らされていた各国の重鎮達と、元々その文化を知っている異世界人だけだろう。

 坂口日向(ヒナタ サカグチ)もその数少ない一人だ。

 

(どうもライブ会場みたいな雰囲気だけど、本気でやる気なの?機材は揃っているようね。でも、「歌い手」と「曲」はどうするのかしら……?リムル()の事だから、なんとかしてしまいそうだけど……)

 

 食事、移動手段、通信手段、風呂、トイレ────これまでも多くの異世界人達が再現を試み、普及させようと苦心してきたが、その殆ど満足できる水準で再現できていなかった。

 文明の未発達なこの世界では従来の異世界とは違う。まともな設備や物資も無ければ、技術も人員もない。そんな無い無いづくしの環境で、異世界文化を再現することが如何に大変であるか、異世界人の誰もが一度は痛感しているだろう。

 

 しかし、それをあの大魔王は事も無げに、驚くべき水準で次々と再現してきたのだ。

 日本(異世界)の人間だった彼は、前世(人間)の記憶を持ったままスライムとして異世界(この世界)に転生してきた。魔物達を纏めて町を作り、配下の魔物や周りの国をも巻き込んであらゆる発展を急速に実現してきた。今回もおそらく、本当に実現してしまうのだろう。

 

 会場に居る誰もが、期待の面持ちでその始まりを今か今かと待ちわびている。そして視線は自然と、専用席に座るリムルに集まっていた。

 

「大魔王リムル陛下より、ご挨拶があります」

 

 と、場内にアナウンスがかかった。

 リムルは立ち上がり、"魔イク"を片手に挨拶を始めた。

 

「えー、コホン。皆さんよく来てくれました。今日これから披露するのは、音楽です」

 

 どよ、と会場から僅かにどよめきがあがる。しかしリムルはその様子を意に介さず話を続ける。

 

「音楽と聞くと皆さんは、一部の裕福な者が楽しむ芸術だとか、教会の讃美歌みたいなものを連想するかもしれない。堅苦しさを感じる人や、中にはほとんど馴染みの無い人もいるだろう。

 だが、安心して欲しい。これから皆さんにお聞かせするのは異世界の音楽。既成の音楽に苦手意識を持っている人にもきっと気に入ってもらえると思う」

 

 異世界の音楽、というリムルの言葉に、観客たちは戸惑いと期待の混じった雰囲気を見せながら、拍手を送る。

 

「因みに今回の催しには……あー、もう堅苦しい挨拶はこの辺にしておいて、始めようか」

 

 何か楽しみを待ちきれない子供のようだなと観客達が内心でツッコむ。普段ならば、威厳がどうのこうのとシュナやシオンが目を光らせているのだが、今日は()()()()の為、側には居なかった。

 

「はいはーい、それじゃあ皆さん、ステージに注目!」

 

 と元気な女性の声が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 私は、いや俺はユリウス。イングラシア王国の由緒ある王家の血を引く第二王子だ。正確には第二王子()()()

 

 十年ほど前に起きた痛ましい事件。第一王子、私の兄が騎士団長を唆して父王を弑逆し、王位を簒奪しようとしたのだ。王位簒奪は失敗に終わったものの、父は命を落とし、王家はその地位を一時的に失った。

 現在はまだ王国と名乗っているが、王政では無くなっている。自由調停委員会の介入により、貴族制議会によって政治は運営されているのだ。王家の財産は凍結され、政治参画も許されていない。つまり今の王国は他国の干渉なしに、物事一つ決められない。

 嘗ては魔物の被害が少ない安全な平野部という立地から、西方諸国の政治・文化の中心として栄えていたが、現在は身分制度の廃止と民主主義台頭のモデルケースとして、各国に注目されている。

 

 それでも、俺は腐りはしなかった。進むべき道を自らの力で切り開こうと、様々な金策や、新しい産業開発の取り組みを独自に進めてきた。それなりに手応えのある成果も出した。

 

 イングラシア王国衰退には大魔王リムルの影響も大きかった。数々の先鋭的な政策で瞬く間に魔物の国(テンペスト)を発展させ、経済も文化も中心は魔物の国(テンペスト)に取って代わられたのだった。

 

 しかし、王国が生き残る道を彼の大魔王は指し示してくれてもいた。魔導列車なる大規模移動手段をイングラシアまで敷設し、学園都市としての道を残してくれたのだ。

 

 武装蜂起を画策していた人類解放同盟(反魔王組織)による事件に巻き込まれた時も、自分を含め生徒達を助けてくれた。組織側に加担してしまった我が友を、心の闇の中から救ってくれたのも大魔王だ。

 

(それにしても、あの可哀想なゴルダマ(人面樹にされた男)の世話を押し付けてこなければ、もっと素直に感謝できたものを……)

 

 人類解放同盟(反魔王組織)の事件の折、大魔王リムルは正体を隠して生徒たちの中に紛れ込んでいたのだが、その目の前で「大魔王は理不尽で我儘で、やりたい放題やっている」だの「アイツが嫌いだ」などと発言してしまった。

 知らなかったとはいえ、本人を目の前にして我ながら大胆な失言をしたものだ。後にマグナスとロザリーの助命を嘆願したのだが、連帯責任にして持ち回りで反魔王組織幹部の成れの果て(涙を流す怪しい魔樹)を管理する事になった。まぁ処刑されるよりは遥かにマシだが。

 しかし、まさか辺境の島に拉致された被害者の中に、大魔王が息を潜めて紛れ込んでいるなどと誰が予測できようか。本当に理不尽な魔王だ。

 

(だがこれでめげるような俺ではない。今は親友(マグナス)もいるしな)

 

 今日は大魔王リムルの招待で、魔物の国(テンペスト)に来ている。運良く、ステージ前の最前列に座ることができた。隣には本当に親友となったマグナスと、彼といつも行動を共にしているロザリー。彼らはイングラシア総合学園とは姉妹学園の、NNU魔法科学究明学園の生徒だ。マグナスは普段かなり気さくな奴だが、実は帝国の先帝の血筋に連なる者だ。先帝陛下が崩御あそばされて以来、帝国は十年近く空位が続いている。俺もイングラシアの王族として、似たような立場で悩みを抱え、互いに心の内を語り合える仲になっていた。

 

 大魔王の何とも締まらない挨拶が終わり、いよいよ催しが始まるようだ。大魔王が言う異世界の音楽文化とやらが如何程のものかは知らないが、ちょっとやそっとでは俺もマグナスも驚きはしないぞ。将来国を背負って立つ一流の人材の嗜みとして、一流の音楽に触れてきた自負がある。

 

「さあ、始まりますわね」

 

 ロザリーもお手並み拝見といった様子で、悠然とした態度でいる。

 ステージの後方から出てきたのは三人。そのうちマイクスタンドに向かって歩いてくる女性を観察する。

 

 学園の女子制服に少し似ているが、それを着崩したというか改造したような出で立ち。

 美人というよりはあどけなさの残る、可愛らしい印象の面立ちで、黒目勝ちの円らな瞳の女性。長い黒髪を後ろに纏め、ヘアアクセサリーで飾っている。

 装飾品も着けて着飾っているが、上流階級のような優雅なものではなく、精々がスタイリッシュな一般人というところだな、と内心で批評する。

 

 手には魔イクを持ち、不思議な形状をした謎の楽器をベルトで肩からぶら下げている。弦のような物が張られているし、何となくバイオリンに似ている気もするが、その意匠はかなりかけ離れていて、弓もない。

 

(弓を使わず指で弾く奏法もあるが、あまり多用はされない。もしやそういった奏法があの楽器では主流なのか?)

 

 他の楽器は大体想像はつく。ピアノに似た形状の鍵盤楽器に、幾種もの太鼓を固めて並べたような打楽器と、棒の先にシンバルを横に寝かせて固定したようなものもある。大体想像の域は出ないであろう。

 

 しかし、会場の大きさに対して演奏者の数が少なすぎる。楽団(オーケストラ)のような数十名規模の演奏者が必要ではないのか。

 

(たった三人でこの大きな会場に演奏の音色を届かせられるとは到底……っ!そうか、魔イクか!)

 

 魔イクを使えば、会場中に音を響かせることができる。ならば少人数も納得がいく。それでもあの楽器の数では、楽団のような厚みのある音響は出せるのか、甚だ疑問ではあるが。

 

(聴いてみるまで実際のところはわからない、か。少々見た目には寂しさがあるが、異世界の音楽を奏でられる人材が不足しているのかもしれないな)

 

「ヤホー。私はかぜっち。みんな『かぜっち』って呼んでね!」

 

 女性の挨拶に、控え目な拍手が起こる。観客たちは戸惑っている様子。初めての異世界音楽ということで少し身構えているようだ。

 

「それから、キーボードのシュナちゃんと、ドラムスのシオンちゃんでーす」

 

 紹介された二人が礼を取る。魔物の国(テンペスト)の民だろうか。桃色のたおやかな髪の淑女然とした美少女と、利発そうな紫髪の美女。額から突き出る角が、人間ではない事を主張している。二人も、先頭に立つ女性と似た特徴の衣装だ。

 

「シュナちゃーん!」

 

「うおぉぉ!シオン様ぁぁぁl!」

 

 客席の一部が騒いでいるのが聞こえてくる。主に暑苦しい男性の声だ。二人はそれなりに有名人のようだが、しかしあの男連中は音楽を聴く場でのマナーに欠けるな。闘技場の応援ではないんだぞ、全く。

 そう思って眉をひそめていると、再び彼女が口を開く。

 

「うーん、全体的に元気がないなー。学生のコ達も、地蔵……石像みたいに固まってないで、あっちのオジサン達みたいにもっと声出していいんだよ?まあ、直ぐに馴れるかな。早速一曲行ってみよっか」

 

 そう言って魔イクをマイクスタンドに差し、謎の楽器を肩に斜め掛けにして構えた。次の瞬間、彼女の纏う空気が変わった気がした。

 

 

 

 曲が終わった直後の今、会場は水を打ったように静まり返っていた。

 予想していた通り、音量は魔イクで増幅していた。

 最初に驚いたのはあの謎の楽器。バイオリンとは全く違うだろうとは思っていたが、何とも形容しがたい不思議な音色。弓ではなく右手で弦を引っ掻くようにして音をならし、音の高低はバイオリンと同じように左手で弦を押さえる場所によって調節するようだ。

 ピアノに似た楽器も予想とは全く違う、聞いたこともない音色だった。数種の違う音で軽快なリズムを刻む打楽器。このような奏法はこれまでには知らなかったものだ。

 だがこの程度ならこんなに大規模に人を集めて披露するほどでも無いのでは?正直なところ、そう思った。だが本当の異世界の音楽、そして彼女の真骨頂はここからだった。

 

『渇いた心で駆け抜ける ごめんね』

 

 なんと楽器を演奏しながら歌い出したのだ。魔イクをマイクスタンドに置いたのは楽器の演奏の邪魔になるために置いておくのだと思っていた。まさか歌を歌うためだとは。

 

『無垢に生きるため振り向かず』

 

 驚愕しながらも、そこまではどうにか観察と分析を出来ていたのだが、そんな余裕はもう無くなっていた。

 まるで見えない力に吸い寄せられるように、彼女を見つめ続けてしまっていた。

 

『私ついていくよどんな辛い世界の闇の中でさえきっと────』

 

 その声に乗せられた歌詞は独特な言い回しもあるようだが、次々と真っ直ぐに心に突き刺さり、押さえがたい切ない感情が沸き上がってきた。必死で堪えなければ滂沱の涙を流してしまいそうだった。

 

(こ、これが……)

 

「えっと、一曲聴いてみて、どうかな……?」

 

 歌い上げた彼女が、曲が終わってもウンともスンとも言わない観客に、不安げに尋ねる。

 

「う……」

 

「「「「ワァァァァァァ!」」」」

 

 数瞬の静寂のあと、会場全体に地鳴りのような歓声が鳴り響く。気づけば俺も隣のマグナスも立ち上がって叫び声をあげていた。はしたないとは思うのだが、我慢出来なかった。

 

 ロザリーをチラリと見やると、ハンカチーフで涙を拭っている。女性は男性よりも感受性が強いと聞く。歌詞に共感できる部分が多くあったのかもしれない。彼女の涙には気づかないふりをしておいた。

 

(これが異世界の音楽、いや歌……。楽器の演奏は歌の伴奏に過ぎなかったというわけか。まさか演奏しながら歌うなどとは思いもしなかった)

 

「気に入ってくれたみたいでよかったぁ」

 

 突然の大歓声に、のけ反って驚いていた彼女、かぜっちは安堵のため息を吐いた。

 

「演奏中も手拍子とかオッケーだからね。みんなで楽しく。それが醍醐味だから」

 

 と、突然ステージ後方から少女が現れた。銀髪のツインテールで、やはり三人と似た特徴の衣装を身に纏っている。

 

「遅刻だよぉ?遅れないでって言ったよねぇ?」

 

「うぐぅ……」

 

 遅刻してきたメンバー?に一段低い声で小言を言うかぜっち。遅れてきた少女は涙目になっている。

 

「め、面目ない……」

 

 親に叱られる子供のように小さくなっている少女に、桃髪の少女が助け船を出す。

 

「まぁまぁ、幸いまだ始まったばかりですし、これから挽回すればよいのですよ」

 

「しょうがないわね、じゃあ、自己紹介して」

 

 かぜっちが先程まで演奏していた楽器を少女に渡す。

 

「ギター担当のミリムなのだ!よろしく!」

 

「ミリム様ー!」

 

「ミリムちゃーん!」

 

 どうやらこの少女も顔が広いようだ。そこかしこから声援が飛んでくる。……魔王の一柱と同じ名前のような気がするが、深く考えるのはよそう。きっと気のせいに違いない。

 

「さぁ、じゃあ次の曲、激しいのいくよー」

 

 かぜっちの声に、観客が声援で答える。最初とはまるで違う、熱の篭った熱い声援で。

 

 先程のゆっくりとした曲とは打って変わって、疾走感溢れる荒々しい演奏。肌に叩きつけられる打楽器の音が体の芯にズンズンと響き、体がカッカと熱くなる。荒ぶる闘争本能を呼び覚ますかのようだ。

 かぜっちは魔イクの着いたマイクスタンドを少し乱暴に傾け、歌い出した。

 

『READY STEADY CAN'T HOLD ME BACK』

 

 次々と興奮という燃料をくべるがごとき、怒濤の音の嵐。彼女の声、挑発的な視線、不敵な笑み、突き上げた拳。その全てが心を熱くする。

 曲が終わる頃には、"音楽は耳で聴いて静かに楽しむものだ"と思っていた俺の常識は、粉々になって何処かへ吹き飛ばされていった。

 

『歌え! 叫べ! 太陽を呼び覚まして』

 

 その後も曲は続き、時には熱く、時には可愛らしく、時にはしっとりと、様々な表情を見せてくれるかぜっち。そんな彼女に会場は、興奮したりときめいたり切なくなっって涙したりと、様々な感情が沸き上がった。最早俺は完全に異世界音楽の、彼女の虜になっていた。俺だけではない。マグナスもロザリーも、おそらく会場中がそうであろう。

 

 催しが終わって宿場へと帰路に着いたが、道中で誰もが興奮冷めやらぬ様子で余韻に浸っている。

 

「くうぅっ、俺ももっと前に座ってれば良かった……」

 

 そういって悔しがるのは、カルマ。赤毛の獣人で、三大学園の一つ、テンペスト人材育成学園の生徒だ。彼ともゴルダマ(魔樹)繋がりの親交がある。音楽は堅苦しくて苦手だと言って、始まる直前に後方の席へ移動してしまっていたのだ。そんな彼も、異世界の音楽をいたく気に入ったようだ。

 

「明日もあるんだ。当然参加するだろう?」

 

「ああ、勿論だ。そして最前列を確保して……」

 

「ふっ、それは無理だな。競争率がとんでもないことになるぞ。諦めろ」

 

「ぐっ……嫌みな奴!」

 

 当然だが本気で険悪なわけではない。互いにこんな軽口を叩きあえるくらいには気を許せる仲なのだ。

 マグナスはと言うと、

 

「あぁ、みんな可愛かったなー。誰かお嫁に来てくれないかなぁ。かぜっちちゃんってアダ名なのかな?どう思う?」

 

 む……コイツの言う事は時々本気なのか冗談なのか、未だにわからないな。助けを求めようとロザリーを見ると、

 

「かぜっちお姉さま……」

 

 と、熱に浮かされるように、うっとりと遠い目をしている。

 この二人は少し放っておこう……。

 とにかく、異世界の音楽には度肝を抜かれた。あの大魔王の事だ。この新しい音楽も何らかの方法で経済に繋げて行くに違いない。いち早く取り入れて、乗り遅れないようにしなければ。イングラシア王国の未来のために。

 

 


歌詞の引用

 

「GOD KNOWS...」

作詞 畑亜貴

 

「READY STEADY GO」

作詞 hyde

 

「ときめきエクスペリエンス」

作詞 中村航




リムルの世界では主にクラシック系の音楽や楽器はあっても、JーPOPのような文化はなく、弾き語り等も知られていない(吟遊詩人もいない)という設定にしました。
ギターはエレキギターで、キーボードはシンセサイザーです。



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#18 思わぬハプニング

迷宮攻略まで行きたかったのですが、キリが良いので投稿します。

※微エロ(?)注意



 魔物の国(テンペスト)のある一室。

 

 バシャッ!バシャシャシャシャ!

 多数の記者が集まり、写真のストロボ音が響く。記者達は次々に質問を投げ掛ける。

 

「陛下、どういうことか説明していただけますか?」

 

「もしこれが事実であれば問題では!?」

 

「学生達にも大いに悪影響ではないかと懸念しますが、どのようにお考えで?」

 

「どうなんですか、リムル陛下!」

 

 俺は記者達のペースに飲まれないようゆっくりと口を開く。汗をかかない身体で良かった。

 

「それについてはこれから説明しよう。彼女もここに呼んであるので、落ち着いて聞いてくれ」

 

 三日間のライブが終わった翌日、迷宮リニューアル完了のお披露目会見を、と思っていたのだが、その前に少し厄介な問題が起きていた。この問題を何とかしなければ、迷宮お披露目どころではない。

 

 

 

 

 

 初日のライブは大成功に終わり、翌日には開場前から行列が出来ていたほどだった。

 初日の爆発的な成功の裏には種がある。

 

 彼女はユニークスキル"吹魂者(フキコムモノ)"に目覚めていた。

 その能力は、発した声に様々な効果を付与する事で様々なバフ・デバフを掛けることができる。精霊の使役時にも相性が良いみたいだ。

 そして"視線独占"。

 自分に向けられた視線を強制的に釘付けにしてしまう。戦闘であれば、敵の注意を引き付ける囮役として使えるのだが、こんな使い方があるとは。

 勿論、精神的な耐性の強い者には通じないのだが、少なくとも一般人や、一部を除く学園生達には十分すぎるほど通用した。

 

 ライブではこの二つの能力(スキル)で会場の視線を釘付けにして、歌の心────歌に込められた想いを歌に乗せてぶつけまくった。

 "言霊"や、"ルーン文字"が示すように、言葉には力が宿る。歌の心という力を宿した言葉を雨のように浴びせられ、心に響かないわけはない。何せ、()()ヒナタでさえ目を潤ませていた程だったのだから。

 

 最終日となった昨日は早朝から入り口前に陣取るツワモノも現れ、昼前には会場内に入りきれないほどの人数が行列になっていた。

 入場券を事前にネット等で抽選出来れば良いのだが、まだその様な環境は一般に広まっていないし、今回は出来るだけたくさんの人に広めたかったからな。今後の課題として心のメモ帳にそっと書き込んでおく。

 臨時の対応として、まず並んでいる人々に整理券を配った。入りきれない観客のためには、会場外にも大モニターを用意して簡易の場外観覧席(パブリックビューイング)を設けた。

 

 有料のVIP席以外の席代は基本無料だが、飲食物が飛ぶように売れていた。更に滞在のための宿場も潤っており、相当な儲けが出る試算だ。

 本当は生写真(ブロマイド)などの物販商品にも手を着けたかったが、迷宮リニューアルもあるし、キャパオーバーになりそうだから今回は見送った。いずれはやりたいけどね。

 

 そしてラミリスが演者として初参戦した。モモンガ達も観客として場内関係者席に座っていた。

 ラミリスと一緒になって迷宮改装に掛かりきりになっていた為、ライブに参加出来なかったのだ。

 

 ラミリス以外にも、有志何名かが出演した。かぜっちの人気は凄い。彼女が居なければこれ程早くは異世界の音楽が受け入れられはしなかっただろう。

 しかし、彼女は異世界人。帰る家がある。こちらにずっと住むわけではない。

 彼女が去った後もこの音楽を継承し、牽引していく誰かが必要なのだ。

 

 最初は俺たちが発信していくしかないだろうが、ゆくゆくは他の国の、それこそ一般の人々の中からそんな人材が出てきて欲しい。

 だからこそ若くて多感な世代の学園生達を特別招待したのだ。

 

 ラミリスは迷宮改装で頑張ったからとおねだりをしてきた。

 

「アタシ今回はホント頑張ったから、ご褒美に大人の姿になって歌いたいなー、なんて……」

 

 ラミリスは普段は小っちゃい妖精の姿をしているが、成長すると妖精女王として覚醒し、麗しい妙齢の美女────人間の成人サイズになる。

 たしかに、ステージで歌うのに普段の姿では、小さくて色々大変だろう。ただ、成長するには相当なエネルギーが必要だ。本来なら千年近くかかるほどだ。

 

「いいけど、そのためのエネルギーは────」

 

「リムルから貰うに決まってるじゃん。やだよう、もォ。わかってるく・せ・に♡」

 

 コイツ、前にも力を貸した事があるからってちょっと調子に乗ってるんじゃないか?

 味を占めてクセになっても本人の為にはならないんだが……。

 

「……今回だけだぞ?貸すだけだからな?」

 

「やりぃー!よっ、太っ腹!」

 

 今後も何度か言うことになるだろう「今回だけ」という念を押す俺に、ラミリスはおおはしゃぎで喜んでいた。

 残念ながら見た目は美女でも中身はお子様のままなんだけどね。

 

『いつもすごく自由なあなたは今 この雨の中どんな────』

 

 ラミリスの歌声に観客達はうっとりとして聞き入っていた。黙っていれば美女だし、歌は上手いからな。喋り出すと途端に残念な美女になってしまうのであまり喋らずしおらしく振る舞うように言い含めておいた。

 その一見立派な姿に樹妖精(ドライアード)達が感涙に咽び泣いていたのは余談である。

 

『君は誠実なmoralist綺麗な指でボクをなぞる────』 

 

 ディアブロも歌を披露し、男性の歌声の良さを示してもらった。

 

「キャー、ディアブロ様ー!」

 

「こっち見てー!」

 

 女性の殆んどはメロメロだった。ポーズをキメて答えるディアブロは、気持ちいいくらいのイケメンぶりで嫌みに感じない。モテるヤツは何をやっても絵になるな。

 ディアブロのやつ、最初は全く乗り気でなかったのだが、ウルベルトが何かを見せながら耳打ちすると突然やる気になりだした。

 

「ク、クフフフフ。リムル様の為にこのディアブロ、一肌脱がせていただきます」

 

 そんなこんなでライブは大成功に終わるはずだったのだが、最後の最後にかぜっちが()()を投下してしまった。

 

『瞬間のドラマチック フィルムの中の1コマも 消えないよ心に────』

 

 ラミリス達が参戦したことで、かぜっちが出づっぱりにならないでよくなったため、何度か衣装換えしたのだが────。

 

 

 

 

 

 

 三日目ライブ直後

 

「はぁ、最っ高!これまで野外で歌うなんてできなかったし、スッゴい楽しかったなぁ」

 

 かぜっちことぶくぶく茶釜は、戻った控え室で未だ興奮覚めやらず、衣装を着たままホクホク顔で鼻唄を歌っていた。

 コンコンッとノックが聞こえ、返事をすると、モモンガだった。彼女がどうぞと入室を促す。

 

「茶釜さん、お疲れ様です」

 

「ありがと。……あれ、他の皆は?」

 

「ああ、途中ではぐれてしまって。既にこちらに来ているかと思っていたんですが……」

 

 皆が気を利かせてくれたのかも知れないと思い、彼女は頬が緩みそうになるのを堪える。

 

「じゃあそのうち来るんじゃないかな?えと、何か飲む?」

 

「あ、いえいえ、お気遣いなく」

 

「そ、そっか……」

 

 突然控え室で二人きりになってしまい、緊張から互いにどこかぎこちなくなってしまう。椅子に座るのも忘れ、互いに向かい合って立っている。

 ユグドラシルでは勿論、この異世界に来てからも、二人きりで話すのはこれが初めての事であった。

 

(折角二人きりなんだから、何か話さなきゃ)

 

(困ったなぁ。こんなとき女性と何を話せばいいんだ?)

 

 モモンガは若い頃は女性から避けられたり、若い女性店員に"天空釣り銭落とし"されるなど、数々の苦い経験を味わってきた。

 そういった苦い経験を何度も繰り返しながら、いつしか彼は"非モテの開き直り(プロの独身)"の境地に至っていた。

 その甲斐あってか、仕事中だけは女性と二人きりでも普通に会話が出来るようになっているが、急に女性と二人きりになってしまったこの状況は少し荷が重い。

 

「「あの」」

 

 二人同時に話しかけてしまい、同時に譲り合う。譲り合っても埒が空かないので、モモンガから先に話すことになった。

 

「えっと、茶釜さん、凄い人気でしたね」

 

「え、そうかな?」

 

「そうですよ。あんなに沢山の人達が茶釜さんの歌を楽しみにして集まってきたんですから」

 

「……そうだね、ありがとう」

 

「「…………」」

 

 会話が続かず、沈黙する二人。ぶくぶく茶釜としてはモモンガ本人の感想を聞きたいところだ。しかしどう訊くのがいいだろうか。ぶくぶく茶釜がまごついていると、モモンガの方が話を切り出した。

 

「あの、茶釜さん」

 

「は、はい」

 

 モモンガは何やら緊張した様子だ。彼女も自然と緊張が高まる。

 

「えーと、その……す、す……」

 

(す……?はっ、まさか?そうなの?)

 

「えーと、そのですね……」

 

(俺はプロの独身。これくらい、変に意識せずさらっと言わなきゃな……)

 

「う、うん……」

 

「す……」

 

(す……「き」なの……?)

 

 ぶくぶく茶釜はもう口から心臓が飛び出しそうな程鼓動が高鳴っていた。

 

 その時、コンコンとドアがノックされ、二人が肩をビクッとさせて驚く。

 

「ね、ねーちゃん?入るよー?あれ、何で二人して突っ立ってんの?」

 

 そう言いながら入ってきたのはペロロンチーノだった。いいところで、と心の中で舌打ちするぶくぶく茶釜と、少しホッとした面持ちのモモンガ。

 

「どこ行ってたんですか?探したんですよ」

 

「ダメじゃない、迷惑かけちゃ」

 

「ちょ、ねーちゃん、俺もう子供じゃないんだからそんな言い方……。あー、急にトイレ行きたくなっちゃって」

 

「たっちさんとウルベルトさんは見ませんでしたか?」

 

「え?俺は一人でしたけど。はぐれたんですか?」

 

「そうなんですよ。うーん……ちょっと探しに行ってきますね。あ、茶釜さん、お疲れさまでした」

 

 そう言ってモモンガは部屋を出ていってしまった。

 

「あ……」

 

「ねーちゃん、あのさ……」

 

「あ"?何よ?」

 

 折角いいところに邪魔が入り、つい不機嫌な態度になってしまう姉にびくつきながら、ペロロンチーノは続ける。

 

「アレはマズイよ、ねーちゃん」

 

「え?アタシ何かやった?」

 

「え、気付いてないのかよ……」

 

 何かまずいことがあったようだが、イマイチ要領を得ない。

 

「な、何よ。アタシが何やったって言うのよ?」

 

 恐る恐る、震えながらペロロンチーノが尋ねる。

 

「ねーちゃん、スパッツは……?」

 

「へ?」

 

「なんで……何も履いてないんだよ……」

 

「は、はあぁ?何言ってんの……見てんじゃねぇ!」

 

 スカートを捲り上げて中を確かめようとしたところで、じっと見つめていた弟に気付き、見潰しを食らわす。

 

「うがっ!!目が、目があああ!」

 

 両目を押さえて床を転げ回る弟を尻目に、ぶくぶく茶釜は、恐る恐るスカートを捲り上げてみる。

 

「……ウソ!?」

 

 確かめた結果、何もなかった。スカートの下には薄衣一枚さえなく、肌が露出していた。毛の一本すらない。もう処理する必要もないとか。いや、それは別件なのでこの際どうでもいい。

 

(なんで……?あ、着替えのときヒモがほどけて……?ってことは……)

 

 紐パンが仇になったと後悔しつつ、更にあることに気付いてしまった。

 

「あ……!」

 

 モモンガが躊躇いがちに言いかけていた言葉を思い出す。

 

(ま、まさか、「()……カートの下何もはいてませんよね?」てこと……?)

 

「い、いやあああああ!?」

 

 頭を抱えて叫ぶぶくぶく茶釜。

 

「違っ違うの!違うのよモンちゃん!ああ、どうしよううううっ」

 

 その後、記者対策の言い訳を告げにシエルが訪れたときには姉弟共に床に座り込んで放心状態だったという。

 

(はあ、「素敵な歌声でしたよ」って言うだけなのに、失敗しちゃったな。それにしてもホントにいい歌声だった。凄いよなぁ。……今度は堂々と言えるように頑張ろう……)

 

 モモンガは一人、"プロの独身"として精進する決意を新たにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 かぜっちはなんでか途中からノーパンだった。

 どうやら薄暗い中で着替えたときにどういうわけか下着も脱げて、スパッツも履き忘れたままだったようだ。

 スカートの丈もそこそこ短く、大きくターンした拍子に秘密の園(スカートの中身)を垣間見てしまった者がいたらしい。本人歌ってて気付かないもんかなぁ。

 

 幸いというか、晒してしまったのは一瞬だけで、モニターにも映っていなかった。気付いたのは招待席の前列の方にいた学園生達。一般の席からは距離があるので、おそらく大多数が気づかなかっただろう。ペロロンチーノは遠目が利くので気付いたようだが。

 

 しかし、鼻血をドクドクと流す間抜け面を晒した学園生(マグナス)がモニターに映り込んでしまっていた。

 それを見た目敏い記者達が何事かと情報を聞き込み、突き止めてしまったのだ。何やってんだよ、マグナス……。

 

 そんなわけで、本来なら迷宮お披露目の会見の場で問い詰められているというわけだ。

 

 だが、実際に目撃した者この中にいない。ならばやりようはある。居たとしても問題はないが。

 

「さて、彼女に来てもらう前に、二つ約束をしてもらいたい。

 一つ目は、彼女への撮影行為はこちらが許可するまで禁止だ。

 二つ目、質問は一人ずつ順番に。騒いだり大勢で次々に質問するのはダメだ。

 理由は、彼女が我が国の大切な客人であること。そして、普段はカメラを向けられる事のない一般人として生活をしている。くれぐれも不必要に圧迫感を与えないように配慮してほしいと言うことだ」

 

「守っていただけない場合、ご退室頂く場合がございます。悪質な場合には多少の制裁もあり得ますので、悪しからずご了承ください」

 

 側に控えているディアブロから制裁の旨を伝えると、記者達も従うしかない。

 

 かぜっちが入室する。条件反射でカメラを向けてしまう者は居たが、事前通達のお陰で、シャッターを切る者はいなかった。

 

 彼女の服装は、件のステージ衣装だ。やや丈の短いスカート。これで本来は黒色のスパッツもしくはタイツを履くはずだった。

 

「それで、この衣装のとき、スカートの下に何も履いていなかったと。そう言う指摘だったな」

 

 俺の言葉に、記者達が頷く。心なしか男性記者の鼻息が荒い気がする。記者には女性もいるが、厳しい視線をこちらへ送ってくる。俺がやらせたと思っているんだろうか……。

 

「実際にその目で見て確かめてくれ」

 

 俺がそう言うとかぜっちはターンして見せる。スカートがフワリと捲れ上がり、スカートのからは下着が露に────ならなかった。

 

 スパッツでもない。短パンでもない。彼らには、何も履いていない様に見えただろう。

 

「履いて、いない……?」

 

「これが、これが事実、と言うことで宜しいんですね!?」

 

「こうしちゃおれん!おい!一面を押さえておくように伝えろ!」

 

 室内が俄かに騒ぎだす。て言うかオッサン達は鼻血を拭け。

 

「静粛に願います!」

 

 ディアブロが一喝し、再び静寂が戻る。

 

「何か気付かないか?もう一度確認してみてくれ」

 

 そう言ってもう一度彼女にターンしてもらう。

 やはり記者達の目には何も履いていないように見えたようだ。

 

「彼女は今タイツを履いているんだが、誰も気づかなかったようだな」

 

 どよ、と記者達が驚く。改めて見ても素肌のようにしか見えない。かぜっちは実際にタイツをつまんで引っ張って見せた。

 

「な……!」

 

「ほ、本当だ」

 

「素肌にしか見えなかっただと……?」

 

 ここまで全てシナリオ通りだ。俺は不敵に笑みを浮かべ、説明を始める。

 

「皆驚いてくれたようだな。これはこの冬発売予定の限定モデルのタイツなんだが、ご覧の通り、かなり精巧に作られていてね。近くで見ても、素肌と見分けがつきにくい。

 昨日彼女にも試着して貰っていたのだが、これを履いているから問題ないだろうと判断して、用意していた短パンを着用しなかったそうだ。

 一部観客を誤解させてしまい、要らぬ混乱を招いたようで、済まなかった」

 

「お騒がせしちゃって、すみませんでした」

 

 かぜっちもペコリと頭を下げる。

 つまり、勘違いされたようだけど、ちゃんと履いてるから安心してくださいよ、というわけだ。

 

 実はこのタイツ、昨夜急いで作った間に合わせだ。少し値は張るが出来が良いので、極少量生産で売り出して様子を見ては、と言う話が持ち上がっていた。

 

 記者達は実際にタイツの性能を目の当たりにしたことで、こちらの強引な説明にも納得してくれたようだ。

 ふう、ようやくこれで本来の目的、迷宮の宣伝が出来る。

 

 と思いきや、このあと記者達が彼女とタイツの取材を熱烈に希望し、仕方なく許可を出した。商品の発売時期や生産数まで詳しく訊かれた。適当にさらっと流すつもりが、しっかりと宣伝するハメになったのだった。

 

 パシャ!パシャパシャ!

 

「かぜっちさん、こっち、目線下さい!」

 

「タイツつまんだ状態でお願いします!」

 

 彼女も満更でもないようで、要望に丁寧に応えている。

 

 ちなみにこのタイツ、後に「かぜっちが着用していたモデル」としてプレミアが付き、市場でとんでもない値段にて取引されるのだが、それはまた別の話。俺には関係ないのだ。




モモンガ「プロの独身として・・・!」
ペロロンチーノ「ちょ、ねーちゃん!?」
ぶくぶく茶釜「ち、ば!(()がうわよ()カ」

リムル「あれ、迷宮の宣伝は・・・」

かぜっちがなぜ無毛なのか、ディアブロとウルベルトのやり取りについては触れないですが、何となくお察し頂ければ。



※歌詞の引用元

『最高の片思い』
作詞 タイナカサチ

『VANILA』
作詞 Gackt.C

『光るなら』
作詞 Goose house


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#19 迷宮攻略

体調を崩し、更新が遅くなってしまいました。


 モモンガ達が迷宮に挑み始めて四日目。

 彼らが挑戦しているのは中級ランク。()()()の雪辱を果たし、笑った奴らを見返してやろうと、気合い十分だった。

 

 ライブで一躍有名になったかぜっちが今度は迷宮に挑戦するとあって、報道各紙がこぞって取り上げたことで、世間の注目度は高い。リニューアルしたこと自体よりも、彼女に対する注目であるが。断りを入れてから、彼らの攻略の様子を大モニターに映し出しているのだが、これがかなり好評だった。

 

 挑戦者だけでなく、ただの野次馬達の割合も多いのだが、それはそれ。人が集まれば、それだけでお金が回るというものだ。

 

 モモンガ達の攻略ペースはかなり早い。迷宮の改装を手伝い、多くのギミックを熟知しているのだから当然と言えば当然か。ペロロンチーノが数々の罠を探知し、(と言うか覚えているようだが)かぜっちが精霊を使役して最短ルートを導き出す。

 

 戦闘も上々の出来だ。ひと月前に初めての迷宮で為す術もなく敗北した、あの魔物に初っぱなから遭遇したのだが、今回は落ち着いて対処出来ていた。

 ペロロンチーノが先頭で魔物の気配を鋭く察知し、弓による先制の遠距離攻撃を仕掛ける。矢は正確に魔物の右目を捉え、視界の半分を奪う事に成功。魔物がいきり立って突進して来るが、その頃にはかぜっちがバフをかけ終わっており、前衛のたっちとウルベルトがペロロンチーノと入れ替わる。以前とは全てが違った。

 

 たっちが正面から前足の攻撃を受け止め、膠着したその隙に死角からウルベルトが後ろ足を切りつける。魔物は反射的に前足を振り回すが、既にウルベルトはそこにはいない。

 反撃が空振り、勢い余って体勢を崩したところへ、かぜっちが"蔓棘束縛(ソーンバインド)"で動きを止める。最後はたっちの剛撃が頭に命中し、魔物は倒された。

 後衛のモモンガは止めの魔法を放つべく杖を構えて居たのだが、先に決着してしまい、少し残念そうにしている。

 ユグドラシルの時とはまるで違う役割の者も居るが、誰がどう動くのか、言葉を交わさずとも分かっているようだ。

 魔物達も連携を取り、集団戦をするようになってきているのだが、彼らの連携の前ではお粗末と言わざるを得ない。彼らは最下層手前で隠し扉を発見し、宿に入った。今日はここで休むらしい。

 

「さて……明日が楽しみだな」

 

 モモンガ達の様子を管制室(モニタールーム)で見守っていた俺は明日の準備のために部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 19階層。モモンガ達はついに最下層手前までやって来た。皆多少の疲労はあるが、攻略に何ら差し支えはない。隠し扉の宿屋を見つけて、今は食後の一息をついている。

 

(あぁ、嬉しいな……)

 

 モモンガはしみじみと思う。ネトゲ友達(ユグドラシルの仲間)は居ても、現実世界(リアル)では恋人も、友人と呼べる相手も居なかった。ユグドラシルの仲間が唯一の友人なのだ。

 そんな彼にとって、こうして現実で誰かと共に過ごす事は殆どなかった。今は亡き家族か、同じ空間に居るという意味では職場の人間くらいだ。だが、職場にはここまで気を許せる相手はいない。

 ほんの一ヶ月程だが、一緒に食事をしたり、修行をしたりと、苦楽を共にした仲間。最早ただのゲーム仲間ではなく、現実(リアル)の友人、いや、戦友というべきか。

 

(フフ、これで恋人でもできたら「リア充」なんだけど、それは流石に高望みしすぎか。この歳になってリアルで友人が出来ただけでも凄い事だな、うん)

 

 リーダーはぶくぶく茶釜に務めてもらっている。とはいえ、ああしろこうしろと具体的な行動の指示は今のところ、「弟、黙れ」ぐらいだろうか。

 しかし、それは決して彼女に指揮能力がないと言うことではない。彼女はユグドラシルにおいては、豊富なゲーム知識と経験に裏打ちされた巧みな技術で、タンクだけでなく指揮官としても優秀なのだ。

 

 指揮官とは何でもかんでも細かく指示をすればいいというものではない。必要な時に必要な指示を出せればよい。流れを掴み、その時々に何をすべきか見極め、即座に判断する能力が最も重要なのだ。

 

 現在のチームは、簡単な方針を打ち出せば、全員が状況に合った最適な行動を取る事ができる。全員がお互いの手の内を知っていて、次の行動が言わずともわかるため、余計な言葉は要らないのだ。

 

(これが知らない相手とだったらこうはいかないよな。そう言えば、上司に言われて新人の女の子の面倒見た時は大変だったな。ただでさえ女子と話すのは苦手なのに、人に教えるのも初めてだったし……)

 

 中学校を卒業したばかりの新人と、ただ単に社内申請用の書類の書き方を教えながら作っただけで、色々大変だったのだ。お互いに気心の知れない人と何かをするというのはこうも大変なのかと、痛感させられた。

 そんなことをモモンガが思い出していると、ぶくぶく茶釜が口を開いた。

 

「明日で迷宮攻略も最後になるね。終わったら、日常(リアル)に帰る。凄く濃密な時間だったけど、あっという間だったなぁ」

 

 その言葉にモモンガ、たっち、ウルベルトも感慨深げに頷く。

 

「いよいよですね。正面から堂々と突破してやりましょう」

 

「何言ってるんですか、たっちさん。そんな甘いことじゃ足を掬われますよ?」

 

「ウルベルトさんも騙し討ちみたいな汚い手ばかり使わず、正々堂々実力で有終の美を飾りましょう」

 

「は、何を言い出すかと思えば。使える手を使って何が悪いんですか。それに汚い手じゃなくて戦略と言って欲しいですね」

 

 二人は宿で休むたびに意見を衝突させているのだが、何度ぶつかっても平行線を辿る。王道と邪道。正義と悪。互いのこだわりが真逆の為、いつまでも意見が一致しない。

 

「はぁ、止める方の身になってくださいよ二人とも」

 

「まあまあ、ケンカするほど仲がいいって言いますし、意見をぶつけ合えるのも、信頼しあっているからこそですよ」

 

 いつも止めに入るペロロンチーノは呆れ気味だが、モモンガは何故か嬉しそうにしている。

 

「「それは違います!……むっ?」」

 

「ははっ、ホントだ。息ピッタリですね」

 

 同時に同じ台詞を言う二人を見てペロロンチーノがからかう。二人とも即座に否定するが、またしても完全にタイミングが合っている。ぶくぶく茶釜もモモンガもそれを見て笑い出す。毒気を抜かれてしまった二人は興醒めと言わんばかりに溜め息を吐いた。

 

「20階のボスはどんな奴ですかね」

 

「またあのミノタウロスはヤダなぁ……」

 

 中級10階層のボスを務めていたのは『ゴズール』という名の、牛の頭を持つ魔物だ。ゲームでもよく見かけるあのミノタウロスそっくりだったのでそう呼んでいるのだが、まさに暴力の化身とも言うべき偉容であった。

 名前持ち(ネームド)だけあって、モモンガ達が迷宮で出会った中では一番強かったのだ。しかも太い鎖に繋がれ、全力を出せないよう制限をかけられていた状態で、だ。

 結局近付かずに遠距離からの一方的な攻撃で倒したのだが、もし鎖をほどいて本気で暴れられたら勝ち目は薄いかもしれない。

 

「あれの本気モードなんて見たくないなぁ」

 

「ええ、色んな意味で……」

 

 ペロロンチーノの言葉にモモンガとぶくぶく茶釜も引きつった表情を浮かべた。単純に強いというのもあるのだが、それだけではない。

 とにかく、矢鱈と暑苦しいヤツなのだ。ムキムキの筋肉を見せつけるように、ポージングをして待ち構えていたのにはドン引きした。

 

「この鋼の肉体いぃ!破れるものならあぁ!!破ってーーーー」

 

 とかなんとか叫びながら"フロントダブルバイセップス"、"サイドトライセップス"、"バックダブルバイセップス"からの"サイドチェスト"と、次々ポージングをかましてくれた。

 

 女性であるぶくぶく茶釜にも、男性陣にもその()()は理解は出来ず、ただただ「うわぁ……」と引いていた。『アインズ・ウール・ゴウン』のギルドメンバー、武人武御雷が居れば「デカイ、デカイよ!」等と合いの手が入ったであろう。

 

 彼は肉体を鍛え上げる事に喜びを感じる男であった。筋肉と対話し、調子が良いときは筋肉が喜んでいるのが分かるのだとか。

 

「ま、考えても仕方ないよ。誰が相手であっても、倒すだけだわ」

 

「そうですね」

 

 ぶくぶく茶釜の言葉に全員が頷く。

 

「「明日こそは」」

 

 と、またウルベルトとたっち・みーの言葉が被る。ウルベルトはどうぞと顎をしゃくり、たっちに先を譲る。

 

「明日こそはウルベルトさんも正々堂々やりましょう」

 

「嫌ですよ。たっちさんこそ、此方に合わせてくださいよ」

 

「寧ろ今まで通りでいいんじゃない?」

 

「え?それはどういう……?」

 

 再びにらみ合いを始める二人だったが、ぶくぶく茶釜はそのままで良いと告げる。

 

「下手にやり方変えてギクシャクするより今まで通りの方が良いわよ。息ピッタリだもんね?あっ、まさかラブラブ?ひゅーひゅー!」

 

「え!?実は二人はそういう……?」

 

「「なっ!?違いますよ!」」

 

 イタズラな笑みを浮かべるぶくぶく茶釜。彼女の冗談を真に受けてしまったモモンガに、「本当に違いますからね」と必死で弁解するウルベルト。危うくとんでもない誤解を受ける所だった二人は、結局今までのやり方を変えない事にした。

 

 しかし、彼らはまだ知らなかった。そこで出会った相手に、ゴズール以上にドン引きさせられる事になるとは。

 

 

 

 

 

 

「げぇぇ?あれは!?」

 

「うそだろ!?」

 

 迷宮の攻略をモニター越しに観戦していた人々の一部が、俄に騒ぎだす。

 20階層のボス、黒蛇。体長十数メートルはあろうかという巨大な体躯は獲物をいとも容易く丸のみにし、岩をも溶かす強力な毒霧吐息を持つ、非常に厄介な魔物だ。

 

 しかし、観戦者たちが悲鳴をあげたのは黒蛇にではない。かぜっち達が黒蛇と出会い、戦端が開かれようとした矢先、突然乱入者が現れたのだ。

 その乱入者達は瞬く間に黒蛇を倒し、かぜっち達の前に立ち塞がった。

 

 周りに人魂の様な焔を浮かべた死霊。目にも止まらぬ早さで動き回る赤いスライム。剣と盾を持ち、軽鎧を纏った、金色の人骨戦士(スケルトン)。巨大な両手斧を持つ、動重鎧の戦士。

 

「ス、赤い流星(スカーレット)だとぉぉう!?」

 

死を齎す迷宮の意思(ダンジョン・ドミネーター)が何であんな所に……!」

 

 数々の挑戦者を葬ってきた強敵の出現に、実際にやられたことのある者達が嘆息した。あれに勝てる人間は、そうはいないだろう。

 だが、どうも様子がおかしい。一向に戦闘が始まる気配がないのだ。一体何が……?

 混乱する観客達を余所に、何やら話し込んでいるようだ。何となく親しげにしているように見えたのだが、結局戦う事になったようだ。互いに戦闘体制を取った。

 

 

 

 

 

 

「クァハハハハ!我は黄金バッド!」

 

「此処は通さなくってよ。アタシはブリガンディ!」

 

「わははは、スカーレットなのだ!」

 

「そして俺は「ちょ、待った!待てええぇ!」」

 

 モモンガがいきなり叫んだ。せっかく格好良く登場して、考えたポーズ(某特選隊風)も用意していたのに。俺が名乗る前にいきなり「待った」をかけるとは、せっかちなヤツだ。

 

「なんだよもうっ、名乗らせろよ!」

 

「いやもういいって、リムルさん」

 

「ラミちゃん、なの……?」

 

 ペロロンチーノに看破され、かぜっちが戸惑いがちに二人に問い質す。動く重鎧(ラミリス)赤い粘体(ミリム)はアワアワと挙動不審になっていた。

 解せぬ。何故ソッコーでバレてるんだ?俺たちは今、宝珠(ギジコン)を核として魔素で作られた仮想体(アバター)の姿なのだ。見た目からして全然違うのに、何故こうもアッサリと……?

 

「い、いやー、なんの事だ?我は……」

 

「あっ、ヴェルザードさん」

 

「な、なに?姉上だと……ん?おらんではないか」

 

「はい、自白(ゲロ)った~。チョロいねヴェルドラさん」

 

 ペロロンチーノの口車に乗せられて墓穴を掘ったヴェルドラ。

 

「声も話し方も一緒では、気づいてくれと言っているようなものですよ」

 

「「「「あっ」」」」

 

 

 たっち・みーの指摘で気付いた。言われて見ればその通りだ。今までバレてなかったのが不思議なくらいだ。……気づかないフリをされてただけか?

 

「もしかして、あなた達ヒマなの……?」

 

「バッ、お前、そんなわけなかろう!?」

 

「そ、そうなのだ!仕事は山ほどあるのだが、フレイの目を盗んで態々抜け出して来てやったのだぞ。有り難く思うがいい!」

 

「そ、そーよ、アタシ達だって忙しいんだわさ」

 

 かぜっちの言葉に反論するヴェルドラ達だが、ミリム、さりげなくは問題発言するのはよして欲しい。

 

「仕事を放り出して勝手に抜けて来たのか?それはまずいだろ……」

 

 ウルベルトは眉根に皺を寄せている。モモンガも苦笑いだった。まぁ、確かに勝手に仕事を抜け出すなんて社会人的にはアリエナイよな。そんな奴がいたら、周りはたまったもんじゃない。たっちが見かねてミリムを窘める。

 

「抜けるなら抜けるで、そういうときは一言相談すればいいじゃないですか。あなたがいくら強くても、何も言わずに出てきてしまったら、心配しますよ」

 

「だ、だが、言えば引き止められてしまうのだ……」

 

 食い下がるミリム。やはりまだお子様だな。その程度のお説教を素直に聞き入れられるなら、とっくに大人になっているだろう。伊達に千年以上子供のまま生きていないのだ。

 

「引き止める方も別に意地悪したくてそうするわけじゃないでしょ。大体、他人(ひと)には苦労させといて自分ばかり遊んでばかりいたら嫌われちゃうわよ?いいの?」

 

「そんなっ、それは嫌なのだ。あぅ、どうすればいいのだ……?」

 

 かぜっちの言葉に、ミリムは半泣きになっている。今はミリムの傘下に入り、立場上は部下となっているが、フレイは数百年来のミリムの大切な友達なのだ。

 モモンガは小さな子供を諭すような優しい声で答えた。

 

「帰ったらまずは精一杯、謝ろう。そして、今度からは勝手に抜け出したりしないって約束して、フレイさんを安心させてあげよう。あとは……遊んだ分を取り返すつもりで、仕事を普段より頑張ることかな」

 

「わかったのだ!みんなすごいな、オトナだな!」

 

「友達、だからな」

 

 ウルベルトの言葉にミリムはジーン、と感激している。スライムの仮想体(アバター)なので、恐らくだが。ちょっと悔しいが、俺だけではこうはいかなかったかもな。ミリムには彼女を慕い敬う部下は沢山いるが、対等な目線に立とうとしてくれる者は殆どいない。友達である俺やヴェルドラ、ラミリスは楽しく遊ぶ仲だが、甘やかしてしまう事が多かった。モモンガ達は魔王である俺やミリムにも友達として接してくれる。そんな彼らの言葉だからこそ、ミリムも嬉しかったのだと思う。

 

「それで、何しに来たんだっけ?」

 

 そうだった。何だか和やかな雰囲気になっていたが、ペロロンチーノの言葉で思い出した。メインイベント(本題)を。

 

「ふっふっふ。何を隠そう、俺たちがこの迷宮の隠しボスなのだよ」

 

「……は?」

 

「クァハハハ、ここを通りたくば、我らを倒して行くがよい!」

 

「あー……そんな気がしてたよ」

 

 モモンガが額に手を当て、苦笑いする。理解が早いようで助かる。

 

「マジかー、でもキンピカ骸骨はズルくないですか、ヴェルドラさん。どう見ても硬い金属ですよね?」

 

「クァハハハハ、何を言う。我が本気になったら勝負にならんではないか。だからこれはハンデなのだ」

 

「いや、それはそうかもしれないですけど……」

 

「この体はユグドラシルのアバターみたいな物だと思ってくれ。安全に、と言うか、お前らにとって適度なレベルで戦えるって訳だ」

 

「なるほど。……こっちは生身だけどなっ」

 

 うん。確かにそうなんだが、復活の腕輪があれば死なないし、痛覚もある程度軽減されるからアバターとそう大して変わらない。問題ない筈だ。

 ペロロンチーノの弓はヴェルドラには効かないだろう。何せ約1mmの神輝金鋼(オリハルコン)コーティングを施した魔鋼製の骨だからな。

 

 本物は純神輝金鋼(オリハルコン)だが、それでは勝負にならないとヴェルドラ達が言い出したので、それぞれのアバターをマイナーチューンしたのだ。見た目は全く同じだが、質は落としてある。武器の性能も良いので、たっち・みーならヴェルドラにも攻撃は通るはずだし、数の上ではモモンガ達の方が一人多い。丁度良いくらいかも知れない。

 

「まあ、細かいことは気にせず、付き合ってくれよ。いいだろ?」

 

「はぁ、全く。本当に我儘(自由)なヤツだな、リムルは」

 

「俺は自重(ガマン)はしないと決めてるんでね」

 

「はは、堂々と言い切られると逆に清々しいよ」

 

 ユグドラシルでも手を焼かされたな、と呟きながら、モモンガは微笑んだ。

 

「魔王とドラゴンが相手とは、まるで勇者一行にでもなった気分ですよ」

 

「勇者ねえ……」

 

「……何か言いたげですね、ウルベルトさん」

 

「別に、何でもありませんよ?」

 

 ん?ウルベルトとたっち・みーは仲が悪いのか?二人の間の空気が殺伐としている気がする。それとも、喧嘩するほど仲がいいっていうアレを地で行く感じか?フム、後者だな。これまで息の合ったコンビネーションだったし。

 

「ではPVPを始める前にルールを決めよう」

 

 1. 五人対四人のチーム戦。

 2. 一度戦闘不能になった者は戦線に復帰は出来ない。

 3. 全員が戦闘不能になった方が負け。

 

「こんなところかな。あとは……報酬か。よし、お前らが勝ったら何か報酬を用意しようか。何でも、とはいかないが、出来る限り用意する」

 

「よっ、太っ腹!」

 

「よし!皆、絶対に勝つよ!」

 

「「「おおー!」」」

 

 こうして『死をもたらす迷宮の意思(ダンジョン・ドミネーター)』対『アインズ・ウール・ゴウン』の激闘は始まるのだった。

 


 死を齎す迷宮の意思(ダンジョン・ドミネーター)

 

 ヴェルドラ→神輝金鋼(オリハルコン)の骸骨戦士。パーフェクトウォーリアー。"黄金○ット"。

 

 ミリム→真っ赤なスライム。超高速のアサシン"赤い流星(スカーレット)"。

 

 ラミリス→動く重鎧。怪力の狂戦士"ブリガンディ"

 

 リムル→幽霊。狡猾な魔術師。"?"

 




次回、あの二人の合体技が火を吹く!?


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#20 激突する両雄

戦闘シーンって描写が難しいですね。なんだかごちゃごちゃして分かりにくくなってしまいました。


 地下迷宮の外、大モニター前。そこには多くの人が集まっている。手に汗握りながらモニターに向かって声援を送っている。

 胸の前で手を組み、必死の形相で画面を見つめているロザリー。マグナス、カルマ、そしてユリウスもまた、彼女達の戦いを見守っていた。

 

「かぜっちちゃん達、やるねー」

 

 言葉だけ聞けば暢気なものだが、その声音からは驚愕の色が見て取れる。戦っている魔物達は相当な強さだ。いずれも固有(ユニーク)個体だろう。個々の能力だけみれば、明らかにかぜっち達よりも格上であろう相手にも拘らず、互角に近い戦いを半時間ほど演じている。

 

「まさかこんな形でも魅せられるとは思わなかったな」

 

「ああ、要所要所で助け合い、実力差を埋められている」

 

 興奮した様子のカルマの言葉に、ユリウスも感心した口調で同意する。この場の誰もが彼らの戦いに魅せられ、手に持った飲み物に口を付けることさえ忘れてモニターに釘付けになっている。

 

 

 

 

 

 ガイィィーン

 

「痛ったぁぁぁい!」

 

 鋼鉄の手甲(メタル・ナックル)を装備したぶくぶく茶釜が、たっち・みーと戦っている黄金の骸骨(ヴェルドラ)の隙を付いて剥き出しの膝を殴り付けたが、まるで効いていない。それどころか、殴った彼女の方が涙目になりながら拳を撫で擦っている。

 

「くう~~~~っ、どんだけ硬いのよ、もう!」

 

「クアハハハ、速さは中々だが軽いな。その程度の拳では、我の身体に傷は付けられんぞ!」

 

「くっ、やはりダメか」

 

 たっち・みーは歯噛みする。ウルベルトも、オリハルコンの骨に僅かに跡が付けられる程度だった。

 ユグドラシルでは、スケルトン系のモンスターは斬撃や刺突には強く、打撃に対して脆弱な種族特性がある。そこに期待しての殴打であったが、有効ではなかったようだ。

 

 唯一まともなダメージを与えうる攻撃力を持つたっち・みーは果敢に攻めているが、ヴェルドラの巧みな防御に阻まれ、有効打を入れられない。

 

 一方、重鎧(ラミリス)と対峙しているウルベルト。膂力の差が激しく、真っ向から力勝負をすれば一瞬でペシャンコにされるであろう。あらゆる手段を用い、クレバーで底意地の悪い戦い方でラミリスを翻弄している。

 しかしウルベルトもまた、硬い鎧の装甲に決定的なダメージを与えられずにいた。

 

 全力の突進突き、"紫電"を放てれば重鎧の装甲を貫ける可能性はある。しかし、助走を取る為の適度な距離が必要となる。

 接近してくるラミリスの攻撃を正面から受け止められない以上、回避を念頭に置く必要がある。それでも一対一なら、一度きりの切り札を使う事で勝利出来たかもしれない。しかし、これは集団戦だ。ぶくぶく茶釜の"蔓棘束縛(ソーンバインド)"等を駆使して何度か隙を作ったが、その度に幽霊の魔術(リムル)師や真っ赤なスラ(ミリム)イムが邪魔をしてくるせいで、決定打を打てない。

 

 ミリムの素早い動きには、ペロロンチーノの射撃で行動範囲を絞ることでどうにか対応出来ている。

 リムルの魔法はというと、モモンガの魔法障壁と魔素収束の能力によって、無傷とまではいかないが、被害は軽微なものに収まっていた。

 

「チョコ、マカ、チョコ、マカ、とぉ……当たりさえ、当たりさえすれば~!!」

 

 ラミリスが苛ついた様子で文句を垂れながら、ガムシャラに斧を振り回す。

 

「この分じゃ、当たるまでには何年掛かるかねえ」

 

 ウルベルトは厭らしい笑みを見せながら、ラミリスを煽り、冷静な思考を奪い取っていく。

 だが、余裕に見える彼も実際は綱渡りの連続であった。乱暴に振り回すだけの斧は、基本も何も無い単調な攻撃だが、食らってしまえば大怪我どころでは済まない。ブンブンと振り回される一撃一撃が必殺の威力なのだ。それらを背筋が凍るような思いをしながらも、かわし続けているのだ。

 

 現状、殆どダメージを受けていないラミリスと、一度も攻撃を食らっていないウルベルト。一見すると互角、もしくはウルベルトが優勢の戦いだが、このままの状況が続けば、不利なのはウルベルトの方だった。今は攻撃を避け続けているが、疲労が溜まってくればそれが難しくなる。一撃でもまともに受ければ致命傷になるだけに、決して気を抜けない。

 

(……チッ)

 

 チラリとたっち・みーの方を見たウルベルトは、僅かに眉を歪める。明らかに彼の相手は格上だ。せめて搦め手ぐらいは使わなければ勝ち目の見えない様な相手に、いまだに正面から力押ししようとするたっち・みー。思うところはあるが、互いのやり方に干渉しない事にしたので、ぐっと文句を飲み込む。

 

スライムと幽霊(あの二人)が邪魔だな。さて、どうする……)

 

 

「わはははは!当たらなければどうということもないのだ」

 

「くっそ、動き速すぎ……」

 

 ペロロンチーノは苦戦していた。縦横無尽に赤い彗星よろしく動き回るミリムに、マトを絞らせてもらえない。他の仲間の隙を突こうとする際に、タイミングを合わせて牽制するのが精一杯で、こちらの攻撃は掠りもしない。接近戦は姉のフォローでどうにか凌いでいる状態だ。

 

 

大氷魔散弾(アイシクルショット)!」

 

風斬刃(ウインドブレード)!」

 

 モモンガとリムルの魔法がぶつかり合う。リムルの魔法に対し、防御ばかりでは不利と判断したのか、モモンガは氷系の魔法で積極的に攻撃を仕掛けていた。対してリムルは、風の刃を飛ばす魔法で迎撃する。氷柱の散弾が風の刃とぶつかり合い、氷の雨を降らせることで、周囲の空気が一気に冷え込む。数度か目になる魔法のぶつかり合いに、広さ50m四方程あろうかというボス部屋の室内は、床の一部が凍りつくほどの冷気に包まれていた。

 

 人間の魔法と魔物の魔法は、仕組みが違っている。人間の使う魔法とは、周囲に漂う魔素を術式によって操る事で行使できる力である。当然、周囲の魔素の濃度が薄くなれば行使できなかったり、魔法を発動できなくなる。

 しかし、モモンガは"魔素収束"の能力(スキル)を駆使し、魔法を使用した側から魔素を集めている。魔法を連発しても魔素切れは起きない。魔素を操る為の精神力は消耗するが。

 対して、魔物は自身の体内の魔素を消費して魔法を発動する事もできる。肉体を魔素で構成されていない人間の場合と違い、詠唱しなくても魔法を行使可能な者も居る。

 但し、自分の生命の源である魔素を消費する事は、文字通り生命力を削る事になる。

 リムルが積極的に魔法を連発しないのはこのためであろうとモモンガは推測する。一方リムルは面白く無さそうだ。手に持つ大鎌で攻撃に参加してこないのは、全体を見渡せる位置からすぐにフォローに入るためであろう。

 

 

 ヴェルドラをたっち・みーが、ラミリスをウルベルトが、ミリムをペロロンチーノが、そしてリムルをモモンガが牽制する。ぶくぶく茶釜は戦闘の要所でカバーに回りつつ、冷静に戦況を分析していた。正直、旗色は悪い。それでも、リムル達の能力、戦術、個々の思考の癖に至るまで(つぶさ)に観察し、勝率を高めたい。

 

(やっぱり個々の能力は高いけど、連携には難があるみたい。それを考慮して役割を持たせて、ミリムちゃんが撹乱、戦士二人が各個撃破を狙うわけね。リムルンは今のところフォロー役に回ってる)

 

 彼女の分析は的確で、実際その通りだった。ヴェルドラもミリムも、生まれながらに個として他者を隔絶した強さを備えていた。それ故に誰かと協力して戦う必要がなかった。共通の敵を前に同盟を組むことはあっても、互いに過度に干渉しないことで、潰し合いを避ける目的であった。

 

 ラミリスもまた、精霊女王から妖精に身を落としてからというもの、リムルと出会うまでの間、自分の棲み家に引き篭っている。つまりボッチでニートであった。

 

 そんな彼らはそれぞれに我が強く、味方の動きに合わせて行動する事は苦手としている。それぞれ役割を決めて"棲み分け"することでチームの体を成しているが、それは連携とは違う。個々が己の役割で自分勝手に行動しているだけで、チームワークとは呼べないのだ。

 リムルが全体を見ながらフォローに回っているお陰で均衡が保たれているが、そうでなければラミリスを早々に倒し、ウルベルトとたっち・みーがヴェルドラと二対一で戦えていただろう。

 

 機は熟した。あとは作戦実行のタイミングだ。チャンスは一度きり。

 ヴェルドラを攻めあぐねているたっち・みーの隙を狙ってミリムが動き出した。

 

(マコ)!狙え!」

 

「了解!本気でいくぜ!」

 

 姉の掛け声でペロロンチーノが素早く特殊な矢を二本射掛ける。驚くべき速射能力だ。二本だけ用意した、神聖属性の鏃を着けた特製の矢だ。

 

 一本目の矢は素早くシュンッと小さな風切り音と共に、神聖属性の矢が低く、疾くミリムに迫る。ミリムはそれを矢の軌道上から外れる事でかわし、たっち・みーの背後を取りに行く筈だった。

 

「む!?」

 

 ミリムは避けた筈の矢が、追いかけるように曲がってくる事に気づく。同時に、ウルベルトが振り向き、背中を向け合っていたたっち・みーに向かって走り出していた事に気付いた。

 たっち・みーに合流し二人でヴェルドラを倒つもりか。ならば的が増えるだけだ。そうミリムは狙いを定め、背後から迫る矢を飛び上がってかわし、そのままウルベルトが向かう先に飛び込むように向かう。それこそがペロロンチーノの、そしてウルベルトの思惑通りであった。

 

 

 たっち・みーは、その観察眼によって気付いていた。現在のヴェルドラの戦い方は、本来のスタイルではない。剣と盾を駆使して自分と対等以上に渡り合っている。だがそれは、弛まぬ鍛練によるものと言うよりは、卓越した戦闘センスによるものが大きいのだろう。時折感じる僅かな違和感。体捌きや足運びが、生粋の剣士のそれとは違う気がするのだ。

 つまり目の前のヴェルドラは、優れた戦士として実力を示しながら、未だに底を見せていない、ということになる。

 

(どうにか本気を出させたかったが……)

 

 現状は言わば、相手が常に余力を残している状態だ。このままでは勝ち目がない。しかし勝ち負けよりも、純粋に目の前の強者の本気が見てみたい、自分の力でその気にさせたいという想いがあった。

 しかしそれはどうやら叶わない。ペロロンチーノが仕掛け始めた。作戦が動き出したのだ。自分もチームの為に動き出さなくてはならない。

 たっち・みーは盾を投げ捨て、剣を両手に握る。そしてヴェルドラの剣を正面から受け止める。互いに押し合って、膠着した鍔迫り合いになる   と思われた瞬間、たっちが逆に剣を引く。思わず体勢を崩したヴェルドラ。そこへ助走をつけたウルベルトの"紫電"が迫る。

 ドゴォ!

 

「ぐぉっ」

 

 ウルベルトの強烈な突きを、体勢を崩しながらも辛うじて盾で受けたヴェルドラだったが、盾が弾き飛ばされ、尻餅をついてしまった。まともに食らっていれば、神輝金鋼(オリハルコン)の肉体と言えど、無事では済まなかっただろう。

 既にたっち・みーは上段に振りかぶっている。両手持ちした剣で放たれるのは、今の突き以上であろう。そこで同時にミリムが飛び込んで来ていることに気づく。ウルベルトの後方からはラミリスも迫って来ている。一撃凌ぐ事が出来れば、ミリムとラミリスが合流し、三対二で挟み撃ちにできる筈だ。そう期待してヴェルドラはたっち・みーの剣を受け止めようと右手に持った剣を上げる。しかし、その手にペロロンチーノの放った二本目の矢が命中し、衝撃で剣を取り落としてしまう。無手になったヴェルドラに、たっち・みーの剣が振り下ろされる。

 

 

 突然後方を振り向いて走り出したウルベルトを追い掛け、ラミリスはその巨体で走っていた。視線の先にはたっち・みー達がいる。しかし、ウルベルトにさんざん振り回されたラミリスは冷静さを失っていた。凍りついた足元にも全く注意が向かない程に。

 ガッ

 

「フギャ!」

 

 ラミリスはたっち・みーが投げ捨てた円盾(サークルシールド)を踏みつけてしまう。足を取られたラミリスは斧を持ったままうつ伏せに転倒した。ラミリスのほんの1m先には、ヴェルドラに向かって剣を振りかぶる、たっち・みーの姿。ウルベルトも上半身を大きく捻り、ヴェルドラに何らかの追撃をしようとしている。

 たっち・みーが剣を振り下ろす。

 ヴェルドラは咄嗟に右足を左から振り払うような軌道でたっち・みーの剣を横から蹴りつけた。軌道をずらされた剣は、それでもヴェルドラの右腕を切り飛ばす事に成功した。そのままヴェルドラは地に着いた左手を支点にして体を捻り、馬の後ろ蹴りのように逆立ちのような姿勢でたっち・みーを蹴り上げる。間一髪たっち・みーが膝でブロックするが、体は上方へ2m程も浮き上がった。

 

 ここでミリムがウルベルトに迫る。大きくジャンプしたまま、丁度ウルベルトの頭を目掛けて跳んでいく。このタイミングならば、ヴェルドラに向けて攻撃を繰り出した瞬間、撃ち取ることが出来る。そう確信しかけたその時、ウルベルトがミリムに視線を向ける。そう、始めからウルベルトの狙いはミリムだった。

 

「しま 

 

 バシュ!

 

 空中では大きく軌道変更が出来ず、赤い粘体(ミリム)は、ウルベルトの放った強烈な一撃をまともに受けて消し飛んだ。

 

 空中に蹴り上げられたたっち・みーは、そのまま落下と共にラミリスを叩き斬るべく、剣を振りかぶった。

 ヴェルドラは片腕を失い、ミリムはウルベルトが倒した。ここでラミリスを倒せば、ヴェルドラに一気に攻勢を仕掛けられる。だが、その剣が振り下ろされる事はなかった。

 

 ズンッ

 

「が、はっ……」

 

 たっち・みーが剣を振り下ろすよりも前に、彼の腹に刃が突き立てられていた。それは幽霊(リムル)が持つ、巨大な大鎌だった。突き刺さった巨大な刃の先は、鎧の上からたっち・みーの体を容易く突き破り、背中から飛び出していた。たっち・みーは剣を落とし、力なく腕をブランと垂れて、光の粒子となって消えていく。

 双方に一人ずつ戦力を減らした事になるが、たっち・みーが戦線離脱した穴は余りにも大きい。

 ウルベルトは先程の強烈な攻撃の反動か、右手で左腕を押さえている。息は荒く、剣を握る左手がぶるぶると痙攣を起こしていた。

 前衛の最大戦力と言えるたっち・みーが抜けた今、更にウルベルトまでやられてしまえば、一気に全滅に追い込まれかねない。ヴェルドラは片腕を失ったとはいえ、二人とも前衛が居なくなってしまえば、残る三人では黄金の骸骨と重鎧を押さえられないだろう。

 万事休す。モニターの前で戦いを見守っていた誰もがそう思った事だろう。

 

「大勢は決した、か」

 

「惜しかったけどな……」

 

 ユリウスとマグナスは目を伏せ、残念そうに言う。カルマも沈黙している。だが、ロザリーだけは違った。

 

「まだ勝負は終わっていませんわ!あれを!」

 

 ロザリーがモニターを指差したその先には、かぜっちとモモンガがいた。

 

 

 

 

 

 たっち・みーとウルベルトの前衛二人のうちどちらかを、如何に連携を取らせず、且つこちらの戦力を残したままで倒せるか。それが勝負の分かれ目だとリムルは考えていた。ミリムがやられてしまったのは想定外だが、最大の戦力であるたっちを倒せた時点で勝利は一気に近付いた筈だ。ウルベルトも満身創痍。もう一押しだろう。ウルベルトを倒したあとは、リムルがモモンガの魔法を相殺しながら、ぶくぶく茶釜とペロロンチーノをヴェルドラとラミリスで倒す。それでチェックメイトだ。

 

「フフン、さぁ覚悟なさい」

 

「中々よい勝負であったが、我らの勝ちは決まったな」

 

 ラミリスとヴェルドラが勝ち誇ったように言う。それを聞いて息を弾ませながらもウルベルトはニヤリと笑う。

 

「ふ、もう勝った気でいるのか?見ろよ」

 

「何なのアレ……?」

 

 ラミリスは驚愕した。ウルベルトに言われて目を向けた先には、見た事のない何かがあった。これが切り札と言うわけか。仮想体(アバター)の体では耐えられないかもしれない。

 

「面白い……。さあ、来るがよい!どんな攻撃も耐えきって見せよう!」

 

 ヴェルドラは不敵な笑いと共に、仁王立ちで待ち構える。

 

 

 ぶくぶく茶釜は、ペロロンチーノが仕掛け始めると即座に、風と水の精霊を召喚した。水の精霊が無数の氷の粒を生み出し、彼女は両腕を開いて掌の上に小規模の直径15cm程の小さな竜巻を作り出す。その竜巻は氷の粒を吸い込んでいく。更にモモンガが集めた魔素を、竜巻に練り込む。膨大な魔素を練り込まれた竜巻は、大きさこそ変わらないが、密度がとんでもなく濃厚になっていた。氷の粒が高密度の竜巻の中でぶつかり合い、バチバチと稲妻が走っている。

 準備に時間が掛かり、膨大な魔素が必要になるが、威力は絶大。取って置きの切り札である。

 一番動きが素早く、邪魔に入る可能性が高かったミリムを倒してくれたのは僥倖だった。

 たっち・みーはやられ、ウルベルトもリムルたちに囲まれて絶対絶命の窮地に陥っているが、まだ逆転の目はある。

 

凍雹嵐流(ヘイルストーム)!」

 

 ぶくぶく茶釜が両手を前にかざし、二つの小さな竜巻がぶつかる。ぶつかり合った竜巻は、激しい稲光を発しながら、直径2m程の一つの竜巻を横に寝かせた形になって迸り、リムルたちの方へ伸びていく。

 

魔法障壁(マジックシールド)!」

 

 リムルは魔法障壁を展開した。しかし、強力な竜巻は容易くその壁を突き破り、リムルたちに、そして近くにいたウルベルトも容赦なく巻き込んで襲い掛かった。凍てつく嵐が通り抜けた後、部屋は真っ白な世界と化していた。壁には大きな穴が空いている。

 竜巻に蓄えられていた電気が放出され、そこかしこでピリピリと小さな稲妻が走っている音が、やけに響く。

 四つの白いオブジェが並んでいた。叩きつけられた無数の氷の粒が固まって出来たのであろう。リムルたちとウルベルトが居たところに聳えるように立っている。そのうちの二つが光を帯び、中身が光の粒子になって消えていく。一つはウルベルト、もう一つはリムルだった。残る二つは光らないところを見ると、まだ生きているということか。幽霊は倒せても、金属系の魔物は凍らせただけでは倒せないらしい。凍り付いた層を力で内側から破壊し、ヴェルドラとラミリスが姿を現した。

 

「ク、クァハハハ!残念だったな、我は無傷である!」

 

「焦った~、でも何ともないみたい……」

 

 二人はダメージらしいダメージもなく、体の動きを確かめている。対するぶくぶく茶釜は魔法の余波を受けたのか、左腕は肘まで白く凍りつき、右腕も傷だらけになっている。血が流れ出していないのは、極度に気温が低いためだろう。感電もしたのか、彼女の体からは数本の稲妻が走り出ている。モモンガも立っているのがやっとの様子だ。肩を大きく上下させて真っ白な息を吐き出している。極寒の冷凍庫と化した室内は、しっかり防寒しなければ人間など10分も持たず凍死してしまいそうだ。

 ほぼ無傷のペロロンチーノはまだ動き回る元気はあるだろうが、相性の問題で、ヴェルドラたちには敵わないだろう。今度こそ万策つきた。誰もがそう思った。

 

 

 

 

 

「あー、やられちまったか」

 

 ぶくぶく茶釜の魔法にやられた俺は、迷宮最奥にあるヴェルドラの私室へと戻された。そこで仮想体(アバター)への憑依を解除し、本体(スライム)へと戻った。自動で動く様にも設定出来るが、今はそのままでいいだろう。ミリムは少し早く戻ってきており、頬を膨らませて悔しがっていた。

 部屋のモニターに目をやると、ヴェルドラたちは生き残ったらしい。氷の塊から抜け出している。二対三の状況だが、モモンガたちはさっきの魔法で疲れ果てた様子だし、ヴェルドラとラミリスなら問題なく勝てるだろう。そう思って安心した俺は、何かお菓子でも置いてないかと部屋を見回す。するとシエルが話しかけてきた。

 

《告。まだ決着はついていません。気を抜かないでください》

 

 いや、気を抜くなって言われても……。俺はもう戦線を離れたんだし、気は抜けるだろう。

 

《目を離すと決着を見逃してしまいますよ》

 

 ん?まあ、そうか。折角だから決着の瞬間まで見届けたいしな。

 

「……銀貨か?」

 

 モニターに目を移した俺が見たのは、宙を舞う数百枚の銀貨だった。

 ペロロンチーノが革の袋を投げ上げ、それを弓で撃ち抜いたのだ。中からは大量の銀貨がこぼれ出し、かぜっちの周りの床に落ち  ない。何故か宙に浮いていた。ヴェルドラもラミリスも、何が始まったのかと、呆気に取られて見ている。かぜっちの体は帯電しているのか、細い稲妻が無数に走っている。

 一体硬貨をばらまいて何をしようと   ん?コイン?電気?

 俺の脳裏に、前世で見た、あるシーンが浮かび上がった。

 

「まさかアレって?」

 

《解。ご想像の通りです》

 

「それってヤバイんじゃ……?」

 

 俺はヴェルドラたちの敗北を予感した。




ちょっと長くなってしまいました。もうすぐ魔物の国編は終わります。



ラミリス「当たりさえ、当たりさえすれば~」
ウルベルト「あれを見な」
リムル「まさかアレは!?」

??「ジャッジメントですわ」


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#21 決着と後始末 ~上~

 地下迷宮中級クラスの最下層。そこには本来黒い大蛇が守る、洞窟じみた雰囲気の階層である。経路自体はわりとシンプルで、迷うことはないのだが、ゴツゴツとした岩がそこかしこに点在し、何かが身を隠すために潜むにはもってこいだ。

 かぜっちたちの後に続いて、他の挑戦者たちも迷宮に進入しているのだが、新しくなった迷宮はひと味もふた味も違うようだ。

 

 まず見た目。バリエーションが以前よりも増しており、階を降りる毎に壁や天井の雰囲気が変わる。内装が変わるのは目を楽しませてもくれるが、当然それだけではない。

 不思議な模様が描かれた壁には隠し扉や罠が巧妙に隠されていたり、模様そのものが暗示をかける効果を持っていたりする。中には模様に紛れて魔物が息を潜めていることもある。

 

 様変わりした迷宮は様々な顔を見せるようになり、間違いなくダンジョンそのものの攻略難度が上がっていた。あまりに以前との造りの変化のために、ここが魔物の国(テンペスト)の地下迷宮ではなく、本当に何処かに存在する別のダンジョンに転移したのではないか、と思う者も居たほどだ。

 

 各挑戦者達が苦労して地道に攻略を目指すなか、他の挑戦者達を蹴落としながら進む者達がいた。わざと危険な魔物を差し向けたり、利用した挙げ句に罠に誘導して嵌めたりと、悪辣な手法で、他の挑戦者を殆ど蹴落としてしまった。

 直接的に他の挑戦者達を攻撃し、害するのであれば、制裁処置を取れるのだが、直接手を下さず巧妙に偶然を装っている。ルール線上のグレーゾーンである。

 彼らは別に実力が全く無いわけではない。強者とまではいかないが、中級クラスで通用する程度の力はある。

 ただ、性格の悪さはダントツでトップクラスだ。彼らは現在モモンガ達が戦っているボス部屋の外に辿り着いていた。

 

「おい、扉の向こうからまだ戦ってるような音がしてるぞ。どうすんだ?」

 

 一人がそう仲間に訪ねると、一番若そうな男が答える。

 

「いいじゃないか、折角あいつらが俺達の代わりにボスと戦ってくれてるんだから、好きにさせときゃいい」

 

「戦いが終わって残った方が疲れきってるところを、俺たちが潰すって寸法だな?」

 

 もう一人の男がそう言ってほくそ笑む。そうやってここまで進んできたのだ。今さら卑怯な手段に躊躇う者はこの場には居ない。

 

「なるほど。どっちが勝っても、俺たちには得しかないって訳だ」

 

「そういうことだ。ま、共倒れになってくれるのが一番楽でいいんだけどな」

 

「違ぇねえ。だが、どんなからくりかは知らねーが、あの小便ネーチャン達がここまでまともに来れるわけがねえ」

 

「どうせ大魔王のヤローにケツでも振って媚び売って、イカサマしてやがんだろ」

 

「他の面子も全員男らしいじゃねーか。毎晩五人でよろしくヤってんだろうよ。とんだ好きモンだぜ」

 

 下卑た笑いを浮かべた三人組は、扉の前で戦いが終わるのを待つ間、かぜっち達を扱き下ろし、果てはラミリスやリムルの悪口まで飛び出していた。それがある者の耳に届いているとも知らずに。

 

 

 

 

 

 凍り付いた部屋の中でヴェルドラとラミリスは、戦いの最中であることも忘れて、宙に浮かんだ銀貨を不思議そうに見入っていた。

 

「ほう……?」

 

「重力を無視して浮かんでる。どうなってんのよさ?」

 

 先程とは打って変わって、まるで緊張感のない二人に、モモンガは苦笑いする。

 

「さっきの魔法を食らってピンピンしてるとか、一体どんだけ頑丈なんだよ……」

 

「クアハハハ、仮初めの肉体であっても我にかかればこんなものよ」

 

「ま、アタシが本体だったら今ごろ、全員ワンパンで沈めてたどね」

 

(なんか、ルシ☆ファーさん思い出すな……)

 

 勝手に都合の良い解釈をして調子に乗る二人。誉めたつもりは全くないモモンガはギルドメンバーの一人、イタズラ好きなゴーレムクラフターを幻視し、イラッとする。

 あのヤロウも他人の迷惑を考えず、自分が楽しむ事だけを考えている。そしていつもシャレにならないイタズラを仕掛けてくるのだ。

 

(この人達も他人(ヒト)の話を全く聞かないんだよなぁ。人じゃないけど)

 

 はあ、と軽くため吐き、モモンガはある事を思い付く。

 

「ええ、本当に大した頑丈さですよ。素晴らしい」

 

「ラミちゃん、こんなに強かったんだねー」

 

「うんうん、ヴェルドラさんは偉大だなー」

 

 ぶくぶく茶釜とペロロンチーノも狙いに気付き、一緒になって二人を持ち上げる。

 

「いやー、それほどでも……あるけどねえ、エッヘヘー」

 

「ふ、気づいてしまったようだな。仮初めの肉体でも隠しきれぬ我の偉大さに」

 

 気を良くした二人に、ぶくぶく茶釜が畳み掛けた。

 

「そんな凄い二人でも、次の攻撃は耐えれないんじゃないかな?」

 

 これは勿論、正面から攻撃を受けさせるための誘導である。そう簡単に避けられるとも思わないが、折角苦労して、ウルベルトとたっち・みーを犠牲にしてまで(死んではいないが)ここまで漕ぎ着けたのだ。最後の最後で万が一にも外してしまっては、目も当てられない。

 

「ほほう、我を挑発するか。だが、あえて乗ってやろうではないか!」

 

「ヨユーヨユー!真正面から受け切って見せようじゃない!」

 

「ホントにぃ?」

 

 親指を立てて快諾した二人に、念押しをする。

 

「ふふん、我に二言はない!」

 

「そこは信用して欲しいワケ!」

 

(チョロ……)

 

 こんな見え透いた手に乗ってくれるなんて、チョロいなんてもんじゃない。

 二人に感謝しつつ、言質は取ったとばかりに早速行動を開始する。

 

「じゃあ行くよー」

 

 とりあえずは一枚、試運転だ。

 

「ばっちこい!」

 

「いつでも来るがよい」

 

 ヴェルドラもラミリスも、仁王立ちで余裕しゃくしゃくだ。ぶくぶく茶釜の知るアニメの情報を元に、再現出来るか試してみたいという話は出ていたが、一度も試したことはない。迷宮最後のボス戦で出来そうならやってみようという事にしていたのだ。

 

 その為、再現できるかどうかさえもわからない。いきなりのぶっつけ本番だ。無事に再現出来たとして、果たして通用する威力なのか。

 不確かな手段だが、他にやれることはない。ぶくぶく茶釜は両腕に怪我を負い、モモンガは魔法と"魔素収束"の使いすぎで既に精神力の限界だ。

 ペロロンチーノは唯一元気だが、ヴェルドラ達に通用する攻撃手段を持っていない。これが通じなければ本当にお手上げなのだ。

 ぶくぶく茶釜がゆっくりとコインに手をかざす。そして   

 

「行け!」

 

 瞬間、細い一条の光が煌めいた。その光はヴェルドラの肩を掠め、そして背後の壁に到達していた。あまりの疾さに咄嗟に反応出来なかったヴェルドラがギギギと首を後ろに向けた。

 後ろの壁を見ると、コインほどの極小さな、しかし深い穴が開いていた。竜種たるヴェルドラの本来の肉体ならば余裕だろうが、現在の仮想体(アバター)では、反応さえ難しい。ラミリスに至っては……お察しである。

 

「なん、だと……?」

 

「ししょー、ヤバくない?」

 

 今更慌て出す二人であったが、モモンガ達は退路を断つ。

 

「あれれー?もしかしてビビっちゃってます?」

 

「ヴェルドラさん、さっき二言はないって……」

 

「……言ったよね?」

 

「ぐ、う、うむ。確かに言ったな……」

 

 ヴェルドラは迂闊な自分の発言にするが、後の祭である。最早退路がない事を悟った二人は覚悟を決めるしかなかった。

 気が変わらないうちにとモモンガがソソクサとぶくぶく茶釜の横に立つ。

 

「集まれ」

 

 モモンガが静かに呟くと、空中にバラバラに散らばっていた銀貨が、ゆっくりとある一点に向けて集まりだす。短時間だが濃厚な魔素にあてられていた銀貨は、僅かに魔素を吸収し、"魔素収束"の影響を受けていた。

 ヴェルドラ達も僅かに身体を引っ張られるような感覚を覚えるが、引き摺られる程ではない。

 コインが集まるその中心は、ぶくぶく茶釜の目の前だ。

 

「行っけえぇぇ!!」

 

 彼女が拳を突き出した瞬間、無数のコインたちは一気にヴェルドラたちに向けて殺到する。音速を越えたその弾丸は、レーザーのように無数の光の筋となって飛んでいく。

 撃ち出された数百もの超音速の弾丸を、避ける暇もなく浴びたラミリスは、無惨にも蜂の巣の如く穴だらけにされた。ヴェルドラも自慢の神輝聖鋼(オリハルコン)の骨がヒビだらけになり、所々砕けている。

 数瞬の静寂のあと、二人は光の粒子になって消えていった。

 

「や、やった……」

 

 フラフラになりながらも、力なく喜び合うモモンガとぶくぶく茶釜。しかしその喜びも束の間だった。

 

「よお、ごくろーさん」

 

 不意に、どさり、という音と共に背後からした声に振り向くと、ペロロンチーノが倒れている。傍らには三人の男がいる。完全に気を抜いていたとは言え、気配の察知に優れたペロロンチーノが背後を取られるとは、只者ではない。

 モモンガは素早くぶくぶく茶釜の前に立ち、ペロロンチーノと三人を交互に見やる。

 

「何をしたんですか?」

 

「いやー、()()睡眠毒を入れといた瓶の蓋が開いちまって、この人ににかかっちまったみてーだ」

 

 モモンガの問いに三人はにやけながら答えた。()()()やったことは明白だ。

 

「それで?我々が疲れた隙を狙って襲うつもり……ですか?」

 

「へへ、まさか。挑戦者同士で争うのは御法度なんで。けど、不慮の事故に巻き込まれたんなら仕方ないよなぁ?こんな風に!」

 

 男はナイフを上に向かって投げた。凍り付いた天井から伸びていた氷柱が一斉に落ちてくる。モモンガとぶくぶく茶釜は、すんでのところで氷柱を躱す。

 

「そらそら、ドンドン落ちてくるぜぇ?」

 

 次々に落ちてくる氷柱を避けながら、モモンガは疑問に思う。こんなに無差別に氷柱が落ちてくれば、自分達だって危険なはずだ。余程自分達に当たらない自信があるのか、それとも自分達の怪我のリスクを気にしない、狂人の類か。

 

(なるほど……躱し切る自信があるからこそ、無差別に氷柱を落とせるわけか。しっかし、こんなの有りか?どう考えても攻撃だよな、これ。

 直接仕掛けなきゃセーフなのか?)

 

 三人はかなり身軽で、凍り付いて足場が悪いにも関わらず、かなりの速度で動けるようだ。

 だが解せない。これほど動きが速いならば、さっさと出口へ向かえば、一番乗り出来るはず。

 態々モモンガ達を付け狙う意図が分からない。

 氷の粒子が舞い、濃い霧のような(もや)がかかった部屋は酷く視界が悪くなっている。激しい疲労で朦朧とする意識の中、モモンガが考えていると、一番若そうな男が、歪んだ笑みを浮かべながら喋り出す。

 

「数多の挑戦者がリタイアする中、俺達だけが攻略出来たとなりゃ、一躍有名人だぜ。つーワケでアンタ等もありがたく踏み台になってくれや、ギャハハハ!」

 

「チッ、クソが……」

 

 下らない。自分達の名声のために、他者を蹴落として回るなどという自分勝手な理屈に、怒りが込み上げる。

 だが、自分は満身創痍、魔法を使おうにも、詠唱の隙に詰め寄られてしまうだろう。

 ぶくぶく茶釜は両腕を負傷し、腕輪の効果で痛みが和らいでいるとは言え、腕を上げるのも辛いはずだ。コインも先ほど、全て撃ちきった。ペロロンチーノは眠らされている。

 

(くっ、何が最善だ?考えろ……)

 

 悔しいが今は逃げ回るしかない。ウルベルトとたっち・みーがそろそろ合流するはずだが、それまで持つかどうか。

 

(いや、持たせて見せる  っ?)

 

 思考を続けるモモンガだったが、彼の意識はここで唐突に限界に達した。視界がぐるりと回転したかと思うと、体勢を崩してそのまま床に突っ伏した。

 

「モンちゃん!」

 

「おっと、ぐへへ……」

 

 モモンガの元に駆け寄ろうとしたぶくぶく茶釜を、三人は下卑た笑みを浮かべて囲む。ウルベルトとたっち・みーはまだ戻って来ていない。靄となって辺りを包んでいた氷の粒子は、胸の辺りまで降りてきており、下の方の視界は遮断されている。

 

「いよぉ、ネーチャン。オムツ(プレゼント)は役に立ったか?大人しくいうこと聞いてくれりゃ、悪いようにはしないぜ?」

 

 三人は、彼女の全身を舐め回すような目付きで見ながら、じりじりと距離を縮める。その目には明らかに劣情の炎が灯っている。

 

「お仲間とも毎日よろしくヤってたんだろ?今日は俺達の息子も可愛がってくれよ」

 

「三人でたっぷり可愛がってやっからよぉ」

 

 ぶくぶく茶釜は俯いたまま動かない。バサリと垂れた髪に隠され、表情は窺い知れない。

 

「しおらしくなっちまって、たまんねぇなぁ、オイ。興奮しちまうぜ」

 

 靄が晴れていれば、男達のはしたない屹立が主張していることがハッキリと見て取れたであろう。最も、靄が晴れていても好き好んで見たがる者など皆無だが。

 

「ヒィヒィ言わせてやるぜ……ん?」

 

「きょうぞうちゃん……」

 

 何かを小さく呟いた彼女はゆっくりと顔を上げ、妖艶で扇情的な表情で男を見上げた。そして男の胸元にそっと手を置く。

 

「仕方ありませんわねえ、()()()()がまとめて遊んで差し上げますわ」

 

 濡れた艶っぽい声で囁かれ、ゆっくりと下へと滑っていく指に、男は理性を何処かに忘れて来てしまったようだ。だらしなく鼻の下を伸ばし、鼻息を荒くしている。淫靡な妄想に囚われた男達は、欲望で思考を埋め尽くされる。

 ゆっくりと降りていった手がベルトを掴む。更にベルトにもう片方の手もかかった。

 

「さあ、もっと腰を突きだしてくださいまし……」

 

「こ、こうかぁ?うへへ」

 

 ぺろりと舌舐めずりした彼女の顔がゆっくりと沈み込み、破裂しそうな下腹部の膨らみに向かっていく。

 膨らむ期待に、ゴクッと男の喉が鳴る。靄のせいでよく見えないが、吐息がかかりそうな位に近くに感じる。間もなく訪れるであろう至福の瞬間を夢想する。

 

(くぅ~、まさかこんな淫乱女だとはよぉ。俺はツイてるぜえ~)

 

 バチュッ!

 

「はうッ!?」

 

 期待していた快楽の代わりに訪れたのは、何かが潰れるような音と、同時にやってきた体を駆け巡る激痛であった。

 すぐ側で見ていた二人も、ナニが潰れた音なのか察し、顔を青くする。

 ぶくぶく茶釜の渾身の膝蹴りが、パンパンになったズボンの膨らみを思い切りかちあげたのだ。衝撃で内部の金の玉子が破裂し、皮の包みからこぼれだした。ズボンの中は、血の色で真っ赤に染まったミンチになっていることだろう。

 蹴られた男は体をくの字に曲げてパクパクと口を動かしている。顔は蒼白どころか土気色だ。ビクビクと全身痙攣しながら、そのままばたりと横に倒れた。

 

「いい音ですわねえ。さあ、お次はどなたでしょう?」

 

「「   ッ」」

 

 恍惚とした表情を浮かべる彼女に、思わず短い悲鳴が出る二人。目の前の女は笑っているが、瞳の奥には狂気を宿している。今直ぐにでも逃げ出したいのだが、どうしたわけか二人とも()()()()()()()()()()()。更には()()()目を逸らす事もできなくなっている。

 

「では、先に目が合ったアナタにしましょう」

 

「ヒッ、ヒイィィッ!」

 

「お、おい、やめろ!やめてくれ!」

 

 先に目が合った男は情けない悲鳴を上げ、もう一人も必死で叫ぶ。それに対し、彼女は楽しげに返事をする。

 

「あらあら、そんなに慌てなくてもいいんですのよ。ちゃんと順番に遊んで差し上げますわ。プレゼントのお礼も兼ねて、たっぷりと……。きひッ」

 

 ズンッ!

 

「ぐっは!!」

 

 二人目は仰向けに床に倒れた。股を開いたままビクビクと痙攣し、身動きが取れないようだ。彼女はそこへ優雅な足取りでゆっくりと歩み寄る。

 

「く、来るなっ、来るなあぁぁ!」

 

 倒れた男は必死で声を張り上げる。濃い靄の中、それが自分の居場所を知らせる目印になるとも知らずに。そして   

 

 ゴキンッ

 

「ぐわああっ!あ、足が、足がぁ!」

 

 気味の悪い骨折音と悲鳴が響く。足の骨が折られたようだ。靄が濃く、何が起きているのか音でしか窺い知れない。

 

「あらあら、外してしまいましたわ。次は外しませんわよ」

 

「ひぃっ、た、助けてくれぇぇ!!」

 

 パキュッ

 

「ぎいやあああああああッ!」

 

 小気味良い破裂音と共に、男の断末魔の叫びが響いたあと、辺りを静寂が包む。最後に残った若い男は既に顔面蒼白で、ブルブルと身震いする。あの女は一体何処へ行ったのか。胸の辺りまですっぽり隠すような靄のせいで、どこにいるか全く分からない。既にすぐ近くにまで来ているかもしれない。手足は未だに動かない。

 

「ばあっ」

 

 突然胸元から眼前に迫る女の顔に驚き、心拍が跳ね上がる。だが言葉だけでも抵抗を見せようと、強気に返す。

 

「お、俺様を誰だと思ってる!こここ、こんなことしてタダで済むとお、お思ってんのか!?」

 

「心配はいりませんわよ。綺麗に消して差し上げますから。ああ、いい表情になりましたわねぇ…!

きひッ、きッひひひひひひひッ」

 

 歪ませた口から狂気じみた笑い声が洩れ出し、室内に木霊する。見開いた黒く円らな瞳には爛々とした狂気を宿して見える。男の宝玉を戯れに潰して愉悦に浸るなど、狂気の沙汰だ。粟立つような恐怖を間近に感じ、男はガチガチと歯を鳴らして震え上がる。

 

(こ、この女、狂ってやがるっ)

 

 身動きできないままの男のベルトに手が掛かる。このあと訪れるであろう激痛を想像する。このまま意識を手放すことができればどんなにいいか。

 男はゴクリと喉を鳴らし、その時を待つしかなかった。

 

「さ、寒……」

 

「はっ、モンちゃん!?」

 

 急に彼女の声音が変わる。先程までの狂気染みた雰囲気が嘘のように霧散し、立ち上がったモモンガに駆け寄る。

 

「大丈夫?」

 

「茶釜さん……ええ、どうにか……っそうだ、さっきの男達は?」

 

「もう大丈夫ですよ」

 

 いつの間にか来ていたウルベルトが答える。たっち・みーはペロロンチーノを助け起こしていた。実はこの二人、モモンガが倒れると同時に部屋にたどり着いていたのだった。姿勢を低くしてこっそり忍び足で近付き、不意討ちをかけようとしていたのだが、その必要はなかった。

 

「たっちさん、ウルベルトさん!良かった、二人とも間に合ったんですね?」

 

「え、ええ、まあ……」

 

 たっち・みーは曖昧に返事を返す。実際やったのはぶくぶく茶釜だが、少々過激な内容なので、事実を言いづらかった。

 

(モモンガさんは何も知らない方がいい……)

 

「うん……?って、寒っ!」

 

「ペロロンチーノさん、起きましたか」

 

「あれ、俺いつの間に寝てたんだろ?」

 

「ソコの三人に襲われたんですよ。ペロロンチーノさんは睡眠毒で眠らされてました。たっちさん達が助けてくれなかったら危なかったですよ」

 

 目を覚ましたペロロンチーノにモモンガ状況を説明した。気付けば靄は晴れ、部屋全体が見渡せるようになっている。

 

「う、これウルベルトさんが?いくらなんでもやりすぎでしょ。こわー」

 

「ん?そ、そうか?」

 

 制裁された二人を見て身を抱えて怖がるペロロンチーノ。先程からチラチラと目配せをしてくるぶくぶく茶釜にウルベルトは内心怯えていた。然り気無く、余計なことは言うなと目で訴えてくる。

 

(俺はお前の姉貴が怖えよっ)

 

 倒れた二人の男は股間は血で真っ赤に染まり、ピクピクと痙攣している。生命に関わる程の致命傷ではないので、腕輪の蘇生効果は発動していない。痛覚遮断の効果は如何程かは分からないが、それでも痙攣して気絶してしまうのだから、余程であろう。

 

「さて、残る一人はどうしましょうか」

 

 モモンガがまだ無事らしい男を見やる。腰を抜かして尻餅をついている若い男は、何故か呆気に取られたような表情をしている。モモンガとペロロンチーノ以外はその理由に察しがついているのだが、あえて何も言わない。

 

(まあ、怖い思いも充分したようだから、これ以上はやりすぎかな。茶釜さんも無事だったし)

 

「コイツら、茶釜さんに如何わしい事を仕出かそうとしてましたからねえ」

 

 モモンガはもう許してやってもいいと思っていたが、ウルベルトのその言葉を聞いて怒りが再燃する。

 

(茶釜さんに如何わしい……だと?)

 

 自分でも何故こんなにも腹が立つのか分からないが、未遂とはいえ、ぶくぶく茶釜に薄汚い欲望を向けられた。その事実に、怒りが込み上げてくる。

 

「…………」

 

 黙り込んで内心燃え盛っているモモンガの怒りに、ぶくぶく茶釜が更に油を注ぐ。

 

「こ、怖かったよぉ」

 

 いやいやいや絶対嘘だろう、と内心で突っ込む三人だが、彼女の言葉は本当である。複数の男に囲まれて歪んだ欲望を向けられれば、誰だって怖い。先程の別人のように豹変した姿は、決して別人格や彼女の本性等ではない。極限の状況に追い込まれた彼女が、必死で考えて思い浮かんだとある人物を演技(ロールプレイ)しただけであり、狂人染みた言動とは裏腹に内心では怯えていたのだ。

 モモンガは座った目で男を見つめる。表情の抜け落ちたような顔で静かに。完全にぶちギレている。

 

「皆さんお揃いですね」

 

 と、突然女性の声がした。皆が声のした方を見ると、見目麗しい女性が立っていた。




茶釜さんによるジャッジメントの回でした。


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#22 決着と後始末 ~下~

若干汚いシーンがあります。お食事中の方はご注意下さい。


「貴女は?」

 

 突然現れた妙齢の美女にたっち・みーが尋ねると、彼女は優美な笑みを浮かべ、自己紹介する。

 

「初めまして、私はトレイニーと申します。この迷宮の管理人の一人です」

 

「おい、管理人!いきなりコイツらが俺達に危害を加えてきt「お黙りなさい!」

 

 迷宮の管理人と聞き、文句を言い出した若い男。自分の行いを棚に上げ、取り入ろうとしたのだろう。しかし、トレイニーと名乗った女性はピシャリと一喝し、男を黙らせた。

 

「あなた方の言動は見ていました」

 

「だ、だったら何だよ?別に明確なルール違反はしていないはずだぜ?」

 

「それはどうでしょうか」

 

 トレイニーの目付きが冷たいものに変わる。先程まで見せていた柔和な笑顔は既にない。

 

(ああ、この人がリムルが言ってたトレイニーさんか)

 

 モモンガ達はリムルが以前してくれた、ラミリスの配下の話を思い出していた。

 リムルが作った魔導人形に受肉した悪魔、一時期離ればなれになっていたが、ラミリスが精霊女王だった頃から仕え、再会を果たした樹妖精(ドライアド)、他にも四体の竜王達。特に樹妖精(ドライアド)はラミリスに心酔し、蝶よ華よと甘やかしているのだとか。いずれも人間では到底敵わない程の実力者だとも言っていた。

 

「貴方がたの、我が主に対する無礼な言動……看過できるものではありません」

 

「主?一体誰の事を言ってるんだ?」

 

「この迷宮の支配者、ラミリス様です」

 

「なんだ、あのザコチビ妖精か。あんな弱っちそうなのが魔王だなんて信じられねえよな。

 どうせ他の魔王達のお情けで魔王にしてもらったオマケみたいな奴だろ?色気もねーし、あんなのの下に付かされるなんて、あんたも大変だな」

 

「我が主を愚弄するとは……」

 

 ワナワナと怒りに震えるトレイニー。

 

(うわぁ、コイツ馬鹿なの?いや、ある意味天才か?ここまで無自覚に相手の神経を逆撫でするなんて、俺でもしないぞ。

 トレイニーさんがリムルさんの言っていた通りの人物だとすると、完全に死亡フラグじゃんか、これ)

 

 ウルベルトやぶくぶく茶釜が呆れ顔をする。ペロロンチーノは感心していいのか憐れんでいいのか迷いながらも、とりあえずトレイニーを宥めようと試みることにした。彼は普段おちゃらけてはいるが、和を重んじる男だ。

 普段なら樹妖精(ドライアド)であるトレイニーに真っ先に食い付きそうなものだが、危機察知能力が鍛えられたおかげか、この場は流石に空気を読んだ。魔王が認める程の実力者が、怒りのままに暴れたりしたら、こちらにも被害が及びかねない。

 

「ま、まぁまぁトレイニーさん。そこのボンクラにはラミリスさんの()()()()()()()は理解できないんですよ。可哀想ですよね、彼女の魅力を理解できないだなんて」

 

「そう、でしょうか……」

 

 あくまでもラミリスは魅力溢れる存在であると強調しつつ宥めにかかると、トレイニーは少し態度を軟化させた。おや、意外とこの人もチョロいんじゃないか。そう思っていると、予想通りの質問が飛んできた。

 

「貴方は?ラミリス様の魅力がわかるのですか?」

 

「あ、ペロロンチーノって言います。最近知り合ったばかりなんですが、ホント素晴らしい人ですよね。あのつぶらな瞳は凛々しくきらめく知性を宿していて、凛とした佇まいは気品を漂わせつつも、気さくに周りに接するその姿は慈愛に溢れていますよね」

 

「……!そうです!まさにその通りなんです!」

 

 花が綻ぶような満面の笑顔に変わり、激しく同意してくるトレイニー。背中に冷や汗をかきつつ、ペロロンチーノは胸を撫で下ろす。

 

(リムルさんに話聞いといて良かったぁ。

 ぶっちゃけ、凛々しさとか気品とか、俺にもサッパリわかんないんだよなぁ。

 気さくで接しやすいし、かわいいとは思うけど)

 

 ペロロンチーノの説得ですっかり気を良くしたトレイニー。意外とチョロい。ラミリスといい、トレイニーといい、こんなにチョロくて大丈夫なんだろうか。ラミリスの配下だからなのか、それともこの世界の魔物とは皆こんなに素直なのか。

 しかしトレイニーとしても立場上、このまま何もせず引き下がるわけにもいかない。

 グレーゾーンを突かれたとはいえ、何の咎めもなく彼等をのさばらせては、奴等に妨害を受けた他の者達は納得しないだろう。そうなれば迷宮の秩序や信用、引いてはラミリスの名誉に傷が付きかねない。

 頬に手を当て、困った顔をするトレイニー。その姿はおっとりとしたお姉さんという感じでとても絵になる。

 

「あの、彼らについては我々の方で対応させてもらえませんか?ちょっとした因縁もあるので……」

 

 モモンガは自分達の手で始末を着けたいと提案する。彼の怒りはまだ冷めていないらしい。しかしトレイニーは首を縦に振らない。

 

「ダメです。迷宮の管理人として、挑戦者同士での争い事や報復行為を認めるわけにはいきません」

 

「ルールがどうでもいいとは言いませんが、外法の輩を裁く為に、時には外法の手段も必要ではないですか?」

 

「うーん、しかし……」

 

「まあ、俺達に任せてくださいよ。蘇生の腕輪もあるし、命まで取ったりはしないので安心してください」

 

「それに、こういうのは誰かがやらないと。俺達は異世界人で、この世界にしがらみがあるわけじゃないし、うってつけだと思いますよ」

 

 ウルベルトの説得にも渋るトレイニーであったが、ペロロンチーノとたっち・みーも乗っかり、遂に彼女も折れた。

 

「そこまで言うならお任せします……。しかし、蘇生の腕輪があるとはいえ、死亡するほどの事はしないで下さいね」

 

「わかってますって」

 

 まだ心配そうにするトレイニーに、ペロロンチーノが陽気に答える。

 

「おい、散々コケにしてくれやがって。お前ら、俺様を誰だと思っている!子爵だぞ子爵!どうだ、驚いたか!」

 

 どうやらこの若い男は貴族の血筋らしい。人間相手ならなんとかなると思ったのか、権力を傘に着て、モモンガ達に強気な態度に出る。

 ウルベルトは怒りを抑えるために目を逸らした。男はそれをみて、権力による脅しが有効だと勘違いしたようだ。

 興が乗ったのか、頼んでもいないのに男は得意気に暴言を吐き続ける。

 

「俺には地位と才能がある!親父みたいな名前だけの無能なボンクラと一緒だと思ったら大間違いだ。お前ら全員カザック家の力の前に平伏させてやる。

 手始めに全員裸で町中を引き回し、そこのイカれ女は、二度と嘗めた真似出来ねえように俺様専属の性奴隷として調教してやる。1から(18禁のため中略)   自分から喜んで奉仕するようになるまでなあ。ギャハハハハ」

 

 貴族のような支配者階級、特に偉ぶった高慢なクズが大嫌いなウルベルトだったが、眉間に皺を寄せながら、男の話を黙って聞いていた。自分以外にも懸命に怒りを押さえ込んでいる者が居ることに気付いたからだ。

 

「つまり、我々を捕まえて引き回し、彼女を奴隷にする。それがそちらの選択、意思表示と言うことで間違いないですか?」

 

 一通り言い終えた男にモモンガが静かに問いかける。彼は相手の主義主張を尊重する。例え相手の末路がどうであれ、その選択を否定しない。そしてひとたび選択が為されたなら、途中から変更は受け付けない。

 

「そういうことだ。ああ、折角だからお前らの目の前で裸にひんむいて  

 

「クズがあぁぁぁぁ!!!」

 

 それまで淡々とした態度で平静を装っていたモモンガが、突如烈火のごとく激昂した。

 

「お前はあああ!俺の大切なっ、大切な仲間達を侮辱しぃぃいい!!

 あ、あまっ、あまつさえ、茶釜さんをぉぉお!!!」

 

 迸る激しい怒気と共に叫びを上げるモモンガ。たっち・みーとウルベルトは息を飲み、ペロロンチーノは思わず一歩後退る。ぶくぶく茶釜もぶるりと身を震わせた。ユグドラシルでも彼の激昂した姿を見ていたが、表情も動かないアバターの時とは違い生の迫力は段違いだった。

 

「はっ……すみません、少しばかり取り乱してしまいました。一応、アレの処分について多数決を採りたいと思いますが……?」

 

 モモンガの激昂ぶりは少しどころではなかったが、気を取り直して議論に移る。

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は多数決を重んじる。場合によっては効率は悪いが、クセの強い連中の集まりだ。細かいルールよりも、実力至上主義や年功序列のような、単純明快で強い強制力のある原則の方が合っている。

 彼らの場合は多数決がそれである。ギルドの方針など重要な議題ともなれば、態々手の込んだ資料を用意し、現実(リアル)の会社さながらの真剣(ガチ)なプレゼンを行うこともある。

 

 今回に限って言えば、決を採る前から結果は決まっている。モモンガが激昂したように、皆が抑えがたい怒りを抱えていた。初めから赦す気など毛頭ない。

 

「俺達に喧嘩を売ったこと、後悔させてやりましょう。変な正義感で止めないでくださいよ、たっちさん?」

 

「止めませんよ。酌量の余地は微塵も有りません。こういった手合いには灸を据えてやらないと、付け上がりますからね」

 

「身内の生々しい姿を想像させやがって。久々に本気でムカついたんで、三人まとめてやってやりますよ」

 

「あいつら……生理的にムリだわ。みんなに任せる」

 

 男性陣が怒りを示す中、ぶくぶく茶釜は身を竦め、ゴキブリを見るような嫌悪の表情を浮かべている。

 

「じゃあ決まりですね。茶釜さんは無理せず下がっててください」

 

 こうして多数決は採るまでもなく決定した。三人組の運命が決定付けられた瞬間だ。

 

「お前ら、自分の言ってることがわk「おい」

 

 呆気にとられていた男が何か言いかけたが、ウルベルトが割り込んだ。

 

「子爵だか小癪だか知らねーが、つまんねーゴタクはもうウンザリなんだよ」

 

 それを聞いて漸く状況を悟ったのか、焦りだした男を見据えてモモンガが静かに宣告する。

 

「最早悲鳴と呪詛の言葉以外、聞きたくないぞ……」

 

 

 

 

 

 迷宮モニター前はざわついていた。死を齎す迷宮の意思(ダンジョン・ドミネーター)達との戦闘の途中、かぜっちが無数の閃光のような何かを放ったところで映像が途切れてしまっていたのだ。映像の復旧が早いか、

 それともかぜっち達の帰還が早いか。

 

「なあ、勝ったと思うか?」

 

「たぶんな」

 

「でも、だったら何でまだ誰も出てこないんだ?もう結構経ってる筈なんだが……」

 

 確かにおかしい。決着がついたのであればすぐに出てこられるはずだ。まさか、負けてしまったのか。それとも何らかのトラブルに巻き込まれているのだろうか。外には、リタイアした他の挑戦者達もおり、彼等の中には例の三人組の妨害工作に気付いている者もいた。

 

「まさか奴等が……」

 

 あの三人組が何かしでかしたのではないか。そんな不安が広まり出した頃、かぜっち達が姿を表した。

 

「おお、帰ってきたぞ!」

 

死を齎す迷宮の意思(ダンジョン・ドミネーター)に勝ったのか!!」

 

「はっはー!あいつらマジでやりやがった!」

 

 集まっていた者達から歓声が上がる。抱き合う者、涙を流す者、大声を上げる者、祝いの言葉をかける者など、皆それぞれの方法で喜びを表現する。まるで英雄の凱旋のようだ。

 歓声に包まれ、照れ臭そうにするモモンガ達五人。と、モニターが切り替わり、コホン、と声が聞こえた。モニターにはなんとリムルが映っている。観衆はどよめき、何事かとモニターを見つめる。

 

「あー、皆さんが見ていた通り、かぜっち達は迷宮の中級クラスを見事制覇した。まずはおめでとうと言わせてもらおう。

 気付いているかもしれないが、挑戦者の中にかなり悪質なパーティーが居て、他の挑戦者は蹴落とされてしまったそうだな。彼らも被害を被り、特に女性のかぜっちは危ないところだったようだ」

 

 再び観衆がどよめきだす。

 

「やっぱアイツらか……!」

 

「は、破廉恥な!」

 

「俺の嫁をよくも……」

 

「どさくさ紛れにふざけた事言ってんじゃねえ、彼女は()()嫁だ」

 

 皆驚きと共に、一斉に騒ぎ出す。中には意味不明な声も聴こえるが、皆例の三人組に対し、憤怒の感情が見てとれる。そこで再びリムルが口を開いた。

 

「だが、安心してほしい。そいつらは既に彼女達が返り討ちにした。本来は禁じている事だが、今回のケースに限っては特例として彼ら自身の手で制裁する事を認めた。今はこうして身柄を確保している」

 

 カメラが向きを変え、リムルが向いた方を映し出す。そこにいたのは、悲惨としか言い様のない有り様の三人だった。

 顔は誰だか判別できない程パンパンに腫れ上がり、上半身は裸で、あちこち痣だらけ。下半身は()()()を履かされ、既に黄色く染まり股間部分は不自然にモッコリと膨らんでいる。そして太い棒状の何かがそれぞれの尻から30cm程飛び出している。

 刺のある蔦で後ろ手に縛り上げられ、がに股で中腰という苦しいポーズをさせられており、足はプルプルと痙攣していた。

 しかし、何故か彼等の表情は苦悶に歪んでいる様には見えない。むしろ嬉しそうですらある。

 リムルの隣に控えていたディアブロが、微笑を浮かべながらステッキのようなもので、男達に刺さっている棒をコンッコンッと順に叩いていく。

 

「オッオゥ、キクゥ!」

 

「クッ、クオオッ」

 

「あっあっああ……」

 

 涎を垂らし、怪しげな声をあげながら悶える男達。どうやら禁断の扉を開いてしまったようだ。

 言うまでもなくモニターの前の者は須くドン引きである。女性達はまさにゴミを見るような目を向けている。リムルも顔をしかめていた。

 

「皆さんの妨害をしたのは俺達ですぅ!」

 

「俺達、調子に乗ってましたああ!」

 

「反省してますぅ!ですから、ですからあぁ、ひと思いにいぃぃい!」

 

「クフフフ、では遠慮なく」

 

 ゴゴゴンッ!

 

「「「ハッヒィィィイ!」」」

 

 カメラは既にリムルに向けられているが、見えないところでしょわわわ~っとかブバッブリブリッという音が聴こえて来る。

 リムルは「うわぁ」とあからさまに嫌そうな顔をしたが、すぐ気を取り直したらしい。軽く咳払いをして、話を続ける。

 

「コホン、とにかく。この通り罰は十分に与えたので、被害に遭った他の挑戦者の皆も、これで怒りを静めてくれ。以上だ」

 

 モニターの映像はそのまま途切れた。場には何とも言えない、微妙な沈黙が降りる。

 

「おかしいなぁ、どこで加減間違えたんだろ……」

 

 ペロロンチーノが沈黙に耐えきれず、口を開く。あの三人を未知の扉へと導いた張本人は彼であった。

 

「はは、失敗でしたね」

 

「順番を間違えたかも知れませんね。先に前をほじくってから後ろに移るべきだったか……」

 

「……ソッチの方に道を外れなければいいのですが」

 

「はは、アレは俺も想定外でしたよ。何が悲しくて野郎を悦ばせなきゃいけないんですかね?どうせ悦ばせるなら女の子「弟、黙れ」あ、ハイ」

 

「「「えええええええええ!?」」」

 

 五人の周りの全員が驚愕した。その反応は尤もである。とんでもない仕打ちをしておきながら、「ちょっと失敗したな」とでも言わんばかりの軽いノリで済ませる男。「前をほじくる」とは一体()()を指すのか。

 そして、その主犯とおぼしき男をかぜっちが弟と呼び、たった一言で黙らせる。

 一体どれに驚けばよいのか。いや、全てに驚くべきか。

 

「弟って、かぜっちの実の弟か?」

 

「な、なあ?他には何する気だったんだ?気になって夜寝れねぇよ」

 

「かぜっちさんも一緒に仕込んだんですか?」

 

「なにっ?それはなんという……なんという甘美なご褒美だろうかっ!?」

 

 次から次に質問が飛び出し、辺りはどんどん大騒ぎになっていく。中には変態願望を叶えてくれと懇願するものも現れたが、すぐに周りにタコ殴りにされて退場していった。モモンガ達はそうしてしばらく揉みくちゃにされながら質問攻めにあっていた。

 

「何というか、すごい人達だったな」

 

「ふっ、色んな意味でな」

 

「ああ、お姉さま……もう会えないんですの?」

 

 かぜっち達が去り、人が減り始めた迷宮のモニター前で、カルマが呟く。ユリウスも気の抜けたような表情で応えた。ロザリーは寂しげに俯いている。

 

 かぜっち達は明日自分達の世界へ帰るらしい。

 可愛くて、歌がうまくて、強くて、変態?な彼女は、出会った人々に忘れられない強烈な印象を残していった。きっとまたその内に会えるさ、そう言って空を見上げるマグナスに、ユリウス達も何となくそんな気がして、一緒に空を見上げたのだった。




次回で、魔物の国(テンペスト)編は終わりです。
何だかんだで長くなりましたが、ようやくオーバーロードのスタートが見えてきました。


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#23 帰還

テンペストからリアルへ帰ってきます。意外と長かったですね。

初っぱなから微エロな内容を含みます。ご注意下さい。


「んっ……あっ……ひゃんっ」

(も、もう、そんなとこまでっ

「楽にしていてください」

 

「んうううっ!はーっ、はーっ……」

(あ、もうすぐ……)

「痛みはないですか?すぐ済みますので……」

 

「はぁっ、あっあっんっ……あぁあぁっ!」

 

(ヤダ、これ……スゴっいっ、こんなの、こんなの……我慢できないよおおっ!もう、もうっ、イクっいっちゃうぅうう!)

「もう終わりましたよ。お疲れ様です」

 

「はー、はー、はー……」

 

(……も、もうちょっとで……)

 

 突っ伏したまま、呼吸を乱してぐったりとしているぶくぶく茶釜に、淡々と終了を告げるシエル。

 イイところで終わってしまい、ぶくぶく茶釜はガッカリような、ホッとしたような、複雑な心境だ。

 

「う、うん、ありがと……」

 

 ぶくぶく茶釜は少し潤んだ瞳でシエルに礼を伝えた。頬は上気し、しっとりと汗ばんだ肌はきめ細かく艶めいている。彼女は少しばかり名残惜しそうにしながらその場を立ち上がり、熱を帯びた身体を冷やそうと水を浴びる事にした。

 

 魔物の国(テンペスト)へ来てからと言うもの、風呂場でのマッサージは既に日課のようになっていた。しかも、徐々に遠慮がなくなってきている。スライムエステは主に肌の手入れが中心なのだが、次第にデリケートな部分も攻められ、今や肌どころか言えないような所までスライムが這い回るようになっている。

 

 肌は十代の頃にも優るのではないかというほどきめ細かくスベスベになっているし、体型も余分な肉や余った皮もなくなり、胸はやや控えめだが、かなりのプロポーションだ。ついつい鏡の前でポーズを取ってしまうのも仕方がないことであった。

 

 しかしこのスライムエステ、端から見れば卑猥にしか見えないだろう。際どいマッサージで悶絶する姿など、もし誰かに見られたら恥ずかしいなんてものではない。

 特に、デリケートな部分は快楽の波が怒濤の如く押し寄せ、我慢していても喘ぎ声が出てしまう。卑猥に見えるどころか卑猥であった。

 

(こんなに小さいのに、なんてテク……でも、どうせなら……)

 

「……ねえ、シエルちゃん」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

 美しくもあどけない琥珀の瞳で見つめ返してくるシエル。幼い無垢な彼女にきっと悪気はない。汚れを知らず(?)、ただ献身的にマッサージしてくれている少女に対して、肉欲のままに「もっとして欲しい」なんて頼めるはずもない。

 シエルが可愛いくて仕方がない彼女だが、越えてはいけない一線というものは弁えている。それに、そんなことになったら弟に示しがつかない。そう言い聞かせ、理性で無理矢理に言葉を押さえ込んだ。

 

「う……や、やっぱり何でもない……」

 

 はぁ、と小さくため息を吐く。()()()1人でこっそりと、火照った体を慰める事になりそうだ。

 

「……これを」

 

「これって……?」

 

「プレゼントです」

 

 浴衣に着替えたぶくぶく茶釜に、シエルは小さな箱を手渡した。シエルから何かを受け取り、箱の中を覗いたぶくぶく茶釜は頬を染めて恥ずかしそうに、しかし嬉しそうな表情を浮かべる。

 

「ありがと。シエルちゃんだと思って大事に使うね」

 

「はい」

 

 

 

 

 

 

「「「「いらっしゃいませー!」」」」

 

「あっリムル様ー!」

 

 美しく、それでいて面積の少ない扇情的なドレスを身に纏った、耳の尖った妙齢の美女達。その中のひとり、人懐っこそうな童顔の女性が嬉しそうに駆け寄ってくる。

 走ってくる彼女の、あどけない顔に似合わしくないほど見事な二つの丸い膨らみ。

 それがぷるんぷるん、いや、ぶるるんっぶるるんっと何処かに飛んでいってしまいそうなほど激しく揺れる。面積の少ない服装でそんなに暴れては、大事な先っちょが今にもこぼれ出てしまいそうである。

 思わず前屈みになってガン見してしまうのは男の(さが)か。

 

 

「「「「お、おお……っ!」」」

 

「フオォォォ!エロfじゃなかった、耳長族(エルフ)のお姉さん!カワイイー!みんな超カワイイ!!」

 

「いよーっす」

 

「リムル様、お連れ様も、ようこそお越しくださいました。ゆっくりしていってくださいね」

 

 俺はモモンガ達を連れてエルフのお店に来ていた。PVPの勝利報酬と、協力の慰労を兼ねて。

 ちなみにかぜっちは別行動だ。シエルに誘われて一緒にゆっくりお風呂に入るとかなんとか。

 あの二人、やけに仲良しなのだ。二人で何かコソコソとやっているんじゃなかろうか。

 特にシエル先生は、かぜっちを巻き込んで何か企んでいそうである。気づいたらかぜっちが魔改造されていないか心配だ。

 

 それはそうと、「買い物がてら食事に行こう」と言って四人を連れ出した。せっかく男だけになったんだから行くところは決まっている。

 

 ウルベルトとモモンガは美女達に挟まれて、カチコチに緊張していた。顔が赤いのは酒のせいだけではないだろう。なんだ、コイツらもしや童貞か?まるで思春期の中学生のような初々しいリアクションにはつい笑ってしまった。

 

 ペロロンチーノは感激して鼻の下が伸びっぱなしだ。コイツ本当にブレないな。姉に知れたらやっぱり叱られるんだろうか。

 

「お兄さん、こっちこっち」

 

 エルフのおねーさんに手を引かれ、モモンガが別席へと連れていかれた。ウルベルト達は不思議そうに見送っていたが、10分程して戻ってきた。

 頬を真っ赤にしたモモンガに、エルフのおねーさんが笑いかける。

 

「ウフフ、お兄さん溜まってましたねぇ」

 

「あ、お、お陰さまでスッキリしました……」

 

「ちょ、まさか!?おねーさん、俺もスッキリしたいですぅ!」

 

「ちょっと待て。ここは先輩の俺が先だろ!」

 

 ペロロンチーノとウルベルトが我先にと言い合いを始める。普段真面目なたっちもいつの間にか参戦し、事態は更に紛糾し出す。何か勘違いをしていそうだ。

 

 結局みんなスッキリさせてもらい、あとは美人のおねーさん達とお酒を飲みながらキャッキャウフフと談笑した。みんな楽しんでくれたようで何よりだ。いい気分のまま日常(リアル)へと帰ってもらおう。

 

 

「「あっ」」

 

 酔っ払って帰った俺たちは、部屋から出てきたかぜっちとバッタリ会った。しっとりと汗を滲ませた彼女は、少しばかり呼吸が乱れ、頬も赤みが差している。室内で暴れてたのか?

 

「汗だくじゃないか。どうかしたのか?」

 

「こ、これはその、運動をしてて……健全な。そう、美容と健康のために」

 

 そうか、そういうところは女子だな。自分磨きに余念がないようだ。

 

「遅かったねー、皆今帰ってきたの?」

 

「え?ええ。皆でお酒を飲んで来ました。楽しかったですよ」

 

「そっかぁ。私も行けばよかったかな」

 

「いや、それはちょっと……」

 

「女子はちょっとな……」

 

「え?何?どういうこと?」

 

 かぜっちが気になって、ペロロンチーノとウルベルトの話に食いつく。

 

「モモンガさん、溜まってたらしいんだよね」

 

「で、エルフのおねーさんにスッキリさせてもらったんだ……」

 

「……へっ?」

 

「ちょ、言い方!変な言い方しないでくださいよ!みんなやってもらったでしょ!」

 

 かぜっちは二人の発言にあらぬ想像をしてしまったのか、すっ頓狂な声を上げた。

 モモンガも顔を赤くしてワタワタと慌てる。

 

「ああ、誤解しないように言っておくと、耳そうじをしてもらっただけだぞ?」

 

「あ、ああ、そうなんだ……ビックリした」

 

 ホッと胸を撫で下ろすかぜっち。しかし、ペロロンチーノがまた余計なことを言い出す。

 

「でも凄かったですよねぇ、モモンガさん。膝枕で太ももと巨乳に挟まれて……」

 

「ええ、感触がこう……はっ!?」

 

「モモンガお兄ちゃん?」

 

「っ!ハ、ハイ……」

 

 いきなりお兄ちゃん呼びするかぜっち。ジト目でモモンガを見つめている。しかしその口角は上がっており、からかうような表情である。

 

「お兄ちゃんはぁ、おっきいのが好きなんだぁ?」

 

「え、あ、いやその……」

 

「お兄ちゃんのエッチィ」

 

「ぐっはぁ!!違うんですよ!あ、あれは不可抗力で!その……」

 

 かぜっちは冗談半分でからかっているだけなのだろうが、それに気付いていないのか、モモンガは顔を真っ赤にしながら必死で弁解している。かわいい奴だな、なんて呑気に思っていると、今度は俺にまで飛び火してきた。

 

「ていうか、一番楽しんでたのはリムルさんだけどね。スライム姿でおねーさんに抱っこされて、デローンってなってたし」

 

「ええー、ヤラシー。あっ……」

 

「…………」

 

 かぜっちの声に後ろ振り返ると、無言でシエルが立っていた。腕を組み、これまたジト目で見ている。しかし、かぜっちと違い、全く笑っていない。肉体がないときは、《……》に、呆れのようなものを感じたものだが、こうして肉体を持った彼女の表情を見ると、明らかな不機嫌さを浮かべている。かなりご立腹のご様子だ。汗などかかない肉体なのに、背中に冷や汗がダラダラと垂れているような気がする。

 

「随分とお楽しみだったようですね」

 

「ま、まあ、な」

 

「面白くありません」

 

「うっっ」

 

 あちゃあ、とペロロンチーノが額に手をやる。モモンガやウルベルトも気まずそうにしている。子供には見せられない親の恥ずかしい姿を見られてしまった気まずさのようなものを感じる。

 かぜっちがシエルをひしっと抱き締めて頭を撫でる。

 

「寂しかったんだよねー、シエルちゃんは。悪い大人は放っといて、今日はお姉さんと一緒に寝よっか」

 

「はい」

 

 かぜっちの提案にシエルはアッサリと頷き、二人は手を繋いで部屋へと入っていった。何だろう、この敗北感。どんなに一緒に遊んで可愛がっても母に勝てない父親のような、そんな心境だ。そこはかとなく寂しさのようなものを感じた。女性の持つ母性には勝てないのか。

 微妙な空気の中、残された男たちも解散するのだった。

 

 

 そして翌朝。

 

「ごはぁっ────っとアブね、一瞬意識が……」

 

「え、ちょっと大袈裟じゃない?」

 

 いや、かぜっち。嘗めてかかってはいけない。魔物の国(テンペスト)のリーサルウエポンを。

 これを作ったのはシオンなのだろう。あれほどセンスが皆無と思われたシオンも、料理は進歩している。以前はとてつもないメシマズで、とても食えたものではなかった。初めて食べさせてもらったスープは、料理とは思えないどす黒いナニカだった。スープと言われたそれの表面にはシミュラクラ現象   三つ点があると顔と認識してしまう錯覚   ではない何かが浮いていた。その後味見役を命じたベニマルなど、毒耐性を獲得したほどだ。

 

 しかし最近ではシュナに料理のいろはを叩き込んでもらった成果があって、それなりにまともになっていた。

 ところが最近になって、見た目は旨そうに、しかし味は不味く作るという、わけのわからない研究をしているようなのだ。それって一体誰得なんだ……?

 

 因みに誰の仕業かは訊かなくてもわかっている。バレないように俺の分だけ巧妙に入れ替えるとは。本人は我関せずとばかりに涼しい顔でお茶を啜っている。いかん。これ以上先生を怒らせてはいけない。そう思った俺は、エルフのお店は暫く自粛しようと心のメモにそっと書き足すのだった。

 

「うぐっ!?あ、が……」

 

 モモンガ、好奇心は時に身を滅ぼすということを覚えておくといい。

 指先につけてひと舐めしただけで、その威力を十分に発揮したようだ。喉を押さえ、白目を剥いて痙攣している。

 

「きゃああ!?モンちゃんしっかり!」

 

 かぜっちが慌ててモモンガをガクガクと揺すっている。結局俺がポーションをかけて回復させてやり、事なきを得たのだった。

 

 

 

 

 

 そして出立の時。

 

「さて、お前ら忘れ物はないか?」

 

「大丈夫。皆さん、大変お世話になりました」

 

「「「「お世話になりました」」」」

 

 モモンガたちは見送りに来た面々に礼を告げる。ディアブロやラミリス、ヴェルドラはもちろんのこと、ミリムやヒナタも来てくれている。

 意外な事にギィもいた。とっくに自分の城に戻っていて、特に連絡もしていなかったのに、いつの間にか来ていたのだ。ギィはニヤリと笑みを見せ、短い言葉で別れを告げる。何故か視線はウルベルトに向いていた。

 

「またな」

 

「?え、ええ、また……」

 

 視線を受けていたウルベルトも戸惑いながら挨拶を返す。あのギィが特別強者でもない人間に興味を示すなんて思いもよらなかった。彼が興味を持ち得るのは、少なくとも実力を認めた相手だけだと思っていたが。まあ、いいか。気に入ったのならそれはいいことだし、多分。深く考えるのはやめよう。

 

「じゃあそろそろ行くぞ」

 

 俺は気を取り直して異世界への門(ディファレンシャルゲート)を開いた。

 

 

 

 

 

 モモンガたちは自分の日常(リアル)に戻ってきた。異世界へと旅立った時と同じ時間帯、同じ場所に。

 リムルはいつも通り、飄々とした態度で、別れを惜しむ雰囲気は微塵も見せない。モモンガが訊ねる。

 

「リムル……」

 

「ん?」

 

「また、会えるかな?」

 

「当たり前だろ。また遊びに来るさ。友達(ダチ)だろ?俺達」

 

「そっか、うん、そうだな。ははっ」

 

 ニッと笑顔を見せるリムルに、モモンガは安心したようだ。笑顔で握手を交わす二人。それを暖かい目で見守るペロロンチーノ達。

 

「あっでも……」

 

 ペロロンチーノが懸念していたことを告げる。ユグドラシルではディアブロとリムルに不正(チート)疑惑がかかっているのだ。傭兵NPCとして雇っていたギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に何らかの罰則も与えられかねないとも。

 正確にはチートどころではなく、本物の異世界の魔王なのだが、実際に見てきた者でなければそんな話信じられるわけもない。ギルドの先行きに一抹の不安があるが、ほとぼりが冷めた頃にリムルが一度様子を見に来るという事になった。

 

「無事でいてくれよ?」

 

「当然」

 

「楽しみに待ってるからね」

 

「ギルドは守って見せるよ」

 

「今度はリムルさんもプレイヤーとして、会いましょうね」

 

「向こうの方々も是非ご一緒に来てください」

 

 その約束がそのまま叶うことはない。だが、その時点では、誰もが信じていた。ユグドラシルで再会することを。

 

「またな」

 

 また明日、というような気軽なノリで別れの挨拶を告げ、リムルは異世界へと帰って行った。




これで魔物の国(テンペスト)編は終わりです。
ここまで気長に読んでくださり、ありがとうございます。

次回からはオバロ原作の時間軸に入れるかなぁ、でも前置き長くなりそうだし、ユグドラシルのサービス終了日に到達できるかしら・・・という感じです。


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日常編 ~異世界転移序章~
#24 彼らの日常(リアル) ~1~


新章に入りました。
オーバーロード原作のスタート、異世界転移の前に、ユグドラシルのサービス終了日に向かって、リアルの出来事に触れておきたいので。

異世界転移を楽しみにして下さっている皆さん、すみませんがもう少しお待ちください。

サクッと三話位でこの章は終わっていくつもりです。


 モモンガ達が異世界から帰還した日の夜、モモンガの元に一通のメールが届いていた。差出人はユグドラシルの運営だ。

 

(うわぁ、やっぱり来たか。さて、鬼が出るか蛇が出るか……)

 

 モモンガは緊張しながら本文を開封する。

 

「これは   !?」

 

 

 翌日、モモンガの緊急召集により、『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバーはナザリック地下大墳墓の円卓の間に、都合がつかない数名を除いた全員が集まっていた。

 

「急な召集にも関わらずお集まりいただき、ありがとうございます。これからお話しする内容は、極秘事項としてくれぐれも他言は避けて下さい。皆さんも気にかけていらっしゃる、リムルとディアブロの件です」

 

 モモンガの言葉を聞いて、ギルドメンバー達に緊張が漂う。

 NPCどころか、プレイヤーでもあり得ないような奇天裂な行動の数々。討伐隊百人以上を相手に無双してのけたディアブロの圧倒的な強さ。それはチート意外に説明が付かないであろう。知らなかったとはいえ、不正(チート)プレイヤーを招き入れてしまったという事実と、このタイミングでギルドマスターからの緊急召集。否が応にもギルドの暗い先行きを想像してしまう。

 

不正(チート)だったということですか?運営の手入れ確定ですかね……」

 

 ヘロヘロが不安そうに発言する。皆が思っていても口には出せなかった言葉を聞いて、重苦しい空気になった。

 

「それについては、これから説明します。昨夜、運営からメールが届いていました。それが今回の召集の理由の一つです。リムルとディアブロについて、ギルドに責任を問わない、とのことです。その替わりに、二人に関する全ての情報の徹底した箝口(かんこう)を要請されました」

 

 モモンガの言葉に動揺し、ざわつくギルドメンバー達。ユグドラシルの運営が箝口令を敷くということは、何らかの圧力が生じているということは容易に想像がつく。しかし、いくら世界的人気を博するゲームの運営といえど、警察など捜査機関に求められれば当然情報を開示して捜査に協力しなければならない。にも関わらず、箝口を敷けるということは、捜査機関にも何らかの圧力がかかっているということだ。

 

 しかし、ユグドラシルの運営だけでなく、捜査機関に対してまでも圧力をかけられるような存在など、世界中探しても数える程だ。

 世界を牛耳る指折りの複合総合企業か、或いは世界的な影響力を持つ政治家や資産家。それぐらいしか考え付かない。いずれにせよ、絶大な権力の持ち主であることは間違いない。

 それほどの権力が重い腰を上げてまで隠そうとするリムルとディアブロとは一体何者なのか。背後になにか大きな陰謀めいたものを感じずにはいられない。

 

「実は先週末、私一人で本人達に現実(リアル)で会ってきました」

 

「「なっ!?」」

 

「「「えぇ!?」」」

 

 モモンガがとんでもないことを告げ、皆が驚きの声を上げる中、死獣天朱雀がゆっくりと口を開いた。

 

「モモンガ君、随分危ない橋を渡ってきたねえ。今回は無事だったからよかったようなものの、相手次第じゃ命に関わる可能性だってあったんだよ?」

 

 穏やかな口調で、子供を諭すように語りかける死獣天朱雀。周りの動揺とは対照的に、とても落ち着いた声である。

 彼の指摘は尤もだった。不正改造をするプレイヤーなんて大抵ロクな輩じゃない。一般人が法に触れる行為をしていることもあるが、そんなケースはごく一部で、大抵は何らかの危険な犯罪組織に関わる者だろう。そんな者に自分から関わりに行くなんて危険すぎる。

 

「すみません朱雀さん。危険は承知していましたが、どうしても会っておきたくて……」

 

「ふむ。気持ちはわからないでもないけど、モモンガ君。実は君の事を心配して、たっち君や茶釜君達が私のところに相談に来てたんだよ。知っていたかな?」

 

「え?そうだったんですか?」

 

「言ったでしょ?あまり深入りしてはいけないって。君は皆に心配をかけまいとして黙っていたんだろうけど……。君は自分が考えているよりもずっと皆から大切に思われてるということを自覚した方がいい」

 

「そうですよ。本当にビックリしましたよ」

 

「はぁ、マジでよかった。モモンガさんに何かあったら今頃ソイツん所に殴り込んでるとこだぜ」

 

「本当に、危ない事は今回限りにしてくださいね」

 

 死獣天朱雀の言葉に、餡ころもっちもちと武人建御雷、一緒に異世界までついてきてくれたたっち・みーを始め、皆が口々に暖かい心配の言葉をかけてくれる。

 モモンガは思わず胸が熱くなった。こんなにも自分の身を案じてくれるとは思ってもいなかった。

 

「皆さん……すみませんでした」

 

「モモンガ君、そこはありがとう、でしょう?」

 

「あ……そうですね。ありがとうございます」

 

 気を取り直して話を進めなければ。運営に圧力をかけたのが何処の誰で、何の目的かまではわからない。だが、この事はリムルが再び来たときに受け入れてくれるよう、皆を説得するのには好都合だ。

 モモンガはリムルと出会ったときのことを話し出した。もちろん、彼が考えた作り話だ。

 

 指定した待ち合わせ場所に来たのは"ディアブロ"を名乗る男性だった。彼に案内された邸宅で、一人の少女が待っていた。ディアブロは彼女の家の使用人で、まだ幼い少女がリムルだった。

 ディアブロの話によると、少女は病弱で家から殆ど出たこともなく、友人と呼べる相手は一人も居なかった。母は早世し、父は仕事で忙しく、三年ほど顔を会わせていないという。

 家を出られない彼女は孤独に耐えかね、オンラインゲームで繋がりを作る事を考えた。しかしまだ幼く、電脳化手術に耐えられる体力がないため、通常の手段では電脳空間にアクセスすらできなかった。

 そんな折、電脳化手術を受けなくても電脳空間にアクセス出来る改造端末をネットのジャンクショップで発見し購入したそうだ。

 

 NPCを装っていた理由や、今回会おうと言い出した理由を問い質したところ、少女は泣きながら滔々と語った。

 友達が欲しかったが、うまく話せる自信がなかった。正体がばれて、迷惑をかける前に辞めようと思ったが、楽しくてやめられなかった。会おうと思ったのはせめて直接会って謝ろうと思ったから。

 

 自分の作った嘘の設定をカンペも無しでスラスラと話していくモモンガ。営業職は伊達ではない。モモンガの言葉を、ギルドメンバー達もじっと静かに聞いていた。

 

「どうやら父親がかなりの権力者と繋がりがあるらしく、そのコネで箝口令を出させたそうです。しかし使っていた端末は取りあげられ、彼女はユグドラシルには電脳化手術を受けるまで実質ログインできなくなってしまいました」

 

 モモンガは皆に嘘を吐くのは胸が痛んだが、真実を話したところで、とてもではないが信じては貰えないだろう。(いたづら)に混乱させるよりは、リムルが再び戻ってこられるよう、みんなが納得できそうな落としどころを作った方がいいと判断したのだった。

 

「そこで皆さんに提案、というかお願いがあるんですが……」

 

 モモンガはここで本題を切り出した。

 

「もし彼女が、正規の手段でユグドラシルを再開する日が来たら、このギルドに迎え入れてあげる事は出来ないでしょうか?何年も先の話かも知れませんが……」

 

 友達を作りたくて不正な手段に手を出してしまった孤独な少女というモモンガの話は、ギルドメンバーに同情的に受けとめられた。

 しかし、簡単に受け入れる事も躊躇われた。一度不正に手を付けたものはなかなか全うな道には戻れない。今のところは箝口令のために情報が簡単には漏れないだろうが、もしどこからか情報が漏れ、収集がつかない事態になるかもしれない。ギルドに爆弾を抱え込むようなものだ。

 リムルの正体を知っているたっち・みーやペロロンチーノ、情に厚い武人建御雷等を含む賛成派。対して、ぷにっと萌えやベルリバー等頭脳派メンバー中心の慎重派が意見を戦わせ、会議は紛糾を極めた。

 

 途中、るし☆ふぁーが珍しく神妙な声色でモモンガに訊いてきた。

 

「モモンガさん、その少女は何歳位だった?」

 

 ペロロンチーノじゃあるまいし、何でそんなことを訊くのかと思いながら、モモンガはシエルをイメージし、おそらく10歳位だったと答えた。すると、るし☆ふぁーが驚愕の声を上げた。

 

「何だと!?まさか、まさかそんな……何ということだ!」

 

 普段ふざけてばかりいるるし☆ふぁー。そんな彼のただ事ではない驚きように、他の面々にも動揺が広がる。何かとんでもないことに気付いた様子だ。件の少女に何か心当たりがあるのか、などと周りが思い始めたその時。

 

「見損なったぞモモンガさん!」

 

「!」

 

 まさか作り話に気付かれてしまったのだろうか。リアルであればおそらくびっしょりと冷や汗をかいているだろう。動揺を悟られないよう取り繕うのが精一杯で、言葉を返せない。

 

「まさか、まさかモモンガさんがペドだったとは……!お巡り(たっち)さん、この人が犯人です!」

 

「……えぇー」

 

(一体何の犯人だよっ!て言うか何故たっちさんまでこっち見てんですか!?)

 

 とんでもない誤解をされているが、どういう思考を辿ったらそんな発想が出てくるのか、モモンガには全く理解できなかった。

 

「ぶっく……ぶわっはははは!ぺ、ペド……ひはっ、そ、そうきたか……ふっ、ぶは、ふ、腹筋がっ火ぃ噴きそうだっ」

 

「モモンガさん、確認ですが……違いますよね?」

 

「違うに決まってるじゃないですか!」

 

「え、何なの?ペドってなに!?」

 

 武人建御雷の大笑いを切っ掛けに、他の面々も一気に騒ぎだす。たっち・みーは念のためにと事実確認を取り、意味が分からず話に付いていけない餡ころもっちもちがしつこく尋ねる。ペロロンチーノは人差し指を立てて餡ころもっちもちに解説し始めた。

 

「ロリとペド、どちらも少女好きを指す言葉ですがそのアプローチが違います。親愛と性愛、まぁ簡単に言ってしまえばロリが正義で、ペドは悪です」

 

「うーん、たっちさんとウルベルトさんみたいな?」

 

「まぁそんなところです」

 

「何がそんなところですだ……焼き鳥にされたいのか?言っておきますが私にはそんな趣味はありませんからね」

 

 ウルベルトはペドと悪を同列扱いされて抗議をする。どうやら彼の中でも忌避すべき案件らしい。餡ころもっちもちに弁明しておく辺り、ペロロンチーノと違って女性の視線は気になるようだ。

 

「あはは、わかってますよ。ただの言葉のあやですって。ウルベルトさんは巨乳だーい好きですもんね?」

 

「ちょ、おまっ……ああああ、もう」

 

 女性メンバーの前で胸の好みを暴露されるウルベルト。餡ころもっちもちは生温い視線を向け、やまいこは腕を抱えて胸を隠して恥ずかしそうにしていた。ウルベルトは顔を背けて顔を覆い隠し、羞恥に悶える。こんなときにぶくぶく茶釜がいれば止めてくれるのだが、今日は生憎と欠席している。

 

「はぁ……」

 

 騒がしくなった円卓の間で、モモンガは草臥れたように肩を落とし、盛大にやさぐれた溜め息を吐いた。

 

 ピコン。

 

「うわっと?」

 

 欠席の予定だったが思いの外仕事が早く終わり、遅れてログインしてきたぶくぶく茶釜を出迎えてくれたのは、円卓の間で繰り広げられるカオスな空間であった。

 

 たっち・みー他数名から逃げ回っているるし☆ふぁー。大笑いして床を転げ回る武人建御雷と弐式炎雷。胸を隠すように腕を抱えるやまいこ。彼女の視線を受け、両手で顔を覆い隠すウルベルト。餡ころもっちもちが引いているのに気付かず、『ロリコンの正義』なるものを熱く語っている弟。そして、哀愁を漂わせて肩を落としてうなだれるギルドマスターであった。

 

 

 

 

 

 

 ぶくぶく茶釜と気を取り直したモモンガ、たっち・みー等によって騒動を収め、多数決が採られた。

 従来の二つの加入条件(1.社会人であること、2.アバターが異形種であること)のうち、社会人であることについては緩和しても良いが、その代わり不正(チート)を絶対にしないと誓うことを条件にギルド加入を認めてもいい、という話で落ち着いた。

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバー数41人は他のギルドと比べて人数が少ない。元々少数派の異形種限定という加入条件に加え、情報系ギルド『燃え上がる三眼』によるスパイ騒動があって以来、新たなメンバーの加入はなかったのだ。やまいこの妹でさえ、人間種(エルフ)であるために客としてもてなしはすれど、ギルドへの加入を認められていない。そんな『アインズ・ウール・ゴウン』に、加入予定が出来たのだった。

 

 るし☆ふぁーのせいで途中おかしな一幕はあったが、モモンガが考えたストーリーは皆に受け入れられ、どうにか話がまとまった。たっち・みーやウルベルトはモモンガの辣腕ぶりに感心していた。

 ただ死獣天朱雀だけは、モモンガの嘘に気付いていた。会議後にこっそりと耳打ちして教えてくれたのだ。

 

「伊達に長生きしてないって事さ。何を隠しているのかはわからないけど、まあ多くは聞かないよ。僕は黙っているから、安心して」

 

 ごめんよ、この年になるともう腰が痛くて。そう言って静かにログアウトしていった。モモンガは嘘を言った自分を信用してくれる彼の度量の深さと優しさに感謝した。普段は「僕が学生の頃はまだ空が青い日もあってね、君にも話したかなぁ……」と何十回も同じ思い出話をする痛いところがあるが、こういうときにも揺るがない落ち着き払った態度はなんとも頼り甲斐がある感じだ。

 

「茶釜さん、うちの部長より断然怖かった……やっぱ彼女は怒らせちゃダメですわ」

 

 そう言って震えているのはフラット・フットだ。いつもより数段低い声で、調子に乗った弟を本気で叱る所を目撃した彼は本気で怯えていた。

 彼にペロロンチーノがホモ疑惑をかけたことから、弟を叱りつけるぶくぶく茶釜を目撃しているが、そのときより更に怖さが増しているようだ。実は言葉だけでなくリアルに腕力でも弟を組伏せる事ができる、とは言わない方がいいだろう。

 

「ところでその()、本当の所はどうなんですか?かわいいんですか?」

 

 彼は自らの武器に「つるん・ぺたん」と名付けている事からもわかるように、敬虔なヒンヌー教徒であり、ペドではない。そのはずだ。

 

「いい加減その話題引っ張るのは止めてもらえませんかね……」

 

 自分を揶揄っているだけだと思い直し、疑惑を思考から追いやったモモンガは、辟易したと言わんばかりに肩を落とし、やれやれと首を振った。

 

 

 

 

 

 

 それからひと月ほど経ったある日     

 

 モモンガこと鈴木悟は、いつものように会社を定時に上がり、帰路に着いていた。ペロロンチーノが親元を離れて職場の近くで独り暮らしを始めるのだ。その引っ越し祝いも兼ねてこれから『アインズ・ウール・ゴウン』のギルドメンバー有志でオフ会の予定なのだ。

 

「いよーっす」

 

「あ、どうも……」

 

 突然挨拶をしてきた男に愛想よく挨拶を返すものの、悟は内心慌てている。目の前の男に、全く見覚えがない。少なくとも得意先の人間ではないはずだ。もし得意先の人であれば、顔も覚えていないなど失礼にあたる。

 

(マズいぞ、誰だか全く思い出せない)

 

 このご時世にしては珍しく中肉中背の健康的な体型で、やや天然パーマのかかった黒髪黒目の男。悟よりは年上だろうが、色ツヤの良い健康的な顔をしている。

 

(顔色がいいところを見ると、裕福層の……ん?顔?)

 

 汚染された大気でガスマスク必須のハズの野外を、目の前の男は素顔丸出しで立っている。何処かで聞いたような馴れ馴れしい(フランクな)挨拶。この時点で悟は気付いてしまった。

 

「えー、もしやとは思いますが……」

 

「おっ察しがいいな、俺だよ俺」

 

「ああ、やっぱり……リムル()()、その格好は一体?」

 

 目の前でオレオレ詐欺のような科白を宣う、日本人男性にしか見えない何者かは、やはりあのリムル・テンペストだった。

 

「ああ、これか?ふっふっふ、実はな……」

 

 いつもの美女の姿ではなく、何故オッサンの姿なのかと問う悟に、勿体ぶったようにニヤリと笑うリムル。女性の姿のときより、今の方がこういう表情は似合っていると思う。

 

「俺の前世の姿だ。なかなかのナイスミドルだろ?」

 

「へ、へぇ。……それで今日は何をしに?」

 

 コイツ、最早何でもありか。悟は驚きを通り越して呆れてしまった。前々から常識はずれだとは思ってはいたが、前世の姿とは。リムルのいう通り、見た目も中々良い。たっち・みーこと近藤巽ほどではないが、悟よりイケメンである。あくまで悟の主観だが。悟は微かに嫉妬を覚えながらも、用件を聞いた。

 

「今日これからオフ会なんだろ?俺も  

 

「は?何でソレ知って   誰から聞いた!?」

 

「それぐらい聞かなくても、お前のメール履歴をチョチョイ、と」

 

「いやそれダメだから!プライバシーの侵害だから!」

 

 憤慨する悟を、細かいことは気にするなと悪びれもせずバシッと背中を叩き、笑い飛ばすリムル。端から見れば、気心の知れた友人に見えたかもしれない。片方がガスマスクなしで平然としている男でなければ。

 

「あ、鈴木先輩じゃないですか、お疲れさまです。……もしかして先輩のご友人の方ですか?」

 

 そう言って声をかけてきたのは、鈴木悟の職場の後輩、一条彩葉(いろは)だ。彼女が新入社員だった頃、少し面倒をみたことがある。高卒で入社してきた一条は、いわゆる小悪魔系女子というやつで、あざとかわいく男性社員を掌の上で転がすようなタイプだった。

 

 一条は悟をそもそも男性として見ていないのか、いわゆる裏の顔も悟には見え隠れさせていた。相手を慕っているような親しげな態度で会話していたと思ったら、相手が居なくなった途端に「何でどうでもいい会話をあんなに長く出来ますかね」等と辛辣な言葉を笑顔で吐く。

 親しい女性の居ない悟は、女の子って皆こんな風なのかと当時密かにショックを受けていたのだった。彼女曰く、建前と本音を上手に使い分けることで人間関係はうまくいくんだそうだ。悟には割と本性を晒しているのは、誰か一人は本音を知って貰えないと息が詰まってパンクしてしまうとも。

 そして悟なら「先輩なら信頼出来る」と言っていた。「先輩なら御し……」と言いかけて改めて言い直した事には触れない方が身のためだろう。

 

(一条さんに言われると言外に「お前友達居たのかよ」って言われてるように聞こえるなぁ……確かに会社で友達いないけど)

 

 一条の裏の顔を知る悟は内心で一人ごちながらも、リムルに彼女を紹介する。リムルを一条にどう紹介しようか迷ったからそうしただけだが、社会人のマナーとしては立場の低い人を先に紹介するものなので、矛盾はないといえる。

 

「ええっと、こちらは会社の後輩で、一条彩葉さん。一条さん、こちらは   

 

「三上悟です。鈴木くんとは昔の先輩後輩の仲でね、ついさっきバッタリ会ったんですよ」

 

「そうだったんですかぁ」

 

 リムルは空気を読んで自分から名乗ってくれた。言いながら上着の懐からガスマスク……ではなく仮面を取り出して顔に付ける。見た目はなんの機能も持たないお面にしか見えないが、素顔を晒しているよりはマシか。こういう機微を察してもらえるのは悟としてもやり易い。いきなり異世界ヘ連れていくなんて破天荒なことはしないようだと胸を撫で下ろした。初対面の女性との会話でも堂々としている辺り、出来る男っぽく見える。

 

「なるほど、君が一条さんか。お話はかねがね……」

 

 三上と名乗ったリムルは、今会ったばかりで名前しか知らないはずの一条の事を、さも知っているという素振りを見せる。

 

「え?何か言ったんですか先輩?変な事言ってませんよね?」

 

「いえ何も。一条さんをからかってるだけですよ」

 

「へ?」

 

「はは、ばれたか」

 

「も、もおぉ、三上さんたらぁ」

 

 表面上は可愛らしく怒ってみせる一条。悟は、私かわいいでしょ、と思っているのが透けて見える気がした。

 

「先輩、せっかくだから少しお茶していきません?三上さんともお話してみたいですし」

 

 一条の狙いはリムルだろう。一条は気になったらすぐに手を出……声を掛けるタイプだ。まだオフ会までは多少時間がある。リムルならこういうのをあしらう事にも慣れているだろうと予想し、了承した。

 

 

 

 

 

 

 近くに見かけた喫茶店に入った。店内は昔ながらのレトロな雰囲気だが、水に色を着けただけにしか思えないコーヒーが出てくるだけだ。嘗ては気にせず飲んでいたが、魔物の国(テンペスト)で本物を知ってしまった悟には、物足りなさを感じさせた。三上も一口飲んで「なるほど……」と言って残念そうな表情を浮かべた。

 

「そう言えば先輩、まだユグドラシルやってるんですか?」

 

「え?ええ、やってますけど。それが何か?」

 

 そう言えば一度だけそんな話をしたことがあったな、と思い出す。仕事が終わると自分を置いてさっさ帰る悟に一条が彼女でもいるのかと聞いてきたので、はまっているゲームがあると答えたのだ。

 当時ユグドラシルを知らなかった彼女に、丁寧にその魅力を語って聞かせたのだが、「なんですかそれ、もしかして、私の事口説いてます?てゆーかいきなりゲームの話を早口で熱く語って、なんかキモいですよ」と散々な事を言われたのだった。

 

「私一時期やってなかったじゃないですかぁ?でも最近になってまた再開したんですよぉ。そしたらスッゴいかっこいい人見つけちゃって」

 

(きみがいつの間にかやってたなんて俺は全く知らないじゃないですかぁ?)

 

 一条がユグドラシルをやっていたなんて初耳の悟は心の中で一条の真似をして嫌みを言いながら、聞いて欲しそうにしている一条を見て仕方なく話を掘り下げようとする。

 

「へえ、一条さんが格好いいと言うなんて、どんな男だろうな?」

 

 リムルがそう言うと、一条が頬に両手を当てて顔を隠した。

 

「三上さん、もしかして私の事狙ってるんですか?でも今は気になってる人が居るんでごめんなさい」

 

「え?いやいやそうじゃなくて、てっきり聞いてほしいアピールかと……」

 

「え、ああ、そうです、聞いてくださいよぅ」

 

 気を取り直し一条は、ユグドラシルで偶然遭遇したプレイヤーについて熱っぽく語りだした。気まぐれで久々にログインしたところ、数人に囲まれてPKに遭いそうになっていたところを助けられたのだとか。

 

「で、バサーッてマント?服……?を、バサーッてやって、フハハハーって不敵に笑うんですよ。見た目は悪者っぽいんですけど、それが何だか凄く堂に入ってて格好いいんですよぉ」

 

 説明がちょっとアレだ。雑というか、擬音が多くてわかりづらい。しかし、聞いている限りではかなり派手で芝居がかった言動をしている模様だ。そんなのを格好いいと思うなんて、一条は実は厨二病なのだろうかと思えてきてしまう。

 悟もそういうのが格好いいと思っていた時期があった。今となってはその熱も覚め、ちょっとした黒歴史だが。その黒歴史の集大成とも言えるNPCが宝物殿に配置してあるのを思い出し、一人羞恥に悶えそうになる。

 

 一条はおそらくそういった派手な動きとかが好きなのではなく、助けてくれた事が補正になって格好良く見えているだけだろうな、と悟は思うことにした。

 

「それで、どんな顔なんだ?イケメンか?」

 

「えっと、人間種じゃなくて異形……ってわかりますか?角が生えてて、毛むくじゃらで、世界征服を企む魔王って感じです。それでもし今度会ったら、気になってるアピールしようかなって思ってるんですけど」

 

「ん?アピールってどんな?効果あるのか?」

 

 三上の疑問に、コホンと咳払いをした一条は、三上を上目遣いで見つめる。瞳が少しうるうるとしているように見える。そして恥ずかしそうにしながら、おずおずと尋ねた。

 

「三上さん……いま、付き合っている人とか、いるんですかぁ?」

 

「え?ええっと……」

 

 三上が返答に詰まっていると、ふっ、と一条が口角を吊り上げ、どや顔になる。

 

「ざっとこんな感じですよ」

 

「フム、悪くないな。というか、グッと来たよ」

 

 悟は、グッと親指を立てるやり取りを交わす二人を見ながら、モテる男はこんな体験を実際にしているのか、などとボンヤリと考えた。こんなことを自分は言われることなんて一生無いだろうな、と。

 そう言えば、と湧いてきたある疑問をぶつけてみる。

 

「今のユグドラシルでやる気なんですか?アバターは表情が動かないですけど、効果薄くありませんかね?」

 

「「あ」」

 

 二人ともそこまでは考えが至っていなかったようである。しかし、そこで三上は良いことを思い付いたとばかりに問題発言をする。

 

「そうだ、せっかくだから一条さんもオフ会行かないか?」

 

「え、ちょ?」

 

「ええー、でも……男性が集まるところに行くのは危険じゃないですかね?」

 

「安心したまえ、女性もちゃんと居る」

 

「うーん、それなら……」

 

 いきなり一条を誘う三上と、それに乗る一条。しかも彼の中では彼自身は参加が決定しているらしい。本来の参加者である悟の意向を無視して勝手に話を進める二人。

 

「ちょっと二人とも、何勝手に話を進めてるんですか。大体、三上さんは呼ばれてませんよね?」

 

「え、そうだったんですか?」

 

 流石の一条も三上の非常識っぷりには若干引いたらしい。

 

「まあ、大丈夫だろ。俺とお前の仲じゃないか。聞いててみてくれよ、な?」

 

 そう言って悟のスマートフォンを勝手に取り出し、掛けろと促す。この男は自重しないと公言する程我が儘な奴だった、と思い出し、悟は諦めてペロロンチーノに電話を掛けるのだった。




読んでいただき、ありがとうございます。

独自解釈、創作設定が盛り沢山です。

まず巨大複合企業だの政治家だのは、原作では詳しく明かされていないので作っています。

ギルドメンバーの人柄や口調は殆どが想像で作っています。ぶくぶく茶釜さんを散々いじり倒しておいて今更ですが・・・。

原作でリムルは何故か三上悟(前世)の姿にはなれなかったのですが、シエル先生の意図によるものなんだろうなと思っています。リムルの正妻の座を狙うメンバーが居ないときくらいは許してくれるんじゃないかなと。

一条はオリキャラです。鈴木悟がプロの独身を目指しているのは彼女の影響かもしれません。

オーバーロードの原作では「リアル」を現実と表記したと思いますが、転スラの世界が登場し、鈴木悟にとってはどちらも現実でややこしいので日常と表記しています。

他にも色々創作捏造があるかもしれませんが、「この設定原作と違うな」と感じたらそう思って頂ければと思います。


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#25 彼らの日常(リアル) ~2~

前回のあらすじ
色々あって、リムルがギルメン入り(予定)が決まる
リムルが鈴木さとるの世界に三上の姿で登場
悟の後輩、一条(オリジナル)が登場
一緒にペロロンチーノの引っ越し祝い兼オフ会に行く流れになる

今回はリムル視点でお送りします。


 俺たちはモモンガの交渉で無事にオフ会に参加する事ができる事になった。ペロロンチーノは二つ返事でOKしてくれたらしい。

 

「ここで合ってるよな?」

 

「地図上では間違いなく……」

 

 教えられた地図の差す場所はアーコロジーのすぐ近く、門構えこそないがそれなりにちゃんとした一軒家であった。男の独り暮らしには手に余るくらい手広く感じる。借家か?

 

「もしかして先輩のお友達って、お金持ちなんですか?」

 

 目を輝かせている一条とは対照的に、やや緊張した面持ちのモモンガ。

 

「いや、お前の友達だろ?俺達は会ったこともないんだから、お前がしっかりしてくれ」

 

 本当はペロロンチーノ達と面識が有るが、正体を知らないやまいこ達の前では気取られないように、モモンガに言われている。まあ、モモンガの先輩で通した方がいいか。

 

 場所は間違っていなかった。玄関で俺達を出迎えてくれた姉弟が一条を見て一瞬固まったように見えた。モモンガが女子を連れてきたのがそんなに意外か?ちょっと失礼だぞ?

 と思ったら、一条の方もなんだか驚いているようだった。モモンガの友人にかぜっちの様な美女がいるとは思わなかったって顔だ。失礼な後輩である。モモンガ、怒っていいぞ。

 

 オフ会のメンツはかぜっち、ペロロンチーノ、ウルベルト、やまいことその妹あけみ、そしてモモンガ、一条彩葉、最後に俺だ。

 お互いに自己紹介が済んだところで、一条の言っていた件を片付けることにした。「格好いい悪者っぽい誰か」の件である。

 

 一条が探しているプレイヤーがいることを告げ、知っていたらでいいから教えてほしいと皆に協力を頼んだ。いや、はじめから目星がついてはいるんだけどね。紙とペンを借り、一条の証言から似顔絵を描いていく。

 

「まず、二本の角が生えた動物の顔で……」

 

「角が生えた動物?山羊とかか?」

 

「た、多分それです……あっそう、そんな感じの顔つきで、角はもっとクネッとしてて……すごい、三上さん絵心ありますね」

 

「まあ、俺って何やっても大体出来ちゃうんだよね」

 

 感心する一条に飄々と答えて見せるが、実際のところはシエル先生の補正のお陰だ。だが描いているのは俺なんだから、嘘は言っていない。

 

「で、右目に眼帯っぽいのがあってー」

 

「ほうほう」

 

 こんな感じで聞き取りながら書いている風を装っているが、いわゆる出来レースだ。初めからイメージは出来ているのだから。ものの1、2分で似顔絵は書き上がった。

 

 まさにこの人です、と興奮して似顔絵をひったくり、この人を知りませんかと尋ねる一条。一同がチラチラと視線を向けるなか、ウルベルトは微かに冷や汗を浮かべていた。まあ、この面子では心当たりがある奴しかいないだろう。

 

「やっぱりそれって……」

 

「知ってるんですか先輩!?」

 

「ま、まあ……」

 

 勢い込んでモモンガに迫る一条。ウルベルトに迷惑だと思っているのか、それとも嫉妬しているのか、モモンガが曖昧に答えた。

 

「ところで、そいつを見つけ出してどうするつもりなんです?」

 

 ウルベルトは顔を背けたまま視線だけ向けて尋ねる。その声音には僅かに警戒心が滲んでいる。まあ、悪名を轟かせているギルドだ。恨みを買っていると思う方が自然か。一条はモジモジとしながら答えた。

 

「ええっと、この間危ないところを助けて貰ったので、お礼を……」

 

「ん?」

 

「え、助けた?ちょっとその話、詳しく訊いていいですか?」

 

 ペロロンチーノが興味深々といった面持ちで身を乗り出した。ウルベルト以外の面々も面白そうだと聞き耳を立てる。一条がそのときの事を詳しく話し始めた。

 

 

 

   それで、私がやられそうになっていたときに目の前に颯爽と現れたんです。マントをバサーッてやって、『ごきげんよう諸君、じゃあ死ね!』って   

 

 俺達は何を見せられているんだろうか。当時の事を詳しく話し始めた一条。段々とテンションがヒートアップし、目をキラキラと輝かせ、ご丁寧にジェスチャー付きで熱く語っている。間違いなく、中二病の症状と一致するな……。

 俺とモモンガだけでなく、やまいこと妹も生温い視線を送っている。

 

 ウルベルトはそっぽを向いて額に手を当てて震えている。自分の厨二っぷりを客観的に見つめさせられ、身悶えしたくなるほどの羞恥に襲われているのだろう。かといって、話している一条本人には悪気がないだけに、文句を言うのも躊躇われるようだ。

 そんなウルベルトを見て、かぜっちとペロロンチーノは肩を震わせていた。楽しそうだな、おい。

 

 大袈裟なジェスチャーや擬音が多くてわかりにくかった話をまとめると、単独プレイヤーを狙ってカモにするPK集団に一条はやられそうになっていた。

 

 大抵のオンラインゲームはPKを禁じ、違反者にはペナルティを科しているが、ユグドラシルはむしろ推奨しているフシがある。苛烈なPKに遭い、ゲームをやめてしまうプレイヤーもいるくらいだ。

 

 一条は過去に似たような事があり、暫くユグドラシルへは足が遠退いていたらしい。

 

 今回はウルベルトがたまたま通り、そいつらを一人で蹂躙してのけたようだ。だが、一条を助ける意図があったかどうかは怪しいところだ。

 ウルベルトは敵を一掃したあと一条を一瞥し、何も言わずに去ったという。彼女はそれを好意的に捉えていたが、単に敵として眼中になかっただけかもしれない。その事に気付いていないのは一条だけだ。

 

「い、いやー、見ず知らずの人を助けてくれるなんて、いい人ですね」

 

「どうでしょうね。どう考えてもそいつはPK狂ですよ。あなたは助けられたんじゃなくて、きっと弱すぎて相手にされなかっただけでしょう」

 

 ペロロンチーノは一条に気を遣ってか、話を合わせてくれたようだ。だが当の本人、ウルベルトは完全否定である。

 まあ、本人が言うんだからそれが真実なんだろうけど、もうちょっと言い方があるだろう。相手は女の子だぞ。

 

「え、そんな……」

 

 一条が肩を落とし、泣きそうな顔で俯く。ウルベルトの辛辣な物言いに、ショックを受けているようだ。

 周りの視線もモモンガ以外は同情的であった。

 

「ちょっと、ウルベルトさん?女の子に向かって何て事言うの?」

 

「俺は事実を言っただけですよ」

 

「それでも言い方というものが   

 

 やまいこがウルベルトを窘める。不承不承としたウルベルトの態度も合間って、まるで不良男子を叱る女教師の様である。あ、現役教師か。ウルベルトの方はとりつく島もない。

 

「まあまあ、二人ともその辺で……」

 

 二人の言い合いが熱くなる前にペロロンチーノがすかさず止めに入った。

 

「やっぱりウルベルトさんだったんですね」

 

「……まあな」

 

 ペロロンチーノの言葉に肯定を示すウルベルト。やはり一条は助けられたわけじゃなく、ウルベルトにとってはたまたま居合わせたが相手にしなかっただけだったようだ。

 

「あのっ、あのときはありがとうございました」

 

「フン、言ったでしょう。勘違いしないで下さいよ。別にあなたを助けたつもりはない……」

 

「それでも、助かりました。ありがとうございます。それで、その……」

 

 一条はモジモジと上目遣いでウルベルトを見つめる。意外とハートが強いな。

 ウルベルトはそこそこモテそうなくらいイケメンなのに、厨二病が災いしてか、女性に耐性はあまりないようだ。一条に見つめられて緊張の面持ちをしている。

 

「今、お付き合いしてる人とか居ますか?」

 

「?今は、居ませんが……それが何か?」

 

 今は、か。()()()ではないんだな。ち。俺なんか人生38年、スライム生を合わせるともう……いや、付き合ったことは無くはないんだ。あの行為には至らなかっただけで。本当に……。

 

「よかった。じゃあ、私……立候補してもいいですか!?」

 

「!?」

 

 これってほぼ恋の告白じゃないか……?

 さて、ウルベルトはどういった反応を返すだろうか。なんだか見てるこっちもドキドキしてきた。

 ウルベルトは僅かに目を細め、口を開いた。

 

「随分といきなりですね」

 

「ご迷惑、ですか……?」

 

「そ、そういうことではなく……。初対面の相手にそんなこと言われても……」

 

「迷惑、ですか?」

 

「う……し、仕方ないですね。好きにしてください」

 

 目をうるうるさせて迫る一条にウルベルトもたじたじになり、結局ウルベルトが強引に押しきられる事となった。

 口では仕方ないなんて言っているが、口元が少し弛んでいる辺り、満更でもないようだ。素直じゃないな。

 ペロロンチーノは少しだけ複雑そうな面持ちで二人を見ていた。ウルベルトを祝福したい気持ちと、寂しさがない混ぜになっているのだろう。お前も若いんだし、まだまだこれからだと思うぞ。

 生きるのが厳しい時代であっても、出会いはきっとあるはずだ。数少ないチャンスをモノにする事が出来るかどうかは自分の努力次第だと思う。頑張って幸せを掴んでくれ。俺みたいに手遅れになる前にな……。

 

 三上(前世)の姿になっても息子は復活しなかったのだ。早速息子が復活したか確かめたときのやるせなさと言ったらもう……。何故だ?その気になれば不可能じゃないと思うんだが。

 

 それはさておき、ウルベルト公認の恋人候補になった一条。だが、これからどうなるかは二人次第だ。

 それにしても、一条もこういうときはちゃんと恋する乙女じゃないかと感心してしまった。うっすら涙を浮かべて喜んでいる。ただのあざとい女じゃなかったわけだ。

 

 だがモモンガだけは一条に胡乱げな視線を送っていた。これも計算だと思っているのか。だが見ただろう、あの純情そうな目を。あれは間違いなく恋する乙女だった。

 と思っていたら、一条がコッソリとモモンガに耳打ちしていた。

 

「ふふ、作戦成功です。この調子なら、近いうちに彼を落とせそ……振り向かせられそうです」

 

 なん、だと?一条彩葉、恐ろしい子だ。まさかあの表情とか潤んだ瞳まで全部計算した演技だったのか?俺の感心を返せ……。

 そんなことを思っていたら、一条に気付かれてしまった。顔に出てしまったらしい。

 

「そんな顔しないでくださいよぅ」

 

「だって、なあ?」

 

 俺が同意を求めると、モモンガはそっと視線を外した。コイツ、逃げやがった。お前なんか、最初から疑ってたじゃないかっ。

 

「もう、先輩まで。私、これでも結構本気なんですよ?『命短し恋せよ乙女』って言うじゃないですか。ちょっとでも良いなって思ったら、アタックしなきゃ勿体ないですから」

 

 ふむ、それは一理あるな。積極的にいかなくては始まるものも始まらない。今度こそ俺は素直に感心した。

 

 それから、俺がコッソリと胃袋から出した酒を開け、酒盛りしながら遊んだりお喋りを始めた。

 

 

 

 

 

 

「汝、鈴木悟は病める時も健やかなるときも、妻を愛し、共に生きることを誓いますか?」

 

「はい」

 

「汝、一条彩葉は病める時もすこやかなるときも、夫を愛し   

 

 

 まさかの大逆転、と言えばいいのか。

 ウルベルトとの恋愛が突然の破局を迎えた一条彩葉。その直後モモンガと一条がまさかの結婚(ゴールイン)

 皆から祝儀が配られるなか、やまいこは転職により収入大幅減で祝儀を出すことが出来ず、申し訳なさそうに頭を下げる。

 ウルベルトは気まずそうな様子でポンと祝儀を手渡す。一条の方は未練があったのか、ウルベルトをじっと見つめていた。

 かぜっちはどこか元気がない。というか見たこともないほどローテンションだ。弟が気遣わしげな視線を向けている。

 

「おめでとう……」

 

「「あ、ありがとうございます」」

 

 うーむ、二人の新たな門出を祝うべき場に相応しくない、この微妙な空気は一体……?

 

「元気ないな?折角のお祝いの場なのになんか、暗いぞ?」

 

「そうそう。もっと明るくお祝いしましょう!パーっと」

 

 ペロロンチーノが乗ってくれるが、それに続く者が居ない。何かがおかしい。

 

 俺達が今居るのは、あれから数年後の某結婚披露宴会場。

 

 

 

 

 

 などではなく         

 

 

 

 

 

 

 

 

 30分程前、ペロロンチーノが以前買ったがプレイ人数の関係で眠らせていたというレトロボードゲーム『イチャラブ!人生はバラ色シミュレーター』を引っ張り出してきたので、皆でやろうということになったのだ。彼らからすれば、何十年も前のボードゲームだが、保存状態が良く、皆ノリノリで始めた。ちなみに俺は参加せず、仕切り役(ディーラー)をやっている。因みにさっきの神父役も俺が漫画雑誌を聖書に見立てやっていた。

 

「いや、あのさー。……ゲームだぞ?もっと楽しもう?ね?リアリティー出そうって言ったのも君たちじゃないか」

 

「そ、そうですよ。ゲームなんですから。もっと楽しまなきゃ」

 

 一条がフォローしてくれる。グッジョブだ。

 気を取り直して、一条のターン。ルーレットが奏でる、ジャラララッという懐かしい音が耳に心地よい。

 

「6です」

 

「えーっと、何々?」

 

 俺は6マス進んだ先のマスを読み上げる。

 

『ハネムーンは絶好調!終始ラブラブでベッドで熱い夜を過ごした。子宝に恵まれる』

 

「ちょ、新婚早々いきなり子供かぁ。ペース早っ」

 

「何言ってるんですか。先輩だって責任あるんですからね、こういうのは  あっ」

 

 言い争いを始めかけた二人だったが、周りの視線に気付き、慌てて黙り混む。

 

「あ、じゃあ次は俺」

 

 ペロロンチーノのターンだ。特に気負いなくルーレットを回す。ジャラララッ

 

「お、9だ!」

 

「てことは……『結婚チャンス!』よーし、二組目のゴールイン、期待してるぞ」

 

「よ、よーし」

 

 ジャラララッ

 

 結果、あけみとめでたくゴールイン!未婚はあと三人だな。結婚は強制イベントではないが、流石にこれだけたくさん結婚マスがあればどこかでチャンスは拾えるだろう。

 

「いやったぁー!あけみちゃん、よろしくー」

 

「よろしくです」

 

「汝、梧桐誠は病める時も   

 

「よかったね、明美ちゃん……うっ」

 

「不束な弟ですが……ううっ」

 

 なんか、姉二人が感極まってるんですが。演技、だよな?酒に酔っているせいもあるんだろうが、これはあくまでゲームだし。

 

「ああ、次はボクだったね。ズズっ……」

 

 鼻を啜ってやまいこがルーレットを回す。『転職』マスだ。

 転職ですぐには収入アップには繋がらないようだが、出世すればかなりの高収入になる。地道な歩みだが、堅実とも言える。冒険はしないタイプだな。

 

「俺か……」

 

 ウルベルトのターン。かったるそうにルーレットを回す。出目は8。俺は止まったマスの内容を読み上げる。

 

「ウルベルト君は初めて『結婚チャンス』だな。しかも、既に既婚のメンバーも対象となるぞ」

 

「え?マジ?寝取りはダメですよぉ、ウルベルトさん」

 

「ま、まあいいだろ。ゲームなんだ。俺もリア充になれるもんなら……」

 

 ジャラララッ

 

「4か。てことは、やまいこさんがお相手だな。おめでとう」

 

 みんなから祝儀を受け取り、ホッとする二人。売れ残りは避けられたということか。しかしそこへペロロンチーノが爆弾を投下した。

 

「何気に嬉しそうですね、ウルベルトさん。ああ、そっか!巨乳大好きでしたもんね?」

 

「おま、やめろぉ!余計なことを言うな!」

 

「カズマさん、大きいのが好きだったんですね……」

 

 言いながら自分の胸を見下ろす一条。絶壁、とまでは言わないが、申し訳程度の僅かな膨らみ。微乳である。

 一方、やまいこはというと、確かな存在感を主張をする立派な膨らみを腕で隠している。そんなやまいこをウルベルトがチラ、と見た。

 

「あっ、今見ましたね?胸を見ましたよね?」

 

「やっやだ、ボク、そういうの苦手なんだよぉー」

 

「ち、違……」

 

 一条の指摘に慌てるウルベルト。実際には胸には視線はいっていなかったと思うのだが、やまいこは真に受けてしまい、顔を真っ赤にしている。

 

「そんなこと言って、ブラウスのボタンがはち切れそうなのが気になってたんじゃないんですかぁー?俺だって一条さんがあと五才位若かったらまさにストライクゾーンに入ってくるんですけどねー」

 

「え"っ、そしたらまだ私中学生ですよ?」

 

「いいじゃないですかぁ、年頃のロリな少女がちっぱいを気にする仕草なんてマジ萌え……」

 

 ペロロンチーノが暴走して自分の性癖を暴露し、一条とやまいこ姉妹が盛大に引いている。

 ん?そういえば、こんな時はたいてい姉が弟を黙らせるはずなんだが……?

 

「……ふ」

 

「アレ?ど、どうした?」

 

「ふふ、うふふ、あたしだけ独身だぁ……」

 

「「「「「あっ」」」」」

 

 乾いた笑いをこぼすかぜっち。周りが結婚ラッシュで、一人売れ残ってしまった事にショックを受けているようだ。7人だからどうしても一人女子があぶれてしまうんだよなぁ。

 

「ま、まあ、まだ可能性は無くはないんだ。チャンスはあるから、頑張れ」

 

 そう、何故か既婚者でも強制的に奪い取れてしまうというNTR可能なルールを()()()()()()()このゲーム。既婚でもマスに止まったら、ルーレットを回し、割り当てられた数字の相手と再婚しなければならない。

 

 場合によっては皆が穴兄弟・竿姉妹になる可能性だってあるし、NTRが成立すると、それぞれのパートナーは、強制的に独身に転落である。間違いなく倫理的におかしい。

 とにかく、まだ彼女にもチャンスは残っている。誰かをNTRするか、貰ってくれるかも知れない。

 

 ジャラララッ

 

「9か。何々、『意中の相手が結婚し、仕事に専念する。顧客からは大人気。50万貰う』……」

 

「わ、わぁい……」

 

 一人寂しくトップを突っ走る独身女子。さっきからお金ばかりが増えているが全く嬉しそうじゃない。彼女が愛を手にすることは出来るのだろうか。

 

 あけみが新婚早々怪我で入院費を払って一周した。濃いターンだった。

 

 モモンガのターン。

 

『今日もラブラブの二人は、ところ構わずいちゃラブしまくり。なんだかんだでベッドが壊れる』

 

「せ、先輩、ベッド壊すなんて激しすぎですよ」

 

「そんなこと言われても、俺はただやってるだけで」

 

「うわっ、ヤってるだけって……サイテー」

 

「いやっ、やってるって言うのはそういう意味じゃ「はぁ」

 

「「あ……」」

 

 独身女子の溜め息に、我に帰る二人。修理費を払って、一条のターンになった。そして止まったマスは   

 

『今日もラブラブの二人は、ところ構わずいちゃラブしまくり。なんだかんだでベッドが壊れる』

 

 モモンガと同じマスだった。

 無言で修理費を払う絶倫夫婦。相性がいいんだか悪いんだか。間が悪いことは間違いない。メキメキッとかぜっちの握ったコップが悲鳴をあげる。

 誰か早く彼女を貰ってやってくれ……。

 

 他のメンバーも、ハチャメチャな展開が続く。

 特にウルベルトは酷かった。

 

 マンネリ解消の為にと無理やり妹を巻き込み姉妹丼を堪能しようとして刃傷沙汰に発展。かと思えば、やまいこを捨てて一条を寝取り、モモンガを独身に突き落とす。

 その後即座に一条を捨て、ペロロンチーノからあけみを寝とるというゲスの極みぶり。その後も浮き名を流しまくり、ウルベルトはあけみから「クズマさん」呼ばわりされていた。

 

 その後モモンガは一条と復縁し、子宝に恵まれまくった。その数なんと21人。流石は絶倫夫婦である。ビッグ○ディも真っ青だ。

 ペロロンチーノはやまいこと第二の人生を送り始め、割と常識的なラブラブ生活を送った。

 あけみは度々ウルベルトに浮気されながらも離れられず、ドロドロの昼ドラのような様相であった。

 

 そんななか、全くこれらに絡めなかったのがかぜっちである。わちゃわちゃと騒ぐ周りを尻目に、浮いた話の一つもなく孤独に一人でトップを独走。未婚のままぶっちぎりの一位でゴールしてしまった彼女は、やけ酒と言わんばかりに酒を煽っていた。

 結局、やまいこ姉妹が2位3位、ウルベルトが4位、ペロロンチーノ、モモンガと続き、最後に一条であった。

 

「はぁ、たく誰だよこんなのやろうって言い出したの……」

 

「はぁ、お前だろ……」

 

 ゲスなプレイボーイぶりを発揮していたウルベルトはぐったりと草臥れた様子で虚空を眺めていた。

 

「くううっ、お前かっ!お前かぁっ!何がいちゃラブだ、こらぁ。どうせ……どうせあたしは好きな人と結ばれない運命なんだぁー!」

 

「ごっごめっ、いて、ごめんって。あ痛たたた」

 

 飲みまくっていたかぜっちは最早完全に出来上がっており、弟をぺしぺしと叩いている。黙ってれば結構な美女なのに残念だ。ペロロンチーノは謝りながら、暫く姉にされるがままになっていた。

 

 このあとすぐに、やさぐれかぜっちが酔い潰れてしまい、お開きとなった。

 やまいこ姉妹は二人で帰った。女子だけで大丈夫かと心配だったが、この面子では逆に危険な気がすると言われてしまっては、仕方がない。

 一条がウルベルトに送ってほしそうにしているのを見て、気をきかせて俺とモモンガで帰ることにした。あの二人、うまく行くといいな。

 

 

 

「さて、それでどうなったんだっけ?」

 

「ああ、ユグドラシルの件?」

 

 モモンガ会議の決定や、運営の不穏な対応について聞かされた。

 

「なるほどな、大体わかった。幼女ってのが気になるが……。ああ、それから運営の方は心配ない」

 

「え?まさか……?」

 

「相変わらず察しがいいな。ま、深くは聞かないでくれ」

 

 細かいことは適当に誤魔化しておいた。色々やった事を説明するのが面倒なだけだが、詳しく知らなくても問題はないだろう。

 

「さて、じゃあ俺は一旦帰るよ。次会うときはユグドラシルだな」

 

「ああ、待ってるよ」

 

 別れ際に再会の約束を交わし、俺は魔物の国(テンペスト)へ向けて時空間転移をした。

 この時、まさかユグドラシル自体が終了するなんて、予想もしていなかった。

 




今回はちょっと茶番が過ぎました・・・。


この話の登場人物を以前作った(捏造した)名前と原作・公式設定をまとめてみると、下記のようになりました。

ペロロンチーノ:梧桐誠(捏造)
ぶくぶく茶釜・かぜっち(公式)…梧桐悠子(捏造)
ウルベルト…御堂和馬(捏造)
たっち・みー…近藤龍巳(下は公式?)
モモンガ…鈴木悟(原作)

やまいこ…山瀬舞子(公式)
あけみ…山瀬明美(公式)やまいこの妹
リムル…三上悟(原作)

モモンガとリムルが同じ名前でややこしいので、本作中では悟と言えば鈴木悟を指します。


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#26 彼らの日常(リアル) ~3~

今回はちょっと強引な展開で、そしてやや暗いお話です。
だからというわけでもないのですが、後書きにオマケを付けてみました。


 2138年某月某日。

 鈴木悟たちが異世界より帰還して約一年が経った。悟は平日に休みを取り、ユグドラシルにログインしていた。この日はユグドラシルのサービス終了日。

 

「最後に皆で集まりませんか」

 

 二週間前に、引退したメンバーも含めギルドメンバーだった全員に向けてそうメールを出した。わかってはいたが、返信どころか宛先不明で返ってきたものが殆どであった。

 

 現在、午後11時過ぎ。

 

 今日、これまでに彼の呼び掛けに応え、会いに来てくれたのは朝に一人、昼過ぎに一人。先程までいたヘロヘロ。三人だけだ。

 

 モモンガは円卓の間で一人、思い出に浸っていた。こんな時間だ。もうこれ以上誰か来るとも思えないが、もしかしたら。そんな思いが、何となくその場を離れ難くしていた。

 

 

 

 この一年は激動だった。様々な理由でギルドメンバーの多くが引退していった。

 若くして異例の警部補に抜擢されたたっち・みーのように、仕事が忙しくなりログインすら難しくなった者。

 転職して以前のように遊ぶ余裕が無くなった者。その中にはホワイトブリムのように夢を叶えた者、ウルベルトの様な勤め先の倒産により転職を余儀なくされた者もいる。

 タブラ・スマラグディナのように健康を著しく損ね、プレイ自体が難しくなった者。

 打倒たっち・みーという目標を失ってモチベーションを保てなくなった武人建御雷、その建御雷とよく一緒につるんでいた弐式炎雷。

 不慮の事故で亡くなったベルリバーとるし☆ふぁーを除き、皆引退の時にはモモンガと別れの挨拶を交わし、アイテム装備品を預けていった。

 

 モモンガは、また気軽に何時でも遊びにきて欲しいと、空元気でも無理やりに明るく言って見送ったのだった。一度でも戻って来る事が出来た者は一人も居なかったが。

 

 そして半年前、テロリストによると思われる、大規模な爆破事件が相次いで起こり、巻き込まれた多くの人々が亡くなった。

 ニュースで報道される度、モモンガは見知った名前がないことを祈りながら、死亡者の名前をぼんやりと見ていた。だが、見つかってほしくない名前を次々に見つけてしまった。

 

「フ、フラットフットさん!ガーネットさん、餡ころもっちもちさん……!そ、そんな……ペロロンチーノさんまで……!」

 

 目の前が真っ暗になった。自分の拠り所が音をたてて壊れていく様に感じた。

 異世界へ行って幾分成長したかもしれないが、所詮は一介のサラリーマン。出来ることなど無きに等しい。

 

 後輩の一条は、8ヶ月前に突如失踪していた。前日まで何事もなく会社に出勤していたらしいのだが、何の前触れもなく、忽然と姿を消した。悟も担当した近藤警部補から聞き込みをされた。警察も手を尽くして捜索しているそうだが、依然として何の手がかりも掴めていないそうだ。やはり何らかの事件に巻き込まれたのだろうか。彼女のことは苦手ではあったが、先輩として心配もしていた。

 

 彼女が失踪した数日後、ウルベルトが失業を理由にユグドラシルを辞めていったが、本当の目的は一条を探すためだったのかもしれない。今では彼とも連絡もつかず、安否も不明の為、確かめようもない。

 

 そんな彼は今、とある場所で近藤龍巳()警部補と銃口を向けあっているが、そんな事を鈴木悟は知る由もない。

 

 最早、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は実質壊滅状態だった。

 

 件の連続爆破事件が切っ掛けなのかはわからないが、それ以降ユグドラシルもプレイヤー人口が急速に減少していった。皆生きるために必死で、遊んでいる場合ではないのだろう。

 仕方がない事だとは分かっていても、暗澹とした気持ちは拭い去れない。鈴木悟にとってギルドメンバー達と過ごした思い出の詰まった場所であり、大切な拠り所だ。今は亡きギルドメンバー達を偲ぶ霊廟でもある。

 

 その後もプレイヤー人口は減り続け、そして遂にサービス終了の知らせが届いたのだった。

 

 

 午後10時半頃にログインして来たヘロヘロは、日々ブラック企業でコキ使い倒されているらしい。無理なノルマを押し付けて来るくせに達成できないとチクチクと追及してくる上司、毎日生き物のように変わる仕様書、報連相がお粗末すぎる後輩……ひたすら仕事の愚痴を垂れ流しまくり、漸く一息ついた。

 

「すみません。愚痴っぽくなってしまって」

 

「いえいえ、こうしてお会いできただけでも嬉しいですよ」

 

 実際モモンガの言葉に嘘はない。ゲーム内で仕事の話をするのを忌避する者も居るだろう。ゲームの中ぐらい現実の世界の事など忘れていたいのだ。だが、モモンガはそういった忌避感はない。それに、ヘロヘロには悪いが、メンバーの訃報といったヘビーな話と比べれば、彼の仕事の愚痴も聞けた。

 

「もしかして、サーバーダウンまで居るつもりですか?」

 

「?ええ、そうですけど。よかったらヘロヘロさんも  

 

「ダメです!」

 

「……え?」

 

 一緒に残りませんか、と言おうとしたら、ヘロヘロが急に怒鳴った。普段柔らかい印象の彼が、急に強ばった声を出したことに驚き、慌てるモモンガ。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。

 

「ああ、すみません……。

 その、サーバーダウンまで居ちゃ駄目です。通常の強制終了と違って、何が起こるか分からないらしいんです。実際、他のゲームでサーバーダウンまで残っていた人が脳に障害を受けて意識が戻らなくなった人がいるみたいなんです。兎に角サーバーダウン迄にはログアウトしてください良いですね?」

 

「は、はぁ。分かりました」

 

 急に早口で捲し立てるヘロヘロに、眉唾な話だと思いながらも気圧されてつい返事をしてしまった。

 そのまま、彼は明日も朝早いからとそそくさとログアウトしていったが、引き留める気は起きなかった。

 

 

 

「茶釜さん、もう家に帰ってるのかな」

 

 朝一番に来てくれたぶくぶく茶釜。

 今夜男性と食事に行く事になっているらしい。相手は彼女が所属するプロダクションの、大手スポンサー企業の御曹司。先日のコンサートで歌う彼女を見て一方的に惚れられたらしい。コンサートが終わったあと、声をかけられたそうだ。

 

 相手がスポンサーということもあり、気を遣いながらうまく食事の誘いを断っていたそうだ。しかし、あまりに何度も誘われるので、断りきれなかったらしい。

 

 

 

 半年前の連続爆破事件で最初の被害にあった彼女は、家族を同時に三人失った。

 

 コンサート会場で大きな爆発が起こり、建物が倒壊しかけた。彼女自身は奇跡的に無傷だったが、弟は彼女を庇い、崩落する天井の下敷きになった。体を太い鉄骨に貫かれ、彼女の目の前で冷たくなっていったという。

 

 彼女は通夜と葬儀を済ませた彼女はすぐさま仕事に復帰し、ユグドラシルにも積極的にログインして気丈に振る舞っていた。

 誰がどうみても無理をしているのは明らかだった。まるで家族の後を追いかけているような、死に急ぐかのような彼女を見かねて、死獣天朱雀、生前のやまいこと彼女を説得しに行った。その時会った彼女の顔は案の定、酷くやつれていた。

 

 そんな彼女が今は立ち直ってきていることを感じ、また、新たな人生を歩む機会に恵まれた事は、喜ばしいことだ。

 

 ペロロンチーノが生きていた頃、日常(リアル)で一度誘われて彼女のコンサートを見に行ったことがあった。

 円卓の間で彼女から直接誘われたとき、動揺のあまり絶望のオーラを無意識に誤発動してしまったのは今思い出しても恥ずかしい。

 

(絶望のオーラを出しながら嬉しそうな声でワタワタする骸骨。シュールだ……。でも、そんなにキモかったかな?『お母さん』て)

 

 彼女は余程衝撃的だったのか、「お、お母さぁん」と呟いたのが耳に入ってしまった。そんなに本気で引かなくてもいいじゃないか。

 

 気さくで、モモンガにも親しみを込めて接してくれるぶくぶく茶釜。明るくて、優しくて、頼り甲斐があって、そして時に怖くもある。天真爛漫な彼女は、悟には眩しいくらいに輝いて見えた。

 

『自分らしく生きること 何よりも伝えたくて   

 

 コンサート会場で歌う彼女を、魔物の国(テンペスト)で見たときよりも間近で見る事が出来た。

 そして、見ないようにしてきた事実から目を背けることができなくなってしまった。彼女に恋をしているという事実。もう、認めざるを得ない。

 

 しかし自分はどう贔屓目に見ても彼女の相手には余りに不相応だ。

 自分が男性として愛されるような魅力は持ち合わせてはいない。つまりモテない。そんな事はとっくに自覚している。

 叶うはずもない恋に期待して、勘違いして、傷ついて……そんなのは、不毛なだけだ。

 

 ならば初めからそんな期待を抱かなければいい。それよりも、友人として、仲間としての付き合いを保った方が、波風が立たず平穏に日々を送れる。イケメンではなくても、仲間としてなら受け入れてもらえるんだ。それでいいじゃないか。

 

「よかったじゃないか……。相手は勝ち組の、それもスポンサーの御曹司だ。うまくいけばこのまま結婚して、子供も生まれて、幸せな家庭を築いていくんだろうな。

 俺はプロの独身として、少しでも茶釜さんの背中を押してあげられたんだ。胸を張れ。よくやった、俺。

 朱雀さんには気付かれちゃったかなぁ、やっぱり」

 

 

 昼過ぎに会いに来てくれた死獣天朱雀。ぶくぶく茶釜が来ることを知っていたようだったが、既にログアウトしていることを告げると、残念そうにしていた。

 

「君はそれでいいのかい……?」

 

 彼は何か言いたげだったが、一体何の事かととぼけて誤魔化した。彼は一つ溜め息を吐き、そのまま暫く黙ってしまった。

 

 言いづらい事を言う前には押し黙る。彼が時折見せる癖だ。大体想像はついていた。入院生活をしていたタブラ・スマラグディナの事だろう。

 

「逝ってしまったよ。4日前にね……。モモンガ君に会いたがっていたよ。ログイン出来ないのをとても残念がっていた。

 そうだ、知ってたかい?NPCのアルベドを君の嫁にと思って作ったそうだよ。性格が気に入らなければ、君の好きな様に変えていいよってさ。でも、さすがにNPCは嫁にできないよねぇ」

 

 ふふ、とポツリと溢すように彼は笑った。長く生きてきた分、友人の死を受け止める事にも馴れているのだろうか。

 

「僕はもう行くよ。どうしてもやらなきゃいけないことがあるから。それじゃ、またいつか何処かで……」

 

 まるで何処かへ散歩にでも出掛けるかのような気軽な口調で、彼は去った。

 いつかどこかで。

 そんな言葉に希望を見いだせるほど楽観的になれる世界じゃない。

 

 ぶくぶく茶釜とは明日合う約束をしているが、いつかと言って別れた相手と次に会えた試しはない。モモンガは暫し寂寥感に浸っていた。

 

「っと、もうこんな時間か……」

 

 時計を確認すると、午後11時半を回っていた。

 流石にもう誰も来ないだろうことは分かっていた。

 

 最後くらい、玉座で少し格好をつけて締めるとしよう。モモンガは歩き出す。手にはギルドの象徴とも言うべき、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを携えて。

 

 ヘルメス神の杖(ケーリュケイオン)をモチーフにしたこの杖は、7匹の蛇が絡み合ったような形をしており、それぞれの蛇が違った色の宝石を咥えている。

 ギルド武器。各ギルドがその象徴として作る事ができる武器で、その性能は世界級(ワールド)アイテムに匹敵する。

 これを作り上げるためにみんなで冒険に繰り出した日々。まさにギルドの象徴に相応しい。

 しかし強大な武器にはリスクも存在する。破壊されるとギルドが崩壊するのだ。そのため、おいそれと持ち運ぶ事など出来ないのだが、今日は最終日。安全な場所で眠らせておくのは勿体ない。

 

 曇り一つなく磨きあげられた大理石のようなの床を踏みしめ、白亜の城が如き絢爛豪奢な第九階層を進む。

 

 これまで敵に侵攻を許した最奥部は第八階層。一度たりとも敵にここまで侵入を許したことはない。

 悪名高きギルドの拠点『ナザリック地下大墳墓』の最下層に、まさかこれ程までに見事な空間が広がっていようとは夢にも思うまい。

 

 すれ違うNPCの一般メイド達の会釈に手を上げて応える。

 

「ご苦労」

 

 NPC相手にこんな挨拶など何の意味も持たないのだが、ナザリックを治める支配者を演ずる、モモンガの楽しみの一つだ。

 彼はそのまま第十階層へと階段を降りきった。

 広間に控えていた執事服を着こなす白髪白髭の老人。老人とは思えないほどピンと伸ばされた背中。鷹のような鋭い目付き。たっち・みーが作ったNPC、セバス・チャンだ。

 その後ろに影の如く付き従う6人のメイド。先の一般メイドと違い、金属製の手甲、足甲をはめ、メイド服をモチーフとした鎧を身につける彼女らは戦闘メイド『プレアデス』。武器もそれぞれに違った得物を持ち、6人とも様々なタイプの違いはあれど、非常に美人が揃っている。

 

「付き従え」

 

 最後まで侵入者の撃退という与えられた使命を全うする機会を見ることの無かった彼らを連れ立って、モモンガは最奥、玉座の間まで来た。

 

「あー、待機……平伏せ」

 

 モモンガの言葉に従い、執事とメイドたちが立ち止まって傅く。

 NPC達はAIにプログラムされていない命令(コマンド)は受け付けない為、命令(コマンド)は正確に伝えなければならない。同じ指示でも言葉が変わってしまうだけで、命令(コマンド)を認識出来ないのだ。

 命令(コマンド)を忘れていなかったことにホッとしながら、十数段の階段の頂に据えられた玉座に腰かける。

 

 玉座の横に控える、純白のドレスを纏った美女に目をやった。

 気になる発言を残していった、タブラ・スマラグディナが作成したNPC、アルベドだ。

 普段は玉座の間にはほとんど来ないため、まじまじと見たことは無かった。

 金色の瞳、腰まで伸びた黒髪。こめかみからは角が突き出し、腰の辺りからは一対の漆黒の翼が生えているが、まさに絶世の美女だ。淑女然とした穏やかな微笑を湛えている。

 

「な、なんというワガママボディ……」

 

 モモンガはついつい顔だけでなく胸や腰の辺りにも無遠慮な視線を向けてしまう。豊満な胸と微笑を浮かべる顔を何度も視線が往き来する。

 自分以外はNPCしか居ないのだ。多少は多目に見てもらいたい。流石にお触りはしないが。

 最終日はっちゃけ過ぎて垢バンなど笑えない。恥ずかしすぎる。

 

「ホント、美人だな……こんな美人が実際に居たら誰からも好かれるんだろうな」

 

 自分にはない。他人に愛されるという経験が。唯一愛情を注いでくれた両親も、もう居ない。不意に押し寄せてくる寂寥に、つい本音を呟いてしまう。

 

「いいなぁ。愛される人は、いいなぁ……」

 

 暫しの静寂。誰も居ない玉座の間で、彼はひっそりと涙を流す。

 

「ああ、そう言えば、性格がどうとか言ってたな」

 

 気を取り直したモモンガはコンソールを開き、アルベドの設定を確認する。彼が知っているのは守護者統括という役職くらいだ。

 

「うわぁ、流石ば設定魔。びっしりだ……」

 

 設定欄には一大叙事詩の如き文字の海が溢れている。時間があればゆっくりと読み込みたいところだが、やむ無く急ぎ足で読み始める。動体視力は常人のそれ以上に鍛えられており、かなり早くスクロールしても読める。思いがけず身に付いた速読術だ。

 

「ふーん、なるほど……ん?んんっ?」

 

 長い叙事詩のような設定を読み切って辿り着いた最後の行を見て、思わず目が点になる。

 

『ちなみにビッチである』

 

「え?何で、こんな……?」

 

 何度読み返してみても、読み間違いではない。紛れもなく『ビッチ』と明記されている。

 

(あのビッチ、だよな……?)

 

 性悪、ヤリマンなど、女性に対する罵倒の言葉だったはずだ。他に何か特別な意味があるのかもしれないと思ったが、ネガティブな意味しか思い浮かばない。

 こんなに美しく、上品で淑女然とした女性が、よりにもよってビッチだなんてあんまりだろう。確かに、目の前の美女にこんなワガママボディで迫られたら辛抱たまらん……ではなかった。

 頭を振って下世話な想像を振り払う。そこで、ふと作成者の嗜好を思い出す。

 

「ああ、そう言えば『ギャップ萌え』だっけ、タブラさんは……ふふ」

 

 しかしこれはちょっと不名誉に過ぎる。もう少し、こう、何かなかったのか。

 時間は、午後11時45分を回ったところだった。

 

(まだ多少の時間はあるな)

 

 ギルドマスターの権限を使い、設定の編集画面に移る。

 取り敢えずビッチの一文は消して、何か代わりに入れるか。

 

「うーん……」

 

 

 

 

 

 そのころ      

 

 あちこちに破壊の跡が見られ、まるで戦場のようなその場所で、血塗れになりながらヨロヨロと立ち上がる二つの人影。そのうちの一人が何かを見つけて瞠目する。

 

「な、なんでアンタがここに……?」




※歌詞の引用元

『Sister's noise』
作詞 八木沼 悟志




次回、モモンガさん、遂に異世界へ。


おまけ
「お母さん」発言の真相

モモ「え、ホントですか!?い、いいんですかね、俺が行っちゃって?」

茶釜(!?絶望のオーラ?絶望的なくらい嫌って事?え、でも声はなんだか嬉しそう?引いてる?どっち?どっちなの!?)

モモ(あっ、やっべ、いつの間にか絶望のオーラ出てた。うわー恥ずかし!動揺してるのがバレバレじゃないか・・・)

茶釜(うわぁああ、もう全然分かんないよぉぉお!助けてー!)「お母さぁん」

モモ「え・・・?」(ドン引きされた!ドン引きされた!)

茶釜「あ"っ・・・」(変なこと口走っちゃった!)

モモ・茶釜(うあああああっ)


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異世界転移編
#27 異変


アルベド改変という、致命的?な原作設定の改変があります。原作のアルベドファンの皆様には申し訳ありませんが、彼女にはヒドインを卒業して頂きたく。
こんなのアルベドじゃない!とお怒りになるかもしれませんが、活躍の場は広がる筈ですので・・・。


 ナザリック地下大墳墓玉座の間。

 

 時刻は午後11時55分を回ったところだ。

 

「うーん、奥が深いな……」

 

 アルベドの設定にモモンガは悩んでいた。

 

『ちなみにビッチである。』

 

 そんなあまりにも不名誉な設定を付けられた美女NPCを、どうにかマシにしてあげたいのだが、なかなか良い言葉が思い付かない。

 

(て言うかタブラさん、よくこんなに綺麗に詰め込みましたね……)

 

 設定文は文字数の限界まで詰め込まれており、それ以上は入らない。最後の一文を変えるにしても、この僅か11字という文字数に納めねばならない。だが、しっくりと来る言葉がなかなか思い浮かばない。簡単なようで奥が深かった。

 

 

『統括の地位に誇りと矜持を持っており、たとえ相手が自分より強者であっても毅然とした態度を崩さない。普段は淑女然とした微笑みを浮かべているが、それは彼女にとってのポーカーフェイスである。張り付けた仮面のその下には残虐な本性を隠しており、ナザリックの外の者を見下し、嫌悪している』

 

 アルベドの性格についての風味付け(フレーバー)テキスト設定はそんなような内容だった。しかもビッチ。

 

「怖っ。絶対にヤバイ悪女じゃん。ああ、タブラさん、ホラー系も好きだったからなあ。まあ、魔王の妻という意味ではこれが正しいのか?うーん、でも流石にこれは愛せないと言うか……」

 

 表向きは良くても、裏ではその美しい顔を悪意に歪ませ、自分のことを影でせせら笑い暗躍する悪女を想像してゾッとするモモンガ。

 しかし目の前の残念なNPC(アルベド)は、亡き友人の遺してくれた形見のようなものだ。たとえ間も無く消える運命にあったとしても、大きく変更するのは躊躇われた。せめて変更は最後の一文にとどめようと考えているのだが……。

 

『モモンガを愛している。』

「うわ恥ずかしっ、なに考えてんだ俺……」

 

『本当は甘えん坊である。』

「うーん、イマイチ」

 

『ちなみに厨二病である。』 

「悪くないな。タブラさんも厨二病だからなぁ……」

 

『実は寂しがり屋である。』

「ちょっとありきたり過ぎかな?」

 

「今一つしっくり来ないなぁ。ビッチ設定から離れようとしすぎか?なら……」

 

『下ネタが大好物である。』

「捻りがないかな……」

 

『ドスケベな淑女である。』

「おお、エッロ……でも流石にヤバいか……?」

 

『ちなみにドエムである。』

「うーん……微妙」

 

『性欲を持て余している。』

「何でだろ?これは危険な気がするな」

 

 

「うーん、何か違う気がするんだよな……うおっ?ヤバい」

 

 気が付けば時間は午後11時59分になるところだった。サーバーダウンは午前0時。残り時間はあと1分もない。

 その時ついにモモンガに天啓が下り、焦りながら入力する。

 

「ふう、これならどうだ……」

 

『非常に恋多き女である。』

 

 これなら、元々のビッチから大きく離れすぎず、それでいてマイルドな印象になった気がする。折角美人なんだから、悪女として嫌われるのは気が咎める。多少気が多くても、それもチャームポイントとして愛されるだろう。

 

 一仕事終えた達成感を感じながら時計を確認する。

 

 11時59分53秒。

 

「っ!間に合うか……?」

 

 ヘロヘロが言っていたことを思い出し、モモンガは慌ててコンソールを操作する。

 

 11:59:57

 

 11:59:58

 

 11:59:59

 

「ぐぅっ!?」

 

 ギリギリのタイミングでログアウト出来る筈だったが、()()()胸を貫くような激痛がはしり、モモンガは玉座に座ったまま、胸を押さえて前かがみになりかける。

 

 痛みはほんの一瞬で、痛みを感じた直後には嘘のように消え去っていた。

 モモンガには相変わらず玉座の間の景色が見えていた。既に午前0時を過ぎている。サーバーがダウンして、強制的にログアウトさせられる筈なのに、何故未だにユグドラシルに居るのか。

 

(何だ……?サーバーダウンが延期になった?)

 

 混乱する頭でそんな事を考えながら、今度こそログアウトしようと、閉じてしまったらしいコンソールを再び開こうとする。しかし、コンソールが出ない。いつものように呼び出し動作を行っても、何も出てこないのだ。

 

 混乱が徐々に焦りへと変わっていくのを感じながら、今度はGMコールを試す。しかし、呼び出し音さえも鳴らない。

 

 モモンガは現在自分の置かれている状況に、焦燥感を覚えながらも、無数の可能性の中から、可能性の高いものを想定していく。

 

 一つはユグドラシルのサーバーダウンが延期になった、或いはユグドラシル2が始まった可能性。しかし、ログアウト出来ない今の状況の説明はつくだろうか。

 

 答は否だ。プレイヤーをゲームのなかに閉じ込める行為は監禁罪であり、こういったことが起きないように、一週間程ログを取ることを義務付けられている。それを後日提出すれば、運営側が刑事起訴される事になる。一時的なパッチだと言えばグレーかもしれないが、そんなリスクを負うメリットはないはず。

 

(では、何らかの不具合か?よりによって、こんな時に……)

 

 最後の時くらい締めてくれよ、そう思うモモンガだったが、ここで考えたくない可能性が頭をもたげてくる。

 

(まさかヘロヘロさんが言っていた事と関係があるのか?)

 

 サーバーダウンは実行されたが、その時ログインしていたことで何らかのダメージを負い、昏睡状態に陥った?と言うことは今自分は夢を見ているのか?先程の胸の痛みといい、何か関係がある事は間違い無さそうだ。

 

「ちっ……」

 

「モモンガ様?」

 

 突然聞き覚えのない女性の声が聞こえ、モモンガは冷や水を浴びせられたような心持ちで声のした方を向く。

 

「っ!」

 

 そこに居た声の主はアルベドだった。彼女は心配そうな表情を浮かべてこちらを見つめていた。

 やはりこれは夢なのか?こんなに豊かな表情をNPCが出来る筈はない。まるで生きているようだ。

 

「モモンガ様、如何なさいましたか?」

 

 アルベドが一歩近寄り、こちらの顔を覗き込む様に見つめてくる。彼女の表情には心配と焦りの色が混じっている。しかも喋る言葉に合わせて違和感なく口が動いている。彼の記憶に有る限り、ユグドラシルではそこまで精巧な動きが出来なかった筈だ。そして、フワリと嗅いだことのないような甘い香りが鼻腔を擽る。

 

「なんだと……!」

 

 驚愕するモモンガだったが、激しい感情の波が突然、プツリと糸が切れるように霧散した。

 

(ん?何だか急に落ち着いてしまったぞ?それより、香りがした?ユグドラシルでは嗅覚は制限されている筈。なら、少なくともユグドラシル(ゲーム)の中じゃないって事になるか)

 

 残る可能性は二つ。

 サーバーダウン時に何らかのダメージを受け、昏睡状態で夢を見ている。

 もしくは、異世界に転移してしまった────

 

(前者だとすると、ここは夢の中?でもこの香りは全く記憶にないな……)

 

 嗅ぎ馴れた匂いならいざ知らず、記憶に無いような甘く芳しい香り。そんなことあり得るだろうか?夢にしてはあまりにもリアルだし記憶に無いような香りが再現するなど。

 

 顔に手を当ててみると、カツリと骨と骨がぶつかる音がする。死の超越者(オーバーロード)のアバターそのままの姿らしい。

 骨の体でどうやって匂いを嗅ぎとることが出来るのかはわからないが、どうもこの状況は現実のように思える。

 信じられないような事ではあるが、あり得ないかと言われると、前例があるため否定は出来ない。

 

(実際に異世界も存在したし、魔物も、転生者だって居た。リムルがユグドラシルの中に来たくらいだ。逆に仮想現実が実体化するなんて事もあり得なくは……ないのか?)

 

「も、申し訳ございません!どうかお許しを……」

 

 思考の海に沈んでいたモモンガの意識を戻したのは、アルベドの声。何を思ったのかその場に平伏し、怯えるような悲愴な声で謝罪をしている。

 

(え?なにいきなり?)

 

 状況に付いていけないモモンガ。アルベドが何故必死に謝っているのか、意味が分からない。

 

「何をしているんで……何をしているのだ、アルベド?」

 

「それ、は……」

 

 敬語を使いそうになったのを、支配者っぽく言い直す。NPCに対して敬語というのも違和感がある。ただそれだけなのだが、アルベドはその言葉を聞き、益々狼狽する。詰問されているとででも思っているのだろうか。まるで、何もしていないのに怖い上司にビクビクする部下のようだ。

 

(え、なに?俺ってそんな怖いの?確かに今骨だけどさ……)

 

「アルベド、何か誤解していないか?私はただお前が何をそんなに謝っているのか分からないのだが……」

 

「へ?許可なく私が声をお掛けしたことをモモンガ様はお怒りなのでは……?」

 

「ん?……ああ、そういうことか」

 

「え?え?」

 

 自分の言動が、相手に怒っている様に勘違いさせてしまったのだと、やっと状況が呑み込めたモモンガ。未だ混乱した様子のアルベドに、出来るだけ優しく語りかける。

 

「安心するが良い、私は何も怒ってなどいないぞ。勘違いさせてしまってすまなかったな」

 

「い、いいえっモモンガ様がお謝りになることなど……」

 

 何だかひどく恐縮されているが、それを下手に突つくとひどく面倒くさそうなので流すことにした。それよりも、プログラムされたとおりにしか動けない筈のNPCとまともに会話が成立している時点で、ゲームの中に閉じ込められたという可能性は完全に無くなったと思っていいだろう。

 

(さて、これからどうする……まずは情報収集するべきか)

 

 これが現実で、ユグドラシルが実体化したとして、今の自分に何が出来て、何が出来ないのか。周囲に危険はないか。他のプレイヤーにも同じことが起きているのか。無数の疑問が湧いてくるが、兎も角周囲の状況確認をするべきだ。そう決断し、人選を考える。

 

「……セバス。ナザリック地下大墳墓の外へ出て、周囲を捜索せよ」

 

 アルベドとのやり取りの間もずっと姿勢を変えず控えていたセバスに声をかける。拠点NPCはギルド拠点の外に出ることは出来なかった筈だが、現在はどうだろうか。それを確かめる意味と、セバスを選んだ理由はもうひとつ。

 

 殆どの者のカルマ値が悪に偏るナザリックの中では珍しく、彼の設定は極善である。その為、何者かに遭遇しても敵意を買いにくいよう、穏便な対応が出来るだろうとモモンガは考えたのだ。

 

「外、でございますか?」

 

 セバスの返事にモモンガは、やはりユグドラシルの設定を越えるのは無理なのかと思いかけたが、そのあとにセバスは言葉を続けた。

 

「……承知致しました。捜索の範囲は如何様に致しましょう?」

 

「!……そうだな、捜索範囲は周囲1km程とする。プレアデスから、ソリュシャンを連れていけ。もし知的生命体を発見した場合は穏便に接触し、可能であればここまで連れて来い。決して敵対せず、撤退を優先せよ。戦闘が避けられぬようならセバスは盾となり、ソリュシャンに情報を持ち帰らせるのだ」

 

「「畏まりました」」

 

 セバスに命令して反発されないか心配だったが、二人とも問題なく聞き入れてくれたようでよかった。同時に、ユグドラシルとの違いがあることにも気付けた。急いで違いを検証確認したいところだが、まずは警備を固めるべきか。

 

「プレアデス達は第九階層へ上がり、警戒にあたれ。では行動を開始せよ」

 

「「「「「は!」」」」」

 

 皆が動き出し、玉座の間を出ていった。皆が指示を受け、反発なく行動してくれたことに安心して気を抜いた。

 

「ふう……」

 

「あ、あの」

 

 横からおずおずと遠慮がちに声がかけられ、モモンガはまだ一人残って居たことを思い出した。

 

「あ、ああ、どうした?」

 

「私は……私は何をすれば良いでしょうか?何なりとお命じ下さい!」

 

 見つめてくる目に、何故か力が入っているというか、気負っている感じがする。何でこんなに必死なんだ?

 

「あー、そうだな……」

 

 彼女には何を指示するべきだろうか。守護者統括という設定に相応しい仕事とは?と考えていると、アルベドの美しい表情が崩れ、涙が滲み出す。

 

「う……えぐっ……」

 

(え?ちょっ?いきなり何泣いてんの、この子?俺のせい?俺のせいなのか?)

 

 くどいようだが、女性と親しく接した経験が殆どないモモンガには、女心は全く分からない。訳が分からず激しく狼狽する。ここで、激しく波立っていた感情の波が突然凪ぐ様に冷めていき、落ち着きを取り戻した。

 

(ん、あれ?また急に落ち着いたぞ?何でだろ?)

 

 急に感情が沈静化された理由は分からないが、一旦それは置いておき、ポロポロと涙をこぼすアルベドを落ち着かせることにした。

 

「アルベドよ、何を泣くことがある?」

 

「モ、モモンガ様……私は、私ではモモンガ様のお役に立てないのでしょうか?」

 

「ん?……何故、そう思う?」

 

「私にだけご指示を頂けないのは、私が信頼に値しないだからだと……」

 

(ええ?何それ?何でそうなるんだ?たっちさん助けてー!)

 

 リアル(日常)では妻子持ちのリア充で、きっと女心もわかっている筈のたっち・みーに、心の中で助けを求めるが、応えは当然ない。仕方なくモモンガは自分なりに彼女を励ます。

 

「い、いや、そのようなことはないとも。そう!お前に頼みたい事は沢山あるのだが、優先順位に迷っていてな!お前はとても有能だからな、うん」

 

「モ、モモンガ様……」

 

 励ましが効いたのか、気を取り直してくれたらしいアルベドは何故か頬を赤くしてモモンガに熱っぽい視線を送ってくる。

 

(うーん、そんなに見られると、居心地が悪いというか、気恥ずかしいというか……)

 

 彼女が視線の向けてきたその視線の意味が分からないモモンガは、そんな事を考えてしまう。

 

「アルベドよ、後に守護者を集めて話すつもりだが、()()()()()先に話しておくとしよう。今、ナザリックは原因不明の異常事態に巻き込まれている可能性が高い。セバスを外に向かわせたのもその為だ。お前は何か異変を感じなかったか?」

 

 モモンガの言葉にコロコロと表情が変わるアルベド。話の最初のうちは嬉しそうな表情、そして驚きに代わり、最後には悲しそうに俯いてしまう。

 

「もっ、申し訳御座いません。私は何も気付いた事は御座いません」

 

(うーん、なんなんだろう、設定には情緒不安定なんて書いてなかった筈だけどな……もしかして、また役に立てないと思って落ち込んでる?さっきからなんなの、その社畜精神?)

 

「気に病むな。守護者統括のお前が気付けなかったという事は、他の僕たちも同様である可能性は高い。ナザリックで異変を感じたのは私だけと言うことかもしれん。それが分かっただけでも収穫はあったというものだ」

 

(NPC自分達が突然意思疏通できるようになったことには自覚がない、か。だったら……そういうことだよな)

 

 モモンガの仮定が間違っていないならば、ユグドラシルを仮想現実と知っているプレイヤーにしかこの異常事態は理解できないのだろう。

 

「モ、モモンガ様……」

 

(うん、すっごい尊敬の目で見てくる。正直プレッシャーだわ……)

 

「ところでアルベド。お前たちにとって私は……どういった存在なのだ?」

 

 アルベドは慕ってくれている様子だが、他のNPC達も同じだろうか。最悪敵対されたりなどしないだろうかと思い、アルベドに聞いてみることにした。

 

「至高の41人の纏め役にしてナザリック地下大墳墓の絶対的支配者。強大なる魔導の王。神算鬼謀の叡知の王。モモンガ様の御威光を讃える言葉は様々ですし、シモベたちの想いも様々御座いましょう。しかし、僕達に共通して言えるのは、モモンガ様に絶対の忠誠を捧げている事でしょうか。至高の御方々が次々と御隠れになる中、唯一この地にお残り下さった、いと慈悲深き御方。皆が厚い忠誠を捧げて止まない……」

 

「わ、分かった、もう良い!充分に分かったぞ、アルベド、ありがとう……」

 

 さっきから「至高」だの「神算鬼謀」だの、一体誰のことを言っているのか分からないほどの過剰な褒め言葉が飛び出し、モモンガはそれ以上聞いていられなくなった。

 

 鈴木悟の日常(リアル)の姿は単なる営業社員に過ぎない。まるで神を崇めるかの如き期待をされているじゃないか。プレッシャーが押し寄せては、謎の精神安定が起こるサイクルが繰り返されていた。

 

(え、なにその高評価?俺のことだよな?目が本気と書いてマジなんですけど。皆こんな感じなの?勘弁してよ~)

 

 重い。重たすぎる。大魔王に異世界へと招待されるという数奇な経験をしてはいるが、平凡な一般人の感覚を持ち合わせているモモンガ。過剰すぎる期待をかけられ、最早なくなった筈の胃がキリキリと痛む気がする。

 

 しかしこれだけ過剰な期待をされ、実は平凡な一般人です、などとはとても言い出せない。期待を裏切ってガッカリさせてしまったらと思うと、怖くもある。

 

「さ、さて、では次に、第六階層の闘技場に階層守護者を集めよ。但し、第四階層のガルガンチュアと第八階層のヴィクティムは連絡不要だ。それと、アウラとマーレには私から伝えておく。時間は一時間後としよう。では頼んだぞ」

 

「畏まりました。モモンガ様」

 

 恭しく礼を取り、玉座の間を後にするアルベドを見送り、どっと肩を落とすモモンガ。ほんの数分の出来事だと思うのだが、どっと疲れた気がする。

 しかし、まだ休むわけにはいかない。闘技場へと行って、魔法やスキルが使えるかどうか、確認をしておかなくては。

 

 モモンガは気を取り直して立ち上がり、手に嵌められた指輪を見つめる。彼の指には左手薬指を除く9本の指に指輪が嵌まっている。本来指輪は鎧や兜のように、一つしか装備できないのだが、課金することで指輪の装備数を数を最大10個まで増やすことが出来る。大抵の課金プレイヤーはやっている。但し、課金時に登録しておいた物しか装備できず、別の指輪に付け替えは出来ないが。

 

 そのうちの一つ、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。他の指輪に比べると込められた魔力は低いが、拠点内の名前がついた場所に、回数制限なく転移することが出来る。

 通常の転移が制限されているこのナザリック地下大墳墓において、非常に重宝するのだ。転移できないのは玉座の間と、各ギルドメンバーの私室ぐらいだ。

 

 モモンガが指輪の力を発動させる。次の瞬間には見える景色が代わっていた。無事に使用できたようだ。

 

 第六階層の大闘技場。周囲は森林になっており、上を見上げれば空が見える。とはいっても、ここは地下。とはいっても本物の空ではなく、ギルドメンバーの一人ブループラネットこだわりの()()()()である。時間と共に太陽の照りつける青空だったり、星々の輝く夜空に変わる。

 

(確かここには茶釜さんが作った闇森妖精(ダークエルフ)の双子が配置されていた筈……)

 

 

 

 

 

 

 一方、魔物の国(テンペスト)

 

「フレイ、止めても無駄だからな?ワタシは絶対に────」

 

「止めないわよ」

 

「ほ、本当か?本当の本当に?」

 

「本当よ。ミリムはここ最近随分頑張ってくれてたもの。ご褒美と言うところね」

 

 ミリムがぱぁぁっと目を輝かせて喜ぶ。今ミリムと話しているのはフレイ。元々魔王の一角を担っていたのだが、俺が魔王の仲間入りしたときに、自分は実力不足だと言って魔王を引退してミリムの傘下に入った経緯がある。ミリムと以前から仲が良かったようだが、上司と部下の関係になると、それまでの気安い友達関係が崩れると思ってミリムは駄々を捏ねていたが、結局それは杞憂だった。今でも良き友達関係は続いている。

 

 しかし、戦闘能力では確かにミリムに及ばないが、上手くミリムをコントロール出来ているのは流石としか言いようがない。静かに怒りを表現するタイプのフレイはなんというか、俺もちょっとだけ怖いと思っているのは秘密だ。

 

 二人が何の話をしているのかというと、ユグドラシルへ一緒に遊びに行くと言っているのだ。

 

 ちなみにメンツは俺、ヴェルドラ、ラミリス、ディアブロ、ヒナタ、そしてミリムの6人だ。他にも行きたがったヤツは多かった。ベニマルやシオン、ハクロウを始め、ゴブタやガビル、ベスターも希望していた。

 

 だが、あまり一度に大所帯で押し掛けても悪いと思い、今回はこのメンツにした。今回だけじゃなく、何度も行くつもりなので、他のメンツには悪いが別の機会にということで我慢してもらおう。

 

 ヒナタやミリム達が、かぜっちの()()()()()()を見たらどういう反応するんだろう。普通に受け入れられるものなのかどうか……

 

「じゃあ行くか……」

 

 俺は異世界への門(ディファレンシャルゲート)を開いた。

 

 

 

 

 

 あれ?どういうことだ?真っ暗で何もない……確かにユグドラシルへ転移した筈……。と、思っていたら衝撃の事実がシエルさんから告げられる。

 

ご主人様(マスター)、ユグドラシルは既にサービス終了しているようです》

 

 何だって────!?

 どうしよう、皆連れてきてるのに、「実はもう無くなってました」とかカッコ悪くて言いづらいんだけど。うーん、過去に戻ってみるか?とふり返ってみたら、ヒナタが喉を押さえて苦しそうにしている。あっ、空気もないのか。取り敢えず一旦魔物の国(テンペスト)に……。

 

《告。ここには転移の形跡が見受けられます。転移先へ行ってみますか?》

 

 転移?サーバーが移動したとか?まあいいや、このまま帰るのもなんだし、行ってみるか。

 俺は再び異世界への門(ディファレンシャルゲート)を開いたのだった。




アルベド様、モモンガ愛という一点集中のベクトルではなくなった筈なんですが・・・。今後違いが出せるといいなと思います。

テンペスト側のメンツは一応こんな感じですが、いずれまた入れ替わるタイミングもあるかもしれません。迷いながら書いてますので、生温い目で見てやってください。


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#28 支配者の苦悩?

意外と話が進みませんでした。転移直後のモモンガ様の苦労話です。


 第六階層へ転移したモモンガを、階層守護者のアウラとマーレが出迎えてくれた。

 

 アルベドに聞いた情報通りのようで、ニコニコと笑顔で出迎えてくれた。敵感知(センス・エネミー)にも反応はないし敵意は感じられない。

 

 赤い鱗のような質感のシャツに、白系のベストとスラックス姿の姉アウラ。

 そして姉と色違い、青い鱗のような質感のシャツの上にベストを着込み、木葉を集めて編み込んだような深緑のマントを羽織るマーレ。

 動けばすぐに中が見えてしまいそうな、丈の短いスカートを履いている。

 子供相手にそんな趣味は持ち合わせてはいないモモンガだが、スカートのその下はどうなっているのか、少しだけ気になってしまう。

 一見すると間違えてしまいそうだが、スカートを履いているマーレは妹ではなく、()である。

 

 ぶくぶく茶釜がこだわり抜いて作成したダークエルフの双子。年の頃は10才前後と言ったところか。活発な男装女子とおどおどとした気弱そうな女装男子。

 似合っていれば二人ともまあ違和感はない。しかし、大人に成長していくにつれ、どうなっていくのか、楽しみなような心配なような、なんとも言えない心境である。

 

(この二人の将来を考えると、情操教育とかもちゃんとしていなきゃなぁ……)

 

 漠然とそんなことを思うモモンガ。

 子供から向けられる憧れのような視線はくすぐったくもあったが、危惧していたような重たさは感じずに済んだ。

 

 マーレがスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを見て、いたく興奮した様子で訊いてきたので、ついつい早口で蘊蓄(うんちく)を垂れ流してしまったが、目を輝かせて喜んでくれていた。一条と違って、引かれなくて良かった。

 

 

 

 

 魔法の使用実験を手伝ってもらい、丁度予定していた時間頃に階層守護者達が集まってきた。

 最初はシャルティア。ペロロンチーノが作ったNPCで、真祖(トゥルーヴァンパイア)だ。黒いボールガウンに黒い帽子に黒い日傘。蝋燭のような真っ白い肌とのコントラストが美しい。年の頃は14才前後と言った所か。アウラとマーレが10才位に見えるので、双子より少しお姉さんという感じだが、モモンガから見れば、まだ背伸びしたがるオマセな子供に見えた。

 アウラとは軽口を叩き合う仲のようだ。ぶくぶく茶釜とペロロンチーノの口喧嘩の様子をふと思い出した。

 

(二人もよくこんな風に言い合っていたな……)

 

 結局いつも弟のペロロンチーノが先に折れていたが、それも彼の優しさかもしれない。いや、単に姉が怖かっただけか?モモンガが1人そんなことを考えていると、硬質な声が聞こえてきた。

 

「騒ガシイナ。御方ノ前デハシャギ過ギダ」

 

 蜂のような昆虫系の頭。冷気を纏ったブルーライトの厳めしい巨躯。力強さを感じさせる四本腕の異形。武人建御雷が作成したNPC、コキュートスだ。見た目も性格も武人設定で、堂々とした落ち着きと風格がある。コキュートスに窘められ、言い合っていた二人がモモンガに謝罪を述べる。モモンガはそれに軽く手をあげて応えた。

 

「皆さん、お待たせして申し訳ありませんね」

 

 爽やかさを感じさせる声でアルベドと共に現れたのは、ストライプのスーツに身を包み、髪を後ろに流した褐色の肌を持つ男性。細身な筋肉質の体型で、丸い眼鏡をかけた、知的な雰囲気を身に纏う男。歩く所作ひとつとっても出来る男のオーラが感じられる。臀部から伸びるプレートに包まれた尻尾を揺らめかせ、涼やかな笑みを浮かべている。

 ウルベルト・アレイン・オードルが作成したNPC、最上位悪魔(アーチデビル)のデミウルゴス。ナザリック随一の智者だ。

 

「皆、よく集まってくれた。早速だが話に入ろう。現在、ナザリック地下大墳墓は、原因不明の事態に巻き込まれている。何か異変に気付いた者は居るか?」

 

 モモンガの言葉を聞き、守護者達の顔に緊張が走る。集められた理由は知らされていなかったせいもあり、皆一様に驚いた様子で顔を見合わせる。守護者達の沈黙から、異変を感じ取った、もしくはナザリック内部に異変は起きていないとモモンガは判断する。

 

「ふむ、少なくとも内部には異変が起きていないということか……異変を察知した者も居ないようだな。現在、セバスに地表を捜索させているのだが……」

 

「モモンガ様、只今戻りました」

 

「セバスか。いいタイミングだ。報告を聞こう」

 

 丁度いいタイミングで、セバスとソリュシャンが戻ってきた。外の様子はどうだっただろうか?もしユグドラシルがそのまま実体化したなら、回りにはグレンデラ沼地という毒の沼地が広がっているはずだ。

 

「は。ご報告申し上げます。まず、ナザリック地下大墳墓の回りは、平坦な草原になっておりました」

 

「草原……?毒の沼地ではないのだな?」

 

「はい。周囲1km圏内の捜索を行いましたが、人型の生命体はおらず、人工の建造物、及びモンスターの姿も確認できませんでした。発見できた生命体は、何の戦闘能力も持たない小動物のみです。一先ず周囲は安全かと思われます」

 

「ご苦労だった。ナザリックごと、どこか不明の地へと転移してしまったのは、間違いないようだな……」

 

 おお、と守護者達が一様に驚きとともに声を上げる。気付かないうちに拠点ごと転移したという事実にモモンガだけがいち早く気付き、既に手を打っていた事に皆が感服していた。

 

「現時点ではこの世界にどのような存在が居るか分からない。付近は今のところ差し迫った危険は無いようだが、少し離れれば想像を絶する強者が跳梁跋扈しているなどという可能性もある。

 アルベドとデミウルゴスは協力し合って、より完璧な情報共有システムを構築し、警護を厚くせよ」

 

「「はっ!」」

 

 アルベドとデミウルゴスは恭しく礼を取り、返事をする。

 

「マーレ」

 

「あ、は、はい」

 

「ナザリックの隠蔽は可能か?」

 

 マーレはおどおどとしながらも自分の考えを述べる。

 

「え、えっと、魔法という手段では、難しいです。でも、壁に土を被せて、か、隠す、とかでしたら……」

 

「マーレ、栄えあるナザリックを土で汚すというの?」

 

 アルベドが険の込もった視線を送る。ナザリックが土で汚れることを守護者統括としての誇りが許さないのであろう。だが今は緊急時。そんなことは言っていられない。

 

「良い。マーレの案を採用しよう。土を壁にかけると、平坦な草原の中で急な盛り上がりが出来ると、不自然に目立ってしまうな。周辺にも幾つか丘のような地形をダミーとして作っておけ。上空に対しては幻術を展開する」

 

「か、畏まりました」

 

(まぁ、一先ずこんなところだろう)

 

 指示を出し終えたモモンガは、心の中で達成感に浸っていると、アルベドとデミウルゴスが顔を見合せ、頷いている。決意に満ちた真剣な面持ちだ。何が始まるのかと何となく嫌な予感がしたモモンガだったが、急に逃げ出す訳にもいかない。そうこうしている間にも、二人が熱い視線を向けてくる。

 

「モモンガ様!」

 

「順序が入れ替わってしまいましたが……よろしいでしょうか?」

 

「う、うむ」

 

(え?何?最初に何かやる予定だったのか?俺、先走っちゃった?)

 

 モモンガは彼らの計画を無視して自分の言いたいことばかり先に言ってしまった事を恥じた。ダメ上司ぶりを早速発揮してしまったらしい。

 まるでわかっているかのように鷹揚に頷いて見せたものの、一体何をやるつもりなのか皆目検討がつかない。

 

「ではこれより忠誠の儀を   

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

(アルベドから聞いてはいたけど、あいつら……え?なんなのあれ。マジで言ってんの?)

 

 あれから忠誠の儀なるものが始まり、仰々しい挨拶とともに、重たすぎるほどの忠誠を誓われた。モモンガとしては正直勘弁してもらいたい。後輩はいても部下なんて抱えたことはない彼にとって、突然社員数千人を抱える社長をやらされる気分だった。

 

 アルベドにも聞いていたが、自分をどう思っているのか、改めて守護者たちに聞いてみた。その結果、やっぱり聞くんじゃなかったと後悔した。

 痛いほどの尊崇の視線に居心地が悪くなったモモンガは、「素晴らしい!今後も忠義に励め」とかなんとか言って、早々に転移で逃げ出した。

 

(「タンゲイすべからざる」なんて難しい言葉、よく知ってるなぁ。ダメだ、頭良すぎて会話にすらついてける自信がない。コキュートスとセバス、アウラはまともだし、マーレはほっこりしたけど……シャルティアはちょっと反応に困ったな)

 

 シャルティアは両刀使いだの、嗜虐趣味だのとあらゆる性癖を詰め込まれている。その中には死体愛好家(ネクロフィリア)も含まれていた。それでいて職業(クラス)構成はガチビルドの神官戦士。ナザリックの階層守護者の中で単騎戦最強である。創った当時はペロロンチーノがよく自慢してきた。「俺の考えた理想の嫁です」と。

 ウットリとした目付きで舌なめずりする彼女に思わず「うわ……」と声に出してしまいそうになった。骨を見て興奮する気持ちはさっぱり分からない。だが、シャルティアが現実に出てきたと知ったら、あのペロロンチーノ(エロゲ脳)なら泣いて喜びそうだな、と生前の彼を思い出す。

 

 かつては伝説を築き上げ、知らぬ者は居ないほどに知れ渡っていた『アインズ・ウール・ゴウン』。今となっては生死不明であったり、既に亡くなっているギルドメンバーが殆どだ。NPCたちはそんな彼らが遺してくれた忘れ形見と言える。彼らはもはや単なるデータの塊などではない。それぞれが意思を持ち、自分で考えて行動している。モモンガを慕い、忠誠を捧げている。モモンガにはそれが重たくもあるが、出来るだけ応えてやりたいし、護っていきたいとも思う。

 

 もし異形種であるNPC達が自らの創造主はただの人間で、しかも殆どが既に死んでいると知ったらどう思うだろうか。

 ギルドメンバー達に失望するだろうか。それとも怒り出すだろうか。悲しみに打ちひしがれるだろうか。

 この事はいつかは話すときが来るかもしれないが、まだ遠い将来だろうと、モモンガは結論を先送りにした。

 

 

 

 

 

 転移から3日経った。モモンガは私室の横にあるクローゼットで、適当にグレートソードを手に取ってみる。モモンガは魔法詠唱者(マジックキャスター)だが、レベルは100の為、剣を振り回すどころか低レベルのモンスターなら易々とスタッフで撲殺出来る位の筋力がある。だが。

 

 ガシャンッ

 

 剣を持ち上げたりするのは可能なのだが、構えて素振りをしようとしたら、取り落としてしまった。重くて振れないのではない。ゲームで装備できなかった物は、現実化した今でも使用出来ないようだ。魔法で生み出した鎧は装備できる。これもユグドラシルと同じ。

 

(ユグドラシルの法則に縛られている?この世界はやっぱりユグドラシルが実体を持って現実化した世界なのか?それとも……)

 

 別の世界だった場合、そこに元々居る者達にはユグドラシルの法則は適用されるのだろうか。もし、自分達だけが縛られているのだとしたら、それは危険な枷になる可能性がある。

 モモンガはユグドラシル最高の100LVに達しているが、この世界ではそれはどの程度の強さなのだろうか。

 もし、ゲームと違い、この世界の住人が100LVを越えた先まで際限なく上り詰めることが出来るとしたら?

 

 ナザリックの殆どの僕や守護者はカルマが悪に傾いている。彼らが不用意に悪意を振り撒けばどうなるか。考えれば考えるほど、危険に思えてくる。

 

 今、側にはプレアデスの一人ナーベラル・ガンマが控えている。このあたりがモモンガを混乱させる。ユグドラシルの法則に縛られているかと思いきや、NPCは意思を持って動くし、肉体が突然骨の躯になってしまったのに全く恐怖感がわいて来ない。実戦使用する事なく消え失せてしまった()()()()()に喪失感はあるが。

 本当は叫びながら床を転げ回ってしまいたいが、あまり不恰好な所は見せたくない。というかこうも一人になれないと気が休まらない。この事態に巻き込まれて以来常に誰かが側に居り、()()()()()()一人になれていないのだ。

 

「少し外出する」

 

「近衛の準備は既に整っております」

 

「……供は許さん」

 

 ナーベラルにモモンガはそう告げると、指輪の力で一人転移した。ナーベラルがこの世の終わりのような表情で顔を青ざめていたことには気付かなかった。

 

 転移した先にはデミウルゴスの配下の魔将(イビルロード)が居た。魔法で生み出した鎧を着たまま出くわしてしまった。この姿ではモモンガだと気付いて貰えないかもしれない。

 

(ま、まずい……)

 

「モモンガ様!この様なところへ、供も連れずにお一人でどうなさったのですか?それにそのお召し物は……?」

 

 背後から声をかけてきたのはデミウルゴス。鎧姿だというのに簡単に正体を見抜いてくれた。

 

「……お前なら私の真意がわかるだろう?」

 

(常に誰かが側に付いてると息が詰まるから、ちょっと気分転換に……でも魔将達にはそうと知られたくないんだ。頼むから察してくれ~)

 

 真面目に警戒の任に就いているらしい三魔将。部下が働いているというのに上司が堂々とサボっていると思われては、彼らのモチベーションが下がりかねない。

 モモンガは焦っているのがバレないよう、落ち着いた口調で適当に誤魔化す。デミウルゴスは頭が良いので察してくれるだろう。

 

「成る程、そういうことでしたか……」

 

「フッ、気付いてくれたか。流石だな」

 

(よっし、通じた!流石はデミウルゴス!)

 

 眼鏡のブリッジを軽く指で持ち上げてしたり顔をするデミウルゴス。モモンガは心の中でガッツポーズをとる。しかし。

 

「しかし、供を一人も連れずにとなりますと、私も見過ごすわけには参りません」

 

「ふう、仕方ないな。ならばお前だけ供を許そう……」

 

(なんだよ、分かってるならちょっとくらい一人にしてくれたっていいじゃないか。ケチ)

 

 心の中で愚痴をこぼすモモンガだったが、地表に出て見上げた夜空の美しさが、嫌なことを忘れさせてくれた。モモンガは虚空に手を伸ばし、アイテムボックスからペンダントを取り出す。魔法が使えない者でも、込められた魔法によって、飛行(フライ)の魔法を行使出来るアイテムだ。

 

「フライ」

 

 浮かび上がったモモンガは、気の赴くままにグングンとその高度を増してゆく。雲が見下ろせるくらいの高さにまで上ったところで兜を外し、投げ捨てる。

 

「美しい……まるで宝石箱だ」

 

魔物の国(テンペスト)で見たときより綺麗に見える。ブループラネットさんが見たら何て言うかなぁ)

 

 キラキラと輝く宝石を散りばめたかのような星々の輝きにモモンガは感嘆する。自然をこよなく愛した彼の蘊蓄を、久々に聞きたくなった。だが、彼はもう居ない。

 

「まさにモモンガ様の身を飾るのに相応しい輝きかと。ご命令頂ければナザリック全軍をもって手に入れて参りましょう」

 

 翼を出して追いかけてきたデミウルゴスが恭しく告げる。流石にあの星たち全ては無理がある、なんて思いながら、モモンガは想いを馳せる。嘗て「ユグドラシルのワールドの一つくらい征服してやろう」と言ったメンバーを。

 

「ふっ、そうだな、世界征服なんて……」

 

 面白いかもしれない。そう言いかけて思い直す。これは現実だ。ユグドラシル(ゲームの世界)とは違う。

 それにもし、ディアブロやリムルのような存在がこの世界にも居るとしたら?

 

 かつてナザリックへ攻め込んできた二千の討伐隊には上位ギルドは参加せず、有名な上位プレイヤーは居なかった。だが、仮に上位三大ギルドのプレイヤー達が束になっても結果は変わらなかったかもしれない。

 

 リムルは世界級(ワールド)アイテム『ダイダロスの槍』ですら倒せなかった。プレイヤーなら必ず死ぬ筈の攻撃をまともに食らったのに、狸寝入りしていただけだった。

 

 そんな化け物がこの世界にも居ないとは限らない。最悪ナザリックが滅ぼされる可能性もある。

 ユグドラシル内で強者であっても、異世界でもそうとは限らない。

 リムルと出会い、本物の強大な悪魔やモンスター達を支配し、時空さえも越える超越者の存在を知っている。荒唐無稽と思えるような仮定さえも否定できない。

 

 しかし、僕達には何と言って説明するべきか。

「自分達より強い存在がいるかもしれない」などと言って聞かせたところでどうなるか   

 彼らが崇める至高の41人を越える存在など信じず、「強者が居るならば、全軍をもって滅ぼしてしまえばよい」とか考えそうだ。

 あるいは、「至高の41人の長は見えない敵に怯える臆病者だ」と失望させてしまうかもしれない。

 

   様?モモンガ様!?」

 

「ん?」

 

「モモンガ様、どうなさいましたか?」

 

 考え事に夢中で黙り込んだままだったらしい。デミウルゴスが心配して、何度も声をかけてくれていたようだ。

 

「ああ、考え事をしていた。心配をかけたようだな、すまない」

 

「いえ、私の方こそ、お考えの邪魔をしてしまい、申し訳御座いません」

 

(デミウルゴス、お前もか……)

 

 此方が悪いと思って謝ったのに、逆に恐縮して謝り返されてしまう。二人きりの時くらいもう少し気安く接して貰えないだろうか。

 

「よい、お前は私を心配してくれたのだろう?嬉しく思うぞ」

 

「も、勿体無きお言葉……」

 

 感激の余り涙ぐむ最上位悪魔(アーチデビル)。ナザリックの僕達はみんなこうだ。通路で出会えば道を開けて深々と頭を下げ、ちょっと労いの言葉を掛けようものなら涙を流して感激する。

 

(疲れるんだよなぁ、こういうの……)

 

「デミウルゴス、さっき私が口にした言葉だが……」

 

「世界征服……でございますね?」

 

「そうだ。聞かなかったことに……いや、あの言葉は忘れてくれ」

 

「っ!?か、畏まりました……」

 

 デミウルゴスは既に世界制服と聞いて乗り気だったのだろう。尻尾を蠢かせて期待に満ちた顔をしていたが、忘れてくれと言われ、ショックを受けた様子だった。元気だった尻尾を萎れさせながらも、何も聞かずに聞き入れて貰えた事に安堵したモモンガだった。理由など聞かれても納得のいく説明など出来る自信など無い。

 高度を落としていくと、地響きと共に地面が抉れたり山になったりと動いているのが見える。マーレの魔法だ。

 

「……大地の大波(アースサージ)か。それもスキルで範囲拡大し、更にクラススキルまで使っている。これが出来るのはマーレしかいない。流石だな……よし、陣中見舞いに行くとしよう」

 

 

 

 そのあとマーレに労いの声を掛け、指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を貸し与えた。何故かアルベドも来て居たので、ついでとばかりに渡してやった。二人ともとても嬉しそうに左手の薬指に嵌め込んだ。そこに着ける意味は分かっているんだろうか。だが聞く勇気はモモンガにはなかったのだった。

 

 そして部屋に戻ったモモンガを待ち受けていたのは、泣き腫らして目を真っ赤にしたナーベラルと、表情は変わらないが明らかに怒っているセバスだった。

 そのあと、近衛も連れずに一人で出掛けたことを一時間もセバスから遠回しに小言を受けた。創造主のたっち・みーに似て、セバスは怒らせると超怖かった。

 

(はぁ、怖かった……)

 

 もう勝手に一人で出歩くのはやめようと心に決めたモモンガであった。支配者の苦悩は続く……。




次回はカルネ村に行けると思います。

モモ「世界征服なんて・・・」(ヤバイ!ディアブロみたいなの居たらどうすんの?ムリムリ!)

デミ「・・・!」(世界征服!ワクワク・・・)

モモ「ごめん、やっぱ忘れて」(理由は聞かないで)

デミ「は、はい」(ええーっ!?)


セバス「おかえりなさいませ、モモンガ様」

モモ「あ、うむ・・・」(ひぃ、超怒ってるぅ!?)


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#29 カルネ村

途中からエンリ視点です。


「ふむ……?こう、でもないか……」

 

 モモンガは今、執務室で鏡に向かって手を広げたり腕を左右に振ったりしている。端から見れば鏡に向かってタコ踊りの練習でもしているかのように見えるであろう。既に夜が明け始めているが、アンデッドの種族特性によるものなのか、寝ようとしても眠ることが出来ない。もしかすると、感情が昂ると沈静化されるのも精神攻撃無効という特性の働きなのかもしれないと気付いた。

 

 今モモンガが何をしているのかというと、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)の操作である。

 カウンターマジックなど情報対策が当たり前のユグドラシルでは、ただ町で買い物するときの混み具合の確認程度にしか使えない不便なものであった。だが、土地勘のない場所を私室に居ながらにして見ることができるのは、モモンガに取って便利であった。ナザリック地下大墳墓の主人として、簡単に外には出られないのだ。今もセバスが側に控え、監視の目を光らせている……気がする。せめて外の美しい景色でも眺めて癒されたいのだ。

 

 ところが、ユグドラシルの時と操作の仕様が変わっているらしく、ズームイン・ズームアウトが上手くいかず、四苦八苦しているのだ。

 

「ふー……おっ?こうか?……おお、なるほど」

 

 偶然にズーム調整のしたらしく、映し出されている景色がズームアウトした。

 パチパチとセバスが拍手をしてくれる。

 

「おめでとうございます」

 

「ああ、ありがとうセバス。付き合わせて悪かったな」

 

 思えば徹夜でセバスに付き合わせてしまった。悪いことをしたなと思って言った台詞に、セバスは「執事として主人の側に控えるのは当然であり、また何よりの喜びでございます」と返す。相変わらずの社畜精神。モモンガに表情筋があれば、ひきつった笑みを浮かべていたことだろう。

 

 セバスは竜人だ。普通の人間と違い、一晩徹夜した程度で倒れる事は無いかもしれない。しかし、それでも疲労はしないわけではないし、睡眠不要と言うわけでもない。

 しかし、人間であったモモンガの感覚からすればこんな労働条件はブラック過ぎである。にもかかわらず、文句ひとつ言わないどころか、寧ろ喜びだというセバスに、彼らの社畜精神は根が深いと思わざるを得ない。どうにかして適度に休ませないと、過労死しても本懐を全うできたとか嬉しそうに言い切りそうで怖い。

 

(ホント、ゾッとする程ブラックな労働環境だな。しかもそれを喜んで受け入れるとか……)

 

「村だな……祭りか?」

 

 ようやく初めて人間の村らしきものを発見したモモンガ。鏡には人が慌ただしく動き、走り回っているところが映り込んでいる。

 

「いえ、これは……」

 

 セバスの眼光が鋭く鏡に映った映像を睨む。モモンガはそこでようやく気付く。逃げ惑う人々を、全身鎧に身を包んだ騎士風の者達が追いかけ、次々と殺していく。

 

「虐殺、か。チッ……」

 

 その光景を見たモモンガは驚いたし、多少気分を害されたが、寧ろその程度で済んでいる事を疑問に思った。

 

(こんなグロいシーン見たら卒倒してたか、吐き気を催していた筈。それなのに、冷静さを保っていられるなんて……)

 

 まるで人間に対して同族意識がなくなってしまったかのようだ。つい先日までは人間だったというのに。だが、意識の表層では不快感を感じつつ、心の底では全く動揺していない。

 

「如何なさいますか?」

 

 思考の海に沈みかけたところにセバスが伺いを立てて来たことで、意識を浮上させたモモンガ。セバスが聞いているのは助けにはいるかどうか、と言うことだろう。

 

(介入する事でメリットはあるだろうか?住民達は感謝してくれるだろうな。だが、あの騎士達の強さがわからないし、バックに強大な組織が付いていたら……)

 

「そうだな……お前はどうしたい?」

 

 幾つかのメリットとデメリットを天秤にかけるが、結局情報不足で何が良策かわからず、セバスに意見を求めた。彼はたっち・みーの作ったNPCでカルマは極善。出来れば助けたいと思っているあろうことは想像がついているが、あえて聞いてみる。

 

「は、私はモモンガ様のご命令であれば如何様にでも……」

 

「ふむ、そういうことを……まあ良い」

 

(そうじゃなくてさぁ……)

 

 彼にはナーベラルを泣かせた件等で苦労をかけた分、彼の希望を叶えてやる事で少しは罪滅ぼしにならないかと思っていたのだが、あてが外れた。

()()()()()()()が息が詰まるんだよな、と心の中でため息をつく。

 

「ではアルベドに武装して来るように伝言(メッセージ)を送れ。助けに入るぞ」

 

「畏まりました」

 

 セバスの声は少しだけ安堵の色が窺えた。

 

 次からは自分の想いをちゃんと口にして欲しいが、まずはそういうことが言える職場の雰囲気作りが必要だな、と考えながら、モモンガは転移門(ゲート)を開いた。

 

 

 

 

 

 村娘の朝は早い。

 日の出と共に起き出し、井戸の水汲みから始まる。そして畑作業や母の料理を手伝ったりして、日が暮れたら寝る。

 

 カルネ村に住む村娘エンリ・エモットは小さな頃から毎日そうしてきたし、これからもそれは変わらないと信じていた。

 

 それなのに。

 

 信じて疑わなかった平凡で平和な日常は突如、最悪な形で終わりを告げようとしていた。

 

 エンリがいつものように井戸から水を汲み、家の瓶に移す作業を行っていると、遠くで人の声が聞こえた気がした。なんとなく嫌な予感がしながら、一旦瓶をその場に置いて家に戻ろうとした途端、幾人かの悲鳴が今度こそはっきりと聞こえた。

 胸騒ぎに襲われ、急激に動悸が激しくなる。それでも一緒に手伝いに来ていた妹の手を取って一緒に家に駆け出した。

 

(お父さん、お母さん……)

 

 家の側まで来たエンリは、そこで母を見つける。母が無事だった事に一瞬安堵したが、次の瞬間緊張が走った。ガシャリと硬質な金属音。母が壁の角から出た先には何かが居る。

 

 母の手があっちへ行けと動いているのに気付き、エンリは妹のネムを引っ張って駆け出した。しかし、後ろから聞こえた母の悲鳴に、思わず振り返ると、そこには鎧を来た騎士が母に向かって剣を振り上げていた。

 

「うおおお!」

 

「ぐぁっ」

 

 剣が振り下ろされる直前に、父が後ろから飛び付き、騎士を転ばせる。そのまま父が押さえ込むが、騎士も激しく暴れて抵抗する。母が騎士の頭を何度も蹴りつけ、どうにか一人、気絶させたようだ。

 

 しかし、騎士はひとりではなかった。すぐに別の騎士が来て、母に斬りかかった。

 

「お母さん!」

 

「行けー!走るんだ!」

 

 父が騎士の足を捕まえて叫ぶ。エンリは後ろ髪引かれながらも、ネムの手を引き走り出した。後ろで悲鳴が聞こえても、もう振り向かない。

 森に逃げ込んで身を隠せば、やり過ごせるかもしれない。そう思い、必死で森の入り口を目指してひた走る。

 そんな彼女の後方から足音が迫って来ていた。

 騎士は鎧を来ているのに、大人と子供の体力差はどうしようもないと言わんばかりに、追い付かれてしまった。全身鎧を着た騎士が一人、前に回り込む。後ろにも一人。

 

「大人しくしてくれれば、痛い思いはしないぞ」

 

 騎士はそう言ってくるが、嘘に決まっている。楽をして殺したいだけで、抵抗してもしなくても殺すつもりに違いない。理由もわからず、ただ殺されるのを待つしかないのか。こんな奴等に家族を、村のみんなを殺されると思うと、悔しい気持ちと、激しい怒りが込み上げてきた。

 

「舐めないで!」

 

「ぐわっ」

 

 エンリは渾身の拳を騎士にぶちこんだ。騎士の方は反撃に遭うとは予想していなかったのだろう。鎧に身を包んでいるとはいえ、油断していたところへ顔を殴られ、衝撃に思わず仰け反った。

 その隙をついて再びエンリとネムは駆け出した。拳は傷つき、裂けた肉から血が流れ出ていたが、極限状態の興奮からか、痛みはあまり感じない。

 しかし、一緒に走っていたネムの足がもつれ、転んでしまう。エンリは繋いだ手を離さないように必死に力を入れ、立ち止まった。

 首だけ後ろを振り向くとそこには、騎士が眼前に迫り剣を振り上げていた。

 

「ああっぐぅ」

 

 背中に焼けるような強烈な痛みが走る。騎士に斬られたのだ。咄嗟にネムを抱きしめて庇ったが、無事だろうか。

 

「お姉ちゃん!」

 

 妹は無事なようだ。だが、自分はもう動けない。せめて妹だけでも逃がしてやりたいが、状況は絶望的だ。

 

「はぁ、はぁ、手間取らせやがって……」

 

「お前が油断しているからだろ?」

 

 息を荒くしている騎士に、もう一人がからかいの声をかける。騎士はもう手を伸ばせばすぐ届く距離に迫っていた。剣を振りかぶる騎士。

 

「っ!」

 

 斬られる。そう思って目を瞑り、身を固くする。

 しかし、痛みはやってこない。そっと目を開けてみると、騎士が呆然と立ち尽くしている。

 

 エンリとネムは、騎士が見ているであろう視線の先、自分の後ろを振り返ってみた。

 

 そこにあったのは漆黒の闇。何もない空間に、ぽっかりと闇が口を開けていた。そしてそこから現れたのは、如何にも高そうな、豪華な杖を持ち、漆黒のローブに身を包んだ     死。まさに死の化身ともいうべき()()()()()だった。白磁の骨の躯、はだけたローブから覗く胸元には赤く光る宝玉が納まっている。

 

心臓掌握(グラスプ・ハート)!」

 

 死の化身がゆっくりとした動作で虚空に手を伸ばし、拳を握り込む動作をする。同時にグチュリ、と気味の悪い濡れた音が聞こえた。

 ガシャンッと後ろで音がしたと思うと、騎士の一人が倒れていた。死の化身の仕業、いや、御業なのだろう。エンリは絶望の淵から、一気に奈落の底まで落とされた気分だった。騎士に追われて絶体絶命と思っていたら、騎士なんかより遥かに恐ろしい死の化身が現れたのだから。

 

(ああ、せめて苦しまずに死ねますように……)

 

 エンリはそんなことを祈る。もはや生き残る事など不可能。死を免れないとはっきりと感じた。

 

「死んだか……やはり何も感じない……」

 

 死の化身が何か呟いているが、エンリもネムも、「死んだ」という言葉意外は聞き取れなかった。たった一つの動作で騎士をいとも容易く殺したと理解するだけで精一杯だった。

 

「どうした、女子供は追い回せても毛色の違う相手は無理か?」

 

「ひぃぃやあぁぁああ!」

 

 死の化身が何かしゃべっているが、言葉が脳に届いてこない。理解できない。騎士は大声で叫びながら走って逃げようとする。

 

龍雷(ドラゴンライトニング)!」

 

 再び死の化身が何か唱えると、その手からバチバチと迸るような雷が騎士に向かって伸び、そして貫いた。

 

「ぎゃあああああっ!!」

 

 騎士は悲鳴と共に倒れ、ブスブスと煙を体から立ち上らせた。絶命しているであろうことは想像がついた。あんなものを受けて生きていられるとは到底思えない。

 

「いくらなんでも弱すぎる……油断を誘う罠か?」

 

 死の化身は、あんな強大な力を見せておきながら、弱すぎると言う。あんなものに耐えられる人間なんて居るわけがない。英雄譚(サーガ)に詠われる、伝説の十三英雄ならわからないが。

 そんなことを思いながらも、エンリはその場で固まったまま動くことができない。ネムと抱き合ったまま、震えてじっとしていることしかできない。このまま自分達のことを無視して去ってくれないだろうか。そんな淡い期待は脆くも崩れ去る。

 

 死の化身がエンリ達に向き直る。空虚な白磁の眼窩に灯る赤い炎がエンリを捉えた。次の標的と認識されてしまったようだ。誰一人生かすつもりはないのだろうか。

 

「……案ずるな」

 

 そう言った死の化身が一歩此方へ歩み寄ってきて  

 

 しょわああああっ

 

「あ、ああ……」

 

 恐怖に耐えられなくなった妹が()り出してしまった。妹を乗せている膝が温かい。ついでに自分の股間も……。これは仕方のないことだ。こんな状況では誰だってこうなるに決まってる。ましてネムはまだ小さな子供。それでも、相手の怒りを買うのではないかと、生きた心地がしない。

 

 しかし、目の前の死の化身は信じられないことを口にした。

 

「う……あー、コホン。信じられないかもしれないが、私は君達を助けに来たのだ」

 

「わ、たしのいい、命はどうなっても……え?」

 

 死の化身が信じられないほど優しい声音で語りかけてきた。しかし、エンリは混乱してしまい、状況が掴めない。

 

「怪我をして居るようだな……セバス」

 

「はっ」

 

「ひゃわ!?」

 

 突然背後から声が聞こえ、心臓が爆発するかと思った。振り返るとそこにはとても高価な印象の黒い服を着た、白髪の老人が立っていた。エンリは始めて見たが、執事のそれであると気付いた。その立ち姿は、とても老人には見えない、立派な姿だった。

 

「その娘にこれを」

 

 そう言って、死の化身が赤い液体の入った小瓶を何処からともなく出し、老人に渡した。老人は恭しく受けとると、エンリに向き直る。

 

「あ、血……?」

 

 エンリは唇を震わせて絞り出すように声を出したが、まともに言葉にならない。辛うじて血のような色だという感想が伝わっただろうか。老執事はにっこりと優しい笑みを浮かべながら膝をつき、怯える二人に静かに声をかけた。

 

「ご安心ください、これは治癒のポーション。飲めば傷を癒してくれますよ」

 

「え、あ……」

 

「さあ、どうぞ」

 

 親切に蓋を外してくれた老執事に勧められるままに、エンリは目をぎゅっと瞑って赤い液体を飲み干した。

 

「え?ウソ!?……すごい」

 

 飲んだ次の瞬間、痛みがたちどころに消えて、傷も完全に塞がっていた。背中に触れてみても傷跡さえ残っておらず、最初から傷などなかったかのようだ。

 

「痛みはありませんか?」

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

「ありがとうございますっ」

 

 エンリに倣ってネムもお礼を述べた。さっきまでの(こわ)ばりが幾分解れたようだ。

 

「さて、君たちは……」

 

「は、ひゃい!」

 

 思わず変な声を出してしまうエンリ。命の恩人といっても良い相手に対して無礼だとは思うのだが、まだ白骨の顔で見つめられると震えそうになってしまう。

 

「ふっ……いや失礼。君たちは魔法を知っているかね?」

 

「は、はい。薬師の友人が使えます」

 

 鼻で笑われてしまったと思ったエンリは、顔を少し赤らめながら答えた。

 

「そうか。それなら話は早い。私は魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。……中位アンデッド作成   来いっ死の騎士(デスナイト)!」

 

 死の化身がなにやら唱えると、宙に黒い塊が現れ、騎士の体を包んだ。

 ボコッ ゴボッ……

 黒い塊に包まれた騎士は形を変貌させ、やがて一体の巨大な体躯の黒い騎士へと姿を変えた。途中、死の化身が「うわ……」と引いていたような気がするが、気のせいだと思う事にした。

 

「デスナイトよ。そこの鎧を着た騎士どもを殺せ」

 

「オォォオオオオァァアアアアァァ!!」

 

 黒い騎士がおぞましい雄叫びを上げて走り去っていった。「えー」とか言う声が漏れ聞こえた気がしたが、これもきっと気のせいだ。考えないようにしよう。震えないように気を張っているので精一杯なのだ。

 

「準備に時間がかかり、申し訳ありません……」

 

「いや、実にいいタイミングだ」

 

 黒い闇の中から、今度は女性の声が聞こえ、漆黒の全身鎧に身を包んだ戦士が現れた。背中には柄の長い斧のような武器を背負っている。死の化身が話しかけているので、彼?の仲間だとわかる。

 

「あ、あの……」

 

「ん?」

 

「なに?お前は?脆弱な「アルベド!」は、はい!」

 

「この二人は現在庇護の対象だ。丁重にな……」

 

「はっ、も、申し訳……」

 

 女性戦士にすごい剣幕で睨まれた気がしたが、兜を被っているため、ハッキリとはわからない。ただ、生きた心地がしないほどの威圧を感じた。死の化身が主らしい。すぐに止めてくれたが、ほんの僅かな時間睨まれただけで、死を濃厚に感じた。きっと彼女も、とてつもなく強いに違いない。

 

「ああ、何か言いかけていたな?」

 

「あの、私はエンリ・エモットと申します」

 

「ネム・エモットです」

 

「助けていただいてありがとうございます。それで、あの、こんなことをお願いするのは厚かましいのですが……どうか、どうか父と母を……村を救っていただけないでしょうか?どうか……どうかっ」

 

「お願いします!お願いします!」

 

 ネムも一緒になって泣きながら叫ぶようにお願いした。自分など何の力もないただの村娘。必死で抵抗しても、騎士達に殺し尽くされるしかない弱者。

 戦士から剣呑な雰囲気が漂ってくる。怖い。今にも斬りつけられそうだ。

 しかし、縋る事が出来るのは目の前の存在しかいない。もし見放されたら、父は、母は……。

 エンリは誠心誠意頭を下げてお願いした。

 

「言っただろう?助けに来たと」

 

「あ、ありがとう、ござ、い、ます……ぐすっ」

 

「あ"り"がどうございま"す"ぅ~」

 

 アンデッドは本能的に生者を憎む。しかし、目の前の存在は違う。エンリとネムの命を救い、か弱いだけのただの村娘の願いを聞き届けてくれた。心優しく慈悲深いお方だった。恐ろしく見えていたその姿が今では神々しくさえ見えた。ただ脅えて震えていた愚かな自分をエンリは恥じた。

 

「セバスは二人に付いていろ。アルベド、行くぞ」

 

「「はっ」」

 

 漆黒の戦士と白磁の魔法詠唱者(マジックキャスター)は背を向けて歩いていく。

 

「あ、あの!」

 

「ん?まだ何か?」

 

「お、お名前をお聞かせ願えないでしょうか?」

 

 変な質問だっただろうか、一瞬御方が固まったように見えた。

 

「そうだな……『アインズ・ウール・ゴウン』!と名乗っておこうか」

 

「アインズ・ウール・ゴウン様……」

 

 エンリの目にはもう怯えはない。心優しき彼を恐れたりなどしない。そして確信していた。

 

 このお方は必ず村を救ってくださると。




エンリ視点でモモンガ様の雄姿を、という感じでやってみましたが、いかがでしたでしょうか。

ストーリーが予想していた以上に進まないです。わりと飛ばしてるつもりなんですが・・・。



今回のあらすじを軽いノリでいくと

モモ「こうかな?」(見てる。ジーっと見てる・・・)
セバス「じぃーっ」(タコ踊り・・・?)

セバ「どうしますか?」
モモ(嫌なタイミングで村を発見してしまった・・・)「セバスはどうしたい?」
セバス「仰せのままに」
モモ「じゃ、助けようか」(質問の答えになってないけど、追々だな)
セバ(なんと慈悲深い・・・)


モモ「弱すぎ・・・罠か?」
エンネム「ひぃ」じょじょじょ~
モモ(ああ、やっぱね・・・)「助けに来たよ~」
セバ「もう大丈夫ですよ~」
エンネム「ありがとうございます♪」
モモ(いいなぁセバスは。俺なんか泣かれたりお漏らしされたり)「ふっ・・・」

モモ「デスナイト!ぅわ」(グロいなー。この世界じゃこんな風なのか)
デス「オォォアァアア!」ドスドスドス・・・
モモ「えー?」(置いて行かれた?行けって言ったけどさ~)

アル「あぁ?」
モモ「アルベド、めっ!」
アル「ひぃん、ごめんなさい・・・」


エン「助けてくださいぃ」
アル「ギリ・・・」(人間のクセに気安く・・・)
モモ「最初にそう言ったじゃん」
エン「ジーン」

エン「お名前を」
モモ(えーっと、そうだ)「アインズ・ウール・ゴウン!」
エン「ゴウンさま・・・」



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#30 恋多き女

アルベド視点と、後半あの人が動き出します。

※少しだけエロチックな描写があります。


 御方に伴って、村へと歩いていく。

 強大なドラゴンの爪を想起させるような堅牢そうな肩当てや、金や紫の装飾の施された、豪奢な漆黒のローブ。それを纏うは死の具現。我等が主、死の超越者(オーバーロード)、アインズ・ウール・ゴウン様。皮一つない、輝くような白磁の顏。眼窩に揺らめく紅い炎。まさに支配者の威厳に溢れていらっしゃる御方。

 

 一方、私は漆黒の鎧を着込んでいる。全身鎧(フルプレートメイル)でありながら無骨ではなく、メリハリのあるボディラインを見せるシルエットの"ヘルメス・トリスメギストス"。三度までダメージを鎧に転嫁できる。

 足早に進み、人間の子供達からある程度距離が空いた所で、お声をかける。

 

「モモ……いえ、アインズ・ウール・ゴウン様」

 

「なんだ、アルベド?」

 

「その、何故このような人間の村をお救いに?」

 

 愚かで脆弱な、取るに足らない人間などの為に、至高の御方が態々助けに来たと仰った。単に騎士達を排除するだけ、或いは情報収集であれば、御身が自ら手を下されずとも、しもべ達にやらせれば事足りるはず。

 御方には何かしらの意図が別にあるのでは。或いは単純に我々を信用いただけていないのか。一瞬、不安がよぎる。

 

「……少し、確かめたいことがあってな。あと、いちいち呼ぶのに()()では長いだろう。気軽に『アインズ』と呼んでくれて構わないぞ」

 

「く、くふーっ。畏まりました、アインズ様っ!」

 

 このように時折気さくに接して下さる至高の御方。御名を省略して呼ぶなど不敬では、と一瞬考えもしたが、もしかして()()()()()()()そう呼ばせていただけるのかもしれないと思うと、先程まで抱いていた不安が吹き飛び、胸が躍った。

 

(ああ、そんな不意討ち、ズルいですわ。至高の御方に対して不敬かもしれないけれど、キュンキュンしてしまってもう……。帰ったら今夜も捗ってしまいそうね……)

 今からアルベドの股間は疼いてしまい、既にヌルヌルである。

 思えば数日前に、自分の勘違いからとんだ失態を晒してしまったが、絶対的支配者は怒るどころか優しく慰めてくださった。そして()()()とお褒めいただいたのだ。まさに天にも昇るような心地だった。心地だけでなく実際に軽く絶頂してしまったのだが、恐らく御方は気付かないフリをしてくださった。

 夢のような甘美な余韻にいつまでも浸って居たかったが、守護者統括としての矜持がそれを許さない。偉大なる主人の期待に相応しい働きで応えるべく、行動を開始した。

 

 忠誠の義においても、それまで隠しておられた絶対的支配者としてのお顔をお見せになられ、守護者たちの忠義に応えてくださった。シャルティアは下着を濡らして動けなくなるなどという、ビッチ丸出しの有り様だった。でも私は違う。

 守護者たちでさえ濃厚に感じたであろう強大なオーラに、自慢ではないが私も下着は濡れていた。しかし、その場に座り込んだまま立ち上がれないような愚は犯さない。()()守護者のシャルティアと同じ責任感では、創造主たるタブラ・スマラグディナ様からお任せいただいた"守護者統括"の立場を汚してしまいかねない。

 

 今はお姿をお隠しになられている御方々も、私達が此処を守り続けていればきっと……。

 

 守護階層に戻る際、去り際にデミウルゴスがマーレの事で然り気無くフォローしてくれた。

 

「マーレは守護者とはいえまだ子供です。しかし逆に言えば、これからの成長をおそらく誰よりも期待できるといえます。今はまだ守護者として未熟なところがあるかもしれませんが、温かく見守ってやってくれませんか」

 

 仲間想いの彼は、ナザリック隠蔽の件でマーレを私が叱責しようとしたことで、信頼関係が悪化する事を心配してくれたのだろう。

 

 私だってマーレが憎くてあんな態度を取ったわけじゃない。守護者統括として、個人的には言いたくないことも必要であれば口にしなければならない。

 マーレもそのあたりは理解してくれていると思うけれど、まだ子供なのも事実。ちょっとしたことで拗ねてヘソを曲げてしまうかもしれない。

 

 そういった機微を察し、然り気無く気遣ってくれるなんて、マメな男だと思いつつ、マーレが将来成長した姿を想像してみる。

 艶やかな輝く金髪に、左右非対称の目(オッドアイ)のハンサムなダークエルフの青年。()()()()わ。今後の成長が楽しみになってきた。

 マーレにはすぐにフォローに行くべきね。

(今のうちに唾つけておかなくっちゃ)

 マーレの元へ行くと、そこへ至高の御方も陣中見舞いにと駆けつけてくださった。

 マーレと共に、それまでは至高の御方々だけが所持を許されていた至宝"指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)"を賜った。

 ああ、モモンが様は何と慈悲深きお方か。常に下々の者のために心を砕いてくださる御方に感動し、胸がときめいてしまう。

 

 マーレには自分と同じ指に指輪を嵌めさせた。マーレはその位置に着ける意味を知らないようだったけれど、そんなことは後に気付いたときに、嫌でも意識するようになる。まだ時間はあるのだからじっくり距離を縮めておこう。今は成長を見守り、大人になったその時には……。いや、今から自分好みに染め上げるというのも……。

 

 玉座の間にずっと詰めていると申し上げた私に、アインズ様が直々にお与え下さった。私はゆっくりと個室のドアを潜り抜ける。本当はお部屋を頂きたいのではなく、モモンガ様のお部屋に……。それはまた別の口実を考えないと。邪魔な衣服を脱ぐと、ベッドへと潜り込む。

 

(それにしても……デミウルゴスのお陰で楽しみが増えたわ。マーレのあの短いスカートの下はどうなっているのかしら。やっぱり子供の……)

(子供のオチンチンなのかしら?)

 

 臨戦体勢(マキシマム)になった()()が、スカートを内側から少しだけ押し上げて主張する様を想像する。可愛らしい。まだナニも知らない無垢な男の娘(マーレ)に一から十まで手取り()()取り……。

 

 眼鏡スーツ男子、厳つい老執事にとどまらず、()()()はまだ幼いダークエルフの男の娘のあられもない姿を夢想し、アルベドは熱く火照った下腹部へと手を伸ばす。既に充分すぎるほどに指が潤滑し、緩慢な動きから次第に乱暴に激しくなっていった。

「ああ、も、もうイ、ク、イクゥウッ!」

 夜な夜な妄想に耽り、身体の奥深い部分をまさぐるなど、はしたない淫乱な女と思われるかも知れない。

 だが、惚れた殿方の裸の一つも妄想しないならば、それは「恋する乙女」でも何でもない。好きな殿方の裸を想像したり、使用した枕や衣服をクンクンしたいとか思うのは当然なのだ。その当たり前の『恋する乙女の嗜み』なくして「恋している」等と、いけしゃあしゃあと(のたま)う女子はウソつきか、本当の恋を知らないだけである。恋とは下心ありきなのだから。

 

 デミウルゴスといい、セバスといい、ナザリックの男達は皆魅力的である。勿論一番は至高の御方々のまとめ役であらせられる慈悲深き絶対の主人、アインズ様。

 こうも気が多くなってしまうのはきっと、魅力的な僕たちを創造して下さった至高の御方々の偉大さ故だろう。それとも、淫魔(サキュバス)という種族故だろうか。いずれにせよ慈悲深きアインズ様ならば、きっとお許しくださるだろう。

 

「むっ?なに!?」

 

「っ?如何なさいましたか?」

 

 アインズ様の焦りの混じった声に、妄想の世界へと旅立ちかけていた私は即座に現実へと意識を浮上させた。

 

「……死の騎士(デスナイト)がやられた。急ぐぞ、アルベド!集団飛行(マスフライ)不可視化(インヴィジビリティ)!」

 

 アインズ様は私の手を取り、飛び上がりながら不可視化をかけてくださる。

 デスナイトは一度だけ戦闘不能になる攻撃にも耐える能力があるため、盾役としてはそれなりに使えるが、ナザリックのシモベの中では戦闘能力は高くはない。それでも、御方によって創造されたアンデッドは通常よりも強化されるし、先のような人間の騎士程度ならば問題はないと踏んでいた。

 

 ところが予想に反し、死の騎士(デスナイト)がやられたという。アインズ様はどうやってか、死の騎士(デスナイト)の動向を掌握していたらしい。

 

 折角至高の主人がギルドの名を持ち出して名乗られ、この村を救うとお約束したのに、それが失敗に終わっては主人の名に、至高の御方々の名に傷がついてしまう。

 今はアインズ様に手を引かれても浮かれるような、先程までのふやけた思考は微塵もない。

 

 死の騎士(デスナイト)を倒したとはいえ、まさか苦戦するほどの強者は居ないだろう。それでも油断は一切しない。誰が相手であろうと全力で叩く。至高の御方の御業を邪魔するものは排除せねばならない。

 

死の騎士(デスナイト)を倒した者の実力は不明だが、此方から敵対的な姿勢は取るなよ。もし戦闘になれば、折角助けようとしている村の人間が、戦いの余波に巻き込まれただけで死んでしまいそうだからな」

 

 私は背中の武器をそっと確かめた。此方が敵対の意思を見せずとも、相手が問答無用で攻撃してくれば対処せざるを得ないだろう。

 だが、御方のご意志は何よりも優先されなければならない。惰弱な下等生物であっても、御方が庇護を決定なされたのだ。弱すぎる人間に煩わしさを覚えるが、御方の為に全霊を尽くす。

 

「畏まりました、アインズ様」

 

 私は守護者統括としての矜持を胸に抱き、どのような敵が居ようとも毅然と望むつもりでいた。そう、毅然と   

 

「あっ……」

 

 

 

 

 

 

 草原   

 

「冗談じゃないわ!死ぬかと思ったじゃない!!」

 

「落ち着いて、ヒナタさん。話せばわかる……」

 

 ヒナタさんはこめかみに青筋を立てて絶賛激オコ中だった。ユグドラシルに転移したと思いきや、跡形もなく消えていた。

 俺たちは呼吸を必要としないので気付きもしなかったが、空気も無かったようだ。ヒナタは窒息してしまい、危ないところだったのだ。いや、それは気のせいのはず。聖人であるヒナタも本来は呼吸も睡眠も必要ないのだ。「死ぬかと」思っても、死ぬことはない。

 

 一旦魔物の国(テンペスト)に戻ろうかと思案していたところへ、シエルが転移の形跡を発見し、転移してみたんだが……。どうもゲームの仮想世界の中では無く、現実の世界みたいだ。とはいっても、日本でも魔物の国(テンペスト)でもない、別の世界らしい。

 

 最初はサーバーが移転でもしたのかと軽く考えていたんだが、もっと事態は深刻らしい。

 シエル曰く、ユグドラシルの仮想空間と現実空間とが、()()()()()()で繋がってしまった可能性があるとのことだ。そう、つまり……どういうこと?

 

《…………》

 

 いや、呆れてないで教えてくれよ、先生。頼むから。

 

《……ユグドラシルのモンスターやアイテムは、実体のないデータに過ぎませんでした。しかし、この世界ではそれらが実体を持って存在しているということです》

 

 ゲームが現実にそのまま出てきたって感じか?そんなことってあるんだなぁ。……もしかして、プレイヤーのアバターとかも現実化しているかもしれない。

 

 でもその場合、どうなるんだ?別の人格が形成されているのか、それともプレイヤー自身の魂が乗り移ってたり……なんて事は流石にあり得ないか?

 

《…………》

 

 あり得なくはない、ということだろうか。断言はしないので、シエルさんでもはっきりとはわからないようである。まあ、まだ来たばかりだしな。そのうち分かるだろう。

 

「で?納得のいく説明をしてくれるんでしょうね!?」

 

 ディアブロは生温い視線を此方に送り、ヴェルドラとラミリスは我関せずとばかりにそっぽを向いている。全く頼もしい限りで……。

 ミリムは初めての異世界の景色が気になる様子だ。キョロキョロと辺りを見回している。

 

「ああ、そうだった。ええっと……ん?」

 

 眉間にシワを寄せているヒナタさんを宥めつつ、俺は何から話そうかと迷っていた。何しろ、俺自身もよくわからない異世界だからなぁ。ヒナタさんがじっと怖い顔で睨んでくる。そんなに睨まれたら、話しずらいんだけど?

 

 と思ったら、視線は俺から少しずれていた。気になって視線の先を追うと、遠目に村が見えていた。ミリムも気付いていたようで、じっと村の方を見つめている。

 所々から煙が上がっているようだが、暖炉の火だろうか。いや違うな。

 

「ゲームの世界とはいえ、気分がいい物ではないわね」

 

 よく見ると、漆黒の鎧を纏う長身巨躯のアンデッドの戦士が村で暴れているところだった。

 銀色の鎧を着た騎士達が応戦しているが、まるで歯が立たない。巨大な盾によるぶちかましか、剣で鎧ごと真っ二つに切り裂かれるか。いずれにせよ、一撃でやられている。とても手に負えそうもない、圧倒的な差だった。

 

「ヒナタ、ここは現実の異世界だ!ユグドラシル(ゲームの世界)じゃない!」

 

「それを早く言いなさいよ!」

 

 言うが早いか、ヒナタは村へと転移して行ってしまった。乱発は出来ないが、彼女も転移が使えるのだ。

 

 

 

 

 

 

 何とか間に合った、とは言い難いか。ヒナタが駆けつけた時には、"隊長"と呼ばれた男が何度も腹を剣で刺され、腸をぶちまけて殺されるところだった。銀鎧の騎士たちの中で無事なのは数名しかいない。

 

 騎士の何名かはゾンビになっているようだったが、ヒナタの敵ではない。あっという間に斬り捨て、残るは漆黒の戦士だ。ソコソコデカイな。3m近くあるんじゃないのか。俺はヒナタが負けそうだったらすぐにでも助けに入るつもりでいたが、ヒナタは少し苦戦しながらも一人で倒し、広場からは歓声が上がった。無事に勝ったようで何よりだ。

 

「ふむ、ヒナタのやつめ、少しばかり腕が鈍ったのではないか?」

 

「ま、まあ、どっちにしろアタシならワンパンで沈められるけどね」

 

 ヴェルドラとラミリスが好き勝手な事を言っている。安心しろラミリス、お前がワンパンで沈められるから。

 ヒナタは短時間だが、久々に戦闘を行ったためか、少し息が上がっていた。全盛期のヒナタであれば苦戦すらする事なく倒せたのだろうが、平和になってからもう10年近く経つ。

 

 ヒナタは調停委員会の委員長として様々な業務に没頭していて、剣を抜いて戦う事は殆どなかったらしい。

 真なる勇者の彼女に力を譲り、その時に戦う力の多くは失ったと本人も言っていた。スタミナも大幅に落ちたかもしれない。

 

 それでも流麗な剣技はまだ健在で、体格がまるで違うアンデッドの攻撃を捌ききってみせたのだから大したものである。

 

 そこへ何かが飛行して近づいて行っているのに気付いた。透明化して姿を隠しているようだが、俺の万能感知は誤魔化せない。ミリムやディアブロも気付いたようだが、動きを見せない。様子を見るつもりか。まあ、俺もヒナタに任せるとしよう。そんなわけで、()()()は村の様子を遠くから見守る事にした。勿論いざというときは駆け付けるつもりだが。

 ん?ていうかあれってもしや?

 

 空中で静止している二人。一人は黒い全身鎧で顔は見えないが、多分女だな。もう一人は黒いローブを羽織って、なんだか怪しげな仮面をした魔術師。だが、あのローブには見覚えがある。

 

「リムルよ、少しばかり不味いのではないか?」

 

「ちょっと強そうなのが出てきちゃったみたい」

 

「あの二人相手では今のヒナタに勝算は薄いのだ」

 

 ヴェルドラ、ラミリス、ミリムはそれぞれあの二人の実力を推し量り、ヒナタが不利と見た。

 だが、俺の予想通りならヒナタが喧嘩を売らなきゃ多分戦うことにはならないと思う。

 

「リムル様、如何なさいますか?」

 

「もう少し様子を見よう。多分大丈夫だからさ」

 

 ディアブロにそう言ってもうしばらく様子を見ることにした。できればあまり目立ちたくないのだ。()()世界ではなぜか神のように崇めまくってくる。ヴェルドラが派手にやらかしてくれちゃった事もあり、そんな目で見られるといたたまれないと言うか、正直居心地が悪い。

 その反省も踏まえて、今回はうっかりそんな事態にならないよう、こうやってコソコソ行動することにしたのだ。

 

 

 

 

 

 

「初めまして。私はアインズ・ウール・ゴウンと言う者。旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)です」

 

「ヒナタ・サカグチだ」

 

 アインズを真っ直ぐに見据えているヒナタは、言葉少なに名前だけ名乗った。

 

(やっぱり他人のそら似ではない、か。ヒナタさんが居るという事は、ここは()()世界なのか……?)

 

「通りがかりに、この村が襲われているのを見て、こうして助けに馳せ参じたのですが……」

 

「そう、でも無駄足だったようね。村を襲った魔物は私が倒した。脅威は去ったわ」

 

 そう言いながらヒナタは明らかに警戒の色を示しており、アインズは焦りを覚える。何かまずい方向に誤解されているような気がする。このまま緊張状態が続けば、アルベドが業を煮やして実力行使に走りかねない。そうなればリムルや八星魔王(オクタグラム)の面々とも軋轢が生まれるかも知れない。彼らのうち一人でも本格的に敵に回せば、最悪破滅もあり得るだろう。

 

 アインズは既に何度も精神の沈静化が起きるほどの緊張感を味わっていた。自分がかつて助けてもらった鈴木悟だと気付いて貰えれば話は早いかもしれないが、今は心身共に人間ではなくなっている。アンデッドの肉体でそう名乗ったとしても、とても信じてもらえる気がしない。

 

 彼女は既に気付いているようなのだ。アインズが人間ではない何かだということに。その証拠に、ただ立っているだけに見せて、じっとこちらの様子を観察しながら、いつでも抜剣出来るように身構えている。

 魔物の国(テンペスト)で鍛えられたことで、魔法職のアインズにも、それくらいは察することが出来るようになっていた。

 

「ふむ、どうも信用が無いようですな」

 

「フン、奇妙な仮面で顔を隠し、事が終わってから現れて、助けに来たなどと言われても、信用できないな。それに、お前からは人間の気配がしない」

 

「やはり気付かれていましたか。……私は人間ではありません。顔を隠しているのは、無闇に人を怖がらせないためですよ」

 

「そうやって正体を隠して村に取り入り、油断を誘うつもりだったんじゃないか?」

 

 アインズはどうにか剣呑な空気を打破しようと糸口を探る。しかし、猜疑心が強いヒナタとの会話は平行線をたどる。

 

「アインズ様の尊きお言葉を信じられない、この様な愚か者には死を以て   

 

「ま、待て、そう急ぐな」

 

 急いで止めたアインズだったが、遅かった。アルベドが物騒なことを口にしたことで、ヒナタは警戒を強め、目付きが冷気を帯び始めた。まさに一触即発の様相だ。アインズは無いハズの胃がキリキリと痛む気がした。

 

「御身は御下がりを」

 

「待て!」

 

 そう言って前に身を乗り出そうとするアルベドを、アインズは慌てて手を横に出して制止した。

 防御に特化しているとはいえ戦士職のアルベドの筋力と、魔法職のアインズの膂力の差は歴然としている。アインズが片手で押さえつけようとしたところで、止まるはずはない。だがしかし   

 

「あっ……アインズ様……」

 

「ん……?あっ……」

 

 カシャリと金属同士が当たる音と共に、アルベドは静止した。一瞬後にアインズも。アインズのガントレットと、アルベドの鎧が当たった音だ。アインズの左手にはアルベドの鎧の、胸の部分が収まっていた。

 

 3秒ほど固まったあと、アインズの手がソッと離れる。アルベドは小刻みに身を震わせていた。

 

「その、す、スマ   「アインズ様!」は、ハイ……」

 

 ゆっくりと兜を取るアルベド。美しい黒髪の美女が顔を空気に晒す。余りの美貌に、周りの男達がゴクリと生唾を飲み込んだ。

 

「こ、この様な場所で……なんて大胆な……」

 

「いや、い、いま今のはそのだな……」

 

 頬を染めて恥ずかしそうにするアルベドに、アインズの羞恥心は一気に膨れ上がり、何度も沈静化が起こる。しかしそれも追い付かず、しどろもどろになってしまう。

 

「ですが、ずっと焦がれてもおりました。遂に、遂に私は、はっ初めてを迎えるのですね!?いつでもお応えする準備は出来ております!アインズ様ぁ!ん~~~」

 

 嬉しそうに頬を染め、唇を突き出すアルベド。タコだ。タコの口がそこにあった。しかし、彼女の美貌は少しも損なわれてはいなかった。一瞬見蕩れかけたが、我に返ったアインズは慌ててアルベドの肩を掴み、引き離そうとする。

 

「まっ、待てアルベドっ!違う、違うんだ!っアルベドオォ!!」

 

 

 

 すんでのところでアルベドが正気に戻り、(というかセバスに止められ)キスを回避したアインズは、草臥れたようにガックリと肩を落とした。

 

「結局なんなのよ、あなたたち……」

 

 ヒナタは呆れたように呟く。先ほどまでの張り詰めた空気は既に霧散していた。

 

 そして遠くからその様子を眺めてニヤニヤする彼らに、アインズはまだ気付いていなかった。




如何でしたでしょうか。アルベドを描くと、ついついエロ方面に走ってしまいます。「恋という字は下心」なんて言いますが、ある意味ビッチですね。

色々楽しそうなアルベドは原作とは違い、他の至高の41人の事を憎んではいないっぽいです。

設定の最後の一文を何度か入れては削除を繰り返すと、ある特殊なプログラムが作動するようになっている、という創作設定があります。内容は触れる機会があればいずれ・・・。


ヒナタさんは約10年のブランクですっかりナマってしまっているようが、デスナイトを圧倒出来るほどの剣技はまだ健在という感じです。全盛期のヒナタさんは強すぎます。純粋に剣技だけでたっちさんより強いかも…。


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#31 アルベド対ヒナタ!?

戦士長が到着。と思ったら、そこまで行けませんでした。


「申し訳御座いませんでした!私としたことが、つい欲情してしまい、とんだ御無礼を……。不肖アルベド、如何様にも罰を受ける所存に御座います!」

 

 正気に戻ったアルベドは、開口一番平身低頭し謝罪を口にした。その顔は蒼白といっていいくらいに蒼ざめており、地面に滴り落ちる程の冷や汗が流れていた。

 

 何故そんなにも怯えた様子なのか、アインズがその理由に気付くことはない。途中気になるフレーズが聞こえたが、アインズは触れないでおく。営業として培ったスルースキルは伊達ではない。

 

「そ、そう謝らずとも良い、私にも非はあったのだからな……」

 

(こんなことで注目浴びちゃって、もう死ぬほど恥ずかしい……。アルベドみたいな美人に迫られて嬉しくなくはないんだけど、それとこれとは別で……。

 それにしても、ビッチ設定は変えたはずなのに何でこう……)

 

 この世界に転移する直前、アルベドの風味付け(フレーバー)テキストの最後の一文『ちなみにビッチである』という設定を、『非常に恋多き女である』と変更した。

 なのに、このように人前で欲情するなんて、まるで()()()じゃないか。アインズは後で改めて彼女の設定を確認しようと心に留めておく事にした。

 

「し、しかし……」

 

「済んだことだ。今後は場を弁えてくれ」

 

「あ、アインズしゃま……!感謝致します……くふ……」

 

 アルベドは何故か非常に嬉しそうに、深々と頭を垂れる。その頬は赤みが差している。()()()()()()()()キスを迫った事は問題ではない、と受け取られかねない発言なのだが、アインズ自身は全くそれに気付いていない。彼としては、一秒でも早くこの話を終わりにしてしまいたかったのだ。

 

 村人や騎士たち、ヒナタも此方を唖然として見ている。先ほどからのコントのような恥ずかしいやり取りを見られているかと思うと、羞恥心が幾度となく沸き起こり、何度も精神沈静化が起きていた。それでも抑圧された羞恥心がチリチリと残り火のように燻っている。

 

「アルベド様、申し訳御座いません。緊急とはいえ、女性のお顔を……」

 

「セバス、手間をかけさせたわね」

 

 謝罪を口にしたセバスに対し、アルベドは紆遠に礼を伝える。統括という立場上、簡単に頭を下げたりするわけにはいかないのだ。セバスもそれを理解している。

 アインズに迫る暴走特急ならぬ、暴走キス魔と化したアルベドを力ずくで止めたのはセバスだった。

 

 

 アインズ達が突然飛行(フライ)で飛び立ったのを見たエンリが、村に何かあったのかと激しく狼狽し始めた。セバスは、万一アインズが撤退を選んだ場合、自分も盾となるために御側に控えているべきでは、との思いが燻っていた。しかし、エンリ達の庇護も命ぜられている。セバスは迷った末、エンリ達を一緒に連れて入った。

 

 だが、村に入ったセバス達の目に飛び込んできたのは、唇を突きだして至高の御方に迫る淫魔(アルベド)

 セバスは一瞬目が点になった。

 護衛に付いていたはずのアルベドが、何故御方に接吻を迫ろうとしているのか。

 しかしそこは優秀な執事(バトラー)であり、家令(ハウススチュワート)。直ぐ様気を取り直し、一瞬でアルベドに詰め寄った。

 

「アルベド様。いったい何を?」

 

「んちゅうううう」

 

「セ、セバスっ、アルベドを止めろ   

 

 セバスが話しかけてもアルベドはまるで反応がない。

 それどころか抵抗するアインズは体を仰け反らせ、今にも押し倒されてしまいそうだ。

 

 僕が絶対の主人たる至高の御方に、地に足裏以外を着かせるなど、あり得べからざる行為である。

 もし万一失望され、最後までお残り下さった慈悲深き御方まで御隠れになられてしまったら、一体誰に忠誠を捧げれば良いというのか。

 アルベドとセバス、否、ナザリック全ての僕達は、それが何より恐ろしかった。彼等にとって自らの存在意義を失うと同義なのだから。

 

 まるで巨大な攻城縋が激突したかのような轟音が鳴り響く。

 セバスがアルベドの額に拳骨を見舞ったのだ。普通の人間であれば瞬時に頭蓋が爆ぜ、脳髄を飛び散らせたであろう威力の打撃。

 それ程の衝撃を受けたアルベドは体を仰け反らせ、地面に轍のような跡を付けながら十数メートル後方へと地を滑った。しかし、額に僅かなコブができた程度で、血は出ていない。アルベドは仰け反った体を起こしながら、ようやく我に返ったのだった。

 エンリを含め、この光景を目にした村人達は目玉がこぼれ落ちるんじゃないかというくらいに目をひんむいて驚いていた。

 そして冒頭のやり取りになる。

 

 

「コホン。さて、どこまで話しましたか……」

 

 話の続きを始めようとする漆黒のローブの魔術師。アルベドと呼ばれた女戦士も落ち着きを取り戻したようだ。少しイタいところがあるようだが、その実力は決して侮れない。

 そして、新たに現れた老執事。この男もかなり出来る。敵対すれば1対1でも苦戦は必至であろう相手が三人。

 下手に刺激しては厄介なことになりそうだ。リムル達もおそらくこの状況を遠くから見ているはずだが、いちいちアテにはしていられないし、村の民を巻き込むわけにもいかない。ヒナタはそんなことを思いながら、アインズに尋ねる。

 

「結局お前達は何が目的なんだ?」

 

「村を助けに来た、と言ったでしょう。まだ全て終わってはいませんがね」

 

「……どういう意味だ?」

 

「彼らがここで何をしていたか聞けば分かりますよ」

 

 ヒナタが再び尋ねると、アインズが鎧の騎士たちを指差した。騎士たちは自分達のしていたことに(やま)しいことがあったのか、びくりと肩を跳ねさせた。

 それを見たヒナタは騎士たちに鋭い視線を送る。

 

「どういうことだ?」

 

「……し、仕方、仕方なかったんだ!」

 

「我々は国の、めめ、命令で……!」

 

 ヒナタに問い詰められ、震え声で口々に言い訳をし始める騎士たち。ヒナタは辺りに落ちている騎士たちの剣に血が付いていることを確認し、おおよその事情を察した。

 

「……武装もしていない一般人の村を襲ったのか」

 

 ヒナタの目が冷気を帯び、騎士たちはガタガタと激しく震え出す。まるで生まれたての子鹿のようだ。立つことも儘ならず尻餅をつき、腕も体重を支えること叶わず、遂には後ろにひっくり返った。

 

 目の前に立つ黒髪の麗人は信じられないことに、自分達が全く歯がたたなかったアンデッドの騎士を一人で、しかも無傷で倒した程の圧倒的な強者。その強さはまさに英雄の領域と言って差し支えないだろう。

 

 その彼女から怒気混じりの視線を浴び、戦意も敵意も欠片ほども湧いてはこなかった。出来ることはといえば、狂暴な肉食獣を目の前にした小動物のように、ただ怯えて震えるだけである。

 

「それに気付いた私がアンデッドを使役し、この村に送り込んだというわけです。村を襲う不届きな騎士共を殺せ、とね」

 

「っ!それは本当か?」

 

「ええ、本当ですとも。なんなら出して見せましょうか」

 

「いや、遠慮しておこう。しかし、そうとは知らず私が倒してしまった。すまなかったな……」

 

 ヒナタは余計なことをしたと頭を下げた。本当のところはアンデッドを使役すると聞いて、信用して良いものだろうかと思った。本当は村そのものを騎士もろとも襲ったとしても納得がいく。だが、下手に敵対すれば村人を巻き込んで戦闘になりかねない。それを避けるために話を合わせただけである。

 

 先程からアルベドが唇を噛み締めて厳しい視線を向けてきている。その目には主に嫉妬の色が浮かんでいるのにも気付いている。これは厄介だ。魔術師の方は友好的な態度に思えるが、女戦士の方は敵対しても、逆に親しくし過ぎても難癖をつけてきそうだった。執事の出方は分からない。

 

 ヒナタがアインズと話している間、騎士に向けられていたヒナタの圧力は弛んでいた。どうにか恐怖から立ち直った一人の騎士が立ち上がった。この男も体をガタガタ震わせてはいるが、立ちあがれたはこの男だけである。それなりには鍛えられているようだ。

 

「私はロンデス・ディ・グランプ。この隊の副官を務めていました。どうか、弁明の機会をいただきたく!」

 

「お前達の身柄は一旦拘束する。事情は後程聴かせて貰おうか」

 

 冷たく重々しい声で応えたのはアインズだった。

 

 アインズはセバスにポーションを渡して怪我人の手当てを、アルベドには騎士たちの捕縛と監視を其々任せた。

 村人の中には既に殺されてしまった者もいたが、生きていた者は瀕死の重傷者を含め、全員が命をとりとめた。

 

 死の淵から助かったその中にはエンリとネムの母親もいた。夫が懸命に騎士を引き付けて身を盾にしてくれたお陰か、自分は致命的な重傷を受けつつも、即死は免れたという。その夫は身体中を刺され、事切れていた。回りには血が激しく飛び散っていたことから、彼の抵抗の壮絶さが窺える。

 母と娘二人は固く抱き合い、泣きながら夫を失った悲しみと、互いに生き残った安堵とを噛み締めた。

 

 村人の死体を見てもアインズには憐憫や怒りの感情は沸いてこない。とは言え、姉妹に村を助けると約束したのに、これで救ったと言えるかは疑問であった。

 

 アインズが持つ蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)を使用すれば蘇生出来るかもしれない。

 しかし、まだ試したことのない蘇生魔法をいきなり試して、失敗しないとも限らない。下手に期待を持たせて結局ダメだったとなれば失望の度合いも大きいだろう。

 

 より確率の高い蘇生の方法は考え付いたが、もしも蘇生魔法の使い手がこの世界に居なかった場合、目立ちすぎてしまう。目立つということは良い意味ばかりではない。悪意あるものから狙われるリスクも増える事になる。

 アインズは結局、この場で蘇生を試みることは諦めるしかないだろうと結論着けた。

 

 

 

 手当が済み、騎士が拘束されたことで村人達はある程度落ち着きを取り戻し始めた。村長を名乗る中年の男性が深々と頭を下げ、礼を述べる。

 

「貴殿方にはなんとお礼を言って良いか……」

 

「いや、私は礼を言われるような事は何もしていない」

 

「私がもっと早く駆け付けていれば、より多くの村人の命が助かったかもしれません」

 

「いえ、貴殿方が来てくださらなければ、皆が殺されていたところでした。感謝してもしきれません!」

 

 そう言ってヒナタとアインズに誠意をもって礼を述べる村長。彼の素朴で優しい人格が滲んでいた。アインズは驚いた。鈴木悟としての人生を振り返ってみても、こんなに真剣に感謝を言われたことなどなかった。いや、命を助けたことなんて無いのだからそれは当たり前か。少々気恥ずかしさはあるが、純粋な感謝を向けられて悪い気はしない。

 

「実は私は遠方から最近来たばかりで、この辺りの土地に詳しくないのです。ですから色々と教えていただけると嬉しいのですが……」

 

「そう言えば私もこの土地には不案内だな」

 

「そうでしたか。私にわかることでしたら、何でもお答え致しますとも」

 

 村長は嬉しそうな笑顔で応えた。何も見返りを求めずにいるのも怪しまれると考えたアインズは情報提供を頼んだのだが、村長は何かお礼が出来る事が純粋に嬉しいのだろう。自分が無知である事を悪意ある者が知ればそれを利用しようとするかもしれないが、この村長にはそんな心配は無用に思われた。アインズは、見知った顔のヒナタがこの場に居る事に安心したのか、少し警戒心が弛くなっていた。

 それよりも、彼女と敵対だけは避けたいと気を使っていた。

 

 

 村長の自宅へ招かれ、周辺の地理を聞いていたアインズだが、『リ・エスティーゼ王国』『バハルス帝国』『スレイン法国』等、初めて聞く地名ばかりであった。ヒナタもまるで聞いたことがないというような様子だった。

 

(やっぱり、ユグドラシルでは聞いたことない地名だな。ただ、ヒナタさんが居るということは、やっぱり()()()()ということか。

 でもヒナタさんもこの辺りの事は知らないみたいなんだよなぁ……かなり辺境の土地なんだろうか)

 

 その後もこの辺りの貨幣価値、魔法について質問していった。

 

 貨幣もまた、ユグドラシルでも魔物の国(テンペスト)でも見たことがないものだった。試しにユグドラシル金貨を取り出して、その価値を聞いてみた。すると、秤を持ち出してきて、交金貨という貨幣との重さを比べ、一枚で交金貨二枚分の価値になるとの事だった。

 

 交金貨数枚あれば、ひと家族が慎ましやかに暮らせるとのことなので、ユグドラシル金貨は一枚でもそこそこの額になるだろう。とはいっても、ユグドラシル金貨は使えない。

 

 ユグドラシル金貨はナザリックの維持のために必要なのだ。宝物殿にはかなりの枚数がある筈だが、この世界で手に入るか分からないのに、簡単に使う訳にはいかない。

 

 それに、ユグドラシルプレイヤーが他にもいた場合、ここにプレイヤーがいると告げているようなものだ。

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は悪名が高く、敵も多い。

 敵対的なプレイヤーが、この世界に居るであろう強者に取り入り、こちらを潰しにかかってくるという可能性もあり得る。

 

 だからこそヒナタを敵に回さないよう気を遣っている。ヒナタはリムル達八星魔王(オクタグラム)、特にリムルと深い繋がりがあると思われる。彼女が味方についてくれれば、魔王達と即敵対にはなりにくいとアインズは考えていたのだ。

 

 村長は魔法の知識が殆どなく、具体的な詳細は分からないが、位階魔法が使われているらしい。村には使い手は居らず、町に行けば冒険者組合や魔術師組合などがあり、魔法の使い手もいるとのことだ。そして第三位階魔法が一般的な人の限界らしい。

 

(第四位階以上使えれば特別な才能の持ち主で、バハルス帝国にいる第六位階の使い手が人類最高の使い手、か。ちょっと弱すぎないか?いや、そんなもんか?ゲームの世界じゃないしな……)

 

 ユグドラシルを基準に考えれば、第三位階魔法などは初級者レベルだ。アインズが村で最初に使った魔法、心臓掌握(グラスプハート)は第九位階。これが通じなければアインズは村を放りだして逃げ出すつもりであった。実際にはかなり加減したつもりの竜雷(ドラゴン・ライトニング)でさえあっさり死んでしまい、拍子抜けだった。

 ユグドラシルではLv90くらいまでは割と短期間でレベルを上げられるのだ。竜雷(ドラゴン・ライトニング)一発で死ぬようなプレイヤーは逆に少ない。

 

 だが、自分が生身の人間であった日常(リアル)や、魔物の国(テンペスト)を基準に考えると、騎士が抵抗も出来ずに死んでしまったことも納得はいく。自分だってもし生身で魔法を受ければ只では済まない筈だ。この世界はユグドラシルとは違い、少なくとも人間はレベルが高い者ばかりではないようだ。

 

「位階魔法か……」

 

「ヒ……サカグチ殿は、位階魔法についてはご存じで?」

 

 アインズは思わず気になって尋ねる。魔物の国(テンペスト)で教わった魔法と位階魔法では体系が違うのだ。その位階魔法が少なくともこの辺りでは知られている。それが分からない。位階魔法はユグドラシル特有の魔法の筈。ヒナタが知っているなら問題はないが、もし知らなかった場合は……。

 

「いや、初めて聞く。ゴウン殿はどうだ?」

 

「っ!?……位階魔法は知っていますが……」

 

 アインズは混乱した。ヒナタは位階魔法を知らないと言ったのだ。そんな事はあるのだろうか。この村長が嘘を言っているようにも見えない。魔物の国《テンペスト》とは余程離れた土地で、魔法も文化も違った発展を遂げている可能性も無くはない。だがしかし。

 

 アインズはヒナタが居ることから、魔物の国(テンペスト)のある世界だと思い込んでいたが、別の可能性を考え始めた。

 リムルが鈴木悟の日常世界(リアル)に来たように、ヒナタが偶々この世界に来ている、つまり、ここは魔物の国(テンペスト)のある()()()()ではない、という可能性。

 

「サカグチ殿はどこから   

 

 アインズが尋ねようとしたその時、家のドアがノックされた。

 ノックの主はセバスだった。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様」

 

「アインズで良いぞ、いちいち長いだろう」

 

「し、しかし、御尊名を省略するなど   

 

「いいんだ。アルベドにもそうさせているし、皆にもそうしてもらうつもりだ」

 

「は、畏まりました。それで、実は困ったことが……」

 

 セバスは遺体の埋葬や壊された家屋の修繕など、村の復興を手伝わせていた。人間に高圧的な態度を取りかねないアルベドより、友好的に接することが出来ると考えてだ。因みにアルベドは捉えた騎士の見張りである。

 

「何か困り事があったか?」

 

「どうやら武装した集団がこの村に向かって来ているようなのです」

 

 それを聞いてヒナタの目付きが変わる。先程の騎士の仲間かもしれない、と思ったのだろう。

 

「私が出よう。ゴウン殿はどうする?」

 

「私も行きましょう。セバス、騎士を見張っているアルベドと替わってくれ。殺してはいないだろうが、もし怪我をしていたら手当てをしておけ」

 

 そう言って下位治癒薬(マイナーヒーリングポーション)を数本渡す。このポーションはユグドラシルでは希少なものでもなんでもない消耗品で、アインズが過去に大量に買い込んだ物だ。アンデッドであるために自分には使えない。回復量も少なく、一定以上のレベルになると、戦闘でも使い道がない。使う機会が無くなってしまい、誰かに譲渡でもしなければ一向に減らないのである。

 それを恭しく受け取るセバス。

 

「貴重な物を態々敵であったものにまで下賜頂けるとは、アインズ様の深い御慈悲に彼らも感謝することでしょう」

 

「う、うむ、だといいが……」

 

(たかだか下位治癒薬(マイナーヒーリングポーション)で大袈裟過ぎなんだけど。まあ、今は都合がいいか)

 

 このやり取りは、自分は人道的に対処するとヒナタにアピールする為のパフォーマンスに過ぎない。正直、アインズにとって騎士どもが怪我をしていようが手当てなんてしてやる義理もなければ、生かして帰す義務もない。情報を吐かせる為に()()生かしているだけだ。素直に何でも喋れば態々殺す必要はないだろうが、そうでなければナザリックの拷問官に任せてもいいだろう。その場合は生かして返さないというだけだ。

 

「では、村長殿は村の皆さんを一ヶ所に集めて頂けますか。バラバラだと守りにくいので」

 

「は、はいっ」

 

 村長の家を出たアインズ達は、村の入り口付近にて謎の武装集団を待ち構える。入り口とは言っても、元々村と周りの草原の境界も柵のようなはっきりとした境界線等無いが。

 村長は村人を集めて大きな家屋に移動し、セバスはアルベドと入れ替わりに行っている。その僅かな間、ヒナタと二人きりになる。その間に確信を得ておきたい。この世界が()()()()なのかどうか。アインズは意を決して尋ねる。

 

「時間がないので単刀直入にお聞きします。この世界は魔物の国(テンペスト)と同じ世界なんですか?それとも別世界なんでしょうか?」

 

 これにヒナタは瞠目する。この世界には来たばかりで自分の出身はおろか、テンペストの「テ」の字も出していない。にもかかわらず、魔物の国(テンペスト)という言葉を、しかも自分がそれに関わりを持つことを知っている。それが意味するところはつまり   

 

「……以前何処かで会ったことが?」

 

 つまり魔物の国(テンペスト)のある()()世界で会ったことがある、という事である。

 

「ええ」

 

 ヒナタの予想した通り、アインズが首肯する。

 

「どうやって()()()()に?」

 

「その質問をされるということはつまり   

 

 アインズが遂に確信を得たそのとき、背後から金属音が混じった足音が聞こえてきた。振り向かずとも判る。足音の主はアルベドだろう。

 

「サカグチ殿、詳しいお話はまた後程……。アルベド、騎士達の様子はどうだった?」

 

「はっ、皆一様に『神よ』等と口走り、自分達の行いを今さら悔いている様子でした」

 

 アルベドの口調には騎士達への侮蔑がありありと見える。騎士というより、人間そのものを快く思っていないであろう事はヒナタの目にも明らかであった。

 

「アルベド。人間は嫌いか?」

 

「はい。脆弱で浅ましく、己が分を弁えずに欲望の限りを尽くす、愚鈍で醜悪な生き物と認識しております。跡形もなく潰し尽くす事が出来れば、さぞ晴れやかな気分になることでしょう」

 

 アインズはアルベドにヒナタの前でかなり過激な発言をさせてしまったことを後悔した。折角ヒナタの信用を得られるかも知れなかったのに、これでまた警戒されてしまうだろう。

 

 かといって途中で発言を止めさせては、それを取り繕っているだけと看破される可能性もある。それでは余計に心証が悪くなるだけだ。どうにか精神の沈静化で冷静になったアインズだが、この状況を打破する妙案は思い浮かばない。そこで、どれ程の効果があるかは分からないが、まずはアルベドの意識を少しでも変えようと試みる事にした。

 

「そ、そうか。……アルベドよ、お前の考えが間違いだとは言わないが、私は人間はそういった愚か者ばかりでもないと思っている。人間も捨てたものではない、そう思える者も居るとな」

 

 これにアルベドとヒナタは瞠目した。アルベドは愚かでどうしようもない人間にすら向けられる、主人の深い慈愛を感じ、ヒナタはアインズの言葉に嘘を感じなかった為だ。

 

(ほう、この男……)

 

 ヒナタはてっきり途中でアインズがアルベドの言葉を遮り、取り繕おうとすると思っていた。だが、アルベドの言葉を頭ごなしに否定せず受け止め、かつ自らの考えも述べた。人間嫌いな部下と若干意識に温度差はあるようだが、ヒナタはアインズに、一流の支配者が持つ風格のようなものを垣間見た気がした。

 

 自分の事を知っている素振りを見せたときは、好意的な者とは限らないと思い、警戒さえしたが、実際はいい意味で予想を裏切られた。人間も捨てたものではないと言った彼の言葉には不思議と胡散臭さを感じなかった。本当に素直な彼の考えなのだろう。

 

 最初に「村を助けに来た」という彼の言葉を疑っていたのは、単に人間ではないということや、彼らの格好が怪しかったからだけではなく、本音をどこか押し隠している様な気がしたからだったとその時気付いた。彼が何を隠したがっているのかは分からないが、少なくとも一定の信用を置いても良さそうだとヒナタは判断した。

 

「アルベド殿、だったな。人間の事は嫌いなようだが、私は貴殿らを信用しよう」

 

「っ!?一体どういう風の吹き回しかしら?」

 

 訝しげにヒナタを見るアルベドに、ヒナタは笑顔を見せて応える。

 

「言い直そう、貴殿の主人は優れた人格者のようだ。良い主人を持ったな」

 

「当然よ。アインズ様以上の殿方はこの世に存在しないわ。愚かな人間は嫌いだけれど、貴女の殿方を見る目は認めてあげてもいいわね。但し……」

 

「言いたいことは分かっているつもりだ。貴殿が危惧するような事は一切ない。むしろ応援したいくらいだな」

 

「そう、わかっているならそれでいいわ」

 

 得意気な笑みを浮かべるアルベド。ヒナタが何故自分達を信用すると言ってくれたのか、ヒナタの言うアルベドが危惧すること、応援したいこととは一体何なのかは全く分からない。分からないが、とりあえず衝突の危機は回避出来たと胸を撫で下ろしたアインズであった。

 

「何だかよくわかりませんが、信用いただけて何よりです」

 

「フ、無自覚か。自覚なくあれができるとは、まさに天賦のものなのだろうな」

 

 ヒナタの云わんとしていることはよく分からないが、とりあえずアインズは誉め言葉として受け取っておく事にした。

 

「ゴウン様、サカグチ様」

 

 村長が足早に歩み寄ってきた。住民の移動は無事に済んだようだ。近寄って来る武装集団は一人一人の姿がはっきりと目視出来る程に近づいてきていた。

 

 




何だか長くなってしまいましたが、次回ようやく王国戦士長の登場です。

ヒナタさんは色々と鋭いようで、上手にアルベドとの対決フラグを折り、対決は回避されました。


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#32 王国戦士長と陽光聖典

戦士長とニグン、登場です。


「あれをどう見る?ゴウン殿」

 

「少なくとも、先程捕らえた騎士達の仲間では無さそうですね」

 

「ほう?」

 

「騎士達と比べると武装がバラバラですし、そこかしこに見える統一された紋章も騎士のものとは違います。それにあの目。一人一人が強い決意を秘めているように見えます。少なくとも、弱者をいたぶるような下衆の目ではありません」

 

「そうだな、私もそう思う」

 

 言いながら、ヒナタはアインズの観察眼に目を見張る。確かに武装や紋章の事は気付くであろうと思っていたが、目付きからの洞察など、人間ではないと言う割には人間のことをよく知っている。先程までの村人や騎士への人道的な対応といい、元々人間と深い交流を持っていたか、元々は人間だったのかも知れない。いずれにせよ、敵対する心配はないかもしれないと、一段評価を上げることにした。

 

 馬を駈り、此方へ真っ直ぐに向かってくる集団。人数は20名程だろうか。装備こそ統一されてはいないが、その走りには統率感が感じられる。

 先頭を走る、厳めしい顔をした褐色の肌の男がリーダーだろう。体格も他の者より一回り太く、よく鍛え上げられている。

 

 やがて目の前まで来た集団は馬を止め、先頭の男が口上を述べる。

 

「馬上から失礼する!我々はリ・エスティーゼ王国戦士団!国王陛下の勅命により、この近辺を荒らす賊を討ち取りに来たものである!!」

 

「王国戦士長様……!」

 

 村長が目を見開き、驚きの声をあげる。リーダー格の男はアインズ達をチラリと一瞥する。その目がアルベドを捉え、はたと止まる。

 

(しまった、アルベドは素顔を隠してなかった!羽は不可視化をかけて隠してるけど角は……)

 

 村人達は既にアインズ達が人間ではないと言って知っているが、暴走キス魔事件のインパクトが大きすぎて、角が生えている事など気にする余裕もなかった。だがこの戦士団はそうはいかないだろう。

 しかし男は黙したままアルベドから視線を外し、村長を見遣る。

 

「如何にも私は王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。カルネ村の村長殿とお見受けする。隣にいる御仁達を紹介いただけないか?」

 

「それには及びませんとも、戦士長殿」

 

 横から声を掛けたのはアインズだった。

 

「私はアインズ・ウール・ゴウン。しがない魔法詠唱者(マジックキャスター)です。諸国を旅していまして最近この辺りに来たのですが、村が謎の武装集団に襲われているのが目に入り、助けに馳せ参じた次第です」

 

「同じくアインズ様第一の配下、アルベド」

 

「ヒナタ・サカグチだ。私も偶々旅の途中で、襲われているこの村の側を通りかかった」

 

「こちらの方々は、襲い掛かってきた帝国兵達から村をお救いくださったのです」

 

 それを聞いた戦士長は、徐に馬上を降りて深々と頭を下げた。

 

「村を救っていただき、感謝する。ゴウン殿、アルベド殿、サカグチ殿」

 

 これには村長だけでなく、アインズもヒナタも、そしてアルベドも驚いた。王国戦士長と聞く限り、かなりの地位に就いていると思われるが、権力者によく見られがちな、偉ぶった高慢な態度は微塵も感じられなかった。

 

(偉い人みたいだから、もっと高慢な態度を取ってくるかと思ったけど、全然偉そうにしないし、なんかいい人っぽいな)

 

 アインズにしても、ヒナタにしても、彼への心証は悪くなかった。しかしアルベドは僅かにだが眉をひそめているように見えた。彼の何が気にくわないのかはアインズにはこの時点ではわからなかった。黙っているうちはいいが、ヘタに相手を刺激しないでくれることを祈るしかない。

 

 ただ村長だけは恐縮して慌てふためいていたが、無理もないだろう。高い地位に就く国家お抱えの戦士が、小さな村の村長の前で深々と頭を下げたのだから。

 

「どうか頭を上げていただきたい、戦士長殿」

 

 そうヒナタに言われ、顔をあげる戦士長。彼の表情には僅かに戸惑いの色が見えた。

 

「ところで、村を救っていただいた恩人に対して不躾なのは承知なのだが、アルベド殿の()()は……?」

 

 やはり先程からアルベドの角が気になって居たようだ。戦士長の部下達もアルベドのこめかみから生える角をチラチラと見ている。

 

「そうですね……」

 

(うう、どうしよう。下手に取り繕うよりは素直に答えた方が良いか?多分戦士長は話せばわかってくれるタイプだと思いたいけど)

 

 アインズは思い切って正体を告げる覚悟をする。この男ならきっと受け入れてくれると信じることにした。

 

「見ての通りです。彼女は、私もですが……人間ではありませんので」

 

「っ!?なんと!……そ、その角は実は装飾品か何かで、着けたり取り外したりできる、などと言うことは……?」

 

「は?あ、いえ、これは(じか)に生えているモノですので、着けたり外したりは無理……だよな?」

 

「は、はい……」

 

 アインズもそこまで詳しいことは知らないので、本人に確認を取った。当のアルベドはというと、なんとも言えない目で戦士長を見ていた。何を言い出すんだコイツ、と言いたげである。

 

「そ、そう、か……」

 

 戦士長は少々頬を赤らめているが、アルベドの美貌を前にすれば緊張するも仕方のない事であろうと納得する。

 

(まあ、アルベドみたいな美人が相手じゃ俺でも緊張するしなっ。精神の沈静化があるし、表情に出ないから一見すると普通に喋れてるように見えるだろうけど)

 

「では、ゴウン殿のその仮面は?」

 

「単純に顔を隠すための物です。怖がられてしまう事が多いので、仮面の下の素顔をお見せするのは憚られますね」

 

「そ、そうか。では、もしやサカグチ殿も人ならざる……」

 

「私は人間だ」

 

「し、失礼……アルベド殿に負けず劣らずの美貌なので、もしやと思い……」

 

 不機嫌そうに応えたヒナタに戦士長がシドロモドロになり言い訳をした。そんな戦士長の姿を後ろの兵士達はじっと見ていた。その視線には侮蔑の色はなく、寧ろ好意的に見える。普段自分達には見せない上司の姿に好感、というか生暖かい視線を向けているように見えた。彼はきっと部下達に普段から慕われているのだろう。

 ふっ、と戦士長の言葉を聞いたヒナタが笑いを溢した。

 

「フフ、かわいい戦士長も居たものだな、つい思い出し笑いをしてしまったよ。以前、気を失って倒れていた()()()を保護したことがあったのだが……」

 

「は、はぁ……」

 

 かわいいなどと言われ、突然思い出話をし始めるヒナタを止めることもできず、曖昧な相槌をうつ戦士長。アインズはどこかで聞いたことある話だな、と首を傾げる。

 

「目覚めたとき、彼はまだ夢の中だと思ったらしく、夢には自分の願望が反映されるとかなんとか言っていた。それで私の胸元を見つめながら『理想のお……』と言いかけたのだ」

 

(そ、それ俺じゃんかー!!)

 

 アインズは当時苦し紛れに口走った恥ずかしい言葉を思い出し、余りの羞恥に精神が沈静化された。身悶えしたくなる衝動を抑え、微動だにしていないが、内心は動揺しまくっている。

 

「そ、それは、つまりその……」

 

(ま、まさか……!?)

 

「『おっぱい』って言いかけたんでしょうね。本人に問い質してみたんだけど、何て言い訳したと思う?」

 

(げぇ!?バ、バレてた~!)

 

 戦士長の相槌に、ヒナタは楽しげに語る。アインズは激しく動揺し、感情の波が何度もピークに達しては沈静化が繰り返されていた。

 

「うーむ、そこまで言いかけて取り繕うのは不可能では?」

 

「ところが、意外な言葉が出てきたわ、フフ」

 

(や、やめて!やめてくれぇええ!)

 

 アインズは心の中で懇願するが、当然そんな言葉はヒナタの耳には届くはずもない。アルベドも少し興味ありげな様子で聞いていた。

 

「『理想のお嫁さん』だそうだ。最初ブッ飛ばしてやろうかと思っていたけど、顔真っ赤にして可愛い事を言うものだからつい大目に見てしまったわ」

 

「う、ぐっふぁっ」

 

「「「?」」」

 

「アインズ様!?」

 

 恥ずかしい秘密の暴露と、かわいいなどという意外な評価に、アインズはおかしな声を洩らしてしまった。アルベドが心配そうに声をかけるが、止めどなく押し寄せる羞恥心に耐えながらも、アインズは片手を上げて制する。

 

「ふ、フフフ。いや失礼。堪えきれず吹き出してしまいました。面白い話ですが、そろそろ真面目な話もしましょうか」

 

「ああ、そうだったな」

 

「では立ち話もなんですから、どうぞ私の家へ……」

 

 勿論堪えきれなかったのは笑いではなく精神的なダメージの方だが、これ以上ヒナタを放っておいては、異形種動物園の(くだり)までいってしまいそうである。アインズとしては、早急に話題を変えたかった。

 そんな彼の思惑通りヒナタが乗ってくれたことで、アインズはホッとしながら村長の家へと歩を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

「さて、捕らえた騎士の件ですが……」

 

「そうだな。おそらくあの騎士達は単なる陽動役だろう」

 

「でしょうね。恐らくは後詰めの精鋭が付近に潜伏しているはず。狙いは戦士長殿、と言ったところですね」

 

 アインズとヒナタの不穏な会話に、村長は不安げな面持ちになる。騎士が捕まえられたことで、この一件は解決したのではなかったのか、と。

 

「ど、どういうことでしょう?」

 

「戦士長、貴方はバハルス帝国から恨みを買っているようね。要は全てが貴方をここまで引き寄せ、仕留めるための罠だった、ということよ」

 

 アルベドの言葉を聞いて驚愕する村長。戦士長の方は心当たりがあったようで、沈痛な表情を浮かべている。

 

「やはり……か。薄々感付いてはいた。この周辺の村々も襲われており、酷い有り様だったが、必ず数人生き残りがいてな。生き残った村人を保護し、町へと連れて行くのに人員を割きながらも、敵を追って強行軍でここまで来たのだが……」

 

 その言葉にヒナタが納得したように言葉を返す。

 

「成る程、人員を削られ、装備も万全とは言えない状態のようだ。国内にもこれを手引きする者が確実に居るな」

 

「なっ!?そのような事が」

 

「ないと言い切れるかしら?一国の戦士長という地位に就くものにしては装備が貧弱すぎると思ったけれど、内通者が居るなら納得がいくわ。難癖をつけて本来の武装をする事に反対した者がいたのではなくて?」

 

「……!」

 

 確かにいた。「王国の戦士長ともあろう者が賊を討つ程度の事で王国の宝物たる装備を持ち出すなど云々」と難癖を付けてきた貴族が。アルベドの的確な指摘にぐうの音も出ない戦士長に追い討ちをかけるように、村長が呟く。

 

「我々は、戦士長様を引き寄せる餌だったと……?そんな、そんな事のために、私達は……」

 

 そんな理不尽な理由で村は襲われたのか。自分達は何も悪いことをしていないのに。怒り、悲哀、失意、悔恨。言い様の無い感情が村長の心の中で燻っていた。しかしここでアインズが予想しなかったことが起きた。

 

「これは全て自分の不徳の致すところ。申し開きのしようもない。この様な理不尽な状況に巻き込んでおきながら、謝って済むものでもないが、こうして頭を下げることしかできない我が身の無力さを恥じ入るばかりだ」

 

 戦士長が深々と頭を下げ、誠意を込めて謝罪を口にしたのだ。

 

 本来、人の上に立つ者は簡単には頭を下げる事は許されない。鈴木悟も日常(リアル)で、過失による事故等が露見し、企業の代表が会見をする場面をニュースで見たことがある。彼らは「誠に遺憾」、要は「とても残念だ」と述べるだけで、頭を下げて謝罪をはっきりと口した所を見たことがなかった。

 

 企業のトップが頭を下げれば、相手に付け入る隙を与えてしまい、ここぞとばかりに無茶な要求を飲ませようと執拗な攻撃に晒される。当然トップだけではなく、そこに所属する社員達まで。そんな状況から部下を守る事も上に立つ者は考えなくてはならないと死獣天朱雀から教わったことがある。尤も、上に立つ者の殆どが自分の立場を守る事しか考えていないとも。

 

 だが、目の前の男は何の迷いもなく頭を下げた。上に立つ者としては好ましくない行為ではあるが、人間としては出来ている。不器用ながら実直で誠実な戦士長の対応に、アインズは少なからず好感を抱いた。

 

 対してアルベドは若干呆れ気味に冷ややかな目を向けていた。彼女は守護者統括という自分の立場と重ね、彼を組織の上に立つ者としては相応しくないと評価していたのだ。それにようやく気付いたアインズだったが、その評価は間違っているわけではないと思い、何も言わずに置いた。

 

「戦士長様、どうか、どうかそのようなことはおやめください」

 

 そう言った村長の目からは涙が溢れていた。彼もまた悔しいのだろう、己の迂闊さが。普段から有事に備え、柵や塀を作っていれば結果はもっと違ったのではないか。その想いが彼を苛んでいたのだ。

 

「村長殿、貴方が悪いわけではない。一人で抱え込むな。反省は今後に活かせばいい。まだ生き残った多くの村人がいるんだ。皆で共に力を合わせて進んでほしい」

 

 ヒナタがそう言葉をかけると、村長は何度も頷きながら嗚咽した。

 

「さて、そろそろ本命が来てもいい頃ですが……」

 

「失礼します!戦士長!」

 

 アインズの呟きを見計らったかのように、慌ただしくドアを開け、戦士団の一人が駆け込んでくる。

 

「敵は何人だ?」

 

「!?あ、はい!敵はマジックキャスターとおぼしきものが凡そ三十名!既に村を取り囲んでいます!」

 

 既に敵襲を知っていたかのような戦士長の返事に、男は一瞬戸惑った様子を見せたが、報告を続けた。それを聞き、戦士長ガゼフ・ストロノーフは外の様子を窺う。

 

「奴ら、帝国の者ではない……?」

 

 ガゼフは敵の姿を確認し、彼の記憶にあるバハルス帝国の魔法詠唱者(マジックキャスター)の姿とはまるで違う事に気づいた。

 

「では先の騎士達は帝国兵士を偽装していたということか?用意周到な事だな。戦士長殿、奴らに心当たりは?」

 

「恐らくスレイン法国の特殊部隊、六色聖典のどれかだが……詳しくは知らないな」

 

 ヒナタの問いにガゼフは苦々しげに答える。帝国以上に厄介な相手であろうということはその表情からアインズにも見て取れた。

 ここでガゼフから提案が上がる。

 

「サカグチ殿、ゴウン殿。我々に雇われる気はないか?」

 

 

 

 

 

「各員、傾聴せよ」

 

 スレイン法国の特殊部隊"六色聖典"の一つ、陽光聖典隊長、ニグン・グリッド・ルーイン。彼は見事に策略が嵌まり、任務成功が間近に迫ったことを確信した。

 

 彼の任務は周辺国家最強と謳われる、リ・エスティーゼ王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの暗殺である。

 

 王国戦士長は強い。戦場に於いて、たった一人で千の兵士をも凌駕しうる程の突出した個である。

 しかし、幾重にも張り巡らせた策略と罠を駆使し、本来の装備を持たせず、さらに疲弊させた状態で、まんまと辺境の村へと誘き寄せた。

 後は王国戦士長を抹殺し、邪魔な目撃者を始末して任務は完了だ。油断して勝てる相手では決してないが、油断さえしなければ倒せない相手ではない。

 

 彼等は人類の守護者を自負し、人類の生存の為に信仰を捧げ、任務に邁進してきた。残念ながらこの世界に於いて、人類はいつ他種族に滅ぼされてもおかしくない、力持たぬ弱者なのだ。

 

 そんな彼等が、人類の貴重な戦力、ガゼフ・ストロノーフを暗殺などしなければならないのか。ニグン自身も任務を聞いたとき疑問に思い、質問したはずだ。だが、その後の事は()()()()()()()()()()()()

 

 王国戦士長抹殺の原因は、王国貴族の手の施しようが無いほどの腐敗にあり、王国戦士長を倒し、バハルス帝国に弊呑させる。早い話が、腐りきってしまった"王国"という名の()()()()である。鮮血帝と恐れられつつも傑物と名高い彼の皇帝ならば、王国の腐敗した貴族を粛清し、善政を敷くであろう。

 

()()()()()()、そう考えるようになっていた。その考え自体は間違っているとは思わないので、それ以降は特に疑問を抱くことはなく任務に邁進してきた。

 

 不測の事態に備え、切り札となるアイテムも貸し与えられている。ここまで万全の準備をしてきたのだ。万が一にも任務成功は揺るがないだろう。彼はほくそ笑む。ガゼフ・ストロノーフの抹殺を確信して。

 

「汝の信仰を捧げよ」

 

 だが、彼はまだ知らない。カルネ村にガゼフ・ストロノーフさえ凌駕する存在が複数居ることを。

 

 彼はまだ知らない。彼自身の()()()()()()()()()()()()()が、彼を今まさに監視していることを。

 

 彼はまだ知らない。これからその身に降りかかる()()と、その身に起こる()()を。

 

 




両者が登場し、いよいよ戦闘開始直前です。


オマケダイジェスト

ガゼフ「角は脱着可能か?」(美人だな)
アルベド「はぁ?」(なにコイツ?)
アインズ「無理・・・だよな?」

アインズ(やめて!黒歴史ほじくらないで!)
ヒナタ「かわいいから許した」
アインズ「ぐっはぁ!?」
ヒナタ「・・・?」

ガゼフ「申し訳ない!」
アイ・ヒナ(いいヤツだな・・・)
アルベド(チッ、ダメ男ね)

ガゼフ「あいつら帝国じゃない!」
ヒナタ「ほーん」
ガゼフ「雇われないか?」

ニグン「よく覚えてないけど、王国が悪い!」

リムル「ブッくく、ヒナタが理想のお嫁さん・・・」
ミリム「理想のお嫁さんかぁ」チラッ
ラミリス「お嫁さんねー」チラリ
ヴェルドラ「くあぁぁあ、我の出番、まだ?」


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#33 威光の主天使

話がちっとも前に進まないですね。すみません。次回は漸く・・・


「よければ雇われないか?報酬は望む額をお約束しよう」

 

「お断りします」

 

 ガゼフの提案に即答するアインズ。ヒナタは、この男ならば乗るかもしれない、あるいは断るにしても、悩む素振りくらいは見せるだろうと思っていた。アインズに対して少なからず期待を抱いていた彼女にとって、全く落胆していないと言えば嘘になる。

 

 確かにアインズは人間ではない。人間に敵対はしないようだが、特定の国に肩入れするつもりもない、ということか。

 眼を細め、「そうか」と残念そうに呟く戦士長にアインズは続けた。

 

「私も部下を抱える身。たとえ一時的であったとしても、簡単に雇われの身になるわけにはいかないのですよ。ただ────」

 

「……ただ?」

 

「この村を救うと約束しましたし、おめおめと逃げ帰っては部下にも示しがつきません」

 

「ゴウン殿……!恩に着る!」

 

 アインズの真意を察したガゼフは頭を下げるがそれをアインズは窘める。

 

「戦士長殿、立場ある者が簡単にそう何度も頭を下げるものではありませんよ?」

 

 肩を竦めておどけるアインズに、ガゼフも頭を上げ笑みを見せる。自分の都合だと口では言うが、本音は彼に手を貸したいようにヒナタには見えた。素直ではないようだ。いや、上に立つ者とはそういうものか。

 上に立つ者は常に己を律し、下に付く者の模範となるよう行動しなければならない。

 

 上司の気紛れで言うことが二転三転すれば、振り回される部下は大変だ。上司のへの信頼も降下することだろう。部下を持つ者としての面目を保ちつつも戦士長の想いを酌み、柔軟に対応して見せるアインズに改めてヒナタは感心していた。

 

 ヒナタもまた自分の信念に従って行動する事にした。たとえ世界が変わろうとも、目に映る、か弱い存在に手を差し伸べる。ヒナタはいつか掲げた時と変わらぬ決意を胸に協力を申し出た。

 

「私も雇われる気はないが、協力しよう。構わないか?」

 

(かたじけ)ない、サカグチ殿」

 

 こうして、村を取り囲む魔法詠唱者(マジックキャスター)の一団に対し、即席の協力関係は結ばれたのだった。

 

「では、我々が敵に突貫する。その間に村人を連れて安全な場所へ避難して貰えないだろうか?」

 

「戦士長殿はその後どうなさるおつもりで?勝算はあるのですか?」

 

 ガゼフにアインズが訊ねる。暗に死ににいくようなものだと言いたいのだろう。

 実際、自分と戦士団だけで勝ち目はないだろう事はガゼフ自身もわかっていた。魔法詠唱者(マジックキャスター)を相手に距離を取るのは愚策。しかし武装は貧弱、まともに距離を詰める迄にどれだけ犠牲を出すか。接近すらさせてもらえない可能性もある。

 籠城も出来ない。頑丈な石の壁でもあれば違っただろうが、木の板で作られた村の家屋へ立て籠ったところで、魔法に耐えることは出来ないだろう。

 今から村人を連れて一緒に逃げたとしても、逃げおおせる事は出来まい。誰かが敵を引き付けて時間を稼がない限り。

 

 ヒナタもアインズも、かなりの実力者であることは推察出来るし、見返りも求めず協力してくれるという申し出は有り難い。それでも偶々寄っただけの旅の者に、国家間のいざこざに巻き込んで前線に立たせるのは憚られた。

 

「恐らく、勝ち目は薄いだろうな。だが、ここで私が逃げ出しては、私のせいで犠牲になった民に顔向けできない」

 

(決意と勇気の宿った目だ。勝てないと分かっていても誰かのために戦いに赴く、か……)

 

 アインズは、自分にはない勇気を持つガゼフに魅力を感じ初めていた。実直な性格も好感が持てる。このまま死なせるには惜しいと思った。

 

「ゴウン殿、サカグチ殿、貴殿らのご厚意には感謝している。しかし、これ以上危険には巻き込めない。

 出来る限りの時間を稼ぐつもりだ。どうか村の────」

 

「それは駄目よ」

 

 ガゼフの言を止めたのはアルベドだった。

 

 

 

 

 

 アルベドの目から見て、王国戦士長と名乗った人間の男の振る舞いは、組織を束ねる立場にいる者のそれとは思えなかった。

 見え透いた罠にかかり、迂闊にも部下を危険に晒す。目下の者である村長に頭を下げ、お涙頂戴の科白を垂れ流す。挙げ句の果てには、至高の御方に向かって「雇われないか」などと不敬な物言い。

 

 この様な者が本当に一国を代表する戦士団の長なのかと懐疑的になると同時に、所詮人間など、この程度のものかと納得しかける。

 

 しかし、至高の御方が仰せになられた「人間も捨てたものではない、そう思える者も居る」という言葉を思い返し、改めて慎重に見定めようと考えを巡らせる。

 

 戦闘能力は、せいぜいがデスナイトに勝てるかどうかという程度だろう。王国戦士長などと御大層な肩書きを持ってはいても、この程度の実力では脅威とはなり得ない。その部下は更に弱い。

 

(アインズ様はこの人間に何を見出だされたのかしら?)

 

 戦士長の不敬な物言いに対しても、至高の御方は気にする様子もなく、友好的に接しておられる。それはつまり、()()に何らかの利用価値を見出だしておられるということ。

 その深遠なるお考えには自分ごときではまるで及びも付かない。しかしその深淵なるお考えの、ほんのひと欠片でも理解しようと、アルベドは更に思考を重ねる。

 

(より多くの情報を手に入れる為?アインズ様は情報を極めて重要視されるお方。確かにこの者ならば、小さな村の村長よりは多くの情報を期待できるかもしれないけれど、それがどの程度信憑性も持つかは疑わしいわ)

 

 現状、この世界の情報を自分達は殆ど持っていない。手に入れた情報の真偽を判断する材料に乏しいため、信頼性の高い情報を選び出すことは至難であろう。ある程度蓄積させ、多方面から照合した上で判断するしかない。それには、今後も広く情報を集める必要があり、現時点でこの男から情報を得る事に然程重要性は感じられない。せめてある程度欲しい情報を絞れていれば違うかもしれないが。

 

 一方、サカグチという女はどうだろうか。まさか自分が遅れを取ることはないだろうが、言動や佇まいに隙らしきものは見られない事から、高い実力が窺える。デスナイトを難なく倒しても不思議ではない。

 

 それと同時に、至高の御方の偉大さの一端でも理解できる感性も持ち合わせている。

 これらを鑑みれば、戦士長よりはずっと高く評価出来る。

 

 無論、敵に回れば即座に首を頸ねるつもりだが。

 

(アインズ様はサカグチに対しては何かを警戒するように、慎重に接しておられる様に思えるわ。あの女は至高の御方に警戒させる程の何かを秘めているのかしら。

 それにしても、アインズ様が戦士長に接する態度は、やけに親しみを込められているように見えるのよね…。羨ましい……この男の一体何が御方の琴線に触れたの?

 ま、まさかッ!?アインズ様は、この男の直情的な性格をお気に召されたということ……?)

 

 戦士長の有用性ではなく、愚かではあるが裏表のない単純な性格を至高の御方は個人的に気に入ったという可能性に思い至り、アルベドは内心驚愕する。

 

 至高の御方の個人的な好みは分からないし、知ろうとするのは不敬だとは思うが、考え出すと気になってしかたがない。もし馬鹿っぽい女がお好みであるならば、自分もあのシャルティアのように振る舞った方がウケがいいのではないかとまで考えてしまう。

 

 しかし、アルベドは守護者統括という立場がある。統括があんな馬鹿をやっていてはナザリックの運営に支障をきたしてしまうだろう。

 そこまで考えて、流石にそれは有り得ないと思い直す。振り払ってしまったその考えこそが最も正解に近いとは気付く事はなかった。

 そしてアルベドは目の前の男の価値がいよいよもってわからなくなる。

 

(戦士長の価値がどうしてもわからないわ……。いったい何が正解なの!?)

 

 アインズの言葉がきっかけで、アルベドはこれまでに無いほど人間をよく観察するようになっていたが、これと言って発見は出来ていない。だが、何らかの成果を出し、至高の御方のご期待に沿わなくては。

 

(考えたくはないけれど、お隠れになった他の至高の御方々はお戻りになられないかも知れない。

 これでもし最後にお残りになられたアインズ様まで御隠れになってしまったら……)

 

 その先に待っているのは絶望しかない。生きる目的を失い、世界に取り残される。だから、例えどんな犠牲を払おうとも、世界の他の全てを敵に回しても、最後までお残りになられた至高の御方をお守りし、永遠にお仕えしていたい。大袈裟に思われるかもしれないが、これは紛れもなくアルベド心からの願いであり、同時にナザリック全ての僕達の総意でもある。

 

 アインズ様は先にお約束された通り、村をお救いになるおつもりの様だ。今戦士長が作戦を話しているが、戦士長の作戦は穴だらけで作戦とも言えないレベルのお粗末な物だった。アルベドは内心舌打ちをする。

 

(この男、戦略というものをまるで分かっていないわ。人間などどれだけ集まろうと、塵芥のごとく屠られる程度の存在。逃げるだなんて有り得ないわ。敵がどの様な戦略を練ろうと、無駄な足掻きに過ぎないのよ。

 アインズ様はこの戦士長に何かを見出だしておられるご様子。先程のお言葉といい、アインズ様の深いお考えはまだ分からないけれど、人間を知る為に手頃な観察対象は必要ね。不快な男だけれど、戦士長(これ)を生かしておくということだけは間違いない様だし、手懐けておくべきかしら)

 

 思考の海に沈んでいたアルベドは決断した。

 

 

 

 

 

「アルベド殿……?」

 

 戸惑うガゼフを尻目に、アルベドは続ける。

 

「アインズ様。戦士長には詳しい説明が必要かと……。どうか発言を御許しください」

 

「そうか?ふむ、許可しよう」

 

 鷹揚に頷いて見せるアインズ。アルベドが言う説明とは何のことだかアインズにはよくわからない。たが、アルベドはナザリックでもデミウルゴスと並ぶ頭脳の持ち主。おかしな事にはならないだろうと、信じて任せてみることにした。

 

(時には部下を信じて任せるのも、良い上司の条件だよな……)

 

「ありがとうございます」

 

 アルベドは恭しく一礼し、ガゼフに向き直る。その目には冷ややかな冷気が込もっている。

 

「……あなた、先程の話を聞いていなかったのかしら?アインズ様は村をお救いになると仰ったのよ」

 

「そ、それは聞いていたので分かって────」

 

「だから分かっていないというのよ。アインズ様が救うと約束した村の者達に、この村を捨てて逃げろとでも言うつもり?そもそも逃げることに意味はないわ」

 

「?それは、どういう……?」

 

「策略を用いて暗殺を企てるような連中が、目撃者をみすみす生かしておくと思う?一体どこへ逃げれば安全だと言えるの?王国内には内通者がいると言ったはず。仮に町へ逃げ込めたとしても、すぐに裏から手をまわされるわよ」

 

「な、なるほど、確かに……」

 

 言われてみれば、と納得させられるガゼフ。アルベドは呆れたように溜め息を吐く。

 

「はぁ、こんな簡単な事も予想出来ないから、良いように策に嵌められるのよ。本当に一国を代表する組織を預かる身なのかしら。はっきり言ってお粗末すぎるわ。偽物だと言われる方が納得できるわよ」

 

(うわぁ、辛辣……セバスも怖かったけど、アルベドも違った意味で怖いなぁ。正論過ぎて全く言い返せる気がしない。アルベドにあんな風に責めれたら、俺だったら一週間は立ち直れないな)

 

 アルベドの痛烈な批判を浴びるガゼフは肩を縮こまらせ、少し小さく見える。そんな彼を尻目に、アインズはそんな情けないことを考えていた。自分が発言を許可したくせに、止めに入る気になれない。ここで下手に彼の肩を持ったりしたら、自分まで巻き込まれる気がする。

 

(ペロロンチーノさんを叱る茶釜さんを宥めようとしたときがまさにそうだったもんなぁ)

 

 彼が叱られている理由も知らずに首を突っ込んだのが不味かった。粘体の彼女の触手にからめとられていた()()を見て、選択を間違ったと気付いた。

 

 それは、白と赤の小さな三枚の布が数本の紐で繋がっているだけに見える装備品、『MSS(マイクロ スイム スーツ)』。いわゆるマイクロ水着である。もしこれを着用して走ったりしたら、隠すべき大事な部分が上も下も大変な事になってしまうだろう。

 勿論これは現実ならばの話で、ゲーム内ではそんな事は起こり得ないが。18禁どころか15禁にさえ厳しいユグドラシル。その癖こんなものを非公開イベントの報酬として配る運営はどうかしている。

 

 非公開イベントとは、通常ならイベント開始前から運営が予告を行うのだが、一切情報を公開せず、偶然見つけたプレイヤーをきっかけに情報が拡散していくものだ。

 非公開イベントにはかなりレアな報酬が多く、イベントに関する情報は、知り得たプレイヤーによって秘匿される場合が多い。運良く情報を仕入れたペロロンチーノは狂喜し、寝る間も割いて攻略に勤しんだ。

 だが、既にイベント終了間近で、一人ではどうしても終了に間に合わない。そこでペロロンチーノに頼み込まれ、皆には秘密でモモンガが手伝った経緯がある。

 

「モンちゃんもここに座りなさい」

 

「え……?」

 

 既にペロロンチーノはその情報を吐かされ、ぶくぶく茶釜の知るところとなっていた。そこからは自分も正座させられ、一時間も渾々とお説教を受ける羽目になったのだ。

 

 そもそも何故秘密がバレてしまったのか。それはペロロンチーノのスケベ心……探究心のせいである。折角苦労して手に入れた装備は、人間種限定の装備だった。その為、吸血鬼でアンデッドのシャルティアには装備させることは出来ない。入手してからそれに気付いたペロロンチーノは、絶叫しながら血の涙を流したとか流してないとか。

 

 話がそれだけで終わっていれば良かったのだが、彼のエロに懸ける情熱がそれを良しとしなかった。

 彼はこっそりと『MSS』を試着させる候補を探していたのだ。しかし結局彼の企みは姉に看破され、『MSS』は没収されてしまった。

 

(戦士長には悪いけど、黙って成り行きを見守ることにしよう)

 

 障らぬ神に祟りなし。心の中で合掌するアインズ。ガゼフは押し黙ったまま何も言い返せず、未だアルベドの濁流の如き説教が続いている。ガゼフの目元にキラリと光るものが見えた気がするが、気付かない振りをした。

 

「何れにせよ、逃げるのは無駄でしかないわ。相手が強ければ逃げても戦っても末路は同じ。相手が弱ければ倒せば良いだけ。単純な事じゃない。

 罠なら、それごと叩き潰せば済むだけの事。アインズ様はここへ来た時点で既に、何者かの罠であると見通しておられたわ。勿論既に対策もお考えのはず。

 ですよね、アインズ様?」

 

「「!」」

 

(え?)

 

 怖い顔で説教を垂れていたアルベドが、急に笑顔で振り返ってキラキラとした目で同意を求めてくる。

 ガゼフとヒナタは驚きと期待の目でアインズを向けてきた。だが、騎士達が敵を誘き寄せる作戦だとアインズが確信を持ったのは、ガゼフ達が近づいてきていると聞いた時だった。

 

 確かに最初に騎士を殺したときに拍子抜けしたあまり、油断を誘う罠ではないか、などと呟いていた。それを聞いたセバスがアルベドに報告し、初めからガゼフを狙った罠の存在に気付いていたと勘違いしているのだろう。

 

(そこで俺に振るのかよっ!うーん、相手の実力は未知数だから、ホントは戦士長が戦う様子を窺って助けに入るかどうか考えるつもりだったのになぁ)

 

「ま、まあ……少しばかり過激な言葉が飛び出ましたが、逃げるよりも、共同戦線を張って立ち向かうべき、と言うことです」

 

(考えて無くはないけど、ユグドラシルじゃないこの世界でどこまで通用するか。まあ、出来れば彼を助けたいし、やるだけやってみるか)

 

「流石はアインズ様……感謝なさい。幸運にも貴方は、偉大なるアインズ様の御慈悲を賜る機会を得られたのよ」

 

「そ、それは……有りがたい……」

 

 柔和な笑みを浮かべているアルベドに、ガゼフは引き攣った顔で応えた。そんな二人をヒナタは若干生暖かい目を向けている。

 

(何だかすごくハードル上げられちゃってるよ……やりにくいなぁ)

 

 アインズは一人、頭を抱えたい衝動を堪えながら、作戦を頭の中で組み立てるのだった。

 

 

 

 

 

 戦いは始まった。アインズの立案により、最初は戦士団半数が馬に乗って突貫し、包囲網を一点突破。ガゼフ達はそこから反転し、集結してくるであろう敵と相対する。そこへ少し遅れて飛びだしてきた残りの戦士とヒナタとで敵を挟撃する。

 

 包囲網を破られた上での挟撃に焦る陽光聖典隊員だったが、隊長ニグンの指揮により、迅速に天使を召喚。内と外に天使の壁を作り出す事に成功した。ガゼフの部下達と天使は、強さだけを見れば同程度のようだ。しかし、天使には物理攻撃を軽減する特殊技術(スキル)を持っており、空も飛べる。その差が大きな戦況の差になっている。更に魔法詠唱者(マジックキャスター)の放って来る魔法。内側ではヒナタが所々でフォローに入っているお陰で、死亡者こそ出ていないが、既に戦える状態ではない者もいる。

 

 アインズは村に防御結界を施す為に残り、結界を張り次第合流する手はずになっている。アルベドは付近に更なる伏兵がいないか警戒している。いずれにしてもすぐには増援を期待できないだろう。

 

(次々に召喚される天使が意外に厄介だな。術者を倒さなければ天使を倒してもきりがない。私一人でも壁を破れるが、それでは兵士達が……)

 

 自分だけ突進すれば敵に肉薄出来るが、それではガゼフの部下達を見捨てることになってしまう。葛藤するヒナタ。

 

「俺たちの事は気にせず行って下さい!覚悟は出来ています!」

 

「あなたの足を引っ張ったら、後で隊長にどやされます!」

 

「分かった、ここは任せるぞ!お前達も諦めるな!」

 

 死すら覚悟しているという若い兵士達の言葉に、ヒナタは決断する。彼らがやられる前に術者を倒す。転移で一気に術者の背後を取る。

 

 一方、ガゼフも苦戦していた。

 馬の殆どは精神系魔法により混乱させられ、降りざるを得なくなった。部下は既に何人も倒れ、それでも怯む事なく立ち向かっていく。

 彼らは戦う才能があるわけではない。生まれながらの異能(タレント)を持っている訳でもない。ひたすらに努力を重ね、ガゼフの訓練についてこられただけの、努力の結晶とも言うべき部下達。

 このままここで散らせるには、余りにも惜しい。

 

 だが、ガゼフの部下達はいつの間にか、一人前の戦士の顔つきになっていた。つまらぬ感傷は彼らの覚悟に泥を塗ることになるだろう。ならば、やるべき事は一つ。

 

「武技〈戦気梱封(せんきこんぷう)〉!」

 

 ガゼフの剣が光を帯びる。数体の天使が紅蓮の剣を構え、一気にガゼフへと殺到してくるが、ガゼフはそれを意に介すこともなく一刀の下に切り捨てる。

 

「狙うは指揮官!覚悟しろっ!」

 

 ガゼフは指揮官に向かって疾走する。十数体の天使を切り刻み、飛び交う魔法を掻い潜り、一気に指揮官へと迫る。あと、数メートル。そこへ天使が割って入る。全身鎧(フルプレート)を纏い、メイスを持つその天使は、他と比べても段違いに強い事は一目で理解できた。

 

「だが、それがどうした!武技〈六光連斬(ろっこうれんざん)!!〉」

 

 同時に六つの剣擊が襲い、全身鎧(フルプレート)の天使は光の粒子となって消えた。

 もう指揮官に剣が届く距離だ。そうガゼフが思った瞬間、眩い光が辺りを包んだ。

 

「ふはははは!最高位天使の威容にひれ伏すがいい!!」

 

「な、なんだアレは……!」

 

 ガゼフもヒナタも、戦士団も、呆気に取られたように上空を見上げる。そこに居たのは、眩いばかりの光を放つ翼を持った、巨大な天使。

 

「嘗て魔神をも葬ったとされる最高位天使、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティー)だ!我々を相手によく戦ったと誉めてやりたいが、それもここまでだ、ガゼフ・ストロノーフ!」

 

 ニグンが勝ち誇ったように歪んだ笑みを浮かべる。その目には光が灯っていない。しかし、それに気付くものは誰一人居なかった。




結局戦う事を選ぶアインズ様。
アルベドさんは主の考えを理解するために人間について学ぶべく、戦士長を手懐けるつもりのようですが……。





オマケ

ペロ「お、俺の野望が……エロエロ水着の巫女さんが……」

モモ「何で俺まで……」

茶釜「うひゃー、こんな際どいの、よく運営が許可したわね。……一回アウラに着せてみようかな。それともマーレがいいかな?い、一回だけ…ウフフ」


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#34 厄災

なんとニグン隊長、大活躍(嘘)です!


 村では大きめの家屋に村人達全員が集まっている。アインズが防御魔法を施してくれるとのことだった。

 

「〈魔法最強化・魔法位階上昇化(マキシマイズブーステッドマジック)

 〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)

 〈生命拒否の繭(アンティライフ・コクーン)〉!」

 

「〈魔法最強化・魔法位階上昇化(マキシマイズブーステッドマジック)

 〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)

 〈矢守りの(ウォール・オブ・プロテクション)障 壁(フロムアローズ)〉!」

 

「「「お、おお……」」」

 

 巨大な光のドームに囲まれる家屋。アインズの魔法を唱える姿に、感嘆の声を上げる村人達。魔法の事はわからないながらも、アインズが桁違いの使い手である事は理解できたらしい。

 

「さて、取り敢えずこの中に居れば安全ですよ。生き物は中に入って来れませんし、飛び道具も防ぎます」

 

「ありがとうございます!ありがとうございます!」

 

 口々に感謝を述べる村人達。アインズはむず痒い思いをしながら、戦士長達に加勢に向かう旨を伝え、村を後にした。

 

「ソリュシャン、ルプスレギナ」

 

 村を出たところで、金髪を縦ロールに巻いたミニスカートのメイドと、シスターの様な雰囲気のメイド服を着た赤髪のメイドが跪いていた。戦闘メイドのソリュシャン・イプシロンとルプスレギナ・ベータである。

 

 ソリュシャンは暗殺者(アサシン)職業(クラス)を取得しており、敵の気配の察知や遠視を得意としている。また、ルプスレギナは気配を覚らせない隠密行動にも長けた神官戦士で、回復魔法や近接戦闘もそれなりに出来る。

 二人には村の周辺を警護を任せる為に呼び寄せたのだ。万が一伏兵がいても対応できるだろう。

 

「村を外敵が近付かない様に守っておけ。村人には気付かれるな。何かあればすぐに知らせろ」

 

 アインズはそう命じて〈伝言(メッセージ)〉の込められた巻物(スクロール)を渡す。

 

「「畏まりました」」

 

 二人の返事を聴きながら、今度は何もないはずの場所に目を向ける。そこには不可視化したアルベドがいた。アインズは透明化や不可知化を看破するスキルがあるので、相手が不可視化していても見えるのだ。

 

「では行こうか」

 

「はいっ」

 

 アインズは自らにも不可視化をかけてから、〈集団飛行(マスフライ)〉を唱える。これから散歩にでも行くような気軽さで二人は空へ飛び立った。

 

「アインズ様。あの人間達ですが、どの様な位置付けをすればよろしいのでしょうか?」

 

 アルベドが疑問を投げかける。アルベドの言う「あの人間達」とは、戦士長達やヒナタとの事を言っているのだろう。

 

「そうだな……まずサカグチ殿。実は彼女には借りがある。一言で言えば恩人だ」

 

「っ!そ、そうでしたか……」

 

 アルベドは内心肝を冷した。主人が恩人と言う相手の首を刎ねようなどと考えてしまっていた。もし実行していれば確実にアインズの不興を買ってしまい、万回死んでも償いきれなかっただろう。

 

「まあ、理由あって彼女の方は私の正体に気付いていないがな」

 

「そ、それは何故でしょうか?お名前を変えられたのは今日の事ですが、それであの者がアインズ様に気付かないというのは何とも   

 

 アルベドは腑に落ちない、といった面持ちだ。ヒナタは、相手の名前が変わっただけで識別できない程鈍感ではないはずだと。アインズは説明に困った。

 

 アルベドが知っているのは死の支配者(オーバーロード)の自分であり、人間の自分は知らない。一方ヒナタは、人間の自分しか知らない。ヒナタが死の支配者(オーバーロード)の自分に気付かなかった様に、もし人間の姿でアルベドに会えば、アルベドは自分だと気付かないだろう。

 

 しかし、それをそのまま言って良いものだろうか。ただでさえ人間蔑視の思想が根強いナザリック。カルマ値が善に偏った一部のNPCを除き、殆どが人間に良い感情を抱いていない。戦闘能力を持たない一般メイドも、人間を恐れている。至高の存在と信じて疑わない相手が、取るに足らないただの人間だった等と知ったら一体どんな反応を示すのか、まるで予測が付かない。

 

 いずれ告白するときが来るかもしれないが、少なくとも今はその時ではない。アインズは言葉を濁し、答えを先送りにすることにした。

 

「それにはちょっとした事情があるのだが、いずれ話すときがあるかもしれないな。それよりも戦況は……」

 

 アインズが話を逸らすと、眼下ではガゼフ率いる戦士団と魔法詠唱者(マジックキャスター)達の戦いが繰り広げられていた。アインズは細かく情勢を把握していく。互いに死者は出ていないが、重傷者は戦士団側に多数。現状では戦士団が不利な状況であった。

 

 ガゼフが魔法詠唱者(マジックキャスター)の隊長らしき男に向かって突進を始め、ヒナタが転移で魔法詠唱者の背後を取った。ヒナタは敵の四肢を切り落とし、心臓を貫き、あるいは首を刎ねていく。ヒナタに接近を許した魔法詠唱者(マジックキャスター)達は次々に倒れていった。

 その剣捌きを見て、アインズは目を見張る。

 

(げっ、あの人あんなに強かったのかよっ?あまり強くはないとか言ってたのに……本当に人間か?)

 

「なかなかやるようですね……」

 

 アルベドの目にも、ヒナタの剣捌きは相当速く映ったようだ。遠目でこれなら、近距離では更に速く見えるだろう。実際に斬られた魔法詠唱者(マジックキャスター)達に至っては、剣の軌道が見えてすらいないはずだ。

 

 一方ガゼフは謎の特殊技術(スキル)のようなものを駆使し、天使を葬っていった。

 

 それを見たアインズは内心ほくそ笑む。あれはユグドラシルのものではなく、この世界特有のものだと確信した。アインズはこういったこの世界特有の能力や、強者の情報を早い段階で押さえたいと思っていた。

 

 村長によればガゼフは周辺諸国最強の戦士らしいが、それはあくまでも、世間で名の知れている人物の中での話だろう。名が知られていないだけの、とんでもない猛者というのはどの世界にも居るものなのだ。そんな者に出くわしたとき、多くの情報があるのとないのとではまるで違う。

 

 欲しかった情報が一つ手に入ったことで、彼に加勢したことに更に付加価値が生まれた。個人的な感情ではなく、ナザリックの利益に繋がるという動機付けにもなる。

 

「さて、どうやら決着が近い……ん?あれは   

 

 ガセフが権天使(プリンシパリティ)に同時に六つの斬撃で迫った時、魔法詠唱者(マジックキャスター)の隊長が手に握っているアイテムが目に入った。

 

「アルベド、時間を稼げ」

 

「はっ」

 

 アルベドに急ぎ加勢に向かわせる。隊長と思われる男が持っていたのは魔封じの水晶。ユグドラシルでは超位魔法以外の殆どの魔法を込めることが出来るという代物だ。出したタイミングから考えて、あれが切り札なのだろう。

 

(この世界にはユグドラシルの魔法だけでなく、アイテムも存在しているということか)

 

 ただし、その性能も完全に同じだと考えるのは早計だ。魔法も一部仕様が変わっているものがあった。ならばアイテムの仕様も何かしらの違いがあるかもしれない。もしあの魔封じの水晶が、超位魔法をも込められるようになっているとしたらかなり厄介だ。

 

 アインズは最悪の場合を想定し、不可視化したまま超位魔法を準備する。超位魔法は発動までに時間が掛かるが、アルベドがうまく時間を稼いでくれるだろう。

 

「無事生き延びてくれると良いが、まぁその時は……」

 

 もしガゼフ達が死んでしまったら、今度こそ蘇生魔法を試してみようと考えるアインズ。戦士団の部下の方はどうでも良いが、ガゼフにはこの世界特有の技を見せてもらった。その対価として蘇生ぐらいしてやっても良いだろう。

 

 

 

 

 

「な、な……」

 

 ガゼフは空を見上げて瞠目する。勝利は目前と思われた矢先に、とんでもない怪物が姿を現したのだ。これが最高位の天使。信心深くはないガゼフだが、その威容は、まさに神々しいと形容するに相応しいと思われた。これが伝説に謳われる存在の顕現を目の当たりにし、人間の力ではとても太刀打ちできない。頭より先に本能がそう告げている。それでも立ち向かう事を諦めたわけではない。いや、諦められないのだ。

 

 と、ガゼフは上空に黒い何かを捉えた。空から堕ちてきた()()は、大地へと着弾して爆音を轟かせた。そこには、優しげな笑みを浮かべたアルベドが立っていた。

 

 アルベドが高高度から落ちてきて、着地したのだ。地面は大きく抉れているが、彼女の鎧は汚れ一つ付着していない。浮かべた柔和な笑み。たなびく漆黒の長い髪。金色の輝く瞳。血生臭い戦場に降り立った漆黒の戦女神に、ガゼフは息を飲み、ただ見惚れていた。

 

 空から降ってきた突然の闖入者。余りの事に呆気にとられ、言葉を失う陽光聖典の面々。既に生き残っているのは隊長のニグンを含め11名だった。

 陽光聖典に向かって、アルベドが静かに口を開く。

 

「こんばんは、スレイン法国の皆さん。私はアルベド。少し話を   

 

「その角は!異形の者か!?」

 

 ニグンがアルベドのこめかみから生えた角に気付いた瞬間、彼女の言葉を遮り叫びをあげた。

 

「ストロノーフめ。異形なんぞと手を組みおって!やはり貴様は始末するべきだな。だがその前に、貴様から葬ってやる。さあ、天使よ!〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉を放て!」

 

 ニグンの叫びに呼応し、主天使(ドミニオン)が笏を振るう。すると笏が砕け、主天使(ドミニオン)の胴周りを円を描くように漂いだした。アルベドの頭上に、空から巨大な光の柱が墜ちてくる。そう形容するしかないような光景。その場に居た誰もが彼女の死を予感した。

 

(愚か。自慢の切り札が無意味であると知り、絶望するがいいわ)

 

 アルベドは防御に特化した100LVの戦士職であり、物理・魔法共に極めて高い防御力を誇る。加えて、体力もまた尋常ではない。第7位階の〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉程度では、属性が悪に偏った対象へのダメージ増効果を考慮しても微々たるものだろう。

 

 アルベドは構えるでもなく無防備に立ったまま、降り注ぐ光の柱を待つ。ニグンは歪んだ笑みを浮かべ、勝ち誇った顔で高笑いしていた。だがこの時アルベドも予想しなかった事態が起きた。光の柱がアルベドへと到達する直前に、ガゼフがアルベドの方へ飛び込んできたのだ。

 

(何故?何を考えているの!?)

 

 ガゼフは既に魔法の効果範囲に入ってきている。自分から死地へ飛び込んでくるとは、まさに飛んで火に入るなんとやら、の状態である。このままではガゼフも巻き込まれてしまう。アルベドは平気だとしても、ガゼフはそうはいかないであろう。光の奔流に飲み込まれれば、脆弱な人間の肉体など、消し炭になりかねない。自分から飛び込んできたとはいえ、アインズが気に入っている戦士長を、このままみすみす死なせてしまってよいものか。否、それは僕としてあり得べからざる失態である。

 

 戦士長を抱えての回避は間に合わないと判断したアルベドは、咄嗟にガゼフを掴んで地に臥せさせ、そのまま上から覆い被さった。

 

 

 

 

 

 激しい光の奔流が途絶え、辺りを静寂が包む。法国の者も、王国の者も口を開かない。まさに伝説級の、強大な魔法を目の当たりにし、圧倒された為だ。

 

 ガゼフは両足の膝から下と右腕を消失し、あちこち大火傷を負っている。かなりの重傷だが、奇跡的に死を免れていた。一方ガゼフを庇ったアルベドの方は無傷である。

 

「一体何がしたかったのかしら……?」

 

 覆い被さっていたアルベドが顔を上げ、呟いた。ガゼフは意識を手放したまま、横たわっている。

 

(もしや私を助けようと……?はぁ、本当に迷惑な男ね。自分の実力をわかっていないのかしら。

 ……動悸?何かの状態異常(バッドステータス)かしら?おかしいわね、大抵の状態異常には耐性が有る筈なのに。でも嫌ではないこの感じ……まさかトキ   ?じょ、冗談じゃないわ!)

 

 信じられない。あり得ない。認めない。否定の言葉で脳裡を埋める。そんな事があってたまるかと。

 

(お、落ち着きなさい、アルベド……そう、私は誇り高きナザリック地下大墳墓の守護者統括なのよっ)

 

 アルベドは自分に言い聞かせる。内心ではまだ動揺は収まりきらないが、幸いにも表面を取り繕うのは得意である。穏やかな笑みという仮面を貼り付け、アルベドは波立つ内面の動揺を誤魔化して平静を装うのだった。

 

「貴様、何故ストロノーフを庇う?異形風情が人間の真似事とは、反吐が出る……」

 

 ニグンはアルベドに向かって口汚く罵る。〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉が効いていない事には何故か全く動揺していない。

 

 しかし、隊員達の方はアルベドの異常さに気付き、ガタガタと震えだしていた。先程の魔法は、どんな強力な敵も葬り去る必殺の一撃だったはずなのだ。その証拠に、巻き込まれた王国戦士長は瀕死の重傷を負っている。何故かは分からないが魔法の光が消えたとき、上に覆い被さるようにしていた異形の女。人間の戦士長を庇ったと考えるのが自然だろう。それはこの際どうでも良い。

 

 あり得ない。庇われた方が傷が浅いならば、まだ納得がいく。ところが目の前の事実はそれとは()。ストロノーフは重傷で、彼を庇うように覆い被さっていた女の方が傷が軽いどころか無傷である。それが意味するところは何か。今自分達が相対しているのは規格外の、魔神すら超越せし何かでは   

 

「話合いをする気は無い、という事でいいかしら?」

 

 ゆっくりと立ち上がり、そう訊いてくる異形の女。その笑顔は一見美しく見えるが、瞳は温度を感じさせないほど冷ややかでもある。まるで地獄の蓋の向こうから、恐ろしい何かがこちらを窺っている様に思われた。もしもその蓋が外れてしまえば、大きな厄災が止めどなく溢れ出し、何もかも滅ぼし尽くしてしまうのではないか。得体の知れない恐怖に、陽光聖典の隊員達は呼吸が乱れ、喉がカラカラに渇き、冷や汗が怒濤のように流れ出す。

 

「ふん。話したところで、異形の者には我々の崇高なる使命など理解は出来ん。その必要もない。その男に関わってしまった以上、貴様を生きて帰すわけにはいかんがな」

 

「そう……」

 

 堂々と言いきるニグンに、隊員達は全員が心の中でこれでもかと罵倒を浴びせる。最早自分達の命運は尽きた。彼等はそう思った。

 

「全く、いい度胸をしているな……!」

 

 突如虚空から声がかかる。見上げた先には何も確認できず、誰もいない。そう思われたが、数瞬の後に姿を現した何者か。見たこともないようないくつもの魔法陣が光り輝きながら立体的に浮かんでおり、その中心に圧倒的存在感で佇んでいる。身に纏う漆黒のローブは遠目に見ただけで超級のそれと理解できた。そしてその顔   輝くような白磁の骨の顔。それは彼等が信仰する6柱の神の中でも光の神と並ぶ最高神の1柱、死の神のものと酷似していた。

 

「か、かか、神よおおおぉ!!」

 

「えっ……?」

 

 一斉に平伏する陽光聖典の隊員達。その光景に思わずアインズは戸惑う。骨の顔を見せてビビらせてやるつもりが、まさか神呼ばわりされるとは思ってもみなかった。

 

「バカな……!スルシャーナ様は罪深き()()()()によって滅されたはずでは!?」

 

 これまで傲岸不遜な態度を崩さなかったニグンが驚愕の表情を浮かべる。隊員達はというと、狂ったように拝み倒し、涙を流しながら「神が再臨なされた」「我が信仰を捧げます」などと叫びまくっている。

 

(スルシャーナ?誰だ?何で……ってもしかして、プレイヤー?)

 

 アインズは自分とそっくりな誰かと勘違いしていると気付く。超位魔法発動のための待機時間が終わり、あとは魔法を詠唱するだけの状態である。本来なら姿を見せて彼等が震え上がったところでヒナタ達を下がらせ、派手にブッ放すつもりだった。

 

 しかしスルシャーナというプレイヤーらしき存在の事が気にかかり、降りていって情報を聞き出したくなる。プレイヤーの情報は特に重要だ。

 だが、折角発動できるのに超位魔法を解除するのは勿体なく思われた。

 

 強力な超位魔法はその分制約が多く、一定量のダメージを受けたり、その場から移動してしまうと発動解除されてしまう。ユグドラシルでは真っ先に攻撃の的にされる為、なかなか思うように発動できなかった。アインズは悩んだあげく、当初の予定を変えて別の超位魔法を発動出来ないか試すことにした。

 

「超位魔法〈天軍降臨(パンテオン)〉!」

 

 やってみるものだ。ユグドラシルでは出来なかったが、この世界では途中で発動する超位魔法を変更できるらしい。光り輝く魔法陣が拡がりを見せ、4体の天使が召喚される。

 現れたのは80レベル台の第二階級天使、門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)である。壁役(タンク)として高い性能を有し、探知能力にも長ける天使である。

 

 智天使(ケルビム)を見て、更に地面に頭を擦り付ける陽光聖典。気でも狂ったのかと思うくらいに必死である。

 

「どうかっ!どうか御慈悲をおおおぉぉ!」

 

 そんな彼等を見下ろし、アインズは智天使(ケルビム)を伴ってゆっくりと降りていく。

 

「……最初に二つ間違いを指摘しておく。私の名前はアインズ・ウール・ゴウン。お前達はスルシャーナという名を呼んだが、人違いだ」

 

 地面に降り立ったアインズは、自分はスルシャーナではないと指摘した。神のように崇め奉られるのは正直ナザリックの僕達で腹一杯なのだ。早々に勘違いを正しておかないと、どんどん言い出しづらくなるので、さっさと言おうと決めたのだった。

 

「ふ、偽物か……まがい物めええぇ!!神の姿を真似ようなど、烏滸がましいにも程があるわあああっ!!」

 

「隊長!落ち着いてくだ、ひっ!?」

 

 激昂し、叫びをあげたニグンを止めに入ろうとした隊員はここでようやく気づく。過激な言動とは裏腹に、彼の眼には生気が宿っていない。まるで何も映していないかのようでさえあった。隊員は言い知れぬ気味の悪さを感じ、鳥肌が立つ。

 

主天使(ドミニオン)よ!〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉だっ!早く打てこの鈍間がぁ!!何をしているっ?お前達も早く攻撃を始めよ!!死にたいか!」

 

 召喚した天使や部下でさえも罵り始めるニグン。だが、隊員達は二歩、三歩と後退り、命令を受け付けない。アインズはニグンのクズ上司ぶりに苛立ちを感じていた。〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉がアインズの頭上に降り注ぐが、アインズは意に介すことなく言葉を紡ぐ。

 

「やれやれ、全く会話にならんな……」

 

「馬鹿な!?何故平然と立っていられる!?最高位天使の攻撃だぞ!?」

 

「指摘事項が増えたな……だがまずは、間違いの二つ目だ」

 

 動揺し、狼狽えるニグンにアインズは淡々と告げる。

 

「お前達は最高位天使と呼んでいるようだが、主天使(ドミニオン)の階級は上から四番目だ」

 

「な、何を馬鹿な……ハッタリだ!ハッタリに決まっている!無事でいられるハズがない。やせ我慢でもしているんだろう!?」

 

「やれやれ……自分の目なら信じられるだろう?智天使(ケルビム)!」

 

 肩を竦めて首を振り、智天使(ケルビム)に命令を下すアインズ。4体のうち二体が一瞬で飛び上がり、主天使(ドミニオン)を瞬殺して見せる。ニグンは開いた口が塞がらない。余りにもあっけなかった。何故こんな力を持っている?その答えは一つしかない。

 

 神。嘗て人類を救った六大神。その六大神を弑し、大陸中を荒らし回った八欲王。彼らと同じく異世界より降臨した絶大な力を持った存在。それしかない。

 

「三つ目。お前達は、お前は選択を誤った。私は相手の意見は尊重する主義でな。その選択の結果、どんな結末が待っていようともだ」

 

「いやだぁああ!死にっ死にたくないっ!」

 

「うあああぁあ!」

 

 アインズの言葉の意味を理解して、みっともなく泣き出す隊員達。ニグンも理解してしまった。敵に回してはならない存在に弓引いてしまった事を。だが、ここで潔く死ぬわけにはいかなかった。精一杯頭を働かせ、どうにか生き延びる方法は無いかと考えていた。国にこの者の存在を伝えなくてはならない。自分と同じ轍を踏ませないために。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様!ご無礼を謝罪致します!赦して頂けるとは思いませんが、どうか、私一人だけでも命を   

 

「ダメだな」

 

 冷たく言い放つアインズ。せめてアルベドとの対話に応じていれば、情報次第で生かすことも考えただろう。だが、話も聞かず弓引いて来た相手にかける慈悲はない。更に、部下を無理やり巻き込んで喧嘩を売っておきながら、見苦しく自分だけでも助かろうと命乞いをするニグンの評価は完全に地に落ちていた。

 

「アインズ様に牙を向いた上、これ以上無礼を重ねるなどあり得ないわ。己の愚劣さを悔い、潔く死を受け入れなさい。それがあなた達に許された全てよ」

 

 アルベドの言葉にニグン達は何も言い返せず、力なく項垂れた。

 

「これ以上は見るのも不快だな……せめてもの情けだ。苦痛を与えることなく死なせてやる」

 

 アインズは指向性を持たせた〈絶望のオーラⅤ〉を放った。陽光聖典が糸の切れた操り人形の様に、地に倒れる。息をする者は一人もいない。文字通り、11人全員が即死したのだ。

 

「いよーっす」

 

 不意に女性の様な声が聞こえた。アインズはこの声に聞き覚えがある。アインズが振り向くと、そこにはやはりリムルと数名の姿。

 そしていつの間にか飛び出していたアルベドが、リムルに向かってバルディッシュを振り下ろすところであった。

 




本当はアルベドが瞬殺する予定でしたが、別件でひどく動揺し、行動に迷いが生じています。
それによってニグンには少しだけ見せ場を用意することが出来ましたが、実際には原作より早く死亡しました。

超位魔法の変更は独自の設定です。原作にはその辺りは明確に説明はありません。

スキル〈絶望のオーラ〉には5段階あり、それぞれ効果が違います。また、指向性を持たせる事も可能なようです。今回は即死効果のある〈絶望のオーラⅤ〉に指向性を持たせ、陽光聖典は即死しました。


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#35 誰のせい?

リムル様登場と同時に、いきなり修羅場です。一体誰のせいなんでしょうか・・・。

※胸糞注意


 突如背後に転移してきた何者かの気配を感じ、アルベドは瞬時に思考を働かせた。こちらが人間達を倒して直ぐに現れたという事は、その様子を密かに監視し、接触の機を窺っていたという事に他ならない。

 

 既にセバスが村に居るのに更に警護を増やすのは、人間に対して過剰だと感じて。至高の御方がソリュシャン達を呼び寄せてまで警戒しておられた何かはこの者達の事かも知れない。

 

 相手は三人。そのうち一人は、圧倒的強者の気配を漂わせている事がみて取れるが、他の二人は全く読めない。何らかの手段で実力を隠蔽しているようだ。

 

 しかし、この者達は法国とは無関係だろう。もし関係者ならば、陽光聖典が殺される前に出てきたはずだ。だが、態々彼らが死ぬのを待ってから出てきた。と言うことは少なくとも彼らの味方ではないと見て良い。

 

 現段階ではどの勢力の者か判然としないが、とにかく危険な存在だと本能が警鐘を鳴らしていた。サカグチのように、御方の知り合いという線も無くはない。だが、それが敵ではないという事にはならない。その推論を裏づけるように、あの黒髪の男   恐らく悪魔   の視線は、挑戦的で、敵意に近いものさえ感じる。少なくとも親しい間柄の相手に向けるものではない。寧ろ、互いに顔を知る敵   

 

(まさか!?)

 

 ふと心当たりがアルベドの脳裏を掠める。自分達と同じ様に、ユグドラシルからこの異世界に転移してきた者。至高の御方々とも対等の存在と言われ、嘗てナザリック地下大墳墓に二千もの軍勢で押し寄せたという恐るべき敵なのではないか、と。

 

 彼の者共は、至高の御方々によって悉く駆逐されたとの事だったが、攻めてきた者以外にもその残党が居たのかもしれない。だが、何故かナザリックの守護者達は、その当時の記憶が()()()()()()()()事もわかっている。

 

 数日前、デミウルゴスがアルベドのもとへ知恵を貸して欲しいと()()()()に来た。流れで例の敵の話題が俎上に上がった時に違和感を覚え、事態に気づいたのである。

 

 当時前線に出なかったアルベドも、直接敵と対峙した筈のシャルティアやデミウルゴスも、その時の記憶がまるで抜き取られたかのように、()()()()()()()()()()()のだ。

 

 それだけではない。他にも記憶の一部に不自然な欠損が認められた。その現象は、例の襲撃を受けた時期の少し前から集中していた。何か重大な事を忘れてしまっている様な気がする。

 しかし、誰も思い出せない以上、それが何であったかを知る術はない。

 

 いや、正確にはひとつだけある。至高の御方に直接お窺いする事だ。だが、未曾有の大事件であったはずの出来事を、面と向かって「忘れてしまいました」等とは口が裂けても言えるわけがない。そんな無能を晒してしまえば、御方をいたく失望させてしまうことだろう。

 

 もしくは、何らかの方法を用いて、至高の御方々自らが僕達の記憶をお消しになられたのかも知れない。だとすると、僕達に知らせてはならない、秘匿すべき何かがあったのではないか。もしそうならば、その秘密を知ろうとすることは、御方の怒りを買う事になるのではないか。

 

 主人がお隠れになってしまうという最悪の場合を想像してしまい、御方への相談は一時保留して、各自何か思い出す努力をする、という事になった。

 

 

 

 

 

 今置かれているこの状況はまずい。智天使(ケルビム)が居るので数の上では有利だが、Lv80台程度では、戦力として期待は出来ない。例の敵ならば、守護者さえも圧倒するほどの強者と想定すべきだからだ。ならば今出来る事は一つしかない。アルベドが自ら盾となり、御方に撤退頂くための時間を稼ぐ。

 

 相手に先手を取らせては明らかに不利。ならば此方から仕掛けるしかない。先頭に立つ青銀髪の女に斬りかかる。この女は両手が塞がった状態だ。抱えたそれを投げつけてくるなら、対象と位置を入れ替わる事が出来る特殊技術(スキル)〈トランスポジション〉を使い、相手の虚を突く事ができる。何もしてこないもしくは盾にしようとするならば、二人諸供叩き斬るだけだ。

 

 振り下ろした全力の一撃。アルベドの攻撃力は高い方ではないが、それでも戦士職相応の筋力がある。まともに当たればそれなりのダメージを与えられるはず。バルディッシュが敵の首に迫る。相手はここまで全く動きを見せない。それとも動けないのか。いずれにせよ、既に防御も回避も不可能だ。

 

(もらった!)

 

 アルベドが確信した次の瞬間、信じられない事が起きた。動いたのは女ではない。後ろに立っていた黒髪黒服の、男の悪魔だ。いつの間にか女の右隣に並び、アルベドが全力で振り下ろしたバルディッシュの刃を軽々と片手で受け止めて見せたのだ。

 

「なっ?」

 

「クフフフフ、いけませんねえ」

 

 その悪魔は怪しい笑みを見せながら囁く。その眼には確かに敵意を宿していた。

 

 男はいつの間にか蹴りを繰り出していた()()()。アルベドが気付いた時には、体をくの字に曲げたまま水平に百メートル以上も飛ばされていた。

 

「がっ、は……!」

 

 体制を立て直し、地面を激しく削りながら更に数十メートル滑り、やっとの事で踏み留まった。止まりはしたものの、足に力がはいらず思わず膝をつく。鎧の上からでも受けたダメージは決して少なくない。

 

(いつの間に蹴られたの……?)

 

 黒の悪魔の出鱈目な強さに驚愕しながらも、即座に特殊技術(スキル)〈イージス〉を発動する。ダメージを軽減する防御系特殊技術(スキル)だ。震える膝に無理矢理力を込めて立ち上がる。

 しかし既に黒の悪魔は眼前に迫っており、無造作に右手でアルベドの頭を掴む。

 

「リムル様に刃を向けた罪、決して軽くはありませんよ?」

 

 そのまま力任せに地面に叩きつけられ、アルベドは後頭部を大地にめり込ませた。更に黒い悪魔は、顔面に無数の拳を叩き込んでくる。拳打の一つ一つが凶悪な破壊力を有しており、しかもそれが瞬きほどの一瞬で数百という数降り注いだ。

 

 アルベドは体ごと地面にめり込み、伝わる衝撃が大地を抉っていく。攻撃が止む頃には半径数十メートル以上に及ぶ巨大なクレーターが出来上がっていた。クレーターの底に横たわるアルベド。ナザリック地下大墳墓の守護者の中でも最強の防御を誇るアルベドでさえ、意識が朦朧とする程のダメージであった。

 

「ほう……?」

 

 朦朧とする意識のまま立ち上がるアルベド。頬の骨は砕け、片目と鼻を潰され、美しかった顔は見る陰もない。アルベドは握り込んだ手を開き、何かを落とす。男の袖についていたボタンである。アルベドを見遣りながら、黒の悪魔は少しだけ感心した様子を見せる。

 

「あの程度なら反撃する余裕がありましたか」

 

「当然よ。あの程度で私を倒せるとでも思った?」

 

 痣だらけの顔で微笑んで見せるアルベド。しかし、その強気な科白とは裏腹に彼女の膝は震え、立っているのがやっとであった。

 

「それは失礼致しました。では、ほんの少しだけ本気を出して差し上げましょう」

 

 黒の悪魔は慇懃無礼な態度で微笑み、瞬時に距離を潰してアルベドの目の前に迫った。余りの速さにアルベドは反応すら出来なかった。そのまま首を掴まれ、宙吊りにされる。

 

「か、ぁ……が……」

 

 アルベドは両手で相手の手首を掴んで引き剥がそうとするが、びくともしない。顔に蹴りを入れようとしても容易く防がれる。その間にも男の力はどんどん増し、アルベドの首を折らんばかりに締め付けてくる。

 

「クフフフフ、もうおしまいですか?」

 

 まるで大人と子供である。何一つ通用しない。ここまで圧倒的な差があろうとは予想だにしていなかった。宙吊りにされたまま手足が痙攣し始め、急速に視界が狭く、暗くなっていく。死ぬ事自体は恐ろしくはない。だが、何も出来ないまま死ぬのかと思うと、至高の御方に申し訳なくて、死んでも死にきれない。

 

「ぐ、ああああああ!」

 

 急速にアルベドの体が隆起し始める。人間大であった体がどんどん大きくなり、着ていた鎧は外側の装甲が剥がれ落ちた。黒の悪魔は手を離し、少し距離を取ったところで様子を窺っている。

 

 アルベドが纏うヘルメス・トリスメギストスは三層構造の鎧をしており、特殊技術(スキル)で鎧にダメージを受け流す事で、超位魔法さえも三度まで無傷で凌ぐ事が出来る。しかし、敵の手数の多さと一撃の破壊力の凄まじさの前には、三回受け流したとしても焼け石に水である。寧ろ、鎧を失えば余計にダメージが大きくなってしまう。

 

 ならば異形の本来の姿に戻り、純粋な肉弾戦を挑む。異形の種族はいずれも二ツ以上の形態を持っているのだ。醜悪な見た目になってしまうので、他人の前では、特に恋する相手の前では決して見せたくはなかった。だが、恥も外聞も捨て去らなければ、目の前の相手にはまるで歯が立たない。アルベドは覚悟を決めた。

 

(アインズ様……どうかご無事で)

 

 完全に本来の姿に戻り、言葉を発することが出来なくなったアルベドは、心の中でアインズに別れを告げる。勝ち目が無いことは既に分かっているが、この悪魔は危険すぎる。御方に近付けないためにも、ここに一秒でも長く留めておきたかった。

 

 アルベドの手足は丸太の様に太くなり、筋骨隆々とした巨躯は高さ6メートル程にまで大きくなった。山羊のような角は重厚な荒々しさを湛え、閉じる瞼はなく、金色の眼は大きく見開かれている。巨大な裂けた口からは大きな不揃いの歯が覗き、醜悪という他ない文字通りの異形である。下半身をびっしりと黒い毛が覆い尽くし、その上から全身を薄い膜のような鎧の第三層によって包まれている。

 

「それが貴女の全力と言うわけですか。面白くなってきました」

 

 黒い悪魔は、アルベドを正面から迎え撃つ。互いの拳と拳がぶつかり合い、激しい衝突音が鳴り響いた。その衝突で僅かにアルベドが押し勝った。

 

「クフフフ。特別に殴り合いに付き合って差し上げましょう!」

 

 押し込まれ、僅かに後ろに滑らされた悪魔は、嬉しそうな笑みを見せる。そこからは激しい殴り合いが始まる。足を止めて一歩も退かず、互いに殴り、殴られを繰り返す。しかし、均衡は長くは続かなかった。

 

 徐々にアルベドが圧され始め、遂には後ろへ倒れた。黒の悪魔はというと、そのまま動かなくなったアルベドを見下ろし、余裕の態度である。よく見れば、顔には僅かな傷があるだけで、それもすぐに塞がっていく。

 

「まあ、こんなものですか。楽しめましたよ。それなりに」

 

「なぁーにが楽しめましたよだ!やりすぎだこのバカ!」

 

 リムルの叫びが木霊し、ディアブロはこってりと叱られたのだった。

 

 

 

 

 

 ソリュシャンは油断していたわけではない。むしろ、これ以上ないくらいに注意深く警戒していた。至高の御方が直々に伝言(メッセージ)にてお命じ下さったのだ。張り切らない筈がない。シャルティア様に転移門(ゲート)を開いて頂き、姉のルプスレギナと共に人間の村へと向かった。姉もまた上機嫌であった。

 

「ルプーもアインズ様から直接ご命令を?」

 

「そーっす。アインズ様から〈伝言(メッセージ)〉を頂いた時はマジ心臓止まるかと思ったっす」

 

「うふふ、そうね。まさか御自ら御命令くださるなんて、天にも昇る気分というのはこの事だわ」

 

 伝言(メッセージ)を受けた時の興奮を思い出して、思わずうっとりと頬を緩ませてしまう。

 

「あ、ソーちゃん、今思い出してたっすねー?エロい顔になってるっすよー?」

 

 姉にからかわれつつも、嫌な気はしない。それほどに幸福な一時だったのだ。至高の御方が、自分だけに向けて御言葉を下さる。なんという至福か。他の姉妹達は羨望の眼差しを向けてきていた。

 

「そういうルプーだって、顔がニヤけてるわよ。嬉しいんでしょう?」

 

「そーっすね。嬉しすぎて……濡れたっす!」

 

 サムズアップしてどや顔で応える姉に、何処がとは聞かない。それはシャルティア様の前では言わない様に、と釘を刺しておいた。彼女は既に不機嫌そうにしていたので、今頃憂さ晴らしでもなさっているかもしれない。趣味は合うのだが、彼女の機嫌が悪いときは近寄りたくない、というのが本音である。

 

「無駄話はこの辺にして、頂いた任務を完璧に全うするわよ」

 

「了解っす」

 

 この会話を誰かが見たら、独り言を言っているようにしか見えないだろう。姉は完全不可視化した状態で気配を絶ち、声だけが聞こえているのだから。

 

 何者も近付いてくることなく時間が絶ち、戦闘音も静かになった頃、それは何の前触れもなく、突如として眼前に現れた。

 

「っ!?」

 

 現れたのは四名の男女。相手はいずれも何らかの方法で実力を隠しているようだ。だが、気配の察知に気を張り、神経を研ぎ澄ませていたせいか、すぐにそれに気付いた。計り知れない程の圧倒的な気配。

 

「いよーす、ソリュシャン、だったよな?」

 

「あ、ああ、あ……」

 

 目があった瞬間。全ての細胞が震えた。

 

 本能で悟ってしまった。このような存在が居て良いものか。次元が違い過ぎると。まるでドラゴンを前にした小さな蜥蜴のようだ。

 

 そのままソリュシャンはまるで体が自分のものではなくなったかのように動かせなくなり、視界が暗くなっていく。

 

(アインズ様にお伝えし、なけれ   

 

 

 

 

 

 どうしてこうなった?俺のせいか?

 

 実は、村の様子も戦いの様子も、ずっとモニタリングしていたのだが、ちょっと退屈して……いや、村で変な動きがありそうだったから知らせようと思い、ソリュシャンに会いに行ったのだ。

 

 そしたら何故か此方を見て固まり、俺が挨拶した途端に、気を失って倒れてしまったのだ。なんで?大魔王覇気は完全に遮断してたのに。

 

 そして更に悪いことに、ルプスレギナ……だったか?が、異変に気付いて駆けつけてきたのだが、また俺と目が合うなり気絶しちゃったんだよね……俺の何がいけないの?

 

 仕方がないので、村の方はラミリスとヴェルドラに任せて(かなり不安だが)俺とディアブロ、ミリムでモモンガの所に二人を抱えて来たわけだ。こっちはこっちで気になっている事がある。

 

 えっ、なんかアルベドが突進してくるんですけど?100万倍に加速した思考の中で俺は混乱する。

 

《倒れた二人はご主人様(マスター)の実力を本能的に察してしまったのでしょう。アルベドはこの二人の状態を見て敵と判断したようです》

 

 なんだ、そういうことか。っておかしいだろ!何で俺が敵認識されるんだよっ。だって俺はユグドラシルでアインズ・ウール・ゴウンに傭兵として雇われていたし、顔を合わせたこともあるんだぞ?問答無用で襲われるはずないだろ?

 

《ユグドラシルでは、我々の痕跡(ログ)は可能な限り全て消去しました。その影響でNPCは記憶に欠損が生じているようです》

 

 え?痕跡を消したせいでNPC達は俺の事を忘れてしまったということか?じゃあ、今のアルベドにとって俺は知らないやつなのか。じゃあ、いきなり動けない仲間達を抱えて出てきたら……勘違いするよな。

 

 さて、ディアブロに思念をリンクして、念のため釘を刺しておくか。

 

「リムル様。あれは私が始末しても?」

 

 案の定、殺る気満々らしい。だがそれはいけない。勘違いされるような紛らわしい事しといて返り討ちにしようなんて、まるで悪魔の所業じゃないか。いや、コイツ悪魔なんだけども。

 

「いや待て。モモンガの仲間だし、俺たちの事は覚えてないだけみたいだから、くれぐれも殺さないようにな」

 

「仰せのままに。では少しばかり躾をしておきましょう」

 

 悪魔らしい悪い笑顔を浮かべつつ、ディアブロは礼を取る。やり過ぎないか心配だが、とりあえずはこれでいいか。

 

 あとはモモンガにも事情を話しておかないと。ヒナタの事は覚えてるみたいだったし、大丈夫だよな?

 それにしても、折角の再会がまさかこんな形になるとは……。

 

 

 

 

 

「ではアルベドの件は互いに水に流すとしよう。酷い顔になっていたが、命に別状は無いしな。顔は酷いことになっていたがな……」

 

「あ、ああ、そうしてもらえると助かるよ……」

 

 モモンガは最初かなり腹を立てていたが、やり過ぎたディアブロを俺がきつく叱った事で、ある程度溜飲は下りようだ。それでも顔の事を強調して2回言ってくる辺り、怒りが収まったわけではないんだろう。

 

 アルベドには悪いことしてしまったな。ディアブロのやつ、ノリノリでボコりやがって。確かに死んじゃいないけど、女子の顔面殴りすぎだろ。

 

 俺から渾々と説教を受けたディアブロはというと、肩を落として意気消沈している。モモンガの為にも善かれと思ってしつけてやろうと思っていたらしいが、本人の共感は全く得られなかった。まあ、当然か。今はミリムが肩に手を置き、慰めの言葉を掛けている。お姉さんぶろうとしているだけのように見えるが、気のせいだろうか。

 

 ヒナタにこいつが()()モモンガ、つまり鈴木悟だということを教えてやったが、全く信じようとしなかったが、モモンガがボソッと「異形種動物園」と謎の言葉を呟くと、何故早く言わないのかと憤慨し出した。モモンガは、配下の前で人間であった事を明かせないという事情から言い出せなかった旨を告げた。ヒナタはそういう事情なら仕方がない、と納得してくれた。しかし実際モモンガが本当の事を言っても素直に信じたんだろうか。

 

「で?今まで何処で何をしていたんだ?」

 

「え?そ、それはだね……」

 

 言えない。虚数空間を快適空間に改造し、お菓子を食べながら彼等の戦いや村の様子をモニターして寛いでいたなんて。

 

「そもそも、あんなタイミングで出てきたら勘違いしてくださいと言ってるようなものでしょう?傍迷惑な……」

 

「まさかとは思うが、ソリュシャンたちに如何わしい事でもしていたんじゃないだろうな?」

 

 モモンガの疑惑の言葉を投げかけてくる。それを聞いたヒナタの目付きは冷たいものになってきた。誤解だ。如何わしい事なんて一切していない。だからゴミを見るような目で見るのはやめてほしい。

 

 確かにソリュシャンはスカートの丈も短く、胸元も強調された扇情的な格好をしている。スカートの中とかどうなってるのか若干気にはなったけれども、何もしてはいない。

 

「いや、そんな事はない。断じてない」

 

「ふうん?じゃあ何してたのよ?」

 

「あー、……村の様子を見守ってたんだ」

 

 嘘は言っていない。実際村の様子を見ていて、何か妙な空気を感じ取ったから動き出したわけで。

 

「それでちょっとソリュシャンに会いに行ったんだけど、俺が挨拶したら倒れちゃってさ」

 

「……うっかり魔王覇気でも垂れ流してたんでしょう?」

 

 ヒナタが途端に胡乱気な視線を向けてくる。

 

「そ、そんな事ないって……ホントだぞ?」

 

 ディアブロがボコってしまったアルベドと、戦士団の連中は既に手当てを済ませ、今は全員眠ってもらっている。やっぱりヒナタをすぐに追いかけるべきだったんじゃ?村で先に合流していれば、こんなややこしい事にはならなかった気がする。

 

《もし村で接触を果たしていれば、モモンガがうまく取り成し、その場での戦闘にはならなかった可能性が高いです》

 

 ああ、やっぱり。じゃあヒナタにすぐ合流すべきだったかな。そうすれば……。

 

《しかし、アルベドと戦わずにナザリックへ招待されていれば、彼らの被害は甚大なものになっていました。アルベドはモモンガの策略と勘違いしたまま裏で命令を下し、守護者やしもべ達が一斉に襲いかかる手筈を組んでいたはずです》

 

 げっ?マジかよ。そんな事になったら、ディアブロにヴェルドラ、ミリムまでノリで暴れ出すかも。ナザリックが滅びかねないぞ。向かってくる奴らに被害を出さずにあいつらを止めるなんて多分無理だ。モモンガの恨みも買う事になっただろうな。最悪の事態(シナリオ)というやつか。じゃあやっぱりここでアルベドと戦ったのは正解だったのか。ボコったのは別として。

 

《はい。アルベドの誤解を解けば、ナザリックとの友好をスムーズに築いていけるはずです。やっぱりご主人様(マスター)はモモンガの被害を最小に留めようとお考えだったのですね》

 

 ん?そんなに深くは考えていなかったが、まあいいか。結果良ければ全て良しと言うしな。まあ、そういう事にしておこう。そろそろ村に行かないとアイツ等が何か仕出かさないか心配だが、こっちの方も気になっていた事がある。

 

「あっそういえば、そこのニグンていう奴だけど、洗脳されてたっぽいぞ」

 

「「なんだと……?」」

 

 俺が発した不穏な言葉に、場の空気が変わる。俺はシエルから聞いたことを話した。

 

「まさか洗脳されていたとはな。会話が出来ないダメなヤツかと思っていたが……」

 

「スレイン法国か……」

 

 モモンガは殺してしまったのは早計だったかと呟き、ヒナタは黙り混んで何か考えている。スレイン法国は宗教色の強い国家のようなので、何か思うところがあるんだろう。

 

 記憶の改竄をした痕跡が見られたのと、妙な思考を植え付けられていたようなので、もっと詳しく調べてみたかったが、既に本人は死んでしまっている。監視の方はシエルが感知した瞬間に妨害しておいたので、覗かれてはいない筈だ。

 

「うーん、蘇生魔法を試してみるかな……」

 

「そんな事が出来るのか?」

 

 モモンガの言葉にヒナタが驚く。この世界はどうか知らないが、俺たちの世界には蘇生魔法は存在しないと言うか、一般的でないのだ。ある禁書には死霊魔術師が死者を復活させたという記述もあるらしいが、生前とは全く別の化け物になってしまったらしい。

 

 勿論俺なら、条件さえ揃っていれば蘇生させる事は出来る。が、人間には不可能と言っていい。何故なら反魂の秘術を成功させるには膨大な魔力エネルギーが必要なのだ。それこそ魔王並みの力が無ければ失敗に終わるだけである。

 

「成功するかわかりませんが、いずれ試すつもりだったので、コイツらを使ってやってみましょう。まずは隊員ですかね。失敗してもデメリットは少なそうですし」

 

「そう、だな……」

 

 ただの実験だと言わんばかりに、妙に割り切っているモモンガ。身も心も人間を辞めてしまい、人間に同族意識がなくなったというのは本当らしい。そんなモモンガの様子にヒナタは若干戸惑いながら頷く。俺は思考加速と思念リンクを解き、モモンガの魔法を解析することにした。




アルベドは可哀想にボコボコにされました。一応手当てをして、顔も元通りになっています。

結局お互い落ち度が有ったよね、ってことで和解して落ち着きました。


アルベドのもうひとつの姿と強さは、有力なクトゥルフ神話のあれ説から想像して描きました。

因みにディアブロは全力を出しておらず、寧ろ死なせないように気を遣ってるつもりです。
顔ばかりを狙ったのは、「顔だけ剥き出しだったから」です。弱点をつくのは戦術の基本ですから。神話級の装備なので、装備を壊すのは勿体ないとも考えたかもしれません。同じリムル様配下でも容赦しないディアブロです。当然レディーの顔云々という人間的倫理観なんて持ち合わせていません。女子の顔をいたわるフェミニストではありませんが、同時に、「女の癖に生意気だ」というような男尊女卑的思想も無いです。


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#36 神々の御業

色々説明が入ると話は前に進まないものですね。その辺の匙加減が難しいです。


「はっ!?」

 

 アインズが蘇生魔法を試そうと短杖を取り出したところで、アルベドが目を覚ました。

 

「ん?目が覚めたようだな……。アルベド、どこか痛むところはないか?」

 

 アインズが歩み寄り、優しくいたわるように声をかける。だがアルベドの胸中はそれどころではなかった。戸惑った様子でアインズとディアブロ達を交互に見ている。

 

「ん?ああ、心配するな。皆敵ではない」

 

 アインズの言葉に、アルベドは自分の失態を悟った。手を出してはいけない相手、アインズと縁がある者に刃を向けてしまったということに。アルベドは顔を青ざめながら慌てて跪き、謝罪を口にしようとする。

 だが、先に口を開いたのはアインズであった。

 

「すまなかった」

 

「え?あ、アインズ様!?」

 

 顔を上げたアルベドはあまりの事に瞠目する。至高の41人の纏め役たるアインズが頭を深々と下げていたのだ。

 

「私が彼らの事を前もって話していれば、お前をあんなひどい目に遭わせずに済んだだろう。許してほしい」

 

「アインズ様がお謝りになることなど!私が、勝手に勘違いをした私が悪いのです!」

 

 アルベドは慌てるあまり声を荒らげてしまう。が、アインズは中々頭を上げようとしない。しもべたる自分などに至高の御方が頭を下げるなどあって良い筈がない。そうは思うが、無理矢理に主人の行動を止めさせるのも不敬にあたるのでは、とも思ってしまう。結局どうして良いかわからず、アルベドはボロボロと涙をこぼし始めた。

 

「モモンガ、部下を困らせてはダメだろう?さすがに私もフレイを泣かしたりはしてないのだ」

 

「そうだぞ、俺も泣かれたことは……無くはないけど」

 

 アルベドの様子を見かねて、銀髪の少女と、何故か一人称が「俺」の青銀髪の女もアインズに声をかけた。

 

「二人に言われても説得力に欠ける……て言うか泣かせてるんじゃないか」

 

「い、いや、俺の場合はホラ、感激の涙とかで……リグルドとかが、な」

 

「あー、彼か……懐かしいな」

 

 至高の御方もそうだが、随分と砕けた態度で会話する彼等にアルベドは戸惑いを覚える。至高の41人以外と話す時以外に、アインズのこんな姿を見たことがあっただろうかと。

 

「それはともかく。リムル、あなた達も彼女に謝罪するべきでは?」

 

 青銀髪の女   リムルという名のようだ    にサカグチが謝罪を促す。銀髪の少女もウンウンと首肯していた。

 

「そ、そうだな。申し訳なかった。ウチのディアブロが大変失礼をした」

 

「クフフフ。私としたことが、少々やり過ぎてしまいました。お詫び申し上げます」

 

 黒い悪魔はディアブロというらしい。彼の態度は慇懃無礼というか、悪いと思っているようには全く見えないのだが、アルベドは気にしなかった。そんな事よりも、彼等のアインズとの関係が気にかかっていたからだ。

 

「あの、アインズ様?この……こちらの()()とはどの様な……?」

 

「ん?ああ、そうだな。彼等は……うーん……恩人?と呼ぶには……仲間?と言ってよいものなのか……?」

 

 アルベドが尋ねると、アインズは少し困ったように顎に手を当て、ブツブツと呟く。何か説明に困る関係らしい。そんなアインズに、銀髪の少女が屈託のない笑顔で笑った。

 

「わははは、そんなに難しく考えなくても良いのだ。友達で良いではないか!」

 

「と、友達、だと……?」

 

 アインズが戸惑った様な声をあげて固まる。

 

「え?ち、違うのか……?」

 

「ふ、ふふ、違わないとも!はっはっは、そうだな、友達。我々は友達だ!」

 

 眉尻を下げてじわりと涙を滲ませた少女に、アインズは機嫌良さげに答え、困惑して固まっているアルベドに三人を改めて紹介した。

 

「当時は異形種狩りが横行していてな。そんな折りに我々は出会い、友宜を結んだのだ。ナザリックにも一時期滞在していたんだぞ?お前達は誰も覚えてはいないだろうがな……」

 

 かつてナザリックに居たという衝撃の事実を知り、アルベドは目を見開く。そして、自分達の不自然な記憶の消失にはリムルが関与していると確信した。そして守護者達の記憶を消してしまわなければならない何かがあったのだろう。

 

「アインズ様。至高の御方々が我々僕達の記憶をお消しになられたということなのでしょうか?」

 

「いや、リムルだよ」

 

 アインズは短く答え、そして何か考える。

 

「詳しい事情は話せば長くなるが、ナザリックを、皆を守るために必要なことだったと理解してほしい。だが折角再会したんだ。彼等をナザリックでもてなそうと思っている。リムルはナザリックにとって、ある意味特別な存在だしな」

 

 なにやら含みのある言い方をするアインズ。リムルという女性だけ何故か強調する。アインズは今それを明かすつもりはないようだが、その時アルベドの脳裡には、ある光景が鮮明に甦ってきた。それは今まで思い出す事が出来なかった、いや、蓋をして仕舞い込んでいた記憶。自分の創造主が姿を見せなくなる前の、最後の時。きっとリムルこそが、彼が別れの言葉と共に語った()()なのだろうと推察した。

 

「リムル様、先程は大変御無礼を……罪深き私めに何なりと罰をお与え下さい。自害せよと仰るのであれば目の前でこの首を切り落として   

 

「え?ちょ、ターイムッ!」

 

「えっ?たいむ、とは……?」

 

 平身低頭し、物騒な事を言い出しアルベドのある部分を見つめながら、リムルはアルベドを慌てて止めた。リムルの言葉の意味を理解しかねて困惑するアルベドを尻目に、周りにはアルベドの態度が急に変わったように映っていた。しかし、アインズの友人と知っただけで随分と対応が違うものだな、という程度にしか思わなかった。アルベドに、リムルはできるだけ優しく話しかける。

 

「誰だって間違うことはある。今回はアインズを守ろうと思っての行動だろ?その忠義に免じて今回は水に流そうじゃないか」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「それで、頼みがあるんだ。君にしか出来ない事なんだ」

 

「は、はいっ!何なりとお命じ下さい!……?」

 

 リムルに頼られる事が嬉しかったのか、パッと目を輝かせて顔を上げたアルベド。しかし、リムルと微妙に視線が合わない。その視線の先は……。

 

「「どこを見ているんだ?」」

 

 と、アインズとヒナタの声が重なった。その声音はひどく冷たいものに聞こえる。

 

「ど、どこも見ていないぞ?」

 

 アルベドは現在鎧を着ておらず、白いドレス姿になっている。そのドレスの胸元が乱れていることにアルベドは気付いた。

 

「あの、お、お望みでしたらお好きなように   

 

「待て!そんなことはしなくていい!」

 

 頬を赤らめ、恥じらいながらも胸を付き出すアルベドに、思わず大声で止めるアインズ。そして白い目を向けているヒナタ。ミリムは自分とアルベドの胸元を交互に見比べて唸っている。ディアブロはというと、一切の手出しを禁じられているため何も出来ず、ただ側に控えていた。

 

「……コホン。性格的に、ナザリックの皆はヨソ者は全く信用しないだろ?アインズが俺たちとの仲をとりなしてくれたとしても、命令だから言うことを聞くだけで、心からの信用を得ることは出来ないと思うんだ。そこでアルベドにも協力して貰いたいんだよ」

 

「ああ、リムル様、ご自身を余所者だなどと。……このアルベド、身命を賭してリムル様とナザリックの僕達の絆を構築すべく、粉骨砕身の働きをお約束致します」

 

 アルベドに嘗て無い重圧がのし掛かる。自分の働き次第でナザリックの未来が大きく変わってしまうと理解したからだ。特にナザリックにおけるリムルの立場は極めて重要となる。

 

 リムル本人に関する記憶は相変わらず思い出せない。消された記憶が元に戻ることは無いのかもしれない。また、あの気配も感じ取ることが出来ない。それは他の守護者達も同様であろう。そんな状況ではリムルと守護者達の間に絆を構築する事は容易ではない。

 

 だがそれでもアルベドは、守護者統括としての矜持にかけて、断じて成功に導いて見せると深く決意した。創造主の残した言葉を信じて。

 

「さて、では止まっていた実験の方を初めるとしよう。まずは蘇生(リザレクション)だな……」

 

 アインズは陽光聖典の隊員に蘇生の短杖(ワンドオブリザレクション)をかざした。

 

 

 

 

 

「ふむ、全員蘇生成功か。すぐに起き上がれないところを見ると、レベルダウンが起きていると見て良さそうだ。〈蘇生(リザレクション)〉との差を確かめる為に、〈真なる蘇生(トゥルーリザレクション)〉も使ってみたが、位階が上がればレベルダウンが軽減されるところもユグドラシルとの同じか。となると後は、最低レベルの場合はどうなるか、だな」

 

「む?どういうことだ?難しい話はよくわからないのだ」

 

「通常、蘇生時にはレベルダウン、つまり力が衰える現象が起こる。弱くなってしまうんだ。その下がり幅よりもレベルの低い   幼い子供の様に元々弱い者の場合はどうなるか、という疑問だよ」

 

 ミリムの質問にアインズは丁寧に答えた。ユグドラシルの場合はレベルが1を下回ることなく、蘇生はいくらでも可能であった。しかし、この世界ではユグドラシルの魔法とは違う部分が幾らか確認されている。やはり村人の蘇生を試みるべきだろうか。アインズがそんなことを考え始めた頃、リムルがあっさりと答えを導きだした。

 

「その場合は蘇生出来ない。どうも"反魂の秘術"と"死者蘇生の法"の合わせ技に近いな」

 

 そういってリムルは説明を始めた。リムルの世界では蘇生の前段階として"反魂の秘術"にて魂  魂とそれを包む星幽体(アストラル・ボディー)   を修復・再生する。これがちゃんと出来ていないと、蘇生後に別人のように成り果てるのだ。魂の損傷具合によっては大量の魔力が必要で、その全てを術者が負担する。

 

 対して位階魔法による蘇生の場合、両方を一つの魔法で段階的に行う。魂の基本構造はほぼ同じで、核となる魂と、それを包み込む星幽体(アストラルボディー)(に当たる部分)とを再生し、次の段階で魂を肉体に戻す。

 

 ただし、魔法位階   消費する魔力に応じて魂を再生する度合いは決まっており、魔力で再生しきれない分を蘇生を受ける者の魂に負荷をかけてのエネルギーを取り出し、補わせる仕組みの術式になっている。

 

 つまり術者と蘇生される側の魂のエネルギーで負担を分け合うのだ。これによって術者の消費魔力は少なくなる。魔法の位階が高ければ術者の負担が大きくなり、蘇生を受ける側は負担が小さくなる。逆に低い位階では術者の魔力負担が小さくなる分、蘇生される側の魂の負担が大きくなる、といった具合だ。位階によってレベルダウンの度合いにも差があるのはその為だ。

 

 ここで注意しなければならないのは、蘇生される者の魂がどれだけの負荷に耐えられるか。魂のエネルギー総量はレベルによって差はないが、負担できるエネルギー量には差がある。レベルが高い者の魂は多くのエネルギーを負担でき、レベルが低い者の場合は、殆ど出来ない。負担するエネルギー量に魂が耐えきれなければ潰れてしまう。

 

   というわけで、一度蘇生に失敗すると魂は霧散して、同時に肉体も灰へと変わってしまう。低位階の蘇生魔法では弱い者の蘇生は不可能ということだ。それから、蘇生直後に体が思うように動かせないのは、蘇生時の魂の負担が関係しているんだが   

 

「ああもう、長い!長いのだ!」

 

 長々と講義していたリムルを、途中でミリムが遮って止めた。最初こそ興味ありげに聞いていたのだが、段々頭から煙が出てきて、途中からは完全に聞き流していた。リムルの話を熱心に聞いていたアインズも、これ以上続けられても理解が追い付かないと思っていたものの、アルベドの前では言い出せずにいたので、正直助かった。

 

「おお、神よ……」

 

 リムルの解説が止まったところで、ニグンが声を発する。あまりの光景に、暫し言葉を失っていたのだ。彼の目にした光景は、まるで神話の一(ページ)。方や彼の信仰する六大神の一柱、死の神スルシャーナの肖像画と瓜二つの、威厳に満ち溢れたアンデッド。もう一方は、青銀に輝く長髪の絶世の美を備えし女神。彼等、若しくは彼女等の手により、陽光聖典の全員が蘇生されたのだと理解した。

 

 神話とはかくも麗しいものかと思わせる神々しさを放ちつつ、蘇生の妙について対話する二柱の神。その側に控える従属神とおぼしき存在達もまた、絶世の美を備えて佇んでいた。ニグンの双眸からは自然に涙が溢れ出し、やっとの想いで紡ぎ出した言葉はたった一言であった。それ以上は言葉にならず、神との邂逅に涙しながら祈りを捧げる。他の隊員達も同様であった。彼らは非合法の特殊任務をこなす、いわゆる特殊工作員であるが、単に戦闘能力が高いだけでなく、一人一人が篤い信仰心の持ち主でもあるのだ。

 

「なあ、どうする?」

 

 当の本人達はどうしたものかと困惑し、思念伝達でコッソリ話し合っていた。

 

「どうするったって、会話しないと話が進まないんだが」

 

「俺こういう雰囲気は苦手なんだよ。だからお前に任せる」

 

「えっ、俺だってナザリックだけで胃もたれ気味なのに……。今胃袋ないけど」

 

「上手くそれっぽく演技してくれよ、俺と違ってそういうの得意だろ?」

 

 二人とも神呼ばわりされる役を押し付け合おうとしている事など露知らず、純真無垢な信仰心で崇め奉る陽光聖典。

 

「別人だ。私はスルシャーナなんて知らない」

 

「し、しかし神よ!」

 

「い、いや、神ではないと言っているだろう」

 

 結局アインズは他人のそら似だし神でもないと主張する事にしたのだが、ニグンは必死に食い下がってきた。スルシャーナとは別人だとしても、神の降臨には間違いないと言うのだ。

 

 都合のいい話かもしれないが、彼等は姿を消して久しい神と、実際に目の前に顕現している神ならば、後者にすがるべきだと考えた。何故ならそれは、人類が今なお存亡の危機を脱する事が出来ていない為である。彼らのような強者に庇護を乞わなければ、現在の人類生存圏はいつ脅かされ、崩壊してもおかしくないのだ。しかしそんな事情を知らないアインズは……。

 

(はぁぁ、結局話が通じないじゃないか……て言うか会ったばかりの俺達をいきなり神様呼ばわりとか、ちょっとヤベー奴なんじゃないのか?あ、そういえば)

 

「ところで洗脳の方はどうなったんだ?まだ解けていないのか?」

 

「うーん、解けてるな。ん……?」

 

 ゲンナリしながら溜め息を吐くアインズにそう答え、リムルはニグンに歩み寄る。ニグンはリムルに見とれてしまい、呆然とその光景を見ている。リムルが彼の顔に手をかざし、そしてまた歩いてアインズの前に戻る。その手には長さ数cmの針のようなものがあった。

 

 ニグンの眼球の裏側、脳内に刺さっていたものを取り出したのだ。実際には眼球を抉り出して針を抜き取り、眼球を戻してポーションを流し込んだのだが、一瞬で全てを済ませたため、本人は痛みを感じてさえいない。

 

 片方の先端は尖っており、反対側には極小さな珠が付いている。雑に接着しただけのようだ。見た目は裁縫に使うマチ針の様である。

 

「これがそうか?〈上位道具鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉……成る程、オリジナルアイテム。それも二つ組み合わせているな」

 

 アインズが魔法で鑑定したところ、針の方は予め設定した条件で、微弱な電気を発するものだった。ユグドラシルには存在しなかったものだが、特に希少な素材は使用していないためレア度は低い。これを頭に埋め込み、ある一定の条件をスイッチに電気的刺激を与えるようになっている。

 

 その条件とは、異種族を目にした時。長期間に渡って何度も同じような場面で脳に刺激を与え、人格を少しずつ変化させていくのだろう。他種族への嫌悪、憎悪を募らせるという形で。そして、この方法にはいくつかメリットがある。

 

 それは、低コストで量産できる事、特定条件で発動する為、普段の行動には影響が出にくい事だ。大量に使用してもコストは知れているし、少しずつの変化なら洗脳していると気付かれにくい。そして、この方法には凶悪な特徴がある。

 

 魔法による洗脳ならば、術を解けばじきに元に戻るだろう。だがこれの場合は、ある程度洗脳が進んでしまうと、途中でやめても元に戻らない。思想、人格そのものが作り替えられてしまうからだ。状態異常ではないため回復魔法も意味を為さない。簡単に言えば人格そのものをねじ曲げ、改造していく装置である。

 

 付いている珠の方は、魔法を込める事が出来るようで、ニグンの行動を操る〈支配(ドミネート)〉の魔法が発動したようだ。因みに針が仕込まれていたのはニグンだけだった。ニグンを含む陽光聖典全員に呪いのようなものも仕掛けられていたはずなのだが、今はその効果はなくなっていた。一度死んだせいで解けたのかも知れない。

 

「スレイン法国か……」

 

「多少興味が湧いてきたな」

 

 仕掛けられた洗脳装置に、隊員全員にかけられていた呪い。贔屓目にみても悪徳なやり方である。その背景に陰謀めいたものを感じ眉を顰めるヒナタ。一方、ゴミアイテムとは言えユグドラシルには存在しなかったアイテムを発見した事で、ニグンに興味を持ち始めたアインズ。もっとニグンを色々調べてみたい衝動に駆られたが、ヒナタもいるのであまり過激なことは控えるべきだと思い、抑え込んだ。

 

「さて、お前達には少しばかり話を聞きたいが、立ち話もなんだな」

 

 アインズは彼等に向き直るが、場所をどうするか。こんな野原では落ち着かないし、どうせならゆっくり腰を据えたい。彼等を村へ入れるのは村人達の精神衛生上よくない。かといって、ナザリックへ入れていいものかどうか。ナザリックの僕達は属性が悪に傾き過ぎている。情報を引き出せと命じれば、喜々として拷問にかけるだろう。人間のヒナタの前でそれはまずい気がする。

 

 一方ニグンはアインズの言葉を聞き、ごくりと唾を飲む。神の審問を受けるということであろうか。自分の返答、態度に人類の未来がかかっているかもしれないと思うと、嘗てない程の緊張を感じた。

 

「じゃあ、一旦俺が預かるか」

 

 青銀の女神がそう言って再び歩み寄ってくる。彼女が手を翳すとニグン達は闇に飲まれた。気付けば何もない真っ暗な空間が拡がっていた。

 

「ここは……?」

 

《暫く待っていなさい》

 

 脳に直接語りかけるような声が響き、ニグン達は驚くが、これは神の御業なのだと理解し、大人しく言われるがままにする。真っ暗闇のため姿は見えないが、隊員達も一緒にいるとわかる。ニグンは暗闇のなか再び祈りを捧げ、審問を待つ事にした。

 外ではリムルがニグン達を食っただの食ってないだのとヒナタと押し問答をしているのだが、そんな騒ぎなど知る由もない。




ニグン、復活。取り敢えずあそこに居て貰っています。
この後どうなっていくかは神のみぞ知るという感じです。

蘇生に関しては色々勝手な解釈で創りました。

タブラさんは最後にアルベドに仕込みを入れて何か語っていた様です。アルベドに遺した言葉はそのうちに判明します。


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#37 モモンガ・アインズ・ウール・ゴウン・ナザリック

まだナザリックに帰れません。長い一日です。


 戦士団の副官ロイは、夢でも見ていたんじゃないかと自分の頬をつねる。しかし、返ってきた痛みが確かに目の前で起きた出来事が全て現実だったと突き付ける。

 

 彼は戦士団でただ一人、起こった出来事の全てを目撃したのだった。ガゼフを始め、戦士団は皆気を失っていたのだ。

 

(見たままを隊長に報告したら、どんな顔するだろうか……)

 

 とても信じてもらえそうにない。夢でも見ていたんじゃないかと隊員達には笑われる気がする。何しろ、直接目にした自分ですら、自分の目を疑いたくなるような事だったのだから。

 

 ゴウン殿達と後から来た彼女等は何か話し合った後、皆殺しにした敵の一団を全員蘇生させ、跪く奴等を今度は瞬時に跡形もなく消し去った。何を話していたのか、何が目的だったのか、何をしたのかさえわからない。

 

 気を失っていたメイド   おそらくゴウン殿に仕える二人のメイド   が目を覚ましたかと思ったらまたすぐ気絶してしまった。その後、二人の美女と黒服の男は何処かへと姿を消してしまい、戦士団の他にはゴウン殿とアルベド殿、サカグチ殿とメイド二人がその場に残っていた。

 

 ロイは三人に視線を向けると、アルベド殿とサカグチ殿の間には何となく気まずい雰囲気が漂っている気がした。何をどこまで隊長に報告すべきか?そう考えていると、アンデッドの顔を再び仮面で隠したゴウン殿から、正体については口外しないで欲しいと頼まれた。余計な敵を引き寄せて、関係ない周囲の者を要らぬ争いに巻き込んでしまうかもしれないからと。

 

 確かに、存在が周りに知れれば、人間でないというだけで冒険者や兵が差し向けられる可能性は十分にあり得る。王都の貴族達は間違いなく自分の手柄を上げようと、(こぞ)って討伐に乗り出すだろう。だが、たとえ国の命令であってもゴウン殿達と敵対はしたくないというのがロイの本音である。勝てる気がしないというのもあるが、それよりも人柄に惹かれてしまった、というのが大きい。

 

 不用意に情報を洩らすつもりはないが、せめて隊長にだけは全て報告したいと伝えると、彼は少し迷った様子を見せた。そして数拍の沈黙の後、居なくなった彼女等の事以外であれば、と了承してくれた。彼女達は一体何者だったのか気にはなるが、余り話したがらない事を聞くのは不粋だと思い、好奇心を振り払った。

 

 国へ帰ってどう報告するか、アルベド殿と隊長で相談して決めると良いと言い残し、彼は村へと戻って行った。早く皆を安心させてやりたいと言った彼の声は慈悲に溢れていると感じた。

 

 あれほど強大な力を持っていながら、平民出身の一戦士に過ぎない自分にまで丁寧な口調で話しかけてくれるゴウン殿。素顔を直視するのは流石に怖いが、アンデッドとはとても思えないできた人だ。王国の糞喰らえな貴族様と違って、よっぽどゴウン殿の方が信頼できる。こんな人が人間で王国貴族だったらな、等と得体もない事を考えてしまう。

 

 辺りは既に暗くなっており、空には星々の瞬きが見えている。ロイはそれを眺めながら、隊長の目覚めを待つことにした。

 

「あの、サカグチ……様?」

 

 アルベドは先の失態から、ヒナタをどう扱えば良いかわからなくなり、変に気を使ってしまう。ヒナタはそんなアルベドの心境を察し、少し砕けた感じで応えた。

 

「ヒナタ、と呼び捨ててくれて構わないわ。リムル達とは知人というだけだし、同列に扱われるというのはちょっと、ね」

 

「そ、そう。じゃあ……そうさせてもらうわね。私の事も呼び捨てにして頂戴」

 

「ああ、わかった」

 

 アルベドは少し畏まった空気をほどく。人間であるヒナタを前にしても、アルベドは自身も不思議なくらいに嫌悪感を抱かずにいられた。以前は人間を見るだけで吐き気にも似た嫌悪を感じたというのに。それはヒナタが惰弱な他の人間とは違うからなのか、アインズやリムルと繋がりがあるからなのか、アルベド自身にもよく分からなかった。だが、ヒナタにはまず最初に確かめておきたいことがある。

 

「ヒナタ。一つ聞くけれど……」

 

「何か?」

 

「その、以前男性を保護したという話をしていたわよね?」

 

「ああ、アレか……」

 

 ヒナタは内心の焦りを表に出さない様に取り繕う。あの時はまさかアインズが()だとは思っていなかった。しかし今はアインズの正体も、アルベドが元々ゲームのキャラクターだった事も知っている。彼女が真実を知ったときどんな反応を示すか未知数である以上、彼が元々人間だったと勘づかれるのは危険だ。

 

 真実を知った結果、暴走して暴れだす可能性も否定できないのだから。

 

「ちょっといいかしら」

 

 そう言ってアルベドが正面からヒナタの胸を鷲掴みする。ヒナタは戦いにおいても鎧の類いは装備しておらず、細剣一本で臨んでいた。そのためその手を遮る固いものはなく、白いブラウスと肌着越しに胸がムニュリと歪む。

 

「な、何をっ!?」

 

「いいじゃない女同士なんだし。減るもんじゃ無いでしょ?」

 

 突然の事に驚いたヒナタは背を向けて胸を隠そうとするが、アルベドは後ろから抱きつき、ヒナタの胸を無遠慮にまさぐる。

 

「じっとしなさい、少しだけだから」

 

「な、何を言って、んぅっ、くっ……!」

 

 あっという間に敏感な部分まで探り当てられ、ヒナタは思わず声を洩らしてしまう。

 

「感度も良好……」

 

「い、いい加減にしろ!」

 

 ヒナタが顔を赤らめて半切れしながら叫ぶと、アルベドは手を離した。そして自分の胸を揉みながら口惜しそうに呟く。

 

「く、僅差で負けたわ……」

 

「あ、貴女ねぇ……!」

 

「やはりアインズ様も大きい方がお好みなのかしら……。ヒナタ、貴女はアインズ様のお好みのサイズについて、何か知らないの?」

 

 アルベドの性技を受け、へたりこんでしまったヒナタは胸を両手で隠しながら抗議しようとしたが、アルベドの表情は極めて真剣であった。その目にはうっすらと涙まで浮かべている。

 

「はぁ、最初に聞きたいことがソレなわけ?そんなの私も知らないわよ。アンデッドなんだし、そういう欲望自体持ち合わせていないんじゃない?」

 

 それを聞いたアルベドはショックを受けて固まっていたが、まさか自分が理想のオッパイと言われかけただなんて言えない。知られてはもっと色々マズい事になりそうだった。

 

(……す、凄いものを見てしまった)

 

 ロイは少し離れたところでアルベド達のやりとりを横目で見ながら、アルベドに内心で賛辞を贈るのだった。

 

 

 

 

 一方、カルネ村。

 アインズはソリュシャン達を連れていこうと思っていたが、リムル達を見てまた気絶してしてしまったので、仕方なく置いていくことにした。戦士団への対応も含め、アルベドに丸投げして村の入り口へと転移で逃げてきたのであった。

 

 村に入っていくと、何やら香ばしい香りが漂っていた。夕食でも作っているのだろう。しかし、なんというか郷愁を誘うような良い香りだ。

 

(もしかして、ヴェルドラさんの仕業か?)

 

 リムルからは村にヴェルドラがいると爆弾発言をされ、色々とヤバいんじゃないかと内心焦っていたが、どうやら村人達とはうまく打ち解けたのだろう。この分ならセバスもきっと無事だろう。

 

 アインズが魔法を掛けておいた家屋はもぬけの殻となっており、広場の方からガヤガヤと賑やかな声が聴こえてくる。そこには村人達が集まっていた。

 

「クァハハハ!」

 

 聞き覚えのある口調の笑い声のする方を見ると、村人が皿を持ってヴェルドラの前に並んでいた。ヴェルドラは何処からか出した鉄板の上で、円盤状のものを焼いている。ソースが鉄板の上でジュージューと焼ける音と、香ばしい香りが辺りに広がっている。アインズはソレが何であるか知っていた。

 

 アインズが村を後にしたときには誰もが暗い顔をしていたが、今は皆笑顔を見せている。ヴェルドラは人の姿になれるし、人好きのする明るい性格のため、ここでもすぐに人気者になったようだった。アインズは彼を少し羨ましく思う。

 

(いるよなぁ、こういう誰とでもすぐに仲良くなれちゃう人って……。でもまさか彼の本性が巨大なドラゴンだなんて誰も想像つかないだろうなぁ)

 

「あ、ありがとうございます」

 

「熱いからヤケドに気を付けるのだぞ?慌てず順に並ぶが良い!まだまだ材料は在るからな!」

 

「あっゴウン様だ~!」

 

 立ち尽くすアインズを見付け、ネムが笑顔で駆け寄ってくる。

 

「お姉ちゃん、これお願い!」

 

「あっ、ネ、ネム!うわっ?と!」

 

 エンリは慌てて妹を追い掛けようとして、ネムが投げ渡した皿を曲芸のような姿勢で見事にキャッチして見せる。周り拍手と歓声を送り、顔を赤くしたエンリは苦笑いを浮かべた。母のアメリは娘達が普段通り元気に振る舞うのを見て嬉しそうに笑みをこぼした。

 

「あ、あは、あはは……はぁ」

 

「まぁ、ネムったら」

 

「ゴウン様っ!ネムは信じてました!ゴウン様は必ず勝つって!」

 

 純粋なネムの尊敬の眼差しに少し照れながら、アインズはガゼフに花を持たせつつ、村の皆に勝利の報告をする。

 

「はは、いや、大変だったとも。あれほどの手練れが揃っているとは。戦士長殿も凄かったぞ?まさに戦士長の名に相応しい、すごい戦いぶりだったよ。彼がいなければ勝敗は見えなかったさ。

 今は疲れきって皆さん休んでいますが……。何はともあれ、我々の勝利です!」

 

 村から歓声が上がる。ヴェルドラの計らいのお陰で笑顔を見せていたものの、内心不安があったのだろう。心から安堵の色が見えた。

 

「クァハハハ、では憂いが無くなったところで皆で食事の続きをしようではないか!ほれ、モモンガも食すであろう?」

 

「……え?」

 

「あっ今はアインズであったな。それにアンデッドの肉体では食事も無理であった。スマン、我としたことがウッカリしておったわ」

 

(こ、このオッサンは余計なことを……!)

 

 悪びれもせずウッカリで済まそうとして更に失言を重ねるヴェルドラに、アインズは痛まないはずの頭痛がする。名前だけであればまだ問題はなかったが、種族を明かすのはまずいだろう。ヴェルドラはムードメーカーであると同時にトラブルメーカーでもあるのだ。こういう事を時々仕出かす。

 

「あー……」

 

 アインズが周りを見渡すと、村人達の多くは怯えの表情が浮かんでいた。アンデッドと聞いて怯えない者などいないだろう。生者を憎むとされるモンスターなのだから。アインズは半ば諦めの念を抱き、正体を明かす事にする。

 

「はぁー、仕方ないか……こうなることは分かっていました」

 

 仮面を取り、素顔を晒すと、小さな悲鳴やどよめきが聞こえてくる。大声で騒ぎ出したりはしないが、やはりアンデッドが人間に受け入れられることは無いのだろうか。人間に対して同族意識は無いものの、寂しさに似た疎外感を感じる。騒ぎになる前にこの村を離れよう。そう思いかけたその時、足に何かぶつかるのを感じた。足元を見れば、ネムがギュッと抱きついてきていた。

 

「皆、ゴウン様は怖くないよ!だって村を守ってくれたんだもの!お姉ちゃんの怪我を治してくれたもん!」

 

「そ、そうです!殺されそうになっていたネムを、私たちを助けてくれたんです!村の恩人じゃないですか!人間じゃなくたって、ゴウン様は優しいお方なんです。ですから、ですから、皆そんな顔しないでください!」

 

 エンリとネムが必死で大人達を説得する姿を見て、アインズは胸が熱くなる気がした。二人の説得の甲斐あってか、周りの大人達から怯えの表情が消えた。そして村長が歩み寄って来る。

 

「ゴウン様、大変失礼致しました。ゴウン様は村の恩人なのに。私達大人はどうしても、外見で判断してしまいがちで……」

 

 やはりこの村長は何処までもお人好しだなと思いながら、少しアインズは気が軽くなった。

 

「いえ、仕方ありませんよ。普通アンデッドは生者に襲いかかるものですし、私のように生者を憎んだりしないアンデッドなんて、極めて稀でしょうからね」

 

「ゴウン様、本当にあなた様は一体……?まさか!?」

 

「え?」

 

 アインズは嫌な予感がする。

 

(まさかまたスルシャーナとか言い出すんじゃないだろうな?)

 

「スルシャーn「違うんです!」……え?」

 

 素早く被せぎみに答えたアインズに村長は驚く。

 

「実は、以前もそういう勘違いをされた事がありまして……。でも本当に別人です」

 

「うむ、スルシャーナとやらはこの世界で神と呼ばれる存在なのであろう?こやつとは別人であろう」

 

「でも種族は同じかもねー」

 

 ヴェルドラと、肩に乗っているラミリスがそう言うと、スルシャーナ様と同じということは神の一族なのか!と村人の脳内では変換されてしまったらしい。村人達が皆一様に跪き、アインズをドン引きさせた。

 

(えー!?なんでこうなるんだよ?)

 

 アインズは額に手を当て、投げやりに言葉をこぼす。

 

「あー、じゃあ、ソレでいいです、もう……ただ、スルシャーナがどうだったかは知りませんが、私が人間だけの味方をするとは限りません。それは覚えておいてください」

 

「そ、それは一体どういう事でしょう……?」

 

「私は異形種。アルベドをはじめとする部下達もまた、異形が殆どなのです。一つの種族だけ特別に肩入れするという気にはなれないのですよ」

 

 村人達は沈痛な面持ちで肩を落とすが、アインズは神様とか崇められても胃が痛い思いをするだけだし、ある種族だけに贔屓しては、色々と軋轢を生むことになるだろう。尤も、胃袋などないのでただの気のせいなのだが。

 

「ふむん、それくらいの距離感がちょうどいいかもしれんな。人間の自立心を損なわぬためにはな」

 

 ヴェルドラが珍しく良い事を言っているっぽい。村人達はヴェルドラの言葉を聞いてハッとした表情を浮かべた。

 

(お、なんか良い方向に……)

 

 ユグドラシルというゲームの世界では、人間種と異形種は敵対して争うことが多かった。しかし、人間種プレイヤーが異形種を目の敵にして異形狩りをしてきたから対抗していたのであって、ギルドメンバー達も別に人間種が嫌いとかいうわけではない。もしこの世界に、今は亡きギルドメンバー達が一緒に来ていたら、血で血を洗うような醜い争いは望まないだろうと彼は考えていた。

 

 神様として崇拝されるのは御免だが、悪い連中ではないという認識をまずは持って貰えれば良しというところだろう。

 

(よしよし、その後交流を続けて良好な関係に持っていければ……)

 

 そんなことを思っていたのだが、いきなりその計画は座礁することになる。

 

「成る程、我々のために……我々がただ何もせずゴウン様にすがってしまい、自分達の力で立ち上がろうとしなくなる事を危惧しておいでだったのですね。何処までも村の為を考えてくださる、神の慈悲の御心とはこれ程までに深く広いものなのですね」

 

「ご、御理解いただけて何よりです」

 

(……嘘だろ?)

 

 村長が感動の涙を流し、訳のわからないことを言っている。村人達も村長の涙に当てられたのか、目頭を熱くしているものや、ゴウン様!俺達頑張ります!とか感極まってる男衆もいる。正直アインズの理解の埒外である。

 

「そう言えば、モモンガ、というのが本当のお名前なのでしょうか?」

 

「あー、そうですね……。正式には、モモンガ・アインズ・ウール・ゴウン・ナザリックです」

 

(なんだよそれ、馬鹿みたいに長いじゃないかっ!)

 

 村長の質問に、アインズはハンドル名とギルド名、拠点名を継ぎ接ぎしただけの長い名前を咄嗟に名乗ってしまった。我ながら長すぎると思うが、これだけの情報を乗っけておけば、プレイヤーにはすぐわかる目印になるだろう。とりあえず人間とも友好的に接するという布石も打ったし、いきなり敵として襲ってくる可能性は低くなったと強引に思う事にした。

 

 一方、五つの名前を持つことに驚き、どよめく村人達。王国民にとって、五つの名は王族の証なのだ。神族の中でも王の立場に当たるお方なのでは、と勝手な想像が拡がっていき、既にアインズは村人の中で神の中の神になっていた。

 

 自分達が異形であることは内密に、というアインズのお願いを、村人達は笑顔で受け入れてくれた。

 同時に将来一大宗教勢力となる魔王モモンガ信仰が、カルネ村で密かに始まるのだが、この時まだ本人は全く気付いていなかった。



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#38 帰宅

今更ですが、戦士団の副長『ロイ』、エンリの母『アメリ』二人の名前は作りました。


「う……む」

 

 ガゼフが目を覚ますと、視界には拡がる星空が映った。隊長!と部下のロイが嬉しそうに叫び声をあげる。自分はどうなった。徐々に記憶が鮮明になるにつれ、それまでの事を思い出し、ガバリと身を起こす。

 

「っそうだ、敵は!あの天使は!」

 

「やっと目が覚めたのね」

 

 女性の声に振り返ると、漆黒の鎧ではなく白いドレスに身を包んだアルベドと、初めて見るメイド服の女性二人がその後ろに控えていた。何れも絶世の美女と言って差し支えない程の美貌の持ち主だ。思わず見惚れてしまいそうになるのを、どうにか自分に渇を入れ、雑念を振り払う。

 

 二人のメイドに視線を送ると、(あで)やかな笑顔を見せてお辞儀をする。たったそれだけの所作なのに、まるでここが王宮の中であるかのような錯覚を覚えるほどの、非常に洗練された動きであった。

 

「ご安心ください、敵はアインズ様とアルベド様が退けました」

 

「皆様お怪我の手当ても済んでおりますわ」

 

 二人のメイドが説明をしてくれる。見た目だけでなく、仕事も完璧なのだろう。今いきなり王宮内に入っても、全てを他の誰より完璧にこなせてしまいそうだ。

 

 周りを見渡すと、生々しい戦いの爪痕がそこかしこに散見された。中にはどうやったらそんな跡が出来るのか、ガゼフをして想像も付かない程の大きなものもある。ごくりと唾を飲み込むガゼフ。自分が眠っている間に一体どれ程激しい戦いが繰り広げられていたというのか。

 

 そしてアルベドに改めて目を向ける。吸い込まれるようなアルベドの美貌に見惚れそうになってしまう。たおやかに流れる黒髪。金色に輝く瞳、透き通るような白い肌。大胆に鎖骨の露出したデザインのドレスから覗く豊満な胸。腰から生える、一対の漆黒の翼。そのどれもがガゼフの心の琴線を刺激し、鼓動を高鳴らせる。

 

 王国で黄金と称される第3王女を前にしても、このような感覚には覚えがない。まさか人に有ら非る存在に魅了されてしまうとは思ってもみなかった。

 

「んんっ、ゴウン殿が敵を退けてくれたのか。しかも、部下達の怪我の手当てまで……。何から何まで、誠にかたじけない。それで、ゴウン殿はどちらに?」

 

 ガゼフは動揺を誤魔化す為に咳払いをひとつすると、礼を伝え、アインズの所在を尋ねる。

 

「アインズ様は敵を退けてすぐに村へと向かわれたわ。村の者達を早く安心させたいと仰ってね」

 

「左様、ですか……」

 

 やはりあの御仁は器が違う。激しい戦闘でご自身も疲労しているだろうに、村人の安心の為に休む間もなく行かれるとは。改めてガゼフはアインズの人柄に感服する。

 

「私達は話さなければならないことがあるし、ここで貴方が目覚めるのを待っていたの。ちょうど今揺り起こそうかと思案していたところよ」

 

「それは……お待たせしてしまい、申し訳なかった。お話とは?」

 

 ガゼフはアルベドに起こされる様を想像し、それは惜しいことをしたな、と思ったが、それは表には出さず、話を促した。

 

「情報のすり合わせと、貴方が帰ってからする報告についてよ」

 

「?」

 

 ガゼフが不思議そうな顔をしているのを見て、アルベドは溜め息を吐く。

 

「あなた、帰って何をどう報告するつもり?」

 

「それは……」

 

 言葉に詰まるガゼフ。何と報告すべきかわからない。だが、あったことをそのまま報告するのは悪手でしかない事は容易に想像できた。人ならざる者の力を借りたとなれば、あのプライドばかり高い貴族派閥の者達が黙っていないだろう。

 

 王国内では貴族達の権力は極めて強く、王派閥と貴族派閥に別れて争っている。他者を侮り貶める事ばかり長けたあの者達は、ここぞとばかりにガゼフを、ひいては国王陛下を糾弾するに決まっている。あまつさえ恩人である彼らを、討伐せよなどと言い出すかもしれない。

 

 暗殺の件もこれと言って証拠がない。仮に工作員を連れ帰ったとしても、王国内に巣食っているであろう内通者が裏で手を回す。長とはいえ戦士であるガゼフは、司法や行政に関わる権限は持ち合わせていない。結局どうすることもできないのだ。渋面を浮かべ俯いたガゼフに、アルベドは我が意を得たりと笑みを見せた。

 

「このままでは互いに益がないと気付いたようね。だからどうすべきか示し合わせておきたい、という事よ」

 

「う、む……しかし……」

 

 それでは国王陛下に偽りの報告をすることになってしまうのでは。ガゼフは恩義有る国王に、その様な不忠な真似は出来ないと思った。

 

「真実を全て明かさない事は主君への忠義に悖ると思っているようだけれど、むしろ逆よ。悪戯に真実に触れれば、主君さえも危険に巻き込むことになると知りなさい」

 

 ヘタに真実を明かせば王陛下に危険が及ぶ。そう言われてしまってはガゼフも提案を飲まざるを得なかった。

 

「了解した、アルベド殿。その提案を受け入れましょう」

 

 

 

 

 

(村人達はやけに素直に頼みを聞き入れてくれたな。やっぱり命を助けた事に恩義を感じてくれているのが大きいか)

 

 村でアルベドからの伝言(メッセージ)を受け取ったアインズは、ガゼフ達を待ちながら、セバスやヴェルドラ、ラミリスと共に村人と歓談を楽しんだ。村人達は他愛もない会話にも熱心に耳を傾けてくれた。まるで接待を受ける社長にでもなった気分だったが、実際は社長どころではない。

 

 恐縮するエンリや村長達と比べ、まだ幼いネムは遠慮という言葉を知らない。キラキラとした尊敬の目を向けて、沢山の質問を投げ掛けた。そしてアインズのユグドラシル時代の冒険や仲間の話を聞いては凄い凄いとおおはしゃぎだった。それがアインズの自慢話に拍車をかけ、気付けば大人達も神が自ら神話を語り聞かせてくれる事に深い感謝と尊崇の念を向けていたのであった。

 

 アインズにとってはちょっとした自慢話や失敗話のつもりだったのだが、後にアインズ・ウール・ゴウン神話として語り継がれる程、村人達には十分に壮大で刺激的な話であった。

 

 ガゼフをはじめとした戦士団は、村に入って早々に面食らっていた。こういった村は通常、朝起きるのも夜寝るのも早い。普段なら皆寝静まっている時間なのだが、今夜は広場で焚き火を囲み、ヴェルドラの作る"お好み焼き"や、"焼きそば"なるものに舌鼓をうちながらワイワイやっている。とても今朝騎士達に襲われた村とは想えない光景だ。

 

「これはなんとも……凄いな……」

 

「クァハハハ、貴様らも食すが良い!」

 

 そう言ってヴェルドラに強引に皿を手渡された戦士達。初めて見る料理を前に最初は気後れしていたが、なんとも芳しい香りが空腹の彼らの胃袋を刺激する。

 

「う、美味っ!」

 

「こんなの今まで食ったことないですよ!?」

 

 一口食べてその味の虜になったらしい。皆ガツガツと夢中になって食べ始める。ヴェルドラの振る舞うお好み焼きと焼きそばは戦士達に大盛況であった。

 

 

 

 

 

 腹ごしらえが済んだところで、今後の話を始める。被害はそれほど多くないとは言え、エンリ達のように男手を失った家庭もある。決して豊かな村ではないため、労働力の減少は大きな打撃であった。これまでのように食い繋ぐだけはどうにかなるだろう。だが、今回のような被害に遭わないための対策もしようとなると、明らかに労力不足である。

 

「少しの間なら滞在して手伝っても構わないが……」

 

 ヒナタは申し出るが、それでも恒久的に居られるわけではない。一時しのぎは出来ても、将来的には不安が残る。それは戦士団でも同じことだ。ずっと暮らしていく村の住民が増えなければ、結局のところは意味がない。

 

「いずれにせよ、労力の補填は必要ですね。ならば、こういうのはどうでしょう?」

 

 アインズがそう言って取り出したのは幾つかの角笛。ゴブリンを召喚して使役できるマジックアイテム"ゴブリン将軍の角笛"である。レベル10~20程度のゴブリンを複数体喚び出せる。ユグドラシル時代は、柔らかすぎて盾としても使えないし、召喚できる数もまちまちで使いどころが全くないゴミアイテムだった。「ゴブリン将軍」だなんて、はっきり言って名前負けもいいとこである。

 

 それでも人手不足の村の労働力補填には丁度良いだろうと思い、アインズは簡単にアイテムの説明をし、村長に労働力として呼び出してはどうかと提案した。

 

 村長は周りを見渡し、村人の反応を窺う。他ならぬアインズの提案なのだから、受け入れるべきと皆が首肯した。

 

「では早速明日にでも使ってみてください。ゴブリン達は笛を吹いた使用者に忠実に従ってくれるでしょう。使用者は、そうだな……アメリさん」

 

「はぁい」

 

 アメリがやや間延びしたような返事を返す。そこそこ可愛らしい感じの童顔と、それには不釣り合いな豊満な胸を持つ彼女は、娘と並んでも姉妹のように見えてしまう。非常に温厚な、のんびりした性格で、面影や胸の方は娘のエンリに受け継がれているが、性格は娘の方がしっかり者に見えた。アインズは顎に手を当てて少し考え込む。

 

(うーん、この人がゴブリンを使役する所を想像できない……。エンリに渡してやった方がいいのかな?)

 

 ギルドの名を懸けてまで村を救うと約束したのに、エンリ達の父親は助けられなかった事をアインズは気にしていた。蘇生もしてやれないのならせめて何か別の形で支えになりたい。しかしそれはこの親子の事が心配というよりも、『アインズ・ウール・ゴウン』の名にケチを付けたくないという思いから来るものであった。

 

「これをあなたに渡しておきましょう」

 

「あ、それなら娘のエンリに使わせても良いでしょうか?」

 

「ええ、構いませんよ」

 

「ちょ、お母さん!?」

 

 笑顔でアメリは提案し、アインズが快諾するが、それを聞いたエンリは慌てふためいている。まさか自分がゴブリンを使役する事になるとは思っていなかったようだ。エンリは自分のような普通の村娘に、将軍の名を冠するアイテムを使えるわけがないと固辞しようとしたのだが、アメリはのんびりとした口調で言う。

 

「お母さんには出来そうにないし、エンリの方がうまくやれそうな気がするの。それに、将軍なんてかっこいいじゃない」

 

 ああ、ダメだこの母は。昔からそういう人である。何の根拠も確証もなく、大事なことをあっさり決断してしまう。なのになぜか母の決断はいい方向に転がることが多い。これまでも何だかんだで無事にやってこれていたのだから不思議なものだ。

 

「若者に活躍してもらった方が村も活気づくでしょうから、私としても嬉しいで事です」

 

「ふふ、心配ないさ。エンリならきっとうまくいく。期待しているよ」

 

「は、はいっ!精一杯、頑張って吹きます!」

 

 村長とアインズの無責任な励ましにエンリは重圧を感じてしまった。神様にまで期待をしていただいては、絶対に失敗できないと。カチコチに鯱張っているエンリを見て、アインズは仮面の下で苦笑いする。笛を鳴らすのに頑張るも何もないだろう。寧ろそのあとの方が大変なのだが、それを今言ったらもっとガチガチに緊張してしまうだろうと思いやめておいた。

 

 その後、捕らえた騎手の処遇について話し合うことにした。襲われた村人の感情を考えれば、揉めるかと思っていたのだが、意外にもあっさりと放逐することに決まった。実はアインズが村を離れている間に話し合っていたのだという。

 

 復讐心を全面に出して殺してしまおうと言う者。拷問して苦しめてやろうという者。出来るだけ情報を引き出そう、など様々な意見が飛び交った。

 この時の言い争いを見てリムル達は止めに入ろうと村に向かったのだが、杞憂であった。

 たとえ敵であっても、もう誰かが死ぬのは嫌だというネムを始めとした子供達の意見と、アインズに全て委ねようというアメリの意見で事態は収束を迎えたのだった。

 

 ガゼフは連れ帰ってもどうせ内通者が手を回すから逃げられるだけだという。ならばとアインズは本国へ帰らせる事にした。ニグン達は全滅し、自分達は生き残った村人に扮してうまく難を逃れたという事にすれば何とか辻褄は合うだろう。騎士、もといスレイン法国の工作員達は、村人の服を着せられている。鎧は着せられないし、肌着というわけにもいかない為だ。大きな町まではガゼフが連れていく事になった。勿論襲われた村の生き残りとして。

 

「ゴウン殿!王都へ足を運ばれた際には是非我が家を訪ねて頂きたい。本来ならば、陛下への謁見をして貰いたいところだが、それは互いに有益ではないようだ。せめて我が家で精一杯おもてなししよう!」

 

「はは、落ち着いたら伺いますよ。では」

 

 最初は社交辞令かとも思ったが、ガゼフの人柄から推測するに、おそらく本気だろう。ガゼフの左手薬指に指輪が嵌まっているのを目敏く見つけていたアインズは、奥さんの手料理でも振る舞ってくれるのかな、なんて思っていた。食べれない言い訳を考えておかなければ、と心にメモしておく。アルベドは少し俯いて小さく翼を震わせていた。

 

(嬉しい、んだよな?皆俺達に好意を抱いてくれているのは、アルベドも喜んでくれているみたいだ。設定では人間が嫌いなはずなんだけど、場合によっては変わる可能性もあるって事か?)

 

 設定が完全に彼らを縛るものではないならば、様々な可能性が広がる。スキルや魔法を新たに覚えることが出来ないとしても、内面的な成長は見込めるだろう。将来NPC達に『至高の御方』なんて崇められるのではなく、もっと気安い関係になれるかもしれない。裏切りの可能性も同時にあると言えるが。

 

 ともあれ、この時点でその可能性を確認できたのは大きな収穫であった。気紛れで起こした行動が切っ掛けで、実りの多い一日だった事にアインズは大満足だった。

 

「さて、私もそろそろ……」

 

「もういっちゃうの?ゴウン様?」

 

「ヴェルドラ殿もサカグチ殿も居るから、寂しくないだろう?私もまたすぐに会いに来るさ」

 

「ホント……?」

 

「ああ、約束だ」

 

「ア、アインズ様?そろそろ……」

 

 エンリは妹が失礼な事を言ってしまわないかとヒヤヒヤし、アメリは暖かい目で二人を見守る。近い距離で見つめ合う二人に嫉妬したアルベドが然り気無く声をかけ、アインズを急かす。アインズはそんなアルベドの心境を察する事はできず、急ぎ話し合うことでもあるのだろうと思って皆に別れの挨拶を告げた。

 

 ヒナタとヴェルドラは数日残るというし、その間は村の守りは心配ない。リムルは何処へ行ったかまでは知らないが、一旦ナザリックへ戻って情報を共有しておくべきだろう。

 

 森へ少し入ったところで陰に隠れていたソリュシャンとルプスレギナと合流した。ヴェルドラを見てまた倒れてしまうかもしれないと危惧したため、アルベドが機転を利かせて外に待機させていたのだ。セバスもヴェルドラの側で大量の冷や汗をかいていたようなので、正解だったかもしれない。流石はアルベドだと内心で称賛を送りつつ、ナザリックへと転移した。

 

 出迎えてくれたマーレから『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を受け取る。

 

「留守の間、何か問題はなかったか?」

 

「は、はい。な何も、問題は無かったで……っ!?」

 

 アインズの問いに答えようとしたマーレが何かを見つけ、身構えようとする。

 

「いよーっす」

 

 背後からあの声が聞こえ、アインズはデジャヴに襲われる。声の主は間違いなくリムルである。しかしもう少しタイミングというものを考えて欲しい。

 

 ルプスレギナとソリュシャンは固まってしまっているので大丈夫だろうが、唯一襲いかかるかも知れないマーレをアルベドが強引に抱き止める。この状況は想定済みだったようだ。

 

(よし、ナイスだアルベド!)

 

 アインズは心の中でガッツポーズをしつつ、マーレに話しかけようとした。マーレはアルベドに正面から抱き締められ、ジタバタと手足を動かしている。よく見ると、マーレの顔がアルベドの胸元にズッポリと挟まっている。息が苦しくて暴れているようだ。

 

「マーレ、んっ、そんなに暴れたら、はぁっ」

 

 動かないように言い聞かせようとするアルベドのセリフには変な声が混じっているが、それは聴こえないフリをした。しばらくするとジタバタともがいているマーレの抵抗が段々と弱くなっていく。

 

「その辺で離してやれ……」

 

 アインズが命じると、アルベドの胸から解放されたマーレは顔を真っ赤にして目を回していた。

 

「ふ、ふにゃあぁ~」

 

 子供には少し刺激が強過ぎたようだが、とりあえずリムル達に襲いかかる心配はないようだ。

 

「あー、大丈夫か?」

 

「ああ、大丈夫だ。だが、タイミングはもう少し考えて欲しいな」

 

 アルベドが跪くと、マーレもそれに倣う。まだ顔は赤いが、どうやら冷静な思考は取り戻しているようだ。ルプスレギナ達はというと、セバスの後ろでぎこちなく跪いて震えていた。意識は保っているが、明らかに怯えているのがわかる。

 

(こればかりは馴れてもらわないと仕方がないかもしれないな)

 

「あ、アルベドさん、ちゃんと〈伝言(メッセージ)〉の内容は皆さんに伝わってますから、その、だ大丈夫です……」

 

(え、そうなの?じゃあ何でアルベドはマーレを取り押さえたんだ……?)

 

「それでも念のため、よ。万が一があってはいけないもの」

 

 アルベドは真顔で答える。やや口元が緩んでいるのが気になったが、マーレに軽くリムル達を紹介しておく事にする。

 

「ディアブロにミリム、そしてリムル。我が友だ。後で改めて皆にも紹介しよう」

 

「マ、マーレ・ベロ・フィオーレです。よ、よろしくお願いします」

 

 たどたどしく挨拶してペコリと頭を下げるマーレを微笑ましい気持ちで見ながら、アインズは歓迎の準備をアルベドに任せる事にする。

 

「既に守護者達は玉座の間に集めております」

 

「ふむ、守護者だけでは少ないな。守護者以外にも集めるとしよう。今日は良き日だ。大切な客を盛大に迎え入れたい」

 

「っ!守護者以外に、僕達も玉座の間へ上げてよろしいのですか?それは光栄の極みにございます。しかし、玉座に相応しい僕を選定する必要があるかと……」

 

「では、各守護者に最大10名まで選定させよ。集合は一時間後だ。それまで彼らは私の私室に居て貰うことにする」

 

「畏まりました」

 

(そうか、玉座の間っておいそれと立ち入れないのか。社長室みたいなイメージか?)

 

「歓迎かぁ。何かちょっと照れ臭いんだけど。あんまり派手にしなくていいからな?」

 

 リムルはそう言うが、アインズはこの世界でリムルと再会できたことが嬉しかったし、テンペストで歓迎してくれた恩もあるので、精一杯派手に歓迎したかった。

 

「ふふ、そう言うな。旨いものも沢山用意するぞ?」

 

「お?いいねぇ。ナザリックの食事は絶対旨いからなぁ」

 

「そうなのか?私も沢山食べるのだ!」

 

 旨いものと聞いてテンションが上がる二人に、相変わらずチョロいなと思ったのは秘密である。




長い一日が終わり、やっとナザリックに帰って来ました。

一日のダイジェストはこんな感じです

タコ踊り(ミラー操作)
モモ「助けに入る」
エン・ネム「助けて下さい」
アイ「アインズ・ウール・ゴウン!」

ヒナ「おこ!」
ヒナ「怪しい・・・」
アイ「人ではないんです」
アル「アインズ様ぁ!チュ~♥️」

ガゼ「感謝する!」
アイ(いい人だな)
ヒナ(支配者の風格・・・)
ヒナ「理想のオッパイとか言われ」
アイ「ぐふっ」
アル「お説教よ」
ガゼ「・・・」(涙目)

ニグ「ふはははー!」 村では揉めてる
アル「あら?ドキドキ・・・」
アイ「いい度胸だ」
ニグ「お助けぇ?」
アイ「ヤダね」
リムル「いよーっす」
ディ「クフフフ」
アル「ぐはぁ」ボコボコ
リム・アイ「やり過ぎ!」

アイ「実験実験♪」
リム「蘇生は・・・」
ニグ「おお、神よ」
リム「任せた」
アイ「えー?」

ヴェル「クァハハハ」
アイ「なごんでる」
ヴェル「骨であったな」
アイ(このオッサン・・・)
ネム「いい骨なの」
アイ「モモンガ・アインズ・ウール・ゴウン・ナザリックです」
村人(神の中の神!?)

ガゼ(う、美し過ぎる)
アル「ちょっと話し合いを」
アイ「ちょっとした自慢話」
村人(神話だ。完全に神話の世界だ!)
アイ「ゴブリン将軍の・・・」
アメ「これは娘に」
アイ「オッケー」
エン「ええーっ!?」
ガゼ「是非我が家に!」
アイ「まあいずれ・・・」(奥さん居るのか)
リム「いよーっす」
マレ「モガモガ・・・ふにゃ~」
アイ「歓迎の準備を!」



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#39 幕間~タブラ・スマラグディナ最後の日~

今回は幕間です。舞台は日常(リアル)で、ユグドラシルが終わる前のお話です。

結構短いです。


 某日、ナザリック地下大墳墓     

 

「……ふぅ、もう一息か」

 

 私は玉座の間で一人アルベドに向かい、設定を調整していた。一度は完成していたが、リムルという少女のギルド参加決定を受け、新たな創作意欲が湧いたのであった。

 

「フフフ、面白いことになったな……」

 

 誰もいない玉座の間にて、独り言ちる。ディアブロにリムル。あの二人ははっきり言って危険だ。そう感じるのに、一方でワクワクしている自分がいる。

 

 だが、自分にはもう時間がない。ユグドラシルで遊べるのも、今日で最後になるだろう。それでもやはりワクワクが収まらない。我ながら、心身ともに厄介な病を患ったものだ。

 

「ああ、やっぱりここだったね」

 

 玉座へ入って来たのは死獣天朱雀。他のギルドメンバーにはあまり知られていないが、彼とは二十年以上前からの長い親交があった。

 

「少し待ってください。もうすぐでき上がりますから」

 

「そうかい」

 

 30秒ほどカチャカチャとタイプする音が鳴り響き、そして手を止めた。

 

「ようし、出来た。超大作……!」

 

「どれどれ?……うわ、やってるねぇ」

 

 濁流の如き文字の羅列に、流石の彼も辟易する。何しろ、入力可能なテキストの限界まで詰め込んでいるのだ。そして勿論その意味は文章上のものだけではない。

 

「で、どうでした?」

 

「ふっふっふ……」

 

「え、まさか?」

 

「うん、かなりヤバイね。僕達よりも遥かに上を行ってる。ユグドラシルじゃ誰も敵わない筈だよ」

 

「それほどですか……!」

 

 彼の態度は危険な何かを見つけた様であり、それでいてどこか楽しげですらある。驚愕する自分をよそに、彼は続ける。

 

「これまでの研究が実を結ぶかもしれない。やっぱりアレは本物だよ」

 

「じゃあ……やるんですね?」

 

「うん。素材も見つかったしね……」

 

「…………」

 

 二人だけの空間に暫しの静寂が流れる。

 

「あの娘、でしたね。始まりは」

 

「うん……」

 

「私はもう何もできませんが、成功を祈りますよ」

 

「やって見せるさ、何を犠牲にしてもね。……ん?んん?これは……!」

 

 喋りながら文章を最後まで読み終えた朱雀さんは驚きと感嘆の声をあげる。一度目を通しただけで仕掛けを見抜いてしまった。

 

「流石は希代の天才古城(ふるき)教授。もうバレましたか」

 

「はは、おだてても何も出ないよ。そんなご大層なものじゃないさ。そう、大切な人一人未だに助けられない、ただの凡人だよ」

 

 再び沈黙する二人。先程より重たい静寂が、辺りを包む。

 

 彼の悲壮な決意は知っている。何をしようとしているのかも。

 

 きっと、彼は間違っているんだろう。

 

 それでも、私は彼を止められない。止める気にはなれない。

 

 出来るのは、少しの間気を紛らせる事だけだ。

 

「……モモンガさん、喜んでくれますかねwww」

 

「ぷっ、絶対からかってるでしょ、コレ?」

 

「そんなことありませんよ、イヤよイヤよも好きのうちって……くっく」

 

「あはははは」

 

「はははは、はぁ。……残念だなぁ、モモンガさんの慌てた顔が見れないなんて」

 

「そっか、もう……」

 

「ええ。でも、悔いはないですよ」

 

「そうかい。うーん、僕の中では茶釜君なんか良いと思うんだがね……」

 

「えー?あっはは、ナイナイ、ないですよ。彼は胸が大きくて大人っぽい女性が好みのはずです」

 

 茶釜さんは無いだろう。確かにノリはいいけど、彼の好みはもっと淑女然とした大人の女性だと思う。そういう女性が夜はあられもなく乱れちゃう、なんてギャップはグッと来るはず。

 

「そうかなぁ?でも、アルベドも無いんじゃない?NPCを嫁に出すってのは流石に……ぷっ」

 

 暫し笑い合ったあと、準備があるからと彼は帰っていった。

 

 ピッ

 

「これでよし、と。……幻の42人目か」

 

 私はアルベドの設定画面を閉じ、再び独り言ちる。そして一人、玉座で最後の演技(ロール)を。

 

「彼、或いは彼女は異界より訪れし者。

 一柱の大悪魔を従え、彼の時に降臨せり。

 その力は超軼絶塵。神出鬼没の虚空の支配者である!」

 

(よ~し、ノッて来たぞ!)

 

「古の盟約を果たさんと再び彼の者が現れん時、新たなる扉は開かれん!

 それは破滅の扉か、はたまた神話創生への第一歩か。

 恐るるなかれ、彼は盟友!彼女は唯一無二の栄光の架け橋!盟約に従いて守り抜け!

 譬え世界の全てが敵だとしても!」

 

(決まった……!)

 

「はぁ、全く……」

 

 誰も居ないところで何やってるんだろうな、と自嘲と共にため息を吐く。振り替えるとアルベドが微笑を湛えたまま此方を見つめ、静かに佇んでいる。NPCと解っていても何だか気恥ずかしい。

 

「んんッ、アルベドよ。私の時間はここまでのようだ。達者でな。モモンガさんを、そして彼女を頼んだぞ」

 

 愛娘(アルベド)に手短な別れを告げる。自分の病に自覚はある。そんな私に楽しく付き合ってくれた仲間達には感謝している。

 

「うっ」

 

 身体にはしる激痛。薬が切れたか。

 

(こっちの自覚症状もそろそろ限界だな……本格的に入院しなきゃな)

 

 その日を最後に、私はユグドラシルを引退した。装備は置いていったが、最後くらい、彼に直接手渡したかったな。

 

 コンソールを出し、ログアウトする。ブラックアウトし、現実の世界に帰ってくる。私のユグドラシル人生はこうして幕を閉じた。

 




リアルでのタブラさん引退のお話でした。

何かの特典でタブラさんが登場したというような事を何処かで見た気がしますが、内容は不勉強のため存じ上げません。勝手に妄想で書きました。


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#40 守護者との対面

 ナザリック地下大墳墓 アインズの私室   

 

「もう大変だったんだよマジでっ!いきなりアルベド達が自由に動くわ喋るわ体は骨になってるわって言うか、アイツらヤバくないか?何なのあの社畜精神?まるでブラック企業じゃないか!休めって命令しないと休もうともしないし。それにあの俺への異様な高評価!俺なんかただのサラリーマンだぞ?いきなり至高の御方とか言われてもプレッシャー重すぎだろっ!だけど大事なギルメンの残してくれた子達だし、ボロ出してがっかりさせたくもないっていうか……ん?聞いてるのか?」

 

 アインズはモモンガとして、いや、鈴木悟として、配下には決して言えない本音を濁流の如くぶちまけていた。勿論人払いをしたうえで、外にも音が漏れないよう魔法で対策してある。

 

「お、おう……大変だな?」

 

 リムルは彼の勢いに、曖昧に相槌を打つのがやっとだった。モモンガは今まで誰にも言えなかった心の内を、マシンガンの様に一通り喋り倒したところで、急に落ち着きを取り戻し、謝罪する。

 

「んんっ、ごめん、ちょっとストレス溜まっててさ……」

 

「あ、ああ」

 

「モモンガも色々大変なのだな」

 

 息が詰まる様な窮屈な思いをしていることにはリムルもミリムも心当たりがあるので、彼には同情的だった。

 

「改めて考えるととんでもない能力だな。"時空間転移"か。まさかこの世界まで来れるなんて……」

 

「クフフ、当然です。リムル様を超える存在などおりませんとも」

 

「うむ、そうだな。もうリムルには私が本気出しても敵わないのだ」

 

 一通り愚痴を吐いて楽になったのか、話題を変えた彼に、ディアブロはウットリとしながら自慢気に、そしてミリムは胸を張って同意する。

 

「あー、まあ、どうだろうな?」

 

 リムルは頬を掻いて曖昧に応える。ミリムの本気の強さを知らないアインズは、それがどれくらいすごいことなのかはイメージ出来ないが、とんでもないやつらと友達なんだよな、と改めて思った。

 

「それで、こっちにはいつまで居られるんだ?ずっと居るって訳じゃないんだろ?」

 

「んー、まあ2、3ヶ月位かな?でもナザリック以外に外の世界も見て回りたいからなぁ」

 

「はは、まるで観光だな……ところで、今からでも至高の42人目、ギルメンになる気はないか?元々予定はあったんだし、時々でも顔を出してくれれば……」

 

「いや、そりゃちょっと勘弁してくれ……。ユグドラシル(ゲーム)のギルメンだったらよかったけど、今はホラ、現実化しちゃって色々大変そうだし」

 

 リムルはアインズの申し出を断った。

 

(それに、アイツら外まで護衛とか言ってくっついてきそうだからな。それじゃゆっくり観光を楽しめない)

 

「そう、だよな……魔物の国(テンペスト)があるもんな」

 

「悪いな。まあ、ちょくちょく遊びには来るから。テンペストの住人とか連れてさ」

 

 リムルに断られ、寂しそうに肩を落とすアインズ。予想していた返答だが、それでもショックを隠しきれない。

 

「ああ、そうだな……。俺もまたそっちに行きたいな、ナザリックの部下を連れて」

 

「いいねぇ。だがまずはこの世界でしっかりと、生活の基盤を築いておかないとな。ギルメンにはなれないけど、協力しようじゃないか」

 

 気を取り直したアインズに、リムルも乗り気になり、協力を申し出る。

 

「そうか……!リムルが協力してくれるなら俺としても助かるよ。支配者としての行動とか俺一人じゃよくわからないし。それで、ナザリックでの待遇、立場はどう位置付けようか?しもべ達も気になってるだろうし、立場を明確にしないと、からみにくいだろうし……」

 

「ふふん、それなんだけどね、()()()()()()()……」

 

 リムルが美しい顔を残念な笑顔にして歪ませる。その表情には見覚えがあったアインズは、何となく嫌な予感がした。

 

「クフフフ、そう身構えなくてもいいですよ。至極簡単な事です」

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓玉座の間には、階層守護者とその選りすぐりの配下、セバスを筆頭とした戦闘メイドプレアデス達が集まっていた。玉座への段の一番近く、最前列には階層守護者が並んでいる。

 

「アインズ様がご入場されます」

 

 玉座の側に立つアルベドの声と共に皆が跪き、ざわついていた玉座の間が、水を打ったように静まり返る。カツン、カツンと硬質な音が鳴らし、ギルドの証たる豪奢な杖を持った死の支配者が玉座へと進む。

 

「面を上げなさい」

 

 号令と共に皆一斉に顔を上げて主人の威光に触れる。その目は一点の曇りもなく真っ直ぐに彼を見つめる。守護者達以外にもしもべ達が居り、総勢百名近くにも上る。玉座から見下ろす景色は壮観であった。いきなり精神が沈静化されたアインズは努めて支配者らしい威厳を見せるべく、重々しく口を開いた。

 

「まずは断りもなく外出した事を詫びておこう」

 

 そう話を切り出すと、しもべ達が動揺から身動ぎするのが見える。主人が簡単に謝るのはやっぱりよくないらしい。

 

「んんっ……私は名を改める事にした。モモンガ・アインズ・ウール・ゴウン・ナザリックとな。この世界に居るであろう他のプレイヤー達にとって、一つの分かりやすい旗印となろう」

 

 おお、と控えめに声が上がる。興奮の色は見えるが、ギルドの名前を持ち出して名乗ることに反感は抱いていないようだ。

 

「とは言え、この世界にどの様な者が居るかまだ分からないうちは警戒も必要。しばしの間、対外的にはアインズ・ウール・ゴウンで通すつもりだ。アインズと呼ぶがいい!」

 

「アインズ様、万歳!」

 

「「「「アインズ様万歳!!」」」」

 

死の支配者(オーバーロード)に栄光あれ!」

 

「「「「「栄光あれ!」」」」」

 

 アルベドに続いてしもべ達が唱和し、玉座の間に地響きのような声が響き渡る。

 

(う、うおお、凄いな。けど恥ずかしい……)

 

 二度目の精神の沈静化が仕事をする。これがなければ顔を覆って床に蹲っていた事だろう。便利な身体だと思いながら、再びアインズは口を開く。

 

「さて、ここでお前達にナザリックの外から連れて来た客人を紹介しよう。今日私が助けた人間の村付近で会ったのだが……百聞は一見に如かずだ」

 

 ざわ、と一瞬ざわめきが起こる。アインズが態々招き入れる程の存在と対面するとあって、皆が興味を惹かれ色めき立つ。

 

 アルベドが〈伝言(メッセージ)〉で連絡をしたときには、人間の村を庇護下に置いた事と、主人が客人をナザリックに招く事になった、ということ以外詳細は何も伝えられていなかった。

 

 そのため容姿はおろか、名前さえ知らされていない。この場で既に顔と名前を知っているのは、外で直接顔を合わせたアルベドとマーレ、セバス、ソリュシャン、ルプスレギナの五人だけである。

 

「さあ、迎えいれよ!」

 

 アインズが合図をすると、開け放たれたドアからしもべ達の見知らぬ3人組が玉座の間に入ってくる。

 

 最初に足を踏み出したのは、青銀の髪を後ろに束ねた美しい女性。襟付きの白いノースリーブに黒いスラックスというシンプルな装いだ。

 彼女を先頭に、やや前髪の長い黒髪の男で、黒いスーツのような姿をした若い男が続く。セバスと似たような服装の組み合わせではあるが、ジャケットは短めで下に着込んでいる純白のシャツもスラックスから出しており、ラフな印象を受ける。

 そして銀髪を左右の高い位置にまとめ、黒いゴシックドレスに身を包んだ人形のような可憐な少女。

 

 いずれも姿形は人間のようである。いや、人間としか思えない。守護者と選りすぐりの精鋭が集められたこの場にいる者は、戦闘メイド(プレアデス)を除けばLV80以上の猛者ばかりである。特殊な情報系の職業(クラス)を修めていなくとも、重心や足運び、佇まい等から相手の実力をある程度推し測る事が出来る。

 その彼等の見立ては、取るに足らぬほど弱い、つまり弱者であった。

 

 しかし、ソリュシャンとルプスレギナは違う。多くのしもべ達が客人の実力を推し量ろうとし、弱者と見誤る中、二人だけがその事実に気付き、戦慄を覚えていた。

 

 魔法によって魔力と体力を偽装する方法、或いは情報を察知させず、完全に遮断する方法はある。だが、これは違う。アサシンの特殊技術(スキル)さえも欺き、完璧に()()を偽装して見せている。そんな芸当が出来るのは、現実すらも幻術で欺くと言われる、最高位の幻術使いのみのはずである。

 

(どうなってるっすか?)

 

(わからないわ……)

 

 二人は小声で会話を交わす。実力を偽装していることには気付いたが、どうやっているのか、何故そんなことをするのか、皆目見当もつかない。

 

 しもべ達が左右に道を空け、中央に道が出来る。普通の人間であればその偉容に恐れ(おのの)き、立ち竦むか逃げ出すかするであろう光景だが、3人は何の躊躇いもなく歩を進める。

 

 ほぉ、と何処からか小さな声が漏れ聞こえる。主人が招き入れた客人ならば、しもべ達は礼節を以て迎えるべき、という考えは当然ある。しかしそれでも、殆どの者が初めて見るナザリックの外からの奇妙な客人に興味を引かれる。

 

 どうやら実力は大した事がなさそうだが度胸だけは据わっているらしい。流石はアインズ様に見込まれるだけはある。多くのしもべ達はリムル達をそう評していた。

 

 セバスとプレアデスの面々は、主人の招いた客人に失礼がないよう、最高の持て成しをする心づもりで佇んでいた。例え相手が脆弱な人間であろうとも、その姿勢を崩すことがあってはならない。

 

 力を見せるとは何も武力に限った話ではない。文化、知識、財宝等様々な分野があり、メイドがその力を見せる場は給事や掃除、身の回りの世話をする場。そこで如何に主人が偉大であるかを、客人をもてなす姿で示さなければならないのだ。

 

 しもべ達からは少なくない好奇の視線を向けられているが、それを知ってか知らずか全く動じることなく進んでいく3人。だが玉座への段に足をかけた時、その歩みを止めに入る者が現れた。

 

 シャルティア・ブラッドフォールンと、アウラ・ベラ・フィオーラ。階層守護者の女性2名だ。

 

「待ちなんし」

 

 シャルティアが先頭の女性の行く手に体を割り込ませ、アウラも背後から睨み付ける。

 

 いくらアインズの客人だといっても、ナザリックの支配者が座る玉座まで上がろうとするのは無礼であり、守護者として許容し難かった。もっとも、シャルティアは別の感情が丸出しであったが。

 

「アンタ達、何処の誰だか知らないけどさぁ、アインズ様にお呼ばれしたからって調子に乗ってんじゃ  

 

「お、お姉ちゃん!!」

 

「な、何よマーレ?」

 

 普段おどおどしているマーレが珍しく大きな声で呼び止める。あまりの意外さにアウラだけでなくシャルティアも驚いて動きを止める。

 

「だ、ダメだよ、お姉ちゃん。シ、シャルティアさんも、ややめ、てください……」

 

「はぁ?シャキッと言いなさいよ、男でしょ?」

 

 段々と俯き言葉が尻すぼみになるマーレにイラつくアウラ。

 

「マーレ?ぬし、こな何処の馬のとも知りんせん者の肩を持つのかぇ?」

 

「玉座に上がろうとするなんていくらなんでも不敬じゃない!」

 

「あ、あの、その」

 

 その場にピリピリとした張り詰めた緊張感が漂うが、アインズの側に控えるアルベドは全く動きを見せない。

 

(どうする、もう止めるか……?)

 

 アインズが止めようか迷っていたその時、マーレが再び口を開いた。

 

「あ、あのっア、アインズ様がお、お止めにならないんだし、い、いいんじゃ、ないかなって。それに、アインズ様の前で、こ、こういうのは、よ良くない、と思います……」

 

 マーレの言葉に2人がハッとする。ここは玉座の間であり、主人たるアインズの御前である。熱くなって仲間内でつまらない諍いを起こしては、主人の不興を買うというもの。

 

 オドオドと頼りない口調で言うマーレに、シャルティアとアウラは先程までの張り詰めた空気を解いた。

 

「マーレ、君の言う通りだ。……アインズ様、どうか2人の出過ぎた行動を、そして即座に止められなかった私共の至らなさをお許しください」

 

「申シ訳ゴザイマセン」

 

 デミウルゴスと同時にコキュートスも頭を垂れる。それに続くように2人の女性守護者も謝罪を述べた。

 

「す、すみませんでした」

 

「申し訳ありんせん……」

 

「うむ、マーレに免じて許すとしよう」

 

 アインズは快く彼等の謝罪を受け入れた。リムルも守護者に一言謝罪を述べる。

 

「なんか、悪かったね?俺のせいで喧嘩させちゃったみたいで」

 

「あ"ぁん!?」

 

「「「シャルティア!」」」

 

 思わず喧嘩腰な態度になるシャルティアを、アウラ、コキュートス、デミウルゴスが止める。シャルティアはぐぬぬと悔しそうにリムルを睨み付け、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

 

「申し訳ありませんね。彼女は今、少々虫の居所が悪いだけなのです。どうか気を悪くしないでやって下さい」

 

「構わないさ、まぁそんな気はしたよ」

 

(シャルティアに睨まれても全く動じないとは……)

 

 デミウルゴスは然り気無くシャルティアをフォローしたが、それはあくまで相手がアインズの客人であるためだ。が、目の前の女性はまるで怯える様子を見せていない事に内心で驚いていた。

 

「ちょっとマーレ!」

 

「は、はいっ」

 

 アウラの鋭い声に、ビクッと反応するマーレ。姉に頭が上がらないのは創造者のぶくぶく茶釜の設定によるものなのか、それともあの2人の姉弟関係の影響か。

 

「アンタ良いこと言ってたんだから、もっと堂々としなさいよね……」

 

「あ、うん……!」

 

 姉の意外な褒め言葉にマーレは控えめな、はにかんだ笑顔を見せた。その光景を、アインズとアルベドは微笑みを浮かべて眺めていた。いや、アインズは骨なので動かせる表情などないのだが。

 

(ふう、少しヒヤヒヤしたけど、どうにか丸く収まったか。でも意外だったな、真っ先にマーレが止めに入るなんて。てっきりデミウルゴスかコキュートスが止めるかと思ってたんだけど……)

 

 武力行使に至らなかったとはいえ、()()ディアブロが本当に大人しくしていてくれたのには驚いた。どういう風の吹き回しかと思ったが、彼の張り付けたような満面の笑顔にはくっきりと青筋が浮いていた。

 

(うわ、相当我慢してたんだな。ホント、マーレ達が止めてくれて良かった……)

 

「さあ3人とも、此方に上がってきてくれ。皆に顔を覚えて貰いたい」

 

「ああ、わかった」

 

 アインズの呼び掛けに応じ、3人はゆっくりと玉座へ向けて段を登っていく。今度はその歩みを阻もうとする者は居ない。守護者を含むしもべ達は、嫉妬や羨望の眼差しを彼らに向ける。主人が客として招いているとは言え、まだ名も知らぬような者が自分達よりも主人の側へと立つ事に、良い感情を持てない者がいるのは当然と言えば当然であった。

 

 ギリギリと歯軋りするシャルティアを宥めるアウラも、やっぱり面白くないという顔つきであった。コキュートスは表情が読めないのでわからないが、デミウルゴスは難しい顔をして何か考えている。

 

 段を登りきったところで3人が振り返りしもべ達を見渡す。そしてリムルが3人を代表して口を開いた。

 

「俺……私の名前はリムル・テンペストという。そしてこちらはミリム・ナーヴァ。彼は部下のディアブロだ。少しの間こちらにお邪魔する事になった。よろしく」

 

 くだけた態度を少しだけ抑えたリムルの挨拶に、控え目な拍手が贈られる。先の地鳴りのような熱狂的な歓声と比べれば、何とも寂しいものだ。しかしアインズが客人と呼ぶ以外は何の信用もない今の段階では、これ以上を望むのは難しいだろう。しもべ達自身の判断で敵対を避けられただけでも良かったと言える。

 

「……ん?それだけか?」

 

「え?」

 

 アインズの問いに、やっぱりダメか?とリムルが目線を返してくる。

 

(結局俺に丸投げかよ……)

 

「んんっ、私から補足しよう。先に伝えた通り私の招いた客人だが、あまり鯱張らず気軽に接して欲しい。堅苦しいのは好まない性格だそうでな。待遇は客将としておこう。他に何か質問したい者は挙手をせよ」

 

 アインズは質問ががあれば出来る限り答えてやりたいと思っていたが、この場で手が上がることはなかった。

 

「まぁ、興味があれば後で個人的に話をしても良い。外の世界を知る彼等からは学ぶ事も多い筈だ」

 

 こういった場では言い出しづらいのかもしれないと思い、アインズはそう言及しておくにとどめた。

 

 と、近くできゅるると小さな音が聞こえてきた。音のした方を見ると、ミリムが支線を泳がせながら、虚空に向けて息をフーフーしている。口笛のつもりらしい。

 

「ふ……さて、挨拶はここまでにして、客人達に食事を振る舞うとしよう」

 

 その言葉を聞いたリムルとミリムは嬉しそうに目を輝かせた。アルベドが前に歩み出し、号令をかける。

 

「アインズ様とお客様が御退場されます」

 

 しもべ達は頭を垂れ、アインズ達の退室を静かに見送った。




リムルはギルメン入りを断りましたが、協力することにはなりました。
とりあえずリムル達は、実力を上手く偽装して弱く見せています。


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#41 暗躍する悪魔達

「うんまあぁぁい」

 

「はっはっは、そうか、旨いか」

 

 リムルが満面の笑みで感激を表す。アインズは美味しそうにステーキを頬張る姿を眺めて、自慢気であった。

 

(澄ましていれば美女なんだけどな……)

 

 日常世界(リアル)で会ったあの三上の姿を思い出す。見た目は美女だが、中身はあのオッサンが入っているのだ。アインズはなんとも言えない不思議な気分である。

 

(まあ、人の事言えないか。アンデッドでナザリックの支配者が中身は一般人なんだからな……)

 

「このステーキはウマイのだ!!一体何の肉なのだ?」

 

「エインシャントドラゴンの霜降りにございます、ミディアム・レアに仕上げました」

 

「ほお、そうかそうか。む、これもウマイ!こっちのは?」

 

「そちらはレイジングブルのローストでございます」

 

 ナザリックの面々と顔合わせが終わったリムル達は、ナザリックの料理に舌鼓を打っていた。現在給事を担当しているのはプレアデスの副リーダー、ユリ・アルファである。

 

 ディアブロは食事を遠慮し、張り付けたような笑顔を浮かべたままリムルの側に控えている。リムルも本来食事は不要なのだが、食事は俺の最大の楽しみなんだとか言って鱈腹食べていた。相変わらず自由なやつである。ミリムもまた、瞳を輝かせてあれこれユリに聞いては料理を頬張っていた。

 

(ああ、俺も食べたかったなぁ……アンデッドの体は便利だけど、旨い食事が食べれないのは損だよなぁ。そう言えばアッチはどうなったんだろう?)

 

 旨い食事の楽しみを知ってしまったアインズは、しばらくの間この生殺し状態に苦しむことになるのだった。

 

「ところで、もうそろそろ終わったか?」

 

 リムルが唐突にディアブロに尋ねると、ディアブロがいつもと違う、張り付けたような柔和な笑みを浮かべたまま、これまた普段とは違う口調で答える。

 

「フフフ、マスターの御用命通りに。あとは()()()()に任せれば問題ないでしょう」

 

「ふう、うまくいったか……」

 

 アインズが安堵の溜め息を吐く。

 

(ていうか、その何とも言えないような、イヤラシイ感じの笑顔は何なんだ?)

 

 意味不明のやり取りを聞いていたユリや、新たなワゴンを運んできたエントマが小首を傾げるが、アインズはこちらの事だと言葉を濁し、ユリ達も直ぐに気を取り直す。

 

「こちらはレインボーロブスターのスフレでございますぅ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 給事の為に支配者の後を追って出ていったプレアデス達。その後、平伏していた階層守護者とその直属のしもべ達が立ち上がり、自分の守護階層へと戻って行く。

 

「また定例会で会いましょう」

 

 アルベドもその言葉を最後に、玉座の間を後にする。ナザリック随一の智者として生み出されたデミウルゴスは、しもべの三魔将と玉座に残り、先程の出来事について話していた。

 

   成る程、参考になったよ。先に戻っていてくれ。私は寄るところが出来たのでね」

 

「「「はっ」」」

 

 三魔将が礼をとり、守護階層へと戻っていく。

 

「さて、アルベドは部屋にいますかね」

 

 アルベドは元々私室を持っていなかったのだが、至高の御方のはからいにより、現在は至高の御方々の私室と同じ階にある空き部屋を私室として与えられている。

 大方、「休もうにも部屋を持っていないのでお部屋に泊めて下さい」と言って、強引に迫る算段があったのだろう。私室を与えようと御方に告げられたときの、悲哀とも喜びとも取れる笑顔は、なんとも言えない哀愁を漂わせていた。

 

 アルベドの部屋の前に着き、ドアをノックする。しかし返事がない。

 

「アルベド様なら、まだお戻りになっていませんが」

 

 一人の一般メイドがデミウルゴスに気付き、声をかけてきた。至高の御方々の部屋の掃除を至上の職務とされている彼女達一般メイドはホムンクルス。種族は異形に分類されるが、レベルは1で、戦闘能力は全く持ち合わせていない。

 

「ふむ……守護者統括殿が今何処へ行っているか知らないかね?」

 

「い、いいえ、存じ上げません……」

 

 一般メイドが申し訳なさそうに俯いて目を伏せる。が、直ぐに顔をあげ、何やら興味津々な様子で見つめてくる。デミウルゴスはやれやれと一つ肩を竦め、彼女が気になっているであろう事に答えた。

 

「なに、ただの仕事上の相談事ですよ」

 

「あっ、も、申し訳ありません!」

 

 考えを見透かされた事に驚き、慌てて頭を下げる彼女に、気にしていないよと微笑みかける。デミウルゴスは最上位の悪魔であり、まさに悪魔らしい嗜好の持ち主であるが、非常に仲間思いでもある。

 

「わ、私はこれで、失礼します」

 

 いそいそと、それでいて品位を害わない程度に早足で歩く彼女を見送り、デミウルゴスは再び思考を回転させる。

 

「アルベドが戻るのを待ちますか……」

 

 デミウルゴスは強い引っ掛かりを覚えていた。それは先程の客将達に関して、そして支配者やアルベドの態度である。御方がお招きした客人に、危うく守護者が手を掛けそうになったと言うのに、まるで止めに動く気配がなかった。守護者達を信用して、ということも考えられなくはないが、もっと別の意図があるように思われた。

 

 あの3名の戦力は、強者と呼べる者とは思えなかった。デミウルゴスはそういった職業(クラス)を取得してはいない為、強さを正確に把握出来るわけではない。それでも、強者ならば強者然とした雰囲気を醸しているものなのだ。それを感じないということは本当に強者ではないのだろうか。配下の三魔将にも訊いてみたが、やはり強者の気配は感じなかったようだ。

 

 しかしそうだとすると、疑問が残る。仮に感じた通りの実力しか持たないとして、シャルティアに睨まれて平然と立っていられるだろうか。否、シャルティアがひと睨みしただけで震え上がり、下手をすれば意識を手離してしまうだろう。

 

 ならば、何らかの方法で実力を偽装し、あえて弱く見せているという可能性は。

 

(それでも、至近距離で威嚇的行動をされれば、少なからず何らかの反応を見せてもいいはずですが……)

 

 不意に誰かに押されたとき、か弱い者は転んでしまうが、ある程度強いものならば、咄嗟に踏ん張りを効かせて踏み留まるだろう。同じように、殺気を向けられれば強者であっても、無意識に殺気を洩らしてしまうものなのだ。

 

 ところが彼女は全くそれが無かった。余程訓練されているか、或いは相手(シャルティア)さえも全く歯牙にかけないほどの強者、ということなのか。

 

(これはかなり不味いかもしれませんね……)

 

 デミウルゴスはの頭脳は、無数にある可能性の中から、リムル達は少なくとも守護者と対等以上の強者であると導き出していた。恐らく、あの場にいた殆どの者がこの事には気づいてはいまい。強者を見抜く感覚が鋭敏な者程、欺かれてしまうであろう。

 

 逆に、強さを測る特殊技術(スキル)も、それほど鋭敏な感覚も持たず、状況から理論的に強さを推測しようとしたデミウルゴスだからこそ気付いたとも言える。

 

 そして至高の御方とアルベドの態度。点と点が線で繋がった。

 

「プレイヤー。それも、飛びきりの強者、と言うことですか……!」

 

『あの言葉は忘れてくれ……』

 

 デミウルゴスの脳内に、()()()の御方の言葉がリフレインする。もしあのまま世界征服に乗り出していればどうであったか。勇み足で外へ飛び出し、果たして彼女達のような恐るべき存在に気付くことが出来たであろうか。

 

(外の世界をまるで知らない我々では、どれ程気をつけているつもりでも、恐らく足を掬われて居たでしょうね……。既にあのときからアインズ様はこの事に気付いておいでだったのですか)

 

 デミウルゴスは自らの短慮に、慢心に、不甲斐なさに歯噛みする。

 

「あら、デミウルゴスじゃない。レディの部屋の前で待ち伏せなんて、随分積極的ね」

 

 デミウルゴスが苦い顔をしていると、何処からか戻ってきたアルベドが、本気か冗談かわからない事を言いながら歩み寄ってくる。デミウルゴスは小さく溜め息を吐き、用件を伝える。

 

「貴方に確認したい事がありましてね」

 

「そう。立ち話もなんだし、中に入ってゆっくり話しましょう」

 

 デミウルゴスは一瞬だけたじろいでしまう。何とも云えない寒気がしたのだ。いつも通りのアルベドの笑みが、途端に怪しく見えてしまう。

 

「どうしたの?」

 

(気のせい……ですかね)

 

 デミウルゴスは気のせいだと気を取り直し、招きに応じ、足を踏み入れる。

 

「では、失礼して…………ッ!?」

 

 室内に入った瞬間、何とも形容しがたい違和感を感じた。そしてソレは突然現れる。濃厚な強者の気配を纏って。姿を現したのは()()()であった。

 

「クフフフフ」

 

 

 

 

 

 

 

 深夜。階層守護者達は会議室に集まっていた。守護者間で情報を共有しよう、と言うことで開催することにした、定例会議である。第一回目の今日、既にアルベド以外の階層守護者達は集まってきている。

 

「ごめんなさいね、遅くなってしまって」

 

「アルベド」

 

「……何かしら?」

 

 デミウルゴスが最後に入ってきたアルベドを呼ぶ。普段落ち着き払った態度の彼には珍しく不機嫌そうにしていた。対してアルベドは涼しげな微笑を崩さない。

 

「貴女は事前に知っていましたね?あの客人の事を」

 

「ええ、そうだけれど?」

 

 デミウルゴスの問いにアルベドが答えた。デミウルゴスはピクリと眉を動かすが、そのまま言葉を続ける。

 

「そうですか……。何者かは知りませんが、アインズ様は本当にあの者達を客将として遇するおつもりのようだ。貴女はそれを分かっていながら、彼等に危害が及びそうになっても止めようとはしませんでした」

 

「……それが何か?」

 

 アルベドはデミウゴスの真意がわからない、という素振りを見せる。だが実際には()()をしているだけである。彼の云わんとしていることがわからないようでは守護者統括は務まらない。そんなアルベドの態度にデミウルゴスは声を荒らげた。

 

「一体何故です!?本来なら守護者統括である貴方は真っ先にあの場面で止めに入るべきではないですか!指を咥えて見ているなどっ!万一、アインズ様がお迎えした客将を殺してしまうなどということになれば……何がおかしいのですか?」

 

 堪えきれず笑みをこぼしたアルベドを見て、デミウルゴスが怪訝な表情になる。

 

「まさか貴方という(ひと)は、私情を優先したのでは無いでしょうね……!」

 

 二人のやり取りを聞き、シャルティアとアウラ、マーレもアルベドとデミウルゴスを交互に見る。デミウルゴスが指摘した通り、しもべや守護者達が主人の意に沿わぬ動きをしたならば、アルベドは真っ先に止めなければならない立場だ。それは理解できるが、一体なぜそうしなかったのかが皆目わからない。

 

 デミウルゴスはここで、アルベドがアインズに遇されるリムル達に嫉妬し、排除しようと考えていたのではないか、という推論を展開した。リムル達を助けず放置しておけば、自らの手を汚すことなく邪魔者を始末させることが出来る。

 

「勿論アルベドも立場上責任は問われるかもしれないが、最も怒りを買うのは直接手を出した者だ。それがもしシャルティアであれば……」

 

「そういう事でありんすか……この大口ゴリラァ!」

 

 デミウルゴスの説明に理解が追い付いたシャルティアがアルベドに食って掛かる。

 

 現在シャルティアとアルベドはアインズの正妃の座を争っている。尤も、本人達やしもべが盛り上がっているだけで、アインズ自身の預かり知らぬ話ではあるが。

 

 もしシャルティアが失態を犯し、信頼を失墜すれば、その天秤は一気にアルベドに傾くことになるだろう。怒りを露にするシャルティアに対して、アルベドは落ち着き払った態度で淡々と答える。

 

「そうね、あえて誤解を恐れずに言うなら、あの3人の身を案じてはいなかったわね」

 

「え、じゃあやっぱり……?」

 

「イヤ待テ」

 

 アウラの猜疑の声を、直ぐにコキュートスが待ったをかける。

 

「誤解ヲ恐レズニ、トイウ事ハ真意ハ別ニアルノダナ?」

 

 アルベドの言葉の意味をそのまま捉えるなら、デミウルゴスの推論は誤解だ、ということになる。コキュートスの言葉を肯定するようにアルベドは笑みを深くした。

 

「その通りよ、コキュートス。私はアインズ様から、止めに入る必要はない、むしろ止めるなと命じられていたの」

 

「なっ!?」

 

 デミウルゴスは目を見開き、困惑の表情を浮かべる。

 

「つまり、事前にシャルティア達のやり取りも想定済みだったと?しかし、客将として遇しようとしている相手を気遣われるどころか、危険にあえて晒すような事を何故……」

 

 そのまま思考の海へと沈んで行くデミウルゴスを尻目に、今度はアウラが口を開く。

 

「で?アイツら結局何者なのよ?」

 

「う、うん、気になるなぁ。どうやってアインズ様と、お、お知り合いになったのか、とか」

 

「ふんっ、どうせ下らない何処かの馬の骨でありんしょう?あんな下品そうな女!」

 

「シャルティア、仮ニモアインズ様ガ招待シタ客人ニ、ソノヨウナ物言イハ不敬ダ」

 

 毒吐くシャルティアをコキュートスが窘めた。アウラも謎の客人を何処と無く気に食わないといった雰囲気であったが、それをはっきりとは口にしていない。

 

(ヤツメウナギが勝手なことを……!)

 

「気になるなら本人に尋ねてみたらいいんじゃないかしら?アインズ様も個人的に話すことを許可しておられたのだし」

 

 アルベドはシャルティアの不敬な物言いに内心殺意を覚えながらも、自分からはリムル達の事を教えず、直接本人と接触するよう促す。事実を明かし、シャルティアに吠え面をかかせてやりたいとも思ったが、リムルの要望に背くわけにはいかない。

 

「成る程、そう言うことですか。ようやく見えてきましたよ……。アインズ様は我々が彼等の様なナザリック外部の者と深く関わりを持つ事に意味を見出だしておいでなのだね?」

 

 思考の海から一旦浮上したデミウルゴスが訳知り顔で語る。そんな彼に、アウラは率直な疑問を口にする。

 

「アイツらにそんな価値なんてあるの?ただの雑魚にしか見えなったんだけど。うーん、でも、アインズ様がそう仰るなら何かあるのかな……?」

 

「アインズ様は、この世界に来ているであろう他の敵対プレイヤーや、まだ見ぬ脅威を想定しておられる。そして、これは非常に情けない話だが……おそらく現在の我々ナザリックのしもべ達ではそれらに対抗するには力不足だとお考えなのだろう」

 

「ええっ!?」

 

「そ、そんな……!」

 

 デミウルゴスの言葉に驚愕し、顔を青ざめるシャルティアとアウラ。マーレは今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。デミウルゴスは言葉を続ける。

 

「しかし、慈悲深きアインズ様は我々の成長を期待してもおられる。あの場で多くを語られなかったのは、我々が自ら考えて成長の鍵を見付けることを期待しておいでだからなのだよ。

 具体的にはまだわからないが、恐らくあの3人は、この世界の脅威に対抗し得る術を何か持っているに違いない」

 

「ナント!ソレハ本当カ、デミウルゴス!」

 

「アインズ様がシャルティアの事を御止めにならなかったのは恐らく、本当に止める必要が無かったからだよ。つまり、仮にシャルティアが襲いかかっても彼等は切り抜ける術を持っていた、と言うことだろう」

 

 コキュートスの問いにデミウルゴスは推論を展開し、コキュートスは興奮の余りフシューッと白い吐息を吐き出した。しかし、シャルティアは納得がいかない。

 

「デミウルゴス、オメー喧嘩売ってんのか?階層守護者最強の私が!あの雑魚を殺れないって言ってんのかああァ!?」

 

 いつもの郭言葉も忘れて激昂するシャルティアに、デミウルゴスは若干気圧されながらも反論する。

 

「気付かなかったかい、シャルティア?貴方に睨まれたとき、彼等は涼しい顔をして平然と立っていました。本当にただの弱者が、そんな芸当出来ると思うかね?それとも君は弱者が気を失わないように、そっと睨んだのかな?」

 

「あ……っ!」

 

 あり得ない。デミウルゴスでさえ、気圧される程の威圧に、弱者が竦み上がらないなど。シャルティアも、他の守護者達もその異様さに戦慄を覚える。

 

「そんな彼らの協力を得て、我々が成長すれば……分かるね?」

 

 ごくり、と皆が唾を飲み込む。それほどまでに外は恐ろしい世界なのか。守護者達でさえも戦力として頼りない程に。しかし、あの3人が何らかのヒントを持っていて、協力してくれるというならばどうだろう。今は力不足でも、成長を遂げて至高の御方のお役に立てるようになれるかもしれない。ならば、どんな苦行も苦痛ではない。守護者達の目に希望と闘志が漲ってきた。

 

「ナルホド、アインズ様ハソノヨウニオ考エデアッタトハ……流石ハデミウルゴスダ」

 

「へぇ、じゃあまずはアイツらがどんだけのモンなのかこの目で確かめさせて貰おうじゃない」

 

「なるほど、そう言うことなら異論ありんせん。ああ、流石はアインズ様、わらわ達の為に、そこまでお考えでありんしたのねぇ……」

 

 ウットリと呆けているシャルティアに、デミウルゴスは釘を刺しておく事を忘れない。

 

「ああ、わかっているとは思うが、くれぐれもあの3人に危害を加えよう等といった手段を取ってはいけないよ?アインズ様が迎え入れた客将に刃を向けたとあっては、アインズ様の顔に泥を塗る事になるからね。特に……シャルティア」

 

「うぎっ、わ、わかってるでありんす!」

 

「うーん……」

 

(普通にお友だちになってお話するだけじゃダメなのかな?アインズ様もお友達だって仰っていたし。アルベドさんは何故か皆さんにはこの事をしばらく内緒にしてて欲しいって言ってたけど……。でも、ちゃんと守れたらくれるっていう『ご褒美』ってなんだろう?)

 

「ん?どうしたのかね?マーレ」

 

「え?あ、えっと、その……じ、実は、わからないことがあって……」

 

「うん?何だね?私に分かる事なら答えようじゃないか」

 

「あの、その、き、客将って、何ですか?」

 

「そう言えば、わたしもよく知りんせんねぇ」

 

 マーレの質問に答えようと口を開きかけたデミウルゴスと、他の守護者達はシャルティアの顔を見て数瞬の間、固まっていた。

 

「……うん、客将だったね、マーレ」

 

「なんでありんすか、今の間は?」

 

「いや、何でもないよ。気にしないでくれたまえ。それで、客将とは   

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう、これで良かったですかね?」

 

「ええ、お陰で上手く行ったわ。ありがとう、デミウルゴス」

 

「いえいえ。これくらい、お安いご用で   !?」

 

 ちゅっ

 

「なっ……?」

 

「あら、驚いた?これくらい、ある国では日常挨拶らしいわよ?」

 

「そ、そうですか……」

 

 デミウルゴスは頬に手を当てながら、アルベドに軽く戦慄を覚えたのであった。こうやって一体何人に手を出すつもりなのかと。




デミウルゴスにはすぐバレると予測して、初めから味方に引き込む作戦でした。アインズ様と一緒にいるディアブロは実は別人です。玉座に入る前に入れ替わりました。

アルベドは恋多き女なので、随所に暗躍しています。R18には行かない程度に気をつけながらやっていこうかと今のところは思っています。


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#42 ナザリックとカルネ村の平和な1日

更新が遅くなりました。今後暫くの間は亀になりそうです。


 翌朝   

 

「いよーっす。みんなお早う」

 

「お早うございます!」

 

「お、お早うございます……え?あ、あの」

 

「「「……」」」

 

 朝食を楽しんだ後、アルベドに頼んで階層守護者達を第六階層の円形闘技場に集めてもらった。プレアデスにもあとで合流してもらうつもりだ。 

 

「どうした、元気がないぞ?メシ食ったのか?」

 

「……なんなんでありんすか、この格好は?」

 

「ん?ジャージって言うんだ。どうだ、動きやすいだろ?」

 

「動きにくくはないけど。て言うかダッサ……」

 

 集まった皆にはジャージを着て貰っている。アウラ、マーレ、シャルティア、そしてデミウルゴスとコキュートスもだ。男女で赤と緑、色違いのジャージに身を包んでいる。アウラとマーレは何故か男女逆の色を着ているが、まあいいか。子供は男女逆に着せるのがかぜっちのポリシーみたいだし。

 

 コキュートスだけは要らなかったかもしれないな。一応サイズは自動調整されるはずなのだが、何故かゴツゴツしたボディラインが出てしまっている。どこぞの連邦軍の白い悪魔にピチピチのジャージを着せたかのような無理矢理感だ。

 

「うん、皆よく似合っている。あー、コキュートス君は脱いでも良いぞ、逆に窮屈だよな……」

 

「ムウ、ソウサセテモラオウ」

 

「せめてブルマとか白スクとかありんせんのかえ?こな不格好な姿をアインズ様に見られたらと思うと……」

 

「ホントホント」

 

「うーん……」

 

 女子らしく見た目を気にして文句を言うシャルティア達のブルマ姿を想像してみた。似合わなくはないが、二人ともまだ子供だし、シャルティアの一見大きく見える胸も、実は上げ底している事を知っているので、別に見たいとは思わない。

 

 ペロロンチーノがキャラデザインの彼に出した希望は貧乳キャラだったらしいが、貧乳が嫌いな彼はそれを受け付けなかった。そして出来上がったデザインはロリ巨乳のシャルティアだった。結局その巨乳は本物ではなく、「大量の胸パッドを詰めている」設定にしたという経緯がある。

 

 俺はシャルティア達よりも、どうせならもっと大人っぽいソリュシャンとかルプスレギナにそういう格好をして貰いたい。ちょっとコスプレ感がするが、むしろそれがいい。

 

《…………》

 

 おっとシエル先生が何か言いたげなご様子だ。あまり怒らせたくないので、これ以上余計なことは考えずにおこう。

 

「ま、今は気にするな。これから汚れる事になるだろうしな」

 

 因みにアルベドは、アインズにくっ付いて一緒にカルネ村へ向かっているため、此処には居ない。

 

 ナザリックのすぐ近くには危険な存在がないと確認されているので、現在は表層部に策敵が得意なしもべを配置している。周りにいくつも丘を作って上空には幻術も展開しているので、陸からも空からもわからない様にはなっているが、何者かが偶然に迷い混んで来る可能性もある。警戒しておくに越した事はないのだ。

 

「えー、ではリムルさm   

 

「デミウルゴス君?」

 

「おっと、そうでした。リムル先生!」

 

「うむ、なんだね?デミウルゴス君」

 

「プレアデスはまだですが、守護者が揃いましたので、そろそろ授業に移って頂いてもよろしいでしょうか」

 

「……は?」

 

 アウラが思わず素っ頓狂な声を上げる。デミウルゴスは何を言い出すのかと。

 

「そう。俺達はアインズさんに雇われ、君達の先生をやる事になったんだよ」

 

「わははは、そういうことなのだ」

 

「クフフフフ。よろしくお願いします」

 

「「「え?え?……ええ~!!?」」」

 

 どや顔のリムル達と満足げに頷くデミウルゴス。両者を交互に見ながら、子供達は思わず叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 草原に立つエンリは震えていた。この時期はまだ朝の気温は高くは無いが、しかし決して寒いわけではない。震えているのは緊張の為である。

 

(ああ、ゴウン様が見てる前で失敗したらどうしよう?)

 

 ゴウン様とアルベド様が朝訪ねてきて、笛を使う所を見ておきたいと言うので、村の側でやることになったけれど、村のほぼ全員が来てしまい、かなりの注目の中でやることになってしまった。

 

「どうした?軽い気持ちで吹けばよかろう?」

 

「ゴッ!ゴウン様に頂いた物を、気軽になんて扱うわけにはいきません!絶対に、絶対に成功させます!」

 

 ヴェルドラさんは気楽にやれ何て言うけれど、そんな訳にはいかない。ゴウン様から賜った大切な笛を握りしめる手に更に力が入る。お姉ちゃん頑張れー、そうだ、頑張れエンリ、と妹や母、村も皆さんから声援が送られ、緊張が否が応にも高まっていく。

 

(絶対に失敗なんてできないぞ、頑張れ私!)

 

 

 

 一方、アインズは何とも形容しがたい心持ちでエンリ達の様子を眺めていた。"ゴブリン将軍の角笛"は課金ガチャのハズレアイテムであり、彼にとっては、言ってしまえばゴミだ。そんな物を使う為に朝から村が総出で集まって来ているのである。大袈裟にも程がある、というのが彼の正直な感想だった。

 

 アルベドは彼らの様子を見ながら、微笑を浮かべたまま佇んでいる。その姿は見る者によっては人々を優しく見守る天使か女神の様に映るであろう。それは彼女の演技に過ぎないが。

 

 村の男達も彼女をおっかないとは思っているようだが、チラチラとアルベドに視線が向けられているのがわかる。彼女の美貌に、いけないと思いながらもついつい目が行ってしまう、という感じである。

 

(まあ、第一印象がアレだったし、異形種とは言ってもそれほど恐れられてはいないのかもな。しかし、ガチャのハズレだから気軽に、なんてとても言えない雰囲気だぞ……ただアレを吹くだけなのに大袈裟過ぎないか?エンリも自分でハードル上げてるってことには、気付いて無いんだろうな)

 

 エンリは胸に手を当てて数度深呼吸を繰り返し、そして角笛を構える。エンリコールが鳴り止み、場を何とも言えない緊張感が漂う。

 

「いきます!」

 

 

 

 

 プピョロロ~

 

 

 

 

「…………」

 

 

 静寂を破って鳴り響いた角笛の音は、エンリの気合いとは裏腹に余りにも間抜けな響きであった。

 

「クァーッハッハッハ、何だその音は?遊んでおるのか?ん?」

 

「わ、笑っちゃダメだよ、ウププ……」

 

 ヒドい。村の者達も笑いを堪え、生温い視線を向けているのが見て取れた。エンリの顔がみるみるうちに真っ赤に染まり、泣きそうになりながらアインズに弁明しようとする。

 

「ゴ、ゴウン様、あのこれは、そ、そのっ……あうぅ……」

 

(え、俺!?俺が何とかするのか!?)

 

 今にも泣き出してしまいそうな表情のエンリ。何か慰めの言葉でもかけてやれれば良いのだろうが、生憎彼はリアルではエンリくらいの女子とロクに会話した記憶が無い。若い女の子を慰める気の利いた台詞など、咄嗟には思い浮かばない。

 

「あー、エンリ……」

 

 どうにか言葉を紡ぎ出そうとするアインズ。しかし、続きがどうしても出てこない。

 

(くっ、ええい(まま)よ!)

 

「あっ……」

 

 アインズは苦し紛れにエンリの頭に手を置き、そっと撫でてみた。大人が子供を慰めるときにやっているのを何かで見たのを思い出したのだ。無骨なガントレットで頭に手を置かれたエンリは一瞬肩をびくりとさせたが、そのままされるがままになっている。どうやら嫌がってはいないようだとアインズは判断し、ホッと胸を撫で下ろす。

 

(ペットを可愛がる感覚ってこんな感じなのかなぁ……?)

 

 アインズは犬を飼っていたというギルドメンバーをふと思い出す。犬が自分が帰宅する度に嬉ションをして困るとか言っていたが、何故かとても嬉しそうに話していた。何だかんだ言ってそんな所も含めて可愛がっていたんだなと今では解る。

 

(それにしても、何か特殊な使用条件でもあったのか?ガチャのハズレアイテムの癖に使用条件付きとか鬼だろ。はあ、鑑定もせずに使わせたのは迂闊だったなぁ……)

 

 すっかり失念していたが、アイテムは特定の職業を修めているだとか、必要な条件を満たさなければ使用できない物も少なくなかった。魔法の巻物(スクロール)が良い例だ。ポーションの様に誰でも使用できる物だと思い込んでいた自分を殴ってやりたい。

 

 職業など使用者に依存する条件なのか、立地や時間など外的要因なのかわからないが、失敗したのなら、何らかの条件不足によって失敗したという線が濃厚だろう。改めて鑑定をして、必要な条件を満たす方法を考えなくてはならない。

 

「あ、あの……」

 

「ん……?あっ」

 

 思考に耽っていたアインズを、エンリの声が現実に引き戻す。気付けば多くの目があるなかで随分長く撫でていたようだ。恥ずかしそうに頬を染めるエンリと目が合い、アインズは慌てて手を離した。

 

「す、すまん、つい、な」

 

「あ、い、いえその……ありがとうございます」

 

 ギリリ、と何処からともなく謎の音が聞こえてきた気がする。チラリと隣のアルベドを見ると、微笑を浮かべながらも目は全く笑っていないという器用な芸当をやってのけていた。

 

(こ、怖っ!アルベドのやつ、何か怒ってるのか?あ、もしかしてエンリ(人間)に俺が優しくするのが面白くないのか?人間は嫌いって言ってたもんな。嫌いなやつが上司に優遇されているのを目にしたら、やっぱり気分は良くない、か……)

 

 アインズは自身の経験則から、彼女の心情を察した。しかし女心というものは全くわかっていないため、その解釈は少しズレていたのだった。

 

「エンリよ、無事に召喚は成功したようだな」

 

「ん?」

 

「……へ?」

 

 さっきまで能天気に笑っていたはずのヴェルドラが、さらっと重要な事を告げてくる。

 

「さあ、いつまでも隠れておらず出てくるがよい!」

 

 ヴェルドラの声に数瞬遅れて、がさ、と草の茂みから立ち上がる人影。緑色の肌、低い上背。その特徴ゴブリンである。だが、その見た目は村人達の知るゴブリンとはまるで違う。一人一人が明らかに鍛えられているのだ。

 

 皮の鎧を着た筋肉隆々の戦士風の者や、魔法詠唱者(マジックキャスター)風のローブを纏い、曲がりくねった杖を持った者もいる。明らかに野良のゴブリンとは比べようもない。

 

 村人達は召喚されたゴブリンだと直ぐに気付いた。が、ゴブリン達の屈強そうな雰囲気に、皆エンリ達の後ろに回りこむ。

 

「やっぱりバレてやしたか。あんた方、一体何者ですかい?」

 

 鍛え上げられた戦士風のゴブリンが、冷や汗を流しながら困惑気味に尋ねる。

 

「フフン、我が名はヴェルドラ!覚えておくが良い。クァハハハ!」

 

 鷹揚に腕組みしながら、ヴェルドラは自慢気に高笑いする。アインズは簡単に自己紹介して、エンリが召喚主だということ、召喚の目的を簡潔に説明した。

 

 説明を聞いていたゴブリンのリーダーだという屈強な戦士が、冷や汗を垂らしながらアインズ達に尋ねた。

 

「それで、あんた方は本当に味方……で良いんですね?敵対しないで済むのはコッチとしても助かりやすが……特にそっちの姉さん方からはヤベエ匂いがプンプン   

 

 ヤベエ匂い。つまり、このゴブリンは戦士としてアルベドやヒナタの強さを感じ取ったということだろう。しかし、その言葉の途中で途切れた。ヒナタが抜剣し、彼の喉元にその剣先を突き付けていたのだ。反対側の頚部にはアルベドのバルディッシュが迫っている。みるみるうちにゴブリンの顔色が、緑色から青白く変わっていく。

 

「今……何か言うつもりだったか?」

 

「い、いえ何もっ」

 

「言葉には気を付けなさい……」

 

「へ、へい、気ぃ付けやす……」

 

 二人が武器を納め、解放されたゴブリンのリーダーは、膝を折り、魂が抜けたかのように呆けた顔で地面にへたり込んだ。美女二人に睨まれ生きた心地がしなかったであろう彼には、少なくない同情の目が向けられ、結果的にゴブリン達は優しく迎え入れられた。

 

 ただ、一つ問題があった。顔が殆ど見分けがつかないのだ。笑った表情を見ても多分今笑ったんだな、と辛うじて察する事が出来る程度である。人間と亜人の種族の差異は意外と馴染むまで大変そうだ。そこで、覚えやすいように格好から入ってもらう貰う事にした。一人一人を識別しやすいようにと、腕章を渡してやったのだ。顔が見分けられないなら格好で見分けようと言うわけである。

 

 因みにこのゴブリン達だが、召喚主のエンリを主人と認識しており、あくまでも彼女の直属の部下でいたいらしい。誰の言うことも聞かないでは困ってしまうが、エンリの言うことなら聞いてくれるのだから、アインズも特段言うことはない。

 

(エンリには彼等を統率するリーダーとして色々頑張ってもらうとしよう。ついでに指揮官としての職業も取得できるか気になるところだな)

 

「村の皆とも仲良くやってくれるならば、私はそれで構わないとも。頑張れよ、エンリ」

 

「は、はいっ!この御恩にきっと報いて見せます!」

 

 胸の前で両手を握って元気に返事をしたエンリは、先程よりも少しだけ凛々しく見えた。

 

「それから二人とも、ちょっと……」

 

 アインズが声をかけたのはヴェルドラとラミリス。アインズが村に着いてすぐ、二人からどちらの案が良いかと資料を渡してきた。どうもカルネ村を防衛の為に改造する都市計画書らしい。百頁以上ありそうな分厚い資料は読み込むのは大変そうだったので、とりあえず後で簡単に概要を説明して欲しいと言っておいたのだ。

 

 アインズは二人と話し合うことがあると言って、空き部屋を貸してもらい、アルベドと一緒に二人のプレゼンを聞く。

 

「アルベド、どう思う?」

 

「……僭越ながら、村にここまでの戦力を持たせるのは危険かと」

 

「だろうな。申し訳ないが、二人とも却下で」

 

「な、なんだとぉう!?」

 

「あたし達が夜なべして考えたってのに、なにがどう駄目なのよさ!」

 

「いや、二人とも斬新で素晴らしい案だったさ。また、あれだけの資料を一晩でまとめる手腕も称賛に値する」

 

 憤懣やる方無しといった表情で抗議する二人に、頭からダメ出しして否定すれば、腹立ち紛れに暴れられるかもしれない。そうしたら自分達には手が付けられない。

 

 しかし、そこは彼も長年営業職でやってきた自負がある。うまく相手を乗せつつ納得させる方向に話を切り出す。小卒でも十数年も続けていれば、その経験は血となり肉となり、人を成長させるものだ。現在は血も肉もない、見事な骨だけの体(スケルトンボディ)になってしまっているが。それに、アインズには奥の手もある。

 

「ただ、アレは()()()()()悪目立ちしてしまいかねない為、厄介事を招く恐れがある」

 

 実はちょっとどころではない。完成図の外観から既に近未来的な見た目は、文化レベルが中世ヨーロッパ程度と思われるこの世界にはそぐわない。近未来的なオーバーテクノロジーのオンパレードと言わんばかりの町並みは間違いなく悪目立ちすること請け合いだった。

 

(て言うか、長閑(のどか)な農村に超電磁砲(レールガン)搭載の物見矢倉って普通に有り得ないだろ……)

 

 他にも町自体を地下に格納する構造や、24時間体制で周囲50キロメートル迄見渡す監視モニター室、開閉式ハッチに格納可能なメガトン級の巨大熱収束砲など、内心で二人のぶっ飛んだ発想に頭痛がする思いだった。コイツらをいつも抑えているリムルは本当にエライと思う。

 

 余計な争いを呼び込むだけだと説得しても食い下がってくる二人。要は「向かってくるヤツなんて蹴散らせば良い」というアブナイ理論だが、ただ自分達の研究という名の趣味の成果を試したいだけの様に思えてならない。

 

(本当にあの糞ゴーレムクラフターと同じタイプだ。全く他人の迷惑考えてないんだから……いや、ゲームじゃないだけこっちの方が数段タチが悪いな。こういう手段は取りたくなかったけど……)

 

「そういえば、リムルから二人に手紙を預かっていたんだった。……アルベド」

 

「はい。こちらに」

 

 アインズが二人に手を焼いて困ったときに見せるよう、リムルから渡されていたものだ。受け取った二人は手紙を読み進めるうち、顔が真っ青になっていく。

 

「「…………」」

 

 ハラリと落ちた手紙を拾い上げ、仮面の下でほくそ笑むアインズ。テンペストの文書は流石にすらすらとは読めないので、何が書いてあるのかはわからないが、今の二人には効果テキメンだったようだ。冷や汗をダラダラと流しながら、二人は急に掌を返した。

 

「し、仕方がないな!我は心が広い。今回は見送ろうではないか」

 

「う、うん、アタシも途中で、流石にちょっとやり過ぎかな~って思ってたんだよね~」

 

(そう思ってたんなら最初から自重してくれよ……)

 

 そんなわけで今回彼らの魔改造計画は潰えた……かに思われた。アインズはまだ知らない。"理不尽の申し子"と呼ばれたこの竜とイタズラ好きな妖精が、この程度で諦めるようなタマではないと言うことを。



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#43 ホームルーム

最初はホームルームからスタートです


「んんっ、そいで?わたしたちに一体何を教えてくれるんでありんすかえ?」

 

「……」

 

 引き攣った笑み浮かべているのは吸血鬼の少女シャルティア・ブラッドフォールン。そして胡乱気な視線を向けてくるダークエルフの少女アウラ・ベラ・フィオーラ。デミウルゴスを含め、他の守護者達も表情に緊張や困惑、猜疑の色が看て取れる。

 

 守護者達の気持ちはわかる。なにせ、突然やって来た新参者が先生とか呼ばせてデカイ顔をしようとしているのだ。面白くないだろうし、信用して良いものかと疑ってかかるのは当然だ。

 

 彼らは今のところ「主人の招いた客将だから」と、俺達に付き合おうとしてくれているようだが、それでは面白くない。やっぱり心から望んでいない事に無理矢理付き合わせるのは良くないと思うのだ。

 

《……》

 

 ん?何かシエル先生が言いたそうにしているような気配がするが、きっと気のせいだよな。俺は何もおかしな事は考えていないはずだ。

 

「まあ、色々とな。モモ……アインズさんの許可も取ってあるぞ。ついでに幾つか解決を頼まれてる問題があるんだが……そうだな、まずは最初に少し俺達の事を知って貰おう。ちょっと遊びに付き合ってくれないか」

 

「あのねぇ……。アタシ達、遊んでる暇なんか無いんだけど?アインズ様の為にもっと働かなくちゃ   

 

「ああ、それな……」

 

 先に体を動かそうかと思っていたが、丁度アウラが気になる事を言いかけたのでその言葉を遮り、最初の案件を提起する事にした。

 

「お前らって、何でそんなに働きづめになってるんだ?それって問題じゃね?」

 

「はぁあ?至高の御方の為に昼夜を問わず一生懸命働く事の何が問題でありんすか?」

 

「アタシ達は至高の御方々の手によって生み出されたの。造物主様のために生きて、死ぬ事がアタシ達の使命だし、無上の喜びなの。まあ、アンタ達みたいに外から来た奴らにはわかんないかも知れないけどさ」

 

 訳がわからないと反論するシャルティア。アウラはそれを援護するように熱弁する。

 

「ウム、私モ同意見ダ。コノ忠義、無理ニ理解シロトハ言ワナイガ……」

 

 コキュートスもそれに賛同し、マーレとデミウルゴスもウンウンと頷いている。丁度ジャージ姿で闘技場に入ってきたプレアデス達も、いや、ナザリック全体に共通する価値観なのだろう。モモンガが窮屈がるのも頷ける。

 

 なんせ、ついこの間まで一般人だったのにいきなり支配者然とした態度を望まれ、四六時中ボロを出さないように気を張っているのだ。数日とはいえ、よくやってこれたものだ。

 

 っていうかあいつを見てて思ったが、支配者らしい演技が板に付きすぎている。もうコイツ魔王でいいんじゃね?と一瞬思ってしまったが、そんな軽いノリで余計な事を考えていると……。

 

《……》

 

 いかん。シエル先生が何か言いたげにしている。余計な事を考えるのはやめよう。でないとただのノリで思っただけの事を本当に実現してしまいかねない。先生は本当に油断ならないのだ。

 

 モモンガがNPC達を大切に思っているのは確かだ。だがそれは友人が作ったから、という点に執着しているように思える。それは言い換えれば、NPC達に正面から向き合っていないということになる。

 

 それを批判するつもりは無いけど、いつまでも気を遣って他人行儀にするのは疲れるし、無理があると思うんだよなぁ。長い付き合いになるんだから、もう少し砕けた態度も見せ合った方が楽で良いと思うんだが。

 

 まずは適度に休暇を取得させたい、ということだが、これは結構切実だったりする。コイツら、マジで休もうとしないのだ。最早勤勉を通り越して、ある種の病気を疑わなければならないレベルである。疲労を無効化するアイテムが有るとはいえ、働き詰めではいつか破綻してしまうのではないかとモモンガは心配しているのだ。

 

 昨晩、夜中の三時に()()()()()()()()を集めたらしいのだが、起きている奴だけと言ったにも拘わらず、()()()()()()()()()揃ってしまったとモモンガが嘆息していた。

 

 しかも、メイド達に休暇を取るよう命じたら、毎日仕事をする喜びを取り上げないで欲しいと即日嘆願書を提出されるわ、守護者達はそもそも休暇の意味すら知らないわというブラック企業も真っ青な労働環境である。そこからかよ!と思わず突っ込んでしまった。

 

 これを正常化しなくてはモモンガがストレスで禿げ……はしないか。既に抜ける毛がないし。死ぬ事も無いよな。アンデッドだからもう死んでる様なものだし……。だがとにかく精神衛生上良くないな、うん。

 

「君達が主人を敬愛し、忠義を捧げているのは勿論知ってるさ。そんな主人が君達に休暇を取らせたいと言っている。さあどうする?」

 

 ごくりと唾を飲み込む面々。モモンガの意図がまるでわからない、という様子だ。意図も何も、ただ働きすぎてるから休ませたいだけなんだが。苦笑しそうになるのを我慢しながら、俺は言葉を続ける。

 

「はぁ、お前らにとっては主人の為に働く事が余程幸せなようだな」

 

「勿論でありんす!アインズ様のご命令なら、どんな事でも喜んで   

 

「じゃあ、働くなって命令されたら?」

 

 シャルティアが腰に手を当てて自慢気に胸を張っていたのが、急に表情を失う。なんでだよ、どんな命令も喜んで聞くんじゃないのか?

 

「あのなぁ……休む事を極端に恐がってないか?自分は要らないと思われてるんじゃないか、とかそんな風に思うことは無いんだぞ?」

 

 しもべ達にとってモモンガは大きな精神的支柱になっているようだ。モモンガという名の「至高の御方」という存在に依存している状態とも言える。ナザリックが、モモンガが彼らにとっての世界の全てだといっても過言では無いだろう。まるで小さな子供が親との関係が世界の全てのように思っているのと同じだ。この世界観をもっと広げてやる必要がある。荒療治になるが、あの手でいくか。

 

「お前ら、ナザリックの外の世界をどれだけ知っている?世界には本当にお前らが至高と仰ぐ存在に並び立つような存在はいないのか?」

 

「そんなの居るわけが  

 

「ないかどうか、確かめましたか?」

 

 口を挟んだディアブロの言葉に、アウラは口をつぐむ。

 

「外の世界を確かめもせず何故そんな事が分かるんでしょうか?」

 

「そ、それは……」

 

「そもそも根拠は何でしょう?ナザリックしか知らないからナザリックが最高?その理論では、最高であると同時に、最低でもあると言えてしまいますねえ」

 

 ディアブロの余りにも歯に衣着せぬ物言いに、場の雰囲気が一斉に変化する。

 

「おや?部下がこの程度でいきり立って暴力に訴えるようでは主人の程度が知れる   

 

「う、ぎぎぎぎっ……!」

 

 俺がそれを言葉にした瞬間、シャルティアが激昂しかけるが、デミウルゴスが肩を捕まえた事で、どうにか歯を食い縛り、ギリギリ踏み止まった。今にも飛び掛かってきそうな殺気を帯びているが。かなり力を込めたのだろう、シャルティアの肩にデミウルゴスの爪が深く食い込んでいるが、シャルティアが痛がる事はない。止めたデミウルゴスの方も眉間には皺が寄っており、感情を抑えきれてはいない。

 

  などと、つまらない誤解を与えかねないぞ?」

 

 本当は此処で手を出してくれた方が効率的に事を運べたんだが、これはこれでディアブロに対しての牽制にもなるだろう。なにかあるとすぐにぶっ殺そうとするからな、ディアブロは。

 

 意地悪なやり方だとは思う。しかし、これはこの子達の為なのだ。

 

 この子達はナザリックの中しか知らないのに、ナザリックを最高と決めつけて、外の世界を嘗めてかかっているフシがある。下手すれば、誰彼構わずケンカを吹っ掛けて、際限無く敵を呼び込みそうなのだ。流石にそんなの俺もフォローし切れないし、他のプレイヤー達には良い的にされてしまうだろう。ここはゲームの世界とは違うのだから、それでは困るのだ。喧嘩を売るんじゃなく、慎重に対話で距離を取ることを覚えて欲しい。

 

 ずっとナザリックの外に出られなかった彼らは、まともな戦闘経験など無いはずだ。能力や相性面では劣らない相手にも、経験が皆無に等しい状態では、勝てる見込みは薄いだろう。以前乗り込んで来た程度のお粗末な奴等なら何とかなるかもしれないが、上位プレイヤーが相手となれば、NPCに勝ち目など無い。それほどに経験は重要だ。

 

 モモンガはそれを証明する良い例である。彼のキャラクタービルドは魔王ロールに合わせた、いわゆる「ロマンビルド」というやつで、ガチで戦闘で勝つことに拘った「ガチビルド」には能力面で一段も二段も劣る。しかし、総合的なPVP戦績は上位プレイヤー相手でもかなり高い。戦術面の不利を戦略面でカバーし、異常なまでに勝率を引き上げているのだ。ぷにっと萌えが教えたPK術のお蔭らしいが、それを自分のものとしたモモンガの努力の賜物でもある。

 

「で、根拠の話だったな。何かあるのか?」

 

「……ナザリックに、二千もの敵が攻めてきた事があるんです」

 

 マーレがポツリと呟くように言うと、皆が沈痛な重い表情を浮かべる。誰しも触れたくない話題なのだろう。

 

「ボクは、ボク達は、守護階層を守りきれなくって……やられちゃったんです。でも、第八階層で全部駆逐されたって……後で知りました。至高の御方々が皆やっつけて下さったって。だ、だから……その」

 

 デミウルゴスとシャルティアは渋面を作り、アウラとマーレは今にも泣き出しそうな顔をしている。コキュートスは冷気を帯びた呼気を勢いよく吐き出した。彼らにとっては、自分が任された階層を守れず死んでしまい、あまつさえ主人の手を煩わせてしまったという、恥ずべき失態なのだ。

 

「千五百名以上のプレイヤーを相手に少数で撃退した。それが根拠か。だが同じことが出来る奴は他にも居ると言ったら?」

 

「ナニ!?」

 

「嘘!?」

 

「嘘じゃないさ。因みに、嘗て此処へ攻め込んだ奴等の強さは、プレイヤーの中では中の上。はっきり言って数が多いだけの格下だ。もっと強いヤツはゴマンと居る。『アインズ・ウール・ゴウン』より強い奴もな」

 

「馬鹿ナ!ソノ証拠ガ何処ニアル!」

 

「く……っ!」

 

 コキュートスは思わず声を荒らげる。デミウルゴスは可能性を想定はしていたがそれでも受け止め切れない、と言ったところか。

 

「ゴ、人間(ゴミムシ)風情が……っアインズ様を侮辱するとは……!」

 

「ナーちゃん!やめるっすよ!うわっ」

 

 ここへ来て、沈黙を保っていたナーベラル・ガンマが突如として怒りを迸らせる。ルプスレギナが制止しようとするが、至近距離で両手からバチバチと雷を迸らせるナーベラルは、既に止まる気配はない。

 

「アインズ様のお慈悲によって生かされているだけの寄生虫(アニサキス)が、図に乗るなよ!!!」

 

「ナーベラル!自分のしていることが分かっているの!?」

 

「止めなくていい」

 

 俺は止めに入ろうとするユリを制止した。俺の言葉を聞いて、他の守護者達も傍観を決め込む。彼らは俺の正体の片鱗を掴む事を狙ってもいる。ナーベラルへの対応を見ることで、何か掴めるかもしれないと期待している様だ。

 

「ユリ姉さん、分かっているわ。アインズ様のご命令に背く事だということは。だから、そこの下等生物(ウジ)を駆除した後で、どんな罰でも受けるつもりよ!」

 

 悲壮な決意を固めるナーベラル。彼女の種族〈二重の影(ドッペルゲンガー)〉は種族レベルに応じて幾つもの姿に変身できる種族だが、彼女の種族レベルは1で、今の姿にしか変身できない。その代わり職業レベルにレベルの全てを振り分けており、魔法に重点を置きつつ、戦士系の職業も修めているため、武器もそこそこ扱える。

 

 そんな彼女が最も得意とする魔法を詠唱する。見敵必滅を決意して   

 

 〈二重最強化(ツインマキシマイズマジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴンライトニング)!〉

 

 強化された第八位階の魔法は放たれ、のたうつ二匹の龍の様な電撃が俺に迫る。俺は口を開け、その龍を   

 

 

 

 

 

 喰った。

 

 

 

 

 

 

「そ、んな……?」

 

 目を見開き驚愕するナーベラル。一同には放たれた魔法が俺の口の中に吸い込まれた様に見えただろう。実際喰ったんだが。

 

「うーん、別にそう旨いもんでもないな……」

 

 淡々と感想を述べる俺に、守護者達まで唖然としている。

 

「な、何なんでありんすか、今のは!?」

 

「ん?見たまんまだぞ?喰った」

 

「はあああ!?」

 

「や、やっぱり、凄い人だったんだ……」

 

 皆驚いてくれているが、中でも食い付きがいいのはやっぱり子供達だ。マーレには既にモモンガとの仲を知られている為、反応がより好意的なようだった。

 

「く……っ」

 

 魔法を喰われたナーベラルは、無念そうに膝をつき、何処からか取り出した剣で首を……って!

 

「ちょ、待て!」

 

 慌てて俺が剣を取り上げる。周りは何故かナーベラルの行動を止めようともしない。そしてナーベラルは何故か俺を怨めし気に睨み付けてくる。

 

「お前ら……止めないのか?」

 

「ナーベラルはアインズ様のご命令に背きました。罰を受けるのは当然かと……」

 

 ソリュシャンが静かに淡々と答えるが、俺は納得いかない。

 

「だからって、何も死ぬこと無いんじゃ……」

 

「アインズ様の命令は絶対なの!それに、これはアタシ達の問題だから、あんたには関係無いでしょ!?」

 

「もしかして、命令守らなかった奴は、言うこと聞かない奴は死ねって、そう命令されてるのか!?」

 

 アウラの発した言葉にミリムが声を荒らげ、横から口を挟んでくる。あいつがそんな事を命令するとは思えないが、俺も少し気になってしまう。ミリムの鬼気迫る態度にアウラはぎょっとして口ごもる。

 

「どうなんだ!?」

 

「そ、そう命じられた訳じゃないけど……」

 

「クフフフフ、自分が忠義を捧げる主人に断りもなく勝手に死ぬと言うのですか?」

 

 ここでディアブロが口を開いた。変なこと言い出さないかと俺は心配しつつも言いたいようにさせる事にした。

 

「忠義を捧げる主の為に自らの命を捧げるという心意気は認めますが、死が償いになるという考えは感心しませんね。しもべたるもの、生も死も主の御心に従うべきであり、勝手な判断で死を選ぶなどあってはなりません。違いますか?」

 

 ディアブロの言っていることはちょっと行き過ぎな気もするが、確かに失態を犯したからと言って、勝手に死なれたりしたら困る。モモンガだってそう思ってる筈だ。ディアブロの指摘に対し誰も反論できず、黙り込む。

 

「じゃあこうしよう。この件はアインズさんが帰ってきたら判断を仰ぐ。だから今勝手に死ぬな。な?」

 

「……仕方ありません。確かに、私の一存で命を絶つのは不敬に当たる恐れがありますので……」

 

 ナーベラルも渋々ながら俺の提案を飲んでくれた。あいつなら間違いなく止めるだろうけどな。

 

「じゃあそういうことで、授業に移……る前に、やっぱりちょっとゲームをやるか」

 

 俺はやっとの事で本来予定していた事を始める事にする。ここまで漕ぎ着けるのにどんだけかかってんだと先が思いやられ、頭を抱えたくなったのは秘密だ。

 

「ゲームって……何をするんですか?」

 

 興味ありげに聞いてくるマーレに、俺は満面の笑みで答える。

 

「鬼ごっこだ」



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#44 アクシデント

 守護者達が黒と()()の悪魔に追い回されている頃、カルネ村へと赴いていたアインズは、まだ村を出られずにいた。

 

 ヴェルドラ達と別れてすぐに帰ろうと思っていたのだが、ネムから頭を撫でてほしいとせがまれたのだ。姉のが頭をナデナデされていたのを見て羨ましく思っていたようだ。ネムからのお願いを聞いたのを見て、村の子供達も集まり出した。全員行儀よく並んで待っている。

 

「す、すみません。ネムがワガママを言ったせいで」

 

「なに、構わないさ。……ん?」

 

「何してるのお母さん!?」

 

「え?うふふっ」

 

 何故か子供達と一緒になって並んでいるアメリとアルベド。そこへ並ぶという事はつまり、そういうことだろう。

 

「アルベド。お前も、か?」

 

「「だめ、でしょうか……?」」

 

(いやだって……大人じゃん?)

 

 瞳を潤ませて上目遣いで見つめてくるアルベドとアメリ。アインズに撫でられる子供達を見てしかめっ顔をしていたアルベドを大人げないと嗜めたのだが、意気消沈していたアルベドにアメリが何やら耳打ちしていたのを思い出す。子供の列に混じって自分も……というつもりのようだ。アメリ本人もちゃっかり並んでいる。しかし、大人と子供では事情が違ってくる。大人の女性の頭を撫でるのは如何なものか。

 

(これってセクハラなんじゃ?でも本人が希望してるんだし、この場合は問題はないか?むしろ据え膳食わねば何とやら……いや違う。違うよな?)

 

 アインズの中で社会人の良識と、男の煩悩が同時に囁き合う。天秤は僅かに煩悩に傾きかけるが、しかしやはり人前でというのは気恥ずかしいものがある。

 

「んんっ、アルベド。ここではなんだし、お前は帰ってからゆっくりだな……」

 

「くっふー!ありがとうございますっ!」

 

「あ、うむ……」

 

 すごい勢いで返事をされ、アインズは何だか余計に不味い事態になった気がしたが、深く考えるのはやめた。

 

「アメリさん、今回だけですからね?」

 

「ありがとうございます」

 

「ああ、そ、そんにゃトコロまでぇ……」

 

 最早アルベドの脳内では色々な所を撫で回されているらしかった。腰をくねらせながら妄想の世界へと旅立ったアルベドは一旦放置して、アメリの頭を撫でる事にした。実年齢はともかく、見た目はエンリとそう変わらない。子供と同じだと無理やり自分に言い聞かせて、手を伸ばす。

 

「わぁ……」

 

 童顔でまだ若く見えるアメリだが、子供のように目を輝かせて頭を撫でられる様は更に幼い印象で、本当に少女のようである。

 

「何だか安心しますね。子供の頃に戻ったみたい」

 

「あ、それ私も思った。凄く安心できて、小さいときお父さんに頭を撫でてもらったのを……」

 

 アメリの呟きにエンリも同意するが、すぐに表情を曇らせる。亡くなったばかりの父の事を思い出してしまったようだ。しかしアメリからは悲しそうな表情は見られない。むしろ愛しい思い出を懐かしんでいるようである。夫を、大切な人を失ったのに、どうしてそんなに平然としていられるのか。自分はただ彼らの像の前で力無く蹲り、悲しむ事しか出来なかった。彼女のように前に進もうとなんて出来ず、ただ何かにしがみつくようにユグドラシルにログインを続けていた。いつかひょっこり彼らが顔を出してくれるような気がして。それは都合の良い幻想でしかないと解っていても。

 

「何故……」

 

 アインズは撫でる手を止め、疑問を思わず口に出してしまった。アインズの意を汲み、アメリはエンリとネムの方へ向きながらゆっくりと口を開く。

 

「愛する夫を失って悲しくないわけはありません。でも、私にはエンリとネムがいます。いつまでも悲しんで立ち止まってはいられません。私はこの子達の母親なんですから」

 

 彼女は自らに言い聞かせるように静かに、しかし力強く言葉を紡ぐ。

 

「お母さん……っ!」

 

「お母さんはずっと一緒だよね?」

 

「あらあら、エンリまで。そんなに泣いちゃ、お父さんが悲しむわよ?お父さんの分まで精一杯生きなきゃね」

 

 涙を溢す娘二人を抱きしめて優しく宥めるアメリは、先程までとは違い、暖かく包み込むような優しい母の顔をしていた。

 

 アインズはその姿を茫然と見つめながら、ある古い記憶を思い起こしていた。胸にチクリと痛みが走る。名状しがたい何かの痛み。それはあのとき   ユグドラシルのサービス終了の瞬間に感じた痛みに似ていた。その痛みも一瞬で消え去る。気のせいかと思うくらいの小さなものであったが、それが何故かやけにはっきりと感じられた。

 

「成る程。母は強し、ですね……。さて、私はそろそろ行きます。行くぞ、アルベド」

 

「あ、はいアインズ様。では、ごきげんよう」

 

 アインズは内心の僅かな動揺を悟られないよう、平静を装って平坦な声で別れを告げる。淑女然とした笑みでアルベドも別れを告げ、振り向いた次の瞬間には目を爛々と輝かせながらアインズに付いていく。

 

 

 

「……ね」

 

「え?何か言っ……」

 

 アインズ達を見送った後、アメリは何事か呟いたようだった。聞き逃してしまった尋ねようとしたエンリが見たアメリの横顔はエンリが普段見たことのないような、悲しそうな表情をしていた。しかしその表情は一瞬で、すぐにまたいつもの優しい顔に戻っていた。

 

「何でもないわ。さぁ、お昼にしましょ。二人とも、お手伝いしてね」

 

「はーい」

 

「あ、うん……」

 

 エンリは何となく違和感を覚えたが、気持ちを切り替えて昼食の支度を手伝う為にアメリの後をついていった。

 

 

 

 

 

「アインズ様、そ・ろ・そ・ろ。よろしいのでは?村からは見えなくなりましたし、この辺りで……くふ……」

 

 情欲に目を血走らせたアルベドが、猛獣のような笑みを浮かべながら、然り気無く距離を詰めてくる。ここで頭を撫でて欲しいということだろう。しかしここでそれをするのが如何に危険かということはアインズにも想像がつく。昨日村に入った時の事を思い出す。あのときはセバスがいて助かったが、守護者達はリムルの授業に出ているはずだし、側に止めに入れる者が居ないこの状況では、助けを呼んでも駆けつけた頃には色々と失ってしまうかもしれない。

 

(俺は骨なのに、この反応はおかしいよなぁ。シャルティアなら死体愛好家(ネクロフィリア)設定だからまだ解るとして……いや、それもどうなんだ?)

 

「ア、アルベド?……おち、落ち着け」

 

 後ろへ付いてきていたアルベドは既に隣まで迫り、互いの距離は十数センチという所まで縮まっている。心なしか彼女に乱れた息遣いが耳元まで迫るように聴こえる。まるで捕食者に怯える獲物のような心地だ。

 

(こ、こうなったら……!)

 

「もう……もう辛抱たまりません!アインズさまぁ~ん!」

 

上位転移(グレーターテレポーテーション)!」

 

 辛抱しきれずアインズに飛び付こうとしたアルベド。しかし、アインズの唱えた転移魔法によって二人同時に転移していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アインズさまぁ~ん!」

 

 ガシッ。

 

 ナザリック地下大墳墓の表層に転移した瞬間アインズの目に映ったのは、自分に向かってダイブしようとするアルベドを、ジャージ姿のシャルティアが後ろからガッチリと掴まえる姿だった。

 そしてそのまま   

 

「おんどりゃー!!」

 

 ズン、と大地が揺れる。シャルティアがアルベドを抱えたまま、後ろに体を反らせて叩き付けたのだ。不意にジャーマンスープレックスを極められたアルベドは、がに股で頭から地面に突き刺さっている。白いドレスの裾が重力でずり落ち、見えてはいけない部分が露になっていた。アインズはびっしょりと濡れて張り付いている部分を見てしまい、思わず目を逸らす。

 

(し、白っ!濡れっ透けっ!)

 

 激しい興奮と動揺をしたことで、精神が強制的に鎮静化され、真っ白になった頭の中に思考を取り戻した。童貞の彼には刺激が強すぎた。どうにか心の叫びを口に出していなかったという奇跡に、安堵の溜め息を吐く。

 

「ふん、油断も隙もありゃしない!」

 

「ちっ……」

 

 アルベドは半ば土中に埋まりかけていた頭を抜き取り、シャルティアを恨めしそうに睨む。

 

「はぁ、ほ~んとイヤねぇ、とうの立った賞味期限切れの()()()()は。忙しなくてかないんせん……」

 

「そういう貴女の方は保存料を大量に添加しているようだけど、食べる所はあるのかしら?」

 

「……ぶっ殺されてーか、ああん?」

 

「誰が賞味期限切れだ、ゴルァ!」

 

 互いに罵り合い、殺気を剥き出しにする二人。今にも血みどろの殺し合いが始まりそうな空気である。自分の正妻の座を争っている事を知らないアインズは、まさか自分が原因だとはつゆ知らず、この二人って仲悪いんだな、と呑気な事を考えていた。セバスが跪き、猛禽のような鋭い視線を向けて来ていた。よく見れば額に汗が浮かんでいる。

 

「アインズ様、お戻りになられたばかりの所を申し訳ないのですが、第六階層にてリムル様がお待ちでございます」

 

「ん、何か問題でも起きたか?」

 

 リムルの事だ。きっと自重せずわがまま放題やってくれたんだろう。守護者が反発して喧嘩にでもなったのかもしれないと当たりをつける。流石にアルベドのような酷い目には遭っていないと思いたい。

 

「は、どうやらその様で。しかし、私も詳細までは……」

 

「ふむ、情報の共有は重要だぞ?まあ良い。アルベド、シャルティア。そろそろ児戯はやめよ」

 

「「は~い」」

 

 アインズの一言で、先程の殺伐とした雰囲気が一瞬で消え、笑顔で返事をする二人。

 

(うーん、喧嘩するほど仲が良いってやつかもな。うん、そうに違いない)

 

 セバスから受け取った指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を嵌め、シャルティアとアルベドを伴って第六階層へと転移した。そこに居た守護者達はアインズの気配を瞬時に察知し、その場に跪いた。リムル達もアインズの方へ向き直る。しかし、参加すると聞いていたプレアデスの姿が見当たらない。問題とは、彼女等の身に何かあったのだろうか。そして何故か恐怖公が居た。彼は黒棺(ブラックボックス)を守護する領域守護者。王冠とマントを身に付け、杓を手に持った、身長30cm程の()()()()だ。普段守護領域から出ることがない彼が、何故此処に居るのか。アインズは何か嫌な予感がする。

 

「申し訳御座いません。アインズ様のご要望に沿うことが出来ず、我が身を恥じるばかりに御座います。それに、闘技場も破壊してしまいまして……」

 

 デミウルゴスに申し訳なさそうに言われ、改めて周りを見ると、壁に亀裂が走っていたり、地面に何かが這い回ったような跡があったりと、確かに破壊痕がそこかしこに散見された。彼らの着用するジャージもボロボロである。

 

(……やっぱり戦闘訓練か?それに守護者達の顔色も良くない所を見ると、ディアブロ辺りにコテンパンにされたって所かな。直接何かされたことは無かったけど、()()()()で迫られると、下手に凄まれるより怖いんだよなぁ)

 

 アインズは魔物の国(テンペスト)で体験した修行の日々を思い出し、思わず守護者達に同情的な眼差しを向けてしまうのであった。

 

「ふむ、この程度であれば想定の範囲内だ。問題とはこの事か?」

 

 これだけであれば許容範囲と言えるが、この雰囲気から察するに、そうでも無さそうだ。やはりプレアデスが居ないことが気にかかる。

 

「いえ、それが……」

 

「デミウルゴス!ここで起きたすべてをつまびらかにしなさい!」

 

「落ち着け、アルベド。……デミウルゴス、順を追って報告せよ」

 

 若干興奮気味のアルベドを宥めつつ、デミウルゴスに報告を促す。

 

「あー、俺から話そうか?」

 

「いえ、これ以上あなたの手を煩わせるわけにはいきませんので……」

 

 歯切れの悪いデミウルゴスを見兼ねたようにリムルが声をかけるが、デミウルゴスは断った。彼の詫びるような態度は、ナザリック側に何らかの瑕疵があるように思われた。

 

「如何なさいますか、アインズ様?」

 

「ふむ……」

 

 アルベドに判断を求められたアインズは一旦鷹揚に頷き、どちらに説明を求めるべきか考える。リムルにはあとでゆっくりと補足も含めて聞くとして、まずは部下であるデミウルゴスから聞くのが無難そうだ。そう判断したアインズは、デミウルゴスに報告を促した。

 

「デミウルゴス。お前の報告を聞こう」

 

「はっ、畏まりました!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デミウルゴスの報告によれば、起きた問題は二つ。プレアデスから途中で気絶者が出た事。これは何となく察しはついてはいたが、もう一つが問題であった。ナーベラル・ガンマがリムルに対し数度に渡り無礼を働いたというのである。

 

 シャルティアやアウラも始めのうちはリムルを快く思っていなかったようだが、アインズの客将ということでそれなりに自制は出来ていたらしい。それなりというのがどの程度かは気になったが、今問題となっているのはナーベラルの方である為、触れずに後回しにする。

 

 ナーベラルはリムルに対し、幾度も殺意を持って攻撃を仕掛け、或いは激しく罵倒したという。頑なにリムルを拒絶し、その動機についてはリムル本人は勿論、プレアデスの長女ユリが問い質しても口を割らなかった。結局コキュートスが彼女を拘束して第五階層の氷結牢獄へと連行された。ユリ達は彼女への付き添いを希望し、リムルがそれを許可したため、授業は一時中断していたのだった。

 

「成る程。動機は不明だが、ナーベラルが激しい拒絶反応を示したか。……因みに心当たりは無いのか?」

 

 報告を聞き終えたアインズがリムルに問うが、首を横に振る。

 

「全く身に覚えはない。まさかあんなに嫌われるなんてな……」

 

 リムルの台詞を聞いていたシャルティアとアウラがそれとなく抗議するような視線を向けていた。どの口が言ってるんだ、とでも言いたげである。アインズはそれに気付き、リムルに質問を重ねる。

 

「リムル……授業で具体的に何をやったか、訊いていいか?」

 

「何って言われても、鬼ごっこやっただけだぞ?最初は守護者とプレアデス全員が鬼、次に攻守交代して……」

 

「鬼はディアブロ殿と吾輩が努めました」

 

 名乗り出たのは恐怖公だった。

 

「ほう……?面白い人選だが、階層守護者が相手では分が悪過ぎるのではないか?」

 

 アインズの指摘した通り、階層守護者のレベルが軒並み100であるのに対し、恐怖公のレベルは30程。10違えば勝負を覆すことは殆ど不可能と言われるユグドラシルの常識に照らせば、レベルが50~60帯のプレアデスが相手でも勝負にならないだろう。

 

「って思うだろ?ところが……」

 

「吾輩もシルバーに跨がれば戦力となり得るということが此度証明されたのですよ」

 

「ん?」

 

 誇らしげに胸を張る恐怖公の言葉に、アインズは疑問符を浮かべる。

 

(シルバーなんて奴、いたっけか?一応転移してから、ナザリックの全NPCの設定は確認したはずなんだけどなぁ……)

 

「シルバーか……」

 

 アインズはどんなやつだったか聞くわけにもいかず、取り敢えず知ったかぶりをする。

 

「如何にも。るし☆ふぁー様が吾輩の為に作成して下さったゴーレム、シルバー・コックローチでございます」

 

「スターシルバーでコーティングされた体長3mのゴキブリ型ゴーレムなのだ。ふふふ、カッコ良いのが居るではないか。レベルは70そこそこだが、動きはなかなかのものだったぞ?」

 

(ゴーレムか、盲点だったな。て言うかるし☆ふぁーさん(あの野郎)、希少金属を勝手に使いやがったな……)

 

 勝手にギルドの財産を使い込んでいたギルドメンバーに、アインズは若干に苛立ちを覚える。文句を言おうにもそれをぶつける相手はもう居ない。そう思うと込み上げる寂寥感を、誤魔化す様に口を開く。

 

「ディアブロとタッグを組んだ訳か。手応えはどうだった?」

 

「クフフフフフ、楽しませていただきましたとも」

 

 ミリム一人テンションが上がっているが、それ以外の、特に女性達は顔を青ざめている。プレアデスより高レベルの巨大ゴキブリ。そんなヤツに追いかけ回されれば女性にとってはトラウマものだろう。ディアブロは良い笑顔で嗤っていた。

 

「はー、お前らは本当にやりたい放題やってくれる……」

 

 アインズは思わず額に手を当て、溜め息を吐く。

 

「あー、うん。ちょっとやり過ぎたかも知れないけど、いくらなんでもあそこまで嫌われるなんて事はないはずだぞ?なんていうか、授業を始める前から執念めいた何かを感じたような……」

 

「……執念、か。わかった。ナーベラルとは直接私が話してみるとしよう」

 

 いけ好かないと思っていたのが拗れたんだろうな、と予測を立て、少しばかり事態を軽く見ていたアインズは、この後ナーベラルからとんでもない爆弾を投下される事となる。




「モモンガを愛している」と設定していないため、アルベドが自分に恋しているとは未だに気付いていないアインズ様でした。


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#45 ナーベラルの抱えた事情

このところ更新が鈍くなっていますが、エタっているわけではないんです。すみません。


 ナザリック地下大墳墓第五階層。

 

 そこは侵入者を遭難させる程に吹雪く事もあり、冷気耐性がなければただ足を踏み入れる事すら自殺行為とも言える極寒地帯。

 

 その一角に場違いな雰囲気を醸す、二階建てのメルヘンチックな洋館がポツンと佇む。氷結牢獄。その内部は外部よりも更に寒く、廊下は青白い氷に被われている。

 アインズはセバスを伴い、ゆっくりとその中へと足を踏み入れた。

 

 アインズは此処へ向かう途中、セバスからナーベラルの最近の様子を聞いていた。セバスによると、()()()()から、急激に仕事に精彩を欠く様になり始めたという。そしてアインズに「供は許さん」と言われ、目に見えて落ち込んでいたらしい。

 

 アインズは自らの我儘な欲求のために軽率な行動を取ったせいで、ナーベラルを想像以上に深く傷付けていた事に気が付いた。あのときセバスは怒っていると思っていたが、ナーベラルの気持ちを慮り、彼女が挽回する機会を得るために必死だったのだと今なら分かる。

 

 それなのに、あれ以来無意識に彼女との接触を避けていた。あの泣き腫らした目を思い出して、何となく気まずく思っていたのだ。忙しかったせいもあるが、そんなものは言い訳にもならない。

 

 自分は部下のケアもろくに出来ない最低な上司だと、今も自責の念に駆られ続けている。こんなときに限って精神の抑制は働かず、キリキリとアインズの無いはずの胃を痛め付ける。

 

(まさか俺のあの一言でそんなに傷付いてたなんて)

 

 ナーベラルがリムルに対して攻撃的になっていたのも、自分の彼女への何気無い一言が影響しているかも知れないと思うと、何とも言えない罪悪感が沸き上がってきた。

 

「ナーベラルの件は全て私が責任を持って対応する」

 

「……具体的にはどうなさるおつもりなのでしょうか?」

 

 セバスは血色の悪い顔で心配げに訊ねる。彼も直属の上司として責任を感じ、ナーベラルの身を案じているのだろう。

 

「……私一人でナーベラルから事情を聴取する」

 

「そ、それは……」

 

 危険では。ナーベラルは精神的に不安定になっている。少しの刺激で錯乱状態に陥ってしまうかも知れない。至高なる御身の玉体にもし傷でも負わせようものなら、今度こそナーベラルは即座に誅殺される。

 

「アインズ様。御身にもしもの   

 

「却下だ」

 

「ですが……!」

 

 アインズがセバスの提案を言い切る前に棄却する。なおもセバスは食い下がろうとするが、アインズは手を上げてそれを制止した。

 

「落ち着け。複数名で行けばナーベラルを徒に刺激しかねない。かといって相手が私以外ではプレアデスや守護者達同様口を割らない可能性が高いだろう」

 

「それは……しかし御身お一人でというのは、承服致しかねます」

 

「セバスよ、私がアルベドではなくお前を連れてきた理由がわかるか?」

 

 唐突なアインズの質問に、セバスは必死に考えを巡らせる。

 

「……私がナーベラルの直属の上司だから、でしょうか?」

 

 結局、他に心当たりは浮かばなかった。

 

「ふむ……。それもまあ、一つあるが……アルベド達は連れて行くべきではないと思ったからな」

 

 ナーベラルのもとへと向かおうとしたアインズに、ナーベラルを誅殺すべきと最初に進言してきたのはアルベドだった。

 

 確かにナーベラルの行いは、ミスで済まされるレベルのものではない。リムル達を客将として遇するというアインズの意に背く行為を自らの意思で行ったのだから。

 

 その場に居た守護者達の多くも異口同音で、その時点で謀叛と判断し、処刑もしくは自死するべきだと言ったのだ。しかし、リムルがアインズに裁量を委ねるべきだと言い出した事で、誰も手を下さず、でなければ既にナーベラルの命はなかったという。

 

 それを聞いたアインズはショックを受けた。失態を犯したとはいえ、ギルドメンバー達が残してくれたかけがえのない子供達に変わりはないのだ。それなのに、アルベド達は同じナザリックの仲間であるはずのナーベラルを殺すべきだと進言をしてきたのだ。

 

 守護者あるいは守護者統括という責任ある立場だから仕方なく、なのかもしれないし、プレアデスならもう少し違った反応を見せたかも知れない。理性がそう言い訳をするが、それでもアインズは堪らなく悲しい気持ちになった。

 

(友人から預かった子達が主人の、俺の為と言って仲間を殺す?忠誠のため?そんなの馬鹿げてる……)

 

 精神の沈静化が働いたお陰で怒鳴り付けたりはしなかったが、苛立ちを含んだアインズの「もう良い」というひと言に全員が黙り混み、顔を青ざめていた。思った以上に不機嫌な声を出してしまったことに驚いたアインズは、逃げるようにセバスを連れ、ナーベラルのもとへ向かった。

 

「私はナーベラルの行いを頭ごなしに責めるつもりはない。許すにせよ、罰するにせよ   『動機』を確かめなくてはならない。表面的な事象だけを見て罰を下すのは浅慮に過ぎる。問題の根底にあるものを究明し、適切な対応を取らなければ真の解決にはならないからな」

 

(殆ど朱雀さんの受け売りだけどな……)

 

 ギルドメンバー最年長の死獣天朱雀であった彼は大学教授をしているだけあって、かなり博識であった。社会学や歴史学、医学、心理学、情報工学といった学術的な知識ばかりでなく、一般常識やビジネスマナー、如何わしい裏事情にも精通しており、様々な知識を彼に与えてくれた。理解するのも難しい内容は多かったが、それでも彼が教えた学生達よりずっと見込みがあると誉めて貰えた。

 

「おお、流石はアインズ様、そのようなお考えでいらっしゃったとは……愚昧なる私に教えていただき、有り難う御座います」

 

 感服したというセバスにアインズはまた質問を投げ掛ける。

 

「前にも同じ問いをしたが、()()()()()()()()?」

 

「わ、私で御座いますか……?」

 

 襲われているカルネ村を発見した時と同じ問いである。あのときは主人の決定に従うと答えた。しかし、深い智恵を持つ主人が、同じ解答を望んで同じ質問をするとは思えない。あのときとは違う解答を望まれていると悟ったセバスは、暫く躊躇し、そして意を決して口を開く。

 

「私は   

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は牢の中で膝を抱えて座っている。拘束具こそ付けられていないけれど、外の世界と隔絶する独房の格子が私の今の立場を嫌でも思い知らせてくれる。

 

『氷結牢獄』の名前の通り、此処はナザリックに敵対した者を放り込む牢獄なのだから。

 

 ナザリック地下大墳墓の主人が招き入れた客将に無礼を働いた不忠者。ナザリックに属する者なら誰もが自死を懇願したくなる程の不名誉。けれど、自死すら今の私には許されていない。私の行動は至高の御方の名誉を穢してしまったという点に於いて弁明の余地はなく、厳罰に処されて然るべきだと思う。

 

 私を創造して下さった弐式炎雷様を初め、至高の御方々は次々と御隠れになられた。私を含め、ナザリックの守護者様方も大層寂しそうになさっていたけれど、いつかお戻りになられる日が来ると信じていらっしゃる。何より、今尚厳然と君臨しておられるアインズ様が、私達に希望の光を照らしてくださっている。

 

 ただ、他の方々の事は分からないけれど、弐式炎雷様が二度とお戻りになる日は来ない。それをナザリック内で()()()は知っている。

 

 ほんの偶然だった。至高の御方々がいつお戻りになっても良いようにと、清掃に精を出していたある日、通りがかった廊下で立ち話をされる御二方の会話が耳に入ってきた。

 

 聞き違いだと思いたかった。しかしはっきりと聞こえてしまった。私の胸には誰にも打ち明けることが出来ない秘密ができ、その日から私は、それまで通りに仕事ができなくなってしまった。以前なら決してしなかったような単純なミスを何度も繰り返した。

 

 それでも、アインズ様の前では粗相の無いように全身全霊を込めて目の前の仕事に集中していたつもりだった。アインズ様は既に私の胸中の迷いなど見透かして居られたに違いない。私のような者がアインズ様にお仕えする事など許していただけるはずがなかった。

 今私たちが忠義を捧げられる存在はアインズ様しか居られないと言うのに、そのアインズ様から見放されてしまった私に、存在する価値はあるのだろうか。

 

 他の皆のように、至高の御方々のお帰りを信じて待つことが出来れば良かった。けれど   

 

 あの件について、お二方はアインズ様に秘密にしようと示し合わせておられた。きっとアインズ様が心を痛められぬよう、ご自身の胸に畳んでおくおつもりなのだと察せられた。そんな御方々の想いを踏みにじり、私如きが余計な口を挟む事など許されようはずもない。

 

 異世界へ転移してしまうという未曾有の事態に見舞われた今、あの秘密を知るのは私だけかも知れない。アインズ様はどのような些細なことも報告せよと仰った。お二人が守ろうとなさっていたあの秘密をアインズ様に明かすべき迷っていた。このまま黙っていればアインズ様に不敬、秘密を明かせばあのお二方に不敬となってしまう。答の出せないジレンマに苛まれている間に、事態は最悪の方向へと転がってしまった。

 

 アインズ様がお招きになった人間が、リムルと名乗った。奴がもし、あの御方が仰っていたあのリムルなら、危険すぎる。でも、奴は人間であるはずがない。しかも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて、なおあり得ない。ただの偶然。名前が偶々同じだけで、御方が口にされた()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 いくつも否定の言葉を重ねて心を落ち着かせようとしたものの、安心は出来なかった。結局私は奴の正体を掴む期を窺う事にした。本来ならば至高の御方がお招きになった客将の粗探しをするような行為は不敬だけれど、そうせずにはいられなかった。

 

 その機会は早々にやって来た。アルベド様の命で第六階層へ足を運ぶと、そこに奴と、階層守護者様方が居られた。初めは適度に客として接しつつ、慎重に奴の本性を見極めるつもりでいた。

 

 しかし、奴の口から飛び出た、至高たるナザリック地下大墳墓並びに至高の御方々に対する侮辱、冒涜にも等しき暴言の数々。たとえ客将であっても、許される範囲を超えている。最早()()()()()()()()などどうでもよくなって、栄えあるナザリックを侮辱する人間(ゴミムシ)を一秒たりとも生かしておけないと思い、私は行動を起こしてしまった。

 

 しかし、予想外の事態がおきた。ゴミたる人間に私の魔法がまるで通じないだなんて思いもしなかった。しかも至高の御方に不敬にあたるなどと尤もらしい理由を付け、自死を止められる始末。これでは私はただの愚か者だ。

 

 周囲にはアインズ様を尊重する様に見えただろうけど、もしも目の前の人間がリムルなら、こうやって周囲を巧妙に騙し、付け入る作戦なのかもしれない。初めから奴は私が疑いを持っていることに気付いていて、私を孤立させ、排除する為に罠を張っていたのでは?もし全てをアインズ様にお話ししても、私の言葉をアインズ様に信じさせないように。

 

 そう思えば全て辻褄が合う気がした。更にはその実力。守護者様方さえも翻弄されてしまう程の素早さと、魔法を無効化する能力(奴は喰ったと言っていたけれど、嘘かもしれない)。それが実力の一端に過ぎないならば、可能かもしれない。

 

 私に残された時間は少なかった。アインズ様がお戻りになるまでに始末を着けなければ、アインズ様にお会いする機会すらなくなる。そうなれば真実を闇に葬られたまま、全て奴の思い通りになってしまう。

 

 焦りを覚えながらも隙を窺い、何度も抹殺を試みた。でも、結果は散々だった。私の攻撃は尽く通じず、ついに私はコー君、コキュートス様に拘束され、牢へと入れられた。既に私への評価は地に落ちている。私は失敗したのだ。この展開が全て奴の思惑通りかも知れないと思うと、戦慄を覚えた。

 

 在りし日の弐式炎雷様のお姿を心の中に思い浮かべる。死と隣り合わせのような死地に飛び込み、誰にも気付かせることなく敵を背後から滅する事を得意とされた、隠密と暗殺を極めた偉大な御方。そんなお方が不覚を取るなど、信じられなかった。もう、私に出来ることは何もない。今更真実を明かしたところで、完全に信用を失墜した私の言葉は世迷い言として、誰一人信じて貰えないだろう。

 

(弐式炎雷様……申し訳御座いません。ナザリックの為、アインズ様の御為にと私なりに力を尽くしましたが、それも、これまでのようです……)

 

「ナーベラル。このところずっと様子がおかしかったけれど、今日はまるで貴女じゃないみたいだわ。本当にどうしてしまったというの……?事情があるなら言いなさい」

 

 ユリ姉さんが心配そうに何度も声をかけてくれる。そんな優しい姉に返事を返すこともできない。自分が罰せられるのは受け入れられても、姉達まで巻き込みたくはない。姉妹を先に持ち場へ戻らせた姉は、何度も私に問いただし、動機を探ろうとしている。

 

 きっとアインズ様に慈悲を乞うつもりなんだろう。慈悲深いアインズ様なら、事情を話せばお許し下さると信じているようだった。でも、私を庇い立てすることは、至高の御方の意に背くも同然。反逆の徒と見なされる恐れもあった。

 

「本当に、このままでは不忠者として処されるのよ!それでもいいの?何か特別な事情があるんでしょう!そうなのよね!?」

 

「何もないわ。何も……」

 

 声を荒らげて必死に糸口を掴もうとする姉さんに、そう一言だけ言って、私は再び押し黙る。

 

 と、コツコツと複数の足音が聴こえてきた。足音は此方へ近付いてくる。

 

「っ!アインズ様……!」

 

 ユリ姉さんの言葉に、心臓が跳ね上がる。何故アインズ様が此処に?私の処分の沙汰が決まったのだろうか。しかも、至高の御方々の纏め役、アインズ様自ら足を運ばれる程の重い処断に。ユリ姉さんも顔を青ざめている様に見えた。

 

「ユリ、セバス。暫く外してくれ。ナーベラルと二人で話したい」

 

「ア、アインズ様……」

 

「大丈夫だ。私に任せておけ」

 

「ユリ、案ずることはありません。行きましょう」

 

 セバス様が慌てるユリ姉さんに諭すような優しい声音で退室を促す。これから私が処罰される所を姉に見せないよう、配慮してくださったのだろう。驚き躊躇しながらも、セバス様のお声もあり、姉さんは言われるままに従ってくれた。

 

 退室する姉さんを見送り、アインズ様が私の方を向く。

 

 覚悟をしていたつもりでいても、いざその時になると勝手は違うものだ。早鐘の様に鼓動が高鳴り、呼吸が荒くなる。全身から冷や汗が吹き出す。極寒の中でも汗をかくとは情けないと自嘲しながら必死の思いでどうにか跪く。すると、ガチャリと音を立てて格子が開いた。

 

「ナーベラル」

 

「は、はっ……」

 

 緊張の余り、声がまともに出てくれない。アインズ様の声音に違和感を覚えたのはその時だ。先程迄は重々しく威厳に満ち溢れたお声で姉と話されていたのに、今はまるで……。

 

「ナーベラル。寒いんじゃないか?」

 

「い、いえっ滅相も……っ?」

 

 アインズ様の普段とは違った、穏やかでお優しいお声に戸惑いながら、返事を返そうとした時、何かを被せられた。暖かい。厚みはない布地だけど、冷気耐性を有していて、牢獄の寒さを確かりと和らげてくれた。至高の御方は格子越しではなく、態々牢の中まで足を運んでくださった。主人の意に背く大罪を犯した私の目の前まで。

 

「ひとまずこれで我慢してくれ」

 

 御方に取ってみれば()()()()()なんて、塵芥の如き矮小な存在。あまつさえ今の私は私はナザリックの仇となる失態を仕出かした罪人のはず。にもかかわらず、その私にまでこうして優しくお声をかけてくださるなんて。

 

「ナ、ナーベラル?」

 

 気付けば、私の頬を熱いものが伝っていた。

 

「あ……っ、こ、これは、その……!」

 

 思いがけず涙を流してしまったことに慌てる私。不意に御方の御手が、私の頭の上にそっと置かれた。白磁に輝く美しい御手が私に触れている。あまりの事に私が固まっていると、アインズ様はそのまま私の頭を撫で始めた。

 

「ア、アインズ様……?」

 

「そのまま、少しじっとしていろ」

 

 ああ、そうか。私は悟った。

 

(最期だから。セバス様が、アインズ様に嘆願してくださったに違いない。私を処断し、永遠のお別れとなる前に、慈悲をかけて下さるようにと……)

 

 良い思い出を抱いて、安らかに眠れるように。セバス様は私の様子を気にかけてくださっていた。アインズ様はその無茶な願いを聞き届けてくださったのだ。そのお慈悲の深さはまさしく慈愛の王。至高の御方のまとめ役で在らせられるアインズ様の、優しいお心に触れた気がした。

 

「どうだ?少し落ち着いたか?」

 

「はい、アインズ様……」

 

 そっと離れる御手に、後ろ髪引かれる思いがした。なんて浅ましいのだろう。下賎の身でありながら、至高の御方に対し、不敬な念を抱いてしまいそうになる。もっとお側に居たい。その御手でもっと撫でられたい、愛でられたい。それは私如きには分不相応な、自分勝手な願望。そんな事が許されるはずがない。なのに、望まずにはいられない程に魅力的で、蠱惑的で。

 

「その、なんだ……お前は私の大切な部下だ」

 

「え……?」

 

 アインズ様の思いがけないお言葉に、幻聴でも聴こえたのかと思った。

 

「だ、だから……お前は私の、か、かわいい部下だ。お前を見放したりしない」

 

「…………っ!」

 

 そのお言葉が脳に沁み込むまで少し時間がかかってしまった。まさか()()()()だなんて……。私は見放されてなどいなかった。えもいわれぬ幸福感。蕩けてしまいそうになるのを必死で堪える。

 

「今は私とお前、二人きりだ」

 

 胸がドキンと高鳴る。そうだ、いまアインズ様と二人きりで、密室で……。

 

八肢暗殺者(エイトエッジアサシン)も居ない。魔法で音も遮断した。ここで何が起きても、他の誰も知ることはない。だから……お前が秘めているものをだな……」

 

 アインズ様のお言葉の意味を考える。殿方と密室で二人きり。直接的な言い回しではないけれど、それはつまり……ここで、()()()()()を……?

 

「かしこまりました……不束な私ですが……」

 

 初めてを迎えるのが牢獄の中だとは思わなかったけれど、アインズ様がご所望なら、たとえ何処であろうとも関係ない。まさかこのような日が来るなんて、思いもよらなかったけれど。歓喜と、僅かばかりの羞恥に身を震わせながら、私は服の裾を勢いよく捲り上げ、素肌を  晒そうとしたところで、アインズ様に腕を掴まれ、止められた。

 

「待て、ナーベラル。何故脱ごうとしている?」

 

「そ、れは、その……え?……そういう事を致すのでは……?」

 

「えっなん……んんっ、わ、私の言い方がまずかったか。ナーベラル。そういう事ではない。決してそういう事ではないのだ」

 

「え……?」

 

「リムルの件で、聞きたいことがあると言ったつもりなんだが」

 

 

 リムルを殺そうとした理由について聞き取りに来ただけだとアインズ様から改めて()()()ご説明いただいた私は、自分がとんでもない思い違いをしていたことを知り、羞恥に身悶えしたくなった。顔が燃えるように熱い。穴があったら入りたいとはこの事だ。

 

「申し訳ございませんでしたっ!とんだ思い違いを……!」

 

「わかった、もうわかったから、頭を上げてくれ」

 

「私は……私はどうすれば……」

 

 余りにも不敬な行動の数々。とても命ひとつで許される事ではない。そう思っていると、アインズ様は何でもないと言うように、変わらず優しい言葉をかけてくださる。

 

「気にするな。それよりも、教えてくれ。お前が何故リムルをそんなに嫌うのか。何か理由があるんだろう?」

 

「そっ、それは……」

 

「順を追って、ゆっくり話してくれればいい」

 

 言えない。お優しいアインズ様がお心を痛めると分かっていて、それをお伝えすることなど……。いや、既に見透かしておられるに違いない。なのに、私に聞き取りに来られるなんて、何か深いお考えがあるに違いない。けれど、やっぱり口に出すことは憚られる。私自身、まだ受け止めきれていないのだ。

 

「……不満を抱えているんだろう?愚痴でも何でもいい。他に誰が聞いているわけでもないんだ。思いきって吐き出してみろ。全部受け止めてやる」

 

「は……」

 

 遂に、私の知る全てをアインズ様にご報告する決意をした。

 

「アインズ様。これからお話しすることは、極めて衝撃的な内容です。ご不快であれば、即座に私の首をお刎ね下さい……」

 

「……分かった。話してくれ」

 

「弐式炎雷様は   お亡くなりになっています」

 

「っな……んだと!?何故そう思う……?その根拠は、あるのか?」

 

「死獣天朱雀様とヘロヘロ様の会話を偶然耳に入れました。お二方は、アインズ様には伏せておくおつもりのようでしたが……」

 

「そう、か。朱雀さんが……」

 

 アインズ様は驚かれていたが、死獣天朱雀様のお言葉を信用され、事実と判断なされた。その声音はとても冷たく硬質なものに聞こえる。冷徹に物事を判断するために感情を排除なさっているのだろう。

 

「申し訳ありません。お二方には不敬かと存じましたが、どうしてもお話しせざるを得ないと判断いたしました」

 

「良い。むしろよく話してくれたな。それで?」

 

「は、ここから先は、死獣天朱雀様が仰っていたお言葉と、自分なりに考えて導きだした推論が入ってきます。あのリムルという客将についてですが、推論を裏付ける証拠はまだ何一つ掴めていません」

 

「そうか……。話してみよ」

 

「はっ。ヘロヘロ様とお別れになってから、死獣天朱雀様はこう仰いました。

『リムルと出会わなければ、彼もあんな死に方はせずに済んだ』

 と。これh   

 

「ま、待て!本当に、そう言ったのか?朱雀さんが……」

 

 アインズ様の制止を受けて、私は言葉を止める。私が推論を申し上げる前にアインズ様はお気付きになられた。その心中は察して余りある。アインズ様がお招きになった客将が、至高の御方の一人の死に関わっている、或いは弑したという事に違いないのだから。

 

「はい。しかし、奴がやった証拠は何もありません。思い違いかもしれません。人違いかも知れません」

 

「まだ事実が確認出来ていないその段階で、リムルを攻撃したという事か?」

 

「いえ、それだけならば、手出ししなかったのですが……奴は、リムルという下等生物(ニンゲン)は、ナザリック地下大墳墓を、至高の御方々を!アインズ様を侮辱したのです!至高たるアインズ様を越える存在など、居るはずがないのに……それが何より許せませんでした」

 

「そうか。そういう事か……うーむ……」

 

 アインズ様は何事か呟き、熟考しておいでのご様子。アインズ様の思考の邪魔にならないよう、私も沈黙して待つ。

 

 数十秒が経った頃、アインズ様が口を開かれた。厳粛な支配者の空気を纏わせて。

 

「ナーベラル・ガンマよ。この場でお前の2つの誤解を正すとしよう。

 一つ目に、リムルは人間ではない。我々と同じく異形に属するものだ。具体的な種族は、本人がいずれ明かすだろう。

 二つ目。リムルが話していた内容は事実だ。奴は嘘を吐かない。ユグドラシルにはナザリックよりも強大な勢力は確かに存在した。これは事実である」

 

「な……!」

 

 私は瞠目した。一つ目に関しては対して驚きはなかったけれど、二つ目は。アインズ様が御自ら、至高の41人を凌駕する存在に言及されたのは初めてのこと。では、世迷い言だと思っていた、奴の言葉は全て真実……?

 

「でっでは、死獣天朱雀様のあのお言葉は一体……?」

 

「それは……お前が想像しているような、そのままの意味ではない。リムルは同一の存在で間違いない。だが、朱雀さんの言葉は別の意味を内包しているのだ。今はまだ明かすことは出来ないが……それで納得出来るならば、今回お前の行動は不問とする」

 

 流石はアインズ様。全てを読み解かれ、真実を突き止められたのか。アインズ様がそう仰るのであれば、全ては私の思い違いだったのだと納得できる。しかし、であればこそ、何の処分も無しというのは理解できない……。

 

「アインズ様がそう仰るのであれば、私などの及ばない、深いお考えあっての事かと。その部分に関して、異論などございません。で、ですがリムル……殿に、私が無礼を働いた事は事実です。アインズ様がお招きになった客人を私は   

 

「リムルは私に全てを委ね、私はお前を許すと決めた。ならば今回に限っては、何も問題はない。そうだろう?」

 

「よ、宜しいのでしょうか……?」

 

 アインズ様がお許し下さるというお言葉に甘えてしまって。戸惑う私に、アインズ様は具体的に行動を指し示して下さる。

 

「どうしても気になってしまうならば、会って直接謝罪の意を伝えよ。少しはお前の気も晴れよう」

 

 また、あのお優しいお声。私にだけかけてくださるというのは思い上がりかもしれないけれど、それでも。それでも今は、今だけは私だけに向けてくださっている事実に酔いしれる。

 

「アインズ様の御心のままに……!」

 

 私はこのお方に全てを捧げるのだ。不安も、迷いも、憂いも全て包み込んで下さるアインズ様に、歓喜と共に全てを捧げよう。




リムル様はユグドラシルの去り際にログを消した事でNPCの記憶を記憶から消えていますが、それ以降のNPCの記憶は消えていません。ナーベラルやアルベドのように、ギルドメンバーの会話もある程度覚えています。他にも誰かが何かしら重要な会話を聞いているかも知れません。

途中からナーベラル視点なので分かりにくいですが、アインズ様は何度も強制的に精神の沈静化が起こりまくっています。その影響が今後どう出るか・・・。


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#46 幕間~天才古城教授の独白~

短いですが、リアルの出来事の核心に触れる内容です。


『雪が融けると何になると思う?   

 

 私が子供の頃は、まだ青い空を見ることが時々だが出来た。

 

 その当時、私はそれを特に珍しいものだとは思わずに過ごしていた。もう、見ることが叶わないとは知らずに。

 

 大切なものはいつも、手が届かない所へ行ってしまってから気付く。

 

 物心ついたときには、周りに天才だの神童だのと持て囃されるようになっていた。だが自分を取り巻く周囲の環境とは裏腹に、私の心が満たされることはなかった。

 

 私の家系は元々裕福な家柄だったが、祖父が独立して新たに会社を起こし、一代で更に莫大な材を築いた。いわゆる勝ち組だ。幼い頃、両親は私が望めば何でも与えてくれた。玩具、食べ物、衣服……愛情以外なら何でも。

 

 彼らが望むのは自分達の後継者だった。それは別に私でなくても、そう、はっきり言ってしまえば誰でも良かったのだろう。親子としてというよりは、後継者(どうぐ)として接する厳格な両親の目は私個人に対する関心は皆無で、寒気すら覚えた。

 

 学校に行けば何かと争い合い、優劣、上下を決めようとする周りの生徒達。彼らは知っている。此処に居る全員が将来の安泰を約束された訳ではない事を。

 

 そんな連中に私は、偽りの栄光にしがみつこうとする愚か者と冷ややかな目を向けていた。

 

 此の世界はもう長くない。少し考えれば、誰でもわかるはずだ。もう百年と待たず人類は、此の星の生命は死に絶える。

 

 土壌が侵され始め、第一次産業は近いうちに壊滅。大気汚染も深刻。海は既に魚が獲れなくなって久しい。野性動物は姿を消し、人間と極少数の家畜と愛玩動物や植物を除けば絶滅している。開発が進んでいる人類の最後の砦、「完全環境都市(アーコロジー)」も、すべての人類は入れない。そもそも資材が足りないのだ。居住権を巡って熾烈な争いが起こり、あぶれたものは地獄のような環境に放り出される。

 

 当時描いた未来像が今、現実になっている。

 

 アーコロジーだって、永遠に稼働できるわけではない。メンテナンス不良やエネルギー不足でいずれは機能を失う。

 

 そんな閉塞した世界で、何を希望に生きれば良いか分からなかったし、どちらが上かなど気にする意味も見出だせなかった。

 

 だから周りの事にはまるで興味が湧かなかった。私の事など放っておいて欲しかったが、そういうわけにはいかなかった。私は既に顔も名前も周りに知れ渡っているのだ。

 

 彼らは何かと私に張り合う切っ掛けを探しては突っかかってきた。1分野でも私に勝れば、それだけで箔が付くと思っているらしかった。結局挑んでくる誰もが、敵わないと知ると逃げ出していく。何度も挑まれては煩わしいので、一回で確実に心を折っていた為、大抵は一度負ければ大人しいものだったが。

 

 勝ち組が幸せで、負けだ組が不幸だなんて、誰が決めたのか知らないが、そんなものは嘘だ。

 

 私の心は乾いていた。そして氷のように、深々と積もった雪のように心を閉ざしていった。

 

 友達と呼べるような相手も当然ながら居らず、近づいてくるのは私の両親の権力に媚びる者が殆どだった。私はそんな連中を相手に、両親の露払いの様な事もやらされる様になっていた。

 

 中には本当に純粋な善意で接してくる人もいが、やはり皆最後には離れて行ってしまう。初めのうちは純粋に好意や尊敬の念を持っていても、それが嫉妬に変わり、敵意となり……。

 

 そして、口を揃えて私に言う。

 

『雪のように冷たい男』

 

 

 

「若い君たちは、「白い雪」なんて見たことないだろう?昔はまだ純白の美しい雪が降ったんだよ。近年はドロついた灰色の、雪とは言えない何かだがね……」

 

 

 

 私が会社を継がずに研究職に進んだのは、他人と距離を置きたかったからだ。自分の研究に没頭していれば、下らない人間関係に煩わされずに済むかもしれないと思って。環境の浄化が出来ないか、研究しようと思ったのもある。

 

 或いは、自分の置かれた環境を変えたかったのかもしれない。まだ知らない何かが私を変えてくれる事を何処かで期待していたんだろうか。

 

 両親は初めこそ反対したが、見切りをつけるのも早かった。思えば親の意向に逆らったのはその時が初めてだったが、気分は悪くなかった。

 

 それからは家の援助もなく、一人で何でもやってきた。苦労も多かったが、私が選んだ道は間違ってなかったと今では思っている。

 

 そうは言っても、環境が変わっただけで簡単に性格が変わるわけではなかった。相変わらず私の心は乾いていたし、両親と同じ冷たい目をしていた。

 

 

 大学教授になって暫くしたある日、私はある女学生に出会った。

 

「さぁここで教授に問題です!雪が溶けたら何になるでしょーか?」

 

(……馬鹿にしているんだろうか?)

 

「水になるに決まっているじゃないか。それとも溶け込んでいる成分の問題(はなし)かな?」

 

 私は溜め息混じりに答えた。下らないことを何故態々聞くのかと。

 

「ブッブー!全然違いまーす」

 

「……?」

 

 胸の前で手を交差し、不正解だと言われる。私が何が言いたいのかと眉をひそめていると、彼女は得意気な顔で正解を告げてきた。

 

「正解は……『春になる』でしたー!」

 

 それから何度も彼女には声を掛けられ、次第に交流を深めるようになった。

 

 彼女はそれまで出会ったことのないタイプの女性だった。その目は曇りなく希望の光が灯り、好奇心旺盛で些細な事にも興味を持つ。いつも絶やさない笑顔は翳りが全くなく、苦労や悩みなどとは無縁に見えた。私は彼女に、自分には無い何かを感じた。

 気付けば私は年甲斐もなく彼女に夢中になっていた。歳は親子ほど離れていたが、そんなことは気にならなかった。

 

 

「田村君   タブラ・スマラグディナ君と知り合ったのもこの頃だった。彼は彼女の同窓生で、なかなか個性的な趣味を持っていた。君達もご存じの通りさ」

 

 

 主にホラーやクトゥルフ神話が好きで、その造詣たるや、私も舌を巻くほどだった。その才能をもっと別の事に使えばいいのに、とも思ったが、彼のお陰で研究が実を結ぼうとしている。

 

 時間が差し迫っているためにかなり無茶をしてしまったが、間に合わなければ意味がない。目的を果たすためなら、どんな犠牲も厭わない。彼女に約束したのだから。

 

「たとえ、何千万という命の犠牲の上であろうとも構わない。

 君達の事は大切に思っているが、それ以上に、私にとって娘は   彩菜(あやな)が遺していった娘の命は、他の何より重いんだ。

 それに、今更ここで止まる訳にもいかないだろう?」

 

 恐らく、今回が最後のチャンスになるだろう。かなり分の悪い賭けになるが、それでも()()()()()が実在したのだから、可能性は零ではない。いずれ滅びるくらいなら賭けに出よう。賭けに勝って娘を、娘のいるこの滅びかけた世界を     

 

 

 

 

 

 

 

                      

 キャラクター紹介(HN以外は創作設定です)

 

 

死獣天朱雀

 本名古城幸人(ふるきゆきと)

 リムルの世界で異世界航行手段を研究開発した古城舞(ふるきまい)の子孫。

 天才的な頭脳の持ち主で、高い記憶力と、膨大な情報を瞬時に取捨選択し、処理する演算能力を持つ。学識は高くありとあらゆる分野の学術に造詣が深い。総知識量で彼を上回る人間は世界に数えるほどもいない。

 若い頃は論理的で冷淡な性格だった。

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』で見せる優しい顔は、彼が人生の中で獲得した仮面(ペルソナ)の1つ。

 一時期、とある裏組織を束ねていた事がある。

 孫くらいの歳の娘がいる。娘の母親とは籍を入れていない。娘にも父親だとは名乗っていない。

 

 

 

タブラ・スマラグディナ 

 本名田村傑(たむらすぐる)

 リムルの前世、三上悟が体を張って守った後輩『田村』の子孫。

 裕福層の研究職。独身。腎機能障害で人口透析の為に定期的に通院していたが、遂に限界が来て入院生活を送ることになる。

 学生時代、研究論文のネタ探しの為に家で古い蔵書を漁った結果、誰かが残した日記に記されたある出来事について興味を持ち、その信憑性について古城教授に研究の許可を求めた事がある。

 




悩んだあげく、ここで投下します。全貌はまだ明らかにはなりませんが、それは追々・・・。


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#47 支配者の心

 モモンガが第五階層に向かった後すぐにコキュートスが、そして少し遅れてプレアデス4名が戻ってきた。何もせずに待っていても手持ち無沙汰なので何かやることはあるかと聞いたら、「何がアインズ様の機嫌を損ねてしまったのか」について反省会を行うらしい。真面目というか何て言うか……。折角なので俺達も混ぜて貰うことにした。

 

 因みに恐怖公は、エントマを除く女性陣全員が怯えていたので可哀想だが守護領域に戻って頂いた。哀愁漂う彼の背中は忘れられない。

 

 コキュートスは何故そんなに恐怖公が避けられるのか全く理解できないらしい。確かにコキュートスは皆平気なんだよな。それは俺も分からんでもないけど、恐怖公にしてみればそれが余計に寂しいよな、同じ虫系なのに。後で差し入れでもしてやろうかなぁ、なんてことを思いつつ始まるのを待つ。

 

 コキュートスとプレアデス達はその場に居なかった為に、最初にアルベドが状況を説明してから議論をスタートしたのだが……。

 

「…………」

 

 早速重い沈黙が流れる。難しい顔で考え込むデミウルゴス。マジで?お前の頭脳なら単純明快だろ?それとも実は演技で、分からないフリをしてるとか……?

 

「ねぇ、やっぱり最初にナーベラルの自害を止めちゃダメだったんじゃない……?」

 

「誰かさんが止めんしたせいで、アインズ様はお怒りなんではありんせん?」

 

 最初に口を開いたのはアウラ。ジト目で然り気無く俺へと責任転嫁してくる。それに腕を組んで首肯するシャルティア。普段仲良くなくても、こういう時妙に連帯感あるよな、女子って。何て言うか、共通の敵?みたいなのがいると特に。それって俺のことなんだけどね……。心なしか、鬼ごっこをやってから女性達の視線がチクチクと痛い気がする。

 

 男性から意見を求めるか。デミウルゴスは……声かけずらい雰囲気だな。

 

「コキュートス君、どう思う?」

 

「ソノ場ニ居合ワセナカッタタメ場ノ空気ガワカラナイガ、アインズ様ハ本当ニオ怒リダッタノダロウカ?」

 

「おそらく、ね。かなり不快に感じておられたのは間違いないわ。お声からそれがヒシヒシと伝わってきたもの」

 

 あの顔じゃ表情は分からないから、アルベドはモモンガの不機嫌そうな声を聞いて怒ってると判断したのか。表情があればもっと正確に感情が伝わるんだが。いや、読まれ過ぎても困るけどね。

 

「ソウカ。……スマナイ、皆目見当モツカナイ。ナーベラルニ自死ヲ命ゼラレタ場合ハ、介錯ヲ願イ出ヨウト思ッテイタガ……」

 

 介錯って……。切腹する人の後ろに立って、腹をかっさばいた後、本人が苦しみ悶えるのは見苦しいので介錯役が皮一枚残して首を切り落とすっていう。何故首の皮一枚残すかっていうと、首がゴロゴロ転がって何処かにいかない為だ。

 こいつ侍か?ああ、武人設定だったな。

 

「そ、そうか。マーレ君はどうだね?」

 

「あ、あの、その、えっと、わ、分かりません……けど」

 

 オドオドと自信なさげに呟くマーレ。うーん、かわいらしい。だけど男の子なんだよな。

 

「ん?けど?」

 

「えっと、そのぉ……」

 

 チラチラと視線がアウラの方に行っている気がする。ああ、姉に物申したいけど言えない、ってことかな?

 

「そうか。答えはわからないけど、お姉ちゃんの意見は違うんじゃないkムグっ?」

 

「わ、わああぁっ!?」

 

 慌てて俺の口を塞ぐマーレだったが、もう遅い。アウラの鋭い視線がマーレに突き刺さっていた。恐る恐るマーレが振り返るとアウラと目がかち合い、小さく悲鳴を上げる。

 

「ひっ?」

 

「思ってることがあるなら堂々と言いなさいよ。前にも言ったでしょ!」

 

「は、はいぃっ」

 

 気が強いけど弟思いのいいお姉ちゃんだな。かぜっち達も小さい頃はこんな感じだったのかもなー。

 

「頑張れ、マーレ君。NOと言えない日本人じゃダメだぞ?」

 

「ニホン、ジン……?」

 

「ああ、細かいことは気にするな。自分の意見をしっかり言える男になれってことだ」

 

「あ、はい。えっと、何て言うか、ナ、ナーベラルさんを止めた事をご報告した時は、まだ怒って無かったような、気がするんです」

 

「うっ……」

 

「チッ、確かにそうでありんしたね。アインズ様がお怒りになられていたのは、そのあとナーベラルに誅殺をって進言していた時でありんした」

 

 えっ今「チッ」って言ったぞ、「チッ」って。アウラもなんか目が泳いでいるのを俺は見逃さなかった。コイツらさては……。

 この二人にはどうも嫌われてるみたいだな。そんなに恐怖公と鬼ごっこが嫌だったのか?楽しそうにキャーキャー叫んでたから、てっきりジェットコースターみたくエンジョイしてるかと思ってたんだけど、思い違いだったかぁ。

 

 プレアデスはというと……ルプスレギナとソリュシャンはなんだかちょっと怯えてる感じ?シズは表情には出てないけど、全く目を合わせてくれない。エントマはよくわからん。表情は擬態だっけ?視線が合わない気がするのはそのせいかな。きっとそうに違いない。

 あとは、ユリは完全にドン引いてたし、ナーベラルは敵意むき出しだったし……。ん?やけに女性の好感度が低くないか?

 

 まさか……いや、まさかな?

 

《…………》

 

「はっ?まさか……いえ、そんなはず……無いわよね……」

 

 アルベドが何か気付いたように目を見開き、直ぐにかぶりをふる。一瞬黒っぽいオーラが見えた気がしたけど、気のせいか?なんだか聞くのが恐いんだけど。恐い、けど、聞いてみるか。

 

「ア、アルベドさん?何か思ったことがあったら、間違っててもいいから皆にもその内容を話してくれないか?」

 

「は、はい……」

 

 思わず「さん」付けで呼んじゃったけど、誰もそこには突っ込まず、全員がアルベドに注目する。

 

「タイミングから考えて、アインズ様はナーベラルの自害を止めたことに対してはお怒りではなかったわ。これはマーレの指摘した通りね。

 そうなると、アインズ様はナーベラルに『罰を与えるおつもりはなかった』か、『別の罰を与えるおつもりだった』という二つの可能性にたどり着くわ。

 そして、私がナーベラル誅殺を進言したとき、その場に居たあなた達にも()()()()()と意見を求められたわね。その事から、『別の罰を与える』という可能性は消えるの。

 もしそのおつもりであれば、あの場では()()()()()()()()()と具体的にお訊きになられたはずよ」

 

 え、論理的。今日の守護者統括は一味違うな。色ボケしてないというか。ひょっとして、特定の条件下では思考がダメになっちゃうとか?

 ……後でモモンガに設定聞いてみようかな。確か全NPCの設定には目を通したって言ってたし。

 

「私もそこまでは同じ考えです。……ですが、その理由がどうしても分からないのですよ」

 

 沈黙していたデミウルゴスが発言した。デミウルゴスもそこまでは分かってたんだな。だったら理由なんてすぐにわかりそうなものだけど。

 

「……これは多分違うと思うんだけれど、一応言っておくわね。ナーベラルは……」

 

 一同が固唾を飲んで真剣な表情のアルベドの言葉を待つ。

 

「アインズ様のお気に入り、なんじゃないかしら」

 

「「……へ?」」

 

「はあ!?何がどうなったらそんな結論に……ははぁん、とうとう頭に栄養が行かなくなりんしたかえ?乳デカホルスタインがぁ」

 

 意外すぎたのか、アウラとマーレはポカンとした表情である。シャルティアは懐疑的な反応を示し、しまいには罵倒し始める。デミウルゴスは眉間に皺を寄せつつも、否定を口にはしない。というよりは、否定できる材料が見つからない、という感じだ。

 アルベド、流石にそれは無……くもないか?うーん、俺が思う答えに少し近いかもしれない。

 

「だ、だから違うと思うって言ってるじゃない。だって、アインズ様ったらナーベラルの事を庇っていらっしゃるようにも見えたんだもの……」

 

「まぁ、完全に的外れってわけでもないんじゃないか?」

 

 俺からすれば何気ない発言だったんだが、彼らは何故か異常な反応を示した。

 

「なっ?」

 

「ニ?」

 

「「「「ええっ!?」」」」

 

「そんな……」

 

「ちょ、嘘っ?嘘でありんしょう!?嘘だって言ってぇ~!」

 

 デミウルゴスとコキュートスが短く声をあげ、揃って叫ぶプレアデス達。アルベドは自分で言いだしたのに激しいショックを受けたような顔になっている。そして俺の胸ぐらを掴んでガクガク揺さぶるシャルティア。大きな紅い目に涙をいっぱいに溜めて懇願するような表情は可憐そのものだが、やってることは揺すりであり強請(ゆすり)である。

 

「だー、もう、落ち着けって!かもしれないってだけだろ?うーん、他のギルドメンバーが何か関係してるとかはないか?」

 

 もしかしたらナーベラルを作った弐式炎雷が俺の事嫌いだったとか。俺はチートプレイヤー扱いだったし、ギルド入りの会議も結構揉めたって聞いてるからな。誰かに嫌われててもおかしくはない。モモンガはNPCが創造主に似てる所があるって言ってたし、そういう所を受け継いじゃってるかもしれないとふと思っての発言だった。

 

「はっまさか!そういう事だったとは……」

 

 デミウルゴスは俺の一言で何かピンっと来たらしい。

 

「よし、デミウルゴス君、君の気付いたことを皆にも分かるように説明してやってくれるかな?」

 

「はい……」

 

 眼鏡の縁をくいっと持ち上げ、神妙な面持ちのデミウルゴス。周りの皆にも得体の知れない緊張感が漂い始めた。

 

「……私を含め、皆ナーベラルの行動を不敬と捉え、罰するべきと考えていた。アインズ様のご命令に背く行為だと。そうだね?」

 

 守護者もプレアデスもコクコクと頷く。

 

「だが、もしかすると、それがそもそも間違っていたのかもしれない……」

 

「「え?」」

 

「そう、そういう事だったのね……」

 

 デミウルゴスの言わんとしている事に気付いたアルベド以外は、全員がわけもわからず驚いている様子だ。俺もわからないけど。

 

「いや、だって、あんなの不敬でなかったら一体なんなんでありんすか?」

 

「そうそう」

 

 シャルティアとアウラに限らず、そこはほぼ全員が共通の見解らしい。プレアデスの面々も頷いて同意を示す。

 

「我々は至高の御方々の御手によって創造された被造物であり、そのご命令は絶対だ。そうだね?」

 

 デミウルゴスの言葉に、何を今更当たり前の事を言うのか、と怪訝な表情を浮かべている。

 

「だがもしも……もしもナーベラルの行動が至高の御方のご命令であったとしたらどうだろう?それもアインズ様ではなく、例えば、弐式炎雷様のご命令であったとしたら。我々守護者がそこに口を挟むことは、果たして許されるだろうか?」

 

 はっとして黙り混む一同。アレ?なんか、大丈夫か、これ?変な方向に行きそうな予感がするんだけど。

 

「アインズ様はその事に既にお気付きになっていたが、あえて我々には明かされなかった。我々が自分達でナーベラルの行動の真意に気付くことが出来るかどうか、そしてその上で我々がどの様な対応を取るのか。つまり、我々の忠義を試されておられたのだよ」

 

「え、じゃあ、ナーベラルのアレは演技?」

 

「いや、恐らくナーベラルもまた、忠誠心を試されていたと見るべきだろうね。弐式炎雷様とアインズ様のどちらを優先するのか。ナーベラルは、究極の選択を突きつけられていた、というわけだよ」

 

 それぞれの自分の創造主と、まとめ役のモモンガのどちらを選ぶか。デミウルゴスの理論に皆苦い表情になる。自分の場合はどちらを選ぶのか、答えを考えて悩んでいるんだろう。

 

「本当ならそれに気付いた上で、私達がどちらを選ぶのか、アインズ様はそれをお知りになりたかったはずよ。なのに、私達はナーベラルの行動を単純に不敬と断じ、真意を見抜くことが出来なかった。アインズ様にとってはあまりに期待外れだったということね……」

 

 アルベドの言葉で場の空気が一気に重たくなった。皆暗い顔をして俯いてしまう。モモンガが不機嫌になったのは自分達が期待以上に不出来だったからだという結論だもんな。どんよりとした嫌な空気が漂っていた。

 

「全っ然違うのだ!全く、何をそんなコムズカシく考えておるのだ」

 

「「えっ」」

 

 重たい空気を吹き飛ばすかのように、ミリムがダメ出しをする。アルベドとデミウルゴスが驚きの表情を浮かべ、他の皆もミリムに視線を集める。なぜだか俺の時より素直に聞く姿勢になってる気がするのがちょっぴり悔しい。

 

「お前達はモモンガの気持ちをちっとも理解ってないのだ!いいか、お前達は    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アインズ様はそのように……!」

 

「お、恐れ多いですわ。でも……」

 

「本当だとしたら……すごく…………嬉しい」

 

 彼らに足りないのは、自分が愛されている、大切にされているという自覚だ。主人の思いを知らず、自分をただの道具として考えているから、簡単に死んで詫びるとか言えるのだ。それなら、モモンガが彼らを大事に思っている事を自覚させてやればいい。

 

 ミリムは最初に、「お前達は道具なんかじゃない」と言った。モモンガはとても仲間思いで、あいつが仲間と一緒に作ったこのナザリックの全てを大切にしていると。

 

 俺もあいつが配下について「友人から預かった子供のように思っている」と語っていた事を話した。

 

 頬を朱に染める者、涙を流す者、恐縮してしまう者。それぞれに反応は違うが、皆驚きと喜び、そして申し訳なさ、様々な想いが絡み合い複雑な心境だろう。ともあれ、彼らはようやくモモンガの気持ちを正しく理解したのだ。

 

「実は俺もある国の国主を務めててさ、部下を家族のように大事に思ってるんだ。だから気持ちは何となく分かるんだよ。死んで責任取るとか、仲間内で殺すとか、そんな事言うな。アインズさん、悲しむだろ?」

 

「では、あのときアインズ様は……」

 

「そうなのだ。お前たちは主人の為にと言いながら、主人を孤独にさせる気か?」

 

 俺たちの話をどこまで信用してくれたかわからなかったが、ミリムの言葉は確かに彼らの心を打ったようだ。もう大丈夫だろう。

 

 

 

 

 

 

 程無くして、モモンガがセバスとユリ、そしてナーベラルを連れて戻ってきた。皆が跪き、モモンガとナーベラルに謝罪を述べる。何事かと困惑するモモンガに俺が経緯を説明すると、モモンガは少し照れくさそうにしていた。

 

「そうか、お前達は私の心を理解ってくれたか」

 

「はいっ」

 

 改めて忠誠を誓うと共に、モモンガを孤独になどさせないと決意を表明する面々。

 

「孤独にしない、か。ふふ……嬉しいものだな。私はこのナザリックの全ての者を愛している!私もお前達を決して孤独になどさせない。お前達のもとを去らないと誓おう!我らは永遠に共にある!」

 

 格好良くきめるモモンガだったが、このあとちょっと、色々あった。

 

 モモンガの言葉に感激して涙を流す守護者とプレアデス達。良かったなと思ったのも束の間、感激の余り暴走したアルベドがモモンガに飛び着いたのだ。それを機に全員がしっちゃかめっちゃか暴れまわった挙げ句、アルベドと、ちゃっかり便乗しようとしたシャルティアが取り押さえられ、二人は半日自室で謹慎という軽い処分を言い渡された。

 

 それから、すっかりしおらしくなったナーベラルの謝罪を受け入れた。ここでも、モモンガとナーベラルを二人きりにしたとセバスが言った事でまた不味いことに。

 

 体を押さえつけられたままのアルベドとシャルティアが恨めしそうにナーベラルを見ていたのだが、それを知ってか知らずかモモンガは「今詳細を明かす事は出来ない」なんて勿体ぶって言うもんだから、()()()()()を招いたようだ。更にナーベラルが急に真っ赤に赤面したために誤解は更に加速してしまう。

 

 完全に「ナーベラルに寵愛を授けていた」という誤解が生まれてしまったようだ。

 

「アインズ様、私にも、私にもどうか()()()を~!!」

 

「わたしも、わたしもいつでも()()は出来ていんす~!」

 

 意味深げな言葉を叫びながら引き摺られていく二人を見送りつつ、アインズが小声で訊いてくる。

 

「なあ、どういう意味だと思う?」

 

「お前が想像してる通りじゃないか?これでお前もリア充だな?」

 

「……何か違う気がするんだが……」

 

 何はともあれ、俺の仕事はひと段落した気がする。お互いの気持ちが通じていれば、これまで抱えていた色々な問題も一気に解消できそうである。

 

 俺の好感度はイマイチのようだが、敵対はされていない。ナメられもしてないし、崇拝みたいなおかしな事にもなってない。先生役は成功ってことにして、ここらでやめておこうかな?というか、もう暫くは懲り懲りだ。

 

 大人しく観光にでも出よう。そう思っていたのだが、今度は新たな依頼が飛び込んでくる事になるのだった。




アルベドさんの前で愛している発言は危険ですね。

GWのお陰で少し投稿ペースが早くなってましたが、また亀に戻ると思います。


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#48 秘密の相談事

やっと少し書けました。
途中からは回想になります。


 黒曜石の輝きを放つ巨大な円卓が鎮座し、41の椅子が囲む、円卓(ラウンドテーブル)。今アインズはその隣、会議室で席に座っている。

 

 会議室は現実の日本企業に見られるような机や椅子、ホワイトボードを設えた、機能性を重視した造りをしている。ナザリックの基準で言えば全く飾り気のない質素な部屋だ。

 

 アインズは謹慎が解けたアルベドと含めた守護者、セバスの計七名をそこへ集め、改めて現状の把握と今後の予定を話し合うことにした。最初は円卓の使用を口にしかけたのだが、言い直して会議室に集まるよう通達した。これは円卓では守護者達が恐縮して席に座ろうとしないだろう事を予測しての事だった。

 

 だが、いざ座ろうとしたところで守護者達が自分達と同じ椅子を使用することに恐縮して椅子を用意しに行こうとするのを止めたり、アインズの隣を狙ってアルベドとシャルティアが睨み合うという一幕があった。机をコの字型に並べ、アインズが正面真ん中に座り、両隣に二人を座らせることで落ち着いたが、自分を挟んで二人が視線をぶつけ合っているのが分かってしまい、ため息を吐きたくなる。

 

 現状、かつて仲間達と集めた財があるため、衣食住にすぐさま困るというようなことはない。だが、それも無限というわけではない。人間種や亜人種と違い、異形種に寿命はない。目先の事だけでなく、恒久的なナザリックの存続を考えなくてはならないのだ。

 

 魔法を込めた巻物(スクロール)の一部使用停止や、最低限の防衛力を残してギミックの解除等々拠点維持費の削減を検討、実施を決定。第八階層の緊急迎撃時を除いた閉鎖等々も決定された。

 

 しかし、ナザリックに保管されている素材のストックを使わずに、この世界で調達できる素材で巻物(スクロール)を賄う事ができるか等、調査、検証すべき課題はまだ山のようにある。巻物(スクロール)の素材に関する調査はデミウルゴスに任せることになった。

 

「このデミウルゴス、必ずやアインズ様のご期待にお応え致します」

 

「ああ、期待しているぞデミウルゴス」

 

「勿体無いお言葉……光栄の至りにございます!」

 

 ナザリックでも最上位の知恵を持つ悪魔は慇懃に配下の礼を取る。その表情には自信とやる気を覗かせていた。

 

 魔法の巻物(スクロール)の素材をこの世界で一般的な羊皮紙で代用できればいいが、この世界では第三位階魔法が使えれば一流のマジックキャスターだと言われるくらいだから、低位の魔法しか込められない可能性は高い。ならば、新たに素材の調達から必要になってくるだろう。一朝一夕では無理だろうが、今のうちから手をつけておく事に損はない。そしてゆくゆくはユグドラシル産にもひけをとらない新たな素材、新たな製法の開発研究が期待される。

 

 また、ユグドラシル金貨の代替が出来るかの検証等を行う為にも、外貨の入手は必須である。どうやって外貨を入手するかについての議題に移り、それまで人形のようにおとなしくしていたシャルティアも、議論に参加し始めた。謹慎にした事が尾を引き摺っているのでは、と心配していたアインズだったが、杞憂であったようだ。だが、すぐに別の心配が持ち上がる。

 

「人間の町を蹂躙して奪い取ればいいでありんす」

 

(……えぇー?)

 

 どや顔でさらりと物騒な意見を述べるシャルティアに、アインズは言葉を失った。いくら悪に偏った思考の持ち主ばかりと云えど、これはないだろう。迂闊に過ぎる。

 

「シャルティア、あんた馬鹿なの?」

 

 半眼でため息混じりにアウラが突っ込みを入れる。シャルティアには可哀想だが、皆も似たような空気を醸している事にアインズは少しだけホッとしてしまう。どうやら皆シャルティア程短絡的ではないようだ。

 

「い、いきなり馬鹿呼ばわりとはどういう了見でありんすかえ!?私だって何も無差別に潰していいとは思っていんせん」

 

「な、なぁんだ。ボ、ボクてっきり……」

 

「てっきり……何かしら?」

 

 マーレが余計な言葉を呟いてしまったのをシャルティアは聞き逃さなかった。笑顔で尋ねるシャルティアの目は笑っていない。アンデッドなのにどうやってかこめかみに青筋を立てたシャルティアに、涙目で謝るマーレと、どうどうと宥めるアウラ。そんな子供達のやり取りを微笑ましくアインズは眺める。

 

(いつか……いつか皆とこんな風にこの光景を……)

 

「ちょっと貴方達、いい加減になさい!」

 

「場ヲワキマエロ。御身ノ前ダゾ……」

 

 騒がしくなりかけたところでアルベドとコキュートスが窘める。その声でアインズも現実に引き戻される。ふと視線を移せば、ホワイトボードの前に立って司会を務めていたユリが震えている。守護者達から漏れ出す覇気に当てられていたのだ。レベル差を考えると生きた心地がしないだろう。

 

「まあ、落ち着け。ユリが怯えているではないか。その、なんだ。子供らしく元気があっていいんじゃないか?だがそうだな、場所は考えるべきだな」

 

 申し訳ありません、と謝罪を述べる三人を許し、アインズは話を進める。

 

「さて、どこでどんな繋がりがあるかわからない現段階では、敵を作るような迂闊な行動は極力避けたい。数の上では人間種が圧倒的に多数だ。個々の力では我々の方が上であったとしても、数の暴力は侮れん」

 

 アインズが場を宥め、迂闊な行動は慎むようにと話をするが、シャルティアは首を傾げ、今一つ府に落ちていないようだ。向かってくるなら全て根絶やしにすれば良いのに、とでも言いたげである。何も考えていないわけではないと言っていたが、本当だろうか。アルベドとデミウルゴスを初め、場の者はシャルティアへ少し生温い視線を送る。

 

「それにな……人間も案外……捨てものではないかもしれんぞ?」

 

 ナザリックの殆どの者達にとって、人間とは何の価値もないゴミ同然の存在。或いは弄んで楽しむ玩具。または食料等々、良い感情は抱いていないし、まして対等に見ようなどとは毛先ほどにも考えない相手である。そんな人間に対し、一目置いているかのようなアインズの発言に、皆驚きを禁じ得ない。アルベドだけは人間にも侮れない存在がいる事を実際に見て知っているが、まだ他の守護者達は聞きかじった程度にしか知らないのだ。

 

 デミウルゴスでさえ、アルベドからヒナタの存在を聞き、最初は耳を疑った程だ。アルベド曰く、人間でありながら守護者に匹敵する戦闘能力を持っているらしい。だがそれもリムルの知人ということを知り、リムルの実力を垣間見た今では納得するしかなかった。

 

 アインズはそんな配下達の動揺を知ってか知らずか、更に質問を投げ掛ける。

 

「……お前達は人間は嫌いか?」

 

「以前申し上げた通り、個人的にはあまり   

 

「ア、アルベド!?」

 

 誰よりも忠誠心厚いデミウルゴスが、思わずアルベドの発言を遮る。主人が黒と言えば白でも黒だと答えるのがしもべのあるべき姿なのだと考えているようだ。

 

「いや、構わないぞ。私に合わせた追従の言葉ではなく、偽らざる個人的な思いをこそ今私は知りたいのだからな」

 

「は……申し訳ございません。出すぎた真似を」

 

 デミウルゴスは謝罪の言葉とともに頭を下げる。まだこういった部分は切り替えることは出来ないのだ。アインズがもう少し砕けた態度でも構わないと言っても、畏れ多いと恐縮してしまう者が殆んどである。その辺りは少しずつ慣れて貰おうと思っている。

 

「構わないとも。アルベドは以前聞いた通りか」

 

「例外は有りますが基本的には嫌いです」

 

「ふむ、例外もある、か……。デミウルゴスは人間をどう思う?」

 

「は、恐れながら……中々に興味深いとは評価しております」

 

「ほう、興味を?それはどういったところだ?」

 

 評価をつける相手という、少し見下した見方をしているようだが、それは気にしない。どうも、人間が苦しみあえいだり、絶望に身を染める姿に甘美且つ耽美な愉悦を感じるようだ。

 

(悪魔らしいと言えばらしいかな。まあ、素直に本音の部分を明かしてくれたのは喜ぶべきか)

 

 アインズは一人一人に同じ様に質問を重ね、相槌を打ちながら聞き取っていく。

 

「うぅ~ん、人間自体好きか嫌いかはよくわかりんせんが、ぐちゃぐちゃにして血を浴びたいでありんすねえ」

 

「ふむ……玩具、のようなものか?」

 

「はいっ」

 

「えっと、その……嫌いっていうわけでは……ないと思います」

 

「別に好きでも嫌いでもないですけど、生意気なこと言って来るなら、ぶっ潰します」

 

 アウラの言葉にマーレも頷いて同意を示す。二人にとっては今のところ、大して興味がない相手ようだ。今後の関わりかた次第で決まるかもしれないと心のメモに付箋を着けておく。

 

「嫌ッテハオリマセン。タダ、ドノ程度ノ戦士ガ居ルカニハ多少ノ興味ハアリマス」

 

 流石は武人設定。コキュートスの場合、種族がどうというより戦士であるかどうかの方が重要そうだ。ヒナタは例外として、ガゼフ・ストロノーフならば、もしかしたら彼の眼鏡に叶うかも知れない。

 

「私も特に嫌ってはおりません。困っているのを見掛ければ手助けもするでしょう」

 

「我々に敵意を向けて来た場合はどうする?」

 

「アインズ様に弓引くなど許されざる大罪に御座います。その場合は即座に排除致します」

 

 セバスの言葉に最初こそ眉を潜めていたアルベドとデミウルゴスも、アインズの問いに即答するセバスに、視線を交わして満足げに頷く。一番大切なことを見失わなければ、多少温情をかけることには許容しようという事だろう。

 

 その場の全員に聞き取りを終えたアインズは満足げに数度頷く。それぞれに見方は違うようだが、この中ではアルベドを除き、人間を毛嫌いしている感じではないようだとわかった。アルベドも演技ではあるが人間とある程度そつなく接することは出来る。玩具扱いしそうな者も、うまくいけば人間と友好的な関係を結ぶ事も不可能ではないかもしれない。

 

 原因不明の事態に巻き込まれ、混乱していたここ数日から、ひとまず切迫した状況は抜けたと判断した彼には、ある思いが浮上してきていた。

 

「ふむ、参考になった。さて、話を脱線させてしまったな……外貨獲得だったな。私も意見を出そう」

 

 そう言って話を戻すアインズ。だが、アインズ自らが冒険者に扮して人間に溶け込み、リ・エスティーゼ王国で外貨を稼ぎつつ情報収集するという案を出すと、守護者達は(こぞ)って反対した。危険すぎると。アルベドなど、どうしてもというならば自分が供を務めると言い出した。

 

 確かにアルベドは守備に長けているし、頭が回り、演技も出来る。しかし、角や翼は人間社会では目立ってしまうし、魔法や幻術で隠していても看破されないとも限らない。何しろ未だ謎の多い武技やタレントなるものが存在するのだ。もし街中で偽装が見破られた場合どうなるかは容易に想像できる。如何に此方が敵意はないと言ったところで、聞く耳など持ってはくれまい。

 

 その場に強者は居なくとも、多数で刃を向けてくれば敵として処理せざるを得ず、騒ぎはより大きくなる。それではどこにいるとも知れないプレイヤーの顰蹙を買うことは間違いない。

 

 説得を試み、デミウルゴス達守護者は何とか納得してくれたが、アルベドは頑として聞き入れようとしない。最早駄々っ子レベルのゴネ方であったが、どうしても連れていく訳にはいかない。デミウルゴスも外へと打って出る事を考えると、アルベドにはナザリックに残って貰わないと、組織が回らないのだ。デミウルゴスが何か彼女の耳元で囁くと、アッサリ引き下がった。

 

(え、なんか逆に怖いんですけど。何を吹き込んだんだデミウルゴス!でも聞いたら絶対ヤブヘビだから触れられない……!)

 

 有りもしない自身の貞操を守らんがために、戦々恐々としながらアインズは逃げるように指輪の力で転移で会議室を後にした。供はナーベラルに務めてもらう。去り際にそう言い残して。ある二人の嫉妬の叫びが会議室に響きわたったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルベドが謹慎している間にリムルがアルベドの設定を知りたいと言うので、コッソリと玉座へと赴き、一緒にアルベドの設定を見返していたのだが、そこでとんでもないことが発覚した。最初こそ膨大なテキスト量に驚いていたリムルだったが、気を取り直して一気に読み進める。そして二人とも固まった。

 

「ば、馬鹿な……!」

 

「……マジ?」

 

 驚愕の余り後退りするアインズ。リムルも目を見開いて驚いている。

 

「な、なあ、これってさ……」

 

「言うな。何も言うな」

 

「いやだってコレ……ビッチじゃね?」

 

「ぐふっ!」

 

 アインズが膝を折り、両手を床につく。Orzのポーズだ。床に伏す彼を見てリムルもなんとはなく事情を察した。そっとマスターソースのウィンドウを閉じた。

 

「あーっと……」

 

「見なかったことにしよう。うん、それがいい」

 

「いやいやいや、ちょっと待て!」

 

 勢いよく現実逃避するアインズを引き留めるリムル。

 

「どういうことかね?」

 

「いや、それが……」

 

 

 

 

 

 

 

「ビッチ設定を弄った結果、やっぱりビッチになったわけか」

 

「……こんなはずじゃ……」

 

「ま、まあ、見ようによってはいい事なんじゃないか?誰彼構わずぶっ殺しまくろうとするより、な?」

 

 リムルがフォローにならないフォローを入れるが、アインズは何度も精神が沈静化されても追い付かない程の羞恥と後悔の念に駆られ、遂に堪えきれず、遂に床を転げ回り始めた。

 

「俺だって、俺だって良かれと思って……くっそぉおお、タブラさん!なんて罠仕掛けてるんだよ~!」

 

 気が済むまで転げ回ったのか、アインズは何事もなかったかのように突然立ち上がる。

 

「相談がある」

 

 アインズのシリアスな雰囲気に、リムルも表情を引き締めた。

 

「大体察しはついてるけどな……」




ナザリック転移から一週間も経っていないという事実に、愕然としています・・・。

次回はきっと重い話です。
それ以降は漸くナザリックから旅立つ事になりそうです。




オマケ


『非常に恋多き女である』

リムル「ほー」

『本当は甘えん坊である』

リムル「ほぉん?」

『実は寂しがり屋である』

リムル「お、おおん・・・」

『性欲を持て余している』

リムル「・・・は?」

アインズ「馬鹿なっ」(何で色々入ってるんだ?どうしてこうなった?)


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#49 出発

ちょっと短いですが、アルベドの謹慎中にあった出来事の続きです。


 モモンガは日本での出来事、ギルドメンバーの近況を知っている限りで話してくれた。そこで初めて俺は日本の出来事、そして『アインズ・ウール・ゴウン』の状況を知ったのだが……。

 

 何となく察してはいた。仲間の話題に触れるときのモモンガの様子が、どこか寂しそうというか、悲しそうというか。そういう感情を無理矢理押し隠しているような感じがしたのだ。

 

 ミリムはかぜっちが居ない事をしきりに気にかけていたようだったので、モモンガが話してくるまでは何も聞かず待とうと言い含めておいた。無理に聞き出すのではなく、話す気になるまで待つことも大切だと。うっかり地雷を踏み抜く気はないのだ。

 

 とはいえ俺も少し楽観視していた。ゲームのユグドラシルがサービス終了した事は分かっていたし、ギルドが社会人で構成されている事も知っていた。皆色々大変で結局最後の瞬間を一緒に迎えられず、それが心残りだったんだろうな、という程度に考えていた。相談の内容もてっきり日本に帰れないかというような内容を予測していたのだ。異世界人の多くは大抵元の世界に帰ることを考えるものだからな。

 

 しかし、いざ話を聞いてみればウルベルトもたっち・みーも音信不通で、ペロロンチーノを含む半数以上が死亡。正直こんな重い話だとは思っていなかったのだ。やっぱり地雷だったか。

 

 再会してすぐこの事を話さなかったのは、『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバーが自分しかいないと知ったら、俺がすぐに魔物の国(テンペスト)に帰ってしまうのではないかと不安だったらしい。だったらこんな異世界まで来たりしないんだが。相談というのも「日常(リアル)で死んでしまった仲間達を助けられないか」それだけだ。その言葉には自分の事を含めていないような気がした。

 

「俺の力があれば、死んだ奴も含めて助ける事は出来なくもない。だけど、その後はどうするつもりなんだ?お前は日本に帰りたい、とかないのか?」

 

「……こんな姿で帰ってどうなるっていうんだ」

 

 今のモモンガはアンデッドだ。つまり人間を辞めてしまっている。仮にあの世界の汚染を含めて何とかして、再び平和に暮らしていけるようになったとしても、それだけではモモンガはそこには居られない。アンデッドモンスターが人間と一緒にあの世界で暮らしていけるかと言えば、答えは否だろう。魔物の存在しないあの世界に、モモンガの居場所は既に無いのだ。

 

「なあ、『バタフライエフェクト』って知ってるか?」

 

 バタフライエフェクト。それは『蝶の羽ばたきのような小さな変化を与えるだけで、その影響がないときとは全く異なった予測不可能な変化が起きる』というような物理に関する理論だ。

 

 平たく言えば、過去を変える事で予測不能な別の何かが起きるかもしれない、ということだ。モモンガも俺の言わんとしている事は理解してくれた。十分に教育を受けられなかっただけで、地頭は悪くないんだよな。思考加速の補助があったとはいえ、魔法を尋常じゃない早さで覚えられたし。

 

「過去を変えた結果、今とは全く違った未来が待ってるかもしれない……っていう事だよな。結局皆死ぬとか、世界が滅びるとか」

 

 随分想像が後ろ向きな気がするが、過去を変えるという事はそういうことだ。どんな未来になるか、正直未知数と言える。こいつが今こうしてアンデッドとして異世界に居る事自体、奇跡のような確率の上に成り立っているのだ。ちょっとした過去の改変で、それ以降の歴史は無かったことになり、別のものに書き変わるはずだ。

 

「もしもこの世界に転移するという未来が変わったとしたら、お前は人のまま日本で生きていける。仲間も死んでいない世界で。そこからまたやり直せるかもしれないぞ?」

 

 時を遡り、過ぎ去った過去を、今を、そして未来を改編する。究極能力(アルティメットスキル)"虚空之神(アザトース)"の力なら、そんなことも可能なのだ。モモンガを人間に戻してやることも出来ると思う。それを本人が望めばだが。

 

 モモンガが仲間達と心血を注いだユグドラシルは、遅かれ早かれ終わりの時が来る。ユグドラシルという繋がりを失ってしまえば、仲が良かったギルドメンバーとも疎遠になっていくかもしれない。それでも本人達の努力次第で、もっと悪くない未来にも出来るはずだ。その時は俺も住みやすい世界にするために多少の協力はしてもいいと思っている。

 

「その場合NPC達は……アルベドやデミウルゴス、シャルティア達はどうなるんだ?永久に戻ることの無い主人を、この世界で信じて待ち続けるっていうのか?そんな仕打ち、あんまりだろ……。今とは違う歴史を辿った俺はなにも知らなくても、()()()()()()()は知ってるんだ!今更無かった事になんて出来るか!」

 

 モモンガは若くして両親を亡くし、以来一人きりで生きてきた。社会へ出てようやく心を通わせた友も、瞬く間に失った。仲間と過ごした日々を取り戻せるものなら取り戻したいと願っているはずだ。だが、置いていかれる寂しさを身に染みて分かっているモモンガは、盲目的に自分を慕ってくれるNPCを置いては行けないのだ。

 

「それならこっちに何人か連れて来るか?」

 

「それは……駄目だろう。皆にはそれぞれの人生がある。恋人や家族だって。俺は家族も恋人も居ないから別に構わないけど。異世界なんてまず信じて貰えないだろうし、かといってだまくらかして連れてくるのはちょっと、な……」

 

 然り気無くモモンガにディスられてるように聞こえるのは気のせいだろうか。そりゃ多少強引に魔物の国(テンペスト)に連れていったし、気絶もさせちゃったし、ちょっとだけ強引に?働いてもらったりはしたけど。実は結構根に持ってるのか?

 

「じゃあ、魔物の国(テンペスト)に来たメンツはどうだ?あいつらなら誘えば来てくれるかもしれないぞ?」

 

「無理だろう。たっちさんには家族があるし、責任感が強いから、リアルを捨ててまでこっちへは来たがらないはずだ。茶釜さんはスポンサー企業の御曹司と結婚できそうで。折角掴みかけた幸せを邪魔したくない。ペロロンチーノさんも、茶釜さんと日本に居た方がいいだろうしな……」

 

 え、かぜっち結婚するのかよ。まあそろそろ適齢期だろうしな。しかも玉の輿っぽい感じじゃないか。

 

「へー、かぜっちが……ちょっと美人になったしなぁ」

 

「…………」

 

「どうした?」

 

「ん、何がだ?」

 

 何がって、凄くへこんでるように見えたのは気のせいか?やっぱり寂しいんじゃ……あっ。

 

「お前さ……かぜっち達と会いたくないのか?」

 

「……はぁ?いきなり何を言い出すんだ?さっきもいったけど、茶釜さんは家族を亡くして色々大変だったんだ。やっと立ち直ってきて、結婚して幸せになるって時に邪魔してどうするんだよ?」

 

 アレ?気のせいだったのか?もっと違う反応を期待していたんだけど、マジのトーンで返されるとは。俺の思い違いだったか?

 

「まあそうなんだけど……お前、ホントにそれで満足してるのか?」

 

「さっきから何が言いたいんだ?」

 

 モモンガの眼窩に揺らめく炎がじっとりと此方を視ている。まるで心を見透かされるような感じがして焦りを感じる。そんなわけはないんだけど。

 

「いやなんかおまえってさ、色々我慢し過ぎじゃないか?どこか壁を作ってるっていうかさ。もっと素直に   

 

「何が悪いんだよ」

 

「えっt」

 

「我慢して何が悪いんだ!何でもかんでもやりたい放題出来るわけないだろ!俺だって皆に会いたいさ!でも仕方ないだろ?こんな身体になっちゃったんだから!自分に言い聞かせて、現実と折り合いつけていくしかないだろ!」

 

 口は災いの元と言うが、思い切り地雷を踏み抜いてしまったようだ。踏まないように気を付けてたつもりなんだけど、つい……。

 

「…………本当は怖いんだ。拒絶されたらどうしようって。人に戻っても、また失うかもって…………」

 

 虚飾も何もない、鈴木悟の本音の部分をやっと聞けた気がした。これまでもこうやって一人で我慢して、孤独に耐えてきたのか。

 

「それで?お前の本当の望みは何なんだ?望んだ全部が叶うとは限らないけど、言うだけタダだろ?」

 

「リムル……っ」

 

 堰を切ったように本音をぶちまけるモモンガ。最初に私室でぶちまけたときより更に勢いがいい。何とかしてやりたい。いつもなら自己責任だと切って捨てるところだが、何の気紛れか、その信条を曲げてもこいつの望みを叶えてやりたいと思った。俺ってやっぱり我儘なのかな?

 

《……》

 

 あ、うん、だよね。わかってた。

 

《それがご主人様(マスター)の良いところですよ

 ……》

 

 なんか誉められてる気がしないんだが。まあいいか、誉め言葉と受け取っておこう。

 

 因みにモモンガの濁流の如き本音の吐露は加速した思考の中で数時間以上に及んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「なんかその……ごめん」

 

「ホントだよ全く。女子かっ」

 

「うっ、言い返せない。けど、こんな姿さらしたの、お前だけだな」

 

「おう、遠慮すんな。友達(ダチ)だからな……。やるだけやってみようぜ?結構条件厳しめだと思うけどな」

 

「アルベド達は何て思うかな……」

 

「あー、そうだな。ていうか、もし人間のままで至高の41人として受け入れられたら、それはそれで問題あるかもな。アルベドとかヤバそうだろ?」

 

「うっ、やめてくれ。でもそうか、そういう方面の心配もあるのか……はぁ」

 

 女性とモモンガを除いた至高の37人がアルベドという名の穴兄弟(ブラザー)、とはいかなくとも、ナザリックには最低一人は自分が作ったNPCがいる。その多くは、種族こそ人間ではないが見目麗しい女性ばかりであり、男性は自分の理想の女性像を描いている場合が多いはずだ。それが現実化し、しかも自分を主人として慕ってくるとなれば、どうにかなってしまう可能性は高い。誰か連れてくるにしても最初は慎重に選ばないと、後々色々とイタい事になりそうだ。

 

「とりあえずどう転んでも良いように、こっちの環境を整える方向で   

 

「だな」

 

 

 

 

 

 

 

「では行くのだ!」

 

「ミリム様、ご飯粒が……」

 

 ミリムが満面の笑みを浮かべ、出発を宣言する。朝からナザリックの美味しいご飯を食べて元気一杯だ。頬っぺたに付いたご飯粒をユリに取って貰っている様子は、まるで子供のそれだ。俺なんか微妙に距離を置かれてる気がするのに、ミリムとは明らかに打ち解けてるな。

 

「どうか皆様、お気をつけて。またいつでもお立ち寄りください」

 

「ああ、ありがとう」

 

 セバス達に笑顔で見送られ、俺達はモモンガより先に出発することになった。

 

 俺達が目指すのは王国ではなく、竜王国だ。ニグン達に色々情報を貰って、竜の子孫が女王をやっている国があると言ったら、ミリムが興味を持った為だ。途中バハルス帝国にも寄って行きたい。闘技場でひと稼ぎできれば、外貨獲得にも貢献できるだろうし、ポケットマネーも増やせる。国は潤ってるけど、俺の個人資産は多くはないのだ。

 

 俺達は一旦結論を先伸ばしにし、情報を集めてこの世界の人間との関わり方を決めることにした。モモンガの部下達が人間を、ギルドメンバーの真実を受け入れる事が出来たなら、そのあとでギルドメンバーを連れて来るかどうか考えればいい。何年、何十年先の話かも知れないが、幸い時間は何とでもなる。

 

 それにしても、ナーベラルを連れて冒険者をやることになったモモンガは色々苦労しそうだ。試しにニグン達と引き合わせてみたが、ナーベラルの口から飛び出したのは、一言目から目の覚めるような罵倒のオンパレードだった。あれは完全に汚物を見る目だった。

 

 見た目は人間だから外見の問題はクリアできているし、人間に少しでも馴れさせるため連れていくらしいのだが、本当に大丈夫だろうか。今頃必死で()()()()の続きでもしているんだろう。

 

(うーん、名前もまともに覚えられないし、当たり障りなく接する演技もまるで出来ない……だけど、やる気だけは凄くある。そこは買ってやりたいんけどなぁ)

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、第六階層では   

 

「カマドウマ」

 

「全っ然違うっす!」

 

「チャタテムシ?」

 

「……それも……違う」

 

「うーん、に、に……ニジイロクワガタ!」

 

「ほんの少しだけ近くなったわね」

 

「はぁ、本当に大丈夫かしら?」

 

 本人のやる気とは裏腹に、ニグンの名前を未だに覚えられず、姉妹達に心配と呆れの目を向けられる。それを意に介すことなく、ひたむきに練習を続けるナーベラルの姿があった。




ようやく物語が動き出しそうです。
転移からちょっと間延びしてしまった感があるので、次話から新しい章にしようかなと思います。

アンケートを実施します。
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冒険者編
#50 始めての冒険者


原作通りモモンがナーベとエ・ランテル入りします。


 城塞都市エ・ランテル。そこはリ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、スレイン法国の三国が国境を近接する都市であり、三重の堅牢な壁に囲まれた、要塞の如き都市である。忙しなく三国の物資や人、情報が行き交い、長閑なカルネ村とは比べ物にならないほど活気に溢れている。

 

 現在はリ・エスティーゼ王国がその領有権を主張し、統治しているが、バハルス帝国が代替わりしてからは毎年のように領有権を巡って戦争を仕掛けられていた。もう一つの国家スレイン法国もまた、古くは自国の領土であったと主張してはいる。しかし戦争に発展した事はなく、人類同士の不毛な争いに書簡にて遺憾を示し、帝国と王国の争いを静観するに留まるというのが、ここ数年の恒例行事のようになっていた。

 

 人も物も出入りが多いこの街に、一際目立つ二人組がその都市にやって来たのは数十分前。城のような立派な門の前で、入管手続きを待つ為に並んでいた。

 片方は、金や紫など精巧な装飾が施された漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包む偉丈夫。燃えるような赤いマントをなびかせ、背には巨大なグレートソードを二本背負っている。

 そしてもう一人は、絹糸のような黒く美しい髪をポニーテールに纏めた若い女性。動きやすさを重視したズボンに、褐色の外套を羽織っている。肌の露出は少ないが、きめ細やかな美しい白い肌と凛とした切れ長の目は、誰もが振り返るような美貌を備えていた。

 しかし、当の彼女は不機嫌そうな表情で周りを睨み付けている。

 

「アイn「おっと、ナーベ?」しっ、失礼しました……お……叔父様」

 

 周囲から少なくない視線を浴びながら、口を開いた途端に名前を呼び間違えそうになるナーベラル。アインズはナーベラルの肩に手を置き、優しく諭すように注意した。

 今のアインズは異形の姿を隠すため、魔法で作り出した鎧を着込んでいる。幻術を見破られることを危惧して、全身をすっぽりと包む事にしたのだ。それにまさか魔法詠唱者(マジックキャスター)が戦士に扮しているなどとは誰も思うまい、などと尤もらしくアルベド達に説明していたが、それだけではない。

 

 純銀の聖騎士(たっち・みー)のように、戦士として剣を振り回したい願望を叶えるためである。魔物の国(テンペスト)でも剣を扱う修行はしていない。基礎体力作りのために組手はやっていたが、それ以外は魔法の習得に明け暮れていたのだ。大好きな魔法の習得は楽しかったが、やはりたっち・みーのような戦士への憧れも捨て切れなかった。

 

 アインズは純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)だが、レベル100ともなればそのステータスはレベル30台の純粋な戦士と同程度くらいはある。合わせて、常時発動特殊技術(パッシブスキル)の〈上位物理無効化Ⅲ〉はレベル60未満の攻撃を無効化できる。ガゼフ・ストロノーフの〈六光連斬〉でさえ、余程装備が良くなければ傷一つつけられないのだ。そんな彼が周辺国家最強と呼ばれるくらいだ。武器は振っていないが、魔物の国(テンペスト)で組手は経験していたので、身のこなしだけはそこそこ自信がある。武器の扱いは慣れていないし、武技や戦士系の特殊技術(スキル)は使えないが、戦士に扮してもそれなりには通用するだろう。

 

 いきなり想定以上の注目を浴びてしまっているが、それも当然である。王宮の騎士でも着られないような立派な全身鎧(フルプレート)と、リ・エスティーゼ王国に名高い「黄金の姫」にも並び立つのではないかという程の美女が一緒にいるのだ。目立たない訳がない。

 傾国の美女がうっすらと頬を染め、曇り一つなく磨きあげられたような漆黒の鎧の男にしおらしく肩を抱かれる様は、絵画に描かれた英雄譚(サーガ)の光景を見ているかのようであり、その場の誰もが感嘆の息を洩らす。

 

 ナーベラルは演技が苦手で、目を離すとすぐに人間に酷い態度を取ってしまう。まだ初めての接触が済んで日が浅いが、いずれはその態度も軟化してくれれば…そんな期待と、やっぱり不安だという気持ちが入り混じっている。

 最初は「モモン」と呼ばせようとしたが、これはこれで問題があった。たまにであるが、「モモンガ」になってしまうし、敬称も「さん」ではなく「様」付けで呼んでしまう。ふとした拍子に名前バレなど恥ずかしいし、危険な可能性もある。そこで考え付いた苦肉の策が、「叔父」と呼ばせることだった。「叔父様」なら周りにも違和感なく受け入れられそうだし、実際友人の子供の様なものだ。それが叔父と姪という関係になったとしても然程違和感は感じない。ナーベラルも畏れ多いと口にしつつも目を輝かせていたことからそう決まったのだった。

 

 険のある視線を振り撒いていたナーベラルが鎧の男に宥められ、俯いて頬を弛ませるのを見た周囲の人々は、ヒソヒソと声を潜めて噂話を始める。何処か遠い国の貴族のお嬢様が騎士と駆け落ちしてきただの、どこぞのボンボンが格好付けているだけだのと、勝手な想像はどんどん膨らんでいく。どこまで進んでるのかとか、もうヤッた、まだヤッてないとかいった下世話な話が出て来るのも時間の問題だろう。彼らの共通の認識は、「あの二人はデキている」であった。

 

「うーむ、いきなり目立ってしまっているな……」

 

「…消し(かたづけ)ますか?」

 

「い、いや、それには及ばない。むしろ好都合だ」

 

 より多くの報酬と情報を獲る為、冒険者として名声を上げるという点に於いて、目立つことは重要な要素の一つである。街に入る前から注目を浴びるとは思っていなかったが。

 

「では次の方ー!」

 

「行こうか、ナーベ」

 

「はい」

 

 守衛の声が掛かった二人は、多数の視線を浴びながら歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 入管手続きを済ませ、門をくぐったナーベラルの第一声は、「やはりあの小バエ共は駆除すべきでは!?」である。

 まるで恋人を冷やかすような守衛の態度に、ナーベラルは大声で「どこをどう見たら(私ごときとアインズ様が)そんな関係に見えるのですか!(アインズ様を)愚弄しているのですか!」と完全否定したが、若干頬が赤らんでいたせいか、守衛にはただの照れ隠しと受け取られたようだ。結局親戚だと信じてはもらえたが、ただならぬ仲との誤解は解けていないようだった。ナーベラル、もといナーベは眉間にシワを寄せ、怒り心頭の様子である。

 

 一方モモンはモモンで絶賛傷心中であった。

 

(全否定とか…ああもはっきり言われちゃうと流石にショックだな。まあ、こんな中身骨のオッサンと恋人扱いされるのは誰だって嫌か。ナーベラルも年頃の女の子だもんなぁ。はぁ)

 

 彼はナーベラルの気遣いには全く気付くことなく、本気で自分を嫌がっているんだと思ってへこんでしまい、ひっそりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 冒険者組合へ足を運び、登録手続きを済ませた二人は、駆け出しの冒険者に紹介しているという宿へと向かう。小一時間程、注意事項や心得など説明を受けて、名前を彫り込んだ冒険者の身分証"冒険者プレート"が出来上がるのを待っていたら、すっかり日が落ちていた。

 

(……それにしても、思ったより夢のない仕事だな。冒険者というより、魔物専門の傭兵(モンスターハンター)じゃないか。とにかく当面の生活ができるようにお金稼がないと…。けど、文字がなぁ)

 

 此処リ・エスティーゼ王国で使われている文字は、アインズには読めなかった。日常(リアル)でも見たことのない、全く知らない言語である。当然書ける筈もない。代筆可能ということだったので頼んだが、それにもお金がかかる。登録だけで地味に金がかかってしまった。今後もそういう機会がある度にお金を取られる事になりそうだ。

 

 不思議なことに、話す言葉は普通に通じているのに、文字に書き起こすと読めないのである。よくよく喋っている受付嬢の口元を見ていると、口の動きと聞こえてくる言葉が明らかに一致しない。どういうカラクリかは分からないが、しゃべる言葉は耳に届く前に自動的に翻訳されているらしい。

 

 そういえば魔物の国(テンペスト)も、言葉は通じるのに文字は違った事を思い出す。どうも異世界特有の奇妙な法則があるんだろうと無理矢理納得した。

 他にも何かが引っ掛かっている気がしたが、思い出せないので気のせいかと思い直す。

 

 出来立ての(カッパー)級冒険者プレートを首に提げ、受付嬢に説明された通りに道を進んでいくと、そこには如何にもな安宿があった。

 西部劇に出てくるような両開きのドアを押し開け、二人が中に入るとそこは場末の酒場のような雰囲気の溜まり場だった。乱雑に並んだテーブルで飲んだくれているゴロツキ共が、此方をねめまわすように見てくる。特にナーベにはねっとりと絡みつくような嫌らしい視線が。

 カウンターの中には接客業には似つかわしくないコワモテの男。店主というより用心棒だと言われた方が納得できそうな厳つい容姿である。

 

「宿を借りたい」

 

「共同の大部屋が3銅貨、二人用の小部屋は7銅貨だ」

 

「小部屋を頼む」

 

 ぶっきらぼうな店主の物言いに、ナーベがピクリと眉を動かすが、機先を制してアインズが答えた。

 

「ああ?お前、わかってないようだな」

 

「…気遣いは無用」

 

 店主の言わんとしている事はアインズも分かっているつもりだ。同業者はライバルでもあるが、助け合う仲間でもあるのだ。横の繋がりを持って協力しあわなければ、駆け出しなどすぐに死んでしまう。冒険者は死と隣り合わせの仕事なのだ。余程突出した実力がなければ、周りの助け無しには食っていくどころか今日を生きる事すら儘ならない。

 

 駆け出しならば、顔を繋ぐ意味でも情報を交換する意味でも、大部屋に泊まるのが定石(セオリー)なのだろう。懐事情が寂しいアインズとしてもそうしたいところだったが、いきなりナーベが他人と同じ部屋に寝泊まりするのは心配事が多すぎた。年頃の女子を見知らぬ男と相部屋させるわけにはいかないし、ナーベの性格上、下手な刺激をされれば手が出る可能性が高い。トラブルを避ける意味でも、これが最適解に思われた。

 

「ふん、死にたがりが…7銅貨だ!」

 

 店主に不機嫌そうに要求された代金を支払い、モモンが二階への階段へ足を向けると、側のテーブルにつく客が通路へと足を投げ出しているのに気がついた。加えて差し向けられている下卑た視線。わざといちゃもんを付ける気のようだ。ナーベもそれに気付いたのか、眉間をひくつかせている。

 

(わざと乗ってやってもいいんだけど、ここはナーベラルに余裕のある大人の対応を見せてやるべきだよな)

 

 モモンは面倒くさい雑魚イベントをスルーしてさっさと通りすぎることにした。ナーベに目配せし、彼女が頷き返したのを確認した。意志疎通も図ったことだし、これで大丈夫だろう。

 

 ゴキッ

 

「ぎゃぁっ!足が、足がぁぁ!!」

 

(ええー!?)

 

 モモンが器用に足を避けて通りすぎたのに、後ろをついてきたナーベは腰に提げていた剣の鞘でゴロツキの足を砕いていた。無視をするとアイコンタクトを取ったつもりが通じていなかったようだ。

 

「何しやがんだこの(アマ)ァ!」

 

 一緒に酒を飲んでいた男の仲間達がいきり立ち、席を乱暴に立ち上がる。顔を近付け、血走った目で凄んで見せる男達。ナーベは怯む様子もなく、一番近くに居た男の顔を剣の鞘で殴り付けた。殴られた男はきりもみ回転しながら、他の客がいるテーブルに突っ込む。

 

「コメツキバッタ風情が至高のっ」

 

 侮蔑と殺意に満ちた表情のナーベにゴチン、とモモンの拳骨が落ちた。

 

「馬鹿、イチイチ相手にするんじゃない!」

 

「ひゅ、ひゅみまひぇん、叔父ひゃま…」

 

 腰に手を当てて怒りをポーズで示すモモンに、拳骨で舌を噛んでしまったナーベが頭を押さえて謝罪を口にする。先程まで男達を見下した態度で見ていた美女が、叔父と呼ばれた鎧の男の前で小さく肩をすぼめ、涙目で震えている。あまりの変わりように周囲は呆気に取られてしまう。

 

「姪が失礼した。今は少々虫の居所が悪くてね…。大方新人の通過儀礼のつもりだったのだろうが、相手は選んだ方がいい」

 

「あ、は、ハイ……」

 

 ゴロツキは大人しくそう返事を返すので精一杯だった。周りの者も完全に二人の空気に飲まれている。先のやり取りでナーベの実力がかなりのものだと理解させられたが、そんな彼女が頭が上がらない様子を見せる鎧の男はもっと実力が上らしい。彼がいつ彼女の背後に回ったのか見えた者はその場には居なかった。

 

「おっぎゃあああっ!!?」

 

 とりあえずその場を収められそうだと思った途端、女の少し間抜けな悲鳴が上がる。今度はなんだよ、とモモンは舌打ちしたい気持ちを抑え、悲鳴の上がった方を見る。

 

「ちょっとちょっとちょっとちょっとぉ!!」

 

 顔を怒りに歪め、怒鳴りながら近付いてくる女。やや野性味を感じさせる癖のある髪、鍛えられて程よく盛り上がった二の腕の筋肉。褐色に日焼けした肌は、むさ苦しい男達と共に生き死にを共にする、女戦士のそれである。

 

「お、おいブリタ…」

 

 近くに居た飲んだくれが小声で止めようとするが、聞く耳もたず、ブリタと呼ばれた彼女は肩を怒らせてのしのしとナーベに詰め寄る。

 

「…」

 

 僅かに眉をしかめながらも、努めて冷静に応対しようとするナーベ。流石に彼女も馬鹿ではない。モモンが荒事を望んではいないことを念頭に置き、練習したことを思い出す。

 

「何か?」

 

「何かじゃないわよっ!どーしてくれんの、コレ!」

 

 涙目になりながらブリタが見せてきたのは割れた瓶の欠片の様なもの。

 

「アンタがソイツをブッ飛ばしてくれたせいで、アタシのポーションが割れちゃったじゃない!」

 

「それが…何か?」

 

 些末な事、とでも言いたげなナーベのスカした態度に余計に腹が立ったブリタは、頭に血を昇らせ真っ赤になって怒鳴り付ける。

 

「だっ、か、ら、もぉおお!弁償しなさいよ!!アタシが食事を抜き、酒を断ち!倹約に倹約を重ねて今日!今日やっと買えたのよ!?お仲間がそんな立派な鎧なんか着込んでんだから、アンタら金持ってんでしょ!?」

 

(え…もしかしてかなり良いヤツだったのか?それともこの世界のポーションは高価な物なのか?)

 

 ユグドラシルの世界では初心者でも持っていて当然の消耗品にそこまで怒ってくるとは思いもよらなかった。思い返してみれば、確かに馬鹿みたいな高級ポーションも存在した。アンデッドであるモモンガは自分で使用する機会がなかったが、レアと聞くと集めずにはいられないタチの収集家な彼は一応全種類揃えている。

 チラリと女の胸元を確認すると冒険者プレートが下がっている。

 

(素材は…鉄か。鉄級と言うことは下から二番目のランク。そんな彼女にとってポーションは苦労してやっと手に入れる事が出来るくらいには高価な物らしいな)

 

 ランクからして、どうやらそこまで高価な物ではないだろうと辺りを付けたモモン。

 

「あー、彼らに支払わせればいいんじゃないのか?」

 

 モモンが言いながらゴロツキ共を指差す。元はと言えば喧嘩を売ってきたのは彼らの方だ。ちょっとやり過ぎた感は否めないが。

 

「あー、ムリムリ。コイツら昼間っからずっと飲んだくれてんのよ。酒代ぐらいしか持ってないよ。4金貨なんて大金、コイツらに払えるわけないわ」

 

 彼女の言葉にウンウンと頷く飲んだくれ共。モモンは内心大の男がそれでいいのか、と溜め息を付く。しかし困った。

 

「……今は持ち合わせがないんだが」

 

(そんなにするのかよっ)

 

「うーん、なら現物でも良いわ」

 

「ならばそれで手を打とう。残りは少ないんだが…」

 

 嘘である。本当はまだ腐るほど在庫を抱えているが、それを正直に言ってしまうより、少ない中から渡すと言った方が効果的である事をモモンは経験上知っている。

 モモンはマントの中を漁る振りをしながら、インベントリからポーションを二本取り出す。虚空に手が消えて見えるのはまずいので隠しただけであるが、それでもマントの中からポーションを取り出すのは不思議に見えたようだ。1本をブリタに手渡す。

 

「なにコレ、ポーションなの?」

 

「そうだが?」

 

 この時モモンはまだ知らなかったが、この世界で一般に流通しているポーションは青色。赤いポーションなど、ブリタは見たことも聞いたこともなかった。

 

 これで文句ないだろうとモモンは背を向け、足を砕かれた男にポーションを振り掛ける。その効果は劇的であった。みるみるうちに怪我は完治し、驚きの声をあげる。

 

「すげぇっ!あっという間に治ったぜ!」

 

 品質にもよるが、この世界のポーションはそれほど効果は高くない。そのうえ、即効性も薄い。治癒能力を異常促進し、骨折ならば余程高級なものでなければすぐには動かせない。ところが、骨折が瞬く間に完治してしまうところをを見せつけられてしまった彼らは、目玉が飛び出るような衝撃を受けた。

 

「え…?」

 

 最初はポーションが偽物じゃないか少し疑っていたブリタも目の前で効果を見せつけられては信じるしかない。それどころか、元々持っていたものより遥かに良品である。金貨数百枚とかするんじゃないだろうか、なんて代物が今自分の手の中にある。

 

(いくら何でもこんな凄いの貰えないわよっ)

 

 少し迷ったブリタがやっぱり返そうと決めた時、二人はさっさと階段を上がろうとしていた。

 

「ちょっ、ちょっと!」

 

「…まだ何か?」

 

 不機嫌そうに振り返るナーベ。

 

「アンタじゃないわよ。そっちの、ええと…」

 

「ん、私か?…ナーベ、先に部屋に行っててくれ」

 

「っ!?」

 

 モモンは何か言おうとしたナーベの肩に、後ろからポンと手を乗せた。ナーベの方は驚いた様子で目を見開き、そしてほんの僅かに頬を赤らめる。モモンは角度的にナーベの顔が見えないためか、それには全く気づいていない様子だ。男達も同様。が、同じ女性のブリタは敏感にそれをキャッチする。

 

「大丈夫だ。すぐに行く」

 

「で、ですが…」

 

 食い下がろうとするナーベ。その様子から、彼女がこの男を随分慕っている事が窺えた。

 

「ナーベ?」

 

「う…はい」

 

 少しシュンとした様子で引き下がる彼女。心から慕う叔父と片時も離れたくないようだ。もしかすると、もっと別の感情もあるかもしれない。ブリタにはそんな彼女が少しいじらしく思えた。

 

「あの娘ナーベっていうんだ…。アタシはブリタ。アンタは?」

 

「ああ、そう言えば名乗っていなかったか。モモンだ。それで、私に何の用だ?」

 

 言われてブリタがポーションを突き返す。

 

「やっぱコレは受け取れないわ。とんでもない値段すんでしょ、コレ?アンタ達の将来性を見込んで、つけにしといてあげるわ」

 

「黙って貰っておけばいいのに、案外律儀なんだな」

 

「新人の後輩にポーションをタカるようじゃ先輩としてハズカシーじゃん?それに、アンタ達に貸しを作っておけば、将来トクしそうだし?」

 

 ふふん、と鼻をならすブリタ。二人の将来性を見込んでくれたようだ。ポーションの弁償一度きりの縁で終わらせるより、今のうちから恩を売って繋がっておく方が得策、ということか。モモンは良心的な相手で良かったと胸を撫で下ろすと共に、ブリタの認識を少し改めた。実力差を考えず突進する脳筋かと思っていたが、案外将来を考えて行動する(したた)かさもあるようだ。

 

「…成る程?そういうことなら、先輩のお言葉に甘えさせて貰おう」

 

「ま、困ったことがあったら頼って来なよ。気前の良い新人さん」

 

 

 

 

 

 モモンが部屋へと階段を上がっていったところで、俄に場が賑やかになる。

 今度の新人は相当やり手だぞ。だから俺はやりたくなかったんだよ。女の方は強くて美人だが性格キツかったな。でも男の方には惚れ込んでるらしい。ありゃどこぞの元騎士か?一瞬動きが見えなかったぞ。でも紳士だった…。あの二人、やっぱりデキてるんじゃないか?となると夜の相手もしてもらってるのかなぁ。あの兜の下はどうなってんだろうな?よっぽどの男前なんだろうな。ブ男だったら俺にもチャンスがあるかも?よせよ、どうせお前の顔じゃ敵いっこないって。ついでにチ○コのサイズも勝てねえだろうしな。うっせー、男はデカさじゃねぇ!

 

 新人の話題を酒の肴に、いつものように飲んだくれ達が馬鹿騒ぎをしながら飲み明かすのだった。




快調なスタートを切ったモモン一行ですが…。
原作とはモモンの言動や呼び方は色々違う感じになっていますが、リムル様のお陰で多少気が楽になっているのと、目的も変わってきているせいでもあります。

アンケートにご協力くださった皆様、ありがとうございました。結果を活動報告にて発表しております。
結果を加味しつつ、マイペースにゆっくり更新していきます。


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#51 漆黒の剣

漆黒の剣の面々が登場します。


 モモンは部屋へ入ってから一息つく間もなく、改めてここに来た目的についてナーベに説明した。ここで冒険者として名声を高め、外貨と情報の獲得、そして現地の人間との友好を図る事が出来るかどうかの調査だ。

 

 現地の人間と友好的な関係を築く事ができれば、まだどこに居るとも知れない、人間の味方に立とうとするであろうプレイヤー達も、いきなりナザリックに攻めてくるような事はしないだろう。だが、ユグドラシル時代の『アインズ・ウール・ゴウン』の悪名を思えば、それでも絶対とは限らないし、常識や良識の通じない輩も一定数存在するだろう。そんな存在に出くわしたとき、現地の人間が味方しようとしてくれるなら、ナザリック側に味方するプレイヤーも出てくるかもしれない。

 

 アインズ一人しかプレイヤーが居ない『アインズ・ウール・ゴウン』は、どうしても数に弱いと言わざるを得ない。それを克服するためには、自分達の強化だけでなく、味方を増やすことも必要だとリムルは言っていた。

 

 それに、人間を下等と見下し、あるいは嫌悪する今のナザリック地下大墳墓が変わることが出来なければ、たとえギルドメンバーを連れてくることが叶ったとしても、受け入れる事など出来ないだろう。最悪の場合、内部分裂して崩壊する羽目になりかねない。アインズはナーベラルのような、人間を下等と見下している者がその成否を握る鍵だと考えていた。

 

(それにしても……本当に大丈夫か?)

 

 人間と友好を築くと告げたとき、ナーベラルの顔を思い出し、不安に駆られる。街へ入る前にも同じことを説明したはずなのに、その時と全く同じ反応をしていた。

 

(アレか、ポンコツなのか?それとも、本来の役目とは勝手が違う事に戸惑っているだけか?まあ、馴れるまで根気強く待つしかない、かな……)

 

 いずれにしても、暫く様子を見守るしか無さそうだ。

 

(それにしてもアイツら、俺達には聴こえてないつもりなんだろうけど……)

 

 アンデッドの種族特性で睡眠をとることが出来ないアインズは、夜暇になった時間は〈兎の耳(ラビッツイヤー)〉で情報を収集しようと考えていたのだが、魔法を使うまでもなく下の階の酒場の声はほぼ丸聞こえで、どれも女子が聞けば顔をしかめるような下品な会話ばかりだったが、今ナーベラルの耳には届いてはいまい。

 

 先程からナーベラルはアルベドへ〈伝言(メッセージ)〉で定時報告をしているのだが、……長い。何時間喋ってんだ、と文句を言いたくなるくらいだが、男共の恥ずかしい会話がナーベラルに聞かれてしまうよりはマシである。

 

 少し離れた部屋からは、荒い息づかいとリズミカルな衣擦れの音が洩れ聞こえてきていた。壁が薄いというよりは、聴覚が人間であったときよりも格段に良くなっているせいもあるだろう。ナーベラルに何の音かと聞かれてしまった場合、どう説明しようかと悩む。

 

(「ナニを邪魔しないように」などとは言えるはずもない。「一人で()()でしているのだろう、気付かない振りをしておけ」とでも言って誤魔化すか……)

 

 それが()()でどれ程役に立つのかは彼自信にも未知であったため、詳しい説明は出来ない。色々突っ込まれない事を、いや、そもそも気付いていないことを祈るばかりだ。

 

昨夜(ゆうべ)のオカズを翌朝根掘り葉掘り訊かれるのは地獄でしかないってペロロンチーノさんも言ってたしな……。はぁ、さっさともっとマシな宿へ移りたい……早速だけど、明日辺りあのブリタとかいう女に聞いてみるか……人間の呼び方も……いや、そもそも名前覚えろよ)

 

 人の名前を覚えられないどころか、虫呼ばわりするナーベラル。相手は虫呼ばわりされて良い気はしないだろう。何か対処方法はないだろうか。表には出さないように、内心で唸りながらモモンは思い悩むのだった。

 

 そして、下世話な喧騒が続くなか、使用した空のポーション瓶を拾い上げ、口元を緩める者が居たことには気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 城塞都市エ・ランテルの広い通りには朝から多くの人が行き交い、商売人の威勢の良い呼び込みの声が響く。食材の買い出しに来ている婦人や、串に焼いた肉を刺したものを頬張る少年など、様々な人で賑わっている。

 通りに面した五階建ての建物。冒険者組合もまた、朝から賑わいを見せていた。ロビーの掲示板には種々の依頼書が張り出され、多くの冒険者がいち早く条件の良い依頼を探し出すために集まってくるのだ。

 基本的に依頼の受注は早い者勝ちであり、冒険者ランクを満たしていれば名指しの依頼でもない限りは誰でも受けられる。自分達に合った依頼を見つけ出す嗅覚も、冒険者として成り上がるためには必要な素養である。

 

 組合がある程度依頼の内容や裏取り、モンスター情報等を下調べして適正ランクを決定しているため、それぞれが自分で調べたりせずとも、依頼書のランクを見て自分達に見合った依頼を受けることが出来るようになっている。冒険者達が自分の実力に見合わないような高難度の依頼を受けてしまうと、多くの死者が出たり、依頼失敗による組合の信用の失墜を招く。そのため、組合が依頼金の一部を使って事前に調査をしっかり行うことで、生存率と組合の信用に繋げているのだ。

 

「じゃあ、依頼書を確認してみようか。どれがいいかな……」

 

 ブリタは掲示板の前で腕組みしながら依頼書を吟味している。その後ろにはモモンとナーベの姿があった。後輩のモモン達に仕事の受け方や選び方をレクチャーしてくれているのだ。冒険者として初めて出来た先輩が面倒見が良いようで助かった。

 

「あー、この辺はミスリル級の依頼かぁ」

 

「ミスリル級の?」

 

「うん、ランクが高い依頼は報酬もいいけど、その分難度も高くなってるから、受けれるのはミスリル以上の冒険者だけ。実力を付けて実績も積んで昇格しないと受ける事も出来ないってわけ」

 

 冒険者には階級がある。駆け出しの(カッパー)を一番下に、(アイアン)(シルバー)(ゴールド)白金(プラチナ)、ミスリル、オリハルコン、アダマンタイトと上がっていく。

 

「ほほう、凶悪なモンスター討伐なんかもあるのか?」

 

「ええっと、それなんかまさに  

 

「よし!」

 

 ブリタが言いながら一枚の依頼書を指差す。するとモモンがニュッっと手を伸ばし、その指差された依頼書を引っ付かんで鼻唄混じりに受付へと向かう。

 

「あっ、ちょっと!」

 

「これを受けたい」

 

 ドン、と受付のテーブルに叩きつけるように置かれたそれは、ミスリル級の依頼書。受付嬢は目の前に立つモモンと依頼書を見比べ、困惑したよう声音で口を開く。

 

「これはミスリルプレートの方々への依頼です。残念ながら銅級(カッパー)プレートのあなたでは   

 

「勿論知っているとも。だから受けたいんだ。退屈でみすぼらしい仕事を何度も繰り返し、昇格試験を待つなど……馬鹿げている」

 

 最下級のプレートを首から提げる全身鎧の男の言葉に、受付嬢は眉間にシワを寄せ、固い表情を見せる。

 

「規則で冒険者のランクによって受けられる依頼は制限されています。もし失敗すれば、他の多くの命までも犠牲になるかも知れないんですよ」

 

 そうなった時、駆け出しのお前に責任が持てるのか、と責めているような言葉。周りの冒険者達も彼女の意見に同調し、我儘な主張を言う彼に非難の目を向けている。

 

「実力が不足だとでも?」

 

 後ろをクイッと指差し、不敵な態度で言い返す鎧の男。

 

「後ろの私の連れは第三位階魔法の使い手。私も彼女に匹敵する戦士だ。私は子供のお使い程度の容易い仕事をやって銅貨数枚を稼ぐ為に冒険者になったわけではない。実力に見合った、もっとレベルの高い仕事を受けたいのだ。実力を示せというならここでお見せしても構わない」

 

 周りから息を飲む様子が窺える。第三位階の使い手といえば、エ・ランテルの魔術師組合にも極少数しか存在しない。まだ二十歳前後の若い美女が、既にその域に達している事に誰もが驚きを禁じ得ない。

 

 それに合わせて男の纏う漆黒の鎧も、斜めに交差して背負った身の丈ほどもあるグレートソードも、紛う事なき一級品である。

 冒険者たるもの、実力に応じて装備も充実し、上級になっていくものだ。代々家に伝わるものを受け継いだだけ、という可能性もあるが、かなりの重量になるハズの全身鎧(フルプレート)を着込んでいるのに、よろめきもしなければ、疲れている様子もまるで見せない。

 冒険者がこれほどの装備を揃えるとなると、かなりの稼ぎ   つまり経験が必要だ。ただの銅級(かけだし)と侮る事は危険だと、鍛えられた生存本能が警鐘を鳴らしていた。

 

 だが、だからと言って規則を軽視し、身勝手な言動をするのは見過ごせない。これまで培ってきた組合の信用を、自分達の地道な努力を馬鹿にし、唾を吐く行為だからだ。

 

 モモンとしても出来ればこんな聞き分けのないクレーマー紛いの事はしたくはなかった。だが正直なところ、雑用みたいなつまらない仕事を繰り返し、雀の涙のような報酬をチマチマ稼ぐのもゴメンだった。いち早くあの安宿生活を脱出したいのだ。

 

(それにしても、誰も突っかかってこないな?やっぱりヘイト管理は茶釜さんみたいに自在には出来ないか)

 

 モモンはそろそろ誰か止めに入ろうとしてきても良い頃だと思いながら周囲をチラッと見る。皆挑発的なモモンの態度に反感を抱いている様子だが、面と向かって突っ掛かってきたり、窘めようとする者もいない。

 

「はぁもう、何でそういう勝手な事するかな……。自信もやる気もあるのはわかったけど、いきなりミスリルなんて受けれるわけないでしょ?」

 

 文句を垂れながら、草臥れた様子で二人に歩み寄るブリタ。

 

「私の、いや私達の実力的には問題ないと思うんだが?」

 

 ようやく止めに入ってくれたブリタに内心でお前じゃないんだよな、と思いながらモモンはかたを竦めて言葉を返す。

 

「いやいやいや、実力とかの問題じゃないの。実績と信用!これ大事よ?」

 

「うーむ、それは分かってはいるんだが……少しでも早くレベルの高い仕事をしたくてな。だが、確かに地道な積み重ねによって信頼を築く事は大切な事だ。これはどうも私が悪いな。身勝手な我儘を言って申し訳なかった。貴女もどうか、許してほしい」

 

 モモンがあっさりと折れ、ブリタと受付嬢に頭を下げる。その一部始終を見ていた周りの冒険者たちは、どうやら有り余るやる気のせいで気が逸っているようだと納得し、一旦怒りを納めたようだった。その証拠に、モモン達に向ける視線からは既に敵意は薄れている。

 

「それにミスリルの依頼なんて、アンタ達がついて行けても私には到底ついていける気がしないわ」

 

「ちっ、役に立たない人間(コオロギ)ね……」

 

「ナーベ、然り気無く剣に手を掛けるのはやめなさい」

 

「はい、叔父様」

 

「アンタって、ホント叔父さんの言う事()()は素直に聞くわね……少しは先輩の言うことも聞いてほしいんだけど」

 

 何事もなかったかのようにポンポンと会話を弾ませる三人。周りも唖然とそれを見守っている。興味を抱きつつも声を掛けるべきか誰もが躊躇するなか、一番に声をかけたのは──

 

「あの、もし良ければ私達の仕事を手伝いませんか?」

 

(お、来たか!?)

 

 遂に目当ての獲物が掛かったか、とモモンは面頬着兜(フルフェイスヘルム)の下でほくそ笑む。ブリタには悪いが、鉄級の仕事はまだ雑用に毛が生えたレベルの仕事が殆どだ。

 あえて我儘な態度を見せてその場の注目を集め、誠実な謝罪を見せることで、周りの冒険者達にアピールしたのである。

 これに少しでも興味を持った上位冒険者が居ればしめたものだ。欲を言えば、仕事を手伝えと誘いを受けたい。そこで実力を示し活躍をすれば、そこから口コミで評判は広がっていくだろう。それが上位の冒険者の言葉ならば、より効果も高い。

 

 果たしてその作戦は功を奏したようだ。モモンは内心でガッツポーズを決めながら、逸る気持ちを抑えゆっくりと声のした方を振り向く。

 

「ほう……それはやり甲斐のある仕事でしょうね?」

 

「あるといえばありますね」

 

「詳しくお話を聞かせていただいても?」

 

 

 

 

 

 

「では、まずお互いに自己紹介から始めましょうか。私はこのチーム『漆黒(しっこく)(つるぎ)』のリーダー、ペテル・モークです」

 

 最初に挨拶をしたのは、誠実そうな若い金髪碧眼の男。鎖帷子の上に幾条もの金属製の細帯が重なりあうように覆っている。所謂帯鎧(バンデッドアーマー)を身に付けた彼が、詳しく内容を聞きたいと言ったモモンの言葉を受け、受付嬢に依頼して部屋を貸してもらったのだ。

 

 彼らは年の頃なら二十歳に満たないであろう若々しさだが、年相応の青臭さは感じさせない。彼を始めとした『漆黒の剣』の面々は、寛ぎつつも何時でも武器を手に取れるようにしていた。無意識のレベルでこれが出来るようになるには、幾つもの修羅場を潜り抜けてこなければ不可能だろう。それぞれの胸元には、ブリタの物とは違う白銀の輝きを帯びたプレートが掛かっている。(シルバー)級冒険者だ。

 

 ブリタも横に座っているが、やや恐縮した面持ちで、佇まいも隙だらけだ。一つランクが違うだけでこうも差が出るものなのかと感心してしまう。

 

「彼がチームの目であり耳である、野伏(レンジャー)のルクルット・ボルブ」

 

「ヨーロシクぅ!」

 

 ペテルが紹介すると、壁にもたれて立っていた男が軽快に挨拶をする。気さくというよりは、少し馴れ馴れしいくらいだ。男性にしては線の細い印象だが、アスリートのような引き締まった肉体をしている。目であり耳である、との言葉通り野伏(レンジャー)らしい佇まいだ。

 

「そして魔法詠唱者で、チームの頭脳。術師(ザ・スペルキャスター)、ニニャ」

 

「よろしく」

 

 続いてペテルに紹介されたのはまだ幼さの残る青年、というよりは少年に近い、恐らく最年少メンバー。深いブラウンの柔らかそうな髪と、くりっとした青い目が幼さを感じさせる。他の面々が程よく健康的に日焼けしているのに比べ、彼だけ肌は白い。顔立ちも一番美しく整っているが、男性的というよりは中性的な雰囲気である。

 

「ところで、その恥ずかしい2つ名はやめませんか……?」

 

「いいじゃねーか、せっかくの生まれながらの異能(タレント)持ちなんだし」

 

「ほう、タレントですか」

 

 横から口を挟んだルクルットの言葉に、モモンは強い興味を示した。ニグンからもある程度概要を聞いているが、生まれながらの異能(タレント)は人口の凡そ0.5%という一握りの者に発現する能力らしい。

 ガゼフ・ストロノーフはタレントを持っていないし、陽光聖典の中でもニグンだけだ。その稀少性は、レアと聞くとコレクションしたくなる彼の収集癖をくすぐった。

 

 単にタレントといっても、その能力はピンからキリまであるようで、明日の天気を約7割の確率で当てるものから、小麦の収穫を少しだけ早める事が出来る、など微妙なものも多いとの事だ。しかも生まれついての能力なので、自分で望んで習得することは出来ない。だから大抵はタレントが本人の職業や夢と噛み合わず、その人の人生の助けになるような事も殆どないらしい。

 

 どのようなものか詳しく聞いて良いものだろうか。しかし、いきなり初対面でそんなことを聞くのは失礼かも知れない。モモンが迷っていると、ブリタが噂を耳にしたことがあったのか、興奮気味に口を開く。

 

「も、もしかして魔法適正?習得に八年かかるのが、半分の四年で済むっていう?まさか噂の天才少年とこうして会えるなんて!」

 

「おっ、流石有名人だなニニャ」

 

 恥ずかしそうに身を縮ませるニニャに、ニヤニヤと揶揄うような視線を向けるルクルット。ニニャも本気で嫌がっている様子はない。兄弟のようで微笑ましい光景だ。横でナーベが嘲笑気味の表情をしていなければ。本人は気を付けているつもりでも、やはり見下した態度は時折顔を出してしまうようだ。モモンは気付かれやしないかと気が気じゃないが、相手に気付いた様子もないので、今は流しておく。

 

「いえ、その…………あっホラ、わたしなんかより、もっと有名な人がいるじゃないですか」

 

「ん?ああ、蒼の薔薇の?」

 

「いえ彼女(そっち)ではなく……」

 

「ああ、バレアレ氏であるな!」

 

 まだ紹介を受けていない最後の一人が声を発する。最年少のニニャよりも12才(ひとまわり)くらい上だろうか。口回りに貫禄のある髭を蓄えた男。力強く、低く通る声だ。体格も四人の中で一番がっしりしている。モモンが視線を向けていると、それに気付いたペテルが彼を紹介してくれる。

 

「えっと、彼は森祭司(ドルイド)のダイン・ウッドワンダー。自然を操る魔法や治癒魔法を使えます。薬草に関する知識も豊富ですよ」

 

「宜しくである!」

 

「どうも。それで、そのバレアレさん?はどんなタレントを持っているんですか?」

 

 モモンがそう聞いた瞬間、みんなが驚いた表情をする。どうやら知っていて当たり前の情報だったようだ。しかし、すぐにどこか納得したような表情になった。

 

「なるほど……。噂になりそうな程の美人と立派な鎧を纏う戦士の二人組を、私たちが全く知らなかった理由がわかりましたよ。遠方から来られたんですね」

 

「ふ、ご名答。つい昨日この街に来たばかりでしてね……」

 

 モモンは無理に隠すこともないか、と話を合わせる。それに、噂が届かないほどの遠方と思わせておけば、多少おかしな言動があっても、文化が違うからと誤魔化しがききそうだ。

 

「それで……なら知らなくても仕方ないのか。バレアレって人はね、この街一番の薬師で、地元じゃ名士みたいな凄い人らしいわ。冒険者なら覚えておいて損はないわよ。で、そのお孫さんが、凄いタレント持ちってわけ」

 

 ブリタは得意気に語りだす。先輩風を吹かせようとしているようにも見えるが、それなりに知識はあるようなので、好都合とばかりにそのまま喋らせておく。好きに喋らせておけば労せずして価値ある情報を洩らしてくれる可能性もあるとナーベにも事前に言い含めてある。

 

「……どのようなタレントなのですか?」

 

 ナーベが質問を口にした。初めて人間に対してまともな事を言ったところを見た気がしたモモンは、思わず感動にも似た気持ちがこみ上げる。

 

(いいぞ、ナーベラル。やれば出来るじゃないか。って親バカみたいだな……)

 

「ええっと、どんなマジックアイテムでも制限に関係なく使用することが出来るらしいです。魔法詠唱者(マジックキャスター)じゃないと使えない巻物(スクロール)や、人間には使用出来ないとされるアイテムも。王家の血筋でなければ使えないというような物さえも多分、使えるんでしょうね」

 

 それが事実だとしたら、とんでもない事だ。本当に何でも使用可能だというなら、特定の条件下を除き、ギルド長にしか使用できないギルド武器や世界級(ワールド)アイテムでさえ使える、ということだ。

 

(やはり厄介だな、タレント……早々に始末すべきか?いや、うまく味方に付けられないか……?)

 

 物騒な事を考えつつ、モモンは教えてくれたペテルに礼を述べる。ナーベも同じくタレントの危険性に思い当たった様子だった。

 

「では、私達の番ですね。先輩からどうぞ」

 

「え?ああ。私はブリタ……ですっ」

 

「私はモモン。見ての通り戦士です。こっちが姪のナーベです。魔力系の魔法詠唱者(マジックキャスター)で、第三位階の使い手です」

 

「ご親戚同士でしたか。成る程……」

 

 驚きと共に、感心しているような表情を見せている彼らだが、モモンはそれがどこから来ているものかはわからなかった。

 

「ところで、質問いいですか?」

 

「ええ、構いませんが」

 

 モモンは興味深げに訊ねてくるルクルットに承諾の意を示すが、すぐにそれを後悔した。

 

「ナーベちゃんって恋人とか居るんですか?」

 

(あー、嫌な予感……)

 

「居ませんが」

 

 涼しい顔で、とりあえずまともな返答を返すナーベだが、更に踏み込まれたらどうか分からない。頼むから手だけは出さないでくれとハラハラしながら見守るモモン。

 

「惚れました!付き合ってください!」

 

「は……?」

 

 あまりにド直球過ぎる告白をするルクルットに、モモンは面食らってしまう。ナーベはと言うと……。完全に見下しきった目で嫌悪感を顕にしていた。

 

「分際を弁えなさい、ダニが。目玉をスプーンでくり貫かれたいの?」

 

(ああ、やっちまった。彼の心は完全に砕かれて……)

 

「くっはー!キツイお言葉ありがとうございます!」

 

(えぇー!?)

 

 ナーベの酷い返しに心を砕かれたと思いきや、お礼の言葉を返してくるルクルットに、思わずモモンが声をあげそうになる。こっぴどい返しを喰らっておいて、全くへこたれないとは。そういう趣味を疑うレベルである。

 

「じゃあ、お友達かrぐえっ!」

 

 ペテルがルクルットの頭を思い切り殴り付け、無理矢理引きずってナーベから引き離す。目を鋭く細めたナーベからは殺気の込もった空気が洩れかけていたが、ギリギリのところで収まった形だ。あと一瞬遅かったらヤバかったかもしれない。

 

「どうも連れがすみません、は、はは……」

 

「ってえぇな、オイ!」

 

「これはルクルットが悪いね」

 

「うむ!」

 

『漆黒の剣』に彼の味方はいなかった。

 

「なんっでだよぉ!?俺は本気でナーベちゃんに   

 

「とにかく黙ってろって、もう!」

 

 ルクルットが頭を押さえながらペテル達に抗議するが、誰も彼の話をまともに聞こうとしない。どうも軽いのは見た目だけじゃないようだ。だが、何となく憎めないヤツだ。モモンは落ち着いた声を取り繕い、慰めの言葉を掛けた。

 

「まぁまぁ。私は姪を気に入ってくれたようで、少し嬉しいですよ。ちょっといきなり過ぎて驚きましたが……」

 

「あ、はい…」

 

「ナーベ、そう敵意を向けるものではないぞ、これから一緒に仕事をしようという相手に」

 

「はい。叔父様」

 

 そう言いつつも、ルクルットに鋭い視線を向けるナーベ。モモンは得意先で相手に無自覚に礼儀知らずな言動をやらかす部下を見る上司の気分だった。

 

(いや、だからさぁ……)

 

「はぁ……」

 

 モモンはつい、小さく溜め息を吐く。すると、ナーベの顔色が何かに怯えるようにモモンを見つめる。よく見ると若干震えているようでもある。

 

(まあ、フォローは出来るだけしてやらないとな)

 

「んんっ、見ての通りナーベは極度の()()()で、私以外には心を開こうとしません。今まではそれでやってこれていますが、将来を思うと少しばかり憂慮してもいるんです。まぁ、根気強く接してもらえれば……」

 

「あ…っ!はい!」

 

 少し申し訳なさそうにしていたペテル達が目を輝かせる。ルクルットも喜色を満面に、太っ腹だぜとモモンにサムズアップして見せた。そしてナーベにキツイ一言と、ペテルから拳骨を貰っていた。

 

「それでその……仕事の内容なんですが……」

 

「あ、ああ、そうですね。今回は仕事と言うより、モンスター退治です」

 

 気を取り直したペテルは仕事の内容について語り出した。モモンは疑問に思い首を傾げる。モンスターの討伐ならば、冒険者の仕事ではないかと。

 

「因みに、標的はなんというモンスターですか?ドラゴンとかですか?」

 

「えっ、ド、ドラゴン……?ええっと、そういうのではなくてですね……うーん、モモンさんの居たところでは何と言っていたんでしょうかね?」

 

「……?」

 

「依頼による討伐ではなくて、モンスターを狩って倒した分に応じて国から報奨金を貰えるというやつで、森から飛び出して街の周辺に出没するようなモンスターを減らす意味で行うんです」

 

「成る程、そういう……」

 

 納得がいった。要するに、治安維持のための()()()と言ったところか。鬱蒼と繁る深い森の中は、人間では太刀打ちできないような強大なモンスターが跳梁跋扈する人外魔境。そんな森の奥まで入り込む事は出来ないが、森からあぶれて出てくる雑魚モンスターを倒すことは出来る。戦う力を持たない一般人をモンスターの危険から守るためにも、そういった定期的な活動が必要なわけか。

 

「糊口を凌ぐのに大切な事である」

 

「成る程。しかし、治安維持の為に国から報奨金が出されるとは……」

 

 事前情報として王国は国政が腐りきってると聞いていた割には、そういうことには力を入れているのか。案外まともなんじゃないかと思いかけたが、それは勘違いだと気付く。

 

「もしや、黄金の姫君の?」

 

「ええ、そうです。流石にご存知でしたか……」

 

「まあ、噂くらいは……」

 

 黄金の姫君。リ・エスティーゼ王国の第三王女の事だ。黄金と称されるに相応しい美しい容貌と、民を思う優しさと智恵を備え、一般の国民から非常に慕われているらしい。ニグンから聞いた話では、実は相当頭の切れる曲者の可能性もあるらしいが……。

 

「お陰で俺たち冒険者も財布が潤うし、街の治安維持にも繋がって一石二鳥ってわけさ。第三王女様々だよな」

 

 慕われている人をわざわざ懐疑的な言葉で貶めるようなことをして不況を買うこともないだろうとモモンは黙って頷いた。

 

「第三王女様の行いは確かに立派ですね……まあ、私の夢の実現に役に立つものであれば大歓迎ですよ……」

 

 気付くとニニャが暗く、内側で激しく渦巻くような感情を湛えた瞳で、呪詛のような言葉をぶつぶつと垂れ流していた。その眼には何となく見覚えがある。()が時折見せたのと、どこか似ている気がした。

 

「んんっ、えっと、こういう感じなんですが、どうでしょうか?」

 

 ペテルがニニャのただならぬ空気に気付いたのか、誤魔化すように咳払いをして、モモンに尋ねる。

 

「勿論やらせていただきますとも」

 

「あ、私も是非……」

 

「叔父様がやると仰るなら」

 

「じゃあ決まりですね」

 

 こうして打ち合わせが終わり、早速出発の準備を整えようと部屋を出たところで受付嬢に声をかけられた。

 

「モモンさん、あなたに指名の依頼が来ています」

 

「私に?」

 

 モモンは首を傾げる。この街へ来たのは昨日の事だ。知り合いが居る筈もない。にもかかわらず、名指しで依頼をしてくるなど通常は考えられない。もしや自分を知っているプレイヤーがいて、何かの切っ掛けで正体がばれてしまったのではと、警戒心を強めた。

 

「ほぉ、お主がモモンかい。成る程、格好は一人前じゃな……ひっひ」

 

 待ち合いの椅子に腰掛けていた老婆が後ろから声をかけてくる。上背は低く年老いてはいるが、その眼光は老人とは思えないほど生気に満ちている。顔に刻まれた深い皺と相まって、一筋縄ではいかなそうな老獪な魔女のような雰囲気を漂わせている。

 

「すみませんが、私は今から別の仕事がありますので、すぐには……」

 

 モモンは下手に関わり合うのは危険だと判断し、先約を理由にその場での対応を断ろうとする。一旦街を出て距離を取ることさえ出来れば、準備や対策をゆっくり練ることが出来る。

 

「え、モモンさん、名指しの依頼ですよ!?」

 

「先に決めた仕事を放り出すわけには行きませんよ。たとえ条件の良い仕事であろうと、後から割り込みをかけられるのは嫌でしょう?」

 

「それは、そうかもしれませんが……」

 

 冒険者にとって名指しの依頼を受ける事は誰もが目指す、言わば一つのステータスだ。指名を受けるということは、それだけ知名度と、他者に勝る厚い信頼を寄せられていることに他ならない。ペテル達『漆黒の剣』のメンバーは、折角の名指しの依頼に素っ気ない対応を見せるモモンに驚くと共に、小さな仕事も疎かにはしないその真摯さに感動を覚えた。

 

「ふぅむ、まぁ、ワシはそう慌ててはおらんのじゃが……どうする、ンフィや?」

 

 老婆は少し迷った様子で、側に居た少年に話しかける。その表情はそれまで見せていた老獪な印象から大きく変わり、子供に息子に語りかける優しいものになっていた。

 

「僕は……そのお仕事からはいつ頃戻られるんでしょうか?僕は、僕はとても急いでいるんです!!一刻も早く……早く、行かなきゃ……!」

 

 目が隠れるほど前髪が伸びた少年は、切迫した様子で拳を握りしめて訴える。何やら分けありの様子だが、警戒していたものとは違うようだ。

 

「なぁ、モモンさん……」

 

 ルクルットが遠慮がちにモモンへと声をかける。話だけでも聞いてやってはどうかと。

 

「ふーむ、そうですね……。では、皆で一緒にこの仕事を受けませんか?」

 

「あ、はい!喜んで!」

 

 ペテルが嬉しそうに返事をする。彼らは気弱そうな少年の必死な訴えに絆されてしまっていたのだ。

 

「そういうわけですが、構いませんか?」

 

「あたしゃ構わないよ」

 

「あ、ありがとうございます!!」

 

 少年は感極まった様子で頭を下げる。

 

「では、まずはお話を聞かせてもらえますか?詳しいことはそれから決めましょう」

 

「では、バレアレ様の打ち合わせの為のお部屋をご用意致しました。案内させていただきます」

 

 受付嬢の言葉に全員が絶句した。

 

(あれ、バレアレって有名な薬師の……なんだか知らんが、タレント持ちと二人も繋がりを持てたぞ。どうにかして引き込めないかなぁ)

 

 余りに都合の良い展開に小躍りしたくなる気分を抑え、ゆったりとした足取りで受付嬢の案内に付いていくモモンであった。

 

「ね、ねえナーベちゃ……さん?」

 

「……何か?」

 

「あんたの叔父様ってなんだか凄いわね……。まだ(カッパー)級なのに、あっという間に皆の注目を集めちゃうし、(シルバー)級の先輩にも物怖じしないで話すし、今だって大口の仕事を簡単に取り付けちゃうんだもん、やっぱり英雄になる人ってのは新人の時からすごいのかなぁ」

 

「叔父様ならばこれくらい当然です」

 

 人間の話していることに興味を持っていなかったナーベは赤い鳥の巣(ブリタ)に何を言われているかよくわからなかったが、主を誉められたことだけは理解できた。そして小さく笑みを溢した。

 それは、人間の前で彼女が初めて見せた笑みであった。

 

(へぇ、この娘もこんな顔するんだ……)

 

「何か…?」

 

「あ、いや、何も……」




『漆黒の剣』が登場しました。
バレアレ氏が二人とも来ちゃいました。
そしてちゃっかり巻き込まれちゃってるブリタさんです。
大所帯で目指すは、急ピッチで復興が進んでいる(魔改造されてしまっている)カルネ村……なんでしょうか?


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#52 闘技場にて

今回は旅に出たあの人達の回です。


「うおおおおおお」

 

「わぁぁぁぁ」

 

 バハルス帝国にある闘技場は、今日も熱気と興奮の渦が湧き起こっている。毎日様々な試合が組まれ、モンスターと闘う拳闘士や、多人数同時参加のバトルロイヤル、実力者によるトーナメント戦などが開催される。観客達は試合を観て、手に汗握りながら自分が賭けた選手を必死で応援している。

 

 俺達は出発から3日程で、既にバハルス帝国の首都へと足を伸ばしていた。首都というだけあって、街道は綺麗に石畳が敷き詰められ、馬車は走りやすく、また徒歩の人も通行しやすい様に工夫されている。街を行き交う人々の表情は明るく希望に満ちている。俺達は小綺麗に整備された活気溢れる街並みを眺めながら、あてもなくゆっくりと歩いていた。

 

「人が一杯居るのだ。あっ、あの店の串焼き、美味そうなのだ。ちょっと行って買ってくる」

 

 好奇心旺盛なミリムはキョロキョロと周りを見ながら、初めて訪れる街に興味津々の様子だ。油断するとすぐ何処かへ走っていって迷子になりそうである。

 

「おい、分かってると思うけど……」

 

「わ、わかっておるのだ。暴力は厳禁…だろ?わたしとて子供ではない。信用するのだ」

 

 まるっきり子供にしかみえないけどな、と思ったが、それは言わぬが華というやつだろう。

 それに今は俺も子供の姿だ。髪を黒くし、長さも少年に見えるように短めにしている。此処では金髪が多い為、逆に目立つ気がするが。

 

 北の市場でやるというフリーマーケットも気になるが、この国でメインの目的はやはり何と言っても闘技場だ。この世界の興行運営には興味があったし、モモンガ達に協力する意味でも、外貨獲得は重要任務であった。決して羽を伸ばして遊びたいだけではないのだ。

 

 元手となるお金をどうやって手に入れたかというと、模造(コピー)した。ぶっちゃけ偽造である。

 

 この辺りに流通している金貨はドワーフ金貨と違い、偽造対策(コピーガード)はされていないので、簡単に作れてしまう。ちょうど街道を通りがかった旅の商人に一緒に馬車に乗せてもらい、道中暇だからと、金貨を使ったちょっとした手品を見せると言って一枚借りた。そして右手に握り込んだ金貨を拳のなかで捕食・解析。解析が終わったところで今度は左手から出し、あたかも金貨が一瞬で右手から左手に瞬間移動したかのように見せた。

 

 受けはイマイチだった。魔法でも似たような事は出来るらしいから、別段驚くものでもなかったようだ。大人は無理でも子供は喜ぶよ、と微妙なフォローをされたが……別にショックでもなんでもないけどっ。

 

 まあ、何はともあれ目的は果たせた。あとはナザリックから拝借したユグドラシル金貨十枚を材料に、この世界で使える金貨を製造するだけだ。元手は最初少な目の方が楽しめるし、モモンガにも後で多目にして返せば大丈夫だろう。()()には文字通り山程積み上げてあったからな。

 

 俺達は街に入るまで他愛のない世間話に花を咲かせながら、ゆっくりと移ろう景色を眺め楽しんだ。こんなにホノボノと旅をしたのはいつぶりだろうか?

 

「ちょっとした旅行気分だわ」

 

「な?こうやってのんびり旅をするのも楽しいだろ?」

 

「まぁ、そうね…」

 

 そう言って穏やかに微笑むヒナタに俺は少し驚きつつも、最近は本当に丸くなったよなぁ、としみじみ思った。初めて会った時は命を狙われてたし、とても冷血なヤツに見えたが、今はまるで印象が違う。たまに怒ると怖いけど……。

 

 因みにヴェルドラ達も誘ったのだが、断られた。今研究の真っ最中らしい。一体何を熱心に研究しているのか知らないが、村を下手に改造してくれるなよと釘を刺しつつ、俺はヒナタを誘って連れ出したのだった。「一人で少し旅に出る」と言って出てきて貰ったのだが、村人達にはヒナタは強者と認識されているので、何も心配は要らないとばかりに笑顔で見送られていた。

 

 街で食料や衣服を買った後、俺達は闘技場を目指した。闘技場についた俺達は、中をゆっくり見て回る事にした。試合の様子を横目で見ると、そうレベルは高くないが、活気に溢れている。流石に俺達が目を見張る程の実力者はいないようだ。

 

「そうだヒナタ、出場してくれないか?そうすれば俺はヒナタに賭けてガッポリ……」

 

「嫌よ」

 

「何で?村では親切に手ほどきまでしてたのに」

 

「そんな目的で剣を振るうのは、ね……」

 

 お金のために見世物として剣を振るのはどうにも嫌らしい。ヒナタが出てくれれば間違いなく勝ち馬に乗れると思ったのに、残念だな……。

 

「きゃっ」

 

 闘技場に来たところで女の子の短い悲鳴が聴こえてきた。悲鳴が上がった方に意識を向けると、少女が頬を押さえ地面に蹲っていた。どうも一緒に居た男が手を上げたようだ。少女を見ると、耳の上側に切られたような傷跡がある。いや、意図的に切り取られている。途中で切れてはいるが、あの特徴のある耳は…エルフか?

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 少女は男に怯えた瞳を向け、震えた声で謝罪の言葉を口にする。対する男の方は蔑むような目を少女へと向けている。そこそこ立派な鎧を着込み、腰には刀のような武器を携えている。対して少女は襤褸きれのようなみすぼらしい格好だ。

 

「こんな程度の使い走りもロクに出来ないとは…やれやれ、本当に使えませんね。……ホラ、さっさと立ちなさい。それ以上顔を腫らしたくなければね。全く、これでは私が悪者みたいじゃないですか」

 

 いけ好かねぇ野郎だな。折角の観光気分が台無しだよ。顔立ちは整っているが、どうも癪に障る感じのイケメンだ。周りに居た人々も不快感を抱いている様子だが、どうしたわけか、誰も面と向かって咎めようとはしない。この男はそれなりに名の通る強者なのか?皆遠巻きに見ているだけで迂闊に手出しできないようである。

 

 ここで俺達が動くのも悪目立ちしてしまうし、問題を起こしてここを出禁にされては敵わないので、もう少し様子を見ようとして居たのだが……。

 

「おい」

 

 もう遅かった。既にヒナタが首を突っ込もうとしていた。

 

「?…私ですか?何か……ああ、()()ですか?女性の前で失礼しました。見苦しい所をお見せしてしまいましたね。ご不快だったでしょう?しかし出来の悪い奴はこうやって躾けてやらなくては、ね!」

 

「うぼっ」

 

 男が少女の腹に蹴りを入れる。少女は蹴飛ばされて3メートルほど地を転げたが、すぐに腕を地面に突っ張り、喘ぐように身を起こそうとする。しかしそれは叶わず、腕がガクンと崩れて再び倒れ伏した。

 

「あ、ぅ…」

 

 周囲には顔を顰めたり、少女へと心配そうに視線を送る者はいるが、誰一人彼女に手を差し伸べようとはしない。自分が当事者として巻き込まれる事を恐れているようだ。

 そんな中ヒナタは迷い無く少女に歩み寄り、街で買ったポーションを使って怪我を癒し、抱き起こす。イケメンだ。男じゃないけど、イケメンとしか言い様がない。

 

「す、すみません……」

 

「別に、普通の事をしただけでしょ?……従者を随分と粗雑(ぞんざい)に扱うのだな」

 

 ヒナタが振り返って男に非難の目を向けると、男から意外な反応が返ってきた。

 

「フッ、アハハハハ!貴女は()()が私の従者だと?私が買った奴隷ですよ、下等なエルフのね」

 

「奴隷…」

 

「おや、ご存知ありませんでしたか?しかし、折角安くない金額を払って手に入れたというのに、こうも使えないとは思ってもみませんでしたよ。全く不快極まりない」

 

 男はちらりと視線を後ろに投げ掛ける。その先には少女と同じ特徴の女性が二人、視線を落として身を縮こまらせていた。あの二人もこいつの奴隷なのか。希望を抱いていないような生気のない目。完全に反抗心を折られている。

 どうやら、この男がどうこうというだけではなく、彼女達が奴隷の身分であるということも、周りが何も言わない理由の一つらしい。ヒナタは僅かに眉を顰め何か言いたげだったが、そうか、と一言返すだけに留まった。詳しい事情もわからず首を突っ込むのはあまり良いことにならないと判断したのだろう。

 

「あなたも剣士なのですか?見たところ、ご立派そうな細剣を提げていますが…あなたのような美しい女性には、血生臭い戦いより、華やかな舞踏会の方がお似合ですよ。どうです?私にその剣を譲る気はありませんか?」

 

「断る。私はこれを手放す気はない」

 

「では、私の所へ来ませんか?そうすれば「嫌よ」」

 

 気障(きざ)ったらしい男の言葉をにべもなくヒナタは断る。男は少し面食らっていたが、気を取り直して別の提案をしてきた。

 

「ふ、勝ち気な(ひと)だ。では勝負しませんか?今度トーナメントがあります。互いに出場し、それで私が勝ったらそれを頂きましょう。剣士だというなら逃げませんよね?」

 

「……私が勝ったら?」

 

「ふ、そのようなことは有り得ませんが、まぁそうですね……貴女の言うことを何でも聞きますよ」

 

「よし、乗った!」

 

 ヒナタの代わりに俺がヤツの提案を受け入れた。これはこれで面白そうだ。俺は俺で、ヒナタに全額賭けて儲けさせて貰おう。勝負は目に見えてるが、それは自業自得だ。俺の知ったこっちゃない。

 

「ちょっと!何を勝手に…」

 

「まぁまぁ、いいじゃないか」

 

 どうせヤル気満々だろ、と耳打ちする俺。

 

「私が応援してやるのだ!」

 

 ミリムも少しワクワクしている様子だ。手に汗握りながら応援するのをやってみたかっただけだろう。

 

「お連れさんもそう言っていますし、決まりでいいですね」

 

「はぁ、仕方ないわね」

 

「ああそうだ、まだ名乗っていませんでしたね。私はエルヤー・ウズルス。『天賦』のエルヤー・ウズルスです」

 

 二回名乗りやがったぞ、コイツ。大事なことだから二回言ったのか?自信過剰なイタイ奴だな。

 

「……こやつは何故二回名乗ったのだ?あっ、もしやこれがアレか?痛々しいやつ」

 

「ぶふっ、き、聴こえるだろ?」

 

 ミリムの失言を慌て止めようとしたが、もうバレバレだった。エルヤーの眉間に皺が刻まれている。

 

「…連れが失礼。ヒナタ・サカグチだ」

 

 一見普通にしているが、ヒナタも地味に吹き出しそうになっている。肩を微妙に震わせていた。エルヤーはもう顔を真っ赤にしてご立腹だ。

 

「いいでしょう、私を笑ったことを後悔させてあげますよ!首を洗って待っていなさい!」

 

 怒りに顔を歪め、言いたいことだけ言ってエルヤーは立ち去った。

 

「お、おいあんたら、ヤバイぜ。エルヤーはトーナメントの優勝候補筆頭で、相当な腕前だぞ?今からでも謝って許してもらった方が……」

 

「今まで黙って見といて何言ってんだ。そう思うなら止めに入れよ!」

 

「む、無茶言うなよ、俺なんか一瞬で殺られっちまう…あんたら美人だし、体抱かせれば許してくr──ヒッ?」

 

「……」

 

 ったく気持ち悪いこと言うなよ。思わず想像しかけたじゃねーか。無言で般若となったヒナタの顔を見て、気の弱そうな男は立ったまま股間を濡らしていた。

 

 

 翌日。トーナメント表が大きく貼り出され、その前には人だかりができている。

 

「アイツと当たるのは決勝だな」

 

「ねえ、何かしなかった?」

 

「ま、まさかぁ」

 

「………」

 

 ヒナタが胡乱気に睨んでくる。本当に鋭いな。実は決勝までエルヤーとは当たらない様に俺がコッソリ細工していた。

 ヒナタがエルヤーと早く当たってしまうと、途中で棄権する可能性もある。優勝予想をするこのトーナメントでは途中棄権されては賭けにならないのだ。

 

 ヒナタは腰に挿した幻虹精剣(ファントムペイン)を抜くことさえ無く、背後に回り手刀で相手の意識を刈り取る。順当に勝ち上がっていった。

 対するエルヤーも、危なげなく勝ち進む。優勝候補なだけあって、その実力は他を寄せ付けない。彼も意外なことに観客女性から黄色い声援が飛ぶ位に人気があった。

 

 そして遂に二人が合間見える。

 

 ヒナタは静かに柄に手をかけ、ゆっくりと細剣を抜き取る。その動きは緩やかながら流麗で、洗練された美しさがある。初めて抜剣するヒナタを見た観客達は一気にヒートアップし、熱狂的な声援を送る。彼女はその美貌も相まって、今やその人気は鰻登りだ。戦いが始まる前からヒナタコールが巻き起こっていた。だが、元々知名度があるエルヤーへの声援も多い。大体今のところ半々、もしくはエルヤーが僅かに上と言ったところか。

 

「随分と人気のようですね。ここまで勝ち上がってきてくれたことには感謝しますよ。この手で堂々と絶望を刻んであげられますからね。命乞いするならその体で許してあげますよ?」

 

「そうか」

 

 エルヤーも構えを取り、両者が視線を交わす。大歓声の中、開始の合図がされた。




原作では自信過剰で下衆っぽい『天賦』エルヤー。墳墓の魔獣ではなく、ヒナタと戦う彼の運命や如何に?(白目)


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#53 鮮血の魔女

R15指定?
途中少しエグい表現がありますので、苦手な方はご注意ください。


「〈能力向上〉!……何をしているのです、貴女も武技を使わないのですか?」

 

 開始の合図と同時にエルヤーが武技を発動するが、何もせずに構えるヒナタを見て怪訝な表情を浮かべた。

 

「気にするな、私には使えないのでな」

 

「ふ、それでどうやってここまで勝ち上がってきたか知りませんが……卑怯だなんて思わないでくださいね!」

 

 嘲笑とともにエルヤーが突進し、そのまま刀の柄に手を掛ける。高速の突進から放つのは、鞘滑りを利用して剣を加速させ、抜き放ちざまに相手を斬りつける技、『居合い』だ。

 幾つかバリエーションのある『居合い』だが、最もオーソドックスな横薙ぎの一撃だ。突進と合わせることで、速さと威力を両立する事が出来るが、その分バランスや距離感、抜刀のタイミングが難しい。それを難なくやってのけるエルヤーはやはり天才的なセンスの持ち主と言える。

 

 次の瞬間エルヤーが瞠目する。全力というわけでもないが、これで簡単に勝負が着けられる筈だった。現に、準決勝までに対戦した相手は簡単に倒すことが出来たのだ。

 ヒナタはエルヤーがその刃を抜く前に、細剣(レイピア)の切っ先で器用に刀の柄を押さえていた。

 

 瞬間、エルヤーは考える。このまま突進の勢いで強引に押しきり間合いに飛び込むか、それとも止まるか。判断は一瞬。女の細腕だから簡単に押し込めると判断した。それと同時にヒナタが腕素早く畳み、剣を引く。思考を読まれている。そう察知したエルヤーは、咄嗟に後方へ飛び退いた。

 

「そこ!」

 

「くぅっ!」

 

 エルヤーが着地する寸前にヒナタが大きく踏み込み、尋常ではない速度の突きを放つ。エルヤーは辛うじて反応し、運良く刀で受け止める事に成功する。そのまま宙を水平に数メートル後方へと弾き飛ばされ、着地した。手にはビリビリと痺れるような衝撃。ヒナタは追撃するでもなく、元の位置で剣を構えている。

 

 観客達は二人の一瞬の高度なやり取りに、割れんばかりの歓声を上げる。まさに決勝に相応しい高度な剣術の応酬になると、誰もが期待に胸を高鳴らせていた。

 

「……」

 

(結局アイツに乗せられてしまったわね……)

 

 ヒナタがリムルの方をチラリと見ると、ミリムが胸の前で握り拳を作り、やや興奮気味の表情をしている。所持金全額をヒナタに注ぎ込んだリムルは苦笑いをしながら、何やら口だけパクパクと動かしている。

 

(「頑張れ、でも手は抜いてやれよ」か……)

 

 ヒナタは小さく息を吐き感情を見せない無表情のままエルヤーに意識を移す。

 

「……成る程、それなりにはやるようですね。仕方ありません。私も少しは本気をお見せして差し上げましょう」

 

 エルヤーは自信の笑みを浮かべたまま、強気な態度を崩さない。

 

「〈能力向上〉!行きますよ……〈縮地〉!」

 

 自身の身体能力を強化する〈能力向上〉と、合わせて使用した〈縮地〉は、まるで地面を縮めて長距離を一歩で踏み越えるが如く、高速移動を可能とする武技である。その速力は最初の突進の数倍にも及んだ。

 

「げっ、マジかよ……?」

 

「どうしたバジウッド?」

 

 闘技場の貴賓室には、一人の若い青年が椅子に座り、側に控えている立派な鎧を着込んだ、野性的な顔立ちの男に疑問を投げ掛ける。

 輝く豊かな金髪と、非常に整った美しい顔立ち。切れ長の濃い紫色をした瞳には凛とした知性の色が宿っている。お忍びで来ている為に目立たぬよう装飾の少ない地味な格好をしているが、彼こそバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスである。

 

 彼は今、エルヤー・ウズルスの実力をはかるために試合を見に来ている。帝国内でもその名前は聞こえており、実力があるが性格に難があるというエルヤーはどんなものか実際に見ておく必要があると思っていた。現時点では本気で臣下にするつもりはない。武勲を挙げる事を条件に騎士の中でも高待遇を約束し、王国との戦争でガゼフ・ストロノーフにぶつける捨て駒にしようと考えていた。

 

 単騎で王国戦士長と渡り合える騎士は帝国には存在しない。最強の4人、"帝国四騎士"でさえ4対1でやっと互角に近い勝負が出来るというほど、ガゼフ・ストロノーフの実力は、戦士として突出していた。

 帝国には専業の兵士が6万人いるのに比べ、王国は非常に数が少なく、ボウロロープ侯爵の持つ私兵団と王国戦士団を合わせて6千に満たない。そのため戦争時には一般の民を駆り出して帝国の3~4倍の人数を揃えてくる。毎回王国の収穫時期を狙って戦争を仕掛けることで、民兵を動員せざるを得ない王国の国力を落とさせつつ、自国の費用は貴族たちに負担させることで反逆の可能性のある者達の力を削ぐ。内外共に敵を弱らせ、皇帝の独裁体制を磐石に固める作戦は、今のところ順調である。

 しかし、ガゼフ・ストロノーフの存在が、未だ解決しきれない課題として残っていた。

 一度は帝国への勧誘を試みたが、歴代最高と謳われる程のカリスマを持つジルクニフをもってしても、彼の心を動かすことは出来なかった。どうやら本気であの凡庸な王に忠誠を誓っているようだ。

 

 ガゼフ・ストロノーフを攻略するか、或いは限定的なエリアに釘付けにして動きを封じ、王の首を取るしかないのだが、抑えることも、ましてや倒す手だても見つからない。第六位階魔法の使い手、"逸脱者"フールーダという切り札はある。彼の名を出すだけで、他国への牽制になる程の存在だ。だが万が一にも失う事となれば帝国の損失は計り知れない。それ故に、おいそれと動かすことはできないのだ。

 

 貴族派閥と王派閥で争っている王国の内部崩壊を待ってから併屯する方法もあるが、内乱で疲弊しきった民を受け入れても大して旨味がない上に、余計に管理の負担がかかる。今年か来年辺りで戦争に決着をつけ、王国を併屯するのが時期的にも、王国民の気力的にも丁度良い頃合いなのだ。

 

 使い捨てでも何でも、ガゼフ・ストロノーフに一太刀入れられそうな戦力を多く集めてぶつければ、攻略の糸口になるのではないか。エルヤー・ウズルスに限らず、使えそうな者が居れば積極的に取り込みたい。

 

「なんだ?エルヤーとやらの強さはお前が驚く程だったのか?」

 

「いえ、あー、ちょっと待っててくださいよ?今は目が離せねーんで!」

 

「あ、ああ……」

 

 主君であるジルクニフの問いに、四騎士筆頭"雷光"のバジウッド・ペシュメルは雑な物言いをしたまま、食い入るように試合を見つめる。ジルクニフもまた、叱責するでもなく苦笑いで返す。元々裏通りの住人であったバジウッドを取り立てたのはジルクニフであり、彼の口調はジルクニフに咎められたことは当時から一度もない。ジルクニフは彼に礼儀や作法等といった事を求めておらず、純粋に彼の強さ、そして物怖じせず忌憚のない意見を言ってくれる豪胆さを買っていた。

 

 この身分を問わず有能な人材を集めようとする姿勢と、貴族や親兄弟でさえも情け容赦なく無能を切り捨てる冷酷さが、貴族が恐れを為し一般の臣民から厚い信頼を寄せられる『鮮血帝』の名の所以である。

 

「──しい……」

 

 次いで声を発したのは、隣にいる青年。ジルクニフに次ぐ程の端整な容姿の彼はニンブル・アーク・デイル・アノックだ。"帝国四騎士"の一人にして、"激風"の二つ名と、伯爵位を持つ。元は男爵の家に生まれたが、彼もまた優秀な人材としてジルクニフに取り立てられ、四騎士の仲間入りを果たした男だ。

 

「うん?何か言ったか?ニンブル」

 

「……美しすぎる……っ」

 

「…ん?」

 

 ニンブルは海のように深い青い瞳を驚愕に見開き、それでいてうっとりとしているような、興奮と恍惚の入り交じった表情を浮かべていた。

 はて、彼は審美眼においても確かな筈だったが……実は男食家だったのか?そんな冗談みたいな考えが一瞬脳裏を掠めたジルクニフだったが、対戦相手が珍しい黒髪黒目の美しい女性剣士だった事を思い出す。

 

(そう言えばニンブルは姉や妹から結婚しろと圧力をかけられているんだったな……)

 

「ふふん、お前はああいう女性が好みだったのか?」

 

 試合の様子を眺めながら、ジルクニフが冗談ぽく口を開く。黒髪の女性はこの辺りの国には少ない。南方の国には黒髪黒目の人種が多くいる国があると聞くが……。

 

「あ、いえ、そういう意味ではなく……いや、確かに美しい女性ですが……」

 

「なんなら召し抱えるか?私には詳しくわからないが、決勝まで勝ち上がったのならそれなりに実力も見込めるんだろう?」

 

「いや、そりゃあ……」

 

 からかい混じりのジルクニフの言葉に返事を返したのはバジウッド。しかし、何かを言いかけて途中でやめてしまう。そう暑さを感じない室内にも関わらず、顎から滴るほどの汗を流していた。ジルクニフも何事か不穏な空気を感じるが、それをおくびにも出さず努めて落ち着いた口調を崩さずに疑問を投げる。

 

「なんだ、お前はあの女がエルヤーとやらに殺されると予測しているのか?ヤツは性格が歪んでいるらしいからな」

 

「いや、そういうわけじゃないんですが……」

 

「今のところ両者ほぼ互角といった所ですね。しかもまだ実力を隠しています。ただ……」

 

 ただ、何だというのか。歯切れの悪いバジウッドの態度と言い、一体何があるのかと、バジウッドの横顔を見る。

 

「………」

 

「……まさか……」

 

 数瞬の間にバジウッドの沈黙の意味に気付き、改めて試合を見る。彼が眼光鋭く見つめているのは天才と噂されるエルヤー・ウズルスではなく、相手の女性剣士の方だった。ニンブルも刮目し、目が離せないといった雰囲気だ。

 

 ジルクニフの目には、エルヤーが派手に攻め立て、女性剣士の方は防戦一方に見える。しかしまだ一太刀も浴びていない様子から、互角と言えないこともない。だが同時に、ジルクニフは何とも言えない違和感を感じる。それが何であるかはまだ判然としないが、あの女には何かある。そう彼の勘が告げていた。

 

 

 

 

 

 

「はぁー、はぁーっ……ば、馬鹿な……そんなはずは、そんなはずはない!私はっ!エルヤー・ウズルスだ!!天才なんだ!こんな、こんな無名の女に通じないハズはない!」

 

 試合開始から既に20分程が経過していた。驚愕しつつも怒りに顔を歪ませ、エルヤーが咆哮する。そして幾つもの武技を重ねて自己を強化してゆく。

 

「〈能力向上〉!〈能力超向上〉!〈豪腕剛撃〉!〈流水加速〉!はああぁぁぁあ!」

 

 エルヤーが不自然に盛り上がった腕を振ると、地面には不自然にへこんでいる。凄まじい剣の風圧で地面が削り取られているのだ。

 

「〈縮地改〉ぃ!」

 

 そして目にも止まらぬ、いや、観客には目にも映らぬ程の速さで地を滑り、一気にヒナタに迫る。観客が認識する事すらなくエルヤーの腕が振り下ろされ、ヒナタの身体を真っ二つに両断する。そして目に見えぬほどの無数の剣閃が、血飛沫を上げる前にヒナタの全身を散り散りに裁断して行く。

 

 

 

 

 

 ──筈だった。

 

 エルヤーがヒナタに斬りつけたと思った瞬間。ヒナタの姿が視界から消え、そして気付くと、右手首に微かな切り傷が付いている。それはじわりと皮膚から血が滲む程度の、傷とは言えない程浅いもの。しかし────

 

「ぐぎゃああぁぁぁああ!」

 

 全身を駆け巡る凄まじい激痛にエルヤーは剣を取り落とし、壊れたように叫びを上げながら転げ回る。ヒナタは無表情に冷ややかな視線で見下ろす。

 

「くそぉぉお!!何だ()()はぁ!猛毒か!?」

 

 苦しみ悶えながらも憤怒に眼を血走らせ、エルヤーが叫ぶ。まるで卑怯な手段を責めるかのような言葉にもヒナタはまるで意にも介さない。

 

「ああ、言ってなかったな。この剣は肉体だけでなく、魂にも傷をつける。この剣で6度攻撃を受けると、魂の死を迎えることになる」

 

「──っ!」

 

 試合が開始した時から変わらない、怒っているのか、悲しんでいるのか、憐れんでいるのか、全く分からない無表情。それが徐々に酷薄な笑みへと変化して行く。エルヤーは身の毛のよだつ思いで身体を強張らせた。

 

 自分が優位に立ち、反撃を与える間もなく攻めているはずだった。だが、彼女には自分の攻撃は全て完全にいなされ、受け流され、当てるどころか、その場から一歩動かす事すら出来ていなかった。初めて出会った自分を圧倒する者。彼は生まれて初めて、得体の知れない恐怖を味わった。

 

「く、くるなああああっ!」

 

 舌で唇を湿らせながら、ゆっくりと歩み寄ってくるヒナタ。それは圧倒的な強者がゆっくりと狩りを楽しむ様に似ていた。或いは彼にはヒタヒタと這い寄る、悪意にまみれた死神に見えたのかもしれない。

 取り落とした剣を拾い、一心不乱に振り回すが、まるで小さな棒切れの様に頼りなく思える。

 

 剣は一瞬ではたき落とされ、恐怖に身を震わせながら背を向けて這いずって逃げようとする。目は霞み、全身に激痛が走るが、必死に手足を動かしもがく。彼にはもう、周りを囲む観衆は目に入らない。地鳴りのような歓声も聞こえない。彼の頭にはただ恐ろしい死神から逃げる事だけしか無いのだ。

 

「ぐぎゃああぁぁぁああ!」

 

 ヒナタが這って逃げようとするエルヤーの両足と、次いで両腕を切り落とす。エルヤーが断末魔のような悲鳴が場内に木霊する。会場のボルテージは更に加熱する。糞尿を垂れ流し、傷口から血を噴き出しながら芋虫のようにバッタバッタと悶え苦しむ彼を心配し、或いは哀れむ者は一人も居なかった。

 

(何故だ……)

 

 エルヤーには才能があった。スレイン法国に生まれ、早くから剣の才を見出だされていた。しかし他者の心情を理解することが苦手で、協調性に欠けると、一部の支配者階級から疎んじられてもいた。しかしなまじ才能が有るために冷遇もし難く、腫れ物のような扱いをされて来た。

 そんな環境が彼の性格を歪め、最初は親や友人に誉められるのが嬉しくてただ続けていた剣も、いつしか自分の力を周囲に示す為だけに振るうようになっていた。

 

(何故……何故誰も、誰も私を称賛しない?私には才能があるのに。誰も私を見てくれない……?助けてくれない……?何故私に……優しくしてくれないんだ……)

 

 自身の血と糞尿にまみれ、地面を激しくのたうちながら、エルヤーは涙を流していた。

 

 彼は愛を知らなかった。愛し方も愛され方もわからなかった。強くなれば皆に愛される気がしていた。認めてくれる気がしていた。だが現実は違った。強くなっても誰も近寄っては来ないし誉めてもくれない。彼も何処かで気付いてはいた。自分は誰からも必要とはされないと。

 

 遠退いた耳に観客たちの嘲笑が微かに聴こえてくる。誰もエルヤーを応援する声はない。誰も彼を庇おうとしない。

 

「待って……下さい」

 

 もう駄目かと思ったとき、辛うじてエルヤーの耳に届いたのは、聞き覚えのあるか細い声。彼が霞む目で辛うじて捉えたのは、彼が虐げてきた、エルフの奴隷達。いつの間にか場内まで入り、エルヤーのすぐ側まで歩み寄ってきていた。

 

「お、おい、たすkぶっ?」

 

 エルヤーが助けろと口を開きかけた途端、少女が彼の鼻を蹴りつけた。

 

「何を──ぶっ、ぐふっ、き、貴様らっおぶっ」

 

 三人はエルヤーが取り囲み、横たわるエルヤーを足蹴にする。その表情には暗い愉悦の表情がありありと浮かんでいた。

 

「うふ、うふふ……」

 

 一頻り顔を蹴り続けていた少女の一人が、今度は足元側へと移動する。何度も何度も蹴られ踏みつけにされたことでエルヤーの端整であった顔は痣だらけになっていた。彼女は勢いよく助走を付け、エルヤーの股間へと爪先をめり込ませた。

 

「はぎゅっ!?」

 

 エルヤーの観客席からは「おおぅ…」と男性の悲鳴が漏れ聞こえてくる。二人も混じって玉蹴り遊びは続き、最初は汚い悲鳴をあげていたエルヤーだったが、彼女らが満足した頃には、白目を剥きピクピクと痙攣を繰り返すだけになっていた。

 

 

 

 

 

「陛下、ありゃ本気でヤバいですぜ」

 

「どちらの意味でだ」

 

「……両方ですね。もしかしたら実力の方は王国戦士長をも凌ぐかも知れませんよ」

 

「美しくも恐ろしい人ですね…」

 

 若干腰を引き前屈みになりながら答える二人の言葉を聞き、ジルクニフは自身も腰を引きつつ思案に耽る。

 

「何故あれほどの剣士が今まで知られる事がなかった……?法国の神人か?」

 

「それは考えにくいかと。かの国は秘密主義です。こんな公の場にそのような目立つ戦力を投入するはずがありません」

 

「それもそうか……あの女剣士の情報を集めろ。何処にも属していないのならば是非欲しい。だが、最悪でも敵に回すことのないよう、細心の注意を払え」

 

「「はっ!」」




ヒナタさん、鮮血帝に見つかる。
エルヤーは手足を切り落とされ、エルフの奴隷達に私刑にされました。

※エルヤーの過去・武技は盛っています。


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#54 兆し

所変わって、またモモン&ナーベです。


「………成る程、お話はわかりました」

 

「お願いできますか……?」

 

 ンフィーレア・バレアレと名乗った少年は、長く伸びた前髪の隙間から、真剣な表情で真っ直ぐにこちらを見つめてくる。

 モモンは思案する。条件自体は悪くない。内容的にも引き受けても良い仕事だが、その前に確認しなければならない事がある。

 

 この少年が言うには数日前、王国戦士団が街を訪れたそうだ。帝国兵に襲われた幾つかの開拓村の生き残りを保護し、この街に預けて去ったという。

 アルベドからはガゼフ・ストロノーフと交渉した内容について報告を受けており、戦士長殿がその通りに動いてくれたらしい事がわかった。あとは王都に戻ってからも何かあると言っていたが、アルベドの説明が冗長かつ難解でついていけなくなった為、途中から聞き流してしまっていた。

 だがエ・ランテルに居る分には遠く離れた王都への影響は少ないはずだから、モモンとしての行動は戦士長の動きを邪魔する様な事にはならないだろう。

 

 襲われた開拓村付近には、バレアレ氏が薬草を仕入れに行くときに懇意にしている村もあり、そこには少年の友人も居るらしい。幸か不幸か、彼の友人は戦士団が連れてきた中にはいなかったようだ。

 だが、それが無事な証拠だとは限らない。彼は友人の安否を心配し、一刻も早く友人の村へ向かいたいが、一人で街の外を出歩けるような力はない。そこで、祖母リィジーの薬草の採取を手伝うついでに、冒険者を雇って一緒に行こうという事になった、とのことだ。

 

 護衛に冒険者を付けたいというのは理解できる。街を出ればモンスターや野盗など身の危険は多い為、商人などが護衛を雇うのは常識らしい。森へ足を踏み入れて薬草の採取もするとなれば、危険度は更に高くなるのだから、薬師だけでは無理だろう。

 話を聞く限りでは別に怪しいところはないのだが、ここで一つ疑問が湧いてくる。

 

「何故、私達を指名したのですか?いきなり見ず知らずの新人を雇うより、実績のあるベテランを選ぶのが自然に思いますし、二人だけでは護衛が務まるかどうか……」

 

 護衛を雇うならば、ある程度の人数も必要であろう。いくらなんでも護衛にたった二人だけ雇うのはおかしい。それに、知り合いでもない新人の冒険者にわざわざ名指しで依頼するなど、あり得るだろうか。何か裏があるとしか思えなかった。それこそプレイヤー達とも繋がりがあるかもしれない。

 

「噂ってのは早いもんさね。実は、これまで依頼していた(モン)が別の街に移ってしまいおっての。新しいのを探さにゃならんと思っとった所へ、ちょうどお主等の噂を耳にしたと言うわけじゃよ」

 

「ええ、『とにかく凄い二人組が来たー』って興奮気味に話していました。高そうな黒い鎧を着込んだ男性と綺麗な若い女性で、因縁を付けて絡もうとした酔っ払いをあっという間にやっつけたって」

 

「ああ、昨夜の……」

 

 モモンはあの場の誰かが早速噂を広めていた事に若干の羞恥を覚える。ナーベとのアイコンタクトを取ったつもりが全く通じておらず、ナーベが思い切りやらかしてしまったという、いわば恥ずかしい失敗談である。どうせならモンスター討伐とか、もっと活躍するところを噂してほしいものだ。

 

「凄いと思いました。僕には、戦う力なんてないから……。それに、モモンさんは手持ちが少ないのにわざわざ治癒のポーションを使って相手の怪我の手当てをされたとか。そんな人ならきっと力になってくれるって、そう思ったんです」

 

(お?なんか随分都合の良い解釈をしてくれてるな。でもあれはいきなり仕掛けたこっちも悪いし、ポーションも本当はまだまだ沢山持ってるからな…)

 

「本当は怪我をさせる気はなかったのですが…仲間が怪我をさせておいて、手当てせずに放っておくのは何とも寝覚めが悪いですからね」

 

「そうですか……。やっぱりモモンさんは凄い人です」

 

 ンフィーレア少年は昨夜の一部始終を聞いて憧れの念を抱いてくれたようだ。彼の反応はすこぶる良いが、ペテルやブリタは微妙な顔で沈黙している。先程垣間見せたナーベのキツイ態度や、昨夜の現場に居合わせていたのが理由だろう。

 

「これで疑問は解消したかの?」

 

「ええ。友人想いのいいお孫さんですね。この依頼、喜んでお引き受けしましょう!」

 

(この婆さんの狙いは大体読めたしな)

 

「そうかいそうかい。じゃあ、よろしく頼むよ」

 

 ニコニコとンフィーレアの話を聞いていたリィジーであったが、「ポーションを使って」…という下りで彼女の目がキラリと光ったのを、モモンは見逃していなかった。孫のため、というのも嘘ではないだろうが、恐らくモモンが使用したポーションに興味を持っているのだろう。

 商売人は市場を常に分析し、ライバルの存在や消費者のニーズを意識するものだ。街一番と言われるくらいだから、市場調査にも力を入れているのは当然だと考えられる。もちろんプレイヤー絡みの線も捨てきれない。その際は情報を少しでも多く手に入れたい。

 

(いずれにしても、どこかで必ず接触してくるだろう。さて、どう対応したものか…)

 

 プレイヤーが絡んでいようといなかろうと、此方に有利に交渉を進められるよう、無数の可能性を想定していく。元営業職の腕の見せ所だと気合いを入れ、今のうちから対応について考えを巡らせ始めた。その後は村までの足や滞在時間、補給の確認を行い、その場は一時解散して各自の準備を始めた。

 

(まさか行き先がカルネ村とは……あの村とは縁があるなぁ。そういえばヴェルドラさん達は上手くやってるかな?今夜メッセージでも入れてみるか)

 

「……」

 

「ん、どうかしたか?」

 

 一旦宿に戻ってきたモモンとナーベ。実際にはインベントリに荷物が入っているので部屋には何も置いていないのだが、流石にそのまま出掛けるのも怪しまれるので、宿に準備をしに行く名目で戻った。

 リィジーという老婆はプレイヤーと繋がっている可能性もある。ここで改めて認識を擦り合わせ、行動方針と目的を確認しあった方が良いだろうと、昨夜のアイコンタクトの失敗からアインズは学んでいた。「言わずとも伝わってるだろう」というのはナーベラルには通じないのだ。しかし、ナーベラルの様子がなんだかおかしい。

 

「何故……私を供にお選びになったのでしょうか?」

 

「ん?……嫌だったか?」

 

「いえっ、滅相も……その、私などではなくアルベド様のような、慈悲深く聡明なお方のほうが相応しいのでは、と……」

 

「ふむ、それはな……」

 

 アルベドが慈悲深いかどうかは置いておいて、ナーベラルの質問にアインズは真摯に答えなければならないと頭を働かせる。

 

「今は私だけでなく、シャルティア、デミウルゴス、セバスにソリュシャンもナザリックの外へ出ているため、ナザリックの警備が手薄になりがちだ。しかしアルベドならばうまく空いた穴をカバーできるはずだ。アルベドの統括としての管理能力を信頼しているからこそ、私は安心して外へ打って出ることが出来るのだ」

 

「おお、やはりアルベド様を信頼しておいでなのですね」

 

 うんそうだね、とは後ろめたくて言いづらい。勿論アルベドが優秀だということは分かっているし、能力面は信用している。

 しかし、それだけではない。アルベドはナーベラルと同じく人間を下等と見下し、嫌っている。例外はあると言っていたが、その例外以外には容赦しないだろう。まさかないだろうとは思いたいが、目を離した隙に街中で殺戮パーティーでも開催された日には大変なことになってしまう。自分と同じ100LVの前衛職を止めるのは魔法職のアインズには困難極まる。その点ナーベラルは魔法職でレベル差も大きいので、まだブレーキをかけやすいと言える。

 

 何より、アルベドとの二人旅はアインズ自身、危険が危ないという事はカルネ村で既に実感しているところだった。

 

(美人だし、セクシーだし、淑女然としてるときはいいんだけど……()()()でグイグイ迫られるとどうもなぁ……皆この気持ち、わかってくれるよな?)

 

 一体誰に向けての言葉かわからないが、誰かに同意を求めたくなるのが人情というものだ。

 

「……それに引き換え私は……アインズ様のお供に相応しく無いのではと……昨日から何度もお叱りを受けて……」

 

「え?あー」

 

 ナーベラルは声を湿らせ俯いたまま肩を震わせている。余計なことを考えている場合ではなかった。

 創造主である弐式遠雷の死。馴れない人間に囲まれた環境。至高の41人と尊敬し崇めるアインズとの二人旅。

 親を亡くしてまだ間もない時に、社長と二人きりで見知らぬ土地へ長期出張に出るようなものだ。彼女への精神的負担は、想像していた以上に大きいのかもしれない。

 

(そう言えば、一条さんが何か言ってた気がするな。こんなときは……)

 

 一条が何か仕事で失敗したらしく、珍しく落ち込んでいた日があった。それで相談、というか無理矢理愚痴を聞かされたのだ。

 

(そう、こんなときは確か……)

 

「そんなことはないぞ、ナーベラル」

 

「ア、アインズ様……」

 

 アインズはナーベラルの肩に手を置き、優しく語りかけながら脳裏に()()()の思い出を甦らせる。

 

 

 

 

「先輩、黙って聞いてるだけならお人形でもできますよ?もっとこう……はぁ、もういいです。先輩にそういうの期待する方が間違ってますね。お疲れでーす」

 

「え、ちょ……」

 

 バタンッ

 

(えー、何?だってさっき黙って聞いてて欲しいって言ったじゃないか……だからちゃんと大人しく聞いてたのに……)

 

 最初は先輩として解決法などを助言しようとしたのだが、アドバイスなんか求めていないと怒り出してしまった。

 だから彼女の言う通り聞き役に徹していたのだが、それはそれでお気に召さなかったらしい。諦観混じりの溜め息を吐いて一条は帰ってしまい、翌日からは驚異的な挽回を見せ、結局自分一人で全部解決してしまった。

 

 彼女が優秀なのは間違いないのだが、意味不明な状況に巻き込まれた悟は結局どうすればよかったのかと、変な疲労感とモヤモヤだけが残ってしまったのである。

 結局一条に頭を下げて正解を聞く事ができたのだが、当時は「図太そうな一条さんでもそんなことを思うのか」と、軽く衝撃を受けたものであった。そんな思考を見抜かれて怒られたが、それはそれである。

 

 

 

 

 

(弱気な発言をしたときには『そんなことはない』って言って励ましてあげるべし、か……でもこれって言葉の選択が難しいんだよな……)

 

 否定を強く出しすぎては嘘っぽくなってしまうし、あまり親身に接しすぎても、口説いていると勘違いされかねない。

 

「んんっ、ナーベラル。私は確かにお前を何度か叱っている。だが、そもそも成長を期待していない者には叱ることすらしないだろう」

 

「え……」

 

「お前に無理をさせている事は私も承知している。だがそれも、私なりにお前の成長を期待してのことだ。きっとお前なら無事に試練を乗り越えてくれるとな」

 

(こんな感じで……ちょっとクサいか?)

 

 一条が聞いたら口説いているのかと勘違いされそうだ。その上、過去何度言われたかわからない「全くトキメキません無理ですごめんなさい」が付いてくるまである。しかし一条が特殊なだけで、ナーベラルは彼女のような酷いことにはならないだろう。

 

「な……なんと勿体無いお言葉……」

 

 泣き出してしまいそうだったナーベラルが、ポロポロと涙をこぼす。しかしその表情には希望の色が灯っていた。

 

「このナーベラル・ガンマ、アインズ様のご期待に必ずやお応え致します!」

 

「あ、ああ、頼むぞ……」

 

 キリリと表情を引き締めて臣下の礼を取り、決意を表明するナーベラル。アインズは鷹揚に頷いて見せた。

 

(……一般メイドもだけど、みんな大袈裟なんだよなぁ。だけど、俺も随分落ち着いて対処出来るようになったぞ)

 

 暢気にそんなことを考えるアインズ。カルネ村ではエンリの頭を撫でるのに結構勇気を振り絞った気がする。その後子供やアメリの頭を撫でたりした事で女子に慣れて来たんだろうか。そういえばエ・ランテルに来てからまだ一度も精神の沈静化が起きていない。リムルに色々とぶちまけたお陰で、心にゆとりが生まれたのだろうと自己の心境を考察した。

 

 ナーベに改めて冒険者モモンとナーベの目的をお復習(さら)いし、改めて組合に集合した時には、既に皆揃って待っていた。

 

「すみません、お待たせしました」

 

「いえいえ、大丈夫ですよ」

 

「モモンさんよぅ、二人きりで何か変なことしてたんじゃ無いよなぁ~?」

 

「っこのウj…っ!」

 

 ルクルットの軽口にナーベが過敏に反応し、キツい毒舌が飛び出すと思いきや、すんでのところで口を押さえる。

 

「……んんっ、何もありません!私の準備に手間取っただけです」

 

(お、おお、ナーベラルが我慢した……!)

 

 ナーベが初めて自分で人間への口撃を我慢した。若干怪しさはあったものの、自ら気付いて行動を改める。これは立派な成長ではなかろうか。部下の急激な成長に思いがけず嬉しい気持ちになる。擦り合わせを行った甲斐があったというものだ。

 

「へー、準備ってどんな?あっ、下着…痛っ痛い痛い!」

 

「ルクルット、何を言おうとしたんですか~?」

 

 ルクルットの失言を遮るように、ニニャが仄暗い眼光を灯した不気味な笑顔のまま、杖の先端で彼の足をグリグリと磨り潰すように痛め付けていた。

 

「いやだって、ナーベちゃんみたいな美女の事ならどんなのか気になっちゃうだろ。ほら、ペテルだってナーベちゃんがどんなパン」ルクルット!」」

 

 ルクルットは最早お約束のペテルからの拳骨と、ダインのボディーブローを貰ったことですぐに静かになった。

 

「ウチのが重ね重ねスミマセン……ああ見えて野伏としては優秀なんですよ。ただ、どうも好きな女性を無自覚に怒らせてしまう(たち)みたいでして……」

 

「は、はあ……しかし大丈夫なんですか?あれ」

 

 ぐったりと寝そべっているルクルットを見ながらモモンが尋ねると、ペテルが笑顔で答える。

 

「大丈夫ですよ。何時ものことですから」

 

「それならば、まぁ……」

 

(コイツ、ある意味凄いヤツかも…)

 

 モモンは半ば呆れつつも、全く懲りずにナーベにアタックし続けるルクルットに心の中である種の称賛を送るのだった。

 



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#55 漆黒の剣と黒騎士

話がなかなか先へ進まないですが、『漆黒の剣』の由来になった黒騎士のお話に触れたいと思います。


「ただ者ではないと思っていましたが、まさかこれほどとは……本当に凄いですよ!」

 

「まさに英雄の風格であるな!」

 

「あんた達、この中で一番新人なのに、もう歴戦の冒険者みたいな貫禄ね。ホント、何者なの?」

 

「いや、それほどでも。ただの新人冒険者ですよ、今はね。それにしても皆さん良いチームですね。この分なら金級や白金級への昇格もあっという間じゃないですか?」

 

「ありがとうございます!モモンさんにそう言っていただけると何だか自信が持てますよ」

 

 

 

 

 

 カルネ村への道中、オーガとゴブリンの群れに遭遇した。ペテル達『漆黒の剣』は見事な連携で危なげなく対処していたが、それでも無傷と言うわけにはいかず、魔法やポーションで回復できる程度だが手傷は追っていた。

 対してモモン達は全くの無傷。体長2メートルを越える筋骨隆々のオーガ。銀級くらいの冒険者ならば複数で戦えば苦戦はしないだろうが、まともに正面からぶつかり合うのは危険である。それをモモンが容易く一刀両断にした。余程の豪腕でなければ真っ二つになど出来る芸当ではない。尋常ではないモモンに恐れをなして逃げ惑う複数のゴブリンとオーガを、ナーベは魔法で貫いて見せた。

 

 一秒とかけず次々にモンスターを殲滅していく二人。その圧倒的とも言える戦いぶりを目の当たりにし、ブリタは目玉が飛び出す程驚き、ンフィーレアやペテル達は尊敬の眼差しを向けてきた。人間への同族意識こそ失っているが、こうも素直な反応を見せてくれるのはモモンも悪い気はしない。

 

『漆黒の剣』は個々の能力はやや未熟ながら、互いに仲間を信頼し、それぞれの役割をきちんと熟せるバランスの良いチームだ。『漆黒の剣』に賛辞を返しつつも、しかしやはり自分達の方が良いチームだったとモモンは思う。

 

 

「ナーベちゃんは本当にスゲーなぁ。そんな美人で魔法も一流なんてさ~」

 

「……私などより叔父様の方が……」

 

「また~、謙遜しちゃって。そんな所もかわいいなぁ。ナーベちゃんも十分にすごいぜ!」

 

「………」

 

ルクルットの言葉に顔を背けるナーベ。ルクルットはそれを見て脈アリかと期待するが、本当のところは耐え難い不快感に顔を逸らしただけの事である。

 

(ちっ、本当に鬱陶しい人間(ヤブカ)ね。アインズ様の偉大さに全く気付く様子もなく、私の前をチョロチョロとまとわりついて……)

 

 下等生物の癖に全く分を弁えず、人間に扮しているとは言え主人であるアインズに対して不敬にも馴れ馴れしい態度。リーダーのペテ()とかいう者は無作法ながらもまだ敬意を払っている様子が伺えるが、()()はダメだ。

 ナーベの演技の練習台となった()()()は下等なりに分は弁えており、ナザリックの誰に対しても慎ましやかな態度だったというのに。下等でもそれを自覚するだけあれはまだマシな部類だったということか、と少しだけニグンの評価を改めた。

 

 ナーベには不快な点ばかり目についてしまうが、彼等なりに良いところはあるはずだとアインズが言うからには、自分では思い付かないような利用価値を見いだしているに違いないと思い直す。彼等には危害を加えてはならないと固く禁じられていたため、自分の勝手な判断で殺したりして、主人の深遠なる計画を邪魔する訳にはいかない。

 何より、自分の成長に期待を寄せられているのだ。この程度耐えられないでどうすると言い聞かせるのだが、この男の顔を見ているだけで沸々と腹の底に不快感が沸き上がってくる。

 

「ルクルットさん、その辺にしてやってくれませんか?ナーベは疲れているようなので」

 

「ああ、第三位階魔法をあれだけ使用しましたからね。並みの魔法詠唱者(マジックキャスター)なら倒れたまま起き上がれない程の疲労を感じているはずです」

 

 モモンの言葉にニニャも同意する。魔法職なだけあって、レンジャーのルクルットよりもその辺りの事情には詳しい。

 

「え、そうなのか…。ゴメンよ、気が付かなくて。警戒は俺達に任せてナーベちゃんは休憩しててよ」

 

「私は疲れてなど……」

 

「いいじゃないですか。ルクルットがその分働けば済む事ですし」

 

 ニニャの言葉を聞いて「頑張るの俺一人かよ」と文句を垂れるルクルットに、良いところを見せれば少しは気を許してくれるかも知れないぞ、というペテルの耳打ちが漏れ聞こえてくる。

 

 少々派手に演出して見せるということで、ナーベは魔法を連発していた。しかし使用したのは第三位階までの低位階の魔法だけなので、実際の消費MPは第八位階まで使えるナーベにとっては大したものではない。

 気遣いは不要だと言おうとしたナーベに、モモンが耳打ちしてくる。

 

「疲れたという事にしておけば無用な接触は減らしてくれるだろう」

 

 それを聞いてナーベは漸く、人間と接する演技に苦労するナーベのためにモモンが気を回してくれたと気付く。しかし、側を離れてしまっては御身の盾になれないと躊躇する。

 

「心配するな、大丈夫だ。ちゃんと側にいるからな」

 

モモンはその意を酌み取ってか、肩をポンと叩き、優しく言葉をかける。それならばとナーベはその言葉に従い、彼等の提案を受け入れる事にした。

 

「よーし、このルクルットさんに任せといてくれよ!」

 

 すっかりやる気になったルクルットがウインクして見せるが、ナーベラルはそれを完全に無視して、馬車の荷台で眠ったふりを始めた。

 

 モモンが下賤の輩共と同じように気安い態度で接するのは、相手の警戒を解かせ懐に滑り込むための演技だとは分かっているし、自分もまたそういった演技を求められているのも理解している。

 本来なら笑顔の一つでも作って見せることで、主人の期待に応えたいところだが、至高の主人に対し礼儀知らずな言動を続ける人間(ヤブカ)に、どうしても苛立ちを覚えてしまう。ナーベは努めて表に出さないように心掛けているものの、ブリタやニニャなど一部の者は、彼女が不機嫌な原因に気付いているようだった。

 

(うーん、頑張ってはくれてるけど、無理してる感がすごいな。いつまで持つかな……)

 

 

 

 

 

 日が傾き、夜営の準備をして夕食を取る事になったが、これはモモンにとってひとつの難関であった。

 鎧の中は骨の肉体であるモモンは食事の必要が無いどころか、食べるふりさえも出来ない。試しにナザリックで果実を噛ってみたが、案の定顎の骨の隙間からこぼれ落ちてしまった。

 幻術で一応顔を造ってはいるが、それは触ればすり抜けてしまう程度の低位のものだ。顎をすり抜けて食べ物がこぼれ落ちるなど、怪奇現象でしかない。

 しかし、かといって全く食べる素振りを見せないのも怪しまれる。しかしこれについては予め言い訳を用意しておいた。

 

「あ……お気に召しませんでしたか?」

 

「いえ……実は……食べられないんです」

 

「えっ?」

 

「あるマジックアイテムを装備しているんですが、その効果が、空腹を無効化するというものなんですよ」

 

 全員が驚きの目をモモンに向ける。当然だ。彼らはそんな便利なマジックアイテムなど誰も見たことも聞いたこともなかった。

 

「そりゃたまげたわい。アタシも初めて聞くさね」

 

「バレアレさんでも知らないような希少な物なんですか?」

 

「恐らく……金貨二千は下らんと思う」

 

 それを聞いて全員がおお、とどよめく。結構大ごとになっているぞ、とモモンはただならぬ雰囲気を察した。しかし、言いかけて途中で路線変更は無理だ。強引にやり通すしかない。

 

「確かに便利なんですが、どうも呪われていたようで、外せなくなってしまったんですよ。美味しそうな匂いはするのになぁ……」

 

 モモンはわざとらしく肩を落とす。実際、これは彼自身の偽らざる思いでもある。食べられるものなら本当は食べたい。溜め息を吐くモモンの残念そうな様子に、誰もが気遣わしげな目を向ける。

 

「呪いのかけられたアイテムですか……それは厄介ですね」

 

「ええ、口へ入れた途端、味わう事さえ出来ずに顎をすり抜けて出てきてしまうんですよ。酷い絵面になるのでちょっとお見せできないですが」

 

「あー、それはなんというか……すみません」

 

 自分達だけ食べて申し訳ないと思ったペテルが謝罪を口にする。

 

「いえいえ。皆さんはお気になさらず、私の分まで食べてください」

 

「あの、ところで……皆さん仲が良いですよね。冒険者の方はみんなそうなんですか?」

 

 ンフィーレアが話題を変えてくれた事に、モモンは安堵した。折角の食事の時間だ。食べれないネタを引っ張られるより、楽しい話題が欲しかった。

 

「お互い命を預けますから、自然と深い信頼関係が生まれるんですよ」

 

「まあ、男女が混じるとギクシャクすることもあるみたいだけどな」

 

「へぇ、そう言えば『漆黒の剣』の皆さんは全員男性ですね」

 

 ペテルとルクルットの言葉にンフィーレアが相槌を打ち、会話を弾ませる。客商売をやっているだけあって、中々の聞き上手なようだ。

 

「このむさ苦しい男共の中にあって、ナーベちゃんは唯一の心の癒しだって事さ」

 

「ちょ、アタシも女なんですけど!?」

 

「あっそうだった。ナーベちゃんが美人過ぎて他は男しか居ないって気になってたわ」

 

 ブリタが不満顔で言う文句に、ルクルットはあっけらかんと返事を返す。そこへペテルの拳骨が落ち、ドッと笑いが起きる。一種のコントのようであった。『漆黒の剣』のメンバーは底抜けに明るい。その後も楽しい談笑が続いた。

 

 リィジーが先に床に入った後もまだ談笑は続き、ンフィーレア少年の友人が女の子だと聞いて、恋バナの匂いを嗅ぎ付けたルクルットが勝手に恋愛相談に乗り始める。他のメンバーも興味ありげな面持ちである。

 

「大人しそうな顔して、案外隅におけないねぇ。で?意中の彼女の名前は?」

 

「えっと、あ、あの……エ、エンリ……エンリ・エモットという娘です」

 

 首まで真っ赤なンフィーレアを見ながら、初々しいなぁなんて思っていたら、知った名前が出てきたのに内心で驚くモモン。告白大作戦を考え始める一行を尻目に、これをネタにして彼を取り込む方法はないかと思案する。

 折角レアなタレントの持ち主だ。自分の手元に置いておきたい。敵方の手に落ちれば危険でもある。決して自分のコレクター欲を満たすためだけではないと言い訳しながらも、逃がしたくはなかった。

 

(うまくエンリとくっ付いて、カルネ村に移住とかしてこないかな?そうしてくれるとナザリックからも近いから都合がいいんだけど、エ・ランテルに店があるから厳しいか?いや、そもそもエンリにその気がなかったら痛々しい事に……そうだ、魔法でエンリの記憶を改竄してそういう事にしてしまえば……)

 

「そうだ、モモンさんなら何か妙案をお持ちじゃないですか?」

 

 ろくでもない事を思案していたモモンに突如試練が訪れた。彼女いない歴=年齢の彼に、よりにもよって()()()の質問をされるとは思ってもみなかった。ナザリックを離れから一番焦りを覚えた気がする。

 

「私……ですか?えー、そうですね……うーん……」

 

(どうしよう……いきなりそんなこと言われてもっ)

 

 冷静を装って深く考えるフリをするが、女子の口説き方なんて全く浮かぶはずもない。骨の肉体でなければ、今頃鎧の下は汗だくだっただろう。

 

「……あ、すみません。モモンさんには縁のないお話でしたよね」

 

「っ!?」

 

(なっ、バレただと?)

 

 ニニャ。まだ少年なのに何て鋭い洞察力をしているんだとモモンは兜の下で戦慄する。

 

「ああ、モモンさんの場合、何もしなくても女の子の方から寄ってくるから口説く必要なんかないか。そりゃ、モテない男の苦労はわかんねーよなぁ」

 

「あ、あー、その……すみません」

 

(あ、焦ったぁ……勘違いしてくれて助かった。だって俺本当は童貞だし。モテた事なんて全くないし……)

 

 都合の良い勘違いをしてくれたお陰で、モモンの窮地は去った。何気に精神が鎮静化されてしまった。ナーベの前で童貞だなんてバレでもしたら、精神の鎮静化が追い付かないほどに羞恥にまみれて地べたを転げ回ったところだ。そうなれば上司の威厳も何もあったものではない。

 そしてあっという間に淫魔(アルベド)の、いや、それどころかナザリック中に知れ渡ることになる。頑張って威厳ありげに振る舞う部下達に、「実は未経験だ」なんて知られたら……想像したくない。

 

「いいって、いいって……モモンさんにはわかんねーだろうけど、モテない男はモテないなりに、好きなコを振り向かせるために必死に頑張ってるんだぜ。フラれても諦めず、何度も何度も!」

 

「お、おお…!」

 

 胸を張ってどや顔で言うことでもないはずなのだが、ルクルットの泥臭いくらいの諦めの悪さに、早々にそういった事への希望を諦めてしまっていたモモンは少しだけ眩しさを感じた。

 

「そしていつか、いつか……!」

 

「一応モテないって自覚はちゃんとあったんですね……」

 

「ニニャ!?最近俺への当たりがキツくない!?」

 

「やだなー、気のせいですよー」

 

「棒読みじゃねーかよっ!おい、俺の目を見て言ってみろ!」

 

 ニニャとの掛け合いの後、ルクルットは気を取り直して咳払いをする。

 

「んんっ、いいかンフィーレア、男なら押して押して押しまくれ!途中泥水啜ろうが、靴舐めようが、それで少しでも心動いてくれようもんなら、それまでの苦労は全部報われるってもんだ。そうだろ?」

 

「はぁ、今までそれで何回逃げられたか数えたことあるか?いいですか?焦りは禁物です。まずはじっくりとお互いの関係を暖めあって……」

 

 ペテルとルクルットが持論を捲し立ててンフィーレアに迫る。

 

「あの、ぼ、僕は……あっ、そ、そういえばモモンさん達のチーム名は何と言うんですか?」

 

「チーム名ですか?まだ決めていませんが……それは必要なものなんでしょうか?」

 

 話題を変えて逃げようとするンフィーレア。しかしモモンはその話題には余り乗り気にはなれなかった。

 チーム名なんて、思い切りネーミングセンスが問われる。今でも渾身の出来だと思っている『異形種動物園』はヒナタに爆笑され、ギルドメンバーからも壊滅的と言われてしまう位にセンスが無い。

 それを自覚しているだけに、異世界へ来てまでこれ以上新たな黒歴史など作りたくはなかった。

 必須ということであれば考えざるを得ないだろうが、そのときはナーベを通じてアルベド、そしてナザリック中にその名が通達される事だろう。陰で「だっさ」とか言われたくない。

 

「まあ、必須という訳では無いですが、チーム名があれば周りも覚えやすいですし。分かりやすく呼びやすい名前が良いですね」

 

「成る程。因みに、皆さんの『漆黒の剣』とはどのように決められたんですか?」

 

 安堵しながらも参考までにとモモンが訊ねると、ペテルが一言簡潔に述べる。

 

「かの四大暗黒剣から取ったんですよ」

 

(……え、説明それだけ?四大暗黒剣って有名なのか?)

 

「ああ、あれですか」

 

 ペテル達の表情は、もうそれだけで伝わっただろう、と言わんばかりだ。ンフィーレアにもそれで伝わったようである。

 

「……四大暗黒剣とは?」

 

 モモンが聞こうか迷っていると、ナーベが先に疑問を口にしてくれた。

 

「ああ、ナーベさんはご存じなかったですか。13英雄のお伽噺に出てくる、『黒騎士』が使ったとされる四本の剣です」

 

 モモンは卒業したはずの厨二心が僅かにくすぐられ、質問をしてみることにした。

 

「その『黒騎士』も13英雄の一人ですか?」

 

「ええ、13英雄が旅する英雄譚には殆ど登場しませんけどね。よくよく調べてみると、他の13英雄が登場するよりも古くから、『黒騎士』の伝承はあったみたいです」

 

「ほう、それはどのような?」

 

「言うことを聞かない子供に、大人が「黒騎士がお仕置きしに来るぞ」といって脅かすとか、そういった類いですね。元々は畏怖というか、畏敬の念を向けられる存在だったみたいです。それが13英雄の物語に登場するようになって、英雄視されるようになったのでは、と……」

 

「実力は一、二を争うほどだったけど、他の英雄達とはあまり関わろうとしなかったんだっけ?個人主義だかで。あと、名前はなんでか語り継がれてるんだよな。……何ていったっけ、ミロ…カーブス……じゃなくて」

 

「『ミド・カーズマン・ネメシス』ですよ。まあ、悪徳貴族を一晩で千人近く殺して回ったという話もありますね。苛烈な一面もあったのでしょう。でも私は、義侠心ある人なんじゃないかと思っています。モンスターも人間も容赦なく殺す事から、実は悪魔との混血児なんじゃないかという噂もありますが」

 

 ニニャが流暢にスラスラと教えてくれる。チームの頭脳と言われるだけあって、中々に博識のようだ。悪魔との混血というのが本当なら、寿命も普通の人間より長生きして、まだ何処かで生きているかも知れない。

 

 そんな『黒騎士』が所持していたという四本の剣が、『四大暗黒剣』で、『魔剣キリネイラム』『腐剣クロコダバール』『邪剣ヒューミリス』『死剣スフィーズ』があるらしい。それぞれの剣について詳しく聞くにつれ、あることに気付く。「斬り付けた相手に腐蝕の呪いをかける」とか、「掠り傷程度の傷を負わせるだけで致死効果がある」とか、何処かで聞いたような特徴だ。ユグドラシルの『カースドナイト』という職業(クラス)が持つ特殊技術(スキル)と特徴が酷似していた。

 

(……どう考えてもユグドラシルプレイヤーだよな?でも二百年以上前の人物か。六大神といい、プレイヤーの転移は時間軸がバラバラなのか。でも確実にプレイヤーはこの世界に居る。情報量においては相手の方が上かもしれないし、出来れば敵対は避けたい……味方に引き込めれば一番いいけど、13英雄の中でも単独行動が多かったみたいだからなぁ……)

 

他にも復讐神(ネメシス)とか、何処か厨二っぽさを匂わせる名前だ。ダークヒーローのロールプレイヤーだったのだろうか。

 

「四大暗黒剣と言えば、確か『蒼の薔薇』のリーダーがそのうちの一振りを所持していますね」

 

「ええーっ、マジかよ!?」

 

 ンフィーレアからの情報に叫びを上げるルクルット。『蒼の薔薇』と言えば、最高位のアダマンタイトを戴く、王都を拠点とする女性のみで構成された冒険者チーム……だったはずだ。詳しい経緯は忘れたが、ニグンの顔に傷を着けたのはそのリーダーだとか忌々しげに本人が言っていた。

 

「となると、残り三本……実は私達はその四大暗黒剣を集めるのを目標にしているんです」

 

 そう説明しながら、ペテル達がそれぞれに短剣を取り出す。なんの飾りもない漆黒の刀身が月明かりを映し取り煌めく。どれもよく手入れされている。

 

「折角だから、なにか大きな目標を持ちたいと思いましてね。本物が手に入るまでは、これが私達のチームの証というわけです」

 

「本物も偽物も無いだろ?これが俺達を繋ぎ止めてるって事実に違いはないんだからさ」

 

「成る程、皆が同じ目標を持っていると全然違いますよね。チームに一体感が生まれるというか……」

 

 一緒にPKKしに向かって返り討ちにされかかったり、隠しダンジョンのボスと戦ったり、ギルド武器を作成するために素材をかき集めたり。40名の仲間の取りまとめ役とはいっても実務や調整ばかりで、苦労も少なくなかった。だが、それすらも楽しい日々だった。

 

「モモンさんも以前はチームを?」

 

「ええ。冒険者、では無いですが……最強の聖騎士、大魔導師、鉄壁無双の護り手、脳筋な大神官、天才軍師、超々遠距離の狙撃手、隠密に長けた二刀忍者……みんな……みんな最高の仲間達でした」

 

 モモンは仲間達との想い出を脳裏に浮かべながら、少しデフォルメして語る。ペテル達はモモンの話を聞きながら、それぞれに思いを馳せた。

 恐らく英雄級と目される実力者モモンが「最高」と称賛する仲間達とは一体どんな人達だろう。彼等の冒険は何処か遠い地で、それこそ13英雄に匹敵するような、知られざる英雄譚が語られているんじゃなかろうか、と。

 

「その仲間達とは今も、会ったりしているんですか?」

 

「「…………」」

 

急にモモンは黙り込み、辺りを静寂が包む。ナーベも唇を噛みしめ、何かに耐えるような表情を浮かべていた。聞いてはいけない事だったようだと誰もが気まずい表情になった。暫しの沈黙のあと、モモンが重い口を開いた。




『黒騎士』について
原作でも13英雄の一人に数えられている黒騎士ですが、名前は知られていませんでしたので勝手に作りました。後々使いたい設定でもあります。


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#56 謎の声

遅くなりました。何気ない会話から重たい空気になったところからです。


 気まずい雰囲気が漂う中、モモンが重い口を開いた。

 

「仲間とは……ある日を境に一度も会っていません」

 

 モモンはそれだけ言うと再び沈黙が流れる。モモンの何か訳ありげな雰囲気に、それ以上誰も踏み入る勇気はなかった。

 

「あ、その……」

 

「…ん?ナーベ?」

 

 ニニャが気まずさから何か言わなければと焦るが、気のきいた言葉が思い付かずまごついていると、モモンが先に声を発した。ナーベに視線を向ければ、彼女は視線を下に向け沈痛な表情をしていた。

 

「ナ、ナーベさん…!」

 

「ま、まぁ、あれだ、またすぐ新しい仲間が出来るさ、なぁ?モモンさん達ならきっと引く手数多──」

 

「そんなものは不要です!」

 

「あ…」

 

 ルクルットの言葉にナーベが過敏な反応を示す。慰めのつもりで言った言葉なのだろうが、全くの逆効果であった。ナーベは切れ長の目を鋭利な刃物のように鋭く吊り上げ、ルクルットを睨み付ける。不快感と敵意がどす黒い怨念のようなオーラとなって溢れ出ている。

 

「新しい仲間……?ふざけた事を言わないで!代わりなんて居ないし要りません!私がお仕えする至高の──」

 

「ナーベ!」

 

 モモンの強い語気で制止する声に、ナーベがびくりと肩を震わせる。口を押さえて顔を青褪めるナーベの肩にモモンが手を置くと、まるで首根っこを掴まれた猫のように大人しくなる。モモンは小さく溜め息を吐き、ナーベに囁く。

 

「気持ちは分からないでもないが、熱くなり過ぎだ……少し向こうで頭を冷やして来い」

 

「あぅ……は、はい……」

 

 ナーベは涙目で肩を落とし、背を向けて歩き出した。後ろで纏めた美しい黒髪も、元気無さげにへにょりと垂れている。『漆黒の剣』の面々は彼女の背を見送りながら、いたたまれなさに表情を曇らせていた。リーダーのペテルが頭を下げて誠心誠意詫びを入れる。

 

「本当に申し訳ありませんでした。仲間が軽はずみに…」

 

「気に病むことはありませんよ。むしろ私たちの方こそ、空気を悪くしてしまって申し訳ない」

 

「あっ、いえ、モモンさんが謝るようなことは……」

 

 怒るどころか逆に頭を下げてくるモモンを慌てて止めるペテル。失礼なことをしてしまった自分達にも誠実な態度を崩さないモモンに対し、好意と尊敬の念が強まった。

 

「実は、仲間達とは生き別れのような状態で離れ離れになってしまったんです。ナーベと一緒に探してはいるんですが、未だに生死も不明なままです」

 

「そっ、そうでしたか……」

 

 事情を明かしてくれたモモンの言葉にペテルは曖昧な相槌を打つしかなかった。最初は固く口を閉ざしていたのに今になって話してくれるのは、事態の収拾を着けるために結局話さざるを得なくなってしまったということなのだろう。話したくない事を相手に話させてしまっている事に、罪悪感が段々と大きくなる。

 

「突然の事だったので、ナーベはまだ気持ちの整理がついていないのですよ。色々と言って聞かせてはいますが、少し神経質になっているようでして。私としてはもう少し、他人と関わる事にも慣れて欲しいと思っているんですが……。すみません、少し様子を見てきます」

 

 モモンはそう言うとその場から離れ、ナーベの方へ歩き出す。残された面々の表情は暗い。

 

「ああ、やっちまった…くそっ」

 

 ルクルットが苦い表情のまま拳を握る。ニニャも項垂れている。そんなつもりはなかったとはいえ、ナーベにとって触れられたくないデリケートな部分を、土足で踏み込むような事をしてしまった。モモンは冷静に此方の想いを酌み理解を示してくれているが、気に病むなと言われてその通りに出来るほど、二人は感情の整理が上手い訳ではなかった。

 

「……起きてしまった事は変えようがない」

 

「その通りである。今後少しでも信頼を寄せて貰えるよう、誠意をもって行動していくしかないのである」

 

「わーってるよ……」

 

「そう、ですね。頑張らなきゃ」

 

 背を向けて歩いているモモンの耳にも、その会話の声は届いていた。彼らの前向きさと人の良さに少しばかりの清涼感を感じながら、モモンは状況を冷静に分析する。

 

(余計なことを根掘り葉掘り聞かれずに済んだけど、俺もナーベラルの前で仲間の話は軽率だった。亡くなった弐式さんの事を思い出すのも無理はないか……。でも、なんで俺はこんなに平然としていられるんだ?リアルの頃は、考えるだけで胸が痛くて息が苦しくなるほど辛かったハズなのに。これもリムルのお陰か?それとも……)

 

 アンデッドになった事で、仲間の死に対してすら何も感じなくなったのでは?一瞬恐ろしい考えが過り、すぐに打ち消す。そんなはずない。大切な仲間への想いは、人間を辞めてしまった今でも確かに残っている。鈴木悟の残梓ともいうべき部分が、そう叫びをあげていた。

 

 ナーベは人の目に付かない岩の影に隠れるように佇んでいた。モモンが側に立つと、深々と頭を下げ謝罪を口にする。

 

「取り乱してしまい、申し訳ありませんでした……」

 

「許す。お前に非はない。私の方こそ、辛いことを思い出させてしまってすまなかったな」

 

「ア、アインズ様がお謝りになるようなことは……全て私が悪いのです」

 

 名前を出すなよと一瞬思ったが、誰が聞いているわけでもないだろうし、まあ良いかと思い直す。

 

「……お前は弐式さんが好きか?」

 

「え…あ、あの……」

 

 ナーベは困惑の表情を浮かべ、次に顔を真っ赤に染め上げた。そして蚊の鳴くような小さな声で答える。

 

「……はい

 

 まるで恋でもしているみたいだなとモモンは思ったが、それはあながち間違ってもいないだろう。異性の創造主に対し、憧れ以上の感情を抱いても何ら不思議ではない。NPC達の過剰な忠誠心は、そんじょそこらのガチ恋よりも重くて強いだろう。

 

 隠密に長けた職業(クラス)構成の弐式遠雷は、裸同然の貧弱な防具で敵地に潜入する、いわゆるスリル狂な所があり、『アインズ・ウール・ゴウン』の仲間には「ちょっと頭おかしい」と思われていたが、『アーベラージ』という他のゲームでもトップランカーとしてその名を馳せる彼は、リアルでもその筋の女子にはモテるらしい。

 

 モモンはナーベの頭にそっと手を置き、その濡れたような艶やかな髪を撫でてやる。

 

「それを聞いたら弐式さんも喜んだだろうな…」

 

「お、お戯れを……わ、私など……」

 

 弐式遠雷は理想の女性を想い描いてナーベラルを作った。その彼女にただならぬ好意を抱かれるのは男の冥利に尽きるというやつではないだろうか。弐式遠雷に僅かな嫉妬を覚えつつ、自分も理想の女性像を形にするべきだっただろうかと想いを馳せる。美しく、自分に従順で、誠心誠意尽くしてくれる女性NPC。夜なんかも、きっと充実した──

 

(ち、違う!そんなNPC作って何させる気だよ俺は!)

 

 想像があらぬ方向に向かってしまい、モモンは慌ててかぶりを振って不純な思考を追い払う。

 

「ど、どうかなさいましたか?」

 

「ん?い、いや……何でもない」

 

 目の前のナーベを見て、流石に不審がられただろうかと若干の焦りを感じつつ誤魔化す。

 

「んんっ……まあ、なんだ。失敗は誰にでもある。私も数々の失敗をしたものだ」

 

「ア、アインズ様が、ですか?」

 

 ナーベラルが目を丸くして驚くが、無理もない。彼女にとってアインズは、ナザリックの守護者達さえも凌ぐ力を持ち、ナザリック随一の知恵の持ち主であるデミウルゴスをして「端睨すべからざるお方」と言わしめる智謀を兼ね備えている。その上、誰よりも深い慈悲の心まで持ち合わせた、まさに完全無欠の存在なのだ。そんなアインズが失敗するなど、想像だに出来ない。

 

「そうだ。嘗ての私は弱かった。だが、数々の失敗を重ね、成長を続けてきた結果、今の私があるのだ。私達の手で創造されたお前達は初めから力を持って生まれたがな」

 

「アインズ様が失敗など、とても想像出来ません……」

 

「そうか?だが本当だぞ?だからお前も失敗したっていい。私だって失敗するときはするのだからな。取り返しが付く程度の失敗であれば私が何とかしてやれる。それよりも、失敗から学び、失敗を糧に成長するんだ。人間と同じようにな」

 

「人間と、ですか?」

 

 ナーベが怪訝そうな顔になる。人間を見下している彼女にとって、人間はみんな虫を見るような感覚でしか見えていないのかもしれない。確かにアインズもゴブリンはほとんど同じ顔に見えてしまい簡単には見分けられない。意識的に注意深く見れば男女の違いや表情の動きはどうにか分かるという程度だ。

 

「人間は間違う生き物だ。しかし、間違いに気付き、改め、努力し、そして成長する事ができる」

 

「は……しかし、成長などといっても目に見えるような違いはあるのでしょうか?下等生物が努力するだけ無駄では?」

 

 ナーベラルは疑問を口にする。どう成長したところで、所詮は脆弱な人間。自分達には届きようがない。そんな下等生物が成長したところで何の足しにもならないと、冗談でも嫌味でもなく、本気で思っているようだ。

 

「ふむ……では例え話をしよう。ある時点で見たとき、弱小だが成長を続ける集団と、全く成長しない強者の集団があったとする。その時点では成長しない強者達が力は上だが、()()()()()()はどうだろうな?力関係は同じと思うか?更に千年、二千年後はどうだ?」

 

「……!つまり、現在は下等で力の無い人間でも、成長を続ければいずれは脅威になりうるとお考えなのですね?では脅威となる前に滅ぼし尽くしてしまえば……」

 

「ま、まて!結論を急ぐな。そうではない」

 

 物騒なことを考え始めるナーベに慌ててストップをかける。脅威となる前にその芽を摘み取ろうという考えは、リスク管理という面に於いて間違ってはいない。モモンも出来るなら将来的なリスクは取り除きたいし、自分達に敵対して襲ってくる者にまで笑顔で対話しようなどと考えるような平和主義者ではない。仲間の子供と言ってもいいNPC達を守る為ならば、時に非道で悪辣な手段を取ることさえも厭わないだろう。

 

 しかし、人間を滅ぼそうと完全に敵対するのは駄目だ。異形ならまだ分からないが、ユグドラシルから人間種プレイヤーが転移してきた時、人間が滅ぼされそうな所を見れば、嘗ての六大神のように助けに入るだろう。人類と敵対することはプレイヤーの多くを敵に回すことでもある。それでは余計にリスクが大きくなるだけだ。

 

 それに、仲間達と再会を果たせたとき、この世界の人間を滅ぼしたなどと知ったらどう思われるか。悪の華としてその名を轟かせた異形の集団『アインズ・ウール・ゴウン』だが、それはあくまでもユグドラシル(ゲーム)という仮想の世界の話であり、現実には人として、社会人として良心を持ち合わせた集団である。

 

 ナザリックに攻め入ってきた女性プレイヤーばかりを狙ってゴキブリの巣窟(恐怖公の守護領域)へと転移させ、半狂乱のままにトラウマ(オマケ)付きで強制ログアウトを余儀なくさせるなど、DQN集団と認識される程度には『悪さ』もしてきた。だがそれもゲームの中であり、現実に本物の人間を殺戮し滅ぼそうとする事と比べれば、可愛いイタズラレベルのものだろう。

 

「……プレイヤーには人間種が多い。現地の人間自体は敵ではないとしても、その背後に居るであろうプレイヤーに徒党を組ませる切っ掛けを与えれば、そちらの方が厄介だ。敵を増やすのではなく、味方につけるべきだと言っただろう?」

 

「成る程、流石はアインズ様です。現地の人間を滅ぼすのではなく、敵対するプレイヤーへの盾として動くように仕向けるのですね」

 

「う、うむ……」

 

 そこまでは考えてはいないんだけど、と思いつつ、方向性を修正しなくてはと考える。この世界の人間を対プレイヤーの盾として扱うのではなく、ナザリックの部下達が持つ忌避感、嫌悪感、侮蔑意識を少しでも和らげたい。人間を好感を抱かせるより寧ろこちらの方が難題と言えるかもしれない。

 

「それよりもだ。人間と同じように我々もまた、現状に満足せず成長を目指すべきということだ。人間には上昇思考を持つ者が多い。今はそんな彼等を身近で観察する良い機会でもある。今は弱いからと決して侮って良いものではないぞ。そういった観点から見倣うべき所がないかを彼らの中に探してみろ。お前自身の成長に繋げるためにな」

 

「はっ、かしこまりました!」

 

 深々と礼を取るナーベに、周囲の誰も見ていない事を気にしつつ、じゃあ戻るかと言いかけて、大事なことを思い出す。

 

(リィジー・バレアレ……此処まで特に目立った動きはないし、今もイビキかいて普通に寝てるみたいだ……。接触してくるなら村に着いてからか?それならそれで好都合だけど)

 

 流石にヴェルドラが居るカルネ村にプレイヤーが罠を仕掛けて待ち構えているということはあり得ない。トラブルメーカー体質なあの二人に若干不安は感じるが、こちらの味方と考えて良いはずだ。リィジーがプレイヤーと繋がっていたとしても、彼らの前には脅威とは言えないだろう。モモンは兜の下で笑みを浮かべながらヴェルドラに〈伝言(メッセージ)〉を送った。

 

「少し待て。〈伝言(メッセージ)〉……ヴェルドラさん、今、良いですか?実は……」

 

 

 

 

 

 

(ナーベさん、強い女性(ひと)だな…)

 

 モモンと共に戻ってきたナーベに『漆黒の剣』の面々は改めて謝罪し、ナーベがそれを受け入れた事でようやく安堵の溜め息をついた。ニニャはその中でもナーベに対し少し他のメンバーとは違う感情を抱いていた。それは《同性》に対する憧れに近い。

 

 ニニャは本当は女性だ。冒険者は異性を仲間に入れることを嫌う事から、彼女は性別を偽って冒険者になったのだ。

 

 幼い頃、姉は領主に何処かへと連れられていった。最初は何が起きたのか理解できておらず、「領主様と一緒にお出掛けした」という親の言葉を鵜呑みにし、いつか姉が帰ってくるものと信じていた。

 

 しかしそれは間違いだった。その貴族は自分の領地から見た目の良い女を連れ込んではその欲望の餌食にし、飽きたらゴミのように捨てる、最低の奴だったのだ。

 両親はそれを知っていて、彼女には隠していた。何度も何度も姉の帰りをしつこく訊ねる彼女に、遂にその真実を告げた。

 

 領主の横暴に対し、ただの領民に抗う術はない。ただの八つ当たりで平然と領民を殺す事もあるくらいだ。力を持たない者は、ただただ頭を低くして災難が通り過ぎるのを待つことしかできない。お姉ちゃんは運が悪かったんだ。父も母も泣きながら彼女を抱きしめ、どうしようもないと諦めの言葉を繰り返した。

 

 しかし彼女はそんな言葉など聞きたくなかった。諦めて泣きながら暮らす位なら、抵抗して殺された方がマシだとさえ思えた。両親の制止も聞かず家を飛び出し、姉を理不尽に奪っていった貴族への怒りと憎悪を糧に、がむしゃらに生きた。力が欲しかった。姉を取り戻す力が。

 

 やがてある魔法詠唱者(マジックキャスター)に才能を見出だされ、憎き貴族に叩き込む日を夢見ながら魔法を習得した。第二位階まで魔法を習得した頃、姉は既に貴族の下から居なくなっていた。まるで消息が掴めない姉の情報を集めるため、彼女は冒険者になる事を決める。長かった髪を切り、性別を偽り、名を偽った。全ては貴族への復讐、そして姉を取り戻す為だった。

 

 しかし、モモン達と出会った事でその想いに少しだけ迷いが生じ始めていた。

 

 ナーベが口にした言葉の意味の全ては分からないが、恐らくナーベは元々モモンの仲間に仕える立場だったと思われる。しかし、何らかの事情で突然生き別れになり、今はモモンと行動を共にしているようだ。ナーベの主人は恐らく貴族、或いは王族の様な地位ある人物かもしれない。となればモモンもまたそうなのだろう。二人の態度をよくよく思い出してみれば、「叔父と姪」ではなく「主人と従者」の方がしっくり来る。それまで貴族に対し良い感情を一切持っていなかったニニャにとって、高い地位にありながら、ナーベ程の女性が至高と崇めるように慕うほどの人物が居ることに戸惑いと驚きを感じていた。

 

(……貴族と敵対すれば仲間の立場も危ういし、行方不明の姉さんを探さなきゃいけない。復讐なんて考えるより、姉さんを探す事だけに専念すべきなんじゃ……?)

 

 燃え盛る様な憎しみのままにこれまで力を磨いてきたが、それは果たして正しかったのか。姉を探すことだけに集中していたら、今頃はもっと違っていたんじゃないか。そんな思いが僅かに過る。昨晩のナーベの姿を思い出す。彼女の目には淀みのない真っ直ぐな光が灯っていた。

 

(彼女は心から信じているんだ。生き別れた仲間との再会を。あんなに辛そうにしてたのに、ほんの少しの時間で見違えるくらい表情が変わった……私だって、私も変わりたい。そして、胸を張って姉さんに会いたい……)

 

 

 

 

 

「あれ?柵が出来てる……前来たときは何も無かったと思ったけど、いつの間に……」

 

 カルネ村が見えてきたところで、ンフィーレアが声をあげる。見れば木を縦横に組み合わせた格子状の簡素な見た目ながら、見上げる程の高さの柵が村を囲うようにして出来上がっていた。

 

 モモンはじっと柵を観察する。格子状の四角い隙間は子供になら通り抜けられそうだが、大人は余程細身の体格でなければ抜けられないだろう。上側の先端は尖っており、よじ登って越えるにも苦労しそうだ。村の入り口付近には警備員の詰め所の様な雰囲気の建物、村の端には背の高い物見櫓も見えた。

 

 モモンは見た目上は常識的な範囲にとどまっている事にホッと胸を撫で下ろす。ヴェルドラ達に改造計画書を見せられた時は不安を感じずにはいられなかったが、これ位なら悪目立ちする事はないだろう。

 

「待って下せぇ」

 

「「!?」」

 

 周りの麦歩の中から声が聞こえた。普通の村人とは雰囲気が違う、ドスの利いた太い声だ。ガサガサと物音が聞こえるが、声の主は姿は見せない。気付けば周りにも複数の物音が聞こえ始める。周りを取り囲まれているとルクルットが小声で伝え、ペテル達が辺りを窺いながら武器を手に取ろうとする。

 

「あーっと、武器は不味いですね。別に争う気は無いんですよ。ただの確認です。アンタ方、村にはどういったご用件ですかい?」

 

 ペテルがリィジーと目を合わせ頷きかける。相手を下手に刺激せず、正直に話した方が良さそうだ。

 

「ワシ等は薬草の採取をしに来ただけじゃ。カルネ村には何度も来ておる。お主らこそ、一体何者じゃ!?」

 

「……」

 

 声の主は答えず、緊迫した沈黙が続く。野盗の類いなのか、それとも別の何かか。いずれにしても相手の姿が見えない以上、下手な動きを見せれば危険だ。

 

「あっ、ンフィー!おおーい!」

 

「ああっ、(あね)さん!まだ出てきちゃ駄目じゃないですか!」

 

 聞き覚えのある若い女の声が詰所の方から聞こえる。声のした方に目を向けるとやはり、エンリであった。彼女は笑顔で此方に手を振っている。

 

「ンフィー!おばーちゃーん!」

 

「……いま、聞き間違いでなければ、あの娘を「姐さん」って呼んでたような……?」

 

「あー……しょうがねぇ、そのまま行って下せぇ」

 

 結局声の主は姿を見せていないが、何かを諦めたようだ。「姐さん」発言には一切触れない。一行は解決しないままの疑問を抱えながら、戸惑いつつも村娘に案内されるがまま、おっかなびっくりと村へと足を踏み入れるのだった。




ようやく村に到着です。幾つかやることをやってエ・ランテルに帰ると、あの事件が勃発です。


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#57 ンフィーレアの想い

カルネ村です。途中ンフィーレアの視点になります。


「エンリ親衛隊、集合ぉおお!!」

 

「え?うおお!?」

 

「あひゃあああ!?」

 

 一行が門を潜り抜けた所で、リーダーらしきゴブリンの戦士が声を張り上げる。すると向こう側から、明らかに鍛え上げられた総勢19名もの屈強なゴブリン達が怒涛の勢いで駆けてくる。中には狼に跨がった者も居た。ブリタは自分達に向かって殺到するゴブリンを見て襲われると思い、変な悲鳴を上げて震え上がった。ルクルットも思わず声を上げ、ペテルも武器に手を掛けて身構える。

 

「整列うぅう!」

 

 しかし突撃してくるかと思ったゴブリン達は、一行の目の前で止まり、整列し始めた。そして思い思いにポーズを決める。彼らの多くは、大きく隆起した筋肉を強調し、肉体美を追及したようなポーズを取っている。知っている者が見ればボディービルのポージングだとわかるだろう。しかしそんなことを知る者は誰もいない。モモンを除いて。

 

(うわぁ……どの世界にも居るもんだなぁ)

 

 呆れと感心の入り交じった心境でゴブリン達を見ながら、打倒たっち・みーのために、武器だけでなく自身の肉体を鍛えることに余念がなかったかつてのギルドメンバーを思い出す。彼もよくリアルでは肉体美を自慢していたな、と懐かしむ。そんなモモンとは違い、その偉容に冷や汗を流すペテルたち。戦士として彼等一人一人の力量が自分と互角かそれ以上である事がペテルには理解できた。ニニャ、ルクルット、ダインもまた、同じくローブを纏った魔法職のゴブリンや、狼を駆るゴブリンライダーに自分達と同等以上の力を感じ取ったようだ。ンフィーレアとブリタは顔を蒼褪め、何をする気かと恐れ(おのの)いていた。

 

「全員揃ってえぇえ!」

 

「我ら!エンリ親衛隊!」

 

「「「「「…………」」」」」

 

 ゴブリン達はニカッと歯を見せ、シャキーンとポーズを決めた。ついでに、キマったと言わんばかりのどや顔をして見せるが、ペテルたちはゴブリン達の謎の行動に呆気に取られ言葉も出せない。モモンがチラッとエンリを見ると、エンリは顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。

 

「こりゃ……たまげたわい……」

 

 リィジーのこぼした呟きが、まさに全員の心情を代弁していた。

 

 一行を驚かせたのはこれだけではなかった。村内の地面には、どうやって用意したのか大量の石畳が敷き詰められていた。エ・ランテルにも石畳で舗装された道は幾らかあるが、それは表立った大通りだけであり、それもすべてというわけにはいかなかった。それ故にある程度まとまった雨が降ると、むき出しの土が泥濘み足を取られたり、馬車が泥濘に嵌まって立ち往生する等、酷い事になる。

 

 ところが開拓村であるカルネ村は、全面とまではいかないが殆どの家屋間を繋ぐ道に石畳が綺麗に敷き詰められている。一つ一つの大きさこそ不揃いだが、表面は平らに均されており、継ぎ目の凹凸も殆んどない。その石畳の表面には浅く細かい溝が掘られていた。雨が降った時にはその溝を雨水が伝い、脇に掘られたやや深い溝に流れ込むようになっていた。石畳の溝は水捌けを良くすると同時に滑り止めも兼ねているようである。脇の溝は幾度か合流し、深く掘られた窪地へと流れ込む。池である。

 

 襲われたと聞いていたのに、逆に大きく発展している様子に驚く一行を見て、村人達の表情は誇らしげあった。村の外周を囲む柵の作成や石を敷き詰める作業を、ゴブリン達と力を合わせて短期間でやり遂げたのだという。ゴブリンと人間が共存するなど聞いたこともなかったが、共に汗水流して働いた事で、村人とゴブリンの間にも絆が生まれたようだ。仲良さげに会話をしている。

 

「エ、エンリ?一体どうなっているの?」

 

 ンフィーレアがたまりかねたようにエンリに訊ねる。そもそもこのゴブリン達は何処から来たんだと誰もが疑問を抱いていた。それはエンリが後で説明すると言い、まずは一行が寝泊まりする事が出来る空き家屋へと案内してくれたる事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうでしたか。それはお気の毒に……」

 

 エンリのお母さん、アメリおばさんの話を聞いたペテルさんが『漆黒の剣』を代表して哀悼の意を言葉にした。

 

 村が帝国の騎士に襲われていたところへ、戦士長様が国王陛下のご命令で助けに駆けつけてくれた。後発で襲ってきた騎士達の残党も、偶々通り掛かった旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)と剣士の協力を得て王国戦士団が全て討ち滅ぼしたらしい。

 

 戦士長様の推測では、王国貴族の誰かが帝国と結託して自分の暗殺を目論んでいたかもしれないとの事らしい。戦士長様は平民出身でありながら、御前試合で優勝して実力で現在の地位を勝ち取った人だ。自分達を生まれながら高貴で特別だと信じて疑わない貴族達にとって、そんな彼への不満は少なくないと思う。

 

 帝国兵は他にも周辺の開拓村を襲っていて、焼かれてしまった幾つかの他の村には申し訳無いけど、それでもカルネ村が間一髪助かった事、何よりエンリが無事だった事が嬉しい。

 

「大丈夫です。もう落ち込んでなんかいませんから」

 

 穏やかな笑顔で答えるアメリおばさんに、ペテルさんは辛そうな表情になる。家族を亡くしたばかりなのに気丈に振る舞う姿に胸が痛んだんだと思う。おじさんの事は残念だったけど、全員殺されていてもおかしくない程の状況を考えれば、助かったのは奇跡みたいなものだと思う。

 

「えっと……ご無理をなさってはいませんか?」

 

「ふふ、お気遣いありがとうございます。お優しいんですね。でも、いつまでも落ち込んでいては、私達を守って死んでいった夫に顔向け出来ませんから。……ただ、ゴブリンさんが居るとはいえ我が家に男手がないのは痛手かしら」

 

 頬に手を当てて悩ましげに呟くアメリおばさん。一瞬此方を見たような……気のせいかな?

 

 ゴブリン達は、戦士長様に協力してくれた『アインズ・ウール・ゴウン』という旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)がくれたアイテムを使って、エンリが召喚したらしい。明らかに屈強なゴブリン達はエンリに従っているし、村の人達も忌避感なくゴブリンに接しているみたいだ。ネムちゃんくらいの小さな子もゴブリン達に遊び相手になってもらっているのを見た。自分の常識から外れすぎていて、正直まだ頭がついていけていない。

 

「ふむ。通りすがりの村を助け、マジックアイテムまで寄越したと。奇特な魔法詠唱者(マジックキャスター)も居たもんだね」

 

「殊勝な御仁であるな」

 

「どこぞの貴族()共にも見習ってほしいですね」

 

 お婆ちゃんの言葉に、ダインさんとニニャさんも同意する。何の関係もないただの通りがかりの村の為に危険を顧みず助けようとしてくれるなんて、凄い勇気だと思う。

 

「ちょいとそのアイテム、鑑定させてもらってもいいかの?」

 

「ええっと、鑑定するだけなら……どうぞ」

 

 リお婆ちゃんの頼みにエンリが承諾し、角笛を取り出す。余程大切にしているのか、肌身離さず持ち歩いているみたいだ。

 

「どれ……道具鑑定(アプレーザルマジックアイテム)……っ!?な…………」

 

 鑑定魔法を唱えたお婆ちゃんの様子がおかしい。ワナワナと肩を震わせ、驚愕の表情を浮かべている。

 

「ど、どうしたの、お婆ちゃん?」

 

 心配になって訊ねると、正気に戻ったお婆ちゃんは戸惑った様子でエンリに向き直る。

 

「……エンリや、これはアインズ・ウール・ゴウンという魔法詠唱者(マジックキャスター)から貰ったんじゃったな?」

 

「え?は、はい……」

 

「……タダでかい?」

 

「あ、あの……?」

 

 お婆ちゃんの妙な雰囲気にエンリが困惑していると、お婆ちゃんが衝撃の鑑定結果を打ち明ける。

 

「この角笛は使用者に忠実に従うゴブリンの()()を呼び出すアイテムさね。……もし売れば金貨三千は下らん。少なくとも、一生金に困らんくらいの金になるじゃろうて」

 

「「「ええっ!?」」」

 

 お婆ちゃんの言葉に、エンリは驚いて大声を上げた。エンリだけじゃない。ペテルさんにブリタさん、僕だって驚きだ。ニニャさん達も声にならない驚愕の表情を浮かべている。なにしろ金貨三千もあれば、カルネ村規模の村なら数年、いや、十年分の資金よりも多いかもしれない。マジックアイテムはどれも高価なものばかりだけど、三千金貨ともなると、相当な逸品だ。現在では失われてしまった高度な魔法技術で生み出されたものかもしれない。滅びた古代都市の遺跡などから時々発掘される、聖遺物のような……。

 

「で、でも、召喚されたのは20人位で、軍勢っていうほどの大人数じゃないですよ?な、何かの間違いじゃ……?」

 

 エンリがあたふたと反論するけど、魔法の鑑定に間違いはない。にも拘らず、人数が少なかったのはきっと──

 

「多分、何か条件によって呼び出される人数が変わるんじゃないかな。場所とか、使用者の能力……軍勢を指揮する能力とかが関係しているのかも知れない」

 

 僕なりの推測に、鑑定でもそういう条件全てが分かるわけではないことをお婆ちゃんは付け加えた。第三位階魔法を使えるお婆ちゃんの鑑定でも全部はわからない。だからそのアイテムが実際どれくらい価値があるのかは想像でしかないけど、実際、モンスターを召喚する効果のあるアイテムは存在を確認されているし、魔法だってある。でも、それらの方法では、時間が経つと跡形もなく消えてしまうはずだ。なのにエンリが召喚したゴブリンは何日も消えない。これはこれまでの召喚魔法の常識を覆す、破格の効果を持つアイテムだということは僕にも分かる。

 

「て事は何か?村娘のエンリちゃんでもあんな強そうなゴブリンが20人近く召喚出来るなら、訓練された軍の指揮官とかが使えば……」

 

「その場合、規模はわかりませんが百や二百じゃないと思います……」

 

 ルクルットさんの推測を僕はおそらく、と肯定する。軍人として訓練を受けていないエンリだったから、少人数だったと考えた方が良い。時間経過で消えることのないモンスターを大量に召喚するアイテム。悪意のないエンリに忠実に従っているみたいだから脅威とは思わないけど、これがもし軍事に利用されたりしたらと思うとゾっとする。

 

「こんな途轍もない代物を通りがかっただけの村の娘にポンと渡すとは、ゴウンという魔法詠唱者は余程の大富豪か、それともこのアイテムの価値をまるで知らんかったのか……?」

 

 うむむと唸り考え込むお婆ちゃんに、エンリはひきつったような表情で、ダラダラと冷や汗を浮かべている。エンリもそんなに高価な物だとは知らなかったみたいだ。

 

「後でやっぱり返して欲しいとか言ってこないでしょうか……?」

 

 ニニャさんが心配げに尋ねる。そんな高価なアイテムを使用してしまってから返却を求められても、とても弁済出来るとは思えない。

 

「多分、それはないかと。金銭ではないですけど、対価なら支払いましたし、笛を吹く時にも立ち会って下さいました。もし返却を求められるならその時にされたと思います」

 

「成る程……。じゃあそういった心配は無いですかね」

 

 もし返却を求められたなら、僕が借金してでも……なんて思っていたけど、その必要は無いみたいだ。一体何を支払ったのかは気になるけど、あまり聞きたくない気もする。

 

「にしてもスッゲーな。通りがかりの村のためにそこまでしてくれるってのは。一体どこの大金持ちだ?」

 

「うーん、聞いたこともない名前ですし、少なくとも王国の貴族とかじゃ無さそうですね。どこか遠方から来られた方なんでしょうか?」 

 

「多分そうだと思います。ゴウン様は本当に凄い方なんですよ。魔法も凄くて、優しいんです」

 

「へえ、ナーベちゃんとどっちが凄いかな?」

 

「んんっ、それはそうと、一緒に戦ったという剣士の方も気になりますね。戦士長様とどちらが強いんでしょうか?」

 

「えっと、それは……多分、戦士長様かな、と」

 

『漆黒の剣』の皆さんがエンリにあれこれと質問を投げ掛けていく。エンリの星を宿したようなキラキラした瞳をしているのが気になるけど、僕も戦士長様と共に村を救ってくれた人達には是非会って直接お礼を伝えたいと思っている。でも彼らはすぐに村を発ってしまったらしく、既に村には居ないみたいだ。ペテルさん達も残念そうにしていた。

 

 ペテルさん達『漆黒の剣』は、モモンさんの仲間探しに可能な限り協力したいと言っていた。あちこち旅しているという凄腕の魔法詠唱者(マジックキャスター)に話を聞けば、もしかしたら何か手がかりを掴めるかもしれないと思ったのかも。ゴウンさんか……聞いた限りでは凄い魔法詠唱者(マジックキャスター)みたいだし、もしかしたら実はモモンさんの知り合い、なんて事は……。

 

 

 

 

 

 

「あ、そうだー、モモンさんと少し打ち合わせする約束があるのを忘れていましたー」

 

「うむ、そ、そうだったのである」

 

「それじゃあ俺達は行くから」

 

 突然、ぎこちない口調でペテルさん達がそそくさと出ていく。打ち合わせなんて話はしてなかったと思うけど……。そう思っていると、ニニャさんが去り際にこっそり親指を立てて見せていた。どうも僕とエンリを援護しようとしてくれてるみたいだ。急すぎる展開に僕の心臓は早鐘を打ち始める。でもまだおばさんもいるし、慌てなくても──

 

「さて、私もそろそろ夕飯の支度しなくちゃ」

 

「私も手伝うよ、お母さん」

 

「あら、エンリはもう少しンフィーちゃんを手伝ってあげたら?久しぶりに会ったんだし、積もる話もあるでしょ?」

 

 手伝いを買って出たエンリに、おばさんは悪戯っぽい笑みでそう促した。僕は気持ちを見抜かれているんじゃないかと思ってドキリとした。

 

(どうしよう、いきなりエンリと二人きりなんて、心の準備が……)

 

 僕が焦っているうちにみんな出ていってしまい、部屋には僕とエンリの二人だけになった。

 

「なんだか皆慌てて出ていっちゃったね」

 

「あ、う、うん……」

 

 辛い体験をしたというのに、エンリは僕の知っているままの笑顔で微笑んでいた。

 

「今日はおばあちゃんも一緒なんだ?まだ早かったって?」

 

「あ、ううん。たまには一緒に、って思ってね」

 

「そっか。おばあちゃん孝行だね」

 

 僕は薬師として一人立ち出来るようにと、去年から薬草採取を一人でこなし始めていた。護衛の雇用や、道程の確認、薬草採取の日程感まで、自分で計画する。両親は僕が小さい頃に薬草採取に出掛けたまま帰らぬ人となった。お婆ちゃんは凄く寂しそうだったし、僕の事をそれまで以上に大事にしてくれた。それでも薬草採取は薬師とは切っても切れない関係だ。だからお婆ちゃんも心を鬼にして僕を送り出してくれていた。

 

 でも、今回は色々と事情が違う。

 

 数日前、戦士長様が街にやって来たという噂話を耳にした。近辺の開拓村を襲っていたという賊を討ち取り、既に壊滅させられた村の生き残りを連れてきていたらしい。何日か前にも戦士団の人が来ていたらしいけど、それは知らなかった。僕は最悪の想像が過り、胸に突き刺すような痛みを感じた。エンリが無事か、カルネ村はどうなったのか、周りの人に聞き込んだけど、結局わからなかった。

 

 直ぐにでもカルネ村へ向かいたかったけど、お婆ちゃんが反対した。夜の旅は危険だと。気付けば日が傾き始めていた。もし残党が残っていた場合、命の危険があると、僕の身を案じてくれるお婆ちゃんの悲しそうな表情に、僕は翌日まで出発を思い止まった。

 

 そして、モモンさんだ。彼は、ナーベさんが殴り飛ばした酔っぱらいを()()ポーションを使って治癒したという話を、酒場で居合わせたという冒険者の人が話していた。赤色のポーションは僕ら薬師にとっては特別な、『幻のポーション』だ。それを知ってか知らずか、冒険者の人は気分よさげに話していた。「伝説の英雄が生まれる」って。

 

 最初はお婆ちゃんも疑いの目を向けていたけど、そんな僕らの視線に気付いた彼が目の前に突き出してきたのが、空になったポーション瓶だった。その瓶は見たこともない細やかな装飾が施され、それだけで芸術的価値が高いようにも思えた。とても消耗品のポーションを入れる器には思えなかった。そんな見事な瓶の底には、僅かに赤い液体が残っていた。お婆ちゃんが鑑定すると、とんでもない事が分かった。

 

 本物だった。本物の赤色ポーション。僕も、お婆ちゃんでさえ目にしたのは初めてだった。

 

 通常ポーションは生成の過程でどうしても青色になる。そして時間の経過と共に効果が薄れていく。だから保存(プリザベーション)の魔法で保存期間を引き伸ばす工夫がなされている。

 

 ところが、幻の赤色ポーションは保存(プリザベーション)の魔法によらなくても、永久に劣化しない。『真なるポーションは神の血を示す』という言葉があり、血のような赤い色が特徴の完成されたポーション。薬師なら一度はその製造を夢見る。お婆ちゃんも昔から夢見てきたひとりだ。だからお婆ちゃんは狂喜し、冒険者組合に駆け込んだ。長年届き得なかった、幻の製法に迫るまたとないチャンスを逃す手はないと。僕も興味ないわけじゃないけど、やっぱりエンリが心配だった。

 

「わっ?あ、わっわっ」

 

「ンフィー!」

 

 ちょっと考え事に夢中になっていたみたいだ。気付いたらエンリが僕の顔を覗き込んでいた。ビックリした僕は後ろに大きく仰け反り倒れそうになる。エンリは咄嗟に僕の腕を掴んで引き寄せてくれた。非力な僕を軽々と。だけど勢い余った僕はエンリに身体を預ける格好になってしまう。

 

「あっ……ごごご、ごめんっ!」

 

 抱き付いてしまった僕は、頭の中が真っ白になって思わず飛び退いた。顔が熱い。エンリの方をまともに見れない。

 

「あ、うん。大丈夫?何か思い詰めたようだったけど……」

 

「だ、大丈夫っ、何でもないよ」

 

 エンリは気にしないという風に明るく声をかけてくれる。僕はこんなに狼狽えているのに、エンリは平気なようだ。それは異性として全く意識して貰えていないという事で、内心ショックを受ける。

 

(何やってるんだろうな、僕……村が襲われたときに何も出来ず、今更ノコノコやって来て。どうするつもりだったんだろう?)

 

 情けない。どうしてこうも、僕は男らしくないんだろう。エンリを守ってあげたいと思うのに、こんな調子じゃ逆に守られてしまう気さえした。弱い自分への自己嫌悪の感情に押し潰されそうになる。僕にもモモンさんみたいな力があったら……。

 

 屈託のない笑顔を向けてくれる彼女に、僕は胸が傷んだ。お父さんを亡くし、辛い目に遭ったばかりなのに、彼女は前会ったときより更に輝いていて、眩しく見えた。それに比べて今の僕はどうだ。会ったこともないアインズ・ウール・ゴウンさんに密かに嫉妬したり、ポーションの秘密に迫ろうとコソコソと真意を隠してモモンさんに近付いたり。自分は薄汚れているように感じられて吐き気がする。でも、だとしても。

 

(でも、それでも、僕は──)

 

「ぼ、僕は……!」

 

「ん?なあに?」

 

「……僕に出来ることなら何でも言って。エンリ、僕は君の助けになりたいんだ」

 

「ありがとう、ンフィー。あなたは私には勿体無い位の友人だわ」

 

大輪の華が咲くような笑顔でエンリはそう言ってくれる。彼女は僕を友人としてしか見てくれていない。それはよく分かった。でも今はこれでいい。これから彼女に相応しい立派な男になって、必ずエンリを振り向かせて見せる。

 

 

 

 

 

「ふむ、中々見事なものだな」

 

 モモンは小高い場所からカルネ村の景色を眺めていた。今丁度村人達がゴブリンの指導を受けて弓の訓練をしている。大人も、十代になったばかりくらいの子供も、並んで弓を構える。弓は村人の手作りらしく、見た目はややみすぼらしい気もするが、弓としての機能は十分に果たしている。射程はおよそ50メートルといったところか。誰もが真剣な表情で訓練に励んでいる。自分達の村は自分達の力で守るのだと、強い当事者意識を持っている。腕前も中々で、30メートル程の距離なら誰も外さない。

 

「あの程度、称賛に価するほどでは無いように思われますが?」

 

「実力の話をしているのではない。彼等は村が襲われるまでまともに弓を触ったこともなかったはずだ。しかし数日の訓練で短距離ではあるが殆ど的を外さなくなっている。自衛のために力を求めたのだ。誰の命令でもなく、自分達の意思でな。彼等の中で何かが変わったのだろう」

 

「その何か、とはどういったものなのでしょうか?」

 

「意識だ。当事者意識を持ったとでも言おうか」

 

ナーベの質問に、モモンは自信を持って即答する。仕事においても、どこに意識を置くかで大きく成果に違いが出ることを経験上知っていた。しかし、意識を変えるには何かしらのきっかけが必要でもある。

 

 人は流されやすい生き物だ。それまで襲われたことがなかったから。平穏に過ごしてきたから。何も悪いことをしていないから。だからきっとこれからも平和が続く。そう考えてしまいがちだ。しかし現実がその通りにいくとは限らない。見通しが甘ければ現実との乖離に苦しみ、大きな痛手を受けることになる。このカルネ村もそうだった。森の賢王とかいう強大な魔獣の縄張りがあるため、モンスター達は容易に足を踏み入れてはこない。現在のところはそうだが、その森の賢王もいつ死んで今の拮抗が崩れるかわからない。盛者必衰だ。如何に強くとも魔獣は魔獣。いつかはその権勢も衰えるだろう。いざその時になるまで何の対策も考えないのは、自分や大切な家族を危険に晒すことに他ならない。

 

 彼等は王国戦士長暗殺の奸計に捲き込まれたことで、自分達が見通しの甘い平和を勝手に夢想していたと身を持って知ることになった。抵抗空しくそのまま滅びる所を、すんでの所でアインズの手により救われたことは幸運な偶然だったと言える。滅びる筈だった自分達の運命を変えてくれた偉大な魔法詠唱者(マジックキャスター)への恩義に恥じないようにと武器を取り、柵を作った。折角救われたというのに、また何者かに襲われて滅びてしまうなどあってはならないと考えたためだ。

 

「彼等は偶然の平穏が長く続いた為に、警戒心を忘れてしまっていたのだろう。毎年帝国と戦争をしていると聞いてもどこか他人事のように考えていたはずだ。だが、騎士達に襲われたことで信じていた平穏が容易く、呆気なく壊れるものだと気づいた。そして……ん?」

 

 機嫌良くナーベに話をしている途中で、何者かの接近に気付く。

 

「おぅい、モモンさんや」

 

 モモンが振り返ると、リィジー・バレアレが手を振りながら坂を上り近付いてくる。

 

「来たか。ナーベ、ここで待機していろ。……どうしました、バレアレさん?」

 

 モモンはリィジーを出迎えるように歩み寄っていく。彼女は結構な年齢のはずだが、その足取りは年齢を感じさせない。こうして離れた所で待っていれば、向こうから仕掛けてくると考えていた。果たして予想した通りの展開になった事にモモンは気分を良くする。

 

(悪いが、無数のパターンと対策を想定済みだ。プレイヤーが関係していようとも抜かりはない。さあ、交渉開始といこうか!)

 



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#58 森の賢王~上~

遂に森の賢王登場です。


「ではよろしくお願いします」

 

「こちらこそ。ひっひ、今から楽しみじゃわい!」

 

 リィジーは夢見心地で目を輝かせ、無邪気な子供のように喜んでいる。

 

「フフ、研究の事は誰にも秘密ですよ?しかし、移住についてはお一人で決めてしまって大丈夫なんですか?」

 

「心配せんでいいともさ。研究さえ出来れば誰にも言うつもりは無い。ンフィーも二つ返事で賛同するだろうさ」

 

 リィジーの用は下位治癒薬(マイナーヒーリングポーション)の件であった。使用後のポーション瓶を出し、これをどこで手に入れたかと訊ねられた。友人に譲って貰ったと答えると、今度はその友人の事を聞かれた。必死な様子に、これはちょっとハズレかも……と思いながらも理由を訊ねると、このポーションは通常の製法では作れない代物だと説明してくれた。直接会ってその製法を知りたいようだった。

 

 完全に想定内、読み通りだとモモンは頬面付兜(フルフェイス)の下でニヤリと存在しない唇を歪めた。モモンも自分で作ることは出来ないが、知識として製法は知ってはいた。専用の特殊技術(スキル)を持った者が、錬金術溶液に付与したい効果の魔法を込める。しかしそれを教える気はなかった。教えたところで出来るとは思えないし、何より折角現地のポーション職人なのだ。この世界独自の製法を見つけてほしいし、可能ならば素材もユグドラシル由来のものではなく、この世界の素材で作る事に挑戦して欲しい。

 

 そこでモモンは、あえて製法は一切知らず、友人ともペテル達に話した通り生き別れて行方知れずだと告げる。そして在庫の幾つかを渡し、それを元に製法の研究を提案した。但し、その研究成果については一切外部には極秘にする事を条件として。詳しい理由についてはリィジーが勝手に納得してくれた。こちらが尤もらしい理由付けをしなくともよくなったので助かった。

 

 どうせならば、エ・ランテルに店を持ちながらよりも、店を畳んでこのカルネ村に引っ越してきた方が研究に没頭出来ると向こうから提案してきた。いずれは何らかの理由を付けてカルネ村へ誘導したいと思っていたモモンにとってこれは渡りに船だ。想定していた以上に上手く事が運べたモモンは、脳内で盛大にガッツポーズを決めていた。

 

(実は俺って営業の才能があったのか?こんなに上手く行くなんて……出来すぎだろ)

 

「では、時期については頃合いを見て、と言うことで……」

 

「おうともさ」

 

 バレアレ薬品店は冒険者組合からも厚い信頼を得る街一番の良店であるため、いきなり街を抜けては損失が大きい。都市長あたりも引き留めてくるだろうとリィジーは懸念していた。そこで、リィジーが年齢を理由に引退し、ンフィーレアも老後の彼女を面倒見るという名目で街を離れるという事にする。そして徐々に周りの店にノウハウを渡しながら、抜けても大丈夫な状況を作り出すのだ。移住の詳細な時期についてはその進捗次第といったところだ。モモンはエ・ランテルを拠点に活動を続けるし、ちょくちょく様子を見に行くことも出来るだろう。

 

 話が大筋で纏まったところで、鼻唄でも歌い出したい程上機嫌のモモンとリィジーは、一緒に丘を下りて行く。ナーベは何も言わず、じっと観察するように後ろを追随してきた。リィジーの狙いが分かり、解決に向かったことでモモンは安堵した。

 

(これでポーション限定だが現地人にアイテム研究のアテが出来たな。しかし、まさかたった3日で見つかるとは……)

 

 これは思いがけない僥倖だが、そうそう良いことばかり続くとは限らない、とモモンは弛みかけた気を引き締めた。実際にそうそう思惑通りにはいかないのが現実である。

 

 

 

 

 

 翌朝、アメリ達が朝食を用意してくれ、『漆黒の剣』とバレアレ家の二人、ブリタ、エモット親子、モモンとナーベが一同に会し、総勢11人で食事を採る事になった。とはいってもモモンだけは食事が出来ないので目の前に食器は10人分しか並んでいないが。

 

「アインズ・ウール・ゴウンさん、ですか?」

 

「ええ、その……お会いできないかなぁ、なんて」

 

「……会ってどうするつもりですか?」

 

 ナーベがンフィーレアの言葉に反応し、やや冷気を帯びた目を向け質問を投げ掛ける。意図がわからず警戒しているようだ。

 

「エン……村を救ってくれたアインズ・ウール・ゴウンさんに、僕からもお礼を言いたいと思っているんです」

 

(今エンリって言いかけたな。分かりやすい少年だ……)

 

 モモンはンフィーレアの分かりやすい初々しさを見て、微笑ましいものを見たオッサンの気分になる。アメリを含め、エンリとネム以外のほぼ全員が生暖かい視線を送っているようだし、多分ンフィーレアの想いに気付いていないのは、まだ幼いネムを除けばエンリ本人ぐらいじゃないだろうか。

 

 自分にも彼のような純真な時期があった。今では変態鳥人間(ペロロンチーノ)の布教活動の成果か、いつの間にか色々とアブノーマルな知識がついてしまい、純真さは何処かに行ってしまった気がする。アンデッド化したことで経験値ゼロのまま戦力外となってしまったために、最早実践の機会は失ってしまっている。NPC(友人の子供)相手にそんなことをするわけにもいかないだろうし、それで良かったのかもしれないと無理矢理自分を納得させる。

 

(ペロロンチーノさんにはソッチ方面で色々と教わったというか、吹き込まれたというか……まぁ、あれはあれで楽しかったけどな……)

 

「そして、出来れば……弟子入りしたいと思っています」

 

「なっ!?」

 

 過去を懐かしんでいたモモンは不意打ちを受けた形となり、身動ぎした拍子にゴン、とテーブルに足をぶつけてしまう。幸い、上に乗っているものに被害はなく、特に周りも咎める様子はない。

 

「で、弟子入りってンフィーちゃん……ゴウン様に?」

 

 アメリが若干ひきつったような、何とも言えない表情で訊ねる。普段おっとりした雰囲気の彼女にしては珍しく慌てた様子だ。その際、一瞬だけ自分の方に視線を向けたのを感じたが、おかしなタイミングで反応したせいで変なやつと思われたのだろうか。

 

「凄い!ンフィー君、魔法詠唱者(マジックキャスター)になるの!?」

 

「こら、ネム!」

 

 エンリが無邪気にテンションを上げて喜んでいるネムにお行儀よくしなさいと窘める。皆は驚きの表情を浮かべていたが、モモンにとっても衝撃である。

 

(彼にはこのまま薬師としてリィジーとカルネ村で研究に従事してもらいたいと考えていたのに、アインズ・ウール・ゴウンに弟子入りだと!?何がどうなったらそういう結論に至るんだ?)

 

 困惑しながらナーベに目をやれば、ンフィーレアに対し不穏な視線を向けている。教えを乞おうとするンフィーレアを快く思っていないのだろうか。別に侮られたりしているわけじゃないのにおかしいな、とモモンは内心首を傾げつつ、ンフィーレアに動機を訊ねる。

 

「しかし何故、突然魔法詠唱者に?薬師の仕事は多くの命を救う事に繋がる、立派な仕事ではありませんか」

 

「僕は…これまで父が薬師だったからというだけで、将来をそれほど深く考えずに薬師になりました。でも、エン……真剣に将来の事を考えて日々を暮らし始めたこの村の人達を見て、僕もこのままじゃいけないって思ったんです」

 

 モモンの問いかけに真っ直ぐに答えるンフィーレア。その瞳は長い前髪の奥に隠れたままだが、熱意の籠った声だった。

 

「それで考えた結果が、魔法詠唱者(マジックキャスター)ですか?」

 

「はい。非力な僕にはモモンさんのような戦士にはとても向いていません。でも魔法なら……ナーベさん程とは言いませんが、向いてるんじゃないかと」

 

(つまり……好きな女の子の為に強くなりたいということか。そして戦士よりは魔法詠唱者の方が向いてるから、アインズ・ウール・ゴウンに弟子入りを……)

 

「それに、ゴウンさんは実力も人格も素晴らしい方だとエンリから聞いています。そういった方に指導を受けることが出来れば、早く実力を付けられると思いますし」

 

「ゴウン様はまた来ると仰っていたから、もしいらしたらンフィーの事をお話ししてみるね」

 

 エンリは彼の決意を応援する気のようだ。モモンは考える。このまま薬師としてではなく、魔法詠唱者として面倒を見てやった方が、ンフィーレア達をカルネ村に留めておけるんじゃないか?稀少なタレント持ちでもあることだし、いつ誰かに狙われるとも限らない。どうせなら自衛出来る力をある程度持っていて貰った方がいいだろう。いつでもナザリックが守ってやれるとも限らないし、敵対プレイヤーの手に落ちてしまうような事は避けたい。彼が強くなれば、ギルドの名をかけてまで助けたカルネ村の護り手も増える。

 

(一石二鳥だな。いやでも、それには問題が……)

 

 彼に魔法を教えてやる事が出来ない。アインズが魔法を使えるのはユグドラシルで取得していた為だ。ユグドラシルでは経験値を溜めてレベルが上がれば魔法を選択肢の中から選択するだけで覚えられた。理想のビルドを組むため取得の前提条件などを調べたりはしたが、この世界の人間の様に魔法理論を一から学び、術式を覚えて自力で獲得したものではない。謂わば貰い物のようなものなのだ。だから教えを乞われても教え方など分からない。魔物の国(テンペスト)で覚えた魔法とは術式が違うようなので、その知識が役に立つという保証もなかった。

 

 彼の本気度はどれくらいだろうか。アインズ・ウール・ゴウンに弟子入りしたいと言い出したのは、エンリの側にいる為のただの口実という可能性もある。取り敢えず思い止まって貰えないか、少し揺さぶりをかけてみたい。

 

「でも、それじゃあ、バレアレ薬品店の跡継ぎが……」

 

 ブリタが気まずそうにおずおずと口を開く。確かに冒険者にとっては、腕利きの薬師が居なくなるというのは大きな痛手であろう。『漆黒の剣』のメンバーも言葉にはしないが、不安げな表情を浮かべている。モモンもその空気に乗っかるように発言する。

 

「そうですね、優秀な薬師に跡継ぎが居ないのはまずいかもしれません。街としても損失は大きいでしょう」

 

「それでも、僕は諦められません……!」

 

 既に店を畳むことは決めていたので、何も問題はないのだが、ンフィーレアの覚悟のほどを試しておきたかった。跡取り問題を出されても食い下がろうとするンフィーレア。そんな彼に、早々に助け船が出される。

 

「あたしゃ孫がやりたいことを応援するさね。……ちょうど隠居を考えておっての。寄る年波には勝てんでな。ンフィーレアが跡を継がないなら、店は畳むよ」

 

「お婆ちゃん……ごめんね」

 

「いいんだよ。ンフィーレアが幸せになることが一番大事だからね。それと、引退するときにゃレシピを公開しようと思っとる。それがあれば、他の店のポーションも質が上がるだろうさ」

 

「っ!いいんですか?レシピは貴女が長年の研究で培ってきた秘伝のものですよね?」

 

 ポーションをはじめとした薬品の製造レシピは、それぞれの店が極秘としているのが一般的である。ペテルが驚くのも当然であった。しかしリィジーはレシピを眠らせていても仕方がないと笑い飛ばす。このやり取りを見て、モモンは彼女が赤ポーション開発にどれ程入れ込んでいるかを察した。さっき丘を休憩もなしに上りきって見せた癖に「寄る年波に勝てない」とか嘘だろ、とか突っ込んだりはしない。

 

(それまで築き上げたノウハウや地位を投げ捨ててでも、赤ポーションの研究開発をしたいということか。これが職人魂ってやつなのか?それほどまでに執着しているならば、リィジーが途中で裏切るような事もないだろう。あとはンフィーレアへの愛情もあるんだろうな)

 

 単純にポーションの研究だけでなく、孫の恋路の応援してやりたいという思いもあるんだろう。祖母の愛情を受けられるンフィーレアが、少し羨ましい。本人も動機が不純でないと言い切れないが、それなりには真剣に考えてはいるようだ。だがそれでも、だ。

 

「成る程、ンフィーレアさんの決意は固いようだし、リィジーさんもそれを応援したいと言うことですね?ならば、私達部外者がこれ以上の口出しは不粋と言うもの。ただ、懸念があるとすれば、相手に弟子入りを認めて貰えるかどうか、でしょうか」

 

 言われてみれば……と一同の表情が曇る。如何に奇特な魔法詠唱者(マジックキャスター)と言えど、いきなり訪ねてきた相手を弟子に取るだろうかという疑問に思い至ったのだ。

 

「無理は承知です。でも、何もしないうちから諦めるなんて、出来ません。貯蓄もそれなりにありますし、報酬も出来る限りお支払します。何か条件があるというなら、どうにかして満たして見せます!」

 

「おお、その粋だぜ、頑張れよ!」

 

 揺るがぬどころか更に燃えるような決意を見せるンフィーレアの肩を叩き、ルクルットがエールを送る。『漆黒の剣』の面々も、ブリタもンフィーレアを応援する雰囲気になった。これでいよいよ追い込まれたのはモモンだった。

 

(あっちゃー、もうなんか、これで断ったら俺一人悪いやつみたいな空気になりそうじゃないか。全く、こっちの事情も知らずに盛り上がりやがって……)

 

 これでアインズ・ウール・ゴウンとして、彼の前に立つわけにはいかなくなった。もしンフィーレアと顔を合わせてしまえば、弟子入りを懇願されることになる。上手い対処法を思い付くまでカルネ村には顔を出さないようにするしかない。アインズ・ウール・ゴウンとして会わなければ、「モモン」イコール「アインズ・ウール・ゴウン」とバレなければ何も問題はないだろう。

 

 そんな後ろ向きな事を考えていると、エンリがモモンをじっと見て首を傾げている。

 

「ど、どうかしましたか?エンリ・エモットさん」

 

「え、あ、いえ。何だかモモンさんの声って、何だか聞き覚えがあるような……?」

 

 瞬間、ないはずのモモンの心臓がドキリ跳ねた気がした。

 

「他人のそら似じゃないかしら?」

 

「そ、そうですよ。お会いするのは初めてですし」

 

「うぅ~ん、ですよね。あはは、すみません。気にしないでください。きっと気のせいです」

 

 モモンは内心ホッと胸を撫で下ろすが、何故かエンリの隣のアメリもホッとした表情をしている様に見えた。きっと変な事を言い出した娘を見てモモンが機嫌を損ねたりしないか心配していたに違いない。

 

「ああ~!!」

 

 突然ネムが大声をあげる。

 

(こ、今度は何だよっ!)

 

 モモンはまさか自分の正体に気付かれたのではと気が気ではない。

 

「ネム、わかっちゃったもんね~」

 

 得意気にニヤニヤと笑顔を見せるネム。

 

(話の流れからして、俺の正体に気付かれたっぽいな。そりゃそうだよなぁ、モモンガって名乗ってるし、モモンは安直過ぎだよな。しかも声も偽装してないアインズのまんまだった……)

 

 全身鎧を着ていれば素直で素朴な村人にはバレないだろうと高を括っていたモモンは自分の迂闊さを後悔した。

 

「あ、あら、なぁに?お母さんに教えて?」

 

「うん、皆には内緒だよ?」

 

 そう言ってネムがアメリに耳打ちする。ごにょごにょ……。

 

(あ、あぁ……!)

 

 耳の良いモモンにはその内容は聞こえていた。

 

「そうね。よく気づいたわネム。うふふふ」

 

 意味深気な笑みで彼女が視線を向けたのはモモン。ではなく、ンフィーレアだった。

 

(なんだ、そっちか……)

 

 つまり、ンフィーレアの気持ちに、幼いながらネムが気付いた、ということのようだ。紛らわしい、と思いながらモモンが小さく安堵のため息を吐く。と、同時にアメリも小さく溜め息を吐いていた。

 

(……まさか、アメリさんにはバレてるのか?だが、少なくともエンリには気付かれていないようだ……このまま誤魔化しきれるか?)

 

 アメリの先程までの態度を鑑みるに、思い当たるフシがある事にはある。ンフィーレアの弟子入りの話に少し慌てたような様子だったし、エンリが何か勘づきそうな時にも然り気無く話を逸らそうとしていた気がする。

 

「ああ、そういえば皆さん、そろそろ出発しなくて大丈夫ですか?」

 

 アメリの言葉で一旦お喋りは打ち切られ、食べるものが残っていた者は急いで口にかき込む。

 

 

 

 

 

 

「じゃ、案内はこの俺、ルクルットに任せてくれよ」

 

 食事を終えた一行は、地図でおよその採取ポイントを確認し合い、森に入る。先導はルクルット。バレアレ家の二人を中心にして周りを守備を堅め、モモン達は最後尾を守る陣形を敷く。

 

 森の入り口へたどり着くと、幾らかのエリアは村人たちが柵を作るために伐採したのだろう、まだ新しい切株がそこかしこに見受けられる。

 

「この辺りは森の賢王の縄張りなので、余り深い方まで入らなければ危険なモンスターは殆んど居ないはずです」

 

「もし、森の賢王に出会ったら?」

 

「出会わない事を祈るしかないですね。私達ではとても敵わないでしょうから」

 

 ブリタの不安げな質問に、ペテルもこればかりは運任せだと苦笑いを浮かべる。見も蓋もない。

 

「ま、出くわす前にどれだけ早く異変に気付き撤退を開始できるかだな」

 

「まぁ、安心してください、ブリタさん。コイツ、そこ()()は信用がおけるので」

 

「ですね」

 

「であるな!」

 

「ちょ、皆酷くないか?まるで俺がそれ以外全然ダメみたいじゃねーかよ!」

 

「え、そうですけど?」

 

 余りの言われように憤慨するルクルットだったが、悪びれもせずに言われたニニャの言葉に轟沈した。

 

「くっ、覚えてやがれよ……!」

 

 そんな他愛もない話をしながら森の中を更に進むと、景色が一変する。鬱蒼と木々が覆い茂り昼間でも薄暗くなっている。天を貫かんばかりの巨木が立ち並び、多種の苔や草が影をたくさん作りそこに魔物が身を潜める、まさに人間の立ち入りを拒絶するような人外魔境である。ここからが本番だと、一行はその中を野伏(レンジャー)であるルクルットを先頭に、緊張感を保ちながらゆっくりと歩を進めて行く。

 

 モモンはその緊張感の中、ゲームではなく本物の自然が生み出す美しさに見惚れ、感嘆していた。ユグドラシルで見た自然も美しかったが、それを遥かに凌ぐスケールだ。本物の生命が織り成す無数の深緑の絨毯、上に目をやれば、空を覆い隠さんばかりの無数の枝葉が幾重にも重なっている。そして草木の独特な香りも感じられる。

 

(仮想現実は所詮仮想に過ぎない、現実には敵わないって事か。ああ、ブループラネットさんがこれ見たら狂喜乱舞しただろうなぁ)

 

 自然をこよなく愛したギルドメンバーの事を思い出しながら、森林浴気分を楽しんでいたモモンだが、そろそろ気持ちを切り換えなければならない。そろそろイベントが始まるはずだ。

 

「おい皆、取り乱さずに落ち着いて聞いてほしいんだけどよ……」

 

 声を発したルクルットのただ事ではない雰囲気に、場の緊張が一気に高まる。

 

「どうもここはさっきも通った場所みたいだ」

 

「なんだって!?」

 

「そんな!まだ十分そこそこですよ!?」

 

 ペテルとニニャが驚愕の声を上げる。それもそのはずだ。本来野伏(レンジャー)であるルクルットは方向感覚も並外れて優れているため、道を誤ったり迷子になる事など平時であれば考えられない。それが森へ入ってまだ十分そこそこで無意識に同じ道を通ってしまうのは異常事態に他ならない。それに二人は瞬時に気付いたのだ。

 

「しぃーっ」

 

 ルクルットが口許に人指し指を当て、声を落とすように指示すると、全員が慌てて口を押さえる。

 

「す、済まない」

 

「引き返すことは出来そうですか?」

 

「うんにゃ、引き返そうにも何かに無理矢理感覚を狂わされちまってる感じがする。今同じ道に来ちまってから、初めて自覚したけどな……!」

 

「……!それはまずいであるな……」

 

 撤退を検討する『漆黒の剣』だが、頼みの綱である案内役が、何らかの方法で感覚を狂わせられている。最早遭難者同然の状態だ。

 

「ふむ……幻術の類いか」

 

「!!まさか……森の賢王の仕業でしょうか?」

 

 モモンの呟きに反応し、ニニャが訊ねる。話に聞くところでは件の魔獣は魔法も扱うらしい。奴の領域(テリトリー)に誘き寄せられていた可能性を疑ったのだ。そうなると既にここは森の賢王の狩り場ではと、皆が顔を蒼ざめる。

 

「まずい、まずいぜ……!」

 

 耳を地面に付けながら、ルクルットが警告する。

 

「来るぞ……向こうからデカイ何かが」

 

 ルクルットが指差した方向に目をやるが、まだなにも見えない。鬱蒼と茂る木々に遮られ、姿を確認出来る程近くなる頃には、逃げる事などできないだろう。かといって方向感覚もわからず闇雲に森を逃げ回っても生き残れる可能性は低い。最悪、他のモンスターにも遭遇する事になる。

 

「みなさん、落ち着いて下さい。焦りは失敗の種であり、冷静な論理思考こそ常に必要なもの。心を鎮め、視野を広く。打開策は必ず見つかります」

 

 モモンの落ち着き払った言葉を聞き、パニックを起こしかけていた面々はどうにか落ち着きを取り戻す。

 

「森の賢王は私が相手をしましょう。皆さんは下がって守りを固めてください」

 

 身の丈程の二本のグレートソードを抜き放ちながら、前に出るモモンの背中を見たペテルは、絶句する。

 

(なんて大きな背中なんだ……!)

 

 オーガの時にも感じた凄まじい存在感だが、改めて間近で見るその背には、戦士であるペテルですら安心感を覚える程の頼もしさがあった。

 

 モモンが剣を構えると、ヒュンっと微かな風切り音が鳴り、目に追いきれぬほどの速度で何かがモモンに襲いかかる。いち速くそれに気付いたルクルットがモモンに警告しようとするが、声を上げるより早くそれはモモンに届く。

 

 金属を無理矢理削り取るような、強烈な衝撃音が鳴り響く。モモンが剣で謎の攻撃を弾き飛ばしたのだ。弾かれたそれは長い、巨大な蛇のようなシルエットをしていた。

 

「ほう、某の不意を突いた一撃に反応し、弾き飛ばすとは。少しはやるようでござるな」

 

 何処からともなく、奇妙な声が聴こえてきた。声の主はおそらく……。

 

「お前が森の賢王か?」

 

「如何にも。我が縄張りに無断で入ったからには、ただでは返さぬでござるよ?」

 

 モモンの問い掛けに答える声の主。にらんだ通り、森の賢王のようだ。だが、未だその姿は木々に遮られ、全容が見えない。暗闇を見通す目を持ったモモンにも、僅かに毛に被われた身体の一部が見えるだけだ。

 

「王を名乗りつつも未だ姿を見せないのは、臆病者なのか?ああ、それとも恥ずかしがり屋さんかな?」

 

「ふ、言うではござらんか!ならば!我が姿に瞠目し、畏怖するがよいでござるよ!」

 

「「「「「なっ!?」」」」」

 

「なん……だと?」

 

 遂に姿を露にした森の賢王。目撃した『漆黒の剣』をはじめとした一同も、それを一番前で見たモモンも驚愕し、喘ぐように声を洩らした。




原作とは違い、森の賢王(?)の幻術により退路を絶たれた一行は、撤退不可能な状況に追い込まれました。
彼らはモモンの活躍を間近で目撃する事になるのでしょうか?


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#59 森の賢王~下~

森の賢王との戦闘です


「あ、あれが森の賢王!?」

 

「伝説の魔獣とはこれ程であるか……!」

 

「マ、マジもんのバケモンじゃねーか!」

 

「あんなの、か、勝てる気がしない……」

 

 皆が口々に森の賢王の偉容に驚嘆の言葉を吐く。モモンもまた驚きに身を固くしていた。主に彼らとは別の種類であるが。

 

「ふふん、皆某の偉容に驚いているでござるな。お主も兜の下で驚愕の表情を浮かべているのが手に取るように分かるでござるよ?」

 

「モモンさん!全員で掛かれば可能性は……っ!」

 

 ンフィーレアが全員で挑む事を提案しようとしたその時、モモンが掌を向け、それを止める。

 

「手出しは無用!皆さんは下がっていてください!ナーベ、お前もだ!」

 

「はい」

 

「なっ!?ナーベさん!」

 

 モモンの言葉に素直に従うナーベ。冷淡にさえ思えるその行動に驚いたンフィーレアに、ナーベは冷笑を浮かべながら言葉を投げ掛ける。

 

「心配は無用です。あの程度の獣に叔父様が負けるはずがありません」

 

「で、でも……!」

 

 自信満々に言い切ったナーベの言葉を素直に信じきれないのか、尚もンフィーレアが何か言いかける。

 

「仮にあなたが加勢してなんになるの?邪魔になるだけよ。何も出来ないならせめて大人しく指を咥えて見ていなさい」

 

 冷たく蔑むようなナーベの視線と辛辣な言葉を浴びせられ、何も言い返せずンフィーレアは悔しそうに下を向く。そんな彼の肩にルクルットが手を置く。

 

「ま、そういうことだ。悔しいけど俺たちじゃモモンさんの邪魔にしかなんねー。ナーベちゃんはモモンさんと一緒に旅してきたんだ。この中で一番モモンさんの事をよく知ってる」

 

「そのナーベさんが言うんですから、信じましょう。モモンさんを」

 

「ルクルットさん、ニニャさん……そう、ですね……」

 

 そんな彼らのシリアスなやり取りを尻目に、モモンはある事が気になっていた。『漆黒の剣』の反応もそうだが、まずは目の前の魔獣に質問をぶつける。

 

「なぁ、お前の種族ってもしかして……ジャンガリアンハムスターとか言わないか?」

 

 そう、森の賢王を名乗るこの魔獣、ハムスターにそっくりであった。確かに身体は馬よりも大きく、尻尾は蛇のような鱗に覆われてはいる。それに胴廻りには不思議な模様が浮かんでいる。だが、間違いなくその身体の外見的特徴はハムスターのそれであった。『漆黒の剣』の反応が、自分の抱いた感想と余りにもギャップがある為に首を傾げたくなった程だ。

 

「そ、某の種族を知っているでござるか?某、同種族に会ったことがないでござる……お主が知っているなら、紹介しては下さらんか?子孫を残さねば生物として失格であるが故に……!」

 

「あ、いや、私が知っているのはもっとこう……小さくてな。無理だろうな、サイズ的に」

 

 モモンはそのサイズ感を掌に収まる程度のものだと説明する。それを聞いて森の賢王はガックリと項垂れてしまった。

 

「うん…なんかスマンな。期待させるようなことを言っておいて……」

 

「いいでござるよ。お主に悪気はないでござる……。さあ、気を取り直して命のやり取りを始めるでござるよ!」

 

「お前の相手は私一人だ。他の者には手を出すな」

 

「全員でかかってきても良いでござるが……その殊勝な心意気に免じて要望に応じるでござる」

 

「それはどうも」

 

(ハムスター相手に大人数で仕掛けるなんてカッコ悪いからな)

 

 内心で少しばかり失礼な事を思いつつ、モモンは礼を告げる。

 

「あの魔獣の偉容を見ても臆することなく一人で戦おうとするなんて……」

 

 そんな誰かの呟きが聞こえ、モモンは首を傾げる。

 

(偉容も何も、見た目はただのハムスターなんだけどな。何をそんなに……あ、もしかして幻術を見せているのか?流石に巨大ハムスター見てあの反応はあり得ないもんな……)

 

 モモンが思い至ったのは、幻術で虚像を見せる事でペテル達には実物よりも遥かに立派に見えている可能性だ。モモンは完全不可視化さえも見抜いてしまう目を持っている為に、お世辞にも立派には見えない実物が見えている。だが、彼等は幻術を見破れずに虚像に騙されているのだろう。

 

 実はここまでの流れは全て事前にヴェルドラ達と打ち合わせた通りであり、アウラとラミリスの協力を得ている。森の賢王と遭遇できたということは、無事にファーストコンタクトを取れたらしい。二人の姿は見えないが、今も側に隠れている筈だ。

 

 ヴェルドラに連絡を取ったとき、ラミリスと二人して退屈を持て余していると言うので、折角だから働いてもらうことにしたのだ。暇潰しといって過激な実験を始められては困るので、仕方なく。

 

 その内容は、アウラが森の賢王を発見して吐息(ブレス)の効果で一種の好戦的な興奮状態にし、ラミリスの幻術によってモモンの一行を森の賢王のもとへ誘導するというものだ。人食い大鬼(オーガ)程度を相手に無双したところで大した自慢にはならないと考えたモモンは、森の賢王との戦いを『漆黒の剣』に見せ、彼らの口からそれを語らせる事で名声に繋げるという作戦だ。伝説の魔獣というネームバリューの恩恵にあずかろうというわけだ。

 

 ヴェルドラは今のところ出番はなく、大人しく村で隠れて待機してもらっている。村の護衛もあるが、エ・ランテル冒険者達と顔を合わせる事で、余計な情報を漏洩されないためでもある。現地の人間達の情報がまだまだ少ないうえ、プレイヤーが何処に潜んでいるかも分からない現状では、出来ればナザリック、特にモモンガ・アインズ・ウール・ゴウン・ナザリックという名前は知られたくない。ヴェルドラの口の軽さは既に確認済みなので、これはやむを得ない措置、というやつだ。「秘密兵器とは然るべき時に満を持して登場するもの」などと、尤もらしい言葉で言いくるめた。営業職で培った口車にまんまと乗せられる暴風竜。相変わらずチョロかった。

 

「さあ、掛かってこい!」

 

「潔いでござるな。それでこそ命の取り合い!滾るでござるよ!」

 

 モモンが正面に剣を構える。森の賢王も後ろ足で立ち上がり、大きく広げた前足の爪が冷たく煌めいた。僅か数秒間の両者のにらみ合い。見ているペテル濃厚に圧縮されたような時間の感覚を味わい、数秒が数分にも思えた。

 

 やがて静寂を破り、両者が同時に仕掛ける。始まったのは息も吐かせぬ高速の攻防。森の賢王が鋭利な爪を振り下ろせば、モモンは片方のグレートソードでそれを受け止つつ、同時にもう一方に握った2本1対のような同形状のそれを振るう。魔獣も負けじと鋭く固い爪と伸縮する長い尻尾で応戦した。周りの木々を薙ぎ倒し、或いは粉砕し、苔()した地面を抉る二つの竜巻のように激しくぶつかり合う。

 

 魔獣は〈人間種魅了(チャームパーソン)〉や〈盲目化(ブラインドネス)〉などの魔法を次々に使用するが、そのいずれもモモンにはまるで通じないようだ。身の丈ほどの巨大な剣を己が手足のように自在に操り、巨躯の魔獣と正面から互角に切り結ぶ規格外の戦闘能力に、誰もが驚嘆と畏怖の念を抱く。

 

「モ、モモン殿は化け物か……?」

 

 ダインの喘ぐような言葉に、誰も否定の声を上げない。いや、上げられない。誰もがそれに肯定の言葉を頭に浮かべてしまっていたからだ。

 

 モモンが振るうグレートソードは、随所に細やかな意匠が施された両刃の剣で、鋒は扇形に広がっている。美術品としての価値も高そうだが、それがただの飾りではないことを一昨日目の当たりにしたばかりだ。如何に軽量化の魔法が付与されていようとも、そのサイズは明らかに両手でしか扱えないような重量になる。ペテルでも両手で持ち上げられるかどうかさえ怪しいところだ。

 

 しかしそれがモモンの豪腕にかかればどうだ。片手で、しかも2本同時に縦横無尽に振り回されている。「英雄は人外の領域に立つ」というが、まさにモモンはそこに立つ者であろう。

 

 ペテルは自分もいつかその遥かな高みにまで登り詰めたいという渇望にも似た強烈な憧れを抱く。巨大な剣が生み出す風切り音と木々が薙ぎ倒される轟音に背筋が凍る思いをしながら、拳を握りしめて食い入るように戦いを見つめていた。

 

「これで互いに一撃、でござるな」

 

「ふん……やはり幾分腕が鈍ってしまっているな」

 

 先に攻撃を当てたのはモモンだったが、その一撃は森の賢王の超硬の毛並みに阻まれ致命傷には至らず、森の賢王がお返しとばかりに尻尾の変則な攻撃により肩に一撃当てた。魔法で生み出された武具は、その使用者のレベルに応じて強力になる。100LVの魔法職が作った鎧はまるで傷が付かなかった。

 

 両者が再び向かい合い、暫しの静寂が流れる。

 

 戦いを見守るペテル達は固唾を飲んで両者を凝視していた。将来その領域に辿り付けるかどうかはさておき、これぞ英雄級という激しい戦いを、一瞬たりとも見逃すべきではないと気付いたからだ。兎にも角にも、その勇姿を目に、心に焼き付けるべきなのだ。自分達が目指す頂に立つ存在として。

 

 そして再び激しい衝突音が鳴り響く。激突の衝撃波が空気を伝わり、ペテル達の顔に、肩に、胸に叩き付けられる。

 

「くっ、衝撃波だけでも凄まじい……」

 

「あわわわ……」

 

 モモンは剣を交差してより重い一撃を繰り出し、森の賢王も両の前足を器用に使って受け止めていた。序盤の攻防とは打って変わってそのまま膠着し、押し相撲の様相になる。ギチギチと金属が軋むような音をさせながら、拮抗している。劣等種たる人間が、かの森の賢王と力比べをしようとは誰も思うハズがないだろう。瞠目するペテル達を更に驚愕させる事が起きる。

 

「ぬうぅぅ!」

 

「マ、ジかよ……?」

 

 モモンが押し始めたのだ。ジリジリと森の賢王の足が地を滑り、押し込まれていく。森の賢王は形勢の不利を覚ると、反動を着けて大きく後ろへ飛び退く。同時に尻尾でその奇妙な尻尾を十数メートル先から凪ぎ払う。その距離は届かないと思っていたのか、虚を突かれたモモンだが、超人的な反射神経で辛うじて受ける。

 

「誇るが良いでござるよ。某の前にこれ程長く立っていられた戦士は居ないでござる」

 

 森の賢王が惜しみ無い賛辞を送る。しかし、モモンは応えない。それどころか急激にやる気を失ったかのように、剣を握った両手をダラリと垂らす。

 

「戦士……?()()()()()か…?」

 

「む?戦士でなかったら何に見えるでござる?剣士でござるか?戦士も剣士も似たようなものでござろう。よもや戦意を失ったというわけでもござるまい!さあ、命の奪い合いを続けるでござるよ!」

 

 肩を落としたように見えるモモンに対し、森の賢王は戦闘の継続を促す。ところがモモンは左手に握った剣を地面に突き立て手放してしまう。

 

「どうしたでござるか!?」

 

「もういい。そろそろ決着(ケリ)を着けるぞ……」

 

 そう言ってモモンがグレートソードの柄を両手で握り締め、刀身を垂直に立てて肩口に構えた。つまり、手数を重視した二刀流ではなく、一撃に重きを置いた()()()()に切り換えたのだ。

 

「それがお主の本来の戦い方というわけでござるか!ならばこちらも──っ!?」

 

 森の賢王が言葉を紡ぐ途中で、剣を構えたモモンから濃厚な何かが放出される。30メートル以上離れた距離にいたペテルにも、間近で喉元に剣を突きつけられているかのような錯覚に陥った。他の面々も全身総毛立ち、今までに感じたことが無いほどの死を直感する恐怖を味わい、呼吸を忘れてしまうほどだった。

 

「行k「参ったでござるぅぅ!!降参でござるよ~!!」……えぇ~?」

 

 モモンが仕掛けようとした瞬間、森の賢王が仰向けにひっくり返り、腹を見せて降参を宣言したのである。一見ふんぞり返っているように見えなくもないが、獣が柔らかい腹部を見せるということは、弱点を見えるように晒して自らの命を相手に委ねるという服従の証なのだ。

 

 モモンは考えていた決め技で格好良く終わらせようと思っていたのだが、それも不発のまま終わってしまった。

 

(〈絶望のオーラⅠ〉でもやりすぎだったか……)

 

 かつて生身のたっち・みーが見せた威圧感を再現しようとしたのだが、『伝説の魔獣』と言われる森の賢王ですら、100LVプレイヤーの放つ〈絶望のオーラ〉の効果は抜群過ぎたようだ。因みに〈絶望のオーラ〉は五段階あり、Ⅰは相手に恐怖を与えて行動に著しい制限をかけ、Ⅱで恐慌状態に、Ⅲならば混乱、Ⅳで狂気、そしてⅤでは即死という効果をそれぞれ与える。

 

 モモンは森の賢王を買いかぶり過ぎていた。『賢王』とか『伝説の魔獣』とか呼ばれるくらいだから、戦士として戦うならばそれなりには手こずると思っていたし、それ以上に知識や頭脳には期待していた。だが、蓋を開けてみれば戦士に扮したモモンでも余裕を持って相手できる程度で、モモンの正体に気付く素振りも見せなかった。

 

(はぁ、気付かないにしてもさ、せめて違和感くらいは感じてくれてもいいんじゃないか?俺は魔法詠唱者(マジックキャスター)だぞ?『伝説の魔獣』かぁ。ぶっちゃけ賢王なんて名前負けじゃないか?)

 

「はぁ……まぁ、いいだろう。命は見逃してやる」

 

 ハムスターのような姿を見た時から薄々感じてはいたのだが、完全に期待外れだとガッカリしたモモンは投げやりな口調でそう告げる。

 

「ちょっとアンタ、やりすぎなのよさ」

 

 小声が頭上から聴こえ、モモンが見上げると、そこには宙に浮かんだラミリスが焦った様子でこちらを見下ろしていた。

 

「は……?」

 

 聞いていない。打ち合わせでは彼女は姿を見せることなく隠れている予定だったはずだ。それなのに目の前に姿を現したラミリスに、モモンは見られたらどうするんだと文句を言いたくなる。

 

「姫、姫えぇぇ!!」

 

「おーヨシヨシ。アタシの可愛いハムちゃん」

 

「あうう、怖かったでござるよおぉ~」

 

「うおっ?」

 

 小さなラミリスが、仰向けになった巨大ハムスターの鼻鼻を撫で回す。森の賢王は後ろ足の間から黄色い放物線を描きながらオイオイ泣く。音を立てて地面に降り注ぐ放物線から距離を取りながら、目の前で繰り広げられている茶番のような光景に、モモンは溜め息を吐きたくなった。

 

(えー、なんなのこれ?さっきまでの緊張感ある雰囲気が台無し──ん?)

 

 折角格好良く森の賢王を仕留める予定が、なんとも締まりのない感じになってしまった。先程から押し黙って呆れているであろうペテル達の方へ目を向ければ、ナーベ以外の全員が意識を失って地に倒れていた。

 

(あっれぇ~?)

 

 中には下半身から湯気が立ち上っている者も居る。最年長の御老体と、『漆黒の剣』最年少の少年魔法詠唱者(マジックキャスター)、それに鳥の巣のようなボサボサの髪をした女性冒険者……。かつて自分達がヴェルドラにやられた仕打ちを思い出す。

 

(あー、確かにこれはやり過ぎたな……)

 

「アインズ様」

 

 再び頭上から声をかけられる。やはりアウラも近くで見ていたようだ。今なら目撃される心配はないと出てきたのだろう。木の上から飛び降り、ビシッと見事な着地姿勢を決めた。

 

「アウラ、ご苦労だったな」

 

「アウラ様!」

 

 ナーベが親しげな笑顔を浮かべて駆け寄る。最初はラミリスの姿を見て固い表情を見せていたが、アウラも姿を表したことで、少し安心感が生まれたようだ。

 

「アウラ様、いつからいらっしゃったのですか?」

 

「アインズ様が森に入った時からだよ」

 

 アウラは野伏(レンジャー)職業(クラス)を納めており、本気で隠れられるとアインズでも見つけ出すのは容易ではない。近くに居るだろうとは思っていたが、姿を現すまで確認できなかった。

 

 アウラが出てきたということは、今は誰かに目撃される心配が無いと判断し、アインズはモモンの変装をやめた。本来の魔法詠唱者(マジックキャスター)の姿に戻った瞬間、森の賢王が声にならない悲鳴を上げるが、無視する。

 

「そいつ、殺すなら皮を剥ぎたいなって思ってたんですけど……」

 

「ひぃ!か、皮を!?」

 

 不穏な言葉を聞き、毛を逆立てて怯える森の賢王。こうなるとただの愛玩動物にしか見えない。デカイ図体をしていながら、目を潤ませてプルプルと震えている。だが、さして生かすメリットも無いように思え、生かすも殺すも、正直どちらでも良いというのが本音だ。

 

「まぁ、な。先程命は取らないと約束したばかりなのに、いきなりそれを反故にする訳にはいかないだろう。だが、それなりに生かすことにメリットが欲しいところだな」

 

「えぇー、もういいじゃないアタシのペットって事で」

 

「ちょ、いきなり何言ってんの!?アインズ様の協力者とは聞いてるけど、そんな勝手なワガママが許されるわけないでしょ!?」

 

 いきなり脈絡もなくペット飼う宣言するラミリスに、アウラが食って掛かった。ナーベも頷き、アウラの意見を支持する。

 

「アインズ様からも、何とか言ってやってくださいよ。絶対調子に乗ってますよ、コイツ」

 

「いーじゃん別に。アタシも忙しい中手伝ってあげたんだから、それなりの報酬を貰ってもバチは当たんないと思うワケ」

 

 両者がそれぞれの言い分を捲し立てるように言い付けてくる。まるで親を味方につけようと理屈を捏ねる子供のようだ。

 

(ラミリスさん、アウラと同レベルか。いやむしろこの場合、アウラの方が大人っぽいな……)

 

 ラミリスの精神年齢に呆れつつ、魔物の国(テンペスト)では世話になったので、ここは広い心で対応する事に決めた。

 

「なら、もう少し二人に協力してもらおうかな?」

 

「えっ……?」

 

「てことは……っ!?」

 

 モモンが頷くと、アウラは意外そうな顔をし、期待に目を輝かせていたラミリスが子供のように喜びを体で表現して飛び回る。

 

「モチのロンよ!よ~し、ラミリス様にまっかせなさい!」

 

「アインズ様、ホントにいいんですか?あんなワガママ……ひゃ!?」

 

 不満げにアインズに訊ねるアウラ頭に手を置き、柔らかな髪をくしゃりと撫回してやる。

 

「お前もたまにはワガママ言ってもいいんだぞ?」

 

「えっ?で、でもぉ……」

 

 困惑するアウラに思わず苦笑してしまう。アウラもまだ子供なのだから甘えたいだろうと思い、そう言っただけなのだが、アインズに対して不敬だとか考えてしまうようだ。もっと子供らしく遠慮せずに甘えたっていいと思うのだが。

 

「お前もマーレも、まだ子供なんだ。少しくらいいいだろう。……私では少し頼りないかも知れないが」

 

 本当はぶくぶく茶釜さんに会わせてやりたい、という言葉は、言いかけて飲み込んだ。彼女が日常(リアル)の生活を捨てて此方の世界へ来てくれるかはわからない。だが、もし来てくれないとしても彼女の残した子供達(アウラとマーレ)は自分が責任を持って育てると決意している。

 

「い、いえ、そんなことっ。すっごく嬉しいです。エヘヘ」

 

 照れて少し頬を朱く染めたアウラが、はにかんだ笑顔を浮かべて、上目遣いで見上げてくる。

 

「ふふ……さて」

 

 アインズはアウラの頭から手を離すと、気を失っている冒険者達の方へ足を向ける。

 

「少々やり過ぎてしまったようだ。まさか全員気絶してしまうとは思わなかったが」

 

「……アインズ様。どうか、ご自身が規格外である事をお自覚下さい」

 

「うぐ、ま、まあ、現地の者にもユグドラシルの特殊技術(スキル)が効果を発揮する事は確認できたな」

 

 ナーベの然り気無い鋭い突っ込みに若干ショックを受ける。これではどこぞの加減を知らない竜と同じじゃないかと。適当な言い訳をして誤魔化しつつ、当分〈絶望のオーラ〉は自重しようと考えるアインズだった。

 

「うぇ、汚ったな……」

 

 数名が下半身の下に水溜まりを作っているのを見て、アウラが思わず鼻をつまむ。アウラ本人に悪意はないのだが、子供の素直さというものは時に悪意ある言葉よりも残酷である。初めての迷宮での出来事を思い出す。あの時は憤慨しリムルを責めたものだったが、今度は自分がそのリムル達と同じようなことをしてしまうとは思いもよらなかった。いずれにしても、このままにしておいては目覚めたときにお互い色々と気まずいだろう。目を覚ます前に処置が必要だ。

 

「〈清掃(クリーン)〉〈無臭(オーダレス)〉……一先ずはこれでいいか」

 

「アインズ様のお手を煩わせるとは、全くもって不快な連中です」

 

 眉根を寄せて不機嫌そうな感想を洩らすナーベ。煩わせるも何も、そもそもやらかしたのは自分だと思っているアインズは、ただの賠償行為をしただけのつもりでしかない。

 

「そう言ってやるな。彼等は今後私が冒険者として名声を得るために一役買ってくれるはずだ。どんな活躍話も、本人がしてしまうとどうしても胡散臭く聞こえがちだからな。私は街ではまだ無名の新人だ。それよりは、彼等のような他人、それも冒険者の先輩の話の方が信憑性はあるだろう。人間は見知らぬ他人の言葉より、ある程度知っている顔見知りの言葉の方が信じやすい。

 薬師には現地素材を使用したユグドラシルポーション作成の研究をしてもらう事になっている。単純な強さでは役に立たずとも、別の分野でなら使い道はある。適材適所、というやつだ」

 

「成る程~!流石アインズ様です。全部計画のうちなんですね」

 

 アインズの説明に感心した様子のアウラは、目をキラキラと輝かせていたが、そろそろ冒険者が目覚めそうな気配を察知し、アインズに挨拶をしたあと、身を隠した。一緒にラミリスを強引に引っ張って行ったが、ラミリスとは仲良くなれるだろうか?ぶくぶく茶釜はかなり仲が良かったようだし、あの二人は精神年齢的には割と近いものがあるんじゃないだろうか。

 

 そんな取り留めもないことを考えつつ、再び戦士モモンの姿に扮装する。森の賢王に目をやると、鼻をひくつかせながら怯えたようすでこちらを窺っている。動物虐待をしたかのような気分である。

 

「そんなに怯えるな。命は取らないと言っただろう?」

 

「……皮も剥いだりしないでござるか?」

 

「勿論だ」

 

 潤んだ丸い瞳が、完全に愛玩動物のそれだな、と思いながら、モモンは相手を安心させるように、穏やかな口調で答えた。それを聞いた森の賢王は、また後ろに倒れ込む。表情は良くわからないが、ふやぁ~と漏らした声は心底安心したという様子だった。

 

 

 

 

 

 

「……はっ!?」

 

 ペテルはいつの間にか森の中で意識を失っていたことに気付き混乱しかけた。懸命に記憶を辿り、次第に冷静な思考が戻ってくる。確か、モモンと森の賢王が激しい戦闘を繰り広げていたはずだが、今は静かになっている。

 

「皆は……」

 

「気がついたようですね」

 

 背後から女性の声が掛けられ、ペテルは一瞬ドキリとしたが、すぐに聞き覚えのある声だと気付き振り返る。

 

「ナーベさん!」

 

 木にもたれ掛かって立っていたナーベは、少し不機嫌そうな表情を浮かべている。だが、彼女が不機嫌そうなのはいつもの事だなとペテルは苦笑いし、状況を確認しようと周りを見渡す。場所を移動したのか、激しい戦闘の跡は見受けられない。ここは少し木々が少なく開けた場所になっており、そこにリィジー、ンフィーレア、仲間達も寝かされているのが確認できた。

 

「我々を運んでくれたのですか?」

 

「ええ、屈伏させた森の賢王を使役して、ね」

 

 ペテルが目を見開く。聞き間違いでなければ、森の賢王を屈伏し、使役して自分達を運ばせたという事である。信じられない、という顔をしたペテルを見て、ナーベは誇らしげな表情を浮かべる。

 

「叔父様がその気になれば、あの程度の魔獣など容易く葬り去ることが出来るのです。しかし、お優しい叔父様は命を助けました」

 

「その通りでござる!」

 

「うわぁっ!?」

 

 木影から姿を現した森の賢王に驚き声を上げたペテルは、間近で見るその偉容に腰が抜けそうになるのを、辛うじて堪えることが出来た。

 

「心配は無用ですよ。和解しましたので、コイツに害意はありません。折角だから採集に協力してもらおうと思いましてね」

 

「命を助けてもらったモモン殿に精一杯恩返しするでござるよ!」

 

「そ、そうですか……は、はは……」

 

 あれほど激しい戦闘を繰り広げながら、森の賢王の協力を得ようと考え『和解』を選んだというモモン。ペテルはとんでもない事を考える人だなと半ば呆れのような感想を抱く。モモンがいなければ間違いなく全滅していたに違いない。乾いた笑いが思わず洩れてしまうのは仕方ないことだと自分を慰める。

 

 その後、次々に目覚めてはペテルと同じリアクションをする仲間達を見て、やっぱりそうなるよな、と強く共感してしまったペテルは悪くないだろう。

 

 それにしても、森の賢王の威厳に溢れた目を見て「愛嬌がある」だなんて、モモンはやっぱりとんでもない人物だと全員が思った。強者の余裕が森の賢王の力強い瞳を「可愛らしい」などといわせるのだろうか。尤も本人は、自分の感性が普通とは違う事を気にしているようだったが、そんなところがまたペテル達には魅力的に映ったのだった。




原作ではあっさり終わった森の賢王との戦いですが、モモンさんは『漆黒の剣』へのアピールと、近接戦闘の練習を兼ねてじっくりやっています。命を見逃してもらったことでモモンに恩義を感じる森の賢王ですが、ラミリスに懐いているようで、「ハムスケ」という名前は結局つけられていません。次に会う頃には……。
ヴェルドラさんは秘密兵器(いろんな意味で危険)なので、暫くまともな出番がなさそうです……。


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#60 暴かれる秘密

森の賢王を屈服させたモモン。

一方ナザリックではあの人が……。


 ナザリック地下大墳墓。

 

 掃除が行き届き、曇りなく磨きあげられた廊下には塵一つ落ちてはいない。それは一般メイド達の日々の努力の賜物である。至高の御方の住まう場所は常にこうでなくては。満足げに笑みを浮かべながら、デミウルゴスは美しい廊下をゆっくりと歩く。

 硬い靴底がカツカツと音を鳴らし、広い廊下に響き渡る以外は何も音がない静謐且つ荘厳な空間。

 

 彼の向かう先はナザリック地下大墳墓の慈悲深き支配者、アインズの私室──

 

 ではなく──

 

(やれやれ、彼女には困ったものですね……)

 

 至高の41人の私室が並ぶ廊下の一角で、デミウルゴスは足を止める。

 

 調査のためにナザリックを出立した彼はこの数日、頻繁に戻ってきていた。定時報告であれば〈伝言(メッセージ)〉でも済むはずなのだが、わざわざ()()()()()()のだ。デミウルゴスは目的の部屋のドアをノックする。少しの間反応を待つが、誰も出てくる気配がない。

 

「おや……? 不在というわけではないと思いますが……」

 

 デミウルゴスが訪ねているのはアルベドの私室。彼は表情に僅かに困惑の色を滲ませる。

 

 やはり今回はこのまま任務に戻ろうかという考えが頭をもたげる。呼び出しの理由は火急の事態でもなく、防衛や管理運営に影響する重要な内容の相談があるわけでもない。

 

 今回は──というかこれまでの数回もそうなのだが──単なる定時報告である。デミウルゴスの調査も始まったばかり。現在は慎重に調査を進めているために成果はまだ乏しく、特筆して報告すべき事もまだ無かった。

 

(……やはりそういうわけにも行きませんよね)

 

 デミウルゴスは思考の迷いを振り払い、やはりアルベドに会っておくべきだと考え直す。

 アインズがナザリックを出立して以来、アルベドの様子がおかしいのだ。具体的には、精神的に不安定な状態なのである。

 

 現在ナザリック地下大墳墓は、アインズをはじめ多くの階層守護者達が任務の為にナザリックを離れている。その為防衛戦力の低下が懸念もされているが、デミウルゴス自身もまた至高の御方より直接任務を与えられ、ナザリックを離れていた。期待しているというアインズの激励の言葉は、何よりデミウルゴスの気分を高揚させ、必ずやその期待に応えて見せるとやる気の炎を燃え上がらせた。それは同じく外へと赴いているシャルティアやセバスも同じであろう。

 

 しかしながらアルベドは、立場的にナザリックを離れる事が出来ない。ナザリックの管理運営上、必要不可欠の存在な為だ。他の守護者が出払って外で活躍する機会を得る中、留守番役を任せざるを得ないのだ。至高の御方より留守をお預かりしたナザリック地下大墳墓に万が一にも何かあってはならない。彼女自身もそれはよく理解しているはずだ。だが納得し甘受出来るかと言えば、難しい問題である。アインズの出立を見送った後にデミウルゴスが顔を合わせた時、アルベドは酷く沈んでいた。

 

「会えない時間が愛を育むと言いますよ?」

 

 そんな言葉を嘯いて、主人の出立に強硬に反対していた彼女を上手く丸め込んだデミウルゴスはアインズ出立の初日から呼び戻され、アルベドから「こんなに寂しくて辛いなんて聞いていない」と涙ながらに訴えられた。

 

 本人は管理運営に支障は出さないと言うが、心配ではある。何しろ、正妻の座を争う相手のシャルティアの事さえ、気にかけているような素振りを見せている。普段からは想像も付かない変貌ぶりだ。

 

(まさか統括殿があれ程繊細だとは……ライバルも居なければ居ないで物足りないということでしょうかね?)

 

 側に寄れば喧嘩ばかりしている癖に、いざ離れればソワソワと心配そうにしているのには、さしものデミウルゴスも嘆息を禁じ得なかった。そんなに心配なら〈伝言(メッセージ)〉の一つでも送ってやれば良いものを。

 しかし本人はそれを全く認めず、あくまでもアホの子──酷い言い草だが分からなくもない──が失態を仕出かさないかを案じているだけだと言い張っているので、それ以上はデミウルゴスも追求するつもりはない。

 

 アルベドの代わりが務まる者など居ない。せめて自分と他愛もない会話でもして、少しでもアルベドの気が紛れるのならば、許す限り時間を取ろう。彼が顔を覗かせると、少しだけ嬉しそうなのだ。そんなことを考えつつ改めてノックすると、内側からドアノブが回り、ドアが開く。

 

「ああ、アルベド。やはり居ましたか」

 

「来たわねデミウルゴス。早く入って頂戴」

 

 半ば強引に引き込まれて部屋に入ったデミウルゴスの目にまず飛び込んできたのは、大小様々な大きさのぬいぐるみ達。先日入ったときにはまだ何もなかったと記憶していたが……。主人であるアインズを象ったものが一番多いようだが、各階層の守護者のものまで揃っていた。

 

「いつの間にこんな……」

 

「全部私の手作りよ。各階層守護者全員分も作ったわ。やっぱり賑やかな方が気が紛れると思って。今後ももっと増えていく予定なの」

 

 アルベドがデミウルゴスの溢した感嘆とも取れる呟きに楽しげに答えた。まさか彼女にこんな一面があろうとは。普段は粛々と、完璧に役目を果たす守護者統括の意外な一面を見た気がする。

 

「ふふ、驚いた?こう見えて裁縫に料理、洗濯、掃除。家事全般は得意なの。ああ、私がアインズ様に同行を許されたのなら、身の回りのお世話も完璧にこなせる自信があるのに。それに……それに夜だって……」

 

 頬を染め恥じらいつつ、聞いてもいないことをアルベドが切なげに語り出した。早くも妄想の世界へとトリップしかけけている。

 彼女がアインズの正妻の座を狙っている事については、デミウルゴスも一定の理解を示している。

 

「まあ、私としては誰がご寵愛を授かったとしても喜ぶべき事ですがね……」

 

「……」

 

 デミウルゴスの言葉にアルベドが僅かに苦い表情を浮かべる。今のところシャルティアとの正妻争いは、ほぼ互角と見ているが、そこへ割って入るように急激に頭角を示している者が居た。

 

 戦闘メイド『プレアデアス』が一人、ナーベラル・ガンマだ。一時は失態を犯した彼女であったが、御方と二人きりになったときにそのご寵愛を賜ったのではと、一般メイドの間では専らの噂になっているのだ。アルベド達にとっては面白くない話である。

 

 ナーベラル本人は黙して語らないが、その後、人間の街へと赴くアインズの同行者に選ばれたのもまたナーベラルである。その為誤解は更に深まっていた。噂の一人歩きとは怖いものである。

 

 それはナザリック中に通達された、アインズの「全ての者を愛している」という発言と相まって「自分達にもそのような機会を得るチャンスがあるのでは」という希望を一般メイド達に与えているようである。

 デミウルゴスは事実とは違うであろうと予測を立てているが、それを指摘する事はあえてしなかった。

 

 考えたくはないし、あり得ないとも思うが、支配者アインズにもしもの事があるかもしれない。そんな時の為に、忠義を捧げるべき後継者、つまり『お世継ぎ』を残していただくことは出来ないだろうか。そんなことを考えてしまうのはデミウルゴスに限った話ではない。

 

 そのような考えを抱く事自体不敬では。最初はそう懸念していたコキュートスも、今や共に至高の御方の御子息にも忠義を捧げる日を夢見る一人だ。

 

 アンデッドであるアインズが()()()()行為が可能なのかは不明だが、アルベドを始め、女性には是非とも頑張って寵愛を、延いては御子を授かって欲しいところである。

 

「ナーベラルには逐一報告を入れる様に命じているけれど、そんな素振りは全くないわ。やっぱりガセだったのね……」

 

 僅かに安堵の表情を浮かべたアルベドに、そうでしょうねと同意しつつ、デミウルゴスはため息をこらえる。そもそも最初におかしな勘繰りをしていたのはアルベドであり、デミウルゴスは初めから御方が詳細を明かさない理由はもっと別の所にあると考えていた。もし仮にナーベラルに寵愛を授けたとして、それを隠す意味など存在しない。誰も絶対的な主人であるアインズの意向に異を唱える者など居るハズがないのだ。

 

 それについては残念に思う気持ちもなくはないが、主人たるアインズの意を正しく理解する事こそが重要である。「今は明かせない」と言われた以上、今すぐに知ることは叶わないが、いずれは知る機会を得ることができるはず。黙して語られない以上、明かせない理由が何某かあったとだけ今は理解しておけば良いだろう。無理にでも知ろうとすることは不敬となりかねない。

 

「それで……定時報告ですが、私からは特に何もありませんよ?昨日から進展はありませんので」

 

「そう。そうよね……」

 

 デミウルゴスは不満をあえて表には出さず、淡々と告げる。こう何度も呼びつけられては与えられた任務が遅々として進まない。アルベドもそれくらいのことは分かっているだろうに、それでもアインズの不在という喪失感は耐えがたいということか。

 

「……アルベド。大丈夫ですか?」

 

「体調に問題はないわ。不調どころかむしろ……いいえ、何でもないの。気にしないで頂戴」

 

 アルベドは何か言いかけたが、結局有耶無耶にされる。デミウルゴスには何かを我慢しているようにも見えるのだが……。

 

「……まぁ、困ったことがあれば言ってください。代わりの居ない統括殿に倒れられては困ります。私に出来ることなら協力しますから」

 

「ふふ、ありがとうデミウルゴス。やっぱり貴方はいい男ね。でも本当に大丈夫だから心配は要らないわ」

 

 穏やかな表情でアルベドが礼を述べる。アインズの側に居るときは隠しきれない残念な女感があるが、今のような淑女然とした態度を見ていると、本当に別人のように思えてくるから不思議なものだ。一体どちらが彼女の素なのか。

 

「でもそうね、そうよね……少し甘えさせてもらってもいいかしら?」

 

「ッ!?」

 

 アルベドの表情が急激に変化した。先程の淑女然とした柔らかな笑みが歪み、欲望を宿した目付きに変わる。デミウルゴスは彼女の変化に気付き、思わず息を呑む。

 

「アルベド……?い、今、何を考えているのですか?」

 

「あら、どうしたのデミウルゴス?そんなに警戒することないわ」

 

 言いながら、アルベドがジリジリと然り気無く、いや、獲物を狙う獣のように距離を詰めてくる。もう表情は淑女のそれではなく……。

 

「くふー!」

 

「アルベ──どぉあ!?」

 

 デミウルゴスは猛烈な膂力でもって壁に押さえ付けられる。アルベドがこの場で暴走するなど、完全に想定外であった。甘い淫靡な香りが鼻鼻腔を擽る。

 

 余りのストレスに耐え兼ね、ついに気が狂ってしまったのでは。デミウルゴスがそう考えるのも仕方がない。それほどの豹変ぶり。しかし、そんなことを考えている場合ではなかった。

 

「はぁーっ、はぁーっ♡も、もう我慢できないわっ」

 

 カチャカチャ……

 

 獲物を貪る野獣のように、デミウルゴスの()()部分の金具を弄るアルベド。瞳にはハートマークが浮かんでいるように見える。

 

「まさか……アルベドっ、やめ、止めなさい!」

 

「いいじゃない、減るもんじゃなし、ちょっとだけ……♡」

 

 ズルズル

 

「ああっ!?」。

ポロンッ

 

「あら、もう元気じゃない。案外小ぢんまりとしてカワイイわね……」

 

「ア、アルベドッ、貴女は御身のご寵愛を授かるかもしれない身ですよ?この様な……!」

 

 デミウルゴスはかつてない──ある意味ではディアブロとの対面時以上の──危機感を感じる。内心でビッチめと精一杯罵倒しながも、必死に思い止まらせようと言葉を尽くす。片腕で腰を掴まれ、既に身動き出来ない彼に出来る精一杯の抵抗であった。

 

「その時の為の()()じゃない。さっき協力すると言ってくれたでしょう?安心なさい、()()()()はしないわ」

 

 デミウルゴスの懇願するような説得も虚しく、アルベドは一向に止まる気配は無かった。

ちゅば──

「ふ、くぅぉぉおお────」

 

 

 

 

 

 

「ぴゅぴゅーんっと飛~び~出~し~た~♪」*1

 

「飛・び……あっ、帰ってきたよ!おーい!」

 

 歌を謡って遊んでいたエモット母娘達は、モモン達の姿を見つけ、手を振って大声で呼び掛けると、先頭のルクルットが笑顔でそれに応え、手を振り返してきた。その背には採集籠を一杯にして。

 

「大漁でしたよ!」

 

「宝の山だったのである!」

 

 森の賢王と遭遇するも、見事屈伏させたモモンは、命を見逃す代わりに採集の協力を要請した。お陰で、その後はモンスターとの遭遇の危険もなく、抱えるほどの大きさのキノコや、珍しい輝きを示す木の皮等、様々な希少素材をかき集める事が出来た。勿論当初の目的である薬草も大量に確保済みである。

 

 リィジーを初めみんなホクホク顔で、興奮気味に話す。

 

「これもモモンさんのお陰じゃな。報酬は目一杯色を付けとくよ」

 

「ありがとうございます」

 

「そんなに凄かったんですか?」

 

 アメリが興味ありげに質問を投げ掛ける。大人になっても好奇心は衰えていないらしい。エンリとネムも目を輝かせてわくわくした表情で話に聞き入っている。

 

「ええ、森の賢王もですが、モモンさんも想像を絶する強さでした」

 

「俺らじゃバラバラに逃げ回ったとしても結局全滅だったろうな。しっかし、森の賢王に協力させようだなんて、モモンさんは発想からして違うぜ!」

 

「そんな……(おだ)てないでくださいよ」

 

 モモンは嫌味でも社交辞令でもない誉め殺しに面映ゆい気分になるが、その態度もまさに理想の英雄だと更に誉めそやす。称賛の嵐にナーベも鼻高々といった面持ちで上機嫌な反応を示した。

 

「ようやく叔父様の偉大さに気づきましたか、クルクル」

 

「おお、ナーベちゃんが笑いかけてくれた!でも俺はクルクルじゃなくて、ルクルットだけど」

 

「……似たようなものでしょう?」

 

「んー、まぁいいか。名前で呼ぼうとしてくれただけでもメチャクチャ嬉しい~」

 

 名前を呼び間違えるのは本来失礼に当たるのだが、ルクルットはむしろ名前で呼ぼうとしてもらえたことに歓喜を覚えたようだ。それまでがヤブカ呼ばわりだったので、確かに進歩したとは言える。ナーベにも成長が見え、モモンは嬉しくなる。

 

「良かったな、()()()()

 

「良かったですね、いっそのこと名前をクルクルに改名したらどうですか?」

 

「それは名案である!」

 

「お、オイ、お前ら勝手なこと言ってんじゃねー!」

 

 いつものお家芸を見ながら、モモンはこれまでを振り返り、兜の下で安堵の溜め息を吐く。

 

(色々不安や小さな失敗もあったが、結果的には上手く運べたな……後は帰るだけか)

 

「ねぇねぇ、おじさんとヴェルドラさんはどっちが強いかなぁ?」

 

「──ッ?」

 

 ネムに何気ない質問という名の爆弾を投下され、モモンはドキリと無いハズの心臓が跳ねた気がする。

 

「え、ヴェルドラさんって?」

 

 それまで聞いたことの無い名前に、ンフィーレアが食いつく。エンリからも知らされていない人物名に、焦りを覚えている様子だ。

 

「その人も強いのか?」

 

「うん、ゴウン様のお友達で、格闘家なんだってさ。えっと……クルクルさん?」

 

「うん、ルクルット。ルクルットな、ネムちゃん」

 

 既にクルクルという呼び名が定着しつつあるルクルット。子供にまでそう呼ばれては堪らないと即座に訂正する。

 

「あら、ヴェルドラさんはさすらいの料理人じゃないの?」

 

「え、そうだったの?」

 

 ネムは格闘家と思っているようだが、アメリは料理人だと認識しているようだ。

 

「え、私は探求者──学者さんの事かな……?って聞いてるけど?」

 

「待って、結局何者なのよ、その人は?」

 

 エンリもまた違う認識だったらしい。三人して全く違う認識の齟齬を見て、ブリタが混乱の声を上げるのも無理はない。

 

(一体何処を目指してるんだあの(ヒト)?設定多すぎだろ……)

 

 モモンは心の中でキャラブレするぞと後で忠告しようかと思案するが、どれも嘘を言っているわけではないと思い出した。()()()()()()の魔物は嘘を吐けないらしいのだ。そして気付いた時には皆が謎の人物に強い関心を寄せていた。

 

「でも、もう旅に出ちゃったみたいですよ」

 

「そうでしたか……」

 

 アメリの言葉に残念そうにするペテル。二人の対決には戦士として興味があったようだ。

 

「モモンさんはいい人みたいですけど、それだけじゃなくて本当に強い方なんですよね?」

 

「その通りです。戦えば叔父様の方が強いに決まっています」

 

 アメリの言葉に、ナーベが当然と言わんばかりに自信満々で答える。モモンは何でお前が答えるんだと言いたかったが、それは黙っておく事にした。当初は人間の事を下等生物と言い切って見下していたナーベの成長著しい姿を見て、軽い感動すら覚えていたためだ。

 

「うふふ、モモンさんも大変ではありませんか?」

 

「え?それはどういう意味でしょう?」

 

 アメリの意図を測りかねて、モモンが訊ねる。

 

「年頃のかわいい姪さんといつも一緒にいたら、恋人を作る暇も無いんじゃないかと」

 

「あぁ……。まあそれは仕方無いことです。姪が無事に一人立ちするまでは……」

 

 ナーベが側に居なくても恋人なんて作れっこないだろうと思っているモモンは、逆にナーベがいる事を言い訳に出来ている事に気付いた。ここは乗っておくべきだと思い、話を合わせた。だが、ナーベが盛大にやらかす。

 

「ふ、心配は無用です。すでにアルベド様という方が「ちょ、お前ー!?」」

 

 モモンは口を滑らせてしまったナーベの口を慌てて塞ぐが、時既に遅し。

 

「え、アレ?アルベド様、って……まさか」

 

 エンリが気づいてしまった。

 

「えっ、もしかしてゴウン様なの!?」

 

 ネムも気付いて叫びを上げ、アメリはひきつった笑顔のまま固まる。

 

「え?え?」

 

「ゴウン様って、どういう事?」

 

「でもモモンさんは戦士ですよ。ゴウンさんは魔法詠唱者(マジックキャスター)でしたよね?いくら何でも同一人物のはずはないですよ」

 

 唐突な事に、理解が追い付かないブリタやンフィーレア。ニニャは魔法詠唱者(マジックキャスター)と戦士がイコールで結び付かないのだろう。比較的冷静に否定の言葉を口にした。どうにかまだ誤魔化しはきくんじゃないか。ニニャの言葉に同意しようとモモンが思った矢先。

 

「申し訳ありません、アインズ様!……はっ!?」

 

「「「「ええー!!?」」」」

 

 ナーベが止めの一撃を繰り出した。本人も言ってしまってから気付いたようだ。完全に詰みである。これはどうやっても誤魔化しがきかない。ここ数日で一番の衝撃に、精神の沈静化が起これども起これども追い付かない。

 

「あ"ー、もう……ポンコツめっ

 

「あぅ……」

 

 頭に手を当ててボソリと呟いたモモンの言葉に、ナーベは涙目でガックリと項垂れた。

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、今日も気合いを入れて、しっかりお掃除しなくっちゃ」

 

 一般メイドのフィースは一通りの清掃を終え、周りを見渡す。廊下も壁もピカピカで、どこもこれ以上掃除をする余地など無いように見えるが、確認を怠ることはない。汚れひとつ、塵の一つたりも見逃さないという強い意思の籠った目で隅々まで見渡す。

 

「うん、今日も完璧!あっデミウルゴス様」

 

「やぁ、フィース。今日も元気だね」

 

 元気溌剌なフィースの仕事ぶりを見ていたデミウルゴスは、にこやかに笑顔で挨拶をした。フィースは頻繁に報告に訪れているというデミウルゴスに気を利かせて、アルベドが私室に居ることを伝えようとする。

 

「アルベド様をお探しでしょうか?」

 

「いや、ちょうど先程まで会っていたところだよ」

 

 どうやら要らぬお節介だったようだ。相変わらず爽やかな笑顔がお似合いな方だと思いながら、そうですかと会釈をする。そこでふと視界に入ったデミウルゴスの脚が震えているように見えた。

 

「あの、デミウルゴス様?」

 

「いや、大したことはないよ。それにしても、統括殿には困ったね」

 

「あぁ……大層お元気がないとか」

 

 フィースにはその理由に心当たりはあった。アインズが人間の街へと赴かれてから、アルベドは寂しさから元気がないという噂を耳にしていたのだ。直接顔を合わせたわけではないが。

 

「では私はこれで。またすぐ呼び出しが掛からなければいいんだがね……」

 

「行ってらっしゃいませ」

 

 デミウルゴスは軽快な靴音を鳴らして去っていった。

 

「うーん、デミウルゴス様も大変なんだなぁ……。でもどうしてお疲れだったんだろう?」

 

 疑問符を一人浮かべながら考え込んでいると、声をかけられた。

 

「あら、フィース。ご苦労様」

 

「アルベド様!」

 

 フィースはアルベドの姿を見て、あれ、おかしいな?聞いていた話と全然違う。そんなことを思って内心困惑した。アルベドはそれはもう元気そうで、フィースの想像していた様子とは全く違うのだ。物憂げな表情を浮かべていると聞いたのに、今は優しげな慈母の微笑みを浮かべ、肌や唇は非常に艶めいている。不調どころか鼻唄でも歌い出しそうなくらい絶好調の様子だった。

 

(誰よ、ため息ばかりついているとか言ったのは?ピンピンしてるじゃない!)

 

 噂なんて全くアテにならないものだと思いつつ、アルベドが元気そうで何よりだと心から安堵した。

 

「あら、もしかして元気が無いという噂でも流れていたかしら?」

 

「えっ?あのっ……」

 

「心配かけてしまったわね。けれど、もう大丈夫よ」

 

 どうして噂を知っているのかと冷や汗を背中に流したフィースだったが、穏やかで慈愛に溢れたようなアルベドの表情を見て怒ってはいないようだと安心した。むしろ機嫌良さげだ。

 

「お元気になられて何よりです!」

 

「ありがとう。それでは私は執務に戻るわ。……そうそう、私の私室は今後立ち入らないようにね。色々と機密が増えそうだから」

 

「あ、はい!全員に通達しておきますね!」

 

 振り反って思い出したように告げられた言葉に、フィースは元気良く返事を返した。アルベドは終始にこやかなまま立ち去っていった。

 

「そう言えば……デミウルゴス様がお疲れのご様子だったのはどうして?アルベド様がお元気になられたのはデミウルゴス様が何か関係しているのかな?一体どうやって……?」

 

 唸りながらしばし頭を捻るが、フィースにはまるで検討もつかず、やがて諦めて仕事に戻った。

 

「よーし!頑張るぞ~!!」

 

 マニッシュな前髪を揺らし、元気の良い声を上げながら溌剌と次の清掃場所へ移るフィースであった。

 

「成る程、流石は女淫魔(サキュバス)といったところですか。しかし……まさか、《悪魔の諸相》を戦闘以外で使用することになろうとは……」

 

 誰も居なくなったはずの廊下にそんなため息混じりの呟きが小さく響いたが、それを聴く者は居なかった。

*1
曲:ときめきポポロン♪ 歌詞:うらん




アインズ様ピィーンチ!
ナーベラルのポンコツがよりによってなタイミングで発揮されました。


アルベドさんは寂しがり屋設定があるので、留守番がとても辛そうです。そしてデミウルゴスはやっぱり有能です。

デミ「《悪魔の諸相:豪魔の巨◯》!」

アル「んぶっ、くふー!」

といった感じですかね……。



※◯に入る文字はご想像にお任せします。


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#61 破滅への円舞(ロンド)

気を抜いていたらナーベラルが口を滑らせて正体がバレてしまいました。

そして彼女の登場です。


 城塞都市エ・ランテル。

 

 この街は三重の堅牢な壁に囲まれた、要塞のような都市である。居住区も広いが何より広いのは、その西側に拡がる広大な共同墓地。都市の実に2割以上もの面積占めるその墓地は、カッツェ平野で毎年のように行われる帝国との戦争によって出る戦死者達の亡骸を埋葬するために、王国内でも最大級のものになっていた。

 

 これ程巨大な墓地ともなると、アンデッドが発生する確率も必然的に高くなる。アンデッドの発生要因には不明な点もあるが、基本的に死者の亡骸が在るところに不浄なる魂を持って生まれる事が多い為だ。その上、アンデッドの数が増えると、その中により凶悪な個体が発生する傾向がある事は知られている。よって数が増えないうちに処理する必要がある。

 

 戦争をする相手の帝国とも、アンデッド対策のために死者を弔うことに関しては互いに協力し合っていた。アンデッドは生者にとって、いがみ合う相手とでも手を組んで対処すべき共通の敵という認識で一致しているのである。

 

 そんなわけでエランテルの共同墓地は衛兵が毎日巡回しているが、それは主に夜。昼は殆んど誰かが近付く事はないだろう。

 

 そんな墓地の奥に一つの霊廟がある。石の台座に隠された特殊な仕掛けによって秘匿された地下への階段が続き、その先には少し広くなった空間が存在する。壁は土が剥き出しではあるが人の手が入り、簡単には崩れる心配はなさそうだ。

 

 ただ、そこは墓地の一部と言うよりは、何か別の邪悪な雰囲気が漂っている。怪しげなタペストリーが垂れ下がり、血の匂いを漂わせる真っ赤な蝋燭が闇をボンヤリと照らしていた。闇色のローブを纏い、頭をすっぽりと覆った謎の集団が居た。彼らは呪詛のようなおぞましい言葉をブツブツと垂れ流している。

 

「んも~ォ!何時になったら帰って来るんだよー!」

 

 霊廟の奥で突如大声をあげたのは、金髪の女。彼女も他の面々と同じくローブを纏ってはいるが、頭までは隠しておらずその美しい顔貌を晒している。澄ましていればその短い金髪と瑞々しい白い肌、整った顔立ちが気品すら感じさせるだろう。だが現在は、その態度と表情が全てを台無しにしていた。

 

 見た目こそ若く麗しい妙齢の美女であるが、まるで子供の癇癪のように頬をプクリと膨らませ、不満を体で表すが如くジタバタと腕を振り回していた。

 

「何を騒いでおる、少しは落ち着かんか」

 

「あ、カジッちゃ~ん」

 

 猫を思わせるようなやや吊り上がった大きな目に、気色を浮かべて女が声の主を振り返る。

 

「いい加減その呼び方はやめいと云うのに。誇り高きズーラーノーンが十二高弟の名が泣くわ……」

 

「カジッちゃん」と呼ばれた声の主、カジット・デイル・バダンテールは、溜め息混じりは闇色のローブから顔を覗かせる。覗けた顔は蒼白どころか土気色に近い程に血色が悪く、髪も眉も、睫毛すら無い。全身の毛が抜け落ちたかのような風貌である。神官達が見なくとも、重篤な病に侵されている事を疑ったであろう。

 

「誇りねー。そんな細かい事ばっかり気にしてるから禿ちゃうんじゃないのー?」

 

「やかましいわッ!!……今は髪の話は関係無い」

 

 男はハゲ頭を気にしていたのか声を荒らげたが、またすぐに平静の態度に戻る。

 

「ナニナニ、気にしてんのー?カジッちゃんカワイイー!」

 

「…………」

 

 完全に馬鹿にされている。カジットはこめかみに青筋を浮かべつつも、黙して耐える。こういった手合いにムキになれば余計に調子づく事は明白だからだ。性格はさておき、彼女の協力を得られる事は彼にとって非常に大きなメリットがある。其方を優先するべきだと判ずるだけの理性がこの男にはあった。

 

「そう言えばあのコも可哀想にねー。ホラ、お人形みたいに好き勝手利用されてたから、解放してあげたんだー。優しーでしょ?そしたらそれまでお人形みたいに澄ましてたのが、いきなり「ぷえぇぇっ」とか叫びながらガクガク腰振って糞尿垂れ流しショーが始まっちゃってさ……ウププ、マジで爆笑もんだったよー」

 

 ケタケタと嗜虐に歪んだ表情で笑う彼女が言っているのは巫女姫──スレイン法国にいる、本来人間の限界を超えた高位の魔法を操る少女──の事である。

 

 巫女姫は代々、『叡者の額冠』という法国の秘宝の適合者が務める。その秘宝は、人類の限界を超えた超高位階の魔法を使用を可能とする一方、装備者の自我を封じ込め、魔法を吐き出すだけの傀儡と化す。

 

 もしそれを外したらどうなるか。その答えは先程彼女が言った通り。つまり発狂だ。適合した少女は、若くして魔法を詠唱するだけのアイテムとされたあげく、装備を外せば発狂してしまう。巫女姫となった時点でその少女は個人として死したも同然なのである。しかしそれも全ては人類の生存圏を護るための必要な犠牲として支払われてきたのだ。

 

()漆黒聖典のお主が、結果を知らぬわけが無かろうに。お陰で儂の計画も前倒しできるが……。全く、遊びではないのだぞ……。お主が戯れに何人も殺してくれたお陰で、儂も隠蔽に苦労しておる。今目立つわけにはいかんのだ、わかっておるだろう?クレマンティーヌよ」

 

「それはわかってるけどー。だってツマンナイんだもん」

 

 クレマンティーヌと呼ばれた女はふて腐れた表情で抗議する。これまでも退屈しのぎにと何人も甚振っては殺しているのだ。しかしそれでもまだ殺し足りたいと言わんばかりだ。カジットはそれを見て深い溜め息を吐き出す。

 

 彼女、クレマンティーヌはスレイン法国の特殊部隊《漆黒聖典》の()隊員である。席次は九番目であったが、それは決して能力が低いわけではない。《漆黒聖典》の隊員の多くは極めて稀有なタレントを持っているか、他の聖典の隊長とも対等以上の戦闘能力を持ち合わせている。彼女の場合は後者であった。

 

 叡者の額冠を外された巫女姫が発狂することなど彼女は当然知っていた。巫女姫が代替わりするときに神の御元へと送る──本来殺人を重罪とする法国にあって、()巫女姫の生命を終わらせる──のは、漆黒聖典の役目の一つだからだ。叡者の額冠を奪ったのは単に()()()としてだけでなく、彼女自身の()()()()の意味もある。クレマンティーヌは人を殺すことを「()()()いて、()()()いる」と言うほどの殺人狂なのだ。

 

 彼女は予てより密かに接触を持っていた秘密結社『ズーラーノーン』の十二高弟の座に迎えられて、遂に祖国であるスレイン法国を裏切り、『ズーラーノーン』に完全に鞍替えすべく動き出したのだった。

 

 しかし、それは決して容易なことではない。本来法国の重要な機密を知る彼女が組織を抜けることなど叶いはしない。隊を辞めるときは相応の理由が必要であり、死ぬか戦えなくなるかでなければならない。そして辞めた後も監視が着く。そこで法国の秘宝を強奪し、逃走したのだ。当然すぐに追っ手が掛かり、既にこの街にも潜入している法国の特殊部隊『風花聖典』が、裏切り者を見つけ出さんと血眼になって探していた。

 

 クレマンティーヌは強奪した叡者の額冠を、目の前の男──同じくズーラーノーン十二高弟のカジット・デイル・バダンテール──へと手土産に引き渡し、彼の計画している儀式を手助けする代わりに、その儀式によって引き起こされる街の混乱に乗じて自分は法国の追っ手から逃走を図る取引を持ち掛けていた。

 

 秘密結社『ズーラーノーン』。それは古くから存在する組織であり、死を隣人とする魔法詠唱者(マジックキャスター)からなる。強大な力を持つ事で名の知れた盟主を筆頭に、過去にも数々の悲劇を生み出してきた。当然周辺国家からは危険視され、敵視されている。

 

 カジットが行おうとしているのは『死の螺旋』と呼ばれる儀式。数多のアンデッドを召喚し、時間の経過と共に次々と強力なアンデッドが次々生まれる。そしてそれは螺旋の如く渦巻き、周りの生者──エ・ランテルの都市住民達──を巻き込んで加速度的に進み、街をも飲み込んで死の都と化す。そうして撒き散らされた死によって集まった負のオーラをかき集め、自らをアンデッドへと転生させる。

 

 そうして寿命という人間の時間的制限を解除し、人の身では決して届かない()()魔法を生み出す研究をするのがカジットの悲願だ。

 

 しかし本来ならば、儀式の準備にあと数年を要するはずであった。そこへ叡者の額冠を引っ提げたクレマンティーヌが現れたのである。百万人に一人という適合率の低さ故に、本来ならば適合者を探すだけで苦労するガラクタに過ぎないのだが、()()()()があれば何も問題はない。

 

「ふん、アレは今夜にも冒険者を連れて帰ってくるであろう。それまではくれぐれも目立つなよ」

 

「はいはーい、わかりましたよー」

 

 クレマンティーヌは手をヒラヒラと振って軽い口調で了解の意を示す。カジットは内心で今日何度目かの溜め息をつきながら、それを表には出さず頷くにとどめた。これ以上何か言っても無駄だろう。

 

(全く、英雄級の人格破綻者とは厄介なものだ。あと数年掛かる見通しだった計画を前倒し出来るのは僥倖だが、リスクも多い……。隙在らばこの儂まで本気で殺そうとしてきよる。退屈しのぎで襲われては堪らんぞ。だが抱え込んでしまった以上、用が済むまで我慢するしか……)

 

 儀式さえ無事に完了すれば、自分は上位の存在へと生まれ変わる。これ迄費やした時間も苦労も報われるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わってカルネ村。

 

「おいしぃぃ!」

 

「そうであろう、そうであろう?存分に食すが良いぞ!」

 

「ヴェルドラさん、この、パンケーキ?…という料理は私にも作れますか……?」

 

 モモン達冒険者を連れたバレアレ一向が村を発つまで、ヴェルドラは自分は秘密兵器だとかよくわからない理由で隠れていた。村人も事情がよくわからないまま居ないことにしていたが、モモン達が村を発ったのでネムが迎えに行ったのだった。ラボにはネムが見たこともない器材が大量に並んでおり、ネムが目を輝かせてはしゃぎまくったのは言うまでもない。

 

 現在は村人達にオヤツとしてパンケーキを振る舞っている。フワリと漂う甘い香りが、野良仕事で疲れた体に染みるように食欲をそそる。子供はもちろん、女性にも大人気であった。やはり甘いものは女子ウケが良いのは何処の世界でも同じである。エンリは自分で作ってでも食べたいということだろう。その目にはキラキラと期待の星が輝いていた。

 

「うむ、材料さえ揃えられればエンリにも作れるぞ?だが我のように上手~く焼くには、ちとコツが要るがな?」

 

 エンリの問いにヴェルドラは得意気に答える。どんな材料を使っているのかと他の女性達も聞き耳を立てていたが、小麦粉はあるし、卵は入れなくとも作れるが、甘味が簡単には手に入らないことに気付いて肩を落とす。

 

 香辛料を生み出す類いの魔法は第0位階──古来から伝わるものではなく、新たに生み出された生活系魔法が多く属する魔法位階──に存在する。だが、学園を設立してまで魔法詠唱者(マジックキャスター)の育成に力を入れている帝国とは違い、王国ではそういった魔法の習得者もそうそう居ない。従って、この国で砂糖を手に入れられるとすれば、やはり大商人や貴族しかいないのだ。辺境の開拓村では手に入れられるはずがなかった。

 

「はぁ、お砂糖なんて贅沢品、とても買えないよぅ……」

 

「ふむん……砂糖、砂糖か……」

 

 エンリの残念そうな嘆息に、ヴェルドラは少し考え込む様子を見せる。

 

「でもビックリしたなぁ、まさかゴウン様が戦士に変装してたなんて。お母さんも気付いてたなら早く教えてくれればよかったのに」

 

「それはダメよ。もしエンリが知っていたらすぐに態度に出てしまうでしょ?」

 

「うっ……」

 

 エンリが母にうらめしげに文句を言うが、返された一言に、それも尤もだと納得させられてしまう。いつもふわふわとしているような母だが、エンリは理屈で勝てた記憶がなかった。

 

「ねぇ、お母さんはいつから気付いてたの?」

 

「ゴウン様のお声を聞いた時よ。お名前も殆んどそのままだったから、すぐに気付いたわ」

 

 ネムの質問に答えたアメリの言葉を聞いて、エンリは申し訳なさそうに下を向く。エンリは尊敬する大恩人の声にすぐ気付けなかったうえに、他の冒険者達の前でうっかりその名を口走ったことを気に病んでいた。ナーベが決定打を放ったことには違いないが、そのきっかけを作ったのはネムやアメリ、そしてエンリである。

 

 もし自分が余計な一言を言わなかったら、ゴウン様にご迷惑を御掛けしないで済んだんじゃないか。まだ何の恩返しも出来ていないのに、恩返しどころか、ご迷惑をかけてしまうだなんて。そう思うとエンリは自分の至らなさが悔しくなる。

 

(それにしても……)

 

 エンリは思う。

 

(お母さんって、実は凄く頭良いんじゃ……?私なんかモモンさんがゴウン様だってすぐには気付けなかったし、お母さんはゴウン様の難しいお話についていけてたみたい……)

 

 エンリは改めてあの時を思い出してみる。ナーベが盛大にアインズの名を呼んでしまったあの時を。

 

 

 

 

 目をキラキラと輝かせ凄い凄いとはしゃぐネムとは対照的に、冒険者やリィジー達は目を丸くしたまま、アインズの方を凝視していた。黒髪の美女ナーベは顔を蒼白に染め、この世の終わりのような絶望の色を浮かべていた。そしてモモンに扮したアインズは、兜に手を当て黙りこんだまま固まっていた。

 

 そして母アメリはと言うと……。ひきつった笑顔のまま顔を蒼醒めて固まる母の姿はエンリの記憶に有る限り初めて見た。エンリはそんな母を見てようやく、自分がとても(まず)い状況に置かれていると理解したのだった。

 

「あ、あの……やはりこれ以上は難しいかと……」

 

「そう、ですよね。そう、私の正体はアインズ・ウール・ゴウンです」

 

 笑顔をひきつらせたアメリの言葉を受けて、何かを諦めたようにひと息ついたアインズはゆっくりと立ち上がって名乗り、全身鎧姿から一瞬で仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)の姿に戻った。驚く周りを尻目に、彼は静かに話し始めた。

 

 恩人である彼の話は客観的に事実を淡々と語る感じで、「うぃんうぃん」とかよく意味の分からない言葉も出てきた。何度も脱線しながら、そういった理解が難しいところをアメリが丁寧に分かりやすい言葉に置き換えてみたり、アインズの考えを確認するように質問を投げかけた事で、幼いネムにも大凡彼の話を理解する事が出来た。

 

 他にも幾つか目的はあったらしいが、そのうちの一つはカルネ村の発展の為というものだった。いくら村人達が自立しようと努力しても、それだけで全てが解決出来るとは限らない。現状を維持するには良いとしても、将来の発展を展望するのであれば、多くの人が集まるような、これまでにはない何かが必要だと村長ら大人達も考えていたようだ。しかしこれといって特産品と言えるようなものもなく、長閑な事が取り柄とも言えるカルネ村に、人を集められるような打開策はすぐには見つからずにいた。

 

 それを見兼ねたアインズは、冒険者に扮してカルネ村とエ・ランテルを人と人との絆で繋ぐことで、周辺の開拓村を潰され地理的に完全に孤立しかけていたカルネ村の発展を促そうと考えて行動していたのだった。

 

 森の賢王を殺さずに従わせたのもその一環。トブの大森林には未だ人が足を踏み入れることが出来ないような領域に豊富な資源が有ると見込まれる。森の賢王の協力を得られた事で、そうした奥地にも足を運ぶ事が可能になり、採集の為に村を訪れる人も増えるのではないか。そうした人々がゆっくりと休める場所と、旨い食事を有償で提供することで利益も得られ、移住を考えてくれる人も出てくるのではないか。

 

 アインズはそこまで話したところで、後は村の皆さんで話し合ってみてくださいと話を括った。

 

 以前は肩入れしないと言っておきながらも、何かと気にかけてくれているということを知り、エンリは嬉しいやら、申し訳ないやら複雑な心境だった。彼に授かる恩が次々に積もっていき、一生かかっても返しきれないような気がしてしまったのである。

 

 他にも多種多様な情報の収集、世間知らずだというメイドのナーベラルの教育も兼ねていたらしい。冒険者達やバレアレ婆孫は、同時に幾つもの意味を持たせて行動していたアインズの優れた頭脳と、通りがかっただけのカルネ村の為に世話を焼いてくれる奇特な人柄を絶賛していた。

 

 ンフィーレアの弟子入りの件にも触れ、すぐには受け入れられないが、時期が来れば少し見てくれるとのことだった。それまでは今までの基本のお復習(さらい)をしておく事を勧められた。嬉しそうな友人の横顔を見て、エンリは自分の事のように嬉しくなった。

 

「そして最後に──私の正体は絶対に秘密にして下さい」

 

 

 

 

 

 

「どうしたの、難しい顔をして?」

 

 じっと見つめながらウンウンと唸るエンリに気付いて、母が怪訝そうに訊ねる。

 

「もしかしてお母さんって、頭が良い?それとも心が読める生まれながらの異能(タレント)でも持ってるの?」

 

「……え?」

 

 何を言い出すのかとアメリがキョトンとした顔になる。エンリの質問が余りにも突拍子のないものに思えたのだろう。

 

「だってゴウン様の難しいお話にもついていけちゃうし、それにゴウン様がどうして本当のお姿を隠していらっしゃったのかもすぐに言い当てちゃうんだもん……」

 

 アインズもアメリの鋭さに驚き感心した様子だった。「察しが良いようで助かります」と褒められた程だ。

 

「うふふ、そうかしら?ありがとう、エンリ。そんな風に言われたのは初めてよ。でも何も特別な事じゃないわ。……なんとなく分かるのよ、勘で。エンリはそういうのがちょっと……ううん、結構鈍いのよね……」

 

「うっ…!」

 

 少し心配げに言うアメリの言葉に、エンリはやっぱり自分は結構鈍い人間だったのかとショックを受けた。以前からそんな気はしていた。ネムがニヤニヤしながら頷いているのが少し悔しい。何となくだが、ネムは自分より勘が良い気がする。

 

「色んな経験をして歳を重ねれば、エンリにもそのうちわかるようになるわ。まずは身近な人の気持ちや考えていることに興味を持つことから初めてみたら?」

 

「うーん……身近なって、例えば?」

 

 そうそう、とネムが何故か茶々を入れてくるが、エンリは母の云わんとしていることがさっぱり掴めなかった。

 

「例えば……ンフィーちゃんとか」

 

「え、ンフィー?どうしてンフィーなの?」

 

 エンリはキョトンとしてしまう。母の口から何故ンフィーレアの名前が出てきたのかまるで分からず困惑していた。アメリは口許に手を当て、イタズラっぽい笑みを浮かべる。

 

「うふふ、内緒」

 

「にししっ」

 

 母の真似をするように笑うネムを見てエンリはムッとしながらも、母に言われた通りンフィーレアがいつも何を考えてるんだろうかと考え始めた。

 

「エンリよ、もう一枚どうだ?」

 

「わぁ、いただきます!」

 

 しかしすぐにヴェルドラからホカホカのパンケーキを勧められ、瞬時に目を輝かせて皿を受け取る。最早ンフィーレアの事など頭の中には無さそうだ。それを見て先が思いやられると言わんばかりに苦笑するアメリとネム。

 

「う~ん、ほいひ(おいし)ぃ~!」

 

「ホレ、ネムもどうだ?」

 

「食べるぅー!」

 

「……ガさ……この……どうか……」

 

 アインズ達が向かったエ・ランテルの方を見ながら、祈るように胸の前で手を組み合わせ、何かを呟いたアメリの言葉は誰の耳に届くことも無かった。

 

 …はずだった。

 

(……ふぅん?)

 




母は意外と有能でした。原作では騎士に襲われお亡くなりになっていますが、本作ではそこそこ出番があります。実はとんでもないことを知っている重要人物です。


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#62 誤算

アメリが謎の活躍を見せ、エ・ランテルに帰ってきた一行ですが、蠢動する悪が待ち受けています。
『漆黒の剣』は生き残れるか……?


「無事に帰って来ましたね!」

 

「いつもの街並みがなんだか懐かしく思えるわ」

 

「あーそれ、分かる気がするぜー」

 

 ペテルが何故か興奮気味の面持ちで口を開くと、ブリタが疲労と安堵の混じった言葉を吐き出す。ルクルットも驚きの連続だったこの数日を振り返り、ブリタに同意した。

 

 一行がカルネ村を出立し、無事にエ・ランテルにたどり着いた頃には既に夜の帳が下りきっていた。街は永続光(コンティニュアル・ライト)の明かりが明々と灯り、夜の貌を見せている。

 

 行きの時とは違い森から距離を取って移動したため、モンスターとの戦闘は避けられた。迂回路のため若干移動距離は長かったが、それでも戦闘と比べれば危険はなく疲労も軽い。

 

(それにしても……)

 

 カルネ村で正体を秘密にして欲しいと頼んだアインズは、その理由を訊ねられて答えに窮していた。まさか『アインズ・ウール・ゴウン』の悪名を知るプレイヤーを警戒しているとは言えなかった。かといって都合よく彼らを納得させられるような言い訳も思い付かず、考えながら無意識に視線をアメリに向けていた。

 

「もしや、ゴウン様が正体を隠さずに街へ赴いたら、この村が手薄だと思われてしまうからですか?」

 

「……!その通りです。察しが良いですね」

 

 アメリの言葉を聞いて、アインズに天啓が降りた。たまたま通りがかったアインズが王国戦士長と協力して帝国兵を討ち滅ぼした話は、その場にいた全員がアメリから聞いて知っている。

 

(ならばそれに関連付けて、他にも別動の仲間が存在する可能性を疑っていたということにすれば……)

 

「他にも村を襲った騎士達の仲間が潜んで居ないとも限りません。遠くで様子を窺っていて、私が居ない隙にこの村へ何か仕掛けられては困りますからね。少々物騒な話なので、伏せておきたかったのですが……」

 

「まぁ、やっぱり。ゴウン様は本当に慈悲深いお方ですね。村にそこまで目をかけてくださるなんて」

 

 思い付きの言い訳に過ぎなかったが、アメリの一言がきっかけで上手く話が繋がり、無事に着地をみた。エンリは母の察しの良さをまるで心が読めるんじゃないかと不思議そうな目で見ていた。ペテルやダインからは、通りがかりの村の発展と安寧のためにあれこれと手を尽くす人格者と誉め讃えられ、アインズは面はゆい気分を味わいつつも、仮面の下では眉をひそめていた。

 

(アメリさん……一体何者なんだ?現状、色々助かってはいるけど……)

 

 アインズはアメリに微妙な違和感を覚えていた。すぐに此方の正体に気付いた上であれこれとフォローしてくれたのは有り難い。だが、辺鄙なカルネ村で生まれ育った住人にしては()()()()()のだ。Win-Winの意味をネムに分かりやすく説明出来たのは明らかにおかしい。本人は勘だと言っていたが、まるであらかじめその意味を知っていたかのようだった。もし本当に勘だというのなら過去に特殊な訓練か何かを経験しているか、元々天才的な頭脳の持ち主なのか、はたまた何かのタレントが影響しているのか……。

 

(実はプレイヤーだったなんてオチは……あり得ないな。ヒナタさんが助けに入らなきゃ、あのまま騎士達に殺されていたわけだし……)

 

 プレイヤーの事情を知るのはプレイヤー自身。もし彼女がプレイヤーだったなら先の疑問にも納得はいく。しかし、それではあの騎士達に殺される意味が分からない。もしプレイヤーなら、たとえ初心者だとしてもあの程度の雑魚に一方的にやられるはずがないのだ。

 

 違和感と言えば、彼女にはもっと以前から妙な何かを感じていた気がするが、それが具体的に何を起因とするものかは判然としなかった。何かに興味を惹かれているのは確かなのだが……。

 

(……おっぱい、じゃない。ちがう、断じて違うぞ…!)

 

 確かにアメリも立派なものを持ってはいるが、そういう目では見ていない。完全に性欲が無くなったとまでは言わないが、流石に夫を亡くしたばかりの女性に対し、そんな目を向けるようなゲスな趣味はない。

 

(ペロロンチーノさんも寝取りは有り得ないって言っていたしな。まぁ何にせよ、恩には恩を、だ……)

 

 困っていたところを助けて貰ったのだし、一つ借りが出来たと言って良い。いや、持ちつ持たれつか。いずれにせよ特別庇護の対象にすべきだとアインズは判断した。休憩時にルプスレギナに〈伝言(メッセージ)〉を送り、カルネ村への出向を命じた。くれぐれもヴェルドラ達に敵対しない事を厳命しておいたので心配はないだろう。

 

 

 

 

 

 

「では私たちはこのまま荷下ろしに向かいますね」

 

「私も手続きが終わったら、すぐに其方に向かいます」

 

 ペテルとモモンとが言葉を交わし、モモンとナーベはバレアレ一行とは別方向に歩き出す。彼らが荷下ろしをしている間に先に冒険者組合へ行きモンスターの討伐報酬を換金してくる予定なのだ。ナーベはカルネ村での失態を未だに気に病んでいるようで、覇気のない暗い表情をしている。

 

「……もう気にするなと言っただろう?」

 

「は、はい。ですが……」

 

 ポンコツ呼ばわりされたのが余程堪えたらしい。力なく垂れたポニーテールが、ションボリとした彼女の心境を物語っている。彼女にしてみれば、失態を挽回する事も出来ずおろおろするなか、全く眼中になかったアメリという人間が、アインズに誉められる程の対応をして見せたのだ。ナーベはまだ一度も誉められておらず、自分は人間(ゴミ)以下の役立たずなのかと落ち込んでしまっていた。

 

「弱者を侮るなと言った意味が少しは理解できたか?弱くても有能な人間は居る。お前に彼女と同じ立ち回りは出来ないだろう?」

 

「は、はい……」

 

「成長とは己の未熟な部分を知ることから始まる。それを見つめ直し、改め、同じ失敗を繰り返さないようになっていくんだ。そうやってゆっくりでも成長を積み重ねれば、今は見上げるような高みにもいつかは届くだろう。幸い私達には時間がある。気長にな」

 

「なんと寛大な……ありがとう、ございます。必ずや……ぐすっ必ずやご期待に沿えますよう、精進して参ります」

 

 モモンの親身な指導にナーベは感極まり、滲ませた涙を拭いながら再び決意を新たにした。

 

(ふぅ、やれやれ。ナーベラル一人にここまで手を焼かされるとは。教育って大変なんだな。ていうか……俺一人で全員面倒見きれるのか、コレ?)

 

 ひとまずナーベラルのフォローが上手くいき、胸を撫で下ろすモモン。会社では部下がいたわけでもなく、教育と言えば、後輩の一条を少しの間面倒を見たくらいだ。それも彼女が割と優秀だったので、業務に限って言えば手を焼いてはいない。それ以外の部分で強烈に印象に残っているが。

 

 何れにせよ、既にナーベラルだけで手一杯で、とても一人ではナザリックの部下全員を面倒見きれる自信がない。いっそどうにでもなれと投げ出してしまいたくなるが、NPCたちが頼れる主人は今自分しか居ないという責任感と、いつかギルドメンバーを迎え入れたいという想いがそれを許さない。無いはずの胃が痛むような幻覚を味わいつつ、無理矢理に己を鼓舞するモモンだった。

 

(今は俺がやるしかないんだ。……頑張れ、俺!)

 

 

 

 

 

「それじゃあ、その瓶はそのままこっちの方に……」

 

 バレアレ薬品店に到着した一行は、荷物を運び入れるために裏口へ回り、ンフィーレアがドアを開けて搬入先を案内しようとしていた。

 

「いやー、待ちくたびれちゃったよー」

 

 突如誰もいないはずの部屋の奥の扉が開かれ、中から女が出てきた。店を空ける間、侵入者対策のためにリィジーの魔法が施されていたにもかかわらず、先に入っていたことになる。

 

「あ、貴女は?」

 

 ンフィーレアが強い警戒の色を見せながら訊ねた。最初は誰かに留守を預けていた可能性を考えたペテルだったが、その反応を見て即座にもう一方の可能性を確信する。つまりは侵入者、しかも魔法による防御を容易くすり抜ける程の手練れである。それを瞬時に覚ったペテル達は、武器に手を掛けて身構えた。

 

 しかし女は慌てる様子も見せず、ニヤニヤとした()()()()()()()を浮かべたまま言葉を続けた。

 

「そう警戒しなくてもいいよー。キミがンフィーレア・バレアレで間違いないんだよね?んふ……お姉さんのお願い聞いて欲しーんだけどー」

 

「な、なんでしょうか?」

 

 生真面目にも女の頼みとやらに耳を傾けるンフィーレア。その間ペテルたちも手出しはしない。いや、出来ないと言った方が正しい。

 

「キミのタレントの力で、あるアイテムを使って欲しーんだー。そのアイテムを使えばなんと!第七位階の魔法だって使えちゃうんだよねー、すごいでしょ?使ってみたくない?」

 

 ンフィーレアの理性は、本当にそんなうまい話があるはずはないと警鐘を鳴らしている。しかし、第七位階。人類最高峰と謳われる、彼の帝国主席魔術師の第六位階よりも更に上位魔法を行使出来るという話は非常に魅力的でもあった。

 

「そ、それは……」

 

「おや、その反応は興味あるんだねー?おねーさんのお願い聞いてくれたらー、あとはそのアイテムあげちゃってもいーよー?どうするー?」

 

 ンフィーレアの逡巡を読み取った女は更に拍車をかける。それは見る者が見れば悪意に満ちた、悪魔の囁きにも似た何かだと分かるだろう。

 

「……魅力的なお話ですが、お断りします」

 

 ンフィーレアは、はっきりとした拒絶の意思を持って答えた。女は意外な返答に面食らったのか、目を見開いて驚いたがそれは一瞬。瞬時に笑みを浮かべる。

 

「あれれ、そう?……なら仕方ないかー。穏便に済ませようって思ってたんだけど、断られたんじゃあ……力ずくで連れて行くしかないよねー」

 

 言いながら女の口がニタリと嗜虐的に歪んでいく。見ていたペテルの背筋にぞわりと寒いものが走った。先程から女を観察していたが、構えを取っているわけでもないのにその佇まいにはまるで隙らしいものが見つからなかった。女が浮かべていた笑みは、強者が弱者を甚振って玩具にする際に見せるようなそれであった。ペテルはそれを見た時から、本能的に女が自分達よりも明らかに格上だと感じ取っていたのだ。

 

「ンフィーレア、下がれ!ソイツはヤバい!」

 

 ルクルットも同じく女の異常さを感じていたらしい。警告の声に反応してンフィーレアが足を動かそうとした瞬間、女が目にも止まらぬ速さでンフィーレアとの距離を詰め鳩尾に拳打を入れる。

 

「あ…ぐ…っ」

 

「ンフィー!」

 

 反応する間も与えられず、ンフィーレアは呻き声を洩らしてその場に倒れ込んだ。ペテル達が彼を心配する余裕もなく、女の視線がペテル達を射抜いている。

 

「んふふ、拉致現場を見られちゃー生かしてはおけないなあー。しょうがないよねぇー?」

 

 まるで誰かに言い訳するような、それでいて楽しげな女の声を聞き、ブリタは膝を震わせた。威圧感ならモモンの方が強烈だったはずだ。だが、モモンから感じた圧倒的な質量で押し潰されるような恐怖感とは質が違った。ねっとりと凶器を急所に絡み付かせてくるような別種の恐怖をこの女からは感じられたのだ。

 

「ニニャはブリタ連れて逃げろ!」

 

「え」

 

「お姉さんを探すという目的があるでしょう!?ここであなたが死んだら誰がお姉さんを救い出すのですか!」

 

「ここは任せるである!」

 

「み、んな……」

 

 仲間の激励に目頭を熱くするニニャ。隠し事をしてきたという事実が彼女の胸の奥をチクリと刺す。ニニャは自分に何か出来る事はないかと思考を巡らす。

 

(そうだ!モモンさん!)

 

「ブリタさん、行ってください!時間を稼ぎます!モモンさんを……」

 

 モモンさんを呼びに行ってください。そう言おうとしたニニャの言葉を遮り、入り口のドアが開かれる。

 

「ええい、何をもたついておるのだ」

 

「あ、カジっちゃーん。交渉決裂しちゃったー。もう殺っちゃっていーよねー?」

 

 女はテヘペロっとおどけた様子で舌を出し、それからおぞましい肉食獣の表情へと変貌して見せた。女には仲間が居たようだ。格好から魔法詠唱者(マジックキャスター)と思われるが、正面の女と対等に口をきいている事から、かなりの実力者と想定される。退路を塞がれ、前後から挟み撃ちの形に追い込まれてしまった。助けを呼ぼうにも、どちらかを突破していくしかない。が、そう簡単にはいかないだろう。

 

「よくも……よくもンフィーを!」

 

 緊迫した場の空気のなか、孫を痛め付けられたリィジーが激昂した。孫の窮地に冷静さを失いつつあるが、リィジーは超一流の薬師であると同時に、第三位階魔法の使い手でもある。王国内に於いてその腕は一流と言って良い水準である。しかしそんなリィジーをもってしても、相手が悪過ぎた。

 

「ファイ──がっ?」

 

 リィジーが〈火球(ファイアボール)〉を詠唱し終える前に女が滑り込むように距離を詰め、リィジーの胸元を何かが貫通していた。血を吐いてゆっくりと倒れるリィジー。女の手元に光る先端が鋭利なそれはスティレットと呼ばれる武器だった。

 

 刺突に特化したその武器は突く以外は殆んど殺傷能力がなく、得物も短いため扱いが難しいが、使い手によってはその突きで盾をも貫く貫通力を発揮する武器である。

 

「あっはは、チョッローい。まー、魔法詠唱者(マジックキャスター)なんて距離を潰されたらこんなもんだよねー。「よくもー」だってさ、うぷぷ。んじゃ、つ・ぎ・はー」

 

 クルクルと手元でスティレットを玩びながら、女は軽薄な笑みを浮かべる。その目は次の獲物を品定めするかのようにキョロキョロと動き回っていた。そして──

 

「そこの戦士君、来なよー?お姉さんが遊んであげる♪」

 

 指名されたのはペテル。既に勝ち目のある相手ではないことは明白であった。ペテルとてリィジーが刺されたときぼんやりと突っ立っていたわけではない。警戒して身構えていたにも関わらず、ペテルの横をあっさりと女はすり抜け、リィジーを刺したのだ。仮に自身に向かってきたところで、とてもではないが反応出来る速さではなかった。

 

 ペテルは歯噛みする。目の前の女の、尋常ならざる圧倒的な疾さ。この女もモモンと同じく英雄の領域に立つというのか。なのに……。

 

「ほらほらー、英雄のお姉さんが相手してあげるんだよー?これってすごくありがたーい──」

 

「ふざけるな!!お前なんかが英雄なワケない!!英雄なんて言葉をお前が使うな!」

 

 気付けばペテルは自分でも驚くくらいの叫び声を張り上げていた。

 

 英雄。それはペテルにとって特別な存在だった。子供の頃からずっと憧れてきた。冒険者になったのも、英雄憚のように冒険の旅をしたかったからだ。そしてご多分に洩れず、冒険者の厳しい現実を知った。

 

 それでも尚、夢を諦めることなど出来ずにもがいていた。そうしているうちにいつしか似たもの同士が集まったと言うべきか、背中を預けられる仲間が出来た。共に地道な努力を重ね、着実に力を付け始めた頃、遂に出会ったのだ。真の英雄と思える人物に。だが、最初は小さな嫉妬心があった。

 

 とても自分には手が届かないような立派な鎧を着込み、共に連れているのは誰もが振り替えるような美女。嫉妬するなと言う方が無理と言うものだ。だがそれもわずかな時間で尊敬と憧憬に変わった。

 

 巨大な剣を縦横無尽に振り回す圧倒的な強さ、そしてそれを鼻にかけない誠実な人柄。森の賢い王との戦いを見たときの言い知れぬ興奮。弱者にも手を差し伸べる優しさと、驚く程の思慮の深さ。どれを取ってもまさに理想に描いた通りの人物だった。

 

 ただ一つ思い描いていたのと違ったのは、魔法詠唱者(マジックキャスター)という点だけだ。それと少し変わった感性を持っているようだが、それもまた魅力と言える。

 

 そんな自分の理想で目標となった人物と、目の前の殺人狂の女が同じ英雄という言葉で評される。これ程の侮辱はない。それはペテルの夢を、理想を罵倒し、果ては彼の尊厳を冒涜された様にさえ思えた。

 

「あぁ?胸糞ワリー事思い出させやがって……まー、そういうチョーシに乗った英雄気取りをプチっと返り討ちにしてやるのがまた快感なんだけどねー、えへへへぇ」

 

 何か感じるところがあったのか、女は怒りに顔を歪めたが、すぐにまた狂気染みた嗜虐の表情に変わる。その時────

 

 〈雷撃(ライトニング)

 

「ぐお!?」

 

 突如一条の雷光が部屋のドアを貫き、吹き飛ばす。その勢いでドアの前に陣取っていた男が前のめりに床を転げた。しかし体勢をすぐに立て直し、ドアの方へと険しい視線を向ける。

 

「何者だ!?」

 

「────適当に撃っても誰かに当たると思ったのだけど、どうやら外したようね」

 

「ナーベちゃん!」

 

「「「「…………」」」」

 

「「…………」」

 

 適当に魔法放ったのかよ、等と突っ込む無粋な者はいなかったが、嬉しさで舞い上がったルクルット以外の全員の心の声はほぼ一致したようだった。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、丁度いい頃合いか……?」

 

 モモンは冒険者組合にて依頼完了の手続きとモンスターの討伐報酬受け取り終え、バレアレ薬品店へと足を向けた。組合のドアをくぐり、先に向かわせたナーベにこっそりと〈伝言(メッセージ)〉を飛ばす。

 

「ア、アインズ様……」

 

「ん?……っと……失礼。……どうした?追い払ったのか?」

 

 ぶつかりそうになった人を避けながらモモンは小声で会話を続ける。モモンは、ンフィーレアに渡しておいた木彫りのアイテムを通して会話を盗み聞いていた事で何者かの襲撃に気付き。ナーベを向かわせていたのだ。彼女の実力ならば多少腕の立つ夜盗程度は何とでもなると高を括っていたため、運動でストレス発散にもなるだろうと思い任せてみることにした。

 

「申し訳ありません……あの少年を……奪われました」

 

「何!?……あ、いや、何でも……んんっ、そ、それで?他にも何か被害はあるか?怪我人は?」

 

 驚いて声のトーンが上がってしまい、モモンは周りに奇異の目を向けられながら再び訊ねる。油断してうっかり取り逃がしてしまったのだろう。この調子では他にも何かやらかしているかもしれないと不安が頭を掠める。だが、どうもナーベの様子がおかしい事に気付いた。

 

「く……被害……は……」

 

「ナーベ?……まさか怪我を……!?待っていろ、急いで向かうからな……!」

 

 <伝言(メッセージ)>を切り、モモンはバレアレ薬品店に向かって疾風の如く走り出した。人の目があるため転移出来ない事を煩わしく思いつつ、出来るだけ早く走り抜く。己の迂闊さを恨みながら。

 戦士の格好をこれ程滑稽と感じることはなかった。

 

(クソッ、馬鹿だ。俺は馬鹿だ……!)




ナーベは間に合いましたが、結局ンフィーレアは連れ去られました。

クレマンティーヌとカジットのコンビは純粋に強いです。守る人数が多く状況的にも厳しいと思うので、ナーベ一人では結局皆を守りきれませんでした。

クレマンティーヌ達には盛大なフラグが立ちましたが、どうなるかは……。

転移後しばらくは概ね原作に沿うような形で進んできましたが、今後はオリジナルな要素がどんどん増えていくかと思います。


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#63 変貌の始まり

ナーベVSクレマンティーヌと、その後の展開です。


「くっ!」

 

「ほんっとタフだねー。魔法が使えて剣もソコソコ。とても銅級(カッパー)とは思えないわー。まぁ、それでもアタシには勝てないけど」

 

 ナーベラルは何度目かの攻撃を受けて後ずさり、左肩を押さえる。ローブの男に『漆黒の剣』が、金髪の女戦士にはナーベがそれぞれ対峙している。最初の攻防が始まってから数合ぶつかっているが、複数の傷を負っているナーベに対し、ほぼ無傷の女戦士はスティレットの先端に付いた血を舐め取りながら呆れた様な表情を浮かべる。ナーベは未だ有効なダメージを与えることが出来ていないのだ。

 

「チィィ!!下等生物(バッタ)風情が……」

 

 狭い室内での戦闘に加え、自力で逃げられない冒険者達(足手まとい)を抱える状況がナーベにとって極めて不利な状況を作り上げていた。異常な疾さで襲い掛かってくる女戦士の攻撃はナーベにも捉えきれない程だった。それでも広い空間で距離を取って戦えば難なく勝てるはずなのだが、『漆黒の剣』達を捨て置いてこの場から離れる事はできない。アインズから助けるように命じられている以上、彼らを殺させるわけにはいかないのだ。

 

 禿げ頭の魔法詠唱者(マジックキャスター)は死霊系の魔法で低位のアンデッドを数体召喚してけしかけていた。ブリタがリィジーを庇い、『漆黒の剣』がアンデッドに対応しているが、凌ぐだけで手一杯、いつ戦線が崩壊してもおかしくない状況。ナーベが離れたとたんにそれが起こらないとも限らなかった。

 

 どのみち距離を取ろうとしても、女戦士が追い掛けて来る保証もなかった。そしてナーベの勝利条件は、全員を死なせずに守りきること。具体的にそう指示があったわけではないが、「助けに行ってやれ」という一言にはそれらが内包されていると解釈した。破格のタレントを持つンフィーレアを敵の手に渡さないように、など具体的に指示されていれば、さっさとンフィーレアだけを抱えて離脱していただろう。

 

 ナーベは元々接近しての直接戦闘が得意ではない。剣を振れないということはないし、力だって常人と比べればかなりある。それでも1レベル分しか戦士職を取得していないナーベでは、純粋な戦士職とは比べるべくもないほどの技量差があった。

 

 加えて女戦士は、器用に壁や天井を地面のように蹴り、四方八方から立体的に攻撃を仕掛けてくる。剣は通じず、相打ち覚悟で放った魔法も、物理法則を無視したような急加速した動きで宙返りしてかわされた。何か突破口を開かない限り、このままではジリ貧だ。

 

 ナーベは苛立ちと焦りを感じながら、女戦士の猛烈な攻撃を致命傷を受けないように凌ぐ。一対一ならば、せめて距離を取れれば、足手まといがなければ、第三位階までという使用魔法の()()がなければ……。そんなタラレバが頭をよぎるが、信頼して送り出してくれたアインズに失望されるのは何より恐ろしい。途中で投げ出すなどあり得ない。

 

 とはいえ、打開策が見つからない状況でこれ以上不利な戦いを続けてもやられるのを待つだけだ。

 

(やはり、使用魔法の制限を解除するしか……でも、それでは……)

 

 それではアインズの命令に背く事になる。激しい葛藤に苛まれるナーベ。

 

 その時、火球が放たれ、天井に当たって強烈な熱が撒き散らされる。リィジーが〈火球(ファイアボール)〉を放ったのだ。ほぼ同時にブリタが錬金術油の入った瓶を投げつけ、天井はあっという間に炎に包まれていく。天井から壁、家屋全体に燃え広がるのも時間はかからないだろう。

 

「舐め、んじゃ…ないよ、小娘が」

 

「チィィ!」

 

 不意に激しい熱量の煽りを受けた女戦士が、怒りに顔を歪めリィジー達の方へと迫る。

 

「ひっ」

 

 ブリタは思わず恐怖に身を固くする。

 スティレットを持つ手が振り上げられるが、ブリタは反応出来ない。

 女戦士はスティレットを振り下ろすように見せて、動きを止めた。つまり、フェイントを入れた。

 

 ブリタは反応出来ないのに?

 

 女戦士がフェイントを入れた相手はブリタではなく────

 

「か、はっ…」

 

 ナーベだった。

 ブリタの目の前で、後ろから女戦士に迫っていたナーベの胸に、スティレットが深々と突き刺さっていた。痛みに顔を歪めながら女戦士の手を掴もうとするナーベ。しかし──

 

「まだ終わりじゃねぇんだよぉぉおお!」

 

 嗜虐の表情を浮かべながら女戦士がスティレットを捩じり込むと、更にそこから炎が吹き上がった。

 

「ぐっ?──ああああああっ!!」

 

 身体の内側から焼かれる痛みにナーベの悲鳴が響き渡る。更に太腿を刺されたナーベは、女戦士に蹴り飛ばされ、そのまま壁に叩きつけられた。

 

 女戦士は邪魔物は居なくなったとばかりに獰猛な捕食者の笑みをブリタへと向ける。

 

「クレマンティーヌよ!離脱だ!」

 

 不意に男の声がかかった。気付けば既に床以外は炎に包まれていた。早く脱出しなければ危険と判断したのだろう。クレマンティーヌと呼ばれた女戦士も、やや不満そうな顔をしながら男の言葉に従った。

 

「アハハハ、命拾いしたねー?因みにアタシ達は地下水道から街を脱出する予定なんだー。追い掛けて来るならちょっとくらいは待っててあげるかもよー?」

 

 気を失ったンフィーレアを肩に担ぎ、小馬鹿にするようなヘラヘラした顔で自分達の逃走経路を喋る女。誰も助からないと踏んでいるのだろう。アンデッドを残して二人の襲撃者は姿を消した。

 

「畜生!ナーベちゃん!」

 

「そこをどけええぇぇ!!」

 

 怒りに身を染めたペテルがアンデッド達に向かって捨て身の突貫を仕掛ける。

 

(ここで何も出来きゃ、英雄なんて夢のまた夢だ!絶対に活路を拓いてみせる!)

 

「うおおおお!〈剛腕剛撃〉!〈斬撃(スラッシュ)〉!」

 

 ペテルは極限の状況に追い込まれた事よって、眠らせていた潜在能力を引き出し新たな武技を発動することに成功する。倍以上に強化された腕力によって放たれた攻撃は今までにはない強烈な一撃となり、アンデッドを2体まとめて両断した。

 

 ペテルは初めて使用した武技の負荷に全身が悲鳴をあげ、もんどりうってその場に倒れるが、勢いで他のアンデッドの体勢を崩した。その綻びを見逃さず、ダインの持つ杖の殴打とニニャの〈魔法の矢(マジックアロー)〉が叩き込まれる。ルクルットも短剣で攻撃に加わり、そこからは一気に畳み掛け、アンデッドの掃討はあっという間に終わった。

 

 だが既に火の手は部屋全体を包み込みつつある。

 

「どうにか片付いたが、早くここを出なきゃ焼け死んじまうぞ!」

 

「動けますか、ナーベさん!」

 

 驚いたことに、あれほどの攻撃を受けたにもかかわらず、ナーベは生きていた。ナーベは床に両膝を付き、下を向いたままこめかみに手を当て何やらブツブツと呟いていたが、どうやら意識はある様子だ。ペテルの声に反応し、立ち上がろうとしたが、刺された脚がいうことをきかないようで、体勢を崩して床に手を着く。

 

「ナーベちゃん!」

 

「今肩を……ぐぅっ!」

 

「ペテル!大丈夫ですかっ」

 

 無理に使った武技の反動で身体に痛みが走るペテル。心配そうに声を掛けるニニャに頷いて見せるが、明らかに無理をしている。いや、無理をしているのは彼だけではない。ダインもニニャも、魔法の連続使用で魔力切れを起こしているし、ペテルとルクルットもあちこち傷だらけである。自力の脱出も難しいというのに、ナーベまで担いで行くのは困難と言わざるを得ない。

 

「行きなさい」

 

「ナーベさん!?」

 

「私一人なら何とかなるわ」

 

「駄目だ!!」

 

 状況を悟ったかのようなナーベの言葉を聞き、怒鳴ったのはルクルットだ。

 

「惚れた女を見捨てて逃げるなんて、男として有り得ねぇだろうがぁ!!心配すんなナーベちゃん。何がなんでも連れていってやるからな!!」

 

「は?何を言っているの?」

 

 ナーベは目の前のルクルットが言っている意味が分からず、素っ頓狂な声を洩らす。実際ナーベ一人なら、実際脱出することは容易なのだ。何しろ魔法で転移出来るのだから。使うところさえ見られなければ、マジックアイテムの効果だと言って適当に誤魔化すことも出来るだろう。だから彼らだけでさっさと脱出してくれた方がありがたかったのだが。

 

「自分一人だけ犠牲になろうなんて考えないでください。ナーベさんが来てくれたから、今私達の命はあるんです」

 

「今度は全員焼け死にそうですけどね」

 

「違いないである」

 

 ペテルまで何やら熱くなって語り出し、何故かニニャもダインも軽口を叩き笑顔を見せる。死が迫っている状況で気でも触れたのかと、ナーベは内心で焦りを覚える。これでは満足に守れたとは言えないのでは、との思いが脳裏によぎってしまったのである。

 

「ああ、アインズ様に叱られる……」

 

 そんなナーベの呟きをどう受け取ったのか、ペテルが同意する。

 

「そうですよ、ナーベさん。こんなところで死んではいけません。それこそモモンさんに叱られちゃいますよ?」

 

「どうせなら全員で生き延びてやろうぜ!」

 

 二人はそう言いながらナーベを担ぎ上げる。なんだか会話が全く噛み合っていないような気がする。血を多く失ったせいか思考が定まらないが、ナーベはそんなことを思いながら、何故か悪い心地はしていない自分に気付いた。

 

 

 

 

 

 

 急ぎ駆け付けたモモンが辿り着いたとき、店舗兼住居となっているバレアレ薬品店からは火の手が上がっていた。木造の柱が多く使われているらしい家屋は、様々な可燃性の薬品を扱っているせいもあってか、急速に燃え広がりつつある。

 

「か、家事だ!燃えてるぞ!」

 

「バレアレさんのとこじゃねーか」

 

「おい、人を集めろ!消し止めるぞ!」

 

 多くの店がひしめき合う立地にあるとはいえ、夜のために店は多くが閉まっており、店舗に住み込んでいる人も少ないのだが、それでも火事は一大事なのである。放置すれば周りに燃え移ってどんどんと被害は大きくなるのだ。周囲に怒号や悲鳴が飛び交い始める中、店の裏口が音をたてて吹っ飛び、中からニニャが駆け出してきた。

 

「こっちです!早く!」

 

 その声に導かれるようにブリタ、リィジーを背負ったダインが続いて出てくる。

 

「ッ!……モモンさん!」

 

 モモンに気付いてブリタが駆け寄ってくる。

 

「あの娘が、ナーベちゃんが……!」

 

 ブリタが震えながら悲壮な表情で訴えかけたその時。また何かの薬品に引火したのだろう、破裂音と共に爆発が起きて窓が弾け飛んだ。ナーベはまだ中に?そう思った矢先。ペテルとルクルットに担ぎ出されて、ナーベも出てきた。その姿を見たモモンは胸に鋭い痛みを覚えた。だがそれは一瞬で、何かがプツリと切れたように、感情が瞬時に凪いでいく。

 

 目元には鋭利な刃物で付けられたと思われる深い傷があり、そこから夥しい血が流れた跡がある。他にも肩や肘、胸元、足の付け根付近にも十数ヶ所の刺し傷。意識はあるようだが、美しい白い顔は蒼醒め、眉は苦悶に歪み、一人で歩行することもままならない様子だ。仕立ての良い純白のシャツは、彼女自身の血によって真紅に染め上げられていた。

 

「ナーベさん、モモンさんが来てくれましたよ!意識をしっかり持ってください!」

 

「ナーベちゃん、頑張れ……!」

 

 ナーベを地面にゆっくりと寝かせ、自身も血と煤にまみれながらも、必死に声をかけるペテルとルクルット。モモンはその様子を数秒の間茫然と立ち尽くして見ていたが、気を取り直したのか、ナーベの方へ歩み寄る。

 

「モモンさん、ナーベちゃんは……」

 

「大丈夫です」

 

 不安げに訊ねたルクルットに、モモンは冷静な声音で応えながら、真っ赤なマントの下から赤いポーションを数本取り出し、まとめてナーベに振りかけた。すると即座に効果が発現し、瞬く間にナーベの傷が癒えていく。モモンはそれを確認する事もなく、ペテル達にも順にポーションを振り掛けていく。

 

「なっ?」

 

「す、凄え……!」

 

「驚きであるな!」

 

「こ、これがそうなのかい……!」

 

 絶大な効果を見せる赤いポーションに驚愕するペテルとルクルット。その効果を身をもって体験したリィジーも、感動に打ち震えていた。

 

「も、申し訳……」

 

 臣下の例を取って謝罪を述べようとするナーベ。しかしそれをモモンは手をあげて止める。

 

「何を謝ることがある。お前はよくやってくれた。身を挺して、皆を守ってくれたのだろ?お前を誇りに思うぞ」

 

「な、なんと勿体無いお言葉……まさに感無量d」

 

「うおおおおん!いがっだぁ!いがっだよぉぉー!ダーベ(ナーベ)ぢゃぁあん!」

 

 ナーベが感涙に咽び泣きかけたその時、突如ルクルットが号泣し始めた。よっぽどナーベに感情移入していたのか、ダバダバと涙を流して男泣きするルクルットに、流石のペテル達も頬をひきつらせ、ナーベも何故お前が泣くのと舌打ちする。

 

「さて、ンフィーレア君の件もありますが……まずは火を消しましょうか」

 

 モモンは皆にそう告げて、轟々と燃え盛るバレアレ薬品店を振り返る。ブリタやニニャには、淡々と告げられたその声音に、ナーベを傷つけられた怒りも、逆に生還に対する安堵も感じられず、やけに無機質で冷たい響きに聴こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 周囲の住民の協力もあって、近隣へ火が燃え移る事はなかった。とはいっても、消火に必要な量の水を用意できるわけでもなく、建物を崩すことで被害を小さくまとめただけだ。その結果、秘蔵していた薬品の製造レシピや希少な薬品類は殆んどが焼けてしまっていた。ゆっくりと確認している時間はないが、製造に必要なの器材等も軒並み壊れているだろう。

 

 リィジーにとっては長年切り盛りして暮らしてきた大切な店である。しかし感傷に浸っている暇はない。冒険者組合に急ぎ駆け込み、そこでンフィーレア誘拐の事を組合に告げた。店の方も大変だが、それよりも何よりも、今は拐われたンフィーレアの事が最優先だった。

 

 リィジーの話を聞いて事態を重く受け止めた組合長は、『漆黒の剣』とブリタ、モモン達からも詳しく事情を聴取する事にした。相手が冒険者プレートを何十枚も軽鎧に縫い付けていたとの証言があったからだ。プレートを何十枚も持っているという事は、冒険者を何十人と葬って奪い取ってきたという事であり、相応の実力が有る者を選ばなければ返り討ちにされてしまう。いたずらに死人を増やす訳にはいかない。その為少しでも情報を集め、相手に適した人選をしなければならないとの判断だった。

 

 先に『漆黒の剣』が呼ばれ、順に呼ぶからと言われてモモン達は待合室に案内された。孫の安否が気にかかり狼狽するリィジー。一心にンフィーレアの無事を願う、健気なる祖母の姿があった。

 

 モモンはそんなリィジーに、わざわざ拉致するからには利用価値を認めているからであり、直ぐに殺される訳ではないと宥め、一旦情報を整理する事にした。リィジーに頼んで地図を借りてきてもらった。

 

「さて、地下水道だったか?」

 

「はい。奴等はそう言っていました」

 

 ナーベはクレマンティーヌと呼ばれた女の言葉を思い出し、苦々しげな表情になる。

 

「ふむ、だがその言葉をそのまま信用するわけにはいかないな……」

 

 モモンは淡々とした口調で呟き、無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)を取り出した。中から幾つもの魔法の巻物(スクロール)を取り出していく。その数は10にも及んだ。

 

「情報系魔法対策は常識であり、当然相手も対策を取っていると想定すべきだ。ならばこちらも相応の準備が必要。それはわかるな?今回はこれくらいで良いだろう。さて、まだ棄てられていないと助かるが……ナーベ、これから順に使え」

 

 ナーベは、説明するモモンに渡された順に魔法の巻物(スクロール)を使い、魔法を発動していく。使用された魔法の巻物(スクロール)は、熱を帯びない炎に包まれ、込められた魔法を発動すると同時に灰になる。そして──

 

「〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉」

 

「どの辺りだ?」

 

「……ここです」

 

 ナーベはモモンの言葉に頷き、地図を指し示す。

 

「ここは……」

 

「墓地じゃな。ここに何が?」

 

「次はこれを」

 

 モモンはその質問には応えず、新たな魔法の巻物(スクロール)を渡し、ナーベがそれを発動する。リィジーも知らない魔法ばかりで、ほとんど展開についていけていないが、ンフィーレアの奪還のためにやってくれている事は分かるので、黙って見守る。

 

「〈千里眼(クレアボヤンス)〉……居ました」

 

「そうか、ではそれを写し出せ」

 

 ナーベが受け取ったスクロールを使うと、宙に浮いた鏡のような物に映像が写し出される。

 

「ンフィーレア!……ひぃっ!?」

 

 映像には何故か裸同然の姿になり、透けるような薄い生地の何かを羽織るンフィーレアの姿があった。両目を潰されたらしく、双眸からは血を流している。そして周りには無数のアンデッドの姿があった。数にして千は下らないだろう。

 

「成る程、〈不死の軍勢(アンデス・アーミー)〉か。呼び出すのはいいが、操りきれるのか?これもアイテムの効果か?それともその系統のタレントでも持っているのか……」

 

「ンフィーレア!このままではンフィーレアが!」

 

 ブツブツと呟くモモンに、たまりかねて叫ぶリィジー。孫の姿を探し当てたと思ったら、その周りには大量のアンデッドに囲まれていたのである。いつアンデッドに襲われるかと気が気ではない。

 

「意識は無いようですが、まだ暫く命は無事でしょう。アンデッド達はアイテムの力で制御されているようですからね。ですが、見ての通り早急な対応が必要ですね。これらが街に溢れかえればどうなるか。組合長の所へ行きましょう」

 

「……!そ、そうじゃな……」

 

 アンデッドが街を飲み込み引き起こされるのは阿鼻叫喚の地獄絵図だ。リィジーは想像して身震いしながら部屋をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 霊廟────

 

「クソ、クソ、クソ!!」

 

「悪く思うな、クレマンティーヌよ。儂の崇高な目的をこれ以上邪魔されてはかなわん。始末できるときにしておくに限る」

 

 クレマンティーヌは霊廟を埋めつくす無数のアンデッドに囲まれ、1人応戦していた。手を組んだ筈のカジットの裏切りにあったのだ。クレマンティーヌを以前から危険視していたカジットはこの期を窺っていたのである。ナーベとの戦闘は見た目以上にクレマンティーヌを消耗させていたのだ。

 

 ナーベに大ダメージを与えた、スティレットから吹き出した炎は魔法蓄積(マジックアキュムレート)という魔法によるもので、アイテムに魔法を一つだけ込めておき、任意のタイミングで解放可能になっている。再度使用するには再び魔法を装填し直なければならないが、何度でも繰り返し使用できる便利な魔法だ。

 

 込められた魔法を、体内にスティレットを直接打ち込んだ状態で解放することで、魔法による防御膜の内側からダメージを与える事が出来るのだ。喰らったものは持ち前の耐性だけで耐えなければならない。

 

 今回は彼女が持つ4本のスティレットのうち3本が空になっている所を狙った形だ。武技を何度も連続使用したことで疲労も溜まっており、絶好の機会と言えた。

 

「覚えてやがれ、このハゲ野郎!!」

 

「ふ、貴様も儂の大目的の礎となれるのだ。喜んで贄となれ」

 

「ざっけんなクソハゲェ!」

 

 毒づきながら押し寄せるアンデッドに阻まれカジットに近付く事さえ出来ないクレマンティーヌ。怪しげな黒い石のようなものを握りしめ、カジットは背を向けて歩き出した。

 

「生きていられたらまた会うとしよう。その時は生まれ変わった儂の新しい姿を見せてやる」

 

 アンデッドに埋もれないように必死にもがくクレマンティーヌの目の前で、無情にも分厚い石の扉が閉ざされる。一体一体であればクレマンティーヌにとっては容易に片付けられる程度の雑魚ばかりでも、数百もの数で波状攻撃を仕掛けられれば、話は違って来る。クレマンティーヌも人間である以上、休み無く戦い続けられるわけではないのだ。

 

「~~ッ!クソがぁぁぁあ!!」

 

 閉ざされた空間でクレマンティーヌの叫びが虚しく木霊する。

 

「遂にだ、遂にこの時が来たぞ……」

 

 怪しく嗤うカジットの手の中で、黒い何かが脈動した。

 

 

 

 

 

「何だと!?しかし、それを一体どうやって知ったのだね?」

 

 モモンとリィジーから話を聞いた組合長は瞠目して声を上げた。ゆうに千を越えるアンデッドの集団が、墓地にひしめき合っているというのだ。その情報の信頼性を含め、懐疑的になるのは無理もない。

 

「ンフィーレア君には特殊なマジックアイテムを渡しておいたのですよ。居場所が直ぐにわかるように」

 

「……何故そのような物を渡していたのだね?」

 

 疑心を隠し慎重な面持ち疑問を向ける組合長に、モモンはあっさりと答える。

 

「彼のタレントを聞いたとき真っ先に考えたのは、悪用しようとする連中が居ないか、ということです。例えば今回のように」

 

「っ!あらかじめ予期していたというのかね?」

 

「当然です。少し考えれば誰でもそれくらいは想像できませんか?まさかこんなに早く事が起きるとは思っても見ませんでしたが」

 

 物怖じもせず事も無げに言ってのけるモモンに面食らいつつも、組合長は確かにその通りだなと納得し信用する事にしたようだ。更に有益な情報はないかと質問を重ねる。

 

「それで、相手に心当たりはないかね?」

 

「私はこの街に数日前に来たばかりです。あなた方の方がそういった心当たりはあるのでは?死霊術を使う魔法詠唱者(マジックキャスター)に。例えば、ズラ……何とか……とか」

 

「「「ズーラーノーン!!!」」」

 

 一同の声が重なる。

 

「なんたることだ……奴等の仕業だと言うのか!」

 

 組合長は机を叩き驚愕に身を震わせる。ズーラーノーンは国家規模での対応を要するとされる、途轍もない戦力の魔法詠唱者(マジックキャスター)集団なのだ。とても一都市の冒険者組合だけでは対応しきれるものではないと組合長は知っていた。

 

 エ・ランテルにはアダマンタイトはおろか、オリハルコン級の冒険者さえ居ないというのに、国家を脅かすズーラーノーンの相手など出来るはずもない。加えて現在、エ・ランテルで現役最高位の冒険者、ミスリル級の冒険者チームの一つが依頼で街を出払っており、まだ帰ってきてはいない。

 

 戦力的に余りにも心許ない。組合長の焦燥を読み取ったのか、モモンが口を開く。

 

「組合長殿、こんなときこそ冒険者の出番でしょう?まず墓地のアンデッドの対応には人数が必要です。墓地には可能な限り配置するべきです。それから住民の避難誘導もですね。低ランクの冒険者はそちらに当てるべきです」

 

「そ、その通りだな……!」

 

「リィジーさんも呼び掛けをお願いします」

 

「おうともさ!……ンフィーレアの事、アンタに任せるよ……!」

 

 矢継ぎ早に的確な指示を飛ばし始めるモモンを見ながら、組合長は自嘲する。これではどちらが組合長か分かったものではないと。

 

(しかし、そうだな。こんなときだからこそ、冒険者組合の長たる私が立ち止まってはいけないのだ…!)

 

「モモン君、実行犯についてはどうするつもりかね?聞いた話だけでも相当な実力者のようだが」

 

「それでしたら私に一案あります」

 

「おお!な、何だね?」

 

 先程から的確且つ深い洞察からくるだろう確信めいた言葉の数々に、組合長はモモンを単なる銅級の冒険者として見る事など出来なくなっていた。その堂々たる佇まいにはまるで何処かの王族の姿を幻視してしまう程だ。長として情けないとは思いつつも、彼に希望を抱かずにはいられなかった。




久々にダイジェストしてみます

クレマン「アハハー」

ペテル「英雄になるんだー!」

モモン「アレ?何も感じない……」

ルクルット「うおおおおーん!」

ナーベ「何でお前が!?」

ハゲ「喜べ」

クレマン「クソガー!」


クレマンティーヌ、このまま死んじゃう説浮上?


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#64 謎との遭遇

謎との遭遇、そして彼女が壊れます。


「はぁーっ、はぁーっ、ゴホッ、ゴホ……はは、あはははは……やった……やってやったぞコンチクショウが……!」

 

 閉じ込められた部屋の中で数百ものアンデッドの群れを倒しきったクレマンティーヌは、安堵と共に倒れ込んだ。オリハルコンでコーティングを施したミスリル製のスティレット。それを二本も使い潰してしまったのだから、如何に壮絶な死闘であったかが知れようというものだ。クレマンティーヌが大の字で倒れている下には、無数のアンデッドの残骸が敷き詰めるように積もっている。

 

「あー疲れた……。ッ!?足音?」

 

 微かに聴こえてきた足音に、クレマンティーヌは重い身体に鞭を打って上体を起こす。怪我こそ少ないが、筋肉が悲鳴をあげている。

 

「くそ、あのハゲか……?」

 

 折角アンデッド地獄を生き延びたと言うのに、今奴が戻って来たら不味い。そう直感したクレマンティーヌは脱出経路を探すが、この部屋から出られそうな所は一つしかなく、その出口の方から足音は聞こえてくる。

 

 周りは分厚い岩盤で、他に逃げられるような通路も、身を隠せるような隙間もない。加えて疲労困憊で全身の筋肉が痙攣を起こしている。だがやるしかない。半ば自棄糞気味に覚悟を決めたクレマンティーヌは、予備の新しいスティレットを抜き取り低く、低く構えた。

 

 〈能力向上〉〈能力超向上〉

 

 軋む肉体で無理矢理武技を発動し、扉が開く瞬間を待つ。空いた瞬間を狙って一撃見舞い、怯んだ隙に全速力で逃げる。これしかない。速さには自信がある。完全に(きょ)を付く事が出来れば一撃で仕留める事も出来るかもしれない。だが向こうもそれなりの危険を想定しているはず。そう甘くもないだろう事はわかっていた。だから逃げる事を最優先する。彼女は性格が歪んではいるが、狂ってはいない。実力に傲らず冷静に判断を下すだけの思考力も備えているのだ。

 

 近付いてきていた足音が止む。丁度今、扉の向こうに立っているのだろう。クレマンティーヌは限界まで引き絞られた弓の如く張り詰め、何時でも飛び掛かれる状態だ。

 

(さあ来いよ。一発お見舞いしてやる……!)

 

「ふむ、ここは……」

 

(この声、カジットじゃない…?)

 

 聞き覚えのない男の声。本来ならこんな処に居るハズがない。外は今頃アンデッドが溢れ反っているはずで、無関係の人間が入ってくる隙などないのだ。カジット達も上の霊廟で儀式を行っていたはず。運良く霊廟まで入って来られたとしても必ず鉢合わせする構造だ。だとすれば、カジットを戦闘の末に倒したか、不可視化などの隠形に長けているということになる。

 

(冒険者?ここまでアンデッドの群れを掻い潜って?この街にはそんな芸当が出来るような冒険者の情報はなかったはず。扉の向こうには誰が……?ああ、クソッ敵なのか?味方──いや、それはあり得ないか)

 

 自分に味方など誰も居ない。そう知っているのに、今さらそんな思考が何処から沸いて出てきたのかと自嘲する。

 

(色仕掛けでいくか……?男なら多少は隙が出来るだろ)

 

 自慢じゃないが見た目には自信がある。女として出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。顔立ちも整っている方だ。今は汗まみれでゾンビの汁やなんかも多少付いているが、若く白い肌は瑞々しさを保っている。まだ弱かった頃は、下衆野郎達に捕まり色々された事もあるが、現在では逆にそういった連中を人気のないところへ誘い込み、じっくりと甚振って楽しんでいる。

 

 ただ今は消耗が激しく、正面からまともにやり合うのは避けたい。裸を見せることで労せずして仕留められるのなら安いものだ。今更気にする程(うぶ)な乙女でもない。善は急げとばかりにクレマンティーヌは服を脱ぎ始める。元々露出の多い軽装の為、脱ぐのは容易だった。

 

 全裸になったクレマンティーヌは、マントで前を一部だけ隠し、出来るだけしおらしく見えるように表情を作る。マントの中には何時でも攻撃できるようにスティレットを隠し持って。

 

 やがて破壊音と共に石の扉が崩れ、男が姿を見せた。やはりクレマンティーヌには面識のない男だ。男はクレマンティーヌには目もくれず、室内を見回す。まるでその存在に気づいていないかのようだ。だが、それに文句を言う気は起こらない。それどころか、男を見た瞬間から言葉を発することさえ出来なくなっていた。ただひたすらに、祈るように、思う。

 

(見るな、頼むからこっちを見ないでくれ……アタシになんか興味を持たずに、このまま行ってくれ)

 

クレマンティーヌは息を潜め、ひたすらに願った。目に入った瞬間から、クレマンティーヌが伺い知れるだけでも絶望的なまでの実力差をヒシヒシと感じてしまったからだ。

 

(あり得ない……っこんなバケモノが王国に居るだなんて……!()()()()()()()()()()()()より強い……?いや、そんなのどっちでもいい、とにかく敵に回したらおしまいだ!)

 

 男は何かを探している様子だが、それはクレマンティーヌに対してではない事はわかる。この場に居るかもしれない誰かを探しているような、そんな雰囲気だ。幸いなことに、クレマンティーヌには路傍の石のように全く興味を示していない。

 

 一通り辺りを見回したあと、男は踵を返して歩き去ろうとする。男が遠ざかっていくのを見送りながら、クレマンティーヌが安堵のため息をつきかけたその時、からん、と握りしめていたはずのスティレットが落ちた。男がはたと足を止め、肩越しに振り返る。

 

「ふむ……一般人にしては随分()っているようだな。〈復讐者召喚(ネメシス・コール)〉」

 

 男がややハスキーな声で何かを唱えた。クレマンティーヌは信じられないものを見る事になる。

 

 

 同時期、とある洞窟────

 

「コイツ、なんなんでありんすか!?」

 

 シャルティア・ブラッドフォールンもまた、未知なる存在との邂逅に驚愕していた。

 

 

 

 

 

 

「本当に来るんだろうな?」

 

「来ます!」

 

 先輩冒険者に訝しげに訊ねられたペテルは確信をもって答える。召喚された無数のアンデッド達が墓地の外壁目指して押し寄せてくる頃には、既にかき集められた冒険者達が多く集まり、迎撃の態勢を整えつつあった。

 

「ん……?おい、見えたぞ!!」

 

 城壁の上で目を凝らしていた衛兵が、叫び声をあげる。

 

「マジかよ、本当に来やがった!」

 

「おー、見えた見えた。聞いちゃいたが、実際に見るととんでもねえ数だな」

 

「何だ、ビビってんのか?」

 

「はは、まさか!」

 

 準備を進めていた冒険者たちがざわめく中、組合長のプルトン・アインザックが外壁に立って檄を飛ばす。

 

「我々冒険者の使命とは何だ!それは人々をモンスターの脅威から守ることだ!我々が敗れれば、愛すべきこの街のすべてがアンデッドに奪われるだろう!我々こそがこの街の最後の砦なのだ!死んでも守りきれ!」

 

「「「おおおおおー!!」」」

 

 鬨を上げる冒険者達。元オリハルコン級冒険者の組合長が陣頭指揮を取る冒険者組合の士気は高い。骸骨(スケルトン)腐肉漁り(ガスト)食屍鬼(グール)といった低位アンデッドがひしめき合いながら一つだけ開かれた門に殺到する。が、それらに臆する者はこの場には居ない。

 

 魔法詠唱者(マジックキャスター)が支援魔法をかけ終え、(ゴールド)級、白金(プラチナ)級を主軸とした前衛メンバーがアンデッドの突進を受け止める。恐怖も痛みも感じないアンデッドは自らの体が砕け潰れる事も気に留めることなく突進を続けるが、集められた精鋭冒険者達が作る鉄壁の壁は容易には破れない。かといって耐え続けているだけでは圧倒的数で押し寄せて来るアンデッド達にいずれは引き潰される。

 

 壁役が突進を止めている隙に、隙間や壁の上からは次々に魔法や矢の攻撃が降り注ぎ、アンデッドを駆逐していく。この(シルバー)級以上の冒険者のみで構成された精鋭チーム達の中には『漆黒の剣』の顔もあった。

 

 ただ、ニニャの姿はこの場にない。襲撃を受けた時に負った怪我は治っているものの、魔力は戻っていない。魔力を回復させるアイテムは存在せず、時間の経過によって回復を待つしかない為だ。森司祭(ドルイド)のダインはまだ武器を取り直接戦闘が出来るが、生粋の魔法詠唱者(マジックキャスター)であるニニャにはそれができない。組合長から戦力外とされ、悔しそうに唇を噛み締めるニニャを置いて来るしかなかったのだ。今は(アイアン)級以下の冒険者達と共に住民の避難誘導に回っているはずだ。

 

「では、ナーベ君は遊撃しつつ、様子を見て厳しそうな時はフォローに回って欲しい。頼めるかな?」

 

「……良いでしょう。〈飛行(フライ)〉」

 

 そう言ってふわりと浮かび、墓地内へと飛び立つナーベ。かなり美人だが気難しそうな印象の彼女が素直に指示に従ってくれたことに、アインザックは内心安堵する。

 

 モモンの案はアインザック自らが陣頭指揮を執り、アンデッドの墓地外への流出を阻止している間にモモンが突貫して敵首魁を討伐。アンデッド発生の元凶を元から絶ち、それから掃討戦に移るというものだ。

 

 本来ならば駆け出しである(カッパー)級の冒険者の意見をそのまま採用し、更には最も危険な地に送り込むなどありえないが、『漆黒の剣』やリィジー・バレアレの言葉を信じるなら、彼ほどの適任者は居ないということになる。

 

 時間がないため詳しい事は聞けなかったが、彼の実力を垣間見た『漆黒の剣』の話では、森の賢王さえも単身で屈伏させたらしい。その強さは間違いなく英雄の領域だと言われたときは、嘘を言っているのではと疑いたくなった。首からぶら下げているのは(カッパー)プレートなのだから。だが、相手が英雄の領域に立つ実力者であろうと、彼の勝利を確信するリィジー達の様子に、アインザックも何故だか信じてみる気になったのだ。

 

(モモン君……不思議な男だな。いきなり街の命運を背負う戦いに身を投じるというのに、気負った様子もなく、あれほど堂々としていられるとは。あんなに肝の据わった男が只者であるはずがない……。だが、君に……君たちに頼る他ないようだ。頼んだぞ)

 

 

 

 

 

 

(どうなっているんだろうな……)

 

 アンデッドの有象無象への対応を冒険者とナーベラルに任せ、墓地内部に潜む敵首魁を目指して一人突貫した事になっているアインズは、自身の心境を分析していた。

 

 ナーベラルの痛ましい姿を目にしたとき、爆発するかと思われた感情の波は一瞬で完全に凪いでしまった。それまでならば、種族特性に因って起こる感情の鎮静化にはタイムラグがあり、鎮静化されたあともチリチリと残火のように燻っていた。その仕様が変わっていなければ、あの場では少なくとも一瞬は激しい怒りに身を震わせ、或いは激昂していただろう。

 

 ところが怒りの感情はまるで沸いてこなかった。最初に起きた動揺の波も、今までとは何か違う気がしていた。感情そのものが途中で掻き消えたような感覚で、燻っているような感じもしない。今も極めて平静な精神状態が続いている。直前の胸の痛みと何か関係しているのだろうか。もしかしたら、完全に精神が異形と化し始めたのかもしれないなと分析しつつ、それ自体には恐ろしさを感じない。淡々と恐ろしい推論を立てている自分がいる。

 

 今も全く感情に波は起きず、妙に冷静に思考できている。今ならアルベドの()()()を正面から受け止め、真顔で平然と歯の浮くような口説き文句を口にしながら尻を撫で回せそうな気さえした。流石にそんな常識外れな事を実行するつもりはないが。

 

 しかし、そんなアインズにも不可解と言わざるを得ない状況というものはある。

 

 霊廟の前には、如何にもな格好をした魔法詠唱者(マジックキャスター)が数名で儀式めいたことをしている最中のはずだったのだが、アインズが到着した時には既に誰も居ないようだった。

 

 しかしよくよく辺りを調べてみると、脱ぎ捨てられたローブらしきものが地面に残っていた。ならば中身は何処へ?その疑問の答えはローブの下にあった。どす黒く腐り果てた、()()()()()()になっていたのだ。

 

「つまり……コイツらは何らかの儀式を試み、失敗した、ということか……?」

 

 状況から推理しつつ、六人の成れの果てを確認したあと、ここにはこれ以上調べるべきものはないと判断し、霊廟内部を調べに入った。

 

 万一の時のために、ナーベラルに課していた使用魔法位階の制限は()()()()()()解除することを許可している。最高で第八位階まで使用できるならば、第七位階で召喚された程度のアンデッドなど問題にならないだろう。首謀者らしき魔法詠唱者(マジックキャスター)は既に死んでいるようだし、他に隠し球があるとも思えない。ならば向こうは完全にナーベラル達に任せて良さそうだ。

 

 内部には地下へと続く階段があり、そこを降りていくとすぐにンフィーレアの姿を発見した。一旦生存を確認したところで、目的の人物を探す。

 

「例の女戦士は……あの奥か」

 

 薄暗い霊廟内でも昼間のように見通す事が出来るアインズの視線の先。奥の壁には元は扉だったのだろう、崩れた石のようなものがある。その向こう側には空間があるようで、魔法による生命探知をしたところ、反応が一つだけあった。

 不可視化を解き漆黒のローブ姿から冒険者モモンの姿に変身する。

 

「ん……?」

 

 おかしい。中には間違いなく誰かが居る。足音も消してはいないので、奥の空間にも響いて聞こえているはずだ。だと言うのに、まるで動きがない。気付いてさえいないのだろうか。圧倒的に有利な状況であったとはいえ、ナーベラルに苦戦を強いた程の手練れが、足音に全く気付かないなんて事は有り得るだろうか?

 

(この場合、気づかないフリをして待ち伏せていると考えるのが自然だな……)

 

 モモンは警戒度少しを引き上げ、そっと中の様子を伺う。

 

「これは……どういう状況だ……?」

 

 モモンは、視界に飛び込んできた意味不明な状況を見ながら呟いた。視線の先には女が一人。ボブカットの金髪に赤みがかった瞳。それらの外見的特徴が、ナーベ達から聞いたクレマンティーヌという女戦士と符合する。だが────

 

(コイツ、何で裸なんだ?変態か?アンデッドの残骸が地面に転がってるっていうのに……)

 

 こんな薄気味悪いところでよく全裸になって座ってられるな。そんな感想を懐く。アンデッドになった為か現在はこのようなおどろおどろしい場所も平然と一人歩きできるが、人間だったらどうだろう。女が平然としていられるものだろうか。

 

 そんな彼女は今、アンデッドの残骸の上に全裸で座ったまま、何処に焦点を合わせるでもなく虚空に目を泳がせていた。その表情に残忍な印象はカケラもない。

 

 なんだか聞いてた話と全然違うんだが。そう思いつつ、モモンは本人確認を取ることにした。

 

「こんばんは」

 

 声をかけると、女はモモンの方へゆっくりと視線を向ける。そしてニコリと笑顔をみせた。穢れを全く知らないかのような、無垢な表情だった。そして──

 

「おじさんだぁれ?」

 

 コテン、と首を傾げて訊ねて来る女。男の前で一糸纏わぬ裸体を晒しているというのに、その事にはまるで頓着していない様子だ。しかし、たわわに実った豊満(ワガママ)な乳房を平然と放り出してるその態度は、そういった性の羞じらいそのものを知らない幼女のようでさえある。

 

 あまりにもチグハグな外見と中身、前情報との違いのに、モモンは若干の戸惑いを覚えた。頬面付兜(フルフェイスヘルム)のスリットから、観察するべきところはしっかり観察していたが。

 

(金髪だと本当に()()()()()なのか。初めて見た。一つ勉強になったな……)

 

()()()とはどっちなのか、()()とはどうなのかは、この場では本人のみぞ知る。ちなみにあの欲求は全く沸いてこず、気恥ずかしさのような動揺もまるで感じられない。知的好奇心のみが充足感を得たようだった。

 

「私はモモン。冒険者だ。君の名前を教えてくれるかな?」

 

 モモンが先に名乗ってから女に名前を訊ねる。すると名乗った名前はやはり予想したとおりだった。

 

「クレマンティーヌ」

 

「そうか。……君はここで一体何を?」

 

 やはりコイツがそうなのか。だがナーベやペテルから聞いていた話とはまるで別人のような印象だ。考えている事を表に出さず、モモンは質問を投げ掛けた。すると女は再び首を傾けながら虚空に視線を泳がせる。何と答えるか考えているようだ。

 

「えっとねー」

 

(ふ、実は演技なんだろ……?一見無垢な表情の裏で、この場に居た言い訳を考えているというわけだ)

 

 モモンはこれが女の演技に違いないと予測し、内心で鼻を鳴らす。油断を誘って襲い掛かってくるつもりなのだろう。ペテル達の証言から推測するに、人を殺す事に快楽を見出すタイプの人間らしい。表面上はあどけない童女のような演技をしながらも、内心では残忍な殺害方法を考えているに違いない。

 

(得意武器は刺突系だったな。一見丸裸だが、近くに隠しているのか?)

 

 武器や戦闘方法についても既に情報は入手済みだ。彼女は目の前のモモンとナーベが繋がりを持っていると知らないはずだ。ナーベ達は炎に焼かれて死んでいるとさえ思っているかもしれない。だが実際は既に情報というアドバンテージを持っているモモンに対し、クレマンティーヌはモモンの事を何も知らない。

 

 骸骨(スケルトン)系のアンデッドは刺突攻撃に対して種族特性として強い耐性を持っている。()してやモモンの中身は最上位のアンデッド、死の支配者(オーバーロード)である。彼の認識ではオリハルコンと言えば比較的柔らかい金属であった。ユグドラシルの希少金属と比べれば、この世界で最上位と言われるアダマンタイトですら柔らかい方なのだ。オリハルコン程度で作られたスティレットでつつかれたところで、ダメージを受けるはずがないのだ。

 

(嘘で塗り固めてやり過ごそうとしているのだろうが、全部お見通しだぞ?全て見透かされていると知ったとき、お前はどんな絶望の色を見せてくれるんだろうな?)

 

 優位に立っているモモンの胸中に、暗い欲望が影を落とす。その無垢な顔を絶望に染め、苦痛に悶えながら必死に赦しを乞う女を、肉の一片も余すことなく蹂躙し尽くしてしまいたい。しかしそれは本人も自覚していない程度のほんの微かなもので、理性的な部分が目の前の人間の価値を冷静に値踏みする。

 

(しかしナーベに大怪我を負わせる事の出来る者が、現地人に一体どれ程いるだろうか。相性にも拠るだろうが、コイツはプレアデス位なら互角に渡り合えるのかもしれんな。ガゼフ・ストロノーフがこの辺りで最強と言われるくらいだから、この女ほどの人間はそうそういないか?となると、ここは殺して終わりにしてしまうよりも、生かして恩を売り、有効利用を考える方が価値的か……?)

 

 例えば、人間への応対を練習させる為の教材としてはどうか。ニグンも悪くないのだが、アレは狂信的な態度が過ぎるので、好き嫌いが別れる。それにガゼフ・ストロノーフ位に強いなら、ユリ辺りがついうっかり殴り飛ばしてしまったりしても死ぬことはないだろう。何らかの武技の使い手ならその仕組みを研究し、習得法を探るのも良いかもしれない。あるいは鍛えてみて、現地人がどこまで強くなれるかのサンプルとしても良いかもしれない。

 

(まぁ、コイツの態度次第だな。素直に従ってくれるなら生かすことも考えよう。だが牙を向いてくるなら……)

 

 一切容赦はしない。冷静なモモンの思考は数舜のうちに様々な算段を立てる。そうして相手の出方を待っていると、クレマンティーヌの口がへの字に曲げた。

 

「どうした、答えられないか?」

 

 答えに窮しているなと思い、モモンは少し意地悪な声を出す。それを聞いたクレマンティーヌがジワリと涙を滲ませた。

 

「分かんない……イイコで寝てたのに、起きたらここにいたの。兄様もいないし……」

 

(……は?)

 

 言いながらクレマンティーヌは目尻にジワリと涙を滲ませる。頬には既に涙を流したような跡がある事にモモンは初めて気付いた。全裸でここまで迫真の演技が出来るのなら、その面の皮の厚さにある意味敬意を抱くかもしれないが、どうやら演技ではなさそうだ。

 

「あー、わかった。わかったから泣くな」

 

言いながらモモンは片手で頭を抱える。

 

(どうなってる?どうやら嘘は言っていないみたいだが、例の女戦士はコイツで間違いないんだよな?何も覚えてないのか……?もしかして二重人格というやつか?残忍な大人の人格と無垢な子供の人格があって、何かの拍子に入れ替わるとか……)

 

「あれ……」

 

「ん、どうした?」

 

 精神が幼女化しているらしいクレマンティーヌは立ち上がって声をあげる。何か思い出したかと思ったが、そうではなかった。

 

「お顔近い。小さいおじさん」

 

「いや違う、逆だ。君が自分が思っているより大きいんだ」

 

 モモンに反論され、クレマンティーヌは一瞬キョトンとした顔をして自分の身体を見下ろす。

 

「……オッパイが大きくなってる。変なところに毛も……。いっぱい寝て大人になったのかな?」

 

 クレマンティーヌは不思議そうに大人になったらしい自分の胸を揉んだり左右から寄せてみたりと弄りまわしている。

 

「さあ、どうだろうな……?」

 

(俺に聞かれてもな。というか、体が大人になったんじゃなく、中身が子供になったんじゃないのか?)

 

そう思うがそんなツッコミを入れたところで今のコイツには理解できなさそうだと思ったので何も言わない。とりあえず服を着るように促したが、自分の大きな胸に興味を引かれているようで、ピンク色の先端を揉んだりつねってみたりと、まるで女体化した少年である。

 

(しかし、何も感じないな。こんなの見たら流石にドキッとしてもおかしくないと思うんだけど……仕草が余りにも子供っぽいからか?)

 

 何となく残念な気がしないでもないが、今更そんな欲求だけあっても仕方ないと、チラリと失ったモノの辺りを見つつ思考を切り替える。彼女が服を着るのを待って、モモンはクレマンティーヌに提案する。

 

「ここは墓地。お墓だ。アンデッドが襲ってくるかもしれないし、一人でずっとここにいるのは危ないぞ?取り敢えず、一緒に付いてくるか?」

 

「うん」

 

 何も疑うことなくそう言って素直に着いてくるクレマンティーヌ。彼女をどう扱うべきか、また、冒険者組合やナーベラルにどう説明しようか考えていると、ンフィーレアの姿を見つけて「このお兄ちゃんヘンタイさんなの」と聞いてくる。先程まで自分も全裸だったろうに。

 

「おちんち」ああ、見ちゃいかん。少し向こうを向いて目を瞑っていてくれ」……?うん」

 

 首を傾げながらも、クレマンティーヌはモモンの言葉に素直に従い、背を向けて手で目を覆う。それを確認してから本来の姿に戻った。

 

「〈道具上位鑑定(オール・アプレーザル・マジックアイテム)〉……ゴミ性能だな。〈上位道具破壊(グレーター・ブレイク・アイテム)〉」

 

 ンフィーレアの額に装着されていた『叡者の額冠』を鑑定したが、デメリットが大きすぎて使い物にならないと判断し、即座に破壊を決断した。持ち帰って研究させることも一瞬考えたが、アインズ・ウール・ゴウンの名を知るリィジーから救出を頼まれたのだから、故意に失敗するわけにはいかなかった。

 

 とりあえずスケスケの恥ずかしい格好を何とかしてやろうと、真っ赤なマント(ネクロプラズミックマント)で身体を包んでやる。長さで負けただとか、太さでは勝っているだとか、俺はちゃんと剥けてたとか、今更無いものを比較するのは止めにした。ひとまずはこれで良い。ンフィーレアをマントで包んだところで〈伝言(メッセージ)〉が届き、応答する。

 

「アインズ様、今よろしいでしょうか?」

 

「エントマか?」

 

 声の主はエントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。戦闘メイドプレアデス六姉妹の()()()()()である。ナザリックで留守番中のはずの彼女から連絡があるとは思っていなかった。アインズが忘れているのでなければ、少なくとも予定にはない事だ。

 

「何か急ぎの用件か?出来れば手短に頼む」

 

「はい。実は、シャルティア様が……」

 

「何……!それは確かなのか?……そうか」

 

 エントマから驚愕の報告を受け、また胸に痛みが走る。そしてやはり感情の波は起こらない。信じられないほど冷静だ。とはいえ、緊急事態である事には違いない。急ぎ事態の収拾を着け、ナザリックへ帰還せねばならない。

 

「今はこちらも手が離せない。念のためリムルにも連絡を取るよう、アルベドに伝えておけ。私も出来るだけすぐに戻るとしよう。ではな」

 

(まだコイツをどうするか決まっていないが……それは組合に任せるとしよう)

 

 クレマンティーヌの現在の価値を量り兼ねたアインズは、組合に処遇を任せることにした。はっきり言って今の子供の状態のままではナザリックにとって利用価値が認められない。元に戻る可能性がゼロではないが、戻らなかった場合はただの子供同然である。ならば組合で煮るなり焼くなり好きにしてもらおうと考えたのだ。幼児退行していようが、コイツが何人も冒険者を食い物にして来たのは事実。突き出した先でどう処分されようが自業自得だろう。

 

 アインズは再び戦士モモンに扮し、ンフィーレアを肩に担いで歩き出す。

 

「さあ行こうか」




名ゼリフの「クソがぁー!」は出てきません。
アインズ様の精神に何が起きているのでしょうか?
シャルティアが何を見たのか、クレマンティーヌの身に何が起きたのかも含め、物語の中で明かされていく予定ですが、あの計画はまだ始まったばかりです……。


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#65 見えない歪み

クレマンティーヌの事後処理と、あの人達の近況です。


骨の竜(スケリトルドラゴン)が同時に3体も出たときは流石にヤバいと思いましたが、終わってみれば死者はゼロ、完全勝利でしたね」

 

「あれがモモン君の実力……いや、その一端か。ペテル君が言っていたことは大袈裟でも何でもないと確認できたよ」

 

「あれは確かに凄まじかったな」

 

「ですよね!やっぱり、皆さんから見てもそう思いますよね!?」

 

「いや、そんな大袈裟な……」

 

 ミスリル級冒険者チーム『虹』のリーダー、モックナックが述懐し、組合長アインザックも機嫌良さげに頷いている。同じくミスリル級のチーム『天狼』のリーダー、ベロテの言葉に、ペテルも興奮した様子で同意する。モモンが認められた事をまるで自分の事のように喜んでくれるのは有り難いが、盛り上がりすぎな気がする。

 

 骨の竜(スケリトルドラゴン)。大量の骨が集まって竜を象るそのアンデッドは、魔法への完全な耐性を備えており、ありとあらゆる攻撃魔法を無効化してしまう。謂わば魔法詠唱者(マジックキャスター)にとって天敵のようなモンスターだ。3メートルを越える巨体から繰り出される攻撃も重く危険な、討伐難度にしておよそ48という難敵である。

 

 大量のアンデッドを半数以下に減らした頃、それが二体同時に現れたときには誰もが焦りを覚えた。ベロテ率いるミスリル級冒険者チーム『天狼』が巧みに翻弄して一体を引き離していき、もう一体は同じくミスリル級の『虹』が受け持ったのだが、そこへ更にもう一体現れたのだ。

 

 単体であればミスリル級冒険者チームで難なく倒せる相手だが、既に二体をそれぞれのチームが相手をしており、すぐには対応できない。三体目をどうするか。大量のアンデッドを相手に疲労が貯まっている白金(プラチナ)級以下の冒険者には少しばかり荷が重い。魔法への絶対耐性がある以上、遊撃で目覚ましい活躍を見せてきた魔法詠唱者(マジックキャスター)のナーベも、心なしか苦い表情に見えた。

 

 壁を破られれば、数が減ったとはいえまだ大量に残っているアンデッドの市街地への流入を許してしまう。戦うことが出来ない一般市民は瞬く間に殺されてしまうだろう。元オリハルコン級で現組合長のアインザック自身も既に前線で戦っており、集合する死体の巨人(ネクロ・スオーム・ジャイアント)の相手に梃子摺っていた。とてもではないが骨の竜(スケリトルドラゴン)の相手までする余裕などない。このままでは均衡が破られてしまう、誰もがそう思った矢先だった。

 

 骨の竜(スケリトルドラゴン)の頭蓋に、何処からか投げつけられた巨大な剣が突き刺さったのだ。その一撃で、骨の竜(スケリトルドラゴン)は体勢を大きく崩し、横に倒れた。そこへ上から飛び乗って、刺さった剣を頭から尻尾まで()()()一気に振り抜く黒い全身鎧の男。一人敵の本拠地へ突貫していたモモンだ。肩には赤いマントに包まれた少年を担いでいる。彼が無事戻ってきたということは、首魁は既に討たれたという証左でもある。

 

 モモンが振り返り頷きかけると、アインザックが「仕上げにかかるぞ!根性見せろよお前ら!」と号令をかけ、終わりが見えたことで疲労の色が濃かった冒険者達も目に見えて息を吹き返したのだった。

 

 あの時、モモンが駆け付けていなかったらどうなっていたか分からない。そうペテルは述懐するが、実際にはモモンが来なくても、街にアンデッドが流出する事は無かったはずだ。冒険者が対応できなくなったと判断した時点で、あとはナーベが全て片付ける予定だったからだ。

 

 因みに骨の竜(スケリトルドラゴン)の持つ魔法の絶対耐性とは、正確には第六位階以下の魔法を無効化する能力であって、全ての魔法を無効化出来るわけではない。つまりナーベラルがその気になれば、第七位階以上の魔法を行使して問題なく倒せるのだが、現地の魔法詠唱者(マジックキャスター)に第七位階の使い手は居ないようなので、絶対耐性という解釈もある意味間違いではないかもしれない。

 

 皆が手当てを終え、その多くは勝利を噛み締めながら宿へ戻ったり酒場に繰り出して行った。そんな中、モモンとナーベ、『漆黒の剣』『虹』『天狼』が冒険者組合に詰めていた。現在は組合長の部屋にそれぞれのチームリーダーが集められ、会議をしている。

 

「ではモモン君のチームの今回の活躍を加味し、ミスリル級への昇格に異論はないかな?」

 

「ええ、勿論です」

 

「俺にはオリハルコンでも良い位に思えますがね?」

 

「私もそうは思うが、流石に実績が少なすぎると下の冒険者達のやっかみがないとも限らんからな。今回はこれが限界だろう」

 

「た、確かに……」

 

 ベロテはもっと上でも構わないと言うが、アインザックの言うことも分からないではない。数日前に登録したばかりの駆け出しが、一気にミスリル級に飛び級するのだ。これだけでも前代未聞、破格の待遇と言える。それに対して嫉妬心を懐き、難癖をつけてくる者もいるかもしれない。

 

 だが、モモンとナーベの活躍ぶりは多くの冒険者仲間がその目で見ており、危ないところをナーベの魔法に救われたという者も少なくない。文句を付ける奴などそうそういるはずはないのだが、ベロテは実際にそれを見ていない者、特に()()()は黙ってないだろうなと、此処には居ないもう一つのミスリル級冒険者チームのリーダーを思い浮かべ、納得する。

 

「しかし、いきなりミスリル級なんて、私達に務まるでしょうか?まだ街の生活にも馴染んでいないのに」

 

「心配はない。君達の実力は十分に足りていると思うし、実績もすぐに着いてくるだろう。つまらない文句を言ってくるような奴は私が黙らせるさ」

 

「は、はぁ……」

 

 妙に気前の良い組合長の態度をモモンは不審に思いながら、一応社交辞令として謙遜して見せる。本当は早くアダマンタイトに昇格したいが、調子に乗ってそんなことを口にしては不遜な男だと思われ評価を下げられかねない。

 

 モモンの謙虚な姿勢を見たベロテとモックナックは好意的な目を向けてくる。どうやら効果は上々のようだ。組合長の妙な視線は気になるが、何はともあれ、モモン達のミスリル級への昇格は概ね話がまとまった。だが、大きな問題が残っていた。

 

「それで……()()はどうなっているんだね?」

 

「私も何がなんだか……突入したときには既にあの調子でして。考えられるとすれば、何らかのショックで記憶を失ってしまっているか、あるいは二つ以上の人格が何らかの切っ掛けで入れ替わる、というところでしょうか。いずれにしても、はっきりしたことは何とも……」

 

「うーむ……」

 

 そう、クレマンティーヌが問題であった。彼女の姿を見た『漆黒の剣』達は武器を握って臨戦体制を即座に取った。合流したニニャも思わず敵意を向けて杖を構え、魔法をぶっ放しかけた程だ。しかし一度は殺されかけた相手なのだから当然の反応だろう。

 

 実際に戦ったもう一人、ナーベはというと、そもそも顔をよく覚えていなかったようだ。ペテルに「襲って来たのは彼女で間違いないですよね」と聞かれ、こんな顔だったかな?と言いたげな微妙な表情を浮かべ首をかしげたときには、モモンとペテル以外にも何人かは脳裏に()()()()が思い浮かんだ事だろう。

 

 微妙に緊迫した空気を読んでか読まずか、あどけない無垢な笑顔を向けるクレマンティーヌに、『漆黒の剣』は瞠目した。あの嗜虐に歪んだ獰猛な笑みは何処へ消え失せたのかと。

 

「本人があの様子では、罪を問うのは難しいでしょうか……」

 

 ペテルがおずおずと口を開く。襲撃に遭った本人がそう言ってしまうほど、今の彼女はおかしい。いや、襲撃に遭った時も違う意味でおかしかったのだが。

 

「ああ、流石にあれではな……。ふーむ、どうしたものか……」

 

 アインザックもまさかの事態に、対応を決めあぐねる。ペテル達から聞いていた話とは余りにその人物像がかけ離れていたため、別人かと思ったほどだ。だが容姿と名前が証言と一致したため、本人で間違い無いと判断した。

 

「ただ、記憶喪失にせよ、人格交代にせよ、いつまた凶悪な殺人鬼に戻るとも限らん。万が一そうなったときにも即座に対応出来る体制にはしておきたいが、それには……」

 

 言いながらアインザックがモモンに視線を送り、他の面子からも視線が集まってくる。

 

「……私、ですか?」

 

「う、うむ。済まないが、君の下に預かって貰うのが一番良い」

 

(やっぱりそういう流れになったか……)

 

 モモンもこれは予測していた。対応に困る厄介な案件の担当を無理矢理押し付けるパターンである。処罰しないならそうなるだろうな、と思った通りの展開である。

 

 だがクレマンティーヌを預かるにしても、当面の依頼はどうするか。それは冒険者活動においては死活問題であった。依頼先に一緒に連れ回すのは如何なものか。かといって依頼を受けずに暫く籠っていられるほど金銭的な余裕もない。モンスター討伐報酬とリィジーからの依頼金だけしかないのだ、資金は心許ないと言わざるを得ない。

 

(何処かに預けようにも託児所なんてあるわけないし、あっても体は大人だ。無理だろうな……最悪、一人で依頼をこなす事になる。納得してくれれば良いが……)

 

「……分かりました。側に置いて暫く様子を見るという事ですね」

 

 良い案はすぐには浮かばないが一旦預かる他ないと判断したモモンは、彼女の身柄を引き受けることにした。記憶が戻ってくれればその時本人と交渉する事にしよう。それよりも早く話を切り上げてナザリックへ戻らなければならない。

 

「ああ、もし()に戻った場合は……」

 

「その時は、一度だけチャンスを貰えませんか?」

 

「チャンス?」

 

 モモンはここで一つの提案をした。彼女にやり直す機会を与えてはどうかというものだ。説得はモモンが行い、暴れても周囲に被害は出ないようにすると約束する。最悪の場合は殺すしかないとも言っておき、了解をとっておくのを忘れない。これなら一応ナザリックの協力者として引き入れる可能性も残せるし、ナーベも分かりやすく目的があった方がやる気が出せるはずだ。クレマンティーヌの説得が出来ないなら組合に引き渡すなり、襲い掛かってきた事にして殺しても問題はないだろう。

 

「わかった。他ならぬモモン君が言うなら、君に任せるとしよう」

 

「ありがとうございます。では、他に何もなければ、私は宿へ戻ります。彼女に新しい部屋や着替え等も用意してやらなければならないので」

 

「すまないね、頼む。ああそれと、新しいプレートは明朝以降に受け取れるようにしておく。昼前にでも組合に顔を出してくれ」

 

「分かりました。では、失礼します」

 

 モモンが一礼して部屋を後にした後、モックナックとベロテは感心した様子でドアを眺めていた。

 

「とんでもない大物新人もいたもんだな。実力は超一流、それでいて態度は謙虚で誠実……」

 

「冷静沈着で頭も切れるし、相棒は超べっぴんの魔法詠唱者(マジックキャスター)ときた。その相棒が怪我させられた相手にもあの寛大な対応。正直な所、敵う要素が見当たらないぞ……」

 

「やっぱり、先輩方でもそう思われますか?彼ならすぐにアダマンタイト級になっても不思議じゃないですよね!?」

 

 ベロテもモックナックも、地道な努力を重ね、実績を積んでミスリル級の地位にまで上り詰めたクチだが、モモンに対しては嫉妬よりも、規格外の大物といった印象を感じたようだった。ペテルは自分が見つけた宝物を自慢するかのような、誇らしい気分になる。

 

「ふふ、アダマンタイトか……我が組合から遂に輩出されるかもしれんな」

 

「彼ならあり得ますね」

 

「確かに。相棒のナーベって娘はちょっと天然っぽいが、それを押しても実力は十分にある」

 

 アダマンタイト級。それは全ての冒険者の頂点に立つ、生きる伝説のような存在だ。現在王国には二組いるが、いずれも常人離れした活躍を耳にする。モモン達も近い将来そこに名を連ねる事になるのではないか。そんな期待をこの場の誰もが寄せ、少年のようにワクワクした気持ちになっていた。

 

「我が組合に腰を据えて活動してくれると嬉しいのだが……そういえば、彼の素顔はどんなだ?」

 

 アインザックに訊ねられたペテルはそういえば見たことがないということに気付く。

 

「まだ見たことがありません。一度も……」

 

「そうなのか?数日間行動を共にしたんだろう?」

 

「ええ。ですがその、兜を脱いだところは一度も見たことがないんです。あまり素顔を見せたがらない様子でした……。何か事情があるかも知れないので、興味本位で追求するのも……」

 

 段々とペテルの声が尻すぼみになる。まだ自分達は信用して貰えていないのだろうか。自分達は彼にとってどれ程の存在だろう。自分達が勝手に舞い上がっているだけで、相手にされていないのでは。そんな寂しさのような、不安感のようなものが胸をよぎる。

 

「もしかしたら、顔は相当な不っ細工だとか?」

 

「ぷっ、それはないだろ、流石に。それなら、顔じゅう傷だらけの方があり得る」

 

「ふふ、読みが甘いな、お前達は」

 

 ベロテとモックナックが冗談のつもりなのかそんなことを言い出す。ペテルの心境を察してのことだろう。そして得意気に人差し指を立てるアインザック。

 

「こういうのはどうだ?実はモモン君は遠方の国の王侯貴族で、ナーベ君は彼の身分違いの恋人。何らかの事情で出奔し、追っ手の目を欺くため彼は顔を隠している、とかな……」

 

「組合長、意外とロマンチストだったんですね……」

 

「事情ってやっぱり駆け落ちですか?」

 

「……オホン、いずれにしてもだ」

 

 モックナック達に茶化され、アインザックが照れ臭そうに咳払いを一つして話題を切り替える。

 

「兎に角彼は十年、いや、百年に一人の逸材だ。どんな手を使ってでも引き留めておきたい。協力してくれたまえ」

 

 手放したくない人材なのは間違いないだろうが、どんな手を使っても、というのは引っ掛かる。ペテルだけでなく、ベロテとモックナックからも非難の視線が向けられ、アインザックはそれに気付いて言い直す。

 

「……言っておくが、弱味を握って脅すとかじゃないぞ?彼が満足感を得て、この街を離れたくないと思わせられるような何か。それを提供しようという意味だ」

 

「ああ、そういう……じゃあ、例の高級娼館とかどうですかね?いい女を抱けば、雄の本能的に離れがたくなるってもんじゃないですか?」

 

「弱味じゃなく、ナニを握ろうというわけか」

 

 今度はペテルが渋い顔になる。憧れの英雄が色にかまけて街に釘付けになるとか、ちょっと想像したくない。そんな人じゃないと思いたいが、同じ男である以上、男の(さが)には逆らいがたいものがあるかもしれないが。スケベな顔をしながらモモンを誘う段取りを話し始める二人。

 

「色に溺れるタイプじゃ無さそうだけどな。お前はどう思う?」

 

 苦笑いを浮かべ、小声でペテルに囁きかけるモックナック。ペテルも苦笑いで首を振り、アインザックとベロテの顔を横目でジトッっと見る。二人は自分も一緒に楽しむつもりなのか、デカイ乳に挟まれたいだとか、挟まれるなら太腿だろう等と、段々と下世話な話題をし始める。

 

「あー、俺はそろそろ行きますんで……」

 

「私も、お先に失礼します」

 

 すっかり鼻の下を伸ばして顔がスケベ親父と化した二人を呆れた目で見やりつつ、ペテルとモックナックは部屋を後にした。

 

「ありゃ絶対失敗するぞ」

 

「ですね……」

 

 アンデッド狩りがアンデッドになる、そんな言葉を浮かべつつ、二人は肩を竦めて仲間のもとへと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 宿に戻った時、クレマンティーヌは既にスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。ペテル達に殺人狂と言わしめるような残忍な性格は今の姿からはとても信じられない。そんな彼女の性格を歪めるほどの何かがあったのだろうか。性格は遺伝より育った環境が大きく影響すると死獣天朱雀が言っていた事を思い出しながら、外から聴こえてくる会話が耳に入り、やれやれと首を振る。

 

 黒髪の美女に飽き足らず、今度は金髪美女もお持ち帰りか。今夜は二人まとめて……羨ましい。酒の肴にそんな噂をしている。冒険者達はアンデッド騒ぎで駆り出されたはずだが、相も変わらず下の連中は飲んだくれているようだ。ちゃんと出動要請に応じたかさえ怪しい。

 

(アイツ等の中で、俺はどんだけ絶倫なんだろうな?実際は何かしようにも()()も無いんだけどな……)

 

 眠りこけているクレマンティーヌを追加で取った部屋へ運び込み、ベッドに寝かせる。まだ夢の中にいるだろうあどけない表情の彼女の短い金髪を撫で付けてみたが、アインズの胸中には幼子に向ける庇護欲も、女性的な身体付きに対する肉欲的なものも浮かばない。その代わりに何か、もっと別の何かが燻っているかのような、妙な感覚がある。それが何かまでは判然としないが。

 

(怒り……?悲しみ……?違うな。もっと別の何かだ。……後でゆっくり考えよう)

 

「ナーベ、お前はここでコレの様子を見ていろ。目覚めたら必要に応じて面倒を見てやるように。私は一旦ナザリックへ戻る。すぐには戻れないかもしれないが、万一私が居ない間にコレの記憶が戻ったり、他に何か困った事があれば知らせるように」

 

「は、畏まりました」

 

 一旦自分の心の中にある何かについては考えるのを止め、アインズはナーベラルに指示を出してナザリックへと帰還することにする。冒険者の設定を忘れて跪き臣下の礼を取るナーベだが、人前ではないのでそれをいちいち指摘はしなかった。元々借りていた方の部屋に入り、戦士から魔法詠唱者(マジックキャスター)に戻ったアインズは、アルベドへと〈伝言(メッセージ)〉を送る。

 

「私だ。遅くなったが、これからナザリックへ帰還する。そうだ。ん?リムルもまだか……。まあいい。ヤツと合流する前に詳細を確認する。ではな」

 

 

 

 

 

 

 所変わってバハルス帝国、帝都アーウィンタール。

 

「ここの料理も中々……ヒナタも遠慮せずにもっと食べればよかったのに。なぁ、ミリム?」

 

「うむ、そうだなっ」

 

 ナザリック程ではないとはいえ、ミリムは美味しいご飯をたらふく食べられてご満悦であった。寝泊まりする場所も用意してくれるというのだから、彼はなかなか太っ腹だ。

 

「はぁ、全く。いい気なものね」

 

「別にいいじゃないか、ちょっとくらい。ヒナタが人気者になったんだし。……ちょっとしたモテ期じゃないか?」

 

「今、笑ったわね?喧嘩売ってる?そういう事でいいわよね?」

 

「いやいやいや、そんなわけないだろ?ホント、羨ましい限りだぞ?俺なんか、ナザリックじゃ敬遠されてたっていうかむしろ嫌われてたぞ?」

 

 いや、別にモテたいわけじゃないんだけどさ。嫌われるのは気持ちいいものではないのだ。どうしてああなっちゃったんだろうな……。

 

 さて分かりやすく青筋を立てて怒っているヒナタだが、俺は別に悪くないはずだ。多少ニヤニヤしてしまったのも、不可抗力というやつだ。俺達は今、皇帝直々の招きで皇城に来ている。どうしてこうなったかと言えば……。

 

 実は闘技場の試合が終わったあと、(俺からふんだくった)賞金で街で服やらマジックアイテムやらを買おうと見て回っていたんだが、エルヤーの奴隷だったエルフ達がやって来て、人目も憚らずひれ伏して「私達のご主人様になってください」と懇願してきた。

 

 ヒナタって、あんな顔もするんだな。闘技場でも同じように懇願されていたらしいけど、今度は何故か手足のないエルヤーというオマケ付きだった。要らないだろ。

 

 しかし元の主人がこんな有り様では行くあてもないと言うので、仕方なく連れて歩くことにしたのだが、手足のないエルヤーを引きずり回すのもなんだ。ズタ袋に入れて三人で引き摺ってきた時は一体なんの荷物かと思ったが、見苦しくないようにと言われて成る程と思ってしまった。

 

 しかし街中ズタ袋を引きずり回すのもなんである。中身は一応生きた人間だったわけだし。というわけで、自分で歩けるように両足と左腕だけは治してやった。感謝するかと思えばすぐさまリベンジしようとヒナタに挑み掛かり、拳で秒殺されたのには呆れを通り越して笑った。何処にでもいるよな、学習しない奴って。

 

 返り討ちに遭ったエルヤーはボコボコに腫らした顔で、エルフの女の子達と仲良く(?)ボール遊びをしていた。あれはなんていう球技なんだろうな?とりあえず、流行る気はしない。結局エルヤーは荷物に逆戻り……女の恨みは怖いな。

 

 その後も闘技場の活躍を観ていたらしい人々から黄色い声援が飛び、握手を求められ、更には帝国の有名な騎士らしいニンブルとかいうイケメンが花束を抱えてお茶(デート?)を申し込んできたりと、とにかくヒナタさんはモテモテなのだ。

 

 素っ気なくデートのお誘いをヒナタが断ったと思ったら、今度はニンブルの先輩だか上司だかのオッサンが来て、眉毛のない野性的な顔をひきつらせながら「実は会って欲しい人が……」と本題を切り出し始めたのだった。

 

 案内された場所で待っていたのはこの国の皇帝だった。彼はヒナタの戦い観て、いたく気に入ったらしく、短刀直入に自分に仕えないかと言ってきた。そしてやはりコイツもイケメンである。爽やかな笑顔の裏に野心を感じる気はするが、どこぞの腐った貴族(タヌキジジイ)共より、幾分好感が持てるな。やっぱり顔が良いと得するのか?

 

 ヒナタは誰かの下で仕える気はないとにべもなく断った。それで機嫌を損ねるかと思ったが、皇帝は「どうやら二人揃って振られてしまったな、ニンブル」と肩を竦めて笑って見せた。中々ユーモアもある。ニンブルの誘いは皇帝に会わせる為の口実かと思っていたが、実は割と本気(マジ)だったようだ。

 

 皇帝は少し考えたあと、頼みを一つ聞いて欲しいと言ってきた。それは帝国でも指折りの精鋭騎士四人に、少しでも良いから訓練を着けてやって欲しいというものだ。

 

「勿論報酬も支払う。どうだろう、短期間でも受けてくれないか?」

 

「……何が狙いだ?」

 

 ヒナタは何か裏があるのではと疑っていたのだが、相手の対応は意外な程正直なものだった。

 

「ふぅ……仕方ない。全て正直に話そう」

 

「陛下、良いんですかい!?」

 

「ああ、構わん。お前たちも出てこい。どうせ気付かれているだろうしな」

 

 皇帝の背後の壁に隠れていた二人が出てくる。どうやらここにいる四人が指折りの精鋭騎士らしい。俺もヒナタも最初から気付いていたが、自分から明かすとは思っていなかった。本当に腹を割って話すつもりのようである。腹芸も得意なんだろうが、本音を晒す大胆さも持ち合わせてるようだな。

 

「我がバハルス帝国はここ数年大きく変革中でな、誰かが腐敗した貴族を一斉に粛清したせいで、慢性的な人手不足に陥っている。だから優秀な人材は一人でも多く欲しいのだ。サカグチ、君ほどの人材ならば喉から手が出るほどな。二つ目は、ニンブルの花嫁探しだ。珍しくこいつが入れあげているようだったので、応援してやりたかった。そして三つ目は……ん?」

 

 ヒナタが少し口元を弛めたのを見て、少しは芽があるかもしれないと思ったのか、皇帝はチラリとニンブルを見る。

 

「どうやらそちらの可能性はまだある、のかな?ふふ、良かったなニンブル」

 

「ほ、本当ですか……?」

 

 ニンブルも顔を赤らめながらも期待の眼差しをヒナタに向ける。

 

「なんだ?ヒナタも嬉しいなら素直に……」

 

 だが俺がそう言いかけた瞬間、ヒナタに凄い目で睨まれた。何なんだよっ。

 

「んんっ、その話はさておき、三つ目は?」

 

 ヒナタはニンブルの事は一旦棚上げして言いかけていた三つ目の理由を問いただした。

 

「あ、ああ。君達も知っているだろうが、我が帝国は今、隣国リ・エスティーゼ王国と戦争中でな。彼の国では無能な腐敗貴族どもが我が物顔で闊歩し、民を食い物にしている。まぁ、他国のやることだ。それだけならば干渉するわけにもいかないが、そこに根を張る巨大な犯罪組織が麻薬を流入させてきてな。我が国の民も苦しめられ、回収と取り締まりに躍起になっているというのが現状だ」

 

「それなら、王国に取り締まらせれば良いんじゃないのか?元から絶たないと、いつまでも根本的な解決にはならないだろ?」

 

 俺は率直に浮かんだ疑問を口にした。だがそれにはすぐに否定の回答が返ってきた。

 

「それは無理だな。有力な貴族の一部が既に奴らと親密な関係にあり、犯罪組織を取り締まるどころか……」

 

「一緒になって犯罪に手を染めていると?」

 

「……嘆かわしい事だ。腐りきっているだろう?それで無辜の民に全てしわ寄せが行っている」

 

 マジか。終わってんな。そこまでとは思っていなかったぞ。俺じゃなくてもそう思うよな?どうやらヒナタさんも静かにお怒りのご様子だ。

 

「余はそんな憐れな民を救いたいとまでは言わん。だが王国が帝国に下れば、虐げられてきた王国の民たちにも、今おかれているよりずっとマシな暮らしをさせてやれる」

 

「それで王国を打ち倒すため、戦争に手を貸せと?」

 

「出来れば王国の最大戦力に対抗できる戦力として参加して貰いたいのが本音だが、それは望んでいないんだろう?ならばせめて、ここにいる四騎士を鍛えれないかと思ってな。コイツらの実力を底上げできれば、或いは奴を一ヶ所に釘付けに出来るかもしれん。奴さえ抑えればあとは烏合の衆だ。帝国に敗北はないだろう」

 

「ガゼフ・ストロノーフか……」

 

「そうだ。周辺国家最強の戦士が向こうには居るのだ。厄介なことに、凡庸としか言い様のない王に対して並々ならぬ忠誠を誓っているらしい。彼の老王は確かに人柄は良いのだろう。それは認めるが、アレは王の器ではない。決断力が決定的に欠けている。……サカグチ。お前ならガゼフ・ストロノーフとも互角に戦える実力があると私は思っているんだが、違うか?」

 

「…………」

 

 ヒナタは沈黙し熟考する。

 

「買い被りすぎだ。だが大体話は分かった。直接戦争に参加する気はないが、稽古は引き受けてもいい。期間は一週間だ」

 

「そうか…!それは何よりだ。では早速明日から頼めるか?」

 

「わかった」

 

 ヒナタの返答に、皇帝が目を輝かせて喜ぶ。この表情は演技なのかなんなのか、全く嫌みに感じないから不思議なものだ。王侯貴族というとどうも私腹を肥やす汚い野心の持ち主という印象を持ちがちなんだが、こいつにはむしろ爽やかな印象を受ける。できる男は違うな。

 

「ところで、こちらからも頼みがあるんだけど」

 

 折角なので、俺はヒナタが兵士を鍛える交換条件に、()()()()()を皇帝にしたのだった。これで貸し借りなし。お互いにチャラだ。

 

 俺が明日から始まるイベントに胸を踊らせていると、〈伝言(メッセージ)〉が届いた。正確にはシエル先生が教えてくれたんだが。検閲して特定の相手から着信拒否みたいなこともできるということだが、別に拒否したい相手なんて居ない。……電話かよ。

 

 俺は頭の中で会話を開始する。普通は声を出して喋らないといけないようだが、俺の場合は先生のお陰でわざわざ喋らなくても会話出来るらしい。周りに気付かれないってのは便利かもな。

 

(はいはい、こちらリムル)

 

『リムル様!アルベドでございます』

 

 聞こえてきたアルベドの声は切迫感があり、不穏な何かを感じる。結構ヤバい案件っぽいな。

 

(え、もしかして何かトラブルか?)

 

『は、はい……。シャルティアが……反旗を翻しました』

 

「……へ?マジ?」

 

 ビックリして思わず声に出してしまった。ヒナタさんとミリムが怪訝な顔でこっちを見てくるが、今はそれどころではない。

 

(シャルティアって、あのシャルティアだよな?なんか不満でもあったのか?)

 

『そのような事はあり得ないとは思いますが…もしそうなら私がぶっ……ぶん殴ってやります!』

 

 今、絶対「ぶっ殺す」って言いかけたよな……。まあそれは置いといて、シャルティアが反旗を……?正直、イメージ湧かないな。モモンガの事を慕ってるように見えたし、裏切りとかだったらむしろ頭の良いデミウルゴスとかの方がしそうなイメージなんだが。勝手なイメージだけど。誰かさんみたいに反抗期的なものだろうか。

 

《………》

 

 なんか、無言の圧力を感じるな……。と、とにかく、詳しい事情を聞きたい。モモンガの事もちょっと心配だしな。

 

(モモンガはもうこの事知ってるか?)

 

「はい。アインズ様は現在冒険者として人間に扮して行動中で、詳細はお戻りになり次第ご報告する予定となっておりますが、簡潔にお伝えしたところ、そうか、と一言……」

 

(そうか。って、アレ?……そんだけ?)

 

「えっ?は、はい……」

 

 忙しかったのかもしれないけど、なんか反応がドライ過ぎやしないか?うーん、様子を見に行った方がいいかな?でもみんな俺のことあんまり歓迎してない雰囲気なんだよなぁ……。いや、今更気にしちゃ負け、だな。

 

「……リムル様?」

 

(ああ、悪い。俺ももう少ししたらそっちに向かうから。それじゃ)

 

 それだけ伝えて俺は会話を終える。気にはなるが、今すぐに出発というわけにもいかない。招いた客が突然消えたら皇帝もビックリしちゃうからな。偽装工作というやつだ。ヒナタとミリムには残って貰って俺が居ない間、誤魔化してもらいたい。

 

「俺は一回モモンガのトコに行く。二人は残っててくれ。もしかしたら、二、三日くらい戻らないかも」

 

「……彼に何かあったのか?」

 

 ヒナタが少し心配そうに聞いてくるが、あまり余計な事は話さない方がいいだろうと思い、言葉を濁す。

 

「ああ、モモンガじゃないけど、ちょっとな」

 

「モモンガが困っているのだな?ならば私も……」

 

「いや、ミリムは残ってくれ。せっかくの学園生活だ。中々無い経験だろうし、せっかくだから楽しんどけよ。俺だけで大丈夫だから」

 

「むー、分かったのだ……すぐに帰ってくるのだぞ?」

 

 俺の説得に釈然としない表情のミリムがそう言って唇を尖らせる。懐いてくれてるのは嬉しいんだが、別れ際にセンチメンタルになるとか、まるで本当に親戚の子供みたいである。

 

 しゃーないな、一応分身体を残しておくか。戦闘能力は要らないだろう。普通の人間と変わらない程度の力になるように、魔素を使って少年サイズの肉体を用意した。人間と同レベルならば、本体のサイズを削ったりしなくても簡単に作れるのだ。あとは──

 

「終わったらさっさと戻って来なさいよ。これでそう何日も誤魔化せないわ」

 

 流石、ヒナタは話がわかる。恩に着ると言って俺はナザリックへ───行く前に、ちょっとだけ寄り道していく事にした。




シャルティアが反旗を翻し、リムル様は再びナザリックへ。この辺りから物語が大きく動き始める……かもしれません。


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#66 顕在化する変貌

長閑なカルネ村の夜と思いきや……


 カルネ村。夜の帳が降りて、皆が就寝に就く頃────

 

 スパーン、と微かに遠くで何かが破裂するような音が聴こえ、エンリはふと家の外へと視線を向ける。

 

「お姉ちゃん、どうかしたの?」

 

 身体を拭き寝間着に着替えたネムが、眠気(まなこ)でうつらうつらとしながらエンリに訊ねる。今日もたくさん遊んでもらったため、起きているのも限界に近いのだろう。なにかと勘の良い母アメリも音に気付いた様子はない。

 

「ううん、何か変な音が聴こえた気がしたんだけど、きっと気のせいよね?」

 

「うーん?私には何も聴こえなかったけれど、もしかしたらヴェルドラさん達かしら?何だか色々部屋を改装してるじゃない?」

 

 ああ、あの人ならありえるなぁとエンリは納得する。何をしているのかまでは知らないが、小さな妖精ラミリスと一緒に何かやっているらしい事だけは皆知っている。中にまで入り込んだのはネムくらいである。

 

「うん、地面を深ーく掘っててね、ずーっと階段を降りて行くと、広いお部屋にキラキラした透明な何かがたくさん……そうだ、お母さん"らぼ"って知ってる?」

 

「え、らぼ?ラボ、うーん……」

 

 少し困ったように思案するアメリ。

 

「よくわからないけど、けんきゅーしてるんだって」

 

「研究?やっぱりヴェルドラさんって学者さんだったの?」

 

 自らを「知りたがりの探求者」と言っていたヴェルドラの言葉から、学者だと思っていたエンリは、やっぱり凄い人だと感嘆する。博識で、敷石の作り方や柵の建て方等、まるで専門職のように事細かに教えてくれるのだ。

 

 かと思えば、鉄板の上で見たこともないような料理をたくさん振る舞ってくれる。信じがたいことに彼は料理人でもあった。一体どこから食材を出しているのかは分からないが、多分魔法も使えるんだな、と思っている。

 

 魔法詠唱者(マジックキャスター)のいない村人の魔法知識などそんないい加減なもの。ヴェルドラの人柄と、あのアインズの知り合いだということもあり、村人達からは、この人は何でもありだなという感覚で受け入れられていた。

 

「ネムは今度〝ヴェルドラりゅーとーさっぽー〟を教えてもらうんだぁ」

 

「え?それ、大丈夫なのかしら…」

 

 ネムの言葉を聞き、不安そうな表情になるアメリ。アメリをしてヴェルドラは若干の不安を抱かせる相手のようだ。

 

「お母さんは"とーさっぽー"ってなんだか知ってるの?」

 

 エンリは首を傾げながら、意味不明な言葉の意味を訊ねた。アメリは寝息をたて始めたネムの髪を愛おしそうに撫でてから、答える。

 

「多分……。でも、ネムにはまだ早いんじゃないかしら?エンリなら、習っておいたらきっと役立つわ。教えるならネムじゃなくてエンリにしてもらえるよう、明日ヴェルドラさんにお願いしてみるわね。今夜はもう寝ましょ」

 

「えっ?う、うん……」

 

 "とーさっぽー"が何なのかはさっぱり教えてくれないまま、アメリは寝入る。エンリは何か釈然としないが、明日ヴェルドラに聞けば分かる事だと思い、自分もベッドへ横になった。

 

 

 

 

 

 その頃────

 

 スパーンっ!

 

「くぅ、き貴様、叩きすぎではないか!?」

 

 スパンッ!スパーン!

 

 勝手にカルネ村の地中深くに作られたラボの中で、俺はハリセンでヴェルドラをシバき倒していた。

 

「お前、何してくれてんだよっ!!マジで貴重なやつなんだぞ!?ミリムも気に入ってんのに!」

 

「こんなもの、また集めればすぐであろう?」

 

「馬っ鹿お前!これ集めるのにドンだけ時間かけてると思ってンだ!?この瓶一杯にするのに三年もかかったんだぞ!!」

 

 空っぽになった手の平に乗るサイズの小瓶を見せ、ヴェルドラを睨み付ける。俺が大事に大事にちょっとずつ使っていたというのに、勝手に1ビン全部使い込みやがったのだ。まだ2つストックがあるが、それでもハラが立つ。食い物の恨みはコワイのだ。

 

「グヌ……みみっちい事を言うでない。替わりにこれをやる」

 

 そう言ってヴェルドラは小瓶を差し出してくる。中には琥珀色のドロドロした液体が入っていた。俺のハチミツの替わりのつもりか?

 

「はっきり言うが、俺の舌に叶うもようなものはそうそうない……ん?これは!?」

 

 味見をして驚いた。秘蔵のハチミツほどではないがかなり甘く、独特の風味がある。ヴェルドラが得意気な顔をするのは癪だが、確かに旨い。一体どこで入手したんだ?

 

「クカカ、旨かろう?この付近の森で採取してきた樹液だ。村では砂糖が高級すぎて手に入らんと聞いてな、代替品を探しておったのだ」

 

「そうか!メープルシロップだ!」

 

 ハチミツとはまた違った独特の風味はその為か。これは思わぬ掘り出し物かもしれない。甘味が高級品だっていうなら、採取量によっては村の特産品になるんじゃないか?

 

「なあ、これ、どれくらい採れるんだ?」

 

「一本の木でもそこそこ集まると思うけど、一気に採りすぎると枯れちゃうから、気を付けないとね。採れたのを煮詰めて出来上がったのが、その瓶2本分ってとこよ。まあ、採れる木は見ただけでも森に二万以上はあったから……」

 

「ふっふっふ……」

 

 ラミリスの説明を聞いて、思わず笑いが込み上げてくる。これはお金の匂いがするぞ……。

 

「ししょー、なんかリムルが悪い顔してるんだけど……」

 

「う、うむ…」

 

 不安そうにヒソヒソと会話する二人。どうせ暇なら、働いてもらおうじゃないか。なんだか俺ばかり働いてる気がするしな。

 

「……キミタチ、暇なんだよね?」

 

「えっ……いや、そ、そうでもないかも?だってホラ、色々と研究があるし?」

 

「我も漫画(バイブル)の研鑽がある故忙しい……」

 

 ラミリス達は何かを感じ取ったようだが、すでに遅い。逃がす気はないのだ。

 

「ふふーん、ヴェルドラ君?」

 

「き、貴様やっぱり何か企んでおるだろう?その呼び方をするときは決まってロクでもない事を……」

 

「そんな事ないさ。ただ、チョーッと仕事を頼まれてくれないか?そうしたら、アレの事は目を瞑ってあげようじゃないか。ん?」

 

 俺は後ろの()()を指差す。二人は隠していたつもりだろうが、俺が気付かないわけがない。焦って冷や汗を流す二人。どうする?と顔を見合わせて相談しているようだ。

 

「そうか?忙しいなら仕方ないな?じゃあ、ヴェルザードさんかヴェルグリンドさんに来てもr「クァハハハ!!我が盟友の頼みを断るわけがなかろう!?任せておけ!何をすればよいのだ?」ほほぅ。ラミリスは忙しいんだっけ?」

 

「も、モチロン、アタシも協力するであります!」

 

 姉の名を出した途端に態度をコロッと変えて協力的な姿勢を見せるヴェルドラ。やっぱり持つべきは友だよな、うん。

 

 と言うわけで、二人には快く俺の依頼を受けて貰えた。

 

「さて、じゃあ俺はそろそろ行くかな?余り目立つなよ?」

 

「わ、分かっておるわ」

 

「大丈夫、大丈夫」

 

 一応無茶をしないように釘を刺しておいたが、効果があるかは微妙である。今のところヴェルドラ達は大きな問題を起こしてはいない様だったし、そろそろナザリックへ行くかな。

 

(モモンガもすぐには抜けれないっぽかったし、そろそろ頃合いだろ)

 

 俺はナザリックへ向けて転位するのだった。

 

 

 

 

 

 一方、リムルより早くナザリックへ戻ってきたアインズは、即座にアルベドに子細を確認した。シャルティアが反旗を翻したとするアルベドの根拠は、玉座にて確認したマスターソース。定時連絡が途絶え、音信不通となったシャルティアの状況を確認しようとしたのがきっかけだった。

 

 マスターソースにはNPC達の名前だけでなく、状態異常も確認できる。死亡した場合は名前のあった場所が空欄に、精神支配にあったなどの場合は、名前が赤く表示されるのだ。

 

 精神支配の多くは精神系魔法による状態異常の一つだが、アルベドにとっては「反旗を翻した」つまり裏切ったということになるようだ。そう決めつけるのは早計だとアインズは思ったが、そう判断するのも自然かもしれない。

 

 何故ならシャルティアは吸血鬼の真祖(トゥルーヴァンパイア)であり、広義におけるアンデッドに属する。アンデッドは種族特性として精神異常完全無効の能力を持っているのだ。

 

 そのシャルティアが精神支配等受けるなど、ユグドラシルの常識に当てはめればあり得ない。

 

 いずれにしても場所を特定し、シャルティアに接触を図らなければ始まらない。第五階層の氷結牢獄にいるアルベドの姉、ニグレドに協力を得てシャルティアの居場所を確認した。ニグレドは情報系魔法に特化したNPCだ。場所の特定は然程難しい事ではなかった。だが……。

 

「……戦闘を行ったのか?」

 

「そのようですね」

 

 アインズがアルベドを伴って現場へ赴き、発見されたシャルティアは、いつもの黒いボールガウンではなく、赤い全身鎧に身を包んでいた。手には神話級(ゴッズ)の槍。シャルティアの本気の戦闘用装備だ。そして彼女を中心に破壊跡も見られた。つまり、シャルティアに本気の武装をさせるだけの相手が居たということになる。

 

「シャルティアは動かないな。どうしたんだ?まるで……まさか本当に精神支配にあっているのか?」

 

 ユグドラシル時代の精神支配したモンスターの待機状態を思い出したアインズは、やはり精神支配されている可能性が濃厚だと考えた。ゆっくりと目の前まで近付き、声をかけるも、シャルティアは俯いたまま反応を全くしない。

 

 アインズの呼び掛けを無視したとアルベドが激昂しかけるのを宥める。精神支配にあっているなら、目の前の相手が何者であろうと、術者以外の言葉は聞き入れないと説明する。そして疑念は確信に変わった。アインズはある指輪を取り出す。

 

「アインズ様、その指輪は一体……?」

 

「シューティングスター。超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉をペナルティ無しで三回使用可能にする、()()()()アイテムだ」

 

 超位魔法は通常の魔法とは違い、MPの消費なく使用でき、強力な効果を発揮する一方、リキャストタイムを短縮できなかったり、隙だらけになるといったデメリットの他にも、経験値を消費するものがある。〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉も、そんな経験値消費タイプの超位魔法である。

 

 アインズがシューティング・スターを「超々レア」と言うのは、ランクの話ではなく、課金ガチャの当たりアイテムだからだ。アインズ自身、ボーナスを全部注ぎ込んでようやく一つゲットできた貴重品であった。

 

 因みに脳筋な女教師がたった一回で当てたときには叫びながら転げ回った程悔しがった、思い出深い品だ。

 

 今回それを使ってまでシャルティアを精神支配から解き放とうというのだ。アルベドはそんな貴重品を使ってまでシャルティアを救おうとするアインズに感動していたが、アインズは最悪の状況を予測していた。

 

「これで支配が解ければ良いが、もし……」

 

「……もし?」

 

 そうでなければ厄介だ。超位魔法をも越える力。そんなもので思い当たるのはユグドラシルに於いて一つしかない。この世界特有のタレントという可能性も無くはないが、それはそれで厄介だ。

 

 つまり、世界級。世界級(ワールド)アイテム、或いはそれに並び得る程の力を持つ何かである。アインズはそれを口にはすることなく、〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を発動した。

 

 発動と同時に、脳内に流れ込んできた魔法の仕様は、浮かび上がった選択肢の中から選ぶというゲーム時仕様よりも便利で汎用性のあるものだった。文字通り願った事を叶える事が出来るのだ。

 

「シャルティアにかけられた状態異常を全て解除せよ!」

 

 だがしかし。願いを込めたと同時に、浮かび上がっていた魔法陣は崩れ去り、願いが叶う事はなかった。つまり失敗。それを悟ったと同時に、アインズは即座にアルベドの肩を掴み転位した。罠を警戒してである。

 

 一人が隙だらけの状況を装って囮になり、近寄ってきたプレイヤーを囲い込んでしまうというPK手段は、『アインズ・ウール・ゴウン』もよく使っていた。PKにある程度慣れたプレイヤーなら、使ってきても何ら不思議ではない。

 

「アインズ様…?」

 

「追撃を警戒せよ!」

 

 突然の事にアルベドはまさかこんなところで求められるだなんて……と妄想が暴走しかけるが、アインズの言葉を受け即座に気を引き締めて身構える。そのまま五秒…十秒…何も起こらないまま数十秒が経ち、一旦警戒を解いた。

 

「……どうなっている?罠ではなかったのか?」

 

「如何いたしましょう、アインズ様?」

 

「ナザリックに戻るぞ。宝物殿に行く」

 

 戸惑いがちに指示を仰いだアルベドに、アインズは即答した。

 

 宝物殿に向かうに当たり、プレアデスの中からユリとシズを呼び出し同行させる。ナザリックに待機している中で、入り口へ入った途端に襲い来る致死の猛毒の霧にアイテム無しで耐えられるのは、首無し騎士(デュラハン)、つまりアンデッドのユリと自動人形(オートマトン)のシズしかいない。

 

 合言葉を使って奥へ進むにつれ、無造作に積み上げられた金貨が文字通り山となっており、その山の中には、剣や冠など幾つもの装備品が埋もれているのが見えてくる。メイドとしての矜持がそれを見過ごせないのか、ユリが金貨の山に微妙な視線を向けていた。

 

 しかしそれもわずかの事。整理しない理由が理解できたのだ。整理棚には既に金貨に埋もれているもの以上の貴重な品々が目一杯陳列されているのだ。最早棚には置けるスペースがない。金貨に埋まったままのものはそれらに比べれば大した価値がなく、雑な扱いをするのも仕方がないと納得してしまった。

 

 宝物殿の奥にはアインズの作成したNPCが領域守護者がいる。アルベドも名前だけは知っているが実際に会ったことは無い。

 

(パンドラズ・アクター、か。……やっぱり創造主であるアインズ様にどこか似ているのかしら?くふ、ちょっとドキドキしちゃうわね)

 

 アインズの作成したNPCに会えるとあって、アルベドは密かに期待に胸を膨らませていた。

 

「!?」

 

 通路を抜けて少し開けた空間に出た一行を迎え入れたのは、蛸を人型にしたような姿を持つ異形だった。ソファに腰掛け、待機していたそれを見た瞬間、アルベドが声を上げる。

 

「タブラ・スマラグディナ様!?」

 

 姿を消したはずの自らの創造主が登場した事にアルベドは驚いたが、すぐに違和感に気付く。

 

「いえ、偽物ね。いくら気配を真似ようとも、自分を創造してくださったお方を間違えたりはしないわ」

 

 ユリとシズが前に出て構えを取る。対する偽物は首を傾げるだけで何も言わない。緊迫感が一気に膨れ上がり、一触即発の空気になる中、声を発したのはアインズだった。

 

「もう良い、パンドラズ・アクター。元に戻れ」

 

 アインズの言葉に反応し、ぐにょりと変形したかと思うと、人形を再び形成した。その顔は、目と口の位置に三つの穴が開いただけの埴輪のような顔をしていた。ピンク色の肌で、耳も鼻もない。服装はいわゆる軍服である。サーコートを羽織り、片方だけ腕を通しているのは洒落た着崩しのつもりだろうか。

 

「ようこそ、私の創造主たる、んん~、アインズ様!」

 

(うわ……)

 

 アルベドが内心でそんな声をあげるのも無理はない。格好を着けたがりなのか、鬱陶しい位のオーバーアクションでもって敬礼をして見せるそいつを見て最初に思ったのは、「イタいヤツ」である。百年の恋も冷めるようなガッカリした心境だったが、アルベドはアインズに不敬になる事を危惧し、努めてそれを表情には出さないように気を付けていた。

 

「アルベド、お前はパンドラズ・アクターに改名の事を連絡していたのか?」

 

「いいえ。私から連絡は──ッ!?」

 

 アルベドは戦慄する。おかしいのだ。外界から隔離され、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンでなければ転位出来ないこの宝物殿にいるはずの彼が、何故モモンガではなくアインズと呼ぶのか。

 

 改名したことはアルベドが連絡しなければ知る由も無いはずの情報。それを持っている事になる。アインズが伝えたのでもない。となると、可能性としては指輪を下肢されているマーレだが、無許可で勝手に宝物殿に入り込むとは思えない。

 

「と言うことはアイツか。全く……」

 

「えっ?」

 

 瞬時に誰が教えたのか分かったらしいアインズは、溜め息混じりによくわからないことを事を口走る。アインズにアイツと呼ばれる人物から予測し、ようやくその人物に思い当たる。

 

(確かに、あのお方なら、あり得なくはないわね……)

 

 然もありなん、といった表情で一人納得するアルベドを見てユリが怪訝そうな顔をしているが、アインズはそれを見ないふりをしておく。今は説明している時間が惜しい。

 

「パンドラズ・アクター。今日はワールドアイテムを取りに来た」

 

「おお、ワ~~ルドアイテム!

世界を変えるぅっ!!強大なチカラ!

至高のうぉんかたがた(御 方 々)の偉大さのあ・か・し!!

……ナザリックの最奥に眠r」「パンドラズ・アクターよ!」あ、ハイ?」

 

 芝居掛かった大袈裟なポーズを取りながら、オペラ歌手の様な独特の喋り方をしていたパンドラズ・アクターだが、途中でアインズが割って入った。既にアルベドだけでなくユリとシズも珍獣を見る様な目でパンドラズ・アクターを見ている。

 

「んんっ……今は急いでいる。その口調は冗長に過ぎるので今度にしてくれないか?」

 

 淡々と告げるアインズの言葉に、残念そうにしながらも、パンドラズ・アクターはビシッと敬礼して了解の意を示す。

 

Wenn es meines Gottes Wille(我が神の望みとあらば)!」

 

「…………うへぁぁ」

 

 シズが堪らず無表情のまま変な言葉を洩らす。それを無視するように、アインズはアルベドに指示を出す。

 

「アルベド、パンドラズ・アクターに指輪を預けろ」

 

「……えっ?」

 

「指輪を持ったまま奥に入ると排除する罠が仕掛けられているのだ」

 

 アインズの説明に渋々指輪を預けることにしたアルベドだが、指輪を乗せたパンドラズ・アクターの持つ白布から手を離さず、パンドラと綱引き状態になっている。

 

「くっ、なんという馬鹿力(パワー)……ではなくて、統括殿?……はやく手を離してください」

 

「私の、私の指輪……くぅぅっ」

 

 涙目でなおも食い下がるアルベドが、置いていくぞとアインズに言われて漸く手を離す。パンドラは急に手を離されたことで体勢を崩しながらも、指輪を落とすことなく無事に仕舞い終え、主人達を見送った。

 

「行ってらっしゃいませ」

 

 

 

 

 

 

「ようこそ、リムル様」

 

「お待ちしておりましたぁ~」

 

 俺がナザリック地下大墳墓の上層、地上に着いてすぐに出迎えてくれたのは、プレアデスの一人エントマと、一般メイドだった。

 

 長い金髪ロングで、胸元を少し強調したようなタイプのメイド服をしているこの娘は確か、シクスス。だったかな?声を聞いてふと思ったが、声がシュナに似てる気がする。ていうか、シュナが別人みたいな喋り方をしてるって感じだ。そう思うとなんか新鮮だな。

 

 それは置いておいて、すぐにモモンガの居場所を聞く。

 

「いよーっす。モモンガは今どこに居るんだ?」

 

「アインズ様は今宝物殿に向かわれているはずです。お戻りになるまで玉z「わかった。じゃ、行くわ」……えっ?あ」

 

 言いながら俺は宝物殿に転位する。転位直前に二人が何か面食らったような様子だったが、まぁ大丈夫だろう。対転位用の結界が張ってあるが、強引に破って宝物殿に転位した。別に金庫破りしに来た訳じゃない。緊急なんだから、しょうがないよな?

 

「これはこれはリィームル様!あなた様もお越しになられるとはっ!」

 

「よ、よお。モモンガ来てるか?」

 

 パンドラズ・アクターに会うのは()()()だが、正直コイツの妙なテンションにはちょっと着いていけない。コイツには悪いけど、モモンガが黒歴史だって言ってここに閉じ籠らせるのも分かる気がする。

 

「んんアインズ様でしたら、アルベド殿を伴い、この奥へと向かわれました!ワ~ルドアイテムを取りに!」

 

「お、おお、そっか。サンキュー」

 

 このオーバーアクション何とかならんのかな、とか思いつつもそこには触れずに俺は奥へと向かう。アルベドはどう思ったのかな?やっぱり引いたよな。モモンガも羞恥に悶えたはず……。

 

「リムル様?」

 

 通路の最奥の手前で、ユリとシズが待機していた。モモンガ達はこの奥らしい。この二人もアイツに会ったんだな。

 

「パンドラズ・アクターには会ったか?」

 

「あ、は、はい……」

 

「…………会った」

 

 二人の微妙な空気で察した俺は、それ以上聞く気にはなれなかった。とりあえずここでモモンガを待つか。今更だが、宝物殿に部外者が入るのはあまり良くないよな。せめて一番奥には入らないようにしよう……。

 

 しかし会話がないな…。と思っていると、ユリが誰かから〈伝言(メッセージ)〉を受け取ったらしい。こめかみに指を当てて話し出す。

 

「ええ、ご苦労様。え?リムル様ならもう宝物殿に……えっ……?」

 

「ん?俺がどうかしたか?」

 

「それが……」

 

 〈伝言(メッセージ)〉の相手はエントマだったらしい。転位用の指輪を用意していたのに、俺が受け取らずに何処かへ転位していったので探していたらしい。悪いことをしてしまったな。

 

「指輪も使わず、一体どうやって此処へ……?」

 

「うん?俺は何処へでも転位できるからな、その気になれば。……普段は行儀悪いからそんなことはしないぞ?」

 

 ユリがそういう問題ではないと言いたげな顔をしている。シズからも心なしかじっとりとした視線を感じるが、出来るものは出来るのだから仕方ない。

 

「ま、まぁ細かいことは気にすんな。おっ、モモンガが戻ってきたみたいだぞ?」

 

 俺の言葉に背筋を伸ばして待機する二人。その立ち姿はやっぱり優秀なメイドって感じだよな。

 

「来たか、リムル」

 

「シャルティアの件は本当なのか?原因は?」

 

 俺は開口一番にモモンガに訊いた。遠回しに訊いても仕方がない。

 

「何者かによる精神支配だ。未知のタレントかもしれんが、恐らく世界級(ワールド)アイテムだろうな」

 

「!」

 

 世界級(ワールド)アイテム。ユグドラシルのチートみたいなアイテムだったな。完全耐性を持っているはずのシャルティアが洗脳されたのも、そういうレベルの強力なアイテムによるものなら納得はいく。俺がいない間にそんなことになってるとは。シャルティアは今どうしてるんだろう?洗脳をかけたヤツにいいように操られてるんだろうか。

 

「シャルティアは何故か森の中で発見された。洗脳したヤツも今のところ近くには居ない。どうなっているんだかな……」

 

 先生、どう思う?

 

《確定ではありませんが、シャルティア・ブラッドフォールンが抵抗し、術者が予想外の深傷を負ったなど、それ以上洗脳の継続が難しいと判断する何らかの事情により、やむなく撤退した可能性が最も高いでしょう》

 

 ということは、相手はアイテム頼みで実力自体はシャルティアの方が上だったってことか?

 

《予測の域は出ませんが、その可能性は高いと言えます》

 

「うーん、シャルティアが直前で反撃して、術者が重傷を負ったとか?」

 

「ふむ……そういう見方もあるか。可能性の一つとして考慮に入れておこう」

 

 やけに冷静だな、モモンガのヤツ。モモンガの落ち着き払った態度に、俺は妙な違和感を覚えた。きっと精神抑制が働いているのかな。俺なんか、ミリムが洗脳されたって聞いたときには切れたからな。あとでそれは演技だったって気付いたんだが。

 

「ところでお前、以前も宝物殿に勝手に入ったな?パンドラに改名の事を言ったのはお前だろ?」

 

「う、バレたか。いや、ちょっと金を貸して貰おうと思ってさ。あ、ちゃんとさっき返してきたぞ?」

 

「やはりそうだったか。全く、そういう問題ではないのだがな。まぁ、転位を制限しているナザリックの中に、しかも宝物殿にまで指輪を使わずに自由に転位出来る奴なんて、お前くらいだろうな……」

 

 よかった。モモンガは怒ってないみたいだ。が、ユリ達の視線が痛い。さっさと話題を変えてしまおう。

 

「それで、お前はどうするつもりなんだ?世界級(ワールド)アイテムまでわざわざ持ち出してきて」

 

世界級(ワールド)アイテムに対抗するには、世界級(ワールド)アイテムしかない。洗脳を逃れるため、これを守護者に持たせるつもりだ。そして……」

 

 今ふと気付いたが、後ろでアルベドが何やら浮かない表情をしている。モモンガが何か無茶をしようとしていて、それを心配してるんだろうか?そう思ったのだが────

 

「シャルティアを殺す」

 

「……えっ、今何て言った?」

 

 一瞬モモンガの言った事が理解できなかった。

 

「シャルティアを殺すと言ったんだ。守護者とアルベド、それに私でかかればそう難しい事ではない」

 

「そうじゃねーっての!お前は納得してんのかよ!」

 

「……他に取れる選択肢がない。いや、正確には、世界級(ワールド)アイテムの中でも破格の性能を持つ"二十"の一つを使えば、洗脳を解けるかもしれないが、消費型でな。使用後再び何処かに出現する可能性を考えると、今使うのは余計なリスクを高める事になりかねない。だから一旦殺して復活させる事で洗脳が解ける事に賭ける。納得はいかんが、やるしかないだろう」

 

 なるほど、コイツなりに考えた結果、苦渋の決断をしたというわけか。納得はいかないが、理屈はわかった。俺が口出し出来るような事じゃないのかもな。

 

「それと今後、この世界の人間は基本的に滅ぼしてしまうつもりだ」

 

「は?何でそんなことに──」

 

 これには驚いた。いくらなんでも、そこまでやるか?実行犯に直接報復をするだけなら分かるが、人類を滅ぼすだなんて言い出すとは思わなかった。

 

「全てとは言わん。一部の有能な者だけ残せば良い。スレイン法国は完全に消し去るがな。どうせ今回もスレイン法国なのだろ?奴らは存在そのものが不愉快なのだ。今後も同じような事が繰り返されんとも限らん。そうなる前に、先に手を打つべきだろうと思ってな。ついでに王国のゴミ共も一掃してスッキリしてしまおうというわけだ」

 

 そんなことしたら、お前のギルドメンバー達はどうなるんだ?人間を殆んど滅ぼしたと知ったら何て思うか。

 

「おいおい、お前────ん?」

 

ご主人様(マスター)。モモンガは────》

 

 シエルの言葉に俺は驚愕した。マジかよ、そういうことか!なら、やることは一つだな。

 

「おい、モモンガ。ちょっと付いてこい」

 

「今は緊急事態だ、後に──」

 

「緊急事態はお前の方だ。今のお前はおかしい。とにかく行くぞ!」

 

 俺はモモンガの言葉を遮り、強引に連れて行く事にする。早くしないと取り返しのつかない事になるかもしれないのだ。

 

「リムル様!アインズ様は一体……?」

 

 アルベドが酷く不安そうな表情で見つめてくる。モモンガの不穏な変化に気付いて不安になっているんだろう。シズとユリも困惑した様子だ。

 

「安心しろ。俺が何とかしてやる。それと、今の話は無かったことにしておけ。シャルティアの事も、人間の事も全部な」

 

「わかりました。ですが、どちらへ行かれるのですか?」

 

「リアルだ」

 

 俺は不敵に微笑んで見せ、リアルへと時空間転位した。




と言うわけで、いざリアルへ。
ナザリックが異世界へ転位してから交じわりが殆んど無かった転スラとオバロの世界線が遂に交わり始めます。多分……。


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#67 謎の少女と国堕とし

リアルへ行ったアインズ様が帰ってきます。はやっ



(ああ、行ってしまわれた……)

 

 急遽アインズ様と共に"リアル"に行くと言い出したリムル様をお引き留めする事も出来ないまま、宝物殿に残された私は、大きな不安と、後悔にも似た感情に苛まれていた。

 

『リアル』。至高の御方々がそう呼ばれる、御方々の住まう神の世界。私達の知らない世界。そこに、お二人は向かわれた。アインズ様の為だとリムル様は仰っていたけれど。

 

 お帰りになられてからのアインズ様は、ナザリックを離れる前とは何かが違った。ナーベラルを罰することにあれほど不快感を露にされたというのに、シャルティアが洗脳にあった時はただ淡々と対処するのみ。そこに何の感情も抱いておられないかのようだった。

 

 最初は感情を押し隠しておられるのかと思ったけれど、そうではなかったみたい。「皆を愛している」そう仰って下さった時の幸福感とは逆に、私達への興味を失われてしまったのではないかという今のアインズ様の態度に、言い知れない焦燥感と絶望感がじわじわと押し寄せてきた。まるで、御方の中で何かが急に変わられてしまったような……。

 

(最奥でアインズ様が呟いたあのお言葉……あれは一体どういう意味だったのかしら……?)

 

『そうか。憎悪……そうなのか……』

 

 あのお言葉の意図するところははっきりとはわからなかったけれど、なにか恐ろしい事の前触れのような、そんな背筋が寒くなる思いがした。

 

 最奥には至高の御方々の御姿を象ったアヴァターラが鎮座していた。これが侵入者を撃退する最後のトラップ。私はそれを見た時、言い知れない不安を覚えた。

 

 41人分全て揃ってはいなかったけれど、殆んどの方々がアヴァターラとして並ぶ姿。全てアインズ様がお作りになられたそれらは、形こそ無骨ながら、愛情を込めて一体一体お作りになられたことが伝わってきた。そして、アインズ様はそこを『霊廟』と仰った。そのお言葉の意味するところはつまり……。

 

(イヤ……嫌よ。考えたくないわ。想像なんてできないもの。至高の御方々がお亡くなりになっただなんて……)

 

 恐ろしい想像を掻き消そうとするも、どうしても消えてくれない。そこに佇む物言わぬ群像(アヴァターラ)達が、何よりも強い説得力をもって語っているように思えて、拭いようのない不安に押し潰されそうになる。いつかアインズ様も……。そんな最悪の想像だけは、必死に考えないようにしていた。本当にそうなってしまいそうで、恐かったから。

 

(アインズ様……このままお帰りにならないなんて、そんなこと、ありませんわよね……?)

 

 創造主が遺したあの言葉が、再び脳裏に浮かぶ。

 

『それは破滅の扉か──』

 

 恐ろしい。急に足下がグラついて視界が歪む。考えれば考えるほど不安が湧き出て来て、悪いことばかり想像してしまう。

 

「……様。アルベド様!」

 

「えっ?」

 

 ふと見れば、ユリ・アルファが心配そうに此方を見ていた。思考に沈んでしまい、私はユリが呼び掛けていたのに気付かなかったみたい。

 

「どうなさったのですか?お顔色が優れませんが……」

 

「え、ええ、大丈夫。何でもないわ」

 

 守護者統括たる私が弱腰になっていては、周りにも余計な不安を伝播させるだけ。不安を噛み殺し、かろうじて笑みを浮かべた。

 

(今私のすべき事はお二方の帰還を信じ、準備を整えてお待ちする事だわ。必ず……必ずご帰還下さい。モモンガ様)

 

「お二人のご帰還を信じましょう。そう、信じるのよ!私達は今私達に出来ることを!」

 

「はっ!」

 

「…………了解!」

 

 私は弱気になっていた心を叩き出すように、決然と強い言葉で指令を出した。ユリとシズも、その言葉に呼応して強く頷く。

 

「おお、統~括殿!お戻りになりましたか!!おや?アインズ様とご一緒では?」

 

 最奥で起きていた事を知らない彼は、またしてもうるさい声と身ぶり手振りで大仰に出迎えてくる。しかし彼はナザリック地下大墳墓の財政面に於ける最高責任者。凡庸な頭脳で務まるはずがない。この一見ダサい動きもきっと道化のように演じて見せているだけに違いない。

 

 そんな彼は、この宝物殿最奥にある霊廟の秘密を何処まで理解っているのかしら。いずれにしても今後連携は必要になってくるし、彼の知恵を借りるべきだと私の頭脳は弾き出す。

 

(それにしても、演技だと分かってはいても思わずイラッと来てしまうわ……流石は演者(アクター)というべきかしら)

 

「シズ、貴女に私の指輪を一時的に貸すから先に戻りなさい。私はパンドラズ・アクターと今後の話を協議しなければならないの」

 

「はっ」

 

「了解………アルベド様、手を離してくれないと……」

 

「あっ、つい……」

 

 余りにも離れがたくて、指輪から中々指が離れてくれなかったわ。断腸の思いでどうにか指輪から手を離した私は戻っていく二人の背中を見送ってから、パンドラズ・アクターに顔を向ける。

 

「パンドラズ・アクター、貴方の知恵を貸して頂戴」

 

「勿っ論!ですともっ!統括殿」

 

「いよーっす!」

 

「!?」

 

 背後からあのお声を掛けられて振り向けば、やはりそこにはつい先程リアルへと赴かれたハズのリムル様。そしてアインズ様のお姿も。

 

「こぉれはアインズ様、リムル様!お戻りになられたのですね!」

 

「うっ……あ、ああ……」

 

「ぷふ、相変わらず元気だな?」

 

(……まだ数分しか経っていないわ。何か忘れ物でもなさったのかしら?)

 

 そして再び"リアル"へと赴かれる。私がそう思っていると、アインズ様がこちらへお顔を向けられた。

 

「アルベド。お前には心配をかけたようだが、もう大丈夫だ」

 

「あ……」

 

 とろけてしまいそうな程に柔和な、アインズ様のお声。玉座で忠誠を誓ったあのときの威厳に満ちた声でも、先程までの感情を感じさせないような冷たいお声でもない。何処までも沈んでいく原初なる深淵の闇を思わせる、深く暖かな慈愛に満ちた響き。

 

(この短時間に一体何が?アインズ様のステキ度が格段にアップされているわ!……ではなくて、お声から感じられる雰囲気が先程と、いいえ、ナザリックを出立される前とも違う……)

 

 僅か数分の間に何があったのか、それは分からない。けれど、間違いなく今のアインズ様は何かが決定的に違うと確信できる。

 

「はい……はい……!お帰りなさいませ。アインズ様、リムル様……!」

 

 胸を満たす深い安堵。そして込み上げる歓喜に声を震わせながら、跪づき頭を垂れる。でもせっかくの感動に水を差すかのように、私が感涙するその後ろでうるさい身ぶり手振りでアイツが動き出した。

 

「アインズ様!そちらのっ!ぅお嬢~さんは!……一体、どのようなご関係でしょうか?」

 

「…っ!」

 

 今までお二人に気を取られていて気が付かなかった。アインズ様の背に隠れるように立っていた存在が、恐る恐る、といった様子で顔を覗かせていた。

 

 お二方の気配がお強くて全く目立たなかったというのもあるけれど、そうでなくても余りに陰が薄く、お二人と並ぶと微かな気配しか感じられない。塵か埃程度の存在感とでもいえばいいかしら。本当に取るに足らない、警戒するまでもないような存在に思えた。

 

 ただ、初めて見るはずなのに、何処かで知っているような、懐かしいような。そんな不思議な雰囲気を醸す、若い人間の少女。

 

 ナザリックの最奥たる宝物殿に部外者が立ち入る。それは本来有り得てはならない事だけれど、状況から考えて、御方が招き入れられた事は明白。やはりそれらを見抜いているのか、宝物殿の守護者パンドラズ・アクターも敵意を向けてはいない。

 

(アインズ様の裾を掴むだなんて、いい度胸してるじゃない……。でも今露骨に不快感を見せては、アインズ様の不況を買ってしまう恐れがあるわ。パンドラズ・アクターが言うように、まずはアインズ様とこの女の関係性を確かめる必要があるわね……!)

 

 内に秘めた嫉妬心をおくびにも出さず、アルベドもまたアインズに質問を投げ掛ける。

 

「アインズ様。守護者統括として、是非私も教えていただきたく存じます。どのような待遇で迎えれば良いでしょうか?」

 

「是~非にっ!」

 

「くぉ……あ、ああ。そう、そうだな……!パンドラ、お前には色々言いたいことがあるが、まずはこっちが優先だ」

 

(……もしやアインズ様はパンドラズ・アクターを苦手としていらっしゃるのかしら?いま、後退りしかけたような……)

 

 まさかそんなはずないわよね、アインズ様御自身が御創造なされたのだもの。そんな些細な疑問を浮かべた私に、アインズ様はお言葉を告げられた。

 

「彼女は、あー、何というか……いや、やはり詳しい紹介は後にしよう。シャルティアを救い出した後、皆を玉座に集めて紹介するとしよう。一旦は最優先の庇護対象と思っておいてくれ。くれぐれも丁重にな」

 

「畏まりました」

 

「うむ。次は……ちょーっとお前こっち来ーい!」

 

「あ、え?あの~、アレ?」

 

 アインズ様は鷹揚に頷かれた後、パンドラズ・アクターを引き摺って部屋の隅へと行かれて、何やらヒソヒソと話をしているみたいだけれどよく聞こえないわね。そして──

 

(……えっ?)

 

 パンドラズ・アクターが何か言ったかと思ったら、突然アインズ様が壁を背にした奴のハニワのような顔の横に手を着く。そして壁に手を着いたまま、段々と顔が近付いていき、くっ付きそうに……。

 

(うそ……っ?アインズ様が、く、く、口付けを?)

 

「お、おーい、何やってんだ?」

 

「ん?ただ話をしているだけだがどうかしたか?」

 

「いや、ここから見るとまるでキスでも迫ってるような絵面なんだけど……」

 

「はぁっ!?」

 

 リムル様の指摘に、アインズ様が慌ててパンドラズ・アクターから距離を取る。

 

「い、いきなり何を言い出すんだお前っ!?どこをどうみたらそうなるんだ!?」

 

「だって壁ドンして顔を近付けるから……。お前、そっちのシュミとかないよな?」

 

「そんな風に見えたのはお前だけだろ?アルベド、お前にはどう見えた?」

 

 額を押さえて呆れたご様子のアインズ様に訊ねられ、私は率直にお答えする。

 

「僭越ながら私にもそのように……。ですが、もし私がパンドラズ・アクターの立場でしたら瞳を閉じて待つのではなく、あえて唇を突きだし自分から迎え入れr「うん、判った。もういい、私が悪かった」あ、ハイ……」

 

「……ともかく誤解だ。断じて、そう断じて()()()()()()()()はない。どうか安心してほしい」

 

 言下に疑惑を否定されたアインズ様。私がホッと胸を撫で下ろしていると、少女も安堵の表情を浮かべていた。私の女の勘はその意味するところを鋭く察知する。

 

(……そう。お前もアインズ様を……浅ましいわね。そのように貧相な身体しか持たない分際で、アインズ様に懸想を抱くなど。いいわ、私が身の程というものを分からせてあげる……)

 

 庇護の対象なので直接的な手段は取れないけれど、自分からアインズ様に相応しくないと気付かせ諦めるように誘導する位は出来る。彼女自身が選択するのだから、何も問題はないわ。

 

 このときはそんな事を思っていた。このときはまだ。

 

 

 

 

 

 

 

 つかつかと硬質な靴音を鳴らし、二人の悪魔が廊下を歩く。

 

「今回は私まで、ですか。何があったのでしょう?」

 

「理由はアルベドに聞いてください」

 

 〈伝言(メッセージ)〉が来たときには正直「またか」という思いがよぎったが、それも無理からぬ事。あの寂しがり屋の相手は誰かがしなければならない。マーレではまだ幼いし、セバスは王国で商人としてのアンダーカバーを作るためにナザリックを離れている。結局デミウルゴスが対応するしかない事だとは理解していた。

 

 しかし本当に緊急事態であると言われれば急ぎ帰還を果たさねばならない。ディアブロまで一緒に戻ってきて欲しいというのだから、本当にそうなのだろう。ただ、事前に簡単にでも内容くらいは教えて欲しかった。

 

「只今戻りました。……初めまして、で良いでしょうか?」

 

 デミウルゴスが帰還次第直行を命じられた部屋へと戻ると、そこにはアルベドとコキュートス、そして見知らぬ少女の姿があった。一見ただの人間にしか見えないが、リムルの前例があるため安易に決めつけることは出来ない。

 

「おや、貴女はもしや……」

 

 デミウルゴスが慎重に対応を考えていると、ディアブロには心当たりがあったのか、意味深気な言葉を溢した。しかし少女が慌てたように口に人差し指を当てるジェスチャーをして、言葉の続きを止める。どうやら二人は面識があるようだ。

 

「クフフフ、やはり。しかしこれはまた興味深い状態ですね……」

 

 ディアブロが目を細めて笑みを浮かべている。その意味するところは不明だが、只者では無さそうだ。

 

「アインズ様とリムル様がお連れになったのよ。彼女についてはアインズ様御自身が皆を集めてご紹介されるそうだから、今私達が触れるべきではないわね」

 

 表情と口調は穏やかだが何となく不機嫌そうに答えたアルベドにデミウルゴスはそうですか、と一言だけ返し、少女を改めて観察する。

 

年の頃は人間で言えば十代半ばを過ぎたくらいだろうか。黒目勝ちで伏し目がちなその少女からは特に強者らしい覇気は感じない。

 

 少女は緊張しているのか、それとも怯えているのか。心細そうな表情で時折チラチラと視線を向けてくる。妙に興味を惹かれるのはアインズ様がお連れになったせいか、はたまたディアブロの意味深な態度のせいか。しかし今は緊急事態のはず。アルベドが呼びつけたここに一緒に居るということは、この少女も何らか関係することなのだろうと当たりをつける。

 

「それで、緊急事態とはどのような?」

 

「シャルティアが精神支配にあったの。恐らく世界級(ワールド)アイテムによるものよ」

 

「なっ!?それは本当なのですか!」

 

「信ジ難イ事ダガ、事実ダ。シャルティアハ精神支配ヲ受ケテイル。現在ハ命令ヲ受ケテイナイノカ、ウゴキヲ全クミセテイナイ」

 

 驚愕するデミウルゴスに、コキュートスは事実だと述べる。アルベドからその経緯を聞き、実際にシャルティアの姿を映したクリスタルモニターを見れば、デミウルゴスも納得するしかなかった。確かにそれ以外に考えられない。精神作用に完全耐性を持つシャルティアが精神支配されるなど、世界級(ワールド)アイテムを除いて他に考え付かない。

 

 世界級(ワールド)アイテム。ユグドラシルに200種だけ存在する、全てのアイテムの頂点で、どれもが常軌を逸した破格の性能を持つと耳にしたことがある。しかし、まさかそれを所持し、使用してくるような危険な輩がこの世界に存在しようとは。

 

「では、これからシャルティアを討つということですか。編成はどのように?」

 

「ちょうど今、アインズ様が冒険者としてシャルティアのもとに向かっている所よ」

 

 冒険者として、という言葉にデミウルゴスは嫌な予感がする。護衛は誰が?シャルティアと戦うのであれば、アンダーカバーである冒険者の相棒役として付いているナーベラルではレベル差がありすぎて戦力にならないだろう。

 

 守護者の中でシャルティアに対抗しうる前衛と言えば、アルベドかコキュートスだが、二人ともここに座っている。嫌な汗がデミウルゴスの額を流れた。

 

「では護衛は一体誰が?アウラなり、マーレなりが側に────」

 

「居ないわ。今アインズ様のお側にいるのはナーベラルと、一緒についてきた冒険者の人間達だけのはずよ。アウラとマーレには他のプレイヤーの干渉がないか、周囲の警戒に当たらせているわ」

 

「……アルベド。貴女は自分が何を言っているか解っているのですか?とても正気の沙汰とは思えませんが」

 

 デミウルゴスは額に青筋を立てて噴き出しそうな怒りを噛み殺すように静かに声を震わせた。しかしアルベドは表情を変えないまま、穏やかな笑みを崩さずに答える。

 

「アインズ様とリムル様が「全て任せろ」と仰ったのよ。お二人から連名でそう言われた以上、私がそこに口を挟む余地はないわ」

 

「……指を咥えて見ていろと?我々はナザリック地下大墳墓の守護者なのですよ?客将という立場のリムル(彼女)ではなく、我々こそお側に付いて供に戦うと具申すべきでしょう!貴女だって、アインズ様が冒険者として人間の町に潜入するときには自分も付いていくとあれほど強硬に反対していたではありませんか!それが何故!?」

 

 何故、あっさりと引き下がって、落ち着いて座ってなどいられるのか。デミウルゴスはらしくもなく声を荒らげた。ふるる、と少女が肩を震わせるが、そんなことを気にしている場合ではない。

 

「アインズ様の纏う雰囲気には、気負いも悲壮もなかった。それは絶対の自信の現れに私には見えたわ」

 

「たったそれだけの不確かなものを信じたというのですか?アインズ様が明らかに不利なはずだとわかっているでしょう!一体何を根拠にそんな悠長なことをッ!」

 

 デミウルゴスの意見は尤もである。死霊系魔法を得意とするアインズにとって、同じくアンデッドであるシャルティアには効果的ダメージは期待出来ない。しかもシャルティアは神官戦士(クレリック)職業(クラス)を修めている。アンデッドであるアインズにとっては天敵とも云うべき最悪の相性なのだ。

 

 武装面ではアインズに軍配が上がるだろうが、相性込みで考えるならば、勝算はかなり贔屓目に見積もっても4割を割り込むだろう。事実、アルベドもコキュートスも同様にアインズが不利と見積もっていた。

 

「お二人はホンの少しの間()()()()へと赴かれたの。そして再びお戻りになった時、明らかにアインズ様の纏う空気が違っていたわ。そう、以前にも増して神々しく、慈悲に満ち満ちて、そして……くふー」

 

 そう言いながら紅潮した頬に手を当て、うっとりとした表情を浮かべるアルベド。まるで憧れの男性を夢想する少女のような表情である。

 

「それはあくまで貴方の主観に過ぎないでしょう。その言葉をそのまま信じるわけにはいきませんね!」

 

「デミウルゴス。何処へ行くつもり?」

 

 デミウルゴスは背を向けて歩き出そうとするが、それをアルベドが呼び止める。その声は冷静さを保ったままだ。

 

「私の配下を動かします。例え命令に反したとし──ッ」

 

 しかし、足を踏み出したデミウルゴスの行く手を、コキュートスの持つ刀が阻む。それは武人建御雷が彼に下賜した神話級の武器、「斬神刀皇」であった。

 

「……そういうことですか。呼びつけて直ぐにここへ来るように言ったのは、ここへ釘付けにするため」

 

「ええ、手出しは一切無用。リムル様も今別動で準備を進められているはずよ。そしてシャルティアを()()()()()()。そう仰ったわ」

 

「クフフフ、リムル様がそう仰ったのであれば、私もここで大人しく成り行きを見守る他ありませんね。なに、心配はいりませんとも」

 

「その保証が何処にある!!ディアブロ!貴方は自分の主が心配ではないというのですか!!」

 

 アルベドの言葉にディアブロは直ぐに納得した様子だったが、デミウルゴスはそうはいかない。遂に激昂してディアブロに喰って掛かる。

 

「口を慎みなさい……!」

 

「…ッ!」

 

 瞬間、不機嫌そうに眉を顰めたディアブロから、強烈な怒気が洩れ出した。デミウルゴスを始め、コキュートスとアルベドにも緊張が走る。しかしそれは一瞬で、直ぐに緊迫した空気が弛緩していく。ディアブロが少女に気を遣い、怒気を納めたからだ。

 

「おっと、失礼しました。貴女には少しばかり負担が大きすぎましたね」

 

 デミウルゴスは意外そうな顔をする。彼が人間に気を遣うそぶりなど初めて見たからだ。アルベドの隣に座っていた少女は滝のような汗を流して肩を震わせていた。アルベドは少女を背に庇うような素振りを見せつつも、その口角は僅かにつり上がっている。

 

「心配……そんなものは不要です。私如きに心配されるほど、あの御方は弱くはありませんので。むしろ、リムル様が「任せろ」と仰ったのに、私がその身を案じるなどとあっては不敬に当たります」

 

「………!」

 

 デミウルゴスはハッとする。お前は自分の主人を信用できないのか、そう言われているような気がした。この悪魔(ディアブロ)は主人を心配する気が無いのではない。心配など不要と断ずるまでに、主人に対し全幅の、絶対の信頼を寄せているのだ。

 

 主を信頼せよ。それは理解はできる。しかし、デミウルゴスはそれでも不安を消しきれない。いつかアインズも他の至高の41人と同じように、自分の知らぬ世界へと行ってしまうのではないか。ずっとそんな不安が彼を苛んでいたのだ。だからこそ他の誰より世継ぎを待望していた。

 

「私とてすぐにでもリムル様のお側に馳せ参じたい所ですよ。あのお方のご活躍をこの目で拝見したいですからねえ……クフフフフ……」

 

「アインズ様の()()()なお姿を()()()()……くふ……」

 

 二人して恍惚の表情を浮かべ、視線を何もない中空に向けるディアブロとアルベド。それにしてもアルベドが口にする科白がやけに生々しく聞こえてしまうのは気のせいだろうか。意外とこの二人は似たところがあるのかもしれない。

 

「……」

 

 振り上げた拳の下ろしどころを失ったデミウルゴスは、胸に憤懣を溜めたままどしりと乱暴にソファに腰掛け、八つ当たり気味に啖呵を切った。

 

「もしアインズ様に何かあったら、貴女には守護者統括の座を降りて貰いますからね」

 

「アルベドノ地位ハ至高ノ御方々ガオ決メニナッタコト。ソレハ不敬ダゾ、デミウルゴス」

 

 コキュートスがガチリと顎を鳴らし冷気を吐く。それだけで室内の温度が冷え込んだ気がする。しかしアルベドは余裕の笑みを浮かべたまま答えた。

 

「そうね、その時は潔くそうするわ。……ところで、無理をなさらず他の部屋でお休みになられては?」

 

 先程から震えている少女は既に顔面を蒼白に染めていた。その姿を見兼ねたようにアルベドは遠回しに退室を促すが、少女は首を縦には振らなかった。表面上は心配げな表情を浮かべて訊ねたアルベドを、黙ったまま真っ直ぐに見つめ返す。その瞳には、この場に残りたいという強い意志が誰の目にも見てとれた。

 

 アルベドは呆れたようにため息をつく。

 

「私はあなたの庇護を一任されています。それ以上はお体に障ると判断した場合、力ずくでもご退室いただきますのでそのおつもりで……」

 

 デミウルゴスはアルベドの態度に違和感があることに気付いた。それはほんの些細なものではあったが、アルベドが少女を快く思っていないと理解するには充分だった。

 

 

 

 

 

 

 冒険者組合は朝から騒然としていた。この近辺で幅を利かせている盗賊『死を撒く剣団』の塒へ調査に向かったた者が、明け方に火急の知らせを持って帰ってきたからだ。

 

『死を撒く剣団』とは、この辺りに居付いている傭兵崩れの盗賊達で、(ゴールド)級や白金(プラチナ)級の冒険者も返り討ちにあった、危険な盗賊集団である。

 

 しかし火急の知らせとは、その『死を撒く剣団』についての情報ではない。調査対象の塒の近くで、恐ろしく強大な魔法を操り、見たこともない真っ赤な武装をした、謎の吸血鬼(ヴァンパイア)が暴れる姿を目撃したというものだ。

 

 その情報は冒険者組合長から都市長まで伝わり、大至急ミスリル級冒険者4チームが集められるに至った。ナーベラルから呼び出しの知らせを受けたアインズは、モモンとして組合に顔を出す事になったのだった。

 

「申し訳ない。遅くなってしまいました」

 

「新参がいきなり重役出勤とはどういうつもりだ、あぁ?何様のつもりだお前は?」

 

 遅れて最後に集まったモモンに対し、開口一番罵倒を浴びせてきたのは、モモンが初めて会うチーム『クラルグラ』のリーダー、イグヴァルジ。昨夜のアンデッド事件には別の依頼で街を離れていた為に参加していなかった。彼はあっという間にミスリル級にランクアップしたモモンに対し、激しい嫉妬の念を抱いていたのだった。

 

 その場にいた他の全員がイグヴァルジの態度に反感を抱きモモンの肩を持とうとしたが、動いたのはモモンだった。

 

「遅れたのはあなたの仰る通り私の落ち度です。改めて謝罪します。申し訳ありませんでした」

 

 モモンが頭を下げると、アインザックやモックナックは何もそこまでしなくてもという雰囲気になったが、こういうケジメは大事ですからとモモンはあえて譲らなかった。

 

 丁寧に腰を折って謝罪されたイグヴァルジの方は面白くない。貶めてやろうと文句をつけようとすればするほどモモンの人格は際立ち、対照的に自分の立場が悪くなるカラクリに気付いたのだ。

 

「ちっ……まぁ、次から気を付けてくれりゃそれでいいけどよ……」

 

 結局それ以上追及することも出来ず、イグヴァルジは苦虫を噛み潰したような表情で怒りの矛を収めるしかなかった。

 

 組合長の話を聞いてアインズは顔を顰めた。情報は完全にシャルティアの容姿まで一致していたのだ。武装した姿を目撃されていたのは想定外である。何かと戦っていた様子だったとあるが、肝心の相手の情報は全く無かった。容姿とはいかずともシャルティアを洗脳した相手について何らかの情報が得られないかと期待していたが何も出てこず、『死を撒く剣団』という盗賊団の塒には見るも無惨な惨殺死体が数多く発見された事だけが分かっている。

 

(まずいなぁ。多分シャルティアがやったんだろうけど、悪人が相手とはいえ人間を殺戮した危険な存在と看做される可能性が高いか……)

 

「放置か討伐か……一体どちらが正解だと思うね?」

 

 丸々と太ったエ・ランテルの都市長パナソレイ・グルーゼ・ロッテンマイアが真剣な表情で組合長に訊ねる。

 

 普段は「ぷひー、ぷひー」と、豚のように鼻を鳴らして道化を演じ、相手がどんな態度をするか観察する意地悪な性格をしているのだが、今はそんな余裕もないらしい。

 

 何しろ、只でさえ高い身体能力と驚異的な回復力を備えた吸血鬼(ヴァンパイア)という厄介なモンスターが、高度な魔法を操り、見るからに強力な武装までしているというのだから、その脅威度は計り知れない。

 

 誰もが伝説に語られる『国堕とし』という存在を連想してしまう。『国堕とし』とは恐ろしく強大な力を持つ吸血鬼(ヴァンパイア)で、単騎で国を滅ぼした事もあるという。お伽噺では13英雄の手によって討伐されたらしいが、その再来を思わせる危険な存在が、このエ・ランテルの目と鼻の先で発見されたのだ。

 

 対応を誤れば国家存亡の危機に直結する故に、誰も口を開けないまま長い沈黙が場を支配する。

 

(……もうそろそろいいんじゃないか?)

 

 モモンが今絶好のタイミングだぞと思っていると、計ったかのように部屋のドアがノックされる。ドアを開けて顔を覗かせたのは受付嬢。その表情は何か焦っているような様子だ。

 

「あの、く、組合長。今すぐにお会いしたいという貴族様がいらっしゃっています」

 

「私にかね?…すまないが今はとても相手をしている余裕はない。用件だけ伺って一旦お引き取り願いたまえ。後日直接私が伺う事にする」

 

 逼迫した状況の為、そのように指示を出したアインザック。それで貴族の機嫌を損ねる可能性もあるが、国家存亡の危機に比べれば大した事ではない。だが、受付嬢は何故か下がろうとしない。一同が怪訝に思っていると、受付嬢がおずおずと口を開いた。

 

「そ、それが……ご用件は例の吸血鬼に関する事だそうです」

 

「何だと!?」

 

 ガタっ、と音を立てて立ち上がるアインザック。もし有益な情報を貰えるのならば、会っておくべきだろう。しかし情報を手に入れるのがやけに早いのが気掛かりでもある。数秒の逡巡の後、受付嬢に指示を出す。

 

「ひとまずこの部屋へ案内したまえ。それで、名はなんという方かな?」

 

「あ、はい。アインズ・ウール・ゴウン様とおっしゃる方です」




とりあえず元に戻った(?)アインズ様。リアルへ行って何があったのかは、また後程描いていくつもりです。謎の少女については4人の中でディアブロだけが知っています。


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#68 依頼

エ・ランテルへとやってきたアインズ・ウール・ゴウン。その依頼内容は……


「アインズ・ウール・ゴウン様とおっしゃる方です」

 

「アインズ・ウール・ゴウン?ふむ……では案内を頼む。………はて、聞いたこともない名前だが一体……?」

 

 受付嬢が件の客人を迎えに向かうと、組合長アインザックは聞き覚えのない名前だと首を傾げる。アインズは不自然ではないよう、それでいてアインザックに聞こえるように然り気無く呟いた。

 

「ああ、確かカルネ村の……」

 

「ん?もしやモモン君は何か知っているのかね?」

 

 思惑通り質問を投げ掛けてきたアインザックに、アインズは聞いた話という口調で説明する。

 

「ええ、昨日まで依頼でトブの森林に行っていたのですが、その近くのカルネ村に立ち寄ったときに、その名を耳にしました。何でも最近、周辺の村を荒らし回っていた賊がいたそうですね?偶々通りがかった人物が、王国戦士長殿と協力してそれらを伐ち取ったとか。その名前が……」

 

「アインズ・ウール・ゴウン、というわけかね。戦士長にそんな協力者が居たとは聞いていなかったが……。なんにせよ、少なくともただ者では無さそうだ。遠方の国の貴族だろうか」

 

 アインザックはモモンの情報を聞き、その瞳の奥には僅かに警戒の色を浮かべている。勿論全てがそうではないが、貴族と言えば往々にして権力を笠に着て無茶な要求を突き付けてくるものなのだ。初めて会う貴族に対する彼の警戒は当然だろう。

 

(何故か貴族と思われているな?……ああ、確か平民は名前が二つ、貴族は三つあるんだったっけ。そういえば、カルネ村で長ったらしい名前を名乗っちゃったけど、あれって大丈夫だったかなぁ?)

 

 その場で作った嘘ってバレバレだったのでは。待ちながらそんなことを考えていると、再びドアをノックして受付嬢が入ってくる。

 ガチガチに緊張した面持ちの彼女が連れてきた人物は、幾つもの煌びやかな宝石をあしらった豪華絢爛とも言うべき純白のローブに身を包んだ男性。顔には見たこともないような美しい造形の、白銀に輝く仮面を着け、両手には手袋を嵌めている。

 

「皆さん、お初にお目にかかります。我が名はアインズ・ウール・ゴウン。冒険者組合長殿はどなたですかな?」

 

(く、わかっちゃいたけど……は、恥ずかしーっ!)

 

 アインズは兜の下で顔が熱くなるのを感じた。目の前で自分のモノマネを披露されているような感覚に、今更ながらどういう羞恥プレイだよと文句を言いたくなる。

 

 モモンに扮した()()()()()()()の前で、ポーズ付きで挨拶をした()()()()()()()。彼は誰かと言えば、パンドラズ・アクターである。二重の影(ドッペルゲンガー)である彼は、ギルドメンバー全員分の外装をコピーし、その能力もオリジナルの8割程の力で行使する事が出来る。今回はアインズに扮して影武者をやってもらうことになったのだ。

 

(ホラ、みんな固まってるじゃないか……)

 

 アインズはみんながヤツのオーバーアクションに引いていると思って頭を抱えたくなる。しかし実際には、偽アインズの着る超級の衣服と威風堂々たる風格を前にして、突然国王が来訪したかの様な驚きと衝撃を受けていたのだった。

 

 時間が止まったかのような数秒間の静寂の後、最初に思考を取り戻したアインザックが挨拶を返す。

 

「あ……は、初めまして。私がエ・ランテルの冒険者組合長、プルトン・アインザックです。そしてこちらはパナソレイ・グルーゼ・ロッテンマイア殿。エ・ランテルの都市長です」

 

「いごおみしりおきを」

 

「粗末な椅子で申し訳ないのですが、どうぞお掛けください」

 

「では失礼して……」

 

 バサリとローブを翻し、威厳ありげに椅子にどっしりと座る偽アインズ。足運び、腕の動きひとつ取っても優雅で洗練された所作に、皆が黙って見入る。

 

(くっそ、大袈裟にやるなって言ったのに。いや、オーバーアクションをする設定にしたのは俺だけどもっ!……認めたくないものだな、若さゆえの過ちと言うやつは……)

 

 彼が影武者である以上、大事な時には本人と入れ替わるタイミングも出てくる。ここで偽アインズがそういう動きをするということは、本物が入れ替わったときにボロが出ないよう、同じ動きが出来なければならない。

 

 アインズは正直こんな動きを自分もするのかと思うと羞恥心が沸き上がってくる。しかし、これも自分が撒いた種だから仕方ない事だとアインズは無理やりに自分を納得させた。

 

 とはいえ、普段のように敬礼や仰々しいオーバーアクションされるよりは、かなりマシな方である。お陰でシラフのままでもいられる程度の羞恥心で済んでいるのだから。

 

 今回、彼に影武者役を任せたのには理由がある。一つはモモンとアインズが同時に立ち会う場面を作ることで、二人は別人であると周囲に誤認識させるためだ。その二人がイコールで結びつけられるのは今のところ現地では『漆黒の剣』とバレアレ婆孫、エモット一家のみ。

 

 バレアレ家はカルネ村に移住するし、今後も『漆黒の剣』が()()()()()まで口を閉ざしてくれているならば、問題はないだろう。

 

 もうひとつはリムルの提案だ。アインズが宝物殿に現れた時、パンドラズ・アクターは「自分の出番が来たのかと思った」と溢し、酷く残念そうにしていた。ずっと誰とも会うことなく宝物殿に籠りきっていた彼を不憫に思ったリムルが、彼に何か役目をやらせてみないかと提案してきたのだ。

 

 アインズにとっては過去の黒歴史を引っ張り出して周りにさらけ出すような行為だ。当然反対しようとした。しかし、自分が作ったNPCなんだから責任と愛情を持って向き合うべきだとリムルに言われ、反論出来なかった。

 

 確かに、他のNPCには愛情を向けられているのに、自分だけそれが向けられないとしたら、酷く悲しむだろう。アインズにとっては恥ずかしい黒歴史そのものだとしても、そんな扱いをするのは可哀想である。自分も愛されない孤独はよく知っているのだから。

 

 アインズが依頼を出してシャルティアの対処をモモン(自分)が受ける。自分で依頼を出して自分でこなすという、まさに自作自演。それ以外の何ものでもないが、他の冒険者に勝手な手出しをさせるわけにはいかなかった。

 

 王都に居るというアダマンタイト級の冒険者なら分からないが、シャルティア相手にまともに戦える者はこの街の冒険者にはいなさそうだ。もし討伐隊を差し向けられたとしても、人間の死体の山が積み上がるだけだろう。

 

 だが、そうと分かってはいても気分は最悪である。大事な仲間の娘に刃を向けられるのだから。それはナザリックの面々も同じである。しかし、発見されている以上、放置もされないだろう。避けることが出来ないならば、自分に都合の良い方向へ誘導してしまえば良い。

 

「お会いして早々に申し訳ないが、時間が惜しいので早速本題に移らせていただきたい。よろしいですかな?」

 

「もちろんですとも」

 

「我々も早急に方針を決めなければならないので、願ってもいないお話です」

 

 いきなり本題に入る偽アインズ。謎の吸血鬼に対し、早急な対応が必要と考えていたアインザックとパナソレイにとっては、無駄に長い社交辞令の挨拶で時間を浪費しないで済む事に安堵した。

 

 

 

 

 

「かはっ……あ、が…っあああっ!」

 

 イグヴァルジは迫りくる濃厚な死の気配を前に、1ミリたりとも歩みを進める事が出来ない。全力で、そう肉体の全ての細胞が()()()()()から逃げ出したいと叫びを上げているが、彼の意地がそれを受け入れず、後ろへ勝手に下がろうとする足を踏み留まらせた。

 

「ふむ、こんなものでしょう……」

 

 魔法詠唱者(マジックキャスター)だというアインズ・ウール・ゴウンから放たれていた猛烈な覇気が緩み、巨大なモンスターの眼前に立っているかのような恐ろしい気配が霧散していく。

 

「はぁっ、はぁっ……へ、へへ……どどど、どうだ……」

 

 ガクガクと膝を笑わせながら、イグヴァルジが笑いを溢す。同じ空気に身を晒されていたベロテとモックナックは、既に地面に蹲って震えている。ミスリル級冒険者チームのリーダー4人の中で、立っていられた者はイグヴァルジと()()()()だけだった。

 

 アインズからの依頼は、吸血鬼の討伐ではなく捕縛。それは討伐以上に大変で厄介なものであった。

 

 対象を殺さないように捕縛するには、対象との実力差が開いていなければならない。実力が拮抗していてはそもそも加減など出来ないのだ。しかし相手は武装し、魔法をも操る強大な吸血鬼。ウサギや馬の捕獲とはわけが違う。貴族の道楽に付き合う気はないとアインザックは毅然と断ろうとした。

 

 だが、それを見越していたかのように、金貨五百万枚という法外な成功報酬を持ち出され、アインザックの気持ちが揺らぎかけた。返答を躊躇しているうちに、その場にいたベロテやイグヴァルジ達は完全に乗り気になってしまっていた。それもそのはず、そんな報酬を手にしたならば、組合に仲介料を引かれたうえで、この場の4チームで山分けしたとしても、一生遊び呆けてまだお釣りが来るぐらいなのだから。

 

 更に、最悪の場合は倒してしまっても組合側に責任を追求はしないと約束してくれた事で、強く反対する理由もなくなってしまった。

 

 しかし、そこからが問題であった。戦える人材を選出すると言い出した彼の言うがまま裏庭に移動したのだが、エ・ランテル最高水準の猛者達は、彼が威圧しただけで、軒並み腰を抜かしてしまったのだ。中には盛大に失禁、便失禁した者まで居る。モモンが平然としていたのは鼻が高かったが、殆んどが恥を晒してしまったようなものだ。

 

「ふむ、戦力としてアテになりそうなのは一人だけですか」

 

「ま、待ってくれ!俺は耐えられたじゃあねぇか!立っていられたら合格って話だぞ!」

 

 アインズから淡々とした口調で言外に自分が戦力外だと告げられたイグヴァルジが、約束が違うと抗議する。

 

「そうは言いましたが……しかし、今ので立っているのがやっとのご様子。その程度の実力で付いてくるのは、ハッキリ言って自殺行為ですよ?実際あの吸血鬼の殺気は今のものとは比べ物になりません。目の前に立てば一秒と待たずに精神が生を諦め、何もされなくても死ぬことになるでしょう」

 

「そ、それほどの相手、だというのか……」

 

 アインズの言葉に、喘ぎを洩らすアインザック。後から駆け付けた魔術師組合長、テオ・ラシケルの姿もあるが、彼もまたアインズの覇気に当てられ、尻餅をついて顔を青ざめている。レベルが違いすぎる。どうあがいても街の冒険者の手に負える相手ではないと知るには十分だった。

 

「ぐ……だ、だがそれでも絶対ぇ行ってやる!俺は諦めねぇぞ!吸血鬼と戦って、そして生き残って見せる!」

 

 4人の中でただ一人、アインズの威圧にも平然と立っていられたモモンに、異常なまでの対抗心を燃やすイグヴァルジ。新人に追い越されてたまるかという意固地なまでのプライドが彼を支えていた。

 

(負けてたまるか!俺はまだやれる!ポッと出のヤツなんかに先を越される何て、有り得ねぇ!)

 

 元々彼は冒険譚に登場するような英雄に憧れて冒険者を志したが、いつしか才能には限界があると思い知らされた。同じ努力をしても自分より伸びるヤツなどゴマンといるのだ。自分に才無き事を嘆き、才能ある者を妬んだ。

 

 それでも諦めきれない彼は、名を上げて出世するためなら何でもやった。規則を破ることも、汚いやり方でライバルを陥れ蹴落とすことも躊躇わず。冒険者の純粋な英雄への憧憬はいつしか、歪な出世欲へと変貌し、目指した英雄とはかけ離れた物になっている事にも気付いていない。

 

「イグヴァルジさん……勇敢であることと命知らずは違いますよ」

 

「っ!手前ぇえ!」

 

 モモンの上から見下ろすような言葉に、イグヴァルジは激昂して殴りかかろうとする。が、その瞬間、アインズから先程とは比べ物にならない圧力が発せられた。今度は手足の自由どころか呼吸さえも出来ない。全てを瞬時に抑え込まれ、背後に死の足音が迫ってきている気がした。それはテストの為に加減した威圧ではなく、殺意の籠った明確な殺気だった。

 

「どうせ殺されるなら、この場で引導を渡して差し上げましょうか」

 

(ひっ?し、死ぬっ、殺されるっ!このまま俺は英雄になれないまま……嫌だ、いやだぁああ!)

 

 冷徹な声でそう言ったアインズの言葉と共に意識がゆっくりと遠退いていき、視界の全てが闇に閉ざされると思われたその時、不意に自分を抑え込んでいた重圧が消えた。

 

「それ以上はやめて頂きたい」

 

 戻ってきた視野に、イグヴァルジを背に庇うように立ち、アインズにグレートソードを突き付けるモモンの背中が映る。憧れ目指した英雄の姿がモモンにダブり、イグヴァルジはその場に膝から崩れ落ちた。

 

「貴方という人は……いいでしょう。貴方の協力を得られなくては私としても困りますからね」

 

「ちくしょう……ちくしょう……ちくしょうっ!何でお前なんだよ!何で俺じゃ英雄になれねぇんだ!ずっと長えこと努力してきたんだぞ!馴れねえ地味な努力もしてよぉ……っ!俺とお前とじゃ、モノが違うっていうのかよ……ちくしょおぉ」

 

 砂を掴み、泣きながら心情を吐露するイグヴァルジにモモンはそっと手を伸ばし肩に置く。

 

「人にはそれぞれ果たすべき役割というものがあります。あなたはこれまで多くの依頼をこなし、人々を助けて来ました。居もしない英雄などではなく、ここに居るあなたにしか出来ないことが、あるとは思いませんか?」

 

「俺にしか、出来ないこと……?」

 

「そうです」

 

 力強く頷くモモンを見たとき、イグヴァルジは自分の胸の中で凝り固まっていた何かが解けていくのを感じた。

 

 

 

 

 

「案内はフォレストストーカーの俺に任せてくれ」

 

「頼りにしていますよ、先輩!」

 

 案内役を買って出たイグヴァルジ。彼の目にはもう、ギラギラとした野心の火は灯っていなかった。代わりに灯っていたのは、希望の光。モモンの言葉により英雄という者への歪んだ執着は憑き物が落ちたようになくなって、仲間のために献身しようとする、善き冒険者の先輩がそこにはいた。

 

「頼んだぞ、モモン君。君ならきっとやってくれる!」

 

「全力を尽くします。私が居ない間は、彼女のことを頼みますよ」

 

(モモン君。なんというカリスマなんだ。あのゴウン殿に対しても一切躊躇いなく意見をぶつける胆力も凄いが、イグヴァルジをあの短時間で改心させるとは……役者が違うな……)

 

 身支度を終えたモモン達を見送りながら、アインザックは改めてモモンの評価を最上位にまで上げた。

 

(ゴウン殿も凄まじい実力と素晴らしい人格の持ち主のようだが、冷徹な一面も垣間見えた。生来優しい性格というよりは、高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を意識して果たしているといった感じだったな。カルネ村もそうした義務感で助けたという感じだろうな。いずれにせよ、彼もまた英雄か……)

 

 切り札として見せてくれた超級のマジックアイテムをラシケルが舐めようとした時には思わずドン引きしたアインザックだが、彼はそれを見て嬉しそうに笑っていた。彼もマジックアイテムが好きだからアイテムを愛でる気持ちはわかるらしい。案外気さくなところもある御仁だ。

 

「とにかく無事に帰ってきてくれ……」

 

 二人の英雄が向かうのだから、大丈夫だと思いたい。だが相手も恐らく国を堕とせる程の強大な吸血鬼。元オリハルコン級冒険者のアインザックが現役当時の実力のままであっても、戦力としては役に立てないだろう。精々自分に出来ることは、彼の留守中クレマンティーヌの監視を替わってやる事くらいか。

 

「では一緒に留守番していようか」

 

「ねぇねぇおじさん、追いかけっこしよーよー」

 

 アインザックはまるで子供のように無邪気な笑顔で笑うクレマンティーヌに苦笑いしつつ、童心に返るのも悪くないかと彼女の誘いに乗るのだった。

 

「よーし、捕まえてやるぞー」

 

「きゃー、逃げろー♪」

 

「待て待てー」

 

 後日二人を見かけた街の住人の間に、冒険者組合長が若い女の尻を汗だくで追いかけ回していたという不名誉な噂が立ち、暫くの間、受付嬢達からは白い目を向けられる事になった。




金貨500万枚はweb版設定の1金貨十万円で計算すると5000億円ですから、もしかするとエ・ランテルが買収出来るのでは、というくらいです。
でもシャルティアが死んだ場合の復活費用はユグドラシル金貨五億枚(ユグドラシル金貨=交金貨2枚分)で100兆円になるので、それと比べれば大したことないですね。
レベルに応じて復活費用が高くなるようですが、100レベルのNPC復活には日本の国家予算並みのお金が必要なんですねぇ。


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#69 悪夢(ナイトメア)

精神支配される前のシャルティアのお話です。


 時間は少し遡る────

 

 夜道を行く馬車の中ではセバスとソリュシャン、シャルティアが座っていた。

 

「あー、イライラするでありんす……っ」

 

 馬車の中で、すこぶる機嫌が悪そうに爪を研ぐシャルティア。彼女の機嫌を斜めにさせている原因はリムルである。鬼事(鬼ごっこ)で圧倒的な実力を示した三人。その中でも、ナザリックを貶すような傲岸不遜な態度を取りながら、最高の美の結晶たるアインズが気を許し、信頼を寄せる謎の()リムル。アインズの正妻の座を狙うシャルティアにとって、極めて面白くない存在である。

 

 アルベドも交えて、あの()とはいずれ三つ巴で正妻を争う事になるだろう、とか考えていたりするが、そんな事は実際には有り得ない。全くもってあり得ないのだが、リムルの本性を知らないシャルティアは対抗心をメラメラと燃やしているのだ。

 

 既に馬車の中はピリピリとした空気が漂っており、ソリュシャンはシャルティアがいつ爆発するかと気を揉んでいた。

 

 そもそも何故こんな状況なのかと言えば、現在情報収集の任務に赴いているのである。現在ソリュシャンは世間知らずでワガママな帝国の大商人の令嬢役、その執事役をセバスが演じ、人間の町に潜入しているのだ。

 

 ソリュシャンが美貌と傍若無人な態度で周りの目を引き、セバスが役立つ見込みのありそうな者と表で繋がるコネクションを構築する切っ掛けを作っていく。

 

 そして裏ではシャルティアが悪意を持って近付いてくる悪党共を、叩いて殴ってじゃんけんぽんして、有用な者を見つけたら従えて裏社会にコネクションを作っていく。武技の使い手が居れば交渉を持ち掛け、ナザリックに拐って来る(招待する)事にもなっている。

 

 因みに無能で使い道もないと判断された悪党については生死を問われていない。殺されても当然というくらいの罪を犯した犯罪者なら、死んだり行方不明になったところで然して気に留める者は居ないのだ。

 

 シャルティアはその任務を絶好のチャンスだと喜んで引き受けた。自分の強さを底上げするヒントがあるかもしれないからだ。他の誰より早く武技を習得することができれば、アインズ様にお褒めいただける。そしてリムルより自分の方が有能であると示すのだ。

 

 シャルティアのその気合いの入れようは、普段侍らせている吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)を連れて来なかった事にも表れていた。色にうつつを抜かしている暇はないという気概は立派だが、そのせいでソリュシャン達がいない間ずっと一人馬車で留守番するハメになり、余計にイライラを募らせたりしているのだが。

 

 そのイライラも、もうすぐ発散する事ができる。既に餌に群がる小悪党は釣り針にかかりつつあった。喉元深くまで針を飲み込むまで、あとわずか。

 

 先程から馬車内の空気をピリつかせているシャルティアの気分をほぐそうと、セバスが世間話でも振るように質問を投げ掛ける。

 

「以前からお聞きしてみたかったのですが、シャルティア様はアウラ様と仲がよろしくない様子。何か理由があるのでしょうか?」

 

「……そうでありんすねぇ」

 

 必要でもないのに爪の手入れをするほど暇を持て余していたシャルティアは、鑢をインベントリにしまい込みながらゆっくりと口を開く。

 

「本気では嫌ってはいないんす。それぞれの創造主から仲が悪いと設定されたからじゃれているだけよ。そもそも、私の創造主であるペロロンチーノ様と、あのチビの創造主ぶくぶく茶釜様は、ご姉弟(きょうだい)でありんすえ?」

 

「おお、そうでしたか。教えていただき、ありがとうございます。そう言えば、ぶくぶく茶釜様は"せいゆう"なる、声を使う演者のようなご職業だとか……大層多くの方を魅了しておられたと聞き及んでおります」

 

 セバスはいつだったか、ギルドメンバーが話題にしていた声優という職業について、正解に近い解釈をしていた。しかしシャルティアもまた本人の語った言葉を元に自分の見解を展開する。

 

「違うと思いんす。ぶくぶく茶釜様は、声を吹き込むことで命を与えると仰っていんした。詰まるところ"せいゆう"とは生命創造系の職業でありんす。ペロロンチーノ様は使()()()()()使()()()()()()()()()()と仰っていんしたが……その職務はきっと途轍もない負担(ペナルティ)があると思いんす」

 

「成る程、大変勉強になりました。ペロロンチーノ様はぶくぶく茶釜様のご負担を普段から憂慮しておられたのですね。仲睦まじいことです」

 

 セバスが美しい姉弟愛ににっこりと微笑む。生命創造系とは随分と夢のある話だが、実際にはその声で世の男性諸氏の()()()()の無駄射ち記録を量産していたとは、二人は夢にも思うまい。弟の彼にとっては使うどころかむしろ萎えるらしいので、使()()()()という点は間違っていないのだが。

 

 二人がそんな勘違いだらけの話を交わしていると、馬車がガタリと揺れて、急に止まる。

 

「ようやくでありんすか」

 

 シャルティアは待ってましたと口角を吊り上げる。御者に雇い入れたザックという男は見た目通り下衆な小悪党で、夜だというのに移動を強行するソリュシャンをお嬢様は格好のカモだと、野盗の仲間にこの馬車を襲わせる算段をしていた。そして生意気なお嬢様の身体を楽しみたい等と言っていたことまで、アサシンの職業(クラス)を持つソリュシャンには全て筒抜けなのである。

 

「あのザックという御者はソリュシャンにいただいても?」

 

「ん~?まぁ、いいでありんしょう」

 

「ありがとうございます、シャルティア様」

 

 光を灯さない濁った瞳で、ドロリと溶けるような不自然で恐ろしい笑顔を浮かべ、邪悪な本性を垣間見せるソリュシャン。彼女もまたナザリックのご多分に洩れず悪の粘体である。相手が楽しみたいというのだから、こちらもこちらでじっくりと楽しませていただこうというわけだ。

 

 彼女はその体に人間をまるごと飲み込み、体内で生成する酸によって徐々に溶かして、生きたまま絶望に喘ぎ苦しみながらドロドロになっていく様を悦ぶ、邪悪な性格である。本当は無垢な者が絶望に喘ぐ姿が最高にソソるのだが、慈悲深い主人アインズは悪人に限って殺害を許すというものであったため、一番のご馳走は我慢している。

 

「シャルティア様、くれぐれも血の狂乱にはお気をつけください」

 

「分かっていんす。うまく抑え込んでみせるわ」

 

《血の狂乱》とは吸血鬼(ヴァンパイア)である彼女が持つペナルティの一つで、血液を浴びることで身体能力にバフがかかるかわりに、敵味方の区別がつかなくなる程に理性が低下してしまうという難点がある。階層守護者の中でも"単騎戦最強"を誇る彼女がそうなってしまえば大惨事は免れない為、セバスはそれを危惧していた。

 

 馬車のドアが外側から乱暴に開かれると、下卑た男達の顔が周囲を取り囲んでいるのが見える。彼らは、シャルティアの顔を見るなりアタリだと小さく感嘆の声を上げた。自分達の手で地獄の扉を開けてしまったとも知らず。

 

 シャルティアの細い白魚のような可憐な指によって先頭の男の首は刎ね飛ばされ、それを契機として始まった恐怖の殺戮ショーに、盗賊たちは為す術もなく蹂躙されてその命を散らしていった。

 

 アジトの情報を聞き出す為に残っていた一人も、最後には首を落とされて絶命した。ソリュシャンは盗賊達の手引きをしていたザックを繁みへと連れ込んでいったが、程なく愉悦に歪んだ笑顔を浮かべ、開いた胸元を整えながら戻ってきた。今は体の中に取り込んでお楽しみ中らしい。

 

「ではシャルティア様、我々はこれで」

 

「ええ、またナザリックで」

 

 セバスとソリュシャンは再び馬車に乗り、去っていった。ここからは二手に別れて行動する手筈である。

 

 早速情報を得た盗賊のアジトへと足を運んだシャルティアは、ふんすと鼻を鳴らして正面から近付いていく。

 

「もし、ソコの」

 

「あ?なんだぁ、嬢ちゃん?」

 

(うおっ極上のべっぴんじゃねぇか)

 

(まだ顔立ちは幼いのに、このたわわな乳!た、堪らんぜ……)

 

 こんな夜に、しかも盗賊が根城にしている洞窟に、黒い夜会用ドレス(ボールガウン)を着込んだ可憐な少女が歩み寄ってくる。そんな事普通に考えればあり得ない。罠や囮を警戒するのが普通なのだが、シャルティアの持つ美貌とたわわな偽物の胸に目を奪われた見張りの男二人は考えるのを止め、ゴクリと喉を鳴らす。自分達の運命も知らず、もしかしたら良い思いができるかも……という下心がムクムクと鎌首をもたげていた。

 

「一応聞くでありんすが、こなたに武技の使い手はおりんせんかえ?」

 

「は?武技?」

 

 いきなり何を聞かれるかと思えば、武技の使い手が居ないかという少女の問いに、キョトンとして顔を見合せる二人。そして、少女が何を考えているのかわからないが、ここに来たのが運の尽きというやつだと、互いに目配せをしてニヤリと笑った。

 

「ああ、いるとも。俺等は使えねーけど、この中にな。良かったら案内してやるぜ?」

 

「そう、ご苦労。でも良いわ。自分で行くから」

 

 男たちはシャルティアの言葉を最後まで聞くことはなかった。既に首を切り飛ばされて絶命していたからだ。首の断面から異様な勢いで飛び出した血潮が、中空で丸い球を形成する。

 

 シャルティアの持つブラッドドリンカーのクラススキル〈鮮血の貯蔵庫(ブラッド・プール)〉。殺害した相手の血液を溜めておき、魔法の強化スキルの消費MPを代替するなど様々な用途に使えるのだが、他にもメリットがある。

 

 こうする事で返り血を直に浴びずにいられるため、血の狂乱を起こさずに済むのだ。ナザリックでは一部にアホの子扱いされているシャルティアとて、何も考えていないわけでは無かった。

 

「♪~」

 

 周辺ではソコソコ名の知れた盗賊団らしいので少し期待していたが、期待通り武技の使い手がいると聞いたシャルティアは鼻唄混じりに中へと入り込んだ。

 

 〈警報(アラーム)〉の魔法が掛けてあったらしく、シャルティアの侵入に気付いた盗賊団は、血を抜かれ干物のように成り果てた仲間の姿を確認し、応戦を始めた。しかし、誰も彼女を傷付けることすら叶わず、絶望的な実力差の前に逃げ惑い、洞窟内はあちこちに断末魔の悲鳴が響く地獄絵図と化し始めた。

 

 盗賊団の用心棒として雇われていたブレイン・アングラウスは、状況報告を聞いて顔に喜色を浮かべた。相手はたった一人の女だと言っていたが、強者には違いない。これまでに磨いてきた剣の腕を試すには絶好の機会と言えた。

 

 彼は以前行われた王国の御前試合にてガゼフ・ストロノーフに敗北、才能があると自惚れていた鼻っ柱を見事に折られて以降、強さを貪欲に求めて戦いに身を投じ続けた。そして血反吐を吐くような鍛練の末に、遂に自分のオリジナル武技を編み出すに至っている。

 

「お前らは奥に引っ込んでろ。俺がいく」

 

 未だ見ぬ強者に胸を高鳴らせつつ、意気揚々と迎撃に向かうブレイン。そして程なく二人が合間見える。

 

「……吸血鬼(ヴァンパイア)か」

 

 ブレインは少女のような可憐な容姿には目を奪われることなく、シャルティアの正体をひと目で見抜いた。赤い瞳と白蝋のような真っ白な肌、口から覗く尖った歯。それらはまさに吸血鬼の特徴そのものなのだから、気付かない方がおかしいのだが、他の盗賊たちは彼女の顔貌の美しさにばかり目が行って、見落としていたのだ。

 

 自分の正体を見抜いた相手に、シャルティアもやっと少しはマシやつが出てきたと内心安堵していた。弱い人間を玩具として弄ぶのは楽しいかと言われればかなり楽しいが、雑魚過ぎて使えないやつばかりでは任務の方が達成できないと少しばかり焦り始めていたのだ。

 

「ぬしは武技を使えるんでありんすかぇ?」

 

「さぁて、どうだろうな?」

 

 ブレインは勝機を見いだそうと目の前のシャルティアを観察する。吸血鬼が驚異的な身体能力と回復力、魅了の魔眼など厄介な能力を持つことはブレインも知っている。本来ならば、正面からまともに挑むべき相手ではないだろう。しかし目の前の吸血鬼はその能力に驕り油断しているようだ。ならば、そこに付け入る隙はあるはずだ。

 

(絶対強者を気取るモンスターめ。人間を侮って油断してやがるな。だがそれが命取りだと教えてやろう。本気を出される前に決着(ケリ)を着けさせてもらうが、悪く思うなよ)

 

 ブレインは刀を鞘に納めたまま深く腰を落とし構える。

 

(武技〈領域〉と〈瞬閃〉を更に昇華させた〈神閃〉。見せてやるぜ、秘剣"虎落笛(もがりぶえ)"を。お前の命と引き換えにな!)

 

 〈領域〉によって半径3メートル以内の全てを知覚し、死角を全て潰す。〈神閃〉は知覚不能な一瞬の刹那に刀を振り抜く超高速の武技。これを組み合わせ、間合いに入った全てを切り刻む、剣の結界とも言うべき空間の形成こそが、ブレインの修行の成果であり真髄である。全ては打倒ガゼフ・ストロノーフの為に磨き、築きあげてきた。

 

 シャルティアは余裕のある笑みを浮かべつつも、男を冷静に観察していた。武器はコキュートスが愛用する斬神刀皇と同系統の物。等級こそ大きく劣り、威圧感も全く比べるべくもないが、脆弱な人間ではこんなものだろうか。

 

 お目当ての武技を使えるかどうか確認しておきたいが、見せる気があるのかどうか。腹芸が得意ではないシャルティアには、言葉のやり取りだけでは判断がつかなかった。

 

(ま、少し追い込んでやれば使う気になるでありんしょう……潰してしまわないように、攻撃はまだよした方がいいでありんしょうか?)

 

「武技を使えるなら早く使う事ね。死んでしまう前に」

 

「ご忠告どうも。……ブレイン・アングラウスだ」

 

「ふぅん……?」

 

「……そっちの名前は?」

 

「ああ、名前が聞きたかったんでありんすね。ま、良いでありんしょう」

 

 武人の精神を持つコキュートスならばその礼に応えてすぐに名乗ったであろうが、そんなものを持ち合わせていないシャルティアは名前を訪ねられてようやく、そういうことかと理解する。

 

 すぐに死んでしまう弱者に名乗る意味があるのか甚だ疑問ではあったが、初めて武技を披露してくれるかも知れない相手だから一応名乗っておくか、という程度の感覚である。

 

「んん、妾、わた、私……。よし……!私の名はシャルティア・ブラッドフォールン。楽しませてくんなましな?」

 

「そうか、ありがとよ」

 

 スカートを摘まんで貴族の令嬢の如く優雅に名乗ったシャルティアに対し、ブレインは礼を述べる。まさか本当に名乗ってくれる事を期待はしていなかった。

 

「では、開始しんす♪」

 

 可憐な笑みのまま、ゆっくりと歩み出すシャルティア。ブレインはその足が自身の領域に入る瞬間を待ち構える。

 

(あと、二歩……一歩……今だ!)

 

 ブレインの抜き放った剣が刹那の瞬間にシャルティアの首筋目掛けて迫り、その細い首を切り落とす。そう思った瞬間であった。

 

(なん、だと……?)

 

 止まった。何故?……指だ。シャルティアのか細い親指と中指が、ブレインの刀をそっと摘まんでいる。たった指二本で、絶対の自信をもって放った一撃が難なく止められ、押しても引いてもびくともしない。ブレインにとっては悪夢のような光景だった。これまでに積み上げてきた修行の成果は何だったのか。強くなれた気がしていたのに。ブレインの自信はあっさりと足下からぐらつき、崩壊する。

 

「バ、バケモノめ……っ」

 

 戦慄しながら喘ぐように絞り出したブレインの言葉に、シャルティアは喜色を浮かべ、可憐な笑みで答える。

 

「ようやく理解して頂けんしたかえ?私は残酷で冷酷で非道で、そいで可憐なバケモノでありんす♪」

 

 圧倒的過ぎる。これ程の差があるだなんて思ってもいなかった。ブレインの心を絶望の二字が占め始め、全身震えだす。と、シャルティアが刀に鑑定魔法をかける。

 

「……やっぱりナマクラでありんすね」

 

「えっ……?」

 

 ガッカリしたようなシャルティアの表情に言葉が返せない。これでも大金をはたいてやっと手に入れた、最高級の名刀なのだ。それをあっさりとナマクラ呼ばわりするとは。細い指からは想像も出来ない程の膂力だけでなく、魔法まで使って見せる吸血鬼の少女は、完全に自分の常識の埒外にいる化物であることは間違いない。

 

「これじゃあせっかくこれから武技とやらを使ってくれたとしても、役に立つかどうかもわかりんせんね……うーん……」

 

 ブレインの動揺を無視して、なにやら思案顔をしている吸血鬼の少女。先程ブレインが武技を使用したことにさえ気付いていない様子だ。

 

「はは、は……そうか、使っていない様に見えたか」

 

「え……?あっ、そそんなわけないでありんしょう?さっきも使っていてくれたんでありんすよね?でもあんなショボいのじゃなくて、もっと他に凄いのをという意味で……おんや?」

 

「ショボ、い……う……」

 

 涙を滲ませて泣き笑いするブレインの顔を見てぎょっとしたのか、それとも気付いていなかった事を誤魔化したいだけのか、シャルティアは白々しくも慰めの言葉をかけるが、何の慰めにもなっていないどころか、傷口に塩を塗り込める行為であった。研鑽に研鑽を重ねて編み出した最高の一刀をショボいの一言で済ませ、あまつさえ気を使うような素振りを見せられる。死に物狂いで努力を重ねた者にとって、これ以上の屈辱はない。

 

「う、うううううぅっ!チクショウ、チクショウ……っ!うああああっ」

 

 刀を手放しその場に泣き崩れるブレインに、呆気にとられるシャルティア。せっかく慰めてやってるのに意味がわからない。彼女には決して悪気は無いのだ。

 

「あ、安心しておくんなまし、武技が使えさえすれば、()()()()のお役に立てるはずでありんすから……」

 

「あら、あら、これは愉快な事になっていますのね」

 

「!?」

 

 シャルティアの目の前に突如姿を現した何か。

 何もないはずの所に色を帯びて浮かび上がるかのように現れたそれは肩の出た黒いドレスを身に纏い、宵闇のような漆黒の髪をツインテールに纏めた若い女だった。長い前髪から覗いた右目は朱い光を宿している。

 

「だ、誰だお前は?」

 

 シャルティアは最初ブレインの仲間かと思ったが、ブレインの態度を見ると彼も知らないらしい。

 

「そうですわね……蜃気楼(ミラージュ)、とでも呼んでくださいまし」

 

 口元に手を当て少し考えてから、育ちの良い令嬢のように流麗かつ丁寧な口調で柔和な微笑みを見せる。普通ならば見惚れてしまうような美しさを備えた女性だが、ブレインは何故だか彼女を目にした時から悪寒を感じていた。

 

 その正体は何か分からないが、彼女を見ていると何故だか恐ろしいもの、まるで悪夢を見ているような気がしてしまうのだ。

 

「ミラージュ……わかりんした。今度は私の番でありんすね。私はシャルティア・ブラッドフォールン。武技の使い手を──」

 

「き、ひ……きひひっ……きひひひひひひ!」

 

 シャルティアは先程のやり取りで人間は名前を知りたがるものだと学んだため、彼女に対しても名乗ったのだが、シャルティアの名を聞いた途端、女の様子が豹変した。

 

 上品で柔和な雰囲気から一転、ゾッとするような狂気的な笑い声を上げて爛々と朱い目を輝かせる。ブレインは女の急変ぶりに底知れない恐怖を感じた。

 

「ああ、ああ、あなたがそうでしたのね。永遠とも思える時間を待ちましたわ、待ち焦がれましたわ!!」

 

 狂気を宿した瞳で狂喜する女の髪色がみるみるうちに変化し、真っ赤に燃える夕陽のような朱に染まる。彼女が足を踏み鳴らしたかと思うと、その足元から禍々しい黒い影のようなものが拡がり始めた。

 

「うおっ!ひっ!?」

 

 ブレインが影に触れた途端、底無しの沼に飲み込まれるように身体が沈み始める。それを見たシャルティアは咄嗟に飛行(フライ)で空中へと浮かび上がることで難を逃れた。

 

「い、嫌だ、嫌だぁぁぁ!ああっ、た助けっ……」

 

 ジタバタともがくブレインは遂に頭まで影に飲み込まれ、最後に突き上げた手が必死に何かにすがろうとしながらも、何も掴めないまま完全に沈んでいった。

 

「これは……タレントとかいうやつ!?」

 

 武技は主に物理系の特殊技術(スキル)のようなものだと聞いていたシャルティアは、魔法のような効果を持つ()()生まれながらの異能(タレント)だと推測した。

 

 と、突然背後に気配を感じて振り返ったシャルティアが見たのは、なんとミラージュだった。

 

(馬鹿な!?たった今目の前に──)

 

 背後を取られるどころか、移動した事にさえ気付かなかった。慌てて距離を取りながら魔法を詠唱する。

 

「〈朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)〉!」

 

 瞬間、岩をも蒸発させる圧倒的な熱の奔流が吹き荒れる。第九位階に位置するその魔法は単体を対象とする炎系で最高火力を誇る。彼女はその熱に飲まれ、一瞬で骨まで燃え尽きて灰になった。

 

 一瞬ヒヤリとはしたが、終わってみればこんなもの。そう思い、燃え滓となった彼女に背を向けると────

 

「…え?」

 

 振り返った先には、たった今灰になった筈のミラージュが立っていた。混乱しかけた頭で後ろを振り返れば、そこには所々黒く煤けた姿の()()()()がいた。彼女は移動したのでもなんでもない。

 

「今さっき灰になったはず……何故生きている!」

 

「けほっ、けほっ……いきなり魔法をぶつけるだなんて、ヒドイですわ、熱かったですわ!」

 

「あらあら、そんなに警戒しなくても取って食べたり致しませんのに」

 

 同じ顔をした()()()ミラージュは、同じ声でそれぞれに泣きそうな顔で抗議と、焦りを見せたシャルティアを嘲笑うような笑みで言葉を紡いだ。つい今しがた人間を影に飲み込んでおいてよく言うと思いながら、シャルティアはそれには触れるのは止めておいた。

 

()()でありんしたか」

 

 シャルティアも自分と瓜二つの存在を生み出す特殊技術(スキル)を所持しているが、被造物(コンストラクト)を生み出すそれとは違い、色も声も持つ二人を見て、自分のそれとは別物──瓜二つの別人──双子と推測した。

 

「さぁて、それはどうですかしら?」

 

 思わせ振りな態度ではぐらかすミラージュに、シャルティアは苛立ちを感じ始める。自分の方が実力では勝っているはずなのに、相手にペースを狂わされ翻弄されかかっている。まだどうやって灰になった筈の女が無事に済んだのか、そのタネも明かせていない。

 

「せっかくのドレスが台無しですわ。わたくし、怒っていますのよ」

 

「ああ、そちらの()()()()の言葉なら気にしないでくださいまし。それよりわたくしと遊んで下さいませんこと?」

 

 前後から同時に勝手な言葉を投げかけられ、イライラはあっという間に臨界を迎えた。元々深く考えるよりも勘を頼りに動くタイプのシャルティアである。交渉は自分には似合わないと開き直る事にした。

 

「チィィィッ、めんどくせぇ!!」

 

 二人の間に立っていたシャルティアは、その場で瞬時に武装を変更した。

 

 鮮血のように赤い伝説級(レジェンド)の全身鎧に身を包み、手には神話(ゴッズ)級の槍"スポイトランス"を握り締める。本気も本気、全力戦闘の武装である。

 

 一対一ならば苦戦する程の相手ではない。強いとは言っても、恐らくプレアデスよりは、という程度に感じられる。が、それを二人同時に相手取るとなると、流石に武装なしでは無傷とは行かないかも知れない。この二人だけでなく、他にもまだ仲間が居る可能性も考慮に入れ、思い付く限り最善の手段を取る事にしたのだ。

 

 一人を速攻で叩き潰して、もう一人がその場で情報を吐くなら良し、吐かないなら痛め付けてナザリックの拷問官に引き渡す。彼女()は何らかの貴重な情報を持っていそうだ。その予想は概ね正しかった。ある部分を除いては。

 

 シャルティアが特殊技術(スキル)をありったけ込めて清浄投擲槍を創り、MPも消費して必中の効果を上乗せする。

 

「喰らえぇぇ!!」

 

 その手から放たれた神聖属性の槍は、必中効果も相まって凶悪なまでの疾さと威力でミラージュの一人を貫く。大きな孔を開けられた肉体は、派手に血飛沫を上げて地に倒れ伏した。今度こそ手応えあり。シャルティアは勝利を確信した。

 

「んなっ!?」

 

 もう一人を振り返ろうとしたその時、急激に身体が思い通りに動かなくなる。そして目の前ではゆっくりと倒れたミラージュが不自然な動きで体を起こし、撒き散らされた血が戻っていく。まるで時間が逆行するかのように。いや、それは比喩等ではない。しかも……

 

(私まで時間を逆行させられている!?)

 

 自由が利かないと思ったら、自分の動きまで逆からなぞるように戻される。遂には投げつけた清浄投擲槍さえもシャルティアの元へと戻ってきたところで、再び時間が正常に動き出し始めた。

 

 同時に、地に広がっていた影が無数に枝分かれして垂直に伸び上がり、徐々に人型を(かたど)り始めていく。そして──

 

「きっひひひ」

「きひひ……」

「きひひひ」

「きひひひひひひっ」

「さあ、お楽しみはこれからですわ」

 

 流石のシャルティアも驚愕に目を見開く。そこには同じ顔、同じ姿をした無数の────

 

「コイツ、なんなんでありんすかっ!?」

 

 洞窟内を埋め尽くさんばかりに()()したミラージュ。余りにもデタラメな光景に気を取られていると、シャルティアの足下から無数の手が伸び、足に、腕に、肩に頭に絡み付き、動きを封じられる。

 

「さあ、さあ、早く抜け出さなくては、詰んでしまいますわよ?きひひっ」

 

 ミラージュは口を三日月の様に歪ませ、狂気を宿した瞳を輝かせながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 人間(ブレイン)を影に飲み込み、魔法も、清浄投擲槍さえもシャルティアごと時間を逆行して無効化された。清浄投擲槍は強力な特殊技術(スキル)であるため使用回数に制限があるが、相手の能力がそうであるとも限らない。特殊技術(スキル)ではなくタレントによるものであった場合、そのような制限があるかどうかすら不明なのだ。

 

 シャルティア自身の特殊技術(スキル)使用回数も時間の逆行と共に回復しているようだ。しかし、無策で特殊技術(スキル)によるゴリ押しをしようとしても、相手の能力に回数制限がなければ同じことの繰り返しになるだろう。その間にどんどん人数を増やされたら、ますます状況は不利になっていく事は目に見えていた。

 

 それにしても、視界いっぱいに広がる狂気に満ちた顔、顔、顔。シャルティアをして背筋に冷たいものを流れさせる光景は、まるで白昼夢──いや、悪夢のようである。

 

(……くっ、守護者最強の私が完全に押さえ込まれるだなんて……?)

 

 シャルティアは拘束に対する無効化能力も獲得しているにも関わらず、まともに身動きが出来ない。恐らく抜け出した瞬間に新たな別の腕が絡め取る事で、断続的に動きを封じられているのだろう。

 

(まずい、このままでは……)

 

 シャルティアの脳裏に敗北の二字が過ったその時、無事に帰ってきてくれとのアインズの言葉が鮮烈に甦る。そうだ、御方が帰りを待ってくださっている。このままこんなところでやられてたまるものか。シャルティアは纏わりつく無数の腕を必死に振り払おうとするが、数が多すぎて、払っても払ってもきりがない。

 

「う……がああああっ!!〈不浄衝撃盾〉!〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉!」

 

 手の内を晒してしまうのは危険ではあるが、衝撃を発生させる特殊技術(スキル)でまとめて拘束する腕を振り払い、シャルティアはその一瞬の隙を逃さず転移した。

 

あの女(リムル)が言っていた通りだった!あんなデタラメな化け物が本当に居るだなんて……っ!)

 

「クソがッ!……撤退だ!とにかくアインズ様にご報告を──」

 

 ろくに成果をあげられないままのシャルティアは、目から血を吹き出しそうな程の屈辱に歯噛みしながら、撤退を決断した。

 

 いつの間にか洞窟に近付いていた複数の人間にまみえるが、今はゆっくりと構っている余裕はない。「推定吸血鬼(ヴァンパイア)!」と大声で叫ばれると同時、連中に〈力場爆裂(フォース・エクスプロージョン)〉を叩き込む。人間達は抵抗する間もなく、周囲に爆散した。

 

(これで目撃者は居ないハズ。……あの女を除けば)

 

 直接ナザリックに転移するのは追跡される可能性もあるため、一旦森へと逃げ込み、追っ手を撒いてから転移した方が良いだろう。まさかそんな慎重な撤退行動を自分が取る日が来るとは思っていなかったが、追っ手はまだ見えず、どうやら無事に帰還出来そうな事に安堵する。

 

 しかし逃げた先で不幸な遭遇が待っている事を、シャルティアはこの時まだ知らなかった。

 

 

 

 

 

「やれやれ……ようやく見つけたぞ」

 

 洞窟内に残っていた彼女に背後から男の声がかけられ、ミラージュはその声に慌てる素振りもなくゆっくりと振り返った。

 

「招かれざる客が来てしまいましたわね……。わたくし、今少し疲れていますの。貴方のお相手はまた今度に致しますわ」

 

「……逃がすと思うか?」

 

「あらあら、わたくしを一度でも捕まえられた事がありまして?それに、エ・ランテルで面白いことが起きそうですわよ」

 

 そう言って不適に笑みを浮かべたミラージュの姿が透け始め、あっという間に完全に見えなくなる。不可視化ではなく、儚い蜃気楼の如く忽然と姿を消してしまったのだ。最初からそこには誰も居なかったかのように。

 

「チッ……まあいい。誰と戦って(あそんで)いたか知らんが、それなりに力を消耗したなら暫くは大人しくしているだろう。……エ・ランテルか……」

 

 残された男は一人納得するように呟きを溢す。そして面倒くさそうに溜め息を一つ吐くと、洞窟を後にした。




シャルティアはこの後、原作と同じように謎の武装集団に出会ってしまいます。
蜃気楼(ミラージュ)はオリジナルキャラです。とある人物にそっくりな顔をしています。その正体はまだ不明です。


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#70 対決

今回は少し難産でした。
VSシャルティア開始です。


「さて……みんな見えなくなったな」

 

 吸血鬼が目撃された場所へと向かったのは、パンドラズ・アクター扮するアインズと、『漆黒』と呼ばれるようになった冒険者コンビのモモンとナーベ。そしてミスリル級のチーム『虹』『天狼』『クラルグラ』の各リーダー達。

 

 多少移動している事を考慮して、目撃場所から離れた位置からはある程度離れた距離から警戒しながら進んだが、どうやら殆ど移動はしていないようであった。

 案内が終わり、現在冒険者達は一旦引き返して、あらかじめ決めておいた場所で待機してもらっている。

 

 最初は遠くからでも戦いを見届けたいと言っていたのだが、相手は転移魔法を使うことを告げ、目の届かない所へと待避してもらった。視認できる場所にいては距離などあって無いようなものだと実際にパンドラズ・アクターが転移して見せれば、それ以上食い下がろうというものはいなかった。

 

「てゆーか、お前……最後のほう、ちょっと地が出てたよな……?」

 

「何も問題はありませんとも!アインズ様!」

 

 彼らと同行中、パンドラの動きが段々と仰々しくなり始めている気がしていたアインズは、パンドラズ・アクターを責めるような口調で訊ねると、堂々と開き直った。実際そういう動きを見せても冒険者たちが訝しむ様子はなく、寧ろ彼の優雅な所作を感嘆する様子だったため、パンドラは段々と身振り手振りが大きくなっていた。早い話が調子に乗っているのだ。

 

「はぁ、全く……ま、まあいい……今後は気を付けろよ」

 

「はっ!」

 

「その格好で敬礼はやめろっ!」

 

 溜め息をついて額に手を当てるアインズに、アインズ姿のまま敬礼をするパンドラズ・アクター。思わず声が大きくなってしまった。

 

 ひとまず、同行した彼らに偽装のための作り話(カバーストーリー)を垂れ流す事は出来たし、冒険者達もそれを信じているようだったので、作戦は今のところ上々と言ったところだろう。

 

 因みにシャルティアは預かっている友人の娘と言う設定で、かつてはズーラーノーンに拐われて儀式で吸血鬼にされてしまったことになっている。アインズの様々な研究の成果で、どうにか自我を取り戻したが、昨日何者かによって精神支配に遭い、今に至るという事にした。

 

 アンデッドに精神支配は通じないはずだと流石に最初は半信半疑であったようだが、モモンがスレイン法国の秘宝ならば出来るかも知れないと仄めかした事で、信憑性は一気に増したようだ。

 

 スレイン法国にとっては完全にただの言い掛かりかもしれないが、陽光聖典は幾らか帰してやったし、王国とは殆ど国交がないのだ。多少王国内で悪評が立っても目をつぶってほしいものだ。文句を言われたら誤解だったと改めて話し、真犯人についてはそのままうやむやにしてしまえば良い。

 

 本当にスレイン法国の仕業という可能性も無くはないが、その時はその時。何かしらの償いをしてもらうつもりだ。誠意ある謝罪を見せれば実行犯の引き渡しだけで許してやる事も吝かではない。

 

 とにかく、今シャルティアは操られているだけで、本来は人間に積極的に害を為さない。そう周囲に思わせる事が大事なのだ。それが今後彼女の活動範囲、引いてはナザリックの面々の人間たちへの関わり方を左右することにもなっていくだろう。

 

「あれは一体……!?」

 

「成る程、影武者ですか」

 

「そうそう、説明し忘れていたわね。あれはパンドラズ・アクター。アインズ様が御創造された、宝物殿の領域守護者で、アインズ様だけでなく至高の41人全員のお姿に変身することが可能。能力の方も御方々には劣るけれど、殆ど使えるそうよ」

 

 アインズと冒険者モモンが並んでいる光景を見て困惑するデミウルゴス達に、ディアブロが予想した通りだとアルベドが説明する。

 

「成る程。確かに影武者にはうってつけかもしれませんが……」

 

「同行できなかったのは私も同じよ。こればかりは代わりが出来ないから仕方ない事だけれど、それでも嫉妬してしまうわね……」

 

 同行を許された彼に対するデミウルゴスの気持ちは分かるとアルベドが言葉にし、やや悔しそうな表情を浮かべている。ここへ来たとき、彼女が不機嫌そうにしていた理由の一つがデミウルゴスにはわかった気がした。

 

 パンドラズ・アクターが、自らの創造主の側に控えることが出来るという幸福な境遇にある事に、羨望と嫉妬の感情がどうしても沸いてしまうのだ。デミウルゴスだって自らの造物主、ウルベルト・アレイン・オードルの側に居られるとなれば、それだけでえも言われぬ幸福感に満たされ、毎日ウキウキしてしまうであろう。

 

「パンドラ、頼む」

 

「お任せをっ」

 

 〈竜の力(ドラゴニック・パワー)〉〈上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)〉〈上位幸運(グレーター・ラック)〉〈不屈(インドミタビリティ)〉〈虚偽情報・生命(フォールスデータ・ライフ)〉〈虚偽情報・魔力(フォールス・データ・マナ)〉〈生命隠し(コンシール・ライフ)〉〈上位硬化(グレーター・ハードニング)〉……

 

 シャルティアの目の前まで来た鎧姿のアインズに、パンドラズ・アクターが無数の補助魔法をこれでもかというほど掛けていく。

 

(やっぱり明確な敵対行動と看做さなければ攻撃してこないか。……まるでゲームだな)

 

 ……〈自由(フリーダム)〉〈天界の気(ヘブンリー・オーラ)〉〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)

 

「こんなものでしょうか」

 

「ああ、ご苦労」

 

 言いながら、アインズは飾り気の無い腕輪のような物を取り出す。それは彼女がくれた、ボイス入りの腕時計である。

 

『時間を設定するよ~』

 

 ピッピッと何度か操作音を鳴らすと、腕時計から幼女のような声が響く。

 

「もしや、ぶくぶく茶釜様のお声ですか?」

 

「ん?ああ、よくわかったな。彼女からの貰い物なんだ。……しかし、何でこの時計はボイスをカット出来ないかな」

 

「お声を消すなど勿体無い!是非宝物殿へと「駄目だ」……」

 

 残念そうに肩を落とすパンドラズ・アクターをアインズは無視して準備を進める。実際にはクリエイトツールを使えば簡単にボイスのカットは出来てしまうのだが、本当にそんな事をする気は無い。

 

 ただ、人前でロリボイスが鳴り響くのは恥ずかしいものがある。流石に格好だけでもそう言っておかなくては、ロリコン疑惑をかけられかねない。こっそり隠しボイスを何度も聞いているだなんて誰にも知られるわけにはいかない。

 

(宝物殿に預けるなど以ての外だ。パンドラズ・アクターが色々弄くり回して、()()ボイスが聴かれてしまう危険な予感しかしないッ!やっぱり自分で持っておくのが一番だな)

 

「……そんなに落ち込むなよ。安心しろ、ボイスはカットしない」

 

「おお、有り難き……!」

 

「もう下がっていいぞ。後は私()に任せておけ」

 

 パンドラズ・アクターが完全不可視化を使って姿を消したのを確認し、アインズは一度ゆっくりと両手を拡げて閉じる。まるで深呼吸をするかのような動作だ。

 

「さあ、いくぞシャルティア!」

 

 アインズは高く高く飛び上がり、その到達点は数十メートルに達した。

 

「……始マッタナ」

 

 クリスタルモニターを通じてその様子を見守っていコキュートスが静かに声を上げる。戦いはアインズが飛び上がっての一撃によって火蓋が切って落とされ、応戦するシャルティアと、現在も息もつかさぬ近接戦を繰り広げている。

 

「やはりアインズ様は戦士モモンに扮したまま戦いを始められましたね」

 

「ええ、魔法詠唱者(マジックキャスター)として対峙すれば前衛の居ないアインズ様に不利。戦士の姿を取って防御を固め、シャルティアのリソースを削ると共に、魔力消費を抑える作戦のようね」

 

 冒険者達から見えなくなっても一向に鎧を脱がないアインズを見て、もしや戦士として戦うつもりなのではと予想していた。

 

 確かに魔法詠唱者(マジックキャスター)よりも物理面においては戦士の方が防御に優れていると考えられ、接近戦での不利を少し埋められるだろう。しかしそれだけでは勝てるはずがない。戦士としては30レベル程度のステータスしかないのだ。普通にやりあっては勝ちの目などない。そのステータス差を縮める為に、戦士化の魔法を使用することも、もちろん予想していた。

 

 ただ、戦士化の魔法は使用効果中は他の殆どの魔法が使用できなくなり、魔法で作り出した装備は剥がれ落ちてしまう筈だ。となれば、今着ている鎧は恐らく鍛冶長に予め作らせたものだろう。

 

「コキュートス。アインズ様の勝率は?」

 

 アルベドの問いに、コキュートスは少し考えてから答える。

 

魔法詠唱者(マジックキャスター)トシテ戦ウナラバ3対7デシャルティア、戦士トシテ戦ッテモ殆ド変ワラナイ……イズレニセヨシャルティア有利ハ動カナイダロウ」

 

 戦士化に頼らなければならないアインズとは違い、魔法も近接戦闘もバランス良くこなせるシャルティア。流石に純粋な戦士までとはいかないが、ステータスだけ戦士と対等になったアインズではやはり勝ち目が薄いというのがコキュートスの出した結論だった。

 

「……」

 

「そう。では刮目して見ましょう。不利をはねのけて勝利を手にするアインズ様の勇姿を」

 

 余りにも不利な見積もりを聞き、デミウルゴスは表情を歪めるが、アルベドは余裕の態度を崩さないままだ。先のパンドラズ・アクターの件といい、デミウルゴスの知らない何かがある気がして、少しばかり面白くない。

 

 と、目の前のテーブルに何かが置かれる。少女が焼き菓子らしい物の入った器を差し出してきたのだ。

 

 気を遣ってくれているつもりかもしれないが、正直デミウルゴスとしては失笑して鼻白んでしまいそうな行動だ。しかし少女は仮にもアインズが連れてきた客人。少女の厚意を無下にするのはアインズの意に背くのでは。そう懸念したデミウルゴスは、彼女の厚意を受け取っておく事にした。

 

「……折角なのでいただくとしましょうか」

 

「クフフ、では私が直々に紅茶を入れて差し上げましょう」

 

 主人であるアインズが戦いに身を投じているというのに、ディアブロまで呑気に紅茶を入れだす。緊張感がないとは思うのだが、それを咎める気にはならなかった。彼は主を信頼しきっているだけなのだから。むしろソワソワとしてしまう自分が狭量に思えてくる。

 

「ム……!」

 

「何かありましたか、コキュートス?」

 

 不意にガチンと顎を鳴らすコキュートス。こういうときに鳴らすのは彼が疑問を抱いたときの癖である事をデミウルゴスは知っていた。

 

「オカシイ……アインズ様ハ純粋ナ魔法詠唱者(マジックキャスター)ノハズ……」

 

「そうね。それが何か?」

 

 アルベドはその言葉を肯定し、言葉の続きを促す。

 

「純粋ナ魔法詠唱者(マジックキャスター)デアルアインズ様ガ、戦士職ヲ修メテイルシャルティアト、何故コウモ互角ニ斬リ結ベル……?」

 

「それは戦士化の──」

 

「チガウ!」

 

 アルベドの言いかけた言葉を、そこが疑問なのではないとコキュートスが否定する。

 

「確カニ戦士化ノ魔法デ、ステータス差ハ埋メラレルダロウ。イヤ、ソレデモアインズ様ノ方ガ動キハ遅ク感ジル……」

 

「た、確かに……!」

 

 本来ならば、魔法詠唱者(マジックキャスター)であるアインズより、戦士職を修めているシャルティアの方が、特殊技術(スキル)も使えるし、得意な近接戦において有利に戦えるはず。見る限りではアインズよりもシャルティアの方が僅かに動きも速く見え、戦士職でないアインズは一方的に押されていてもおかしくない。

 

 にも拘らず、アインズは今純粋な戦士とも遜色ない程の戦いぶりで、互角の様相を見せているのだ。

 

「これが経験の力なの……?」

 

「どういうことです?」

 

 アルベドの呟きにデミウルゴスが反応する。彼もコキュートスの指摘には納得し驚きを感じていたが、その要因は思い浮かばなかった。

 

「アインズ様は仰ったわ。私達と至高の御方々では実戦経験に天と地程の差があると。単に全ての能力を使えるという事と、能力を十全に使いこなせる事とでは全く意味が違うとも……」

 

「つまり……?」

 

「クフフフ、至極簡単な事です。実戦で培った経験そのものが、瞬間瞬間に最善の行動を選び出し、反射よりも先に体を動かす。それが時に単純な能力差や相性の不利さえも覆し得ると言うことですよ」

 

「……そういうことよ」

 

 ディアブロにオイシイところを全部言われてしまい、やや眉を顰めながらアルベドは同意した。尚もディアブロは愉しげに言葉を続ける。

 

「まあ、今の彼はそれだけではないようですがねぇ…クフフフフ、実に面白い」

 

 興味深そうに二人の戦いを見つめるディアブロ。まるで好物の獲物を見るような獰猛さを感じさせる魔の両目が、デミウルゴスに別の不安を抱かせる。

 

「ご安心下さい。手を出したりはしませんとも」

 

 そう言って微笑むディアブロだが、アルベドは少しばかり胡乱げな視線を送っている。彼個人に対する信用はあまりないようだ。出会い方が違えば、もっと別の可能性もあったかもしれないのだが。

 

「あら……意外といけるわね」

 

 焼き菓子を口にしてアルベドが感想を口にすると、少女は安心したような笑みを見せた。どうやら彼女が作ったらしい。表面に出さないようにしながら、内心では少女に悪感情を抱いているアルベド。デミウルゴスはそれを見抜いていながら咎めはせず観察する。

 

 もしアルベドが彼女を手にかけようとするなら流石に止めなければならないが、アルベドもその辺りは心得ているようで、手を出す気は無いようだ。ならば特に口を挟む必要はないだろうと判断した。何かの拍子に少女の真価、或いは正体を垣間見ることが出来れば尚良いが。そんな打算も働かせつつ、デミウルゴスは改めてモニター越しの戦いに目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 戦い始めてから10分程経っただろうか。互いに攻撃を当てて多少のダメージは与えているが、未だ決定的な差は生じていない。

 

 シャルティアの表情には余裕がある。アインズは二本のグレートソードだけでなく蹴りや虚実も織り混ぜた手数の多さで反撃の隙を与えないようにしてきたが、シャルティアも徐々に適応し始め、まだ数回だが反撃に成功していた。

 

「流石はアインズ様。戦士としてもこれ程戦えるとは。そんなアインズ様を殺さなければならないだなんて」

 

「適応が早いな……ふ、しかし、殺そうとしている相手に様付けか?」

 

「これは異な事を。至高の41人のまとめ役であらせられるアインズ様をそう呼ぶのは当然の事」

 

 アインズの呼び掛けにシャルティアは答えた。そこにはしっかりとした彼女の意思があるように見える。だが────

 

「今のお前の主人は誰だ?」

 

「私の主人は──あれ?どうして私はアインズ様と戦って……攻撃されたから殺す……?」

 

 シャルティアは自分でも何故戦うのかよくわかっていないのか、首をかしげて疑問を呟く。そして開き直ったように答えを返した。

 

「よくわかりんせんが、攻撃されたからには殺さなくてはなりませんえ」

 

「そうか。わかった」

 

(とりあえず、お前の状態はな……。リムルの方はまだ時間がかかるのか?……ん)

 

《解析は終わったぞ。あとは──》

 

 解析にはまだ時間がかかるだろうかと思っていた時、丁度リムルの声が脳に響いた。了解の印にアインズは小さく頷く。

 シャルティアはそれに気付くそぶりはなく、アインズに余裕の笑みを浮かべたまま言葉を投げかける。

 

「何故戦士として挑んで来られたのかは分かりませんが、そのままで私には勝てるとでも?」

 

「そう思うなら、さっさと全力で仕掛けてきたらどうだ?格の違いというやつを体で教えてやるぞ?」

 

 シャルティアはアインズの不自然なまでの挑発的な言葉に逡巡する。

 

(アインズ様は用心深く冷静なお方。一体何を狙っているのかまでは分からないけれど、あの自信満々な態度は絶対に何かがある証拠。迂闊に飛び込むのは愚策か……)

 

「挑発して思い通りに行動させようとしたって、そうはいきません。それでは罠だと教えて下さっているようなものですよ?」

 

 〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉〈魔力の精髄(マナ・エッセンス)

 

 シャルティアは慎重を期してアインズの挑発に乗らず、アインズのHPとMPを確認する。

 

(なんて膨大な魔力……!一体どうやってこれほどの魔力を……?ん、少しずつ減り続けている?)

 

 可視化された魔力にシャルティアは目を見張るが、同時にそれがかなりの速度で目減りし続けているのを確認し、口元を緩ませる。先程の挑発的な態度は恐らくは長期戦を避けるためのものだ。つまり──

 

「戦士化の魔法は随分燃費が悪いようですねぇ。内心焦っておいでなのでは?そういうことなら、こちらは時間をかけてやらせていただくとしましょう」

 

「ちっ、いつになく慎重だな……だがっ!さっさと決着を着ければいいだけの事だ!」

 

 アインズは思い通りにいかない事に苛立ちを見せながら、シャルティアに詰め寄る。宙へと舞い上がり、距離を取るシャルティア。それを追ってアインズも飛び上がる。魔法ではなく、〈飛行(フライ)〉の魔法が込められたマジックアイテムを使用してだ。本体の姿なら魔法で飛ぶのだが、今のようなときは意外に重宝する。

 

「あはははは!魔力消費を抑える為に必死ですねぇ!」

 

「うるさいっ」

 

 アインズが苛立ち紛れに黒い珠を投げつけると、シャルティアはそれをスポイトランスではたき落とす。どういった効果があったのかは不明だが、特に何事もなくそのまま地面に落ちたようだ。

 

「ちっ……かわしてくれると踏んでたんだが……」

 

「うっふふふ、それは残念でしたねぇ」

 

 どうやら回避した場合に何らかの効果を発揮するものだったらしい。恐らく行動阻害の類いだろう。だがタネがわれてしまえば何ということはない。シャルティアは沸き上がる愉悦に頬を緩める。アインズが戸惑いを見せているということは、自分が智謀の塊であるアインズの想定を上回っていたということなのだから。

 

(ああ、アインズ様……。スポイトランスの回復効果を恐れて、私の前に盾となるシモベを召喚できないだなんて。結局は自ら戦士として立つしかないとお考えになったようですね。なんてお(いたわ)しい……)

 

 シャルティアはアインズの攻撃を巧みに捌きながら、愛しいものを見るような目でその漆黒の兜を眺める。今アインズが自分を懸命に追いかけてくるというのが嬉しくてたまらない。まるでじゃれあう恋人同士だ。

 

 そんな思いを抱きながらも、殺すことには全く疑問も躊躇いもしないという、ある種矛盾した思考にはまるで自覚がないようだ。

 

「ならば!これでどうだ!」

 

 アインズが今度は先程よりもかなり大きな珠をインベントリから出し、力任せに投げつける。その大きさは直径にして1メートル程ある。

 

(大きければ臆して回避するとでも思ったか!)

 

 シャルティアは不敵な笑みを保ったまま、スポイトランスを横薙ぎに払う。しかし黒い珠はスポイトランスが触れる前にひとりでに割れた。

 

 黒い珠はアイテムではなかった。一つの大きな塊となっていたそれは、小さな()()の集合体だった。自ら分散した()()()は、全てがそれぞれに意思を持ってシャルティアに纏わり付く。

 

「ひぃぃやあああああああああ!?」

 

 そう、恐怖公の眷属達(ゴキブリ)である。彼らは普段自分達の守護領域である黒棺(ブラック・ボックス)からほとんど出ることがない。恐怖公は眷属を無限に召喚可能であるが、ユグドラシルでは一定時間で消えていったはずの眷属が消えず、とんでもない密度になってしまっていた。そこで今回活躍の場を与えるとして、外に出してやったのである。

 

「いやぁあああああ!や、止め、やめてええええ!!あっ、コラ、鎧の中に入ってくるなあああ!!」

 

 数万の小さな大群は、シャルティアの身体中を這い回る。全身覆われてしまったシャルティアは完全にパニックに陥り、盛大に悲鳴を上げながら空中でジタバタと暴れて振り払おうとしている。彼女が冷静であれば対処法はあるのだが、今はそれどころではないようだ。

 

(うわぁ……中身そうなってたのか)

 

 実際投げつけたアインズにとっても中々にリアルでエグい光景である。が、自分でやっておいて引くのはナシだろう。内心でドン引きしながらも、少し強気な言葉で格好をつけることにする。

 

「私からのちょっとしたサプライズ・プレゼントだ。気に入ってもらえたかな?」

 

「はまなっけるっむわぁあああ!」

 

 〈朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)〉!

 〈朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)〉!

 〈朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)〉!

 〈朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)〉!

 

「ヴァーミリオン……あ……っ」

 

 シャルティアは錯乱して自分ごとG達へと魔法を乱発したかと思うと、プツンとスイッチが切れたロボットのように動きが止まる。

 

「お、おーい、シャルティア……?」

 

「────くも…………よくもよくもよくもぉぉおお!」

 

 シャルティアは涙を滲ませながらも、完全に怒り心頭の様子である。

 

「もう許さない!!お望み通り全力で叩き潰してらやぅぅうううああ!!!」

 

 怒りに身を染めたシャルティアの前に白く光る塊が現れ、徐々に人型を取り始める。〈死せる勇者の魂(エインヘリヤル)〉だ。魔法やスキルは使えないが、シャルティアと同じ姿とステータスを持つ被造物(コンストラクト)で、云わば「もう一人のシャルティア」だ。

 

「遂に来たか……!」

 

 それで終わりではない。更には吸血鬼の狼(ヴァンパイア・ウルフ)吸血蝙蝠(ヴァンパイア・バット)古種吸血蝙蝠(エルダー・ヴァンパイア・バット)など眷属をありったけ召喚する。

 

(まずはエインヘリヤルをどうにかしないとな。……やばっ!?)

 

 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)〉〈朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)〉!

 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)〉〈輝光(ブリリアント・レイディアンス)〉!

 

「があああああっ!」

 

 猛火が吹き荒れたかと思えば、間髪入れずに今度は眩いばかりの光の柱が立ち上り、アインズを包み込む。最早先程までの余裕も慎重さの欠片も何もない。時間単位のダメージレコードでも狙うかの如く、後先考えない苛烈な猛攻である。

 

 エインヘリヤルが突進し、体重の乗った突きを見舞う。シャルティア自身もそこへ加わり二人掛かりで挟撃を仕掛け、畳み掛ける様に攻め立てる。空へと逃れようとするアインズの前に眷属達が立ち塞がり、逃走を許さない。背中から清浄投擲槍を撃ち込み、堕ちてくるアインズを再び二人掛かりで攻め立てる。

 

 一人に対する圧倒的な数の暴力。見る間にアインズは追い込まれ、抵抗する間も無く一方的に削られていく。

 

 それが何秒続いたか。暫くして落ち着きを取り戻したシャルティアが攻撃の手を止め、一旦距離を取る。

 

「アインズ様!」

 

「ムウウウッ!」

 

 周りを取り囲む眷属の隙間から、鎧をあちこちひしゃげさせたアインズがよろよろと身体を起こす姿を確認し、思わず悲鳴のような叫びを上げるアルベド。コキュートスも危機感から唸りと共に冷気を吐き出す。このままではアインズがやられてしまう。誰もが最悪の未来を想像してしまい、平静を保っていられなかった。ただ一人、いや、二人を除いて。

 

「いいえ、勝負はこれからです」

 

「!?」

 

「何ダ……!?」

 

「あ、あれは一体……」

 

 突如アインズの身体から光が発せられ、眩い光の中に包まれる。それは彼自身にとどまらず、周囲を取り巻いていた眷属達にまで拡がりを見せた。

 

「クフ、クフフフ。成る程、()()を会得しましたか……。どうやら彼も切り札を切ったようですねぇ」

 

 ディアブロは訳知り顔で唇を吊り上げた。

 

 

 

 

 

『モモンガおにいちゃん、設定した時間が経過したよぉ♪』

 

 腕時計から幼女のような声が響く。

 

「ぶくぶく……茶釜様?」

 

 突然聴こえてきた懐かしい声で我に返ったシャルティアは、攻撃の手を止めてアインズから離れる。

 

「……思ったより時間が経っていたようだな。シャルティア、今の攻撃は見事だった。あと少し続いていたら、流石の私も……危ない所だったぞ」

 

 ゆっくりと身を起こしながら、アインズが称賛の言葉を贈る。その声音にはアンデッドは感じないはずの疲労が滲んでいた。

 

「アインズ様も、ここまでよく戦われました。ですが、そろそろ終わりにしましょう。最後に言い残したことはありますか?」

 

 シャルティアは可視化したアインズの魔力と体力が底をつきかけているのを確認しながら、自身の勝利を確信した。これ以上は戦士化を維持できず、魔法ももう殆んど行使できないだろう。戦士職を修めていない純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)のアインズでは、肉弾戦が出来るシャルティアとは勝負になり得ない。大勢は既に決したのだ。

 

「一つだけ聞こう。……何時からだ?」

 

「え?……何の事でしょうか?」

 

 アインズの質問の意味が分からず、聞き返すシャルティア。絶体絶命の危機に直面した至高の御方がひれ伏し、みっともなく命乞いする姿を期待していたが、そのような気配は微塵もない。逆に潔く散ろうという諦観、そういったものとも違う、妙に落ち着いたアインズの態度に、違和感を覚え始める。何かがおかしい。

 

「お前はいつから、私が戦士化していると思っていたんだ?」

 

「ふ、ふふ……何を言い出すかと思えば。最初からに決まっています」

 

 そうでなければおかしい。自分と渡り合うには少なくとも戦士化が必須。それによる魔力の減衰もシャルティアは確認しているのだから。だからアインズが何故そんなことを聞くのか、理解できない。出来ないが、妙な胸騒ぎがする。

 

「その証拠に、貴方様の魔力は常に減り続けて今はもう……ッ!?」

 

 シャルティアが改めて確認すると、尽きかけていたはずのアインズの魔力は、膨大な量に増えていた。最初に見たときよりも遥かに多い。

 

「うそっ!?あり得ない……っ」

 

「クックック、本当に面白いように偽の情報に踊らされてくれたな。さて、これから私の本当の力を見せてやるとしよう。しかとその目に刻むがいい!」

 

 瞬間、視界を埋め尽くすような眩い光がアインズを、シャルティアを、そして周囲を包み込む。

 

 光が収まると、そこには青年が立っていた。

 深い闇を思わせる黒い髪と黒い瞳。その表情は優しげで、春の木漏れ日のような暖かみを感じる。

 

「さあ、第2ラウンド開始と行こうか」

 

 漆黒のローブに身を包んだ青年が、穏やかな笑みを浮かべ宣言した。



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#71 失墜する戦乙女(ヴァルキュリア)

VSシャルティア第2ラウンドです


「あれは……アインズ様、なのよね?」

 

 アルベドはモニターを見ながら困惑の表情で呟いた。

 確かめるまでもない。普段着ている神話級(ゴッズ)のローブを纏っているし、状況から考えれば、本人で間違いないはずだ。

 しかしそれでも、まるで別人を見ているかのような錯覚をしそうになる。

 

 何故なら、皮一つ付いてない白磁の骨だったはずの身体が肉に覆われ、肌も髪も表情もある今のアインズは、人間にしか見えないからだ。

 もう見た目からして別人どころか別種族だ。コキュートスとデミウルゴスも戸惑いを隠せず、唖然とした表情で固まっていた。

 

「クフフフ。彼は間違いなくリムル様の友人、モモンガですとも。尤も、()()()()とは少し印象が変わりましたがねぇ」

 

 誰にともなく発したアルベドの言葉を肯定したのはディアブロだった。その言葉に反応して、少女も少し頬を赤らめてコクコクと頷く。アルベドとデミウルゴスは瞠目し、コキュートスも小さく唸った。

 

(私達の知らないアインズ様の秘密を知っている?……面白くないわね)

 

 胸中に沸き上がる嫉妬の感情に歯軋りしそうになるのを堪えながら、アルベドはそれを表に出さないよう努めて平静を装った。少女はアインズから最重要の庇護対象と指定されている。ディアブロの時のように、攻撃を仕掛けるような愚は絶対に犯すわけにはいかない。

 

 ただ、ナザリックに敵対していない事は間違いないとしても、アルベドの恋敵(天敵)とならないとは限らない。少女の様子から、()()()姿()以外にも至高の御方について何かを知っている事は間違いない。

 

 しかしそれよりも今はシャルティアだ。モニターを見ると、シャルティアもアインズの変貌にはかなり面食らっている様子で、赤い目を見開いて驚きの表情を張り付けて口を動かしていた。音声は届かないので二人の会話の内容までは分からないが、アインズはシャルティアを挑発しているらしい。

 

 そして、アインズの背に巨大な時計の文字盤と針が具現する。何かの特殊技術(スキル)の発動だろう、しかし具体的にはどのようなものか、アルベドもデミウルゴスも、コキュートスも知らない。ディアブロも知らないならば、知る者はこの場にはいない。そのはずだった。

 

 と、アインズの特殊技術(スキル)発動を目にした少女が焦ったように身じろぎした。その表情から何かを心配している様子だが、それはつまり、あの能力について何かを知っているということである。

 

 シャルティアは厳しい表情を浮かべ、ゴソゴソとインベントリから何かを取り出していた。その間にエインヘリヤルは猛然とアインズに向かって突進し、眷属も魔法を雨の如く降らせる。

 

 しかしその全てが効果を為さない。アインズは魔法詠唱者(マジックキャスター)とは思えない驚異的な体捌きでエインヘリヤルの攻撃を巧みにいなし、或いは紙一重でかわす。最も接近戦を得意とするセバスでさえ、あの動きを捉えきるのは容易ではないだろう。

 

 眷属達の魔法はレベル差が大きすぎるためか、被弾してもまるでダメージを受けた様子はない。流石に反撃をする余裕までは無いようだが、エインヘリヤルを最優先して回避に徹する事で、見事なまでにダメージを最小限に抑えていた。

 

 シャルティアは眉を顰めながら近くに残した眷属をスポイトランスで貫いていく。スポイトランスは与えたダメージに応じて自身の体力を回復する効果を持っている。攻撃と同時に回復を出来る凶悪な性能を持つ武器で、眷属をポーション代わりにしているのだ。

 

 デミウルゴスは疑問を抱く。急ぎ体力を全快にする事を目論んでいるようだが、何故エインヘリヤルと一緒に攻撃を仕掛けないのか。先程はそれで圧倒的に押していたのだから、回復に時間を割かずとも攻めれば押しきれるように思えたのだ。今もアインズの戦いぶりは、危うい綱渡りのようにさえ見える。

 

 しかし、その疑問に対する答えはすぐに理解させられた。

 

 アインズの時計の針が一周した瞬間、彼の周り全ての空気が、死を迎えたのだ。眷属達だけでなく、草木、土、生命を持たないエインヘリヤルでさえも例外ではない。

 効果範囲にあった存在を根こそぎ殺し尽くし、半径百メートルが命一つ存在しない砂漠と化したのだ。

 

 アインズ以外に唯一残ったのはシャルティアただ一人。おそらくシャルティアは事前にあの特殊技術(スキル)について知っていて何らかのアイテムを使用して難を逃れたのだろう。でなければおそらくシャルティアも今頃は──

 

「なん、という……!」

 

「コ、コレガ……アインズ様ノ御力……」

 

「アインズ様の切り札がこれ程だなんて」

 

 三者三様に驚きと感嘆の言葉を口にする。その効果だけ見ても凶悪な力であることに違いないが、最も効果的なタイミングを図ったかのように使うその計算高さにはデミウルゴスは震撼していた。

 エインヘリヤルと眷属の同時召喚からの近接戦。それはシャルティアにとっても取っておきの戦術だったはずだ。近接戦がまともに出来ない魔法詠唱者(マジックキャスター)に対しては特に効果が高いはずだった。

 

 しかし戦力が一気に集まるということは、同時にまとめて始末するチャンスでもあったわけだ。アインズはこの展開を見越していたとしか思えない。

 

(つまり、始めから予想して……?いや、まさか……?)

 

「全て事前に計画へと織り込み済みで、こうなるように誘導していたのでしょうね……。おそらく、ここまでの全てがアインズ様の(たなごころ)の上……」

 

 アルベドも同じ答えに思い至ったようだ。来るかどうかも分からない事態を予想して切り札を使わず温存しておいたのではない。ここまでの戦い全てが、こうなるための布石、計画の一部だったというのだ。一手間違えばまるで結果は違っていたかもしれないというのに。

 

「アインズ様ノ一手デ勝負ハ一気ニ五分マデ縺レ込ンダ」

 

 3割程だった勝率が、一手で互角に跳ね上がる。それ程に先程の一手は効果が大きかったのだ。シャルティアの切り札とも言える死せる勇者の魂(エインヘリヤル)と、同時に眷属さえも一網打尽にし、数の優位を完全に封じた。後はシャルティア一人を残すだけ。しかも自分の魔力は殆んど温存したままで、だ。

 シャルティアもある程度魔力を残し、体力は全快しているだろう。しかし、切り札を残している状態と比べれば、心理的な余裕はまるで違ってくる。

 

 シャルティアもそれは痛感しているようで──

 

 

 

 

 

「くっ……やってくれましたね。お陰で眷属達は全て失ってしまいました」

 

「これで私が本物だと信じてくれただろ?」

 

 悔しげな表情を浮かべるシャルティアに対し、アインズはまるで小さな子供に向けるように優しく語りかけた。最初は半信半疑で戸惑っていたシャルティアも、この力を見せられては納得するしかなかった。

 

「勝てないと思ったら降参してもいいんだぞ?」

 

「まさか!勝負はこれからですよ。切り札を封じられたとはいえ、私のHPは満タン。魔法も特殊技術(スキル)も残っています。まだ私の有利は揺らぎません」

 

 シャルティアも切り札を封じられた事は認めるが、それだけだと強気に言葉を紡ぐ。まだ敗けと認める気は毛頭ない。確かに今の一手でシャルティアの優位性はかなり失ってしまったが、それでもまだ五分以上の勝ち目はあるはずなのだ。

 

 まして勝負が完全に決まっていないうちに降参など、彼女自身のプライドが許さなかった。

 

 そんなシャルティアの思考を理解した上で、全てを受け止めるようにアインズは構える。

 

「そう言うと思ったさ。やってみるといい」

 

 穏やかにゆっくりと両腕を開くその姿は、抱擁に飛び込んでくる娘を受け止めようとするかのようである。

 

「その余裕の顔も今に絶望に染めて差し上げますよ。では…………行かせて頂きます!」

 

 表情に自信を宿らせたシャルティアが突進を試みる。魔法詠唱者(マジックキャスター)であるアインズに魔法戦を挑んでは流石に分が悪いと踏んで、接近戦を仕掛けたのだ。その判断自体は間違ってはいない。ただ一つ間違っているとしたら、それは────

 

 シャルティアが全力で突き出したスポイトランスは紙一重でかわされ、アインズが懐──シャルティアの槍の有効攻撃圏より内側──に潜り込みながら掌を翳す。

 

「んなっ!?」

 

 "霊子砲(ホーリーカノン)"

 

 

 

 

 

 

「馬鹿ナ!?」

 

 モニター越しに二人の戦いを見守っていたコキュートスが叫びを上げた。純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)の戦いとは、戦士職相手には極力距離を取って戦うのが定石であることは最早常識である。接近を許せばあっという間に攻撃に晒され、多大なダメージを受ける事が確定してしまうからだ。

 

 だというのに、今アインズは逆にシャルティアの懐に潜り込み至近距離で攻撃魔法を見舞ったのだ。魔法詠唱者(マジックキャスター)が接近戦で戦士職と渡り合おうなど、完全に常識の範疇を外れているのである。

 

「クフ、クフフフフフ……それでこそリムル様が見込んだ男。また随分と鍛え上げてきたものです。私も平和ボケしている場合ではないかもしれませんねぇ」

 

 ディアブロは危険な雰囲気を漂わせ、実に愉しげに嗤っている。主人であるリムルが優しい性格のために普段は過度な殺戮は我慢しているが、彼は本来、血沸き肉踊るような戦いに悦びを見出だす種類の悪魔なのだ。

 

 主人が何の気紛れか、友の一人に選んだ男。最初はなんの事はない、()()()()()であった。しかし何の因果か、異世界へと転移しアンデッドとなった(人間を辞めた)。そして今の彼はディアブロも目を見張る程に成長している。このままいけば……

 

(クフフフ、流石はリムル様。あの時、既にここまで見越しておられたのですねっ!?まったく、貴方というお方は……)

 

「……コノ勝負、アインズ様ノ勝チダ」

 

 気味が悪いくらいに満面の笑みを浮かべるディアブロを尻目に、コキュートスが早々にアインズの勝利を確信する。

 

「な、何故です?貴方は先程五分だと言ったばかりではありませんか。それに、私にはまだ勝敗は遠いところにあるように思えるのですが……」

 

 デミウルゴスは抱いた疑問を率直にぶつけた。勝負は五分だったはずだ。アルベドは困惑気味ながらもコキュートスの言葉を否定できなかった。

 

 もしアインズがディアブロに匹敵する実力を持っているのだとしたら、如何に階層守護者最強を誇るシャルティアが相手であろうとも、まともな勝負になると思えなかったからだ。

 

 未だ腑に落ちない表情のデミウルゴスに、コキュートスは静かな興奮と共に口を開く。

 

「見テイルトイイ。アインズ様ノ常軌ヲ逸シタ戦イブリヲ……!」

 

 

 

 

 

 

 

「くぅっ!」

 

 アインズの掌から飛び出した閃光がシャルティアのどてっ腹を貫く。シャルティアは声を洩らし、咄嗟に後方に跳びながら自身の被害を確認する。

 

(くっ、まさか距離を取らずに逆に懐に入り込んで来るなんて……!)

 

 アインズの対応力の高さに驚嘆するシャルティア。てっきり距離を取ろうと逃げ回ると踏んでいた為に、簡単に不意を突かれてしまった。

 

(それにしても今のは一体?こんな魔法は初めて見たけど、神聖属性……?アインズ様は死霊系統の魔法が得意だったはず。こんな魔法まで習得されていたとは……)

 

「接近すれば私が嫌がって逃げると思ったか?」

 

 修得魔法の多様さに驚くシャルティアに、アインズが変わらぬ穏やかな表情で告げる。

 

「離れていて良いのか?」

 

「は、しまっ──!」

 

 近付くことで魔法を使わせないつもりが、逆に距離が離れてしまった事で、アインズが魔法を詠唱する十分な時間を与えてしまった。

 

 "破滅の炎(ニュークリアフレイム)"

 

 天をも焼き焦がすような猛烈な光と熱がシャルティアの身を焼く。核の炎を具現するそれは、人間ならば遠くから光を直接目にするだけで失明するほどの凶悪な威力であった。

 

「あがぁあああっ!」

 

(たった一撃で何という威力……!しかもまた私の知らない魔法……)

 

 〈大致死(グレーターリーサル)

 

 片目と肌の一部が炭化したシャルティアがたまらず魔法で回復をはかる。アンデッドは通常の治癒魔法ではダメージを受けてしまうので、負のダメージを与える〈大致死〉で回復するのだ。回復したシャルティアがアインズを睨み付けると、更に追撃で魔法が飛んでくる。

 

 〈魔法九重(ノナプレット)最強化(マキシマイズマジック)〉!

 〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉!

 

「はああッ!?」

 

 〈現断〉とは、ワールドチャンピオンの技〈次元断切(ワールドブレイク)〉が一人のプレイヤーとしてあまりにも強すぎて非難轟々となったが為に、それと似た魔法を追加することで運営がバランスを取ろうと補填された強力な魔法だ。その威力はアインズの習得している位階魔法凡そ七百二十の中でも最強クラスと言える。

 

 それが同時に()()も放たれ、シャルティアに襲いかかる。空間ごと切り裂かれたシャルティアは鮮血を吹き出した。

 

「うぎあああっ!」

 

 〈現断〉自体は軌道さえ見切れば全くかわせないという訳ではない。ただ、シャルティアは驚いて反応が遅れてしまった。魔法の多重詠唱は三つまでしか存在しないはずなのだから。

 

 しかし、ズタズタになったシャルティアの身体が時間を巻き戻すかのように血飛沫もろとも元通りに戻っていく。今度はアインズが驚きの反応を見せる。

 

「なんだと!?……何をした!」

 

「ふ、ふふ……特殊技術(スキル)ですよ。私にこんな特殊技術(スキル)が有るなんてご存じでしたか?」

 

「チッ、初めて見るな……」

 

 シャルティアはアインズの悔しげな反応に活路を見出だす。知らない特殊技術(スキル)には流石に対策は取れない。未だ使用していない特殊技術(スキル)は対策されていない可能性も充分にあるということだ。

 

(攻めて攻めて攻めまくって、魔法を打たせる隙も与えない!)

 

(……って考えてる顔だな。よし、これも作戦通りっ)

 

 アインズは完全にシャルティアが術中に嵌まっている事に安堵しながら、それはおくびにも出すことはない。

 

 先程の反応はただの(ブラフ)であり、実はシャルティアの設定はほぼ丸暗記している。自身が創造したパンドラズ・アクターの次くらいに詳しいという自負があった。

 

 良き友人であるペロロンチーノが、生前に何度も熱心に語って聞かせてくれたのだ。忘れられようはずがない。

 

「取って置きだったんだが、これは中々に厄介そうだな……」

 

 わざと眉を少し顰め、不機嫌を滲ませた表情を作る。これでシャルティアは接近戦を挑んでくるはずだ。後は温存している特殊技術(スキル)を盛大に消費してくれれば仕上げは近い。

 

 

 

 

 

 モモンガの作戦は完全に当たった。シャルティアは接近戦を挑み、特殊技術(スキル)を惜しみ無く次々に使い尽くしていく。モモンガは落ち着いていて、致命的な攻撃だけは受けないように猛攻を凌いでいた。

 

 特殊技術(スキル)と魔法を使わせ、リソースを極力削る。

 これがシャルティアの洗脳を解く条件の一つ目だった。

 二つ目は体力を極限まで削り、瀕死に追い込むこと。

 その二つの条件を満たすことが、シャルティアの洗脳を解くためには必須なのだ。

 

 それにしてもモモンガのヤツ、やっぱり演技力は半端じゃないな。事前に作戦を打ち合わせてなければ、俺まで一緒に騙されてモモンガが苦戦していると思っていたかもしれない。

 

ご主人様(マスター)もモモンガに演技指導を受けてみては?》

 

 どうやら他人に厳しいシエル先生でも太鼓判を押す程らしい。確かに俺よりよっぽど魔王然としていて、威厳ありげだ。素直にそう思う。

 

 それはさておき、俺が演技指導?ムリだろ、俺は根っからの大根だぞ?

 

《では、格好いいポーズだけでも……》

 

 お、おおん……。

 先生、やけに推してくるな。まあ、素人が一人で考えるより、プロのモモンガに教わった方が俺も魔王として威厳ありげに振る舞えるようになるかも知れない。

 いや、アイツも元々一般人だったか。やっぱ大事なのはセンスなのか……?うーん……。

 

 本気で演技の指導を頼もうか悩みだした俺は、心のメモに一応書き込んでおくことにしたのだった。

 

 

 

 

 

「くっ……」

 

(回数に制限のある特殊技術(スキル)を全て使い尽くしても、倒れない……でもまだ私の魔力は残っているし、スポイトランスの効果を考えれば、充分に戦える。アインズ様の魔力もかなり消費したはず。もう少し……)

 

 近接戦においてもシャルティアが決定的な優位を奪えない程に善戦するアインズ。純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)のはずなのに、シャルティアの突進をものともせず至近距離でバンバン魔法を放ってくるのだ。しかも、魔法を九つも多重詠唱するという離れ業まで使って見せた。

 

 全く常識破りも甚だしいとシャルティアは呆れにも似た感想を抱く。同時に、これが至高の41人の纏め役の隠された実力かと感動もしていた。

 

(自分の持てる全ての力を余すところなく使い切って漸く勝負になるかどうか。本当にアインズ様は実力の底が知れない)

 

 そして、そんなアインズに挑むのは、心踊るほど楽しかった。いつの間にか笑みを浮かべていたシャルティアには、楽しげに叫ぶ。

 

「アインズ様、今度は魔法戦と行きましょう!」

 

「いいだろう。近接戦闘はお前に半歩譲ったが、魔法ではそうはいかんぞ?」

 

 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)

 〈輝光(ブリリアントレイディアンス)

 

 〈魔法九重化(ノナプレットマジック)

 〈無闇(トゥルーダーク)

 

「ぐぎぎ……」

 

「くっ…ぐうううっ!」

 

 神聖属性が効くかは試してみるまで賭けだったが、弱点全てに完全に対策することは出来ないので、どこかに穴はあると踏んでいたシャルティア。いち早く弱点を確認できたことに気色を浮かべる。大きく体勢を崩したアインズに対して、九重詠唱とはいえ闇属性魔法ではシャルティアは大したダメージは受けていない。

 

(よしっ、今のは間違いなく与えたダメージは私の方が大きい。それにアインズ様は立て続けに魔法を使っていたので、もうそろそろ半分は切っているはず……)

 

 多重詠唱された魔法の威力は危険だが、その分魔力消費も激しいはずだ。魔力さえ尽きれば魔法詠唱者(マジックキャスター)である以上、シャルティアほどは肉弾戦では戦えないはず。物理戦で決定打を持たないアインズをじっくりと倒しにかかれる。

 

 そう期待して体力と魔力を確認したシャルティアは、またも驚愕することになった。

 

「な、何で……!」

 

 体力が思いの外減っていないのだ。更に驚く事には、魔力は減っていないどころか、()()増えていた。あり得ない事象に戦慄を覚える。

 

「い、一体何がどうなって……ッ?」

 

「ふふ、魔法戦で負けないと言った理由が分かったか?私の魔力は減らないのだよ」

 

「そんなの……っ」

 

 卑怯だといいかけた言葉をシャルティアは飲み込んだ。シャルティアの知る限り、時間経過以外に魔力回復手段は存在しないはずだ。一体どんなカラクリがあるのか知らないが、何か仕掛けがあるに違いない。鮮血の貯蔵庫のように、何かで魔力を代替しているのかもしれない。

 

(それを見破る事が出来れば……)

 

 しかし、シャルティアの思考を読み取るが如く、アインズは言葉の続きを紡いだ。

 

「減らないというのは語弊があるな。()()()()()で、空間に飛散した魔力を再びかき集めているのだよ。お前からも少しずついただいているんだが、気付いていたか?」

 

 アインズにそう説明され、普段より使用した魔法に対して魔力消費が多かった事に気付く。それはつまり──

 

「一応魔法の使用とタイミングを合わせていたが、魔力を奪われたという自覚はなかったようだな。ではこれならどうだ?」

 

「うっ……?」

 

(身体から魔力が漏れ出すような虚脱感……!本当に奪われている!?まずいまずいまずいまずい!)

 

 焦り始めるシャルティアを尻目に、アインズはいつの間にか取りだした武器を構える。

 

 それは太陽の輝きを宿す弓、『羿弓(ゲイ・ボウ)』であった。

 

「それは…っ、ペロロンチーノ様の!いつの間に……いや、何故それを持っている!?」

 

「宝物殿に保管していたんだ。ペロロンチーノさんの残してくれた、大切な遺品だからな」

 

「!?」

 

 アインズの言い放った「遺品」という言葉に、シャルティアは一瞬何を言っているのか分からなかった。いや、分かりたくなかったと言った方が良い。嫌な汗が背中を流れるような感覚。

 

「そんな、遺品だなんて。それではまるで、まるで……」

 

「そうだ」

 

「っ!……何かの冗談、ですよね……?」

 

 シャルティアは涙を大きな瞳一杯に溜め、懇願するように訊ねる。そんな事あるはずがない。違うと言って欲しいと。

 

 しかし無情にも、シャルティアが一番聞きたくない言葉を淡々と告げるアインズ。

 

「ペロロンチーノは死んだ」

 

 残酷な言葉だった。不安を抱えながらも、姿を見せなくなった創造主の帰りをひたすらに信じ待ち続けてきた彼女に対して、あまりにも非情な仕打ちだ。表情を失ったシャルティアの赤い瞳から大粒の涙が流れ落ちる。

 

「う……そ、だ…………嘘だっ!嘘だ嘘だ嘘だ嘘だだあああああ!!」

 

 シャルティアはその事実を受け止めきれず、涙を流しながらアインズへと突貫する。しかし、アインズがそれを許すことはなく────

 

「あああああああっ!」

 

 羿弓(ゲイ・ボウ)から放たれた属性攻撃の塊のような矢が、シャルティアを容赦なく貫いた。

 

「蘇生も不可能だ。どうあがいても、彼を助けることは叶わなかった」

 

「うぅぅぅっ……だあっ!」

 

 再び立ち上がり向かっていくシャルティアだが、冷静さはまるでない。駄々をこねる子供のようにがむしゃらに真っ直ぐ突っ込んで行くだけだ。そんな無策な突進では、有利に戦えるはずの接近戦に持ち込もうにも、接近すら許してはもらえない。

 

 彼女の創造主たるペロロンチーノの羿弓(ゲイ・ボウ)が放つ弾幕が、流星のように降り注ぎ、シャルティアの身体を幾度となく貫いた。

 

「あ、うぐ……ペロロン、チーノ様……」

 

(どうして…どうして私を置いて行ってしまわれたのですか?どうして私をお連れ下さらなかったのですかっ!?)

 

 仰向けに倒れたまま嘆き悲しむシャルティアの身体はもうボロボロで、脇腹には穴が空き、腕もまともに動かない。鎧の背につけられた翼も片方は完全に失われている。足首が折れて爪先があらぬ方向に向かっているが、それを気にするでもなくシャルティアはヨロヨロと立ち上がった。

 

(私は……私は……要らない子だったのですか……?)

 

 何故いま自分が戦っているのか、ペロロンチーノの死を知りもせず、ただひたすらに帰りを待ち続けた自分は、一体なんだったのか。立ち上がりはしたものの、戦意は既にない。

 

 しかし、そんなシャルティアに再び羿弓(ゲイ・ボウ)を構えるアインズ。見れば彼もまた涙を流していた。

 

(アインズ様……何故あなた様も涙を……?ああ、私を憐れんで、ペロロンチーノ様のもとへ送って下さろうというのですね。なんと慈悲深い御方……)

 

 シャルティアは両腕を拡げ、立ったまま目を閉じた。魔力は全て奪われ、体力も極限にまで削られている。抗う術は最早無い。それを拒むつもりもない。

 

 ペロロンチーノの死をアインズに告げられなければ、それを知ることさえなく永遠にでも待ち続けた事だろう。これで本当に敬愛する創造主(ペロロンチーノさま)と同じ所へ行ける。そう信じ、シャルティアは再会を夢見ながらその時を待った。

 

(ペロロンチーノ様、今私も逝きます……)

 

「待たせたな」

 

 ふと、シャルティアの耳に誰かの声が響いた気がした。




ディアブロさん以外は完全にシリアスモードですはい。

シャルティアにカミングアウトし、支配者は哭く。
真実を知り、希望を見失ったシャルティアは……。


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#72 真実

シャルティアの洗脳が解けますが……


《告。条件が満たされました》

 

 おお、やっとか。やっぱり世界級(ワールド)アイテムだけあって簡単にはいかないんだな。シャルティアを死なせてしまうんじゃないかと正直結構ハラハラした。シャルティアは肉体的にも精神的にもボロボロにされて、途中から可哀想で見ていられなかった。いや、ちゃんと見てたんだけど。

 

 モモンガもシャルティアを傷つけるのはかなり辛かったんだろう。始める前は平気そうにしていたが、結局涙を流していた。どうもあの姿のときは普通の人間だった頃より涙脆くなってる気がするな。

 

 ところで、本当に大丈夫なんだろうな?これだけ頑張ってもらっておいて、俺が失敗なんてしたらシャレにならないぞ?

 

《お任せください。失敗などしようがありません》

 

 おお、頼もしいな。先生の自信満々な返事に俺は安堵しながらシャルティアの前に転移した。

 

「待たせたな」

 

「リムル…!」

 

 モモンガが弓を下ろして安堵の表情を浮かべる。ちょっと鼻水が垂れてるのはこの際見なかった事にしてやろう。俺は空気が読めるやつなのだ。

 

 まずは周りから覗き見されないように、シャルティアと俺だけを囲むだけの結界を張る。周りからは、俺たちは姿も気配も完全に消えたように認識されているはず。

 

 警戒し過ぎかもしれないが、この世界にはどんなヤツが居るか分からないのだ。これくらいはやっておくべきだろう。油断して痛い目など見たくはない。

 

《シャルティアの精神支配を解除しますか?》

 

 結界を張り終えると、シエルが早速訊いてくる。答えはもちろんYES──

 

《精神支配の解除が完了しました》

 

 早っ!一瞬だなオイ。念じた瞬間には終わっていた感じだ。

 もしかして本当は条件とか関係なく、そのままでもいけたんじゃ……?

 

《その場合は成功率が0.02%程下がります。ですがこのやり方ならば成功率は100%です》

 

 いや慎重すぎだろっ!何もしなくても成功率99.98%って……。

 まあ、万が一っていうこともあるし?それで失敗したら元も子もないんだけどね。

 とにかく成功してよかった。結果よければ全て良し。そういうことにしておこう。

 

「シャルティア、大丈夫か?」

 

 満身創痍の相手に訊くことではないかもしれないが、とりあえず正気を取り戻しているかどうかは確かめておきたい。

 

「……?おんしは……なんで」

 

 目を開けたシャルティアが俺を大きな瞳に映す。一瞬驚いたようすだったが、俺には興味が無いようですぐに視線を外す。

 

「ペロロンチーノ様……」

 

 キョロキョロと居るはずのないペロロンチーノの姿を探すが、やがて力なく項垂れる。その瞳には深い失意の色が滲んでいる。

 

「まさか、今際の際に会うのがペロロンチーノ様ではなくおんしだとは……」

 

 どうやら精神支配にあっていた間に聞かされたモモンガの言葉も、ちゃんと覚えているようだ。彼女の口振りからして、ここが死後の世界だとでも思ったのだろうか。

 

 俺はシャルティアの精神支配を解く為に来たことを告げ、ざっとここまでの流れを説明しようとした。だが話し始めてすぐ、シャルティアが生気の宿らない虚ろな目で呟く。

 

「もういいでありんす……」

 

「え?もういいって、どういうことだ?」

 

「私にはもう存在する価値すらありんせん。このまま消えさせてくんなまし」

 

 泣き出しそうな顔で悲壮感を漂わせ、シャルティアは懇願するように答えた。絶望感にうちひしがれて、完全に弱気になっている。彼女には創造主ペロロンチーノの死は強烈な毒薬だったようだ。

 

「そ、そんなこと言うなよ。モモンガが待ってるんだぞ?」

 

「……!なら尚の事。守護者にあるまじき失態を犯してしまった私がアインズ様に合わせる顔なんて……」

 

 伏せたシャルティアの目蓋から涙が流れ、頬を伝う。

 なまじ記憶が残っている分、精神支配が解けた今、強い自責の念に駆られているようだ。

 その上ペロロンチーノの死亡を知らされるという絶望のダブルパンチ。それで平然としていられる方がおかしいかもしれないな。

 

 実際シャルティアは正気を失っていたのだし、モモンガもその事を責める気は全く無い。だからといって気にするなと言うのは無茶だろう。ペロロンチーノの救出を諦めざるをえなくなった以上、それ以外ではアイツの助けになってやりたいと思うのだが。

 

「シャルティア、自分を許せないという気持ちは分からないでもない。けどな、お前をこのまま死なせてしまったらモモンガが悲しむし、俺だって……」

 

 シャルティアに死なれては寝覚めが悪いのだ。

 

「どうして……おんしは私が居なくなった方が都合がいいでありんしょう?」

 

「え?何で?」

 

 不思議そうな顔をするシャルティア。意味が分からない。何で自分が死んだら俺が喜ぶと思ってるんだ?何かおかしな勘違いしていないだろうか?

 

「だって、そうしたらアインズ様の正妻候補が減りんす。ライバルは少ない方が」

 

「アホかーっ!!!」

 

 驚いたシャルティアが思わずビクッ肩をすくめる。しかし全力で叫んでしまった俺は悪くない。

 女性陣にやけに嫌われてるなと思っていたらそういうことだったのか。

 ん?もしかしてこれもシエルの計画のうちだったり……?

 

《も、黙秘権を行使します……》

 

 俺が何か聞く前にこの反応である。先生がまたしても何か企んでいるようだが、今はとにかくシャルティアの誤解を解いておくか。俺にソッチの趣味があるだなんて不名誉極まりないからな。

 

「あのな、シャルティア。俺がアイツと結婚とかありえないから」

 

「………え?」

 

「俺には性別なんて無いし、結婚とか求められても無理だ」

 

「「…………」」

 

 二人して見つめ合い、沈黙する。

 

「それはつまり、カラダだけの関係……」

 

「違っがーう!だからそういう行為自体無理なんだよっ。見た目は男っぽくも女っぽくも、老人にも子供にも変えられるけどさ。俺はスライムだから……」

 

 何でそういう方向に想像が行ってしまうんだコイツは?

 俺には性別が無いっていま言っただろっ。アレか?ペロロンチーノと同じエロゲ脳か?勘弁してくれよ……。

 説明しながら見た目上の性別や年齢を変化させ、ダメ押しにスライムボディになって見せたが、これでもまだ納得はしてもらえていないようだった。

 

 しかしまさかそんな誤解で目の敵にされているとは思わなかった。他にもシャルティアみたく勘違いをしてるやつがいるかもしれないな……。

 

 第一、俺が男のモモンガと結婚とか、たとえ想像でもしたくはない。もしかしたらそれで熾烈な俺の正妻争い(ジハード)には終止符が打たれるかもしれないが、男と結婚なんていうのは御免こうむる。俺だって男なのだ。

 

「はぁ、モモンガに聞いてみろよ。俺が言うより、アイツの言葉の方が信じられるだろ?」

 

「えっ、あ……」

 

 とりあえず精神支配は解けているし、お喋りはこの辺にして俺はさっさと結界を解いた。あとはモモンガに何とかしてもらおう。

 

「終わったぞ」

 

「そ、そうか!よし…」

 

 〈魔法九重(ノナプレット)最強化(マキシマイズマジック)

 〈大致死(グレーターリーサル)

 

 モモンガがぎこちなく跪くシャルティアに〈大致死〉の魔法をかける。アンデッドは通常の治癒魔法では逆にダメージを受けてしまうのだが、何も覚えたばかりの九重詠唱を惜しげもなく使わなくてもいいんじゃないだろうか。

 

「シャルティア!」

 

 傷を癒されたシャルティアは、びくりと肩を震わせて恐る恐るモモンガを見上げる。

 

「あ……アインズ様…………」

 

「何も言わなくていい。シャルティア、お前が無事で何よりだ」

 

「で、ですが……至高の御身に……」

 

「それはお前の本意ではなかったのだろう?……済まないな。私が主人として至らないせいで、お前をこんなにも辛い目に遭わせてしまった」

 

 紅い瞳に涙を浮かべて震える声で訴えるシャルティアを遮ったモモンガは、逆に謝って悲しげに目を細めた。

 

「いいえ、全て私が悪いんでありんす。アインズ様は何ひとつ悪くなどありんせん」

 

「いやしかし……仮にそうだとしても、私は責めたりなどしない。お前の全てを許そう。だから、お前も今回の件で自身を責めたりはしないでくれ」

 

「は……はい……畏まりんした」

 

 どちらが悪い、だとかは言い合いになる事を見越して、モモンガはシャルティアが少しでも自責の念に駆られないようにと、全てを許すと言った。そう言われてすぐにシャルティアが受け入れられるかは別だが。

 

「まずは、お前の精神支配を解除してくれたリムルに礼を言わねばな。リムル……ありがとう。お前のお陰だ。ほら、シャルティアも」

 

「……ぁ、ありがとうございんした」

 

 モモンガに促され、シャルティアも礼を言ってくる。変な誤解はまだ完全に解けたわけではなさそうだが、敵意は感じられなくなった。少しばかりしおらしすぎる気もするが、病み上がりみたいなものだからな。

 

「まあ、一番頑張ったのはモモンガだし、俺は殆ど何もしてないようなもんだけどな」

 

「だがお前がいなければ出来なかった事だ。それに今だけではなく、色々と助けてくれただろう?これまでの事も含めて、本当に感謝しているんだ。ありがとう」

 

 嬉しさや寂しさ、悲しさ、その他様々な感情が入り交じった表情でしみじみと呟くモモンガ。ようやく苦労が一つ形となって報われたな。日本へと向かってから色々大変だったのだ。

 

「実にお見事です!」

 

「……えっ?アインズ様がお二人……?」

 

「お前、その格好で敬礼はやめろと……っ」

 

 いきなり不可視化を解いて敬礼しながら出てきたパンドラズ・アクターにキョトンとするシャルティア。モモンガは不意打ちにあって思わず赤面しながら顔を覆う。

 アンデッドのモモンガに変身したパンドラと、見た目は人間のモモンガが並んでいる光景を見て、シャルティアは気後れしながらも困惑していた。

 

「……」

 

 "聖魔・生死反転"

 

 漆黒の闇がモモンガを包み込み、それが晴れると骨の姿(アンデッド)が現れる。

 

「んんっ……パンドラズ・アクター、一旦元に戻れ」

 

 落ち着きを取り戻したモモンガが、低く威厳のある声色でパンドラズ・アクターに指示を出した。骨に戻った理由は多分アンデッドの精神抑制が使えるからだ。敬礼がそんなにハズイかなと思ったが、まぁそれは突っ込まずにおこう。

 それにしても、何回見ても不思議だよな。肉が付いたり消えたり。

 

 

 実はモモンガとリアルに行った後、色々とあって魔物の国(テンペスト)に寄ったんだが、そこで同じアンデッド系のアダルマンに付き合ってもらった。

 

 アダルマンは元々高位の大司祭だったが死後アンデッドになり、色々あって俺が魔王化したあと配下になったヤツだ。今では俺を信仰の対象とし、迷宮の守護者の一人を務めている。とはいってもその実力は覚醒魔王級なので、通常営業の迷宮で出番はないが。

 

 そのアダルマンにモモンガは色々魔法を教わったり、逆にユグドラシル魔法を教えたりしていた。骨同士、気が合ったのかも知れないな。

 

 アダルマン曰く、モモンガの魔法センスはかなり良いセンいってるらしい。俺の知らない間に想定以上の成長をしていた。

 滞在した3日間で魔法だけでなく、いつの間にか聖魔反転を覚え、気付いたら生死反転まで出来るようになっていやがったのだ。

 初めて俺の前で人間の姿になって見せた時のどや顔は忘れられない。

 

 死の支配者に戻ったモモンガの指示で元の埴輪顔に戻ったパンドラズ・アクターをシャルティアに軽く紹介した後、今度は冒険者モモンに変装させた。

 

 パンドラズ・アクターはモモンとして組合に戻り、モモンガは一旦ナザリックへ戻る。一緒にシャルティアを連れてそのまま組合に行っても良いかと思ったのだが、先にナザリックで色々と状況を整理したい。

 仲間内でしっかりと情報を共有しておかなくては今後の活動に支障が出かねないからな。情報共有は大事なのだ。

 報酬の件は、先に一部を受け取ったとしてパンドラに持たせ、残りは数日休んで怪我を癒してから渡しに行くと言っておけばひとまずは大丈夫だろう。

 

「ところで、アレは聞かなくても良いのか?」

 

「ん?私に質問か?ふむ、何でも訊くがいい。お前の問いに、私も偽りなく答えよう」

 

 俺がシャルティアに訊くと、モモンガは真摯に答えようと居住いを正す。

 多分お前が想像してるのとは全然違うぞ?そんなにマジメに構える必要なんてない。

 シャルティアは踏ん切りがつかないのか、何度も口を開きかけては閉ざすを繰り返していた。仕方ない。シャルティアからは聞きづらそうなので俺から話を振るか。

 

「俺ってさ……お前の嫁候補にされてるのか?」

 

「は?候補ってお前……その気があるのか!?えー?うわー……」

 

 マジトーンでドン引きするモモンガ。うわー、じゃねーよ。誤解を解くつもりが更に深みに嵌まってしまったようだ。シャルティアが「やっぱり」みたいな顔してるし、早く誤解を解いておかないと、ナザリック中におかしな噂が立ってしまいかねないぞ……。

 

《告。その心配はありません》

 

「ふ、冗談だ。シャルティア、リムルは性別こそないが、同性にしか思えない。恋愛や結婚の対象として見る気になれんし想像したくもない。リムルもまぁ大体同じ考えだろう」

 

「お、おう、そういうことだ……」

 

 モモンガのやつ、どうやら悪ふざけしていただけのようだ。宝物殿の時の意趣返しのつもりか?スライムに心臓などないが、心臓に悪いからやめて欲しい。

 

「さて、こんなところで立ち話もなんだ。ナザリックへ帰るとしよう。パンドラ、あとは頼んだぞ」

 

「畏まりました!」

 

 黒い鎧姿で元気よく敬礼するパンドラズ・アクターを見て、無言で額に手をやるモモンガ。軍服で敬礼は似合ってるけど、なんと言うか微妙にイラッと来るな。どこかゴブタのどや顔に似たものを感じさせるというか……。

 

 この後周囲を警戒してくれていたアウラ、マーレと合流し、皆でナザリックへと戻る。

 マーレはキラキラと目を輝かせて、モモンガに憧れの視線を向けている。

 

 シャルティアはアウラに説教をくらい、しょんぼりと肩を落として言われるがままになっていた。弱り目に祟り目で言い返す元気もないようだ。

 しかし説教を続けるアウラの姿に妙な既視感を覚えるのは気のせいではないだろう。NPCってどこか創造者に似るんだな。

 

「ちょっと聞いてんの、シャルティア!」

 

「……」

 

「まぁまぁ、その辺にしてやれよ。まずはシャルティアが無事に戻ってこれたことを喜ぼうぜ?」

 

 俺はヒートアップしているアウラを止めてやる。シャルティアには心の整理を着ける為の時間が必要だ。今説教なんてしても右から左だろう。

 

「いいや!コイツにはキツーく言ってやらないと気が済まないんだから!」

 

「お、お姉ちゃん……す、すごく心配したんだもんね?」

 

 マーレが無意識に爆弾を投下し、アウラの顔が急激に赤らむ。

 

「ばっバカっ!違うわよ!」

 

「ふええええっ、痛いよう、お姉ちゃん」

 

 顔を赤くした姉にゲンコツを貰ったマーレは涙目で頭をさする。どうやらシャルティアへの厳しい態度は愛情の裏返しというやつだったらしい。モモンガは守護者3人のやり取りをぼんやりと眺めていた。きっとギルドメンバーとの想い出を思い出しているのかも知れない。

 

 シャルティアは誰の目から見ても元気がない。それを心配してアウラも無理矢理元気を出させようと絡みにいっていたのかも知れないな。ペロロンチーノの事は時間がかかるかもしれないが、自分で心を整理して乗り越えていくしかないだろう。いつかまた元気にアウラ達とじゃれ合う姿を見れる日が来ると、今は信じよう。

 

 

 

 

 

 近接攻撃をかわしながら強大な魔法を至近距離で連発するアインズ様に、シャルティアは有効な攻め方を見出だすことが出来ずにいた。戦士とまともに接近戦に対応できる魔法詠唱者(マジックキャスター)など、誰が想像出来ようものか。

 

 流石はアインズ様と、デミウルゴスとコキュートスは単純にアインズ様のお力に感服し、興奮しきりの様子。男ってシンプルで良いわね。私は、むしろ不安を覚えていた。アインズ様が、私達の手の届かない遥かな高みに行ってしまわれたかのようで。

 

 今までだって、私達などアインズ様から見れば塵芥と変わりない存在に違いないけれど、少しだけ近くに感じていたはずの背中が、今はとても遠いように思えてしまう。

 

 それだけではない。不安を感じる原因は、あのお姿にもあった。

 

(もしあれが、()()()アインズ様のお姿なのだとしたら────)

 

 私が知り得た情報の中でいくつもの欠片(ピース)が填まっていき、今まで考えもしなかった答えに辿り着こうとしていた。

 

 至高の41人とは。宝物殿で見たアヴァターラの意味は。そして、今私の隣に座る彼女の正体は。

 

 途轍もない劇物を肚に抱えてしまったかのような重圧。先程からの彼女の態度にも得心が行く。

 彼女は二人の激しい戦いを見て顔を顰めていた。それは臆病な性格故と思っていた。しかし、それも改めて思い返せば、単純にシャルティアが傷付くことに心を痛めていたのではないかと思えてくる。

 顔を合わせた事さえないシャルティアの身を案じるなどおかしな話。しかし、以前からシャルティアをよく知っているとしたら?そのような存在に心当たりなど、至高の御方々以外には考えられない。

 

 極めつけは、アインズ様が何かをシャルティアに伝えた時、彼女が悲痛な表情で涙を溢した事。モニター越しでは声は届かないはずなのに彼女が反応したと言うことは、アインズ様がシャルティアに投げ掛けた言葉の内容を知っていたということになる。

 

その後のシャルティアの狼狽ぶりから察するに、それはおそらく創造主ペロロンチーノ様の事。だとするなら、彼処にあったアヴァターラ達はやはり……。

 

(全てがまだ仮定の段階じゃない……!そうと決まったわけではないわ。けれどもし、もしも私の推測が当たっているなら、このお方は────)

 

「アルベド?」

 

 気付けばデミウルゴスとコキュートスが訝しげに此方に視線を投げ掛けていた。

 

「どうかしたのかね、アルベド?顔色が優れないようだが……」

 

「今は……今は何も聞かないで頂戴。作戦は無事に終わったようだし、アインズ様がお戻りになるまで、貴方達は一旦守護階層に戻りなさい」

 

 デミウルゴスから不信感を抱かれる事を承知の上で、私はそう答えるしかなかった。

 

「……そうですね。行きましょう、コキュートス。ああ、そうそう……アルベドとは余り二人きりにならない方がいいかもしれませんよ」

 

「……っ!」

 

(デミウルゴス……っ!私が何かしないように釘を刺したつもりでしょうけど……)

 

「何かあるとは思いませんが、念のために私が側にいるとしましょう」

 

 ディアブロが監視すると言ったお陰か、二人はそれ以上何も言わず、部屋を後にした。こうなった以上、最悪の事態だけは避けなければならない。

 

 三人きりになった部屋で、私は彼女の前に跪き誠心誠意頭を下げた。

 

「これまでの非礼、心よりお詫び申し上げます」

 

「──っ!」

 

 息を飲む彼女。やはり私の推測は間違っていないと確信する。それは受け入れがたい幾つかの事実を受け止めなければならないということでもあるけれど、不思議と覚悟が固まった。

 

 それはあの御方が遺して下さったお言葉を今まさに正しく理解出来たからかもしれない。

 これまでリムル様の事かと思っていたけれど、そうではなかった。よろしくと言われた()()とは、このお方の事だったのだと。

 

 私は懇願するように、頭を地に擦り付ける。このお方には既に全てを見透かされていたに違いない。浅ましい願いとは承知しているけれど、御方の()()でもあるため、簡単に引き下がる訳にもいかなかった。

 

「どうかこの愚かな私めに、今一度機会をいただけませんでしょうか。もしお許しいただけるのであれば、今度こそ私の全てをかけて、どのような敵からもあなた様をお守りすることを誓います──ぶくぶく茶釜様」




遂に明かされる謎の少女の正体?
アルベドはどこまで真実にたどり着けているのでしょうか。






前々から考えていた目標に達したので一言。



( -`ω-)私の文字数(せんとうりょく)は530000です。

いつか言ってみたいと思ってました。


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#73 リアルの懸念と意外な再会

時間軸は少し戻って、二人がリアルへ行ったときの出来事です。


『まだ声が戻らず、仕事に復帰できません。ご迷惑をお掛けしますが、暫く休養を取らせていただけませんか』

 

 私は手短にメールを送ると、スマートフォンを鞄に仕舞う。声が出なくなってから一週間近く経っていた。

 疲れが原因の一時的なものかもってことで、通院して経過を診ることになっている。プロダクションには説明をメールでして休ませて貰ったけど、正直無事に復帰できるかどうか……。

 

 今のところ回復の兆しっぽいものは何もない。全身に、言葉には言い表せないような、じっとりとした嫌なモノがまとわりついてくる感じがする。

 

 声優にとって声とは大切な仕事道具であり生命線。その声が出なくなってしまった今、非常に分かりやすい失職の危機だった。その先に待っているのは明るい未来じゃない事は誰にでも分かる。

 

 本当なら頭を抱えて転げ回りたいくらい焦っててもおかしくないんだけど、今はそれどころじゃなかった。

 

 世界は突然に、劇的に変わった。

 分かりやすいところを挙げれば、景色。上を見上げれば青空が広がっていて、太陽が散らばった雲間から覗いていた。汚染されていたはずの大気は、今はガスマスクなしで外を歩ける程きれいになってる。

 

 ニュースでは世界各地で奇跡が起きたと連日話題は持ちきり。海や土壌についても汚染は嘘のようになくなっているみたい。先進各国が保存していた生物の種子を持ち寄り、第一次産業の復活を目指して、近々に討論を始めると報じられた。

 

 世界の全てが変わり始めたその境の日は、奇しくもユグドラシルの最終日だった。

 

 あの日以来、世間では明るいニュースが流れ始め、希望の芽が育ち始めているけど、私は一緒に浮かれている場合じゃなかった────。

 

(やるしかない……私が、私が何とかしなくちゃ……!)

 

 私は彼の横たわる病室で、必死で思い出した異世界への門(ディファレンシャルゲート)の魔法陣を描いた。まじまじと眺めてた訳じゃないし、正直うろ覚えで細かいところは殆ど覚えてない。それでも何とかそれっぽい感じには出来てる。私は祈るように手をかざした。

 

(お願い、繋がって────)

 

 願いが通じたのか、魔法陣が光を帯び始める。どうにか異世界に繋がったみたい。

 

(や、やった……?よ、よーし、きっとアイツを連れて来てみせるわ。だから、それまで待っててね……)

 

 私は決意を胸に、震える足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 シャルティアの精神支配解除は、まだアフターケアの面で課題は残るものの、ひとまずは成功を納めた。これには俺もモモンガも内心ではかなりホッとしていた。

 これから配下を集めて話す内容を考えれば、まだ安心出来る段階とはいえないが。

 

 あの時────日本へとモモンガを連れていった時、俺はまだあんな事になるとは思っていなかったのだ。

 

 人々の運命はそれぞれの努力で切り開いていくことができる。確定などしていないと、そう思っていた。

 

 俺はモモンガを連れて日本へと転移したあの日を思い出す。

 

 

 

《……》

 

 ん、先生?どうした?

 

《……何でもありません》

 

 シエルが何かに驚いているような気がして訊いてみたのだが、俺の気のせいだったか?

 まあ、今黙っているということは、何か気になる事はあっても確実な情報ではないのだろう。取り敢えず俺はモモンガと話を進める事にした。

 

 ここは最初に俺がモモンガ達を魔物の国(テンペスト)へ連れていったときの、あの廃ビルだ。これから話す内容は、アルベド達の前ではまだ話せないからな。

 モモンガは少しの間周りを見渡して、リアルに戻ってきた事を懐かしんでいるようだった。

 

「ここから魔物の国(テンペスト)へ行ったんだよな……それで?わざわざここへ連れてきた理由を聞こうか」

 

「ああ。率直に言って今のお前は危険な状態だ。お前自身の魂の力が弱まっている」

 

 俺は宝物殿で気付いた事を伝える。先生によれば、異世界で再会した時点で、元々人間だった時よりも魂が小さくなっていた。

 

 正確には千切れた欠片のようなモモンガの魂に、何か別のものが補完するように混ざり合っていたのだ。そしてモモンガ自身の魂は現在進行形で徐々に弱まっている。混じっている何かが、モモンガの魂を呑み込み始めているのだ。このままモモンガの魂が弱まり続ければ、モモンガはモモンガでなくなってしまうらしい。

 

 そうなったらもう元に戻ることはないだろう。

 

「魂の力?それが弱まると、どうなるんだ?」

 

「お前魔物の国(テンペスト)で覚えたスキルが使えなくなってるんじゃないか?あと、最近心境に変化はなかったか?例えば、感情の働きが急に鈍くなったとか……」

 

「…!それは」

 

 スキルは転移して早い段階で試そうとしたが、使えなくなっていた。それはユグドラシルにはない能力だから使えないのかと思って納得していたらしい。

 感情についても、どうやら自覚症状があったようだ。モモンガは数日で起きた心境の変化を語る。

 

 最初はちょっとした事で精神が強制的に抑制されていたようだが、次第に平静でいられる事が多くなっていき、ナーベラルが血塗れの姿を見てもショックは殆んどなかった。それだけでなく、時折人間に対して形容しがたい妙な感情が沸いてきたことが何度かあるという。

 

「やっぱそうか。恐らく、このままじゃお前は自我を失っていき、最終的には……」

 

「ユグドラシルの風味付け設定(フレーバーテキスト)通り、全ての生者を憎む、か?」

 

「わかってたのか……」

 

「なんとなく、そうじゃないかとは思っていたよ。そしてそれを恐れるでも抵抗するでもなく、自然に受け入れている自分がいる……」

 

 今はまだ正気でいられるようだが、それもいつまで保つかはわからない。いっそ異世界への転移を無かったことにして、人間のままで暮らすという道もあるにはあるが、NPC達との事をなかったことにはしたくないというモモンガは素直に受け入れないだろう。

 

「いつか……ギルドの皆と一緒に暮らせる日を期待してたけどな。いずれみんなの事も分からなくなって、憎しみを向けるようになるのか。なら、せめてそうなる前に世界を整理して、磐石な体制を築いてしまいたい。……俺が居なくても大丈夫なように」

 

「モモンガ、お前……」

 

 モモンガは自分が自分でなくなる前に、ギルドの仲間が幸せになれる場所を作るという。あの異世界の人間達を滅ぼそうとか言い出したのは、時間がないと焦りを覚えたからというのもあるだろう。まあ、人間そのものに同族意識がなくなっているのもあるけど。

 

「皆そこで平和に暮らすんだ。汚染され尽くした暗い世界なんかじゃなく、自然豊かな美しい世界で」

 

 モモンガはそう言うが、俺は納得いかない。大事に思っている仲間のために頑張ろうっていう気持ちはわかるが、結局自分はそこに居られないってことだろ?コイツ自身は本当にそれでいいのか?

 

「いくらギルドメンバー達がそこに移住して、NPC達もそれを受け入れてくれて、皆が平和に暮らすことが出来ても……そこにお前が居なきゃ意味ないんじゃないか?」

 

「それは……」

 

「お前が自分を犠牲にしてまでそんなことやって、誰が喜ぶんだ?お前自身、納得してるのか?俺だったら自分がなるのも誰かにやらせるのも嫌だぞ?」

 

「そんなの……ただの我儘だろ……」

 

 モモンガの言う通り、ただの我が儘だ。だが反論する声には元気がない。やっぱり本当は嫌なんだろう。自己犠牲なんて、心から望んでない奴がやってもただの悲劇にしかならないと思うのだ。

 

 そんなの望む奴はイカれてるとまでは言わないが、俺は共感出来ない。聖騎士みたいに、本気で人々のために命をかけて戦って死ぬことに自分の存在意義を見出だすヤツもいるが、そんなのは一握りの人間だろう。モモンガは普通の一般人の感性の持ち主だ。そんなのは似合わないんだよ。

 

「要は人間(ヒト)の心を取り戻せればいいんだろ?」

 

「え……そんなことが?」

 

「出来るさ。ま、失うモノが無いとは言わないけど……今ならまだ間に合うぞ、どうする?お前の人生だから、何を選択してもお前の自由だけどな……」

 

 もし全てを諦めるというなら、そのときは完全に化物になってしまう前に、全ての苦悩から解放してやる。そんなことにはならないと思ってるけど。

 

「じゃあ……ホントに、諦めなくていいのか……?」

 

 恐る恐る確かめるように呟く。希望が目の前にぶら下がっていることが、逆に慎重にさせているんだろう。俺はそんなモモンガを安心させるように肩をポンと叩く。

 

「そういうことだ。よし、じゃあまずはお前の魂の力を取り戻そうぜ」

 

 これから向かうのはモモンガの家。そこにはこっちに残されてる肉体があるはずだ。読みが正しければ、まだ肉体の方にも魂が残っている。それを融合させれば、人であった頃の心を取り戻せるはずだ。

 

 果たして、モモンガの家には問題なく転移できた。個人情報云々はもう今更だろう。

 

 普段ゲームをしている居間のドアを開けると、置いてきぼりにされたモモンガの肉体が……なかった。

 

 な、なにぃ、ないだとぉ?肉体がなきゃ始まらねーじゃねーか!

 

 一体どうなってんだと俺が混乱していると、先生が説明してくれた。

 

《時間がずれているのです》

 

 ん?どういう意味?

 

《この世界に転移したときに時間座標が目標から大幅にずれました。現在はユグドラシル終了日から10日程経過しています》

 

 そんなことありえるのか?だって億を越える年月を遡っても数分のズレもなく出来たはずだ。次元の違う未来の日本とはいえ、百年そこそこの時間軸移動でそんなにズレるのは異常に思える。

 

《この辺りの時空間は原因不明の異常な歪曲を示しています》

 

 成る程、そんな状況だから先生の演算力をもってしても必ずしも狙い通りにはいかないってことなのか。これまで当たり前のようにやってくれてたから深く考えてなかったけど、時空を越えるのって、とんでもない事なんだよな。

 

《ユグドラシルに似たあの世界でもそれは言えますので、時空間の歪曲だけならば大した問題ではないのですが……ここはそれ以上に厄介な状態と言わざるを得ません》

 

 付け加えるようにシエルがもたらした情報は、かなりヤバい内容だった。まだ確定したというわけではないが、もしそれが本当なら……俺がギルドメンバーの救出するのは不可能かもしれない。

 

 いずれは事の詳細が判明し、対策を講じる事も出来るかもしれないが、現状不確かなことをあれこれ考えて心配しても仕方がなかった。一旦この件は保留にして、今はモモンガを探し出す事が先決だ。

 

 それにしても、10日後ってヤバいんじゃ……身体はどこへ行ったんだ?ユグドラシルのサービスが終了したあと、こっちの世界のモモンガが意識を取り戻しているかはわからない。死んで火葬とかされて無いだろうな……?

 

 俺はまさかの事態にちょっと焦ったが、どうやら肉体は病院に搬送されているらしい事がわかった。俺はモモンガに状況を説明し、病院を目指す。

 

「ここだな……」

 

 俺とモモンガは完全不可視の状態でこっそり病院に侵入する。鈴木悟の肉体は、意識不明の状態で運ばれて来ていた。

 これは誰かが通報したのではなく、どうやらネットワークの安全装置が作動したということみたいだ。モモンガがうろ覚えながらそんなことを言っていた。

 

 長時間ネットワークに繋ぎっぱなしでいると本人に警告が出され、更に時間が経過すると、バイタルを確認して意識の有無を自動的に検出。生命に何らかの危険が迫っているとAIに判断された場合には、救急に通報するシステムになっている。お陰で一命は取り留めたというわけだ。

 

 ところで、病院の個室って高いんじゃないのか?ま、共同部屋だと人がいて邪魔だから、個室の方が都合は良いんだけど。

 

 俺たちは病室のドアを、音もなくすり抜けるように転移する。そこにはベッドに寝かされたモモンガの肉体が寝かされていた。

 

「人間の肉体から残りの魂を回収し、そっちに移す。確認するが、逆にこの肉体に魂を移せば、お前は人間に戻れるはずだ。だけどその気は無いってことでいいんだよな?」

 

 人間に戻るとしたら今が最後のチャンスになるので、一応意思を確認しておく。魂を抜き取るということは、人間鈴木悟はこの世界では死亡するのだ。

 

「勿論だ。早くやってくれ」

 

「わかった。じゃあ始めるぞ」

 

 どうやら本当にこの世界には未練が無いようだな。まぁ、引き摺ってしまうのも良くないか。俺は鈴木悟の肉体ごと吸収し、そこから抜き取った魂をモモンガの──死の支配者の──肉体へと移す。正確には骨しかないから肉体と言っても肉なんて全く付いてないけど。

 その後の魂の再融合など細かい調整はいつも通り先生に任せた。

 

《……魂の融合が完了しました。融合させた魂が馴染むまでにはまだ時間を必要としますが、これで人間性(こころ)は取り戻せるでしょう。人間鈴木悟の時に獲得していたスキルも使用できるようにしておきました。全てご主人様(マスター)の狙い通りです》

 

 ん?スキル?俺はモモンガが心を取り戻す事だけを考えていたつもりだったんだが……。

 差し詰め今のコイツは、死の支配者モモンガと人間鈴木悟のハイブリッドみたいなものか。なんか先生に任せるとみんな魔改造になってしまうんだが、まぁいつもの事である。

 

「さて、ここでの目的はひとまず終わった。馴染むまで一旦魔物の国(テンペスト)へ行って調整をしてもらうつもりだけど……」

 

「……だけど?」

 

 モモンガには話しておく必要がある。ギルドメンバーの救出は雲行きが怪しい。俺は事情を説明した。

 

「なんだよ、それ……。じゃあなにか?誰も助からないっていうのか?」

 

「いや、まだ確定じゃない。ただ、思っていた程簡単じゃないって事がわかった。代替案は追々考えるけど、今のところは下手に手出しはできないってところだ」

 

 現在、この世界には正体不明の力が働いていて、過去への時空間転移が上手く出来ない。先生曰く、その時代の世界が俺の存在を弾き出そうとしているらしい。やろうと思えば強引にそれを突破する事は出来るんだが、そうしてしまうと世界に甚大なダメージを与えてしまう可能性があるそうだ。

 人助けに行ってその世界をぶち壊してしまいましたでは、元も子もないだろう。

 とはいえ、誰でも彼でも俺と同じようになるとも限らない。もしかしたら俺以外は大丈夫かも知れなかった。かといってモモンガは(アンデッド)だから、この世界じゃ目立ちすぎるし、まだこれも確かな情報でもない。情報が確定していない段階で話しても混乱を招くだけだ。

 

「折角、折角皆助かると思ったのに……!くそ……くそ……!」

 

 モモンガは悔しげに呟きを溢す。まだそうと決まったわけではないが、期待していただけに落胆の度合いは大きいだろう。なら、まず今生きてるメンバーだけでも探し出して異世界へ誘う事は出来ないだろうか?

 

 と言うわけで先生のお力で探して貰ったが、結果は誰も見つけられらなかった。生きてるやつは、だが。

 

 かぜっちも、ウルベルトも、たっち・みーも、生きてるはずのメンバーはこの世界で見つけ出すことができなかったのだ。逆に、新たに死亡が確認されたのは、ヘロヘロ。病院のデータバンクに死亡という記録だけが残っていた。

 

 死獣天朱雀もだが、死亡者以外は生死不明のまま行方もわからない。シエルがそう言うんだから間違いはないはずだが、何か引っ掛かるような……?

 

()()()()()()()()生存を確認できる対象はいませんでした》

 

 そうか。いまこの世界には生きてるギルドメンバーはもはや一人もいないということなのか。

 モモンガに今伝えるのはやめておこう。早めに言っておいた方がいいけど、タイミングは考えないとな。

 

 そんなことを考えながら、モモンガを連れてテンペストに戻ったら、シュナがモモンガを見て目が点になっていた。そして困惑した様子で来客を告げてきた。

 

 客は魔王レオンとクロエ、そしてもう一人いるらしい。八星魔王の一角であるレオン・クロムウェルと、真なる勇者クロエ・オベールは元々異世界人で、二人は幼馴染みなのだ。

 レオンはこの世界に来て以来、数百年ずっとクロエを探し続けていたが、俺が預かった教え子の一人がそうだったとは、世間は狭いものである。

 しかしクロエは単独でちょくちょく遊びに来ているが、レオンも一緒に来るのは珍しい。俺は一旦モモンガを別室に待たせて、応接室に向かった。

 

 

 

「先生!こんにちはっ」

 

「遅いぞ」

 

 クロエはにこやかに挨拶をしてくれるが、レオンはぶっきらぼうな態度である。クロエも正妻争いに参入してる一人だが、レオンはそれに嫉妬しているというより、クロエを泣かせたら許さん、的な心境らしく……。まさか今回業を煮やしたレオンが俺に決断を迫るために?

 そんなこと言われたって困るんだがなぁ……。

 

ご主人様(マスター)相棒(正妻)は私ですから!》

 

 シエルがそこは譲れんと云わんばかりの勢いで告げてくるが……俺はひっそりとため息をつきたくなるのだった。

 

 いざレオン達に話を聞いてみると用件はそんなことではなく、会わせたい誰かを連れてきたってことらしい。レオンの横にいるのがそうなのか。白老もビックリしそうなくらいに見事な純白の髪を腰元まで伸ばした、()()()

 顔立ちは日本人ぽく見えるな。はて、どこかで見たような……?

 

「先生、この娘……一体どういう関係なんですか?」

 

 あ、目が……クロエの目が座っていらっしゃる……。いや、知らないよ?こんな娘、初めて……会うハズだ。

 

《告。彼女は個体名『梧桐悠子』────別称『かぜっち』です》

 

 ん?かぜっちはもっと大人だったハズだろ?髪だって黒かったし、今目の前にいる彼女はどう見ても十代半ばくらいだ。確かに顔はそっくりだけど、他人のそら似か、よくて妹じゃないのか?

 

《間違いありません》

 

 断言されちゃったよ。まあ、シエルがそう言うなら、間違いはないんだろうけど……。

 

「ええっと……かぜっち、なのか?」

 

 俺が戸惑いがちに訊ねると、白髪の彼女が目を輝かせて嬉しそうにコクコク頷いた。それとは対象的に目付きが鋭くなる隣の二人。コワいんですけど?

 

「先生?」

 

「どういう関係か、説明してくれるよな……?」

 

「わ、わかった……」

 

 表情はにこやかだが目は全く笑っていない二人に、俺は彼女達を日本から連れてきて、やって貰った事をかいつまんで説明するのだった。ユグドラシル云々とかは長くなるので割愛した。異世界で遊んできたとか言ったらなんとなく呆れられそうな気がした、などという理由ではない。断じて違う。

 

 

「──というわけだ。こないだ二人は来てなかったから知らないかもしれないが、ここら辺じゃ、結構有名人なんだぞ。それで、元の世界に帰ったハズのかぜっちが、なんでお前らと一緒に?」

 

 日本に居るハズの彼女が、何故ここにいるのか。それが最大の疑問だった。

 

「どうやら俺の国に()()界渡りしてきたようだが、声が出せないようでな。こちらの言葉は理解できるようだったから文字を書かせてみたが、俺の知らない文字だった。

 そこへたまたま通りがかったクロエに聞いたら、お前のところでこんな文字を見たことがあるという。この女もお前の名前が出た途端会いたそうな反応があったからもしやと思ったんだが……」

 

「な、成る程……」

 

 俺に会いたそうにしているかぜっちの事が気になって、連れてきたということらしい。時間軸が違うから、普通に界渡りしただけじゃこの時代には来れないハズなんだが、そこはレオン達も知らなそうだ。あとはかぜっちに聞いた方が早いかな?

 

「で、俺がまた日本に送ってやればいいのか?」

 

 かぜっちは事前に紙に書いて用意していたらしく、返事の代わりにそれを渡してきた。声が出せないってのは本当なのか。気にはなるが、先に内容を確認する。

 

「えー何々?

 前略、親愛なるリムル陛下。以前は格別のご愛顧を頂き────

 って堅くね?」

 

 普段のフランクな彼女の態度からは想像できないような硬い文章に思わず顔をあげて見れば、声に出して読まれるとは思っていなかったのか、かぜっちが赤面して手で顔を覆っていた。声を出してはいないが唇の動きを読んだら「もぉ、バカじゃないの?」だった。

 

「ああ、ス、スマン……」

 

 デリカシーのない行動だったな。気を付けないと……。

 俺は改めて黙読する。内容はモモンガが意識不明になってしまったのを助けて欲しいというものだった。

 

「あー、かぜっち……モモンガは俺がこっちに連れてきた」

 

「!?」

 

 はぁ?と言わんばかりの驚愕の表情を浮かべているが、連れてきちゃったもんはしょうがない。まさか自力でこちらの世界に渡ってこようだなんて誰が予想できようか。とにかくここで出会えたのは幸運だった。

「動物……?」とか呟いてるクロエはどうやら()()()のモモンガを想像してしまったようだが、とりあえずモモンガをここに連れてくる事にした。

 

「え、魔王の一人が来てるんだろ?会うの緊張するなぁ」

 

「俺も魔王なんだけど……」

 

「あっ……いや、お前の場合は特別、そう、特別だから。なっ?」

 

 なんか腑に落ちないが、まぁいい。親しみを持たれてるんだと前向きに捉えておこう。

 

「え?あれ?茶釜さん……ですよね?」

 

 正直驚いた。年齢とか髪色とか色々と突っ込みどころ満載のはずだが、モモンガはかぜっちを一目見てすぐに気付いたようだ。かぜっちも感極まったのか、勢いよく立ち上がり、涙を浮かべてこちらへ歩み寄ってくる。

 

 かぜっちはモモンガの顔を見つめ、ボロボロと涙を流す。感動の対面だな。

 

 そして────俺の胸ぐらを掴んで激しく揺さぶりだした。何でだよっ?

 それにしても、なんだろうこの既視感(デジャビュ)は?最近何処かで……あ、シャルティアか。既視感の正体がわかってスッキリしたところで、俺はかぜっちを止める。

 

「お、落ち着け?話せばわかる、な?」

 

 そういえば、モモンガは今アンデッドになっているんだった。彼女にしてみれば、友人のためにはるばる異世界まで来たら、そこで再会した友人は変わり果てた姿になっていた、というわけである。かぜっちはどうやらそれが俺の仕業だと思っているようだ。それは誤解……ともいいきれないか?

 

「ええっと、とにかく……色々と複雑な事情があってこうなったんであって、決して俺のせいじゃないんだ」

 

 手を放してはくれたが、胡乱げな目でじっとりとした視線を向けてくるかぜっち。そこへクロエは気になる事をズバリ聞いてきた。

 

「それで、先生とはどういう関係なんですか?」

 

「友達だよ。な?」

 

 そう、教え子であるクロエに対して疚しいことなど何もないのだ。

 

「…………まぁ、そう言うことです」

 

「なんだよその間は?」

 

「いや別に?リア充だからって別に嫉妬とかはしないぞ?俺達は友達だからな」

 

 いや、絶対嫉妬してるだろ……。

 かぜっちはというと、ご丁寧に紙にデカデカと書いてくれていた。

 

「いや、『多分』て!」

 

「ふっ、どうやら君達は色々とリムルの我儘に振り回されているらしいな。苦労は察するよ」

 

「あー、分かっていただけます?」

 

 レオンが苦笑しながらそう言うと、モモンガもそれに同意し、かぜっちまでウンウンと頷いている。ちょ、酷くない?いかん、泣きたくなってきた。

 

「大丈夫です。私はいつだって先生の味方ですよ」

 

「あぁ、クロエ、ありがとうな……」

 

 俺は励ましてくれる教え子に力なく微笑みつつ、何だかやるせない気持ちになってしまうのだった。

 

《いつだって私がついていますから!》

 

 シエルにまで慰めの言葉を掛けられ、本当に泣きたくなったのは誰にも内緒だ。

 

 


 

キャラクター紹介

 

レオン・クロムウェル

八星魔王(オクタグラム)の一柱。異世界人で、元勇者でもある。人間から魔人(デモノイド)を経て半神(デミゴッド)となっている。離ればなれになって行方が知れなかったクロエを召喚術によって見つけ出そうとしていたが、数百年間失敗を続け、ひょんなきっかけで魔王を倒し、自身が魔王の一角となる。以降もひたすらクロエを探すために尽力した一途な男で、ラミリスにも力を借りようとしたが、クロエとの再会は成らず、涙を見せたらしい。以来彼女に陰で泣き虫呼ばわりされている。

長い金色の長髪と甘いマスクを持つ。態度は素っ気なく口も悪いが、本当は優しい隠れいい人。最古の魔王ギィ・クリムゾンには「抱かれてやってもいい」と言われる程に気に入られている。

神聖属性の猛烈な攻撃手段を得意とし、究極能力"純潔之王(メタトロン)"の使い手。

 

クロエ・オベール

魔王レオンとは幼馴染みで、歴代最強の真なる勇者。最古の魔王ギィ・クリムゾンを始め、覚醒魔王達とも渡り合える実力を持つ()()。かつてヴェルドラを無限牢獄に封じたのも、坂口日向(ヒナタ・サカグチ)の魂と共に過去へと修行の旅をしていた時の彼女である。

幼少期に召喚されたがスキルを獲得できず、自身の体内に籠った魔素によって崩壊の危機に陥っていたが、リムルによって救われた。その後勇者として覚醒する為に、過去へと戻って経験を積み、魔人となった伊沢静江(シズエ・イザワ)を救ったり、暴風竜ヴェルドラを封印したりした。当時ヴェルドラに国を吹っ飛ばされた折に助けた関係で、魔王ルミナス・バレンタインには恋人のように慕われているが、本人はリムルに思いを寄せている。

時を渡る究極能力時空之神(ヨグ・ソトホート)の使い手。




再会した彼は変わり果てた姿に……というわけで、かぜっちさんはお怒りです。
何故彼女が声を失い、少女化しているのか?それはまだ謎のままですが、いずれまたわかる時が来ます。


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#74 閑話~かぜっちの奇妙な冒険~

かぜっちが登場したので、ちょっとしたネタ回です。
読まなくてもストーリーには特に影響しない内容なので、閑話としました。


 午前中モンちゃんにユグドラシルで会ったのは覚えてる。

 

 スポンサーの御曹司に食事に誘われたって言ったら、妙なハイテンションで「応援しますよ」なんて言われちゃった……。やっぱ脈なしっていう事なのかなぁ、最近ちょっとは距離を縮められたって思ってたのに。

 

 このまま接点が無くすわけにはいかないと思って、会う約束を取り付けたけど、その場で思いついた口実は「相談に乗って欲しい」というひどい理由だった。振り向かせたい相手に恋愛相談に乗ってもらう()()で近付くなんて、ちょっとビッチっぽくない……?

 

 でも、モンちゃんって案外押しに弱いのよね。案外強引に押せば倒れてくれるんじゃ……?べ、別に物理的に押し倒すとか、そういう事じゃないんだけど……。

 

 夜は、スポンサーの御曹司にお食事をご馳走になったあと、正式に交際を申し込まれた。

 イケメンだったし、情熱的な感じで甘い言葉を囁かれれば、そりゃあ世の女子は嫌な気はしないんじゃないかなぁ。けど、私は丁重にお断りした。好きな人がいなければOKしてたかも知れない。でも私にはモンちゃんがいる。今はまだ片想いだけど、振り向かせてやるんだから。

 

 御曹司の彼は気分を悪くした様子はなくて、それどころか帰りも親切に送ってくれた。それで車に乗せて貰ったところまでは覚えてるんだけど……。

 

 いつの間にそうなったのか、目が覚めたら見覚えのない天井が見えてて、その前の記憶はすっぽりと抜け落ちてた。

 

 寝てる間にヘンなコトとかされてないよね?不安になって体を確認したけど、何もされてないみたい。多分……。

 私の意識が戻った事に気付いたナースさんが、医師を呼びにいってくれた。ここって病院だったんだ……。

 

 問診をされたとき、声が出せなくなっている事に気付いた。質問に答えようとしても口が思うように動かなくて、声をあげようとしても、息を吐くような音が微かにするだけ。私は失声症と診断された。

 

 髪も髭も真っ白なお爺ちゃん医師が、私の名前を聞いてきた。普通ならナノインターフェースを繋ぐだけで分かるハズなんだけど、ナノマシンが不調なのか、上手く認証できなかったみたい。渡された紙に名前を書くと、何故か眉をひそめるお爺ちゃん。

 

「うん、嘘はいけないね」

 

 え、意味分んない。自分の名前を書いただけなのに……。

 

()()()の名前じゃなくて、ちゃんとあなたの名前を書いてもらわないと。ところでその髪は……地毛かね?」

 

(ますます意味分かんないんですけど?家族じゃなくて本人だし。このお爺ちゃんモーロクしてるんじゃ?それで、何?髪?)

 

 髪がどうかしたのかなって意識したその時、私は視界に入る白い何かに気付いた。さっきからチラチラと見えてたけど、何なの?摘まんでみると、自分の頭に繋がってる。あれ?もしかして……これって、私の髪の毛?

 

 ウソ、ナニコレ?

 

 真っ先に思い浮かんだのは、いきなり悪い魔女にお婆ちゃんに変えられた帽子屋の娘が、家を飛び出して若いイケメン魔法使いの掃除婦を始めるという、昔のアニメ映画。

 

(これじゃモンちゃんにBBA扱い……あっ!?)

 

 忘れてた!会う約束してたんだった。こうしちゃいられない。慌てて鞄をひっくり返し、取り出したスマートフォンを見て、驚愕した。

 

(ふ、2日も経ってる……!)

 

 完全に約束をすっぽかしちゃってるじゃない!ヤバい、モンちゃん怒ってるかなぁ?なんて言い訳しよう……?

 電話の一つでもくれればいいのに、彼からは着信の履歴もない。代わりにあったのは、仕事関係の着信が山のように。どうしよう、仕事も穴開けちゃったよぉ……。

 

 私が頭を抱えて半泣きになっていると、おじいちゃん医師がじっとこっちを見ているのに気付いた。私の慌てようを見て、微笑ましいものを見るような視線を向けてきている。

 

「うん、まぁ外傷は特に無いようだし、そこそこ元気もあるね。声の方はひとまず通院で様子を見るとしようか。そういうわけで、あとは頼んだよ。アタタ、腰が……」

 

 ナースさんにそう言い残しておじいちゃんは出ていった。腰をさすりながら出ていく彼の背中には貫禄というより哀愁のようなものが漂っていた。

 

「先生、腕は確か()()()んだけどね……。さて、身支度したらすぐにでも退院できるわよ。とりあえず鏡持ってくるわ。荷物の準備でもしておいてね」

 

 まあ、しわくちゃのお婆ちゃんだったら別にメイクとか要らないかも知れないなぁ……。混乱する頭でボンヤリとそんなことを考えながら荷物を確認していると、ナースさんが手鏡にしては大きめのものを持ってきてくれた。

 

 私は恐る恐る、鏡を見る。

 すると、そこには予想外の姿が写っていた。

 

(あ、あれ?若い……)

 

 髪は綺麗に根元から毛先まで真っ白になってるけど、顔はお婆ちゃんじゃなくて、むしろまだ十代くらいに若返って見える。それはそれで嬉しくないかと言われれば嬉しいんだけど、何だか釈然としない。一体どうなってんの?困惑する私にナースさんが声をかけてくれた。

 

「あなた運が良かったわね。あの日病院に運ばれた人は他にも沢山居るみたいで、その殆どが意識が戻る可能性は絶望的らしいのよ。うちは小さな病院だから、受け入れたのは数人だけどね」

 

 暗い話題のはずなのに、あっけらかんとした明るい雰囲気でナースさんは話し始める。私に気を遣って、わざと明るく振る舞ってくれてるのかな?

 

「あなた、『ユグドラシル』っていうオンラインゲームを知ってるかしら?」

 

 ナースさんの言葉に、心臓がドキリと跳ね、背中に嫌なものが走った気がした。私が小さく頷くと、彼女は言葉を続けた。

 

「結構有名だったものね。つい一昨日ゲームがサービス終了したらしいんだけどね?その日、サーバーダウンする瞬間まで遊んでいた人がいたのよ。思い出深いゲームの最後の瞬間を、ゲームの中で過ごそうとした人は多かったみたい。でも、その人達の半数以上が、意識不明のまま未だに目が覚めないらしいの……」

 

 え、あれ……?どういうこと?

 嫌な想像が脳裏をよぎった。

 

(ううん、きっと、きっと大丈夫……)

 

 私は最悪の想像を振り払うように自分に言い聞かせる。

 

「何だかそういうの聞くと誰かの陰謀みたいなのを勘ぐっちゃうわよね。実は何かの実験に使われたとか、支配者層が定期的に事故を装って人口を調節してるとか……。だとしたら、連続爆破事件もその一貫なのかもね。他にはオカルトな儀式の生け贄にされたんじゃないかっていう噂もあるみたいよ?」

 

 よっぽど話し相手が欲しかったのか、彼女は一人で延々喋り続ける。噂話が好きみたいだけど、そういう話題は勘弁してほしい。それよりも、さっきから嫌な予感が頭から離れない。

 

「一人で勝手に話し過ぎちゃったわね。……もしかしてお友達がやってたりした?どこかへ運ばれてないか、調べてあげるわ。本当はこういうのはダメなんだけど……名前は?」

 

 私の不安を察してそう言った彼女の表情は、単純な心配だけじゃなくて、好奇心も覗いて見えた。だけど私は彼の名前を書いた紙を渡した。不安がただの取り越し苦労に終わる事を願って。

 

「……いらっしゃい」

 

 受け取った紙を見てピクリと眉を動かしたナースさんは、それだけ言って私に付いてくるように促した。

 不安に押し潰されそうになりながら、彼女についていった。隣の病室のドアを開けて、入った先にあったのは────

 

 

 

 気が付いたら、また天井を眺めてた。ショックで倒れちゃったみたい。

 

 思い出して涙で視界が滲む。

 病室のベッドには、モンちゃんが寝かされていた。きっと、ユグドラシルに最後まで残ってたんだ。

 

(どうして……どうして……?)

 

 どうして、私の周りの人は居なくなっちゃうの?

 家族を亡くして、支えてくれてた山ちゃん(しんゆう)も死んじゃった。

 そして今度は好きになった人まで……私を置いていこうとしている。

 

(こんなの、嫌だ……みんな、みんな私を置いていかないで……)

 

 悲しくて、寂しくて。でも、頼れる相手は誰もいなくて。私は声もなく泣き続けて、いつの間にか泣き疲れて眠っていた。

 

(またこの天井か……)

 

 もう何度目かの病院の天井の景色。身体はまだ睡眠を欲しがってるけど、部屋がやけに明るくて寝つけない。電気が付いてるわけでもないのに、あり得ないくらい部屋が明るい事に違和感を感じて窓の方に目をやると、閉められたカーテンの向こうから光が洩れ込んでいた。

 

 その光に吸い寄せられるように、窓に歩み寄ってカーテンを開けると、眩しい太陽の光が射してきた。記憶にあるなかで、リアルでこんな光景を見たのは初めての事だった。

 

(空が────)

 

 空が、あんなにも青い。スモッグで殆ど一日中曇り空だったのに、青い空が広がっている。

 

「起きてたのね、おはよう」

 

 入ってきて挨拶してくるナースさんに、会釈を返す。

 

「昨日はごめんなさいね、まさか倒れちゃうとは思わなくて。でも、驚いたわよね。まさかこんな青空が見れる日が来るなんて」

 

 驚きはしたけど、嬉しさはない。彼がこの空を見ることはもう、出来ないのかな……そう思うとまた涙が……。

 ナースさんがそっと私を抱き締める。しばらく感じてこなかった人肌の温もりがじんわりと伝わってきた。

 

「私は巻き込まれた身内がいるわけじゃないし、今のあなたの気持ちはわかってあげられるわけないけど……何があっても、生きてるうちは希望を無くしちゃダメよ」

 

 月並みな言葉だとしても、きっとこの人なりに、私の事を励まそうとしてくれてるんだっていうのは分かった。

 不意に、小さくお腹が鳴った。

 

「お腹が空くということは、生きてるってこと。生きてるっていうのはそれだけで凄い奇跡なのよ。何億という細胞が、今この瞬間も、生きようと戦い続けてるの。あなたの体は、生きたがってる」

 

 言葉や態度は違うけど、山ちゃんと同じ感じがする。暖かい体温に抱かれて、凍えて震えてた私の心が少しずつ暖まる気がした。

 

 あのときはモンちゃんと朱雀さんが、山ちゃんと一緒に押し掛けてきてびっくりしたなぁ。男子二人はすぐ出ていったけど、山ちゃんに抱き締められて、張り詰めてたものが一気に決壊して……山ちゃんの胸で大声で泣いちゃったんだっけ。で、急にお腹が鳴って、山ちゃんと二人で笑って。

 

 少しは気持ちが前を向けた気がする。これからの事を思うと不安に思う事は色々あるけど、黙って泣いてたって奇跡なんて起きやしない。今何も行動しなかったら、きっと後悔する。

 

 まだモンちゃんは死んだ訳じゃない。それなら────アイツなら、何とかしてくれるかも。いつ来るかわからないのを待ってるくらいなら、自分から会いに行ってやる。うまくいくかはわからないけど、やれるだけやってみよう。泣くのはそれからだって出来る。

 

 出来ることがあるって凄い。やると決まったら、なんだか気力と闘志が湧いてきた。美味しくはないけど栄養価だけはバランスの良い食事を採りながら、考えを巡らす。

 

(日本に帰ってきたときは確か魔法陣が浮かんでた。あれが再現できれば……)

 

 きっと異世界に繋がって、大魔王リムルに会いに行けるはず。必要なものは……魔力か。

 シエルちゃんに貰った箱の中身はさっき確かめたら、大分小さくなってた。

 

(なんでだろ、急に小さくなっちゃったけど……これでなんとかなるかな?)

 

 数日かけて記憶を掘り起こした私は、異世界への門(ディファレンシャルゲート)の魔法陣を再現することに成功した。ちょっと細かいところは違う気もしなくはないけど……。光を帯びたそれをくぐると、その先は────

 

 

 

 

 最初に目に飛び込んできたのは、日本(リアル)では見たことのない雰囲気の建造物。石を切り出して積んだみたいな無骨な高い壁や、天然の木材を沢山使った家屋。そして以前魔物の国(テンペスト)でも感じた、リアルにはない生きた土や草の、自然の香り。

 

(成功、したんだよね……?でも、ここはどこ?)

 

 全く見覚えのない景色。陽が少し傾いてきてるけど、活気がある人々の往来。髪色や顔立ちは日本人ぽくない。それでいて、話してる言葉は理解できる。どうやら異世界へは無事に来られたみたいだけど、いきなり迷子だった。魔物の国(テンペスト)の住人達は何処にも見当たらない。

 

(どうしよう……声は出ないし、文字も読める人が居るかどうかわからないよ)

 

 リムルンに会うことだけしか考えてなかったから、そこまでは気が回ってなかったなぁ。いきなり雪山とか砂漠とかじゃなくてよかった……。

 

「カズマさぁ~ん!」

 

 不意に聞こえてきた女の子の声にビックリした。声のした方を見ると、青い服を着た水色の髪の女の子が、凄い量の荷物を背負って、情けない声を上げながら歩いている。

 

(うわ、凄い荷物。ていうか、カズマって……日本人?)

 

 動きやすそうな軽装をした茶髪の少年。背は男にしてはちょっと低いかな?三角帽子とローブという如何にも魔法使い風の格好をした女の子、腰に剣を挿した騎士風の女性も一緒だった。女の子二人は外国人ぽいけど、カズマっていう男の子の顔立ちは確かに日本人っぽい。

 

「ほら早く来いよアクア。ジャンケンで負けたやつがみんなの荷物持ちするってお前から言い出したんだろ?」

 

(あー、そういう罰ゲーム的なやつかぁ)

 

 一瞬カズマと呼ばれた少年が女の子を奴隷のようにコキ使う鬼畜野郎かと疑ったけど、そういうわけじゃないみたいで安心した。

 

「アクア、なんなら私が変わってやろうか?私の事なら馬車馬のようにコキ使ってくれてかまわないぞ?」

 

 気遣わしげにアクアちゃんに声を掛ける騎士が、途中からなんだか息が荒くなってる。もしかしてあの人……。

 

「やめろダクネス、それってお前がただ悦びたいだけだろ?コイツは甘やかすとすぐに付け上がるからこれくらいでいいんだよっ」

 

「それはそうかもしれませんが……この量は流石に無理があるのでは?」

 

「言い出しっぺはこいつだぞ……。まったく、めぐみんも甘いな。じゃあそこの角でもう一回ジャンケンな。しょーがねーから一定距離ごとに仕切り直す事にしてやるよ」

 

 ふーん、優しいところもあるじゃん。ポンポンとテンポ良く進む会話の成り行きを見守りつつ、彼らを観察する。安全な連中とは限らないから、慎重に頼るべき相手は見極めなきゃ。

 

「なぁああぁんでよぉおお!!?私女神なのにぃ~!!」

 

 またしてもジャンケンで負けたアクアちゃんが子供みたいに泣きながら文句を垂れる。自称女神様はジャンケンは弱いみたいで、泣きの一回も一人負け……。

 

「負けたんだからつべこべ言わずさっさと荷物持って来いよ」

 

 爽やかな笑顔でヒドイ言葉を放つカズマ君。そんなことを平然と出来るなんてやっぱり鬼畜かも。

 

「何で女神である私がこんなヒキニートに一回も勝てないわけぇえ!?チートよ、反則よ!」

 

「なぁぁにがチートだ!こんなんでどうやって魔王を倒すってんだよ!この駄女神様は全然使えねーし。今すぐ返品して別の特典に変えてほしいくらいだねっ!」

 

「うえぇええん、カズマがまた言っちゃいけないこと言ったあああ!」

 

(なんだか声かけづらいけど日本人っぽいから、とりあえず道を訊くだけ訊いてみようかな……)

 

 号泣しまくる自称女神様は可哀想だけど、かまってる余裕なんてない。モンちゃんを助けてもらうために、リムルに会わなきゃいけないんだから。でも……

 

(いま、魔王を倒すとか言ってなかった?)

 

 声かけて大丈夫なのかな?魔王に会いたいなんて言ったら、問答無用で襲って来たりしないよね?かといって、魔王に敵対する一味だと認識されたらそれはそれでヤバい気がする。迷うなぁ……山ちゃんなら「とりあえず一発殴って……」とか言い出しそうなシチュエーションだけど。

 

(う~、迷ってても仕方ないかぁ)

 

 多分、いや間違いなく頭の悪い残念な集団だと思うんだけど、他に日本人はいないかもしれないんだから、背に腹は変えられない。私が諦め混じりに彼らの方に向かって足を踏み出そうとしたその時。

 

「何かお困りですか?」

 

 突然後ろから声をかけられ、振り向くと眉目秀麗な青年が爽やかな微笑を湛えていた。

 

「俺は御剣響夜(みつるぎきょうや)。君は?」

 

(やだイケメン!じゃなかった、日本人!カズマ少年よりこっちの方がずっとまともそうだわ)

 

 はやまらなくてよかったと思いながら、彼に相談を持ちかける事にした。

 

 

 

「転移魔法でこの世界に渡って────女神様に転生させてもらったんじゃなく、リムルという異世界に住む友人を探しにこの世界に来たっていうのかい?そして、帰る手段も失ってしまったと……」

 

 彼は驚きと憐憫の眼差しを向けてくる。リムルが魔王だっていうのは伏せてるけど、アレが消えてなくなってしまった以上、もう自力じゃ帰れないのは事実だった。

 女神と聞いてさっきの水色の髪をした女の子を思い出した。そういえばあの後どうなったんだろ?

 

「僕は水の女神であるアクア様のお力によって、この世界に生前の姿のままで転生させてもらったんだよ」

 

 女神……?偶然にしては出来すぎてるような気がする。でもあれが女神だとしたら残念としか……。ちょっと頭悪そうだったし、少年にコキ使われてたっぽいし。目の前のキョウヤ君は彼女をやけに慕ってるみたいだけど。

 

「そうだ、カズマには会ったかい?彼も日本からの転生者だったはずだよ」

 

 カズマ……って、あの少年だよね?なんかダメ男っぽい感じがするんだけど、やっぱり日本人だったのかぁ。

 

「彼と一緒にいるアクア様なら、お力になって下さるかも知れない。大丈夫、アクア様は優しい方だから、君のように困ってる人を見捨てるような事は決してしない」

 

 というわけで彼等がよく居るという酒場に向かう事になったけど、なんとなーく嫌な予感がするなぁ。

 

 

 もう陽が沈んで暗くなった頃に向かった酒場は、ドンチャン騒ぎしてるみたいで、喧騒が外まできこえてくる。

 

 こんなところに女神が?やっぱりカズマって小僧が無理矢理連れてきてるんじゃないかと疑ってたら、彼女は楽しそうに笑顔で宴会芸を披露していた。

 

(……宴会芸の女神?)

 

「スティール!」

 

 不意に何かが聞こえ、あるものが無くなったような感覚。声のした方を見ると、そこにいたのはカズマ少年。彼が握りしめた拳の中身を拡げ──

 

(あれはっ!?)

 

「「「「うおおお──!!」」」」

 

 周りの男衆の大歓声と共に、彼の手の中にあったものは私のパンツだった。

 鼻を膨らませて、下卑た笑いを浮かべながら彼はそれを高らかに掲げた。そして────

 

「ヒィヤッハーーー!」

 

 ゲスな雄叫びを上げながらブン回し始めた。

 

「なっ、カズマ!君ってヤツはまた!それをすぐに返すんだ!」

 

「へへーんだ、返して欲しけりゃ、実力で奪って見せろよぉ~」

 

 キョウヤ君の抗議にゲス顔で挑発して見せるカズマ少年。やっぱりコイツはゲスなエロガキだった。

 

(こ……んのクソガキがぁあ!)

 

 プッツンした私はエロガキ(カズマ)に一瞬で詰め寄りボディーブローを一発。ゲロを噴出(マーライオン)状態になった彼のアゴを更に右アッパーで突き上げる。口を閉じられた少年は鼻からゲロ(キラキラ)が飛び出しながら宙を舞った。そのまま背中から地面に落下した彼の上に、空中にぶちまけられた胃の中身がバチャバチャッと降りかかった。

 

(ヨッシ、一丁あがり!)

 

 と思ったら、ピクピクと体を痙攣させながらもカズマの視線は私のスカートの方に。いい度胸してんじゃない……っ。

 

 キョウヤ君の立派な剣を拝借して、全力でカズマの股間めがけて振り下ろし、ギリギリ当てないように床に突き刺した。流石に潰したら死んじゃうかもしれないから止めておいてあげた。

 

(これでどうだ!)

 

 股間からホカホカと湯気をあげて気絶した小僧(カズマ)を見下ろしながら、舞い降りてくるパンツを回収した。

 

 

 

「大変だ!カズマが息をしていない!!」

 

「ええっ!?カズマ、しっかりしてください!」

 

(え……?)

 

 ヤバい、死んじゃった──?

 やり過ぎた?脅しのつもりが、ショック死なんて、シャレにならない────

 

「ぷーっクスクスクス!カズマったらマジ受けるんですけどぉ~!女の子にぶっ飛ばされて、挙げ句失禁して失神!そのまま心臓マヒで……アッハハハハ、流石カズマだわ~!」

 

 私が殺人を犯してしまった事に戦慄していると、軽快な笑いが聴こえてきた。

 

(え、何?なに爆笑してんの?この駄女神様は……?死んじゃったんだよ?)

 

「しょうがないわねぇほら、このアクア様が蘇生してあげるから感謝しなさいよ?リザレクション!」

 

 残念な女神様(アクア)が魔法を唱え、彼はアッサリ死の淵から甦った。このコ、ホントに女神だったんだなぁ。……でもなんだろう、折角すごい魔法使えるのに、残念感が半端じゃない。

 

 ひとまず、蘇生した彼に頭を下げたら、カズマ君以外の三人は笑って許してくれたけど……アクアちゃんは終始笑ってた。カズマ君が股間を潰されたと勘違いして失禁したままショック死したのが、彼女のツボにはまっちゃったみたい。

 

 彼は恥ずかしくて暫く外を出歩けないって半泣きで文句言ってたけど、仲間から自業自得だと言われて、それ以上は何も言わなかった。

 

 それからキョウヤ君がアクアちゃんに頼み事があると言ってくれて、アクアちゃんが相談に乗ってくれることにはなったけど、日は改めることになった。

 とりあえず寝泊まりする場所を確保したいと伝えたら、キョウヤ君が宿を手配してくれた。イケメンは誰かさんとは違うなぁ。

 

 私はさっきの甦生を見て、アクアちゃんを連れ帰る事が出来ればモンちゃんももしかしたら、と思った。

 

(でも、今のところ自力で帰る方法がないんだよね……。やっぱりリムルンを探しだすしかないかな)

 

 翌日冒険者組合っていうところでアクアちゃんに会った。キョウヤ君には声が出せない私の筆談の通訳として一緒に話を聞いて貰っている。ちなみにカズマ君は家から一歩も出たくないと言って現在絶賛引きこもり中だって笑いながら教えてくれた。

 

 最初に聞いたのは、倒そうとしているらしい魔王について。それがリムルンだったら色々とマズいし、彼女を頼るのは諦めようと思ってた。でも教えてもらった名前は、私が知ってる八星魔王達八人とは違っていた。そしてこの時点で、私はある可能性に気が付いた。

 

 次に聞いたのは、異世界が他にもあるのかどうか。もし異世界がいくつもあるとしたら、ここはアイツの居る世界じゃないかもしれない。

 

(だとしたら、また別の異世界に行く方法を見つけなきゃいけないってことに……)

 

 彼女はいくつもの世界があるということを教えてくれた。その中に魔王が複数居る世界なんてのもあるのかって聞いてみたけど、流石にそこまでは知らなかった。女神はそれぞれに担当で受け持ってる世界があって、それ以外は殆んど知らないみたい。

 

「成る程ねぇ。私の力なら、貴女の大事な友達を助ける事は出来るけど、行くことは出来ないわ。私、魔王を倒さないとこの世界から出られないのよ、カズマのせいで……」

 

 女神にそんな事情が……。まさか異世界転生特典として女神を連れていく事を望むなんて、前代未聞じゃない?

 アクアちゃんを連れていけないなら、やっぱりリムルンを探すしかないけど、さっきの話からすると、この世界にはいなさそうだなぁ。

 

 私が友人に会うために別の世界へ行きたいと伝えたら、難しそうな顔で悩んだ後、知り合いがやってるっていう魔道具店に連れていってくれた。女神でも異世界に自由に人を行き来させることは出来ないみたい。そこで魔道具店に異世界へ行けるような代物がないか探すということらしいけど……。

 

「客として来てあげてるんだから茶くらい出しなさいよ」

 

「は、ハイ、ただいま」

 

 アクアちゃんの店主さんに対する態度が妙に冷たいのが気になるけど、それは置いておこう。突っ込むと長そうだし。探した結果、とりあえずそれらしいものを見つけることが出来た。仮面を着けた男の店員さんが、「ポンコツ店主が仕入れたものが初めてまともに売れるとは」って言って驚いていた。店主さんもなんか泣いてたけどそんなに売れないの、この店?

 

「さあ、これであなたも晴れてアクシズ教徒の一員ね。異世界に行っても私の偉大さを広めてちょうだい!」

 

 なんか勝手に教徒にされちゃってるけど、まあいいか。多分もう会わないし、適当に合わせておけば大丈夫よね。頷いて手を振る。キョウヤ君には感謝を紙に書いて告げた。

 

「無事に友人に会える日が来る事を願ってるよ」

 

 イケメンは最後までイケメンだった。

 

 魔道具に魔力が流し込まれ、その効果が発動する。バチバチと稲光が疾って空間に亀裂が出来、向こう側には全く違う雰囲気の景色が見えていた。

 

 今度こそ、目的の異世界へ行けるかな。

 今は信じて進むしかない。違ったらまた、方法を探そう。

 

(絶対に捕まえて見せるんだからね!)

 

 

 

「ほう、白昼堂々スパイとはいい度胸だ」

 

(ひぃ?)

 

 亀裂へ飛び込んだ先で、いきなり背後から声をかけられて振り向けば、軍服を着込んだ小さな女の子が銃剣を突き付けてきていた。

 

「ようこそライヒへ。パスポートはお持ちですかぁ?」

 

(あ、これ、絶対ヤバいやつだ……抵抗したら死ぬ!)

 

 両手を上げて冷や汗を流しながら、私は必死で生き延びる方法を考えるのだった。




前半は悲しい展開になってしまいました。リアルが関わってくると暗い話になりがちです……。

後半はギャグありの展開です。大魔王リムルを訪ねる彼女の旅も、決して楽なものではなかったのです(笑)
絶望の闇が深いほど、希望の光は強く照らしてくれるはず。そう信じて前向きにいきたいですね。


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#75 答え合わせ

新年明けましておめでとうございます。

閑話でかぜっちの冒険の一部を描きましたが、意外な反響を頂きました。スピンオフで続きを描こうかな、と思いましたが、本編を進めなくては……。

というわけで、ここからは本編に戻ってテンペストの続きからです。


『────というわけなの。我ながらよく生き延びたと思うわ。もう何回死ぬと思ったか……』

 

 かぜっちがこれまでの旅路を語ってくれているが、声が出せるようになったわけではなく、思念リンクの中でならイチイチ筆談することなく意志疎通が可能なのだ。改めて非常に便利な能力である。

 

 レオンはかぜっちと俺の関係がただの友人だと確認したら、用は済んだとばかりにさっさと帰って行った。クロエは残るつもりだったようだが、今は構ってやれないと言ってレオンに一緒に連れ帰ってもらう事にした。ウルウルと涙目になるクロエを慰めながら、去り際にレオンが良い笑顔で「急かす気はないが、待たせすぎるなよ」なんて言い残して行った。

 

 よく意味はわからないが、急かす気はないというんだから今は置いておいても問題ないだろう。俺だって忙しいのだ。何しろ、モモンガの調整が終わったら今度はシャルティアの洗脳を解く為の具体的な作戦を考えなければいけない。

 

《それについては既に構想が出来上がっています》

 

 さすがは先生である。俺の考えを先読みして既に大まかな作戦は立ててくれているらしい。じゃああとはモモンガと詳細を詰めていくだけだな。

 ……ひょっとしてシエルが居れば俺って要らない子では?

 

 かぜっちはここに辿り着くまでに色々と苦労してきたらしい。筆談は大変そうだったので、思念を繋げて説明してもらったのだが、一発でこの世界に来られたわけではなく、幾つもの世界線を巡ってようやく辿り着くことができたらしい。異世界を又にかけた彼女だけの冒険譚である。

 これだけで一冊本が書けそうなのだが、本人はあまり思い出したくなさそうだし、出す気にもなれないだろう。

 

「色々と苦労したんだな……」

 

『そうよ、初めて行った世界で初対面の男の子にパンツ盗まれて人前でブンまわされるわ、そいつブン殴ったらショック死されるわ。で、女神が大笑いしながら生き返らせるわ……。もう付いていけないと思ったわ。

 次に行った世界なんか、いきなり軍服着た子供に銃殺されそうになったのよ?そんで服を取られて拷問っぽいことまでされて……。まぁ、結局あの娘が色々と助けてくれたから感謝してなくはないんだけど、ひと月の間に、一歩間違ってたら死んでたと思う場面が一日三十回はあったし、そもそもあんな子供が軍人なんて、あの世界はイカれてるわ』

 

 思念の中で怒り顔で捲し立てたり、涙を流したり、途中遠い目になって「さらば乙女の私」とか呟いたり。一体何があったのかは知らないが、思念を具現したイメージだというのに彼女も中々の自由人だった。

 ただ、文字通り命懸けで俺を訪ねてきた事は間違いない。よくまあ此処まで辿り着いたものだと感心させられる。

 

 彼女の状態を解析鑑定した結果にはこれまた驚いた。命に別状は無いのだが、彼女の声帯がなくなっていた。

 人間は声帯という器官を震わせることによって声を出す仕組みになっている。これがなければ声は一切出せないのだ。

 

 しかし不可解なのはその声帯があったはずの喉の状態であった。手術によって取り除いたのであれば、取り除いたあとにも声帯が僅かに残っていたり、声帯のあった場所が少し変形して窪んでいたりと、形跡が何らか残っているものなのだが、それが一切ない。

 まるで()()()()()()()()()()()()()()()()かのような綺麗さで、消えてなくなっているのである。

 

 試しに完全回復薬(フルポーション)を飲ませてみたが、回復しなかった事から、少なくとも外科手術的な手段によって取り除かれたのではないことが確定した。

 

 そうなると何かのスキル、或いはそれに準ずる何かということだろうか?本当に微かにだが、それらしい痕跡はあったようなので、可能性は濃厚である。

 

 かぜっち自身はその時の記憶は全くないらしく、目覚めたら病院で、そのときにはもう今の状態だったらしい。そのため誰の仕業かまでは分からないが、どうやらリアルにはそんな事ができる危険なヤツが居るらしい。そうなると、会っていたという御曹司が真っ先に怪しいと疑ってしまう。

 

 ソイツが犯人でなくても、問い質して実行犯を見つけ出せれば、かぜっちが声を取り戻せる可能性はあるのだが、手掛かりを探そうにも俺は()()()()の日本に行ける方法が今のところ見つかっていない。あの時代の世界が俺を弾き出そうとしている以上、下手に手出しできないのだ。

 

 というわけで結局のところ、これも一時保留するしかなかった。

 

 実は他にも判明したことがあるのだが、それについては触れるべきなのかどうか……。

 

 ん、先生……?

 

《…………》

 

 先生はシリアスな雰囲気で沈黙を貫いている。かぜっちからの有力な証言もあるし、もしかしなくても先生は()()の原因について何か知っているに違いないという確信めいたものがあるのだが、いつになく張り詰めたような雰囲気を感じるので、今は問い質せる感じではない。

 おそらく、何か大きな懸念があるが、確定事項とはなっていないのでまだ言えない、ということなのだろう。昔から慎重というか、完璧主義だからな……。

 

 いずれにせよ、すぐには手を付けられないということがわかったくらいで、俺に出来ることは殆んどなかった。

 

 そこで、とりあえずモモンガに調整のために迷宮深層へと入ってもらっている間に、俺はかぜっちにこれまでの経緯を話した。

 

『なによそれ。折角ここまで来たのに……なのに、苦労して、死ぬ思いして、やっと会えたと思ったらなに?なんでんなことになっちゃうのよ……戻してよ。元に戻してよ!』

 

 かぜっちはユグドラシルが現実化したということへの驚きよりも、モモンガが人間に戻るのではなく人間を捨てたという事実に、大きなショックを受けていたようだった。

 モモンガに人間やめさせたのは、ちょっと早まったかな?と思った。今さら元通りにはならないのだ。

 

「もう後戻りは出来ないし、モモンガもそれを望んでる」

 

「そんな……」

 

「出来るならかぜっちもリアルには戻らない方がいいんじゃないかと思ってる。声が出ないままじゃ、生活にさえ困るだろ?」

 

 このまま日本に帰ったところで、声が戻らなきゃ声優業も続けられないどころか、日常生活にも支障が出るかもしれない。そんなかぜっちを日本に帰らせるのは正直気が引けた。声を奪ったやつがまた何かしてこないとも限らないしな。

 

 それならこの世界に残ってもらうのもいいかもしれない。歌は歌えなくても楽器の演奏とかは出来るし、作曲やプロデュースなんかもやれるかも知れない。当然だが、ただの善意でこの世界に招いて養うわけではなく、あくまでもWin-Winの関係である。善意でイチイチ人助けしてちゃキリがないしな。

 

 他にもモモンガと一緒にナザリックに行くという選択肢もあるが、NPC達がどんな反応をするか未知数なため、現段階ではおすすめ出来ない。いきなりかぜっちを命の危険に晒すリスクはモモンガも避けたいだろう。

 

 かぜっちはすぐに返事はせず、迷っている様子だった。

 

「まあ、強制するワケじゃないけどな。返事はすぐじゃなくて良いから、ちょっと考えてみてくれないか」

 

 そう言って俺は話を打ち切り、かぜっちに時間を与えた。

 

 モモンガの調整を待つ間、俺は執務を幾つかこなして過ごした。その間、レオンが連れられてきたかぜっちを偶然目撃したらしく、ユリウス達学生数名が訪ねてきていた事を知った。

 

 どうも俺ではなくかぜっちに会いに来たようだ。アイツら、いつの間にかぜっちの追っかけになったのやら。その時はシュナが一緒に応対してくれて、筆談で意志疎通は問題なく出来たらしい。

 

 かぜっちの姿を見た時は、彼女の妹か親戚だと思っていたらしく、かぜっちも一緒かもしれないと思って訪ねてきたそうだ。だがかぜっち本人だと分かり、声を失っていると知ると、ロザリーがその場で泣き崩れて号泣したらしい。マグナスも彼女の大ファンだったらしく、悲しげにしていたとか。それでも口説く事は忘れなかったというのだから、アイツらしいというかなんというか。

 

 かぜっちはもしまた声が戻ったら、ライブがしたいと伝え、そしていつかきっと一緒にライブをしようと約束した。一緒にってアイツら、ミュージシャンを目指すつもりか?

 

 まあ、もし本当にそのときが来たら俺もバックアップしてやろうかな。いや俺も歌ってみるってのもアリか?

 

 かぜっちと一緒に来たシュナの報告を聞きながら、そんなことを考えていたら、モモンガがやって来た。三日間でもう調整は完了したんだろうか?

 

「クックック……」

 

 漆黒のローブを纏った死の支配者(オーバーロード)が楽しげに、不気味に嗤う。骨の顔であっても、俺にはご機嫌なことがわかるんだが、なんとも悪の魔王然としていてかぜっちは不安そうに見ていた。迷宮で何か嬉しいことでもあったのか?

 

「やけに機嫌が良いな」

 

「ああ、実は見せたいものがあってな。フフ……"生死反転"!」

 

 俺たちの目の前で人間の姿になり、腰に手を当てて思い切りどや顔された。アダルマンの"聖魔反転"を応用した"生死反転"である。さりげなくイケメン化してるし、勝ち誇ったようなどや顔にはイラッときたが、これには俺も驚いた。

 

 かぜっちはというと、真っ赤に赤面して顔を背けていた。シュナも頬を赤らめて顔を手で隠していたが、空いた指の隙間からはしっかりと見ている。

 

「前閉めろ、前!」

 

「あっ……しまった!!うおハズカシー!」

 

 恥ずかしいもなにも、自分で出したんだろ……。羽織っているローブは元々前がガバッと開けっ広げの状態である。骨の時は肋骨が露出し、腹に収まったモモンガ球も見えていたので、当然受肉?すれば胸元どころかがへその下の際どい所まで丸見えだった。

 

「見せたいものとはその、は、裸ではありませんよね?」

 

「そ、それはモチロンです……すみませんでした」

 

 シュナが唇を尖らせて文句を言っていたが、お前の兄貴も夏場は似たような格好だったのでは?だが無粋な突っ込みは入れない。かぜっちに怒られたばかりだしな。口は災いの元なのだ。

 

 しかしモモンガが前を閉めてもかぜっちは目を泳がせ、モモンガの顔をまともに見れない状態だった。エロゲにも声を当ててるはずなのに、意外とウブだな。もしかすると、二次元のエロいシーンには慣れていても、生身の裸には耐性がないのかもしれない。

 

「でも、これでまた食事ができるはず……!」

 

 そうだった。アンデッドになってしまったモモンガは、俺とは違って食事を楽しめなかったのである。ナザリックでも香りを楽しむだけで実質お預けだった。だが今ならそれが出来るはずだ。両手を前で握り締めてガッツポーズする姿が、その苦痛と喜びを物語っている。

 

「おお、やったな!」

 

 嬉しそうなモモンガを見て、俺もなんだか嬉しくなる。もし俺が食事出来なくなってしまったら、ストレスで暴れだしたに違いない。その点、モモンガはよく耐えたものだ。

 

(実はさ……()()も復活したんだ)

 

「なん、だと……!?」

 

 小声で囁いてきた言葉に、俺は驚愕した。解せぬ……俺には復活しなかったってのに……。途轍もない敗北感を感じてしまったが、もし俺が息子を取り戻してしまったら、正妻争い(ジハード)が更に過熱してしまいそうである。そうなると非常に厄介なので、俺は今のままでいい気もするな。

 

「で、シャルティアの洗脳解除だが……」

 

 モモンガの準備が出来たところで、先生が用意してくれた構成を元に、作戦を擦り合わせていく。それも数分で終わったので、あとは実行するだけだ。

 

「俺たちはそろそろ行くけど、かぜっちはもうどうするか決めたか?」

 

 俺の問いかけにかぜっちはコクンと強く頷いた。どうやらモモンガと一緒にナザリックに行くと決心したらしい。俺は本人が希望するなら止める気はないが……。

 

「俺は反対です」

 

 突然のモモンガの言葉にかぜっちは瞠目し、表情を凍らせる。

 

「リアルはどうするんですか?仕事は、すぐには出来ないかもしれませんが……。それに、スポンサーの御曹司とは……その……」

 

 モモンガは言葉を詰まらせながらちょっとデリケートな質問を投げ掛けた。そう言えばそんなこと言ってたな。彼女は勝ち組に見初められて、そのままいけば玉の輿に乗れそうだったはずだと。

 

 だが、今となっては御曹司に関わるのは危険な予感しかしない。かぜっちも俯いて首を振っていた。リアルに帰る気はないということらしい。俺は御曹司は危険かもしれないという推論をモモンガに説明した。

 

「……成る程。そういうことなら、リアルへ帰すのはまずいか。しかし、かといってナザリックへ行くというのは……」

 

 モモンガはそれ以上リアルの事は追及しなかったが、ナザリックへ連れていくことには消極的だった。少しでも危険があるなら、そこへ連れていくのは躊躇われるんだろう。俺もかぜっちを連れていくのは時期尚早かもしれないとは思っている。

 

「うーん……どうしても行くんですか?危険かもしれないですよ?魔物の国(テンペスト)で暮らすという選択肢だってあるはずですが……」

 

 モモンガは妥協案を提案するが、かぜっちは頑として譲らない雰囲気を醸していた。

 こういうときは思念リンクだな。というわけで繋いだら、かぜっちが盛大に本音をぶちまけた。

 

『……に決まってるでしょ?気付いてよモンちゃんのバカァ!……はっ!?』

 

「は?え?」

 

 突然罵倒され、モモンガが本気で焦っている。いきなり思念リンクしたせいで、かぜっちは内心で叫んでいたはずの想いの一部を自ら暴露してしまったようだ。

 

『ギャー!何してくれてんの!やるならやるって言いなさいよぉ~!』

 

 かぜっちは顔を真っ赤にして涙目で訴えるが時既に遅しである。口から出た言葉はもう戻らない。いや、正確には思念だから口からは出てないけど。

 

「茶釜さん」

 

『はっ、ひゃい!?』

 

 変な声を出し、真っ赤に熟れたトマトみたいになっていくかぜっち。アレ?この反応はまさか……かぜっちってモモンガのこと?いつの間に……。

 

《……》

 

 おっと、先生の呆れたような雰囲気が漂ってくるぞ?てことは、結構前から好きだったってことだな。でなきゃわざわざ危険を犯してまで自力で俺を訪ねて来ないだろうしな。

 

 つまり、さっきの言葉は『好きだからに決まってるでしょ』ということか。まあ、途中からしか聞こえなかったから肝心な部分は聞こえてなかったが、モモンガも察してしまっただろう。

 

「……気が付かなくてすみません」

 

『あ……っ、ううん、そんなこと……』

 

 うんうん、やっぱり気づくよなぁ。モモンガはどう答えるんだ?ドキドキしてきた。

 

「そんなに会いたいんですね?」

 

『うん。……え?』

 

 あれ?会いたい、ってなんだ?

 

「そうだよ、あの二人ならカルマも中立だし、案外大丈夫なんじゃないか?そうやって前例を作ることができれば……。よし……わかりました、そこまで言うなら何とかしましょう。なぁに、アウラとマーレならきっと喜んで受け入れてくれますよ!やっぱり気になりますよねー、自分で作ったNPCが意思を持って動き出すなんて」

 

 一人で何やらブツブツと呟いていたが、自己完結してかぜっちにサムズアップしながら良い笑顔でそう言い放った。

 

『……は、はい?』

 

 どうやら、かぜっちの熱い想いは伝わらず、モモンガの中でかぜっちがマーレ達に会いたくて仕方がないと解釈しているようだな。機嫌良さげに残念な見当違いをしてるモモンガに「そうじゃねーよ」と全力で突っ込んでやりたい。

 

 だが、かぜっちが余計なことを言うなと目で訴えているのに気づいたのでやめておいた。ともあれ、モモンガはかぜっちも一緒に連れて行く気になったようだ。

 

「よ、よかったな、かぜっち」

 

『う、うん……』

 

 かぜっちは安心したような、ガッカリしたような、微妙な表情をしながらも、頷いた。これから大変だな、何しろ俺もびっくりする程にニブいやつだ。一筋縄ではいかないだろうな。

 こういうことに関しては、周りは余計なことはせず本人達に任せる主義だ。だから、俺は変に手出しはせず見守る事にしよう。

 

 こうしてナザリックの宝物殿にかぜっちも連れてきたわけだが、いきなりシモベ達の前にいきなり晒すのは流石に勇気が要る。一部の例外を除き、人間蔑視の思想がナザリックでは標準なのだ。多くの異形種達の敵意にさらされるのは精神衛生上よろしくないだろう。

 

 ということで最初は宝物殿に連れて来たのだ。宝物殿なら会う奴もかなり限られてるし、人間嫌いなアルベドが居るはずだけど、分別は弁えてるからまあ大丈夫だろうと判断した。

 

 本当はあの時点でアルベドにかぜっちの正体を明かすと言っていたはずなのだが、モモンガは先送りにした。

 今思えばその方がよかったのかも知れない。万一正体を明かしたその場でアルベドがかぜっちに刃を向けたりしたら、アルベドを取り押さえるしかなかっただろう。

 そうなると、最悪ナザリックに統括が不在の状態でシャルティアのもとへ向かわなければいけなかった。デミウルゴスやコキュートスを説得するのに手間がかかっていたはずだし、不在時の防衛面にも不安を残していただろう。

 

 モモンガがその辺りの機微を察していたのだとしたら、良い判断だったと思う。ちゃんと支配者らしくなってきてるじゃないか。

 

 最重要の庇護対象に指定したことで、アルベド達も下手な刺激は出来ないはず。ディアブロも戻らせるし、最悪かぜっちの正体がバレても止めてはくれるだろうと踏み、俺達が戻ってくるまでは問題ない予測していた。してはいたが……。

 

「ん……?」

 

「あっ、おかえりなさいませ、アインズ様、リムル様も……」

 

「ただいま。……えーと………………取り込み中だったかな?」

 

 モモンガが躊躇いがちにアルベドに訊ねる。シャルティアの洗脳を解いてナザリックに戻って来たら、膝立ちになってかぜっちとアルベドが抱き締め合っていたのだ。もしかしてアルベドのやつ、女同士(ユリ)もイケちゃうのか?

 

「こ、これはその……違うんです!」

 

 二人して慌てた様子で手を振って否定するが、なんだかアルベドの頬が赤いので余計に怪しく思えてしまう。()()設定を知ってるせいでヒヤヒヤするのだ。

 

 どうやら今回はただの思い過ごしで、アルベドにはかぜっちの正体がバレてしまった事がきっかけだったらしい。

 

 先生によれば、パンドラズ・アクターは既にギルドメンバーの正体にも気付いていて、アルベドも気付いてしまう可能性はあったらしい。

 

 パンドラズ・アクターの場合は宝物殿にいたので、モモンガが足繁く霊廟へ通い、一人で色々と口走る姿を見かけているはずだ。それを聞いていれば答えに辿り着くのは当然かもしれない。

 

 俺も後で気付いたが、宝物殿で会ったとき、本当はかぜっちに気付いてテンション爆上げだったのだ。

 しかしあえてその事には全く気付いていないかのように振る舞っていたのだから大したものだ。

 

 まぁ、オーバーアクションの設定だから、テンションが普段より上がってても元々こんなものかと思って気付かなかったかも知れないが。

 

 ただ、アルベドは可能性を疑いはしても確信を得る事はできず、正体を明かすまで静観する可能性の方が高いと予想していた。

 

 彼女がかぜっち、つまりぶくぶく茶釜だと気付き確信を得るには、NPCが越えなければいけない幾つもの壁がある。その壁を乗り越えない限り、真実に辿り着くことは出来ないはずだったのだ。

 

 因みにディアブロの話によれば、デミウルゴス達はまだ感付いた素振りは見せていないらしい。

 デミウルゴスも頭の回転ではアルベドに遅れを取るわけではない。では何が両者を分ける差になったのだろうか。

 

 しかしアルベドが自分の推理から確信へと至るには相当な覚悟が必要だったはずだ。ギルドメンバーの正体がそれまで下等と見下し、嫌悪して来たはずの人間だった事、そして()()()()()()()()()()()()()ということも、同時に仮定しなくてはならないのだから。

 

 俺達はモモンガの執務室でアルベドと話をすることにした。勿論人払いをし、かぜっちの事も他にはオフレコだ。

 

 パンドラズ・アクターが戻って来たら全員を集めるとして、それまではまだ時間があるので、先にアルベドだけでも情報を擦り合わせておいた方が良いだろうと思った。つまり、アルベドの推理の答え合わせだ。

 

 守護者統括とは重要な立場だ。守護者を束ねる彼女が肝心なときに揺らいでしまっては、他の守護者達にもそれが波及してしまう。ナザリックのNPC達はギルドメンバーによって創造されたからそういう意味では上下などない。とは言っても、組織を統べる者は相応の重責を背負うものなのだ。

 

 最初二人が抱き合っていたのは、アルベドが真偽を確めるために、ペロロンチーノは死んでいるのかと訊ね、かぜっちが首肯した事で、アルベドは自分の推論が全て間違っていなかったと覚り泣き崩れたのを、かぜっちが抱き締めて慰めようとしてそうなったようだ。

 

「ではやはり、タブラ・スマラグディナ様も……お亡くなりに……」

 

「……ああ、そうだ」

 

 抑揚の少ない声でモモンガは静かに肯定する。タブラ・スマラグディナの死については、かぜっちもまだ知らなかったので、モモンガの説明で初めて知る。アルベドも覚悟は出来ていたのだろう。悲しげに眉根を寄せているが、泣き出したりはせずグッと我慢している。

 

(それにしても、やけにくっついてるな。まあ、変な意味合いはないんだろうけど……)

 

 今のアルベドは、かぜっちと手を繋ぎ、ピッタリとくっついて離れようとしない。俺の転移で部屋を移動したため、その間もずっとくっついている。そう言えば、アルベドの設定には甘えん坊ってのもあったっけ……。

 

 かぜっちも嫌がってはいないが、若干戸惑いは感じているようだ。見た目が少女のかぜっちに、大人の淑女に見えるアルベドが親に甘える子供のようにくっついているのだから、確かに妙な絵面ではある。

 

 元の設定をいじったことはまだかぜっちには白状していないが、なまじ設定を弄ったとか弄ってないとか気にするからいけないのかもしれないな。最初からこうだったと思えば自然に……受け入れられるのか?

 

《…………》

 

 おっと、先生が何か言いたげだ。今は話を進めよう。

 

「お前の推論は大筋で合っているが、やはり抜けている部分があるな」

 

「抜けている事、とは?」

 

 モモンガの言葉にアルベドが訊ねる。情報が欠如している状態で、アルベドは良くここまで推理できたと思うし、勇気の居る事だったと思う。だが、真実とはそれすら凌ぐほどに残酷かもしれない。

 

「主にリアルの事、そしてユグドラシルという世界についてだな。真実はお前の想像を越えるほどに残酷で非情だ。もしかしたら、全てを知らない方が幸せなのかもしれん。それでも……お前は私の知る真実の全てを知りたいか?」

 

 数瞬の迷い。しかし、アルベドはその数瞬で覚悟を決めた。

 

「はい。どのような辛い事であっても、私は受け入れる所存にございます。僭越ではございますが、アインズ様とぶくぶく茶釜様が背負われている痛みを、私にも分け与えて下さいませ。たとえ身を裂くような痛みであっても、お二方のお心を知る事が出来るのならば、私は喜んで受け入れられます」

 

「そうか……。お前の想い、ありがたく思う。では私の知る全てを語ろう。リムル、アレを頼む」

 

 モモンガはアルベドには全てを伝える決心をした。リアルについて、ユグドラシルについて。ギルドメンバーの正体とその死について。モモンガの身に起きた事も全てだ。

 

 俺は思考を30倍程に加速して、この場に居る全員の思念をリンクさせた。何故か魂の力が弱まっている今のかぜっちでも、30倍程度なら数時間は問題なくついてこられるだろう。

 

「お願いします」

 

 アルベドの心の準備も出来たところで、モモンガはリアルの事から話し始めた。

 

 

 

 

「────これが私の知る全て。お前達が知り得なかった真実だ」

 

「う……うううっ」

 

「アルベド……」

 

 モモンガは全てを伝えた。

 アルベドにとって、それまで信じて疑わなかった事が覆されるのは、想像を絶する苦痛だっただろう。自分達は仮想の存在、娯楽の為に作られた箱庭の中に作られただけの、オモチャのような存在だったと告げられたのだ。彼らが住む日常の世界(リアル)の閉塞感や、ギルドメンバーの知る限りの消息も知り、その度に胸を痛め、何度も心が潰れそうになっていたに違いない。

 

 堪えきれず膝をついて嗚咽するアルベドにモモンガが気遣わしげに声をかけ、かぜっちが寄り添うようにアルベドの肩を抱く。

 

「も、申し訳ありません……守護者統括たる私がこのような……」

 

『いいじゃない、泣いたって。辛いときは思いっきり泣いた方がスッキリするよ』

 

「ぶくぶく……茶釜様……ぅ、あぁぁああぁあああ!」

 

 かぜっちに抱きついて涙するアルベド。ある程度内容を予想して、心の準備をしていた彼女でさえこの有り様だ。何の下準備もない他のシモベ達はもっとひどい事になるだろうな。一体何人が受け止められるだろうか。

 

『ま、待って、アタシ死んじゃう……』

 

「あっ、申し訳……!」

 

 かぜっちが苦しげな思念でSOSを出す。加減をしてるつもりでも、アルベドのパワーでは殺人鯖折りになってしまうのだ。

 

 アルベドが手を離したのはいいが、今度は次の標的を探し始めるアルベド。モモンガは危険を察知したのか然り気無く逃げている。ディアブロはアルベドに嫌われているみたいだし……仕方がないので俺が身代わりにされた。

 

「結局こうなったか……」

 

 俺はスライムボディになってアルベドの腕に収まり、タメ息を吐いた。うん、強く抱き締められて二つの豊かな感触が伝わってくる。ううむ、悪くないな。

 

「リムル様は粘体(スライム)種だったのですね……」

 

「あれ?まだ言ってなかったっけ?」

 

「あ、はい……」

 

 すっかり言ったつもりになっていたが、まだだった、アルベドが知らないということはナザリックのNPC達は誰も知らないってことだな。

 

「しかし、やはり他の者にも真実を告げるべきか躊躇ってしまうな……。アルベド、お前はどう思う?私は皆に、真実を突き付けるべきなんだろうか?」

 

 少し落ち着きを取り戻したアルベドに、モモンガは訊ねた。アルベドも居ずまいを正して、シリアスな雰囲気で答える。

 

「……遅かれ早かれ、いずれは知らなければならないことだと思います。ならば早い方が傷も浅いかと。個々人の意識も、大きく変わってきます。このまま何も知らずに行動すれば、真実を知った時後悔する者が多数出る事でしょう。動揺は避けられませんが、それも一時的なもの。敵に回るようなものが居たとしても、全力で私が御守り致します」

 

「そうか。だが、私達は元々人間だぞ?お前達が思うような、至高と呼ばれるような存在じゃないんだ……お前はそれでもいいのか?」

 

 モモンガは正直に心情を吐露した。だがアルベドはにこやかに微笑む。

 

「あなた様は最後まで残って下さったではありませんか。あなた様がお残り下さらなければ、私達は永遠に主を失った迷い子でした。それに、私達を創造してくださったのは紛れもなく至高の、ギルドの皆様なのです。たとえ皆様が人間であろうとも、私達の創造主に違いはありません。私にとってはそれが全てです」

 

 そう言った彼女の微笑みには悲愴も迷いもない。それは表面を取り繕った仮面ではなく、心からの笑顔だった。



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#76 希望

玉座の間に皆を集めて、いよいよ御披露目です。


 ナザリック地下大墳墓玉座の間────

 

 守護者をはじめとした数多くのシモベ達が一同に集う。

 

 今回は階層守護者と選抜された彼等の配下、一般・戦闘両メイド達以外にも、他の階層守護者達にすらその素性を明かされていなかった第八階層守護者ヴィクティム、そして先刻洗脳を解除されて帰還したシャルティアの姿もあった。第四以外の階層守護者は揃い踏みである。

 

 他に珍しい顔と言えば、パンドラズ・アクター、恐怖公、そして戦闘メイド七姉妹(プレイアデス)の末妹、オーレオール・オメガまでもが列席している。

 

 オーレオールはギルド武器を保管している桜花聖域の領域守護者でもあり、普段は防犯の都合上隔離された空間である守護領域を離れられない。また、会いに行くためにはギルドの指輪が必要なため、守護者統括のアルベドでさえおいそれと会えない程のレアキャラである。

 

 そんな彼女がこの場に顔を出した事は、場に集った者達を少なからず驚かせ、彼女の普段の姿を知る姉達は主人の前で粗相をしないかとハラハラしていた。

 

 因みに彼女はナザリックのNPCの中で()()()()()でもある。100LVかつアイテムの効果で不老となっている彼女を人間と呼んでいいかどうかは微妙なところだが。

 

 主だった顔ぶれのうち、この場には居ない者もいる。戦闘メイドであるソリュシャン・イプシロンと、執事兼家令のセバス・チャン。この二人は王国での任務を継続させるため、あえて呼び戻していなかった。

 

 多くのシモベ達が(ひし)めくように並び、これほどの規模で招集が掛けられた中で為される「重大な話」とはいったい何なのか、誰もが並々ならぬ関心を抱き、先程から場には奇妙な緊張が漂っていた。

 

「んんっ、さて────」

 

 口を開いた瞬間、皆が一斉に真剣な顔をして耳を澄ます。アインズには穴が開きそうな程の視線が集中していた。

 

(うぉ、こんな注目の中で話すのか。いや集めたのは自分だけど、それでも想像していた以上に緊張するな……)

 

 アルベドはどうにか受け入れてくれたが、他の守護者やシモベ達も同じとは限らない。もしかしたら離反する者も出るかも知れない。今更ながら本当に話して大丈夫なんだろうかと不安が湧き上がってきた。

 

 これまで種族特性として半ば強制的に発動していた精神の鎮静化も、鈴木悟として魂を完全に取り戻して以降、ある程度はコントロール下に置く事が出来るようになっていた。しかし、あえて今はそれを発動させることはしない。

 

 精神の沈静化をはじめとする種族特性は望むことなく手に入れてしまった力で、まっとうな努力をせず手に入れてしまったものだ。魔法に関しては多少努力したと言えなくもないが、それでも実際に魔物の国(テンペスト)で覚えた苦労に比べれば雲泥の差がある。

 

 それらをするにしても、いつまでも甘えて頼きりにはなりたくなかった。ナーベラルだって不器用なりに一生懸命自分の期待に応えようと成長する姿を見せてくれた。アルベドだって悲しい現実を乗り越え、正体を知ってなお自分を主として受け入れてくれた。自分だけがいつまでも甘えているなどあり得ない。

 

(俺もナーベラルやアルベド達の頑張りに応えなきゃ、カッコつかないないよな。それに、いまは茶釜さんもいるんだ。しっかりしろ、最高責任者の俺が狼狽えてどうする!)

 

 自らの弱気な心を叱咤し、腹を括ったアインズ。主人の言葉を待ち、誰も声を発することのない静寂の中、シャルティアは物憂げに俯いているのが見えた。コキュートスも表情はわからないが、アウラも、マーレも、デミウルゴスもまた、アインズの言葉を聞き漏らすまいと真剣な表情をして沈黙を保っている。

 

 彼等の真剣な眼差しを受けながら、アインズはゆっくりと言葉を紡ぎ始める。

 

「急な召集に応じ、よくぞ集まってくれた。今日集まってもらったのは他でもない。お前達には私達至高の41人と呼ばれる存在について、真実を伝える事を私は決心した。お前達にとってはかなり衝撃的な話だとは思うが、それでもどうか聞いて欲しい」

 

 至高の41人についての話だと聞き、場の多くの者は一段と集中して熱い視線を送ってくる。しかしシャルティアはハッとしたように目を見開き、動揺をその瞳に映した。

 

「武人建御雷、タブラ・スマラグディナ、ベルリバー、餡ころもっちもち、やまいこ、ホワイトブリム、獣王メコン川、ぬーぼー……」

 

 アインズは一人ずつ、スラスラとギルドメンバーの名前を列挙し始める。

 

「ペロロンチーノ、弐式炎雷、ガーネット、クドゥ・グラース、るし★ふぁー……」

 

 ペロロンチーノの名前を挙げた瞬間、シャルティアが肩をびくりと震わせる。そして徐々に表情が驚愕に染まり、わなわなと肩を震わせ始めた。彼女には既に彼の死を告げているため、これから何が語られるのか、この時点で大体の察しはついたのかもしれない。ナーベラルもまた同様に顔を蒼醒めていた。姉妹達は彼女のただならぬ様子に気付き、怪訝な顔をしながらもアインズの話に耳を傾ける。

 

「────ヘロヘロ。……今名前を挙げたメンバーは全員……死亡した」

 

 瞬間、場の空気がまるで時間停止したかのように固まった。守護者をはじめシモベ達はアインズの言葉を理解せんと頭を働かせようとするのだが、どういうわけか思考が働かず脳に染み込んでいかない。その言の葉の意味するところを理解することを、何かが阻んでいるかのような────

 

「ふ、ぐぅ、うぇ……」

 

「くっ……ううう~っ!」

 

 凍りついた空気の中、唐突にシャルティアが嗚咽を洩らし始める。ナーベラルもまた表情を歪ませて涙を流した。それを皮切りにして、時がゆっくりと動き出すかのように、動揺が周囲に波及し始める。

 

「や、まいこ様が……お亡くなりに?」

 

「うぁ、ぁ……」

 

 漸くアインズの言葉の意味を思考が認識した戦闘メイドの長女ユリ・アルファは、愕然とした表情でその場にへたり込む。ルプスレギナもあまりの衝撃に戦慄し、水を求める魚の如く口をパクパクとさせていた。エントマは全身をガクガクと震わせ、膝をついて絶望に身を浸す。オーレオールもまた、顔面を蒼白に染めて口許に震える両手を寄せる。

 

「…………博士

 

 姉妹達が味わったことの無いような絶望感にうちひしがれる中、自動人形(オートマトン)であるシズがいつもと変わらないような無表情のまま、ポツリと小さく呟いた。

 

 自動人形(オートマトン)である彼女は涙を流すことが出来ず、感情も表情の変化として表すことはできない。しかしひどく寂しげで儚げなシズのその姿が、その内面を何よりも物語っている。一般メイド達は涙腺を一気に崩壊させた。彼女達にとって戦闘メイド達は憧れのアイドルのような存在だ。そのアイドル達が悲嘆に泣き濡れる姿が、アインズの言葉を受け止めきれずに感情が停止してしまった一般メイドの心を再び動かしたのだ。

 

「う、わああああぁ!」

 

 堰を切ったように泣き始めた一般メイド達の泣き声が、玉座の間に響き渡る。泣きじゃくるシャルティアだけでなく、アウラやマーレも不安そうな顔で涙を滲ませていた。

 

 守護者の中で誰よりも大きな声で慟哭したのはコキュートス。周囲の目を憚ることなくさめざめと声をあげて泣く姿は、普段寡黙な武人らしい姿とはかけ離れているようにも思えたが、それが逆に思考停止してしまっていたシモベ達全員が事態を理解させてくれたようだ。

 

 玉座の間に漂う絶望感と悲哀にまみれた沈痛な空気を打ち払うかのように、唐突にパンドラズ・アクターが声を張りあげる。

 

「アインズ様のお話はまだ途中ですよ!」

 

「「「!!」」」

 

 その言葉に皆がハッとして黙り込む。最後まで聞いて欲しいと主人が望まれたならば、自分達は最後まで黙って聞いているべきではなかったのか。途中でみっともなく大声をあげて泣き、主人の話を遮るなどありえない醜態である。もし今、最後まで残ってくれたアインズに愛想を尽かされ、見放されてしまったら────絶望しかない。

 

「アインズ様、申し訳御座いません!我々の不甲斐なさをどうか────」

 

 血相を変えて謝罪しようとするデミウルゴスを、アインズは手を上げて制止した。

 

「よい、デミウルゴス。生みの親が死んだなんて知らされて、胸中穏やかでいられるわけがない。私もそれはわかっている。だが────それでも、お前達には真実を話しておくべきだと考えているし、また正しく私達を理解して欲しいとも思っている。それはお前達の忠義に対する私の責務であり、同時に信頼の証とも言える」

 

「その通り!これは云わば、私達にならば乗り越える事が出来ると信頼して、アインズ様から課せられた試練なのです!!」

 

 パンドラズ・アクターが皆を窘めるように大声で叫ぶ。普段はオーバーアクションだというのに、このときばかりは直立不動である。

 

「各々真実を知ったその上で、改めてアインズ様への思いに揺らぎがないか自らに問い質しなさい。結果がどうであれ、それを責めたりはしないわ。最後まで……心して聞きなさい……!」

 

 目に涙を滲ませながら静かに、しかし毅然とした態度で言ったアルベドの言葉は、話の続きが決して明るいものではないことを物語っていた。しかし主たるアインズが自分達への信頼の証として話してくれるというのだ。なんとしてもその信頼に応えんと、忠義に揺らぎなどあり得ないと全員がその場で覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

「────そう、皆リアルを優先しなければならなかった。誰も決してお前達を嫌ってこの地を捨てたりなどしてはいないし、誰もが名残惜しい、口惜しいと思いながらも、夢の世界(ユグドラシル)を恋しがりながらも、結局過酷なリアルという現実の世界で生きる他なかったのだ。

 リアルの私達は万能でも何でもない。一人一人が大した力も持っていないし、病に侵されたり老いもする。簡単に死ぬし、死んだら蘇生も出来ない。脆弱で、愚かで我儘な……ただの人間だ。

 お前達が至高の41人と崇め敬う者は、プレイヤーは皆、人間なのだよ」

 

 最後の言葉を言いながらアインズは光に包まれ、その姿を人間へと変貌させた。リアルの事、ユグドラシルの事を隠さず話したアインズは、玉座から立ち上がり皆を見渡す。

 

 全員ショックを隠しきれていないどころか、アルベドとデミウルゴスやアウラを除いた殆どの者が涙や鼻水でぐしゃぐしゃだ。しかし誰も敵意を向けてくる様子はない。人間だという告白に対し、戸惑いを感じているのかどうかもよくわからなかった。

 

「至高の41人の正体を知ってもなお、皆は私と共に在ろうと思ってくれるか?もし嫌になったのであれば、私は……支配者の座を降りても──」

 

「そのようなッ!!」

 

 急に叫びをあげたのはデミウルゴス。宝石の目からは他の者達と同じように涙が溢れている。

 

「アインズ様、そのようなことを考える者が居るはずがございません!確かに至高の御方々が人間であるという事実には驚きましたが、だからといってそれが我々の忠義にヒビ一つ入れることなど出来得ませんとも!……アインズ様はこの地に最後まで残ってくださった慈悲深きお方。あなた様を差し置いて誰がこのナザリック地下大墳墓の支配者に相応しいというのでしょうか」

 

「デミウルゴスノ言ウ通リデス。アインズ様、ドウカ我々ノ忠義────」

 

「こ、これからも変わらず、ずっと────」

 

「捧げ続けることをお許しください!」

 

 デミウルゴスの魂の叫びに呼応し、コキュートスやアウラ、マーレが口々に声をあげた。それを見守る他のシモベ達も同じ思いであるようで、誰一人反感を抱くこと無く、アインズを変わらず主人と認めてくれていると感じた。

 

「そうか……。私はここに居ても良いのだな?」

 

「もちろんで御座います!これからもどうかこの地にて御心のままに君臨して下さいませ。私ども一同、心よりお願い申し上げます」

 

「うむ。皆、これからもよろしく頼むぞ」

 

 アルベドの言葉にアインズがそう応えると、皆も安堵の表情を浮かべる。中にはまた泣き出す者もいるが、今度のそれは悲しみの涙ではなく、歓喜の涙であった。

 

 しかし、いつまでもこのまま喜びに浸っていると言うわけにもいかない。危惧していた事も、もうここまでくれば大丈夫だろうとアインズは心配していなかった。

 

「アインズ様、そろそろ頃合いでは?」

 

 皆が少し落ち着きを取り戻し始めたところで、アルベドが声をかけた。

 

「うむ。では再び耳を傾けて欲しい。先に訃報を告げた()()()メンバーについてだ」

 

「!!」

 

 その言葉に大きくどよめく場内。デミウルゴスが尻尾を僅かに揺らし、アウラとマーレがハッとした顔をしている。気付いていない者も多かったが、アインズが名を挙げたのは全41人中36人だった。

 自分の創造主の名を挙げられなかった者はその事に気付いたものの、その人物全員を正確に把握できたのはデミウルゴスだけだった。皆自分の創造主が一番の関心事であり、その名が呼ばれるかどうかにばかり気がいってしまっていたと言える。

 

「私も除いた残りの四人は生死もわからず行方不明だったが、一人だけ再会を果たすことが出来た。そして今、ここナザリック地下大墳墓にいる」

 

 一人だけ。それでも一人が生きていた。そして今、このナザリック地下大墳墓に帰還している。たとえ自分の創造主でなくとも、喜びに打ち震える面々。中でもアウラとマーレ、普段は澄まし顔でお淑やかな態度のオーレオールまでもが、居てもたってもいられないという心境が見て取れる程にソワソワと浮き足立っていた。

 

 デミウルゴスだけはそれが誰であるか既に見当がついていたようで、喜色を浮かべつつも冷静な佇まいであったが、他の面々は自分の創造主と会えるのかもしれないのだから、期待を抱かずにはいられないだろう。

 

「ただし────リアルでの姿、つまり人間だがな。ユグドラシルの時とは違い、戦闘能力は一般メイドとそれほど変わらない……はずだ。くれぐれも怪我をさせないよう気を付けてくれ。……リムル。ああ、一緒に連れてきてくれるか」

 

 こめかみに手を当て、伝言(メッセージ)を送ったアインズ。全員が息を飲んで到着を待った。

 

 

 

 

 

 至高の御方のお一人が、この地にお帰りになられた……。お亡くなりになられた方々の事を思うと悲しいけど、でもやっぱり、誰かお一人がお帰りになったっていうことがわかって本当に嬉しい。

 もしも、それがぶくぶく茶釜様だったら一番嬉しいけど……。

 

 お姉ちゃんもすごく緊張してるみたい。さっきからソワソワと目を泳がせてる。お姉ちゃんだってやっぱり嬉しい、よね。

 

「今から来るそうだ。ふふ、誰なのかは会ってみてのお楽しみだぞ」

 

 嬉しそうにアインズ様はそうおっしゃった。ああ、楽しみだなぁ。一体誰なんだろう?

 

「いよーっす」

 

 扉の向こうからリムルさんの声がした。皆が左右に分かれて玉座までの花道を作って、扉が開くのを待った。

 

(ああ、緊張で胸がドキドキして……)

 

 僕はちゃんと失礼のないようにごあいさつ出来るかな?なんだか不安になってきたよぉ……。

 

 音もなくゆっくりと開く重たそうな扉。その向こうに見えてきたのは────。

 

「ぁ……っ!」

 

 真っ白な長い髪。つぶらで大きな瞳。肩にフリルの着いた白い襟の黒い服、プリーツの入った淡いピンクのスカート。女の人だった。綺麗な色のスライムさん?をだっこしながら歩いてくる。

 

 それはやまいこさまかも知れなかったし、餡ころもっちもちさまかも知れなかった。でも、目に映った瞬間、ボクにはすぐにわかった。

 

(ぶくぶく、茶釜様だぁ……)

 

 嬉しくて、嬉しくて。

 

 涙があとからあとから溢れてきて。

 

「泣かないの、男の子でしょ」

 

「お、お姉ちゃんだって……」

 

 小声でボクを叱ったお姉ちゃんも、顔は涙でぐしゃぐしゃで声も震えてた。

 

「アタシは女の子だからいいのっ」

 

 ズルいよ、こんな時だけ……。

 

 ああ~、今すぐお側に駆けて行きたい。またお膝の上に乗せられて頭を撫でられたいよぉ。でも、ボクは男の子。皆ちゃんと列をつくって並んでるし、ボクも階層守護者なんだから、しっかりしなきゃ……。

 

(でも、涙が止まらないよぉ)

 

 ボクは涙をゴシゴシと袖で拭って、一生懸命に前を向いて笑顔を作った。ぶくぶく茶釜様はボクの前を通りすぎるとき、視線がが合った気がして、そしてウインクしてくれた。

 

(う、うわああぁ~)

 

 ボクの心臓は生まれて初めてくらいにドキドキしてきて、顔が熱くなって、目の前が真っ白で……。

 

「み………ら………」

 

「ん?……シャルティア?」

 

 何かを呟いたシャルティアさんの声も、異変を察知したお姉ちゃんの声も、ボクの耳には届いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 モモンガのやつ、心配しすぎじゃないか?かぜっちの安全を確認するまで別室待機なんて。アルベドも自分は信用されていないのかって顔で、ちょっとショック受けてたみたいだぞ?

 

 更にはマーレとかが感極まって突進してきても、俺をクッションに出来るように抱かせる程の念の入れよう……ってオイっ!モモンガ達、最近俺の扱い酷くないか?

 

 かぜっちのやや控えめながら柔らかな膨らみを感じつつ、俺は注文通り周囲の状況を確かめる。両目を使って見るのとは違って万能関知には死角がないため、危険が迫っても即座に発見、対応できる。

 

 今のところ誰かが暴走して突進してくる様子はない。アウラとマーレの表情から察するに、名乗らずともかぜっちだと気付いているな。きちんと整列してはいるが、飛び出して掛け寄って来たそうな雰囲気だ。

 

『二人とも多分かぜっちのこと気付いてるけど、多分守護者としてイイトコ見せたくてガマンしてるんだろうな』

 

『そっかー、アウラもマーレも小さいのに頑張ってるんだなぁ』

 

 かぜっちと念話でそんな事を話ながら玉座へと歩を進めていくと、何故かシャルティアが頭を抱えてへたりこみ、ブルブルと震えている。どうもかぜっちを見てかなり怯えているみたいだが……。

 

『なんか凄い顔してるけど、どうしたんだろ……?』

 

『もしかしたらシャルティアもかぜっちの正体に気付いているのか?まあ、弟が創造主なんだから不思議じゃないのかもな。ペロロンチーノがよく叱られてたから、シャルティアにまで恐怖が刷り込まれてるんじゃないか?』

 

 なんだか姉達に怯えるヴェルドラさんみたいだな。そう思うと、あのオッサンとは違って微笑ましく思えてしまう。

 

『うーん、それってアタシのせいじゃなくない……?』

 

『まあ、シャルティアを同じノリで叱ったりしなきゃ、そのうち打ち解けてくれるだろ』

 

『う、うん……』

 

 かぜっちは釈然としない様子だが、ひと先ずは納得する事にしたようだ。俺もシャルティアのただならない様子は気になった。

 

 とりあえずかぜっちはこれからよろしくという親愛の意味でウインクして見せた。シャルティアの前を通り過ぎたとき、その顔には絶望したような表情が張り付いていたが。

 

 (うーん、こりゃ案外重症かもな……)

 

 やれやれと内心溜め息を吐く俺を抱きしめながら、かぜっちがモモンガの待つ玉座まで段を登りきって皆の方に向きなおる。モモンガはここでようやく名前を明かした。

 

「既に気付いている者もいるようだが────ぶくぶく茶釜さんの帰還だ」

 

 しみじみと万感の想いを馳せるように、両腕を上げて宣言するモモンガ。同時に玉座の間は割れんばかりの大歓声に包まれた。

 

 まずは()()、だな。

 

 モモンガはまだ全てを諦めた訳じゃない。行方不明のままのメンバーは生きている可能性がある限り探し続けるつもりだそうだ。それがギルド長として、アインズ・ウール・ゴウンの名を名乗る者てしての責務だという。

 

 死んだメンバーについても、もしかしたらこの世界に転生しているやつがいるかもしれないと考えている。前世の記憶を持ったまま転生している可能性は極めて低いだろうが、それでももし会えたならと、ほのかな期待を抱いていた。

 

 玉座の間に集まった者達に、簡単にかぜっちはいま声が出ない件と今後はここに暮らす事を説明し、後日一人一人全員に顔を合わせに行く旨を伝えてその場は解散となった。最後のはかぜっちの希望によるものだ。せっかく住むんだから一人一人挨拶したいらしい。

 

 それを聞いたシモベ達が歓喜に咽び泣いた事は言うまでもない。

 

 ……一人を除いて。




皆が真実を受け止め、その上で無事に茶釜さんを受け入れる事が出来ました。

原作ではオーレオールの作成者は不明ですが、このお話では死獣天朱雀さんということにしています。ユリが「私の癒しはシズだけ」ということを口にしていたので、彼女も長女に頭を抱えさせるような何かがあると思われます。

シャルティアの反応については次のお話で書きます。


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#77 どの時だよっ

色々書き直しているうちに更新が遅くなってしまいました。

絶望に染まるシャルティアが齎す驚愕の事実とは?


 玉座の間を後にしたシモベ達が各々の持ち場へと戻って行く。皆の胸中には喜びと悲哀が入り交じり、皆悲喜交々(こもごも)といった面持ちであった。しかしながら、その足取りはしっかりとしている。

 

 アルベドはそんなシモベ達の姿を玉座の段上から見送る。至高の御方々の死は重く、自分を含めたシモベ達の心の傷は深い。だがそれでも、全てを喪った訳ではないのも事実であり、確かに希望は残っているのだ。

 

 彼等にそれをもっとも強く実感させてくれたのは、ぶくぶく茶釜の帰還。アインズを除く40人のうち、帰還を果たせたのはたった一人だが、それでも嬉しいことだ。

 

 リアルと呼ばれる世界の住人達にとって、自分達はただの玩具に過ぎなかった。飽きられれば容易く捨てられ、忘れ去られるだけの、実態のない儚い幻。自分達が自我と実体を持ってこの世界に生きているなど、リアルの住人達は知る由もないだろう。

 

 だが、たとえ創造主にはもう会う事が出来ないとしても、ただの玩具以上の愛着を持ってもらえていたと皆が信じている。それはアルベドも同じであった。

 

 タブラ・スマラグディナは引退前、アルベドのいる玉座の間へと足を運んでくれたのだ。アルベドにはそれが堪らなく嬉しかった。病に犯されていながらも、最後に会いに来てくれたのだ。

 

 それでも、もう会う事が叶わないという事実は悲しいし、寂しい。

 

(……駄目ね、いつまでも感傷に浸っていては。御方々から賜った守護者統括としての使命を全う出来なかったら、顔向け出来ないものね)

 

 アルベドは寂しい気持ちを押し込め、いつもの微笑を浮かべる。妙なものだ。実態のない亡羊たる幻のはずのユグドラシルの住人達が、実体と生命を得てしまうとは。改めて考えるほどに不可思議としか言い様のない状況である。

 

 それにしても、タブラ・スマラグディナが最後に日に言い残した言葉。あれは何を何処まで見通しての事なのだろうか。ただの偶然にしては、まるで未来を予知していたかのような意味深な言葉の数々。智者と定められたアルベドにさえ予測不可能な事態を、一介の人間に予想出来るとは思えない。

 

 否、プレイヤーは皆人間だというアインズの言葉をそのまま受け取るべきではないのだろう。リアルの人間を、この世界で見かけるような矮小な人間と同列に考える事自体、間違いなのだ。実態を持たぬ仮初めの世界とはいえ、ユグドラシルという広大な世界を創造した存在が、この世界にもいるような取るに足らない矮小な人間と同じ程度であるはずがない。

 

 もしかしたらタブラ・スマラグディナには、この世界でいうところのタレントのような特異な能力が有ったのかも知れない。その能力で未来を見通していたのでは。アインズがこの世界に転移するという事も、その時には自分が生きてはいないであろうことも。

 

 だから一緒に居続けられない自分の代わりに、アルベドに役割を与えた。再びこの地に帰還する彼女を何があっても守れと。それが病に侵され余命幾ばくもない彼が、アインズの為に出来る精一杯だったのだろう。

 

(あの日、私の思い違いでなければアインズ様は────)

 

 泣いていた。ナザリック地下大墳墓の最高責任者、至高の御方々のまとめ役であるアインズが、ひっそりと。その辺りの記憶はボンヤリとしていて、何やら胸元をじっと見つめられていた気もするが、やがてポツリと「愛される人はいいな」と寂しそうに呟いたのだ。

 

 それは寂寥感に耐えきれず、愛されたいと訴えているように見えた。

 

 元々彼をオナペ……彼とのめくるめくラブシーンを色々妄想はしていたが、恋が始まったのはいつかと問われればやはりこの時この瞬間であろう。完全無欠と思っていた御方が不意に見せた〝弱さ〟は痛たましくもあり、愛おしくも思った。

 

 早い話がアインズが不意に見せたギャップにズキューンときてしまったのだ。

 

 アルベドは自らがアインズの寂しさを埋めようと考えていたが、至高の41人の一人がそのアインズに恋慕を抱いているならば、自分の感情を最優先させるわけにはいかないだろう。

 

 悔しい気持ちが全く無いわけではないが、正妻の座は彼女に明け渡さなければならない。しかしこれで、誰かに愛されたいというアインズの思いは満たされるのだから、自らを納得させるしかないだろう。

 

(きっとアインズ様は皆様から愛されていたのね、ご自身が思われているよりずっと。タブラ・スマラグディナ様も、あの日()()()()と楽しげにお話をされていたもの)

 

 あの人物とタブラ・スマラグディナの会話は断片的な記憶しかないが、度々玉座の間でモモンガの名を口にして談笑していた。真なる無(ギンヌンガガプ)をアルベドに持たせた彼は今、何処でどうしているのだろうか。

 

 思い出を懐古していたアルベドだったが、そろそろ頃合いのようだ。目の前の問題に対処しなくてはと気を引き締める。

 

 既に殆どのシモベ達が玉座を後にし、まだ残っているのは至高の41人の二人と、客将の二人。そして階層守護者達である。その中でシャルティアは今、白蝋じみた白い顔を絶望に染め上げていた。守護者と御方々が揃っているこの機会に、彼女の処分は早急に決めておくべきだろう。

 

 個人的にはシャルティアを気の毒に思わないでもない。創造主ペロロンチーノの訃報は、彼女にとって己が身を裂くよりも辛いはずだ。その点アルベドは直接別れの挨拶をされただけ、恵まれていたと言えよう。

 

 だが間の悪いことに、シャルティアは何者かの手によって精神支配に遭い、その挙げ句至高の御方に刃を向けるというとんでもない失態を犯している。自分が同じ立場であったらと思うとゾッとする。

 

 アインズはすべてを許すと言ってはいたが、信賞必罰は世の常であり、何か罰を与えてやらねばシャルティアも自分を許せず、後悔が刺のように残り続けるであろう。罰を与えることはそういった意味では許しであり、救いでもあるのだ。

 

 しかし、妙な違和感を覚える。今のシャルティアは何かに怯えているかのように見えた。アルベドがその視線の先を追うと、そこにはぶくぶく茶釜の姿。直接刃を向けたアインズに対して申し訳なく思っているのはわかるが、彼女に激しく怯えているのは一体何故なのか。

 

(もしや……成る程、そういうことね)

 

 アルベドは思考を巡らせ、最も可能性の高い理由を導き出す。アインズに刃を向けてしまった件については、彼自身は全てを許すと言っているし、ぶくぶく茶釜も恐らくそれには賛同しているだろう。それをシャルティアが知っているかは分からないが、仮に知っていたとしても、畏怖の念が本能に刻まれているのであればどうしようもない。

 

 つまり、シャルティアは根源的な部分でぶくぶく茶釜に対して畏れを抱いている。その理由は恐らく創造主同士の関係性であろう。

 

 自分達はどこか創造主達に似ている所があるとアインズは言っていた。アウラとマーレの関係から鑑みるに、創造主ペロロンチーノと、姉であるぶくぶく茶釜との関係も……。至高の御方の間にもパワーバランスというものは多かれ少なかれあるのだろう。その被造物であるシャルティアがその影響で彼女に対して特別に畏怖の感情を持っていたとしてもおかしくはないのだ。

 

「ちょっとシャルティア?」

 

「え?アレ?あ、あの……大丈夫ですか?」

 

 アウラがその場にへたり込むシャルティアに声をかけるが、本人はまるで気にかける余裕がない。ボンヤリしていたマーレも心配げにシャルティアの様子を窺う。ぶくぶく茶釜も心配になって段を降りていく。アインズ達も彼女の後を追うようにシャルティアのもとへと歩を進めた。

 

 近付いて来るぶくぶく茶釜の姿を見て、いよいよ涙目で震え出すシャルティア。何で自分がそんなに怯えられるのかと内心モヤモヤしたものを感じつつ、ぶくぶく茶釜は努めて恐がらせないよう笑顔を作る。

 

「ももも申し訳ございませんでしたああぁ!!」 

 

 突如として床に額を擦り付け、謝罪の言葉を叫ぶシャルティアに、ぶくぶく茶釜は思わず一歩後ずさる。目の前で床を割りそうな音を響かせて地面に頭突き、いや土下座をされれば驚きもする。

 

(ちょ、ええええー、どうなってんのよぉー?)

 

 困惑したぶくぶく茶釜が助けを求めるようにアインズを振り返ると、彼も困惑の表情を浮かべていた。

 

「あ、()()()()はその……ま、まさかぶぶぶくぶく茶釜様だとは露知らず────」

 

 シャルティアが必死に絞り出すかのような声で意味不明な言葉を口走る。その途端、何かやらかしたと敏感に感じ取ったアウラが鬼の形相でシャルティアを睨んだ。

 

「ちょっとアンタ、ぶくぶく茶釜様に何か不敬を働いたんじゃないでしょうね?」

 

「申し訳……申し訳有りません!!死んでお詫びしますうぅ!」

 

「ま、待て待て!はやまるんじゃない!」

 

(オイオイ、一体何やらかしたんだ?)

 

(し、知るかっ)

 

 どうにかアウラとシャルティアの二人を落ち着かせたものの、困り顔で視線を交わすリムルとアインズ。何か仕出かしていたようだが、アインズも何も思い当たる事は無かった。しかし内容がわからないでは対応しようもない。まずは聞き取りをしなくては。

 

「あーっと……あの時って?」

 

「そうでありんす」

 

()()時、とはなんだ、その……」

 

「はい、あの時でありんす」

 

(((いや、どの時だよっ!)))

 

 二人がそれぞれ訊ねるが会話が成立せず、あの時がどの時であるか、具体的な答えが反って来ない。リムルとアインズ、そしてぶくぶく茶釜の心の叫びが一致した。シャルティアは狼狽しているせいか、とにかく震えながら謝罪を口にするが、何の事を謝っているのかも分からない状況。そこへ助け船が出される。

 

「アインズ様もぶくぶく茶釜様も、『あの時』という一言だけでは心当たりが多すぎて迷っておられるご様子。シャルティア、もう少し具体的に説明してくれないかね」

 

 デミウルゴスが状況を素早く理解して適切な助言をしてくれた。そのお陰でシャルティアは自分の過ちを悔いるように表情を歪めながらも、順を追って経緯を説明し始めた。

 

 自害を踏み留まっているのはひとえにアインズの言い付けだからであり、許されるならば今すぐにでも死んでしまいたいと顔に書いてある。

 

 シャルティアから齎された内容に皆が瞠目する。セバス達と別れてシャルティアが向かった盗賊の塒で、なんとぶくぶく茶釜に出会ったらしい。しかも至高の御方だと全く気付かず刃を向けてしまったというのだ。当然ながらシャルティアの話はアインズ達の知る時系列から考えれば矛盾していて、人違いだろうと予想がついていた。

 

 しかしアウラを初め守護者達はシャルティアの言葉に驚愕し、そしてそれが怒りに変わっていくのに時間はかからなかった。皆どうにか堪えては居るものの、滲み出る感情が空気の重さとなって表れている。

 

「それ別人じゃね?」

 

「ふぇっ?」

 

「え、スライムが喋った!?」

 

 重い空気の中、不意にぶくぶく茶釜が抱えるスライムが声を発し、シャルティアとアウラが驚きの声を発する。他の守護者達も驚いたような表情を見せていた。

 

「ん?俺だよ、俺。分からないか?」

 

 更に馴れ馴れしい口調で話し掛けてくるスライムに、怪訝な表情を浮かべるアウラ。シャルティアも何処かで聞いたような、と首をひねる。

 

「リムル、なんなんだそのオレオレ詐欺みたいな台詞は……」

 

「「「えぇー!?」」」

 

 アインズの溜め息混じりの言葉に、マーレも一緒になって驚きの声を上げた。スライム形態だったリムルが中空へと飛び上がり、人型に戻って着地する。そしていつものように美女の顔には似合わない笑みを浮かべる。

 

「いや、何でシャルティアが驚いた顔してんだよ?お前にはスライム姿も見せたろ?……で、さっきも言ったけど、お前が会ったのは別人だ。人違い」

 

「いやでも、だって……お会いしました、よね?」

 

『……?』

 

 別人だとあっさりと断じたリムルの言葉に、シャルティアは混乱した様子で本人に訊ねる。だが、全く心当たりのないぶくぶく茶釜も小首を傾げ、お互い見つめあったまま数秒間、微妙な沈黙が流れる。

 

「世の中にはソックリな人間が三人はいると聞いたことがあるが、まさか本当に居るとはな……」

 

「そ、そんな事が……?でも確かに同じお顔で……いや、()()()の方が今より少し年増に見えんしたが……じゃ、じゃあ、本当に別人……?」

 

 アインズの言葉を聞き、シャルティアは記憶を思い返しながら驚愕の表情を浮かべる。

 

「かぜっち……ぶくぶく茶釜がこの世界に来たのは、お前が洗脳にあったより後だ。お前が会ったっていう時間にはまだこの世界に居なかったんだから、偶然にも出(くわ)すはずがないんだ」

 

「……えぇ~」

 

 リムルの推論に全身の力が抜け、溜め息を吐くシャルティア。未だ信じられないという面持ちだが、本人も知らないというので、本当に別人なのであろう。

 

「そ、そんなに似ていたのか?」

 

「あ……は、はい……」

 

 アインズの問いに、シャルティアは顔を赤くして恥ずかしそうに、小さく小声で答えた。至高の御方の顔を他の誰かと見間違うだなんて、と恥じ入っているのだろう。

 

「なぁんだ、シャルティアの勘違いだったんだ?至高の御方を見間違うだなんて、とんだ節穴(ふしあな)ねぇ~」

 

 人騒がせな、と呆れたように肩を竦めるアウラ。デミウルゴスも頬をひきつらせていたが、怒りより呆れの方が勝っているといった様子だ。

 

「うっ……冷静になって考えてみれば髪の色とか違いんしたが……で、でも、チビすけだっていきなり会ったら絶対そっくりそのまま、おんなじ顔だって思うでありんす!」

 

「バーカ、もしホントにソックリだとしても自分の創造主を見間違うワケないじゃん!」

 

 一時はどうなるかと思ったが、どうやら誤解も解けていつもの調子でじゃれ合い始めた二人。そんな二人の様子を見て、アインズもホッと胸を撫で下ろした。

 

「よ、よかったですね、人違いで」

 

 マーレが安堵しながら声をかけるが、人違いされた側からすればいい迷惑である。

 

「しかし、操られて主人に刃を向ける羽目になろうとは。もし相手を侮り慢心していたのだとしたら、許されざる失態ですが。どうなんです?」

 

「うぐっ……。アインズ様、本当に、本当に申し訳ございませんでした。敵を侮るようなつもりはありんせんでしたが、自分の方が格上だという慢心がありんしたのは事実です。愚かな私にどうぞ何なりと罰をお与えください」

 

 ディアブロの辛辣な追求に反論できず、そのままアインズに頭を下げて謝罪を口にするシャルティア。ぶくぶく茶釜は人違いであったため実際には刃を向けてはいないが、アインズに刃を向けたことは事実である。慢心したツケがどれほど大きかったのか、シャルティア自身、深い後悔と共に身に染みて感じていた。

 

「先にも言ったが、今回の件でお前を責めるつもりはない。お前の全てを許そう」

 

 デミウルゴスとコキュートスも、彼女の失態に思うことが無いではなかった。だが本人の様子を見て、あえて追及はしない。本人が十分に反省している事は分かったし、何よりアインズが全てを許すと決めたのだ。ならば彼女を責め立てるのはそのアインズの意に背く事となってしまうだろう。

 

 しかしアルベドは少し違った。意を決したように真剣な顔つきでアインズに話しかける。

 

「アインズ様、よろしいでしょうか」

 

「ん?ああ、なんだ?」

 

「アインズ様の決定に意見を差し挟む事は恐縮ですが、やはり何かしらの罰を与えてやらねばシャルティアの気が済まないかと。信賞必罰は世の常と言います。守護者が何の罰も受けないままでは他の者にも示しがつきません」

 

 アルベドの言は尤もであった。守護者だからといって、いや、だからこそ失敗を簡単に許されるべきではない。立場あるものは職務に相応しい責任を負ってこそ、その権能を認められるべきなのだ。

 

「いや、しかし……」

 

 アインズは少し渋い顔をして考えていたが、それが本人の為になるならばと自らを納得させる。

 

「……分かった。何らかの相応しい罰を考えておくとしよう」

 

「私如きの意見を聞き入れてくださり、ありがとうございます」

 

「いやいや、私は元々完璧な存在などではないのだから、今のお前のように率直に意見をくれた方がむしろ助かる。流石は守護者統括だな」

 

「勿体無いお言葉、恐悦至極にございます」

 

 アインズの言葉に穏やかな笑顔を浮かべるアルベド。少し綺麗すぎて守護者達からすれば違和感がすごいのだが、ぶくぶく茶釜はそういうものかと思って感心したような眼差しを向けていた。

 

「……しかしそうだな。今回の件は、私に最も責任があると考えている。世界級アイテムやプレイヤーの存在を懸念しながらも、具体的な対策を講じなかった。その結果がこれだ。よって一番責められるべきなのは私という事だ。何か罰を受けるべきだと思うが……」

 

「「「「「!?」」」」」

 

 その言葉に驚愕したのは階層守護者達である。アングリと口を開けて、あたふたと慌て出す。まさかそんな話に発展しようとは、アルベドも想定外である。

 

「ア、アインズ様がそのような……」

 

「罰をお受けになるなど!」

 

「どうかご再考を!」

 

「ナレバ私ガ御身ノ身代ワリニ……!」

 

「そっ、それはむしろご褒美でありんすっ!私が代わりにぃ!」

 

「あ、あの、その……ええっとぉ……」

 

 口々に反対の声をあげるが、中にはおかしなのも混じっていた。

 

(うーん、俺こそ何もお咎め無しじゃみんなに示しがつかないと思うんだけどなぁ。でも俺が罰を受けたら受けたで、逆にみんなにストレスを与えてしまいそうだ……)

 

「うーむ、では罰ではなく、お前達のために何かこう、奉仕活動でもしようか……」

 

「「ア、アインズ様のごごご、ご奉仕!?」」

 

 瞬間、アルベドが内股をモジモジと激しく擦り寄せ、シャルティアも鼻息を荒くし始める。例によって何か良からぬ誤解をしているようだが、とにかく目が怖い。

 

 アルベドもシャルティアも、ともに相当な美貌の持ち主である。せめて頬を羞じらいに染めているとか、眼がキラキラと言える程度に輝いていたのならば、アインズも多少の鼓動の高鳴りを覚えたのかもしれない。だが、ギラギラとした欲望に染まる血走った目で()()部分をロックオンされれば、感じるのはただの恐怖であった。

 

「くっふぅー!」

 

(く、喰われる!?)

 

 二人の肉欲に染まりきった視線に貞操の危機を察知し、アインズは背中に冷たいものが走る。

 

(ああ、男からいやらしい目を向けられる女性は、いつもこういう感覚なのかな……)

 

 アインズは内心でそんなことを考えながら逃げる算段を取ろうとしていたのだが、その必要はなかった。

 

「はぅあっ!?」

 

「ど、どうした!?」

 

 突然血相を変えて叫んだアルベドに、アインズも思わず声が大きくなる。

 

「ぶくぶく茶釜様、こ、これはその……」

 

「えっ?あ……!あわわ、どうかお許しをぉ!」

 

 ぶくぶく茶釜が発情した二人をなんとも言えない表情でじっと見つめていた。アルベドが借りてきた猫のように縮こまっていく。シャルティアもその態度を見て本能的にヤバいと察したのか、白い顔を更に青ざめた。

 

(え、アタシ!?今度は何よぉ?)

 

 何故か目の前で平伏する二人に戸惑いを隠せないぶくぶく茶釜。シャルティアばかりか今度はアルベドも間違いなく彼女の前では恐縮してしまう。たとえ人間だと知っていても、彼女達の忠誠心に変わりはないようだ。平伏されるぶくぶく茶釜の背中をアインズは頼もしく感じた。

 

(た、助かった……。茶釜さんにもちゃんと忠誠心を持ってくれてるようだし、心配はなさそうだな。それにしても流石は茶釜さんだな。ペロロンチーノさんにもそうだったけど、こういう事には厳しいから……)

 

 エロゲ好きな弟の行動を厳しく叱っていた彼女にかかれば欲情した守護者もカタナシだなどと、身の安全を確認したアインズは暢気にそんな事を考えていたが、ぶくぶく茶釜に平伏する二人はそれどころではない。

 

「アルベド、()()()()()なら何で教えてくれないでありんすか。まさかぶくぶく茶釜様がアインズ様のこと……」

 

「し、仕方ないじゃない、伝える時間なんてなかったんだから」

 

 頭を下げながら、何か小声で言い合う二人。するとぶくぶく茶釜が何故か慌てた様子でリムルを手招きし、二人に顔を近付ける。リムルを介して思念を繋ぎ、三人だけで会話しているのだろう。数秒もするとアルベドとシャルティアはぎこちなくひきつった表情を浮かべていた。

 

「茶釜さん……?」

 

『うん、ちょっと後でOHANASHIをね……』

 

 アインズを振り返らずそう答えた彼女は、微かに肩を震わせ顔を赤くしている。表情が見えないので予想でしかないが、怒りをこらえているように見えた。アインズは下手に首を突っ込むのは危険であると判断し、それ以上突っ込んだことは訊かない。それで過去にも痛い目を見ているのだ。

 

(……スイッチ入った茶釜さんには俺も逆らえないからなぁ)

 

 後で叱られるであろう二人は気の毒だが、怒りモードに入った暴君(パワーガール)とも言うべき彼女を止めるのは不可能だということは、魔物の国(テンペスト)で証明済みである。だが、自分の迂闊な発言さえなければ二人の暴走もなかった。可哀想な部下のために何らかの措置は取るべきだろうとアインズは一計を案じた。

 

「ま、まぁ折角の機会だからな。ゆっくり茶釜さんと女性同士で語らうといい」

 

「あっハイ……」

 

「だがその前に、だ。シャルティア、お前が出会ったという人物と、精神支配に遭った件について、覚えていることを忘れないうちに教えてくれないか。今後の行動方針を考える上でも()()()重要な情報となるだろうからな。勿論思い出せる範囲で構わないぞ」

 

「は、はいっ喜んで!」

 

 アインズにそう尋ねられ、天の助けと言わんばかりにシャルティアは目を輝かせる。かつてペロロンチーノと育まれていた()()()()()()の連携は、シャルティアにも根付いているようである。

 

「そういうわけで、茶釜さんもOHANASHIは聞き取りの後、ということでいいですかね?」

 

 ぶくぶく茶釜もコクリと頷く。怒りというものは時間が経つと緩やかに落ち着いていくものだ。シャルティアから聞き取りをする間に怒りも鎮まってくれればいいが。

 

(うーん、何となく茶釜さんに避けられているような……?)

 

 彼女が顔を赤くしている理由には気付かないまま、アインズは内心少しだけセンチになった気持ちを引き摺りつつも、それを口には出せないまま守護者達達と共に会議室へと足を運ぶのだった。




茶釜さんの言うOHANASHIをアインズ様はお説教だと思っているようですが……。
リムル様は恋愛に関して放任主義なので干渉しません。
そして影のように黙って成り行き見ているパンドラズ・アクターは何を思うのか?


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#78 今後

今後どうしようかと頭を抱えながらアインズ様がナザリックの方針を考えるお話です。


「…………」

 

 アインズの執務室。大きな机の前に腰掛けたアインズは、肘を机について両手を組み合わせ、口元を隠すような姿勢で押し黙っている。

 

 如何にも支配者然とした厳粛な雰囲気を纏い、深い思案に耽っているように見える主人の邪魔をしないよう、今日の「アインズ様当番」となった一般メイドのフォアイルは、気合いの入った表情のまま身じろぎひとつせず部屋の隅に控えている。

 

 アインズに提案された休日制度に対して一般メイド達は一致団結し、「どうか至高の御方のために働くという生き甲斐を取り上げないで下さい」と直談判していた。

 

 結果として休日制度は取り入れられることになったが、その代わりに丸1日〝至高の御方付き〟として身の回りのお世話や雑用をこなす仕事を、当番制で行う事が決まったのだ。

 当番の前日は休日とし、1日体を休めて英気を養い、翌日の当番を万全の状態で迎える。一般メイド達からの評判は上々で、皆二人の御方の当番が回ってくる日を指折り数えては楽しみにしている。

 

 365日毎日勤務というブラック過ぎるメイド達の職場環境を良くしようというアインズの計画は、どうにか20日に一回程度のペースで休日を取らせるところまで成功していた。およそ三週間に1日のペースだが、休日ゼロという状況と比すれば、大きな進歩と言えよう。

 

(まだまだブラック過ぎだけどな……せめて週1日に増やせる妙案はないか……)

 

「ふむ……」

 

 静謐な空気が漂う執務室で、アインズは何度目かになる溜め息をつきたい衝動を、それとはわからないよう誤魔化しながら声を発した。

 

 アインズは今、頭を抱えて床を転げ回りたい程に悩んでいた。

 

 シャルティアへの聞き取りはリムルとディアブロも同席し、その後に彼らの考察も交えて話し合い、貴重な情報や意見を得ることができた。それらの情報をを踏まえた上でナザリックの今後の方針をどうするべきか、一人悩んでいるのだ。

 

 既にぶくぶく茶釜がナザリックに帰還してから、数日が経過している。その間魔法詠唱者(マジックキャスター)アインズ・ウール・ゴウンとして冒険者組合に報酬の残りを渡しに行ったり、モモンとして組合に報酬を受け取りに行ったりと忙しなく行動していた。その合間を縫って時間を見つけてはどうしようかと頭を捻って考えているのだが、さっぱり決まらない。

 

 リムルはシャルティアの聞き取りが終わったあと、何かを思い出したように再び外出すると言い出した。

 

 現在バハルス帝国の皇帝の居城に招かれていると聞いたときには、どうやったら数日でそんなコネが作れるのかと驚いた。経緯を訊ねれば、ヒナタが闘技場で一躍有名になり、彼女の実力に目をつけた皇帝から、直々に兵士の教育を頼まれたのだという。

 

 ヒナタがその依頼を受け、その間リムルとミリムは帝国の学園に生徒として通う事になったという。おおかた学園青春物の雰囲気を満喫しようという目論みなのだろう。人が悩んでいるときにいい気なものだが、止める気にはならなかった。ミリムを一人で学園の生徒として通わせることには一抹どころではない不安を感じる。

 

(アイツら……本当に大丈夫なんだろうな?)

 

 二人ともその気になれば大国をも1日とかからず灰塵と化す事ができる〝魔王〟なのだ。

 

 中でもミリムの二つ名は〝破壊の暴君(デストロイ)〟。アインズはまだその片鱗をじかに見たことはないが、学生という身分を偽る以上、なめてかかって来る相手もいるだろう。何も知らない愚者(バカ)に要らぬちょっかいを出されて癇癪を起こしてしまえば、ちょっかいを出した本人が痛い目を見るだけでは済むわけがない。

 

(最低でも学校一つくらいなら一瞬だぞ?)

 

 彼女をその気にさせてしまったら学校どころか帝都まるごと、秒とかからず消し飛ぶことだろう。幸いなことに皇帝は頭の切れる男らしいので、客として招いた相手にそうそうおかしな奴を近付けさせはしないと思いたい。

 

(二人の正体を知ったら皇帝はどんな反応をするか……辛労でハゲたりしてな……。『賢さは時に幸福を逃がす』とはソフォクレスだったか?)

 

 中途半端に賢い者は、他の人が知らずに過ごしている「知らなきゃよかった」と思うような不幸の種を発見してしまいがちだと教わった気がする。二人の〝魔王〟という巨大な核弾頭を城に招いていただなんて知ったら、優秀でイケメンだとかいう皇帝はどんな顔をするだろうか。

 

(まぁ、リムルが止めてくれることを祈るしかないな。……頼むからナザリックは巻き込まないでくれよ)

 

 ミリムの相手はリムルに丸投げし、余計な心配事は思考の外に追いやる。今考えなければならないことに頭を切り替えなければ。

 

(茶釜さんがナザリックに来てくれて、ナザリックの皆も彼女を受け入れてくれた。それは喜ばしい事なんだけど……今後この世界の人間達とはどう接していくべきか。それが今後の課題の一つだな。リムルのように共存共栄を目指すべきか?でもなぁ……)

 

 皆ギルドメンバーが人間だと知って尚、アインズに忠誠を捧げてくれている。アインズが望めば、それを実現せんと行動してくれることだろう。

 

 だがそれ故に、もしアインズが舵切りを誤った場合、皆を(いたづら)に危険に晒すことに直結してしまう。シャルティアの精神支配騒ぎはその最たる例と言えよう。

 

 リムルもかつて自分の甘い采配のせいで、人間に部下を殺されしまった事があると言っていた。ナザリックの大切な部下達を、友人の子供のような存在をそんな目に遭わせてしまうかも知れないと思うと、自分が支配者をやっていていいのだろうかと不安になる。

 

 この世界に於いて、異形の集団である『アインズ・ウール・ゴウン』が人間種と共存を目指す事は、決して生易しい道のりではないだろう。ユグドラシル時代にも、たかがゲームとはいえ、異形種プレイヤーを毛嫌いする人間種プレイヤーは多かったのだ。

 

 カルネ村や陽光聖典とはたまたま友好的?な関係を築く事が出来たが、他の人間達もそうとは限らない。特にスレイン法国の掲げる理念は、ナザリックとは相容れないように思えた。

 

 相手の出方によっては対話も選択肢に入れるべきだろうか。もし敵対されても簡単に負けるとは思わないが、プレイヤーの影が見え隠れするのがどうも気にかかる。シャルティアが会った他にも世界級アイテム所持者が居ないとも限らない。

 

(ついこの間まで平のサラリーマンだったんだぞ?いきなり上手く回していけるわけが……。いや、しっかりしろ!責任者は俺なんだ!皆が俺の決断を待ってる。俺が決めなきゃ……)

 

 アインズは投げ出してしまいそうになる自分を叱咤し、気合いを入れ直す。方向性さえ決まれば、その方向に向かうための様々な知恵や手練手管は部下達に頼りながらやっていけるだろうが、方針策定は他ならぬ最高責任者のアインズが決めなければならない。これだけは誰にも任せるわけにはいかないのだ。

 

 この方針の如何によって、ナザリックの未来像は大きく左右されるのだ。無い頭でも振り絞って、精一杯考え抜かなければ、信じてついてきてくれる彼らに面目が立たない。

 

(でもどうしよう、俺個人としては現地人とは仲良くしたいというほどでもないんだよなぁ。ナザリックさえ無事で平穏に過ごせれば、その他はそんなに重要じゃないっていうか……)

 

 生死反転によって肉体は人に戻る事が出来るようになったものの、現地人に対して親近感が持てるようになったかと問われれば、それを肯定する事には首を傾げたくなる。

 

 もちろんガゼフ・ストロノーフのような、個人レベルで好感を抱いた例はある。しかしもっと多くの、人間国家だとか人間種族だとかいう大きな括りとして見た場合、まるでピンと来なくなってしまう。

 

 死の支配者として転移した事は、肉体だけでなく精神にも影響があった事は明白。そのせいで以前よりも人間への関心が薄くなっているのかも知れない。

 

(……いや、元々リアルでサラリーマンとして暮らしていた頃からそんなだった気もするな。ギルドの仲間に対する親愛の情が薄れたようには感じないが、顔も知らない、話したこともない人が死んでも、他人事としか思わない。ただ、彼女は……)

 

 自分はどちらかと言えばドライな人間なのだろう。知りもしない他人の不幸に胸を痛めるような良心は持ち合わせていない。だがぶくぶく茶釜はどうだろうか。

 

 気さくで自分よりずっと人情家に思える彼女は、現地の人間とも仲良くしたいかも知れないし、人間同士で全く交流が無くては、もの寂しいと感じるかも知れない。

 

 そう考えると、出来るだけ周辺とも穏便に、できれば異形だけでなく人間とも共存していけた方が望ましいだろうとは思う。

 

 折角日常(リアル)からこちらへ来てくれた彼女が、やっぱり来るんじゃなかったと後悔するような事にはしたくない。そのためには、彼女の要望は出来る限り叶えたい。そのためには無数の可能性を想定し、あらゆる危険に備えなくてはならない。失敗は許されないのだ。

 

(一つずつ考えていこう。まずは安全を確保して、平穏に暮らせる環境は必要だよな)

 

 この世界はリアルとは違い美しい自然に溢れる世界だ。しかし、人間の生存を脅かす存在も多数存在している。ナザリックに籠っていれば安全かもしれないが、ずっとそのままで居られるとは思えない。

 

(狭い世界に籠っていては駄目だ。茶釜さんには不自由とか窮屈な思いはさせたくない。出来る限り要望を聞いて叶えていかないとな。衣食住には困らないだろうから良いとして、交友関係とかは重要だな。カルネ村の住人なら受け入れてくれるかな。あとは……恋愛や結婚とかか……?やっぱり相手は人間、がいいよなぁ……)

 

 例の御曹司との事は何も聞いてはいないが、やはり彼女も相手に何らかの期待があったから誘いに応じたはずだとアインズは考えていた。彼女が自分の気を引こうとしていた事など気づきもしていない。

 

 ナザリック地下大墳墓の配下で人間は一人だけ居るが、それは女性。彼女が同性愛者でなければ結婚とかそういった相手にはなり得ない。アインズ自身も半分アンデッドのようなもので、生死反転した状態でも人間と言えるかどうか。

 

(いや、なにさりげなく自分を選択肢に入れてるんだよっ!?俺が茶釜さんと結婚なんて、考えるだけ無駄……結婚か……)

 

 自分とは縁遠い。そんな未知の事柄をどうやって支援すればよいのか。もし彼女が現地人の誰かと結婚するなんて言い出したら、心から祝福出来るだろうか。あの時のように、友人として背中を押してあげられるのか。自問しては懊悩する。

 

(……こればかりは、その時になってみないと分からないな……。待てよ、しょうもない男だったら止めるのも友人としての務めか?……そうだよな、うん)

 

 決して嫉妬心からではなく、友人の幸せを願うがゆえに止めるだけだ。そう自己弁護するが、自分の中の理性とは違う部分が何かを訴えている気がする。

 

(もし茶釜さんがその相手と幸せになってくれればそれで……それで……俺は……)

 

 何とも名状しがたい痛みが、アインズの胸の奥をジワジワと焦がす。ありもしない余計な期待を抱くのも、つまらない嫉妬をするのも、ただ不毛なだけだと思っていたはずなのに。

 

「ふ……」

 

 アインズは自分の女々しい考えを嘲笑う。

 

(どうしろって言うんだよ。俺なんかじゃ、とても釣り合わないだろ)

 

 手を伸ばしても決して届くことのない、夜空の星達と同じだ。誰もが憧れ好感を抱く人気声優と、冴えない小卒のサラリーマンでは釣り合うはずがない。アインズは溢れかけた想いに蓋をして、無理矢理に思考を切り替える。

 

(さて、結婚はさておき、現地人との関係だな。懸念材料と言えば……)

 

「スレイン法国……だな」

 

 アインズの胸中にジワリと仄暗い感情が沸き上がる。シャルティアから聞いた精神支配を仕掛けて来た連中の特徴をニグンに伝えて確認したところ、恐らく法国の特殊部隊の一つ『漆黒聖典』ではないかという答えが返ってきていた。

 

 何があったのか具体的には語らなかったが、アインズの不穏な反応を見て察したのだろう、ニグンは地面に頭を擦り付けるように平伏し、人類を見捨てないで欲しいと懇願してきた。

 

 身勝手な話だ。これまで散々他種族を排斥し、殺してきただろうに。それが掌を返すように異形である自分達に救いを求めすり寄って来ようとする。それほどまでに人間は弱いのか。だがニグンに応えはしていない。方針が定まらないうちは法国への対応もどうなるかわからないからだ。

 

 精神支配の件は、客観的に考えればシャルティアにも瑕疵はあったように思う。だがそれでもシャルティアの苦しみを思えば、奴等を簡単に許す気にはなれなかった。何らかの形で実行犯には報いを受けてもらわなければ気が済まない。

 

 だが懸念すべき事はそれだけではない。王国の北側に隣接する『アーグランド評議国』には、竜王(ドラゴンロード)が君臨していると聞く。その評議国の存在が、話を更にややこしくしていた。

 

 アーグランド評議国とスレイン法国とは互いに不干渉を貫いているものの、決して友好的とは言えないとニグンから聞いていた。法国は評議国を刺激しないように気を遣っているものの、何かの切っ掛けで戦端が開かれるかも知れないのだ。もし両国の間に戦端が開かれれば、間に挟まれた王国、そしてナザリックの立地を考えると、対岸の火事で済むとは思えない。

 

 アインズが法国だけでなく評議国を警戒するのには理由がある。ドラゴンという種族はユグドラシルに於いてもかなり優遇された種族であり、ワールドエネミーにも選ばれているのだ。プレイヤーが選択することは出来ない種族だが、もし選べたとしたら〝公式チート〟と認定される事請け合いだった。

 

 そんなドラゴンの長達が複数居るという評議国の実力は、恐らくプレイヤーを除けば現地最強の勢力だろう。五百年前に現れた八欲王と呼ばれるプレイヤーとおぼしき存在と、当時の竜王達は熾烈な闘争を繰り広げたという。

 

 アインズは八欲王の正体には心当たりがあった。ユグドラシルのギルドランクが『アインズ・ウール・ゴウン』よりも上位のギルドだ。八欲王が天空に浮かぶ城を拠点にしていた事から、そうではないかという想像でしかないが、可能性は高い。

 

 そんなプレイヤー達と渡り合った竜王達がナザリックの敵に回った場合、極めて厄介と言わざるを得ないだろう。相手の実力も腹の底も知れないうちに安心など出来るはずもなかった。

 

 ぶくぶく茶釜の事を思えば、さっさと法国との落とし所を模索し、周辺国家と友好を築く努力をすべきかもしれない。だが、ナザリックがプレイヤーが作った法国や人間に肩入れしていると評議国側が認識した場合、どのようなスタンスを取ってくるのか。敵対という可能性、或いは最悪法国ともこじれて両面戦となりはしないだろうか。

 

 もうしばらくの間、このまま冒険者モモンとして人間社会の中に紛れ、情報を集めることに時間をかけるべきかもしれない。しかしそれにも問題が無いわけではなかった。

 

 例のミラージュとか言う女だ。見た目がぶくぶく茶釜と瓜二つな理由は不明だが、少なくともシャルティアと渡り合えるような存在が王国内で確認された以上、警戒しないわけにはいかない。敵か味方か、後ろ楯となる勢力の有無も判然とせず、個人単位で見た場合に現在最も危険な個と言える。彼女にもし出くわしてしまったときの対処も決めておかなければならない。

 

(考えていた以上に、潜んでいた危険が多かったな。呑気に冒険者やってる場合じゃなかったか……?いや、でもなぁ……)

 

 無数の地雷が埋まった大地を何も知らずに闊歩していたかのような迂闊さに、今更ながら背筋が寒くなる思いがする。

 

 しかし、情報が欠如していたあの時点で他に情報収集する良い手立ては思い浮かばなかったし、実際悪くはなかったはずだ。ナーベラルも少しだけ人間に対する侮蔑の色が薄れたようにも思えるし、一部の現地民とコネクションだって築く事が出来た。

 

(もう暫くの間はモモンとして冒険者の仕事をこなしつつ、地道な情報収集を続けるべきか。アインズ・ウール・ゴウンとしては……)

 

 エ・ランテルの冒険者達はアインズをどう思っただろうか。アインズが残りの報酬を渡しに組合を訪れた時には、居合わせた冒険者達は誰も話し掛けてこようとはせず、遠巻きに遠慮がちな視線を感じた。

 

(多分あれ、怖がられてたよな。パンドラが圧迫面接みたいな事もやっちゃったし、無理もないか……)

 

 もちろん、冒険者組合長のアインザックや魔術師組合のラケシルなど、一部の者達は笑顔で接してくれたが、やはりモモンとして接する時とは何か違った気がする。モモンの時には兜越しにちゃんと目が合った気がした受付嬢も、アインズとは全く視線を合わせてくれなかった。

 

(まさかアインズになっても女性に避けられるとは……。魔法詠唱者(マジックキャスター)アインズ・ウール・ゴウンの評価はどうなんだろう……)

 

 モモンの名声はうなぎ登りだが、アインズの評価は……気にはなるが聞きたくない気もする。ユグドラシル仲間と共に築き上げた名は主に悪名だったが、この世界でも悪名が轟いてしまうのだろうか……。いや、それならまだマシかも知れない。

 

 リアルでも異性に避けられる事が多かった自分がその名を名乗っているせいで、アインズ・ウール・ゴウンの評判が「モテないオッサン」なんて変なものになったら、ギルドのメンバーに申し訳が立たない。

 

 過去のトラウマ達が生々しく脳裏に甦りながら、急き立ててくるようだ。

 

(くっ……何か手を打たないと……でもどうすればいいんだ?たっちさんがいればなぁ……)

 

 勝ち組でリア充の友人を思い浮かべつつ、少しはモテる人物を取り繕ってみようかと思ったが、具体的に何をどうすればモテる男を演じられるのか、モテた経験のない自分にはさっぱりわからない。そもそもどうして避けられてきたのか、理由さえ分からないのだ。

 

(顔、か……?顔なのか?いや、立ち振舞い?)

 

 自分ではなかなかこういうことには気付けないので誰かに意見を聞きたいところだ。だがしかし────

 

(そんなの一体誰に聞けばいいんだ……?)

 

 ナザリックのシモベに聞いたところで、返ってくる応えなど想像がついてしまう。一応控えているフォアイルに聞いてみようかと一瞬考えたが、女性にそんなことを訊くのはセクハラになるのではと気付き、思いとどまる。

 

(じゃあやっぱりセバスやデミウルゴスか?アイツらなら如何にもモテそうだし────)

 

 アインズの思考がおかしな方向に行き始めたその時、執務室の扉がノックされ、フォアイルが扉へと向かう。

 

「アインズ様、ぶくぶく茶釜様がおみえです」

 

「もうそんな時間か……また後でゆっくり考えるとしよう」

 

 アインズは一旦悩むのをやめて立ち上がり、来訪したぶくぶく茶釜を出迎えた。モコモコしたファーのついたフード付きコートに身を包み、手にはミトンを嵌め込んでいる。ユグドラシルでアウラとマーレを着せ替え人形にしていただけあって、様々な衣装を大量に溜め込んでいるようだ。

 

 特に寒くもない室内だというのに、まるで雪山にでも登るのかという出で立ちの彼女。だが、彼女の選択は正しい。これから行くのは人間では耐えられない寒さなのだから。

 

「防寒対策は大丈夫そうですね。じゃあ、行きましょうか」

 

 

 

 

 

(あっ、な、なんか出そう……。あ………あっあっあっ、待って、モンちゃん、まだ心の準備がっ!)

 

「さぁ茶釜さん、ここからが本番ですよ。……アルベドよ」

 

「はい」

 

 緊張に身を固くしたぶくぶく茶釜を尻目に、アインズは医療用メスを要求する時の外科医のように冷静な態度で手を出し、アルベドから()()()()を受け取った。

 

 そしてそれとほぼ同時に────

 

 

 ゴシャッ

 

 いや、ゴパァッ だろうか。

 

 飛んできた何かが、勢いよく壁にブチ当たって粉々に砕け散る。飛んできたその方向には、黒い喪服のような装いの女が立っていた。

 

 奥で椅子にかけて無言で揺りかごを揺すっていた女が、突然揺りかごに寝かされていた()()を投げつけてきたのだ。そしてどこから取り出したのか、いつのまにかその手には大きな鋏が握られている。

 

「私の子わたしのこわたしのこわたしのこぉ!お前お前お前お前お前おまええぇ!私のこどもこどもこどもを拐ったなさらったなさらったなあああぁぁ!!」

 

 狂乱した喪服の女が顔を覆う長い黒髪を振り乱しながら、とんでもない歩幅になるような走り方で、疾風の如く迫る。

 

(オギャアアァァ!!?)

 

 猛烈な勢いで迫る喪服女。まるでホラー映画のワンシーンだ。長い前髪から覗く女の顔には唇も皮膚もなく、ぶくぶく茶釜の感覚からすれば衝撃の顔貌であった。

 

「ほら、お前の子供はここだぞ」

 

 間近に迫った女が鋏を振り上げたその時、瞼のない剥き出しの瞳が、アインズに差し出された赤子の人形(カリカチュア)を捉える。すると女はその人形を見てピタリとその動きを止め、鋏を仕舞う。

 

「お、おおおおお」

 

 先程までの怒りと殺意に満ちたような空気が霧散し、女の雰囲気が変わる。彼女はゆっくりと差し出されたカリカチュアを受け取り、愛おしげに胸に抱き締めた。もう二度と我が子を離さない。そんな愛情が溢れる、感動的な母の抱擁…………のハズなのだが、抱き締めているのはあくまでも()()である。

 

「マー……レ?」

 

 アウラが黙りこくっている弟の様子を確かめようと後ろを振り替えり、心配げな眼差しが一瞬でジト目に変わる。

 

 ぶくぶく茶釜は生まれたての小鹿のように膝をガクガクと戦慄(わなな)かせ、息も絶え絶えといった様子であった。目尻には涙が浮かび冷や汗が頬を伝う。様々な世界線を巡り幾つもの死線を掻い潜ってきたが、さしもの彼女も、ホラー耐性は皆無であった。

 

 そんな彼女にガッチリとしがみつかれたマーレは、頬を上気させながら恍惚の表情を浮かべていた。

 

「マーレェ!」

 

「ふぇ?あ、お姉ちゃん……」

 

 眉を吊り上げて窘めるアウラの声に、マーレも夢見心地から正気に戻り。そして姉の小言を受ける。守護者がそんな気を抜いてどうするの、と叱るアウラに、相変わらず頭が上がらない。

 

 まぁまぁ、と手振りでぶくぶく茶釜が割って入り、アウラも矛を納める。

 

 主人の弱々しいところを目の当たりにしても、しかし彼女の被造物であり守護者の二人はとても嬉しそうに満面の笑顔を浮かべる。

 至高の御方が弱くとも関係ない。二人にとって、彼女の傍に居られるだけで幸せなのだ。ほんの些細な事でも役に立てる事が、嬉しくて仕方ないようだ。

 

 彼女らの微笑ましい光景を眺め、どうやら心配は無さそうだとアインズも笑みを溢した。

 

「アインズ様、ぶくぶく茶釜様、ようこそ御越しくださいました」

 

 人形を揺り篭へと寝かせた女が声をかけてくる。

 

「元気そうだな、ニグレド」

 

 そう、喪服の女の名はニグレド。タブラ・スマラグディナが作成したNPCの一人で、設定上ではアルベドの姉である。

 

 探知系に特化した最高水準の魔法詠唱者(マジックキャスター)である彼女は、性格自体は至って真面(まとも)なのだが、先程のやり取りを済ませないと会話に入れないという、ちょっと面倒くさい手続きがある。

 

(タブラさん、濃ゆい人だったからなぁ……ていうかコレの為にどんだけ課金したんだ?)

 

 悪い人ではないし、話せば賢く真面な人なのだが、突っ込んだことを聞いて掘り下げていくと何処までも濃ゆく深みのある、凝り性な人間性を思い出していた。

 

 ニグレドの部屋には、タブラ・スマラグディナの手によって、腐肉赤子(キャリオンベイビー)という自動湧き(POP)しない召喚モンスターが大量に配置されている。そのレベルは10台。召喚するのにユグドラシル金貨や課金が必要で、しかも倒されると復活もしない事から、そのようなモンスターを配置するのは贅沢というイメージがプレイヤーの間にはあった。

 

 態々大量課金してまで自動湧きしないモンスターをこんなにも配置するこだわりようはロールプレイに重きを置くプレイヤーならではと言える。お陰で腐肉赤子達の鳴き声が()()()()おどろおどろしい雰囲気を醸す音響エフェクトを作り出していた。

 

 そんな中にあってもアインズは平静な態度を崩さない。一見ホラー耐性は強いように見えるが、それはゲーム時代に一度体験しているからで、現在密かに発動させている精神鎮静化のお陰でもある。そうでなければ悲鳴を上げてしまったかも知れない。

 

「姉さん、その、ぶくぶく茶釜様はこういった雰囲気は苦手とされているそうで……」

 

「まぁ、それは申し訳ありません。ですが、これだけは……」

 

 申し訳なさそうな声で謝るニグレド。ぶくぶく茶釜には申し訳なく思いつつも、タブラ・スマラグディナに定められた事を反故にする事には抵抗があるようだ。

 

 気にしないでとぶくぶく茶釜は手を振って答えたが、その表情は思い切りひきつっていた。ニグレドが長い前髪をかき分けて、隠れていた顔を見せる。顔が隠れたままでは失礼だとの考えだろうが、今のぶくぶく茶釜には刺激が強かったようだ。肩をビクッっとさせて驚いていた。

 

「しかしその、なんだな。やはり姉妹だな。よく似ている」

 

「えっ?そ、そうでしょうか?」

 

(突進してくるときの鬼気迫るような感じがホントそっくりだよ……)

 

 アインズがちょっと失礼な事を考えている事には気付かず、少し戸惑うような仕草を見せるアルベド。ニグレドは優しい微笑みを浮かべてそんな妹を見ていた。とはいっても彼女に顔の皮膚はないので表情筋の動きからの予想だが。

 

(モンちゃんはこういうの平気なんだ……。でも………モンちゃんの美的感覚って一体……?)

 

 ニグレドは確かに一つ一つのパーツをとって見れば綺麗なのだが、顔に皮が張っていないし唇もない。真珠のような歯も、煌めく瞳も眼球が剥き出しなので、全体の印象としてはグロテスクで怖い。涼しい顔をしたアインズをちょっとカッコいいと思いつつ、同時にアルベドと似ていると言う彼の美的感覚はどうなっているのかと心配になった。

 

(ふふ、茶釜さんも何だかんだでやっぱり女の子なんだな……。まぁ、俺も初見の時は思いっきり悲鳴を上げちゃったんだけど……)

 

 ユグドラシル時代、新しいキャラクターを作成したと案内され、一緒に居たメンバーと共に悲鳴を上げながら攻撃をしかけたのは懐かしい思い出だ。その辺りの事はニグレドも覚えているんだろうか。少しの気恥ずかしさと、申し訳ない気持ちが交錯する。

 

「あー、ぶくぶく茶釜さんとこうして会うのは初めてだったな。彼女は見ての通り人間の姿そのままなのだが、嫌悪を感じたり、自分より弱い者に仕える事を不服に思ったりはしないのか?」

 

「とんでも御座いません。御方々がどのような種族であるかとか、強いかどうかということは私の忠誠に影響しませんわ。むしろ……このような事を考えるのは不敬かもしれませんが、ぶくぶく茶釜様のような可愛らしいお方でしたら大歓迎です」

 

 親指を立て、嬉しそうな声で答えるニグレド。親しみを持ちやすいようにと茶目っ気を少し出してくれたのだろうか。あのホラー映画のようなやり取りを除けば、普段は真面なのだ。

 

 〝ギャップ萌え〟の要素を強く押し出したのがアルベドなら、その姉ニグレドはホラー愛好家というタブラ・スマラグディナの側面を体現した存在と言えよう。

 

 そんな彼女はナザリックでは珍しく善寄りのカルマの持ち主で、しかも子供好き。メイド長のペストーニャと合わせて〝ナザリックの良心〟と言えよう。ぶくぶく茶釜が子供かは置いておいて、人間だからといって抵抗を感じることは無いようだ。

 

「マーレ様とアウラ様も、また是非遊びにいらしてくださいね」

 

 ニグレドの表情はわかりづらいが、にこやかな笑顔を浮かべているであろう事は声色からもわかる。

 

「うん。また来るね」

 

「あ、はい……」

 

 ニグレドに笑顔で答えるアウラと、その姉に追従するマーレ。ぶくぶく茶釜も俯き加減で親指を立てつつ、目は泳ぎまくっていた。

 

(茶釜さん、全然大丈夫じゃなさそうだけど……。必要なときはまた俺も付き添うようにするか)

 

 アインズはニグレドに一つ依頼をしながら、そんなことを思っていた。

 

「さて、では私はいくとしよう。……茶釜さん、少し早いですが、食事にしましょうか」

 

 アインズの提案に、彼女は目を輝かせて頷いた。

 

 現在ぶくぶく茶釜はナザリック地下大墳墓の各所を巡り、シモベ達に挨拶をしているところだ。既に彼女が帰還を果たしてから1週間程経過している。ナザリック地下大墳墓は広大で、まだまだ回りきれていないところは多い。

 

(茶釜さんは平気なのか。普段から慣れてるのかな……)

 

 彼女にはアウラとマーレ、二人が傍に居られないときはアルベドが必ず付き添うようにしている。更には〝至高の御方付き〟の一般メイド、廊下を歩く際には儀仗兵まで一緒について回るのだ。

 彼女が歩くとその後ろはまるで大名行列と化してしまう状態だった。アインズも転移して間もない頃に経験したそれであるが、一日で根を上げた。

 

 彼女の精神的負担を考えれば、ナザリック内ではあまり大人数にならないようにしたかったが、流石にそうすると儀仗兵の出番がまるでない。仕事が全くないのも可哀想なので、一先ずは彼らのさせたいようにさせて様子を見ようと思っていたのだが、ぶくぶく茶釜が気にするようなそぶりは見受けられない。一般人の自分とは違い、彼女ほどの人気声優にもなれば、SPみたいなのがついて回る事にも馴れているということなのか。

 

(俺なんかとはものが違うなぁ。……俺も頑張らなきゃ!)

 

 自分もまたナザリックのシモベ達が仕えるに相応しい支配者になるべく、支配者らしい振る舞いや所作について研鑽しているが、まだまだ及第点とは言えないだろう。

 

 アインズが握りこぶしを作って内心で決意を新たにしているその背中に、ぶくぶく茶釜から熱を帯びた視線を向けられていたのだが、それには全く気付いてはいなかった。




アレコレ悩むアインズ様ですが、結局まだ方針は打ち出せていません。

学園生活はまたいずれ書けたらと思っていますが、まずは新章に入っていこうと思います。


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黒騎士編
#79 宮廷会議


新章の始まりは王国からです。


 王都リ・エスティーゼ。その名が指す通り、リ・エスティーゼ王国の首都である。

 その最奥に聳える王城ロ・レンテは、二十もの円筒形の塔を城壁が結ぶ広大な敷地を擁する巨大な城である。その敷地内にあるヴァランシア宮殿には、華美さよりも機能性を重視した一室があり、幾多の大貴族や重臣達が集まって宮廷会議が行なわれていた。

 

 無事王都へと帰還を果たしていたガゼフ・ストロノーフは王の前に跪き、辺境を荒らしていた賊の討伐について、事の顛末を報告していた。その内容はこうだ。

 

 開拓村の多くは既に賊により壊滅。見つけた生き残りを保護し、エ・ランテルへと移送しつつ、隊を分けて賊の足取りを追った。

 賊を追い続けて辿り着いたカルネ村で、旅の剣士と魔法詠唱者(マジックキャスター)、そしてその護衛兵士が帝国の紋章を着けた鎧騎士と交戦中であった。そこへ戦士団が乱入し、鎧騎士を全て討ち取った。

 その直後に謎の魔法詠唱者(マジックキャスター)集団が現れるも、王国に害為す賊として戦士団が全員誅殺した。

 

 ガゼフは私見を入れず淡々と事実だけを告げるような口調で続けた。これらはすべてアルベドとの話し合いの時に予め決めたものだ。その為事実と違う点が幾つもある。

 

 本当は真実を、事実を報告したい。村を救ったのも、法国の特殊部隊を倒したのもサカグチ殿やゴウン殿だと。

 ガゼフは思う。主君ならばきっとあの御仁の人柄を理解してくれるはず。たとえ人ならざる存在だと知ってもだ。

 

 本当は彼らこそ称賛を受けるべき英雄であり、戦士団の命の恩人だというのに、その事実をも隠さなければならないのは何とも歯痒い。だが知らせてはならない。あくまでも戦士団が自力で解決したことにしておかなければならないのだ。

 

 自分よりも遥かに聡明なアルベドから、それが国の、引いては主君のためでもあると言われれば、引き下がらざるを得なかった。

 

 武芸に殆どを費やしてきたガゼフは腹芸が得意ではない。普段から貴族達の前では言葉尻を取られないよう、極力発言を控えている。

 この場においても、最低限報告に必要な情報だけを発言していた。

 

 満足な武装もさせられずに戦士長を送り出したことに胸を痛めていた国王ランポッサⅢ世は、ガゼフの無事帰還とその報告を聞き、安堵の表情を浮かべていた。

 

 件の賊の話に不穏な空気を察してはいた。あるとすれば帝国による肝計か何かだと。だというのに、満足な装備もさせてやれずにガゼフを送り出してしまった。だが彼は全てを片付け、こうして無事に舞い戻ってきてくれた。

 

 もし今回周辺国家最強の戦士を失っていれば、王はその失策の責任を取り退位するつもりでいた。王国にとってはそれほどに重要な戦力であり、王にとっては篤い信頼を寄せる忠臣である。ただでさえ派閥争いによる内部分裂の危機を、薄氷を踏むような繊細さでバランスを取り、帝国との毎年の戦争にもまた頭を悩ませている。

 

 そんなときにガゼフという精神の支えを失ってしまったら、それらに向き合う気力など欠片も湧く気がしなかったのだ。戦士長の帰還は王にとって何より頼もしく、嬉しい知らせであった。逆にそれほどに王自身が弱っているとも言えるが。

 

 ただ、戦士長が無事帰ってきたとはいえ、問題が解決したわけでも、状況が好転したわけでもない。内部の派閥争いは無くならないし、帝国との戦争も終わりを迎えたわけではないのだ。根本の解決には何もなっていない。だがそれに向き合う気力だけは取り戻すことが出来た。

 

 例年の戦争では帝国の最高戦力、逸脱者フールーダ・パラダインが顔を見せることはなく、騎士が軽くひと当たりだけする程度で、互いに大きな被害を出すことなく毎年引き分けとしてきた。

 

 その理由の一つは、兵の人数差である。

 

 王国の兵は主に平民を徴兵するため、精鋭揃いではないが人数は帝国に倍する程居る。帝国騎士が如何に戦闘訓練を受けた職業軍人であろうとも、数の上で大きく上回る王国軍と本気でぶつかり合えば無事では済まないのだ。

 軍を育てるには手間も時間もかかり、皇帝がその損失を惜しんでいるのも確かだろう。

 

 だが、帝国には策略があった。多くの貴族達は皇帝の真の狙いにも気付かず、腰抜けだなどとふんぞり返って揶揄し、嘲ってきた。しかし王国の国力は年々衰退しているのが実情だ。

 

 帝国は専業兵士の数が圧倒的に少ない王国の収穫時期を狙って戦争を仕掛ける事で、王国に平民を徴兵させて生産力に打撃を与え、王国の力を低下させようと目論んでいたのだ。

 

 文字通り刈り入れ時となる遅麦の収穫時期に働き盛りの男手を駆り出されては、収穫量がガタ落ちになるのは自明の理。

 そして領主である貴族達は例年通りの税をかけ、納める側の負担を顧みることはない。伝統的な封建社会である王国に於いて、民を労り税を優遇する貴族は極めて稀な部類であった。

 

 収穫が減っても納める税負担は軽くならない。引き下げられない時点で負担割合は多くなるばかりなのだから当然だ。

 その結果、農民達は自分達が食べていくのにさえ困窮し、生産力は疲弊する。帝国は労せずして王国の力を削ぎ落としていく事ができる。

 

 帝国はただ兵士を列べて向き合っているだけで相手に打撃を与えられるのだから、無理に戦う必要など初めから無いのだ。軍備費用も逆らいそうな貴族達に出させ、帝国内で歯向かう力を抑える事にも繋がる。あとは王国が押せば倒れるところまで弱るのを待てばよい。

 

 そんな皇帝の悪辣な策略に気付いたのは、問題が顕在化し始めた近年になってからであり、その時既に王国には手の打ちようがない状況であった。

 

 戦争に民を徴兵すれば収穫はさらに減り、逆に兵を減らせば帝国に攻めこむ隙を与えてしまう。

 

 しかし王国の貴族達は、自分達が追い詰められている事に気付いていないのか、まるで問題だと捉えていないらしい。相も変わらず、ゴマすりのおべんちゃらや、国内での立ち位置を確かなものにせんが為の腹芸の応酬が会議に蔓延している。

 

 帝国との戦争を楽観視する、現実が見えていない者が多数を占めていた。

 

 自分が直接戦うわけでもない癖に、夢見気分で戦争を語るな。この場でそうはっきり言ってやれればどんなにいいか。ガゼフは黙して目を閉じ、怒りを封じ込める。

 

「顔を仮面で隠すなど、その旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)とやらは素顔を晒せぬ後ろ暗い事情でもあるのか? この度の賊騒ぎは実はそやつらの自作自演ということも疑うべきやもしれん」

 

「然り。そもそも胡散臭い旅人や魔法詠唱者(マジックキャスター)なぞ信用ならぬのです」

 

(知りもせずに好き放題……。ゴウン殿やサカグチ殿の助力のお陰で死人も出なかったのは幸運だったとしか言いようがないな。もしそれが無かったなら、戦士団もカルネ村も誰一人として生き残れなかっただろう)

 

 彼等こそ弱者が思い描く真の英雄だ。彼らが如何に強く、素晴らしい人物であったか、滔々と語って聞かせてやりたい。

 

 だがそれは思うだけにとどめなくてはならない。口惜しいことこの上ないが。

 

 剣では王国最強であろうとも、貴族達を口で説得する事は出来ない。平民の出身で戦士長の位に就いているガゼフを、貴族達がどう思っているかは概ね理解しているつもりだ。ガゼフが下手に口を開くよりも、黙っていた方がまだましなのである。

 

 ここに居る者達は皆、生まれながらに国家の中枢を支えるべく高等な教育を受けてきた、生まれも育ちもエリートである。例え性根が腐ってはいても能力面で無能と謗られるような者などそうそういない。

 

 そんな彼らの幼少から積み上げた努力を飛び越えて、腕っぷしだけでのし上がってきた生まれの卑しい者が自分よりも重用されるのは、彼らでなくとも自尊心を傷つけられる。

 

 とはいえ貴族というものは見栄や体裁を重要視するため、大抵は迂遠な言い回しで然り気無くそれを示す者が多く、面と向かって露骨に罵倒したり揶揄してくる者は少ない。

 

 だが彼らに対し、ひとたび迂闊な言動をすればどうなるか。ガゼフの言葉尻を取り、あっという間に悪者にされてしまう。それが恩人であるゴウン殿達にまで及びかねないし、厚かましくもガゼフを戦士長に取り立てた王の任命責任を問い譲位を声高に叫ぶかもしれない。

 

 だから発言を求められたとき以外は沈黙するしか、ガゼフに取れる手段はなかった。

 

「それで、自称旅の者共は何か言っていたかね? 自分を売り込む機会だ、さぞかし声高に恩を売ろうとしてきたであろう」

 

「ふん、そのような無頼の輩が王国内に居ること自体、気色が悪いのです。もしそのような厚かましい要求をしてきたのならば、即刻捕らえて処断すべきでしょうな」

 

 恩人たる人物達に向けた罵倒とも取れる言葉が幾つも飛び出し、ガゼフの胸中には申し訳なさと怒りが渦巻いていく。しかしここで不用意な発言をしては、彼らにまで迷惑が及ぶ。そう考え、慎重に言葉を探す。

 

「それは……」

 

 言い淀むガゼフに周りは不審がりざわめきが起こる。先の予想が当たっていたと勘違いし、それみたことかと得意気な顔をする者も居た。

 

 王が手を差し上げ、ざわめきを静める。

 

「戦士長が到着するまで、彼等は賊を相手に応戦してくれていたのだろう? ならば村の民にとっては恩人だ。その人物を信用しようではないか。して、何と?」

 

 王はしわがれた張りのない声でガゼフに問うと、その声に目線を上げ、窺うように王を見上げる。彼の目が何かを訴えているようにランポッサには感ぜられた。

 

「……」

 

 二人の間に沈黙が降りる。目は口ほどにものを言うとは言う。言いたくてしかたがないが、それを口にして良いのか。彼のそんな苦しげな胸の内を読み取る事が出来た。

 

「勿体ぶらずに早く言え、戦士長。国王陛下に隠し立てする気か」

 

 業を煮やした貴族達から苛立ち混じりの声が飛ぶ。ガゼフは声のした方を一瞥すると、再び王に視線を戻す。

 恐らく貴族達を刺激しかねないような内容なのだろう。

 

(すっかり衰えてしまった私への負担を慮って言いたくても言えないといったところか……)

 

 (よわい)六十。大きくなった子供も居る。本来ならばとっくに次代に位を譲り、隠居していてもおかしくない。それが出来たら苦労はないのだが。

 

 今も賊の討伐に送り出した戦士長の身を案じて夜もろくに眠れず、手足は枯れ木のように痩せ細っている。だが年寄り扱いされるほど耄碌などしてはいないぞと、ランポッサは精一杯元気に見えるよう笑顔を作る。

 

「忌憚なく話すがよい。私が許す」

 

「は、では……。彼らにはまず、賊の討伐に協力頂いた事に感謝を示し、陛下に是非謁見して欲しい旨を伝えました」

 

 場が俄にざわめく。見知らぬ旅人を王に謁見をさせる事に反感を抱いているのだ。ガゼフはそんな周囲の反応を確認しながら、言葉を続ける。

 

「しかし……断られました。彼らが言うには、自分達の身の危険を退けただけであって、国から礼を言われるような事をした覚えはない、と」

 

 果たしてこれにはどの様な反応を示すか。せっかくの厚意を踏みにじったなどと文句をつけてきそうだとガゼフは不安な面持ちになる。

 

「まぁ、当人がそう言うのであれば、謝礼を無理強いする訳にもいきますまいな」

 

「そうですな。そもそも、どこの馬の骨とも知れん連中に陛下が態々時間を割き謁見を許すなど、おかしな話ですし」

 

(アルベド殿の言っていた通りだな……)

 

 最初は何らかの文句が出るのではと思っていたが、どうやら無駄な銭を出さずに済んだと考えているようだ。表立って批判する声は驚くほど少ない。では更なる一手だ。

 

「代わりに彼等から一つ頼み事をされました」

 

「ふむ……頼み事とな?」

 

 王は少し不思議そうな顔をしただけだが、重臣達は無理難題でも言ってきたのではと疑いの目を向けてくる。

 

「そもそも彼等が辺境の村付近を通っていたのには都市を通る時のような通行税を払わずに済みそうだと思ったからだそうで……礼をしたいといわれるならば、今回の通行税を免除いただきたい、と」

 

 周囲からは失笑の声が洩れ聞こえてきたが、構わずガゼフは台詞を言い切った。

 

「ふんっ、ケチな商人辺りか、忌々しい。やはりそのような卑しい者が父王に謁見などありえん。あまつさえ通行税を踏み倒そうなどと考えるとは」

 

 案の定、聞いていた第一王子が不快を示す。

 

 バルブロ・アンドレアン・イェルド・ライル・ヴァイセルフ。王位継承権第一位の彼は、体が頑健で武芸は得意であるが、頭脳の方はからきし駄目。思慮も浅く、自尊心だけは異様に強い、いわゆる()鹿()()()だ。

 

 彼は父ランポッサと違い、民草を慈しむ心も持ち合わせていない。馬鹿で世間知らずなボンボンがそのまま大人になったような性格で、王国民は全て次期王になる自分に勝手に平伏して付いてくるだろうと、全く根拠も何もない自信を持っているようだ。

 

 父から未だに王位をなかなか継がせて貰えない一因はそこにもあるのだが、今のところ本人がそれに気づく様子は欠片もない。

 

 先の発言も、単に相手を気に入らなかっただけで、貴族達のような打算さえないのだ。それもまた王の悩みの種の一つである。

 

 しかし貴族達はそんな第一王子を次期王に担ぎ上げようとするものが多い。決して人望があるというわけではないが、順当にいけばやはりこの馬鹿が次期王なのだ。

 

 ゴマを擦る貴族達も、彼を心から慕っている訳ではなく、恐らく自分達に都合良く御するのに、賢い王子より愚かな方が扱いやすいというだけだろう。今譲位すれば派閥争いの均衡が崩れ、王国は内部分裂を起こしてしまう。だからこそ王位を譲るに譲れないのだが、その親心に彼が気付く日は来るのだろうか。

 

「陛下、それくらいでよいなら目を瞑ってやってはいかがでしょう? こちらまで出向かせる事を考慮すると、彼らにはそれが最も益あるように思えます」

 

 口を開いたのは、金色の髪をオールバックにした、線の細い男。血色がやや悪く白い肌と独特の目付きが蛇のような印象を与える。

 

 侯爵位を持つ四十過ぎのこの男の名は、エリアス・ブラント・デイル・レエブン。六大貴族筆頭にして、王派閥にも大貴族派閥にも顔が利く。ガゼフは彼を、利によって両派閥を渡り歩く蝙蝠のような男だと評していた。

 

 彼の言葉には誰も反対を唱えるものはいない。六大貴族の中でも最も権力のある彼を敵に回したがる者は王国内には居ないのだ。

 

 カルネ村の辺りは王の直轄領。その税は王家の財産に入る。少しでも王家の力を削ごうという目論見なのかもしれない。ガゼフはレエブン侯の言葉を聞いてしまってからその事に気付き、ジワリと後悔の念が沸く。

 

「うむ……本来ならば謁見して謝礼を払うのが礼儀なのだが。しかし侯の言う通り、旅人は礼よりも実利を優先するものなのかも知れんな。で、あれば、先方の提案を受け入れよう。……戦士長も、それで良いな?」

 

「は、寛大なお心、彼らに代わり感謝申し上げます……もし彼らが王都を訪れた際には────」

 

「これ以上そんな者の話はどうでも良いだろう。どうせ小者だ。王都に立ち寄っても陛下への謁見など許されん。どうしてもというなら代わりに戦士長が相手でもしてやれ!」

 

「殿下のおっしゃる通りですな」

 

 不機嫌を隠しもせず、馬鹿王子(バルブロ)が横槍を入れ、他の貴族も追随の声を上げる。

 

「は、そのように……」

 

(言質は取れたな)

 

 これで、もし彼等が王都に訪れた折りに、貴族達に煩わしい挨拶などさせなくとも良くなった。会う気がないと自分で言ったのだから、文句を言われる筋合いはないし、ガゼフが個人的に歓待することにも許可を貰えたと思っていいだろう。

 

 その後、皆の興味は完全にアインズ・ウール・ゴウンという人物から離れ、議題は例年の帝国との戦争へと移っていった。

 

 

 

 

 

 

 宮廷会議は恙無く終わり、王に追随して回廊を歩くガゼフ。王は杖を突き、その足取りは危うさがある。しかし手を貸したり体を支えたりしてはならない。それは王の矜持を汚すことになるからだ。それに、周囲の者がそれを目撃すれば、王が一人では歩行も困難だという口実を得て、堂々と譲位を迫るだろう。

 

「……戦士長よ」

 

 王が振り向くことなく、呼び掛ける。語気には僅かな失望を滲ませていた。

 

「は……」

 

「何故本当の事を言わなんだ。もっと他に言いたいことがあったのではないのか」

 

 ガゼフが戦士長として王に仕えた期間はまだ数年だが、信頼は決して浅くはないはずだった。だが、ランポッサはガゼフの報告を聞いて残念な気持ちになった。彼の言葉には嘘があることに気付いたからだ。

 

「私が老いて弱ったと、お前までそう思っているのか?」

 

「その様な事は…………その、アルベド殿の頼みでして……」

 

「アルベド……?」

 

 ガゼフは咄嗟に彼女の名を出してしまった事に罪悪感を抱きながらも、隠していたことを少しだけ打ち明けることにした。

 

「アルベド殿は、ゴウン殿の護衛でして……一連の賊の事件について、後詰めが待ち構えていた手際の良さから、内部に手を回した者が居る事を即座に見抜いた聡明な人物です。後に敵の証言から裏は取れました」

 

「っ! ……成る程、あの場では言えぬわけだ。しかし戦士長に嘘をつかせてまで何を……」

 

 他の貴族達がガゼフの話を耳にしたならば、激昂して即座に兵を差し向けようとしたかもしれない。無礼者を手打ちにすると言って。ランポッサも怒りはしないが、目を閉じてため息をつく。内部にその様な手段に出る者が居ると思いたくはなかったのだ。

 

「それは分かりかねますが……今顔を合わせることは互いに益がないと言っておりました。彼女は強く美しく、聡明な人物ですので信用でき────」

 

 正体だけは隠し通さねばならない約束だが、せめて自分の感じた印象だけでもと思い、ガゼフは印象を伝えようとしたが、それが不味かった。

 

「ほほう……()()()、か」

 

「え? ええ。あっ、いやその……」

 

 振り返ったランポッサは、なんとも言えない視線を向けてくる。しまったと思ったがもう遅い。老王は瞳に好奇の光を灯し、嬉しそうに口許を吊り上げていた。

 

 そろそろ身を固めてはどうかと何度か王に言われたことがあったが、ガゼフは王に仕える事を優先したかったため断っていた。優しき王の大恩に報いるために、もとより己の人生の全てを捧げるつもりなのだ。女嫌いというわけでもないが、そんな事にうつつを抜かしている暇があったら、王の為に剣を振るい役に立ちたい。

 

 しかしその考えを伝えても、王は納得はしてくれなかった。それどころか、見合いの相手を見繕おうとまでしてくれる。厚意はありがたかったが、やはり自分は王の剣として忠誠を捧げ続けたい。そこで、今は良いと思う相手がいないと言ってみたりもしていた。

 

 そんな頑なな男の口から女性を誉めるような言葉が出てくれば、そういう相手が見つかったかと期待してしまうのも無理はないだろう。

 

 まるで息子から「気になる女性が居る」と聞いた時の父親ような、優しげな表情を見せるランポッサ王。

 

「して、お前の心を射止めた女騎士とは些かか気になるな。年の頃は? 髪は長いのか短いのか」

 

 既に惚れたことを前提にして、矢継ぎ早に飛んでくる質問。些かどころか興味津々であった。やってしまったかとガゼフは頭を抱えたくなる。

 

 王がこういう時はまるで少年のように好奇心旺盛で、もはや根掘り葉掘り、全て聞き出すまで解放してくれそうにない。ガゼフへの厚意による部分が大きいというのもまた困る。

 

「お父様」

 

「おお、ラナー」

 

 声のした方から少女がてててと駆け寄ってくる。絹糸のような美しい金色の髪を揺らす、まだあどけなさを残しつつも絶世ともいうべき美貌を備えた若い少女。

 ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフである。

 

 王国内では『黄金』と称される第三王女は、その二つ名の由来でもある母親譲りの美貌と、父親譲りの民を慈しむ心優しい美姫である。そんな彼女が花の綻ぶような笑顔で向かってくる姿は一枚の絵画のようでさえあった。

 

 その後ろを固い表情を変えないまま付いてくるのは、彼女に拾われた浮浪児だった少年。表情を全く変えず、王に臣下の礼を取る。

 

 ガゼフは正直、彼を少し苦手としていた。あのいつ会っても酒臭い()()()()()のような、「早く童貞捨てろよ」と女をあてがってくるようなタイプとは真逆で、何もかもが真面目すぎる。

 

 もう少し肩の力を抜けと言ってやりたいが、周りに一分の隙も見せることが出来ない彼の立場を思えば、それも仕方ない事なのかもしれない。

 

 平民どころか名すらなかった彼に『クライム』という名を与え、護衛騎士として選んだ王女殿下の恩義に報いるため、努力という一言で片づけるには失礼な程の修練を積んできた純粋すぎる少年。今は少年と青年の間くらいの年頃か。

 

 クライムは剣の才も、魔法の才も、体格も、何もかもが恵まれていない。にも拘らず、宮廷内の騎士の中でも指折りの実力にまで上り詰めていた。それはひとえに、彼女への忠義の為せるもの。彼がたった一つの想いをダイヤモンドのように磨きあげ、自らを救った王女殿下に相応しい騎士を目指してきたのだ。

 

 それを快く思わない者も一定数いるし、どの派閥にも属さない彼を腫れ物を見るような目を向ける者も居るのは知っている。他の騎士連中の中で異質な彼は孤立していたが、本人はまるで気にした様子はない。それも表に出していないだけかもしれないが。

 

「今日はお父様にお話ししたいことがあってお待ちしていましたの」

 

「おや、それはすまなかった。会議が長引いてしまってな。それで、話とは何かな?」

 

 年齢差のある父と娘。末の娘というのも手伝って、王はラナー王女には甘い顔をする。彼女の前では陛下も下世話な話など出来ないはず、とガゼフは気付かれないように内心で安堵する。

 

「あ、でもそろそろお散歩の時間なんです」

 

「そうか。では後で私の部屋に来ると良い」

 

「はい、それではまた。戦士長さまもごきげんよう。行きましょ、クライム」

 

 そういって振り返った姫君が彼の裾をそっと摘まむ。恐らく無意識なのだろうが、それを見て見ぬふりをする王とガゼフ。ついでに鉱石のように堅くなった彼の表情にも。

 

「し、失礼いたします」

 

 楽しげに歩いていく無邪気な少女と、カチコチに固まった少年の背を、ランポッサは微笑ましいものを見るような目で見送っていたが、やがて悲しげに表情を曇らせた。

 

 如何にクライムが努力を重ねても越えられない壁というものは存在する。彼がどんなに努力したとしても、英雄の領域に届かせることは叶わないのと同様に、生まれながらに定められた身分の壁は越えることが出来ないのだ。

 

「儂は……私は、あの娘も不幸にしなければならぬのかも知れないな。せめてあの娘だけでも……いや、それでは他の娘達に恨まれるか」

 

 天井を睨む王に、ガゼフはかける言葉が見つけられない。王の睨んだその先に、正面から監視の目が覗いていることに誰も気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

『アインズ様! 遂にっ! 遂っにっ! 例の物が完成致しました!』

 

 遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)で王城内の戦士長を覗いていたアインズは、パンドラズ・アクターから伝言(メッセージ)を受け取り、脳内にビリビリと響き渡った大音声に眩暈を覚えた。

 

(相変わらずテンション高いなコイツ。伝言(メッセージ)を通すと、耳元で叫ばれてるみたいだ……)

 

「そうか。使用に耐えられる物なんだろうな?」

 

 浮かれ気味に思えるパンドラに、慎重に確認を取る。完成と思ったら想定外の欠陥が見つかった、なんてぬか喜びはしたくない。

 

『勿論ですとも! つきましては、ぶくぶく茶釜様に最終確認をお願いしたく』

 

「わかった。では彼女を連れて宝物殿に向かうとしよう。ではな。……もう出来たか。思ったより早かったな」

 

 伝言を切り、そう一人言ちるアインズ。部屋に控えるシクススに鏡の片付けを任せ、彼女の居場所を推測する。

 

(茶釜さんは……この時間なら第六階層かな?)

 

 ギルドの指輪の力を発動し、アインズは第六階層へと転移した。




戦士長の苦労話でした。
ナザリックではアレが完成した模様です。


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#80 アレなアレ

例のアレのお話です。


 ナザリック地下大墳墓。

 

 鏡のように磨き上げられ、塵一つ落ちていない廊下を、人間姿のアインズはのんびりとした歩調で歩く。

 

(着く頃には丁度良い時間かな)

 

 パンドラズアクターに命じたマジックアイテムの開発は、数日前無事に最終確認を終えていた。

 

 念じた言葉を発する効果を持つマジックアイテム。彼女はそれを使うことで音声による会話が出来るようになったのだ。

 

 パンドラが作成したアイテムは、発する言葉の自由度もさることながら、彼女の要望を反映して声の大きさやトーン、声色まで別人のように変化させられる機能まで備えていた。

 

 例えば、アインズのような低い男性の声、アウラやマーレのような子供っぽい声、アルベドのような大人びた女性の声など、声から受ける性別や年齢的な印象までもが変幻自在なのだ。サイズは口内に入れて使うことができるよう、手頃な飴のようになっている。

 

 作成したパンドラ自身が、史上最高傑作と称するこれの開発────これしか作ったことはないはずだが────にはちょっとしたドラマがあった。

 

 声を再現する方法は幾つか考えついていたが、まず試そうと思ったのは口唇虫。生物の喉に寄生する蛭のような見た目のモンスターで、宿主の声帯を食らうことで同じ声が出せるようになる。

 

 勿論デフォルトの声もあるので、それを喉に入れれば喋れるようになるのではないか。そう思ったのだが、即座にNGが出た。見た目が問題らしい。

 

 確かに人の唇のような形の頭で体は蛭という見た目は少々グロテスクかもしれない。自分のアバター(ピンクの肉棒)をキモカワと言っていたくらいだから、もしかしたらイケるかも知れないと思っていたのだが。

 

 アインズは基準がよくわからないなと思いつつ、本人が無理と言うならばと断念した。

 

 用意してくれたエントマはションボリとしてしまったが、代わりにアインズが声を偽装する目的に使いたいと言ったことで、エントマはアインズに似合う声を選りすぐると嬉しそうに張り切っていた。

 

 次に考えたのはリムルに協力を仰ぐ事だったが、生憎と帝国に出掛けている。

 

 普段は魔物の国(テンペスト)を治める支配者として忙しく働いている……かは分からないが、折角ミリムと一緒に貴重な学園生活を楽しんでいるはずだから、邪魔するのは悪い気がした。彼を頼るのは自分達で色々と試した上で、どうにもならないと分かってからでいいだろう。

 

 そこでパンドラに御鉢が回ってきたわけだが……最初から順調にはいかなかった。

 

 ユグドラシル時代はマーレのスカート丈をミリ単位で調整させるなど、かなり外装担当泣かせだったぶくぶく茶釜。彼女の要求には、パンドラも度々泣きそうになっていた。

 

(────いや、多分涙が出ないだけで、あれは多分本気(マジ)で泣いてたよな……)

 

 二重の影(ドッペルゲンガー)という種族は変身を解くと皆凹凸のないツルッとした卵のような頭に孔を開けただけのような顔をしているのだが、見事なまでの挫折のポーズを見て、その落ち込みようが分かってしまった程。

 

 叩き台とも言うべき試作品第一号はかなり酷い出来だったらしく、けんもほろろにされたようだ。異形のパンドラズ・アクターが人間のぶくぶく茶釜にド叱られて、怯えたように震えていた。

 

 そんなパンドラを見兼ねたアインズが慰めの声をかけたのだが、振り返ったパンドラの目に彼女が投げつけたであろう宝珠型のマジックアイテムが嵌まっていて、アインズは思わず吹き出してしまった。

 

 その後、いちいち大袈裟な身ぶり手振りがつくヤツを慰めるのに苦労したのは云うまでもない。

 

 製作期間は5日間程度だが、アインズの励ましを受けたパンドラズ・アクターは一切休むことなくひたすらアイテム開発に明け暮れた。その開発総数は実に五十を越える。

 

 試作を重ねるにつれ、性能面に文句が出なくなると、今度はサイズや機能性、デザイン性に至るまで細かな注文が為されたのだ。そこからもまた大変だった。時には形状サンプルや色違いの外装サンプルだけ十数種類を用意した事もあった。

 

 そうした苦労の果てに、遂に彼女を満足させる物が出来上がったのだった。

 

 結局決まった見た目は、ピンクと黄色のマーブル模様をした棒つきキャンディで、アインズは目が点になっってしまった。あれだけこだわってたのだからもっと凝った見た目になるとばかり思っていたのだが、案外普通である。

 

 ともかく、それがあれば筆談や身ぶり手振りよりも意思疎通は格段に容易になるのだが、同時にそろそろ外にも興味を持つ頃だなとアインズは考えていた。

 

 いつまでもナザリック内に籠りきりというのは精神衛生上よろしくないと考えているし、外の世界に興味を持つのは仕方がない事だとは思う。

 

 しかし、やはり戦う力を持たない彼女が外を出歩く事に不安を感じてしまう。ゲームとは違い、現実のこの世界では本当に死んでしまう。ここは普通の人間からすれば脅威となる危険生物が多数存在するのだ。

 

(出来れば武装は伝説級(レジェンド)以上で固めたいところだ。護衛は不可視化出来る事が必須か。となると……ハンゾウ・フウマ・カシンコジ辺りを召喚するか)

 

 ハンゾウをはじめとしたそれらのモンスターは、ナザリックでは自動湧きしない、レベル80台の高レベル帯に位置する忍者系統のヒューマノイドタイプモンスターだ。それぞれに得意分野は違うが、隠密性が極めて高く発見されにくいという共通点がある。

 

 但し、ハンゾウ達は書籍型の召喚用アイテムとユグドラシル金貨を消費して召喚しなければならない。最古図書館(アッシュールバニパル)にまだ在庫は沢山あるとはいっても、召喚アイテムに限りはある。アインズはそれらを使用してでも必要な事だと判断した。

 

 その理由は二つ。防衛的な観点と、彼女の精神的負担面だ。

 

 危険からは護らなければならないが、あからさまに護衛を連れていてはそれだけで目立ってしまう。「通り抜け無用で通り抜けが知れる」という通り、「いかにも護衛を付けています」という状態では、そこに重要人物がいると宣伝しているようなものだ。だから周囲には気付かれないように隠密性の高い者を付ける必要がある。

 

 それと、本人が精神的苦痛を感じないように配慮もしなければならない。彼女は気さくに誰とでも仲良くしたがるタイプのはずだ。そうなると、SP付きの人物にも気軽に接してくれる相手は限られてしまうし、それは彼女のストレスにもなるだろう。自身も息が詰まる思いをしたからこそ、この点は非常に重要だと理解していた。

 

 本当はアウラとマーレも一緒に行かせてやりたいが、今任せている仕事もあるので、四六時中一緒にいるというわけにもいかない。他にも、見た目が人間と大きく違う者────例えばコキュートスなどは人間の町を出歩くのは諦めてもらうしかないだろう。

 

 アウラがリザードマン(蜥蜴人)の集落を発見したとアルベドから報告があったので、其方に使者として送ってみるのも良いかもしれない。人間よりは亜人の方が異形への忌避感が薄いかもしれないから、上手く対話できれば友好関係を築くことができそうだ。

 

 ナザリックの戦力強化のため、アンデッド作成の実験に使うという案も出たが、それはどうしても互いが相容れないとわかったときに考えれば良いと言ってある。

 

(ずっと待機ばかりで暇なのも辛いだろうし、部下のモチベーション維持も考えて、バランスよく仕事を振ってやるのは上司の務めだからな)

 

 そんなことを考えながら目的地まで来たのだが────

 

「な……!?」

 

 アインズは驚きのあまり立ち尽くす。

 

 ぶくぶく茶釜の私室。その扉の前まで来て、中の異常事態に気付いたのだ。

 

「そ、そんなに締め付けたら……ダメですぅ」

 

「くふふ、もう少しよ、もう少しで()()()()わ……!」

 

 扉の向こうからマーレの苦しげな声と、アルベドの艶かしい声。アインズは自身がいじったアルベドの設定を思い出す。

 

(嘘だろ……?まさか……まさか()()なのか?)

 

()()()()のせいで、マーレのアレが今まさにアレな事になっているのではと想像し、嫌な汗が流れるような感覚を覚える。

 

(いや、だけど子供だぞ?いくらなんでも…………可能性はゼロとも言い切れないか?くそ、茶釜さんは部屋にいないのか……?ああでも、もし茶釜さんに見つかったら……!)

 

 彼女の事だ、可愛がっているマーレとアルベドがアレな事をしているなんて知れたら、当事者だけでなくアインズまで巻き添えでお説教コースもありうる。

 

(じょ、冗談じゃない!)

 

 彼女に叱られるのは死の支配者となった今でも怖いし、シモベ達の居る前でやられると思うとかなり恥ずかしくもある。経験上、その場で説教が始まる事は間違いないのだ。どうにかアルベド止めて、彼女にバレる前に事実を隠蔽しなければ。しかし、どうやって止めれば良いか。下手をすれば自分まで巻き込まれてしまう。

 

「アルベドさん!も、もう、()ちゃいそうですぅ~!」

 

「くふふ、もう少し……もう少しよ」

 

(うわああっ!まずい、まずいぞ……!と、とにかくマーレの救出だ!)

 

「マーレ!大丈……夫……か」

 

 淫魔(アルベド)の魔手からマーレを救い出すべく扉を開けると、アインズの目に飛び込んできたのは────

 

「な、()()があぁあぁ~」

 

「くふふふ、やっと全部入ったわ。あら、アインズ様」

 

 お着替え中のマーレと、それを手伝っているアルベドの姿だった。彼は今コルセットをアルベドに締めてもらっている最中だった。

 

「……あー、着替え中に失礼したな……」

 

 顔を青くして助けを求めるような視線をマーレに向けられるが、アインズは気付かないふりをしてそっと目を逸らす。

 

 部屋には今日の至高の御方付き当番のインクリメントと、確か翌日当番予定で、今日は休みになっているはずのデクリメントが大量の服を抱えて立っている。

 

「あ、あのその、アインズ様……!」

 

「アウラも居たのか。ん……どうした?」

 

 デスクの方から、一瞬マーレかと思ってしまうようなオドオドとしたアウラの声が聞こえてきた。しかし彼女の姿はない。一体どうしたのかと思っていると、デスクの影から出てきたその装いを見て驚いた。 

 

「ぁ……」

 

 普段の男子っぽい白いベストとスラックスではなく、袖口やスカートにふんだんにフリルがあしらわれた、フワリと裾の広がったドレス。

 ゴシック、というやつだろうか。アインズには詳しい女性ファッションなどよく分からないが、西洋のお姫様が舞踏会なんかで着そうな、可愛らしい桃色のドレスだった。腕には白いロンググローブを填め、小さな白薔薇をこしらえた金色の髪飾りで前髪を留めている。

 

「ど、どうでしょうか……?」

 

 頬を赤らめ、モジモジと恥じらうアウラは、普段の少年のような快闊さはなりを潜め、可憐な少女そのものであった。

 

「あ……ああ、とても良く似合っている。正直見違えたぞ」

 

 驚きで一瞬言葉が出てこなかったアインズだが、いくらなんでも子供に動揺などしてはその手の趣味を疑われかねない。苦心しながらも不自然でない程度に言葉を返すことができた。

 

「エヘヘ……ぶくぶく茶釜様が選んで下さったんです」

 

 顔を赤くしたアウラのはにかむ様子を見て、アインズも微笑ましい気持ちになる。

 

(しかし、マーレの方は男の娘のままなんだな……)

 

 マーレも姉とお揃いの、淡いブルーのドレスを着せられていた。今のアウラと並ぶと、まるで姉妹のようだ。一見すると二人とも可憐な女の子のようであるが、マーレは確かに男の子である。

 

 しかし、胸の前で手を組み合わせる仕草を見ていると、本物の女の子のようにしか見えない。もしかして体は男でも中身は女の子なのではと別の心配が浮かんでくるが、多分まだ性の主張に目覚めていないだけだと思うことにした。

 

 ともあれ、危惧していたような事態ではないとわかり、アインズは心底安堵した。

 

 冷静になって考えてみれば、ペロロンチーノ(エロゲマスター)の設定したシャルティアではないのだ。アルベドがいかに()()()()()いようと、流石にマーレは守備範囲外なのだろう。

 

(はぁ、良かった……)

 

 アインズが密かに脱力していると、奥の方からドタドタと走ってくる足音が聞こえてきた。

 

「アウラ~!次はコレ!これにしよぉ!」

 

「わっわっ、ぶくぶく茶釜様~!?」

 

 奥から別の服を持ったぶくぶく茶釜が登場し、アウラを後ろから抱き竦める。アインズの事は目に入っていないらしく、瞳をキラキラと輝かせながら、アウラに清楚な白いワンピースをあてがう。

 

 二人の頬がむぎゅっと触れ合い、アウラが赤面しながら慌てたような表情を浮かべているが、ぶくぶく茶釜はハイテンションのまま絡む。

 アルベドや一般メイドも、それを微笑ましい目で見ていた。

 

「どぅふふ、じゃあ早速いってみよー!」

 

 ぶくぶく茶釜がそのままアウラの服を脱がしにかかろうとすると、いよいよアウラの顔が燃えるように赤く、熱くなっていく。

 

「ちょ、待、待って下さい、アインズ様、見ちゃダメですぅ~!」

 

「えっ?あっ、モンちゃんいつの間に?来るなら言ってくれればいいのに~」

 

 ようやくアインズの存在に気付いたぶくぶく茶釜は、あっけらかんとした態度で聞いてくる。

 

(いや、茶釜さんが呼んだんじゃないですか)

 

 心のなかでこっそりと突っ込みを入れつつ、アインズは愛想笑いを返す。マジックアイテムの力で元気に喋れているのは何よりだが、今の声はあの腕時計と同じくエロゲの幼女キャラを彷彿とさせ、否が応にもあのネタを思い出してしまう。

 

(くっ、動揺しちゃダメだ……)

 

「えーっと……もう少し後に出直しましょうか?」

 

「うん?……あっ、あー、あー。待って!えっと……二人が着替え終わるまでちょっと待ってて!」

 

(あ、こりゃ完全に忘れてたな……)

 

 自分で呼んでおきながら、完全にそれを忘れていたようだ。別に文句を付ける気はないが。そして着替えはさせるんだ、と思いつつ、アインズは大人しく部屋の外に出て待つことにした。

 

 まだ子供とはいえ、アウラは女の子だ。男の前で着替えるのは恥ずかしいだろう。

 

「じゃあ外で待っていますので、終わったら声をかけてくださいね……」

 

「あ、うん、わかったよー」

 

(茶釜さん、随分楽しんでるみたいだな。声も戻った、と言って良いかわからないけど、喋れるようになったし。アウラとマーレとは本当に仲がいい姉弟みたいだ。いいなぁ、俺なんかちょっとした黒歴史だもんな……)

 

 あのハイテンションでオーバーアクションの埴輪顔を思い出し、じんわりと恥ずかしさが沸き上がる。

 

「結構、スカートってスースーしますね……なんだか落ち着かないです」

 

「あら、似合うわよ、アウラ」

 

「うんうん、カワイイよぉ。慣れれば平気になるって」

 

 中から楽しそうな女子の会話が洩れ聞こえてくるが、極力意識しないようにしながら、相談内容の想定をしておく。

 

「いやーん、マーレ~!良いじゃない、凄く似合ってる~」

 

「エヘヘヘ……あ、ありがとう、ございます……」

 

(うーん、まさかとは思うけど……)

 

 やや苦しげながらも、嬉しそうなマーレの声を聞きながら、かつての友人(ペロロンチーノ)女装(こういう)経験をしたんだろうか。そんなことを考えてしまうアインズだった。




マーレ「出ちゃう~」(内蔵が)
アインズ「出るだと?まずいっ!」(別の意味)


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#81 黒と白金

早くも?最強の竜王が登場します。


「……!」

 

 とある洞窟の中で微睡んでいたツァインドルクス=ヴァイシオンは、ある気配を感じ取って大きな頭を持ち上げた。

 

 ドラゴンの知覚は非常に優れており、遥か離れた場所であっても、たとえ眠っていようとも鋭敏に気配を察知する事が出来る。

 

 竜王ともなると更にその感覚は鋭く研ぎ澄まされており、これを掻い潜って接近する事が出来るのは、同格の竜王達、或いは隠密を得意とした〝イジャニーヤ〟というかつて共に旅をした仲間くらいしか覚えがない。

 

 今回は感知を掻い潜られ、接近を許したというわけではない。むしろ彼が感じ取った気配は遠くに感じる。しかし、それが問題であった。

 

「間に合ってくれるといいんだけど……」

 

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の二つ名を持つ〝真なる竜王〟が、焦っているようには聞こえないような口調でそう呟くと、傍らに転がっていた鎧がひとりでに動き出し、猛烈な勢いで飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 アーグランド評議国────

 

 リ・エスティーゼ王国の北西に位置する評議国は、多くの亜人が暮らす多種亜人国家である。

 

 複数の亜人達の共生する国家であり、政治体制は各種族から選出された評議員達による議会制を採っている。時折種族間で軋轢が生じないではないが、それでも国家として共同体を形成できるのには、永久評議員として君臨する竜王達の影響があるだろう。

 

 亜人達の半数近くは、腕っぷしの強さを重要な価値判断基準としており、自分よりも弱い奴の下に付く事を良しとはしない。そんな弱肉強食を信条とする連中が、弱者を甚振ったり感情のままに力を振るう事が少ないのは、皆が理性的な竜王達を盟主とする一つの共同体だという認識を持っている為であった。

 

 亜人は人間という種族に比べ、身体能力において格段に優れている。小鬼(ゴブリン)であればまだ弱小な種族だが、一般人からすればそれでも危険であり、人食い大鬼(オーガ)蜥蜴人(リザードマン)などは、戦闘訓練を受けた人間でなければ抵抗することさえできない強者と言える。

 

 それが森で原始的な生活をしているのではなく、国家を形成して生活を送っているのだから、その脅威度は王国で見掛けるような野良のモンスター扱いのそれらとは段違いとなる。

 

 故に、文化レベルに然程大きな差はないとしても、武力においては間違いなく上位。近隣の人間国家を複数相手取ったとしても、その武力的優位性が変わることはないだろう。更にその頂点に君臨するのは、ドラゴンという世界最強の種族。大陸最強と目されるのは至極当然の事であった。

 

 街からは少し離れた荒野。

 高さ三メートルを越える、巨大で異質な赤い全身鎧。空中に浮かぶそれが、手に持った筒状の道具をボウガンのように構え、指の先ほどの小さな何かを豪雨の如く射出する。

 

 高速で射ち出されたそれらは、およそ人間の反応出来る速度を越えている。その一つ一つが凶悪な破壊力を秘めており、地面に撃ち込まれる度、派手に砂埃を巻き上げていく。

 

 朱い鎧が追い立てるように攻撃を仕掛けているのは、一人の男。斜めに流した長い黒髪で左目を隠し、右の目には黒いレンズを嵌め込んだ、銀縁の単眼鏡(モノクル)をかけている。

 

 その装いは、はっきり言って戦闘に向いているものには見えない。それは執事の着る燕尾服に似た、仕立ての良い衣服で、〝すうつ〟と呼ばれる、遥か南方の国で見られる民族衣装に酷似していた。肩からは黒い外套をなびかせている。

 

 これは旅人が使用するような、全身をすっぽりと被うものではなく、背中側を隠すような形のもので、旅の道中に汚れや陽射しなどの環境要因を遮断する目的というよりも、王侯貴族のように見映えを重視した代物に見える。

 

 体躯も別段逞しいというわけではなく、むしろ細身に見える人間大の男。高速で飛んでくる飛礫の一つでもかすろうものなら、その衝撃で肉体が千切れ飛びそうなものだが、黒ずくめの男は尋常ならざる速度で、弾幕の嵐を顔色ひとつ変えずに躱し続けていた。

 

 背中から光を噴出し、それが尾を引くように飛翔しながら、上から飛礫を降らせる朱い鎧。その飛翔速度は尋常ではないが、黒服の男はそれを苦にした様子はなく、一定の距離を保ちながら絶妙な立ち回りを続けている。

 

 弓兵など飛び道具を使う者を相手取るのであれば、身を隠す遮蔽物を利用するなどの動きをするべきなのだろうが、それがない。しかし攻撃を食らいはしていないものの、弾丸の雨から身を躱すばかりで、一向に反撃に出る様子はなかった。いや、傍目から見れば、そのような余裕などないと思うのが普通であろう。

 

「やはり彼か……」

 

 ツァインドルクスはその光景を遠隔操作する鎧越しに眺めつつも、すぐさま介入しようとはしない。不用意に飛び込むのは危険なのだ。何らかの罠という可能性もある。

 

 厄介な相手と言わざるを得ない()とは、この鎧で正面からやり合いたくはない。お互い全力でやりあったことはまだないが、少なくとも()()でなければ分が悪い事くらいは分かっている。

 

 今は自身が簡単に出歩くわけにもいかないため、代わりに動かせるこの鎧を壊されては堪らない。注意深く周囲を見渡すと、二人から少し離れたところに倒れ伏している数名の人間を発見した。全員意識を失っているだけで、命に別状は無さそうだ。

 

 一体どういった狙いがあるのかとツァインドルクスが思案していると、今度は朱い鎧が魔法を放つ。のたうつ二匹の()のような雷光が襲い掛かるが、黒ずくめの男は腰に佩いた剣を抜く事なく、右腕を振り払うような仕草でそれを掻き消した。

 

 流石に驚いたのか、朱い鎧の方は一瞬動きを止める。その一瞬が命取りであった。黒ずくめの男が突如姿を消す。実際に消えたわけではないが、朱い鎧の方からはそう見えたのだろう。

 

 標的を見失った朱い鎧は、周囲を見回すが見付けられない。一瞬で背後に回り込み、朱い鎧の背に乗っていた黒ずくめの男は、朱い鎧の背中にある噴射孔のような部分を踏みつけるように蹴りつけた。

 

 朱い鎧は高度十数メートルの高さから大地に叩き付けられ、周囲に砂埃を舞い上げる。濛々と立ち上る砂埃の中、立ち上がろうとするが、しかし脚をガクンガクンと痙攣させ、再び膝を付く。黒い男は背の外套を翻しながら、優雅な姿勢で着地すると、朱い鎧の方へ歩みを進めながら、遂に腰の剣に手を掛けた。

 

「……っ!」

 

 ここまで静観していたツァインドルクスは、それを見て焦りを覚える。()()()()を振るったら相手は一溜りもない。

 

「光衣」

 

 瞬間、けたたましい金属音が鳴り響く。二人の間に転移して、振り下ろされた剣を、大剣と刀の二本を使って受け止める事に成功した。わりと力を込めた一撃だったようだ。始原の魔法の一つ〈光衣〉で強化していなければ危ないところだった。

 

「黒騎士……これはどういうつもりだい?」

 

 ツァインドルクスは苛立ちを抑えて静かに言ったつもりではあったが、滲み出た圧力はとても穏やかなどとは言えないものになってしまう。しかし、この程度の威圧で縮み上がるような相手ではない。彼はやはり全くたじろぐ事なく、つまらなそうに剣を引く。

 

「……御挨拶だな。久方振りに再会して第一声がそれか?」

 

「再会を喜びあうような仲でもないと思うんだけれどね。それで、今のはどういうつもりか説明してくれるかな?」

 

 互いに牽制し距離を測るような言葉の応酬。およそ二百年以上ぶりの再会ではあるが、それを喜ばしいと思う気にはなれない。恐らく彼は自分の存在に気付いていて、ツァインドルクスが介入することを予想していたのだろう。

 

「いつまでも高みの見物を決め込んでるからだ」

 

「……やっぱり」

 

 朱い鎧を着込んでいた────()()というより()()()()と言った方が近いかもしれないが────男が、巨大な鎧から這うように出てくる。全身を震わせ、意識を保っているのがやっとの状態らしい。

 

「それで、何のためにこんなことを?」

 

「……さてね」

 

 彼はやはり答えてはくれない。最後の一撃を除けば、彼にしては珍しくかなり手加減していたのも関係があるのだろうか。

 

 それでも折角の協力者と、()()()()を危なく壊されるところだ。自分が止めに入らなければ彼は鎧ごと両断されていてもおかしくはなかった。

 

「そういう問題じゃないと思うんだけどね。無闇に力を振るわないと以前約束したじゃないか。忘れたのかい?」

 

「あったな、そんな約束も」

 

「……」

 

 四六時中監視しているわけではないので実際のところは分からないが、あれ以来、多分彼は本気で力を振るってはいないはずだ。贈った単眼鏡(モノクル)を今も壊さず使ってくれている。

 

 彼は昔からこういう男だった。わざと相手の神経を逆撫でするような言動をして相手の心を乱そうとする。一緒に旅をした仲間達とも、折り合いは決して良くなかった。

 

 一応の協力関係を築いてはいるが、最初の出会い方は良くなかったし、今協力を得られているのは奇跡的と言って良いかもしれない。しかし腹の底を誰にも見せようとはしない彼を、今でも完全に信用出来たわけではない。

 

「ま、待てツアー!ぐぉ、いてて……俺達が頼んだんだ」

 

「アズス、無事だったのかい!?ええと、頼んだっていうのはどういうことかな?」

 

「俺達の方から手合わせ願ったんだ。……くっ、ごほっ……」

 

「あぁ……」

 

 そういうことか。ツァインドルクスは冒険心が人一倍強いアズスなら然もありなん、と納得して呆れてしまった。彼は冒険者として大成しているらしいし、仲間からの信頼もあるようだが、時々独断で行動をしてしまうのが玉に瑕だった。

 

 今回はチーム全員で挑んだようだが、やはり結果は……予想していたよりはマシだったというべきか。黒騎士がかなり手心を加えてくれたおかげで。

 

(それにしても……)

 

 こういうやり方が出来るのなら、()()()はどうしてそうしなかったのか、という疑問が湧く。だが、それを追及しだすと長くなりそうなので、アズスの前では止めておく事にした。

 

 アズス・アインドラは、リ・エスティーゼ王国の最高位冒険者だ。しかし、如何に人間国家で伝説扱いされているアダマンタイト級冒険者とはいっても、黒騎士の相手は荷が重過ぎる。彼とまともに戦えたのは、真なる竜王を除けば数えるほどだ。

 

「アズス。あまり気を悪くしないで欲しいんだが……彼には君の仲間と、その鎧の全ての力を出しきったとしても、とても勝てる相手じゃない。僕でも()()()()では勝ち目が薄いんだ。さっきのように止められるとは限らないよ」

 

「そうか。まぁ、もう挑んだりはしないさ。伝承は小耳に挟んだ程度に知っていたが、男なら実際確かめたくなるだろ?世界の高みってやつを。ツアーは頼んでも相手をしてくれないしな」

 

「まぁ、そうだね……」

 

 正直この好奇心はどこから湧くのか、ツァインドルクスには理解できない。一歩間違えれば────間違えなくてもかなりの確率で────死ぬというのに、ただの好奇心で黒騎士に挑むだなんて。

 

「アズスと言ったな。あまりこいつを信用しすぎるな。今もお前の無事より、貴重なその朱い鎧が壊されなかった事に安堵しているような奴だ」

 

「む……。そんなことはないよアズス。彼の言葉に耳を傾けてはいけない。彼は君を惑わせてからかおうとしているんだ。本当に悪趣味な事にね」

 

 余計なことを言ってくれるとツァインドルクスは舌打ちしたい気分を抑えながら、アズスに弁明する。確かに鎧の方も心配していたが、当然アズスの事も気遣っている。彼自身の実力は然程ではないが、鎧をかなり使いこなすことが出来る人材なのだから。

 

「アンタら昔は一緒に旅した()()なんだろ?」

 

「それは……どうかな?君は僕の事を仲間だと思ってくれているかい?」

 

 アズスの言わんとした事は分かる。端から見れば随分と険悪に見えるのだろう。問われたツァインドルクスは黒騎士に水を向けた。

 

「寝言は寝て言え。お前は俺を憎んでいるはずだろう?」

 

「思うところが無いわけじゃないね。でも、()()は仕方がなかった。多分。今ではそう納得できているよ」

 

「それはお前の勝手な解釈だろう。何をどう解釈納得したつもりか知らんが、見当違いも甚だしい」

 

「……そうだったね」

 

 黒騎士の言う通りだ。彼が真実を話してくれたわけではない。様々な情報や状況から、そうかもしれないと仮説を立てたに過ぎない。しかし確信めいたものはある。

 

「君は昔から大事なことを何も話そうとしないね。彼女の事も。()()()にも本当は何か隠して────」

 

 ツァインドルクスが言いかけた言葉に反応し、途端に黒騎士を取り巻く空気がずしり、と重くなる。単眼鏡(モノクル)の下からは刺すような視線が向けられているのが分かる。余計なことを話すな、ということだろう。

 

「下らん詮索はよせ。……事実は変わらん。それ以上でも、それ以下でもない」

 

「それでも、事情を知っているのとそうでないのとでは違うんじゃないかい?君が周りをもっと頼れば、仲間だって出来たろうに」

 

「ほぉ?その張りボテで正体を偽り、何食わぬ顔で仲間面していたヤツが言う事とは思えんな?」

 

 急に黒騎士が口の端を吊り上げる。悪意に満ちたような不敵な笑みだ。

 

「あれは、仕方がなかった……というのは言い訳にしかならないね。でも()()()()怒るとは思ってもみなかったんだよ」

 

 共に旅をした仲間に、隠していた自分の正体を明かしたときは「裏切られた」とかなり憤慨されたものだ。

 

「クク、あの時のお前は笑えたぞ。デカイ図体してあれほど繊細だとは」

 

 クックッと邪悪な笑みを浮かべる黒騎士。そういうところが本当に悪趣味だと思う。割と本気で落ち込んでいるところを、盛大に馬鹿にされ鼻で笑われたのだ。彼らを少なくとも心を通わせた仲間だと思っていたからこそ、落ち込んでいたと言うのに。

 

「あの時は流石に腹が立ったね」

 

「だが結局あいつらの怒りは収まっただろ?俺のお陰で」

 

 黒騎士が高笑いしながら散々小馬鹿にしてくれたお陰なのか、憤慨していた彼等は早々に怒りを収めてもらえた。あの言い方はヒドイと今でも思う。だから素直に感謝などする気にはなれないのだ。

 

 ツァインドルクスは、最強の種族を自負し誇りを抱いている他の竜王たちとは違って、好感を得るためなら弱者である人間に頭を下げることも厭わない。だが、そんな彼でも、変な同情をされるのにはなんだか釈然としないものがある。

 

「それに、未だに会うとチクチクと言われるよ……もうそろそろ勘弁して欲しいのだけどね」

 

「何にせよ、知らない方がいいこともある。お前も身をもって知っただろう?真実を知ることが、正しいというわけではない」

 

 黒騎士がそう言ったきり、長い沈黙が流れる。

 

「……白金(プラチナ)。何か情報は握っているか?動き出してはいるんだろう?」

 

「成る程、目的はそれだったんだね」

 

 先程の一撃も、互いの実力が落ちてはいないかの確認だったということか。そう思えば、少々回りくどいとは思うが合点はいく。

 

「他に俺がお前に会う理由があると思うのか?それくらいは初めから察してほしかったがな。あぁ、アレか?竜も一人で隠っているとボケるのか?」

 

「……」

 

 相変わらず一言も二言も多い男だ。内心で溜め息をつきながら、ツァインドルクスは偶然遭遇した吸血鬼の情報を伝えた。アズスには聞かせる内容ではないかもしれないと思ったが、幸い疲れて眠っているようだったので好都合だった。

 

「……そいつとはやりあったのか?」

 

 黒騎士の態度が硬いものに変わる。発見した吸血鬼について、かなり警戒心を抱いているようだ。

 

「邪悪な存在だとは思う。割と近くを飛んでみたけど、こちらに気付くそぶりもなくてね。奇襲するには好機だったんだけど、こちらから仕掛けるのは止めておいたよ」

 

「……」

 

 ぷれいやーとおぼしき存在を発見しても、相手が仕掛けてこない限り、自分から手出しはしない。その約束を(たが)えていないことを伝えたが、彼の態度は軟化しない。言葉の真偽を見極めるためか、じっとこちらに視線を向けてくる。

 

「……そうか。それが正解だろうな。一人で無防備に突っ立っているなんてのは、どう考えても罠でしかないだろう。俺が動く事にする。お前は手出しするなよ」

 

「君が自分から動く気になるなんて珍しいね。……まさか、()()()()()()()例の?」

 

 少し思案を巡らせたツァインドルクスが、心当たりを見つけて驚いた声を出す。黒騎士はそれを否定しなかった。

 

「大丈夫なのかい?君は今〝魔剣〟を持っていないんだろう?」

 

「情報は既に仕入れている。問題はない。精々、自分の出番が来ない事を祈っていろ」

 

 

 

 

 

「わかった。ツアーの頼みなら御安いご用さ。何か分かったら連絡する」

 

 ぷれいやーとの戦いに備え、ユグドラシル産の武器や防具を探して欲しいと頼むと、アズスは快く引き受けてくれた。

 

「ありがとう、アズス。そうだ、王国に戻るならリグリットにも会うかい?冒険者をやってると風の噂に聞いたんだけど」

 

「いや、もう冒険者は引退したよ。あの婆さんが今何処に居るのか、俺にもわからないんだ」

 

「そうかい。もしも会うことがあったら、僕が会いたがっていたと伝えてくれないかな」

 

「ああ、わかった。必ず伝えるよ。黒騎士にもまた会うかも知れないが、彼に伝え忘れたことはないか?」

 

 アズスが目を覚ました時には黒騎士はこの場を去っていた。彼はまたいずれ会うかもしれないと期待した様子だが、先程の彼とのやり取りについては告げずにおいた。

 

 彼を信用していないわけではない。黒騎士の言葉を借りるならば、知らないほうが良い事もあるということだ。戦力としては心許ない彼を、自分の親の尻拭いのために巻き込む気にはなれない。どう答えるのが適切だろうかと少し思案する。

 

「そうだね……ん?もしかして、魔剣の所持者は王国に?」

 

「ああ、何でか知らんが俺の()が持ってるよ。大人しく屋敷でお嬢やってりゃいいのに、おかしな所で俺に似てしまってな。婆さんのいたチームで今リーダーをやっているよ」

 

 それは御愁傷様。黒騎士なら迷わずそう言うことだろう。そんなことを考えながら、リグリットの情報をそれとなく尋ねる。

 

「リグリットが抜けたとなると、チームとしては少し戦力ダウンだね。姪御さんはやっていけそうかい?」

 

「それが、後釜に入った子供みたいな魔法詠唱者(マジックキャスター)がまた強くてな。婆さんが居た頃と比べても遜色ないかも知れん」

 

 リグリット・ベルスー・カウラウ。かつてツァインドルクスと共に旅した13英雄に数えられる女性である。それは二百年も前の話になる。暫く顔を合わせていないが、彼女は息災だろうか。

 

「それは凄いね。リグリットの抜けた穴を埋められるなんて、その魔法詠唱者(マジックキャスター)は一体何者なんだい?」

 

 リグリットに匹敵する人間などそうは居ない。アズスの話に乗りつつ、もしやぷれいやーなのではないかと内心に警戒心を抱く。最悪の場合は────しかし、アズスから返ってきた言葉は意外なものだった。

 

「俺も詳しくは知らないんだが、何でも婆さんの知り合いらしい。確か『泣き虫』とか呼ばれていたが……」

 

「そ……そうなのかい?」

 

 動揺が声に出てしまうほど驚いた。まさか()()()がリグリットの後を引き継ぐだなんて。よく引き受けて貰えたものだ。

 

「なんだ、心当たりがあるのか、ツアー?」

 

「まぁ、ね……そうか、あの娘が……」

 

 何とも言えない不思議な気分だ。あの頃は確かによくリグリットに泣かされていたが、当然普通の人間が敵うような娘ではない。鎧を着たアズスでも一対一では厳しいだろう。

 

 しかしそうなると心配事も浮かんでくる。あの娘は黒騎士とはただならぬ因縁がある。会えばどういう反応を示すだろうか。

 

「ん?どうかしたのか?」

 

「いや、何でもないよ。少し懐かしい事を思い出していただけさ……」

 

 ツァインドルクスがそう言うと、アズスは意外そうな表情を見せる。爺臭いとでも思われたかもしれない。

 

「ツアー。俺ではどれだけ力になれるか分からんが、出来る限り協力はさせて貰うよ」

 

「ありがとう。恩に着るよ」

 

 爽やかに挨拶を交わし、アズスは待たせていた仲間のもとへと戻っていく。

 

「よーし、王都に戻ったらさっそく良い女を抱くとしよう。良い酒も飲みたいな」

 

「お前はいつも変わらんな。ある意味ソンケーするぞ。俺は最近ちょっと元気がなぁ……」

 

「なぁに言ってるんだ。命の危機に直面すると、子孫を残そうっていう生き物の本能がだな────」

 

 仲間たちと楽しそうに軽口を交わしながら、アズスは去っていく。残されたツァインドルクスも鎧を本体のもとへと帰還させながら、思案を始めた。

 

 黒騎士とは古い付き合いだが、未だにその出自も、行動原理も分からない。仲間と肩を並べて戦ったのは一度きりで、悪辣で凄惨な彼の戦いぶりを嫌ってか、皆距離を置いていたため、誰も深くは知らない。

 

 黒騎士は自分勝手で協調性がなく、一人で戦う事を好む。そしてひとたび戦いが始まれば苛烈に、残虐にして残忍な殺戮を繰り広げる。嗜虐的で悪魔的な漆黒の憎悪に取り憑かれた男。それは仲間の間での見解だ。

 

 しかしツァインドルクスの見解は少し違う。種族の違う仲間達が力を合わせて強大な魔神に立ち向かう裏で、黒騎士がただ一人、それより強い敵と壮絶な戦いをしていた事は、ツァインドルクスだけが知っている。

 

 口では弱者のうすら寒い友情ごっこに付き合うのはゴメンだ等と言っておきながら、彼等では苦戦するような強敵を人知れず倒してくれていたようにも思える。時折あの娘を虐めに来ていたのも、本当は、ただあの娘の事を気にかけていただけなのかもしれない。本人達は絶対に認めないだろうが。

 

 ツァインドルクスの父が原因で、およそ百年周期で異世界からこの世界にやってくる〝ぷれいやー〟という存在。それは時に友となり、時に危険な存在として排除しなければならない敵となる。八欲王の時には大陸中を震撼させ、世界の法則をも歪められ、そして少なくない竜王達の血も流れた。

 

 今回もあの時のような、悪い予感めいた胸騒ぎがする。黒騎士が動くとはいえ、警戒するに越したことはないだろう。

 

 黒騎士はぷれいやーについて、どういうわけか色々と知っている。彼自身は〝ぷれいやー〟ではないにも拘らず、だ。最初は彼もぷれいやーの一人であると考えていたが、位階魔法を使わない。

 

 武技ともユグドラシルの特殊技術(スキル)とも違った、始原の魔法(ワイルドマジック)にも匹敵する独自の能力(ちから)を使うのだ。

 

 彼の名付けた〝四大暗黒剣〟を手に入れてからは、その能力を振るうことは滅多になくなったが。

 

 かつてリーダーと呼ばれたぷれいやーも、彼の能力をユグドラシルのそれとは少し違うと言っていた。

 

 しかし、ぷれいやーでないとしたら、一体何者なのか。

 

 彼は何故ツァインドルクスに協力してくれるのか。

 未だ黒騎士には謎が多い。ただ、口も態度も悪いが、悪を演じているだけで、本質的には邪悪ではない気がしている。

 

 そんな彼の先程の態度は、どこかおかしかったように思う。高揚しているようで、何かを思い出して悔いているような、その内心に様々な感情が複雑に渦巻いていたように見えた。

 

「アインズ・ウール・ゴウンか。確かリーダーも何か言っていた気がするけど……伝説の……〝どんが〟……だったかな?」

 

 なにしろ二百年も前に一度だけ聞いたきりだ。記憶を辿って思い出そうとツァインドルクスはしばし唸っていたが、結局思い出すことは出来なかった。




拠点防衛時の一部は動画になり、プレイヤーの間では伝説として世間に知られているはずだと思い、13英雄のリーダーも伝説を知っているという想像です。
どういう話の流れでアインズ・ウール・ゴウンが出てきたかは今のところ不明です。


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#82 相談事

ああでもない、こうでもないとやっていたら、思いの外期間が空いてしまいました。
茶釜さんの相談というお話です。


 床には淡い桃色の絨毯が敷かれ、その上には精緻な刺繍が施されたカバーを被せた大きなソファーが鎮座している。

 

 ぶくぶく茶釜の私室は、全体的に白系統を基調としながらも、随所にピンクや赤のリボンと可愛らしい小物が並ぶ、如何にも女子っぽい部屋に仕上がっていた。

 

 二十代という実年齢を考えれば少しばかり子供っぽい気もしないでもないが、今の見た目には不思議とマッチしている。

 

 テーブルやソファー、照明など、基本的な家具調度品と間取りはアインズの私室と同じはずなのだが、コーディネート一つでこれ程に雰囲気が違うものかと感心させられた。

 

 アインズは自室の内装にはこだわっていなかったため、割り当てられたデフォルトの状態から殆んど弄っていない。しかしこの部屋を見ればわかる。自分の部屋のはずなのに落ち着かなかった理由は()()だったのだ。一般のサラリーマン感覚に馴染んできた彼に取って、豪奢なロココ調だのでふんだんに飾り立てた部屋は華美に過ぎる。

 

 人払いをしてアルベド達も退室しているため、現在部屋には二人きりだ。アインズは女子の部屋に初めて上がり込むというシチュエーションにドギマギしつつ、先程のアウラ達の姿を思い返す。

 

(やっぱり茶釜さんのセンスは半端じゃない。あの二人もホントに嬉しそうにしてたしな……)

 

 着替えが終わったあと、モジモジはにかみながら披露してくれたアウラとマーレ。アウラは普段履かないスカートに、顔を赤くして恥ずかしがっていたが。

 

 アウラが着ていたのは柔らかい質感の、清楚な白いワンピース。素足にミュールを合わせ、瑞々しい褐色の肌と白のコントラストが、将来約束された美貌を予感させ、アインズは期待感に胸を踊らせた。

 

 そしてマーレは白のフリフリのついたブラウスと蒼色のスカート、白いニーハイソックスと短めのブーツ。やはり女装なのだが、それはもう完全無欠の女の子、いや()()()に仕上がっていた。

 

 二人がそれぞれクルリとその場で回ると、裾がフワリと舞い上がり、スカートの中が見えてしまうのではと一瞬焦ったが、実際はそうはならず、まるで計算し尽くされたかのような、見えそうで見えない絶妙な太腿のチラリズムを演出した。

 

 流石に二人は子供なので変な気は起こさなかったが、もう少し大人だったらドキッっとしてしまったかもしれない。

 

「二人とも本当によく似合ってましたよね」

 

「着こなしには自信あるんだよね~」

 

 鮮やかな蒼玉(サファイア)のドレスに身を包み、得意げな表情で「えっへん」と胸を張るぶくぶく茶釜。その仕種があどけない外見と相まって、本当に少女のように見えてくる。

 

 彼女の言う通り、コーディネートの腕前は確かなようで、豪奢な装いも然ることながら、シンプルであってもそれがかえって着用者の魅力を引き出しているような気がした。雰囲気をガラリと変えても違和感なく、アウラを可憐な少女にして見せたのも見事としか言いようがない。

 

(確かに、俺じゃあとても真似出来ない)

 

 アウラ達の姿を思い出しながら、そんなことをしみじみと思う。ただ身嗜みを整える事とお洒落は違うのだ。アインズはビジネスシーンに合わせた着方は出来ても、お洒落でハイセンスな着こなしとなると、全くもって自信は皆無だ。

 

 ぶくぶく茶釜の非凡なセンスを目の当たりにして、憧れの念を抱くと同時に、自分のセンスとの格差を意識してしまう。

 

 自分が作成したあの埴輪野郎(パンドラズ・アクター)にひきかえ、彼女が作った双子の、なんと素直でかわいらしいことか。

 

(いいよなぁ、茶釜さんは……)

 

 自分が黒歴史をほじくられるような恥ずかしい思いをしているというのに、彼女はとても楽しそうだ。アインズは僅かばかり抱いた嫉妬心を打ち消す。

 

(まぁ、軍服は今でも格好良いと思わなくもないんだけど。あのオーバーアクションを見るたび、周りの視線がなぁ……)

 

 みんな頼むから俺の黒歴史を冷たい目で見ないでほしい。そして出来れば仲良くしてやってくれ。アインズは内心で切実に願った。

 

「あ、そう言えば……マーレは今後もずっと女装なんですか?たまには男らしい格好も見てみたい気が……」

 

 マーレにはいつまで女装させる気なのだろうか。アウラには女の子の格好もさせているのにと、ちょっとした興味が湧く。

 

「あー、うん……それが1つ目の相談なんだけどね……」

 

「え……?」

 

「もうゲームの世界じゃないんだし、「男の娘」じゃなくて「男の子」らしい格好させてあげなきゃって思うんだけど……」

 

 マーレを女装させる事に、彼女も思うところはあったらしい。少なくとも卒業させる気はあるようだ。相槌を入れつつ、アインズは安堵する。

 

「それなら、早い方が────「でもでも、カワイイ服を着せられるのは今しかないじゃない?モンちゃんもこの気持ちわかるよね?ね?ねぇ?」

 

「あー、ええっと……」

 

 ぶくぶく茶釜は顔を近付けて強引な勢いで同意を迫ってくるが、アインズはそれに同調はしない。しかし態度では冷静に受け答えしているように見せているが、実際には内心で焦りまくっていた。

 

(ちょ、茶釜さん……顔近いから!)

 

 惚れている女性から急に顔を近付けられて、ドキドキしないわけがない。見た目が少女になっているとはいえ、童貞のアインズには破壊力抜群である。しかし、それを表には出さないように、表情が崩れそうなのを根性で持ちこたえる事に成功していた。

 

「まぁ、その……言いたいことはわかりますよ?実際、可愛いとは思いますしね」

 

「でしょ?うぅ~、そのせいで、ついついカワイイの着せたくなっちゃって、気づいたら……」

 

 女装をさせてしまう、ということらしい。確かに「男の娘」のマーレは可愛いとは思うのだが、将来を考えると、そこはかとなく心配になる。

 

「アウラには女の子の格好もさせているのに、マーレはどうして……」

 

 そんなアインズの当然とも言える疑問の答えは、すぐに返ってきた。

 

「別に女の子は大人になってからでも男装出来るのよ。でも逆は……デミウルゴスとかがスカート履いたって似合わないし、ちょっとヘンタイっぽいでしょ?」

 

「うぁ、それは……確かに……」

 

 つまり、マーレが「男の娘」でいられるのは幼いうちだけの期間限定であり、男らしく成長したら似合わなくなる。彼女の理論にアインズはデミウルゴスの女装を想像して納得してしまった。

 

 確かに一般メイドやプレアデスがセバスのような執事服を着てもそれなりに似合いそうだ。だが、あのデミウルゴスがメイド服を着た日には、アインズもドン引きする自信がある。

 

(すみません、ウルベルトさん……)

 

 額に手を当てながら、勝手な想像で変態っぽいと思ってしまったことを、創造主(ウルベルト)に心の中で謝っておいた。

 

「マーレもあと二、三年もしたら男の子っぽく成長しちゃって、似合わなくなるのよね。で、そのうち反抗期が来て「姉貴ウゼー」とか生意気な事言い出して……」

 

 脳裏に弟との思い出を浮かべているんだろうか。ぶくぶく茶釜は寂しげに目を細める。アインズはあえて明るい声で彼女に声をかけた。

 

「あー、まだ二、三十年は大丈夫だと思いますよ?闇妖精(ダークエルフ)は人間より寿命長いんで」

 

「えっ、あ……そっか、そうだった!てことは……もうしばらくこのまま様子を見ようかな。そのうちズボンを履きたいって言い出したら、その時にでも……」

 

「……ですね」

 

 どうやら、マーレはまだしばらくの間「男の娘」でいることになりそうだ。アインズもそう急ぐような問題でもないだろうと頷く。マーレ本人に不満が無いようなら、彼女の言う通り、今のところは様子見でいいだろう。こうして解決が難しいデリケートな問題が一つ先送りになった。

 

「それはそうと……小さいうちから経験を積むということは、将来立派な大人になるために必要でしょう。どんな大人に育ってほしい、とか考えたりします?」

 

 新たな魔法や特殊技術(スキル)を修得するといった、ユグドラシルの法則に縛られるような部分での成長は望めないかも知れないが、新たな知識や経験を得る事により、内面的な成長は出来る。その点はナーベラルを通じて手応えを感じていた。

 

 しかし、創造主であるぶくぶく茶釜の意向があるなら、それを聞かずに勝手に進める訳にはいかない。

 

「どうして?なんか、保護者面談みたいなんだけど?」

 

「アルベドは守護者統括、セバスは執事兼家令。皆何かしらの役割を担っているように、あの二人には第六階層守護者という役職があります。ただ、茶釜さんが産みの親みたいなものですから、あまり本人達や、創造主の意向に沿わない事を無理にさせるというのは抵抗があるんですよ」

 

 アインズは二人に限ったことではないですけど、と付け加える。きっと部下達は個人的に嫌だと思うようなことでも、至高の御方の命令ならばと無理をしてしまう。求めに応じようと頑張ってくれるのは嬉しいが、アインズが気付かないところで無理をさせてはいないかと不安に思うのだ。

 

「うん、なんかゴメンね…」

 

「え?」

 

「モンちゃんが私やマーレを気遣ってくれてるのに、私、パンドラズ・アクターに感情的になって、結構ヒドイ事言っちゃったかも……」

 

 申し訳なさそうな表情でそう言うが、アインズもそんなことはパンドラのヘコんだ姿を見ているので想像くらいはついている。

 

「まぁ、大丈夫ですよ。多少ヘコんではいましたけど、茶釜さんから叱咤激励を受けたお陰で一皮剥けたみたいですし……。因みに何て言ったんです?」

 

「あ、あの怒らないでね……?は、ハニワヤローとか……身振り手振りがダサいとか」

 

「……デ、デスヨネー」

 

 聞くんじゃなかった。アインズは身悶えしたいような羞恥に襲われつつ、興味本位で聞いたことを後悔する。

 

「でも、設定された通りに振る舞ってるだけだもんね。だからパンドラズ・アクターに罪はないっていうか、それに文句言うのはちょっと筋が違うよね……」

 

「ぐふぅっ、そ、そうですね。アイツのオーバーアクションは、俺がそう設定したせいですからね……っ」

 

 更に強烈なボディーブローを受け、精神がゴッソリと削られる。もう息も絶え絶えなくらいに精神的ダメージを受けてしまった。想い人に「ダッサーい」と直接言われているようで、これは想像以上にショックが大きい。

 

(やっぱアイツダサいよなぁ……。……そう言えば、今は普段の死の支配者(オーバーロード)と同じ神話級(ゴッズ)のローブ着てるけど、それはどうなんだ?似合ってるのか?)

 

 アカデミックガウンを思わせる漆黒のローブ。アンデッドの姿ならば如何にも邪悪な魔法詠唱者(マジックキャスター)という雰囲気で似合っているという自信はある。だが、元の冴えないサラリーマン当時の顔には似合っているかと言われれば、分からなかった。

 

「ところで……茶釜さんの目から見て、今の俺はどうですかね?」

 

「…………えっ?えと……え?」

 

 妙に驚いたような声を上げるぶくぶく茶釜。急に目が泳ぎだし、ソワソワと指を動かす。

 

(つまり、コメントに困る程似合わないってことか。まぁ、わかっちゃいたけど……)

 

 内心ショックで泣きたい気持ちになりつつ、それを表には出さないよう肩を竦める。

 

「やっぱりアンデッドの姿じゃないと、この格好は似合わないですよね?でも、折角の神話級(ゴッズ)装備を着ないというのも勿体無い気がして……着こなし方次第で何とかなりませんか?」

 

 アインズはぶくぶく茶釜が得意分野だという着こなしについて、思い切って助言を乞う事にした。彼女に処置なしと言われれば諦めもつきそうだし、彼女の好む服装の参考になるかもしれない。

 

(転んでも只では起きないぞ)

 

 失敗から学ぶことは多い。実際PVPでも勝った時より負けた後の方が多くを学び成長できた気がしている。

 

 それは勝てばどうしても気が緩みがちなのに対し、負けたときは悔しさから「どうすれば次は勝てるか」を必死で考えるからだ。アインズ自身もそうだった。

 

 約一名、既に強いのに常に強さを磨くことに余念がなかった公式チート(たっち・みー)がいたが、彼のようなタイプは例外である。

 

「あ、あぁ……そういう……。えっと、じゃあ、フードは取った方がいいかな?」

 

「……ん?そ、そうですか……?」

 

 一瞬何かに違和感を感じて首を傾げかけたが、ぶくぶく茶釜に言われた通り、被っていたフードをバサリと後ろに脱ぐ。顔を出したところで見れる顔はしていないと自覚しているので、それくらいで何か変わるとも思えないが、彼女の言うに任せてみる。

 

「うん、その方が絶対良いよ。あと、マントっぽく前を開けて、中に服を合わせるとか」

 

 人の姿を取っている時は、前のボタンをしっかりと閉め、胸元をはだけていない。骨の身体ならば何とも思わないのだが、肉があると事情が違ってくる。

 

「成る程……」

 

 職業(クラス)の違う装備が扱えなかったように、ユグドラシルの法則を考えれば、同じ装備を重ね着することは出来ないという仮説が立つ。

 

 まだ実際に検証したわけではないし、何か抜け穴的なものが存在するかも知れないが、それ以上に急いで確認すべき事がたくさんあったため、仮説のまま先送りにしていた。

 

(そういえば、アルベドは()()()()よな?だったら……)

 

 その時点で、やはりユグドラシルとは仕様が部分的に変わっている、という事かもしれない。そんなことを考えながらローブに手をかけようとして、はたとその手が止まる。今この場で前を開けるのはまずい事に気付いたのだ。

 

 ぶくぶく茶釜に目を向けると、対面のソファにちょこんと座って、こちらの様子を窺っている。

 

「ええっと……後でじっくり試してみますね……」

 

「え、うん……?」

 

 ポカンとした表情のまま頷く彼女に、苦笑いを返して誤魔化す。現在一枚のローブの下は生まれたままの状態なのである。このまま前を開けようものなら、変態の烙印と共に例のOHANASHIが待っていることだろう。

 

 しかしこれは何も好き好んでそうしているのではない。ユグドラシルの法則の関係で、重ね着装備はできないはずなので仕方なくだ。勘付かれる前に別の話題を振ってしまおうと考えていると、彼女が先に口を開いた。

 

「モンちゃん……あのモモンガおにいちゃん、なのよね?」

 

「はい?そうですけど……え?どういう意味ですか?」

 

 何を今更、と思うような質問だが、彼女の目は冗談を言っているようには見えない。一体どういうことなのだろうか。

 

「だ、だって、なんか外見変わったし、指示出す時の態度とか本当に偉い人みたいだから……。実は中身も別人に入れ替わってるとか……」

 

「いやあれは、仕事モードっていうか、ロールプレイっていうか……。でも今の見た目は元通りじゃないですか?」

 

「はっ?」

 

「えっ?」

 

 何故か驚いたような、呆れたような顔をされ、アインズの頭の周りを疑問符が回り出す。生死反転を会得し、今は人間鈴木悟の姿に戻っているはずだが。

 

「何か、おかしいですかね?」

 

「…顔っ!鏡で自分の顔見てっ」

 

「え……っ!」

 

 そういえば鏡を見て自分の顔を確認していなかった。手足に肉がついたので、てっきり顔も鈴木悟になっていると思っていたが、もしかしたら別人の顔になっているのかもしれない。

 

 慌ててインベントリを漁り、鏡を取り出す。遠隔視(リモートビューイング)で使う、大きめの鏡だ。もしも死の支配者(オーバーロード)の骨格の上にに肉付きしたのなら、全く別人の顔になっている可能性もある。嫌な不安感に焦りを覚えながら鏡を覗き込んだ。

 

「あれ……なんだ、ちゃんと戻れてるじゃないですか。……ん?」

 

 そこには黒髪の青年の顔が映っている。顔立ちも髪色も日本人のそれで、懐かしい自身の、鈴木悟の顔に見える。しかし、そこはかとなく、何かが普段とは違うような気もする。

 

「うーん、何かこう……雰囲気が違う気はするんですけど……一体何が……」

 

「いやいやいや、よく見て!?」

 

 具体的に何が変わったのかはっきりとはわからず呟くと、ぶくぶく茶釜から素早く突っ込みが入った。

 

「ほら、ね?」

 

 全然違うでしょ、と言いたげな彼女の言葉に戸惑いつつ、鏡に写った自分の顔を改めて観察する。まじまじと自分の顔を見つめるなんていつぶりだろうかと思いながら鏡とにらめっこをしていると、ようやく決定的な変化に気づく。

 

「あっ……!()だ……」

 

 サラリーマンとして働いていた頃は、疲労を湛えた色濃い隈が目元にあったが、今はそれが跡形もない。その上、肌も荒れていたあの頃とは違い瑞々しく健康的な張りつやをしていた。

 

「以前より健康的で、若返ったような気さえしますね……」

 

 アインズは鏡を見ながら、そんな感想を洩らした。今なら二十歳とは行かないが、二十代前半位なら通じそうだ。ぶくぶく茶釜もそれには同意を示す。

 

「うん、ちょっとイケメン顔になったって言うか……で、でも調子に乗ってナンパとかしちゃダメだからね。見た目だけで女子にモテたりしないんだからっ」

 

「はは、そんなことする気も起きませんよ」

 

 この世界は何故か皆平均して顔立ちが整っている者が多い。ナザリックのメイド達もかなりレベルが高いが、もし鈴木悟がそのままでこの世界に来たならば、三枚目どころか四枚目、五枚目くらいになってしまうだろう。

 

(見た目の問題以外にも、アルベド達で慣れてきたとはいえ、未だに女子との会話は何を喋れば良いか分からないし……)

 

 イケメン顔だと言って貰えたことに、正直かなりの嬉しさはあるが、この歳まで貫いてきた筋金入りの童貞が、それだけで女性に対して積極的になれるワケがない。彼女の言う通り、調子に乗ったりしたら大火傷する事は想像に固くない。

 

 ふとテーブルに視線をやると、器に盛られたまま手付かずの黄色いものが目に入る。

 

「えっと……食べていいですか?」

 

「あ、うん」

 

 クリスタルを思わせる輝きを放つ透明な器。外側には精巧な模様が彫り込まれており、上質で涼やかな高級感が漂う。そこに収まっている薄色の物体をスプーンでつつくと、プルルンっと揺れる。

 

「これがプディング……初めて見ましたよ」

 

「えへー、これ私が頼んで作って貰ったの♪」

 

 言いながら、彼女もプリンを手に取って器を軽く揺らし、プルンプルンと揺れる様を楽しげに観察している。

 

「へぇ……?」

 

「前にシュナちゃんが作ってくれてね?超美味しかったのよ~」

 

「あー、確か薄桃色の髪をした鬼姫さん。いつの間にそんな仲良くなったんですか……」

 

 やはりアインズとはコミュニケーション能力が違うということだろうか。ライブで一緒に演奏をしたメンバーと、あの短期間ですっかり仲良くなっていたということか。

 

 彼女は迷宮攻略のために修行する傍ら、バンドの練習にも励んでいた。かなりタイトなスケジュールをこなしていたはずだが、その忙しさのなかでも友達を増やしていたようだ。

 

「そういえば……迷宮のあと、皆がお店で打ち上げしに行ってたよね~?」

 

「……ソ、ソンナコトアリマシタネ~」

 

 アインズは冷や汗をだくだくと流しながら、震え声になる。あの時はお咎め無しだったが、今更になってお説教でもされるんだろうか。

 

「まぁ……男の子だもんね……」

 

「あ……ええと、その」

 

 その言葉に余計に恥ずかしさが込み上げる。理解を示していただけているようだが、あえて堂々と触れて欲しくはない話題である。しかし彼女の追い討ちは続く。

 

「モモンガお兄ちゃん、やっぱり大きいのが好きなの?」

 

「ファッ!?いや、そそそ、それは……」

 

 まさかの突っ込んだ質問が飛んできて、アインズは変な声を出し、忙しなく目を泳がせる。

 

(そう言えば、ペロロンチーノさんも、根掘り葉掘り聞かれてたって言ってたな……)

 

 まさかそれが自分にまで向けられるとは思っていなかった。これは思った以上に恥ずかしい。聞いてどうしようというつもりなのだろう。

 

(くっそ、わからんっ!ここでもしも「はい」と答えたら、どうなるんだ?)

 

「べ別に大きいのが良いというわけでは……。大きくても小さくても、それぞれに異なった魅力があるわけですし……大きさはそれほど重要じゃないと思います……よ?」

 

「うーん、そうなんだ……」

 

 彼女は咥えたキャンディーの棒を弄りながら、何かを考え込むように目を瞑る。

 

(もしかして気にしてるのかな……?女性は気にする人が多いって誰か言ってた気がするしなぁ)

 

 ナザリックの女性陣は総じて胸が豊かな女性が多い。アウラのような子供や一部の例外を除けば、大抵は彼女より大きいだろう。

 

(……特にユリとかソリュシャン、アルベド辺りは上位に……違う違う違う!何てことを考えてんだ!)

 

 アインズの脳内で、不意に『ナザリックおっぱいランキング』が繰り広げられそうになるが、そんなことを考えていた事がバレたらただでは済まない。危険な思考を振り払うべく、別の何かに気を逸らそうとプリンを口に運ぶ。

 

(おー、甘い……)

 

 プルンッと、とろけるような柔らかさ。そして滑らかな舌触りと共に濃厚な甘味が口に拡がる。初めて味わうプリンの甘さに、頬が緩んだとき、不意にぶくぶく茶釜の呟きが耳に入ってくる。

 

「ストライクゾーンが広いってことかな……?それとも形や触り心地……?」

 

「んぐっ、ごっほぉ!」

 

「うわっビックリしたぁ。どしたの?」

 

「ゴホッ、ゴホン……んんっ。ビックリしたのはこっちですよ、もう。いきなり何を口走ってるんですか」

 

 折角のプリンで噎せてしまった。聞き間違いでなければ、随分とおかしなフレーズが聞こえた気がするが────。

 

「ん?気にしないで?」

 

(いや、気になるでしょ……)

 

「そ、そうですか……?それより、相談事は他にもありますか?時間も無限というわけではないので、そろそろ本題を……」

 

 アインズは無理矢理に疑問を放り投げ、他にも有るであろう相談を促す。かなり自然に話ができるようになった気がするし、こうして彼女と取り留めなく話を続けるのも悪くはないのだが、それは我が儘というものだろう。

 

「うん。これは相談っていうか頼み事なんだけど。……私ね……!」

 

「……!」

 

 彼女の顔つきが真剣なものになり、アインズも気を引き締めて言葉の続きを待つ。重大な案件ということは雰囲気から察しがつくが、わざわざ人払いまでして、一体何を頼もうと言うのか。

 

「働こうと思うの!」

 

「……え?」

 

 握り拳を胸の前に作って立ち上がるぶくぶく茶釜。その表情は強い決意を感じさせる。

 もっと重くて厄介な案件とか無茶振りをされるかと思っていたが、至極真面な内容だ。社会人として働かずに過ごすことに罪悪感のようなものを覚えたのかもしれない。

 

「なによぅ、私が働くことに()()()()()()反対なの?」

 

「いえいえ、それ自体に反対はしませんが……すぐに賛成もできないですかね。少なくとも安全面やメリット、デメリットを考慮した上でないと」

 

「うっ……」

 

「その様子だと、アルベド辺りに猛反対されたみたいですね」

 

「う、うん……。なんかもう、泣きながら必死に反対されちゃって……ていうか、働いたりしなくていいとか言われちゃった。私、要らない子?」

 

「いや、そうじゃないんですよ。シモベ達は……」

 

 目を潤ませるぶくぶく茶釜に、ナザリックのシモベ達の基本的な考えを説明しつつ、やっぱりなと思う。アインズもそういった事態は予想していた。アルベドは彼女が外に出ることに強い不安を抱いている。

 

 アインズが冒険者になると言い出したときも、アルベドには相当駄々を捏ねられたが、100レベルプレイヤーのアインズでさえそうだったのだ。アルベドでなくとも、プレアデスよりも戦闘能力に劣るであろうぶくぶく茶釜が外界へ赴くとなれば心配するだろう。

 

 それに、彼等の感覚では『至高の御方』が外界で働くというのは受け入れがたい事なのかもしれない。アインズのように情報収集という目的の為のアンダーカバー作りというならまだ納得は出来るかもしれないが。

 

 しかし、ユグドラシルを引退してしまったメンバーが残してくれた子達だ。その気持ちにも理解は示してやりたいが、かといって彼女をいつまでもナザリックに閉じ込めるというわけにもいかない。

 

「強引に反対を押しきる、という事も出来なくはないでしょうけど……俺としては、皆には納得して茶釜さんを送り出して欲しいと思っています。それにはまず、課題を洗い出す必要がありますね。皆がどう考えているのか、どうすれば安心できるか。それを知る必要があります。早速会議を開いて、アルベド達から意見を聞きましょう」

 

「う、うん……!」

 

 アインズは時間をかける方法をあえて選んだ。強引に押し切ろうとしなかったのは、部下達と話し合ってちゃんと納得させたいという事以外にも考えがあってのことだ。

 

 例のミラージュの調査には時間がかかる。アレが正体不明のままである以上、どんな対策を講じても完全に安心はできないのだ。内部でじっくりと説得するのと平行してそちらも進め、外の安全を確保しようという算段である。

 

 こうして守護者たちが召集される事になったのだが、会議が混迷を極め、アインズが早速投げ出したくなったのは言うまでもない。




人間のぶくぶく茶釜さんが外で働くとなると、色々心配や反対はされそうです。それらを説得して解決しようとしたら、かなり時間はかかりそうですね。少なくとも1ヶ月はかかるかなぁと……。


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#83 夢か現か

「ち、が……ちが……っ!」

 

「見損なったわ! サイテー!」

 

 反論を許さぬ剣幕でそう言い放ったぶくぶく茶釜は、一般メイドの手を引き、足早に出て行く。

 

 去り際に振り向いた彼女は、うっすらと涙を浮かべて言い残した。

 

「信じてたのに……」

 

 バタンっと乱暴な音を立ててドアが閉まる。

 

「そ……そんな………………」

 

 一人、部屋へと残されたアインズが、蹲ったままドアに伸ばしかけた右手を力無く垂れる。彼女の言葉が胸を軋ませる。

 

 いったい、どうしてこうなってしまったのか。

 

 

 

 

 

(あー、疲れた……)

 

 自分の私室へ戻ってきたアインズは声には出さず心の中でため息をつく。肉体的には疲労していないが、精神的疲労は中々のものだ。

 

 原因は守護者達を集めて行った会議。ぶくぶく茶釜が外部に出て働くという事に、最初は全員が難色を示したが、何とか説得の甲斐あって、皆の協力を得られる事になった。だがその道のりは険しいものであった。

 

 まずアルベドとデミウルゴスの智者二人がタッグを組み、あらゆる理屈を捏ねてそのデメリット、主にそのリスクを提示して来たのだ。この二人にタッグを組まれたら、頭脳では勝てる気がしない。

 

 ぶくぶく茶釜とアインズは早速助っ人を呼ぶ事にした。

 

「貴方のお声に即参上!!」

 

(あ痛たたたぁ!)

 

 のっけから思いきり痛いオーバーアクションで登場したのは、パンドラズ・アクター。最近また調子に乗っているように見えるが、それを差し引いても、やはり周囲の視線が冷たい気がする。ぶくぶく茶釜だけは生温い視線だったのは唯一の救いだろうか。

 

 パンドラズアクターを味方に引き入れた事でどうにか議論は成り立ったのだが、アインズの精神疲労の半分くらいはコイツのせいである。無事説得には至ったものの、早々にヤツの敬礼を封印しなければと密かに誓ったのだった。

 

 その後も武力で町を制圧だの、眷属に変えてしまおうだのと、議論はあらぬ方向へ向かいそうになるのを何度も修正し、様々な紆余曲折を経た末、ぶくぶく茶釜がモモンの冒険者チームに仲間として加入する事に決まった。

 

 パンドラズ・アクターの出した意外な提案にやけにアルベド達がアッサリと引き下がった気がするのが少し引っ掛かるのだが、気のせいだろうか。

 

 だがアインズとしても、彼女が目の届くところに居てくれた方が安心できるので(いや)はない。

 

 残る問題は、モモンが既にエ・ランテルではかなり有名になっている、ということだった。

 

 墓地のアンデッド事件をはじめ、強大なアンデッド捕縛や、戦士では討伐不可能と言われたギガントバジリスクの討伐等、数々の依頼を破竹の勢いでこなすチーム〝漆黒〟のリーダーモモン。名乗った覚えはないが、気付けばいつの間にか、周囲にはそんなチーム名で呼ばれるようになっていた。

 

 そんな〝漆黒〟は、あっという間にオリハルコン級にまで出世を果たし、現在は王国三組目のアダマンタイトに最も近いと言われるまでになっている。そこへいきなりレベル差がある人物が加入するのは、元々の知人だと説明したとしても、少々無理がある。

 

 そこで、彼女のパワーレベリングと、武装を鍛冶長に新調してもらう事になった。

 

 アウラの見立てによれば、現時点でぶくぶく茶釜のレベルは20に届くかどうからしい。冒険者なら白金級かミスリル級にも匹敵する。

 

 とはいえ100レベルからすれば、ちょっとしたことでうっかり大怪我を追わせかねない。事故を避けるため「一般メイドと変わらない」と言っておいたのはある意味間違ってはいないのだ。

 

 武装が整うまでは少し時間がかかるだろうし、それまでには多少レベルが上がっていれば儲けもの。あとは伝説級(レジェンド)で武装すれば、十分にオリハルコンの実力に届くだろう。

 

 ニグンとの顔合わせも済ませてある。出会った途端に涙を流しながら祈りのポーズで拝んできたのには流石の彼女も引いていたが。

 

(結局、アレはなんだったんだ……? まぁ、いいか。茶釜さんが言ってた重ね着を試してみるか)

 

 私室のクローゼットから適当に服を見繕おうかと考え始めて、今日の〝至高の御方当番〟である一般メイドの姿が目に留まったアインズは、少し考えてから退室させようとしたのだが────

 

 これこそが事件の始まりである。

 

「んんっ、インクリメント。これから試したいことがあって、服を替えようと思うのだが……」

 

 この世界に転移してからというもの、着替えは全てメイド達のなすがままに任せていた。しかしその時はアンデッドの姿だった。今後は人間姿の時もあるだろう。そうなるとまず喫緊で見えてくる問題がある。

 

(今更だけど、メイドはみんな女子だからな。生身の人間の、しかも男の着替えを手伝わせるなんて、セクハラだよなぁ)

 

 一般メイド達は人造人間(ホムンクルス)。外見だけでなく貞操観も人間と似通っているかもしれないと予測していた。彼女達が骨の体に対しては感じなかった羞恥の感情が沸き起こる可能性も十分にあった。

 

「お召し替えでございますね」

 

 御方のお着替えならばメイドの出番だと、前へ歩み出すインクリメント。

 

 彼女もまた、一般メイドのご多分に漏れず、心持ち嬉しそうな表情を浮かべていた。茶髪のおかっぱ頭で伏し目がちな彼女は、インテリと言うよりも控えめで大人しい文学好き少女といった雰囲気だ。

 

「ではすぐにお召し物を準備致します」

 

「いや待て。それには及ばない」

 

 クローゼットへ向かおうとしたインクリメントをアインズは呼び止めた。

 

「私は自分で着替えるつもりだ」

 

「っ!? わ、私は……不要、でしょうか……?」

 

「あ、いや……」

 

 アインズの言葉にショックを受けたインクリメントは顔を青ざめて震えている。

 

(うわー、早速か……)

 

 アインズは自分の失態に気付き、ため息を吐きたくなった。インクリメントに限らず、皆そうなのだ。

 

 メイドがいるのに自分で何でもやってしまおうとすると、結果的に彼女達の仕事を奪う事になる。メイドの職務は彼女達にとっては生き甲斐であり、自らの存在意義といっても過言ではない。

 

 その仕事をさせてもらえないということは、言外に「お前は不要だ」と、その存在意義を否定されたも同然、ということらしい。

 

 この前なんかドアを自分で開けようとしてドアノブに手を掛けたら、ボロボロと涙を溢すフォスと目が合ってぎょっとした。

 

 不要な存在と看做(みな)されたと勘違いし、絶望を張り付けた表情のフォスを慰めるのに、どれだけ精神を削ったか。正直、これくらいの事でこの世の終わりみたいな顔をするのはやめて欲しいと思わなくもない。

 

 いちいちドアの前に立って開けてもらうのを待つよりも、自分で開けた方が早いし、急いでいるときや忙しいときには煩わしくさえ感じる。しかしメイド長のペストーニャからそれが主人として相応しい振る舞いだと言われれば反論できない。自分でドアを開けてもアインズはアインズだと思うのだが。

 

 いっそリムルのように我儘放題言えれば気が楽かも知れないなと思いつつも、言い出す勇気はなかった。大事な仲間の忘れ形見を無闇に傷付けたくはない。自分が我儘を我慢すればいいだけだ。

 

「あー、インクリメント。今私は人間の姿だぞ? この状態で着替えるという事はつまり……分かる、な?」

 

 人間ということは肉が付いている。当然復活したものもだ。アインズは男の着替えを手伝うということはどういうことか伝えようとした。

 

「……はい。何も問題はございません。お任せください」

 

 アインズの言葉の意味がうまく伝わらなかったのか、一瞬キョトンとしたインクリメントが、クールな表情で返事を返してくる。これに焦ったのはアインズだ。

 

(マズいぞこれは。やる気満々だ。けど露骨にハッキリ言っちゃうのはセクハラっぽいし……)

 

 この期に及んでセクハラを危惧し、はっきりと言葉に出来ないアインズ。

 

「いや……もう一度よく考えてみろ? このまま着替えると……アレだぞ? 本当に大丈夫か?」

 

「えっ……?」

 

 アインズの言葉に、インクリメントは目を泳がせ始め、次第に頬を赤らめた。こうやって誘導してやれば、危険なワードを口にせずとも自ずから気付いてくれるのだ。

 

「インクリメント……無理しなくていいんだからな?」

 

 アインズは畳み掛けようとしたが、インクリメントは何かを決意したように真剣な表情で答えた。

 

「か、覚悟の上です! 何が有ろうとも私は職務を全うしてご覧にいれます!」

 

(えええ!? 何でそうなるんだよっ)

 

「あー」

 

 甘く見ていた。頬を染めながらもやる気を前面に出してくるインクリメントに、アインズは思わず天井を見上げる。見上げたプロ根性である。

 

 そしてそれを了承の合図と受け取ったインクリメントが、ローブに手を掛け────

 

「ちょm」

 

 止める間も無くスルリとローブは脱げ落ち、少し腰を屈めたインクリメントの視線の先に────

 

「…………っ!」

 

 インクリメントは実際に初めて見る……を凝視したままどんどん顔を赤く染め上げていく。

 

「ぬおぉぉっ!?」

 

 一拍置いて悲鳴を上げながら飛び退いたのはアインズ。

 

(みっ、み、見られた! 見られたあああ~! うぉぉ最悪だ! 死ぬ! マジで恥ずか死ぬぅ!)

 

 かつてない羞恥に身悶えしたいところだが、裸で床を転げ回ったりすれば、文字通り恥部をさらけ出してしまう。腰を思いきり引いて両手で覆い隠し、インクリメントを見ると、真っ赤になって硬直したままだった。

 

 放心したように動かないまま、再起動するまでに数秒を要したようだ。ハッと我に返ってアインズと目を合わせ、顔面にボンッと小爆発を起こし。アインズもそれを見て羞恥に耐えられず目を逸らす。

 

 このハズカシルーティーンを数度繰り返したのち、アインズがようやく言葉を紡ぎ出すことに成功する。

 

「インクリメント。パ、パンツだ……パンツをくれ」

 

 俺のパンツを持ってきてくれ。アインズは亀のように防御を固めながら、インクリメントに命じた。

 

「あ……はい…………た、只今……」

 

 インクリメントも漸く思考が正常に再起動したらしく、おずおずと返事を返す。アインズは再び羞恥が沸き上がり、背を向ける。前屈みになりゴソゴソとスカートの後ろ側に手を持っていくインクリメントには気付かないまま。

 

(ああぁ、なんて事だ。どうする? 魔法で記憶を消すか? とりあえず時間停止(タイムストップ)を……いや、ここで時間を止めると気付いた誰かが異常事態だと思って駆け付けて来るかも知れないな)

 

 激しい羞恥と焦燥感、そして罪悪感が胸中に渦巻く中、どう対処したものかと思考を巡らすが、焦る余り考えが纏まらない。ともかく、こんな事故は二度と御免だ。今後は何を差し置いてもパンツ穿くぞと誓った瞬間である。

 

「ア、アインズ様」

 

 少ししてアインズの方へ歩いてくるインクリメント。

 

(まだ考えが纏まりきっていないけど、ひとまず穿くものを穿いて落ち着こう)

 

「どうぞ……」

 

「あ、ああ………………ん?」

 

 インクリメントから、小さく丸められたようなそれを受け取ったアインズは微かな違和感を覚える。柔らかく滑らかな触り心地の、淡い黄色の生地。色はちょっとアレだが、サラリーマンの頃には穿いたことも無いような高級感が漂っている。

 

 リアルの裕福層はこんなのを穿いているんだろうか。そんなことを思いながら、丸まったそれを拡げてみる。

 

(………え、なんだこれ? 女性用か? 心なしか、ちょっと湿っているような……?)

 

 もしかしたら男性用が無いのかとも考えたが、セバス以外にも男性使用人達だって居るのだ。無いハズがない。仮に無かったとしても、アインズはその手の変態ではない。女性用を穿くというのはかなりの抵抗を感じる。というか、いくらなんでもこの面積では()()()()()()

 

 他にはないのかとインクリメントの方を見ると、顔を真っ赤にして俯いていた。

 

 その表情。すべらかな生地。それから微かに感じる温もり。アインズは事態を察した。

 

「…………うわあっ!?」

 

 思わず叫びながら下着を放り上げ、動揺の余り、勢い余って後ろにゴロンと転がる。

 

「アインズ様!?」

 

 その後の事は気が動転していて、よく思い出せない。急に視界が回転したかと思ったら、アインズは仰向けに床に転がっていて、顔の上にパンツがぱさりと落ちてきた。

 

 そして最悪な事に、ここでぶくぶく茶釜の入場である。彼女はノックもせずいきなり入ってきた。

 

「モンちゃん、どうかし……っ!?」

 

 室内の光景を見て誤解するなという方が無理だ。それでもひきつった笑顔で説明を求めた彼女は、寛大だったのかもしれない。

 

「それ……誰の? ………どっちでもいいから答えて?」

 

 ハイライトが消えた瞳で、抑揚の無い静かな声を響かせるぶくぶく茶釜。それは嵐の前の静けさを思わせ、アインズの背に冷たいものが走る。

 

「わ、私の……穿いていたものです。アインズ様が、パパ、パンツを……ご所望でしたので……」

 

「……!!」

 

 およそ考えうる限り最悪の台詞を、インクリメントの唇が紡ぎ出していた。まるで冤罪の被告人が嵌められる時のような絶望感。

 

(話せばわかる。きっと分かってくれる……)

 

 アインズは勇気を振り絞って弁明を試みる。

 

「ち、が……ちが……っ!」

 

 早く、誤解を解かなければ。でなければ、取り返しがつかない事になる。だというのに何故か、声が、言葉が上手く出てこない。

 

 そして────

 

『イヤらしい……』

 

「う、うわあああああ!?」

 

「ひあ!?」

 

 気付くとアインズはベッドから飛び起きていた。

 

「…………夢……か……」

 

 記憶を辿り、眠る前の行動を思い出す。

 

(そう言えば、会議のあとはベッドに横になってたんだっけ……)

 

 どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。夢で良かったと心から安堵し、視線を巡らすと、今日の御方当番であるインクリメントと、何故かぶくぶく茶釜の姿があった。

 

「……茶釜さん?」

 

 何故ここに? 困惑するアインズ。

 

「えっと……」

 

 何やら気まずそうな表情を張り付けているぶくぶく茶釜。寝ている間に、何かあったのだろうか。そもそも何故彼女がここにいるのかと疑問に思っていると、その理由はすぐにわかった。

 

「なんか……(うな)されてたみたいだったけど、大丈夫?」

 

「急に押し掛けてしまい、申し訳ありませんでした。私、心配で居ても立ってもいられず……っ」

 

 インクリメントはそう言うと恥ずかしげに、ぶくぶく茶釜に頭を下げた。どうやら魘されるアインズを心配して、しかし誰に相談すべきか分からず彼女を頼ったようだ。リアルの人間の生態に詳しいのはやはり彼女だと考えたのだろう。

 

「何やら心配を掛けてしまったようで、申し訳ない……」

 

「いいえ、アインズ様がご無事で何よりでございます」

 

 アインズが詫びると、涙ぐみながらインクリメントがそう答えた。余程酷い魘され方をしていたのだろう。確かに酷い悪夢だったが。

 

「茶釜さんも、お休み中にすみませんでした」

 

「いいんだけど……モンちゃんて、はっきり寝言言っちゃうタイプなんだね」

 

「え"っ…?」

 

 まさか自分が寝言を言うタイプだったとは。無意識に発した言葉を聞かれていたと思うと、急に恥ずかしくなって来た。まずい事を口走っていないと良いが。

 

「な、何か、変なこと言ってましたか?」

 

 ぶくぶく茶釜とインクリメントが顔を見合せ、インクリメントが何故か急に赤面する。

 

(俺、一体何を口走ったんだ?)

 

「再現するとね……あ、あー。テステス……」

 

 ぶくぶく茶釜がマジックアイテムを弄り、アインズの声に変える。ニヤニヤとし出す彼女を見るに、既に嫌な予感しかないが。

 

「インクリメント。パンツだ、パンt「わあああ!」」

 

 どうやら一番恥ずかしい場面で寝言を洩らしていたらしい。わざわざ声から再現する辺り、彼女も中々に(たち)が悪い。インクリメントはもう耳まで真っ赤だった。

 

「モモンガお兄ちゃんはぁ、夢の中でインクリメントをどんな姿にしてたの?」

 

「い、いやー、どんなでしたかね……は、はは」

 

 鼻に掛かる甘いロリ声で訊ねてくるぶくぶく茶釜。完全におちょくられているのだが、腹を立てる気にはならず、むしろ安堵してしまっている自分がいる。

 

(夢の中のみたいに「見損なった」なんて言われなくて本当に良かった)

 

「まさかしないとは思うけど、現実にやったらセクハラだからね? だけどこのコ、寝言を真に受けて本当に──」

 

「ぶ、ぶくぶく茶釜様、それは御内密にして下さると……!」

 

「あっゴメン!」

 

 インクリメントは恥ずかしさに耐えられず、涙目で顔を覆ったのだった。現実の彼女もおかしな勘違いをしていたらしい。

 

(夢の中で欲しかったのは俺が穿くための男物(トランクス)だったんだけどな……)

 

 今後はもしアインズが寝言を言っていても、無視するようにと伝えた。そして万一セクハラされても拒否するようにぶくぶく茶釜からも言い含められていた。

 

 

 因みに後日インクリメントが『ウ・スゥ異本事件』を引き起こし、結果アインズが愛のお説教を受けるハメになるのだが、それはまた別の話である。




アインズ様オワコンかと思いきや、夢オチでした。

インクリメント…読書家。本を読みながら食事をする癖がある。
ウ・スゥ異本…薄~い本。大図書館にひっそりと置かれている。著:某「メイド服はジャスティス」な人。内容はお察し。後にメイド達によって愛読され、それを知ったアインズ様が休日にのみ借用可とした事で、休暇を嫌がる者が激減する。


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#84 戦士長と護衛の少年

再び王都です。


 三国の国境近くにあるエ・ランテルから西に伸びる街道を往けばエ・ペスペル、更にそこから北へ向かうと、王都リ・エスティーゼがある。

 

 総人口九百万人とも言われる王国。その首都であるリ・エスティーゼは、土がむき出しで舗装されていない通りが多い。

 

 無骨な古き時代の建物が並び、ノスタルジックな情緒があるが、鮮やかさや活気という点において、帝国には及ばない。それを伝統的な古き良き街並みだと思うか、停滞した、しょぼくれた街並みと思うかは人によって様々だろう。

 

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、眉間に刻まれたしわを揉みほぐしながら、夜の帳が下り始めた道を、自宅とは違う方向に歩いていく。

 

 舗装されていない道路は、二日前に降った大雨で未だ泥濘と化しているが、今夜は人に会いに行く予定がある。ただ、事前に約束など取ってはいないため、突然の訪問になるが。

 

 王宮の正装から着替える為、一旦自宅へ戻ろうかと思っていたが、結局その足で向かう事にした。家に戻っている間に、目当ての人物が帰ってしまっては意味がない。だが相手は恐らく堅苦しい空気は好まないはず。ならばとせめてボタンを外しジャケットを脱いだ。

 

(まぁ、これなら然程堅苦しくはない、か……)

 

 自分の服装を見下ろしながら腕を交互に回して、凝ってしまった肩を軽くほぐす。相も変わらず宮廷会議は派閥争いに躍起になる貴族が、いつも通りのおべんちゃらを展開し、ガゼフもいつも通り黙して会議の終わりを待った。

 

(あの中に裏切り者が居るはずなのだが、だとすると相当(つら)の皮が厚いな。陰謀が失敗に終わったというのに、何食わぬ顔で普段通り過ごしているのだからな。全く忌々しい……)

 

 法国と繋がり、ガゼフを辺境へと(おび)きだした内通者は未だ捕らえられていない。逸る思いはあったが、事は慎重を要するため、目立った動きは避けなければならなかった。

 

 王の判断で、相手に気取られないよう水面下で調査を進める事になったのだが、ガゼフに内偵の真似事など出来ない。それに関しては、信用に足る人物を頼るとの事であったが、それが誰なのか、今日に至るまでガゼフにも明かされていない。いずれ時が来れば分かるとだけ言われて、調査が終わるのを待っている状態だった。

 

 敵は間違いなく王国貴族の内部にいる。ガゼフも目星が付いていないわけではないが、それを裏付けるような、動かぬ証拠はなかった。しかし、特権階級にある彼等にガゼフが堂々と探りを入れるわけにもいかない。

 

 そんな事をすれば逆に不敬罪となり、捕らえられるのはガゼフの方だ。戦士長という役職にはあっても、ガゼフは平民に過ぎない。典型的封建国家において、身分の低いものが貴族を捜査する事など出来るはずはなかった。

 

 司法の手が入るだとか、最上位者である王の命令とあらば貴族たちも従う他ないが、ただしそれは確たる証拠に基づいた上である必要がある。如何に王であっても、何の裏付けもなく強権を発動するのは危険であった。王家の力がただでさえ弱まりつつある今日、派閥の溝を更に深くするのは悪手となってしまう。

 

 結局のところ、貴族の中から容疑者を見つけ出すには、じっくりと時間をかけて身辺を調査し、確たる証拠を固めて反論の余地を与えないよう、入念に下準備をしなければならない。ガゼフは剣の腕に覚えはあっても、そういった知識には疎く、また、頼れるツテもなかったため、出番はない。

 

 だが、今も憎むべき売国奴が、何食わぬ顔でのうのうと過ごしている事を思えば、ただ座して待つ気にはなれなかった。それは怠慢であり、王への不忠である。たとえ捜査は出来ないとしても、ガゼフは無為に時間を過ごさぬよう、それまでは何となく避けてきた分野に挑戦を始めた。

 

 例えば書物。簡単な文字の読み書きは出来るが、進んで書物を読んだことはない。自分にはあまり向いていないと理解していたためだ。それでも何かを変えるきっかけになればと書を手に取る。

 

 また、陽光聖典との戦闘や、アインズという人物に助けられたことで、それまでの魔法への無学を恥じ、少しでも知識を得ようと、伝手を探そうともしていた。

 

 本来であれば王国において、戦士が魔法の勉強をするなどと聞けば、笑い草となる。王国は代々勇猛な戦士が評価される一方、魔法詠唱者(マジックキャスター)の地位は低い。

 

 領地運営のために高度な教育を受け、広い知識を習得するはずの貴族の一般教養にさえ、魔法の知識などはカケラ程も含まれてはいないらしい。

 

 それは冒険者組合や建築組合等、他の多くの組合とは違い、魔術師組合が国から補助金を受け取っていない事からも、待遇の差が分かる。魔法職は、国から「胡散臭い根暗集団」程度の認識しか持たれていないのだ。

 

 王国には古くから戦士が勇猛を馳せてきた。親が戦士ならば、その子供も当然戦士を目指す。魔法詠唱者(マジックキャスター)を志す者など、多くはない。

 

 そういった歴史の積み重ねが、現在の王国の、魔法への無理解の風潮を作り上げていた。

 

 そんな王国内で、どうやって魔法の知識を得るか。魔術師組合に足を運べば知識は得られるかも知れないが、戦士長であるガゼフが突然接触を取ろうとすれば、魔術師組合の側は警戒し、嫌がる可能性もある。冷遇してきたくせに今更何のつもりだと。

 

 冒険者組合ならばまだ嫌な顔はされにくい気がするが、あそこには苦手な()()()がいるかもしれない。もし顔を合わせればまた絡まれることは目に見えているので、そこにも出来れば近付きたくない。

 

 どうしたものかと悩んでいたとき、意外な所で繋がりを作れる可能性が見付かった。

 

 黄金の姫様の護衛をしているクライムが、ある冒険者と顔見知りであると知ったのだ。これはガゼフにとって僥倖であった。

 

 それは昨日、早朝に手合わせをしたときのこと。

 

 本来、姫専属の護衛である彼と戦士長の自分が手合せするのはよろしくない。王国最強のガゼフが怪我をしようものなら、貴族派閥には格好の攻撃材料与える事となるだろう。それはクライムも同じだ。クライムが当然のように負けたならば、姫の護衛など務まるはずがないと言って引きずり下ろされるだろう。

 

 互いの立場が負けを許さないのは分かっているので、本当ならばこのような事は避けるべきなのだが、その日は何故か、そんな気になってしまったのだ。

 

 ガゼフはかねてより、彼のひたむきな姿勢と、執念染みた向上心で毎朝他の誰よりも早く訓練所に足を運んでは黙々と鍛練する姿を見てきたのだ。そして才能の壁に幾度となく体当たりしてきたことも。

 

 彼は言葉にはしないが、自分の才能のなさが悔しいとその目が言っていた。自分がもっと強ければ、もっと姫様の役に立てるはずなのに、と。

 

 まるで殉教者のような純粋で熱い思いが、ガゼフには痛々しくさえ思えた。

 

 世の中とは不条理なものだと思う。忠誠心厚い彼が、仕える主人の役に立つことを他の誰より切望する彼が、才に恵まれない故に、必死にもがき、喘ぎ苦しんでいる。

 

 そんなクライムの姿に、最近の自分を重ねてしまったのかもしれないとガゼフは自嘲した。

 

 冒険者でいえば金級に匹敵するであろう実力者のクライムだが、英雄の領域に片足を突っ込み、実力がアダマンタイト級に達しているガゼフから見れば、まだまだヒヨッコだ。

 

 ガゼフは骨折などさせないよう、適度に加減をしながら立ち合ったのだが、そこでクライムが見せたものは称賛に値した。

 

 始めこそ有名人に憧れるような浮わついた表情であったが、一度どついてやると途端に戦士の顔を見せ、誘い込んだ攻撃をドンピシャのタイミングで武技『要塞』を発動して受け止めたうえで、大上段からの一撃を放ってきた。

 

 跳躍も合わせて放たれたそれを、ガゼフは片足立ちの状態で難なく受け止めたが、目を見張るものがあったのは確かだ。

 

 おそらく、得意な技を一つだけ磨き抜いたのだろう。他の剣技とは明らかに練度が違っていた。

 

 一人で素振りばかりしている彼が全て独力で考えたとは思えず、誰かに教わったのかと聞けば、やはりというべきか、ある有名な冒険者の名が出てきた。

 

 その名前を耳にしたガゼフは驚いたが、そういうことかと納得した。彼の冒険者チームのリーダーは貴族位を持ち、黄金の姫様とも親交があった。その護衛を務めるクライムとも当然面識があるはずで、何かの折に触れ、戦闘の心得を聞いたり、手ほどきを受けたとしてもおかしくはない。

 

 クライムは体格に恵まれてはおらず、戦闘の才能も残念ながら感じられない。才能という面だけ見れば、戦士団の部下達や、他の兵士の方が有るかもしれなかった。おそらく同じ量の努力をしたならば、恐らく半数近くはクライム以上の領域に達する事だろう。()()()()()()()()()()()()の話だが。

 

 努力。

 

 その一点に於いて、クライムは異常とも言える程にストイックだ。まだ十代半ば程の若さだというのに、既に彼の肉体は彼の持つポテンシャルの限界近くまで鍛え上げられている。

 

 幼い頃、彼は家どころか名前すら持たない浮浪児で、冷たい雨に打たれたまま死を待つばかりの状態だったらしい。そこへ偶然にも街を散策に出ていたラナー殿下が通りがかり、命を拾われた。その出会いは彼を、姫に全てを捧げる忠義の男に変えたのだ。

 

 だがどこの血の混じっているか分からぬ浮浪児であった彼に、親しく接する兵士は一人もいない。

 

 城内に勤める兵士達は平民だが、皆身元がしっかりしていなければならないため、貴族からの推薦を受けた者しかいない。当然ながら、推薦を受ける以上、派閥争いに巻き込まれて、二つの大派閥で火花を散らし合い、切磋琢磨を余儀なくされているのだが。

 

 しかし、クライムという身元の保証がない存在は、どちらの派閥にとっても敵陣営に渡したくはないが、味方に入れるのも避けたい、扱いに非常に困る存在なのだ。おまけに、麗しい黄金の姫様に気に入られているということで、兵士や貴族からの嫉妬の的となっている。

 

 そんなわけで、孤立してしまったクライムは訓練相手さえ居ない。だがそれでも、訓練で振る剣のひと振りひと振りを大事にし、目の前に敵を想像し考えながら、たった一人で磨き続けたようだ。

 

 その証拠にクライムの剣は、型こそ美しくはないが実戦を想定した、いわば殺人剣になっていた。

 

 型に嵌まることは良いこともあるが悪いこともある。実際の戦場では目まぐるしく戦況が変わり、稽古でやっている通りに剣を振れる場面など殆どない。型通りに行動するということに慣れてしまうと、それに嵌まれば強い反面、突然の変化には弱いという側面があるのだ。

 

 個人の警護という性質からしても、クライムはどちらかといえば型通りの剣より、ありとあらゆる状況に対応出来るように訓練した方が良いだろう。下手に型にはまらないことは、彼を良い方向に成長させてくれるはずだ。

 

 もしあの冒険者達が助言をしてくれているのならば、彼の努力はそういった意味では実を結んでいると言えるかもしれない。強力な味方を得る事に成功しているのだから。

 

 ガゼフは今までの自分、つまり剣を振るう以外に能がないままでは、いつまた窮地に陥ってもとおかしくないと感じていた。誰かの策謀に踊らされ、自分を慕い信じて付いてきてくれる大切な部下を巻き込んで、一緒に死ぬしかないような、そんな窮地に。

 

 否、今度は部下や己だけでなく、王をも護れないかもしれないのだ。

 

 それはあの偉大な魔法詠唱者(マジックキャスター)達に受けた恩を無駄にするという事でもある。王を守るため、部下を守るため、彼らの恩に報いるためにも、今までの自分の有り様を変える何かを欲して、クライムのようにもがかなければならない。

 

 とはいえ、いきなり何か成果が出るということはなく、難しい書物を開いては目の回るような思いをするばかりで、成果は芳しくはないのが実情だった。

 

 もっと早くから積極的にこれらの努力をしていれば、自分の頭も今ごろはもう少しマシになっていたかもしれないと思うが、今更それを言っても仕方がない。僅かばかり知識が増えた所で、何の足しになるのかも分からないが、何もしないよりはマシなはずだ。

 

 そう自分に言い聞かせてはいるが、本当に努力が実を結ぶとは限らず、ただの徒労に終わるのではと不安に思わないでもない。だがそんなことを考えるのが馬鹿馬鹿しく思えるほどに、クライムのひたむきさは眩しく、下を向きそうになるガゼフのモチベーションを維持してくれた。

 

 クライムはガゼフに何度倒されても、その眼には最後まで絶望や悲観の色が灯ることはなかった。本当に見上げた根性だ。並みの兵士なら恐らく心折られていただろうに。

 

(さて、ここだな……。居てくれるといいが)

 

 ガゼフは立派な冒険者宿の前に立ち、建物の外観を見渡す。そこは王都でも指折りの高級宿だ。ここに宿泊出来るのは冒険者の中でも有数の上位者であり、かなりの地位がなければ滞在費を払い続けることは不可能。王都の冒険者にとって、ここに宿泊できるようになることは一種のステータスと言えよう。

 

 壁には曇りないガラス窓が嵌め込まれ、外観にふさわしい内装を容易に想像できる。

 

 また、中庭は稽古が出来るほどに広く、一階は酒場兼食事処となっている。

 

 初めて来るせいもあって、王宮に出入りするガゼフであっても、ここに立ち入るのは少しばかり緊張する。

 

「ふぅ……よし」

 

 ガゼフは一つ息を吐いて呼吸を整えると、ドアを押し開けて中へと入っていった。




原作では心折れたブレイン・アングラウスと出会っている時期のはずですが、会っていないようです。
互いをライバル視していた二人が会う日は来るのでしょうか。

そして次辺りで王国最高位冒険者の一角、〝蒼の薔薇〟が登場するはず……。


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#85 黄金の姫と蒼の薔薇

時系列的にはガゼフが冒険者宿を訪れる少し前のお話です。


 深夜。

 

 都市部から離れた、静かで自然豊かな村。しかしそこに見られるのは、木の外壁に囲われた敷地。その周囲や壁の内部は、夜も交代で警備が見廻り、数ヶ所の物見櫓まで存在している。領主の邸宅があるわけでも無いのに、そこはまるで要塞のような様相を呈していた。

 

 普通の村では考えられないような、その厳重な警戒体制の理由。それはここで栽培されている作物が〝ライラ〟と呼ばれる毒草であり、〝黒粉〟という名で知られる、王国に蔓延する麻薬の原材料だからだ。もちろん栽培事態が法に触れる行為であることは言うまでもない。

 

 当然ながら、こんな目立つ麻薬栽培施設を領主に隠れて作れるはずはない。自分の領地にこんなものがあって気付かないならば、それはただの無能である。詰まるところ、領主もこの違法栽培に加担していることは自明の理であった。

 

(バ、バカな……っ!)

 

 栽培施設内、地上数メートルの中空に浮かぶ不可視の存在は愕然とし、ワナワナと肩を震わせていた。

 

(たった今だぞッ!? 今の今まで、()()()()()()()()()()()()()じゃないか!)

 

 不可視化を行っているため、周囲で同じく目を丸くしている巡回の男達の目を憚りもせず、豊かに繁っていたはずのその場所を、直にペタペタと触れる。

 

(幻術の類いでもない、か……)

 

 幻術による錯覚かと思い降り立って確認したが、やはり生えている感触は全く感じられない。

 

 つい数秒前まで眼下に広がっていたハズの黒い毒草が、見張り櫓を一瞥した僅かな間に忽然と消えていたのだ。

 

 ガシャンッ、と音がした方を見ると、巡回していた男二人の足下に提燈(らんたん)が落ちていた。

 

 男達も信じられないような表情で、畑だった土の上へと入り込んで来るが、やはり自分達の足跡が付くだけで、何もない。土を鷲掴んで手に取り、やがて指の間からそれが零れる頃には、男が泣き出しそうな情けない表情を浮かべ、顔色は蒼白に染まっていた。

 

 この後自分の辿る末路を想像してしまったのだろう。裏の組織が()()()()()者を生かしておくはずがない。

 

(成る程。コイツらもある意味被害者と言うわけか。重犯罪に加担してきた以上、同情の余地などないがな)

 

 彼らは不可視の存在に気付いている素振りはないが、施設内全体にこの混乱が伝播するのはあっという間だろう。ここには魔法詠唱者(マジックキャスター)が連絡役として詰めて居ることも把握している。伝言(メッセージ)で周辺から応援を呼ばれては、近くに待機している仲間と鉢合わせする危険性があった。その前に、さっさと仲間に合流してこの場を離れた方が賢明だろう。

 

「本音を言えば、もう少し調べたいところだが……」

 

 遂に泣きながら半狂乱で走る男達が向かった先は、堅牢そうな門だ。イチかバチか、施設から逃走を図るつもりなのだろう。この事態のなか、門番が脱出を許可するハズが無いのだが。

 

 不可視の存在は小さく〈飛行(フライ)〉を唱え、来た時と同じように、壁を飛び越えて仲間の元へと急いだ。

 

 

 

 

(うーん……あいつら、ちょっと可哀想になるくらい慌ててるな。まぁ自業自得だから助ける気にはならないけど……)

 

 未だ誰にも存在を気付かれていない俺は、門に駆け込んだ男達を眺める。案の定、二人をボコった門番が無理矢理二人を引き摺って持ち場に連れ戻そうとしたところで、畑を見て口をあんぐりと開けた。

 

 当然だ。突然丸坊主になった畑の惨状を目の当たりにしたのだから。今頃気付くなんてちょっと間抜けだけどな。

 

 今度は三人して泣きそうな顔になっているが、俺の知ったことじゃない。いや、俺がやったんだけどね……。

 

(それにしてもあの子供……何しに来たんだ? 変な仮面で顔隠してたし、見るからに怪しいヤツだな。一応こっちには気付いてなかったみたいだけど……)

 

 さて、麻薬って結構高いイメージだし、結構な高値が付くハズ。早速エクスチェンジボックスに突っ込んでみるか……。いや、その前に、あの子供の後を付けてみようかな。折角良い資金源になるかもしれないのに、他の奴に盗まれたりしたら勿体ないからな。

 

 俺が飛行魔法で子供の後を追いかけ始める頃には、施設内に混乱の渦が巻き起こり始めていたのだった。

 

 

 

 

 

 クライムは今朝ガゼフに初めて稽古をつけてもらった後、普段よりも遅くに主人の部屋を訪れた。激勿論いつも通りの時間に間に合うようにすることも出来たが、ラナーの元を客人が訪れる予定があったのだ。

 

 その相手はラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ。ラナーにとって唯一といって良い同姓の友人だ。

 

 流石に吟遊詩人(バード)がこぞって詩を贈って来る程の美貌を持つラナーにこそ及ばないが、生命の輝きとでも言おうか、主人とはまた違った凛々しい美しさ持った金髪碧眼の女性で、貴族位を持ちながらも、クライムにも気さくに接してくれる。

 

 そして、齡十九にしてアダマンタイト級冒険者チーム〝蒼の薔薇〟のリーダーを勤める才女だ。

 

 彼女はその類いまれなる才覚をいかんなく発揮し、幾つもの偉業を成してきた。そしていずれは英雄譚(サーガ)として後世にその名を刻むほどの存在になると目されている。クライムの胸中には尊敬の念と同時に、彼女のような自分にも才能があったならばと、分不相応な願望を抱いてしまう。

 

 ラキュースは別にクライムが同席することを嫌がっているわけではない。しかしあえて普段より遅れて来たのは、自分が居ない方が女性同士でしか出来ないであろう会話を、主人であるラナーに楽しんでもらえるのではと思慮したためである。

 

 しかしクライムが到着し、部屋のドアを押し開けようとしたときに聞こえてきた会話内容は、かなり難しそうな政治の話であった。

 

 心優しい王女は、自分のために友人との他愛ない会話に時間を費やすよりも、民の生活を良くする事を優先しているのだ。だからこそ、クライムは少しでも楽しい一時を過ごして欲しいと思うのだが。

 

 二人の会話は、実験で上手くいっていたとしても気候や土が違えば成果も違うとか、見込まれる一時的な収穫減をどう補填するか、などの難しい話が続く。

 

「損益分を無利子で融資すれば────」

 

「それでも目先のリスクに尻込みする領主は多いはず────」

 

「いっそ王家が無償で支給すれば────」

 

「それは貴族派閥が喜ぶでしょうね。最終的には王家の力は弱まり、自分達は利益が増すんだから。とりあえず、王家の領地だけで────」

 

「それは、兄達が────」

 

「あー、あのバ……ラナーのためにお腹の中に知恵を残して────」

 

「あの、母親まで同じというわけではないのだけれど……」

 

 ドアの向こうから漏れ聞こえてくる二人の問答を聞きながら、クライムは入るタイミングを見計らう。端から見れば覗きか盗み聞きでもしているような格好、いやまさにそんな状態だ。

 

 しかし、あの兄君か。クライムは胸に嫌悪感が広がるのを感じた。ここに向かう途中顔を合わせた、彼女の兄に当たる第二王子は、ラナーの事を「化け物」と呼んでいる。

 

 みっともなく弛んだ顔面に拳を叩きつけたい衝動を理性で押さえ付けながら、クライムが理由を訊ねると、王子はラナーを化け物呼ばわりする理由を教えてくれた。

 

 これまでの数々の政策は通らない事も折り込み済みで、全てが演技だというのだ。

 

 貴族とのパイプも持たず、半ば城内に引きこもっている王女が、周囲の貴族たちの行動を自分の思惑通りに操っている。それを化け物と言わずしてなんと呼べば良いのか、と。

 

 だがクライムからすれば、そんな王子の言葉は全く信ずるに値しない。それに彼の狙いはわかっている。クライムの神経を逆撫でして煽ることで、不敬罪に貶めようとしているのだとラナーから聞かされていたのだ。

 

 ラナーは出自も分からぬ自分を拾ってくれたばかりではなく、民を主とした政策を考え提案する、高貴な魂を持つ慈悲深い人物だと信じている。

 

 提案した政策が否決される度に、戻った自室で人知れず流してきたあの涙が嘘であるはずがないのだ。

 

 そんな優しいラナーの口から、血を分けた兄を警戒するような言葉を聞いたとき、クライムは主人のその心中は如何程かと思ったものだ。家族で信頼しあう事が出来ないというのはどれ程悲しいだろうかと。クライムに家族の記憶がないので想像するしかないが、きっと、とても寂しく悲しいことに思えた。

 

「参っちゃうわね、王族内でも跡目争いで対立だなんて……」

 

「いつかお兄様方が手を取り合って下さる、と、期待するのは…………」

 

「無駄ね。自分でも言いながら分かってるでしょ?」

 

「……はぁ」

 

 主人が悲しげに溜め息をつくのが、クライムの耳にも届く。そろそろ部屋に入りたい。しかし、会話が途切れたと思った矢先、再びラキュースが口を開いた。

 

「貴女が王位を継げたら一番国が良くなりそうなのにねぇ……」

 

 耳にした言葉に、内心で強く頷く。ラナー以上にこの国を良くできる人材など居ない。兄二人が力を合わせる以上の恩恵を、ラナーならば王国中にもたらしてくれるに違いない。クライムは密かにそう思ってはいたが、誰が聞いているとも知れないので、口には決して出したことがなかった。

 

 だからこそ、ラキュースの言葉は嬉しかった。主人の友人であり英雄として名を馳せるラキュースも同じ考えだったのだと。

 

「む、無理よそんな……」

 

「そうね、クライムと離ればなれになってしまうものね」

 

「そう、私はただクライムと……あっ」

 

(え……)

 

「ふっふーん? その辺りもっと詳しく聞きたいわねぇ」

 

 少し意地の悪そうな声音で、ラキュースがすかさず問い詰める。クライムは鼓動が急激に跳ね上がったのを自覚する。続きが気になる。だが、このままコソコソと聞き耳を立てているのは、姫の護衛に相応しくないだろう。

 

 クライムは強烈に後ろ髪を引かれる思いをしながらも、鋼の意思で決断し、ガチャリと音を鳴らしてドアノブを捻った。

 

「失礼します! おはようございます、ラナー様。そしてアインドラ様も」

 

「ク、クライム……! お、おはよう」

 

「おはようクライム」

 

 元気良く入室し、溌剌とした挨拶をしたクライムに、ラナーは胸元でギュッっと手を組み合わせ、動揺を隠すように平静を繕った。しかし頬には()()()()と赤みが射している。

 

「聞いてクライム、さっきラナーがね……」

 

「きゃー、ラキュース!」

 

「ふふ、冗談よ」

 

「も、もおぉ~っ」

 

 黄金の姫君は、真っ赤になった顔を覆い隠す。少し彼女にしては珍しい取り乱しぶりだったが、〝黄金〟と称される美貌は崩れることなく、むしろ僅かに潤んだ蒼い瞳がキラキラと陽の光を写し込み、宝石のような輝きを湛えている。あまりの可憐さに、クライムはどうにかなってしまいそうだった。

 

 そして沸き上がる気恥ずかしさに耐えられなくなり、視線を逸らすと、その先には────

 

「うわっ!?」

 

 何者かが壁に背を着けるようにして、膝を抱えて座っていた。黒い独特の装束に身に身を包んだその人物は、頭の高い位置で纏めた金髪を、箒のように斜め上にはね上げている。

 

「だから言ったじゃない、そんなとこに座ってると吃驚(びっくり)されるって」

 

「へい、鬼ボス」

 

 思わず腰の剣に手を掛けたクライムだが、呆れたような調子のラキュースの言葉を聞き、どうやら侵入者の類いではないと判断してその手を離した。

 

「紹介するわね、私と同じ〝蒼の薔薇〟のメンバー、ティナよ」

 

「よろしく」

 

「なるほど、あなたが。お会いできて光栄です!」

 

 感情を感じさせないティナという女性に、クライムが挨拶をした後、ラナーが手ずから紅茶を淹れ直してくれて、四人でテーブルに着く。しかし何故か先程からじっとりとティナの視線を感じる。

 

(身だしなみにおかしなところでもあるのだろうか?)

 

 もしそうであれば、主人に恥をかかせてしまう。思いきって訊ねてみたところ、「大きくなりすぎ」と返ってきた。

 

「……え?」

 

 何が? 全く意味がわからない。目を点にして疑問符を幾つも浮かべたクライムに、ラキュースは曖昧に言葉を濁した。クライムがどうしたのかとラナーがしつこく訊いても、苦笑いを浮かべたまま答えようとはしない。ふと困り顔のラキュースがこちらに顔を向け、別の話題を切り出した。

 

「ねぇクライム、その鎧、気に入ってくれた?」

 

 あからさまにも程がある位に強引な話題逸らしだ。だが客人に恥を描かせるわけにもいかない。クライムは腑に落ちない思いを抱えながらも、あえてその話題に乗ることにした。

 

「ええ、素晴らしい鎧です。ご協力いただき、本当にありがとうございました」

 

 今クライムが着ている純白の全身鎧は、ミスリルをふんだんに────オリハルコンも少しだけ────使い、更には軽量化や無音化等、数々の魔化が施された素晴らしい逸品である。これの製作時にラキュース達〝蒼の薔薇〟が素材のミスリルを無料で提供してくれたのだ。

 

 冒険者でもミスリル級以上でなければ手を出せないような高価な素材をかなりの量、惜し気もなく提供してくれるとは、流石はアダマンタイト級。凄まじい財力である。私財を投じて素材から調達しようとしていたラナーの為という心遣いもにくい。まさに王国の冒険者の鏡だとクライムは強い尊敬の念を抱いた。

 

「私が全部出したかったのに。お小遣いだって貯めてたのに……」

 

「……王女がお小遣いっておかしくない?」

 

 不満げに唇を尖らせたラナーに、ラキュースが苦笑しながら突っ込みを入れ、「クライムはラナーの特別だからね」とついでに揶揄いの言葉を返す。

 

 そんな少しのほほんとした会話のあと、それまでの会話が嘘のようなシリアスな話題が突如として飛び出した。

 

「それで、例の八本指の襲撃なんだけど────」

 

 八本指────土の従属である盗みの神が八本の指を持っていたことに(ちな)んだという犯罪組織で、その規模は王国の裏社会を牛耳り、現在王国には八本指の息のかかっていない犯罪組織は存在しないとまで言われる、王国最大の犯罪組織だ。麻薬、密輸、人身売買、金融、窃盗、暗殺、警備、賭博の八部門があり、それぞれに超巨大なシンジケートを持っている。

 

 ラナーはなんとその八本指撲滅へ向け行動していた。民の生活の安寧を守るため、巨悪とさえ戦う決意を固めていたのだ。

 

 今回、最高位冒険者であるラキュースに、八本指の麻薬部門が管轄する麻薬栽培農園の襲撃を依頼していた、ということらしい。

 

 本来ならば冒険者組合を通さない依頼は規律に違反する行為。冒険者には、人間同士の争いに極力参加しないという不文律があるのだ。ラキュースたちが最高位の冒険者だからといって、その規律を無視して良いわけはない。すぐさま彼女たちの地位が剥奪されるような事にはならないとしても、将来的には不利益を被ることになるかもしれない。

 

 それでも彼女達は依頼を受けてくれた。貴族として王国の現状に思うところがあるとの事だが、それは建前のようにも聞こえた。自らの立場を危ぶめるというのに、友のために引き受けてくれた、ということだろう。思わずクライムは胸が熱くなる。

 

 そこまでであれば、感動的な美談で済んでいたかもしれない。きっと彼女がラナーの元を訪れたのは依頼達成の知らせを持ってきてくれたと思っていたのだが。

 

「その件で、ラナーにちょっと相談があってね……」

 

 ラキュースが浮かない顔を浮かべておずおずと切り出すと、ラナーも察したのか、不安げな表情で訊ねた。

 

「何か問題があったのね? 私で力になれる事であれば良いのだけれど……」

 

 何か悪いことが起きたのではと、ラナーが眉尻を下げて心配げに訊ねる。

 

「ありがとう、そしてごめんなさいラナー。計画は成功しなかったわ。襲撃するつもりだった三ヶ所のうち、一ヶ所しか実行出来なかったの」

 

「……そう、なのね」

 

 十分な成果をあげられなかった事を悔しげに語るラキュースに、ラナーは責めるでも慰めるでもなく、静かに頷いた。

 

 ラキュースが順を追って詳しい顛末を説明していく。調べて判明していた麻薬栽培農園は10箇所。王国内に流通している麻薬の量から考えれば、その倍以上の栽培施設が国内にはあるはずで、わずかでも打撃を与えられればと、そのうちの幾つかを潰す計画だった。

 

 所が、三ヶ所襲撃を試みたうち、予定通りに行ったのは最初の一ヶ所のみ。残りはラキュース達が襲撃を仕掛ける直前になって、想定外の異変が起きたのだと言う。

 

 一ヶ所目の襲撃は問題なく完了した。しかし二ヶ所目の施設に息を潜めて近付き、不可視化した仲間が偵察に行ったところ、急に施設内が騒ぎになり、最初は偵察に気付かれたのかと思ったという。

 

 しかし無事に戻ってきた仲間とその場を離れた後、騒ぎの理由は別にあった事がわかった。

 

 消えたのだ。大量に繁っていたハズの麻薬原料が、影も形もなく。内部を直に見ていた仲間が、ほんの一瞬目を離した間に、文字通り消えたのだという。

 

 唖然とするラナーとクライムの顔を見て、ラキュースが苦笑する。

 

「仲間から聞いたとき、私もあなた達と同じような顔したわ。確かめに行きたかったけれど、既に警備が騒ぎだしていたし、無駄な労力は避けるべきと割り切って次の襲撃場所に向かったのだけど」

 

 そこで彼女達は更なる怪異に見舞われたのだった。

 

「遠目に見た時点で、外壁の辺りに強い毒性の霧のような物が漂っていて、異様な雰囲気を醸していたわ。実際に近付いて外壁の中を確認した仲間の話だと、全ての……そこに存在した全ての生物が……原形を留めないほどに腐敗していたそうよ」

 

「え……っ!」

 

 まるで怪談話が現実になってしまったかのような光景を想像し、ラナーが俄に顔を蒼醒める。クライムも背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

 

「そこには人も……居たのですか?」

 

「少なくとも2、30人は警備が居たはず。数日前に立地を確認したときには異常はなかったのに、昨夜は中の毒草も人も分からない程の状態だった」

 

 ラキュースが顔を顰めている横で、ティナは眉ひとつ動かさないまま、淡々と語る。その無表情さはまるで冷徹な暗殺者を思わせるほど、温度を感じさせないものだった。

 

 壁の内側は既にライラの毒を含んだ腐敗ガスが充満しており、いつ外壁が腐り落ちて周囲にガスが拡散するとも知れず、それ以上近付くのは断念して早々に帰ってきた、という事だった。

 

「何の手掛かりも掴めないまま帰れないと思った私は、内部をもう少し調査しようと提案したんだけど、イビルアイが────偵察に行った仲間が強硬に反対して……」

 

「それで断念して戻ってきたのね」

 

「完全に想定外だったわ。あれがなければ……いいえ、言い訳ね、ご免なさい」

 

 唇を噛みしめ、頭を下げたラキュースの目にはうっすらと涙が光っていた。それを見てクライムも押し黙ってしまう。

 

 かける言葉など見つからない。一護衛に過ぎないクライムが、最高位の冒険者に慰めや励ましの言葉をかけるなど、烏滸がましいにも程がある。そもそもそういった経験が皆無なクライムにとって、女性の涙は最も苦手なものの一つであった。せめて見ないふりをした方が良いだろうか。何か口実を作って席を外そうかと考え始めた時、ティナが唖然とした表情を浮かべているのに気が付いた。

 

「鬼ボスの目にも涙……」

 

「ティナっ!」

 

 顔を真っ赤にしたラキュースが、まさに鬼の形相で隣を睨むと、ティナは「しまった」と言わんばかりに自分の口を手で塞いで見せた。表情が変わらないせいか、その仕草が妙に白々しく見えたが。

 

「んんっ……それで、ここからが相談なんだけど」

 

 少々手荒だが、怒声で沈痛な空気は吹き飛び、凛々しいラキュースが戻ってきた。クライムには到底出来ないようなやり方だ。真似しようとも思わないが。

 

「一旦情報を整理して、今後の方針を練り直す必要があると判断したのね?」

 

「ええ、是非貴女の考えを聞かせて欲しいの」

 

 内容を聞くまでもなく、阿吽の呼吸の如くラキュースの意を汲んだラナー。二人の間も、きっと強い信頼の絆で結ばれている。そうクライムは感じた。

 

「えっと……確か八本指は部門同士、折り合いが良くなかったのよね?」

 

「ええ、元々は別の組織が寄り集まって出来たせいもあって、組織が一枚岩でないという話よ。でも、今回の事を部門間の争いとして片付けてしまうのにはなんだか違和感を覚えるわ」

 

「そうね。そこまでするメリットがあるようには思えないもの。純度の高い麻薬の精製には専門的な技術や設備が必要なはずだから、原材料を入手するだけでは大きな利益は生み出せないはず。販売ルートも麻薬部門が押さえているから、何処かで商品を流した時点で足がついてしまうし」

 

「そう。それじゃあ折角誰がやったのかわからないように盗み出しても意味がないのよ」

 

 クライムは内心で感嘆する。論理的な思考で推理を組み立てていく、ラナーの頭の回転の早さは凄まじいものがある。複雑に絡みあった糸が、瞬く間に解き解されていく爽快さを思わせた。

 

「初めから罠を用意していて、私達が誘導されたのかとも考えたけど……」

 

 犯罪組織内での内輪揉めの可能性を否定し、今度は別の可能性を検討し始める。今回の襲撃を予見し、予め準備した罠に誘い込まれたかもしれない、ということだ。

 

 拠点を幾つも潰されるくらいなら、末端の部下ごと一つの拠点を犠牲にしてでも敵を葬れた方が被害は少ないかも知れない。そうだとしたら、厄介どころの話ではない。

 

 それはつまり、相手は襲撃が蒼の薔薇によるものだと勘づいているかもしれず、始めから狙っていた可能性さえあるということだ。それどころか依頼者であるラナーの事まで既に嗅ぎ付けられていたとしたら。

 

 クライムが一人戦慄しているとラナーがすぐに否定の言葉を口にする。

 

「いいえ、それは多分違うと思うわ。誘導までして周到に準備したにしては、確実性に欠ける気がするの」

 

「確かに……」

 

「だから……八本指でもなく、私達でもない他の誰かが介入していたということなじゃないかしら」

 

「……! 流石ね」

 

 ラナーはあっという間にラキュース達が辿り着いた結論に追い付いた。それをラキュースの言葉の端に感じとり、クライムは驚嘆する。

 

 ラキュースもかなり優秀な頭脳の持ち主だ。でなければチームのリーダーなど務まらないだろうし、高位の神官魔法など習得できるはずもない。

 

 そのラキュースが恐らく仲間内でそれなりに時間をかけて話し合って出した結論に、ものの十数秒で追い付くのだから、ラナーの頭脳はずば抜けて優れているのだろう。

 

 それまで表情を殆んど変えなかったティアが僅かに目を見開いて驚いているのを見て、クライムはその速さが彼女達ですら驚くべき水準なのだと理解する。ラナーにかかれば解けない謎など存在しないのではないのでは。そう思ってしまうのは贔屓が過ぎるだろうか。

 

(しかし、一体誰が……)

 

 二人の推論の通りなら、彼女達以外にも悪の組織と戦う人物がいるということである。そう考えると、なんだかソワソワと浮わついた気持ちが鎌首をもたげてくる。このような場に相応しくないとは思うが、心の片隅で、まだ見ぬ新たな英雄譚の誕生を期待してしまうのだ。

 

 実はクライムの密かな趣味は英雄譚集めであった。有名な書物のお伽噺に限らず、兵士達が話している噂レベルの話からラキュースか達が話す数々の武勇伝まで何にでも興味を持つ。クライムも色々と質問をしてみたいが、自分のつまらない好奇心のために、二人の会話を邪魔するわけにはいかない。

 

 それに英雄話ならば、今朝ガゼフから、仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)一行の話を聞いたばかりだ。

 

 漆黒の全身鎧に身を包んだ女戦士を従える、慈悲深く理知的な魔法詠唱者(マジックキャスター)。クライムもガゼフも魔法に明るい訳ではないため、実力のほどは分からないが、女戦士の方はガゼフをして「多分俺より強い」と言わしめるほどだ。

 

 それが事実かどうかは分からないが、少なくともクライムの目には、ガゼフが冗談を言っているようには見えなかった。周辺国家最強の戦士にそれほどの事を言わせる戦士とは、それを従える魔法詠唱者(マジックキャスター)は一体何者だろうか? 

 

 とある任務の途中で出会い、運良く協力を得られたとのことだが、その人物を語るガゼフの態度からは、クライムが英雄譚を読んでいる時のような、憧れと尊敬の念が感ぜられた。いつかその人物に会う機会に恵まれたならば、是非話を伺ってみたいものだ。

 

(いけない、今はそんなことを考えている場合では……)

 

 とにかく、今はその話は関係ない。下手に口を挟まず、黙って会話の行方を見守るのみだ。

 

「私達も同じ結論には至ったんだけど、一体誰が、どんな目的で、どんな手段を用いてやったのか……皆目見当も着かないわ。私達の見解では、少なくとも単独による犯行じゃないと踏んでいるわ。もしかしたら二つ以上の組織が関与しているんじゃないかしら」

 

「少なくとも、二ヶ所の状況は明らかに違いすぎた。片や麻薬を奪っただけでそれ以外は傷一つつけず、一方では施設丸ごと皆殺し。同一の存在が為したとはとても思えない。人間離れし過ぎているという点では共通してるけど」

 

 ラキュースの推論を引き継いだティナも難しい表情になっていた。たしかにそうだ。話に聞いただけでも、尋常ではない力を持っているだろうことは想像できる。

 

「そ、それは……どれくらい難しい事なのでしょうか?」

 

 人間離れし過ぎているというのは、人類最高峰の存在であるアダマンタイト級冒険者でも困難だという事なのだろうか。仮にそうだとすると、そんな事を可能とする人物、あるいは組織がそうそう居るとも思えないが。

 

 クライムが投げ掛けた質問に、ラキュースは眉間に皺を寄せて目を細める。

 

「うーん……少なくとも、私達だけで同じ事は出来ないわ。特に二ヶ所目は人手が圧倒的に足りない。広大な敷地面積で栽培されているのを刈り取ったりするのはそれだけで重労働だし、運び出そうにも量が多すぎる。だからこそ、私達は襲撃を仕掛けて、麻薬の元となる作物を焼き払うつもりだったの。でも────」

 

「その不可能を実際にやった何者かが居る。周辺に足跡さえも残さず、誰にも目撃されずに全ての作物だけを盗み出した」

 

 三ヶ所目なら似た事は出来ると付け加えたが、施設の人間を皆殺しにするという意味の事を、涼しい表情をして言ってのけるティナはやはり暗殺者の冷徹さを感じさせた。

 

 しかし、そうやって言葉にされると、殺すより盗む方が途方もない難行に思えてきた。少なくとも、厳重な警備の中、途中で誰にも気付かれることなく、数トンを越えるであろう作物を盗み出す方法など、とても思い付かない。

 

 時間でも止めない限り不可能に思えるが、そんな方法があるわけもない。それではまるでお伽噺の世界だ。

 

「例えば、魔法的な手段を使っても無理かしら?」

 

「難しいわね。少なくとも、私もイビルアイもそれを可能とするような魔法は知らないわ」

 

 ラナーの質問に、ラキュースは首を横に振る。蒼の薔薇の中で魔法に長けているのは信仰系魔法が使える神官戦士ラキュースと、魔力系魔法詠唱者の(マジックキャスター)のイビルアイだが、そのどちらも心当たりがないのならば、やはり魔法的手段でもないのか。

 

「そうなのですね……」

 

 アダマンタイト級の冒険者でさえ知らない魔法の使い手が居れば、それだけで相当に名の知れた魔法詠唱者(マジックキャスター)だろう。それこそ〝逸脱者〟と呼ばれる帝国の主席魔法詠唱者(マジックキャスター)のような。しかし現在、王国にそのような存在など────

 

(あ……)

 

 居る。聞いた話でしかないが、それが可能かもしれないと思う人物が。

 

「あの、アインドラ様」

 

「ラキュースでいいって言ってるのに、クライムは堅物さんね。それで、何かしら?」

 

 口を開いたクライムに、ラキュースは親しみを持って応えてくれるが、本来ならば彼女はクライムが口をきくことさえ奇跡のような、人類最高峰の超大物なのだ。軽々しく名前で呼ぶ気になど、とてもなれない。

 

「その、魔法的手段ならば、可能性があるのですね?」

 

「え、ええ……。誰か凄い使い手に心当たりでも?」

 

「はい。あ、いえ、その人物による犯行だと思っているわけではありませんが……」

 

「それでもいいわ。その心当たりを教えてちょうだい」

 

 クライムは今朝ガゼフから聞いたばかりの、旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)一行について、知る限りを話した。

 

 

 

 

「アインズ・ウール・ゴウン……聞いたことないわ。ラナーは?」

 

 問われたラナーも首を横に振る。となると、偽名を使っているか、かなり遠方の出身かしらとラキュースが呟きを零す。名前が三つあるということは、貴族位を持っていると思われるが、仮に王国や帝国の貴族だとしたら、貴族位を持つラキュースや、王族のラナーが知らないのはおかしい。

 

 クライムがガゼフから聞いたような力を持っていながら、名を知られていない。ということは、少なくとも周辺国家の出身ではないのだろう。

 

「その人物に、こちらから接触を図ることは出来ないかしら?」

 

「それは危険だわ。もし、今回の件に絡んでいたとして、動機が善意によるものと決まった訳ではないもの。八本指も手を着けていないような遠方の国出身だとしたら、今回盗んだものを自国で売るつもりかもしれないし」

 

 ラナーは強力な味方を得られる可能性を期待しているようだが、ラキュースはゴウンという謎多い人物に対して慎重で懐疑的だった。ガゼフから聞いた限りではそのような人物ではないとクライムは思うが、情報が豊富にない現状、ラキュースの懸念を否定できるほどの材料がないのも確かだ。

 

 戦士長に手を貸したのも、もしかしたら自分達が悪事を働く前に恩を売っておけば、疑いの目が向けられにくいと考えたからかもしれない。貴族ならば巧妙に本音を隠して協力的な態度を装う事も可能だろう。

 

「それでも……もしラキュースが考えた通りだったとしても、八本指に打撃を与えられるのなら……。見返り次第では王国に蔓延る犯罪組織の打倒に力を貸して貰えないかしら?」

 

「うーん……そう、かも知れないわね。確かに、味方が一人でも多ければ助かるわ。戦士長の話した通りの実力者なら尚更ね。でも、信用出来る相手かは、実際に会って話してみないとわからないわ。いずれにせよ、まずは戦士長が赴いたという辺境地域の特定を────」

 

「それなら大体予想がついているの」

 

「えっ?」

 

「トブの大森林付近の開拓村だと思うわ。帝国兵が辺境の開拓村を次々に荒らして回っていたそうで、戦士長様はお父様の命でその討伐に赴かれたようなの。帝国が絡んでいるなら、国境からからはそう遠くはないはずでしょう? だから、エ・ランテル付近からトブの大森林にかかる辺りだと思ってるの」

 

 何処に居るかも分からない人物を探すため、まずは地道な情報収集になるかと思われた矢先、ラナーのお陰でそれはあっという間に解決してしまった。ラキュースとティナも唖然としている。

 

 戦士長の任務内容など、クライムも知らなかった国家の機密が含まれているような気もするが、彼女達ならば漏洩の心配はないと思い、目を瞑る事にする。

 

「そういうことなら、まずは城塞都市エ・ランテルに行ってみるわね。そこで襲われたという村の詳しい状況や、例の人物についても情報がないか探ってみる」

 

「ええ、お願いね。でも、まだ敵とも味方と決まったわけではないのだから、接触を図るときは慎重に、相手を刺激しないようにね?」

 

「ええ、勿論! 無闇に敵を作るつもりはないわ」

 

 心配げな表情のラナーに、ラキュースは力強く頷いた。彼女とて貴族の生まれだ。腹芸も出来ないわけではないだろう。例え相手が善良な人物でなくとも、徒に敵に回すような真似はしないはずだ。

 

「うーん、すぐにでも動き出したいところだけど、他部門にも動きがないか気になるのよね……」

 

 もう一つのアダマンタイト級冒険者チーム〝朱の雫〟も、遠方での依頼のため王都を離れている。彼女達までもが王都を離れることで、不測の事態に対処出来るか不安はあった。今回の〝蒼の薔薇〟の襲撃によって、王都で八本指に急な動きがないとも限らない。

 

 予定通りであれば、襲撃時に他の生産拠点の情報を吐かせて掴むハズであったが、それも出来なかった。一ヶ所目では捜索だけしたが何も見つからず、二ヶ所目以降で少し時間をかけて尋問するつもりだったのだが。

 

「そうね、時期は少し様子を見てから検討した方がいいかも……」

 

「わかったわ。……クライム、私はもう少しラナーと話をしていくから、メンバーに伝言を頼みたいのだけど」

 

「それくらいの事なら、お安いご用です」

 

 二つ返事で了承したクライムは、王都の冒険者宿へと赴く事になった。

 

 

 

 

 ラキュース達も帰ったあと、ラナーは自室で冷めてしまった紅茶を飲み干し、まるで先程までのコロコロと変わる表情が嘘であったかのように、無表情になる。

 

「……ここからは慎重に進める必要があるわ」

 

 戦士長が赴いた先で暗殺される筈だったことも、そこにスレイン法国が絡んでいることもラナーは知っていた。メイドとの些細な会話や噂程度の玉石混淆かつ限定された情報からでも、確かな情報を掴み取り、足りない部分を考察し推測し、真実を導き出すだけの知力を備えている。

 

 思考という分野において、この世界の人間で彼女の右に出るものはいなかった。記憶、洞察、発想など、「考える」という事に関するありとあらゆる能力がずば抜けている。それはもはや天才などという陳腐な言葉では足りぬほどだ。

 

 しかしそんな彼女にも不得意な事はあった。それは愚者の思考。自分でも容易く導き出せる理屈を、周囲の誰一人理解できないのだ。

 

 彼女の発想は、常人が考えるより遥か先を行きすぎていたのだ。天才が出した結論をいきなり聞いても、常人にはまるで理解できないのと同じだ。時間をかけ、順序立ててじっくりと講義されたとして、やっと理解できる者は精々が一握り居る程度だろう。それを理解したのは割と大きくなってからだった。

 

 それゆえに、具体的な理論をすっ飛ばして結論を言い続ける幼い頃のラナーは、気味の悪いことを言う子供として奇異の目を向けられる事が多かった。

 

 勿論、見た目は可愛らしいので、かわいいものを見るような目で見られることもあったし、家族からはそれなりの愛情を向けられてもいた。

 

 しかし、周囲の誰も自分の考えを理解できないという事実は、幼い彼女の精神を蝕んだ。天才過ぎるゆえに、彼女は孤独だった。

 

 一時は食事を何度も嘔吐し、もう長くはないかもしれないと周囲が理解する程に痩せ細り、衰弱していた。しかしそれは、ある日を境に持ち直した。そして次第に花が綻ぶような美しい笑顔を見せるまでになったのだ。

 

 天才過ぎる黄金の姫ラナーは、ガゼフが法国の罠に陥れられ帰らぬであろう事も把握していた。ただ、全くと言って良いほど権力を持たぬ彼女には止める術がなかったし、彼女にとってガゼフが殺される事は然程重要なことではなかったため、胸を痛める事もなかった。

 

 ラナーの興味はただ一人の男にだけ向いているのだから。

 

「期待、してしまうわね……」

 

 ラナーはまだ誰にも見せたことのないような、切なげな表情を浮かべた。もしかしたら夢が叶うかもしれない。そう直感したためだ。

 

 初めてラナーの予想を大きく裏切った戦士長の帰還。少なくともラナーの予測では、戦士長だけでなく、戦士団も半数近くが帰還しないままだという情報が耳に届く筈であった。しかし結果は全くの想定外、全員無傷で無事に帰還という報せだ。

 

 これは間違いなく、ラナーも予想だにしなかった何かが関与している。それは先程の話題にも出ていた、〝アインズ・ウール・ゴウン〟なる人物であることは間違いない。

 

 戦士長は宮廷では取り立てて彼を讃えるような言葉を口にしなかったようだ。しかし先程のクライムの話によれば、戦士長は彼の人物に並々ならぬ敬意を払っている事がわかる。

 

 つまり、戦士長は彼の人物の情報を隠そうとしている。

 

(戦士長様の考えは、欲深な貴族に目をつけられる事を危惧しての事。興味を持って接触を図ろうとする者が現れる事自体、避けたいのだわ。それに────)

 

 恐らく相手からも口止めされている。でなければガゼフの性格上、助力してくれた相手に報奨を渡すなどの進言をしたはずだ。

 

(権力者に恩を売るのではなく、情報を隠して関わりを避ける事を選んだのね。その理由は? 単純に権威を嫌っている? 王国と関係を持つ価値を見出だしていない?)

 

 相手は少なくとも戦士長と、それを倒せるだけの法国の戦力を同時に相手取れるだけの強大な武力を保有している。

 

 それほどの魔法詠唱者(マジックキャスター)ならば、ラナーの夢も叶える力があるかもしれない。

 

 だが、王国は権力の腐敗が進んでいる。それを嫌って接触を嫌がっているとしたら、それは国にとっても、ラナーにとっても良い状況とは言えないだろう。

 

(いいえ、もっと違う何か……極力、人の目に触れたくないのだわ。恐らくは何らかの事情があって表立った行動を控えている、というところね。警戒する相手の目を逃れるため、とか)

 

 考え難い事だが、超級とも言える存在が警戒すべき相手が居るということだ。恐らく戦士長に協力したのも、そうせざるを得なかった事情があるか、或いは何らかの狙いがあって、例外的にそうしたと考えた方が納得できる。

 

(いずれにしても、現時点ならまだ取り返しがつくわ。王国に価値がなくても、私の頭脳を売り込んで、価値を見出だして貰えれば……)

 

 夢のためならば、国を売り渡しても構わない。政治の事も、民の事も本当は全く興味がない。彼女が唯一執着できるのは、人間だと認められるのはクライムだけだ。だから彼が望むであろう「理想のお姫様」を演じているに過ぎないのだ。

 

 周囲の、人間の姿をした()()()は、誰も彼もが愚かに自分勝手に行動をしている。しかし彼女には権力がないため、いくら頭脳が優れていても、王女であるラナーは政略結婚の道具程度にしか捉えられていない。

 

 そんなナニカに従ってクライムと引き離され、知りもしない相手と結婚させられ、子を儲けるなど耐えられない。

 

 しかしながら、無理矢理駆け落ちをしてもすぐに追っ手がかかり、望む安寧など得られないだろう。

 

 だからこそ、誰かがこの詰んだ状況を打破してくれるのを待ち望んでいるのだ。例えその相手が悪魔であっても、全王国民が滅ぶことになっても、願いが叶うならば彼女は喜んで全てを売り渡す。クライムさえ居れば良いのだ。

 

(……あえて触れなかったけれど、()()()()気になる人物が居るわね……。人と言って良いのかわからないけれど)

 

 実のところ、件のアインズ・ウール・ゴウンが警戒する相手にも心当たりがある。十中八九、御伽噺にも殆んど出てこないにもかかわらず人気だけはある、あの人物だ。

 

 仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)イビルアイの正体をも正確に見抜いているラナーにとっては、その伝説上の人物が実在したかどうかさえ、読み解く事は容易い。

 

(どちらかの協力を得られれば良いのだけど。今から少し緊張してしまうわね。夢が叶うかどうかを大きく左右するんだもの……)

 

 期待と同時に不安もある。接触することができても、協力を得る事が出来なければ、意味がないのだから。自力で願いを叶えることは不可能だと理解している。だからこそ、それを実現する力を貸してくれる相手が必要だった。今ならば、色々と便利に動いてくれる〝蒼の薔薇〟でさえ捨て駒に出来る。

 

 近いうちに出会うであろうその相手に、自分をどう売り出すべきか、ラナーは人間離れした速度で思考を続ける。

 

(ふふ、私だけのクライム。二人きりの世界で永遠に睦み合いましょうね……)

 

 その為ならば、相手が誰であっても、きっと上手くやって見せる。そう決意するラナーだが、彼女の願いがそのまま叶う事はない。何故なら────




久々にチラッとあの人が登場しましたが、暫くはあまり目立った活躍はしないと思います。ほのぼの会で査定とかは描きたいですが。

オーバーロードの原作とは同じようでどこか違う流れになり始めています。今のところは登場人物のイメージを描きつつ、ゆっくり進めていきます。

ラナーの性格は書籍だとヤンデレまっしぐらでしたが、人間味を少しは持って欲しいと思っています。


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#86 伝説の冒険者と黒い紳士

クライムが冒険者宿に行き、あの人に会います。


 そこは王都でも有数の高級宿で、一階は酒場兼食事処となっており、そこには様々な格好をした者が食事をしている。そのほぼ全員が上位の冒険者。席の数に対して座っている人数は少ないが、王都で最精鋭の冒険者ともなれば、数が少ないのも仕方がないことだ。

 

 そんな並み居る猛者が座る食事席の一番奥、窓際の丸テーブルの席には、金色の髪を刈り込んだ体格の良い女と、子供のように小さな背丈の、黒いローブの上に真っ赤な外套を纏った者が向かい合って座って居た。

 

 ローブを纏う人物の顔は見えない。それは単純に光の加減ではなく、顔を覆い隠す仮面を着けているせいだ。

 

 周囲はその二人を意識はしているが、直接視線を投げ掛けることはできない。チラリチラリと遠慮がちに、窺うような視線を向けるのが精一杯だ。

 

 何故なら彼女達は生ける伝説、アダマンタイト級冒険者チームの一員だからだ。

 

 ラキュースから伝言を頼み承けたクライムは、目当ての人物を探す。そしてすぐにその姿を見つけると、内心の緊張を押し隠しながら歩みを進めた。

 

(今日は大声で呼ばれる前に近付いて……)

 

 すると、視線の先にいた女が振り返り、手を振ってハスキーな大声を上げる。

 

「おーい、童貞!!」

 

(ぐは…っ!)

 

 瞬間、周囲の視線が女の振り向いた先────クライムに集まるが、その視線はすぐに、興味を失ったように離れていく。未だ純潔である事を大声で暴露されたクライムを揶揄するような空気は全くない。

 

 周囲に居るのは皆クライムを容易く捩じ伏せる事が出来るような実力者ばかりだ。しかしそんな手練れである彼らも、声の主である女性の元を訪れたクライムにちょっかいをかけることは、蛮勇でしかないと知っている。

 

 あるとすれば、公衆の面前で恥ずかしい暴露をされたことへの、微かな同情である。

 

 クライムは内心では羞恥に悶え、涙に頬を濡らす思いをしつつも、表情を変えることなく歩みを進める。

 

 何度言っても、その呼び方を変えてはくれない。ヘタに取り乱すと余計に弄られる事になるので、気にしないふりをするのが一番なのだ。クライムは岩石のような立派な体躯を誇る大女に応えた。

 

「ガガーラン様!」

 

「…………あん?」

 

 クライムの呼び掛けに、ガガーランと呼ばれた女────暗がりで見たら巨大な岩の塊と見間違えてしまいそうなガッチガチの筋肉に包まれた戦士────は、憮然とした表情を浮かべている。

 

「しっ失礼しました、ガガーラン()()

 

「おう」

 

 彼女は「様」付けで呼ばれることを嫌がっている。クライムにとって彼女は雲の上の立場であり、()()()()()憧れの存在でもあるので、様を付けて呼びたいところだが、本人がそれを嫌うのだ。

 

 とは言え、胃が痛い思いをするのには実のところ慣れてはいる。姫様も中々にクライムの胃を苛めてくれるわがままぶりであった。「私とクライムの仲なのですから、部屋に入るのにドアをノックしなくて良いですよ」とか、「一緒に紅茶を飲みましょう」と同じ席に座らせる等の、かわらしいワガママではあるが。

 

 護衛が同じ席について茶を飲むだとか、ノックもなしに部屋に入るなど、王族に対し無礼極まりない行為だ。容赦して欲しいと説得はするのだが、涙まで持ち出されてはそれ以上抵抗不可能である。そうして結局胃が痛む思いをしながら、受け入れるのはクライムだ。

 

 ただ、部屋に他の王族が居るときや、夜遅い時間には、ノックしても良い事になっている。以前、夜遅くにノックせずドアを開け、薄絹一枚のラナーと対面してしまった。今もその美しい肢体が目に焼き付いてしまい、時折一人で悶絶しそうになるが、その事故のせいもあって、一応の譲歩を得られたという形だ。

 

「それでどうした? 今日こそは俺に抱かれに来たか?」

 

「いえ、違います」

 

 一人称が「俺」のガガーランは、挨拶代わりとばかりに冗談のようなノリで聞いてくる。それに対し、クライムは間髪入れず否定の言葉を返した。

 

「なぁんだ、そうか。ま、気が変わったら言えよ? 俺はいつでも歓迎するぜ」

 

「……そんな気にはならないかと」

 

「はぁ~、大事な女とヤる前に練習しとけって。いざというときに上手く出来ませんでした、じゃあ格好つかねぇだろ。そんなんじゃいつまで経っても童貞だぞ?」

 

 割とはっきり断られたガガーランだが、それを気にする様子もなく、子の将来を心配する親のような態度だ。そこには彼女の個人的な趣味も混じってはいる。

 

 彼女はいわゆる「初物食い」が好きな事で有名であり、本人も憚ることなくそう公言している。もし冗談でもクライムが首を縦に動かしていたならば、即座に部屋へと連れ込まれ、ベッドの上で組み敷かれていたことだろう。圧倒的な膂力により、クライムが抵抗する間も無く。

 

 とはいえ、ガガーランは面倒見が良く世話焼きな人柄なのは間違いない。経験不足が仇にならぬよう、練習相手になってやろうという親切心も偽りではないのだ。多分。

 

「おい筋肉、少しは恥じらいという言葉を覚えたらどうだ」

 

 小柄な仮面の人物が、ガガーランの明け透けな態度を窘める。だが、当の本人はというと────

 

「…………」

 

「……聞いてるのか? おい脳筋」

 

「………………」

 

 仮面の女性の言葉が聞こえているのかいないのか、ガガーランは反応を示さない。

 

「はぁ……おい、ガガーラン! 話を────」

 

「まぁいいじゃねぇか。この俺が童貞を貰ってやるってんだから、悪い話じゃないだろう?」

 

 名前を呼ばれた途端、ガガーランは再び歯を見せて笑った。

 

 謎多し、可憐なる戦士────と本人は自称するが、筋肉の塊のような逞しい体躯のガガーランは、首周りの太さだけでも、クライムの太腿以上のそれである。性別に疑問符が付くほどの逞しさの一体どの辺りに可憐さがあるのかと内心クライムは首を傾げたくなる。

 

 実際そう思っていても、ガガーランに対しは偽りなく尊敬の念を抱いている。ただし、あくまでも戦士としてだ。クライムはここで思ったことを表に出すほど命知らずではないし、戦いかたの助言をくれる恩人に対し、失礼な態度を取る恩知らずでもない。黙って内心を隠し、ポーカーフェイスを貫いた。

 

「……ふん」

 

 呆れて毒気を抜かれたのか、仮面の人物は小さく鼻を鳴らして腕を組み、再び黙り込んだ。

 

(それにしても……)

 

 魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)イビルアイ。彼女の声を聞くのは何度目かになるが、その度に不思議な声だと思う。かろうじて女性だと判断出来るものの、老女とも少女ともつかない、くぐもった響きであった。

 

 それは仮面越しに話しているから、というわけでは多分ない。恐らくは仮面がマジックアイテムである事に由来するものだ。声を隠したがる理由まではよく分からないが。

 

 額の部分に赤い宝石が嵌め込まれた白い仮面には、目の高さに細い亀裂があるだけで、その下の素顔どころか、視線をどこに向けているのかさえクライムには窺い知れない。フランクで頼り甲斐のある姉御肌なガガーランとは違い、気難しそうな静かな怖さのある彼女に、クライムはかなり緊張していた。

 

「で? 抱かれに来たんじゃねぇってんなら、他に用があって来たんだろ?」

 

「ああっ、そうでした!」

 

 ガガーランに問いかけられ、此処に来た目的を思い出す。

 

「アインドラ様からのご伝言です。『王都で情報収集するため二人は数日待機。ただし、急に都外へ出立する可能性もあるで、いつでも動き出せるよう準備は調えておくよう』とのことです」

 

「はいよ。伝令ご苦労さん」

 

「…………」

 

 ガガーランは軽いウインクとともに労いの言葉を返してくれるが、何か気がかりな事でもあるのか、イビルアイは黙ったまま何か考え込む様子を見せた。

 

「あの、イビルアイ様……?」

 

「どうした、黙り込んで?」

 

 クライムの窺うような呼び掛けにも応じず、ガガーランが今度は仮面の顔を覗き込もうとする。

 

「む……? いや……何でもない。小僧、態々ご苦労だったな」

 

「いえ、お役に立てるのであれば幸いです……」

 

(やはり、昨夜の異変について、何かご存知なのだろうか? アインドラ様のお話では、イビルアイ様の様子は尋常ではなかったということだが……)

 

「イビルアイよぉ、帰ってきてからおかしいぜ? 何かあるなら言えって」

 

「……いや、大丈夫だ。本当に何でもない。気にするな」

 

 そう言って手をヒラヒラと振るイビルアイだが、クライムの目から見ても平静ではないように見えた。

 

「ふぅーん? まぁ、そう言うならこれ以上突っ込んで聞かねぇけど……。それで童貞、俺の教えた技はどうだ? 会得したか?」

 

「あっ、ええ、実は今朝、ストロノーフ様に稽古を付けていただける幸運に恵まれまして、そこであの大上段の一撃を誉めていただけました」

 

 やっぱり童貞呼びを止めてはくれないが、気にしたら敗けだ。全く動じない態度を装いつつ、ガゼフに誉めてもらえた事を話す。

 

「おお、そうか。だけど、そこで満足するなよ?」

 

「はい、満足することなく、精進していく所存です!」

 

 誉められはしたが、決して通じるというわけではなかった。稽古だということを失念してしまい、まさに渾身の一撃を放ったのだが、片足立ちという不安定な体勢でさえ、完璧に受け止められてしまったのだ。

 

 相手が悪いと言えばそれまでだが、ここで満足などする気は毛頭ない。ギアを上げたガゼフにはコテンパンにやられたが、言い換えればそれはある程度実力を認められたということだ。お陰で更にやる気が漲っていた。決して今までの努力は無駄ではなかったと確かめることができたのだから。

 

「おぅ、その意気だ。それを受けられる前提で、幾つか連続技を覚えるといい。パターンってのは覚えられるとそれまでだが、初見には大抵通用する。絶対受けきれねぇような取って置きのを作んな!」

 

「……! ストロノーフ様も同じことを仰っていました」

 

 やはり一流の戦士、通じ合うものがあるのだろうか。二人ともが同じことを助言してくれる。

 

 ガガーランも言うように、パターンには弱味がある。本当ならば状況に応じて適切な技や行動を選択して戦うものだ。クライムにはそれが出来ないから、連続技で攻め立てて、出来るだけ主導権を握れという事だろう。

 

 これは暗に戦闘センスがないと言われているわけだが、クライムもそれは十分に理解している。才能がないならば、それに変わる努力でどうにかやりくりするしかないのだ。

 

「そういや、イビルアイにも何か頼んでなかったか?」

 

「あー、魔法の件だったな……」

 

「は、はい!」

 

 クライムは魔法に興味があった。興味とはいっても、とりわけ好きというわけではない。自分が僅かでも強くなれる可能性を求めているだけだ。

 

 剣の実力はどうしても体格に左右される部分がある。同レベルの技量であれば体格に勝る方が有利になるのは自明の理。極々平凡といって良いクライムは、体格に恵まれていない事も、剣の才能がない事も自覚している。

 

 ならば、魔法はどうだろうか。

 

 目の前に佇む仮面の女性は、子供のように小さな体でもアダマンタイト級という地位にまで登り詰めた偉大な魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。魔法が体格には左右されないということを、彼女の存在が証明している。

 

 もしクライムが少しでも魔法を使えたなら、少しは戦士としての肉体の差を埋められるかも知れないと考えたのだ。

 

「お前に才はない。別の努力をするんだな」

 

「っ……!」

 

 仮面の女性に容赦なく切って捨てられる。自分でも才能が有るなどとは思っていなかったが、こうもはっきり言われてしまうと、ショックだった。

 

「よぅし、傷心の童貞を俺が部屋で慰めてやろう」

 

「『よぅし』じゃない! 私の話はまだ終わっていないぞ」

 

 横からクライムの肩を抱いたガガーランに、イビルアイが苛立ったような態度を見せると、ガガーランも肩を竦めて悪ふざけをやめる。

 

 二人の体格差は大人と子供程に違う。しかし、二人は対等だ。いや、むしろ小さなイビルアイの方が格上であるかのような尊大な態度である。

 

「小僧。繰り返しになるが、お前に魔法の才能はない。分を弁えろ」

 

「は……はい……」

 

 自分には才能がない。超一流の魔法詠唱者(マジックキャスター)である彼女がそう言うのだから、実際その通りなのだろう。しかし、だからといってはいそうですかと簡単に引き下がれはしない。

 

「諦めがつかないという顔だな。愚かなことだ。才覚を持つ者は生まれながらに持っている。例えばガゼフ・ストロノーフ。そして十三英雄のリーダーのようにな」

 

 十三英雄。クライムも知っている。おとぎ話に登場する英雄達のリーダーだったという人物。彼は最初、登場する英雄の中で一番弱かった。しかし傷つきながら戦いのなかで成長し、他の誰より強くなっていったという。クライムも彼には強い憧れがあった。

 

「あれは磨かれていなかっただけで、伸び代を元々備えていた。誰でも努力すれば同じように英雄になれるわけではない。お前がいくら鍛練をしても、ガゼフ・ストロノーフの強さには至れないのと同じだ。お前もそれくらいはわかるだろう?」

 

「はい……」

 

 横で聞いていたガガーランが、もの言いたそうな顔をする。容赦のないイビルアイの言葉に、流石に言い過ぎだと思ったのだろう。

 

「しかし、だ……。たとえ自分で魔法を行使出来なくとも、魔法の知識を付ければ魔法詠唱者(マジックキャスター)を相手取るには役立つだろう。相手の手の内が分かれば、その対策も考え付く。お前は向かない魔法の習得に無駄な時間を費やすより、そういう立ち回りを覚えろ」

 

「イビルアイ様……!」

 

 クライムは驚いた。彼女の先程までの態度から、まさか助言をして貰えるなどとは期待していなかった。

 

「まずはよく使われる魔法から知識を付けろ。才が無いならば、せめて努力の方向を間違えるな、ということだ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 クライムは拙速な自分を恥じた。目の前の人物は決して、諦めさせようと突き放しているわけではなかったのだ。むしろ道を誤らぬようにと気にかけてくれていたのだ。

 

「なぁんでぇ、冷たいこと言っておきながら、結局童貞の事を心配してるんじゃねぇか」

 

「う? いや、べ別に心配など……していない」

 

「いーや、してたね。素直じゃねぇな、おチビさんはよぉ!」

 

「ぐっ!? この馬鹿力め……」

 

 ガガーランにバシッと背中を叩かれ、イビルアイの小さな体がほんの一瞬宙に浮く。あれを食らったら自分ならば飛んでいきそうだと思いながら、先程のイビルアイの態度を見たクライムはほっこりした気持ちになった。顔を背けた小さな英雄の仕草は、まるで少女が照れてはにかんでいるかのように見えてしまったからだ。

 

「そ、そういえば! ……王国に三番目のアダマンタイト級冒険者が生まれたらしいぞ?」

 

「お、マジかよ!? ビッグニュースじゃねぇか。一体どんなやつらだ?」

 

 明らかに話題を変えようとしたとしか思えないタイミングだが、ガガーランは話題に乗った。彼女は仲間思いで情にアツいのだ。

 

 クライムも思いがけず新しい英雄譚を聞けると、耳を大きくして待った。

 

 

 

 

 

 二人と別れて冒険者宿を後にしたクライムは、興奮冷め遣らぬ様子で城へと向かっていた。イビルアイが語った王国三番目のアダマンタイト級冒険者の話に、胸が躍るような興奮を覚えた為だ。

 

 漆黒の全身鎧に身を包み、素顔は未だ謎のままという戦士モモンと、若くして第三位階に達した美しき魔法詠唱者(マジックキャスター)ナーベ、そして最近新たにミクルという少女と大冒険家を自称する美女ソーイを加えた四人組チームだ。

 

 人数こそ多くはないが、その実力は王国に於いて最速の昇進記録を叩き出し、一挙にアダマンタイト級にまで駆け上がった程だ。クライムは特にモモンという戦士の打ち立てた実績を聞いて興奮を禁じ得なかった。

 

 しかし、チーム最年少の女性メンバー、ミクルという少女は十代半ばかそれより若く見えるくらいだという。

 

 クライムは初め、流石にそれは誤情報ではないかと疑った。クライムと同じかそれより若い少女が、生きる伝説とまで言われるアダマンタイト級冒険者だなどと、誰が信じられよう。

 

 しかし、紛れもなくその少女もアダマンタイトに相応しい実力者だった事が分かる。それまで数々の偉業を為し遂げた超級の戦士モモンが実力を認めたというのだ。

 

 イビルアイが仕入れてきた情報によれば、突如ふらりとエ・ランテルに現れたという奇抜な白髪の少女ミクルと金髪蒼目の美女ソーイ。

 

 二人は冒険者登録した直後、既にアダマンタイトも目前と噂されていたモモン達二人に手合せを挑んだ。そして二人と互角の戦いぶりを見せ、モモンからチームへの勧誘を受けた。

 

 恐らく彼女達は初めからそれを狙っていたのだろうとイビルアイは考察している。実力があっても、ある程度実績を積まなければ信用がないため高位の冒険者にはなれない。即戦力となれるだけの力があるならば、既に実績のあるチームに加入した方が、確かに昇進も早いだろう。

 

 しかしながら、とんでもない話でもある。まだ幼さを残す少女が、国堕とし級の吸血鬼さえも退けたという戦士モモンと、手合わせとはいえ互角に渡り合ったというのだから。今後どれだけの伝説が彼等の手によって生み出されるのだろうか。まさに新たな英雄譚の産声を聞いた気がして、今もワクワクが止まらない。

 

 クライムは自分も努力して、1ミリでもその領域へと近付こうと決意を新たにした。

 

 そんなこんなでやる気に漲ったクライムは、城に戻ったら早速訓練に励むぞと考えながら歩いていたのだが、通り掛かった大通りに人だかりが出来ている事に気付く。

 

 普段から人通りは多いが、今のように人の流れが完全に滞っているのはおかしい。怪訝に思い近付いてみると、人垣で詳細は見えないが、その中心の方から張り上げた怒声と、周囲の悲鳴のような声が聞き取れた。

 

(喧嘩か何かだろうか?)

 

 衛兵は居ないのかと探してみれば、遠巻きに様子を窺っている二人の衛兵を見つけ、何をボサッとしているのかと叱責したい気持ちになった。

 

 だが、それは仕方のないことかも知れない。何せ王城を守る兵士とは違い、市街に配置されている殆どの衛兵は、ただ武器を持たされただけの、訓練もろくに受けていない一般人同然なのだから。

 

「おい」

 

 クライムが声を掛けると、衛兵達は一瞬だけムッとした表情を浮かべた。クライムは今鎧も来ていないし、相手の年齢も倍くらい離れているように見える。クライムを野次馬の子供とでも思ったのだろう。

 

 だが、すぐにクライムの鍛えられた身体を見て、非番の王城勤めの兵士かと思い当たったようだ。二人してばつが悪そうに冷や汗を浮かべながら敬礼をしてきた。

 

「何が起きている?」

 

「あ、はい! えーと……よくわかりません」

 

 クライムが少し語気を強めて状況を問うと、少しばかり……いや、かなり頼り無い返事が返ってくる。こんな調子で普段の職務をこなせているのだろうかと心配になったが、今はそんなことに構っている場合ではないだろう。

 

「二人はここで待機。俺が見て来る」

 

「お願いします!」

 

「失礼、通してください!」

 

 クライムは頼り無い兵士に待機を指示し、人垣をかき分けて騒ぎの中心へと進む。本当なら市井の治安は市井の兵士が守らねばならないのだが……。しかし、後ろから声をかけても道を譲ってはもらえず、力付くで無理矢理に身体を捩じ込むように割り込んでいく事となった。

 

「もう意識がないぞ……っ」

 

「あぁ、このままじゃ死んでしまうわ、だれか……」

 

 誰かの嘆きの声がクライムの焦燥を煽る。しかし人垣はまだ続いており、視界は未だ拓けない。

 

(くっ、まだ中心に辿り着けない……)

 

 必死でも掻くように人波をかき分けていると、野次馬の背中の隙間から、騒ぎの中心と思われる人物の姿がようやく見えた。どうやら酔っ払いとその取り巻き数名が、何かを執拗に蹴りつけている。足蹴にされていたのは、まだ年端もいかない小さな少年だった。

 

「っ! やめ────」

 

 クライムが制止の声を上げようとしたその時、酔っ払い達の眼前に一人の男が立っていた。

 

 いや、その男は突然現れた。そう形容せざるを得ない。視界の真ん中に居るにも関わらず、そこに彼が立つ瞬間まで、酔っ払いを含めたその場の全員がその存在を認識さえ出来なかったのだから。

 

 それは仕立ての良い黒い装束に身を包み、黒い単眼鏡(モノクル)を右目に嵌めた、黒髪の若い紳士だった。




ぶくぶく茶釜さんが名乗る名前は「ミクル」にしました。「ゴットゥーザ」とか幾つか他の候補があって迷いましたが、茶釜さんは未来人ですし、やはり可愛いのがいいなと。

もう一人の自称大冒険家「ソーイ」の正体はソリュシャン・イプシロンです。原作より早めにナザリックに帰りました。クライムが大通りで出会ったのがセバスじゃないのもそういうことです。


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#87 依頼人

中々話がまとまらず、忙しさもあって随分期間が空いてしまいました。


「…………」

 

「…………」

 

 クライムと別れたイビルアイとガガーランは、王都を無言のまま進む。ラキュース達が王城から戻って来たらすぐにでも動き出せるよう、必要な準備を済ませておくのだ。

 

 消耗品の買い足しだけなら然程時間を取られないだろうが、ガガーランは装備品のメンテナンスもある。ティアは情報収集に動いているため、ガガーランが鍛冶屋に寄っている間に、イビルアイが治癒の水薬(ポーション)など消耗品を買いに行くことになっている。

 

 これは普段からよくある行動パターンなのだが、今日は何かが違う。イビルアイはずっとガガーランの横に並んで歩いて来ている。とっくに道具屋へと続く曲がり角は過ぎたというのにだ。

 

 ガガーランはイビルアイが平静を装いつつも普段とは様子が違うことを気にかけていた。どう見ても様子がおかしいのは明白だ。しかし本人が平気だと言い張る以上、安易に踏み込んでいくのは躊躇われる。先日ラキュースが魔剣に精神を乗っ取られまいと必死に対話? していたのを見掛けたのだが、その時のガガーランは迂闊だった。

 

 神官が所有する魔剣に精神を乗っ取られそうになっているなど、プライドが許さなかったのだろう。心配になって声をかけたとき、顔を真っ赤にしたラキュースに怒鳴られたのは記憶に新しい。

 

 念のためイビルアイにはそのときの事を伝え、いざというときにはもう一つのアダマンタイト級冒険者チーム〝(あけ)雫石(しずく)〟に助力を求める事にした。アダマンタイト級の実力者が理性を失って暴れだしたら被害は甚大だ。止められるとすれば、同じアダマンタイト級の実力者しか居ない。

 

 しかし今度はそのイビルアイが、何かワケアリな雰囲気をプンプン漂わせている。

 

(どうしたもんかね……)

 

 イビルアイと入れ替りで蒼の薔薇から抜けたリグリット・ベルスー・カウラウも、齢二百を越えるとは思えないスーパーおばあちゃんだが、イビルアイの実力もまた、チーム内で群を抜いている。

 

 リグリットを入れた蒼の薔薇のメンバーがイビルアイにチーム加入をかけて挑んだときは、確かに勝った。だがそれはイビルアイが本気を出していなかった事や、相性や人数など様々な条件が味方したからで、リグリットでも一対一で勝つのは難しいらしい。

 

 イビルアイは体こそ小さいが、その知識量は膨大で、経験に裏打ちされた状況分析と圧倒的な魔法力、そして常にクールな思考と判断力は、チームの危機を幾度も救ってきた。

 

 しかしそんな彼女が今、普段絶対にやらないような失態を犯すほどに精彩を欠いている。ガガーランにしてみれば、心配するなという方が無理な話である。たとえ自分より強く、二百歳以上年上のロリババアだとしても、イビルアイは同じチームの仲間なのだ。

 

 ただ、彼女は貴族生まれのラキュース以上に気位が高い。個人的に心配しているなどと言えば、ラキュースの時のように、余計なお節介だと憤慨されてしまうだろう。

 

「……なぁ、イビルアイよぉ」

 

「む…なんだ?」

 

「さっきから言おうと思ってたんだけどよ……とっくに道具屋は過ぎちまったぞ」

 

「…え? あっ……! そ、そうだったな……」

 

 イビルアイは指摘されて初めて気付いたようだ。普段からは想像もできないようなイージーな凡ミスに、ガガーランも余計に心配になる。

 

「どうしちまったんだよ、やっぱ昨日からどこかおかしいぜ?」

 

「…べ、別に体に不調はない、ぞ?」

 

 それはそうだろう。彼女の種族は吸血鬼(ヴァンパイア)だ。体調不良なんてあるはずがない。ガガーランが聞きたいのはそういうことではないのだが。

 

 流石にこのまま黙って引き下がれない。イビルアイがこんな調子では、とても依頼などこなせないだろう。最高峰のアダマンタイト級といえども、冒険者稼業は命懸けだ。ほんの些細な綻びが、致命的な危機にも繋がりかねない。

 

「じゃあ一体何なんだよ?」

 

「う、む……」

 

 ただでさえ体が小さいのに、項垂れて肩を落とすイビルアイが、ますます小さく見える。

 

「その様子を見りゃ、何か悩んでるのはわかる。一人で解決すべき事もあるだろう。けどよ、そりゃ仲間の俺らにも言えねぇ、秘密にしなきゃいけねぇ事なのか? それとも俺達じゃ頼りにならねぇってか?」

 

 ガガーランは棘のある言葉をぶつける。イビルアイは蒼の薔薇の中で最年長かつ最強だ。メンバーにとっては頼もしいことだが、だからといって一方的に頼るようでは対等な仲間とは言えないだろう。互いに信頼を預けあってこその仲間のはずだ。

 

「う、そ、そうは言わないが……」

 

「……はあ、分かったよ。今はこれ以上聞かねぇ。けど話す気になったらいつでも言ってくれよ? ……とりあえず用事を片付けるか」

 

 やはり何か隠しているようだ。しかしこれ以上強引に踏み込めば、信頼関係に罅が入りかねないと判断したガガーランは、いつでも話は聞くという意思を伝えておく。あとは彼女が話してくれるのを待つしかないだろう。

 

「ガガーラン」

 

「あん?」

 

 ズンズン歩き出したガガーランを、イビルアイが呼び止める。振り返ると小さな身体がじっと此方を見ていた。

 

「……いや、何でもない。さっさと用を済ませるとしよう」

 

「大丈夫か、一人で? あ、いや…」

 

「問題ない」

 

 ガガーランは失言だったかと一瞬ヒヤリとした。普段なら子供扱いしているのかと文句が返ってきそうなものだが、イビルアイは軽く手を振って道具屋方面へ歩き出す。

 

(ホント、どうしちまったんだろうな……)

 

 初めてのお遣いに行く子供を見送る親の心境に似たものを感じながら、遠ざかっていく小さな背中を見送る。

 

 リグリットの話では、百年以上もの間他者との関わりを避け、一人黙々と魔術の研究を続けていたという。長い時間を孤独に過ごしてきたようだが、彼女は決して孤独が好きなわけでも、まして孤独に耐えられるような性格でもないとガガーランは思っている。

 

(待つしかねぇ、か)

 

 何も打ち明けてくれない事に忸怩たる思いを抱きつつも、今出来ることに目を向けるしかないと気持ちを切り換えるガガーランであった。

 

 

 

 

 

「ねぇ、ホントに付いてこなくても……私一人でも良いのよ……?」

 

「なんだよ、遠慮すんなって」

 

「急に鬼ボスが優しい言葉を掛けてくるなんて怪しい。絶対何か裏がある……」

 

「うっ……な、何もないわよ?」

 

 いま、彼女達はある宿へ向かっている。無事に用事を済ませてきたガガーラン達が宿に戻ると、他のメンバーは既に揃っていて、何とも言えない微妙な面持ちをしたラキュースに迎えられた。イビルアイが無事に戻ってきていることに安堵しつつ、どうかしたのかとラキュースに訊ねると、名指しの依頼が届いていると告げてきたのだった。

 

 イビルアイは昨晩からだが、今度はラキュースの様子がおかしい。妙にソワソワしているのだ。ラキュースは何故か自分一人で依頼人の元へ行くと言い出したのだが、理由を聞いても適当に言葉を濁すばかりで埒があかなかった。

 

 絶対に何か隠していると感じ取ったティアとティナは自分も行くことを強く主張し、イビルアイはいつも通り面倒だと留守番を申し出た。

 

 ガガーランはラキュース奇妙な態度に興味を惹かれつつも、イビルアイを一人残していくのも気掛かりだった。結局そのままティナ達に便乗しつつ、イビルアイも誘って強引に全員で行くことになったのだった。

 

「じ、実は……叔父さんも来るらしいのよ」

 

 道すがら、ラキュースが震え声でそんなことを口にする。

 

「お? だったら丁度良いな、一度くらい会っとかねぇとよ」

 

「そろそろ優秀な仲間を紹介してくれてもいい頃合い」

 

 ティアやガガーランは、ラキュースの叔父に当たるアダマンタイト級冒険者、アズス・アインドラとはまだ面識がない。顔を繋いでおくのに良い機会だと思うのだが、当の本人は、気が進まないという雰囲気を匂わせてくる。

 

「先に行っておくわね。決して悪い人ではないんだけど、いい人でもないっていうか……あんまり期待しないでね?」

 

「そんな謙遜すんなって。()()()()()()()だろ?」

 

「そう言えばいつも水入らずがいいとか言って会わせてくれない。そんなに照れなくても、冷やかしたりしないのに」

 

「あ、うん……」

 

 ぎこちない態度のラキュースは照れているのだと思い、周囲は叔父との邂逅に期待している。ラキュースが祈るような気持ちでいるうちに、一行は指定された場所へと到着した。

 

「ここだな」

 

 一見すると何の変哲もない屋敷だ。貴族が住むには少々手狭で、平民が住むにはやや大き過ぎるといったところか。手入れする人手が足りないのか、庭の草木は野放図に伸びっぱなしだ。つい数日前まで空き家だったのだろうか。そんな風情であった。

 

「早く入ろうぜ」

 

「そ、そうね……」

 

 ガガーランに促され、何かを諦めたようにラキュースが歩を進める。ドアノッカーを鳴らして少し待つも、返事はない。もう一度、と手を掛けたとき、中から声が聞こえて来た。

 

「鍵なら開いてるぞ~」

 

「……! 叔父さんの声だわ」

 

 声の主はアズスらしい。何故依頼人ではなく彼が返事をしたのか分からないが、その答えは中に入ってみればわかるだろう。

 

「じゃあ、行くわよ……!」

 

 叔父に会うというのに、明らかに肩に力が入っているラキュース。不明なままである依頼人への警戒心がそうさせるのだろう。そう判断した他のメンバーも気を引き締める。

 

「よく来たな、ラキュー!」

 

 声のした方を見上げると、階段の吹き抜けの上から男が顔を除かせている。不精髭を伸ばしてはいるが、凛とした表情は大人の男性らしくダンディな雰囲気が醸し出されている。

 

「叔父さん!」

 

 一気に破顔し、明るい声でラキュースが応える。賭けに勝ったと心の中では盛大に拳を振り上げてガッツポーズを決めているのだが、それに気付く者は居ない。

 

「あれがおn…リーダーの叔父さんか」

 

「ちいっと年はいってるが、色男じゃねぇか」

 

「好みではないけど、ダンディな色男」

 

「ふふ……そ、そう?」

 

 嬉しそうな反応を返すラキュースを見て、ただの照れ隠しだったかのとガガーラン達も納得する。イビルアイに続きラキュースまで様子がおかしい事に不安を感じていたが、片方は心配するほどの事ではなかったようだと安堵していた。

 

 

 

 

 

「蒼の薔薇のリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと申します。今回の依頼主は貴女でお間違いないでしょうか……?」

 

 アズスの案内によって二階の一室へと案内された蒼の薔薇を、一人の女が待っていた。何となく違和感を感じながらも、依頼を確認しようと話を切り出したのだが。

 

「い、え……あの」

 

 真向かいに座った女が、蚊の鳴くような声でぎこちなく応える。年の頃はラキュースに近い年代だろうか。やや幼顔ではあるものの、友人である王女ラナーよりは上だろう。

 

 非常に臆病な性格のようで、胸の前で手をきゅっと握りしめた手が震えている。先程紅茶を彼女が淹れてくれた時も、カチャカチャと茶器が鳴るほどであった。

 

「では、依頼主は現在不在にしているという事でしょうか?」

 

 状況から予想される推測を、極力相手を怯えさせないよう、柔らかい声でラキュースが訊ねる。女は申し訳なさそうにコクリと頷いた。

 

「あっ、別に怒ってたりはしてませんよ……? どうかご安心ください」

 

 彼女を安心させつつ、それにしても、とラキュースは思う。彼女はこの屋敷の主人、つまり依頼人の侍従や給仕ではないだろう。応対が拙なすぎるのだ。服装は小綺麗にしているものの、立ち振舞いや所作は至って普通の平民といった感じで、屋敷の令嬢というわけでもないだろう。

 

 未だ不明なままの依頼人、そして関係性の分からない女性。不可解な状況に、メンバーも少しばかり困惑の色を見せ始めていた。

 

「お嬢さんにとって、初めて会う私達と接するのはさぞ不安なことだろう。それなのに、こうして勇気を振り絞って迎えてくれた。そんな貴女に最高の敬意を表します」

 

 まさに最高位の冒険者に相応しい人格者の態度を示すアズス。猫を被っているだけだが、それを知っているのは姪だけであり、彼の本性を知らない周囲には感付かれていないどころか好感触である。彼の本性を知る一人だけがそれとなく微妙な視線を投げ掛けるが、その程度だ。

 

「悪くねぇ……。どうだい、今晩俺と────」

 

「やめておけ、脳筋」

 

 ガガーランが何か言いかけたのを、イビルアイが制止する。アズスはそれでも察したのか、若干ひきつった苦笑を浮かべていたが。

 

「わーってる。冗談だよ。……半分な」

 

 半分は本気か。そんな心の声が聞こえてきそうな表情を一瞬だけ浮かべ、アズスは少しだけ気障な笑顔を見せた。

 

「……依頼人はもうじき戻ってくるはずだ。ラキューはたまげるだろうな」

 

「え、誰なの?」

 

「それは会うまでのお楽しみだ」

 

 アズスの言葉に、ラキュースは少し期待するような、イビルアイは鼻を鳴らす。

 

「ふん、その依頼人とやらを知った風な口ぶりだな。言っておくが、私達はこの国の王女とも面識がある。この程度のボロ屋敷に呼びつけるような奴程度に、別段驚かされるとも思えんがな」

 

「ちょっと、言い方……」

 

 ラキュースが窘めるが、彼女の突っ慳貪(けんどん)な物言いは出会った当時から変わらない。庭の様子や、屋敷内の様子から見て、ボロ屋敷という評価はあながち間違ってはいないのだが、それを家人の前で堂々と言うのは余りに失礼である。

 

「申し訳ありません、仲間が失礼なことを……」

 

「…! い……あ、の……」

 

 誠意をもって頭を下げるラキュースに、女はオロオロと慌てふためく。

 

「ラキュー、その辺にした方がいい」

 

「でも……」

 

「わ、たしは、ただ、の……う…から……」

 

 途切れ途切れで聞き取りづらいが、これ以上頭を下げられる事を彼女は望んでいないということは分かる。

 

「では……ええと、お名前をお聞きしても?」

 

「あ……ツ、アレ…です」

 

 緊張した様子で、女は絞り出すように名を告げた。

 

「ツアレさん、ですね。えっと、依頼人との」

 

「誰か来る」

 

 ラキュースの質問を遮り、ティアが何者かの来訪を告げる。気配の察知に長けている彼女はいち早く気付いていた。

 

「玄関に入ってきた。二人組。階段を上ってくる」

 

 ティナが人数とその足取りを報せてくれる。

 

「帰ってきたようだな」

 

「やれやれ、ようやく依頼人のご登場か。しかし、人を待たせておいて、客まで連れ込んできたのか?」

 

 不満げな様子でイビルアイが文句を垂れるが、ようやく依頼の話が出来そうだ。ただ、アズスが妙に機嫌良さそうな笑顔を浮かべているが、そんなに会うのが楽しみなのだろうか。ラキュースは不信に思いながら、依頼人を待っていると、程なく部屋のドアが開いた。

 

「なっ!? お前は……!」




ツアレは生きていました。依頼人が彼女を拾ったということになりますが、果たして……?


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#88 それぞれの準備

久々更新です。


「お前は……!」

 

 部屋の扉を開けて姿を現した男を、蒼の薔薇は驚きを持って迎えた。直接顔を合わせるのは初めてのことだが、巌を思わせるガガーラン以上に武骨な体躯を持つ男は、王国内で────特に裏社会では────有名な男であった。

 

「ゼロ!」

 

 部屋は瞬時に異様な緊迫感に包まれる。最高位冒険者である蒼の薔薇の面々にとっても、それほどに危険な相手であった。

 

 ゼロ。〝闘鬼〟の2つ名を持つ、犯罪結社八本指の警備部門の長であり、自身を頂点とした〝六腕〟という精鋭集団を結成している男だ。

 

 六腕は一人一人がアダマンタイト級冒険者に匹敵する実力者と言われており、中には人外の存在までもが構成員と噂される、実質王国の裏社会最強の武力集団だ。

 

 その六腕の中でも、ゼロは一線を隔す実力者だった。己の肉体を武器にも防具にもする武闘家(モンク)という職業(クラス)を修める彼は、武器さえ持たせなければ、周辺国家最強の戦士と名高いガゼフ・ストロノーフでさえ、一方的に撲殺出来るのだ。

 

 そして、そんな八本指の幹部であるゼロが接触してくる理由など、決して良いものであるはずがない。

 

「……どうやら自己紹介の必要は無さそうだな」

 

 感情を見せず淡々と言葉を吐いたゼロに、ラキュースは渋面を浮かべる。安易に素性も知れない相手の呼び出しに乗ってしまった事を悔いるべきか、それとも、メンバー全員が揃っていることを幸運と思うべきか。

 

 しかし更にラキュース達にとって予想外の衝撃が、ゼロの後ろに続いて姿を現した男によって齎される。それは、此処に直接現れる事など決してありえないはずの人物だった。

 

「レ、レエブン侯……!」

 

 エリアス・ブラント・デイル・レエブン。

 

 随所に煌びやかな宝石をあしらい、王への謁見にもそのまま臨めるような見事なダブレットを完璧に着こなすその男こそ、王国六大貴族の中でも最大の権勢を持つ大貴族である。

 

 名実ともに絵に描いたような上位貴族ではあるが、正直、余り良い噂を耳にしない。貴族派閥の筆頭でありながら、利益を求めて王派閥と貴族派閥の間を行き来しする〝蝙蝠のような男〟というのが、専らの噂である。

 

 痩身長駆で肌の血色は悪く、後ろへ撫で付けた髪は、四十手前という実年齢以上に老けて老獪な印象を見る者に与える。怜悧な知性を覗かせる鋭い切れ長の目は、まるで蛇を思わせる。

 

 彼がこの場に、しかも八本指を連れて現れた理由は何か。ラキュースは最悪の事態を想像する。

 

 もしも、王国随一の大貴族と八本指とが手を結んだとすれば、これは非常に由々しき事態である。巨大な犯罪組織だけでなく、王国随一の権力者を敵に回す事になるのだから。ラナーは王女とはいえ、権力の中枢とは遠いところにいる。本腰を入れた大貴族を相手に、まともに対抗出来る力など皆無といえよう。

 

(どこまで掌握されているのかは……考えるまでもないわね)

 

 レエブン侯自らがこうして姿を見せるということは、既に自分達の優位は揺るぎないという確信があるのだろう。ラナーと蒼の薔薇の繋がりや動向についても、既に掌握済みと考えるべきだ。

 

「蒼の薔薇の皆さん、誤解を招くような接触手段を取ってしまい申し訳ありません。ですが、此方も事情がありまして。ひとまず私はあなた方の敵ではないと認識頂きたい」

 

 レエブン侯は淡々とラキュースに告げた。敵意に近い不審感を露にされても、眉一つ動かさない度胸は流石と言わざるを得ないが、彼の言葉を信用して良いかは別の話だ。ラキュースは隠しきれない動揺を浮かべつつも、様々な展開を想定し始める。

 

(たとえ今戦闘になっても、数的有利は此方にある)

 

 ゼロは一筋縄ではいかないだろうが、このメンバーなら倒すことも難しくはないだろう。しかし、大貴族であるレエブンと明確に敵対する事になる。それはラキュース達だけの問題ではなく、所属する王都の冒険者組合やラナーにも、今後何らかの形で大きな不都合が生じる可能性が高いということだ。

 

「俺は八本指を抜けて、この人の下に付く」

 

「……!?」

 

 ゼロの言葉にラキュースは眉を動かした。裏社会に生きてきた人間が、無事に組織を抜ける事はまずあり得ないからだ。何故なら、足抜けや逃亡は裏切りを意味し、そういった者には組織からの苛烈な報復が待っているからだ。それは部門の長であろうとも、例外ではない。

 

 如何にゼロが〝個〟として強くとも、単独で巨大な犯罪組織を敵に回せるはずがない。組織は大きく王国中に根を張り巡らせている。一時的には逃げられたとしても、いつかは逃げ切れなくなるものだ。

 

(けれど、レエブン侯が味方なら……)

 

 組織に対抗し得る強力な後ろ楯を得られたとすれば、鞍替えを考えてもおかしくはないのではないだろうか。それは同時に、レエブン侯は八本指に敵対する腹づもりがある、ということになる。だが、組織を抜ける側も、また犯罪者を迎え入れる側も、相当な覚悟と確かな勝算がなければ出来る事ではない。

 

「……」

 

「組織に嫌気が差したと言うわけではない。持ちつ持たれつ、上手くやって来たつもりだ。だが……泥舟と共に沈む義理はない」

 

 淡々と語るゼロの眼には、どこか怯えのようなものが見えた気がした。仮にも犯罪組織の長がする目ではない。何がそうさせるのかも気になるが、それ以上に、泥舟、つまり八本指が潰れることが既に確定しているかのような発言は聞き流せない。

 

 昨晩の蒼の薔薇の襲撃は殆んど空振りに近い。襲撃するはずだった麻薬の栽培施設を潰すという目的は果たされたが、現在把握できている施設は全体からすれば氷山の一角に過ぎない。たった数ヶ所潰れたところで、組織を壊滅に追いやるには到底至らないだろう。

 

 だからこそ、襲撃施設から情報を入手するつもりだったのが、何の情報も持ち帰れないという結果に終わったのだ。巨大過ぎて組織の全容が見えない現状では、ラキュースは八本指に何が起こっているか、全く見えない。

 

(本当、なのかしら……?)

 

 ゼロの言葉を信用するならば、八本指に何かが起きたか、或いはこれから起きようとしているのかも知れない。が、レエブン侯も実は八本指に与しており、ゼロの言った情報がブラフだという可能性も捨てきれない。

 

「八本指を辞めるのが本当だとして、俺達の敵じゃねぇとは限らねぇよな?」

 

 ラキュースに答えたゼロに対し、今度はガガーランが獰猛な獣のような形相で訊ねる。しかし、ここで後ろから声が掛かった。

 

「よせよ、ツアレ嬢が卒倒してしまっただろ?」

 

「えっ……」

 

 振り返ると、蒼白のツアレの肩を抱き支えたアズスが不満そうな顔を……しているが、後ろから支える手は、気を失って力なく体制を崩したツアレの、胸に近い微妙な位置に触れていた。

 

(こんのエロ親父……っ!)

 

 わざとだと看破したラキュースの目が瞬時につり上がる。まだレエブン侯達を信用したわけではないが、しかしこのまま彼等と睨み合いを続けても埒が開かない。

 

 というか、叔父をこのまま放置すれば、その手が更にあからさまな所へ移動し、あまつさえ揉みしだき始めるかも知れない。それだけは阻止しなければ、色々と失ってしまう。

 

(昔はもっとマトモだったのに……いや、違うわね)

 

 ラキュースが幼い頃は、冒険者として活躍するアズスは憧れの叔父だった。しかし、ラキュースが冒険者として名を上げ始めると、真実は別のところにあると知ってしまったのだ。あの日の衝撃は忘れもしない。

 

 とある依頼を成功させた折り、アズスの助言に助けられたこともあって、挨拶に彼の部屋を訪れた事があった。その時アズスはラキュースを半裸で出迎え、部屋の奥にはあられもない格好をした、明らかに()()()()()()の女性の姿が見えた。

 

 あまりの事に固まったラキュースを、アズスは強引に部屋へと引っ張り込み、姪の目の前で、出すところを出した女性の柔肌をまさぐる手が止まることはなかった。

 

 帰り道、ラキュースは名状しがたい喪失感にうちひしがれながら帰った。それまでは巧妙に猫を被っていただけで、そこで見た姿こそが叔父の本性だったのだ。出来れば見たくなかった。気付きたくなどなかった。幼心に抱いていた叔父の英雄像が、木っ端微塵に崩れ去った事は言うまでもない。

 

「こちらとしては、出来れば争いは避けたいところなのですが」

 

 レエブン侯の声で我に返ったラキュースは即断した。

 

「んんっ……レエブン侯、お話を窺いますのでどうぞお掛け下さい。誰か、叔父さんの代わりに彼女を何処かへ寝かせて来てくれる?」

 

「確かそっちの扉の奥の部屋にベッドがあったぞ」

 

「じゃあ私が運んで……」

 

「ティアはドアを開けて」

 

 名乗りを上げようとしたティアに、ラキュースはドアを開けるように指示を出す。性的嗜好を考えればコイツもツアレに近付けるのは危ない。意識がないのをいい事に、色々としでかしそうなのだ。

 

「ガガーラン、ツアレさんをお願い」

 

「おう」

 

 一種の使命感に燃えたラキュースの、有無を言わさぬ雰囲気に、レエブン侯が眉を僅かに動かしたが、それには気づかないフリをしてやり過ごす。心の中では長い溜め息を吐きながら。

 

 アズスの言葉通り、部屋の奥にある扉を開けると、飾り気のない簡素なベッドが見えた。招かれた家のベッドの位置を何故把握しているのかと問い詰めたくなるが、それをグッと我慢する。

 

 ツアレを抱き上げた大女が、ドアを潜って部屋の奥へと消えていく。

 

「ところで、()は一緒では?」

 

「途中までは彼も同行していたのですが、何やら急にやることが出来たとかで…。我々で話を進めておいて欲しいそうです」

 

 アズスの質問にレエブン侯が困ったように眉尻を下げて答える。誰かは分からないが、本来ならもう一人此処へ来る予定だったようだ。そしてどうやら、叔父が待ち望んでいたのはその人物らしい。

 

「まさか……奴か?」

 

「ふふん、流石に察しがいいな」

 

 イビルアイの独り言にアズスがそう答えると、気になったティナが問い詰めようとする。

 

「イビルアイの知り合い?誰?」

 

「……それよりも、今はこの男の話を聞くべきだろう」

 

 イビルアイはそう言って話をはぐらかした。そちらも興味をそそられるのだが、しかし彼女の言うとおり、今はレエブン侯から依頼の話を聞く事を優先すべきかも知れない。侯は忙しい立場であるはずだ。彼がここに居られる時間は限られているだろう。

 

「イビルアイの話は後でゆっくり聞くとして、先にレエブン侯のお話を聞きましょう」

 

「感謝します。まず最初にお願いしたいのは、依頼を受けない場合……ここで知ったことは誰にも、ラナー殿下にもご内密に願います」

 

「…ええ。勿論です」

 

 冒険者として守秘義務を守る事は当然ではあるが、レエブン侯はそれを念押しするほどに何かを警戒しているようだ。ラナーに情報を流したくないのは、信用していないという意味なのか、それとも、巻き込まないための配慮と取るべきなのだろうか。

 

 後者であれば有り難いが、相手は生き馬の目を抜くような貴族社会を長年生き抜いてきた男だ。そうそう簡単に心の内を読ませてはくれない。

 

 海千山千の猛者を相手取り、そこで培われた百戦錬磨の話術や手練手管を有する彼の手腕にかかれば、ラキュースとてただの小娘に過ぎないだろう。しかし、ここまできて話を聞く以外の選択肢はない。

 

「……承知しました。ただし、依頼をお承けするかどうかは、お話を伺ってから判断させていただいても?」

 

「構いませんとも」

 

 ラキュースの問いに、レエブン侯はすぐさま諾と頷いた。

 

 

 

 

 

 ロ・レンテ城。ラナーの私室では、遣いから戻ったクライムが、帰り道で起こった事を報告していた。

 

「よかった……。あなたが城内で孤立してしまって、訓練相手にも困っている事は知っていたのだけど、私ではなんの力にもなれなかったし……」

 

「そんな、ラナー様がお気にされるような事では……!」

 

「ううん、本当の事だもの。ごめんなさいね、何も出来なくて……」

 

 寂しげな表情を浮かべるラナー。本来なら、こんな心配をする必要などないはずの事だ。ラナーが自分のためにこれ程心を砕いてくれるのは嬉しい反面、その表情を自分の不甲斐なさが曇らせているという事実が悔しくもある。

 

 クライムにとって、同じ兵士達の中で孤立したり、行儀見習いにメイドをやっている貴族令嬢達に白い目を向けられるのは、辛い事ではない。誰も味方がいなくとも、誰に認められなくとも、主人の為に全霊を尽くすのみと覚悟を決めているからだ。

 

 だが、そんな状況をラナーが苦慮していたと知り、何故もっとうまくやれなかったのかと後悔の念に駆られる。決して彼女に責任などない。

 

「いいえ!これは全て私の不徳が致すところです。ですから、ラナー様は何も……」

 

「謝らないで、クライム。私が何も出来ない癖に、勝手に気を揉んでいただけなんですから」

 

「ラナー様…」

 

「でも、本当によかった。クライムの頑張りをちゃんと見てくれる人が居たのね。本当に、本当に嬉しい……」

 

 クライムの事を我が事のように喜んでくれるラナー。クライムは思わず目が熱くなる。

 

 自身の才能のなさは分かっている。朝誰よりも早く訓練所で剣を降り、直接指導を受ける相手も、稽古相手もいないのを、自分なりに必死に工夫してこれまで鍛えてきたが、それでも他人が易々と越えられる段差程度がクライムにとっては見上げるような絶壁に思える事が幾度もあった。それでも腐らず、諦めず剣を振り続けた。

 

 ラナーが言うように、その努力を彼が認めてくれたのだろうか。お願いしたのは自分だが、ああもアッサリと頷いてくれるとは思ってもみなかった。信じられない幸運だ。

 

「そうだわ、クライム、一度私もその方にお会い出来ないかしら?クライムがお世話になるのだし、この国の為に行動して下さっているんだもの、そのお礼もしたいわ」

 

「あ……は、はい。では今度お会いしたときに、お話ししてみます」

 

「ええ、お願いね」

 

 主人は嬉しそうに笑顔を浮かべる。やはり、沈んだ表情よりも、笑顔でいてもらいたいものだ。この笑顔を守れるなら、地獄の穴にだって喜んで飛び込める。しかし、ラナーが彼と会いたがっている事に、不安のようなものを感じてしまう。

 

「……」

 

 今思い出してみても、相当魅力的な人物だ。実力も然ることながら、まるで芸術のような外貌、洗練された所作……どれをとってもクライムが男として敵う要素は見当たらなかった。彼がほんの一言、言葉を交わしただけの婦人や、男性でさえ、彼に心奪われた様子だったのだ。

 

「どうしたの? クライム」

 

「…はっ?」

 

 何を考えているんだ。クライムは自分を叱咤した。こうして今お仕え出来ているだけでも有り難い幸福なのに、そんな感情を抱くなど、あってはならない。モヤモヤした気持ちを押し込めて、今度こそ返事を返す。

 

「い、いえ…何でもありません」

 

「そう?何だか浮かない表情だったように見えたのだけれど……」

 

 その場をどうにか誤魔化し、クライムは退室したが、その後も暫く一人悶々とした気持ちを抱えて過ごすことになった。

 

 

 

 

 クライムが退室していった後、ラナーは一人自室で恍惚とした笑みを浮かべていた。

 

「あぁ、クライムったら本当にかわいいんだから。あんな顔されたらもう……うふふ」

 

 飼い主の友人に対して嫉妬し寂しがる子犬のような愛くるしい表情を、ラナーは辛抱たまらんと言わんばかりに噛み締める。そこには〝黄金〟と称される姫がするとは思えない、もうひとつの顔があった。

 

「……クライムと出会ったのは偶然? それとも……いずれにしても、機会は得られたわね」

 

 思わぬ幸運にラナーは機嫌を良くしつつ、考えを巡らせる。上手く事を運べれば、それまで手の届かなかった夢が、現実味を帯びてくる。この好機は絶対に逃すわけにはいかない。

 

 しかし、情報が少ない現段階では、相手から何を要求されるかは不明だ。悪魔の血が流れるという伝説の通りならば、嗜好も悪魔に似通っているかもしれない。魂など替えの利かないものを対価に要求される可能性もあり得る。それでも最悪なのは、見向きもされず、交渉にさえ至れない事だ。

 

 あらゆる可能性を想定し、準備を整えなければ。どのような持て成しをするか。どんな表情で臨むか。どのような会話の流れにするか。細部にまで神経を尖らせ、少しでも成功の可能性を上げられるように努める。鏡に向かって表情の確認まで行ったところで、そろそろメイドを呼ぶ予定の時間だ。

 

「今日の当番は……」

 

 日替わりのメイドの担当を思い出し、表情を失う。あれは表面は取り繕っているが、裏でクライムの事を見下し、馬鹿にしている。

 

(……あの女も殺す。私のクライムを馬鹿にする者は、みんな殺す……!)

 

 ストン、と表情の抜け落ちた顔を再びマッサージするように手で弄くりながら、メイドに見せるいつもの表情を作り直す。

 

「うん、これでよし……!」

 

 表情を確認し、鈴を手に持つ。これは二つ一対になっており、片方を鳴らすと、メイドが待機している別室のもう一つが鳴る仕組みだ。

 

 即座に処理方法を決めたラナーは、鈴を鳴らす。やがて現れたメイドに、ラナーは純心そうな顔を向ける。心の内に秘めた、冷たい殺意を覆い隠して。

 

 

 

 

 

 




誰にでも裏の顔というのはあるものですね。
ラキュースが仲間から「鬼」と呼ばれるようになったのは、アズスの裏の顔が一因ではないか、という気がしています。


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#89 暗躍する二人

久しぶりすぎて色々忘れてしまってます。


 某日、某所────

 

 固く冷たい壁に囲まれた、窓一つない地下の一室。出入り口のドアは厳重に閂がかけられるようになっており、中からは音が漏れ出ない密室を作り出すことが出来る。

 

 殺風景な室内には不似合いな高級ベッドが一つだけ設えられており、部屋をあてがわれた従業員達は、指名を待ちながら一日の大半をその中で過ごす。指名が入ると、客と二人きり、外部からの干渉が一切及ばない状況で閉じ込められる。

 

 部屋の中で何が起きようと────たとえ断末魔の悲鳴が響こうとも────事前に定められた時間が経過するまで、外部から一切干渉されることはない。強姦も殺人も、客の望むままだ。そう、そこは八本指が経営する、文字通り()()()()()()非合法の娼館だった。

 

 従業員は皆、借金のカタにされたり、誘拐されるなどして奴隷に堕ちた者達。もし客が従業員を殺めても罪に問われることはなく、金銭を多めに支払うだけで済まされる。まるで酒場で壊れたテーブルの弁償と言わんばかりの軽さである。

 

 奴隷売買を禁止する法が成立したことで、表立った奴隷の調達が難しくなったため、その分弁償代は高騰しているものの、かといって奴隷を丁寧に扱おうとする者は皆無。彼等、彼女等はあくまでも()()であって、人間として扱われることはなかった。

 

 しかしこの時、未だかつてない異常な事態が起きていた。規定の時間はまだ十分に余っているはずで、唯一の出入り口であるドアは厳重に封鎖されたままだ。

 

 ところがその閉鎖された密室内に、つい先程までは居なかったはずの人影が、静かに佇んでいた。そのかわりに、先程まで奴隷の女にのしかかっていた男性客は忽然と姿を消していた。

 

「……楽になりたいですか?」

 

 問いを投げ掛けられたのは、ベッドに横たわったまま茫然とする奴隷の女。それまで誰の助けもなく、必死の抵抗も哀願も通じず、容赦なく振り下ろされる拳を顔面で受け続けるしかなかった、そんな憐れな女だ。

 

 見下ろす人影は、大人になる少し手前の少女に見える。長く艶やかな黒髪をまっすぐに下ろし、黒いドレスを身に纏う少女は、幼い顔貌とは裏腹に大人びた微笑を浮かべている。

 

 楽になる────その言葉の指すところは、恐らく死による苦痛からの解放だろう。悲惨としか言い様のない彼女の境遇からすれば、いっそ今死んだ方が幸せなのかもしれない。それ以上恐怖も、苦痛も、恥辱も味わう心配が無くなるのだから。

 

 問いに対して反応すら見せることのない奴隷の女の手足は、枯れ枝のように痩せ細っており、身体は腹だけが歪に膨れている。顔も身体も痣だらけで、歯はなく、腫れ上がった目蓋の下に覗く眼球は濁り切っていた。

 

 生気が全く感じられない虚ろな瞳には、光も希望さえも宿していない事が窺える。スラムに踞る浮浪者でも、まだ幾分マシな面構えをしていよう。

 

 奴隷の女が言葉を返すことはない。そんな余裕などない。ほんの今しがたまで、顔面を容赦なく殴打されていたのだから。

 

 指一本動かすこと叶わず、乱暴に破られた薄絹の下で弛緩しきった股間から、注ぎ込まれた男の体液が音もなく逆流し、静かにシーツを汚していた。

 

 その見窄らしく惨めな姿を、妖しい輝きを灯した緋色の瞳は、じっと静かに見下ろしていた。

 

 奴隷の女が受けてきた非道な仕打ちは、無論昨日今日始まったものではない。彼女にとっては数年という歳月に渡り繰り返されてきた日常だ。

 

 その間、救いの手を差し伸べようとした者は誰一人居なかった。

 

 数年に渡る暴力と凌辱の日々。それは一人の若い娘を、生きているのが不思議な程に心身ともに弱らせた。耐えていればいつか誰かが助けてくれる、家族の元へと帰れると、無理やり自分に言い聞かせた。誰もがそうするように。

 

 しかし、根拠もなく自分を慰めるだけの希望など持ち続けられるはずもなく、とっくに風化し色を失っている。今はただただ、続く苦痛の日々が終わる事だけを願うようになっていた。

 

 奴隷の女は言葉もなくただ虚ろな視線を、何処へともなく向ける。再び問いは投げ掛けられた。

 

「……生きてここを出られると言ったら、この手を取る気はありまして?」

 

「……」

 

「では……」

 

 助かりたいなら手を取れという。会話をしているようで、独り言を言っているだけのようでもある。この時、女は焦点すら定まっていない。反応など期待すべくも無いが、そんな相手の様子などお構い無しと言わんばかりに、少女の自信ありげな態度は崩れない。

 

 今更救いの手など延ばされたところで、何のかもが余りに遅すぎた。この場にいれば誰もがそう判断するだろう。しかしそれでも、少女は何かを確信しているのか、差し出したその手を下げることなく、じっと待ち続けた。

 

 か細い呼吸音さえ響くような静寂のなか、どれだけの時間が経過しただろうか。数十秒か、それとも数分か。長い静寂の中、女の指先が微かに動いた。弱々しく震えながら、それでも確かに、ゆっくりと腕が持ち上がり始める。

 

 その眼は相変わらず焦点は何処にも合っておらず、生気も宿してなどいない。しかし魂の奥底に刻まれた本能とでも言うべきか、生きようとする生命の活動が、ただ肉体を突き動かしているようであった。

 

 しかし、あとほんの少しで互いの手が触れ合うというところで女の手は、力なく垂れ下がった。身も心も既に限界を超え、疲弊し切っていた女に起こせた奇跡はそこまでであった。

 

「……仕方ありませんわね。特別サービス、ですわ」

 

 究極能力(アルティメットスキル)■■之王(■■エル)

 

『▲▲の書』(Book of ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲)『上巻』(First Volume)

 

 少女が胸の前に伸ばした掌の上に、光を帯びた一冊の分厚い本が顕現する。開かれた本は、ひとりでに頁がパラパラと捲れていき、ある頁でピタリと止まった。

 

「……ツアレニーニャ・ベイロン。人間。20歳。LV2。職業(クラス)────奴隷(スレイブ)────」

 

 開かれた頁を、どこか無機質さを残した音声で読み上げていく。と、部屋に僅かな震動が走る。

 

「やれやれですわね……」

 

 彼女はムッとしたような声音で呟く。何処か離れた場所で、大きな衝撃が発生したのだろう。そしてそれは次第に大きく、強くなっていく。

 

「────〈改変(リライト)〉」

 

 そうして彼女が頁に手を触れると書物は眩い光を放ち、室内を満たし始める。ほんの数秒にも満たない時間。その後に光が終熄を迎えるとほぼ同時に、分厚い扉が粉々に破壊された。

 

「……また会ったな」

 

 破壊された扉の向こうには、男が立っていた。どこで付けてきたのか、黒い外套の所々に血飛沫が付着している。

 

「あら、珍しい。反り血を浴びるだなんて、何年ぶりですの? 随分慌てていらしたのね。そんなにわたくしが恋しかったのかしら?」

 

「あぁ……逢えない日々はまさに、一日千秋の思いだったとも」

 

「あらあら、まあまあ……」

 

 返ってきた口説くようなセリフに、少女は頬に手を当てて嬉しそうに声を弾ませた。そして目を細め、妖艶な笑みと共に、こう切り返した。

 

気障(キザ)なナルシストは嫌われますわよ?」

 

 挑発的な言葉に男の方はピクリと眉を動かす。しかしそれだけで怒りを示す事はない。

 

「はぁ……。で? 今度は何に付き合わされるんだ?」

 

「そ・れ・は……秘密ですわ♪」

 

 少女は唇の前で指を立てて可愛らしく答えるが、男の方は「はいはい」と言わんばかりに肩を竦めてかぶりを振った。

 

「……むぅ、反応が悪いですわね……。まぁいいでしょう、ではわたくしはこれで……ごきげんよう」

 

 少女は唇を尖らせ、不満げな表情を浮かべていたが、別れの言葉を告げながら、その姿が徐々に透過し、完全に消えてなくなった。

 

「相変わらず自由過ぎる……()()()()()()()()るハズなんだがな……ん?」

 

 

 



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#90 物凄い嘘吐き

久々に話を進められます。
主にツアレの視点です。


「ん……」

 

 何か夢を見ていたような気がする。だが目を閉じたまま思い出そうとしても、靄が掛かったようで何も思い出せない。まだ微睡みに身を委ねていたい気持ちもあるが、それを振り払いゆっくりと目を開く。

 

「ひ…ッ!?」

 

 ツアレは小さく悲鳴を上げた。誰かがベッドの横に座り、じっとツアレを見ていたのだ。逆光のため顔ははっきりとは見えないが、その彫りは深く体は熊のように大きい。ツアレは跳ねるように飛び起き、後退りした。

 

「ふぐッ、あわわわ……」

 

 勢い余ってベッドから落ち、臀部を強く打ち付けるも、慌ててベッドの下へと潜り込む。

 

 しかし当然相手にもそれは筒抜けで──

 

「おぅい」

 

「ひぃいいいッ!?」

 

 潜り込んだ先、ベッドと床の隙間から顔を覗かせた相手と目が合う。ツアレは自分でも驚くような声量の悲鳴を上げた。

 

「まぁ落ち着けって、取って食ったりしねぇから」

 

「…………あっ?」

 

 固く閉ざした目蓋を開け、ハスキーな声の主を戦々恐々と見れば、一瞬男と見紛うようなその厳めしい顔には見覚えがあった。

 

「……ガ、ガーラン…さん?」

 

「おう、ガガーランさんだ」

 

 ニカッと歯を見せた大女は、冒険者チーム〝蒼の薔薇〟の戦士ガガーランだった。

 

 正気に戻ったツアレは無言のままモソモソとベッドの下から這い出る。

 

「~~っ」

 

 恥ずかしくて声も出ない。寝ぼけていたにしても、余りに失礼でみっともない姿を見せてしまった。ツアレは目尻に滲んだ涙を拭い、熱くなった顔を隠すように俯いた。

 

 元々ツアレは、貧しい農村に生まれた何の力も持たない村娘だ。八本指直営の違法な裏娼館に送り込まれなければ、悪徳で下衆な領主に目を付けられなければ、今でも生まれた村の外の世界など知ることなく、細々と作物を育てる代わり映えのしない日々を過ごしていただろう。

 

 そんなツアレにとって、アダマンタイト級冒険者との邂逅は、現実離れしすぎて白昼夢でも見ているような心地であった。

 

 リーダーのラキュースは凛とした美しさの中に意思の強さを備え、同性でも見惚れてしまいそうな魅力を感じる。

 

 ガガーランは黙ってそこに佇んでいるだけでも迸るような圧倒的な生命の躍動を感じる。

 

 瓜二つの姉妹は目の前にいるのに、そこには何もないかのような錯覚を覚えるほど、気配がない。

 

 そして──

 

「ガガーラン、少しは自分の顔面の破壊力を自覚しろ。寝覚めに視界に入れるには刺激が強すぎる」

 

「オイオイ!? 俺みてぇな()()()()()を捕まえて言ってくれるじゃねぇの。なぁ?」

 

「え、と……は、はぃ……」

 

 横から聞こえてきた辛辣な言葉に、ガガーランは少し大袈裟におどけて見せた。肩に手を置き同意を求められても困るが。『麗しい』よりも、『逞しい』という形容詞のほうが余程相応しいと思うが、それを口に出す勇気はないので、ぎこちなく苦笑しながらも同意する。

 

「ふむ、肉体美という意味ではあながち否定も出来ないかも知れんな。ラキュースや黄金の姫さんなんかよりも、お前のように屈強な女を好ましく思う亜人は少なくないとか」

 

「マジか…っ?」

 

 その言葉にガガーランは俄に色めき立つ。

 

「さぁな、聞いた話だ。本当かどうかは知らん……」

 

 ボソリと付け足された言葉はガガーランの耳には届いていなかったようで、ニヤニヤしながら「亜人か……存外悪くねぇかもな」などと呟き始める。

 

 それでいいのかと言いたげな、半ば呆れた様子で佇むのは小柄な魔法詠唱者(マジックキャスター)のイビルアイだ。腕を組み壁に背中を預けて立っている。外見から想像できる年齢はかなり若く、童女にさえ見える。しかしそれでいて態度は人一倍大きい。

 

「あ…あ、の……私……?」

 

 二人の気の置けないやり取りに半ば圧倒されていたツアレが、ようやく言葉を発した。屋敷へと足を運んでくれた彼女達を持て成すため、お茶を出した所までは覚えている。だが、それがいつの間に自分はベッドで寝ていたのだろうか。

 

「あぁ…まずアズス・アインドラが先に居て、ウチのリーダーと挨拶をしただろう。そこまでは覚えているか?」

 

 彼女の説明にツアレがコクンと頷く。アズスとは半月ほど前に初めて顔を会わせたが、丁寧な物腰で紳士的に接してくれたにも関わらず、初めは同じ空間に居るだけで身体が震えて声も出せなかった。

 

 本人に害意はなくとも、身体と心に深く刻み込まれた恐怖は拭い難く、アズスが何日も根気よく接し続けてくれたことで、現在ではなんとか二人で言葉を交わせるまでになった。まだ真っ直ぐ目を合わせる事は出来ないが。

 

 他人との接触に慣れる必要があるのは、ツアレ自身も理解している。遠くないうちにこの屋敷は引き払われる予定で、いつまでも安全なこの地に引き込もっていられるわけではない。

 

「その後、ゼロという男と、レエブン…貴族の男がやって来たのだが……その辺りでお前は気を失い、今に至る。こんなところだ」

 

「……ご、ごめい…わく…を…」

 

 〝蒼の薔薇〟に屋敷へと足を運ばせたのは、レエブン侯や八本指との関係を周囲に知られない為だが、アズスの計らいでもうひとつ、ツアレが人に慣れるために練習する機会を設けるという目的もあった。

 

 極度の緊張で気を失ってしまったようだ。ツアレは自分の弱さに落胆する。相手は悪い人間ではないと、頭では分かっているのに。善意を向け親切にしてくれる相手にさえ怯え、迷惑をかけてしまう。

 

「いや、謝るのは俺っちの方だぜ。いきなりあのハゲが悪人顔提げて出てくるもんだから、つい殺気立っちまってよぉ……」

 

「仮にもアダマンタイト級の戦士が放った殺気だ。戦う力も心構えもない人間は、その場に居合わせただけで卒倒するのも当然だろうな」

 

「いや、だから悪かったって…。完全に俺の失態だぜ。巻き込んじまってすまねぇ」

 

 ツアレがベッドに横たえられていた理由は、ガガーランが放った殺気にあてられたせいらしい。緊張のあまり失神してしまったのではと不安に思っていたが、そうではないと知り、ツアレは少しだけ安堵した。

 

「あ、いえ……も…だい…じょぶ、ですから……」

 

「へへっ、そう言ってもらえると助かるぜ」

 

 ガガーランは顔を上げ、ニカッと歯を出して破顔する。その顔には迫力もあるが、どこかホッとしたようにも見える。恐がられるのは彼女としても望むところではないだろう。

 

「あー、さっきも思ったけどよ、無理して愛想良くしようとか考えなくていいぜ? 肩の力抜いてラクにしてな」

 

「あ……は、はい……」

 

 ツアレは微笑み返したつもりだったが、自分の思いとは裏腹に、顔は思い切りひきつっていたらしい。既に一杯一杯になっているツアレとは違い、ガガーランには余裕があった。

 

 一見すると粗野で乱暴な、そして直情的な人物像をイメージしてしまいそうだが、見た目通りではないようだ。

 

 ツアレは強張った肩の力を抜いて息を吐き出す。彼女達は自分を甚振り嘲ったあの連中とは違うんだ。そう何度も自分自身に言い聞かせながら。

 

「…慣れたものだな」

 

 二人のやり取りを見ていたイビルアイが、少し感心したような声を出す。

 

 過去に受けてきた仕打ちのために、対人恐怖症とも言うべき症状を患っているツアレだが、イビルアイに対してはガガーランとは違い威圧感も恐怖も抱かずにいられた。

 

 その理由は実に単純なものである。常に仮面を被っているため素顔こそ分からないが、イビルアイの背格好から推測される年齢は子供といってよい。記憶にあるまだあどけない妹の姿とも重なり、少しだけ懐かしさを感じる。

 

 妹とはもう5年以上も会っていないので、当然ながら現在では成長し大人びた姿になっているはずだが。

 

「……何だ? さっきから人の顔をジロジロと……私の顔に何か付いているか?」

 

「いっ、いえ……」

 

 顔になら仮面が付いているが、当然ながらそういうことが言いたいのではない。

 

「あ、の……えっと、ち、小さいのに凄いなって……」

 

 彼女はツアレより若いどころかまだ幼い。にもかかわらず、超一流の冒険者として身を立てた言わば持つべきものを持って生まれた存在だ。

 

 その態度は実に堂々としており、歴戦の戦士ガガーランにも物怖じしない。周囲の顔色ばかりを窺って生きてきたツアレにとって、小さな身体ながら堂々と振る舞う彼女の胆力は少し羨ましかった。それがたとえ子供ゆえの無遠慮さからくるものだとしても、だ。

 

「「……」」

 

 イビルアイとガガーランが無言で顔を見合わせる。何か怒らせるような事を言ってしまっただろうかという不安が胸を占め始める。

 

「んんっ……勘違いしているようだが、私は子供ではない。むしろこの場の誰より年長だ」

 

「……えっ?」

 

 ツアレは一瞬理解が遅れ、目が点になった。だってそうだろう。どう見たって完全に────一瞬目を白黒させたあと、ツアレは少しひきつった表情で恐る恐る訊ねる。

 

「えっと……な、にかの……じょ、冗談……ですか……?」

 

「ぶふーっ!」

 

 恐る恐る尋ねたツアレの言葉に、遂にガガーランが堪えきれないといった様子で吹き出した。肩を震わせる大女の脛を、少女の小さな足が小突く。

 

「わ、わり……ひはw……そりゃ、み、見えねぇわな……ふw」

 

「ちっ……」

 

 イビルアイにもう一度強めに蹴りを入れられ、脛を押さえて蹲ったガガーランは、俯いたまま肩を小刻みに震わせている。ツアレの位置からでは笑っているのか痛みに悶えているのかは分からないが。

 

 彼女は外見がそう見えるだけで実際はかなり高齢なのだそうだ。はっきりと言葉にはしないが、本人も実年齢にそぐわない外見を少なからず気にしているらしかった。

 

「あ……ご…ごめ、なさ……」

 

 ツアレの緊張を解す為に冗談でも言っているのかと思ったら、冗談でもなんでもなかった。知らなかったとはいえ、とんでもない失言をしてしまったと気付いたツアレは顔を蒼くする。

 

「ふん…。そう怯えるな。この手の誤解は今に始まった事じゃないしな。イチイチ憤慨するほど若くもない」

 

「あ……はい」

 

 少し投げやりな態度で肩を竦める少女。態度は冷淡で素っ気ないものだが、怒っているわけではなさそうだ。

 

「ふん……依頼は受ける事になったぞ。正直な所、あまり気乗りするものではないが……」

 

「で……です…よね……」

 

 ツアレも一応簡単に依頼内容を事前に聞かされており、彼女達に依頼するのはどうしてだろうとその時も疑問に思った。

 

 彼女たちは村で一番などといった────ツアレにしてみればそれも十分凄いと思うのだが────次元ではなく、後世に伝説として語り継がれると言われる存在、周辺の国家にさえその名を轟かせるアダマンタイト級冒険者なのだ。

 

 ならば、たとえばドラゴンのようなお伽噺でも有名なモンスターの討伐だとか、人類未踏の領域を踏破といったような、英雄譚に吟われるような内容こそが依頼として相応しいのでは。

 

 あまり世間を知らずに生きてきたツアレは、生きる伝説と聞いてそんな想像をしていた。しかしそんな彼女達への依頼はツアレの護送という、何とも地味で申し訳なくなるような内容だった。

 

 ツアレにとって街の外は勿論王都の街中でさえも、変わらず危険地帯だ。それは言うまでもなく、ツアレを未だつけ狙う犯罪組織の手の者が何処に潜んでいるか分からない為だ。街の外は云わずもがなモンスターの脅威がある。

 

 屋敷に籠っている時と違って危険が付きまとう以上、護衛が付いてくれるというのはツアレにとっても心強い。しかしながら、何もこんな超一流どころに頼まなくてもいいのでは、とも思う。

 

(うぅ、気まずいよぉ……)

 

 正直、既に胃が痛い。ツアレにとっては女性の方が男性より幾分接しやすいのは確かだ。しかし、まさか彼はそれだけの理由で、アダマンタイト級である彼女達を呼びつけたのだろうか。

 

 いや、本当にそれだけかもしれない。

 

 そんな気がしてしまう程度には、短期間で()が如何に破天荒で豪胆なのかは幾度も目の当たりにしてきた。それを思えばこの程度のことは驚くべきことでも何でもない。

 

「それなら何でおチビさんは反対しなかったんだ?」

 

 いつの間にか身体を起こし真顔に戻ったガガーランが、乗り気でないというイビルアイに疑問を呈していた。

 

「アイツには……借りがある」

 

「借りがある……?」

 

 ボソリと不服そうに溢したイビルアイの態度に、珍しいものを見たという表情でガガーランがおうむ返しした。ツアレは沸き上がる好奇心を抑えきれず、質問を投げ掛ける。

 

「カ……ズマ…さまと、お、お知り合い…な、んですか?」

 

「あぁ、まあ……知り合いというか……なんだ、その……天敵…いや、敵というわけではないんだが……うむむ……」

 

「……」

 

 イビルアイは言葉を選びあぐねたのか、歯切れ悪くそう答えた。そこにはどんな複雑な感情があるのかツアレには窺い知れないが、ガガーランもまたそんな彼女を見て難しい表情を浮かべている。

 

 関係性を的確に説明できないというのは、ツアレにも分かる気がする。彼との関係を聞かれたら、頭を抱えて悩んでしまう。しっくりとくる言葉が見付からないのだ。そんなことを思っていると、部屋のドアがノックされた。

 

「あ、気が付いたのね。良かった」

 

 ドアの向こうから顔を見せたのはチームのリーダーを務める女性だった。生命の輝きを宿したような美貌の持ち主が、ツアレの姿を認めて安堵の表情を浮かべる。

 

 恐らく彼女はツアレと同じくらいの年頃だろう。しかしそれまでに歩んだ人生は、余りにも異なる。

 

 片や貴族の家に生まれ、冒険者として栄光の道を堂々と歩んできたであろうラキュース。一方ツアレは貧しい農村の生まれで、華やかさとは縁遠い窮々とした日陰を過ごし、身も心も擦りきれてしまいそうな、暗く辛い人生の谷を這いずるように生きてきた。

 

 あまりにも住む世界が違うと感じ、直視できないような眩しさから逃げるように目を逸らす。そんな女性から「仲間が御免なさい」と丁寧に頭を下げられ、ツアレは逆に申し訳ない気持ちになってしまった。

 

 こんな綺麗な、しかも雲の上のような女性に自分が頭を下げられるなんて、ツアレは想像だにしたこともなかった。家柄も良く、冒険者として高い地位に居るにも拘らず、惜し気もなくその頭頂をツアレに向けている。こんな人間がこの世に居るということさえ、信じられないという思いだ。

 

 だが、ラキュースがツアレの身の上や体験してきたことを知れば、やはり態度を変えてしまうかも知れない。

 

 思い出したくもないが、少し前までは八本指の奴隷部門が経営する娼館で、不特定多数の人間────あれを人間と呼ぶべきか、人の皮を被った悪魔と呼ぶべきか分からないが────の慰み物にされていたのだ。

 

「……まだ少し、顔色が優れないわね」

 

「え、と……いえ、大丈夫…です」

 

 心配そうに見つめてくるラキュースに、ツアレは曖昧に答える。同性でも見惚れてしまいそうな美女にそんなに顔を近付けられては、心臓に悪い。

 

 慌てて顔を背けるツアレを見て、彼女は悲しげに目を細めた。

 

「その…聞きました。あなたがこれまで受けてきた仕打ちを……」

 

「……っ!」

 

 鼓動が大きく一つ鳴り、全身の血の気が引いていくのを感じる。呼吸が浅く、速くなっていく。あの忌まわしい過去を知った他人がどんな目を向けてくるか。それ知るのは、自分が如何に惨めな存在かを確かめるようで恐ろしい。

 

 もしも彼女が抱いた感情が、蔑みや嫌悪に類する否定的なものであったとたら。再会するかも知れない妹に、もし拒絶されたら……。自分の居場所なんてこの世界の何処にもないと突き付けられるような恐怖を感じる。

 

「あっごめんなさい! 嫌な事を思い出させてしまって……っ。ち、違うの、ええっと……」

 

 身を固くして震えるツアレに、ラキュースは慌てた様子で言葉を続けた。その様子は何処にでもいる、年頃の女性のそれだった。

 

「あなたが受けてきた苦しみは、同じ女性として察するに余りあるわ。決して想像で語って良いようなものではないけれど……」

 

 同情や慰めの言葉。幾つか予想していた中ではそれほど悪くないものだった。少し惨めな気持ちにはなるが、汚いものを見るような蔑みの目を向けられるより、ずっとマシだった。

 

「私は……この国の貴族家に生まれながら、その責務を果たす事より、冒険者として自らの探究心を優先してきたの。それ自体を後悔しているとは言わないけれど、結果的にこの国に巣食う暗部を野放しにしたわけで……」

 

 まるで懺悔のようだ。ツアレからすれば、彼女はツアレの受けた仕打ちとは何の関係もないし、責任などあるはずもないと思うのだが、本人はそう思っていないようで、まるで自分に責があるような態度と口振りだ。

 

 しかし、高貴な人物に何度も頭を下げらるというのはどうにも落ち着かない。

 

 ツアレが居たたまれなくてどうしようかと思案し始めたその時、ドアノブが回り、一人の男が姿を見せた。

 

(あっ)

 

 それはツアレの知っている人物で、帰りを心待ちにしていた相手でもあった。

 

「なんだ、まだ居たのか」

 

「ようやく戻ってきたか。……久し振りだな」

 

 入室して男の前に腕組みして立ちはだかる少女────いや、仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)

 

「久々の再会だというのに随分トゲのある態度だな?」

 

 不穏な雰囲気を漂わせるイビルアイに、彼はあっけらかんとした態度と口調で切り返す。

 

「自分の胸に手を当てて考えてみろ……。元々、再会を喜び合うような間柄でもなかったはずだ。それに、お前がリグリット達にいらん事を吹き込んでくれたせいで私は……私はなぁ……!」

 

「あぁ、アレかぁ……いや何も嘘八百吹き込んだわけじゃないだろう? ちょっと過去の事実を語っただけで。お前が近寄りがたい雰囲気(オーラ)を出していたから、このままでは一人馴染めずに浮いてしまうなと思ってな。少しは親しみを持たれるようにと配慮した結果であって……」

「だからっ、それがいらんことだと言ってるんだ!」

 

 過去二人の間に何があったかは分からないが、旧知の仲であるのは間違いないだろう。互いに軽口を叩き合っている。

 

 ────と言うよりは、どうやらイビルアイが一方的に揶揄われているだけにしか見えない。あの堂々とした理知的な態度はどこへやら。「ああ言えばこう言う」といった態度の彼に、イビルアイは子供のように地団駄を踏み、憤慨して見せている。

 

「クッ、これだからイヤなんだ……」

 

 一頻り騒いだ──といっても騒がしかったのは一名だけだが──イビルアイは仲間達の、特にラキュースの気遣わしげな視線を受けながら、両手を床に付いて心底草臥れたという格好で深い深いため息を吐いた。

 

 そんなイビルアイを見下ろし、彼は相変わらず美しい顔で、少し悪い表情(カオ)をしていた。

 

(……)

 

 成り行きを見守っていたツアレは、彼がわざと揶揄っていると悟り、こんな風にいつも振り回されてきたであろう彼女の過去の姿を幻視した。

 

 ちょっとだけ気の毒な気もするが、同時に羨ましくも思ってしまう。気の置けない友人のようで。

 

 

 

 

 

「……改めまして、冒険者チーム〝蒼の薔薇〟のリーダーを務めるラキュース・アルベイン・デイル・アインドラです」

 

「アイヲン・グノーシスだ。評判は聞いている」

 

「あの、貴方がこの屋敷の主人、今回の元々の依頼主なのですよね?」

 

 少し落ち着いた頃を見計らって、ラキュースが挨拶の口上を述べる。本物の貴族令嬢なだけあって背筋の伸びた美しい所作に、ツアレも思わず見惚れてしまう。

 

「いや、この邸は借り物でね。だが依頼の方は私が依頼主になるな」

 

「では、幾つか質問や確認したい事があるのですが、よろしいですか?」

 

「フム…不明瞭な点でもあったか? 極めて単純な依頼内容だったはずだが……」

 

 丁寧な物腰のラキュースに対し、対等な態度で答える彼。アダマンタイト級の冒険者が相手でも相変わらずの豪胆ぶりだった。

 

 彼は話術や交渉術に長けているようで、先日来た巡回吏の時も、口八丁で簡単にやり込めてしまった。

 

 巡回吏が、誘拐容疑がかけられていると言って、顔に傷を持つ強面の男性と共に訪ねてきたのだ。その言葉を聞いた時、ツアレは思わず青醒めたが、結局青ざめて帰っていったのは相手の方だった。

 

 彼は『評議国から派遣された外交官』という〝嘘〟を相手に信じ込ませ、「確かな証拠もなく外交官にあらぬ容疑をかけるということはどういうことか理解しているか」と言った。

 

 ツアレにはその意味が分からなかったので、後で教えて貰ったのだが、「捉えようによっては評議国に喧嘩を売っている」ということになるらしかった。そもそも評議国がどんな国か知らなかったので、それも合わせて聞いた。

 

 それで分かった事は「精強な亜人やドラゴンが治める周辺国最強の武闘派の国家に、弱小な人間の国家が喧嘩を売ろうとしているのか」という脅しだったと理解した。彼らの表情にようやく合点がいき、同時に「戦争になったらどうしよう」と戦々恐々としたものだ。

 

 しかし「評議国に外交官なんていないぞ」との発言と共に、彼等に見せた外交官だと証明する書類も、偽造したものだと説明され、全部嘘だったということを理解し、ようやく安心した。

 

 同時に彼が物凄い嘘吐きだと知って少しショックも受けたが。

 

(依頼内容も実は嘘……だったり……)

 

 ラキュースの質疑に答える彼を見ながら、ツアレはそんなことを考えていた。いきなり名前を偽っているあたり、他を疑うなという方が無理だろう。




ツアレは()の正体を知りません。
娼館に殴り込みをかけるくらい強いのは認識しているので、騎士様なのかな、と思っているくらいの認識です。

 今でこそ心を開いていますが、最初は激しく怯えていました。

 話し掛けられるだけで恐怖で失禁したり、トラウマがフラッシュバックして泣きじゃくったりを繰り返すうちに、怒るでもなく嫌な顔一つせず接してれくる彼に、徐々に心を開いていきました。


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