至高の方々、魔導国入り (エンピII)
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第一章 
 至高の方々、魔導国入り カルマ-


 ゆっくりと目鼻を覆っていたガスマスクを外し、玄関に置かれたコートハンガーに乱暴に引っ掛ける。草臥れた靴を脱ぎ捨て、四日ぶりとなる自室に足を踏み入れた。

 アパートの一室は、センサーで感知した主人の帰りを照明で照らし出すことで迎え入れてくれる。それと同時に自動換気が静かに動き出す。

 そこまで広くはないが、契約した当初は新築だった。この部屋の設備は、家賃からすれば充実しているだろう。

 個人で住む部屋にしては少し過剰なほどに優れた電子錠に惹かれて契約した。いくらネット対策等を施しても端末ごと盗まれてしまっては意味がない、転職をし心機一転、これから再スタートだと当時の自分はそう意気込で契約をしたのだ。

 今思えば、浮かれていた。

 ゆっくりと、あまりの疲労の為にゆっくりとしか動けない身体を引きずって、リビングに繋がる扉を開く。

 玄関先の光量を落とされた照明と違い、リビングの灯りは部屋の主人をこれでもかと照らし出してくれる。最新設備、当時だが、ならば部屋の主人の気持ちを慮ってくれてもいいだろうと無茶なことを思う。

 

「……疲れた」

 

 転職をし収入は増えた。やればやるほど、結果を出せば出すほど、認められていく。転職した直後の自分はそれが嬉しくてガムシャラに働いた。前職の給料明細と見比べて思わず笑ってしまったほどだ。

 それでも今の職場は、充実した給料の代わりに福利厚生という言葉をどこかに忘れてしまったらしい。

 健康診断で要再検査の結果を突き付けられても、病院に行く時間が取れないほどに。休日前だからと限界まで無理を重ね、ようやく家に帰れるようになるほどに。

 

―体ですか? 超ボロボロですよ。

 

 以前口にした言葉だ。誰に向けて言った言葉だろうかと、ソファーにもたれ掛かりながら思い出そうとする。途中眠気に負けそうになるが、それが切っ掛けになり思い出すことが出来た。

 ユグドラシル、DMMO-RPG、転職と同時に自分が離れてしまったゲーム。

 サービス終了時に、なんとか時間を作り申し訳程度にログインした、自分の人生で一番時間を費やしたと断言できるゲーム。

自分はそのゲームで所属していたギルドのギルド長に向かって、そういったのだ。

 

 他にどんな事を話したかなと、ギルド長であるモモンガの骸骨頭を思い浮かべながら思い出そうとする。

 同時に当時の思い出が蘇ってきた。

 

 ナザリック地下墳墓を初見の一発攻略に成功した事。NPC制作可能レベルの高さに、興奮が堪えきれず思わず叫びだした事。ギルドメンバーから依頼された無茶みたいな行動AIプログラムを、必死になって組んだ事。お返しとばかりに、これでもかと自分の趣味を盛り込んだメイドのデザインを仲間に依頼した事。

 

 楽しい事ばかりではなかったが、それでも今思い返せばすべてが懐かしく思えて、口元に小さく笑みが浮かぶのがわかる。

 だが、すぐに口元から笑みが消えた。自分が最後にモモンガに言ってはならないことを言ってしまった事を思い出して。

 自分は皆で作り上げた思い出のナザリックを、それもたった一人で維持し続けてきてくれたギルド長に向かって、ここがまだ残っているなんて思いもよらなかったなどと言ってしまった。

 

「……失言だったなー……」

 

 当日ログインするために、数日前から無茶をして仕事を進めた。そのために心身共に疲れ切って、眠気がピークだったとはいえ、あまりにもな台詞だ。

 思い返せばあの時、モモンガには一瞬の間があったような気がする。あの人の事だから、こちらを思いやって口には出さなかったんだろう。

 せめて無理をしてでも、最後まで一緒に残るぐらいするべきだったのに、自分は疲れのあまり早々に別れの挨拶をし、ログアウトしてしまった。そのことも今さらながら悔やまれる。

 どうしようかと思う。気持ち的には今すぐにでも謝りに行きたい。そうしなければ自分が長い時間を費やしたユグドラシルの、晩節を汚すようで落ち着かなかった。

 

「よし」

 

 立ち上がって冷蔵庫から栄養ドリンクを取り出し、一気に飲み干す。すぐに眠気が消えるわけではないが、無いよりはマシだ。

 黒いコードを拾い上げ先端のプラグを首の後ろのジャックに差し込む。同時にヘルメットを被り、操作していく。

 

 ユグドラシルがサービスを終了し、もう二週間は経つ。ゲーム自体は残っていないだろうが、運営会社そのものが消えてしまった訳ではない。例えアバターが消えていたとしても、運営のアカウントが残っていれば、そこから連絡を入れることが出来る。

 現に自分は、例えばユグドラシルIIなどが始まってもいい様に、アカウントだけはそのまま残している。モモンガもきっとそうだと望みを掛けながら、必死に操作を進めていく。

 

「すみません、モモンガさん。謝らせてください」

 

 メールでも何でもいい。頼むから連絡がついてくれ。

 明日は久しぶりの休みだ。モモンガの都合さえよければ直接謝りに行ってもいい。アバターではなく、オフ会であったリアルの彼の顔を思い出しながら、なぜその時にユグドラシル以外の連絡先を交換しなかったのだと今さら嘆いてしまう。

 たどり着いた自分のアカウントから、フレンド機能を使ってモモンガのアカウントにメッセージを送る。祈る様にウインドウを見つめる。だが、

 

「……だめか」

 

 返ってきたのはエラー報告。モモンガのアカウントそのものが消えてしまい、メッセージは届かなかった。

 ため息をつきながら、ユグドラシル運営会社の告知を眺める。トップページはユグドラシルサービス終了を告げるもので、あれだけ糞運営糞製作と罵ってきたが、もうプレイできないのかと思うとやはり寂しさがある。

 先ほどと同じように思い出が蘇っては消えていき、何度か目で浮かんだ仲間のアバターの姿に、もしかしたらという希望がよぎった。

 

 彼はモモンガと一番仲が良かった。それに引退時にアバターは消して月額利用の課金は止めるが、アカウントだけは残すと言っていたはずだ。彼ならばモモンガの、ユグドラシルを介さない連絡先を知っているかもしれない。

 慌ててお目当ての彼、金色の派手な鎧に身を包んだバードマン、ペロロンチーノのアカウントにメッセージを送る。

 社会人らしい挨拶に、サービス終了時にモモンガに対し、いやギルドそのものに失礼な事を言ってしまい謝りたいという旨を添えて。

 

「届いた!」

 

 メッセージは弾かれずに無事送られた。時間が時間だけにすぐに返信がある筈もないが、無視されることは無いだろうと思う。

 再びため息、今度は安堵の息をつき、先ほどと同じようにかつての思い出に浸りながら意味も無くウィンドウを開いたり消したりを繰り返す。

 栄養ドリンクが効いてきているために眠気は薄い。このまま栄養ドリンクの効果が消えるまで、こうして思い出に浸っていてもいいだろう。

 

「ん?」

 

 気付くとユグドラシルのゲームウィンドウが立ち上がっていた。まだゲーム自体は残されていたのかと、懐かしさから思わずタッチする。恐らくスタート画面で、すぐサービス終了を知らせる画面に切り替わるのだろうと思った。

 

「……運営、何やってるんだ?」

 

 そんな思いとは裏腹に、通常のログイン作業が問題なく行われていく。自分のアバターもそのままだった。サービス終了しているため課金は止まっているはずだが、データはまだ残っていたのかもしれない。それでもここまで入れてしまう事は問題だろう。

 そういえばサービス終了時に自分はモモンガに対して愚痴ばかり零していた。連絡が取れ、謝ることが出来たのならば、今度は違う話をしよう。これはいい土産話になるかもしれない。

 あの運営、最後にこんなミスしてましたよと笑いながら。

 そしてかつての自分の姿、ヘロヘロのアバターに触れた瞬間、意識は途絶えた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……ヘロヘロさん?」

 

 目覚めて、携帯端末で時間を確認しようとし、懐かしい人物からのメッセージに気付き思わず声が零れた。

 何年ぶりだろうか。自分がユグドラシルを引退して以来だから、少なくとも二年は経っている。だが懐かしいというよりは、今頃どうしてという思いが勝った。

 仲が悪かったわけではないし、むしろ良い方だったと思うが、それでもリアルに付き合いを持ち込むほどでは無かった。というより社会人ギルドはそういうものだろう。ゲームに嵌っている頃はリアルで会う時間を作るくらいならプレイをしたかったし、ゲームに醒め始めた頃ならばわざわざリアルで会おうとはしない。

 自分がリアルでも、オフ会を除いてだが、付き合いがあったのはギルド長のモモンガくらいだ。

 

「……そうか。ヘロヘロさん、最終日にインしたのか」

 

 失言をしてしまったという話だったが、ヘロヘロの人となりは知っている。本当に、意図せず出てしまった言葉なのだろう。

 だが、たった一言が切っ掛けで、今まで築き上げてきた大事なものが崩れる事はある。自分も社会人だし、実際それが起こるところも見てきた。早めに謝りたい気持ちはわかる。

 

 だが連絡先を知っているからと言って、勝手に個人情報を伝えるわけには行かない。悪用するような人ではないとわかっていても、モモンガの確認は取るべきだろう。いや、この場合自分は仲介に回るのが無難だ。

 それでもモモンガに連絡を入れることに、少しだけ躊躇いがある。

 

 躊躇う理由は、自分が最終日、ユグドラシルにログインしていない事だ。モモンガから、最終日にみんなで集まらないかという連絡は受けた。そして自分は曖昧な返信をし、結局は顔を出さなかった。

 理由は、自分たちが引退した後も、モモンガがたった一人でギルドを維持してきたことを知って。友人が墓守のように過ごしている間、自分はその時間を己の趣味に費やしていたことを知られたくなくて。

 

 エロゲー・イズ・マイライフ

 

 こればかりは、変えようがない。この根底こそが自分だ。

 モモンガもそれは、よく分かってくれていると思う。

 それでも、罪悪感はあった。自惚れるようだが自分は間違いなくモモンガと、一番仲の良いメンバーだったのだから。

 どうしようかと自室を出て、少し遅めの朝食を取ろうとリビングに向かう。

 そのリビングから声が漏れていた。両親の声に混じってもう一人。その一人の職業がらか、それとも自身の駄目が付く音感のおかげか、声の主が誰なのかはっきりとわかった。

 

「……姉ちゃん、来てたのか」

 

 両親にも挨拶をしてから、同じテーブルにつく。寝間着姿の自分と違い、昨日寝る前まではいなかった姉はこざっぱりとしていた。

 

「お前、休みだからって遅すぎるだろう」

 

「……休みの日だけだって。姉ちゃんこそ、どうしたんだよ?」

 

「今演ってるシリーズの打ち上げがあったんだよ。終電逃してな、こっちのほうが近かったんだ」 

 

「……どうせなら自分ちまでタクシー使えばいいのに」

 

「ああ? 節約は基本だろう」

 

 凄まれて、押し黙る。

 姉に睨まれて、これ以上何かを自分が言えるはずもない。

 正直、今の姉に節約が必要なのか疑問符が浮かんだ。

 姉がユグドラシルを引退したのは本業の忙しさからだ。代名詞ともいえる役をいくつも演じ、いまだに人気の陰りも見えない。もちろん本人の努力があってこそだろうが、当時より格段に売れっ子になっている。

 とはいえ今の稼ぎが良いからと言っても、貯蓄をしないよりは当然した方がいいだろう。今人気があるからといって、それが永遠に続くわけではないのだから。

 そう、ユグドラシルがそうあったように。

 

 姉に相談してみようかという気持ちが湧く。姉も最終日は収録がありログインしていないと言っていた。

 たぶんこのままでは自分は、一歩も踏み出せない。

 

「……姉ちゃん、聞いてもらっていいか?」

 

 自分はいつも何かに困った時はこの姉に相談し、後押ししてもらってきたのだから。

 

 

 

「連絡を取れ、今すぐに」

 

 姉の言葉は明解だった。だが、理解していても覚悟が決まらない。

 

「でも……」

 

「……私も最終日にログインしてないから気持ちはわかる。だけどこれは、それとは話が別。お前、ヘロヘロさんとも仲が良かっただろう?」

 

 姉に諭されて、ゆっくりと頷く。友人の頼みを、自分のちっぽけな罪悪感で無下にするわけには行かない。

 連絡してみると言ってから、携帯端末を操作する。

 ヘロヘロからモモンガのユグドラシルアカウントが消えていると聞いたが、自分は彼のプライベート連絡先を知っている。モモンガも今日は休みのはずだ、すぐに連絡が取れるだろう。

 だが思いとは裏腹に、一向に連絡がつかない。

 数度、時間を少し置いて繰り返しても駄目だった。呼び出し音がするだけで、一向に繋がらない。

 

 姉にそのことを伝えると、少しだけ訝し気に眉根を寄せる。

 姉もモモンガの事はよく理解している。連絡を取れない状況なら、彼は留守設定をするだろう。几帳面というよりは、邪魔や横やりを好まない人だからと知っているからだ。

 

「……モモンガさん、ユグドラシルのアカウントも消してるって言ってたよな?」

 

「うん、だからヘロヘロさんが連絡取れなかったって」

 

「……お前、モモンガさんがユグドラシル運営のアカウントを消すと思うか 」

 

「……思わない」

 

「だよな。私も運営のアカウントだけは残している。……一応確認してみるか」

 

 そういって立ち上がる姉に自分も続く。

 両親と同居している自分はもちろん、姉の部屋も姉が家を出て行った時とそのままになっている。そこで直接確認するつもりなのだろう。自分も姉に倣って自室に戻り、モモンガのアカウントを確認してみようとする。

 連絡がつかないことが、無性に心配になっていた。

 

 手早く進めていき、ユグドラシル運営のページに辿り着く。そして気づいた。

 まだユグドラシルのゲームが残っており、そこに消したはずの自分のアバター、ペロロンチーノが残っていることに。

 なんでという疑問が湧く。思わず唾を飲み込んで、高鳴る鼓動を感じながら、恐る恐るアバターに触れ、そこで意識が途絶えた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 目が覚め、そこで初めて自分が意識を失っていたことに気付く。急に意識を失うなんて、余程疲れていたのだろうと、いまだ混乱する頭を振る。

 思いのほかプルプルと震えたそれに若干の違和感を覚えたが、すぐに消える。それよりも開けた視界に映り込む風景が、今まで居たはずの自室とも、意識を失う直前までインしていたユグドラシル運営の画面とも違う事に気付いて、愕然とした。

 通路の左右に窪みがあり、その窪みに武装した石像らしいものが並んでいる。位置的に、自分もその窪みにいることがわかった。

 

 なんだこれと思いつつ右手を上げる。すると体の一部から、裂ける様に触手らしきものが分離した。

 驚いて視線を自分の腕に向けると、それはプルプル震えるピンク色の粘体でできた触手。

 悲鳴を上げなかったのは、自分でも驚くほどだった。べたべたと自分の体を弄れば、四肢のある人間の姿をしておらず、そもそも生命と呼べるのかも疑わしいピンクの肉棒ともいうべき粘体。

 

(まてまてまて、落ち着け私)

 

 そう気持ちを落ち着かせようとするが、先ほど悲鳴を上げなかった時と同じように、さほど驚いていない。まるで生まれた時からこの姿だったかのように。

 

(……ユグドラシルのアバターだよね)

 

 自らぶくぶく茶釜と名付けたアバター、まさにそれだ。当時の最終装備を身に着けた、盾以外は外装に表示されていないが、引退時そのままの姿だ。

 

(モモンガさんのアカウント確認しているうちに、消したはずの自分のアバターが残っていることに気付いた。それに触れてからの記憶がない。……ユグドラシルにインしたのか? サービスが終了しているのに?)

 

 疑問が次々に浮かび、一つずつ確かめるように、ぶくぶく茶釜は自らが出来ることを確認していく。

 

 まずコンソールは浮かばなかった。そしてコンソールを使わないGMコール等も使えない。もちろんログアウトもだ。明らかにおかしい。

 それなのに自らが習得していたスキルの使い方などは、まるで手足の動かし方のように理解できる。

 視線を自分と対になる窪みに向ければ、同時期に引退したギルドメンバーの装備を身に着けたゴーレム、いや、アヴァターラが置かれている。ならばここはナザリックの宝物殿、それもモモンガが名付けた霊廟のはずだ。

 

 そこであわてて自らの装備を確認する。

ここにはトラップが仕掛けられていた。ギルドの指輪なしでは入れない場所なのに、所持したまま霊廟に立ち入ればアヴァターラに襲われるという陰険な、実に自分達らしいと思えるトラップが。

 そして自分がギルドの指輪を所持していないことを確認し安堵する。同時に危惧も覚えた。もしここが本当にナザリック地下大墳墓の宝物殿ならば、ギルドの指輪なしでここから出ることは出来ない。

 

 だが今はできる事の確認からだ。未知の状況で不用意に動く事が危険なのは、リアルでもユグドラシルでも変わらない。動き出すのは確認がすべて終わってからでいい。

 そう思っている自分の前を、身に纏った金色の鎧から残光のようなエフェクトを曳き、一体のバードマンが特に警戒もしてなさそうに横切る。

 それを見た瞬間。ぶくぶく茶釜は気付けば構えていた盾を、その仮面を付けた顔に向かって投げつけていた。

 

「―痛っ!」

 

 盾が直撃したバードマンがこちらを振り返る。それに向かって、この訳の分からない状況に放り込まれたのが自分だけでは無かったと安堵しつつも、声を地よりもさらに少し落として話し出す。

 

「……おい、小僧。昔教えたはずだよな?不用意に出歩くなって。六つの頃そうやって物珍しさに負けて、迷子になったのを覚えてるよな、ああん?」

 

「…………も、申し訳ありませんでした」

 

 仮面に覆われた鼻っ柱を押さえながら、バードマン、弟のペロロンチーノが謝る。その姿にため息をつきながら、息は出ないが、ぶくぶく茶釜も窪みから抜け出した。

 

「ここ、ナザリックの霊廟だよな?」

 

「うん、いつの間にログインしたんだろう」

 

「というかお前、ちゃんと自分がギルドの指輪を持っていない事を確認したか?ここが本当にナザリックだったら、トラップが発動しているぞ?」

 

「……ご、ごめん」

 

 再び謝るペロロンチーノに、ぶくぶく茶釜も再びため息をつく。

 トラップが発動していないという事は、ペロロンチーノもギルドの指輪を所持していないのだろう。だが弟が、その確認もしていないことに頭を抱えたくなる。

 とりあえずそれは置いておくことにし、軽くお互いがどうしてこうなったのかを確認し合う。そうやって話している間に、ぶくぶく茶釜は弟の仕草にはっきりとした異常を見つけた。

 

「おい、ちょっとその仮面を外して喋ってみろ」

 

 何のことかわからなそうにするが、ペロロンチーノは姉の指示に素直に従う。素顔を晒して、言葉を発してみる。

 

「……いつからユグドラシルは表情まで作れるようになったんだ?」

 

「ホントに!? 」

 

 驚いてペロロンチーノが、確かめるように自分の顔に触れる。そして発した言葉と共に口が動き、表情も変化していることに気付き驚きの声を上げる。粘体のぶくぶく茶釜にはそもそも顔がないので、ペロロンチーノは気付かなかったのだろう。

 

「よ、よく分からないけど、とにかく一回ここから出ない? ここがナザリックなら、この先にパンドラズ・アクターがいるはずだし」

 

 いい加減今の異常性に気付いたのか、少しだけ怯えた様にペロロンチーノが言う。

 

「……そうだな」

 

 ペロロンチーノの言葉に頷き、二人で歩を進める。その合間にぶくぶく茶釜は周囲をそれとなく観察し、アヴァターラの数を確認する。左右の窪みの奥には四つの空席があり、さらに自分たちのアヴァターラが置かれていた場所も空席になっている。

 それを見て、一つの推測が生まれる。

 自分と弟はアバターを消していた。ならばこの姿は自分たちのアヴァターラなのだろうかと。

 

(サービス終了後に、自キャラを模したアヴァターラに意識が乗り移った?まさか異世界転移の類? いくらなんでもそれはないよな?私たちの世界はアニメじゃないんだよ? )

 

 自身が演じ、その中で異世界転移などの設定をもった物語のキャラクター達をいくつか思い浮かべながら、ぶくぶく茶釜は盾を二つ構えペロロンチーノの前を進む。

 探索役が居ない今、盾役である自分が先頭を歩く。ここがユグドラシルのゲームの中なのか、それとも全く違う世界なのかわからないが、警戒は必要だ。

 

 霊廟を抜け、待合室のような長方形の部屋に出る。本来ならばここにパンドラズ・アクターが配置されているはずだが、あの黄色い軍服に身を包んだ卵頭は見当たらない。

 その代わりというか、部屋の中心に黒色のドロドロとしたコールタールの塊のようなものがあった。

 ぶくぶく茶釜はペロロンチーノに目配せし、最大限警戒しながらゆっくりと近づく。ペロロンチーノもまた油断なく弓、ゲイ・ボウを構え、コールタールの塊を射線に収める。

 だが歩みを進めていくほどに、自然と警戒が緩んでいく。コールタールの塊は意識なく寝そべっているようだし、そしてその塊に二人は見覚えがあった。

 

「なあ、姉貴。あれって」

 

 二人の時は姉ちゃんと呼ぶ弟が、第三者が居る時の姉貴呼びに切り替えている。ぶくぶく茶釜も頷いた。

 

「私が接触する。お前は一応警戒しておけ」

 

「わかった」

 

 見た目からは想像しづらい軽快な動きで、ぶくぶく茶釜はコールタールの塊に近寄ってそれを覗き込む。

 自分をプルプルと表現するなら、こちらはドロドロだろう。同じ粘体だが、種族が違う彼の顔らしき部分を軽くペシペシと盾で叩くと、どういう原理なのか、うーんと口も無いのに呻き声を上げる。

 そして目らしき部分に光が灯ると、彼、ヘロヘロが叫んだ。

 

「うわ、ピンクの化け物! 」

 

 そう叫びヘロヘロは、グジョボ、グジョボと音を立てながら機敏な動きで後ずさる。

 

(お前もドロドロの化け物だろうが!)

 

 同じ粘体に化け物呼ばわりされ逃げられた。そのことに少しショックを受ける。

 それでもヘロヘロを警戒させないように構えた盾を頭上で振って、敵意がないことをアピールする。

 

「やっほー、おしさしぶりー」

 

「……も、もしかして茶釜さん? 後ろの方はペロロンさんですか?」

 

「そだよー」

 

 ぶくぶく茶釜はヘロヘロを安心させるように、意図的に声のトーンを上げて話しかける。

 

「久しぶりだねー。昔みたいに、かぜっちって呼んでくれていいんだよ? 私も前みたく、ヘロヘロヘロッチって呼ぶし」

 

「茶釜さんをそう呼ぶのは、餡ころもっちもちさんとやまいこさんだけでしょう? そもそも何ですか、ヘロヘロヘロッチって」

 

「……本物みたいね」

 

 軽い引っ掛けにも乗らなかった事で、中身も間違いなくヘロヘロであることを確信し、ぶくぶく茶釜はようやく盾を降ろす。同時にペロロンチーノも弓を降ろし、挨拶をするために歩み寄る。

 

「おひさーです、ヘロヘロさん」

 

「いやー、本当におひさーです、茶釜さんにペロロンさん。……それにすみません、急に連絡しちゃって」

 

「いえいえ、全然大丈夫ですよ」

 

 挨拶は大事だ。だが確認したいこともある。ぶくぶく茶釜は早々に挨拶を打ち切って、他の二人を促して部屋に置かれたソファーに腰掛ける。

 

「ヘロヘロさん。早速だけど今の状況は理解している?」

 

「……いえ、自分はいま気付いたばかりです。ここは、……宝物殿ですか?ナザリックの。いや、そもそもここはユグドラシルなんでしょうか?なんでログインしているんだ? 」

 

 混乱し始めたヘロヘロに、ぶくぶく茶釜は体から裂かれ出た触腕のようなものを向け、落ち着かせるようにポンポンと彼の肩らしき部分を叩く。

 

「おーけー、ゆっくり確認していこう。ヘロヘロさんはもしかしてここに来る直前、ユグドラシルで自分のアバターを見つけた?サービス終了後なのに」

 

「そうです! その通りです! ……そうだ。試しにいつものログイン作業と同じように触れてみたら意識が……」

 

「うんうん、私たちも一緒だね。それでヘロヘロさんは最終日にインしたんだよね?アバターは消してなかった?」

 

「ええ。プレイはしていませんでしたが、月額課金は続けていましたので」

 

「最終日にアバターが残っていたのはヘロヘロさんとモモンガさん、それに後二人。間違いないかな?」

 

「大丈夫です、モモンガさん以外のお二人には時間が合わずに会えませんでしたが、ログイン履歴で確認してあります」

 

「なるほどなるほど」

 

 ピンクの肉棒が納得した様に何度か頷く。

 その間ペロロンチーノはもちろん、ヘロヘロも声を挟まない。未知の状況に対する対応力とでも言うのか、その部分においてはぶくぶく茶釜が、三人の中でもっとも優れていることを理解しているからだ。

 

(私と弟は霊廟で目を覚ました。アバターを消していた私たちがログインするには、アヴァターラに憑依するしか無かったと仮定する。ヘロヘロさんはアバターがサービス終了日まで残っていたのだから、ここで目覚めた?……いや、そもそも私たちはともかく、なんでヘロヘロさんまで宝物殿で目覚めるんだ?普通に円卓でもいいだろうに)

 

 円卓という単語が浮かび、ぶくぶく茶釜は一つ思いつく。

 

「もしかしてヘロヘロさんはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持っている?」

 

「えーと……ああ、ありますね」

 

 そういってヘロヘロは自分の体から弄る様にして指輪を取り出す。粘体は手に持った外装以外は表示されない。そのためその他のアイテムは体の中に埋もれたようになる。

 

「弟、身に着けてる装備品以外に何か所持しているアイテムはあるか?」

 

「……何も無いな」

 

「私はありますよ。……うん? これどうやって取り出すんだ?」

 

 試行錯誤するようにヘロヘロが触腕を動かし、そしてそれが何もない中空に沈む。

 

「おお」

 

 ペロロンチーノが驚いたように声を上げる。

 ヘロヘロは中空から取り出したアイテムをテーブルの上に並べた。薬品の類にスクロールがいくつか、どれもユグドラシルで当たり前のように使われていたものだ。

 そしてぶくぶく茶釜は確信する。

 

(私と弟が装備品は身に着けているのにアイテム類を所持していないのは、基になったのがアヴァターラだからだ。だからギルドの指輪は持たされて無い。ヘロヘロさんは違うから、最終日に所持していたアイテムを今も持っている。……まあこれで、ここから抜け出せないって落ちは無くなったけど、やっぱこれ異世界転移とかゲームの世界に取り込まれたとかの類っぽいな。わかっても何も問題は解決しないけど)

 

 アバターを消していた自分たちがここに居ること、表情があることなどの本来のユグドラシルとの仕様の違い。ここで目覚めるまでの状況からいって、ゲームの世界に取り込まれたというのが、いちばんしっくりくる。

 目覚めたばかりのヘロヘロはもちろん、ペロロンチーノも不審がってはいるが、ゲームの世界に取り込まれてしまったかもとは思っていないだろう。今はまだ混乱を強めるだけだと、ぶくぶく茶釜は自分の推測を口にしない。

 何かほかに情報は得られないかと考えていると、さきほどヘロヘロが広げたスクロールの一つに着目する。

 

「ヘロヘロさん、それ使ってもらっていい?」

 

「<伝言(メッセージ)>ですか? 大丈夫ですよ、それで相手は?」

 

 アヴァターラの空席は自分と弟を除けば四つ。一つはヘロヘロとすれば、残りはサービス終了時までアバターがあったメンバーのもの。もしここに他のギルドメンバーがいるのなら、必然的に霊廟にアヴァターラが残されていない人となる。

 ならば一番繋がると思われるのは―

 

「―モモンガさんでお願い」

 



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 至高の方々、モモンガと合流する

「一つ聞きたいのだが、このローブは私には少々派手ではないか?」

 

「そんなことありません! 確かにアインズ様ならどんな服もお似合いだとは思います! それに黒を基調とした暗褐色系も素晴らしいとは思うんですが、そればかりを着られていてはアインズ様の別の良さが出ないと思います! アインズ様の激しい力というイメージを広く知らしめる―」

 

 濁流のようにほとばしるフィースの言葉を遮る。

 

「―いや、似合うのであれば問題はない。さぁ、服を着せてくれるか?」

 

「畏まりました!」

 

 アインズはメイドにされるままに、無言で姿見を眺める。

 やがて姿見には真紅のローブを着こんだアインズが立っていた。やはり派手だ、派手以外の何物でもない。

 

(……いや、この世界の美的感覚というのはかなり違う。この格好が支配者にふさわしいかのう―――ん? <伝言(メッセージ)>だと?誰だ?)

 

 訝しながらもアインズは伸びてきた線のようなものを受け入れ―そして繋がる。

 

『―繋がった! 繋がりましたよ!』

 

 非常に興奮した声がアインズに届く。アインズはその声に聞き覚えがあった。声に、巨大なハンマーで殴られたような衝撃を覚えた。

 すぐに精神が沈静化されるが、それでも再び興奮が湧き上がってくる。

 

「ヘロヘロさんっ!?」

 

 アインズが漏らした言葉に、部屋にいたメイドたちが一斉に色めき立つ。だが今はそれに構っていられない。

 

『そうです!ヘロヘロです! よかった! モモンガさんに謝りたい事があるんです!』

 

 <伝言(メッセージ)>越しにヘロヘロも興奮していることが伝わってくる。

 謝りたいことというのはなんだろうかと思いつつも、興奮と沈静化を繰り返すアインズもまた冷静に思考することは出来ない。

 

「あ、アインズ様!」

 

 アインズに、自分と同じくらいに興奮した声が届く。

 声を上げたのは一般メイドの一人、それもヘロヘロに創造されたものだ。

 自らの創造主と会話する様子に、居ても立っても居られずに、思わず声を上げたのだろう。

 他者の興奮に、ようやくアインズはほんの僅かにだが冷静さを取り戻す。

 

「……ヘロヘロさん、今何処にいるんですか? 直接会えますか?」

 

 もしヘロヘロの居る場所がアインズの把握していない未知なる場所であっても、例えその間にあるものすべてを踏みつぶしてでも、会いに行く。ナザリックの全軍をあげてでもだ。そう覚悟を決める。

 

『たぶんナザリックの宝物殿だと思うのですが―ええ大丈夫です。来てくれるそうです』

 

 アインズの覚悟より遥かに身近な場所に居ることがわかり、安堵する。

 同時にヘロヘロが、<伝言>越しにアインズ以外とも会話しているのが伝わってくる。そのことにもしかしてという期待が生まれ、ヘロヘロに問いかけた。

 

「ヘロヘロさん、もしかして近くに誰かいるんですか?」

 

『ええ。ぶくぶく茶釜さんにペロロンチーノさんも一緒ですよ』

 

 喜びで叫びだしそうになり、再び精神が沈静化した。

 喜色の感情まで制限され、アンデッドの特性に不快感を覚えるが、それでもすぐに新たな喜びの感情が生まれてくる。

 

(……ああ、仲間たちが三人も揃っているだなんて!)

 

 この世界に彼らは居ないのではと、少し諦めていた部分があった。

 だがそれも今日までだ。 

 

「わかりました。すぐにギルドの指輪でそちらに転移しますね。少しだけ待っていてください」

 

 アインズの言葉に、ヘロヘロから了解しました! と返事があり、一度<伝言>が途切れる。

 すぐに転移しようとして、アインズは先ほど声を上げたメイドがこちらを必死に見つめていることに気付く。

 その目からは、一緒に連れて行って貰いたいという思いが伝わってくる。直接言葉に発しないのは、メイドという立場からだろう。

 アインズはゆっくりと彼女の所まで歩いていき、出来るだけ優しく声をかけた。

 

「……お前の気持ちはわかる。だが、本当にヘロヘロさんなのか確認できていないのだ。そのような場所に、まあ戦闘が起こるはずもないが、お前を連れて行くわけにはいかない。……すまないな」

 

「そんな! アインズ様が謝られることではありません!」

 

 アインズはその言葉に頷く。

 先ほどの声がヘロヘロだとアインズは確信している。それなのに彼女を連れて行かないのは、かつての仲間たちとの再会に水を差されたくないという、アインズの我儘だ。

 見れば直接ヘロヘロに創造されたわけではないメイドたちにも、動揺が広がっている。

 至高の四十一人の中でも、一般メイドたちを創造した三本柱の一柱であるヘロヘロの帰還は、彼女達にとって特別なものなのかもしれない。

 アインズ・ウール・ゴウンの仲間を想う彼女たちに温かい気持ちが生まれるが、まずは自分からだと我慢してもらうことにする。

 

「フィースよ。私はこれからナザリックの宝物殿に向かう。―そうだな、アルベドには今日の執務は全て中止だと伝えろ。それと何かあれば直接宝物殿に来るのではなく、<伝言(メッセージ)>を使えと」

 

 そしてアインズは改めて、この場にいる全てのメイドたちに向き直る。

 

「このことは全て他言無用だ。心苦しい思いをさせるが、同じヘロヘロさんに創造されたもの達にも、決して漏らすな。……アルベドには問われるだろうが、私からの命だと言え。確認が取れ次第、私からすべてをお前たちに伝える。それまで待つのだ」

 

 一斉に頭を下げるメイドたちを眺めながら、アインズは転移をするためにギルドの指輪を構える。

 

(支配者ロールも楽じゃない……。でもこうでも言っておかないと、アルベドは直接来そうだし。せっかくの再会なんだ、NPC達とはいえ水を差されたくない。……おっと、みんなを待たせてるんだから早く行かないと!)

 

 

 

 

 

 

「ああ、みんな!本当に! 夢じゃ、ないんですね!」

 

「…………」

 

 アンデッドの体でなければ、アインズは涙を流していたかもしれない。両手を広げて、全身で仲間に逢えたことの喜びを表現する。

 だが、自分に比べて仲間たちの反応が薄い。そんな気がした。アインズが宝物殿に転移した直後は、彼らからも喜びのようなものが感じられたはずなのに。何かしてしまったのだろうかと不安がっていると、ぶくぶく茶釜がぴょんとソファーから飛び降りて、衝撃にその体をプルプルと震わせた。

 

「あー、モモちゃん。もしかして少し趣味変わった?」

 

「趣味ですか? いえ、そんなことは……」

 

 いや、自分では気づいていないだけで、肉体がアンデッドに変化したことにより、見た目以外にも重大な変化が起きているのかもしれない。元の、アインズではなく、モモンガを知る彼らにしかわからないような。

 そんな不安を抱いたアインズに、ぶくぶく茶釜が追い打ちをかける。

 

「うん。宝石いっぱいで、すっごい派手な服だね。真っ赤だし。通常の三倍速い人に憧れちゃった? 」

 

(フィーーーーーーーーッス!)

 

 アインズは思わず頭を抱える。やっぱり似合っていないじゃないかと、叫びだしそうだった。

 

「ち、違うんです! これは私の趣味じゃないんです!」

 

 慌てて否定するアインズに、三人が小さく笑ったように見えた。

 

「ごめんごめん、モモンガさん。その反応で間違いなくモモンガさんだってわかったよ」

 

「……も、もしかして試してたんですか? もう。酷いですよ、茶釜さん!」

 

「いやー。必要ないって私は言ったんだけど、うちの愚弟が、ね?」

 

「おい! なんで人のせいにしてるんだよ!」

 

 そのやりとりに、アインズは嬉しくなる自分を抑えきれなかった。ああ、自分は今アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちと共に居るのだという思いが、どんどんこみ上げててくる。

 

「モモンガさん」

 

 ヘロヘロがソファーをゆっくりと降りて、アインズの前に立ち頭を下げた。

 

「ちょっと! どうしたんですか、ヘロヘロさん!」

 

 慌てたアインズがしゃがみ込み、ヘロヘロの肩に当たるであろう部分に触れて体を起こさせようとする。

 もしかして先ほど<伝言(メッセージ)>の、ヘロヘロが謝りたいと言っていた事だろうかと思う。それでもアインズには逢いに来てくれた友人、ギルドの仲間が自分に頭を下げてまで謝るようなことに心当たりはない。

 

「私は最終日に、ナザリックがまだ残っているだなんて思ってもいなかったなどと、口にしてしまいました。モモンガさんがお一人でギルド維持に励んでいてくれたにも関わらず。ほんとうに、申し訳ありませんでした」

 

 そう言って頭を下げるヘロヘロに、アインズはあの事かと思う。確かにあの時、ショックを受けなかったと言えば噓になる。だがその気持ちも、その後に続くヘロヘロのこちらを労わる言葉で霧散した。

 

「モモンガさん俺も……」

 

 そういってペロロンチーノも立ち上がり、こちらに向け頭を下げる。合わせるようにぶくぶく茶釜も頭を下げた。

 

「最終日にログインできなくてごめん。せっかくモモンガさんが声を掛けてくれたのに。モモンガさんがギルドをずっと一人で維持していたと思ったら、合わせる顔が無くて……」

 

「私もだよ、モモンガさん。収録が重なったのは本当だけど、無理すれば少しは時間を作れたと思う」

 

 アインズは少しの間だけ下げられた三人に視線を彷徨わせる。そしてゆっくりと、人間だったころの名残で、息を吐くふりをして口を開く。

 

「もう、そんな。気にしてませんよ、そんなこと。皆さん、お願いですから頭を上げてください」

 

 多少無理やりに頭を上げさせてから、アインズは三人の顔を見る。

 一人は仮面で表情が隠され、一人は顔らしきものはあっても表情が作り出されていないし、一人に至っては顔らしい部分すらない。

 それでも確かな思いが伝わってくる。彼らの真剣な思いが。だからアインズも曖昧な言葉で誤魔化さずに、正直になることにした。

 

「……確かに思いましたよ? どうして皆は、皆で作り上げたナザリック地下大墳墓を、そんな簡単に棄てることが出来るんだって」

 

 それぞれの事情があったと頭では理解していても、感情は追い付かなった。

 

「みんな簡単に棄てたわけじゃない。わかっていたはずなんですけどね。……だからこれでお相子にしませんか? 皆さんが謝ってくれていることと、私が皆さんに抱いた感情とで」

 

「……それモモンガさんの方は割に合っていないでしょう、本当にいいの?」

 

「ふっふ、私はギルド長ですからね! なんでしたら、この話はこれでお終いだって、ギルド長権限を使ってもいいんですよ?」

 

「おお、怖い。流石は我らがギルド長。強権発動がきましたね」

 

 そう言って笑いあう。

 そう、こうでなくては。せっかく仲間に逢えたのだ。何時までも暗い雰囲気では居たくはない。

 むしろこれまでの事を考えれば、アインズの方が謝らなくてはならないことの方が多い。

 ナザリック地下大墳墓が転移し、これまでの事を話さなければと思う。そしてアインズも聞きたかった。彼らが今までこの世界のどこに居たのかを。

 

「そういえば皆さん、こちらに転移してから今までどちらにいたんですか?装備も揃っているようですけど……」

 

 ヘロヘロはともかく、アヴァターラに装備を持たせていたペロロンチーノとぶくぶく茶釜が、当時の完全武装をしていることが少しだけ疑問だった。

 二人のギルドの指輪は引退時にアインズが預かっている。ならばヘロヘロの指輪を使ったのだろうかと思うが、それならばもっと早くに逢いに来てくれてもいいはずだ。

 

「……今モモンガさん転移って言った?」

 

「ええ、サービス終了後から。……もしかして皆さんは―」

 

「やっぱりモモンガさんの方が事情わかっていそうだね。早速だけど教えて貰っていいかな?私たちの事も説明するからさ」

 

 そういうぶくぶく茶釜に頷き、長い話になると全員でソファーに座り直した。

 どこから話そうかと思ったが、アインズはこれまでの事をすべて包み隠さずに話すことにした。いくつか語りづらいこともあるが、それでもすべてを聞いてもらおうとゆっくりと話し出す。

 転移してきたことから始まり、シャルティアの事も含め、アインズ・ウール・ゴウン魔導国建国までのことすべてを。

 

 

 

 

 

 

 

 アインズからの話を聞いたヘロヘロは、自分がさほど驚いていないことに気付く。

 もちろんNPC達が意志を持って動き出した事には驚きはしたが、言い換えれば驚いたのはその事くらいだ。

 

 アインズが、この世界に転移し、行ったことをすべて包み隠さず聞いても。

 アインズが、ナザリックが、この世界で行ったことをすべて理解しても。

 

 ましてや自分が現実に戻る手段も無く、一生この粘体(スライム)の体だということなど、それがどうした程度にしか思わない。

 本当に自分はどうしてしまったのだろう。そういえば話の途中アインズは、自分の体に残っている人間の感情を、残滓と言った。

 

(……まさしく。モモンガさんも、上手い表現をする)

 

 アインズは途中、面白い話を披露するかのように、自分たちを驚かせるかのように、少しだけもったいぶってこの世界で超位魔法を、<黒き豊穣への贄(イア・シュブニグラス)>を唱えた話をしてくれた。

 アインズは、五体もの黒い仔山羊たちを召喚出来たことを、単純に喜んでいた。まるでゲーマーが、自分が打ち立てた記録を語るかのように、楽し気に語るとヘロヘロは思った。そんなアインズにヘロヘロが抱いた感情は、悲しみでも、畏怖でもなく、ただ一つ、羨望だった。

 五体の仔山羊という、どのユグドラシルプレイヤーも成しえていないであろう偉業に、感動にすら近い衝撃を受けながら、自分もその場に居たかったと、自分も力を試してみたかったと、そう思ったのだ。

 ヘロヘロはそれが普通の人間ならば異常だと、ありえない事だと思う事に、少ししてから気付いた。そして理解する。

 

 ここに居るのは人間だった頃の自分ではなく、古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)なのだと。

 

 ヘロヘロ達がこの世界に転移したと思われる切っ掛けも、ぶくぶく茶釜からアインズに伝えられた。

 キャラデータを消していたぶくぶく茶釜とペロロンチーノの二人は、アヴァターラを介してログインしたのではという推測に、アインズは驚いていた。

 ゴーレムに憑依とでも言えばいいのだろうか、そんなことでアヴァターラが元々のキャラの肉体に変化することも信じられなかったが、そもそもサービス終了時にアインズが転移した理由もわからないのだ。わからないことが増えたにすぎないと、ヘロヘロは思う事にする。

 互いの現状を伝えあった後、申し訳なさそうにアインズから口を開いた。

 

「……すみません。皆さんの許可も得ず、勝手にアインズ・ウール・ゴウンの名を使ってしまって……」

 

 そう言って頭を下げるアインズに、ヘロヘロは笑う。もちろん粘体の表情に変化は無いが、それでも雰囲気で伝わるだろう。

 

「謝らないで下さいよ、モモンガさん。貴方ならその名を名乗る資格が……いえ、貴方だけがその名を名乗れるんです」

 

 自分たちが引退した後も、たった一人でギルドを維持し続けたのだから。ぶくぶく茶釜もペロロンチーノも異論は無いのだろう。大きく頷いて肯定の意を示している。

 

「アインズ・ウール・ゴウンを不変の伝説にする。いいじゃないですか、私は賛成ですよ。それでモモンガさん、お願いがあります。私も一緒に、お手伝いをさせていただけませんか? ……同じ、アインズ・ウール・ゴウンの一員として」

 

 ヘロヘロは宣言する。

 アインズ・ウール・ゴウンの名前に。かつて自分が多大な時間を費やした、ギルド名に。

 これは決別だと思う。人間だった自分との。

 

「ヘロヘロさんっ!」

 

 アインズもまた表情は動かないが、それでも歓喜の感情は伝わってくる。そのアインズの反応に、ヘロヘロは微笑む事で、つもりだが、答えた。

 

 ヘロヘロに家族は居ない。

 両親も、恋人もいない。友人と言われ思い浮かべるのも、このアインズ・ウール・ゴウンの仲間たちくらいだ。

 一瞬残してきた仕事と会社の同僚を想い浮かべるが、それくらいだ。あの世界を捨て去ることに、躊躇いは無い。いや、あのまま現実世界に居てもいずれ体が限界を迎え、潰れるだけだろう。そしてあの世界は体を壊し、働けなくなった人間が穏やかに過ごせるほど、優しい世界ではない。それならば、自分が最も楽しかった時間であったユグドラシルの力が振るえるこの世界で過ごす方が、遥かにいい。

 

「俺も一緒にお願いモモンガさん。……シャルティアを洗脳した奴は許せないし、償わせないと。また皆で楽しくやろうよ!」

 

 シャルティアの話をアインズから聞かされた時に、一番激高していたペロロンチーノもヘロヘロの言葉に続く。三人で頷きあうが―

 

「―お前は駄目だ」

 

 ぶくぶく茶釜によって遮られる。

 

「ごめん、モモンガさん。私たちは帰るよ。何としてでも、現実世界っていえばいいのかな、そこに」

 

「……何言ってるんだ、姉ちゃん。ここにはシャルティアを、それもモモンガさんに殺させた奴がいるんだぞ? そいつらをそのままにしておいて、いいのかよ!」

 

「お前こそ何言ってるんだ? というかお前。さっきからキャラクターに引っ張られすぎだ。お前はペロロンチーノじゃないだろう? 本当の名前まで忘れたのか? なあ、お前。さっきから自分が何を言っているのか、ちゃんと理解しているのか?」

 

 ぶくぶく茶釜の声音は、ヘロヘロが何度も聞いたことのある、かつてペロロンチーノを叱っていた時のものよりさらに低い。

 その声に含まれた感情に、直接ぶくぶく茶釜の声を向けられていないヘロヘロですら圧倒されそうになる。

 

「いいか、忘れているみたいだから、思い出させてやる。私たちには両親もいるんだぞ。私たちがこの年までやってこれたのは誰のおかげだ?なあ、言ってみろよ?」

 

 ぶくぶく茶釜の言葉は続く。

 

「私が今の仕事に就くための教育を受けれたのも。お前がエロゲーだなんだって、好き勝手出来るのも。二人が必死で働いて、私たちが職業選択できるまで、学校教育を受けさせてくれたからだろう?」

 

 問い詰める声は鋭い。

 

「さんざん世話になって、その恩も返さずに現実世界を捨てるだと? おめぇ、私の前でよくも言えたな、そんなこと。おい、目を逸らすな。こっちをちゃんと見ろ。……お前はさ。動き出したシャルティアが可愛いから、この世界に留まりたいだけだろう?直接逢って、チヤホヤされたいだけだろう?はっきり言ってやる。お前は何の覚悟もない、今の状況にワクワクしているだけの、ただの餓鬼だ」

 

「ね、姉ちゃんはアウラやマーレは可愛くないのかよ!」

 

「可愛いに決まってるだろう。会いたいかと言われれば、微妙だけどな。それにな、私はあっちで演じてきたキャラ達にも、同じくらい思い入れがあるんだよ。アウラやマーレ、NPC達が私たちの創造した子供みたいなもんだっていうなら、私が演じてきたキャラたちだって一緒だ」

 

「……それなら、姉ちゃん一人で戻ればいいだろう?」

 

「……おい、お前。それ本気でいってるのか?」

 

 今の二人に、ユグドラシルで見てきたどの姉弟喧嘩よりも本気の色がある。

 フレンドリーファイアが解禁されているとアインズから話があった。この状況でこれは不味いと、慌てたヘロヘロが止めに入ろうとするが、それよりも早く―

 

「―騒々しい。静かにせよ」

 

 響いた言葉に、遮られた。

 

 魔王が発したかのような威厳ある言葉に、ぶくぶく茶釜とペロロンチーノが武器を構えかけたまま、思わずといった感じで、止まった。

 ヘロヘロはその声の出所がわからずにあたりを見回し、その出所が、手を振るったままの威風堂々たる姿を示すアインズだと知って、固まってしまう。

 

 そして、三人同時に、笑いだしてしまう。

 

「あはははっははは! すごい! モモンガさん、いつの間にそんなスキルを覚えたんですか!?」

 

「ほ、ホントだよ、モモンガさん。七大罪の魔王でも湧いて出たのかと思った」

 

「それがさっき話してた、NPC達の前で演じてる支配者ロールって奴なの? 今の台詞、本職顔負けの迫力があったよー」

 

 三人が笑いながらアインズに話しかけた。徐々にだが、先ほどまでの雰囲気は薄れ、穏やかな空気が流れ始める。

 

「ふっふふ、練習しましたからね。この左手の微妙な角度が、肝なんです」

 

「ほ、他には無いの、モモンガさん?」

 

 笑い転げるペロロンチーノに、アインズはしょうがないなーと言いつつ立ち上がる。

 そして少しソファーから離れたかと思えば、ゆっくりと戻ってきて座りなおす。

 その姿に三人は再び笑いだした。

 

「す、素晴らしい! まさにナザリック最高支配者にふさわしい座り方だ!」

 

「これが練習した王者のもたれ方です。ローブを踏んだり、椅子の位置を直したりしない座り方なんですよ。椅子にもたれる時の早さと、体重の掛け方がポイントですね」

 

「な、何回練習したの?」

 

「ざっと三十回は」

 

 そこでまた笑いが起こる。

 しばらくして、ようやく笑いが収まりかけた頃にぶくぶく茶釜が、腕は無いのにお腹を押さえるように前かがみになりながら、喋り出した。

 

「アハハ。あー、おかしい。……ありがとうね、モモンガさん。少し落ち着いたよ」

 

 二人の喧嘩を止めるために、道化を演じてくれたアインズにぶくぶく茶釜は礼を言う。

 それからぶくぶく茶釜は、ペロロンチーノに向き直った。

 

「……ごめん。言い過ぎた。だけどお前も、この世界に残るってことはどういうことか、もう少しよく考えろ」

 

「……うん。こっちもごめん、姉ちゃん」

 

「実際帰るにしても、今は手段が見つからないしな。……見つけるまでにお前が真剣に考えて、私を納得させたら、それ以上は……何も言わないよ」

 

「……うん。わかった」

 

 落ち着きはしたが、多少のしこりを残していそうな二人の雰囲気を振り払う様に、アインズが骨の手でどう鳴らしたのか、パンッと両手を打って話し出す。

 

「よし! それじゃあひとまずこの話は、お終いにしましょう。茶釜さんが現実世界に戻れるように、私も最大限のフォローをしますよ! 」

 

「……ごめんね、モモンガさん」

 

「謝らないでください、茶釜さん。私だって家族が居れば、たぶん戻る手段を探していたと思いますし。……とにかく現実世界に戻る具体的な手段は後で相談するとして、まずは皆さんのナザリック帰還を、NPC達にお披露目したいと思います! 」

 

「あー、モモンガさん。それ私も参加しないとダメ? アウラとマーレに会うのはちょっと……」

 

「覚悟決めろよ、姉貴」

 

「お前だってシャルティアをみんなの前、まあ私とヘロヘロさんだけだけど、見られるんだぞ? お前の趣味をこれでもかと盛り込んだあの子を」

 

「……モモンガさん、ちなみにシャルティアってどんな感じ? 」

 

「たぶん、ペロロンさんが見たかった光景を見せてくれる子だと思います……」

 

「……マジ?」

 

 思わず頭を抱えるペロロンチーノに、ヘロヘロは笑う。

 NPC達には多かれ少なかれ、自分の性癖を盛り込んだものが多い。テキストで設定を読まれるのすら恥ずかしいものがあるのに、設定魔のタブラなら気にしないだろうが、それが動き出してる姿は見られることは、ヘロヘロも少し恥ずかしい。

 

(そうか、ソリュシャンにも逢えるのか)

 

 そういって一般メイド達以上に、容姿から設定にまでこだわったNPCを思い出す。

 

(まてまてまて、動いているソリュシャンをこの二人にも見られるのか)

 

 漆黒のメイド服に、金髪縦ロールで巨乳。Sッ気に加えて、ハイライトのないレイプ目。自分の性癖そのものを。

 

(……これは、想像以上に恥ずかしいかもしれない)

 

 小さいころに想像した、自分が考えた最強のキャラクターを大人になってから晒されるに近い羞恥心を、ぶくぶく茶釜にペロロンチーノ。そしてヘロヘロも味わっていた。

 



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 至高の方々、NPCと出会うカルマ-

 ひとしきり恥ずかしさに頭を抱え終わった後、ぶくぶく茶釜が思い出したように手を、らしきものを上げる。

 

「ああ、そだそだ、モモンガさん。大事な事忘れてた」

 

「どうしました、茶釜さん?」

 

「うん、私たちの捜索隊。アルベドに直属の部隊を持たせているんでしょう?」

 

「ああ、そうですね。アヴァターラを介してとの茶釜さんの推測通りなら必要ありませんね、解散を―」

 

「いや、解散させないで欲しいの。ただ、ルベドへの指揮権だけは、外してほしいな。できれば、ううん、必ず私に言われたからだって、モモンガさんからアルベドに伝えてほしい」

 

 訝しがるアインズに、ヘロヘロもまたぶくぶく茶釜の意図が分からずに、彼女に注目した。ペロロンチーノだけは、ぶくぶく茶釜を見ずに、頭を抱えている。それがふざけているのでは無く、まだぶくぶく茶釜と多少のしこりを残しているせいだと理解しているヘロヘロとアインズは、何も言わない。

 

「……目的を私たちの捜索から、私の帰還方法に変えてもいいかな。……うん、そうすればアルベドの注意は私に一番向くだろうし……」

 

 色々と考え始めたであろうぶくぶく茶釜に、アインズだけでなく、ヘロヘロにも疑問符が浮かぶ。アルベドの注意という言葉の意味が分からないし、必ずアインズから伝えてほしいというぶくぶく茶釜の意図も読めない。

 だが、ぷにっと萌えや、タブラ、ベルリバーの三者ほどでは無いにしろ、ギルド内において、ぶくぶく茶釜も頭の回転は速い方だった。ヘロヘロでは気づかない何かに、気付いているのかもしれない。こういう時は任せた方がいいと、経験から知っているヘロヘロは口を挟まない。

 それでもぶくぶく茶釜が小さく呟いた、「ルベドが必要な状況ってなんだ? 」という言葉だけは気になった。しかし、それを問いただすより先に、ぶくぶく茶釜が口を開く。

 

「あー、ごめんね。まあ、私の考えすぎならそれでいいんだけど。……ほら、アウラとマーレにはそういう話は出来ないでしょう? 私が帰るつもりだなんてさ。その点、アルベドなら適任かなーって」

 

「……なるほど、そうですね。私もアルベドには、そのドリームチームに別件で力を発揮してもらうかもしれないと言ってあります。わかりました、アルベドには皆さんの帰還のお披露目の後に、私から伝えておきますね」

 

 アウラとマーレという部分に、納得した様にアインズは頷く。ヘロヘロもその言葉になるほどと思った。

 アインズの話を聞いた限り、NPC達の忠誠心は凄まじいものがありそうだ。その彼女らに、ようやく帰還した創造主が、再び居なくなろうとしていると理解させるのは、酷だろう。

 そしてぶくぶく茶釜の説明に納得したアインズは、未だに頭を抱えるペロロンチーノに向き直った。

 

「ほらほら、ペロロンさんもいつまでも悶えてないで、どうです? NPC達が集まるまで多少は時間がかかりますし、せっかくだから一緒にエ・ランテルの街並みを見学しませんか?」

 

 そう言うアインズからそっと目配せされたことに、ヘロヘロは気づく。意図をすぐさま理解したヘロヘロは心の中で頷いて、アインズの言葉とは別の提案をする。

 

「いえ、私はちょっと気になることがあるので、もう少しここで話をしたいと思います。それで申し訳ないんですが、茶釜さん。お付き合いいただけますか?」

 

「いいよー」

 

 何のことは無い。まだ少しだけ先ほどの言い争いのしこりを残す姉弟を、わずかな時間だけでも離れさせ冷却させようと、アインズが気を利かせたのだ。

 人間の感情を残滓という今のアインズの根底に、ギルドの和を重んじていたあの頃とまったく変わらない部分が残っていることに、ヘロヘロは思わず嬉しくなる。

 それに、ヘロヘロがぶくぶく茶釜に話したいことがあったのは事実だ。

 ペロロンチーノはおそらく、自分と違わないだろう。アインズの話を受け入れている。

 それではぶくぶく茶釜はどうだろうか?

 ぶくぶく茶釜は、アインズの、ナザリックのしたことを、肯定も、否定もしていない。ただ戻る方法を探すとだけしか言っていない。それがヘロヘロは少しだけ気になっていた。

 

 

 

 

 どう切り出したものか。話をするといって残ったものの、ヘロヘロは切っ掛けが掴めずにいた。

 そういえばと、ぶくぶく茶釜がルベドを気にしていたことを思い出し、それを切っ掛けにしてみる事にする。

 

「ああ、うん。えーとね、私たちの捜索にルベドが必要な状況って何かなーって考えたらさ。ちょっと怖い事を思いついちゃって」

 

「怖い事ですか?」

 

「うん。まあ、モモンガさんがアルベドの設定を書き換えたって話を聞いてたからなんだけど」

 

「いや、あれは流石にタブラさんが悪いですよ。よりにもよって、守護者統括のアルベドにビッチ設定つけるだなんて。……まあ、ギャップ萌えは理解できるんですが」

 

「わかるんだ。まあ、それはいいんだけど。ヘロヘロさんさ、好きで好きでたまらない相手が、自分より大事なものがあるって理解している女がどう出るか、わかる? 」

 

 ぶくぶく茶釜に女性の気持ちを問われて、ヘロヘロは何度か鷹揚に頷いて見せた。ああ、なるほどと、そうぶくぶく茶釜に伝わる様に。

 

 だって、わかるはずがない。

 なぜならばヘロヘロは、アインズ・ウール・ゴウン内における非課金同盟に次ぐ新たな同盟、未経験者同盟の一員だったのだから。ちなみにその同盟内にはアインズとペロロンチーノの名前も当然のようにある。

 だが、ここでわからないと正直に答えてしまえば、女性の気持ちのわからない男、すなわち未経験者だと、女性のぶくぶく茶釜に知られてしまうだろう。それはリアルでの面識もある、いい社会人だった自分が決して悟られてはいけない事。トップシークレットだ。

 だからヘロヘロは―

 

「―なるほど、そういうことですか」

 

 わかっている振りをする。すべては自分の名誉の為に。

 

「あー……うん。わかるならいいんだけど。私は昔そういう役を演ったことがあるから、そのキャラに置き換えて想像したんだけど……。えー、本当にわかるのぉ?」

 

「ええ、大丈夫ですよ」

 

「……それならいいけど。まあ、だからこの辺は、少し私の好きにさせてもらっていいかな? 私の思い過ごしなら、それでいいんだし」

 

 まるで何のことかわかってないが、ヘロヘロは了承する。これは単純に、ぶくぶく茶釜が信頼できる相手だと理解しているからだ。決して、自分が未経験だと知られたくないからではない。そう、決して。

 

「私でお手伝いできることがあれば、いつでも言ってくださいね」

 

 だからこの言葉だけは、本心から伝える。

 自分は残るから、ぶくぶく茶釜は帰るとか、そんなことは関係ない。

 同じ、アインズ・ウール・ゴウンの、仲間なのだから。

 

「ん、ありがと。……それと、ごめんね? 身内の喧嘩晒しちゃってさ、モモンガさんと一緒に気を使ってくれたんでしょう?」

 

「……やっぱバレちゃってますか」

 

「アイツは気づいてないだろうけどね」

 

 そう言って笑うぶくぶく茶釜に、ヘロヘロも少しだけ笑った。

 

「ねえ、ヘロヘロさん? さっきの、人間の軍勢相手にモモンガさんが、<黒き豊穣のへの貢(イア・シュブニグラス)>を使ったって話、どう思った?」

 

 表情が無くとも、彼女の職業性からか、声だけで感情が伝わってくる。だがそれに気付かぬ振りをし、とぼける様にヘロヘロは答える。

 

「すごいなと思いましたよ? なにせ仔山羊五体ですからね」

 

「うん、ヘロヘロさん。正直にお願い」

 

 ぶくぶく茶釜に見透かされ、諦めたようにヘロヘロは人間だったらするように、少しだけ息を、正確には吐いたふりをする。

 

「……羨ましいと、思いました。私も、ユグドラシルで鍛えた力でどんな事が出来るのか、知りたいと思いました。ははは、おかしいですよね。何万何十万死んだ、殺したと言われても、それが少しも異常なことだと思わない。ただ羨ましい、自分も試したい、そんなことしか思わない……」

 

 そう乾いた笑いで言うヘロヘロに、ぶくぶく茶釜も同意の声を上げる。

 

「うん、私もなんだ。今の私たちの種族のせいなのか、カルマ値のせいなのかわからないけど、それが全然異常なことだと思わない。モモンガさんがやった事だって、結果的にアウラやマーレを守ることに繋がるなら、むしろよくやってくれたとすら思う。ヘロヘロさんが言ったみたいに、私も力を試してみたいと思う。……アイツなら余計にだよ」

 

「ペロロンさん、私たちとはビルドが違いますからね……」

 

 ぶくぶく茶釜は防御役特化、ヘロヘロは攻撃役だがやや特殊なビルドをしている。大軍相手向きのビルドでは、ヘロヘロはやりようはあるが、ない。

 しかしペロロンチーノのビルドは、距離のある場所、開けた場所でこそ真価を発揮する。大軍の展開が可能なフィールドなど、ペロロンチーノの独壇場とも言えるだろう。そんな場所で自分の力を振るってみたいという願望は、ヘロヘロとぶくぶく茶釜以上のはずだ。

 

「数十万の大軍、それも格下の相手なんて、ユグドラシルではありませんでしたからね。興奮してしまっても、無理ないですよ」

 

「私はさ、ヘロヘロさん。正直に言うとね、……怖いんだ。アイツが、弟が、無自覚に、ゲームの延長線上で、遊び感覚で人を殺す事が。私の知っている弟が、身も心もペロロンチーノになっちゃうことが、本当に怖い……」

 

「ですが、それは―」

 

「うん、わかってる。この世界に居る限りは、仕方ない。……でも、それが当たり前だと思っちゃうぶくぶく茶釜(自分)も、少しだけ怖いんだ」

 

 そう乾いた笑いで言うぶくぶく茶釜に、ヘロヘロは答えることが出来ない。

 

「だってさ、おかしいよ。私たち、今はこんな体だけど、人間だったんだよ?殺したとかなんとかとか、そんなの全然関係ないところに居たんだよ?それなのに、力を試したいとか、羨ましいとか、なんでそんな風に思えちゃうのよ……。ごめん、ヘロヘロさんを責めるつもりは無いんだ」

 

「……いえ」

 

 そして唐突にぶくぶく茶釜は笑う。

 

「あは、あはははは。ねえ、ヘロヘロさん。私今、()()()()()()()()って言ったよね!?()()()()()()じゃなくて!」

 

 笑い続けながら、人間だったらするように頭を掻きむしるような仕草をするぶくぶく茶釜に、ヘロヘロは何も言えないでいる。

 

「……本当はおかしいはずなのに。人を殺した、アンデッドにした、攫った、閉じ込めた、実験した。あいつはそれが異常と思えない異常さに気付いてない……。私は……これが……少しでもおかしいって、あいつに思ってもらいたい……。思えないなら、私は引きずってでもあいつを連れて帰る。あいつを、そんな風にしとけないよ。だってあの子は、私のたった一人の……弟なんだよぉ……」

 

 

 

 

 

 

 ペロロンチーノと共にエ・ランテルの大通りに転移したアインズは、少しだけ後悔した。

 こちらの世界に来たばかりだというペロロンチーノに初めて見せた光景が、歩いている人間たちの表情も暗い、デス・ナイトたちが警備兵代わりに巡回する街並みだ。

 活気も無い街並みを見せられて、失望していないだろうか?そうアインズを心配にさせる光景だった。

 先ほどのやり取りからして、ヘロヘロはともかく、ぶくぶく茶釜は現実世界に戻ろうとするだろう。そこにペロロンチーノがどう動くかは、正直未知数だ。言葉としては、ぶくぶく茶釜を手伝うと言ったが、心根はもちろん違う。故にこの世界に否定的な感情は、あまり持たれたくなかった。

 デス・ナイトを開墾用に再建中の村々に貸し出すのではなく、もう少し道の舗装や建設など、そういった事に力を入れておけばよかったと思いつつ、アインズはペロロンチーノを横目で伺う。

 

 しかし、アインズの不安とは裏腹にペロロンチーノは、まるで呆けたように、空を見上げていた。

 仮面の上からでもわかる。何かに心奪われたように、ただただ、じっと。

 

「……は……ハッハハハハハ!」

 

 しばらくしてからそう急に笑い出して、翼をはためかせ、ペロロンチーノが飛び立つ。

 

「ペロロンさん!? ……っ、<飛行(フライ)>!」

 

 金色の残光を曳きながら飛翔するペロロンチーノに追いすがる様に、アインズも慌てて飛び立った。だが、すでにペロロンチーノは遥か上空にまで行っており、後から飛び立ったアインズでは、追いつくことすら出来なかった。

 

「……流石ですね、ペロロンさん。……<魔力増幅(マジックブースト)><魔法最強化(マキシマイズマジック)>!」

 

 ただの<飛行(フライ)>では追いつけないことを悟ったアインズは、魔法強化を連続して使用する。そうすることでようやく彼の姿を視界に捉えるくらいには、追いすがることが出来た。

 魔法強化を行っても完全に追いつくことが出来ないことを、アインズは不満に思わない。むしろ誇らしい気持ちにすらなる。

 まるで天空すべてが自分の庭だといわんばかりに、縦横無尽に飛翔するペロロンチーノが、アインズ・ウール・ゴウンの、自分の仲間なのだと、すでに小さくなったエ・ランテルの町に住む住人に、自慢してやりたいくらいだった。

 

 アインズは、ようやく動きを止めて、空中でゆっくりと羽ばたきながら両手を広げるペロロンチーノに、声が届くくらいに近づいていく。そのころには彼がなぜ急に飛びだしたのか、理由がわかっていた。

 

「はは! すごい! 空が青い! 広いよ! ねえ、モモンガさん!? 太陽ってスモッグに覆われてないと、こんなにも眩しいものだって、知っていました!?」

 

 太陽の光を浴びながら、子供のようにはしゃぐペロロンチーノに、アインズは微笑む。思い出したからだ。自分も最初、この世界の星空に心奪われたことを。

 

「すごい! ははっ! 本当にすごい! 仮想現実とじゃ全然違う!」

 

 すごいすごいとはしゃぐペロロンチーノに、アインズは苦笑いを浮かべる。このリアルの顔も知る、子供とは言えないバードマンに、カルネ村の幼子ネムが重なって見えたからだ。

 童心に帰るペロロンチーノに、アインズは優しく語り掛ける。

 

「この光景、ブループラネットさんにも見せてあげたいですよね」

 

「ですね! 絶対喜びますよ! ねえ、モモンガさん! あっちに広がる森林は何て言うんですか!?」

 

「あれが先ほどの話にも出てたトブの大森林ですね。昔はエルフも居たそうですよ?」

 

「なんですって!? あの森は、すけべエルフの森だったんですか! 素晴らしい!」

 

 急に、子供じゃないことを言い出した。

 

「森の先の山脈は何て名前で! どんな子が住んでいるんですか!?」

 

 すけべエルフの森ってなんだろうと思うアインズには構わず、矢継ぎ早にペロロンチーノが質問する。

 

「あ、アゼルリシア山脈ですね。なんでもフロスト・ドラゴンが住んでいるとか」

 

「……ああ、フロスト・ドラゴンですか。……そうですか、あの山にはエロモンスターはいないんですね……」

 

 エルフには激しく反応したペロロンチーノが、ドラゴンにはまるで興味を持たないことに、らしいなと思わずアインズは軽く吹き出す。

 

「ドラゴンだって、素材としては優秀なんですよ?それにちゃんと調査を入れてませんから、どんなモンスターがいるか、まだわかりませんよ」

 

「ああ、そういう話をしてましたね」

 

「ええ、いずれ調査しなくては思うのですが、……無駄に虎の尾を踏みたくはありませんし」

 

「……シャルティアを洗脳した奴ですね」

 

「ええ。必ず報いは、受けさせます」

 

「そうですね。必ず受けさせましょう」

 

 そう誓いあい、二人で風を感じながら、この世界の光景を眺め視る。

 連れ出して良かったなとアインズが思っていると、ペロロンチーノが小さく呟いた。

 

「……弐式さんが居たら、あっという間にシャルティアにワールドアイテムを使ったヤツラを見つけてくれるでしょうね」

 

「すっごく簡単に、見つけましたよって言いそうですよね」

 

「そうそう、そしたら建御雷さんがじゃあ、行くかって」

 

「でも、ベルリバーさんが止めると思いますよ?」

 

「だけど結局は折れて。俺は反対しましたからね? って言いますよ。あの人、口ではなんやかんやいっても、最後は賛成に回ってくれますから。それにきっと、やまいこさんも賛成してくれますよ。あの人脳筋だし、殴り込んでから考えようよって言うはずです」

 

「ふふ、ペロロンさん。そんなこと言ってたら、やまいこさんに怒られちゃいますよ? でも、そうですね。正直、わかります。そうやって殴り込みが決まったらきっと、じゃあ、作戦を立てましょうかってぷにっとさんが言い出して」

 

「あの人のことだから、きっとど派手でえげつない策を提案してくれますよ」

 

「たっちさんもああ見えて、派手なこと好きな人だし、喜びますね」

 

「ああ見えてって、正義降臨ですよ、見たままじゃないですか。まあ、俺はあれ好きですけど」

 

「ふふふ、そうでしたね。その間、ウルベルトさんが妙に静かだなーって思ったら」

 

「今回使う<大災厄(グランドカタストロフ)>の口上を考えてるんですね。わかります」

 

 そういって二人で笑いあった。

 アインズは楽しかった、そして嬉しかった。再びこうしてアインズ・ウール・ゴウンの仲間と共に語り合えることが。

 

「……みんなこっちに来れればいいんですけどね」

 

 呟いたペロロンチーノの言葉に、アインズも頷く。

 

「……ええ、本当に。みんなが来てくれたら、どんなにいいか……」

 

「フラットフットさんが来たら、また色々なところ散策したいな。エロモンスター探しが俺らのフィールドワークでしたから」

 

「……二人でたまに居なくなるなーって思ってましたけど、そんなことしていたんですか? 」

 

「ふっふ、源次郎さんが参加することもありましたよ? それにフラットさんとは好みは近いようで遠いから、都合がいいんです。……知ってますか、モモンガさん? あの人、胸がない女性の、それを気にする仕草に堪らなく惹かれるんですよ」

 

「やめてあげて! そんなこと知ったら、次どんな顔して会えばいいかわからなくなる! 」 

 

 そして、再び笑いあった。感情を抑制される程ではないが、穏やかな気持ちが、喜びが持続している。

 

「みんなが来たら、忙しくなりますね。だって墳墓の次は、国ですよ、国。きっとみんな喜ぶに決まっています。そういえば、聞いてませんでしたけど、モモンガさんはこの国をどんな国にするつもりなんですか?」

 

「……実はまだ決めてないんです」

 

「あ、そうなんですか? じゃあ、この国は俺らアインズ・ウール・ゴウンが一から作れるんですね」

 

 何気なく続けるペロロンチーノの言葉に、アインズは電撃が走る思いだった。そう、ようやくここで、アインズは国の指針を見つけることができた。

 この国は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国だ。

 アインズ・ウール・ゴウンの国だ。

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンのみんなで作り上げる国だ。

 

「……うん、そうですね。私はこの国を、アインズ・ウール・ゴウンみんなの国だって言えるように、皆さんと一緒に作り上げていきたいです」

 

 アインズの言葉に、ペロロンチーノが嬉しそうに頷く。二人でしばらく微笑みあい、突然大事な事に気付いたようにペロロンチーノが声を上げた。

 

「ああ、モモンガさん。それなら地形とか少しでも調べておきましょうよ。このままじゃぷにっとさんが来た時に、あまりに情報が少ないって怒られちゃいます」

 

「……確かにそうですね。あの人戦いは始まる前に終わっているというくらい情報を大事にしてますし。でもワールドアイテムの事を考えるとあまり大っぴらに探索するのも。……何かあってからでは、遅いですからね」

 

「それなら冒険者とか使えないんですか? RPGの基本じゃないですか。冒険者に探させるって」

 

「そうなんですけど、こちらの世界の冒険者は夢のないしょく…ぎょ…。……なるほど、いけるかもしれません」

 

 ペロロンチーノと話していくうちに、アインズの脳裏に閃くものがあった。成功するかは未知数だが、試す価値はある。

 

「ペロロンさん、少し付き合ってもらえますか?」

 

「もちろん、付き合いますよ。それで何処に?」

 

「ええ、NPC達が集まる前に、一つ飛び込み営業をしてこようかと」

 

 そう言うとペロロンチーノは疑問符を浮かべるが、アインズは小さく笑みを浮かべてそれ以上は何も言わなかった。言葉にすると、このアイディアがどこかに行ってしまう様な気がしたからだ。その意図をペロロンチーノも長年の付き合いから読み取ったのだろう。あえて追及はせずに、含み笑いをすることで返す。

 

 骸骨とバードマンが不気味にしばらく微笑みあい、ようやくじゃあ行きましょうかとアインズがペロロンチーノを促す。

 声を掛けられたペロロンチーノはゆっくりと空を仰ぎ見て、微かに何事か呟いた。その言葉が風に乗ってアインズに届く。

 

「……大丈夫。この光景を見たら姉ちゃんだって、きっとこの世界が好きになる」

 

 

 

 

 

 

 玉座の間。

 その玉座の下階段前に、シャルティアは他の守護者たちと共に一直線に並び、片膝をつき頭を垂れていた。

 今玉座の間には、物理的に動かすことのできない者等を除いて、至高の存在に生み出された、ほぼ全ての者が集まっていた。

 普段連れているシモベの入室は許されていない。純粋に、ナザリックのもの達と呼べる存在だけが皆一様に頭を垂れて、主人の到着を待っている。

 

 しばらくして、後方から扉が開く重々しい音がする。そしてゆっくりと足音が一つ、杖が床を叩く音と共に、玉座に向かっていく。

 本来あり得ない事ではあるが、今主人は伴を一人も連れていない。本来伴をするべき守護者統括のアルベドもまた、シャルティア達と共に片膝をつき頭を垂れているのだ。

 シャルティアだけでなく、他の守護者もまた今回の急な招集と、アルベドすら伴を許されない異例の事態を疑問に思ったが、それが主人の意だと言われれば、それ以上は何も無い。ただ粛々と、従うだけだ。

 

 シャルティア達の横を通り過ぎ、玉座に主が座る音がする。いつもならば、ここで顔を上げるように声が掛かるが、今日に限ってそれが無い。当然シャルティア達は勝手に顔を上げるような不敬な真似はせず、じっと主人から声が掛けられるのを待ち続ける。

 そして、ゆっくりと時間をかけてから、主人、アインズから声が掛けられた。

 

「……今日は善き日だ」

 

 追随の声は上がらない。当然だ。誰もアインズの許しもなく声を上げるなどということはしない。だが言葉から伝わってくる確かなアインズの喜色が、シャルティア達を自然と高揚させていく。

 

「この善き日を、皆と共に喜び合えることを嬉しく思う。……ふふ、これ以上の言葉は無粋だな。あまりもったいつけて、彼らを待たせるのも酷だ」

 

 彼らとは誰をさす言葉であろうか?

 シャルティアに疑問が生まれるが、その疑問が明かされる前に、アインズが小さく合図をしたように思えた。伏せた頭ではそれを確認することは出来ないが、気配で察したのだ。

 そしてすぐに、シャルティア達の上方、玉座に並び立つように三つの大きな気配が現れる。

 ゲートを使った転移ではない。本来であれば、このナザリックにおいて至高の御方達のみに許された移動方法。

 すなわちリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを用いた移動。

 そしてそれが許されるのは―

 

「あ……あっ……あ!」

 

 主人の許しなく声を上げる。処罰されるべき愚か者は、一体誰であろうか?

 シャルティアはそれが自分が上げてしまった呻きだと、少ししてから気づいた。

 

「うう……あああ……ううぅぅぅ」

 

 堪えようと。階層守護者として立派な姿を見せようと。必死に堪えようとするが、駄目だった。漏れ出した嗚咽は止まることなく、あふれ出てしまう。

 だがそれを咎めようとする者はいない。シャルティアだけではない。嗚咽や、すすり泣くような声は、いたるところから漏れていた。

 玉座の間からあふれる気配。至高の御方の気配。アインズ以外から長らく感じることのなかった、確かな気配。

 そしてその一つから感じる、とてもとても大きな繋がりを持った気配。懐かしく、とても懐かしく、暖かい気配。

 

「……シャルティア」

 

 声が掛けられる。もう我慢が出来なかった。シャルティアは歩み寄ってきてくれた気配に、涙でぐしゃぐしゃになってしまった顔を、主人の許しもなくあげてしまう。

 

「……ベろろんぢーのざまぁ」

 

 溢れる涙で歪んだ視界であっても、はっきりと伝わってくる繋がり。金色の残光を身にまとった、神々しいお姿。

 神のごとき存在であらせられる至高の四十一人、その中でも自身を生み出してくれた、神そのものである御方。

 爆撃の翼王。ペロロンチーノ。

 その神が、目の前に居た。

 

「よしよし、ずっと留守にしてて、ごめんな?苦労をかけたね」

 

「うっうー! しゃ、シャルティアはぁ。うう……シャルティアはぁ!アインズさまに、許されないことをぉしてしまいましたぁ!」

 

「うんうん、大丈夫。全部聞いてるよ。シャルティアは一個も悪くない。大丈夫、誰も怒ってないよ」

 

 ペロロンチーノに涙を拭かれ、優しく声を掛けられる。そして両腕とその神々しいペロロンチーノの羽で包み込むように、ゆっくりと抱き締められた。

 とんとんとあやすように背中を叩かれながら囁かれる。

 

「大丈夫。大丈夫だよ、シャルティア。二人で一緒に頑張っていこう。これからはずっと一緒だからね。だからそんなに泣いてないで、笑ってごらん?」

 

「……ペロロンチーノさまぁ」

 

 視界の隅で、アウラとマーレが二人でぶくぶく茶釜の膝に乗りながら、泣き縋っているのが見えた。そんなものを見てしまって、堪えられる筈がない。

 

「ううー! ううぅっぅーー!」

 

 懐かしい金色の鎧に顔を埋めながら、シャルティアは延々と、ずっと、長い間、泣き続けた。その間、ペロロンチーノはゆっくりと優しく声をかけ続け、そして背中を撫で続けてくれていた。




ここまではPixivと一緒になります。
サブタイトル機能が面白い。
本当は玉座の間には指輪を使っても転移出来無いはず。


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 至高の方々、やらかす

「最初にキミ達に謝らせて下さい。長くナザリックを離れ、本当に申し訳ありませんでした」

 

 そう言ってナザリックの自室で頭を下げるヘロヘロに、ソリュシャンを除く一般メイド達が狼狽えていた。

 玉座の間での再会を終え、ヘロヘロは自ら創造したソリュシャンと一般メイドの彼女達を自室に集めていた。こうして直接謝罪をするために……

 

「あ、頭を御上げ下さい、ヘロヘロ様!」

 

 一般メイド達はヘロヘロの頭を上げさせる事も出来ずに、手をオロオロと彷徨わせている。ヘロヘロは一般メイドの彼女達が狼狽える様を、ゆっくり時間を掛けてから頭を上げ、観察する。

 

(凄い。本当に私の設定した通りに、皆動いている)

 

 動き出した彼女達に、純粋な感動を覚える。一般メイドのこの姿を、ホワイトブリムとク・ドゥ・グラースが見たらどう感じるだろうか。自分と同じく、感動に身を震わせるだろうか。

 ヘロヘロは創造したメイド達を、一人一人眺め、名前を呼ぶ。

 

「……ソリュシャン」

 

「はい、ヘロヘロ様」

 

 一礼し答えるソリュシャンに胸が高鳴る。柔らかそうな金髪に心奪われる。その瞳に飲み込まれそうだ。

 

「インクリメント」

 

 読書が好きと設定した一般メイドの名を呼ぶ。悟らせないようにしているが、眼鏡の奥に隠された瞳が潤んでいる事に、ヘロヘロは気づく。

 

「デクリメント」

 

 名前を呼ばれた髪の短いメイドが頭を下げる。無邪気そうな瞳をキラキラさせ、ヘロヘロとの再会を喜んでくれている。

 

「ステートメント、アライメント……」

 

 彼女達と瞳を合わせることで記憶が呼び起こされ、自然と口から名前が出てくる。一人一人と視線を合わせ、その全てが自分が望む反応を示してくれていた。

 

「ソリュシャン? モモンガさんから君の王国での話は聞いています。セバスの件、本当にご苦労様でした。モモンガさんも褒めてくれていましたし、私も嬉しかったですよ?」

 

 ヘロヘロの言葉に、ソリュシャンは再び微かに微笑み、一礼する。自分が望んだ通りの出来るメイドそのものだが、ほんの少しだけ素っ気なく感じ、寂しい気持ちも生まれる。

 

(まあ、私がそうあれと望んだからなんだし、これは我儘だな)

 

 ソリュシャンに頷き、少し視線を移せば一般メイドの娘達が不安そうにしているのが見えた。恐らくナザリック外での働きが無い事に、不安を覚えているのだろう。ヘロヘロはそんな彼女達を安心させるように、笑顔を浮かべる、実際には表情の変化は無いのだが。

 

「勿論君達の働きにも、とても満足していますよ?」

 

 そう言ってヘロヘロはこの広い部屋を見渡す。当然のように埃すら無く、ベッドにもカーテンにも、何処を見ても乱れ一つない。完璧な仕事だ。

 

「この部屋を見るだけで、君達の普段の仕事の完璧さが窺えます。ありがとう。君達は私が望む仕事を、しっかりと務めてくれていますね」

 

 ヘロヘロの言葉に、一般メイドの彼女達が、ある者は誇らしげに、ある者は目を潤ませ、ある者は笑みを浮かべ、喜んでくれた。そんな彼女達をヘロヘロもまた満足そうに頷く。アインズから一般メイドの彼女達に「一日中働きたい」と直談判されたと聞いた時は、社畜であった自分の影響もあったのかと怖くなったが、自分の仕事を誇れることは決して悪い事では無い。これからは自分の様に体を壊さないように、彼女達を見守る必要もあるだろうが。あとヘロヘロは別に好んで仕事をしていた訳では決して無い。

 

「へ、ヘロヘロ様! 一つお尋ねしてもよろしいでしょうか!?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 デクリメントからの質問にヘロヘロは頷く。

 

「こ、これからはナザリックに、その……」

 

 上手く伝えられずに言葉を濁すデクリメントにヘロヘロは微笑み、その彼女の足元に歩み寄る。疑問を浮かべる彼女を頭を下げさせ、慎重に酸性を切った手で頭を撫でてやる。

 

「……ええ。もう君たちの前から居なくなるような事はありませんよ。だから、安心して下さいね?」

 

 

 

 

 

 

「それではナザリック転移後初の定例連絡会を行いたいと思います!」

 

 おー、パチパチパチとアインズを含め三人しか居ない円卓で、まばらな拍手が起こる。

 それなのにアインズはまるで万雷の拍手を浴びているかのように非常に嬉し気な雰囲気を漂わせ、手でその歓声を抑えるようなジャスチャーをした。

 かつては毎週行われていた連絡会を、例え三人だけだとしても再び行えることが嬉しいのだろう。非常に上機嫌にアインズは口を開く。

 

「とりあえずは先ほどお伝えした通り魔導国の方針ですが、現状維持のままでいきたいと思います。どのような国にしていくかの具体的方針は、やはり皆さんと話し合っていきたいですからね」

 

「まあ、まだ私たちしか居ませんし、それは構わないのですが。……気づいたら世界征服完了しちゃいましたって言われそうで怖いですね、デミウルゴスあたりに」

 

「……正直、どんな計画で、その計画がどこまで進んでいるのか、私にはさっぱりわかりません……」

 

「ホント、最初はモモンガさんの代わりに馬鹿正直に聞いてみようと思ったんですけど。……無理ですね。シャルティアのあのキラキラした目で見られてると思うと、とてもじゃないですが馬鹿な質問は出来ないですよ……」

 

 はぁと、骸骨とバードマン、そして粘体がため息を漏らす。アインズだけでなく、ヘロヘロとペロロンチーノにかかるNPCからの期待値も当然大きく、とてもではないが「今それどうなってるの?」とは聞ける雰囲気になっていない。

 

「……まあ、しばらく私たちにできる事は冒険者の獲得に育成。それを使った偵察といったところでしょうか?」

 

「賛成ですね。私もメイド達に見限られたらと思うと、怖くてたまりません。だけどモモンガさんは流石ですね。エ・ランテルの冒険者組合とか言う所の組合長、何て言いましたっけ?」

 

「アインザックですね」

 

「ああ、そうでした。その人をよく説得できましたね? 普通の人間なんでしょう?」

 

 アインズからエ・ランテルの冒険者組合の組合長の協力を得ることが出来たという話にヘロヘロは驚いたものだ。自分がその組合長の立場なら、とてもではないがアンデッドに協力するという気持ちにはならないだろう。

 

「いやー、あの時のモモンガさんは格好良かったですよ。素晴らしかったです」

 

「ほお?」

 

「ちょっ! ペロロンさん!?」

 

 その場に同席していたというペロロンチーノが、アインズの声音を真似て続ける。

 

「『魔導国の―私達の下で冒険をするつもりはないか? 私達はお前たちに望んでいる―』」

 

 そこで一拍置いてからペロロンチーノが続ける。

 

「『―お前たちが冒険者となることを』。……正直隣で聞いててあまりの格好良さに震えました。完全にあの組合長を攻略できてましたよ」

 

「おお! 私も見たかったですねー。その状態のモモンガさん」

 

「ちょっと! 恥ずかしいから本人を前にしてのモノマネとか止めてください! ……まあ、それは一度置いておいて、話の続きなんですが」

 

「精神抑制が来ましたね」

 

「そんなに恥ずかしかったんですか?」

 

「だから!あんまり苛めないでくださいよ。とにかく組合長の協力は取りつけることが出来たのですが、今のエ・ランテルにはそもそも冒険者があまりいません。恐らく国に取り込まれることを嫌って居なくなる者もいるかと思います。そこで―」

 

 そういってアインズは虚空から一枚の地図を取り出し、ある地点を指さす。

 

「他国からの引き抜きを、行いたいと思います」

 

 ヘロヘロもペロロンチーノも地図に記載された文字を読むことは出来ないが、アインズが指さした場所くらいは覚えている。魔導国の唯一の同盟国でありバハルス帝国と記憶していた。

 

「無いものは、有るところから移動すればいい。基本ですね」

 

「ええ、ですので近日中に帝都にアインザックを連れて、秘密裏にお邪魔してこようと思います」

 

 そこでヘロヘロに一つの興味が湧いた。帝都ならば当然城があり、そこに勤めるメイドもいるだろう。

 自分と他の二人で創造したナザリックのメイドこそ至高と思うが、それでもこちらの世界で生まれ育った天然物のメイドを直接見てみたいという気持ちが湧く。

 

「秘密裏に行かないといけない理由があるんですか、モモンガさん。直接皇帝に言えば歓迎してくれるんじゃないですか?」

 

 素直に尋ねるペロロンチーノにアインズは苦い顔らしきものをする。

 

「……歓迎式典とか開かれたら困ります……」

 

「ああ、なるほど。そうですよね……」

 

 アインズの呻きのような答えにペロロンチーノだけでなくヘロヘロも頷く。三人とも貴族社会のルールなど知る由もない。そんな中で下手に歓迎されては、恥をかくだけだ。

 

「というわけで、よろしければ一緒に帝都まで行きませんか?というお誘いです」

 

 そうアインズに問われ、ヘロヘロが答えるよりも先に、ペロロンチーノが口を開く。

 

「ああ、今回俺はお留守番しようと思います。むさ苦しい組合長のおっさんと過ごすより、シャルティアと一緒に居たいです」

 

「最近のペロロンさんを見てるとそう言うだろうなーって思ってましたけど、あの時以来シャルティアはペロロンさんにべったりですからねー。まあ、無理もないですけど。玉座の間での二人のやり取りは、私も胸にくるものがありました」

 

「ええもう。シャルティアの涙をペロペロしそうになる自分を抑えるので必死でしたよ」

 

「……あの雰囲気でそんなことしようとしてたんですか?……普通にドン引きだよ、ペロロンチーノ」

 

「じょ、冗談ですよ? モモンガさん?」

 

「……それならいいですけど、ヘロヘロさんはどうされますか?」

 

「ええ、良ければご一緒させてください。まあ、私は冒険者の勧誘より、帝国のメイドに興味があるんですが」

 

「え? メイドならナザリックに一杯いるじゃないですか。あんな可愛い子達に囲まれておいて、さっそく浮気ですか?」

 

「浮気じゃありませんって。ただ現地のメイドを直接目にできるチャンスは逃したくないというだけです」

 

「目にするってヘロヘロさん、そもそも目あるの?」

 

「いや、ないですけど。これも目っぽい窪みですしってそういう事じゃないですよ」

 

「それでもわからないなー。十三人もメイドを独占しておいて。ソリュシャンも含めたら十四人ですよ、十四人。目移りしてる暇なんてないじゃないですか」

 

「だから目移りとかじゃないですって。それに一般メイドの子たちはともかくソリュシャンはちょっとそっけないんですよ、態度とか。いや、メイドとしては完璧なんですけどね」

 

「あんなに趣味全開なのに、出来る子設定しちゃうからですよ。女の子はちょっとダメなところがあるくらいで良いんです。まあうちのシャルティアはパーフェクトですけど」

 

「ちょっと、うちのソリュシャンだってパーフェクトですよ。ただパーフェクトすぎるって話で―」

 

「はいはい、話が逸れてますよ。うちの子自慢はそれくらいにしておいて下さい」

 

 話が逸れ始めるヘロヘロとペロロンチーノに、ぱんぱんとアインズが手を叩く。

 

「とにかく、今回はペロロンさんがお留守番で、ヘロヘロさんと私で帝都に向かうということでいいですね?とりあえずは冒険者の勧誘以外は現状維持。それとボロを出すと不味いので、出来るだけ波風を起こさずに行くということでいいですか?」

 

「了解でーす」

 

「異議無いでーす」

 

「それではこれで定例会を終わりたいと思います。ヘロヘロさん、メイドの見学をされるならアイテム類の準備は大丈夫ですか?今のところ帝国にプレイヤーの影は有りませんけど、準備はしっかりしておいてくださいね?」

 

「ええ、完全不可視化のアイテムに、隠密効果のある装備を揃えて行くつもりです。まあ、私が堂々とメイド見学という訳にはいきませんからねー。しっかり隠れて見学しますよ」

 

「万一に備えて緊急避難用のアイテムも忘れずにおいてください。そしてそれが使えない状況を想定しての手段も」

 

「ええ、私もぷにっと萌えさんに鍛えられていますから。その辺は怠らないようにします」

 

「よろしくお願いします。それじゃあペロロンさん、今日決まったことは私から茶釜さんに伝えておきますから、二人で喧嘩とかしないで下さいよ?」

 

 そういってアインズがペロロンチーノに話を振る。

 

「大丈夫大丈夫。姉貴籠りっきりでほぼ姿を見せませんから。おとなしくシャルティアと遊んでます」

 

 そうペロロンチーノは笑うが、ヘロヘロとアインズは知っている。この男が言うほどシャルティアと二人きりで過ごしていないことを。共に過ごしているのは事実だが、その場にはアウラとマーレ二人の姉弟の姿も必ずと言っていい程あった。

 玉座の間で行われたナザリック帰還のお披露目から、調べ物を続け姿を見せないぶくぶく茶釜に代わって、少しでもアウラとマーレの寂しさを紛らわさそうとしているのだろう。

 普段の姿はあれでも、彼は昔から和を重んじる男だった。その変わらない姿に、ヘロヘロとアインズは小さく笑う。

 

「ほんと変わりませんね。ペロロンさんは」

 

「ええ、嬉しくなります」

 

「……ちょっと、いきなりなんですか?それどういう意味ですか?」

 

「いえいえ、気にしないで下さい」

 

「もう、二人してなんなんですか?」

 

 そういうペロロンチーノに、やはりヘロヘロとアインズは小さく笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 あまり年の離れていない弟の面倒を見るのは、幼い私の役目だった。

 経済的な余裕があまり無い中流家庭に珍しく、年の離れていない姉弟を持った両親は私たちの為に仕事に明け暮れ、私達は家で二人っきりで過ごすことが多かった。

 スモッグに覆われたあの世界で子供が遊べる場所は少ない。遊び道具はネットから与えられる物が多くなり、その中でも様々な物語といった創作物は、幼い弟の大のお気に入りだった。

 

 まだ字の読めない弟に、私が物語を読み聞かせる。

 これが幼い私たち姉弟の、日常だった。

 

 私が物語のキャラクターの台詞を読み上げると、弟は目を輝かせ喜び、私はその目を見るのが大好きで、自然と熱が籠っていった。

 そのキャラクターの気持ちを読み取り、なりきって、活字の羅列を弟が理解できるように言葉と声に込めた感情で、命を吹き込もうとする。

 年齢的に、まだ私が読めない漢字も多かったが、弟をがっかりさせない一念で、私は文章の前後からキャラクターの気持ちになりきることで補完し、声を吹き込み続けた。

 今思えばいくらでも調べる方法があっただろうにと思うが、当時の私は弟をがっかりさせないように必死だったのだ。

 

 子供だったんだと思う。

 私も。弟も。

 

 稚拙な読み聞かせで目を輝かせる弟。

 その弟の熱心な瞳を向けられることが大好きで、物語のキャラクターを演じることに夢中になる私。 

 

 その体験は、私が今の職業を志す理由となるには、十分だった。

 

 

 

(……随分懐かしい夢を見たな)

 

 ナザリックの図書館の一室、ギルドメンバーの一人が「図書館で調べ物をするならこういう部屋だろう」と悪乗りして作られた部屋は、部屋の真ん中に机と椅子が一脚あるだけで、それなりの部屋の広さがあるにもかかわらず、様々な本や巻物で溢れており、非常に圧迫感があった。

 その一脚しかない椅子にぶくぶく茶釜は腰掛けて、広げられた羊皮紙の巻物に目を通していく。外光を取り入れる窓もないこの部屋は薄暗く、机に置かれた小さなランプしか光源がないが、そもそも粘体のぶくぶく茶釜には影響がない。夜目が利くのではなく、粘体の為にそもそもの視覚感覚をアイテムの効果で補っているからだ。

 

(懐かしいな。確か四つか五つの頃か?……ふふ、ホント、どうやったらあの頃のアイツから、エロゲーイズマイライフなんて言葉が出てくるんだ?)

 

 机の上には、羊皮紙で出来た巻物状の資料が大量に積まれていた。ナザリックが転移してからこれまでの調査結果や報告などを、片っ端から集めて、随時届けてもらっているのだ。

 むろん広いとはいえ、元々が本で溢れた部屋である。目を通した先から気になったもの以外を除いて戻していき、新しい資料を届けてもらう。それを幾度となく繰り返していた。

 

(疲労無効のアイテムに、睡眠不要のアイテムも使ってるのに意識が墜ちてたのか……)

 

 肉体的な疲労は無くとも、精神的な限界が来ているのだろう。疲れは感じないのに、どこか妙な倦怠感のようなものがある。

 

(モモンガさんは一回も寝てないとか言ってたのになー。種族の差?)

 

 粘体とはいえど、ぶくぶく茶釜は生命体である。不死者であるアインズとは、根本的な違いがあるのかもしれない。

 

(……やっぱり戻る手段の最有力は、世界級アイテムかな? それも出来るだけ運営にお願い出来るタイプがいい。……星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)も試してみたいけど、指輪の回数制限がある以上リスクが大きい。経験値消費もこの世界に残ると決めているモモンガさんには致命的だ。……ああー、やまちゃんが居てくれたら、話は早いんだけど)

 

 アインズ以外のギルドメンバーで唯一、流れ星の指輪(シューティングスター)を所持していたメンバーの顔を思い出す。

 

(……運営にお願いできる世界級アイテムか……)

 

 ナザリックの宝物殿に眠るいくつかを思い出して、かぶりを振る。

 

(……あれらはこれからのナザリックに絶対必要なもの。私の我儘に使っちゃ駄目だ。……だとすると、ナザリック以外のどこかから……奪うしかないか?)

 

 ユグドラシルプレイヤーの痕跡と思われる記述のいくつかに、視線が止まる。おそらくギルド拠点と思われる都市。もしそれが上位ギルドの拠点ならば、世界級アイテムが残されている可能性は、多少ではあるが、ある。

 

(幸いユグドラシルの金貨は、ナザリックの自室に結構残っていた。それを使えば強行偵察できるくらいの傭兵NPC達は召喚できる。……あー、だめだめ。ここまでモモンガさんが慎重に行動してたのを全部パーにしちゃいかねない)

 

 いくつか偵察に向いた傭兵NPCを頭の中でリストアップし始めてから、再び慌てて浮かんだ考えを打ち消すように頭を振った。プルプルと震えるその感触に疑問を覚えないことを笑いつつ、ぶくぶく茶釜は思う。

 

(……奪うとか物騒なことが自然に浮かぶな。やっぱりだんだん意識がぶくぶく茶釜に引き寄せられてる気がする。……ちょっと不味いかも)

 

 さて、いつまで意識だけでも人間でいられるかな?

 そうぶくぶく茶釜が思うと同時に控えめにノックをされる。

 

「ほいほーい」

 

 ぶくぶく茶釜が返事をすると、新しい資料を携えたアルベドが姿を見せた。

 

「失礼します、ぶくぶく茶釜様。新しい資料をお持ちしました」

 

「ありがとうねー、アルベド。……それとごめんね。守護者統括のアルベドに、こんな雑用みたいなことさせちゃってさ」

 

「とんでもございません。至高の御方にお仕え出来るのは僕としての喜び、如何様にもお申しつけ下さいませ」

 

 微笑んで頭を下げるアルベドに、ぶくぶく茶釜も笑う。

 アルベドは完璧だ。仕草、立ち振る舞い、全てにおいておかしいところは無い。アインズの言う通り、非常に出来る女性にしかぶくぶく茶釜には見えなかった。

 実際アインズの命令でぶくぶく茶釜の補佐に回された際にも反抗らしいものは一切なく、ルベドの指揮権を外されたことに関しても、何も無かったと聞いている。

 

「本当、助かってる。えーと、あっちとこっちの資料は読み終えたから、後で回収するように司書にお願いしておいてもらえる?新しいのもすぐ目を通すから、またおかわりもらえるかな?」

 

「お言葉ですが、ぶくぶく茶釜様。少しお休みなられた方がよろしいのでは?ナザリックにご帰還されてから一度もお休みになられてないご様子。お申し付け下されば、資料は私が精査し、すぐにでもご用意致します」

 

 非常に出来る娘だ。やっぱり私の勘違いかな? そうぶくぶく茶釜に思わせるには十分だった。思えば会う前から勝手にあれこれと想像して、ルベドの指揮権をぶくぶく茶釜からの指示で外させるように伝えさせるなど、色々とアインズにも迷惑をかけてしまった。

 

「大丈夫大丈夫、ありがとうアルベド。……あー、あとでモモンガさんに謝らないと」

 

「……モモンガ様、ですか?」

 

 ぶくぶく茶釜の言葉に追随した、思わずといったアルベドの小さな呟き。

 その小さな呟きに込められた感情の色に、ぶくぶく茶釜は激しく反応する。

 耳には、弟ほどでは無いが、自信はあるのだ。ましてや自分は声に感情を乗せることに関しては、プロだ。

 今のアルベドの呟きには、いくつかの感情が込められていた。困惑に隠された、嫉妬に敵意。そしてそれはぶくぶく茶釜に向けられていた。

 

(……試してみるか……)

 

 意を決して、ぶくぶく茶釜はアルベドに向け言葉を向ける。

 

「……でもアルベドってさー」

 

 アルベドの反応次第では、本当に自分の勘違いだったならば、土下座してでも謝ろう。そう決めてぶくぶく茶釜は椅子からぷるんと震えながら飛び降り、アルベドを見つめる。

 

「悔しいよね? 私がナザリックに帰ってきてさ?」

 

「……お許しを。無知な私ではぶくぶく茶釜さまの問にお答えすることが出来ません。私が、至高な御方のご帰還に不満を持つように、見えてしまいましたでしょうか?それならば如何様な罰も―」

 

「―モモンガさんから愛せって命じられて、それなのに名前も呼ばせてもらえない。だってしょうがないよね」

 

 頭を下げ、謝罪するアルベドの言葉を遮ってぶくぶく茶釜は続けた。

 

「たぶん、モモンガさんは解かっていたんだと思うよ。私たちが帰還するって。だからアルベドに愛せなんて命じておきながら、手を出すこともしなかった。……だってしょうがないよね、私が帰ってくるってわかってたんだから!」

 

 ごめん、ほんとごめん。心の中で謝りながらも、言葉にぶくぶく茶釜は感情を込めていく。

 

私達(至高の四十一人)のまとめ役にふさわしいのは、やっぱり(至高の四十一人)だと思わない、アルベド?」

 

 もし、アルベドの表情に悲しみが少しでも浮かんだのなら、すぐさまぶくぶく茶釜は謝罪するつもりだった。怒りを浮かべたのならば、すぐさまぶくぶく茶釜は詫びるつもりだった。

 だが、アルベドの表情に浮かんだのは微笑み。非常に美しく、氷のような。

 

「まっ、そういう事だから、分不相応な想いは抱かないようにね。……話はこれでお終い。下がっていいよ」

 

 アルベドは一言も口を開くことなく、頭を一度下げてから、退室していく。

 ぶくぶく茶釜はぴょんと椅子に飛び乗って、先程アルベドが持ってきたばかりの巻物を広げる。

 何故か文字が震えていて、読みづらい。

 

(―ああ、震えてるのは私か)

 

 切っ掛けはルベドの指揮権をアルベドが欲しがった事。

 

 アインズは彼の性格からして、ギルドメンバーの捜索を、かなり高く優先順位付けしただろう。好きで好きでたまらない相手が、自分よりも優先順位を高くしている存在など、はたして許せるだろうか?かつて自分が演じたキャラクターは、その好きな相手が大事とするモノを、一つ一つ潰して回っていた。

 

 そのキャラクターを演じた時の心象をアルベドに重ねつつ、ギルドメンバーの捜索にルベドを必要とする理由をぶくぶく茶釜が想像した時に、一番最初に突拍子もない理由が浮かんだ。

 

 デス・ナイトの一体ですら過剰な戦力ともいえるこの世界で、アルベドだけでなく、パンドラズ・アクターをも加えさらに高レベルのシモベ達だけでは足りない理由。

 ルベドを欲しがる理由。

 一つだけ自分の中でしっくりと来る理由があった。

 もしも、アルベドがこの世界に転移したギルドメンバーを害そうとしているならば、納得できる。アルベドに、パンドラズ・アクター。そして高レベルのシモベ達。なすすべもなく、討ち取られるはずだ。

 

 ただ一人のメンバーを除いて。

 

 彼ならば、その戦力が相手でも、撃退してみせるだろう。

 最盛期は九大ギルドの一つに数えられたアインズ・ウール・ゴウンの中であっても別格の強さだった彼。ワールドチャンピオン、たっち・みー。

 ルベドは八階層のあれらを除けばナザリックから動かせる戦力で、唯一彼を倒せるであろう個。アルベドは、ギルド内最強であったたっち・みーですら倒せるだけの戦力を、欲しがったのだ。

 

 カタカタと机が小さく鳴る。身体の震えが伝わっていた。

 

(……怖いな。本当に怖い)

 

 ペロロンチーノは、ナザリック内で襲われたら、為す術がないだろう。

 ヘロヘロは、アルベドのヘルメス・トリスメギストスを突破するだけの特異な力を持つが、対人では効果は薄いとはいえ、絶対に破壊できない武器、世界級アイテム真なる無(ギンヌンガガプ)が相手ではその特性を生かせない。

 

 だから自分がやるしかないのだ。勝てる勝てないではなく。

 

「……ヘイト管理、ヘイト管理っと」

 

 ぶくぶく茶釜は、レイドボスの攻撃を受けつつ、さらに反撃までするようなたっち・みー程の強さは無い。

 知識だって、ぷにっと萌えには劣る。

 それでも自分は隠し値であるヘイト値の管理は、ギルドで一番だったのだ。

 

「……ふふふ、体はこんなになっちゃったけど、まだ怖いって思えるんだ」

 

 アインズには相談できない。もしぶくぶく茶釜の想像するように、アルベドにモモンガ以外のメンバーに対する害意が本当にあったのならば、彼がどう動くかは明白だ。アインズに、そんなことをさせるわけにはいかない。

 

(……ああ。夢でも、見れて良かったな)

 

 幼い弟の姿。あの純粋だった瞳を思い出し、ゆっくりと体の震えが引いていく。

 

(どんなになっても、アイツは私の弟だ。私はアイツの姉だ。だから―)

 

 

 

◆ 

 

 

 

(……こんなことに意味があるのかしら?)

 

 帝城の警護に当たる帝国四騎士の一人であるレイナース・ロックブルズは顔には出さず、そう心の中でぼやく。確かに今は近衛兵の半数を失い、城の防衛力は落ちているが、それでも自分を必要とする意味を感じない。

 自分が弱いというわけではない。

 この世には近衛隊、皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)に守られ、帝国魔法省の魔法詠唱者が詰めるこの城に平然と飛来し、蹂躙できる存在がいることを知ってしまったからだ。

 もう一度そのような事態が起これば、レイナースは自らの身を守るために、早々に逃げ出すつもりだ。元よりそういう契約になっている。

 

 ジルクニフに厭われ離されているのだろう。レイナースが重要情報に触れる機会を奪っている。あの優秀な皇帝には、自分の秘めたる思いなど全てお見通しなのだ。

 即ち自分が帝国を見限り、少しでも自分を高く魔導国に売るタイミングを図っていることを。

 

「ふう」

 

 懐からハンカチを取り出し、顔の右半分を拭う。拭い終わった膿を吸って黄色く変色したそれを見て思う。かの魔導国ならば、この呪いを解く手段があるかもしれないと。

 だが、そうは言っても自分が何の手土産も持たずにあのアンデッドの国を訪れても、相手にされるとは思えない。何のメリットも提示することが出来ないからだ。

 強さにおいてもあのデス・ナイトに遥かに及ばず、女としての武器も、例えこの膿の呪いが無かったとしても、あのメイド達には及ばない。

 ジルクニフの伴として訪れたあの地で見たメイドの美しさを思い出し、微かに顔を歪めるが、すぐに首を振る。

 

(焦ってもしょうがないですわね。今はじっと―ん?)

 

 帝城の廊下を歩くレイナースの視界に、妙なものが映る。天井からボタボタと非常に粘度のある油のようなものが滴り落ちていた。

 

(あれは……?)

 

 滴り落ちた真っ黒な油のようなものが次第に形作られていく。レイナースの膝下ほどの大きさになったかと思うと、ゆっくりとこちらを向いた。そして眼窩のような窪みに、光が灯る。

 

粘体(スライム)!?」

 

 レイナースはすぐさまランスを構えた。

 低級な粘体に見える。小さなモンスターだ。かつて自身の領内のモンスターを制圧していた経験から恐れるほどの相手ではないと推測する。魔法効果を伴ったランスの一撃で、突き刺すと共に爆散させる。そう思い、粘体に向け駆けだした。

 

 そして、全身が総毛立った。

 この小さなモンスターが、近衛兵に物理的に守られ、帝国魔法省の魔法詠唱者に魔法的にも監視されているこの帝城で、騒ぎも起こさずに、誰にも気づかれずに、城の中心部付近を警護するレイナースの目の前まで現れたことに気付いて。

 

 この粘体は魔導国で見たあの化け物たちと同じ類。

 そう確信した瞬間、突如肥大化した油の塊のようなこのモンスターに全身を包み込まれ、そこで帝国四騎士レイナース・ロックブルズの意識は闇に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

「あああー。やってしまった……」

 

 アインズと共に赴いた帝国からナザリックの自室にと戻ったヘロヘロは手らしきもので顔を覆う。

 ヘロヘロのバハルス帝国メイド見学は、それなりに満足できるものだった。正直帝国のメイドは、わざわざヘロヘロが足を運んでまで見るに値するかと言われれば微妙なレベルだったが、ナザリックの、自分たちが創造したメイド達こそ至高と自尊心を満たせる程度には価値があった。

 

 そして一通り満足し、アインズの下に戻ろうとする途中に見つけてしまったのだ。

 メイド達ほどでは無いが、整った容姿。長く金の布のように見えた、豊かな金髪。そして黒で統一された装束をした騎士を。

 

 ヘロヘロはちらりと自室のベッドに寝かせたそれを横目で見る。

 穏やかな寝息を立てて、鎧で覆われわかりづらいが、豊かな胸が寝息に合わせて上下していた。

 

 胸も……大きかった。

 

 金髪、黒衣、巨乳。自身が創造し、最高傑作と思うプレアデスと、いくつか同じ特徴を持っていた彼女を、思わず飲み込んで持ち帰ってしまった。

 

「ああー、不味いよな。不味いよなーこれ」

 

 直前の定例会で波風を立てないようにと決めていたにも拘らず、いきなり同盟国の帝国から騎士を一人、攫ってしまった。これでは冒険者勧誘の為に、闘技場での試合の約束を取り付けたと笑っていたアインズに合わせる顔がない。

 

「いや、ギリセーフかな? 持って帰ってきただけだし。ギリセーフだよな。うん。こっそりしてればバレないよな、うん」

 

 ベッドで眠る彼女を眺め見ながら、ヘロヘロは頷く。

 ソリュシャンには及ぶべくもないが、自分の性癖を突いてくる彼女を、元の場所に戻すという発想はヘロヘロには無かった。

 

「とりあえずデクリメントを呼ぼう。あの子なら口止めすれば平気だろうし。インクリメントは止めておこう。……怒られちゃうかもしれない」

 

 自分の創造したメイド達を思い浮かべながら、ヘロヘロはどうこのベッドに眠る彼女をアインズ達にバレずに世話をするか考え始める。

 

「だけど、これがソリュシャンにバレたら終わりだな。報連相を怠らない出来る子だし。気を付け―」

 

「お呼びでしょうか、ヘロヘロ様」

 

 声に振り返る。振り返った先に、自分の理想ともいえるメイドがそこに居た。

 金髪、漆黒のメイド服、豊かな胸に、光の灯らない瞳。豊かな金髪に黒色のヘッドセットが映えている。

 

「そ、ソリュシャン?」

 

 セバスの件で、直属の上司でもあっても不審な行動はすぐさまにアインズに報連相を行ったという、自分の理想のメイドが、そこに居たのだ。

 

―さっそく浮気ですか?

 

 定例会でのペロロンチーノの言葉を思い返し、ヘロヘロはどうしたらいいのだろうと、頭を抱えた。




pixivの方での閲覧ありがとうございます。
 


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 至高の方々、怒られる

「私はね、ヘロヘロさん。ヘロヘロさんは、うちの弟とモモンガさんが暴走したらさ、私と一緒に抑えに回ってくれる人だと思ってたよ? 」

 

「あ、私は最初からそちら側(ペロロンチーノと同格)なんですね……」

 

「ちょっと、ショックを受けないで下さいよ、モモンガさん。俺まで悲しくなるじゃないですか……」

 

 ナザリック第九階層のヘロヘロの自室。ヘロヘロから<伝言(メッセージ)>を受け、ギルドの指輪で転移してきたぶくぶく茶釜たちは、驚くものを見せられた。

 ベッドに寝かされている女騎士。マジックアイテムで眠らされているらしいが、ヘロヘロが帝国から攫って来たという。ぶくぶく茶釜は思わず触腕で、人間で言う眉間に当たる部分を抑える。頭が痛くなってきたからだ。

 

「可愛かったから、連れ帰って来たって。事前に波風立てないようにって、定例会で決めてたんでしょう? それで何でお持ち帰りしちゃうのよ。ねえ、ヘロヘロさん?」

 

 自室の床で座り込む、どうも正座しているらしい、ヘロヘロは申し訳なさそうに口を開く。口は無いが。

 

「……真に……申し訳ありません。彼女が……ソリュシャンに似ている部分があって……どうしても、欲しくなりまして……」

 

 絞り出すように言うヘロヘロに、ペロロンチーノが頷く。

 

「あー、すこしわかりますよ。この子金髪ですし、ソリュシャンとちょっと属性が被ってる部分がありますね」

 

「そうですか? 私には似ているようには見えませんが……?」

 

「ほら、この子胸も大きいじゃないですか。ソリュシャンもそうでしょう?」

 

「ああ、なるほど」

 

「そう! そこなんですよ! 金髪黒衣の巨乳ですよ! 私が連れ帰らないで、誰が連れ帰るんですか!」

 

「でもヘロヘロさん。この子よく見ると、顔に傷みたいのがありますよ? 前髪で隠してるのかな、これ?」

 

「……膿、ですか?なんでしょうね?」

 

「ええ、その傷も、ああ、ソリュシャンの見立てでは呪いだそうです。それもポイントなんですよ」

 

「深いなー、ヘロヘロさんは。俺はその領域までは行けてないですねー」

 

「シャルティアにネクロフィリア設定つけてる人が何を言っているんですか」

 

 ベッドの上で眠る女騎士を覗き込んでいたペロロンチーノとアインズに、正座していたヘロヘロが思わずといった感じで立ち上がり、二人の会話に紛れている。ぶくぶく茶釜は少し息を吐いてから、三人に向かって感情を乗せて言う。

 

「黙れ愚弟。モモンガさんも弟に乗らないで。それと、ヘロヘロさん?今誰が一番怒られているのか、わかってるー?」

 

『も、申し訳ありませんでした』

 

 地の声よりさらに低い苛ついたような声に、反射的に三人はぶくぶく茶釜に向き直って頭を下げる。その姿にもう一度ぶくぶく茶釜はため息をついた。

 

「……まったくこの三人は……」

 

「ああ……。私もそちら側(ペロロンチーノと一緒)に、とうとう組み込まれてしまいましたね……」

 

「ようこそ、こちら側に!」

 

「歓迎しますよ?」

 

「ありがとうございます!」

 

 そう言って骸骨とバードマン、そして粘体は手を取り合ってベッドを取り囲むようになぜか踊りだす。

 呆れたように、もしくは諦めたように、マイムマイムのようだなとぶくぶく茶釜は彼らを冷めた目で見つめる。恐らく第三者が見たらマイムマイムどころか、邪教の儀式にしか見えないだろうが、ぶくぶく茶釜は三人が楽しそうで、少しだけ混ざりたかった。

 そして、まあ、殺して食べてしまったとか言われなかっただけマシかと思う事にする。

 

「モモンガさん、この子の記憶調べられる?」

 

「記憶操作の魔法ですか? 可能ですが、記憶の書き換えは上手くいくか保証できませんよ?それなら一回白紙に戻す方が、簡単でいいですね」

 

「ちょ、ちょっと待ってください。私にはこの子を連れ帰って来た責任が……」

 

「どんな責任よ、それ。それと記憶を弄るんじゃなくて、この子の素性と、あとこの顔の傷をこの子がどう思ってるか調べるだけでいいの。出来るかな? 」

 

「それくらいなら、そこまで昔の記憶を探る必要はなさそうですね。大丈夫ですよ。この魔法は神官相手に練習したので、結構自信があります。でもこれ、魔力消費が激しいんですよねー」

 

 そう言いながらもアインズはベッドに眠る女騎士に手早く魔法をかけていく。

 ぶくぶく茶釜が考えていることは、とりあえずこの傷、呪いか、それを本人が気にしているようなら治してしまって、ヘロヘロに謝らせようというものだ。あとは多少の金銭を、これもヘロヘロ持ちだ、渡しこっそり国に戻せばいいだろうと。

 そんなぶくぶく茶釜の思いとは裏腹に、少ししてからアインズが「あー」と小さく呻く。

 

「ど、どうしましたモモンガさん?」

 

 そのアインズの声に不安になったのか、ヘロヘロが尋ねる。

 

「……どうも帝国四騎士の一人みたいですね。帝国の最大戦力の一角らしいです」

 

 少しだけ困ったようにアインズが言う。それを聞いたぶくぶく茶釜も項垂れた。流石に最大戦力とまで言われている人間を、こっそり返すわけにもいかないだろう。恐らく今頃帝国では、大騒ぎになっているはずだ。

 

「……ですが、いいことも解かりましたよ。どうもこの呪いを解きたくて、私達に接触する機会を探っていたみたいです」

 

「なんだ。それなら問題解決じゃないですか。呪いを解いてあげて、あとは感激して素敵!抱いて!になったこの子をヘロヘロさんが得意の触手攻めで―」

 

「―おい、馬鹿弟。何度も言ってるよな?下関係の話は気を付けろって。お前しばらく私が図書室に籠ってったからって、少し調子に乗ってるんじゃないか? なあ、おい」

 

「ご、ごめんなさい。少し調子に乗ってました」

 

 まだまだ言い足りなかったが、謝るペロロンチーノに、今は弟に対する説教よりも優先するべきことがあると、ぶくぶく茶釜はそこで終わりにする。

 

「……とにかく、ペストーニャを呼んで呪いを解除してもらって。あとは……モモンガさん、また帝都に行くんでしょう?」

 

「ええ、闘技場での試合を予定しています」

 

「それにヘロヘロさんに出てもらってさ。んでその足でバハルス帝国の皇帝に、この子の引き抜きの話をしちゃおう。こうなったらしょうがないよ、この子は本人が望むならヘロヘロさんに面倒見てもらおう」

 

「あ、ありがとうございます!で、でも私が試合に出るんですか?人前で戦うとか慣れていないんですが……」

 

「いい? ヘロヘロさん? 闘技場の試合はあくまで罰だからね? それとこの子の面倒を見るのは、あくまでもこの子が望んだらだからね?わかったなら私はペストーニャを呼んでくるから、あとはヘロヘロさんに頼んだよ?」

 

 何度も確認するぶくぶく茶釜の声に、これ以上面倒ごとは起こすなよ?という彼女の感情が非常にわかりやすく籠っており、普段のペロロンチーノの怒られ様を知っているヘロヘロを怯えさせるには、十分だった。

 

 

 

 

 

 ぶくぶく茶釜たちが居なくなったあと、この女騎士の、アインズが調べた結果帝国四騎士のレイナースという名らしい、呪いもペストーニャが簡単に解呪してくれた。そのペストーニャも先ほどヘロヘロの部屋から出ていった。レイナースと二人きりになったヘロヘロは彼女の前髪にそっと触れて、呪いのあった場所を確認する。

 

(ちょっと勿体なかったな。属性が一つ減ってしまった。……まあ、いいか。これで隠れて世話する心配はなくなったし)

 

 すやすやと眠るレイナースが目覚めるまで、まだ少しかかる。取り込む際に使用した睡眠付与のマジックアイテムは、十分に効果を発揮している。ペストーニャから睡眠の効果も解くかと問われたが、なんとなくヘロヘロはそのままでいいですと答えていた。

 

(わりとすんなりいけたのは、ソリュシャンのおかげだな。感謝しなきゃ。彼女が進言してくれたから、大事にならずに済んだ訳だし)

 

 レイナースをソリュシャンが見つけると、すぐさま彼女はアインズ達に報告するべきだと進言してきてくれた。そしてヘロヘロは躊躇いながらも、それに従った。

 

(彼女どうしようかな?セバスの子みたいにメイドにしちゃうのは勿体ないよな。せっかくの騎士属性持ちなんだし。装備は……アダマンタイト? 随分柔らかい金属を使っているなー、これならすぐ溶かせちゃうぞ?)

 

 いろいろと妄想するヘロヘロに、静かながらもしっかりとしたノックが届く。もしかしてと思いながら入室の許可を出すと、やはりそれはソリュシャンだった。

 一礼してからベッドの上を確認するソリュシャンに、ヘロヘロは訳も無くドキドキする。恐らく、呪いの有無を確認したのだろう。

 

「……呪いの解呪をされたのですね」

 

「え? う、うん。ああ、それとソリュシャン。君が進言してくれたおかげでみんなにも彼女の事を理解してもらえたよ。……ありがとう、助かりました」

 

 そうヘロヘロが言えば、彼女は小さく微笑み再び一礼する。そしてそれ以上の会話が続かない。これがデクリメントやインクリメント、その他の一般メイドの娘たちならば色々と話せるのだが、ソリュシャン相手だと少し委縮してしまい、上手く話せない。自分の理想を前にしてもよく口の回るペロロンチーノが、こんな時は羨ましくなる。

 

「……ヘロヘロ様はこの人間を、どうされるおつもりなのでしょうか?呪いを解いたという事は、ただ遊ぶためでもないと思いますが。このナザリックに住まわせるのでしょうか?」

 

 ソリュシャンにしては珍しく、ヘロヘロが何か言う前に尋ねてくる。そのことに少し驚きながらも、ヘロヘロは答える。

 

「え、ええ。メイドにするわけではないので、居住は第九階層以外になると思いますが。いや、エ・ランテルの街に住ませようかと思います。ナザリックに出入りはさせますが……」

 

 たまに愛でるために。

 

「……それは、この者をヘロヘロ様のペットになさるという事でしょうか?」

 

「え、ええー? ペット? うーん、まあ、そうですね。ペットみたいなものかもしれません」

 

 別に用途が決まっている訳ではない。元社畜の感性から、何かしら働いてもらいはするだろうが、エ・ランテルの外に出すのならばそれなりの装備は与えるつもりだ。死なれては苦労して連れ出した意味がない。偶に呼び寄せて可愛がると言った意味では、ペットという表現が近いのかもしれない。

 

「なぜ、でしょうか?」

 

「えっ?」

 

 ヘロヘロが答えたにもかかわらず、ソリュシャンは食い下がってくる。こんな事はこちらの世界に転移してから初めてだった。笑顔が徐々に消えていき、ヘロヘロに初めて見せる顔をした。悲しみの顔を。

 

「なぜ! なぜなのですか!? 他の至高の御方に生み出された―いえ! ヘロヘロ様に生み出された他のモノたちならば納得もできます! ですがヘロヘロ様はこのような薄汚い人間をペットにすると言い、私達を! なぜ私をペットとしてくれないのでしょうか!?」

 

(い!? ちょっと待って下さい! な、何を言ってるんだ、ソリュシャンは……)

 

 その言葉が嘘ではない事くらいは、擬態で出来た目とは言え、その目を見ればわかる。アインズの精神抑制の効果が羨ましくなった。粘体の自分も精神耐性くらいはある筈だが、効果を感じたことは無い。ソリュシャンが何故こうも絶望したような顔をしているのか、ヘロヘロにはわからない。

 ソリュシャンが嫉妬をしているのかもとは思うが、ペットに憧れるような理由はわからない。こんな時にどんな言葉を掛ければいいのか、ヘロヘロには解からない。だから思ったことを口にする。所詮社畜だった自分にはそれしかできないのだ。

 

「ソリュシャン、君をペットなどにできません。当然デクリメント、インクリメント、他の娘たちもそうです」

 

 ヘロヘロの言葉に、さらに絶望した表情を見せる。

 

「君たちは、私の理想です。そんな君たちを、ペットなどに出来るはずがない」

 

 続くヘロヘロの言葉に、少しだけソリュシャンの表情に明るさが戻る。

 

「君たちは一人一人、忙しくあまり時間の取れない私が、許される限りの時間を使って創造しました。特にソリュシャン、君にはたくさんの時間を掛けたんだよ?」

 

 この名の示す通り、仕事の納期にヘロヘロになりながらも、夢中になって行動AIを組み、メイドの外装デザインを担当した友人と、ああでもない、こうでもないと口論しながら創造したのだ。

 

「私に、ヘロヘロ様の大切なお時間をですか……?」

 

 当時を思い出し、ヘロヘロは思わず笑う。

 

「ああ、そんな悲しそうな顔をしないで、ソリュシャン。私たちは楽しんでいましたから。ふふ、ソリュシャン? 最初君のヘッドドレスは黒色のそれではなく、ティアラだったんだよ?」

 

 ソリュシャンに近寄る様に手招きをし、自分の前で跪く彼女の髪にそっと触れる。ソリュシャンの外装は、自分の要望を伝えホワイトブリムに依頼した。最初に上がってきた設定画ではヘッドセットでは無く、その代わりにティアラがあったのだ。

 

「……私が反対しました。これほど綺麗な髪をしているのだから、必要ないとね。ソリュシャン、君の髪にはやはりこの黒色のヘッドドレスが一番似合う」

 

 本当はホワイトブリムと一番熱く争ったのは、ソリュシャンの最初の設定画ではレザーのニーハイソックスだったのを、勝手に網タイツに変えたことだったのだが、それは言わなくていいだろう。

 

「そんな君がペットになりたいだなんて。そんな悲しいことは言わないでソリュシャン。君たちは、君は、私の理想なのだから」

 

 そこまで言うとソリュシャンは長く頭を下げ、そしてゆっくりと立ち上がる。立ち上がる頃には、いつもの笑みが浮かんでいた。

 

「そう、それでいいんだよ。さあ、ソリュシャン。そろそろ彼女が目覚めると思う。彼女にナザリックに関わるものとして、最低限の知識を与える役目を、君に頼んでいいですか?」

 

「―頼みなど。お命じ下さい、ヘロヘロ様」

 

「では命じます、ソリュシャン・イプシロン。私が帝国に行っている間に、あくまでもペットだから、そこまで高いレベルは要求しませんので、ほどほどに教育を施すように。……念のため他のナザリックのモノが誤って殺してしまわぬように、気を付けてあげてね? 」

 

 ヘロヘロがそう言うと、ソリュシャンは恭しくお辞儀をする。その姿にヘロヘロは心の中でため息をつく。

 

(何とかなったかな? はー、びっくりした。でもこれで後は皇帝さんに説明するだけですね。失敗しないようにしなきゃ。闘技場はどうにかなるだろうし。ああでも、ここまでやってレイナースさんからナザリックに仕えたくないって言われたら困るな。大丈夫かなー。うん、大丈夫だよな。もし駄目なら説得頑張りましょう!)




小分けして更新することを覚えました。
そのほうが一杯サブタイトル付けられますしね!


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 至高の方々、闘技場で戦う

「―それでは皆様、大変お待たせいたしました。これより挑戦者の入場です!」

 

 マジックアイテムで増幅された進行係の声に、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの、スレイン法国の使者による最初の質問に対する答えを書こうとした手が止まる。

 かの武王に戦いを挑む挑戦者に好奇心が湧いたためだ。

 ただでさえ帝国四騎士不動の死、そして重爆の失踪により、戦力が低下している。優秀で、なおかつ帝国に仕える気があるのなら、敗北しても採用しても良いとジルクニフは思った。

 

「……挑戦者は今もっとも話題のあの国からおいでになられました! アインズ・ウール・ゴウン魔導国、至高の四十一人! 古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)のヘロヘロ様!魔導王陛下と共にご入場です!」

 

「―はぁ?」

 

 ジルクニフが間抜けな声を上げ、貴賓室を見渡し、誰もが自分と同じ音を耳にしたという確信を得る。

 

「魔導国? 至高の四十一人?」

 

 何のことか、さっぱりわからない。

 さっぱりわからないが、進行係はかなり重要なこともさらりと言っていた。魔導王陛下と共にご入場と。

 様々な考えが浮かぶ中、目だけを動かし、スレイン法国の使者を見る。フード下の彼らの視線は鋭い。慌てたようにこれは罠だと叫んでも、少しも信用してもらえなかった。

 とにかくこのままでは不味いと退室しようとするが、それよりも早くに闖入者からの声がする。

 

「ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス殿。久しぶりだな」

 

 荒い息を抑え込みながら振り返ると、おぞましい素顔を平然と晒す魔導王の姿。

 

「ご、ごじらご―ふぅ。こちらこそ、ゴウン殿」

 

 ジルクニフはそれだけを、やっとの思いで口にした。

 

 

 

 

 

「―では最初に私の友人を紹介しようじゃないか、エル=ニクス殿。今武王と対峙しているのがヘロヘロ。私と共にナザリックを作り上げた者の一人だ」

 

 並び合った、闘技場を一望できる貴賓室の椅子に腰かけ非常に上機嫌な魔導王が、邪悪な笑みを浮かべ、武王と相対する小さな粘体の名をジルクニフに紹介する。

 法国の使者は去り、神官長達も去っていった。もはや法国との関係だけでなく、神殿勢力との確執も決定的だろう。この邪悪なアンデッドはそれを全て理解したうえで、あえてこの貴賓室に残っているのだ。自分とこのアインズ・ウール・ゴウンの関係を、周囲に知らしめるために。

 ならばジルクニフの取れる手段は一つだ。

 少しでも多くの情報をこの魔導王から引き出し、事後の対策にあたる。知略戦でアインズには勝てないが、もはやなりふり構ってはいられない。

 ジルクニフは掌に滲んだ汗を、気取られないように服で拭いながらアインズに問いかける。

 

「……紹介いたみいるゴウン殿。彼、でいいのかな? ヘロヘロ殿はゴウン殿のご友人との事だが、フィオーラ殿、フィオーレ殿とはまた違う立場だということだろうか?」

 

 ジルクニフの問に、魔導王がくつくつと笑みを漏らした。

 

「もちろんだ、エル=ニクス殿。初めに言っただろう、私と共にナザリックを作り上げたと。……そうだな、わかりやすく言えば彼は私と同じ、ナザリックの、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者の一人だ」

 

「そ、それでは至高の四十一人とは!?」

 

「ナザリックのモノたちが我らをそう呼ぶのだ。ナザリックを作り上げた至高なる者、至高なる四十一人とな」

 

 その魔導王の言葉に、ジルクニフの世界は足元から崩れ去っていくようだった。それほどのショックを受ける。

 

(ば、馬鹿な。魔導王一人ではなく、そんなものが四十一人もいるだと?―ありえない……。そんなもの、一体どうしろというのだ!?)

 

「どうされた? エル=ニクス―いや、ジルクニフ殿。顔色が悪いが、気分が優れないのかな」

 

「だ、大丈夫だ。……いや、少し風に当たってこようと思う。ゴウン殿、すまないが席を外しても? 」

 

「構わないさ、ジルクニフ殿。だが直に試合が始まるだろう。見逃すのは、惜しいと思うぞ? 」

 

「ならばすぐに戻るとしよう―失礼」

 

 そういって席を立ち、アインズから離れる。そうしてからジルクニフは自身が最も信頼する者の一人、雷光バジウッドに小さく問いかけた。

 

「……おまえたちはあれをどう見る?」

 

 ジルクニフの質問の意図を理解したバジウッドが、これもアインズには聞かれないように、小さく答えた。

 

「……正直言って、普通の低級スライムにしか見えませんぜ。あれならあの死の騎士(デス・ナイト)の方がよっぽどヤバそうだ」

 

「……本当か?」

 

「ええ。まあ、あの国の事ですから、何かとんでもないマジックアイテムでも隠し持っているのかもしれませんが、見た限りは」

 

 ジルクニフがちらりと視線をニンブルに向ける。魔導王に対して少し震えているようだが、それでもバジウッドに同意するようにニンブルも頷いた。

 

(……なるほど。確かに強さまでも、あの化け物と同格というわけではないのかもしれん。それならば、打つ手はあるか……?)

 

 部下からの評価を聞き、落ち着きを取り戻したジルクニフはアインズの待つ席に戻る。

 

「失礼した、ゴウン殿」

 

「顔色も戻ったようだな。安心したぞ、ジルクニフ殿。なに、試合もこれから始まるところだ。さあ、一緒に観戦しようじゃないか」

 

 その言葉が示す通り、試合開始を伝える鐘が鳴った。

 

 ジルクニフにはあまりに速くほとんど目では追えていないが、武王が一気に距離を詰め、手に持った棍棒を粘体相手に叩きつけたようだった。

 巻き上がる土煙が風に流された後に、粘体の姿は無い。避けられてしまったようだが、武王はすぐさま追撃に移っていた。 

 

(……武王がんばれ。少しでもこいつらの戦力を削ってくれ!)

 

 棍棒を振るう武王に、ジルクニフは声には出さず応援をする。バジウッドの評どおりならば、武王の勝ちは揺るがないはずだ。今は少しでも魔導国の戦力を削ってほしい。その思いからかジルクニフは、普段の姿からは想像もできない、子供のような態度を出してしまっていた。

 小さな笑い声が聞こえ、それがすぐ隣の魔導王からだと知り、慌ててアインズに向き直る。

 

「あ、ああ。すまないゴウン殿。少し興奮していたようだ」

 

「構わないとも。……ふふふ、ジルクニフ殿が良ければ、試合の合間に少し私たちの話をしようじゃないか。聞きたいことがあれば、遠慮無く聞いてくれていいぞ?」

 

 魔導王は視線は闘技場で戦う武王とモンスターから逸らさずに、非常に上機嫌に言う。突如湧いた思わぬ好機に、ジルクニフは興奮気味にアインズに問いかける。

 

「で、ではまず先ほどの至高の四十一人とは、ゴウン殿を頂点とした集団なのだろうか?その、強さなどもゴウン殿を頂点とした……」

 

「はっ―はははははは!」

 

 ジルクニフの問に、アインズの朗らかな笑い声が貴賓室に響きわたる。

 馬鹿な質問だと思われたのだろう、普段なら恥辱に感じるところだが、今は正直安堵の気持ちの方が強い。この哄笑は、強さにおいて魔導王に並び立つものなど居ないという証。当然だ、魔法一つで二十万という兵力を蹂躙できる相手に並び立つものなど―

 

「―何か勘違いをしているようだな、ジルクニフ殿。確かに私は彼らのまとめ役という立場にあるが、あくまでまとめ役にすぎない」

 

「そ、それは一体どういう意味だろうか?」

 

「私の仲間至高の四十一人の中には、私よりも強い者が居るという事だ。そう、私よりも強い戦士も居れば、私よりも強力な魔法を操る魔法詠唱者も居る。私よりも遥かに深い知識を持った者もな。ふふ、彼らは私の憧れだよ。もちろん私自身も彼らに負けないものがあると、自負しているがな」

 

(こ、この化け物より強く、憧れる者がいるだと!? そ、そんなものがこの世に存在していていいはずがない!)

 

 アインズの答えに、ジルクニフは再び世界が壊れ、地に穴が開いてしまったかのような衝撃を受ける。むしろその穴に落ちて、全て忘れることが出来たのならばどれだけ幸せだろうと思った。だが、それでもどうにか心の最後の一線だけは保ち、これだけは聞いておかねばと口を開く。

 

「い、今武王と戦っているヘロヘロ殿は、どんな方なのだろうか?」

 

 ジルクニフの問に、魔導王はその質問を待っていたと言わんばかりの笑みを浮かべる。

 

「彼はかつて我らに歯向かい敵対した者達から、最も恐れられ、最も忌み嫌われた男だよ」

 

 

 

 

 

 

「<剛撃><神技一閃>」

 

 武王からの攻撃をヘロヘロは跳ねる様にして躱す。武王が僅かに首を左右に動かし、こちらの位置を探っていた。隙だらけだなと思いつつも、ヘロヘロから攻撃をする事はしない。ようやくこちらを捕捉したのか、武王が突進してきた。

 

「<流水加速>」

 

 武王の突進が、急に加速する。観客からは武王が一気に距離を詰めたように見えるのかもしれない。歓声が聞こえる。だがヘロヘロはまったく動じることなく武王の突進を躱し、背後に回り込む。

 武王が振り上げた棍棒がヘロヘロの居た場所に振り下ろされ、衝撃に土煙が舞う。観客の声が大きくなった。大歓声だ。ヘロヘロはそこに自分は居ないのに何で盛り上がるんだろうと思いながら、武王の背中を眺めていた。

 ヘロヘロの姿が無い事に気付いたのか、武王が再び首を振って辺りを探っていた。棍棒が振り下ろされる前に、普通に移動して背後に回り込んだだけなのだが、武王には見えていないらしい。

 

「後ろですよ」

 

 ヘロヘロの声に驚いたように武王が振り返り、慌てて距離を取る。こちらから攻撃は一度もしてないのに大袈裟だなとヘロヘロは思う。そして、十分距離を取ってから武王が、肩で息をしながら口を開いた。

 

「聞かせてくれ。……俺は弱いのか?」

 

 相対する武王、確か試合開始前にゴ・ギンと名乗っていたか、妖巨人の対戦相手に問われ、ヘロヘロは首を傾げる。弱いかと聞かれても、ヘロヘロはこの試合がこの世界における初めての戦いだ。そもそも比較できる対象が居ない。どう答えればいいか迷うが、隠してもしょうがないので思ったままの事を口にする。かつて自分が戦ってきたユグドラシルのモンスターや、プレイヤーと比べて。

 

「―弱い、ですね。友人から貴方が闘技場の王だと聞いていたので少し楽しみにしていたのですが、正直期待外れです」

 

 ヘロヘロはアインズから武技と呼ばれるユグドラシルには無かった技を警戒するように言われていたが、それも期待外れだった。先程から確かに何かしているようだったが、百レベルの近接職であるヘロヘロには、全てが遅すぎるし、直撃したところでダメージを受けるようなものではなかった。

 

「……そうか」

 

 武王は荒い息で、ヘロヘロの言葉に答える。

 試合が開始してから、ヘロヘロは一度も攻撃をしていない。武王の攻撃を、ひたすら避けていただけだ。傍からは防戦一方に見えているのだろう。先程から会場は大盛り上がりだ。

 だがヘロヘロはいつでも武王に攻撃をし、仕留めることが出来ていた。そうしなかったのは、せっかくだから体の動かし方を、感触を確かめようとしていただけに過ぎない。 

 そのことに気付いているのは恐らく、闘技場の貴賓室でこの戦いを見守るヘロヘロの友人と、直接相対していた武王の二人だけだろう。

 

「ですが私も、この世界での体の動かし方を理解する良い経験にはなりました。もしよければ、ここまでにしますか? ……私にとってこの試合は、罰ゲームみたいなものですし」

 

 少しして武王は落胆したような、乾いた笑いを上げる。

 

「はははは、罰ゲームか。……あなたにとっては俺との戦いは、その程度でしかないのだな……」

 

 悲しそうに言う武王に、僅かにだが申し訳なく思った。少なくとも相手は命を懸けて戦っているのに、今の自分の言葉はあまりにも失礼な言葉だった。どうも自分は、ユグドラシル最終日にアインズに向け言ってしまったように、意図せず失言をしてしまうらしい。

 この世界に転移することになった切っ掛けを思い出し、武王に詫びるつもりで、ヘロヘロは一つの提案をすることにする。もし武王が望むのならば、少しの時間だけ本気を出して戦おうと。例えそれがどういう結果になろうとも。それくらいしか、この武王に詫びる方法が分からなかった。

 

「……もし、あなたが望むのならば、少しの間だけ本気を出して戦います。たぶんあなたは死ぬことになると思いますが、どうしますか?」

 

 ヘロヘロの問いかけに、武王は盛大に笑う。嬉しかったのかもしれない。

 

「至高の四十一人ヘロヘロ殿、最後に見せていただきたい。本気の力の、その一部だけでも。頂の高さを感じさせてほしい!!」

 

 武王が武器を構えながら、吠えた。 

 

「……わかりました」

 

 ゴポッと音がする。泡立つような音はヘロヘロの粘体の体から聞こえた。音が大きくなると共に、小さかった体が、肥大化していた。

 ゴポゴポという音が収まると、小さな子供ほどの大きさしかなかったヘロヘロの体が、武王ほどでは無くとも、巨大に膨れ上がっていた。そして眼窩の窪みのようなものに、おぞましい輝きが灯る。

 酸性を抑えるための普段の姿からの、変貌。これが古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)としてのヘロヘロの真の姿だった。

 

 

 

 

 

 

「……なんだ、あれは……。なんだというのだ……?」

 

 先ほどまで武王の繰り出す攻撃と共に上がる歓声で盛り上がっていた闘技場が、一気に静まり返る。小さかった粘体のモンスターが急に肥大化したために。

 精神防御のアイテムを身に着けているジルクニフですら感じる圧倒的なプレッシャーに、一滴の汗が頬を伝う。鼻や喉を焼くような刺激臭が、この貴賓室にまで届いてくるようだった。粘体から滴り落ちる体液が、闘技場の土を焼いている。

 

「……ま、不味い。あれは不味いですよ陛下」

 

 いつの間にか近寄ってきていたバジウッドが、隣に魔導王がいるにも拘らずジルクニフに忠告する。

 

「で、死の騎士(デス・ナイト)なんてものじゃない。あれはそんなレベルじゃないですよ。ヤバすぎて、どれだけヤバいのかすら俺なんかじゃわからない。だけどあれが動いたら俺たちは終わりだってことはわかる。い、今すぐ陛下だけでも逃げて貰わないと―」

 

「―落ち着け! 」

 

 巻くし立てるバジウッドの言葉をジルクニフが遮る。隣には魔導王がいるのだ。アインズの前でこれ以上、奴が友人と呼ぶものを貶めさせるわけにはいかなかった。

 

「……すまないゴウン殿。部下が失礼をした」

 

「ふふふ、構わないさ。彼は私の友人の真の姿に興奮してしまったのだろう?ならば我々が悪いということになってしまうじゃないか」

 

 機嫌よさそうにアインズが答える。

 

「ああ、私も彼のあの姿を見るのは久しぶりだ。ふふ、本当に懐かしい。あれはだな、ジルクニフ殿。彼の、古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)としての本当の姿。スライム種のなかで最強に近い存在なんだぞ?」

 

 アインズはバジウッドの態度を気にした様子も無く、上機嫌に続ける。

 

「ふふふ、ジルクニフ殿。彼が本気を出したのならば、すぐさま試合が終わるという事だ。ああ、楽しみだ。彼から目を離さないほうがいい。きっと素晴らしいものを見せてくれる。そら、武王が動くぞ」

 

 アインズの言う通り、武王は武器を構え駆けだしていた。大きく振りかぶった棍棒を、叩きつける様に振り下ろす。粘体のモンスターは避ける素振りも見せない。直撃したとジルクニフが確信した瞬間、武王の手から棍棒が消失していた。

 いや、無くなったのではない。現に武王の手に柄は残っている。ただ粘体に触れた部分だけ、まるで溶かされていたように、無くなっているのだ。

 

 驚いた武王が、すぐさまに距離を取る。しかし粘体の体が闘技場の土を這うように広がっていき、それが武王の足元にまで届く。

 粘体に触れた武王の足元が、ゆっくりと沈んでいった。

 武王は武器を、残った柄を足元に突き刺すが、それすらも飲み込まれていく。態勢を崩した武王の左手が粘体の体に触れる。すぐさま左手が溶かされるように飲み込まれた。その姿は底なし沼に嵌ってしまった哀れな大型生物のようだ。もがけばもがくほど、武王の体が粘体に沈んでいく。

 

 静まり返った闘技場に、武王の雄叫びとも、悲鳴ともとれる叫び声だけが反響する。嘘のような光景だが、それが嘘ではない証拠に、武王の頭部が飲み込まれると、あれだけ響いていた武王の叫び声が消える。そして最後に残った、光を求める様に伸ばされた右腕が力を失ったとき、完全に武王は漆黒の粘体に飲み込まれていた。

 

 歴代最強と謳われた八代目武王が何もできずに、飲み込まれていく姿を目撃した観客たちは、誰もが怯え、声すら上げられずにいる。

 試合終了を告げる鐘の音も無く、静寂だけが闘技場を包んでいた。

 

 その中で、小さな拍手がジルクニフの耳に届く。音に振り返れば、愉快そうに拍手をする魔導王の姿。

 

「どうした? 私の記憶が確かならば、闘技場の勝者はこうして称えられるのだろう?」

 

 拍手を続ける魔導王が静かに続ける。

 

「―喝采せよ。我が友の力を」

 

 そしてジルクニフは、苦渋に満ちた顔で拍手を始めた。ジルクニフが始めれば、バジウッドとニンブルが。そしてそれに呼び起こされるように、拍手が闘技場全体に広がっていき、万雷の喝采となる。

 一方的で凄惨な試合結果に怯える観客の拍手に満足したのか、アインズは笑みを浮かべ、立ち上がった。

 

「では私はこれで失礼するとしよう。実に有意義な時間だった。短い間だったが、私の仲間の事を語ることが出来て楽しかったよ、ジルクニフ殿」

 

「あ、ああ。私もだゴウン殿。貴重な話を聞かせてもらい、感謝する」

 

「ふふ、そう言ってもらえれば何よりだ。では息災でな」

 

 そう言って魔法を使い闘技場に降りていくアインズを見つめながら、ジルクニフは自分の心が、完全に折れてしまった事を実感する。帝国最強である武王を一蹴するような化け物が四十一人もいると聞かされれば、誰もがそうなってしまう筈だ。

 

(もはや一人二人奴の配下を離反させようとも、意味がない。おのれ、化け物め。化け物どもめ……)

 

 ジルクニフにはもはや、骸骨と粘体が何事か話し合っている姿を睨みつけるだけの気力も、残されていなかった。

 

 

 

 

 

「おつかれさまでーす。ヘロヘロさん」

 

 元の小さな姿に戻ったヘロヘロに向かって、アインズが<飛行(フライ)>を使い、ゆっくりと貴賓室から降りてくる。ヘロヘロはそのアインズに手を振りながら答えた。

 

「おつでーす、モモンガさん。……どうでした? 私の試合?」

 

 ヘロヘロの質問に満面の笑みでアインズは答える。

 

「もう、最高でしたよ! 武装殺しのヘロヘロ。健在ですね!」

 

 笑って言うアインズにヘロヘロは苦笑いで答える。アインズ・ウール・ゴウンの対策wiki。その中で自分がいろいろと悪し様に書かれていたことを思い出して。

 装備が惜しければ戦うな、PvPに勝利したはずなのにメイン武器を溶かされていた、触れるな危険、コアラサイズだと侮るな。奴は本気を出すとゴリラになる、等々。

 

「皇帝の部下なんて、ヘロヘロさんの雄姿にすごい興奮していましたよ?今ならあの女の引き抜きの話、上手くいくと思います」

 

 アインズの言葉に、安心した様にヘロヘロは息を吐く。

 

「ああ、よかった。それでええと、皇帝さんの名前は何でしたっけ?たしかジル? ジルク―」

 

「ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスですよ、ヘロヘロさん」

 

「ああ、そうでした。……心配だな、名前の途中で噛んでしまいそうです」

 

「ふふ、安心してください。そう思って私が試しにジルクニフ殿って呼んでみましたが、怒られませんでしたよ?」

 

 けっこうしつこいくらい呼んでみましたが、平気でしたと続けるアインズに、ヘロヘロは流石ギルド長だと、改めて感服する思いだった。

 

「流石です。流石ですよモモンガさん。ありがとうございます。レイナースの引き抜き、必ず成功させてみせますよ! では、行ってきますね!」

 

「あ、ヘロヘロさん。ちょっと待ってください!」

 

 飛び上がって貴賓室に移動しようとするヘロヘロを、アインズは慌てて呼び止める。疑問符を浮かべるヘロヘロにアインズが続ける。

 

「武王ってどうなりました? 死体があるのでしたら、蘇生をさせてから冒険者引き抜きの話をしようと思うのですが」

 

「ああ、別に死んでませんよ。ほら」

 

 そういってヘロヘロの体から武王の腕が突き出る。異常な光景だが、アインズは気にせず続ける。

 

「それ全部吐き出せますか? 折角ですし、蘇らせる振りでもしてみます」

 

「わかりましたー」

 

 そう言ってヘロヘロは武王の体を全て吐き出す。武王の大きさは、今のヘロヘロの何倍もあるが、なんの抵抗もなくずるんと、武具は全て溶かされ皮膚も焼けただれ状態の武王が、闘技場の土の上に吐き出される。

 

「そういえばヘロヘロさんが最後に使ったスキルは何なんですか?ユグドラシルでは見た覚えのないスキルでしたが……」

 

「ああ、あれ。あれは相手の武具と体に纏わりついて継続ダメージを与えるDotスキルなんですが、この世界ではあんな感じに飲み込んでしまうんですねー。少し驚きました」

 

「なるほど。ユグドラシルとこの世界での違いですか。ちょっと相手が弱すぎて残念だなって思いましたが、ちゃんと役に立ってくれていたんですね」

 

「ええ、Dotスキルで終わってしまって、モンクのスキルを試せなかったのは想定外でしたが。まあ強さは兎も角試合前に少し話しをしたんですけど、いい感じの人でしたよ?私の名前も馬鹿にされませんでしたし」

 

 アインズから聞かされていた、この世界の妖巨人が長い名前を云々というようなことは、この武王には無かった。

 

「それはヘロヘロさん、名前短いですし……。まあ、私もあの時モモンガと名乗れれば良かったんでしょうけど」

 

「はは、そうですよね。それじゃあ、皇帝さんの所に行ってきます。モモンガさん、演説ガンバです!」

 

「ヘロヘロさんも頑張ってくださいね。くれぐれも余計な波風は起こさないように、注意ですよ?」

 

「了解でーす。今度こそ失敗しませんよ」

 

 そう請け負い、ヘロヘロは一息に貴賓室まで跳躍する。

 貴賓室に飛び移ると、帝国の皇帝が驚愕した様な顔をヘロヘロに向ける。警護らしい騎士が二人、あからさまに怯えながらも、皇帝を庇うように前に出ていた。

 何かアインズから聞いていた話と少し反応が違うが、まあいいかとヘロヘロは気にせずに皇帝、ジルクニフに挨拶をする。

 

「初めまして、ジルクニフ殿。アインズ・ウール・ゴウン魔導国至高の四十一人、ヘロヘロと申します。以後お見知りおきを……」

 

 そこまで言って、言葉に詰まる。社畜ではあったが、アインズのように営業をしていた訳ではない。偉い人に対し、どう話せばいいのかわからないのだ。

 

「こ、これはヘロヘロ殿。本来ならばこちらから挨拶に伺うところを。すまない、貴殿の試合に感激するあまり、そのことを失念していたらしい」

 

「いえいえ、構いませんよ。楽しんでいただけたのならば、私も嬉しく思います」

 

 本当はアインズのような格好いい話し方をしたいのだが、ヘロヘロは諦めていつもの、仲間たちに対するような口調で答えることにする。無理をしても、すぐばれるだろう、レイナースの話ではこの皇帝はずいぶんと優秀らしい。

 

「それで一体どうしたのだろうか?ただ挨拶をしに来てくれたわけではないのだろう?もし何かあるのなら遠慮なく言ってくれていい。素晴らしい試合を見せてくれた、せめてもの礼だ」

 

 本当に優秀だ。こちらが言いづらいことを向こうから振ってきてくれた。ヘロヘロは小躍りしそうになるのを必死に抑えつつ、今回自分が闘技場で戦う羽目になった理由を述べる。

 

「ええ、レイナース・ロックブルズの事でお話が……」

 

 その名を出したことに、ジルクニフは小さく反応し、少しだけ考え込んだようだった。だがすぐさまヘロヘロに向け、口を開く。

 

「彼女は今、魔導国にいるのだろうか? まさか、ヘロヘロ殿の下に?」

 

 確かめるように聞かれ、ヘロヘロは頷く。本当に話が早くて助かる。

 

「はい。彼女は今、私の下に居ます」

 

 ヘロヘロが貴賓室に上がってきた時は、死んだような顔をしていたジルクニフに、生気がみなぎり始めた。

 部下の安否を知り、安心したのかもしれない。そう考えるとヘロヘロのジルクニフに対する好感度ゲージが徐々に上昇していく。自分がここに飛ばされる前に勤めていた会社の上役はヘロヘロの心配など、恐らくしていないだろう。ヘロヘロが抜けたことによる納期の遅れは、心配しているだろうが……。

 

「安心してください。レイナースの呪いは解呪しました。その、それでなんですが、彼女が帝国から私たちの国に転職……鞍替え? したいと希望していまして」

 

「一つお尋ねしたいヘロヘロ殿。レイナースは貴殿から見て、魅力的に映ったのだろうか?」

 

「え?え、ええ。非常に魅力的だと思います」

 

 自分が創造したメイド達ほどではないですけど。それは飲み込んでジルクニフの問にヘロヘロは頷く。

 

「そうか、それはよかった。レイナースの事、よろしく頼むヘロヘロ殿。望むならば、すぐにでも彼女の私物を魔導国に届けさせよう。レイナースの装備は、本来ならば帝国所有のものだが、彼女には随分働いてもらった。餞別代わりに受け取ってもらっていいと、伝えていただけるだろうか? 」

 

「ええ、ええ。お伝えしますとも」

 

 レイナースの装備は、ヘロヘロから見れば価値の無い装備だったが、デザインは気に入っている。くれると言って断る理由がない。

 

「ふふ、ヘロヘロ殿がこちらに見えた時、別の話(属国化)をしようと思ったのだがな。……どうだろう、ヘロヘロ殿。帝国と魔導国、二つの国の友誼の証として盛大な式典、いや舞踏会を開きたいと思う。もちろん必要なものは全て、言い出したこちらから用意をさせてもらおう。どうか他の至高の方々と共に、招かせてもらえないだろうか?」

 

「…………え? ……舞踏会?」

 

 話が見えない。どうしてそういう話になっている。ヘロヘロはおろおろと動揺しつつ、なんとか言葉を紡ぐ。

 

「えっと、ええー。そ、それは、私の一存ではお答えすることができませんので、うん、そうだ、仕様書のデータを、いやいや、書面か何かを魔導国宛に―」

 

「わかった。日取りが決まり次第、招待状を魔導国至高の方々宛に出させていただく」

 

「しょ、招待状? ああ、いえ。わ、わかりました。そ、それでは私はこれで失礼しますね。で、ではまた」

 

「ああ、ヘロヘロ殿。次は舞踏会で会えることを、楽しみにしている」

 

 そういうジルクニフに背を向け、冒険者勧誘の演説を終えたらしいアインズの下に急ぐ。急いで自分と一緒にナザリックに転移してもらいたかった。

 舞踏会など、引き抜きの話をしに行っただけなのに、なんでそうなるんだ。

 どうして、こうなるんだ

 

「ああー、ヤバい、ヤバいよ。舞踏会なんて、なんで。ああ……また茶釜さんに怒られてしまう……」

 

 ぶくぶく茶釜の怒り顔、顔は無いが、それが浮かぶ。やはりアインズのように上手くはいかないとヘロヘロは粘体の手で顔を覆う。そしてレイナースを連れ帰った時に聞いたぶくぶく茶釜の苛ついたような怒り声を思い出し、また怒られるのかとヘロヘロは泣きそうになっていた。




ヘロヘロさんは、普段はアニメの姿。本気を出すと至高の四十一人紹介の姿になると思っています。
誤字訂正ありがとうございます。
一発クリックで直せるとか、凄いや!


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 至高の方々、姉弟の関係

「……くっくくく、はーっはっはっは!」

 

 闘技場の貴賓室。試合を終えて挨拶に来たヘロヘロと名乗る至高の四十一人と呼ばれる化け物の一人を見送った後に、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは盛大に笑う。心配そうに見つめる部下の視線に気付き、ジルクニフは笑い声を潜めるが、それでも小さく笑みを浮かべ続ける。

 

「そうチラチラとこちらを見るな。安心しろ、気が触れたわけではない」

 

「……あんな化け物を見た後ですからね。とうとうおかしくなっちまったかと心配しましたよ、陛下」

 

 バジウッドの歯に衣を着せない口ぶりに、ジルクニフは笑みを強くする。

 

「まあ、実際あの化け物と口を交わすまでは、属国を申し出るつもりだったからな」 

 

「陛下!?」

 

 ニンブルが思わず声を上げる。属国という言葉が衝撃的だったのだろう。

 

「でもそうしなかった。そうしなかった理由があるんですよね、陛下。それにあの化け物たちと舞踏会だなんて、一体どんな狙いがあるんです?」

 

 バジウッドの質問に、揶揄う様な笑みをジルクニフは二人に向ける。

 

「お前たちはレイナースをどう思う? ああ、騎士としてではなく、女としてだ」

 

 その質問にバジウッドとニンブルは顔を見合わせる。その様子を楽しそうにジルクニフは見つめながら、答えを待った。

 

「まあ、魅力的ではありますよ。あの顔の呪いさえなければ、ベッドに誘うぐらいはしていたでしょうね」

 

「バジウッド殿。それは少し露骨では……」

 

 ニンブルにバジウッドが窘められるが、ジルクニフはその答えに満足してた。

 

「そう、それだ」

 

「ベッドに誘う事ですか?あの粘体にそんな事が出来るようには見えませんでしたが」

 

「違う、レイナースの呪いだ。あの化け物は呪いを解いたと言った。その上でレイナースを魅力的と言ったんだぞ?」

 

「はあ」

 

 わからないと言った表情を浮かべる二人にジルクニフは続ける。少しだけ光が見えたことに、興奮が隠せなかった。

 

「あの膿の湧いた顔が気に入ったと言うのならば、化け物の感性と納得するところだがな。だがアイツは、ヘロヘロとかいう化け物は、帝国の神官にフールーダですら解けなかった呪いを、恐らくだがわざわざそれなりの労力を払い解いたんだぞ?」

 

「それが何に繋がるのでしょうか?」

 

「簡単な話だ。化け物といえども、我々と美的感覚はそう変わらないということだ。ならば奴らの欲望を、こちらでくすぐってやればいい。帝国中の貴族、いや美しければ平民や、なんだったら娼婦でも構わないさ。初めて奴らの墳墓を訪れた時と同じだな。色を武器に使う」

 

「……果たしてあの国にそれが通じますかね?」

 

 あの墳墓で見たメイド達の美しさを思い出しているのだろう。バジウッドが懐疑的に言う。

 

「あれほどの美姫だ。いくらあの国でもそう数は居ないのだろう。思い出してもみろ。メイドを除けばあの墳墓でアインズ・ウール・ゴウンの周りに居た女は白いドレスの女、それに銀髪の少女に闇妖精、それだけだ。他は化け物ばかりだったぞ?だが、あのアンデッドが自らと同格と呼ぶものは四十一人もいるという。人数の釣り合いが取れないじゃないか」

 

 なるほどとニンブルが声を上げるが、完全には納得は出来てはいないといった声だった。ジルクニフはそれに頷く。

 

「……正直、どこまで上手くいくかは見当もつかん。こちらの目論見通りに帝国の女を取り込ませられたとして、その女たちが此方を滅ぼせと奴らに囁けば、それだけで帝国は終わる。だが他にどんな手が打てる? はっきり言って俺の心は完全にへし折れたぞ?色を使い、あの至高の四十一人同士で争わせる以外にどんな方法がある? あのアンデッドは楽しそうに、自分よりも強い者が居ると言っていたんだぞ?」

 

 ジルクニフから言われて、魔導王の恐ろしさを目の前で見せつけられたニンブルは俯く。

 そのニンブルの気持ちが、ジルクニフには痛いほどに理解できた。魔法一つで王国の軍を壊滅させる化け物の、更に上をいく化け物の存在など、どんな冗談だと思う。

 

「もはや帝国の力だけでは足りない。その為の法国との交渉だったが、それも奴らに潰された。ならば後は奴らで潰し合ってもらい、最後に残った一人を相手にするしか帝国―いや人の生き延びる道はあるまい」

 

「あの化け物どもが帝国で争わない事を祈るしかないってわけですか。あんな化け物共が暴れたら、それだけで俺達は吹き飛んじまう」

 

「そうだな。あの化け物共が帝国の領土内で争わないことを祈るばかりだ。それにだ。舞踏会で上手くこれまで以上の友誼を奴等と結ぶことが出来れば、最悪帝国だけは無事でいられるかもしれん。いや、見逃してもらえるというのが正解か? 」

 

 帝国だけという言葉に、バジウッドとニンブルが僅かに顔を伏せるが、ジルクニフはそれには何も言わずに続ける。

 

「時間がない。まずは儀式官に通達し、舞踏会の準備を進める。秘書官にも周辺諸国に連絡を入れさせなければならない、巻き込めるものなら巻き込むぞ。それと女の準備だ。エルフの奴隷も集められるだけ集め、出来る限りの教育を施す必要がある。……しばらくはこれまで以上に忙しくなるぞ!」

 

 そういうジルクニフの声音には、憂色が満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 今頃ヘロヘロさんが闘技場で戦ってる頃かなと、ぶくぶく茶釜は図書館の一室で羊皮紙の巻物を読む手を止めて、少しだけヘロヘロとアインズの事を思う。

 

(モモンガさんはあれで毎回上手くいってるみたいだからいいけど、ヘロヘロさんは少し不安だなー。余計な事起こしてなきゃいいけど)

 

 自分の弟を含めてあの三人は、どうも幼児化が進んでいる気がする。中身は全員社会人のはずなのにと、手を取り合って踊っていた彼らを思いだし、少しだけ吹き出す。

 

(あー、ホント。我慢しないで交ざっておけば良かった。まったくあの三人は、私だって遊びたいんだぞ? )

 

 子供の様にはしゃぐあの三人は、正直とても楽しそうで非常に羨ましい。あの三人は本当にユグドラシルの、楽しかった時間の続きをやっている。図書館に籠っている自分が間違えているのではないかと思う程に。だが、それでも現実世界に帰るという気持ちに変化は無い。例えその気持ちが揺らいだとしても、ぶくぶく茶釜は現実世界に帰還する。元の世界に残したものが、家族を含め多すぎた。

 

(……だけどへロヘロさんはこの世界に来てから印象変わったなー。ユグドラシル時代は、仕事に疲れてぐったりしてる事が多かったのに。今じゃ弟並みに心配の種だ。……ヘロヘロさんの話を聞く限り、あの人はいずれ身体を壊していた。自分の身を守るためにも、この世界に残るって選択は間違っていない)

 

 あの世界は、身体を壊し働けなくなれば、本当にそこで人生が終わってしまう。大多数の人間は企業に守られてるからこそ、生きていられる。そしてその企業の庇護は、身体を壊して働けなくなっただけで、簡単に失われる。

 声優という職業に就くぶくぶく茶釜とてそうだ。技術があるために多少の潰しは効くが、それでも自分が今の声を出せ無くなればと考え怖くなる時はある。普通の職業に就く弟にしてもそうだ。絶対的な保障なんて何処にも無いのだ。

 もしかすれば圧倒的な強さを持つこの世界の方が未来は明るいのではないかと、そう思ってしまう程に。

 

(ウルベルトさんがよく言ってた勝ち組でもないと、どうしたって不安になる。でもだからって、アイツは置いて行けない。置いて行けないよぉ……)

 

 弟の事を思ってから、ノックがした。そのノックをぶくぶく茶釜は疑問に思った。アルベドは今は王国に向かっているはずだし、司書も資料の回収に先ほど来たばかりだ。この部屋を訪れる者など居ない筈だ。

 自然と警戒し、椅子から飛び降りてから、どうぞと声を掛けた。

 

「お邪魔します! ぶくぶく茶釜様!」

 

「お、お邪魔します。ぶくぶく茶釜様」

 

 扉が開かれて姿を見せたのはワゴンを押しているアウラ。その陰に隠れるようにマーレの姿もあった。二人に少しだけ動揺しながらも、ぶくぶく茶釜は軽く頷いて入室を許可する。

 

「えへへへ。ぶくぶく茶釜様、お食事です! 合挽き肉の、パティ三枚のハンバーガーに、付け合わせはピクルスに皮付きフライドポテト。お飲み物はコーラをお持ちしました!」

 

 銀トレイの蓋を持ち上げるアウラに、食事を頼んだ覚えがないぶくぶく茶釜は訝しながらも礼を言う。

 

「……ありがとう、アウラにマーレ。そこに置いておいてくれるかな。後で貰うから」

 

「わかりました、ぶくぶく茶釜様! ……では私たちはお暇しますね。何かあればすぐにお申し付けください!」

 

 笑顔で退室しようとするアウラに、頷きながら二人を見送ろうとする。だがマーレは不安そうにしながらも、頑なに動こうとはしない。

 

「ほら、マーレ行くよ! ぶくぶく茶釜様に失礼でしょう!」

 

 アウラに促されてもだ。ぶくぶく茶釜は何も言わずにマーレを見る。しばらくして、マーレが意を決した様に、口を開いた。

 

「ぶ、ぶくぶく茶釜様は! 僕とお姉ちゃんの事、き、嫌いになっちゃったんですか!?」

 

 マーレからの言葉に、有るのか解からないぶくぶく茶釜の心臓が早鐘を打つ。マーレの本質は、普段みせるオドオドした姿とは違う所にあるとぶくぶく茶釜は思っていた。だが今発せられた言葉に籠められた感情に嘘は無い。

 

「ちょっと、マーレ! いい加減にしなさい!怒るよ!?」

 

 姉に諭されても、弟はじっとこちらを、強い意志の込められた瞳で見つめている。アウラにはぶくぶく茶釜が何も言わない事が、創造主の不興を買ったと勘違いさせているのかもしれない。アウラが強引にマーレの腕を取り、連れ出そうとしている。

 アウラも必死なのだろう。これ以上、ぶくぶく茶釜に嫌われたくないと。よく見ればマーレだけでなく、アウラの瞳にも涙が滲んでいた。

 

(ああ、ホント。馬鹿だ、私は。ほんと、アイツ以上の馬鹿だ……)

 

 現実世界に戻る方法だ、なんだと。そんなことばかりでこの二人を全然かまってやらなかった。いや、意図的に遠ざけてすらいた。

 

(私がこの世界に来てから、二人に何度声を掛けてあげた? ……数えられる程じゃないか)

 

 ぶくぶく茶釜は現実世界に戻る。二人の姉弟を置いて。いや、再び捨てて。だから距離を取った。関わらないようにした。これ以上二人を傷つけないように。自分が帰る時に、これ以上二人が傷つかないように。

 ただの言い訳だ。今だって二人を傷つけている。悲しませていた。

 ぶくぶく茶釜は覚悟を決める事にする。最後にはどれだけ恨まれようと、憎まれようとも、今だけは、この世界に居る限りはこの二人も自分の大事な家族の一員とする覚悟を。 

 

「……おいで、二人とも」

 

 膝の上に招くと、二人は少しだけ躊躇ったが、すぐにとことこと駆け寄ってくる。抱きかかえるように二人を抱き締めた後、粘体の体を擦り付けるようにする。すると二人はくすぐったそうにしながらも、嬉しそうに破顔した。

 

「私が二人を嫌うわけないよ。……でも寂しかったよね? ごめんね、アウラ、マーレ」

 

 謝らないで下さいという二人をぎゅっと抱きしめてから、ぶくぶく茶釜は続ける。

 

「……二人を構ってやれなかったのはね。アウラとマーレが昔の私達にそっくりだから、ちょっと恥ずかしかったんだ」

 

 そういうと、アウラがもしかしてペロロンチーノ様の事ですか?と聞いてくる。そのアウラにぶくぶく茶釜は頷いてから、言葉を続けた。

 

「そう、アウラが私で、マーレがアイツ。もちろんアイツはマーレほど可愛くはないけどね」

 

 アウラはぶくぶく茶釜に似ていると言われ喜び、マーレはぶくぶく茶釜に頭を擦り付けられ、喜んだ。

 

「私がしていることは今は二人には言えない。でも時期が来たらきちんと話すから。それまで我慢できる?」

 

 少しだけ悲しそうにするが、二人はゆっくりと頷く。そのアウラとマーレにぶくぶく茶釜は笑った。 

 

「よくできました。じゃあ良い子の二人には、私からご褒美をあげます」

 

 そう言ってぶくぶく茶釜はアウラの手首に巻かれたバンドを、粘体の手で操作する。

 

「これで一日二回。お昼と晩に私の声で、アラームが鳴ります。そうしたら二人は三人分の食事を用意して、私の自室に集まること。できる?」

 

「も、もちろんです、ぶくぶく茶釜様! そ、それってもしかして」

 

 興奮した様に言うアウラにぶくぶく茶釜は頷く。

 

「そう。一日二回、三人揃ってご飯を食べよう。……こんな事じゃあ、ご褒美にならないかな?」

 

「そ、そんなことないです! う、嬉しいです!」

 

 喜ぶマーレの頭を撫でてやる。物欲しそうな顔をしているアウラにも同じようにしてあげると、二人とも子犬のように喜んでくれた。

 

「二人はナザリックを離れる事もあるんだろうけど、私の巻物を渡しておくし、マーレはギルドの指輪を持ってるんだよね?」

 

 頷く二人に、ぶくぶく茶釜はよしと一声かけてから姉弟を立たせる。

 

「それじゃあ二人とも、今日のお仕事がんばっておいで」

 

 そう言うとアウラは少しだけ照れたように、ぶくぶく茶釜に尋ねる。

 

「あの、ぶくぶく茶釜様。その、お食事の話は、今日からでいいんですよね?」

 

「もちろん。今日からだよ。今晩楽しみにしているからね」

 

 ぶくぶく茶釜の言葉に二人は満面の笑みで喜んでくれた。

 二人のオッドアイが、ぶくぶく茶釜に向けられていた。自分が選んだ瞳の色だ。この二人が可愛くない筈がない。

 ぶくぶく茶釜だって、弟がシャルティアに掛けた時間に負けないくらいの時間を掛けて創造した大事な姉弟だ。

 二人の性別を仲間に明かした時の事を覚えてる。驚いたような、呆れたような、感心したような、様々な仲間の反応を、今だって覚えている。アウラにシモベを持たした様にマーレにもドラゴンのシモベを与えたくて、馬鹿みたいにガチャを回した事だって、当時の自分を少し説教したくはなるが、それだって今は大事な思い出だ。

 だからこそ自分が、自分たちがナザリックを、ユグドラシルを捨てる切っ掛けを思い出し心に小さな痛みが生まれた。

 

「行こ!マーレ!それでは失礼します、ぶくぶく茶釜様! ……また後で!」

 

「また後で、ぶくぶく茶釜様! し、失礼します」

 

 笑顔で走り去っていく二人を、触腕で手を振りながらぶくぶく茶釜は見送る。二人の明るい声に、胸の痛みは消えていた。

 そして二人の足音が聞こえなくなってから、開いたままの扉に向けて、ぶくぶく茶釜は一度息を吐いてから、声を掛ける。

 

「おい。……いるんだろう?」

 

 ぶくぶく茶釜の呼び声にしばらくしてからバードマンが、仮面に覆われた顔だけをひょっこりと出す。その仮面に思わずぶくぶく茶釜は吹き出す。仮面越しだというのに、昔見た悪戯がばれた時の幼い弟の顔が重なったからだ。

 そして弟、ペロロンチーノがゆっくりとぶくぶく茶釜に問い掛けた。

 

「……姉ちゃん、探知系のスキル持ってたっけ?」

 

「お前だって、隠密系のスキル持ってないだろう?」

 

 それもそうかとペロロンチーノが観念した様に、ぶくぶく茶釜の前に姿を見せ、おずおずと部屋に入ってくる。

 何のことはない。ぶくぶく茶釜に食事を持っていくように、ペロロンチーノがアウラとマーレにお願いしたのだろう。

 恐らく、アウラとマーレを構わないぶくぶく茶釜を見かねたのだろう。ぶくぶく茶釜はアインズから少しだけ聞かされていた。弟がシャルティアだけで無く、双子の姉弟とも一緒に過ごしている事を。

 姉弟を構おうとしない駄目な姉を、弟が補ってくれていた。さらにはぶくぶく茶釜とアウラ達が一緒に過ごせるようにと、切っ掛けをこんな手で作ってくれた。

 

(……こいつも、成長してるんだな。当たり前か。私が気付いていないだけで、こいつは昔から色んな事に気を配ってる)

 

 ぶくぶく茶釜にバレていたことが気恥ずかしいのか、身の置き場がない様にソワソワしているペロロンチーノを眺める。普段は馬鹿な姿しか姉に見せないのに、いざという時は頼りになる、大事な弟を。

 

「本当、お前は……。うん、気を利かせてくれてありがとう。ありがとうね『―――』」

 

 そしてぶくぶく茶釜は久々に、弟の名前を呼ぶ。ペロロンチーノではなく、本当の弟の名前を。

 

「え、ちょっと止めてよ。ログインしてる時に本名で呼ばないで、なんか恥ずかしい!」

 

「なんだよ、いいじゃないか。呼びたくなったんだよ。なんだったらお前の好きな水野の真似をして呼んでやろうか?結構似てるって評判なんだぞ?」

 

「やめろー! 俺のみずっちを汚すなー!」

 

「お前の名前を私が呼ぶことで、何であいつが汚れるんだよ。ほら行くぞ『―――』」

 

「やめてー! 恥ずかしいだけじゃなくて、ちょっと似ててときめいてる自分が悔しいぃ!」

 

 両耳を押さえて悶えるペロロンチーノに、ぶくぶく茶釜は笑う。そして小さく、地の声で、今度は聞こえないようにもう一度名前を呼ぶ。

 ありがとうと、そう言葉を添えて。



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第二章 舞踏会編
 至高の方々、魔導国入り カルマ+


「ねえ、お姉ちゃん。ユグドラシルⅡの噂、知ってる?」

 

 尋ねられて、家族との食事を終え部屋に戻ろうと浮かしかけていた腰を再び降ろし、座り直す。ユグドラシル、その言葉に小さな棘を感じながらも、小さく首を振った。

 

「ううん。聞いたことない。それ何処の情報? ニャル測?」

 

 ニャルちゃん測定の名前に、妹が笑う。

 

「ちがう、ちがう。今ユグドラシル運営のサイトがね。トップページにcoming soonって表示されてるって話だよ」

 

「……それがユグドラシルⅡなの?」

 

「それ以外全然情報出てないけど、一緒にユグドラシルやってた人達はみんなそうじゃないかって言ってる。私もさっき確かめたけど、ホントにcoming soonって出てたよ。ユグドラシル自体は、もう綺麗に消えちゃってたけどね」

 

 そう、とだけ小さく呟いた。ユグドラシルが消えてしまったという妹の言葉に、胸の痛みを覚えつつも少しだけ悲しくなる。

 

「今度はさ、お姉ちゃんも一緒にやろうよ。私の所の元ギルメン、今度はユグドラシルⅡに集合だーって、すっごい乗り気」

 

「……最終日もインしたんだ?」

 

「したよ? まあ、もうほとんどチャットだけになってたけどね。それでも最終日は普段姿見せない人もちらほら来てさ。けっこう盛り上がった。だけどあの運営、時間になったら即回線遮断して、余韻も何もないっての」

 

 ケラケラと笑う妹に、再びチクリと胸が痛んだ。自分も、いや自分たちも、あんな事さえなければと思う。きっと妹のギルドと同じように、最終日をみんなで楽しく過ごせていたはずだ。

 

「でも、お姉ちゃん。ユグドラシルⅡがもし始まったらさ、また異形種にするの?」

 

「うん?うーん……たぶん」

 

 そう答えると妹は、「えー」とだけ少し不満そうに言った。エルフ、人間種でプレイしていた妹には、ちょっと理解できないのかもしれない。

 

 それにもしユグドラシルⅡが始まっても、自分がそれをプレイするかと聞かれれば、正直わからなかった。少なくとも、飛びつきはしないだろうとは思う。

 時間がないというわけではない。当時は自分が担任する子たちが高学年という事で、なかなか時間が取れなかったが、いま担任しているのは中学年のクラスだ。当時と比べれば、多少は時間の融通が利く。こうして家族と夕食を共にできる事がその証拠だ。

 

 楽しくなかったか。そんなことはない。そう、決してない。

 本当に楽しかった。今でも最高の仲間たちと、一緒にプレイ出来ていたと思う。

 それだけにあの出来事は、自分の心に暗い影を落としている。あの仲間たちと共に歩めないのならば、意味がないとすら思う。

 

「お姉ちゃんは今でもぶくぶく茶釜さんと、餡ころもっちもちさんとお付き合いあるの?」

 

「―え? う、うん。二人とは今でもたまにあったりしてるよ。かぜ―茶釜さんとはやっぱり忙しいから、直接は逢えてないけど……」

 

 売れっ子だもんねーと続ける妹の言葉に、意識が現実に戻される。少し暗い考えに囚われてしまっていた。いけない、いけないと曖昧に笑みを浮かべて、妹との話を切り上げる。

 

 部屋に戻り、明日の授業で使う教材の準備を用意し、終わるころには、それなりの時間になっていた。少し早いが、寝てしまってもいい時間だ。

 どうするか少し迷ったが、結局は黒いコードを手に取り、先端のプラグを首の後ろに差し込む。そしてヘルメットを着用した。

 

 お目当ては、ユグドラシル運営のページ。何も残されていないと妹に言われていたが、何となく訪れようとしている。ネット墓地が当たり前になる前は、直接お墓を訪れるお墓参りという風習があったらしい。その感覚に近いのかもしれない。

 もしかしたら自分は、何も残されていない事を確かめることで、この気持ちに区切りを付けたいのかもしれない。

 

 だが、その思いとは裏腹に見つけてしまう。妹が消えてしまったと言っていた、ユグドラシルと書かれたウィンドウを。

 

 危ないところに近寄ってはいけません。怪しい人には付いていってはいけません。

 

 自分が子供たちに教えている言葉だ。それなのに、触れてしまった。見慣れていた、懐かしいかつての半身とも言うべき半魔巨人(ネフィリム)に。

 子供たちに教える事が増えたと思う。

 

 不審なページに、不用意に触れてはいけません。

 

 

 

 

 

 

「―ああ、負けた」

 

 負けたというが、その声には悲壮感はない。まるでそうなるのが当然。解かっていたかのような諦め、ほとんど予定調和だ。

 

「上位ランカー相手だと、やっぱり覆せないか」

 

 今プレイしているゲームはアーベラージのⅣ。パワードスーツものの最新作だが、正直ハマりはしていない。

 外装パターン、武器のパターン。グラフィック、サウンド、演出、臨場感、操作性、すべてが進化している。ユーザーが不満に感じる部分を修正し続け、完成形ともいえる出来かもしれない。

 だがこのアーベラージはユーザーの不満を解消し続けた結果、奥行き、やりこみの深さを失ってしまったと思う。

 パターン化する戦闘。上手くなるには上位ランカーの動きのトレース。行きつけばどんな機体でも横並びの性能。トップクラス同士の戦闘ともなれば、相性が最後に物を言う。

 それでも何か穴が無いかと探し求めるが、ようやく見つけたそれが不具合としてすぐさま修正される。

 自分のようにあえて相性差を覆すために日夜研究しているプレイヤーも少なからずいるが、そういうプレイヤーからはおおむね今作は不評だ。

 

 なら違うゲームをやればいい。そう思われるだろうが、今のゲームは大概そういう調整をされている。時間かお金を掛ければ、横並びになる様な仕様だ。

 それは不平等感の無いユーザーの大多数が望んだ結果なのだろうが、自分のようなドリームビルドを目指すプレイヤーには、やはりどこか物足りない。

 

 アーベラージⅣを落として、何か自分を満足させるゲームは無いかと、情報系の掲示板やサイトを巡回する。これもある意味日課だ。

 そして一つ、気になる記事を見つけオンライン中のフレンドの中から、刀のアイコンに触れる。

 

「建やん、今ヒマ?」

 

 VCでの問いかけだが、返事はすぐに来た。恐らく向こうもハマるゲームが無くて、自分のように色々なサイトを巡回中だったのだろう。

 

『おう、どうした?』

 

「ちょっと面白い記事見つけた。送るから見てみて」

 

 自分が見ているサイトを手でフリックして、刀のアイコンに触れさせる。これで向こうにも自分が見ている記事が届くはずだ。

 

『……ユグドラシルⅡ? テストプレイヤーの募集開始まであと僅か? こんな話あったのか?』

 

 記事のタイトルを読み上げる、リアルでも長い付き合いになる友人に笑って続ける。

 

「そ。なんかテストプレイヤーの応募が始まるとアクセス過多でサイトが落ちるかもしれないから、応募期間は極わずかの時間で、その時にたまたまユグドラシル運営のページ開いてた奴だけが応募できる仕組み。って話」

 

『なんだそりゃ? ほとんど都市伝説の類じゃねえか』

 

 友人の言葉に頷く。それはそうだ。そんな公募の仕方は恐らくしないだろう。絶対に無いと言い切れないのが、あの運営だが。

 それでもユグドラシルⅡの情報だって、どこのサイトにも噂レベル以上のものは出ていない。調べた限りだが、有料サイトでも情報は出ていないらしい。

 もし本当にそういったものの開発が進められていたとしても、まだテストプレイヤーを集めるような段階ではない筈だ。

 それは友人も解かっているだろう。それでも―

 

「建やん。今ユグドラシル運営のページ、開こうとしているだろう?」

 

『……おう』

 

 返事に笑う。自分も彼と同じく、ユグドラシル運営のページを開こうとしているからだ。自分も彼も、ユグドラシルに飽きて辞めたわけでも、嫌になって辞めたわけでもないのだから。

 

 自分も彼も。またあのメンバーで馬鹿が出来たらと思う気持ちは、変わらないのだから。

 

『……なあ?』

 

「……どうした、建やん?」

 

『……俺の電脳がおかしいのか? それともあの糞運営の悪戯か?』

 

「……建やんの電脳は無事だと思うよ? それなら俺の電脳もおかしいことになるし」

 

『なら悪戯か? ……なあ、ユグドラシルが残ってるぞ』

 

「……ああ、残ってるな」

  

 ユグドラシルのゲームを起動させながら、様々なサイトで情報を検索するが、ユグドラシルがサービス終了日に何の余韻もなく消されてしまったという記述はあっても、ユグドラシルそのものが残っているなんて記述は何処にも無い。

 

『……おいおい、普通に入れちまったぞ』

 

 友人の言葉に、答えられない。動悸が激しい。ユグドラシルのゲームが残っていることは、運営のお遊び、悪戯で説明できるかもしれない。

 だが、消したはずの自分のアバターが残っていることは、どう説明する?

 たまたまこのタイミングで自分のアバターを復活させたのか?それとも全プレイヤーのアバターを復活させた?あり得るわけがない。そもそもそんなことをするメリットもない。

 

「……これ、絶対おかしいって建やん」

 

 そう不審がってはみても、かつての仲間からザ・ニンジャ!と呼ばれたアバターに触れてみようとする好奇心だけは、抑えることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

(……悪かったな。お前を完成させてやることが出来なくて)

 

 握られた大太刀に向けて、武人建御雷は詫びる。

 この太刀に銘は無い。もし名付けるならば今は、『無銘』。

 

(お前を、建御雷九式。いや建御雷零式って名付けてやりたかったんだけどな)

 

 建御雷極式でも良いなと思いつつ、肩に大太刀を担ぎ、窪みから抜け出す。

 窪みを抜け出して、感触を確かめるように、鞘から太刀は抜かずに一度振ってみる。軽く振っただけだが、自身の見た目通りの筋力で振られた太刀は、鋭い風切り音を出す。そのリアルな感触に満足しつつ、ゴーレムが立ち並ぶ通路をゆっくりと歩き出した。

 

(何処だここ? ……あー、霊廟か。モモンガさんが名付けてたな。ならこの先は宝物殿か)

 

 霊廟のゴーレムにいくつか空席があるが、特に気にしない。気にする必要がない。なぜならこれは夢なのだから。

 武人建御雷がユグドラシルの夢を見るのは、今日が初めてではない。何度も見てきた。そして夢を見るたびに彼に勝負を挑み、そして負けてきた。

 

(今回は勝てそうな気がするな。感触がいつも以上にリアルだ。……さて)

 

 霊廟の扉に手を触れる。触った感触まである。これならばいけるかもしれない。恐らく彼は、この先の待合室の様な空間に居るだろう。思わず舌なめずりする。

 

(今日こそは俺が勝つぜ。……覚悟しろよ、たっちさん)

 

 そして扉を押し開き、勢いよく大太刀を引き抜いた。

 

「うらぁ! かかって、きやがれぇ!!」

 

 足を踏み鳴らし、大太刀を構える。

 が、構える先には自分が想像していた白銀の騎士の姿はなく、代わりに二つの人影。

 その二つの人影は刀を構えて現れた自分に少しだけ驚いていたようだ。だがすぐに呆れたような視線を向けられる。

 

「……どうした建やん? 何か、あったか……?」

 

 二人の人影のうち、忍者装束に身を包んだ方が、気は確かかという様な声音で尋ねてくる。

 

「い、いや、これはだな……」

 

「……とりあえず刀しまえよ。やまいこさんもいるんだぞ?」

 

「お、おう。久しぶりだな、やまいこさん。その……元気だったか?」

 

 なんと言えばいいかわからずに、照れ隠しの挨拶で誤魔化す。

 

「……うん、ありがとう。久しぶりだね、建御雷さん。そっちも元気だった?」

 

 おう、と武人建御雷は頷きながらも、内心では、ちくしょう黒歴史が増えちまったと悔やむ。とりあえず弐式炎雷から指摘された刀を鞘に納め、今度は肩に担ぐような真似はせずに、腰に佩く。

 

「訳の分からない状況に警戒するのはわかるけど、いきなり武器を構えて入ってくるなよ、びっくりするだろう?」

 

「でも弐式さんの予想通りだったね。建御雷さんもすぐ来るはずだっていう」

 

「俺ら二人して運営のサイト見てたからね。……やっぱログインしてるんだよな、これ?」

 

「うん。でも前とは感じが違う気がする。……ユグドラシルに表情なんて無かったもの。弐式さんは表情わからないけど、建御雷さんを見て確信した」

 

「だよなー。俺もやまいこさんに表情があってマジビビったわ。やっぱこれ普通じゃねーよ。スキルの使い方もユグドラシルとは違うし。一応俺探知スキル使っておく。……って、どうした建やん?」

 

 二人の会話に首を傾げていた武人建御雷を、弐式炎雷が指摘する。

 

「……いや、二人ともよく喋る夢だと思ってな」

 

「建やん、夢だと思ってたのかよ。……まあ、夢だったらいいんだけどな。でも夢じゃ無さそうだぜ。ほら、見てみろよ」

 

 そういって弐式炎雷は体をずらし、影に隠れていたもう一人の人影を、武人建御雷に見せる。小さな体にアイパッチ、マフラーを首に巻き銃器を下げたメイド服の少女を。

 

「……おかえりなさいませ。武人建御雷様」

 

 恭しく一礼する少女に、疑問符が浮かぶ。見覚えはある。見覚えはあるが―

 

「なあ、この子誰だっけ?」

 

 小声で、弐式炎雷に問いかける。聞こえてないのか、気にしてないないのか、少女の表情に変化は無い。

 

「……覚えてないのかよ、建やん。シズだよ、シズ。シーゼットニイチニハチ・デルタ。ヴァルキュリアの失墜で追加されたプレアデスの一人だろう?」

 

「弐式さん凄い。ボ―私もシズの愛称は覚えてたけど、正式名称までは出てこなかった」

 

「いや、ほら、俺ってアーベラージやってるから。あれの型番とかパーツの名前覚えるよりかは余裕だって。って違うから、二人とも! 俺が言いたいのはシズがさっきから勝手に話してるって事だよ!」

 

 弐式炎雷がオーバーリアクションで商品を紹介する販売員のように、両手でシズをアピールする。その弐式炎雷の仕草に、シズは僅かにだが俯く。

 

「うわ、驚いた。この子少し照れてるよ」

 

「やまいこさんよく分かるな。俺にはさっきと違いが全然わからん」

 

「ボ―私は小さい子の相手をしているからかな? 偶にいるよ、感情をあんまり出さない子って」

 

「なるほどな。そういや、やまいこさんは小学校の先生だったな。―ああ、それと。さっきから一人称直そうとしてるみたいだけど、無理に直す必要はないと思うぞ? ゲームだよ、ゲーム。気にするなって。第一これ俺の夢だしな」

 

「……まだ夢設定引きずってるんだ。うん、でもありがとう。これからはボクでいくね」

 

「ああ、それでいい。その方が、俺らの知っているやまいこさんらしいしな」

 

「そう? ふふふ、それなら嬉しいな」

 

 軽く笑いあう二人に、会話に紛れられなかった弐式炎雷が無理やりに割り込む。

 

「……いや、だからさ。今はシズの話題だよね? なんで俺ちょっと置いてかれてるの?」

 

「ああ、そうだったな」  

 

 弐式炎雷の言葉に、半魔巨人の二人は思いだしたように、シズに注視した。

 

「でも、もしかしたらこの子にはそういうプログラムが設定されてるのかも。ヘロヘロさんとかそういうの好きだったでしょう?」

 

「ありえるな。あの人の隠しコマンドの線は十分ありえるぞ。メイド系全部に何かしら仕込んでても俺は驚かない」

 

「いやー、いくらあの人でもここまでのAI組めるか? なあ、シズ。もう一回俺の名前を呼んでみてよ?」

 

「……弐式炎雷様」

 

 シズは一度コクリと頷いてから、答える。少しだけ嬉しそうだ。何が嬉しいのかはわからないが、この頃には武人建御雷もこの少女、シズの感情の変化が分かってきた。無表情ながらも、それがなかなか魅力的だと思う。直接名前を呼ばれた友人の忍者は、建御雷以上に効果は抜群らしい。少女の可愛らしさに少しだけ悶えていた。

 

「くうぅ! 可愛いな、おい! ペロロンさんの気持ちが少しわかるぞ!」

 

「お前こそ趣旨から外れてるじゃねえか。まあ確かに、いくらあの人でもここまでのプログラムは組めないか? なあ、シズ。お前にそう答える様にプログラムを組んだのはヘロヘロさんか? 」

 

 武人建御雷の質問に、シズは首を振る。

 

「そうか、じゃあシズはどうしてここに居る? プレアデスは第九階層の配置だよな?」

 

 そうシズを覗き込みながら武人建御雷が問いかけると、弐式炎雷がそのことに初めて気づいたように声を上げた。

 

「そう! それだ、建やん! ここが宝物殿ならなんでここにシズが居るんだ!? ここに居るのはパンドラだろ? なんでパンドラじゃなくてシズなんだ!?」

 

「ここが本当にナザリックなのかわからないけどね」

 

「いや、ここがナザリックなのは確定じゃない? 問題は何で俺たちがサービス終わっているのにログインしているかであって―」

 

「まあ、待てよ。今はシズの話を聞こうぜ? 悪かったな、シズ。もう一回質問だ。お前をここに配置したのは誰だ? 俺たちに教えてくれないか?」

 

 武人建御雷の問いかけに、シズは小さく頷き答える。

 

「……アインズ様」

 

 その答えに、武人建御雷、弐式炎雷、やまいこに揃って疑問符が浮かぶ。アインズ。アインズ・ウール・ゴウンの事だとは思うが、シズはそれがまるで人名のように様付けをして呼んだ。

 

「アインズ? アインズ・ウール・ゴウンの事だよな? 俺たちの命令ってこと?」

 

「それは……どうかな? シズの言い方だと誰かを指してると思う。それが誰なのかはわからないけど。ねえ、シズ? その人は今ここ、ナザリックにいるの?」

 

 やまいこの質問に、シズは頷く。

 

「なるほど、俺たち以外にも誰か居るってことだな? ……くっくくく、夢らしく楽しくなってきたじゃねえか」

 

 笑みを浮かべる武人建御雷を、弐式炎雷が少しだけ呆れたように横目で見る。

 

「出たよ、戦闘狂。敵って決まったわけじゃないのに―おっと、二人とも!」

 

 弐式炎雷からの警告を含んだ声音に、武人建御雷とやまいこがすばやく反応する。

 

「センサーに感あり、転移してくるぞ! 数は―四!」

 

『了解!』

 

 探索役からの警告に、武人建御雷は太刀を引き抜きながら一歩前に進み、やまいこはシズを庇うように立ちながら、ガントレットの感触を確かめるように一度拳を打ち合わせる。

 二人とも突如発せられた警告に疑問は抱かない。そんな事を疑問に思う様な関係ではないのだ。探索役の弐式炎雷が来ると言った。ならば必ず何かが来る。ここが本当にナザリックなのか、なぜ自分たちがログインしているのか。そんな疑問は一時思考から追い出し、戦闘態勢を取った。

 同時に何者かがこの部屋に転移をしてくる。そして知る。

 

「―建御雷さん!? それに弐式さんに、やまいこさんも!」

 

 現れた彼らが、仲間であると。

 

「うお、マジか。モモンガさんか!」

 

 思わず懐かしい骸骨頭に駆け寄る。

 

「はっはは、マジだ。マジ、モモンガさんだ。おいおい! 茶釜さんにヘロヘロさん、ペロロンさんもいるじゃないか! 今日の俺の夢は大盤振る舞いだな!」

 

「まだ夢設定抜けてないのかよ、建やん。いや、でも、本当にモモンガさんたちなの!? 確かに敵感知に反応無し。うっわ! マジだ! マジでモモンガさんたちか! ヘロヘロさん相変わらずドロドロしてるな!」

 

「本当、久しぶりだね! かぜっちのその姿見るのすっごい久々! はは、弟君のその金色の鎧! 相変わらずすっごい派手! あははは、そのエフェクト、課金したんだよね? あははは、凄い懐かしい!」

 

 武人建御雷が親しそうにモモンガの肩を叩く。弐式炎雷の前にヘロヘロが歩み寄る。やまいこにピンクの肉棒、ぶくぶく茶釜が駆け寄り、嬉しそうに周りをぐるぐると回る。その怪しい光景にペロロンチーノが茶々を入れ、かつてよく見ていたように手痛い反撃を貰っている。

 

「皆さん、本当に……。シズから<伝言>を受け取った時は耳を疑いましたが、本当に、おかえりなさい!」

 

 感極まったようなモモンガからの歓迎に、武人建御雷がバシバシと背中を、乱暴にならない程度にだが繰り返し叩く。

 

「やまいこさんと再会したときはそれどころじゃなかったが、まさかまたこうして会えるなんてな。夢でも嬉しいぜ」

 

「そうそう、聞いてくれよモモンガさん。建やん、さっきからずっとこれが夢だって言い張ってるんだよ。この部屋に来た時も何を思ったのか刀抜いて踏み込んでくるし」

 

「そう、おかげで久々って余韻もなにも無くて。おもわず普通に挨拶しちゃった」

 

「うお。二人ともあっさりバラしやがった」

 

 全員の笑い声が、部屋に響いた。穏やかで、非常に居心地がいい。武人建御雷は笑いの原因が自分にあるとしても、不快感はまるでなかった。

 そして武人建御雷は邪魔をしないようにか、ギルドの輪から少し離れていた少女に歩み寄り、ポンポンと軽く頭を叩く。

 

「お前がモモンガさんを呼んでくれたんだな。ありがとうな」

 

「そうそう、ありがとうな! ほらほら、シズも離れてないで混ざれ混ざれ」

 

 弐式炎雷もシズに駆け寄って、背中を押して無理やり輪に混ぜさせる。シズは少しだけ恥ずかしそうにしているが、嫌がってるようには見えなかった。されるがままになっている。

 

「でもシズ、ここまで動いてるともうプログラムとかAIじゃ説明つかないよね? モモンガさんたちは何か知っている?」

 

 やまいこの質問にモモンガが何か失敗したかのような表情をする。もちろん骸骨の顔に変化は無いのだが、それがわからない武人建御雷達ではない。

 

「……あー、シズよ。ここであったことは口外するな。いいな?」

 

「……畏まりました、アインズ様」

 

 一礼をするシズに、武人建御雷だけでなく弐式炎雷、やまいこも驚く。シズだけでなくモモンガの変わり様に。先ほどまで自分たちと話してた感じとはだいぶ違う。

 

「……一体どうしたんだ、モモンガさん。それに今アインズって呼ばれてたよな? もしかしてモモンガさんが、アインズを名乗っているのか?」

 

 武人建御雷の問に、モモンガことアインズは答えずらそうに表情を伏せたが、すぐに顔を上げた。

 

「……そうですね。建御雷さん達には全てをお話ししなければなりませんね。……でもその前に、私からも皆さんにお尋ねしたいことがあります。いま私たちは窮地に陥っています。これほどの窮地はギルドの結成、いえ、クラン時代から思いだしても、そうはないと思います……」

 

 アインズの言葉に同意するように、ヘロヘロ、ペロロンチーノ、ぶくぶく茶釜も顔を伏せて、悲壮感を漂わせた。

 ギルド一の特殊役、ギルド一の盾役、さらにはギルド内でも特異なビルドを施した攻撃役が二人も揃っていて窮地と言う。ならば相手はかなり強力なレイドボス、もしくはワールドエネミーの類か。いや、もしかすればかつての様なギルド連合が相手かもしれない。我知らず武人建御雷は獰猛な笑みを浮かべていた。

 この夢にたっち・みーは出てこなかったが、それなりの相手は用意していてくれたようだ。『無銘』の柄を強く握りながら、続くアインズの言葉を待つ。

 

「……建御雷さんたちは、ダンスの知識や経験はありますか?」

 

 悲壮感たっぷりのその言葉に、仲間からはザ・サムライ!と呼ばれた男は、何も答えることが出来ずに軽く呻くだけだった。




この三人はカルマ+とさせてもらっています。

サムライニンジャ 中立~善

女教師 極善


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 至高の方々、舞踏会参加を決意する

「はっはっは!そんなことになってたのかよ、モモンガさんたち!」

 

 ナザリックの円卓に、愉快そうな武人建御雷の笑い声が響く。

 宝物殿から円卓に移動したアインズは、武人建御雷達にこれまでの事を説明していた。現状の説明と、魔導国建国までのこと、そしてヘロヘロ達が転移してきてからの事をだ。そして現在帝国から舞踏会の招待状が至高の四十一人宛に届いており、アインズ達がそれに参加するか否かの決断を迫られていることを知ると、武人建御雷は盛大に笑い出した。

 

「もう、笑いごとじゃありませんよ建御雷さん。私達誰もダンスの経験も知識もないんですよ?この舞踏会はアインズ・ウール・ゴウン魔導国だけでなく、至高の四十一人としても招かれてるんですから」

 

「なるほど、このままじゃ誘いを受けても、断っても俺たちの恥になるって訳か」

 

 武人建御雷の言葉に、アインズは頷く。アインズとしては正直「踊れるわけ無いでしょ、この馬鹿ぁ!」と断ってしまいたいが、帝国から正式に招かれているのだ。よほどの理由が無ければ断ることもできない。断れば最悪、魔導国の至高の四十一人は宮廷作法の一つも知らない集団と、侮られるかもしれない。

 

「……真に申し訳ありません。私に出来る事なら何でもしますので……」

 

 そういって憔悴しきったようなヘロヘロが全員に頭を下げる。ヘロヘロは今回の騒動全ての発端ではあるが、もともと帝国に冒険者を勧誘しに行こうと誘ったのは自分なのだ。これ以上彼を責めることは出来ない。というより建御雷達が転移してくるまでの間、ヘロヘロはかなり絞られていたので、これ以上は酷だろう。

 

「姉貴はダンスの経験くらいあるだろう?養成所でそういう練習したんじゃないのか?」

 

「私のはあくまでヴォーカルレッスンのついでのダンスだ。創作ダンスレベルだぞ?ブルースくらいは覚えてたら良かったんだけど……」

 

 ぶくぶく茶釜から力になれそうにないと続けられ、アインズは最後の期待を込めてやまいこに視線を向ける。

 

「ごめん。ボクもダンスの経験はないし、小学校にそういう授業……あるところにはあるかもしれないけど、ボクの所にはなかったよ。簡単な用語くらいならわかるけど、それはかぜっちも同じだと思うし……」

 

 これで全滅だ。思わずアインズは項垂れる。あとはどう穏当な理由で舞踏会を断るか話し合うしかないと思ったが―

 

「やろうぜ」

 

 ―面白いじゃないかと武人建御雷が続ける。

 

「いいじゃないか、参加しようぜ。今いるのは全員ナインズ・オウン・ゴール時代からの付き合いだ。何時だったか俺が言ったのを覚えてるかな?俺は馬鹿をやりたいんだよ。今は七人しかいないが、このみんなでな。舞踏会!面白そうじゃないか!」

 

 かつて聞いたことのある言葉に、アインズは懐かしさに胸が締め付けられる思いだった。馬鹿をやりたい。覚えている。あれはナザリックの初見攻略を自分が提案した時に、武人建御雷はそう言って賛成してくれたのだ。

 

「はは、懐かしい。そんな事言われたら、俺だってこう言うしかないじゃないか。……建やんに賛成だ。いいじゃん、またこのギルドで馬鹿をやろうぜ」

 

「ふふふ、建御雷さん達は変わらないね。じゃあボクも賛成に回るよ。どうなるかなんてさ、とりあえず参加してから考えればいいんじゃないかな?」

 

「出た、久々のやまちゃんの脳筋発言。……モモンガさん、舞踏会まではまだ猶予はあるよね?」

 

「え?え、ええ。一週間ほどの猶予はありますが」

 

「なら今から必死で覚えれば、十分いけるんじゃない?」

 

「姉貴までやる気かよ……。踊り方も知らなくて、どうやって参加するんだよ……」

 

「ああん?おまえ、シャルティアと踊りたくは無いのか?」

 

「参加しよう!モモンガさん!」

 

「私は今回の戦犯ですから。反対意見はありませんよ」

 

 こうして全員の同意が得られる。あとはアインズだけだ。自然とアインズに視線が集まる。

 

「……わかりました。ではこれはナザリック転移後初のギルドイベントです。皆さん、やるからには絶対に成功させましょう!」

 

 おう、と一斉に威勢の良い返事が上がる。

 アインズは今自分の感情が抑制されていることを実感する。何度も、何度もだ。これがアンデッドの体で無ければ、涙を流していただろう。嬉しかった。ヘロヘロ達三人が転移してきてくれた事も嬉しかったのに、今ではさらに建御雷達も増えた。こうして再びギルドで何かをできる事が、たまらなく嬉しかったのだ。

 

「ダンスを踊るならパートナーが必要ですよね?もちろん俺はシャルティアと踊りますよ!」

 

「それなら私はソリュシャンをパートナーとします」

 

「動いてるNPCかー、会うの楽しみだなー。あ、ボクはもちろんユリと組むよ?」

 

「え、でもそれだと女性同士になっちゃいませんか?」

 

「平気じゃないかな?ボクが―ええーと男性の方をリーダーって言うんだったかな?そっちをやるよ」

 

「あー、私はアウラとマーレ、どっちにお願いしよう?」

 

「姉貴の場合、アウラとマーレのどっちがリーダーでどっちがパートナーなのか悩むところから始まるのか……」

 

「ああ?アウラがリーダーで、マーレがパートナーに決まってるだろう?」

 

「……えええ。決まってるの……?」

 

「俺はナーベラルに頼むよ。ああ、楽しみだな。ナーベラルどんな感じになってるんだろう?」

 

「なあ、この流れだと俺はコキュートスと踊った方がいいのか?」

 

「ぶっ!それは無しだろう、建やん。建やんとコキュートスのペアって誰得だよ」

 

 皆が思い思いに話し合っているのを、アインズはにこやかに眺めている。そして自分は誰にパートナーを頼むかと思考していると、先ほど弐式炎雷が発言した彼のパートナーに重大な問題があることに気付く。

 

「ま、待ってください弐式さん。ナーベラルは駄目です!」

 

「え?ナーベラルに何か問題が?」

 

「ええ。ナーベラルは漆黒のモモンのパートナー、ナーベとして顔も知られていますから。舞踏会にナーベラルを知っている人間が居れば、モモンと私達との関係も疑われてしまいます」

 

 疑われるも何もモモンこそがアインズなのだが、ナーベがナーベラルであるとバレてしまえば、最悪モモンとアインズ・ウール・ゴウン魔導国が最初から繋がっていたと思われかねない。そしてモモンが信頼を失えば、エ・ランテル統治の崩壊だ。そこからどう話が転がっていくかは、想像するだけで恐ろしかった。

 

「なるほど、ナーベラルは顔を知られている恐れがありますね。ソリュシャンもセバスと共に帝国商人とパイプがあるそうですが、それとは比較できないでしょうし」

 

 そうヘロヘロも続き、ペロロンチーノも頷く。

 

「そういう危険は冒したくはないですね。俺たちがただの一社会人でしかないってバレたら、シャルティアにどんな目で見られるか……」

 

 次々に意見があがり、慌てたように弐式炎雷が周囲を伺う。

 

「……ええー、駄目かな?……そうだ!ナーベラルに兎さん魔法を使ってもらえば良いんじゃないかな?そうすればバレないでしょう!?」

 

「無理だろ。いい加減諦めろ。ここで無茶をしてもしょうがないだろう?そもそもなんでバニーガールになればバレないと思うんだよ」

 

 弐式炎雷が必死にアピールするが建御雷に諭され項垂れる。その姿にアインズの胸が痛んだ。建御雷は除くが、皆自分が創造したNPCと踊れることを楽しみにしている。だが弐式炎雷は、自分がナーベラルをモモンのパートナーとしたために、それが出来ないでいる。

 

「どうしてもナーベラルをパートナーとしたいのなら、逆に弐式さんがモモンを演じると言うのは?モモンはフルプレートメイルの戦士だそうですし、中身も幻術魔法で作り出した姿でしょう?弐式さんが気を付ければ、なんとかなるのでは?」

 

「……それしか無いのかなー」

 

 残念そうな弐式炎雷の声に悔しい気持ちがアインズに生まれる。これは転移後初のギルドイベントなのだ。できるだけ完璧な形で行いたい。弐式炎雷に姿を偽っての参加などしてほしくは無いし、彼のことも自分の仲間なのだと堂々とジルクニフに紹介したかった。

 

「……少し時間をください。デミウルゴスに相談してみようと思います。一緒にデミウルゴスにダンスの知識がないかも聞いてみますので、少しだけ失礼しますね」

 

 そして<伝言(メッセージ)>を使いデミウルゴスに相談をする。

 残念な事にデミウルゴスにもダンスの知識は無いそうだが、一つ良いことを教えてもらえた。そしてナーベラルに関しても、ナーベラルとしてではなく、ナーベとして参加させれば問題無いと彼から太鼓判を貰う。

 デミウルゴスの答えに顔をほころばせながら、アインズは仲間たちに向き直る。

 

「ナーベラルもナーベとして参加させれば大丈夫だそうです!それに朗報もありますっと、<伝言(メッセージ)>が。すみません。また少し離れますね―セバスか、どうした?」

 

 セバスからの報告を受けたアインズは<伝言(メッセージ)>を切る。朗報というものは続くらしい。セバスに命じて探させていたダンスの知識を持つNPCが見つかったのだ。

 

「先ほどの続きですが朗報です、皆さん!デミウルゴスの話だと、ダンスの知識ならアルベドが持っているそうです。それにもう一人、ダンスの知識を持つNPCをセバスが見つけてくれました。これで二人になりましたね!」

 

 喜んで伝えるが、建御雷に弐式炎雷、やまいこの反応が薄い。どうしたのだろうと思うと建御雷が口を開く。

 

「……凄えな、モモンガさん。切り替えって言えばいいのか?驚いたぜ」

 

「うん、ボクも驚いた。すごく支配者って感じがしたよ」

 

「ああ、あの変化は驚きますよね。俺も初めて見た時はビビッて震えましたよ。……ん?そういやヘロヘロさん。ヘロヘロさんが帝国から連れ帰った子。あの子ならダンスの知識とか有るんじゃないですか?」

 

「レイナースさんですか?……そういえば元々は帝国の貴族だったとか言っていたような?」

 

「おお、もしかしたら三人目ですか?これはヘロヘロさんの功績ですね」

 

 ペロロンチーノの指摘に初めてその事を思い出したようなヘロヘロは、功績という言葉に照れ臭そうに触腕を振っている。

 

「ヘロヘロさーん?そもそもの発端は全部ヘロヘロさんの暴走だって事は忘れないでねー?」

 

 すぐさま冷えつくようなぶくぶく茶釜の突っ込みを受けて、ヘロヘロは固まっていた。建御雷達が転移してきたとシズから<伝言(メッセージ)>を受けるまで、さんざん絞られていたヘロヘロの姿を思い出し、アインズは思わず苦笑いを浮かべる。

 そのヘロヘロとは対照的に心配事が無くなったからか、安心した様な弐式炎雷がアインズに向け軽く頭を下げてくれた。

 

「本当色々確認してくれてありがとう、モモンガさん。おかげでナーベラルと無事参加できそうだね!これで黒髪ポニーテールこそ究極だと、舞踏会で証明できる!」

 

 そう意気込む弐式炎雷に、聞き流せなかったのかヘロヘロが復活する。

 

「―え?いやいや弐式さん。何を言ってるんです?金髪縦ロールのメイドこそ至高でしょう?もちろんナーベラルが魅力的なのは否定しませんが、それでも究極は言いすぎじゃないですか?」

 

 復活した理由がそれかよと、軽くアインズは肩を落とした。勿論忍者も譲るわけが無く、粘体に向き直る。

 

「いやいや、ヘロヘロさん。何を言ってるの?確かにナーベラルはメイドだけど、魅力はそれだけじゃないでしょう?ナーベラルには兎さん魔法もあるんだよ?黒髪ポニテのバニーガール。その彼女を差し置いて至高とか、ふっ」

 

 睨み合う二人に、こういう話題に黙っていられる訳が無いもう一人が仲裁に入る。ペロロンチーノだ。

 

「ちょっとヘロヘロさんに弐式さんも。そんなことで喧嘩しないで下さいよ。どうです?ここはメイドとバニー両方の格好を、最高に可愛いシャルティアにさせて勝負を決めるというのは。それなら公平でしょう?」

 

「何が公平なんだよ、ペロロンさん。シャルティアの胸は確かパッド設定だろう?それじゃあバニーの魅力は生かせないよ。そもそもなんであの設定画で貧乳設定つけるかな。勿体無い」

 

「その点は弐式さんに同意ですね。シャルティアの可愛らしさは認めますが、胸の大きさは重要ですよ?」

 

「あんなのただの脂肪じゃないですか?」

 

「な、なんだと!?」

 

「それは聞き捨てなりませんよ、ペロロンさん!」

 

 わいわいと騒ぎだした三人を、ぶくぶく茶釜とやまいこがもの凄く冷たい目で見つめていた。頼むからその視線に気付いてくれよと、無いはずのアインズの胃がキリキリと痛む気がする。ぶくぶく茶釜が何かを言う前にどうやって止めようかとアインズが思案し始めると、建御雷があの三人には付き合いきれないと手を振る。

 

「まあ、少しあっちは放っておこうぜ。それでだ。ダンスはこれから覚えるとして、俺の相手を務めてくれそうなNPCに心当たりはあるか、モモンガさん?」

 

 問われて、思い浮かべる。真っ先に浮かんだのはアルベドだが、彼女は自分が組んだ方がいいだろう。流石にそれくらいはアインズでもわかる。それ以外で女性NPC達の中で誰か居ただろうかと考え始めると、一人のメイドが思い浮かんだ。

 

「―ルプスレギナはどうでしょうか?」

 

「ルプスレギナ?……ああ、プレアデスの子か。じゃあその子に頼むとするか」

 

 建御雷にアインズは頷く。帝国でダンスパートナーを務められるNPCともなると候補は絞られてくる。同じプレアデスでもエントマは王国で顔を晒しているし、シズには宝物殿で大事な仕事がある。それ以前にその二人では建御雷と体格差がありすぎる様に思えた。その点ルプスレギナならば上手くやれるだろう。

 

「踊りだけじゃなくて、典礼とかもあるよね?あと舞踏会に直接参加するのはボク達だけでも魔導国として招かれているなら、それなりの人数で帝国にお伺いしたほうがいいんじゃないかな?」

 

 やまいこの提案に、アインズは頷く。アルベドを王国に向かわせる際にも、使節団には力を誇示する意味で死の騎兵(デス・キャバリエ)を二十騎用意した。そして今回はギルド、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーで参加するのだ。確かに見栄えは必要だろう。

 

「じゃあ俺たち以外にも、確かヘロヘロさん達が創造した普通のメイド達が居たよな?その子達を連れて行けばいいんじゃないか?」

 

「一般メイドの子たち?確か彼女たちは一レベルだよね?危なくないかな?」

 

「他の国って言っても、同盟結んでる国だろう?いきなり襲われるなんて無いんじゃないか?」

 

 建御雷の言葉にぶくぶく茶釜が首を振る。

 

「いや、別の意味で襲われる心配はあるよ。お披露目会でもなんでも、そういう場には大概スケベ親父が居るもんだから。メイド達に手を出そうなんて奴は絶対いると思う。断言するよ」

 

「かぜっち実感籠ってる……。何かあったの?」

 

「昔にちょっとね。もちろん全部断ったけどさ」

 

「なら一般メイドの護衛に八肢刀の暗殺蟲を同行させますか?」

 

 アインズの提案に、建御雷達が若干苦い顔をする。

 

「流石にあれは見栄えが悪いだろう」

 

「建御雷さん、シズの名前は忘れてたのにそっちは覚えてるんだ?」

 

「その話は勘弁してくれよ、やまいこさん。……インセクト系は研究したからな」

 

 感慨深そうに建御雷が言う。アインズは最初コキュートスの事かと思ったが、すぐに白銀の騎士を思い出し、納得した。彼はたっち・みーを倒すことを目標としていた。インセクトの研究は、たっち・みーに対するものだろう。

 

「そういやさっきのモモンガさんの話で、NPC達が出歩く際にシモベを連れて行くルールがあったよな?」

 

「ええ、七十五レベル以上のシモベを五体と決めていますね」

 

「いいね。なら一般メイドの子達にもそのルールを適用しよう。尚且つ並べた時の見栄えが良い傭兵NPCか。……何か思い浮かぶ?」

 

 ぶくぶく茶釜の問いかけにアインズ達は首を傾げる。モンスターの能力や、状況に応じての使い方等には自信はあるが、これが容姿となると候補があまり浮かばない。

 あくまでもアインズ、武人建御雷、ぶくぶく茶釜、やまいこ、にではあるが。

 

「―話は聞かせてもらった」

 

「どうやら私たちの出番がきたようですね」

 

「今こそ俺たち(ペロロン、フラット、源次郎)データフォルダ(三人の秘密部屋)が火を噴きますよ」

 

 さっきまで争っていたヘロヘロにペロロンチーノ、弐式炎雷がいつの間にか復活していた。今はこういった話題が得意なメンバーもいるのだ。残念ながら誇らしい気持ちにはならなかったが。

 さらにはペロロンチーノがぶくぶく茶釜に「そういやお前図書館にエロモンスター召喚用の隠し部屋を課金して作っていただろう?」と突っ込まれ、しどろもどろにフラットフットと源次郎の名前も出していた。アインズも知らない話だが、どうやらその二人は共犯者らしい。

 アインズには姉にエロデータの隠し場所を見透かされていた親友の姿が哀れで、何も言う事が出来ない。

 

「一般メイドを連れて行くなら私の子達を連れて行きましょう、彼女達にもたまには違う仕事をあげないと可哀想ですし」

 

「一般メイドの護衛が出来る見栄えのいい傭兵NPCか。レベルは多少低くてもいいと思うけど、まずは何を召喚するかだな。五階層にも居るけど、雪女郎は?あと桜花聖域のウカノミタマも良いんじゃない?」

 

「良いですね。あとはサキュバス系エロモンスターもいくつか見繕いましょう」

 

「天使系とかはどうかな?いくつか超位魔法で召喚できるけど」

 

 やまいこの提案にアインズは首を振る。

 

「魔法での召喚は時間制限があるので、舞踏会には厳しいかもしれませんね」

 

「それに天使系の女の子モンスターは熾天使まで行かないと居ないですし。ちょっと厳しいですよ。そういや今回の傭兵NPCの費用はどうやって捻出するんです?」

 

 ペロロンチーノの質問に、自然と一か所にアインズ達の視線が集まる。

 

「……ああ、私ですよね。わかりました、負担させていただきます」

 

 そう言ってヘロヘロが片手を挙げて頷く。

 

「費用の心配がなくなったことだしな。金に糸目をつけずに、全力で行こうぜ」

 

「ええ、シャルティア達には当然負けますが、それでもこれでもかってくらいに見目麗しい傭兵NPCたちを集団で召喚してやりましょう。お金の心配なんて必要ないです」

 

「ちょ、ちょっと。いくらなんでも限度はありますからね?」

 

「あ、そういえばヴァルキュリア系のモンスターは可愛い子多かったよね?あとは時の三姉妹とか?」

 

「や、やまいこさん!?あれ九十レベル以上ですよ!いくら費用掛かると思ってるんですか!せめて八十レベル前後で押さえてくださいよ!」

 

 わいわいと騒ぎ始めるギルドメンバーをアインズは暖かい目で見つめる。ヘロヘロは青い顔をしているが、これほど円卓が活気に包まれたのは何年ぶりだろうと思う。

 しばらくその仲間たちの姿を満足げに眺めるが、収拾がつかなくなる頃を見計りアインズはギルドマスターの仕事をするべく骨の手を打ち鳴らした。

 

「はいはい、みなさん。せっかくだからペロロンさん達の秘密部屋という所にお邪魔しませんか?源次郎さんが関わっているなら、きっとレベル別に整頓してくれていますよ。どうせならそちらで話し合いましょう!」

 

 全員が同意するように、席から立ち上がる。

 

「それが終わったら、さっそくダンスの練習です!これから、忙しくなりますよ!」

 

 そういうアインズの声音には、喜色が満ちていた。

 




アルベドはダンスの知識をタブラさんに持たされているか、王国に行く前に勉強しているとしています。
NPC達は出番無いときは、書籍と同じ働きをしています。
pixivで端折ったカルマ+面々のNPCとの再会は、次で。

あとこの作品内の捏造設定とはなりますが、

弐式さん、黒髪ポニテのバニー好き。
ヘロヘロさん、金髪縦ロールの巨乳メイド好き。網タイツも好き。
ペロロンさん、ロリ。
フラットさん、つるりんぺたん好き(ロリでは無い)
源次郎さん、蟲系の異形っ娘好き。
建御雷さん、言わないけど尻好き。

と、させて頂いております。ご了承下さい。


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 至高の方々、NPCと出会うカルマ+

 ナーベラルは、第九階層のプレアデスの自室に置かれたソファーに座り込み休息を取っていた。視線は一か所に向けられ、動いていない。かれこれ一時間はこうしているが、休憩中の為に咎めるものは居ない。自室には姉が二人居るが、気を使ってかナーベラルに向け話しかけたりはして来ないので、特に注意を払っていなかった。

 今日一日予定は無い。至高の主人に供する機会は、同じく至高の主人達がお帰りになられてから、めっきりと減っていた。

 至高の主人の供をするのは非常に難しい仕事だが、同時にそれ以上のやりがいと誉がある。

 だがそれでもという思いがある。思いに応える様に、ポニーテールが力なく垂れ下がる。ナザリックのモノの殆んどが思っているだろう。至高の御方がナザリック御帰還された喜び、そしてその中に自らの創造主が含まれていなかった悲しみ。誰もが相反する気持ちを抱えているはずだ。

 

「……ふぅ」

 

 小さなため息が漏れてしまった。駄目だと思った。自分は戦闘メイドプレアデスの一人なのだから。そうナーベラルを創造し、さらには姉妹も持たしてくれた御方を想う。ため息をついた姿など、例え今はナザリックに居られないとしても、見られたくは無い。

 そう決意し、居住まいを正す。そして―

 

「うっわ。本当にナーベラルも動いてるわ」

 

 声が聞こえた。

 その声に、ピンッとナーベラルのポニーテールが跳ね上がる。

 ナーベラルは声の主の姿を探すため、慌てて立ち上がり辺りを見渡す。だがその姿は何処にも見当たらない。

 

「どうしたっすか、ナーちゃん?」

 

 姉の一人ルプスレギナに問われ、思わず問い返す。

 

「……声が聞こえなかった?」

 

「声?何か聞こえたっすか、ユリ姉?」

 

「いいえ?何も聞こえなかったわ。貴方の咀嚼音以外ね」

 

 そういえば、ルプスレギナは先ほどから何か口にしているようだ。もしかすれば何かの音を、声と聞き間違えてしまったのだろうかとナーベラルは思う。勘違いだと解かると途端に落胆してしまい、再びソファーに沈み込む様に座り込む。同時にポニーテールが力無く垂れ下がった。

 

「おお、ポニーテールが垂れ下がったぞ。どうした、ナーベラル?」

 

 再び声がした。ナーベラルは跳ねる様に立ち上がる。辺りを見渡すが、やはり二人には聞こえていないらしい。驚いたような顔をしていた。

 

「ど、どうしたっすか、本当に何かあったっすか?」

 

 訝し気にこちらを見るルプスレギナに問われるが、ナーベラルの視線は、同じく訝し気な視線を向ける長女に向けられる。

 

「……ユリ姉様。この部屋を調べて貰ってもよろしいですか?」

 

 ナーベラルの問にユリは真面目な顔になり、普段の伊達眼鏡から不可視化を看破する事の出来る眼鏡に切り替えた。ゆっくりと、見落としなど無い様に、丹念に視線を部屋の隅々まで向けてユリが探ってくれた。ナーベラルも緊張感からか激しい動悸を覚えながら、そのユリの視線を同じくなぞっていく。

 そして十分な時間がたってから、ユリが首を振った。

 

「……何も無いわ」

 

 再び落胆の気持ちが胸に沸く。やはり自分の勘違いなのだろうか。そう思いユリに礼を言おうとした。

 

伝説級(レジェンド)アイテムを誤魔化す手段なら、いくらでもある。そうだろう?」

 

 三度、声がした。ナーベラルは確信する。そうだ、不可視化を見破るアイテムを誤魔化す手段などいくらでもある。それが例え伝説級(レジェンド)アイテムであっても。ナーベラル達には無理でも、あの御方ならば造作もない。自らを創造して下さった至高の御方ならば。

 いる。間違いなくいらっしゃる。ナーベラルは胸に感じた事の無い熱が宿っていることを自覚する。丁寧に、少しの綻びも見落とさないように、ナーベラルは再び部屋中を視線で探る。

 

「本当にどうしたっすか、ナーちゃ―」

 

「しっ。静かになさい、ルプスレギナ。邪魔しちゃ駄目よ」

 

 これほどの緊張感は、至高の主人の警護として供をした時ですら無かった。

 胸の熱は高まるばかりだ。そして視線が一つの影に止まる。何の変哲もない部屋に置かれたテーブルから伸びた影。

 だが、ナーベラルは確信した。ここであると。

 ナーベラルは素早くその影に向け片膝を突き、拝謁の姿勢を取る。そしてゆっくりと口を開く。

 

「……お帰りなさいませ。弐式炎雷様」

 

 ナーベラルの言葉に、弾かれたように姉二人もナーベラルに倣い片膝を突いたのが気配で知れた。

 そして顔を伏せたままでもナーベラルに伝わってくる大きな気配が、部屋に溢れていく。その気配から感じる確かな繋がりに、胸の熱が際限なく高まっていく。

 

「正解!よくわかったな、ナーベラル。俺わりとマジに隠れてたんだけど。ああ、顔を上げて上げて。でも本当、どうやって俺を見つけた?」

 

 言葉に、伏せていた顔を上げた。

 かつて幾度となく見てきた懐かしいお姿。忍者装束だと、この御方は良く他の御方に笑っていらした。懐かしさに、言い表せない感情がナーベラルの胸に芽生えていく。

 何かが頬を伝っていた。それが涙だと、頬を伝った雫が床に落ちて初めて気づく。そして先ほどの答えをお伝えするために、ナーベラルは口を開いた。

 

「……自身を生み出して下さった御方の気配を、違える筈もありません」

 

 そうナーベラルは僅かに震える声で答え、微かに微笑むのだった。

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませ!弐式炎雷様!」

 

 影から姿を御見せになられた至高の御方に、ユリはルプスレギナと共に片膝を突いて拝謁の姿勢を取る。再び、至高の御方がナザリックにご帰還された。喜ばしい事だ。特に妹の、ナーベラルの喜びが確かに伝わって来ている。

 

「ああ、ユリとルプスレギナも久しぶり!悪いね、勝手に部屋に入って。ほら二人も顔を上げて上げて」

 

 弐式炎雷が笑って言う。勿論ユリたちにその事を咎める気持ちは無い。自身たちを含めナザリックの全ては、この至高の御方々が生み出した物なのだから不満などある筈も無い。

 

「俺が驚かせたいって言って付き合って貰ったからさ。待っててくれたんだけど、今連絡したからすぐ来るよ。俺と違ってちゃんとマナーを守ってね」

 

 声は、なぜかナーベラルでは無く、ユリに向けられていた。言葉の真意が掴めずに、ユリは疑問の表情を浮かべるが、すぐに理解した様に振り返る。

 振り返った先は部屋の扉だ。その扉の向こう側に、懐かしい気配がする。

 そして丁寧なノックが扉から聞こえた。

 ユリに強い感情が生まれる。アンデッドの自分から生まれたとは思えないほどの強い感情が。至高の御方の前だというのに、許可なく腰を浮かすという不敬をユリがしてしまうほどの。

 今すぐにでも扉に駆け寄りたい。出迎えたい。そう強い気持ちがあるのに、足は自分の意志に反するように震えてしまい、これ以上動かなかった。

 

「ルプスレギナ、迎えてあげて」

 

「は、はっ!畏まりました!」

 

 弐式炎雷の言葉にルプスレギナが弾かれたように扉に向け走っていき、すぐさま扉を開く。

 ユリが開かれた扉から見たのは光。溢れ出る神々しいまでの圧倒的な光。

 その光の中から、帽子を被った御方が姿を見せた。

 

「開けてくれてありがとう、ルプスレギナ。……弐式さん、本当に勝手に女の子の部屋に入ったんだ?あんまり驚かせちゃ駄目だよ」

 

 弐式炎雷を窘める様な声。美しい声だ。その声はユリに澄んだ水をイメージさせる。そしてその声と同じくらいに美しいお姿。

 

「ごめん、ごめん。どうしても驚かせたくてさ」

 

 ユリは弐式炎雷に背中を向けるという不敬を犯しているが、それを理解しながらも正すことが出来ない。視線は先ほどから動かせないでいた。

 

「……ただいま、でいいのかな?ユリ、久しぶりだね」

 

 御方がユリを見て微笑んでくれた。ユリはその笑みに、アンデッドの自分も涙を流せることを初めて知った。腰を僅かに浮かした中途半端な姿勢の、とても情けない姿をユリは見せている。それなのに創造して下さった御方は優しく微笑み、その大きな手でユリの腕を取り身体を起こしてくれる。そして言葉を掛けてくれた。

 

「ふふ、その姿勢じゃ危ないよ、ユリ。元気だった?」

 

 その優しい声に、ユリは堪えきれずに至高の御方、やまいこの胸に顔を埋めてしまう。

 

「……やまいこ様!ぼ、僕は……僕はっ!」

 

「ほらほら、泣かないの。お姉ちゃんでしょう?……モモンガさんから聞いてるよ。ユリは長女としてよく頑張ってくれているって。良く出来ました。ボクも嬉しいよ」

 

 笑って褒めてくれるやまいこに、ユリは自分もシャルティアの様に強い感情を出せる事を、そして涙すら流せることを創造主から教えて貰った。

 

 

 

 

 

 

 コキュートスはアウラに呼び出され、ナザリック第六階層円形闘技場(コロッセウム)の薄暗い通路を歩いていた。巨大な格子戸を抜け、闘技場の中央に歩を進める。

 そして中央まで進み貴賓室を見上げる。そこにはコキュートスを呼び出したアウラに、弟のマーレ、そしてその二人を創造した至高の御方、ぶくぶく茶釜の姿もあった。

 コキュートスは貴賓室のぶくぶく茶釜に対し、臣下の礼を取る。

 

「オ待タセシ、申シ訳アリマセン、ぶくぶく茶釜様」

 

 コキュートスの言葉に、ぶくぶく茶釜は貴賓室から跳躍し、着地と共にその身を震わせた。ぶくぶく茶釜に続く様に、アウラも飛び降り、すこし遅れてマーレもまた闘技場の大地に着地する。

 

「大丈夫、待ってないよ、コキュートス。私こそごめんね?急にリザードマンの村から呼び出しちゃってさ」

 

「御方ニ呼バレレバ何処デアロウトモ参ルノガシモベトシテ当然ノ務メ。……シカシ私ヲ呼ビ出シタノハアウラノハズ。御方カラノ命トアレバ即座ニ参リマシタモノヲ」

 

 コキュートスの問に、なぜかアウラが満面の笑みを浮かべ、こちらを見ていた。

 

(何カアッタノダロウカ?……ム!)

 

 斬り付ける様な鋭い気配に、コキュートスは闘技場の入り口に振り返る。凄まじい剣気だ。至高の御方を除けば、久しく感じていなかった圧倒的な強者の感触に、コキュートスは弾かれたように身構える。

 

「急に審判役を頼まれてさ。私が審判することになった。ルールは……いつも通りって言えばわかるって言われたけど、大丈夫?」

 

 コキュートスはぶくぶく茶釜の問いかけに答える様に、ガチガチと下顎を打ち鳴らす。白い息がコキュートスの口から漏れ出し、大気が凍り付くパキパキという音を立てる。

 強者の感覚。最初は警戒から身構えた。だが直ぐにコキュートスは、その自身に最大限の警戒態勢を取らせる相手の正体に思い至る。

 抜身の白刃を眼前に突き付けられたと錯覚する程の剣気。だがそれが何処か懐かしい。第五階層守護者のコキュートスにそのようなイメージを持たせる相手は、いや、御方は一人しか居られない。

 

「ふふ、大丈夫みたいね。それじゃあ私たちは下がってるから、思う存分戦って。ああ、それと。二人が設定した割合まで体力が削られたら、私が割って入るから、その時はちゃんと従ってよ?」

 

 ぶくぶく茶釜からの言葉に、四つの腕にそれぞれ武器を構えることでコキュートスは答える。

 

「それじゃあ、頑張ってね、コキュートス!」

 

「あの、が、頑張ってください!コキュートスさん!」

 

 コキュートスは二本の腕で白銀のハルバードを持ち、残る二本にそれぞれ歪んだ形のブロードソード、そして斬神刀皇を持つ。全ての手に武器を持った、コキュートスが全力戦闘をする為の構えだ。

 格子が跳ね上がり、闘技場の入り口から姿を見せるのは大鎧に身を包んだサムライ。大太刀を肩に担ぎ、コキュートスの前まで無遠慮に歩を進める。

 そしてコキュートスまできっかり十メートルの距離で、歩みを止めた。

 

「―よお。久しぶりだな、コキュートス」

 

 懐かしい声に、コキュートスは武器を構えたまま、吠える様に答えた。

 

「ハッ!武人建御雷様ッ!」

 

 武器を構えたままのコキュートスに、建御雷は野太い笑みを浮かべる。

 

「俺達の再会に剣戟の音も無いんじゃ味気無いだろう。ルールは覚えてるな?」

 

 創造主からの問い掛けにコキュートスは応える。かつて幾度も繰り返し行っていた模擬戦闘の設定(ルール)を。

 

「ハッ!距離十メートル!スキル使用可!アイテム使用不可!」

 

「体力の割合はどうする?四割、いや、三割にしておくか?」

 

 決着を付けるラインを問われた。設定した割合までHPが削られた方が負けという実にシンプルなルールだ。四割ならば問題無いだろう。三割ならばやや危険といえる。その事を踏まえながらも、コキュートスは吠える。

 

「一割デ、オ願イシマス!」

 

 この割合ならば、もはや命のやり取りと変わらない。シモベが創造主に願うものでは無い。コキュートスの願いは、他のシモベからは反意を疑われるかもしれないものだろう。

 だが自らの創造主は違う。

 コキュートスの答えに獰猛な笑みを浮かべ、大太刀を構えた。

 

「いいぞ。実に俺好みの答えだ、コキュートス!いいぜ、やろう!茶釜さん!聞いた通りだ。勝敗は一割で頼む!それまでは手出し無用!」

 

「……マジ?」

 

「大マジだ。合図を頼むぜ、茶釜さん」

 

「……はぁ、りょーかい。そのラインまで行ったら直ぐ止めるからね?……じゃあ、行くよ」

 

 緊張感が高まっていく。突き刺すような感覚が懐かしい。興奮を隠せぬように、下顎がガチガチと打ち鳴る。

 

「―始めっ!」

 

 合図の言葉にコキュートスは即座にスキルを発動した。

 

「<マカブル・スマイト・フロストバーン>」

 

 ザイトルクワエの触手を断ち切った斬撃を、建御雷は大太刀を鞘に納めたまま受ける。衝撃に身体を揺らすが、それだけだ。

 

「<氷柱(アイス・ピラー)>」

 

 コキュートスの魔法の発動に併せ、建御雷目掛け四本の氷柱が突き出る。

 建御雷はそこで初めて大太刀を抜き放つ。

 四本の氷柱が一刀の斬撃によって、断ち斬られた。

 断ち斬られた氷の破片が、闘技場の灯りを受けキラキラと反射している。美しさすら感じさせる光景だ。だがコキュートスはその光景では無く、自身の魔法により生じた氷柱を、一刀で断ち斬った創造主の大太刀に視線を奪われていた。

 建御雷八式では無い。

 無骨な鈍色の鞘から抜き放たれたのは、肉厚な、それでいて全てを断ち斬る鋭さを併せ持つ美しい刀。刀身に流れる濤乱刃の刃文に思わず見惚れてしまう。

 

(アレガ、たっち・みー様ヲ倒スベク打タレタ武人建御雷様最後ノ一振リ)

 

 視線を奪われた隙を、当然建御雷は見逃さない。距離を詰められ大上段からの一撃がコキュートスに迫る。コキュートスはその一撃を神話級(ゴッズ)アイテムである斬神刀皇で受ける。神話級(ゴッズ)アイテムで無ければ、受けきれぬと判断したからだ。

 神話級(ゴッズ)同士の刃がぶつかり合う衝撃に、闘技場全体が揺れる。

 

(―重イ!ナントイウ重イ一撃ダ!)

 

 鍔迫り合う建御雷に押し込まれていく。距離を詰め過ぎられたために、ハルバードとブロードソードが振るえない。僅かに力を抜き、引き技を打とうとするが踏みとどまる。力を抜けばその瞬間に頭頂部から両断されてしまうだろうと、コキュートスを確信させる程の気迫が建御雷にはある。

 

「クッ!<フロスト・オーラ>」

 

 コキュートスはオーラを解放させた。

 極寒の冷気だが、建御雷に与えられるダメージ量は僅かだろう。狙いは動きを低下される特殊効果だ。微妙に動きを低下させるだけのものだが、拮抗した実力者同士の戦いならば、その僅かな低下が致命的となる。

 建御雷がそれを嫌がり、コキュートスのライトブルーの外骨格を蹴り付け、距離を取る。蹴り付けられたコキュートスは衝撃に身体を揺らしながらも、魔法を発動する。

 

「<穿つ氷弾(ピアーシング・アイシクル)>」

 

 人間の腕程の鋭い氷柱が何十本と建御雷に向かい打ち出された。建御雷はそこで初めてスキルを発動する。太刀を腰に収め、居合の構えから太刀を振るう。

 

「<羅刹><四方八方>」

 

 連続で放たれた斬撃に、コキュートスの打ち出された氷柱は全て斬り落とされた。

 

「<レイザーエッジ><羅刹>」

 

 さらにはお返しとばかりに、建御雷から剃刀の様な斬撃が乱れ飛ぶ。その刃にコキュートスもまた斬神刀皇を振るう。

 

「<レイザーエッジ><羅刹>」

 

 コキュートスから放たれた同じスキルが、生み出された刃を空中で相殺し合う。だが、相殺しきれなかった刃が、コキュートスの体を斬り裂いた。

 コキュートスの外皮鎧に無数の小さな傷が走る。だが建御雷の大鎧に傷は無い。同じスキルを使い、押し負けた。これは即ち力量の差を示している。

 歓喜のあまり身震いがする。守護者の中で武器戦闘最強と評されるコキュートスが、武器を持った戦闘で押し負けている。言いようのない感動が、歓喜が、コキュートスの体を震わせるのだ。

 

(素晴ラシイ―――)

 

 小手先の技など自らの創造主には通用しない。自身の持てる力の全てを、出し切らねばならない。

 

「<不動明王撃(アチャラナータ)>」

 

 コキュートスの背後に不動明王が出現した。

 建御雷もまたコキュートスに応える。

 

「<不動明王撃(アチャラナータ)>」

 

 お互いの背後に不動明王を従え、創造主とシモベは、笑みを浮かべながらぶつかり合っていくのだった。

 

 

 

 

 

 <生命の精髄(ライフエッセンス)>の効果を持つアイテムを使いながら、ぶくぶく茶釜はため息にその身を震わせた。物理攻撃力に特化した二人の攻防は激しさを増していき、闘技場全体を震わせていた。

 戦いに呼応するように、建御雷とコキュートスのHPは面白い位にガシガシと削られていく。決着はそう遠くないだろう。

 ユグドラシルとは違い、建御雷はこの戦いに痛みを感じているはずだが、口元に浮かんだ笑みは自身が傷つくほどに強くなっていた。

 

(……二人とも楽しそうだけど、闘技場の修繕費の方が気になっちゃうのは私が女だから?まあ、いいか。……おっと)

 

 飛んできた石壁の破片をぶくぶく茶釜は手に持った盾で無造作に打ち払う。弾かれた破片が観客席に飛んでいき、観客用のゴーレムに直撃していた。

 その光景を見たアウラとマーレが意気込んでぶくぶく茶釜を守る様に前に出る。

 

「マーレ!ぶくぶく茶釜様をお守りするよ!」

 

「うん!」

 

「あー、二人とも私は大丈夫だから」

 

 逆にぶくぶく茶釜は意気込む二人を庇うように再び前に出る。

 

「悪いけど、二人でやまちゃん……はユリが可哀想だから、ペストーニャを呼んできて貰える?もうそろそろ決着つくだろうから」

 

 ぶくぶく茶釜の言葉に渋る二人をなんとか説得し、送り出した。マーレの指輪で転移していく双子を見送り、改めて戦い続ける二人に両手に盾を構えて向き直る。

 

「私、あれに割って入るのかー……」

 

 嬉しそうに斬り合う二人と対照的に、そう言ってぶくぶく茶釜は項垂れた。



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 至高の方々、ダンスレッスンを受ける

「さあ、アインズ様。手を差し出してくれますか?」

 

「う、うむ。……こうか?」

 

 背中を伸ばし直立したアインズは骨の右手を差し出す。そのアインズの姿をうっとりとした表情で見つめ、アルベドが頷く。

 

「宜しいかと。……それではアインズ様、失礼致します」

 

 そう言ってアルベドはアインズに体を寄せる。アインズは差し出した手をアルベドの手と絡ませ、彼女を迎え入れた。

 

「……では、アインズ様。右手を私の背中に。そう、抱き寄せる様に、……ああ!アインズ様!」

 

「ど、どうした?力が強すぎたか!?……すまない、アルベドよ。私は他のことには多少の自信があるのだが、残念ながらダンスに関しては知識も経験もないのだ。……すまなかったな」

 

「ふわぁ……」

 

 アインズに抱き寄せられ、完全に恍惚とした表情でアルベドは息を吐き出す。 

 

「……くふふふふ。いえ、アインズ様。非常に、非常に宜しいかと思われます。もっと、もっと強く抱き寄せてくださいますか?」

 

 

 これ以上自分が力を籠めたらアルベドならともかく、普通の人間ならばあのクレマンティーヌのようになってしまうのではないかとアインズは思ったが、素直に指示に従う。先ほど言ったように、アインズにダンス知識は無いのだ。ここは素直に知識のあるものに従ったほうがいいだろう。

 

(これがダンスのホールドか。だけどさっきからホールドの練習ばかりで、ちっともステップの練習に進まないな。本当にこれで間に合うのだろうか?ああ、しかしいい匂いがする。どこかで嗅いだ覚えのある匂いだけど、どこだろう?)

 

 疑問には思うが、先生役のアルベドは先ほどから恍惚の表情のままだ。そんなアルベドに不安を感じながらも、アインズとアルベドのカップルはホールドの練習を続けていくのだった。

 

 

 

 

 

 多目的用に作られた第九階層のホールで、ホールドの練習を続けるアインズとアルベドを見つめる目がある。

 シャルティアだ。

 ダンスレッスンは既にホールドの段階を終えて、ステップ練習に移っている。それなのにあの二人は何時までもホールドの練習から先に進もうとはしない。アインズが抱き寄せるたびに、アルベドが恍惚とした表情で悶える為にだ。その光景を、シャルティアは歯ぎしりをしながら見つめていた。

 

「―シャルティア?」

 

 そのシャルティアに、自身をダンスパートナーとして選んでくれた御方、ペロロンチーノから声が掛けられる。

 

「も、申し訳ありません!ペロロンチーノ様!」

 

 自身を生み出してくれた御方を前に、他の御方に視線を向けていたシャルティアは自分を恥じる。本来ならばこれは謝罪で許される不敬ではない。だが―

 

「はは。平気だよ、シャルティア。シャルティアのモモンガさんに対する気持ちはわかっているから」

 

 そんなシャルティアを、ペロロンチーノは笑って許してくれる。

 

「ペロロンチーノ様ぁ!」

 

 寛大な創造主の心に触れ、シャルティアは思わず感涙にむせびそうになった。

 そしてペロロンチーノが左手を差し出し、シャルティアがそれを受け抱き寄せられるように組み合わさる。ペロロンチーノの右手がシャルティアの背中に回されホールドが完成した。

 だが、その手に籠められた力は今までよりも強い。まるでシャルティアを手放さないというように。その強さに、思わずシャルティアはペロロンチーノを見上げる。そこには強い意志を持った男が居た。

 

「だけどね、シャルティア」

 

 言葉と共に一歩目が踏み出される。

 

「俺は今度の舞踏会で、必ずモモンガさんからシャルティアの視線を奪ってみせる。誓うよ、シャルティア。俺が与えた気持ち(ネクロフィリア設定)を、俺自身で超えて見せる!」

 

 そう宣言するペロロンチーノに、共にステップを刻むシャルティアはうっとりとしたように金色の鎧に体を預けた。

 

「ああ、なんとシャルティアは罪深いのでしょうか。愛する御方二人がこうして争う様を、ただ見守ることしかできないだなんて。ああ、わたしは一体。一体どうすればいいのでありんすか……」

 

 うっとりと自分にも酔いしれるシャルティアに、呆れたような声が掛かった。

 

「しゃーるーてぃーあー?あんたねぇ、いい加減にしなさいよ!ペロロンチーノ様に迷惑かけてるじゃない!」

 

 声を掛けてきたのは、ぶくぶく茶釜とカップルを組んだアウラだ。ペロロンチーノの胸に抱かれ、うっとりとしていたシャルティアは現実に引き戻され、憤慨した様にアウラに答える。

 

「な、なんでありんす?邪魔をしないでほしいんすが」

 

「何が邪魔よ、あんた完全に自分の世界に入ってたじゃん」

 

 ステップを踏みながらも言い争う二人をペロロンチーノは微笑ましく見つめる。だがうっとりとしていたシャルティアをアウラが見咎めたように、ペロロンチーノもまたぶくぶく茶釜に見咎められる。

 

「おい、弟。お前なに微笑ましいなみたいな表情してるんだ?というかお前さっきの何だ。俺が与えた気持ちを、俺自身で超えて見せる!って何に影響受けたの?ねえ、何に影響受けたの?」

 

 先ほどのペロロンチーノの台詞を、ぶくぶく茶釜は弟の声真似をして繰り返す。その自身の真似を聞かされたペロロンチーノは、ダンス中の為に首の上だけで器用に悶える。

 

「やめてー!姉ちゃん!頼むから俺の声真似はしないで!本気で恥ずかしいから!シャルティアもアウラも見てるんだぞ!」

 

「弟の馬鹿な発言を隣で聞かされた姉の気持ちにもなれって事だよ。そもそもシャルティアがモモンガさんを見てるのだって、お前の設定過多が原因だろう。―っと、ごめんアウラ。私が集中出来てなかったね」

 

「そんな事ないです、ぶくぶく茶釜様!それに安心してください。ぶくぶく茶釜様はわたしがしっかり、リードさせていただきますから!」

 

 意気込んでぶくぶく茶釜のリーダーを努めるアウラが言う。アウラは粘体のぶくぶく茶釜の本来は盾を構える時に使う、普段は本体に一体化している両腕らしき触腕をしっかり握り、基本に忠実にステップを踏んでいく。ぶくぶく茶釜に関しては、足がないので引きずる様な形だが。

 

「頼りにしてるね、アウラ。……よし、これで一曲終わり。さあ、もう一回初めから頼めるかな?」

 

「はい!ぶくぶく茶釜様!」

 

 アルベドから早々にホールドの仕方と基本のステップを習い終えたペロロンチーノ、シャルティア組、そしてアウラをリーダーとするぶくぶく茶釜組は、言い争いながらも、着実に成長していくのであった。

 

 

 

 

「ナーベラル殿!笑顔!笑顔ですぞ!」

 

 ぱんぱんと、ゴキブリの手?でリズムを取りながら、シルバーゴーレムの上に直立した恐怖公がナーベラルに声を掛ける。

 

「こ、こうでしょうか?」

 

 弐式炎雷とステップを刻むナーベラルは必死だ。必死に弐式炎雷のリードを感じ取ろうとしている。それ故に消えていた笑顔を恐怖公に指摘され、慌てて表情を変える。

 

「そう!いいですぞ!ですが、ちらちらと足元に視線を向けるのはいただけませんな。もっとリーダーの顔を見つめるのです!舞踏会ではパートナーの表情こそが、何よりの華なのですぞ!そして弐式炎雷様。リードは何も体が触れている部分だけで行うわけではありません!もっと表情で!表情の機微で!ナーベラル殿に自らの想いを伝えてあげるのです!」

 

 弐式炎雷は恐怖公からの指摘に、ナーベラルの手を取りステップは踏みながら答える。

 

「おっしゃ!任せろ!って無茶言うなっ、恐怖公!俺、ハーフゴーレムだぞ!表情なんて作れるか!」

 

 尚且つ頭巾で顔を覆ってすらいる。

 恐怖公からのアドバイスどおりに表情で伝えようにも、ハーフゴーレムの為そもそも表情が作り出せないのだ。キャラメイクの時にもう少し頑張ればよかったのだろうが、忍者装束の下はつるりとした体。とてもではないが、表情の機微でリードを伝えられるとは思えない。

 

「おや、そうですか?しかしナーベラル殿は、先ほどから弐式炎雷様のお顔からもリードを感じ取っておられるご様子ですぞ」

 

 思わず本当にとナーベラルに弐式炎雷は顔を向ける。ナーベラルはその視線に気付くと、コクンと小さく頷く。何を言ったわけではない、本当に通じているようだ。

 

「すげえ、すげえな、ナーベラル。はーはははは!行ける!行けるぞ、ナーベラル!こうなったら俺たちが会場中の視線を奪うぞ!舞踏会の主役は俺達、ニュー漆黒ペアだ!」

 

 そう言って、漆黒の忍者装束を纏う隠密特化ビルドを施しているはずの弐式炎雷は、ナーベラルと共に会場中の視線を奪うべくダンス練習に熱が入っていった。

 

 その様子を満足そうに恐怖公は見つめ、うんうんとゴキブリの体でどうやっているのか、何度も頷く。そして恐怖公は自分が担当するもう一つのカップルに視線を向けた。

 

「ですが、あちらは何も問題ないご様子。もはや吾輩の指導も必要無いでしょうな」

 

 視線の先には武人建御雷とルプスレギナのカップルだ。

 ルプスレギナには、視線が思わず引き寄せられてしまう様な美しい笑顔が浮かんでいた。その笑顔はリーダーの建御雷に向けられていた。建御雷もまたその美しい笑顔を浮かべるルプスレギナにまったく物怖じしない、堂々としたリードを続けている。

 今一番順調なのがこのペアだろう。このまま舞踏会に出たとしても、まったく問題ない出来にまで仕上がっている。

 ただ欠点があるとすれば、このペアの周りには常に、カチカチというスズメバチの威嚇音の様な音と、フシュ―という呼吸音と共に空気中の水分が凍り付くようなパキパキといった音がすることだろうか。

 

「……悪いなルプスレギナ。少し外れるぞ」

 

 建御雷の言葉にルプスレギナは微笑みながら一礼し、彼から一歩下がる。メイドらしいその態度に、建御雷は一度頷いてから、もう一度悪いと口にした。そして先ほどからする異音の元に向き直る。

 

「……おい、コキュートス。どうしてお前がここに居る?リザードマンの村の統治はどうした、リザードマンの村は」

 

「ハッ!シカシ武人建御雷様!御身ヲオ守リシ、ソノ剣トナルコトコソワタシノ至上ノ役目!共ニ踊レヌノデアレバ、セメテ!セメテソノ役目ダケデモ務メサセテイタダキタク!」

 

 片膝を突きながら建御雷とルプスレギナの踊りを見守っていたコキュートスは、そう必死にアピールをする。建御雷は一度息を吐き、コキュートスの前に立った。

 

「立て、コキュートス」

 

「ハッ!」

 

 そう言って立ち上がるコキュートスを建御雷は見上げる。そしてライトブルーの硬質な外骨格で覆われた胸を、一度強めに、ノックをするように叩いた。

 叩かれたコキュートスは大きく身動ぎする。もちろんダメージを受けたわけではない。建御雷の拳から伝わる熱に、感激したように身を震わせたのだ。

 

「なあコキュートス、俺は嬉しいんだぜ?」

 

 何をとコキュートスは問わない、続く主人の言葉をじっと待つ。

 

「魔を導く王。お前の提案らしいな。俺はお前に強さと俺たちの装備の知識、そして武具しか与えなかった。そのお前が今じゃリザードマンの村を統治しているという。俺は嬉しかったぞ?誇らしくてな」

 

 カチカチと下顎が鳴らす音が強くなる。喜んでいるのか?と建御雷は思う。

 

「もっと俺にお前の成長を見せてくれないか?コキュートス、俺の想像と創造を超える、お前の成長をな」

 

 その建御雷の言葉に感激したようにコキュートスは身体を震わせ、バシンバシンと尻尾で床を叩きつける。

 コキュートスのスパイク付きの尻尾によって床にひびが入ってしまうのでは無いだろうかと、建御雷は心配になった。コキュートスは建御雷から褒められた感激に、我を失ってしまっているのだろう。

 

「アリガトウゴザイマス!……勿体ナキ!勿体ナキオ言葉!武人建御雷様!早速リザードマンノ村ニ向カワセテイタダキマス!」

 

 床に損傷がない事に安堵しつつ、建御雷は頷いてコキュートスに答える。

 

「おう、期待してるぞ」

 

「ハッ!」

 

 そう言って背中を向け、退室するコキュートスを建御雷は見送る。その顔には、わずかな呆れと、隠しきれない笑みが浮かんでいた。

 

「まったく、あの図体で可愛い奴だ。……悪かったな、ルプスレギナ。さあ、練習を再開しようぜ」

 

 こうして恐怖公からレッスンを受ける弐式炎雷ナーベラル組と、武人建御雷ルプスレギア組は密かにだが確実に、一番上達していくのである。

 

 

 

 

「それじゃあ、ユリ。ゆっくり行こうか。ボクのリードを感じてね」

 

「は、はい。畏まりました」

 

「ふふ、大丈夫だよ。ボクもゆっくり行くからね?じゃあさっきレイナースさんから教わった事を思い出して―――最初は右足から。スロー、スロー。うん、音楽を聞いて。クイッククイック。うん、ユリ。上手上手」

 

「そ、そうでしょうか?やまいこ様のご指導が良いからだと思いますが」

 

「ううん。レイナースさんの指導とユリの飲み込みがいいんだよ。―よし、方向転換しよう。こういう時は―」

 

「チェックバックで―揃える!ですね!?」

 

「正解!よくできました」

 

 やまいことユリのペアは一つ一つ確認しながらも、ゆっくりと、だが確実に成長を続けている。やまいこと組む事で、長身のユリも非常に様になっていた。

 これもレイナースの指導のおかげであるし、人間の指導にも関わらず、それを嫌悪感一つ見せずに受け入れているユリにもやまいこは感謝する。自ら創造したプレアデスの長女が、ナザリックの中では異端であることをやまいこは誇りに思う。

 そして、自分たちのペアは比較的上手くいっているがあっちはどうかなと、チラリと隣でレイナースに指導を受けるもう一組のペアを見る。

 もう一組は一般メイド達のメイド服を着たレイナースの付きっ切りの指導を受けているが、やはり上手くは行ってない様だ。

 

「ヘロヘロ様?左手をソリュシャン殿の右手に。そして右手はソリュシャン殿の肩甲骨の下あたり。そう、よろしいですわ」

 

「こ、こうでしょうか。大丈夫ですか?……よし。じゃ、じゃあ、ソリュシャン。もう一度初めから行きます」

 

「はい、ヘロヘロ様」

 

 そして一歩目を踏み出そうとして、ホールドがほどけて失敗する。

 無理もないとやまいこは思った。

 何せヘロヘロの体長はソリュシャンの腰ほども無いのだ。無理をして直立してそれだ。普段のドロドロ状態のヘロヘロでは、せいぜいソリュシャンのひざ下までしかない。

 一応粘体ゆえに多少の伸び縮みはできるらしく、腕を強引に伸ばして無理やりホールドの形を作れてはいる。

 だが腕だけ伸ばした粘体相手では、ホールドで重要と言われた右半身の接触が上手く出来るはずもなく、しっかりとした形にならない。当然その状態で一歩目を踏み出せば、簡単に崩れてしまう。

 ソリュシャンからすれば足元でヘロヘロに纏わりつかれているようなものだ。踏みつけてしまわないだけ、非常に優秀と思える。

 

 もう一人の粘体であるぶくぶく茶釜とアウラのペアは上手くいっている。アウラはソリュシャンより小柄だし、ぶくぶく茶釜はヘロヘロよりも体長がある。そして同じ粘体でもぶくぶく茶釜はプルプルしたゼリーの様だが、それでもしっかりと体の形を保っていた。

 だがヘロヘロはそうではない。ドロドロとした液体にも近いタイプの粘体だ。

 もはやこれはパートナーをソリュシャンから他のプレアデスに変更、シズやエントマの方がまだ身長的にマシかと思われるが、ソリュシャンもヘロヘロも譲らないだろう。

 残された手段としては、ヘロヘロが本気モードになることだが、そんな事をすれば舞踏会が大惨事間違いなしだ。

 

「すみません、レイナースさん。せっかく教えて貰っているのに、私のせいで……」

 

 謝るヘロヘロにレイナースが頭を下げる。

 

「どうか、レイナースと呼び捨てくださいませ、ヘロヘロ様。末席と言えども至高の御方にお仕えする身。如何様にもお使いくださって結構ですわ。……ヘロヘロ様。お体にお触れしてもよろしいでしょうか?」

 

「……どうぞ」

 

 レイナースの問に、ソリュシャンが答え、ヘロヘロから一歩下がる。

 

「……ああ、なぜかソリュシャンが答えるんですね。まあ、いいんですけど。大丈夫ですよ、今は酸性を完全にカットしてますので、問題ないです」

 

「では失礼しますわ」

 

 そう言ってレイナースはヘロヘロの手を取り、右手を自分の腰よりやや下の、お尻付近に回させる。

 

「うぼへ!?」

 

 その大胆な行為に、むしろヘロヘロが動揺していた。

 粘体に身体を触れられて、密着しているというのにレイナースからはまったく嫌悪感が感じられない。そのことをやまいこは凄い人だと正直に思った。

 ヘロヘロからは、レイナースの呪いを受けた顔の解呪をして、ソリュシャンに教育を任せたとしか聞いてない。呪いを解いたことに余程恩を感じているのか、それともソリュシャンの教育の結果か。はたまた別の理由か。そこまではやまいこにはわからなかった。

 

「こうしてホールドをやや下にしてみましょう。そして、ヘロヘロ様。さきほど説明致しましたライズアンドフォールは覚えていらっしゃいますか?」

 

「は、はい。こ、股関節や膝を使ったステップの上下運動ですね?」

 

「ええ。それをお試し下さい。では一歩目を右足から―――行きますわ」

 

 そして二人は一歩目を踏み出す。

 確かに先ほどの様にホールドが崩れるような事は無いし、ステップも踏めているように見える。あくまでもパートナーのレイナースはだが。

 

「……ヘロヘロさん、すっごいぴょんぴょん跳ねてるけど、大丈夫?」

 

 やまいこの質問に、ヘロヘロはぴょんぴょんとレイナースのステップに併せ飛び跳ねながら、答える。

 

「いやだって、私の感覚的には膝を使うとこうなっちゃいますよ?そもそも膝とか股関節とかは私に無いですし。ああ、でもこれで私も踊れていますよね!」

 

 喜ぶヘロヘロに、やまいこはユリと顔を合わせる。ユリは至って真面目な顔をしているが、やまいこの表情を見て少しだけ苦笑いをした。

 これは果たして、踊れていると言えるのだろうか?ヘロヘロが飛び跳ねる度に、何かが飛び散っているように見える。

 

「……ヘロヘロ様。私も一つ試させていただいても?」

 

 その姿を見つめていたソリュシャンが、そう二人に問いかける。やまいこには少しだけソリュシャンが悔しそうにしているように見えた。

 

「……どうぞ」

 

「ああ、それもなぜかレイナースが答えるんですね……。まあ、私は構わないんですが。……おいで、ソリュシャン」

 

 ヘロヘロが左手を差し出し、それをソリュシャンが受ける。そして―

 

「そ、ソリュシャン!?やまいこさん!私浮いてませんか!?これ浮いているんじゃないですか!?」

 

「うん、浮いてるね……」

 

「はは、浮いてる!浮いてますよ、私!」

 

 ヘロヘロとホールドを組んだソリュシャンは、そのまま抱きかかえるように、ヘロヘロを持ち上げた。胸に抱くようにだ。そして音楽に合わせステップを刻み始める。

 

「すごい!さすがソリュシャン!これなら私もばっちりですね!そうでしょう、やまいこさん!?」

 

「……うん、ヘロヘロさんがそれでいいなら、いいんじゃないかな?」

 

 ソリュシャンの胸に抱かれて踊る、本人は抱きかかえられているだけなのだが、ヘロヘロにやまいこは曖昧に頷く。

 

「ああ、ソリュシャンの胸に抱かれてるなんて!やまいこさん!私転移して来れて、本当に良かったです!」

 

「ああー、うん。そういう台詞ってもっと違う時に使った方がいいと思うけど……。まあ、ヘロヘロさんがそれでいいなら、いいんじゃないかなー……」

 

 はしゃぐヘロヘロに、やまいこは小さく息を吐いた。ユグドラシル時代はその名前の通り、もっとへろへろとしていたが、社畜や労働という鎖を断ち切った本来の彼が、このヘロヘロなのかもしれないとやまいこは思った。

 

「……かぜっち、苦労してたんだろうな……」

 

 自分たちが転移してくる前から、モモンガ、ペロロンチーノ、ヘロヘロの三人を相手にしていた親友の事を想う。恐らく、いや、きっとかなり苦労していただろう。

 

「これからはボクもかぜっちを助けてあげないと。……よし、ユリ。もう一曲行こうか?」

 

 左手をユリに差し出す。彼女は未だに微妙な表情をしていた。思わずそのことを申し訳なく感じる。原因は絶対にヘロヘロだろうから。

 

「申し訳ありません、やまいこ様……。妹がヘロヘロ様の玉体を、あのように持ち上げるという不敬を……」

 

「……嘘。そっちなの?……ああ、平気平気。本人喜んでいるし。うん、まあ、あっちは少し放っておいて、私達は私達で練習を続けようか?」

 

 こうしてやまいこユリ組はともかく、ヘロヘロソリュシャン組は、他の組とは違う方向性で、成長していくのであった。

 

 

 

 

 

 ヘロヘロを抱き抱えステップを刻むソリュシャンを、レイナースはやられたと素直に負けを認める。なまじダンスの知識と経験がある為に、抱き抱えるという手段を思い付く事が出来なかった。

 悔しさに、ほんの僅かに、表情を歪める。

 

「レイナース!見てくれてますか!?貴方が指導してくれたから、私はここまで踊れるようになりました!」

 

 嬉しそうに言うヘロヘロに、レイナースは微笑み深々と頭を垂れる。

 正直、ダンスの体をなしていないが、問題無いだろうとレイナースは思う。

 レイナースの今の主人ヘロヘロは、帝国最強である武王を容易く降したと聞く。そのヘロヘロを侮るような愚か者を、ジルクニフが舞踏会に参加させはしないだろう。

 それに万一舞踏会で帝国が主人達の不興を買い滅ぼされることになったとしても、今のレイナースにはどうでもいい事だった。

 そっと、かつての癖で顔の右半分に触れる。

 呪いによって絶え間なく噴き出ていた膿が今は無い。その膿を隠すように伸ばしていた前髪も今は無かった。長い前髪は主人から切る事は厭われた為に、横に流している。

 

 隠していた自身の顔を堂々と晒せる喜びに、レイナースは身を震わせた。

 ヘロヘロは、レイナースを魔導国に連れ攫ってくれた主人は、帝国が解け無かった呪いを容易く解いてくれたのだ。

 そしてヘロヘロはレイナースに至高の御方のペットという務めを授けてくれた。

 至高の御方のペットというのは、魔導国、いやナザリックにおいて誰もが憧れる役目だとレイナースはソリュシャンから教わった。本来ならば人間がいくら望もうとも授かる役目ではないと言う。

 

 その役目も、レイナースの自尊心を素晴らしく満たしてくれた。

 なぜならばヘロヘロは、ソリュシャンを始めとする一部のメイド達を創り出した創造主という。あの美しさという面でレイナースを上回るメイド達を創り出した、レイナースにはその創り出したというのがよく理解出来なかったが、ヘロヘロが自身を望みペットとしてくれたのだ。その事がレイナースの自尊心をとてもくすぐってくれた。

 レイナースはチラリと自分が今着用しているメイド服を見やる。

 帝国で使っていたレイナースの装備は、アダマンタイト以上の金属に変更する為に、打ち直しをしてくれているらしい。それが終われば、今回の褒美にと正式に下賜して下さると言う。このミスリルに匹敵する性能を秘めたメイド服を見れば、アダマンタイト以上の金属と言われても疑うべくもない。

 

 そしてソリュシャンから聞かされた魔導国の大いなる目的。

 すなわち世界征服。

 この国の軍事力は、それを容易く行うだろう。

 ナザリックに出入りを許されたレイナースは、死の騎士(デス・ナイト)を遥かに上回る存在も見てきている。

 そしてそのモノ達が、容易く殺せるであろうレイナースに敬意を払う。至高の御方のペットというのは、それ程の地位なのだ。ソリュシャンの話ではナザリック内においてペットというのは、ソリュシャン達至高の御方に直接創造された者を除けば、最上位に当たるという。

 

(……今は少しずつ功績を積んでいくだけですわ)

 

 だがレイナースは今の地位に満足はしていない。

 レイナースは人間だ。いずれヘロヘロが気に入ってくれたこの容姿も陰りを見せるだろう。その前にこの魔導国において絶対的な地位を得る。

 レイナースの目的は主人ヘロヘロの正妃、は無理でも寵姫となる事。そして、ヘロヘロの御子をこの身に宿す事だ。

 その未来を想像し、レイナースは小さく下腹部を擦る。ヘロヘロは粘体だが、ソリュシャンは言っていた。至高の御方たちに不可能など無いと。ならばレイナースが功績を積みその上で望めば、きっと叶えてくれるだろう。

 

(そうなれば、この子は……ふふふ)

 

 魔導国の目的は世界征服。そしてヘロヘロは魔導国を支配する御方の一人。必然的に生まれてくる子は、世界の覇者の子となる。

 レイナースはその子の、いずれヘロヘロの後を継ぎ世界の支配者となるモノの、母となるのだ。

 ソリュシャンの胸に抱かれたヘロヘロがレイナースに手を振っている。レイナースはそのヘロヘロの仕草に微笑み、小さく手を振り返した。

 呪いを解くという目的を果たしてくれ、そしてレイナースに新たな目的を与えてくれた主人に。




この小説において茶釜さんはゼリー、ヘロヘロさんは牛乳多めのやや失敗したフルーチェだと思ってください。
そしてヘロヘロさんはコアラサイズ。

レイナースはソリュシャンから教育済みなので、少し病んでます。


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 至高の方々、舞踏会に赴く

「……自室に残した装備はそのままかー。マジでモモンガさんには感謝だな」

 

 弐式炎雷は第九階層のロイヤルスイート、その割り振られた自室で、かつての装備品を広げながら呟く。主にシーズナルイベントで手に入れた、または課金した装備品をいくつも並べながら、明日の舞踏会で着用するものを選んでいる。

 

「タキシードも色違いで何着かあるけど、茶釜さんがアウラに白色のタイプを着せてたな。被らないほうがいいか……?」

 

 自分達のパートナーに着せる衣装は、既に選び終えている。やはり皆異形種の自分達よりパートナーの方が重要らしく、彼女達の衣装選びで大いに盛り上がった。なにせ、それだけに今日一日費やした程だ。

 やはりそこでも弐式炎雷、ヘロヘロ、ペロロンチーノは趣味嗜好の違いから時には対立し、時には意気投合しながら意見を交わし合った。

 その結果舞踏会に参加するパートナー達のドレスは、アウラだけはリーダーのためタキシードだが、何処に出しても恥ずかしくない物を用意する事が出来た。

 

 漆黒のドレスに身を包んだナーベラルを前にした時、弐式炎雷の無いはずの心臓が早鐘を打った。

 大きく胸元と背中が開いたバックレスドレス。白い肌の背中に流れるナーベラルの黒髪に、思わず視線を奪われた。ドレスに合わせるにはポニーテールを解いた方が良いとギルドの女性陣からアドバイスを受け泣く泣く従ったが、ドレスに着替えたナーベラルを見れば、それは正解だったと思い知らされた。弐式炎雷の視線を受けて、ほんの少し俯くナーベラルに言葉も無かった。

 無理もないと弐式炎雷は思う。なぜなら自分はアインズ・ウール・ゴウンの未経験者同盟の一員だったのだから。着飾った自らの理想を前に、動揺しない方がおかしい。

 

 パートナー達のドレスを選び終わり、残るは各人の衣装という段でそのまま解散となった。お互い自分の衣装には頓着しないらしい。まあ、ヘロヘロとぶくぶく茶釜に至っては外装が表示されない粘体なので、拘りようもないのだが。

 

「おーい、建やん。そっちはきまったかー?」

 

 ユグドラシル時代にはお洒落装備などに興味を示さなかった為にそういった装備品を持っておらず、弐式炎雷の自室にまで付いてきた武人建御雷を振り返る。

 

「ぶっ!待て建やん!なんで魔法の装備がそんなぱっつんぱっつんになってるんだよ!」

 

「おう、似合うか?」

 

 何かのイベントで手に入れた燕尾服に身を包んだ、今ナザリックに転移した男たちの中で唯一同盟に名を連ねていない建御雷が、ボディービルダーがするような、確かサイドチェストだ、ポーズをしながら弐式炎雷に答える。

 

「しゃ、シャツのボタンが弾け飛びそうだぞ建やん……。ちょ、笑わすな!何で魔法の装備でそんなんになるんだよ。やめろって!ポーズをとるな!何で?半魔巨人(ネフィリム)だから?半魔巨人(ネフィリム)だからなの!?」

 

 笑い転げる弐式炎雷に、建御雷は次々とポーズを変えていく。魔法の装備品ゆえにボタンが弾け飛ぶということは無いが、盛り上がった筋肉の筋目すら服の上から解かる程に、みっちみちになっていた。

 本来魔法の装備品は着用者にサイズが合わされるはずなのだが、もしかすればこれはユグドラシル時代の運営の悪戯だろうか。確かに半魔巨人というのはどうキャラメイクしても醜さから逃れられないようになっていたが、これは完全に笑わせに来ている。

 

「はー、ははは。腹いてぇ。い、今頃やまいこさんも苦労してるのかな?」

 

「かもな」

 

 頷く友人をひとしきり笑った後、弐式炎雷は自室の床に胡坐を組んで、武人建御雷を見上げる。友人がわざわざ自分と二人きりになるために、ここまで付いてきた本命の話をするために。

 

「んで、話がしたかったんだろう?大丈夫、周りに誰も居ないし、盗聴もされてない。断言する」

 

 ああと答える建御雷もまた音を立てて、弐式炎雷の対面に胡坐を組んで座り込んだ。またボタンが弾け飛びそうになっていたが、今度は笑わない。

 

「そもそもなんで舞踏会なんて話に乗ったんだ、建やん?馬鹿なことをやりたいってのはホントでも、それだけじゃないんだろう?」

 

 弐式炎雷からすればアインズから現状の説明を受けたあの場で話すべきなのは、舞踏会などでは無く、もっと別な事だろうと思った。

 だがこの友人はいの一番に舞踏会に参加すると宣言し、アインズから聞かされた話をその場で追及する事はしなかった。その建御雷の狙いは解からないままに弐式炎雷もそれに乗り、驚いたことにやまいこまで舞踏会参加に同調した。

 

「なあ、お前はモモンガさんとナザリックがしてきたことを聞いてどう思った?」

 

 質問に質問で返されたが、弐式炎雷は気にせずに、答える。

 

「<黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)>の話?それとも王国って所で人攫って五階層で氷漬けにしてる話か?まだまだあったよな。どの話だ、建やん?……ホント、この世界で何やってるんだよ。ありえねえだろう。やまいこさんブチ切れかけてたぞ」

 

「茶釜さんが押さえてくれてたがな。……俺も思ったよ、ありえねえって」

 

 アインズが転移してから魔導国建国までの話を彼は、時に苦しく、時に明るく、語ってくれた。アインズが苦しそうに語っていたのは、シャルティアをその手にかけた時の事。そして明るく語ったのは、人間の軍勢相手に<黒き豊穣への貢>を使った時の事だ。

 

「ペロロンさんとヘロヘロさんが普通にしてたのも驚いた。だから最初は、こっちの人間なんて俺達から見たらユグドラシルのモンスターみたいなもんかと思ったさ。でも違うだろう?あのヘロヘロさんが攫ってきたって言うレイナースさんだって、俺には普通の人間にしか見えなかったぞ。建やんだってそうだろう?」

 

「ああ、俺にも普通の人間に見えたよ。同族って感覚とは違う感じだが、それでもモモンガさんが言うみたいに動物や虫程度ってことは無いな」

 

 建御雷の言葉に頷く。襲われた、殺されそうになった。そうなれば話は別だが、無意味に殺せるとも、殺そうとも思わない。救いようのない悪人とかでもない限り意味もなく殺せば、罪悪感を抱き後悔するだろう。

 だがナザリックの、自分たちの生み出したNPC達は違うらしい。弐式炎雷は見ていた。自身が生み出したナーベラルが、人間のレイナースを時折見下した目で見つめていたことを。

 勿論身を守る為、ナザリックを守る為ならと、アインズの話の中でも庇護下にあるカルネ村を襲撃した法国や王国の部隊に対する制裁の件やアインズが保護したという人間のツアレを誘拐した八本指への報復、理由はどうあれナザリックへの強盗行為を働いたことに変わりはないワーカーたちの件のように目を瞑れる所は多々ある。弐式炎雷とてナザリックを、ナーベラルを守るためならば手を汚すだろう。だがそれでも、限度はある筈だ。そして<黒き豊穣への貢>の件と、デミウルゴスが主導したという王国でのマッチポンプの件は、流石にその限度を超えていた。

 

「だけどな、それ以外はいつものモモンガさんだ。一緒に馬鹿やってた頃のモモンガさんだ。……なあ、お前がもし一人でナザリックと共に転移してたら、どうしてた?」

 

 問われて考えてみる。アインズの様にナザリックの支配者として振る舞っていただろうか?たぶん、そうはなら無いと思う。恐らくだが全てを捨て去って、ナーベラルだけを連れて気ままに過ごしていただろう。

 

「俺ならたぶん、コキュートスだけを連れて、適当に過ごしてたと思うぞ?お前だって似たようなもんだろう?」

 

 親友の言葉に弐式炎雷は頷く。

 

「必死だったんじゃねえか?誰にも相談できない。相談するはずの俺たちは誰もナザリックに残って居ない。それなのにNPC達からは期待した目で見られてる。必死に、NPC達の期待を裏切らないように、失望させないように、俺たちが残した宝だって言ってたな。その宝を守るために、モモンガさんは必死になって、やってくれてたんだと思うぜ?」

 

「……そうだな、建やん。モモンガさんはそういう人だ。だから俺たちの……アインズ・ウール・ゴウンのギルド長なんだよな」

 

「ああ、俺たちの創造したNPCは一部を除いてロールプレイの一環でどいつもこいつも人間を見下すような設定した奴らばかりだ。そんな奴らを失望させないようにするにはどうする?ペコペコ頭を下げて回るのか?誰にも関わらず、ひっそりと暮らしてるのか?……無理だろ、そんなの」

 

「……だな」

 

「舞踏会に参加するって言ったのは、まあ、お前が言ったみたいに馬鹿やりたかったてのもあるが、確かめたかったんだよ。アインズ・ウール・ゴウンを名乗るあの人が、俺達の知ってるモモンガさんなのか、そうじゃないのか」

 

 建御雷は大太刀を手に取り、それを眺めながら言う。

 

「確かにあの人はもうアインズ・ウール・ゴウンなんだろう。でもな。一緒に傭兵NPCを選んで、ダンスの練習をしてわかったよ。ああ、この人は俺たちの知ってるモモンガさんなんだってな」

 

「ああ、俺も思ったよ。あの人、自分の事をアンデッドだ、人間の感情は残滓だなんて言うくせに、俺たちの前じゃ全然昔のままじゃないかよって」

 

 そう言ってくつくつと笑いあった。

 アルベドとホールドの練習で、おたおたする姿も見た。NPC達には見られないようにしながらも、些細なことで喧嘩を始めるぶくぶく茶釜とペロロンチーノを、昔と同じように仲裁する姿も見た。抱っこされた状態で踊るというヘロヘロを、困ったように笑いながら見つめる姿も見た。

 そして自分たちと過ごすことを嬉しそうに笑うアインズは、自分たちが知るモモンガそのものだった。

 

「あの人は人間を辞めちまってる。まあ、それは俺達も一緒だろうが、カルマの違いか?感覚に随分差がある。俺達はどちらかというと中立寄りの設定だしな。……だからこそ俺とお前にしか出来ない事が、あるんじゃないかって思うんだよ」

 

 弐式炎雷と建御雷のカルマは-ではないが、それほど+に偏り過ぎている訳でもない。カルマがどう影響を及ぼしているのかはハッキリとしないが、建御雷が言いたいことはわかる。

 

「……確かに、今転移してきたら悪ノリする人も、逆に絶対許さないって人もいるだろうな」

 

 弐式炎雷の呟きに、建御雷は頷く。

 

「お前こっちでも、もう一回アレをやりたいか?」

 

 ギルドが分断された、分解してしまった出来事を思い出し、無いはずの心臓が激しく痛んだ。

 出来れば、いや、絶対に嫌だと弐式炎雷は首を振る。あんなのは一回で十分だ。二度と味わいたくは無い。

 

「なら俺達が上手く立ち回るしかないだろう。モモンガさん―というよりナザリックだな。最悪の一線をこれ以上越えさせないように。かといってNPC達を失望もさせないように」

 

「……滅茶苦茶難しい事を言うな、建やん」

 

「無茶言ってるのは解かってる。だけどよ、俺たちが居たら王国でのNPCたちの暴走を止められただろうし、<黒き豊穣への貢>の件も、別の超位魔法に替える事だって出来たかもしれないぞ。そう、例えば<失墜する天空(フォールンダウン)>を誰も居ない場所に向けて使ってみせるとかな。……なあ?確かに厳しいし難しいが、これ以上のやりこみは現実世界にも無いと思わないか?」

 

 建御雷の含みを持たせた言い方に、弐式炎雷は苦笑いする。

 

「……残りの人生懸けた選択を、そんな格好で迫るなよ建やん」

 

「ああ、悪い。つーか俺は舞踏会いつもの装備にするわ。これじゃあ何着ても笑いを取るだけだ」

 

 そう言って建御雷は立ち上がり、燕尾服を乱雑に脱ぎ始める。

 その建御雷を見て、弐式炎雷はちょっとした悪戯を思い付く。小さく笑い友人に提案をした。

 

「いや、建やんはタキシードとかにしろよ。絶対そっちの方がいいって」

 

「はあ?お前、大笑いしてたじゃねえか」

 

「だからだって。いいか、明日は俺達が人間の舞踏会に参加するんだぞ?骸骨に粘体にバードマンに半魔巨人だぞ?そんな化け物集団が入場して来たら、会場冷え冷えになるかもよ?そこに建やんがタキシード着てルプスレギナと登場してみろって。もう会場はドッカンドッカン。絶対にあったまるって!」

 

 そう説明され、建御雷は少しだけ納得したようだ。恐らく自分が道化になる事で、会場が盛り上がるならと思ったのだろう。

 

「んじゃ、そうするか。モモンガさんとペロロンさんも正装してくるだろうしな」

 

 あの二人はいつもの格好で来るだろうと弐式炎雷は推測している。きっと明日はギルドメンバーで正装するのは建御雷だけだろう。舞踏会で晒し者にするのは少しだけ可哀想だが、あんな面白い姿を見せる建御雷が悪いのだ。

 明日の会場での反応を想像し、心の中で舌を出す弐式炎雷は、タキシードに着替える建御雷に先ほどの問に対する答えを伝える。

 

「さっきの話。了解だ、建やん。この世界に残ろうぜ。大事な友達を、このまんまにしとけないしな」

 

 着替え終えた建御雷は、弐式炎雷の答えに野太い笑みを見せる。

 

「おう。頼りにしてるぞ、相棒」

 

 弐式炎雷も立ち上がり、建御雷と一度強く手を打ち付け合った。筋力差からか、弐式炎雷はその衝撃に身体をぐらつかせる。

 

「おい、こっちは紙装甲の探索役だぞ?手加減しろよ建やん」

 

「悪い悪い」

 

 ふらつく弐式炎雷を建御雷が笑う。罠にかかったことも知らない友人に、明日までの我慢だと弐式炎雷は何も言わない。そして自らの衣装選びは放棄することにする。

 

「俺はいつもの装備で良いか。忍者が顔晒すのもあれだしな」

 

「俺にはタキシード着せておいてそれか。まあ、お前の顔のっぺりしてるもんな」

 

「うるせえって。んで、建やん。具体的にはどうするんだ?世界征服の方針はそのままでいくの?」

 

「あー……」

 

 弐式炎雷の問いかけに、建御雷は唸る。しばらくしてから絞り出した答えが―

 

「……茶釜さんに相談するか」

 

「考えまくって出た答えがそれか。まあ俺も何も思いつかないし、人の事は言えないけど。……くくく、俺達格好悪いな?」

 

「しょうがないだろう。俺達だって元は普通の社会人だ」

 

「それは茶釜さんも一緒だろう?あー、ここに来てモモンガさんの苦労が分かるわー。NPC達の期待裏切らないようにするって、すげえ大変なんだなー。ナーベラルの俺を見る目がキラキラしててさ、そのプレッシャーが半端ないよ、ホント」

 

「それは俺も一緒だな。コキュートスの奴に円滑な統治の仕方なんて尋ねられたらどう答えればいいんだ?……ああ、そうだな。そりゃ誰だってデミウルゴスに丸投げするよな」

 

「同感。無理もないって」

 

 そう言って、この世界に残ることを決めた男二人は、NPC達には見せられない弱弱しいため息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 

 漆黒のドレスに身を包んだナーベラル・ガンマは緊張した面持ちで、帝城の一室、舞踏会会場に繋がる扉を見つめていた。予定では全ての貴賓が違う扉から入室した後に自分達の番となるらしいが、そんなことにナーベラルの興味はない。

 重要なのは、今この場にはアインズを筆頭とする、至高の御方が七人もいらっしゃるということだ。

 御方たちの剣。そして盾となるのがナーベラル達、戦闘メイドの本分だ。たとえこの場に姉妹達だけでなく、自分達よりも遥かに強い階層守護者であるアウラにシャルティア、そして守護者統括たるアルベドがいるからと言っても、気は抜けない。

 

 ここは人間の城だ。分を弁えず、至高の御方達に無礼を働くようなものが居れば、即座に殺すべきかの判断をナーベラルはしなくてはならない。いや、即座に殺さなければならない。その思いが、ナーベラルの緊張を高めていく。

 至高の御方たちが、下等な人間相手に万一などある筈もない。当然だ、神にも等しいこの御方たちに髪の毛一筋ほどの傷とて付けられるはずがない。恐れるのはそのような事態を防げずに、役に立たないものと自分たちが見捨てられてしまう事。この場で無様な姿を見せてしまえば、御方たちは再びお隠れになられるかもしれない。

 そのことを想像し、ナーベラルの体に恐怖が生まれる。至高の御方たちは慈悲深い。そのようなことは起こるはずもない。そう理解はしていても、その恐れが消えることはない。自分たちは、アインズを除く至高の方々が居られなくなったナザリックを知っているのだから。

 

「―どうした、ナーベラル?表情硬いぞ?ほら、リラックスリラックス」

 

「……弐式炎雷様」

 

 神に等しい御方。神そのものであられる御方に声を掛けられた。表情にこそ変化は無いが、わずかにナーベラルの精神に安定をもたらす。長らく感じられなかった自らの創造主との繋がりが、今ははっきりと感じられた。

 

「緊張するよな。はは、俺もしてる。いくら恐怖公にお墨付きもらっても、ナザリックの皆の前以外で踊るなんて初めてだもんな」

 

 今回の帝国の行い。ナザリックのモノ達の大部分は怒りを覚えている。不敬にもこの国の人間たちは、至高の御方達を呼びつけ、尚且つ踊りなどというものを披露させようとしているのだ。シモベとして怒りを覚えない訳がない。知らずナーベラルの表情が僅かに歪む。

 

「ほらほら、笑って笑って。恐怖公にも言われただろう?ダンス中は笑顔を忘れないようにって。ナーベラルもナザリックでは出来てたんだから」 

 

 そう弐式炎雷から指摘され、慌ててナーベラルは表情を戻し、微笑む。

 

「おし、完璧。あとはそれが踊ってる最中もできれば最高なんだけど、ちょっと厳しいか」

 

「……申し訳ありません、弐式炎雷様」

 

「ナーベラルが謝ることじゃないって。俺がそう創造したんだしな」

 

 そう言われ、安堵する。今でこそ笑えているが、この扉が開かれ、人間たちの姿を目にすれば、恐らくこの笑みは消えるだろう。至高の御方に創造されたナザリックの戦闘メイドたるナーベラルにとって微笑みとは、同じく至高の方々に創造された同胞たち、そして御方たちにこそ向けられるものなのだから。

 

「よし、ナーベラル。表情戻していいぞ」

 

 弐式炎雷に従い、ナーベラルは表情から微笑みを打ち消す。そしてそのナーベラルに、弐式炎雷は左右の人差し指を向けた。

 

「良い事を思いついた。動くなよ、ナーベラル」

 

 動くなと言われれば、動くはずもない。そして弐式炎雷の左右の指が、ゆっくりとナーベラルの頬に触れる。そして口角を、指で僅かに押し上げられた。

 

「な、何を弐式炎雷様!?」

 

 指先とはいえ、突然の接触にナーベラルが狼狽える。が、弐式炎雷は構わずに指でナーベラルの口角を押し上げ続けている。

 

「人間相手に笑えないならさ、代わりに口角を上げる事」

 

「……口角を、ですか?」

 

「そ、笑うんじゃなくて、口角を上げるだけ。それで十分。出来るだろう?あ、本番中はもちろん指を使うなよ?」

 

 問われ、ナーベラルは弐式炎雷の指が頬に触れたまま微かに頷く。そのナーベラルに満足げに微笑み、顔を覆う頭巾で表情は見えないがナーベラルには解かる、弐式炎雷が指を離す。

 

「いいぞ、これで会場中の注目はナーベラルに集まる。くっくっく、見てろよペロロンさんにヘロヘロさんめ。ナーベラルこそ究極だと、この舞踏会で証明してやるからな」

 

「わ、私などがアルベド様たちを差し置いて―」

 

 そこで言葉を止める。弐式炎雷が、どうしてそんな事言うの?と伝わってくるひどく悲しそうな表情、頭巾に隠されているがナーベラルには伝わるのだ、をしたから。だから慌てて言い直す、自らの創造主を落胆させぬために。

 

「―畏まりました。弐式炎雷様」

 

 ナーベラルの答えに、満足した弐式炎雷が頷く。

 

「よし、最後に確認だ。ナーベラル、いや、ナーベ」

 

 弐式炎雷に頷き答える。

 

「今日はプレアデスのナーベラルではなく、弐式炎雷のダンスパートナーとして抜擢された漆黒の美姫ナーベだ。だから俺の事も弐式炎雷じゃなく、そうだな、弐式って呼ぶこと」

 

「畏まりました。弐式さ――ん」

 

「おお!出たな、モモンガさんから聞いてた奴!いいぞ、ナーベ!羨ましかったんだよ、その呼ばれ方。……って、ごっほん。あとナーベは警戒をしないで、ダンスに集中して大丈夫だからな。この城中に俺が網張ってるから。おかしなことがあれば、すぐわかる」

 

 その言葉に、ナーベラルは再び頷く。本来警戒をするのはシモベの役割だが、弐式炎雷が大丈夫というならば間違いはない。探査役として至高の御方たちの中にあっても有数であった創造主の言葉を、ナーベラルが疑うはずもない。

 

「―あ、モモンガさんが呼んでる。そろそろ始まるのかな。ちょっといってくるよナーベ」

 

「行ってらっしゃいませ。弐式炎雷様」

 

「……あー、そっちもでたかー。…まあいいか。じゃあすぐ戻ってくるから」

 

 そう言ってアインズの元にと向かう弐式炎雷を頭を下げて見送る。しばらくして頭を上げたナーベラルは自分の指を使って、手袋の中にある指は本来の三本の指ではないが、自らの頬に触れる。先ほど弐式炎雷が触れてくれていた、指が離れてもわずかに熱を持った気がする部分を。

 

「…………」

 

 自分でそこに触れて、口角を押し上げてみる。そうすることで、口だけは笑みを浮かべたようになっているのだろう。

 ナーベラルは自らの創造主が触れてくれた部分が、なぜ微かに熱を持っている気がするのかわからないが、それでもその熱が心地よい事だけは、理解できていた。

 

 

 

 

 

 入場のタイミングをアインズ達と打ち合わせた弐式炎雷は、自身が張った網に獲物らしきものが掛かった事を察知する。

 舞踏会の会場には護衛らしき武装した帝国騎士が、所々に潜んでいるのは把握している。だが網に掛かった者は、その帝国の騎士からも見つからないように隠れて舞踏会の様子を窺っている。

 

「……ふーん?」

 

 レベル的には大したことが無い。が、面白いのは隠形に使っているスキルだ。

 恐らくは忍術の影潜み。弐式炎雷も使える。忍者のクラスが有れば極当たり前に習得しているスキルの一つだ。

 面白いのは、ユグドラシルでは六十レベルの積み上げが必要な忍者というクラスのスキルを、明らかにそのレベルに達して無い者が使っている事だ。

 

(見た目は完全忍者だな。くノ一?……二人いる。双子くノ一か。……へー、面白いな)

 

 影に潜む隠形を駆使する彼女達の見た目は、やけにぴったり密着するような衣装に身を包んでいる。これで忍者では無いというのは嘘だろう。

 

(さて、どうするか……)

 

 ナーベラルの元に向かい歩きながら、考える。

 監視している分身に拘束させるか。それとも舞踏会の会場から摘み出すか。

 帝国の騎士からも隠れているという事は、帝国の関係者という訳では無いだろう。人知れず追い出しても問題無いと思うが、どうもこの舞踏会は帝国以外の国からも参加している者がいるらしいと、先ほどアインズから話があった。ならばもしかすれば、その他国の貴賓か何かの護衛かもしれない。

 

(<敵感知(センス・エネミー)>の反応は微弱だけど有り。まあ、これは殆んどの奴から反応があるからなー。こいつらのレベル的に不意を打たれようがどうされようが、問題無いし無視してもいいか?……いや、やっぱ拘束しておこう)

 

 この世界特有の能力も有るらしい。それを踏まえれば、無視は危険だろう。もしかすればシャルティアを洗脳した相手は、世界級アイテムでは無く、そういう能力を使う相手かもしれないのだから。

 

「お帰りなさいませ、弐式炎雷様」

 

 ナーベラルの元に戻った弐式炎雷は、一礼する彼女に手を振る。

 

「よーし、ナーベラル。すぐに俺達の入場が始まるらしいから、気合い入れていくぞ!」

 

 手を突き上げて気合を入れる弐式炎雷に、頷く事で答えるナーベラルを見て思う。

 もし洗脳されたのがナーベラルだったのならば、自分はどうしていただろうか。その相手を見つけたら、どうするだろうか。

 

(……間違いなくこれが一番の厄ネタだよな。見つけたら、ペロロンさんとモモンガさんがそいつをどうするかなんて、分かりきってる)

 

 シャルティアとじゃれ付いてるペロロンチーノを眺める。そして決めた。

 

(おっしゃ。シャルティアを洗脳した奴は俺が見つける。放置して、これ以上被害が増えたら洒落にならないからな。……とりあえずは、この双子忍者を吊し上げる所から始めるか)

 

 

 

 

 

 

「皆様、これよりアインズ・ウール・ゴウン魔導国のご来場となります」

 

 読み上げられる国の名前に、ジルクニフや舞踏会に参加している貴族たちは息を呑む。これより階段を降り入場してくるのは、見たこともない化け物の集団。至高の四十一人と呼ばれる、アインズ・ウール・ゴウン魔導国を支配する者たちなのだ。

 ジルクニフから闘技場の話を聞かされ、実際目にしていた貴族も居る。

 魔法一つで王国の軍を壊滅させる魔導王が同格と呼ぶ、歴代最強と言われた武王を一蹴する実力を持つ粘体の化け物。 

 貴族の中には、ジルクニフが持つもの程では無いにしろ、精神の安定をもたらすマジックアイテムを装備した者もいる。そうでもしなければ、耐えられないと思ったからだ。

 

 だがジルクニフや貴族の心配をよそに、様々な化け物を覚悟していた貴族たちは目を疑う。最初に現れたのが十三人の美女だったために。彼女達が何者か。それはその身に纏う服が雄弁に語っている。

 メイドである。

 メイドが階段上から現れ、そして貴族を見下ろすなど、本来許されるはずもない。だがそのようなことに、帝国の貴族達が何かを言えるはずもない。魔導国に無礼を働けば、即座に自分の首が、いや、国そのものが消えてしまうかもしれないことを理解しているからだ。

 だが何より口を開くことが出来ない最大の理由は、メイドとはいえそのあまりの美しさに、貴族達が思わず息を呑んでしまうからだ。

 

 ジルクニフはそのメイド達を、自身の外面には決して出さずに、それでも内面では忌々し気に見つめる。やはりアインズ・ウール・ゴウン魔導国。墳墓で見たメイド達以外にも、これほどの美女を隠し持っていたのかと。

 だがそれでも、この程度はジルクニフも予想はしていた。あの国の限界など推し測れるはずもないと。

 そしていくら美しいとはいえ美女の数は、たったの十三人。

 ジルクニフはこの舞踏会に、このメイド達と比べ見劣りするとはいえ、様々な美女を用意し至高の四十一人を出迎えている。

 貴族の、大貴族から本来ならば皇帝主催の舞踏会に呼ばれるはずもない下級貴族の娘まで美しさを重視し、集めた。平民からも美しいと聞けば各地から集め、様々手段を用いて集めたエルフの奴隷と共に、短いながらも本来上級騎士が使用する疲労を軽減するマジックアイテムを使わせてまで教育を施した。

 そしてその中からジルクニフ自身が、美しいと認めた者を厳選したのだ。その数はおよそ三十。数を考慮すれば、決してあのメイド達に負けてはいない筈だ。

 

 だが次の瞬間に、ジルクニフはあまりの衝撃に腰を浮かす。覚悟していたはずの貴族たちからもどよめきが生まれた。

 

 メイドの次に姿を見せたのがアインズ・ウール・ゴウン魔導王ではなく、上半身は非常に美しい少女、だがその下半身が巨大な蜘蛛の姿をした、亜人とも呼べない、モンスターだったのだから。

 その下半身が蜘蛛の少女の後に、おかっぱの狐面をした少女が姿を見せる。仮面で素顔はわからないが、愛らしい姿だ。

 さらに森精霊(ドライアード)だと思うが、ジルクニフの知識とは若干違うものも居る。ジルクニフはそれが神樹の森精霊(ハイ・エンシェント・ドライアード)と言う名の上位種だとは知らない。

 青肌に、金色の瞳をした蝙蝠のような翼を背中から生やした悪魔の美女。

 龍の尻尾に、角を持つ赤褐色肌の少女。

 下半身が蛇のナーガらしき、だが上半身の人間の部分は息を呑むほどに美しい女。

 そんな数えるのも馬鹿らしくなる程のモンスターたちが次々に姿を現し、先ほどのメイド達を守るかのように取り囲む。

 モンスターたちに共通するのはたった一つの事柄。

 その全てが人には無い魔性の美を持つという事だけだ。

 この日を境に、舞踏会に参加した幾人かの貴族はその地位と財産を失うことになる。人にはない、魔性の美に魅せられてしまったために。それを追い求めようとして破滅していったのだ。

 

 舞踏会に現れた魔性の美女達の総数は、およそ六十。

 その全てがジルクニフの集めた女達の美しさを、そして数すら上回っていた。

 

 だがそのモンスターたちの後に現れた存在にこそ、ジルクニフと貴族たちは思い知らされる事となる。美というものに、限界や際限は無いという事に。

 

 アインズ・ウール・ゴウンに手を引かれた、純白のドレスを纏ったジルクニフが墳墓で見た腰に翼を生やした女。薄闇漂う妖艶な美だ。骸骨の顔を晒す魔導王に侍られ、それが微笑んでいた。

 

 次には現れたのは、見事なまでに美しい純白のタキシードに身を包んだ闇妖精。それが男装をした少女だという事をジルクニフは知っている。そしてその少女が無邪気な笑みを浮かべ、謎のピンク色をした肉棒のような粘体の手を引いていた。

 

 バードマンに手を引かれた、全てを下に見下す銀髪の女王のような少女。その視線が隣に立つバードマンに動いた瞬間、女王が可憐な少女へと変わり、貴族たちはそんな視線を向けられるバードマンに羨望のうめき声をあげる。

 

 粘体を胸に抱いた黒衣のドレスに身を包んだ金髪の美女が、薄い笑みを浮かべている。その美女の胸に抱かれた小さな粘体を、馬鹿にする者など居ない。知っているからだ。その粘体こそ、闘技場で容易く武王を打ち負かした存在であると。

 

 タキシードで身を包む二メートルはある醜悪な大男。それが人ではない証拠に口元からは大きな牙が二本突き出ていた。その男に手を引かれ、褐色の肌をした美女が現れる。真っ赤なドレスに身を包み、大きく空いたスカートのスリットからのぞく足が、男たちの煽情を煽っていた。

 

 忍者装束の者が続く。すらりとした、長身の男だと思われるが、頭巾に隠され表情はわからない。そしてその男に手を引かれる女に、美しさとは違うどよめきが起こる。誰かがナーベと呟いたのが、ジルクニフの耳にも届いた。ジルクニフもかつて冒険者モモンを調べさせた際に、その資料に目を通している。漆黒のドレスで着飾ってはいるが、間違い無い。あれはアダマンタイト級冒険者漆黒のモモンのパートナー、美姫ナーベ。彼女もまた魔導国に取り込まれてしまったかと、ジルクニフは思う。

 

 そして最後に現れたのが帽子を被った醜悪な巨人。その巨人に手を引かれた落ち着いた雰囲気の女性。墳墓でジルクニフを接待したメイドの一人ユリだ。だがその表情が違っていた。気さくなジルクニフの笑顔を受けても崩れなかった真面目な表情が、今は熱に浮かされたようにうっとりと、自身の手を引く醜悪な巨人を見つめていた。

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国、総勢百名近い集団が入室を終えた。

 魔導王がパートナーの女と共に、一団を代表するように王者の気品を漂わせながらジルクニフに向け、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 ジルクニフもまた立ち上がり、アインズを迎えた。

 

「お招きありがとう。ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス殿―いやジルクニフ殿。残念ながら参加できたのは我々のうち七人だけとなってしまったが、今日は楽しませてもらおうと思う」

 

 そう言うアインズ・ウール・ゴウン魔導王にジルクニフは頷く。パートナーを伴って現れたのが七人だった為に予測はしていたが、このモンスターの軍団こそが至高の四十一人なのではという淡い期待は裏切られた。

 

「良くぞ来られた、ゴウン殿。そして至高の方々。歓迎させてもらおう」

 

 帝国に飛来した竜に、墳墓で見た化け物たち。そして新たに現れた美しさを併せ持つ化け物たち。

 さらにはこのアンデッドの話では、至高の御方というのは残り三十四人もいるという。

 

「さあ、今日は存分に楽しんでいただき、両国の関係を密なものにしようじゃないか」

 

 両腕を広げ、至高の四十一人を歓迎するジルクニフは心の中で頷く。

 

 もう全部、諦めてしまおうと。



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 至高の方々、蒼の薔薇と出会う 其の一

(―出てきた)

 

 ティアは階段から入場を始めた魔導国の一団を、舞踏会会場の太い柱の影に潜みながら窺う。他の仲間はドレスを着こみ、舞踏会の会場内に居る。装備も無くだ。ティアがこうして普段の装備のまま潜んでいるのは、万一に備えてだった。

 

(……でも、それも無駄)

 

 そう悟ったのはメイド達が入場を終え、女怪とも言うべきモンスターの群れが現れた瞬間。

 

(あれは無理。……倒せない)

 

 舞踏会に現れた女怪のモンスターは、蒼の薔薇五人が揃い、尚且つティアとガガーランのレベルダウンを考慮に入れず、更にはこちらにとって最良の条件が整った場所で、ようやく一匹相手に出来るかどうか。そういう相手だ。いや、それすらも甘い読みだと思う。

 そんな相手が無数にいるのだ。そんな場で万一が起きれば、ティアともう一人だけではどうする事も出来ないだろう。

 ティアは自分と同じく隠形を用い会場内に潜む姉妹に、素早く手話で合図を出す。

 

―撤退するべき。

 

 今ならば、仲間を連れ逃げる事も出来るだろう。姉妹もまた同じ考えだった。すぐさま「同意」と指で答えてきた。

 そして行動に移すべく動いた瞬間に、ティアの背後から声が届く。

 

「ハンドサインか。格好いいな」

 

「っ!」

 

 声が聞こえた瞬間に、すぐさま振り返る。だがそこには誰も居ない。異変をティナに連絡をしようとするが、それよりも早くティアの影から生えた手に足首を掴まれ、そのまま影に引きずり込まれた。

 

 

 

 

 

 

「二名様ご案内~」

 

 弐式炎雷は、水の中に引き摺り込まれたようにもがく女忍者二人に向けて軽口を叩いた。この二人の存在は、まだ仲間に伝えていない。とりあえず無力化が先だろうとこうして影の中に招いたのだ。

 

「さて、お二人さんは何処のどなたですか?俺達の様子を窺ってたみたいだけど、帝国の人間じゃ無いんだろう?」

 

 弐式炎雷の質問に、二人の女忍者、くノ一は答えない。影に引き摺り込んだ瞬間は驚いた顔をしていたが、今は冷静にこちらを見つめている。

 それでも二人は水の中に居る様に、体の重心が安定してない。地に足がついていないような感じだ。どうしたのだろうかと弐式炎雷は思うが、すぐに理解する。

 

「ほら、これで普通に動けるだろう?」

 

 腕を組みながらも指を立てて、印を結ぶ振りをする。意味は無いのだが、何となく格好良さそうなのでやってみた。

 そして弐式炎雷の仕草と共に、二人の体が暗闇の世界とも言うべきこの影の世界で、大地に足を付ける様に着地する。恐らく影に潜み移動することは出来ても、弐式炎雷の様に、影そのものの支配は出来ないのだろう。

 だからあっさりと影に干渉されて、こうして引き摺り込まれている。

 

「よーし、動けるようになった所で質問の続きだ。ああ、一応言っておくけど、この影は俺が支配済みだから<闇渡り>を使っても逃げられ―おっと」

 

 言葉の途中で、二人のくノ一は短剣を手に襲い掛かってきた。しなやかな猫科の動物が獲物を狙う様な動きだなと、弐式炎雷はかつて現実世界で見た記録映像を思い出していた。

 そんな考えが浮かぶほどに、余裕があった。この世界の人間相手に、妖巨人らしいが、闘技場で戦ったというヘロヘロの言う通り、動きそのものがあまりに遅い。

 弐式炎雷は左右の指で短剣を容易く挟み込み、二人の攻撃を止める。

 

「いきなり襲い掛かるのは忍者らしくて良いな。まあでも、これで力の差は理解できただろう?」

 

 短剣を掴まれた二人は、驚愕の表情を浮かべていた。そのあまりのそっくりさに、そして自分が現実世界では使う機会の無い力の差などという単語を使っていることに、思わず笑ってしまった。

 二人は短剣を捨てて、すぐさま弐式炎雷から距離を取った。

 弐式炎雷は手に残された短剣を観察する。何かしらの魔法効果はあるようだが、大した装備品ではない。器用に両の手でもてあそんでから、興味を失ったように軽く放り投げて二人のくノ一に短剣を投げ返す。

 投げ返された短剣を空中で受け取りながら、くノ一の一人が口を開いた。

 

「……貴方は分身体?」

 

 質問に、弐式炎雷は頭巾の中で笑う。

 

「正解。よく分かったな。そうだよ、俺は分身の方。本体は今パートナーと一緒に入場中だよ」

 

「……影技分身の術で生み出された分身は、術者の四分の一の力しか無いはず」

 

「俺の分身は特別製。それに俺のは影技分身の術じゃない。お前たちもレベルが上がればそのうち覚えるよ。ま、色々クラスを積む必要はあるけどな。ああ、そうだ。これも聞きたかったんだ。お前ら。そのレベルでどうやって忍者のクラスを得たんだ?何か裏技があるの?」

 

「爆炎陣!」

 

 答えは爆発と炎。やれやれと弐式炎雷はその炎の中から飛来した()()()を無造作に掴み取る。爆炎陣は目くらましで、本命はこちらだったのだろうが、意味は無い。

 

「お前たちは忍術重視か。武器と体術重視の俺とはタイプが違うな。なあ、その技は誰に習ったんだ?」

 

 問い掛けながら、()()()を投げて返す。先程の短剣と違い、今度は攻撃の為に二人に向け投げ放ったが、迎撃出来る程度の勢いに留めた。

 

「不動金剛盾の術!」

 

 弐式炎雷の投げ返した()()()が七色に輝く眩い盾に弾かれる。物理攻撃に対して効果のある忍術だ。

 この程度の攻撃でわざわざ忍術を使い防ぐ二人を見て、そろそろ無力化させるかと、弐式炎雷は動く。長引けば、手加減の調整を間違えるかもしれない。

 弐式炎雷は七色に輝く盾に向け、回し蹴りを放つ。砕け散った盾に、二人は一瞬驚いたようだ。物理攻撃に強い盾が、体術で容易く砕かれれば、そうなるだろう。

 そしてその一瞬の驚愕が生んだ間で、弐式炎雷の行動は終わっていた。

 二人のくノ一の背後に回り、その首筋に天照と月読を押し当てている。天照と月読は分身の為外装だけの偽物だが、それでもこの二人が装備している短剣よりは強力だ。首筋に当たる刃の感触に、二人のくノ一は動きを止める。

 

「―続ける?俺としては怪我をしないうちに降参してくれると助かる。お前たちだって忍者なら、カットスロートの怖さは分るよな?」

 

 揶揄いの無い言葉に、観念した様に二人は武器を降ろす。捨てる事はしないのは、まだ諦めては居ないからだろう。もしかしたら油断を誘っているのかもしれないが、諦めない姿勢が忍者らしくて良いと感心した弐式炎雷はその事を咎めたりはしない。

 

「さて、さっきの質問の続きだが―」

 

「―その姿、あなたはイジャニーヤ様と何か関係がある?」

 

 弐式炎雷の言葉を遮り、双子の片割れが質問を返す。一目で忍者とわかる姿の弐式炎雷はその質問に首を捻った。

 

「イジャニ?イガニンジャの事?いや俺は確かに体術重視だけど、別に伊賀者って訳では―」

 

 瞬間、弐式炎雷に一つの考えが浮かんだ。

 

「―そいつがお前たちに忍術を教えたプレイヤーか?……ははは、これはもしかしていきなりアタリ?」

 

 弐式炎雷の手から、光の紐が伸びる。光の紐は二人の忍者を拘束し、縛り上げた。縛り上げられた二人は観念した様に、影の中で座り込む。

 

「さて、ここからは俺の質問タイムだけど。……なんかエロいな、キミ達」

 

 スキルを使い二人を拘束したのだが、女性という事を気遣って胸の膨らみを避けて縛り上げたら、なんだか妙にエロちっくな格好になった。

 元々がぴっちりとした服装に、肌の露出も多い。金属糸を編んだ鎖帷子なのだろうが肌が見える部分はそれに覆われており、それが妙にエロく見える。さらには縛られた光の紐によって胸も強調されているために、なおさらエロい。

 

「いかんいかん!ペロロンさんじゃあるまいし、エロ攻撃に負けるな俺!よ、よし。し、質問をするぞ。俺の理想は黒髪ポニーテールであって、お前たちじゃないんだからな!?」

 

 完全に動揺している弐式炎雷に縛られた二人は顔を見合わせる。どうも驚いているらしい。

 弐式炎雷は一度ゴホンと、誤魔化す様に咳をする振りをしてから質問を開始する。

 

「そ、それでさっきのイ、イジャ?イジャなんたらってのはプレイヤーか?」

 

 しかし二人は何も答えない。無言のままだ。

 

「……答えないかー。まあ、そうだよな。くそ、忍者相手にどう口を割らせればいいんだよ……」

 

 確実なのはナザリックに連れ帰るか、アインズの魔法を頼るかだが、正直それはしたくない。行きつく先はニューロニストの元だ。敵かどうかもはっきりもしないのに、そんな手を取る気はない。

 だからこそこの場で口を割りたいのだが、手段が思い付かない。これが本体ならばアイテムを使えるのだが、この弐式炎雷は分身体のために取り出すことは出来ない。

 そういえばと思い出す。この二人が会場内の人間に、何度か合図らしきものを出していたことを。

 

「あー、そういえば会場にもお前らの仲間がいるだろう?お前たちが話さないならさ、仲間がどうなるかわかるよな?」

 

 悪役の様な台詞だが、まあいいだろうと弐式炎雷は思う。もともとアインズ・ウール・ゴウンはDQNギルド扱いされていた。これくらい許されるはずだ。

 だが―

 

「仲間に手出しはさせない」

 

「足手まといになるくらいなら、ここで戦って死ぬ」

 

 驚いたことに二人の忍者は、光の紐に拘束されたまま立ち上がった。声を荒げるようなことは無いが、目が如実に訴えかけている。仲間の為ならば死ねると。  

 弐式炎雷はその目を見て、諦めたように項垂れる。

 

「……あー、そうだよな。悪かった。……俺達も喧嘩したりしたけど、仲間を見捨てたり、売ったりは絶対にしなかった」

 

 ユグドラシルでは誘い出した敵対ギルドのメンバーを襲い、そのPKしたプレイヤーをエサに他のメンバーをおびき出すような真似もしたが、それはあくまでもゲームだからだ。このユグドラシルとは違う世界で、そんな決意の籠った目を見せられては、諦めるしかない。

 

「一つだけ。お前たちは相手を強制的に洗脳する手段を持っているか?または仲間にそういう奴がいるか?頼む、これだけは答えてくれ」

 

「……そんな手段があるなら、もう使っている」

 

 双子の片割れの答えに、弐式炎雷は再び項垂れた。

 

「ですよねー……」

 

 そして二人の拘束を解く。光の紐から解放された二人は、再び驚いたような顔をした。

 

「……どうして殺さない?あなたも忍者のはず」

 

「意味の無い殺しはしない。それも忍者らしいだろう?」

 

「それでも口封じは出来るはず。私たちはあなたが分身を使う忍者という情報を得ている」

 

「忍者が分身を使うって、それ隠すレベルの話か?」

 

「……少なくも、姿は見られている。私たちに」

 

 その言葉に、弐式炎雷は笑う。忍者だから姿は隠すべきとでも思われているのだろう。そういえばお互いの自己紹介もしていない。ならばここは自分から言うべきだ。

 

「正体を隠してもしょうがない。今まさに本体の俺は、姿を晒して舞踏会で踊っているからさ」

 

「やはり、あなたは―」

 

 言葉を遮る。実はずっと名乗りたかったのだ。この世界での肩書が格好いいと思っていたから。

 

「俺はアインズ・ウール・ゴウン魔導国至高の四十一人、弐式炎雷。仲間からは、ザ・ニンジャって呼ばれもするよ」

 

 予想はしていたのだろう。二人に驚きは無い。それを少し残念に思いながらも、今度はそちらの番ですよと手で促してみる。すこし躊躇ったが、結局二人は口を開いた。

 

「私はティア」

 

「私はティナ。片方を覚えておけば問題ない」

 

「……自分達で言うか、それ?まあ、いいや。んじゃティアさん、ティナさん。無理やり付き合わせて悪かったね」

 

 そう言って、弐式炎雷は影の支配を解く。これで二人とも自力で戻れるはずだ。

 色々聞きたいことはあるが、死んでも答えないと解かっている相手から聞き出すつもりは無い。勿論これがシャルティアを洗脳した相手ならば話は別だが、そうで無いのなら、これで話は終わりだ。

 

「……信じられない」

 

 片割れの言葉に、弐式炎雷は首を傾げる。

 

「……あなたは人間ではない、魔導王の仲間のはず。それなのに、どうして私たちを見逃すの?」

 

「んー?」

 

 殺さないことを疑問視されても困るが、その疑問も理解できる。魔導王、アインズのした事を知っていればそう思われても仕方がない。彼女達の中では、魔導王は魔法一つで軍隊を壊滅させたアンデッドで、自分はその仲間なのだから。

 

「……俺達の踊りをさ。見ていってくれよ。観客は多い方が良いだろう?見逃す理由はそんなもんかな?」

 

「踊り?それを見せるため?」

 

「ですよー。まあ、人を楽しませられるレベルかと言われれば自信ないけど。これでも結構練習したんだぜ?」

 

 笑って言う弐式炎雷の言葉に、二人は再び顔を見合わせていた。信じられないのだろう。恐らく踊りの練習をしてきたというのは、彼女達が抱く自分達のイメージとは合わない筈だ。

 

「……この舞踏会に、あなた達は踊りの練習をしてきたの?」

 

 言われて頷くが、練習してきたはいらない情報だったかもしれない。弐式炎雷は気にしないが、練習したと思われたくないメンバーもいるだろう。

 

「あー、悪い。俺達が踊りの練習をしたって話はやっぱ秘密で」

 

「それは無理。私たちは口がとーても軽い。ぷかーって浮く」

 

「浮くのかー」

 

「私たちの二つ名は"口がすごい軽い"」

 

「そんな二つ名なんだー。まあ、ならいいや」

 

 口止めを諦めた弐式炎雷に、二人は何か頷きあっているようだ。ハンドサインでやり取りをしている。目の前でそんなやり取りをされても、弐式炎雷は自分達も何かハンドサインを決めようかなくらいしか思わなかった。NPC達に隠れてギルドメンバー内で意思疎通するのに便利そうだと。

 そのハンドサインで何かを決めたのか、二人が口を開く。

 

「……あなたが、もっと幼ければ良かった」

 

「女なら尚良かった」

 

「かすりもしてないんですけど?急にどうしたの?」

 

「いくつか質問に答える。だからあなたも答えられる範囲で答えて欲しい」

 

「交換条件か。いいぜ、忍者らしい。だが仲間は売らないぞ?」

 

「それは私たちも同じ」

 

「おーけー。ならさっきのイジャなんたら様ってのは?なんで二人は忍者のクラスを持ってるんだ?」

 

 弐式炎雷が交渉できる相手だと思われたのかもしれない。先程と違い二人は素直に答える。

 

「イジャニーヤ様は私たちに技を遺してくれた方。私たちはイジャニーヤ様の血を引くから、忍術が使える」

 

「そのイジャニーヤ様っていうのは今何処に?」

 

「それは私たちにも分からない。イジャニーヤ様は死んだと伝えられているから」

 

「……なるほど」

 

 二人の言葉に、弐式炎雷は頷く。もしかすればそのイジャニーヤというのは自分達よりも早くに転移してきたプレイヤーで、彼女達はその子孫なのかもしれない。確かに人間種のプレイヤーなら、この世界の人間と子孫を残すことが出来るのだろう。

 

(結構重要な情報だな。プレイヤーかNPCかはっきりしないけど、その子孫がいるって事か)

 

 うんうんと何度も頷く弐式炎雷に、今度は二人から質問が飛んでくる。

 

「私たちも聞きたいことが有る」

 

「ハイ、どうぞ、ティアさん」

 

「違う。私はティナ」

 

「……ごめんなさい」

 

「嘘。本当は私がティアで正解。さすが忍者、観察眼に優れているね」

 

「謝り損かー。……それで質問は?」

 

「ヤルダバオトはあなた達の仲間?私たちのリーダーは、ヤルダバオトの正体が至高の四十一人の一人ではないかと疑っている。それを確認するために、私達は帝国にやってきた」

 

 その質問に、弐式炎雷はうんうんと再び頷きながらも、背中に流れるはずの無い冷たい汗が流れたような感覚を味わいながら答える。

 

「……ソンナヒトシラナイヨ」

 

 そして嘘をついた。

 



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 至高の方々、蒼の薔薇と出会う 其のニ

「……馬鹿な……あれは、……魔神?……魔導国は、魔神の群れだとでも言うのか……?」

 

 入場してきたモンスターの群れを、少し離れた所から見ていたイビルアイがそう呻く。高価な布地をふんだんに使ったドレスに身を包んだ小さな体が、ラキュースの目から見ても解かるほどに震えていた。

 ダンスに誘われることを厭うたために、飲みもしないのに受け取っていたグラスを落としてしまわなかった事は、奇跡に近いだろうと思う。

 

「魔神?それ程の相手という事なの、イビルアイ?」

 

 ラキュースの問いかけに、イビルアイは仮面を外した顔を伏せながら答えた。

 

「……難度二百といったところだ。ヤルダバオトよりは弱いだろうが、それでもメイド悪魔より確実に強い」

 

「……どれを指してるの?あの蜘蛛の姿をしたモンスターの事かしら?」

 

 微かに震える声で尋ねるラキュースに、イビルアイは意地悪く笑う。だがその笑みには悲壮感が色濃く映し出されていた。

 

「わかっていて聞いているんだろう?……あそこに居る全部だ。あれら全てが、……難度二百の化け物共だ」

 

 イビルアイの答えを聞き、ラキュースの世界は足元から崩れ去った。そんなイメージを抱いてしまうほどに、絶望を味わったのだ。

 帝国主催の舞踏会に蒼の薔薇が参加しているのは、他でもない帝国皇帝からの依頼だった。依頼内容は『魔導国至高の四十一人を見て欲しい』ただそれだけ。それだけの依頼に、帝国から王国に所属している冒険者に依頼を出したという事を踏まえても、破格の報酬を提示された。

 勿論ラキュースたちは報酬に釣られ、この舞踏会に参加している訳ではない。続く依頼内容に『人の未来の為』と続いていたからだ。

 

 帝国最強と王国にも名の知れる闘技場の王、武王。

 その最強を一蹴したとされる魔導国至高の四十一人。

 

 帝国からの情報を得たラキュースたちは、その至高の四十一人こそが、ヤルダバオトの正体、すなわち一員なのではないかと推測した。ヤルダバオトや、それに匹敵する強者ならば、武王を降したとしても不思議ではない。

 

「……このモンスターの群れが、至高の四十一人……」

 

 ラキュースの口から、絶望の呻きとも取れる言葉が漏れた。

 難度二百の群れ。至高の名に、偽りは無いという事か。

 

「なるほどな。化け物登場ってことかよ。……だがな、あいつらが至高の四十一人っていうのは、早合点かもしれないぜ?」

 

 ラキュースたちと同じく、ドレスに身を包んだガガーランがモンスターの群れを眺めながら言う。顔にはいつもの猛獣の様な笑みが浮かんでいるが、声までは隠しようがない。微かに、付き合いの長いラキュースなら分かる程度にだが、声が震えている。

 

「どういうこと、ガガーラン?」

 

「見ろよ」

 

 ガガーランがモンスターの群れに向け顎でしゃくりながら示す。

 難度二百のモンスターの群れが、最初に現れた美しいメイド達を守る様に、取り囲み始めたのだ。

 

「……至高の四十一人ってのは、魔導国の支配者なんだろう?そいつらがなんでメイドを守る?あれじゃあ、あのメイド達の護衛。いいとこ従者だ」

 

 まさかという思いが、ラキュースを更なる絶望の元にと誘う。

 

「……数も合わない。そもそもあの中には武王を倒したという粘体の姿は、無い。……アンデッドの魔導王の姿もな」

 

 イビルアイがガガーランに続く。

 

「……ああ。どうやら、本命はあちらのようだぜ」

 

 ガガーランの言葉と共に、舞踏会会場に更なるどよめきが起こる。ラキュースはそのどよめきに階段に振り返った。

 瞬間、ぶわっと汗が吹き出す。

 これ以上何も起きないで欲しいというラキュースの願いを嘲笑うかのように、白いドレスの、ラキュースですら息を呑むような美しい女の手を引いたアンデッドが姿を見せる。

 そのアンデッドの後に、ピンク色をした謎の肉棒とも言えばいいのか、ラキュースが見たことも無い粘体。

 翼亜人(プテローポス)とは違う、仮面を付けたバードマン。目も眩む金色の粉の様な粒子が、鎧から散っては消えていく。一目で恐ろしいほどの魔法効果が備わった装備だと知れた。

 金髪の女の胸に抱かれた小さな粘体。帝国から持たされた情報からによれば、ガガーランが自分一人では絶対に勝てないと断言する武王を一蹴したのが、あの粘体のはずだとラキュースは息を呑む。

 タキシードに身を包んだ、口元から二本の牙が突き出た大男の様な亜人、らしき者。

 黒衣の忍者装束の男、らしき者。

 帽子を被った、だがその帽子の下から覗く顔は決して人間ではない醜悪な巨人、らしき者。

 

 どれもがラキュースの知識に無い、異形の集団だった。

 

(……あれが、至高の四十一人……)

 

 ラキュースは理解する。五十を超える難度二百のモンスターの群れですら、このパートナーを伴った異形の集団の前では、霞んでしまうと。

 あれらこそアインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者、至高の四十一人なのだと。

 あの異形の集団は、一人一人がヤルダバオトに匹敵するのではという絶望の問いかけを籠めて、ラキュースはイビルアイに視線を向けた。

 

 そこには小さな少女が居た。

 ラキュースが見たことが無い、怯えた少女。

 両腕で自分を強く抱き締めながら、あのイビルアイがカタカタと震えていた。

 

「怖い……怖いよ、ももんさま……。あれは……魔神なんかじゃ、ない……」

 

「イビルアイ……」

 

 ラキュースの言葉に、イビルアイはほんの少しだけ冷静さを、いつもの姿を取り戻せたようだ。顔を伏せながら、告げてくる。

 

「……ティアとティナを呼び戻せ。……逃げるぞ。……いいか、これ以上あれらに視線を向けるな。少しでも注意を引けば、……私たちは終わる」

 

 ラキュースは頷き、隠形を駆使し潜んでいる二人に、教わった手話で合図を出す。こちらから二人の位置は把握できないが、二人はこちらの動きを注視しているはずだ。

 だが、二人は姿を見せない。焦りから、ラキュースは背後を振り返る。しかしそこにティアとティナ、二人の忍者の姿は無い。

 

「……まだか。逃げるなら今しかないぞ。……あれは、ぷれいやー?六大神、いや、八欲王の再来とでも言うのか?もうこれはおとぎ話の、いや、神話の類だ」

 

 魔導王が、依頼者である帝国皇帝と挨拶らしきものをしている。確かに逃げるなら今しかないだろう。だが、二人は未だに姿を見せない。ラキュースが幾度と無く、手話による合図をだしているにも関わらず。

 そしてさらに絶望的な声が、ラキュースの耳に届く。

 

「……悪いな、イビルアイ。目が、あっちまった」

 

 そうガガーランが言い、その彼女の眼はまっすぐに、タキシードに身を包んだ二本の牙が生えた大男に向けられていた。

 

 

 

 

 

 

(……あれは女?女って言っていいのかよ?)

 

 舞踏会会場に入場した武人建御雷は、フロアの片隅で異彩を放つ者の視線に気付く。そこには筋肉の塊が薄布を纏い、こちらをまっすぐに見つめていた。

 思わず気圧されそうになる。それほどの圧だ。

 

(……大した筋肉をしてやがる。筋肉量(バルク)は当然俺が上だが……。ちっ、だがそれは俺が建御雷だからだ……)

 

 ユグドラシルプレイヤー、武人建御雷だからこその筋肉。キャラメイクで手を加え、手に入れた筋肉だ。恐らく自身で鍛え上げ筋肉を育てた彼女、と言っていいのだろうか確信は未だに無い、とは違う。

 思わず視線を落とし現実世界での自身の腕を、いくら鍛えてもあまり肉の付かなかった腕を幻視する。今こちらに視線を向ける彼女とは比べものにならない、あの細い腕を。

 

(……だがな)

 

 しかし悲壮感に支配されたのは一瞬だ。

 建御雷はこの世界で生きていく決意をしている。

 すなわち武人建御雷こそが、今の自分なのである。その自分が敗北感を味わうなど、慕ってくれているNPC達に悪い。

 ライトブルーの外骨格に覆われた自身が創造したNPCの顔が過り、建御雷は全身をパンプ・アップさせた。血液が筋に送られて充血した筋肉が膨れ上がり、タキシードを押し上げる。

 魔法の装備であるユグドラシルのタキシードは、その怒張にも破れることなく、服の下からでも建御雷の筋肉を、はっきりと表現してくれた。

 

(……俺は負ける訳にはいかねぇんだよ。あいつらの為にもな)

 

 

 

 

 

 

 ガガーランの瞳に、驚愕が生まれる。

 視線を合わせた至高の四十一人の一人が、はっきりと全身に力を籠め、戦闘態勢に入ったからだ。凄まじいまでの圧が、他の誰でもない、ガガーラン一人に対し向けられている。

 

「……光栄じゃねぇか。味見してくれるって訳かい?」 

 

「……ガガーラン?どうしたの?」

 

 ラキュースの問いかけを、彼女に向き直ることはせず、手を向け答える。

 

「あちらさんからのせっかくの誘いだ。乗らなきゃ失礼だろう?……場合によっては、俺には構うな。置いて逃げろ」

 

 あの至高の四十一人は、ガガーランに目を付けた。

 必然かもしれない。単純な力量は兎も角、人間の戦士としてこの会場内で最も優れているのはガガーランだ。あの男はそれを理解し、自分に興味をもったのだろう。

 ガガーランは全身に力を籠め、軽く半身を落とし、構える。

 当然無手だが、手に刺突戦鎚(ウォーピック)を持つ、いつもの自分の姿をイメージする。

 聞いたことが有った。

 英雄の領域に踏み入った一部の人間は、武器を構えただけで、己を、技を、幻とし相手に放つことが出来ると。キアテと呼ばれる技術らしい。

 あの至高の四十一人は、そのキアテの攻防を、この舞踏会会場内でガガーランと行うつもりなのだ。

 

(……俺は人間なんだがな。英雄の領域に足を踏み込むことのできない、ただの人間だよ)

 

 想いとは裏腹に、ガガーランは笑っていた。

 あの化け物が、英雄と呼ばれる者を超える、正真正銘の化け物が、自分を戦士として試そうとしてくれている。

 興奮が恐れを超え、ガガーランは獰猛な笑みをより一層強くしていた。

 

 

 

 

 

 

(……応えやがった!)

 

 建御雷のパンプ・アップにあの男女は、性別に確信が持てないためにこう思うことにした、身体を僅かに落とし、武器を構える様なポーズで応えてきた。男女の全身の筋肉がパンプ・アップし、建御雷に魅せようとする意志が、確かに伝わってくる。

 

(……良いぜ。俺も魅せてやる)

 

 武器を構えたようなポージングなのは、恐らく実際に命を懸けた戦いが行われているこの世界ゆえにだろう。非常に理にかなったものだ。確実に、この世界にもボディビルの苗は芽吹いている。そうで無ければ、パンプ・アップした建御雷に、男女もパンプ・アップで応える事などしないだろう。

 建御雷はゆっくりと両腕を曲げ、上腕二頭筋を全面から見せていく。この世界で出会った最初の好敵手に、ユグドラシルで育った自慢の筋肉を魅せ付けるために。

 

(これがフロントダブルバイセップスだ!)

 

 

 

 

 

 

(……打ってこいって訳か。いいぜ、遠慮なしだ)

 

 至高の四十一人は両腕を折り曲げ、その屈強な肉体を晒す。先手を譲られたのだろう。その事を理解できたガガーランは、息を小さく吸い、そのまま一撃を放った。

 勿論実際に武器を振るったわけではない、気を当てているだけだ。だがガガーランの目には見えていた。己の放った気が、刺突戦鎚を振り上げ、至高の四十一人に叩きつけているのを。

 全力で振り下ろした刺突戦鎚が肉体に弾かれた。ガガーランは弾かれた刺突戦鎚を筋力で無理やり押さえつけ、再び渾身の力を籠めて振り下ろす。

 だが結果は変わらない。至高の四十一人の肉体に弾かれ、痛手どころか、傷一つ付けられていなかった。

 

(……なら、こいつは、どうだぁ!)

 

 

 

 

 

 

(……デカいな。いい筋肉だ。育ってやがる)

 

 建御雷のポージングに応え、男女もポーズを変えていく。ポージング自体は拙いが、それは歴史と、知識の差だろう。実際建御雷の目には男女の大胸筋が歩いて見えたし、あれほどに絞るには眠れない夜もあったろうと思う。

 だからこそその男女に、建御雷は自身の知識を伝える為、さらなる成長を促すために、新たなポージングを示すのだ。腹筋と脚に力を籠め、全面に見せていく。

 

(お次はアブドミナルアンドサイだ!)

 

 

 

 

 

 

(……これを受けきるか……。はっ、嫌になるじゃねえか……)

 

 ガガーランの放った、十五連続攻撃を、至高の四十一人は容易く受けきった。武技複数を同時に発動させ放つ、ガガーランの切り札。超級連続攻撃だ。それを避けるのでもなく、耐えるのでもなく、怒涛の連撃をそよ風を浴びたかのように、肉体のみで受けきられた。

 生物としての絶対的な差。いや、それ以上の何かだ。

 最初から分かりきっていたそれを、改めて見せつけられ、ガガーランは肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

(……どうした?筋肉がしぼみ始めたぞ?……お前の僧帽筋はそんなもんじゃないだろう?そこまで、仕上げてきたんだろう?)

 

 建御雷の筋肉量(バルク)に、男女が肩を落とすのが見えた。

 無理も無いだろう。建御雷は異形の体、そして現実世界で培われた知識が有るのだ。いわば二つのチートを有している。その建御雷相手に、あの男女はここまで食らいついたのだ。十分やった。ナイスバルクだ。

 

(……いたぶるのは趣味じゃない。止めをさすぜ。最後にお前に魅せるのが、……サイドチェストだ!)

 

 そして建御雷は最後のポージングを男女に披露する。ゆっくりと胸の厚みを横から見せていき、腕の太さ、背中、脚、肩の厚みを強調した。

 建御雷のポージングに、体を震わせた男女に、小さく呟く。ありったけの称賛を声に籠めて。

 

「……お前の筋肉、キレてたぜ」

 

 

 

 

 

 

(……斬られた……)

 

 ガガーランが思わず視線を落とし、胸の辺りを擦る。至高の四十一人から放たれた、奇妙な構えからの一撃に、自分はなすすべもなく、切り裂かれた。

 力の差を改めて思い知らされたガガーランは、ゆっくりと伏せた顔を上げ、再び至高の四十一人と視線を合わせる。そしてガガーランはそこで、驚くべきものを見た。

 至高の四十一人が笑っていたのだ。

 ガガーランを嘲笑う様な笑みでは無い。口元から生えた大きな二本の牙を見せ、ガガーランを讃える様に、武骨な笑みを浮かべていた。

 

(……褒めてくれるのかい?化け物のアンタが、人間の俺を?)

 

 ガガーランは全身から汗を吹き出し、薄いドレスがぴっちりと肌に張り付いていた。吐く息も荒い。一瞬、それもキアテの攻防だけで、アダマンタイト級冒険者のガガーランが、ここまで消耗させられたのだ。

 それに反して、視線を合わせた至高の四十一人には汗の一つも浮かんでいない。汗が流れないのは、そういう種族という理由があるかもしれないが、消耗はまったく見えない。

 それほどまでの力の差を見せつけ、それでも相手を侮るわけで無く、ガガーランを讃えてみせたのだ。この至高の四十一人の戦士は。

 

「……良い男じゃねぇか。ありゃ、良い男だぜ」

 

「ちょっと!どうしたの、ガガーラン!」

 

 横でラキュースが声を上げている。ガガーランはそれには答えずに、近くにいた給仕を呼びつけた。

 

「ボーイ!酒だ!強めのを頼むぜ!」

 

 ガガーランが酒を受け取るのと同時に、舞踏会の演奏が切り替わる。聞いたことの無い音楽だが、今から至高の四十一人のダンスが始まるのだろう。

 

「……説明しろ。一体何があった?」

 

 イビルアイの訝し気な顔に、ガガーランは野太い笑みを向け、口を開く。

 

「一戦交えたんだよ。キアテでだがな。ありゃ、正真正銘の化け物だ。アイツがその気になれば、瞬きする間にこの会場を更地にできるんじゃねぇか?」

 

「正気か!?」

 

 イビルアイが喚いているが、ガガーランは構わずにグラスを傾け、酒を呷る。呷りながら、パートナーの女の手を取り、先ほどまでと違い優雅な踊りを魅せる至高の四十一人を見つめる。

 体が昂っている。火照ってしょうがなかった。あれほどの強者に認められた事に、幼子の様な興奮を覚えている。酒ではまるで火照りを鎮められなかった。ここが帝国で無ければ、その辺の給仕係をニ、三人見繕い、物陰にでもしけ込んでいただろう。

 逃げるタイミングを逸した事を焦っているのか、ラキュースとイビルアイは落ち着かない様子だ。その二人にガガーランは笑う。笑いながら声を掛けた。

 

「心配ねぇよ。アイツらはここで暴れる気なんて無いさ。暴れるつもりなら、最初から舞踏会なんて参加しないだろ?少しは落ち着いて、あいつらの踊りをみてやろうぜ?」

 

 戦うという行為は、時に肌を合わせる以上に相手を理解する事がある。今がまさにそれだ。気による攻防を経て、ガガーランはあの中の一人と通じ合う事が出来た。

 

「その通り。ガガーランも良い事を云うね」

 

「そう、今は踊りを見る時間。せっかく踊りを練習して来たのだから、ちゃんと見てあげないと可哀想だよ」

 

「ティナ、その事は口止めされてる。約束は守らないと、トップシークレット」

 

「そうだった」

 

 軽口を叩きながら現れたティナとティアに、ガガーランはグラスを掲げ出迎えた。二人は目立たないように、ガガーランの影に隠れる様に潜んでいるが、声は何処か明るい。

 

「良かった!無事だったのね、二人とも!」

 

 ラキュースの問いかけに二人は顔を見合わせたのが、背中越しに見えた。

 

「……無事とは言えないかな?二人揃ってしっかり捕まっていたし」

 

「……どういう事?」

 

「あそこで踊っている彼。忍者装束の彼に、正確には分身体にだけど、今まで捕まっていた。でも情報も貰えたよ?」

 

 軽く言うティナとティアに、ガガーランはくつくつと笑い、ラキュースとイビルアイは絶句した。

 

「……捕まっていただと?それでなぜ無事で―――いや、まて。あの忍者装束に捕まったと言っていたな。そいつのパートナーの女、あれはナーベか?なぜあいつが至高の四十一人と踊っているんだ!?」

 

 混乱したような声を上げ、頭を抱え始めたイビルアイに、考えてもしょうがないだろうとガガーランは思う。あれほどの連中が居る国だ。何を起こしても、何が起きても不思議ではない。

 

「ここでぐじぐじ悩んでても仕方ねえだろう。面と向かって聞けばいいんだよ」

 

「……話しの通じる相手だと言うの、ガガーラン?」

 

「通じる。それは私たちが実証済み。情報も得てきたって言ったよね?」

 

 ラキュースの問いかけに答えたのは、ティアだった。ラキュースは信じられないものを見たという顔をし、ガガーランは軽く口笛を吹いた。

 

「ヤルダバオトは至高の四十一人では無い。それは彼から聞いてきた」

 

「……信じられるの?」

 

「んー。少し動揺はしてたね。でも至高の四十一人の中に、ヤルダバオトの名前は無かったよ?」

 

「全員の名前を聞いてきたの!?」

 

「えっへん。今の私たちは至高の四十一人博士」

 

「名前を告げる彼に淀みは無かった。嘘の名前を交えてたら、すぐ解かる」

 

 そう告げる二人の言葉を信じられないとラキュースが呟く。それを見咎めたように、ティアが口を開く。

 

「ならリーダーも踊ってくればいい」

 

「え?」

 

「そりゃ名案だ。俺達の中で踊れるのはラキュースだけだしな」

 

「ちょ、ちょっと待って。踊るって?私が至高の四十一人と?」

 

「そうだよ?ここは舞踏会。踊らないと。それに誰が誘いやすいかも、彼からちゃんと聞いてある」

 

 そう言ってティアは、ガガーランの背中越しに一人の至高の四十一人を指さす。ガガーランが戦った相手よりも巨躯を誇る、帽子を被った相手を。

 

「至高の四十一人やまいこさん。……優しい人だって言ってたよ」



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 至高の方々、蒼の薔薇と出会う 其の三

 至高の四十一人という名の化け物の一人が此方に向かってくるのを見て、エルフ達は思わず緊張し、そして恐怖した。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国、その支配者であるという至高の四十一人。ここ数日で無理やり施された教育では、強力な力を持った人ではない化け物の集団だと言う。

 舞踏会に参加したエルフは五人。最初はもう少し居たのだが、この国の皇帝の最終チェックを超えたのはそれだけだった。最初に経産婦は弾かれた。奴隷となる前線に出るエルフの女の殆んどが、エルフ王の御手付きだ。出産の経験がある者は多い。

 舞踏会に参加できなかった者たちは、元の主人のもとに返されたのかもしれない。恐らく自分達同様碌でもない所だろう。この帝国でエルフに人権など無い。そしてエルフは人よりも優れた容姿を持つものが多い。そういったエルフがどう心を砕かれ、どんな目に遭うかは、自分たちが一番理解している。

 エルフ達は慌てたように一斉に頭を下げ、醜悪な巨人を迎えた。

 この醜悪な、それでいてエルフよりも優れた美貌を持つパートナーを伴う巨人を篭絡できなければ、自分たちに未来はないことを理解しているから。

 

「こんにちは。初めまして、ボクはアインズ・ウール・ゴウン魔導国至高の四十一人のやまいこです」

 

 こう名乗るのはまだ少し抵抗あるんだけどねと恥ずかしそうに続ける、このやまいこと名乗る醜悪な巨人の声にエルフ達は驚く。よく通る、そして女性らしい綺麗な声をしていたからだ。

 

「あ…………。わ、私達は」

 

 緊張からか、あまり口が回らず名乗ることすら上手くできなかった。そんなエルフ達にやまいこは優しく語り掛ける。

 

「緊張させちゃったかな?無理もないか、ボク怖い顔をしてるから」

 

 緊張を解そうとしているのか、やまいこが笑う。だがすぐにそれを否定する声が上がった。

 

「やまいこ様はお美しいです!」

 

 急に夜会巻きをした女が叫ぶ。その声に、エルフ達だけで無く、やまいこも吃驚した様に自身のパートナーを振り返った。

 

「あ、ありがとうユリ。でも、無理して褒めなくて大丈夫だよ?」

 

「そんな事はありません!やまいこ様は誰よりも美しく、そしてお優しい方です!」

 

 必死に言うユリというパートナーに、わかりづらいがやまいこは苦笑いした様に見えた。そして軽く、ユリの髪型を崩さないようにか、額の付近を撫でる。その見た目からは想像もできない優しい仕草に、エルフ達はまたもや驚かされる。

 

「ふふ、嬉しいな。ありがとうユリ」

 

「ぼ―私は本当の事を言ったまでです!」

 

 興奮した様にユリは言うが、それが嘘やお世辞で言っているのでは無い事はエルフ達にも理解できた。少し話を聞いただけでも、このやまいこは優しさに満ちていた。そう、スレイン法国に囚われ、帝国に流れてくる間に出会ったどんな人間たちよりも。

 

「ああ、ごめんなさい。ボクから話しかけたのに。……失礼だけど、その耳はどうしたのかなって、踊ってる時からずっと気になってたんだ」

 

 言葉に、思わず途中から切り落とされた耳に触れる。奴隷の証たるそれに。

 今回の舞踏会で、至高の四十一人を篭絡するために集められた女たちは美貌を重視している。この斬り落とされた耳は大いに欠点であろう。その欠点さえなければ、この舞踏会に参加するエルフの数はもっと多かったはずだ。

 だが帝国には部位欠損を癒せるほどの信仰系魔法詠唱者は居ないらしい。居たとしても帝国は今神殿勢力と不和を起こしているから無理だと、選抜時にあの皇帝が言っていたのを覚えている。

 

「あの……これは……」

 

 恥じる様に、手で耳を隠す。故郷から連れ去れられ初めて出会った優しい人、モンスター相手でも、この醜く斬り落とされた耳は見られたくはなかった。

 

「……<魔法効果範囲拡大・大治癒(ワイデンマジック・ヒール)>」

 

 癒しの光がエルフ達を包む。光が収まった頃に、自分たちに変化が起きている事に気付く。

 恐る恐る切り落とされたはずの耳に触れると、それが癒され元に戻っている。思わず確認するように他のエルフ達を見れば、皆同様に切り落とされた耳が、傷跡一つ無く癒されていた。

 

「ごめんね。勝手に癒しちゃった。ボクの妹も、エルフなんだ。だからどうしても気になってて」

 

 申し訳なさそうにするやまいこの顔がよく見えない。理由は解かる。自分たちが涙を流しているからだ。漏れる嗚咽を隠そうと口を手で覆う。だが幾人かのエルフは膝をつき、泣き崩れてしまう。うれしかった。やまいこは傷を癒してくれただけでなく、こちらを労わる様に優しく声を掛けてくれた。

 

「……良ければ事情を聞かせてくれるかな?どこまで力になれるかわからないけど、キミ達の身の安全くらいは守ってあげられると思う」

 

 そう言って優しく肩に触れられる。醜悪な見た目に反し、その手は暖かく、慈愛に満ちていた。

 

「あ……わ、私た……ち……」

 

 言葉に詰まるエルフ達にユリが優しく言う。

 

「やまいこ様は至高の御方たちの中で一番お優しい方です。その御方が約束されたのですから、心配ありません。……貴方たちは、この方に救われたのです。安心なさい」

 

「ちょっと、ユリ。大げさ」

 

「私は事実を言ったまでです」

 

「もう。少しモモンガさんの気持ちがわかってきたよ……。よし。……こほん。キミ達はボクが―アインズ・ウール・ゴウンの名に懸けて保護を約束します。だから、ゆっくりでいいから話してくれるかな?大丈夫、ボクも、ボクの仲間たちもとっても強いから」

 

 そう笑うやまいこに、エルフ達は涙に濡れた顔を伏せ、平伏した。自分たちの境遇を聞いてもらおうと。そして救ってもらおうと。

 こうして至高の四十一人を篭絡するべく集められたエルフ達は、やまいこによって保護されることとなるのだった。

 

 

 

 

 

 

「皆、よく働いてくれました」

 

 舞踏会会場でソリュシャンに抱きかかえられたヘロヘロの言葉に、一般メイド達が一斉に頭を下げる。ヘロヘロとしてはここでお礼の一つでも言いたいのだが、どうもお礼を言うのは受けが良くない。だからヘロヘロは別の褒め方をする。

 

「ナザリックの、そして私のメイドとして、とても誇らしく思います」

 

 メイド達が感極まったように、再び頭を下げる。ヘロヘロはその彼女たちに頷くことで答えた。

 ダンスパートナーを務めてくれたソリュシャンは勿論の事、一般メイドの彼女達もこの一週間よく頑張ってくれたと、ヘロヘロは素直に思う。各々のダンスパートナーの着付けを手伝うのは当然彼女達だし、護衛用に召喚した傭兵NPCに対して教育を施したのも彼女達だ。ナザリックを離れる事にも嫌な顔をせず、むしろ誇らしげだった彼女達に何の不満があろうか。

 そんな自分が創造した理想たちに、何か答えなければ創造主失格だろうとヘロヘロは思う。

 

(まあ、私の財布事情は相当ヤバいんですけど……)

 

 それでもだ。何か応えなければならない。ヘロヘロは覚悟を決めて彼女達に問うことにする。

 

「今回の働きを讃え、褒美を授けたいと思います。何かありますか?……ソリュシャン、君は?」

 

 最初にダンスパートナーを務めてくれたソリュシャンを振り返りながら見上げる。抱きかかえられているので、顔を合わせようとすると、どうしてもこうなるのだ。

 

「……私はもう戴いております。これ以上の褒美は過分かと」

 

「ん?そうですか?」

 

 もしかして今ソリュシャンが着ているドレスの事だろうかとヘロヘロは思う。もしそうならば、それは仕事初めに支給する制服のようなもので、褒美と言えるのだろうかと首を傾げるが、無垢な子供が欲しいと言われても困るのでそれ以上は何も言わないでおく。ヘロヘロはこれ以上ぶくぶく茶釜に怒られたくないのだ。

 

「では皆は何が欲しいですか?遠慮せずに言ってください」

 

 改めて一般メイド十三人に向き直る。もしかすれば固辞されるかもと不安に思っていたが、彼女達はもう一度頭を下げ、代表するようにインクリメントが一歩前に出る。

 

「では、ヘロヘロ様にお願いしたい事があります」

 

「ええ、どうぞ」

 

 何かをねだられるというのも悪くないとヘロヘロは思う。子供は勿論、彼女も家族もヘロヘロは居ないのだ。初めての経験に自然と気分が高揚する。

 

(インクリメントは新しい本か何かだろうか。他の子は美味しいお菓子とかかな?ああ、子供や恋人にプレゼントをあげる気分って、こんな感じなのかもしれませんね)

 

 ワクワクしながら、彼女達の願いの言葉をヘロヘロは待つ。

 

「私たちも、ヘロヘロ様をその胸に抱く名誉を賜りたく存じます」

 

「……はい?」

 

 思わず聞き返す。彼女達が何を言っているか理解できない。いや、理解は出来ている。ただ、なぜそれが褒美なるのか理解できないだけだ。

 

「ええ?えーと……それは私を抱っこしたいという事ですか?」

 

 念のため確認すると、彼女達は一斉に表情を暗くする。却下されると思ったのかもしれない。

 

「……駄目でしょうか?」

 

 その残念そうな、無念そうな、そんな感情が込められたインクリメントの言葉に、本気かこの子達と思わずヘロヘロはソリュシャンを窺う。ソリュシャンは一瞬逡巡するが、すぐに首を縦に振った。どうやら本気でそれが褒美になるらしい。ならば今の逡巡は、ヘロヘロを手放すことによるソリュシャンの躊躇いだというのか。

 

「……いえ、構いません。少し驚いただけです。ソリュシャン?私をインクリメントに渡してもらえますか?」

 

「……はい」

 

 明らかに名残惜しさが込められた言葉と共にソリュシャンは、まるで赤ん坊を抱き渡すかのようにインクリメントに近づきヘロヘロを差し出す。

 その姿に一般メイド達は目を輝かせ、特に最初に渡されたインクリメントは普段の物静かな姿からは想像も出来ない程に興奮していた。

 

「……ふわあああぁ」

 

 ヘロヘロを抱きかかえた途端、聞いたことも無いような声をインクリメントは上げる。

 

「大丈夫ですか?酸性は勿論カットしてますが、私重くありませんか?」

 

 五十レベルを超えるソリュシャンと、一レベルの一般メイドの彼女達とでは筋力に大きな差がある。いくら今のヘロヘロの体が小さいとはいえ、重くない訳ではない筈だ。それでも―

 

「重くなんてありません!ずっとこうしていたい位です!……ふわあああぁ、柔らかくて冷たくて気持ちいい……」

 

(ほ、本当に大丈夫か、この子達!?……まあ、このシチュエーション!私的にはご褒美ですけどね!かなり変態っぽいので口に出して言いませんけど!)

 

 ヘロヘロ的には一般メイドの胸に抱かれて文句がある筈もない。

 しかし彼女達には本当にご褒美になっているのか表情を窺うと、インクリメントはご満悦だし、順番待ちをするデクリメント達はそわそわしている。

 

(……彼女達が満足するなら、それで良しとしますか。私には得しかありませんしね!)

 

 こうしてヘロヘロは舞踏会のラスト、オナーダンスの時間まで一般メイド達に代わる代わる抱かれる事となる。

 そしてこれはアインズ様当番に続く、ヘロヘロに創造された一般メイド限定の新たな当番。ヘロヘロを抱きかかえて移動の手伝いをする、通称『ヘロヘロ様当番』。その誕生の瞬間でもあったのだ。

 

(……はあぁー、しかし柔っこくて気持ちいい。……ん?)

 

 メイド達に新たな役目が誕生した事を気づかないヘロヘロは、後頭部に当たる柔らかな感触に、メイド達と同じような感想を抱きながらも目ざとくやまいこに視線を向ける。

 視線の先ではやまいこが、帝国の貴族だろうか、ドレス姿の女性に話しかけられ、その手を取ろうとしていた。

 ダンスに誘われたか、誘うかしたのだろう。舞踏会であるなら別におかしいことでは無い。

 ヘロヘロが注視したのは、その貴族らしき女性だ。

 茨を編んだようなサークレットに蒼い薔薇が乗っている。特に視線を奪われたのはその髪色だ。綺麗な金髪で、縦ロール。自分の理想たるプレアデスとの共通項。

 ヘロヘロは何度か頷いてから、ぽんと右手らしき部分で造った拳らしきものを左手らしき部分で造った掌に打ち付ける。

 

「うん!あの子を、ナザリックに連れ帰りましょう!」

 

 

 

 

 

 

「……初めまして、アインズ・ウール・ゴウン魔導国至高の御方。一曲お相手頂けますでしょうか?」

 

 ラキュースは今までの自分の恐れが嘘だったように、堂々と至高の四十一人に対して声を掛ける事が出来た。自分の足が恐れを覚えたように動かなかった先ほどまでとは違い、今のラキュースに迷いは無い。

 このティア、ティナの二人から教わったやまいこという名の至高の四十一人が、帝国の奴隷と思われるエルフの傷を癒す場面を目撃した為だ。傷を癒された事に感激したのだろう、泣き崩れるエルフ達に手を差し伸べる様は、ラキュースの目から見ても慈愛に満ちていた。

 

「御方の相手を、一度譲って頂いても?」

 

 ラキュースは舞踏会の礼儀として、パートナーの女性にも声を掛ける。マナーとして初対面の女性からダンスに誘うのは正しい礼儀とは言えないが、この際仕方が無いだろう。

 見れば帝国からの出席者には女性が多い。その幾人かは、怯えを隠しながらも、必死に他の至高の四十一人に声を掛けているのが見える。今回の依頼を受ける際にラナーが言っていた帝国皇帝の別の狙いというのにも、ラキュースも薄々気付き始めていた。

 篭絡しようとしているのだろう、この至高の四十一人を。そして自分達に依頼が来たのも、蒼の薔薇メンバー全員が女性という理由もあったはずだ。

 

「わぁ!嬉しいな!まさか誘ってもらえるだなんて思ってもみなかった!勿論。ボクで良ければ、踊って頂けますか?」

 

 やまいこの声に、ラキュースは驚く。想像していた声と違い、女性らしい澄んだ声をしていたからだ。

 驚きを必死に抑えつつ、一礼して下がるやまいこのパートナーを見送る。そして、笑顔を浮かべているのか、やまいこの帽子の下の醜悪な顔が歪んでいた。ラキュースはその顔に、先ほどのエルフ達とのやり取りを見ていたせいか、それ程の嫌悪感は覚えずに、やまいこから伸ばされた手を取ることが出来た。

 まずは第一段階の成功だ。やまいことパートナーを引き離すことが出来た。

 イビルアイは、やまいこ本人よりも、パートナーの女性を気にしていた。

 ヤルダバオトが引き連れていたメイド悪魔の一人アルファと、佇まいが似ているらしい。交戦時は互いに仮面をしていたために確証はないらしいが、ラキュースがやまいこと一曲踊っている間にイビルアイが接触する手はずになっていた。

 

(……お願いね、イビルアイ)

 

 至高の四十一人。この存在は、いずれ来るであろうヤルダバオトとの戦いにおいて、切り札になる者なのか。それとも至高の四十一人こそが、ヤルダバオトと与する者なのか。

 ラキュースはこの一曲の踊りで、それを見極めようとしていた。

 

 

 

 

 

 

「そういえば、自己紹介はまだだったね。ボクは魔導国至高の四十一人のやまいこです」

 

 何度言っても慣れないなと笑うやまいこが自己紹介すると、手を握ったダンスに誘ってくれた貴族らしき彼女は微笑んで答えてくれた。

 

「ありがとうございます、やまいこ様。蒼の薔薇、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと申します」

 

「うわ、凄い!アダマンタイト級冒険者の!?」

 

「……私達をご存じなのですか?」

 

「うん、話は聞いています。モモン―」

 

 そこまで言って、やまいこは失言を悟る。蒼の薔薇の話はアインズから聞いているが、そう正直言うのは不味い。どう言い繕うかと迷っていると、先にラキュースから口を開いた。

 

「ももん?漆黒のモモンから私たちの話を?」

 

 うまい具合に誤魔化せたようだ。分かりやすい偽名を使ってくれていたアインズに感謝して、やまいこは慌てて頷く。

 

「そう、モモンさんから聞いています。とても強い冒険者チームだって」

 

 イビルアイという仮面を被った少女らしき人物にエントマが殺されかけた話を思い出し、王国での件は確実にこちらに非があるとやまいこは思っているが、それでも僅かに体が強張る。

 やまいこの変化に、ラキュースが少しだけ緊張したようだ。やまいこは慌てて笑顔を浮かべて、彼女を安心させる。それと共に、意図的に今はまだ王国での件は忘れることにした。

 

「そうですか、彼が……」

 

 色々考え込んでいるようだが、やまいこもまたラキュースとの距離を測りかねていた。アインズから蒼の薔薇の話は聞いているが、ほとんど名前くらいだ。イビルアイという人物に対してはかなり感情が籠っていたが。

 そういえばとやまいこは思い出す。このラキュースという女性が魔剣の使い手で、国一つを飲み込む力を持つかもしれないとアインズが語っていた事を。誇張かもしれないが、警戒が必要だろうとも。この状況を利用して真偽を確かめるべきだろうか。

 いろいろ考え込み始めるが、それでもラキュースと共にステップの一歩目を踏む。今流れている音楽は現地の曲なのだろうが、なんとなくリズムは理解出来ている。それなりに踊れはするだろう。

 さてどうするかと悩むやまいこに線のようなものが伸びてくる。<伝言(メッセージ)>だ。なにか緊急事態だろうかと、やまいこはそれを受け入れた。

 

『やまいこさん、やまいこさん』

 

 <伝言(メッセージ)>の送り主は、ヘロヘロだった。少しだけ周りを見渡せば、ヘロヘロが一般メイドに抱き抱えられながら、こちらに視線を向けている姿が見えた。やまいこはラキュースとのダンス中のため言葉では伝えずに、彼に向けて軽く頷く事で答える。

 

『その人、私に紹介して下さい!』

 

 緊急案件かと思い<伝言(メッセージ)>を受け入れたやまいこを呆れさせる、能天気な声が脳内に響く。

 

『いやー、一目で気に入りました!金髪に縦ロール。胸もそれなりに大きそうですし。うん、ナザリックに人間はレイナースとセバスの子しか居ませんしね。オーレオールは八階層から中々動けませんし、増やしてあげようと思っていたところなんですよ』

 

 まるで日中に一人でお留守番をしているペットが可哀想だから、もう一人増やそうと思いますというような気軽な口調でヘロヘロが続ける。その彼に思わずやまいこは頭が痛くなり始めた。

 レイナースの件も、ヘロヘロはぶくぶく茶釜からかなり厳しく叱りつけられたと聞いていたが、どうやら彼は懲りていないらしい。

 

(……満喫してるなー、ヘロヘロさん……)

 

 本当にこの世界を楽しんでいる。楽しみ過ぎだ。

 

「……かぜっちに知らせるよ?」

 

 だから忠告を籠めて、一言だけ<伝言(メッセージ)>にやまいこは答えた。瞬間、ヘロヘロが小さく「ひっ」と息を呑んだのが<伝言(メッセージ)>越しに伝わってくる。

 

『……諦めますので、この件はどうかご内密に……』

 

 それだけ言って<伝言(メッセージ)>が途切れた。

 凄まじい効果だ。

 思えばぶくぶく茶釜が肉親でもないヘロヘロに対し、必要以上に厳しく当たったのはこういう暴走を押さえつける為だったのではないだろうかと、やまいこは思う。

 

「……かぜっちに知らせる?」

 

「ああ、ごめんなさい。……なんでも、なんでもないんです……」

 

 やまいこの呟きは当然一緒にダンスを踊るラキュースにも届いていたらしい。疑問符を浮かべる彼女にやまいこは何でもないと首を振る。

 ラキュースに対して申し訳ない気持ちで一杯だった。本当に、身内が不埒な事を考えてごめんなさいという気持ちで。だから決意を籠めて呟いた。彼女を混乱させるだけだろうと承知しながらも。

 

「……ラキュースさんは、ボクが守るからね……」

 

 

 

 

 

 

「……私を守る?それはどういう事でしょうか?」

 

 予期せぬやまいこの言葉に、ラキュースは混乱する。

 この目の前のやまいこは、不思議な相手だった。

 醜悪な見た目に対し、声はとても優しく、舞踏会の喧騒の中にあっても聞き取りやすいものだった。

 何よりもラキュースが驚いたのは、こちらを見るその目だ。

 ラキュースはアダマンタイト級冒険者として、様々な化け物と相対してきた。その中で、やまいこのような目をした相手は、一体、一匹、一人とていなかった。

 優しい目。まるでこちらを慈しむような、そんな目だった。

 

 

 

 

 

 

「ええーと、守るというのはね……」

 

 当然のラキュースからの質問に、言葉に詰まる。だが正直に自分の仲間がラキュースの容姿を気に入って攫おうとしているので、ボクが守るから安心してねとは言えない。

 

「……脅威が迫っています。ボクはそれから貴方を守るとしか、今は言えないんだ……」

 

 あまりに情けなすぎるから。

 

 

 

 

 

 

「……脅威?」

 

 やまいこの感情が、ダンスを共にし、僅かずつだがラキュースにも読み取れるようになってきた。声と瞳に籠められた感情は憂い。やまいこは確かに何かを憂いている。

 ラキュースはその憂いに籠められた真意を必死に読み取ろうとする。

 脅威。

 その脅威から、やまいこが守ると言った。ならばその脅威とは。

 すぐさまラキュースの頭に一つの名前が思い浮かぶ。やまいこはどうやら魔導国でモモンと親交があるらしい。どの程度かは不明だが、そのモモンと自分達蒼の薔薇の話をする事があるならば、話題は一つしかない筈だ。

 

 すなわちヤルダバオト。

 

 もしかすればやまいこは、魔導国は、ヤルダバオトについて何か情報を得ているのかも知れない。だから脅威が迫っているという表現をした。直接ヤルダバオトの名前を出さないのは、今の王国と魔導国の関係を慮ってか。それとも何か魔導国側の事情だろうか。だがやまいこは、こうも言った。

 守ると。

 

「……やまいこ様は、守ってくださると?」

 

 ヤルダバオトの脅威からという思いを込めて、ラキュースはやまいこに尋ねた。

 

 

 

 

 

 

「……はい、守ります」

 

 ヘロヘロの魔の手から。そうやまいこは思いを込めてラキュースの問に答えた。

 

 

 

 

 

 

 間違いない。ラキュースはそう確信する。

 ヤルダバオトと魔導国は、敵対関係にある。少なくともやまいこは、ヤルダバオトとの戦いにおいて、味方になってくれるのは確かなはずだ。

 やまいこのパートナーがメイド悪魔と似ているというイビルアイの推測は、恐らく杞憂だろう。もしやまいこのパートナーがヤルダバオトの部下ならば、漆黒のモモンがそのままにしておかない筈だ。その証拠に、この舞踏会にはモモンのパートナーであるナーベの姿もあるのだから。

 そうラキュースが思うと同時に、流れていた曲が一度途切れる。出来ればこのままやまいこと踊り続け、様々な事柄に対する擦り合わせをしたかったが、正式なパートナーが居る相手と続けざまに踊るのは無作法だ。この場の貴賓であるやまいこにそのような行いをする訳には行かなかった。

 名残惜しそうに、ラキュースはやまいこの手を放し頭を下げた。この場で許される最敬礼をもって。

 

「ありがとうございます、やまいこ様。……夢の様な時間でした」

 

 王国と魔導国。二つの国が抱える問題は多い。

 だが少なくともヤルダバオトに対しては、至高の四十一人やまいこという強力な味方を得ることが出来た。

 

「こちらこそラキュースさん。ボクと踊ってくれてありがとう。楽しかったです」

 

 笑うやまいこに、ラキュースも微笑む。

 

「……やまいこ様は、あのエルフの方達をどうされるのですか?」

 

 ラキュースの問に、やまいこは躊躇う事なく答えた。

 

「あの子達はボクが保護します。あの子達の主人という人の元には、帰しません」

 

 予想通りの答えに、ラキュースは頷く。帝国におけるエルフの現状は、ラキュースも知っている。人々を守らなくてはならない冒険者の自分達が、国の垣根があるとは言え、守ることが出来ていない彼女達の現状を。

 やまいこを知らない人間が今の言葉を聞けば、醜悪な怪物がエルフを攫う非道の行いと非難するかもしれない。勿論直接は言わずに、影に隠れて、自らの身が守れる安全な場所で。その見た目だけから判断して。

 だがラキュースは違う。ラキュースはやまいこに気高い精神、光を見ていた。ラキュースはそんな印象を他人に抱かせる人物は、もう一人しか知らない。そう、ラナーと同じ光を、ラキュースはやまいこの中に見たのだ。

 

「……最後に一つだけ。やまいこ様はカッツェ平野での戦いについてどう思われていますか?」

 

 瞬間、やまいこの瞳に悲しみの感情が過る。その感情を読み取ったラキュースはすぐさま頭を下げ、謝罪する。

 

「一介の冒険者が失礼をしました。今の質問はお忘れ下さい」

 

「……ありがとう、ラキュースさん」

 

「いえ。それではまたお会い出来る機会を楽しみにしております。至高の四十一人やまいこ様」

 

「ボクも楽しみにしています。……でも出来れば、次はやまいこって呼んでもらいたいな。ボク達、もう友達でしょう?」

 

 流石に気が早いかな、そう続けて笑うやまいこに驚く。そしてやまいこが何を望んでいるのか理解できたために、ラキュースは戸惑いながらも口を開いた。

 

「ありがとうございます。その、やまいこ―――さん」

 

「わぁ!……ふふ、嬉しいな。ありがとう、ラキュースさん」

 

 本当に嬉しそうに笑うやまいこに、ラキュースは再び頭を下げてから離れた。

 

「よう。どうだった?」

 

 仲間達の元に戻ると、ガガーランがグラスを掲げて出迎えてくれる。一体何杯飲んでいるのか。珍しく顔に朱が差すほどに飲んでいるようだが、当然足取りもしっかりしており、呂律が怪しいという事も無い。

 

「……驚いたわ。少なくとも対ヤルダバオトという一点においては、協力できると思う」

 

 一曲踊るだけの短い時間だったが、信じられない事の連続だった。だがラキュースは確かに得ていた。やまいこという強力な味方、いや、失礼を承知で言うならば友達を。

 

「……まるで人間のようね」

 

「そこが怖い所でもある。彼もそうだった。受ける印象は普通の人間。でもその力は、人を超えている」

 

 ラキュースの呟きに続いたティナの言葉に頷く。

 

「でも、だからこそ、信用できるかもしれない」

 

「だな。あとはイビルアイの心配事だけか?……蟲のメイドなら兎も角、他の連中はうちのおチビさんしか解からないしな」

 

 一曲踊る間の短い時間だったが、イビルアイが話す時間は十分とれたはずだ。

 ラキュースは、やまいこのパートナーとの話を終えたのだろう、今度はティアとティナの二人が接触した弐式炎雷という名の忍者のパートナーであるナーベの元に向かっているイビルアイの姿を目で追いながら口を開いた。

 

「そうね、イビルアイに任せるしかないわね」



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 至高の方々、蒼の薔薇と出会う 其の四

「あの忍者装束の彼が、弐式炎雷。パートナーはナーベラ―漆黒のナーベだ。モモンにも参加してもらいたかったのだが、まあ、彼は我らの一員(至高の四十一人)ではないからな。パートナーのナーベにだけ参加してもらったというわけだ。それで弐式さんだが、特に隠密に特化している。その能力は我らの中でもトップクラスだ。だが探索役とはいえ瞬間的なダメージ量は、目を見張るものがあるぞ?」

 

「そうか、それは素晴らしいなゴウン殿」

 

 ホスト役のジルクニフにアインズは頷く。

 アインズは非常に上機嫌だ。その理由はこの舞踏会が始まる直前に、建御雷と弐式炎雷から正式にこの世界に、ナザリックに残ると伝えられたからだ。嬉しくない筈がない。

 ダンスも、上手くいった。と思う。恐怖公のアイディアであるユグドラシルのゲームサウンドを使ったのは非常に良かった。おかげで拙さも上手く誤魔化せ、ダンスを終えた自分達には盛大の拍手が巻き起こっていた。アインズはその万雷の拍手にナザリック転移後初のギルドイベントの成功を確信し、素晴らしい満足感に包まれた。

 その拍手も実は連れてきたメイドと、召喚した傭兵NPC達の拍手に気圧された同調圧力によるものだったが、そこまではアインズは気づかない。

 

「そしてアウラと共に居るのが、ぶくぶく茶釜。盾役に特化した、純粋に盾役としての能力だけを見れば、間違いなく我らの中で最高と言える。彼女が一つのチームを指揮する場面も多かった。私も幾度となく救われたものだよ」

 

「そうか、それは素晴らしいなゴウン殿」

 

 ダンスを踊り終え解放感からか、それとも仲間の事を語るからか、愉快そうにアインズはジルクニフに話しかける。ジルクニフのパートナー、確かロクシーとか言ったか、彼女の相手はアルベドがしてくれている。故にアインズは安心して仲間の事を、自身が最も大事にする者たちの自慢をすることが出来た。

 

「バードマンの彼が、ペロロンチーノ。パートナーはシャルティアだ。彼は遠距離戦に特化していてな、彼の超々遠距離からの攻撃は、対策無しでは私達でも一方的にやられてしまうほどだ」

 

「そうか、それは素晴らしいなゴウン殿」

 

 注意深くジルクニフを窺えば、彼が先ほどから同じ相槌しかしておらず、目も虚ろで、まるで何かの精神支配を受けているかのような様子だと気づいたのだろうが、仲間の事を語ることに夢中でアインズがそれを気にする様子はない。

 

「ヘロヘロ、彼についてはもはや説明は不要かな?ならばあちらに居る武人建御雷を紹介しようか。その隣にいる赤いドレスの彼女が今回彼のパートナーを務めてくれたプレアデスのルプスレギナ。そして建御雷さんだが、彼を一言で説明するならばサムライだな。……まあ、今日は舞踏会という事でああいった格好をしているが……。だが彼が敵に与える物理ダメージは、我らの中でトップだ。ふふ、いつかジルクニフ殿にも明王コンボを披露したいものだ」

 

 そう言ってアインズは笑う。もしそんな機会があれば、ジルクニフはどんな顔をするだろうか?偶然か、あのコンボを使用する条件が今転移してきているメンバーだけでも揃っている。あれを使うほどの強敵との戦闘、ユグドラシルではないこの世界では想像も出来ないが、いつかまた使う時が来るのだろうか。

 

 最後にやまいこの紹介をしようと彼女の姿を探す。探すと言ってもやまいこの姿は目立つ。帝国側から参加している数人のエルフの元に、一曲踊り終えた彼女が向かったのはアインズも把握していた。そして見ていた。エルフの傷を、奴隷の証をやまいこが癒すのを。

 やまいこならばそうするだろうと、アインズはかつてナザリックに幾度となく招待した彼女の妹あけみを思い出し納得していた。そしてアインズは、エルフ達をナザリックに連れ帰れないかとも思案していた。仲間達に相談も必要だろうが、反対はされないだろう。

 ワーカーの件で保護したエルフ達と別に、さらにエルフを受け入れる理由はやまいこの為だ。正確にはエルフをやまいこの妹あけみの代わりとし、彼女の寂しさを紛らわせようと思ったからだ。

 やまいこは、ぶくぶく茶釜と共に現実世界に帰還する方法を探すだろう。彼女がどれだけ教師という仕事とその生徒たちを、そして妹のあけみを大事にしていたかは、アインズはよく理解していた。非常に悲しい事だが、やまいこを止める事は出来ない。

 それでも、それでも少しでも長くこの世界に留まってもらいたい。そんな思いからアインズは、ナザリックでのエルフの受け入れを決めていた。

 

「ジルク―」

 

 エルフ達をナザリックに受け入れられないかと、ジルクニフに交渉をするべく口を開いたアインズに、衝撃的な光景が映り込む。精神抑制が働くほどでは無いが、それでもかなりの衝撃をアインズは覚えた。理由はやまいこがナザリック以外の者の手を取り、ダンスを踊り始めていたからだ。いや、それ自体は舞踏会ならば可笑しな事では無い。何も問題ないはずだ。アインズが衝撃を受けた理由は、やまいこと共に踊る相手にあった。

 

(あれは、蒼の薔薇のラキュース?なぜ王国の冒険者がこんな所に。……不味い……)

 

 アインズは慌てて視線を会場中に彷徨わせる。程なくして探し求めていた人影を見つけた。ドレスを身に纏い仮面も外しているが、間違いなくイビルアイだ。そしてイビルアイはまっすぐに、ユリの元に向かっていた。

 

(ユリは王国でイビルアイと交戦している。ユリも仮面を着けていたはずだが、奴め、何か勘付いたか?やはり早々に始末しておくべきだったのだろうか?)

 

 アインズの記憶が確かならば、ユリはイビルアイに向けアルファと名乗っていたはずだ。そしてアインズの隣にいるジルクニフはユリが、ユリ・アルファであると知っている。それだけではない。この会場には、ナーベとして参加しているナーベラルも居るのだ。ナーベラルが迂闊なことを言ってしまう可能性は非常に高い。

 対応を間違えれば、魔導国とデミウルゴス、いや、ヤルダバオトとの関係が明るみに出てしまう。今までのデミウルゴスの努力を水泡に帰するかもしれないのだ。それは何としても避けたい。

 

「―魔導王陛下」

 

 どうにか仲間に連絡を取ろうとするアインズの思考を遮る様に、ジルクニフが口を開く。

 思わずそれどころでは無いと口を開き掛けるが、いつもと呼び方が違う事に気付き、アインズに嫌な予感が過る。恐る恐る表情を窺うと、なんだかアインズには、ジルクニフが死んだ魚の様な目をしている気がした。そして次の句が告げられる。無気力な表情のまま。

 

「バハルス帝国はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となることを願いたい」

 

「……はぁ!?」

 

 イビルアイに対する対応をしなければならない状況で、さらに難題が増え、アインズはひどく混乱した。

 

 

 

 

 

 

「……久しぶり、と言う程には時間は経っていないか?」

 

 イビルアイはラキュースが至高の四十一人を連れ出したのを確認してから、そう言ってそのパートナーに接触する。イビルアイから声を掛けられた女からは反応は無い。ただイビルアイの姿を確認すると、一歩前に出た。まるでイビルアイからエルフを遮る様に。そう、守る様にだ。

 

「王国であれだけの事をしたお前たちが、どうしてエルフを、人を庇う?そうだろう、アルファ?」

 

 イビルアイは女を紅い瞳で見上げながら、覗き込む。しかしアルファと呼ばれた女の瞳に、僅かな波紋すら起こっていなかった。反応を窺っていたイビルアイは、小さく舌打ちする。

 

(糞。感情の揺らめきが無い。もしやそういう耐性を持っているのか?……仕掛けることさえ出来れば、戦い方から確証を得られるが……)

 

 この場においてはそれは自殺行為でしかない。イビルアイだけでなく仲間達、いや王国と帝国すら巻き込んでしまうだろう。

 しばらくの間イビルアイは、女に向けて様々な揺さぶりを仕掛けるが、どれも効果が無い。そして効果が無いまま、会場内の音楽が一度途切れる。

 時間切れを悟ったイビルアイは、大人しくアルファらしき女から離れる。このまま仲間の元に戻るつもりは無い。ナーベと接触するつもりだった。ナーベならば、今の自分よりは様々な情報を持ち得ているだろう。何より、モモンの事を聞きたかった。

 

(ああ、モモン様がこの場に居てくれたら……)

 

 あの赤のマントが流れるたくましい後姿がこの場に無い事に、思わず心細くなる。しかしイビルアイは頭を振って弱い心を叱咤した。

 今は自分で何とかするしかないのだと、イビルアイはナーベの元にまっすぐ向かって行った。

 

 

 

 

 

 

(……大丈夫かしら、あの子)

 

 イビルアイがまっすぐにナーベラルの元に向かって行くのを微かに視線で追いながら、ユリは妹の事を思う。出来た妹だが、あまり腹芸の得意な子でもない。至高の御方の供をするこの状況において、しっかりとナーベとして対応できるのだろうかと少しだけ心配になった。

 

 

 

 

 

 

「下がりなさい、下等生物(ナメクジ)。この御方をどなたと心得ているのですか?身のほどをわきまえてから声をかけなさい」

 

 弐式炎雷の供をするナーベラルはそう言って、纏わりつく女達を威嚇する。恐らく帝国の女なのだろうがこの者達は、有ろう事か至高の御方を、それもナーベラルの創造主である弐式炎雷をダンスに誘おうとしているのだ。

 人間ごときが、この御方の手に触れる事など許される訳がない。その思いからナーベラルは周囲を警戒し、近づく者すべてを排除していた。

 

「耳が無いのかしら、下等生物(ウジムシ)。まだあの御方を誘いたいと言うのならば、煮え滾った油を飲ませて、その口が下らないことを言えないようにしよ―」

 

「てい」

 

 背後からの声と共に、ナーベラルの頭頂部に衝撃が走る。思わずナーベラルは驚きと困惑の感情に支配されながら、涙目で背後を窺う。

 

「言い過ぎ、ナーベ。今夜の俺達はゲスト。せっかくの誘いをそんな風に断ってたら、ホストの皆さんに失礼だろう?」

 

 振り返れば、至高の主人がナーベラルの頭頂部に落とした手刀を構えたまま立たれていた。慌てて片膝を突き失敗を詫びようとするが、それよりも早くナーベラルは肩を弐式炎雷に押さえられ動きを封じられた。戦闘メイド、プレアデスの一員であるナーベラルの感知を超えた動き、改めて自らの至高の主人の偉大さを知る。

 

「いやいやいや、もう完全ナーベラルになってるし。今はナーベ。ナーベが俺に片膝突くとか良くないから。……ああ、女の人が蜘蛛の子散らしたように居なくなっていく。俺の初めてのモテ期が……。まあ、いいや」

 

 そう言ってから自らの主人は先ほどと違い、今度は優しくナーベラルの頭を労わる様に撫でてくれた。

 

「俺の意識が分身にいってたから、守ってくれてたんだよな。ありがとう、ナーベラル」

 

「れ、礼など。弐式炎雷様の―」

 

「はい、ストップ。そこは弐式さ―――んが正解です。後必要以上に敬服しないように。いいな、ナーベ?」

 

「……畏まりました、弐式さん」

 

「畏まりましたはセーフか?いや、アウト?まあ、いいや、ギリセーフで。ってなんだ?ペロロンさんがいきなりシャルティアを抱えて飛び始めたぞ?」

 

 その声にナーベラルも弐式炎雷の視線を追えば、確かにペロロンチーノがシャルティアを抱き抱え羽ばたかれていた。

 

「あー、あの人は、もう。どうして自分から茶釜さんに怒られるネタ作るかな。まっ、らしいか。ちょっと止めてくるから、ナーベラルはここで待っててな?」

 

 ナーベラルは一礼して、ペロロンチーノの元に向かう自らの主人を見送る。

 

「誰かに話しかけられたら、無理する必要は無いけどあんま邪険にも扱うなよー」

 

 手をヒラヒラとさせながら離れていく主人に頷き、ナーベラルは背筋を伸ばす。弐式炎雷に後を任せられたのだ。無様な真似は見せられない。元よりナザリックの一員として見せるつもりも無いが。

 

「おい」

 

 暫くしてナーベラルに向けられた声に、背筋を伸ばした姿勢はそのままに視線だけを向けた。

 ドレスに身を包んだ小柄な女。かつて見た仮面は無いが、声とその姿から正体は知れる。無視をしてもよかったのだが、主人から邪険に扱うなと命じられていたことを思い出してナーベラルは詰まらなそうに呟く。

 

「……居たのですか、大蚊(ガガンボ)

 

 そのナーベラルの呟きに、イビルアイは自分が何と呼ばれたのか理解できないといったような顔をする。

 

「ガガ?……フン、相変わらずだな、お前は。まあいい、時間も無い。単刀直入に聞く。至高の四十一人とはなんだ?なぜお前がそいつらのパートナーとして参加している?あの女はメイド悪魔のアルファでは無いのか?モモン様は?モモン様は今何をされているんだ?」

 

 質問で巻くし立てるイビルアイに、その質問の一つに答えようと離れた所に居られるアインズにナーベラルは向き直った。

 

「モモンさんはあちら―」

 

 そして失言に悟る。同時に忌々し気に顔を歪めた。モモンの正体を悟られる恐れがある。この場で始末してしまおうかという考えがナーベラルに過った。

 

「あちら?ああ、エ・ランテルにという意味か?……そうか、やはりモモン様はこの場に居られないのだな」

 

 奇しくもエ・ランテルの方向だったようだ。ナーベラルは心中で安堵の息を吐く。この場でイビルアイを始末し、エントマに恨まれる結果にならなかったことにだ。

 

「……お前も大変だったという訳か。モモン様の元を離され、至高の四十一人のパートナーにされてしまうとはな。お前の美貌を目に付けられたか。……不運としか言いようが無い」

 

 やはり始末しよう。

 この大蚊は至高の御方のパートナーというナザリックの者全てが羨む誉を戴いたナーベラルに、よりにもよって不運と言ったのだ。弐式炎雷に選ばれたナーベラルに向けてだ。

 

『ナーベラル、駄目よ』

 

 ナーベラルを制したのは、姉の声。ユリからの<伝言(メッセージ)>にナーベラルは殺害を含む手を打つべく動き出した体を止めた。

 

『この場での争いを御方々は望んではいないわ。何を言われても堪えなさい』

 

 ナーベラルは憎々し気にイビルアイを睨みつける。大蚊はそのナーベラルに僅かに疑問の表情を向けていた。

 

『大丈夫。この程度、すべては御方々の考えの内よ。私たちは与えられた使命を粛々と果たせばいいの。王国での事を訪ねられたら、知らないで通しなさい』

 

 そこで<伝言(メッセージ)>が途切れた。姉の言葉に一度舌打ちをしてから、ナーベラルは再び背筋を伸ばしイビルアイから視線を外す。姉の言は正しい。そして今ナーベラルに与えられた役目とは、ナーベを演じる事。そして話しかけられたその者を邪険に扱わぬ事だ。

 

「……それで、どうしました?」

 

「あ、ああ。アイツはメイド悪魔と関係が―」

 

「知りません」

 

「……あの女の正体がアルファならば、モモン様がそのままにはしておく筈も無いか。最後に一つ尋ねたい。至高の四十一人は、お前のパートナーはヤルダバオトに勝てるのか?」

 

 イビルアイからの質問にナーベラルは胸を張る。

 

「勝てます」

 

 自分達よりも遥かに強い階層守護者であるデミウルゴスが相手でも、至高の御方が後れを取る筈も無い。だからナーベラルは断言するのだ。

 

「弐式さ―――んの方が上です」

 

 

 

 

 

(弐式さんか……)

 

 ナーベから離れたイビルアイは、彼女がそう至高の四十一人を呼んでいた事を思い出す。取り込まれたのとは違うだろうが、あのナーベがモモン以外の人物をああ評するとは驚きだった。

 先程のやり取りを思い出しながら仲間の元に戻ろうとするイビルアイから少し離れた所で、喧騒が起きていた。そこに視線を向ければ至高の四十一人が四人集まって何か話し合っているようだった。

 牙の生えた亜人、忍者、バードマン、そしてピンク色をした謎の粘体。

 ナーベがヤルダバオトよりも上だと断言する異形の集団。

 至高の四十一人とは、やはりぷれいやーなのだろうかとイビルアイは視線を移す。

 

(リグリットと連絡を取れればいいが。私たちだけでは―――ん?)

 

 不思議と視線が至高の四十一人から少し離れた所にいる銀髪の女に吸い寄せられた。女と呼ぶにはまだ早い少女だが、胸の膨らみはイビルアイが羨むほどだ。あれならば男の欲望に火をつけるのも容易いだろう。

 だが銀髪の少女がこちらの視線に気付き、イビルアイと真紅の瞳同士が交わった瞬間、初めて至高の四十一人を見た時と同じ震えが沸き起こる。

 銀髪の少女は強い。国堕としとまで呼ばれた自分を凌駕する存在。しかし今日一日だけでそんな存在は数えるのも馬鹿らしい程に見てしまった。ならばこの震えはどこから来るのだろうか。

 銀髪の少女が淫靡な笑みをこちらに向けている。唇から真っ赤な舌が覗いていた。その舌はまるでイビルアイを味見するかのよう、そう、捕食者のそれだった。

 吸血姫(ヴァンパイア・プリンセス)、そう呼ばれた事も有る自分の上を行く何か。それと目が合ったイビルアイは、ただ体を震わせて居た。




イビルアイさん、至高の方の誰とも絡んでない。


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 至高の方々、オナーダンス!

 踊り終えた武人建御雷達は舞踏会会場にそれぞれのパートナーと共に散り、帝国の貴族たちの相手をしていた。

 相手をするとは言っても、帝国の貴族たちは軽く挨拶はしてくるもののそれほど長い時間話しかけてくるわけではない。着飾った女性たちも建御雷に恐る恐る話しかけてくるのだが、軽く顔を覗き込むだけで、怖がって逃げていく。

 無理もねえかと、煩わしそうに建御雷はネクタイを緩める。そしてやや離れた所で貴族たちに囲まれている、自ら相棒と称したはずの弐式炎雷を睨みつけた。視線に気付いた弐式炎雷が、楽しそうに手を挙げた。普通の人間ならばそれだけで卒倒するような建御雷の眼光を浴びても、まるで気にしてなさそうだ。

 

「……あの野郎……」

 

 何がドッカンドッカンだと呻く。笑われるのならばまだ良かった。だがそうではない。帝国の人間は皆チラチラと建御雷を見るのである。異形の姿をした者の中で、何故か一人だけタキシードに身を包む建御雷を、何とも言えぬ複雑な眼差しで。

 間違いなく浮いている。抱っこされているために物理的に浮いているヘロヘロとは違う意味で浮いていた。

 

「これを狙ってやがったのか、あいつめ。くそ、戻ったらPvPだからな。覚悟しやがれ」

 

 剣呑な雰囲気を漂わせる建御雷からますます人が離れていく。が、それは何も建御雷だけではない。ペロロンチーノとシャルティアは何故かホールの中心で一組だけ踊り続けているし、弐式炎雷に話しかけようとする者は全て彼の前に立ったナーベラルによって遮られていた。

 ヘロヘロの周りは人が集まっているが、それは全てナザリックから連れてきたメイド達だ。護衛用に召喚した傭兵NPCも、邪魔にならないようにしているが、集まっている。そんな集団に割って入る人間は居ないだろう。

 自然この中ではまだマシなのか、ぶくぶく茶釜とアウラのカップルに人は流れていた。

 

「……まあ、いいか」

 

 そう言って腕を組み、先ほどのやり取りを思い出す。

 この舞踏会、建御雷は十分な手ごたえを感じていた。その理由はあの筋肉が薄布を纏った男女の存在だ。

 建御雷は男女に、フロントダブルバイセップス、アブドミナルアンドサイ、そしてサイドチェスト、三つのポージングを披露した。この世界のボディビルの歴史は、今日この場から大きな変革を遂げるだろう。戦いをイメージしたポージングから、より魅せるポージングへと進化していくはずだ。

 言うなれば建御雷は今日この場でこの世界のボディビルの苗に、現代知識に基づいた魅せるポージングという光と水の養分を与え、成長を促したのだ。 

 

(……歴史を見守るか。それも悪くねえな)

 

 建御雷が知識を与え、先導するのも悪くは無いだろう。だがその行きつく先は現代、建御雷の知識と変わらないものだ。敢えて必要以上に手を加えず、あの男女がこれからこの世界のボディビルをどう牽引していくのか、それを見守るのも悪くないと思う。一体この世界はどんなボディビルの歴史を紡ぎ、建御雷に魅せてくれるのか。今から楽しみだった。

 

「―武人建御雷様。お飲み物をお持ちしました」

 

 思い耽る建御雷は声に振り返る。そして自身のパートナーを務めてくれたルプスレギナから差し出されたそれを受け取る。そういえばと、喉の渇きを覚えたので貰って来るように頼んでいた事を思い出した。

 

「悪いな、ルプスレギナ」

 

「いえ、ナザリックで造られたものではないため、お口に合うとは思いませんが。毒物などは問題ありません。微量のアルコールの―」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 続くルプスレギナの言葉を手を振って遮る。そして一息に飲み干した。確かにナザリックで飲んだものと比べれば格段に味は落ちるが、それでも建御雷からすればこれは上等の類だ。現実世界の自分ではまずあり付けない。

 そして気づく。一歩下がり控えるルプスレギナが自身の分は用意していないことに。

 

「お前は飲まないのか?まあ、ナザリックのものとは比べられないが、お前だって喉が渇いただろう?」

 

「お気遣いありがとうございます。ですが問題ありません」

 

 そう言って頭を下げるルプスレギナに建御雷は、弐式炎雷から聞かされた話を思い出していた。弐式炎雷がナーベラルを驚かす為に彼女らの自室に侵入した際、この非常に出来たメイドは姉妹達には砕けた口調で話しかけていたという。

 

「そういやルプスレギナ。お前、普段はもっと砕けた話し方をするらしいな?俺たちの前だからって気にすることはないぞ?いつも通り話してみろよ」

 

「し、至高の御方に、そのような無礼は!」

 

 慌てて頭を下げるルプスレギナに、建御雷は続ける。

 

「そうか?だがお前の口調だって、俺たちの仲間がそうあれと望んだからじゃないのか?いや、間違いなくそうだろうな。どうだ?それでも普段の口調で話せないか?」

 

 ゆっくりと顔を上げるルプスレギナの顔には、ダンス中に見せた笑みとは違う類の笑みが浮かんでいた。非常に人懐っこい感じだなと建御雷は思う。

 

「……本当に、いいんすか?」

 

「おう、他の皆もそう言うだろうな。断言するぜ」

 

「それじゃあこれからは、いつも通りいかせてもらうっすよ」

 

「ハハハ!堅苦しい口調より、お前はそっちの方が断然いいぜ、ルプスレギナ。ほら、俺が飲み物を貰ってきてやる。お前も飲めよ」

 

 そう言って建御雷は少し離れた場所に居た帝国の給仕係からドリンクを受け取り、ルプスレギナに差し出す。

 

「いやー、流石にそれは後でユリ姉に怒られるような……」

 

「気にするなって。ほら今はユリもこっち向いてないぞ。チャンスだチャンス」

 

「お、マジっすか。じゃあ、ありがたく頂くっす」

 

 恐らくルプスレギナは、建御雷の悪ふざけに付き合っているだけなのだろう。コキュートスもそうだが、本当に可愛い奴らだと建御雷は思う。生み出された、ただそれだけの為にこれ程に献身的に仕え、尽くしてくれる。

 

「……くく。おい、ルプスレギナ。あれを見てみろよ」

 

 そう言って建御雷は親指で自分が見たものを指さす。その先には、一般メイド達がまるでリレーするように順番にヘロヘロを抱き回している姿があった。

 

「本当に。何やってるんだ、あの人は」 

 

 笑う建御雷にルプスレギナが答える。

 

「……本当にあの子たち嬉しそうっすね。今までずっとヘロヘロ様をソーちゃんが独り占めしてたっすから」

 

 予想外の答えに、建御雷は思わずルプスレギナを振り返る。建御雷からすれば「え、そうなのか?」といった感じだ。どうやらNPC達の献身というのは、建御雷が想像していた以上らしい。次に出掛ける機会にはあいつも連れて行ってやるかと、建御雷は自身が創造したコキュートスを想う。

 そして帝国の給仕から受け取ったドリンクに口を付けたルプスレギナが、少しだけ眉を潜めたのが見えた。口に合わないらしい。建御雷はそんなルプスレギナを軽く笑う。口直しになるだろうかと一つの提案をすることにする。

 

「よし。戻ったらナザリックで打ち上げをやろうぜ」

 

「畏まりました。戻り次第すぐに準備を始めます」

 

 急に出来るメイドに戻ったルプスレギナに手を振る。

 

「お前たちも一緒に参加するんだよ。今回舞踏会に参加した全員でな。やっぱ飯は大勢で食った方が旨いだろう」

 

 少し呆気にとられたような顔をルプスレギナはするが、これは建御雷の中では決定事項だった。NPCを宝だというアインズの気持ちがわかった。きっとかつて行ったアインズ・ウール・ゴウンのオフ会の様に楽しいものとなるだろう。こうやって少しずつ、NPCと自分たちの間にある主従の壁を取り払っていくのも自分の仕事だろうと思う。

 後で弐式炎雷にそう提案しようと思う建御雷の視界に、妙なものが映った。

 

「おいおい、なんだあれ。ペロロンさん舞い上がってるじゃねえか」

 

 それも物理的に。まあどうせなにか悪ノリしたんだろうと、先ほどまでシャルティアと共にダンスを続けていたペロロンチーノの元に向かう。彼の姉が怒り出す前に止めたほうがいいだろうと。

 同じことを思っていたのか、弐式炎雷もペロロンチーノのもとにと歩き出していた。自然と合流し、建御雷は弐式炎雷に拳を突き出す。

 拳を突き出す建御雷に、弐式炎雷は笑ったようだ。答える様に拳を合わせる。

 

「よっしゃ。始めるか、建やん」

 

「おう」

 

 こうして男たちは自分たちの仕事をするべく、動き出すのである。

 

 

 

 

 

 

 

 ペロロンチーノの瞳には、もはやパートナーであるシャルティアしか映ってはいない。帝国の舞踏会会場などはすでに消え失せ、帝国貴族たちは案山子のようなものだ。唯一ナザリックの者達、そして友人達の姿だけはあるが、皆ペロロンチーノとシャルティアの二人を祝福している。

 

「……シャルティア」

 

「ああ、ペロロンチーノ様ぁ」

 

 体を合わせ共に踊るシャルティアが、うっとりとペロロンチーノを見上げる。ペロロンチーノはそのシャルティアに微笑む事で答える。

 金色の残光が、円舞曲に合わせ尾を引く。まるで金色に輝く光の尾が、二人を彩り祝福しているかのようだ。

 

「やっぱりシャルティアにはペロロンさんですね。負けました」

 

「ええ。私のソリュシャンも完敗ですよ」

 

「まったくだ。今日の主役は俺とナーベラルじゃない。ペロロンさんとシャルティアだよ」

 

「ペロロンさん、あんた達がナンバーワンだ」

 

(ありがとう。ありがとうみんな。みんなは最強のライバルで、最高の友達だよ!)

 

 ペロロンチーノの妄想の中のアインズ達が、拍手をしながら二人を褒め称えていた。ペロロンチーノはその妄想の友人たちに、円舞曲の回転を速めていくことで答えた。

 そしてシャルティアがそんなペロロンチーノに身体を預け、呟く。

 

「ああ。シャルティアにはもう、ペロロンチーノ様のお姿しか映りません……」

 

 このシャルティアの呟きが現実なのか、それとも妄想なのか、ペロロンチーノには判別出来ない。自分の理想を詰め込んだパートナのおかげで、ペロロンチーノの脳内はトリップし、既に妄想と現実の境目は非常に曖昧だからだ。

 

「しゃ、シャルティアーーーー!」

 

「ぺ、ペロロンチーノ様!?」

 

 故に羽ばたく。天井が高いとはいえ、舞踏会会場でシャルティアを抱きかかえたまま。感激のあまり。

 

「このまま旅に出ようか、シャルティア!二人っきりで、沢山の人に俺達のダンスを見てもらう旅を!」

 

「ペロロンチーノ様!?お申し出は大変嬉しいのですが、一度降りられた方が!……ああ、でも。これ程に至高の御方に求められて、シャルティアは、シャルティアは一体どうしたらいいのでありんすかぁ……」

 

 シャルティアもペロロンチーノの提案に抗えぬように、体を預けてきている。

 もはや遠慮することはない。このまま夜空の星になろうとペロロンチーノが全力で飛び立とうとする。自分とシャルティアは夜空の星となり、星座となるのだ。

 

「さあ!二人で俺とシャルティア座になろう!」

 

「おーい。ペロロンさーん」

 

 会場の窓をぶち破り、夜空に羽ばたこうとするペロロンチーノの元に弐式炎雷からの声が聞こえた気がするが、そんなものは何の縛めにならない。

 

「めっちゃ茶釜さんが見てるぞー。いいのかー?」

 

 だが続く武人建御雷の言葉には羽ばたきが止まる。いや、落ちないようになんとかゆっくりと羽ばたきながら、ペロロンチーノがぶくぶく茶釜の居るであろう方向に恐る恐る視線を向ける。

 そこには困ったように苦笑いするアウラと、表情は無いのに明らかな怒気を放つ姉が居た。

 冷たい汗が、仮面の下を流れる。

 そしてペロロンチーノは、飛び立った時の勢いとは比べ物にならない程ゆっくりとした羽ばたきで降り立った。

 姉の居る方向からペロロンチーノの居る場所まで道が出来ている。昔何かの授業で見た古典映像のモーセの十戒の様に、人波が分かれているのだ。

 

「ぺ、ペロロンチーノ様?」

 

 あからさまに怯えるペロロンチーノを、シャルティアが心配そうに見上げる。ペロロンチーノはそのシャルティアに最後の勇気を振り絞り、微笑む。

 

「シャルティア、ごめん。少しだけ離れてて」

 

 悲壮な表情を浮かべ躊躇いながらも、シャルティアはペロロンチーノの言葉に従い、一歩離れた。そのシャルティアの肩を困ったような顔でアウラが軽く叩いていた。少し離れていようと促すように。

 アウラの主はまだ来ない。だがズルズルと長いスカートを引きずったような足音はゆっくりと、だが確実に近寄ってくる。

 

「……お願いがあります、弐式さんに建御雷さん。どうか、どうか助けて下さいぃ!」

 

 割れた人波の終着点で、まるでぶくぶく茶釜を迎える従者の様に左右に分かれた友人にペロロンチーノは頼み込む。

 

「ごめん、無理」

 

「あの状態の茶釜さんに逆らえるか」

 

 だが返ってきた二人の言葉は無情だった。

 最後の望みとヘロヘロとアインズの居る方向を振り返るが、ヘロヘロは何かメイド達に抱っこをされて遊んでいるし、アインズはジルクニフに対して何かオタオタしているだけだった。

 なんて薄情な友人達なのだろうかと悲観していると、冷気対策を万全に施しているはずのペロロンチーノの心胆を寒からしめる声が届く。

 

「……おい」

 

 ギロチンの刃とてここまで鋭く冷たくは無いだろうとペロロンチーノは思いながら、声にゆっくりと振り返る。ピンクの肉棒が、目の前でこちらを見上げていた。見上げられているというのに、表情すら今は無いのに、ペロロンチーノは気圧され、思わず後ずさる。

 

「弁明は?」

 

「も、申し訳ありません」

 

 反射的に謝罪を口にするペロロンチーノに、ぶくぶく茶釜は笑うように続けた。

 

「聞こえなかったか?私は弁明を聞いているんだ。何かあるんだろう?やむを得ず、招かれた場所で急に飛び立つなんてマナー知らずな真似を、お前がしなくちゃならなかった理由が。なあ、言えよ?」

 

「ほ、本当に申し訳ありませんでした」

 

「じゃあ、何か?私の弟は何の理由もなく飛び立って、私だけじゃなく、アインズ・ウール・ゴウンの皆にも恥をかかせたのか?はは、そんな訳ないよな?私の弟は、そこまで馬鹿じゃないよなぁ?」

 

「か、返す言葉もありません……」

 

 ペロロンチーノはゆっくりと床に正座をし、震えながら答える。だがぶくぶく茶釜は正座をし俯く弟を、目も無いのに目を合わせるためか、わざわざ前屈みになって覗き込みながら続けた。

 

「いくらお前の鳥頭でも、この舞踏会は私達が帝国に侮られないために参加してる事くらい覚えてるよなぁ?勿論そのために私達だけじゃなくて、ナザリック全体がバックアップしてくれた事も当然覚えてるよなぁ?なあ、答えろよ?覚えてるんだよなぁ?」

 

「ごめんなさい、姉ちゃん!許してください!」

 

「謝る相手が―」

 

「はーい、かぜっち。そこでストップ!ほら弟君も立って、立って」

 

 いつの間にかやまいこが二人の間に入り、正座するペロロンチーノの手を取って立たせた。

 

「ほらほら、帝国の人達もこっち見てるから。このままじゃ余計に悪目立ちしちゃうよ。それに弟君も反省してるし、かぜっちも許してあげて?ボク達なら大丈夫だから、ね?」

 

「そ、そうそう。大丈夫だって!これからオナーダンスだろう?ほら俺達が締めに踊るって奴。そこで挽回しようぜ!」

 

「お、おう!アインズ・ウール・ゴウン本日のラストダンス、帝国の奴らに見せつけてやろうぜ!」

 

 やまいこだけで無く、弐式炎雷に建御雷も必死にぶくぶく茶釜の怒りを鎮めようとことさら明るく振る舞う。

 そんなやまいこ達にぶくぶく茶釜はふぅとワザとらしいため息を吐き出す。

 

「ごめんね、みんな。うちの弟が迷惑掛けた。私も怒る場所弁えてなかったし。やまちゃん、止めてくれてありがとうね。みんな、ほんとごめん」

 

「お、俺も!みんな、ごめんなさい!」

 

 ぺこりと頭らしい部分を下げるぶくぶく茶釜に、ペロロンチーノが追随する。それと同時に舞踏会で演奏する楽団の奏でる音楽が変わる。

 

「お?丁度音楽が切り替わった。オナーダンスが始まるみたいよ」

 

「おお、切り替えて行こうぜ」

 

 弐式炎雷と建御雷が励ますようにペロロンチーノの背中を叩き、促す。やまいこもまたぶくぶく茶釜と共に、それぞれのパートナーを伴って得意とするダンスのスタート地点にと歩き出していた。

 

「久々茶釜さんのマジ怒りモード見たけど、相変わらずスッゲーおっかないな」

 

「ああ、この身体になってもまだ怖いってどれだけだよ……。大丈夫か、ペロロンさん?千鳥足になってるぞ」

 

「ぶ、建やん。それギャグか?バードマンだけに」

 

「ちげえよ。……本気で大丈夫かペロロンさん?」

 

「ふ、ふふ。だ、大丈夫ですよ。慣れてますから」

 

「いや、慣れるなよ。って、なんかモモンガさんもぐったりしてるぞ?何かあったか?」

 

 ジルクニフから離れるモモンガもまた心なしか、疲れたように僅かに項垂れていた。

 

「偉い人の相手に疲れちゃったのかな?そういう部分モモンガさんに任せきりだからなー、俺ら」

 

「だな。お、きたきた」

 

 楽団が奏でる演奏のリズムが徐々に、ゆっくりとだが激しさを増していく。その演奏に自然とアインズ・ウール・ゴウンの面々は気持ちが引き締まっていった。

 

「ユグドラシルBGM『レイドボス』ですね。よし、俺もいい加減シャキっとしなきゃ!」

 

 そう言ってペロロンチーノは仮面の上から一度頬を叩き、シャルティアに駆け寄った。舞踏会最後のダンスにレイドボスのBGMを使おうというのは、アインズが提案し、全員が受け入れたアイディアだ。ユグドラシルを経験した者の殆んどが、この曲に興奮するだろう。それはペロロンチーノとて同じだ。

 ペロロンチーノはシャルティアに向け手を差し出す。この曲に負けない姿をシャルティアに魅せるために。

 

「ぺ、ペロロンチーノ様?大丈夫でありんすか?」

 

 先ほどのぶくぶく茶釜とのやり取りが不安だったのか、シャルティアが怯えたように手を取ることを躊躇っている。そんなシャルティアに、ペロロンチーノは未だ仮面の下は青褪めた顔だが、それでも不安を拭い去る様に笑う。

 

「大丈夫だよ、シャルティア。カッコ悪いところ見せちゃったね。さあ、踊ろうシャルティア。……Shall We Dance?」

 

 気取って言うペロロンチーノに、シャルティアはゆっくりと微笑んでからその手を取った。ホールドを組み体を密着させると、シャルティアがペロロンチーノに耳打ちする。

 

「ペロロンチーノ様。ご報告したいことがありんす。……美味しそうな子を見つけました」

 

「美味しそうな子?」

 

 シャルティアの真紅の瞳が流れる。ペロロンチーノはその流れた視線の先を見つめ、そして見つけた。ドレスに身を包んだ、金髪でシャルティアに似た赤い瞳をした少女を。不覚にも、シャルティアに夢中で気づかなかったらしい。

 少女は何か怖い事でもあったのか、微かに震えながら自分を抱き締めている。そんな幼気な姿を見せられては、保護して上げなければというロリ紳士の使命感が燃え上がってしまう。イエスロリータであってもノータッチがお約束だが、これはあくまでも怯え震える少女を助ける為なのだ。許されるはずだ。そんな同人エロゲーをプレイしたことが有る。

 ペロロンチーノは自分が気付かなかった獲物、もとい保護するべく少女を見つけ出したシャルティアを褒めてあげる事にする。姉に怒られたばかりの弟は、すっかり元気になっていた。

 

「シャルティア、ナーイス。ナーイス、シャルティア」

 

「お褒めにあずかり、光栄でありんす。ペロロンチーノ様」

 

 とびきりの獲物を見つけた二人の主従は、そう言ってにんまりと笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

「……はあー、マジで茶釜さん怖かったわ。よし、これが今日最後の踊りだ。解かってるな、ナーベラ―いや、ナーベ?」

 

 戻ってきた弐式炎雷に一礼をし迎えたナーベラルは、その言葉に顔を上げると同時に、指先で口角を押し上げた。

 

「はっ!口角を押し上げる、ですね」

 

「いいぞ、ナーベ。でも本番中は指を使うわけじゃ無いから、自然にな。大丈夫、それさえ出来てれば俺達の勝利は揺るがないぞ」

 

「……この舞踏会で、至高の御方々は何か競っておられるのでしょうか?」

 

「うん、パートナーの可愛さで。もちろん俺はナーベが究極って押してある」

 

「か、可愛さですか?」

 

 狼狽えるナーベラルに弐式炎雷は笑う。笑いながら差し出された手をナーベラルは取る。頭巾に隠された顔からも弐式炎雷の言葉が伝わってくる。出来るな?と。

 姉妹達だけでなくアルベドを始めとした守護者を差し置いてという気持ちはあるが、それでもナーベラルは頷く。

 自らの創造主がそう望んでいる。それ以上の理由は必要なかった。

 

「畏まりました」

 

 そう言って、ナーベラルは微笑むのだった。

 

 

 

 

 

「……待たせたな、ルプスレギナ。さあ、始めるか」

 

 差し出された武人建御雷の手をルプスレギナは取る。

 

「順当にやれば俺達の勝ちは揺るがないんだが、まあ今回は他の奴らに華を持たせてやるか」

 

「了解っす、武人建御雷様。バレないように程々に手を抜くんすね?」

 

「察しが良いな、ルプスレギナ」

 

「ま、本気を出してユリ姉達に恨まれたくないっすから」

 

「悪いな。お前の本気は、お前の本当のリーダー(創造主)が戻った時に見せてやれ」

 

 建御雷の言葉に、ルプスレギナが微笑んだ。何時の日か訪れるであろう創造主と共に踊ることを夢見て。

 

 

 

 

 

「ソリュシャン?何か怒ってます?」

 

「その様な事はありません」

 

 自分を抱えるソリュシャンをヘロヘロは見上げる。言葉では否定し、微笑んではいるが、何か怒っている気がする。具体的に何処がとはヘロヘロも答えられないが、何となくそんな気がするのだ。伊達にここ最近ずっと抱きかかえられっぱなしではない。恐らく、一般メイドの子達にも抱きかかえられてからだと思うが、それで何で怒るのかは解かるはずもない。

 

(気のせい?うーん、もしかして<伝言(メッセージ)>でやまいこさんに怒られた件かな?……私が完璧なメイドを求めるあまり表情から全然読み取れない。まあ、気のせいですよね)

 

「では本日のラストダンスです。あの子達にも良いところを見せたいので、よろしくお願いします、ソリュシャン」

 

「……畏まりました。ヘロヘロ様」

 

 心なしか普段よりソリュシャンのホールドの圧迫感が強い気がするが、ヘロヘロは何も言わない。何も言うはずがない。ヘロヘロは胸に抱きかかえられている力が強まることで多少苦しかろうが、それはご褒美でしかないのだから。

 

(ああ、私、今幸せです……)

 

 

 

 

 

 

「……ごめんね、ユリ。あの子たちは?」

 

 ユリの手を取りながら、やまいこが小声で確認にする。ユリはその言葉に頷き、ホールドを組み身体をやまいこに触れさせながら答えた。

 

「ご安心下さい、やまいこ様。今は護衛のシモベ達に守らせてあります」

 

「なら安心だね。……かぜ―茶釜さんには軽く話したけど、もしかしたら帝国から強引に連れ帰ることになるかもしれない」

 

 やまいこの言葉にユリは目を鋭くさせた。やまいこの言葉は、もしかすれば戦闘が有るかもしれないという事だ。勿論ユリに異存は無い。ナザリックの者ではないとはいえ、あの者たちはエルフ。この最も敬愛する創造主の妹君と同じ種族の者達だ。そしてエルフ達の境遇はユリもやまいこと共に聞いていた。だから迷いなく答える。

 

「お任せ下さい、やまいこ様」

 

「茶釜さんは連れて帰ることに揉め事は無いだろうって言ってたけど、どうなるかわからないからね。……まあ最悪、後の事はあの子達を買った相手を殴ってから考えればいいよ」

 

 主人の言葉にユリは頷く。そして心のメモ帳に一言書き加えた。後の事は、殴ってから考えればいいと。

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさい!ぶくぶく茶釜様!」

 

 ペロロンチーノに対して説教を終えた、いや、終えてはいないから中断したぶくぶく茶釜をアウラが明るく迎える。

 

「ごめんねー、アウラ。あのバカの所為でほったらかしにしちゃって」

 

 軽く謝るぶくぶく茶釜に、アウラは激しく首を振って否定する。

 

「そんな事ありません!ぶくぶく茶釜様、すっごい格好良かったです!」

 

 興奮して言うアウラに、ぶくぶく茶釜は笑う。アウラは本気でそう思ってるようだ。そういえば今回の騒動では食事を除いてマーレにあまり構ってやれなかった。だから次にこういう機会があれば自分がリーダーに回る事をアウラに告げる。

 

「ええー、マーレで大丈夫ですか?次もわたしがぶくぶく茶釜様をリードしたほうが良いと思いますけど……」

 

 少しだけ心配そうに言うアウラに、自分が弟の事を他の人に尋ねる時はこんな感じなのかなと思って可笑しくなった。

 

「ダーメ。次はマーレの番。お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」

 

「うう、……はい。わかりました、ぶくぶく茶釜様」

 

「良く出来ました。でもアウラにもリードの仕方を教わらないとだから、その時は助けてね?」

 

 続く言葉に、アウラは目を輝かせる。

 

「はい!お任せ下さい、ぶくぶく茶釜様!」

 

 

 

 

 

 どうしてこうなったのだろうかと、アインズは思う。咄嗟にアルベドに丸投げしたが、なぜジルクニフが急に属国化を望んできたのか、さっぱりわからなかった。ただ自分は仲間の話をしていただけなのにと、軽く俯く。

 イビルアイの事も結局仲間達に相談出来ていない。自分達だけで相談するチャンスなど、この舞踏会会場には無いのだ。

 

「―アインズ様」

 

「ああ、すまないアルベドよ。どうだ、属国の話はまとまりそうか?」

 

 この短い時間で話を終えてきたのか、アルベドがアインズの前までやってくる。アインズはそろそろオナーダンスの時間だと、こそこそと先に抜けてきたのだった。

 

「はい、アインズ様。アインズ様の御蔭で非常にスムーズに話が進みました」

 

 頭を下げるアルベドに、何で自分の御蔭で話がスムーズに進むのだろうと思いながらもアインズは頷く。

 

「そうか、礼を言うぞ、アルベド」

 

「もったいないお言葉です。ですが、ご謙遜などされなくてもよろしいのでは?全てはアインズ様の深い策謀によるものなのですから」

 

「―うむ、やはりアルベドは気づいていたか」

 

 本当何の事を言ってるんだよとアインズは思う。どうにかアルベドが何を言っているのか探ろうと必死に言葉を探す。

 

「……ではアルベドよ。お前が気付いたことを挙げて言ってもらえるか?答え合わせをしようじゃないか」

 

「畏まりました、アインズ様」

 

 頭を下げるアルベドに向け、アインズは心の中でガッツポーズをする。悟られないように慎重に手を差し出し、アルベドを迎えた。

 

「まずはナザリックのシモベを使わずに、新たに召喚された者達を使い、皇帝の心を折られました」

 

 ユグドラシルBGM『レイドボス』に併せ、アインズはアルベドと共に一歩目のステップを踏む。いや、あれは一般メイドの護衛用に見栄え重視で呼び出しただけだよという言葉を、アインズは必死に呑み込む。

 

「高レベルのシモベを従え赴くことで、ナザリックはその真の戦力を晒すことなく帝国を威伏させることが出来ました。これは魔法などにより盗み見している相手に、こちらの手の内を勘違いさせる狙いがあったのですね?」

 

 あっ、とアインズは自らの失態に気付く。仲間たちとのギルドイベントに夢中で、しかも事前に弐式炎雷から物理的監視を強めてると言われていたことに安心し、会場自体には何も魔法的な対策を施していなかった。

 

(……しまった。踊ることばかりに夢中で、その辺りの対策を怠っていた。おまけに傭兵NPC達で威伏させたって。そんな事全然狙って無かったんだけど)

 

 先ほどからせっかくユグドラシルのBGMが演奏されているのに、まるで耳に入って来ない。元から耳は無いのだが。

 

「なぜ至高の御方々がわざわざ帝国に赴かれるのか疑問でしたが、それはこういう理由だったからなのですね。ナザリックでは常に世界級アイテムによる防壁を張り巡らせていますから」

 

「そ、その通りだ、アルベドよ。すっかり見抜かれてしまっていたな」

 

「まだいくつかアインズ様の策によるメリットを提示することが出来ますが、必要でしょうか?」

 

「い、いや。それには及ばない。流石は守護者統括のアルベドだな。今はそれよりも踊りに集中することにしよう。私も、仲間たちに負けるつもりはないのだからな」

 

「畏まりました、アインズ様」

 

 これ以上ボロが見つかれば冷静を装う自信がない。そのためアインズは慌てて話題を打ち切ることにする。だがこれだけは伝えておこうと口を開く。

 

「―だがアルベドよ。一つだけ勘違いしているな。これは私だけの策ではなく、ギルドの皆と話し合った結果だ。決して私ひとりの功績ではない。そのことだけは覚えておいてくれ」

 

 本音ではあるが、こうやって自分だけでなく、ギルドの仲間を巻き込む事は忘れない。責任を分担するためにだ。あとはボロを出さずに踊りきるだけだと、アインズは無理やりに自分を納得させた。

 

「……ええ、畏まりました。アインズ様」




オナーダンスは舞踏会で最後に踊るダンスとかそういう意味では無いのですが、至高の方々は間違えて使ってます。
舞踏会は次で終わります。
いい加減、pixivに追いつかねば。


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 至高の方々、舞踏会の最後に密会をする

 オナーダンスを踊り終えた至高の面々は万雷の拍手に胸を張り、両手を広げ応えていた。

 最初の披露したダンスの時と違い、一般メイドと傭兵NPCによる同調圧力によるものでは無い。

 微笑みを浮かべながら大きな拍手を送ってくれるラキュースに、やまいこは帽子を脱ぎ、それを胸に置いて彼女に応えた。

 男女から豪快な笑みと共に送られる盛大な拍手に、武人建御雷は文字通り胸を張り筋肉の怒張で応えた。

 物陰に隠れているために常人には聞き取れない小さな二つの拍手に、弐式炎雷はダンス中完璧な笑みを浮かべてくれていたパートナーを、忍者の姉妹に対し誇らしげに腕を広げ示し応えた。

 ギルドのメンバー全てが、この一週間に及ぶほぼ不眠で行われたダンス練習の集大成を、完璧な形で帝国に魅せる事が出来たことに満足げな笑みを浮かべていた。

 

 そして拍手が、舞踏会すべての音が、世界と共に止まった。

 

 

 

 

 

 

「<魔法持続時間延長化・時間停止(エクステンドマジック・タイム・ストップ)>」

 

 全てが静止した舞踏会会場で、アインズがゆっくりとパートナーのアルベドに振り返る。

 

「アルベドよ、私はこれからギルドの仲間と話をしてくる。お前はアウラ、シャルティアと共に、まあ居ないだろうが、私の魔法に抗う者が居ないか警戒するのだ」

 

 アインズの指示に、時間の止まった世界で自身と同じく自由に動けるアルベドに指示を出す。アルベドはアインズに一礼し、与えられた命令に従い下がっていく。

 アインズはそのアルベドを見送り、小さく息を吐くふりをする。

 

「……最初から、こうすれば良かったんだよ」

 

 <時間停止>の影響下でも動けるものは帝国には居ない。居ないだろう。フールーダも時間対策は施していなかった。警戒の必要は、恐らく無いだろう。それでもアルベドにそう命じたのは、ギルドのメンバーで内緒の相談をしたかったに過ぎない。

 

「いやー、凄いね、この光景。<時間停止>なんてユグドラシルじゃただのそれっぽい演出だったのに、こっちじゃ本当に時間が止まっている」

 

「動けるのは俺達に、アルベド、アウラ、シャルティアか?護衛の傭兵NPCも動けるのは半分くらいみたいだな」

 

「七十レベル以上は時間対策が必須って言っても、傭兵NPCはその辺が弱点としてあえて残されているのが多いからね。九十以上でも実は時間対策されてないってのは居たよ?逆に低レベルでも時間対策してて油断誘うっていうのも居たけど」

 

「流石盾役。かぜっち、よく覚えてるね」

 

 時間対策を当たり前に施している仲間達が、アインズの意図を察して集まって来てくれる。少し遅れて歩いてきたペロロンチーノが、非常に興奮した様子で口を開く。

 

「凄い!これを上手く使えば、完璧な時間停止モノの撮影ができますよ!」

 

 何を言っているのかアインズには理解できないが、きっとろくでもない事だ。

 

「いやー、撮影機材が動くのかってのもあるけど、これは完全に止まりすぎじゃない?弾力が無かったし」

 

 続く弐式炎雷が不穏な事を言う。

 

「え?誰の何処を触って弾力の確認をしたんですか、弐式さん」

 

「さ、触ってなんかねーし!」

 

「いい加減にしとけって、お前ら。茶釜さんとやまいこさんも居るんだぞ。この場で話す内容じゃないだろうが……」

 

 建御雷が呆れながら言うが、アインズ、ぶくぶく茶釜、やまいこの三名は一体何の話をしているのか解かってない。だが女性陣を気にする辺り、そういう話ではあるのだろうと推測をする。

 <時間停止>を唱えてまで仲間達と相談したかったのは、言うまでも無くイビルアイの処遇についてだ。帝国の属国化の話もしたかったのだが、それは向こうから望んできたことだし、時間延長を施しているとはいえ、それ程余裕があるわけではない。後回しでも良いだろう。

 早々に話し終えようと口を開こうとするアインズだが、その前にギルドメンバーが一人足りないことに気付く。

 

「―助けてくださーい……」

 

 ヘロヘロの、非常に情けない声が届く。声に振り返ればヘロヘロが、ソリュシャンの腕から抜け出そうともがいていた。

 

「ふぬー!くんぬーっ!ふがー!」

 

 アインズ達が声の方に歩いていけば、ソリュシャンから抱き締められたヘロヘロが必死に腕から抜け出そうとしている。

 

「ぬーーーーん!……だ、駄目です。抜けられません……」

 

「何やってるんだよ、ヘロヘロさん。あんた粘体なんだから抜けられ―――ねーか、そんだけ締め付けられてたら」

 

 呆れたような建御雷の言葉通りに、ヘロヘロはかなり強く抱きしめられているようだ。

 

「ソリュシャンも正体は粘体だっけ?これもうさ、取り込もうとしてるんじゃないかってレベルじゃない?」

 

「ええ、そうです。って、取り込まれはして無いですよ。でも全然抜け出せなくて……」

 

「ソリュシャンのおっぱい、ヘロヘロさんの形で凹んでるじゃないですか。そんな強く抱きしめる様に命令してたんですか?」

 

「……いやらしい」

 

「ちょ!待ってください!私が命じたわけでは無いですよ!?確かに私からも全力で抱きついてましたけど!」 

 

 ヘロヘロが慌てる様に、動かせる触手のような手をバタつかせる。そうは言ってもやはり女性陣の視線は冷たい。ヘロヘロの言葉の真偽はアインズにはわからないが、魔法の効果時間もあるので、このまま話し始める事にした。

 

「皆さんに、相談したいことが有ります」

 

 そう言ってアインズは、ソリュシャンに抱き締められたヘロヘロをギルドのメンバーで取り囲むという奇妙な光景の中語りだす。この舞踏会会場に蒼の薔薇のイビルアイが居り、場合によってはヤルダバオト、デミウルゴスとの関係が明らかになってしまう恐れがあることを。

 手短に説明したアインズに、ギルドのメンバーはやはり迷うように考え込む。だが、誰もがあまり時間が無い事を理解している。すぐに意見が上がり始めた。

 

「……実は俺さ、この会場内で蒼の薔薇の二人と少し仲良くなってさ。向こうはヤルダバオトがギルドのメンバーじゃないかって疑ってた。適当に誤魔化したし、もうこれで舞踏会もお終いだろう?平気じゃない?」

 

 弐式炎雷の意見にやまいこが頷く。

 

「ボクも、ラキュースさんとは友達になれた。ユリも上手く対応してくれたと思うし、このままで平気だと思う」

 

「そうそう、建やんだって蒼の薔薇のメンバーと仲良くなってただろう?なんかポージングの見せ合いしてたじゃん」

 

「……あの男女、冒険者だったのか……」

 

「なんだと思ってたんだよ、建やん。あの筋肉からして一般人じゃないだろう」

 

「いや、俺はてっきり現地のビルダーだと……」

 

 無視で良いとの意見にアインズは頷く。確かにここまで来たのだ。ユリが、ユリ・アルファと知るのもジルクニフ一人。要はあの二人が接触し、その事に触れなければ良いのだ。

 

「いえ、イビルアイちゃんはナザリックに連れ帰りましょう」

 

 だが否定意見も上がる、ペロロンチーノだ。

 

「……はぁ、ペロロンさん?それ、あの子がロリだからだろう?こんな所でヘロヘロ病を発病するなって」

 

「ちょっと弐式さん、ナザリックに連れ帰る事をヘロヘロ病とか言わないで下さいよ……」

 

 弐式炎雷とヘロヘロのやり取りにペロロンチーノが笑う。

 

「違いますよ、二人とも。最初は確かにシャルティアと一緒に連れ帰ろうって話してたんですけど、あの子がイビルアイちゃんなら話は別です」

 

「話が別?」

 

 やまいこの問いかけに、ペロロンチーノはやはり笑う。

 

「あの子をそのままにして置いたら、エントマが可哀想です。お仕置きして上げないと。じゃないと、源次郎さんに怒られちゃいます」

 

 ペロロンチーノの意見にアインズは確かにと頷く。チラリとぶくぶく茶釜の反応を窺えば彼女は何も意見を口を挟まない。その事に若干の違和感を感じるが、指摘はしなかった。

 

「いや、でもさ。エントマも無事だったわけだし、モモンガさんだって堪えたんだから、ここで連れ帰らなくても」

 

「ですが、連れ帰れば記憶操作が出来るのでは?ユリのアルファの部分だけモモンガさんに記憶を削って貰って、その後にお仕置きするなり、放り出すなりすればいいんですし」

 

「まてまて、アダマンタイト級ってのはこっちの最高位冒険者なんだろう?そんな奴が舞踏会で居なくなったら、真っ先に俺達が疑われるじゃねーか」

 

「それは知らぬ存ぜぬで」

 

「駄目だよ、そんな事したら。イビルアイって子はモモンと一緒に戦ったって事になってるんでしょう?そんな噂が立つだけでも、モモンに迷惑が掛かるよ」

 

「なんでモモンに?それにモモンはモモンガさんでしょう?」

 

「蒼の薔薇を私達が攫ったって噂が立てば、共に戦った同じアダマンタイト級冒険者のモモンは立場上魔導国に真偽を問い正さなければならない」

 

「問い正さなければいいじゃん」

 

「問い正さなければエ・ランテルの民からのモモンの信頼が損なわれる。問い正せばモモンと魔導国は、不和を起こしたと良からぬ連中に付け込まれるかもしれない。そういう事ですか?」

 

 ぶくぶく茶釜の意見を補足する様に発言したアインズに、ギルドのメンバーの何人かが頷く。これにはペロロンチーノも諦めたように肩を落とす。

 

「モモンガさん、<時間停止>はもう少し持ちますか?」

 

「ええ。後少しでしたら」

 

「……よし。シャルティアー!」

 

 ペロロンチーノがシャルティアを呼び、彼女がスカートを捲し上げ駆けてくる。何をするのかと全員で見守っていると、二人はイビルアイの前に立ち、ペロロンチーノがシャルティアに指示を出す。

 

「シャルティア、唾つけておこう。思いっきり、マーキングするんだ!」

 

「畏まりました、ペロロンチーノ様!」

 

 そして一瞬シャルティアの美貌が歪み、本性を晒す。そのままパクリと開かれた口から伸びた赤い舌が、停止したイビルアイの頬を執拗に嘗め回す。

 

「……ふふ」

 

 嘗め回した後、すぐさま元の美貌にと戻ったシャルティアが笑う。

 

「残念。楽しみは次に出会ったときに、……ね?」

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりですね、アルベド」

 

 第九階層に訪れたデミウルゴスは、与えられた部屋を使わずに、主人の仕事部屋で作業をするアルベドに挨拶をする。

 

「ええ、デミウルゴス。外でのお仕事ご苦労様。今日はどうしたの?」

 

「はい。至高の御方々が帝国から戻られたと聞きましたので、ご挨拶に伺いました。……それで、アルベド。どうしてあなたがここにいるのですか?今至高の御方々は舞踏会に参加した者達と共に、打ち上げに興じられていると聞きましたが」

 

 非常に羨ましい事だ。恐らく舞踏会に参加した者達は今頃、創造主より直接お褒めの言葉を戴いているだろう。ナザリックに存在する者として、これほど名誉な事は無い。

 現にこの主人の仕事部屋に訪れる前に、第九階層の食堂を通った際デミウルゴスは見ている。コキュートスが冷気のオーラを放ちながら、非常に羨ましそうに食堂の入り口で佇んでいた事を。

 そしてアルベドはその名誉ある場に同席する資格を有しながら、それを辞退した。そのことをコキュートスから聞き、疑問に思いアルベドを訪ねたのだ。

 

「早急に片付けなければならない重要な案件を抱えているのよ。そうね、デミウルゴスにも見てもらおうかしら」

 

 アルベドから差し出された羊皮紙の束を受け取る。手早く内容に目を通すと、内容は帝国の属国プラン、その草案だった。デミウルゴスは驚き、アルベドに問う。

 

「……これはいったい。なぜ今帝国の属国プランを?」

 

「これがアインズ様が帝国に赴かれた結果。……帝国は自ら従属することを望んだのよ」

 

「なんという……。流石は至高の御方々……」

 

 デミウルゴスは帝国が、いや、皇帝が他国と同盟を組もうとしていたことを把握している。主人達はどのような手段を用いて皇帝の心を砕いたのか。どうやって屈服させたのだろうか。

 

「一体、どのような手段を採られたのです?どうやって皇帝の心を砕いたのですか?」

 

 デミウルゴスの問に、アルベドはいじめっ子がするような笑みを浮かべ答えた。

 

「事前に多数のシモベを召喚されるなど準備はなされていたけど、実質アインズ様が皇帝の心を砕かれたのは、一曲踊り終えた後の僅かな歓談の時間。そうね、一時間にも満たなかったんじゃないかしら?お話しの内容までは、私は皇帝のパートナーの相手をしていたからわからないのだけれど。……言っておくけど、武力行使は一切行っていないわ」

 

「一時間……!」

 

 もはや開いた口が塞がらなかった。ただ、絶対の支配者達に対しての尊敬の念しかこみ上げてこない。

 

「流石は、流石はアインズ様。いえ、至高の御方々ですね」

 

 実際に皇帝の心を砕かれたのはアインズであったとしても、そこまでの準備が出来たのは至高の御方々の力があってこそだろう。御方々が集まることで、これほどの力と結果をお示しになられた。

 今思えば闘技場での事も、至高の御方々は全て計算済みだったのだろう。そのことに気付き、デミウルゴスはブルリと体を震わせる。狂喜、羨望、畏怖、敬意といった感情が混ざり合い、名状しがたい激情となってデミウルゴスの体を震わせたのだ。

 

「……やはり私などの及ぶところではありませんね。本当に素晴らしい御方々だ。いま自らの創造主が御帰還されている他の者達が羨ましい」

 

 アルベドが少しだけ表情を歪めた。デミウルゴスでなければ気付かなかったであろう僅かな間だ。創造主が戻られた他の者達に対する嫉妬だろうか?その気持ちはデミウルゴスにも理解できるので、あえて咎めたりはしない。

 

「……そうね、デミウルゴス。本当に、羨ましいわ。……それで私の帝国属国の草案はどうかしら?」

 

「ええ、そうですね。……この奴隷の解放、エルフはナザリックに引き渡すというのは?」

 

 帝国法の一部を改正し、至高の御方々とそれに創造された者に絶対性を示す前文を載せることなどは理解できる。だがこの奴隷の解放、特にエルフ対する条例だけは何のメリットもデミウルゴスには浮かばなかった。

 

「やまいこ様がそう望まれたのよ。妹君がエルフらしいわ」

 

「なんと、妹君がいらしたのですか!」

 

「ええ、私も直接聞いたわけではないのだけれど。それでもアインズ・ウール・ゴウンに名を連ねられていないという事は、そういう事でしょうね」

 

「……悲しい話ですね。姿が違っただけでナザリック―いやアインズ・ウール・ゴウンの方々の一員になれなかった。悲劇的な話だ」

 

「……ええ。それで納得は出来た?」

 

「勿論です、アルベド。至高の方の御一人がそう望まれた。それ以上の理由は必要無いでしょう」

 

「それじゃあデミウルゴス。よければ草案の手伝いをしてもらえるかしら?私一人では何か見落としがあるかもしれないし」

 

「あなたがそのような間違いをするとは思えませんが―ええ、是非手伝わせてもらえますか?私も少しでも至高の御方々の役に立たねば、ウルベルト・アレイン・オードル様がお帰りになられた際に、お叱りを受けてしまう」

 

 デミウルゴスは自らの創造主を想い、笑顔を浮かべた。至高の御方々は続々とナザリックにご帰還されている。きっとそれはそう遠くない未来のはずだ。

 その未来を想像し、デミウルゴスは機嫌よく笑う。ナザリックの者がそのことを想像し、笑顔にならない筈がない。

 

「―そうね、デミウルゴス。私も……タブラ・スマラグディナ様との再会が、楽しみだわ」

 

 そう言うアルベドが笑顔を浮かべなかった事を、疑問には思いながらもデミウルゴスは何も問わなかった。ただ心には留めておく事にした。

 

 

 

 

 

 

 舞踏会を終え、魔導国に属国を願い、それがほぼ叶えられたジルクニフは、執務室で一人の客を迎えていた。正確にはジルクニフ個人が依頼をしたアダマンタイト級冒険者、蒼の薔薇のラキュース・アルベイン・デイル・アインドラなのだから、客では無いだろう。だがそんな事は関係ない様に、にこやかにジルクニフは彼女を迎え入れていた。

 

「今回は急な依頼を受けて頂き感謝する、アインドラ殿。それで貴女はかの御方々をどう見た?」

 

 ジルクニフの問に、舞踏会とは違い武装した姿のラキュースは軽く頷く。ジルクニフの背後にはバジウッドとニンブルが控えているが、もしこの状態で襲い掛かられれば非常に危険だろう。これはジルクニフが相手を信頼しているのではなく、あの舞踏会で単純にもうどうでもいいやという心境に常時変化したためだ。

 

「ありがとうございます、皇帝陛下。陛下の御蔭で御方の一人と親交を結ぶことが出来ました。そして先ほどの問ですが、非常に信頼できる御方がいらっしゃるとだけお答えします」

 

「そうか、それは素晴らしいな、アインドラ殿。王国の貴族の一員でもある貴女がそう言うのだ。事実だろうな。感謝する。報酬の残りは、蒼の薔薇の方々が滞在する宿に運ばせている。確認して欲しい。それと王国までの帰りは行きと同じく、八足馬(スレイプニール)の馬車を用意してある。自由に使ってもらって構わない」

 

「ありがとうございます、皇帝陛下」

 

 頭を下げるラキュースにジルクニフが笑う。

 

「帝国の馬車が秘密裏とはいえ王国を行き来できるのは、黄金―ラナー王女が便宜を図ってくれた御蔭だ。気にすることはない。私が礼を言っていたと、そう伝えてくれれば幸いだ」

 

 頷き再び頭を下げるラキュースが、退室しようと踵を返す。ジルクニフはその彼女の背中に向け、どうでもいい話題を口にするような気軽な口調で声を掛けた。

 

「そうだ、ラナー王女にこれも伝えておいて欲しい。帝国は魔導国に属国を願い入れたとな」

 

 声に、ラキュースの背中が跳ねる。しかし非常に政治色の強い話題の為、返答は無かった。そのまま執務室を出ていったラキュースを、ジルクニフは小気味よく笑いながら見送った。

 

「……正式に属国が認められる前に伝えてしまって良かったのですか、陛下?」

 

 バジウッドからの質問に、ジルクニフは笑顔のまま答える。

 

「むしろ言い触らして貰わないとな。帝国は魔導国に屈したと。今は魔導国宰相アルベド様からの属国化についての草案待ちだが、既成事実を作っておきたい」

 

 そんなもんですかと呟くバジウッドに、ジルクニフは頷く。そしてジルクニフは椅子に座ったまま伸びをするように両手を伸ばした。最近は部下の前では見せなかった気楽な姿に、二人が微かに身動ぎしたのがジルクニフに伝わる。

 

「舞踏会の後始末が終われば、落ち着くだろう。久方ぶりの休養だ。お前たちも存分に英気を養うがいい」

 

「……魔導国に属すれば、これまで以上に忙しくなると思いますが……」

 

「ならないさ。私たちはアルベド様の指示に従い、動けばいい。それだけだぞ。そもそも何で忙しくなる?我らはあの至高の御方々の庇護下に入るのだぞ?何も心配する事は無いじゃないか。この世界にあの御方達を害せる存在など居る筈も無いのは、お前たちの方が理解しているだろう?」

 

 黙り込む二人に、ジルクニフは笑う。聞くものが聞けば、それがやけっぱちになった笑い声だと気づくだろう。

 しばらく笑い続けたジルクニフに、秘書官の一人が来客を告げる。ジルクニフは秘書官から告げられたその名に、小さくほぅと呟く。そして執務室に通す様にと伝えた。

 

「……蒼の薔薇の方々は戻られたようですな」

 

 姿を見せたフールーダが口髭に手を触れながら、残念そうに言う。閑職に追いやり久しく姿を見せなかったが、どういう風の吹き回しかと思う。最近は何やら書物を読み解くのに夢中で、自室から出てこないと聞いていた。

 

「久しぶりに姿を見せたかと思えばそれか。最近は暇だったのではないか?」

 

「閑職に追いやられましたからな。御蔭で魔法の深淵にまた一歩近づけたと自負しております」

 

「皮肉を言うな。だが喜べ。帝国は魔導国に属国を願ったぞ。お前の望む形に一歩近づいたのでは無いか?」

 

「ほう?」

 

 少しだけ驚いたような口調だが、目に驚きはない。やはりジルクニフが知らない魔導国との繋がりが、フールーダにはあるのだろう。だが今となってはどうでもいい事だと、ジルクニフは再び小さく笑った。

 

「至高の御方々には、魔導王陛下を上回る魔法詠唱者も居られるらしいぞ?お前が魔法詠唱者の最上位の存在と呼ばれた方を上回る御方がな。どうだ、喜ばしいだろう、爺?」

 

 久しぶりに呼んだ爺という呼び方に、フールーダも笑ったようだった。長い口髭が揺れている。

 

「久しく呼ばれていませんでしたな、陛下。いや、私の可愛いジル」

 

「ふ、爺の魔導国での立場は、実はすでに俺の上を行くんじゃないか?」

 

「はて、それなら助かるのですが」

 

 腹芸を止めた会話に、二人が笑う。暫く笑いあってから、フールーダの鋭い目がジルクニフに向けられた。

 

「……属国に対する反発は、どの程度?」

 

「……貴族連中の反発は予想よりも少ない。御方達が舞踏会で主だった貴族の心を、私と同じくへし折って下さったからな。騎士団からの反発の方が多い位だ。魔導国との争いを厭っておきながら、いざ自分達の地位が脅かされるかもしれないとなるとこれだ」

 

「どう対応されます?」

 

「何もしないさ。まだ属国化の草案すら届いていないのだ。……だが、あまりにも目に余るようならば、至高の御方の力をお借りすることになるだろうな」

 

 ジルクニフの答えに、背後のバジウッドとニンブルが体を震わせたのが気配で知れた。魔導王の力を自分よりも理解しているであろうフールーダは、そのジルクニフの答えに満足そうに頷く。

 

「それで、ジル。御自身の身はどう守られるのですかな?」

 

「さぁな。属国となった帝国のこれからに私がいればと、結果を見せるつもりだが……宰相アルベド様の能力は俺の遥か上を行く」

 

「……それほどですか」

 

「くく、至高の方々以外にもあれ程の智者が居られるのではな。舞踏会の終わり際、アルベド様の相手をしていたロクシーが何て言ったと思う?魔導国に逆らうのならば、閨房で俺を暗殺しなければならない、そうしなければ血を遺せないと、そうあいつが言ったんだぞ?」

 

 愉快そうにジルクニフは笑う。あの女が言ったのだ。もしジルクニフが抗う事を決めていたら、本当に実行していただろう。その前にジルクニフが魔導王に属国化を求めたために、事なきを得たが。 

 短く話をしただけだが、アルベドの能力はジルクニフだけで無く、自分が今まで出会ったすべての人の上を行く。そう確信することが出来た。

 だがジルクニフに悲観は無い。

 愛情は無いが、子も遺している。今この場でジルクニフが死んだとしても、断絶さえ避ける事が出来れば、ロクシーが立派に育て上げるだろう。

 死にたいわけでは無いが、人間、心を完璧に何度もへし折られ、不幸のどん底を味わい尽くすと、自分の生死一つでは何の心の揺さぶりも起きなくなるらしい。

 ジルクニフは自身の背後の、執務室の大きな窓から差し込む日の光に目を細める。

 

「―ああ、今日はいい天気だ」




<時間停止>の効果が、こんな長々と話せるだけ続くとは、書いてる自分も思っていません。でもそもまま行きました。


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第三章 ドワーフ王国編
 至高の方々、打ち上げに興じる


ハーフだけど、ゴーレムの弐式さんも飲食不要、睡眠無効持ちとしています。



「モモンガさん、俺はね。ユグドラシルの好きなところを一つ挙げろって言われたら、メリットとデメリットが有る所って答えるよ」

 

 弐式炎雷の言葉に、アインズは頷く。自分もそうだと思う。メリットにはデメリット。そうしてバランスが取られ、その組み合わせが無数に有り、仲間と共にそれをうまく組み合わせるビルドを、夢中で話し合った。

 

「だからさ。食事不要のデメリットにも、ちゃんとメリットがあるんだよ。それを受け入れるかわりに、他の部分に耐性を得られるからね。あまのまさんには勿体ないとかよく言われたけどさ、永続性があるってのは強みだと思ったんだ、俺はね」

 

 あまのまひとつ。自分や弐式炎雷と同じく最初の九人の一人。彼を思い浮かべ、アインズの眼窩に宿る光が明るくなる。彼がこの場に居たら、どうなるのだろうか。そんな想像をしてしまった。

 

「……ねえ、モモンガさん」

 

「はい。どうしました、弐式さん?」

 

「どうしよう。皆が滅茶苦茶羨ましいんだけど……」

 

 こちらを振り返る弐式炎雷にアインズは頷く。

 

「……ええ。私もです」

 

 ナザリック第九階層には食事を取ることの出来る施設がいくつかある。一般メイド達や一部のNPCが利用する従業員食堂もあるし、それよりも格式の高い食堂、ダイニングルームもある。ユグドラシル時代にはゲーム上意味のない施設だったが、転移してきた今となっては、友人たちのかつてのこだわりをありがたく思う。食事を取れる体ならばだが。

 

 

 

 現在第九階層のギルドメンバーが使う事を想定したダイニングルームで、立食パーティーが行われている。理由は勿論帝国での舞踏会が無事に終わり、ナザリック転移後初めてのギルドイベントの成功を祝うもの、ようするに打ち上げだ。

 ダイニングルームには様々な料理がビュッフェ形式で並んでおり、飲み物の数も十分すぎるほど用意されていた。料理はいくらでも追加できるように、料理長が控えており、飲み物も副料理長が準備している。

 この打ち上げに参加するのは、舞踏会に赴いたギルドメンバー達と、そのパートナーの守護者やプレアデス。勿論ヘロヘロの作成した一般メイド達も今回はもてなす側では無く、もてなされる側として参加している。直接舞踏会に参加はしていないが、ダンス指導に携わった恐怖公にレイナースの姿もあり、そして舞踏会には関わっていないが、マーレの姿もぶくぶく茶釜の隣にアウラと共にあった。

 

 NPC達は当初、この打ち上げに参加することを厭うとでも言うのか、渋っていた。至高の方と同列に云々と言っていたのをアインズは思いだす。それを仲間達は説得、命令、褒美、様々な言葉を巧みに使い分け、こうしてアルベドを除く今回の舞踏会に携わった全ての者を参加させていた。アインズは彼らの手際の良さに関心する程だった。よく口が回るとでも言うのか。

 NPC達の殆んどは今回の打ち上げを褒美と受け取ったのだろう。アインズ達は別段参加者を舞踏会に携わった者と限定していないのだが、他の者の姿はほぼ無い。料理の準備をする料理長に副料理長、そして男性使用人の幾人程度だ。

 

 アインズはこの打ち上げが始まった当初は、料理に舌鼓を打ち、様々な飲み物に酔いしれる彼らを慈しむような暖かい目で見つめていた。ギルドの仲間は勿論、NPC達の姿にもかつて現実世界で行われたオフ会の思い出が重なったからだ。

 だが次第に、美味しそうに料理を食べ、飲み物を煽る彼らに、少しだけ暗い炎が胸の内に宿っていった。食欲などは無いのだが、それでも少しは食べられない体の者の気持ちも労わってくれよと。

 最初の頃はペロロンチーノなどもグラスを持ってこちらに来てくれた。杯を掲げ、打ち付け合い、乾杯する。そしてこちらが飲みたくても飲めない事に気付くと、ああ、そうか。モモンガさんは飲めないよね。ごめん、俺が無神経だった。じゃあ俺はあっちでシャルティアと過ごすねと、そそくさと居なくなるのだ。

 そんなやり取りを何回か繰り返すうちに、嫉妬の炎が宿っていくのをアインズは実感していた。

 

(そりゃ食べられない種族に設定したのは自分の所為だけどさ。そんな痛いものに触れるみたいな対応しなくてもいいじゃないか。……特にペロロンチーノ)

 

 そう親友に視線を向ける。親友はこちらの気持ちなどお構い無しに、親から食事を貰う雛鳥の様に、シャルティアから次々に食事を与えられていた。

 あの野郎。

 思わずそんな思いが浮かぶと同時に肩を叩かれる。肩を叩いた彼はサムズアップをしながら、頭巾の上からでも解かる悲しい笑みを浮かべていた。

 それがアインズと同じく食事が取れないもう一人のギルドメンバー。

 ハーフゴーレムの弐式炎雷だった。

 

 

 

 

 

「まあでも、食べられないからって言っても、こういう場を持てたのは良いですよね。私だけでは出来なかったと思いますし。だから私達は私達で、邪魔をしないように場の雰囲気をたのし―弐式さん?」

 

 諦め、場の雰囲気を楽しもうとアインズは弐式炎雷に提案するが、その彼はアイテムボックスから何か取り出そうとしていた。何をするのだろうと黙って見ていると、弐式炎雷は頭巾の上から何かを顔に装着する。そしてアインズはそれに見覚えがあった。

 

「―嫉妬マスクっ!」

 

 弐式炎雷が装着したのは、クリスマスイブの十九時から二十二時までの間に二時間以上ユグドラシルに居ることで手に入る呪いの一品。ちなみにアインズ・ウール・ゴウンのメンバーの大多数はこのマスクを所持している。いない者もいるのだが。

 

「弐式さん……?一体何を……?」

 

 形容しがたい表情で弐式炎雷が振り返る。アインズには彼が泣いているように見えた。当然マスクのデザインなのだが。

 

「だって、悔しいよモモンガさん。見てよ、あの建やんを」

 

 弐式炎雷が指さす方向に視線を向ける。指さす先では武人建御雷がルプスレギナと共に飲むわ食うわを見事に体現していた。

 

「食う飲む食う飲む食う食う飲む食うだよ?こっちをこれっぽっちも気にしてない。しかも建やんこの嫉妬マスク持っていなんだよ?……あんだけ飲む食うしてるくせに、許せるはずがないじゃないか!」

 

「弐式さんの気持ちはわかりますけど……」

 

 思い返せば、確かにクリスマスイブに武人建御雷を見かけた記憶が無かった気がする。ログインしていても極僅かな時間のはずだ。他の日に誰がログインしていなかったなど覚えてはいないが、流石にクリスマスイブは印象が強い。

 

「それにモモンガさん、邪魔をするわけじゃ無い。ただ思い知らすだけだよ。俺達みたいのも居るってね」

 

「……しょうがないですね。付き合いますよ」

 

 諦めたようにアインズは言う。もはやこうなってしまっては譲らないだろう。ならば自分が付いて行って、度を越さないように見張るしかないと肩を落とす。

 

「じゃあ、モモンガさんもマスクを着けて行こう」

 

「えええ……」

 

「だってNPC達も参加しているんだから、正体隠さないと。……そうだな、俺が嫉妬ワン。モモンガさんは嫉妬ツーだ!」

 

「この場に居る時点で正体も何も無いと思いますけど……。わかりました、これでいいですか?」

 

 もはや諦めて、アインズも自前のマスクを装着する。

 

「よし、最初は茶釜さんの所に行こう」

 

「ああ、最初にどこまでが怒られないか、ボーダーラインを図るんですね……」

 

 暴走はしていても、ペロロンチーノやヘロヘロと違い怒られないレベルを図ろうとする弐式炎雷に頷いた。その慎重さがあるなら嫉妬マスクなんてつけるなよとは思ったが。

 そして三人はぶくぶく茶釜の居るあたりに向かって歩き出す。そして―

 

(―三人?)

 

 気付く。アインズと弐式炎雷の後を追うナーベラルに。弐式炎雷も当然気付いていたようで、困ったように頭を掻くフリをした。

 

「あー、ナーベラル?ナーベラルは食事取れるんだから、みんなと楽しんできていいぞ?」

 

 そう弐式炎雷に言われるが、ナーベラルは頭を下げ否定する。

 

「お供を」

 

 困ったように弐式炎雷はこちらに視線を向けるが、アインズは首を振る。弐式炎雷の前で、ナーベラルにあれこれと指示をするのに抵抗があるからだ。

まあ、流石に巻き込みはしないだろうとアインズが思ってると、彼は新しい別年度のバージョン違い嫉妬マスクをナーベラルに手渡していた。

 

「ちょっと、弐式さん!?」

 

 ナーベラルの前で、アインズは思わず素の声で呼びかけてしまった。幸運にも、弐式炎雷からアイテムを授けられたナーベラルは気にしていないようだが。いや、僅かに震えてすらいる。アイテムを授けられたことに感激しているようだ。恐らく弐式炎雷以外の姿は目に映っていないのだろう。

 

「……ナーベラル。俺達と同じく嫉妬の炎にその身を委ねると言うのならば、そのマスクを身に着けるがいい。だがこの先は修羅の道。後戻りは出来ないぞ。それでも俺達と共に来ると言うのなら、覚悟を示せ」

 

 そんな覚悟、私にはありませんよと伝えたいのだが、今の二人に口を挟めない。ナーベラルは感激した様に片膝をついて嫉妬マスクを受け取っている。そんな大仰に受け取るアイテムじゃないだろうと思う。そしてマスクを受け取ったナーベラルは迷いなく、覚悟を示すようにそれを装着した。

 

「よし。ならば今宵に限りお前はナーベラルではなく、嫉妬スリーだ。……ついてこいナーベラル、いや嫉妬スリーよ」

 

「はっ!弐式炎雷様!」

 

 いや、そこは嫉妬ワンじゃないのかとアインズは思ったが、もはや諦めぶくぶく茶釜の居る方に歩き始めた二人の後を追う。弐式さんこんな人だったっけと首を傾げながら。

 

 

 

 

 

「……何をされてるんですか、アインズ様に弐式炎雷様?それにナーベラルも」

 

「い、いや。これはだな」

 

 アウラに問われ、アインズは狼狽える。何て答えればいいのだろうと思っていると、先に弐式炎雷が答える。

 

「違うよ、アウラ。今の俺は嫉妬ワン。飲み食い出来ない悲しみから生まれた、悲しき嫉妬の権化だ」

 

「す、すごいです!エンシェント・ワン様とも何か関係あるんですか?」

 

 こんな格好でもキラキラとした目でこちらを見上げるマーレに、わずかに胸が痛む。そんな目で見られるほど、今の自分達は立派な姿はしていない。

 

「はは。あの人とは関係ないよ。つーわけで茶釜さん、ちょっとこんな感じで皆にちょっかい掛けてくるね」

 

 そう言って弐式炎雷はぶくぶく茶釜に許可を取る。ぶくぶく茶釜は頷くが、アインズとしては、ぶくぶく茶釜の取り込んだ食物や液体が、僅かに透けて見える方が衝撃的だった。

 

「了解、やり過ぎないように気を付けてね?」

 

「了。んじゃ行ってきます」

 

 予め何か打ち合わしていたかのような二人に疑問を抱くが、続くぶくぶく茶釜の「見張っといてね、モモンガさん」の言葉に頷き、問いただすことはせずに弐式炎雷の後を追うことにした。

 

 

 

 

 

「次はフロスト・エンシェント・ドラゴンの霜降りステーキでありんす。お口に合いますでしょうか、ペロロンチーノ様?」

 

「うん、美味しい」

 

「では次はこちらを」

 

 甲斐甲斐しくシャルティアに料理を食べさせてもらっているペロロンチーノは、本当に雛鳥のようだ。アインズはその姿に、楽しんでるなペロロンチーノと僅かに怨嗟の思いを抱く。

 

「あれ?どうしました、モモンガさんに弐式さん。……もぐもぐ。あー、美味しい、フォアグラなんて初めて食べた。シャルティア?次は飲み物が欲しいな」

 

「はい、畏まりました。ペロロンチーノ様。……どうぞ」

 

「ありがと…っぶ!シャルティア、これアルコール!」

 

「も、申し訳ありません!お、お口直しにこちらを!」

 

「うん、アップルジュース美味しい。……それで、どうしたんですか?……ごくごく。あ、シャルティア、次あれ食べたい」

 

「せめて飲むか喋るかどっちかにしろよ!」

 

 思わず叫びだす。

 

「あ、アインズ様!?」

 

「……ああ、すまない、シャルティアよ。なんでもないのだ。気にするな。それと今の私はアインズではない。嫉妬の心から生まれ這い出でる者。嫉妬ツーだ」

 

「し、嫉妬ツー様でありんすか?」

 

「そうだ。だからここで見聞きしたことは全て嫉妬ツーの仕業と思え」

 

 眼窩に暗い炎が宿る。その炎がマスク越しにペロロンチーノを見据えた。

 

「……ペロロンさん?」

 

「ど、どうしました?少し怖いですよ、モモンガさん」

 

「貴方は良い友人でした。……さよなら、ペロロンチーノ」

 

「ちょ!待って、モモンガさん!ごめん!配慮足りなかった事は謝るから!マジごめん!ちょっと、拗ねないで下さいよ!」

 

「知りませんし、拗ねてなんていませんから」

 

 追いすがるペロロンチーノを振り払うようにアインズは歩き出す。その二人に慌てたように狼狽えるシャルティアの肩を弐式炎雷は優しく叩く。

 

「平気だってシャルティア。あの二人あれですぐ仲直りするから」

 

「そうなんでありんすか?」

 

「そ。だから心配するなって。よし、次のターゲットはやまいこさんだ。あの二人は放っておいて俺達だけ行くぞ、嫉妬スリー」

 

「はっ!畏まりました、弐式炎雷様!」

 

「あ、その前に恐怖公に挨拶に行こうか。世話になったしな」

 

 

 

 

 

 

「よっ!恐怖公、楽しんでる?」

 

 マスクをしたままの弐式炎雷が呼びかけると、恐怖公は騎乗したシルバーゴーレムの上で、丁寧に腰を折り曲げ、頭を下げた。

 

「恐怖公のレッスンの御蔭でさ、本番も上手くいったよ。ありがとうな」

 

 弐式炎雷が礼を言うと、恐怖公はうんうんと満足そうに何度も頷く。ダイニングルームにでっかいゴキブリが、銀色のゴキブリに直立して何度も頷いてるってすごい絵面だなと弐式炎雷は内心で思った。

 

「礼など、滅相もありませんぞ。弐式炎雷様とナーベラル殿の成長は、御二方自身の力によるもの。吾輩はほんの少しのお手伝いをさせて頂いたまでです」

 

「そんな事ないって。恐怖公のレッスンが良かったんだよ。……お礼をしたいけど、何か欲しいものはあるか?」

 

 弐式炎雷の提案に、恐怖公は首を振る。どうキャラメイクすればゴキブリの体でここまでの動きが出来るのだろうかと、恐怖公の創造主を思い、感心した。

 

「いえいえ、それには及びません。この立食パーティーで残った料理は全て眷属達に賜れると、そうアインズ様より仰せつかっておりますゆえ」

 

「あ、そうなんだ?流石モモンガさんだなー、気配りのレベルが違う。まあ、それならいいや。んじゃ、恐怖公、楽しんでくれよ。恐怖公たちの取り分が増える様に、俺も頑張るからさ!」

 

 はてと首を傾げる恐怖公にヒラヒラと手を振りながら、弐式炎雷はやまいこの元に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

「……うわー」

 

 食事の味に、思わずやまいこは口を押える。現実世界でも比較的裕福な家に育ち、正直恵まれている家庭環境であったが、それでも感嘆を押さえられない。それほどにナザリックで作られた食事は美味であった。

 

「お口に合いますか、やまいこ様?」

 

「うん、美味しい。……ああ、ごめんね、ユリ。ボクばかり食べちゃって」

 

 アンデットのため食事のとれないユリにやまいこは謝る。しかしユリはそんなやまいこに微笑んだ。その微笑みは主の喜ぶ顔こそが至上と雄弁に語っている。

 

「そんな事ありません。さあ、やまいこ様。料理はまだまだあります。次は何をお取りしますか?」

 

「ふふ、ありがとう、ユリ。……それじゃあ、あれが食べたいな」

 

 やまいこが選んだのは様々な特殊な素材で、料理長が腕を振るった逸品が並ぶ中、唯一普通の素材が使われて作られたと思われるパスタだった。

 

「あ、あれは」

 

 一瞬躊躇うユリにやまいこは自らそのパスタを手に取った。そして恥ずかしそうにするユリの前で、躊躇わず口に運んでいく。

 

「……うん、凄い美味しい。茸のクリームパスタ。ボクの好物なんだ」

 

 やまいこの言葉にユリが嬉しそうに目が輝かせる。やまいこはそのユリに微笑んだ。

 

「ありがとう、ユリ。このクリームパスタ、ユリが作ってくれたんでしょう?ふふ、六階層でボクたちが集まっていた頃の話覚えてくれてたんだね。本当に、美味しいよ、ユリ」

 

「……!ありがとうございます、やまいこ様!」

 

「もう、お礼を言うのはボクなのに―っと、ユリごめんね。弐式さんが来たみたい」

 

 頷いて控えるユリから離れて、やまいこは歩み寄ってくる弐式炎雷に向き直る。なぜかマスクをした彼に疑問符が浮かぶ。

 

「……どうしたの、弐式さん。それ、もしかして嫉妬マスク?」

 

「お、知ってるんだ?そ、クリスマスイベントのあれだよー。それと邪魔してごめんね」

 

「ううん。それでそれを着けてどうしたの?」

 

 そこまで聞いて、弐式炎雷は少し離れた所で控えるナーベラルを振り返る。声が届くか気にしたのかもしれないが、ナーベラルにまで仮面をつけさせて本当に何をしているんだろうこの人とやまいこは思ってしまう。

 

「NPCと友達になろうってのを建やんと企んでてね。その一環で今NPC達に俺達も馬鹿やるんだぞーって見せつけてる最中。……あんま効果ないみたいだけど。まあ、少しでもハードル下げておこうかなって、これから色々やるつもりだし」

 

「……それってモモンガさんのため?」

 

「俺たちのためでもあるけどね。……あの人の周りガチガチに忠誠心で固まってるから、少しでも素のモモンガさんNPCに見せてやりたんだよね」

 

 なるほどとやまいこは頷く。それにしてもいきなり嫉妬マスクは飛ばし過ぎな気もする。少しだけ視線をずらせば、当のモモンガはペロロンチーノと何やらジャレついているようだ。そのモモンガの顔にも、しっかりとマスクがある。

 

「……何か手伝える?」

 

「うーん?ま、俺達もまだ手探りだし。必要になったらお願いするよ」

 

「ん、了解。ボクはこのままで平気?」

 

「ユリは問題無さそうだしね。ヘロヘロさんとペロロンさんは勝手にハードルガンガン下げてるんだけど、どうもNPCの忠誠心って俺らが想像している以上だよな。見てよ、ナーベラルなんてめちゃくちゃ真面目に嫉妬マスク被ってるし」

 

「可愛いからって、あんまり遊んじゃ可哀そうだよ?」

 

「うん、程々にするよ。……モモンガさん達もそろそろ仲直りしそうだし、建やんの所行ってくるわ」

 

「行ってらっしゃい、頑張ってね」

 

「任せて!……行くぞ、嫉妬スリーよ。狙いは悪鬼、建御雷。今宵の本命だ」

 

「はっ!……ですが弐式炎雷様。武人建御雷様の種族は半魔巨人では無いのでしょうか?」

 

「真面目か、ナーベラル」

 

 喋りながら離れていく二人を見送る。みんな色々考えてるんだなと思いながら。そして、自分もそろそろ話をしないとと覚悟を決める。そう決意し、ユリに振り返った。

 

「……ユリ?ボクこれが終わったら少し茶釜さんとお話しするから、帝国から保護してきたあの子達の事、お願いね?」

 

 

 

 

 

「……美味いな」

 

 副料理長から差し出されたカクテルを飲み干し、武人建御雷が感嘆した様に呻く。至高の存在から褒められた副料理長は思わず身体を震わせた。そしてゆっくりと頭を下げる。

 

「ありがとうございます、武人建御雷様。……申し訳ありません、至高の御方の許可を得ずにですが、このカクテルをナザリックと名付けました。お許しください」

 

「相応しい名だと思うぞ?俺が今まで飲んできたものの中で間違いなく最高だ。悪いが、もう一杯貰えるか?」

 

「畏まりました」

 

「そんなに美味しいんすか?ピッキー、私にも同じものを」

 

「ええ。武人建御雷様にお出しした後に、すぐにお持ちしますよ」

 

 そう言って下がる副料理長を見送ってから、建御雷は背後から迫る三人組に振り返る。釣られてルプスレギナも振り返り、そして信じられないものを見たように驚いていた。ナザリック大墳墓の主を含む三人組が、得体の知れないマスクを被って歩いて来ていれば当然だろう。

 

「で、それは何の余興だ?……お前、モモンガさんだけじゃなくてナーベラルまで巻き込んでるのかよ……」

 

 呆れたように言う建御雷に弐式炎雷は笑いながら答えた。

 

「飲み食い出来ない苦しみを知らぬ者よ。悔い改め、ごめんなさいをする時間が来たのだ。我らの悲しみを思い知れ。我が名は、嫉妬ワン!」

 

「し、嫉妬スリーです……」

 

 弐式炎雷とナーベラルが、片方は溌溂に、片方は羞恥に僅かに震えた声で名乗りを上げる。その姿に、いきなりやり過ぎだろうと建御雷は右手で顔を覆う。確かナーベラルからの期待のプレッシャーが半端ないとか言っていなかったかと小さく呻く。

 

「ええーと、ナーちゃんも乗ってるみたいだし、これは私もこのノリに乗った方がいいんすか?」

 

 恐らくアインズのこの様な姿を見た事無いのだろう。狼狽えるルプスレギナに、建御雷はもうどうにでもなれと頷く。その頷きにルプスレギナは、頷き返し、三人に頭を下げる。

 

「申し訳ありません。もう一度最初からお願いできますでしょうか?」

 

「お、リテイク?おーけーおーけー。んじゃ俺から行くよ。……我らの悲しみを思い知れ。我が名は、嫉妬ワン!」

 

 大仰にポーズを取る弐式炎雷に、ルプスレギナも右手を横に振り、ポーズを取りながら問いただす。

 

「嫉妬ワン!一体何者すか!?このナザリック第九階層にまで侵入してくるとは……。まさかエンシェント・ワン様縁の者か!?素顔を、素顔を晒すっす!」

 

「はーはははっはっは!エンシェント・ワンさんは関係ない!関係ないからあの人が戻ってきてもこの事は秘密だぞー!そして我の素顔は無形!晒す素顔なぞ無い!」

 

「……素直に素顔はのっぺりしてるから晒せないって言えよ」

 

「うるせーよ、建やん。……はーはっはっはっは!しかし我はお前の正体を知っているぞ、ルプスレギナよ!お前の正体は人狼だろう!?」

 

「なぜそれを!?くー!そっちも正体を晒すっす、嫉妬ワン!」

 

 わいわいと騒ぐ二人に呆れながら、アインズが見たこともない姿を見せるルプスレギナに素直に驚く。そして確認するように、隣のナーベラルに問いかける。

 

「ナーベラル。ルプスレギナは普段はこういう感じなのか?いつもの彼女らしからぬ口調だが」

 

「はっ。その通りです、アインズ様」

 

 頷くナーベラルに、アインズはそうなのかと驚く。そしてそのアインズの前では決して見せなかったルプスレギナの素の姿をあっさりと引き出して見せる友人達にも驚く。これはまさしく、アインズでは出来なかった事だ。

 

「そういやモモンガさん、アルベドはどうしたんだ?」

 

 いつの間にか近寄ってきていた建御雷にアインズは、アルベドが今は帝国属国の草案作りをしていることを告げる。

 

「この打ち上げが終わり次第、様子を見に行くつもりです。本当、アルベドにはいつも苦労を掛けてしまってますから……」

 

「……よし、じゃあアルベドにも褒美を授けに行こうぜ」

 

 そう言われ疑問符を浮かべるアインズに、建御雷は野太い笑みを見せるのであった。

 




ここのpixivとの違いは、恐怖公だけ。
ヘロヘロさんパートも増やすつもりだったけど、結構膨らみそうだったから、別の機会にいれます。

pixivを読んで下さってる方は分かるかもしれませんが、次回は久々ドロドロとしたところを、加筆いれてがっつりやりたい。



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 至高の方々、姉同士の関係

「ごめんねー、やまちゃん。この部屋広くて良いんだけど、お茶とか何もないんだよね」

 

 第九階層のぶくぶく茶釜の自室に共に訪れたやまいこは、笑いながら手を振る。

 

「大丈夫だよ、かぜっち。さっきまでいっぱい食べてきたから。これ以上は無理だよ」

 

「カロリー気にしないで良い事だけは、この体になったことに感謝だね」

 

「ふふ、本当にそう。あんなに食べたの生まれて初めて」

 

 そう言って笑いあう。

 本当に楽しかった。今日の打ち上げだけではない。こちらの世界に転移してから、本当に楽しい毎日だった。動き出したユリと出会い、彼女をダンスパートナーに指名して、アインズ・ウール・ゴウンの仲間と共に、踊りを一生懸命覚えた。舞踏会本番で、仲間達と一緒に、ユグドラシルのBGMと共に思う存分踊った。楽しくて楽しくて、昔を、皆が仲良くしていた頃のユグドラシル時代を思い出した。それくらい楽しかった。

 

 だからそろそろ話し合わないといけない。楽しかった思い出だけに浸っては居られない。浸っていては駄目なのだ。

 暫く笑い合ってから、やまいこはぶくぶく茶釜の粘体の顔をまっすぐに見つめる。表情が無いため感情は読めないが、向こうにはこちらの思いが伝わっているのだろう。ぶくぶく茶釜も笑う事を止める。どう切り出そうか言葉に迷っていると、ぶくぶく茶釜から促してくれた。

 

「どういう話をしたいかは解かってるから、遠慮しないでいいよ」

 

 ぶくぶく茶釜の地に近い声に頷く。そして覚悟を決めて問いかける。

 

「……モモンガさんもだけど、どうしてデミウルゴス達をそのままにしてるの?絶対に良くないことをしてるって、茶釜さんは解かっているよね?……確かにああいう設定をNPC達にしたのはボク達のせいだけど、だからこそ殴ってでも止めるべきだとボクは思う」

 

 この世界に転移した直後は、理解できない状況に不安もあったが、仲間が共にこの世界に居ることに、やまいこには嬉しさもあった。未知の状況であっても、この仲間たちと一緒ならばという頼もしさがあった。

 それだけに、絶望と怒りは大きかった。アインズ達がこの世界でして来たことを知り、そして先に転移していた仲間たちが、それを受け入れてしまっていることに。

 NPC達の行動を押さえられないのならば、殴って言う事を聞かせればいい。してはいけないことを教えるのが、生み出した自分たちの責任でないだろうか。

 アインズ一人ではそれは無理だったのかもしれない。勿論やまいこも全ての責任をアインズに押し付けるつもりは無い。彼の性格は知っている。不安だったと思うし、必死だったはずだ。アインズはNPC達を守ることに、やまいこ達が残したものを守ることに、様々なものを犠牲にし、必死にやってきてくれていたのだろうと思う。ユリを守ってくれたこと。その事には感謝もしている。

 だが、それでもだ。それでも許容できない事はある。

 外への情報の流出を防ぐため。そんな理由の為に、赤子を除く幼子達すら殺したと言った。それがやまいこには許せなかった。

 <黒き豊穣のへの貢(イア・シュブニグラス)>の件は、まだ戦争での話、兵士が相手だったと無理やりに納得させることは出来る。他の出来事も、理由をつければ理解はできる。

 だが、王都の件はどうだ。王都の民に非はあったのか。攫われて、命を奪われる理由があったのか。いや、理由があれば、子供の命すら奪うのか。

 

「今はボク達も居る。NPC達が反発を抱いたって、力で押さえつける事も出来ると思う。止めないとダメだよ。きっと建御雷さんと弐式さんも協力してくれる。茶釜さんもそうでしょう?」

 

 そのやまいこの言葉に、ぶくぶく茶釜は軽く頭を掻くようなふりをした。その人間らしい仕草に、彼女なら協力してくれるはずだとやまいこは思う。アインズの話を建御雷達と共に聞いた時、その場で問いたださなかったのは、彼女にそれとなく止められたから。だからやまいこは、ここまで意図的にそのことを考え無いようにしてきた。今だけは皆と笑って過ごすために。

 だが、ぶくぶく茶釜から返ってきた言葉は、やまいこの期待を裏切る。

 

「……私は協力できない」

 

「どう……して?」

 

 言葉が震えていた。それほど衝撃的だった。信じられなかった。ぶくぶく茶釜ならばきっと力になってくれる。そう信じていたからだ。

 

「簡単だよ。だって、私は帰るから。だから協力できない」

 

 理解できないと目で訴えかけると、ぶくぶく茶釜は笑ったようだ。声に無理に作ったような明るさがある。

 

「帰るって人間が、どうやって今のナザリックを否定するの?人を傷つけるのは間違ってる、それはいけない事だ。そうやってNPC達の価値観をひっくり返して、散々かき回して、現実世界に戻れるようになったら、全部を捨てて帰っていくんだよ?」

 

 やまいこに殴られたような衝撃が走る。ぶくぶく茶釜の声は明るく優しい。それでも言葉がやまいこの心に深く突き刺さっていく。

 

「私はそんな事したくない。だから今のナザリックを肯定もしないけど、否定もしない。ナザリックをどうするかは、この世界に残るって決めた人達に任せる。……私からも聞くけど、やまいこさんは帰らないの?帰るでしょう?あけみちゃんと、今担任している子達をそのままにしとくつもりなの?そうじゃ、ないよね」

 

 妹と担任している子供たちの顔を思い出し、胸が締め付けられる。

 だがそれでもこの世界での事も放ってはおけない。この世界も、現実世界と同じだ。力の有る者が、力の無い者を虐げている。奴隷とされていたエルフの子達がその証拠だ。助けてあげたい。それが出来るだけの力が、今のやまいこにはあるのだ。

 

「私は正直に言って、やまいこさんがエルフを帝国から連れ帰ったこともやり過ぎだと思ってる。……気持ちはわかるから、反対もしなかったけどね」

 

「どうして?ボク達にはあの子達を助けられる力があ―」

 

 そこまで言って気付く。自分が口にした言葉の意味を。

 力有る者が、無い者を虐げる。一緒だ。やまいこは帝国がエルフの引き渡しを拒否すれば、強引に連れ帰るつもりだった。力を行使するという意味では、何も変わらない。ナザリックが、NPC達がしてきた事と何も変わりはしない。

 

「……やっぱり、カルマがプラスに偏ってても影響は有るみたいだね。しっかりして、舞子さん」

 

 ぶくぶく茶釜の地の声で名前を呼ばれ、反射的に口を押えた。

 気持ち悪さを、吐き気を覚えたからだ。本名を呼ばれる迄は何も感じなかったのに。だが今は感情と自分の考えに乖離があると、はっきりわかった。思い出したからだ。自分がやまいこでは無く、ただの人間の山瀬舞子だということを。

 やまいこの感情に、山瀬舞子の思考が付いていけていない。だからこそ気持ちが悪くなった。ついさきほどまでは自分はやまいこだったから平気だった。やまいこだからナザリックの所業に怒りを覚えたし、そんな事にユリまでも携わっていたことに悲しみも覚えた。

 だが今は違う。

 現実の自分は、世界に失望はしていても、自分ができる事の限界を理解していた。だからこそゲームの中ではそんな限界を感じたくないと、仲間達から脳筋と呼ばれても、意図的にそういうロールをしてきたのだ。ゲームの中でしか、自分の理想を体現できない、ただの人間の山瀬舞子。そのことを、ようやく思い出した。

 

「ご…めん。ボ…ク……何を…言って…たんだろう?」

 

 昔の自分は、天才肌の妹比べ続けられても、なんとも思わない図太い精神をしていたと思う。だが教師を続けるうちに、その精神も少しずつ削られていった。

 様々な理由から中学校に進めなかった子達が、どういう仕事に就いていくのか。いや、それすらもまだマシだ。自分は知っている。小学校に上がりながら、経済的な理由から中退していった子がどうなっているのかを。そういった子が、どれほど過酷な環境で、文字通り体を削っているのかを。

 そして、削れきってしまった子が、どうなってしまったのかを。

 そういう子を救おうと、何とかしようと、何か力になれないかと奔走するたびに、自分の力の無さを思い知らされた。何も出来ないことを、これでもかと思い知られた。

 やまいこは、そんな山瀬舞子とは違う。現実世界の自分では決して体現できない理想を、ゲームのキャラに重ねていた。それがやまいこだった。

 ぶくぶく茶釜から、優しく肩を叩かれた。落ち着かせるように粘体の触手のようなもので、ポンポンと背中を叩かれ、撫でられる。

 

「大丈夫。落ち着いて、やまちゃん。……おかしいとは思ってたんだ。エルフを連れ帰るとか、ゲームの中のやまいこさんならするかもしれないけど、私の知ってる山瀬舞子さんならしないだろうなって思ってたから」

 

「どうし……よう。ボク何も考えてなかった……。あの子達を……助けたいと…しか。どうしよう、ボク。取り返しの出来ないことをしてる……」

 

 力を振るう意味を考えずに、力を振るっていた。

 自分は現実世界に帰る。帰る方法を探す。妹に逢いたい。教え子たちをちゃんと卒業まで面倒を見てあげたい。だから帰るのだ。

 それなのに自分はエルフ達を一時の感情に任せ、中途半端に救ってみせた。

 この後どうすればいい。自分が帰った後に、エルフ達はどうなる。身勝手にもナザリックの者、ユリにすべてを預け、自分は居なくなるのか。

 どれだけ、身勝手なことをしたのだ。やまいこは。 

 

「……大丈夫。私も彼女たちの事には協力するから。いま気持ち悪いよね?私もそうだった。自分の考えと感情が擦り合わなくて、気持ち悪いんだよね。解消するコツはね、やまちゃん。自分で自分を演じるんだよ。私はぶくぶく茶釜を演じてるの。そうやって自分とぶくぶく茶釜に距離を作ってる」

 

「……キャラを…演じるの?」

 

「そう、舞子さんがやまいこさんを演じるの。やまいこならこうするだろうなって、俯瞰的に見る感じかな?大丈夫、やまいこだって自分なんだから、そんな難しくないよ。ただ、一歩だけ引いてみる感じ」

 

「…皆そうしてる?」

 

 やまいこの質問に、ぶくぶく茶釜は少しだけ悲しそうに笑った。

 

「ヘロヘロさんはもう完全に受け入れちゃってる。うちの弟はどうかな?……あの子もたぶん、自分が人間だったなんて忘れちゃってるかもね。建御雷さんと弐式さんは問題ないと思う。今いるメンツでカルマの影響受けてないの、あの二人だけだよ。ちょっとズルいよね」

 

 そう少しおどけてみせるぶくぶく茶釜に、やまいこも小さく笑う、少しずつだが、落ち着いてきた。

 

「……茶釜さんも影響受けてるの?とてもそうは見えない」

 

「残念ながら。私はみんなの茶釜お姉さんを演じてるだけだから。感覚的な部分はもうかなりヤバいよ。私はやまちゃん達が来るまでずっと図書館を根城にしてたからさ。司書長とも結構話してるし、デミウルゴスが供給している羊皮紙の正体も知っているんだけど、聞きたい?」

 

 最後の言葉に少しだけ、試すような響きがあった。その言葉に、やまいこは今度ははっきりと笑う。

 

「聞かない。聞いたらボクが絶対暴走しちゃう事なんでしょう?だから聞かないでおく。……ボクは、帰るからね」

 

 やまいこの言葉に、ぶくぶく茶釜は安心した様に、大きく息を吐いた。

 

「ああー、良かった。聞きたいって言われたらどうしようって、内心ビクビクしながら質問したんだ。試すようなこと聞いてごめんね、やまちゃん」

 

「……うん、ボクも色々言っちゃってゴメンね、かぜっち」

 

 愛称で呼び合い、ようやくやまいこはいつもと変わらない状態に戻る。少しだけ一歩引くイメージをしながら。

 

「あの子達の事だけど、お願いかぜっち、力になって。最後までは無理でも、自分がしたことにきちんと責任を果たしたい」

 

「やまちゃん格好いい……惚れちゃいそう」

 

「ふふ、だーめ。ボクがそっち系苦手だって、覚えてるでしょう?」

 

 かつてのナザリックでのやり取りを思い出し、二人で自然と笑う。しばらく笑いあってから、ぶくぶく茶釜が口を開く。

 

「エルフの子達はエ・ランテルでの仕事を与えればいいと思う。ちゃんと自分たちで暮らせる経済基盤を作ってあげればいい。勿論国に帰りたいって子はそうしてあげればいいけど、確か戦争中なんでしょう?法国と」

 

「うん。話を聞いた限りそうみたい。今いるエルフの子達は此処で暮らしたいって言ってるけど」

 

やまいこの聞く限り、エルフ達は口を濁していたが、国元もあまり穏やかではない様だった。いずれしっかりと話を聞かなければならないが、まずは足元を固めてからだ。

 

「此処ってよりはやまちゃんとじゃない?それで仕事なんだけど、エ・ランテルに孤児院兼学校を作ればいい。そこの職員にエルフ達を雇う形にする。もちろんユリとかナザリックの協力も必要だけど」

 

「それ大丈夫?その……知識を与える事になるでしょう?」

 

 話し合う前のやまいこならばすぐさま賛成しただろうが、今では知識を与える事の危険性に気付くことが出来た。

 

「この世界での一般教養程度なら問題ないよ。ぶっちゃけるとさ、このアイディア、モモンガさんなんだ」

 

 ぶくぶく茶釜の言葉に、やまいこは驚く。

 

「エ・ランテルの孤児と未亡人達の就職先に孤児院を作って、ユリや、あとペストーニャとニグレドに任せるってのは考えてたみたい。あの二人は私達の帰還の恩赦って事で謹慎解けたけど、赤ん坊を救ってるからね。その考えを発展させて学校を作る、その責任者にやまいこさんをって相談受けてたんだ」 

 

「…そう……なんだ。モモンガさんボクの事考えてくれてたんだ。どうしよう、ボク、さっきまで許せないとか酷い事言ってたのに……」

 

 正直嬉しかった。アインズの気遣いが。アンデットになってしまった彼が、ここまでしてくれることが。

 

「モモンガさんなりの打算もあるだろうけどね。それにエルフ達も女性とはいえ人間の同僚と一緒に、当面は人間の子供たちを世話しないといけないけど……」

 

「それはボクから説明して理解してもらう。でもかぜっち、当面はって?」

 

「色々考えてるみたいよ?だからたぶんそのうち他種族の子達も増えると思う。リザードマンの子供たちとかも一緒に通わせられたらって言ってたし。……たいへんだと思うけど、その基礎作り出来るかな?」

 

「うん、任せて。モモンガさんの気持ちにしっかり応えて見せる。……でもそうなるとボクは現実世界の帰還方法探しの方は疎かになっちゃうかもしれないけど……」

 

 やまいこの心配をぶくぶく茶釜は笑う。

 

「実はもう目途ついてるんだ、帰還方法には。世界級アイテムを併用した<星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)>使えば戻れると思う。世界級アイテムはアイテムか魔法の効果を最大限に引き出すもの、もしくは運営お願い出来るタイプって条件が付くけどね。……あくまで願望だけど。これで無理なら絶望的だし、期待するしかないね」

 

 やまいこは指に嵌められた流れ星の指輪を掲げて見せる。一度ユグドラシルで使用してるために、流星が一つ消えているそれを。

 

「……この魔法単体では無理?」

 

「無理だと思う。モモンガさんも世界級アイテムの洗脳を受けたシャルティアの精神支配は解けなかったって言ってたし、無駄撃ちはしたくない。……それでね、やまちゃん。私からもお願いがあるんだ。無駄撃ちとか言っておいてだけど、時期が来たら指輪の願いを一個、私に譲ってほしい」

 

「うん、わかった」

 

 ぶくぶく茶釜の願いに、やまいこは即答する。驚いたような、表情が無いためあくまでもそういう雰囲気をするぶくぶく茶釜に、やまいこは笑う。

 

「願いは一個あれば平気でしょう?ボクとかぜっちを現実世界に戻してくださいって。それなら一個余るから大丈夫」

 

「……何に使うかは聞かないの?」

 

「聞かなくてもわかるよ、弟君に関係する事でしょう?かぜっち、弟君の事大好きだもんね」

 

 そう笑って言うと、ぶくぶく茶釜は複雑そうな、恐らく表情があれば苦虫を噛み潰したような顔をしているんだろうなと思う。

 

「ボクだって明美の事大好きだよ?家族の事を好きだって言うのは恥ずかしい事じゃないし、アインズ・ウール・ゴウンの皆だってそんなことで笑う人は居ないよ?」

 

「るし★ふぁーは?」

 

 ぶくぶく茶釜からの指摘に、やまいこは視線を彷徨わせる。彷徨った視線は結局戻せずに、それでも何とか答えた。

 

「……何事にも例外はあるから」

 

 それだけを絞り出すように、口にした。しばらく気まずい無言が続くが、ぶくぶく茶釜が急に思い出したように口を開く。

 

「ゴメン、大事な事話し忘れてた。アルベドの事なんだけど」

 

「アルベドの?」

 

 疑問符を浮かべると、ぶくぶく茶釜から一つ一つ説明される。ぶくぶく茶釜がアルベドを訝しんでいる事。そしてアルベドに対して挑発をしている事などを。そしてその挑発は、ぶくぶく茶釜がギルドアインズ・ウール・ゴウンの中で数少ない女性という立場を利用したもので、場合によっては同じ女性であるやまいこにも累を及ぼす可能性があることを。

 ぶくぶく茶釜の告白に、まさかアルベドがという思いもあるが、それ以上に彼女に対して頭が下がる思いだった。ぶくぶく茶釜はこれまでずっと一人で、現世界の帰還方法を探すだけでなく、弟とヘロヘロを守り続けてきたのだ。

 

「……かぜっちは凄い。本当に…凄いよ」

 

「ふふ、惚れちゃった?」

 

「それは無いけど」

 

「ま、また振られた―!これで二回目ー!」

 

 落ち込んだような暗い声を出すぶくぶく茶釜に、やまいこは少し笑いながらも、口を開く。

 

「これからはボクも力になるから。いくらでも頼ってね?」

 

 それだけを伝えると、やまいこの想いに答える様に、先ほどとは打って変わった声でぶくぶく茶釜も答える。

 

「やまいこさん、私は世界級アイテムはナザリックのものを使うつもりは無い。あれはこれからのナザリックに絶対必要だろうから。それは……納得できる?」

 

 ナザリックの宝物殿に眠るものは使わない。それは即ちこの世界の何処かにあるかもしれない他のプレイヤーが持っていたもの、もしくは持っているものを手に入れる、いや、奪うという事だ。そのことに対する、覚悟を問われている。

 それにやまいこは迷いなく答える。

 

「わかった。協力するよ。勿論アルベドの事も含めてね」

 

 やまいこの答えに、ぶくぶく茶釜は頭を下げたようだった。頭を下げるべきなのは自分だと、やまいこは慌てて彼女の体を起こした

 

「……世界級アイテム探しは出来るだけ人死にを避けるつもり。だけど、私が本当に一線を越えそうになったら。お願い、やまいこさん。私を止めてくれるかな?」

 

 辛そうな声だった。いつも演技ではない。本当の声音だと、やまいこは感じた。

 だからこそ、やまいこは笑う。削られ細くなった樹でも、自分を支えてくれる友達の悩み事を聞いてあげる事ぐらいは出来るはずだ。

 

「任せて。それとね、ボクも色々かぜっちに聞いてもらったから、かぜっちもボクに胸の内話してくれていいんだよ?」

 

 やまいこの言葉に、躊躇いながらもぶくぶく茶釜はゆっくりと語りだした。

 

「……舞踏会でアイツが、イビルアイって子を連れ帰るって言いだした事を覚えてる?」

 

「うん、覚えてる。どうしてかぜっちが止めないのかなって、少しだけ不思議だった。弟君が舞踏会で飛び出した事には、すごい怒ってたのに」

 

「モモンガさんもそう思ってたみたい。私を少し見てたし。ねえ、やまちゃん?あいつがイビルアイをナザリックに連れ帰って、何をするつもりだったと思う?」

 

 ペロロンチーノはお仕置きをすると言っていた。少し言い出しづらいが、そういう事だと、自分だけでなく、弐式炎雷と建御雷も思っていただろう。

 

「それは……あれでしょう?その……エッチな事」

 

 少し照れながら伝えると、ぶくぶく茶釜は悲しそうに頭を振って笑った。

 

「私は殺すつもりなんだろうなと思った。最低でも、ニューロニストに預けるくらいはしてたと思う」

 

 その言葉に、やまいこは衝撃を受ける。そして微かに震えながら、首を振った。

 

「……そんな、そんな事弟君に限ってしないよ。だって、何時もみたいに笑ってたよ、弟君」

 

「やまちゃん、私たち(カルマ-)はね。笑いながら、それくらい出来ちゃうんだよ」

 

「……だって、そんな……」

 

 アインズも、ヘロヘロも、ペロロンチーノも。目の前のぶくぶく茶釜だって、ユグドラシルの頃と何一つ変わらない。あの頃のままだ。あの頃のままの仲間が、そんな事をするとは思えなかった。例え、王国での話を聞いていたとしても。

 

「勿論進んで殺そうとしたり、意味も無く痛めつけたりはしないよ。でも、イビルアイって子は、エントマを殺しかけているから。十分理由がある。……その証拠にさ。アイツが連れ帰るって言いだした時、私が考えた事はね」

 

 その先を聞くのが怖かった。それでも、頷いて先を促した。

 

「イビルアイが死んでも構わないから、アイツにどれだけ人間性が残されているのか試そうって考えてた。殺すのか、拷問するのか、それを自分の手で行うのか、それともナザリックの誰かに頼むのか。それを知るために、私はあの女の子を見捨てようとしてたんだよ?あの小さな女の子を、そんな理由で犠牲にするつもりだったんだ」

 

 自嘲気に語るぶくぶく茶釜の声が恐ろしかった。

 自分を諭してくれた親友が、こんなに苦しんでいたことに気付かずに、責める様な事を言っていた自分が情けなかった。

 言葉を掛けられないやまいこを見かねたのか、ぶくぶく茶釜がごめんと先に口を開いた。

 

「まあ、ヘロヘロさんなんかは人間の女の子攫って世話しちゃうくらいだし、私なんかより人間性残ってるかもね。アイツだって本当はエロい事するつもりだったのかもしれないし、ただの考えすぎかも―」

 

 笑って言うが、声から隠しきれない悲しみが伝わってくる。やまいこは堪えきれずに、ぶくぶく茶釜を抱き締めた。先程自分がぶくぶく茶釜にされたように。

 抱き締めた粘体が、少しだけ震えているのが分かった。やまいこは抱き締めているピンク色のゼリーの様な粘体に、現実世界で見てきた本当のぶくぶく茶釜の姿が重なって見えてきた。

 

「……私は本当に嫌な奴みたい、やまちゃん。私は自分の為に一度ナザリックを捨ててるのに、またここでも捨てようとしてる」

 

「……それはかぜっちだけじゃない。私もだから、私もだよ……」

 

「アウラもマーレも、もう一度捨てるつもりなのに、二人の私への愛情を利用してるんだよ。あの二人が近くに居れば、アルベドも迂闊には手を出してこないってわかっているから。それだけじゃないよぉ、モモンガさんだって、私は利用しているんだ。あの人が必死に守ってきたものを、私はただ自分の為に使ってる」

 

 ぶくぶく茶釜の泣き笑いの様な声が響く。

 

「ヘロヘロさんを怒ったのだって、アイツに、弟に馬鹿な真似させないようにって、こんなことすると私が怒るぞって、当てつけだったんだ。そうやって友達も、利用してた」

 

「……そんな事無い。かぜっちはそれで良いんだよ。だから、抱え込まないで……」

 

「私は、帰る私は、この世界の誰とも関わっちゃいけないんだ。だけど、アイツが、切っ掛けを作ってくれたんだ。アウラとマーレと一緒に過ごせるようにって、色々してくれたんだよぉ。嬉しかった、本当に嬉しかったんだ」

 

 そんな事ない。そんな思いを込めて。やまいこはぶくぶく茶釜を抱き締めた。彼女を、高慢でもなんとでも思われて良いから、少しでも癒してあげたかった。

 

「私は、アイツを、私達家族が居ないこの世界に、取られたくないんだ……。だから色々理由を付けて、アイツを連れ帰ろうとしている」

 

 もし明美がこの世界に居て、妹が残ると言えば、やまいこも殴ってでも連れ帰っただろう。だからやまいこには、ぶくぶく茶釜の気持ちが痛いほどに伝わってくる。

 

「私はアイツより何もわかってない、アイツ以上に我儘な子供だよ。可笑しいよね、そんな私が偉そうにアイツを叱りつけてる。分かっててもダメなんだ、私はアイツをこの世界に、置いてけないよぉ」

 

 そう悲痛な声を上げるぶくぶく茶釜を、やまいこは強く強く抱きしめるのだった。




前回の落ちの付け方間違えました。アルベドのドロドロとかヌプヌプは無いです。
至高の方のイメージは、人によって変わると思いますが、この作品ではこんな感じ。
強くも弱くも。
pixivの方も新しいの更新しました。あちらを見て下さってる方が要らしたら、宜しければ。


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 至高の方々、日常を楽しむ

「じゃあみんな。少し下がっていてね。……<要塞創造(クリエイト・フォートレス)>!」

 

 やまいこの声と共に手に握られた水晶が砕け、込められた魔法が発動する。

 エ・ランテルの城壁から少し離れた場所に重量感のある塔が聳え立った。壁面の無数の鋭いスパイクに、最上階の四方を睨む悪魔の像、その重圧感に圧されたのか、やまいこの背後に並ぶ五人のエルフ達にどよめきが起きる。

 

「や、やまいこ様。この魔法は一体何位階の魔法なんでしょうか?」

 

「ん?第十位階魔法だよ?」

 

 事も無げに言うやまいこに、エルフ達は再びどよめく。

 そのどよめきを余所にエルフ達の後ろに居たぶくぶく茶釜が、離れた所に見えるエ・ランテルの城壁と塔を見比べている。そのぶくぶく茶釜を見たやまいこも、ばつが悪そうにエ・ランテルの城壁を振り返る。

 

「……やっぱ見栄え悪いよね、この魔法。<自然の避難所(ネイチャーズ・シェルター)>の方が良かったかな?」

 

「あれもあれで、中身以外は防空壕にしか見えないしねー。みすぼらしいよりはこっちの方が良いと思うけど。まあ、あの街の状態なら、そんなに気にしないんじゃない?」

 

 ここに来る前に立ち寄った街並みを思い出す。死の騎士(デス・ナイト)が巡回し、死の騎兵(デス・キャバリエ)魂喰らい(ソウルイーター)が物資を運ぶあの街を。お世辞にも活気がある街並みとは思えなかったが、街の人々の表情からして無理もない。住民たちが慣れるには、もう少し時間が必要だろう。

 どちらにしろ、ここには仮宿舎とはいえエルフ達と、もう少し準備が整えばエ・ランテルの孤児たちを住まわせることになる。防衛といった意味では、この威圧感は悪くない筈だ。

 やまいこはエルフ達を引き連れ、鋼の扉の前に立つ。扉は自動的に開き、一行が塔の中に足を踏み入れる。しばらく進み、中央に螺旋階段のある円形のホールに辿り着いた。

 

「そういえば、やまちゃん。創造系の魔法使ったけど、魔力消費の方は大丈夫なの?」

 

 ぶくぶく茶釜の質問に、やまいこは頷く。

 

「うん、大丈夫みたい。アイテム使用だからか、それともこっち(転移後の世界)だからかはわからないけど。とりあえず、ユリ。この子達に部屋を宛がってあげて。一人一部屋で良いから。二階三階にも同じ部屋があるからね」

 

 やまいこが自らが創造したNPCに声を掛け部屋の扉を指さしつつ説明すると、ユリは承知した様に頭を下げる。

 

「じゃあボクは同じものを何個か作ってくるから、よろしくね」

 

「や、やまいこ様はこれほどの魔法が込められたマジックアイテムを、いくつも所持されているのですか?」

 

 驚くエルフ達に、驚かれる理由がわからずやまいこは首を傾げる。そのやまいこに、ぶくぶく茶釜が彼女だけに聞こえる様に告げる。

 

「この世界では第十位階の魔法なんて存在すら無いって思われてるらしいよ?普通は第四位階でもやっとみたい」

 

 ぶくぶく茶釜からの指摘に、やまいこが唖然とする。だから舞踏会で使った<大治癒(ヒール)>程度の魔法でエルフ達が驚いたのかと納得もする。どうやらもう少し慎重に力の行使をした方が良さそうだ。

 塔を出て十分な距離を取ってからやまいこは魔封じの水晶を使い、同じ塔を創り出す。そんな話を聞いてしまったので躊躇いはあるが、やまいこが所持している宿泊施設が創り出せるのはこれと、自らが唱える事の出来る<自然の避難所(ネイチャーズ・シェルター)>が込められたアイテムしかない。そもそもの選択肢が少ないのだ。

 

「やまちゃん、塔は何個作るつもり?」

 

「うーん、あと三つくらいかな?あくまでも仮だしね。ダンジョン製作が終われば、ゴーレムも学校の建築用に貸し出してもらえるって話だし。あとは教室用に<自然の避難所>も一か所作っておきたいけど、そっちは生徒もまだ居ないし、今はいいかな?」

 

 言いながらもやまいこはアイテムを使い、次々に塔を作り上げていく。聳え立つ塔を見上げながら、やまいこはぶくぶく茶釜に話しかけた。

 

「ところでかぜっち、世界級アイテムの探索はどうするの?」

 

 ずっと図書館に籠っていた彼女がナザリックの外に出たのは、それが狙いのはずだ。そして自分もそれに、学校の事もあるが、協力すると言った。そういう話は今はまだユリの前でしたくない。だから今のうちに聞いておきたかった。

 

「ベストは、この世界で七色鉱を見つけられたらいいんだけど」

 

熱素石(カロリックストーン)?ああ、そうか。あれは運営お願いも出来たね」

 

 やまいこの言葉に、ぶくぶく茶釜は頭を揺らす。頷いているのだろう。だが七色鉱が存在してたとして、必要な量を集めるのには、相当な時間が掛かるのではとも思う。同時に不安が過る。現実世界の自分達の肉体の事だ。

 

「戻れるとして、ボク達の体って今どうなってるのかな?接続中のまま?」

 

 やまいこの疑問に、やはり答えは無いのだろう、ぶくぶく茶釜も首を傾げる。

 

「接続自体は、そのうちナノマシンの減少で強制排出されるだろうけど。肉体はどうだろうね?私もやまちゃんも接続してるのは実家だし、大丈夫だとは思いたいねー。それにこの世界と現実世界の時間の流れもどうなっているやら……」

 

「……やっぱり、ここと向こうじゃ時間の流れが違うんだね」

 

「モモンガさんが転移してから一年近いらしいけど、私達がこっちの世界に来たのはつい最近だしね。現実世界ではモモンガさんと私達が転移して来たタイミングは、二週間しか違わないのに。もっと言えば私達と、次に転移して来たやまちゃん達ともズレがある。もしかしたらこの世界は、ユグドラシルの時間の流れと一緒じゃないかって、弐式さんは言ってるね」

 

 そう言われて思い出せば、確かユグドラシルの一日は、現実世界での一時間程だったはずだ。確かにそうかもしれないと思うが、それに気づいたのが弐式炎雷というのは意外だった。

 

「あの人刑事ものの推理小説とか映画も好きなんだよね。昔、吹替の人のサインを伝手で貰えないかって、ぷにっとさんとせがまれた事もあるよ」

 

 笑うぶくぶく茶釜に、やまいこも笑う。それでこの話は終わりにした。どちらにしろ帰ってみなければ、わからないのだ。わからないことを話し合ってもしょうがない。いつの日か憂いなく帰るために、今を頑張るしかないのだ。

 

「……ユリ達、ちょっと遅くない?」

 

 ぶくぶく茶釜からの指摘にそういえばと、やまいこがユリたちの居るはずの塔を振り返る。部屋割りを決めるだけで、真面目なユリ達がこんなに時間を掛けるとは思えない。何かトラブルだろうかと<伝言(メッセージ)>をユリに繋げた。

 そしてやまいこは驚く。ユリから出口の扉が開かないと申し訳なさそうに伝えられて。

 少し唖然として、自らが築いた聳え立つ四本の塔を見上げる。

 

「どしたの、やまちゃん?」

 

 問いかけるぶくぶく茶釜に向かって、諦めたように息を吐く。扉が開かない理由は、すぐに思いつく。アインズから聞かされていた、フレンドリィファイヤーやユグドラシルとの違いのはずだ。そして顔を上げる頃には、やまいこは覚悟を決めていた。

 出入り出来るように、扉を殴って壊してしまおうと。

 

「……ごめん、かぜっち。早速手伝ってくれる?」

 

 そしてやまいことぶくぶく茶釜は今日という日を、詠唱者とアイテム使用者しか開けない扉を二人掛かりで粉砕することに費やすのだった。

 

 

 

 

 

 

「学校ですか?エ・ランテルに?」

 

 早朝、ペロロンチーノの問いかけにナザリックの自室でアインズは頷く。最近はエ・ランテルでは無く、仲間たちのいるナザリックで過ごす時間が増えた。自然とエ・ランテルの執務室ではなく、自室で仕事をすることが多くなった。暫くすればアルベドもこの部屋を訪れるだろう。

 

「知識を与える事の危険性は承知しているのですが、孤児院を作るくらいならいっそと思いまして」

 

「いいんじゃない、モモンガさん。やまいこさんも張り切ってるみたいだし」

 

 弐式炎雷の同意に再びアインズは頷く。

 今アインズの部屋に居るのは、ペロロンチーノと弐式炎雷の二人。当番の一般メイドは部屋の外で控えていた。

 帝国の属国化などのトラブルはあったが、舞踏会を無事に終らせた。打ち上げからもう数日経っている。どうせアインズの仕事と言っても書類に目を通していくだけだ。仲間たちと分担してしまえば早いのだろうが、こればかりはそうはいかない。

 アインズは打ち上げの後に、アルベドと約束しているのだ。暫くはアルベドと共にしっかり執務をこなすと。これが打ち上げ時に武人建御雷が言っていたアルベドに対する褒美だ。

 打ち上げの後、ぶくぶく茶釜とやまいこを除くギルドの仲間と共に、一人仕事を続けるアルベドを訪ねた。その場にはデミウルゴスも居たのだが、仲間達はデミウルゴスと控えていたコキュートスを連れて、二次会だと言い何処かに行ってしまった。取り残されることに若干の悲しみはあったが、アルベドを一人にするわけにもいかないし、そもそも設定を書き換えたのはモモンガさんだろうと言われれば、アインズは何も言い返すことは出来ない。

 それに、しばらくはアルベドと過ごすと伝えた時の彼女の表情に、悪い気はしなかったのは事実だ。

 

「そういえばペロロンさん、最近朝早いですね?早起きは苦手じゃありませんでした?」

 

 アインズの問いかけにペロロンチーノは誇らしげに笑う。

 

「この体になってから、あまり寝ないで済むようになったんですよ。ふふ、ショートスリーパーって奴です」

 

 ペロロンチーノは自慢するように言うが、アインズと弐式炎雷は少し呆れたように何も言わない。この二人はそもそも睡眠不要の体だからだ。もっとも二人は寝ないで済むというよりは、寝たくても寝れないという側面もあるのだが。

 

「しかし、学校か。学校ねー。……これは今こそあの計画を実行に移す時かもしれませんね」

 

 腕を組んで部屋の中をうろうろするペロロンチーノが何か閃いたように、二人に振り返る。そのペロロンチーノにアインズは疑問符を浮かべるが、弐式炎雷は何かに気付いたように、戦慄く。

 

「ま、まさかペロロンさん、あの計画を?」

 

「ええ、ナザリック学園化計画。今こそ実行に移すときでしょう」

 

 誰かの真似をしているのか、前屈みになってアインズの座る机に両肘を立てて組んだ手で口元を隠しながらペロロンチーノが告げる。本人は格好付けているのだろうが、椅子に座らずにポーズを付けている為に、お尻を突き出す形になっている。正直何処か滑稽だ。

 

「時代は学園ラブコメ!失われた俺達の青春を、今こそ取り返すんです!」

 

 ポーズを解いて熱く語る彼に、アインズも学園かと感慨深く呟く。確かに多少憧れはするが、自分の青春はユグドラシルだったし、仲間が帰ってきた今ではそれを取り戻したとも言える。

 そもそも今回の学校の設立をやまいこたちに提案したのも、アインズの後ろ暗い思いが隠されている。帝国から連れ帰ったエルフ達はあけみの代わりだし、学校は教師という仕事の代わりだ。この情けない考えは、出来れば仲間達には隠しておきたい。

 

「でもデータ残っているの?あれ確かスーラータンさんが管理してただろう」

 

 弐式炎雷の指摘にペロロンチーノの動きが止まる。やはりデータは残っていないらしい。

 まあ仕方ないかとこの話を打ち切り、代わりにアインズは引き出しから、本日アルベドと打ち合わせる予定の提案書を取り出す。この時間はアルベドに見せる前に、仲間達と提案書の相談をするのに丁度いい。

 

「今日は二件ですね。一件目は……一応匿名ですけど、誰の提案かまるわかりだな、これ……。『ギルドのメンバーでPvPを行いたい』だそうです。追伸でニンジャ潰すとありますが……」

 

「それもう確実に建御雷さんじゃないですか。そういえば建御雷さんは?昨日から見てませんけど」

 

「ああ、建御雷さんなら―」

 

「リザードマンの村に行ってるよ。武技を覚えるんだって。つーか建やん、まだ諦めてなかったのかよ……」

 

 アインズの言葉に呆れたような弐式炎雷が続ける。そういえば打ち上げの翌日に建御雷から弐式炎雷とPvPを行うと聞かされていたが、どうもそれは実現していなかったらしい。恐らく弐式炎雷がボイコットしたのだろう。

 

「武技って俺達覚えられるんですかね?ヘロヘロさんは武技は大した事無かったって言ってましたけど。まあでも、確かにそろそろ本格的な戦闘は経験しておきたいですね」

 

「ですね。皆さんの体を慣らす意味でも、この提案は実行に移すべきだと思います。弐式さんはどう思いますか?」

 

「……いいんじゃない?」

 

 諦めたように弐式炎雷は肩を落とすが、実際に戦闘を経験するのは必要だ。この世界とユグドラシルの違い、それに加えてアインズを除くギルドのメンバーにはブランクもある。早急に実現したかった。

 

「ではこの提案はアルベドに見せるまでも無く採用と。それで次の提案なんですが、ふふ、これ私と弐式さんからなんです」

 

 そう笑みを浮かべて、アインズは二枚の紙をペロロンチーノに手渡す。受け取った紙に目を通しながら、ペロロンチーノが呟く。

 

「……ユニフォームを作ってナザリックの団結力をより強めるですか?へえ、デザイン画もあるんですね。これ誰がデザインしたんですか?」

 

 ペロロンチーノの答えに、弐式炎雷が自信ありげに胸を張る。

 

「弐式さんか。Tシャツみたいですけど、背中にギルドサインに、前にainz ooal gownの文字ですか。おー、結構格好いいですよ」

 

 感心した様に言うペロロンチーノに、アインズ達は満足そうに頷く。寝れない二人が夜なべをして作ったデザインが褒められたのが単純に嬉しくて、さらにアピールをする。

 

「それ黒地の布を使って、ギルドサインとかは赤字にするつもりなんです。黒と赤ですよ。強そうでしょう?」

 

「それにTシャツなら気軽に着れるしさ。何だったら中に着込むことも出来る。良いアイディアだと思うんだよね」

 

「なるほど。っと、そろそろアルベドの来る時間ですね。それじゃあ俺はこれで一度退散します。また後で」

 

 そう言ってペロロンチーノはギルドの指輪を使い早々に転移する。俺を手伝ってくれてもいいんだよペロロンチーノと言いたいが、既に居なくなってしまっているので諦めることにする。

 

「んじゃ俺はモモンガさんの影に隠れてるから。今日はヒマだし、くふ、アルベドの驚く顔を生で見学させてもらうよ」

 

 貴方も暇なら一緒に書類を見てくれてもいいんですよ弐式さんと伝えるより早く、弐式炎雷はスキルを使いアインズの影に沈んでいく。

 そんな二人にアインズが嘆息を付くと同時にノックが聞こえる。一度提案書を引き出しに戻してから返事をすると、当番の一般メイドが顔を見せアインズは入室の許可を出す。するとアルベドとエルダーリッチ達が部屋に入ってきた。

 深々と頭を下げるアルベドに朝の挨拶をしてから、エルダーリッチ達が置いていく書類を、アインズは覚悟を決めて目を通していく。

 束は少ないが分厚い書類にしっかり目を通して国璽を押している間、アインズの影に隠れた弐式炎雷は何をしているんだろうか。そもそも影の中ってどんな感じなのかなと思う。

 

「さて、ではいつもの奴をやろう。今日の提案分はこれだ」

 

 ようやく書類を片付け終え、アインズは引き出しから提案書を取り出す。ちらりと自分の影に視線を移せば、そわそわするように微かに震えていた。

 バレちゃいますよ弐式さんと思うが、アインズも気持ちはわかった。ごくりと喉を鳴らす。これは自信作だ。きっと彼女も受け入れてくれるだろう。それでも自分たちの提案だとバレないように、控えめにアルベドに伝える。

 

「……ふむ。あまり良い提案とは言えないが……まぁ仕方がなかろう。ユニフォームを作り、ナザリックの団結力をより強めては、という意見だな。ほう、デザイン画まで付いている」

 

 ちらりとアルベドの表情を窺いながら、アインズはデザイン画をかざして見せる。途端、彼女が柳眉を逆立てた。

 

「……度を越して下等な発想。一体、誰のものですか?」

 

 アインズは「ごめんなさい」と言いたくなる気持ちを堪え、まったく困ったものだという態度を取りながらも、微かに視線を下げて影の様子を見る。影は動揺した様に、ブルブルと震えていた。

 

「いや、その―――分からん。元々の紙は既に破棄してしまったのでな」

 

「ならばそのデザイン画をお渡しください。そのような愚劣極まりない提案をして、アインズ様の貴重なお時間を無駄にさせたものをすぐさま見つけ出し、何らかの罰を与えます」

 

「―そ!その必要はない!良いか、アルベド!決してそのようなことはするな」

 

 心の中では動揺しながらも、アインズは堂々と胸を張る。だがその影は「あわあわ」と揺れていた。

 何とかアルベドを宥めて、すべての仕事を終え頭を下げてから退室する彼女達を見送る。扉が閉められ、十分に時間が経ってから、ユラユラと幽鬼の様な弐式炎雷が影から現れた。

 

「は、はははは……。この提案システムに感謝だね。俺達の発想だってバレずに済んだ。いやー、ホント、アルベドの前で嫉妬マスクとかやらないでよかったよ……」

 

「ええ、そうですね……」

 

 がっくりと肩を降ろす二人の心には、「下等な発想」という痛みがいまだに突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

 

「―んじゃ行きますよ、大将。やるからには全力で行きますが、本当にいいんですかい?」

 

 太く大きい右腕を掲げて見せるゼンベルに、鎧を脱ぎ筋肉が盛り上がる上半身を晒した武人建御雷は笑う。

 リザードマンの村に訪れた建御雷は、沼地に武技を使えるリザードマンの戦士達を集め、その技を自身の肉体に向かって使わせていた。

 

「おう、全力で来い」

 

 右手で自分の胸を叩き、打って来いとゼンベルを促す。鎧すら脱いだのは武技を直接この身に受けて、威力を確かめる為だ。遠慮などされてはこっちが困る。

 

「こおぉぉおおおおお!」

 

 ゼンベルが巨腕の爪に力を籠めている。モンクのスキルの一つ、<アイアン・ナチュラル・ウェポン>だろう。ここまでは建御雷はユグドラシルで見てきている。見たいのはその先だ。

 もう一度ゼンベルが確認するようにこちらに視線を向ける。その視線に建御雷は野太い笑みを浮かべることで答えた。そしてゼンベルがこちらに勢い良く駆けだしてくる。

 

「おらぁぁ!<剛爪>!!」

 

 咆哮と共に繰り出された一撃を、建御雷は肉体に力を籠めて受ける。

 それだけだ。だがそれだけでゼンベルの渾身の一撃は、スキルも何も使用してない建御雷の肉体に弾かれた。

 

「……マジかよ……」

 

 ゼンベルが、放心した様に呟く。だがそのゼンベルとは対照的に、建御雷は満足そうに頷いた。

 

「おう、良い一撃だったぞ、ゼンベル。よし、次はザリュース、お前の<斬撃>ってのも見せてくれ」

 

「はっ!」

 

 建御雷の呼びかけに、木剣を構えるザリュースが現れる。そのザリュースに建御雷は鼻を鳴らして不満を示す。

 

「お前の腰の武器は飾りか?いいからそっちで撃ってこい」

 

 ザリュースは少しだけ迷ったようだが、すぐに木剣を沼地に突き刺し、代わりに氷で出来た爪のような剣を抜く。フロスト・ペインと言ったか。武技にも興味はあるが、こちらの世界オリジナルの武器だと思われるそれにも建御雷は興味があった。どうせ受けるなら、同時が良い。

 

「それでいい。確かお前は<肉体向上>ってのも使えるんだったな?それも一緒に使ってから俺に撃って来い」

 

「……武人建御雷様は武器を構えられないのですか?」

 

「いら―そうだな、その木剣を投げてくれ」

 

 思わずいらないと言おうとした自らの言葉を遮る。戦士が武器を構えているのに、無手で受けるのは流石に失礼だろう。建御雷はザリュースから投げられた木剣を受け取り、軽く構える。

 

「―では。うぉおお!」

 

 駆け出し、フロストペインを振り上げるザリュースに建御雷は笑う。侮っているのではない。その素晴らしさに思わず笑みが漏れてしまうのだ。先ほどのゼンベルと同じく気合の入ったいい斬撃だ。斬撃そのものにはその程度の感想。思わず笑みが零れた理由は、武技の使用されていないザリュースの一撃と、二つの武技を併用した今自分に迫る一撃の威力の違いにだ。

 

(何が武技は大したことないだ。ヘロヘロさんめ、相当ヤバいじゃねえか)

 

 思いとは裏腹にザリュースの一撃を、木剣で容易く受ける。勿論ただの木剣でこの一撃を受けれるはずもない。ユグドラシルのスキルを籠めて木剣の強度を一時的に高めたのだ。

 

「ありがとうよ、ザリュース。いい一撃に、いい剣だ」

 

 そう言ってザリュースの一撃を受けたままの木剣を軽く払う。それだけでザリュースは弾かれ、沼地を勢いよく転がる。転がるザリュースがすぐさま起き上がろうとするが、それよりも早く建御雷はザリュースの眼前に木剣の切っ先を突き付けた。そして沼地に集められたリザードマンの戦士たちから歓声が上がる。

 歓声に建御雷は、両腕に力こぶを作り肉体をアピールするようにして答えた。再び割れるような歓声が巻き起こる。実に解かりやすい連中だと建御雷は笑い、サービスだといくつかポージングを披露する。

 そしてしばらくしてから気づいたようにザリュースに手を差し出し、彼の身体を立たせてやった。

 

「悪いな、ザリュース。良い経験になったぜ」

 

「い、いえ。そう言って頂ければ、光栄です」

 

「おう、ありがとうな。……そろそろ戻る頃には丁度いい時間か?」

 

 一度日の高さを確かめる様に見上げてから、建御雷は歓声を上げるリザードマン達に声を上げる。

 

「よし、今日はここまでだ!飯だ、飯!お前ら行くぞ!」

 

 建御雷の言葉に従うリザードマン達を引き連れ村に戻る。

 村では宴の用意がされているらしい。

 リザードマン達の主食である生の魚は、この体ならば問題無いのだが、それでも元人間の感性からリザードマン達の様にそのままかぶりつくのは抵抗がある。建御雷用にいくつかは焼いてもらっているはずだ。酒もリザードマン達の至宝で作り出されるらしいが、正直ナザリックの味を覚えた今は、旨くは無い。現実世界の建御雷も、流石にもう少し上等な酒を飲んでいた。

 だがそんな事は関係ない様に、建御雷の足取りは軽い。まるで楽しみを見つけた少年のような足取りだ。

 村の入り口では片膝をついたコキュートスが出迎えてくれた。思わず建御雷はそのコキュートスの肩を叩く。そしてリザードマン達が宴の用意をしている場所に向けて歩きながらも、興奮した様に口を開く。

 

「おい、コキュートス。武技、あれはヤバいぞ。特に身体能力向上系の武技がヤバいな。もしアレを完全に使いこなすプレイヤーが居たら、ワールドチャンピオンどころじゃねえ、それ以上にヤバい。それだけじゃない。この世界の連中に、そうだな、九十レベル相当の奴が居たとして、そいつがスキルと武技の両方を使用できるなら、俺達に匹敵するかもしれないぞ?」

 

 笑って言う建御雷にコキュートスはカチカチと威嚇するような音を出す。

 

「何者ガ相手デアロウトモ、至高ノ御方ニ歯向カウノデアレバ、コノ私ガ剣トナリ断チ切ッテ見セマショウ」

 

 そう言うコキュートスのライトブルーの骨格に覆われた胸を、建御雷は獰猛な笑みを浮かべながら拳で叩く。

 

「俺の獲物も残しておけよ?だがな、コキュートス。俺は武技を覚えるつもりだ。……確かモモンガさんがデス・ナイトを使った実験では駄目だったらしいな?俺達はこれ以上強くなれないかもしれないとも言っていた」

 

 コキュートスは口を挟まず、身を震わせながら建御雷の続く言葉を待つ。

 

「武技を覚えられなかったのはスキルで生み出されたデス・ナイトだ。俺で実験したわけじゃ無い。……くくく、これから忙しくなるな、コキュートス。お前も付き合え」

 

 

「ハッ!畏マリマシタ、武人建御雷様!……ソレト先ホドアインズ様ヨリゴ連絡ガアリマシタ。武人建御雷様ノゴ提案、早ケレバ明日ニモ行イタイト」

 

「おお、思ったより早かったな。……よし、明日の朝一番に戻ると伝えておいてくれ。まあ今日はリザードマン達と過ごすがな」

 

 そう言いながら宴の準備がされている場所に辿り着く。

 少し迷いながら、建御雷は上座らしき場所に向かう。椅子のような物は当然ないので、他のリザードマン達と同じく、地面に胡坐をかこうとするが、それよりも早くに一緒に歩いて来たコキュートスが両手両膝を地面についた。

 

「……それは一体何の真似だ、コキュートス?」

 

「ハッ!カツテアインズ様ガ、コノヨウニシタシャルティアニ座ラレタト聞キマシタ。ソレヲ見タデミウルゴスガ、守護者コソ至高ノ御身ニ相応シイ椅子デアルト。デスノデ私モ、武人建御雷様ノ椅子ニナロウト準備サセテ戴キマシタ」

 

「はぁ!?……おいおい、モモンガさん、そんな趣味があったのかよ!……それ、ペロロンさんには言うなよ?しかし、あの人がねぇ?」

 

 知りたくもない性癖を知ってしまったような、そんなショックが建御雷を襲う。

 とりあえず無理やりにコキュートスを立たせてから、隣に座らせる。すぐに運ばれてくる串に刺された焼き魚と酒の満たされた杯を受け取りつつ、建御雷は諦めたような息を吐く。

 

(まあ、趣味は人それぞれだしな。そっとして置いてやるか。……いや、神殿の像も含めて相談しておいた方が良いか?……まあ、今日は忘れておくか。……たっちさん、俺はこの世界で武技を覚えるぞ。さっさと面を見せないアンタが悪いんだからな?せいぜい転移したとき、遅れてきたことに臍を噛むといいさ)




pixiv掲載時には、創造系魔法の魔力消費の事知りませんでした。だから少し直し直し。
ヘロヘロさんの日常は、もう少し先でやりますよ!


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 至高の方々、PvP!

 弐式炎雷が二本の小太刀を手に、ぶくぶく茶釜に襲い掛かる。両の手で軌跡を巧妙に変化させる斬撃を、ぶくぶく茶釜もまた両の手で構えた盾で弾いていく。斬撃の合間を縫って放った弐式炎雷の回し蹴りを右手の盾で受けて、ぶくぶく茶釜が叫んだ。

 

「攻撃が軽い!影!」

 

「応!」

 

 叫びに武人武御雷が、ぶくぶく茶釜の背後から答える。建御雷の大太刀から弐式炎雷の影目掛け一直線に、斬撃が地面を抉りながら飛ぶ。すぐさま弐式炎雷の体から影だけが切り離され斬撃を躱した。今の弐式炎雷は分身だ。本体は影に隠れて不意打ちを狙っていたが、攻撃の重さからぶくぶく茶釜に分身だと見破られてしまっていた。

 弐式炎雷の本体が影から出てくるまでに一瞬の時間が掛かる。その時間を稼ぐために、アインズは即座に魔法を発動させる。

 

「<重力渦(グラビティメイルシュトローム)>!」

 

 二人に向けて、アインズは漆黒の球体を投じた。だが、すぐさま超重力の螺旋球を遮る様に巨大な石壁が大地から盛り上がる。

 やまいこの<石壁(ウォール・オブ・ストーン)>。

 球体が石壁に激突し崩れていく。だがそれと共に重力球も消え失せた。そして崩れた石壁から建御雷が躍り出てくる。狙いはアインズだ。

 

「チィ!<骸骨(ウォール・オブ)―がぁ!」

 

 先程やまいこが<石壁(ウォール・オブ・ストーン)>を用いて防いだように、アインズも骨の壁で建御雷の接近を防ごうとする。しかし詠唱が完了するより早く、茶釜から投げつけられた盾の一撃がアインズに直撃する。詠唱を妨害するスキルの一つ、<シールドスワイプ>。それによって詠唱を妨害され、魔法が発動出来なかった。

 

「まず一人!」

 

 大上段から振り下ろされた建御雷の一撃が、無防備なアインズを袈裟懸けに切り裂く。

 切り裂かれた瞬間、アインズの視界が切り替わった。

 建御雷の一撃に切り裂かれたのは弐式炎雷の分身。弐式炎雷の分身とアインズの位置を一瞬で切り替えられた。盾役が使う位置交換のスキル、その忍者版のスキルによって救われた。

 

「そう簡単に、やらせるかよ!」

 

「はっ!俺の狙いは最初からお前だよ!」

 

 建御雷が狙いを弐式炎雷に絞る。

 再び大上段からの一撃を弐式炎雷に向け振り下ろす。弐式炎雷はその攻撃を、天照と月読を交差させ防いだ。

 神話(ゴッズ)アイテム同士がぶつかり合う激しい衝撃に、大地が揺れる。

 

「……お、おいぃ!こ、これっ!殺気が籠ってないか!?」

 

「舞踏会の礼だ!安心しろぉ、お前の蘇生費用は俺が受け持ってやる!」

 

 鍔迫り合う二人のやり取りが聞こえた。弐式炎雷を断ち斬らんと、力で勝る建御雷がそのまま押し込もうとしている。

 

「じょ、冗談じゃねぇ!誰がプレイヤー蘇生実験の被験者第一号になるか!そ、それにさ、建やん!俺らのチームメイトを一人忘れているだろう!?」

 

 弐式は力比べを放棄し、建御雷の刀を上手く逸らす。そして合図をするように自らの影を足で二度叩いた。

 言葉と同時に弐式の足元が盛り上がる。弐式のスキルによって影に潜んでいたヘロヘロが、弐式と建御雷に割って入るように現れた。

 

「ばぁ」

 

「うげ!ヘロヘロさんだと!?」

 

 おどける様なヘロヘロに、建御雷が追撃を躊躇う。

 当然だ。ヘロヘロのPvPでの恐ろしさはアインズ・ウール・ゴウン全員が周知している。彼の酸性はあらゆる耐性を超え、時間さえかければ神話級アイテムすら溶かし尽くす。

 もちろん今回のPvPでは相手の武装を狙う事は禁じ手だ。だが、自らヘロヘロに攻撃をした場合はその限りではない。

 いくらヘロヘロでもたったの一撃を受けただけで神話級装備に致命的なダメージは与えられないが、それでも装備に愛着があればあるほど躊躇ってしまう。そしてその躊躇いを、アインズは見逃さない。

 

「<魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)>!」

 

 無防備な建御雷に三発同時に巻き起こる空間切断が襲い掛かる。だが、ぶくぶく茶釜が両手で構えた盾で建御雷を庇うように前に出た。

 

「<ウォールズ・オブ・ジェリコ>」

 

 ぶくぶく茶釜の全体防御技によって、一発の空間切断が防がれる。

 

「<イージス>……おりぁ!!」

 

 そして残り二発も妙に可愛らしい声と共に、彼女の盾によって強引に弾かれた。

 

(嘘だろう!?)

 

 完璧なタイミングで放たれた強化済みの第十位階魔法を、それも魔法的防御をほぼ完全無効する空間切断をどうやってか物理的に弾かれ、アインズが動揺する。

 

「サンキュー!茶釜さん!」

 

「どういた!スイッチ!」

 

 ぶくぶく茶釜の指示に従い、建御雷がアインズを、やまいこがヘロヘロに狙いを変える。ぶくぶく茶釜は距離を取ろうとした弐式炎雷に詰め寄り、盾で押し込もうとする。

 

「だあ!茶釜さん、硬すぎだろう!?」

 

「てへぺろ」

 

「可愛くねえ!俺の制限と比べて茶釜さんの制限軽過ぎじゃない!?」

 

 可愛らしい声で笑うぶくぶく茶釜に、弐式が両手に構えた小太刀で連続で斬りつける。しかし茶釜はそれらを全て盾で捌きながら、逆に盾で押し返していた。<シールドアタック><シールドスタン><メガインパクト>を連続して弐式に叩き込んでいる。

 

「ぎゃん!」

 

 声に一瞬注意を向ければ、やまいこのメイン武器女教師怒りの鉄拳の強力なノックバック効果によって、ヘロヘロが弾き飛ばされていた。だがヘロヘロも弾かれながら、一気に身体を肥大化させている。眼窩に輝きが灯ると同時に、その触腕をやまいこに向かって伸ばす。

 

「くっ!」

 

 粘体の体に巻き付かれたやまいこが、振り払おうともがく。筋力では外せないと察したやまいこが魔法の詠唱を行う。

 

「させません!私は今回武具を狙えない制限付きですので、全力でHPを削らさせてもらいますよ!」

 

 そういってヘロヘロはやまいこの全身を取り込もうとする。

 詠唱を邪魔され、やまいこはヘロヘロから逃れられない。こうなると我慢比べだ。ヘロヘロの酸性が勝つか、やまいこの事前に唱えている継続回復魔法の回復量が勝つかだ。

 

 現在トブの大森林で行われているPvPは、いくつかのルールを、制限が付けられている。

 ヘロヘロならば、相手の武具へのダイレクトヒットの禁止。アインズならばいくつかの魔法、そしてThe goal of all life is deathの使用禁止。やまいこは回復魔法の使用回数の制限といった具合にだ。

 全員が何らかの制限を受けた上での、三対三の全力戦闘。

 チーム分けも魔法詠唱者のアインズとやまいこは、最初からチームが分かれるようにされていた。

 勝利条件は相手のHPを一定の割合まで削ること。これも各々のロールに応じて割合が違う。

 それを審判するのがチーム分けからあぶれたギルドのメンバー、今回はペロロンチーノだ。その彼が<生命の精髄(ライフ・エッセンス)>の効果のあるアイテムを使用しながら、上空から監視している。

 

「考え事か、モモンガさん?流石にこっちでの戦闘慣れしているな」

 

 相対する建御雷の言葉に、アインズが笑う。

 

「まさか、皆さん相手に、そんな余裕はありませんよ。ただ少し、いえ、とても楽しいので、嬉しかっただけです」

 

「そうか。なら―行くぜ!」

 

 アインズも戦士としての訓練をこの世界に来てから行っている。斬撃を潜り込み、相手に肉薄するような訓練も何十回とコキュートスとしているが、流石に建御雷相手にできるとは思わない。だから<上位転移(グレーター・テレポーテーション)>を唱え離れる。そして距離を取ってから攻撃魔法を詠唱した。彼と接近戦をするつもりはない。

 

「<魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)>!」

 

 空間の切断を前に建御雷は大太刀を一度収め、腰だめに構える。そして居合抜きのように放たれた斬撃が、強化した空間切断の魔法を打ち消した。

 

「さっきみたいに不意を突くならともかく、俺にその手の魔法は悪手だぜ、モモンガさん」

 

「なるほど、たっちさん対策は万全ですか!」

 

 <現断(リアリティ・スラッシュ)>はワールドチャンピオンの最終スキル<次元断切(ワールドブレイク)>の劣化魔法だ。当然ワールドチャンピオンのクラスを持っていない建御雷はそのスキルを使えない。だが彼はたっち・みーを倒すことを目標としていた。十分に対策をしているのだろう。

 

(ああ。本当に楽しい)

 

 自分の攻撃が、ことごとく防がれる。相手からの攻撃を、仲間が何も言わずに防いでくれる。簡単な合図でこちらの意図を読み、最適な動きをしてくれる。

 本当に楽しかった。これほど楽しい戦闘は、一体いつ以来だろうとアインズは思う。

 魔法を放ち、防がれ、相手からのスキルを魔法で受け、また魔法で攻撃する。

 あまりの楽しさに、隠しようのない笑みが浮かんでしまう。それは仲間達も一緒だろう。自分が持てる力を、スキルを試すように戦っている。

 

「ヘロヘロさん!いつまでもやまいこさんを苛めてないで、例の作戦行くぞ!」

 

「ええー、本当にやるんですか?」

 

 弐式炎雷の呼び掛けに答え、ヘロヘロがやまいこを締め付ける拘束を解き、元の小さな状態に戻って彼の元に駆け寄る。

 本気であれを試すのかと、アインズは建御雷の相手をしながら横目で見やる。

 

「見ろ!ユグドラシルでは出来なかった荒技!……名付けて、ヘロヘロの盾だ!」

 

 弐式炎雷が小さくなったヘロヘロの首根っこを右手で掴み、盾を構える様に掲げて見せた。ユグドラシルでは当然だが、仲間を装備するなんて真似は出来なかった。どうせなら色々試そうと、PvP前に弐式炎雷が提案していたのだ。

 そして弐式炎雷が考えたのが、アイギスの盾ならぬヘロヘロの盾。強力な酸性を誇るヘロヘロを盾とし、全ての攻撃を防ごうとしているのだ。

 

「攻撃出来るもんなら攻撃してみろ!ヘロヘロさんがどんな装備も溶かし尽くすぞ!」

 

「いや、攻撃を受けて武具にダメージを与えるのは、私にもしっかりダメージは入るんですけどね」

 

 右手にヘロヘロを、左手に月読を構えた弐式炎雷が、ぶくぶく茶釜とやまいこに向けて駆け出す。

 

「……やまちゃん」

 

「うん」

 

 拘束から解放されたやまいこが迎え撃つようにヘロヘロを殴りつけ、再び強力なノックバックで弾き飛ばす。

 

「ぎゃん!」

 

「ぐぉ!?」

 

 当然ヘロヘロを装備した弐式炎雷ごとだ。

 

「ふ、踏ん張っても全く耐えられねえ。すげえな、女教師怒りの鉄拳」

 

「ダメージは有りませんが攻撃を受けた瞬間弾き飛ばされるから、酸性も殆んど通りません。私にとっては本当に厄介です」

 

「だな。ん?……痛い……って、なんじゃこりゃぁ!?」

 

 弾き飛ばされ地面を転がる弐式炎雷が自分の右手を見て驚愕するように叫んだ。

 

「おい、ヘロヘロさん!俺の右指が溶けてるんだけどぉ!」

 

「そらこの状態でも、酸性カットをしていない私を持ち上げてたらそうなりますよ」

 

「痛い!指全部溶けてるし!や、やまいこさーん!」

 

 痛みにのたうち回る弐式炎雷が、助けを求める様にやまいこの名を叫ぶ。

 

「う、うん。<大治癒(ヒール)>」

 

 見かねたのか、やまいこが魔法を使用し、弐式炎雷の傷を癒す。

 

「ありがとう、やまいこさん。……よし、やまいこさんの回復魔法使用回数を削るという俺達の作戦は成功だぞ、ヘロヘロさん」

 

 指が再生した弐式炎雷が再び天照と月読を構え、ぶくぶく茶釜とやまいこに対峙する。

 

「回復まで貰っておいて、そのまま戦闘再開するんですね。まあ、いいですけど」

 

 そう言って、再び激しい戦闘が再開される。

 本当の敵との戦いであれを試さなくて良かったと、アインズは苦笑いをした。そしてアインズもまた、楽しみの続きを、建御雷との戦闘をより激しいものとする。

 

 だがしばらくして、アインズの楽しみを邪魔をするかのように、<伝言(メッセージ)>の伸ばされた線が繋がった。思わずアインズは苛立しげに表情を歪める。今アインズ達がPvPを行っている事はナザリックのもの達にも当然伝えてある。邪魔をするものは居ない筈だ。

 

『―アインズ様』

 

「シズか。今忙しい。後に―――いや、すまない。続けてくれ」

 

 繋がった相手がシズだと知って、思わず切ろうとした<伝言(メッセージ)>に意識を集中する。突然戦闘を中断したアインズを建御雷が訝し気に首を傾げながら、大太刀を肩に担ぐ。その様子に、仲間達も次々と戦闘を中断し、アインズのもとに集まって来ている。

 

「どったの、モモちゃん?」

 

 問いかけるぶくぶく茶釜に、アインズは言葉が出ない。無いはずの動悸が激しい。自分が興奮していることがよく分かる。

 霊廟を監視するシズには一つの命令を伝えてある。あることが起きたのならば、アインズがどのような状況であれ、何を行っていても、必ず、最優先で連絡するようにと。

 

 シズからの<伝言(メッセージ)>。それは即ち―

 

『ウルベルト・アレイン・オードル様が、ナザリックにご帰還されました』

 

 ―仲間の帰還だ。



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 至高の方々、魔導国入り カルマ悪

 鋭利な爪が窪みの壁に触れた。荒い息と共に、壁を引っ掻いた音が闇に響く。

 敵にすらなりえなかった。

 踊らされ、虚仮にされ、一年以上の時間を掛けて準備したものも、嘲笑うかのように全て踏みつぶされた。自分は世界に、二極化されすぎた不公平な世界に、何一つ傷も、爪痕すら残すことも出来ずに終わってしまった。

 怨嗟の声が漏れる。

 悔しかった。負けてしまった事、いや、負け続けて終わってしまった事が。

 悔しさに喉を掻きむしる。長い爪が喉に触れ、僅かに痛みを感じた。だがそんな痛みなど、あの、喉を撃ち抜かれた衝撃と血を失う感覚と比べれば、なんという事も無かった。

 そして気付く。あの大量の流れ出る血と共に抜けていった意識が、今はこうも明瞭に覚醒している事に。

 

(……これは……どういうことだ?)

 

 ゆっくりと、今度は長い爪で自身を傷つけないように、首元に触れる。勿論そこには何の傷跡もない。柔らかな毛に覆われていた。確かにあったはずの傷も、傷跡すらも無い。

 

(撃たれた。撃たれていたはずだ。……生きている?なぜ?……いや、だからこの姿なのか?)

 

 両手を広げ視線を向ける。長い、鋭利な爪が伸びたその手を。人の手では、当然ない。自らの姿を一瞥し、ただの人間だった自分が、異形の姿に転じている事を理解する。それは非常に見慣れた姿だ。かつて長い時間を掛けて育てたユグドラシルのアバター。

 確かめる様に顔を擦る。かつての仲間からは、まるでペストマスクのようだと言われた仮面を。それから仮面に覆われていない素顔にも触れた。

 

(表情筋の感覚がある。変化もしているようだな。……ユグドラシルでは無いのか?ならここは何処なんだ?)

 

 シルクハットに手を添え、窪みから飛び降りる。降り立った衝撃で、蹄が硬質な音を立てた。

 薄暗い景色に見覚えがあった。ナザリック、それも宝物殿の最奥。霊廟。

 ユグドラシルで見た光景だが、何よりも感覚が、ここがユグドラシルでは無いと告げている。

 アヴァターラの立ち並ぶ霊廟を眺めてから、先ほどから気になっていたことを試すことにする。ゆっくりと、腕を伸ばし掌を広げた。

 

「<魔法の矢(マジック・アロー)>」

 

 言葉と共に光弾が生まれ、それが光の矢となって拡散する前に、握りつぶした。僅かな痛みを感じながら、小さく鼻を鳴らす。

 

(位階魔法が発動する。発動方法もユグドラシルとは違うな)

 

 山羊の顔が、醜悪な笑みで歪む。

 

(ここが何処かは知らないが、この俺に戦える力を与えた事を後悔させてやろう)

 

 マントを翻し、蹄を打ち鳴らし、霊廟の出口に向けて歩き始めた。

 なぜ自分がこの姿をしているのかは解からない。だがこの姿は、ユグドラシルのアバターは、ウルベルト・アレイン・オードルは。無力だった人間の姿と違い、戦う力がある。圧倒的な力が。

 気分が高揚する。久しく感じてない感覚だ。今までの自分とは違う。もはや這いつくばって、機会をこそこそと窺う様な生き方をしていた自分では無いのだ。圧倒的な全能感。それが全身を強く支配していた。

 

 出口に差し掛かる前に、ウルベルトの足が止まる。そして向かい合う二つのアヴァターラを見上げた。

 一つは体の至る所に口がある異形の像。細かな再現は出来ていないが、それでも彼と知れる。見覚えのある装備品だけでなく、不格好であっても大喰らいと呼ばれた彼の特徴を、上手く表現していた。

 

(……すまない。遺してくれたものを、生かすことが出来なかったよ)

 

 アヴァターラに向けて謝る。

 彼が託してくれたもの、彼の本心では投げ出したかったのだろうが、結局は無駄になってしまった。

 いや、まだ無駄になったとは限らない。そう思い、願いを込めてもう一つのアヴァターラを見上げる。

 剣と盾を構えた、白銀の鎧を装備した像を。

 

(……後は任せたぞ。せいぜい、上手くやれ)

 

 小さく舌打ちしてアヴァターラを一瞥し、すぐに歩みだす。

 自分の後を託すのが、よりにもよってあの男だとは笑いたくなる。だが、自分よりは上手くあれを活用できるだろう。活用するための伝手は、残せたはずだ。自分に出来る事はもう何もない。あとは祈るぐらいだ。

 

(祈る?この俺が、ウルベルト・アレイン・オードルが?)

 

 浮かんだ考えを打ち消す。祈るなど、自分らしく、ウルベルト・アレイン・オードルらしくない。僅かに自嘲的な笑みを浮かべ、霊廟の扉の前に立つ。

 言うなればこの扉は、地獄門。

 この先に居るの神か悪魔か。神ならば、ねじ伏せてみせよう。悪魔ならば、格の違いを見せつけてやろう。

 ならばこの扉はどう開く。ウルベルト・アレイン・オードルならば、どう開く?

 自らの想像を思い描く。ウルベルトならば、爆炎と共に扉を吹き飛ばし、炎の中を突き進むだろう。黒衣の装束を火の粉で翻し、愉悦の笑みを浮かべ、遮るものすべてを嘲笑いながら踏みつぶしていくだろう。それがウルベルトだ。

 だが結局は、普通に扉を開く。霊廟を作った仲間の顔を思い出し、そんな気が失せてしまったからだ。チラついた仲間の顔に、思わず笑みが浮かんでしまう。これもまた自分かと、自嘲した。

 扉が開かれた先には、ウルベルトの予想とは違い、待合室の様な空間が広がっていた。

 神も悪魔も居ない。ただメイドが、一人だけ居た。小さな体にアイパッチ、マフラーを首に巻き銃器を下げた一人の少女が頭を下げ、ウルベルトを出迎えている。

 

「……お前は、ガーネットさんの?」

 

 名前こそ出てこないが、見覚えはあった。

 プレアデス。かつてナザリックで製作したNPC達の一人。ここがウルベルトの想像する死後の世界だとして、なぜここにナザリックのNPCが居る。

 もしやここは本当にナザリックなのか。そんな思いが浮かぶが、すぐさま否定する。長らく触れていないが、数週間前にユグドラシルが終わりを告げた事は知っている。そしてもしここがナザリックであるのならば、自分を出迎えるのにもっと相応しいNPCも居るはずだとも思う。

 

「お帰りなさいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 少女が顔を上げる。言葉と共に。

 

「アインズ様には御連絡済みです。直にお見えになられるかと思います」

 

 少女からの言葉に、ウルベルトは顔を歪める。メイドの少女はアインズの名を、まるで誰かの個人名であるかのように口にした。不快だった。アインズ・ウール・ゴウン。何者かがその名を騙っているのか。その名を名乗ることが許されるのは、ただの一人だけだ。

 

「そのアインズ様は、ここに来るんだな?」

 

 懐かしい骨頭を思い浮かべたウルベルトの問いかけに、メイドの少女は頷いて答える。

 恐らく、そのアインズを名乗る何者かが、この全てを仕組んだ元凶だろうと推察する。

 来るというのなら、待たせてもらおう。そして後悔をさせてやる。よりにもよってその名を、人生で唯一楽しかった時間のギルドの名を、このウルベルトの前で騙ったことを。

 

「……お前、俺の―いや、私の後ろに控えていろ」

 

 ウルベルトの命に、少女は頷き従う。

 このナザリックのNPCと同じ姿をした者が何者かわからないが、それでも仲間が創造した者の姿をした彼女を巻き込んでしまう事は避けたかった。少なくとも自分の背後に置いておけば、守ってやる事は出来る。

 自分の背後で跪き控える少女を一瞥し、どう待たせてもらおうかと思案すると、ウルベルトの前に複数の気配が転移してくる。

 

 そして笑ってしまう。現れた七つの異形に。

 モモンガ。武人建御雷。弐式炎雷。やまいこ。ぶくぶく茶釜。ペロロンチーノ。ヘロヘロ。

 なるほどとウルベルトは納得する。大した悪だと認めもする。そしてなぜ自分がこの姿をしているのかも。

 ここは地獄だ。地獄の責め苦を、ウルベルトに与えようとしている。

 彼らはかつて自分ともう一人の諍いが原因でギルドが二分されたとき、どちらに与することなく、かといって突き放すこともしなかった仲間達。

 言い換えれば被害者。あれだけ長い時間を掛けたものを、手放させてしまった原因は、自らのつまらない嫉妬心から生まれた火種だ。その被害者達から責められる為に、自分はウルベルトの姿になったのだ。

 どのような力を持っていようが、彼らにその力は振るえない。振る気も起きなかった。

 

(未来永劫、この姿で責められろと言うわけか)

 

 それが罰かと、ウルベルトは受け入れる。だが―

 

「お帰りなさい、ウルベルトさん!よく、本当に、よく帰ってきてくれました!」

 

 仲間の一人、モモンガから発せられたのは責め苦では無く、歓迎の言葉だった。

 

「なにさっきからニヤニヤしてるんだよ、ウルベルトさん。少し気持ち悪いぞ?まあ、何はともあれ、久しぶりだな」

 

 揶揄う様な言葉と共に、建御雷が笑いながら言う。

 

「おー、本当にウルベルトさんだ。やった。これで元無課金同盟、全員集合だ」

 

 懐かしい単語共に、ペロロンチーノがあの頃と変わらない金色の残光を散らしている。

 

「いや、そこはナザリック攻略戦モモンガパーティー勢ぞろいの方じゃない?ウルベルトさん来たら揃うのになーって思ってたんだよ」

 

 忍者装束の弐式炎雷の言葉に、記憶が蘇る。

 

「ホントだ。これであの時のパーティーメンバーが揃ったんだ。凄い、これ偶然なのかな?」

 

 やまいこが楽し気に笑っている。表情が変化するためにユグドラシルの頃よりもおぞましいのに、その目は優しかった。

 

「今いるの全員クラン時代からのメンバーか。偶然?……まあ、今はいいか。やっほー。おひさしー、ウルベルトさん。元気だった?」

 

 ぶくぶく茶釜が、外見にそぐわない可愛らしい声でこちらの名前を呼んでくれている。

 

「あのー、私。そのどちらの同盟にもチームにも入ってなかったので、すっごい疎外感あるんですけど……。まあ、いいんですけどね。おひさーです、ウルベルトさん」

 

 ヘロヘロが、相変わらずの姿に、それでいてあの頃よりも格段に生気がある声で自分を呼ぶ。

 

「いじけちゃだめですよ?それにヘロヘロさんだって、新しい同盟には加盟してるじゃないですか。……え?もしかして脱退してます?」

 

「いえ、してませんけど。……モモンガさんと弐式さんもしてませんよね?」

 

「ちょっと二人とも、せっかくウルベルトさんが帰ってきてくれたこの場面でその話をしますか……?」

 

「そうそう。ここには何人か裏切り者もいるから。チクショウ」

 

「おい、裏切り者って俺の事か?」

 

「なになに?何の話?ボクにも教えてよ」

 

「聞かないほうが良いよ、やまちゃん。断言するけど、絶対くだらない話だから」

 

 懐かしいやり取りに、思わず、今までの自虐的な笑みではない、自然な笑いがこみ上げた。

 当時の記憶が脳裏を駆け巡る。この数年思い出しもしなかった。いや、意図的に思い出さないようにしてきた。その封印してきた記憶の中の彼らが、今こうして目の前で笑っていることが信じられなかった。だからウルベルトは、仲間の姿を取った彼らに問い掛けた。

 

「……本当に、皆なのか?」

 

 確かめる様な言葉に、彼らは笑って頷く。

 

「正真正銘、私達ですよ。さあ、ウルベルトさん。これを受け取って下さい」

 

 そう言ってモモンガから指輪が差し出される。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの指輪。自分が引退した際に、様々な装備品と共に彼に預けた。もう戻ることも無いだろうと思って。

 受け取ろうとした鋭利な爪先が震えていた。そして指が指輪を受け取る直前に止まる。

 自分に、この指輪を受け取る資格があるのだろうか?ギルドが崩壊した原因となった自分が。その思いが指輪をモモンガから受け取ることを、どうしても躊躇わさせた。

 だがそんなウルベルトに構わず、モモンガから指輪を手渡され手に握らされる。そんな光景を、他の仲間達も先ほどまでと違い真剣な面持ちで見つめていた。

 

「……あれはウルベルトさんのせいではありません」

 

 モモンガの言葉に、みんなが頷いている。それでも躊躇うウルベルトに、ペロロンチーノが続ける。

 

「そうですよ、ウルベルトさん。俺達みんな何時もの事だって、軽く考えてましたから。きっとあれは、みんなの責任だったんです」

 

「弟の言う通りだよ、ウルベルトさん。私たちがギルド内の二人の影響力を甘く見てたせい」

 

「ああ。新しい連中にもちゃんと説明しておいてやれば良かったんだけどな」

 

「ギルド連合を撃退したことで、みんな舞い上がってたしね」

 

「そういう事だって、ウルベルトさん。だから責任を取るなんて言って、勝手に居なくなるのはもう無しだよ」

 

 甘い連中だ。つくづくそう思う。今ここに居るのはモモンガを筆頭に、そうやって貧乏くじを引く連中ばかりだ。

 だからこそウルベルトは指輪を受け取った。

 今の状況はまるで理解していない。

 彼らは自分と同じ理由でここに居るのだろうか。だとすればそれはあまりにも悲劇だ。

 だがそれでも彼らは、仲間はここに居る。今はそれで十分だ。

 彼らの為の、悪となる。

 それが、ウルベルト・アレイン・オードルだろうと。

 

 

 

 

 

 

(……成程な)

 

 円卓に移動したウルベルトはそう心中で頷く。モモンガ、いや、アインズからのこれまでの説明に衝撃を受けるが、それよりも安堵が勝っていた。

 彼らは自分とは違う切っ掛けで、この世界に訪れている。囚われてしまったのかもしれないが、それでも彼らには希望はある筈だ。

 ウルベルトが転移した切っ掛けについては適当に話を合わせ、誤魔化していた。

 説明するには、どうしても自分がこの数年していたことを話さなければならない。後ろ暗い内容だからという理由もあるが、話をしてぶくぶく茶釜のように現実世界に戻ろうとする者を、否応なく巻き込んでしまう事を恐れたからだ。

 

「だけど、サービス終了後にユグドラシルにログインするとこっちに来れるのって、俺らだけなんですかね?」

 

 ペロロンチーノの疑問に、やまいこが答える。

 

「明美の話だと、サービス終了後は何も残ってなかったって。運営のトップページが変わってるだけって言ってたかな?」

 

「ああ、ユグドラシルIIの噂でしょう?俺も有料サイトとか覗いたけど、ユグドラシルが残ってるとか、その手の話は無かったな」

 

「まあ、それだと取り込まれた奴らが居ないって証明では無いな。そういう連中が書き込めてないってだけだ。……六大神に八欲王、こいつらは間違いなくプレイヤーだろう」

 

「時代の開きは気になりますねー。まあ、人間種のプレイヤーなら寿命などもあるでしょうけど。そういえば茶釜さん。私達って寿命ってあるんでしょうか?」

 

 ヘロヘロの問いかけに、ぶくぶく茶釜は首を傾げる。

 

「無さそう?有るのかな?こっちの粘体は栄養が豊富だと分裂して増えるらしいから、それは少し気を付けたほうが良いかも」

 

「……私、ナザリックに来てから食生活相当改善されてるんですけど……。運動したほうが良いのかなー。特に私、最近自分の足で移動してませんし」

 

「ボクも人の事言えないけど、かぜっちも最近沢山食べてるよね?」

 

「うわー、やまちゃんが苛めるー!」

 

 やまいこの揶揄いに、ぶくぶく茶釜がわざとらしい声で嘆く。その彼女を、言わなければいいのにと思うが、ペロロンチーノが揶揄う様に茶々を付ける。

 

「ぶくぶく姉、増えるの?」

 

「……おい。私をその名で呼ぶとは、次のPvPが楽しみだなぁ」

 

 地獄の底から聞こえるような静かで重い声に、ペロロンチーノは一瞬で硬直している。相変わらず、見事な声の切り替えだ。見かねたのかペロロンチーノを助ける様に、アインズが場を仕切り直す為何度か手を打ち鳴らし注目を集める。

 

「実は私から、皆さんにお話ししたいことがあります。今までは舞踏会で手一杯だったので余裕がありませんでしたが、皆さん、この剣を見てもらえますか?」

 

 そう言ってアインズは虚空から一振りの剣を取り出し、かざしてみせた。

 それなりに綺麗な剣だが、データ量的には大した事がなさそうだ。少なくともウルベルトにはその程度の感想しか湧かなかったのだが、弐式炎雷が少しだけ驚いて声を上げる。

 

「モモンガさん、それ、もしかしてルーン文字?……その剣、ユグドラシル産の装備じゃ無いよな?」

 

 刀身を指さす弐式に倣い、ウルベルトも山羊の瞳を向ける。確かに刀身に何か彫ってある。それがルーン文字なのかウルベルトには判別がつかなかったが、ルーンと言う言葉自体は聞いた覚えはあった。

 

「ええ、アゼルリシア山脈にあるドワーフの王国のルーン工匠が、百五十年以上昔に作り上げた剣だそうです。闘技場の支配人から、いくつかの武具を担保にすることを条件に借り受けました。ええーと、タブラさんがこの場に居てくれたら良かったんですけど、ルーン文字について聞いたことない人は居らっしゃいますか?」

 

 アインズの確認に誰も声を上げない。皆ゲーム知識や、やまいこなどは教養から、その言葉を知っているのだろう。

 

「もしかしたら、そのドワーフの王国にプレイヤーが居るかもしれないって事ですね。我々の世界のルーン知識を授けた者が。……その情報はもしかして、私と一緒に帝国に訪れた時にですか?」

 

 ヘロヘロの確認に、アインズは頷く。そういえばヘロヘロは闘技場で現地の者と戦ったと言っていたことを思い出す。そしてそれを羨ましく思う。自分ならばどう戦っただろうか、どう魅せただろうかと思わず想像してしまう。

 

「私なりに調べてはみましたが、これといった情報は出てきていません。ですので、出来れば直接訪れて詳しく調べたいと思います。もしかすればルーンの裏に、シャルティアを洗脳した相手が―」

 

 アインズがそこまで言って、音を立ててペロロンチーノが立ち上がる。すぐに気づいたように少しだけ周りを見渡し、話を中断させてしまった事に対する謝罪を口にして、座り直す。非常に興奮した様子だ。シャルティアの事に対しては、並々ならぬ思いがあるのだろうと推測する。

 

「……ここはやはり危険を承知で飛び込むべきです。私たちは、そういう集まりですから。ですので皆さん一緒に―」

 

「それは駄目だ、モモンガさん」

 

 思わず、口を挟んでしまった。驚いたようにアインズがこちらに視線を向けるが、ぶくぶく茶釜が自分に追随してくれた。

 

「そうだよ、モモンガさん。私達が全員一緒は不味い。調査された帝国とは違うんだから、組み分けはしたほうがいい。ドワーフの国に赴く組と、万一に備えてナザリックに残る組で」

 

「ですが、それだと各組の対応力が下がりませんか?万一を考えるなら、私達全員で行動をしたほうが良いような気もしますけど。世界級アイテムだって、今の人数なら足りるでしょう?」

 

 ヘロヘロが、アインズに賛同するように意見を述べる。アインズもそれに頷いた。

 

「シャルティアを洗脳した方法が世界級アイテムならそれで問題ないさ。だがもしそれが、この世界特有の能力だったらどうする?確か生まれながらの異能(タレント)なんてものもあるんだろう?」

 

 ウルベルトの意見に、アインズが残念そうにしているのが面白かった。

 恐らくアインズは全員でイベントを、建御雷達が帰還した際には舞踏会でダンスを踊ったらしいが、したかったのだろう。心の中で、しょぼくれるアインズに悪いなと謝罪をした。

 

「……決まりだな。ドワーフの国には調査を入れる。組は分ける。あとは組み分けだが、悪いが俺は調査組にしてくれ。上手い事すれば、こいつにルーンを刻めるかもしれない。それにだ、ドワーフの話はゼンベルから聞いてるぜ。あいつを道案内に連れて行くなら、俺が居たほうが都合が良いはずだ」

 

「ゼンベル?」

 

 建御雷の言葉に、弐式炎雷が聞き返す。ウルベルトも、ゼンベルという名前は先ほどの話では出てきていない筈だと思う。

 

「リザードマンの一人だよ。何でもドワーフの連中から技を習ったらしい。あいつと話すなら俺が一番手っ取り早い」

 

「……もうそんな打ち解けてるのかよ。どんだけコミュ能力高いんだ、建やん。まあ、それなら建やんは調査組か、後はどうする?」

 

 弐式炎雷の問いかけに、ぶくぶく茶釜が声を上げた。

 

「回復役と探索役は欲しいね。やまちゃんと弐式さん、頼める?やまちゃんは学校の方が一度後回しになっちゃうけど……」

 

「了解、かぜっち。学校の方はまだ建物も出来てないし、気にしないで大丈夫。エルフの娘達もユリが見てくれてるから。何かあったら魔法で様子は見に戻れるしね」

 

「こっちも了解だよ、茶釜さん。茶釜さんはどうするの?こっち?」

 

 弐式炎雷の質問に、恐らく首を振っているのだろう、プルプルと唯一の盾役であるぶくぶく茶釜は身体を震わせる。

 

「今回はあくまで『調査』でしょう?私は居残り組にするよ」

 

 調査と言う部分を強調して言う。恐らく弟のペロロンチーノに向けているのだろう。そのことは彼の方がよく理解しているはずだ、すぐさま口を開く。ウルベルトの想像とは真逆の答えだったが。

 

「俺は絶対に調査組でお願いします。だって―」

 

 シャルティアの事を続けると思ったのだろう。ぶくぶく茶釜が椅子から立ち上がりかけるが、すぐに座る。続くペロロンチーノの言葉を聞いて。

 

「ドワーフと聞いて、俺が行かない訳にはいきません。そうでしょう、弐式さん?」

 

 話を振られた弐式は、少し遅れてからペロロンチーノの言葉を理解したらしい。少しだけ呆れたようだ。

 

「……それの説明を俺にさせる?あー、皆がドワーフで思い浮かべるイメージってあれだろう?髭の生えた背の低いマッチョ。まあ、ユグドラシルでもNPCはそっちのパターンだったしね。でも今は、そういうの半分くらいなんだよ」

 

 ウルベルトの思い浮かべるドワーフのイメージはそれだった。他のメンバーもそうなのだろう、だから大人しく続く弐式炎雷の言葉を待つ。もしかしたらぶくぶく茶釜だけは理解できているのか、俯いて弟の方を見ようとはしない。

 

「もう半分はさ、大人になっても子供の姿のままって奴。女ドワーフに限れば、結構昔からそういう傾向あるみたいだね。エロゲーとかでは主にこっち。そういう事だろう、ペロロンさん?」

 

「その通り!すなわち合法ロリです!その歴史はかなり古いんですよ、皆さん!西暦二千年の初めくらいには既にその傾向が生まれていたとされています。即ち!この文化は百年以上の歴史があり―」

 

 ペロロンチーノが意気込んで演説を始める中、横目で姉のぶくぶく茶釜を見やる。弟の姿に肩を落とすような彼女に、やまいこが戸惑いながらも慰めていた。

 

「と、とにかくペロロンさんは調査組ですね。ヘロヘロさんはどうしますか?」

 

「私は居残り組で大丈夫ですよ。色々考えたいこともありますから。それに万一を想定するなら、近接職のお二人と相性の良い私は分かれた方がいいでしょうし」

 

「……絶対に下手出来無い理由が増えたな」

 

「……うん、ヘロヘロさんにメイン武器を溶かされたくないからね」

 

 何気ないヘロヘロの言葉に、建御雷と弐式は各々のメイン武器を庇うようにしながら、身体を震わせていた。

 

「それでは私は―」

 

「ああ、モモンガさんは居残り組でお願いね?」

 

「えー」

 

 アインズの言葉はぶくぶく茶釜によって遮られた。調査役に同行するつもりだったのだろう。あからさまな不満を籠めた呻きを上げていた。それに建御雷も続く。

 

「約束したんだろう?しばらくはアルベドと執務に専念するって。押し付けるようで悪いが、モモンガさんはそっちを頼むよ」

 

「場合によっては、洗脳とか魅了の魔法も必要になるかもしれませんよ?私なら転移系の魔法も使えますしね」

 

 相当一緒に行きたいのだろう。アインズが必死に食い下がる。

 アインズの対応力は誰もが認めるところだ。だからこそ、万一を考えると同行をさせたくない。調査組が洗脳されるようなことになり、その組を相手にしなければならない状況が起これば、対応する組にアインズが居る居ないは、戦局を左右するほどに大きい。

 それにアインズは一つの事を失念している。いや、あえて言わないようにしているのだろう。

 

「いやいや、モモンガさん。忘れてない?今はもう一人いるでしょう?魅了系の魔法も、転移の魔法も使える人がさ」

 

「うぅー」

 

 揶揄う弐式にアインズが呻く。そしてギルドのメンバーの視線がウルベルトに集まる。

 その視線に、ウルベルトは芝居掛かった仕草で両手を広げてみせた。

 

「行ける、ウルベルトさん?」

 

 やまいこの確認に頷き答える。

 

「ええ、勿論。しっかりとモモンガさんの代わりを、務めさせてもらいますよ」

 

 そうウルベルトは、不敵な笑みを浮かべながら答えてみせた。

 

 

 

 

 

 

 玉座の間に向かうデミウルゴスの足取りは早かった。

 アインズ、至高の主人より連絡を受けたデミウルゴスは、何時もの様に、他の何物であろうとも差し置いて、ナザリックに戻ってきた。

 ここまでは良くあることだ。いつもと違うのは、呼び出されたのがデミウルゴス一人だという事。そして場所が玉座の間であるという事だ。

 デミウルゴス一人を呼ぶのであれば、わざわざ玉座の間に呼び出す必要は無い。ならばどういう理由なのか。優秀な才を持つようにと、至高の御方が生み出してくれたデミウルゴスの頭脳は、すぐさま答えを導き出していた。

 

 ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)に到着したデミウルゴスは、ゆっくりと息を吐く。いつもならばここでネクタイを引き締め、身だしなみを整えるのだが、そのことを忘れてしまう程に、今のデミウルゴスは興奮してしまっていた。

 デミウルゴスは、乱れた息を瞬時に整え、既に主人が待っているという玉座の間に踏み入る。

 何度訪れようとも、心の底からこみ上げる感動が抑えられない。至高の存在たちを示す旗や、見事な作りの部屋に視線を奪われそうになるが、何とか堪えて主人が座する最奥の世界級アイテムに向かって歩きだす。

 

 既に主人たるアインズだけでなく、至高の御方々がデミウルゴスを待つかのように、玉座を中心に並ばれていた。

 そう連絡を受けていたとは言え、デミウルゴスも緊張からか震えが湧き起こりそうになる。勿論主人達を前にそんな不敬な真似はしない。

 だがほんの一瞬だけ、僅かに悲しみも覚えた。その思いも微塵に感じさせぬように、失礼にならないようにだが足早に階段の下まで歩いていく。

 そしてデミウルゴスは、至高の御方々に最敬礼をし、片膝をつく。

 

「第七階層守護者、デミウルゴス。御身の前に」

 

 忠誠を示すデミウルゴスに、主人より声が掛かる。

 

「面を上げよ、デミウルゴス。遠方より呼びつけてすまなかったな」

 

「何をおっしゃいます、アインズ様!私は至高の御方々のシモベ。呼ばれれば即座に参るのが当然の務めでございます。私の方こそ遅くなり至高の御方々をお待たせしてしまい、誠に申し訳ありません!」

 

 詫びるデミウルゴスに、主人達からは責める様な視線は一つも無い。むしろ暖かく迎え入れてくれてさえいる。至高の御方々の優しさを感じながら、デミウルゴスは続く言葉を待った。

 

「そうか、忠勤感謝する。だが、デミウルゴスよ。今回呼び出したのは、どうしてもお前の労を直接労いたいと、そう彼から言われたからなのだ」

 

 非常に嬉し気なアインズの言葉に、デミウルゴスは堪えきれず身体を歓喜に震わせる。

 玉座の間に踏み入り、至高の御方々に拝謁し、その中に期待した姿が見つけられずに、一瞬悲しみを覚えたのは事実だった。

 だが主人は今、彼と呼んだのだ。その言葉は主人と同格である存在を示されている。ナザリックにご帰還された至高の御方々はすでに眼前に並ばれているというのに。

 

 背後から、扉が開く重々しい音がする。扉から現れた気配に、デミウルゴスは振り返りそうになった。だが必死にその衝動を抑え、震えながら再び面を下げる。

 カツンと、床を叩く音が響く。靴の音ではない。これはそう、蹄の音だとデミウルゴスは知っている。

 ゆっくりと迫る圧倒的な気配に押しつぶされそうになりながらも、デミウルゴスは自身に差し掛かる背後からの人影を、必死に目におさめようとする。影のシルエットに、腰元から悪魔の双腕が生えているのが見えるからだ。

 蹄の音が近づいてきた。俯いたデミウルゴスからは、もはや全体像は見えないほどに影は大きくなっている。抑えきれない興奮に、デミウルゴスの吐く息が荒くなっている。

 

「……デミウルゴス」

 

 声に、魂が掌握されたような、言い表せない歓喜が湧き起こった。首元から頬に、背後から伸ばされた長い爪が微かに触れ、面を上げる様に促される。そしてとうとう堪えきれずに、デミウルゴスは片膝をついたままであるが、腰を捻り背後に顔を向けた。振り返った先の、仮面に覆われていない金色の山羊の瞳が、デミウルゴスを捉えて離さない。

 

「お前の話は聞いている。見事。第七階層守護者の名に恥じぬ、素晴らしい働きだ。いや、流石はこの、ウルベルト・アレイン・オードルが創造せし者だと、そう言うべきかな、デミウルゴス?」

 

 自らを生み出してくれた偉大なる創造主の言葉に、デミウルゴスは宝石の瞳を濡らし、震える声でその名を呼ぶ。

 

「……ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 大災厄の魔。

 ウルベルト・アレイン・オードル様がナザリックに御帰還された。これ以上の喜びは、デミウルゴスに存在はしなかった。

 




ウルベルトさん、デミとの再会はかなり気合入れて演出しています。
デミ入室→ウルこっそり転移→タイミング図って登場。
揃う前にも光源弄って、影が上手く伸びる様に調節したり色々と。
デミにあらかじめ至高の方々が揃って待ってるよーと伝えたのも、優秀と聞かされたデミが普段との違いに気付かぬように、精神の揺さぶりをかける為です。忠誠心の高さも聞いているから。

それに付き合わせられたギルメンの反応。

モモペロ「か、格好いい!流石ウルベルトさん!」

その他「……やり過ぎでしょう、ウルベルトさん……」

ヘロヘロ「ほへー」


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 至高の方々、自分を知る

(……どうしよう。これ、かなり不味いですね……)

 

 ナザリックの自室で、ヘロヘロは粘体の触腕を組み、目の前に広がる金貨の山を眺める。大きなテーブルの上に無造作に広げられた金貨は全てユグドラシルの物だ。万を軽く超える枚数はあるが、これが今ヘロヘロの所有するユグドラシル金貨の全てだ。はっきり言って、百レベルプレイヤーの所持する金貨の枚数としてはかなり少ない。

 理由は簡単だ。

 舞踏会の際に、奮発しすぎた。高レベルの傭兵NPCをあれだけ大量に召喚したのだから、無理も無いのだが。

 

(レイナースのお給料は、どれくらいが良いんだろう?これくらい?……いや、これくらいはいるよな……)

 

 ヘロヘロは金貨の山を触腕を使い切り崩し、しばらく悩んでから、切り崩した山に金貨を追加した。

 レイナースは自分の我儘で、帝国から魔導国に鞍替え、転職して貰ったのだ。給与を、帝国での彼女が給料制だったのかは知らないが、落とさせるわけには行かない。彼女自身は帝国から私物を引き上げることが出来た為に暮らしに問題は無いと言っていたが、だからといってそのままにはしておけない。ヘロヘロが現実世界で勤めていた会社はブラックではあったが、給与面ではしっかりしていた。あの会社にすら劣る雇用条件はヘロヘロが許容できない。

 レイナースは現在エ・ランテルの街に住まわせていた。

 一回目の給与代わりに、ユグドラシル産の装備を鍛冶長に頼み打ち直してもらい、彼女の鎧のデザインそのままで性能を大幅に上げたものを与えた。レイナースはその装備にかなりの驚きと感謝を示していたが、ヘロヘロからすれば大した装備品ではない。聖遺物級(レリック)ですらないのだ。データ量もソリュシャン達プレアデスが装備するものと比べて、かなり見劣りする。

 

(装備品のいくつかをエクスチェンジボックスに入れるかな?でもそれをやると、そのうち困った事になりそうだしなー)

 

 ユグドラシル産の装備は、こちらでは手に入らない。替えが利かないのだ。後々必要となり後悔する羽目になりかねない。かといってそれ以外に現金収入を得る手段も、ヘロヘロには思い浮かばない。

 

(あ、そういえばモモンガさんから、ユグドラシル金貨を外で使用しないようにって注意されてたな)

 

 そのことを思い出し、削っていた金貨を山に戻す。だからと言って問題解決したわけではない。むしろ悪化した。現地の貨幣を稼ぐ必要があるのだから。

 そしてヘロヘロは今まで自分はお金をどう稼いでいたのだろうかというところにまで思考が及び、ようやく気付く。働けばいいという事に。

 ヘロヘロは悲しいことに、社畜だ。社畜だった。昼夜関係無く働き続けることは、これまた悲しいことに慣れていた。

 ならばどう稼ぐ。一番確実なのは、ヘロヘロもアインズと同じく正体を隠し冒険者となることだろう。聞いた話ではアダマンタイト級冒険者ともなれば、一回の依頼で現地金貨をかなり得られるらしい。何より、中々楽しそうだ。ソリュシャンと共に冒険者になった自分の姿を想像する。

 

(無理か……)

 

 自分の姿を改めて確認し、諦めのため息をつく。正体が隠せないのだ。なぜなら粘体には手に持った装備品以外の外装は表示されないデメリットがある。即ち完全鎧を装備しても、見た目には反映されないのだ。抜け道が無いわけではないが、特殊なアイテムを使用しなければならない。

 いっそ粘体の姿のままソリュシャンに魔物使いを演じてもらい、自分が使役される魔物を演じるのはどうだという考えが浮かぶが、これもすぐに諦める。自分は帝国の闘技場と舞踏会で姿を晒している。これはソリュシャン含めてそうだ。 

 それに自分が冒険者となれば、黙っていないだろう友人が何人かいる。ペロロンチーノと弐式炎雷は必ず食いついてくるだろう。そうなれば各地に正体を隠したアダマンタイト級冒険者が何組も生まれることになる。流石に、そうポコポコとアダマンタイトが増えれば、いらぬ詮索も周りからされそうだ。

 

(……しばらくはモモンガさんにユグドラシル金貨の両替を頼むしかないかなー……)

 

 金貨の山を前に、諦めて項垂れた。

 傭兵NPCも大量に召喚し、その傭兵NPC達は全て自分付きとなっている。見た目重視のセレクトの為に能力にばらつきはあるが、そもそものレベルが高い分応用は利くだろう。呼びだした中で最も高レベルの傭兵NPCである蜘蛛人の暗殺者(アラクノイド・アサシン)は、レイナースの護衛として彼女の影に潜ませていた。

 急な出費さえ無ければレイナースの給料以外そう困ることもないだろうと思いつつ、出しっぱなしの金貨の山を、丁寧に一枚の取りこぼしもない様にアイテムボックスにしまっていく。

 

(急な出費か。この世界で急な出費って、どんなのがあるかな?)

 

 万一を考えればNPC達の蘇生費用だろうが、そんな事には自分が絶対にさせない。メイド達を守る手段は、それこそ自分の身以上に気を配っている。なら他にどんな事があっただろうかと考えると、一つの事が思い浮かぶ。

 

(……結婚式かな?ご祝儀とか。現実世界でも偶にありましたし。……ほとんど参加できませんでしたけど)

 

 悲しい思い出を頭を振って打ち消す。この世界で結婚しそうで、尚且つ自分が式に呼ばれる程の関係性がある人物を思い浮かべるが、そんなものは誰も居なかった。メイド達は絶対に嫁になんて出さないし、レイナースだって勿論そうだ。寿退社など絶対に認めない。

 だが自分が創造していない、三柱の残る二人が生み出したメイド達ならば話は別だ。彼らの代わりに、自分が親代わりになっても構わない。自由恋愛だ。しかしそれも恐らく無いだろうと思う。

 

(……むむむ?)

 

 他のメイド達を思い浮かべたついでに浮かび上がった顔に、ヘロヘロは唸る。結婚しそうなNPCが一人だけ居た。セバスだ。彼は連れ帰った人間の少女と、なんだか良い関係だと聞いている。創造主がリア充だとNPCもそうなのだろうかと、少しだけ悔しい思いもする。

 

(セバス。セバスか……。彼がツアレさんと結婚すると言うなら、NPCの中で初めてですね。これは盛大な式を挙げてあげないとだな、うん)

 

 しかし疑問も浮かぶ。その際の費用はどうするのだろうかと。普通に考えれば、創造主のたっち・みー持ちだ。当然だろう。だが彼はまだナザリックに帰還していないために、現状は無理だ。ならば誰が負担するのかと思案する。

 付き合いで言うなら最初に転移していたアインズだが、それを言ったら帰還していないギルドメンバーが創造したNPC達すべてが彼の担当になってしまう。それはあまりに酷だ。アインズも自分と同じく、個人資産は底を突いているはず。なら今いるメンバーの内でセバスともっとも関連があるのは―

 

(あれ?もしかして私ですか?)

 

 個人的な付き合いは殆んどない。だがこれは他の帰還しているギルドメンバーも同じだろう。だからNPC同士の関係性で考えてみる。すると、セバスと一番関りが強いのは自分の創造したNPC達だという事に気付く。

 セバスはプレアデスのリーダーであり、それだけならやまいこも弐式炎雷もそうだが、一般メイド達の直接ではないにしろ上司でもある。それにツアレは今はナザリックのメイドとして訓練しているらしい。ならば彼女は一般メイドの娘達の同僚という事になる。

 NPC同士の関係性で考えるならば、セバスは自分の娘達の上司で、ツアレは自分の娘達の同僚だ。

 

(ああ、不味い。これは不味いなー。すぐに準備を、会場はナザリックのロイヤルスイートで済むとして、料理長に頼んで結婚式で使う食材の金額を試算してもらわないと。いや、その前に結婚衣装ですね、結婚衣装。……それはユグドラシルの装備で平気かな?……な、仲人は私がする必要がありますね。そんな経験無いんですけど……。緊張してきた。あああ、お、落ち着け、私。いや、そもそも結婚式の準備ってどうしたらいいんだ?全然わからない……)

 

 混乱するヘロヘロは一つの決断をする。セバス達に会いに行こう。やはりこれは当事者たちを交えて話すべきだ。

 

「ステートメント。今セバスが何処にいるかわかりますか?」

 

 振り返り、控えていた本日のヘロヘロ番であるメイドに声を掛ける。長い黒髪のメイドは少しだけ思い出す様にしてから、明瞭に答えてくれる。

 

「セバス様は本日第九階層の一室で、ツアレの訓練にあたられているはずです」

 

「ありがとう、ステートメント。私はこれからセバス達に会いに行こうと思います。君も一緒に行きますか?」

 

「畏まりました。すぐに準備を致します」

 

 そう言ってステートメントは長く横幅の広い紐を取り出し、たすき掛けするように身に着けた。その光景をヘロヘロは複雑な眼差しで見守る。

 

「お待たせしました、ヘロヘロ様。では、お体失礼致します」

 

「……ええ、お願いします」

 

 そう答え、ヘロヘロはステートメントに抱き抱えられ、彼女の身に着けた紐のようなものに包まれる。要するに、抱っこ紐だ。

 

「それではステートメント、手を差し出してください」

 

「はい、ヘロヘロ様」

 

 ヘロヘロは胸に抱かれたまま、うっとりと左手を差し出すステートメントの薬指に、筋力増強の指輪を嵌める。一般メイドの彼女達でも自分を抱っこをしながら移動できるように与えた指輪なのだが、なぜか自分達で指輪を持ち回さずに、毎日ヘロヘロに返される。どうもこうしてヘロヘロに直接指輪を嵌められることで「くぅう!今私必要とされている!」という気持ちが味わえるらしい。それなら左手の薬指で無くてもいいんじゃないかと思うが、彼女達がそう望むのだからしょうがない。

 

「では、行きましょうか。よろしくお願いします」

 

「畏まりました」

 

 歩み始めたステートメントの胸に抱かれながらヘロヘロは自室から出る。最初はメイド達に抱っこされる事を役得と喜んでいたのだが、この姿をつい先日帰還したばかりのウルベルトに見られた時は、流石に情けなかった。呆れながら正気を問われ、自分が今どんな格好なのか、ようやく客観的に理解する事が出来た。

 ちらりと首を上げてステートメントを見れば堂々と、誇らしげにしている。そんな彼女に、そろそろ自分で歩くから大丈夫だよとは言えない。諦めたように、ため息をつく。だが―

 

(まあ、私。この後頭部に触れる感触、大好きなんですけどね!)

 

 

 

 

 

 ツアレの歩行訓練を厳しい目で見つめていたセバスは気配に振り返る。至高の御方の気配を感じ、すぐさま扉に向けて片膝をつき控える。一瞬、セバスの目で見ても一瞬遅れただけで、ツアレもまたセバスに倣い訓練を中断し控える。成長が十分見て取れる。だがセバスはそれを直接褒めることはしない。ツアレにはまだまだ上を目指して欲しかったからだ。

 扉が開かれる気配に、すぐさまセバスは思考を切り替える。姿を見せたステートメントの胸に抱かれた至高の御方に、セバスは態度でもって忠誠を示す。

 

「訓練中、お邪魔して申し訳ありません、セバス。それとツアレさん、こうして直接話すのは初めてですね。二人とも、楽にしてください」

 

「はっ!」

 

 至高の御方からの言葉に従い、セバスとツアレは立ち上がる。

 

「改めて挨拶を。至高の四十一人、ヘロヘロです。よろしくお願いしますね、ツアレさん」

 

「は、はい!ツアレ、ツアレニーニャ・ベイロンです。よろしくお願いします、ヘロヘロ様!」

 

 ツアレは至高の御方の人間とは違うお姿に気圧されたような様子は無いが、少しだけ萎縮はしている。恐らくナザリックの支配者である御方を前に、緊張を隠せないのだろう。

 

「ええ、よろしくツアレさん。とてもいい名前ですね。特に最後のニャの所が。猫っぽくて、餡ころもっちもちさんが好きそうです」

 

 ただの人間に過ぎないツアレに優しく声を掛けて下さる至高の御方に、セバスは改めて敬服する思いだった。だがしかし、一つだけ進言しなければならないこともあった。

 

「申し訳ございません、ヘロヘロ様。ツアレは正式にナザリックの一員となりました。他の者に示しを付けるためにも、どうかツアレと。そう呼び捨て下さいますようお願い致します」

 

 頭を下げるセバスにヘロヘロは頷く事で答えてくれた。やはり優しい御方だと思う。

 

「そうですね。ではツアレと呼び捨てさせてもらいます。ありがとう、セバス。よく進言してくれました。これからも私たちの至らない所をそうやってフォローして下さいね?」

 

 アインズを始め、この偉大なる御方々に至らない所などある筈もない。もしあるとすれば、こうした優しさゆえに生まれてしまう不要な気遣いくらいだろう。

 

「いえ、失礼をしました。……ツアレ、ヘロヘロ様はソリュシャンとステートメント達の創造主たる御方です。失礼のない様に。しかしヘロヘロ様、どうされたのでしょうか?お呼びくださればすぐに参上しましたものを」

 

「ええ、セバスに。いえ、セバスとツアレにですね。相談したいことがありまして」

 

 セバスには至高の御方に相談されるような様な事に心当たりはない。至高の御方が他の者の知恵を必要とするくらいの難題だ。むしろ自分で答えることが出来るのだろうかと不安を覚えてしまう。相談が必要ならばセバスよりも、デミウルゴスやアルベドといった叡智に富む者が相応しいはずだ。

 だがそれでも至高の御方がこうして直接足を運んでくれてまで、自分を選んでくれたのだ。セバスはその役目を、全身全霊をもって務めようとする。

 

「……ヘロヘロ様。その相談というのは」

 

 覚悟を決め、ヘロヘロの言葉をセバスは待つ。

 

「二人は教会式と神前式、どちらが好みですか?私としては教会式だと九階層の設備を少し改装すれば使えるので助かるのですが……。いえ、勿論神前でも構いませんよ?会場は何とかしますし。……ああ!神前なら桜花聖域が使えますね。大丈夫、安心して下さい。オーレオールには私からちゃんとお願いしますので。……あの子に神職をお願いすることも出来るか。むしろそっちの方が安上がり?あ、二人は費用は気にしないでいいですからね?任せてください!私が二人に、立派な式を挙げさせてあげますから!パァーッと行きましょう!パァーッと!」

 

 そしてセバスはツアレと顔を見合わせてから、まくし立てるヘロヘロからの相談に言葉を詰まらせる。

 やはり至高の御方の思考は深慮に富み、セバスでは理解することすら出来なかった。相談の内容を理解する事すら出来ない己の不甲斐なさを、セバスはただ噛み締めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 眼前に広がる赤茶けた大地をデミウルゴスは見下ろしていた。カッツェ平野。ここでアインズが王国の軍に向け超位魔法を発動した。その場所にデミウルゴスは創造主の魔法によって共に訪れていた。デミウルゴスは背後の転移門に、右手を胸に置き頭を下げ創造主を出迎える。

 姿を見せた創造主ウルベルト・アレイン・オードルが一瞬金色の瞳であたりを探り、口を開いた。

 

「モモンガさんに頼んで一度連れて来てもらっておいたが、座標に間違いはなさそうだ。確か帝国側がこちらで、王国の布陣があちら側だったな。どうだ?間違えてはいないか、デミウルゴス?」

 

 確認をするウルベルト・アレイン・オードルの言葉にデミウルゴスは頷く。

 

「はっ!私も資料で確認しただけですが、間違いございません。王国はあの三つの丘を利用し兵を展開させていました」

 

 王国軍は帝国軍との戦争の際その約二十四万五千の兵を、右翼、左翼、中央に兵を分け、三つの丘を利用して陣地を作っていたはずだ。その証拠に、アインズの魔法によって壊滅した痕跡が至る所に残されていた。死体は無駄なアンデッドを呼ぶために帝国の兵によって片付けられているが、それでも至高の御方がわざわざ訪れる様な場所では無いとデミウルゴスは思った。

 

「ですがウルベルト・アレイン・オードル様。何故御身自らこのような場所に?」

 

「……お前も仲間達と同じく、私の事はウルベルトと呼ぶがいい」

 

 不意に訪れた名誉に、デミウルゴスは喜びで身を震わせる。感動のまま口を開き、礼と共にその名を呼ばせてもらう。

 

「ありがとうございます、ウルベルト様!」

 

「……まあ、いいか。それで、お前には見えるか?王国の軍が」

 

 鋭利な爪を三つの丘に向けるウルベルトの意図を読み取り、デミウルゴスはその宝石の瞳にかつてこの場所に展開していただろう王国の軍を、資料で読み取ったままに映し出す。デミウルゴスの目には映し出されていた、馬止め柵の代わりに槍衾を形成する、脆弱な人間の軍が。

 

「お前は第十位階の魔法は使えるが、超位魔法は使えなかったな。だがモモンガさんの超位魔法を見せてもらった事はあるだろう?」

 

 位階魔法を超える究極の魔法。デミウルゴスはその発動を、シャルティアでの戦いや、アインズが行った様々な実験で目にしていた。

 

「その通りでございます、ウルベルト様」

 

「そうか。……では知るがいい。その上があることを」

 

 そう言ってウルベルトはデミウルゴスが見守る中漆黒のマントを翻し、その両腕を広げた。そして吠える。

 

「顕現せよ!究極の秘儀よ!我が絶望と憎悪を喰らい災禍と為せ!―――<大災厄(グランドカタストロフ)>!」

 

 怨嗟の籠められた声とともに、超位魔法を凌ぐ力が発動した。

 世界から零れ落ちた葉の憎悪によって形作られた、物理的な現象となるまで圧縮された呪詛、純然たる破壊エネルギーの渦が王国軍が展開するフィールドを覆い尽くす。

 デミウルゴスの目には見えていた。圧倒的な破壊の力が、目に浮かぶ王国の兵たちを嘲笑うかのように飲み込み、蹂躙する様を。砕けた大地に飲み込まれ、超然たる破壊の渦に切り裂かれている。痛みすら、死すら訪れたことを感じさせぬまま命が消えていく王国の兵たちの幻が、確かにデミウルゴスには見えていた。

 デミウルゴスは未だ吹き荒れる破壊の渦に視線を奪われたまま思う。人間どころではない。たとえナザリックのモノであろうとも、一体何名がこのエネルギーの渦に耐えることが出来るのかと。

 自分を始めとする階層守護者、幾名かの領域守護者、そしてそれらを束ねる至高の方々。それ以外のモノならばこの災禍に耐え抜くことは出来ないだろう。いや、守護者達であろうともその身を切り裂かれ、どうにか生きていられる、その程度では無いのかとデミウルゴスは思う。

 一筋の涙が頬を伝う。

 自らの創造主が起こした災禍にデミウルゴスは宝石の瞳から涙を流し、その惨劇に心を奪われていた。

 これが神に等しい御方々の中で、自らの創造主のみが振るえる力。<大災厄(グランドカタストロフ)>。初めて見るその力の素晴らしさに、涙が溢れていた。

 ようやく災禍の渦が収まる。その頃にはデミウルゴスの瞳に浮かぶ王国の兵たちの幻は、すべてが消え去っていた。

 そして災禍によって形を変えた丘に向けて、ウルベルトが哄笑を上げる。

 

「素晴らしい!素晴らしいな、デミウルゴス!見たか、俺の力を!」

 

 デミウルゴスは頬を伝う涙を拭う事すら忘れ、圧倒的な力を示された自らの主人に追随する。

 

「お見事です、ウルベルト様!このデミウルゴス、あまりの感動にこの身の震えを抑えることが出来ません!」

 

「そう!そうだろう、デミウルゴス!圧倒的な力だ!この力を勝ち組の連中が暮らす、あのいけ好かないアーコロジーに向けて解き放てばどうなると思う!?形すら残らない!はっははははははは!今の俺ならばネオナチどころじゃない。もっと、もっとデカい騒ぎを起こすことも出来るぞ!」

 

 笑い続けるウルベルトがデミウルゴスを振り返る。その金色の瞳に、デミウルゴスはまるで背中に氷柱を背負ったかのような冷たさを覚える。デミウルゴスをもって心胆を寒からしめる程の、恐ろしい狂気に支配された瞳だった。

 

「デミウルゴス。俺とお前の権限でどの程度ナザリックを掌握できる?」

 

 質問の意図が分からなかった。だが、デミウルゴスの優秀な頭脳はすぐさま答えを導き出す。デミウルゴスは片膝を突き、顔を伏せてから創造主の質問に対する答えを口にする。

 

「実際に行動を移せばアインズ様がお持ちになられる上位権限で封鎖をされ、シモベ達も掌握されてしまうと思われます。使えるのは第七階層の一部かと……」

 

「具体的には?」

 

「赤熱神殿。魔将たちと十二宮の悪魔であれば、アインズ様のご命令よりも、ウルベルト様のご命令を優先します」

 

「なるほど、紅蓮は使えないという事か。それとだ、デミウルゴス。お前にはまだ褒美を授けてなかったな」

 

 そう言ってウルベルトの両の手がデミウルゴスの頬を掴み、伏せた顔を強引に上げさせられた。

 

「お前にだけは選ばせてやる。アインズ・ウール・ゴウンか、それともこのウルベルト・アレイン・オードルかを」

 

 笑みで顔を歪める山羊の瞳が、デミウルゴスの丸メガネの奥に隠された瞳を覗き込む。

 デミウルゴスの優秀な頭脳をもってしても創造主の問いに、突き付けられた選択に答えを出すことが出来ない。アインズは、いや、アインズ・ウール・ゴウンはナザリックの絶対的な支配者であり、唯一自分達と共に居てくれた至高の御方。だが、眼前で選択を迫る御方はデミウルゴスを創り出し、そしてたった今圧倒的な力を自身の前で示してくれた至高の御方なのだ。

 その迷いが覗き込むウルベルトの視線から、デミウルゴスの視線を僅かに逸らさせる。その迷いを見たウルベルトの金色の瞳から狂気が抜けていった。

 

「……すまない、デミウルゴス。馬鹿な質問をしたな。今のやり取りは忘れてくれ」

 

 謝罪をする創造主に、デミウルゴスの心は焦燥する。見限られてしまったと、そう思ったからだ。その心の動きに、デミウルゴスは理解した。理性はウルベルトに、たとえ処罰されようとも、命を奪われようとも諫めるべきだと告げている。だが心はウルベルトを、帰還してくれた創造主が再び自分を捨てて、お隠れになられることを恐れてしまっている。

 そしてデミウルゴスは、理性では無く、感情で判断することにする。自分の決断を。

 かつて主人であるアインズがシャルティアとの戦いに赴かれた際に、危険を承知で送り出したアルベドの気持ちを、デミウルゴスもまた理解してしまった。

 

「さあ、ナザリックに戻るとしよう。次はドワーフの国に向けて遠征だ。どうだ、デミウルゴス?お前も一緒に来るか?」

 

 創造主の誘いを、デミウルゴスは断腸の思いで諦め首を振る。

 

「申し訳ありません、ウルベルト様。私はナザリックに残り、いくつか準備をさせて頂こうと思います」

 

「そうか、聖王国か?苦労をかけるな。お前の働きはまさにナザリック随一のものだ、デミウルゴス。お前を誇らしく思うぞ」

 

「……その一言で、このデミウルゴス、励まされます。全霊をもってウルベルト様のご期待に応えてみせます!」

 

 デミウルゴスの答えに、創造主が微かに微笑む。ウルベルトの後から<転移門>を潜りナザリックに戻るデミウルゴスは覚悟を決めていた。

 準備をしなければならない。アルベドだけで無く、場合によっては盤上の一手に無数の策を潜ませる神算鬼謀の主、アインズ・ウール・ゴウンその人すら欺く必要がある。

 デミウルゴスが足元にも及ばない最高の主人の意に、創造主の願い次第では逆らう事になるかもしれない準備を。

 

 

 

 

 

 デミウルゴスを引き連れ<転移門>を潜るウルベルトは後悔していた。自分が思わずデミウルゴスに問い掛けた言葉を。

 ウルベルトは、かつて自分が切っ掛けとなった諍いを責めることもせず迎え入れてくれた仲間達を、無意識のうちに裏切りかけていた。仲間のための悪となると誓っておきながらだ。

 <大災厄(グランドカタストロフ)>を試したのは自分の切り札を、フレンドリィ・ファイアが解除されたこの世界で仲間を巻き込まずに、正しく使えるようにするためだ。そのための実験だった。

 だが実際はどうだ。自分はその威力に、自らの力が及ぼす災禍に、仲間の事など忘れて酔いしれてしまった。

 

 ウルベルトは小さく、背後を歩くデミウルゴスに聞かれないように、舌打ちする。

 デミウルゴスに平野で王国の兵を想像させたのは、驚かせてみたいという子供のような思いからだった。だがウルベルトは違う光景をあの平野に見ていた。

 富裕層が、勝ち組だけが暮らすことの出来る都市を。自分たちが這いつくばって暮らす濁った大気に覆われた街とは違って、環境が整えられガスマスクすら必要としないあのアーコロジーの街並みを。

 

 そして自分が放った<大災厄>は、アーコロジーの街並みを、徹底的に蹂躙尽くした。その光景に酔いしれ、夢中になった。災禍に飲まれて死んでいく人の群れが見えたようで、酷く興奮していた。

 ウルベルトはぶくぶく茶釜に、マイナスに偏ったカルマに影響された感覚の違いに注意する様忠告されていた事を思い出す。

 カッツェ平野の前に、デミウルゴスが用意したという牧場にも足を運んだが、その光景を見てウルベルトは嫌悪感を覚えていた。ナザリックに必要な事と割り切り止めることはしなかったが、それでも力有る者が力無い者を蹂躙する様は、ウルベルトに現実世界の自分を思い出させて、酷く不快だった。

 ナザリックの行いに対しても、ウルベルトは不満を覚えている。こそこそと姿を隠し、裏で様々な事柄を画策していることをだ。

 力無き者を、力有る者が虐げている。

 もしそれが本当に必要で、やると決めたのならば、堂々と行うべきだ。それが悪のあるべき姿だ。力あるべき者の姿だ。

 

 だがデミウルゴスの牧場については殆んどのメンバーが正しく理解していないようだし、ウルベルトもそれを正すつもりは無かった。避けられる諍いは避けるべきだ。仲間達と争いたくはない。その思いは自分の偽悪的な趣味嗜好より優先される。

 そう判断できる程度には人間の感情を残していると思っていた。ならば自分が設定をしたマイナスのカルマは何処に作用しているのだろうか。今回の実験でそれが理解できた。

 ウルベルトのマイナスのカルマは、この世界にではなく、現実世界に向け作用している。

 この数年の自分は、出来るだけ犠牲を出さない方法を、罪の無い者を巻き込まない方法を、模索していた。

 だが先ほどの自分はどうだ。想像とはいえ、無関係な者達もまるで勝ち組に生まれた事すら罪だというように、巻き込んでいた。現実世界の自分が傷つけないようにしていた者達も巻き込んだ災禍の光景に、このウルベルト・アレイン・オードルは笑みを浮かべ酔いしれていた。

 もしあの光景が現実のものとなれば、無垢な子供も犠牲になるだろう。そしてウルベルトはその自分が想像した光景を現実のものとするべく、ナザリックの掌握を口にしていた。この力を持ったまま現実世界に帰還する方法を、ナザリックを使って探すべく。ウルベルトは躊躇い彷徨うデミウルゴスの瞳を見て、ようやく正気を取り戻していた。あれが無ければ、自分はどのような行動を取っていたのだろうか。

 

(……そんな事が叶う筈も無い。心配するだけ無駄か)

 

 あり得ない事を夢想する子供のようなものだ。そんなことを現実世界で引き起こせるはずは無い。ユグドラシルの法則が通用するこの世界が異質なのだ。現実世界でその法則が起こりえるはずがない。

 だが、そう思っても心の中の火種は燻り続ける。もしかすればそんな方法があるのではという炎が、ちらちらとウルベルトの心を舐めるようにしている。

 この思いは大事な仲間を焼きかねない。馬鹿な考えを振り払うように首を振る。だが思いは追い出そうにも、こびり付く様に頭の片隅に残ってしまう。

 

(駄目だ。この思いは捨てろ。……俺は仲間達と、争いたくは無いんだ)

 

 




ウルベルトさんは今の自分を。
ヘロヘロさんはお金が無い事をそれぞれ知る回。


ネタを入れるつもりが、後回し。
もうちっと温めます。

ヘロヘロさんはネタじゃなくて、あの人マジだから!
あとウルベルトさんはリアルで色々やらかそうとして、その前に潰され転生しています。



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 至高の方々、山キャンプ!

 第九階層の自室から、ぶくぶく茶釜と共に円卓に向けやまいこは歩いていた。ギルドの指輪を使えば早いのにわざわざ歩いているのは、単純にナザリックに来てからの充実した食生活を気にしてだ。いくら食べても問題ない。そう解かっていても、どうにも少しは動かないと気になってしまう。

 

「だけどごめんねー、やまちゃん。学校もあるのに、勝手に調査組に薦めちゃって」

 

 隣を歩くぶくぶく茶釜が申し訳なさそうにそう言うと、やまいこは笑って首を振る。

 

「全然大丈夫だよ、かぜっち。ドワーフの国で、七色鉱が採れるか調査してくればいいんでしょう?それならかぜっちより、魔法が使えるボクの方が適任だしね」

 

 やまいこの言葉に、ぶくぶく茶釜はプルプルと身体を震わせる。頷いているのだろうが、やっぱり分かりづらいなとやまいこは思う。

 

「うん。まあ、アダマンタイトで貴重鉱石らしいし、あんまり期待は出来ないけどね。それでも万一隠し鉱山とかあったら私じゃ見落とすだろうし。……それとホントごめん。アイツがドワーフに喰いつくとは思わなかったから、分かってたら私が同行したのに。やまちゃんアイツをよろしくね……。暴走する様なら殴ってもらって構わないから……」

 

 本当に申し訳無さそうにするぶくぶく茶釜に笑う。ペロロンチーノが語っていたロリドワーフの話を思い出しやまいこは彼女に向けて、苦労してるねと笑いかけた。

 

「アイツ、たまには良い事をするんだよ?だけど本当に普段は間抜けでアホで、どうしようもない馬鹿なんだ……」

 

「せめて三回目は褒めてあげて、かぜっち。大丈夫、皆弟君の良い所は知ってるから、安心して?」

 

「……なんで肉親の前であんな事を力説出来るんだよ、アイツは……。悲しくなってきた」

 

 そうぶくぶく茶釜が締めくくると共に、円卓に辿り着く。扉を開けば、円卓には既に疎らな人数が腰掛けていた。軽く見渡すと、全員揃っていることに気付く。少し慌てたようにぶくぶく茶釜とやまいこが円卓の席に着いた。

 

「全員揃いましたね。それでは連絡会を始めたいと思います。今日のテーマはドワーフの国に対する調査事項の確認。それと調査隊の規模の相談ですね」

 

 揃ったことを確認したアインズがギルド連絡会を開始する。昔と違って定例では無く、何か議題が有ればこうやって集まっていた。

 

「調査事項は前回話した通り、プレイヤーがいるかどうかの確認。ルーン及びその来歴の調査。そしてドワーフの鍛冶技術や鉱物の調査。大まかにはこの三点でしょうか?」

 

 鉱物の調査は当然アインズも気付いていたようだ。他のメンバーも同じだろう。追加された調査事項に口を挟む者はいない。いや、一人ロリドワーフの調査をと口にして、即座に姉によって封殺されていた者は居た。やまいこはその光景を微笑ましく見つめる。

 

「それでは調査隊の規模ですが、皆さんどうしますか?」

 

 アインズが確認するように、調査組の面々を見渡す。恐らく自身が創造したNPC達を連れて行くかどうかを確認しているのだろう。やまいこはそのアインズに頷いて口を開く。

 

「ユリには学校とエルフの子達も任せているから、今回は連れて行かないつもり。本人にも話してあるから、大丈夫」

 

「デミウルゴスもナザリックに残しますよ。色々準備が有ると言っていました」

 

 やまいこに続くウルベルトの言葉に少しだけ驚いた。NPC達の忠誠心からして、帰還したばかりの創造主から離れるとは思えなかったからだ。

 他のメンバーもやまいこと同じ感想を口にするが、ナザリックの外で様々な活動をするデミウルゴスの仕事は多岐に渡るし、忙しいのだろうとウルベルトから言われてしまえば、納得もする。そしてやまいこはデミウルゴスの仕事というのは、意図的に考えないようにした。

 

「俺はコキュートスを連れて行く。帝国には連れて行けなかったからな」

 

「俺も勿論シャルティアを連れて行きますよ」

 

 武人建御雷とペロロンチーノが各々の創造したNPCを連れて行くことを宣言する。残る調査組の一人弐式炎雷に視線が集まるが、彼は少し悩んでいるようだった。

 

「個人的にはナーベラルも連れて行きたいんだけど。万一を考えると、ちょっとね。シャルティアやコキュートスなら問題無いんだけど」

 

 ナーベラルのレベルを気にしているのだろう。確かにもしドワーフの国にプレイヤーが居り、友好的に事を進められなかった場合はプレアデスのレベルでは危険すぎる。

 

「それなら舞踏会で呼び出した傭兵NPCをナーベラルの護衛に連れて行って下さい。呼び出し過ぎて、正直手が余っていますから。それに調査隊なら今回も見栄えは必要でしょう?」

 

 ヘロヘロがドロドロの手を挙げて、弐式炎雷に提案する。彼が召喚した傭兵NPCは見栄えで選ばれているために、やはりこういう時に使いやすい。レベルも高いことから、プレイヤー相手でも時間稼ぎや盾になることは可能だろう。

 実際やまいこもヘロヘロから呼び出した傭兵NPCを数体借り受けていた。扉を破壊して入れるようにした<要塞創造(クリエイト・フォートレス)>で創り出した塔の、門番をして貰っているのだ。

 

「……悪い、ヘロヘロさん。恩に着るよ。それならナーベラルも連れて行ってあげられる」

 

「いえいえ、気にしないでいいですよ。お留守番じゃナーベラルも可哀想ですからね」

 

 これで調査隊のメンバーが決まる。

 ギルドメンバーからは武人建御雷、弐式炎雷、やまいこ、ペロロンチーノ、ウルベルト・アレイン・オードルの五人。

 NPCからはコキュートス、シャルティア、ナーベラル。そしてナーベラルの護衛に傭兵NPC達。後は移動用の騎乗モンスターをいくつか、これはアウラの魔獣で代用するらしい、それとユグドラシルでも度々呼び出していた運搬用のマンモス型の魔獣。

 

「それでは調査隊のメンバーはこれで決定ですね。あと事前に用意していた方が良い物をリストアップしておきました。まわす――のは難しそうなので、私が配りますね」

 

 そう言ってアインズが立ち上がり羊皮紙を配って回る。人数が増えてきたとはいえ、円卓は空席が目立つ。羊皮紙を回して全員に配るには、やはり誰かこうして歩いて回る必要がある。

 やまいこは礼を言ってアインズから羊皮紙を受け取り、リストを上から眺める。用意する物は大体予想通りだ。天幕や宿泊で使うものはリストに無いが、これは魔法で代用できるからだろう。頷きながらリストを確認していき、そして最後に小さく書かれた文字に視線が止まる。

 

「……ねえ、モモンガさん。これって……?」

 

 やまいこは思わず羊皮紙を指さしながら、アインズに尋ねる。

 

「どうしました、やまいこさん?何かおかしい所がありましたか?」

 

 首を傾げるアインズに問いただして良いものか躊躇う。その頃には全員リストの不備に気づいたのだろう建御雷が声を上げた。

 

「…おい、モモンガさん。何だこの、小さく書かれた持って行くもの『モモンガ、ぶくぶく茶釜、ヘロヘロ』ってのは?」

 

 建御雷の指摘に、アインズがぐぅと呻く。ギルドメンバー全員で行くことを未だに諦めていないらしい。仲間達から、様々な突っ込みを受けているアインズをやまいこは微笑ましく見る。本当に、楽しかったユグドラシルのあの頃に戻ったような光景だ。

 現実世界に帰還するという決意は変わらない。

 それでもやまいこは、この楽しい時間が少しでも長く続けばいいのにと、そう願っていた。

 

 

 

 

 

 

 リザードマン達の村に転移してきたやまいこたちは、思わず呆れ顔でそれを見上げる。転移する場所が此処らしいのだが、もしかすればそれもアインズの趣味なのだろうかと、やまいこは疑ってしまう。即ち自分を象ったこの大きな石像を見せつける為に。

 

「ゼンベルは居るか!?」

 

 建御雷が片膝をついて控えるコキュートスに率いられたリザードマン達に呼び掛けている。

 

「あいよ、大将。どうかしましたか?」

 

「おう、ドワーフの国まで行くぞ。案内しろ」

 

「……一応聞いて置きますが、何が目的なんでしょうか?」

 

「……ゼンベルヨ。オ前ガ武人建御雷様ノゴ命令ニ真意ヲ問ウナド無礼千万。命ジラレタコトヲ忠実ニ果タセバヨイノダ」

 

「いい、コキュートス。いいか、ゼンベル。俺達がドワーフの国に行くのは、強くなるためだ。そのためにドワーフの技術が欲しい。それ以上の説明が居るか?」

 

「……いいや、必要ありませんぜ、大将。大将が行くなら無茶はしないって信じられる。すぐに準備をしてきます。先に離れても構いませんか?」

 

「おう、お前の準備が出来次第出発するぞ」

 

 やまいこ達の背中側で何やら建御雷がコキュートスと共にリザードマンと話をしているが、やまいこ達は殆んどそのやり取りが耳に入っていない。それほどこの目の前に聳え立つアインズ像が衝撃的だったのだ。

 

「マジかー、モモンガさん……。こんな物も造ってたのか。こんなの有るなんて俺聞いてないぞ?」

 

 弐式炎雷が思わずといった声で周囲に尋ねる。答えたのはリザードマンの一人を見送った建御雷だ。

 

「俺も最初は驚いたけどな。まあ、良いんじゃないか?あの人もこれくらいの役得があっても」

 

「役得って、建やん。モモンガさんこんなの造らせるような趣味してたか?つーか、ちょっと頬骨の辺りとか美化されてるじゃん?」

 

 弐式炎雷の指摘にやまいこも頷く。美化もそうだが、杖を持ち上げ斜めに突き上げている石像の彼の姿は、正直モモンガのイメージとは合わない。

 だがやまいこ達と一緒に転移してきたNPC達はどうも違うらしい。シャルティアはうっとりと、ナーベラルも敬服するように像を見上げていた。

 まさかこれもカルマの影響だろうかとやまいこは疑い始める。シャルティアもナーベラルもカルマは-だ。そしてやまいこの疑いに、確信を持たせるようにこの場に居るカルマ-に設定しているギルドメンバーの二人が口を開いた。

 

「いや、俺は非常に良いモノだと、そう思いますね」

 

「俺もウルベルトさんに同意見ですね。これは良いモノです」

 

 像を見上げ、本気の声音でウルベルトとペロロンチーノが言う。本当にカルマの影響かと思ったが、この二人に関しては昔からそういう所もあったために、判断がつかない。

 

「ドワーフの国の調査が終わったら、俺たちの像も造りましょうよ。モモンガさんだけズルいです。神殿の拡張を、いや、もういっそ一人一神殿と像を作るくらいにパーッと行きましょう!」

 

 興奮した様にペロロンチーノが言う。その言葉に、やまいこ達カルマ+の面々は顔を顰める。半魔巨人の自分の姿は気に入っているが、それを像にして残したいという気持ちは無い。他の二人もそうだろうと思う。

 

「―いや、甘いな。ペロロンさん、像は別に作るのでは無く、拡張するべきだ。シャルティア、こちらに来てくれるかな?」

 

 ウルベルトの呼びかけに、シャルティアが返事をしウルベルトとペロロンチーノの二人に駆け寄る。同時にウルベルトの口調が気取ったものに変わる。アインズにも負けてないなとやまいこは感心する。

 

「モモンガさんの像の姿を真似てくれ。―そう、良い感じだ。ペロロンさん、彼女の後ろに、そう弓を引き絞って構えるんだ。もう少し弓を下に、翼も軽く広げよう。そう、良いぞ」

 

 何をしているのだろうかとやまいこ達は何も言わずに見守る。ペロロンチーノのポーズを決めたウルベルトは、アインズの姿を真似たシャルティアとペロロンチーノを眺め一つ頷く。

 

「―そして私がこう構える」

 

 ペロロンチーノの横に並ぶように、長い爪でシルクハットに触れ、斜に構えた気取ったポーズをしたウルベルトが並ぶ。山羊とバードマン、そしてアインズを真似たシャルティアの三人のポーズが完成した。同時に歓声が上がる。この場に連れて来たNPC達と、リザードマン達のだ。

 

「ちょ、今どうなってるんですか?やまいこさん!俺にも見せてください!」

 

「え?う、うん。……<水晶の鏡(クリスタル・ミラー)>」

 

 やまいこの作り出した宙に浮かぶ鏡が、ペロロンチーノ達の姿を映し出す。

 

「ふっはー!格好いい!格好いいですよ、ウルベルトさん!シャルティア!今の俺達の姿どう思う!?」

 

 ペロロンチーノの言葉に、シャルティアがうっとりとした声を上げる。彼女もやまいこの作り出した鏡で自分達の姿を確認することが出来たからだ。

 

「まさに美の結晶。これ以上の美はアインズ様を除いて無いと思いんす……」

 

 ほぅと声を漏らし、うっとりと頬を赤面させるシャルティアが言う。

 

「……ああ、モモンガさんにはやっぱり負けてるんだ。強いなー、俺の与えた気持ち(ネクロフィリア設定)。で、でも、流石ウルベルトさんですね!こんな格好いいポーズをすぐに思いつくだなんて!」

 

 ポーズを解いたペロロンチーノが、子供のような声を上げてウルベルトを褒め称えていた。ウルベルトも満更ではないらしく、バサリとスーツに一体化したマントを翻す。

 

「そうだろう、そうだろうとも!……付いてくるがいい、ペロロンチーノ。悪の魅せる美というものを、このウルベルト・アレイン・オードル自ら教授してやろう!」

 

「行こう、シャルティア!」

 

「畏まりました!ペロロンチーノ様!」

 

 哄笑を上げウルベルトは、ペロロンチーノとシャルティアを引き連れ神殿を出ていく。一連のやり取りに呆れて何も言えなかったやまいこと弐式炎雷は顔を見合わせる。どうしようかと思っていると、建御雷が控えたままのコキュートスに声を掛けた。

 

「……コキュートス、あいつらに村の案内をしてやってくれ。ああ、ナーベラルとリザードマン達も連れて行け。……大丈夫だと思うが、あの二人が悪ノリし始めたらすぐ呼べ、頼んだぞ?」

 

「ハッ!畏マリマシタ、武人建御雷様!」

 

 そう言ってペロロンチーノ達の後を追うコキュートス達を見送り、残されたのはやまいこ達三人となる。あの二人が心配なら自分達も追いかけたほうが良いのではと思ったが、それは建御雷から止められた。話したいことが有るらしい。深刻な顔つきだ。

 

「……出来れば茶釜さんとウルベルトさんにも共有して貰いたいんだが、こういうのは早い方が良いしな。ちょっと女性のやまいこさんには言い出しにくい話なんだが……」

 

 言葉を躊躇う建御雷にやまいこは遠慮しなくていいと首を振る。だが彼がこうもNPC達の人払いを済ませても言葉を濁す話の内容に、少しだけ怖くなってきた。

 

「……誰にも言うつもりは無かったんだがな。だが隠しておいたせいで、咄嗟の対応が遅れるのも不味いから、聞いておいて貰いたい。この像もだが、モモンガさんは俺達には言ってない趣味を抱えているらしいぞ」

 

「……なんだよ、建やん。そのモモンガさんの趣味って」

 

 震える声で弐式炎雷が問い掛ける。その質問に答える前に、もう一度建御雷はこちらを確認する。やまいこは覚悟を決めて頷いた。

 

「……どうも、モモンガさんはNPCを椅子にして座る趣味も有るらしい。この村でシャルティアを椅子にして座ったそうだ」

 

 建御雷からの話に、やまいこは今まで知らなかった友人の心の闇を覗いてしまい、言葉を失うのだった。

 

 

 

 

 

 

 魔導国の旗を高々と掲げる舞踏会の一件で呼び出した<赤褐色肌の竜人姫(オーバァーン・ドラゴニュート)>を先頭に、やまいこ達ドワーフの国調査隊は湖畔を抜け、川に沿って北上しアゼルリシア山脈に踏み入る。案内役のリザードマンの記憶が不明瞭な事もあり、非常に遅々とした歩みだ。

 それでも騎乗用の魔獣に揺られるやまいこ達に不満は無い。ギルドメンバーでPvPを行ったトブの大森林でもそうだったが、ここでもやはりやまいこ達の世界とは違い汚染されていない自然の広大さに息を呑む。現実世界では決して見ることのできない光景。初めてユグドラシルをプレイし、その作り出された自然にも感動を覚えたが、本物の自然はやはりユグドラシルのものとは比較にならない。

 その証拠とでもいうのか、あのウルベルトですら興味を抑えきれないように感嘆の声を漏らす。

 

「……素晴らしい。こんな世界もあるんだな」

 

 その言葉に、やまいこも頷く。

 

「……昔は私達の世界でもこんな光景が広がっていたはずだけど、今はもう何処にも残ってないよ。この景色、ブループラネットさんや、先生にも見せてあげたい」

 

「朱雀さんか?そうだな。……見せてやりたいな」

 

 青い空が茜色に染まる光景を二人で眺めながら、かつての仲間達とこの感動を共有したいと素直に思う。

 

「おーい、みんなー。今日はこの辺で一泊しようぜー」

 

 山に踏み入ってから先頭を行っていたゼンベルという名のリザードマンと共に進んでいた弐式炎雷が、こちらに振り返りながら声を掛けてくる。弐式炎雷はゼンベルと共に先頭を行きながら、さらに自分の分身を数体先行させているらしい。その分身も、今のところドワーフの国に繋がる様な場所は見つけられていないとの事だった。

 

「了解、弐式さん。すぐに宿泊施設を用意するね」

 

 岩だらけの土地だが、多少開けた場所さえあれば問題ない。やまいこはすぐにもってこいの場所を見つけ、第十位階魔法を発動させようとする。だが―

 

「ストーップ!やまいこさん、魔法は必要ありませんよ」

 

 ペロロンチーノに止められた。

 

「え?どうして?」

 

 山から吹いてくる風は、徐々に冷たさを増している。この場に居る殆んどの者が冷気対策を施している。ナザリックのNPC達は勿論、傭兵NPC達もそうだ。レベル的にこの程度の寒さであれば問題ないが、それでもこの中で野宿をさせるのは酷だ。特にリザードマンには厳しいだろうと思う。

 

「俺がシークレットハウスを出しておきます。それで十分ですよ」

 

 ペロロンチーノの言葉にやまいこが首を傾げる。確かに代用は出来るが、あれでは少し手狭だ。何か良からぬ事を考えているのだろうか。ならば問いただすべきかと悩むが、とりあえずは様子を見ることにする。

 ペロロンチーノがマジックアイテムを使い宿泊所を用意する。そして彼はシャルティアとウルベルトの二人に声を掛けた。

 

「それじゃあ二人とも、準備を始めましょう。ウルベルトさんは<転移門(ゲート)>でみんなを迎えに行ってあげてください。音楽も欲しいので楽団も忘れないで下さいね?」

 

「了解した。すぐ戻りますよ」

 

「ええ、お願いします。じゃあシャルティア。用意しておいた薪を取り出してくれるかな?」

 

「畏まりました、ペロロンチーノ様」

 

 そう言ってウルベルトが<転移門>に消えていき、シャルティアが次々に乾燥した薪の様な材木を無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)から取り出していく。

 

「ほらほら建御雷さんに弐式さんも、日が完全に落ちちゃう前に準備を終わらせますよ。この薪を―――そうだな、あの開けた場所の真ん中に積んで行って下さい。火が燃えやすい様に真ん中に薪を集めて、その周りを井の字型に積んで行くといいそうです。ある程度積んだら、俺が飛んで残りを積みますから。ふふ、事前に図書館で勉強してきました」

 

「いや、構わないけど。さっきから何するつもりなの?」

 

 弐式炎雷と建御雷が言われたとおりに薪を積み上げていく。二人が動き始めれば、当然の様にコキュートスとナーベラルも作業に入り、すぐさま薪が組みあがる。組みあがる頃にはやまいこは理解していた。ペロロンチーノが何を準備していたのか。あの現実世界ではやまいこも経験は無いが、過去には行われていたらしい。

 

「山にまで来て、普通に泊ってどうするんですか!キャンプですよ、キャンプ!さあ、早く準備を終わらしてしまいましょう!」

 

 飛び上がり、見上げるほどに薪が積み上げられたキャンプファイヤーを上空で満足そうに眺めながら、ペロロンチーノが意気込んで語っていた。

 

 

 

 

 

 

「それではモモンガさんお願いします。……着火!」

 

 ペロロンチーノの合図によって、アインズの指先から生まれた小さな火球が組み上げられた薪に向かっていく。火球が薪に燃え移った瞬間、燃料を仕込んでいたらしい薪は一気に、そして盛大に燃え上がる。

 

「うわー……!凄い……本当に凄い!」

 

 薪にも何か細工をしていたのか、一気に燃え尽きるような事は無い。だがすっかり夜闇が落ちた星々の海を、巨大な山と燃え盛る火柱が遮る光景は、現実の世界での光景しか知らないやまいこ達を圧倒する。 

 隣で小さな笑い声が聞こえ、やまいこは思わずばつが悪そうにユリに視線を向けた。

 

「ああ、ごめんね、ユリ。子供みたいな声が出ちゃった」

 

「いいえ、やまいこ様。……お気に召しましたか?」

 

 キャンプファイヤーの炎に照らし出されたユリの顔に頷く。この星空も、キャンプファイヤーの炎も、すべてが現実世界では見たことが無くやまいこの心を強く打つ。 

 

「うん、凄い。本当に凄いよ。こんなに沢山の星も、キャンプファイヤーも見た事無いんだ。……明美とボクの生徒たちにも見せてあげたい」

 

 うっとりと、やまいこは再びその光景に見入る。月や星から降り注ぐ白く青い光の中で、キャンプファイヤーからはぜた火の粉が舞っていた。見たことも無い光景に心が躍り、妹や生徒たちにもこの光景を見せてあげたいと心から思う。

 

「……あけみ様は、お元気ですか?」

 

「う、うん。……今は少し、離れてるんだけどね。元気だよ」

 

 少しだけ寂しそうにユリが微笑んだ。そのユリの寂しさが明美が居ない事なのか、それともやまいこが明美を想う事に対してなのかは解からない。明美を知るユリのユグドラシル時代の記憶がどうなっているのか聞いてみたかったが、尋ねることはしなかった。

 

「さあ、みんな!キャンプといえばカレーです!料理長が腕を振るった特製キャンプカレーを回しますよー!」

 

 張り切った声に振り返る。見ればペロロンチーノが事前に用意していたのか大鍋からよそったカレーを両手に持って給仕の真似事をしていた。

 

「ぺ、ペロロンチーノ様!?御身自らその様な真似を!」

 

 隣では主人の手から無理やりカレーを取り上げる事も出来ず、シャルティアがおろおろとしていた。

 

「申し訳ありません、やまいこ様。直ちにペロロンチーノ様と代わってまいります」

 

「うん、ありがとう。ユリ」

 

 微笑んでペロロンチーノの元に駆けていくユリを見送ると、アウラとマーレを引き連れたぶくぶく茶釜がこちらに向けて歩いてくるのが見えた。

 

「やっほー、やまちゃん。一日目おつかれー」

 

 粘体の手を振るぶくぶく茶釜に苦笑いする。今朝別れた時はしばらく離れることになると思ったが、予想よりずっと早い再会だった。

 

「まだ疲れてないよ。今日はアウラの魔獣に乗ってただけだから。ありがとうね、アウラの選んでくれた魔獣に助けられているよ」

 

 やまいこがお礼を言うと、アウラは慌てたように顔の前で両手を振った。

 

「そんな、やまいこ様!シモベとして当然です!」

 

 恐縮するアウラを微笑んで頷いてから、キャンプファイヤーの周りを見渡す。ウルベルトが<転移門>を使い連れて来た仲間達に、沢山のNPCが火を取り囲み談笑している。

 調査隊に含まれていないギルドのメンバーは勿論、アルベドにデミウルゴスの姿もある。恐らくナザリックにはセバスを始め、最低限の人数しか残されていないだろう。

 

「全員纏めてやられないようにってチーム分けしたのに、あのバカは……」

 

 ユリとナーベラルに手伝われながらも、おどけて給仕の真似事をするペロロンチーノを眺めながらぶくぶく茶釜が言う。だがその言葉とは違い、声に籠められた感情は優しいものだった。

 

「でもみんな楽しそうだよ、かぜっち」

 

 やまいこが耳をすませば、楽しそうな色々な声が聞こえてくる。

 建御雷達が受け取ったカレーと酒を並べ、胡坐を組んで燃え盛る炎を見上げながら笑っていた。

 

「辛イ……」

 

 カレーを口にしたコキュートスに、建御雷が吹き出している。

 

「なんだ、お前。辛いの苦手なのか?ほら、水を飲め」

 

「アリガトウゴザイマス。武人建御雷様」 

 

「なんだぁ、この酒は!前にナザリックで貰ったものよりも旨えじゃねぇか!」

 

「飲み過ぎるなよ、ゼンベル。この仕事が終わったら樽で送ってやるから、二日酔いになるような飲み方はするなよ?」

 

「あいよ、大将!」

 

 視線をずらせば、弐式炎雷にアインズがペロロンチーノと共に居た。

 

「つーかペロロンさん。またこうやって飲食出来ない俺達を苛めるつもりか!もう少し労われよ!」

 

「そうだ!労われー!」

 

 弐式炎雷とアインズがペロロンチーノに詰め寄っている。普段と違うアインズの姿に驚いているNPCも居る。

 

「何言ってるんですか、二人とも。キャンプの楽しみはここからですよ!」

 

 詰め寄られたペロロンチーノが合図をするように手を打ち鳴らす。その合図に従って、控えていた楽団が演奏を始める。帝国の舞踏会でも使われたユグドラシルのBGMだ。

 

「キャンプはこうやってキャンプファイヤーを取り囲んで踊るものらしいですよ?確かフォークダンスって言ったかな?ふふ、踊りを覚えたばかりの今の俺達に、ぴったりのイベントじゃないですか!」

 

 そう言ってペロロンチーノがシャルティアを呼び寄せ、その手を取る。火の粉が舞うキャンプファイヤーを中心に、二人で楽しそうに円舞曲のステップを踏んでいく。

 炎に照らし出されたシャルティアの白い顔がまるで頬を染めている様で、女性であるやまいこも視線を奪われる。それほどに美しかった。

 その踊り続ける二人に我慢出来なかったのか、弐式炎雷がナーベラルに振り返り叫ぶ。

 

「よーし!ナーベラル!こうなったら俺達も踊るぞ!」

 

「はっ!畏まりました、弐式炎雷様!」

 

「至高の御方がこのような場所で―」

 

「ふふ、良いじゃないか、アルベドよ。さあ、私達も踊るとしよう。私の手を取ってくれるかな?」

 

 アインズの差し出された手をアルベドが一瞬躊躇うが、それでもその魅力に負けたように握る。こうして三組が炎を取り囲み踊り始めた。

 その光景を建御雷が楽しそうに合いの手を打っている。やまいことぶくぶく茶釜は、どうするべきか顔を見合わせる。すると―

 

「やまいこ様。宜しければ一曲お相手頂けますでしょうか?」

 

「茶釜さん、Shall we Dance?」

 

 胸に手をやり一礼するデミウルゴスが、やまいこの前に立ってダンスに誘ってくれた。そして気取った仕草が非常に様になるデミウルゴスと違い、ドロドロの手を胸にやりぶくぶく茶釜を誘うヘロヘロはどこか滑稽だった。

 

「何?ヘロヘロさん。ちゃんと踊れるのぉ?私は抱っこなんてしないよ?」

 

 ぶくぶく茶釜が笑いながら、ドロドロのヘロヘロの手を取る。

 

「ふふふ。任せてください。しっかりリードさせて頂きます」

 

「それは楽しみ。アウラ。マーレと組んで一緒に踊ろう。ヘロヘロさんが上手く私をリード出来なかったら、ビシバシ教えてあげて」

 

「畏まりました、ぶくぶく茶釜様!ほら行くよ、マーレ!」

 

「ま、待ってよ、お姉ちゃん!」

 

 炎に向けて歩いていくドロドロとプルプルの粘体カップルと双子のカップルを見送りつつ、少しだけやまいこは視線を動かす。ユリはウルベルトに誘われ、踊り始めていた。いつの間に覚えたのだろうかと思ったが、見栄っ張りな彼の事だ、舞踏会の話を聞いて隠れて必死に練習したのだろう。

 その光景が目に浮かび、やまいこは微笑んでデミウルゴスの手を取る。

 

「それじゃあ、お願いデミウルゴス。ボクはパートナーの方は経験無いから、しっかりリードしてね?」

 

「ええ。畏まりました。やまいこ様」

 

 口元に笑みを浮かべるデミウルゴスに手を引かれ、やまいこも炎の輪の中に加わる。デミウルゴス主導の様々な出来事に心を痛めているが、彼自身はナザリックの大事なNPCの一人だ。やまいこは安心してその身を委ねる。やまいこの身長はデミウルゴスよりも高いのだが、彼が上手くフォローしてくれた。

 

「さあ、曲が終わったらパートナーチェンジです!これがフォークダンスの醍醐味だとエロゲーに書いてありました!」

 

「そうなのか、ではシャルティアよ。次は私と踊ってくれるかな?」

 

「よ、喜んでアインズ様!」

 

 シャルティアの手を取るアインズを、そしてアインズからホールドされるシャルティアを、ペロロンチーノとアルベドがそれぞれ怨嗟の籠った眼差しでぎこちないホールドを組みながら見つめている。

 

「こ、これがNTR!今までスルーして来たのに、こんな所で味わう事になるなんて……ん?ちょ、ちょっとアルベド?手の力が強すぎない?いだだだだだだ!痛い!アルベド!組んだ左手が痛いから!握り潰されるぅ!?」

 

 叫ぶペロロンチーノの悲鳴は、普段ならばいち早く駆け付けるだろうシャルティアには届かない。アインズの胸に抱かれているために。命の危険があるならば勿論別だろうが。

 

「言い出しっぺのペロロンさんが何やってるんだよ。お、次はマーレか。よろしくな!」

 

 マーレの手を弐式炎雷は取りゆっくりと踊り始める。

 

「よ、よろしくお願いします!弐式炎雷様!」

 

「おおー、やっぱりマーレも可愛いなー。任せて任せて、楽しく踊ろうぜ」

 

「は、はい!」

 

「ちょっと、ナーベラル?顔怖いんだけど」

 

 アウラが共に踊るナーベラルに問いかける。ナーベラルの視線は弐式炎雷とマーレに向けられていた。

  

「……そうでしょうか?」

 

「うん、すっごい睨んでるじゃん。まあ、いいけどね」

 

「へ、ヘロヘロ様!?あまり飛び跳ねられては!」

 

「ふふ、ユリ!これが私のライズアンドフォールです!いつまでも抱かれてばかりの私じゃありませんからね!」

 

 ユリの手を無理やり伸ばした粘体の手で握ったヘロヘロが飛び跳ねながら踊っている。

 

「流石は至高の御方。体格差をああして克服されるとは……!」

 

 顔からキラキラした輝きを発して敬意の念を示すデミウルゴスに、パートナーを組むぶくぶく茶釜が呆れたように見ていた。

 やまいこは鋭利な爪でパートナーを傷つけないように優しくホールドを組んでくれるウルベルトに笑いながら問いかける。

 

「ウルベルトさんはキャンプの事聞いてたみたいだけど、いつ準備してたの?」

 

「俺も聞かされたのはリザードマンの村でですよ。ペロロンさんはドワーフの国に調査に向かう事が決まってから、ずっとキャンプの計画をしていたみたいです。留守番組が可哀想だってね」

 

「……そうなんだ。ふふ、弟君はそういう所があるよね」

 

「そうですね。だから彼はモモンガさんと一番仲が良かったんだと思います」

 

「うん、きっとそうだね」

 

 そう言ってやまいこはデミウルゴスと踊るぶくぶく茶釜に踊りながら声を掛ける。

 

「かぜっち、弟君、本当に良い子だね」

 

 やまいこからの称賛に、ぶくぶく茶釜は少し言葉に詰まりながらも、結局は素直になった。

 

「……うん、そうだね。出来ればいつもこういう姿を見せて欲しいって、そう私は思うけどね」

 

 ぶくぶく茶釜の告白に、ウルベルトとデミウルゴスが優しく微笑む。

 そしてまた曲が切り替わり、パートナーを代える。その頃には我慢できなくなった建御雷とコキュートスが炎を取り囲む輪に加わった。

 火の粉のはぜる音に、楽団の奏でるユグドラシルのBGM。そして炎を中心に踊り続けるやまいこ達の笑い声は、とても遅くまで、アゼルリシア山脈の山々に木霊し続けていた。




ペロロンさんのキャンプ知識は、エロゲーなり何なりから得た歪んだもので、さらにナザリックの図書館から妙な情報を得ているので、なんかおかしいキャンプとなっております。


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 至高の方々、ドワーフとクアゴアに接触する 其の一

「―何か、楽しい事があったようですね、父上」

 

 エ・ランテルの別宅。その応接室で隣に座るパンドラズ・アクターの言葉に、アインズは思わず確かめる様に自らの頬に触れる。当然そこには骨の感触があるだけで、パンドラズ・アクターが言う様に楽しいと解かる様な変化があったようには思えない。

 先ほど宝物殿にパンドラズ・アクターが戻れるように許可を出したが、その流れで父上呼ばわりされるようになった。だが今は少しだけ慣れてきた気がする。仲間達の前では父上と呼ばせたくは無いが。

 

「……わかるのか、パンドラズ・アクターよ」

 

「勿論でございます。私はあなた様に作られました。その御方の気配を違える筈がございません」

 

「……ふむ」

 

 そう言われ、アインズはパンドラズ・アクターをしげしげと見つめる。パーソナルスペースに平然と侵入してくるパンドラズ・アクターに驚きはしたが、その彼もどことなく嬉しそうに見える。卵頭の彼の表情からも読み取れるのだ。アインズの骨の顔から感情を読み取れても、不思議ではない。

 

「そうだな。楽しい、実に楽しい事があった」

 

 そしてアインズは素直に認めた。

 

「その話、お聞きしても?」

 

 座りながらも、自らの胸に手を置き、オーバーリアクションで訊ねてくるパンドラズ・アクターにアインズは頷く。

 

「仲間達とキャンプをしたのだ。キャンプファイヤー……大きな篝火とでも言えばいいのか?それを取り囲み、皆と踊るんだ。……ふふ。本当に、楽しかった」

 

 昨夜の出来事を思い浮かべる様に、アインズは顔を上げる。

 そう、あれは本当に楽しかった。燃え盛る炎に、煌めく星々。流れるユグドラシルのBGM。仲間達の笑い声。そして若干の悲鳴。

 思い出したのは、アインズ・ウール・ゴウンの前身であった最初の九人と共にユグドラシルの様々な世界を冒険した思い出。

 あのキャンプは、ユグドラシルでの楽しかった頃の思い出と比べても、遜色なかったとアインズは頷く。

 

「知っているか、パンドラズ・アクターよ。フォークダンスというのは曲ごとに踊るパートナーを代えていくんだ。……ふふ、喧嘩ばかりしている茶釜さんとペロロンさんが踊るとな。普段とは違う、姉弟らしく息があった踊りを魅せてくれるんだ」

 

 思い出が次々に蘇っていき、アインズは饒舌に語る。

 

「建御雷さんとやまいこさんの踊りはやはり圧巻だった。それにな、パンドラズ・アクターよ。驚いたのは、コキュートスだ。必死に踊りを覚えていたらしいが、建御雷さんと踊りたかったらしくてな。パートナーの踊りを、ああ、お前でもわかる様に言うと女性の踊りの方だ。そちらを見様見真似で覚えたらしい。ははは!あれは本当に、傑作だった!」

 

 真剣な面持ちでアインズの前にパートナーとして立ったコキュートスを思い出し、手を打ち鳴らし笑う。

 あのキャンプは本当に沢山のものを見せてくれた。

 シャルティアの手を取り踊るアウラ。デミウルゴスとアルベドの優雅な踊り。仲間達だけで無く、NPC達も普段見る事の無い様々な表情をアインズに見せてくれた。

 

「……本当に、とてもお楽しみになられたようですね」

 

 朗らかに言うパンドラズ・アクターに、アインズは笑ったまま頷いた。パンドラズ・アクターはそのアインズに微笑んだようだ。

 そして少しだけ時間を置き、別の話を切り出してくる。

 

「……父上、お頼みしていた件ですが―」

 

「宝物殿に戻る許可か?それは先ほどに許したではないか」

 

「いえ、そちらでは無く、以前お願いしていた件でございます」

 

 先ほどまでと違い、真剣な声音でパンドラズ・アクターが言う。アインズは何の事かと思案するが、すぐに思い至る。仲間の捜索隊、そのアルベドの副官として配置された後に頼まれた件だろう。

 

「仲間達の武具の件か?あれは―」

 

「ええ、その必要はもはや無いかと。申し訳ありませんが、取り下げさせてもらいます」

 

 珍しく、アインズの言葉を遮りパンドラズ・アクターが言う。頼みを取り下げる理由はわからなかったが、アインズは鷹揚に頷く。

 仲間たちは霊廟から帰ってくるのだ。捜索隊も、ぶくぶく茶釜の補佐として形骸的に残してあるに過ぎない。それに仲間達が戻ってくることが分かった今では彼らの許可なく装備品を、たとえナザリックの者であれ、勝手に貸し与える訳にはいかないだろう。

 

「……そうか。それでは私はもうナザリックに戻るとする。……思えば仲間達は自らが創造した者達を連れているが、私はお前を連れて行くことは無かったな。宝物殿に戻る許可以外に、何か望みはあるか?」

 

 何か褒美でもあるかというアインズの問いかけだったが、空気が変わった。

 あ、これ何か失敗したかもしれない。そうアインズは瞬間的に理解する。

 その思いから訂正の為にアインズが口を開こうとするよりも早くに、パンドラズ・アクターが口を開いた。

 

「それでは、父上!」

 

 パンドラズ・アクターが立ち上がり、カツンと踵をあわせて鳴らしてから頭を下げる。本当はこのオーバーリアクションを仲間達に見られたくなくて、エ・ランテルから連れ出す事をしたくなかったのだが。

 今いる仲間達の中には、このパンドラズ・アクターのオーバーリアクションを見れば悶絶して笑い転げる者がいるだろう。特に誰とはいわないが。こうペロロン的な。

 

「私にもダンスのレッスンをしていただけますでしょうか!?」

 

「……踊りたいのか?」

 

「父上がコキュートス殿とまで踊られたと聞いては、私もう辛抱堪らんのです!」

 

「……そうか。……ええー、俺が教えるの?お前に?」

 

「ええ!是非!」

 

「…………あぁ。分かった。だが、教えると言ってもどっちをだ?私はリーダーの経験しかないぞ?」

 

「ならば私が父上のパートナーとなりましょう。もし今の私の姿に抵抗がおありでしたら、女性であられるぶくぶく茶釜様、やまいこ様、餡ころもっちもち様。その御三方のお姿をお借りしますが?」

 

 三人の姿を思い浮かべるが、彼女達の姿で踊るのとパンドラズ・アクターの姿のまま踊るのとでは正直大差は無い。女性とはいえ、三人とも外見からでは女性とは思えない姿をしているためだ。

 

「……いや、そのままでいい。分かった、パンドラズ・アクターよ。私がお前に踊りを教えるとしよう。ここでは少し手狭だな。どこかいい場所はあるか?」

 

「はっ!ご案内します!」

 

 カツカツと踵を踏み鳴らし歩くパンドラズ・アクターの背をアインズは眺めながら、まあ、仲間に付きっ切りであまり構ってやれなかったから今日ぐらいはいいかと思うことにした。

 

 

 

 

 

 

「―見つけた」

 

 弐式炎雷がそうやまいこ達に呟いたのは、キャンプから二日経った日の朝だった。

 

「ドワーフか?」

 

 騎乗モンスターに乗り込みながら、弐式炎雷に武人建御雷が問いかける。弐式炎雷はその質問に頷き、リザードマンのゼンベルに問い掛けた。

 

「ゼンベルさん。ドワーフの街って、山の裂け目から入る洞窟の中だろう?」

 

 弐式炎雷が空中に裂け目の姿を描く様に指を動かす。ゼンベルが恐らくと前置きを付けてから頷いて答える。

 

「だけど、居住区らしい所は見つけたけど、誰も居ないぞ?聞いてた警備兵も居なかったし」

 

 視覚を先行している分身と繋げているのだろう。弐式炎雷が騎乗モンスターに揺られながら腕を組み、顎に手を置いて考え込んでいた。

 

「おいおい、空振りか?」

 

 建御雷がゼンベルに確かめる様に振り返る。ゼンベルも驚いたような顔をしていた。

 

「―ああ、一人いたよ。別の俺が捕捉した。たぶん、ドワーフだ。採掘してるみたいだな」

 

 そして弐式炎雷は同じく騎乗モンスターに揺られるペロロンチーノを振り返り、親指を立てる。

 

「ドンマイ!」

 

「え?それどういう意味ですか?」

 

 向けられた言葉の意味が分からずにペロロンチーノが聞き返すが、弐式炎雷は質問には答えずになぜか首を傾げた。

 

「……ドワーフじゃない。少し離れた所で変な奴らも見つけたぞ。亜人みたいだけど、ユグドラシルでは見た事無いな」

 

「どんな奴らだ?」

 

「動物っぽいんだけど、モグラって知ってる?あんな感じかな?とりあえずこのままだとドワーフとかち合うから―」

 

 その言葉を聞き、色めき立つ者が居た。ペロロンチーノだ。騎乗モンスターから飛び上がり、羽をバタつかせている。

 

「ロリドワーフがピンチと聞いて!助けに行ってきます!」

 

 そして一気に飛翔して、止める間も無くやまいこ達の視界から消え去っていった。慌てたのはシャルティアだ。

 

「ペロロンチーノ様!?」

 

 シャルティアが騎乗モンスターに鞭を入れる様に手で叩き、ペロロンチーノの後を追い一団から離れていく。その光景をやまいこ達は呆れたように顔を見合わせてからため息をついた。

 

「それで、ドワーフはどっちだったんだ?」

 

「髭面のチビマッチョの方。まあ、ユグドラシルでもプレイヤーはともかくNPCはこっちのタイプだったしね」

 

「ペロロンさんは無駄足決定か。まったく、助けに行くってあの人正確な場所解かってないだろう」

 

 建御雷の言葉に頷きながら、弐式炎雷が騎乗モンスターから飛び降りて、軽くほぐす様に体を捻じっていた。追いかけるつもりなのだろう。確かに今いるメンバーで全力飛翔するペロロンチーノに追いつけるのは、スキルを駆使した弐式炎雷だけだ。スキルを使用するならば、騎乗モンスターはむしろ邪魔になる。

 

「弟君をお願いね、弐式さん。<魔法持続時間延長化・加速(エクステンドマジック・ヘイスト)>」

 

 やまいこが魔法強化を施した<加速>を弐式炎雷に向け唱える。

 

「サンキュー、やまいこさん。んじゃ、行ってくる。ああ、ナーベラルはみんなと一緒に行動しろよ?ここからの道はゼンベルさんも解かるだろうけど、すぐに俺の分身を一体戻して案内させるから、みんなはゆっくり追いかけて来てよ」

 

 そう言ってから弐式炎雷がすっと、音も無く影だけを残し走り去っていく。ペロロンチーノと同じく一瞬で視界から消えていく弐式炎雷に驚いたのか、ゼンベルが口を開いた。

 

「……すげえ。音も立てずに一瞬で走り抜けていきやがった。おいおい、足跡すら残ってないのは何の冗談ですか?」

 

「リザードマン。あの御方こそが弐式炎雷様。その威光を目に焼き付け、他の者にも伝えなさい。偉大なる御方の名を」

 

 驚くゼンベルにナーベラルが何処か誇らしげに胸を張っている。そのナーベラルが微笑ましくやまいこ達は少しだけ笑った。

 

 

 

 

 

 時折影を渡りながら、弐式炎雷は岩だらけの山場を疾走する。前方に騎乗モンスターに乗るシャルティアを見つけ、追い越しざまに右手で彼女の腰を掴み脇に抱えあげる。

 

「っ!?」

 

 不意打ちに驚いたのだろう。一瞬体を硬直させるが、すぐにその正体が弐式炎雷と知りシャルティアは抵抗を止めた。

 

「悪いね、シャルティア。ペロロンさんはまだ先だろう?しばらくはこの格好で我慢してて」

 

「は、はっ!畏まりました、弐式炎雷様!」

 

 脇に抱えられたシャルティアが慌てて頷く。弐式炎雷はさらに移動速度を上げペロロンチーノを追いかけていく。取り残された騎乗モンスターが置き去りになっているが、放っておいても勝手に建御雷達の元に戻るだろう。

 

「つーかこの速度で追いかけてて影も見えないって。一体どんなスピードしてるんだよ、ペロロンさん。こっちは強化魔法貰ってるんだぞ?……あの人飛ばしたら追いつけないな、こりゃ」

 

「弐式炎雷様ですら追いつけないなんて!流石はペロロンチーノ様でありんす!」

 

「お、シャルティア。それは俺に対する挑戦だな!?いいぜ、本気の俺を見せてやるから、舌を噛むなよ!」

 

 そして弐式炎雷はさらに加速し、景色を置き去りにしていく。追いつけないまでも、捕捉すら出来ないとなれば忍者の名折れだ。舌を噛むなとは言ったが、まあ、心配いらないだろう。

 だがスピードを上げていく弐式炎雷に抱えられたシャルティアは、別なところに問題が起き始めている事に気付いて叫ぶ。

 

「に、弐式炎雷様!?む、胸が!胸が飛んで行ってしまいます!」

 

「ドンマーイ!シャルティア!俺の本気は、まだまだこんなものじゃないぞー!」

 

 二日前に創造主であるペロロンチーノの叫び声が鳴り響いたアゼルリシア山脈に、今度はその彼に創造されし者、涙目のシャルティアの悲痛な叫び声が木霊していた。

 

 

 

 

 

 結局あれからすぐにペロロンチーノとは合流する事が出来た。なんだかんだで行先が解からないと理解できたらしい。坑道に繋がる岩の裂け目付近で旋回するペロロンチーノを見つけ、声を掛けた。

 ズレた胸をペロロンチーノに見られないように、弐式炎雷の影に隠れて直すシャルティアに流石に申し訳ないことをしたと反省しつつ、三人はドワーフの街らしき場所に向けて歩いていた。

 

「……ここですか?ロリドワーフの街は?」

 

「あー、うん。ロリはともかくたぶん……」

 

 つまらなそうなペロロンチーノの言葉に、弐式炎雷も自信なさげに答える。

 みすぼらしいのだ。

 水晶らしき鉱石から発せられる仄かな灯りに照らし出された街並みは並んだ箱のようで、道中で魅せられた山脈の光景に比べ面白みに欠けている。

 

「プレイヤーは居ないかもしれませんね」

 

「だな。居ればもうちっと手を加えてるだろう。まあ油断はしないようにしようぜ。こうやって油断を誘っているのかもしれないし」

 

 念のために注意を促し、先に進む。

 

「この先に別の俺がモグラ獣人を捕縛している。建やん達がこっちに来るまでまだ時間が掛かるだろうし、先にそっちを見てくれるか?」

 

 弐式炎雷がペロロンチーノとシャルティアを、一体の分身の元に案内する。そこには多数のモグラ獣人がロープらしきもので拘束されている。正確にはロープでは無くスキルを使った捕縛術だ。分身の為アイテムが使用できず、この数のロープも用意する事が出来ないために、スキルで代用したのだ。

 

「お疲れー、分身の俺。どう、こいつら?強かった?」

 

「お疲れー、本体の俺。スキル使ったよー。いや、弱かったよ。せいぜい十レベルって所じゃない?真ん中のこいつはもうちょっと強いかな?」

 

 そう言って分身が毛並みに微かな青色が入ったモグラ獣人を指さす。スキルで捕縛しているために目が虚ろで一言も言葉を発さない。軽くでも衝撃を与えればすぐに捕縛が解除されるが、それまではこの状態だろう。

 

「やっぱ、ユグドラシルでは見た事無いよな?ペロロンさんはどう?見覚えある?まあ、俺達の引退後に追加された種族かもしれないけど」

 

 問いかけるが、ペロロンチーノから返答は無い。それどころか僅かに口を開き、仮面越しだが驚いたような顔をしている。そこまで驚くような相手かなと思ったが、どうやらペロロンチーノの驚きは別の理由だったらしい。

 

「……え?弐式さんの分身喋るんですか?」

 

「そら喋るよ。分身だし」

 

 答えたのは分身だ。本体の弐式炎雷も頷く事で答える。

 

「……シャルティアのエインヘリヤルも喋るの?」

 

「いいえ、話したりはしんせんす。……流石は弐式炎雷様の分身体でありんすね」

 

 ペロロンチーノの質問に答えるシャルティアに、弐式炎雷は分身と共に胸を張る。そして分身と一緒両手の中指と人差指を十字に交差させ印を結んで見せた。しかしそれは伝わらなかったらしく、ペロロンチーノとシャルティアは疑問符を浮かべていた。

 

「エロゲー原作以外のアニメは見てないのは相変わらずかペロロンさん。リメイクされてたんだけどなー。まあ、いいか。とにかく俺の分身は特別性だからね」

 

 せっかくのポーズが伝わらなかった事に、これがぶくぶく茶釜ならば通じたんだろうなと頭を掻く。

 

「数は出せるけど、シャルティアのエインヘリヤル程強くは無いし。俺の分身じゃ薙ぎ払われるよ」

 

 その分スキルの使用など、本体とリキャストを共有するなどの制限もつくが、エインヘリヤルよりも汎用性に富む。

 

「そうそう。(分身)なんて紙装甲が更に紙だからね」

 

「言わばミシン目のついたトイレットペーパー装甲!」

 

 分身に答えたのはさらに別の分身。建御雷達を案内させていた分身だ。彼がここまで来たのならば、すぐに全員到着するだろう。

 

「うわ、弐式さんが三人も居る……」

 

「ナーベラルが見たら喜びそうでありんすが」

 

「お、マジ?俺ハーレム作っちゃう?ほら、ペロロンさんにシャルティア。あっちを見てみて」

 

 そういって遥か先の建築物の屋上を指さす。そこではさらに別の分身がこちらに向けて手を振っていた。二人の眼差しに驚きがある。それが面白くて、さらに別の場所を指さした

 

「ほら、あっちにも」

 

 この場に集結しつつある分身をさらに指さして姿を晒させた。物陰から、隙間から、建物から、次々に現れる分身にペロロンチーノが悲鳴を上げる。

 

「ひぃ!弐式さんが一杯いる!なに、この絵面!全員黒いし!」

 

「忍者が黒いのは当たり前だろ。人をゴキブリみたいに言うなって。お、建やん達来たな。おーい!」

 

 遠くから姿を見せる建御雷に手を振って見せる。

 分身体全員と共に。

 大量の弐式炎雷が手を振る光景に仲間達が気味悪がり、少し分身の数を減らすのはもう少し先の話。

 

 

 

 

 

 

 仲間達と合流した弐式炎雷は拘束したモグラ獣人を全員に見せるが、やはり誰も見覚えは無いらしい。もしかすればユグドラシルにはない種族かもしれないが、引退していた今のメンバーでは判断がつかない。

 

「そう言えば、こいつら殺さなかったんですね、弐式さん?」

 

「……殺すってペロロンさん。まだ敵対もしてないのに、そんな事する訳ないだろう?」

 

 ペロロンチーノに問われ、驚きながら弐式炎雷が答える。

 

「背後からのカットスロートが大好きじゃないですか、弐式さん。てっきり死体の山を見せられると思ってました」

 

 笑って言うペロロンチーノに、思わず空恐ろしくなる。ただの無邪気さからの冗談ならばいいが、判断がつかずに仲間達を見やる。仲間達、特にやまいこが複雑な顔をしているがその事には何も触れずにいるので、弐式炎雷もそれに倣う事にした。

 

「中々鋭利な爪をしていますね。土を掘ることに特化した種族でしょうか?」

 

 ウルベルトが話を変える様に、このモグラ獣人達の特徴を述べた。弐式炎雷も慌ててそれに乗る。

 

「かもしれないね。こんな山の中に住んでるくらいだし。鉱石堀とか、鉱脈探しに役立つのかも」

 

「……ねえ、皆。この子達魔導国の仲間に出来ないかな?」

 

 弐式炎雷の言葉に、やまいこが何かを思い付いたように提案をする。だがそれ以上に言葉を続けずに、やまいこはNPC達に微かに視線を向けた。それを察したペロロンチーノが、シャルティアの肩に手で触れる。

 

「よし、軽くこの街を探検しよう、シャルティア。ああ、ナーベラルとコキュートスも付いてきてね」

 

 ペロロンチーノに引き連れられ、NPC達が離れていく。やまいこがNPC達の前では言いづらいことを話そうとしていると察したのだろう。普段の姿はあれだが、ペロロンチーノはそういった機微には聡い。こういう所は流石だなと、弐式炎雷は感心する。

 NPC達と距離が離れて、この場に残るのが弐式炎雷、建御雷、ウルベルト、やまいこだけになった。そうしてからやまいこが口を開く。

 

「ちゃんと伝えてなかったね。ボクとかぜっちは現実世界に戻る。今はその手段を探している段階なんだ。その為に、世界級アイテムが欲しい」

 

 現実世界に帰還する手段をぶくぶく茶釜が探している事は、この場に居る全員が知っている。やまいこがどうするかは伝えられていなかったが、この場に驚きは無い。むしろ残ると言われた方が衝撃的だっただろう。

 

「戻る手段なんだけど、かぜっちは世界級アイテムを併用した<星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)>を使うつもりなんだ。その世界級アイテムなんだけど、魔法かアイテムの性能を最大限に引き出すもの、もしくは運営お願いが出来るタイプって条件が付くらしくて」

 

「……その二つがあれば、現実世界に帰還できると?」

 

 ウルベルトの金色の瞳が、やまいこの指に嵌められた流星の指輪に向けられていた。やまいこはその視線に頷き、指輪をかざして見せる。ユグドラシルで使用したのか、星が一つ欠けていた。

 

「試してみないとだけどね。そのためにこの子達の力が借りたい」

 

「なるほど、七色鉱か。あれをこいつらに探させるんだな?……ナザリックに支えし神(アトラス)が残ってれば話は早かったんだが」

 

 建御雷がかつて奪われた世界級アイテムの名前を口にした。しかしやまいこは否定するように首を振る。

 

「ううん。残っていても使わないよ。これはボクたちの我儘だから。ナザリックの世界級アイテムは使わないって、かぜっちと決めてる」

 

 今ナザリックに残された世界級アイテムの使用に関しては、弐式炎雷自身は抵抗は無い。だが二人が使わないと決めているならば、その意思を尊重するべきだろう。

 

「んじゃ、目的一個追加だね。こいつらを魔導国に引き入れる。……それで皆、どこまでやる?」

 

 弐式炎雷の問いかけに、やまいこ達が思案する。仲間にするにしても、出来るだけ人死には避けたい。どれだけ数が居るのかも不明だが、そういう目的ならば数を減らしたくはないし、なにより力で押さえつけて支配する手段は、完全な敵対でもしない限りは取りたくなかった。

 

「……力を見せて俺達で支配をしましょう」

 

 だが、ウルベルトは力による支配を提案する。

 

「おいおい、ウルベルトさん」

 

 建御雷の言葉に、ウルベルトは違うと笑って首を振った。

 

「無理やり支配するんじゃありませんよ。俺も……弱者を力で押さえつけて支配する手段には抵抗があります」

 

 ウルベルトの言葉に驚く。彼のカルマは-に振り切っているからだし、ユグドラシルの頃には世界の一つも支配しようと提案した男だからだ。

 全員の驚きに気付いたからか、ウルベルトは苦笑いをする。

 

「ユグドラシルの頃ならば、積極的にそういう手段を提案しましたけど。こちらでは少し思う所もありますから」

 

 もしかすれば現実世界での自分と、この世界での弱者を重ねているのかもしれない。何時だったか、お互いのリアルでの話をした事を思い出す。ウルベルトはあまり詳しい話はこちらにしなかったが、推測することは出来た。

 

「でもだからこそ、俺達が支配する必要があると思います。犠牲を抑えるためにもね。そう、ヘロヘロさんのペットの彼女や、やまいこさんが保護するエルフのように」

 

 意味が分からないと向けられる視線に、ウルベルトはやはり笑った。

 

「世界征服をするんですよ。俺達の手で。そうすることで、この世界を庇護下に置ける。……ナザリックからの」

 

 レイナースやエルフ達がナザリックの者達に受け入れられているのは、至高の方の所有物や庇護下という肩書があるからだ。ナザリックの者達はギルドのメンバーには従順だ。

 

「……無茶言うわー、ウルベルトさん」

 

「だがアリだ。俺達が力を見せるなら、NPC達の暴走も防げる」

 

「勿論、ナザリックと敵対するという相手には容赦しませんが」

 

「ナザリックを守りつつ、ナザリックからこの世界を守るのか。ははは、面白いじゃないか」

 

「いや、けどさ。あまり派手にやるのも不味くない?敵対するプレイヤーとかさ」

 

「警戒するのはプレイヤーでは無く、プレイヤーの集団だ。だがそれを言ったら、俺達がそれだろう?プレイヤーの集団ってのは」

 

「ボク達だけで方針の決定をしちゃ駄目だよ。皆と、これから戻ってくる人達も含めて相談しないと」

 

 やまいこの言葉に全員が頷く。それでもこの場の仮方針は決まった。建御雷がモグラ獣人を見ながら言う。

 

「とりあえずこいつらは力を見せつつ、メリットも提示してご協力を願うか。……ドワーフの方も同じ方針でいいか?どうせだし、このモグラたちと一緒にルーン技術者も連れ帰ろうぜ。勿論人死には避けてな」

 

「おーけー、ひとまずそれで行こう。とりあえずドワーフともそろそろ接触するか。ペロロンさん達呼んでくるわ」




纏めようと思いましたが、長いので分割。


普通モグラみたいな獣人が鋭利な爪持っていたら、鉱石とはならずに、ミミズでも掘るんでない?ってなりそうですが、この作品の弐式さんはご飯食べられないので、そういう感覚が消えてしまっています。


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 至高の方々、ドワーフとクアゴアに接触する 其のニ

「さて、ドワーフに接触する前にと。うーんと、このメンツならシャルティアがいいか?」

 

 ドワーフの都市で合流した一同を見渡した弐式炎雷が、シャルティアに視線を合わす。弐式炎雷と目が合った、頭巾で表情は見えないが、シャルティアは疑問気に彼を見上げる。弐式炎雷はそのシャルティアに笑い、唐草模様の巻物を虚空から取り出した。

 

「悪いね、シャルティア。声を借りるよ。……忍法!声写しの術!」

 

 弐式炎雷が巻物を勢い良く広げ、どろんと怪しい煙と共に、巻物の効果が発動する。

 

「声写し?そんな忍術あったか?」

 

 疑問の声を上げる建御雷に、弐式炎雷は笑った。その笑い声にペロロンチーノが激しく動揺した。

 

「そんな忍術は無いよ。言ったろ?忍法って」

 

 そう言う弐式炎雷の声は、シャルティアの声とまったく同じものに変化していた。その変化になるほどとウルベルトが声を上げた。

 

「イベントアイテムですね?ハロウィンの。ですがそれは、特定の声に変化させるだけのアイテムだったと思いますが」

 

 弐式炎雷が使ったのは、ボイスチェンジャーの効果を持ったイベントアイテムだ。それを使うと特定の、人気のあるキャラや様々なユグドラシルの固有NPCの声に変化できるというお遊びアイテムだった。

 

「そ。こっちだと任意の相手の声を真似られるみたい。面白いよな、この仕様の違い。実は色々試して遊んでるんでありんすよ」

 

 笑う弐式炎雷にペロロンチーノが悲鳴を上げた。

 

「弐式さんからシャルティアの声がするとか!何の罰ゲームですか、これ!?」

 

「さっき勝手に飛びだした罰でありんす」

 

「やーめーてー!ありんすとか言わないで!」

 

「も、申し訳ありません、ペロロンチーノ様!」

 

「ちがっ!シャルティアじゃないよ!弐式さんだから!ごめん!今のは弐式さんに言ったんだからね!?」

 

 慌てて謝罪するシャルティアに、ペロロンチーノもまた慌てて謝罪する。そんな主従二人に誰とはなしに、笑い声が漏れる。

 

「弐式さん、わざわざイベントアイテムの外装を弄って唐草模様の巻物にしたの?煙のエフェクトまで仕込んで?」

 

 やまいこの疑問に弐式炎雷は忍者ですからと頷く。

 

「んじゃ、ちょっとドワーフさんに挨拶してくるわ。みんなはここで待っててなー」

 

 背中を向け、ヒラヒラと手を振りながら歩いて行く弐式炎雷の姿が徐々に薄くなり、気付けば消えていた。不可視化か、不可知化か。判別は出来ないが見事な隠形だった。

 

「姿隠して声を掛けるつもりか、アイツ」

 

「まあ、ボクたちの姿見たら、驚いちゃうしね」

 

 その当然の予想は当たり、しばらくしてから弐式炎雷に連れられたドワーフはやまいこ達を見るや、盛大な悲鳴を上げた。

 無理も無いだろう。怪しい忍者に連れてこられた先に居たのは、半魔巨人二人にバードマン、そして山羊の悪魔だ。さらには蟲の悪魔だって居る。

 

「ば、ばけ!化け物!」

 

 しりもちを突くドワーフは可哀想な程怯えていた。腰が抜けてしまって逃げ出せないのは助かるが、これでは話をする事も出来ない。一同はしりもちを突いたドワーフを取り囲みながら、彼に視線を落とす。

 

「なんでこいつ、こんなに怯えているんだ?俺達の姿なら遠目にも見えてただろう?」

 

「驚かそうと、少し細工してましたでありんす」

 

「……お前の仕業か。いらない悪戯するなよ、可哀想に。しかも声戻ってるのにありんす言うな。……やまいこさん、頼めるか?」

 

「うん、<獅子ごとき心(ライオンズ・ハート)>」

 

 やまいこの魔法を受けて、ドワーフは多少落ち着いたようだ。ぜぇぜぇと荒い息を吐いてはいるが、弐式炎雷の指示を受けたナーベラルが水を渡すと、がっつく様な勢いで飲み干していた。

 

「悪いね、ゴンドさん。これがさっき説明した俺の仲間。どう?言った通り怖い顔してる人ばっかでしょう?」 

 

 悪戯っぽく笑う弐式炎雷を、ゴンドと呼ばれたドワーフは恨めしそうに見上げた。

 

「……怖い顔をした人とは聞いておったが、そもそも人で無いとは聞いておらんぞ?クアゴアを捕まえてくれたと聞いて、お主を信用した儂が馬鹿じゃった。……じゃが、クアゴアを捕まえたという話は本当だったようじゃな」

 

 そう言ってゴンドは、少し離れた所で弐式炎雷のスキルで拘束されている、恐らくモグラ獣人がクアゴアと言うのだろう、そのクアゴアを見ていた。

 

「……これほどのクアゴアをどうやって捕まえたんじゃ?採掘中だったとは言え、儂には戦闘音なんぞまるで聞こえんかった」

 

「俺にとって背後から忍び寄って拘束するなんて余裕だって。まあ、これで力の証明は出来ただろう?な、悪い話じゃないんじゃない?」

 

「……確かに……じゃが……ううーむ」

 

「おい、話が見えないぞ。この、ゴンドさんか?ゴンドさんには、どこまで話してあるんだ?」

 

 悩むゴンドを見下ろしながら、建御雷が弐式炎雷に問いかける。

 

「ああ、そうだね。じゃじゃーん。なんとこのゴンドさん、ルーン技師だそうです。いきなりでビンゴなんて、俺たち凄くね?」

 

「正確にはルーン技術開発家じゃ」

 

「何が違うの?」

 

 やまいこがゴンドに質問するが、その答えをゴンドが口にするよりも早く、ドワーフを見るやわなわなと震えていた男がとうとう口を開いた。

 

「……酷い、酷いよ。ビア樽タイプなんて、ここまで楽しみにしてきた俺に対して、この仕打ちは無いですよ……。ね、ねえ、ドワーフの女の子は?女の子だけは可愛いロリタイプのドワーフなんですよね?」

 

 ペロロンチーノの疑問にゴンドが首を傾げる。

 

「何を言っとるんじゃ―あ、いや、仰る―――」

 

「話し方は気にしないでいいよ。先にペロロンさんのああ、この鳥の人の質問に答えてあげて」

 

「うむ、すまんな。儂らドワーフはお主らから見れば性差の少ない種族じゃろうな。まあ、女は口髭が少ないが―」

 

「ピィェェェェェェェェェェェェェ!」

 

 ゴンドが口髭は少ないと言った所で、ドワーフの都市内で怪鳥音が鳴り響く。勿論ペロロンチーノの上げた悲鳴だ。口髭が少ないという事は、まあ、女性も口髭が生えているという事だろうと推測は出来る。

 

「酷い!なんて酷い裏切りだ!」

 

 何に裏切られたんだよと、建御雷とウルベルトが再びペロロンチーノが飛び出しても即座に捕まえられるように、彼の背後ににじり寄っていた。

 ペロロンチーノは飛び立つことはしないが、両腕を使い自らが感じた憤りを激しく伝えてくる。

 

「これは裏切りです!俺の想いに対する酷い裏切りです!こんな酷い裏切りは、楽しみにしていた新作のヒロインの声が姉ちゃんで!なおかつ攻略途中に、いきなり魔法で成長して巨乳キャラになられたあの時以来の裏切りですよ!事前情報では、そんなの一切知らされて無かったのに!」

 

「茶釜さんが声当ててるキャラの攻略も、する事にはするんだな」 

 

「お、俺の、ロリドワーフ王国計画が……ぐふぅ」

 

 そこまでのショックだったのか、ペロロンチーノが倒れ込む。完全に倒れ込む前に建御雷に支えられるが、そのペロロンチーノの姿を見たシャルティアがドワーフに激高する。

 

「おのれ、ドワーフ!一体ペロロンチーノ様に何をした!?」

 

「いやいや、このやり取りでゴンドさんが何かしたってどうすれば思えるんだよ。ナーベラル、シャルティアと一緒にペロロンさん介抱してあげて、しばらくすれば復活するだろうし」

 

「畏まりました」

 

 弐式炎雷の命を受け、ナーベラルがペロロンチーノに駆け寄る。建御雷が近くにあった家に放置された木箱にペロロンチーノを座らせる。まるでコーナーポストで、真っ白に燃え尽きちまったボクサーのようだなと弐式炎雷は思った。

 

「さて、どこまで話したっけ?」

 

「どこまでゴンドさんに話したか、の所だよ」

 

 やまいこの指摘に、弐式炎雷がそうだったそうだったと笑う。

 

「ええっとね。ドワーフの王国はこのクアゴアというモグラ獣人と敵対してるそうです。んで、俺がこいつらを魔導国で引き受けるかわりに、ドワーフの国と友好関係、まあ言っちゃえばルーン技師丸ごと引き抜けないかって、ゴンドさんに持ち掛けてたところ」

 

「ルーンの来歴は?」

 

「たぶんシロ。少なくとも、今はそれらしい影は無いっぽい」

 

 プレイヤーの存在を訪ねるウルベルトに、弐式炎雷は首を振る。そしてゴンドから聞かされたのだろう。様々な情報をやまいこ達に言って聞かせてくれる。弐式炎雷がやまいこたちから離れ、ゴンドと接触した時間はそれほど長い時間では無かったが、かなりの情報を仕入れて来たらしい。ルーンのメリット、デメリットも説明を、ところどころゴンドが補足しながらだが、説明してくれた。

 

「んで俺が一番魅力を感じた部分がこれです。ゴンドさんまた教えてくれるか?ゴンドさんの最終目標」

 

「……儂の最終的な目標はルーンでしかできない技術の開発。ルーン技術が将来も淘汰されない特別性を持たせることじゃ」

 

 ゴンドの話はやまいこにはあまり魅力的な話とは思えなかったが、前衛職の二人は違うらしい。特に建御雷の反応が大きい。

 

「な?面白そうだろう。上手くやれば建やんの目的と一致するんじゃない?」

 

「だな。これは思わぬ収穫になるかもしれない。……なあ、ゴンドさん。ルーンでしか出来ない技術ってのに、戦士しか使えない技を補助する、または使える様にする方法ってのは、出来そうか?」

 

「武技の事を言っておるのか?」

 

「そうだ、そのルーンを刻まれた武具を使えば、武技を使えない者が使える様になるとかな」

 

 建御雷の問に、ゴンドはしばらく考え込んだ。考え込んだのち、建御雷を見てはっきりと答えた。

 

「―出来る。というより、儂が求める独自の技術とはそれかもしれん。現在のルーンは一般的な魔化と変わらん。じゃがルーンは様々な文字を組み合わせる事により、今までに無い特別な能力を付与する可能性を秘めておる」

 

 そこまでゴンドが言って、建御雷は盛大に笑い出した。嬉しそうに、俺の方は大当たりだと喜んでいた。

 

「悪いな、ゴンドさん。アンタらルーン技師は、全員無理やりにでも魔導国に連れ帰るぜ。勿論研究費用その他もろもろの事は任せろ。望むもの、必要なものは全部用意させてもらう」

 

「……なぜそこまでルーンに拘る?」

 

「ルーンに拘っちゃいないさ。俺は強くなる可能性には、いくらでも投資する」

 

「今でも十分な力を持っているように見えるがの」

 

 ゴンドが拘束されたクアゴアを見ながら続ける。

 

「足りないのさ。全然足りない。俺があの人に勝つにはな」

 

 建御雷の言葉に、微かにウルベルトが視線を背けたのがやまいこには見えた。だが建御雷が言うあの人とウルベルトの関係性は理解しているし、あまり気に留めはしなかった。建御雷はたっち・みーの事を言っているのだろう。

 建御雷はたっち・みーを倒すことを目標とし、そしてそれが果たされる事無く、ギルドは半壊した。

 

「ルーン技術の地位向上は儂の目的でもある。協力しよう。……と言いたいが、儂個人はおぬしに協力できそうにない。儂はルーン工匠として無能なんじゃよ。あの優れた父のでがらしじゃ」

 

 ゴンドが暗い顔で首を振る。そして力無い彼の説明を、やまいこはなるほどと小さな胸の痛みを覚えながら聞いていた。恐らくゴンドは成長限界を迎えてしまい、今の成長段階ではルーン工匠として大して役には立てないという事だろう。

 やまいこには掛ける言葉が見つからなかったが、建御雷は違った。

 

「それがどうした?」

 

「……何?」

 

 明確なゴンドの怒りが、建御雷に向けられていた。建御雷もはっきりと相手を怒らせたと自覚しているのだろうが、それでも構わずに口を開く。

 

「話を聞く限り、あんたは成長限界を迎えているんだろうさ。だがそれがどうしたって話だ。諦める理由にはならねえだろ、そんな事」

 

「……どういう意味じゃ?」

 

 怒りの籠った声でゴンドが問い掛ける。止めたほうが良いのだろうかとやまいこが口を開こうとするが、弐式炎雷の手によって遮られた。建御雷に任せろと言うのだろうか。

 

「アンタ自身の成長が限界を迎えたなら、他の手段で補えばいい。それこそルーンは試したのか?自身の技術向上に使える様なルーンを刻んだのか?道具はどうだ?良い仕事は良い道具からだろう。装備を整える余地だって残っているはずだ。俺の見た所、ゴンドさん。アンタはまだまだ限界を迎えちゃいない」

 

 そう言って建御雷は腰に佩いた大太刀を引き抜いた。

 神話級アイテムの刀身が、都市内の水晶らしき輝きを受けて煌めく。ゴンドはその刀に、感嘆を超えた、恐れの様な呻きを上げた。初めてやまいこ達を見た時と同じく腰を抜かし、へたり込む。

 

「俺もそうだ。何度やってもあの人には勝てなかった。生まれ持ったもんが違うんだろうな。技術や何かにそこまでの差は無いはずだが、まるで歯が立たなかったよ」

 

 前衛職は突き詰めると最後にはリアルでの運動神経等が問われたらしい。建御雷もたっち・みーもユグドラシルでは一級品の技術を持つプレイヤーだった。二人の差を決定付けたのは、悲しい事だが、プレイヤー自身の差なのだろう。

 

「だから俺は差を埋めるために、武器を求めた。こいつで十本目だ。だが相手も酷いもんでな。ギルド武器に匹敵する特別製の鎧なんて、殆んどチートみたいなもんを持ってやがる。他の装備品も当然神話級だ。いくら足掻いても差は縮まらなかった。むしろ広がったかもしれない」

 

 自嘲するような物言いだが、声に暗さや悲観のような響きは無い。微かに笑ってすらいた。

 

「俺は結局、ユグドラシルではあの人に勝てなかった。だけど諦めちゃいないぜ。ユグドラシルで勝てなかったのなら、この世界の技術で強くなればいい。その為なら、なんだってするさ。……負けたまま目標を失って宙ぶらん状態で生きてくのは、もうゴメンだしな」

 

 最後の言葉は、たっち・みーの去ったユグドラシルを引退し、この世界に転移してくるまでの数年間を指しているのだろうか。恐らくそうだろうとやまいこは思う。

 

「……いくつか分からん話も出てたが、つまりおぬしは未だに諦めておらんのじゃな?」

 

「ああ、だからアンタも諦めるなよ。必要なものは俺が全て手に入れてやる。その代わり―」

 

 建御雷が神話級アイテムをゴンドに向け差し出す。

 

「―こいつにはアンタが、ルーンを刻め」

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテル郊外に建設中のやまいこの学校から、経過をアインズに報告するために第九階層に戻ってきたユリは、妹の一人を見つけ声を掛ける。

 

「貴方も戻っていたのね、ルプスレギナ。カルネ村の方は大丈夫なの?」

 

 ユリの問い掛けに、ルプスレギナ・ベータがいつもの笑顔で答える。

 

「あっちも最近ヒマなんすよねー。戦力も揃ったみたいだし、いっそ反旗でも翻してくれたら面白いんすけど」

 

 今のカルネ村にはレッドキャップスの存在も確認されている。たしかに戦力としては申し分ないだろう。

 

「……冗談でもそういう話は止めなさい。あの村の重要性はわかっているでしょう?」

 

「わかってるっすよ。もうアインズ様に怒られたくはないっすから」

 

 笑うルプスレギナに本当にわかっているのかしらと、思わずユリはため息をつく。

 そしてお道化てはいるが、ルプスレギナが以前より頻繁にナザリックに戻ってきている理由も察しが付く。新たな至高の御方がナザリックにご帰還されていないか気になるのだろう。そしてその中に自らの創造主がいないかとも。

 あのキャンプという一夜を思い出し、ユリは思わず微笑む。だがその時にやまいこと話した創造主の妹君の話を思い出し、僅かに顔を伏せもする。

 

「いいなー、ユリ姉は。……キャンプ楽しかったっすか?」

 

 誰から聞いたのだろうか。あの場に居なかったルプスレギナが揶揄う様に言う。

 

「え、ええ、とても楽しかったわ」

 

「うわ!自慢すか!可愛い妹が連れて行ってもらえずに寂しく過ごしていたって言うのに!あーあ、武人建御雷様もまた私を連れて行ってくれればよかったのに」

 

「今回はコキュートス様をお連れになられているのだから、貴方は我慢しなさい。舞踏会では貴方も至高の御方の相手を務めるという誉を戴いたでしょう?」

 

「それはそうなんすけどー。……でも出来れば私も、やっぱりあの御方と踊りたかったっす」

 

 建御雷に対する不敬とも取れる発言だが、ユリは何も言わなかった。その気持ちは至高の御方たちに創造された者ならば、痛いほどに理解できるからだ。

 

「あーあ」

 

 ルプスレギナが後手に頭に手をやり顔を上げた。創造主がナザリックに帰還しているユリには、ルプスレギナを慰めることが出来ない。

 

「あー、ベルリバー様、早くお帰りになって下さらないかなぁ」

 




ルプーの創造主は、この作品内において、勝手に決めさせて貰っています。


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 至高の方々、神となる

 ドワーフ国調査隊の面々がゴンドと接触している頃、居残り組の三人、アインズ、ヘロヘロ、そしてぶくぶく茶釜は帝国に居た。

 

「舞踏会の時とメイド見学の時は気にしませんでしたが、こうして改めて帝国の街並みを見ると、エ・ランテルよりも随分発展してますねー」

 

「だねー、道路の舗装からしてだいぶ違うね。エ・ランテルだと雨降ったら私たちじゃ足が汚れるしねー」

 

「エ・ランテルの街もゆっくりですが舗装工事を進めてますから、直にお二人も歩きやすくなりますよ」

 

 ずるずると引きずったような足音を立てながら二人の粘体と、一人のアンデッドが帝都アーウィンタールの中央通りを歩いている。その異形の集団が堂々と人間の街並みを歩いているのは、異質な光景だった。

 

「焦る必要はありませんよ。普段私は誰かしらに抱っこされてますし」

 

「そうそう、私もほとんど引き籠ってるし」

 

 二人の粘体からの自嘲じみた冗談に、アインズは苦笑いする。

 しかしと、アインズは周囲を見渡す。以前モモンとして訪れた事のある場所だが、かつて程の活気はない。というか人が居ない。居ない訳では無いのだが、アインズ達の姿を確認するとそそくさと逃げていき、情報が回っているのか、道を進めば進むほどに人の姿は消えていく。

 

(……ふむ。属国化の影響だろうか?これではエ・ランテルの街並みと変わらないな)

 

 チラリと背後を歩く、帝国四騎士の一人、確かニンブルだ。彼を振り返る。アインズの視線に気付くとニンブルは、暗く沈んだ顔に無理やり怯えたような笑顔を張り付けた。

 

「どうされたのでしょうか、魔導王陛下?」

 

「……いや」

 

 完全に怯えられている。舞踏会というイベントを経て、帝国との好感度は多少上がったと思うが、そう言えば会場内にニンブルの姿は無かったなとアインズは納得する。まあ活気のある街づくりは、これから仲間達と共に作って行けばいいとアインズはひとりごちた。

 

「さて、違法薬物の調査でしたか?具体的にはどうします?」

 

 ヘロヘロの問い掛けにアインズは頷く。

 違法薬物の調査など本来は、帝国の盟主国であるアインズ・ウール・ゴウン魔導国、その支配者たるアインズ達の仕事では無い。治安維持を司る帝国騎士の仕事だ。

 それをアインズ達が行っているのには訳があった。それも酷く単純な。ギルドの仲間達の殆んどがドワーフの国の調査に赴いているために、居残り組は暇なのだ。

 帝国の属国化はスタートしたばかりだ。やはり多少の反発はある。特に仕事を奪われる騎士からの反発が大きいらしい。その為本来騎士が行う筈の仕事を、言ってしまえば騎士団よりも早期に魔導国で解決してしまい、その力を示し黙らせる。その為だった。

 それも本来はアルベドがナザリックのシモベ達を使い解決するつもりだったらしいのだが、居残り組の良いイベントになるのではとアインズが無理やりに引き受けたのだった。

 

「ゲームやアニメだと、こうやって歩いてれば勝手にイベントが発生してくれるんだけどね。まあ、地道に聞き取り調査するしかないんじゃない?」

 

 ぶくぶく茶釜の言葉に、ヘロヘロは首を傾げる。

 

「私たちで聞き取り調査なんて上手く出来るでしょうか?そもそも人が、どんどん少なくなってますけど」

 

「言えてる。まあ、私たちが大手を振って歩いてたらねぇ?」

 

「ホント、失礼な奴らですね、ぶくぶく茶釜様!私たちがちょっと行って、ガツンと言ってきますね!」

 

 ぶくぶく茶釜の後ろを歩いていたアウラが憤慨した様に言う。マーレと共に駆けだそうとするのをぶくぶく茶釜の触手によって、文字通り首根っこを掴まれて動きを止められていた。

 

「その必要は無いから。二人とも大人しくしなさい」

 

 ぶくぶく茶釜の命を受け、アウラとマーレがしょんぼりと肩を落とす。その二人をぶくぶく茶釜は宥める様に、歩きながら軽く頭を撫でていた。

 この場に居る供回りは、アウラにマーレ。そして帝国から派遣されてきた四騎士、今は二人しか居ないが、ニンブルだ。ニンブルも帝国騎士側なのではとアインズは思ったが、ジルクニフ直属の彼らは事情が少し違うらしい。

 ソリュシャンとレイナースも連れてきているが、二人は既に調査を始めている。舞踏会の件で呼び出したヘロヘロの傭兵NPCの中で、探査能力のあるシモベの指揮権を一時的に与えてある。すぐに調査は終わるだろう。聞き込みが云々言っていたが、流石に本気でやるつもりは無い。

 アインズは傾きつつある日を眺めながら、帝国一等地に向け歩く。帝国にいる間の仮拠点として採用した、レイナースの住居に向かっているのだ。わざわざ歩いているのは、調査結果が出るまでの時間稼ぎ、言ってしまえば仲間達との帝国見学を兼ねた散歩だった。

 レイナースの自宅に到着すると、一般メイドが数人出迎えてくれた。ヘロヘロが創造したメイド達ではない。ヘロヘロの創造したメイド達ばかりと、嘆願書が届いた結果だった。

 

「さて、あとはソリュシャンたち待ちですね。ドワーフの国調査隊はどこまで進んでいるんでしょうか?」

 

 レイナースの自宅で、我が家のように寛ぐヘロヘロに頷く。定例連絡の時刻はそろそろだ。問題無ければすぐにやまいこかウルベルトから連絡が来るだろう。そう考えていたアインズに、タイミングよく線の様なものが伸びてくる。

 

「お、さっそく連絡来た?」

 

 ええと頷きアインズはその線を受け入れる。やまいこだった。お互いの状況を説明し合い、接続をきる。

 

「調査隊はドワーフと接触し、協力を取り付ける事に成功したそうです。それとクアゴアと呼ばれるユグドラシルには居なかった種族を、魔導国に取り込みたいと」

 

「クアゴア?」

 

「ええ、何でも土を掘ることに特化した種族らしく、鉱石探しに使いたいらしいです」

 

「ああ、七色鉱探しにその種族を使うつもりなんですね」

 

「あー、ごめん、モモンガさん。そのクアゴアって言うのを……」

 

 少し言いづらそうにしているぶくぶく茶釜に笑う。

 

「勿論、やまいこさんには了解と伝えました」

 

「ありがとう。ごめんね、モモンガさん」

 

 正確な数は知らされていないが、恐らく多くても一万程ではないかと、リザードマンの村の規模と照らし合わせ、アインズは予測する。その程度なら、問題無いだろうと礼を言うぶくぶく茶釜に頷く。

 

「それとプレイヤーの方は、恐らく外れらしいです」

 

「ううーむ。そっちは外れですか。私たち以外にもプレイヤーがいる事は確実でしょうが、中々見つかりませんね。ま、時間は有りますし、ゆっくり探しましょうか」

 

「ええ、それとなんですが……」

 

 アインズが言いづらそうにぶくぶく茶釜を見る、その視線に察したのか、ぶくぶく茶釜が項垂れた。

 

「……アイツが何かやらかした?」

 

「ペロロンさんが何かした訳では無いみたいですが、どうもドワーフはユグドラシルと同じタイプだったらしく、意気消沈しているそうです……」

 

「……あのバカ。みんなの足引っ張ってなければいいけど」

 

「プレイヤーが恐らく居ないという事で、二手に分かれるらしいです。建御雷さんと弐式さんウルベルトさんでドワーフの国に、やまいこさんとペロロンさんでクアゴアの取り込みをはかるとの事でした」

 

「そこまで行けば近日中にあちらは解決しそうですね。……おや、こちらも進展があったかな?」

 

 ヘロヘロがすっかり日が沈んだ外を窓から覗き、声を上げた。視線を追えば、馬車が一台停まっている。帝国の馬車では無く、死の騎兵に曳かせた魔導国製の馬車だった。馬車の中から姿を見せたのはレイナースだ。門番をすると言ってわざわざ外に待機しているニンブルとニ、三言葉を交わしている。

 ノックの音に部屋に控えていた一般メイドの一人が扉を開き、レイナースを迎え入れた。

 

「ご苦労様です、レイナース。進展はありましたか?」

 

 ヘロヘロの問い掛けにレイナースが頭を下げてから、頷く。

 彼女の装備は帝国の頃とデザインは変わらないが、アダマンタイトよりランクが上の金属に変更し打ち直したらしい。似たデザインのニンブルの物とは比べ物にならないだろう。小さく、だがはっきりとヘロヘロの所有物と示す様に、彼のエンブレムが鎧に刻まれていた。脚の装備が魔法の金属糸で編んだソリュシャンと同様の網タイツに変更されているのは、ヘロヘロの趣味だろうなとアインズは思う。

 

「はっ!薬物の出所を押さえ、そのルートを洗い行きつく先を突き止めました。現在ソリュシャン殿が現場で待機していますわ」

 

「ありがとうございます。では後は現場に殴り込むだけですね」

 

「ですね、早速行きましょうか」

 

 ヘロヘロに頷き、アインズとぶくぶく茶釜、そしてアウラとマーレが立ち上がる。早速現場に向かい、爽快な捕り物劇を想像するアインズたちだったが、アウラとマーレに対してレイナースが複雑そうな表情を向ける。

 

「何?何か文句があるの?」

 

 視線に気付いたアウラが威圧するような言葉を向ける。レイナースは僅かに躊躇った後に、再び頭を下げた。

 

「申し訳ありませんが、お二人はここでお待ちいただいた方が宜しいかと……」

 

「はぁ?アンタ、ヘロヘロ様のペットだからって少し調子に―」

 

「アウラ」

 

 ぶくぶく茶釜の言葉に、アウラがすぐさま引き下がる。だが納得はしていない様だった。説明を期待するが、それも無い。少し悩んだ後、レイナースはヘロヘロだけ来て欲しいと願ってくる。ヘロヘロは「はいはい」と気安い返事と共にレイナースと部屋を出て、何事か話し合っている。距離的にアウラならば聞こえるレベルだが、それはぶくぶく茶釜が、彼女の耳を塞ぎ防いでいた。

 

「はい。アウラとマーレの二人は今回はお留守番でお願いします」

 

 少ししてレイナースと共に部屋に戻ってきたヘロヘロが言う。

 二人はまだ不満そうだったが、ヘロヘロからの命とあれば逆らいはしない。

 

「で、でも、僕たちが付いて行けないなら、ナザリックから誰か別の方を呼んだ方がいいと思いますけど……」

 

 最後の抵抗を見せるマーレにぶくぶく茶釜が笑う。両手に二つの盾を構えて、二人に掲げて見せた。

 

「私以上の盾役が、今のナザリックに居るかな?」

 

 

 

 

 

 

 死の騎兵に曳かせた馬車から三つの異形と、二人の人間が姿を見せる。

 アインズにぶくぶく茶釜とヘロヘロ。そしてレイナースとニンブルだ。

 アインズは月光にその身を晒し、周囲を見渡す。辿り着いた先は墓地であった。墓地の入り口でソリュシャンが頭を下げ、アインズたちを出迎える。

 

「お待ちしておりました」

 

「ご苦労様です、ソリュシャン。それでは先に中の様子を確認しましょうか」

 

「中の様子?」

 

「ええ、薬物はこの墓地に、正確にはこの墓地の地下に広がる隠し部屋に運び込まれているらしいです。どうも見た方が早いらしいので、ソリュシャン、お願いしますね」

 

 ぶくぶく茶釜の質問に、ヘロヘロが頷きながら答える。結局馬車の中ではヘロヘロがレイナースから伝え聞いたことは語られずじまいだった。

 ヘロヘロの意を受けてソリュシャンがその体の中から、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)を取り出す。

 体の中から直径一メートル程の鏡をソリュシャンが取りだした事に、ニンブルが悲鳴のような声を上げた。夜半の墓地ではそれは多少響いたが、ソリュシャンが反応しないという事は問題無いのだろう。そしてそのニンブルは、レイナースによって睨まれていた。

 

「さて、では中の様子を見ましょうか。……私も軽く聞いただけですが、結構ショッキングな光景が広がってるらしいので、覚悟しておいて下さい」

 

 そう言ってヘロヘロが遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)を操作する。短い触手で出来た手で鏡を操作するその姿は、抱っこをせがむ赤ん坊のようでアインズは苦笑いする。

 

「ああ、繋がりました、繋がりました。……うわー……」

 

『うわー……』

 

 鏡が映し出した光景に、ヘロヘロ、そしてぶくぶく茶釜とアインズの呻き声が重なる。

 鏡に映し出されたのは老若男女様々な年齢の、二十人ほどの人間だった。

 それだけならアインズ達は呻き声など上げなかっただろう。老人も居る、中年も、年若い者もいる。ただ、その様々な年齢の者達が、全員でいたしているのである。

 

(な、なんだ、これは……ら、乱交?乱交パーティーという奴か?……なんで俺はこんなものをギルドの仲間と見ているんだ?……確かにこれはアウラとマーレには見せられない。というか経験も無いのに、こんなの見せられるって……)

 

「ハハハハハ……。か、軽く聞いていましたが、これは想像以上ですね。私映像以外でこういうの初めて見ました」

 

「私だってこんなの初めて見たよ……。というか、この人たち少し格好がおかしくない?」

 

「こ、コスプレ乱交ものというやつでしょうか?……帝国はこれが普通なんですか?」

 

 ヘロヘロがレイナースとニンブルを振り返ると、二人は慌てて首を振った。どうやらこれが帝国の一般的作法では無いらしい。

 

「薬物は脳神経系に作用する幻覚剤でした。香に混ぜ、室内で焚いているようです。薬物は別の部屋に保管してありましたが、今はシモベを一体配置し、確保してあります」

 

「ご、ご苦労様です、ソリュシャン……。いや、しかし、薬物を焚いてこういった行為をするって、本当にあるんですね……。ええー。こ、これに踏み込むんですか?私、もう少しソフトなのを想像してました」

 

「……ちょっとおかしくない?なんかこの人たちモンスターの格好してるよね?まさかモン娘フェチ?それにさ、コスプレモノって、男の方も一緒にコスプレするもんなの?」

 

「私はメイドものをよく見てましたが……男優のほうは気にしてませんでした。……どうだったかな?執事とかご主人様の格好なんてしてたかな?」

 

「ちょっと、ヘロヘロさん。そのメイドものをよく見てたの情報は今は要りませんよ。……でも確かに、少しおかしいですね。男女ともにコスプレする同好の士という事でしょうか?」

 

「悲しい事に、アイツが居れば話は早そうだけど……ん?ちょっとこの人見覚え有るな?ねえ、ニンブルさん、この人って確か帝国の貴族じゃなかった?」

 

 ぶくぶく茶釜が鏡の中の人物を触腕で指さす。ニンブルは恐る恐る鏡を覗き込み、呻いた。

 

「ウィンブルグ公爵!」

 

 確か帝国貴族の名前だ。属国化した際にアルベドから見せられた書類にその名前があったと、アインズは微かに記憶していた。

 

「もしかして、舞踏会に参加していた人ですか?そう言われれば、どの人も見覚えが有るような、無いような?」

 

「ヘロヘロさんは殆んど帝国の人の相手してないからね。……というか、これ。あれじゃない?私たちが舞踏会に連れて行った傭兵NPCのコスプレしてるんじゃないの……」

 

 ぶくぶく茶釜の呟きによくよく目を凝らしてみれば、確かにそんな気がしてきた。

 

「……え?じゃ、じゃあこの下半身に被り物みたいなの付けてる人は、もしかして蜘蛛の暗殺者(アラクノイド・アサシン)のコスプレですか?」

 

「……肌に色を塗って角と尻尾らしきものを付けているのは、赤褐色肌の竜人姫(オーバァーン・ドラゴニュート)でしょうか?」

 

「青色で肌を染めて蝙蝠みたいな羽生やしてるのは、深淵の女悪魔(アビス・サキュバス)だろうね……。ええーと、ニンブルさん。帝国はこういうの一般的でないって言ってたよね?」

 

 ぶくぶく茶釜に振られたニンブルが慌てて何度も頷いている。やはり一般的ではないらしい。

 

「……もしかしてさ、これ。私たちが舞踏会に傭兵NPCを引き連れて行ったから、参加してた帝国の人たちに変な趣味を目覚めさせちゃった……とか……?」

 

 確認するぶくぶく茶釜に、一同が静まり返る。その墓地に相応しい沈黙に、アインズとヘロヘロの背中に、流れるはずの無い冷たい汗が流れた気がした。

 

「……お、奥に二人女の子居ますね!狐面してるって事はウカノミタマでしょうか!で、でも私たちは関係ないですよね!」

 

「そ、そうですね。白ずくめの雪女郎(フロストヴァージン)らしき格好してる人も居ますが、私たちは関係ないですね!」

 

「……確定じゃん……それ……」

 

 小さく呟くぶくぶく茶釜にアインズとヘロヘロは思わず項垂れる。もはや言い逃れ出来そうにない。

 

「始末されますか?」

 

 ソリュシャンがあっさりと告げてくる。レイナースもまた頷いていた。それもいいかもなとアインズが思ってると、ニンブルが慌てたように止めに入る。

 

「お、お待ちください!舞踏会に参加されていた方々は、帝国でも有力な方ばかりです!どうか穏便に!」

 

「帝国はもはや魔導国の属国。支配者たる至高の御方達がそんな事を鑑みる必要があるのかしら?」

 

「レイナース殿!」

 

 かつての同僚が言いあう姿に、アインズはどうするかと悩んでいると、奥の狐面の少女が、その二人だけ縄で縛られ拘束されていることに気付く。

 

(ん?この二人だけ他と違うな?……攫われてきたのか?)

 

 この年頃の少女は舞踏会で見た覚えがない。されてはいないようだし、衣服も着せられたままだ。周りから少し高い所に寝かされている。まるで祭壇に捧げられる生贄のようだ。

 

「もしかして狐面の二人は生贄か何かですか?」

 

 ヘロヘロも気付いたのか、アインズと同じことを思ったらしい。アインズは頷き答えた。

 

「クライマックスに捧げるんでしょうか?何に捧げるんでしょうね?」

 

「ですねー。さて、じゃあせめてこの子たちは助けておきますか?」

 

「そうですねー」

 

 ヘロヘロに頷くアインズに、ぶくぶく茶釜が少しだけ驚いたようだった。

 

「……助けるんだ?」

 

「ええ、放置してもいいんですが。この話がペロロンさんにバレたら、どうして助けなかったんだって、怒られてしまうでしょうし」

 

 そう伝えると、ぶくぶく茶釜は何か悩むように考え込み始めた。そして少し悩んでから、提案してきた。

 

「……一個作戦思い付いたけど、試してみる?」

 

 

 

 

 

 

『アハハハハハハ、本当に人間って、愚かしいわね。そんな格好をして、私を真似たつもりかしら?』

 

 声が墓地の地下室に響く。反響しているのか、声は至る所から聞こえてきた。

 会合に参加していた貴族達は突如聞こえ始めた声に怯え、行為を中断しざわつきながら辺りを見渡した。

 しかし声の主は、どこにも見当たらない。声の出所すらはっきりとしない。

 

「だ、誰だ!?」

 

 この会合の発起人である公爵が声を上げる。

 この集まりは公爵が声を上げ、行われている集いだ。この場に居るものは全て、生贄を除けばだが、舞踏会に参加し、その魔性の美に心奪われた者達。満たされぬ魔性の美に対する想いを、こうして参加者が魔性のモノの姿を真似る事で互いに癒し合う秘密の会合。

 

『フフフ、貴方達が私を喚んだのでしょう?』

 

 再び声が聞こえた。

 女。

 女の声だ。

 だがその声は貴族達が今まで聞いたどんな声よりも艶があり、心奪われるものだった。耳奥に優しく息を吹きかけられたような、背中にぞわぞわと、感じたことも無い快感が走る。

 

「……我らが喚んだ?ま、まさか、す、姿を御見せ下さい!どうか、御姿を!」

 

 公爵が平伏した様に、床に這いつくばる。その姿に全ての者も公爵に倣い、平伏する。

 

『……いいわ。貴方達の願い、叶えてあげましょう』

 

 声に、反響する声に、全てが奪われる。なんと心の奥底の欲求を刺激、いや、柔らかな羽毛で嬲る様な声なのだろうか。耳から入り、内側から溢れ出る快感に、男も女も這いつくばりながら見悶えていた。

 

 そして、何も無い空間から闇の扉が開いた。

 闇の扉からゆっくりと歩いてくるのは、女。

 女が半球体の闇の扉を潜り、姿を見せる。

 長い黒髪の、東方風の顔立ちをし、見たことも無い衣装に身を包んでいた。美しい女だ。年のころは二十代くらいに見える。僅かに目じりの下がった下がり目。だが口元に浮かぶ微笑が、その目から受ける印象を打ち消していた。

 人間を嘲笑うかのような、しかし冷たさを感じさせない。どこか包み込まれるような印象も抱く。表情、目の動き、口の形、複雑に変化するそれらによって、女の正確な年齢をわかりづらくしていた。

 

「あ、貴方は……」

 

 公爵の言葉に、女が一度目を伏せてから一瞥した。這いつくばる公爵を嘲笑う様な、非常に洗練された流し目。

 

「言ったでしょう?貴方達が私を喚んだと」

 

 この声だ。

 美しい女ではある。だがこれ以上の美貌ならば、舞踏会でさんざん見せつけられた。だがしかし。魔導国に魅せつけられた魔性の美を超える何かが、この声には有った。この声に全てを奪われ、支配されている。

 幼い少女の様な、それでいて熟練の高級娼婦でも出せないような艶が、その声にはある。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「どうか!どうか真の姿を我らに御見せ下さい!」

 

 誰の願いだろうか。

 突如合わされた女の目が此方に向けられた。そこで初めてその声が、自分が挙げたものであると気づいた。

 

「いいわ、見せましょう。貴方達に、私の真の姿を」

 

 そう言って女の体が、ドロリと崩れた。

 

 

 

 

 

 

 ぶくぶく茶釜の人間の姿が崩れ、溶けだしていく。

 肉が流れ落ち、骨が蒸気を上げながら溶け出していた。

 勿論本当にぶくぶく茶釜の体が溶け出している訳では無い。アインズの幻術魔法による演出だ。

 先ほどの<転移門(ゲート)>も、ぶくぶく茶釜の人間体も、今溶け出している肉体も、すべてアインズの魔法による演出だ。

 ぶくぶく茶釜の人間の姿は昔リアルオフ会で見せた、当時のそのままの姿だった。アインズが自分の記憶をわざわざ魔法で探り、寸分の狂い無く再現してくれた。……若干自分の記憶より胸が少ない気がしたが。

 最初の地下室に反響する声だって、ヘロヘロが潜み、声を増幅するマジックアイテムを使い音響効果を狙ったもの。5.1チャンネルサラウンドみたいなものだ。

 演出アインズ、音響ヘロヘロ、演者ぶくぶく茶釜。

 この世界に転移し、久々の大芝居だ。幻覚系の違法薬物を使っている事も有り、効果は大きいだろう。

 

(しかし、催眠音声の仕事の経験がこんな所で活きるなんて……。やっぱり色んな役を演っておいて正解だったな。アイツには同人音声にまで手を伸ばしたかって速攻でバレてたけど、どんな経験もどこかで身を助けるんだよ)

 

 そうぶくぶく茶釜は、新しい芸名を使って受けた仕事なのに発売当日には「あれ、姉ちゃんだろう」と速攻で連絡してきた弟を思い微かに笑う。

 ぶくぶく茶釜の提案した作戦は、単純だ。

 この舞踏会で魅せられた魔性の美に傾倒する帝国貴族に、本当の化け物、すなわちぶくぶく茶釜の姿を見せつける事で、その歪んだ性癖を正す。

 そうは言っても、普通にぶくぶく茶釜が姿を見せて「ほら、化け物なんて結局こんなもんだよ?」と伝えても効果は薄いだろう。その為の、一芝居だ。魔性の美に傾倒したと言っても、本当の化け物を見せつければ、そんな気分も収まるはずだ。

 

 ぶくぶく茶釜の、アインズの幻術によって溶け出した肉が一か所に集まり、ピンク色をした肉棒に変わる。

 そこでぶくぶく茶釜はゆっくりと体を起こし、立ち上がった。

 ここまで演出をしたのだ。ここでぶくぶく茶釜が一言、「モン娘フェチなんてやめて、普通の性癖に戻りなさい」と言えば解決する。

 

「これで分かったかしら?これが私の、魔生の者の真の姿。理解できたのなら―」

 

「―女神だ」

 

(ん?)

 

 ぶくぶく茶釜の台詞を遮り、誰かが聞き覚えの無い単語を口にした。

 そしてぶくぶく茶釜は知ることになる。本当にモンスターのいる世界で、初めて芽生えたモン娘フェチというものの根深さと厄介さを。

 

「女神様!女神様のご光臨だ!」

 

 おお、という称賛の呻きが響く。

 ぶくぶく茶釜は嫌な予感を覚えつつ、目だけで周囲を見渡す。

 いない。

 女神など何処にもいない。

 何処を見渡しても、それらしき美しい存在はいない。

 何処を見渡しても、それらしい絶対者は存在しない。

 

 ならば残る答えは一つである。この場にソリュシャンが居れば彼女の事だろうと納得できただろうが。

 

 どうみてもそうとしか考えようがなかった。

 つまりは――

 

(――私が女神か!や、やりすぎたーーー!!)

 

 ぶくぶく茶釜が一番人間性を失ったと思っているアインズとヘロヘロが、たとえペロロンチーノに怒られないためにといった理由であっても、人間の少女を助けようと言い出した事が嬉しくて、気合を入れ過ぎてしまったらしい。

 

「贄を!女神様に若き魂を!」

 

 帝国の公爵がそう口にして、コスプレをした数人の貴族が慌てて狐面の少女達をぶくぶく茶釜の前にと運んできた。

 

「……え?」

 

 贄という言葉に、ぶくぶく茶釜が体を震わせる。

 

「おお、女神様が贄を喜び、卑猥な振動にその身を震わせておられるぞ!」

 

「ああ、あの激しい振動。御身に身体を委ね、その振動を当てられたら、私はどうなってしまうのでしょう!」

 

「いや、女神様は!あの御方は魔導国至高の四十一人、ぶくぶく茶釜様だ!」

 

「素晴らしい!女神様の正体は魔導国のぶくぶく茶釜様であられたのか!帝国は!我らは!女神様の庇護下に置かれたのか!」

 

「なんて素晴らしいんだ!アインズ・ウール・ゴウン魔導国万歳!」

 

「魔導国万歳!ぶくぶく茶釜様の祝福を我らに!」

 

 口々に帝国貴族が叫んでいる。

 もはやぶくぶく茶釜には、この事態の収拾の付け方がわからない。どうしたらいいのか、見当もつかない。

 

「…………」

 

 遠くを見れば、姿を隠したアインズとヘロヘロが感心した様に頷いているのが、ぶくぶく茶釜の目には見えていた。

 流石茶釜さんですね。まさかこの演出が神になる事に繋がっていたとは。そう仲間達が好き勝手言っているのを、ぶくぶく茶釜の聴覚は捉えていた。

 

「さあ、ぶくぶく茶釜様!新鮮な生贄の血を浴び、その光沢をより一層輝くものに!」

 

「……あー、うん、それはいいから。とりあえず皆今日は解散しようか。その子達は連れ帰るけどいい?」

 

「勿論です、ぶくぶく茶釜様!我らの贄をお持ち帰りください!」

 

「……あー、うん、ありがとう。……ああ、違法薬物とかもう使っちゃ駄目だよ?」

 

「畏まりました!すぐに処分させて頂きます!」

 

「ああ、うん。よろしく。それじゃあ解散……」

 

「ぶくぶく茶釜様!次回の会合はいつ頃に!?次はいつその御声を聞かせていただけるのでしょうか!?」

 

「……あー、うん、次ね。…………マジかよ…………。うん、うん。声ね。うん、考えておくから……」

 

 歓喜に震えるコスプレ貴族達に、ぶくぶく茶釜は曖昧に頷いた。

 

(……ナザリックに戻ったら、声を録音して再生するマジックアイテムが無いか調べよう。……もう私の催眠音声を定期的に供給するくらいしか、思いつかないよぉ)

 

 

 

 

 

 

 ナザリックに戻ったアインズたちは円卓で、昨夜の出来事を愉快そうに語っていた。

 

「いやー、驚きました。まさかああいう形で事態を収めるとは」

 

「本当、流石ですね。プロの仕事を見せて、いや、聴かせて貰いました!」

 

 興奮した二人とは違いぶくぶく茶釜は、円卓の上に疲れ切って項垂れたように頭を落としていた。やらかした。弟とヘロヘロに偉そうに言っておきながら、盛大にやらかしてしまった。

 

「そう言えばあの生贄の二人はどうなりました?」

 

 アインズの問い掛けに、ぶくぶく茶釜が疲れ切った声で答える。

 

「ユリとペストーニャに預けてある。あの子達はアインズ・ウール・ゴウン魔導学園最初の生徒になる予定」

 

「あの後レイナースに調べて貰いましたが、どうも実の両親に売られてしまった子達のようです。没落貴族の出身らしく、親に借金があったようですね」

 

 ぶくぶく茶釜の言葉にヘロヘロが続く。

 

「ほお?それでその両親はどうしました?」

 

「ソリュシャンに、今回の褒美として好きにしていいと伝えました。いやー、ソリュシャンの褒美も手に入れられて、いい遠征になりましたよ」

 

 明るくヘロヘロは伝えているが、今頃少女を売った両親はろくでもない目にあっているだろう。

 だが正直に言えば子供を売る様な親なんてカルマ関係なしに、どうなろうが興味はない。別段、止めもしなかった。たとえやまいこ達に知られても、ああいう手合いはカルマ+組の方が嫌悪感はあるだろう、問題は無い。ウルベルトならば、余計にだ。

 

「ねー、うちのメンバーでさ。シナリオ書ける人いたっけ?NPCでも良いけど」

 

「シナリオですか?」

 

「うん、至急2~3本上げて欲しいんだ、私役作りに結構時間使う方だし。……はー、なんでこんな事に……」

 

 そう言ってぶくぶく茶釜は再び、円卓に突っ伏すのであった。




書籍版なぞるだけでは無く、今回もwebからパクりました。

卑猥な振動という表現は、頂いたコメントからパクりました。

隙あれば、パクるのさ。

やっと追いつきました。


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 至高の方々、ナーベラルの想いを知る

 ウルベルトは、クアゴアと呼ばれる亜人、獣人の群れの中心をゆっくりと闊歩する。

 クアゴアたちは手を出してこない。誰もが山羊の悪魔、すなわちウルベルト・アレイン・オードルの姿に、力に怯えている。

 蹄の音を坑道に響かせ、笑みさえ浮かべ悠然とウルベルトは歩いて行く。

 歩けば怯えたクアゴアが後ずさり、道が開かれていった。

 

「退くな!」

 

 ウルベルトが適当に目を付けていた一体のクアゴアが、震える声を隠しながらそれでも叫んでいた。

 ウルベルトが目を付けたのは、その集団の毛皮に赤い色が混じっていたからだ。

 最初にクアゴアを捕らえた際に、ついでに聞き出せる情報は聞き出しておいた。どうやら毛皮に色が付いたものはブルー・クアゴア、レッド・クアゴアと呼ばれるエリート種らしい。

 その情報を得ていた為に、ドワーフの砦を襲うためのクアゴアの群れの中から指揮官らしい集団を見つける事が出来た。

 ウルベルトは千を超えるクアゴアの集団を前に、何の手も打たず、ただまっすぐに、その指揮官らしき集団まで歩を進めているだけである。

 それだけで、クアゴアたちは引き下がっていくのだ。

 

「祖先がデレの地で笑われるのを良しとするのか!」

 

 その言葉に、一部のクアゴアが動き出した。デレの地の意味はウルベルトには分からないが、要するに祖先の誇り云々だろうと推測する。

 そしてクアゴアの群れから勇敢なものが、祖先の誇りというものを大事にする者達がウルベルトに爪を立て、襲い掛かってきた。

 

「さて」

 

 それだけ呟いてウルベルトは襲い掛かってきたクアゴアに自身の腕を払った。悠然と、煩わしそうに。

 

「ギャッ!」

 

 ウルベルトの爪がクアゴアたちの毛皮を切り裂き、血に濡れる。

 血が滴る自身の爪をウルベルトは見つめる。切り裂かれたクアゴアは死にはしてないが、動けるような傷では無い。

 

(傷つけたというのに、何の感情もわかないか)

 

 マイナスに偏ったカルマの影響を事前に知らされていたので、人間だった頃との違いに、それほど驚かなかった。

 リアルでは、人を傷つけた事にあれほど動揺したというのに。

 

「行け! 恐れるな! いくら鋭い爪を持っていようが、奴は一人だ!」

 

 指揮官の叫びと、血が流れたことによって戦意に火が付いたのか、クアゴアたちが一斉にウルベルトに襲い掛かってくる。

 

(厄介だな)

 

 ウルベルトは迫るクアゴアに対してそんな思いを抱く。

 殺すだけならば容易い。魔法の一つでも放ってやればいい。

 千を超えるクアゴアを焼き尽くし、その焼けた肉と毛皮の臭いを嗅ぎ取っても、ウルベルトの感情に何の揺さぶりも起こさないだろう。

 それが分かるからこそ、ウルベルトは一つの魔法を選択する。

 

「<時間停止(タイム・ストップ)>」

 

 瞬間、時が止まる。

 ウルベルトに襲い掛かろうとするクアゴアたちが、爪を突き立てようとする姿のまま。

 仲間達と相談し、クアゴアたちは魔導国に引き入れる事が決まった。七色鉱を探させるという意味では、ドワーフたちよりも重要度は高い。

 だから殺すわけには行かない。数を減らしたくはない。

 今仲間達はこの山脈の方々に散っている。

 やまいことペロロンチーノは、クアゴアの本隊が居るというドワーフが放棄した都市に向かっている。クアゴアの王である氏族王というのを懐柔し、魔導国に引き入れるためだ。

 残りの武人建御雷と弐式炎雷、そしてウルベルトの仕事はドワーフに侵攻するクアゴアの部隊の捕縛だ。

 建御雷は麻痺などの特殊効果が籠められた太刀を振るえば、殺さずにクアゴアを捕縛できるだろう。

 弐式炎雷に至っては言わずもがなだ。彼の手札の多さはアインズにすら匹敵する。羨ましいくらいだ。

 

 最後にウルベルトには。

 ウルベルト・アレイン・オードルの手にはどれほどの札が握られているか。

 実は、圧倒的に少ない。

 火力に特化した職業に魔法を選択してきた為に、殺さずにといった手段が仲間内では圧倒的に乏しい。

 クアゴアは弱い。

 先ほど軽く爪で触れただけで、簡単に切り裂いてしまったほどだ。それも魔法職のウルベルトが。

 もしもウルベルトが火力魔法を唱えたならば、低位階であっても容易く命を奪うだろう。

 ならばどうするか。

 一体一体、殴って無力化させるか。

 時間は掛かるが無理ではない。だがウルベルトは浮かんだその案を一蹴する。

 無様だ。なによりウルベルト・アレイン・オードルらしくない。

 催眠魔法を使うか。

 手としては悪くないが、それもいささか無粋だ。

 

 ウルベルト・アレイン・オードルならば。

 圧倒的な力をもって、相手を屈服させなければならない。

 

 今回は命を奪わずにという条件が付くだけだ。たったそれだけで、ウルベルト自身がウルベルト・アレイン・オードルを貶めてはならない。

 そろそろ<時間停止>の効果が切れる。

 考え事をしていても、無意識に時間を数えていた。時間停止が切れた瞬間に発動するように魔法を使うタイミングは、ユグドラシル時代にアインズ、あの頃はモモンガや、タブラなどと共に練習をした。

 呆れるほどの訓練時間を費やして、ウルベルトたちは使えるようになったのだ。この数年ユグドラシルを意図的に忘れ、考えないようにしてきたというのに。あの頃の感覚は身に沁みついているらしい。

 少しだけウルベルトは自嘲気に笑い、すぐに打ち消した。

 そして切る。数少ない手札の一枚を。

 

「<魔法範囲拡大(ワイデンマジック)首狩り(ネックハント)>」

 

 同時に時が動き出す。ウルベルトの魔法の効果と共に。

 

「が!? ぐがぁああ!!」

 

 クアゴアたちが、宙に吊り上げられた。

 千を超えるクアゴアたち全てがだ。

 見えない手のような力場に首を掴まれ、肉体ごと浮かばされているのだ。

 首を掴む見えない手を振り払おうと、クアゴアたちが足をバタつかせながら抗う。しかしすぐに動きを止めて、その足が脱力したようにだらりと垂れさがった。

 殺しては当然いない。相手の動きを止めるスタン魔法だ。気絶させただけに過ぎない。

 手も使わずに相手の首を締め上げる効果を気に入って習得した魔法だ。

 首を吊り上げられ、だらりと脚を伸ばす千を超えるクアゴアの群れ。

 その中心で悠然と佇む山羊の悪魔。

 まさにウルベルトに相応しい光景だ。

 だが。

 

「……しまったな」

 

 ウルベルトは吊り上げられた赤い毛皮のクアゴアたちを眺めながら、自らの失敗を悟り不満そうにひとりごちる。

 

「名乗りを、忘れていた」

 

 

 

 

 

 

「まずは名乗らせて頂こう。私はアインズ・ウール・ゴウン魔導国至高の四十一人ウルベルト・アレイン・オードルという」

 

 ウルベルトは先ほどの失敗を繰り返さないために、ドワーフの国のトップ、摂政会を前に最初に名乗りを上げる。

 名乗りに対して、八人のドワーフたちは驚いているのか、反応が無い。

 クアゴアを捕縛するついでに砦を救ったので、すでにドワーフの総司令官とは話をしているが、その彼も疲れた顔をしているだけだ。

 そのドワーフたちの反応に、ウルベルトの背後に控えるものが手にした銀色のハルバードの石突を石造りの床に打ち付けた。

 床が砕け、大きな音を立てる。

 ウルベルトの背後に控えるのはコキュートス。その彼がウルベルトの名乗りに答えないドワーフの態度に、静かな怒りを見せたのだ。

 ウルベルトが振り返らずに軽く手をあげると、コキュートスは一礼し、それ以上の動きを止めた。

 だが効果は十分だ。慌ててドワーフが非礼を詫びてくる。

 

「も、申し訳ありません、ウルベルト・アレイン・オードル様。ご無礼を致しました」

 

「構わないさ。この先の会談が有意義なものになるのならば」

 

 ドワーフの国に侵攻するクアゴアを、ウルベルト達は漏らすことなく全て捕らえる事が出来た。捕らえたクアゴアは弐式炎雷が影に放り込み、拘束している。

 やまいこ達が氏族王というのを懐柔してくれば、解放し魔導国の民とする。

 ウルベルト達が、離れた侵攻するクアゴアを捕縛する事が出来たのは弐式炎雷の活躍によるものだ。彼が本体と先行させていた分身の影を繋ぎ、ウルベルトと建御雷をクアゴアの部隊が展開する場所まで送り込んだのだ。

 侵攻を事前に防ぎ、尚且つウルベルトがドワーフの砦付近で力を振るった事で、ドワーフ達に力を示すことも出来た。

 おかげで交渉を有利に進める事が出来るだろう。

 ウルベルトが望むものは、ドワーフの国と友好的な国交。それにルーン技師の引き抜きだけだ。見返りは魔導国の武力。

 この辺りはアインズと<伝言>で相談済みだ。

 仲間達と相談した理想の落としどころは、まずは引き入れたクアゴアに七色鉱の探索をさせ、ついでに鉱石資源も得る。それをドワーフの国に運び入れ、武具を生産してもらう。そして出来上がったドワーフ産の武具を、魔導国が自国に引き入れた冒険者に安価に提供する。

 クアゴアは鉱石を得られ、ドワーフは武具生産で外貨を得られ、魔導国はドワーフ産の優秀な武具を売りに冒険者を得られる。

 色々と穴はあるが、その辺りはデミウルゴスやアルベドが上手くやるだろう。丸投げだが、自分達ではこれくらいが良い所だ。

 

 さてと一言言いウルベルトは、ドワーフ摂政会に話を切り出していく。 

 そしてその感触は悪くなかった。彼らからすれば、クアゴアの脅威が取り除かれ、それらが占拠するかつての王都とやらも戻ってくるのだ。悪い話ではないハズだ。

 それなのに、一人だけ異を唱える者が居る。

 鍛冶工房長というドワーフだけが、こちらに敵意の籠った顰め面を向けてくる。理由は色々あるだろうが、なによりもルーン工匠の引き抜きが気に入らないらしい。

 奴隷として連れて行く気か等々。

 そして最後にこうも言った。国家の平和を他国からの兵力で賄うのは危険が大きいと。

 それを摂政会というドワーフの、国のトップの一人が口にしたことに、ウルベルトのたがが外れる。

 

「……糞だな、お前」

 

「うぐっ!?」

 

 ウルベルトが無詠唱の<首狩り>を使い、鍛冶工房長を締め上げる。見えない力場によって吊り上げられ、宙に浮いたドワーフが短い足をバタつかせながら暴れている。

 

「お前、自分が何を言っているのか理解できているのか?」

 

 ウルベルトの怒りが籠った声に、ドワーフ達が慌てたように席を立つ。逃げるのか、仲間を助けるために抵抗するのか、そのどちらの為かは分からなかったが、瞬間コキュートスがハルバードを振り、その動きを制する。

 

「平和を他国からの兵力で賄うのは危険が大きいだと? 総司令官、俺が捕まえたクアゴアの数を見たはずだな。お前たちはアレに対処できたのか?」

 

 ウルベルトが山羊の瞳を総司令官に向ける。

 その怒りが籠められた金色の瞳に、総司令官は震え首を振る。

 

「だそうだ。……お前は知っているのか? 踏みにじられる側の痛みを」

 

 この男は、国のトップとして平和を謳いながら、自分達だけではそれを為し得ない事を理解していない。

 弱者が、敗者が、負け組が。

 どういった思いで生きていくのか、そして死んでいくのか。それを知っている者ならば、そんな事は言わない筈だ。知っている者なら、想像できる者なら、たとえそれが悪魔の手であろうとも取るはずだ。

 力無く、不平だけを口にし、踏みにじられるだけだったかつての自分の様に。

 

「お前が守りたいものは何だ? 誇りか? 矜持か? そんなものは、糞くらえだ。お前が守るものは、民だろう」

 

 理想を語るには力が必要だ。

 何かを犠牲にする事が必要だ。

 覚悟を決める事が必要だ。

 それが無い者は、永遠に負け組だ。復讐する事すら許されず、歯車になる事でしか生きていけないのだ。

 

「力を得る手段を選ぶ余裕が、お前にはあるのか? ……巫山戯るのも大概にしろ」

 

 ウルベルトは、失敗した。失敗したのだ。何も為さずに、踏み続けられたまま、何かを変えることなく、潰された。

 そして皮肉にも、そのおかげでこうして力を手に入れている。

 

「……ちっ」

 

 ウルベルトが魔法を解き、鍛冶工房長が解放された。音を立てて石床に落下する。解放された鍛冶工房長は気絶し意識を失っていた。仲間の無事を確認するように、他のドワーフが駆け寄っている。

 

「すまない、失礼をした」

 

 結局、同族嫌悪だ。鍛冶工房長はかつての自分だ。力も無く、不満だけは大きい。それに気付いた瞬間怒りが抜けた。というよりも情けなさが勝った。

 建御雷は今ルーン技師を魔導国に引き入れる交渉をしている。その為にウルベルトがドワーフのトップとこうして交渉しているのだが、失敗をしてしまった。

 どうにか挽回の手を打とうと思案する。 

 コキュートスにも無様な姿を見せてしまった。何らかのフォローが必要だろう。当初の予定ではコキュートスの武具を見せつけ、この力に近づきたくないかと、そう心をくすぐるつもりだったが、ウルベルトが怒りを発散してしまったためにすべてを台無しにしてしまった。

 ドワーフ達が何事が囁き頷き合っている。ウルベルトにはそれが破滅へのカウントダウンに見えて嫌だった。

 

「ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 総司令官が話しかけている。

 ウルベルトは内心の焦りをおくびにも出さずに、悠然と構えて頷く。

 

「貴方の御心に触れた気がします。我が国との友好の件、謹んでお受けします」

 

 頭を下げるドワーフ達に、何が起きたと混乱しつつも、ウルベルトは口元に笑みを浮かべた。

 

「こちらこそ、ドワーフの諸君」

 

 なんで上手くいったのだろうかと思いつつも。

 

 

 

 

 

 

 へジンマールは己の父がゴム毬の様に殴り飛ばされては、跳ね返ってくる光景を初めて見た。

 クアゴアを引き連れ現れた三人。

 醜悪な怪物に、鳥の羽を持つ戦士、そして銀髪の少女。

 そのうちの一人、やまいこによって、父が殴り飛ばされているのだ。

 

「貴様! オーガ! いい加減にしろ!」

 

 殴り飛ばされていた父親が冷気のブレスを吐く。フロスト・ドラゴンが放つ極寒のブレスだ。

 それに対して、やまいこは何もしない。何もせずにブレスをまともに浴びて、そのまま気にせず父に歩み寄り、殴りつける。

 やまいこの手に嵌められたガントレットによって殴られた父が、再び盛大に床や壁に弾んでいる。

 

「がッ! 貴様! 霜の巨人か!?」

 

 冷気に対する完全耐性によって、己のブレスが通用しなかったからだろう。父親がよろよろと立ち上がりながら、そんな事を言う。

 

「オーガでも、フロストジャイアントでもありません」

 

 そしてそれはやまいこに否定されて、再び殴られている。

 自分は運が良かった。御三方が城の頂上より飛んで現れてくれたおかげで、最初に出会い、友好を結ぶことが出来た。いや、一番最初にやまいこの生徒になることが出来た。

 最初へジンマールは扉をぶち破って現れた三人とクアゴアに、怯えて声を失った。彼らは何の警戒も無く歩み寄って来て、へジンマールと自分の部屋、両方を眺めていた。

 戦闘になる事を恐れたヘジンマールが最初に三人組に伝えたのが、本が犠牲になるからここで暴れて欲しくないという懇願だった。

 キョトンとしながらも、やまいこはその願いに頷き、了承してくれた。

 そしてヘジンマールの鼻の先になる小さな眼鏡を見つけ、笑ってこう言ってくれた。「勉強家なんだね」と。

 あとは何を話したのかよく覚えていない。

 ただつまらなそうな鳥の羽が生えた、とんでもない力を秘めているであろう金色の鎧を身に付けた男とは違い、やまいこは笑顔でヘジンマールがなぜ学ぶのかを聞いてくれていたのは覚えている。

 気付けば自分は、やまいこを先生と呼んでいた。

 そしてやまいこは、少し困ったような顔を恐らくしたけれど、しょうがないなと呟く声は優しかった。

 

「貴方が大量の金品を、リユロさん達から巻き上げていると聞きました」

 

「それが何だというのだ! そいつらは俺の所有物だ! 奉仕するべき生ぶッ―――!」

 

 言葉の途中で、再び父親が殴られた。ドワーフの宝が眠る巨大な扉にぶつかって、戻ってきたところをさらに殴られる。

 

「……そう。貴方には教育が必要だね」

 

 そう言ってやまいこはガントレットが嵌められた拳を打ち付けて、小気味よく父親を殴り飛ばしている。

 「やめ―――!」「いい加減に―――!」「い、いくらなんでも―――!」そんなことを喚きながら殴られている父親から、ヘジンマールは視線を母竜たちに移す。殴り飛ばされる父親の姿に、母たちが逃げ出すのではと思ったからだ。

 やまいこからは、クアゴアを父の支配から解放しに来たとしか聞いていない。逃げたとしてもやまいこがどう思うか分からないが、恐らく怒りはしないだろうと思ったので、母たちが実際に動いたとしても咎めないつもりだった。

 そして母竜たちが僅かに動きを見せた瞬間、光の矢が床に突き刺さり、大穴をあける。

 

「やまいこ先生の授業中に退席しようなんて不良生徒は、学級委員長の俺と」

 

「風紀委員長シャルティア・ブラッドフォールンが許さないでありんす」

 

 母たちの動きを制した弓を構えた羽の生えた仮面の男と、銀髪の少女が笑っていた。

 先ほどまではやまいこの戦い――いや、授業を眺めていたはずだが、死角に居たはずの母竜たちが動きを見せた瞬間に牽制するあたり、やはりこの人達もヤバいとヘジンマールは直感で理解する。

 

「ああでも、他のお子さん達もこの場に連れてきて貰えますか? 折角のやまいこ先生の授業ですから」

 

 仮面の男が母竜達ににこやかに言う。

 しかし母竜達は動かない。いや、動けないのだ。先程放たれた光の矢は、一撃で竜を殺す威力が籠められていた。そんな一撃を無造作に放てる相手に、怯えて動けないのだ。

 

「ペロロンチーノ様のご命令が聞こえんしたの?」

 

 動こうとしない母竜達に、銀髪の少女が首を傾げてから笑顔を消し、表情を一変させた。

 

「さっさと連れてこい。ぶち殺すぞ」

 

 言葉に、母竜達が爆走していく。

 逃げようとはしないだろう。逃げればどうなるか、分かっているだろうから。

 

「逃げるドラゴンがいたら素材にしちゃおう、シャルティア」

 

「畏まりました、ペロロンチーノ様! ですがお望みなら、すぐにドラゴンたちを殺して素材にしてしまいんすが?」

 

「いきなり殺しちゃうのは、やまいこ先生に怒られちゃいそうだからなー。今の俺達は学級委員長と風紀委員長だし、先生の言う事はちゃんと守らないとダメだ」

 

「いめーじぷれいでありんすね? ではそのようにいたしんす」

 

 怖い事を平然と話している二人に、へジンマールは震える。

 そして兄弟たちが揃う頃には、スリムだった顔が腫れ上がってヘジンマールの様になった父親が、やまいこに屈服していた。

 そしてヘジンマールは再び初めて見る父の姿を目撃した。

 膨れ上がった顔で、ごめんなさいとクアゴアに頭を下げる父親に、やまいこは満足そうに笑っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……さて」

 

 ドワーフの国、摂政会の会議場から少し離れた、魔導国一行の滞在場所ですべてを眺めていた弐式炎雷は、背中を預けていた壁から身体を起こす。

 弐式炎雷は、影を通して全てを見ていた。武人建御雷が体育会系のようなノリでルーン技師を引き抜いたのも、やまいこがクアゴアを説得しフロスト・ドラゴンをどつき倒していたのも、ウルベルトが摂政会を懐柔するのも。

 ウルベルトに関しては後で謝罪をしようと思う。

 予め覗き見ている事は伝えてあるが、彼は自分のああいう姿を弐式炎雷、というより仲間には見せたくなかっただろうから。

 弐式炎雷は、先ほどから感知していた近寄ってくる気配に視線を向ける。扉に向けてだ。気配の主たちは直ぐに姿を見せる。

 

「おう、上手くいったぞ」

 

「こちらも何とかなりましたよ」

 

 部屋の扉を開けて現れたのは、建御雷とウルベルトだ。

 

「お疲れさまー。やまいこさんも終わったって。ついでにフロスト・ジャイアントにも挨拶してくるってさ」

 

 そう言って弐式炎雷は二人に向けて手を上げた。

 ウルベルトはその仕草に疑問気な表情を浮かべるが、建御雷は直ぐ理解したようだ。片手をあげて応じる。そこに至って弐式炎雷の意図を察したウルベルトが小さく笑って、こちらも片手をあげた。

 

「おっしゃ!」

 

 そして弐式炎雷は二人と手を打ち合わせる。功績、いや頑張りを讃える様に。

 手を合わせ打ち鳴らしてから、男三人は笑みを浮かべ、笑い合う。ベストの形では無いかも知れないし、自分達が見落としていることもあるかもしれない。それでも上手く行ったことには違いない。

 

「やまいこさんが戻ったら凱旋だな。そういやウルベルトさん、コキュートスの奴は?」

 

「総司令官と打ち合わせしてもらっていますよ。ドワーフの国に常駐させる戦力の相談を。まあ、クアゴアに続いてやまいこさんがフロスト・ドラゴンにフロスト・ジャイアントも屈服させたら、必要ないかもしれませんが」

 

 そう二人は笑っている。

 彼らを見て思う。

 弐式炎雷は、建御雷の様にルーン技師の引き抜きを上手く出来なかっただろう。

 ウルベルトのように、ドワーフ摂政会の懐柔も出来なかっただろう。

 やまいこのように、クアゴアやフロスト・ドラゴン達を屈服―――いや、教育することも出来なかっただろう。

 別段それは悔しい事ではない。向き不向きの話だ。

 自分達は仲間だ。仲間なのだから、出来る人がそれをやればいい。自分達は補う事で、ユグドラシルという長い時間を過ごしてきたのだから。

 だからこちらの世界でも、弐式炎雷しか出来ない事をすればいい。

 

「つー訳で、俺はちょっと魔導国を出るよ」

 

 そう宣言する。二人は驚いたように、意味が分からないというように、こちらに顔を向けてくる。

 

「シャルティアを洗脳した奴を見つけてくる」

 

 それが出来るのは、今は自分だけだから。

 

「……駄目だ、危険すぎる」

 

 ウルベルトが首を振る。

 

「ウルベルトさんの言う通りだ。自重しろ」

 

 建御雷から睨まれる。

 だが弐式炎雷はその視線からひらひらと身を躱し、笑った。

 

「一番の厄ネタだろ、これ。早めに問題を潰しとくべきだって」

 

「まだ早い。地盤を固めてからだ」

 

 ウルベルトの金色の瞳が、弐式炎雷をまっすぐに捉える。位階魔法を使ってでも、無理やりにでも、弐式炎雷を行かせまいとする決意が見えた。本気が見えた。

 

「今しか無いんだって、ウルベルトさん。俺達しか居ない今しか」

 

 だから弐式炎雷も本気で応える。

 

「理由は分からないけど、皆魔導国に集まって来てる。それが良い事か悪い事かは人に依るけどさ」

 

「なら余計だ。戻るにしろ残るにしろ、戦力が増えてからの方がいい」

 

「ダメだって。シャルティアみたいに洗脳される様な事がまた起きたら、ペロロンさんが絶対に引かない。茶釜さんがどう止めたって、あの人は引かない」

 

「その話が、俺達しか居ない今にどう繋がるんですか?」

 

「……揉めるよ、また」

 

 さらりと言ってのけたつもりだったが、発せられた言葉は弐式炎雷の予想と違い随分と震えていた。その言葉にウルベルトが一瞬視線を逸らす。弐式炎雷はごめんと謝って、ウルベルトの肩を叩いた。

 

「ま、だからさ。潰せる問題は解決しておこうよ。解決は無理でも、特定できれば対策出来るし。俺達だけなら、まだ話は纏るよ。人数が増えたら、その均衡が崩れる。わかるだろう?」

 

 震えを隠す様に、ことさら明るく弐式炎雷は二人に言う。だが建御雷は弐式炎雷の忍者装束ごと胸倉を掴みあげ、ふざけるなと顔を寄せてくる。

 

「お前こそわかってねぇ。お前に何かあったらモモンガさんがどれだけキレるか、想像つくだろうが!」

 

 モモンガ、アインズのそういう一面は、弐式炎雷たちの良く知るところだ。あれはアンデッド化したからでも、身も心も異形と化したからでもない。彼が元から持ち得たもの。ただその攻撃性が、この世界に来て強まっただけだ。

 もし弐式炎雷が殺されたり、洗脳されるようなことがあれば、アインズの怒りはシャルティアの比では無いだろう。何もかもかなぐり捨てて、復讐を果たすだろう。その間にあるものを踏み潰し、どれだけの犠牲が出ようとも必ず成し遂げるだろう。

 

「……ま、その時はみんなで何とかモモンガさん止めてよ」

 

「ふざけんな、話にならねえ」

 

 建御雷が胸倉を掴んだまま、弐式炎雷を壁に押し付けようとする。だが壁に押し付けられるより早く、弐式炎雷の姿が霞の様に消えた。思わず建御雷がつんのめる。その姿を笑うように、再び現れた弐式炎雷が建御雷の背後から声を掛けた。

 

「……俺なら、こうやって何とか出来るから言ってるんだって」

 

 弐式炎雷の言葉に、ウルベルトが諦めたように息を吐く。ただ戦うのではなく、搦め手を使う弐式炎雷を無理やりに留めようとするならば、それが出来るのはこの場に居ないアインズだけだ。

 だがと、ウルベルトは弐式炎雷を軽く睨みつけた。

 

「……弐式さん、本音を隠してるだろう?」

 

 見透かされていた弐式炎雷は、うっと息を詰まらせた後に、困ったように口を開いた。

 

「……まあね。本当はすげえ興奮してる。昔言ったよね……バレたら死ぬかもしれない、そのギリギリ感がたまらないんだよ、俺。こっちの世界じゃ本当に命が懸かってるって思うと、信じられないほど興奮する」

 

 これも異形化が原因かなと続けた。

 馬鹿がと建御雷に軽く胸を叩かれて、弐式炎雷は体を揺らす。その親友に弐式炎雷は再び笑う。仕草に、諦めと達観があったからだ。

 

「勿論死ぬつもりは無いし、洗脳されるつもりもないよ。俺のせいで世界壊滅とか死んでても流石に寝覚めが悪いし、何より生還するからこそ、楽しいんだからね」

 

 諦めた二人に、そう弐式炎雷は締めくくる。

 建御雷が息を吐いて弐式炎雷に問い掛けた。

 

「ナーベラルはどうするんだ?」

 

「置いていくよ。当然だろう?」

 

 連れて行けるはずが無い。これから弐式炎雷は、場合によっては敵対プレイヤーが居るかもしれないギルド拠点等に潜入するのだ。

 

「まずは法国って所に行ってみる。そこで何も見つからなかったら、モモンガさんが情報見つけてきたギルド拠点っぽい所にも足を運んでみるよ」

 

 そう言う弐式炎雷に、やれやれと建御雷が虚空のアイテムボックスに手を伸ばす。そして取り出したアイテムを無造作に放り投げた。弐式炎雷は放り投げられたそれを慌てて掴み取る。

 

「おい、建やん! 世界級アイテムを乱暴に扱うなって!」

 

 放り投げられたのは一組の小手。世界級アイテム強欲と無欲だ。

 

「もってけ。モモンガさんから言われてたんだよ。お前が単独行動に出るようなら持たせてやってくれって」

 

「ぐお! 見透かされている!?」

 

「……帰って来いよ。お前に何かあったらブチ切れるのは、モモンガさんだけじゃねえぞ」

 

「俺もですよ。……俺に世界を焼かせたくないなら、無事に戻って来い」

 

 そう言う二人と、自分の性分を理解してくれていたモモンガにも弐式炎雷は頷く。

 

「……了! ちゃんと戻ってくるよ」

 

 そう言って弐式炎雷は部屋を出る。このまますぐに出掛けるつもりだ。背後から建御雷とウルベルトがゆっくりと追いかけてくる。見送ってくれるのだろう。

 一行の滞在場所として案内された建物を抜け、そこで弐式炎雷の足が止まる。建物を出てすぐの場所に、ナーベラルが片膝を突いて控えていたからだ。

 

「……どうした、ナーベラル。ナーベの格好なんてして?」

 

 弐式炎雷は内心の動揺を悟られないように、明るくナーベラルに問い掛けた。ナーベラルには適当な命令を与えて、離れさせていた。護衛のヘロヘロから借り受けた傭兵NPCの姿もない。

 何よりナーベラルがいつものメイド服では無く、深い茶色のローブという、何の変哲もない服に着替えている事に驚かされる。旅装のようだ。まるで何かを察した様に。弐式炎雷は、旅立つことを一言もナーベラルに伝えていないというのに。

 

「……ナーベラルは先にナザリックに戻っててな。俺はちょっと出掛けてくるからさ」

 

 そう言って弐式炎雷はナーベラルのポニーテールを優しく撫でてから、彼女の横を過ぎ去っていく。だがナーベラルは命には応えずに、無言で立ち上がり、弐式炎雷の後を付いていった。

 

「あのなあ、ナーベラル。俺はナザリックに戻って居ろって、命令をしたんだぞ?」

 

 無言で付いてくるナーベラルに弐式炎雷が振り返り、再度命じる。はっきりと命を受けたにも関わらず、ナーベラルは応えない。だがそれでもゆっくりと口を開いた。

 

「……お供致します」

 

 ナーベラルがそれだけを口にして、再び片膝を突いて平伏する。

 弐式炎雷は、ナーベラルの背中越しからこちらを覗いている建御雷とウルベルトに助けを求める。だが二人は、困ったように首を振る。二人もまたナーベラルの行動に驚いているのだ。

 ナーベラルは今明確に、創造主である弐式炎雷の命に反抗している。

 

「……ちゃんと伝えなかった俺が悪かったな。俺はこれから敵対プレイヤーが居るかも知れない場所に潜入する。プレイヤーがどういう相手かは、お前も分かるよな?」

 

 その問いに、ナーベラルは跪いたまま頷く。

 

「ハッ!かつてナザリックに攻め込んできた不貞の輩。……その力は至高の御方々と同格である存在です」

 

「そこまで分かっているなら、理解できたな? そんな場所にお前を連れて行けるか」

 

 そう言って弐式炎雷は振り返って、ナーベラルを置いて再び歩き出す。だがナーベラルの気配は離れない。こちらも再び立ち上がり、構わず付いてくる。

 瞬間、弐式炎雷は湧き上がった感情をぶつける様に、手近な石造りの建物に向けて拳を叩きつけた。

 

「ふざけんなッ!」

 

 拳を打ち付けられた石造りの壁に、大穴が開く。破片が飛び散り、散乱している。中にドワーフが居なくて助かった。その確認すら弐式炎雷が怠るほどに、激高していたのだ。

 

「六十三レベルのお前が付いてこれる場所じゃないんだよ! それぐらい分かれよッ、ナーベラル!」

 

 怒りに声を荒げる弐式炎雷の姿に、建御雷とウルベルトが驚愕している。当然だろう、そんな姿を弐式炎雷は仲間に、付き合いの長い建御雷すら見せたことが無い。動じるのも無理はない。弐式炎雷自身が、自分の行動に驚いているのだから。

 この場で弐式炎雷の怒りに微塵の動揺も見せないのは一人だけだ。

 ナーベラル。

 彼女だけが、眉一つ動かす事無く、自身の創造主の怒りを受け止めていた。

 

「……足手まといだ。付いてくるな、ナーベラル。……頼むよ」

 

 ナーベラルの瞳が、まっすぐに弐式炎雷に向けられていた。弐式炎雷はその瞳にたじろぎ、しっかりと見返す事が出来ず、震える声でそう願う。

 だがナーベラルは、創造主の願いの答えとは違う事を口にする。

 

「……私はナザリック戦闘メイド。六連星(プレアデス)のナーベラル・ガンマです。弐式炎雷様に、そう創造していただきました」

 

「なら務めを果たせ。お前の役割はナザリック第九階層の守護だろう」

 

「プレアデスである事が私の誇りです。その務めを果たし、至高の御方にお仕えるする事以外に、私の存在意義はありません。それが私の……全てです」

 

 ナーベラルが最後の言葉、全てと口にした時だけ、僅かに瞳を揺らした。

 

「全て、でした。そのはず……でした」

 

 弐式炎雷の怒りにも身動ぎ一つしなかったナーベラルが、少しずつだが迷いを見せる。いや、迷いでは無く、紡ぎたい言葉を、ナーベラル自身が上手く口にする事が出来ないのだ。

 

「……踊りを覚えました」

 

 ナーベラルが確認するように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「人間という下等生物の前でも、笑う……口角を上げる事を覚えました」

 

 そう言ってナーベラルが自身の指を使って左右の口角を押し上げる。そうすることで、口元だけが笑ったように変化した。

 

「……仮面を戴きました」

 

 ナーベラルが胸元からアイテムを取り出す。舞踏会の祝賀会で弐式炎雷から授けられたマスクを。それを大事そうに胸に抱く。

 

「大きな篝火を囲み、共に踊る名誉も戴きました。……至高の御方々と守護者の方達、それと姉妹達と共に踊るのは……」

 

 そこで言葉を途切れた。ナーベラル自身がキャンプファイヤーの時に抱いた自分の感情に、言葉という明確な答えが出せていないのだ。

 

「……あれが、楽しいという感情だったのだと……思います」

 

 迷い、ようやく見つけた楽しいという言葉に、ナーベラルが微笑む。

 そしてナーベラルは腰に佩いた長剣を引き抜いた。

 その動きに、背後の建御雷とウルベルトが身じろぐ。

 ナーベラルが持つ長剣は、ユグドラシルの武器でもない、この世界の武器だ。なんの魔法効果も秘められていない。そんなものでこの場の誰も傷つける事は出来ない。

 ナーベラルは、その抜き放った長剣を弐式炎雷に差し出した。

 

「供に行けないのであれば、どうか私をお斬り捨て下さい」

 

 その長剣を振るうのが、弐式炎雷ならば、この武器でもナーベラルを傷つける、命を奪う事は出来る。

 

「……そんな事、出来る訳無いだろう……」

 

 弐式炎雷は、ナーベラルに気圧されたように後ずさりながら首を振る。

 

「なんでだよ……。俺なんて、モモンガさんと比べたら何でも無いだろう? なんでお前は俺なんかに……。ナーベラルだって覚えてるだろう……。俺はモモンガさんと違って、お前たちを置いてどっかに行ってたんだぞ!」

 

 弐式炎雷は、一度ナザリックを捨てた。

 そのうえで厚かましくも、創造主という理由で、ナザリックの支配者としてナーベラルに振る舞っている。それが許されるのは、本来ならばモモンガ、アインズだけだというのに。

 アインズがそれを仲間に許すからに過ぎない。その好意に甘えてるだけだ。

 決して、ここまでの忠誠を、ナーベラルから向けられる男ではない。

 

「お前はモモンガさんに仕えろ。……ナザリックにはさ。ユリたち姉妹もいるし、建やん達だっている。寂しくなんかないさ」

 

 その弐式炎雷の言葉に、ナーベラルは目を伏せ迷うことなく差し出した長剣を、自分の首に押し当てた。

 

「だからッ!!」

 

 剣が引かれるより早く、弐式炎雷がナーベラルの手を押さえつけてその動きを封じる。ナーベラルの手を握り、彼女を抱き締める様な形の弐式炎雷が再び叫ぶ。

 

「なんでお前はッ、そこまで出来るんだ!?」

 

「……私は、創造主が戻られたナザリックを知りました。いえ、思い出してしまったのです」

 

 震える声の弐式炎雷と違い、ナーベラルは美しい微笑みを浮かべて、はっきりと創造主の問に応えた。

 

「……貴方の居られないナザリックは、悲しいだけです。もう、耐えられないから……。私を置いていくのならば、どうかお情けを」

 

 殺していって下さいと、ナーベラルは微笑む。 

 その悲しく、それでいて美しい笑みを浮かべるナーベラルに、弐式炎雷は飲み込まれていく。そして、ゆっくりと笑い出した。

 

「ハ……ハハハハハ!」

 

 笑いながらナーベラルの手から剣を奪い取って、投げ捨てる。

 カランッと音を立てて石畳みに長剣が転がった。その長剣を目で追っていたナーベラルが驚愕する。弐式炎雷に、強く抱き締められたからだ。

 

「そうだよな。……置いていかれるのは、怖いよな。もうそんな目には遭いたくないよな」

 

 そこまで言って、弐式炎雷はナーベラルを解放し、成り行きをじっと見守ていた建御雷達の方を見る。

 

「悪い、建やん。ナーベラルは連れて行くよ。それでいいな、ナーベラル? 俺に付いて来い。一緒に行こう!」

 

 弐式炎雷の問いかけに、真っ赤になったナーベラルが、慌てて三度目の片膝を突き、応えた。

 

「……は、ハッ! 畏まりました! 弐式炎雷様!」

 

「だけど一つ条件だ、ナーベラル。俺が本気でヤバいと思ったら、お前は大人しく俺の影に隠れる事。これだけは守れ」

 

「……ですが、それでは弐式炎雷様の盾となって死ぬことが出来ません」

 

 真面目な顔でそう言うナーベラルの頭頂部に、弐式炎雷は無言でチョップを叩き落とす。痛みと困惑に、ナーベラルは涙目の上目遣いで創造主を窺う。

 それに弐式炎雷は、本当にこいつはと笑った。

 

「俺だってナーベラルが居ないナザリックなんて、一瞬だって味わいたくないよ。お前は創造主に、そんな悲しい思いをさせるつもりか?」

 

 弐式炎雷の答えに、ナーベラルは嬉しさと戸惑いに支配され、視線を彷徨わせる。

 

「そ、それは。……で、ですが御方の盾になる事も私の務め。……でも、それで弐式炎雷様が、か、悲しまれるのなら……!?」

 

 混乱するナーベラルの頭を撫でてから、弐式炎雷は彼女の手を掴み立たせてやる。

 

「俺達が揃って、無事に仕事を果たしてナザリックに戻ってくればいいんだって。大丈夫、俺達なら出来るよ。……ダンスだって、上手く行ったろう? あれに比べれば、余裕だよ」

 

 そう言って弐式炎雷は、円舞曲の動きでナーベラルと共に一度、華麗に回って魅せた。

 

「んじゃ、二人とも、行ってくるよ。定期連絡は欠かさないから、よろしく」

 

「……ああ、気を付けろよ。無理だと思ったら引き返せ」

 

「当然! 俺はナーベラル第一だしね!」

 

「だ、第一……」

 

 第一という言葉を何度も繰り返すナーベラルを引き連れて、弐式炎雷が歩き出していく。その二人の背中を見送りながら、ウルベルトがポツリと呟いた。

 

「……創造主の居ないナザリックは、もう耐えられないか。身につまされますね」

 

「……ああ。俺は今の今まで、たっちさんがこっちに来ることを期待してた。あの人は戻る選択をするだろうが、その前に決着を付ければいいってな、軽く考えていたよ」

 

 だがと、建御雷は続けた。

 

「それで再び残されるあいつらNPCの気持ちが、あそこまでとは考えもしなかった。……クソッ、だからって茶釜さんたちにこっちに残れなんて言えねえよ……」

 

 その建御雷の言葉に、ウルベルトもまた答える事が出来なかった。



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第四章
 至高の方々、魔導国入り ~かつてのAOG~ 前編


ユグドラシル時代の過去話。

このシリーズでは出した事ない御方が主人公です。




 このゲームはつまらない!

 

「くっそー! ヘルヘイムって、異形種に有利なんじゃないのー!」

 

 ヘルヘイム中央付近の森を、あたしは現在進行形の全力で駆けている。

 正確には逃げているのだ。

 感覚的には普通に二本足で走っている感じだけど、あたしは、ユグドラシルのアバターは、四足で森の中を力強く疾走している。

 なんとか振り切ったかと、走りながら一瞬背後を振り返る。だけど追っ手は、あたしが思ったよりもずっと近くに居た。表情の無いユグドラシルのアバター越しでもわかる。こいつらはニヤニヤと笑いながら、あたしを追い詰めている。

 きっとあたしという獲物を追い詰める狩りを、こいつらは楽しんでいるんだ。

 

「陰険な奴らめー! モテないだろう! お前らー!」

 

 あたしを追ってくるのは人間種のプレイヤー達。

 フィールドで見つかった瞬間に逃げ出したので正確な人数は分からないけど、たぶん六人チーム。

 人間種のプレイヤーが、ヘルヘイムでチームを組まずに行動しないと思う。ユグドラシルを始めたばかりのあたしでも分かる。だからきっとそうだ。

 そしてユグドラシルを始めたばかりのあたしには、仲間なんて居ないのだ! だから逃げるしか無いのだ!

 

「一人に六人で襲い掛かる卑怯者どもめー! ―――うぎゃ!?」

 

 突然足が止まり、あたしは盛大に転がる。

 勿論痛みは無いけど、アバターにはきっちりダメージが入っている。追いかけてくる奴らに、何かされたんだ。

 

「くっそー! なんだ! 何されたっ!?」

 

 叫ぶけど、何が原因で自分が転ばされたのかが分からない。

 本当に、このゲームは不親切だ。

 何から始めたらいいのか分からないし、スキルの効果だって自分で覚えてみないと、どんな効果があるのか全然わからない。

 詳細な説明コマンドを開けるアイテムやスキルもあるみたいだけど、三十レベル付近を上がったり下がったりしてるあたしには、当然そんな便利なものは無い。

 分かるのは、あたしの影に一本の矢が突き刺さっていて、人間種のプレイヤー達がこっちを取り囲んでいるって事だけだ。

 

「足止め対策も出来てないぜ、こいつ」

「完全初心者の異形種に出会えるなんてラッキーだったな、わざわざ危険を冒してヘルヘイムまで来た甲斐があったってもんだ」

「いいからさっさと止めさせよ。この時間なら、もう1~2体狩れるだろう?」

「どうせなら、こいつのホームポイント見つけ出してやろうよ。楽なPK繰り返してクラスゲットだ」

 

 人間種のプレイヤーが口々に好き勝手なことを言っている。あたしは異形の手を振り上げて、せめてもの抵抗、文句を言う。

 

「卑怯だぞ! PVPがしたいなら、一対一で掛かってこい!」

 

 あたしの必死の抵抗に対する答えは、人間種プレイヤーたちの哄笑。

 

「PVP? 馬鹿じゃねえの。俺達がしたいのはPKだっての」

「お前せいぜい三十レベルだろう? 一対一でも負けねえって」

「異形種が、キモいんだよ」

「恨むなら異形種を選んだ自分を恨めよ? それか異形種狩りで得られるクラスなんてもんを作った製作をな」

「大したアイテムも持ってなさそうだけど、お前の装備ドロップは美味しくいただきまーす」

「売り払わず、こいつの目の前で捨てるのも面白くね?」

 

 クソクソクソクソクッソ! こいつら本気でクソだ!

 悔しい!

 悔しくて仕方ないのに!

 あたしの身体は! アバターは! 拘束されて何もできない!

 こんな大きい手をしてるし! 鋭い爪だってあるのに!

 こいつらに突き刺してやることも出来ない!

 あたしはあまりにも弱い! 弱い事が悔しい!

 強くなろうと、仕事から帰ってきてコツコツ積み上げた経験値が! 運よく手に入れた上級アイテムが!

 こんな連中に奪われていく事が、堪らなく悔しい!

 

「んじゃ、また会おうぜ、新参異形種」

「キャラデリするなら、その前に声掛けろよ? 一レベルまで戻してやるからさ。せめて俺達の糧になれ」

「ぶっ! お前性格わっる!」

 

 笑い声と共に、斧を持ったプレイヤーがあたしに止めを刺そうと振り上げる。

 もうこんなゲーム止めてやる。そう思いながらも、せめてもの抵抗にあたしはこいつらを睨みつけていた。

 だけど、斧があたしに触れる事は無かった。斧が振り下ろされるより早く、一体の異形種プレイヤーがあたしを庇う様に目の前に立ち塞がってくれたから。

 

「<心臓掌握(グラスプ・ハート)>」

 

 声と共に、庇ってくれた異形種が手を伸ばし、そして何かを握りつぶした。それだけで斧を持った人間種プレイヤーは膝から崩れ、消えていく。

 魔法を唱えた異形種は、金と紫で縁取られた一目であたしなんかじゃ手に入らないと分かるアカデミックガウンを羽織っている。

 種族は死者の大魔法使いエルダーリッチ―――いや、この人はきっとその最上位者、あたしが攻略サイトでしか見たことが無い存在、死の支配者オーバーロードだ。

 あたしはしっかりと目を見開いて、人間種のプレイヤーを睨みつけていた。だから断言できる。一瞬前まで確かにこの人は居なかった。

 そう、時間でも止めない限り、この人はあたしを庇う事は出来なかった筈なのだ。

 

「弱い……八十レベルを超えて、時間対策も怠っているとはな」

 

 死の支配者が、何かを握りつぶした手を見つめながら呟いた。

 

「な、なんだ! 何処から現れた!?」

「オーバーロード!? 異形種の上級プレイヤーかよ!」

 

 仲間をPKされたのに、こいつらはあっさりと逃げの選択をする。自分よりも弱い者は執拗に狩り立てるくせに、本当に嫌な奴らだ。

 

「我々の縄張りで、異形種狩りに励む奴らが居ると聞いてな。挨拶に来たのだよ。……まあ、いい。さっさと死ね。<魔法二重最強化(ツインマキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)>」

 

 またあたしの知らない魔法だ!

 逃げようとする人間種プレイヤーの一人を魔法で切り裂いて、一撃で屠る。

 

「縄張り!? まさかこいつ! アインズ・ウール・ゴウンか!?」

「いいから、さっさと逃げるぞ!」

 

 逃げの一手を打った残り四人の人間種プレイヤーが、背中を見せて走り去っていく。

 あたしは、こいつらにたとえ一撃でも仕返ししたい。それなのに、影を縫い留められたあたしは立ち上がる事も出来ないでいた。

 

「<影縫い>ですね。すぐに動けるようになりますから、安心して下さい」

 

 あたしを救ってくれたオーバーロードが、笑顔マークのPOPアイコンを浮かばせながら、先ほどと違い優しい口調で話しかけてくれる。

 

「た、助けてくれて、ありがとうございます!」

 

 あたしのお礼に、オーバーロードがにこやかな声で「いえいえ」と応えた。

 

「私たちの前身は異形種救済を是としていましたし、気にしないでく――いや、違うな」

 

 何かを思い出したように、オーバーロードの彼が私に言い直してくる。

 

「誰かが困っていたら、助けるのは当たり前。――ですね」

 

 再び、笑顔アイコンをPOPさせながらの台詞に、あたしのリアルの心臓が、大きく跳ねた気がした。

 その鼓動を、悟られる筈も無いけど誤魔化す様に逃げた残りの人間種のプレイヤーの背中を見つめる。

 二人倒されたとはいえ、あたしの心内は穏やかではない。

 あたしは逃げる四人にも、仕返しをしたい。

 だけど今は、あんな連中に何も奪われなかった事を良しとするべきだろう。

 ユグドラシルのアバターに、表情の変化は無い。それでもあたしの無念さは伝わっているのだろう。オーバーロードが小さく笑った気がした。

 

「大丈夫ですよ。今私の仲間が追いかけていますから……<魔法距離延長化・完全視覚>」

 

 あたしの視界が急に鮮明になる。それに伴って、随分先まで見通せるようになった。

 そこで見て知る。

 逃げた四人が、どうなっているのか。

 

 人間種プレイヤーの一人が、大鎧に身を包んだ異形種が振るう大太刀によって両断された。

 人間種プレイヤーの一人が、ピンク色の肉棒としか形容できない異形種の盾に弾かれて、体勢が崩れた所を金色の派手な鎧に身を包んだバードマンに射抜かれてた。

 残る人間種プレイヤーの二人が、炎の魔法を受けて燃え上がっていた。燃え上がるプレイヤーを一瞥もせずに悠然と佇むのは、黒山羊の異形種。

 この人たちは、あたしが何もできずに逃げ回るだけだった相手を、事も無げに倒して見せた。

 あたしの恨みを、晴らしてくれた!

 

「……ふわぁ!! すごいッ、みんな強い!」

 

 あたしの歓声に、オーバーロードの彼が、なぜか妙に嬉しそうに笑っていた。

 

「ええ、私の仲間は強いでしょう?」

「うん! でも、貴方もスッゴイ強かったです! 最初どうやってあたしを助けてくれたんですか?」

「<時間停止(タイム・ストップ)>です。このゲームは時間対策が必須ですよ。七十レベルになる頃には、用意しておきたいですね」

「な、七十……」

 

 今現在三十二レベルのあたしには、気が遠くなりそうなレベルだ。

 

「……このゲームは、お金も経験値もバンバン入りますから、そんなに時間は――」

 

 オーバーロードの言葉を止める。彼の骨の眼窩の向き先を視線で追うと、影から黒いつくしのようなものがにょきにょきと生えてくる。

 あたしは思わずギョッとする。影から出てくるなんて、そんなスキルも有るのかと驚いたからだ。

 

「この辺のPKプレイヤーはアイツらだけみたい。……そっちの子は無事?」

「ええ、弐式さん。……この程度の相手なら、用心してニチームで来ること無かったですね」

「ま、丁度いいイベントだったと思おうよ。死体も手に入ったしさ。……今誰か黒の叡智狙ってたっけ?」

「……ウルベルトさんとタブラさんは諦めていましたね。黒の叡智を摘まむと、どうしても瞬間的なDPSは下がりますから」

「あの二人は火力重視だしねー。んじゃ、とりあえず死体は保管庫行きで。新しい人が欲しがるかも知れないしね」

「そうしましょう」

 

 二人の会話は、完全雲上人のそれだ。あたしにはさっぱり付いて行けない。

 彼らが話している間に、恨みを晴らしてくれた他の異形種プレイヤー達もこちらにやってくる

 

「おっつー、モモンガさん。終わったよー」

「おつでーす、茶釜さん。ご苦労様でした」

「一時期下火になったけど、また異形種狩りが活発になって来たね。弟、何か知っているか?」

「うーん? どっかのサイトで、異形種狩りで得られるクラスがおススメでもされたとか?」

「俺達としてはありがたいですけどね。労せず死体が手に入れられる」

「だけどよ、ウルベルトさん。初心者狩りするような連中が増えるのは、ゲームの寿命を縮めるぞ?」

「うん。ボクも建御雷さんに同意。そういうクラスが欲しいなら、ちゃんとPVPを挑めばいいのに」

 

 異形の集団が、続々と集まってくる。

 

「……ほわぁー」

 

 あたしは思わず、感嘆の呻きをあげてしまった。

 誰も彼もが、一目で分かる百レベルプレイヤー達。

 恐らくだけど、身に付ける装備は伝説級、もしかしたら神話級かもしれない。

 あたしからすれば、みんながみんな雲の上の存在だ。

 

「た、助けてくれてありがとうございました! おかげであいつ等にアイテムを奪われずに済みました!」

 

 あたしはペコリと異形の頭を下げて、感謝を示す。

 彼らは一斉に笑顔のアイコンを浮かべてくれた。そして「大丈夫?」「頑張ったね」と口々にあたしを労わってくれた。

 見た目は怖い異形種プレイヤーなのに、それはわたしもだけど、良い人達だ。本当に、良い人達だと思う。

 だからあたしは、せめてものお礼に、自分が持つ最上のアイテムを彼らに差し出した。

 

「……これくらいしかお礼が出来無くて、ごめんなさい。良ければ貰ってください」

 

 上級アイテム。

 きっとそれは彼らにとっては大したことないアイテム。それでもわたしがこの数週間のプレイで、ようやく手に入れた最高のアイテム。

 

「そんな、気にしないで下さい! 大事なアイテムでしょう? お礼なんて大丈夫ですから」

 

 オーバーロードの彼が、困り顔のアイコンをPOPさせながら手を振る。ああ、本当に良い人だ、もっと早くに出会えてれば良かったなとわたしは思いながら、首を振った。

 

「……ユグドラシル始めたばかりですけど、引退しようと思うんです」

 

 あたしの言葉に、彼らが静まり返った。

 たぶんだけど、このままユグドラシルを続けても、わたしは今日みたいな悔しい思いをし続けると思う。

 PVが盛んなこのゲームで、それも異形種を選択したわたしは、PKプレイヤーからすれば良い獲物でしかない。PKをされて、アイテムをドロップして、あたしを襲った連中みたいな奴らの糧にされるくらいなら、せめてこの人達に渡したい。

 

「だから貰って下さい。……アハハ、しょっぼいアイテムですけど、これでもあたしが仕事終わりのプレイで手に入れた最高のアイテムなんです……」

 

 初めて手に入れた時はキラキラして見えたアイテムでも、彼らの前に差し出すと、あまりにみすぼらしくて、とても恥ずかしかった。

 

「……どうして、辞めちゃうの?」

 

 帽子を被った異形種に、そう訊ねられた。優しい声、見た目からは想像できないけど、この人も女の人だ。

 

「……このレベルまでは直ぐ上がるんですけど、ここからが中々進まなくて……。今日みたいにPKに遭うのも、初めてじゃ無いんです。このまま続けても、きっと悔しい思いをするだけだから……」

 

 しゃがみこんでわたしを覗き込む異形の瞳に、そう弱音を漏らした。

 楽しみたくて始めたゲームで、これ以上悔しい思いをするのは、正直嫌だった。

 だからあたしは、そう正直に彼らに伝えた。

 そんなあたしの想いに最初に応えてくれたのは、オーバーロードの彼だった。

 

「……わかります。私もそうでしたから」

 

 ユグドラシルのアバターに表情の変化は無い、だけど、声に籠められた感情は、なんとなく伝わってくる。声に籠められた感情は、たぶんきっと、シンパシーだ。

 

「……皆さん」

 

 オーバーロードの彼が、仲間に振り返って何かを確認している。異形の集団は、その問いかけに頷いている。

 その光景を疑問気に見ていたあたしの目の前に、キラキラと光る手紙のようなアイテムが浮かぶ。

 キラキラと輝く粒子を撒いてくるくると空中で回る一枚の封筒。

 

「受け取って下さい」

 

 オーバーロードの彼に言われて、その手紙に触れる。触れた瞬間、視界の隅に新しいウィンドウが現れた。それをタップすると、メッセージが流れる。

 手紙は招待状だ。

 それもギルド勧誘の。

 ドキドキする。本当に良いのかと確認するように、あたしは取り囲む異形の集団に顔を上げた。

 彼らは再び、一斉に笑顔のアイコンを浮かべてくれた。

 ごくりと唾をのんで、あたしは招待状の参加するか否かの部分を、恐る恐るYesとタップした。

 瞬間ベルが鳴った。

 ベルに、あたしはアイコンを開いて確認する。

 並ぶギルド構成員の一番下に、確かにあたしの名前があった。勿論正式登録じゃない仮登録だけど、あたしの名前が、確かに有るのだ。

 

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの名の中に。

 

 途端に、あたしの視界一杯にウェルカムメッセージが届く。沢山の、本当に沢山のメッセージだ。まだ仮登録なのに、嬉しくて涙が出そうになった。

 

「ようこそ! アインズ・ウール・ゴウンに!」

 

 そう言ってオーバーロードの彼から手を差し出される。あたしはその手をしっかりと握る。

 エルダーリッチやオーバーロードには、触っただけでダメージを受ける<負の接触(ネガティブ・タッチ)>というスキルがあると、攻略サイトで読んだことがある。そのダメージを受けない事が、あたしは彼らの仲間になったのだと実感させてくれた。

 

「よ、よろしくお願いします!」

 

 登録されたから彼らには伝わっているだろうが、それでもあたしは嬉しさから自分の名前を叫んだ。

 

「あたしは、杏――餡ころもっちもちッ! でぇふ!」

 

 本名を伝えそうになって自己紹介を噛んで失敗したことが、あたしのギルドアインズ・ウール・ゴウン最初の思い出になったのは、内緒の話である。

 

 

 

 

 

 

 このゲームは楽しい!

 

「おーい、弟。あんちゃんの強化素材取りに行くから付き合ってー」

「おー、了解ー。何狙うの?」

「……古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)

「……野生のヘロヘロさんかー……。今の構成は?」

「私にやまちゃんに、あんちゃん。それとお前だな」

「盾役に回復役、攻撃役が二か。エルダー・ブラック・ウーズ相手なら残りは魔法詠唱者が良いな。モモンガさんと、暇そうならウルベルトさん誘ってみるか」

「ありがとうー、ペロロンチーノさん!」

「いえいえ、気にしないで下さい。いつでも呼んで下さいよ」

 

 どんどんレベルが上がる。どんどん装備が揃っていく。どんどんアイテムのランクが上がっていく!

 仲間と、友達とプレイするユグドラシルがこんなにも面白いものだとは、あたしは思ってもいなかった。

 今ではあたしのレベルも八十を超えて、流石に百レベルの戦闘には付いて行けないけど、それでも一緒に居ることぐらいは出来るようになっていた。

 

「気にしないで、あんちゃん。弟は好きに使っていいから」

「ありがとう、茶釜さん!」 

「のー、茶釜、のー。そろそろ私の事はかぜっちって呼んでよー」

「……いいの?」

「良いの、良いの。はい、ご一緒に。かぜっち!りぴーとあふたみー、かぜっち!」

『かぜっち!』

 

 あたしとペロロンチーノさんの声が重なる。

 

「……おい、弟? 私はお前には許可してないぞ?」

「……勝手に人の事使っていいとか言うからだろう?」

 

 そう言って武器を構え合う二人にやまいこさんが笑って仲裁に入る。

 

「ハイハイ、喧嘩しないの。それで、弟君。二人とも大丈夫そう?」

「ああ、大丈夫だそうです。OKでました」

「古き漆黒の粘体相手だから、探索役犠牲にしても火力が欲しいからね」

「んじゃ、揃ったら素材狩りとデータクリスタル狩りにいこー」

「いこー!」

 

 そう言ってみんなで、おーと手を上げる。

 素材狩りに行く。そんなゲームの何気ない事が、気の合う仲間と共にだと、こうも楽しいのかとあたしは思う。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、餡ころもっちもちさんは以前犬を飼ってらしたんですか?」

 

 モモンガさんからの質問にあたしは頷く。

 

「うん。小さい頃はね、あたしとか家族が帰ってくるとさ、嬉しくてうれしょんするの! あの頃は大変だったなー」

「うれしょん?」

「嬉しくておしっこしちゃうこと。あたしが帰ってくると、前足でじゃれ付いてきて、嬉しくてそのまましゃーって」

「ああ、なるほど。そういう事ですか」

「家の中だから後始末が大変でさ。 大変だけど、でもそれがスッゴイ可愛いの! ああ、この子、わたしが帰って来て嬉しいんだって分かるからさ!」

「……ふふ、餡ころもっちもちさんは犬好きなんですね」

 

 色々と長々と語ってしまった事に気付いて、あたしはばつが悪そうに笑う。

 

「アハハ……。ごめんなさい、モモンガさん。あたしばっかり色々喋っちゃって……」

「いえいえ、構いませんよ。もっと色々聞かせて下さい。私も楽しいので」

「う、うん。……今はハムスターも飼っててね。その子も可愛いんだよ!」

 

 モモンガさんの優しい声に、訳もなく心臓が高鳴る。この人はわたしの話を嫌な顔せず聞いてくれる。勿論ユグドラシルのアバターに表情の変化は無いのだけど、それでも感情は伝わってくる。これもDMMO-RPGの他の楽しさだと思う。

 

 アインズ・ウール・ゴウンの皆はとても優しい。

 ギルド長のモモンガさんは勿論だし、かぜっちに、やまちゃん。いつもあたしを誘って、いろんな場所に連れて行ってくれる。

 それに付いて来てくれるのが、かぜっちの弟のペロン。同い年だと分かって、一番気安い間柄だ。

 それだけじゃない、色々気にかけてくれるたっちさんにウルベルトさん。

 戦い大好きの建御雷さんに、相棒の弐式さん。

 平日はいつも疲れた声をしてるけど、休日に輝くヘロヘロさん。

 ぷにっとさんに、ベルリバーさん。沢山の仲間が、レベルの低いあたしを気にかけて、遊びに誘ってくれている。

 あたしはモモンガさんの骨の横顔をチラリと覗き込んだ。

 

「……どうしました?」

「ううん。あたしね、モモンガさん。みんなと遊べて本当に楽しいなーって、そう思ったんだ」

 

 ああ、本当に楽しい! 毎日が楽しい!

 

 

 

 

 

 

「ああ、山羊だ。黒ヤギだー。ねえ、ウルベルトさん。めぇーって鳴いて、めぇーって。ダメならモフらせて。お願いします!」

「……めぇー」

 

 あたしのお願いに、モフられるほうが嫌だったのか、小さくめぇーとウルベルトさんが鳴いた。そのウルベルトさんの声に、隣に居たたっちさんが軽く吹き出した。

 

「これは……ふふふ、餡ころもっちもちさんのおかげで、とても貴重なものを見させて貰いました」

「……忘れろ」

「他の人にも、是非共有して貰いたいですね」

「頼む。……忘れろ」

「実は録音してたと言ったら怒りますか?」

「たぁぁっちぃぃぃっ!」

 

 この二人は前までは色々あったらしいけど、あたしの前ではいつもこんな感じだ。仲良く喧嘩する二人に、あたしは用件を尋ねる。

 

「二人ともどうしたんですか?」

「ああ、すみません。餡ころもっちもちさん、今日はお暇ですか?」

 

 たっちさんからの質問に、あたしは頷いて答える。

 

「ペロロンさんからイベントの提案があったんですよ。みんなだいぶ強くなったので、ツヴェーグの集落に急襲をかけましょうというものです。三チーム編成して行こうと思いますので、餡ころもっちもちさんも是非参加して下さい」

 

 ツヴェーグというのは蛙に似た種族だ。ナザリック近くに彼らの本拠地が、集落がある。

 九十レベルになった今のあたしなら、本拠地近くの八十レベルを超えるツヴェーグでも一対一なら余裕で勝てる相手だ。

 あたしは頷いて、参加をお願いする。

 

「フフフ、今の俺なら薙ぎ払いながら進んでいける。楽しみだ」

「ウルベルトさん、MPの無駄は控えて下さいね。……奥に何が居るかわかりませんから」

「承知していますよ、たっちさん」

「ツヴェーグかー、鳴かれると厄介なんですよね? 仲間を呼び集めるから」

「ええ。まあ、でも。戦力的には十分ですから、そんな気にしないで大丈夫ですよ。むしろ集まって固まってくれるなら、好都合ですしね」

 

 そう言ってたっちさんはウルベルトさんに視線を向けた。その視線を受けて、ウルベルトさんが無言で肩をすくめてみせる。けど、どこか満更でもなさそうだった。

 

「それじゃあ用意してきますね、たっちさん。出発時間と集合場所を教えてもらっても?」

「ああ、はい。二十時に一階層でお願いします」

「わかりましたー、それじゃあまた後でー」

 

 

 

 

 

 

 ツヴェーグの集落の最奥と思われる場所。そこであたしたちは、とんでもない相手からの歓迎を受けていた。

 

「うわわわわわッ! おいッ、コラッ、ペロン!! 何が俺達も強くなったから、ツヴェーグの集落なんて余裕ですよ、だよ! ピンチじゃん! 今完全ピンチじゃん!」

「あー! ハイハイ! すみませんでしたッ! こんなの居るなんて、予想出来るわけないじゃん!」

 

 ツヴェーグの最奥から現れた身長5メートルを優に超えるモンスターに、あたしたちは襲われていた。

 蛙というよりは、鎧に身を包んだ仏教の怖い神様のような姿だ。

 このモンスターが右手に持った漆黒の刃を一振りするだけで、無数の斬撃があたしたち目掛け飛んでくる。

 

「いいから二人とも下がれッ! 前衛は攻撃控えて! ヘイトが安定しない!」

 

 両手に持った盾で斬撃を受け止めながら、かぜっちが叫ぶ。スキルを使っているはずなのに、かぜっちのHPがゴリゴリと削られていく。

 その攻撃力に、あたしを含む前衛陣が攻撃を止めて、じりじりと下がっていく。

 アインズ・ウール・ゴウン最硬のかぜっちであれだけのダメージを受けるのだから、このモンスターの攻撃力はとんでもない。

 

「……まさかこんなモンスターが居るだなんて。ツヴェーグ集落のフィールドボス? いや、エリアボスなのか……? 他のプレイヤーもこの集落にアタックは掛けているはずなのに、どこのサイトにもそんな情報は無かったぞ?」

 

 三チームの指揮を取るぷにっとさんの呟きが聞こえてくる。よく分からないが、このボスがヤバい相手だと言う事は十分伝わってくる。

 

「ぷにっとさん! 一先ずは退きましょう! このままでは全滅です! 茶釜さん! 少しの間ボスを引き受けます! 回復をして下さい!」

 

 モモンガさんがアンデッドを召喚してボスにぶつけていた。

 

「あんがとモモンガさん! やまちゃん、回復は抑えめに! こいつの挙動が少しおかしい! ヘイトは押さえておいて!」

 

「了解!」

 

『ナザリックを解放せし、愚か者どもよ。奴らによって封印されし我が幾億の刃、その身に受けるがいい』

 

 そう言ってボスが漆黒の刃を振るう。

 

「ナザリックの名を出した……? まさか、ナザリック攻略プレイヤーがキーになって出現するボス?」

 

 ぷにっとさんが考え込む間に、モモンガさんが召喚したアンデッドが数多の斬撃を受けてあっさりと倒される。

 

「いくら何でも、攻撃力が高すぎる!」

 

 モモンガさんが叫ぶ。

 

「それなら私が!」

 

 強力な酸性を誇るヘロヘロさんが、ボスの前に躍り出る。小さな体が一気に膨れ上がって、全力形態でボスの武器にダイレクトアタックを仕掛けていた。

 

「あぎゃっ!」

 

 それでもボスの攻撃に微塵の影響もない。ヘロヘロさんが切り裂かれて、弾んでいる。

 すぐにヘロヘロさんに回復が飛んできて、彼が立ち上がる。

 

「私の酸性が通りません!」

 

 ヘロヘロさんの武器防具の劣化能力は、神話級アイテムにすら通ると聞いている。その彼の酸性が通らないだなんて、あたしには絶望的な宣告だった。

 

 それなのに、叫んだヘロヘロさんの声が、何処か嬉しそうなのはどうしてだろう?

 

「……マジか」

「キタキタキタ! 来たぞ、これ!」

「殿は茶釜さん! やまいこさん! 申し訳ありませんが、お二人にお願いします! 今は無事に戻ることを最優先に!」

 

 ぷにっとさんの指示に、皆が了承の声を上げる。その声には隠しきれない歓喜があった。

 

「ねぇ、ペロン! どうしてみんな嬉しそうなの!? ヘロヘロさんの酸性も通らないなんて絶望的じゃん!」

 

 共に逃げるペロンに、走りながら尋ねる。

 

「ヘロヘロさんの酸性は神話級装備にだって有効なんだよ! それが通らないって事は――」

「ボスの武器は、それ以上のアイテムって事なんです!」

 

 ペロンの台詞に、モモンガさんが続く。

 やはり二人の声は嬉しそうだ。あたしは疑問に首を傾げそうになり、そして気付いた。

 ボスが装備するのは、神話級よりも上のアイテムだという事に。

 

「……まっさか!」

「そう! あれは世界級アイテムだ! ハハハ! あのボスを倒せば、それが手に入るぞ!」

 

 驚く私に、ペロンが嬉しそうに笑う。

 振り返ればみんなそうだ。

 ボロボロの敗走なのに、誰も彼もが嬉しそうに、笑い声が漏れている。

 

「ナザリックに戻ったら早速作戦会議です。明日は幸い週末ですから、人数も今日以上に集まりますよ!」

「やりましたね、モモンガさん! これで五つ目ですよ!」

「取らぬ狸のですよ、ペロロンさん。でも、そうですね!」

 

 モモンガさんが嬉しそうな声で笑う。そして宣言した。

 

「あの世界級アイテムは、私達アインズ・ウール・ゴウンが獲ります!」




いつもと違うから、書き方も違う。
設定間違いは色々あるかと思いますが、いつもの事と。

そして各々のイメージがあるために描写は避けていますが、じぶんは今回の御方を熊としてイメージしています。


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 至高の方々、魔導国入り ~かつてのAOG~ 後編

スキル設定とかは、色々おかしい所あると思いますよ?


 タブラさんを中心に、ドーム状の立体魔法陣のエフェクトが展開していた。

 タブラさんが狙いを定めるのは、ツヴェーグ集落に出現した世界級アイテム持ちのエリアボス。この超位魔法はエリアボスと供に居る集落に湧くツヴェーグを一掃するためだ。

 

「……襲ってこない。ぷにっとさんの予想通りだね」

 

 魔法陣の中で、タブラさんが世界級アイテムを構えたボスを指さしながら呟く。

 予想通り、ボスはこちらが感知範囲に入るか、攻撃を、ダメージを与えない限り襲い掛かって来ないらしい。

 

「ええ。では皆さん、超位魔法冷却時間の時計合わせをお願いします」

 

 ツヴェーグ集落に集ったギルドの面々は総勢三十名。

 どうしても都合のつかなかった数人を除いて、ほぼ総戦力だ。普段は戦闘イベントに参加しないあまのまさん達生産職のメンバーも揃っていた。

 

「……よし、超位魔法はいつでも行けるよ」

「では、モモンガさん。戦闘開始の合図を」

「了解しました。―――皆さん。週末の夜に、これだけ集まって頂き、本当にありがとうございます。家族サービスや、職場の飲み会をキャンセルしてまで来て下さった方も居ると聞いています」

 

 そこで、思わずと言った笑いが一部から漏れる。あたしも当然笑ってしまった。

 

「その犠牲を無駄にしないためにも、今回のギルドイベント、世界級アイテム持ちのエリアボスの一発攻略を絶対に成功させましょう! みんな、勝つぞ!」

 

 おおっ! と一斉にあたしたちはモモンガさんに応えた。

 そして火蓋が切られる。

 あたしがアインズ・ウール・ゴウンに仮登録で参加して、初めての大イベントの。

 

「<終焉の大地(エンド・アース)>」

 

 タブラさんの超位魔法が発動する。崩れ去る大地に八十レベルを超えるツヴェーグ達が次々に飲まれていく。

 当然エリアボスは健在だ。超位魔法の一撃を受けたというのに、それほどダメージを受けていない。

 だが、それを合図としてギルドの皆が、四チーム一斉にエリアボスに襲い掛かる!

 

「<背後からの一撃(バック・スタッブ)>」

「<龍雷(ドラゴン・ライトニング)>」

「<衝撃波(ショック・ウェーブ)>」

 

 スキルが、魔法が乱れ飛ぶ。

 そのすべてがボスに突き刺さり、ほんの僅かにだが、確実にボスのHPを削っていく。

 本来アタッカーがいきなりヘイトを取らないように、序盤は攻撃を抑えるのが定石だ。らしい。そうあたしは皆から教わった。

 アタッカーがヘイトの上昇を抑えている間に、盾役がボスにヘイトコンボを叩き込み、ターゲットを取るのだ。

 だが、今は誰もボスにヘイトコンボを使っていない。何よりギルド一の盾役であるかぜっちが戦闘に参加せず、あたしと共に少し離れたこの場所で待機しているのだから。

 

「ぐおっ! 想像以上に反撃ダメージがえぐい!」

「耐えろ! アタッカーのタゲ回しで序盤は乗り切る作戦なんだから!」

 

 ボスに攻撃を仕掛けるアタッカー達が、ボスの振るう漆黒の刃に切り裂かれ、次々にダメージを受けて下がっていく。

 

「タゲを取りすぎないように! ですが攻撃の手も緩めずに!」

 

 あたしからは無茶としか聞こえない指示が飛ぶ。

 そんな無茶な指示でも、ギルドの皆はそれに見事に応えていた。

 世界級アイテムを持つエリアボスの攻撃には特徴があると、逃げ帰った初戦を終えたかぜっちが言っていた。

 ボスの台詞から推測される『幾億の刃』という、漆黒の刃から放たれる同時多段攻撃。一撃一撃のダメージ量はそれほどでもないけど、それが集約しほぼ同時に斬り裂かれるために、一気に大ダメージを受けるのだ。

 そして多段攻撃という特徴故か、攻撃を受けると一気にヘイトが下がってしまうらしい。

 ヘイトは攻撃を受ける事で減少する。盾役はそれをうまく調節しながら、タゲ保持に努める。

 だがこのボスのヘイト減少値は、通常のボスモンスターと比べて大きく、一人でボスの固定は無理という結論をかぜっちは出していた。

 

「回復は小さめに! アタッカーに継続回復魔法以外は極力掛けないように!」

 

 ぷにっとさんがフィールドに、自分達が有利になるよう自らのスキルで手を加えつつ、指示を飛ばしている。

 やまちゃん達ヒーラー陣はその指示を守り、大きな回復を使わずに継続効果のある回復魔法でアタッカーを癒していた。

 攻撃に耐えるだけのHPが戻ったアタッカーから再びボスに一撃を加え、再び斬り裂かれることでヘイトを調節する。

 かぜっちを除く盾役たちも、今回は火力寄りの装備に変更している。本来ならば複数いる盾役でボスのタゲを回していくのが一番の安全策だと思うが、この一戦に関しては違う。

 盾役は、当然だがアタッカーの火力に及ばない。

 だからこそ今回は、盾役に特化しすぎたともいえるかぜっちを除き、全員が少しでも火力を上げるための装備に身を包んでいる。

 

「よし! 七十%切った! 攻撃パターン変わるぞ!」

 

 ボスは、残りHPに応じて戦い方を変えていく。基本的にHPの減少と共に攻撃がどんどん苛烈になって行き、強力なスキルを使用し始める。

 さらに今回のボスは世界級アイテム持ちだ。

 ボスの攻撃は、世界級アイテムの幾重にも及ぶ強力な多段同時斬撃。

 だがそれだけでは、絶対に無いはずなのだ。世界の名を持つアイテムの効果が、ただそれだけのはずが無い。ぷにっとさん達アインズ・ウール・ゴウンの戦略組は、そう断言した。必ず別の効果が、真の力を秘めていると。

 そしてそれは恐らく、ボスのHPを一定の割合まで削った段階で発動すると。

 今回のボスの正しいであろう攻略法は、三十人というユグドラシル最大人数のチームで、何度も負けながらトライアンドエラーを繰り返し、その世界級アイテムの効果を見極め、それに対抗する事に特化した神話級アイテムを揃える事だと、ぷにっとさんは推測していた。

 そしてそれはあたし達社会人ギルド、あたしはまだ仮登録だけど、には難しい。

 ぶっちゃけそんな時間は無い。休日のタイミングだって違うのだ。今回これだけの人数が揃った事すら奇跡に近い。そんなトライアンドエラーなんて悠長な真似をしていたら、確実に他のギルドに先を越される。

 

 だからこその、盾役を極力排した超火力重視の構成。

 

 残りHPがある割合を超えた瞬間ギルド最大火力を以て、世界級アイテムの効果を使われる前にボス自体を倒してしまおうという、超々ゴリ押し作戦だ。

 一チームは生産職とあたしとかぜっちを含めたサブチームだけど、これにだって意味や役割はある。

 

「ヤバい! 回らなくなってきた!」

 

 フラットさんが叫んでいる。ボスのHPが六十%を下回り、更に苛烈さを増し、継続回復では追いつかなくなってきたのだ。これだけの人数でタゲを回していても、肝心のボスの一撃を耐えるだけのHPが回復出来る時間が稼げなくなってきている。

 

「どうする!? 一度全体回復するか!?」

「ダメです! やまいこさん以外耐えられません!」

 

 ヒーラーの防御力では、ボスのタゲを取った場合攻撃に耐えられるわからない。やまちゃんならば耐えるだろうが、理由があって今は温存しなければならない。

 それを踏まえ、一人のメンバーがその崩れかけた局面を立て直すべく、ボスに向かって行った。

 崩れ後退するメンバーの波に一人抗い、ゆっくりと歩いて行く。

 

「……少しの間時間を稼ぎます。皆さん、その間に態勢を整えて下さい」

 

 剣と盾を構え、白銀の鎧に身を包んだ一人の聖騎士。

 公式チートワールドチャンピオン。

 そのクラスを持つ、間違いなくギルド最強であるたっちさん。

 ボスが一人向かってくるたっちさんに狙いを定める。一振りで幾重にも分かれる斬撃が、たっちさん一人に向け降り注いでいく!

 だが、百レベルプレイヤーのHPをごっそりと削る世界級アイテムの攻撃が振るわれたのに、ダメージを受けたのはボスだけだった。

 

 驚愕が、ギルドに走る。確かにボスの攻撃はたっちさんに向けられていた。それなのに、ダメージを受けたのはボスだけという異常な光景。

 

「……あれは真似できない」

 

 かぜっちがポツリと呟いた。

 

「たっちさん、あの斬撃から身を捩って躱してカウンターを浴びせたの。ただそれだけ」

「……ただそれだけって」

「うん、普通は出来ない。少なくとも、私にはそんな真似できない」

 

 ダメージを受けていないという事は、ヘイトが減少しないという事。ボスは執拗にたっちさんに狙いを定め、世界級アイテムを振るう。 

 ボスからの数多の斬撃。もはやあたしの眼では沢山の光の軌跡が迫っているようにしか見えない。

 

「おおおぉぉぉぉ!」

 

 たっちさんは白銀の剣を振るい、その斬撃を全て弾いていく。信じられない光景だ。いや、ありえない光景だ!

 

「すごい! すごすぎるよ!」

 

 思わず歓声を上げてしまった。それ程までに、常軌を逸している。一体どんなスキルを使えば、こんな芸当が出来るのだろうか。

 

「……嘘、だろう?」

 

 その呟きは、ぬーぼーさんだ。探知能力に特化した彼に、ギルドメンバーの注目が集まる。

 

「……たっちさん、何のスキルも使ってない……。いや、勿論コンプライアンス・ウィズ・ローの補助もあるんだろうけど……」

 

 ぬーぼーさんが、たっちさんが身に纏う白銀の鎧の名前を上げる。神話級を超えて、ギルド武器にすら匹敵するという、ワールドチャンピオンのみが装備できるという鎧の名前を。

 そして続くぬーぼーさんの言葉に、ギルド全員が絶句する。

 

「たぶんあの人、眼の良さと反射神経だけでボスの多段攻撃を捌いてる」

 

 何度目かのあり得ないという感想。

 あたしも前衛職だからだ。そんな真似は絶対に出来るはずが無い。

 前衛の強さは、限界まで突き詰めれば、リアルの運動神経が問われると建御雷さんから聞いたことがある。でもそんなのは、本当に極々一部のプレイヤーだけだとも。

 だけどとも思う。

 たっちさんは、その例外とも言える一握りのプレイヤー達が競った大会での優勝者。ユグドラシルで数人しか居ないワールドチャンピオン。世界の名を冠する公式チート。

 

「……マジかよ? 確かにあの人の種族は複眼だけどさ、だからって……」

「異形種の種族特性まで使いこなしてるのかよ、マジでリアルチートじゃん、あの人……」

 

 もはや呆れて何も言えない。

 種族によって人とは違う器官を持つのが異形種の特徴でもあるが、出来るのと、使いこなせるのとでは話が違う。特に視覚などは、アイテムを使って通常の人間と同じように変更するのが普通だ。

 

「なあ、建やん。本当にあの人に勝つつもり?」

「おう。壁は高い程燃えるだろう?」

 

 弐式さんと建御雷さんの声が聞こえてきた。弐式さんからは呆れ、武御雷さんからは喜びが声から伝わってくる。

 激しい打ち合いの末に、ボスが僅かに退いた。たっちさんの手数と反射神経が、世界級アイテムを一時とはいえ超えたのだ。

 本当にあり得ない人だ。だけど、それこそがたっちさんなんだと思う。

 

「……確かにたっちさんの個人の力に期待してた部分はあるけど、あの人絶対同じ人類じゃない。あたまおかしいわ」

 

 ぷにっとさんの呟きはもっともだ。あたまは別として。

 

「ボスの体力が半分を切りました! もう少しです!」

 

 すぐさま全員に声を掛ける。いくらたっちさんでも、更に激しくなるボスの攻撃を一人で支え切ることは出来ない。……たぶん。

 たっちさんが稼いだ時間で回復を終えたアタッカー達が一斉に襲い掛かり、再びタゲを回しながらボスを削っていく。

 パターンが変化する。ボスの形態が変化する。属性が変化する。フィールド効果が変化する。

 それでも、歴戦のアインズ・ウール・ゴウンの皆はそれに対応し、ボスのHPを削って行った。

 そしてとうとう、ボスのHPが三十%を切った。あたしは経過した時間を視線を向けて、超位魔法の冷却時間を確認する。クールタイムは既に終わっていた。

 これなら、行ける!

 

「我が秘儀よ! 我が願い! 我らが願いを糧とし災禍と成って顕現せよ! ―――<大災厄(グランドカタストロフ>)>!」

 

 新作台詞だ!

 世界を冠するクラスを持つ、もう一人のギルド最強。

 ウルベルトさんの超大技が、時間経過によって再POPが始まったツヴェーグ達ごとフィールドを蹂躙する。

 ツヴェーグ達は一瞬で消滅し、ボスのHPも目に見えて削られた。

 それを合図にアインズ・ウール・ゴウン火力祭りが始まる。

 モモンガさんの背後に、十二の時を示す時計が浮かび上がった。

 

「<真なる死(トゥルー・デス)>」

 

モモンガさんの百時間に一回しか使えないという、あたしも初めて見る切り札が発動する。

 

「やはり対策されているか!」

 

 切り札を使った即死魔法でも、ボスに即死効果は発動しなかった。運営が対策をしているのだろう。だけど<真なる死(トゥルー・デス)>の効果は、ダメージとしてボスにしっかりと通っている。救済処置のつもりかもしれない。

 

「かなりのダメージは入ってますよ! お次は太陽落としだ!」

 

 ペロンが飛び上がり、上空から彼の切り札コンボをボスに浴びせた。

 超火力の大盤振る舞いだ。もはやヘイト上昇やタゲ回しなど誰も気にしていない。

 なぜなら、ギルド一の、最強では無く最硬の盾役が、全てのスキルをこの盤面まで温存したまま控えているのだから。

 

「―――これでよし。フィールドに合わせた調整も終えた。その鎧はあのエリアボスに特化したものだから、存分に使い潰して、茶釜さん」

「あんがと、あまのまさん。でもさ……」

「頼むよ、俺達生産職の祈りをその光り輝く翼と茶釜さんに託すよ」

「うん、みんなもありがとう。でもさ、この鎧。なんで光の翼のエフェクトが付いてるの……?」

 

 粘体のかぜっちは手に持った装備以外は外装に反映されない。それなのにかぜっちのピンク色の粘体から、蒼く輝く光の翼が生えていた。

 

「課金した! 鎧自体には余分な容量が無いから外付けで!」

「俺達の割り勘だから、茶釜さんは気にしないで!」

「いや、うん。……まあ、いいけど」

 

 両手に盾を構え、光の翼を生やしたかぜっちがボスに向き直る。そして翼が光の軌跡を曳きながら、ボスに迫る。

 

「いっけぇえええ! アサルトバスター茶釜ンダム!」

「やっぱそれ系のネタかぁ!? ―――おっりゃぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 シールドバッシュから始まるかぜっち得意のヘイトコンボがボスに炸裂する。

 その間もギルドの総攻撃は止まらない。スキルを温存していたとはいえ、今まで戦闘に参加していなかったかぜっちは、蓄積ヘイトが足りてないはずだ。

 それでも―――。

 

「<ウォールズ・オブ・ジェリコ>! こっち向け、オラァ!」

 

 ボスの攻撃は、かぜっちの全体防御技が壁となって防いでいる!

 生産職の三人によってこの場に最適化された装備の効果もあり、完全に防いでいた。怒涛ともいえる終盤のボスの攻撃をかぜっちはその身に受けながら、ターゲットを完璧に固定している。

 そのかぜっちを癒すのは、やまちゃん。効果の切れたバフを立て続けに掛け直しながら、回復を緩めない。もちろんやまちゃんもボスの攻撃の余波を受けているが、身動ぎ一つしない。回復役でありながら、盾役並みの耐久力を誇るやまちゃんだから出来る芸当。

 

「すごい! 二人ともすごい!」

 

 今日何度目の感想だろうか。それでもあたしはそう叫んでしまう。

 そしてとうとうボスの残りHPが十%を切った。

 

「やまちゃん! 行くよ!」

「うん、いつでも!」

「俺達もいつでも行けるぞ、茶釜さん!」

「了解! <生贄(サクリファイス)>!」

 

 ボスの攻撃が、かぜっちのHPをごっそりと削る。ピンチに見えるが、これで良いのだ。

 

「<オシリスの裁き(ペレト・エム・ヘルウ)>」

 

 冷却時間を置いて使用可能になった超位魔法を、やまちゃんが砂時計のような課金アイテムを破壊して発動させる。

 

「行くぜ! 五大明王コンボ!」

 

 建御雷さんが叫ぶ。

 これがアインズ・ウール・ゴウン最大火力コンボ。五大明王の攻撃から始まり、最後に弐式さんが武器を持ち替えた。弐式さんの切り札だ。

 

「とどめぇ!」

 

 振り下ろされた巨大な忍刀がボスを斬り裂く。

 その超ダメージを受けたボスが、とうとう崩れ落ちる!

 

「やったぁ!」

 

 あたしは思わず歓声を上げる。これでボスは倒れた。あたし達の勝利だ!

 

『―――見事』

 

 だが、倒れたはずのボスからメッセージが流れる。あたし達の勝利を告げる台詞―――ではない?

 

『ナザリックを制した力、確かに見せてもらった。ならばこちらも真の力を解放するとしよう。真なる我が幾億の刃、その身に受けるがいい』

 

 崩れ落ちたはずのボスが再び立ち上がり、漆黒の刃を構えた。確かに削りきったはずのHPが僅かに回復していた。

 

「不味い! ここで世界級アイテム効果が発動か!」

「クソ製作! 倒したと思った瞬間にこれかよ!」

「制限時間までに削りきらないと強制全滅パターンか、これ! もうスキル残ってないぞ!?」

 

 全員で、回復役も含めてボスに攻撃を与える。だがほとんどはスキルを使い切り、有用なアイテムも残ってない。ボスが漆黒の刃を振るう。真の力を解放云々言いながら、向こうは通常攻撃もしっかりしてくるらしい。

 

「くっそ! 全然削れない! 間に合わないぞ!」

 

 悲痛な叫びが聞こえる。

 本当に嫌らしい製作だ。どうしても一発攻略させたくないみたいだ。

 

「くっそぉー! 何か、何か無いの!?」

 

 あたしは必死に自分のスキルを見直す。

 未だに百レベルに達していないために、生産職三人の護衛としてこのPTに組み込まれたあたしが、この場で一番余力を残している。

 なにか、なにか無いのか! 九十レベルのあたしでも、ボスに止めを刺せるなにかが!?

 

「あったぁ!」

 

 それを見つけた瞬間、あたしは四足でボスに向け全力で駆けていた。もう残り時間が無い。みんなにも説明している暇がない。

 

「あんちゃん!?」

 

 驚愕した様な、やまちゃんの声。レベルの低いあたしが、ボスに向け駆けているのを見て驚いたんだと思う。

 

「うぐぅぅぅう!」

 

 別の人に向けられたボスの一撃、その余波を身に浴びる。それだけであたしの体力はごっそりと削られる。そうこれでいい、これでいいんだ。

 

 このスキルは、ダメージを限界ギリギリまで受け続けなければ意味が無い。

 

 あたしはボスの攻撃を浴びながら、それでも直撃はしないように慎重に見極めながら、駆けていく。

 

「あんちゃんに回復はするな!」

 

 かぜっちの声が聞こえた。

 嬉しい。分かってくれている。理解してくれている。

 そう皆なら。あたしのレベリングやクラス習得に一から付き合ってくれたアインズ・ウール・ゴウンの皆なら、あたしがこれからすることに気付いてくれると、信じていた!

 ボスに肉薄したあたしに、とうとうボスのターゲットが向いてきた。

 あたしのHPは、上手く削れている。スキルを発動するのに完璧な状態だが、そのせいでこれ以上攻撃を受ければ死んでしまう。

 そしてボスがあたしに漆黒の刃を振るった。一振りで複数に増えた光の軌跡があたしに迫る。

 だめだ、避けられない!

 

「そのままいっけぇ!」

 

 迫りくる斬撃を、光の矢が迎撃した。確認するまでもない。こんな事が出来るのは、ペロンだけだ。

 だが僅かに、余波ともいえるものが残ってる。だがそれも、あたしの前に生まれた黒い靄から生まれたモンスターによって庇われた。

 

「デスナイト! モモンガさん、ありがとうぉ!」

 

 モモンガさんのスキルで生み出されたデスナイトが盾になって、残りの攻撃を受けてくれた。

 ペロンとモモンガさん。二人のおかげであたしの攻撃が、爪が、ボスに届く!

 

「おんりゃぁぁぁぁ!」

 

 あたしの鋭い爪が、ボスの胸に突き刺さる。その瞬間に、あたしはスキルを発動させた。

 

「<復讐(リベンジ)>!」

 

 残りHPの割合に応じたダメージ倍率を上乗せした一撃を与えるスキルだ。九十レベルのあたしでも、このスキルはレベル補正を無視してダメージを与えられる。

 あたしが再び格上のプレイヤーに狩られそうになった時、せめて反抗できるようにと習得したクラスが持つスキル。

 そして<復讐(リベンジ)>が発動した瞬間、ボスの身体が崩れ、爆発した。

 

「……やった?」

 

 恐る恐る確認するあたしに応えたのは、歓声。

 

「よっしゃ!」

「見たか、糞製作! 一発クリアだ!」

 

 興奮した様な声で、全員が笑いながら吠えている。

 皆のその声に、ようやく勝利の実感があたしに生まれた。

 

「ふわぁぁぁぁ、間に合ったー!」

 

 ボスの展開していたフィールド効果も消えて、安心した様にあたしは座り込む。

 すると目の前で、ふよふよと漆黒の刃が浮いていることに気付いた。

 ボスがドロップした世界級アイテムだ。

 あたしは気疲れも忘れて立ち上がり、興奮のままその刃を覗き込んだ。

 

「餡ころさん、ボスのドロップですよ」

「うん、やったね! はやく取ろうよ!」

 

 モモンガさんがあたしの言葉に、苦笑いをした様な気がした。

 

「あの時の皆の気持ちが理解出来るな」

 

 その言葉に、あたしは疑問符を浮かべる。この場に揃った三十人のギルドメンバー達はボスのドロップを取り囲むだけで、誰一人手を伸ばそうとしない。

 どうしたのだろうと、あたしは全員を見渡す。

 

「さあ、餡ころさん、世界級アイテムを取って下さい。そうじゃないと、勝ち鬨をあげられませんから」

「いぃぃー!?」

 

 思わず無理無理と両手を振る。

 

「ダメダメダメだって! あたし全然活躍してないし! 世界級アイテムを取るならギルド長のモモンガさんか、もっと活躍した皆とか―――」

「あんちゃん、あのさ、それは違うよ。活躍はみんながしたんだよ。勿論、あんちゃんもね」

 

 かぜっちがあたしを諭す様に、優しい声音でそう言ってくれた。

 

「……でも、あたしまだ仮登録だし」

「なんだよ? 今さらどっか別のところ行く気?」

 

 ペロンが揶揄う様に、あたしを笑う。

 

「行かないよ! あたしは何処にも行かない!」

「なら決まりですね」

 

 モモンガさんが何かを操作した。瞬間一通のメールが届く。あたしのギルド登録が、仮から正式に変わったことを告げるメッセージだ。

 そこまでしてもらって、もうあたしには迷いは無かった。

 皆に頷いてから、世界級アイテムを手に取った。

 

『CONGRATULATION! あなた方はエリアボスを撃破しました。これにより世界級アイテム「幾億の刃」を入手しました』

 

 世界級アイテムを得た音声が聞こえた。

 あたしは迷わずその漆黒の刃を掲げて、全員に聞こえる様に叫んだ。

 

「世界級アイテム『幾億の刃』! ギルドアインズ・ウール・ゴウンが獲ったぞぉー!」

 

 本日一番のあたし達アインズ・ウール・ゴウンの歓声が、ツヴェーグ集落の奥地で上がった。

 

 

 

 

 

 

「―――この子がナザリックのメイド長になるNPC?」

「頭部は犬ですか? 良く出来てますね」

 

 あたしが作成したナザリックNPCをペロンとモモンガさんが覗き込んで感心した様に頷いていた。

 

「そう、ボーダーコリーだよ! 設定はまだ決まりきってないけど、名前はもう決まってるの!」

「ほほう? どんな名前なんですか?」

「ペスカトーレ! あの子と一緒の名前なんだー」

「ああ、餡ころさんが飼われてた犬の名前ですね?」

「そうそう! モモンガさん覚えてくれてたんだ!」

「でもさー、ペスカトーレって確か猟師って意味だろう? 女の子なのに、ちょっと可哀想じゃない?」

「うっ!」

 

 ペロンの指摘に、思わず唸る。実はあたしも少しそれを気にしていた。

 

「流石ペロロンさん、紳士ですね」

「ふっふ、任せて下さい。俺は女の子にはいつだって紳士です」

「あたしには紳士じゃないじゃん」

「餡ころさんは別ですんで……」

「なにぉー!」

 

 ペロンとじゃれついていると、あたしに一つのアイディアが浮かんだ。今日ログインする前に食べたお菓子と、あの子の名前をミックスしようと。猟師はちょっと可哀想だもんね。

 

「……よし、決めた。この子はペストーニャ。ペストーニャ・ショートケーキ・ワンコ! 愛称はぺス! よろしくね、ぺス! この人がギルド長のモモンガさんだよ! ……こっちのペロンはあんまり覚えなくてもいいや」

「うぉい!」

 

 わいわいと騒ぎながら、そうぺスに二人を紹介してあげた。まあNPCの子が二人を紹介されても分かる訳が無いけどね。

 

「―――ん? こっちのペンギンは?」

「ふー、ダメだなー、ペロンは。ダメダメだなー、ペロンは。同じバードマンでしょう?」

「誰がダメダメだ。って、こいつもバードマンなの? 完全にただのペンギンじゃん」

「わかってないなー、ペロンは。ペンギンって飼うの大変なんだよ? 人工飼育の子しか居ないし」

「そこはバードマンの理由を説明しろよ。なんでペンギンの説明に入るんだよ」

「彼、でいいんですか? 彼の名前は?」

「流石モモンガさん、良い事聞いてくれるね。ペロンと大違い。うん、この子はね、エクレアって名前なの。エクレア・エクレール・エイクレアー。ナザリックの支配を目論み、掃除を何よりも重視している執事助手だよ」

「ペンギンに設定盛りすぎだろう」

「なんだとー! ペロンにだけは言われたくないなー! 自分が付けたシャルティアの設定を読み返してこいよ!」

「読み返す必要ありませんー! 暗記してますー!」

「バカじゃないの! というかペロン完全バカだよね!?」

「まあまあ、二人とも。NPCの設定見た目は自由ですので、喧嘩はその辺でね?」

「……確かに。パンドラなんてアレですしね」

「うん、アレだもんね」

「ぐ、軍服は格好いいでしょう!? ドイツ語だって格好いいじゃないですか!」

 

 ああ、本当に。

 このゲームは。この皆は。

 本当に、楽しいなぁ。

 

 

 

 

 

 

「……それじゃあぺス、後はよろしくね。いつまでも優しい君でいてね。そしてエクレア、ナザリックの未来は君にかかっている! 毎日しっかり掃除をして、ナザリックをいつか支配するんだよ!」

 

 そうあたしは、自分が作成したNPCの二人に声を掛けた。

 勿論、NPC達から返事なんて無い。ただ声を掛けられた時に行うように設定されたマクロコマンドを行うだけ。

 

「……じゃあね。楽しかったよ。……バイバイ」

 

 あたしは異形の手を二人に振って、別れた。

 最後はあそこでログアウトしようと決めている。あたしは指輪は使わずに、想い出を噛み締める様に、ゆっくりと第九階層を歩いて行く。

 色々なことがあった。沢山の思い出があった。

 楽しかった頃の思い出に、思わずアバターでは無く、リアルの自分の頬が綻んだ気がした。

 だが直ぐに引き締められた。そして立ち止まって思わず顔を伏せる。

 

 ギルド連合を撃退したころから、少しだけギルドは変わっていった。

 いや、それは違うか。

 このギルドは、アインズ・ウール・ゴウンは、あたしが加入する前から、初めから割れていた。 

 その二つに割れたものを、様々な思い出とメンバー達が接着剤となって繋ぎとめていただけなのだ。

 あたしは割れてしまっていたその原因を、詳しくは知らない。アインズ・ウール・ゴウンの前身、ナインズ・オウン・ゴール時代の出来事も関係しているらしい。

 

 些細な方針で対立を続ける二人。

 そしてその二人は、ギルド内でモモンガさんを除けばもっとも影響力のあった二人だった。

 方針から割れる意見。それを取り纏めるための多数決。少しずつ、ほんの少しずつ溜まっていった不満は、とうとう爆発した。

 あれだけ仲の良かったメンバー同士が、敵愾心を隠す事無く怒鳴り合い、またはそれを嫌がり遠ざかっていく。

 あたしは、その後者だ。耐えられなかった。

 影響力のあった一人は、責任を取ると既に引退してしまった。彼が居なくなって、彼に憧れ、挑戦する人達も居なくなっていった。

 残された方も気まずさからか、顔を出す機会が減っていった。

 様々な事情を抱えても、楽しいからと続けてきたゲームだ。その楽しいが少なくなれば、自然と人は減っていく。

 

「……あんちゃん」

 

 声に、伏せていた顔を上げた。

 リアル事情からログイン頻度が減っていた親友二人が、今日くらいはとログインしてきてくれた。

 

「ごめん、あんちゃん。あのバカ、今日くらいはログインしろって言ったんだけど」

「アハハ、ペロンらしいなー。うん、ペロンらしい」

 

 別れの挨拶に姿を見せないペロンに笑う。

 きっと今頃、あたしが引退をすることに不貞腐れているだろう。そうだと、嬉しかった。

 

 あたしは、餡ころもっちもちは、今日でユグドラシルを引退する。

 いや、逃げ出すのだ。

 

「モモンガさんと話をしてきた?」

 

 やまちゃんの心配そうな声に、あたしは努めて明るく答える。

 

「うん! 最後まで見送るって言ってくれたけどね。あたしが遠慮した。さ、最後は女同士で、す、過ごすって言ったらさ、少し困ったよう笑って……て……さ」

 

 明るく、二人が心配しないように最後まで言い切りたいのに。

 声が震え、言葉が詰まる。これ以上、続いてくれない。

 

「うっぅ……。ぐぅ! ……ご、ごめん。さ、最後くらいはさ、な、泣かないようにって……決めて……たんだけどぉ……」

 

 ユグドラシルのアバターに表情の変化が無くて良かった。これがリアルでなくて良かった。

 でなければあたしは、とてもみっともない泣き顔を、二人に晒していただろうから。

  

「……だって、おかしいじゃんか。みんなあんなにさ、仲良かったのに。……それなのに、あんなに喧嘩を繰り返してさ」

 

 ああ、最後は笑って終わりにしたかった。楽しい思い出に浸って終わりにしたかった。

 いや。

 終わりなんて、もっと先にしたかった。

 

「たっちさんも、責任とるなんて格好付けて。そんな責任の取り方するなら、もっと長く皆と居てくれればいいのにさ」

 

 本当に、本当にそうだ。そんな責任の取り方はして欲しくなかった。

 

「たっちさんが居なくなって、建御雷さんと弐式さんも居なくなって。色んな人が辞めちゃって。ヘロヘロさんとペロンなんて必要以上にお道化て、どうにか昔に戻れるようにってさ」

 

 ああ、止まらない。一度溢れてしまった言葉は止まってくれない。

 

「モモンガさんは毎日色んな人と話をしてさ。必死にギルドを維持しようと、頑張ってる」

 

 それなのに、わたしは。頑張っている人達を置いて、居なくなろうとしている。

 

「だけど、ダメなんだ。もう無理だよ。あんなペロンも、モモンガさんも見てられない。見てられないよぉ」

 

 大好きな二人の、あんな姿はもう見ていられない。

 

「数ヵ月しか変わらないのに、ペロンはあたしにだけは年上ぶって、安心しろって強がってさ。モモンガさんは一番苦しんでるのに、いつも人の事ばかり気にしてさ。もう無理だよぉ」

 

 だからあたしは逃げ出す。大好きなゲームから、大好きな友達達から。

 

「……弟君にはこれからも会えるかもしれないけど、モモンガさんはユグドラシルから離れたらもう逢えないかもしれないよ。……気持ちを伝えなくていいの?」

「あはぁ。……ダメだよ、やまちゃん。あたしが好きなのは、モモンガさんにペロンだもん。鈴木悟さんに、かぜっちの弟じゃないから」

 

 ああ、本当にバカだあたしは。もう学生でもないのに。そんな気持ちをユグドラシルで抱いてしまった。

 あたしは、その気持ちを吹っ切る様に二人に笑い掛けた。

 

「でも二人とはこれからも仲良くしていきたい。良いかな?」

「勿論、あんちゃん」

「うん、そうだね。ボクからも、これからも仲良くしてほしい」

 

 そう言って既にリアルでの付き合いも生まれている二人と別れ、あたしはログアウトしようと決めていた玉座の間に向かった。

 扉に触れて、あたし達自慢の造り込みを誇る玉座の間を、ゆっくりと進む。

 

「たっちさん、フラットさん、タブラさん」

 

 天井から垂れているギルドサインが刺繍された大きな旗を眺め、一人一人の名前を呼びながら世界級アイテム『諸王の玉座』まで歩いて行く。

 そして諸王の玉座までたどり着くと振り返り、意図的に名前を呼ぶことを避けた二つの旗を眺め、名前を読んだ。

 

「……ペロロンチーノ。最後に……モモンガ」

 

 ちらりと玉座の間に配置されたタブラさんの設定したNPCに視線を向ける。特にそれだけだ。言葉を掛けるわけでは無い。

 あたしは諸王の玉座に触れる。

 座ることはしなかった。今まで何度も遊びで腰掛けた事はあるけど、今日だけはそれが出来なかった。いや、しなかった。

 そしてあたしは、そこでユグドラシルから現実世界に帰還した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 ヘルメットを外し、首から伸びた黒いコードを外した。少しだけ、乱暴に。

 アバターは、ユグドラシルをログアウトした時に消してしまった。

 餡ころもっちもちのデータは、もう残ってはいない。

 年に迫るプレイ時間を掛けて育てたアバターを消したのというのに、特に感慨は湧かなかった。

 たぶんユグドラシルで大事だったのは、アバターよりも気の合う仲間達だったからだろう。

 

「ああ、ああぁぁぁぁ……」

 

 嗚咽が漏れる。

 親友二人も、いずれユグドラシルを去るだろう。その弟も。

 そうなれば、彼はどうなるのだろうか。最後まで残るであろう彼は。誰も居なくなったギルドで、一人ユグドラシルを続けるのだろうか。

 そんな事はあり得ないと思う。それでも彼がユグドラシルから離れる姿は想像出来なかった。

 涙が止まらない。嗚咽を抑えることが出来ない。

 ユグドラシルというゲームに一人残る、いや、残される彼の姿ならば容易に想像できたからだ。

 その姿がとても悲しくて、胸を締め付ける。

 自分はもう彼に会う事は無いだろう。

 会う事が出来ない。一人残る彼の姿を想像してしまった今、心が耐えることが出来ない。

 ユグドラシルを、アインズ・ウール・ゴウンから去ってしまった自分では逢うことは出来ない。

 

「ああああぁぁぁ……」

 

 本当に、自分のユグドラシルが終わったのだと実感し、嗚咽を隠す事無く、泣き続けた。



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