【完結】吉良吉影のヒーローアカデミア (hige2902)
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➀ 趣味の悪い時計の男

 なんということだ。

 

 絶賛高校一年生になろうかという吉良吉影は頭を抱えたくなった。

 雄英高校の入試だと? そんなエリート校など行きたくなかった。それなりの高校に入り、それなりの大学を卒業し、それなりの会社に就職すればそれでよかった。

 誰が一流の高校に入学したいと言った!

 

 言ってない!

 なんでもそつなくこなし、弱点をなくすために広く浅い分野で三位という順位を取り続けていたがために両親が勘違いし、勝手に願書を書いたのだ!

 曰く、おまえには幅広い才能があるだとか、器量があるとか、吉影の取った山ほどの準優勝や三位のトロフィーを磨きながら、そんな理由を付け加えて。

 

 一流高校のヒーロー科? 職業ヒーロー? どうせ世間体を気にしながらヴィランと戦わなければならないのだろう。やりすぎればメディアとネットで叩かれる、気苦労の多い仕事だ。目指す奴の気が知れない。

 

 吉良は入試をバックレてもよかった。そうしたかったが、すでに母親が井戸端会議で雄英を受けるという事を広めてしまっていたのだ。ここで逃げれば、怖気づいたと思われかねない。

 こうなっては最善を尽くすよりほかはない。入試に挑んで、むざむざと落ちてしまっては吉良吉影としてのメンツが立たない。ご近所から、まあ雄英だもんね、落ちたって仕方ないよね、しょうがないよね、などと憐れまれるなど許しがたい屈辱だ。そんな状況を甘んじて受けるわけにはいかない。

 やるしかない。雄英に受かったという事実をもぎ取り、通学時間とかの問題で他校に行けばいいのだ。

 

 やれる。吉良吉影はどんなピンチだって切り抜けられるはず。これしきの苦難で立ち止まる訳にはいかない。

 

 吉良は意を決して雄英の地に足を踏み入れる。踏み入れたところで係員に止められた。おかしい、他の学生はみな続々と説明会場へ向かっているというのに。いちいちこんなところで足止めされて時間ぎりぎりに会場入りなど冗談じゃあない。五分前行動は基本だ。

 

「なにか」

「すみません、保護者の方はここまでです」

 すぐに視線を吉良の隣に移し、偶然にも隣で歩いていた女学生に続けて言う。

「そういうわけで受験票、出してくれる? あ、お父さんが管理してくれてるのかな」

 

 何を言っている、この係員。と吉良は隣を見て、らしくもなくギョッとした。制服が浮いている。まるで透明なマネキンが着ているようだ。スカートがあるので女学生という事もわかるがしかし。

 制服が受験票をバッグから取り出しながら言った。

 

「あの、その、非常に言いにくいんですが、他人です」

「え? あそうなの、じゃあ誰の……」

 

 申し訳なさそうに、しかし気持ちは分かりますよ、といった体で係員は言った。なにせ天下の雄英高校への入試なのだ、親の気持ちになるならば、応援しに来る気持ちもわかる。

 現に学園の門の方では、親が車で送ってきているのも見かけた。

 吉良も黙って受験票を提示する。係員はそこに張り付けてある証明写真と吉良を交互に見やり、取り繕う。

 

「え、あ……ご、ごめんねー。ちょっとその、勘違いしちゃったかな~。それにしてもきみ、大人びてるって言われない? ほら、貫録、じゃない雰囲気がさ、妙に落ち着いているっていうかさぁ~」

 

 いえ、と吉良はその場を後にした。

 たしかに吉良は中学生というには大人びていた。身長も中学生にしてはあるほうだし、すっと通った鼻に薄い唇。物憂げで瞳の奥に凍てつきが見え隠れする端正な顔立ち。エリートという雰囲気があった。

 まあ、一番の原因は一目で仕立てのいいのがわかる、ぱりっとした薄紫のスーツにノリの効いた薄緑のシャツを着ているからだろう。おまけに奇妙な生物の髑髏があしらわれたタイ。基本的に受験に服装の指定は無い。周りを見れば、ラフな私服で来ている学生もいる。

 通学鞄ではなく、ビジネスバッグだし、スニーカーでも普通のローファーでもなく金属の飾りのついたビットローファーを履いている。吉良はその独特な配色センスとアイテムを、完全に着こなしていた。

 

「さっきはびっくりしたね」

 

 と、制服が吉良に話しかける。

 

「わたし、葉隠透。見ての通りの個性」

 

 どちらかと言えばきみの方に驚いたが。とは言わずに答える。

 

「吉良吉影。変に大人扱いされるのは初めてではなかったが、親子扱いされたのは初めてだ」

「ふふっ。でもいいなあ、大人扱いされるって。ちょっと羨ましい」

 

 葉隠はほんの少し寂しそうにそう言った。

 羨ましい? なにがだ? 吉良は不満を滲ませた。

 

「んん~、デメリットの方が多くて困るがね。小学生の頃、バスは子供料金で乗れなかったし、映画も学生料金で観ようと、学生証を出しても不審がられるからな~。目立つことは好まないから、わたしとしてはきみのその、透明な個性ってのが羨ましいよ」

「あはは、そりゃあ大変だね。でも、そっか。映画、好きなんだね。最近何観たの?」

 

 なれなれしいやつだな。と吉良は内心で苛立った。ただでさえ来たくもない受験で、恥をかいているというのに。

 

「それはそうとして、きみ、えーっと葉隠くんと言ったかな。ずいぶんと余裕があるな。わたしたちはいわばライバルになるのだが」

「ま、そうだけどさ。根っこにある、誰かを助ける、ヒーローになろうって志は同じなわけじゃん?」

「そうかな。入試って事は、受かるやつと落ちるやつがいるって事だ。合格者の数は決まっている。そこで、もしもじぶんこそが他のやつよりもヒーローに相応しいって考えているやつがいたとしたら、平気で他人を蹴落とすと思うがな。じぶんこそが相応しいという確信犯が、いないとも限らない」

 

 それを聞くと、葉隠はわかりにくいが腕を組んで不敵に笑う。

「ふっふっふ、吉良くん。それは違うよ」

「なにが違うというのだ」

「そんな人はね、ヒーローじゃあない。なれないのさ。もしもじぶんこそが雄英に受けるべき存在だと確信していたとしても、その為に他人を蹴落とすようなマネをする人は、ヒーローじゃない。これはヒーローとなるための試験なのだから、どうしたって落ちるに決まっているよ」

「ずいぶんと、楽観的で超自然的な理由だな、論理的では無い」

「ヒーローはね、理屈じゃないんだよ。たぶんね」

 

 ホールに到着し、受験番号が貼られた席に移動する為、そこで葉隠と吉良は分かれた。しばらくすると、席もだいぶ埋まって来る。

 夢見がちだ。あんなのがヒーローになるのか? 今のプロヒーローも葉隠のような夢想家だとしたら、そんなやつらの保護を受けている事に一抹の不安を覚えた。

 趣味の悪い腕時計を確認すると、定刻まであと少し。

 

 吉良は周囲の密やかな会話を極力無視した。

 

「どうして先生が受験者の席に座っているんだ」

「先生って事はヒーローか? 見た事無いが」

「わけんねえ、けどきっと実力はあるんだろうな。仕事できますって感じだし」

「あれだろ、アイドル事務所の面接待ちの時に、社長が清掃員に扮してオフの時を観察するとか、そういうやつ」

「スカウトか」

「青田買いにもほどがある」

 

 すると、ばたばたと慌てて吉良の前の席に男子学生が駆けこんで一息ついていた。

 まったく、自己管理くらいしたらどうだと、吉良は侮蔑的な視線を送る。

 

「いやあ、僕としたことが、つい人助けをしていたら遅れかけてしまった。ま、困っている人を見かけたら見捨てられないたちでね」

 

 聞いてもいないのに、額の汗を拭いながら、隣のざっくりとまとめたポニーテールの女学生に流し目で語る。

 

「おっと初めまして、僕は端田屋 九屋良レ(はしたや くやられ)。よろしく」

 

 奇妙な名前だ。吉良はじぶんを棚に上げて思った。

 

「は、はじめまして、わたしは――」

 

 と名乗った女学生は、差し出された端田屋の、なるべく指先を握って握手する。

 

「シャイなんだね、ははは」

 

 こいつ、鈍いのか、それとも底抜けのマヌケなのか。

 雄英に来てからストレスしか感じていない吉良の心の平穏はすでに揺らいでいる。

 

 というところで、壇上に一人のパンクなやつが現れた。辺りからは小さく、すげえプレゼント・マイクだ、本物だ、と言った声が漏れる。

 

「今日は俺のライヴに来てくれて本当にサンキュー!」

 

 一拍、置かれるが反応は無い。

 

「Oh Yeah. 緊張してるのかなー。そんな君たちの事を想って書いた詩だ、聞いてくれ」

 プレゼント・マイクは、両手でマイクを掴んだまま、数秒うつむいて溜めて言った。

「新曲、実技試験の概要」

 

 入試要項を何度も読み返し熟読している連中にとって新しい情報は出てこないので、吉良は話半分に聞いていた。そのせいか、半分は端田屋が女学生に小声で話す内容が耳に入る。

 

「聞いたかい。ポイントは有限のようだ」

「え、ええ。そうみたいですね」

「僕と組まないか? 仮想敵はロボットのようだから、僕の個性が大いに役に立つと思うんだ」

「いえ、その」

 

「遠慮しなくていいんだ。大丈夫、美味い具合にとどめは君がさせるようにするさ。何もしなくていい」

 

 女学生が口を開くのを制して続けた。

 

「か弱い女性を守るのは、ヒーローとしての務めだからね。女性を守るのが男の務め。特に君みたいな美しい女性に泥臭い戦いは似つかわしくない。礼には及ばない」

 

 端田屋の会話が終わったのを十分に確認してから喋ろうとするが、端田屋は狙っているのか偶然なのか、それに被せる。

 

「いや、いいんだ本当に礼なんて。美しい女性を保護するってのは男として当然の事だから。本当に、礼なんてよしてくれ。でもどうしても君の気持が収まらないというのなら、アレだが」

 

 ここまでくると、一種の才能なのだろうか。誰も興味なさそうなので割愛した「質問よろしいでしょうか!?」から0ポイントの仮想敵の件が終わるまでの短い時間で、どん底まで好感度を下げる手腕は。

 

 女学生は苛立った表情を深呼吸で平静に戻すと、それ以上端田屋の言葉に耳を貸さなかった。

 照れているのかい、フフフ。と、髪をファッサーっと搔き上げた端田屋を無視するその精神力に、吉良は正直感心した。もしも自分が同じ立場だったら、個性で鼻っ柱をへし折ってやるところだ。

 

 

「そんじゃあ聞いてくれてサンキュー! 悪いがアンコールは無しだ! また俺のライブに来てくれよな! Ho-Ho-Ho!」

 

 それは浪人しろと言っているのか。受験生は聞かなかった事にした。

 




週一で、かも


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② 実技試験に落ちる時

 バカでかいスクールバスを使って、ちょっとした市街がすっぽりと入るスタジアムに到着した。

 個性で建築したのであろうビル群が威圧的にそそり立っている。ここで何人もの受験生が挫折を味わったのだろう。

 

 だが、吉良吉影にそれは必要ない。

 動きやすい服装に着替えた周囲の受験生に交じって一人、スーツに革靴の吉良は目立っていた。目立っていたがしかし、吉良吉影がそんな運動着を着るだろうか? ジムに通っていたのだから、着るのかもしれない。だが鍛える時ならまだしも、戦闘にあっては似合わない。だから、多少目立ったとしてもスーツ姿は貫くべきだった。

 だからかもしれないが、吉良の周囲は二人分ほどの空きがあった。

 

「なんであいつスーツなんだ」

「インテリヤクザみてー」

「個性と関係あるんかね」

「いや、たぶんめちゃくちゃ強いんだよ。スーツでも余裕って表れってやつ?」

 

「あれ、吉良くん着替え持って来るの忘れたの?」

 

 そんな中、葉隠が気楽に話しかける。

 

「わたしはそんなミスをしない。わたしはこれでいいんだ、これがいいのだ」

「あはは、でもさ、どこに入学するにせよ、いずれ制服は着なきゃいけないんだよ?」

 

 吉良は答えなかった。

 

「あの……いけないよ?」

 

 端田屋が別の女学生に、試験説明の時と同じ口説き文句を垂れ流している。

 早く始まってくれ、という端田屋の会話が耳に入ってきた受験生全員の願いが通じたのか、刻限になったのかはわからない。

 

『よぉーし、準備はいいかー、ノってるかー!』

 

 スピーカーからプレゼント・マイクの声が響く。受験生にピリリと緊張が走った。

 

『上空を見てくれ、君達の活躍をモニタするドローンを飛ばしてある。あれだけは仮想敵の攻撃手段や、君達を捕捉、観測するガジェットではないからな! 撃ち落としてもすぐ補充されるから問題ないし減点にはならないが、とにかく気にすんな!』

 

 見えないが葉隠が手首のストレッチをしながら言った。

 

「一緒の制服、着れるといいね」

 

 同時に、スピーカーから火ぶたを切る言葉が響く。

 その瞬間、全員が駆け出す。いや、吉良以外の全員が。

 

 

 

 吉良としては急ぐような事ではなかった。吉良がすべき事、それは高所に登り、全体を把握し、0ポイントの仮想敵から離れた競合しない場所でポイントを稼ぐ。

 避難済みの市街といったかんじで、エレベーターの類は動いていなかった。手ごろなビルの階段を駆け上り、周囲を見回す。

 

 眼下では仮想敵を倒している受験生がいた。仮想敵はそれぞれポイント数がペイントされており、種類が同じでも大きさはまちまちで、軽自動車から二階建ての一軒家まで様様だ。おそらく戦闘系と情報系の個性の格差の不平等を、ヒーローという職業が看過できるレベルまで許容しようという試みだろう。あちこちで試行錯誤の末にゴリ押しで、あるいはウィークポイントを探し出して撃破している。

 0ポイントの仮想敵は見つからなかった。段階的に投入されるのだろうか。

 

 しばらく観察し、三種の仮想敵の攻撃パターンと死角、弱点を把握した吉良は、なるべく仮想敵が配置されておらず、人気の無い場所へ移動する。一位を取る必要は無いからだ。

 公的には伏せられているが、広い視野と分析力を測るために、いわゆる穴場は意図的に用意されていた。一見すると仮想敵は少ないが、コインパーキングや車庫、家の中から突き破って補充される。

 これは、プロの現場でもたびたび問題視される、駆けつけたはいいが多くの事務所とのバッティングでたいして活躍できずにリソースを無駄にする。または、事件解決に適している個性でもないのに、とりあえず急行するという短絡的な思考かどうかを見極める為だ。

 現場でいま求められている共同、協調、協力といったやつ。

 

 積極的に仮想敵を撃破してポイントを稼ぐ行為が実践的であるなら、消極的に競合を避けてポイントを稼ぐ行為は実務的と評価できる。

 

 吉良は一軒家ほどの大きさを持つサソリ型仮想敵を見つけた。ただ、ハサミは無く盾のような短い四足と馬のような首。似ているのは威嚇するように揺れ動く尻尾だけだ。

 そしてあえて吉良は駆け寄った。なぜか!? それは唯一の攻撃手段である尾に対する安全地帯かつ、また馬のような首では目標を見失う事必至の腹の下に潜り込もうとしたからだ!

 

 もちろんやすやすとそれを許す程優しい試験内容ではない。サソリ型は凄まじい速さで尾を突き出す。だが、見えない何か、吉良の個性によって僅かに軌道が逸れ、吉良のすぐ横をかすめて地面に突き刺さる。

 

 予定通りに腹部に滑り込み、充電口をカバーする装甲に個性を叩きつける。金属と何かの鈍い衝突が響いた。あっという間にいくつもの拳の跡が刻印のように浮き上がる。装甲が剥がれ、ウィークポイントである充電口が破壊され、そこから繋がるバッテリーが引きずり出される。ぼたぼたと血のように冷却水やオイルが滴った。

 押しつぶすという行動パターンは観測しなかったし、現にこれで倒している受験生の模倣だ。

 

「困ったな、気に入っているスーツだったのだが」

 

 吉良の個性が、用無しとばかりに引き抜いたバッテリーを放り投げる。

 本当はもっと楽に倒せるが、テレキネシスで通っている個性だ。本当の能力を出す訳にはいかない。全力は出さない、爪とは隠すもの。それが鋭利であればあるほど。

 

「うん?」

 

 次の目標は、と周囲を窺っていると、近づいてくる爆発音に耳を傾け、その方向を見やる。体操服が走って来る。いや。

 

「葉隠……?」

 

 だがその様子はどこかおかしい。仮想敵を求めて、というよりはまるで何かから逃げているようだが。

 曲がり角から、四足歩行のカメ型仮想敵が滑り出た。大型トラックをゆうに超える大きさだが、後ろ足は後輪となっており、見た目に反した速度で葉隠れを追いたてる。

 

「吉良くん!? ごめん! わたしから離れてー!」

 

 カメ型が背負っているミサイル発射機構から、一発の小型ミサイルが発射された。それは葉隠を通り越して吉良を狙っている。

 吉良の個性が瓦礫を握り、遠投する。飛来するミサイルのシーカーを砕き、あらぬ方向へ着弾した。信管は電子制御されており、受験生が個性で生み出した障害物を認識した時に起爆するものだったので爆発はしない。

 実技試験はほぼほぼ安全。

 

 面倒なことになった、と吉良は独りごちる。

 内心としてはもちろん葉隠を見捨てて、さっさと別の場所にいきたい。だが、今から人気の無い場所が仮にあったとして、それを見つけ、移動するまでの時間は無い。人気が少ないという事は、仮想敵が少ない。つまり得るポイントも他人と比べて少ないのだから。

 だから見切りをつける事は出来なかった。

 

「葉隠! こっちだ!」

「でも!」

 

 感情的なやつはこれだから、と吉良は苛立った。相手を思いやって決断を遅らせるのはB級映画のヒロインだけで十分だ。

 

「ごちゃごちゃ言うんじゃあないッ!」

 

 吉良は有無を言わさず葉隠の手を取って先導する。その時、まったくこの状況とは関係ない、ある事に気が付く。

 

 葉隠は手を振りほどきたかった。これではまるで、面倒な敵を擦り付けているようではないか。だが吉良の放つ「凄み」には何か確信めいた説得力がある。

 二人が逃げ込んだのは地下駐車場だった。電源系統は完全に死んでいないのか、予備電灯が灯っていて薄明かりだ。

 放置され、埃の積もった外装にタイヤの潰れた車が何台もある。

 一台のハイエースの影に隠れ、一息つく。

 

「ごめんね、吉良くん。信じられないかもしれないけど、わざとじゃあ」

「無い、という事がわからないと思っているのか」

「え?」

「もしも本当に厄介な敵を擦り付けるつもりなら、わざわざ遠くから逃げろなどと警告するはずがないからな」

 

「そう、そっか。ありがと。でもこれからどうするの? ここだと逃げ場が」

「一般的な地下駐車場の高さ制限は2.4メートル。あのカメ型はパッと見て全高5メートルはあった。入っては来られない。息を整えたら、どこか別の通風孔なり換気口を探して脱出すればいい」

 

 ほへぇーと、葉隠が感嘆の声を漏らす。

 

「凄いね、吉良くん。わたし、あの変な仮想敵に追っかけられっぱなしで、そんなの全然思いつかなかったよ」

「変?」

 

 吉良は眉をひそめた。

 

「え、うん。わたしの個性って透明になるだけだから、こっそりと近づいて、非常停止スイッチを押したりしてたんだよね。どうも仮想敵のセンサーの類は人の形に反応する画像認識と、音によるものみたいだったから」

「その分析能力も十分に凄いと思うが……」

 

 非常停止スイッチ。なるほど存在してもおかしくはない。精密電子機器の内部システムに不具合が生じる可能性は、ゼロではない。それが原因で万が一に暴走した場合、高価な機械を破壊せずに停止させる手段は必要だ。エスカレーターについているようなアレ。もちろん、剥き出しではなくハッチで覆われているだろうが。

 

「でもあのカメ型は違った」

「どう、違ったのだ」

「非常停止スイッチを押しても、止まらなかった。それに、わたしが逃げ回っている途中で他の受験生の攻撃が当たったんだけど、ビクともしなくて。他の個体より明らかにスペックが高い」

 

 唐突に地下駐車場に大きな足音が響いた。まさか、あのカメ型が? どうやって、と吉良はハイエースの影に隠れて入口を盗み見る。すると、ミサイル発射機構をパージした先ほどのカメ型が、一台一台車を潰しながらうろついている。うろついている? 違う、探しているのだ。吉良と葉隠を!

 

 なぜこれほどまで執拗に? 

 試験開始直後、吉良が観測していた仮想敵でこのようなパターンの個体はいなかった。

 ではあれが0ポイントの敵? 違う、3とペイントされている。

 そもそも雄英が特定の受験者を狙うという、公平性を崩すようなプログラムを乗せるだろうか?

 

 否! 

 

 つまり上記以外の消去法で考慮すべき理由。吉良の鼓動が早まった。

 

「ハッ! まさか……個性の仕業か!? われわれは今ッ! 個性攻撃を受けているッッッ!」

 

 カメ型が吉良の動揺の声を拾い、向かってくる。

 ご丁寧に隠れる場所となる車を潰しながら。

 

 そう、これは機械に乗り移り、それの性能を大幅に向上させるという個性によるもの! 監視カメラに乗り移れば解像度は上がるし、車に乗り移れば燃費と加速度やステアリングが向上! 炊飯器に乗り移れば、まるで土鍋でじっくりと炊いた魚沼産コシヒカリのようにツヤツヤで立ったご飯を食べられるのだ!

 

「そんな!? だって他人への攻撃は禁止されているはず」

「ああ、そこが問題だ。向こうもそんな事は承知だろう。だがこの不正行為に対して、未だ雄英側の干渉は無い。つまり敵は、雄英側の監視を掻い潜る手段を使っているという事だ!」

 

 その推察は、半分正解している。ドローンだけではなく、仮想敵のカメラの映像も試験監督官のいる別室へとモニタされている。だが、戦闘の粉塵に紛れてこっそり乗り移られて制御を奪われた仮想敵は、スペックアップした上で受験生の身体の一部のように振る舞う。被撃破の信号を雄英学校サーバに送り、幽霊機と偽装する事など造作もない。

 もちろん、後から検証すれば数が合わない事は発覚するだろう。だが後から明らかに特定の受験生を狙った仮想敵が見つかったとして、かつ個性が機械への乗り移りの受験生がいたとしよう。それでも証拠は無い! おまえの個性で可能だからおまえが犯人だと断定する事は、法治国家で許されるものではないのだ! 

 電子制御のトラブルとして処理されるだろう。

 

 しかし雄英に観測されていない、というのは吉良にとって不幸中の幸いだった。遠慮なく能力を発動できるのだから。

 

「なんとか二人で逃げ出そ! まだ、やれることはあるはず」

 と、葉隠は真剣な口調でよいしょよいしょと体操服や靴を脱ぎさった。

「見て、いや見えないだろうけど。これでわたしは捕捉されない、あまりやりたくなかったけど」

 

 その為には葉隠が邪魔だ。

 吉良はつまらなそうにフンと鼻で笑う。

 

「なれ合うのも、いいかげんにしたらどうだ」

「え?」

「見ろ、わたしの言った通りだ。競争なのだからな、他者を蹴落とすヤツは当然出てくるのだ。甘ったるいんだよ、きみは」

 

 葉隠は言い返さなかった。何かを言いかけ、やはりと口を閉じただけだ。

 

「だが案外これでよかったのかもしれないな。君のような夢想家は、ヒーローに向いてないと自覚できただろう? 現実は非情なのだ」

 

 吉良には葉隠がどんな表情をしているのかわからない。ただ、葉隠はまだそこにいて、じっと視線を合わせられているという事はわかった。

 

「まったく、きみとなんて出会わなければよかった。いつまでそこにいるんだ、きみのせいでわたしはここでリタイアだ、顔も見たくない、消えろ」

「……わかった」

 

 小さな足音が遠ざかっていくのが聞こえる。これで目撃者はいない。

 吉良は携帯端末を取り出した。いまから雄英に連絡してみるか? いや、信じてはくれまい。仮想敵が自分ばかり狙ってくるなど、テレビゲームで味方が弱かったから負けたと言うようなものだ。

 

 第一そのような逃げ方は、この吉良吉影のプライドが許さない!

 重量感のある足音が、いよいよ近づいてくる。個性を使い、携帯端末をへし折ってハイエースの下に滑り込ませ、タイミングを見計らってガソリンタンクに大穴を開ける。

 カメ型がハイエースを踏み潰した瞬間、吉良は駆けだした。同時に背後で爆発が起きる。

 携帯端末のリチウムイオン電池のリチウムが酸素と化学反応を起こし、発火したところでガソリンに引火した。古いガソリンだったのでいまいちの炎上だったが、これによりカメ型は吉良を見失う。

 

 どんなピンチだって切り抜けられる。そう、アイフォンならね。

 

 適当な柱の裏で、吉良は趣味の悪い腕時計を確認した。そろそろ、葉隠は完全に地下駐車場を離脱しただろう。ハイエースを能力の媒介にしてもよかったが、念には念を入れた。振り返ってみれば急にカメ型が消え去っていた、なんて事になるとも限らない。

 

 そして人間が操作しているのであれば、近づくのは危険。それよりも確実に仕留める方法がある。それは出入り口のグレーチングに能力を使う事!

 吉良は出入り口に向かって猛然と駆けだす。徐々に地上の眩しい光が近づいてきた。坂を踏みしめる。

 

 勝ったッ! 第二話完!

 

 唐突な発砲音と共に吉良の右足に激痛が穿たれる。堪らず走る姿勢を崩して地面に転がった。追加でもう数発撃ち込まれる。

 吉良は呻きながら、なんとか上体を起こし、背後を振り返った。

 二十メートルほど離れた場所で、カメ型が静かにアームを向けていた。

 

「想定して、しかるべきだった!」

 

 そう、仮想敵は外部に緊急停止スイッチが設けられるほど重宝されている。それを入試でじゃんじゃか消費するのもどうかと思うが、とにかく、そんな機体を年に一度のイベント専用にするだろうか? いや、入学後の実技授業でも流用するだろうし、進級すれば武装の追加された機体になるだろう。つまり、生徒の強さに合わせて調節できて当たり前なのだ!

 吉良は痛みを堪えて、唸るように言う。

 

「そうか、くそう。それは、ゴム弾は入試では使用されない調整だった、のだな。アーム内蔵型だからオミットされていないし、だから観察していたパターンには無く、油断してしまった。なかなか、やるじゃあないか」

 

 ころりころりと水色のゴム弾は坂を転がり落ちて、グレーチングの間に落ちる。

 カメ型は黙って照準を微調整しながら、一歩一歩近づいてくる。吉良の周囲には能力の媒介となる物は無い。コンクリを破壊して瓦礫を作って投げる間に撃たれるだろう。

 

「だんまりか? 何とか言ったらどうなんだ? うん? 誰だかバレるのを危惧しているのかね? だがわたしにはきみが誰かわかっているぞ」

 

 ゴム弾は発射されない。吉良は不敵に笑って続けた。わざと声のトーンを落とし、接近させるために。

 

「カマかけだと考えて、いや必死に自分へ言い聞かせているんだな。どうしてわかったか教えてやろう。きみのその個性、実に強力だ。だが、ラジコンのようにはいかないんだろう? こんな乱戦もいいとこの試験内容でモニタを見ながら遠隔操作は出来ないよな~。加えて仮に今、きみの本体が仮想敵に襲われれば自衛の手段が無い。だから、そのカメ型自体がきみなんだろ? うん?」

 

 じくじくと痛む両足に耐えながら言う。なんとか時間を稼げ、便器にこびりついたクソみたいな話題でいい。個性の射程距離に入るまで近寄らせてから、能力をブチ込んでやる。

 

「となると、不都合が出てくる。仮想敵の姿をしていたんじゃあ、他の受験生に狙われちまう。たとえば背に乗ってもらい、ポイント対象ではないと視覚的に証明してくれる協力者が必要だ。そう言えばいたよな~会場でしきりに組まないかと絡んでいたやつが~。なあ、端田屋」

 

『なかなかの、分析能力、じゃあないか』

 

 カメ型から、端田屋のウザったい震え声が流れてきた。言い当てられた怒りか、悔しさ、あるいはその両方を滲ませている。

 

『そうさ、その通りだよ。協力者がいないんで、仮想敵を効率よく狩れなかった。となるとぼくの実力的にスコアは例年のボーダーよりチョイ上。だったら、雑魚をリタイアさせて少しでもぼくが受かる確率を上げた方が、結果的には世の為ってやつだ。ぼくより弱いやつがヒーローになったって、しょーがないからな』

「なるほど、実に現実的だ。だが一つ奇妙な事がある」

 

 端田屋はてっきり卑怯者だとか、侮蔑の言葉を投げられると思っていただけに意表を突かれた。反射的に尋ねる。

 

『奇妙?』

「ああ、奇妙だ。確か試験の説明を受けている時に、きみは何と言ったか、正確に思い出せないが、美しい女性は保護するのが男の役目だとかなんとか……」

『そうさ。ぼくはフェミニストだからね』

「では、どうして葉隠くんを狙った。透明人間とはいえ、服の輪郭から体型を見れば、簡単に女性だとわかるはずだが」

 

『ぼくが尊敬し、守りたいと思うのは美しい女性だ。葉隠、とかいう透明人間はどうも常時発動型の個性だろ? 美しくないかもしれないじゃあないか。おっと、魅力的な女性に惹かれるのは男のサガだ、見た目で判断するな、なんて説教ごとは言うなよ。誰だってブスより美人の方がいいだろ? 女だって、ブサメンよりイケメンの方がいいはずさ。ぼくのような』

「半分は同意する」

 

『ほぉーう意外だな。ぼくが素を出して本音を言うと、たいていは軽蔑するんだがな。案外、きみとは気が合うな。いや、おべっか使ってんのか』

「おいおいおいおいおいおいおい、勘違いしないでくれ。同意出来ない半分ってのはな、葉隠くんが美しくないかもしれないってところだ。間違いなく彼女は美しい女性だ」

『は? てめぇー頭がマヌケか? 透明人間の顔なんて、どーやって見るんだよ』

 

 吉良は、恥ずかしい話なのだがね、と密やかに笑う。

 

「恥ずかしい話なのだがね、彼女の手を握った時に視覚ではなく触感で理解した。おそらく風呂上がりのケアを怠らない日々の積み重ねによる潤い! 丁寧に磨かれたであろう形の整った爪! 個性により紫外線すら透過し続けたキメ細かい白い肌! これだけ揃って美しいと言わずしてなんと言うのだ!」

『バカが、例え手が綺麗だとして……』

「いいかよく聞け、きみにも理解できるように説明してやる。誰にも見られる事の無い透明人間が、身なりを整える事に意味があるだろうか? いや無いッ! たとえ黒い垢がたんまり詰まった小汚なく伸びた爪でも、乾燥地帯の地面のように肌がカサカサでも、指の毛が雑草のように伸びていても誰にも気づかれない、時に自分でさえ! それにあえて、手を入れているのだ。間違いなく顔や脚も同じようにケアしていると断言するね! わかるか? この奥ゆかしさが」

『……黙れ』

 

「いいや喋るね! きみは美しい女性に敬意を払っていると言うが、本当は自分の好みかどうかってだけだ! 姿が見えないからってロクに確かめもせず美しくないとのたまっているだけだ!!」

 指をさし、端田屋の濁った精神に突きつけように口走る!

「誰にも気づかれない! 無意味! だがあえてその手を小奇麗に心掛けるその姿勢そのものが、美しい女性ってやつなんじゃあないのかアァーッッッ!!」

 

『黙れと言っているだろぉおおお! カッコつけて得意顔晒してんじゃあァーねぇーッ! おまえは今から、コケにしたぼくにメタクソの不得意顔にされるんだからなァー!』

 

 カメ型はアームを構え直す。ガンカメラが吉良の顔を捉えた。

 そしてマズい事に、カメ型はまだ吉良の個性の射程距離内に入っていない!

 吉良の脳裏に閃光のような絶望が走る。クソッタレ! このわたしが、敗北するだと!?

 

「これ使って!!」

 

 その時! 吉良の背後から力強く短い言葉が放たれた。比喩ではない! ハッとして振り返ると50センチほどの長さの筒。吉良がシーカーを破壊して不発になった小型ミサイルが放られた。文句なく吉良は、なんて力強い精神の女だと尊敬の念を覚える。

 それを見て、反射的に端田屋は大きく距離を取る。だがよく観察すれば、信管の故障か何かで作動しなかった小型ミサイルだ。

 

 吉良は己の中でその名を呼んだ。

 

 ――キラークイーン――

 

 それは大理石のように滑らかで、頑強さとしなやかさを併せ持つであろうことを容易に想像させる肉体。頭部までもがツルリとしており、いじらしい小さな口と大きなネコの瞳と耳。恥部と手、足首のみを隠す装いで、惜しげも無くその生物学的美しさを見せつけている! いや、見えるのはただ吉良吉影のみ!

 

 キラークイーンが宙に放られたミサイルを手に取り、槍投げの要領でスッ飛ばす!

 凄まじい勢いで飛来するそれはしかし、端田屋に冷汗をかかせるだけだ。なぜならミサイルの信管は電子制御で、受験生が個性で生み出した障害物を認識した時に起爆するからだ。カメ型は学校の備品。しかも向かって来るのは不発弾! 衝撃で爆発するなど、何万分の一以下の確率。

 

 勝った! と端田屋は思った。ボケがァ! ミサイル=爆発物という認識が古いんだよ!

 勝った。と吉良は思った。ぶつかった程度で爆発するなど、物理学的にはありうるというレベルの非常に薄い希望。だが、一応はありえる、というのが吉良にとっては必要な事実だった。

 

 薄く笑って、小さく囁く。

 

「フフ……接触起爆だ」

 

 ごわん、と金属がぶつかる音が地下に響き、遅れてミサイルが爆発した。

 

 吉良の個性の能力……説明しよう! それは説明不要の爆破付与なのだ!

 たとえ信管が電子制御されていようと、キラークイーンが触れた物質である以上は問答無用に爆弾として機能する。吉良はその起爆条件を接触に調整していたのだ。

 

『バカなアァァァ! こんな事があああ!』

 

 キラークイーンが爆弾にしたのは弾頭部分のみだったが、ミサイルの爆薬に誘爆し、凄まじい爆風圧が地下駐車場を舐めるように広がった。吉良と葉隠は思わず前腕で目を覆う。小麦袋をぶちまけたように粉塵が飛び散った。

 

 耳鳴りが終わってみれば、バラバラにぶっ壊されたカメ型の部品に交ざって端田屋が気を失って倒れている。

 

「……やったか」

 吉良は立ち上がろうとし、脚に稲妻のような激痛を覚えてよろめく。だが、不可視の存在が吉良を支えた。吉良は取りあえずジャケットをやって羽織らせる。

 

「ごめんね、遅くなっちゃって」

 申し訳なさそうに、肩を貸した葉隠が言った。

「あのミサイル、重くて重くて」

 

「まさか、あれだけ言われて戻ってくるとはな」

「だって本気で言ったんじゃないでしょ? もし最初っからわたしの事を邪魔な楽天家だと考えていたのなら、まず助けるなんてことはしない」

 

 なん……だと。吉良は茫然とした。これではまるでわたしが、葉隠の身を案じて後腐れなく逃がす為に、ワザと辛辣な言葉をかけたようではないか。

 

「それに吉良くん、瓦礫を飛ばしてミサイルの誘導装置かなんかを壊してたからさ。ミサイルも念力的な個性で飛ばせるんじゃないかと思って」

 

 なんて女だ。凄まじいを通り越して恐ろしい視力、観察、洞察力。

 そこまで考えて、ハッとして咳払いで言った。

 

「だが助かったよ。適当な、思ってもいないどーでもいい事をつらつらと並べて時間を稼ぐのも限界だったのだ」

「へえそうだったんだ、じゃあグッドタイミングだね」

「一応確認するが、そのグッドタイミングってのは、わたしが撃たれそうになる直前。つまり端田屋が叫んだ後って事でいいんだよな」

「そうだけど……わたしだって頑張ったんだから、あれ以上早く駆けつけるのは無理だよー」

「いや、いいんだ。そういう催促の意味で言ったんじゃあない。忘れてくれ。逆にあれがよかったんだ、あのタイミングが」

「なにそれ、変なの」

 

 あはは、と葉隠は軽く笑い、いやーそれにしてもと額の汗を拭って言った。

 

「それにしても、終わっちゃったねー、試験」

 

 プレゼント・マイクのファンキーな声が、スピーカーから響き渡る。

 

『終―! 了―!』

 

 

 

 そのまま二人は、とぼとぼと集合地点まで歩いて行った。

 

 吉良吉影! 2ポイントで実技試験終了!

 




次回 短め なるはや


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③ がっ……駄目っ……!

 実技試験終了の知らせがスタジアムに鳴り響いた後、それぞれの受験生は手ごたえに満ち、あるいはその逆の表情で集合地点へと向かう。

 辺りは個性によって無残に破壊された仮想敵や、大穴の開いた建築物で物悲しかった。

 葉隠に肩を借りた吉良が、ぽつりと言う。

 

「わたしを助けようとしなければ、まだボーダーに間に合ったのではないか」

「ま、それもそうなんだけどさ。なーんか悔しくって」

「悔しい?」

「最初に会った時、あんな大口叩いちゃったし。他人を蹴落としてまでヒーローになろうとする人は、ヒーローじゃない。どうしたって落ちるって」

 葉隠は小さな丸っこい含み笑いで続けた。

「ね? わたしの言ったとおりになったでしょ?」

 

 その一言で、吉良は端田屋に追い詰められそうになった時以上の敗北感に炙られていた。夢想家とバカにしていた格下に、諭されるだと。

 

「……だがそれで自分がヒーローの道から蹴落とされちゃあ世話無いな」

「いーのいーの。ヒーローになりたいから、誰かを助ける訳じゃないしさ」

 

 吉良はなんとか理屈をこねくり回してして考えたが、諦めた。

 理路整然と理屈を並べれば、ヒーローを目指す葉隠は吉良を見捨てるのが最善手だ。

 クソ重いミサイルを担ぎ、コンクリの破片が散らばる荒れたアスファルトの上を裸足で往復する必要など、もしかしたら吉良ともどもリタイアするハメになるかもしれない地下駐車場に戻る必要など、どこにも無かった。

 だが考えれば考えるほど、現実としてヒーローへの道を捨てる事になった葉隠の行動は、吉良にとってのヒーローのそれに他ならなかったのだ!

 

「理屈じゃないんだよ、たぶんね。それにヒーロー科に落ちたって、普通科やサポート科も併願してるし。学生生活で結果を出せば、ヒーロー科に編入する例もあるから。ねね、吉良くんは他にどこ受けてるの?」

 

 吉良はなんとか平静を保ち続けた。

 借りを作るばかりか、人生観に関して反論に窮する。そんな、こんな事が……これは本当の事なのか!?

 

 救護テントやウォーターサーバーが並べられている集合地点が近いのか、受験生の喧騒が聞こえる。

 

「……は、えす」

「え、なに? どこの高校?」

「借りは返す、と言ったのだ」

 

 吉良は葉隠の肩を離れ、よろよろと足を庇いながら救護テントへ向かう。一歩進むごとに激痛が走った。だがこれは敗北の対価だと内心で呪う。

 

 吉良は本来、争いは好まない。弱いからではない。理由なき闘争は無意味だし、勝ち負けにこだわるなんてバカげている。

 だがその余裕は、もし闘ったとしても誰にも負けないという自負があったからこそだ。

 営業成績で負ける、学校のテストで負ける、短距離走のタイムで負ける。それはいい、一位を取るなんて目立つことはしたくない。些細な事だ。許容できる。それは戦いであって闘いではないからだ。自身の価値観、心の平穏、生命、アイデンティティを脅かすほどの闘いではないからだ!

 

 他人を蹴落とす受験生はいるし、その中には合格するやつもいるだろう。だから全員を警戒する。そうすることで裏切られる事は無く、傷つくことなく心の平穏は保たれる。もちろん葉隠も信用していなかったので、地下駐車場で共闘せずに追い出した。

 

 だが向けられた葉隠の言葉と行動に、そのスタンスを否定された気がしてならない。実際の因果関係は曖昧で不確かだが、だったらこのどうしようもない敗北感はいったいなんなんだ! ちっぽけなクソガキにしてやられたって気分だ。

 このままでは済まされない。これで闘いに勝ったと思うなッ! 葉隠透!

 

 他の受験者は幽鬼めいた表情の吉良を見ると、会話を切り上げて黙って道を空けた。

 

 

 

 ――――

 

 

 

 なんとも陰鬱な気分で、吉良は帰宅した。平屋の日本家屋、離れもあり、かなりの敷地面積だ。ゴム弾で撃たれた脚は、雄英の救護班であるリカバリーガールによって完治しているにもかかわらず、どこかふらついている。

 

 門をくぐると吉良の親父、吉廣が玄関から飛び出してきた。暑っ苦しく汗を滴らせ、息を荒くして言った。

 

「どぉ~だった吉影! どうだった、え? どうだった」

 

 ちょうど門前を通りかかった子供が小柄な吉廣を指さして、こなき爺と揶揄してはしゃぐ。吉廣は反射的に口走る。

 

「このヘアースタイルが攻殻の荒巻みてェーだとォ? いや、それはいい、あんなクソガキどもの戯言は……ハッ!?」

 

 そして息子の顔を見上げ、思わず固唾を飲んだ。

 それは吉良が深く絶望した時に見せる、血が出、肉見えるほどに親指の爪をガリガリと噛み続けるという悪癖。

 落第したと察した吉廣は、こみ上げた涙を抑える事が出来ずに泣きじゃくった。

「だ、ダメ……だったのかあ~吉影ぇ。おまえは悪くない、悪くないぞ。悪いのは見る目の無い雄英のクソタレどもだ!」

 

 いま吉良の心の平穏を著しく脅かしているのは、単純に雄英に落ちたという事実ではない。このまま葉隠に借りと敗北感を与えられたまま高校生活を送るという現実に、耐え兼ねているのだ。なにせヒーロー科に落ちてしまったのだ。借りを返すと言ったものの、その機会を得る場はどうすればいい。今から普通科に願書を出しても間に合わない。

 葉隠がプロヒーローになった時にサイドキックとして? バカな。このような精神状態でそれまで待つだと? ありえない。

 

「気にするな、気にするんじゃあない吉影。もう普通科の受験なんぞ、すっぽかしてやれ!」

「なん、今、なんて?」

 と、吉良は唇から親指を話して吉廣を見やった。つぅ、と血と唾液が糸を引く。

 

「すまん、おまえに黙って願書を出したわし達が間違えていた。あんなところはおまえが行くべき場所じゃあない」

「……ひょっとしてだがもしかして、願書を出したのはヒーロー科だけではない?」

「ああ。雄英に願書を出してしまったんじゃ~、全ての科にぃ!」

「なん……だと。そう言えば、そんな事を言っていたような。いや確かに、雄英に願書を出した、と聞いた。決してヒーロー科だけとは言っていなかった! 受験票は!?」

「そりゃ……届いているが」

 

 だとしたらッ!

 きょとんとした吉廣を無視して、吉良はズカズカと自室に向かう。こうしてはいられない、普通科の受験対策をしなければ。ヒーロー科は個性に関する法律や憲法が学科に含まれていたので、芸術や文化は比較的容易だった。だが普通科は違う、補わなければ。

 葉隠は普通科も受けると言っていた。そこで敗北を清算する。それしか平穏に至る方法は無い。

 葉隠と同じ科であれば、機はあるはず。

 

 

 

 ――――

 

 

 

 葉隠透は透明人間である。

 生まれた時からではなく、他の子と同様に幼少の頃に自然と発現したそれは、大いに彼女を満足させた。

 

 男子からは密かに羨ましがられているのを小耳にはさんだし、多くの個性が戦闘系に関連しているのに対し、こういった情報系の個性はレアだ。

 文字通り影も形も無い。物理法則をぶった切った現象。つまり完全な思考の死角。将来はその諜報能力を買われ、大手事務所のサイドキックとしての活躍を夢見ていた。

 両親としては手術等の不安があったが、そこは個性社会。純粋に自然治癒力を高める。食べると傷が癒える謎のやくそう、が髪から生える個性。きずぐすり、やポーション。自動的に傷口を塞ぐ虫。例を挙げればきりがないが、とにかく治す事に長けた個性が当然に存在する。

 

 とはいえ、通常の人よりも手間になるのは確かだ。だから葉隠は健康面には極力気を使った。紫外線不足によるビタミンDの低下が気になっていたが、個性制御が上手くいっているらしく問題はない。炎を手から出す個性の人間が、自分の手を火傷しないのと同じ具合だ。

 

 よーするに葉隠は人一倍病気を避ける生活をしている。栄養管理、規則正しい生活リズムを保っているし、睡眠はぐっすり八時間ほど。失敗してもクヨクヨせず、ストレスは極力抱え込まない。基本的にラフで、悩むより考えて即決。

 さばさばした性格で、性別を問わず友達も多かった。

 

 ただ、思春期を迎えた中学時代、友人と学校帰りにショッピングモールでたい焼きを食べ、洋服を見ていた時。

 

 あ、これカワイー、とか。んー今月はちょっとピンチなんだよねー、とか。ちょっとカッコよ過ぎ、とか。そんなきゃいきゃいしたガールズトークの合間にふと思った。

 

 確かに、カワイイ。と、たっぷりとした深いグリーンの、丈が長めにとられたジャケットを手に取る。かっちりとしたホワイトのシャツにアイボリーのスラックスと合わせたらさぞ映えてステキだろう。

 葉隠は店内の姿鏡をちらと見やる。ジャケットと制服が浮いている。

 

「どしたの、とーるちゃん」

 友人が怪訝な顔で心配そうに言った。

「それ、そんなに気になる?」

 

 ううん、なんでもない。と葉隠は首を振った。

 

 帰宅して、夕食と入浴を済ませて日課のスキンケアをする。乾燥肌は皮膚炎に発展するかもしれないし、爪の手入れも重要だ。スプーンネイルや巻き爪と、意外にトラブルは多い。

 そして、自室に鏡が無い事に今更気が付いた。洗面台の前に立ち、呆然と自問した。

 

 あのジャケットはカワイイ、今着てる寝間着はカワイイ、通学鞄に付けてるキーホルダーはカワイイ、ドラマに出ているあの子はカワイイ、プーさんはカワイイ、猫はカワイイ。

 じゃあわたしは?

 

 ぺたりと顔に手をやる。なんとなく顔の輪郭や目鼻の位置はわかった。髪は美容師をやっている母に切ってもらっている。髪型は、子どもの時と変わらない。邪魔にならない程度に、たぶん女の子っぽいやつ。

 次いで胸を確かめる。身体検査ではけっこうあった。下半身も、そんなに無駄肉はついていない。どちらかといえば筋肉質だ。雄英を受けるのだから当たり前か。とにかくスタイルは悪くない。はず。

 

 親は、可愛いと言ってくれる。でもそれは、我が子は可愛いの可愛いを多分に含んでいるのであって、容姿のカワイイじゃないかもしれない。透明じゃなかった頃の写真はあるが、あまりにも幼すぎる。

 

 その日から葉隠は、雑誌を買ってきて母親に髪型を指定したり、実は適当にやっていた眉の処理を丁寧に手触りだけで判断して試行錯誤した。どうせ失敗したってわかりはしないのだから、大胆に挑戦した。学校で禁止されていた化粧もやってみた。しかし身体の一部と個性は判定したらしく、無駄だった。無駄でなければそれはそれで怖い事になるので構わなかったが。

 

 自室に小さな鏡を置き、出かける時は必ず軽いメイクをした。今ではバッチリ左右対称にキマった眉。控え目のリップでふるりとした唇がそこにある。そのはずだ。

 

 葉隠透をカワイイと言う人間は、この世には誰も居ない。それは多感な女の子にとって果てしなく絶望で、絶望はストレスだ。ストレスは病の原因。だから葉隠は少なくとも自分だけは、自分をカワイイと言ってあげようと思った。それで満足だった。

 

 

 

「ただいまー」

 

 葉隠の母親は、その娘の上機嫌な声を聞いて玄関口まで出迎える。もうずっと居間でやきもきしながら、どうでもいいテレビ番組を眺めていたのだ。

 

「おかえり、透。その様子だと手ごたえアリって感じ?」

「ううん、たぶんボーダー以下。ごめんね」

「そっか。でもよくやったね。謝る事なんて無い。偉いよ透は」

 

 そのまま葉隠は、足取り軽く自室へ戻って普段着に着替えた。ヒーロー科には落ちてしまっただろうが、まだ普通科がある。

 それよりなにより、とベッドに転がり込んでにんまりする。憧れのヒーロー科に落ちてしまった事よりも、嬉しい事があった。

 

 美しい女性、か。

 

 まさか自分以外に自分の容姿を褒めてくれる人がいるとは、思ってもみなかったので。

 

 

 

 そう! 葉隠は吉良に嘘を吐いていた!

 実はバッチシ端田屋とのやり取りを聞いていたのだ! もう少しで地下駐車場の入口、という所で吉良の若干怪しい事を大声で口走っているのが聞こえ、意図せず身体が固まり、そのまま会話が耳に入ってきてしまっていたのだ!

 

 んー、と背伸びをし、葉隠は勉強机に向かった。なんだか心強い気がする。心の奥底に封じていた絶望を、消し去る事が出来たのだから。

 

 

 

 ――――

 

 

 

「なかなか、面白い学生だな」

 

 試験監督官の集まる一室で、モニタを眺めていた雄英教師が言った。

 視線の先は、地下駐車場でカメ型と吉良が戦っているシーンが映し出されている。そう、超一流校である雄英は、当然に仮想敵へのクラッキング対策を行っていたのだ。

 試験開始前に、あえて上空のドローンで監視している事を印象付ければ、それ以外のカメラへの意識力は低下する。ドローンの目がない所は、雄英の目も届かないと錯覚してしまう。実際は隅から隅まで隠しカメラが仕込まれているのだ。

 

 故に地下駐車場からではあるが、カメ型が戦闘能力の低い受験生を狙っていたのにも気づく。が、止めなかった。それは現場で最も必要とされている協調性による観点から、吉良と葉隠にレスキューポイントの名目で加点されるからである。もちろん監督官の判断でストップするが、特に接点の無い急ごしらえのチームワーク、その実務的な視点を重視して十分に加点される。

 そのポイントは、二人が試験開始から終了まで仮想敵を倒し続けていれば得たであろうポイントよりも多い。

 

「だがこの二人のどちらかの個性が、提出された書類とは異なるように見受けられる」

 一人の監督官がコンソールを操作して場面を変えた。カメ型にミサイルが衝突した瞬間がコマ送りされる。

「なぜか弾頭と、ミサイルそのものので二つの爆発が確認できる」

 

 ミサイルを爆弾にする事で、自身の能力の偽装は端田屋と葉隠に対して行ったもので、高性能の隠しカメラに対してではない。

 室内に小さなざわめきが起こった。

 

 個性とは生まれながらに不変のものではない。本質を理解すれば応用が効くし、関連する別の現象を引き起こせるようにもなる。たとえば水を放出する個性だとしても、その水を極小の粒として放出すれば、霧になる。

 進化、と評していい例も過去に多々あった。

 だが今回はそれに当てはまらない。葉隠は透明化、吉良の個性はテレキネシス。爆発に発展したという言い分は聞き入れ難い。

 

「つまり葉隠透が吉良吉影にミサイルを渡す際に、あるいは吉良吉影がミサイルを飛ばす際のどちらかの段階で、秘密の個性が使用された?」

 

 個性に関する法整備は、依然として遅れている。個性を役所に届ける事は義務ではあるが、個性を他人に教える、あるいはそれを強要するというのはプライバシーの権利に反するのではないか? という学説がある。

 

 事の発端は、サメになれるという個性を持った小学生だ。まだ幼かった彼は、人間とサメの身体の差異が大きすぎる故に、使いこなせなかった。もし慣れないまま陸で個性を使えば、最悪の場合は個性の解除を行えないまま干上がって死ぬ可能性もある。なので両親は成長するまで固く個性の使用を禁じたし、誰にも秘密にするように教えた。

 

 もしもクラスメイトからやってみてくれと強くせがまれたり、あるいは断り切れない状況を想定しての事だった。

 

 だが学校で、将来なにをしたいかを発表する場があったのだ。彼はそこで目撃した。

 次々と輝かしく自分の個性を夢に抱き、誰かの助けになったり、役に立ちたいと口にするクラスメイトを。なんて希望に溢れているのだろうか。

 そこで彼は両親からの言いつけを破り、実はサメになれる個性である事を明かした。

 

『ぼくは、海水浴場で他のサメさんにヒトをおそっちゃダメだよーって言って、みんなが安心に泳げるようにしたいです!』

 

 なんとも微笑ましいが、両親の恐れていた事態に発展した。ちょうどプールの授業が後に控えており、とうぜんクラスメイトは彼の個性を見せて見せてとせがんだ。

 当然彼は断る。だが断ると、今度は嘘つき呼ばわりされ出した。本当は無個性なんだろ? と。

 こうなってしまっては、彼は個性を使うしかなかった。プールの縁でじっと水面を見やり、意を決して飛び込んで個性を使った。

 

 だがまだ使いこなせていない個性。しかもいきなり他の種族になる事は難度が高い。呼吸器官が違う種は特に。慣れないエラ呼吸にパニックを起こし、サメはプールに溺れたのだ。すぐに教師が救出したので命に別状は無かったものの、この事件で両親が学校を相手取った裁判を経て、法学者は個性を秘密にする権利を唱えた。

 

 その時の裁判は教師の監督責任を焦点に当てたものだったので、判旨では個性を秘密にする権利には触れられておらず、未だに裁判所による判断は無い。

 ちなみにその少年は、いまではハリケーン・シャークのヒーローネームで一線を張っている。ある映画に着想を得た戦い方で、ハリケーンと共に多数の空を泳ぐサメを従えてヴィランをアレする様は圧巻だ。コアなファンもいるし、映画の題名は伏せられたままのオファーも来ている。

 故に雄英学校としては、爆発の個性の秘密を無理に明かす事ははばかられた。

 

「爆発の個性については学生生活の中で追い追い、という事で。ではこの二人にレスキューポイントを付与し、葉隠透は合格に達しますが、吉良吉影の方は……」

 

 教師はなんとも惜しいといったような顔をする。

 吉良はスタートダッシュを観察という行為に費やしていたため、合格ラインにギリギリで到達しなかった。今年のボーダーは例年よりかなり高く、それは後の1-A組の優秀さが物語っている。

 

「けっこう観察力があって、機転が利く学生っぽかったんだがな」

「しょうがないでしょう。前年なら合格ラインだったのですが……残念ですね。教師としては、今年の豊作を喜ぶべきでしょうが」

「やや攻めっ気に欠けるけどね、視野は広いんだけど」

「初動が少し臆病すぎる気もしますけどね。まあ、残念ですが」

 

 

 

 ――――

 

 

 

 後日、葉隠透! ヒーロー科に合格! 両親は手を取り合って喜んだ!

 そのまた後日、吉良吉影! 普通科に合格! 吉廣はやはり一流高校である雄英こそ、わが息子に相応しいと褒めたたえた!

 

 時は流れて四月! 雄英高校、普通科に入学した吉良は何の変哲もない学生生活を送っていた。

 

「なんであいつだけスーツなんだ」

「いや、なんか個性の関係で学生服は着れないって噂が……」

「ヒーロー科の実技試験でもあんな格好だったらしいから、マジかも」

「てか学生に見えねえ、大人び過ぎだろ」

 

 ひそひそと遠巻きに推察するクラスメイトを無視すれば、普通科に入学した吉良は何の変哲もない学生生活を送っていた。

 少なくとも外面を見ればそうだ。内面はというと……

 

 吉良が授業の合間に教室の窓の外を見やるとヒーロー科の面々が個性把握テストを行っている。もちろん、体操服が浮いているようにしか見えない彼女もその一員だ。

 

 バカな。こんな事が。てっきり葉隠も普通科だとばかり……いったいいつ、借りを返せる……

 

 吉良のぐっすりとした熟睡は遠い。

 



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④ 言ってみたいセリフ 前編

後編で四部ラストのネタバレがあるので、読んでない人はいないと思うけど読んどいてください。
ネトフリにアニメ版があるからそっちでも可。


 心操人使は言ってみたいセリフがあった。

 言えばどうなるかは想像に容易いので、言わなかった。言う事も無いと考えている。

 

 

 

 ――――――――

 

 

 

 穏やかな日差し、澄んだ青空、ほんのちょっぴりの白い雲、深い新緑が芽吹く季節。雄英高校普通科第一学年もまた、そうだった。

 厳寒のような受験戦争に勝ち残り、かじかみ、こわばった心身は、高校生活という新たな社会にようやく溶かされた。つまりは、ふだん連むグループのようなものが形成され、新たな友人関係が生まれ出す時期。

 

 雄英と言えば超が付くほどの一流校。プロ後からがスタートラインであるヒーロー科はともかく、普通科と経営科は、そこから続くであろう進学にしろ就職にしろ、一定の成功が保証された未来が垣間見えた事を実感しだす。

 

 将来は大手プロヒーローの事務職か、アイテム開発企業か、はたまた大企業の給与人か、といったところ。もちろん、全員が全員という訳ではなく、例外はいる。

 普通科からヒーロー科への編入を目指すという、孤独に難き道を歩む者。

 心操人使がそうだった。

 

「いやさマジマジ。無料で出た」

「はぁーふざけんなよマジか。個性使っていい? 俺の『落下』でお前のスマホ叩き割るわ」

 

 昼休みの廊下で数人の普通科学生が学食からの帰り道で駄弁っている。おそらくソシャゲの会話と思われた。

 

「ごめんウソウソ。今回はマジで欲しかったからチャリンした」

「はぁーふざけんなよマジで。ウソかよ」

 

 一人が個性を使って指から発生させた水滴を、ぺいっ、とデコピンの要領で飛ばす。

 

「おまっマジでやめーや」

「いやワザとじゃねーってマジで」

「マジな訳ねーだろ」

 と、笑って軽口を続けた。

「んだよおまえー、個性使うぞマジで」

「お? マジ? こいよ。お前の個性くらいなんて事ねーから」

 

 軽快な笑い声が心操の耳に痛かった。

 やがて教室が近づく。しかしちらとドアの窓から中を覗くと、そろそろ授業だと言うのに人がまばらだ。集団が教室に入ってすぐに、一人の男子学生が声を掛けた。

 

「マジおせーよ、なんか次の授業は移動教室なったぞ。校庭に集合らしい」

 

 マジかよ、と集団の一人が黒板を見やるとその旨が書いてある。

 

「マジ?」

「マジマジ。なんかヒーロー科の連中が個性把握テストでいい感じに校庭を荒らしたから、そこから保険金がどれくらい下りるかとかの推定を経営課と合同でやるんだと」

「マジかー、民法系って受験の時だけでだいぶキツかったからなー。ヤダなー」

「てかお前さ、それを言いにわざわざ俺達を待っててくれたん? マジでいい奴だな」

「べ別にお前らの為じゃねーよ、マジでバカじゃね。ちょっとのんびりしてただけだし」

 

「悪いんだけど、通してくれるか?」

 

 出入り口で喋る集団に心操がそう言うとサッと道が出来た。うち一人が、あっマジでゴメン、と反射的に口走り、しまったと言わんばかりに口を堅く閉じた。

 心操はその反応に慣れたもので、机からノートと筆記用具を手に教室を出る。背後からはややあって会話が再開された。

 

「……心操ってヒーロー科への編入を目指してるってマジ?」

「知らんけどガセっしょ。編入出来た人ってマジで存在しねーんじゃね」

「てか次からはお前も学食来いよマジで、弁当持って来るヤツ結構多いぞ」

「マジ? いやでも学食注文せずに弁当食べるってちょっと肩身が狭いってかさー」

 

(マジメか)

 

 心操は突っ込みたかったが仕方がない。同級生といまいち馴染めない原因は、彼の個性にある。

 その名も『洗脳』。彼の問いかけに答えると、その名の通り洗脳されてしまうのだ。心操がおおっぴらにこの個性を雄英高校で語った事は無いが、中学時代の同級生から自然と高校まで噂が届いたのだろう。だから誰もがひとまず、彼と一定の距離を置いた。

 

 洗脳という圧倒的な力を持つ者が近く居るのは、自然と周囲に緊張感を走らせる。中学時代にそれなりに仲良くなった同級生はいた。いたが、気の置けない奴とは胸を張って言えなかった。

 俺の個性でお前のスマホを叩き割るなどという冗談はもってのほか。どこか自分の機嫌を損ねないように慎重さを含ませた口調でしか会話は成り立たない。

 

 

 

 心操が勇気を出して少しふざけた事を言ってみても、周りからすればそれは本気で言っているのか笑っていいのか判断に困るといった表情を向けられるだけ。

 

 だから心操もまた周囲の人間に対しては距離を置く。妙に気を使われるのも、それに気を使うのもうんざりだからだ。

 

 下駄箱で靴を履き替えてグラウンドに出ると、ものの見事に大穴が空いていた。その周囲に数クラス分の学生が集まっている。まだギリギリ昼休みなので整列はしておらず、グループごとに分かれておしゃべりをしている。無論、一人でいるヤツもいる。それが望んでか友達とかイラネという精神なのか、はたまた心操のように個性という潜在的なコミュニケーションの弊害があるのか。

 少なくとも心操は、軽口を言う事も言われる事もない人生を送るのだと考えていた。

 教室の中で見つかった不発弾のような扱い、その覚悟もできていた。

 そいつに会うまでは。

 

 心操が水面下で距離を測られているとすれば、そいつは水面に浮かぶ幽霊船のようにあからさまな不気味さで距離を取られていた。

 

 まずいでたちがおかしい。この場の全員が雄英高校指定の灰色のブレザーを着用しているにもかかわらず、そいつだけは円熟したブドウのような紺の2つボタンツーピーススーツに、グラスに注いだ赤ワイン色のシャツ、肥沃な土色のニットタイを締めている。

 そいつが心操に気が付き、シボの入った黒のフルブローグで校庭の砂ぼこりを気にせず歩み寄る。もちろん他のクラスメイトは道を空ける。

 

 言うに及ばず雄英校の校則では指定の服装の着用が原則だが、例外もある。

 

 説明せねばなるまい……かつて雄英に、一見して学校指定の制服だがなぜか生地がデニムの男がいた事を!

 

 そう、今はベストジーニストとして一線で活躍しているプロヒーローの個性は、身に着けている衣服の化学繊維の比率が低く、またデニム生地の方がポテンシャルは高くなるのだ。

 

「なぜあいつの制服だけ色落ちしているんだ?」

「どーしてチェーンステッチのアタリが出てるんだ?」

 

 例えどれだけ同級生から風変わりな風貌を影で言われても、どれだけ教師が口を酸っぱくしても、圧倒的実力をもってしてそのデニムスタイルを貫き通したことはあまりにも有名! Wikiにもそう書いてあるし、おまけでウェハースが付いてくるヒーローマンチョコのシールの裏にもその記述がある。

 また、ヒーロー名鑑のインタビューでは以下のように語っている。

「型紙は指定の制服に合わせたのですが、ゆったりテーパードもいいなって思いました。というか、ふっと501の呪いが解けた感じがしましたね。そこから一皮むけた気がします。ポリウレタン入りのストレッチデニムも受け入れられるようになって、個性の幅が広がったのは確かです。自由……ですかね。セルヴィッジじゃなくてもロールアップするような、アタリとか気にせずオモテですぐ洗っちゃう、そんな開放感……みたいな(笑)」

 

 そもそも常在型で一般的な人間の体型から離れているが故に制服を着る事の出来ない学生はいる。その理由も手伝って、雄英では申請すれば例外として衣類は自由なのだ! このことはどうか覚えておいていただきたい。

 

「ずいぶんとギリギリじゃあないか心操くん」

 

 そしてどこか馴れ馴れしく挑発的に話しかけてくるそいつに、心操は短くその名を口にした。

 

「……吉良」

 

 心操にとって吉良はまったく異質な存在だった。

 入学式当日、心操はこれまでの学生生活と同じく不発弾のように扱われる人間関係が続くと思うと憂鬱だった。『洗脳』の個性がバレるのも時間の問題だから。

 しかし教室に来てみれば、生まれて初めて自分よりも扱いに困りそうなやつが物憂げに席についていた。しかも隣の席。誰もが遠巻きにそいつについて小声で議論を交わし、あるいは意図的に視界に入れないようにしている。

 

 大人びたというか、がっつり大人な風貌、なぜかスーツに上履き用の革靴。気品を帯びた顔立ちというのも奇妙さを加速させた。

 吉良とはまったく接点は無かったが、『洗脳』の個性がまことしやかに噂され出すと急に話しかけてくるようになったのも、心操を困惑させる理由の一つだ。

 

「いくらでも悪用できるジャン」とか「すげーヴィラン向きジャン」とか、おだてているつもりでそのおこぼれに与ろうとする者を除いて、証拠が残りにくい個性使い相手にこうも距離を詰めてくる他人は初めてなのだから。

 個性を知られれば、誰も喋りたがらない。それが心操にとって普通の反応だ。そのはずだ。こんな個性じゃなきゃよかったと何度願ったか。そのはずだった。

 

 心操は無意識に数瞬の思考を経て答える。自分のセリフが相手に警戒心を与えないようにする身に沁みついた処世術。

 

「あ、いや、ちょっと食堂からのんびり帰っててさ。てかさ、吉良ってどこでメシ食ってんの」

「校舎からほんの少し離れた所に静かな場所があってね。パン屋で買ってきたサンドイッチをそこで食べている」

 

「学食は行かないのか。あそこなら好きなサンドイッチを作ってもらえるだろ」

「わかっていないなー心操くん。確かに雄英の学食ならなんでも好きな具材を注文できるだろう。幸せを感じるかもしれない。だが融通が利きすぎる。お気に入りの店で、棚に並んであるパンの中から選ぶという制約が大事なのだ。無軌道な自由よりもな。幸福とは適度な選択から生まれるのだ」

 

 朗々と幸福について語る吉良に、へーそーと生返事で返しながら、心操は首裏を撫でてポツリと零す様に言った。

 

「あー、一人で?」

「そもそも学食のような騒々しい場所で食事したくないのでね」

 

 なぜ吉良はこうも普通に会話を続けるのだろうか。心操は、もしかしたらと鼓動が静かに速まるのを知覚した。

「じゃー、その……パン屋ってさ」

 

「はーいじゃあこっち集合―!」

 

 心操の言葉を掻き消す様に、普通科教師の声が校庭に響いた。

 

 

 

「ヒーロー活動中の個性により地面が損壊した場合ー、それが常在型か発動型かによって責任の多寡が違ってくる訳ですがー、原則として私有地の場合はー」

 

 教師の授業を受けながら、吉良は心中でままならなさに苛立っていた。なかなか心操が『洗脳』を使ってこない。

 

 吉良吉影は別段、心操と仲良しこよしがしたい訳ではない。それどころか、噂によれば『洗脳』などという危険すぎる個性を持っていると聞く。故に最重要危険人物だと判断していた。にもかかわらず積極的に絡むのは、その強力過ぎる個性を使われた場合、どの程度の強度なのか、洗脳中はキラークイーンを動かせるのかという事を確認する為だ。

 完全に敵対した状況下では手遅れだ。なので苛立たたしい同学年という枠である内に個性を使われるべきという、極めて利己的かつ打算的に心操に話しかけているにすぎない。

 危険なものほど理解すべきであって、安全なうちに知ろうとしないのは平穏から遠ざかる行為なのだから。

 

 その為にわざわざ、もしも自分だったら個性の一発や二発はこっそりとお見舞いするであろう馴れ馴れしいキャラを演じているというのに。

 自分がストレスに感じる振る舞いをしているせいか、さいきん胃がしくしくと痛むようにまでなってきた。いや、それは心操に関してだけではない。

 

 吉良は内心で毒づく。

 あの小癪な葉隠に借りを返すにはどうすればいいのだ。

 学科が違うとはまるきり想定外だったので何のプランも無い。

 いっそのこと彼女が何かしらの危機的状況に直面してくれれば解決は早そうだが、と不謹慎な見通しを立ててみる。立ててみるがしかし、ここは天下の雄英高校。元プロの教師や最先端の警備システムによって厳重に守られている。滅多な事は起こるまい。

 

 今日はたしかUSJとかいう施設で災害時の訓練をやると聞いたが、人工的な災害も管理されているのだろう。不測の事態など起こるはずがない。

 

 

 ―― 一方その頃USJ ――

「動くなあれは」

 引率のイレイザーヘッドこと相澤が語気を荒くして断定した。

「ヴィランだ!!!!」

 ―――

 

 

 そういえば先日、雄英の門が破壊されたとかで何やら不穏だったな。だが流石にヴィランといえど雄英に乗りこんで来るなんて事は、しかも生徒を襲うなんて。

 

 

 ――― 

 その頃。黒霧と呼ばれた男の個性が発動し、暗黒のモヤが1-A生徒を飲み込み、戦力と情報を分断させていた。

 ―――

 

 

 やはり考え過ぎだ。妄想の類。それほど都合よく葉隠のピンチが訪れる訳がない。

 

 

 ―――

 その頃。葉隠は文句なくピンチだった。

 土砂災害エリアで待ち受けていたヴィラン達が一瞬で氷像と化したとて、まだ無傷の輩がどこに潜んでいるかわからない状況。

 それも明確な殺意を持った人間が、という鋭利な現実の中で。

 だから、こんな時――と無意識に他者へすがらざるを得なかった。それはほんの少し前に経験した、端田屋という明確な害意を持った人間に追い詰められそうになった時の反芻にも似ている。

 こんな時――

 ―――

 

 

 あの時以上のピンチなど、そうそうあるものではない。それに万一に何かあっても担任のイレイザーヘッドが対処する。

 

 

 ―――

 その頃。脳を露出させた夜色の巨漢にイレイザーヘッドは組み伏され、腕をストローのようにへしゃげられていた。

 ―――

 

 

 まさかな。

 吉良は授業が終わると、普通科校舎からちょっと歩いたところのベンチの木陰でのんびりと昼食のサンドイッチを頬張り、ゆったりと流れる雲を眺めながらそんな事を考えていた。

 

 

 

 

「バカなッ!」

 

 後日、授業の間の休憩時間に、心操から1-Aがヴィランの襲撃に会ったと聞いた吉良はそう叫んだ。周囲の人間が一瞬だけ視線をやるが、アンタッチャブル感漂う二人だったので気にしない事にした。

 

「まー確かに雄英に直接乗り込んで来るなんて……そんなショックを受ける性格には思えなかったが」

 

 もちろん吉良が動揺しているのはヴィランが教育機関に乗り込んで来た事そのものではなく、葉隠に借りを返す千載一遇のチャンスをみすみす逃してしまったことだ。

 どうすればその損失を未然に防げただろうか? 吉良は即座に反省点を洗い出す。仮にヴィラン襲撃を即座に確認したとしても、普通科校舎からUSJまで駆けつけるにしても時間が掛かる。雄英の敷地が広大過ぎるのだ。

 一定距離が開く場合にこっそりと葉隠に付いて行けばよかったのか? いやそれはただの変質者だ。私が葉隠のピンチになってどうする。

 

 あれこれ試算してみるが、そう、結局のところは全て、学科が別という問題点に収束する。

 

「吉良……おい吉良」

 

 強く肩を揺すられ、ようやく自分が深い思考に使っていた事に気が付く。同時に、口に鉄の味がした。親指に鈍痛。どうやら無意識に悪癖を生じさせていたようだ。

 

「お前大丈夫かよ」

 

 言葉で若干引き気味に吉良を案ずるが、内心では見直していた。学生が襲われたと知り、まさかここまで憤慨する奴だとは思わなかったからだ。

 普段はまったく感情的にならないくせに、こういう悪事に対しては正義感が表に出てしまうのだろうか。自分と同じく、ヒーロー科を受けていたという噂は本当のようだ。

 本当に、吉良はヒーローを目指していたのだろう。たぶん。自分と同じく。きっと。まだ諦めていないはず、ヒーローへの道を。

 だが普通科からヒーロー科への編入など、制度はあれど前例は数少ない。目指すなんて無謀過ぎる。自分以外にそんなやつがいるのだろうか?

 

 実際は正義感などではなく、やはり吉良の利己的な理由だが、状況からして心操がそう判断してしまっても仕方がない。かもしれない。

 

「心操くんッ! ちょいと耳にしたんだがなッ」

 吉良は唐突に心操の両肩を掴み、鬼気迫る形相で言った。

「雄英体育祭の成績如何によってはヒーロー科への編入を検討するそうじゃあないか! きみが他クラスで揉めそうになった時にそう言ったそうだが、本当かねッ!」

 

 え、ああ1-Aに宣戦布告しに言った時のアレねと、掘り返されると少し恥ずかしくて頬をかいて答える。

 

「ま、まあ。検討してもらえるってだけで前例は少ないし、過去に編入した先輩方はやっぱプロになっても結果出してるくらい実力があるし……」

「実績があるならそれで十分だ」

 

 それだけ言うと吉良は手を放し、背を向けて歩き出した。

 

「おいどこいくんだ、授業始まるぞ」

「保健室で例年の体育祭の傾向をチェックする。ネットの動画にいろいろアップロードされているだろうからな。綿密な()()を立てなければ。担任には具合が悪くなったと言っておいてくれ」

 

「……本気か? 編入出来た奴なんて片手で数える程度だぞ。プロがスカウトに来るって公言されてるからヒーロー科の連中も必死だ」

 

「無謀だってのはわかる。わかるが、だからってどーしてわたしが諦めなくっちゃあならないんだ」

 吉良はおもむろに振り返って言った。

「どんな困難だろーと、この吉良吉影に乗り越えられない壁は無い。今までの一度だってな、これからもそうだ」

 

 いつまでも普通科でくすぶっている訳にはいかない、ぶつぶつぶつ。と、再び保健室へと歩みだす。

 

 それを聞いて心操は、こいつなら――と拳を握りしめた。

 言ってみたいセリフがある。

 

 一方、仮病を使って保健室のベッドで携帯端末をスワスワしていた吉良は、当初は体育祭などヤル気にはなれなかった。だが状況が状況だ。ネットニュースを見るに、ヴィラン連合と名乗った連中はきっとまた雄英のヒーロー科を狙ってくるだろう。編入は一刻を争うという訳だ。

 順位などで目立つ結果を出すのは平穏な人生を求めるスタンスとは反するが、やむを得ない。

 

 やるしかない、この機を逃せば来年という最悪の状況だが乗り越えられるはず。

 最悪の時にこそ、チャンスは訪れるのだから。

 




次回 明日か今日か明後日


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⑤ 言ってみたいセリフ 後編

 なんやかんやで体育祭当日。おあつらえ向きの晴天の中、会場のスタジアムは満員の観客、メディア、スカウト目的の関係者各位で満員御礼だった。期待と緊張感に満ち、ほのかに出店の飲食物のいい匂いが漂う。いかにもお祭りといった雰囲気。

 

 1-Aの挑発的な選手宣誓が終わり、司会のミッドナイトの進行で一年生の予選種目、障害物競走が始まろうとしていた。全三種目の内の一つ目とあって、どこか浮足立っているような雰囲気があった。

 

『いい? 個性あり、()()()()()()の自由形だけど、責任ってもんをよく考えてね! それじゃあこっからは実況のプレゼント・マイクでお送りしまーす』

 

 スタートゲートに前に200人を超える生徒が、開始前のマラソン選手のようにぞろぞろと向かって行く。

 

「あっ、吉良くん久しぶり」

 

 その途中で、聞き覚えのある声が投げかけられた。ちらと視線をやると、雄英指定の紺色の運動着が浮いている。スカウトも視野に入っているヒーロー科にしては、気楽な口調だ。

 

「葉隠か、相変わらずのようだな」

「吉良くんも、なんというか、その、相変わらずって感じだね」

 

 言って葉隠はあらためて周りから浮いている吉良の服装を、頭からつま先まで見やる。深い海色のリネンのサイドベンツの入ったジャケットに同色のスラックス、白のオックスフォードは似合わなかったが、運動着のカラーだから取り入れたのだろう。それとスエードのチャッカブーツ。ノータイである事からして一応は合わせているつもりなのだ。

 

「そんな目立ちたいって性格だっけ?」

「いや。一つ考えてみてほしいのだが、わたしがその運動着や学生服を着たところでどこか違和感が残るとは思わないか?」

「うーん、まあ正直、言っちゃ悪いけど大人が高校生の格好してるみたい、かな」

「うむ。そして違和感があるって事は目立つって事だ。ならいっそ奇異の目で見られてもジャケットスタイルにして違和感を無くした方がいいだろう。どのみち多少は注目されてしまうのなら、違和感は無い方がいいに決まっているからな」

 

 有無を言わさない圧倒的正論に、なるほどぉと葉隠は文句なく納得した。納得したのだ。

 

「そんな事より、きみはこんな後方に位置してていいのか?」

 

 スタートゲートが異様に狭いせいで、今から移動しても先頭に陣取る事はほぼ不可能そうだ。

 

 暗黙の了解というか、やはり実力派のヒーロー科の面々は前方にいる。では吉良はというと、編入を目指すと意気込んでいた割りには後方に位置取っている。もちろんこれは()()的なものだ。

 過去に編入を果たした生徒の成績を見るに、予選においてトップである事が必要条件ではなさそうだった。むしろ、力を出すべき場面を的確に計算するクレバーさも考慮されるのだろう。プロヒーローがチンピラ相手に全力を出して、いざ凶悪ヴィランに相対した時に体力切れでは話にならないからだ。

 

 となると最終種目で結果を出すにはやはり、予選から一桁台を目指して疲弊する訳にはいかない。それに、障害物競走である以上は、後続の方がギミックを知った上で走れるという情報アドバンテージがある。実況の音声や、スタジアムの至る所に設置されている大型スクリーンに映る映像から的確な対処を想定できるのだ。

 

 道とは! 幾人もの人が通った後に出来るもの。先んじて野を行く者と、その後に出来た道を行く者。長期的に見てどちらが有利かは自明の理。

 

「わたしはいいかなー、アレを躱せる気がしないし。ま、お互いライバルって事で、手加減なしでがんばろーね」

 

 そう言って葉隠は吉良から距離を取った。

 

 アレ、とは? という怪訝な表情を見せた吉良だが、開始の合図と同時に理解した。プレゼント・マイクの実況を聞くに、先頭陣の多くが『氷』によって足止めを食らったようだ。

 やはり後方を選んだのは正解だ。急速に冷えた足で走るのはかなりの負担だろう。

 すぐに誰かの何らかの個性で氷は溶かされ、あるいは砕かれて、『氷』を予見して回避した生徒以外はゆったりとした立ち上がりで予選は始まった。

 吉良の順位は中間より少し上程度。

 身体が良い具合に暖まる距離を走ると第一の関門、今年の入試で活躍した仮想敵が立ち塞がる。ただ、吉良が通るころには先兵の巨大0ポイントロボの殆どが、先頭組の爆豪を初めとする強個性の使い手やヒーロー科によって対処されており、残っているのは2ポイントのサソリ型が主だった。

 

 ここで中間層の振るい落としが行われる。ヒーロー科に落ちて他の科で受かった程度の実力を持つ学生や、アイテム持ち込みのサポート科の差が出るという訳だ。

 そして2ポイントの仮想敵が概ね排除されて1ポイントがまばらに残る頃、最後尾を走っているであろう、第一希望が経営・普通科の学生が通る。大味に見えてそれなりに設計されたレベルデザインなのだ。

 

 吉良にとってサソリ型程度はまったく問題にならない。入試と違って倒す必要も無いので、突き出された尾やハサミをキラークイーンで殴った瞬間に装甲の一部分だけを爆破し、そのまま殴り抜いて無力化していくだけ。

 戦闘の合間にちらとスクリーンを見ると、先頭は第二の関門を越えていた。

 

 ザ・フォールと名付けられた障害は綱渡りのようだ。だがスケールがさすがの雄英。幅数十メートルの深い崖に大小高低様々な石柱が無作為に配置されおり、子どもの腕程のワイヤーがアンカーボルトで固定されている。

 第一の関門から間髪入れずに設置されているのは、戦闘により噴き出た闘争心やアドレナリンのコントロールを試す為の障害だ。

 一見すると無秩序に配置された石柱とワイヤーの中には、比較的通りやすいルートが用意されている。冷静に全体を見渡せばなんとなく気付けるが、戦闘後の血の登った頭を意識的にリセットできるか、といったプロとしての実践的なテストも兼ねている。

 

 ある者は持ち前のバランス感覚で最短ルートを飛んで、個性でロープと自分を固定しながら次々と突破していく。

 ここで吉良は偶然にも遠回りだが踏破しやすいルートを取る。目に見えて通りやすそうな、あるいは最短ルートを選んでは後続に後ろから邪魔されかねる懸念と、今の順位は予定以上なので逸れたルートを選択しても問題はなさそうだったからだ。

 

 この場に端田屋のような奴はいないが、吉良は基本的に根拠無く他人を信用する事はしない。だからあえて遠回りのルートを渡る。いささか見てくれは悪いが、キラークイーンにおぶさる形で難なくクリア。

 

『なんとォ! 普通科の吉良吉影が上位陣に食らいつく展開! ここでダークホース登場かぁ!?』

 

 そしてなぜか後続もまた吉良のルートに続き、好タイムを出す。

 

『しかも続々と第二の関門を突破していくううぅ! どーなってんだ今年の一年は!』

 

 ここで思い出していただきたい。

 これは誰もが知っているベストジーニストの逸話の影響だ。自分のスタイルを貫く吉良にベストジーニストを重ね、ひょっとしたらこいつの実力は将来プロになるほどかもしれない。なら、こいつのルートを辿るのが最善手、と考えたのだ。

 その結果、吉良以降の第二関門の脱落者は驚くほど減った。

 

 クソ、後続の事はどうでもいい。先頭集団についての情報は……と吉良は設置されていたスクリーンを見上げる。そこには吉良の計画を揺るがすほどの映像が流れていた!

 

「な、にぃ」

 

 

 

――――――

 

 

 

 吉良が瞠目する少し前。心操もまた第二の関門に差し掛かっていた。そろそろペースアップして上位20パーセントくらい入るか、といった心境。

 ヴィラン向きの個性を、持ち前の正義感とヒーローになるという強い志でもってして悪用しなかったほどの彼だ。その辺の学生よりも心身に自信がある。

 底が見えないほど深い崖の恐怖を意識の外に追いやり、進むべきルートを弾き出す。意図せずして吉良と同じルート。もう少しで対岸、という所で踏み外す、いやありえない。だがこの抗いきれない重力と落下の感覚の正体。

 

『ああーっと、ここでアンカーが足場から崩れ落ちるまさかのアクシデント!』

 

 不幸中の幸いか、石柱側のアンカーが外れただけだ。反射的にワイヤーを掴んだ心操はさすがに肝を冷やして崖の底を見下ろす。よくよく見れば薄らとネットらしきものが確認できた。最悪の事態にはならなそうだ。

 

 見上げると数メートルで這い上がれる距離。何とかなりそうだったが、追い打ちをかけるかのように対岸側のアンカーが撃ち込まれている地面にも、音を立てて大きくヒビが入った。

 

「やべーな、さすがに」

 

 思わずそう零してしまう。

 

『っだああー! こんなバッドラックと玉突き事故が起きてしまっていいのかー! 絶体絶命のピィーンチ!』

 

 不運だけじゃねえんだよな。とプレゼント・マイクの隣でおとなしい解説を務めている相澤が内心で呟いた。ま、もう少しで対岸ってところで注意力を怠った心操の実力不足が8割くらいだが。と付け加える。

 

 たとえば目の前にギリギリ飛び越せそうな穴があったとする。多くの人間は距離を稼ぐためになるべく手前で踏み込んでジャンプするだろうし、着地もギリギリなのだから穴に近い場所になる。

 つまり負荷のかかる箇所はその始点と終点の二点に集中する。それが個性によるものならより大きな力が加わることになる。吉良の後に続いた多くの生徒により蓄積された負荷でアンカー付近の地面は脆くなっていたし、そうと気付けるほどの個性の爪痕は残っていた。相澤の指摘する注意力不足はそこだ。

 

 また、実はアンカーも雄英側が作為的に脆弱に打ち込んでいた。先行する者を追い続けるという思考は、時としてプロヒーローが他事務所と連携してヴィランを追う際に悪手だ。先頭が撒かれると全員が目標を見失う可能性を考慮して、後続は追いにくい道でもあえて選ぶ事が重要視されるという実践的理由がある。

 

 ここだけ聞くと理不尽なようだが、体育祭はプロのスカウトの場でもあると生徒に公言してある。

 結果だけではなく、無意識的プロ意識。一流事務所はこのような隠されたテストで有望そうな生徒を探し出すのだ!

 

 そうとは知らない心操はゆっくりと、細心の注意でワイヤーを登ろうとするが、少しでも動くと小さな欠片がころころと落ちていく。横目には別ルートで次々と関門をクリアしていく同級生。

 

 ここまでか、こんなところのここまでなのか。

 おのれの中で自虐的に薄く笑う。1-Aにあれだけ啖呵を切ってこのザマか。どうしようもない無念と、もっとヒーロー向きの個性だったらと生まれを呪う。こんな狡猾そうな個性じゃなく、純粋な筋力増加だったら絶壁を駆け上がれただろうし、炎なら噴射して上昇できたかも、飛べたならまさにヒーローといった感じ。

 こんな証拠も残らない、仄暗い個性よりも。

 

『な、な、な』

 

 と、諦観の念に沈んだ心操の耳に不自然な会場のどよめき。少し遅れて、わなついたプレゼント・マイクの動揺が響いた。

 

『なぁーにをやってんだコイツはぁああ! 信じらんねェェエ!』

 

 なんなんだ? とスクリーンに視線を向けると、ワイヤーにぶら下がる自分が切り替わり、驚愕の映像が映し出されていた。

 

『逆走してやがる! 全速力で! 戻ってきちまってんよ! 前代未聞だろこれええ!』

 

 ペース配分を完全に無視した速度で来た道を戻る生徒がいる。

 後続はその異様な行動に道を空け、あっという間に後ろに過ぎ去る背を一瞥するだけだ。

 

『おいおい、まさかだろ……』

 

 砂ぼこりを上げ滑るように止まると、外れそうなアンカーを見つけて駆け寄る。

 

『いやこれ競争だぞ……普通科のよしみっつったて……』

 あいつは、と相澤が眼光を鋭くする。たしか入試で秘密の個性を使ったおそれのある……

 

 心操の掴まるワイヤーが、力強く引っ張られた。見上げる先には、確かにそいつがいた。がっしりとワイヤーを掴んでいる。

 複雑だった。こんがらがっていた。心操はそんな情けなどいらなかった。わざわざ順位を落としてまで。助けられたおれはなんとも惨めだと。粘質で高温のドス黒い情感がゆっくりととぐろを巻くようだ。だが同時に、それとは逆の気持ちも確かにあった。

 

 そいつの体重が加わった事で、地面の亀裂が閃光のように大きく広がる。

 それを見て、心操は決断した。これが正しいかどうかは後で考えればいい。

 

『助けに戻るかぁ!? フツー!!!』

 

 全員が敵という競争の中、高順位を捨てて助けに戻るという予想外の展開に観客が湧いた。

 そんな中、暗い声で心操。

 

「吉良、てめー。ふざけてんのか。手、離せ」

「断る。わたしは至極真面目だ、それに」

「おれを見捨てて先に行け。拒否権ねーんだわ」

「な……」

 

 心操の身体が重力に引っ張られてゆく。吉良は自分の意識とは関係なく手を放した。いや、手放すことを強制させられたのだ。『洗脳』によって

 

「なんだとぉ~! 心操きさまッ!」

 

 手だけではなく、身体までもが障害物競走に戻るべく崖に背を向けだしている。頭の中で肉体に命じる行動とは別に突き動かされる操り人形のような違和感に、形容しがたい精神的苦痛。

 

「わりーな吉良。でもま、戻ッ!?」

 

 がくんと落下運動が制止され、舌を噛む。いや、それよりもなぜ? 引き上げられている!?

 

「ありえねぇ! おれの個性が作用しないだと!?」

「なるほど、これが『洗脳』か。やっと使ったな。明かした訳だ、手の内を。強力だが、やはりわたしとキラークイーンの敵ではないな。それが証明された」

 

 吉良は自分の中で再認識するようにそう呟き、キラークイーンのパワーで背負い投げのようにワイヤーごと心操を崖の底から救出する。同時に足場が崩れ落ちた。

 

『おいおいおい……やりやがった……やりやがったよ見せてくれちゃったよこれ』

 

「てめぇどういう!?」

「立て、行くぞ。きみと仲良しゴッコがしたい訳じゃあないんだからな」

 

 さっさと走りだす吉良を追い、心操も戸惑いを切り離して身体を動かす。しかしどうやって『洗脳』を……

 

『洗脳』を無視できた理由! それはスタンドの本質、精神によって操作される形あるヴィジョンである事が大きく起因する。

 確かに被洗脳中は肉体の自由は利かない。しかし利かない事は知覚できているし、抗うべきだという思考も存在している。つまり精神までもを洗脳できる訳ではないのだ!

 故に精神で操るスタンドに『洗脳』で干渉する事など不可能!

 よって心操人使は決定的な敵にならない! 吉良はそう判断した。

 

「……吉良、ヒーロー科に編入するんじゃなかったのかよ。こんな事してる暇がある程、1-Aは甘くねーぞ」

「あまりわたしを見くびらないでもらいたい。計画の遂行上、必要な行為だったから助けただけだ」

 

 吉良は不快な表情で続けた。

 

「体育祭第一学年の傾向としては、順に個人戦、集団戦、一対一の全3ステージで構成されている。予選は当然突破するとして、重要なのは集団戦だ。足手まといと組まされる事だけは何としても避けたいが、二回戦目の多くはヒーロー科が占めている。そんな中、普通科と組みたがる奴はまずいない」

「まあ、だろうな」

「となると、なんとか予選を抜けただけのあまり者をあてがわれるだけだ。だったら一人くらいは強力な個性持ちを入れておきたい」

 

「おまえ、あまり者って、そこまで言うかー」

 心操は若干引いた。

「ま、つまり、『洗脳』のおれを引き入れようって訳だ」

 

 心操は強く拳を握る。

 必要なんだな? このヴィラン向きの、悪事を働く奴らが喉から手が出る程欲しがる個性が、誰もが距離を取りたがる個性が、ヒーローになるという正義への将来へ向かう為。こんな、白い目で見られ続けてきた、自分でも嫌になる個性が。

 

「そうだ。1-Aに喧嘩を売るくらいだから予選は突破するだろうと考えていたが……」

「それは言うな。けどおれは吉良の個性をよく知らん。蹴るかもしれねーぜ」

「確かにな。だが助けてやった恩がある。仇で返すなら次の集団戦できみを狙う」

「脅してんのか」

 

「悪いが目的の為にはなり振り構っていられないのでね」

 

 なり振り構っていられない、か。心操はその言葉を心の中で小さな灯のように繰り返すと、誰も気づかない程小さく笑った。

 

「ああ、その通りだな。まあ、第二ステージに進めるか微妙な感じだが」

 

 吉良は趣味の悪い腕時計を手早く確認して言った。

 

「ボーダーは上位20パーセントだからな。きみがわたしの計画に必要とは言え、どっちかが落ちるとなれば遠慮はしないつもりだ」

「んじゃまあ、こっからは敵どう、あーその」

 と、首筋の裏を撫でて続ける。

「ラ、ライバルって事で」

「もとよりそのつもりだが、余裕そうだな。この状況で」

 

「とーぜん」

 心操は不敵に笑って、前方を走る一人に話しかけた。その度に順位は上がる。

 

『うぉおお! 普通科コンビ! 怒涛の追い上げだぁああっラッシャッセー! 今日イチの盛り上がりをサンキュー!』

 

 そうとも、まだ挽回は可能。

 心操は確信する。

 

 おれの自慢の、強個性なら!

 

 

 

 ――――――――

 

 

 

 息を切らしてゴールすると、ややあって心操の耳にようやく観客の歓声と称賛が聞こえ出した。

 

 オーディエンスに無関心な吉良が、医療スタッフから貰ったスポドリを口にして言った。

「まさか、ラストスパートであんな体力を残しているとはな」

「体作りはおれの方が上みてーだな」

 

 結局、順位は心操が一つ上だった。直前でヒーロー科を受けた吉良と、将来を見据えてコツコツとトレーニングをしてきた心操の差だ。

 

「どうでもいいがな。結局のところは最終ステージの順位なのだから」

 

 酸素スプレーを口にし、心操は浅い思慮に指を浸す。

 心操人使には言ってみたいセリフがあった。

 

「……一口でいいから、それ、おれにもくれ」

 

 吉良は自分の手元のスポドリと心操を順に見やり、正気じゃないといったふうな表情で、嫌そうに答える。

 

「なあ~それってきみが口を付けた飲み口でわたしが飲まなきゃあならないって事だよなあ? そういう男子校みたいなノリって、嫌いなんだよな。一口ってところもウザったい。断るとケチだと思われそうで」

「ケチ。個性使っちまうぞ」

 

 バカが。と吉良は内心で勝ち誇る。わたしのキラークイーンに『洗脳』は効かん。やはり理解こそがこの世で最も強力な力。能力とは理解されないように使うものなのだ! だから爆破というキラークイーンの無敵の能力もまた、秘匿の中にそっと置いておかなければならない。

 秘密ってのは武器なんだからな。大脱走でもクリントイーストウッドは壁を掘る道具を隠していたし、スティングじゃあポールニューマン達の切り札はとっておきの秘密だったものな~。

 

「あ~構わんよ。正直言ってわたしには、きみのその個性はたいした事ないしな」

 

 心操はそれで満足した。知れば、なんだそんな事か、で済まされるような。そんなどこにでもある、学生の友達同士がよく言う会話。けれど『洗脳』が言うには危険な、()()()使()()()()()という軽口。安っぽくてしょうもないセリフ。敵に対してしか言えないと思っていた。

 

 心操人使は言ってみたいセリフがあった。

 今はもう無い。

 

「冗談だよ、おれだって潔癖ってわけじゃねーけど回し飲みとかしたくねーし」

 

 なら最初から言うなという雰囲気を出し、吉良は不快そうにスポドリを飲み干した。

 

「どったの透」

 そんな二人の様子を遠くから眺めていた葉隠に、クラスメイトの耳郎響香が話しかけた。

「あー、なんか凄かったらしいね。普通科の。競争に手いっぱいで詳しく知らないけど」

 

「やー、わたしってまだまだだなーって」

「へ? なに急に。結果発表まだじゃん」

「USJの時もさー、助けてーって思ってるだけだったから。助ける方へ意識を持ってかないとなーって。ヒーロー科なんだし」

「おおう、かっこいいな」

「だよね。かっこよくなんなきゃなーわたしも。もっと自分の個性を研究して……」

「おーい、なんで予選落ちみたいな雰囲気になっちゃってんのさ。鎮静音楽、聞く?」

 

 にゅっと、耳郎の個性である耳たぶから伸びるイヤホン端子を差し出すと、スタジアムにマイク音が入る。

「お、結果かな」

 

『やー、いいもの見せて貰ったわー』

 と、司会のミッドナイトがしみじみと語った。

『胸にグッと来たよグッと。ま、それはそれとして! 結果発表していくよ!』

 

 ミッドナイトが大きく手を振ると、大型スクリーンにリザルトが表示された。

 会場全体が緊張の面持ちで、並ぶ顔と名前を確認する。

 

『以上、上位42名が第二ステージに進出! ……あー、わかる! 言いたいことはわかるけど、学生とはいえここは勝負の世界――』

 

「その、吉良? なんていうかその」

 と、心操はなんとなく歯切れが悪い。

 

「ウソ……」

 と、葉隠は自分の事のように絶句した。

 

「どっかで運ってもんを使い果たしちまったのかね」

 と、相澤を含めた入試の結果を知っている教師陣。

 

「あ、そういえばこれテレビとかじゃねーんだよな。ガチのやつだったわこれ」

 と、スタジアムを埋め尽くす観客は現実を再認識した。

 

 ざわめきの後に静まり返る場で、ミッドナイトの声だけが響いた。

 

『――誰もが限られた勝ちを掴もうとしている。けれど抱く腕、手の中、指の先と、その栄光の感触だけを残してすり抜けていくという感覚を味わう者は、故に確実に存在する』

 

 自分を奮い立たせて言葉を続ける。残酷だと思った。だが教師に身を置く以上は、言わねばならなかった。

 

『それはいつだって誰にだって、今日勝った者にも、勝てなかった者にも再び、例え勝負の外に居たとしても。想定外の角度で突き刺さり、時に致命的に抉られる。それでも……それでも、言わ()ければならない、し、言わ()なければならない。雄英に……雄英に在籍しているのならッ!』

 

 なぜだか声は震えていた。大きく息を吸い、それを隠すような声量で叫ぶ。

 PLUS ULTRA 、と

 

 

 

 吉良吉影。最終リザルト、予選43位で敗退。

 

 

 

 ――――――――

 

 

 

 吉良吉影という存在にかつて、「運命」は味方していた。

 どんな物事も冷静に対処すれば、チャンスとなって切り抜ける力を与えてくれた。

 そしてそれは「正義の心」に敗れ去った。

 敗れて、()()()

 去ってしまっていたのだ。

 

 

 

 ――――――――

 

 

 

 

 実況席で呆然とするプレゼント・マイクをよそに、相澤は静かに席を立った。

 残念だが、こいつが現実だと自販機でミネラルウォーターを買って口にする。

 

 ()()()()()()、だが責任は考えろとあらかじめ公言してある以上、たとえそれが誰かを助ける善行だとしても行動に対する責任はある。

 

 現場じゃ救ったつもりが却って被害を増やす事もある。人質を取ったヴィランが立て籠もるビルに突入する時も。具合の悪そうな人を、家に帰って休みたいからという本人の要望を聞いたとしても、結果的には救急車を呼んで病院に向かった方が良かった事だって。

 そういう時、不幸な現実を認められるかどうかでプロの器が測れる。

 

 だからもしも吉良って生徒がこの結果にわめいたりしなけりゃあ。と、スカウト席に目をやる。

 

 公言されているもう一つ、雄英体育祭はプロのスカウトの場でもあるという事が、チャンスになるかもしれない。無意識的プロ意識を探しに来た、どこかの一流事務所の目に留まるというチャンスに。

 

 そして相澤の視線の先で、()()()()()一流事務所のヒーローは確かに場内に慧眼を向け、薄く笑っていたのだ。小さく、しかし思いがけない収穫に対して。

 




次回 「デッド・オン・タイム(仮)」
タイトルはQUEENの曲名に統一しとけばよかったかも


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⑥ デッド・オン・タイム

半年ぶりくらいの伏線のやつなので
誰?
ってなったら三話見てください


 名前は誰でもいい、ある雄英高校第一学年生はふと休日に思い返してみる。つい先日の雄英体育祭、第一学年の予選終了直後の出来事を。

 

 ミッドナイトの宣告の後、静かな水面に小石を投げたような小さい波紋がその場の生徒に広がった。

「かわいそうじゃね?」とか「いやでも助けなきゃ実質」とかその類。その程度の類。「替わってやれば?」などまで出る始末。

 そういう無責任な思考をわざわざ口にする輩の視線は、自然と心操に集まった。当然と言えば当然。

 

 カメラや観客席には伝わらない程の、本当にささやかな色の無い同情が染み出している。

 それを感じ取ったミッドナイトは、よせ、と吉良を盗み見た。決してここでその可能性に期待するような態度を出すな。それは違う。PLUS URTLAではない。乞うな。

 

 誰もがぬるい感情を吉良に注ぐ。そんな中、当の本人はとてもではないがこれが本当の事だとは思えなかった。体中の血が熱を失ったような感覚。そこからなんとか正気に戻ってこれたのは、絶望を実感するよりも早く、看過しがたい腹立たしい現実に気が付いたからだ。

 この吉良吉影が、なぜ憐れみなど向けられなければならない?

 

 ふつふつとした怒りが込み上げてくると、必ず冷静さが鎮火する。いつだって、そうやってトラブルに対処してきた。身に沁みついた確固たる人生観。

 軽蔑するように鼻で笑い、周囲をコケにした口調で言い放った。

 

「同情ってのは、強者が弱者に向けてするもんだ。どーしてわたしより実力が下のやつに、同情してもらわなきゃあならないんだ。雨で濡れた靴のまま歩かされるくらい不快だ。予選に落ちた事よりも、そっちのほうが耐え難いのだが」

 

 事実として、上位42名の多くを占めるヒーロー科の面々は同情心を露わにしてはいない。参加した誰もが懸命に戦った結果を捻じ曲げる事は誰にもできないし、誰もしてはならないと理解しているからだ。

 対人戦闘訓練で、USJで、どうにも覆しようのない実力差を味わったからこそ分かる、敗北を直視するという強さ。

 

 吉良が向けられた同情心を跳ね返すと、心操もまた覚悟を口にした。

 

「おれも、譲る気はない。助けて貰っといてなんだが、おれには強く望む将来がある。恩知らずと言われようが、なり振り構ってられないんでね」

 

 その後、心操は最終ステージで敗北。第一学年は近年でも稀に見る番狂わせで、体育祭が終了した。

 

 

 

 ――――――

 

 

 

 体育祭が終わった後の二日間は土日の休日になっている。これは激しい戦いの後で生徒を休ませる為だが、教師側としては別の事情がある。

 スカウト目的で来た事務所の指名を処理しなければならない。第一学年は本格的なヒーロー活動としてではなく、学校教育の一環の職場体験としてのそれだ。

 

 ヒーロー協会のオーダーフォームに入力された情報が雄英に送られてくるので集計の必要は無い。しかしごくまれに学生の個性と指名した事務所の色があまりにも合ってない場合は職員会議にかけられる。ヒーロー飽和社会において、全ての事務所が適切なスカウトを行えるわけでは無いのだ。

 他にも、一人に対する指名件数が多すぎる場合はある程度優先順位が付けられる等々。

 

 本来であれば、それはヒーロー科の教師で行われる。だが今回は違った。ただでさえ珍しい指名会議に普通科の教師が招かれていた。

 

「あー。爆豪と轟の指名件数の問題もありますが、とりあえず優先で片付けたい件があります」

 とやる気があるのかないのか、いつものように気怠い口調の相澤が口を開いた。

「単刀直入に言いますと、吉良という普通科生徒に指名が入ってます。一件だけですが」

 

 元プロの教員は、やはりか、と予感を的中させていた。体育祭の結果だけで言えば吉良は予選落ちという好ましくない成績。だがその短い予選の中で、確かに煌めく無意識的プロ意識は存在した。同級生を救いに戻ったというのも評価が高いだろう。そのへんの事務所ならともかく、一線級の事務所が指をくわえて黙っているはずがない。

 ただそれは純粋に喜ばしいかと聞かれれば否である。

 

「ええぇ」

 と普通科教師は困惑の声。

「あー、それで担任のわたしが……でも彼は」

 

「ええ、彼はヒーロー科じゃない。たぶん一件だけというのもその辺を考慮して自粛した所が多いからでしょう。とりあえず、仮にですが許可を出す事についてどう思われますか」

「意外だね、相澤くんなら渋るかと思ってたけど」

 とオールマイト。顎を撫でて答える。

「制度はともかくわたしとしては、吉良くんや事務所の実力が水準以上で、職場体験の内容が適当であればいいとは思うけど」

 

「前例が無いからって拒否るのが嫌いなんですよ。それに雄英は自由が売りな訳ですし。で、実際どんな感じですか、担任の目から見た吉良って生徒は」

 

 そーですねえ、わたしが目にした範囲だと……と担任は顎に手をやり、記憶を引っ張り出す。「えーと、吉良、吉良……名前なんだったかな。大人しい子だったから……あっそうそう思い出した!」

 

 喉に刺さっていた小骨が取れたような軽快な口調で説明する。

 

「よしかげ! よしかげ!

 あいつはクラスの付き合いが悪いんだ

 心操って生徒が「学食にいこうぜ」って誘っても嬉しいんだか嬉しくないんだか……

 授業はまじめでそつなくこなすが今ひとつ掴み所のない男子生徒……

 お前本当に高校生か? って気品ただよう顔と物腰をしているため事務や学食のおばちゃんには人気があるが

 学校からは他の生徒と同じく課題とかテストばかりさせられているんだぜ

 悪いやつじゃあないんだが体育祭を見るにたぶん良いやつ。これといって運のない……浮いている生徒さ」

 

「……戦闘能力については」

 と手元の資料を見ながら1-Bの担任、ブラドキングぼやく。

「2ポイントの仮想敵ならわけもないって感じか。入試の実技試験では落ちてる。が、個性で強化された3ポイントも撃破……これだけだとな」

 

「秘密の個性の疑いもあるし……あーこれ相澤さん、体験先でシッポ出さないか見たいってそういうアレですか?」

「ぶっちゃけ6割くらいは」

「わたしは賛成かな。事務所と合わないって感じじゃないし。確かに戦闘能力に不安は残るけど、観察力と判断力で補えるでしょ」

「入試じゃ攻めっ気に欠けるって言ってたくせに」

 

「そうだっけ?」

「物静かなんだが学校指定の服は着ないロックな感じ。どことなくベストジーニストを彷彿させるなあ」

「彼にそこまでの才能があるかは未知ですが」

「だーからそれを確認すればいーじゃない。職場体験で」

「ミッドナイトさんはああいう熱いやつに甘いんだから」

 

「熱いって事はエネルギーがあるって事よ。エネルギーがあるって事はそれだけ身体も頭も動かせるって事だし」

「そーゆーもんですかねー」

「実際、ひいき目と同情心とか抜きにヒーロー科にいてもおかしくない実力はありますよね」

「そりゃあまあ、順位が一つ上にずれていたらヒーロー科にいる訳ですから」

「んーなまじこの事務所ってのがな、断りにくい。知名度、好感度、実力申し分なく一線級。グッズの売り上げも上々で資金力もある。吉良がヒーロー科なら雄英として蹴る要素なし。それに生い立ちも……あー、だから吉良か? ひょっとしてあの短い予選で気付いたのかな。()()()()()の件。この人、人権方面でも精力的だし」

 

「うへー、偶然でしょ。気付けるわけないない。おーこわ」

「普通科だとなんかあったらマスコミがうるさいのでは。ヴィラン連合の件もあるので、できるだけ雄英の隙は見せないほうが……」

「メディアを理由に生徒の可能性を潰すのはどーですかね」

「よく邪険にしてるけど、メディアを考えて動くのも大事だよ。基本、ヒーローってそこを通して安心感を伝えるわけだし」

「すげー話逸れそうだから雑に軌道修正するけど。事務所に問題は無し、吉良の実力も……まー安定を取って体験内容によっては問題無しってとこですかね。パトロールとかに限定して」

 

「校長はどう思われますか」

 

 沈黙を続けていた白いネコのようなネズミの動物は、お茶を一口やって言った。

 

「雄英は常に壁を用意する。それはわれわれの仕事の一つだ。ヒーロー事務所への職場体験が吉良くんにとっての壁になるのであれば、そのようにするだけじゃないかな」

 

「異議は……なければ次の議題に移りたいと思います。爆豪と轟に渡す指名事務所のリストに優先順位をつけるべきですが……」

 

 

 

 ――――――

 

 

 

 休みが明けた月曜日、体育祭を戦い抜いたヒーロー科は少なからず変化していた。通学途中に声を掛けられただの、サインを求められただの。つまりは誰かからの視線を意識し、ヒーローとして品行方正な振る舞いをしなければならないという小さな実感を胸に刻んだ。ささやかな、しかし確実なプロへの一歩。

 

 その芽に水をやるように、一限目はヒーロー活動時に使用するコードネームの発案。それとスカウトについて。指名が無かった者も、職場体験としてプロヒーローの事務所へ赴くので希望先を提出する旨。

 後者が特に生徒を悩ませた。ある程度は個性に合った色の事務所がリストアップされているとはいえ、数少ない機会。ミスる訳にはいかない。そんな訳で休憩時間中はヒーローフリーク、緑谷の席に人だかりが出来ていた。この事務所ってどうなん? ヒーローの実績は? 活動範囲は?

 

 そのすべての質問に、ぺらぺらぺらぺらと答える緑谷は実にイキイキとしている。嬉しそう。

 

 ただ、葉隠だけはどこか黄昏た感じでぼうっと窓の外を眺めている。耳郎が声を掛けようとした時、二限目のチャイムが鳴った。

 

 

 

「――で。個性は大別すると発動、変形、異形の3種類に分けられる。で、対個性戦でまず重要なのは相手の種類を()()()()事だ。逆に言えば相手に見抜かれないってのがアドバンテージになる。プロになると個性の情報が出回るので難しいが……あー飯田、なぜかわかるかー」

 と相澤が適当に問題を振った。正確な回答が一つというわけではない。どれだけ実戦を想像できるかという確認。

 

「全身を変化させる変形型の個性持ちが接敵前から個性を使っている場合、視覚情報のみでそれを異形型と決めつけると、視覚外で個性を解除された場合に見失う可能性があるからです」

「そーいうこった。他には、緑谷」

 

「え、えーと。発動と変形は、発動そのものや維持、効果範囲に比例して体力を使いますが、異形はその限りではない点です。だから持久戦に持ち込んだ方が有利な個性のプロは、発動と変形のヴィランを主にヒーロー活動にあたっています。あ、逆の例だとサンドヒーロー、スナッチの砂を操る個性は変形型ですが、その砂で遠隔操作できる異形型の人形を生み出して、持久戦が得意なヴィランを焦らせて捕まえたという事例がぶつぶつぶつぶつ」

「そこまででいい。こんな具合で型ってのは攻略する起点になるし、される場合もある。発動、変形は使いまくってると体力切れでぶっ倒れるが、個性の解除と発動のタイミングを適切に切り替える事が出来るようになりゃあ、それだけで技になる。異形はその2種類の型に原則、個性に注ぐリソース面ですでに有利だからゴリ押しが利きやすい。緑谷の言ったように消耗戦も得意だ。が、一度攻略されたり、自分の弱点となる個性持ちの増援で危機に陥りやすい。ここまでで何か質問は」

 

 はい、と制服の腕の部分がぴょんと浮いた。

 

「ん、なんだ葉隠」

「じゃあわたしみたいな異形型のネタがバレた時はどうすればいいんですか」

「範囲攻撃されると辛いわな。異形型全般に言える事だが、じぶんの個性に対する理解を深めて切り札、搦め手になる応用技を編み出すしかない。それと薄っぺらく思うかもしれんが、サイドキックの個性とのコンボやシナジー、環境や状況を見定めて優位に動くのも肝要だ。結局は土台をしっかりするしかない。もう一度言うが、攻略の起点にもなるって事を忘れるな。他になければ今日はここまで」

 

 一拍の沈黙の後、チャイムが鳴った。緊張の糸が切れたように、教室にゆるやかな空気が流れだす。リラックスは出来る時にしておく。それが合理的学生生活。

 耳郎が物憂げそうな葉隠の肩を、トントンと耳たぶのイヤホンジャックでつついて振り向かせる。

 

「職場体験先、なんとなく絞った? 緑谷に相談しに行く?」

「いや、まだ」

「なんか沈んでんね。元気の出る曲、かけたげよっか」

「んーやっぱわたしの弱点って、ハマると強いけどバレると弱いの典型的な異形型なんだよなーってさっきの授業で再認識しちゃって。どうしたものかと。透明って諜報に便利だけど、戦闘には向かないし。雑っていうか、あんがい小回りが利かないっていうか」

 

 あー、これけっこうマジなやつだ。ふだんはあっけらかんとした葉隠が珍しい。と、耳郎は慎重になった。

 

「焦ってる?」

 

 葉隠は答えなかった。

 

「わたしは別に、透の個性は雑だとは思わないけどな。透明だけど、ほら、人間って太陽の光を浴びてないといけないらしいじゃん?」

「まあ、一ヶ月程度なら大丈夫らしいけど、ビタミンDが不足するしね」

「でも透はそうなってないわけじゃん。異形型だけど、無意識の内に個性制御が自動で働いてるって事じゃないの? それってすごい器用でしょ。ぜんぜん雑じゃないよ」

「そう、かなあ」

「単純に透明って個性じゃないんだよ、きっと」

 

「耳郎さんのおっしゃるとおりですわ」

 と、会話に混ざった八百万が頬に手を当て、まるで美しい工芸品を語るような口調で続けた。

「秒速30万キロメートルで葉隠さんに衝突する無数の光子一つ一つを、健康面で必要な分を除いて全て透過させるよう常時自動で行われているわけですから。個性制御の極地と言っても差し支えありません」

 

「そ、そう?」

 と、葉隠はなんだか悪い気はしない。照れ臭くなって頭を掻く。八百万の説明は小難しくていまいちわかりにくいが。

 

「しかも影が出来ていないというのが素晴らしいです。光子は物質と衝突すると屈折するのですが、葉隠さんを通り抜けた光子は影が出来ないように計算の上で操作されているのでしょう。わたくしも葉隠さんの個性を雑と評価する事には反対です。極めて精緻で繊細な、透き通った、羽のように軽く、口当たりの良い薄さ……そう。まるでBELLEEKのブラックマーク、ネプチューンカップのような」

 

 なるほど、例えがわからん。わからんが、たぶんお嬢さま的には適した表現なのだろう。

 

「ふむ、なんだか出来そうな気がしたぞ」

 と、葉隠は神妙に腕を組む。

「何を?」

 と、途中から聞いていた尾白。

「……何かを」

「なんだそりゃ」

「いや、良い事だよ透。何が出来るか決まってないって事は、何でも出来る可能性があるって事だからね」

 

「よーし、ありがとう! わたしの長所は個性制御! そうとわかれば伸ばしてみよーじゃん」

 さっそく緑谷に個性制御に関するプロヒーローが勤める事務所を尋ねた。パッと顔を鈍く輝かせ、早口でべらべらと喋り続けて、でもやっぱり何と言ってもと締めに入った。

 

「何と言っても()()()()という概念と深い因縁を持つヒーローがいるんだ。今でこそ自由自在に個性を使いこなしてるんだけど、幼少の頃はまったく苦難の連続で、何度も死にかけたんだ。でも、それでもめげずに練習に練習を重ねて、今では一線級のヒーローと知られている。ソースはヒーロー名鑑 Vol.3だから正確だよ。で、ぼくが彼を推す理由としてはヒーロー活動以外にも実績があるって所なんだよね。過去のじぶんのように苦しむ子供が少しでも減るよう、個性を秘密にする権利を掲げて署名活動や政治家への働きかけも積極的で、近々その法案が通る見通しもあるんだって。あ、でねその過去に苦しんだっていきさつはねぺらぺらぺらぺら」

 

 まだ締めは続く。

 

 なげーんだよな、緑谷があーなると。相談に乗ってくれるのはスゲー助かるんだけど。

 ほうほう、それでそれで。とメモを取る葉隠を眺めながら、クラス一同は思った。

 

「そもそも個性制御に長けたヒーローっていぶし銀というかぺらぺらぺらぺらなんだけど」

 

 その後、葉隠は昼休憩の間に希望書類を提出した。耳郎におすすめされたQUEENの鼻歌を上機嫌で歌いながら。

 

 

 

 ――――――

 

 

 

 その日の放課後の事である。吉良がいつものようにさっさと席を立つ前に、担任が名指しで職員室へ来るように伝えた。

 

 なんかやりにくいんだよなーと吉良を前にして担任は内心で愚痴る。どこかいいとこの給与人にしか見えないから接し方とか距離感が掴めんのよな~。それに予選の結果がショックだったせいか、一日中気が無かったし。

 

「実はな、プロヒーローからのスカウトが来ている」

「はあ」

 

 あれ、体育祭の張り切りようからしてヒーローを目指してたんじゃなかったか? と担任は小首をかしげる。がまあいいかと話を進める。正直に言って、会議ではヒーロー科の教師陣に押し切られたが、普通科がヒーロー事務所に職場体験に行くことは内心で反対していた。もし何かあったら、責任の余波に巻き込まれかねない。

 

「先方は一線級の大手事務所だけど、どうする? 日中のパトロールくらいだから、ヴィランとの戦闘になんてならん、と思う。一応、ヒーロー科の先生方も検討してからの提案だから不安がる事は無い、と思う」

 

 ヒーローを目指す生徒なら飛びつく提案だったが、吉良はヒーロー科に編入したいのであってヒーローになりたい訳ではない。もっと言えば、葉隠に借りを返すのが目的なので乗り気にならないのも当然。

 職場体験で結果を出せば編入できるというわけでもなさそうだ。体育祭には全員にその機会が与えられ、公平性があった。職場体験で編入できるのは、そも指名されることが最低条件であり、前提として不公平だ。雄英の方針に沿わない。

 

「あー、まあ確かにな、体育祭で結果を出してないのになんでって顔だな」

 

 吉良のめんどくさいって顔を見て担任は続けた。

 

「ヒーローになる必要条件は、順位だけじゃないってことだ。本質的には誰かを助けるって事に集約される。もしきみがオファーを受けたら、そこんとこを知らないやつに妬まれるかもしれん。別に脅かしているわけじゃない」

 

 なら尚更受ける気はしない。どうしてそんな目立つ事をしてヒンシュクを買わなければならないのか。うまいこと何か理由を考えなければ、どうやって断るか。

 

 そんな思案する吉良を見て、担任は合点をいかせた。なるほど、心操に遠慮しているのか。障害物競走を見るに、二人でヒーロー科への編入を目指していたのだろう。ここで吉良がスカウトを受けてしまえば、ヒーローへの道を一歩先に進むことになる。順位は下だったにもかかわらず。遠慮しているのか。

 

 案外清廉なやつだ、と担任は思った。こういうやつが、ヒーローになっていくのかな、とも。そうすると、自分がとても悪い事をしている気がして恥ずかしくなった。将来のヒーローの誕生を阻む自分は、現在のヴィランのような。勧めなければ。

 

「いや、ちょっと待て、さっき先生が言った事は忘れてくれ」

「ではこの話は無かった事に……」

「違う違う違うそういう意味じゃない。その、少し不安にさせるような事を言ってしまった所だ。いや事実ではあるが、時にプロだって勝手な言いがかりをツイッターとかで言われるんだ」

 

 だからヒーローなんてなりたいやつの気が知れない。吉良の将来の進路に職業ヒーローは除外されている。

 

「今回の経験は内申点に含まれないが、きみの人生には色濃く含まれるはずだ。それに、普段ヒーロー科の生徒がどういった心持でプロを目指しているのかも知る事が出来るだろう。基本、他の科とは接しないから貴重な機会だと思う」

 

 その会話には聞き捨てならない単語が含まれていた。

 

「……それは、わたしの他に生徒がいるということですか? ヒーロー科の?」

「ああ、いるよ。事務所は最大で二名預かれるからな。爆豪とかバディを組みにくいやつじゃないから安心してくれ。一人、希望者がいて名前は――」

 

 吉良は鼓動が速まるのを理解した。やはりそうなのだと自答する。なぜか最近からっきしだったがツキが回ってきている気がする!

 

「――名前は葉隠 透。見えない個性どうし、上手くやれるだろ」

 

 やはり! おそらくこれが最後のチャンス。

 

「ああ、言い忘れてたんだが吉良を指名した事務所のヒーローな、聞いて驚くなよ」

 

 葉隠の()()()()、そして吉良の()()()()()。そのどちらとも共通点を持つからこそ、引力のように二人を呼び寄せた()()()()()という条件を満たす一線級のプロヒーロー。

 その名も!

 

「なんとハリケーン・シャーク。知ってるだろ? いやほんと凄いわ。みんな知ってる知名度抜群の超大手だぞ」

 

 誰だ。

 まあ誰だっていいと吉良はオファーに応じ、教室に戻るとなぜかスマホで時間を潰していた心操がいたので、暇なのか? と嫌味を言うと、どこか嬉しそうに別にお前を待ってたわけじゃねーよ、ちょっとのんびりしてただけだ、と返ってきた。

 

 嫌味を言われて喜びを滲ませる不気味な心操にそっけなくするのも不安だったので、なんとなしに帰路を共にし、吉良は神野区から少し離れた閑静な住宅街へ帰った。雄英から物理的な距離があったが、個性の発達によりいくつかのブレイクスルーが起こった結果、公共インフラが爆発的に発達したので通学時間は少ない。

 

 その夜、吉良は久々に安らいだ気持ちで床に就くことが出来た。葉隠に借りを返すチャンスを得たからかもしれない。それがどれだけ薄い確率だろうと、必ず掴めるはずという自信があったからでもある。

 いったん穏やかな心持になってみると、あんがい雄英は居心地良い場所のように思えた。

 翌日、登校してみてそれが強く実感できた。なにより自然が豊かだ。おそろしく広い学区内も自動運転バスで少し移動すれば、素晴らしい草原があった。まるでシングストリートでフィラデルフィアウォルシュとマークマッケンナが二人で曲を作っていたような場所だ。吉良はそこのベンチで昼食を食べるのが好きだった。

 探せばもっといろいろと穴場があるかもしれない。そう考えだすと、楽しみが増えた。

 

 他の高校ではこうはいかないだろう。グループごとに狭い教室で顔を突き合わせて食べるのが関の山。

 それに心操に連れていかれた食堂、ランチラッシュも悪くない。あの喧騒は食事に適さないが、テイクアウトは出来るだろうか? それならたまに通ってもいい。

 

 吉良は職場体験が、必ず素晴らしい過程と結果になると考えていた。

 借りを清算できるチャンスなのだと。その時までは。

 

 

 

 ――――――

 

 

 

 職場体験当日、雄英から近い中心駅にヒーロー科の面々が集合していた。そんな中、隅の方で静かにたたずむ唯一の普通科生徒、吉良吉影。藤色の3つボタンを留めずに、淡い緑と白のボタンダウンと猫のような生物の髑髏柄のタイを見せている。ブラウンのUチップはほどよく手入れされており、やんわりとした光沢があった。その足元にはマホガニーカラーのトート。

 

 引率の人かな? と思われても仕方のないいでたちで、腕時計を確認する。

 

 そのさまを遠巻きにヒーロー科は眺めていた。相澤から普通科の生徒が一人交ざると聞いていたので、まああいつだろうとは薄々わかってたが、浮いている。出張かな?

 やがて葉隠が集合場所につき、吉良と普通に話しているのを、度胸のあるやつだと遠巻きに感嘆した。

 

 定刻になると点呼の後、それぞれの職場体験先へ向かうべく解散。

 

 新幹線に乗り込み、吉良の隣の席で葉隠が窓の外の景色であれこれ喋り、わたしが窓側だと通路側の人も景色を見られるんだよねーと得意げになっていた。吉良はそれがジョークなのか本気で言っているのか判断がつかなかった。

 

「あ、あとこれ見てよ……最近自分の力不足を痛感してさ、出せるようになったんだよね~。ほっ」

 

 床に向けられた手から、カメラのフラッシュのような光が一瞬だけ走る。

 

「……なんだそれは」

「必殺技」

 へへっと鼻下を指で擦り、照れている。

 

 吉良はそれがジョークなのか本気で言っているのか判断がつかなかった。

 

「……いいんじゃあないかな、かなり」

「でしょー、やっぱ異形型たるもの、必殺技や搦め手の一つや二つは持ってないとね」

 

 その後、葉隠が売店で買っていた個別包装された冷凍ミカンを半ば押し付けられるように分け合って食べた。

 

 

 ――――――

 

 

 着いたのは海の近い都市部だ。そこのビジネスビルが立ち並ぶ一等地に、不自然な空間がある。

 開け放たれた大きな戸、パステルカラーの木製の外見。敷地内にはヤシの木。

 

「わー海の家だね。ハワイ的な。行った事無いけど」

 

 スカイブルーとショッキングピンクのネオン看板にはHurricane & Sharkと滑らかなフォントで光っている。

 吉良は無言でスマホのグーグルマップで確認した。どうやら場所はここで間違いなさそうだったが、場所以外の全てを間違えていそうだ。

 

 中に入ると飲んだくれの中年、それと店主らしき男がバーカウンターでグラスを磨いていた。およそ事務仕事をする環境ではない。

 

「ああ、きみたちが職場体験に来るっていう雄英生徒だな。おれの名前はファン。よろしく」

「よろしくお願いします。わたしは葉隠透。彼は吉良吉影です」

「ああ、シャークが言っていたのはきみか」

 ファンが気さくに吉良に握手を求めてから言った。

「最初は敵だったが、後でなんやかんやあって味方になりそうな良いツラだ、でも死ぬ。こっちのお嬢さんはファイナルガールって感じだ」

 

 そう言って葉隠とも握手し、ファンはカウンターに腰掛けるように勧めてビール色のサイダーを出した。

 

 吉良は何も喋りたくなかった。

 

「知ってると思うが、ここはおれとシャークの共同経営だ。どっちが上ってわけじゃない。シャークは今、海水浴シーズンに向けて近くの海のサメたちに人間を襲わないよう説得しているからいない。だからおれの指示を聞いてくれ」

 

 なんだこの微妙な翻訳されたセリフ回しは。

 

「わかりました!」

「威勢がいいな。さっそくで悪いが、街の案内ついでのパトロールに向かってくれ。おい新入り、頼んだぞ」

 

 ファンが視線を向けると、部屋の隅で金髪美女とイチャコラしている顎の割れた青年がいた。頬を膨らませて、吐息で唇をぶるぶると震わせる。

 

「おいおい、おれはベビーシッターじゃないんだぜ。こんなお子様のおもりかよ」

「おまえのママはボスには黙って従えって教えてくれなかったのか。気を悪くしないでくれ、あいつの名前はジョック。存在がクソリプみたいなやつだから言う事はミュートしてくれていい。大学ではアメフトのエースだったらしいが……」

 ファンは小声で葉隠に囁いた。

「たぶん院生でも理解できない。シャークがなんであんな役立たずを雇ったのかは」

 

「聞こえてるぞ。もっと心を広くもてよ、おたくのおでこくらいな。んじゃあさっそくいくぞトロトロするな」

「ええー、ジョックゥ。わたしもついていっていい?」 と、金髪美女。

「駄目だ。今夜、両親が旅行でいない友達の家でやるパーティーまでおあずけだ。いい子にしてるんだぞ」

 

 ジョックがファンに中指を立てながら、さっさと事務所を出て行った。

 

「あれでも一応はプロだ。本当はおれが付いて行きたいが、シャークの不在中に何かあったら困る。十代ってのは最も成長出来る時期だ、これも経験の一つだと思ってくれ」

 

 ファンの言葉を背に、慌ててヒーローコスチュームに着替えた葉隠と吉良もジョックの後を追う。

 いったいあの酒に潰れていた中年は誰だったのだろうか。吉良は考える事をやめた。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、吉良は普通科か。珍しいな」

「……」

「問題があったりするんですか?」

「いや、ヒーローじゃない事務員がパトロールに同行するのは珍しくない。犯罪発生率が高くなりそうな場所とか、銀行の通りとかをチェックしたり、新しくコンビニができているかとか。まあルートを考える必要があるからな。だから吉良がこうやってパトロールに同行すること自体は何の問題も無い。法的にもな。雄英は事務職の職場体験に送り込むっていう抜け道を使ったんだろうさ」

「へー物知りなんですね。やっぱり現役は違うなー」

 

 尊敬の念を向けられて満更でもないアメフトをモチーフにしたヒーローコスチュームのジョックに続いて、手袋とブーツだけの葉隠、変わらないジャケットスタイルの吉良が街を歩く。

 

「さて、ここでちょっと冒険してみる気はないか。吉良」

 

 そう言うジョックが親指でクイッと指差すのは廃墟となっている地下商店街への入口だ。スカした態度の吉良が気に入らなかったので、一つ揉んでやろうという魂胆。葉隠にいいところを見せたかったのが本音だ。

 

「ただでさえ老朽化してたところに個性使用を前提とした耐震なんかの建築基準法が新たに設定されたおかげで廃棄されちまったんだが、たまーにチンピラやホームレスが居ついちまうんだ」

「……構わないが」

「へえ、喋る口があったとは驚きだね。ビビって泣き叫ぶ用かと思ってたぜ」

 

 上手い事言ってやった。と葉隠を盗み見るが、反応は無い。ガールフレンドの金髪美女ならきゃらきゃらと笑う所だった。やはり子供かと気を取り直して地下への階段を降りる。

 ジョックが胸ポケットからこれみよがしに取りだしたカードキーをスキャナーに通すと、シャッターが自動で開いた。ヒーローにはこういった場所に入る為の鍵が市から貸与されている。

 

 内部は管理会社の定期点検のため非常灯で薄暗く照らされているが、人の気配はまったくない。店子のシャッターが所々破られているのは不法侵入者がやったものだろう。ストリートライクなスプレーの落書きや酒、タバコの吸い殻。覚せい剤か何かの注射器。ジョックの言っていた事は本当のようだ。

 

「防犯はカードキーとかでしっかりしてたみたいですけど、どうやって」

「お上の締め付けで違法アイテムの大口取引がめっきり減ったからな。犯罪組織の抱えていたエンジニアが、小遣い稼ぎに簡単なセキュリティならクラックできるアイテムをチンピラ相手に捌いてんのさ。市長はただちに影響はないって気にしてないみたいだが」

 

 ジョックが腰に備え付けられているライトを引き抜いて点けると、遠くでネズミがサッと姿を隠した。

 天井や壁にはむき出しの配管やケーブルがむき出しになっており、撤去をめんどくさがったのかケースや棚がそのままの店もある。品物はもちろんない。大きなショーウィンドウにはヒビが入っている。

 葉隠は斜めに傾いたボロボロの案内地図を横目に確認した。三本の横木のハシゴのような構造で、いま侵入した出入り口以外の三つにバツ印が付けられていた。

 100メートルほどだろうか、通路の先を良く目を凝らせばなるほど、金属板で封じられていた。他の二つも同じ処理が施されているのだろう。

 

「まず確認する所は中心通路にある管理室だ」

 と、得意げにジョック。

「なぜだかわかるか? 吉良」

 

「さあな。給湯室とかあるからか? 流し台があるだけで結構便利そうだからな」

 

 フン、とつまらなそうに鼻を鳴らして管理室を開ける。

 動いていない監視カメラのモニターが壁一面にあり、コンソールの上には食い散らかされたジャンクフード。パイプ椅子に腰かけてバーガーをパクつく一人の少年がいた。歳は16かそこらだろうか。どこにでもいそうな顔をしている。オーバーサイズのトレンチコートをラフに羽織っていた。意外そうに口を開く。

 

「黒霧さん早くな、じゃない、誰です?」

「おい坊主。この街の小悪党相手にデカい顔したかったらな、ジョックって名前とこの厳ついヒーローコスチュームを覚えておけよ」

 少年の頭を小突いて続けた。

「お前の他に誰かいるか? とっととここから出るんだ」

 

「いえ、ここにはぼく以外誰も。あー、せめてこのゴミを片付けてからでもいいですか?」

 

 ジョックは山ほどの包みを見渡し、じゃあ終わったらちゃんとここから出て行けよ。二度と、この敷地内に入るな。そう言ってさっさと部屋を後にした。

 こんな雑でいいのか? と口を開きかけた吉良の袖を、葉隠が引っ張って制した。

 

「とまあ、こんな感じだ。ちょっとビビらせておけばそれが仲間内に伝わってしばらくは悪さしなくなる。簡単だろ?」

 

 出口へと向かう途中、得意げに語るジョックを無視して葉隠が小声で言った。

 

「吉良くん、スマホ貸して。わたし収納力がないコスチュームだから持ってなくて」

 

 その口調に吉良は僅かな違和感を覚える。怖れが混じった微かな声色。

 黙って携帯端末を取りだすと、圏外だった。妙だ。地下とはいえそこまで急に電波が入らなくなるものだろうか。

 

 葉隠にはこの現象に覚えがあった。

 

「いったい何があった、いや気付いたのか」

 そっと物を置くように尋ねた。

 

「あの人、ヴィラン連合に関係してる。とにかくここを出て伝えないと」

 

 からん。と背後で缶が転がる音がした。振り返るが何もない。マズい気がした、何かとてつもない事態に巻き込まれている。二人の背後、唯一の出口、シャッターの前に先ほどの少年が立っていた。

 

 二人はゆっくりと出口へ顔を向ける。かろうじて確認できたのは、少年が30メートルほどの距離を2秒ほどで詰めてジョックの頭部を殴り飛ばしたという事だ。

 アメフトのヘルメットが外れて、ジョックは放られた人形のように空中を舞って床に身体を打ち付けた。小刻みに身体を震わせながら、頭部から出た血で床に色を作っている。

 静まり返った地下商店街で、人間がかたかたと痙攣する音が響いた。

 



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⑦ キラークイーン

タイトルの原曲を聞いてからだとよりお楽しみいただけます。


【注】

 今更ですが。一部、話のタイトルやセリフに歌詞の引用の誤解を招く箇所がありますが、歌詞の引用ではなく、CDアルバムの曲名やタイトルを引用しているのであり、ハーメルン様の禁止事項(・著作権が切れていない歌詞の転載)に抵触するものでありません。

 

 

xxxxxx

 

 

 

 まず気付いたのは吉良だ。この状況でもっともしてはいけない事をしている。無力化されたプロヒーローへバカみたいに視線を落としている事が致命的にマズい。たとえそれが数秒の間だとしても。敵から目を離すなど。

 

 顔をあげるが、もう少年はいない。少年? 違う。確実なのは、吉良も葉隠も、少年ではなくヴィランと戦闘状態に突入しているという共通の認識があるだけだ。

 

「ジョックさん!?」

「頭部を強打されている、動かすんじゃあない。虫の息だが、即死ではない……それよりも警戒すべきだ、葉隠くん」

 

 ジョックに駆け寄りそうになった葉隠はその言葉で冷静さを取り戻す。そうだ、救急車を呼ぶにも、まずはここから離脱しなければいけない。そしてある事に気付く。

 

「……吉良くん、ジョックさんが持っていたライトがない」

 

 言われて気が付く。なぜだ。その思考に合点をいかせると同時に出口のシャッターが下り、非常灯までもが消された。管理室で操作されたのだろう。

 

「……戦い慣れている、相当に」

「どういう」

「暗闇にする事で『透明』のアドバンテージを削ったのだ」

「二人以上いるのかな」

「いや、一人だろう。二人以上ならジョックをブチのめした後に消える必要が無い。戦闘を続行するはず。わずかだが、攻撃から消灯までに、ほんの10数秒ほどだがタイムラグあったのも、全てを一人で行わなければならなかったからだ」

 

 逆に言えば、その全てを一人でやってのけるほどの個性使いを相手しなければならないという事。あの速度からするに肉体強化系か。ジョックまでの距離を詰めた時間からして、時速60キロメートル、秒速約16メートルで移動していたことになる。

 

 そして、先に暗闇にするとジョックが警戒するので不意打ちで落としてから、視界を奪い、残りの二人をじっくりと対処する戦略を取っている。まずプロから、次いで『透明』と個性が割れているやつと事務職の風貌の男という優先順位を付けたのも油断ならない。

 

 慎重に出口へ向かっている途中、まだ闇に順応していない吉良の視界にヴィランが飛び込んで来た。

 

「速い!? だが!」

 

 葉隠を後ろに追いやり、ヴィランと自分の間に形ある像を顕現させる。カウンターで下顎にストレートを食らわせた。スタンドは目視不可ゆえに回避防御は困難を極める一撃。

 顎は砕け、脳味噌がぐにゃりとたわみ、白目をむく。そのはずだった。

 ヴィランにダメージは無く、キラークイーンを通り抜け、懐に潜り込もうとしている。

 

「なんだと」

 

 やむを得ずキラークイーンで対応する。

 スタンドはスタンド使いにしか見えず、スタンドはスタンドでしか攻撃出来ない。だがスタンドでスタンド以外の攻撃を防御することは可能だ。当然、その時にスタンドはダメージを負うし、いくらかは本体にフィードバックされる。

 弱いスタンドでコンクリートを殴った時に本体の手を痛める、というイメージが近いだろうか。

 

「こいつの速さは!」

 

 時を止めたかのような、とまではいかないにしろ、プロボクサー並みのラッシュを仕掛けてくる。どこか不自然な速度。

 B級映画にあるような早回しのアクションだとかそんなレベルの違和感じゃあない。初速が最高速で打ってくる! 立て直さなければ、やられる! メリケンサックを嵌めたフックがキラークイーンの前腕にめり込み、同じ部位に鈍痛が響く。

 

「伏せろ葉隠くん!」

 

 天井が十数メートルに渡って爆破された。あらかじめ爆弾に変えていたむき出しの配線を起爆することで、通路が爆風圧で満たされた。舞い上がったチリやホコリに紛れ、葉隠の手袋を目安に腕を引っ掴んで駆けだす。出口とは逆方向だが、仕方がない。

 

 そう、仕方がない。爆破してやる。正当防衛だ、これは。確実に。でなければやられる。

 

「あのヴィラン――」

 

 と言いさした葉隠を吉良が制した

 

「頼みがある」

「聞いて、どうでもいい事かもしれないけど」

「どうでもいいのなら後にしてくれ。どういう訳だか打撃が効かない。はっきり言って『透明』が役に立つ状況じゃあないんだ」

 

 一拍の沈黙の後に、わかったと返事が返ってきた。

 

 

 

 ――――――

 

 

 

 ヴィランはほんの少しその場に立ち止まって考えていた。天井の爆発は電気系統のショート? にしては大げさだが全体的に老朽化しているし、腐敗ガスに引火もありえなくはない。

 

 爆風圧でボロボロになったコートを脱ぎ捨て、ジャージ姿で二人が逃げた方へ駆ける。すぐに、角を曲がる男と動く手袋とブーツが薄らと視認できた。店子に隠れるという愚は犯さなかったようだ。

 

 狙いはおそらく管理室に入り、非常灯を点けるかシャッターを開くこと。

 

 室の前で二手に分かれるようだ。透明人間がドアノブを握り、男は通り過ぎようとしている。この場合の優先順位は当然、透明人間。おそらくここが腹部とあたりを点けて殴る。

 そのヴィランの鋭いボディーブローを放つ手首を、手袋が掴んで防ぐ。

 

「『透明』がぼくの打撃を受け止めるだと!?」

 

 消えろ、跡形も無く。

 吉良は内心で呟くと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は能力を発動した。

 透明だからな、葉隠もキラークイーンも。手袋が浮いていればそれで誤認してしまうものだ。こんな薄暗いところなら尚の事。

 管理室前に辿りつく前から二手に分かれていた。すでに。

 

 吉良が勝利を確信した瞬間、空気を裂く音と共に右足に激痛が走った。ヴィランのつま先がめり込んでいる。思わず座り込みそうになるのを壁に体重を預ける事で堪えた。

 ばかな、ありえない。キラークイーンは確実に爆破したはず。なのになぜ、生きている。無効化された? 効かなかった?

 

「よく悲鳴をあげなかったな。安全靴で骨を割ったのに」

 

 まったくの無傷でヴィランは周囲を確認した。

 

「透明人間はどうした? 隠れたのか? まいったな」

 

 ふむと、逡巡して声を張り上げる。

 

「たしか葉隠、とか呼ばれていたな! 聞こえるだろう! ぼくの個性は『無敵』だ。どんな攻撃も効かないし、止まらない。()()()だから眠っている時も、小説を読んでいる時も、自意識とはまったく無関係に全自動的に無敵だ。ダメージ無効とかショック吸収のようなB品個性とは違う。呼吸を止める事も無理だ。常に無敵なのだ、だから抵抗しても無駄だ。きみたちは知らないだろうが、ぼくはこれから、『個性を奪い、与える個性』を持つお方に会いに行き、この『無敵』を献上する。その待ち合わせをしていて、あまり時間が無い。手間を省きたい。ぼくがここを離れるまで、きみたちが抵抗せず、外に出て連絡を取らないなら無傷で帰す。約束する」

 

 脂汗を流しながら、吉良は考えるのをやめなかった。

 個性を付け替えできるという事か。そんな個性使いに、自分の『無敵』を自分の意思で渡そうとしているのか? その待ち合わせ場所が最悪な事にここで、しばらくすると黒霧とかいうのが迎えに来る?

 

「む、無駄だ。彼女には逃げるように言って、ある」

「へええ、自己犠牲ってやつかい」

 

 そうだ、と言いたいところだったが、本当はキラークイーンの無敵の爆破能力を知られたくなかったからだ。誤算だったのは、ヴィランに効かなかった点、ただその一点。

 それに、『透明』が戦闘で何の役に立つ?

 

「でもね、たかがシャッターでも『透明』で破れるほど柔な作りじゃない」

「おまえが非常灯を落とすために管理室へ行っている間に、最初にやられたヒーローの懐からカードキーを抜き去っているのでね。今頃は地上だ」

「……きみは何者だ。ヒーローには見えないが、ずいぶんと場数を踏んでるって感じだ。まあいいけどな、きみのB品個性はあのお方に相応しくない」

 

 来る、あの防御を全く考えない超高速ラッシュが。片足が砕かれたキラークイーンでどこまで持つ。

 

 ゴッ、と金属音がした。ハッとして見やると消火器の頭がこっちを向いて置かれている。あんなところにあっただろうか。いや、鉄パイプがゆっくりと持ち上がる。こんな芸当が出来るのは一人しかいない。バカな! 逃げろと言ったはず。

 そのままゴルフのスイングのように消火器の底をぶっ叩く。老朽化で傷んだ消火器は、出来た亀裂から凄まじい勢いで薬剤を噴射しながらヴィランの方へすっ飛ぶ。

 

 舌打ちで回避するヴィランの口惜しそうな表情が噴煙で覆われた。吉良は辺りを覆う煙幕に紛れて消火器が飛んできた方へ向かう。右足はダメだが、キラークイーンの肩を借りられるので小走り程度は出来た。

 

 ぐいと葉隠に腕を掴まれ、先導されるがままに付いて行こうとした矢先に背後から嫌な音が聞こえる。

 ぱきり、みしりと、ショーウィンドウのガラスを外す音。

 

「ま、マズい。葉隠、目を守れーッ!」

「見えない存在を攻撃するには、見える限りを攻撃するに限る。ぼくはそう思う」

 

 ヴィランは巨大な一枚の分厚いガラスを垂直の状態で手放し、初速が最速のラッシュで砕き飛ばした。無数の鋭利なガラス片が凄まじい速度で白煙を突き破り、二人のいる空間に殺到する。

 キラークイーンで可能な限りのガラス片を叩き落としながら葉隠に覆いかぶさるように倒れこむ。防ぎきれなかった一片が頭部に当たり、どろりと血を見せた。

 

「は……葉隠ッ!」

「だいっ……じょぶッ、こっち!」

 

 すぐさま立ち上がり、逃げる途中で消火栓に備え付けてある火災報知器を鳴らして足音を消す。耳をつんざく警告音が地下を満たす。

 

 なんだ、さっきのわたしの動揺は、と吉良は自問した。

 飛来する無数のガラスの欠片が葉隠の目を傷つけないか、それほど心配だったのか? 赤の他人の小癪な小娘に取り返しのつかない怪我がなくて心から安心したというのか。

 いや、違う。ここで運悪く動脈にブッ刺さって借りを返さないうちに失血死なんてされたら困るからだ。だから今、赤の他人の女が無事な事に心底ホッとしているのだ。

 この吉良吉影が他人の為に案ずるなど……ありえない。くそっ何だこの感覚は。

 

 その泥のような鈍い思考は、右足の痛みでかき消された。一歩進むごとにうめき声が漏れる。

 

「ちょっと隠れて休もう」

「いや、きみは……」

「いいから」

 

 強引に店子の中へと引きずり込まれるように連れていかれた。足のせいで抵抗する気は起きない。元文具店のようで、使い物にならなくなったペンやノートが散乱していた。

 

「やっぱり何か妙だよ、あのヴィラン」

「なぜ逃げ」

「だから聞いてってば!」

 

 押さえてはいるが、葉隠の怒気を孕んだ声色は初めて聞いた。

 

「たしかにわたしの『透明』に破壊力とかはない。けど、逃げる訳にはいかない」

 

 吉良は黙って続きを促した。

 

「他の科には伏せられてるけど、USJ襲撃時にオールマイトに匹敵しかねない脳無っていう複数の個性を持った改人がいたの。そいつはヴィラン連合の黒霧っていう『ワープ』の個性使いと一緒にワープして来た。さっきのやつはヴィラン連合の黒霧に接触して、『無敵』を『個性を奪い、与える個性』の人に渡すと言っていた。もしその人が脳無に複数の個性を与える役割なら、『無敵』の脳無を造りだされるかもしれない。そうなったら、今度こそオールマイトは……」

 

 だから、だからねと自分に言い聞かせるように、震える拳を握りしめて続ける。吉良の個性で下顎を抜かれてもまるでダメージを負わずに連打する姿は、人間とは思えなかった。畏怖を覚える。

 

「わたしだけ逃げて、助けを呼んで戻って来た時にはもう『ワープ』で逃げられるかもしれない。管理室に入った時、思ったより早かったなって口調だったからもう時間が無い。ここで『無敵』をヴィラン連合に渡す事だけは、絶対に出来ない。弱個性だからとか、個性が割れてるからとか、破壊力がないからとか、だからってそれが逃げる理由になるって領域を遥かに過ぎ去ってるの! 闘って、ここで阻止しないと確実に取り返しのつかないことになる!」

 

 ふだん葉隠は、朗らかで、さっぱりとした性格で物事に強くこだわる性格では無かった。ストレスを抱え込んで病気になる事は、透明人間にとって致命的だからである。

 ここまで情感を発露させて語る事は個性が発現してから一度も無かった。荒くなった呼吸で、壁を背に片膝を立てて座っている吉良を見やる。

 

 彼の目は瞬きもせずに葉隠に向けられていた。伝わっただろうか、問題はこの場に居る人間の命だけではないという事が。

 ゆっくりと口が開かれる。

 

「……逃げろ」

 

 一瞬で血が上ったのがわかる。刺すように睨みつけ、強く食いしばった。

 

「ではなく、逃がすな。つまりこういう事だな」

 

 ほっと胸をなでおろす。

 吉良は続けて言った。

 

「一つだけ、いい知らせがある」

「なに?」

「やつの個性は『無敵』ではない可能性がある。もっとも、それに近しい個性である事には変わりはないが、正確には違うだろう」

「どういう事」

「ジョックを倒したあとの戦略からして対個性戦に相当慣れている。にも拘らず、自分の能力を大声でバラすのは不自然だ。きみが離脱に成功した場合、黒霧に繋がる組織か人物に『無敵』が渡った事と、能力の内容が漏れてしまうわけだからな。だから正確に『無敵』ではないか、一部の嘘か、言っていない秘密がある。その脳無ってやつに与えられるとやばいのは変わりなさそうだから、ここでケリをつける事には賛成する。ただ、そこが弱点なのだ。偽の能力を喋った。そこに秘密がある」

 

 葉隠はその洞察に固唾を飲んだ。

 実技試験の時も感じた、吉良吉影の判断力、これだけの怪我でも冷静でいられるなんて。

 

「たしかに、でも何か。他に目的があるように思える。()()()()()()()()()()()()()()()とこに。それと、言いたかったんだけど天井の配線が爆発した時に、ちょっとだけ奴の体格が見えた。あの年齢にしては似つかわしくない、ボディビルダーのような筋肉質の身体。ほぼ間違いなくステロイドをやっている」

 

 暗がりだったので確認は出来なかったが、メリケンサックを付けているとはいえキラークイーンのタフネスを上回って本体にダメージを与える程なのだから、当然だろう。

 

「それが何か個性と関係があるのか?」

「わたし、個性にパワーが無いから中学の時に身体を鍛えてて、プロテインとか調べるついでにステロイドについてもいろいろ検索してたんだけど、副作用の一つに食欲減衰ってのがあった」

「それで?」

「覚えてない? やつはジャンクフードをもりもり食べてた。それに髪の毛もあったし、顔も横に膨らんでない。ステロイドってのは、やめるとすぐに筋肉が落ちるから今も続けてなきゃおかしいよ。白内障なんかの肉体の副作用ダメージを『無敵』の個性制御で防ぐのはわかる。でも肉体ダメージではない副作用を防ぐのは違和感がある」

 

 吉良は表に出さないもののその視点に舌を巻いた。

 実技試験の時も感じた、葉隠透の観察力、凄まじい。見られる事が無い分、観るという事に長けているのか?

 

 サイレンが鳴り止んだ。

 どうやら『無敵』には秘密がある事はほぼ確実のようだ。

 吉良は葉隠が持っていた鉄パイプを杖に肩を借りてなんとか立ち上がって確信する。

 

 秘密とは武器だ! その武器の威力を弱める理解こそがカウンターであり、したがってこの世で最も強力な力。暴かなければ、あの男の個性!

 

「それでも、敵の個性に秘密があっても強い。協力して闘わないと負ける」

 

 葉隠は消えそうな声で喋った。

 

「だから教えてほしい」

「なにをだ」

「吉良くんの、秘密の個性を」

 

 吉良は黙って葉隠が見上げているであろう視線に合わせた。まさか入試の地下駐車場の時点ですでに……

 いや、吉良吉影が他人を信頼して能力を明かす事など。

 

「やっと見つけた」

 

 店子の出入り口にヴィランが佇んでいた。

 

「出口に近い店から一軒一軒、出口を往復しながら確認したので時間が掛かってしまったが。これが確実なのだからしょうがないな。きみ一人か? 吉良とか言ったな」

 

 逃げ道が無い。最悪の状況だった。だが吉良にとってはそれが一つの証明に思えた。最悪である事が故に逆にわかることがある。

 

「……めい……は」

「はあ?」

「運命は常にわたしに味方する……」

 

 ヴィランは黙って、震える足を庇うように壁に手をつき腰を落とした吉良を見下ろした。吉良は脂汗を一筋流し、ねめつけるようにヴィランを見上げる。

 

「どんなピンチだろうと、この吉良吉影が乗り越えられないはずがないのだ。最悪だからこそ、チャンスとなってわたしに返ってくる」

「へー。名前まで教えてくれてありがとう。でも残念ながら、きみはぼくの『無敵』の個性に敗北する。ぼくは運命なんて都合のいいモノを信じたりはしないが、あるとすればその結果しかない。きみの敗北、それだけだ」

 

 ヴィランは瞬きの間に接近し、連打を仕掛けるが何かに阻まれる。

 

「うーん、なんだろうこれ。素早くてそこそこ硬い。見えないから避けられない。邪魔だ、が」

 

 3メートルほどのバックステップの後に全体重と最高速度を乗せた正拳突きに吉良は反応できず、商品棚に吹っ飛ばされる。葉隠は声を押さえるだけで精いっぱいだった。

 拳や上半身を使ったフェイントではなく、身体全体を手品のように前後させる不意打ち。速すぎる、何もかも。

 

「あばらをブチ折ってやったからな、肺に突き刺さって呼吸が辛いだろう? 叫んで助けを求めたらどうだ、葉隠ってやつに……まあいいけどな」

 

 ピクリとも動かない吉良に見切りをつけると、どこかのチンピラが捨てたのであろうライターで火炎感知器を作動させる。

 

 スプリンクラーが作動し、さあさあと放水された。

 

 あっという間の決着に身動きする暇もなかった葉隠は天井を見上げ、次いでその意図を理解した。衝突する水滴が、くっきりと身体を象っている。

 焦燥した瞬間に足首に衝撃を受けた。

 

 ヴィランの放った足払いが葉隠の身体を一回転させて地面に叩きつけ、そのまま適当に踏みつけると、人肉の感触が靴越しに伝わる。鉄板の入った厚底の安全靴なのでどこの部位なのかはわからないが。

 

「はっきり言って。きみ達を見逃してもよかったんだが、あのお方は『透明』の個性も喜んでくださると考えてね。()()()()()()()()()()()()()()()んだ。他はどうでもいい。で、一つ疑問がある。教えてくれないか。きみのその『透明』は異形型なのか? 否なら解除してみてほしい。発動か変形だと応用が利くから嬉しいなあ」

 

 そのまま踏みつける足に体重と力を徐々に強めていった。

 

「ぼくの過去はいたって普通で、良くも無ければ悪くも無い、どこにでもいる目立たない男だ。興味ないだろうし、面白くないから言わないけど、あのお方の考え方は素晴らしいという事は信じてくれ。きっときみも挺身するだろう。表舞台に立つ事を避けていらしたようだったから仕方がないが、もっと早くお近づきになりたかった。無為な時を過ごした。五年ほど前のオールマイトとの死闘を聞いた時は涙が出てきた。その時ぼくは何をしてたと思う? のんきに娘の授業参観に行ってたんだ。情けないよ」

 

 かかる圧力に、葉隠は思わず苦痛の声を漏らす。力いっぱい殴ってみるがビクともしなかった。

 

「正直なところ『透明』が異形型だと残念ながらあのお方に使われる事はないだろう。でも安心してほしい、脳無という改人になれる。とても強靭な肉体で、きみが素体なら他の人間の個性も与えられる。正直言うと、ぼくなんかの『無敵』があのお方のお眼鏡にかなうか自信が無い。だからひょっとしたらぼくたちは一緒の脳無になれるかもしれないな」

 

 骨が軋む音が骨伝導して葉隠に響く。痛みで嫌な汗が噴き出る。

 

「考えてみれば透明(Invisible)無敵(Invincible)、この世でもっとも相性がいい個性なんじゃないか。響きもそっくりだ。無敵の透明の脳無を倒せるやつがいるだろうか。さっき運命を否定したばかりだが、葉隠、ぼく達二人は運命的な出会いだと思わないか、ぼくはそう思う」

 

()を踏む足をどけろ」

 

 ヴィランは、壁に肩を預けてなんとか立っているだけの吉良を見やった。降りかかる水で前髪は垂れて目元は窺えず、額からの出血が流され、ジャケットとシャツに不気味な染みを作っている。

 商品棚に吹っ飛ばされる直前にキラークイーンの前腕で防御できたので、あばらはヒビ程度で済んだとはいえ、代償として右腕はぱっきりと折られて、力なく揺れている。

 

「けっこうタフなんだな」

「彼女の手を踏む足をどけろ、と言ったのだ」

 

 指を曲げたまま踏まれていた二本が乾いた音を立てた。葉隠は叫び声を飲み下そうとした、負けを認めるようだったから。

 降り注ぐ水の音に、少女の堪え切れない嗚咽が混じった。

 

 吉良が熱の無い声色でぽつりと零す。

 

()()()()()()()……と名付けている」

「は?」

「射程距離は2メートルほど、形ある像を動かせる。本体のわたしが望まない限り、像は物質を透過する。そしてその像が触れたいかなる物質をも爆弾に変える事が出来る。起爆方法は3つあり、触れた瞬間に爆破する即時起爆、爆弾に触れたモノだけを爆破する接触起爆、爆弾そのものをスイッチで任意に爆破する遠隔起爆」

 

 ヴィランは怪訝な顔で、朗朗と語られる説明を聞くだけだった。

 

「爆破は超自然的な現象で、被爆破対象は跡形も無く消え去る。その一部を残す事も出来る。爆弾に変えた物質を起爆しなければ、新たに爆弾を作る事は出来ない。何をアホ面下げて突っ立っている。わたしの能力の話だよ」

 

「……それが事実なら、文句なくA品個性だ。本当ならね。新入社員にするどーでもいい社内研修みたいな説明をどうもありがとう。きみのような対個性戦に手慣れた者が、個性をバラす事に何のメリットがある。嘘だね。本当ならあのお方に挺身させる」

「ああ、まったく。子供を襲って喜ぶ程度の奴らが集まる、しかも尻尾を巻いて逃げたケチな犯罪組織に秘密の個性が奪われるかもしれない。これでは例えここから逃げたとしても安心して熟睡できない。ついでに言っとくと、さっき戦い慣れた者が個性をバラすはずがないって言ったな。ということはやはりきみは『無敵』ではないと自白してくれた。こちらこそありがとう」

「なにが言いたい」

 

 と苛立った口調でヴィラン。小ばかにするように答える。

 

「わからないかな~。つまり、わたしが平穏な生活を送るにはきみを今日いまこの場でブチのめすしかなくなった、って事だ。わからないだろうな」

 

 前髪を搔き上げ、情感が消え去った漆黒の意思の瞳で見据えて告げる。

 

「これは『覚悟』だッ! わたしの能力を知るきさまを、ここで確実に再起不能にしてやるという『覚悟』だ!!」

「やってみろ……ガキの手が砕ける音を聞いてから!」

 

 キラークイーンが小さなコンクリート片を、葉隠の手を踏むヴィランの靴と地面の間に素早く投げ入れる。

 

「なっ!?」

「鉄パイプをやつに向けろ!」

 

 葉隠は涙で滲む視界を拭い、吉良が杖代わりにしていた鉄パイプを握る。握った端は力任せにねじ曲がっていた。

 

「キラークイーン!」

 

 カチリとスイッチが入る。上を向く鉄パイプの内部の底の小石が遠隔起爆され、その上の壊れたペンや辺りに転がっていた釘、割れた物差しやカッターの替え芯が、爆風圧によって即席のパイプガンの弾丸として発射される。

 

 どれほど強い人間でも反射行動を制御する事は難しい。おそろしい速度で顔面に飛び込んで来る飛翔体に思わず手で庇い、身をよじった。一瞬弱まった足の力の隙に葉隠は手を抜き出す。支えとなっていたコンクリート片が遅れて踏み抜かれる。

 

 葉隠はすぐさま吉良に肩を貸して、可能な限りの速度で店を出て、ある場所に向かった。

 

「やっぱり違うんだ、吉良くんの言う通り、あいつの個性は『無敵』じゃない。十代の姿で娘の授業参観にノンキに行ける男が、普通の人生を送る目立たない男? そんな訳がない。個性で肉体の年齢を変えられるんだ」

 

 そうだとしたら、と吉良は呼吸するだけで痛むあばらを意識しないように思考を口にする。

 

「肉体を十代の姿で維持できるのか。維持されているからダメージが通らないのか? だが初速が最高速度の動きとステロイドの副作用を無視しているのは一体……」

 

 背後から獰猛な肉食獣が駆けるような足音が、瞬間的に接近する。

 

「追いつかれる」

「まだだ!」

 

 先程鳴らした火炎報知器の消火栓を爆破し、凄まじい勢いで噴き出す水圧で一時は退けてなんとか距離を取る。

 背後から呪詛のような叫びが木霊した。

 

「吉良ッ! おまえは見逃してやる。だから『透明』は置いていけ、彼女の個性と最も相性がいいのはぼくだ! 逃げきれはしない! さもなくば死ね!」

 

 死、か。と吉良は初対面でファンに言われた事を思い出した。いいツラだ、でも死ぬ。その通りになりそうだ。同時にもう一つの言葉も想起した。

 十代とは()()成長できる時期。

 ダメージの無い最高の肉体、成長できる最高の時期、初速が最高速度の動き。まさか、やつが維持しているのは――

 

 なんとか目的の出口にたどり着く、足はもう限界だった。シャッターを背に二人は座り込む。カードリーダーは破壊されていた。

 

「葉隠、きみが選べ」 暗闇の中から、ゆっくりとヴィランが輪郭を浮き上がらせて近づいてくる。 「きみがぼくと共にあのお方の元に来るのなら、その男は殺さないでおい」

 

 遮って吉良が口を開く。

 

「おまえは『無敵』ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それがおまえの秘密の個性だ」

 

 おどっ、と口どもってから驚いたなと答える。

 

「その口ぶりだと確信してるって訳か……ぼくがどれだけ取り繕っても無駄そうだな」

「いつでも、ほんの一瞬だったとしても偶然の記録だとしても、人生の中で出した最高が出力される。だから初速が最高速度の動きが出来る。薬の副作用を含むダメージも一瞬で最高の体調に塗り替えられる。人生の成長期である十代の肉体が維持される」

 

 ヴィランは深い溜息を吐いた。

 

「……きみ達は本当に何者だ? わが個性『全盛(ヘイデイ)』を見破るとは、恐れ入ったよ。だからなんだって話だけどな。さっきの陳腐な銃には無意識的にビビった。ヤバいって感じた。でもおかげでまた反射神経の全盛を塗り替えられた。トラックとぶつかる瞬間に時間がゆっくりに感じるような感覚を得たって表現すればいいかな。今ならライフル弾も避けられる気がするよ」

 

 貯水が切れたせいか、スプリンクラーの放水が止まる。一歩一歩、水浸しの床を踏みしめながらヴィランは続けた。

 

「捉えているからな。ぼくの走力は、むかーしドーピングしまくった時に叩き出した時速67キロメートルだ。今からシャッターを爆破してもこの距離なら1秒で詰めて、今度は頭蓋骨をブチ抜く。次は何を『爆破』で飛ばす? 必要ないが、避けてやるからな。それともキラークイーンとやらで殴るか? 無駄だがな。ぼくの個性は『無敵』ではないが、『全盛(ヘイデイ)』は無敵の個性だ」

 

「逆だ、全てが。射程距離内に捉えたのはこちらで、『爆破』で飛ばさないし、そして避けられない」

 

「さらに全盛は終わるし、無敵ではない」

 葉隠が付け加えた。

 

 キラークイーンが肘打ちで背にしていたシャッターに小さな穴を空ける。

 小汚く淀んだ冷たい闇に、清く清純で暖かな一条の光が差した。

 全ての闇を照らす事は出来ないほどの、弱々しくすぐにでも呑まれてしまいそうな一筋の光明。それで十分だった。

 それこそが必要な物だった。

 

 吉良は二つの『覚悟』を決断していた。一つは自分を、吉良吉影を追い込む為に、敵に能力を明かした事。二つ目は他人を、葉隠透を信頼する為に、能力を明かした事。

 

 折れていない左手で、左側に居る葉隠の右手を誘導する。頭部にひびが入り、右足と右腕が欠けたキラークイーンの左手へ。重なった二つの手の指はヴィランを指していた。

 

 葉隠は一つの『運命』を確信していた。ほんのささやかな、ありふれた事柄の全てが導いたのだという。

 

 入試で吉良と出会った事。

 体育祭で助けるという意思の欠如に気付いた事。

 ヒーロー科で相澤消太の授業を受けた事。

 学友のアドバイスを受けた事。

 学友にQUEENを教えて貰った事。

 引力のように同じ事務所へ職場体験に来た事。

 吉良の能力の名前が()()()()()()()だった事。

 

 全ては、『個性を奪い、与える個性』の使い手に『全盛(ヘイデイ)』を渡さないという、「正義の心」に味方する『運命』なのだと。

 怖かった。体中擦り傷だらけで、指も砕かれた。それでも今、ここでこうしている『運命』に心から感謝した。

 

 ありがとう。

 

Dynamite with a Laser Beam(指向性を与えられた秒速30万㎞の爆弾)

 

 葉隠の身体を透過する光のうち一つの光子が、人智を超えた緻密の最奥とも評すべき個性制御により、指先から放たれた。同時に、重なっているキラークイーンの指に触れ、自動的に爆弾に変わる。

 

 放たれた光子は空気中の塵や埃と乱反射するように衝突と屈折を繰り返し、目標に激突して接触起爆の条件を満たす。

全盛(ヘイデイ)』は身体の爆破に対応し、即座に最高の状態へ塗り替える。

 その間にも途切れなく葉隠によって放たれ続ける光子は、接触起爆が終了した瞬間に自動的に爆弾に変えられたものだ。

 

 マイクロセカンド間で数えきれないほどの破壊と再生が繰り返されたが、終局は純粋に速度の問題だった。『全盛(ヘイデイ)』の個性制御による再生速度が光速よりも遅かっただけの話。

 

 比喩ではなく瞬きの間にヴィランは半死半生の状態で吹き飛ばされる。最後の破壊に弱々しく再生を試みてはいるが、個性を使うほどの体力は残っていない。

 もはや十代の顔ではなく、傷だらけだがどこかいいところの給与人に見えなくもない顔をしていた。どこにでもいる、静かに平穏な暮らしをしていそうな。

 

『覚悟』と『運命』が、悪意を撃ち破ったのだ。

 

「対個性戦でまず重要なのは、相手の、種類を、見極める事」

 

 個性制御でへろへろの葉隠が息も絶え絶えで言った。

 

「社会生活で普通に過ごしてたって事は個性をオンオフ出来てたって事。つまり異形型じゃない。常に全盛を発動しているか、全盛の状態に変形し続けているかのどちらか。個性の維持による体力消費も、身体を最高の状態にし続ける事で実質無限に使い続けているだけ」

 

 異形型は他の型にゴリ押しが効きやすい。相澤先生の授業をマジメに受けてて良かった。

 

「葉隠くんに対して、ご自慢の時速67キロメートルは遅すぎたな。今日で衰勢だ」

 

 吉良が皮肉を込めて軽口をたたいた。

 小さく悪戯に笑い、葉隠はふらつく身体で立ち上がる。『透明』と最も相性がいい個性は無敵でも全盛でもないんだ。それは……

 

「吉良くんはじっとしてて、足をやられてるんでしょ。わたしはジョックさんの捕縛錠かなんかを借りてヴィランを拘束してくる」

 

 その後、頭部に重症を負ったジョックを下手に動かす事は避け、シャッターを爆破し、拘束したヴィランを引きずりながら、ようやく地下商店街を後にした。

 階段を登るたびに新鮮な空気とまばゆい太陽。

 そして不自然な喧騒が聞こえる。

 

 そんな、とヴィランを引きずりながら吉良に肩を貸していた葉隠は絶句する。その姿には見覚えがあった。USJで見た、黒いモヤで覆われた個性使い黒霧と、夜色をした巨体、脳無。それと数人のヴィランが待ち構えていた。

 晴天の中の逆光で伸びるヴィランの影が、魔の手のように二人へ向かっている。

 

 葉隠の「運命」が尽きかけようとしていた。

 




次回 たぶん今日の夕方か夜か三割で明日以降、かも


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⑧ ザ・ミラクル

「お願い! 警察とヒーローに連絡をッ! すぐに逃げて!」

 

 かろうじて葉隠がそう叫べたのは、それ以外に選択肢が無かったからだ。野次馬もボロボロの吉良やヴィランを目にするとざわめきだし、その内の何人かが警察と通話しながら去っていく。

 

「待ち合わせ場所の管理室に不在で、通路には戦闘の跡があったのでもしやとは思いましたが、まさか彼が負けるとは」

 と黒霧が心底不思議そうに尋ねた。

「いったいどうやって倒したのか……は、まあ本人に聞けばいいでしょう。彼を渡してください」

 

 こいつが黒霧か、と吉良は滲む視界でなんとなく理解して言った。そしてもう、この消耗した身体ではキラークイーンのスタンドパワーはもう限界に近い。

 

「……個性解除後の姿を知っている、という事は『全盛(ヘイデイ)』の能力についても知っている訳だな」

「あなたは?」

「誰だっていいだろ。大気汚染の塊みたいなきみは、『無敵』ではなく『全盛(ヘイデイ)』が必要なのだな。いや、ヴィラン連合で『個性を奪い、与える個性』の者が欲しているのは『全盛(ヘイデイ)』って事か。使いを寄越すって事は、そいつは組織のボスか幹部なのかな。ん、どうなんだ」

 

 黒霧は答えなかった。

 

「なに図星を突かれましたって感じで黙りこくってるんだよ。そういえばおたくのボスは数年前にオールマイトと戦ったらしいな。そいつが『全盛(ヘイデイ)』を欲しがるのはひょっとしてなんだがもしかして……衰えているのか? 癒えない傷を負ったのか? 『個性を奪い、与える個性』だけでオールマイトと渡り合えるとは考えられないし、個性をストック出来るのか? 『全盛(ヘイデイ)』を使って回復したいんじゃあないのか」

 

 この判断力。たったあれだけのセリフで、『全盛(ヘイデイ)』が余計な事を喋ったにしてもよくもまあ。と黒霧は空恐ろしさを覚えた。

 

「命までは取らないつもりでしたが」

「おいおいおい、きみのミスだぞ。きみが迂闊にも個性解除後のこいつを認識したのが悪いんじゃあないか。それにわたしたちを殺しても、もう遅いがな」

 

 ジャケットの袖から携帯端末がアスファルトに転がり落ちて画面を下に止まった。風が不穏に吹きすさぶ。

 

「警察に連絡を取っていた野次馬がいたからな、電波妨害は地下だけに限定されていたのだと確信した。もっとも地表を巻き込んでは騒ぎになりかねないが……通話していた、すでに」

「……誰と」

「うーむ。慌てていたからわからないんだ、自分でも本当に。どうしたんだ、怒っているのか? 黙っていてもわからないぞ、せめて黒いモヤを頭の所だけ真っ赤にしてくれないか」

 

 黒霧が転がった携帯端末に歩み寄る。接触起爆する携帯端末に。

 葉隠に肩を借りた状態でDwaLBは使えない。爆破能力がここにいるヴィランにバレても殺されるよりマシだ。黒霧というこの場のリーダー格を粉々に吹っ飛ばして、士気をくじいて逃げる他ない。

 

 挑発に乗ったのかどうかはわからない黒霧が、携帯端末までほんの数十センチのところで止まる。

 

「やはり冷静になってみれば、『全盛(ヘイデイ)』を倒した連中に近づくのは得策ではない。彼を正攻法で倒せる個性があるとは考えられない、策で倒されたとみるべき、か。妙に挑発的なのも気になる」

 

 黒霧が一歩引くと、代わりにヴィランが歩み出て手を伸ばした。

 吉良はそれを絶望的な眼で眺めるしかなかった。こんな最悪な時にこそ、運命は味方してくれるはずなのに、と。

 

 不穏を表すかのように雲行きが怪しくなり、ぽつりと雨粒がアスファルトに染みを作る。

 

 ――――――

「運命」は吉良に味方しない。

 去ってしまっているから。

 ――――――

 

 脳無が地面を抉る程の脚力と重量で突っ込んで来る。もうキラークイーンを出す事も出来ない。ひどく寒かった、身体が震える。

 強風でジャケットとタイがはためく。駐輪してあった自転車が倒れた。

 

 ――――――

 入試試験の時、「正義の心」を持った受験生に負けた。

 体育祭の時、「正義の心」を持った生徒に負けた。

「正義の心」に敗れ去った「運命」は、吉良吉影が「正義の心」と相対する限り味方しない。

 ――――――

 

 脳無の眼前に何かが落ちてきた、一時停止するかのように足を止める。それは大型ペットボトルほどの大きさで、エラがあり、ヒレがあり、ピチピチと跳ねていてる魚だった。魚だったが、魚屋で目にするようなものではない。虚ろに黒く大きな瞳と、小さく鋭利な歯が並んでいる。

 

 ――――――

 それは転じて、「悪意の心」に相対する限り、そうでないという事。

 ――――――

 

 喫茶店のオシャレな黒板看板が倒れ、街路樹がしなる。

 ヴィランの一人が悲鳴をあげた。信じられない事に陸地で腕をサメに噛みつかれていた。

 

 黒霧と配下のヴィランが背後の異様な風音に気付き、そのままゆっくりと振り返る。強烈な威圧感に固唾を飲みながら。

 

 

 

 ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨

 

 

 

 仄暗い局所的ハリケーンに逆流する形で泳ぎ、空中に佇む巨大なホホジロザメ。その全長は大型トラックよりも大きい。漆黒の眼が、眼下のヴィラン達を見下ろしている。

 

「ば、バカなッ! シャークは沖に出ていたはず!」

 と、これからサメの餌食になるので名前の無いヴィランが叫んだ。

 

「あの新入りの『予測条件(フラグ)』が役に立つ事もあるんだな」

 

 ハリケーンから歩み出る一人の男が答える。

 

「ジョックのやつ、職場体験を終わらせたら金髪美女と結婚するつもりだとなぜか前日に相談しに来たし。既読無視だなんて、きっとあの女の所だわって金髪美女が喚くもんだから、まさかと思ってシャークを呼んでおいて正解だったようだな」

 

 そのまま『旋風(ファン)』の個性で、瓦礫等をソーチェーン(回転する刃のとこ)代わりに回転させ、ギャイインと左右の手の先から即席のチェーンソーを作り出す。

 

 その背筋の凍りそうな駆動音にヴィラン達は冷や汗をかく。

 

「ファンまでいるなんて聞いてないぞ! こんな危険な場所にいられるか、おれは抜けさせてもらう」

 

 背を向けて走り出すヴィランの首筋にハンマーヘッドシャークの断頭台じみた頭部が激突した。強烈なラリアットを食らったように空中で数回転し、泡吹いて白目剥いてぶっ倒れる。

 

 その様子を見て、他のヴィランは逃げ道など残されていないのだと腹をくくる。

「こうなったら、やるしかねえ、逃げてもやられるだけだ」

「シャークの操るサメの攻撃で出血はしない! 痛みはあるがすべて血糊だ!」

「やつらはあれでもヒーローだ、殺されはしない!」

 

 虐殺だった。

 犬を虐待するのが好きな動物虐待ヴィランがイヌザメの群れに襲われ、大量出血糊。赤子にコーラばかり飲ませ、全ての歯を虫歯にしたあげく児童養育施設に預けた育児放棄虐待ヴィランは、大量のコモリザメのサメ肌で全身をあやすようになでられて全身血糊ダルマ。何件もの恐喝、強請り、泥棒やスリの罪で指名手配されていた強盗ヴィランは数えきれない程のコバンザメに吸着されその重みで吐血糊。

 

 うららかな街の一角が、一瞬で血糊の海と化す。

 

「くっ、こうなったら仕方がありませんね。脳無!」

 

 ゴゴゴゴゴ

 

 その言葉で脳無は20メートルほどに『巨大化』した。

 

 木の個性のヴィランを即席チェーンソーでアレしていたファンが、シャークにアイコンタクトを送る。

 

 ファンはハリケーンに飛び込み、両腕で抱えきれないシャークの太い尾ひれを『旋風』で自分側に押しつけて固定。巨大なシャークをガイドバー(刃を回転させる板のとこ)にし、彼の従えていた無数のサメをソーチェーン代わりにした。一匹一匹が獲物を求めて口を開閉しながら高速回転している。

 

「待ちたまえ、ヴィラン連合にはまだワシが残っている事を忘れてもらっては困る」

 いままで沈黙を続けてきた中年のちょび髭ヴィランが演説のように語る。

「ワシの『寺院の地図記号を左右反転して左45度傾けたアレ』には勝てん、どんな個性だろうと……連合国を除いてな!」

 

 ちょび髭の足元からどす黒い粘質な液体が と広がり、こぽりこぽりと泡立つと幾人もの兵隊へ形を変えた。みな一様にヘルメットとガスマスクを身に着けている。中には四肢が鋭利な槍であったり、両手が鎌の大男もいた。

 

 しまった! 現在、ハリケーン・シャークはシャークチェーンソーとなっており、多数を相手できる状況ではない。

 吉良と葉隠に迫る『寺院の地図記号を左右反転して左45度傾けたアレ』兵。

 危なーい!

 

 鋼鉄の身体の『寺院の地図記号を左右反転して左45度傾けたアレ』兵の頭が撃ち抜かれた。

 

「いったい何が起きた!?」

 

 黒霧が銃声のした方向を見やると、爆走する深紅の無人カウンタックのルーフに立ちながら拳銃を構えた男が一人。

 赤い鉢巻きに同色のタンクトップ。黒の革ジャンとジーンズにローテクスニーカー。悪を憎む、厳めしい顔つきをしていた。

 低い声で唸るように、何が起きているかを答えてやる。

 

「My job」

 

 バァ―――z___ン!

 

「ガン・フューリー!」

 憎しみを籠めてちょび髭ヴィランはその闖入者の名を叫ぶ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 巨大化脳無の振り下ろされる一撃に、真っ向からシャークチェーンソーを突き刺すように跳んだハリケーン・シャーク。その足元で『寺院の地図記号を左右反転して左45度傾けたアレ』兵がガン・フューリーにユニークキルされ続けていた。

 

 地獄絵図だった。

 

 黒霧は黙ってワープゲートを通って帰った。一匹の勇敢なイタチザメが突入したが、途中でゲートが閉じられて半分に切断された死体が残る。

 

 

 

 ――――――

 

 

 

 吉良と葉隠はすぐに病院へ搬送されたので詳しくは知らないが、事態は紆余曲折(月まで行った)の末に収束した。医療費は監督責任を感じたハリケーン・シャークが全額を負担。葉隠の手の骨折は出張してくれたリカバリーガールの治療で完治。だがリハビリは必要だろう。

 隣の病室で、「体が勝手に動いたんだ。学生を危険に晒すくらいなら身代りになってやるっていう反射的な行動だった。結果的に大怪我を負ったが、未来ある子供を庇っての傷なら、俺にとっては勲章さ」とジョックが金髪美女にぺらぺらとくっちゃべっている。

 

 あの場に居た黒霧を除く全てのヴィランは奇跡的に生きており、警察に引き渡された。

 問題の地下商店街にいたヴィランは、爆破されゆく身体を『全盛(ヘイデイ)』で無理やり繋ぎ止めている均衡が続いており、昏睡状態が続いている。自然回復する体力の量と、変形型の維持に支払われる体力の量はほぼ同じらしく、回復の見込みはないらしい。

 妻子が病室に訪れ、泣き崩れていた。葉隠はそれを聞いて胸がつらくなった。

 救ったつもりが、却って被害者を増やす事もある。この不幸な現実を認めるにはもう少しだけ時間が掛かりそうだった。

 

 地下商店街で何があったかを警察、相澤と普通科の担任と交えて話したが、葉隠は吉良の個性を喋らなかった。

 事情聴取に全てを語らない事は、ヒーローを目指すものとしては不適格だろうか?

 だがキラークイーンの能力は危険すぎる。ただでさえヒーロー科がヴィラン連合の標的になったというのに、戦闘訓練を受けていない普通科の吉良がヴィランに狙われるのはマズい。

 葉隠は自分でそう判断し、決断した。

 

 個性を秘密にする権利を掲げるシャークのおひざ元という事と、正当防衛性が認められたことから追及は無かった。相澤がそれとなく遠回しに葉隠に尋ねるが、フラれる。

 

 難を逃れた黒霧だったが、本拠地である地下バーは一緒にゲートを通ってきたサメの上半身と切断面からまき散らされた臓器や血でまみれていた。死骸はワープで捨てられるが、壁や椅子にへばりついた残骸の一つ一つはそうはいかない。

全盛(ヘイデイ)』の回収に失敗しオールフォーワンの癒えない傷を完全回復させる貴重なチャンスを失ったばかりか、腐敗によるアンモニア臭が漂う中、死柄木にぐちぐち言われながら頑張って掃除する羽目になっていた。

 

 腹の底から『ザマミロ&スカッとサワヤカ』の笑いが出てしょうがねーぜッ!

 

 

 

 ――――――

 

 

 

「結局、職場体験の一週間はほぼ病院生活だったね」

 と、雄英に戻る新幹線の中で葉隠が言った。

「やっぱりまだ痛む?」

 

「いや。なぜだ」

「難しい顔してるから」

 

 痛いだけならまだマシだと吉良は内心で独り言ちる。結局、地下商店街では葉隠と共闘した形になった。借りを返せるチャンスだと思っていたのに。いったい、熟睡はいつになる。

 

「……入試の時の借りを返せなかったからな」

 つまらなそうに言う吉良に、葉隠は一瞬だけきょとんとしてからあっけらかんと答える。

 

「なんだ、そんな事か。借りなら、もうとっくにチャラだよ」

「な、なに。いつだ」

「それこそ入試の時かな」

「どうやって」

 

「さーねー。個性に悩める女の子の絶望を木っ端みじんに爆破してくれたってとこかなー」

 

 吉良はさっぱり思い当たる節が無かった。無かったが、相手が借りは返してもらったと言っているのだ。それならどうでもいい、これで胃薬ともおさらばだ。

 

「あ、ねね。外見て! 掌の先で操作してる簡易チェーンソーをタイヤ代わりにしたファンさんと、鳥みたいにヒレで羽ばたいてるシャークさんが追走して見送りに来てくれてるよ! おーい」

 

 吉良は胃薬をあるだけ飲んで、寝たふりをした。新幹線に並走するんじゃあない。

 

 こうして、美しい砂浜、透き通るような海に面したある街の職場体験は終わった。

 

 

 ――――――

「命」を「運」んでくると書いて、「運命」。

 

 葉隠の「命」を、死地から「運」び出す。

 それが「悪意の心」と相対した瞬間に定められた、吉良吉影を味方する「運命」だった。

 ――――――

 

 

 

 xxxxxx

 

 

 

 職場体験から時間は経ち、夏休み真っ盛り。吉良は平穏を満喫していた。体調も全快し、しょっちゅう雄英の図書館に赴いて本を借り、敷地内の静かな所でサンドイッチでもパクつきながら読書するのが日課だ。携帯端末でネットフリックスを見てもいい。

 

 何やら近所で違法アイテムを作っていた犯罪組織が襲われたり、そこのエンジニアが逃げ出したり、ジェントルとかいう個性ユーチューバーが何とかという個性VTUBERとコラボしたり。

 とにかくいろいろとニュースになったらしいが平和だ。

 

 まるでパターソンの主人公のように平穏な人生だ。けっこういいな、雄英。敷地がバカみたいに広大だから静かで、美しい自然にあふれている場所がそこかしこにある。図書館もそこらの大学よりも充実しているんじゃあないか。

 

 サンドイッチの欠片を地面に放ると、かわゆい小鳥がつつきに来た。吉良はこれに結構幸せを感じている。

 陽が落ちる頃、神野区から離れた閑静な住宅街へ帰った。

 

 その夜も寝る前にぬるめのミルクを飲み、ストレッチをして熟睡していた。

 

 ―――一方その頃、神野区市街―――

 あのお方ことオールフォーワンが、脳無製造工場を制圧したベストジーニストを圧倒し、その余波で何棟ものビルが崩壊した。

 ――――――

 

 

 う、う~ん。と吉良は遠くから聞こえるその破壊音に寝返りを打つ。

 

 

 ――――――

 その頃。オールフォーワンが数キロに渡ってオールマイトを吹き飛ばし、やはりビルが崩壊した。

 ――――――

 

 

 吉良は布団を被り、近くを通る救急車や消防車、とにかくサイレンが鳴る車両の音を防ごうとした。

 

 

 ――――――

 その頃。オールマイトのトゥルーフォームが晒されていた。報道ヘリの飛行音と近所のざわめき、ちらほらと悲鳴も聞こえる。

 ――――――

 

 

 吉良は諦めて布団から出て窓の外を見る。空が赤く燃えている。いつも見えるビル群が軒並み消えていた。

 

 勢いよく自室の襖障子が開かれ、吉良の親父こと吉廣が叫ぶ!

「吉影ぇ! 避難勧告が出とる! すぐにこの場を離れるんじゃ!」

 

 どうやら付近の住民も避難する様子で、ばたばたしている。

 ば、ばかな。一体何が起こっているというのだ。

 とにかく警察の指示に従い、指定緊急避難場所へ向かう。

 

 何故だかとてつもなく嫌な予感がした。途方も無くどうしようもない程の「運命」が待ち構えている気がする。

 

 避難場所は小学校の体育館で、簡易的なパーティションで区切られたスペースが割り当てられた。

 空調が効いているとはいえ、こんな人混みの中で吉良吉影という人間が眠れるわけがない。エコノミー症候群になりながら朝を待った。携帯端末でネットニュースを見るに、オールマイトが戦っているらしい。

 

 翌朝、通信環境の問題で確認できなかった動画を確認すると、どうも件のヴィランは複数の個性を使っているらしかった。

 まさかこの趣味の悪いスーツ姿の男が、全盛(ヘイデイ)を欲しがっていたヴィラン連合のボスなのか? 

 クソッ。こいつのせいでわたしはあんなひどい目に遭ったのか。

 

 ほとぼりが冷めたので、ぽつぽつと自宅を確認する人々に紛れて帰路を急ぐ。

 しかしどうにも嫌な気配。段々と見慣れた風景に近づくにつれ、規格外の個性戦の爪痕に泣き崩れる人々が増えた。

 飛来したコンクリートの塊に潰された家を前に、これからどこで暮らしていけばいいのか途方に暮れている。

 

 まさか……と吉良は角を曲がり、慣れ親しんだ生まれ育った家を確認する。

 

「わが家がッ!」

 

 と、驚愕せずにはいられない。

 

「ロードローラーにッ!」

 

 ブッ潰されていた。

 あまりの事に周囲を確認するが、別段吉良家の運が悪かったわけではない。お隣さんも、お向かいさんも、どの住宅も大なり小なりの被害を受け、半壊に近い。移住を余儀なくされている。塀が崩れた程度の物件もあったが、そもそもインフラが破壊されているので定住するにはまだ尚早。

 

 ばかな……この吉良吉影の平穏を……ゆ、許せん。

 

 その後、遅れてやって来た吉良の親父に腕を掴まれ、爪を噛むのをやめさせられた。

 

「吉影、どうやらヴィラン連合はほぼ全員逃げ切ったそうじゃ。その残党どもにいつまた雄英が襲われるかわからん。で……提案なんじゃが、あんな危ない学校は辞めて、どこか別の、ヒーロー科の無いところへ転校せんか? え? もうヒーロー関連には関わらん方が……」

 

「このわたしが雄英を離れるだとーーッ!」

 

 がっしりと吉廣の肩を掴む。

 

「あの素晴らしい環境を手放せと言っているのか! 冗談じゃあないッ! 雄英の広大な自然と整備された施設を兼ね備えた場所が、他にどこにあるというのだ」

「じゃ、じゃがヴィラン連合は、残党はまだ」

「雄英は決して離れないぞ!」

「吉影……しかしおまえはいつ誰に襲われるか気にして暮らしていける性格では……」

 ハッと気が付き、それだけはよしてくれと震える声で言った。

「よすんじゃ、そんな、何もおまえがやらんでも!」

 

 雄英を離れず、しかし雄英を襲う輩に怯えずに人生を送る方法は一つしかなかった。たった一つの難き道。

 吉良は吉廣の肩を離し、戦闘の中心があったオフィス街へ視線やる。

 黒煙が所々にあがり、凄惨に群がるように報道ヘリが飛んでいる。

 

 

 

 ヴィラン連合は足元に注意すべきだったのだ。吉良吉影というたった一人の男の、心の平穏を踏みつけている事に気付く前に。

 

 

 

 ま! 当面は安心して眠れる場所を確保する所からだがな。

 吉良は内心で独り言ちて、踵を返した。

 

 

 

 ――――――

 吉良吉影は強運に守られている。

「正義の心」に敗れ去った運命ではなく。「悪意の心」と相対した運命によって。

 

 故に運命は吉良に定めを仕組む。「悪意の心」と相対させるべく。

 

 誰かの「命」を「悪意の心」から「運」び出せと。

 

 吉良吉影のヒーローアカデミア(雄英での生活)という心の平穏と引き換えの如く。

 ――――――

 




吉良吉影のヒーローアカデミア 完


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