デレマスの貞操観念逆転モノ (桟橋)
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新しい世界と大学、鷺沢さん

 ある日、いつものようにコンビニへ漫画雑誌を買いに行き、その表紙を見て愕然とした。

 そこに映っていたのは、男性の裸体……細マッチョでイケメンな男性の水着姿だったのだ。

 気が動転したまま隣の棚に目を移せば、際どいエロ本が並んでいたはずがやはり男の裸体祭りに。

 

 内心では恐怖しながらも、持ってしまった興味が押さえられずにその内の一冊に手を伸ばす……瞬間、突然刺すように強烈な視線がこちらを見る気配がし、そちらへ振り返った。

 

 視線の先、レジの方から店員の子……女の子がこちらをやたら血走った目で見つめていた。さながら、獲物を見つけた肉食獣のようで、恐ろしくなって急いで本を棚に戻す。

 こんな所から早く逃げ出さなきゃ、そう思い出入り口の方へ向かう途中にも店員の女の子はこちらから視線を外すことはなく、レジに最も近づいた瞬間、自動ドアが開きようやく店から出られると思ったその瞬間に、女の子は声を掛けてきた。

 

「お兄さんも、そういうの好きなんですか?」

 

 思わず振り返ると、嬉しそうに笑顔を浮かべこちらを見つめる女の子が居る。

 ただ、その目からはハッキリと性欲を感じ、ねぶるように僕の全身を見ていた。イヤらしい笑みだった。

 

 おかしい、絶対におかしい。そう思いながら走って家まで帰る。五分ほどもかからない道で向けられた好奇の視線は、ただ自分が走っているからでは無いような気がした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 家に帰ってきて早々にパソコンを立ち上げ、ヤホーのトップページからニュースを読み漁る。ワールドカップの思わぬ日本の活躍に多くの記事が書かれていたが、写真に映る選手たちは女子だった。

 日本の行末を〜と、主張を激しく戦わせる政治家たちも殆どが女性で、鉄道各社は男性を痴女から守るとの名目で、男性専用車両を導入するとのことだ。

 

 何となく状況が読めてきて混乱はしているものの落ち着いてきた頃、ふと頭によぎった不安に、嫌な予感がしてブラウザのブックマークを確認すると、わずかに登録されていたはずのアダルトサイトは軒並み無駄になってしまった。

 役目を果たしていないようなペラッペラの下着を履いた男が、画面に映らない女性に責められてアァンオォン言うのを、誰が見たいのだろう。少なくとも、自分は見たくはなかった。

 

 しばらく落ち込んだ後、世界が変わってしまう前の自分とこの世界の自分は全く同じなのか気になり、手に持った携帯で連絡先を確認した。

 見知った名前が並ぶ電話帳に、ホッと胸をなでおろすと、次に学校の確認をした。3月に卒業式を終え、無事卒業となった高校は自分の知る名前と変わらず、自分が通う大学の書類も、必死こいて受験勉強をした末に受かった大学と同じモノで安心する。

 

 男女が逆になってしまった事に驚いていたがそれ以外は大して変わらない、結局、変わっていたのはそれだけなのだから、自分の人生には特に影響がないと思い直し、見直していた書類の束を置く。

 大学に通うために近くまで引っ越した為、新生活を始めるためには色々な手続きを終えなければならない。そう思って郵便受けに入っていた大量の封筒を机の上に並べ、整理に取り掛かった時、連絡先を確認した後ポケットに入れていたスマホに通知があった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 通知の内容は父親からのメールで、要約するとうちの職場でバイトをしないか? というお誘いだった。男女が逆転している割に、父親の言葉遣いがオネエ化している訳ではないんだな、なんて事を考えながら返信を打つ。

 

 元々、大学に行ったらバイトをしてみるつもりだったのだ。高校は自称進学校だったので生徒にバイトの許可がほとんど降りず、他の高校に行った友だちがSNSなどでバイト楽しいと言うのを見る度に羨ましいと思っていたから、自分にとっては渡りに船、望む所といった感じだ。

 

 父が働いているのなら、分からないことがあれば気軽に聞けるし、新しい人間関係を一から築くという煩わしさも多少軽減されるだろう。ラッキーだな、そう考えメールを送信すると、すぐに父から詳細が書かれたメールが返ってきた。

 

 そうそう、芸能事務所だったな。大手だし、バイトから社員に昇格できたら将来も安泰だな〜そう思いながら詳細を読み進めると、アイドルの所属する部署の1つのアシスタントをしてもらいたい、年頃の女ばかりだから自分の身をしっかり守るように、との文面が飛び出し面食らった。

 

 身を守る? 何を言ってるんだろう、むしろアイドルの子たちの方が気をつけるべきじゃないか? 一瞬そう考えたが、メールの内容の真剣さに鬼気迫るものを感じ、つい先程のコンビニでの一件を思い出した。

 

 そうだ、今の世界では男女が逆転しているよな……? そう考えると、女の子だらけの事務所――きっと恋愛禁止とか言われているのだろう――にアシスタントとして入る男は、飢えた狼たちの縄張りに放たれた、格好の餌なんじゃ……!

 ムシャムシャと食べられてしまうか弱い羊を想像して、まさか、そんなはずないと頭を振る。

 

 もし万が一、目をギラつかせたコンビニの店員さんみたいに、自分が襲われそうになったとしても、男女の差がある以上抵抗は出来るはず。いくら小さいと言われていても、170ぐらいはギリギリある自分なら大丈夫。

 楽観的に受け止め、むしろ好意的に受け止めようと考えていた。

 

 アイドルとして働いてるぐらいなんだし、きっととんでもなく可愛い女の子だらけなんだろう、自分は恵まれているのかも知れない。なんせ、普通の人は会話することさえ出来ないんだから。

 

 とりあえず、目先で一番やらなければならないことは、机に載せられた書類の処理だろう。のんびり過ごそうと思っていたはずの休日、突然変わってしまった世界と、自分のこれからの事、それら全部を今だけ忘れる為に、目の前の作業に集中した。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 4月、入学式。辛かった大学受験中にどれほどこの日を夢見ただろうか。合格発表の日に涙を一生分流したと思っていたが、今日を迎えてうるっと来るものがあった。

 電車で一時間ほど揺られながら、混雑した車内を見渡すと、自分と同じように初々しいスーツの人が多い。

 学部は違うかも知れないが、この人達が同級生になるのか……感慨深いものを感じながらあたりを見回していると、体調が悪そうに俯いている女の子が目に入った。

 

 つり革を掴んでいる手は、辛うじてという感じで、今にも倒れてしまいそうだ。電車内は混雑していると言っても、ドアの前は比較的空いていて、転倒したら床に頭を打ってしまいかねない。

 フラフラとしだした女の子を見て、どうしても放って置けず人混みを抜けなんとかそちらの方へ向かう。普段なら見て見ぬふりをするだろう、こんな日に倒れる人を見るのは何だか寝覚めが良くない、そんな気まぐれだった。

 

 ゴトンっ。一際大きく揺れる電車に、つり革に辛うじて捕まっていた女の子の手が離れる。その子が前に倒れ込むのと、僕が正面までたどり着いたのはほとんど同時だった。

 

「危ないっ」

 

 倒れかかってくる女の子を間一髪で受け止める。前髪で隠れて顔がよく見えないが、その顔色は青白く、目元には薄く隈が出来ていた。寝不足で貧血だろうか?

 顔を覗いていると、意識が戻ったのか女の子の目が開いてこちらを見た。

 

「す、すいませんっ……!」

 

 こちらと目が合った瞬間、慌てて女の子が離れる。その反応に、なにか失礼なことをしてしまったかと悲しく思っていると、その表情を見たのか、女の子が焦りながら釈明した。

 

「あ、違うんです……その、私、男の人に倒れ込んでしまうなんて……ごめんなさい」

 

 大人しそうに見える女の子が言った内容に、なるほどと納得すると同時に、嫌われたわけではなくてよかったと安堵する。状況が状況とは言え、いきなり抱きかかえてしまってセクハラだとか言われたら、警察は自分を逮捕してしまうだろう。

 

 ……あれ、この場合は逆で、僕の扱いは女子なんだから、僕がこの子を訴えるんだろうか? だとしたら酷く世の中は間違ってるような気がする。

 

「全然大丈夫ですよ。それよりも、体調は大丈夫ですか? すごく顔色が悪いみたいですけど……」

「すいません……寝不足で。その、今日の入学式で挨拶を頼まれていて、その内容をずっと考えていて……」

 

 思ったとおり、自分と同じ新入生のようだ。挨拶をするというと、首席なのだろうか。申し訳なさそうにこちらを見つめる目が、澄んだ蒼色で、つい見つめ返してしまった。

 

「キレイですね」

「えっ……」

 

 思わず考えを口に出してしまい、女の子が驚いた表情を浮かべる。やってしまった……。

 顔を赤くして目をそらしてしまった女の子に、釈明をしようと声を掛けるが反応がなく、俯いたままだ。

 

 どうしようか……頭をかいて考えていると、顔を伏せていた女の子が、意を決した表情でこちらを見上げる。

 

「それは……告白でしょうか……?」

「えっ?」

 

 思わぬ発言に間の抜けた声をあげると、女の子はそのままゆっくりとだが、熱を持った表情で真剣に語り始めた。

 

「本で……読んだことがあります……このような展開……助けて頂いたという恩を盾に、あんなことやこんなことまで、強く逆らうことの出来ない私に要求してきて……気づいたら私は、とても恥ずかしいことに……」

 

 顔を抑えて、イヤイヤ……と頭を振る目の前の女の子、その発言と行動についていけずに呆然としていると、目的の駅に着いてしまった。

 

「はっ……ここですね……同じ大学の方ですよね……? い、一緒に行きましょう……!」

 

 そうだけど、と返事をすると即座に手をとられ、あれよあれよと言う間に一緒に大学まで向かうことになってしまった。

 

 口は災いの元と言うけれど、ただ一言こぼしてしまっただけでこんなことになるとは……そう戦慄しながら、手をつないで隣を歩く笑顔の彼女――彼女の自己紹介によると鷺沢文香さん――を見ると、笑顔で見つめ返してくれる。

 

「告白もしてくれて……手も繋いでしまったら……これはもう、お付き合いですね……?」

 

 落ち着いた大人しいその容姿から、全く想像もできない、こじらせてしまった男子の成れの果てみたいな鷺沢さんを、一体どうしようか、頭を抱えた。




本をよく読んでいる大人しい男子……きっとムッツリスケベ(偏見)。


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入学式、十時さん

思っていた以上に好評をいただけたので投稿します。評価、感想をありがとうございます。


「こういうの、夢だったんです……」

「はぁ……」

「私、人見知りで……男の人に自分から話しかけるなんて、出来なくて……」

「そうなんですか、大変ですね」

「それで、夢見てたんです。いつか、エッチな男の人の方から誘ってくるのを……!」

「……はぁ」

 

 電車の中で倒れそうだった所を助けた女の子――鷺沢さん――は、あれからずっと僕の腕を嬉しそうに抱えて隣を歩いていた。徒歩で5,6分ほどの道を、その倍は掛けてゆっくり歩く僕たちを見る視線が痛い。

 不思議なことに、僕の方を見る視線の多くは哀れみを多分に含んでいて、鷺沢さんの方はやたら敵視するような鋭い視線が女性から飛んでいる。

 

 あたりを見回すと、こちらを見つめる何だかナヨナヨした男たちのグループと目が合った。

 彼らは不潔とでも言うように顔をしかめ、こちらを睨みつける。対して、鷺沢さんはなぜだか自信満々に、勝ち誇ったかのような表情をしていた。

 

 そのやり取りに、なぜだか激しい既視感を抱き記憶を辿ると、世界がこんな風になってしまう前に同じような構図を見たことがあるのを思い出した。

 そう、あれは純粋な中学生の頃、下校途中にひけらかすようにカップルで帰っていった男友達Aと、それを見ていた女子たちのグループだ。初めて出来た彼女に舞い上がっていたA君は、今の鷺沢さんと同じようにドヤ顔で周りを見ていたし、それを見つめる女子たちの目線は冷ややかだったはずだ。

 

 そう考えると、嬉しそうに腕を離さない鷺沢さんが、何だか悲しく見えてくる。綺麗な人にくっつかれているのはとても嬉しいのだけれど、いつまでもこのままでは歩きづらいし、周囲の目も辛いので少し離れてもらうことにした。

 

「鷺沢さん。その、このままじゃちょっと歩きづらいから……うん、持つのは腕じゃなくて手にしよう」

 

 歩きづらいと言った瞬間、ビクッと反応してその後に続く言葉を警戒した鷺沢さんの様子に、とても離れて歩こうなんて言い出せず、妥協案として腕全体ではなく手を繋いでもらうことにした。

 

「自分から誘っていただけるなんて……ありがとうございます……」

 

 警戒する顔から一転、嬉しそうな顔に戻った、むしろ前より嬉しそうな鷺沢さんは、僕の差し出した手に恐る恐る彼女の手を絡ませた。

 

「この前読んだ本には、恋仲の男女はこのように繋ぐと書いていました……!」

 

 細い指で力強く手を握りながら熱弁してくれる鷺沢さんに、そうなんだ、ともはや生返事しか返せなくなった僕は、そのまま鷺沢さんの話に適当に相槌を打ちながら大学へ向かった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「うわぁ……」

 

 入学式は大学の記念講堂で行われるとの事だったので、校門を抜けすぐにそっちの方へ向かおうとした所、講堂までの道にサークルなどの勧誘やビラ配りがズラッと並んでいた。

 

「ラクロス部に入りませんかー?」

「一緒に美味しいお菓子が食べられますよー?」

「天文サークルでは許可をとって夜間遠征をしてまーす!」

 

 声掛け合戦のような様相を呈している中、一度どこかのビラを受け取ってしまったが最後、殆どのサークルが集中していき一歩も動けなくなってしまった新入生たちを見送る。

 ああはなりたくないから受け取らないでね、そう言いかけた瞬間に鷺沢さんは押し付けられるようにビラを貰ってしまっていた。

 

 目を光らせるサークルの勧誘者たち。オロオロと、慌てるだけで逃げていかない鷺沢さんは蛇に睨まれた蛙のようだった。

 ぜひ彼氏さんも一緒にどうぞー、なんて誘われ満更でもなさそうな鷺沢さんだったが、次第に集中してくるビラ配りに辟易としだし、段々と疲れ始めたのか顔色が青くなり始めてしまう。

 

 今の今まで忘れていたが、そう言えば鷺沢さんは寝不足で体調が良くないのだった。止むことのない口撃に鷺沢さんが倒れてしまう前に何とか逃げ出さないと……!

 

 意を決して、握られていた手を掴み自分の方へ引っ張る。引き寄せられた鷺沢さんに何もいわないで、抱え上げた。俗に言うお姫様抱っこの形だ。

 

 わぁ……! なんて色めき立つ周囲を無視して、強引に囲いを抜け走り抜ける。あまりにも目立つ姿だった為、新入生の他にも多くの学生に見られてしまったが、コチラには体調不良者がいるんだ、やむを得ない。

 先輩たちの勧誘を振り切って走り、講堂の近くのベンチまで来て鷺沢さんを下ろそうとした。

 

「あれ、その、鷺沢さん? 離してくれないと下ろせないんだけど……」

 

 手を離して下ろすはずが、首元に手を回してしっかりしがみついたままの鷺沢さんは離れる気配がなかった。

 心配になって下を覗くと、特別厚いわけでは無い胸板に頬ずりをするかのように密着している。走った訳でもないのに、やけに呼吸が荒かった。

 

「ちょ、鷺沢さん!?」

「はっ……! す、すいません……! だ、男性にこんな、抱かれるような経験がなかったので……!」

 

 慌てた様子だが、頑なに離そうとはしない鷺沢さんを何とか引き剥がし、ベンチに下ろす。あっ、と悩ましげな声を出されても無視をした。

 

「熱い抱擁……情熱的でした……。取り囲む人だかりからの、逃避行……駆け落ちで2人の愛はより強固なものになるのですね……!」

「う〜ん。もうそれでいいから、体調が戻ったら言ってね。そしたら講堂に入ろう」

「認めてくれるんですね……!」

「もう元気だよね?」

「あぁっ! もう少し、もう少しだけここで一緒に居てください……」

 

 これだけ変態チックな事を言っていても、気持ち悪く感じないのは鷺沢さんが女性だからだろうか……。今の世界基準で考えれば、外見だけはクールな線の細いイケメンが、女の子をずっと口説き続けている事になる。ただしイケメンに限るのかもしれないが、それにしてもダメな人だろう。

 

 入学早々、こんな人に捕まってしまって、自分はこの先の大学生活を無事に過ごしていけるのか、ほとほと不安になってしまった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 その後、鷺沢さんが少し落ち着いた様子なのを確認し、ベンチを立って講堂に入ることにした。

 道中で色々グダグダしていた事もあり、時間よりもずいぶん早く向かっていた筈だが既に席が埋まりかけていた。少し高くなっている入り口の方からホール中を見回し、前列の最前、一番前の所が3席空いているのを発見し急いで確保に向かった。

 

 余り前に来ようという生徒は少ないのか、誰かに取られてしまうこともなく無事に席を確保すると、鷺沢さんが挨拶を行う関係で確認することがあると言って、大学の関係者の人達が居る方へ行ってしまった。

 居たら居たで面倒くさいことはあるが、居なければ話し相手がなくなってしまうので寂しくもある。隣の席が空いているのに、その隣にいる人に話しかけるのはちょっと億劫だし、都合よく空いた隣の席に誰か座ってくれないか、そう思っていると他に空いている席が見つからなかったのか、駆け足でここまでやってきた汗だくの女の子が居た。

 

「はぁ〜、やっと空いている席がありましたぁ〜!」

 

 そう言いながら空いた席に腰掛けた女の子は、暑さからか、はたまたその豊かな胸のせいか、スーツの中に着ているワイシャツを扇情的にはだけさせていた。

 

「うるさくしてごめんなさいっ」

 

 間の伸びた、特徴的な声で隣に謝る彼女は、こちらに向き直ってから少し驚いた顔をした後、同じように騒がしくした事を謝り、こちらに見せるかのように胸元を手で仰ぎだした。

 刺激の強いその光景に、思わず生唾を飲み込み目が離せなくなってしまう。

 

「もうすぐ始まっちゃいますよねぇ〜?」

「あー、そうみたいですね? 五分くらいですかね」

「もう間に合わないかと思いましたぁ〜。私ってぇ、いつも時間ギリギリになって、走ることになっちゃうんですよねぇ」

「そうなんですか。それは大変ですね。ははは」

 

 わざとやっているのか、それとも天然なのか、気になって会話どころではないのだが、その女の子は気にせず話し続けていた。

 

「私ぃ、十時愛梨って言います。同じ新入生同士、仲良くしましょう?」

「そうですね。あ、僕は鴨川 リュウって言います」

「鴨川くんですかぁ〜よろしくおねがいします〜」

「はい、こちらこそ」

 

 差し出してきた手を、こちらからも握り返す。軽い握手のつもりだったのだが、十時さんはなかなか手を離してくれなかった。

 

「鴨川くんの手って、柔らかいですね」

「え、そうですか? あんまり気にしたことはないですけど……」

「はい! お父さんの手と全然違います〜」

「そうなんですかね……」

「あ、男らしくないって意味じゃないですよ? すっごく素敵だと思いますっ」

「あ、ありがとうございます……?」

 

 むしろこちらとしては、十時さんの手の方が柔らかくてドキドキしてしまうのだけれど……。はだけたシャツに、にぎにぎと優しく握られる手にと、心臓が壊れそうになっている間に、打ち合わせが終わった鷺沢さんが席に戻ってきていた。

 

 帰ってくるなり、大学に向かっていた時と同じように腕を組まれ、十時さんの方に向いていた体を引き戻されてしまった。

 

「浮気ですか……?」

「ち、違うって! 紹介するよ、十時愛梨さん。さっき知り合ったんだ。えっと、十時さん、こっちは鷺沢文香さんです」

「鷺沢さんですね〜。お二人は付き合ってるんですかぁ?」

「そうなr――「いや、付き合ってるわけではないです」」

「そうなんですかぁ〜? でも、とっても仲がいいんですね」

「それほどでもありますね……」

 

 鷺沢さんがそう言われて自慢げなのはよく分からないけど、何となく険悪なムードが落ち着いたのなら良かった。そう思い、鷺沢さんの方に引っ張られ動いていた席を戻し座り直した。

 

「……胸がはだけすぎていませんか?」

「そうですかぁ〜? 暑くて脱ぎたいぐらいなんですけどぉ〜。あ、でも鴨川さんはすごく見てましたよねぇ〜?」

「え? い、いや! そんなんじゃ……!」

 

 せっかく前に向き直ったはずが、再度鷺沢さんに引き寄せられパイプ椅子がずれてしまう。

 

「浮気です……!」

「付き合っていないんですよねぇ?」

 

 向かい合う2人がやけに怖かった。




次回は日曜日中にでも、更新できたらと思います。事務所回ですね。
主人公の名前の漢字は特に決めてないので、自由にご想像ください。



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事務所、杏ちゃん

日曜日の間に投稿できました。よろしくお願いします。


 鷺沢さんと十時さんの間で板挟みになっている中、入学式は恙無く行われた。特に問題なく進行していき、新入生代表の挨拶になると、呼ばれた鷺沢さんが壇上に登り凛とした通る声で見事な挨拶をしていた。

 

 ただ、挨拶が終わり礼をした後、わざわざ座っているコチラの方を向いて微笑みかけたせいで、僕の席の周りは騒がしくなってしまった。絶対に俺たちに話しかけたんだよっと周りの男たちは興奮し、女の人たちはちょっと顔がいいぐらいで気取っちゃってと喧嘩腰だ。

 

 正直、知り合う前、ほんの少し前の僕なら彼女のかっこいい姿に見とれてしまったかもしれないが、それを台無しにして余りある残念な姿を見てきた僕としては素直に喜ぶことが出来ない。

 

 優雅な振る舞いで壇上から降りてきて隣に座る鷺沢さんの様子は、きっと彼女のことをよく知らない多くの人の心を虜にしたんだろう。そう思ってしまうぐらい別人みたいだった。

 

「はぁ……とても、緊張しました。でも、見てくれていると思うと、頑張れました……!」

 

 クールビューティーそのままの凛々しい表情を崩し、嬉しそうに手を取ってくる鷺沢さんはとても同一人物に見えないが、この残念さがもとに戻ったようでむしろ安心してしまう。

 

 ただ、十時さんの方から感じる圧力が少し大きくなった気がする……というか、物理的に距離が近づいていた。こっちの椅子の座面に乗ろうかと言うほどに寄ってきていて、色々圧迫感が凄い。上から覗けるほどにシャツを押し上げその存在を主張する胸に、チラチラ視線を向けていると「気になりますかぁ……?」と囁くように声を掛けられる。

 

「うっ、その……ゴメンっ」

 

 こちらの顔を覗き込んでくる十時さんから、何とか視線を外すために逆方向を向くと、鷺沢さんが顔を赤くしながら僕の手を自分の胸に押し付けているところだった。

 

「振り向いてくれない男の人を落とすためには……胸を使えと、そう母に教わりました……」

 

 十時さんが規格外のモノを持っているだけで、鷺沢さんのそれも中々お目にかかれないほど大きい。大きいし、その上柔らかかった。

 

「だ、ダメだって、女の子がそんなはしたないことをしちゃ」

 

 周りに聞こえないように小声で鷺沢さんに注意するが、一向に聞いてもらえる様子がない。むしろ、なぜそんな事を言うのか理解が出来ないと言った様子だ。

 

「イケないのでしょうか……? よく、書物などでも、身持ちの固い男の人に胸でその、アプローチをする場面があります……」

「普通のことですよね? テレビでも男の人が胸を触って、凄いって言うのはバラエティでよくありますよぉ?」

 

 はしたない? 何がでしょうか? そんな様子で全くピンときていない鷺沢さんが本の内容を盾に主張をし、会話を聞いていた十時さんも同じように何がたしなめられているのか全く分からないろ言っている。

 

 一方僕自身はより混乱してしまった。この世界では胸に触ることはテレビで流れるような感覚なのか……確かに、ムキムキの男の人の胸板を、タレントがすごぉ〜いなんて言いながら触るのはバラエティでよくあるパターンだった。

 

 この世界では女性の胸が男の胸板、男の胸板が女性の胸に相当するんだろうか? 前までの僕の常識では、どう考えても位置を入れ替えて成立するものでは無いけれど。鍛えれば胸板はつけ放題なのに、女性の胸は鍛えてどうにかなる問題ではないだろう。豊胸の位置づけにビルドアップ? 訳が分からなかった。

 

「え、じゃあ、鷺沢さんが僕の胸に頬ずりしてたのは……」

「そんな事してたんですかぁ〜? は、破廉恥ですよ〜!」

「そ、それは……ち、違いますっ」

 

 思わず漏れた考え事を聞いた十時さんが、信じられないと言った表情で鷺沢さんを見やり、おそらくこの世界では軽蔑されるようなセクハラをした鷺沢さんは、白々しく否定をしている。

 

「こ、恋人だから良いんですっ……!」

 

 苦しい言い訳を話し続ける鷺沢さんは、やっぱり残念だった。

 

「えぇ〜? でもお二人は恋人じゃないんですよね?」

「はい」

「……それじゃあ、鴨川くんは恋人じゃない人にも胸を触らせてしまうんですかぁ〜? よかったら、私も触ってみたいです〜!」

「そんな、ダメです……! 私のです……!」

 

 違うけど。さっきとは違った意味で板挟みになったまま入学式は終わってしまった。本当は色んな偉い人の挨拶や、歌もちゃんと聞きたかったが、全くそれどころではなかった。

 

 式が終了し、続々と講堂をでていく新入生たちに、ビラを配り部活サークルなどの勧誘が行われているのは変わらなかった。唯一変わったことは一緒に行動する仲間に十時さんが加わったこと。両手に花、この世界だと違う意味になってしまうだろうけど、とにかくこの状態はあまり嬉しくなかった。

 

 正直疲れたのでこの人だかりを抜けて早く帰りたかったのだが、ビラを渡される度にそのサークルの人と話し込んでしまう十時さんに足を止められ、ビラを渡されるのを断ることが出来ず囲まれる鷺沢さんを救いに行き、せっかく進んだ距離を戻ったりしながら、校門にたどり着くまでに行きの更に倍ほど時間がかかっていた。

 

「う〜ん、どのサークルも面白そうで、悩みますね〜」

 

 貰ったビラをペラペラとめくりながら、目を通し悩んでいる十時さんがそう言う。

 

「私は、そういったものには入るつもりがありませんから……むしろ、図書館のほうが気になります」

 

 返す鷺沢さんは、十時さんに負けないほど多くのビラを手に持ちながら、殆ど読むこと無くそう言った。

 

「僕も今はどこのサークルとか考えられないかな……もう帰りたいよ」

「え〜、本当ですか〜? 鴨川くんさえ良ければお菓子作りサークルとかどうかな? と思うんですけど〜」

「……だ、ダメです。鴨川くんは私と一緒に、図書館で勉強しますっ」

「お菓子か〜、僕あんまり料理得意じゃないんだよね」

「無視ですか……!?」

「そうなんですか〜? 鴨川くんは男の子なので、勝手にお菓子作りが好きそうだと思ってました〜」

 

 鷺沢さんは置いといて、そうか、お菓子作りはこの世界ではどっちかというと男の趣味なのか。手がゴツいのは男らしいのに、お菓子作りは男の子らしい趣味。混乱しそうだ。ムキムキの男たちがボウルでメレンゲを泡立てているのを想像してしまった。

 

「女一人でお菓子作りサークルに行くのはちょっと抵抗があるので、せっかくだからと思ったんですけど〜」

「う〜ん、ごめんね? とりあえず今のところは、サークルに入るつもりは無いや」

「残念ですぅ〜」

 

 悲しそうにする十時さんを見ると、直前の自分の発言をすぐに撤回したくなってしまうが、それでもやっぱりサークルは辛い。バイトが結構、時間を圧迫するようなので、ただでさえ少ない空き時間が減ってしまうのは避けたかった。

 

「あ、図書館で勉強もしないからね?」

「そんな……!?」

「ごめんね、バイトがあるから」

「うぅ……私と仕事のどちらが大切なんですか……」

 

 僕がサークルに入るのを断った時に小さく喜びの姿勢を取った鷺沢さんに、かと言って図書館の方に行くわけではないことを伝えておく。それを聞いて、面倒くさい彼女の常套句のようなものを言い出した鷺沢さんは、本当にこの先生活していけるのか不安になってしまった。この人は自分が居なければ……そう思ってしまったら負けだろうか。

 

 そのままお互いのことについて雑談を続けながら、駅まで着き、見事に全員が違う方向ということで、お互いに連絡先を交換して別れた。

 

 同じ高校から来た数人とは友人ではなかったので、この入学式で同じ大学の友だちを作るんだと息巻いていたが、終わってみれば綺麗だけど残念な鷺沢さんと、間延びした喋り方は優しそうだけどどこか強かさを感じる十時さんの2人と知り合うことが出来たので目的は達成できたと言えるだろう。若干一名が自分は恋人だと主張しているけれど。

 

 鷺沢さんは文学部、自分は社会学部、十時さんは経済学部で見事にバラバラだけれど、ともかく知り合いができたのは大きい。この調子で行けば大学生活、楽しくなりそうだ。そう考えながら1日を終えた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 入学式を終えてすぐの休日。今日はバイトの初日、挨拶をしてもらうから来てくれということで親からメールで呼び出されていた。

 向かう先は346プロダクション。大手の芸能事務所で、お城のような事務所が印象的だ。相当のやり手で、営業先は日本だけにとどまらず海外をも股にかけて働いているという。代わりにちょっと、ブラックの気があるのは否めないが、給料が良いから仕方ないとのことだ。

 

 確かに、父親は忙しくて帰ってくるのがいつも遅かった記憶がある。母親とは社内恋愛だったので、家には誰もいない時間が多かった。代わりに、隣の家のご家族が自分の面倒をよく見てくれていて、感謝してもしきれない。そこの家の子は不思議な言動が目立つ子だったが、誰とでも仲良くなれる性格で、自分とも仲良くしてくれてとても嬉しかったのを覚えている。

 

 話がずれてしまったけど、とにかく346プロは忙しいのだ。大学の勉強も忙しいだろうし、一年生の内に取れる単位は頑張って取っておきたいから、あまりバイトに圧迫されたくはないんだけど、大丈夫だろうか。

 そんな心配をいだきながら346プロを訪れた。

 

 立派な建物の入口で、立っている警備員さんに貰った入構証を見せて入れてもらうと、たくさんの部屋から目的の場所を探す。これは、迷子になるな。長い廊下をキョロキョロしながら歩き回っていると、少し先のドアから小さな女の子が出てきた。

 

 この事務所に所属しているアイドルの子なのか、周りをしきりに見ている僕を見て、何かを合点したようだった。

 

「こんにちはー、今日来るって言ってたアシスタントさん? だよね?」

「あ、僕のこと聞いてますか? 良かったー、部屋がいっぱいあって迷うところでした」

「うん、気持ちはわかるよ。杏も最初来た時は迷路かと思ったからね」

「杏ちゃん? はここに所属してるアイドルなんですか?」

「そうだよー。あ、敬語じゃなくていいよ。話しづらいでしょ? 双葉杏、こう見えても17歳だから。よろしくね」

 

 少し気だるそうに自己紹介をした杏ちゃんの、年齢に驚く。小さい子供にしては落ち着いているな、とは思っていたけど、まさか高校生だったとは。

 

「やっぱり驚くよね〜。杏も自分のことだけど、鏡見ると17歳に見えないなって思うもん」

「うん、正直驚いたけど……落ち着きはむしろ年齢より大人びているし、よくよく見るとオシャレもちゃんとしてる……かわいいよ」

 

 ひらひらが付いたファンシーな服装の杏ちゃんを、じっと見つめる。本人は冷めた……というか諦めた? 目をしているが、色んな所に飾りがつけられて、顔も軽くメイクされていて、すごく女の子らしくて可愛らしかった。

 

「う。そ、そんな見ないでよ……。それと、この格好見て可愛いって言うならきらりっていう子のおかげだから」

 

 見られて少し顔を赤くした杏ちゃんが、ぶっきらぼうな口調でそう言った。口調こそ投げやりだが、嬉しそうに少しだけ口角が上がってるのを見逃さなかった。

 

「その、きらりっていう子を僕は知らないけど、きっと杏ちゃんのことを大切にしてるんだろうね。杏ちゃんの魅力をちゃんと理解して、十二分以上に引き出してる。すっごくかわいいよ」

 

 負けないんだから……! とでも言うように、杏ちゃんが赤い顔を手で隠した。

 

「や、やめろー! も、もしかして女慣れしてるのか!? そんな処女好みなあざとい見た目で、何人も引っ掛けたのかもしれないけど、杏はやられないぞーっ!」

 

 しっかり目線を合わせて、思ったことを伝えるとみるみる真っ赤になった杏ちゃんが走って逃げてしまった。2個ほど先のドアに駆け込む杏ちゃんを追いかけるが、杏ちゃんはこちらを振り返ること無くドアを閉じてしまった。

 

 処女好みにあざとい……どういう意味なのか問いただしたかったが、逃げられてしまったか……。杏ちゃんが逃げ込んだドア、おそらく目的の部署の部屋だろう、そのドアの前で立ち止まった。

 入りづらい……中に居る人は杏ちゃんの様子を不思議に思っているだろう、その状況で自分が入っていけばややこしくなる。

 

 ちょっと騒がしい中の様子に聞き耳を立てながら、一息ついた。というか処女好みってなんだ。色々反対になっているこの世界だから、童貞好みな、ということだよな……。

 自分は、主観では黒髪でちょっと身長が低いぐらい、年齢よりもちょっと童顔なだけで、特に変わった容姿では無いはずだけれど。

 男女逆にするなら、黒髪で身長の低い、童顔な女の子ということになるだろう。…………あざといかもしれない。少しづつ落ち着き始めたドアの中の様子と同じように、ちょっと落ち込む。

 

 複雑な気持ちだ……。メールに書いてあった父親の言葉を今更思い出し、襲われてしまうかもしれない状況を想像して不安になった。




飢えた男だらけの環境に、放り込まれる女子こと主人公。
襲いかかるアイドルたち。必死に抵抗するも、やっぱり勝てなかったよ……。

投稿はモチベーション次第です。


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事務所、シンデレラプロジェクトの皆さん

 ドアの前で深呼吸してから、気持ち強めにノックをした。コンコンコン。

 隙間から漏れていた騒がしい声や物音が、一瞬で静まり返る。少し遅れて「どうぞ」という声が聞こえた。

 

「失礼します」

 

 ドアを開け部屋の中に入ると同時に、おそらくプロデューサー――マネジメント業務を行うスタッフの事――さんが声を掛けてくれた。

 

「初めまして、私はこの部署を担当しています、武内と言います」

 

 スーツ姿のプロデューサーさんは、名刺を小さなケースから取り出し手渡してくれた。

 

「あ、初めまして。ありがとうございます。えっと、鴨川です」

「詳細は鴨川……お父様の方から聞いています。アシスタントとしてバイトに入っていただけるということで」

「はい。事務作業を主に、必要があればその都度雑務をやるようにって言われてきたんですけど……」

「そうですね。雑務にも色々ありますが、ひとまず事務の作業については、同じくアシスタントとして働いてる千川から聞いてください」

 

 そう言ってプロデューサーさんは隣に立つ蛍光緑のスーツを来た女の人、千川さんの方を見た。

 

「千川ですっ! 鴨川さん、これからよろしくお願いしますねっ?」

 

 嬉しそうな笑顔の千川さんが話しかけて来た。胸の前で両手を合わせる仕草は上品で優しそうだが、プロデューサーさんと同じく、何となく仕事のできる人のオーラが出ている気がする。

 

「鴨川さんと同性ではありませんが、心配するようなことは起こらないので安心してください」

「もうっ、プロデューサーさんってば酷いですよ? こんな真面目な顔して言ってますけど冗談ですから、心配しないでくださいね?」

 

 堅物そうなプロデューサーさんが、真顔でそう言ったのでかなり分かりづらかったが、場を和ませる彼なりのジョークだったようで、笑いながら千川さんが補足した。プロデューサーさんは少し照れている様子だ。

 二人共ぱっと見た感じではすごく仲が良さそうで、厳しい上下関係のようなものを想像していたので少し拍子抜けした。

 

「はい。お気遣いありがとうございます」

「いえ、お父様がすごく気にしていらしたようなので……」

 

 そう言って後頭部を触るプロデューサーさんの仕草が、初めて見たはずなのに何だかしっくり来て、この人は苦労人なんだろうなぁ……と思った。

 

「所属アイドルたちにも紹介をしてもらいたいのですが、あいにく全員が揃うことは中々無いので……」

 

 強面だが、よくよく見るとはちみつを取りそこねたクマさんのような雰囲気をしているプロデューサーさんがそう言った。確かにアシスタントが1人増えるだけなのに、仕事で忙しいアイドルの方々に時間を取ってもらわなくてもと思う。

 

「そうですね……だったら、今いる子だけでも挨拶しちゃいましょう! すっごく興味津々みたいですから!」

 

 そう千川さんに言われて部屋を見渡すと、ソファに座っている子や、机の下に潜っている子、トランポリンで跳ねている子までコチラを見ていた。

 

「私は、これから営業に回らなければいけないので。後はよろしくお願いします」

 

「任されましたっ。……新しいアシスタントさんの紹介をするので、来てください!」

 

 千川さんが声を掛けると、恐る恐るといった感じで集まってくる。隠れていた杏ちゃんは、身長の高い女の子に運ばれてきた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「本田未央! 15歳でーす! よろしくっ!」

「渋谷凛……15歳、よろしく」

「わわ……えっと、島村卯月、17歳です!」

「多田李衣菜、17歳。ロックなアイドル目指してます!」

「前川みく、15歳だにゃ! 猫ちゃんみたいにー、可愛いアイドルを目指してるのにゃ!」

「赤城みりあですっ! 11歳だよっ! お兄さん、よろしくねー?」

「諸星きらりだにぃ☆ 17歳なんだゆ? これから、おにゃーしゃー☆」

「……双葉杏……17歳……その、さっきはごめん」

 

 部屋にいたアイドルの子がそれぞれ自己紹介をしてくれた。渋っていた杏ちゃんも、きらりちゃんに促され、渋々と言った感じで自己紹介をしてくれ、さっきのことは気にしていない事とむしろこちらが申し訳なかったと伝えると、少しホッとしたようだった。

 

「鴨川リュウです。18歳です。大学に行きながらのアルバイトだけど、しっかり働くので、よろしくお願いします」

 

 こちらも自己紹介をして頭を下げると、拍手で歓迎してもらえた。芸能人でかつ異性だからといって、無駄に緊張していたが、全員優しそうで心配は杞憂に終わりそうだと安心する。

 

「何か事務所でわからないことがあったら、この未央ちゃんに聞けば何でも解決してあげるよ!」

「あれ、未央ちゃん、この前迷子になってませんでしたか?」

「ちょっ、しまむー!? それは秘密にしてって言ったじゃん!」

「そうでしたっけ!? す、すいません〜」

 

 キメ顔で話しかけてきた未央ちゃんが、卯月ちゃんの天然の犠牲になったり、

 

「鴨川さんは、花とか興味ある?」

「花? うーん、綺麗だなぁって思うことはあるけど、名前とかはよく知らないかなぁ」

「ふーん。家が花屋やってるから、今度教えてあげる」

「えっ? あ、ありがとう……」

 

 押しが強目の凛ちゃんが、やたら家に行く約束を取り付けてきたり、

 

「鴨川さんって……ギターとか弾けるんですか?」

「ギターかぁ〜、学校の授業であったけどFが押さえられなかったなぁ」

「わ、分かります! やっぱり、Fが出来たらロックですよね!?」

「ロック、ロック? うん、それはロックかもね」

「ですよねっ! みくちゃん、やった! わたしロックだって!」

「完全に言わせてたにゃ……」

「ははは……」

 

 やけにロックにこだわる李衣菜ちゃんと、冷静にツッコむみくちゃんだったり、

 

「お兄ーさんっ! トランポリンあるんだよっ! やろうっ!」

「トランポリン……え、えっと、仕事が終わったらやろう?」

「ホントにーっ!? やったー! じゃあ、指切りしよう?」

「指切りね、いいよ」

「ゆーび切った! それじゃあ、毎日ねっ」

「毎日っ!?」

 

 恐ろしい契約を結ばせる、みりあちゃんの策略にまんまとハマったり、

 

「あ、杏は……ぐーたらで……可愛いとかじゃないからな!」

「可愛いと思うけどなぁ……」

「そうだにぃ? 杏ちゃんは、とーっても可愛いゆ☆」

「そうそう、可愛いから飴ちゃんあげるよ」

「飴!? ちょうだい! ……うまうま…………飴がもらえるなら、可愛いでも良いかも……」

「杏ちゃん、かーわうぃー☆」

「うわー!? やめろーっ!」

 

 コロコロと口の中で飴を転がす杏ちゃんを、きらりちゃんと2人で可愛がったりしながら仕事をした。

 

 千川さんに教わりながら書類仕事を行っていく途中で、シンデレラプロジェクト、プロジェクトクローネ、と言った内容が書かれた書類や、アイドル部門だけでなくモデル部門と書かれた書類がある事に気づき、どういうことか聞いてみた。

 

 千川さんが言うには、この部署には彼女たちが所属するシンデレラプロジェクトの他に、プロジェクトクローネというモノに所属しているアイドルや、またアイドル部門だけでなくモデル部門の人も所属していて、沢山の仕事を行っているそうだ。

 

 とても今まで1人でこなしていたとは思えない量の事務作業で、大変じゃないんですか、と聞いてみたところ、仕事をとってきてくれるのはプロデューサーさんですから、と笑う千川さんは凄い、そう思った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「今日の仕事はこれで終わりです、ありがとうございました!」

 

 千川さんのその言葉で、ようやく終わったかと息をつく。相当な長時間机に向かっていた気がしたが、外はまだ明るく、時計は6時を示していた。今日は残業をしなくて良さそうですという一言に、業界のブラックさを感じていると、ちょうどプロデューサーさんも帰ってきた。

 営業で企画を持ち込みに行っていたらしいプロデューサーさんは、これからまだ企画を煮詰めるつもりだということで、それに千川さんも付き合うというので先に帰宅することにした。

 

 帰り支度を始めていたが、プロデューサーさんと一緒に帰ってきたみりあちゃんに、トランポリンで遊ぶことをせがまれ30分だけという約束で遊ぶことになってしまう。

 

「プロデューサーもだけど、男の人ってぜんぜん違うねー!」

「そうかなー?」

「うん! なんだか、ちょっと……癖になる匂いー!」

「あー、あんまり嗅いじゃダメだよ」

「なんでー?」

「恥ずかしいから……かな」

 

 それほど大きくないトランポリンで、激しく動き回るみりあちゃんに飛びつかれながら遊んでいると、すっかり汗だくになってしまったのでシャワーを使わせてもらえることになった。

 

 346プロの敷地内にある別館、トレーニングルームに併設されているシャワーを使わせてもらう為、建物を移動する。じっとりと汗で少し濡れてしまっている服は着替えられないが、体の方はシャワーを浴びれば多少スッキリするはずなので贅沢は言わない。

 むしろ、異性のアイドルたちが居る中でシャワーを浴びさせてもらえるというのは、本当はありえないことなんじゃないかと思いながら別館の方へ向かっていると、廊下の曲がり角から白衣を着崩した女の子が飛び出てきた。

 

「こっちからいい匂いがするんだ〜」

 

 そう言いながらどんどんこちらへ近づいてくる女の子は、驚いて足を止めた僕を尻目に、周囲をぐるっと回りまた正面に立ちふさがった。

 

「ふんふん……キミ、良い匂いするね〜。良かったら、その服くれない?」

 

 服!? 驚いて話すことが出来ない僕の様子を、否定と取ったのか、眼の前の女の子は交渉に入った。

 

「やっぱダメだよね〜。あ、だったらこの白衣と交換なんてどう? アイドルの白衣だよー?」

「い、いいって! 悪いけど、今シャワーに行くところだから、ごめんね?」

「いい? あたしは肯定の意味で受け取らせて――」

 

 女の子のペースに囚われてしまう前に、この状況から抜け出そうと早口で謝ってダッシュする。横を通り過ぎる時に女の子がまだなにか喋ろうとしていたが、トリップし始めている目が怖かったので聞かずに逃げ去った。

 

「にゃっはー、逃げられちゃったかー」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 更に走ったせいで、また汗だくになりながらシャワールームへとたどり着く。レッスンルームには誰もいないようで、貸し切りみたいだった。

 

「はぁ〜。あ、タオル置いてある。持ってこなくても良かったのか」

 

 ため息を出しながら着替え、裸になるとシャワーの方へ向かった。ドアの近くの棚にタオルと回収用のカゴも置いてあるのを発見して、せっかくだから上がる時に使わせてもらおうと考えながらドアを開ける。

 

 もちろん誰もいないので、数基あるシャワーも使いたい放題である。何となく真ん中を選び全開でシャワーを浴びる事数分。体の汗を流しきり、軽く体も洗えたので上がることにした。

 

 シャワールームのドアを開け、タオルを取ろうと棚を見る……途中で、視界に人影が写ったことに気づき、慌てて視線を戻す。

 

 ピンク髪のギャルが、僕の履いていたパンツを握りしめていた。

 

「え? え? あ、あの、それ僕のなんですけど」

「あ、え、その……」

 

 急いでタオルを腰に巻き、パンツを握りしめているギャルに近づいていく。ギャルの子は、手に持った僕のパンツと、僕の上半身を交互に見ながら、顔を真っ赤にして目を回していた。

 

「あの、ホントに、返してください」

「え、こ、これは違くて、えっと――」

 

 のぼせたみたいに真っ赤になっている女の子は、数歩の距離まで迫った僕を見て、混乱しながらポケットにパンツをしまい、前に倒れ込んだ。

 

「あ、危ないっ!」

 

 腰のタオルがはだけるのも気にせず、とにかく支えようと一歩前に踏み出す。果たして、タオルこそはだけたが、女の子が転倒する前に無事支えることが出来た。

 

 気絶してしまった人の対処法は知らないが、取り敢えず横にさせたほうが良いはずだ。

 そう思い、ベンチのような椅子に横たわらせようと下ろしている途中、うめき声と共に女の子が目を開いてしまった。

 

「……ッ!」

 

 息を呑む音。自分か彼女かわからないが、どちらも驚きの声を出した事は間違いないのだ。

 僕は裸を女の子に見られたし、女の子は間近で裸を見てしまったんだから。

 

「…………」

 

 再度気絶してしまった女の子を下ろし、僕は再び頭を抱えた。




CP全員を出す事ができませんでした……。
一度にたくさんのキャラクターを出して話をさせるのは難しいですね。途中で台詞だけになってしまいました。

鷺沢さんと十時さんの学年違いについては、本家のようにご都合時空という風に捉えていただけると幸いです。リフレッシュルームでのセリフなどから、難関校であることが伺える台詞があるので、浪人という可能性もなくはないかもです。

R18タグは、検討中です。

評価、感想、誤字報告もありがとうございます。


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モデル部署、フレちゃん

「はぁ……どうしよう」

 

 髪を拭き、濡れたバスタオルを回収用のカゴに入れながら考える。眼の前には、気絶してしまったギャル風の女の子がベンチに横たわっていた。

 とりあえず、パンツはポケットを弄って返してもらったが、流石にこのまま放置するわけにもいかないだろう。

 そう思ったので、スマホで連絡先を開き、さっき交換してもらった武内プロデューサーに電話をかけた。

 

「はい、武内です」

 

 渋い、いい声でプロデューサーさんが応答をする。

 

「あの、突然すいません。鴨川ですけど」

「どうかされましたか?」

 

 シャワーを浴びて帰る事になっているのに、電話をかけてきた用件がつかめず不思議そうな声色だ。

 

「あの〜、なんて言えば良いのか……シャワーを浴びていたら、おそらくアイドルの方? と鉢合わせしてしまって」

「それは……! だ、大丈夫ですか!? 何もされていないでしょうか……」

「ナニかされるんですか!?」

 

 プロデューサーさんの慌てた声がレアだなと思うのと同時に、その口から出た内容に驚いた。もしかして、気づいていなかったけど、身の危険が有ったのだろうか。

 

「いえ……その、少し心当たりがあるアイドルの方々が居るので……鴨川さんが無事なようで、安心です」

 

「ははは……」

 

 シャワー室に来る前に、身の危険をバッチリ感じる体験をしておきながら、自分が未だにのんきだったと思う。

 この世界では女? なんだから、裸で詰め寄ったりなんかしたら襲われかねないだろう。そう考えると、自分の裸を見て気絶してしまった子は、見た目が派手なだけで実は相当初心なのか?

 よくわからない世界だな……そう思った。

 

「えっと、用件なんですけど……僕の裸を見てしまった女の子が気絶してしまって、今はベンチに寝てもらっています……名前がわかるものを持っていなくて」

「気絶ですか……?」

 

 プロデューサーさんは少しの間黙り込んだ後、心当たりがあったようで女の子の特徴を聞いてきた。

 

「もしかして、髪の毛はピンク色をしていますか?」

「あ、そうです。レッスン着ですけど、結構派手な見た目で、ギャル風というか……」

「やはりそうですか、城ヶ崎美嘉さんですね。今日の、この時間帯にレッスンをしていたのはLiPPSの皆さんだったので」

「はぁ……凄いですね」

「いえ、誰でもすぐに分かります」

 

 僕が言った凄いですねというのは、誰がいつレッスンをしているか把握しているプロデューサーさんの事を言ったのだが、どうやら誰かを見抜いたことだと思われたみたいだ。

 

 というか、誰でもすぐに推理できるということは眼の前の女の子の純情さ? は事務所の殆どの人に知れ渡っているのだろうか。そんな子が、たまたま自分がシャワーを浴びているときに来てしまったことが何だか可哀想になった。

 

「城ヶ崎さんは、この後モデル部署で仕事があるので……そうですね、自分が迎えに行きます」

「本当ですか? ありがとうございます」

 

 そう、お礼をいった瞬間に更衣室のドアが開いた。

 

「ちょーっと待ったー! 話は聞かせてもらったよー? このシキちゃんにまっかせなさーい!」

 

 ドアが開き、現れたのは先程廊下で会った白衣の女の子。自分のことをシキちゃんと呼ぶ女の子は、僕から電話をひったくると、プロデューサーさんに向かって自分が美嘉ちゃんをモデル部署まで運ぶと宣言した。

 

「その、申し訳ありませんが、一ノ瀬さんが何をしでかすか分からないので……同行してもらえないでしょうか?」

 

 シキちゃん? から返してもらった電話口で、プロデューサーさんは申し訳なさそうにそう言った。なんでも、一ノ瀬志希ちゃんは失踪癖があるとかなんとかで、美嘉ちゃんが本当にモデル部署に届けられるか分からないとの事。

 かといって、僕はモデル部署の場所を知らないから真偽を判別出来ないと伝えたが、とにかく事務所から出ていかないかどうかを見張って欲しいと言われてしまった。

 

 美嘉ちゃんを背負って、小脇にカゴを抱えた志希ちゃんがそれじゃあレッツゴー! と言うので、見失わないように何とかついて行った。

 

「そのカゴって……タオル入ってるよね?」

「そうだよー? 研究所でちょっと絞った後は、ちゃんと洗うから安心していいよ」

 

 全く安心できない話を聞いて、その絞られた液はどうなってしまうのか聞く勇気は僕にはなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 事務所の在ったオフィスビルに戻ってきた僕と志希ちゃんは、そのまま進んで、モデル部署と書かれたフロアにたどり着いた。

 エレベーターを降りると同時に、乗り込もうとして来た金髪の女の子が志希ちゃんを見て足を止めた。

 

「ふんふんふふーん、あー! シキちゃん! こんなトコで何してるのー?」

「フレちゃん! 今ねー、気絶しちゃった美嘉ちゃんを運んできたんだー」

「ワァオ! 奇遇だね! フレちゃんもー、今一緒に仕事があるから美嘉ちゃんを探してるんだー! 一緒に探さない?」

「いいねーそうしよっか!」

 

 志希ちゃんに親しげに話しかける金髪の女の子、フレちゃん? は美嘉ちゃんを探しに行くところだったらしい。レッスンが終わって、しばらく経ったのに美嘉ちゃんが来ないから探そうと思っていた。そう説明した女の子は、志希ちゃんに一緒に探そうと切り出す。

 う〜ん、美嘉ちゃんは志希ちゃんの背中に居るんだけどな……。

 

 再びエレベーターに乗り込もうとする彼女たちを、どうやって引き留めようか考えていると、フレちゃんのほうが、志希ちゃんの持っているカゴに興味を持ったようで足を止めて聞いていた。

 

「ところで、シキちゃんの持ってるカゴ何が入ってるのー?」

「おっ、お目が高いねフレちゃん。このカゴには、お兄さんがシャワーの後に体を拭いたタオルが入ってるんだよ?」

「すっごーい、お兄さんのー?」

 

 そう言ってコチラを向く2人を見て、目をつけられてはイケない人たちに興味を持たれてしまったと感じた。

 

「そう言えばー、まだ名前聞いてなかったよね?」

「名前聞いてなかったの? じゃあじゃあ! フレちゃんとシキちゃんはお兄さんと初めまして同士だね?」

「う〜ん、シキちゃんは会うのは二回目かな〜」

「えー! いつ会ったのー?」

「うんとねー、さっき!」

 

 向き合って笑う2人に、数瞬前の直感が間違ってないことを再確認した。

 

「あたしはねー、一ノ瀬志希っていうんだー。シキちゃんって呼んでいいよ?」

「あたしもあたしもー! フレちゃんはー、宮本フレデリカ! フレちゃんって呼んでねー?」

 名乗りを聞いて、自分も名乗り返そうとした時、何となく聞き覚えのある名前に思わず聞き返してしまった。

 

「宮本……? フレちゃんって、フレデリカちゃん?」

「んー? フレちゃんはーフレちゃんだよー?」

「僕、鴨川だよ、鴨川リュウ。覚えてないかな?」

 

 まだ小さかった頃、忙しくて遅くまで帰ってこられなかった親が、自分を預けたご近所さんが宮本さんだった。いつも自分と一緒に遊んでくれた同い年の女の子、ハーフの子の名前はフレデリカちゃんだったはずだ。

 小学校を卒業すると同時に自分が転校してしまって、それっきりだった。

 

「鴨川……リュウ君? リュウくん! ワーオ、奇遇だね!」

「あれ、あれ? フレちゃんのお知り合いー?」

「そうだった! 幼馴染でー、フィアンセなんだー!」

 

 フレちゃんの衝撃発言に思わず吹き出すと、志希ちゃんと会った直後よりも嬉しそうなフレちゃんがコチラを向き話を続けた。

 

「ちっちゃい頃に、大きくなったら結婚しようって約束したからねー!」

「えっー! フレちゃんと結婚するのはシキちゃんじゃないのー?」

「ごめんね、シキちゃん……フレちゃんには許嫁が居るの……」

「そんなーっ!」

 

 大げさに小芝居を続けるフレちゃんと志希ちゃんを見て、からかわれているとは分かっていても、許嫁云々の事は否定しようと口を開いた。

 

「あー、えっとフレちゃん。結婚しようっていうのは、ちっちゃい頃の口約束だから……」

「うそ……フレちゃん振られちゃった……」

「酷すぎるっ! フレちゃんを泣かせたー! お詫びとして結婚しろー!」

 

 否定した瞬間、あまり感情の籠もってない口調で、大げさに崩れ落ちたフレちゃんが、小さくだけど涙を流した様に見え、また思わず話してしまった。

 

「でも、そのっ。別に口約束だから守らないって言ったわけじゃ……」

「じゃあ結婚してくれるってこと?」

「うん……と――」

「聞いた? 結婚してくれるって!」

 

 別にそういう訳でも、と続けようとした途中で言葉を遮られてしまった。

 お祝いだー披露宴だーなんていう2人の騒ぎに、起こされた美嘉ちゃんが口を開いた。

 

「あれ、ここどこ……?」

「あーっ! 美嘉ちゃん起きた! お仕事だから、急ごう?」

「え、ちょっと待って……」

「はい、フレちゃんパスー」

「レシーブっ」

 

 背中から降ろされ、志希ちゃんからフレちゃんへと雑に受け渡された美嘉ちゃんは、自らに起こった事態を把握できないまま、フレデリカちゃんに連行されていくことになった。

 

 フレちゃんが去り際に、「指輪だったらルビーが良ーい? 真っ赤なやつー!」と残した一言に、エライことになってしまったと頭を抱えていると、任務は果たしたとでも言うような表情の志希ちゃんがカゴを持ってどこかへ去ってしまった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 あっという間に1人になってしまい、とにかく美嘉ちゃんをモデル部署へ送り届けた事をプロデューサーさんに伝えなければと思い、電話をかけた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 開口一番に身の安全を心配してくれたプロデューサーさんを嬉しく思いながら、美嘉ちゃんをモデル部署へ届けられた事と、体は大丈夫なことを連絡した。

 

「そうですか……お疲れ様です、お気をつけてお帰りください」

 

 本当に気の毒そうな口調から、志希ちゃんが相当特殊な部類であることを察しつつ、心配してもらったお礼を言って電話を切ることにした。

 

 そういえばモデル部署のフロアに着いて、殆どエレベーターの前から動かなかった。少しだけ気持ちに余裕が出たので、ポスターがびっしりと貼られた廊下をぐるっと見回してみた。

 一際目を惹く一枚、青い瞳が綺麗で、美しい女の子ポスターの中からコチラを見つめ返している。ローマ字で鷺沢文香、と書いてあった。

 

 まさか、見間違いだろう。信じられない思いでポスターの方へ近づく。何度目をこすっても、眼の前のポスターは変わらなかった。

 

 ポスターの凛々しい表情の鷺沢さんと、頬を緩ませながら僕の腕を抱きしめていた鷺沢さんが、全く頭の中で一致せずに混乱していると、行動が不審で目立っていたのか、誰かに声を掛けられてしまった

 

「どうしたんですか?」

 

 透き通った、大人のお姉さんの落ち着いた声に、何もやましいことはしていないのにイタズラが見つかったような、バツの悪い気持ちになりながら振り返った。

 

「あら、初めて見ますね……新入りのスタッフの方ですか?」

「あ、はい、そうです。えっと、アイドル部署でアシスタントとして働いてます」

「アシスタントさん……ダンスが、上手そうですね?……足、スタンっと……ふふっ」

 

 緑髪で、自分と同じか少し高いぐらいの身長の、スタイルの良いお姉さんが言った冗談? にどう反応していいか分からず固まってしまった。

 

「あれ? 分かりづらかったですか……? 足が、こう、スタンっと……ふふっ」

 

 反応がないのを、自分のダジャレが通じなかったのだと考えたのか、眼の前の女の人が再度説明をしてくれる。説明の最中に自分で笑うのを見て、この人も鷺沢さんと同じ、中身が残念な人なんだと気づいた。

 

「あぁ……そんな、ダメな人見るような目で見ないでください……」

 

 コチラの向ける視線に気づき、恍惚とした表情でそう話していた。

 

「あの、僕……もう帰るので……」

「あぁ……冷たく、あしらわれてしまいました」

 

 言葉とは裏腹に、やはり嬉しそうな表情の女の人の横を通り抜け、エレベータに乗り込む。

 色々有りすぎて濃すぎる1日だったが、特にショックだったのが鷺沢さんのことだった。

 思えば、入学式の時にやたら道で注目を浴びていたのは、鷺沢さんが芸能人だったからなのでは……?

 

 さっきのお姉さん然り、今日一日の体験を通して、綺麗な人はたいてい中身に難の有るということを身にしみて感じた。

 貞操の危機と相まって、芸能事務所をバイト先に選んだことは失敗だったのかもしれないと、今更ながら思った。




気絶美嘉ちゃんはラッキースケベ&しきフレ回避と、おそらく今回の登場人物の中で最も幸せです。
志希ちゃんに回収されたタオルは、エキスを絞られて香水が出回ります。


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事務所、菜々さん

サブタイトル付けが悩ましい。


 今日の講義は1限からだった。内容は人間の行動心理で、社会動態学が云々と語る教授を席から眺める。

 この講義をとった理由は、その内容も勿論あるが教授がこの大学では珍しく男性だったからだ。年齢は50代ほどで、とてもハキハキと話すので聞き取りやすい。そこは好印象だった。

 

 しかし、過去女性に対して嫌な思いをした経験があるのか、相当な女嫌いだった。

 口を開けば罵倒が始まり、やれ女というものは常に下半身でしか物事を考えず、男が少し裸を見せれば体を火照らせ腰をくねらせるだのと、真剣に講義を受けに来たコチラが拍子抜けしてしまうような内容に、教室中が静まり返っている。

 

 はぁ……この講義を受け続けて単位が取れれば、一緒に社会なんたら士の資格が取れると聞いたので、投げ出してしまうのはあまりにも勿体無い。地味に高倍率だったから、なぁ……。

 がっかりしながら試験のためノートを取りつづけた。

 

 語り終えた教授が講義の終了を合図したので、荷物を纏めて教室を移ろうとしていたところに、後ろから声を掛けられた。

 

「あの……!」

「はい?」

 

 後ろを振り返ると、顔を真っ青にした鷺沢さんが居た。そういえば、この講義はすべての学部の生徒が受講できるんだっけ。

 

「勘違いしないでください……全ての女性が、下心のみで動いているわけではないのです……!」

 

 焦りで切羽詰まった表情でそう語る鷺沢さんは、母親にエロ本が見つかった少年のような悲壮感を漂わせている。

 

「あー、今の講義のこと? あんまり気にしてないよ。今の所、下心全開みたいな人にはお目にかかったことはないから」

「うっ……」

 

 教室に次の講義をとる学生たちが入ってきたため、移動しながら返答する。

 気にしてないと聞いて嬉しそうな表情をした瞬間に、後に続く言葉を聞いて心当たりが有るのか苦しそうに胸を抑える鷺沢さん。その姿に、嗜虐心を刺激された僕はそのまま言葉を続けた。

 

「それに、鷺沢さんなら、僕の嫌がることはしないって信じてるから」

「はぅ……!」

 

 切なげな声を出した鷺沢さんは、下腹部を手で抑え腰をくねらせた。下心で動いてないと言った手前、胸……へそ下キュンな事を言われても、性欲に負ける訳にはいかない。きっと彼女の胸中では理性と性欲が壮絶な戦いを繰り広げているのだろう。

 

 たとえ、目をトロンとさせて腰が引けていたとしても、傍から見たら確実に性に傾いていたとしても、彼女が戦っているうちは絶対負けては居ないのだ。

 とんだ悪女ムーブだ、と自分でも思うが、出会った時からずっと彼女の勢いに押されがちな自分の、ささやかな意趣返しだ。

 

 自然に僕の腕を取り、抱え込む鷺沢さんは、きっと負けてないはず……そう信じている。

 

「あれ〜? お二人もこの講義をとってたんですか?」

 

 教室を出る時、鷺沢さんに続いてまた知り合いに話しかけられた。結構な倍率だったはずなのに、十時さんもこの講義をとっているなんて、偶然にしては出来すぎじゃない?

 

「そうだよ。あれ、十時さんも講義受けてたんだ?」

「そうなんですよ。教授にお菓子を差し入れてお願いをしたら、ホントは定員を超えてるけど受けさせてもらえるみたいで〜」

「へぇ……あの教授が融通を図るなんて、相当美味しいんだね」

「どうなんですかねー? あ、良かったら今度食べてくれませんかぁ? いつも作りすぎてしまうので、色んな人に配ってるんですよ」

「本当? 嬉しいな」

 

 あんなに女は女は言っていた教授が、胃袋を掴まれて既に陥落していると聞き、講義と関係ない所で更に株を下げたが、きっと十時さんのお菓子が美味しすぎるのだろう。そう思うことにした。

 

 お菓子を持ってきてくれるという約束の間、というか十時さんが声を掛けてきてからずっと鷺沢さんが僕の腕を引っ張り続けているのだけれど、最初は話し相手を取られての軽い嫉妬ゆえだと思っていたら段々と擦り付けるような、怪しい動きになってきたので手を引っこ抜いた。

 

 せっかく少し見直していたのに、結局下心に負けるなんて……。残念な鷺沢さんはほっといて、十時さんにこの後空いているか聞いてみた。

 

「私は、今日は1限のこの授業だけです。お昼からお仕事が有るんですけど……」

「……! 私も、このあとは空いてます! お昼までですが……」

「だったら、それまで少しコーヒーでも飲みませんか」

「良いですねー」「ぜひ、お願いします!」

 

 午後からのバイトの為に2限以降は空けていたので、それまでカフェでも行こうと誘うと鷺沢さんも食いついてきたので皆で向かうことになった。

 大学から数分歩いたところにある、落ち着いた雰囲気のカフェに入り、それぞれ注文をした。

 

「学部はバラバラなのに、意外と同じ講義をとってるんだね」

「一年生の間は、学部指定の講義が少ないですから……」

「そうですね〜」

 

 3人で講義が被った事から皆がどの講義を選択したか話したところ、その殆どが一致したことで驚いた。狙いすましたかの様にピッタリだ。作為を感じるほどの合致率で、鷺沢さんは少し目をそらしながら、十時さんは抑揚の乏しい声で相槌を打った。……希望を提出する前に、2人に質問攻めに遭ったのを思い出したが、気の所為ということにしよう。

 

「でも、これだったら皆で集まって勉強会とか出来ますよ?」

「良いね! 僕もバイトが結構忙しいし、三人寄れば文殊の知恵って言うから凄く助かるかも」

「賛成です……!」

 

 頼んだカフェオレを飲みながら話をしていると、3人で勉強会をすることになった。全員がバイトなりで学生をしながら働いているので、試験前には協力体制を敷いて効率的に勉強しようという訳だ。

 

 場所の話になると、入学式の時には大学内の図書館を推していたはずの鷺沢さんがやけに自宅をプッシュしてきた。図書館では話すことが出来ないですから、とその理由を語る鷺沢さんの頬が赤く染まっているのは、決して息が切れたわけではなさそうだ。

 

「えっと、誰かの家に集まるってこと?」

 

 不安だな、と言う思いを目線に込めて鷺沢さんを見ると、大丈夫です……! 勉強です! ちょっとだけですから! とホテルを目の前にした男の子みたいな事を言いだした。

 躱し方に困って十時さんの方を見ると、意外なことに十時さんも乗り気で、お菓子なら任せてくださいっ! 腕によりをかけて作りますよーとノリノリだった。

 頑張りますっと気合を込めて言う十時さんを見て、混入の二文字が頭をよぎったが、いやまさか……睡眠薬とか、盛らないはず……。背筋がゾクッとした。

 十時さんにとっては、僕なんてまな板の上の鯉……いや、広げられたパイシートなのかも知れない。

 

 そんな事を話し合っていたら、気づけばお昼前の時間帯になっていた。

 それぞれお仕事に行きましょうか、そう言って席を立ち会計をしてもらう。どうしても奢りたい鷺沢さんと、普通に割り勘にしたい僕との小競り合いはあったが、また今度ね? と躱した僕の辛勝で終わった。

 

 

 3人で駅の方へ歩きながら、今度はお仕事の話になる。

 

「私、実はアイドルのお仕事をしてるんですよ?」

「えっ……凄い! テレビにも出てるの?」

「そうですね〜、バラエティとかも出させてもらってます」

 

 十時さんのアイドルやってます宣言に、完全に不意を疲れた僕は驚愕でそれなりに大きな声を出してしまった。驚かすことが出来ましたっ、そう言って喜ぶ嬉しそうな十時さんの様子を見て、鷺沢さんは、笑みを浮かべてソワソワとし出す。

 十時さんは鷺沢さんの芸能活動を知っているのだろう、挙動不審な鷺沢さんを笑顔で見ていた。

 

「私に……私に聞いてください……!」

 

 暫くの間十時さんのアイドルの仕事や346プロの事について話し、鷺沢さんを泳がせていると、ついにこらえきれなくなった鷺沢さんが聞いて聞いてと声を掛けてきた。

 

「そう言えば、鷺沢さんの仕事って何?」

 

 待ってましたと顔を輝かせた鷺沢さんは、今から言うぞと深呼吸をして言い放った。

 

「私も、アイドルやってます……!」

「あ、それ知ってるよ」

「え……」

 

 驚きましたか? そう言いたげなドヤ顔が一瞬で固まった。

 

「346プロでアルバイトしてて、偶然ポスターを見ちゃったから」

「そんな……!? 346プロでアルバイトですか……!? ひ、酷いですひどいです! ……私も、驚いてもらえると思ったのに……!」

「はは、ごめんって」

 

 ポカポカと叩いてくる鷺沢さんを軽くいなしながら、気になっていたことを十時さんに質問した。

 

「むしろ、僕は十時さんがアイドルで、346プロに所属してることに気づかなかったほうが不思議なんだけど」

「それはですね? 鴨川さんのことを先にプロデューサーさんに聞いてたから、驚かせようと思って隠してたんですよぉ?」

 

 いつもと変わらない笑顔で十時さんがそう言う。教授への賄賂ことお菓子の件といい、実は相当な策士なのでは? 怒らせないようにしよう、そう思った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 事務所に着き、少し時間が有るので、僕たちは社内にあるカフェで軽食を食べることにした。

 可愛らしいウサ耳メイドさんに、サンドイッチを注文し持ってきてもらう。高校生ぐらいだろうか、社内のカフェでもバイトを雇ってるんだねと言うと、鷺沢さんが彼女は346のアイドルですよと教えてくれた。

 

 アイドルもしてて、ここのお手伝いもして学校も行くとはスゴイ体力だなぁ。感心しながらサンドイッチを口に運ぶ。素朴な、優しい味がした。美味しい美味しい。

 あっという間に平らげ、時計を見ると鷺沢さんと十時さんの仕事の時間が迫っていた。

 

「大変です〜! また走らなきゃ〜」

「食後にあまり、激しい運動は……はぁはぁ……」

 

 会話もそこそこに、代金を置いて仕事に向かってしまった2人を見送り、お会計をしようとレジの方へ向かう途中で、同じ様にレジに向かっていた菜々さんが突然腰を押さえその場に倒れ込んでしまった。

 

「ノウッ!」

「だ、大丈夫ですか!? 菜々さん!?」

「大丈夫です……あと、な、ナナは17歳なので、さん付けはしないでくださいっ」

「いや今はそれどころじゃ……!」

 

 腰痛よりさん付けを指摘するという、アイドルとしての徹底ぶりとプロ根性をスゴイと思いながら、とにかく医務室に運ばなければと考え背中を差し出す。

 

「おんぶですか!? こ、こんなの、ナナが学生の時に体育祭で足をくじいた時以来ですッ!……ハッ!?」

「学生の時? とにかく医務室まで連れて行きます、揺れがキツイかも知れませんが我慢してください!」

「わ、分かりましたっ」

 

 何かを口走った菜々さんがごにょごにょ言うのを無視して、とりあえず厨房に居た人に、腰をギックリしてしまった菜々さんを医務室まで運ぶと伝えた。それから、菜々さんがガッシリしがみついているのを確認して、おんぶのまま急いで向かった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 バイト初日に教えてもらった医務室まで無事にたどり着き、菜々さんを落とさないようにドアを開き中に入る。部屋の中には誰も居なかったので、とりあえず空いているベッドの1つに、菜々さんを腰に刺激がいかないように下ろして横になってもらった。

 

「あ、ありがとうございます」

「気にしないでください」

「本当に……ナナは今回こそダメかと思いました……」

「……今回?」

 

 腰をさすりながら違うんです言葉の綾で……と否定する菜々さんは置いて、どこかに有るはずの湿布を探した。きっと、激しいレッスンとかでどこかを痛めるアイドルが居るはずなんだけど……。とにかく引き出しを手当たり次第空けていった。

 包帯、ガーゼ、消毒液、絆創膏、コンド……えっ!?……湿布! 見てはいけないモノを無視して、目当てのものを取り出す。

 

「菜々さん、うつ伏せになって服をまくってもらえますか?」

「ぬ、脱ぐんですか!? 助けてもらって嬉しいですけど……もしかして、体で払う!? ノウッ! そういうのはお付き合いしてからってナナは決めてて……!」

 

 急に顔を赤くしてモジモジし出した菜々さんに、慌てて湿布を見せた。

 

「そうじゃなくて! あの、湿布です」

「ハッ! お恥ずかしい……うぅ……」

 

 自分の勘違いに気づいた菜々さんは、大人しくなって布団に横たわり服の裾をまくろうとする……が、うつ伏せの状態で腰を痛めているため、うまくめくることが出来ず、お願いされることになった。

 

 誰もいない医務室で、2人がベッドの上、片方の服を脱がそうとしている……なんて危ない絵面なんだ……誰かに見られるような事故が起きる前に、さっさと湿布を貼ってあげよう。

 そう思いながら、菜々さんの服をまくりあげた瞬間、ドアが開いた。

 

「擦りむいちゃったから、絆創膏貰いに来たんだけど★」

 

 中に入ってきたのは、ピンク色の髪のカリスマギャル、美嘉ちゃんだった。

 

「なっ、ナナ!? えっ、アノ時の! えっ?」

 

 ベッドに横たわっている菜々さんが、美嘉ちゃんの記憶では全裸を見せつけてきた男になっている僕に、服を脱がされている。

 純情な乙女には、あまりにもこの空間は刺激的すぎた。

 

「ごっごっごっご、ゴメン! 見なかったことにするからっ」

「ちょっと待って!」

 

 衝撃の光景に、赤面しながら逃げ出そうとする美嘉ちゃんを走って追いかける。間一髪、ドアを閉じる前に美嘉ちゃんの腕を掴むことに成功した。

 

 そのまま、逃げられないように力づくで部屋の中に引き込む。いよいよ美嘉ちゃんはパニックで、僕も何をしているのか分からなかった。

 

「ちょっとまって! ゴメン! 2人の邪魔したのは謝るからぁ!」

 

 どうしようどうしよう! もう完全に話せば聞いてもらえるような状態じゃなかった。美嘉ちゃんは、僕とベッドの菜々さんを交互に見てナニかを想像したのか、顔を赤くしていた。

 

 ええいままよっ!正常な判断が出来なくなった僕が取った策は、美嘉ちゃんを気絶させることだった。

 

「えっと…………そんなに焦らなくても、一緒にしてあげるよ?」

 

 引っ張って美嘉ちゃんを抱き寄せ、耳元でそう囁いた。

 

「…………キュウ」

 

 生唾を飲み込んだ音と激しすぎる心音の後、美嘉ちゃんは意識を手放した。

 

 倒れ込んできた美嘉ちゃんを抱きとめ、とりあえず入口近くのベッドに下ろす。呼吸を阻害しないように胸のボタンを外すと、遠巻きに一連の流れを見ていた菜々さんの生唾を飲み込む音が聞こえた。

 

 部屋の空気にもし色がつくとすれば、ショッキングピンクだった。



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大学、黒川さん

 社会学部生のみの講義、今日はいつもの2人が教室にいなかった。サークルにもゼミにも入ってないから、当たり前だけど知り合いのいない教室を入り口から眺めた。

 

 こんなことなら、入るつもりは全く無いけどサークル紹介歓迎会でも回るんだったかな。飲み会なんか行ったらお持ち帰りされてしまいます、と腕にすがりながら的外れな注意をする鷺沢さんを振り切り、何とかして十時さんから逃れていれば、今頃友達100人は出来てたはず。きっと。

 でも、十時さんからは逃げ切れる気がしないよな。鷺沢さんも、一人ぼっちにしたらどんどんダメが悪化しそうだし。

 

 むしろ、僕の方こそ2人に依存しているような……今からでも友だちや知り合いを作るのは遅くない。

 そう考え、再度教室内を見渡した。講義が始まる時間よりもかなり早く来てしまった為に、人数はとても少なく、かつこんな時間に来る人は学習意欲が高いのか、殆どが最前列に座っていた。

 

 1人だけ、中列の端っこに座っている女子学生が居る。真っ直ぐで綺麗な黒髪、後ろ姿だけしか確認できないが、ノートを開いている背中が寂しそうに見え、勝手にシンパシーを感じてしまった。あの人と話してみたい、声をかけてみよう、そう思った。

 女の子の方へ歩いていく。こんながら空きの教室で、わざわざ隣に座るなんてあからさまに不自然だけれど、今の僕は話しかけたいんだ。切っ掛けは多少不自然でも構わないだろう。

 

「ここ、座っても良いですか?」

 

 ノートを見ていた女の子はコチラをちらっと一瞥し、すぐに興味をなくしたのか、良いわ、とだけ返事をしてすぐにノートに視線を戻した。あまりにも淡白なその反応に一瞬尻込みしたが、すぐ次に声をかける内容を探すことにした。今の僕は女の子なんだ、ちょっとぐらい図々しくてもきっと許してもらえるさ。

 

 女の子の手元に広げられたノートを覗き見る。ノートだと思っていたのは、ルーズリーフを留めるバインダーで、熱心に作業していたのはその仕分けだった。初回、2回、3回とタイトルに書かれたレジュメの穴を埋めている字は少しクセのある丸っこい字で、彼女の強気で冷ややかな目元に似合わず、可愛らしかった。

 

 思わず見つめていると、鋭い視線で睨み返された。

 

「何か気になることでも有るのかしら」

「いや、別に……すいません。ただ、字が可愛らしいなと思って」

 

 ちょっと弱気になり、謝って素直に思った事を伝えると、彼女は一瞬虚を突かれたような表情をした後、わずかに顔を赤くして元の強気な表情に戻り、僕からバインダーを遠ざけた。

 思わず目で追うと、彼女は目を細め怪訝そうな表情になった。

 

「字が気になったら人のノートを覗いてもいいの?」

「あ……そうじゃなくて、あの、それってこの講義のレジュメですよね? 授業が始まる前に配られてましたっけ……だとしたら、僕、忘れてしまったみたいで」

 

 少し怯みながらも、気になったことを質問する。彼女のバインダーに挟まれていたレジュメには、この講義の名前が書かれていた。事前配布で、予習前提だとしたらマズイだろう。

 彼女は不安げな僕の表情を見て、少しばかり逡巡した後観念したように離し始めた。

 

「心配しなくても、レジュメは後で配られるわ。私は去年この講義を受けたから持っているだけ」

「そうなんですか! ……去年? 先輩ですか?」

「そうよ。私は2回生。この講義は何回生でも取ることが出来るし、別に回数制限もないの」

 

 誰かに話すつもりはなかったのだけど……。そう言ってため息をつく彼女は、2回目のこの講義を受ける理由を話してくれた。簡潔に言うと、成績が気に入らなかったらしい。ほぼ全ての単位がAだった中で、1つだけB評価だったのがこの講義だったと、屈辱を噛みしめるように彼女は言った。

 

「でも、相対評価でほぼオールAっていうのは凄いです! 憧れます」

「そ、そう? ありがとう。だけど、私はトップにならなければいけないのよ」

 

 そう言い切る彼女、黒川千秋さんは凛々しくて、格好良かった。

 

「あの、凄く尊敬します! 僕、成績のことなんて考えたことなかったです。とにかく卒業できればって思ってました」

「ありがとう……私も、その、幻滅されないように頑張るわ」

「頑張ってください! 応援します!」

 

 本気で感激している僕の様子に、タジタジの黒川さんはあまり褒められ慣れてないのか、コチラから顔をそらしてレジュメの纏め作業を再開してしまった。ただ、最初に顔を合わせたときよりも確実に口角は上がり、目尻は下がっている。端的に言えば、優しい表情、もっと直接的に言えば、ニンマリしていた。

 あれ、ちょろカワイイ? 少しだけ黒川さんの性格がわかった気がした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「今日の講義はここまで。来週は指定した本を教科書として使用するから、忘れないように」

 

 教授のその一言で、解散となる。僕は、机の上のレジュメを眺めて頭を抱えていた。課題として男女の社会的地位の格差についてレポートを400字詰の原稿用紙で10枚分書いて来いだって……? 次回の講義まで今日を入れて3日しか無いっていうのに、なんて酷いんだ。

 熱心な学生から内容について質問を受けている教授を見て、憎らしく思った。

 

「面食らったようね」

 

 彼女もまたレジュメを眺めながらそう言った。

 

「私も去年は驚いたわ。初回から数日でレポートを書いて来いなんて言われると思ってなかったもの」

「ですよね……先輩は間に合ったんですか?」

「そうね、出来に不満はあったけれどきちんと提出したわ」

 

 一年前に自分が出したレポートの事を思い返した彼女は、思い切り顔をしかめた。どうやら、相当良くない出来だったみたいだ。

 

「その、もし良かったらアドバイスとかってもらえますか。先輩の助言だったら、凄く役に立つ気がして」

「そうね……あくまで、一般的な意見で書くことよ。それだったら反論も譲歩もいくらでも論理の展開ができるわ。それと、走り書きしたメモをちらっと見たけど、男女があべこべになってたわよ?」

「それは、慣れなくて」

 

 何が慣れなくて? 不思議そうに僕を見つめる彼女は、結局気にしないことにしたのか肩を竦め、机の上の片付けを始めた。

 

「よく分からないけれどまだ聞きたいことが有るなら、私はだいたい図書館に居るからその時にでも聞いて」

 

 そう言ってカバンの中にバインダーや筆箱を流し込んだ彼女は、荷物を持って教室を出ようと歩き始める。僕も慌てて荷物を持ち、彼女に遅れないよう着いて行った。

 

「あの、だったら明日行きます。図書館」

「明日? ちょっと早すぎないかしら……別に、いいけれど」

 

 驚いたように見える彼女は、嫌がっているというよりもむしろ、喜んでいるように見えた。

 

「先輩がやってる、2回生の難しい内容は分からないですけど、それでも2人の方が捗ると思います」

「そうかも知れないわ。ありがとう。それと、先輩じゃなくて名前で呼んで」

「千秋さん?」

「……ッ! からかってるの!?」

 

 信じられないとばかりに驚いた表情で顔を直視する彼女を、まっすぐ見つめ返す。今日初めてしっかり顔を合わせたが、透き通る声の印象通り、綺麗な人だった。……数秒見つめ合い、すぐに視線をそらされた。

 

「すいません、からかいました。……黒川さんって呼べばいいですか?」

 

 黒川さんは、乱れた呼吸を治そうと胸に手を当て、自分を落ち着けているようだった。もしかすると、あまり男に免疫がないのかも知れない。

 

「……そうよ。もし、明日もからかうようだったら、レポートのアドバイスの話は無しよ」

「それは、困ります。すいません」

「だったらもう、私を緊張させるようなことは言わないで」

 

 落ち着いた声だが、こちらの目を見ること無く視線をそらしたまま黒川さんはそう言う。

 

「分かりました。そしたら、明日に図書館で」

「えぇ……その、待ってるわ」

 

 照れを含ませる声色で、黒川さんは答えた。その視線は若干の期待を感じ、歩く後ろ姿はもうどことなく感じる寂しさはなかった。

 

 自分1人でも、友だち……というよりは知り合いが作れるんだ。その満足感に浸りながら、昼食をどこかに食べに行こうとしたその時、突然誰かに腕を掴まれ物陰に引っ張り込まれた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 全くの無抵抗だが、人並みの体重は有る僕をずりずりと引きずりながら引っ張る謎の女性は、周りから死角になる物置へと僕を連れ込むと、後ろに回り込んで羽交い締めにしてきた。

 

「先ほど親しげに話していた女性は誰ですか」

「何やってるの鷺沢さん」

「さ、鷺沢さん……? 誰のことでしょうか……。私は、謎のアイドルSです……!」

 

 背中にふにょんとした柔らかい感触を感じながら、鷺沢さんこと謎のアイドルSの尋問を受ける。喋り方や身長は確実に知り合いであったが、彼女が謎というのならそういうことにしてあげるのが優しさだろうか。

 

「女性って……黒川さんの事かな?」

「その、黒川さんという方が、貴方を誑かしていると……!」

「違う違う、ただ課題についてアドバイスを貰おうとしただけで」

 

 本当ですか……! そう言って確かめようと僕への拘束を強くする謎のなんとかさん。段々と強くなっていく絞める力を何とかして止めなければ、僕はこのままオトされてしまいそうだ。ぎ、ギブギブ……ぱんぱんと手を叩くが一向に解放はされなかった。

 

「その……解放してほしければ、私と勉強会をすると、約束してください……!」

「謎のアイドルSさんと?」

「ちっ、違いますっ! 私とです……!」

 

 首をふる度に、グイグイと背中に押し付けられているモノがこすれる感触がしていて、僕の中にもちゃんと男の部分があることを主張するように、1つの器官に血流が集まっていた。これ以上はマズイ、ナニかが痛いほど緊急事態を訴えていた。

 

「わ、分かった……鷺沢さんと勉強会はするから! 一旦離してもらえる!?」

「……私の家で」

「鷺沢さんの家で!」

「今週末……」

「もちろん!」

 

 約束です……! そう言って僕を解放した謎のアイドルSこと鷺沢さんが、満足げにうなずいているのを見て僕は、目先の危機を回避しようとする余り極めて短絡的な行動をしてしまったと思い直し、項垂れた。

 

「週末まで、ここで確保して置けば、逃げられ無いはずです……」

 

 解放されたものの、諸事情あって腰が引けている僕の前に、なんと鷺沢さんは回り込み、逃げちゃダメです……! と言いながら、今度は前から(!)抱きしめてきた……のを歴戦の闘牛士のような身のこなしで、華麗に躱す。

 もし、ベスト前かがみニスト賞があれば今年は僕のものだと思った。

 

 その後も、何で避けるんですか? とちょっと怒っている鷺沢さんの猛攻をひらりと躱し続け、なんでも、なんでもするからと万能な宥め文句で鷺沢さんを落ち着かせることに成功した。

 落ち着いた、というよりも妄想に耽っているような様子だけれど、モノが熱を持った状態なのを見つかるのに比べたら百倍マシだ。

 

 トリップから帰ってきた鷺沢さんは、嬉しそうに提案した。

 

「その……勉強会の日の昼食は、スッポン鍋などいかがでしょう……?」

 

 僕は食べられてしまうのか。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 鷺沢さんは午後も講義があるとの事で、大学に置いていき僕は事務所に来ていた。アルバイトだ。

 この間のぎっくり腰事件は、菜々さんに美嘉ちゃんが目撃した事をごまかしてもらい、運んでもらったお礼ということに。

 

 菜々さんがその後、運んで処置してもらったことへの対価が美嘉ちゃんへの対処だから、気絶させたことは口止めされてないはずと主張したので、僕が定期的に全身マッサージをしてあげる羽目になっているのはまた別の話だ。菜々さんが特性のアロマを持ち込んで艶めかしい声を上げていても、きっと彼女は疲れているんだろう。

 

 美嘉ちゃんは度重なる気絶騒動で、僕に対して苦手意識が出来てしまったのか、見かけるたびに目を背けてどこかへ行ってしまう。まるで僕が今でも素っ裸とでも言うような対応で若干傷つくが、よくよく姿を追ってみれば物陰からねっとりと舐め回すように見つめてきていた。髪の毛だけでなく、頭の中までピンクなんじゃなかろうか。

 

 そう言えば最近、事務所では香水が流行っていて一度凛ちゃんに嗅がせてもらった。交換条件と言ってシャツを取られてしまったが、そこまでして嗅がせてもらった香水は無臭だった。何回嗅いでも分からず、作った張本人の志希ちゃんを問い詰めてみるも、キミには分からないよーの一点張り。みりあちゃんが何か言おうとしていたが、慌てて杏ちゃんが口をふさいだため分からなかった。

 

 フレちゃんについては、全く神出鬼没のため何処に現れるのか分からず、何の話もできていない。今日から鴨川じゃなくて宮本だよー? とか急に言われてもおかしくないのが、この事務所で一番怖いかも知れない。

 

 短い期間で色々起きて混乱しそうになるが、それでも少しずつ仕事になれ始め事務所に馴染んできた実感は有り、やりがいも有る仕事に満足していた。

 

 今日は、まだ顔合わせが出来ていないアイドルの子に自己紹介をして欲しいとの事だ。

 神崎蘭子ちゃんと、二宮飛鳥ちゃん、二人共14歳。個性的だけど、いい子だから優しく接するようにお願いしますとプロデューサーさんに頼まれている。いまさら多少独特な子が来ても驚かないだろう。

 ちょうど終わった頃だというレッスンの部屋を聞き、そこへ向かう。

 

 そういえば、その後は新田美波さんとアナスタシアちゃんとも自己紹介をして欲しいと言われているんだった。4人とも僕のことを知っていると言っていたので、軽く顔見せぐらいだろう。




ちょっと更新の間が空くと思います。
それと関係はないですが夏バテでやられてます、全然書けない……。


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武内Pレポート 1

本編の少し先のお話、番外編です。他者から見た主人公が書いてみたかったので。
最初は三人称で、それ以降は(この世界では不器用お姉さんな)武内P視点です。


「業績報告書ですか?」

「はい、そうです」

 

 夜遅くまで残業していた千川は、同じくモニターに向かい事務作業をこなしていたプロデューサーの話に、自分の耳を疑った。キーボードをタイプする手を止め、ため息をつきながら自分の首元に片手を当てるプロデューサーは、あまり気が進まない様子だ。元々、鴨川をバイトとして雇う話を彼の親からされた時も、余り乗り気ではなかった。

 

 大事なアイドルの子たちに、軽々しく異性を近づけてはいけない。彼は身をもってその意味を知っていた。絶対に間違いを起こさないと心に決め、再起をかけたこのシンデレラプロジェクトでも、思春期のアイドルたちが彼に向ける視線は時たま怪しいものだ。

 

「彼はバイトで働いているし、社員として雇用している訳ではないですけど?」

「専務は、そうは考えていないようです。採用するのを前提に、普段の勤務態度や様子が知りたいと」

 

 鴨川が働き始めたのはここ三ヶ月ほどで、その短い間に彼は多くのアイドル達と交流を持ち、その関係を良好に保っていた。プロデューサーに掛かる書類や事務仕事の負担だけでなく、今まで周りきれなかった営業も、アイドル達の送り迎えも、さらに言えば、彼をじっとりとした目で見つめるアイドルたちの視線さえ、以前と比べれば格段に楽になった。

 

(鴨川くんと自分を重ねているのかも)

 千川はそう思った。仕事もできるし、アイドル達との距離も近い。自分が入社した時に見たプロデューサーさんと少なからず重なる部分が有った。

 

「本人に伝えたあと、明日は彼とアイドルの方々との様子を報告書に纏めなくてはいけないので、申し訳ありませんが、事務作業は千川さん1人に集中してしまうと思います」

「大丈夫ですよ? プロデューサーさんも、頑張ってくださいね」

「その……ありがとうございます」

 

 

 落ち込んだくまさんの様に覇気のないプロデューサーを、元気づけようと笑顔で返事をする千川に、プロデューサーは少し顔を赤くして困ったような表情をした後、目線をそらして感謝の言葉を告げた。誤魔化すように、再びカタカタとキーボードを叩き始めた彼の横顔を見て、千川も少し笑った後、再びモニターに向かった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 日曜日にも事務所は忙しい。大学が休みで朝早くから来ていた鴨川は、既にオフィスに居たプロデューサーから今日一日、彼が行動を共にする事を告げられた。

 

 理由を聞くと、少し不自然な間の後にアイドルと従業員で不適切な関係が無いか調査すると言われ、背筋に冷たいものが流れるのを感じたが、眼が泳いでいるプロデューサーを見て、今言ったことは彼の調べたいことで、本当の内容は違うと察する。

 

 ともかく、自分が監視されていることは確かなので、日々目線が怪しくなるアイドル達に遭遇しないと良いなぁ。そんな事を考えながら、彼は仕事の予定の書かれているホワイトボードを見た。

 

『鴨川:各アイドルを訪問※事務は免除』

 

 名前の横に書かれた予定を見て、彼女らを避けることは出来ないという事に思い至り固まっている彼に、その様子を見ていたプロデューサーが、眉尻を下げ申し訳なさそうにしながら声を掛けた。

 

「なるべく普段の様子で過ごしていただきたいのですが、数が多いので……」

「はぁ、えっと事務所内を回れば良いんですか?」

「そうですね、どなたが何処に居るのかは私が把握しているので大丈夫です」

 

 お任せください。そう言ってキリッとした顔に戻るプロデューサーは、早速レッスン場へ行くように彼を促した。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 Case1 鷺沢文香

 

 なるべく自然な様子が見たいので、どうして来たのかはそれとなく誤魔化してください。2人で居るほうがいつもの会話をできると思うので私は離れて見ます。そう伝えて、鴨川さんと2人でレッスン場に向かいました。

 

 今、レッスンを受けているのは鷺沢文香さん。同じ大学で、友人同士でもある2人は事務所内でも共に行動をしているところを目撃されています。その事を鴨川さんに聞いてみると、苦笑いで話題をそらしたのが気になっていました。2人がどういう関係なのか、この視察で正しく判断しようと思います。

 

「えっと、入りますね」

 

 建物の前まで来て、恐る恐る鴨川さんはドアを開けました。中からはカウントをするトレーナーさんの声と、おそらくダンスレッスンをしている鷺沢さんの荒い息が聞こえます。

 かなり辛そうな様子に、鴨川さんは急いでペットボトルとタオルを手にレッスンルームまで駆け出しました。

 

「脱水だな、まだ時間は残っているがレッスンは終了にしよう。水分補給をしてこい」

 

 トレーナーさんの言葉と同時にレッスンルームに入ってきた鴨川さんは、床にへたり込んでいる鷺沢さんの下へ駆け寄り、タオルで汗を拭いペットボトルを渡しました。

 

「ありがとうございます……あれ? おかしいですね、幻覚が見えます……」

 

 フラフラの鷺沢さんは、渡されたタオルで汗を拭い、受け取ったペットボトルから水を飲むと、少し落ち着いて眼の前の鴨川さんを視認し首を傾げました。

 

「鷺沢さん、幻覚じゃないよ。ほら、汗だくだからシャワー浴びよう」

 

 ボーッとしたままの鷺沢さんに、屈んで手を差し伸べた鴨川さんは汗を流すように促します。確かに、このまま汗だくで冷房のきいたレッスンルームに居ては体を冷やして体調を損ねるかもしれません。体を案じて冷静に判断する様子を見て、評価を一つ上げました。

 

「私は……一緒でなければ、行きません……」

「ちょっ、しがみつかないでっ」

 

 鴨川さんが差し伸べた手を、鷺沢さんは両手でひっぱり自らの方へ引き込みました。バランスを崩し倒れ込む鴨川さんを、受け止めた鷺沢さんは、本物……? と呟いたあと、考えることを放棄したのか鴨川さんの手を握ったまま立ち上がり、シャワー室へ向かおうとしています。

 

「だめだからっ」

「はうっ」

 

 べしゃっ。レッスンでへろへろになっているのか、鴨川さんに簡単に振りほどかれ音を立てて床に沈んだ鷺沢さんは、彼女を〜恋人を〜と鴨川さんを非難しますが、彼は取り合わず抱えあげて鷺沢さんをシャワー室の方へ運んでいきました。

 端で見ていた私を置き去りに、抱えられたどさくさに紛れて顔を擦り寄せる鷺沢さんに、それを軽い口調で諌める鴨川さん。2人だけの世界を作り上げる様子に唖然としていると、青木さんが声を掛けてきました。

 

「あれがお前の後継者候補なのか? 流石だな」

 

 今頃は一緒にシャワーでも浴びているんじゃないか? そう冗談を口にする青木さんの言葉で、私はシャワー室へ向かった2人を急いで追いかけました。

 

「ほら、立って。シャワー浴びなきゃ体が冷えちゃうよ」

「無理です……支えてください」

「駄目だって。もう離すよ?」

「あぁ……いけずです」

 

 ドアの前で、会話を続ける2人を見つけました。私が来たのを横目で確認した鴨川さんは、強引に鷺沢さんをシャワー室へ入れドアを締め、前に立ちはだかりました。

 

「あ、あの……これは、誤解で。鷺沢さんはちょっと水が足りなかったんです! ……きっと」

 

 必死に自分と鷺沢さんが不適切な関係でないことを主張する彼に、私が心配なのは貴方であると伝えると、不思議そうな顔をして扉から離れました。どうにも、彼は自分がどれだけ危険な立場にいるか分かっていないようです。

 シャワーに連れ込まれたりして、嫌がっているように見えても体は正直ね、なんて展開もあります、と懇切丁寧に危なさを説明すると、ようやく自分がどれだけ不注意だったか気づいたようでした。

 少し、熱が入りすぎてしまった説明にあまり実感が湧いていない様子でしたが、押さえの無くなったドアを開けて出てきた鷺沢さんの極まった眼を見て、納得をしたみたいです。

 

 結局、鷺沢さんはシャワーを浴びるということで、他のアイドルの方が居る寮の食堂へ行くことにしました。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 Case2 神崎蘭子

 

「レッスンルームでそのまま居ても良かったんですけど、この時間の食堂にだれか居るんですか?」

「寮で過ごしている方々がおそらく朝食を取る頃なので……」

 

 2人で寮と併設されている社内食堂に来ました。寮にもキッチンはありますが、料理をするには食材を買って来なくてはいけないので、手軽にご飯を食べられる食堂は重宝されています。

 食生活が乱れがちなので朝昼晩の3食お世話になることも有り、食堂のおばさま方とはすっかり顔なじみになってよくオマケをして貰っていました。

 

 食堂に行くと、準備をし終えたおばさま方はアンタらが一番だよと言い、注文をするようにこちらへ促して来ました。

 

「えっと、どうします? まだアイドルの子たち来てないみたいですけど……」

 

 がっかりしたような口調で話しかけてくる鴨川さんに、軽く責められているような気持ちになっていると、どこからかくぅ〜と気の抜けた音がどこからか聞こえてきました。

 

「聞こえました?」

「はい……何でしょう」

 

 そう言い切ると同時に、自身の腹部からくるるると空腹を表す音が自分の存在を主張するように、ハッキリと2人の鼓膜を揺らします。幸い、忙しくしていたおばさま方には聞こえなかったようですが、信じられないという顔で鴨川さんがこちらを見つめていました。

 

「あっ……そのっ」

 

 そういえば、朝起きてから何も食べていませんでしたね……。視線に、顔が赤くなるのを感じながらどう説明しようか考えていると、鴨川さんが助け舟を出してくれました。

 

「えっと、朝ごはん食べていきますか? アイドルの子がその内来るかもしれないですし」

「そ、そうですね。すいません、それを狙ってきたわけではないのですが……」

 

 私の全く説得力のない説明に、温かい目で分かってますよと返してくれる鴨川さんの、評価をまた1つ上げながら、注文をしてプレート受け取り席に着きました。

 

「あれ、ハンバーグ好きなんですか?」

「はい。その……子供っぽいかもしれませんが、よく頼んでいます」

 

 私のプレートに載った大きいハンバーグと、おまけとして付けてくれた小さなハンバーグを見て、鴨川さんが笑い、私も恥ずかしさを誤魔化すように笑いました。

 それから、二人共ゆっくり朝ごはんを取りながらそれぞれアイドルについて思ったことを雑談として話している中で、ハンバーグから神崎さんの話題へと変わります。

 

「そういえば、蘭子ちゃんが一緒に食べたハンバーグのことを嬉しそうに話してましたよ。いつの間に食べに行ったんですか?」

「そ、それは……この間のライブのときです。決して、私から誘ったわけでは無いのですが、どうしても食べたそうにしていたので……」

 

 嘘です。静岡でライブをすると聞いてから、何とかして食べようと計画していたので私から誘うつもりでした。会場の近くに、おいしいハンバーグを出すレストランがあることをそれとなく伝え、興味を示したらそのまま誘うつもりだったのですが、思いの外神崎さんが食いついたので彼女の意見を尊重するという事で、計画通りにレストランへ行くことが出来ました。

 難解な言葉を話す神崎さんが、その時は年相応に元気いっぱいな話し方をしたので、より仲良くなれた気がします。もちろん、普段の言葉遣いでも神崎さんの言いたいことを汲めるよう頑張っているのですが……。鴨川さんのようにはいきません。

 

「我が友? それに翻訳せし者(わがしもべ)も? 如何ゆえに悪魔の会食へ参ったか!」

「あぁ、蘭子ちゃん。ちょっとお腹が減ったんだよ。そうだ、ちょうどこの前言ってたハンバーグの話してたんだよ」

「まことか! 我が友と共に食したあの禁断の果実は、まさに神のもたらした叡智! 再び相見えるは今宵か!?」

 

 寮と食堂を繋ぐ廊下から現れた神崎さんは、2人で向かい合いながら朝食を食べる私達に声を掛けてきました。

 テンポよく会話している2人に、いまだに信じられない思いを感じながら様子を観察します。

 

「いや〜今夜じゃないと思うよ? ほら、プロデューサーさんは今食べてるし」

「むっ、小ぶりの果実……我が下僕よ、私に捧げるが良い!」

「僕が? うーん、駄目だよ。これはプロデューサーさんのだから」

「うぅ……我が友……!」

 

 お腹が空いているのでしょうか、私と、ハンバーグとを交互に見つめる神崎さんが物欲しそうに見つめてきました。しかし、アイドルの方々はトレーナーの青木さんから朝食を管理されているはずで、私がそれを破らせるわけにはいきません。心を鬼にして首を振り、ハンバーグを口に運びました。

 

「あぁ……闇の力は、永久に失われた……」

「大げさだって蘭子ちゃん。ちょっと待っててね?」

 

 私のプレートから端に挟まれ、私の口の中にハンバーグが運ばれるのを見つめていた神崎さんは、私が咀嚼し飲み込むのを見届けガックリと肩を落としました。

 落ち込む神崎さんの姿を見ながら、笑っている鴨川さんは厨房の方へ向かいます。

 少しして、私がオマケで貰った程の小ぶりなハンバーグを皿に乗せた鴨川さんが、テーブルへ帰ってきました。

 

「ほら、蘭子ちゃん。トレーナーさんには内緒だよ?」

「……祝祭の贄! 舞い降りた男神は我に微笑んだ!」

「ははっ、大げさだなぁ」

 

 神崎さんは突っ伏した状態でしたが、鴨川さんに声を掛けられて顔を上げました。それから、手に持ったお皿の上のハンバーグを見つけると、途端に表情を一変させ鴨川さんに抱きつきます。私には喜んでいることしか分かりませんが相当嬉しがっているようで、落ち着かせるために空いた手で鴨川さんが神崎さんの頭をぽんぽんと優しく叩いていました。

 

 2人の姿は仲のいい兄妹のようで、傍から見てもほっと安心するような優しい雰囲気が漂っています。甘えてくる妹を思う存分甘やかす兄の様子に、若干の不安は感じながらも先程見た鷺沢さんとのやり取りのような危うさは感じられません。

 きっと、鷺沢さんが特殊なだけで、他の多くのアイドルの方々も神崎さんのように健全なアイドルと事務員の関係を築いているのでしょう。幸せそうな2人を見ながら、そう視察表にメモをしました。

 

「その、神崎さんはもうすぐでレッスンですが……」

 

 小さなハンバーグを食べ終えた神崎さんにそう話しかけると、まだ鴨川さんと話足りなかったのか不満げな顔を私に向けてきました。どうしようか考えていると鴨川さんもレッスンに遅れないようにと、促してくれました。

 

 味方だと思っていた鴨川さんが敵側に渡った事にショックを受けながら、私と鴨川さんを交互に見た神崎さんは捨て台詞を言い、その場から去ってしまいます。

 

「我が友たちのばかっ」

 

 私にも内容が分かっただけに、嫌われてしまったことに相当なショックを受けましたが、鴨川さんは余裕な様子で微笑み、去っていく神崎さんの方へ頑張ってーと声を掛けながら手を振っています。

 私がその様子に驚いていることに気づくと、軽い調子でそんなに本気じゃないですよ、とフォローしてくれました。

 

 神崎さんと過ごしている時間は私のほうが長いはずなのに……。少し自信をなくしながらも、アイドルとのコミュニケーションは良好であると備考欄に書き込み、また私の中でも1つ評価を上げました。




その1です。評価が良ければその内本編の何処かでまた挟みます。

私は書いたことがないのですが、他の作品を見ると掲示板回? が良くあるみたいなので、需要があればアイドルたちのチャット形式で主人公のことを書いてみたいなと考えています。

難しすぎますね蘭子ちゃんの口調……主人公が翻訳云々言われてるのはおそらく次回説明します。

次回は本編の続きです。


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事務所、ダークイルミネイトにラブライカの方々

前半と後半を別々の日に書いたのでちぐはぐかもしれません。
いつも誤字報告ありがとうございます。


 飛鳥ちゃんと蘭子ちゃんに会いにレッスン場へ赴く。道中ですれ違った青木さんいわく、レッスンルームでソワソワしながら待っているから、早く会いに行ってやってくれとのことだ。アイドルとして働いていて、人馴れしていると言っても彼女たちは中学生、子供なんだ。なるべく緊張させないように、優しく接しよう。

 若干緊張していた自分を棚に上げ、彼女たちのことを微笑ましく思いながら急いで向かった。

 

 目当ての建物に入ったが、レッスンルームに居る2人は気づいた様子がなく、というか声も聞こえず人がいる気配すらなかった。不審に思いながら奥に進み、ルームの前まで行くも外から見る限りでは誰の姿もない。電気は消されていて真っ暗だった。

 

 照明を点けるスイッチが見当たらず、とにかく中に居るはずの2人に聞こうとドアを開けた瞬間、スポットライトが部屋の中央を照らし、そこには2人の少女が決めポーズで立っていた。

 

「我が名は神崎蘭子!」

「ボクは、二宮飛鳥さ」

 

 ド派手な演出に、僕が動けないでいると、パチっという音がして照明が落ち、部屋は暗闇に包まれた。

 

「ええっ! あ、飛鳥ちゃん! どうしよう!?」

「お、落ち着くんだ蘭子! スイッチが何処かにあるはずだ!」

 

 暗闇の中でドタバタする2人の様子、その慌てぶりに自分も電気を点けるスイッチ探しを手伝おうと動いた瞬間、カチッと音がして部屋の中央をスポットライトが照らした。中腰になって辺りを手で探る2人の姿が照らし出される。

 

「んなっ……! 分かったぞ、人感センサーの設定ミスでドア付近の動くものしか認識してないんだ!」

「ど、どうすればいいの飛鳥ちゃん!」

「落ち着くんだ、手動で電気をつければ良いはず。キミ! その近くの壁にスイッチがないか?」

 

 比較的、落ち着いている様子の女の子がこの近くにスイッチが有ることを教えてくれる。闇雲に壁をまさぐっていると、想像よりも少し低い場所にスイッチを見つけた。それを押し込むと部屋の明かりが順々に点く。

 

 明るくなった部屋を見回すと、腰を低くして周囲を探している髪色が特徴的で中性的な女の子、そして、その子の腰に抱きついている巻き髪銀髪の女の子が居た。

 

「ら、蘭子!? 妙に動きづらいと思ったら……その、電気は点いたから離してもらえないかな」

「わっ、ごめんなさい! 暗くて、怖かったから……」

「いや、ボクもその……何も見えなくて僅かにだけど……怖かったからね。お互い様だ」

 

 おずおずといった感じで離れる蘭子ちゃんは、見た目が与える印象よりも小心なイメージで、なだめる飛鳥ちゃんも落ち着いた様子は強がりのように見えた。

 

 カッコよく決めるはずだった自己紹介で失敗してしまった2人は相当気落ちしているようで、とても明るく話し出すような様子ではなかった。

 

「……落ち着いた? えっと、聞いていると思うけど鴨川です。よろしくね? 飛鳥ちゃん、蘭子ちゃん」

 

 僕が声を掛けると、2人はいそいそと最初の場所に、戻り決めポーズを取り始めた。

 

「私は神崎蘭子です! よろしくおねがいしますっ」

「ボクは二宮飛鳥さ」

 

 さっきの事はなかったことにするらしい。バッチリのキメ顔な2人に、二度目だとはとても言えず、とりあえず近づいて握手を交わした。

 

「レッスンルームは自動照明になっているけど、キミを驚かせようと思って電気を消し、人感センサーでスポットライトをつけようと思ったんだ」

「その、失敗しちゃったけど……」

 

 和やかに握手を交わした後、話す話題が思いつかずついさっきの事を聞いてしまったところ、苦虫を噛み潰したような表情で飛鳥ちゃんが語り始めた。なるほど、僕を驚かせようと思ったのか。

 彼女達なりの、精一杯の歓迎だったことを知り、嬉しくなってつい、彼女たちの頭へ手を伸ばし撫でてしまった。

 

「やめてくれないかっ」

「む〜! やめてっ」

 

 子供らしい素直さが嬉しくてついやってしまったのだが、彼女たちは子供扱いされるのを嫌がるようだ。すぐに手を弾かれてしまった。

 

「あ、ごめん……そんなに用意してもらってたなんて、嬉しくなっちゃって……」

 

 当たり前だ、この年頃の子がこんな扱いを受けたら嫌がるのは分かりきっていただろう。この世界では男の子に当たるんだから、なおさら分かってあげなければならないのに……。

 この世界で始めて人から拒否されるという経験で、過剰に反応してしまう、自己嫌悪でしょげた僕の様子を見て、慌てた2人が慰めてくれた。

 

「べ、別に嫌いになったわけじゃない!」

「う、うんっ!」

 

 手を取ってそう言ってくれる2人に、調子の良い僕は簡単にその言葉を信じて元気を取り戻す。我ながらちょろいと思うけど、素直なのは前の世界からの僕の取り柄だった。

 

「ありがとう、2人とも。その、これからよろしくね?」

 

 頷いてくれる飛鳥ちゃんと蘭子ちゃんは天使に見えた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「へぇ、堕天使? 蘭子ちゃんはどっちかと言うとお姫様みたいだけど」

「そ、そう? そう言われると、そうかも……!」

 

「飛鳥ちゃんは、自分を痛いやつだって言うけど、ブレない自分の世界を持ってるのはカッコイイことだと思うなぁ。ほら、アイドルなら尚更武器になるし」

「そうかい? まぁ、そう言われるのは嫌いじゃない。キミが、ボクのセカイを理解できるとは思わないけどね」

 

 2人の優しさに感動してべらべら話しかけていると、だんだん心を開いてくれたようで少しずつ、会話が弾むようになった。

 

 蘭子ちゃんはゴスロリ? でお人形さんのような見た目をしていて取っ付きづらそうかと思えばそんな事は全く無く、僕の話に相槌を打ち、うんうんと頷く様子は年相応の女の子で、むしろ反応には彼女の素直さが一番出ている気がした。

 自信が無い、この服は身を守る鎧と話していたけれど、おとぎ話のようなメルヘンチックの、悪く言えば浮いたその独特なファッションに、似合うのは彼女が彼女だからだろう。

 もっと自信を持っていいのに。そう思った。

 

 飛鳥ちゃんは、まだ僕に対して壁を感じるけどそれは彼女なりの人との接し方のようで、最初はほとんど見せなかった笑顔――微笑みぐらいのものだけど――を見せてくれるようになり、遠慮がちだった話し方も彼女本来の? 皮肉めいた、ニヒルな口調に変わっていった。打ち解けて初めて、彼女の斜に構えた周囲との接し方は、彼女が自分のことを特別だと、周りとは違う自分であることを証明するための手段だと気づく。

 遠回しにそのことを伝えると、飛鳥ちゃんは少し驚いた表情をした後、そうか、でもボクはボクだから、と冷静に返した。言葉に変化は見えなかったけれど、僅かに、飛鳥ちゃんが信頼を見せてくれた気がする。

 具体的に言うと、ちょっと近い。そう思った。

 

 

 

「キミは、蘭子のコトバが分かるのか?」

 

 世間話の途中で、飛鳥ちゃんが突然そう聞いてきた。

 

「私も気になってた!」

 

 そう言ってなんでなんでと詰め寄ってくる蘭子ちゃんに、僕は困惑する。

 

「なんで、って言われても普通に話してるよ。あ、でも最初の自己紹介のときは我って言ってたっけ。いつの間に変えたの?」

「え?」

 

 不思議そうな顔で2人が僕を見た。互いに顔を見合わせた2人は、首を傾げながら今もずっと我が一人称だけどと教えてくれる。え? 今度は僕が疑問符を返す番だった。

 

「いや、だって、え? 私って言ってから……」

 

 言っている意味がわからない、そう僕が答えると飛鳥ちゃんが何かを思いついたのか、蘭子ちゃんに耳打ちをした。蘭子ちゃんは、突然の提案にキョトンとしていたが、少しして合点がいったのか首肯して僕の方を向いた。

 

「お疲れ様です!」

 

 手のひらを僕に向け、堂々と言い切った蘭子ちゃんはドヤ顔だ。が、僕がちょっと遅れてお疲れ様ですと返すとビックリした顔に変わる。

 続いて、飛鳥ちゃんが同じポーズを取り僕に話しかけた。

 

「闇に飲まれよ!」

「やみにのまれよ……?」

 

 突然の闇落ちせよ命令に僕が驚いている横で、2人は驚いた表情で再び顔を見合わせた。何がおきたか分かっていない僕は置いてけぼりだ。

 

「きっと、プロデューサーはキミのことが羨ましくてしょうがないだろうね」

 

 飛鳥ちゃんはドラマの胡散臭い外国人のように肩を竦めてそういった。一方蘭子ちゃんは興奮気味にすごいすごいを連呼し、我が下僕! と僕のことを呼ぶようになった。しもべ……キャラ設定は見た目だけじゃなくて人の呼び方まで徹底しているのか。

 

 そんなこんなしていると、最初にこの建物まで来た時に見た時間から30分以上経っていることに気付き、慌てて2人に事務所の部屋へ戻るよう促した。マズイ、この後新田さんとアナスタシアちゃんに挨拶をするよう言われてたんだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 独特の空気を持つ2人、飛鳥ちゃんと蘭子ちゃんとの顔合わせを終え、彼女たちを連れて部署に戻ってきていた。営業へ向かう前にプロデューサーさんが話していた通りであれば、僕たちが戻ってくる頃には会社に来ていて、部屋で待っているそう。新田さんとアナスタシアちゃんの知り合いである2人が居れば、僕が頑張って話さなくても場が持つかな……そう他人任せな考えでいた。

 

「あ、飛鳥ちゃん! にもつ忘れて来ちゃったみたい……」

「荷物? ……あぁ、そうだね。蘭子の練習に付き合っていたらロッカーに寄るのを忘れていたみたいだ」

「な、何度も言わないでっ!」

 

 エレベーターに乗り込んだタイミングで、蘭子ちゃんがレッスン場へ荷物を置いて来てしまったことに気づき、2人は取りに戻ることにした。

 

「悪いね。でも、ボクたちがいない方がキミも話しやすいだろう?」

 

 エレベーターが目的の階に着きドアが開くと、そう言って飛鳥ちゃんは僕の背中を押す。情けない声を出した僕が転けそうになるのを、飛鳥ちゃんはやれやれと言いながら手を引っ張って自分も前に進んだ。

 

「ほら、もう待ってるかもしれない。それともボクたちについてくるというのかい? 子供扱いはやめてくれ」

 

 決まった……。そう考えているのだろう、飛鳥ちゃんが目を閉じて肩を竦め、フッ……と不敵な笑みを浮かべた所で、エレベーターのドアが閉まった。飛鳥ちゃん……! そう呼びかける蘭子ちゃんの声は、豪華な装飾の施された厚い鉄の扉に拠って遮られてしまった。……気まずい沈黙が流れる。無情にもエレベーターは一階へ下っていってしまっていた。

 

「えっと、もう一回エレベーターを呼ぼうか?」

「いや、いいんだ……ボクは階段を降りるよ。最初からそのつもりだったんだ」

 

 レッスンの疲れが残りヘトヘトであろう飛鳥ちゃんが、重い足取りで階段へ向かうのを見届けた僕は、2桁階もあるこのビルになぜエレベーターが2基設置されなかったのか、人に優しくない不条理なセカイを恨んだ。

 入れ違う事になるだろう蘭子ちゃんを待っていると、エレベーターがこの階に着いたことを知らせるベルが鳴った。ドアが開き、中に蘭子ちゃんが居ることを確認した僕は、飛鳥ちゃんが階段で下っていったことを伝えようとして、中にいるもう1人の姿に気づき出す途中で声を失った。

 

 専務だった。1階でエレベーターを呼んでいたのは彼女だったのか。ボタンの前に立つ専務から、対角に位置している蘭子ちゃんは気まずさからか、階層表示を見つめ黙り込んでいる。気持ちはわかる……僕も同じエレベーターに乗り込んだとしたら、殆ど会話を交わせないだろう。

 

「降りないのか……?」

「は、はいっ」

 

 専務は、頷くものの降りる様子がない蘭子ちゃんを怪訝な目で一瞥するが、それ以上は追求せずエレベーターを降り私室に向かう。自分が避けられているのを感じたのか、少し寂しそうな顔をしていた。

 

「え、えっと飛鳥ちゃんは?」

「あぁ、階段で降りていったよ。きまりが悪かったみたいで」

「ありがとう…………またね!」

 

 飛鳥ちゃんが居ないことに困惑した様子の蘭子ちゃんも、理由を聞くと調子を取り戻しポーズを決める。ドアが閉まるまでポーズを取り続けるのは恥ずかしかったのか、きまりが悪そうに元の姿勢に戻りドアを閉めた。飛鳥ちゃんも蘭子ちゃんも意外とドジっ子の気があるのかもしれない。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 エレベーターが行くのを見届け、ようやく新田さんにアナスタシアちゃんが待つ部屋の方へつま先を向けた。あまり待たせるのは良くない。来ていないにしても、早く自分が居るのは別に構わないはずだ。

 そう思い、多少早足で部屋の前まで向かうと、中から女の子の話し声が漏れ聞こえてきた。行儀は良くないが、どうしても気になるもので少しでも声を拾おうとドアに耳を当てる。

 扉越しに、くぐもった声で二人の会話が聞こえてきた。

 

「アーニャちゃん……駄目だよ、もう来ちゃうから……!」

「ミナミィは、とても弱いですネ?」

「アーニャちゃん! あっ、もう……やめなきゃ」

 

 声を潜めた2人が、何かを話している。煽るようなアナスタシアちゃんを、止めようと新田さんが諭しているが押し切られているみたいだ。悩ましげな声を出す新田さんに、よろしくない想像が頭に浮かぶ。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

「ニェット……ミナミがしてこないなら、私がしますよ?」

「そんな、2回もなんて……駄目だよアーニャちゃん!」

 

 はっきりとは聞こえないが、新田さんが追い詰められているようだ。積極的なアナスタシアちゃんが、2回……ナニかを要求していた。何かのこすれる音が2人の会話意外に音のない部屋に響く。しゅる、しゅる……パサッ。

 

「ほら、ミナミ。してください」

 

 長い沈黙の後、もう一度何かが擦れる音がしてまた落ちる音がした。

 

「あ、アーニャちゃん!」

「ふふっ……ミナミの負け、罰ゲームですネ?」

「そんな、い、イヤっ!」

 

 事務所、仕事をするための部屋で、罰ゲーム!? や、やらしい! スケベだ! 喜び勇んで突入しそうになるも、服が擦れるような音とその後の落下音に、彼女たちが裸になっているかもしれないことで思い留まる。駄目だ、初顔合わせが裸なんて……。

 

 たとえ新田さんがアナスタシアちゃんに食べられちゃったとしても、僕に留める権利はない。でも、ちょっとぐらい覗いても良いんじゃないか……? たまたま、挨拶に来ることになっている僕が、彼女たちが盛り上がっている最中に偶然部屋に入ってきてしまう。不自然なことは何もないはず……。

 ラッキースケベ、その甘美な響きが、僕の理性を押さえつけた。どうしよもなく僕は男の子だったのだ。

 

 意を決して扉を開ける、ほんの一瞬も見逃さない、そんな気持ちで。

 

「は、はピハピー☆」

「んー! ミナミィ! 上手いです!」

 

 扉を開けて僕の目に飛び込んできたもの、それは顔を赤くしながらきらりちゃんのものまねを披露する新田さんと、それを笑顔で見つめるアナスタシアちゃん。それに、二人の間にある机に広げられたトランプだった。

 

 渾身のものまねをしたまま、僕の登場に固まった新田さん。状況を悟り、なんて話し出せば良いかわからない僕。1人だけ、アナスタシアちゃんだけが自然体でニコニコの笑顔だった。

 

「その……話は聞いてるかな、鴨川です。挨拶に来ました」

「カモガワ……あぁ、アシスタントさんですね?」

「…………」

 

 新田さんは顔を押さえて俯いているし、アナスタシアちゃんはそれを慰めるどころか更にモノマネを要求している。ミナミは、恥ずかしがりやさんですね? そう言って追い詰めているのはアナスタシアちゃんで、決定打を決めたのは僕だが、タイミングが悪かっただけできっと時間がこの状況を良くしてくれるはず……そう願うしかなかった。




アイドル大好き美城専務のお話はまた今度の機会に。
トランスレーター(一方通行)な主人公でした。

こんな話書いてて思ったんですが、やっぱりアイドルが仲良くしてるの良いですね。なおかれとか、ふみあかとか、みおあいとか……。

あ、美波は清楚です。

0時投稿をすると反応が気になって眠れなくなり、健康に支障を来すので今度の更新は朝にします。小心者で悲しい。


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もりくぼの憂鬱

森久保乃々ちゃん視点で。
9000文字ほどあるのでお暇な時にどうぞ。
後書きに感想やメッセージについての返信を書いています。


 もりくぼ、最近ぐっすり寝られません……それというのも、こんなもりくぼを放っておいてくれない人たちが増えたからです……。

 最初は、キノコさんでした。もりくぼは勧誘されてアイドルになったものの、トップアイドルやシンデレラガールなんて目指すつもりは全く無いので、隠れるようにプロデューサーさんの机の下に潜ってました……。

 

 いつも誰かが居て騒がしい事務所ですが、この机の下、このもりくぼの聖域には誰がすき好んで近寄ってくると言うのでしょうか、もりくぼはつかの間の安寧を欲しいままにしていました……。

 プロデューサーさんは、お仕事に連れて行くときこそ強引に机の下のもりくぼを引っ張っていきますが、基本的には同じ担当アイドルのまゆさんの相手をしているので、もりくぼのお仕事やレッスンの間以外は1人で居られます。アイドルはむーりぃーですけど、机の下で1人、ポエムを書くのも好きでした。

 

 その日も、いつものようにレッスンに連れ出そうとするプロデューサーさんの手から逃れて、机の下に潜り込んだ……そのはずだったのに、机の下の様子は前の日までと全く違っていたんです……!

 周りに積み上げられたきのこの鉢植えで、もりくぼはようやく気付きました……隣の机に間違えて入ってしまったんだと。住居不法侵入罪……もりくぼの頭の中でその言葉がぐるぐると踊り始めました……とにかく見つかってしまう前に早く出ないと……っ!

 

「あれ、お隣の……フヒッ……もしかして、ボノノさんもトモダチたちに興味あるのか?!」

 

 体育座りのまま、ずりずり少しずつ進み机の下から出ようとした時、ドアが開きおそらくレッスンから帰ってきたキノコさんがもりくぼを発見してしまったのです……。

 このきのこたちはキノコさんが毎日霧吹きでお世話をしている大事なきのこ……無断で立ち入ってしまった所をみられてしまい、怒られると思ったため身を固めていたもりくぼを、キノコさんは笑顔で迎えてくれました。

 

「フヒッ……ボノノさんなら、いつでも触らせてあげるぞ……ほら、このタマゴタケくんは、まだ新入りで……丸っこくて可愛いんだ……」

 

 普段プロデューサーさん以外にすることの出来ない、きのこについての話を嬉しそうにするキノコさんの様子に、今更そんなつもりじゃなかったと言うわけにもいかず……もりくぼはじっとキノコさんの語りを聞き続けます。

 

「このシイタケくんは、この間のロケで貰ってきたんだ……原木シイタケ……艶があるぞ」

「原木……もりくぼがテレビで見たシイタケは、培養所? のような場所にズラッとならんでました……」

「ヒャッハー!ボノノさんが見たのは多分、菌床シイタケくんだぜー! 原木は森のなかで育てるんだ!」

 

 だんだん興味が湧いてきて、思ったことをふと口走れば、嬉しそうにヒャッハーモードになったキノコさんが更に熱のこもったきのこ話をし始め、こうなったらもりくぼでは止められません……どんどんヒートアップしていくキノコさんにやけくぼ状態で相槌を打っていると、また明日もトモダチたちを見せてあげるぞ……フヒというキノコさんの〆の挨拶でようやく開放されました……。

 

 その日は沢山のきのこを思って良いポエムが書けたので結果オーライでしたけど……次の日に事務所へ着くと、もりくぼの聖域にはキノコさんがいくつかの鉢植えを持ってスタンバっていました……。こんな、自分から人の方へ向かっていくなんて、そんなのもりくぼにはむーりぃー。そう思っていると、ドアの前で立ち尽くすもりくぼに気づいたキノコさんは笑顔でボノノさ〜んと手を振ってくれます。

 その笑顔を見て、立ち去るなんてもりくぼにはできませんでした……。おずおずと、自分の机……正確に言えばプロデューサーさんのですけど……に潜り込むと、待ってましたとばかりにキノコさんはもりくぼの肩をガッシリ掴みました。

 

「ひっ」

「おっと、悪いね……フヒ……ボノノさんがトモダチたちのことを分かってくれるのが嬉しくて……」

 

 どうせ私はボッチだから……ふひ……。少し前とは打って変わってそう、悲しそうに言うキノコさんに、つい、もりくぼはもりくぼらしくないことを言ってしまったのです……。

 

「き、キノコさんはボッチじゃないです……もりくぼが居ますけど……」

「ぼ……ボノノさん! ……フヒ、フヒヒッ……ヒャアッハーッ!」

「ひっ……」

「お、おっと……フヒヒ……ごめん……舞い上がっちゃって……」

 

 もりくぼがそう告げると、キノコさんは昨日の時のように一瞬でハイテンションモードになり、もりくぼの肩をがっしり掴みます……もりくぼが驚いて縮こまると、さっと元の落ち着いた様子に戻ったキノコさんは申し訳なさそうに謝ってくれました。

 もりくぼは……てっきり、ノリが悪いことを言われてしまうのではないかと、不安に思っていただけに逆に驚きました。もりくぼの周りに近づいてくる人は、もりくぼの消極的な態度にイライラしてしまう人ばかりだったので、キノコさんの対応は予想外でした。

 

「落ち着いた……フヒッ……ボノノさん、トモダチに霧吹きをしてみないか? ……凄く、落ち着くんだ……」

「き、霧吹きですか……? 別に、良いですけど……」

 

 キノコさんが差し出してくれた、おそろいの色の霧吹きで一緒にトモダチたちにシュッシュしていると、なんだか……すごく落ち着きました。一人でいる時以外で、こんなにゆったりした気持ちになったのは、初めてです……。こういう、心が落ち着く関係を、友だちと……そう呼ぶのでしょうか……。

 

「どうだ……? 悪くないだろ……こいつらも、喜んでるぜ……フヒ」

「そうですね……すごく、落ち着きます……キノコさんと、友だちと一緒だからかも……」

「フヒッ!? ……と、友だち……ふ、ふふっ……ヒャアッ!」

「ひぃっ」

 

 嬉しいこと、言ってくれるじゃないか……フヒヒ! そう言いながらがっしりハグをしてくるキノコさんは、パッと見の言動さえ激しいですが、おどおど回してくる手はすごく優しく、やっぱり落ち着きました……。

 

「ボノノさん……コイツにも、霧吹きをしてくれ……フヒ」

 

 笑顔で、隣の机の下から他の鉢植えを持ってくるキノコさんと一緒に、2人でしばらく霧吹きでトモダチたちにシュッシュしてました……。気づいたのはそう、キノコさんがレッスンに出かけてからです……もりくぼのサンクチュアリに、そう、キノコさんスペースができていました。

 

「こいつらを、大切にしてやってくれよ……たまに、見に来るからな……ふひ」

 

 レッスンに向かうキノコさんは、もりくぼの聖域にいくつかトモダチを置いていきました……。もりくぼは今も毎日、彼ら? が乾いてしまわないように霧吹きをシュッシュしています……。そして、キノコさんも毎日、もりくぼの下へ訪れるようになりました。友だちができたこと、嬉しいはずなのに、何だかもりくぼは嫌な予感がしていたのです……。その予感が実現するまでに長くはかかりませんでした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 1週間ほど前から始まった、お隣のキノコさん……友だちとの交流が今日もまた、行われていました。もりくぼの机の下で。

 その日はいつにも増して、穏やかな時間が流れていたのを覚えています……。そう、レッスンの時間になったのを忘れてしまうほど。日課であるトモダチたちへの霧吹きをしていたところで、ドアが騒々しく開きました。

 

「ショーコ! レッスン始まっちゃうぞ!」

 

 開いたドアの前に立っていたのは、トレーナーさんに言われてキノコさんを呼びに来た美玲さんでした。せっかくレッスン場まで行ったのに! そう、ちょっと怒っている様子の美玲さんの様子を見て、ようやくレッスンの時間なことに思い至ったキノコさんは、少しづつ焦り始めています。

 それでも、霧吹きを手放さずトモダチたちへ水を吹きかけ続けるキノコさんに、業を煮やした美玲さんはツカツカと机まで歩み寄り、キノコさんの腕を掴みました。

 

「いつまでやってるんだ! それは後で良いだろ! ほら、遅れちゃうんだ!」

「わわっ……ぼ、ボノノさん……!」

 

 美玲さんに引っ張られながら、もりくぼに助けを求め手を伸ばしたキノコさん……。もりくぼは、レッスンの時間を守る美玲さんが正しいことを分かっていながら、キノコさんの手を掴みました。

 

「むっ……ウチの邪魔するのか……? 上等だぞ、止めるつもりならノノごとレッスン場へ連れて行くからな!」

「えぇ! そ、そんなの……」

 

 むぅーりぃー。そう続け、手を離そうとした時、キノコさんの縋るようなもりくぼを見る視線に気づいてしまいました……。自分、友だち……もりくぼは、友だちを取ることに決め、手を離しませんでした。

 

「うぐぐ……なんでウチが2人、ノノまで連れて行かなきゃいけないんだ……重い……」

 

 レッスン着に眼帯の女の子が、霧吹きを持った女の子2人を引きずっている光景は恐ろしいほどに人の目を集めました……。幸いなことに、もりくぼたちの事を見てすぐに、ああまたアイドル部署か……と興味を失ってくれましたが、それでも注目からなるべく遠ざかっていたいもりくぼには辛すぎます……。道中で、何度も手を離しそうになりました。

 

「何だ、森久保もレッスン受けるのか? まぁ、人数の多い方が対抗意識が出るか。よし、さっさと着替えてこい!」

 

 レッスン場まで引きずられたもりくぼは、トレーナーさんの言うがままレッスンを受けることになってしまいました……。むりです……でも、レッスンを受けるつもりがないなんて、今更トレーナーさんに言うことはむりむりむりです……。もりくぼは、言われたとおりに更衣室に置かれているご自由にレッスン着へと、着替えました。

 

 それからはよく覚えていません……とにかく、やけくぼで乗り切ったことだけは確かでした……。

 

「うん、3人共いい動きをしていたぞ! 特に、森久保は振り付けを知らなかったはずなのに、2人と同レベルで動けていた!」

 

 トレーナーさんに褒められることなんて、滅多に無いはずなのに、もりくぼは素直に喜ぶことができません……。ただ、がむしゃらに頑張っていただけで、もう一度同じことをしろと言われたら……むぅーりぃー。

 

 レッスン後、燃え尽きたもりくぼが真っ白になりながらシャワーを浴びていると、美玲さんが話しかけてきました。

 

「ウチ、ノノのこと勘違いしてたぞ……本気でやれば、あんなに凄い動きができるんだなっ! 良かったら、一緒にダンス練習しないか?」

「だ、ダンス練習!? もりくぼは、自主練なんて、むりですけど……」

 

 美玲さんから伝わる熱意は、とても無碍にする事ができず、助けを求めてキノコさんへ視線を送りましたが……帰ってきたのは助け舟どころか、鋭いストレートパンチでした……。

 

「美玲ちゃんは……友だちだから……大丈夫……フヒ」

「ショーコもこう言ってるし、良いよな? ウチも、さっきのノノみたいなダンスがしたいんだ!」

 

 キラキラ輝く美玲さんの瞳を正面から見て、やっぱりもりくぼには断ることはできませんでした……。

 もしかすると、美玲さんから逃げ回っていれば、自主練習をしなくて済むはず……きっと、おそらく、たぶん……かもしれないです……。

 

 この日から、もりくぼの下を訪れる人が1人増えました……。もりくぼは、ただひっそりと、植物のような心で暮らしたかっただけなのに……!

 

 

 

 ◆

 

 

 

 この日はもりくぼにとって厄日でした……。もりくぼが美玲さんの誘いをはぐらかしながらいつもの机の下に戻るのと同時に、プロデューサーさんが部屋に入ってきたんです……。多忙なプロデューサーさんが直帰をせずにわざわざ事務所に寄る時は、何か仕事や企画を持ってくると決まっていました。

 もりくぼは、影を薄くして存在を消します……そうすれば、お仕事が舞い込んでこない、そう思っていました。

 

「乃々ォ! あれ、居ないのか……美玲! 輝子! ちょっと来てくれ」

 

 プロデューサーさんの開口一番にもりくぼの名前が聞こえて、心臓が口から飛び出てしまうかと思いました……。もりくぼが返事をせずに黙っていたことで、この部屋に居ないと考えたプロデューサーさんは次に、さっきまでレッスンで一緒だった2人の名前を呼びます。

 

「おっ、2人は居るんだな。実はな、さっきまゆを寮まで送った時に廊下を歩いていたトレーナーさんから聞いたんだ……乃々と美玲に輝子が息ぴったりだったって!」

 

 プロデューサーさんの声が若干上ずっていました……これは、新しい企画を思いついた時のプロデューサーさんの癖です……。

 

「だから、ちょうどいいと思ったんだ! これからは、3人にユニットを組んでもらうからな!」

「ほ、本当か! 親友!」

「あぁ!」

「やったぞ……ウチも念願のユニットデビューだ!」

「待たせたな!」

 

 喜色満面といった様子の3人とは対照的に、もりくぼのテンションは地を這うかのようでした。むしろ、現在進行系で掘り進んでいます……。こ、こんなところには居られないです……! もりくぼは巣に帰ります……。

 そんな気持ちで机の下の、更に奥まで下がろうとするもりくぼは、ミスを犯しました。

 

 カツンっ……。もりくぼの足がキノコさんスペースの鉢植えに当たった音。恐ろしいほど耳の良いプロデューサーさんは、その一瞬の物音を聞き逃しません。もりくぼは、チェックメイトでした。

 

「……森久保ォ! そこに居たのか! 聞いてただろ、ユニットだぞユニット!」

「ひぇぇぇ〜」

 

 超人的な動きで机の下を覗いたプロデューサーさんは、もりくぼを発見すると即座に手を伸ばし、ガッシリと掴みます。そして、脇の下に手を入れて高い高いをはじめました。

 もりくぼは、見つかってしまっただけでなく何故か持ち上げられ、回されている状況についていけず目を回しています。少しして、もりくぼが弱り始めたのに気づいたプロデューサーさんは、やさしく椅子の上にもりくぼを下ろしてくれました。

 

「まだ思いつきだが、すぐに企画書用意して会議にかけるから! 来月にはバンバン仕事を取ってきてやるぞ」

 

 そう言って気合を入れたプロデューサーさんは、もりくぼの頭をガシガシ撫で、去って行ってしまいました。

 仕事が出来る人は、あんなにも行動が素早いものなのでしょうか……もりくぼの行動速度とは、一段も二段も違うその様子は、加速装置が付いていると言われても信じてしまいそうです。

 

 プロデューサーさんが嵐の様に吹き抜けた後、美玲さんとキノコさんは早めに寮に帰るということで、部屋にはもりくぼ一人になりました。これが、ここ最近ずっと求めていたはずの1人……。

 いざ1人きりになってみると、思っていたよりも心地よいものではなく感じます。むしろ前には感じなかった寂しさという感情が芽生えている事を自覚してしまい、このままではもりくぼのアイデンティティが……。複雑な気持ちになりました。

 

 椅子から降り机の下に向かう途中、ふと誰かの視線を感じて周囲を見回します。ざっと部屋を見回しても、やっぱりもりくぼ以外には誰もいませんでした。気のせいでしょうか……。そう考えて机の下に潜り込んだ瞬間、隣から女の人の笑い声が聞こえてきたのです……。

 

「ふふ、ふふふ……。抱っこに、ナデナデですか……?」

 

 心臓が潰れそうになるほど驚愕しながら、もりくぼは机の下から飛び出しました。

 

 声の聞こえたほうの机を見ていると、下から大きなリボンが這い出してきます! ……頭に付けたりピンクのリボンが特徴的な、ここには居ないはずのまゆさんでした……。

 

「うふ……ずぅーっと、見てたんですよぉ? ここで、プロデューサーさんが入ってきた時から!」

 

 優しげなタレ目が、言葉に合わせてカッっと見開かれました。ハイライトが消え、じっとりとした視線がもりくぼを見つめています。

 

「机の下……そこに居れば、同じようにしてもらえますか……?」

 

 じりじりと近づいてくるまゆさんは、もりくぼの聖域……プロデューサーさんの机の下を見つめていました。

 もし、下手なことを言ってしまったら、もりくぼは、もりくぼは……。まゆさんの醸し出す怪しい雰囲気に充てられ、思わず逃げ出しそうになる足が震えました。

 

「乃々ちゃぁん……」

「ひっ……!」

 

 眼の前、息がかかるほどの距離まで近づいたまゆさんが、もりくぼの名前を呼びます……。あぁ、もりくぼの人生が……思い返せば儚い人生でした……。そう末期の覚悟を決めました。

 

「まゆも、一緒に机の下に居て良いですか……?」

「えっ……」

 

 まゆさんが口にしたのは、お願いでした。完全に予想を裏切られ、なんと言ったのか処理をすることを脳が拒み、もりくぼの口から出たのは短い驚きの声だけです……。

 

「その、まゆも……プロデューサーさんを、近くに感じられたらと……そう思って……」

 

 直前のホラーにすら感じるような凪の無表情から、今の照れた表情はまるで恋する乙女のようです……。信じられないほどの変貌で、なんとかもりくぼが発せたのは、大丈夫ですの一言でした。

 

「本当ですかぁ! 嬉しいです……よろしくね? 乃々ちゃん」

 

 キノコさん、美玲さんに続き、もう1人、今度はまゆさんが、もりくぼの周りに来るようになりました。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「ふぅ……」

 

 久しぶりに読み返した日記を置き、一息つきました。あれから、1人になる時間がほとんど取れなくて、日記を書くのも……手にとることさえ随分前のことになっていました……。

 

 人が増えたこと以外に大きく変わったことと言えば、もりくぼの聖域がもりくぼの森になってしまったということです……。生い茂るキノコことトモダチ、ファンシーなセンスの人形たちに、いたる所に飾り付けられた可愛らしいリボン。殆ど物がなかった状態からは想像がつかないほどの雑多な様子に、今は少し、満足感を感じようになりました。

 

 美玲ちゃんやまゆさんとも、友だちと言えるような関係になりました。相変わらず美玲ちゃんはもりくぼをやけくぼにしようとしますし、まゆさんはプロデューサーさんの事になると雰囲気が怖くなりますが、もりくぼはそんな2人も悪くない、なんて……。

 

 キノコさんこと輝子ちゃんは、隣の机の下からせっせと毎日少しずつ鉢植えをこちらに運び込み、今ではほとんどのトモダチがこの机の下に来ています。必然的に、輝子ちゃんも もりくぼの机に入り浸るようになってます……。輝子ちゃんは、未だに唯一の、一緒にいると落ち着く友だちだから、もりくぼは、毎日でも歓迎ですけど……。

 

 忙しくなってから、日記に書けていない新しい友達も増えて……小梅ちゃんや幸子ちゃんは特に仲良くしてますけど……でも、これ以上はむぅーりぃーなので、やっぱりもりくぼは机の下に居るのがお似合いだと思います……。

 

 けれど、そんなもりくぼにとっての安寧の時間はもろく崩れ去ってしまいました……。

 

 コンコン。ドアをノックする音が聞こえます。今この部屋にいるのは、もりくぼ1人。尋ねてきているのは誰か用がある人だとしても、もりくぼに用がある人の可能性は限りなく低いはず……。心の中のわるくぼが、そう囁きました。もりくぼは、悩んで居留守を使います……。

 

「あれ、居ないのかな……おかしいな、プロデューサーさんはここに乃々ちゃんが居るって言ってたんだけど……」

 

 ドアの前に立っている知らない声の人は、事もあろうにもりくぼに用がある人でした……! なぜ、一体もりくぼが何をしたというのでしょうか。久々の1人を満喫していたはずが、気づけば周りに人がいないことで知らない人と一対一の状態になってしまいます……。

 もし神様がいるとしたら、なんて意地悪なんだろう。恨まずにいられませんでした。

 

「えっと……乃々ちゃん居ますかー?」

「い、いないですけど!」

 

 ドアの前で粘る謎の声に、もはや居留守になっていない居留守を使うほどに、やけくぼです。

 

「あ、もしかして乃々ちゃん? 隣の課のアシスタントの鴨川です……失礼します」

「あぁ!」

 

 入ってきちゃったんですけど……! ドアが開いた先に立っていたのは、何故かレッスン着を着ている男の人でした。優しそうな雰囲気で、人を甘やかして駄目にしてしまうような……なんとなく、無防備さを感じました。

 

「あれ……っと、ホントに机の下に居るんだね……」

 

 もりくぼの事をプロデューサーさんから聞いていたのか、机の下で丸くなっているもりくぼの事を見て苦笑いを浮かべた男の人は、ゆっくりと歩いてもりくぼに近づいてきます。

 机の前までたどり着くと、大胆な……人によっては行儀が悪いと言われてしまうしゃがんだ姿勢になりました。

 

 もりくぼは、最近ようやく人に慣れて来ましたけど……近くにいる異性の人なんてプロデューサーさんとお父さんくらいなもりくぼには、ちょっと刺激が強すぎるんですけど……!

 ちらちら、見つめるもりくぼの視線に気づいた男の人は、体育座りをしているもりくぼに目線を合わせようと、しゃがんだ体勢から前に手をつき、四つん這いに!

 み、見えてるんですけど……! 運動のしやすさを考えたゆるめのレッスン着が、全く胸元を守ること無く、前から丸見え……見ちゃいけないと分かってるのに、眼が離せない魔力を感じます。

 

「あ、ごめん見えてる? インナーもぐしょ濡れで、ちょっと着られないからレッスン着だけなんだ」

 

 ちらちら……とは言えないほどしっかり見つめているもりくぼの視線に、流石に気づいた男の人は衝撃的な発言をしました。インナーを着てない……胸元から覗ける肌色で何となく分かってはいたんですけど……。

 眼の前の、男の人が着てるのは、ペラペラのTシャツ一枚。も、もうもりくぼは色々いっぱいいっぱいなんですけど……!

 

「この課のプロデューサーさんから聞いたよ? 乃々ちゃんは無理に出そうとしないで、一緒に入ってあげると喜ぶって」

 

 入る……? 一体どこへ……? 頭がマヒして、そんなことさえ考えが及ばないもりくぼの横へ、男の人が潜り込みました。

 

「うわっ……流石にちょっと狭いね……肩がくっついてるけど、大丈夫?」

 

 どう考えたら大丈夫なのか、もりくぼが聞きたいんですけど……! 肩どころか体の側面全体が、Tシャツ一枚の男の人に当たっている……この、少女漫画の陳腐なお色気展開のよう状況。こ、この人、完全に痴漢なんですけど!

 

「改めて自己紹介するけど、鴨川です。普段は隣の課に居るけど、流石に1人ではこなせない量になってきたこっちの仕事も手伝うから。これからよろしくね?」

 

 これからよろしく……もしかするともりくぼは、これからこの痴漢によろしくされてしまうのでは……あうぅ……。

 自分の周りに人が加速度的な勢いで増えてることには、薄々気づいてましたけど、こんなスケベな男の人までなんて、むーりぃー!!




貞操観念逆転のタイトル詐欺で、ただのハーレムモノになっているという評価メッセージを貰いました。
というわけで初心に帰って、主人公には思いっきり変態ムーブをしてもらいました。無自覚ということで。
前半というかオチ以外は、みんなが仲良くなっていく過程がたっぷり書けて楽しかったです。

それと、主人公が蘭子ちゃんの言葉を分かる件については、オリ主が蘭子ちゃんの言葉を翻訳するお話が沢山あるようなので、この作品では素のまま理解する(むしろ難解な言葉はわからない)主人公と蘭子ちゃん及び周囲の戸惑いやすれ違いを書こうと思ったのですが、設定を生かせず手抜きという誤解を生んでしまう結果になり申し訳ありませんでした。

もう一つ、ハーレムモノになっているという指摘について、どうしても異性だらけの事務所の関係上、出会うキャラが殆ど女性になること、また、ストーリーの大筋が変わってきてしまうので基本的にはアイドル達から嫌われるような展開にはならないことをご了承ください。

出来れば7月中、遅くても8月の頭には更新します。


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ライブですよライブ!

お待たせしました。短いですが、プロローグとして。


 お城のような豪華な外装、都会の一等地に国立公園程の広さの敷地を有し、行き来するのは今をときめく芸能界の華、通い始めは尻込みしていた事務所にもすっかり慣れた秋。落ち葉の絨毯と、異臭を放つ銀杏に季節を感じながらオフィスのあるビルへ向かった。

 

 敷地に入ってから数分歩き建物の前まで来ると、そこには積み上がった枯れ葉が。膝ほどの高さの山はつむじ風で少しづつ拡散し、散らばり始めた。あーあー。そう言えばテレビで木枯らし一号なんて言ってたなぁ。

 他人事だと思いながらその様子を見ていると、少し離れた場所から少女の大きな声が聞こえた。

 

「あぁー!? ナナがせっかく集めた落ち葉が!?」

 

 振り返った先、落胆の表情で駆け寄ってきたのはウサ耳アイドル、延々と17歳こと安部菜々さん。

 

「カフェだけじゃなくて清掃のお手伝いもしてるんだ?」

「あ、鴨川さん。そうなんです。ナナ、日頃からお世話になっている事務所に少しでも貢献できればと……って! そうじゃないです、違いますよ! 実家から美味しいお芋が届いたので、焼き芋をして皆さんにおすそ分けしようかと」

 

 焼き芋、とても美味しいんですよ! ミンッ。そう言って、気合を入れ竹箒を掲げる姿はアイドルというよりもお母さんのようだったが、そんなことを口に出せばどうなるか分かっているので口を噤む。レトロなものに詳しく、マッサージの時に人には聞かせられない声が出る、やたら包容力のあるアイドル17歳説は、周りが疑問を口に出さず、そうであると信じることで成り立っているのだ。

 

「というか、ウサミン星から届いたんだ。おいも」

「はっ……そ、そうなんですよ〜?」

 

 泳ぐ眼は、それ以上追及しないでと声高に主張していた。

 再び、箒片手に落ち葉を集め始めた菜々さんに、事務所に行くからと別れを告げる。おいも、焼けたら持っていきますね〜と手を振られ、ボクも期待を込めて応援する気持ちで振り返した。

 

 おいも、焼き芋。やっぱり秋は食欲の秋だなぁ。ウサミン星式焼き芋だからきっと美味しいだろう。小腹空いたかも。そんな事を考えながらエレベーターのボタンを押す。階数を表す数字が少しずつ下っていくのを眺めていると、隣に人が現れた。

 

「奇遇ですね……」

 

 手に紙袋を持った、鷺沢さんだった。袋の中をちらっと覗くと、重そうな本が数冊。持つ手がぷるぷると震えていた。

 

「奇遇……重たい本を持って待ち伏せしていたなら、出会ったのは偶然では無いと思うけど」

「そうですね……出会うのは必然だった……運命でしょうか」

「はいはい、重そうだからそれ持つよ」

 

 今来ましたのスタンスを崩さず、すっとぼけ続ける鷺沢さんから紙袋を少し強引に奪う。手にかかるずっしりとした重さが何となく執念のように感じた。

 

「あっ……その、ありがとうございます……」

 

 照れ照れ。突然顔を赤らめた。いつもなら手が触れようものならグイグイくるはずの鷺沢さんが、今日は何故か純朴な文学少女の様な振る舞いに。え、別人? 若干の人違い疑惑を頭に抱き、反応の理由を問いただすと、昨日は恋愛小説というものを読んでいましたとの事。

 

 もしかして……手に持った紙袋の中の本、その表紙を覗き見る。踊る恋と愛の二文字。あぁ、これか。この本たちを読むと今の鷺沢さんのようになってしまうなら、僕は遠慮しようかな。

 

 女の子の重い荷物をさり気なく持ってあげる……3キュンキュンポイントです! IQの低そうなことを言い出した鷺沢さんから少し距離を開け、紙袋を返却しようとするも読書の秋ですよと言って取り合ってくれない。

 

「悪いけど、今は食欲の秋の気分だから」

「本を食べるのですか……!?」

「いや食べないけど!」

 

 頭の悪くなってしまった鷺沢さんとエレベーターに乗り込み、本を押し付け合う。

 本を受け取ってくれるのならその、抱擁もお付けします……はい、しました……受け取ってください……。自分からハグをしたのにやはり何故か照れている鷺沢さんは、監視カメラに映像も残っているので言い逃れは出来ませんよなどと、意味不明な主張を繰り返し、結局根負けする形で受け取ることになった。

 

 アイドル部署のフロアに着き僕が降りると、鷺沢さんは、私はこれからレッスンなのでと言って降りずに1階へ下っていってしまった。いや何だったんだ今のは……。

 

 彼氏を絶対に落としたい貴方へ〜束縛編〜、恋を頑張れない貴方のための詩集〜もう無理なんて言わせない〜などなど、物理的にも気持ち的にも重い本の行き先を、とりあえず乃々ちゃんの机の下に決定してようやく自分の課の部屋までたどり着いた。

 

「こんにちは〜」

 

 ドアを開いて部屋に入る。珍しくアイドルの子はいないみたいだったが、更に珍しい事にプロデューサーさんが机に座って作業をしていた。ちひろさんも気になるのか、横目でチラチラ見ている。

 プロデューサーさんはいつも真顔で無愛想なので感情が読み取りづらいのだけれど、今日は理由を聞いてオーラが大きな背中から放たれていた。

 

 何だか嫌な予感が……尻込みする僕と、黙ってキーボードを叩き続けるプロデューサーさんとを交互に見て、苦笑いのちひろさんは僕の方を向いて頷いた。言葉には出てないけれどわかる、話しかけてくださいのサインだ。

 

「えっと……プロデューサーさんが営業じゃないのは珍しいですね?」

 

 そう話しかけた声に反応したプロデューサーさんは、無言のままグイッと首を回転させコチラを見た。

 

「ライブです」

「はい?」

 

 首だけでなく座っていた椅子を回転させ体ごと振り返ったプロデューサーさんは、真剣な表情で立ち上がり僕の手を取る。一体何の冗談なのかとちひろさんの方を見るも、ちひろさんも分からないようで目を白黒させていた。

 

「……僕が?」

「はい。貴方の力が必要なんです!」

 

 まさか、そんなはずはないと思いながら確認すると、プロデューサーさんは確かに深く頷いた。ホントに?

 ライブって、アイドルの子たちが踊ったり歌ったりするアレのことだろう。アシスタント見習いの僕は送り迎えぐらいしかしてなかったけど、出るの!? 演者として?

 

「そ、それは決定事項なんですか?」

「はい。専務直々に通達されました」

 

 信じられず、何かの間違いじゃないか、そう思ってもプロデューサーさんは全く変わらず貴方の力を貸してくださいと、手を握ってこちらを見つめて来ている。これは……とてもNOとは言えない雰囲気だ。

 

「その……もう少し考えさせて欲しいんですけど」

「そうですか? 私は、鴨川さんなら出来る思いますが」

 

 とにかく保留にして考える時間が欲しい。そう伝えるも、プロデューサーさんは了承をいただけるまで待っていますと作業に戻らなかった。えぇ……? 再度、助けを求めてちひろさんの方を向くと、任せてくださいと言うように目を合わせて深く頷いてくれる。うん、何とかなりそうかも。やっぱりちひろさんは頼りになるなぁ……僕とプロデューサーさんの間に割って入るようにちひろさんが近づいて来た。

 

「あの!」

「はい、何でしょうか」

 

 やっちゃえちひろさん! 特撮の、怪獣に立ち向かうヒーローを見ている子供のような調子で、プロデューサーさんに立ち向かっていくちひろさんを応援する。

 

「その、ライブのことについては鴨川さんのお父様はご存知ですか?」

「はい、むしろお願いされました」

 

 敵!? 身内まで懐柔されていたなんて……恐ろしい事に父は賛成派のようだ。私に任せてくださいと胸を張っていたちひろさんも、驚きの情報にそうですか……と撃沈してしまい、どうですか? と僕の返答を待ちわびているプロデューサーさんは目を輝かせる。もう待てない、瞳がそう告げていた。

 

「わ、分かりました」

「本当ですか! 良かったです」

 

 ニコォ……引き攣った笑みだが嬉しそうに笑ったプロデューサーさんが書類の沢山挟まった分厚いファイルを手渡してくれる。準備に丸一日かかりました、いつの間にか穏やかな微笑みの表情に変わっていたプロデューサーさんは、そう嬉しそうに語る。いや、僕が受けること前提で作ってたの!?

 

「はぁ……目を通せば良いんですね」

「はい、レッスンの予定なども組んで頂きたいので」

「僕がやるんですか?」

「え? えぇ、まぁ」

 

 ……ん? 何だかすれ違いが起きているような気がする。お互いの話題に行き違いを感じ僕とプロデューサーさんが黙り込んでいると、ちひろさんが再び質問を聞きに入ってくれた。

 

「あの、鴨川さんがレッスンを受けるんじゃないんですか?」

「え……? いえ! 私はただ、今回のライブは事務所総出で行うので、鴨川さんにも見習いプロデューサーとして参加していただきたいと」

「ええええ!?」

 

 すれ違い、違和感の正体はこれだったのか! 今更になって理由が分かる。確かに、プロデューサーさんは僕がライブに出るなんて一言も発していなかった。力を貸すというのは、僕にもライブの仕事を任せたいということだったのか。父さんがお願いしたのも、一つ僕に大きな試練を出すようなつもりだったのだろう。

 

 とにかく恥ずかしい勘違いをしてしまったと頭を抱える僕を、プロデューサーさんは不思議そうに見ている。その横でちひろさんが、言葉が足りないのはいつものことなので……とフォローになっていないフォローをしていた。

 

「鴨川さんには、複数のユニットを受け持っていただくつもりです」

「ユニット? それも複数ですか?」

「はい。最初はシンデレラプロジェクトから一つをということだったのですが、隣の課からも頼まれてしまいまして」

 

 詳しくはそのファイルの中を、と渡された赤のバインダーを開くよう促される。

 開いてまず一番に眼へ飛び込んできたのは、レッスンルームの貸出表。事務所に所属するアイドルたちの名前が細かく別れたセルにびっしりと書かれている。右上に書かれた現在までの申請表という字をそのまま受け取ると、それぞれの担当者の出した申請がそのまま載っているようだった。

 

 このギチギチに詰まった予定を、うまく交渉して譲り合いながらレッスンを組まなきゃいけないのか……。最初の書類にしては重すぎる作業の内容に、内心で辟易としながらパッと目を通す。はいはい、僕の担当するのはキャンディアイランドに、アンダーザデスクかぁ。

 

「双葉さんはレッスンを受けたがらないので、苦労すると思いますが……」

 

 鴨川さんなら大丈夫ですと、全く根拠のないことをティンときたで済ませてしまプロデューサーさんの株を自分の中で若干下げつつ、メンバーを眺める。

 キャンディアイランドはともかく、アンダーザデスクは最近結成されたばかりのユニットで、今回のライブが方向性を決める大事なチャンスになるんじゃ……。

 そんな大事な機会を新人の自分に任せていいのかと聞くと、佐久間さんの扱いに困ったという事で依頼されて……と首に手を当てながら言うプロデューサーさん。

 

 一癖も二癖もあるメンバーに、今後の波乱を想像して脱力する。こんな調子でやっていけるのだろうか。




季節感ゼロですが、夏の色々は別のタイミングで書きます。


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鴨川くんの建もの探訪

杏ちゃん可愛いやったー。


(う〜ん、ここの使用申請が通らなかったかぁ)

 

 朝、早めの時間に学校まで来ていた。レッスンのスケジュールを組んで申請を出したものの、他のアイドルやユニットのレッスンとの兼ね合いで通らなかった予定も多く、時間を掛けた割に大部分が練り直しになってしまっていた。プロデューサーさんたちが多めに申請すると良いですよと忠告してきたのはこの為だったのか……。

 減ってしまった時間数に応じて、社外のレッスンルームを借りる事で対応しようと思っていたらみな考えることは同じらしく、近場の借りられる施設は既に埋まっているとか。

 

 遠くまで行って合宿するなんて案も考えたけど、その間トレーナーさんを独占することなんて出来ない。限られた人材資源、たった一時間でもプロデューサーたちにとっては喉から手が出るぐらい有り難いんだ。例え体を差し出しても……いや、そんな事をトレーナーさんが望むわけないんだけど。

 ともかく残された時間で、ライブのパフォーマンスを最高まで引き上げるには本人たちの仕上がり具合と、その都度レッスンの計画を調整してトレーナーさんにお願いしなければならない。

 

 レッスンの度に答えてもらっているアンケートや、トレーナーさんが纏めてくれている気になった箇所を見比べながら、次回のレッスンに取り組む内容をトレーナーさんと話し合う……レベルの高い会話についていけないと困るから予習して置かなければ。図書館の仕切られた机に向かいながら、僕自身も気になっていることをリストアップしておこう。

 

 アイドルの子たちは、不慣れな僕の指示でも真面目に聞いてくれて、レッスンにも真剣に取り組んでくれているから特に心配はないはず……報告してもらってるダンスやヴォーカルレッスンの仕上がり具合も大体横並びだ。

 この調子で進めばライブの前までには上々の仕上がりになるはず……。達成度の数字を打ち込んだグラフを見ながら頷いてファイルに綴じようとしたところで、線の抜け落ちに気づいた。

 まだそこまで回数をこなしたわけではないけれど、杏ちゃんの病欠が少し目立つような……? 全員が横一列に並んでいたので特に気にしていなかったけれど、もし体調を崩しがちなら特別気にしてあげなければ。一抹の不安を覚えていると、鐘の音が聞こえてきた。まずい、熱中しすぎて遅刻しそうだ!

 慌てて机の上の書類やファイルをカバンに押し込み、教室へ駆け出した。

 

 

 

「え、杏ちゃんがレッスンに来てないんですか?」

「あぁ、もう始めたいんだが……連絡が取れなくてな」

「えぇっと……すいません。僕から連絡してみます」

「悪いな。とりあえず三村と緒方のレッスンをしておく」

「はい、お願いします」

 

 大学の講義中、ポケットに入れておいた携帯が振動し、画面を見てみればトレーナーさんからの着信だった。

 なにか問題が有ったのか、講義が終わってから慌てて折り返してみると、杏ちゃんがレッスンの開始時間なのにまだ来ていないとのこと。薄々感づいてはいたけど、やっぱり一筋縄ではいかない様だ。

 

 僕が今回任されているもう一方のユニット、アンダーザデスクことアンデスの乃々ちゃんもレッスン……というかアイドルそのものに余り乗り気ではないのだけれど、周りの子達の働きかけも有って、本人は不本意ながらレッスン皆勤賞だ。輝子ちゃんは優しく諭す係、まゆちゃんはリボンで引っ張り出す係をやってくれている。

 

 キャンディアイランドの2人は、無理やり杏ちゃんを連れてくるなんてタイプじゃないだろうし、サボりが目立つ杏ちゃんを咎めてレッスンにやる気を出させるのは僕の役目だろう。

 前から担当していたプロデューサーさんと、普段から仲良しのきらりちゃんから、杏ちゃんがやる気を出す秘訣を聞き出してみよう。

 

 

 

「でっかいマンションだなぁ」

 

 トレーナーさんからの電話の後、すぐに杏ちゃんに電話を掛けたが一向に繋がらず、折り返さないから伝言残して〜という小憎たらしい留守電に変ってしまうため、直接杏ちゃんの家に来ていた。

 もうすぐレッスンの終わる時間になってしまうけれど、だからといってこのまま放ったらかしじゃ良くない。

 もしかしたら杏ちゃんにも事情があったりするのかも知れないし……。

 

 高級そうなマンションの入口、部屋番号を入力して呼び出すオートロックの番号をポチポチと押し込む。電話のコールのような音が数回響いた後、気だるそうな声が聞こえた。

 

「あの〜」

「ん〜宅配? 頼んでたっけな……どうぞー」

 

 こちらが名乗る間もなくドアが開く。少し進むと各部屋の郵便受けが並ぶ廊下に宅配ボックスが有った。日頃から通販をよく利用してるのだろうか。配達員でもなければ、郵便物を入れに来たわけでもないのでスルーしてエレベーターまで歩く。凄く身なりの良いおばさんと一緒に乗り込み、自分がすごく場違いに感じながら目的の階で降りた。

 

「ここか……一人暮らしなんだよね?」

 

 ドアの前にちょっとした柵で仕切られた空間があり、ポンポンと積まれたダンボールの山を見ながらつぶやく。中に住む住人の性格が出ている門構えというか、ガサツというか……。きっと重い荷物をボックスから持ってくるまでで疲れて家の中にも入れてないのだろう。

 かき分けながら侵入し、チャイムを押す。軽めのベルの音がインターホンと家の中から二重に聞こえた。

 

「あの、鴨川ですけど」

「鴨川……? えっと、新しい宅配の人? ボックスの使い方が分かりづらかったのかな……」

 

 もーなんだよー、めんどくさいなぁ。杏ちゃんがぶつくさ言いながらドアを開けた。

 

「え……」

「配達員じゃなくて、見習いプロデューサーです」

 

 よれよれの働いたら負けTシャツを着た杏ちゃんが、僕の顔をみて一瞬停止したあとにすぐさま扉を閉めようとするので、僕も急いで足を滑り込ませドアの間に靴を噛ませた。

 

「ちょっ、足外してよ! 閉められないじゃん!」

「ま、待って! 無理やりレッスンに連れてったりしないから!」

「嘘だー! 杏にはそんなの通用しないぞ!」

 

 何とか扉を閉めようとする杏ちゃんの腕力はやはり体格に見合ったモノで、足のお蔭でできた隙間から手を差し込んで扉を開こうとする僕の力には敵わず、すぐにドアは完全に開かれてしまった。

 

「わ、わわ、離せってー!」

「ちょっと、話を聞くだけだから! 逃げないでって」

 

 玄関前線を放棄する事を決断した杏ちゃんが、リビングこと撤退ラインへ後退……転進しようとするのを、腕を掴んで阻止する。そのまま、逃げようと暴れまわる杏ちゃんを何とか押さえ込みながら粘り強く説得すると、ついに逃げ出すのを諦めてくれたようだった。

 きらりちゃんが杏ちゃんを抑え込んでいた時のように、抱える、覆いかぶさるように退路を塞ぐ。平均身長ほどしかない僕でも十分に対処できたので、杏ちゃんの小ささを実感していると、不意に拘束が緩み取り逃してしまう。あぁ、やばい! 鍵の掛かる場所に逃げ込まれたらどうしよう! せっかく沈静化した状況がまたこじれるのを危惧した。

 

「あ、杏はちょっとギュっとされたくらいでなびかないぞ!」

「え?」

 

 とててて……顔を真っ赤にした杏ちゃんが、捨て台詞? を吐いて玄関の廊下からリビングまで走って逃げて行った。チラチラ後ろを振り返ってアピールの様に視線を送ってくるので、一向に進まない。えっと……追いかけたら良いのかな。

 

「は、話を聞きたいだけだから、待って?」

「うわー捕まった! 一体何をされてしまうんだ!」

 

 案の定すぐに再確保された杏ちゃんは、白々しい棒読みをしながら、正座のような形になった僕の膝の上にちょこんと座っている。へ、へへ……もうちょっとそのまま、うん。ぴったり……。小さく何かをつぶやいているが聞き取ることが出来ない。

 

 リビングの真ん中、大型のテレビの前で、僕の膝の上に乗りながら杏ちゃんはゲームのコントローラーを操作し始めた。

 

「なんだ〜。見習いプロデューサーも人が悪いなぁ。てっきり杏を連行しに来たのかと思ったよ」

「いや、今日はレッスンの欠席連絡がなかったから……」

 

 そんなこと? 早く言ってよ〜。ドアを開けたときの臨戦態勢から一転、チラチラ視線を送ってきた時よりもまたさらに気の抜けた様子で、そう応える。

 別に、最初からそう伝えるつもりだったんだけど、逃げたのは杏ちゃんなんだけどな……。急な態度の軟化に戸惑いを隠しきれず、困惑していた。

 

「何だっけ、レッスン? 今日はめん……んんっ……ちょっと熱が有ってさー」

「ね、熱? スケジュールが過密だったのかな、ごめん一番に気付いてあげないといけなかったのに」

「あ、いやいや微熱だから、気にしないでよ……」

 

 杏ちゃんは軽く誤魔化すような口調で言ってコントローラーの操作を続けているけど、少し目立つ欠席も、今日も微熱が出たと言うなら、サボりじゃなくて僕が無理をさせてしまっているのかも……。何気なくつけたテレビで、バラエティで活躍してるところもよく見るし、レッスンだけじゃなくて他にも仕事があるのだから、オーバーワークになっている可能性も考えておくべきだった。

 

「微熱……言われてみれば温かい気がする」

「いや、人間だから多少は温かいって」

「ちょっと測らせてね」

「え? うわっ!?」

 

 手で触って体温が一番わかり易いところ、血管が集まっている場所、ワキ!……ではなく首筋に手を当てる。ぱっと触った感じでは、特別温かいというよりはほんのり熱を持っているという感じだけど……。い、いや、何だかやたらドクドク言っているような?

 

「ど、どこ触って!」

 

 ゲームそっちのけでコチラを振り返った杏ちゃんは、さっき玄関で見た時よりも顔が赤く、ほっぺがりんごのように朱に染まっていた。もしかして……首に当てていた手をほっぺたに添えると、明らかに熱い。

 

「ね、熱が……凄く熱いよ! ひ、冷やさなきゃ」

「ほ、ほっぺなんか触るからだっ! 離せってー!」

「おわっ」

 

 なにか冷やせるもの、冷蔵庫とかに入ってないかと部屋を見回している間に、手を退けられ膝の上から避難されてしまった。

 

「白状するから! 熱はないって! ただレッスンがめんどくさかったから休んだんだよー!」

「えぇ!?」

 

 サボっちゃったのは謝るから! そう言って距離を取る杏ちゃんはやけに必死で、僕の方は熱じゃなくてよかったって事と、ズル休みをされたことのガッカリ感の落差で置いてけぼりだった。

 

 

 

「その、レッスンを休みがちなのは体調が悪いんじゃなくて、なんというか、気が向かないんだよ。めんどくさいというか……」

「それは、どうしてもやる気になってもらえない?」

「無理だね。どうせプロデューサーとかきらりに聞こうとしてるだろうけど、もう飴ちゃんだけじゃ動けないから」

「あ、飴食べないの!?」

 

 ここに来る前に、武内さんから聞いていた情報を元に飴ちゃんを用意していたのが無駄になってしまった。

 

「用意してるけど……」

「アメ! やだなぁ、食べないなんて言ってないじゃん。貰うよ!」

「あっ」

 

 と思ったけれど、どうやら飴ちゃんを食べるのをやめたわけじゃなく、もっと良いものをくれとのことだった。飴を口に放り込んだ杏ちゃんから、及第点はあげるけどこれじゃレッスンに行かないからっと言われてしまう。

 

「そりゃレッスンに最低限は行くけどさ、皆と揃った動きができてればそれでよくなーい?」

 

 そのだらけきった杏ちゃんの発言に少しムッとする。これじゃあ頑張ってレッスンを組んだ意味が無いじゃないか。表情が曇った僕の様子を敏感に感じ取ったのか、杏ちゃんが慌てた様子で何かを言おうとしていたが僕は遮って宣言した。

 

「あ、その、見習いプロデューサーが迎えに来てくれるなら……杏も別に吝かではないなんて」

「分かったよ」

「え、ほんと?」

「飴よりも良いものを用意すれば良いんだね?」

「あれ……」

 

 そっち? あてが外れた、そんな顔をしている杏ちゃんに、絶対に毎回レッスンに来たくなるような物を用意するからと言い切る。そうと決めたらさっそく用意するものを考えなきゃ。

 

「杏は別に、ただ迎えに来てもらうつもりで……」

「楽しみにしててね、次のレッスンは必ず来てもらうから」

 

 小声でなにか言っている杏ちゃんに、再度ハッキリと宣言し膝から下ろす。寂しそうな声を出しても駄目なんだ。絶対にぎゃふんと言わせる美味しいものを出すから。

 

「よし、じゃあね」

「えぇ……? げ、ゲーム! ゲームやってかない?」

「ごめんね、帰って考えたいから」

「えぇ! ちょ、待ってよ」

 

 引き留めようとする杏ちゃんに別れを告げ部屋を出た。ちょっと心が傷んだけど仕方ない、むしろ杏ちゃんのためだから。そう自分に言い聞かせる。それでもやっぱり、後ろ髪を引かれるような思い出マンションをあとにした。

 

 

 ……一機ぐらいやればよかったかも。




夏が楽しすぎるせいで書きたいものが書けないです。茜ちんの誕生日に合わせて書こうとした短編すら間に合いませんでした。

夏自体は良いんですけど水着は悪い文明ですね、本当にダイエット嫌いです。

次回はスイーツパティシエかなこ回ですかね……とときんも出したいです。

次→8月18日


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かな子ちゃん は 美味しいから大丈夫

おまたせしました。
かな子ちゃん は おいしそう。


「ケーキを用意したいんですか?」

「うん、これも杏ちゃんのためだと思って作り方を教えてほしいんだ」

「良いですよ〜、私も美味しいものが食べられますし」

 

 事務所、お願いをするために用意した賄賂をかな子ちゃんに差し出し、事情を説明する。杏ちゃんには今日のレッスンは飴玉で我慢してもらったけれど、いつまでもこのままじゃ杏は納得しないぞー、もっとこう送り迎えとか……ごにょごにょとしきりに主張するので、手作りでケーキを作ることに。

 元の世界で考えれば、僕こと女の子から手作りのケーキを貰った男の子こと杏ちゃんがやる気を出さないはずがない……はずなのだ。杏ちゃんは飴好きだから甘い物が好物だろうし、ぴったりだろう。

 幸い、かな子ちゃんは快く引き受けてくれたので何とかうまくいきそうだ。

 

 

 ◆

 

 

 レッスンのときによく注意されるんですけど、トレーナーさんの食事制限が厳しいんです〜。そう言いながら机の上のマカロンへ手を伸ばすかな子ちゃんを、隣で心配そうに見つめる智絵里ちゃん。

 

「か、かな子ちゃん! それ以上食べたらまたトレーナーさんに叱られちゃうよ!?」

「えぇっ、大丈夫だよ? 美味しいものはカロリーゼロだってテレビでやってたんだ〜」

「え、え!? そ、そうなのかな……でもかな子ちゃんが言うんだからそうなのかも……」

 

 口にポンポンとカラフルなマカロンを放り込み、更に箱へと伸ばされる手を智絵里ちゃんが慌てて止めるも、なぜか自信満々なかな子ちゃんの謎大丈夫だよ理論により押し切られてしまい、みるみる内に勢いを失ってしまった。

 本当なら僕も智絵里ちゃんに加勢してかな子ちゃんを止めるべきなんだろうけど、ケーキ作りを頼んだ手前、ちょっと注意し辛いというか……お菓子が関わったかな子ちゃんはとてもとても意思が弱くなってしまうので、制限は形だけで摂取した余剰カロリーはトレーナーさんが行ってくれるレッスンで消費してもらう方針だった。

 

「そひたら、らいひゅうのレッスンのとひによういひまふね?」

「の、飲み込んでからしゃべらないと!」

「ふぇ? …………えっと、もう一回言ったほうが良いですか?」

「いや、何となく言いたいことは伝わったから……うん」

 

 ハムスターの様に頬を膨らませて喋るかな子ちゃんは、美味しいケーキを作るなら材料も良いものを使わなきゃですね! と笑顔で言うと、懐から携帯を取り出し どこかへ電話をかけ始めた。

 

「で、電話中なのに口に入れちゃだめだよ〜!」

「だいひょうふだいひょうふ」

 

 ちゃんと喋れてないのに大丈夫なの? 軽く心配しながら話を聞いていると、かなり親しげな口調で電話の相手と話し続けている様子。口に残っているマカロンのせいで若干喋りがふわふわなのだけれど、会話が普通に成立しているみたいで、暫くするとかな子ちゃんがお礼を言い電話を切った。どうなったのかは聞き取れなかったけど、随分うまく言った様子。

 

「何の電話だったの?」

 

 全く見当もつかない僕が、やけにテンションの高いかな子ちゃんに電話の相手と要件を聞くと、当然のような調子で答えてくれた。

 

「苺の木ってお店、知ってますか? そこの店長さんと、知り合いなんです。ケーキを作る材料を分けていただけないか聞いたら、オーケーもらえました!」

「苺の木?! す、凄いよかな子ちゃん!」

 

 知っているのか智絵里ちゃん! スイーツの話題には疎い僕がよく分からないという顔で、とても反応の良かった智絵里ちゃんの方を向くと、智絵里ちゃんは逆に、僕の反応に驚いているみたいだった。

 

「えっと、事務所の子たちの間でも美味しいって評判で……よくニュースで特集を組まれてるみたいで……」

 

 僕が直視すると、恥ずかしそうに目をそらして俯きながらお店の説明をしてくれた智絵里ちゃんは、でもどうしてかな子ちゃんが? と疑問符を頭の上に浮かべていた。

 

「通ってたら、いつもありがとうって声を掛けてもらうようになって……それで、新作の感想を伝えてたらまた頼むよって断れなくなっちゃって〜」

 

 食べきれないぐらいもらえちゃうんですよ? ちょっと困った、それ以上に嬉しいという表情を浮かべながら店長さんと仲良くなった経緯を語るかな子ちゃんは、段々と冷たくなる僕と智絵里ちゃんの視線に気づき、慌ててフォローを入れ始める。

 

「あっ、でも、ほら、スポンジってほとんど空気なんですよ? だから、食べきれないぐらい食べても美味しいし呼吸してるだけだから大丈夫というか……」

「かな子ちゃん、前よりちょっと……さらに腕がプニプニしてきた気がするよ?」

「ええっ! き、気のせいだよぉ!」

「それは、トレーナーさんに報告しておくよ」

「ま、待ってください!」

 

 体調に体型ついでに言えば体重まで管理を任されているプロデューサーとして、聞き捨てならない情報が智絵里ちゃんからリークされたので、しっかりメモ帳に書き留めておく。協力してもらっている手前心苦しいんだけど、これが仕事だから……。

 

「そ、それよりも! 生クリームと苺のショートケーキだけじゃ少し寂しいので、チョコレートのケーキも用意できるか聞いてみますね!」

 

 誤魔化すように話題を元に戻したかな子ちゃんが、そう宣言してまた携帯を取り出した。そんな明らかな話のすり替えじゃ、無かった事にはならないけど……そう思って、再び体重の増加問題を追求しようとしたところで、かな子ちゃんの発言に引っかかりを覚えた。

 

「ちょ、チョコレートも? それは、あったら嬉しいけど……図々しすぎちゃわないかな?」

「大丈夫ですよ〜、今度はお菓子の庭っていうお店の店長さんに頼んでみます!」

「かな子ちゃん!?」

 

 さらに新しいお店の名前が出てきて僕と智絵里ちゃんが唖然としている中、かな子ちゃんは先程と同様に五分ほどで、材料を分けてもらう許可を得られた様子。

 

「う〜ん、苺とチョコだけじゃまだ足りないかも……?」

 

 呆気にとられている2人を置いてけぼりに、かな子ちゃんは更にケーキの種類を追加することを目論んでいるのか、うんうん唸りながら頭を悩ませていると、突然着信音が鳴り響く。かな子ちゃんの携帯からだ。

 目を閉じて妄想の域に達していた考え事から慌てて帰還したかな子ちゃんは、電話の相手を確認せず応答した。

 

「はい、はい、本当ですか? 嬉しいです、ありがとうございます〜。」

 

 眼の前にいない相手に向かって、軽くお辞儀をしながら恐縮した様子で感謝を口にするかな子ちゃんは、電話を切ると僕たちにドヤ顔……のつもりなのか締まりのない普段よりもいくらかキリッとした表情を向けてくる。必要以上に勿体つけた動作で携帯を置いた。

 

「ふふ、やりました! チーズケーキも、パティシエさんも確保です!」

「えぇ?!」

「この前、色々あって手伝ってあげたお店の人が、協力してくれるみたいで!」

 

 事務所の皆に振る舞いましょう! ぐっと、腕を掲げて力を込めたかな子ちゃんは、そうと決まったら今から準備しなきゃ、とかなり先走った事を言って部屋から出ていってしまい、ワンテンポ遅れて智絵里ちゃんが、と、止めに行きますっ、と追いかけに行ってしまった。

 僕は、まずお店を手伝ったことが初耳な事と、明らかに集め過ぎな材料に増えすぎた振る舞う対象の事、そしてお願い一つでそこまでしてくれる人脈について尋ねようとして、何から聞こうか迷っている内に事態から置いていかれてしまっていた。

 

 とにかく分かったことは、かな子ちゃんはお菓子が大好きで、お菓子もかな子ちゃんに集まってくるということ。類は友を呼ぶなんて言葉があるけれど、かな子ちゃんはお菓子いってことなのか……。何となくマシュマロに見えなくもなくなくない……?

 

 ここまで力を尽くしてくれるのは嬉しいけれど、ちょっとやりすぎじゃない? 不安に駆られ、頭を抱えた。

 

 

 ◆

 

 

 かな子ちゃんスイーツ騒動から1日、バイトの無い日で僕は学生としての本分を全うするため、真面目に講義を受けていた。おかしい、今日は何時になく集中できるぞ? 聞き取りづらい教授のボソボソ声を、耳を澄まして聞き取りノートを取っている途中で、違和感を感じた。まともすぎる。

 

 十時さんはレッスンを優先して休みだから、隣が片方空いているのはたまにある事として、その逆隣にいつもなら座っているはずの鷺沢さんがいなかった。今日がレッスンとは、メールでは言ってなかったけど……。

 

 軽く受け止めようと意識すればするほど、普段うっとうしくなるほどひっついて回る鷺沢さんの姿が頭から離れなくなり、いつもよりハッキリと聞き取れていた教授の話し声も耳をから耳へ通り過ぎるようになってしまった。そういえば、この間の講義で黒川さんが、午前に受けてきたレッスンがハードだったと疲れた顔でこぼしていたっけ。

 

 まさか、体調不良? 一度思ってしまうと、青い顔で臥す鷺沢さんの様子がやけに現実感を伴って想像され、居ても立ってもいられなくなり始める。講義中に、周りの目も憚らず携帯を取り出し、メールを送った。……五分ほど経っても返信はなし。数分間反応がないなんて当たり前なのに、気になって仕方がなかった。

 

 電話を掛けるために教室を出ようか、考えること数瞬、講義の終了を告げる教授の今日一番張った声と、同時に動き出す生徒たちのざわめきで我に返る。

 荷物を雑にまとめ、手に持って急いで教室を出ると、ロックを開いたままだったスマホで連絡帳を開き、鷺沢さんの名前をタップした。

 

 

 ◆

 

 

 大学の門を通り過ぎ、講義のある教室へ向かいながら鴨川くんを探している途中、突然のめまいに襲われ、倒れ込むようにしてベンチにもたれ掛かっていました。鋭い痛みが頭に走り、視界に映る鮮やかな色があまりにも眩しくて瞼を閉じます。ううっ。分かってはいましたが、寝不足、ですね。

 連日のレッスンに、帰宅した後の自主練習。運動神経が良い方とは言えない私は、レッスンだけでダンスを自らの納得する域まで引き上げることが出来ず、居残りでも、自宅でも自主的に練習を行いますから、どうしても睡眠をとる時間が圧迫されてしまったようです。アイドルとしてはレッスンだけでなく仕事にも赴かなければなりませんし、一学生としては学業を疎かにすることは出来ません。出されている課題もけして少なくない量なので、これもまた睡眠を削る一つの要因となっていました。

 

 すこし、無理がたたった、という事でしょう。アイドルを始めて、体力は人並み以上についたと思っていたのですが……自分が、不甲斐なく感じます。他にも、大勢、アイドルをしながら立派に学業も両立させている方が居るというのに。

 暫く、ほんのちょっとの間だけ、この痛みとフラつきが無くなるまで、このベンチで休憩しましょう。鴨川くんに、こんな姿を見せて心配させたくはないですから……。

 

 

 

 ……。ポケットに入れていた携帯の振動が、まどろんでいた私の意識を覚醒させました。画面には鴨川くんの名前が表示されています、ぼうっとしているともう講義が始まってしまうと忠告してくれるのでしょうか? 気の抜けた声で、鴨川くんを心配させてしまわないように、お腹に少し気合を入れて応答のボタンを押しました。

 

「もしもし、鷺沢さん? えっと、講義が今終わったんだけど」

「も、もしもし……は、はい? すいません、講義とは……」

「あ、良かった、元気そうだね。講義ね、あのおじいちゃん先生の。来なかったから心配したよ」

 

 体調の悪いときに、聞きたい人の声を聞けて、僅かに体へ活力が戻った気がしたのはほんの数瞬で、鴨川くんが続けた講義が終わったという話で、安心は焦りに変わりました。一瞬、まどろんでいたと思っていた時間が、それほど長い間だったとは……。

 

 電話口で、少し荒い呼吸の音から、彼が歩いているということが分かります。もしかして、私を探してくれているのでしょうか……? 嬉しく思う気持ちとともに、もし、今ベンチに座り込んでいるこの状況で見つかってしまったらと思うと、素直に喜ぶことができません。

 

 鴨川くんは優しいから、きっと誤魔化したところで私が体調を崩した事を見破ってしまうでしょう。そして、ただでさえ大変なプロデューサー業に、私の分まで追加してしまうかも知れません。プロデューサーさん達の仕事が過剰なことは、私達アイドルが一番良く知っています。彼は、慣れない内はブラックに感じるけど、すぐに上手くやるよ、と強がっていましたが、限界近くまで疲労が溜まっているのは、一番近くに居る私には分かっていました。

 

 そんな彼に、負担を掛けたくない。その一心で、嘘を付きました。

 

「すみません……途中で、用事が入ってしまって……今、大学にはいないんです」

「……そうなんだ。……なんか、杞憂だったみたいで良かった」

 

 いつも居たのに、今日は隣りに座ってなくて、不安になっちゃって。こんな言い方すると自惚れてるみたいだね。 そう言って、おどけたように、わざとらしいぐらい明るく笑う彼に、違和感を覚えつつも、上手く誤魔化せたようでほっと胸を撫で下ろしました。

 緊張していた心が落ち着いて、隠していた疲れが表に出たのか、体がずっしりと重く感じます。とりあえず、用の無くなったこの場を去ろうと、重い体を引きずりながら来た道を引き返すように、家路を急ぎました。

 

 

 ◆

 

 

「はは、僕の方こそ鷺沢さんに依存してるのかも」

「いえ、そんな事はないです……」

「いや、連絡が取れないだけで落ち着かなくなるんだから相当だね。ともかく、大丈夫そうで安心したよ」

「はい、今帰宅する途中で……」

「そっか、気をつけてね」

 

 電話を切り、長い溜息を吐いた。ちょっとだけ疲れた様な声だったけど、休んだ事は体調不良なわけじゃなくて、急用だったという事で焦っていた気持ちもようやく落ち着いた。僕の早とちりみたいで、恥ずかしくて誤魔化すため茶化すような口調で話したけれど、変に思われなかったかな……。

 先ほどとは異なる意味で不安を感じながら、校門の方へ足を向けた。早く帰ろう、ここのところ休みが取れず心が休まらない日々だから、ぐっすり寝なきゃ。

 そう言えば、ケーキを振る舞う話をし忘れていたな……。まぁ、また明日でも良いかな、直接会って反応が見たいから。

 

 開かれた大きな校門を通り過ぎる途中、長い黒髪で見知った女の子の後ろ姿を見かけた気がしたが、この場にいるはずが無く、疲れて見た幻覚で、似ているだけだろうと軽く片付けてしまった。




かな子ちゃんとお菓子な仲間たち。ダイエットは敵だー! 食べられないなら文章で摂取するスタイルで。

ふみふみは主人公の事をくん呼びしますが、主人公は距離を測りかねているのでさん付けで呼びます。

お互いを心配する2人だけど、すれ違いがー?

今回の話にスイーツパーティーを入れるつもりでしたが、次回に持ち越しです。
お盆休み終わっちゃった……。


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