ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚 (ろぼと)
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序章 交差する二人の”ルフィ” (挿絵注意)

大海賊時代・22年 

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国フーシャ村

 

 

 世界を割る赤い土の大陸(レッドライン)偉大なる航路(グランドライン)に分かたれた四洋の一つ、『東の海』(イーストブルー)

 かの海賊王ゴールド・ロジャーが生まれた海として知られ、王に憧れ偉大なる航路(グランドライン)へ旅立つ数多の海賊たちを見送って来た歴史を持つ。

 故にこの海に留まる海賊は少なく、世界で最も平和な海と謳われることも多い。

 

 フーシャ村はそんな東の海(イーストブルー)に浮かぶドーン島の南端でひっそりと営まれている牧歌的な村だ。

 東の海(イーストブルー)で最も美しい国と謳われる『ゴア王国』の辺境に位置するこののどかな漁村は、ある英雄の故郷として知られる小さな聖地でもある。

 

 英雄の名は『モンキー・D・ガープ』。

 かつて大海賊時代の先駆けとなったあの海賊王を幾度も追い詰めた海軍将校として世界中から称えられる、生ける伝説だ。

 

 そして今日、英雄の生まれた地では、新たな“王”の冒険譚が幕を開けようとしていた。

 

 

「…本当に行くのか? マキノもこのじゃじゃ馬娘に何か言っておくれ…」

 

「大丈夫よ村長。この子だってもう立派な女なんだから、ねぇルフィ」

 

 本日の主役の船出を見送りに桟橋まで集まったのは、大勢の村人たち。

 同郷想いの彼ら彼女らの心配や激励の声が旅立つ小船の唯一の船員にして船長である、一人の少女に投げかけられた。

 

 天真爛漫。

 まさにこれ以上彼女に相応しい言葉は存在しないだろう。肌蹴た袖なしの赤いブラウスとデニムのホットパンツが包むのは、女の魅力をこれでもかと言わんばかりに詰め込んだ小麦色に日焼けした健康的な肢体。

 童女のように幼げな顔つきを際立たせる、ぱっちりと開いたその大きな両目は、夢と希望の星々を詰め込んだかのように輝いている。

 

 そして、うなじが露になるほど短く切られた艶やかな黒髪に被さっているのは、かつてとある大海賊から譲り受けた  赤い刺繍の麦わら帽子。

 

 見ている方が息切れするほど活発そうな人物だ。

 

「しししっ、当然よ! 邪魔するヤツは海軍も他の海賊も、全部ぶっ飛ばして進んでやるわっ!」

 

 “ルフィ”と呼ばれたその小さな漁船の女船長は、万人を魅了する太陽のような笑顔で村長の制止の願いを跳ね除ける。

 この日を10年も待ちわびていた少女をこれ以上村に留めておくことは誰にも出来ないだろう。

 

 そんなルフィのいつも通りの何も考えていない楽観的な笑顔に、村の酒屋を経営する若い女店主は娘を案じる親心に近い、拭えぬ不安を感じてしまう。

 

 親元を離れている少女の母親代わりを長年務めてきた彼女は、教えるべきことは可能な限り全て教えてきた。

 それでも、いつまで経っても子供っぽさの抜けないルフィが危なっかしく、ついお小言が増えてしまう。

 

「船旅だから大変だとは思うけど、身嗜みにはちゃんと気を付けなさいね。服も肌着も着たきりにしちゃダメよ? 怪我したら必ず応急処置をして、立ち寄った港のお医者さまに見てもらいなさいね? あなたってホント一々言わないと何もしないんだもの、心配だわ…」

 

「失敬ねマキノ! あなたさっき私のこと“立派な女”だって言ってたじゃないの!」

 

「放っとくとすぐ泥だらけで帰ってくるお転婆さんをその立派な女にしてあげたのはどこの誰かしらね…」

 

 うぐっ、と言葉に詰まったのは酒屋の女店主に頭の上がらない少女ルフィ。

 

 確かに自分は物心ついたときから村長ら村人にバカだのお転婆だのと言われ続け、村の他の子供たちより多く叱られていた自覚はある。

 力を求め祖父ガープに稽古を頼んだら、「女のお前でもわしのような海兵になりたいか!」などと意味のわからないことを上機嫌で言われた上、修行代わりに度々どこかの森や谷に捨てられたりもした。

 おまけにあの“夢”を見てから入り浸るようになったのは、猛獣たちが闊歩する悪名高きコルボ山。

 よく面倒を見てくれる村の女性たちが話を聞いて絶句していたような気がするから、自分が女の子としてマトモな育ち方をしていないことは漠然と自覚していた。

 

 そんなジャングルが生い茂る山奥で育ったこの野生児に最低限の女の尊厳を植え付けたのは、ルフィの母親代わりを自主的に引き受けた心優しい酒屋の若き女店主。

 店の手伝いで炊事洗濯礼儀作法を実践させ、その不幸な生い立ちを忘れさせるほど沢山の愛情を注ぎ、素直で純粋な少女の心を育て上げたのは紛れもなく彼女の誇るべき成果である。

 ルフィが度々世話になっているコルボ山のもう一人の母親代わりの女山賊に任せていたらその辺の猿と変わらないままであっただろう。

 

 これからこの麦わら娘が村を代表する有名人になると確信している女店主は、過去の気の遠くなるような情操教育が少しはモノに成ったことに心から安堵した。

 名を上げる少女が近い将来、世界新聞『ニュース・クー』の記者たちに、フーシャ村出身の“人間の女”と“類人猿のメス”のどちらとして書かれるか。その違いはとても大きいのである。

 

「あなたはゴムゴムの実のゴム人間だからか、私たち村の女衆が血涙流して羨むほどキレイな肌してるんだし、人前に出る時にお化粧したら絶対一目置かれるわ。ちゃんと教えてあげたんだから忘れちゃダメよ?」

 

「え~、見た目で一目置かれても海賊王にはなれないのに…」

 

 まるで小姑のように口うるさくなってきた母親代わりの女店主に、ルフィはぶすっと悪態を吐く。

 一体この世のどこに容姿で評価される悪党たちの王がいるというのか。

 

 実はあの“夢”の記憶を掘り起こせば居ないことも無いと気が付くのだが…少女にとってオシャレや身嗜みに気を使うことは、世話になった女店主に「疎かにするな」と半ば無理やり交わさせられた、ただの約束の一つに過ぎない。

 男に素肌を見せるのを躊躇うのも、毎朝櫛で寝癖を整えるのも、女店主にそうしろと約束させられたからである。

 

 ルフィにとって約束は大事だが、本当に大切なのはそんな難解な女子力なるものではない。

 

 彼女にとって大切なのは  

 

 

「全く、自業自得とはいえガープさんの不器用な愛情もここまで報われないと流石に不憫ね……まさか孫娘の夢が”海賊王”だなんて」

 

 

 

   『海賊王』。

 

 それは、この世で最も偉大な者に贈られる称号。

 誰よりも多くの富を手にし、誰よりも多くの冒険を乗り越え、誰よりも大きな夢を叶えた、その名の通り海賊たちの王である。

 20年ほど前、この東の海(イーストブルー)にある港町ローグタウンで旗を揚げた大海賊ゴールド・ロジャーがその名で称えられ、彼が成し遂げた偉業そのものが海賊王であることの証となった。

 

 

 その証の名は『ひとつなぎの大秘宝』(ワンピース)

 

 偉大なる航路(グランドライン)の最果てにある幻の宝島ラフテルに隠されていると伝わる秘宝であり、手にしたロジャー自身の口で語られたその正体は  “この世の全て”。

 

 これほど夢のある財宝があるだろうか。

 かつて自分に夢の道を示してくれた、とある赤髪の大海賊の話を思い起こしたルフィは期待に昂る胸中を隠しもせず、顔に満面の笑みを浮かべる。

 

 そんな少女の心底楽しそうな姿に、つける薬無しと、溜息を吐く村民たち。

 

 ロジャー以後誰一人として成し得なかった壮大な目標を掲げる彼女の進む道は険しいものになるだろう。

 だが少女の希望に満ち溢れる笑顔を見る彼らは、ルフィならばやってくれるのではないか、と同時に根拠のない不思議な期待感を覚えるのだ。

 何か大きなことを成すために生まれてきた。そう思わせる何かがこの元気いっぱいの麦わら娘にはあった。

 

 そしてそれは彼女の最も身近にいた酒屋の若き女店主が誰よりもよく知ることでもあった。

 

 

「はぁ…。まぁでも、あなたが海賊になっちゃったのは私の監督責任でもあるし……ガープさんに怒られたら一緒に謝りましょう」

 

「マキノ?」

 

 ルフィの笑顔に毒気を抜かれた女店主は、小さく溜息を吐いて自身の考えを再度改める。

 これからこの世で最も大きな夢に挑む少女に必要なのは、いつものような注意や叱咤ではないだろう、と。

 

「ルフィ。冒険は楽しいことばかりじゃないわ。辛いときや悲しいとき、苦しいだってある」

 

 どんなときでも、この子なら乗り越えていける。でも、人は絶対に独りでは生きていけない。

 だからこそ  

 

「仲間を頼りなさい。自分にも出来ないことがあるとわかっているのなら、あなたは自分の道を誤ることは無いでしょう。そして、もし道に迷ったなら、好きなときに戻っていらっしゃい。私たちはいつだってあなたの活躍を耳にするのを心待ちにしているし…同じくらい、あなたの帰りを待っているわ」

 

「うん! 仲間も頼るし、新聞に載るような活躍も沢山するけど、私は海賊王になるまで村には帰らないわ!」

 

 遠慮も躊躇いも無い底抜けに愚直な少女の言葉に、背後の村人たちが一斉にずっこける。

 

 ルフィはどこまで行ってもルフィのまま。

 そのことを今まで何度も気付かされていたはずの女店主は最後にもう一度、この手の掛かる麦わら娘の本質を悟り、小さな安堵の笑みを浮かべた。

 

「ふふっ、それでこそルフィね」

 

 そして…ふわりと花が咲くような微笑を浮かべた彼女は、自分の愛娘が今最も必要としている言葉を伝えた。

 

 

   行ってらっしゃい、ルフィ。

 

 

 

 

 米粒ほどに小さくなったドーン島から目を離し、少女ルフィは軽やかな足取りで小船の船首へと飛び乗った。

 

 その視線の先にあったのは先ほどの爽やかな船出に反し、不気味なほど静まり返った島の近海。元気に跳ね回るトビウオや、それを狙う海鳥たちの姿はどこにも無い。

 

 まさに嵐の前の静けさと形容すべき光景である。

 

「どうやらお出ましのようね。…よしっ、“武装色”硬化っ!」

 

 ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた麦わら娘の右腕が黒く染まり、鈍色の光沢を放つ。そして、少女はその“気配”を感じる場所へと目を向けた。

 

 開けたはずの海に、謎の影が現れる。

 水面が暗く染まったその瞬間、轟音と共に大量の水飛沫を上げた化物がその鎌首を擡げて現れた。

 

 

 鯨を丸呑みにするほどの大きな顎に、鰐に似た凶悪な頭部を持つウツボのような怪獣。

 

 “近海の主”と呼ばれる30メートル級の巨大魚である。

 かつて幼いルフィを丸呑みにしようと襲い掛かり、助けてくれた恩人である()の赤髪の大海賊の左腕を奪った憎き仇だ。

 

「さぁて…生憎だけど、私は“ルフィ”みたいに優しくないの。シャンクスの仇はとらせて貰うわよっ!」

 

 世は大海賊時代。

 数多の海賊たちの頂点を目指す者に求められる最も重要な力は、万人を平伏させ、仲間を敵から守り抜くための高い戦闘力である。

 恩人に「女は海賊に向いてない」と何度も忠告されたことだ。

 

 その言葉の意味を何よりもよく理解している華奢な芳体の少女は、己が磨き上げた自慢の一撃を巨大魚へと放った。

 

「”ゴムゴムのぉ~(ピストル)”っ!!」

 

 真っ黒に染まった麦わら娘の拳が目にも留まらぬ速さで海獣の眉間に迫る。

 まるでゴムのように長く伸びる少女の超人的な肉体はその名の通り、彼女の体がゴムの特徴を持つからこそ。

 

 海の至宝と称される、正体不明の果物『悪魔の実』を食した者のみが得る多種多様の能力の中の一つ。

 それがルフィの力の正体、“ゴムゴムの実”の能力である。

 

 

 少女の放った正拳の一撃はまさにピストルの弾丸のような風切音と共に敵の頭部に吸い込まれ  その巨体を爆ぜ飛ばした。

 

 

 四方八方へ散らばった血塗れた肉塊が海へと沈んでいく。

 長年この海に君臨し続けていた怪物が一人の婀娜やかな少女に瞬殺されるその瞬間を目にした者は皆、一様に己の目と正気を疑うことだろう。

 

 

 未来の海賊王を名乗る者、その実力に不足無し。

 

 希望に満ち溢れた笑みを浮かべながら、少女ルフィは悠々と大海原へと進んでいく。

 永遠の別れにも等しく、誰の力も借りず、たった一人でこの果てしない海へと旅立つ僅か17歳の少女。

 

 だが、ただ前のみを向いているその童女のような幼い顔は  不思議なことに  故郷を去る離愁も不安も心細さも何一つとして感じさせない晴れやかなものだった。

 

 それもそのはず。

 何故なら“ルフィ”の旅立ちは奇妙にも、彼女にとっては決して初めてのことでは無いのだから。

 

 

「さぁて…12年も待たせちゃったけど、これでようやく最初の一歩ねっ!」

 

 

 少女の謎めいた声明は船出の潮風と共に誰の耳にも届くことなく、東の海(イーストブルー)の水平線へと消えていく。

 その言葉の意味を理解する者はこの海において、彼女ただ一人。

 

 思えばこの待望の日まで随分と色々なことがあったな、とルフィは過去を想起し懐かしむ。

 

 船出を終えた麦わら娘は、これから起きるであろう様々な出来事に期待を寄せながら、風に船を任せゴロリと小船に寝転がった。

 

 

 こういうときは昔話でもして時間を潰すのが一番。

 

 語り部一人に、聞き手も一人。無名の若き海賊王が紡ぐプロローグに相応しい、静かで小さな観衆だ。

 

 たった一人の船上で、女海賊モンキー・D・ルフィは今日に至るまでの雌伏の時を、ゆっくりと振り返った  

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・12年

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国フーシャ村

 

 

 その日、幼い少女ルフィの目覚めは最悪だった。

 

 いつものように無駄によく働く6歳児の睡眠欲に促され一日の疲れを癒していたのだが、突然強烈な頭痛と悪夢に苛まれ、あまりの衝撃に目が覚めたら  哀れな幼い少女のベッドシーツに自身の望んだ宝島の地図がくっきりと描かれていたのである。

 

 残念というか当然だが地図は偽物で、偽図作成(おねしょ)の罪により朝食の目玉の海鮮サラダが古いキャベツの酢漬けに降格することと相成った。

 重なる不条理に少女が最悪の目覚めだと嘆くのも無理はない。

 

 

「ううっ、気分悪ぅ~い…」

 

「全く…まだシャンクスさんのこと寂しがってるの? 折角助けて貰ったのにいつまでもウジウジしてたら恩人に失礼だわ」

 

「…そんな女々しくないわよ」

 

 献立の魚の干物を解しながら呆れた声で辛辣なことを言う対席の女性に、ルフィはぼんやりした頭のまま小さく抗議した。

 

 先日この幼い少女の命を救い、何かと可愛がってくれた高名な大海賊『”赤髪”のシャンクス』。

 海へ帰る彼との別れを惜しみ、ルフィは餞別に譲られた大切な思い出の麦わら帽子を常に肌身離さず持ち歩いている。

 

 そんな可憐しい彼女の吐く勇ましい言葉に、残念ながら説得力は微塵も無い。

 

 不機嫌そうに拗ねる少女の姿に小さく笑みを零す相席の女性の名はマキノ。

 物心付く前から世話になっている母親代わりの酒屋の女店主である。

 

「毎日相手の形見の品を持って桟橋でしゃがみ込む人のことを女々しいって言うのよ。海兵も海賊も、海と共に生きる男にとって別れは必然なんだから。次会えたときに見違えるほど立派な女になって見返してあげるくらいの気持ちでいるのが一番よ」

 

 まるで恋人の帰りを待つ女のように沈んでいるルフィに、マキノが励ましの言葉を送る。

 

 だがルフィに返事をする余裕は無い。

 

 目が覚めたばかりだからか、未だに先ほど見た夢と現実の区別がつかず、頭の中はまるで霧に覆われているかのように不透明で、思考力も麻痺したまま。

 食事も手が付かず、ただこの形容し難い奇妙な感覚に慣れるのを待つばかりである。

 

「…どうしたのルフィ? 朝も酷くうなされてたし、疲れてるなら今日はお店の手伝いしなくていいけど…」

 

「うぅ…」

 

 何かと手間が掛かる問題児ではあるものの、年の離れた妹、いや娘のようなルフィを何よりも大切に思っている母親代わりの女店主。

 辛そうにしている彼女が心配で、マキノは慈しむようにそのぷにぷにした柔らかい頬を優しく撫でた。

 

 ここ数日でメソメソする少女の情けない姿は既に見飽きているが、今日の彼女は一風変わって上の空。

 いつにも増して顔色が悪く、心ここに在らずといった調子だ。

 

 悪い夢にうなされた子供は体調を崩しやすいと近所の主婦に聞いたことがあるマキノは、店を閉め一日を少女の心の慰撫に尽くすべきかと思案する。

 赤ん坊のうちに親元を離され、頼りの祖父も本人談では海軍の仕事が忙しく、年に数回しか家族と会えないルフィを不憫に思う女店主の気持ちは非常に強い。

 愛娘にも等しい彼女の健やかな成長のためならば店の売り上げなど安いものだ。

 

 

 だがそんな彼女の思いは、悪夢の記憶に侵され続ける目の前の幼い女の子には届かない。

 

「…お腹空いてない。お外行ってくる」

 

「あ、ちょっと  

 

 制止の声も虚しく、少女が席を立ちふらふらとした足取りで店を出て行く。食い意地の張った彼女が朝食を残すなど初めてのことだ。

 

 信じられない出来事に茫然と固まっていたマキノは、最後までルフィの後姿を見送ることしか出来なかった。

 

 

 

 桟橋を目指してとぼとぼと歩く幼いルフィの姿が朝の活気の中に小さな異物として紛れ込んでいる。

 何かと騒がしかったシャンクスが去ってから連日見かけるようになった、フーシャ村の新たな日常風景だ。

 

 だがこの日の少女はいつもとは些か様子が異なっていた。

 

 

 緊張した面持ちで、ルフィはそっと耳を手で覆い、目を閉じる。

 そして、少女は今朝から聞こえるようになった不思議な“声”を捉えるために、周囲へ意識を張り巡らせた。

 

 

 “    ……”

 

 

 聞こえる。

 村人の、空飛ぶ鳥たちの、踏みしめる大地の、風に揺れる草木の  森羅万象、万物の“声”が。

 

(やっぱり…間違いないわ)

 

 耳から手を離すと、周囲の喧騒が“声”だけの世界に濁流のように合流した。

 直後、頭に鈍痛が走り、少女は堪らず張り巡らせた意識を解いて“声”を遮断する。そして近くの壁に体を預け、乱れた息を整えた。

 

 

「“見聞色の覇気”…って呼ばれてた力よね、これって…」

 

 少女の小ぶりな口からぽつりと零れたのは、掠れるような震え声。

 

 ぶつぶつと思考の海に沈みながら、ルフィは脳裏に焼きついた昨夜の不思議な悪夢の内容を想起する。

 その顔にあるのは恐怖や不安ではない。大きな感動と希望の色を含む、期待に満ち溢れた確かな歓喜であった。

 

「ふふっ。いい夢だったなぁ…」

 

 頭痛の残滓を感じながらも、その唇は大きな弧を描いている。

 自身の安眠を妨げうなされた原因である、悪夢の内容を思い出そうとする者の顔にはとても見えない。

 

 だがそれもそのはず。その悪夢は決して痛く、怖ろしいだけのものではなかったのだから。

 

 

 

   それは、まさに“夢”というべき壮大な物語。

 

 幾つもの海を越えながら島々を巡る冒険の日々、多くの仲間たちとの出会いと別れ、立ち塞がる強大な敵の猛者たち、そして皆と共に目指したこの蒼い海の最果て…

 

 麦わら帽子を被った髑髏のジョリー・ロジャーをメインマストに掲げ、大海原に繰り出す2隻の海賊船『ゴーイング・メリー号』と『サウザンド・サニー号』。

 世紀の大剣豪を志す、三振りの刀を腰に差した剣士『ゾロ』。

 未知を既知とし世界地図を描くことを夢見る、拳骨の痛い航海士『ナミ』。

 尊敬する父と同じ勇敢なる海の戦士を志す、嘘つきで小心者の狙撃手『ウソップ』。

 全ての海の幸が集う幻の海域を探す、女好きの料理人『サンジ』。

 化物と自分を蔑まない仲間に惹かれた、照れ屋で寂しがりやの船医『チョッパー』。

 失われた100年の歴史の真実を求める、発想が何か怖い考古学者『ロビン』。

 自分の造った最高の船の軌跡を共に巡る、イカすサイボーグ船大工『フランキー』。

 親友との50年越しの再会を望む、ジョーク好きの骸骨音楽家『ブルック』。

 英雄の遺志を継ぎ種族の溝を無くすべく奮闘する、義侠心溢れる操舵手『ジンベエ』。

 

 そして  その掛け替えの無い仲間たちと共に海を冒険し、五人目の海の皇帝とまで謳われるようになった、自分と同じ名前を名乗るバカで偉大な船長『ルフィ』。

 

 

 個性豊かで魅力的な海賊たちが紡ぐ、『麦わら海賊団』のロマン溢れる大冒険。

 

 そんなステキな御伽噺だった。

 

 

「何よ、シャンクスの嘘つき。やっぱり海賊の世界ってステキじゃない…!」

 

 少女が当初抱いていた海賊に対する憧れは小さく、儚いものであった。

 それはかの大海賊『“赤髪”のシャンクス』に強請り聞かせて貰った彼の冒険が、海賊の不条理が詰まった薄暗い物語だったからだ。

 

 彼らの日常は汗と糞尿と潮と埃に塗れ、海賊らしく海戦を行えば甲板や医務室は血と肉と嘔吐で咽返るほどの地獄絵図と化す。

 破傷風や伝染病に怯え、栄養失調や水分不足に苦しむ日々。

 港に立ち寄れば海軍や国軍に通報され、部下の支持を失えばその日の夜にはサメの餌になる。

 

 海に出て町や商船、他の海賊を襲っても、成功する者はほんの一握り。

 赤髪の男は己が見てきた海賊の闇を隠しもせず、ルフィを脅すように身振り手振りで話し続けた。

 

 海賊の航海とはまさに内憂外患。故に船長に求められるのは敵を掃い味方を従える圧倒的な戦闘力と統率力。

 肉体的に脆弱な女が船長になり難い最大の理由であり、当然語り部のシャンクス自身も「やめておけ」と、船長を目指す酒屋の幼い女の子を何度も窘めようとしていた。

 

 だがルフィは彼らが抱く確かな海賊の誇りと、凄惨な環境の中に輝く大きな夢を見逃さなかった。

 どれほど辛い体験談を語ろうと、益荒男たちのその顔には、不幸を乗り越え夢を手にした勇敢な漢の矜持が感じられたからだ。

 

 伝説の大海賊と鎬を削った武勇伝。

 “海王類”と呼ばれる巨大な海のバケモノたちの群れから命辛々逃げ出した胆の冷えるエピソード。

 妻と子を村に残してでも海へ旅立った狙撃手の冒険自慢。

 

 そして  海賊たちの最高の宝、『ひとつなぎの大秘宝』(ワンピース)

 

 

 それは“夢”のルフィ少年が欲した宝。この世の全てと等価な最も尊い夢の証。

 

 

 ああ、何と希望に満ち溢れた美しい世界なのだろう。幼い少女ルフィは目を輝かせる。

 

 “夢”のルフィ少年とは異なり、彼女はシャンクスに未知を開拓する楽しみは教えて貰えなかった。

 教わったのは過酷な洋上の生活、自然の試練、殺戮と内乱。様々な困難な現実だ。

 

 だが、赤髪の大海賊は『海賊王』という海の覇道の道しるべだけは、隠すことなく印してくれた。

 それは“夢”の麦わら帽子の少年の物語という大きな光となって、少女の夢の航路を照らし始めたのである。

 

 シャンクスとの出会いを経て抱くようになった己の淡い理想をそっくりそのまま描いたかのような冒険譚に、少女ルフィは大きく胸を高鳴らせた。

 これこそまさに自分が望んでいたものだ、と。

 

 あの熱いほどの高揚感を思い出した6歳児は、自分の野望への決意を新たにする。

 

 

 

   いつか夢の中の彼のような、ステキな冒険がしてみたい。

 

 

 

 シャンクスに続く、自分の憧れの海賊となった少年モンキー・D・ルフィ。

 幼い少女ルフィは“夢”の彼に強い親近感を覚え、その冒険譚に希望を抱いた。

 

 

(だけど、今の私じゃ弱くて仲間を守れない…)

 

 

 少女ルフィは見たのだ。自分と同じ名を持つ少年が繰り広げた壮絶な戦いの数々を。その裏にある厳しい修行の日々や、仲間を想う強い意思を。

 彼女は思う。今の自分では到底あのレベルの戦いに、その土俵にすら立てないと。

 

 “夢”の主人公である少年が  意識的であろうと無かろうと  使用していたものや、そのライバルたちが使いこなした様々な力。

 少女ルフィはそれらを主体的かつ客観的に“観た”のである。明確な目指すべき目標をイメージ出来るようになった彼女はこの日、これからの自分に必要なものが何なのかを強く理解した。

 

 『悪魔の実』シリーズ“ゴムゴムの実”の能力の使い方。

 “六式”なるかつての強敵が操った強力な体術。

 傷を癒し、毒や病に打ち勝ち、連戦続きの冒険を乗り越えるために必要な“生命帰還”なる肉体操作術。

 

 そして、それらの全てを凌駕するほど重要なものが  

 

 

「はあああぁっ!!」

 

 近くの岸壁に放った少女の小さな拳が、ドガァァン!と巨大な音を立てて地形を粉砕する。そして幼いルフィは土埃の中に、黒鉄色に鈍く光る己の右腕を見た。

 

「凄い…“見聞色の覇気”みたいに、こっちも出来ちゃった…」

 

 

   “覇気”と呼ばれる己の強き意思を源に持つ力。

 

 

 何れも大切な仲間を守り、この海で覇道を成すために“夢”のルフィ少年が必死に磨いた力や技術だ。

 幼いルフィが欲するそれらの力は途方も無く遠いものである。

 

 だがそれらが必要である以上、少女は決して諦めない。

 

 

「お手本は頭の中にあるんだから、絶対に全部使いこなしてやるわっ!」

 

 少女ルフィは確固たる信念を持って宣言する。

 

 これほど丁寧な夢の海図を与えられ、最高の仲間たちとの絆を見せられ、夢のような冒険を知った今、一体何を躊躇うことがあるのか。

 自分と同じ名を持つ、異性の少年に手を引かれて、如何して同じ夢を追わずにいられようか。

 

 

 この瞬間、少女は恩人との別れに塞ぎこんでいた今までの弱い女の自分を捨て去り、夢を追いかける強い女へと変貌した。

 

 恩人が示してくれた道を、“夢”の少年が先導する覇道を、幼い麦わら娘は追いかける。それら全てを追い越す勢いで。

 

 

 

「わたし、海賊王になる!!」

 

 

 

 王の死から12年。

 

 無名の小さな村にて立てられた一人の幼い少女の誓いは、群雄割拠の大海賊時代を終結させる新たな王の産声となり、五つの海に響き渡った。

 

 

 

 これは二人の“ルフィ”が、異なる二つの世界が交わる新たな王の  海の覇道の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

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幼年期編
1話 エースとサボ


 麦わら帽子の海賊少女ルフィは6歳のとき、ある夢を見た。

 自分と同じ名を持つ少年が海賊王を目指し海を冒険する物語である。

 

 ()の大海賊『赤髪のシャンクス』と出会い海賊たちの世界に関心を寄せ始めていた少女にとって、その“夢”は非常に具体的な指標となった。

 

 

 当初、少女は“夢”と現実の境がわからず混乱していた。

 しかし持ち前の頭脳で“深く考えない”という天才的発想に至り、見事全てがこんがらがったまま日常を過ごすという荒業に出る。

 

 自分の近くにルフィ少年の海賊船『サウザンド・サニー号』やその仲間たちがいないのなら、そうなのだろう。

 試しに意識してみれば聞こえるはずの無い不思議な“声”が聞こえ始めたり、殴る意思を強く持つと腕が黒鉄色に染まったりしたのも、そういうことなのだろう。

 

 不安はあれど、深く考えなければ悩む必要も無いと、少女は割り切ることにした。

 

 

 …ようはいつものように何も考えていないだけである。

 

 

 しかし本来冒険とは未知を既知とすることに大きな達成感を得る行為である。

 まるで未来の写しのような“夢”はその達成感を夢見る幼い少女から奪うものでもあった。

 

 だがルフィは“夢”の少年とは異なり、女性である。

 性別の違いは2人のルフィの環境や精神性に大きな差異を齎していた。

 

 

 まずルフィ少年のときとは異なり、シャンクスは彼女に自身の冒険を大々的に語らなかった。

 

 祖父ガープのしつこい海軍自慢に飽き飽きしていたルフィが彼の率いる『赤髪海賊団』に“海軍と敵対する連中”としての興味を抱き、酒場に屯する彼らに近付いたのが2人の出会いである。

 祖父へのコンプレックスから生まれた小さな憧れを無責任に煽るほどシャンクスは外道ではなかった。

 

 愛くるしい笑顔が印象的なかわいい女の子に相応しい目指すべき夢は他に沢山あるのだ。

 わざわざ海賊などという汚くむさ苦しい犯罪者の業界に身を堕とす必要などどこにもない。

 

 もちろん男として  童女とはいえ  女に己の偉業を語りたい心情が無かったとは言えない。

 彼女の熱意に負けて渋々語った武勇伝が知らぬ間に一味総出の語り合いになり、少女の目を輝かせてしまったこともあった。

 

 だがその輝きも彼らの不幸自慢になるころには陰っていた。

 故にルフィが当時彼の話から抱いた海賊の印象は、まさに臭い汚いキツいの3Kが揃った最悪の環境の中にポツンと遠くに光る夢があるだけの、地獄のような職業であった。

 

 

 そのためルフィの見た“夢”は自身の海賊観を大きく変える素晴らしいものとなった。

 

 未だ幼く将来の目標より目先の甘味に興味を示すお年頃。自分と同じ名前の少年と体から心、魂まで同調し体験した彼の海賊人生は、その具体性に加え自分との共通性の双方の観点からルフィの興味を大きく引いた。

 それこそ、もし自分が男に生まれたのならこの“夢”のようなステキな人生を送っていただろう、と確信するほどに。

 

 

 ”ルフィ”のような人生を送りたい。

 そして彼と共に海賊の頂点に立つ。

 

 それが少女の夢になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・12年

東の海(イーストブルー) ドーン島コルボ山“大裂け目の谷底”

 

 

 

「そこぉ!」

 

 森の中から聞こえてくるはずのない種類の轟音がコルボ山の山中に轟く。

 

 音の発生源は、村の酒屋の女主人から拝借した布切れで目や耳を覆いながら、ジャングルの猛獣たちと戦う6歳児。

 年端も行かぬ小さな幼女が自身の5倍近い躯体の巨大な狼の猛攻を軽々と避けながら翻弄する光景を前にして、人はまず己の目を疑うであろう。

 

「すごい…ホントに相手の位置も考えてることも全部わかっちゃう…!」

 

 猛獣相手に大立ち回りを魅せる少女、ルフィは現在、“夢”のルフィ少年が使っていた力を模倣しようとしていた。

 

 今彼女が試しているのは“見聞色の覇気”と呼ばれる力だ。

 周囲の生物の気配を感じ取り、極めた者は他者の心を読み、万物の声を聞き、未来さえも見通すことが出来るようになるという。

 

 この力は“夢”の中でルフィ少年を苦しめた強敵『シャーロット・カタクリ』が自在に操っていたものである。

 少女が憧れるルフィ少年もまた、カタクリとの競い合いを経て同等以上の力を手に入れていた。

 常に自分の先を進む“夢”の彼に追いつくことを当面の目標としている少女ルフィは己の決意を新たにし、力いっぱい拳を握り締める。

 

 そして  

 

「どりゃあああっ!」

 

 母親代わりの女店主が聞けば頭を抱えるであろう女らしさの欠片もない野太い咆哮を上げながら、ルフィは隙だらけな巨狼の脳天に、黒色に染まったそれを叩き込んだ。

 骨が砕け肉が潰れるえげつない音が周囲に響き渡る。そして10m以上もある猛獣が顔のありとあらゆる穴から鮮血をぶちまけながら吹き飛び、地響きと共に地面に倒れ付した。

 

「こっちもたまになら出来るみたい…」

 

 事切れた巨狼に目もくれず、ルフィは鋼のように鈍く光る己の右腕をまじまじと見つめる。

 

 現在、少女が大体10回に1回の成功率で引き出せるこの現象は、“夢”の中で“武装硬化”と呼ばれていた。

 見聞色の覇気とは異なるもう一つの力で、“武装色の覇気”というものを元に発動するらしい。

 

 

 最初はただの真似事だった。

 

 だが今の少女の目には、日常の楽しいお遊びに没頭する陽気な輝きは無い。

 あるのは己の身に新たに宿った力を我が物にするべく、真剣に鍛錬を行う求道者の渇望であった。

 

 

 

 

   ある日、不思議な夢を見た少女は突如、人知を超えた力に目覚めた。

 

 それは人間の強い意思を源にした、その者が世界に放つ存在感そのものを物理及び精神的な力として具現化させる能力。

 気迫、圧力、カリスマ。様々な異名を持つその力の名をこの世界では  “覇気”と呼ぶ。

 

 “覇気”とは本来万人の持つ普遍的な力であるが、その力を技術と呼べるほどに昇華させることが出来るのは才ある者に限る。

 それも命に関わる極限の状況に幾度も晒されることで初めてその才能が開花するのだ。

 そこから更に、戦闘に運用出来るほど練達させるには長い年月をその修行に費やさなくてはならない。

 

 先天的に生まれ持つ稀有な者もいるが、本来はこのルフィ少女のような非力な6歳児に許された力ではない。

 

 

 

 だが、ここで彼女の“夢”の存在がその常識を覆す。

 

 

 少女が先日の夜に見たその“夢”はただの夢でもなければ予知夢の類でもない。

 

 異界からの干渉、空想世界との接触、ありえたかもしれないパラレルワールドの収束。

 その非常識がモンキー・D・ルフィという、新たなる“王”の芽を中心に交差し、この大海賊時代という世界のうねりの焦点に選んだのである。

 

 そしてそれは2人の少年少女の魂の合流という、人の身には決して起こりえない奇跡を引き起した。

 

 

 2人の魂の力。

 2人の存在の力。

 

 

 肉体ではなく魂に宿る“覇気”だからこそ、少女は幼きその身に過ぎた覇者の証を己の力に出来たのである。

 

 

 

「ふぅ…これで全部倒したわね」

 

 谷底に充満する血の臭いに鼻をつまみ、ルフィは後ろを振り返る。

 そこには先ほど倒した巨狼の仲間たちが所狭しと積み重ねられていた。谷底に迷い込んだ彼女を餌と勘違いした猛獣たちの成れの果てである。

 まさか自分があの夢に出てきた少年ルフィと同じようにこの谷で猛獣たちと戦うことになるとは思わず、少女は死に物狂いで“夢”の力を想起させ、見事勝利を収めることが出来たのだ。

 

 既にフーシャ村の桟橋で“武装硬化”を発動出来ることを確認していたルフィは、たとえ谷の主と伝わる人喰い狼の群れが相手であろうと自身の勝利を疑わなかった。

 “夢”の彼が行っていた修行や体で覚えた発動のコツをそっくりそのまま記憶していた彼女に、揺ぎ無い自信という強い意思が宿ることで、僅か6歳の幼女が本来持てるはずの無い強大な力に目覚めたのである。

 

 その最初の餌食となった谷の主たちは最早その屍を谷底で晒すだけだ。

 

「少しずつ、使う分だけ“夢”のあの人の力に近付いてる」 

 

 ルフィは自分の力が目に見えて成長して行くのを楽しげに実感していた。

 この調子ならいずれはあの海軍自慢のウザいクソジジイにさえ一泡吹かせてやれるはずだ。

 その日が決して遠くないと確信する少女の笑顔は少し黒かった。

 

「色々試したから遅くなっちゃったわ。マキノ、怒ってないといいけど…」

 

 目覚めた自分の覇気に慣れるまで防御に徹したためか、随分と長いこと谷底で活動していたようだ。

 

 朱に染まる黄昏時の空を見上げていると、少女の胃袋が空腹を訴えた。そろそろ戻らなくては夕食を食べそびれてしまう。

 すでに昼食を逃している彼女にこれ以上の断食に耐える精神力は備わっていない。

 

「でもまだエースとサボに会えてないのよね。“夢”の記憶も曖昧だったけど、まさかこんな時間になるまで探しても見つからないなんて…」

 

 ルフィは頭上の断崖の裂け目から覗く茜空を見上げ、かすかに目を細めた。

 

 

 

 彼女がマキノに隠れて一人コルボ山まで足を運んだのは、ひとえに“夢”でルフィ少年と義兄弟の杯を交わした二人の少年たちをその目で見てみたかったからである。

 

 意地っ張りで強情な、そして誰よりも頼りになるエース。

 賢く人当たりの良い、いつも優しくしてくれたサボ。

 

 ルフィ少年が誰よりも大切に思っていた二人の義兄。

 だが彼らに待ち受ける運命は理不尽で無情なものであった。

 

 今も思い返すだけで目頭に涙が滲むのは、“夢”でエースの心と深く触れ合ったからだろうか。

 その最期の言葉を聞いて、ルフィは彼の呪われた運命を悲嘆せずにいられなかった。

 

 

 自分は“ルフィ”だが、決してルフィ少年と同じ人間ではない。故に彼のようにエースやサボを義兄弟として慕ってはいない。

 

 だが赤の他人ならともかく、“夢”でルフィ少年を通して触れ合った少年たちを見捨てるほど薄情ではない少女は、出来るだけ早く彼らと接触し、来たる悲劇を回避したいと考えていた。

 

 

 有体に言えば、情が湧いたのである。

 

 

「エースもサボも人見知りだから、多分私が会いに行っても嫌われちゃうとは思うけど…見捨てるなんて出来ないわ。絶対にサボが高町に連れ去られないようにして、エースも将来『黒ひげ』に捕まらないように私が二人を鍛えてあげなくちゃ!」

 

 運命を決めるのはいつだって自分自身の力なのだ。

 よって逆説的に言えば、少年たちの運命を変えたければ、単純に彼らが強くなれば良いのである。

 

 サボは、彼の父と結託し自身を高町へと連れ去った『ブルージャム海賊団』よりも。

 エースは、仲間の仇を取ろうと挑み、返り討ちに遭ってしまった『黒ひげ海賊団』よりも。

 

 

 ルフィ少年の力を少しずつ引き出しつつあった夢見る少女は“夢”の師匠『冥王シルバーズ・レイリー』を参考に、コルボ山の悪童コンビの傍迷惑な修行スケジュールを好き勝手に考える。

 

 そして一通り満足したルフィは二人の捜索を再開する前に、もう一度自分の悪魔の実の能力を試すことにした。

 二人を鍛えるにしても、まずは自分自身がルフィ少年の力を引き出し終わらなくてはならないのだから。

 

「ゴムゴムのぉ~ロケットォ!」

 

 少女は“夢”で見た憧れの彼の技を模倣する。

 断崖の真下から見上げたところにある崖のひび割れへと両腕を伸ばし、その強力な弾性で一気に真上に飛び立った。

 

 初めて故か狙った位置へ飛ぶことには失敗したものの、見事谷を脱出したルフィ。

 空腹から遠くで煙を登らせるマキノの酒屋を幻視するも断腸の思いで頭を振り、少女は先ほどの戦闘で随分と体に馴染んだ見聞色の覇気を駆使しながら探し人の気配を辿り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・12年

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国”不確かな物の終着駅”(グレイ・ターミナル)

 

 

 

「いたぞ!こっちだ、回りこめ!」

 

 東の海(イーストブルー)で最も美しい国と称えられるゴア王国。

 

 荘厳な建築群、塵一つなく清掃された街並み、仕立ての良い新品の衣類に身を包む国民たち。

 この国では誰もが社会的勝者であり、地上の楽園で生を謳歌している。

 

 だが光あるところに影あり。光が強ければ強いほど、照らされぬ影は深く、暗い。

 

 

 王国東端に広がるコルボ山の麓に、この国の闇の深遠がその姿を露にしている。

 

 山の猛獣たちから国民を守るために作られた巨大な城壁の外。

 強烈な悪臭が漂うその一角には、ありとあらゆる不浄なるものが無秩序に廃棄されていた。

 

 山のようなゴミ溜からは日光で焼かれた何かが燃える煙が常に立ち上り、雨季にはカビの大繁殖で瘴気の霧が立ち込める。

 

 

 捨てられるのはモノだけではない。

 王国に不要と判断された人間もまた、この国のゴミとして城壁の外に捨てられる。

 貧民、流民、犯罪者。そんな社会の敗者たちが人生の敗北の果てにこの地へと辿り着く。

 

 

 ここは『不確かな物の終着駅』(グレイ・ターミナル)

 

 法も秩序も無く、国の汚点をかき集めた全ての価値無きものたちの最後の居場所である。

 

 

「くそっ、走れエース!」

 

「わかってる、ちくしょう!」

 

 そんなスラム街の外れで二人の少年が十数名の男たちから脱兎の如く逃げていた。

 

 彼らの手の中にあるのは抱えきれないほどの紙幣や宝飾品。一つまた一つと腕から零れ落ちゴミ山へと消えていく大事な戦利品に涙を呑みながら、少年たちはその短い両脚を必死に動かし走り続ける。

 

 立ち止まることは許されない。最後の居場所を追われた者に待ち受けるのは死のみなのだから。

 

「逃がすかよクソガキ共!誰の金に手ェ出したと思ってんだ!」

 

 少年たち、名をエースとサボという。

 

 不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)で活動する有名な悪ガキコンビで、大の大人も翻弄するほど腕が立つ油断ならない子供として知られている。

 時代がその名を冠すとおり、この少年たちもどん底の敗北者の身から栄光ある海の覇者へと成り上がる野望を抱き、日々盗みを働いてはそれらを将来の “海賊貯金”として長年貯金し続けていた。

 

 だが我が物顔でスラム街を闊歩する悪童たちであっても、この地には決して手を出してはいけない悪の不文律というものが存在する。

 

 それは武力に裏づけされた弱肉強食に沿い、身の程を弁えることであった。

 

「はぁ…はぁ…!バカがっ!狙う相手は見極めろっつったじゃねェか!」

 

「くっ、すまねェ…っ!」

 

 

 『ブルージャム海賊団』。

 

 悪ガキコンビの片割れ、エース少年が突いた藪から出てきた蛇の名だ。

 ゴア王国の後ろ暗い活動を代行し、貴族に金を納めることで犯罪を黙認されている海賊一味であり、実力はもちろん、その強力な後ろ盾の存在から不確かな物の終着点(グレイ・ターミナル)の事実上の最高権力者としてその名を轟かせている。

 

 そんな本職の海賊が大人気なく怒り狂いながら小さな子供二人を追いかけている理由はたった一つ。

 エース少年が盗みを働いた金が彼らの重要な取引の一部であったからだ。

 

「ダメだ、追い着かれる!」

 

 追っ手はブルージャム一味の幹部ポルシェーミ。

 毬栗のような鋼の手袋で敵を殴り殺す残虐な男だと恐れられる海賊だ。

 

 相棒を巻き込んでしまったことを悔やみきれないエースは、この絶体絶命の状況の中で唯一の活路を見出すべく自分を犠牲に仲間を生かす道を選んだ。

 

「くそっ、おれが時間を稼ぐ!サボはその隙に何とか逃げろ!」

 

 だがそれを許すほど相棒のサボは薄情ではない。

 

「なっ!?ふざけんなバカ野郎、これ以上勝手なことすんじゃねェ!!」

 

「うるせェ、これはおれの責任だ!絶対戻るからさっさと逃げやがれ!」

 

 尚も引き下がらないエースにサボは焦燥感から発狂しそうになる。

 

 彼は、己の生き様にこだわり敵に背を見せることを嫌う、分不相応なプライドを持つエースの頑固で強情なところが好ましく、そして同時に嫌いだった。

 最悪の犯罪者の息子として生まれたこのソバカスの少年は何かと自分の命を軽んじる行為が多く、サボはそんな相棒の姿を見るたびに彼の将来を常に不安に思っていた。

 

 いつか取り返しの付かないことに巻き込まれ、自分を置いて一人で勝手に死んでいってしまうのではないか、と。

 

 

 だが…だからこそ、見捨ててなるものか。エースは大切な親友なのだから。

 

 

「うがあああ!メンドくせェんだよ、てめェはよぉ!」

 

「サボ!?」

 

 少年は踵を返し、一人残った相棒の隣に立った。

 

「バカ、何してんだ!早く逃げろっつっただろ!」

 

「バカはてめェだエース!身勝手に命捨ててんじゃねェよ!おれが同じことしたらてめェはおれを置いて逃げられるのかよ、ああ!?」

 

  ッ!!」

 

 エースは言葉に詰まる。

 サボさえ無事ならそれでいいと思い行動したが、逆の立場になればわかることだ。それは残される者の心理を考慮しない、独りよがりな自己満足に過ぎなかったのだと。

 

「…すまねェ、おれのせいで…っ!」

 

「今更遅ェよバカ野郎!もうこうなったら二人でアイツらの頭ぁ倒すしかねェ!!」

 

「ッ、ああ!やってやる!!」

 

 エースはサボに続いて覚悟を決め、迫りつつあった一人の下っ端海賊の脳天へ目掛けて手元の宝石を投擲した。

 煌く紫水晶の玉が男の眉間に吸い込まれ、ゴツンと鈍い音を立て敵の戦意を砕く。

 

 

「ふん、ようやく観念したか。お前ら、ガキ共を殺さずに取り押さえろ!」

 

『へい!』

 

 倒れ伏す味方に目もくれず、追っ手の筆頭ポルシェーミが部下たちと共に悪童二人へと襲い掛かった。

 

「へっ!ガキだからって舐めてんじゃねェぞ!うおおおおっ!!」

 

 対する悪童二人も気合十分。長年コンビを組んでいる二人は完璧なチームワークで追っ手の海賊たちの意識を次々と奪っていく。

 

 

 しかし、獅子奮迅の活躍をする幼い少年たちの努力も虚しく、体格差と数の暴力、そして何より実戦経験の差で、両者の戦いは番狂わせも無く順当に終結した。

 

 

 

「ぐ……っ、ぐそぉ…」

 

「はぁ…はぁ…クソガキが、大人しくしやがれ…っ!」

 

 体中に青痣を浮き上がらせ力尽きた少年たちを海賊の下っ端が縄で縛る。

 まさかこれほど抵抗されるとは夢にも思わず、油断していた多くの仲間が返り討ちに遭い地面に転がったまま目を回していた。

 

「ちっ、大の大人がこんなガキ二人相手に梃子摺りやがって……海賊として恥ずかしくねェのか、おい?」

 

「め、面目ねェっす、ポルシェーミさん…」

 

 ツリ目の大男が無様な姿を晒した部下たちを叱咤する。想定を遥かに超える損害だ。

 怪我人の治療や消耗した武器類の補充も決してタダではない。何事もなく終了する簡単な取引だったはずが、フタを開けてみれば金は奪われ、船長から託された下っ端もほぼ全員が重軽傷を負う始末。

 オマケに奪った盗人がこんな小さな子供二人だったなどと上に知られたら、この場の全員が見せしめに殺されることになるだろう。

 

 彼らの親分ブルージャム船長とはそういう男なのだから。

 

 

 最悪の事態は免れたが、ボスの怒りを避けるには更なる名誉を挽回する必要がある。

 ポルシェーミは逸る気持ちを抑え、目の前で拘束されている血塗れの少年たちに問いかけた。

 

「悪童エースにサボと言えば、この辺りじゃかなり名の知れた盗人小僧だ。お前らが今まで盗んできた金や宝はどこにある?」

 

  ッ!!』

 

 男の目的を理解した少年たちは咄嗟に息を呑む。

 何故バレた、と驚くも、今まで隠蔽工作に力を入れてこなかったツケが回ってきてしまったのだと瞬時に気付き、エースとサボは臍を噛んだ。

 

「そうか、やはりか。これほど名を上げるほど盗みを働いているんだ。ガキ二人に使いきれる額じゃねェだろうとは思っていたが、予想が当たったようで嬉しいぜ」

 

「く…っ!」

 

 二人の反応に確かな手応えを感じたポルシェーミはニヤリと恐ろしい笑みを浮かべる。

 どれほどの金額かは定かでないが、これでボスのお咎めも多少は温情的なものになるだろう。 

 

 男は密かに胸を撫で下ろし、少年たちの尋問を再開した。仲の良いコンビにはこういった脅迫手法が効果的だ。

 

「時間もない。さっさと隠し場所を吐いてもらおうか」

 

 突然、男の刀がサボを目掛けて水平に振るわれた。

 

 鮮血が舞い、直後サボの目に映る全てがチカチカと不気味な七色に輝いた。

 凄まじい激痛に苛まれ、体中の熱が斬られた胸元に集まり急速に手足が凍っていく錯覚に陥る。

 視界がぐらりと大きく揺れ、少年は訳がわからないまま地面に倒れ伏した。

 

  なっ、て、てめえええ!!」

 

 横たわったまま掠れた呼吸で体を震わせるサボの危機的状態に、エースが我武者羅に縄から抜け出そうと暴れ回る。

 だが所詮は子供の力、小さく軋む以上の結果は起きない。

 

「無駄だ、今度は10秒後にコイツを確実に殺す。大切な相棒を失いたくなければ、お前に出来ることは一つだ。行くぞ、1…2…3…  

 

 エースは目まぐるしく変わる状況を必死に飲み込み、最善の策を模索していた。

 だが起死回生の迎撃も失敗した今、最早彼らには活路も時間も何一つとして残されていない。

 

 自分たちの完全なる敗北であった。

 

「わかった、言う!言うからサボを傷つけるなっ!!」

 

 それでも、せめて相棒の命だけは救わねば、と少年は最後の希望にしがみ付いた。

 

 エースは殴られた痛みと屈辱に身体を震わせながら、海賊資金を溜め込んでいる巨木の隠し扉の位置をポルシェーミに説明する。

 これで少なくとも命を奪われることはないだろう。少年はそう自分に言い聞かせることで、負の螺旋に陥る己の心を奮い立たせた。

 

 

 だが彼は忘れていた。相手は約束など平気で破る、れっきとした悪党だということを。

 

「そうか、話に聞くお前たちの出没位置とも確かに合致するな  

 

 

   ならもうお前らは用済みだ、消せ」

 

  ぇ」

 

 その言葉が耳に届いた瞬間、長年の野山生活で培われたエースの動物的本能が危険信号を発した。

 

 咄嗟に体を捻った後を一筋の紫電が走る。

 それは、捕らえられた自分たちの背後でニヤついていた下っ端の一人が振るった刃の軌跡だった。

 

「なっ!?お、お前ら!ちゃんと話しただろうが!!」

 

 少年は認めたくない現実に抗おうと、精一杯の抗議の声を上げる。だが聞こえてくるのは海賊たちの嘲笑う耳障りな声だけだ。

 

「お前、バカか?海賊が面子汚されてソイツを生かしておくワケねェだろ。あの世でおれたちに手ェ出したことを後悔するんだな」

 

  ッ!!」

 

 

 単純。だが非常にわかりやすい絶望の形。

 

 おそらくこの腐った世の中では、目の前のこの状況も無数にある悲劇の一つに過ぎないのだろう。

 ただ不運にも、今回は自分たちがその当事者となってしまっただけなのだ。

 

 

 冗談じゃない。

 エースは憤怒の形相でこの世の全てを恨む。

 

 最悪の血を持って生まれ落とされ、今まで必死に生き、ようやく出会えた親友と共に夢を追いかける幸せを知れたのに。

 これからあの大海原へと漕ぎ出し、誰も成しえなかった偉業を成し、己が生まれてきたことを万人に称えさせようと、日々力を磨いていたのに。

 

 まだ、何一つとして成し遂げていないのに、自分はこんなところで死んでしまうのか。

 

 

 

 何故、この世はこれほどまでに自分を嫌うのか。

 

 少年の憎悪が血となり、悲憤慷慨が涙となって、乾いた大地に染みていく。

 世界を憎む彼を、時代を築いた“王”の子を、世界そのものが憎みを持って死へと誘う。

 

 

   “海賊王”に息子がいたらだって?

 

   生まれてきたこと自体が罪の、悪魔に決まってる!

 

 

 闇黒に染まるエースの頭をかつての記憶が走馬灯のように駆け巡る。

 最初から誰にも歓迎されない生を受けたのだと、世界は幾度も少年にその事実を突きつけてきた。

 

 

 だが  

 

 

 

「…負けるかよ…っ!」

 

 そのたびにエースはこの世の悪意に耐え抜いてみせたのだ。

 いつか空の、海の、大地の全てに己の生き様を称えさせてやる、と。

 

「…こんなクソッタレな世界に負けてたまるかよ…っ!!」

 

 全てを憎む少年は涙で濡れる目元を地面で拭い、泥に塗れたその無様で――勇ましい顔を天に向けた。

 人の、自然の、世界の悪意に屈しない、誰よりも強い意思を見せつけるために。最期の瞬間も胸を張りながら逝って見せるために。

 

 

「おれは悪魔なんかじゃねェ…っ!おれは…おれ以外の誰でもねェんだ!例えてめェら全員に  この世全てに嫌われようとも、おれはてめェらなんかに負けねェんだよおおお!!」

 

 

 海賊王の息子、ポートガス・D・エースの最後の意地が、世界の理に楯突く咆哮となって天地万里に響き渡った。

 

 そして  

 

 

 

 

 

 

  私は好きよ?エースのこと」

 

 

 その咎人の王子の生き様を称えたのは、平行世界の義弟の魂をその身に宿した  幼き悪の王女であった。

 

 

 



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2話 悪童たちの小さな女師匠

大海賊時代・12年

東の海 ドーン島ゴア王国“不確かな物の終着駅”(グレイ・ターミナル)

 

 

 

「ねぇねぇエース、そんなにぶすっとしてないでお話しましょ?」

 

 事件から数日後、そばかすの少年エースの機嫌は過去最低に悪かった。

 

 その不快感の原因は、ようやく完成した新たなアジトへ向かう彼の背後を暢気に付いてくる、麦わら帽子を被った幼い女の子。

 振り返るたびにこちらへ向かって、にぱっと笑顔の花を咲かせる彼女とは対象的に、エースの眉間には深い谷が出来ている。

 

 

 彼は現在、相棒のサボ少年の指示で少女の望みどおり、彼女を二人のアジトへと招待していた。

 身から出た錆とはいえ、先日の一件で相棒に多大な迷惑をかけたのは事実。

 命を救われた借りを返すことも含め、恩人の少女を敬えと彼にキツく言われてしまった以上、この喧しいクソガキの主張を無視することは出来なかった。

 

 もちろん、何故か無駄に教養のある親友から聞かされていた世間一般の女性たちの話を辛うじて覚えていたエースにとっても、女とは守ってやらなくてはならない非力でか弱い存在である。

 とんだ例外も居たものだとこの面倒な麦わら娘を白い目で見ながらも、最低限の配慮はしているつもりであった。

 

(どこが“か弱い存在”だよ…)

 

 可愛らしい笑顔を浮かべたままトコトコと自分の後ろを付いてくる少女を視界の端に収めながら、エースは当時の自分の痴態を思い出し舌打ちした。

 

 

 

 先日、エースは不運にも海賊『ブルージャム一味』と敵対し、相棒のサボと共に人生最大の危機に晒された。

 親友は胸を斬られ朦朧としながら倒れ込み、自分もまたあと一歩でその命を散らすところであった。

 

 

 そんな二人を間一髪で救ったのが、このちびっ子麦わら娘。

 

 『ルフィ』と名乗った幼い少女は目にも留まらぬ速さでその小さな手足を振り回し、あっという間に十数人もの大人たちを圧倒したのである。

 まるでゴムのように腕を伸ばし遠方の敵を森の奥まで殴り飛ばす彼女の姿はとても人間のものとは思えず、噂に聞く『悪魔の実』シリーズの能力者であることが本人の口から語られた後も、エースは未だにこの化物じみた女の子が自分やサボと同じ種族の生物だとは信じられなかった。

 

(女に助けられたなんて、認められっかよ…)

 

 頼りになる兄貴分とはいえ、未だ幼いエースは子供特有の幼稚な自尊心と捻くれた人間性を御する術を持たない未熟な少年である。

 男であることを誇りに思い、勇ましく強者であることを何よりの誉れと考える彼にとって、泣き虫でか弱い連中であるはずの女に、それも年下の幼女に命を救われたことは到底納得出来るものではなかった。

 

 何より、自分たちより遥かに簡単に敵を無力化する少女の卓越した実力を見せ付けられて、男として心穏やかで居られるわけがない。

 

(くそっ、調子狂うぜ…)

 

 あれほどのことがあったというのに、まるで散歩に行くかのような気楽さで自分についてくる小さな少女。

 見た目からは想像も出来ない逞しさを見せ付けてきた麦わら娘に、エースは彼女への接し方を心底掴みかねていた。

 

 

 少女ルフィの“夢”に登場した彼とは異なり、このエース少年はルフィに対して幾分か態度が柔らかくなっている。

 生粋の人間嫌いである彼であっても、流石に初めて出会った同年代の異性に、それも命を救ってくれた恩人に対し無礼を働けるほど恐れ知らずでも恩知らずではない。

 

 相手は子供とはいえ、れっきとした女。

 10歳になり性別を意識し始めついつい相手が気になってしまう思春期の少年よろしく、彼は戸惑う内心を隠しながら、女性という連中の本質を知るために少女を観察することから始めた。

 

 性別が違うだけでこれほどの変化があるとはルフィ少年も報われない。

 

 

 そしてそんな思春期少年のドキドキを平気で裏切るのが、少女が村一番の問題児たる所以。

 

「ぶぅー、そんなに私のコト嫌い…?」

 

 後ろから聞こえてくるのは全ての元凶であるチビ娘の不満そうな声。

 

 文句があるなら勝手に帰れ、と言いたくなる内心をぐっと堪え少年は無言を貫く。

 何人たりとも近寄らせまいと壁を張り巡らせていたはずが、気が付けばなし崩し的に自身の最終防衛拠点であるアジトまで侵略されそうになっている。

 腹立たしいことこの上ない。

 

 これが男なら問答無用で近くの大裂け目の谷底にでも突き落としているのに、とありえたかもしれない未来を夢想するエースであった。

 

 

 

 

「おう、来たか二人共」

 

 ジャングルの最奥にそびえる一本の大樹。

 その洞の縁に座る一人の少年がルフィを歓迎していた。

 シルクハットにゴーグルを巻き、ボロボロのコートを着る歯の欠けた金髪小僧。

 

 エースの相棒、サボである。

 

「おはようサボ!それが新しいアジトね?秘密基地みたいでステキだわっ!」

 

 辛気臭く人見知りの激しいエースとは異なり、この少年は実際に瀕死のところを救われたこともあってか、比較的ルフィに対し友好的である。

 幼い少女も先日の短い間に自然と彼に懐いていた。

 やはりまだまだ小さな女の子。愛想の悪いソバカス少年より、自分に優しくしてくれるサボを好ましく思うのも当然だろう。

 

 何となく仲間はずれにされつつあることを敏感に感じ取ったエースは、はしゃぐ二人の間に不機嫌そうな顔で割り込んだ。

 

「…おいサボ、もう後戻りは出来ねェぞ?もしコイツがゲロったら今度こそブルージャムに二人とも殺されるってのに何で…っ!」

 

「…お前はもう少し人を信用しろよ。あの後ルフィと色々話したけど悪いヤツじゃなさそうだったぜ。まあお前の言うとおりヘンな女だってのは同感だけどな…」

 

 サボは相棒の後ろできょとんとこちらを見つめているルフィに目を向ける。

 知り合ってからそう時間は経っていないものの、彼はこの少女の純粋な好意が決して嫌いではなかった。

 

 もっとも、そう容易く絆されるほど二人の心の闇は浅くはない。

 エースはもちろん、サボとて伊達に長年不確かな物の終着点(グレイ・ターミナル)で生存競争を繰り広げているわけではないのだ。

 

 今回の一連の出来事でリスク管理の重要性を身をもって理解した悪童コンビは、盗みの標的を見定め行動時も人目を忍び拠点を割り出させ難くする計画性の大切さと、同時に複数の拠点に“海賊資金”を分散することで損失を最小限に抑える知恵を覚えた。

 

 現在彼らがルフィを招待したこのアジトも所詮は複数ある拠点の一つに過ぎず、もしもの際には放棄することも計算に入れているものだ。

 

 

 とはいえ、怪我の癒えぬまま手間隙かけて必死に整えた大切な秘密基地である。

 恩人とはいえほぼ初対面の子供に、それもすぐに泣き出しそうな女々しい童女なんかに教えたくはなかったというのがエースの本音だ。

 

「ちっ…おい、いいかクソガキ!おれはお前のことなんか絶対認めねェぞ!少しでも誰かにアジトやおれたちのことを話そうとしやがったら、そのほっそい首へし折ってやるからな!」

 

「お、おいエース!仮にも命の恩人だぞ!?」

 

「大丈夫よサボ。アジトも二人のことも誰にも話さないし、そもそも私ゴムだから首折れないもの。ほらっ」

 

『うわっ!?』

 

 少女が両手で自分の頭を掴み、首を軸に720度丸々二回転させ、ニヤリとあくどい笑顔を二人に見せた。

 人体の稼動範囲を完全に無視したそのありえない肉体構造に少年たちが奇声を上げて後ずさる。

 

 

 悪戯が成功したことをコロコロと笑いながら喜ぶルフィだったが、ふと今日こうして彼らに会いに来た理由を思い出し、早速行動を開始しようと気合を入れた。

 

 

「そうそう、エースっておじいちゃんに言われてココにいるんでしょ?おじいちゃん、“ガープ”って名前なんだけど」

 

 少女の口からあまりに予想外の男の名前が零れ、思わずエースは狼狽する。

 

「ッ、ガープだと!?て、てめェあのクソジジイの孫だったのか!?」

 

「うん。いつもいつも海軍の自慢話ばっかりで、お髭だらけの顔を私に擦り付けてくる、うるさくてお煎餅の醤油の臭いがするヤな人」

 

 道理で…、とルフィの謎の戦闘力の高さの理由を曲解したエースがまじまじと少女の顔を覗きこむ。

 

 身内の孫バカに対し随分と辛辣な評価を下す彼女には、祖父ガープの面影は見当たらない。

 正反対の、クリクリとした大きな目の愛らしい幼児の顔である。

 

 

「それでね、おじいちゃんがエースに強くなってもらうためにココにおいてるなら、代わりに私があなたたちを鍛えてもいいかしら?」

 

『……は?』

 

 3~4歳は年下の幼女による唐突の師匠宣言に、少年二人は咄嗟に己の耳を疑った。

 そしてその言葉をしばらく反芻し、両者を代表し比較的穏やかなサボが目の前の小さな麦わら娘に聞き間違えでないことを確認した。

 

「私、こう見えて最近とても強くなったの!ホントはあの海賊たちのときみたいに私があなたたちを守りたいんだけど、二人とも私のこと嫌いでしょ?」

 

「ッ、ああそうだな、大嫌いだ。頼んでもいねェのに勝手に助けやがって。挙句の果てに“守ってやる”だぁ?ちょっと強いからって調子乗ってんじゃねェぞクソガキ!!」

 

「だからお前はいい加減そのすぐキレるクセ直せよエース!……で、ルフィ。何だって?」

 

 面倒な相棒を羽交い絞めにして黙らせたサボが少女に話しの続きを催促する。

 願わくば、これ以上この自尊心の塊のような親友を挑発しない内容であらんことを期待して。

 

 

「うん。二人は私と一緒にいるのはイヤだろうから、だったら自分で身を守れるくらい強くなって欲しいのよ。だからいつもどっか行ってるおじいちゃんに代わって私が鍛えてあげたいの!」

 

  ッてめェ何様のつもりだゴラアアアッ!!」

 

 そんな苦労人の思いも虚しく、怒りのままに相棒の腕から脱出したエースは眼前の生意気なクソガキに向かって手中の鉄パイプを全力で振り下ろした。

 

 だが  

 

 

 

「ほら、鍛えないといけないでしょ?」

 

 

 サボは目の前で起きた現象に、只々唖然とする。

 

 それは一瞬の出来事であった。

 振り下ろされた武器が少女の体をすり抜けたと思ったら、エースの体が突然消え去り、気が付いたら地面に大の字になって呻いている相棒の無様な姿が現れたのだ。

 

「かっ  

 

 そして当事者の少年の驚愕はそれ以上。

 知らぬうちに体が宙を舞っており、直後後頭部と背中に強烈な衝撃を受けたエースは、体のバランス感覚を失い起き上がることさえ出来なかった。

 

 もっとも、仕掛けたルフィからしてみれば大したことはしていない。

 単純に見聞色の覇気に身を任せながら最小限の動きで攻撃を避け、大振り直後の大きな隙を突いて相手の足を払いバランスを崩させただけである。

 ただそれらの行動が少年たちが見たことも無い速さで繰り出されたことで、二人は一連の攻防がまるで認識を超えた常識外れな力に化かされたかのように錯覚してしまったのだ。

 

 …見聞色の覇気に関してはあながち間違いではないが。

 

「ゲホッ、っはぁ…はぁ…なっ、舐めてんじゃねェぞおおおっ!!」

 

 ふらつく足を必死に踏ん張り、負けず嫌いのソバカス少年は素手の拳で幼い少女に殴りかかる。

 

 エースとサボの悪ガキコンビは互いの夢のために強さを求め、修行の一環として一対一の組み手勝負を日課にしていた。

 対人戦を想定したこの特訓は5年近くにも及び、両者はここまでほぼ同等の勝率を出してきた。

 

 だが、今回エースが体験した勝負はいつもの特訓とは遥かに別次元の戦いだった。

 

 

 

 

「うーん…このまま戦い続けるだけでもある程度は強くなれるはずだから、これも修行ってことにしようかしら…?」

 

 そう小首を傾げながらぼそぼそと呟くのは、哀れな少年を見下ろす麦わら帽子の幼い少女。

 

 エースがこの童女の生意気な宣言に憤慨し、殴りかかったのが僅か数分前。

 まるで風に舞う羽のように全ての攻撃をひらりひらりと避けられ、鋼のように硬い拳に殴り飛ばされた悪童は今、息も絶え絶えに地べたに情けなく這い蹲っていた。

 

 常識とは真逆の想像だにしていなかった結果となった二人の喧嘩。

 介入する瞬間を逃し茫然と成り行きを見守っていたサボは終始、開いた口が塞がらなかった。

 

 不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)のゴロツキ相手に何度も勝利を重ね、己の実力に自信を持っていた悪ガキコンビ。

 その自負を、同格の相棒がまるで赤子のようにあしらわれている姿を目の当たりにしてしまったサボは、怒りやら悔しさが一周し  最早自分たちの弱さを開き直ることしか出来なかった。

 

 こうも鮮やかに親友が無様にもボコボコにされる様を見せ付けられては、疑うべきは己の力ではなく、常識そのものであると。

 

 そして今日。覆された常識を真っ先に捨て去る道を選んだのは  この場で弱者の惨めさを客観的に見せ付けられた、傍観者のサボ少年であった。

 

 

「…あのとき命を救われた男としては、これ以上女に守られるような情けないヤツのままでいたくないのは当然だ。おれは受けるぜ、ルフィの修行を」

 

「なっ、サボ!?」

 

「もう認めろよエース!いつまでも見た目に騙されてんじゃねェ!コイツもあのクソジジイみたいに、おれたちが手も足も出ない化物なんだよ!」

 

 相棒の激しい歯軋りを何とか宥め、サボはルフィに向き直る。

 

「……で、ルフィ。話を戻すが  だからこそお前に聞きたい」

 

「何?」

 

 真剣な顔で少年は、目の前の小柄な“強者”に尋ねた。

 

「…おれたちを鍛えてお前に一体なんの利益があるんだ?」

 

「利益?」

 

 サボは少女の頭上に浮ぶ疑問符を幻視する。

 

「お前はたとえ嫌われててもおれたちを強くしようとしてくれるんだろ?嫌なヤツに態々時間を割いて稽古を施すことの、お前の利益は何だって聞いてるんだよ」

 

 

 ここは不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)

 

 法も秩序も救いもない、この世の敗者たちが集うゴミの吹き溜まり。

 善意や悪意などといった感情の遊戯を楽しむ余裕は存在せず、人間の尊厳の全てを失った無価値な“動物”が喰うか喰われるかの生存競争を繰り広げる、人の社会の最果て。

 

 

 故に少年は少女に問う。

 

 弱者を救い手を差し伸べる行為の、その胸の内を。慈悲も嗜虐も無い弱肉強食の世界で、強者たる彼女が、弱者たる少年たちに力を与えるその理由を。

 

 

 

 

「何で人を助けるのに利益の話になるのよ?」

 

 だが、少女はそんなサボの疑問そのものに首を捻る。

 何故ならそれは、彼女にとって何の意味も持たないものであったから。

 

 

 

「二人は私のこと嫌いかもしれないけど、私はあなたたちのこと好きだもの。私が死んで欲しくないって思ったから、助けた。それだけ」

 

 

 

 無垢で純粋な心が育んだ、どこまでも正直で穢れの無い、子供らしい我侭な想い。

 

 その持ち主を見定めようと、彼女の目を覗いた悪童たちは  

 

 

   洋上の夜天のように澄み切った星空をそこに見た。

 

 

 吸い込まれそうになる少女の煌く黒の瞳が、二人を掴んで離さない。

 

 その夜空の双眸の奥に輝く夢と希望の星々に魅入られ、少年たちはあまりの美しさに思わず息を呑む。

 眩しい懸珠の光は、まるで捻くれた彼らの心の影を消し去るかのように、エースとサボを優しく照らしていた。

 

 

 二人に向けられた、嘘も騙りも一切ない、温かく確かな情。

 

 

 それは、悪童たちが今まで見たものの中で最も美しい宝石だった。

 

 

 

 

「……おれは認めねェからな…っ!」

 

 形容し難い己の恥ずべき内心を隠すように呟かれたエースの精一杯の悪態は、羞恥に震える掠れ声だった。

 

「しししっ、ヘンなの。何で照れてるのよ」

 

『照れてないっ!!』

 

 

 情けない怒声が木霊する不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)で、幼い女の子が無邪気な勧笑を上げながら赤い顔の少年たちから逃げ回る、場違いなほどに微笑ましい光景が広がっていた。

 

 

 

 麦わら帽子の紅一点、ルフィ。

 

 この日を境に、コルボ山の化物じみた強さを持つ童女の話題が、悪童エースとサボの名と共にゴア王国中の井戸端を騒がすようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・12年

東の海 ドーン島ゴア王国コルボ山

 

 

 

 突然だが、目隠しをされている2人の少年たちに向かって暴力を振るってくる幼い少女のことをどう思うだろう。

 

 そんな素朴でも何でもない簡単な問いの答えを身をもって知っているのが目の前で逃げ惑う哀れな犠牲者たちである。

 

 

「鬼!悪魔!ルフィ!」

 

「ギャアアア!!こんなんで敵の気配なんてわかるわけねぇだろうが!」

 

 真横でバッゴォォォン!ズゴゴゴゴ!と生まれて初めて聞く種類の轟音が発生し、少年は恐怖から咄嗟に目隠しの布を引きちぎる。

 

 

 少年の名はエース。

 

 先日、この幼い少女の皮を被った化物にコテンパンに敗北し、相棒のサボ少年と共に化物少女から手解きを無理やり受けさせられている哀れな10歳児である。

 

 彼の振り向いた先にあったのは、まるで戦列艦の一斉射でも受けたのかと疑いたくなるほど無残に崩れ落ちた崖の斜面であった。

 あんな破壊現象を引き起こす一撃が自分の体に当たっていたら…とエースは割と現実味のある想像に股間を縮こませる。

 

 怯えて声も出ないエースに代わり、この災害を引き起こした人外少女に怒声を浴びせたのは相棒のサボ少年。

 彼もまた、先ほどの破壊音に命の危険を感じ目隠しを投げ捨てた常識人である。

 

「ふっ、ふざけんなよルフィ!?おまっ、こんなの喰らったら人間みんなミンチになんだろうが!!」

 

「ミンチになるのは弱い人間よ!強くなりたいなら半殺しぐらいの状態で堪えて見せなさい、男でしょ!」

 

「そんなヤツ男以前に人間ですらねェよ!!」

 

 少女の言う“男”の代表は祖父ガープである。

 

 溺愛する孫娘の尊敬を集めようと画策する()の老将は、フーシャ村に寄港した際には嫌がるルフィを泣き落としてまで自分の軍艦に乗艦させ、職権を乱用し訓練という名目で彼女に自慢の砲弾投げ“拳骨隕石”(げんこつメテオ)を度々披露していた。

 

 素手で鋼と火薬の塊を軍艦の主砲以上に速く遠く高威力でぶん投げる化物を比較対象にされているエースとサボは、少女に対しこの上なく正当で切実な不満を抱く。

 

「おいエース!この化物、やっぱ絶対おれたちのこと嫌いなんだ!」

 

「嫌いなら手加減なんかしてないわよ!あと私は化物じゃなくて女の子よ、失敬ねっ!」

 

「ちょっ、わかった!わかったからその右腕構えんの止めろ!!」

 

  “女は弱い”という固定観念が早々に砕け散った2人は素直に下手(したて)に出ることで、少女の恐るべき一撃が放たれる最悪の未来を回避する。

 

 6歳の女の子が正拳の一突きで岩を粉々にする光景をここ連日当たり前のように目撃していた彼らは、最早世間の“男は女より強い”という価値観を一切信用していなかった。

 

 人、それを達観という。

 

 

「…なぁサボ。コイツといいダダンといい、ホントはおれたち男がコイツら女に守ってもらうモンなんじゃねぇか?」

 

「…ああ、ルフィを見てるとおれもそんな気がしてきたぜ」

 

 ここコルボ山と不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)のみという極めて閉鎖的な社会に生きるエースとは異なり、サボは意外にも  秘密にしているが  貴族家に生まれた元御曹司である。

 

 王族との縁談の道具として親に期待され続けてきた彼は、姫君たちと親睦を深めるべく度々宮廷の女社会に放り込まれており、それなりに女慣れしているつもりであった。

 だがこの幼い少女ルフィの実力を目の当たりにした今は、かつて自分が出席した社交会で見かけたあのきゃぴきゃぴした生き物たちのほうが女としておかしいのではないかと思い始めていた。

 

 

   自分の目で見たものが真実の全てである。

 

 

 これほど正しい教訓は無い、と心から頷きあう両少年であった。

 

 

 

 今エースとサボが行っているのは気配探知の力、“見聞色の覇気”の修行である。

 

 師レイリーは覇気の発現条件に関する持論で、極限の状況に晒されること以外に、子供のうちから慣れ親しむこともそのきっかけの一つであると主張していた。

 その具体例が『女ヶ島』である。

 

 “夢”でもルフィ少年が実際に彼の孤島で幼い少女たちが大人たちの指導で覇気を習っている光景を目にしていた。

 

 目隠しによる視界の遮断も彼女たちが行っていた修行法の一つ。

 

 少女ルフィの見た“夢”は全てルフィ少年の心身魂魄を通したものであったため、幼い麦わら娘は彼の経験を頼りに目の前の少年たちに覇気の使い方を伝授しようとしていた。

 

 覇気は偉大なる航路最後の海『新世界』における強者たる最低限の条件であり、世界最強の男『“白ひげ”エドワード・ニューゲート』の配下となるエースや、『革命軍』に参加するサボの戦う土俵で生きていく上で何よりも重要な力だ。

 是が非でも使いこなせるようになってもらわなくてはならない。

 

 

 当のエースとサボが最も興味を示したのも、少女のその神懸り的な回避技術であった。

 

 色々と逞しく育った悪童たちは自分たちの年上としての不甲斐なさを責める前に、この規格外の少女の強さの秘密に大きな関心を寄せた。

 これっぽっちも勝てるビジョンが浮かばないほど強い化物相手に、ガキのチンケなプライドなど邪魔にしかならないと瞬時に判断したサボの存在も、頑固なエースに彼女へ頭を下げさせる助けとなったであろう。

 

 

 …なったのだが  

 

 

「だからさっきから言ってるじゃない!“キュピーン!サッ!”ってするのが“見聞色の覇気”で、“殴る、殴る。殴る!殴るっ!!ガキーン!”ってなるのが“武装色の覇気”だって!」

 

「いやだからその謎擬音自体が意味不明過ぎんだよ!」

 

 当然、理屈より感覚を優先するルフィにマトモな師匠が務まるわけがない。

 

 幾ら“夢”のルフィ少年の師レイリーを参考にしていようとも、その修行方法の本質を理解していなければ、全て猿真似以下の薄っぺらいものにしかならないのである。

 

「レイリーは“覇気”は自分自身を信じることが大事だって言ってたから、そんなに疑ってばっかりだといつまで経っても発現しないわよ?」

 

「“レイリー”って誰だよ…?大体目隠ししたくらいで敵の気配なんて感じられるようになるワケがねェんだ……やっぱコイツおれたちを嵌めようと  

 

 未だ少女に対する警戒心を解ききれていない頑固なエースに、相棒が小声で忠告する。

 

「…おい、不満漏らしてんじゃねぇよエース。今度こそアレ喰らいてェのか?」

 

 サボが指差したのは先ほど崩壊した崖の一面。

 

 ゾクッと顔を青ざめさせたエースの肩に手を掛け、少年は首を横に振る。

 今彼らの頭にあるのは、いかにこの時間を乗り切ることだけであった。

 

 

 だが、そんな2人が忘れていたことが一つ。自分たちの師匠を自称する幼い化物少女の存在である。

 彼らの未来を案じて稽古をつけてやっているルフィは今、少年たちの不真面目な態度にとても腹を立てていた。

 

 怒りに身を任せ、彼女は黒鉄色に染まった両手の拳床を、自分を無視する2人の間に容赦無く叩き込む。

 子供特有の無慈悲な全力攻撃だ。

 

「ゴムゴムのぉぉ…バズゥゥゥカァァ!!」

 

『ギャアアアッ!?』

 

 ここ数日の練習で武装硬化の発動率を見事上昇させることに成功していたルフィの最大出力の一撃は、地形すら破壊するほどの力を秘めている。

 

 

   直後、轟音と共に巨大な崖崩れが発生した。

 

 

「うわあああ死ぬううう!!」

 

「てめぇどう見てもやりすぎだろうが!!走れ走れはしれえええ!!」

 

 逃げ惑う悪童たちの情けない姿に頬を膨らませたルフィは正面の土石流へ向き直り、真剣な面持ちで両手の握り拳を構えた。

 

 別に意図したわけでは無いが、この状況はある意味絶好の機会。

 ここで一つ師匠らしいところを見せて、バカ弟子共の尊敬を集めてやろうではないか。

 

 ルフィは自分へと迫る自然の猛威を相手に気合を入れた。

 

 

「…“覇気”とは自分を信じる力  

 

 巨石と土砂の津波と対峙しながら悠長に語り始める非常識な少女。

 そんなルフィのありえない態度に、焦ったエースが精一杯の怒声を投げつけた。

 

「バッ、何やってんだお前!さっさと逃げ  

 

 だが少女は動かない。

 

 そして、その夜空の瞳に眩い意思の星を宿し  幼き”王”が決意の咆哮を上げる。

 

 

「私は信じてる!私も、“ルフィ”も、こんな石ころなんかぶっ飛ばせるって!」

 

 

 そう宣言した瞬間、ズンッ…と周りの大気の重さが跳ね上がった。

 

 少女の纏う異様な気配に触れた少年たちは、まるで氷に閉じ込められたかのように固まった。

 二人の少年たちは巨人のような凄まじい存在感を放つ6歳児の小柄な後姿に気圧(けお)される。

 こんな気配を人間が発することが出来るのか、と。

 

 

 そして身動きが取れないまま、地響きと共に巨石の津波が3人の少年少女を飲み込んだ  

 

 

 

 

「終わった…のか…?」

 

 砂埃が視界を遮るコルボ山で、一人の少年の声が木霊する。

 エースたちの耳に聞こえてくるのは小さな小石がカチカチ、ポロポロと転げ落ちる音だけだ。

 

 それはまさしく、先ほどの崖崩れが治まったことを示すものであった。

 

 

 自分は無傷。

 隣のサボを見ても同様。

 

 最後に自分たちを守るように仁王立ちで佇むルフィを見て  少年たちは絶句した。

 

 

「ほらっ!出来るって信じれば、覇気はちゃんと発動してくれるのよ!」

 

 

 その少女の姿はボロボロだった。

 ゴム人間らしい少女のつるつるすべすべした柔肌は無数の擦り傷で覆われ、手足は血と土埃で赤黒く染まっている。

 お気に入りの赤いワンピースは穴だらけ。(つば)が解れてささくれ立っている宝物の麦わら帽子は見るも無惨な有様だ。

 

 ボロボロの彼女の身を案じ慌てて走り寄ろうとしていたサボも、遅れてその傷の意味を理解し、驚愕の表情のまま固まった。

 

 尚も元気そうに、にぱっと笑う彼女の姿を2人は見る。

 そして少年たちは理解した。

 

 目の前の6歳の女の子があの土石流の岩石土砂全てを己の身ひとつで防ぎ、自分たちを守ったのだと。

 

 

 ルフィが行ったのは見聞色の覇気による自身を中心にした半径10mの半球空間内の索敵と照準に、海軍の特殊体術“六式”奥義の一つ“剃”を模倣した高速移動、そして武装色の覇気を纏わせた手足を用いた全包囲迎撃である。

 

 だがその化物じみた偉業を成した少女は、億越え賞金首であっても逃げ惑う自然災害を退けておきながら、内心不満であった。

 

 夢の中でルフィ少年を介して“ギア4・スネイクマン”を使った経験がある少女ルフィにとっては、先ほどの自分の未熟な動きなどカメの鈍足にも劣る。

 おまけに途中から集中力を欠き武装硬化が解除され、迎撃力が激減。終盤になると打撃無効のゴム人間にしか出来ない捨身のカバーで何とか凌いでいる有様だった。

 おかげで鋭利な硬石片に小さい傷を沢山付けられ、摩擦で擦り剥いた手足がじくじくと己の弱さを突きつけて来る。

 

 理想と現実のあまりの差に不満も多いが、それでもルフィは先ほどの巨大な崖崩れの中で子供3人が入れる安全地帯を見事作って見せたのだ。

 

 

 実力にして海軍本部の准将から少将クラス。

 覇気の安定性によっては中将にすら迫る、世界で最も強い6歳児がそこにいた。

 

 

「わかったら2人も自分を信じて毎日真面目に修行しなさいっ!」

 

 

 

 瓦礫の山を背にし、腰に手を当てぷりぷり怒る、幼い麦わら帽子の女の子。

 

 少女のその言葉に首を横に振る者は、誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 エースとサボ。

 運命に呪われた悲劇の少年たちは、一人の少女の見た夢によってその人生を大きく変えることとなる。

 

 

 その変化の先にあるものが最初にその姿を見せたのは、奇遇にも少女自身の人生が大きく変わった日のことであった。

 

 

 



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3話 世界最大の、二つの”悪”

大海賊時代・12年

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国“不確かな物の終着駅”(グレイ・ターミナル)

 

 

 月日は流れ、木枯らしが最後の木の葉を散らす晩秋のある日。

 王国を騒がす悪名高き少年盗賊団のアジトでは、一足早い冬が到来していた。

 

 冷たい沈黙が巨木の洞中を支配し、微かに残る火鉢の種火がパチッ…パチッ…と、沈む少年少女を励まそうと小さな音を立てている。

 

 洞の奥に見える人影は二つ。

 双方共に、自身の小さな体を更に縮こませ、その様がこの場にいるはずの最後の一人の不在を際立たせていた。

 

 

 悪童三人組の一角、サボ少年の壮大な家出物語がこの日  終わりを迎えたのである。

 

 

「…意外だな、あんなに懐いてたお前が大人しく引き下がるなんて」

 

 冷え切った秘密基地の空間に新たな音色を足したのは、残された二人の片割。エース少年だ。

 

 隣で座り込む年下の少女の相方を励ましたい年長の男としての矜持か、はたまたいつもの喧しいその甲高い声で仲間の説得に協力しなかったことを咎めているのか。

 もしかしたら、ただ単純にこの圧し掛かるような沈黙に耐え切れなかっただけなのかもしれない。

 

 何れにせよ、彼の発した声は、やり場の無い様々な思いがこもった重たいものだった。

 

 

「…サボの人生だもの。私が自分の都合で引き止めるのはダメなのよ」

 

 少年の呟きに反応したのは、悪童たちの紅一点である少女ルフィ。

 

 この幼い少女の言葉も、前の兄貴分のものに劣らぬ複雑な感情を孕んでいる。

 特に彼女の場合、“ありえたかもしれない未来”の絵図が脳裏に焼きついている人知を超えた特殊性を持つからこそ、その胸中の轟嵐は偉大なる航路(グランドライン)の超自然現象にも勝るほどに度し難い。

 

 

 少年少女は再び舞い戻った沈黙に飲み込まれながら、項垂れる頭の奥で、ほんの数十分前の出来事を振り返った  

 

 

 

 

 

 あの因縁深きブルージャム海賊団が、一人の男を連れて悪童トリオのダミー拠点に姿を現したのは、日が落ちかける寒々しい黄昏時のことであった。

 

 船長ブルージャムが少年たちに紹介したその男は、いつぞやの食い逃げでばったり遭遇した貴族家当主。

 彼ら少年盗賊団の一角、サボ少年の実の父親であった。

 

 男の目的は一目瞭然。

 仲間思いの少年少女はサボを守るべく、当然のように問答無用で海賊に襲い掛かろうとした。

 

 この日のために“夢”の義兄たちを鍛えてきた、未来の幼き海賊王。

 ルフィはもちろん、彼女の扱きを数ヶ月に渡り耐え抜いてきたエースとサボもこの界隈では既に敵無しの強者へと成長している。

 彼らにとって、この戦いの勝敗は始まる前から決まっているようなものであった。

 

 

 だが意外にも、殺気立つ二人を制止し盤をひっくり返したのは、渦中の少年サボ自身であった。

 

『何で止めるんだ!?コイツらはお前を連れ去ろうと…っ!』

 

『バカ野郎!幹部どころかブルージャム本人が出て来やがったんだ!コイツらの後ろに何が踏ん反り返ってんのか知らねェのか!?』

 

 貴族家次期当主としての教養を持つ彼だからこそわかる、ブルージャムという国家御用達の海賊団の親玉が態々足を運ぶことの意味。

 

 それはつまり、彼の背後にいるゴア王国そのものが此度の一件に注目しているということ。

 

 

『…おれは一度、おれ自身の過去を清算して来る…!このままじゃクソ面倒なことになって海賊資金を貯めることも出来ねェ…っ!』

 

『ッ!だからって  

 

 いつも通り強情な相棒に内心苦笑しながら、少年は最後になるかもしれないエースとのやり取りを名残惜しく思いつつも、厳しい口調で彼の説得を試みる。

 

『敵はゴア王国!確かにルフィの化物じみた力があれば国の一つや二つ、簡単に終らせられるかも知れねェ…』

 

 だが、その先に待っているのは世界政府による指名手配と、隷属する治安維持組織『海軍』の出動だ。

 

『おれたちはまだ何の力も無い、ただの10歳のガキなんだよ…!手ごろな賞金首が現れたって、そこら中からハイエナ賞金稼ぎが集って来るぞ!お前の考え無しの行動で指名手配されるルフィはどうなるんだよ!?コイツ今何歳だと思ってんだ!?』

 

  ッ!!』

 

『その場の激情で大切な妹分を全世界に追い掛け回される犯罪者にするんじゃねェよバカ!』

 

 少年の全身全霊の怒声が相棒の反論を悉く封じ込めた。

 

 無駄に高いプライドが弱者であることを許さず、何かとルフィの前で年上ぶることの多かったソバカスの少年。

 そんなエースの、唖然とした表情で俯く彼の胸の内は察するに余りある。

 

 

『…ルフィ、お前もわかってくれ!お前にとっては弱くて情けない兄貴分かも知れねェけど  こんなときくらい、カッコいい兄ちゃんでありてェんだ…っ!』

 

 サボの説得すべき相手は彼だけではない。

 

 唇をかみ締め耐えるように無言を貫いているのは、少年の恩人である小さな麦わら娘。

 

 その言葉に小さく頷く彼女の姿が可憐らしく、妹思いの悪童は己の男の決意を表明する。

 誰かの男の誇りに懸けた覚悟はいつだって、彼ら少年少女の敬意を無条件に勝ち取ってきたのだから。

 

 

  じゃあな、お前ら!またココに戻るために、ちょっくら“自由”を勝ち取って来るぜっ!!』

 

『ッ、ああ…ああっ!待ってるからなっ!!』

 

 

 

 

 

   ドンドンドン!

 

 

 物思いに耽ていた少年少女を思考の海から引き上げたのは、アジトの扉を叩く不躾な音だった。

 

「…何の用だ」

 

 不機嫌そうな顔のエースが幼い少女を庇うように前に出る。

 サボの残した言葉の効果もあってか、先ほどから少年がルフィへ見せる振る舞いは完全に“頼りがいのある長兄”を意識したものだ。

 

 その姿に守られる少女は、“夢”の中のエースにそっくりだと、ふとあの日の夜に見た彼の姿を思い出し、はにかむような微笑を浮べる。

 再会したときにサボに自慢してやると、大切な兄貴分を称える7歳児であった。

 

 

 そんなエースが開けた扉の外に立っていたのは、一人の粗暴な風貌の男だった。

 

「…ブルージャムんトコの下っ端が何のようだ」

 

「ッ、口の減らねェガキだぜ、ったく……船長がお呼びだ。ついて来い」

 

 それが当たり前のように言い放つ無礼な雑魚に、エースの沸点の低い怒りが瞬時に煮えたぎる。

 

 だが少年が男に食って掛かる直前に、成り行きを見守っていたルフィが、その愛らしい唇で紡がれたとは思えぬほどに冷たい声を発した。

 

  イヤよ」

 

「ッ、ルフィ?」

 

「サボのときは見逃したけど、今度また悪さをしたら次こそ海に消えてもらうから」

 

 

 ぞわっ…と少女の小さな体から得体の知れぬ恐ろしい気配が流れ出る。

 

 初めて体験する下っ端男はもちろん、慣れているはずのエースでさえも寒気が止まらないほどに、目の前の幼い麦わら娘が放つソレは濃く、鋭かった。

 

 腰が抜け、目に涙を浮かべながら情けなく尻餅を突く男の姿を見届けたルフィは兄貴分の隣へ足を運び、話は終わりだと言わんばかりにアジトの扉を叩き閉じる。

 連中の顔など二度と見たくはなかった。

 

 

「…よかったのか?」

 

「…」

 

 下っ端の男らしき足音が遠ざかっていくのを聞き取ったエースが不機嫌な妹分の顔を覗きこむ。

 

 その視線から逃げるように立ち上がり、ルフィは再度アジトの出口へと向かう。

 少女は今、一人になれる場所と時間を欲していた。

 

「お、おいルフィ…」

 

「…ちょっと暴れてくる」

 

「そ、そうか……ダダンに飯頼んどっから、おれが呼びに行くまで万が一のために見聞色の覇気は切るなよ?」

 

 心配そうに見送ってくれるエースに小さく礼を返し、“ありえたかもしれない未来”の記憶を持つ小さな麦わら娘はコルボ山の奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・12年

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国コルボ山

 

 

 

 ゴア王国の東方には小さな山脈が広がっている。

 不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)と英雄の故郷フーシャ村を分かつ自然豊かなその山地の頂上はコルボ山と呼ばれ、女山賊『ダダン一家』が根城にしている悪名高い魔峰だ。

 

 この山脈では近頃、断続的に大きな地揺れや地響きが発生していた。

 そのためか猛獣たちの活動が活発化し、一部が麓の不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)まで追い出される姿が頻繁に目撃されている。

 

 情報通の王国衛視たちは山の主の代変わり説や、人知れず眠りについていた化物が目覚めた説などを暇に飽かして語り合う。

 だが結局、その真実を確認しようとする猛者は誰一人として現れなかった。

 

 

 

「ハァ…ハァ…ッもうっ!」

 

 そんな魔境の深遠で、小さな女の子が息も絶え絶えにしゃがみ込んでいる姿が一つ。

 

 真新しい石灰質の岩盤がむき出しになっているその開けた地は、今まさに崖崩れで生まれたばかり。

 一部、まるで小規模な流星群でも落下したのかと調査したくなるほどに焼け焦げた地形もあり、それらの光景がこの山で人の想像を超えた超常現象が多発していることを無言で訴えてくる。

 

 あまりに危険な環境で一人取り残されているその少女の置かれた状況を、麓の村の保護者の女性が知れば、顔面蒼白で彼女を救出すべく爆走してくるであろう。

 

 だがここは猛獣たちが牙を研ぐ弱肉強食の楽園、コルボ山。

 弱者に待ち受けるのは無慈悲な死。

 

 哀れな童女は直にその掟に沿い、誰にも供養されることなく、この大自然の一部としてその屍を晒し続けることになるのだろう。

 

 

 

 …もっとも、それは彼の少女が普通の人間であった場合の話。

 

 

「あぁぁぁもうっ!どうすればいいのよおおおっ!」

 

 突然少女の口から凶声が上がり、どす黒い鋼色に染まった華奢な右腕が山の斜面に向けて放たれる。

 

 ゴムのように伸びるその腕は目にも留まらぬ速さで稲妻のようにジグザグの軌跡を描き、聳え立つ山の岩肌を粉砕した。

 王国が名義上“東方山脈測量番号3号”と呼んでいる峰の山頂が巨大な地鳴りを起こしながら崩落する。

 

 宮殿の国王執務室からも確認出来たその信じられない光景は、仕事を終え帰路に就きつつあった王立地理院の歴々をさぞかし大きな混乱に陥れたことだろう。

 

 

 これほどの大事件をただの地団駄で巻き起こしたこの童女型のモンスターこそ、王国衛士たちが新たな山の主や目覚めた化物と呼ぶ存在の正体である。

 

 

 

「サボのバカぁっ!!」

 

 そんなルフィと呼ばれる化物の心中は見ての通り、乱れに乱れていた。

 

 

 未だに誰にも話していない“夢”の存在。

 それは幼い少女が抱える最大の秘密。

 

 自分が男に生まれた場合に送ったであろう人生を、そっくりそのまま夢の中で体験したことである。

 

 

 そんな“ありえたかもしれない未来”を知る彼女は現在、自身の持つ超自然的体験の知識のせいで、あるジレンマに苛まれていた。

 

「いくら“夢”で先のことがわかってても、本人にあんなこと言われたら諦めるしかないじゃない…っ!」

 

 

 それは未来を知る者と、現実に生きる者の価値観の違い。

 

 人は皆、人生という先の見えない暗闇を歩いている。

 故に最良の道への分岐点を見逃し、ときに己の美学のためにあえて困難な道を選ぶ。

 

 そこには未来を知らぬからこそ持てる迷い人の勇気と、己の手で道を切り拓く強い意思、そして、最も大切なもののために自分を犠牲にする、守る者の誇りがある。

 

 

 今回ばかりは不運というべきか  幼き少女モンキー・D・ルフィは、自分とは異なる価値観を持つ者であっても、そこに当人の強い意思があれば問答無用でそれを尊重したくなる、称賛に値する素晴らしい個性を持っていた。

 

 

「私はこの“夢”のおかげで海賊王って人生の目標が出来たけど……もしサボが別のサボの“夢”を見たときに、その記憶を使って人生を変えようと思うかはサボ自身にしかわからないもの……」

 

 ルフィは大して悩むことなく“夢”の男の自分の野望を、彼と同じように抱くことが出来た。

 だが、その選択は必ずしも万人に共通するものではないと、幼い麦わら娘は考えていた。

 

 ある程度先の見えた世界に失望せず、未だに大きな魅力を感じている少女は、今回サボが魅せた“未来を知らぬ者”の勇姿に少なくない衝撃を受けていた。

 

 

 確かに“未来を知る”と一言で言えば、まるで全てが意のままになる理想的な  ともすれば退屈な人生だと思えることだろう。

 

 だが、そもそも少女の見た“夢”の冒険譚は決して全てが完結した完璧な物語ではなかった。

 

 『ひとつなぎの大秘宝』(ワンピース)はもちろん、偉大なる航路(グランドライン)最後の海『新世界』を支配する四人の海の皇帝たちとの決着もついていない。

 エースを殺した海軍や『黒ひげ海賊団』も、動物的特徴を持つミンク族の友人ペドロの仇である四皇『“ビッグ・マム”シャーロット・リンリン』も、結局はこちらが命辛々逃げ出しただけ。

 宝物の麦わら帽子を返す約束をしたシャンクスさえも出会えず仕舞いであった。

 

 ルフィ少年の夢も、仲間たちの夢も、何一つとして叶っていない。

 

 

 幼い少女の未来には、ルフィ少年の軌跡を辿るだけではない、自分自身が紡げる誰も知らない冒険物語がまだまだ残されているのだ。

 

 

 能天気にも“夢”と現実の違いを大きな問題として捉えていない少女は、“夢”の中で既にルフィ少年と共に海賊人生を楽しんだ経験があるため、現実世界で自分だけの未知を楽しむ冒険は食後のフルーツサラダのようにいつまでも待ち続けることが出来る。

 

 自分だけの冒険は、海賊という夢を見せてくれた憧れの少年を追い越してから楽しめばいい。

 何なら途中で飽きたときに、あえて“夢”とは違う道に進むことだって出来る。

 

 “夢”とは異なり更に先へ進むことも、別の道を選択することも出来る少女ルフィは、未来の選択肢を広げてくれた己だけの特殊性を最大限堪能していた。

 

 

「でもサボがイヤだと言ったことを私の“夢”の知識で捻じ曲げるのはダメなの……」

 

 だがルフィは、他人が覚悟を持って自分で決めた道を自分が横から正すことはしたくは無かった。

 

 “覇気”の存在を知った今ならよくわかる。

 人の意思とは、“未来を知る”などというちっぽけな理由で、他者が簡単に捻じ曲げてよいものでは無いのだ。

 

 

 しかし、それでもそう容易く割り切れないのが幼い少女の未熟な精神性。

 

「ダメなのに…っ!このままじゃスラムがブルージャムに焼かれて、サボが海軍の船に攻撃されて行方不明に……って、あれ?何でスラムが焼かれたらサボが海軍に砲撃されるの…?どういうことなの、“ルフィ”…?」

 

 “夢”でルフィ少年の心身魂魄と完全に同調していたため客観的な情報が不足している少女は、返ってくるはずのない憧れの彼の返事をつい求めてしまう。

 

「いいえ、そんなことはどうでもいいわ!それよりサボよサボ!こういうときどうすればいいの!?“カッコいい兄ちゃんでありたい”って、サボもエースも十分カッコいいじゃない!“ルフィ”もそうだったけど、何で男の子ってこんなに見栄っ張りなのよっ!これじゃ何のために二人を鍛えたのかわからないじゃないっ!!」

 

 

 やり場の無い怒りと葛藤を半壊した山にぶつける世界最強の6歳児。

 

 “夢”を見、覇気に目覚めて早三月。

 幼い少女は現在、ルフィ少年の力の大部分を引き出し終わり、威力や持続時間の強化、反動の軽減などを目指して更なる研鑽を続けていた。

 ゴムゴムの実の能力と武装色の覇気を融合した彼の全力状態“ギア4”の熟練を最近の日課にしている彼女は、こうして山脈の地形を相手に連日“猿王”(コング)シリーズや、先ほど放った“大蛇”(バイソン)シリーズなどを特訓している。

 

 日常的にルフィの暴力に晒され続けてきた哀れな山“東方山脈測量番号3号”はこの日、地図上から消滅した。

 

 

「ふぅ……って、あら?」

 

 日も沈み、星が瞬き始める夜。

 

 ストレスを発散し尽くし、ようやく気持ちの整理を終えた少女は、西方の空がゆらゆらと燃えるように赤く照らされている光景を目にする。

 

 

 沈んだはずの夕日にあのような現象を起こす力などない。

 

「一体何が……ん?この気配は、エース?」

 

 訝しむルフィの見聞色の覇気がこちらに向かってくる兄貴分の気配を捉えた。

 姿も見えぬこの距離でも感じるほどに、彼の内心は大きな焦燥感に支配されている。

 

 

 何やら嫌な予感を覚えた彼女は急いで少年の下へと急行した。

 

 

「エースっ!」

 

「ッ、ルフィ!?お前ちょっとは自重しろよ!とんでもねェ地震で外見たら隣の山が完全に崩れ落ちちまってんじゃねェか!!ダダンのヤツが“次はこのコルボ山が沈む”ってビビって移住まで計画し始めたぞ!?」

 

 出会いがしらに怒声を浴びせられ目を白黒させる童女型モンスター。

 

 困惑しながら後ろを振り向けば、なるほど確かにそこにあったはずの山が消えている。

 感情に身を任せただ好き勝手暴力を振るっていただけだったのだが、いつの間に崩れ落ちていたのだろうか。

 

 一瞬フーシャ村の安全が気になったが、あの距離ならそもそもこの一帯を視認することすら難しかったと思い出し、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 今度は気を付けようと、自身が起こした大規模な自然破壊を軽く流す未だ幼い少女は、文字通り“過ぎた力”を持つ無邪気で残酷な子供であった。

 

 

 そしてそんな彼女の非常識に日常的に晒され続けた哀れな悪童エースも、“慣れ”故に、ルフィのその異常な力の危険性を特に意識せず、平然と話を続けた。

 

 

 もっとも、今回ばかりはエースの  不本意ながら身についてしまった  非常識に感謝するべきだろう。

 

 彼の持ち寄った情報は、現在この島にいる双璧の強者の片割たる少女モンキー・D・ルフィを動かし、万人の罪無き命を救ったのだから。

 

 

「ったく、マジで今日はどうなってんだよ一体!サボは高町に帰るし、お前はキレて山を崩すし、不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)は突然燃え始めるし  って、ルフィ!?おい、どこ行くんだ!そっちは  

 

 

 

 

 

大海賊時代・12年

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国“不確かな物の終着駅”(グレイ・ターミナル)

 

 

 

『おれは…貴族に生まれて恥ずかしい…っ!!』

 

 熱風吹き荒れる不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)に停泊された一隻の船の上で、一人の男が物思いに耽っていた。

 

 その脳裏にこびり付いたように離れない、先ほど出会った幼い少年の言葉が男の決意を確固たるものにする。

 

 

 男  モンキー・D・ドラゴンの、世界に叛旗を翻す決意を。

 

 

「全く、ヴァターシや“くま”があれほど言っても首を縦に振らなかっチャブル冷血なヴァナタが、まさか一人の純情ボーイに心動かされるとはねェ……」

 

 燃え盛るスラムを見つめ、じっと機会を待つドラゴンにそう嫌味を投げかけるのは、一人の珍獣。

 

 球状の頭部に平面的な顔面、五指の手、二本の手足、二足歩行…

 全てが人間の肉体的特徴で構成されている身体を持ちながら、その姿はとても“人間”とは言い難い。

 

 扇情的な化粧やボンテージ装束を身に纏う、二頭身のオカマの巨人に相応しい種族名は他にあるのだから。

 

「…社会の表裏は子供の言葉に表れる。周囲の大人の会話、仕草、嗜好。無知で純粋な彼らの目に映るものこそ、我々が目を凝らしても見逃してしまうこの世の真実なのやも知れんな…」

 

「ンーフフフ…“子”を持つ親ならではってトコっチャブルね」

 

 揶揄うような声色で男の心配事を不躾に突きつけてくる珍獣の名はエンポリオ・イワンコフ。

 

 偉大なる航路(グランドライン)の『カマバッカ王国』で永久欠番の女王の位に就く()で、長年の友人と共にとある野望を抱くドラゴンの協力者である。

 

 

 彼らは組織に在らず。故に未だ名も無き烏合の衆。

 

 だが、彼らは皆、共に一つの疑念を持つ同志であった。

 

 

 世界政府という理そのものに対する疑念を持つ、“革命家”として。

 

 

「祖父は海軍の英雄、父は世紀の大罪人……ヴァナタの幼きプリンセスはどのような意志を持って海に出るのかしらねェ」

 

 イワンコフの言葉に、男は眼前の山脈の向こうで伸び伸びと暮らしているであろう小さな女の子の姿を幻視する。

 

「…あれは時代の申し子だ。親の教えは害にしかならん」

 

 英雄と称えられる父は愛して止まない孫娘のために海兵の道を切り拓こうとしているようだが、いずれは徒労であることに気が付くはずだ。

 ドラゴンは頭を抱える実父の姿を思い描き、口角を小さく持ち上げる。

 

「世界は必ずあれに大いなる導きを与えるだろう。風雲児の生を無名の村娘で終わらせるほど、時代の意思は軽くはない」

 

「ンフフ、今夜のヴァナタの決断もその時代の意思とやら?」

 

 男の顔に灼熱の風が吹き付ける。

 

 闇色の瞳に映るのは、彼が変えたいと願う人の世に“廃棄”され、全てに見放された哀れな敗北者たちの逃げ惑う姿。

 

 ここは不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)

 人間社会に捨てられた者たちに残された、彼らの最後の居場所である。

 

 男は火の手に囲まれる、無価値とされる哀れな者たちに向かい、その手を差し伸べる。

 

 すると突風と共に、その名を冠する空想上の幻獣を象った帆船へ向かい開ける、一筋の道が現れた。

 

 

「決断とは人の意思が下すもの。時代はただ、その決断の成否を世界に問うだけだ」

 

 

 “革命家”ドラゴンは揺ぎ無い意思で、隣の同志の疑問に答えて見せた。

 

 

 イワンコフは込み上げる興奮に己の奇体を震わせる。

 

 世界を敵に回す覚悟を決めた友人の力強い決意。

 その恐ろしいほどに強大な覇気。

 

 彼の姿を見れば、時代に選ばれるという男の持論が確たる説得力を持って語られているのだと頷く他ない。

 

「…だったらその決断の成否、このヴァターシが責任を持って見届けてあげッキャブル!行くわよ!自由を求めるボーイたち!無辜の敗北者たちに救いの手を!ヒーハー!!」

 

『応!』

 

 

 部下を引き連れ、船を目指すスラムの住人たちを迎えるイワンコフの後姿が煙の奥へと消えていく。

 その光景を見つめる男の口元には微かな笑みが浮かんでいた。

 

 理解出来ないその特殊な性癖を除けば、()は実に頼りになる素晴らしい仲間である。

 

 燃え盛る不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)で住民たちから奇異なものを見る目で怯えられているであろう珍獣にこの場の指揮を任せ、ドラゴンはその身に風を纏いふわりと陸地に降り立った。

 

 

「…ボスが単独で船を離れるとは感心出来ないな」

 

「…“くま”か」

 

 他の残された浮浪者たちの救出に向かおうと船を離れる彼に声をかけたのは、一人の巨漢。

 

 聖職者でもないのにどこぞの宗教の聖典を肌身離さず持ち歩くこの男も、ドラゴンを慕って同乗した無二の同志。

 名をバーソロミュー・くまという。

 

 南の海(サウスブルー)のとある国の王子としてその生を受けた身でありながら、革命家である彼らと行動を共にする男の胸中を知る者は少ない。

 だが、その実力はもちろん、無口な性格の裏に隠された彼の優しさに多くの仲間たちが幾度も救われたのは紛れも無い事実だ。

 

 

 もっとも、この人物の奇妙な経歴はそれだけに留まらない。

 

「お前に出歩かれては互いに色々と不都合が多い。船で待っていろと言ったはずだ」

 

「…東の海(イーストブルー)で『七武海』の姿を知る者など居まい。俺も同行する」

 

 

 『王下七武海』。

 

 世界政府に海賊行為を容認された、絶大な影響力を誇る世界屈指の海賊たち。

 その知名度と実力から大海賊時代における絶対正義の必要悪として、『海軍』とは異なる扱いを受ける政府直属の武力集団である。

 

 男、バーソロミュー・くまもその七人の大海賊の一角として己の名を天下に知らしめている圧倒的強者だ。

 

 故にドラゴンの懸念は当然のもの。

 『王下七武海』としての地位を持つこの男が自分たち革命家と行動を共にしていることが政府の耳に入れば、彼らの計画に修正不可能な混乱を起こしかねないのだ。

 

 くま自身も当然、ボスの懸念を理解している。

 

 だが慎重な彼には引き下がれない、ある理由があった。

 

 

「…安全確認に上陸させた部下の一人が気になる情報を持ち帰って来た」

 

「…例の原因不明の地震か?」

 

 ドラゴンは見納めに先ほど歩いた故郷たるゴア王国の井戸端で耳にした話を思い出す。

 

 東方山脈のコルボ山付近で最近立て続けに観測されている不自然な自然災害の原因を想像する国民たちの、他愛も無い日常会話だ。

 

「…ここは偉大なる航路(グランドライン)ではない。全ての自然現象は適当な学術で解明出来る。出来ぬのであれば、それは怪物か  怪物以上の力を持つ人間の仕業だ」

 

 発動に幾つか制限がある彼の悪魔の実の能力を使いこなすために、くまは見聞色の覇気の研鑽に長い年月を費やしている。

 

 その卓越した力が、先ほどからこの不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)で活発に動き回る、途轍もない覇気の持ち主の存在を感じ取っていた。

 

「…ほう、これは」

 

「……何だ、これは…?何故これほど練達した強者がこの東の海(イーストブルー)にいる…?」

 

 彼らしくない微かな動揺を見抜いたドラゴンが自身の見聞色の覇気を解き放つ。

 そしてこちらに一直線に凄まじい速さで接近してくる化物の気配を感じ取った。

 

「…緊急事態だ。海軍本部大将級の覇気の持ち主が近くにいる。至急イワンコフに船を出航させろ」

 

「ッ、はっ、はい!」

 

 かつて無い緊迫した空気から逃げるように仲間の珍獣の下へと走る部下を尻目に、くまが己の能力を封じている皮の手袋を捨て去った。

 隣にはこの場の最強戦力たるボス、“革命家”ドラゴンが頼もしい追い風を操っている。

 これほどの強者たちが一度に集えば、たとえ彼の4人の海の皇帝たちが相手でも勝利を得ることが出来るだろう。

 

 

 七武海“暴君”バーソロミュー・くまが口にした悪魔の実の名は『ニキュニキュの実』。

 

 触れたものを有機無機物問わずこの世の特定の地点まで水平線さえ越えて弾き飛ばす、恐るべき能力を齎す果実である。

 相性という概念がほとんど存在しないこの力に対抗する手段は無いに等しい。

 磨き上げた見聞色の覇気で敵の隙を見つけ、その体に触れさえすればこちらの勝利なのだから。

 

 

「…来るぞ!」

 

 珍しく声を張り上げたドラゴンの警鐘を合図に、くまが能力で周囲の瓦礫を気配の方角目掛けて弾き飛ばした。

 常套の牽制攻撃である。

 

 煙の奥に吸い込まれるように消えていった無数の鉄骨が轟音を上げながら、無人のスラム街を粉砕する。

 

 だが二人は既に気がついていた。

 接近する化物が凄まじい速さでその攻撃を掻い潜り、彼らの頭上へと飛び上がっていることに。

 

 しまった、と咄嗟に宙を見るドラゴンとくまの目に、炎に照らされた夜空に浮かぶ小さな人影が映った。

 

 

 そして  

 

 

 

 

 

 

 

  あーっ!!あなた“くま”ねっ!あのときはよくもやってくれたわね!サボもスラムのみんなも私が守るんだからっ!!」

 

 

 

 

 頭上から降ってきたその規格外の覇気の持ち主は、年端も行かぬ小さな小さな女の子であった。

 

 

 

 

 

 



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4話 ”英雄”ガープ (挿絵注意)

『走り書きのほど、お許しください

 このたびは大切なご令孫をお預かりさせていただく格別な名誉を賜り、誠にありがたく存じます。大至急、たいへん厚かましくもお願い申し上げたいことがございまして、筆を取りました。

 先日11月17日にお友達のエースくんと裏山に遊びに出かけたきり、ルフィちゃんが翌朝になっても村に戻っておりません。村の皆さんやコルボ山のダダンさんにもご助力いただき必死に捜しておりますが、未だ見つからず、胸が張り裂ける思いにございます。こちらの監督不行き届きでこのような事態を招いてしまいまして、誠に面目次第もございません。

 エースくんのお話によると、村の北方のスラム街で大きな火災があり、ルフィちゃんは巻き込まれた人々を助けに向かわれたそうなのですが、その後行方知らずとなってしまったそうです。幼い子供を二人だけで危険な場所に行かせてしまった上、このようなことになってしまい、何から何まで言葉も無いほど申し訳ない気持ちでいっぱいにございます。本当に申し訳ございません。

 今後はスラム街の炎が激しい一角へ、誠に恐縮ながらも頼もしいダダンさんとお仲間の皆さんが共に向かってくださることになり、捜しの手をさらに広げることが叶いましたが、たいへん無念ながら未だ広い範囲が手付かずで人手が足りない次第にございます。

 つきましては、お忙しいなか誠に厚顔無恥で不躾ながら、どうかガープさんのお力添えをいただけないでしょうか。

 こちらの申し開きのしようもない緩怠が招いた凶事にございますが、恥を承知で伏して伏して切にお願い申し上げます。

 

かしこ 』

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・12年

凪の帯(カームベルト) 一等砲塔装甲艦『ブル・ハウンド号』船内

 

 

 

 世界のありとあらゆる秩序を司る『世界政府』。

 

 その権力を裏付ける幾つもの“力”の一つが、偉大なる航路(グランドライン)の『楽園』と『新世界』の境目に位置する三日月形の島『マリンフォード』を拠点とする、政府直属の治安維持組織  『海軍』である。

 

 世に冠する五つの海全てで強大な勢力を誇るこの組織は、軍を名乗るだけのことはあり、所属海兵全員に階級制度という明確な上下関係が存在する。

 下は雑用から頂点の海軍元帥まで実に19の階級に序列が明記されている彼ら海兵は、ある単純な秩序で以ってそれらの階級に振り分けられる。

 

 “腕っ節の強さ”という、この世で最も単純な上下関係で以って。

 

 

   カサリ。

 

 そんな大海賊時代を象徴する脳筋集団の中でも序列第3位に位置する脳筋中の脳筋、中将位を背負う一人の屈強な老将が、その風貌に似ても似つかない可愛らしい便箋に包まれた一枚の手紙に目を通していた。

 

 和室に改装された老人の執務室には冷え切った緑茶がお茶請けの醤油煎餅の隣でなみなみと残っている。

 微かに揺れるその水面に映る男の白い髭はヒクヒクと小刻みに震えていた。

 

 

「うおおおん!わしの可愛い可愛いルフィちゃああん!!じいちゃんがすぐ飛んでいくから無事で待っとれよおおおっ!!」

 

「…お気持ちはお察しいたしますが、流石に出航してから何度も同じことを聞かされている我が身としては、些か声量を下げていただきたく」

 

「なんじゃボガード!お前には孫がおらんから、わしの気持ちが理解出来んのよ!うおおおルフィちゃあああん!!」

 

 顔の穴という穴から汚い体液を放出する老将の情けない姿に苦言を呈したのは副官のボガード。

 

 海軍一の名声を誇るこの偉大な上司であるが、日常時における彼の振る舞いはその辺の子供と遜色ない、非常に幼稚で手のかかるものである。

 当然そのような男の副官ともなれば、並大抵の精神力と事務能力を持つ者ではない。

 

 飛び散る粘液から炬燵の上の書類を避難させ、副官の男はすました顔で冷めた湯飲みを淹れ替える。

 

「そうはおっしゃいますけどね、中将。ルフィちゃんは御年6歳で覇気に目覚めた神童だと、前のお手紙をお読みになられた後にご自分でそう自慢しておられたではないですか」

 

「マキノの文にそう書いてあっただけじゃ!“覇気”なぞという言葉をあの娘が知るはずもなかろう!あの忌々しい赤髪が悪戯に適当なこと言いおって二人を騙しとることも十分ありうるわい!!」

 

 ボガードは数ヶ月ほど前にこの上司が満面の笑顔で孫娘の天武の才について語ってきたときのことを思い出す。

 

 彼ら『ブル・ハウンド号』の船員たちが毎度世話になっているフーシャ村の酒屋の若き女店主から度々送られてくる老将の孫娘の近況報告。

 それらの中の一つに、ただの女の子だったはずの童女が突然村の湾の海食岸を殴って崩しただの、心を読まれているような錯覚に陥るだの、海軍将校なら何かと心当たりのある現象が彼女の周囲で多発していることを伝える手紙があったらしい。

 

 その日からの上司の狂喜乱舞っぷりは凄まじく、“ジジイ”と呼ぶ間柄である組織の最高位、元帥閣下と殴り合いになってでも職務を放棄し故郷の孫娘の下へと帰りたがる…などといったくだらない事件が海軍本部マリンフォードを連日連夜騒がせた。

 

 度々謹慎という名の幽閉や、偉大なる航路(グランドライン)前半の海賊退治という名の遠征で仕事に忙殺されていた老将だったが、此度の孫娘の危機に遂に怒りが爆発し、こうして帆船殺しの凪の帯(カームベルト)を海軍の最新技術が詰まった主力艦で爆走する許可をようやく勝ち取ったのであった。

 

 

「…昨日まであれほど自信満々に大将のお三方の前でお孫さんの武勇伝を語っておられたのに、こういうときだけ心配になるのはやはり祖父というものですか」

 

「当然じゃ!!じいちゃんが可愛い可愛い孫娘の心配をせずにどうする!?」

 

「いえ、見聞武装双色の覇気を使いこなす才女が東の海(イーストブルー)のただの火の海に飛び込んだ程度で危機的な状態になるとはとても…」

 

「ルフィちゃんはまだ7歳なんじゃぞ!?半年前のお誕生日のときも会いに行こうとしたらセンゴクのクソジジイに捕まって、泣く泣くプレゼントを郵便で送ったんじゃぞ!!?」

 

 プレゼント云々が今の話題と一体何の関係があるのかはボガードにはわからなかったが、確かに上司の言うとおり普通は7歳児の女の子が危険な地で行方不明になったことを不安に思うのは当然である。

 

 だがああも四六時中彼の孫娘の才能について聞かされていれば、手紙に書かれていた程度の事件で狼狽えるほうがおかしく思えてしまうのもまた事実。

 

 ボガードは騒々しい上司が最先端の無風航行技術に四苦八苦する部下の集中力を奪わぬように、さっさと落ち着かせることにした。

 

「ルフィちゃんは海軍中将の孫娘なのです。おまけに『ゴムゴムの実』の能力者。無事に決まってますよ。…それより艦のトップの慌てる姿が配下に伝わりますと動揺が広がります。最悪船足が落ちる可能性も  

 

「よしわかった!わし、黙るっ!!」

 

「…ご協力感謝いたします」

 

 いつも通りの話術で上司を誘導したボガードは粘液で汚れた炬燵を素早く拭き、書類を広げて執務を再開した。

 

 

 

 現在、彼ら海軍本部所属一等砲塔装甲艦『ブル・ハウンド号』が進んでいる海は『凪の帯』(カームベルト)と呼ばれている。

 

 その名の通り一切の風が吹かないこの異常な海域は偉大なる航路(グランドライン)を挟むように広がっており、海域を他の四海(ブルー)から縁の如く区切っている。

 また、この海には“海王類”と呼ばれる50メートル以上の巨体を誇る海獣たちが潜んでおり、縄張りに近付く船を決して生かして返さない。

 

 これらの超自然的要素は四海(ブルー)から偉大なる航路(グランドライン)へ直接航行することをほぼ不可能にしている。

 残る手段は凪の帯(カームベルト)と垂直に交わる陸の帯『赤い土の大陸』(レッドライン)のリヴァース・マウンテンを通過する、世にも不思議な登る運河を経由することのみ。

 

 故に偉大なる航路(グランドライン)と他の四海(ブルー)における交流は非常に少なく、世の様々な勢力はこの問題に常に頭を悩ませていた。

 

 

 その常識を一変させたのが、海の結晶と謳われる鉱物“海楼石”の応用技術の発展である。

 

 この鉱物は海と同じエネルギーを発することから、予ねてより悪魔の実の能力者を封じる数少ない手段の一つとして活用されてきた。

 だが近年新たに“海楼石”を艦底に接着することで水面と同化し、海の化物“海王類”の感知を逃れられる事実が確認された。

 

 これにより海軍ならびに世界政府は凪の帯(カームベルト)を安全に航行することが可能となり、他勢力との優位性を確固たるものにしている。

 

 

 目に入れても痛くないほどに可愛い孫娘に会いに、こうして老将が勤務する偉大なる航路(グランドライン)から故郷の東の海(イーストブルー)まで気軽に航行出来るのも、ひとえに彼が高度な技術を数多く持つ世界最強の勢力『海軍本部』に所属しているからである。

 

 是が非でも燃える不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)で怖い思いをしているであろう孫娘を誰よりも早く救出し、海軍に興味を持ってもらわねばならない。

 

 「おじいちゃんカッコいいっ!」と自分に抱きついてくる幼い少女の姿を幻視し、目尻の垂れ下がりきった気持ち悪い笑みを浮かべる孫バカジジイであった。

 

 

 

「……ん?何じゃ?」

 

 しばらくデレデレしていた孫バカジジイだったが、何かに気がついたのか突然浮ついた空気を掃い、窓の外へと目を向けた。

 

 上司の優れた動物的本能を誰よりもよく知る副官ボガードは、彼の反応に即座に立ち上がり、部下に戦闘配置につくよう指示を出す。

 

「中将、何事ですか?」

 

「いや…何かが空を飛んでこちらに向かって来ておるような……」

 

「空…?」

 

 副官が懐に常備していた望遠鏡を窓の外へ向け覗き込む。

 

「…本官には視認出来ません。中将はいかがですか?」

 

「う~む……黒…いや、赤…か?」

 

「赤…ですか?」

 

「赤い何かが……む、あれは人……いや、こど  

 

「人…?」

 

 何やらオウムのように返すだけのボガードであったが、直後彼が展開していた見聞色の覇気が途轍もない力を上司の視線の先の空の方角から感じ取った。

 

  なっ!?この巨大な覇気は…っ!!」

 

「ッ、いかん!甲板に衝突する!!」

 

 長年の海戦経験でモノの放物軌道を熟知している老将が真っ先に炬燵から這い出し、接近する物体が放つ覇気に気圧されていた副官を放置し執務室の扉へ走り出す。

 

 だが男が部屋から転がり出た瞬間、艦に大きな衝撃が走り緊急サイレンが鳴り響いた。

 

 

『敵襲~!敵襲~!』

 

「中将!直ちに総員起しおよび戦闘配置の指示を!」

 

「ぐおらあああ若造共おおおっ!!さっさと起きんかい、敵襲じゃあああっ!!」

 

 海の彼方まで届くと揶揄される老将の怒張声がサイレン以上の轟音で乗員に就寝中の班員共々、気合を叩き込む。

 凪の帯(カームベルト)における海戦は過去にほとんど例が無いが、それでも長年偉大なる航路(グランドライン)の異常気象や大海賊たちを相手取ってきた海軍屈指の猛者たち。

 不安を微塵も見せぬふてぶてしい顔で即座に戦闘準備を整えていく。

 

 

 何故なら彼らのトップこそ、あの高名なる“海軍の英雄”なのだから。

 

 

「ガープ中将!謎の飛行物体は前方甲板に衝突しました!」

 

「安心せい、わしが出る!凪の帯(カームベルト)で戦闘なんぞ始めとったらあっという間に海王類に群がられて一緒に海の餌じゃ!」

 

 見張り番の指揮を任せていた軍曹から報告を受けた老将はドスドスと足音を立てながら甲板へと続く鋼鉄の扉を弾くように開け放った。

 

 

 彼ら”ガープ部隊”が誇る主力艦『ブル・ハウンド号』。

 

 主に海兵たちの早朝の鍛錬に使用される一際頑丈な前方甲板が無残にも凹んでいる光景の中に、海軍本部中将モンキー・D・ガープは、信じられないものを目にした  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・12年

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国“不確かな物の終着駅”(グレイ・ターミナル)

 

 

 

 この世には人の理解を超えた存在や現象が無数にある。

 

 己の覇を成そうと海へ繰り出す者は、誰もがその揺ぎ無い事実と一度は対面する。

 そしてその“一度”が彼らにとっての“最後”となるのだ。

 

 故に、この世で大を成す強者は皆、数多の未知と出会い生き延びて来た選りすぐりの勇者たち。

 

 己の無知との付き合い方に長けている、生粋の冒険者なのだ。

 

 

 噴煙を上げる不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)にて油断無き眼で相対する小さな強敵を見つめる男、モンキー・D・ドラゴンもその一人である。

 

 

「知人のようだが…?」

 

 男は隣で眉を顰めながら眼前の童女を観察している巨漢の部下に問いかける。

 

 彼が出会った強者たちの中でも十指には入る、圧倒的な覇気。

 その風貌に似合わぬ高い戦術頭脳と、奇妙なまでにちぐはぐな強者らしからぬ隙の多い佇まい。

 

 そして何より、隣の友人の両手をしきりに警戒している愚直さ。

 

 間違いない。

 この正直な童女は、王下七武海バーソロミュー・くまと戦闘経験がある。

 

 

「…職業上恨みは数多く買っているが、流石にこれほどの覇気の持ち主と安易に敵対するほど自惚れてはいない」

 

 対する巨漢くまもドラゴンと同じく、この海で長年覇を成してきた強者の一角。

 

 たとえ腕の一振りで殺めてしまいそうなほどに脆弱な幼い少女の姿をした相手であっても、その心に油断は微塵も無い。

 

「…この島で出会う強者とすれば、孫娘に会いに立ち寄る英雄ガープか……後日に控えた天竜人行幸の予備視察に来る中将以下の海軍将校だと想定していたのだがな…」

 

「親父は老いた。油断さえしなければおれ一人でも十分勝機はあったはずだ……だがまさかこれほどの化物が天から降ってくるとは、世もわからんものだ」

 

 

 強者とは得てして、戦闘時の長話を好む連中である。

 

 自身の力をあえてひけらかし、相手の戦術を限定させる聡明な戦術知能を持つ者。

 同じ強者への礼儀として相手の実力を称賛する粋な者。

 はたまた単純に己に畏怖する敵の姿に快感を覚える嗜虐趣味的な者、など…

 

 ドラゴンもくまも口数の少ない人間だ。

 だが彼らには無駄話を用いてでも稼がねばならない時間があった。

 

 

「うぅ……どうしよう、勝てるかしら…?ビッグ・マムとかカタクリみたいな凄い覇気を幾つも感じたから飛んで来たけど、まさかあの“くま”がいたなんて  って、ちょっと!スラムのみんなが乗せられてる船が出港してるじゃないの!待ちなさいよ、あなたたちっ!!」

 

 何やらぶつぶつと一人呟いていた小さな化物がイワンコフが出航させた帆船に気付き、未熟な“六式”で二人の男を飛び越えようとする。

 

「あれはこのレベルの戦場では戦えぬ者たちだ、見逃してもらえると助かるな…っ!」

 

「っきゃあっ!?た、竜巻!?」

 

 “剃”紛いの高速移動術で空中から船へと向かおうとする化物少女。

 その脅威から仲間を逃がすため、ドラゴンは轟風を操り敵の動きを牽制する。

 

 小柄な体故か、未完成な“六式”故か。

 男の生んだ強烈な旋風に煽られた彼女は、スラムのゴミ山と一緒に一直線に山脈方面へと吹き飛んでいった。

 

 

「くぅ…っ!ま、負けないもんっ!!」

 

 空中で気合を入れ直した小さな化物が指に噛み付く奇妙な姿勢を取る。

 

 そして直後、その覇気が爆発的に高まった。

 

 

「“ギア・4”っ!!」

 

「…何だ?」

 

 技名らしき単語を呟いた怪物少女が凄まじい蒸気を発し、その小さな体を覆い隠す。

 

 些細な見逃しが勝敗を分ける強者同士の戦いにおいて、視覚という大きな情報源を容易く失わせるほど男たちは未熟ではない。

 

 即座に風を操り化物の姿を露出させたドラゴンは、蒸気の奥に  肥大化した両腕を“武装硬化”で塗り固めた異形の少女の姿を見た。

 

 

「よ、よかった…今度はちゃんと空気を腕だけに溜めれて服が無事だわ!これでマキノに怒られなくて済むわね!  さぁて、これからよ…くま!“バウンドマン”っ!!」

 

「ほう、”超人系”(パラミシア)の能力者か…!来るぞ、くま!」

 

「無論!」

 

 異形の少女の暴力的な笑みに危険を感じたドラゴンが、回避行動に移る友人の時間を稼ぐために正面に風の壁を創造する。

 

 だが目の前の小柄な化物が放った一撃は、想像を絶する軌道で男の側頭部へと直撃した。

 

「ゴムゴムのぉ~大蛇砲(カルヴァリン)っ!!」

 

「何だと!?」

 

 怪物少女のゴムのように伸びた腕が、まるで無数の関節を持つかのように自在に折れ曲がり、能力で体を弾かせてまで回避に専念した友人に重たい一撃を喰らわせた。

 

 攻撃手段自体は特筆するほど変則的ではない、素直な打撃だ。

 ゴムにまつわる能力というタネをバラせば幾らでも対策は取れる。

 

 だが、優れた見聞色の覇気に加え、能力まで用いて回避行動を取ったくまを狙い打った事実は、他の何よりも驚愕に値する。

 

 

 見聞色の覇気で相手の心を読み攻撃を予測するとき、覇気は武装色同様、より優れた力を持つ者が下位の相手を上回る。

 

 しかし仮にこの化物少女がくま以上の見聞色の覇気を操れたとしても、先ほどの彼は悪魔の実の能力で回避能力を底上げしていた。

 “六式”などという、『新世界』ではある意味普遍的な超人的体術を駆使した高速移動など足元にも及ばない性能を発揮出来るのが、彼の『ニキュニキュの実』の能力である。

 

 それほどの実力をもつこの巨漢を超越出来る理由など、同じく悪魔の実の能力くらいのもの。

 

 そうでないのであれば  そのような特異な力は、この世にあと一つしかない。

 

 

  “未来視”の見聞色……使い手が全世界に片手で数えるほどしか居ないとされる、覇気使いの一つの頂点…」

 

 

 覇道を進む全ての猛者たちが最後に集う『新世界』。

 その偉大なる航路(グランドライン)最後の海を支配する『四皇』であっても喉から手が出るほど欲しがる、究極の力の一つ。

 

 注視する光景の少し先の未来が見えてしまうこの稀有な担い手たちは皆、その戦闘力の高さと危険性から世界政府により、実に10億ベリーという桁外れの懸賞金を掛けられる。

 

 

 ()に恐ろしきはこの幼き少女。

 

 見聞武装双色の覇気で、王下七武海の中でも屈指の強さを持つこの巨漢を上回り、殴り飛ばせる驚異的な戦闘力。

 その実力に相応しい金額は、世紀の大罪人ドラゴンを以ってしても10億で足りるか否かの判断が付かないほど法外なものに思えた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「…立てるか、くま?」

 

「ぐ…っ、随分久しぶりにマトモな痛みを感じたものだ」

 

 ボスの安否確認に軽口で返したのは口から血を流す“暴君”バーソロミュー・くま。

 

 王下七武海加盟前の彼の懸賞金は3億未満であったが、この男の実力はその程度のものではない。

 海軍の最高戦力『海軍大将』さえもが強く警戒する“暴君”を一撃で屠るなど、彼の『四皇』たちであっても不可能だ。

 

 ましては最弱の海と卑下されるここ東の海(イーストブルー)に突然現れた小さな幼女の前に膝を突くなど、男の強者としての誇りが許さない。

 

 

「ふんっ、そりゃ流石に一発じゃ終らないとは思ってたけどっ!前とは違うってトコ、少しはわかってくれたかしらっ!?」

 

 即座に立ち上がり臨戦態勢を整えるくまの姿が癇に障ったのか、怪物童女がその風貌に相応しい子供じみた態度でぷりぷりと怒りを露にする。

 

「…生憎お前とはここで初めて会う。これほどの覇気の持ち主を忘れるほど、おれは馬鹿でも愚かでもない」

 

「へぇ……つまりこの、この私を忘れたのね…っ!信じられない!あんなに酷いコトしといて忘れるだなんてっ!おまけに今度はスラムのみんなを連れ去  って、ん?あら?“今度”…?」

 

 

 意味不明な狂言を続ける童女が突然、きょとんとした顔で殺気を解いた。

 

 強者同士の戦いでその一瞬の隙を逃す愚か者は生き残れない。

 ようやく訪れた好機をモノにせんと、二人の男たちの大技が幼い少女に放たれた。

 

「くま、おれの風を使え!」

 

「了解した…!」

 

 ドラゴンの生み出した風圧を用い一瞬で必殺技の準備を整えたくまが、不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)の大半を吹き飛ばす巨大な衝撃波を放つ。

 

 

熊の衝撃(ウルススショック)!!」

 

 

 巨人族の強者すら葬り去る絶大な威力を誇るこの技こそ、王下七武海たる男の正真正銘の全力の一撃である。

 

「ッ!?この技は  

 

 対する幼女の姿をした化物もその小さな両脚を噴進口のように太ももにめり込ませ、肉体のゴムらしき弾力を用いて空を蹴った。

 

 辺り一面が巨大なクレーターと化すほど強力な衝撃がスラムを跡形もなく消し去り、周囲の木々や王国を囲む城壁が余波で軋み悲鳴を上げる。

 

「くっううう~…っ!!  ッふぁっ、ハァ…ハァ…な、何とか間に合った…っ!」

 

 “六式”奥義の一つ“月歩”にも似た空中移動術で衝撃圏内を即座に脱出した童女は、再度大きく男たちを迂回し外洋へと逃亡する彼らの仲間のガレオン船を追いかける。

 

「そうよ……“くま”と戦ったのは私じゃなくて“ルフィ”のほうじゃない…っ!何やってんのよ、私!バカなの!?うん、バカだったわ!!」

 

 だがそれを許す革命家たちの上層部ではない。

 

「でもこっちの“くま”もスラムのみんなを連れ去る悪いヤツよね…?それに随分本気みたいだから“前”のときと変わらず強そうだし……やっぱり先にあの船を止めたほうが  って、ひゃああっ!?」

 

「弱者を狙うは戦の定石だが、目の前の強者から注意を逸らすは何よりの悪手だぞ…!」

 

「つっぱり圧力砲(パッドほう)!!」

 

 ドラゴンの暴風の補助で速度を激増させ不規則に乱れ飛ぶ無数の肉球形の気圧弾が、幼い少女に殺到する。

 

「くぅっ…ッこのおおおっ!!」

 

「ッ!!やはり“未来視”の  

 

 放った両者すら感知出来ない気圧弾の軌道を全て察知し回避する唯一の手段は、ドラゴンが警戒する通り、未来を見通す力のみ。

 

 その恐るべき覇気に戦慄する男たちであったが、宙を舞う少女がその異形の両腕を二の腕までめり込ませる仕草に大技の気配を感じ取り、警戒を強める。

 

「これでも喰らえええっ!!ゴムゴムのぉ~猿王群鴉砲(コングオルガン)!!」

 

「!!?」

 

 直後、少女の腕が分裂した。

 

 神速の速さで幾つもの黒鉄色の小さな拳がドラゴンとくまに迫る。

 それらが内包する破壊力はどれも先ほどこの巨漢を殴り飛ばした一撃にも勝るほど。

 

 だが、それはくまにとっては垂涎ものの獲物であった。

 

「…何故かは知らんが、おれの能力を熟知しているのなら、その技は愚策だぞ…!」

 

 全ての現象を弾き返す究極の反射能力、『ニキュニキュの実』の能力。

 愚直な広範囲攻撃など彼の反撃の的を増やすようなものだ。

 

 勝利を確信したくまは、少女の慌てる表情を確認しようとその顔を注視し  真逆の獰猛な笑みを見た。

 

 

「しししっ!本命はこっちよ!ゴムゴムの六連大蛇砲(ギドラカルヴァリン)っ!!」

 

  ッ!?ゴガァッ!!?」

 

「くま!?」

 

 男の能力を司る両手の肉球に少女の拳が触れる直前、その六つの腕が突如折れ曲がり、四方八方から彼の巨体に襲い掛かった。

 

 先の大技“猿王群鴉砲”(コングオルガン)に武装硬化の強弱を調整することで生み出す擬似関節を付与し、最初の不規則な一撃“大蛇砲”(カルヴァリン)の特徴を持った攻撃へと変更させる。

 それが少女の放った必殺の大技“六連大蛇砲”(ギドラカルヴァリン)である。

 

 当然、ゴムらしき悪魔の実の能力に“肉体の分裂”などという特性は無い。

 “猿王群鴉砲”(コングオルガン)はゴムの伸縮性を用いた連打攻撃だ。

 その凄まじい速度がまるで腕が増えたかのような錯覚を起こしたのである。

 

 だが、その超高速で繰り返す腕の伸縮の上に、更に無数の擬似関節を用いたジグザグ軌道を付与することは、人間の神経の反応限界上不可能である。

 

 それこそ、成し遂げるには未来でも見通し放つ攻撃の軌道を事前に設定しなくてはならないほどに。

 

 

「むぅ…“六連”とかカッコつけたけど、成功したのは半分くらいね……これじゃあダブル大蛇砲(カルヴァリン)とほとんど変わらないじゃない…」

 

 少女の小さな呟きが風に乗り、ドラゴンの耳に届く。

 

 未来を視認し、くまの挙動の全てを事前に把握されている以上、どのような手を使っても先回りされてしまう。

 たとえ2対1という数的有利を確保していても、こちらが無数の手を使い王手を取る前に、網の目を潜るような精密な動きで逃げられる。

 

 見聞色の覇気の一つの頂点である“未来視の見聞色”とはそれほどまでに恐ろしいものだと、初めて実物を目の当たりにした二人の男たちは、本日何度目かも定かでは無い、敵戦力の上方修正を行った。

 

 

「くまは……流石にそう容易く起き上がれないか。……致し方ない」

 

 自分に言い聞かせるような男の声が、その堅い口から零れ落ちる。

 

 

 風を操る刺青の男ドラゴンはこのとき、初めて眼前の敵に向かって殺気を放った。

 

 

「!!?」

 

 幼い少女はぎょっとした表情で刺青の風使いに己の全てを持って警戒する。

 今まで相方のサポートしかして来なかった四皇級の覇気の持ち主が、ようやくその真の実力を露にしたのだ。

 

「悪魔の実の能力。くまの防御すら貫く頑強な武装硬化。未来を見通す最強の見聞色の覇気。そして、それら全てを用いて組み立てる高度な戦術の数々……」

 

「な、何よあなた…っ!そっ、そんな怖い目してもわ、私怖くないもんっ!!」

 

 少女が強がりながら己を奮い立たせようと気合を入れる。

 

 だが流石に彼女は未だ年端も行かぬ幼い女の子。

 ドラゴンには想像も付かぬことだが、この童女が先ほど見せたその絶大な力を得たのは信じられないことに、僅か半年前である。

 その原因たる、ある特殊な世界の中で数多くの実戦経験を積んでいる彼女だが、生身の、自分自身の肉体を使った正真正銘の実戦でこれほどの強者と相対したことは過去一度たりとも無い。

 

 故に此度の戦いこそが、この無垢な幼女にとっての初陣だったのだ。

 

 

「まさに神童と謳われるべき時代の祝福よ。あれの暮らすこの島でお前のような存在が現れるとは、これも風雲児の運命か…」

 

「な、何言ってるのよ…?“あれ”って誰?“運命”ってどういうこと?……あなた、もしかして  私の“夢”のことを知ってるの…?」

 

 時代の麒麟児たる娘の運命を知る父ドラゴンは、目の前の童女を感慨深げに見つめる。

 

 今年で7歳になるフーシャ村の幼い娘とそう変わらない外見年齢のこの人外少女が近い将来、もしくは既に我が子ルフィと何かしらの形で関わりを持つことは最早疑いの余地も無い。

 

 ここで自分がこの童女を害することが我が子の運命に与える影響の大きさを考慮したドラゴンは、僅かな思考の末に、己が表に立たないことを決断した。

 

 

「神童よ。いずれこの地に戻れたのなら、東の峠を越えてみろ。お前の夢とやらはそこに住む一人の童女の下へと導くだろう」

 

「なっ、ど、どういう  

 

 男はその問いには答えず、ただ無言で微笑を浮かべた。

 

   己の心強い部下が下す、王手を称賛するために。

 

 

 

  旅行するなら、どこに行きたい?」

 

 

 

 

 その無機質な声色に今度こそ、少女の顔から全ての余裕が消え去った。

 

 

「!!?くっ、しまっ  

 

 

 ぱっ…という小さな音と共に、幼い女の子の姿が掻き消える。

 

 

 ドラゴンの殺気を警戒しすぎた少女は、既に大きな傷を負わせたもう一人の強敵に見聞色の覇気を割く余裕はなかったのだ。

 

 その致命的な隙を見逃すほど、王下七武海“暴君”バーソロミュー・くまは無能ではない。

 

 

 

「やったか…?」

 

「…ふっ、くくく…」

 

 三日三晩の空中旅行を楽しんでいるであろう童女の状況を少しだけ哀れに思いながら、完全に戦闘態勢を解いたドラゴンに、巨漢の男が珍しく笑い声を上げる。

 

「ほう……あの神童の頭に触れて、何か面白いものでも“見えた”か?」

 

「…くっくく……ああ、これほど愉快なものを”見た”のはいつ以来か…くくく…」

 

 肩まで小刻みに震わせ始めた痣だらけの大男の意外すぎる姿に、刺青の風使いは何やら形容し難い感情を覚える。 

 

「くまが笑うほどか……あれほどの強者が救いを求めた相手だ。興味が尽きんな」

 

 この部下は優れた見聞色の覇気で相手の心を見通すことに長けている。

 直接相手の体に触れることで読み取った、この寡黙な男が笑いをこらえ切れないほど興味深い童女の心象風景がドラゴンは気になった。

 

 

 くまは冷静沈着な人物である。

 

 正体不明の強者と遭遇した際、彼が真っ先に取る行動は相手の力の分析でも、その命を奪おうと攻撃を仕掛けることでもない。

 

 それはその強者が周囲に与える影響を見定める、相手の人間関係に関する情報収集である。

 

 

「…さてな。だがボスなら直にわかるだろう」

 

 故に男が己の能力で強者を遠方へ弾き飛ばす際に、彼がその目的地に好むのは   

 

 

 

「…………待て、まさか  

 

 

 

   強者が最後に思い浮かべた、救いを求めた”味方”の下である。

 

 

 

 

「…英雄ガープの孫娘とは  随分物騒な親子再会もあったものだな、ドラゴン。くくく…」

 

 

 

 



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5話 祖父の決意

大海賊時代・13年

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国フーシャ村

 

 

 

 翌週。

 フーシャ村の港には、かの海軍の英雄ガープ老が満面の笑みで部下たちと共に訪れていた。

 

 実はこの老将、此度の天竜人のゴア王国行幸ご一行( )に自分の軍艦ごと参加しており、“天竜人の護衛”( )という大義名分を持って海軍本部での執務を放棄してまでフーシャ村の孫娘に会いに来ていた。

 当然彼の上司は自身の異名に反して激怒し、色々と破天荒な英雄中将が貴人の逆鱗に触れぬよう胃を痛めながら天に祈っていた。

 

 

 そんな問題児々(ジジィ)ガープ中将が此度、気に入らぬ天竜人の護衛を買って出てまで幼い少女の暮らすこの村へ足を運んだのは、先週に海軍本部マリンフォードの寝室の窓を割らんばかりの勢いで届けられた、愛しの孫娘の危機を知らせる手紙が原因であった。

 

 

 『孫娘ルフィ、人助けに火災の中に飛び込んだきり、行方不明』。

 

 

 幼い彼女を溺愛する爺バカがすっ飛んでくるのも当然のこと。

 

 だが、『ドンキホーテ一族』の遺児による新種の悪魔の実のオークション会場での大虐殺、ジェルマ王国( )残党による東の海(イーストブルー)侵攻、聖地マリージョアの奴隷解放者『“タイヨウ海賊団”船長フィッシャー・タイガー』の死に伴う魚人たちの暴動など、猫の手も借りたいほど多忙な海軍において“世紀の大英雄”( )たるガープを遊ばせておく余裕などあるわけも無い。

 

 そんな軍部内の事情を知る老将(の副官)は素早く知恵を回し、丁度当日発動される東の海(イーストブルー)にある少女が暮らすドーン島に関わる任務に便乗することで、自身の願いを叶える体のいい言い訳を作ったのだ。

 

 

 それこそが“ジャルマック聖ゴア王国行幸の護衛任務”( )である。

 

 まさかあの自他共に認める天竜人嫌いのガープが行幸護衛に参加したいなどと言い出すとは露ほどにも思わず、上司センゴク元帥( )も気付かぬ内に許可欄に己の名を書いてしまったのだ。

 平然と本部を発ち朝霧の奥へと消えていくガープの軍艦『ブル・ハウンド号』( )の艦影目掛けて、彼がしきりに「手違いだ」と電伝虫で本部帰還命令を送り続けたのも仕方のないことだろう。

 

 

 もっとも、このときゴア王国を訪れた天竜人は密かな隠れ海戦好きのミーハーであり、あの英雄ガープが珍しく護衛を買って出てきたことに終止上機嫌で行幸を終えることとなったため、上司センゴク元帥( )の心配は杞憂で終った。

 某童女の“夢”でサボを砲撃するほどの外道であっても、歴戦の英雄の前では無垢な少年の心が滾るということだろう。

 

 

 

「ルフィ!ったく、心配かけさせやがて…っ!!」

 

「ルフィっ!!よかっだ…っ!!ホンドによがっだぁぁぁぅあああん…っ!!」

 

「ただいまマキノ、エース、村のみんなも!…って、何泣いてんのよマキノ。鼻水汚いわね、おじいちゃんみたい」

 

「てめェ散々迷惑かけといて第一声がそれかよ!!?マキノさんお前から連絡来るまで死んだ亡霊みたいだったんだからな!!」

 

 謎の空中旅行で祖父の海軍艦船に世話になっていた孫娘が村人たちにもみくちゃにされる様をにこやかに見つめていたガープは、ふと長年の懸念だった“友人”の息子エースが自然と村に溶け込めていることに気が付く。

 その顔に以前の手負いの獣のような警戒心は無く、世界を憎み続けていた哀れな少年とは思えないほど、幸せそうな笑顔があった。

 

(村人たちと共にルフィの捜索にあたって、心の壁が掃われたか…)

 

 男故ルフィのようにメロメロに溺愛こそしていないが、老将にとってはエースも掛け替えのない孫である。

 何かと心配していたこの少年も、ほんの半年足らずで随分と凛々しくなったように思えるのは身内の目のせいだけではないだろう。

 

 特に感じる覇気が、かつてとは桁外れに跳ね上がっている。

 

(これも全てマキノの手紙にあった、ルフィの特訓とやらの成果か…)

 

 ガープは未だ痛みの残る己の腹部を摩りながら、数日前のあの出来事を思い出した。

 

 

 

 

 

『うおおおん!!わしの愛しい愛しいルフィちゃあああん!!』

 

『きゃああああっ!?汚い汚いあっち行ってぇっ!!』

 

 

 孫娘を救いに船を出した爺バカ中将であったが、彼は出航して僅か半日で念願の人物との再会を果たしていた。

 

 童女が突然、文字通り、天から降ってきたのである。

 

 奇妙な形に凹んでいる甲板に上がったガープが目にしたのは、目を白黒させながら周囲を見渡す、己の愛して止まない孫娘の姿。

 

 何故ここにいる、という疑問はあれど、そこは愛が勝ったおじいちゃん。

 煤に塗れボロボロに破けた赤いワンピースを身に纏う、哀れな幼女に抱きつき号泣する海軍の英雄の感動的な姿がガープ部隊旗艦の甲板を賑やかした。

 

 だが祖父が祖父なら、孫もまた孫な問題児。

 

 豪腕に捕まったまま、汗に涙に鼻水、涎と誰もが嫌がる体液を体中に塗りたくられた彼女は猛烈に抵抗し、咄嗟に全力で苦手な祖父を凪の帯(カームベルト)の遥か遠方へと殴り飛ばしてしまったのだ。

 

 

 そこから先の話は誰もが語らずにはいられない。

 

 少女の落下時における船の衝撃が伝わったのか、はたまた彼女の容赦なく放たれる覇気に刺激されたか。

 水平線の向こうへと消えていく海軍中将に代わって現れたのは、海を支配する無数の“海王類”たち。

 

 だがその絶体絶命の窮地に、事態を引き起こした幼い女の子が立ち向かい、何かの鬱憤を晴らすかのように大暴れ。

 近付く巨大海獣たちを相手にちぎっては投げの血祭りを開催し、凪の帯(カームベルト)に広まる死臭が更なる化物たちを引き寄せる大混乱を引き起こした。

 

 あまりの大惨事に“ガープ部隊”の面々は凄惨な弱肉強食の戦いを演出するモンスターたちの姿をただただ茫然と見守ることしか出来なかった。

 

 

 とはいえ、流石は英雄ガープと共に歩む歴戦の(つわもの)共。

 

 はたと我に返った副官の指示でさっさと海域離脱の準備を整え、水面に散らばる肉塊に海の化物たちが群がった隙に全速前進。

 海獣たちが起こした荒れ狂う大波を澄ました顔で乗り越え、死傷者一人出すことなく見事最初の目的地東の海(イーストブルー)へと逃げ延びたのである。

 

 

 

 

 何事もなかったかのように翌日、“海王類”を従えながら船へ戻っていた老将は、未だ痛む殴られた腹部を摩りながら、皆に叱られしょんぼりしている孫娘の姿を注視する。

 

(あれほどの武装硬化…最早才能という言葉では到底足りぬ)

 

 覇気とは本来全ての人間が持つ力であるが、実際にそれを戦闘に応用出来るほど練り上げられるのは卓越した素質を持つ人物に限る。

 その武装色の覇気の極意である“武装硬化”は、天武の才を持つ者が何度も極限の状態に置かれてようやく花開く、極めて難易度の高い技術なのだ。

 

 間違っても、半年前までその辺の森や谷にピクニックに行くにも「暗いの怖い」などと女々しいことを言っていた6歳児の女の子が持てる力ではない。

 

 

(いや、確かに生まれながらに身体が武装硬化に包まれていた者や、他者の心の声を聞けるほどの見聞色の覇気を持つ者も、いないことは無いが…)

 

 歴戦の老将はそういった特別な子供たちの噂を思い出す。

 

 この英雄ガープの孫なのだ。

 覇気の素質はあるだろうと確信していたが、生まれたころのルフィはそのような特別な体質は無かったはずだ。

 

 それがまさか、こんな脈略もなく目覚めるなど誰が想像出来るというのか。

 

 

(…面白い)

 

 にいぃぃっと獰猛な笑みが皺だらけの顔に浮かぶ。

 

 可愛い孫娘を愛する一人のお爺ちゃんであっても、その根っこにある闘争本能は健在だ。

 

 この自分の孫が、突如覇気に目覚めたのである。

 それは現時点で既に海軍本部中将の、自分と同じ地位に就くために必要な素質を持つということ。

 

 おまけに先日見せた、”海王類”を手玉に取るほどの圧倒的な戦闘力。

 伝説の海兵と謳われるガープさえも、今の老いた自分にあれほどの大立ち回りを演じきれるかどうかはわからなかった。

 

 女の身に生まれたことでそちらの道に進ませるのは半ば諦めていたが、愛しい孫娘は性別の壁などゴミにも等しいと平気で叩き壊して前に進んだのだ。

 

 祖父として、正義を掲げる一海兵として、これほど嬉しいことがあるだろうか。

 

 

(決めたぞルフィちゃん、お前を必ず最年少にして史上初の女大将の地位に就かせて見せる…っ!)

 

 

 計画を変更する。

 油断していたとはいえ、僅か7歳の女の子に膝を突かされた海軍の英雄は決断した。

 

 これまでガープは幼少期の自分と同じ環境に少年少女を放り込む事で子供たちを鍛えてきた。

 自分と同じ環境にいれば自分のように強くなる…という呆れるほど短絡的な理論、いや暴論に基づいた教育方針である。

 

 だが老将は同時にそれだけでは自分以下の強者にしか育たないと、これもまた呆れるほど直線的な持論に至っていた。

 

 よって将来性たっぷりの孫娘ルフィに“英雄ガープ”という壁を越えさせるべく、自分が知る最高の戦闘技術を伝授しようと考えた。

 

 

 海軍式特殊戦闘体術“六式”( )

 

 

 常人を悪魔の実の能力者と同等の戦力に引き上げる、海軍が誇る超人的格闘術である。

 

 実戦経験によって磨き上げられる“武装色の覇気”( )とはことなり、“六式”の行使には身体運用のブレイクスルーが必要だ。

 逆説的に言えば、理論さえ理解出来れば後は然るべき訓練を受けるだけでよく、修得のハードルは“武装硬化”( )などより遥かに下がる。

 

 

 そして、それを伝授出来るお誂え向きの人材がここに  

 

 

 

「ガープ中将、こちらにいらしたのですか」

 

「おお、やっと来おったわ!天竜人のバカの相手は疲れるからのぉ、ぶわっはっは!」

 

 突然後ろからかけられた声に驚くことなく、老将は振り向き酒屋の入り口を潜って来たそのモヒカン頭の人物を歓迎した。

 

 

 海軍本部少将『モモンガ』。

 

 かつて全盛期のガープの下で一海兵として活躍し、上司と共にあの海賊王を何度も追い詰めた歴戦の猛者である。

 昔の上司である彼を探してフーシャ村までやってきたこの男は現在、ゴア王国行幸中の天竜人の護衛の任を受けここドーン島へ訪れていた。

 

 中将昇進間近と噂されるこの男は、事実此度の天竜人護衛任務成功の暁には隣の英雄殿と同じ階級へと出世することが決まっている。

 

 己の栄光のためにも、胸糞悪い世界貴族の横暴にだって耐えてみせようと気合を入れて望んだ任務。

 その途中に突然自分の艦の後ろにブルドッグを象った艦首を持つ海軍主力の一等砲塔装甲艦が現れたと思えば、直後電伝虫から「便乗させろ」( )と聞き知ったしゃがれ声が耳に飛び込んできた少将の胸中の動揺はいかほどのものか。

 

 文句一つ言わずに目の前の上司に笑顔で応じることの出来るモモンガ次期中将は間違いなく、優れた人格者である。

 

 

 そんな人格者であり”六式”の扱いにも長ける彼なら必ずや孫娘の良い教官となるだろう。

 そう彼に期待する、はた迷惑な英雄ガープであった。

 

 もっとも、将来孫娘が海軍へ入隊したときに彼女の味方になってくれそうな彼を選ぶ辺り、こういった根回しも抜かりないのが、ガープが問題児と言われようとも部下に愛され続けている所以である。

 

 

「ほれ、ルフィちゃん。こやつがお前に六式を教えるモモンガじゃ!よく学ぶんじゃぞ!」

 

「…やはりその凄まじい覇気の女の子がガープ中将の噂のお孫さんですかな?こんにちはお嬢さん、モモンガです」

 

 ルフィ捜索時の武勇伝をネタに勝手に騒ぎ出すエースや村人たちから放置された幼い孫娘に、二人の海軍将校が話しかける。

 

「うん、こんにちは!わたしはルフィと申します!」

 

 親・爺世代に効果抜群の愛らしい挨拶。

 

 放っておくとどんどん野ザル化する少女を放置出来なかった酒屋の若き女主人マキノの教育の成果である。

 中年老人二人は彼女に盛大な拍手を送らねばなるまい。

 

「これはこれは、ご丁寧に。利発そうなお孫さんですな。…しかしガープ中将、その六式の話は既に電伝虫でお断りいたしたはずですぞ」

 

 どうやら彼もコルボ山の山賊ダダン一味同様、未だにガープに振り回されているようだ。

 

「何じゃ水臭いのお。ちょっとくらい良いではないか、ケチ臭いヤツじゃ」

 

「任務中ですので。それよりジャルマック聖がガープさんをお呼びです。ロジャーを相手取った英雄譚をご所望のご様子」

 

 まるでモモンガが特別立派な人間に見えてしまうようなやり取りだが、彼は経歴戦力人格全てにおいて実に普遍的な海軍将校である。

 この爺バカと同列に扱われるのは彼も色々と不愉快であろう。尊敬はしているが。

 

「え~ヤじゃ~」

 

「…では先ほどこの村の近海で見かけた海獣の対処に時間が取られて遅くなったと報告しておきましょう。であれば  

 

 そう言いながらモモンガは幼い少女の方へ向き、厳つい髭に隠れた口の両端を小さく持ち上げた。

 

  ルフィ女史の特訓の時間も作れましょうぞ」

 

 

 好き勝手ばかりする天竜人の相手をし続けて内心苛立っていた彼は、意外にもガープのこの頼みごとに乗り気を見せる。

 

 長年の付き合いで老将の人となりを理解しているモモンガは、駄々を捏ねられて時間を無駄にするより形だけでも頷いて見せるほうが手っ取り早く彼を動かせると知っている。

 

 否定より肯定、そしてその代償にこちらの要望を飲ませる。

 伊達に少将の任についているわけではないのだ。

 

 それに  将来の海軍を背負って立つ才女に技の一つや二つを授けることの方が、あのバカ共を相手にするより遥かに有意義だ。

 

 既にガープがごねることを見越してゴア王国に待機している彼の副官へ引継ぎは済ませてある。

 仕事上手な将官は仕事の合間に効率良く“息抜き”を入れるのだ。

 

「おお、流石は主席“六式”使いじゃ、ぶわっはっは!」

 

「いつの話のことやら。とっくにCP(サイファー・ポール)の黄金世代に抜かれております」

 

 

 

 なお肝心のその才女とやらは将来、海軍本部の門戸を叩き壊す悪となる予定である。

 

 そのことを知る者はこの場に二人のみ。

 口の堅いマキノと、昼間から村民たちの手で酒に酔い潰されている兄貴分エースだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・13年

東の海(イーストブルー) ドーン島コルボ山

 

 

 

「さて、六式を学ぶ…ということだったな」

 

「うんっ!よろしくおねがいします!」

 

 元気いっぱいに返事をする愛らしい7歳の女の子、ルフィ。

 

 強敵との邂逅が皆無なコルボ山から出られない彼女は現在、成長の機会に恵まれず停滞していた。

 

 猛獣たちは皆自分と兄貴分の傘下となり、その兄貴分エースもまた数ヶ月の鍛錬という名の引き篭もり生活で見聞武装双色の覇気を身につけられるような非常識な現象には当然恵まれなかった。

 唯一、先天的に有していた”王の素質”は目覚めたが、これは鍛えることが非常に難しい覇気であり、ルフィにはどうしようもないものである。

 

 

 “夢”のルフィ少年と仲間たちをバラバラに引き裂いた憎き『七武海』や、その上司らしき刺青の風使いに敗北した幼い少女の焦燥は相当のもの。

 今の自分と“夢”のルフィ少年との間にある12年という時間の差は、未だ7歳の少女の頭の中には存在しないのだ。

 

 大好物の山盛りサラダよりあの暴力ジジイが恋しくなり始めたときに、突然の強者との遭遇。

 

 そして彼の巨漢くま等に敗れ飛ばされた先にいたのが、自分を強くしてくれる祖父ガープであった。

 

 おまけにあの強敵『CP9(サイファー・ポール・ナンバーナイン)ロブ・ルッチ』や頂上決戦の海軍将校たちが使っていた技を伝授してくれる人物、モモンガ少将の登場である。

 

 

 たとえ気に食わない海兵だろうと、自分の力を高めてくれる人間は祖父を除けば皆イイ人だ。

 ルフィは今、甘露滴る新鮮なレタスを前にしたかのようなキラキラ輝く双眸をこのモヒカン男に向けていた。

 

「フッ、そう期待の籠った目を向けられては励まねばならぬな。見たまえルフィよ、これが“月歩”( )である!」

 

 凄まじい速度で大気を蹴り天空を駆ける、髭のモヒカン男。

 

 “夢”のルフィ少年ですら恵まれなかった超人的体術を修行する機会に才女は胸を膨らませ、師匠の動きを必死に凝視する。

 

 “夢”の中でルフィ少年の目を通し、彼に立ち塞がった諜報機関CP9(サイファー・ポール・ナイン)構成員たちの六式を何度も見てきたが、伝授する目的でモモンガが丁寧に実演してくれたおかげか新たな発見が幾つもあった。

 かつての強敵ロブ・ルッチの技はあまりにも速過ぎて動作を確認することは叶わなかったが、今の少女ルフィは“夢”のおかげで見聞色の覇気を身につけている。

 当然モモンガの“声”も聞こえており、その微細なコツをルフィは脳内で何度も反芻した。

 

 柔と剛。足をしなやかに巻いて周囲の大気をかき集め、それを更に何度も踏みつけ押し固める。

 そして最後に一際強力な一踏みを繰り出し、作った大気の足場から飛び上がる。

 

 ルフィは覇気で読み取ったモモンガの技を参考に脳内シミュレートした”六式”を繰り出した。

 

 

 よしっ。

 

 

  “月歩”っ!!」

 

 気合の掛声と共に少女は大地を蹴り、大空へと駆け上がった。

 

 ルフィの裸足の足裏に先日“ギア4・バウンドマン”( )で行った弾力飛行に似た感触があり、多少の手応えを感じる。

 

「えいっ、えいっ、えい  っと、わわっ!?」

 

 …が、それも一瞬。才女は情けない声を上げながら地面に転がり尻餅をつく。

 

 ぴょんっとゴムの弾性で起き上がり再度手本を要求しようとモモンガを見上げたルフィは、まるで信じられないものを見たかのような顔をする彼の姿が目に入った。

 

 

「なんと…」

 

「ぶわっはっはっは!まさか見ただけで“月歩”のコツを掴むとは、流石わしの孫じゃ!」

 

 自分を無視し、何やらぶつぶつと一人の世界に閉じ籠るモモンガにむっとした少女は、ひとまず彼を放置し先ほど掴みかけた手応えを頼りに再試行する。

 だが中々3歩目を超えることが出来ない。

 

 苦戦するルフィを前にようやく現実を認めた少将が停滞した修行を再開させた。

 

「ありえん……だがこれはもしや……!ルフィよ、一度今とは異なる技を見せる。まずはこれを試してみせよ」

 

 そう口にしたモモンガ少将は構えを取り、“剃”と技名を唱え目にも留まらぬ速さでルフィの後ろに回り込んだ。

 

 見聞色の覇気で当然のように彼の動きを追った彼女は落胆する。

 その技は“夢”のルフィ少年がギア2程度の低出力状態で見よう見真似で再現していたものだ。

 

 武装色の覇気の副次的効果で並の人間の筋力を遥かに超越している才女ルフィ。

 先日の不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)にて『七武海』くまと戦った際に、既に実践使用していた彼女にとって“剃”は最早技名を唱えるほど特別なものではない。

 初歩的な移動術だ。

 

 一瞬でギアを上げ、ヒュン  とモモンガの背後を取り返したルフィに、2人の海軍将校は驚愕しながらも得心する。

 

「ほぉ!見事じゃルフィちゃん!」

 

「なるほど…やはり独自に“剃”を編み出していたか。“月歩”は“剃”の応用技。最初に大技を見せ、幾つか段階を踏ませてから修得させてやりたかったのだが、既に六式の一つをその年で身につけているのなら(さき)の“月歩”も十分修得出来るだろう」

 

 素晴らしい才能だ、とモモンガ少将は締めくくる。

 

 彼の言う通り、“月歩”とは同じ”六式”の高速走行術“剃”を発展させた空中歩行術である。

 大地を蹴る“剃”とは異なり大気を踏み台とするこの技は”六式”屈指の難易度を誇り、実戦に運用出来るほど練達している者は決して多くない。

 

 だがこの若さで“剃”を使いこなす才女ならばあるいは、とモモンガは口端を吊り上げる。とんでもない原石がいたものだ。

 

 

 筋肉を極限まで緊張させ、肉体を鉄のように硬化させる防御術“鉄塊”。

 

 “鉄塊”の応用で硬化させた指を用い銃弾の如き貫通力を持たせる貫手“指銃”。

 

 相手の攻撃に合わせて体中の力を抜き風圧を利用してそれを避ける、回避術“紙絵”。

 

 高速で大気を蹴り鎌鼬の如き飛ぶ斬撃を繰り出す、脚用攻撃術“嵐脚”。

 

 

 広く浅く。

 

 モモンガ少将はルフィが全ての技の掴みを得るまで、短い時間を最大限活用し彼女に自身の六式を教授し続けた。

 

 

 そしてその生徒である上司の孫娘に別れを惜しまれながら、少女の祖父の一足先にゴア王国へと戻って行った。

 

 

 

 少女ルフィが師匠モモンガと再会するのは悲運にも、この広い海を舞台とした善と悪の覇道を進む者同士として対峙したときである。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・13年

東の海(イーストブルー) ドーン島某所

 

 

 

 孫娘ともう一戦と洒落込む前に副官ボガードに連行されたガープが号泣しながらゴア王国へと向かった翌日。

 

 久々に陸地で目覚めた少女ルフィが真っ先に望んだのは、桶いっぱいの山盛りサラダであった。

 牛の方が小食なのではないかと疑いたくなるほどこの7歳児は野菜ばかりを山のように食べる。

 

 “夢”のルフィ少年は野菜のあの青臭さがあまり好きではなかったが、少女からしてみれば四足歩行生物共のあの血生臭い肉のどこに魅力を感じればいいのかと彼を問い質したい気分である。

 

 

 食事にはもちろん脂質やたんぱく質も忘れない。

 

 沢の岸にゴロリと転がる大岩の陰には童話の桃よろしく流れてきた胡桃が所狭しと溜まっている。ルフィのお気に入りの補給地点だ。

 更に“月歩”の練習も兼ねて村はずれの港まで飛んで行き、母親代わりの女店主のツケで荷降ろし寸前の大豆をごっそりいただく。

 

 ごっそりとはつまり、船内の全てである。

 

 村では昔から、英雄の孫娘さまが目覚める前に主婦たちが八百屋ではなく港へと突撃し食材を喰われる前に確保することが風習になっていたのだが、これまでは少女のコルボ山での活動時間が多くなった分、村のママたちの買い物事情には比較的ゆとりが生まれていた。

 

 だが今のルフィには“月歩”がある。

 

 移動時間など最早あって無いようなもの。

 早速駆使しながら徒歩10分を短縮し、そのままポリポリ摘みながらエースの暮らすアジトへと空を翔る幼い少女。

 

 なおその日、在庫切れの看板が立て掛けられた八百屋の前で女性たちが大地に突っ伏していた光景は、村の男衆の語り草になったという。

 

 

 

 

 場所は変わってコルボ山。

 

 エース少年は相棒サボの手紙を片手に、昨日の宴会のしっぺ返しにウンウン唸っていた。

 痛む頭で読み進めながら、悪童はルフィの言葉を思い出す。

 

 

   サボに会ったって!?

 

   うんっ、小船に乗ってたサボがおじいちゃんの船とすれ違って、海兵のみんなと一緒に船出を見送ったの!

 

 

 満面の笑みで「サボが撃たれなくてよかった」と胸を撫で下ろす幼い少女の姿が何故か印象に残ったエースは、一先ずは己の相棒が無事に夢に向かって旅立てたことに安堵した。

 

 もちろん、いつか二人の下に戻るという約束を反故にされたことや、先に抜け駆けされたことに対する不満もある。

 それでも彼は、柵の多い生い立ちから抜け出し自由を手にしたサボのことを、何よりも誇らしく思っていた。

 

「へっ、10歳のガキに出来るコトなんて限られてるって言った手前だ。のたれ死ぬんじゃねェぞ…!」

 

 当然、ルフィの修行を共に受けてきた弟子仲間である。

 その辺の海賊相手に遅れを取るような雑魚ではないからこそ、エースは彼の早すぎる船出をそれほど悲観していなかった。

 

 

「全く、ルフィといいサボといい、何でウチの連中は心配ばっかかけさせるんだよ。ったく、ダダンや村の連中にも迷惑かけやがって…」

 

 自分のことを棚にあげ、エースは二人の兄妹の姿を思い浮かべながら小さく笑う。

 そして込み上げてきた思いと共にアジトの外へ胃の中のご馳走の一部を吐き出した。

 

 

 妹分が失踪したあのとき、燃える不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)で捜索チームの現場指揮を行ったのが、この悪童である。

 小憎たらしい命令口調に最初は村人たちも不快感を隠せなかったが、彼のルフィに対する確かな愛情が彼らに伝わると、素直になれない少年を微笑ましく思い始め、最終的には皆一丸となって問題児少女の捜索に当たっていた。

 

 エースもまた、相棒の不在に続き妹分の消失も相俟って精神的に弱りきっており、村人たちの優しさに僅かだが、つい心を開いてしまったのである。

 

 その結果が昨日の暴飲暴食に伴う二日酔いなわけだが、悪童は今も己を苦しめる頭痛や吐き気をそれほど不快なものだとは思っていなかった。

 

 

 もっとも、強力な覇気使いや『王下七武海』、”海王類”の群れとの実戦と、優秀な教官の教えを経て、僅か一週間足らずで3回ほど人間を辞めた妹分の超進化に、エースは又もや度肝を抜かされるハメになったのだが。

 

 

「…ん?何だ、このぼふんぼふんって音は  ってルフィがなんか空ぴょんぴょん飛んでるぅぅぅ!?」

 

「おはようエース!見て見て、昨日モモンガ  さんに教わったの!」

 

 空中歩行しながら木々の間を飛び抜ける人外少女は、驚くそばかす少年に楽しげに先日の経験を語る。

 

 “モモンガ”と言われてもあの愛らしい空飛ぶげっ歯類しか思い浮かばないエースは一瞬首をひねり、思い出したように付属された敬称に人物名だと気付く。

 

 おそらく昨日クソジジイと共に酒場に来たあのモヒカン髭男のことだろうと当たりを付け、新たな技を身に付けた少女の姿に少しだけ先日の宴会に参加したことを後悔した。

 

 

「よくわかんねぇが、すげぇなソレ!俺にも教えてくれよ!」

 

「もちろん!えーっとね、まずは“剃”を  

 

      

 

    

 

 

 そこから始まった鬼の”六式”修行は、幼きエース少年の肉体を効率よく改造強化し、彼の基礎力を大幅に強化させることとなる。

 

 妹分の地獄のような特訓のおかげか、エースは相棒との別れの寂しさを思い出す暇も無く、自身の船出までの年月を過ごすことになった。

 

 

 

 そして月日は流れ、後の“火拳のエース”( )となる少年の旅立ちの日がやって来る。

 

 

 

 




次で幼年期編終わりです


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6話 悪童たちの船出 (挿絵注意)

大海賊時代・19年

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国中心街

 

 

 

「お、おいルフィ…っ。ガキじゃねェんだからそんなに服引っ張んなって…!」

 

「わぁっ!見て見てエース!中心街にもサボの新しい手配書があるわよ!『“革命軍”の新たな切り込み隊長現る!』だって!」

 

「…村中に貼ってあるんだから、ココにもあって当然だろ。一々はしゃぐな、お上りさんなのがバレバレだ」

 

 

 世界の理を定めた20家の世界貴族『天竜人』( )の一人、ジャルマック聖( )の行幸から早7年。

 ゴア王国はゴミ溜不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)含め、変わらぬ平和な日常が続いていた。

 

 かつて王国を震撼させたコルボ山“元東方山脈測量番号3号”崩落事件を起こした未知の化物も、海軍の英雄ガープによって遠方の無人島へと追い払われ、当時のスラム街で起こったその凄惨な戦闘の跡も今や全てがゴミと瓦礫の下に消え去った。

 

 以後は、無人島の方角よりぼふんぼふんと奇妙な炸裂音が毎日離れたり近付いたりする不思議な現象が起こるという報告が辺境のフーシャ村から上がっていること以外は、王立地理院が度々小中規模の振動や津波を観測する程度の被害となり、宮中の王侯貴族たちも胸を撫で下ろしていた。

 

 

 そんな平和なゴア王国の中心街を一組の少年少女が目を煌かせながら歩いていた。

 

 黒髪とソバカスが印象的な眼つきの鋭い少年が身に纏っているものは、南の海(サウスブルー)発祥の最新レザーブランドが新たにリリースした革ジャンと、無骨な黒のハーフパンツ。

 頭の橙色のテンガロンハットにはフーシャ村の民芸細工である海ガラスのネックレスタイプのアクセサリーが飾られている。

 前が開かれたジャケットから覗く火傷や切傷、痣だらけの立派な胸板は、若き少年が潜り抜けてきた数々の修羅場を象徴する漢の勲章だ。

 

 少年は決して筋骨隆々と言う訳ではない。

 だが、その六つに見事に割れた腹直筋や上着を盛り上げる三角筋を見る限り、並の男とは一線を画す彼のその鍛え抜かれた躯体はさぞ多くの女性たちを虜にしてきたことだろう。

 

 流行りのファッションの中に、育った故郷を象徴するワンポイントを意識した服装。

 青年へと成長する過渡期の10代後半と思しき少年の精一杯のおめかしだ。

 

 

「あら、初めて見るお野菜だわっ!真っ赤っかでおいしそうね!おじさーん、このハバネロっての一束ちょうだーい!!」

 

「おい、止めとけよ……見るからにヤバそうだぞ…?」

 

「大丈夫よ、トマトとナスの間みたいなもんでしょ?あーん  っふひゃあああっ!!?」

 

「ほわ言わんこっちゃない……おい八百屋のおっさん、コイツに水くれねェか?」

 

 若干服に着られている印象が拭えないソバカス少年の隣で、子供のように落ち着きなく騒いでいるのは、彼の連れである10代半ばと思しき少女。

 

 少年と同じその黒髪は男のように短い。

 だが大胆に開かれた赤いブラウスの胸元には、シミ一つない小麦色の柔肌に包まれた豊満な双丘が、少女の性別を激しく自己主張している。

 下のインディゴのホットパンツはその細く艶やかな腰つきを際立たせ、そこからすらりと長く伸びるのは女性的な柔らかい脚線美。

 口にした刺激物を吐き出さんと歪める薄い桜色の唇も、涙を溜める満天の星空のような大きな瞳も、少女の扇情的な肢体に反した童顔のあどけなさを色濃く映えさせている。

 

 そんな彼女の印象を一目で表すものが、背中に担がれた異様な存在感を放つ、くすんだ古めかしい麦わら帽子。

 

 

 7年の年月を経て立派に成長した、悪童エースとルフィである。

 

 

 現在二人が連れ立ってゴア王国の豊かな中心街を練り歩いているのは、エースの船旅に必要な様々な日用品を買い揃えるためだ。

 

 特に村では揃わない専門的な航海器具や医療道具、紙幣代わりの金貨などが手に入るのは、ここドーン島では経済規模の大きいゴア王国中心街くらいである。

 

 久々に訪れた都心部の華やかな街並みに胸を高鳴らせてしまう二人の初々しい姿は、自然と周囲の生暖かい目を誘う。

 見栄っ張りなエース少年は周りの視線に気が散って不機嫌な顔をしつつも、妹分との最後のお出かけになるであろう今日の買出しを、時間を惜しむほどに楽しんでいた。

 

 

 そう。明日こそが、ついに悪童たちの兄貴分エース少年の船出なのだ。

 

 

「…おい、そろそろその荷物おれに寄こせ。女に持たせてるナヨっちい男に見えるだろうが」

 

 未だ少年らしい若さが抜けない17歳のエースは、両手いっぱいの荷物を抱える小柄で線の柔らかいルフィの姿が気になって仕方が無い。

 兄貴分らしいところを見せようと、少年はついムキになりながらそれらを引っ手繰ろうとする。

 

 だがハバネロの衝撃から立ち直ったその麦わら娘は、身も蓋もない言葉で彼の胸をゴリッと抉った。

 

「何で?私のほうがずっと強いんだから、そっちの荷物ちょうだいよ」

 

「ぐっ……お前の武装硬化が硬すぎるんだよ…!今度高町の宝石商あたり襲ってダイヤモンドのブローチでも殴ってみたらどうだ?何百カラットのお宝が粉々になりそうだぜ」

 

 強い弱い云々より、そもそもこの化物の見聞色の覇気が強大すぎて、全くこちらの攻撃が当たらないのだ。

 手加減されてようやく当てることが出来ても、今度は武装色の覇気で押し負けてしまう。

 

 そんな相手にどうやって勝てばいいのかと、思わず喚き散らしたくなる哀れな兄貴分。

 

 様々な思いを押し留めながら、少年はポツリと悪態を吐く程度に感情を堪えて見せた。

 

「そんな勿体無いことしないわよ、失敬ね!手元にダイヤがあったら、さっさと換金してプールをレタスとトマトとニンジンとセロリとタマネギでいっぱいにして泳ぎ食いしたほうが遥かに有意義だわっ!」

 

「“泳ぎ喰い”って、てめェそれこの前やってマキノさん泣かせただろ!ったく、お前が成長すればするほどあの人が頭抱える回数増えるのはどうにかならねェのかよ…」

 

 毎度世話になっている酒屋の若女将の不憫な子育て進捗に同情しながら、少年はこの世話の焼ける妹分の将来に一抹以上の不安を覚えていた。

 

 そして案の定、彼の発したその“成長”という単語に反応したのか、少女が己の身体のあちこちをぺたぺたもみもみと無造作に触れ回っていた。

 

 周囲の目を一気に引き寄せるその非常識な仕草に、エースは慌てて彼女の腕を掴み叱咤する。

 

「ッ!?てめっ、人前で何つーことしてるんだ!?」

 

「?」

 

 己の手中にある少女の手折れそうなほどに細い手首に動揺しながらも、少年はルフィに潜めた怒声をぶつけ続けた。

 

「“?”じゃねェよ…!男の前で自分の身体を無闇に触るなって約束しただろ、マキノさんと…!」

 

「……あ」

 

 すると麦わら娘がうっすらと頬を赤く染めながら、バツが悪そうに自分の乱れた服を整え始めた。

 

 …勘違いしそうになるが、その紅潮は男の目線を気にした羞恥故ではない。

 ただ母親代わりの女性との約束を破ってしまったことに対する気まずさからだ。

 

 だがエースはそんな妹分の、色々と勝手が異なる女物の服を慣れた手つきで正す仕草が妙に色っぽく見えてしまい、ふいっと顔を逸らす。

 そのまま連れの少女のほうを見ることなく、感情の昂りに歩みを任せる青二才と慌てて彼を追いかける妹分の後姿が、ゴア王国中心街の喧騒に溶け込んでいった。

 

 

 何ともわかりやすい、身悶えしたくなるような思春期の若い男女の可憐(いじら)しい青春の一幕。

 

 もっとも当の兄貴分エース少年に取って、その”青春”は極めて切実な悩みであった。

 

(残していくルフィが不安だったが、やっぱさっさと出航するべきだ…)

 

 ようやく目覚めた自身の見聞色の覇気で拗ねるルフィの内心を読み取りながら、エース少年は己の英断を心の中で褒め称えるのであった。

 

 

 

 

 青春ボーイ・エースの切実な悩みとは、彼の知人の誰もが察する通り、思春期男子の抗えぬリビドーとの戦いである。

 

 

 ポートガス・D・エース、17歳。男。

 

 大人の男へと至る直前の感受性の強い心、広い社会における己の立ち位置や印象を意識し始める自己防衛本能の発達。

 そして何よりも  身体的成長が育んだ持て余すほどの若さと……異性への情欲。

 

 男に生まれてしまった以上、10歳を過ぎてから抱き始めた女性への興味は今に至るまで常に増徴し続ける一方。

 だが、特にここ最近は彼自身も思わず誰かに相談したくなるほど苦痛続きの日々であった。

 

 その最大の…というよりほぼ唯一の原因が、自分の隣で周囲の男共の視線を釘付けにしている、この見目麗しき芳体の麦わら娘である。

 

 

 モンキー・D・ルフィ、14歳。女。

 

 最初に出会った7年前から殆ど変わっていないその幼げな顔つきに反し、ここ一年の少女の肉体的成長は著しいどころの話ではなかった。

 

 女性の平均より少しばかり低めで伸長の伸びが止まったかと思えば、それまでの幼児体型は幻かと言わんばかりに様々な部位のボリュームが激増し始め、それが丁度兄貴分の心身共に色々と複雑な時期にぶつかったのである。

 

 当然マキノ女史の淑女教育も本格化し、その厳しい躾けの反動で、少女のアジト内における気の緩みも同時に本格化。

 己の若さに苦悩する哀れな青少年にとって、そんな彼女の無防備な姿は些か刺激が強すぎるものであった。

 

 限界を迎えつつあったエースは居を移すなり、口酸っぱく注意するなりと色々試したが何れも効果なし。

 仕方なく、恥を承知で顔から火が噴き出そうになる思いをしながら酒屋の女店主に事情を話し相談すれば、なるほど確かに翌日のルフィは足も閉じるし服装の乱れや幼少期のようなスキンシップも鳴りを潜めた。

 

 だが今度はこの子供っぽい妹分がふとした隙に見せる女性らしい仕草に一々心が乱れるハメに。

 

 それに加え、普段は女性らしさを心がけている彼女も当然、ふとしたときに気が緩む。

 すると元の過剰気味なボディタッチ癖が表面化。

 性別を全く意識しないその軽率な行動が少年の腕や背中に襲い掛かる、非常に心臓に悪い日々が始まった。

 

 そのときの、色々と豊満な少女の柔らかくも悩ましい感触を思い出し、毎晩眠れぬ夜を過ごすエース少年の何とも同情を誘う姿がコルボ山で度々目撃されるようになったとか、ならなかったとか。

 

 

 修行のときには少女師匠の暴れまわる胸元のふくらみに目が捕らわれ集中力を欠き、ガープ老の薦めで移動した遠方の無人島から水平線へと殴り飛ばされること数十回。

 その後の水浴びで岩陰の反対側から聞こえてくる彼女の暢気な鼻歌や生々しい水音、衣擦れ音に戦闘後の獣欲の昂りを刺激されること数知れず。

 村の宴会や祭りのときに見せるマキノ店主力作のお化粧やドレスで彩られた器量好い村娘の、幼げながらも確かな女性らしさを併せ持つ美しい晴れ姿には、兄でありながら何度間違いを起こしてしまいそうになったことか。

 

(くそっ、サボのヤツ……おれと同じコイツの兄のクセに一人だけのほほんと“革命軍”の連中なんかと一緒に人生楽しみやがって……)

 

 故に、少年が先に旅立った相棒にそんな理不尽な怒りをぶつけてしまうのも責め辛かろう。

 

 

「あっ凄い、見て見てエース!こんなに沢山レースがふりふりしてるの初めて見るわ!流石都会ね…!」

 

「ああ  って、お前これが何だか知ってんのか…?」

 

「失敬ね、私を何だと思ってんのよ!ウェディングドレスくらいわかるわよ、全く…っ!」

 

 ぷんぷん怒りながらも、目の前のショーケースに飾られた純白の衣装に視線が釘付けになっている年頃の妹分。

 

 腐っても女の子。

 隣の窓の玩具ロボットに目もくれず、少女はじっとドレスへ意識を向け続ける。

 

「キレイ…」

 

  ッ」

 

 自分が身に纏っている姿でも想像しているのだろうか。

 その夜空の瞳の星々を輝かせる、頬の紅潮した彼女の少女らしい姿に、エースの顔が一瞬で熱を帯びる。

 

 前々から、らしくない女性的な振る舞いを見せることが多くなっていたルフィであるが、ここ最近は特にその傾向が強いように思える。

 

 いつもいつも逞しすぎる野生児っぷりで母親代わりの女店主に叱られてばかりのクセに、無意識のところではしっかりと年相応の少女として成長している。

 そんな妹分の変化に兄貴分としては嬉しくも、色々と悩ましい複雑な感情を抱いてしまう。

 

(コイツも女だ。いつかおれやサボより強くてカッコいい男を捕まえて結婚するのだろうか…)

 

 未だ身体以外、色気の“い”の字もないルフィではあるが、いずれ彼女も目の前の憧れの花嫁装束に袖を通す日がくるのだろう。

 

(あと10年、15年ってトコか。海賊王なんか目指してるコイツでも、やっぱいつかは女の幸せってヤツを求めるんだろうな……)

 

 純白のベアトップを小麦色の肌の上に眩く浮かび上がらせ、あどけなさが薄れたその顔に、はにかむような微笑を浮かべる美しい女性。

 そんな彼女の姿を見る日は、決して遠い未来ではないのかもしれない。

 

(おれの夢はそんな妹分の幸せを兄として見守り  ってダメだ、今のルフィのエロい身体に触れる男の姿とか想像しただけで殺したくて堪らねェ…っ!)

 

 少女の腰を抱きベッドに誘う不埒者の姿を想像したエースの胸中を、憎悪すら生ぬるい強烈な不快感が這いずり回る。

 

(くそっ、何だこれ…!?ムカつく、めちゃくちゃムカつくぞ…っ!?おれの知らないところでコイツがどこの馬の骨ともわからんクソ野郎に愛を囁かれたり、それに照れて赤くなってる姿とか  

 

「ぐぅううううっ!!!」

 

「ッ、ど、どうしたのエース?私の覇気がなんかあなたから凄い憤怒を感じてるんだけど」

 

 怒りが声に出ていることすら気付かず、思春期少年は隣でぎょっとこちらを見つめている麦わら娘に怒鳴り散らした。

 

「うるせェ黙れ!おれは死んでも認めねェからな!!」

 

「何言ってんのよ?全然わかんないからもう覇気強めてあなたの心読んじゃうわね?」

 

  ハッ!ま、待てそれは止めろ!何でもないから…っ!」

 

 相手の感情や意思の感受、周囲の未来を見るだけでは飽き足らず、ルフィの見聞色の覇気はその特異性を極めに極め、最早相手の思考さえも読み取れる前人未踏の領域にまで至っている。

 これで“王の素質”の覇気のほうが得意だと自称するのだから常識外れにもほどがある。

 

 そんな化物相手に兄としての尊厳を維持すべく、エースは先ほどの己の度し難い思考を追い払おうと咄嗟に頭を振った。

 

 

 確かに、どれほど強くて賢いイケメンな非の打ち所も無い人物が相手であろうと、大切な女家族が奪われることをどうしても認められないのが父であり、兄でもあるのだ。

 兄貴分である少年が妹分の女としての幸せを許容出来ないのも決して異常な反応ではないだろう。

 

 とはいえ、そういった考えを持つ者には“父兄”ではなく、もっと別の呼び名がある。

 

 

 ドーター、あるいはシスターコンプレックスなる業の深い精神病患者という呼び名が。

 

(不味いな……おれ一人だと世間の風評ならただの妹バカのシスコン兄貴になっちまう。ここはサボも巻き込んでおれの風除けにするとしよう…!)

 

 遠く革命軍本拠地『バルティゴ』で謎のくしゃみと悪寒に侵される悪友兼、義兄弟の賞金首を尻目に、シスコン兄貴は切実ながらもくだらない汚名の擦り付け計画を真剣に考え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・19年

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国フーシャ村

 

 

 

  と、言うわけで適当に名を上げてからバルティゴ( )までサボ( )”兄貴同盟”( )を組んで来ますので、マキノ( )さんには三年後にルフィ( )が出航したら定期的にアイツと文通して言い寄る雄の気配があるかどうか、さり気なくチェックして欲しいんです」

 

「……随分開き直るようになったのね、エースくん…」

 

 

 所変わって翌日の船出の日のフーシャ村。

 小船に乗る少年を見送る港の桟橋では、一人の女性の気の抜けるような溜息が木霊していた。

 

 長年面倒を見続けてきた17歳の少年の旅立ちの抱負が”コレ”なのかと、己の教育者としての不向きを実感していた酒屋の若き女店主の、何とも虚しい落胆である。

 

 当の妹分本人とは既に別れを済ませ、今はその姿が港に無いせいか、元悪童の拗れに拗れた妹愛も遠慮なく口から零れ落ちるのだろう。

 

「…あの子の昔を知ってる身としては、7年前のシャンクスさんとの帽子の約束があるから  

 

「シャンクスってあの『赤髪』ですよね!?アイツもう三十路過ぎのオッサンじゃないですか!ダメだダメだ、絶対に許さねェ!“四皇”だか何だか知らねェが、ルフィが欲しかったらおれとサボを倒してからにしろ!何よりルフィはヤツの半分以下の年齢なんだぞ!?ロリコンは死に晒せ!!」

 

「い、いえ…流石にあの人がルフィをお嫁さんに欲しがるかは私にはちょっとわかんないけど…」

 

 勝手に他人の恋愛事情を妄想し、一人大海原に向かって咆哮を上げる思春期少年。

 思わず目を覆いたくなるような彼の姿から視線を逸らした店主マキノは、この兄バカ男と親しんだ7年の出来事を振り返っていた。

 

 

 思えばルフィの突然の変化は、あの赤髪の男との出会いではなく、その後に幼い少女が出会ったこのエース少年が原因だったのかもしれない。

 

 あのころの記憶は直後の岩礁崩落事件や、立て続けに起きる地震、そしてコルボ山の反対側で起きたゴア王国のスラム街炎上に伴うルフィ失踪事件の強い印象のせいで、もう殆ど思い出すことは出来ない。

 ただ、愛する娘がある日の夕暮れに「エースとサボと仲良くなれた」と報告して来たときの、彼女のあの嬉しそうな笑顔だけは、今でも鮮明に覚えている。

 

 隠れてコルボ山まで遊びに出かけるようになったのも、妙にワイルドで逞しくなったのも、そしてこの直視するに値しないシスコン少年と友達になったのも。

 

 全てはあの日から変わったことだった。

 

 

 既に少女の口から、かつては毎日のように桟橋まで帰りを待ちわびていた『赤髪のシャンクス』( )の名が出る日は殆どなくなり、代わりに『覇気』( )だの『くま』( )だの『刺青』( )だの『大将』( )だのとよくわからない単語が増えた。

 

 度々訪れる村の英雄ガープとの稽古もここ数年は完全に彼女が優位に立っており、英雄自身の口からも嬉しげに「最早わしでは敵わん」と大地に倒れ伏す姿が見慣れるほどになって来た。

 

 おそらく、いや確実に、ルフィは彼の英雄ガープ( )すら上回る、村が始まって以来の英傑なのだろう。

 そしてそれは、妹分を何よりも大切にしているこの義兄エース( )少年も認めることなのだ。

 

 

(でも、私にとっては…)

 

 マキノはそっと顔を伏せる。

 

 

 彼女が最初にルフィと出会ったのは、海難事故で両親を失い、子供ながらに必死で店を切り盛りしていたころだった。

 

 村一番の出世頭ガープが突然村長宅へと来訪し、一人の女児の世話を頼んだのである。

 

 当時のマキノは村長夫人の手を借りながら食材酒類の交渉をゴア王国の商人と行っていた。

 初めて己自身で行った取引が失敗し落ち込んでいた少女マキノは、夫人の腕の中ですやすやと眠る乳児に癒されようと、生後間もないルフィと初めて触れ合った。

 

 そのときの感動が忘れられず、幼い女店主は暇を見つけては村長宅へとお邪魔し赤子の世話をし続けた。

 子供の彼女の小さい腕の中では泣き虫乳児も安堵するらしく、村長夫人もマキノの貢献には度々感謝していたようだ。

 

 マキノ自身、一人ぼっちの酒屋での生活で心細い思いをし続けていたこともあり、店が軌道に乗り始めた半年後には赤子ルフィを引き取る覚悟が出来ていた。

 

 だが女店主は未だ未成年の子供に過ぎず、村長夫妻は中々首を縦に振らない。

 そのときの酒屋『PARTYS BAR』では四六時中、子供店主と村長がカウンター越しで言い争う何とも微笑ましい光景が広がっていたとか。

 

 結局マキノが女児を引き取れたのは三年後の15歳、成人のとき。

 それでも毎日欠かさず彼女に会いに行ったおかげか、以後は酒屋の自宅に住まわせたルフィと家族同然の親しい関係を築くことが出来た。

 

 二人の生活が始まってからは、これまで以上に沢山の愛情を注ぎ、大切に大切に育ててきた。

 14歳になり女性らしく成長した彼女の姿を見るたびに、これまで少女から貰った無数のステキな思い出が想起され、つい涙ぐんでしまいそうになるほどである。

 

 

 酒屋の若き女主人マキノにとって、ルフィは断じて時代の風雲児でも、村一番の英傑でもない。

 

 やんちゃで行儀の悪い、手の掛かる、愛しい愛しい娘なのだ。

 

 

  ノさん?  マキノさん!」

 

 物思いに耽ていた女店主は、突然呼ばれた自身の名に小さく肩を跳ねさせ顔を上げた。

 

 心配そうに覗きこんでくる目の前の少年との距離に驚き、咄嗟に一歩だけ後ろに下がる。

 

  えっ?あ、ああ、ごめんなさい!エースくんの船出なのに、ルフィのことばっかり考えちゃってて…」

 

 主役を放り出して愛娘のことを心配し始める己に何とも言えない気分になったマキノは、申し訳無さからソバカス少年に謝罪する。

 そんな妹分の母親代わりの女性に、兄貴分が白い歯を見せながら人の良い笑顔を浮かべた。

 

「マキノさんはそれでいいんです。アンタがずっとルフィを大切にしてくれてるからこそ、おれもサボもこうして自分の夢を追いかけられるんですから」

 

「エースくん…」

 

 成長した悪童の無邪気な笑顔に女店主は、警戒心の塊のようだったかつての彼の姿を思い出し、慈愛に満ちた微笑を返した。

 

 

 エースと話すことは専ら娘のことばかりであったが、同じ家族を愛するこの人物との思い出も決してつまらないものではない。

 ルフィとは異なり本物の家族と言えるほど特別親密な関係は築いていないものの、マキノにとっては彼も世話の焼ける大切な存在だ。

 

 誰の助けも借りずに独り海へと漕ぎ出す少年を心配する気持ちは本物である。

 引き止められるのなら是が非でも考え直して欲しかった。

 

「…ねぇ、やっぱりルフィが17歳になるまで遅らせることは出来ないの?残されるあの子が不憫だし、あなただって一人で海に出るのはたいへんだと思うわ…」

 

 女店主自身、到底叶わないことだとは理解している。

 港から発つ祖父も父も叔父たちも、男たちは皆そうであった。

 

 それでも引き止めようと思ってしまうのは、息子と娘のことを案じる母としての感情故か。

 それとも、もっと別のものか…

 

 

「…マキノさん、そいつは無理な話だ」

 

 いずれにせよ、返って来たのは彼女の予想通りの言葉であった。

 

「…どうしても?」

 

「男が船出を決めたんだ。引き止めるのは野暮ってモンだぜ」

 

 海の果てを見つめる少年の横顔に、子供時代とは異なる男の凛々しさを見つけたマキノの胸が小さく高鳴る。

 

 慌てて目を逸らし心を落ち着かせようとする彼女の耳に飛び込んで来たのは、そんな凛々しい男の情けない本音であった。

 

「それに  これ以上ルフィの側にいると、その……」

 

「……あっ」

 

 思わず零れてしまった得心の声に、女店主は慌てて口元を押さえる。

 

「ちょ、マキノさんっ!その“あっ”ってのやめてくれよ!しょうがねェだろ、まさかアイツがあんなに……あんなに……うぅ…」

 

「ま、まあ男の子だし、ね?…色々気を付けさせてはいるんだけど、あの子何度言ってもそっち系の話の本質そのものを理解してくれないのよ……」

 

 女店主自身も子供のころから常にルフィと共に生活していたため、男女の関係については何一つ偉そうなことを言えない後ろめたさもある。

 どうしても二の足を踏んでしまう分野である故、この思春期少年が期待するような情操教育の成果はこの日まで未だに出せていなかった。

 

 もっとも、だからこそこうして彼が耐え切れずに船出する決意をしてしまったのだが。

 

 

「…マキノさんは何としてでも、アイツが海へ出る3年後までにその手の警戒心を植付けてくださいよ…?女の一人旅であんな振る舞いばかりしてたら  

 

「ぜ、善処します…っ!!」

 

 

 何となく気まずい空気のまま、哀れな少年は小船に乗り込み東の海の水平線へと旅立って行った。

 

 

 

 男の、そして兄の苦悩を背負うその後姿は、これから大きな覇を成す偉大なる海賊王の息子のものとは思えないほど、虚しい等身大の少年の背中だった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国フーシャ村

 

 

 

 ドーン島を治める東の海(イーストブルー)で最も美しい国と名高いゴア王国。

 その東の端に一つの小さな村がある。

 

 海風に回る風車が幾棟も建ち並ぶその村の名は『フーシャ村』( )

 かつて、あの伝説に謳われる最強の海賊『ロックス海賊団』( )を打ち倒した“海軍の英雄”の生まれ故郷である。

 

 

 そんな偉人が誕生した牧歌的な村が今、人っ子一人いない無人の地と化していた。

 

 いつもは賑わう酒場も、主婦たちが集う冷水の井戸端も、閑古鳥が鳴いている八百屋も。

 物音一つしない、寂しい静けさが広がっている。

 

 だが耳を澄ませば、遠方の暖かい潮風に乗って村人たちの喧騒の声が鼓膜を微かに震わせる。

 個性的で自由な彼らが集まることなど、毎日のように行われている宴会以外にはありえない。

 

 気がかりな状況に好奇心を刺激され、声が聞こえてくる方角へと歩みを進めれば、村の外れにある開けた漁港の全景が目に飛び込んでくる。

 

 

 その中央に集まっているのは、年期の入った麦わら帽子を被る一人の小柄な少女と、彼女を囲むフーシャ村の老若男女。

 

 太陽のような笑みを浮かべる麦わら娘の整えられた短髪を、わしゃわしゃと乱暴に崩す小さな悪ガキたち。

 そんな彼らを叱る、恰幅のいい老夫人。

 目を輝かせながら年上の少女を憧れの眼差しで見つめる幼い童女たち。

 涙ながらに愛の告白を捧げるも、周囲の男たちの邪魔が入り見事轟沈する若い青年のしぼんだ姿。

 

 そして、難しい顔をしながら彼女に制止の声をかける老人と  切なそうな笑顔で娘を見送るエプロン姿の若い女性。

 

 

 

 この日のフーシャ港を騒がせた麦わら帽子の女の子は、未だ名も無き有象無象の海賊共の一人に過ぎない。

 

 だが、その人物を知るフーシャ村の村民たちは皆、こぞって彼女をこう称える。

 

 

 

 

 

 

 

 “我等が誇りし、この世の全てを手に入れる、新たな海の女王(かいぞくおう)さま”と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大海賊時代の夜明けから22年。

 

 今、新たな時代を築く一人の悪の王女が、果てしない蒼の世界へ己の覇道を刻まんと、最初の一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 




長らくお待たせ致しました。
これにて本編の東の海編が始まります。

どうぞお楽しみに!


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東の海編
1話 樽の女


大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゴート島アルビダ海賊団アジト

 

 

 東の海(イーストブルー)海軍第153支部より北東に浮かぶゴート島( )

 

 海軍の定期巡回路から外れたこの無人島は近年、名を上げつつある世にも珍しい女海賊によって率いられた、とある海賊団の根城と化していた。

 

 

 一味の船長、名をアルビダという。

 

 狡猾な作戦で民間船を狙い、自身の異名にもなっている豪快な金棒の一振りで多くの人々を震え上がらせる生粋の悪党である。

 

 

 そんな海賊に哀れにも捕らえられ雑用としてこき使われていたメガネの少年コビーはその日、荷降ろしのため桟橋で働いていた。

 

 重い積荷を島の倉庫まで運ぶ作業を終らせ一息吐いていた彼は、ふと桟橋の足場に引っ掛かっている妙な物を見つけた。

 

 

「ん…?」

 

 

 樽である。

 

「…どこから流れてきたんだろう?」

 

 自分たち海賊団の物ではない。

 

 では漂流物かと考え遠い海の水平線へと目を向けてみても、船やその残骸らしきものは見当たらない。

 

 おそらくあの辺りでよく発生する大渦に巻き込まれた船舶から奇跡的にここまでたどり着いたのだろう。

 そうコビーは当たりを付けた。

 

「んしょ…っ、ふぅ。…比較的軽いけど何が入ってるんだろう」

 

 近くにあった櫂で砂浜まで寄せ、転がそうと押してみたその樽は意外なほどすんなりと動いた。

 

 この大型のラム酒樽だと満載で200kgはあるはずだが、動かした感じではその半分も入っていないように思える。

 古くなった酒樽を異なる用途で使うことは普通なので何が入っていてもおかしくは無い。

 

 美味しい果実の蜂蜜漬けでも入ってはいないだろうか、とコビーは嗜好品を期待しながらこっそり樽のふたを開けた。

 

 

 すると中からいきなり肌色の物体が飛び出てきた。

 

 

「んん~っ!よく寝たわぁ~…」

 

「…えっ?」

 

 突然彼の鼓膜を震わせたのは、樽の中から現れたソレが発した鈴の音のような少女の声。

 

 一瞬呆けたコビーはその物体の正体に気が付き思わず腰を抜かしてしまった。

 

 

「うっ、うわあああっ!?」

 

 

 人である。

 樽の中に入っていた、人である。

 

 コビーはここ最近の驚きの中でダントツのNo.1の地位に躍り出た目の前の光景に情けない叫び声を上げた。

 

「あら?人の声…?」

 

「!?」

 

 間近で大声を上げる自分に反応したのか、樽の女が後ろで腰を抜かしているコビーの方へ振り向いた。

 

 

 

 二つの夜空が彼の目に飛び込んできた。

 

 

 星々の煌きを詰め込んだかのようにキラキラと輝く大きな双眸で自分を見つめる彼女に、コビーは思わず見惚れてしまった。

 

 雲の切れ間から差し込む光が、まるで天のスポットライトのようにその女の麗容を照らし出す。

 乱れた短い黒髪も、清らかな朝露でしっとりと濡れる日焼け肌も、その全てが艶やかに輝く彼女の姿は、さながら人に化けた童話の人魚姫のように幻想的で美しい。

 

 世の女性達が歯軋りするほど見事なスタイルに反し、その顔には無垢な子供らしさが色濃く残っている。

 女性的な身体と幼女のような無邪気な顔をした彼女を“女性”と呼ぶか“少女”と呼ぶかは、この人物の2つの魅力のどちらを意識しているかで大きく分かれるだろう。

 

 思春期真っ只中な雑用少年は彼女の女性(あでやかさ)にも少女(かわいさ)にも両方惹かれ、しばらくの逡巡の後、その間を取った。

 

 

「えっと…お、おはようございます。…お姉さん」

 

「おはよう…ございます?」

 

 麦わらのお姉さんは少し首を傾げたあと、周囲をきょろきょろと見渡した。

 

 開かれた赤いブラウスの胸元で揺れる一組の大きな果実や、襟奥のうなじに目が行きそうになったコビーは、慌てて彼女の視線の先を追う。

 

 

 ヤシの木が木陰を作る白い砂浜。隣の小さな桟橋に止められた海賊船、そして騒ぎを聞き付けぽつぽつと集まりだした小汚い男たち。

 

 

 植物が生え、浜があり、桟橋が架かり、人がいる。

 

 どれも、この樽が漂ってきた方角の大海原には存在しないものである。

 

 

 ということは  

 

 

「やっーたあああ!!島に着いたわよおおおっ!!」

 

「ッひぃぃぃっ!?」

 

 陸地に流れ着いた彼女のこの状況は、まさに大自然に対する勝利といえよう。

 

 おそらく少女は大渦に船ごと飲み込まれた遭難者。

 自然の猛威に襲われながらも樽に籠り遣り過ごそうとするその豪胆と豪運が、少女の悲運を乗り切る力となったのだろう。

 

 コビーはその勇気を羨ましく思いながら、大冒険を乗り越えてここまできた麦わらのお姉さんに心の中で祝辞を送った。

 

 

 そして同時に、希望を絶望に落とすであろう彼女の不幸を祓う力がない己を恥じた。

 

 

「うっひょ~!コイツぁまたマブいねーちゃん拾ってきたな、コビー!」

 

 振り返るとやはりそこに集まっていたのは2年に渡りコビーを虐げてきた海の荒くれ者共、海賊だ。

 

 完全な男所帯に近い彼らの職業において女とは、人身売買の商品であると同時に極上の嗜好品でもある。

 それが目の前の人物のような、傷一つ無い美しい小麦肌に包まれた妖艶な肢体を持つ童顔の美少女であれば、彼らの興奮はいかほどのものか。

 

「さぁさぁよく来たなお嬢ちゃん、オジサンたちが全力で可愛がってあげるぜぐえっへっへ…!」

 

「ああ、やっぱ女ってのはこうじゃなきゃな!ウチのボスがアレだから、もう女に夢見られなくなってた所だぜ…」

 

「おい、あんま大声でソレ言うなよ殺されるぞ…?」

 

 何やら彼らの悲惨な性生活の話が一部交ざっていたが、基本的には麦わら娘の貞操の危機と捉えても良さそうだ。

 

 成り行きとはいえ、助けたお姉さんが無体な目に遭いそうになっているのをただ眺めているだけしか出来ない情けない自分に、コビーは途轍もない自己嫌悪に陥る。

 

(ぼくは…何て無力なんだ…っ!)

 

 少年には夢がある。

 弱者を守る正義の代弁者、『海軍』に入るという夢が。

 

 だが彼はその勇気を振り絞ることが出来ないでいた。

 

 相手は海賊、それも筋骨隆々とした大男たち。

 女らしい身体のお姉さんはもちろん、男の自分であっても簡単にあしらわれてしまうだろう。

 

(…だから何だっていうんだ!)

 

 女の子一人守れずに何が海兵だ。

 

 コビーはそう言い聞かせ、必死に己の弱い心の中にあるなけなしの勇気をかき集める。

 

 もっとも、状況は彼を待ってはくれない。

 自分の不甲斐なさに俯いている隙に、お姉さんの華奢な腕が毛むくじゃらな男の汚らしい左手につかまれてしまっていた。

 

 コビーは真っ青になりながら、何とか集まった勇気を動力に声を張り上げようとする。

 

 だが…その口はぱくぱくと虚しく開閉するだけだった。

 

(なっ、何で…何で声が出ないんだ…っ!?)

 

 顔は青を通りすぎ白く透けるほど血が引き、手は拳を握り締めたまま震え、膝はまるで生まれ立ての小鹿のよう。

 声を出そうと口を開けるたびに吐き気が込み上げ、身体も本能も理性さえも「関わるな」と訴えてくるほど負け犬根性に染まりきっている。

 

 

(やはりぼくは…何も出来ない臆病者だ…)

 

 コビーは折角上げた顔をまた伏せてしまう。

 

 

 最初からわかりきっていたことだった。

 

 彼はこの海賊一味で雑用を押し付けられている、下僕のような立場の人間だ。

 釣りをしようと誤って海賊の船に乗り込んでしまったのが運の尽き。

 もし今この場で女性を助けられるほどの勇気があれば、海賊船に乗り込んだときにそれを発揮し海にでも飛び込んで逃げていただろう。

 

 少年は臆病な自分らしくないことをするのを諦めようと両腕に込めた力を抜いた。

 

 そして襲われる少女に、心の内で謝罪をしようとして  

 

 

「謝るくらいなら死になさい」

 

 

   少女の玲瓏とした声を耳にした。

 

 

 はた、と顔を上げて彼女のほうを見る。

 

 そこには服を引きちぎられそうになったままこちらをじっと見つめる麦わら帽子のお姉さんの姿があった。

 

 コビーの視線に気付いたのか、少女がもう一度彼に感情を感じない平坦な声をかけた。

 

「自分のやりたいことをやれずに謝るくらいなら、今この場で死になさい。私は自分の夢を諦めるくらいなら、今この場で死んでもいいわ」

 

「…ぇ?」

 

 

 場が凍る。

 

 少女を助けることを諦めかけていた少年も、少女に乱暴しようと身体を弄っていた海賊たちも。

 一人残らず全員が、彼女から発せられる理解不能な気迫に気圧されて指一本動かせずにいた。

 

 コビーはそんな異常な存在感を放つ目の前の少女の瞳に吸い込まれるような錯覚に陥る。

 

 どこまでも深く、夜の闇のように澄みきった黒。

 

 

 彼はそこに一つだけ煌く小さな星を幻視した。

 

 

 それはか細く、今にも消えてしまいそうな小さな光。

 しかし少年にはそれが、まるで自分の心の奥底に眠る、己の小さな勇気の光に見えたのだ。

 

 理由などない。ただそう彼女に教えられた気がしただけ。

 

 だがそう思った瞬間、その勇気の光が爆発的に輝き始めコビーの胸にふつふつと熱い何かが湧き出し始めた。

 そしてその熱に突き動かされるように、少年は今度こそ、口を大きく開けて声を張り上げた。

 

 

  そっ、その人を放せっ、海賊どもおおおっ!!」

 

 

 自分でも驚くほどの大声だった。

 

 だが今更引くわけにはいかない。

 コビーは手元にあった櫂を握り締め海賊たちに立ち向かおうと体を奮い立たせた。

 

 

 少女は先ほどこう言った。夢を諦めるくらいなら死ね、と。

 

 ならば、一度くらいは夢に挑んでから死ぬべきだ。

 

 今ここで目の前の悪から、海賊から、女の子一人助けられずにどうして海兵になれるというのか。

 夢の目標である海軍将校になれるというのか。

 

 

「ぼくは…ぼくは海軍将校になるんだあああ!!」

 

 全力で振り下ろした櫂は固まっていた顎鬚の男の頭に直撃し、一瞬で意識を奪った。

 

 初めて人を攻撃し、倒した感触に大きな達成感を得る。

 今まで感じたことのない全能感が体中を走り、更なる勇気がコビーを次の敵へと突き動かした。

 

「なっ、な、なにが起きて  がはっ!?」

 

「コビー!?て、てめぇ何しやが  ぐぎゃっ!?」

 

 ようやく我に返った残り2人の海賊たちも突然の仲間割れと少年の予想外のためらいの無さに動揺し、あっという間に急所を攻撃され意識を手放した。

 

 

 辺りに静けさが戻る。

 

 残ったのは折れた櫂を持ち荒い息を吐いているコビーと、解けかかったブラウスの裾を結びなおしている麦わら帽子のお姉さんの2人のみ。

 どくどくと煩い心音に頭がくらくらしながらも、少年は自分が成し遂げたことを何とか自覚した。

 

 敵を倒したのだ。

 人を助けたのだ。

 

 この、弱かった自分が。

 

 

 

「ありがとう、コビー」

 

 

 自分の吐く息と高鳴る心臓の音しか聞こえない世界に、澄んだ声が響き渡った。

 

 我に返り振り向くとそこには自分が助けた少女が花が咲くような笑みを浮かべていた。

 

 つい先ほどまで身の危険に晒されていた者の表情にはあまり見えなかったが、コビーにとってはその無邪気な笑顔こそが何よりの勲章であった。

 

「ど、どういたしまして…」

 

 少年は照れ臭い気分で返礼する。

 何となく気恥ずかしくなり続く話題を探していると、ふとあることに疑問を覚えた。

 

「…あの、どうしてぼくの名前を?」

 

 コビーはこの麦わら帽子のお姉さんと会うのは初めてである。

 色々と場も自分も混乱していたため覚えていないが、何かの弾みに名乗っていたのだろうか。

 

「ん~…ないしょっ!」

 

「えぇ…」

 

 にぱっと子供っぽく笑ってはぐらかす彼女に少年は肩を落とす。

 

「それよりこんなのんびり話してていいの?後ろ来てるけど」

 

「えっ、何がで  

 

 補足するように言葉を続けた後に少女はあっさりと話題を変え、唐突に後ろを指差さした。

 

 コビーはその指先に釣られて指された方角へ振り向く。

 

 

 大きなことを成し、その達成感の余韻に浸るような2人の穏やかな会話に乱入してきたのは、一本の巨大な鋼の金棒だった。

 

「うわあああっ!?」

 

「コビー、つかまってて」

 

 突然襟首をつかまれ凄まじい力で引っ張られたと思ったその瞬間、少年の足が宙に浮いた。

 そして続いた浮遊感と、轟音。

 目を白黒させているうちに再度強烈な圧迫感が胸を襲い、気が付いたら彼は砂浜に尻餅をついていた。

 

「ゲホッ、ゴホッ…な、何が起きて  

 

「だぁれが海軍将校になるってぇ!?コビィィィ!!」

 

「ひいいいっ!?ア、アルビダさまぁ!?」

 

 その声に反射的に悲鳴を上げてしまったコビーは慌てて振り向き、怒りに震えるその人物を、自分の望まぬ上司である“彼女”を見た。

 

 

 女は巨大であった。

 

 樽と言うより、麦袋。馬車に引かれたヒキガエルのような醜い風貌。

 歩くたびにその弛んだ腹や胸や頬が揺れる、巨体の醜女が般若の形相で少年を睨み殺さんとしていた。

 

 

 その女の名はアルビダ。

 

 『金棒のアルビダ』の異名を持ちこのゴート島を支配する女海賊である。

 

 世界を支配する巨大国際統治機関『世界政府』により指名手配されている賞金500万ベリーの賞金首の彼女こそ、コビーを2年にも亘り虐げてきた悪女である。

 女とは思えないその怪力から繰り出される金棒の必殺の一撃は岩をも砕く、恐ろしい人物だ。

 

 過去に受けた仕打ちが恐怖となって体に染み付いているコビーは、醜女の癇癪を避けるため咄嗟に頭を下げようとして  思い留まった。

 

   それでいいの?

 

 そう隣の人物に問われた気がしたからだ。

 

「コビー!あんた随分と頭が高いじゃないか  って、何だいその小娘は?」

 

「へっ…?っあ、こ、この人は…」

 

 少年は慌てて麦わら帽子のお姉さんを背に隠そうとする。

 決して伸長が高くない彼の体でも、この少女の背丈であれば何とか事足りるだろう。

 

 彼女は先ほども男たちに襲われ怖ろしい目に遭ったのだ。

 こんな化物まで見させられたら今度こそ怯えて泣き出してしまうかもしれない。

 

 素でアルビダが麦わら娘と同じ女性であることを忘れているコビーであった。

 

「へぇ!アタシほどじゃないけど、中々イイ女じゃないかい。見つけたのがウチらだったことを感謝しな。他の海賊だったら死にたくなるほど酷い目に遭わされてただろうねぇ」

 

 だが、どうやらコビーのちっぽけな体では後ろの少女の姿を完全に隠しきるには至らなかったようだ。

 

 彼女が少年の背から興味深々に首を伸ばして成り行きを観察しているせいもあるが。

 

「決めた。アンタ、アタシの召使いにしてあげる。身の回りの世話から食事の給仕まで全部アンタに任せることにしたよ!」

 

  ッ!」

 

 自称女性のアルビダは世の他の女性たちを真似てか、美を尊ぶ人物だ。

 

 醜女がこの見事なプロポーションを誇る麦わら帽子のお姉さんに強い執着を見せたのを感じ取ったコビーは、体に残っていた先ほどの勇気の熱を必死に再燃させる。

 

 彼女を守れるのは自分しかいない。

 

 さっきも海賊たちを倒せたのだ。

 例え圧倒的な強者が相手であっても、それは決して自分が逃げていい理由にはならない。

 

 少年はもう一度、その勇気の熱に体を委ねる。

 自分に大切なことを教えてくれた少女を助けるために。

 

 

「……逃げてください」

 

「ん?何か言ったかい、コビー?」

 

「逃げてください、お姉さんっ!!」

 

 コビーは震える声で叫び、背の後ろに隠れる少女を突き飛ばした。

 

 悩ましいほどに柔らかい感触が両手に走り、直後その勢いに合わせてふわりと距離を取った彼女の身軽さに驚くも、慌てて残りの言葉を続ける。

 

「ここはぼくが時間を稼ぎます!森の東に僕が2年かけて作った小船があります!それで早くこの島から脱出を!!」

 

「あぁん?コビーお前このアタシの決定に文句があるってのかい!?そんなに死にたいならいつでも言いな!」

 

 おそらく自分は助からないだろう。

 あの巨大な金棒の一振りで地面ごと一緒に汚いサンドウィッチになるのだ。

 

 だが、自分に勇気をくれた少女は言った。謝るくらいなら死になさい、と。

 

 コビーはもう、己の夢に謝らない。

 

 謝るくらいなら彼女が言うとおり、そしてアルビダの問いかけどおり  

 

 

「そうです!ぼくは死にます!女の子一人見捨てて何が海軍だ!夢に、正義に背くくらいなら!いっそここでお姉さんが逃げる時間を稼いで死んでやるううう!!」

 

「はん!とんだバカもいたもんだよ!…ならさっさと死ね、コビー!!」

 

 

   少年は死を選ぶ。

 

 

「うわああああ!!」

 

 棘だらけの金棒が凄まじい風圧を纏いながらコビーの脳天に迫る。

 少年は逃げようとする弱い自分を押し潰すほどの大声を上げて心を奮い立たせた。

 

 

 最後に、守りたかったお姉さんの笑顔をもう一度見たかったな。

 

 恐怖に目を閉ざした少年は少しだけ悔いを残し、即死の衝撃を待った。

 

 

 だが少年の頭に届いたのは、一陣の風であった。

 

『な…っ!?』

 

  ぅえ?」

 

 目を瞑っていたコビーの耳に周囲が動揺する声が届く。

 

 いつまで経っても襲ってこない金棒の衝撃のこともあり、好奇心が恐怖に打ち勝った少年は小さく瞼に隙間を開けた。

 

「お…ねえ、さん…?」

 

 

 そして、コビーは信じられない光景を目にした。

 

 逃がそうとしたはずの麦わら帽子のお姉さんがその手折れそうな右腕で、いや指一本で大人一人ほどの大きさの金棒を受け止めていたのだ。

 

『ええええええっ!?』

 

 『アルビダ海賊団』と仲良く一緒に驚愕の悲鳴を上げてしまったコビーを誰も責めることは出来ないだろう。

 戦闘と全く縁のなさそうな線の柔らかい少女が、さらに細い人差し指であの危機的状況を打破している光景など如何にして現実だと納得出来ようか。

 

 驚くことは尚続く。

 数多の敵を屠ってきた強靭なはずの金棒から鉄の裂ける耳障りな音が発生し、その直後、鋼鉄の塊が爆ぜたのだ。

 

 最早声も無い。

 

 少女の化物じみた怪力や頑丈さはもちろん、鉄の金棒が衝撃一つで爆発する現象など聞いたこともない。

 

 アルビダたちの顎が外れた顔を目にしていなければ、極限の状況で気が狂ってしまったのではないかとコビーは自分を心配していたところである。

 

 

「助けてもらったんだもの、今度は“お姉さん”が助けてあげるわね」

 

 澄み渡った涼しい声が少年の鼓膜を震わせる。

 

 その声色に引き寄せられるように麦わら帽子の人物のほうへ振り向くと、幼さの残るその素顔に似合わぬ燐とした笑顔を浮かべている彼女がいた。

 

 大人びた少女の表情にコビーは思わず胸が高鳴る。

 

 なおこの女、義兄に加えて故郷の村でも長らく最年少扱いされ続けていたせいか、少年の“お姉さん”呼びに感激して調子に乗っているだけであった。

 

 

 少女が大きく腕を引く。

 

 その行為の意味を真っ先に理解したアルビダが驚愕から立ち直り慌てて後ずさった。

 

「ま、待っ  

 

「だ~め。“好きな男以外に肌を触られたらぶっとばせ”ってマキノとの約束もあるし、何より友達を虐める悪いヤツはこうよ!ゴムゴムの(ピストル)っ!!」

 

「ッぷぎゃあああっ!?」

 

 制止の言葉も虚しく、麦わら帽子のお姉さんが放った左手の拳がありえないほど伸び上がり、醜女のそばかすだらけの弛んだ頬に吸い込まれる。

 

 そして豚のような悲鳴を上げ、まるで鞠のように空へと吹き飛び、見事な放物線を描いて島の反対側へと消えていった。

 

「ア、アルビダさまあああ!?」

 

「何だあの怪力は!?ボスの巨体が100メートルは吹っ飛んだぞ!?」

 

「あの女、腕がすげぇ伸びたぞ!ホントに人間か!?」

 

「う、うわあああ化物おおお!!」

 

 立て続けに起きる正気を疑う出来事についに海賊団が恐慌状態に陥った。

 

 腰が抜けて座り込んでしまう者、アルビダを追って後方へ走る者、ただ単純に目の前の化物から逃走を図る者。

 

 

 コビーは天下の海賊たちが情けない悲鳴を上げながら逃走するその光景を唖然とした面持ちで見守った。

 

 彼自身も何が起きたのかほとんど理解しておらず、思わず自分も海賊たちと一緒になって逃げ出したい気分になる。

 

 

 ただ、死んでいたはずの自分はまだ生きている。そのことだけは理解できた。

 

 失うことを覚悟したこの心臓の鼓動は未だ健在。

 痛みはどこにもなく、隣には自分が守りたかった少女の笑顔がある。

 

 そしてその後ろには、逃げ惑う海賊たち。

 

 

 安全を確認したことで少しずつ状況を飲み込み始めたコビーは、ようやく自分の本音を曝け出した。

 

 

「こ、こわかった…」

 

「さぁ、アイツらのお野菜とお船とお金頂いて出発しましょ」

 

「は、はい  って、そうじゃないでしょおおお!?」

 

 あの胸中に燃え盛っていた勇気の熱が冷め、いつもの調子に戻った少年は今日の一連の出来事を振り返り、押さえ込んでいた恐怖が一度に噴出し始めた。

 

 自分は何て恐ろしいことをやっていたのか。

 あの時の自分を殴りたい。

 

 そして、勇気を出せと唆してくれたこの恐ろしく強いお姉さんに怒りたい。

 

 様々な思いが渦巻きコビーは勢いに身をまかせたまま少女に向かって捲くし立てた。

 

「なっ、何なんですかお姉さんは!?何でそんなとんでもない強さを持ってるんですか!?指一本であの金棒を止めるとか人間技じゃないですよ!?」

 

「別にあんなのちょっと鍛えればコビーならすぐに出来るわよ」

 

「出来るわけないでしょおおっ!?大体あんなに強いんだったらなんで最初に海賊たちに捕まったときに彼らを倒さなかったんですか!?アルビダの金棒のときのと、桟橋でのぼくの覚悟、返してくださいよ!!」

 

「だってコビーが助けようとしてくれてたじゃない。勇気だの恐怖だの色んな“声”が聞こえてきて面白かったし、あなたなら絶対助けてくれるってわかってたから最後まで待ってたのよ」

 

「そ、それは確かに助けようとはしましたけど  って、いやいやいやいや!ぼくたち初対面ですよね!?なんでそんな当然のように信じることが出来るんですか!?おかしいですよ!」

 

 するとお姉さんは一度小首を傾げ、そしてにっこりと満面の笑顔を浮かべた。

 

「だってコビーは海軍将校になるのよ?あんな弱い海賊から女の子一人救えないわけないわ」

 

  ッ!」

 

「私もよく海兵のおじいちゃんが倒した海賊とか助けた人とかの自慢話を何度も聞かされたから、海兵がどんな人たちなのかは知ってるつもりよ」

 

 コビーは少女の言葉に小さく息を呑む。

 

 彼女は言った。

 海軍将校を目指す者なら、海賊から目の前の女の子一人救えないわけがないと。

 

 それは逆説的に、それが成せたこの自分は海軍に入るに相応しい人物である、という意味ではないだろうか。

 

 体の震えの源が恐怖から歓喜に変わる。

 

 自分の勇気は決して間違いではなかった、と。

 他でもない目の前の少女に認めてもらいたくて、コビーは思わず彼女に問いかけていた。

 

「…ぼくが海兵を志しているから、ぼくが助けに来るって信じてくれたんですか…?」

 

 それは承認要求。

 

 だが認めてもらいたいのは自分自身ではなく、自分が今まで諦めかけていた夢そのもの。

 

 海賊の雑用にまで堕ちたコビーにとって、今の自分は初めて自分の夢に向かって踏み出すことが出来た、立派な海兵志願者だと思えた。

 

 そしてなにより、あれほど強いお姉さんが身の危険に対し、己ではなくコビーの力を求めてくれたのだ。

 正義を成す、海兵になることを夢見るこの自分に。

 

 これ以上の声援がどこにあるというのだろうか。

 

 

 

 だが少女の返答はあまりにも予想外の内容であった。

 

 

「何言ってるの、あなた?私は海兵なんか信じないわ」

 

 

 

   だって私、海賊だもの。

 

 

 

「…………はい?」

 

「コビーは友達だから信じたし、鍛えたら強くなるからあの3人の海賊程度なら倒せるって最初から知ってたもの。コビーじゃない海兵志願者なんて興味もないわ」

 

 

 一瞬何を言われたのかコビーはわからなかった。

 

 海賊、少女はそう名乗った。

 

 海賊とはすなわちアルビダのような意地汚い連中であり、海兵を志す自分の  敵。

 

 

 少年はそのことを理解し、まるでファッション誌にでも載ってそうな艶やかなスタイルの少女を見て、絶叫を上げた。

 

「かっ、海賊ぅぅぅ!?お姉さんがあああ!?」

 

「むっ、失敬ね!どこからどう見ても海賊じゃないの、私!」

 

 それは流石に無理がある。

 

 豊かな胸を反らしながら頬を膨らませるその仕草は、尊大な海賊らしさを意識しているのだろうが、コビーにはただの拗ねる美女にしか見えなかった。

 

 服装は確かに豪快で野生的だが、それが包む躯体は決して犯罪者に身を堕とすような無価値なものではない。

 照明やシャッター光をふんだんに浴びながら舞台で輝ける、華やかな容姿である。

 

 顔だけアンバランスに幼いが。

 

「海賊なんてむしろ一番ありえない職業でしょう!?っていうかさっき思わず聞き流してましたけど、お爺さんが海兵だって言ってましたよね!?お身内に海軍関係者がいたのに海賊になったんですか!?何考えてるんですか!?」

 

「そんなの決まってるわ。だって私は  

 

 

 

 

 

   海賊王になるんだもの!!」

 

 

 

 

 

 その言葉を聞いたコビーはまたもや驚愕の悲鳴を上げた。

 

 

 海賊王。

 

 それはかつてこの世の全てを冒険し、力を、富を、名声ある者を、その全てを跪かせた最高にして最悪の海賊ゴールド・ロジャーに与えられた称号である。

 

 幻の至宝『ひとつなぎの大秘宝』(ワンピース)をその証とし、彼の死後無数の男たちが残された()の大秘宝を求め海へと漕ぎ出した。

 

 だが先王の死からすでに22年が経ってなお、誰一人としてそのありかを突き止め新王へと至った者はいない。

 海賊王を目指すということは、文字通り不可能を可能とし己の時代を築くに等しい果て無き夢なのである。

 

 海軍軍人の孫娘が、女性が、海賊王を目指す。

 

 その絶望的なまでの夢の大きさ、無謀さ、非常識さに少年は己の良心の全てを総動員して必死に彼女を窘めようとした。

 

「かっ、海賊王って、無茶苦茶ですっ!なれっこないですよ!百歩譲って海賊だけならまだしも海賊王って!そっ、そんなのお姉さんみたいなキレイな女の人が目指す目標じゃありませんっ!!」

 

「わぁっ…!ホントにコビーって“無理”しか言わないのね!まるで“夢”みたいで見てて面白いわ!」

 

「いやだって、どう考えても無理でしょう!?海賊王はかのゴールド・ロジャー以後20年以上も誰一人として名乗ることが許されていないんですよ!?数多の海賊たちが目指し、消えて行ったという、絶対に叶うことの無い夢!幻想なんですよ!!」

 

 すると突然頬に強い衝撃が走り、少年は僅かな滞空時間を経て大地に激突した。

 

「ふぎゃっ!?なっ、ど、どうして殴ったんですか!?」

 

「いや、何となく殴らなくちゃって思って…?」

 

 麦わら帽子のお姉さんは不機嫌そうに頬を膨らませ、言い聞かせるようにコビーに話す。

 

「コビーだって死ぬ気で海兵になりたいって思ったから私を助けることが出来たんでしょ?それと同じことよ」

 

「いや夢の規模が違うでしょう!?幻想を追って追えなくなったら死ぬなんて、そんなのただの死にたがりですよ!!」

 

「全然違うわ。命を懸けてでも叶えたい夢がある。叶えられなければ、死ぬだけ」

 

「…ッ!」

 

 当然のように言い張る彼女に少年は息を呑む。

 

 

「私はイヤよ?海賊王になれずに死ぬなんて」

 

 

 麦わら帽子を慈しむように見つめていた少女が顔を上げ、コビーに満面の笑みを見せる。

 

 

 その笑顔を見た少年は理解した。

 

 彼女は命を粗末にしているのではない。

 自分の抱いた夢を追うことそのものを人生だと、命だと言っているのだ。

 

 夢を手放すことはすなわち人生を、命を手放すことと同義である、と。

 

 

 なんという覚悟  いや、生き様だろう。

 

 こんなに美しい生き方があるのか、とコビーは夢見る彼女の姿に思わず見惚れてしまった。 

 

 海賊に怯え2年も雑用係に甘んじていた自分とは天と地ほどの違い。

 先ほど少女に励まされ、勇気を出せたことに自信を得ていた今の己でさえ足元にも及ばないほどに高貴な生き方。

 

 

 遠い、あまりにも遠い。

 

 コビーは彼女に憧れた。

 どうしたらそれほどまでに強くあれるのか。

 

 知りたい。

 どうしたら、彼女のようになれるのか。

 

 ぽつり…と口から零れた呟きは、そんな少年の憧れを言葉に変えた  彼の勇気だった。

 

 

「ぼくでも…お姉さんのようになれるでしょうか…?」

 

「海賊王は私がなるからコビーには無理よ?」

 

「違いますっ!もう…」

 

 そして少年はその勇気を形にする一歩をもう一度、踏み出した。

 

「…あの、ここから南西に進むと海軍支部のあるシェルズタウン( )って港町があるんですけど、もしそこまで行くのでしたらご一緒させてもらえませんか?お姉さんと一緒にいたら、何か大切なことが沢山学べそうな気がして…」

 

 女性との2人旅だ。

 ただでさえ憧れの人物にものを頼んでいるのに、相手の容姿も合わさりかつてないほどの緊張にコビーの体がこわばる。

 

 だが当の少女は首を傾げ、少年に言い放った。

 

 

「最初から一緒に行くつもりだったけど、違うの?」

 

「!!」

 

 何とも毎回斜め上にこちらの期待や覚悟を裏切ってくれる人だ。

 

 信頼されていることを喜ぶべきか、男と見られていないことを嘆くべきか。

 自分の心中に渦巻く複雑な気持ちに苦笑しながら、コビーは桟橋へと向かう彼女の後を追った。

 

 

 ちなみに少年の2年間の力作である自作ボートは「沈みそう」( )の一言でゴート島の腐葉土となることが決まった。

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゴート島沖

 

 

 

 数刻後。

 

 陸地に建てられていた『アルビダ海賊団』の食糧庫から新鮮な柑橘類や野菜の漬物を強奪し、貴重な水や薪を自由に使って風呂に入り、ついでに海賊たちから嵩張らない装飾品類のお宝を快く拝借した麦わらのお姉さんは、同じく貢がれた小船に乗り込みコビーと共にゴート島を出航した。

 

 便乗させてもらっている身の海兵志願者少年は、眼前で平然と行われている強盗行為を見て見ぬフリをしながら小さく溜息を吐いていた。

 

 少女が本当に海賊であることをコビーが認めた瞬間である。

 

 

「その…」

 

 コビーはゆったりと揺れながら進む小船の船上で言い淀む。

 

 だらだらと気付いたらここまで来てしまったが、このままシェルズタウン( )に着いたら彼女とはお別れなのだ。

 

 彼女は海賊で、自分は海兵志願者。

 

 もしかしたらもう二度と会うことはないのかもしれない。

 それでも少年は、自分の憧れの人物との縁をこれっきりにしたくはなかった。

 

 故に彼は、極めて常識的な質問を麦わら帽子のお姉さんに投げかけた。

 

 

「えと…もしよろしければ、お姉さんのお名前を教えてもらってもいいですか…?」

 

 するとお姉さんは一瞬きょとんとし、そして慌てて少年の問いに答えた。

 

「…え?  あっ!ごめんなさい、そういえば“私”はまだ挨拶してなかったわね」

 

「…?」

 

 こほん、とワザとらしく咳をして、麦わら帽子のお姉さんはドヤ顔で口を開いた。

 

 

「私はルフィ!海賊王になる女よっ!!」

 

 

 そして、麦わら帽子のお姉さん、ルフィの自身に満ち溢れた自己紹介が2人だけの大海原に響き渡った。

 

「“ルフィ”……”ルフィ”さん……あ、ぼ、ぼくはコビーといいま  って、あれ?そういえば前にも聞きましたけど、どうしてルフィさんはぼくの名前を…?」

 

「ししし、ないしょっ!」

 

 ぺろりと舌を出して茶目っ気たっぷりな笑顔を浮かべる麦わら帽子のお姉さんに、コビーは見惚れて何も言えなかった。

 

 

 

 

 海賊王と海軍将校。

 

 正反対の目標を持つ2人の男女は一つの船に乗り、かくして次なる目的地シェルズタウン( )を目指し航路を進んでいくのであった。

 

 

 



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2話 剣豪ゾロ・上 (挿絵注意)

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某海域

 

 

 

「“ロロノア・ゾロ”ですか…!?」

 

「そうよ。私の最初の仲間にするの」

 

 コビーに航海を任せてキャベツの酢漬けを美味しそうに頬張っていたルフィは、少年の問いに当然のようにそう答えた。

 

 少女にとってその意思は決定であり必然である。

 

 

 6歳の夜にあの夢を見てから早10年。

 17歳になりフーシャ村を出航したルフィは“夢”の麦わら海賊団のメンバー集めを当面の目標としている。

 それは彼女の半身、いや半魂であるルフィ少年の意志の名残とも言えるかもしれない。

 

 当然少女も彼ら以外の者と海賊団を結成する気は更々ない。

 

 

 ただルフィは全てが“夢”の通りにはいかないということも理解している。

 

 ルフィ少年と自分の間には性別以外にも様々な性格的嗜好的な違いがあり、実際に彼らに会ってみたら魅力を感じなかった、なんてこともありえるかもしれない。

 

 そしてその逆もまた然り。

 

 ルフィ少年とは違う人物である自分に誘われてゾロやナミ、ウソップたちが仲間になってくれるかは彼らにしかわからない。

 必死に拒絶されたら諦めざるを得ないだろう。

 

 

 色々と無い知恵を絞って勧誘文句も考えたが、結局は成るように成れと開き直ることにした。

 

 要するに、行き当たりばったりである。

 

「“ロロノア・ゾロ”を仲間にって、何考えてるんですか!?無理ですよ、無理!伝え聞く話ではまるで野獣のように海賊を探して狩り回っているそうじゃないですか!とても人の下に付く人間には思えません!!」

 

「さぁね。まぁ実際に会って見なきゃわからないけど、何もしないうちから無理無理言ってたら何も出来ないわよ?」

 

 海賊を倒しアルビダに挑んだことで少しは男らしい顔をするようになったコビーだが、その消極的な姿勢は変わらないらしい。

 

 ルフィはじっと彼を見つめる。

 この少年もまた、自分が女だったことで“夢”とは少し違う振る舞いを見せた人物だ。

 

 女子供を守ってこその海兵。

 

 誰かを守れど守られるほど弱くはないと自負している少女にとってはナンセンスだが、そのような風潮があるのは理解している。

 

 自分があの桟橋で海賊の男たちに無抵抗に捕まったことでコビーの海軍に、そして正義に対する思いが一気に高まったのだろう。

 

 これはもしかすると“夢”の彼自身より強大なライバルとなって近い将来相対することになるかもしれない、とルフィは絶品のケーキを前にした子供のように純粋な笑顔を浮かべた。

 

 その顔に見惚れポカンとしているコビーの内心に気付くことなく、少女は彼にアドバイスを送る。

 

「コビーはその無理無理言ってすぐ諦めるのを止めたら立派になれるわよ、きっと」

 

「へっ?あ、えと…、そ、そうでしょうか…?えへへ…」

 

 …その情けない笑顔にルフィの期待が大きく萎む。

 

「その笑い方もなんか弱そうだから止めたほうがいいわよ?」

 

「うぐ…」

 

 その後も特に何事もなく航海は平穏無事にシェルズタウンへと続いた。

 

 

 

 

 

 

 

大航海時代22年

東の海(イーストブルー) 某島シェルズタウン

 

 

 

 『アルビダ海賊団』から奪った小船を港の船着場に係留したルフィは海軍支部へと逸る気持ちを抑え、まずは近くの宿へと足先を向けた。

 「女は可能な限り身奇麗にしておくべし」という故郷の母親代わりのマキノ店主との約束を守らねばならないからだ。

 

 特に仲間の勧誘の際には可能な限り身嗜みに気を付けたほうが印象アップ、とアドバイスを貰った以上はそれを試してみたくなるものだ。

 

 

 尚この麦わら娘、アルビダにも述べた「素肌に触れた親しい者以外の男を許すな」の一条も含めると、実に10通りもの約束をマキノ女史と無理やり結ばされている。

 

 もっとも、女史本人が『乙女の十戒』と呼ぶそれは、女性としての最低限の情操教育を無理やり野生児に躾けるための苦肉の策であったのだが。

 

「漂流したときに樽の中に詰めてたから服はあるけど、潮風でべとべとになるのは何とかならないものかしらね。…遠くでマキノが“不潔よルフィ!”ってガミガミ怒ってる姿が目に浮かぶわ」

 

「あはは、まあ船乗りの臭いは汗、埃、潮だって言いますし。…失礼ですがルフィさんってこんな暑いのに全然汗の臭いとかしませんけど、それも例の悪魔の実を食べたことによる体質変化なんですか?」

 

 “夢”では偉大なる航路の冒険が印象深かったため、コビーのように悪魔の実の能力者一人で大騒ぎするほど平和な東の海での航海はルフィにとっても新鮮に思えた。

 

 とはいえ彼女自身がこうして海賊として海に出たのは初めてである。

 ヘンに“夢”の知識をひけらかし、他の“未来を知らぬ者”たちの誇りを汚してしまわぬように気を使わねばなるまい。

 

 あまり下手なことは喋れないな、と出航して僅か1週間未満ですでに息苦しさを感じている謎多き少女であった。

 

「さぁ?服臭くなるから汗の臭いイヤだなぁって思ったらいつの間にか臭わなくなってたわ」

 

「…ははは、面白いですね」

 

「そう?」

 

 体質が面白いのか、冗談だと思われたのか。

 ルフィにはコビーの言葉の含意の判断がつかなかったが、わざわざ見聞色の覇気を強めて“聴く”ほどのことでもないとすぐに忘れることにした。

 

 

 海軍支部に捕まっているはずの剣士の青年も非常に気になるが、腹が減っては勧誘も出来ない…とも謂うかも知れない。

 

 宿を取り旅垢を落とした二人は漂うニンニクとオリ-ブ油の香りに誘われて町の飲食店『FOOD FOO』の席に着いていた。

 

 港町だけあって肉魚介野菜と豊富なメニューが揃っており2人の唾液腺を刺激する。

 

 バケツいっぱいの海鮮サラダを水のように呑む麦わら娘の姿を見苦しく思い、コビーはこの地に来た目的についての話題を出した。

 会話中はこの少女も食べるのを止めるからだ。

 

「ルフィさんが服を洗濯しているときにちょっと町を見てきたんですけど、何やら奇妙なことになっているそうなんです」

 

  っん、そうなの?」

 

「…ルフィさん、せめて5秒は噛んでから飲み込んでくださいよ。それも体質だなんて言うんですか…?」

 

 平然と肯定するルフィに溜息を吐きながら、コビーは聞き込みの成果を発表する。

 

 

 この港町は海軍第153支部の城下町のように広がっており、その関係性もまた同様である。

 そのため支部を任される海軍将校の行動方針が町民の生活に強く影響する。

 

 前任の海軍支部大佐は常識的な軍人であると同時に優れた政治的才覚を持つ人物でもあったため、支部の運営から海兵の教育まで徹底し町の人々に可能な限りの配慮をしてくれていたらしい。

 

 

 それが一変したのが3年前にとある海賊を捕縛した功績で昇進した海軍支部大佐モーガン支部長( )の就任以後である。

 

 軍事力を背景に町民に供物と称した略奪を行い、町の運営から住民の消費活動に至るまで全てを監視し恐怖政治を始めたのだ。

 

 おまけに父の権力を笠に着た息子までもが街中で傍若無人な乱暴狼藉を働く始末。

 

 最早海軍の名を騙った海賊だ、と町民は陰で不満を溜め続けているらしい。

 

 

 とはいえ無力な彼らに出来ることは何も無く、ただただモーガン支部長が解任される日を待ち望むだけであるようだ。

 

「『絶対正義』が聞いて呆れますよ…っ!それにどうやらルフィさんのお目当ての“ロロノア・ゾロ”も、1週間ほど前にバカ息子の我侭を窘めたことで目を付けられて捕まってしまったらしいんです」

 

 こんなのぼくが夢見た海軍じゃない!と一人小声で憤怒の炎を燃やしているメガネの少年を眺めていたルフィは「そんなこともあったな」と10年前のあの夜に見た大冒険物語の内容を思い出してクスリと笑みを零す。

 

 そして芋蔓式に想起される“夢”の記憶を一通り確認したことで、()の三刀流剣士を一秒でも早く見たい期待感により強く駆られるようになった。

 

 

  よしっ!準備万端だし、私そろそろ行ってくるわ」

 

 『アルビダ海賊団』から拝借した現金50万ベリーの一部を使って支払いを済ませたルフィは、店を出てから脇目も振らずに、ある人物の気配を目指し大股で進んでいく。

 

 食欲が治まった今、後ろのコビーの制止の声も耳に届かないほど彼女の想いは自身の体を突き動かしていた。

 

 少女はこの日を10年間も待ち続けていたのだ。

 今日がその待望の瞬間なのだと考えるだけで顔に笑みが浮かんでくる。

 

 

 ルフィは今、“夢”における記念すべき最初の仲間にして共に何度も仲間を守った戦友『“海賊狩り”ロロノア・ゾロ』( )の勧誘のために、彼が捕らえられている海軍支部の練習場へと足を運んでいた。

 

 剣士としての誇りを決して忘れず、嘘を嫌い酒が大好物な荒武者。

 ノリが良く、仲間思いでもあった彼はルフィ少年にとって何よりも代え難い存在であった。

 

 何があってもゾロだけは味方になってくれる。

 そんな強い信頼関係を“夢”のルフィ少年は彼と築いていた。

 

 

 だが“夢”とは違い、少女ルフィは女である。

 

 注意深くゾロの発言や行動を思い返せば色々と見えてくる。

 彼は特筆するほど男尊女卑に傾倒していたわけではないが、こと戦闘においては女であるというだけで一歩も二歩も距離を置きたがる少々捩れたフェミニストであった。

 

 そんなゾロを女の下に付かせ、しかも海賊に身を堕とさせるのは至難の業だろう。

 ルフィ少年のように彼の愛刀で交渉し、成り行きでお尋ね者に仕上げても首を縦に振ってくれるかどうか。

 

(うーん…わからないわ!っていうかもうほぼ着いちゃったし、難しいことは直接本人に尋ねてから考えましょ!)

 

 ルフィは立ち止まることに全く魅力を感じず、行動しながらしか考えることが出来ない魚類のような女であった。

 

 

  フィさん!ルフィさんっ!!」

 

「何よコビー、どうしたの?」

 

 そういえば彼も付いて来ていたのだった。

 ルフィは足も止めずにそのまま少年に問い返す。

 

「“何よ”じゃないですよ!ホントに待ってくださいっ!そんな一直線に海軍基地に向かわないでくださいよ!ぼ、ぼくにだって心の準備とかが…」

 

「何言ってるのよ。今はあなたの海兵志願のためじゃなくてゾロのところに向かってるの。海賊の私と一緒に海兵志願なんてしたら逆に攻撃されるでしょ」

 

 何も引率者が一緒に付いて来なければ入隊志願が出来ないわけでもあるまい。

 

 いくら友達とはいえ、彼が敵対組織に加入するその瞬間まで自分が立ち会う必要などないだろう、とルフィは薄情にも歩みを続ける。

 

「こういうときは情報収集が大切なんです!海賊のルフィさんが海軍基地を嗅ぎ回って碌なことに  

 

「ゾロの場所ならわかるから、そんな面倒なことしなくていいわ」

 

「えっ、何でこっちにいるってわかるんですか?普通捕らえられているなら地下牢とかでしょう?」

 

「ないしょ。かなり弱ってるし“夢”より遥かに小さい気配だけど、あれで間違いないわ」

 

 東の海(イーストブルー)には過ぎた力、見聞色の覇気を日常レベルで常に展開しているルフィに、仲間(予定)の気配を辿ることなど造作もない。

 

 ほぼ最短距離で目当ての人物に辿りつく麦わら娘に、コビーが呆気にとられて口を開けている。

 悪魔の実程度で驚愕している彼に現時点で覇気を理解しろというのは酷だろう。

 

 とはいえこの少年もまた、“夢”ではあと僅か半年足らずで同じ見聞色の覇気に目覚め、二年後にはその達人と呼ばれるほどの優れた使い手となる。

 

 もっとも今の段階では夢のまた夢だ。

 

「ル、ルフィさんっ!?」

 

 ぴょんっと海軍基地の塀の上に飛び乗りそのまま乗り越え下に降りる。

 遠慮もクソもない、正真正銘の無法者だ。

 

 だが麦わら帽子の海賊少女にとっては些細なこと。

 彼女の関心は今、自身の目の前の人物に集中していた。

 

 

 海軍第153支部第二練習場。

 

 支部の海兵たちにそう呼ばれている粘土の広場の中央に、十字の杭に拘束された  黒いバンダナの男がいた。

 

 

 

「…何のようだ、女」

 

 

 

 『“海賊狩り”ロロノア・ゾロ』。

 

 東の海では知らぬ者はいないとまで言われた凄腕の剣士である。

 

 三振りの刀を駆使する三刀流剣術の使い手で、麦わら海賊団のNo.2として常にルフィ少年を支え続けた最高の相棒。

 ルフィ少年も彼には絶大な信頼を寄せ、守るべき仲間より背中を任せる強者として大いに尊敬していた。

 

 そして少女ルフィもまた、この緑髪の青年に強く魅了された。

 

 目の前に立って改めて感じる強い覇気。

 確かに、偉大なる航路中盤のシャボンディ諸島で2年間の修行を経て再集結したときに感じたものとは雲泥の差である。

 

 だがそれでも彼の鋭い眼つきとギラ付くような力への渇望が、この男が大を成す者であることを強く突きつけて来た。

 

 

 折角の初対面。

 ルフィはゾロの考えていることに強い興味を覚え、見聞色の覇気を活用し彼の表層心理を読み解いてみる。

 

 困惑、疑惑、僅かな警戒、そして1週間以上の断食と不眠からくる食欲と睡眠欲。

 先ほど食事所のおっちゃんに貰ったポケットの飴でもあげたくなるほど辛そうだ。

 

 予想外な感情として、命の危険時における生存本能故かこちらの薄着を見て性欲も抱いている。

 そういえばストイックな割に意外とむっつりなところがある男だった、と少女は“夢”の彼の女性に対する反応を思い出した。

 

 そして最も興味深かったのが、彼が自分の瞳に何か不思議なものを感じ見惚れていることだろうか。

 

 これはコビーのときも同じであった。

 鏡ならマキノの物を使わせてもらっていたが、こと自分の瞳に関しては特に意識して見たことがない。

 

 “夢”のルフィ少年には無かったはずの特徴であり、覚えていたら今度どこかで注意深く見てみようと、ルフィは記憶の片隅に留めておくことにした。

 

 なお、記憶の中枢に置いたものすら忘れる彼女に“記憶の片隅”などという便利な脳内スペースは存在しない。

 

 

 ルフィは剣士の表層心理を一通り読み終え、自分の予想を確信へと変える。

 

 やはり性別の違いは仲間たちの反応も大なり小なり変化させるようだ。

 

 女であるこちらを格下と判断したためか、彼から闘争心や敵対心がほとんど感じられない。

 ゾロでこのように変化するなら、あの女好きのぐるぐる眉毛の料理人はどうなるのだろう、といつも言い寄られていた仲間の女性陣の姿を思い出してルフィは苦い顔をした。

 

 読心のために極限まで体感時間を延ばしていた覇気を解除し、ルフィはフーシャ村のマキノに口が酸っぱくなるほど躾けられた“初めまして”の挨拶を行う。

 

 初対面の印象を大事にする少女の姿に、故郷の母親代わりの女店主は今頃咽び泣いているだろう。

 

 

「こんにちは、初めまして。私は海賊ルフィ。あなたに一味の仲間に入ってもらいたくてここまでやってきました」

 

 その言葉に剣士はぽかんと情けなく顎を垂らす。

 

 ルフィには彼の混乱と驚愕が手に取るようにわかった。

 心どころか少し先の未来まで見通し、万物の声さえも耳に届く麦わら少女の見聞色の覇気はこのような交渉においても恐ろしい武器となる。

 

 若い女のバカなお遊びか、どこぞのクズ海賊の親玉に“海賊狩り”をその豊満な胸で誑し込んで見せろとでも命令された哀れな下っ端娘か  などと全く見当違いのことを考えているゾロの思考を楽しそうに読み取りながら、ルフィは彼の返答を待った。

 

「……帰れ、悪党に身を堕とすつもりはねェ。第一、船長が配下の女一人に勧誘させるような腐った海賊団になぞ誰が入るか」

 

「勘違いしてるみたいだけど、私の一味の船長は私自身よ?だからあなたを誘うのは女の私一人にしか出来ないの」

 

 再度、驚愕。

 

 今度は困惑の感情も数瞬前とは大違いに濃い。

 しばらく彼の心を堪能していると、麦わら娘を見上げる青年剣士が少女の発言を鼻で嗤った。

 

「……ハッ、こりゃ傑作だ。最近の海賊はこんなアイドルみてェに軟弱なお嬢ちゃんが頭張れるほど零落れてやがるのか。例のアルビダってのにでも憧れたか?」

 

「あの厳ついオバサンならここに来る前に絡まれたからぶん殴って海に消えてもらったわよ?私の船も食糧もお宝もあの人から奪ったものだし」

 

 論より証拠とポケットから醜女が身に着けていた趣味の悪い巨大な宝石の指輪を取り出し、これ見よがしに見せびらかす。

 指名手配書にも映っているアルビダのトレードマークの一つだ。

 

「……お前が、500万ベリーの賞金首を…?」

 

 再々度、驚愕。

 

 どうやら自分は、彼の目にはそれほどまでに弱そうな普通の女の子に見えるらしい。

 

 コビーといいゾロといい、何故自分をモデルだのアイドルだのといったきゃぴきゃぴした職業に就く人間だと判断するのか。

 もしかしてこれがマキノのいうイメチェンの必要性というやつだろうか。

 

 麦わら娘は真剣に悩み始めた。

 

 

 ルフィは試しに記憶にある女海賊たちの姿を思い浮かべる。

 

 アルビダを除けば一味の女性陣か、あの女ばかりの島のハンコック、そしてルフィ少年が命辛々逃げ出した最強の女海賊ビッグ・マムくらいである。

 

 ナミのようにキュートでセクシーに振舞う…のはちょっと憧れるが、やり方がよくわからない。

 ロビンのように知的に…は不可能なので却下。

 ハンコックのように全てを上から目線で…は見下す身長が足りない。

 ビッグ・マムは…最早バケモノの類である。

 

(どうしよう…)

 

 参考資料のハードルが高過ぎてとても彼女たちのような女海賊にはなれそうもない。

 

 軽く落ち込んだルフィであったが、そもそも自分は海賊王になるのだから他者を真似る必要は無いと気が付き、イメチェンは止めることにした。

 

 舐められたら覇気で威圧すればいいだけの話である。

 

(覇気といえば…)

 

 ルフィは町の住宅地方面から小さな少女の気配と、その子がこちらに近付こうとしている意思を感じ取った。

 

 比較的強めに見聞色の覇気を開放している今の麦わら娘には、この町で起きていること全てが手に取るようにわかる。

 どうやら覇気が拾える情報の量は彼女の頭の出来には左右されないようだ。

 

「…女の子?ああ、あのおにぎりの子かしら」

 

「…?」

 

「町の女の子がゾロにおにぎりを作ってくれたみたい。あと多分バカ息子も来てる」

 

 意味がわからず困惑しているゾロを放置し、先ほど登ってきた塀の辺りへ目を向けるルフィ。

 

 覇気でこちらに近付いてくる者たちの気配を感知した彼女は“夢”で起こった出来事を思い出す。

 

 ゾロに救われた女の子が捕らえられた彼におにぎりを持ち寄り、同時に遭遇した海軍支部のお偉いさんのバカ息子にそれを踏み潰される。

 

 確かルフィ少年はその後のゾロの女の子への配慮が気に入って彼を仲間に誘うようになったはずだ。

 

 

 どうせならこんな情けない驚愕顔ばかり見せるゾロではなく、女の子の好意を無下にしなかったあのカッコよくて優しい彼の姿が見たい。

 

 そう考えたルフィは小さな町娘が基地の塀を乗り越えてくるのをじっと待った。

 

 

「ルフィさんっ、も、もう戻って来てください!見つかったら  って、女の子…?」

 

「しーっ!静かにしてっ」

 

 しばらくコビーがしがみ付いていた塀を眺めているとカタン、と梯子が掛けられた。

 

 どうやら“夢”の通りのことが起き始めているらしい。

 麦わら娘は大人しく成り行きを見守る。

 

 すると塀の向こうからぴょこっと小さな頭が飛び出した。

 

 当然ルフィの乏しい記憶力で相手の顔など覚えているわけもないが、その人物のクリクリした愛らしい瞳は何となく見覚えがあった。

 

 ゾロの小さな恩人、町娘のリカである。

 

  あれ?剣士のお兄ちゃんの隣に麦わら帽子のお姉ちゃんがいる…?」

 

「!」

 

 童女の言葉に笑みを深めるルフィ。

 

 コビーに続き二人目の“お姉さん”呼びに、これまでのフーシャ村における末妹としての悲しい思い出が吹き飛ばされる気がした。

 思わずこの感動を仲間(候補)と分かち合いたい気分になる。

 

「ねぇゾロ、聞いた!?私のこと“お姉ちゃん”だって!ああん、何て可愛いのあの子!コルボ山の野ザルだのマウンテンゴリラだの失礼なことばかり言う村のクソガキ共とは大違いだわ!」

 

「…年少が年長を敬称で呼ぶのは意外でも何でもねェだろ。どんだけ適当な扱い受けてきたんだよ、お前…」

 

 馴れ馴れしく名で呼ばれたことに彼の心が不快感を訴えてくるが、それにルフィが関心を示すことはない。

 

 それよりもゾロとの気軽なやり取りが出来て機嫌が上昇している麦わら娘であった。

 

「あの、お姉ちゃんも剣士のお兄ちゃんにおにぎり持ってきてくれたの…?」

 

「いいえ違うわ。でもゾロならあなたのおにぎり、ちゃんと食べてくれるわよ」

 

「おい、勝手に決めるな!つかまたヘンなガキが増えたじゃねェか!見つかるから後ろのメガネ含め三人ともさっさと帰れ!」

 

 ゾロは小声で凄んでみせるが、相手が少女たちであるからかどうしても気迫に欠けてしまう。

 

 当然ルフィもリカもその程度で怯むほど弱い意志を持ってはいない。前者は純粋に強者であり、後者は母親の叱咤を覚悟で恩人への恩を返そうとここまでその小さい足を一生懸命運んできたが故に。

 

 強面の青年と幼い童女の小さな言い争いを微笑ましく眺めていたルフィは、先ほどからこちらへ向かおうとする意思を持つ男の気配がかなり近付いたのを感じ取る。

 

 おそらくコレが例のバカ息子だろう。

 この歩行速度ならもう間もなくあの鉄格子門から現れるはず。

 

 ルフィは面白そうなのでひとまず放置しておくことにした。

 

 

「おやおや、いじめはいかんねぇ。ロロノア・ゾロ」

 

 リカの手によって無理やり砂糖おにぎりを口に詰め込まれつつあったゾロを眺めること少し。

 気持ち悪いニヤケ面を貼り付けながら広場に現れたのは、かの七光りバカ息子ヘルメッポである。

 

 もちろんルフィの頭脳に彼の名前のような無価値なもので記憶容量を圧迫させる余裕はない。代名詞は『バカ息子』の一つで十分なのだ。

 

 だが折角傍観者の立場を維持してきたルフィだったが、事態は彼女の予想外の方向へと進んでしまう。

 

 捕らえたゾロにちょっかいを出すためにワザワザ足を運んだバカ息子が、剣士と童女のやり取りをノンビリ眺めている後ろの麦わら帽子の女に興味を示したのだ。

 

「おほっ…!」

 

 幼い顔以外の全てが好み。

 ヘルメッポが初対面の麦わら娘に抱いた最初の感想である。

 

 これほどの女なら町で噂になっていてもおかしくはないが、自分の耳に届いていないのならば流離の人物であろうか。

 マトモな育ちをしている者が平然と海軍支部の敷地に不法侵入するわけがない。

 身寄りの無い女なら海軍支部大佐の息子である自分が手篭めにしても誰も文句を言わないだろう。

 

 顔の子供らしさが抜けるであろう数年後を妄想しながら、ヘルメッポは麦わら娘の躯体を嘗め回すように視姦する。

 

「…ふぅむ。で、お嬢さんはどこの誰なのかね?」

 

「え、私?」

 

 そんなバカ息子の考えが絵本の朗読のように容易く耳に届く覇気使いのルフィは、内心かなり困惑していた。

 

 ヘルメッポの劣情にではない。

 彼が隣の町娘リカではなくこの自分にその悪意の矛先を向けたからだ。

 

 

 麦わら娘が大人しく成り行きを見守っていたのは、単純に仲間(予定)のゾロの勇姿を己の目で見たかったからである。

 

 “夢”ではこの青年剣士、リカの砂糖おにぎりが土に塗れても食べきり彼女に感謝を伝えようとしたほどのお人好しである。

 

 そんな彼のステキな一面を是が非でも自分の目で見たかったルフィであったが、発端のヘルメッポがその2人から興味を失ってしまったのだ。

 

 童女の手の中の物を見向きもしないバカ息子が今更リカのおにぎりをゾロの目の前で弄ぶような遊びはしないだろう。

 

 

 実際は“夢”と同じくコビーと一緒に塀から全てを見守っていればよかったのだが、そこまではルフィの拙い頭では思いつかなかった。

 

「そう、君だよ君。海軍支部の敷地に無断侵入。いけないねぇ、これは立派な犯罪だぞぉ?」

 

 下卑た手つきで気安く自分の腰を抱き寄せたヘルメッポの行動に、ルフィは不快感から顔を歪める。

 

 嫌な男に素肌を触れられた。

 あのマキノ啓示の『乙女の十戒』案件である。

 

 だが山賊に酒をかけられても平然と笑っていたシャンクスの姿を思い出し、少女は約束の遂行に一先ず待ったをかけた。

 

 この程度のことで一々暴力を振るっていては仲間(予定)に生娘らしい未熟な船長だと思われてしまうかもしれない。

 

 自分の名誉など海賊王の称号で十分だが、ゾロの勧誘の成否は大きな問題だ。

 

 ルフィはマキノの謂い付けをゾロが正式に仲間になるまで先延ばしにすることに決めた。

 

 

 だがそんな無抵抗な少女の姿が剣士のお人好し魂に火を燈す。

 

「…その女から手を離せ。そいつは無関係だし、てめェらモーガン親子が好き勝手してるこの町の人間でもねェ」

 

 彼にはこの麦わら娘の経歴も、自分を勧誘してどうするつもりなのかもわからない。

 

 だがただの遊びならともかく、もし危険を冒してまで真剣に海軍に捕らえられている自分を仲間に誘っているのであれば事情は異なる。

 

 結果こうして権力者のバカ息子に捕まり辱められそうになっている少女の現状にゾロも思うところがないわけではない。

 

 

 しかし剣士のその言葉はヘルメッポの下種な笑みを深めるだけであった。

 

 バカ息子は思い出す。

 元々自分はこの腹立たしい剣士の不甲斐なさを笑い悦に浸る目的でここへ来たはずだったのだ、と。

 

「そうか、それは可哀想に。お前が無力なせいでこのお転婆なお嬢さんが不幸な目にあうんだからよぉ…なぁ?」

 

「なっ、ふざけんな!そいつは関係ないって言っただろうが!」

 

「関係あるとも。そこの看板に書いてあるだろう?」

 

 バカ息子は近くに立てかけてある禁則事項の看板を指差した。

 ルフィの不法侵入行為は当然その内の一つに該当する。

 

 ゾロに見せ付けるように麦わら娘の細い腰を撫で回し、怒れる剣士の反応に満足したヘルメッポは彼女を自室へ連れ込もうと踵を返した。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「さぁお嬢さん、こんな不甲斐ない男は放っておいて。君にはこれからおれの部屋で不法侵入のお仕置きを受けてもらわんとなぁ。ほら、付いてこい」

 

「イヤよ」

 

「うむうむ    は?」

 

 一瞬、ヘルメッポは耳を疑った。

 

 そして自分の先導を無視しゾロへ視線を固定したまま微動だにしない彼女の姿を見て、先ほどの言葉が聞き間違いでないことを理解し、驚いた。

 今まで無抵抗だった女が突然反抗の意思を示したのだから。

 

 脅しが足りなかったか、とバカ息子は口調を荒らげ威圧することにした。

 

「あァん?てめェ自分の立場わかってんのか、オイ。おれの親父はあのモーガン大佐だぞ?」

 

「私はゾロを自分の海賊団に誘うためにここまで来たの。それが叶うまでここから離れるつもりはないわ」

 

『なっ!?』

 

 声がそこら彼処から上がった。

 

 その内容は様々。

 

 ヘルメッポは女が自分の権力を知って尚逆らったことに対して。

 海兵たちとリカは麦わら娘が海賊を自称したことに対して。

 コビーはそれをルフィが海軍の目の前で行ったことに対して。

 

 そしてゾロは海賊を自称する少女が、先ほどの勧誘を未だに最優先していることを理解して。

 

「ばっ、バカ!てめェこの期に及んでまだそんなこと言ってやがるのか!?俺は犯罪者にも弱い女の下なんかにも付かねェって言っただろ!」

 

 てめェはてめェの身の心配をしろ、と怒鳴り散らす剣士にルフィは満面の笑みで言い放った。

 

 

「だってあなたが仲間になってくれたら絶対私の冒険が楽しくなるわ!それに――世界一の大剣豪を欲しがらない船長はいないもの」

 

  ッ!?」

 

 

 剣士はその言葉に目を零れ落とさんばかりに見開いた。

 

 

 それはかつて、幼い剣豪が最期まで敵わなかった一人の少女と交わした生涯の約束。

 剣の道を極めんとする全ての剣士たちの最高の夢。

 

 だが青年がその野望に抱く思いは、道半ばで途絶えた亡き友と自分自身の2人分の夢を併せた、何よりも高く重く神聖なもの。

 

 それこそが、天に召された悲劇の少女の下へと届くほどの名声。

 

 

 彼にとっての、『世界一の大剣豪』という称号である。

 

 

「てめェ…何でそのことを知っている」

 

 不快感を隠そうともせず、周囲のバカ息子や海兵たちが怯みあがるほどの殺気を放ち目の前の麦わら娘を睨みつける。

 

 異常を察知した海兵たちが少しずつ集まり出す中、自称海賊団船長の少女は表情一つ変えずに笑みを浮かべたままゾロを見下ろしていた。

 

 剣士は内心驚くも、同時に納得する。

 

 この女の意思の強さはこれまでの彼女の振る舞いで理解した。

 

 おそらくかの高名な女海賊を下したのも事実。

 小娘の見た目どおりの実力ではないのだろう。

 

 あのバカ息子に良い様にされているのも、もしかしたら少女の言葉通りに自分の勧誘を全てにおいて最優先しているからかもしれない。

 

 

 何てバカで強情で不器用な人間なのだろう。

 

 どこか放っておけない危うさを感じさせると同時に、その揺ぎ無い信念を堂々と誇る目の前の“女”に  ゾロは不可解な苛立ちを覚える。

 

 

   てめェが“その野望”の重さも知らずに気軽に口にするんじゃねェよ。

 

 

「うーん、理由はいっぱいあるけど…知りたいなら仲間にならなきゃヤダ」

 

「ッ!…ふざけてんのかてめェ!!」

 

 最早その目はルフィを射殺さんとするほどの気迫を帯びていた。

 

 からかうように舌を出し笑う麦わら娘にゾロは怒りの咆哮を上げる。

 

 暴れる猛獣を十字杭に拘束している縄が激しく軋み、恐怖に錯乱したヘルメッポがズボンの股間を濡らしながら応援の海兵を求め叫びまわる。

 それに応えた兵たちが慌てて小銃を構えて怒れる猛獣を牽制するも、彼の怒りは治まらない。

 

 

 ゾロ自身、自分が何故これほどまでに不愉快な気分になっているのか理解出来なかった。

 

 ただ、男に触れられ不快な思いをさせられても、強烈な殺気を浴びせても、海兵に銃口を向けられても、小揺るぎもしない目の前の少女が見せた心の強さが、かつて見た亡き友の涙を想起させるのだ。

 

 容姿も性格も何もかもが違う。

 

 だからこそ…女であることに絶望していた幼い女剣士と、女の身で海賊を名乗り、仲間を求めて自由気ままにこんな危険な場所まで堂々と乗り込んでくる目の前の麦わら娘の、その巨大な“違い”が  どうしても腹立たしかったのだ。

 

 

 だがそんなゾロの内心や周囲の海兵たちさえお構いなしとばかりに、少女は平然と剣士に言葉を返した。

 

 

「私はふざけてなんかいないわ」

 

「な、に…!?」

 

 

 ゾクッ…、とゾロの肌に鳥肌が立つ。

 

 集まる海兵たちに銃口を向けられたからではない。

 突然、怯みあがるほどの気迫に飲み込まれたのだ。

 

 その異様な気配の出所はすぐ目の前の、壮大な夜空のような瞳をした麦わら帽子の少女であった。

 

「私は本気でゾロに仲間になってほしいし、仲間じゃない人に秘密を教えることもしない。それに最初に選んだ仲間は、私と一緒に戦い、互いの背中を預けられるほど強い人じゃないとイヤよ」

 

「お…まえ…」

 

 吸い込まれそうになるほど深く透き通った大きい瞳の少女が、その華奢な両腕を開いた。

 

 それだけで、まるで世界そのものを抱きしめようとしているかのように錯覚するほどの巨大な存在感が彼女から発せられる。

 

 それは杭に縛られる猛獣が子犬に見違えるほどの、強大な怪物の如き存在感だった。

 

「世界最強の剣豪にすらなれない雑魚に用はないの。ゾロの夢は軽くもないし、私の言葉も同じように気軽に言ったものじゃないわ。だって私は夢を叶えたあなたの船長に相応しい  

 

 

 そして、この場にいる一人の若き“王”がその裁定を下す。

 

 

 

  この世の全てを手に入れた、『海賊王』になるのが夢だもの!!」

 

 

 

 瞬間。爆発的なナニカが、麦わら帽子の少女から放たれた。

 

 

 

 



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3話 剣豪ゾロ・下

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某島シェルズタウン

 

 

 

「かっ  」 

 

 

 魂を押し潰すほどの凄まじい圧迫感がゾロの意識を飛ばそうとする。

 心臓や肺が握り潰され、視界が白み、自分の意思そのものが消えていく感覚。

 

 “敗北”、などという高等なものではない。

 

 同じ土俵に立つことすら許されない、そんな雑輩の弱者と見做される感覚。

 

 

 それこそが“王”の裁定。

 

 

 格の及ばぬ有象無象から強者を選別する、覇道を成す者たちのみが纏う強大な意思の力である。

 

 

  ッッぐううおおああっ!!」

 

 

 そして、頂点を目指す剣士は、その土俵に這い上がった。

 

 今まで培ってきたもの全てが崩れ落ちるのを必死で支え、吹き飛びそうになる意識を舌ごと食い縛り引き戻したゾロは、自分に屈辱を与えた少女を残った気力の全てで睨みつけた。

 

 だがその体の震えは止まらず、血だらけの口の端には吹き零れた泡の残滓がこびり付いている。

 

 麦わら娘の理解不能なほど巨大な気迫に驚愕する余裕も、周囲で王に平伏するように気絶している何十人もの海兵たちの無様な姿を見る気力もない。

 

 ただ、目の前の圧倒的な強者へ抵抗の意思を示すだけで精一杯であった。

 

 

 その強気な目が気に入ったのか、“王”の笑みが深まった。

 

 

  夢の大きさで語るなら、私のほうが上よ。未来の大剣豪さん」

 

 

 その言葉と共に、ゾロは自身に掛かっていた強烈な圧迫感が緩んだのを感じ取る。

 

 張り詰めていたものが緩み、止まっていた心臓や肺が酸素を求め忙しなく動き出した。

 

 荒い息を落ち着かせながら、剣士は警戒を解くことなく、先ほどの現象の正体を突き止めようと必死に記憶を漁っていた。

 

(何だ今のは、何なんだよ……!ありえねェだろうが…っ!)

 

 視界の端に情けなく倒れ伏しているヘルメッポや海兵たち、そして辺りを怯えた表情で見渡している、何故か無事な子供たちを確認する。

 おそらく、海賊娘が先ほどの不可視の圧力をあの2人にだけは意図的にぶつけなかったのだろう。

 

 それほど器用で利便性の高い力だからこそ、ゾロは先ほどの圧迫感がただの強いだけの気迫には思えなかった。

 

 

 この世の超人たちと言えば、あの悪魔の実の能力者たちである。

 おそらくこの少女もその名を連ねる者の一人。

 

 だがたとえそうだったとしても、自分の意識が吹き飛びかけ碌に会話も出来ない状態にさせられるほどの力だ。

 こんな想像すら付かない反則じみた能力を持つ相手に対する対応策など、ゾロには全く思い浮かばなかった。

 

 

「…ハッ、海賊王たァ大きく出たな」

 

 思わず呟いてしまったその言葉が、まるで負け犬の遠吠えのように聞こえてしまう。

 それがまた腹立たしさを加速させる。

 

 そして、先王の処刑から20余年という年月により、最早幻想の存在と化したその偉大な称号を躊躇いも無く自慢げに目指す少女の笑顔も、また同様に腹立たしかった。

 

「そうよ、大きいの。だから私の最初の仲間になるゾロは世界最強の剣豪くらいになってくれないとイヤなの」

 

「…ッ」

 

 再三、少女の口が同じ誘い文句を紡ぐ。

 

 先ほどの人知を超えた力を見せ付けられた後に届くその言葉は、以前とは全く異なる重みを持っているように感じることだろう。

 

 だがゾロは気付いていた。

 この女海賊が発した全ての言葉に、“重さ”の違いなど存在しないのだと。

 

 彼女は最初から、どこまでも本気だったのだ。

 

 ゾロを勧誘しに来たことも、ゾロが仲間になるまでここから去らないことも、ゾロが世界最強の剣豪になると期待していることも。

 

 そして――海賊王を志していることも。

 

 

「…何でそんなに強ェんだよ」

 

 何故、そこまで強い意思を持てるのか。

 何故、百戦錬磨の益荒男たちでさえ諦めた大海賊時代最高の夢を、このか弱そうな小娘は自分の力を疑うことなく堂々と目指せるのか。

 

 とある女剣士の泣き顔が脳裏にちらつき、目の前の少女の笑顔がゾロの心に黒い感情を沸立たせる。

 

「強いわよ、私は海賊王になるんだから」

 

「そうじゃねェよ!何なんだよ、てめェは!?」

 

 ゾロの憤懣は止めどなく溢れてゆく。

 

 何故こんな、何も考えていないような小娘がこれほどの力を持っているのか。

 何故こんな、唯の女の気迫如きで大の大人が何十人もぶっ倒れるのか。

 何故こんな、女らしく線の柔らかい身体をした小娘の威圧で、このロロノア・ゾロが屈服させられそうになっているのか。

 

 何故、何故、何故。

 

 何故、“アイツ”じゃなくて、こんなヤツが!

 

「ありえねぇだろ!何かの間違いだろうが!!」

 

「むっ、間違いってなによ!間違ってるって言う方が間違ってるのよっ!」

 

「違わねぇよ!!だってテメェは  

 

 

   女だろうが。

 

 

 続くはずだったその言葉が口を滑り出そうになったゾロは、寸前で思い止まった。

 

 

 最強の剣豪を目指す男は唖然とし、ゆっくりと視線を己の足元へと落とす。

 

 無自覚に口にしそうになったその偏見。

 

 自分の夢の原点である亡き友との大切な思い出を冒涜しようとしてしまったことに気付き、ゾロは何かが自分の両腕から零れ落ちていくような気がした。

 

 鍛えても鍛えても剣速が縮まらない自分の貧弱な両腕を悲しげに見つめる彼女の顔。

 同期の弟子たちにどんどんと引き離されていく自分の身長に絶望する彼女の顔。

 女性らしく胸が大きくなり始め、悲嘆に涙が溢れる彼女の顔。

 

 そして…性別を言い訳にするなと激励し、共に夢を追おうと誘った自分に、呆れながらも羨ましそうな苦笑を浮かべた彼女の最期の顔  

 

 

「ゾロ」

 

 

 穢れの全く無い、真っ直ぐな声色が剣士の鼓膜を震わせる。

 

 叱られた子供のように肩が跳ね上がりそうになるのを辛うじて堪え、ゾロは恐る恐る、その声の持ち主を見上げた。

 

 

 太陽のように眩しい自信に満ち溢れた、満面の笑顔が彼の目に飛び込んで来た。

 

 侮蔑の嘲笑でも、軽蔑の失笑でもない。

 怒りも葛藤も全て認め、ただ一言の願いを浮かび上がらせた

 

 

   あなたと冒険出来たら嬉しいな。

 

 

 荒んだ心にとろりと染み込む、そんな蜂蜜のような輝く笑顔。

 その無垢で純粋な笑みに目をとらわれていたゾロは、ふいにカチリと何かが自分の頭の中で噛み合った感覚が走った。

 

 

(何だ、そういうことかよ…)

 

 ゾロは気付く。

 自分はただ、認めたくなかっただけなのだと。

 

 亡き友へ送った激励の言葉を、自分自身さえも“戯言”だったと考えるようになってしまっていたことを。

 亡き友の苦悩を本当の意味で“戯言”だと自ら体言している、この女の、美しく立派な生き様を。

 

 そして…亡き友以外の女に、戦わずして敗北した  己の心身の弱さを。

 

 

「…海賊王の背中を守る大剣豪、か」

 

 ゾロの夢は世界一の大剣豪である。

 少女の夢は世界を制する海賊王である。

 

 海賊王とはこの世の全てを手にする者。

 その覇道に立ち塞がる敵は無数にして無双の英雄悪党怪物ばかり。

 海軍に、七武海に、四皇に、世界政府に。

 

 そしてもちろん、あの“鷹の目の男”に。

 

 少女はそれら全ての上に立つと約束した。

 

 戦って、戦って、戦い抜いた先にあるのが海賊王の証なら、共に戦った剣士の得る名声こそが  

 

 

   世界一の大剣豪。

 

 

 面白い。

 

 ゾロは己の心の中でそう小さく呟いた。

 何より守る相手が時代の覇者というのが実に誇らしい。

 

 剣士とは騎士も武士も、己の主君を、土地を、民を、誇りを守るために剣を振るう者。

 

 姫を守る御伽噺の騎士など柄でもないが、かの海賊王の“剣”と称えられるほどの剣士になるのは悪くない。

 

 男はこのとき、自然とそう思えるようになっていた。

 

 

 

 後の海賊王と、その右腕とまで称えられた世界一の大剣豪。

 

 その一組の男女の出会いは、後世において様々な戯曲家や語部たちにより新たな海賊王伝説として永遠に語り継がれることとなる。

 

 ある作家は若かりし悪の王女と貴公子の結託の場として描き上げ、時代を象徴する反社会的な大衆娯楽の一大センセーションを巻き起こした。

 またある者は処刑の危機に駆けつけた姫に剣士が忠誠を誓う、ロマンチックな騎士物語の第一幕として、世の乙女たちの心を打つ恋物語を生み出した。

 

 世代を超え無数の御伽噺として語り継がれる『海賊王モンキー・D・ルフィ』の伝説。

 

 『“大剣豪”ロロノア・ゾロ』はこの日、その最初の一幕に、歴史の舞台に登場した。

 

 

 

「…おい、女」

 

「何?あと私ルフィよ」

 

 

 海賊王になるということ。

 

 それはつまり、未来の大剣豪たるこの自分の上に立つと宣言していることに等しい。

 

「…おれは強者しか認めねェ。“弱い女”なんざ願い下げだ」

 

 ゾロの品定めするかのような発言に海賊娘は一度ぱちくりと瞬きし、そして幼さの色濃く残るその愛らしい顔に、意地の悪そうな黒い笑みを浮かべた。

 

 まるで子供が悪巧みしているようだな、と剣士は場違いにも微笑ましさを感じる。

 

 しかし続く少女の挑発気味な言葉に彼はその表情を改めた。

 

「しししっ、なら見せてあげるわ!敵がちょっと力不足だけど」

 

「…何だと?」

 

 一瞬己のことを言われたのかと怒りを露にしたゾロであったが、少女の目線が自分の更に先を見据えていることに気が付く。

 

 そしてはたと彼女の言う“敵”の正体に思い至った。

 

 

 ここは海軍支部。

 

 今、基地の敷地内では騒ぎを聞き付け出動した数十名の海兵が軒並み意識を失うという重大事件が発生している。

 

 自称とはいえ海賊の進入を許し指揮下の部下たちを行動不能にさせられ、その責任を取りに現れるであろうこの場の最高責任者の名は  

 

 

「これは一体どういうことだあああ!?」

 

 

 伝説の幕開けを告げるプロローグ。

 

 その最後の脇役『斧手のモーガン』がようやく照明に照らされた。

 

 町に悪政を敷く暴君の最後としてでも、麦わら帽子の海賊少女の怒りを買った身の程知らずとしてでもない。

 海軍第153支部大佐モーガンはただ、時代の表舞台に舞い降りた未来の海賊王の登場を飾るためだけに、永遠と語り継がれる伝説の舞台の壇上へと上がったのである。

 

「何だこれは!?ここで何が起きている、中尉!?」

 

「は、はっ!じょ、情報が不足しており、ほ、本官には  

 

「黙れ、もういい!そこの麦わらの女、貴様で間違いないな!?状況証拠でそこのガキ共と一緒に皆殺しにしろ!!」

 

『た、大佐!?』

 

 役者が揃ったシェルズタウン海軍支部。

 

 その中心に立つ、麦わら帽子を身に付けた無名の女海賊は、さながら主演の舞台女優。

 陽光の如き輝きを放つ少女の、透き通る玲瓏とした声が、無数の客席へと広がっていく。

 

 

「ゾロ、あなたさっき“弱い女の下には付かない”っていったわよね?」

 

 “ギア2”と小さく呟いた少女の体が突如真っ赤に染まり、高熱と蒸気が噴荒れた。

 

『うわっ!?』

 

 モーガンに引き連れられた海兵たちが悲鳴を上げて後ずさった。

 真横にしゃがみ込むゾロも彼女が放つ爆発的な熱風に目を焼かれ、堪らず目を瞑る。

 

 だが直後、強烈な風切り音と共にその爆風が消え去った。

 

「なっ!?」

 

 慌てて目を開けたゾロは眼前から忽然と消えた少女の姿を必死で探す。

 

 そして彼は、宙を舞う一筋の火柱を見た。

 

 

 その右足は燃え盛る真紅の炎を纏い高く天へと登る。

 

 まるで舞台の緞帳を上げるかのような壮大な光景が万人の目を惹きつけ放さない。

 

 コビーも、リカも、異常を察し基地を見上げる町民たちもがその炎の柱に茫然とする中で、ゾロだけがその少女の華奢な右足に炎に隠れた鈍色の光を幻視した。

 

 そして振り下ろされた踵が巻き起こした轟音は、新たな時代の幕開けを告げる鐘の音の如く全世界に響き渡った。

 

 

 鉄が裂け、岩が砕かれ、大地が割れる。

 

 それら全ての音を掻き消す凄まじい爆風の中で、ゾロは確かに少女の玲瓏とした声を聞いた。

 

 そして剣士は風が晴らした砂塵の奥に、真っ二つに裂け轟々と燃え盛る高層の建物を見る。

 

 シェルズタウンの町人を虐げてきた正義にして悪の象徴、海軍基地中央棟がその威容を貶められた無様な姿で佇んでいた。

 

 

「海賊王を目指すほど強い女なら、どうかしら?」

 

 

 瓦礫の頂上で尊大な笑顔を浮かべる未来の海賊王は、未来の大剣豪に己の王たる証を見せ付けた。

 

 

 

「お前  女だよな…?」

 

 モーガンごと縦に両断された海軍基地の残骸を唖然と見つめながら、剣士が目の前のバケモノに確認する。

 

 いつの間に回収したのか、その手には彼の三振りの刀が携えられていた。

 

「大正解!だから仲間になって?」

 

「“大正解”じゃねェだろ!バカにしてんのかオイ!?」

 

 接続詞の前後の関係性が全く見えない意味不明な返しをしてくるルフィに、青年は渾身の突っ込みを入れた。

 

 少女の常軌を逸した強さに驚いてる暇もない。

 この女と出会ってから、ヤツの非常識過ぎる行動に振り回されてばかり。

 

 ゾロは海賊娘の満面の笑みに酷い頭痛を覚え思わず頭を抱えた。

 ここまで人のペースを崩すことに長けている人間も少ないだろう。

 

 なお本人はこの漫才のようなやり取りを仲間と交わすのが“夢”を見て以来の楽しみの一つであり、こうしてゾロと気軽な関係を築けたことに大いに喜んでいた。

 

「でもこんなに壊しちゃったら海軍も見逃してくれないだろうし、言いだしっぺのゾロも同罪ね!ようこそ海賊の世界へ!!」

 

 少女の黒鉄色に染まった指先から不可視の空気弾が放たれ、剣士の両腕の縄が切れる。

 見たことの無い技に青年の興味が引き摺られるも、直後のルフィの言葉に聞き捨てならないものを認め、彼は咄嗟に反論した。

 

「は!?おれにあの大惨事の責任を擦り付けてくんな!やり過ぎはてめェのせいだろ!」

 

「頭の固い海軍が私たち海賊の言い訳なんて信じてくれるわけないわ。観念しなさい、男でしょ」

 

「てめェに言われたくねェんだよバケモノ女ァ!!」

 

 ゾロが十字杭の拘束を解いてくれた麦わら娘に精一杯の怒声を投げかける。

 

 一月の拘束に耐えれば解放される約束で、剣士は九日間もこの地で大人しくその日を待っていた。

 だが極めて不本意ながら、これほどの惨状を引き起こした当事者の一人となってしまった以上最早そのような単純な話では終わらない。

 

 

「海軍基地が…」

 

「あんな頑丈そうな建物が一瞬で…」

 

「あの“海賊狩り”がやったんだ…っ!」

 

「バケモノ…」

 

 そこには衝撃で吹き飛んだ塀の隙間からこちらを覗く、静まった海軍基地の様子を探りに来ていた町民たちの姿があった。

 ひそひそと囁きあう彼らの声には驚愕や恐怖、警戒といった否定的な感情ばかりが籠っている。

 

 そしてゾロはそれらの中に呟かれたあまりにあんまりな冤罪に猛抗議を行った。

 

「いや待て待て待て待てふざけんな!!てめェらおれをこんなバケモノ女と一緒にすんじゃねェ!!」

 

「ヒッ!か、“海賊狩り”だぁ!!」

 

「見ろ!ヤツを捕らえていた縄が解けているぞ!」

 

「こっ、殺される…っ!」

 

 九日間の断食に加え、ルフィの覇気を受けたことで酷く消耗した男の姿は、まさに飢狼の如し。

 

 ゾロの大声が更なる恐怖を呼び、町民たちは騒然とする。

 

 あっという間に拡散する“海賊狩り”の悪行の噂を止める術を彼は持たない。

 大慌てで訂正しても誰も聞く耳持たず、追い詰められた猛獣はその牙を真の犯人に向けた。

 

「てめェこのクソアマぁ!お前も海賊なら自分の悪行くらい自分で誇りやがれ!」

 

「何よゾロ。世紀の大剣豪を目指すならこの程度簡単にやってのけないとダメよ?だから遅かれ早かれの違いだわ」

 

  ッ!」

 

 それを言われると弱い。

 

 あまりの衝撃に今まで頭から飛んでいたが、ゾロは再度目の前の両断された基地施設を見上げ、息を呑んだ。

 

 自分にこれが出来るだろうか。

 剣士は不可能だと断言出来る。

 

 だが隣の少女はそれが出来る。

 

 海賊王を目指す者が、女の身でありながらこれほど桁外れな実力を有しているのだ。

 世界最強の剣豪を目指すものとして、何より男として、女に己の弱さを失望されたまま逃げるわけにはいかない。

 

 

「…ハッ、くだらねェ」

 

 剣士は逃げ惑う人々へと目を向ける。

 

 皆が自分を恐れ、その悪名を町中に広めている。

 止める間もない一瞬の出来事だった。

 

 やむをえない事情で賞金稼ぎを始めた彼が表舞台に立ってから暫く経つ。

 謎の秘密結社から勧誘が来るほどの知名度を得たとき、青年は既に年単位の放浪生活を送っていた。

 

 だがゾロは瞬く間に己の悪名が広まる様を見たことで、ある結論に思い至る。

 

「そうだよ。名前の浄不浄だなんて、全く以てくだらねェこった。悪名だろうが賛辞は賛辞。おれの名が世界中に轟くなら賞金稼ぎだろうが海賊だろうが関係ねェ!」

 

 犯罪者?海賊?

 

 それが一体どうしたというのだろう。

 

 最強を目指すのなら必然的に海軍などの日の当たる世界の剣豪たちを相手にすることになるだろう。

 どの道悪名を晒すことになるのであれば、後はそれが今か先かの違いに過ぎないのだ。

 

 そしてそれは最強の大剣豪を目指すに当たり、全く以て意味のないことである。

 

「…認めてやるよ、女。てめェは強い!」

 

「ホント?嬉しい、ありがとう!」

 

「ああ、どうも。だがおれも男だ!絶対にてめェに追い付いてやる!その強さの理由を全て暴いておれのモンにしてやろうじゃねェか、麦わらの女船長さんよぉ!」

 

 

 剣豪ゾロは覚悟を決める。

 

 目の前に立つ女は、この世でもっとも困難な覇道を進む者。

 

 自分がそうであったように、女に頂点を取られることを悪党共は決して認めない。

 数多の強者たちがその道の障害となるだろう。

 そしてそれは共に歩むゾロの障害ともなる。

 

 望むところだ。闘争に駆られる剣士はその顔に獰猛な笑みを浮かべる。

 

「てめェに付いていけば強敵に困ることはなさそうだ。その覇道を忘れた日には、このおれがその首貰ってやる!」

 

「ッ!ならずっと一緒ねっ!二人で夢を叶えましょう、ゾロっ!」

 

 ぱあっと輝く少女の太陽の笑顔が男の心を捕らえて離さない。

 

 全ての邪気を祓うような眩しい陽光に目を細めながら、ゾロは生まれて初めて感じる奇妙な胸の高鳴りに戸惑う。

 

 そして近い将来、自分がコイツの背を守るために自慢の三振りの刀を振るっている姿が容易に想像出来てしまった。

 

 

 剣士は認めた。少女の強さを。

 少女の夢の輝きに、心の芯まで絆されてしまったことを。

 

 そして  少女の仲間になることを。

 

 

「やったわ!これで最初の仲間ゲットよ!これで正真正銘の海賊“団”ねっ!!」

 

「…は!?ちょっと待て、てめェの海賊団っておれが一人目なのかよ!?」

 

 

 だが剣士が己の選択が正しかったと認める日はまだまだ先のことになりそうだった…

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某島シェルズタウン港

 

 

 

 無人の食事所で塩気の強い熱々の炒飯をムシャムシャと頬張っている青年が一人。

 

 その食卓の対面には自分の料理を美味しそうに食べる男を放置し、窓の外を少し寂しげに見つめる少女の姿。

 

 

 ルフィとゾロは全壊した海軍基地を離れ、無人となった食事所『FOOD FOO』で出航前の腹ごしらえをしていた。

 

 あの優しい女の子の砂糖おにぎり以外、九日間も何も食べていない剣士を不憫に思った女船長が、気を利かせて故郷のマキノ師匠直伝のその腕を振るってあげたのだ。

 

 もっとも、先の大事件で料理人が逃げ出した厨房を勝手に使用する厚かましさは海賊ならではともいえよう。

 

「よかったのか?あのコビーってヤツ置いて来ちまって」

 

 ゾロが己の新たな女上司に、同行していたメガネの少年のことを尋ねる。

 

 二人の関係はわからないが、あの練習場での出会いを振り返るにそれなりに親しい間柄だったはずだ。

 挨拶もせずに別れてきたため、剣士の言葉には薄情な少女を責める色が含まれていた。

 

「彼は海軍に入るから、私たちと一緒にいたら夢を叶えられないもの。基地を壊しちゃったから海軍には相当恨まれてるだろうし、ここでは赤の他人としてお別れしたほうがコビーのためよ…」

 

 萎れた顔でポリポリと余ったキャベツを齧るルフィ。

 自業自得なのだが、その悲しげな表情がなんとも哀愁を誘う。

 

「…何で海軍に用があるヤツを連れてたんだ?てっきりお前の配下の雑用か何かかと思ってたぜ」

 

「あはは…ゾロにまで雑用呼ばわりされちゃったわね、コビー」

 

 聞けば少年は実際に彼の『アルビダ海賊団』の雑用を二年に亘ってやらされていたらしい。

 

 彼とルフィの出会いはほんの数日前。

 彼女が成り行きで少年をアルビダから救ったのが始まりだそうだ。

 

 

「樽で流されてたって…随分な目に遭ったんだな、お前も」

 

「でもおかげでコビーに会うことが出来たのよ?彼、何気にガッツあるからすぐに出世して私たちを追いかけにくるわ。きっと」

 

 そう言いながら少女は目を細め、窓の外を眺める。

 

 まるでその先の未来を見据えているかのような澄み切った瞳が酷く美しく、ゾロは僅かに動揺する。

 

 

 ルフィの目の先には一人の少年が小さな女の子と一緒に瓦礫の下敷きになっている海兵たちの救助を行っている姿があった。

 

 その献身的な姿勢に感化された町民たちも、腰が引けたままではあるが、二人に協力し始めている。

 

 海賊であるルフィは敵の海兵の安否に大した興味はないが、彼らを助けたい一心で救いの手を差し伸べるコビーの姿勢は純粋にカッコいいと思えた。

 あれこそが祖父ガープが煩く言っていた“理想の海兵”とやらなのだろう。

 

 あの様子では“夢”のときのように海賊の仲間だと勘違いされることもなく、無事に海軍に入隊することが出来そうだ。

 

 少女はコビーの成功を確信し安堵の息を吐く。

 

 

「…また会えるといいな」

 

 そんなルフィの切なげな表情が見てられず、ゾロはついそんなことを呟いていた。

 

 女の慰め方など知らぬ剣士なのだが、このときばかりはありきたりな言葉しかかけられない自分自身が何故か不快だった。

 

「…そうね。いいえ、そうよ!“W7”で会えるじゃない!なら何の問題もないわ!」

 

 だが元々そう容易く気が落ち込むほど繊細ではないルフィを慰めるには、その程度のやさしさで十分だったらしい。

 

 何の確信があるのかはわからないが、少女がヒマワリのように明るい笑顔の花を咲かせた。

 

 幼い素顔に浮かぶ表情が油断も隙もなくコロコロと変わり、ゾロの心が振り回される。

 

 この女は苦手だ。

 

 あの謎の気迫に気圧されたからだろうか。

 自分がこの少女の些細な仕草や発言に動揺してしまう事実が無性に恥ずかしくて、青年はキラキラと輝く彼女の瞳から逃げるように席を立った。

 

「あ、ゾロもう食べ終わってる。ならさっさと出航しましょ。ここにいたらコビーの邪魔になるし」

 

 続いて立ち上がったルフィがてきぱきと皿を纏めて洗い、片付けていく。

 

 故郷の酒屋で躾けの罰代わりによくやらされて身に付いた技術だが、その家庭的な姿に剣士は驚きを隠せない。

 先ほどの料理といい意外と女らしいところもあるんだな、と不思議な感情が籠った感想を抱く。

 

「…炒飯、美味かった。ごちそうさん」

 

「ホントぉ!?わぁい!マキノに叱られてばかりだったから凄く嬉しいっ!」

 

「ッ、お、おいっ!」

 

 食材費をその場の気分で心持多めにレジに突っ込んだルフィは初めての仲間の手を握り、その腕をブンブンと振りながら港の小船へと向かう。

 

 そんな少女に引っ張られて店を後にした未来の大剣豪は、これから始まる受難の日々に頭を抱えながら、胸中に沸き起こる大きな期待と高揚感を少しだけ好ましく思っていた。

 

 

 

 

 船着場に着いた二人の目には一艘の小船の姿が映っていた。

 

 真新しい帆が掲げられ、その小さな甲板には幾つもの樽が所狭しと積まれている。

 表面に黒々と書かれた文字は『PICKLES』や『WATER』、『BACON』、『LIME』などの焼印。

 中にはゾロの大好物である『SAKE』の文字が書かれた物まである。

 

 いつの間にか、出航準備が万全に整えられた船がそこにあった。

 

「へぇ、流石海賊を自称するだけのことはあるな。丘ではバカでも海上では抜かり無い船乗りってワケか」

 

 そんな褒めているのか貶しているのか曖昧なゾロの賛辞は、ルフィの耳には届かない。

 

 

 少女の心に届いてくる“声”はたった一つ。

 

 最後の最後で何ともステキな激励を貰ってしまったものだ。

 

 

 

 

   がんばってください、ルフィさん。

 

 

 

「…しししっ。次に会うときまでにちゃんと彼を鍛えてくれないと怒るわよ、お爺ちゃん」

 

「ん?何か言ったか?」

 

「んーん、ないしょっ!  それじゃあ行くわよ、出航~っ!!」

 

 

 出会いがあれば、別れもある。

 

 だがそれは永遠の別れに在らず。

 少女ルフィの冒険で出会った最初の友達は、己の夢を叶える大きな一歩を踏み出した。

 

 次の再会は“夢”の通りの偉大なる航路だろうか。

 それとも全く別の形になるのだろうか。

 

 たとえどちらであっても二人の友情に変わりはない。

 

 海賊と海兵の違いなど些細なことだと、いつまでも笑い合いたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 『海賊王モンキー・D・ルフィ』を支える最初の仲間、『大剣豪ロロノア・ゾロ』を迎えた新進気鋭の海賊団『麦わらの一味』は、今日この日に結成した。

 

 姫と剣士の出会いの一幕を象った戯曲小説は数知れず。

 老若男女を魅せる二人は悪の華。

 

 その悪行善行の数々、王の偉大な冒険譚を愛する者なら一度は訪れてみると良い。

 

 

 

 新たな王の始まりの地、『シェルズタウン』へ。

 

 

 



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4話 北極星と女航海士・Ⅰ (挿絵注意)

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島沖

 

 

 

 どんぶらこ~どんぶらこ~…ではないが、東の海(イーストブルー)のオルガン諸島沖に一艘の小船が漂っている。

 

 斜めに傾いた洗濯竿に掲げられている骸骨のモチーフが描かれた黒Tシャツは、海賊旗“ジョリー・ロジャー”のつもりなのだろうか。

 海賊船の補給艇と呼ぶことすらおこがましいこのボロ船の船長は、『麦わら海賊団』キャプテンの少女モンキー・D・ルフィである。

 

 船員2名のこの極々々小規模一味が、あの世界の庇護者である『海軍本部』の最高戦力“海軍大将”さえも退けるほどの力を秘めた化物海賊団であることを知る者は少ない。

 

 最弱の海に過ぎた実力者である麦わら帽子の少女は今、相棒の剣士ゾロと共に某諸島のとある小さな港町を目指して漂流していた。

 

 航海ではない。漂流である。

 

 ルフィは海賊を自称しておきながら航海術の知識をほとんど身につけていない。

 冗談かと呆れることではあるが、実はこれでも随分とマシな方なのだ。

 

 

 彼女の憧れの海賊である、“夢”のルフィ少年の話をしよう。

 

 この男は少女同様己の身一つで海へと出たのだが、驚くことに帆の張り方すら手探りの船出であった。

 いくら憧れの相手とはいえこれは流石に無謀過ぎる、とルフィ少年への尊敬の念を少しだけ減らした夢見る少女ルフィは彼を反面教師に航海術や基礎医療など様々な技能に手を出したのである。

 

 だが今の彼女の惨状を見る限り、あくまで手を出した“だけ”であったことは誰の目にも明らかであろう。

 母親代わりの酒屋の若き女店主マキノが、書物に向かい勉強をし始めたルフィの姿を見て硬直し、次に外の天気を確認し、続いて無垢な微笑みのまま二度寝をするべく無言でベッドに入り、最後に飛び起きて悲鳴を上げたほどである。

 

 それほど意外なことに手を出した少女に継続力などという高等なものが備わっているはずも無く、お化粧やお肌、お髪の手入れなどの女子力技能と同様に彼女の自分磨きはどれも中途半端で終了した。

 

 …もっとも、女子力に関しては彼女の肌も髪もスタイルも手入れ要らずの理想の女体を見たマキノに「不要」と悔しげに判断されたせいではある。

 ゴムゴムの実の能力と超人的生体操作術“生命帰還”は全ての女性の味方なり。

 

 

 そんなルフィちゃん17歳の本日の  天候によって大きく変動するが  予定はズバリ、二人目の仲間探しである。

 

 彼女は “夢”の中で一人の少女と、この近辺にある小さな港で出会っている。

 

 後に紆余曲折の末、自身の海賊団の航海士になるその少女。あの“夢”同様、是が非でも手に入れたい人物だ。

 

 

 彼女の名は“ナミ”

 

 お金とみかんをこよなく愛する手癖の悪い美少女航海士である。

 

 その悪評とは裏腹に彼女自身は、故郷を虐げる魚人アーロン率いる海賊団から村を救おうと一味の幹部になったり、1億ベリーを集め取引を行おうとしたりと、故郷想いの健気で優しい女の子なのだ。

 

 ルフィは“夢”を見た6歳の頃から、そんなステキなナミお姉さんの大ファンであった。

 

 コルボ山のボス猿だのマウンテンゴリラだの不名誉な異名ばかりが増えているルフィであるが、彼女はこれでもれっきとした女の子である。

 恐竜より子猫、合体ロボより夜会のドレス、辛味より甘味が好きなのだ。

 

 故に当時6歳だった少女にとって、むさ苦しい男所帯に咲く一輪の花、綺麗で可愛い小悪魔なナミお姉さんはまさに憧れの女性であった。

 

 ちなみにロビンは雰囲気的にお母さん扱いである。失礼しちゃうわ…

 

 

 勧誘に成功した最初の仲間ゾロが“夢”の通りのステキな人物だったため、ルフィは二番目の仲間であるナミにも大きな期待を寄せていた。

 何より自分には帆船を操る術が無く、ナミはあの凄まじい強さを誇った『”金獅子”のシキ』が執着するほどの優れた航海士である。

 感情と合理性の双方の面で、ルフィの頭の中には彼女を逃すという選択手は最初から存在しなかった。

 

 故郷を虐めるアーロンが怖いなら、ヤツを一捻りでぶっ飛ばせる実力を彼女に見せて安心させてやる。

 “夢”のルフィ少年の力を完全に近い形で吸収し、更に10年の鍛錬を重ねた今の自分なら、かの”四皇”相手でも互角以上の戦いが出来るだろう。

 覇気も使えないあんな雑魚海賊団なんて1秒もあれば終わりだ。

 

 ルフィはいつも通りの自信に満ち溢れた太陽の如き笑顔で、小船を風の流れに任せながらオルガン諸島のオレンジ港を目指した。

 

 

 

 …目指したのだが  

 

 

「“ルフィ”の記憶が曖昧過ぎて全くわからない…」

 

 麦わら娘は頼りにしていた彼の持つ情報を参照し、早々に放棄した。

 あのバカの頭にはナミとの出会いがある肝心な港の名前すら残っていなかったのである。

 

 今彼女が追おうとしている“夢”の中の出来事におけるルフィ少年の記憶はたったの3つ。

 

   腹が減ったから鳥を捕まえようとした。

   鳥に捕まり落とされたらナミがいた。

   ナミに裏切られバラバラのヘンな赤っ鼻に捕まった。

 

 …少女ルフィが呆れるのも当然である。

 

 この一連の出来事で立ち塞がる敵の名前すら、後に大監獄インペルダウンで再会するまで忘れていたのだから。

 

「バギーは殴って一発だからいいけど、鳥ってどれよ…」

 

 旗揚げ直後のルフィ少年がそこそこ梃子摺った『道化のバギー』を雑魚と切り捨てる化物少女は、問題の鳥類を探すべく燦々と照りつける太陽を背に青空を見上げた。

 

 見えるのは飛び交う白いカモメたち。

 

 陸が近い証なのだが、もちろんそのような知識は少女の頭の中には存在しない。

 あるのは“何か島が近そう”という動物的本能のみである。

 

 それでも正解を当てるのがルフィがルフィたる所以。

 

「…アレかしら?」

 

 いかにもな風貌の一羽を目で捉えた海賊少女は、“夢”のルフィ少年より柔軟な女の身体から繰り出される凄まじい伸縮性で一気に飛び上がる。

 そして獲物を捕らえると身軽な身体でその背に飛び乗った。

 

 コルボ山や“夢”に出てきた凪の帯(カームベルト)の無人島ルスカイナでの経験で動物の扱いに慣れているルフィは、覇気を少しだけ放ち、捕らえたピンク色の巨鳥を睨んで威圧した。

 

「ねぇ、あなたが私を港に連れてってくれる鳥さんかしら?」

 

「クェッ!?」

 

 万物の声を聞くルフィの見聞色の覇気が怪鳥ピンキーの混乱する内心を読み取った。

 

 恐怖と動揺に突き動かされた巨鳥は帰巣本能に従い大慌てで陸地へと飛んで行く。

 

 そして、その背から遠くに見えた一隻の海賊船と掲げられた海賊旗に少女は破顔した。

 

 

 置き去りにした就寝中のゾロのことなど頭から既にすっぽ抜け落ちているルフィは、“夢”のルフィ少年同様に全くの手ぶらで目当ての港町へと舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島某島オレンジの町

 

 

 

 『オレンジの町』

 

 40年前に海賊の襲撃を受け命辛々逃げ出した難民たちが集い興した港町である。

 

 オルガン諸島西部の入り組んだ小島に囲まれたこの地は海軍第153支部の所属艦船の巡回路から外れるちょっとした秘境だ。

 

 

 当然そのような都合の良い良港を海賊が見逃すはずもない。

 

 海賊に故郷を追われた者たちが立ち上げたはずのこのオレンジの町は現在、不幸にもとある海賊団の根城になっていた。

 

 家という家が略奪され、海賊行為の憂き目に遭った町民たちは皆、二度目の不幸を呪いながら四方八方に散らばっている。

 ある者は隣町へ。またあるものは山林の奥の山小屋に。

 誰の助けもなく、ただ悲劇が去るのを涙を呑みながら待ち続けていた。

 

 

 そんな哀れな港町で建物の影を縫うように走る女が、一人。

 

「ハァ…、ハァ…っく、しつこいわね…っ!」

 

 未だ少女のあどけなさを微かに残した端整な顔の持ち主の手には、数枚の古びた海図。

 海と共に生きる者にとって命の次に大切なものである。

 

 場合によっては一国が軍を動かす最重要機密情報にもなりうるその宝物を手に逃げる女。

 

 その後ろには3人の追っ手が凶悪な表情を浮かべながら走っていた。

 

「待ちやがれ、このアマぁ!」

 

「親分の偉大なる航路(グランドライン)の海図を返せ!」

 

「ふんっ!どうせこれだってアンタたちが誰かから盗んだヤツでしょうが!」

 

 

 必死に悪態を吐く女の名は“ナミ”。

 

 近隣を騒がせる美人の女泥棒として海賊たちの間で警戒されている人物である。

 

 優れた航海術と気象予想術で追っ手を翻弄する海賊専門のこの盗人は現在、このオレンジの町を拠点に活動する『バギー海賊団』なる海賊一味をターゲットに活動していた。

 

 この東の海(イーストブルー)において名の知れた犯罪者であるあの1500万ベリー賞金首の船長さえ避わせば簡単に逃げられると高を括っていたナミであったが、不幸にも逃走経路が塞がれ袋小路に置かれていた。

 

  ッ!どうして!?下調べのときに扉の鍵を壊しておいたのに…っ!」

 

 計画ではこの建物に逃げ込み篭城すると見せかけ、裏口から逃げる手はずだった。

 

 だが偶然にも海賊たちによって扉の裏に荷物が詰まれてしまい、ナミの非力な両腕ではびくともしないほどに閉じられていた。

 

「いたぞ!こっちだ!」

 

「くっ…!」

 

 咄嗟に計画を放棄したナミは近くの窓に飛び込み外に転がり出る。

 

 ガシャァァン!と大きな音と共にガラスが割れ破片が飛び散った。

 

(痕にならなきゃいいけど…)

 

 血だらけになってしまった自慢の乙女の柔肌に僅かに後悔するが、治療している暇などない。

 痛みを堪え無我夢中で路地裏を走る。

 

 体中の鈍痛に慣れた少女は冷静さを取り戻し、自身の記憶から現在地点を正確に割り出した。そして…絶望する。

 

 この先には開けた大通りしかない。

 

(しまっ…!)

 

 オレンジの町中央の大通り『ブードル通り』。

 

 海賊に追われた民を纏め上げた偉大な町長の名を冠したこの通りで、ナミは皮肉にも町民が何よりも嫌った海賊たちに囲まれていた。

 

「随分梃子摺らせてくれたじゃねぇか、泥棒猫ちゃんよぉ…」

 

「これはちょ~っとキツぅいお仕置きが必要だなぁ、おい?」

 

「犯すならお前らだけで勝手にしろ。俺は船長に殺される前に海図を渡してくる」

 

 下卑た表情を浮かべた男たちがジリジリと油断なく、絶体絶命の美しい女泥棒に迫る。

 

 傷だらけの美少女を囲む3人の悪漢。

 物語であれば颯爽と現れる勇者に救われ幸せな恋に落ちる恋愛小説の王道的な導入部にでもなったことだろう。

 

(自分の大切なものは、自分しか守ってくれない…っ!)

 

 だがナミは8年前に既に知ってしまった。

 本当に助けが必要なときであっても、自分を守ってくれる英雄なんて来ないことに。

 

 悪が蔓延るこのご時勢。

 己の大切なものを守ってくれるのは海軍でも世界政府でもない、己自身でしかない。

 

 だが、その己自身でさえも…

 

(ホントにこんなところで…?)

 

 大切なものを取り返すためのお金も後少しだというのに。また何も出来ずに全てを失ってしまうのだろうか。

 

 ナミは歯を食いしばり、最後の切り札である太もものナイフを引き抜く。

 

 本当にちっぽけな希望。

 それでも、砕けそうな心を奮い立たせて彼女は戦う。

 

「へぇ、この“怪力ドミンゴス”とヤり合うってのか?」

 

 だが所詮は女の腕に付け焼刃。

 あっさりと組み伏せられ、その男を誘う豊満な胸が石畳の上で形を変える。

 

 最後の意地、と自由な足を駆使してハイヒールの先を相手に突き当てるも、巨漢の筋肉の鎧に阻まれ失敗。

 

 少女は悔しさに唇を力いっぱい噛みつける。

 土と涙と血が口の中で混じり自分の惨めさを味覚までもが伝えてきた。

 

 憎い、自分から何もかも奪っていく海賊が!

 憎い、自分の身さえも守れない弱い自分が!

 憎い、こんな小娘一人救ってくれないこの非道な世界が!

 

 

  けて…」

 

 ぽつり…、と呟いてしまった言葉はかつての幼い少女が抱いた8年越しの願い。

 

 18になり、多くの現実を知って尚、捨て去ることが出来なかった希望。

 亡くなったあの人と語り合ったあの壮大な夢。

 

 ナミは手に握られた海図を焦がれるように見つめる。

 

 自分の夢を追うための数枚の紙切れ。まだ自分は何も成し遂げていない。

 失ったものを取り戻すことも、憎き敵に復讐することも、自分の大切な夢を追いかける始発点にすら立てていない。

 

 自分には力が無い。

 自分の望みを叶える力が何一つとして。

 弱くて弱くて、生きてる価値なんかどこにも見当たらない、愚かで哀れな小娘だ。

 

 だけど、もし…もしこんな世界でも自分が生きている意味があるのだとしたら。

 

 

 女の心に眠る幼い少女は世界に乞う。

 

 自分を導いてくれる誰かを  手を差し伸べてくれる優しい誰かを。

 

 

「たすけて…」

 

 

 

 

 この世には、義姉と楽しんだ物語のお姫様を救ってくれるステキな勇者はどこにもいない。

 

 いるのは無力な海軍と世界政府、そして時代の名を冠す傍若無人な海の犯罪者たち…海賊だけだ。

 

 故に  

 

 

 

  あなたたちウチの航海士に何してくれてんのよっ!!」 

 

 

 

 世は大海賊時代。

 

 当世において、海賊から美しいお姫様を救うのもまた、同じ海賊なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島某島沖海上

 

 

 

  ッふわぁぁぁ……んぅ?おい、ルフィ?」

 

 小船の上で一人の男が目を覚ます。

 

 

 緑の髪を短く整え、三本の刀を腰に差すその剣士の名はロロノア・ゾロ。

 

 未来の海賊王モンキー・D・ルフィ率いる『麦わら海賊団』に  不本意ながら  所属する戦闘員である。

 

 すやすやと寝息を立てる女船長の無防備な姿に気が散って中々寝付けなかったこの哀れな青年は今、目覚めたらボスがどこかへ消えているという、洋上では中々お目にかかれない謎の現象に直面していた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「アイツまさか…っ!」

 

 彼の上司、ルフィ船長は悪魔の実の能力者である。

 超人的な力を身に宿す代わりに海に嫌われてしまう彼女ら能力者たちは、海に落ちると溺れ死ぬという致命的な弱点を持つ。

 

 海軍基地施設を真っ二つにするほどのバケモノが無様にもそのような醜態を晒すとは普通は思えないであろう。

 

 だが、ルフィを侮ってはいけない。

 戦い以外はほとんど何も出来ないポンコツ少女が寝ぼけて海に落ち、“助けてゾロぉ~”と涙目で叫びながら沈んで行く光景が青年にはありありと想像出来てしまった。

 

 サァー…っと青ざめた剣士は櫂を必死に漕ぎながら麦わら娘の姿を求めて大海原を探し回る。

 

 だがこの男にも、自分では決して認めない大きな弱点があった。

 

 そう、彼は人知を超えた方向音痴なのである。

 

「クソっ!おい、ルフィィィ!!」

 

 剣士は円を描きながら半径1キロ周囲をぐるぐると漕ぎ回る。

 

 何かの訓練のように見えるそれを10回ほど知らぬうちに繰り返していたゾロは、ふと水平線の近くで複数の小さな影を発見した。

 

「ルフィか!?待ってろすぐ行く!」

 

 大慌てで小船を直進させ、途中何故か逸れる軌道を何度か修正したどり着いた先に居たのは、3人の男たちだった。

 

「誰だよ!?」

 

 剣士の怒りに満ちた声が東の海(イーストブルー)に響き渡った。

 

 

 

「で、その話本当だろうな?」

 

「ひゃ、ひゃい!おっふゃるふぉおりれすっ!」

 

 謎の男三人衆、名を“綱渡りフナンボローズ”という。

 

 彼らはオルガン諸島某島の港町『オレンジの町』を支配する“バギー海賊団”に所属する海賊である。

 

 つい先ほど小型の商船を襲い見事な成果を上げたため帰還しようと船を進めていたところ、とある美少女に騙され船ごとお宝を奪われる大失態を犯してしまい、こうして漂流していたのだ。

 

 何としてでも女泥棒を追わねばならぬ、と通りかかった青年を脅し船を奪おうと目論んだが、その相手がまさかの泣く子も黙る“海賊狩り”。

 ボコボコにされた後に謝罪も兼ねて話を聞けば、何やら彼は人探しの途中だと言う。

 

「あ、赤い服と短パンに麦わら帽子の女なら、確かにあの怪鳥に乗ってオレンジの町へ…」

 

「さ、最初は目を疑いましたが、他に似たような女は見たことがねェです。ハイ…」

 

 トリオの一人が口も利けないほど顔を腫らしているため、残りの2人が交互に当時の状況を話し始めた。

 泥棒美女を追って船を漕いでいた途中でスコールに直撃し、船が転覆。海に投げ出され何とか陸を目指そうとしていたときに頭上をあの噂の怪鳥ピンキーが通過したのである。

 

 そしてその背に何故か乗っていた、謎の麦わら帽子の女らしき人影。

 

 忘れるほうが難しい、極めて印象深い光景であった

 

「ま、まだそれほど時間は経ってねェっすよ旦那!」

 

「行き先はおれたちも同じですぜ!」

 

  ったくあの破天荒女、鳥捕まえて急行するとか普通考えるかよ。アイツの頭の中はどうなってんだ…」

 

 ブツブツ呟く剣士の言葉に怯えた表情で耳を傾ける三人衆だったが、どうやら彼と例の麦わら娘の2人組みは最初からオレンジの町が目的であったらしい。

 この青年剣士の異名を知る三人は顔を青くしながら相手の目的を尋ねた。

 

「あ、あの。アンタはあんな辺鄙な港町に一体何のようで…?」

 

「ん?ああ、アイツが一味に加えたい女がいるってんでやって来たんだ。オレンジ色の髪をした“ナミ”って航海士兼、泥棒らしいんだが。知らねェか?」

 

 その言葉に三人の男たちは素っ頓狂な声を上げる。

 

「オ、オレンジ色の髪の女泥棒ぉ!?」

 

 予想外の目的であった。

 その女泥棒こそ、彼ら“綱渡りフナンボローズ”が辛酸を舐めさせられたあの美少女に相違ない。

 

 何故青年の仲間の麦わら娘はあの女がオレンジの町に行くと知っていたのか。

 そしてこの高名な剣士がその麦わら娘と行動している理由は何か。

 

 疑問は多く残るが、あの女が“海賊狩り”の庇護下に入られたら手出しが出来なくなることに気付いた三人衆は、必死に彼女の悪行を三本刀の男に訴えた。

 

 だがその熱意も虚しく、“海賊狩り”はニヤリと悪そうな笑みを浮かべ件の女に興味を抱く。

 

「へぇ、自然現象すら利用して逃亡するか。さしずめ“天候と海を知り尽くした女”ってか。アイツも中々見る目があるな」

 

「じょ、冗談キツイっすよ“海賊狩り”の旦那ぁ!あんな性悪女、仲間に加えたらいつ裏切るかわかったモンじゃないですぜ!?」

 

「どの道ルフィがソイツを自分の仲間に求めた以上、その“ナミ”ってのはもうどこにも逃げられねェよ。おれを一味に誘うためだけに海軍基地をぶっ壊したあのバケモノ女を裏切るなんざ、成功したら逆に褒めてやりてェくらいだ。ハッハッハ!」

 

 既に我が身を持ってルフィの勧誘のしつこさを知っている青年剣士は、自分に続くまだ見ぬ被害者候補の女盗賊に満面の笑みで黙祷を捧げた。

 その凶悪な笑顔は最早どこからどう見ても生粋の極悪人のものであった。

 

「ククク……ん?おいどうした、手が止まってるぞ?」

 

「こっ、怖ぇぇぇ…!」

 

 

 『バギー海賊団』一味“綱渡りのフナンボローズ”。

 

 商船略奪の大成果から転落する悪夢はまだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島某島オレンジの町

 

 

 

 石畳が砕け、薄い砂塵が舞う。

 

 その中央で佇んでいるのは、どこからか落下してきた一人の少女。

 

 サンダルにデニムのホットパンツに、上は赤い袖無しのブラウス。

 その肌蹴た前立てを腰で結んでおり、ぴょこぴょこ跳ねている短い黒髪の上には異様な存在感を放つ麦わら帽子が被さっている。

 それらが包むのは、自分の外見に自信を持つ女であっても一瞬息を呑むほどに見事なプロポーションの肢体。

 だがその艶やかなスタイルに反し、娘の顔は無垢な童女のように幼い。

 そして、キッと周囲を睨みつけるその大きな目には、夜天の星々を捕らえたかのように煌く美しい黒瞳が埋め込まれていた。

 

 そんな荒事とは一切無縁そうな女の子が大の男3人を一瞬で無力化し、心配そうな表情で近付いてくるのを、ナミは呆けた顔で見つめていた。

 

「大丈夫、ナミ?酷いことされてない?」

 

「え…ぁ」

 

 信じられなかった。

 

 憎き魚人共に母と慕っていた女性が殺されたときも、海賊の一味に入り愛する村から迫害されたときも、助けにきてくれた海軍が一瞬で海の藻屑と化したときも。

 その何れも彼女は何度も何度も助けを呼び、そして裏切られた。

 

 だが今目の前には、ナミが手も足も出なかった海賊たちを一瞬で倒してくれた、一人の勇者がいた。

 

 その勇者は白銀の鎧を纏った長身の騎士でも、正義を夢見る青臭い少年でもない。

 自分より明らかに年下の、愛嬌溢れる女の子であった。

 

「私の…名前…」

 

「うん!あなたはナミで、私はルフィ!海賊団の船長よっ!」

 

「……え?」

 

 そんな彼女の唐突な自己紹介の中には、一つの不愉快な単語が混じっていた。

 

 大きな胸を堂々と張りながら自慢げに名乗る少女。

 その態度は自分の職業を誇らしく思う気持ちで溢れている。

 

 成した悪事の度胸自慢でも、反社会的思想の持ち主でもない。

 

 この少女はただ純粋に、自分が海賊であることを幸せに思っているのだ。

 

 

 そう思えてしまうほど、彼女の笑顔には一切の邪気が無かった。

 

「私、最近海賊団を結成したんだけど、航海士がいないの。だからナミを一味に誘うためにここまで来たら、丁度あなたが悪い海賊に襲われてたのよ」

 

「私を…誘う?」

 

 ことの経緯を大雑把に説明してくる少女の話からも、自分が犯罪者であることなど微塵も恐れていない気軽な雰囲気が感じ取れる。

 

 だが彼女の能天気な人物像に、少しずつ混乱から立ち直りつつあった才女ナミは騙されない。

 

 

 この少女は初対面の自分が航海士であることを如何なる手段によってか調べている。

 

 おまけにここオレンジの町の『バギー海賊団』を盗みの標的に定め、たどり着いたのもつい最近のことだというのに、この自称海賊団船長は今こうして最高のタイミングで自分に接触して来たのだ。

 

 信じられないほど正確な情報収集能力と、効果的に恩を売る言葉要らずな高い交渉術。

 

 少女の無邪気な立ち振る舞いと、それに隠れた入念な下準備があまりにも歪であった。

 

「と、いうわけだから!ナミ、私の仲間に  

 

「ふざけないで」

 

 

 恩人にかけるものとは思えないほど冷たく非友好的な声色。

 

 だがそれもそのはず。

 過去の不幸で海賊に対して憎悪すら生温いほどの負の感情を抱いている女泥棒にとって、その嫌悪の対象に一味に誘われるなどあまりにも度し難いことなのだから。

 

「…何で私の名前も、航海士であることも、今日この町に来ることも把握してたのかは知らないけどね、例え命を救われても私は海賊になんて死んでもならないから。助けてくれて、どーもありがとうございました。でも残念でした。無駄足ごくろうさま、麦わら帽子のお嬢さん」

 

「むぅ…私はナミが嫌う悪い海賊みたいに村や町も襲わないし、支配して虐げることもしないのにぃ」

 

「ッ!?」

 

 少女の何気ない呟きにナミの心臓がひゅっ…と縮み込む。

 

 まさか、あの忌まわしい魚人共にさえ知られていない故郷のことまで調べ上げられていたとは夢にも思わなかった。

 

(何者なの、この子…っ)

 

 女泥棒はこの自称海賊団船長の持つ情報網に下を巻く。

 そして自分のあまりにも不利な現状に臍を噛んだ。

 

 どこまで知られているのか。

 魚人共と不本意ながら手を組んでいることはどうだろう。

 

 まさかあの貯金のことまで知られているとは思いたくもないが、ここで口を開き余計な情報を与えて少女に秘密を推理されてしまったら目も当てられない。

 

 ナミは急いで己の動揺を沈め、別の話題で煙に巻くことにした。

 

「…ハッ、“悪い海賊じゃない”ですって?何よそれ、まさかモーガニアだのピースメインだのの話をしてるんじゃないでしょうね?」

 

「モロヘイヤとグリーンピース?」

 

 こてんっと小首を傾げる少女の無垢な表情が癇に障り、ナミは苛立ちのまま彼女にまくし立てた。

 

「港を襲う海賊と、ソイツらを襲う海賊ってくだらない区別。一時期流行ったのよ、“我々は善良な市民から奪う悪い海賊のほうを襲うからイイ海賊”だなんて、偽善ですらないふざけた基準を免罪符にしたつもりの海賊行為がね。直接悪事を働く海賊から他人の財産を掠め取って悪名を逃れる姑息で卑怯な連中のクセに、何が“イイ海賊”よ!海賊に良いも悪いもあるワケないでしょうが、弱者から全てを奪う海のクズ共め…っ!」

 

 話題を逸らすだけのつもりが私怨の発散になってしまった。

 

 だがこれでいい。

 

 海賊に対して馬鹿げた幻想を抱いているこの少女なら必ず挑発に乗って来る。

 あとは口論をエスカレートさせれば勝手に向こうが嫌悪感を抱いてくれるだろう。

 

 もちろん暴力沙汰は勘弁して欲しい故、その匙加減には注意を払わなくてはならないが。

 

 そう内心ほくそ笑むナミだったが、意外にも麦わら娘は冷静であった。

 

「ふーん。その美味しそうな分類名は知らないけど、海賊にもイイ人ならいるわよ?」 

 

「……はぁ?」

 

「私、海で巨大魚に食べられそうになったときに海賊に命を救ってもらったもの。私の代わりに腕が食べられちゃったのに“安いもんだ”って言ってくれたわ」

 

 ナミは麦わら娘の身の上話に言葉に詰まる。

 

 その海賊は確かに彼女にとってはヒーローになるだろう。

 

 海賊に家族を殺された自分とは異なり、少女は海賊に命を救われた過去がある。

 それが両者の海賊像を形成する根源的な出会いであり、差異なのだ。

 

 泥棒少女の苦虫を噛み潰したような顔を見た海賊団船長のルフィは、ふと先ほどの彼女の主張に疑問を覚える。

 

 別に論破しようと考えたわけではない。

 ただ純粋に指摘したくなったのだ。

 

「それにナミだって海賊からお宝盗んでる姑息で卑怯な悪者じゃない。そのお宝も元々は他の人のものなのに」

 

「…ッ!私はっ  

 

 ナミは咄嗟に反論しようと己の海賊への憎悪を沸立たせる。

 

 私は他人の大切な人間を殺したりしない。

 弱者を食い物にしない。

 私は、あんな連中とは違う。

 

 だが自称海賊団船長の少女はそれらの主張をひらりと避わし、輝くような笑顔で右手を差し出した。

 

「だから悪者同士仲良くやりましょ。私の仲間になりなさいっ!」

 

 麦わら少女の底抜けの明るさと、そのあまりにも無邪気な犯罪宣言に毒気を抜かれ、ナミの反論する気が霧散する。

 

 それはあまりにも不自然な、一瞬の心理的変化であった。

 

 

 女泥棒はこの麦わら娘の危険性に気が付く。

 

 稀にいるのだ。

 天上天下唯我独尊を地で行く自己中心的な性格でありながら、何故かそれが許され万人に愛される人間が。

 天性のカリスマを持つ、普通とは違う人間が。

 

 ナミは少女の魅了に抵抗すべく、ぐっ…と唇をかみ締める。

 

 感情的になっては相手の思う壺…いや、この人物はそのような高度な交渉術を行使している自覚すらないのだろう。

 

 過程をすっ飛ばし最高の結果だけを得る。

 少女のそんな魔法のような魅力に抗うには、やはり論点を煙に巻くしかない。

 

「……ええ、そうよ。私も悪者。他人の富を奪ってでもお金を集めるの。命に代えても買いたいものがあるのだから」

 

 でも、とナミは付け加える。

 

「だからといって海賊に身を堕とすほど零落れてなんかいないわ。何で私があんな外道の仲間にならないといけないのよ。…アンタも恩人に憧れるのは結構だけど、女の子なんだから海賊ごっこなんか止めて真っ当に生きなさい。その素材なら髪ちゃんと整えてマトモな服着たら引く手数多よ」

 

 麦わら娘のような理不尽なカリスマ性は持ち合わせていないが、ナミとて対人交渉はお手の物。

 さり気なく相手を褒めることで好意的な印象を抱かせこちらの発言に説得力があるように錯覚させる。

 海獣に襲われるなど中々ハードな人生を送っているようだが、このバカっぽい少女なら簡単に靡くだろう。

 

 女泥棒はそう考察する。

 

 そして事実、憧れのナミお姉さんに容姿を褒められた夢見る乙女は目を輝かせながら彼女に詰め寄っていた。

 

「ホント!?ならナミに私のコトお願いしてもいい!?マキノの約束ってどれも面倒で困ってたの!」

 

「だから仲間にならないって言ってんでしょうが!!」

 

 もっとも、靡けど自分の意見はそう簡単には曲げない頑固で強情な性格に変わりは無い。

 

 そのあまりのしつこさにナミは大きな絶望と、何故か微かな希望の感情を覚える。

 

 海賊の仲間入りなど死んでもイヤなのに、この実力者の少女の手を取るべきではないか、と自分の心のどこかから声が聞こえてくるのだ。

 

 線の柔らかい年下の女の子ではあるものの、何か大きなことを成し遂げてくれそうな、不思議な力を持つ人物。

 

 もしかしたら、この子こそが私が待ち続けた  私だけの“勇者”なのではないか、と。

 

 

 だがそんな絆されつつあったナミの心を現実に引き戻したのは、当の麦わら娘本人であった。

 

 

「…何?どうしたのいきなり?」

 

 急に顔を逸らし港町の奥へ視線を送る海賊少女を訝しみ、釣られて同じ方角へ振り向く。

 

 だがナミの目には無人の街並みしか映らない。

 

「……バギーの覇気って、もしかしてアレのこと?小さい…いえ、薄い…?」

 

「ッ、バギー!?嘘、どこ!?」

 

 慌てて少女の後ろに隠れてしまったナミは、その無意識の行動に羞恥を覚える。

 世界に絶望し誰にも頼らないと決めておきながら、こんな年下の女の子の背中を頼るなど情けないにもほどがある。

 

 一方の少女はナミの行動を咎めもせず、まるでそれが当然のように彼女を自分の背で庇っていた。

 その堂々とした佇まいに盗賊美女は認めたくない頼もしさを感じてしまう。

 

 もっとも、その不愉快な安心感も一瞬。

 

「あの大きな建物に集まってた気配が一気に散らばったから、多分痺れを切らして皆でナミを探し始めたのよ。幾つか気配が残ってて、その中の一つにヘンなものがあるから…あれがバギーじゃないかしら」

 

「気配って…何言ってんのよアンタ」

 

 呆れと不安が織り交ざった声色で問いかける。

 

 恐怖と羞恥の狭間で少女の小さな背中の後ろを右往左往していた彼女も、流石に気配などという抽象的な話を始める麦わら娘に自分の身を委ねる危険を冒すわけにはいかない。

 

 だが少女の正気を疑い始めたときに、周囲の建物の影から男たちの声が聞こえてきた。

 明らかにナミを探している者たちのものだ。

 

「嘘…」

 

「しばらくそこで待ってて。もうすぐ仲間が来るから私の代わりに守ってもらいなさい」

 

「えっ、ちょ、待って!“仲間”って誰  っきゃあっ!?」

 

 制止の声を振り切り少女の姿が一瞬で掻き消える。

 直後大気が小さく破裂するような音が響き、目を向けた先には彼女がいた。

 まるで階段を駆け上がるかのように人が空を飛ぶ、ありえない光景と共に。

 

 ナミはあまりの驚きに悲鳴を上げる。

 

 屈強な男たち3人を一瞬で無力化し、地面が砂塵を上げるほどの衝撃で落下しながらも、全くの無傷。

 人の気配の感知などという非科学的な力で周囲の危険を察知し、挙句の果てには空まで飛んだ、常識外れな女の子。

 

 

 立て続けに起きる理解不能な現象に腰を抜かしたナミはぺたんと尻餅を突いたまま、海賊少女が向かった方角を茫然と見つめ続けていた。

 

 

 



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5話 北極星と女航海士・Ⅱ

注:拙作の覇王色の覇気には様々な独自設定がございます。どうかご留意を


大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町( )”プードル通り”( )

 

 

 

  さっきの悲鳴はお前か?」

 

「ッひぅ!」

 

 “海賊ルフィ”と名乗った小さな女勇者が飛び去ってから、どれほどの間呆けていたのだろう。

 突然後ろから掛けられた男の嗄れ声に、地面に座り込んでいた女泥棒ナミの両肩が飛び跳ねた。

 

 このオレンジの町を支配する『バギー海賊団』の男たちに先ほど襲われかけていたこともあり、異性への警戒心が極限にまで高まっていた彼女は必死の形相で振り向き身構える。

 

 だがその男の厳つい顔には下卑た獣欲とは程遠い、微かな焦燥が浮かんでいた。

 少なくとも、そこに自分に害をなそうとする意思は見当たらない。

 

 少しだけ冷静さを取り戻したナミは、生まれたその微かな心の余裕を用いて男の風貌を観察する。

 

 無駄な肉が一切無い、見事に鍛えられた身体。

 整った顔つきを瞳孔の開ききった三白眼が台無しにしている、殺し屋のような仏頂面。

 

 長年荒事に従事しており、相手の力量をある程度判断出来るナミは、目の前の男の存在感に小さく唾を呑む。

 前に自分を襲った三人の海賊とは桁外れに強大な力を内包する人物であると、己の鑑識眼が強く訴えてくるのだ。

 

 そしてその腰に差されている武器へと目をやり、ふとナミの脳にとある人物の情報が想起された。

 

「三振りの刀…?まさかアンタ…あの“海賊狩りのゾロ”!?」

 

「何だ、知らない内に随分おれの名も上がってるんだな」

 

 平然と肯定する男の態度にナミの体が硬化する。

 とんだ有名人と遭遇してしまったものだ。

 

 

 実はこの女泥棒、噂に名高い“海賊狩り”をご大層な異名だ、と失笑半分、期待半分の複雑な思いで長らく注目していた。

 

 ある意味イチオシの賞金稼ぎとも言える人物と偶然にも接触することに成功したナミは、他の全てを脇に追いやり、真剣にこの男が己の十年越しの宿願のために使えるか否かを見極めるべく目を細める。

 

「それよりウチの女船長見なかったか?麦わら帽子被ってるバカっぽいヤツなんだが」

 

 だが剣士が発したその言葉にナミは思わず耳を疑った。

 その、海賊団の船長を自称する麦わら帽子を被ったバカっぽい少女に、誰よりも心当たりがあったからだ。

 

 もっとも、泥棒美女が何よりも驚いたのはこの名高い剣士とあの小さな女勇者とのつながりである。

 

 剣士のお望みの麦わら娘が飛んで行った方角を指差しながら、彼女は恐る恐る彼に問いかけた。

 

「…何でアンタほどの男があんな、女の下に付いてるの?」

 

「“あんな女”…ってことはアイツに会ったんだな?ったく、あのバカは…」

 

 どこか安堵したような男の様子が、彼と少女の信頼関係をナミに伝えてくる。

 

 それは彼女にとって信じられないことだった。

 

 男は少女を“ウチの船長”と呼んだ。

 それは2人の上下関係を表す十分過ぎる言葉である。

 

 だが、それでもナミにはこれほどクセの強そうな人物が好き好んで女に頭を下げるとは到底思えなかった。

 

「…ご高名な“海賊狩り”サマが海賊堕ち、しかも女の配下だなんて東の海(イーストブルー)が震撼するわ。旧知の間柄ってワケでも無さそうだし……?」

 

 やはりあの海賊少女はそれほどまでに規格外なのだろうか。

 先ほどの彼女が空中を駆け上がるように飛んでいた姿が瞼の裏にありありと浮かび上がり、泥棒少女は緊張にゴクリと喉を鳴らしながら男の返答を待った。

 

「オレンジ色の髪の女……お前、名は?」

 

「…ナミよ。航海士兼、海賊専門の泥棒をやってるわ」

 

 だが返ってきたのは誰何の声。

 

 不満を抱きながらもナミは剣士に誠意を込めて答えて見せた。

 質問を無視されたことは腹立たしいが、自己紹介程度でこの男の口の滑りが良くなるのなら幾らでも名乗ってやれる。

 

「ああ、お前がアイツが言ってた……なるほどねぇ、ならおれが教えてやる意味もねェな」

 

「…どういうこと?」

 

 男の顔に意地の悪そうな笑みが浮かび、ナミの背中に悪寒が走る。

 

「なぁに、アイツに目ェ付けられちまったんならもう何もかも遅ェってことだよ。先輩からの助言としては  まあ諦めるこったな、ハッハッハ!」

 

 そう言い残し船長の下へと向かう剣士の後姿をしばらく茫然と見つめていたナミだったが、僅かな葛藤の末に2人の実力を暴くべく彼の後を追うことにした。

 

(“海賊狩り”に、ソイツが認めた…空さえ飛べる規格外の少女船長“ルフィ”……)

 

 期待などしてはいけないとわかっている。

 このクソッタレな世界はいつだってそれを裏切って来たのだから。

 

 わかっているのに  優しい女泥棒は己の胸の幸福な高鳴りを、どうしても沈めることが出来ずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町“バギー一味アジト”( )門前

 

 

 

 ゾクッ…と大気が揺れる。

 

 女泥棒の確保に散らばる海賊たちを覇気で掃討したルフィは、バギーらしき気配が居座る建物の正面広場に佇んでいた。

 ナミの勧誘が想像以上に難航していたため気分転換も兼ねて、この町で暴虐の限りを尽くす例の赤っ鼻を退治しようと急行したのだが、少女は突入直前になって思い留まった。

 

 理由は彼女の前で情けなく転がっている二人の男たち。

 

「ひぃ…っ!おた、お、お、お助けを…!」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいもう海賊なんか辞めますだからいのち命イノチだけは  

 

 猛獣使いと曲芸師の無様な姿を興味深そうな目で見つめながら、ルフィは己の覇気の“性質”を変化させる。

 

 すると男たちの感情が面白いように逆転した。

 

「ああ……め、女神さま…」

 

「な…なんという……あふぅ~」

 

 茫然とした面持ちで崇拝の眼差しをこちらに送って来る二人。

 先ほどの恐慌状態とは正反対の反応を確認した麦わら娘は、最後に威圧の出力を上げ、一瞬で相手の意識を奪った。

 

「ふぅん、覇王色の威圧にも色々種類があるのね。エースは既に私の覇気に耐えられるくらい強くなってたから、今までは猛獣たちくらいしか実験相手がいなかったけど……これ面白いわね」

 

 地面に平伏し意識を失っている男たちを面白そうに見つめながら、少女が無邪気な笑みを浮かべる。

 ナミの怒りが治まるまでの時間つぶしのついでに、“夢”のルフィ少年のように現実でもこの町を救おうと『バギー海賊団』( )を掃除していたルフィ。

 だが満足げに頷く彼女は、存外に中々実のある成果を得ていた。

 

 

 “覇王色の覇気”。

 

 別名“王の素質”。

 西の海(ウェストブルー)で暴虐の限りを尽くす八宝水軍第十二代棟梁( )をして「持たざる者に覇道無し」と言わしめた、世界に選ばれし真の王者のみが持つ覇気である。

 その持ち主は例外なく覇を成し、海賊に堕ちた者はその悪名を歴史に残す。

 “王”の前に立つ有象無象は相対するだけでその頭を垂れ、意識を手放すことのみが許される。

 

 素質保有者が数百万人に一人と言われる桁外れに希少な力であり、一般的には相手を威圧し意識を奪い、また他の素質保有者を相手取る場合はその者の覇気と激しく競い合う凄まじい現象が起きることで知られている。

 

 だがこの力は担い手が少なく未だにその全貌が明らかになっていない。

 その知られざる特徴として、他の覇気と同様に“王”の意思を体現する形で現れる、というものがある。

 

 配下を引き連れ武を持って覇道を進む“覇者”。

 民草を恐怖で支配し暴虐の限りを尽す“暴君”。

 慈悲深い治世で万人に愛される優しき“名主”。

 

 様々な王道があるように、その“王の素質”たる覇王色の覇気もまた、“王”たちの望む王道に沿った力として発動する。

 

 覇道を成す意思には万人を平伏させる武の威容を、暴虐の意思には恐の鬼気を、慈悲の意思には愛の綽約を。

 

 

 先ほどまでルフィが目の前の惨めな『バギー海賊団』( )幹部たちを相手に行っていたのはこの“覇王色の覇気”の性質変化の実験である。

 

「相手を平伏させたいのか、脅したいのか、優しくしたいのか。その意思に応じて威圧の種類も変わってくるのね。まあ、込める意思の加減を気をつけないと…いつもみたいにこうなっちゃうけど」

 

 麦わら娘の足元に転がる幹部たちは、おそらく最もよく知られる覇王色の覇気の力の効果を受けた者たち。

 威圧に耐え切れず意識を失った、哀れな被害者だ。

 

「ある程度力がある人相手なら加減出来るけど、雑魚にはまだ難しいわね。他に手ごろな敵はいないかしら」

 

 更なる実験相手を求めて少女は“月歩”で町を俯瞰しながら敵の気配を頼りに周囲を捜す。

 

 すると彼女の見聞色の覇気が、仲間候補の女泥棒の側に付いていた三刀流剣士の強い気配がこちらに向かう意思を示したことを感知した。

 

「二人の顔見せはもう終ったみたいね。こっちはまだ親玉のバギーが残ってるのに、実験に時間かけすぎちゃったわ」

 

 これなら最初から二人を連れてくれば良かったなと小さく後悔したルフィであったが、持ち前のポジティブさで前向きに考えることにした。

 

「まあこれから偉大なる航路(グランドライン)に行くワケだし、ここでゾロたちに私以外の悪魔の実の能力者の戦い方を見てもらうのも悪くないわね」

 

 観衆ありの決闘をするのもまた一興と、退屈な戦闘に目標が出来た少女は笑う。

 

 そして眼下の二人の観客を迎えに行くべく空から声をかけた。

 

 

「おーい、ゾロぉ~!」

 

「ん?このバカっぽい女の声は  ってルフィ!!?」

 

 何も無い空中を小さなトランポリンのように片足ずつぴょこぴょこ跳ねて滞空していた麦わら娘は、その声の主の下へと降下する。

 そこには探し人をようやく見つけた安堵が一瞬で吹き飛ぶほど驚いている仲間の剣士ゾロと、中々靡かない頑固な女航海士ナミがいた。

 

「お、おま…空!空飛んで…っ!!」

 

「ん、あら?ゾロにも見せるのは初めてだったかしら」

 

 シェルズタウンのときは“ギア2”の同時使用だったためか、誘発現象の熱風と蒸気に隠れてわかり辛かったのだろうか。

 “月歩”は“剃”と同じく非常に便利な移動術であるため是非ゾロにも身に付けて貰いたい。

 

 おっかなびっくり付いて来たナミも交え、ルフィは10年前に教わった戦闘技術について軽く説明する。

 

 

「海軍の特殊体術“六式”か…まさかお前が海軍本部将校の血縁者だったとはな」

 

「何で海軍本部に家族が所属してるのに海賊に堕ちる道を選んだのよ…」

 

 ナミの呆れた声を無視し、女船長は剣士に一言補足する。

 

「お爺ちゃんの同僚の人に教えてもらったの。凄く速く動けるし、空を飛んだり色んな応用が出来るから今度ちゃんと二人とも教えてあげるわ」

 

「…二言はねェな?」

 

「いや何で私まで参加する形になってんの!?」

 

 既に二人から一味扱いされていることに腹を立てる横の煩いツッコミ女を無視し、ルフィの説明を真剣に聞いていたゾロは念を押すようにそう確認した。

 

 

 ゾロがルフィの仲間になる決意をした最大の理由は、この人外じみた強さを持つ少女から技を盗むためである。

 

 常軌を逸した戦闘力、理解不能なまでに強烈な気迫、そしてその覇道に立ちはだかるであろう無数の強者たち。

 

 あの海軍本部に女船長の祖父が所属しており、彼女が連中の秘儀らしき特殊体術“六式”とやらを体得していたのは流石に予想外だったが、事実青年は彼女と共に歩めば己の停滞気味の修行に何らかの変化を起こせるのではないかと期待していた。

 

 今回ルフィが提案してきた特殊体術の特訓はまさにゾロが望んでいたものである。

 特に“剃”と少女が呼んでいた技は、剣術の極意である『縮地』に比類する実に有用な代物だ。

 

 『縮地』とは互いの呼吸や意識に生まれる小さな乱れを上手に利用し相手との間合いを操作する技であり、その呼吸の規則性に反した動きや気の緩みを突く一瞬の行動から、まるで双方の間にある物理的な距離が縮んだかのような錯覚を起こさせる。

 

 もし、その技に少女の“剃”とやらを応用出来れば、繰り出される一太刀は人間の知覚限界を超えた不可視の攻撃になるだろう。

 

 豪の剣に長けるゾロだが、別にそれ一筋で世界一の大剣豪を名乗りたいわけではない。

 利用出来る技術は何だって吸収するつもりだ。

 

(最初に教わる技が高速移動術に空中立体移動術か…)

 

 何の脈略もなく超人的な体術を平然と教えると抜かす目の前の規格外の少女に、剣士は冷や汗を掻きながら苦笑する。

 信頼の証か、はたまた彼女にとってはその程度の価値しかない基本的な技に過ぎないからか。

 

 いずれにしても、自分のボスの立つ領域が、共に歩めば歩むほど高く見えてしまう事実がゾロの心に焦燥を沸立たせる。

 

 追い着けるだろうか、彼女の歩みに。

 たどり着けるだろうか、彼女の領域に。

 

 立てるだろうか、彼女の隣に  

 

  ルフィ、その“バギー”ってのは強いのか?」

 

「弱いけど狡猾だし、剣士のゾロにとっては相性の悪い相手よ……もしかして戦ってみたい?」

 

 こてんっと小首を傾げる童顔の女船長の姿に、ゾロはまるで己が試されているかように感じた。

 

 剣士のプライドに火が灯る。

 

「……手は出すな」

 

「え?」

 

「一対一だ。その悪魔の実の能力者はおれに寄こせ。世界一の大剣豪を目指す男がこんなところで足踏みしてられっかよ…っ!」

 

 剣士は()える。

 

 女に実力を買われて一味に誘われた身である以上、この最弱の海と呼ばれる東の海(イーストブルー)の最初の敵に臆して引き下がるなど男が廃るというもの。

 

 何より、ゾロは目の前の…この麦わら帽子の女に失望されるのだけは死んでも御免であった。

 

 

 “夢”のルフィ少年であれば豪語するゾロの主張を認めていただろう。

 

 男には命より誇りを選ばねばならないときがある。

 青年がやると決めた以上、それを黙って見届けるのが同じ男としての礼儀だと少年は考えていた。

 

「……ダメよ」

 

 だが少女ルフィは仲間の危うい焦りの感情を確りと感じ取っていた。

 

「なっ、“ダメ”って何だよルフィ!ヤツはおれの獲物だ!男が女の力なんか借りて戦えるかよ!」

 

「バギーって斬ったら斬っただけバラバラになるから、いくらゾロが強くたって刀じゃ勝てないのよ。悪魔の実の能力は相性が悪いと全然敵わない相手もいるってことをゾロに知ってほしいから今回は譲るけど、あなたが傷つくのはイヤだから危ないときは加勢するわ」

 

 少女ルフィは女である。

 彼女は“夢”を見ている最中にも、一味の男たちがその冒険において体現した男の美学とやらの数々をバカらしいと、何度も思っていた。

 

 見栄を張って傷つくくらいなら仲間を頼るべきなのだと、少女は説教してやりたい気持ちを抑えながら彼らの冒険を見続けていたのだ。

 

 だからこそ、無意味に敵の有利な土俵に上がり戦おうとするゾロの危うさを看過出来なかった。

 少女ルフィにとって大事なのは男のプライドなどという目に見えないものより、目に見える仲間の無事な姿そのものなのだから。

 

「今回の相手は別に戦う必要の無い連中よ。喧嘩を売られたワケでもないし、私はナミさえ一味に入ってくれたら後は可哀想な町の人たちを助けるために、ちゃちゃっと雑魚を一掃してすぐ出発するつもりなの」

 

「いやだから入らないって言ってんでしょ!」

 

 “夢”の先入観に振り回されそうになるが、元々ルフィ少年が『バギー海賊団』( )と戦うことになったのは、隣で不服そうな顔をしている女泥棒ナミの脱走のために利用され、濡れ衣を着せられたせいである。

 

 よって現時点のルフィは彼らに対する個人的な敵意はほとんど無い。

 

 これから連中の根城に殴りこみに行くのも、端的に言えばただ“村を救いたい”という自己満足。

 そしてゾロの熱意を汲んで、彼のために強敵との実戦機会を準備するだけだ。

 

 避けて通れない一味の困難というわけでは決して無い。

 

 

 もちろん、虐げられてなお立ち上がろうとするこのオレンジの町の人々の勇気や、店の看板犬の義侠心には惹かれるものがある。

 この目で彼らの勇姿を見れるのなら見ておきたい。

 

 だがそれは“夢”のルフィ少年の出会いであって、自分のものではない。

 

 実際に町長ブードルや番犬シュシュに出会うことが出来れば  例えば、彼らと共闘するなどの  また違った道もあるだろう。

 

 もっとも、今の彼女にとって何より大切なのは仲間の安全だ。

 ゾロが無茶をするくらいなら自分の手で全てを一瞬で終らせ、誰にも見送られることなくこの町を離れるつもりだった。

 

 当然、この頑固な女航海士を船に乗せて。

 

「ゾロは私の大切な仲間なんだから、一味の危機でもないのにこんなトコで無茶しないで。あなたが死んだら私は海賊を辞めるわ」

 

「ッ!」

 

 ルフィの目は真剣であった。

 

 切なげに揺れる瞳に射抜かれ、ゾロの心が形容しがたい感情に支配される。

 異性の、それも強者ということもあり、剣士はルフィとの心理的な距離感を今まで測りかねていた。

 

 だが彼女は既にゾロを己の胸中深くまで抱え込んでいたのだ。

 共に夢を追う仲間として。

 決して欠けてはならない、自身の覇道の要石として。

 

 その夢の大切さを何よりも理解している男は、少女にとって自分がどれほど大きな存在であるか自覚せざるを得なかった。

 

 これでは己の男の意地など子供の我侭のようなものではないか。

 

 

「……チッ、好きにしろ」

 

 何とも情けない照れ隠しを口にし、ゾロが羞恥に顔を逸らす。

 

 このようにどこまでも真っ直ぐな好意を恥ずかしげもなくぶつけてくる人間は大の苦手だ。

 特に目の前の女のような、強いクセに天真爛漫で、子供っぽいクセにふとしたときに女らしい仕草や振る舞いを見せるヤツなど調子が狂ってしかたない。

 

 つまり、ゾロはルフィが苦手なのだ。

 

 

「うんっ!じゃあさっさとこの町で悪さをする連中の親玉をぶっ飛ばしに行きましょうか!ナミも掴まって!」

 

「うおっ!?」

 

「きゃっ!?ちょ、何よこれ!?」

 

 ルフィが両腕を伸ばし縄のように左右の男女の胴に巻き付ける。

 抱き寄せられ、突然腹部に触れた柔らかなふくらみに男の獣欲が鎌首を擡げそうになる。

 

 一方、言い争う男女の海賊たちの関係性を暴かんと必死に存在感を消していたナミは、唐突に自分の腰に巻きついた麦わら娘のゴムの腕に絶叫する。

 しつこい勧誘に辟易しながらも無意識の内にルフィに惹かれていた彼女は、この海賊コンビの庇護下に入ることで密かに二人の実力を見定めようとしていた。

 

 だが、ここに来て自慢の危機察知本能がサイレンのように主張し始める。

 

 もっとも、その警告も虚しく、逃れ得ぬ恐怖の抱擁は女盗賊を決して離さない。

 

「よし、せぇーのぉ!“剃刀”(カミソリ)っ!!」

 

『うわあああっ!?』

 

 

 剣士ゾロと航海士ナミ。齢20弱にして、生まれて初めて空を飛ぶ。

 

 そんな二人の情けない悲鳴が、無人のオレンジの町に何度も反響しながら消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町( )“バギー一味アジト”( )

 

 

 

『お前も一緒に来いよ!船長が作ったこの新たな時代を、おれはお前と一緒に海賊として見て回りたいんだ!!』

 

『ふざけんじゃねェ!おめェの部下なんざ真っ平だバーカ!男に生まれたなら一丁どハデに旗揚げしなきゃ己が廃るってもんだぜ!あばよ!!』

 

 

 暗闇の中、一人の男が下品なあくびを上げる。

 

 目を擦りながら時間を確認した彼は、小さく舌打ちを残し椅子から立ち上がった。

 暇にかまけて随分と長いこと座睡していたが、どうやら事態は全く好転していないらしい。

 

 不愉快な夢から覚めても不愉快な現実が待っているとは、何とも不愉快なものである。

 

「ちっ、おれの部下には無能しかいないのか…?女一人捕まえて地図を奪い返すのにどんだけ時間かければ気が済むんだ、アイツら…!」

 

 戦果を献上するよう命じていたお気に入りの執務机の上には、紙どころか塵一つない綺麗な天板がニスの光沢を忌々しげに放っていた。

 その意味を知る男の眠気が憤怒の感情に押し流され、二度目のあくびが喉内で霧散する。

 

 

 ドンドンドン!

 

「あァ…?ようやく来たか、バカ共が」

 

 忙しないノック音に小さな安堵と、不甲斐ない配下たちへの怒りが込み上げる。

 これほどの怠慢を見せられた以上、最早男に彼らを許すつもりは毛頭無い。

 

 だが飛び込んで来たのは期待していた戦果報告ではなく、配下“軽業フワーズ”( )四人衆の切羽詰った悲鳴だった。

 

「せっ、船長っ!た、大変ですぅぅっ!!」

 

「大変なのはてめェらの命だバカ野郎!おれァ地図を取り返すまで帰ってくんなっつったよなぁ!?」

 

 部下の態度に命令の失敗を確信した男の怒りが爆発する。

 

 だがいつもなら怯えて許しを乞うはずの彼らの顔に、自分に対する恐怖は無い。

 その顔はまるでより恐ろしいバケモノに追いかけられているかのような、切実な感情で塗りつぶされていた。

 

「お、女です!女が一瞬で仲間を…っ!!」

 

「あァ?てめェまさかあの女泥棒がおれの追っ手を全員倒して逃げたって言いてェのか?んなコトあるワケねェだろバカ!」

 

「違いますっ!別の麦わら帽子の女がモージさんとカバジさんを睨んだだけで一瞬で倒しちまったんです!!」

 

 その報告にぽかんと顎を垂らした男は、コンプレックスの赤い丸鼻を鳴らし一笑する。

 

「モージとカバジのコンビがやられただと?寝言は寝て言えバカ共が!睨んだだけで倒れたとか、そんなくだらねェ言い訳初めて聞い  

 

 だがその直後、男の頭にある知識が想起された。

 

 

  まて、“睨んだだけで倒した”だと…?」

 

 

 それは昔、先ほど男が見た昔の夢の時代の話。

 

 かつてこの世で最も偉大な船長の下で旅をした、恐ろしくも華々しかった人生の一章。

 

 誰も見たことがない未知を求め、名だたる真の強者たちと鎬を削った地獄のような世界で目にした力。

 口に出すのも恐ろしい化物中の化物たちが持っていた、この世の覇者たちが生まれ持つ力。

 

 時代の頂点に君臨する“王”たちの戦場で体験した、人知を超えた力だ。

 

 

「……ありえん」

 

 男は自分に言い聞かせるようにその推測を否定する。

 

「ありえん。そう、そうだ。ありえるはずが無ェ…!」

 

 だが、口に出せば出すほど不安は増し、男の神経は研ぎ澄まされていく。

 血が凍えるほど冷たく、重くどろりと身体中を流れ回り、些細な物音さえも耳に届く。

 

 男はこの感覚を知っている。

 

 あの、かつて潜り抜けた地獄の海で生き残ろうと必死に逃げ回っていたときに感じた不可視の恐怖。

 “海賊たちの墓場”とまで言われる偉大なる航路(グランドライン)の、その最後にして最悪の海『新世界』で感じたものと同じ、生死の境にいるかのような張り詰めた空気…

 

「ハァッ……ハァッ……!」

 

 男の心臓が途轍もない速さで鼓動する。

 不規則な呼吸音が更なる焦燥を駆り立てる。

 それらの音が研ぎ澄まされた感覚に拾われ、彼の理性を削っていく。

 

「どけ!」

 

『せ、船長!?』

 

 心理的不安から逃れようと、男は部下たちを突き飛ばしながら窓へと急行する。

 確か幹部コンビのモージとカバジにはこの拠点の入り口で下っ端たちの指揮を取らせていたはずだ。

 

 男は階下で無事に任務を遂行している二人の姿を窓から確認しようとして  

 

 

「バ…バカな……」

 

 そこで目にした光景に、男の危険信号が悲鳴を上げる。

 

 口から泡を吹き、目を回している配下数十名の男たち。

 外傷は一切なく、まるで無人の玉座に平伏しているかのように跪きながら意識を失っている彼らの中に、男は己の最も信頼する幹部の二人の姿を見てしまう。

 

 その光景が、彼の脳裏に焼きついたある大海戦の地獄絵図と酷く合致したのである。

 

「……出航しろ」

 

  は?』

 

「船を出せっつったんだ!ありゃ間違いねェ、“覇気”ってヤツだ!“新世界”で名を上げるようなバケモノが近くにいるぞ!!」

 

『し、“新世界”っ!!?』

 

 恐怖に震える男の瞼の裏には、当時己が雑用として返り血で滑らぬよう甲板に砂を撒いていたときに目の当たりにした、凄惨な戦場風景が浮かんでいた。

 

 

 旧時代最大の海戦『エッド・ウォーの海戦』( )

 

 文字通り海そのものを割るほどの凄まじい攻撃が飛び交う環境。

 巨大な海賊船が宙へと持ち上げられ、頭上から降ってくる、強大な悪魔の実の能力者たちが使う多種多様の常軌を逸した力の数々。

 

 そして  偉大なる船長の一睨みで、甲板に溢れかえる無数の敵の益荒男たちが一瞬で地面に額をつける、“王の素質”を持つ者が行う強者の裁定…

 

 

「何度も…何度も見た…!船長の大きな背中の後ろから見て来たんだ…っ!」

 

 信じられないという気持ちと、それを押し潰すほどの恐怖。

 

 この東の海(イーストブルー)では決して見ることは無い力だと、高を括っている自分をぶん殴ってでも目を覚まさねばならない。

 男は今まで培ってきた弱者の生き残り方を言葉として捲くし立てた。

 

「この海じゃてめェの直感を疑ったヤツから命を落とす…っ!ヤバいと感じたら恥なんかドブにでも捨ててさっさと逃げるが吉ってモンだ!!どっから湧いて出てきたバケモンかは知らねェが、元々この東の海(イーストブルー)はハデに強ェヤツらが全員偉大なる航路(グランドライン)に行っちまうから“最弱の海”だなんて言われてんだ!嵐に正面から挑もうなんざ、死にたがりのバカがやることだぜ!!」

 

 ただの杞憂で済めばそれでいい。

 怯える自分を笑う部下や敵がいたら殺せばいいだけのことだ。

 

 

   だが杞憂でなかったら……?

 

「お前ら!そのバケモノの特徴は!?麦わら帽子の女ってこと以外はどんなヤツだ!?」

 

「ッひっ!は、はい!あ、赤い服と短パンの凄ェボインな薄着の女です!」

 

「か、髪は短い黒でした!」

 

「わかった、残ってる一味の連中全員に伝えて船まで逃げろって命令しろ!おれァ話が通じそうなヤツかどうか見て、見逃してもらえねェか頼んでみる…っ!!」

 

「せ、船長…っ!」

 

 一味の危機故か、日頃の冷徹な一面が静まった彼らのボスの仲間思いな振る舞いに部下“軽業フワーズ”は感動する。

 

 船長の期待に今度こそ応えようと一目散に仲間の下に走る彼らの後姿を見つめる男、『バギー海賊団』( )船長にして1500万ベリーの賞金首『“道化”のバギー』( )は、そのフェイスペイントに隠れた口角をニヤリと大きく持ち上げていた。

 

 

 



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6話 北極星と女航海士・Ⅲ (挿絵注意)

温泉旅行行ってきた
きもちよかったですマル

…ナミ編の字数が倍近くに膨れ上がってるのは百合好き紳士たちの陰謀


大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町“バギー一味アジト”( )

 

 

 

「お邪魔しまーすっ!!バギーはどこ  ってあら、いない…?」

 

 ズドン!という大きな音と共に屋上が崩落する。

 

 大量の瓦礫と一緒に落下して来たのは、両脇に一組の若い男女を抱えた天真爛漫な麦わら娘。

 

 腕中で様々な不平不満を騒ぎ立てる二人を余所に、少女が辺りを見渡し首を捻る。

 お目当ての赤っ鼻の男の姿が見当たらないのだ。

 

「おかしいわね……確かにこの辺りいっぱいに妙に薄い気配を感じるんだけど…」

 

「いっ…たぁ~っ!  って、おかしいのはアンタの頭よ、バカ!天井ぶっ壊して突入とか普通考える!?死ぬかと思ったじゃない!!」

 

「ッ、ルフィ!も、もう離せ!いつまで抱きしめてんだ、バカ!!」

 

 見聞色の覇気で捉えていたはずの奇妙な覇気を追って突入したのだが、まさかの空振りに麦わら娘のルフィは内心困惑していた。

 

「どうして…?こんなコト過去に一度も……まさか見聞色の覇気でも捉えきれない敵がいるなんて……何なの、この不思議な気配は…?」

 

「どうもこうもないわよ、さっさと放しなさい!アンタのでっかい胸が顔に当たって鬱陶しい  ってちょっと何よこれ!?ブラくらいしなさいよ女の子でしょうが、バカ!!」

 

「だからルフィてめっ!当たってる!凄ェ当たってるってば!!はなっ、離せっつってんだろ、バカ!!」

 

 ブツブツと小声で唸るルフィに食って掛かったのは、彼女の両腕に輪ゴムのように巻きつかれていた男女、剣士ゾロと航海士ナミ。

 

 その辛辣な言葉に二人を解放した一味の女船長は怒りを露にする。

 

「ちょっとあなたたちっ!さっきから人のことバカバカ呼んで、ホント失敬ねっ!最近は村でも言われなくなってたのに…っ!」

 

「いやそれってもう言う必要が無いくらい周知の事実になってただけじゃないの?」

 

「何ですって!?そんなこと  そんなこと…ない……はず………よ」

 

 竜頭蛇尾に落ち込んでいくバカに追い討ちをかけるべく、年頃の女航海士が彼女をここぞとばかりに叱りつける。

 

「アンタこの際だから言っておくけどね!男と二人旅してるならもっと警戒心ってのを持ちなさい!そんなカッコしたまま船の上で二人きりなんて“襲ってくれ”って言ってるようなモンよ!!」

 

「なんで仲間のゾロが私を襲うの?」

 

「仲間とか関係ないわよ!男ってのは年がら年中盛ってるサルみたいなモンなんだから!アンタだってソイツに胸とかお尻とか触られたくないならせめてマトモな服着なさい!!今だって気まずそうな顔しながら内心何考えてるか…!」

 

 同性の仲間意識故か、この色々と開放的な麦わら娘の姿を日常的に目に焼き付けていたであろう青年剣士にナミは厳しい視線を送る。

 

 当然、唐突に触れられたくない話題を投げつけられた哀れな青年も必死に抵抗する。

 彼としても不本意かつ悩ましい事情であったのだから。

 

「なっ!?てめっ、こっちはそこの露出魔の暴挙に対する被害者だっつーの!」

 

「はっ、どうだか…!この子が寝てるときとか密かに手出してたりしてたんじゃないの…?このヘンタイっ!」

 

 顔を真っ赤にさせながら口をパクパク開閉する剣士から無垢な少女を守ろうと、女航海士が自然な動作でルフィを抱きしめる。

 

 その腕の中にいる無防備少女はナミの温かい体温に癒されながらも、仲間を侮辱された船長としての義務を忘れてはいなかった。

 心苦しいが、一味のトップとして締めるところは締めなくてはならない。

 ゾロとは違い一応ナミはまだ正式には仲間になっていないのだから。

 

「ちょっとナミ!心配してくれるのは嬉しいわ!でもゾロの悪口は許さないわよ!」

 

  え?あ……っ」

 

 自分の腕の中でもぞもぞとバツが悪そうに失言を責めてくる小柄な女の子。

 その大きな星空の双眸を、互いの鼻がくっ付く距離で目の当たりにしたナミは咄嗟に彼女を離し距離を取る。

 

「ゾロはむっつりなんだからそんな酷いコトしないもの!謝りなさいっ!」

 

「誰がむっつりだクソゴム女!!」

 

 心外そうに女船長に食って掛かる赤面剣士と、それをきょとんとした表情で見つめる麦わら娘の口喧嘩に蚊帳の外へと追い出されたナミは、少しずつ、混乱した思考を落ち着かせつつあった。

 

 そして、直前の自分の馴れ馴れしい行動にようやく気が付き、隣のむっつり剣士同様羞恥に思わず顔を覆い隠した。

 

(何…!?何なの…!?初対面の子抱きしめるとか、私何やってんの…!!?)

 

 我に返った女航海士は、まるで義姉のノジコにされたように、この麦わら娘を庇護すべき存在として平然と己の懐に抱え込んでしまった事実に狼狽する。

 

 少女の性格か、はたまた天性の魅力故か。

 

 彼女に対する警戒心を維持し続けることは極めて難しいと今日の僅かな会話のうちに身を以って学んだナミ。

 彼女にとって、この女海賊との対話は気を抜けば絆されてしまう危険なものであった。

 

(大丈夫…今の私は正気よ…!コイツらがあのクソ魚人共に勝てる強者か否か。それを見抜くだけでいいんだから…!)

 

 それこそがナミの目的。

 この色々と危険な少女の近くに居続ける理由。

 

 他の全てを放ってでも成さねばならない十年越しの願い。

 その成就のためならこの程度の困難くらい乗り切って見せる。

 

 そう意気込む少女であった。

 

 だが  

 

(さっきの街中での“海賊狩り”との口論でも感じたけど、この子は仲間意識が非常に強い。利用出来そうならさっさと仲間になって助けてって頼めば  って)

 

 違和感。

 そして驚愕。

 

 思わず固まってしまっていたナミは、その不自然なまでに自然に浮かんだ発想の意味を何度も反芻し  顔を青ざめさせた。

 

(まっ、待って待って違うでしょ…っ!?“仲間になって”って何よ、コイツら海賊なのよ!?何考えてんの私!!?)

 

 明らかに異常である。

 

 八年前のあの悲劇以来、その単語を聞いただけで憎悪が煮えたぎる程憎み続けてきた“海賊”。

 それがたった一人の少女の言葉でこうも容易く警戒心を崩され、気付いたら無意識のうちに彼女の仲間になることを認めている自分がいるのだ。

 

(だ、大丈夫…まだ大丈夫…!天に一物も二物も与えられた化物娘のよくわかんない“凄さ”に当てられただけよ…!慣れたら今度こそ正気に戻れるはず…っ!)

 

 自分の凶行の責任を外部的な要因に押し付けたい泥棒美少女は、この小さな女勇者の理不尽なカリスマ性を例に持ち上げ何とか己の体面を守り通す。

 

 やはり彼女と会話を交わすのは最低限に止めよう。女盗賊はそう決意した。

 

 後ろで何やら図星を突かれて怒声の勢いが翳ってきた“海賊狩り”と、無邪気な声色でずけずけと相手の恥ずかしい内心を突き付ける女船長の会話から耳を逸らし、ナミは我関せずで消えた敵『“道化”のバギー』がこのアジト内に残した痕跡を探る。

 

 もちろん、海賊専門泥棒の副業も忘れない。寧ろ本業に取って代わるほどの熱の入れようだ。

 

 

 だが、瓦礫の中から素早く物品を漁り盗み出す女泥棒の手際の良さを、女船長との言い争いに敗北し逃げてきた剣士の話題転換に利用されてしまった。

 

「へぇ、こいつァ頼もしい航海士だな。ホントに盗賊としても一人前なのか、ナミ」

 

 突然、どこと無くバカにしているような声色で話しかけられた泥棒美女の肩が僅かに跳ねる。

 

「…嫌味言ってる暇あったら黙ってバギーの痕跡捜しなさいよ、むっつりさん」

 

「はっはっは、そうカリカリすんなよ。“仲間”じゃねェか、なぁナミ?」

 

 意地の悪そうな笑みを浮かべながらその単語を強調する剣士を、女泥棒がキッと睨みつける。

 

「ッ、さっきからナミナミ人の名前呼んで馴れ馴れしいのよアンタ!誰が仲間よ、誰が!」

 

「なんだナミ、お前まだそんな意地張ってたのか?忠告したはずだぜ?“諦めろ”ってな」

 

 かつての自分と同じように、ルフィとの間に心の壁を張り続ける新参のナミの姿がおかしくて仕方が無いゾロは、この強情そうな女が少しずつ絆されていく姿を観察するのを大いに楽しんでいた。

 

 特に先ほどのように無意識のうちに麦わら娘の味方をしてしまっていた彼女が己の痴態を恥じる様など、実にからかい甲斐のある眼福ものの光景だ。

 

 結果のわかりきっている勧誘に必死で抵抗している新人候補をこうしてからかうことが出来るのは、先達たる青年剣士のみが持つ大事な特権だ。

 

 女航海士が完全に堕ちる前の、往生際の悪い彼女の葛藤を存分に堪能しているゾロは、既に『麦わら海賊団』の一員としてどっぷり染まっていた。

 

 

 …若干先ほどのヘンタイ扱いに対する仕返しも含まれているところに、この哀れな19歳の青年の余裕の無さが窺える。

 

 

  そういえばルフィ、お前がいつもやってる相手の気配探る“覇気”ってのは使ってねェのか?シェルズタウンでおれを捜したのもその力なんだろ?」

 

 しばらくして、一味の新人候補でしつこく遊び続けるのを自重した剣士がルフィに問いかけた。

 既にその顔には先ほどのようなお気楽な雰囲気は微塵も無い。

 

 

 少女の切り札らしきその特別な“気配を読む力”も密かに盗めないかと考えている彼は、これまで何度か覇気について訊ねていた。

 それらを身につけることこそが、己が頭を下げる女船長の隣に立つために必要不可欠であることは既に把握済みである。

 

 こうして敵の首魁に真っ先に挑む姿勢を見せるのも、自身の武者修行以上に、自身の上司の信頼を獲得し彼女の技を教わりたいがこそ。

 いつの時代のどこの組織であっても、一番槍は常に主の信を勝ち取ってきたのだから。

 

 もっとも、先ほど街中で女船長が切なげに示した自分への強い信頼を知ったゾロは今、その奥義を授かるに足る強者であることを彼女に証明したい一心なのだが、ルフィ自身は特に隠すつもりも無く、寧ろさっさと修行の機会を設けたいと考えている。

 

 その奇妙なすれ違いが、未だ二人の男女が一味結成直後で完全に心を通わせ終えていないことの証でもあった。

 

 

 一方、バギーの覇気について訊ねられたルフィは、剣士の問いに難しい顔を浮かべながら返答した。

 

「…さっきから捜してるんだけど見つからないのよ。それっぽい覇気は感じるのに、まるで周囲に広がるドームみたいに薄くて大きくて……こんなの初めて…」

 

 ルフィの知る限り、見聞色の覇気の感知から逃れる方法は存在しない。

 強者は強者としての覇気を必ず有しており、その気配を隠すことは強者の意思そのものを封じること。

 つまり、不可能なのである。

 

 特に二人の“ルフィ”の覇気を有し、それを十年かけて磨き続けてきた彼女の見聞色の覇気は、最早“覇気”という枠組みさえも超越しかねない形而上の領域に至っている。

 

 気配はもちろん、心どころか思考まで読み取り、少し先の未来さえも見通す上、万物の“声”すら聞き取れるルフィにとって、人探しなど息をすることより容易だ。

 実際に今問題となっている『“道化”のバギー』の気配も感知することは当然のように成功している。

 

 ただ、その感知した覇気の“質”があの赤いデカっ鼻の男だけ、あまりにも異質なのだ。

 

「…雑魚なんじゃなかったのか?」

 

「雑魚よ?雑魚なんだけど……面白いわね、バギーの覇気って」

 

 しばらく目当ての人物の覇気を分析していた麦わら娘が、ゆっくりと興味深そうな笑顔を浮かべた。

 

 少女は思い出したのだ。

 最初に“夢”を見、覇気を知ったとき、まるで世界がひっくり返ったかのような衝撃を覚えたことに。

 

 そして今、全幅の信頼を置いていた自身の見聞色の覇気でさえも捉えきれない者がいることを知り、少女の胸中では未知に対する関心が沸々と湧き上がっていた。

 

「体質かしら?それとも悪魔の実の能力の影響?……凄いわバギー!町のみんなに酷いことする悪いヤツだと思ってたのに、インペルダウンでも見直したけど、まさかこんな隠し玉があったなんて…!!」

 

「……インペルダウンですって?アンタあの海底監獄に行ったことあんの!?」

 

「“私”は無いわ、後はないしょ」

 

「“ないしょ”って…」

 

 聞き捨てならぬと会話に割り込んできたナミを軽く流し、ルフィは無い知恵を絞り人海戦術で捜し人を捜索することにした。

 

「それよりこっから先は三手に分かれて捜しましょ。漠然としすぎててあまり詳しくはわかんないけど、ココから逃げようとしてるバギーの意思は感じるわ。多分港に向かいながら捜せばいつかは見つかるでしょ」

 

 かつては警戒心の塊のような人物であったエースも、村人たちと一緒に集団行動を取るうちにフーシャ村の皆との間に仲間意識を持つようになったのだ。

 その当時のような環境を用意しそこにナミを放り込むことで、ルフィは一味に誘っているこの頑固な女航海士の頭を縦に振らせようと考えていた。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!私アンタたちと違って戦えないのよ!?」

 

「見つけるだけでいいわ。この町程度なら覇気で遠くからでもナミの意思を感じられるから、すぐに空飛んで合流するわね」

 

 唖然とした面持ちで少女の人外じみた力の説明を聞くナミ。

 

「……その“覇気”だの“気配”だのの荒唐無稽な話を信じろと?」

 

「イヤならまた私と一緒に空飛んで捜す?」

 

「ッ、いや、いい!わかった、わかったわよ!捜せばいいんでしょ、もうっ!」

 

 先ほどの空中旅行がトラウマになりつつあった女泥棒が顔を青くしながら首を振る。

 あんな恐怖は二度と味わいたくない。

 

 彼女の肯定を満足げに確認したルフィは、声高々に配下二名(予定)にキリリとした表情で指示を下した。

 

「それじゃ、船長命令よっ!一味三人みんなで、村に悪さする連中の、何よりナミに酷いことした“バギー海賊団”の親玉バギーを倒しに捜しに行きましょっ!!」

 

 もっとも、少女のその童顔では折角の初船長命令もただの子供のカッコつけにしか見えないのだが。

 

「ッ!だから仲間じゃない  って、はぁ…もう好きにしなさいよ、バカ」

 

「お、もう諦めるのかナミ?もうちょっとくらい粘ってくれてもいいんだぜ?ククク…」

 

「協力するだけよっ!!海賊なんて死んでもイヤ!!」

 

「あーそうかそうか。じゃ船長、おれは先に行くぜ」

 

 一通り後輩をいじって楽しみつつ、ゾロが真っ先にボスの命令に従った。

 何だかんだ言いながらも本質的な部分では組織としての上下関係を大切にする男である。

 

 そんな彼が向かった方角が港とは真逆の山側であることを指摘するナミも、一応は女船長に従う姿勢を見せる。

 

「……ねぇ、あれいいの?」

 

「ゾロに人探しなんか出来るわけないでしょ?さっきの一味全員への船長命令は気分よ気分。あ、でもナミには期待してるから!頑張って二人で手分けして捜しましょ!」

 

「えぇ…」

 

 

 高名な“海賊狩り”がむっつり、かつ致命的な方向音痴。

 

 強烈な脱力感と共にアジトを後にした女泥棒は、成り行きで『麦わら海賊団』に関わってしまった己の不運を少し後悔した。

 

 

「はぁ、これでアーロンどころかバギーにすら勝てない雑魚一味だったら一生恨んでやる……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町“秘港”( )

 

 

 

 40年前に海賊の襲撃で故郷を追われた民が築いた港『オレンジの町』( )

 過去の教訓を元に計画されたこの町には、海賊の襲撃に備えた様々な対策が至るところに設けられている。

 

 その一つである山麓の秘密の港で、息も絶え絶えに小さな漁船の出航準備を行っている一人の男がいた。

 

「ハァ…、ハァ…、ま、撒けるか…?」 

 

 汗で崩れている特徴的なフェイスペイントに、真っ赤で巨大な丸鼻から活発に空気を取り込むその男、名を『“道化”のバギー』という。

 

 先ほど仲間たちに出航を指示し、彼らの逃亡の殿を引き受けたはずのこの船長が何故このような無人の入り江で漁船の帆を張っているのか。

 答えを知る者は彼ただ一人。

 

「くっくっく……ぎゃはははは!バカ共め!大慌てであんなデケェおれの『ビッグトップ号』を出航させたら目立つに決まってんだろ!覇気使いから逃げるにゃ“意思”を拾われねェように、こっそりコソコソと静かに海へ逃げるモンなんだよ!」

 

 何てことはない。

 生き残った者こそが正義であるこの大海賊時代において、男はその正義を成そうと仲間を捨て駒に使っただけである。

 

「ぐすっ、お前ら…っ!今までご苦労だったな…!モージ、カバジ、それにみんなも…!おれァお前らの分もハデに生きるって決めたぜ…っ!」

 

 とはいえ、流石の小悪党バギーも人の子。

 犠牲にする配下たちへの申し訳なさから静かに涙を流すその顔には、隠すつもりの無い哀愁が漂っている。

 

 もっとも、それも一瞬。

 直後に浮かべた目尻と口の両角がくっ付くほどのニヤケ面に、仲間を思う罪悪感の涙も瞬く間に蒸発してしまう。

 

「だからよぉ、お前ら……おれの分も頑張ってド派手に目立って散っていけ、ブァ~~~カ!!」

 

  なるほど。アイツの言う“姑息な雑魚”ってのは、まさにその通りみてェだな」

 

「!!?」

 

 突然聞こえた知らぬ男声に、バギーの心臓が一瞬停止した。

 

 咄嗟に振り向き目にしたその人物の特徴を、赤っ鼻の男は脳内で瞬時に整理する。

 そして見事相手の正体を突き止めた。

 

 相手が男ということで、問題の“麦わら帽子の女”と鉢合わせする最悪の状況では無いと既に動揺を落ち着かせていたバギーであったが、この人物を代わりに歓迎出来るほど彼の心は広くなく、またその力もなかった。

 

 全く予想だにしていなかった、まさかの乱入者である。

 

「三本刀の腹巻剣士だと…?ッ、てめェまさか“海賊狩り”か!?」

 

「ご名答。嬉しいぜ?自己紹介の手間が省けるモンってのはな、『“赤っ鼻”のバギー』さんよぉ」

 

 女船長の命令に従い港を目指し、迷いに迷ってこのような辺鄙な地まで来てしまった『“海賊狩り”のゾロ』。

 目の前の派手な人物に棚ぼたで出会えた幸福に思わず獰猛な笑みが零れる。

 

 そして、やはり自分は迷ってなどいなかったと、青年は密かに安堵した。

 

「どぅぅあぁれがァ  “赤っ鼻”だゴラァァァっ!!?」

 

 そんな邪魔者に貴重な時間を浪費させられている赤っ鼻の男は、怒声の奥に冷静な思考を隠し即座に戦闘を開始する。

 一瞬で漁船から寂れた桟橋に飛び降り、懐の切り札である毒付きナイフを無礼な剣士に投げつけた。

 

 もちろん、がむしゃらに攻撃するようなヘマはしない。

 投げた毒付きナイフには己の能力で切り離した【小指】をこっそりと隠してあり、いつでも自由に操ることが出来るように準備してある。

 勝負を決めるための切り札は、相応の戦術の中で運用してこそ切り札たり得るのだ。

 

 肉体を無数のパーツに分解し自在に操る『バラバラの実』の能力者である彼は、よくこのような“詰め”を終えてから一気に王手を取る戦いを好んでいた。

 

「ちっ、冗談じゃねェぞ!さっさと失せろ、“海賊狩り”!てめェみてェな最弱の海で小山の大将やってる雑魚に構ってる暇ァねェんだよおれァ!!」

 

「ッ!!…へぇ、随分とまた面白ェ挑発じゃねェか、おい…!気に入ったぜ、てめェは今ここで斬り殺してやる!!」

 

 敵の感情を逆撫ですることも、長年海賊業に手を染めているバギーに掛かれば造作も無い。

 

 憤怒に身を任せ正面から突っ込んでくる“海賊狩り”の凄まじい速度を辛うじて捉えた赤っ鼻の男は、即座に能力を発動させ身体のパーツをこっそりと切り離す。

 

 ぶぉん…!と振るわれた刀の余波で男の【腹部】が吹き飛び、その勢いのままバギーは剣士と立ち位置を入れ替えた。

 

 これも彼の作戦の一つ。

 重要な逃亡手段である漁船から“海賊狩り”の目を離させ、先ほどの【腹部】と同時に切り離した【左手】で密かに出航準備を続けるためだ。

 

「へぇ、そんな風になってんのか。ホントに全部ルフィの言ってた通りだな。アイツの情報収集力はどうなってやがんだ…?」

 

 まるで積み木の一部のように輪切り状の部品に分かれふわふわと漂う道化師の【腹部】を、“海賊狩り”は興味深そうに観察する。

 

 対するバギーは本命の漁船に送った【左手】と、ナイフを持たせた【小指】が気付かれていないことに内心安堵しつつ、あえて苦虫を噛み潰したような余裕のない表情を浮かべていた。

 

 理由は剣士が構える刀の状態にある。

 

「……鞘を付けたまま攻撃たァ、随分おれの能力に詳しいじゃねェか。1500万ベリーにもなりゃ入念な下準備をして挑むモンらしいな、ちくしょうめ…!」

 

「ま、ただの受け売りだがな。いつもはバカだが、流石に船長なだけはあって敵の情報はちゃんと把握済みらしいぜ。どうやって集めたのかは知らねェが」

 

 もっとも、道化師とてバカではない。

 この“海賊狩り”のように刃物を鞘で覆い、斬撃を殴打撃に変えて挑んできた賞金稼ぎには何度も出会ってきた。

 当然その対策も万全である。

 

 だが、戦闘を再開する直前に、バギーは剣士の言葉の中に一つだけ不可解な単語を聞き取った。

 

「船長…?お前、どっかの民間船の用心棒でもしてんのか?」

 

「いや、おれ最近海賊になった」

 

「……は?」

 

 耳を疑う発言が“海賊狩り”の口から飛び出し、男は顎を垂らす。

 

 海賊。

 すなわち、同業者。

 

 剣士の異名を知るバギーは少しの間を置き、彼の告白の内容を理解した。

 

 そして思う。

 これが笑わずにいられるか、と。

 

「ぎゃはははは!!こりゃ傑作だ!ミイラ取りがミイラになってやがるぜ、がっはっは!!」

 

「…てめェで選んだ道だ、悔いはねェよ。ただな  

 

 直後、バギーの危険信号がけたたましく鳴り響いた。

 咄嗟に身を引き置き去りにした残像が、豪速で振るわれた剣士の刀に吹き飛ばされる。

 

 遅れてゾッ…と悪寒が走り、男は死の恐怖に思わず唾を呑んだ。

 

  ミイラになったミイラ取りが、ミイラ取りを辞めるとは限らねェだろ…?」

 

 極めて非友好的な笑みを浮かべながら刀を構える“海賊狩り”。

 その隙の無さに、即座に落ち着きを取り戻したバギーは小さく舌打ちする。

 

(……強ェな、コイツ。異名は伊達じゃァねェってことか…)

 

 彼は今、先ほど己の【小指】と共に投げ飛ばしたナイフを密かに操り、剣士の背中に狙いを定めていた。

 

 また同時に【左手】で剣士の背にある漁船の出航準備を行っている。

 もちろん、切り離した部位が目立たぬよう【左手】の無い左腕は肩に羽織ったコートの裏に隠蔽済みだ。

 

 万全では無いが、既に一連の下準備は整っている。

 

 だがバギーには最も重要なタイミングを引き寄せる、すなわちこの剣士の油断を誘う手立てが不足していた。

 

(ちっ、流石にそう簡単には隙ィ晒してくれねェか。“海賊狩り”…!)

 

 時間の浪費は男を追い詰めるだけ。

 何より彼には、迫り来る『新世界』級のバケモノから逃げるという最重要目標があるのだ。

 

 確かに先ほどの剣速を見る限り、この剣士は偉大なる航路(グランドライン)でも名を上げられるほどの強さはある。

 流石は“海賊狩り”と恐れられる男だ。

 

 だが所詮は大海を知らずこの”最弱の海”で調子に乗っている井の中の蛙に過ぎない。

 この程度の剣士なら『楽園』で既に何人も見てきたのだ。

 

 さっさと倒してバケモノから逃げなくては。

 バギーの焦燥は募る一方だった。

 

(ハデに爆発する足の“特製マギー玉”は使えねェ…!ならばコイツで無理やり隙を作ってやるぜ!!)

 

 覚悟を決めた男の行動は速かった。

 迷い無き動きで懐のナイフを残った右手で掴み取ったバギーは、十本余りの刃を一気に宙にばら撒き大技の準備を整える。

 

「さァ覚悟しろ、“海賊狩り”ロロノア・ゾロ!!いっちょド派手に祭りと行こうじゃねェか!バラバラ“ナイフ”フェスティバル!!」

 

「なっ!?」

 

 その掛声と共にバギーは自分の身体を無数のパーツに分解させる。

 それら全てを宙で操り、先ほど放り投げた多数のナイフに向かい一斉に飛び掛かった。

 

「ぎゃはははは!斬撃や刺突が効かねェ身体にしか出来ねェ技だ!そこら中から飛んでくるナイフの餌食になりやがれ!!」

 

 まるで立体的なエアホッケーのように身体の各パーツで空中のナイフを弾き返し、男はそれらを“海賊狩り”の正面へ殺到させた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

(さァ、これでヤツの注意は全て目の前のナイフに釘付けだ…!やるなら今しかねェ!!)

 

 折角作った大きな隙をただ攻撃だけに利用するのを惜しんだバギーは、この千載一遇の好機を活かし剣士の背後の漁船を桟橋から密かに出航させる。

 そして最後の仕上げに、自身の両足をその甲板へと飛び乗らせた。

 

 『バラバラの実』の能力の特徴の一つに、各身体パーツの中で足裏だけは宙に浮かせられないという厄介な制限がある。

 先に両足を漁船に乗せたのも、その弱点を晒さぬようにするためだ。

 

(動かし辛い足も既に船と共に逃がした…!あとはコイツさえ上手く行けばおれの勝ちだっ!!)

 

 万が一に備えた全ての“詰め”を終えた船長バギーが、遂に切り札を切る。

 

 剣士がこちらの大技“バラバラナイフフェスティバル”を迎撃しようとその三本の刀を振るった直後。

 道化師は敵の背後に隠していた【小指】を操り、最初の毒付きナイフを“海賊狩り”の脇腹に向かって思い切り突き出した。

 

 意識の全てを注ぎ込んだその一撃は目にも留まらぬ速さで剣士の腹部へ目掛けて飛行し  

 

 

「ぐはぁっ!!?」

 

 突然“海賊狩り”の体が大きく揺らぎ、道化師は飛ばした【小指】を通し確かな手応えを感じる。

 

 彼が大好きな、敵の肉を抉り致命傷を与えた、勝利の感覚だ。

 

「ハッ、ザマァ見やがれバーカ!複数の武器を同時に操る敵と戦うときゃなァ、ソイツが手放した武器がどこにあるかくらい把握しとくモンだぜ、未熟者ォ!!」

 

 バギーは己の作戦勝ちを確信し、悦に浸るべくここぞとばかりに敵の失策を嘲笑う。

 全力で突き刺したのだ。骨まで届いているだろう。

 オマケにナイフに仕込んでいたのは強烈な麻痺毒だ。もう碌に動けまい。

 

(って、いかんいかん。落ち着け、おれ)

 

 勝鬨を上げるお調子者のバギーであったが、持ち前の臆病さで何とか戦いの興奮を収め冷静になる。

 

 最近の東の海(イーストブルー)における海軍のキナ臭い動きを考慮しヘタに悪名を上げぬよう致死性の高い毒物を避けていたのが多少惜しかったが、本来の目的はこの男を殺すことではないのだ。

 

 万全を期すためにナイフを捻りながら引き抜き傷を悪化させ、確実に“海賊狩り”の動きを止めた道化師はさっさと脱出作戦を再開した。

 本当の勝負はここからなのだから。

 

「ふぅ~…ま、運が良かったな“海賊狩り”。おれァ今忙しくてな、お前を仕留める時間が惜しい。てなワケで  ド派手にこっそり出航じゃァ~~~!!」

 

「ぐ…うっ…!ま、ちやがれ…っ!」

 

 既に剣士の背後で出航させていた漁船で身体パーツを合流させていたバギーは最後にそう言い残し、”海賊狩り”の射殺すような視線から逃げるようにオレンジの町を後にした。

 

 

 

 

 

 この時、男は気が付かなかった。

 

 これほど自分が苦戦した強者『“海賊狩り”のゾロ』が”船長”と呼び敬う人物がいることの危険性に。

 

 

 この時、男は知らなかった。

 

 それほどの圧倒的強者が血相を変えて爆走してくるほど、己が殺しかけた剣士が”船長”に大切にされていたことに。 

 

 

 

 

 長年偉大なる航路(グランドライン)を離れ安息の海に甘んじていた海賊王の元クルー『“道化”のバギー』は、強者の影に怯えながらも心のどこかで油断が生じていた。

 

 

 その失態に気付いた男が最後に見た光景は、夜の帳の降りきったオルガン諸島の空に輝く満天の星々であった。

 

 

 



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7話 北極星と女航海士・Ⅳ

ナミ編が終らないんだけどおおおお

次!次こそ終るから!


大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町港湾( )

 

 

 

「モージさんカバジさんを回収して来たぞ!他の連中もだ」

 

「急いで医務室へ連れてけ!って、おいそこ!物資なんか積んでる時間ねェんだ!さっさと全員乗って出航するぞ!!」

 

 

 港に泊まる一隻の海賊船『ビッグトップ号』。

 

 この地“オレンジの町”を支配する『バギー海賊団』( )の旗船では何十人もの男たちが慌しく出港準備を進めていた。

 

 彼らの船長『“道化”のバギー』より最大緊急出航命令が出されてから早十分。

 目を瞠る速さで帆が張られるその光景は、百戦錬磨の海賊に相応しい見事な技術が生み出す、一流の船乗りたちの芸術だ。

 

 特に今回の命令は“最大”緊急出航である。

 後先考えずにとにかく港を離れることを目的としたこの出航命令は、何かと小心者なバギー船長が率いる『バギー海賊団』( )ならではのもの。

 海軍ならびに世界政府に危険視され過ぎぬよう密かに、安全に、確実にお宝を手に入れるべく無名の町村や商会の船を狙うバギーに取って、逃げ足の速さを高める技術は何においても尊重されるのだ。

 

 

「……どういうこと?なんでアイツらこの町を離れようとしてるのよ…」

 

「船長命令だって。バギーが何かを怖がってて、ひとまず港を離れて遣り過ごすつもりみたい」

 

 そんな『バギー海賊団』の姿を物陰から見つめる二人の少女がいた。

 敵の船長を追って港まで探しに来た『麦わら海賊団』( )の船長ルフィと、航海士(予定)のナミである。

 

 盗賊として相応の情報収集能力を持つナミであっても、流石に無人の港町で集められる目撃証言などあるはずもない。

 建物の床に溜まった土埃などから足跡を手早く確認する程度の捜索は行ったものの、これといった成果も無く、気付けば海賊たちが屯する沿岸部までたどり着いてしまっていた。

 

 そこに突然後ろから現れ合流してきた女船長ルフィと共に海賊船を遠目から観察し始め、二人は今に至る。

 

「“何かを怖がる”ってなによ。まさかアンタの仲間のあの“海賊狩り”?」

 

「うーん…覇気ではゾロの名前は全然聞こえないのよね。あの海賊たちも船長命令に何も考えずに従ってるだけみたいだし、やっぱりバギーを見つけなきゃ  って、あら?」

 

 何かに気が付いたのか、遠く海賊船の方を見つめ始めた麦わら娘。

 気になったナミは彼女に何事かと問いかける。

 

 するとルフィが船の甲板で頻りに周囲を見張っている四人組を指差した。

 

「あの人たち、私のコト捜してるみたい」

 

「“私”って、アンタのこと…?地図盗んだ私じゃなくて…?」

 

「ナミのコトも捜してるみたいだけど、なんかバギーが私に怯えて逃げるよう指示したんだって。アジトの前にいた連中全員倒したのが警戒されちゃったみたいね」

 

 当然のように二百メートル以上も離れた相手の詳細な思考を読み取る化物少女。

 その澄ました横顔にナミの背中を冷や汗が伝う。

 

 相変わらず、この麦わら娘が用いる“見聞色の覇気”とやらは恐ろしい力である。

 半信半疑であったナミも、ここまで自信満々に語られては最早信じる他無い。

 

「…それで?アンタの化物っぷりに怯えて出航しようとしてるのはわかったけど、肝心のバギーはどこにいるかわかりそう?その妙な気配ってのはまだ近くにあるの?」

 

 そんな圧倒的な強者である彼女でさえも捉えきれない『“道化”のバギー』( )の優れた隠密能力もまた、無力な女泥棒を戦慄させる。

 流石は1500万ベリーの賞金首と言ったところか。

 

「そうそう。それがココに来る途中で、突然またぼんやりとした感じに逆戻りしちゃったのよ」

 

「…え?何ソレ、ダメじゃない…!」

 

「大丈夫。バギーの気配がはっきりしてる場所はちゃんとわかってるもん。ココにはナミを連れ戻しに来ただけよ」

 

 聞けばルフィは港に来るまでに例の道化師の覇気とやらを少しだけ調べていたらしい。

 

 調査によると、どうやらバギーの覇気は広い範囲を覆ってる薄いドームのような状態で展開されているようだ。

 そのドームの中から出ると気配が霧散し、この麦わら娘の力を以ってしても微かにしかわからなくなるほど感知し辛くなるらしい。

 それが現在の状況だと少女は言う。

 

 また逆にドームの中に入ると発生源を特定出来ないほどそこら中から道化師の気配を感じるのだとか。

 例えるなら、巨人の体内でその巨人の気配を探ろうとしているような状態らしい。

 

 確かにそれではあまりにも不毛である。

 

「見聞色の覇気って相手の意思を心の声として読み取る力だから、攻撃されるときは『これから右手で相手の顔正面を真っ直ぐ殴る!』みたいな感じに事前に向こうから教えてくれるようになるんだけど、人捜しに使うときは相手の心の声が聞こえてくる方角や距離を頼りに捜すのよ。だから巨大なドームみたいなのも全身から心の声を発してるバギーだと、この辺りにいるなぁって感じる以上のことは全くわかんないのよね」

 

 悔しそうに、それでいてどこか楽しそうに語るルフィ。

 その少女の姿を見たナミの喉が微かに鳴いた。

 

(この子…ホントよく笑うわね…)

 

 決して明るい状況では無いにもかかわらず、どこまでもポジティブに物事を捉え、常に笑顔で前に進む女の子。

 

 常に気を張り詰めさせながら金を盗み、集め、そして魚人共の海図作成に協力している女航海士にとって、この無邪気な少女の近くはまるで温かいひだまりのように心地よいものであった。

 

 海賊たちから隠れるための、互いの肩が触れ合うほどの近しい距離。

 僅かな隙間を通り、小さな女勇者のぽかぽかとした体温がナミの冷えた体を温める。

 

 その温もりに先ほどの自分の行動を思い出し、彼女は無言で自分の胸元に目を下す。

 

 残り温、とでも言うのだろうか。

 同じ女のよしみであの青年剣士のイヤらしい視線から保護しようと、つい少女を抱きしめてしまった。

 そのときの柔らかく、温かい感触が彼女の脳裏に想起される。

 

(最後に誰かを抱きしめたのって、いつ以来だろう…)

 

 忌々しい魚人共に悟られることを恐れる余り、ナミが故郷の義姉の下を訪れることはめったに無い。

 この世で唯一心を許せる大切な人物だが、だからこそ余計な心配をかけさせないためにも、彼女に己の弱みを見せることは躊躇われた。

 

 亡き義母の死に無力であった自分を捨て、一人で頑張ることを決めたのだから。

 

(でも…)

 

 ナミはちらりと隣の少女へ目を向ける。

 

 強大な力を有し、この東の海(イーストブルー)有数の賞金首が尻尾を巻いて逃げ出すほどの圧倒的強者。

 仲間思いで無条件に信頼してくれる、底抜けに無防備な女船長。

 

(楽しい…んでしょうね、コイツの一味は…)

 

 異性の目にてんで鈍感な天然少女と、硬派を気取っているむっつり方向音痴な青年剣士。

 

 航海士もいないまま海に出るほどせっかちで無計画な凸凹コンビ。

 そのクセ謎の用意周到さで敵の戦闘力から勧誘する仲間候補の行動予定まで完璧に把握する、恐るべき情報収集能力を持った抜け目無い実力者同士の二人。

 

 強く、優しく、明るい船長に、守られ、愛され、励まされる。

 面倒事も多いだろうが、それを超えて余りあるほどの、掛け替えのない形無き宝物を手にした幸せな大冒険。

 

 彼女と共に進む海は、そんな大変で  美しい世界なのだろう。

 

 

 ナミは生粋の海賊嫌いである。

 

 弱者を虐げ、金も名誉も大切な者の命までも奪って行く彼ら海の悪党に誘われその手を取ることは決してありえない。

 

 ありえないのに  

 

 

  えっ、嘘っ!?」

 

 突然、隣で共に潜んでいた意中の少女船長が大声を発した。

 完全に油断しきっていたナミは心臓が喉から飛び出そうになるほど仰天し、思わず小さな悲鳴を上げてしまう。

 

「ッぴぃっ!!なっ、何よいきなり…っ!脅かさないでよっ…!」

 

「すっ…す、凄いわナミ!あの、“あの”ゾロがバギーを見つけたみたい…っ!!」

 

 再三無意識のうちに彼女に絆されかけていたことに羞恥と焦燥から頭を掻き毟ろうとしていたナミだったが、麦わら娘のその言葉に一瞬ぽかんと頭が空っぽになる。

 そして一拍置き、ようやく少女の言葉を飲み込んだ女航海士は驚きに目を見開いた。

 

「凄いじゃない!遂に見つけたのね!?場所はどこらへん!?」

 

 この気持ちの昂りに身を任せ、先ほどこの海賊共に靡きかけた己の弱い心を上書きしよう。

 

 何とも頑固な女航海士は、揺らぎに揺らぐ自分の精神を今一度引き締めようと、憎い海賊の話題に飛び付いた。

 

「ゾロがいつものアレで迷った先の山麓に隠し港があったんだって!姑息なバギーが味方を囮にコソコソと小さな漁船で逃げようとしてたトコを押さえたみたいよ!」

 

「“囮”って……じゃあアンタから逃げるためにあそこで船出そうとしてる仲間を見捨てたっていうの…っ!?」

 

 船長『“道化”のバギー』の海賊らしい非道な手段にナミは連中への憎悪を再燃させる。

 

 大丈夫。自分の価値観はぶれていない。自分は海賊の仲間には決してならない。

 ナミは胸を締め付ける不可解な痛みを無視し、己の憎しみを煽り続けた。

 

 だが彼女の複雑な心中を覇気で察したルフィは、その怒りを宥めようと女航海士に色々と斜め上な方向のアドバイスを送った。

 

「まあバギーは面白いから好きだけど、クズでもあるから嫌いだわ。腹が立ったら一発殴ってすっきりしたほうがいいわよ」

 

「“殴る”ってアンタ…」

 

「ナミは海賊が嫌いみたいだけど、ホントは海賊じゃなくて大切な人を殺すクズが嫌いなんでしょ?私も山賊のクズに泳げないのに海に突き落とされて死にそうになったから、クズは嫌いよ。でも山賊にはマキノと一緒に私の面倒を見てくれたダダンみたいなイイ人もいるもの。偏見ばかりだと折角の夢を諦めるハメになっちゃうかもしれないわ」

 

 少女のその言葉が憎悪の炎を鎮める水のようにナミの心に降り落ちる。

 

「夢…って」

 

「そうよ。ナミの夢」

 

 言葉を失い胸中に救う負の感情が揺らいだのを読み取ったルフィは、満面の笑みで女航海士のスカートのポケットから覗く数枚の紙を指差した。

 

「行きたいんでしょ?偉大なる航路(グランドライン)

 

  ッ!!」

 

 ドクン…とナミの心臓が大きく脈動する。

 

 自分を見下ろすその大きな夜空の瞳が、眩くキラキラと輝いていた。

 まるで「あなたをそこへ連れてってあげる」と言っているかのように。

 

「……っ」

 

 航海士は口を噤む。

 項垂れ、土で汚れた石畳を見下ろしながら、少女はぽつりと願った。

 願ってしまった。

 

 行きたい、あの海へ。

 そこで叶えたい、誰にも話したことの無い大切な夢があるのだから。

 

 航海士はゆっくりと顔を上げる。

 目に映るのは、初対面の自分を信頼し只ならぬ情熱を持って一味へと誘ってくれている、一人の小柄な女の子。

 恐るべき力を持ち、自分に夢を追いかける貴重な機会を与えてくれる、自分だけの小さな可愛らしい勇者さま。

 

 差し伸ばされた少女の綺麗な右手は、自分を助けてくれるたった一人のヒロインの、この世が齎した救済の証なのだろう。

 たった一度の、世界の慈悲なのだろう。

 

 

 だが、少女にはその手を取ることが出来ない。

 

「……さてね。もし行くなら自分一人で行くわ。ましてや海賊の一味だなんて、死んでもゴメンよ」

 

 積もりに積もった八年の憎悪は、一時の気の迷いで忘れてしまうほど軽いものでは無いのだから。

 

「ぶぅ~~~っ!!ほんっとナミって強情よねっ!考えてることと言ってること真逆なクセにぃっ!!」

 

「ちょっ!?ま、まさかアンタ私の心読んでるの!?今までずっと!!?プライバシーの侵害よ!信じらんない、この覗き魔っ!!全部忘れなさいっ!!!」

 

「でもそんなに“仲間になりたいっ!”って顔してたら覇気なんか使わなくてもバレバレよ?ナミって結構子供っぽいトコあるのね」

 

 咄嗟にそっぽを向いたナミは、コロコロと笑う麦わら娘を真っ赤な顔のまま横目で睨みつけた。

 

 もちろんそのような締まらない表情でこの海賊少女ほどの強者を怯ませることなど不可能である。

 ナミの渾身の憤怒を軽く流し、ルフィは遠方から聞こえてくる一味の仲間の心の声に傾聴した。

 

「そんなことよりさっさとゾロに加勢してバギーをぶっ飛ばしましょっ!おいで、ナミ!」

 

「くぅ……っ!……はぁ、そうね。こんなバカとくだらない言い争いして不愉快な気分にさせられるくらいなら、いっそあの赤っ鼻をぶん殴って当たり散らしてやるわ…!」

 

 麦わら娘が聞く耳持たぬと悟ったナミは溜息と共に気持ちを切り替える。

 どの道彼女たち『麦わら海賊団』に救いを求めようが否か、二人について行くことが最も安全なのだ。

 

 毒を喰らわば皿まで喰らえ。

 共に行動するこの頼もしくも手間のかかる同盟相手と多少親しくなっておくのも悪くは無かろう。

 

 短い期間とはいえ、彼らと共にこの海を旅すると決めた女航海士の心に、初めて感じる不思議な高揚感が沸き起こる。

 その感情に流されるままに、ナミは隣の女船長に向かって茶目っ気溢れる笑顔を見せた。

 

「ふふっ、アンタたち強いんでしょ?私がすっきり出来るようにあの赤っ鼻のクズ、殴りやすくしてくれるかしら?私の小さな勇者さんっ」

 

 自慢の小悪魔スマイルで目の前の小柄な女の子にエスコートを催促する女泥棒ナミ。

 

 そんな彼女の気持ちの”近さ”を悟ったルフィが満面の笑みでそれに応える。

 

「しししっ!海賊が勇者だなんて、ナミも中々悪者が様になってるじゃない」

 

「全く、ホント何でこの世にはマトモなヒーローヒロインがいないのかしらね。助けてくれる人が現れるなら絵本のイケメン騎士さまか、ベルメールさんみたいなカッコいい女の人だと思ってたのに…」

 

 ナミがワザと白けた風を装いルフィを挑発する。

 

 既にゾロの下へ覇気を集中させていた女船長は、相手の表面的な言葉しか捉えきれない元のバカに戻っている。

 単純な少女はぷりぷり怒りながら女航海士に食って掛かった。

 

「むっ!悪かったわね、子供っぽい私でっ!……あ!でも騎士じゃないけど、ゾロも十分カッコいいステキな剣士よ!今からバギーをボコボコにしてくれるから、早めに行ってゾロの戦いを観戦し  

 

 

 だがその直後  

 

 

  ゾロ…?」

 

 か細く、未だかつて聞いた事の無い少女の声色がナミの耳に届いた。

 

 女航海士は驚きと共に彼女の顔を除きこむ。

 そこにあったのは、”オレンジの町”の裏山へ向けられたまま固まっている、煌びやかな星明りが翳った麦わら娘の大きな夜空の瞳であった。

 

「嘘…イヤ…!イヤっ!ゾロっ!!」

 

「なっ!?ちょ、一体何が  

 

 いつもの笑顔が消え去り、焦燥に駆られ血相を変えた少女船長の必死な顔。

 その信じ難い衝撃的な光景に、ナミは立ち竦んだまま、絶対強者の麦わら娘が稲妻のような軌跡を残しながら飛んでいった山を超えた先の方角を、ただ茫然と眺めることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町“秘港”( )

 

 

 

  ロっ…!ゾロ…っ!!しっかり…今手当てするから…っ!」

 

 漆黒の暗闇の中で、鈴の音のような少女の声が木霊する。

 その音色に導かれるように、ゾロは重い瞼を微かに開き暗闇へ光を誘い込んだ。

 

 霞む視界の中、少しずつ露になったのは小柄な少女の華奢な輪郭。

 その持ち主の目には、今にも溢れそうな大粒の涙が黄昏の斜陽に照らされキラキラと輝いていた。

 

「ル…フィ…っ!?」

 

  ッ、ゾロっ!?よかった、気付いたのね…っ!」

 

 切なげな喜色を顔に浮かべて男の目覚めを喜ぶのは、剣士を見出し仲間に誘った童顔の女船長ルフィ。

 

 少女の感極まった珍しい笑顔に、思考が空白化していたゾロの胸が大きく跳ねる。

 だがその直後、腹部に襲い掛かってきた強烈な痛みが敗北者に己の状況を突き付けた。

 

 驚愕。屈辱。憤怒。

 

 戦いに負け無様に意識を失っている情けない姿を、最も見られたくなかった女に見られてしまった。

 その揺ぎ無い事実が剣士の心を掻き乱し、絶望的なまでの恥辱が腹の大穴の激痛をも忘れさせる。

 

「う…るせェ、バカ!こんな傷、大したことねェよ…!」

 

 つい口から漏らしてしまった意固地な言葉が、自分の惨めさを余計に晒し出す。

 

 偉大なる航路(グランドライン)の果てにある剣豪たちの聖地『ワノ国』に暮らす”サムライ”たちは、生き恥に耐えかねるときに己の腹を掻っ捌くという。

 剣豪ゾロは今まさに、彼らの思想の源を理解した気がした。

 

「なっ、何よっ!バカはそっちじゃない…!バギーのほうが有利だから油断しないでって言ったのに…っ!このバカっ!油断大敵っ!あとむっつりっ!」

 

「おい最後の何だコラ!!  ぐ…っ!?」

 

 咄嗟にいつもの反論を返そうと血気を昂らせた瞬間、ゾロの視界がぐらりと大きく揺れた。

 

「ッ、ゾロっ!?」

 

 慌てて肩を抱き寄せ崩れ落ちる剣士の体を受け止めた女船長が、心配そうに青年の顔を覗き込む。

 ふらつく体を支えられた剣士の目に、少女の胸元の零れ落ちんばかりに大きな双丘が一気に近付いた。

 

 動揺に身を任せ瞬時に頭を逸らした青年は、これ以上の醜態を晒さぬために女船長の腕から逃れようと必死にもがく。

 だが全身に広がる不自然な脱力感が彼の行動を許さない。

 

 身体の動きの全てが異常に鈍化しているのだ。

 

「くそっ…あの赤っ鼻め、ナイフに何か仕込みやがったな…っ!」

 

「まさか毒…!?ま、待って!まずは止血しないと…!」

 

 たて続けに明らかになる仲間の危機にルフィの顔から血の気が完全に消え去る。

 それでも必死に応急処置を試みようと、女船長は慣れぬ手つきで剣士の腹部に布を宛がった。

 

 仲間の身を案じる上司の行動は万人に彼女の強い愛情を感じさせる。

 だが目に涙を浮かべ酷く動揺している少女のその無様な姿に、ゾロは不愉快で度し難い感情を覚えていた。

 

 何年も前に道場を去ってから、誰かと共に戦ったことも、誰かに傷を心配されたことも、青年には一度たりとも無い。

 自分の歩む道は孤独な剣士の長く遠い覇道である。

 傷ついた身体を委ねる止まり木も、癒しを受ける抱擁も求めず、男は己が身一つで成し遂げねばならない茨の道だと覚悟を決めて旅に出た。

 

 だが今の剣士には、情けなく目尻に涙を溜めるほど彼を想ってくれる一人の少女がいた。

 最近彼の上司となった『麦わら海賊団』の船長であり、孤独な覇道では決して得られなかったであろう、大切な仲間となった人物だ。

 

 彼女の圧倒的な実力と、どこか放っておけない無垢なあどけなさに惹かれたゾロ。

 そんな、遥か格上である麦わら娘の強者に相応しからぬ狼狽が、少女の強さに魅了された剣士の心に失望の怒りを宿させていた。

 

 だがその失望の裏では、傷ついた自分の身を案じ取り乱す彼女の姿に、男の胸中を満たし尽くすほどの形容しがたい高揚感が沸き上がってくるのだ。

 

 複雑で、認めたくない相反する二つの感情が男の心をかき乱す。

 

 その度し難い思いを捨て去ろうと、剣士は己の苛立ちに身を任せ  手中にあった愛刀『和道一文字』( )を腹の傷に目掛けて一思いに振り下ろした。

 

  くッッ!!」

 

「きゃっ!なっ、何してんのよゾロっ!!?」

 

 鮮血が噴出し、青年の右足を滝のように流れ落ちる。

 

 仲間の凶行を泣きそうな抵牾顔で非難する麦わら娘。

 だがゾロは揺れる心を腹部の苦痛で以って押さえ込み、少女の感情の噴出に真っ向から向かい合う。

 そして涙に濡れる彼女の二つの大きな黒曜珠を、鋼の理性で睨みつけた。

 

「ハァ…ハァ…てめェ、おれを舐めてんのか…っ!?この程度…血ごと抜いちまえば毒も回らねェよ…!」

 

 もちろん、そのようなことはありえない。

 一度回った毒を血と共に抜くなど、体中の血液を入れ替えて尚不可能である。

 

 だがバカで素人な己の船長への配慮としては十分だ。

 

「…少し寝る。起きたらてめェの“月歩”とやらであのクソ赤っ鼻のところまで連れてけ…!今度こそあの野郎を叩っ斬ってやる…っ!!」

 

  イヤっ!イヤよっ!!バギーなら私が瞬殺してくるからゾロは体を大事にしてっ!!」

 

 悲鳴の混じった少女の凄愴な願いがゾロの理性を突き崩そうとする。

 それでも、青年は己の剣士の誇りに懸けて、必死に雪辱の機会を渇望した。

 

「ルフィ…!お前が一味に誘った男は  他ならぬてめェが見出した未来の大剣豪は、こんなくだらねェところで負けちまうようなヤツなのか…っ!?」

 

「…ッ!」

 

 未来の大剣豪の鋭い眼光が、麦わら帽子の小柄な女の子の心を射抜く。

 それは瀕死の重傷を負った者のものとは思えぬ、夢を追い覇道を進む男の力強い瞳だった。

 

 その双眸を見た少女ルフィはこのとき、初めて“夢”の彼の  『“海賊狩り”ロロノア・ゾロ』( )の目で見つめられた気がした。

 

 瞬間、彼の真っ直ぐな眼にルフィの心が激しく揺さぶられた。

 

 覇気で読み取る心の声や意思ではない。

 青年の魂そのものが叫ぶ声が、示す意思が、自分の魂を通して聞こえた気がしたのだ。

 

   お前の、海賊王の背を守る未来の大剣豪を信じてくれ  と。

 

 

「違う……違うもん!私のゾロは誰にも負けないし、毒なんかで倒れたりしないもんっ!!」

 

 ルフィは頬を膨らませながら、自分の大切な最初の仲間の偉大さを称賛する。

 

 恥ずかしかった。

 未来の海賊王として、仲間を守るために強くなったはずだった。

 

 だが海に出てゾロと出会い、初めての仲間を得た少女は今この瞬間、ようやく自分の過ちを理解した。

 

 少女が“夢”で理解出来なかったのは、“男の矜持”などではなかった。

 彼女が今まで理解していなかったのは、ルフィ少年が持っていた“船長の仲間への信頼”だったのだ。

 

 無様なのは負けたゾロではない。

 仲間の決意を信じてあげられなかった船長たる自分だったのだ。

 

「ルフィ、お前に見せてやる…!てめェが見出した男の本当の実力を…っ!」

 

 己の不甲斐なさを責め、俯くルフィの耳に、大切な仲間の凛々しい声が届く。

 ゾロの信頼の籠った力強い宣言が、落ち込んでいた女船長の心に温かい火を燈す。

 

 船長が仲間の決意を前に、情けない姿を見せるなど、あってはならないことだ。

 

「うん…うんっ!見てるっ!見てるから、負けたら承知しないわよっ!!」

 

 少女は自身の幼げな顔に勝気な笑みを浮かべる。

 剣士の身を案じ、引き止めたい思いをその奥に必死に押さえつけながら。

 

 そんな麦わら娘の隠しきれない患いを帯びた笑顔を正面から受け止めるゾロもまた、様々な思いを飲み込みながら尊敬する自分の女船長を見つめ返し、その口角を微かに持ち上げた。

 

「へっ、一味の親分ならドンって踏ん反り反ってりゃァそれでいいんだよ……」

 

 

 そうニヒルな笑みを浮かべた直後、男の身体の力が抜けた。

 

 自身の倍近い体重に圧し掛かられた小柄な少女ルフィは思わず体勢を崩すが、無意識に発動した武装色の覇気が即座に身体能力を強化し押し倒されそうになった己の体を剣士ごと支えてみせる。

 

 女船長はそのまま港の簡易休息室のベッドまで剣士を背負い、傷の負担にならぬよう優しく彼を横たえた。

 水で血塗れの患部を洗い休息室の救急医療箱の消毒液で殺菌消毒。最後に腹巻を脱がし包帯を巻きつけ止血する。

 フーシャ村の医師に頼み込んで教わった簡単な応急処置だが所詮は気休め程度だ。

 

 こんなことならもっと真剣に学ぶべきであったと、止まらぬ涙の女の子は後悔に唇をかみ締める。

 

 油断していたのは彼女も同様だ。

 ゾロが不利な相手であることは誰よりも自分が理解していたはず。

 それを考慮していたからこそ彼の危機には助太刀すると、剣士の男の矜持を捻じ曲げてでも言質を取ったのである。

 

 それがこのザマだ。

 

「……ごめんなさい…っ」

 

 少女の震える桜色の唇から零れ落ちたのは、船長の悔やみきれない慙愧の念。

 

 青年に聞かれたら猛烈な勢いで拒絶されるだろう。

 

 おれの無様な失態だ。てめェには関係ねェ。船長がメソメソしてんじゃねェよ、バカ。

 

 強者たらんと日々己を鍛え続ける彼にとって、少女の謝罪はまるで自分が庇護される弱い存在だと言われているかのように屈辱的なものなのだ。

 

 それでも、大切な仲間に不要な大怪我を負わせてしまった女船長の懺悔は簡単に押し留められるほど軽くはなかった。

 

「…ナミ、置いてきちゃった……そんなボロボロなゾロ、ナミに見せたくないから…あなたが起きるまで、二人で外で待ってるわね」

 

 目元を拭い、ばちんっと頬を叩いたルフィが立ち上がる。

 

 こんな惨事になったのだ。

 もう何が何でもナミを仲間に引き入れ、バギーに一味の誇りをかけて報復しなければ自分の気が済まない。

 

 何度か大げさに深呼吸を繰り返し、悲哀の感情を飲み込んだ麦わら帽子の少女船長は、最後に傷ついた仲間の頬を優しく撫でる。

 そして仇の赤っ鼻のクズ船長とその一味を纏めて叩き潰す算段を立てながら、簡易休息室を後にした。

 

 

  ったく…余計な気使いやがって、バカ……」

 

 ぽつりと呟かれたその声は、誰の耳にも届くことなく無音の部屋の沈黙に解けていった。

 

 



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8話 北極星と女航海士・Ⅴ (挿絵注意)

私は前話にて「次で終る」と言った。
その宣言は絶対である。

たとえ文字数が2万に届こうとも、断じて二話には分割しないのだ。

…二話だけに(ハハッ



遅れてすいませんでした


大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島沖

 

 

 

 夜の帳が降りきった東の海(イーストブルー)

 その暗い水面に一つの影が浮かんでいた。

 

 月明かりに照らされぼんやりと輝くそれは、無灯航行で進む一隻のキャラック船。

 象を象った船首を持つその船の広い甲板では、深夜の航海らしからぬ慌しい喧々囂々とした騒ぎが起きていた。

 

「おい、もう半日過ぎたぞ!もう戻って船長迎えに行ったほうがいいだろ?!」

 

「いや、食糧にはまだ余裕がある!そもそも最大出航命令は三日後に帰港なんだ!まだ戻るワケにはいかねェ…!」

 

 夜空の下で数十人のむさ苦しい男たちが切羽詰った表情で意見をぶつけ合う。

 

 彼らの名は『バギー海賊団』。

 オルガン諸島の某島にある“オレンジの町”を実効支配している海賊一味である。

 

 懸賞金1500万ベリーの船長『“道化”のバギー』による突然の最大緊急出航命令に従い大急ぎで港を離れた彼らは今、親分が不在のままオルガン諸島南西沖の海域を航行しながら次の行動を決断すべく、臨時の全体会議を行っていた。

 

「大体ホントにその“麦わら帽子の女”ってのがモージさんカバジさんをヤったのか…?信じらんねェ…」

 

「信じらんねェ強さだったから船長も“逃げろ”って指示出したんだろ…?おれたちが戻ったところで足手まといにしか…」

 

「あの女泥棒の捜索組もまだぶっ倒れたままだしよォ…」

 

 絶対的支柱を欠き、件の強敵“麦わら帽子の女”に倒された副船長『“猛獣使い”のモージ』( )及び参謀『“曲芸”のカバジ』( )の意識も未だ戻らない。

 指導者三名が同時に不在となったこの現状で、烏合の衆と化した海賊一味を束ねる存在は皆無。

 

 そんな中、辛うじて事情を知り仲間を束ねようと躍起になっているのが、船を出航させろと船長バギーより直々に命令を受けた四人組の一部隊『“軽業”フワーズ』( )の面々であった。

 

「おれたちァ見ちまったんだ…!あの麦わら女が睨んだだけで捜索隊の連中が全員泡吹いてぶっ倒れたとこを…っ!!」

 

「ありャとんでもねェバケモンだ!船長も“新世界”級のヤベェヤツだって気付いて即座に最大緊急出航の指示出したんだよ…!!」

 

『“新世界”!?』

 

「船長曰く、な…!そんなバケモン相手に、船長は…船長は…っ!!」

 

「おれァ、情けねェ…!一味が船長の足手まといになって…のこのこと船出して逃亡するなんて…っ!!」

 

『……ッ』

 

 あの悪魔の実の能力者である東の海(イーストブルー)有数の高額賞金首である一味の船長が逃亡を即断即決するほどの化物だ。

 その強者を相手に一人殿を引き受け、交渉  最悪戦闘になっているかもしれない偉大な親分の身をフワーズ四人衆は何よりも案じていた。

 

「お前ら!このまま助けられたままでいいのかよ…?!船長が必死に戦ってるってのに、おれたちが力にならずに何が海賊一味だ…っ!!」

 

「く…っ!」

 

「命令違反でドヤされるくれェ何だってんだ!!船長の盾になれずにおれたち“バギー海賊団”が務まるかよ!!」

 

「そうだ、そうだ!!」

 

 そんな彼ら四人の情熱が他の仲間たちの理解に浸透するにつれ、少しずつ四人衆を中心とした指示体系が完成していく。

 彼らは“麦わら帽子の女”の絶望的なまでの力を目の当たりにした。

 そんなフワーズたちが震える足で立ち上がったからこそ、仲間たちも彼らの勇気に感化される。

 

「“新世界”級のバケモンがどうした…っ!おれたちは船長を救いにいくぞおおっ!!」

 

「うおおおっ!待っててくださいバギー船長っ!!」

 

 烏合の衆であろうと、恐ろしくも頼りになる船長を大切に思う気持ちは皆同じ。

 

 『“軽業”フワーズ』の熱意に動かされ、多少の危険は覚悟の上だと腹を括った海賊たちは取り舵いっぱいの掛声と共に『ビッグトップ号』の船首をオルガン諸島へ向ける。

 

 道化の海賊旗(ジョリー・ロジャー)を掲げたキャラック船は“オレンジの町”( )へと進路を定め、船長救出を目指し士気の炎を燃やしながら夜天の星空の下を進んでいった。

 

 

 

「お、おい!前方に何か小さな影が…!」

 

 オルガン諸島の某島を視界に捉えてからしばらく。

 マストの見張り台で一味の一人が船の進行方向を指差し大きな声を張り上げた。

 

 釣られて男の指が示す先へ目を凝らす甲板の海賊たち。

 

 そして彼らは淡い月明かりが反射する夜の海の果てに、一艘の小さな漁船を発見した。

 

「あ、あの赤く光り輝くデッカい丸鼻は…っ!!」

 

『バギー船長!!?』

 

 その小船を操る人物を、彼ら『バギー海賊団』( )の男たちが見間違うはずも無い。

 夜光に照らされ輝いているあの鼻部の真っ赤な球体こそ、配下を守り殿を引き受けた船長の揺ぎ無い個性である。

 

 とはいえ万人が自分の個性を歓迎し自慢に思うはずもなく、中にはこの男のように隠す気のないコンプレックスとして極端な拒絶反応を示す者もいる。

 

「だァれが  “光り輝く真っ赤なデカっ鼻”だあああッ!?」

 

『船長だ!!』

 

 半日ぶりの何とも懐かしい怒り声に『バギー海賊団』( )の面々は一斉に船首へと殺到し、歓喜の涙を溢れさせる。

 

「船長…!おれ、おれたちァもう二度と会えないかと…っ!!」

 

「バギー船長っ…!うぅ…っ!」

 

 僅か半日の別れであったが、親分の無事な姿を洋上にて一刻千秋の思いで待ち続けていた海賊一味。

 命令に背き、自分たちの安全よりボスの救出を優先しようと船を反転させていた彼らは、自ら殿を務め配下を逃がした船長『“道化”のバギー』( )との感動の再会に大いに沸立った。

 

 そんな配下たちの熱烈な歓迎に赤っ鼻の道化師は一瞬きょとんとしながらも、すぐさま持ち前の強かさで彼らの感動的な空気を煽り立てた。

 

「お、お前らァッ!!よがっだ…!お前らも無事だっだんだな…っ!!」

 

「はいっ、船長のおかげです…っ!!」

 

「船長もよくぞご無事で…!!」

 

 …実はその感動的な空気を平然と扇動している一味のボスは己が身可愛さに配下の彼らを囮に“オレンジの町”( )を逃げ出していたのだが、どうやらそのような不都合な事実は闇に葬り去られるらしい。

 

「ハッ、ったりめェよぉ!このおれさまがそう容易く負けるワケねェだろうが!がっはっは!!」

 

「さ、流石船長…っ!」

 

 真実が知られていないのを良いことに、場の雰囲気に気分を良くしたお調子者は素直な配下たちを自身の脳内武勇伝記へと誘った。

 

 “麦わら帽子の女”の尖兵と化したあの『“海賊狩り”のゾロ』( )との一騎打ち。

 刀の鞘を用いた攻撃に苦戦しつつも自慢の“バラバラフェスティバル”で隙を作り、見事“海賊狩り”を行動不能に仕立てた名場面。

 尖兵の失態の直後に現れた、真打の“麦わら帽子の女”を振り切り町を脱出し、『“道化”のバギー』( )ここにあり!と海賊の矜持を守り抜いた逃走劇。

 

 嘘と真実と憶測を織り交ぜた完璧なストーリーである。

 

「そこでおれはその麦わら女にこう言ったのさ!『所詮てめェの部下の“海賊狩り”はこの東の海(イーストブルー)で図に乗った井の中の蛙。力だけじゃおれには敵わねェ』ってな!」

 

「ひゅーっ!流石1500万ベリーの賞金首!!」

 

「だがヤツも“新世界”級の実力者!中々隙を晒さねェ…!そこで再度おれの”バラバラフェスティバル”の出番だ!」

 

『おおっ?!二度目の大技を目晦ましにですかっ!!』

 

「ああ…そんで女の目が無数のバラバラパーツに釘付けになってる隙に、おれは両脚を漁船に乗せて  出航~~っ!!そんときのあの女のマヌケ面は傑作だったぜ、ぎゃはははは!!」

 

『おおおおっ!!』

 

 深夜の洋上で煌々と灯りを燈す海賊船『ビッグトップ号』( )

 その甲板では、語り部の話に耳を傾け躍然としている彼ら『バギー海賊団』( )が皆で船長の偉業を肴に美食美酒のドンチャン騒ぎに盛り上がっていた。

 

 バギーの部下を務める者たちは皆、気分の良いときの船長の自慢話は最後まで驚きと笑顔で聞き終えなくてはならないと知っている。

 

 

 よって、顔も知らぬ圧倒的強者“麦わら帽子の女”を自慢の大技で翻弄する創作シーンを、身振り手振りで吹聴する道化師を止める者は誰一人としていなかった。

 

 

  よぉ、昼以来だな。赤っ鼻のクソピエロ」

 

 そして彼らは、背筋が冷えるような嗄れ声を耳にする  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島沖洋上『ビッグトップ号』( )甲板

 

 

 

 反射的に青筋を浮かべ振り向いた『“道化”のバギー』( )は、見覚えのある顔に思わず目を剥いた。

 

 特徴的な三本刀を構え、船首楼の上から油断なく道化師を見下ろす一人の男。

 その人物に誰よりも心当たりがあった彼は驚愕に声を張り上げた。

 

「てめェ…一体どうやってここまで来やがった  “海賊狩り”…っ!!」

 

『かっ、“海賊狩り”!?』

 

 船長の武勇伝にて瀕死の重傷を負い倒れ伏したはずの強敵『“海賊狩り”のゾロ』( )の名が、宴会の酒に呑まれた海賊たちの鈍った脳を叩き起こす。

 まさかの追っ手に戦慄する一味の男たちは救いを求め、偉大なる船長へ一斉にその青い顔を向けた。

 

 百を超す部下たちの怯えた目に一瞬怯んだバギーであったが、楼の上に立つ男の腹部を覆う包帯を目敏く見抜き、落ち着きを取り戻す。

 あれは半日程度の休息でどうにかなる傷ではなかったはずだ。

 万全の体調で『バラバラの実』の能力者に挑み敗北した剣士が、大怪我を庇いながら戦いマトモな勝負になるわけがない。

 

 二度目の決戦を予想したバギーは密かに能力を発動させ、以前のように左手の【指】に懐の毒ナイフを掴ませ樽や椅子、人混みなどに紛れながら剣士の下へと向かわせる。

 今回切り離したのは小指だけでは無い。左手の指、五本全てだ。

 

 視界を遮る障害物の多いこの場は絶好のキルゾーン。

 切り札の毒ナイフ五本を隠した道化師は勝利を確信し、声高々に“海賊狩り”を挑発する。

 

「…ハッ、そんなミイラみてェな体でこのおれに一体何の用だ?てめェみてェな未熟者にゃァ、おれさまのような大物海賊は荷が重いんだよ…!リベンジしてェなら相応の実力ってヤツを身に付けてからにしやがれ、雑魚が!」

 

「おおっ、流石船長!!」

 

「おい皆、“海賊狩り”がワザワザおれたち“海賊”に狩られに来たってよ!」

 

『ギャハハハハ!!』

 

 下品な笑い声を上げながら椅子に踏ん反り返る親分の頼もしい姿に、調子を取り戻した『バギー海賊団』( )のクルーたちが満身創痍の青年剣士に野次を飛ばす。

 

 彼らにも意地があった。

 船長命令とはいえ、情けなくも一味のボス一人に全てを任せ守られてしまった海賊たちは、今度こそ自分たちがこの東の海(イーストブルー)有数の大海賊であるバギー船長の部下に相応しい男であることを証明しようと躍起になっていた。

 

「へっ、あんなボロ雑巾みてェな野郎なんざおれたちだけで十分だ!やっちまえ!!」

 

『うおおおっ!!』

 

 気合よろしく手元のジョッキをテーブル代わりの酒樽に叩き付け、懐の剣を抜いた数十人の海賊たちが怒涛の勢いで“海賊狩り”へ殺到する。

 

 樽や椅子、テーブルを軽々と乗り越え敵を目指す彼らの動きは場数を踏んだ海の犯罪者に相応しい手馴れたもの。

 瞬く間に男の周囲を取り囲んだ海賊たちは、間髪入れずに己の握る刃物を振り上げる。

 

 そして一斉に獲物に飛びかかった。

 

「やったか…!?」

 

 “海賊狩り”の冴えない動きに麻痺毒の効果を見たバギーが喜色を隠しもせずに戦果確認を急かす。

 凪の帯(カームベルト)の”海王類”でさえ丸一日動きを鈍らせるほどの凶悪な薬だ。

 それほどの劇物を直接体内に刺し込まれた人間が何十もの刃から身を守れるわけが無い。

 

 だが、そんな船長の期待は男の煩わしげな声と共に霧散する。

 

  酔っ払いが振るった剣でこのおれを倒せると増長するたァ、一体どんな法螺話を信じ込ませたんだ?赤っ鼻」

 

 そこに居たのは、無数の剣を受け止め獰猛な笑みを浮かべる剣士、『“海賊狩り”のゾロ』( )であった。

 

『なっ  

 

 驚愕に悲鳴を上げる間も無く、無造作に振るわれた剣士の三本刀が何十もの海賊たちを弾き飛ばした。

 

 飛んで来た仲間の一人を咄嗟に躱したバギーは動揺したまま周囲へ目を向ける。

 そして無数の衝撃音の後、甲板に広がった光景に男は唖然とした。

 

「お、お前ら……?!」

 

 船の両舷に叩き付けられ頭から血を流す大勢の部下たちの無残な姿。

 辛うじて意識のある者も苦痛に呻き声を上げながら蹲るばかり。

 

 先ほどまで再会の宴に興じていた彼らの変わり果てた様に、道化師の顔が青ざめる。

 

 自慢の毒を物ともせずに佇む男が、射殺すような鋭い眼つきで彼を見下ろしていた。

 

 

 男  『“海賊狩り”ロロノア・ゾロ』は、ようやく一対一の雪辱を果たす機会を作れたことで自身の闘志を天井知らずに高めていた。

 

 先の惨敗で大恥を掻き、あまつさえその惨めな姿を最も見られたくなかった女に見られてしまった。

 そんなゾロ青年の己に対する憤慨は計り知れない。

 

 故に今の剣士にかつてのような気の緩みは微塵もなく、ただ勝利のみを目指し昂る戦意を研ぎ澄ましていた。

 

「てめェ…!どうやっておれの麻痺毒を……いや、そもそもどうやってこんな海のど真ん中までやって来れた…!?」

 

「この勝負が終れば嫌でもわかる。まぁ、“わかる”っつっても  」  

 

 瞬間、強烈な威圧感を撒き散らしゾロが敵に向かって突進した。

 

 そして、咄嗟に受け流そうと構えられたナイフを物ともせず、豪速で振るわれた鞘付きの刀が道化師の目立つ赤っ鼻に直撃した。

 

  てめェがそのときまでに生きてられる保証はねェけどな…!!」

 

 凄まじい力の殴打を喰らったバギーが甲板に置かれたテーブルへ吹き飛び、けたたましい音と共に宴会場が全壊する。

 

 痛みに泣き叫び、被った葡萄酒で真っ赤に染まった船長の哀れな姿を配下の海賊たちは言葉も発せずただ茫然と見つめることしか出来ずにいた。

 

 船長の能力技“バラバラ緊急脱出”が間に合わないほどの速さと威力。

 

 宴の席でボスが盛りに盛った“海賊狩り”との死闘が、全て真実であったと誤解した彼らの絶望は如何ほどのものか。

 

「一度戦ったおれの攻撃を片手で受け流せねェと知ってるお前が左手を使わなかった理由なんざ、一つしかねェ。前みてェに片手でコソコソ背後なんか狙ってたら、先にてめェの頭ァかち割るぞ?」

 

  ッ!」

 

 確かな手応えを得て尚剣士の心に油断は無い。

 

 その言葉どおり、バギーが咄嗟に背中を目掛けて突き出した暗器は、切り離された【親指】と共にゾロの刀の一振りで海の彼方へと打ち飛ばされた。

 

 遠くで立った水音を最後に、甲板に張り詰めた沈黙が訪れる。

 

 剣士の望んだとおり、海上に浮かぶ船の甲板というこの戦場は、共に逃走を許さぬ閉じられた空間だ。

 以前とは異なりどちらかが倒れるまで戦いは終らない。

 汚名を返上すべく  怒り狂う一味の仲間思いの女船長を説き伏せ  己が身一つで全てを終らせることを約束したゾロに取っては、これ以上無い理想的な環境である。

 

 そして切り札の毒ナイフがただの牽制に成り下がってしまった今、バギーは痛む丸鼻を摩りつつ瓦礫の山から抜け出した。

 

「ツッ…ちくしょう…っ!おれの鼻がまた赤く腫れて  って誰が”赤っ鼻”だゴラァっ!!」

 

「お前だよクソピエロ。自覚するまで叩きまくってもっとデカくしてやるからさっさとかかって来い!」

 

「ちっ、一度のマグレ当たりで調子乗ってんじゃねェぞ未熟者ォ!!」

 

 大声を張り上げた道化師が体中に闘気を漲らせる。

 

 仕掛けるのは以前剣士の注意を引き付けたあの大技だ。

 

「死に晒せェ“海賊狩り”のゾロォォッ!!”バラバラフェスティバル”!!」

 

「ハッ、芸がねェ野郎だぜ!同じ船長でも叩けばポンポン人外技が飛び出るウチの化物女とは大違いだ…!」

 

 無数の部位に分かれたバギーの肉体を一笑し、ゾロは周囲を隈無く警戒しつつ敵の急所である【頭部】や【腹部】を狙い鞘付きの刀を振るう。

 道化師の口から鮮血が吹き零れ、甲板に赤黒く醜い血溜りを作る。

 

 初見の派手さに惑わされたが、二度目とあっては危機感も薄い。

 宙を飛び回る部位全てが敵の本体そのもの。

 痛覚と共にダメージが自身に返ってくる男の悪魔の実の能力では、手や指に持つナイフ以外は直接的な脅威たり得ない。

 

 だが痛みにのた打ち回る輪切り状のバラバラ部位を踏み付け降参を促そうとしたその直後、ゾロは己の目測の甘さを認識する。

 

「ぐぅぅっ…くそったれェェェ!!ッ、おいてめェら!その武器寄こしやがれ!!」

 

「!」

 

 突如、バギーの体の各部位が周囲に転がる部下たちの刃物へ殺到し、その身を刀身目掛けて突き当てた。

 

 まるで自殺のようなその行為の目的が理解出来ぬゾロは唖然としながら男の凶行を見逃す。

 

 しかしそれは愚行であった。

 

「おれが手ェ以外では攻撃出来ねェと高ァ括ったか?ざァんねェェん!!柄は無理でも刀身なら握れんだよブァ~~カ!!」

 

 四方八方に刃を束元まで貫通させたバギーのバラバラ部位が、無数の刃物が飛び出る凶器と化す。

 

 愚かにも敵の隙を逃してしまったゾロは臍を噛み、恥を誤魔化そうと道化師を罵倒した。

 

「…はっ、まるでハリセンボンだな。プラナリアは止めたのか?」

 

「だァれが  “プラスチックのようなナリの鼻”だってェェェ!!?」

 

「いや言ってねェよ」

 

 思わず反論する剣士を余所に、刃の塊がゆっくりと敵を囲むように“海賊狩り”の周囲に展開する。

 何ともわかりやすい攻撃準備だ。

 

「さァ、ショータイムだ未熟者!一斉にかかれェい!”バラバラ即席ハリセンボン”!!」

 

「やっぱりハリセンボンじゃねェか!!」

 

 咄嗟の突っ込みも虚しく、凶悪な刃の塊がゾロに向かい全方位より殺到する。

 

 剣士は小さな舌打ちと共に背後に迫る凶器を叩き返し、こじ開けた包囲の穴から船首へと転がるように退避した。

 

(くそっ…馬鹿かよ、おれ…っ!)

 

 状況は一瞬で暗転。

 

 突き出る刃物に覆われたことで、道化師のバラバラ部位を表面積の広い鞘付きの刀で直接狙うことはほぼ不可能となった。

 更に、刃物を鞘で受止め続ければいずれは破綻。

 格闘術が無いゾロは打つ手が無くなり、敗北する。

 

 攻勢防御に攻撃封じ。

 

 そう、これこそが幾度も賞金稼ぎに命を狙われ続けた1500万ベリーの賞金首『“道化”のバギー』( )が編み出した、究極の殴打武器対策である。

 

「刃物を取り込んじまえば受ける“打撃”は全て、能力で無効化出来る“斬撃”となっておれのバラバラパーツに伝達する!生の刀身がそこら中から突き出た物体に直接攻撃を仕掛けるバカはいねェだろうよ!!ぎゃはははは!!」

 

「ちっ…!」

 

「そらそらァ!余所見してたらまーた背中をぶっすりだぜェ?!」

 

「!?」

 

 背筋に悪寒が走りゾロは瞬時に体を捻る。

 だが回避も虚しく、敵の思わぬ機転につい気を逸らしてしまった背後の【人差し指】のナイフが、剣士の鍛え抜かれた二の腕を薄く切り裂いた。

 

 直撃は避けたものの、その攻撃に限ればどちらであっても大差は無い。

 

 その短い刀身には強力な麻痺毒がたっぷりと塗られているのだから。

 

「くそ…っ!」

 

「はァい、一発アウトォ!おれが“コソコソ背後狙ってたら”ァ~なんだってェ?確か、“頭ァかち割る”ゥ~だったかァ??おらおら、出来るモンならやってみろよブァ~~カ!!」

 

 道化師の挑発に憤怒が爆発するも、体は筋肉がドロドロと溶けたかのように脱力し、ゾロは堪らず楠木の甲板に膝を突く。

 

「…チッ、ホントに頑丈な野郎だぜ」

 

 だが、剣士は倒れない。

 

 痺れが緩い右手で己の覚悟の証たる『和道一文字』( )を構え、追い討ちを掛けようとナイフを操る道化師を牽制する。

 

 満身創痍の剣士の惨めな姿を楽しげに眺めるバギーが、その大きな丸鼻を震わせ男の無様を嘲笑った。

 

「雪辱に燃えて後ろが見えなくなるたァ、おめェもバカなヤツだな。そんなに前回おれさまに負けたのが悔しいかァ?」

 

 海から上がった泥のような脱力感と、無数の針に刺されるような痺れ感。

 構えた右腕も鉛のように重く、少しずつ剣先は下がっていく。

 

 力めど手足は震えるばかり。

 筋肉の緊張は緩みきり、初戦で負った閉じたはずの腹部の傷から止め処なく鮮血が滴り落ちる。

 最早刀を振るうどころか立ち上がることさえ難しい。

 

 敵の隙を見逃し、対する一瞬の隙を目敏く突かれ、この様だ。

 油断はなく、ただ相手の誘導が、戦術が、無策の己より上手であっただけのこと。

 

(く…そ……)

 

 ゾロは霞む意識を必死に手繰り寄せる。

 

 負けるわけにはいかない。

 二度目の敗北が瞼の裏にチラつき剣士の焦燥を掻き立てる。 

 

(ふざけんな…いつまでこんなくだらねェとこで膝突いてんだよ…!)

 

 負けるわけにはいかない。

 己には亡き友と交わした夢が、神聖な目標があるのだから。

 

(最強を目指すんだろ…っ?!動け……!動け…っ!!)

 

 負けるわけには  

 

 

  ッ」

 

 そして剣士は、見上げた船尾楼の頂上に  輝く夜天の星々を見た。

 

 

 星明に輝く三つの夜空がゾロの濁った瞳に光を燈す。

 男が見惚れ、惹かれた光だ。

 

 直後、霞む意識の霧が掃われる。

 

 晴れた視界に映るのは、男の勝利を願う、もう一人の力の源。

 その力の源に見つめられ、ゾロは凍った血肉に沸き上がる闘志の劫火を叩き付けた。

 

 原初の意思、本能とも呼べるその命の根本に突き動かされ、固まる肉体が悲鳴を上げながら動き出す。

 

(礼は言わねェぞ、くそったれ……!)

 

 死んでも見せたくなかった姿を晒し……死んでも見たくなかったものを見せられた。

 脳裏に想起された夕日に輝くその潤んだ双眸が、壮大な野望の掲げる男の最後の燃料となり、闘志の猛火を燃え盛す。

 

 …見せねばならない、男の意地を。

 

 

  女が男の傷に泣いたんだ」

 

「あァ?」

 

 静まり返った海賊船。

 ただ一人、息を荒げる青年は震える足で甲板を踏みしめ立ち上がる。

 

「いつもアホみてェに笑ってばかりのアイツが……男の傷に自分を責めて泣いたんだ…!」

 

 ゾワッ…と大気が揺らぐ。

 

 剣士の纏う気配が(つんざ)く極寒の冷気のように鋭化し、周囲の景色が蜃気楼のように波打った。

 

 そして、青年の雄獅子の如き闘争本能が、決意の光をその目に輝かせる。

 

 

 男はいつだって、帰りを待つ女に勝利を届けなくてはならないのだから。

 

「ここで負けるなら、おれは大剣豪の夢どころか己の漢を捨てるっ!!!」

 

  !?」

 

 

 瞬間、剣士の全身から凄まじい気迫が放たれた。

 

 男が抱く戦いへの、勝利への執念が物理的な圧力となって道化師の下へ襲い掛かる。

 そのあまりの圧力にバギーの臆病な心が悲鳴を上げ、咄嗟に両足を引き下がらせた。

 

「バカ…な………これは…っ!!」

 

 久しぶりに感じる、猛吹雪の中に放り込まれたかのような強者の殺気に真正面から晒される感覚。

 轟々たる咆哮や猛獣の如き恐ろしい眼光だけでは説明の付かない強大な威圧感。

 

 それは『新世界』に足を踏み入れた者なら誰もが経験した、“覇気”の噴出と呼ばれる超常現象であった。

 

(死んだ船長やレイリーさんみてェな“覇気使い”なんて上等な代物じゃァねェが、その下地は十分ってことかよ…っ!)

 

 剣士には未だ己の覇気を操る術はない。

 出来るのは感情と同時に噴出させ、「敵を倒す」という至上命題を成すため無意識に身体を強化させる程度。

 “覇気使い”たちのように技術として確立しているわけでもなく、威力も彼らの足元にも及ばない。

 幼稚で拙い、非力な子供の癇癪のようなものだ。

 

 だが、剣士の女上司のような特異な例を除き、“覇気使い”たちの超人的な力は全てこの男のような無知で未熟な覇気の胎動から始まった。

 

 それはつまり、剣士が彼らのような恐るべき存在へと至る素質を秘めた、真の強者の原石であるということに他ならない。

 

「くそったれが…っ!見えねェ敵の影に怯え目の前の手負いの獣を捨て置いちまうとは、おれも相当ヤキが回ったか…っ?!」

 

 以前、時間惜しさに仕留め損じた半端者が途轍もない成長を遂げ雪辱の鬼として目の前に現れたことに、道化師は臍を噛み切らんばかりの痛恨の念に苛まれる。

 

「あんときと合わせて二度目の貴重な機会だったな…!てめェみてェな姑息な野郎がこのおれを討ち取れるチャンスはよぉ!!」

 

 

 その言葉が終る間も無く、“海賊狩り”の姿が掻き消える。

 

「な  

 

 バギーが驚愕に声を上げようと口を開けた直後、神速の速さで突き出された剣士の刀が道化師の浮遊する【腹部】へ直撃した。

 

 閃光のように速いその一撃は、バラバラ部位から突き出る無数の刃物を粉砕し、本体へ辿りつく。

 内臓に響くほどの凄まじい衝撃がバギーを襲い、フェイスペイントで鮮やかに彩られたその口の奥から鮮血が滴った。

 

 ゾロの爆発的な速度から放たれた攻撃が、道化師の自慢の攻勢防御“バラバラ即席ハリセンボン”を破ったのだ。

 

「ゲホッ!ゴホッ!  ッ、ハァッ…ハァッ…!で…めぇっ、今のまさか…っ!」

 

「へぇ、お前もこの技知ってんのか。ウチの偉大な船長サマの見様見真似でド素人もいいトコだが、今のでコツは掴んだ。次はもっと速いぜ…っ!!」

 

「!!?」

 

 瞬間、再度剣士の姿が消失する。

 

 そして瞬きも出来ぬ間に、鞘に包まれたゾロの自慢の太刀が男の赤い丸鼻に叩き付けられた。

 

「ッぶぎゃああっ!!?ンゴッ、でっ、でめェェっ!!なんで東の海(イーストブルー)の賞金稼ぎに過ぎねェてめェが海軍本部のバケモン共の技を…っ!」

 

 立て続けに襲い掛かる激痛を持ち前の臆病さで何とか耐え、バギーは混乱と恐慌に怒声を張り上げた。

 

 男は先ほどの剣士の動きに強い既視感を覚える。

 それは、あの昔の地獄の日々を再度想起させるこの世の頂点の光景だった。

 

 

 かつて雑用として所属していたあの偉大な海賊団を追って数多くの海軍本部将校たちがその覇道の行く手を阻んだ。

 

 若き道化師に何度も死を覚悟させた彼らは、まるで階段を上るかのように空を駆け、船の甲板に降り立てば目にも留まらぬの速さで一味の仲間たちを翻弄し、足を振るえば鎌鼬の如き風の刃を放つ、文字通りの超人たちであった。

 

 そんな彼らが唱えていたその技名は  

 

 

「“剃”っ!!」

 

 剣士の掛声と共に凄まじい風切音がバギーの鼓膜を劈く。

 

 その直後、強烈な圧迫感が男の浮遊する後頭部に叩き付けられた。

 

(!!しまっ…後ろを取られ  

 

 道化師の研ぎ澄まされた感覚が濃密な死の気配を覚える。

 

 男は臆病であった。

 万人が背後を気にし咄嗟に振り向くとき、彼はその手間を惜しみ真っ先に逃走を選択する。

 バギーは今までその臆病さを信じて生き延びてきた。

 

 だが男は東の海(イーストブルー)の長い、ぬるま湯の生活で忘れていた。

 

「いい練習相手だったぜ、クソピエロ。おかげで何とかモノに出来そうだ。」

 

「ヒィィッ!!」

 

 真の臆病者とは、決して自惚れず、強者を見極め戦わずに逃げ出す知恵者を指すのだと。

 

「ッヤダァ~~~死にたくなァ~~いぃぃッ!!!」

 

「ッ、剣士に背を見せ逃げ出すたァ、姑息な海賊らしい最後じゃねェか…!逃がすかよ…っ!」

 

 “バラバラ即席ハリセンボン”が破られ、”六式”まで持ち出した全力の剣豪ゾロ。

 

 敵わぬと悟った今、弱者が生き残るには危険から遠ざかるほか無い。

 赤っ鼻の男は切り離した体の各部位を無我夢中で集合させ、脱兎の如く船尾楼の扉へと逃亡した。

 

 バギーは戦意を放り捨て必死にドアノブへ手を伸ばし  その手は虚しく空気を掴む。

 

 

 突然襲い掛かった桁外れの圧迫感に、体が氷の如く固まってしまったからだ。

 

 

『!!?』

 

 

   ズンッ……

 

 

 ガラスが砕け、酒樽や楠木の甲板が弾け飛び、釘が宙へと舞い上がる。

 

 バギー、そして床に這い蹲る『バギー海賊団』の面々は、まるで体中を四方八方から同時にぶん殴られたような強烈な衝撃に晒された。

 

『ヒッ……!!』

 

 直後、心臓を掻き毟る凄まじい恐怖が彼らを呑み込んだ。

 

 恐ろしい船長の癇癪を目の当たりにしたときも、海軍支部の艦隊に囲まれ何十もの大砲の砲門を向けられたときも、これほど血の気が失せる感覚を覚えたことはない。

 

 それは数々の修羅場を潜り抜けてきた彼ら海の荒くれ者共でさえ腰を抜かす、意識を飛ばすことさえ許されない、全くの初めての未知の恐怖であった。

 

 

 だがバギーだけは知っていた。

 

 この世の強者たちが集う最悪の海『新世界』を生き延びてきた彼だからこそわかる。

 わかってしまう。

 この平伏したくなるほどの威圧感の正体が。

 

 心臓が握り潰されたかと錯覚するほどの力に、一味の船長『“道化”のバギー』は己の終わりを覚悟する。

 

 そして誰もが硬直し身動き一つ取れない世界の中で、その澄んだ鈴音の如き音色はよく響いた。

 

 

 

  決闘の途中で逃亡だなんて、バギーって相変わらず姑息で臆病なのね」

 

 

 

 海賊たちの耳に、静かな声が風に乗って届けられる。

 若い女…いや少女の、高く、美しく、そして恐ろしい声だった。

 

 背筋が凍るほどの敵意に晒され男の足が小鹿のように震え出す。

 

 覇気使いから逃げるには“帆船”という、速力に大きな差が生まれにくく出航も追跡も面倒な手段で海に出ることが最善。

 己の非力さを誰よりもよく理解している道化師は、分を弁え相手の怒りを買い過ぎぬよう努めてきた。

 態々船を出し海の果てまで追うほどの敵でも仇でもないと、敵対してきた強者たちに思わせるために。

 

 だが今、如何なる手段で追いついたのか。

 男が見上げた船尾楼の頂には、その強者の華奢な姿があった。

 

 

「私ルフィ。“麦わら海賊団”の船長よ。あなたが乱暴しようとしたナミも、毒のナイフで刺したゾロも、私の大切な仲間なの。もう怒ったから船ごとぶっ飛ばしに来たわ」

 

 

 “麦わら帽子を被った、赤い服と短パンの凄ェボインな薄着の女”

 

 

 足元で気絶している『“軽業”フワーズ』四人衆がそう形容した人物は、まさにその通りの容姿であった。

 

 目を奪われるほど見事な芳体に、不釣合いなほど幼げな相貌を持つ少女が、その愛らしい童顔に似合わぬ氷の視線で赤鼻の男を射抜く。

 

「ゾロのリベンジもあなたの決闘放棄で終ったし、もう暴れてもいいわよね?」

 

 その言葉に甲板に集まる全ての者が固まる中、一人気の抜ける愚痴を零した男がいた。

 

 少女の相棒、『“海賊狩り”のゾロ』である。

 

「はぁ……ったく、あと一秒待てなかったのかよ。てめェに教わった“剃”を使った新技試すつもりだったんだが」

 

「あら、背中を見せた敵に刀を振るうの?」

 

「……けっ、よくわかってんじゃねェかクソゴム女」

 

 女の、しかもバカのクセに何故か剣士の美学を理解した返答を返す、麦わら帽子の女の子。

 少女の闘志に燃えるその高揚した笑顔に、ゾロの戦意が溜息と共に霧散する。

 

 “月歩”とやらでゾロを船まで送ってから、今までずっとうずうずしながら仲間の戦いをその船尾楼の上から見下ろしていたのだ。

 

 意識するのも気恥ずかしいが、この女船長の仲間に対する愛情は家族に向けるものに勝るとも劣らない。

 これ以上彼女に報復行為を我慢させるのも、受け取った信頼に反する。

 

 雪辱に燃えていた己の心にケジメを付け、ゾロは真剣な面持ちで麦わら娘の行動に目を光らせた。

 

 これから始まるのは圧倒的強者による一方的な制圧。

 武に生きる者にとっては決して見逃せない貴重な実戦教材だ。

 

 そして、少女の身体から帆を燃やすほどの高熱が放たれ、紅色に輝く黒鉄色の蜂の羽の模様を浮かび上がらせた“覇気使い”による慈悲なき報復が開始された。

 

「じゃあ決まりねっ!…さぁバギー!ゾロとナミの仇よ、覚悟しなさい!“ギア4・ホーネットガール”( )!!」

 

『ッヒィィィィ~~~!!』

 

 

 夜の帳の降りきった東の海(イーストブルー)

 

 『新世界』の地獄を生き延びた海賊王の元クルー『“道化”のバギー』( )は、眼前に迫った二つの満天の星空を最後に  そのか細い意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町港湾

 

 

 

「ちょっとそこ!女の子の日用品なんだからもっと丁寧に扱いなさいよ!」

 

『へ、へい!』

 

「ナミってホント細かいわね~。そんなにカリカリしてたら髪の毛禿げそうだわ」

 

「お前はもう少し自分の性別を意識しろよ」

 

 女の甲高い声がオレンジの町の港に響く。

 海賊から逃げ延び集った民が築いたこの町は今、皮肉にも彼らが何より嫌った海賊たちに占拠されていた。

 

 屯する海賊団は二つ。

 

 一つは悪名高い高額賞金首の船長が率いる東の海(イーストブルー)有数の一味『バギー海賊団』。

 大型のキャラック船を有し、世界中の宝を求める総勢50人の中規模海賊である。

 

 そんな彼らを顎で使い出港準備を進めているのは、二人の少女。

 むさ苦しい男所帯の中で高圧的な態度を取り続ける、あまりにも場違いなこの両名もあろうことか、男たちと同じ海のならず者である。

 

 彼女たちの名は『麦わら海賊団』。

 ()の有名な“海賊狩り”を有する男女三名の極々小規模一味である彼ら彼女らが、東の海(イーストブルー)有数の海賊一味を小間使いの如く侍らせている理由はただ一つ  弱肉強食の掟に他ならない。

 

 一味の女船長モンキー・D・ルフィが三人目のクルーに目を付けた航海士兼、海賊専門泥棒の美女ナミ。

 偉大なる航路(グランドライン)の海図を彼女が盗んだことで始まった両海賊団の争いは、互いの幹部が意識不明の重体に陥るほどの全面戦争に発展したものの、恐るべき力を秘める規格外の女海賊ルフィが最前線に立ったことにより僅か半日で終結した。

 

「ほら何ボサッとしてんのよ!その安酒は男船!そっちの蒸留酒は私とルフィの女船!船長の乗る船にイイ物乗せるのは当然でしょ!?」

 

『はっ、はいぃ…』

 

「おいふざけんな新入り航海士!ウチのアホ船長に酒の善し悪しなんかわかるワケねェだろ!全部てめェが飲みてェだけじゃねェか!…あ、おいそこのお前ら。その蒸留酒はおれの男船な、間違えんなよ?」

 

『え、えと…』

 

「別にどっちでもいいじゃない、どのみち釘で固定して双胴船(カタマラン)にするんだから。飲みたくなったら女船のほうに来ればいいのに、二人とも神経質ね~」

 

「アンタは一度男女で船を分けた理由を考えなさいよバカ!!」

 

 スパァン!っと二つの良い音が港に木霊する。

 打撃が効かないゴム人間に対する容赦の無い暴力だ。

 

 だがたとえ打撃の物理的効果を無効化する肉体であっても、この世には肉体と精神、そして魂に作用する、三種類の痛みがある。

 

「ッふぎゃっ!?ちょ、ちょっとゾロ!ナミ!痛い!今の凄く痛かったっ!」

 

 10年間の修行で慣れ親しんだ祖父の硬い拳骨の如き鈍痛に、女船長ルフィは思わず悲鳴を上げる。

 

「…ゴムなのに“痛い”?……へぇ、そりゃイイことを聞いたなァ…」

 

「…あれかしら、親の体罰は何よりも痛いっていう。…へー、ほー、ふーん」

 

 ボスの数少ない弱点を知った少女の部下たちの口が弧を描く。

 

「いたた…って、な、何よあなたたち…?そんなニヤニヤした顔で…」

 

『いや別にィ?』

 

 涙目で頭を押さえながら怯えた表情で仲間を見上げる最年少の女の子。

 戦場においては比類なき強者である彼女にこのような情けない顔をさせることが出来るのは、一味の仲間の両名くらいのものだろう。

 

 思わぬ優位性を最大限活用すべく、即座に悪巧みを開始した二人の男女の笑顔は、宛ら無垢な少女を狙う誘拐犯のようであったと周囲の海賊たちは後に語る。

 

 

 そんな三人が作る奇妙な空気の中に、全身包帯巻きの一人の男がおっかなびっくり近付き声を発した。

 

「あ、あにょ…ルフィしゃま…出航準備が、お、終ふぁりまひた…」

 

 暴君たちの会話が途切れる瞬間を自前の処世術で見極め報告を済ませるその人物に、『麦わら海賊団』( )の六つの目が一斉に向けられる。

 

「あらもう終ったの?ご苦労様、バギー」

 

「ヒッ…!ひぇ、ひぇい…」

 

 にっこり笑いながら労をねぎらうバケモノ女船長に小さく悲鳴を上げる腰の低いその男こそ、東の海(イーストブルー)を我が物顔で暴れまわる懸賞金1500万ベリーの大物海賊『“道化”のバギー』である。

 

 海図を盗まれ、犯人を捕らえるべく追っ手を放ったら幹部二名含む数十の部下たちを壊滅させられ、一人姑息にも逃げ出せばまさかの“海賊狩り”と遭遇。

 何とか勝利を収めたものの翌日深夜には雪辱に燃える剣士に敗北し、命辛々逃げ出せば“四皇”級の化物に瞬殺され、目覚めれば敗者の掟に倣い下僕に成り下がる破目になっていた。

 

 最後は小船に食糧に大切なお宝まで余すことなく奪われた、泣きっ面に蜂の赤鼻男の胸中はいかなるものか。

 

 

 …とはいえ今まで散々町民たちを虐げてきたここ“オレンジの町”では、下手人であるこの道化師に同情の言葉を送ってくれる者など居なかろう。

 

「…ええ、ちゃんと全部積まれてるわね。流石は高額賞金首、数十分足らずで全部終わらせるなんてやるじゃない」

 

「おい赤っ鼻、蒸留酒が女船に乗ってるぞ。何凡ミスしてんだ、こっちに寄こせ」

 

「んじゃっ、最後の命令よバギー!私たちの船に積めなかったあなたのお宝を使って、あなたたちがめちゃくちゃにした町の人たちの生活を取り戻してあげなさい!もちろん、ちゃんと頭下げて謝ってからねっ!命令無視したら今度こそそのおっきな船ごと海に沈んでもらうから!」

 

『はっ、はいいぃぃ…!』

 

「おい、蒸留酒を男船に  

 

 海賊たちの恨めしげな視線に晒されながら、女海賊『“麦わら”のルフィ』( )率いる海賊一味はバギーから快く頂戴した大量の宝と共に“オレンジの町”を後にする。

 

 

 天候と海を知り尽くす女、航海士ナミ。

 

 二人目の仲間を手に入れた未来の海賊王は、小さな遺恨を残しながら、船首をシロップ島の方角へ向けて声高々に出向した。

 

 

 

「ぐ、ぐぎぎぎ……お、覚えふぇろよぉぉ“麦わら”ァ……っ!!」

 

「せ、船長ダメっすよ…!あんなバケモン敵に回すとか正気の沙汰じゃないですって…!」

 

「うるふぇえ!力じゃ敵わにゃくふぉも知恵さえまわしゃあ、やり様はありゅんふぁよぉ……今に見てりょぉ、“麦わらのルフィ”…っ!!」

 

 

 彼ら彼女らが、誇り高き海賊『“道化”のバギー』と因縁の再会を果たすのは、そう遠くない未来のことである……

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 小型海賊船『リトルトップ号』( )甲板

 

 

 

 オルガン諸島を離れて数刻。

 島影一つない航海日和の東の海(イーストブルー)を、道化の海賊旗(ジョリー・ロジャー)を掲げた一隻の小型の双胴船が帆を張り詰め進んでいる。

 

 その船の結合甲板では、小さな海賊団“麦わらの一味”が新たな仲間、航海士ナミを囲み宴会騒ぎに興じていた。

 

「だぁ~かぁ~らぁ~っ!一味の仲間じゃなくて“商・売・仲・間”だって言ってるでしょ!海賊なんて死んでもゴメンよっ!!」

 

「ぶぅ~、まだそんなこと言ってるのぉ?」

 

「はっはっは!いいぜナミ、もっと意地張ってくれねェとつまらねェぜ!」

 

「アンタはいい加減しつこいのよ、このむっつりスケベ剣士っ!」

 

 一人寂しく男船に押し込められている剣士ゾロが時折飛ばす野次に怒声で返すナミ。

 心外だと互いに食って掛かる二人の姿をニコニコと見つめる少女船長のルフィは、10年越しの夢が成就されつつある現状に大いに満足していた。

 

「…ふふっ」

 

「ちょっと何笑ってんのよルフィ!違うわよ?!ただの協力関係だからねっ?!!」

 

「あっ、ごめんなさい…!こういうの何かいいなぁって思っちゃって、私嬉しくって」

 

『…ッ!』

 

 幼げな顔を紅潮させ、にぱっと無邪気で可愛らしい笑みを浮かべる麦わら帽子の女の子に、仲間たちの胸が切なげに跳ねる。

 突然の無自覚な精神攻撃に流石の強情美少女泥棒も堪らず頬を朱に染めてしまう。

 

 一方、数日の二人旅で幾度も少女の無防備な姿に翻弄され続けていた剣士は即座に目を逸らし被害を最小限にとどめる。

 先達として、あっけなく麦わら娘の虜と化した隣の新参者のような無様は晒せまいと、男はくだらない優越感で内心の動揺を押さえつけた。

 

  ッッ、あ、アンタねぇ…っ!船長ならもっとキリっとしなさいよバカっ!」

 

「え、突然何よナミ?楽しいときは笑ってはしゃぐのが海賊よ?」

 

「ッ、アンタが笑うと心臓に悪いのよっ!!ずっと眉間に皺寄せてなさい!!」

 

「えぇぇ……」

 

 航海士の何ともわかりやすい照れ隠しにゾロの口角は吊り上がる一方。

 

 その挑発気味なニヤケ面がナミの羞恥を膨れ上がらせ、屈辱に怒る少女は思わず目の前の海賊二人に当たり散らしてしまった。

 

 

「だから私は海賊になんかならないって言ってるでしょ!!私はッ!殺してやりたいほどアンタたち海賊が憎いのよっ!!」

 

『!』

 

 

 宴会の愉快な空気が凍りつく。

 

 咄嗟に口を噤めど吐き捨てた言葉は戻らない。

 

 常に人懐こそうな笑みを絶やさない麦わら娘も、意地の悪い笑顔を浮かべていた青年剣士も、新入り美女の突然の憤怒に目を丸くする。

 そして、表情を消し無言で新たな仲間を見つめ続ける船長に代わり、ゾロが言葉を選ぶように女泥棒に話しかけた。

 

「……船長の許可でコイツの船に乗った以上、海賊であろうとなかろうとおれはお前を歓迎する」

 

 謎の情報網を持つ隣の上司はともかく、青年自身はこの女航海士の生い立ちや経歴は何一つとして知らない。

 ボスが一味に加えると決断した以上、それに素直に従うのが模範的な部下というもの。

 決して表には出さないが、ゾロが彼女に抱く強者に対する敬意は崇拝とも言えるほどに強かった。

 

 故に、沈黙を貫く船長に代わって己が出来ることは、怒る新入り少女を宥め一味内の蟠りを無くすこと。

 

「だが別に成り行きでコイツと一緒に旅してるワケじゃねェ。おれもこのバケモノ女の強さを盗むっつー、多少の打算があってここに居る」

 

「…ッ」

 

 続く言葉を予想したナミが小さく息を呑む。

 

「…お前にもあるんだろ?おれや  この異次元のバケモノ女の力を借りたい打算がよ」

 

 ゾロは長年の放浪生活で様々な悲劇を目にして来た。

 

 海賊に襲われ親を失った少年、娘を奪われ売られた夫婦、戦友を亡くし海軍を辞めた酒屋の店主、等など。

 略奪に遭い焼け野原と化した村を見た。

 汚点の排除にスラムに火を放った国の話を聞いた。

 傍若無人な海兵が支配する町で捕らえられた。

 

 そして、目の前の少女を苛む悪夢も、この大海賊時代を彩る無数の悲劇の一つなのだろう。

 

「…ッ、そう…そうよ。あるわ、打算」

 

 しばしの逡巡を経て、復讐者ナミが己の憎悪の原点を僅かに仄めかす。

 

 全てを伝えるほど少女は愚かではない。

 話すのは無名の村と、その村を今尚虐げる忌々しい海の強者の存在。

 

 願うのは()の極悪海賊団から村を買い取る一億ベリーただ一つ。

 

 それは少女の、八年越しの長い、長い、偽りの願いであった。

 

「アンタたちは人数少ないワリにバカみたいに強いから、私のお宝集めに協力して欲しいの。差し出す対価は当面の安全な航海。私はあのクズ共が信用ならないから、少しでも多くのお金を手に入れて村の防備を固めたいの。だから悪いけど、アンタたちの仲間にはなれない。…海賊云々の心情抜きでね」

 

 少女は気付かれぬように臍を噛む。

 

 本当の願いはそのような小さいものではない。

 その願いはあの日からずっと、ずっと求め続けてきた  自分だけの勇者さま。

 

 無力な姫を救い、巨悪を滅ぼす正義の拳だ。

 

(でも…)

 

 だが少女にはその一言を紡げない。

 

 惹かれてしまったのだ、どうしようもなく。

 巨漢に襲われ助けられたときに。夢に煌く夜空の瞳で一味に誘われたときに。華奢な身体を抱きしめたときに。

 無邪気な笑顔で名を呼ばれたときに…

 

(生きてて欲しい…)

 

 気に入ってしまったから、魅了されてしまったからこそ。

 この愛らしい女海賊を、あの憎い海の絶対者たちから遠ざけたいのだ。

 

 諦めるしかない。

 

 航海士の胸中で救いを待ち続ける十歳の少女は、悵然の念に苛まれながら心の闇に返ろうと踵を返し  

 

 

  ねぇナミ」

 

 

   海賊が発した穏やかな音色に身体を震わせた。

 

 咄嗟に声の持ち主へ振り向いたナミは、女船長の変わらぬ愛らしい笑顔を見た。

 

 だがその周囲を覆う空気に無垢な少女のあどけなさは微塵も見当たらない。

 漂うのは背筋が凍るほどの、途轍もない力の塊。

 まるで薄布一枚の裏に幾千もの猛獣の眼光が輝いているかのような、生命本能を掻き立てる畏ろしい気配がそこにあった。

 

 気圧され息も忘れる新入りの航海士に、女の子が言葉の続きを綴る。

 

 清く静かで美しくも、魂に響く重圧感を持った、相反する印象を受ける異様で異質な声だった。

 

 

「私たちは、強いわよ?」

 

 

   瞬間、世界が震えた。

 

 その言葉がナミの心臓を鷲掴む。

 

  ッあ…っ)

 

 何が起こっているのかわからない。

 目の前の人物に名を呼ばれただけで、まるで巨人に取り囲まれているかのような気迫に押し潰されそうになっている。

 人間の10倍の筋力を持つあの忌々しい魚人たちに殺気を飛ばされたときでさえも、これほどの存在感は感じなかった。

 

 ならば、人の子でありながら魚人の殺気すらそよ風のように感じるほどの圧力を放つこの少女は、一体何者だというのか。

 

 その問いの答えを返したのは、人の心を見透かす目の前の“王”の玉音であった。

 

 

   私は、海賊王になる女だもの。

 

 

 心が震える。

 

 満天の星空を詰め込んだその双眸に、ナミは果てしなく巨大で美しい世界を見た気がした。

 

 そこに煌く無数の星々一つ一つがまるで少女自身の抱く夢の輝きのようで、航海士の彼女を導く道しるべのように希望に満ち溢れている。

 

 これが本当に海賊なのか。

 あの、故郷を虐げ金も名誉も命さえも奪っていく海賊共と同じ存在なのか。

 

 ナミは自信を持って否定する。

 この麦わら帽子の少女は、あの連中とは天と地ほどに、全てが違うと。

 

 もし、それほどの存在が“海賊”を自称するのならば、彼女に相応しい称号は  

 

 

「海賊……王」

 

「そうよ。そして、あなたは海賊王の航海士になるの!」

 

 

 “海賊王の航海士”

 

 ああ、何故。

 何故そんなくだらないはずのものが、これほど甘美に聞こえるのだろう。

 

 救いようの無い海のクズ共でさえも、最早語ることさえなくなった古の大望。

 

 それが何故、この少女が口にするだけで、まるで手を伸ばせば届く距離にあるものに思えてしまうのだろう。

 

 

 それは伝説に謳われる、時代を作った海の覇者が、その道中において最も頼りにした者を称えた言葉。

 

 この世の全てを見てきたその英雄は口を噤み、全ての航海士、製図士の夢を夢のままに残した。

 まるで己の“王”が生み出した新たな時代の流れに寄り添うかのように。

 

 ナミは思い出す。

 かつて敬愛して已まない義母ベルメールと共に語った、あの大切な夢を。

 自分は何のために今まで航海術や測量術を学んできたのかを。

 

 あの憎き魚人のためか?ヤツの外道の助けになることか?

 

  違う……!断じて違う!!)

 

 自分だけの大切な夢。

 それは亡きベルメールさんと共に語り合った、神聖な思い出に育まれた大事な大事なものだったはずだ。

 

 “世界地図を作る”という、誰も成し遂げたことのない壮大な夢だったはずなのだ。

 

「…ッ」

 

 少女は手元の海図を握り締める。

 無限に続く偉大なる航路(グランドライン)のごく一部を記した数枚の紙切れ。

 

 だが自分が望むのはその先にある、まだ誰も見たことが無い広大な海の全てである。

 

 描きたい、海図を。

 この世の全ての海を進む、迷える船乗りたちを導く最高の道しるべを。

 

 麦わら帽子を被った女海賊。

 彼女の瞳の中で輝く北極星に導かれるがままに、航海士ナミは己という名の船を委ねる。

 

 その光は船乗りたちの夢を指し示し、偉大なる海の覇者の先導に続く限り、光は彼らの希望を照らし続けてくれる。

 

 迷いは無い。

 沈んでいた彼女の船は“王”の号令により、再び水面へと昇る。

 

 そして航海士の船を出迎えるのは、希望の星々が煌く二つの夜空。

 

 

 星空の名はモンキー・D・ルフィ。

 

 この世の全てには未だ至らぬ、海の若き覇王である。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 そして……まるで最初からそう天に、地に、海に、定められていたかのように、ナミはゆっくりと  

 

 

   己の“王”の手を取った。

 

 

「…とっ、当然お互いを利用し合う関係よ?!勘違いしないでよね、ルフィっ!」

 

  ッむぅぅぅっ!!ナミのバカっ!意地っ張りっ!でも私諦めないもんっ!!」

 

「ったく、しぶてェ女だぜ…!はっはっは!」

 

 

 …もっとも、悔しい彼女はそう素直に恭順を認めてやるわけにはいかないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ”航海士”

 

 それは永久に広がる道無き大海原を、磁気と時、そして夜空に輝く星々を頼りに船を導く、夢の水先案内人。

 風を掴み、嵐を避け、羅針盤を片手に人々を陸へと誘う海の上の魔法使いたちだ。

 

 だが航海士も時には迷い、水平線の果てを見通す千里の眼に影が差す。

 

 

 そんな彼らが求める救いは空にある。

 

 それは果て無き宇宙の理が授ける天上の道しるべ。

 迷える航海士に進むべき闇の先を照らすその光の名は『北極星』。

 天の頂に座する不動の空の“王”である。

 

 “王”は数多の船を港へと誘い、那由他の民を大地に導く。

 

 

 航海士ナミはもう迷わない。

 

 時代の、夢の名を冠す海の王  

 

 

   未来の『海賊王』の瞳に輝く夢の北極星(みちしるべ)がある限り。

 

 

 

 

 

 





オリギア集その1:”ギア4・ホーネットガール”


【挿絵表示】


六式を修得したことで肉体の効果的な運用が可能となり、それぞれの奥義に特化した”ギア4”シリーズの一つ。
世界三指に入る異次元のスピードと三次元的な行動、そして武装色の覇気の大部分を両手の指に凝縮した究極の”指銃”で敵を貫くことに特化。
その威力は英雄ガープが迎撃に振るった全力の拳を穿ち、当人に死を覚悟させるほど。
覇気を集中させすぎて常に黒雷が弾ける現象が起きており、非常に目立つ。

技名はルフィ少年の記憶にある女六式使いのカリファのような女スパイ”ジェーン・ドゥ”をイメージした、”ゴムゴムの魔嬢(ジェーン)○○”。
お気に入りは一撃必殺の超”指銃”、”ゴムゴムの魔嬢銃(ジェーンピストル)

全てのギアは10年の修行で子供のうちから己の途轍もない覇気と共に慣れ親しんだため、時間制限・覇気回復反動・準備動作の全てをなくすことに成功している。


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9話 剣士の傷と、船長の傷 (挿絵注意)

ウソップ編を書き直すついでの幕間のような小話。
ナミ編が長かったのでゾロに焦点を向けてます。
サラダちゃんとむっつりくんがウジウジ悩むだけ。

読まなくても次話には問題ありません



大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖『リトルトップ号』

 

 

 

「これが“剃”で、こっちが“月歩”。これさえ出来れば大抵のコトは大丈夫よ」

 

「…くっ、バギーのときに成功したのは火事場の馬鹿力かなんかだったのか…?コツはわかるんだが…!」

 

「…ねぇルフィ?私、強くなりたいとは言ったけど…最初に習わされるのがソレってどうなの…?」

 

 東の海(イーストブルー)に浮かぶ全ての艦船が斜陽に赤く輝く頃。

 難所を巧みに避け悠々と海を進む双胴船(カタマラン)『リトルトップ号』では、夕食前のランニング感覚で超人的特殊体術の修行が行われていた。

 

 先日、この船を所有していた海賊一味『バギー海賊団』を壊滅させ、その宝ごと小船を奪い航海の足にした彼ら彼女ら『麦わら海賊団』は今、風を帆に受けながら迷うことなくゲッコー諸島へと進んでいた。

 

 甲板と呼ぶには些か心許無い板張りの足場の上で会話を交わしているのは、一味の女船長ルフィと戦闘員ゾロ、そして新たに化物たちの仲間入りが不幸にも期待されている新入りの美少女ナミだ。

 不安ばかりであった海賊団の航海が突然頼もしく見えるようになった最大にして唯一の理由。

 それこそが一味の船を嵐や渦潮、岩礁や氷山から守り、目指す陸地へと導く海の魔法使い、航海士の力の賜物である。

 

 ストイックに鍛えられた肉体に任せ狭い甲板を四方八方に走り回る剣士とは対照的に、美しき海の魔法使いは暴れる人外男女の先輩たちに呆れ果てた目を送っていた。

 多少荒事慣れしている以外は極々一般的な女性と大差ない身体能力しか持たないひ弱な人物に、いきなり音速以上の速さで走れだの、空を駆け上がれだのと指示を出すモンスター。

 戦う力を求め教えを乞うた責任こそあれど、そんな相手に向ける視線としてはこの上なく適切である。

 

「あぁぁ~~~もう無理ぃ!そもそも地面を一歩ごとに十回蹴って走るって何よ?!地面固める重機じゃないんだからそんなふざけたこと常人に出来るワケないでしょうが!!」

 

「弱音吐いちゃダメよ、強くなりたいって言ったのはナミなんだから。ナミ怒るときにいつも地面二、三回蹴ってるじゃない。それをあと五倍やればいいのよ」

 

「それ私が怒って地団駄踏んでるだけっ!!バカにしてんの!?」

 

「あ、いま四回蹴れたわよ!凄いじゃない!ナミの原動力は怒りなのね!!」

 

「むきぃぃぃぃっ!!!」

 

 修行を余所に甲板の端で騒ぎ出す女性陣。

 

 くだらないキャットファイトを極力視界に入れぬよう立ち回りながら、男一人のゾロは神経を研ぎ澄ます。

 イメージするのは先日の、悪魔の実の能力者『“道化”のバギー』を相手にかつて無いほど大きな力を沸立たせた己の姿だ。

 

 “オレンジの町”を後にしてからまだ半日。

 数刻前から始まった女船長ルフィの手解きの下で少しずつ上達してはいるものの、剣士は未だあのときのような速度が出せずにいた。

 

(ちっ……しつこい毒だぜ、ったく…っ)

 

 男は無意識に腹巻の上に手をかざす。

 通常なら既に治りが始まっているはずのソレは今、包帯を赤く染めながら見るも恐ろしいほどに膿み荒れ、絶えぬ痛みがゾロの集中力を奪っていた。

 

 次の島に腕のいい医者が居ることを祈り、剣士は修行を再開させるべく立ち上がろうとする。

 

 

 だが青年の無茶をそれとなく止める者がいた。

 

  ゾロ、まだバギーと戦ったときのように覇気で身体強化出来ない?」

 

「ッ、ルフィか」

 

 名を呼ばれた少女は心配そうにゾロの顔を覗きこむ。

 座り息を荒げるもう一人の仲間が気になった女船長は早々にナミとの不毛な会話を止め、一味の戦闘員の下へと様子を見に来ていた。

 

 これ幸いと地団駄で痺れた足を休ませている根性無しの女航海士のことなど無視である。

 

「……あれが“覇気”…ってヤツなのか」

 

「あ、あのね、レイリーは『強い意思と共に目覚める』って言ってたの。私自身は“夢”で身に付けたからよくわかんないけど、エースも『妹にかっこいいトコ見せたい!』って願い続けて使えるようになったらしいから、ゾロも『強くなりたい!』って自分に言い聞かせ続けたらちゃんと出来るようになるわよ。だって一度出来たんだもん、心配しないで…!」

 

「強くなりたい…か……」

 

 平然と無意識に義兄の恥部を晒す末妹が、ためになるのかよくわからないアドバイスを剣士に送る。

 感覚頼りで賢さが足りないルフィにあまり難しい理論や説明は思いつかなかったのだ。

 

 それでも拙い頭脳で精一杯相談に乗ろうとする彼女の姿には隠しきれない焦心が垣間見える。

 

 “オレンジの町”を発ってからも不安が晴れぬ女船長は、何かとゾロのことを気に病むことが多かった。

 

「えっと、あとは…やっぱりバギーのときみたいに死に物狂いで敵と戦って自分を追い込む方法もあるけど……」

 

 少女は後ろのナミを気にしながら、相棒の腹部へ痛ましげな視線を向ける。

 

 胸にズキリと鋭痛が響く。

 男の腹巻の下に隠されているのは、自分の愚かで悔やみきれない大失態の証。

 

 大切な仲間を守るために強くなったはずの己に現実を突き付け、懺悔の機会さえ与えて貰えなかった、罪深い女の心の傷だ。

 

 だが傷心の女船長の内心に気付かぬ剣士の口には、ニヤリと歪んだ攻撃的な笑みが浮かんでいた。

 

「……へぇ、なら手っ取り早く次の敵でまた一度あんな戦いを  

 

  ッ、だっ、ダメっ!!」

 

 

 咄嗟に口から飛び出ていたのは、隠していた自分自身の心痛な悲鳴だった。

 

 背筋が凍え、大切な仲間が血溜りの中に沈む先日の悪夢がルフィの瞼の裏に鮮明に映し出される。

 そして少女の魂に刻み込まれた“夢”の記憶が、“スリラーバーク”の出航直前の惨敗が、“シャボンディ諸島”の絶望が、“WCI”(ホールケーキ・アイランド)の仲間の犠牲が、怒涛の如く心の隙間に殺到した。

 

 恐怖、激痛、悔悟の念に犯され、少女の身体が戦慄する。

 

 大海賊『“赤髪”のシャンクス』との別れに塞ぎ込む女々しい童女は、“夢”のルフィ少年との出会いを経て、仲間を守れる強い女になれたはずだった。

 

 覇気を身に付け、“六式”を学び、戦闘態勢の“ギア”シリーズを磨き上げ、憧れの麦わら少年をも大きく超越する力を得たはずだった。

 

 それなのに、自分は  

 

 

「ルフィ…?」

 

 聞き慣れた嗄れ声がルフィの鼓膜を振るわせる。

 

 未来の海賊王たる自分の背を任せる、大切な仲間の声だ。

 

  っぁ」

 

 瞠目する剣士の困惑に、蒼白に震える女船長が我に返る。

 だが慌てて口を押さえるも時既に遅し。

 

 常時一定の強度で放たれているルフィの見聞色の覇気は、背後で休んでいた二人目の大切な仲間の訝しげな“声”を捉えていた。

 

「ちょ、ど、どうしたのよルフィ…?悲鳴なんか上げて。……ケンカ?」

 

 背中に心配そうな声を投げかけるナミへ、少女は恐る恐る振り向く。

 この展開は非常に不味い。

 

「なっ、何でもないわ!気にしないでね、ナミ!」

 

「……アンタ、何か誤魔化そうとするときに毎回そんなド下手な口笛吹いてたら一目瞭然よ…?」

 

 疑念を深める女航海士にルフィは驚愕する。

 

 最も長い時間を共に過ごした故郷の母親代わりである店主マキノでさえ「はいはい」と簡単に騙されてくれた自慢の演技を、いとも容易く見破る美少女泥棒ナミ。

 “夢”で仲間の料理人(サンジ)考古学者(ロビン)と共に一味の頭脳を務め上げるほどの知恵者だ。

 やはり心理戦では最初から勝負にすらならないらしい。

 

(でも、ゾロに恥をかかせるワケには……っ)

 

 だがルフィにはどうしても守らなくてはならないものがある。

 

 ロロノア・ゾロが“夢”の中で仲間の  特に女の前で負ける姿を晒したことは極めて少ない。

 そして女の自分に従うようになったせいか、その強さの根底にある男の誇りを、目の前の人物はより強く持っているように思える。

 

 義兄のエースやサボを見るとおり、男とは女の前では命に代えても見栄を張りたがる生き物だ。

 

 あれほどバギーを倒すと豪語しておきながら、返り討ちにあってしまった剣士の無様。

 ルフィは戦いの一部始終を覇気で捉えていたにもかかわらず、怠慢で助太刀が遅れてしまった自分の不甲斐なさを詫びるため、せめて青年のプライドくらいは守り通そうと躍起になっていた。

 

 

 …だがその思いの奥底に隠れた己の本心に、無垢な少女は気付けない。

 

 仲間の危機に “間に合わなかった”という自分自身の失態を隠し、悟られまいと右往左往する幼子の如き本心に。

 

 

 単純な話である。

 ルフィはただ、怖かったのだ。

 

 仲間に失望されることが。

 “夢”のルフィ少年とは違い、女である自分が彼ら彼女らに認めてもらえなくなる可能性が。

 

 

 物心ついた頃より自分の実力に強い自信を持っていた彼女だからこそ、理想と現実の違いは少女の心にとって大きな衝撃となっていた。

 

 

 

  ああ、気にすんなナミ。別にケンカじゃないさ」

 

  ぇ?」

 

 叱られた子供のように俯くルフィを正気に戻したのは、またしても剣士の声だった。

 

「お前がのんきに足ぷらぷらさせてる間にこのバケモノ娘に新しい技を教わろうと思ってな。難易度が高く危険なヤツらしくて、過保護なコイツが慌てただけさ。…なぁ、ルフィ?」

 

 腹部の痛みを押し殺し、ゾロが小さく口角を持ち上げる。

 

 遅れて彼の意図を理解したルフィの視界が微かに滲む。

 慌てて瞼を瞬かせ、少女は大切な相棒に心の中で感謝した。

 

 仲間のフォローを無下には出来まいと喝をいれた女船長は、期待に応えるべくのそのそと立ち上がり、次の瞬間  空を()()()

 

“剃刀”(カミソリ)っ!」

 

 すると強烈な耳鳴りと共にルフィの姿が掻き消え、女六式使いは稲妻のような軌跡を描きながら茜色に染まった雲を切り裂く。

 そしてその直後、驚愕に目を見開いた男女の前に、ぐったりと羽を垂らす雁を片手に握った少女が現れた。

 

 その相対距離、実に一千メートル。

 瞬く間も無くとんでもないことを仕出かした麦わら娘に、言い出したゾロも思わず顎を落とす。

 

「今…のは…?」

 

「この前二人を連れて空を飛んだ技よ。“剃”と“月歩”を同時に使って空でも“剃”並の速さを出せるわ。生身の人間にはほぼ不可能だってハトのヤツが言ってたから、ゾロじゃ余程頑張んないと出来ない…と思う」

 

 出来ないと言われて奮起しない男は居ない。

 むっとした表情で女船長を睨む剣士は悪化し続ける傷の激痛に耐えながら“剃”の構えを取り、修行の再開を催促する。

 

「…ならその“月歩”ってのを後で教えろ。今は“剃”が先だ」

 

「その前に、ゾロのために獲った鳥さん。食べる?」

 

「……おう」

 

 こてんっと首を傾げる麦わら娘の姿に言葉が詰まった青年は、胸中に溜まった何かを吐き出すように返事を返し、男船に散らかる七輪を取りに背を見せた。

 

 

 その姿に仲間の苦痛を感じた少女は、色々と女としての情操を教えてくれるナミに心の中で謝罪しながら、夜が更けるのを静かに待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖『リトルトップ号』( )

 

 

 

「……ごめんなさい、へたっぴで…」

 

「……ったく、いつまでメソメソしてんだ。おれの自業自得だってのに…」

 

 深夜の広大な東の海にぽつんと浮かぶのは『バギー海賊団』の海賊旗を掲げた、頼り無さそうな一隻の双胴船。

 その甲板に佇む  楼と呼ぶには些か小さすぎる  小屋の中には二人の若者が籠っていた。

 

 半裸の男と薄着の少女。

 密室の小屋の中、男女は肌の触れ合う距離で向かい合う。

 

 しかし二人の周囲に、状況に準じる甘い雰囲気は見当たらない。

 あるのは面目無さそうに俯く少女と、仏頂面の顔を逸らす傷だらけの青年の間を流れる複雑な空気のみ。

 

「だっ、だって毒でぐじゅぐじゅで凄く痛そうで……私がノンビリしてたせいで、こんな……っ」

 

 彼らの片割である薄着の少女、船長ルフィの手には一本の鉤針と細い糸。

 意味するものは一つ。

 彼女が行っているのは半裸の青年、剣士ゾロの腹部を抉る怪我の本格的な手当てである。

 

 人目を忍ぶように隠れる二人の状況はこの船を有する彼ら『麦わら海賊団』の女船長ルフィが望んだもの。

 そして青年ゾロもまた、己の上司の指示に従い渋々彼女を迎え入れていた。

 

「…おい、後は自分でやるからお前はもう女船に戻れ……男船は女人禁制だぞ」

 

「…ダメっ、一人でやったら上手に出来ないわ……それにちゃんと治さないとナミに気付かれちゃう…」

 

 二人が声を潜め、窓を布で遮光してまで案じているのは、船に乗る最後の乗員、新入りの女航海士ナミに青年の容態が知られること。

 

 詳しくは知らないものの、海賊嫌いの彼女が自分たち海賊一味を己の復讐のための“戦力”として期待し、行動を共にしていることは周知の事実。

 そんな彼の腹部の大怪我は、先日争った1500万ベリーの賞金首『“道化”のバギー』との戦いの、無様な敗北の証である。

 女船長が高名な剣士である仲間のゾロの失態を隠し、新入り航海士が“戦力”として見込んだ自分達『麦わら海賊団』に失望せぬよう細心の注意を払っているのは想像に難くない。

 

 …もっとも、青年のその想像も所詮は己の恥から目を逸らすためのもの。

 震える手付きで仲間の傷に縫合糸を通す、憂いに俯く少女の姿を見れば、彼女には  新入りの失望などといった  目の前の怪我人以外のことを考える余裕などどこにも無いのだとわかってしまう。

 

 男はただ、意識する絶対強者の女船長ルフィが、仲間である自分の身も、心も、強者としての自尊心さえも守ろうとしてくれていることを認めたくないだけなのだ。

 

 

「ん…っ」

 

「!?」

 

 突然、ふわりと温かい吐息がゾロの腹を撫でた。

 驚き見下ろした先に、青年は乱雑に跳ねる短い黒髪の旋毛を見る。

 

 絶句し固まる彼の耳に、ぷつり…と微かな音が届く。

 我に返った剣士は声にならない悲鳴を上げながらその黒髪の塊を己の左足の付け根から引き剥がした。

 

「おっ、おまっ…!何してんだバカ…っ!」

 

「ッ、ご、ごめんなさい…っ。糸噛み切ったんだけど、引っ張っちゃって……痛かった…?」

 

 小さく歯を見せる黒髪少女の唇から覗くのは、一本の黒い縫合糸。

 古い貰い物の救急箱で遣り繰りしているため、錆だらけの医療用の小型ハサミではなく唾液の殺菌作用で比較的清潔な自身の歯を用いて糸を切断したのだろう。

 

 だが如何なる理由があれど、年頃の女の子が自分の顔を男の下腹部に近づけるのは憚られる。

 その辺りの常識がネズミに食われたように穴抜けのままの無垢なルフィに、ある程度の耐性と理解があったゾロも、流石に今回の凶行には動揺を抑えきれない。

 

「てめッ、“痛かった?”じゃねェだろ…っ!お前には節操ってモンがねェのか!!?」

 

 女船長の無自覚に婀娜めいた行動に煽られ、今まで意識を逸らしてきた数々の不本意な感情が青年の理性の蓋を突き上げる。

 

 二人きりの深夜の密室。

 息を潜めながら他の仲間に隠れて寄り添う男女。

 上半身に一糸も纏わぬ半裸の自分。

 

 そして少女の、細く美しい曲線を描く素足と小腕、臀部を際立たせる曝け出された柳のような腰付き、開かれたブラウスからはみ出る胸元の豊かな双丘……

 

 小屋の籠った湿気でしっとりと濡れる小麦色の肌も、薄く色付く頬を伝う玉の汗も、赤らむ憂いを帯びた伏せ目も。

 その全てがランタンの灯りに燈された倒錯的な空間の中で、蟲惑な色を帯びていた。

 

 『“道化”のバギー』との二度の死闘で昂った雄の本能が冷め止まぬ身なら尚のこと。

 終盤とはいえ、未だ思春期の残滓に苦悩する青年にとっては、些か以上に絶え難い光景であった。

 

 

 だが、煩脳を振り払おうと思わず力んだその腕は、華奢な女の身体を押し飛ばすほどの威力となって、健気な娘に襲い掛かってしまった。

 

「……ぁ」

 

 慌てて振り向いた先にあったのは、壁に叩き付けられ、絶望の色を顔に浮かべた少女の震駭する姿だった。

 

 男の傷に自分を責め、拙い技術でせめてもの罪滅ぼしと懸命に治療を行っていた女船長。

 その必死の思いに返されたのは、他ならぬ仲間の、片腕で突き放すほどの拒絶の意思。

 

 贖罪に心を砕くことすら許されない己の惨憺たる立場を突き付けられた気持ちになった少女は、ブラウスの胸元を握り締め身体を小鹿のように震わせる。

 

 そんなルフィの慄然とした姿に、青年はようやく自身の過怠の大きさに気が付いた。

 

  ッ、悪い…っ」

 

 助太刀が遅れた悔しさに瞳を潤わす仲間思いな女船長。

 そんな相手に対し自分が抱いてしまった感情が、拙い技術で必死に仲間の傷に治療を施す彼女への感謝ではなく、無防備で弱々しい少女の艶やかな肢体を己の獣欲で染め上げんとする劣情だと知られたら、三世三度腹を切っても拭えぬ恥辱となるだろう。

 

 おまけに自分の感情すら律せず、恩人に仇を返すかの如く暴力を振るい、罪の意識に苛まれる女の心の傷を抉ってしまったとあっては末代までの大恥だ。

 

「……ぇと……お、怒ってない…の……?」

 

 切なげな声で自分の最初の…大切な仲間に問う、潤んだ闇夜の瞳の少女。

 そのらしくない殊勝な顔に、剣士の胸奥に大きな波紋が生じる。 

 

 無知なのだ、この女は。

 身体的な違いによる男女の筋力的な優劣と、それが作る性的な上下関係を。

 

 

 おそらく少女は物心ついた頃から強者であったのだろう。

 ナミのような普通の女が当たり前に持つ男への警戒心を、強者たる彼女は一切抱くことなく大人の身体に成長した。

 

 だがルフィは無知であっても無神経ではない。

 

 “覇気”なる力を使い、相手の心の声を聞く彼女は他者の悪意に対して極めて敏感だ。

 男たちが彼女に向ける性的な欲望も、当然その“悪意”の一つ。

 

 ただ、過程を飛ばし“悪意を向けられた”という結果だけを受け取るルフィは、その悪意を向けられた理由に気付けない。

 今まで散々無体な男たちの悪意に晒されてきたであろう彼女が、相手を全て力で抵抗ないし撃退していたことは容易に想像出来る。

 

 少女がゾロの前で幾度も見せる、無防備で、ともすれば扇情的にさえ見える仕草や振る舞いは、そういった短絡的な解決策ばかりを選択し、悪意の原因たる“男の性欲”と、自分の魅力的な容姿や服装、行動、言動などとの因果関係を認識していなかったことが根本にあるのだろう。

 

 

「……あの…包帯は  

 

  自分でやる」

 

「…ッ」

 

 食い気味に好意を遮る青年の拒否の意思に、ルフィがびくりと体を小さく震わせ押し黙る。

 

 またもや配慮に欠けてしまったことに自己嫌悪するも、男は咄嗟の言い訳で慌てて謝罪した。

 

「……悪い。しくじったのはおれ自身が弱かったからだ。てめェの傷は最後くらいてめェで手当てしたい」

 

 ゾロの脳裏に浮かぶのは、その包帯を巻きつける際に少女が取るであろう、度し難い行動の数々。

 

 胴に回される手折れそうに細い両腕。肩に僅かに触れる、素肌を晒した大きな胸のふくらみ。そして額を付け合うほどに密接な互いの距離  

 

 女船長の名誉のためにも、そして己の理性のためにも、到底許せるものではない。

 

「…う…うん………えと……じゃあ、あまり長いこと女船離れてたらナミに気付かれて叱られちゃうから、そろそろ戻るわね…」

 

「…待て」

 

 音を立てぬよう丁寧にベッドを降りる少女の淑やかな姿から目を逸らしながら、青年は枕元の相棒であるお気に入りの酒瓶を手渡した。

 

「……大吟醸?ゾロがよく夜に飲んでる…」

 

「…昔聞いた話だが、フツーの女ってのは大抵臭いに過敏らしい。女船の小屋で血と消毒液と野郎の汗の臭いさせてたらすぐにバレる。しばらくソレで甲板で月見酒でもして誤魔化せ」

 

「……そう…なの?ゾロって博識  って、ちょっと…!“フツー”って何よ!失敬ね、私を何だと思ってんのよ…っ!」

 

 例外扱いされたことに遅れて気が付き腹を立てた女船長が、自分の沈んだ気持ちを一瞬で捨て去り声を潜めて器用に怒鳴る。

 その瞬間の感情に身を任せコロコロと態度を変える少女は、まるでその顔の通りの幼い子供のよう。

 

 ゾロとしては当然の評価を下したまでなのだが、女の常識とは些か以上にかけ離れている少女ルフィであっても、どうやら己の性別には相応の誇りがあるらしい。

 

 確かに彼女は目にも留まらぬ速さで駆け、空を飛び、数十もの男たちを一睨みで平伏させ、海軍支部の要塞施設を両断する存在だ。

 そのような者について論ずるべきなのは女か否か以前に、人間か否かの議題であろう。

 

 少し失礼だったかとゾロは小さく謝罪する。

 

 しかし如何なバカでも流石にその皮肉には気付いたようで、紅潮した頬を膨らませる少女も遂には傷付き幼なげな拗ね顔を俯かせた。

 

「うぅ……そりゃナミみたいなステキなお姉さんじゃないけど…私だって……」

 

 一味に新たな同性同年代の人物が加わったからだろうか。

 比較対象が出来た故か、落ち込む少女が手元の酒瓶に映る自分の無造作な短髪や衣類を弄り、己の“女”を意識する素振りを見せる。

 

 自分の服装に気を配り、腰をふりながら「今度かわいいスカートでも穿こうかしら」と小さく呟くその姿こそ彼女の言う“ステキなお姉さん”とやらの仕草ではないのか、と浮かんだくだらない感想が零れる前に青年は口を噤む。

 

 とはいえ、真摯に傷の手当をしてくれた好意に無礼を返したままでは漢が廃る。

 そっぽを向いたまま口を尖らせる傷心少女に、男は洗剤の匂いの残る真新しいタオルケットを差し出した。

 

「……月見に使え。女なら体を冷やすな」

 

 もう少し言い様が無かったのかと後悔するも、吐いた言葉は戻らない。

 

 沈黙が男船の小屋を支配する。

 

 無言で押し黙ったルフィの反応に焦りを覚え、青年は慌てる心を抑えながら彼女を横目で一瞥する。

 

 だが少女の顔にあったのは、キラキラと輝く嬉しげな笑みだった。

 

  ッ、ありがとゾロっ!うれしい…っ」

 

 先ほどの沈んだ姿が嘘のように喜ぶ女船長の無邪気な笑顔に、ゾロは羞恥に臍を噛む。

 

 素直な態度に騙されそうになるが、彼女の操る特異な力の前には隠し事は不可能である。

 ルフィほど練達した覇気の技術では、咄嗟の表層心理などあっという間に晒け出されてしまうだろう。

 

「……寝る」

 

 このままでは余計な“声”まで読み取られかねないと焦る男は少女へ素っ気無さげに手を振り、ベッドに横になった。

 

 そんなゾロの姿にはたと表情を改め、女船長は傷付いた仲間の就寝を邪魔してはならないと神妙な顔で頷いた。

 

「…うんっ、おやすみなさい。……お大事に」

 

 その場の感情は豊かでも、心の奥深くでは未だに己の罪悪感に苦しんでいるのだろう。

 最後に微かな沈痛の表情を浮かべ、慌てて誤魔化すように笑顔を作ったルフィが静かに男船の小屋を後にする。

 

 その萎れた後姿を見送るゾロは、悔やみきれない思いに悶々としながら閉じる扉を見つめ続けた。

 

 

  ちっ……強者がいつまでも仲間の傷に女々しく思い悩んでんじゃねェよ……」

 

 男は感情を押し殺した小声で小さく吐き捨て、腹部の刃傷に手を当てる。

 

 想起されるのは、あの無様な敗北の光景。

 負けた己はもちろん、最強の大剣豪となって守ると誓った女にも、消えぬ心の傷となった手痛い失態だ。

 

 男の夢は剣の頂点を極めること。

 それは亡き友と交わした何よりも尊い、剣士の約束である。

 

 だが、今の青年の胸に渦巻く感情は敵に土をつけられた悔しさでも、己の弱さを恥じる屈辱でもない。

 

 脳裏に焼き付き離れないのは、悲痛に伏し沈む少女が見せた、自責の涙。

 その万人を惹きつける天真爛漫な笑顔を陰らせた己に対する、胸を焼き焦がすほどの呵責であった。

 

 

 剣士を苛む痛みは腹部の傷の更に奥  胸奥に負った新たな傷。

 決して癒えることの無い、男の傷だ。

 

 

   二度と見て堪るものか。

 

 

 新たに芽生えた決意を背負い、男は亡き友と交わした約束に誓う。

 

 次の強敵を見据える剣士は敗者の傷を癒すため、腹部に残る少女の微かな温もりにその身を委ねながら……ゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

 剣士の覚悟が試される地”シロップ村”は、既に目前の水平線まで迫っていた。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 





お待たせしました。
次でウソップ編、始まります!



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10話 オオカミ少年・Ⅰ (挿絵注意)

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖『リトルトップ号』女船

 

 

 

 微かなラベンダーのアロマが漂う小屋の中。

 その丸い窓際から零れる朝日に照らされた美しい橙色の髪の毛が、キラキラと温かく輝いている。

 

 少しずつ昇っていく太陽に促され、規則正しく上下していた布がはらりと床へ流れ落ちた。

 

「ん……ぅ」

 

 艶やかな吐息を零し、微かな衣擦れ音と共に室内に射し込む陽光を遮ったのは、一人の女のシルエット。

 

 豊かな胸と反らした背中で美しい曲線を描き、目覚めの一伸びを終えたそのシルエットの持ち主は気だるそうな足取りでベッドを降りる。

 

 女、航海士ナミの海賊双胴船(カタマラン)『リトルトップ号』での朝だ。

 

「くぁぁ……っふぅ、よく寝たぁ…」

 

 昨夜の快眠で絶好調の少女は、開けた窓から伸ばした手で捉えた風向きと風速、そして枕元の懐中時計のみで、ある程度の現在位置を導き出す。

 才女の無造作な仕草に込められた超感覚は、海を知る者なら誰もが黙って平伏すほど。

 

 もっとも、そんなナミの神業を目に出来る者は、少女の能力を正しく理解してくれているのかどうかもわからない暢気な寝言を漏らす同居人の少女のみだった。

 

「ぅみゅぅ……んゅ……ぅぅ~っ…じょよのばかぁ……ぁぅむにゅむにゅ…」

 

 高級そうな酒瓶を胸元の二つの見事な果実にうずめ、目尻の小さな雫を朝日に煌かせるのは、可憐であどけない寝顔を晒す妖艶な肢体の女の子。

 

 その正体は、時代の名を冠す海の荒くれ者共  海賊だ。

 

 高名な剣士『“海賊狩り”のゾロ』を有するたった二人の零細一味『麦わら海賊団』の片割であるこの少女こそ、若き女航海士が操るこの船の船長モンキー・D・ルフィである。

 

「……こんな子が海賊、それもキャプテンとか…世も末ね……」

 

 そう小さく零すのは、一味の三人目の仲間として歓迎された新入りのナミ。

 呆れるような口調に反し、安らかな寝息を立てる可愛らしい親分の髪を梳くその手付きは、慈愛に満ちた優しげなもの。

 

 海賊専門泥棒の裏の顔を持つナミ自身も、まさか心底憎んでいるはずの海賊共の船で一切の敵意に晒されず、緩みきった心地よい気分で寝ることが出来るとは夢にも思わなかった。

 

 その環境を与えてくれた眠り姫に、寝起きの少女は無意識のうちに微笑みを送っていた。

 しかし穏やかな寝顔を優しく撫でる彼女の鼻腔を幾つかの特徴的な臭いが擽り、航海士は眉を顰め怒気を抱く。

 

「……この子まさか、私が寝てる間にあのむっつり剣士と二人きりで月見酒にでも洒落込んでたの…?」

 

 わかりやすい夜の潮と酒の臭いを漂わせ、味もわからぬ高級酒を胸に抱く幼顔の少女に、ナミは額に青筋を浮かばせる。

 この少女、その優れた容姿に反し、ところどころに女性としての致命的な隙がある些か常識外れな価値観の持ち主であった。

 

 既に何度も注意した女としての振る舞いを全く正そうとしてくれない鈍感娘。

 いくら桁外れな戦闘能力を持つ人外の化物といえど、男が男の矜持に固執するように、女に生まれたのなら女の矜持を見せなくては侮られてしまうだろう。

 

 ナミは今、この何も知らずに恥ずかしい振る舞いばかりを取る少女船長を、外見どおりのセクシーキュートな元気っ子に更生させようと励んでいる。

 そこには破廉恥な女に従う部下としての恥を嫌がる心理以上に、愛らしい妹のように思い始めている彼女にステキな女性になってほしいと願う、確かな愛情があった。

 

 …少しだけ  末女なら誰もが持つ  姉のように自分も妹を猫可愛がりしたいという長年の密かな夢を堪能している、次女にして末っ子のナミである。

 

「ったく……ちょっとルフィ?!もう朝よ、起きなさい!そんな二日酔いのおっさんみたいな臭いさせてたら自慢の剣士くんに呆れられるわよっ?!」

 

「ッふがっ!?」

 

 少女の形のいい小振りな鼻を優しくつまみ、女航海士は自分の新たな上司を目覚めさせる。

 

「…ぅありぇぇ…?にゃみがいっぱぁい……ぇへへ~……」

 

 だが中々覚醒が追い付かないのか、はたまた未だにアルコールが抜けきらないのか、ルフィがふらふらとしながら自身の上半身を持ち上げた。

 

 その胸元のブラウスは肌蹴きり、最早先端が隠れているだけのあられもない姿。

 飲みすぎで苦しかったのか、下のインディゴのショートデニムはベルトが外されチャックは真下まで下りている。

 そしてそこから覗く無地のショーツに目が行ったナミは、謎の安堵に胸を撫で下ろした。

 

 一瞬隣の男船で眠る無体な野郎に乱暴されたのではと心配してしまうほどの着崩れだが、あのむっつりなら勝手にヘタれて自分の小屋に引っ込むだろうと男性心理に詳しい小悪魔美少女は判断する。

 

「全く、船長の恥は一味の恥なんだから。女の子ならちゃんと女の子らしくしなさい!恥さらしな船長は仲間に失望されるわよ?」

 

「んぅぁ……?  って、えええっ!?わ、私ゾロやナミに失望されちゃうのぉっ!!?」

 

「ッきゃ!?」

 

 酔いと寝癖のぼんやり顔を一瞬で取り払い、色濃い焦りを表に浮かばせた少女が慌てて仲間の航海士ナミにへばり付く。

 

 なんという変わり身の早さ。

 どうやらこの無邪気な少女船長にとっても、仲間の忠誠の有無は極めて大きな問題らしい。

 

 ならば日ごろからもう少し海賊の親玉らしい尊大かつ、己の性別に順じた女性的な振る舞いを取るよう心がければよいものを。

 ナミは半目で寝起きの少女を見つめていた。

 

「あー…うん。そうね、失望するかも知れないからちゃんと頑張るのよ?」

 

 そう呆れた調子で発破をかける女航海士であったが、彼女自身はこの子を心情打算双方で魅力的に思っている。

 色々と開放的過ぎる女船長の被害に遭っている相手も、現時点では最古参の青年剣士ただ一人。

 今まで散々少女の無防備な姿を内心眼福とばかりに視姦し続けていたであろう男に割く同情心など欠片もない。

 

 ナミは彼女に女の子らしくしろと叱ってはいるものの、それはあくまで日常生活における話である。

 

 敵を前にしたルフィはまさに一騎当千の大女傑。

 三人の悪漢から颯爽と自分を救い、しばらく側を離れれば翌朝には1500万ベリーの大物海賊を下僕のように平伏させて戻ってくる。

 その威容は頼りがいのある絶対的な一味の親分そのものだ。

 

 だが、そんな偉大な船長であっても、航海士には同性のよしみとして口を酸っぱくしながら彼女を叱咤し続けなくてはならない理由があった。

 

「あ!ゾロも起きてるわっ!おはようゾロぉ~っ!!朝ご飯~?!」

 

 開かれた丸窓から上半身を乗り出し、満面の笑みで左舷の男船に向かって手を振る乱れた薄着の女の子。

 

 そのあられもない姿に、七輪で朝食の塩漬け肉と、船長と新入りのためにニンジンを炙っていた一味のNo.2、『“海賊狩り”のゾロ』が顔を朱に染め慌てて体ごと後ろを向いた。

 

「ばっ、バカそんな寝起き姿で男の前に出るなぁぁっ!!」

 

「ふぎゃっ!?」

 

 ナミは咄嗟に少女の胸元を手元のタオルケットで隠し、幾ら言っても言うことを聞かないバカの脳天に体罰を下す。

 そして最後にキッ!と遠くのラッキースケベの背中に怒りの視線を送り、強く窓を閉めた。

 

 本格的な船が手に入ったら強固な女部屋を設け、その全ての窓に鍵とカーテンを取り付けようとナミが誓った瞬間である。

 

  ~~ッッ!!いっ…たぁ~いっ!ゴムなのに痛い!何すんのよナミっ!?」

 

「おだまりっ!!女の裸には  特にアンタのにはすっごい価値があんの!今のでアイツから何万ベリーも取れるんだから!」

 

「な、何万ベリー!?」

 

 信じられない、といった瞠目顔で自分の体を見下ろす女船長ルフィ。

 その手の相場に謎に明るい小悪魔美少女が具体的な金額を提示したことで、今まで全く意識していなかった己の四肢がまるで動く金のなる木に見え始めたのだろう。

 

 存外よい反応を見せる鈍感娘の姿に、彼女の情操教育の橋頭堡を確保したと判断したナミはここぞとばかりに畳み掛ける。

 

「前から言ってる『女らしくしろ』ってのはね!その何万ベリーを何十万、何百万にするためにやってることなのよ!!」

 

「な、なな何百万!!?  はっ!?」

 

 だが驚愕に悲鳴を上げていた少女が教育の途中で突然固まり、カタカタと震えだした。

 

 何事かと問うた女教師に、生徒ルフィは蒼白な顔で実に彼女らしい、くだらない発想を打ち明けた。

 

「どっ、どうしよナミ?!今のでそんなに取られちゃうなら、今までのも含めると……わ、わわ私のせいでゾロが借金だらけになっちゃう…っ!!」

 

「おのれは親の腹に警戒心ってモンを忘れて来たんかァァァい!!」

 

 高い炸裂音が女船の小屋の中に響き渡る。

 

 痛みにえぐえぐ頬を摩りながら丸窓の外を面目なさげな表情で見つめる少女を余所に、ナミは頭を抱えていた。

 

 多少は覚悟してたものの、まさかこのバカ自身が思い出せるほど沢山やらかしてたとは流石の彼女も予想外であった。

 本人が気付いていないだけで軽く十倍は余罪があるだろう。

 仲間とはいえ、ただの一部下に過ぎないあの男に、年頃の女の子が晒していい隙ではないのだ。

 

 …ただの部下であるのなら、だが。

 

 

(大切な“仲間”、ね……)

 

 

 ナミは女性である。

 そして女性とは、その手の話題に強い興味を抱く人間であると同時に、その手の心理に非常に敏感でもある。

 

 自身の、俗に言う“恋愛脳”を活性化させた女航海士は、これまでの先輩男女の互いに対する反応を振り返った。

 

(あっちのほうはもうかなり黒に近いグレーって感じだけど、こっちのバカのほうは頭が残念すぎて判断付かないのよね……)

 

 残念ながらナミ好みの甘酸っぱい関係でないことは確かなのだが、比較的正常な価値観を持つ七輪の焼肉青年はともかく、異性に対する興味が一桁の精神年齢のソレで止まっているルフィの思考を読み取るのは至難の業。

 

 だが甲板で、脇腹を押さえるほど熱心に先日の“剃”とやらを練習している剣士の姿を見つめる少女の目は、ナミには切なげに潤んだ恋する乙女の瞳のように見えた。

 

 

 そんな他称“恋する乙女”とやらの内心は極めて複雑であった。

 

(ゾロ……また無茶してる……)

 

 男船で修行を行う仲間の姿に、ルフィが痛ましげな視線を送る。

 朝食の準備が終るまでの間に少しでも先日の成功の感覚を取り戻そうとしているのだろう。

 

 だが眉間を強く寄せる彼の顔が、ルフィには修行の停滞以外の別の不快感によるものに見えてならなかった。

 

 以前、三人目の仲間を勧誘するため訪れた“オレンジの町”で、ゾロは東の海(イーストブルー)有数の大物海賊『“道化”のバギー』と戦い、敗北した。

 そのときに受けた腹部の大怪我を碌に治療しないまま深夜の雪辱戦を行い、青年は毒に侵される体を酷使し傷を悪化させていたのである。

 

 責任の多くが己にあると自分を責め続けている少女にとって、大切な仲間が苦しむ様は悔悟の涙抜きでは見ることすら敵わないものであった。

 

 とはいえ、いつまでもゾロの苦しそうな姿を見ていたら、男の敗北を隠し続けているナミに悟られ彼の恥となってしまう。

 

 ルフィは沈痛な溜息を吐き、故郷の母親代わりのマキノ女史の『乙女の十戒』を守るために簡易洗面台へ向かおうと踵を返し  頬を微かに染める奇妙な顔をしたナミの姿を見た。

 

「………アンタたち、別にデキてるワケじゃない…のよね?」

 

「え、もう“出来てる”?」

 

 慌てて外の七輪のほうへ目を向けるルフィ。

 早く身嗜みを整えて甲板に行かなくては折角のお野菜が冷めて美味しくなくなってしまう。

 

 だが遠めに見える燻られている塩漬け肉も温野菜もまだまだ火にかけられたばかり。

 根菜は多少柔らかいほうが好みの少女はもちろん、レア好きのゾロもあと十分は肉を火に通す。

 

「……うん、ごめん。聞いた私がバカだった…」

 

「…?気にしないで。野菜の火加減は難しいものね、わからなくてもナミは十分ステキな女の人よ?」

 

「………こんなに腹立つフォローは生まれて初めてだわ」

 

 何かを堪えるように小さく震える航海士から謎の憤怒の感情を覇気で読み取ったルフィは、触らぬ神に祟りなしとそっとしておくことにした。

 

 

 ベッドに腰かけ、先日屈服させたこの船の本来の持ち主『バギー海賊団』に作らせた簡易洗面台で、ナミはルフィと一緒に顔を洗う。

 

 思えばこうして誰かと一緒にプライベートを共にしたことなどいつ以来だったか。

 ちらりと同室の女上司に目を向けるナミ。

 

 だがルフィのあまりに杜撰なケアに、航海士は思わず三度目の拳を振るってしまった。

 

「むぎゃっ!?な、何で  

 

「嘘でしょアンタ!?そんな肌つるつるで、最低限の手入れはしてるんだってちょっと感心してたのにっ!まさかホントにそんな子供のおままごとみたいなケアで今までやってきたの!?」

 

「むぅ……マキノと同じこと言ってる…!よくわかんないけど、おじいちゃんたちが言うには、私はゴム人間だから体中つるつるすべすべしてるんだって」

 

「はぁ!?アンタ悪魔の実食べただけでそのお肌手に入れたの!?何それズルい!私に寄越しなさい!アンタよりは大切に使ってあげるからっ!!」

 

「いぃいひゃいいひゃい!」

 

 両腕いっぱいまで少女の両頬を引っ張り伸ばし、そのすべすべした肌触りに歯軋りするお年頃の美人航海士。

 耐え難い敗北感に気落ちするも、どうせならこの原石を磨ききってやろうと己のプライドに火が燈る。

 

「ちょっとこっち向きなさい、私が整えてあげるからっ!あと十七歳ならもう十分大人なんだからメイクくらいしなさいよ、ったく…」

 

「っやぁん、くすぐった~い!……にしししっ、ナミってなんだかやってるコトもマキノみたぁい」

 

 イヤイヤ言いながらも人の手に慣れているのか、ルフィが意外にも素直に顔を差し出した。

 

 長く艶やかな睫毛、うっすらと色付いた桜色の唇、そして傷一つない赤子のように清らかな柔肌。

 まるで十歳未満の童女が一切の穢れを知らぬまま体だけ大人になったかのような相貌に、ナミのファンデーションを握る手が固まる。

 

 これは化粧で大化けすると確信したお姉ちゃん航海士は目を血走らせながら、少女の幼顔に向かい無心にパウダーを叩き続けた。

 

 そして開始から僅か十分後  

 

 

(やば……何コレかわいい…)

 

 

 元々血色豊かで異様に目がぱっちりしている童顔の魅力を損なわぬよう、加えられるものは少なかった。

 

 だが僅かな下地に頬紅とアイシャドウ、そしてピンクのリップを塗るだけで、途端に見違えるほど﨟長けた  その艶やかな肢体に相応しい麗容の“女性”がそこに現れた。

 

 

 まるで羽化した蝶のような、美しい女性が。

 

 

「……やっぱヤメよ」

 

「ええっ!?何で?!最後までやりなさいよ!私あなたやゾロに失望されたくないもん!」

 

 唐突に化粧類を片付け始めた女航海士にルフィが強い不満を訴える。

 

 磨き上げられた少女の華やかな美貌が顔に迫り、ナミは一瞬息を呑む。

 だが、ルフィに絆されそうになっていた自分をからかうあのウザい剣士への対抗心と、姉心の独占欲に突き動かされ、ケチな姉貴分は首を横に振り続けた。

 

 これを異性に見せるわけにはいかない。

 もっと言えば、見るのは自分だけでいい。

 

 他人に見せたら減ってしまうかもしれないのだから。

 

「…失望しないわよ、絶対に。少し勿体無いけど島近いし、水とメイク落し持ってくるからソレで顔流しなさい」

 

「ほ、ホントに…?ゾロにも“ナミの言うこと聞け”って言われたから信じるケド、ホントなのね?!」

 

「あーはいはい、ホントホント」

 

 無垢な少女も流石に突然の中断には訝しんだものの、仲間の念押しにコロッと態度を軟化させる。

 

「なら別にいいわ!  って、ああっ!どうでもいいことしてたら私のニンジンが!!」

 

「諦めんの早っ!てかその顔でアイツの前に出んな!グレーが黒になるでしょうが!あといい加減に  ふ!く!を!着!ろっ!!」

 

 ずり落ちたデニムの奥に白い下着を輝かせる痴女を必死に引き止め、暴れるように身嗜みを整え終えた二人がありつけた朝食は、早朝の潮に冷え切った萎れたベーコンとニンジンだけであった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年 

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島海岸

 

 

 

 その日、平穏とのどかさが何よりの売りであったはずのシロップ村は小さな喧騒に包まれていた。

 

 …もっとも、村の外れに佇む木の下に集まる4つの人影がその喧騒の全てである。

 

 人並の影1つに小さな影が3つ。

 

 自称『ウソップ海賊団』なるこの悪ガキ共を一言で表すならばこの言葉が適切であろう。

 

 

   オオカミ少年。

 

 『嘘を吐く子供』とも題される有名な逸話の主人公である。

 

 その名の通り、この悪童四人組はありもしない危機を報告し村を混乱させ、その様を楽しむことを日課としていた。

 村中で知らぬ者は無い彼らは、毎日のように避難訓練と称して海岸に村を狙う海賊たちが襲来したと叫びまわり、村人たちの爽やかな目覚めを妨害することに喜びを感じる傍迷惑な存在だ。

 

 だが今日このとき、自称『ウソップ海賊団』の構成員たまねぎ少年が海岸の見回りから報告してきたことは、まさにオオカミ少年たちにとっても寝耳に水のことであった。

 

 

   海賊『“道化”のバギー』来たる。

 

 何故こんな平穏とのどかさしか無いこの島に!?

 少年たちは慌てに慌てた。

 

 考えられる連中の獲物はたった一つ。

 自称船長の少年の友人である村一番の大富豪、令嬢カヤである。

 

 当然友人を見捨てるなど『ウソップ海賊団』の恥。

 大切な故郷を、そして友人の美しいお嬢様を守ろうと、村のオオカミ少年たちは立ち上がった。

 

 嘘を嘘のままにするために。

 

 

 各々の武器を手に、震える足に鞭を打ち、問題の北の海岸にたどり着く自称『ウソップ海賊団』。

 その自称”船長”(キャプテン)である長い鼻が特徴の少年は、自慢の慎重さで手ごろな木の陰に隠れながら話題の海賊たちを覗き見た。

 

 

 男の剣士1人に、女が2人。

 

 あまりにも戦闘を想定していなさそうな面子に長鼻の少年は思わず困惑する。

 海に出たことすらない身で海賊団を自称するだけのことはあり、生粋の海賊ファンである彼の耳には名のある女海賊たちの話も届いている。

 偉大なる航路(グランドライン)を支配する()の最強の女『四皇“ビッグ・マム”シャーロット・リンリン』を筆頭に、最悪の女囚人『“若月狩り”カタリーナ・デボン』、世界一の美貌を持つと伝わる『“海賊女帝”ボア・ハンコック』…。

 直近では南の海(サウスブルー)を文字通り食い散らかす『“大喰らい”ジュエリー・ボニー』などが記憶に新しい。

 格は圧倒的に落ちるが、東の海(イーストブルー)では500万ベリーの女傑『“金棒のアルビダ”』が有名だろうか。

 

 だが目の前の女2人はどう見ても戦闘が出来そうな人物には見えない。

 両者共に、さぞ多くの男を虜にしてきたであろう艶やかな下着モデルのような体型である。

 

 特にさっきからよく目が合う、あの警戒心が足りなさそうな薄着の麦わら帽子の少女が凄い。

 もう少しその豊満なお胸を服で隠していただかないと色々と零れ落ちそうで目に毒だ。

 

 それはさておき、やはりこの中なら警戒すべきはあの三本の刀を差した緑髪の剣士だろう。

 どこかで聞いたような風貌の人物だが、さっきからどうもこちらへ視線を向けているような気がする。

 

 あの麦わら帽子の姉ちゃんにも気付かれている様だし、いっそこちらから飛び出してみるか。

 そう決断した長鼻の少年は、背後で女たちに鼻の下を伸ばしていたエロガキ三人に何度も練習した名乗りフォーメーションを取らせた。

 

 だが拙い子供たちの配置移動が幾度も隠れる茂みを揺らす。

 もうどこから見てもバレバレだ。

 

「何だ、お前ら」

 

 剣士らしき男のしゃがれた声が投げかけられた。

 まるで居酒屋で酒を頼むかのような気軽な声色に自称『ウソップ海賊団』の少年たちは出鼻を挫かれる。

 仕方なくのそのそと木や薮からその姿を晒すことにした。

 

 そして全く同じ質問を3人に返す。

 

「……いや、“何だお前ら”はこっちのセリフなんだけど。両手に美女侍らせたハーレム剣士ご一行サマってか?」

 

『違う!!』

 

「…ねぇねぇナミ……“はーれむ”って何?」

 

「知らなくてよろしいっ!」

 

 気の抜けるやり取りを見せられ、恐怖心が完全に消え去った長鼻の少年は気を大きくし、いつもの練習の成果を目の前のハーレムご一行に披露した。 

 

「ふ…ふん、まあいい。聞いて驚け!おれさまの名は~ッ、“キャプテ~ン・ウソップ”!このシロップ村を拠点とする大海賊団の船長であ~る!!ハッハッハ~ッ!」

 

「……誰?」

 

「いや…知らねェ名だ。少なくとも東の海(イーストブルー)の賞金首じゃねェな」

 

 尊大な態度で自己紹介を始めた長鼻少年の正体を冷静に分析する元賞金稼ぎ(他称)のゾロ。

 

 キャプテンと名乗ったからにはそれなりの人物だろう。

 まさか後ろの童子3人との海賊ごっこの延長で本物の海賊相手に名乗りを挙げたわけではあるまい。

 

 だが、それをやってのけるのがこの長鼻少年の心の奥底に隠された、小さな勇気の御技である。

 

「はん!ハーレム剣士サマはご存知無いと見受けられる!この“キャプテン・ウソップ”の背後には八千人の部下が控えている!恐れ入ったか海賊ども、ハァ~ッハッハ!」

 

「だからハーレムじゃねェって言ってんだろゴラァ!!」

 

「八千って……この小島のどこにそんな人数を食わせられる村があんのよ…」

 

 とんだ大嘘吐きが居たものだとナミは呆れ返る。

 

 一方、“夢”で既にこの展開を予習済みであるはずの彼ら一行のボスは、重要なこともそうで無いこともすぐに忘れるバカであった。

 

 例のあの夜の出来事から早10年。

 些細な記憶などとっくにどこかへと消えていた女船長ルフィは、長鼻の少年ウソップの発言に“夢”と合わせて3度目となる驚愕の表情を見せる。

 

「八千人!?やっぱりウソップは凄いわね!」

 

「嘘に決まって  って何でアンタ、アイツのコト知ってんのよ?」

 

「え?んー…、ないしょっ!」

 

 知らぬところで美少女元気っ娘に名前を覚えられていたウソップはしばらく目を白黒させたものの、嘘から出た実と持ち前の調子の良さで鼻高々に自慢の脳内冒険譚を披露する。

 

  そのときおれさまはヤツらにこう言ったのさ、“おれのシマで悪さァする連中は、この東の海(イーストブルー)じゃあ生きていけねェのさ”…ってな!どうだ、怖気付いたかハーレム海賊団!」

 

「ルフィ、あいつ斬っていいか?」

 

「ダメよゾロ!ねぇウソップ、それでそれで?その海賊団はどうなったの!?」

 

「はぁ……落ち着きなさいルフィ、船長がこんな嘘も見抜けないんじゃダメよ…?」

 

 長鼻少年の口八丁に翻弄されるどこまでも純粋な女船長を呆れながら窘めるナミは、段々とお姉さんキャラが様になりつつあった。

 

 そしてそんな些細なやり取りにすら意識を向ける世紀の臆病者ウソップ少年は、聞き逃せない情報を耳にし困惑する。

 

「“船長”……?  って、そっちのエロい格好のねーちゃんが船長ぉっ!!?」

 

「……ルフィ、言われてるわよ」

 

「なっ、失敬ね!!これは高町で売ってた“ぼーいっしゅ”?とかいうカッコいい女物の服で、唯一“ルフィ”っぽいから気に入ってるのよっ!高町よ、高町!“流行の最先端”?とかなんだからっ!それに私だって女なんだからちゃんと女っぽいオシャレな服着るもん!……たまにだけど」

 

 ぷいっ!とそっぽを向いて不快感を示す女船長。

 未だに昨夜の剣士の失言を根に持っている多感なお年頃の女の子であった。

 

 そんな少女の意外な姿にナミは僅かに目を見開く。

 

 だが麦わら娘が先日“オレンジの町”で物色していた婦人服を思い出し溜息を吐いた。

 多少文明的な服を着るだけでは、オシャレとは言わないのでは無かろうか。

 

「……なんでこんなのの下におめーみてェな厳つい兄ちゃんが付いてんだ…?」

 

 そんな姦しい女共を放置し、ウソップは驚愕を隠そうともしないままゾロを問い質す。

 

 この眼つきの悪い男は間違っても女の下に付くような人物ではない。

 一体どのような複雑な理由で彼女に従っているというのだろう。

 

 だが返ってきた答えは単純明快であった。

 

「“なんで”って、決まってんだろ。コイツのほうがおれより強ェからだ」

 

「……は?」

 

 強い?

 それは女の尻に敷かれている、的な強さだろうか?

 

 少年は近所の酒屋の主人の巨漢の大男が“嫁には敵わない”とグチっている姿を思い出していた。

 

 そんな疑問を抱くウソップの脳内を正確に読み取ったナミが彼の勘違いを訂正する。

 

「ああ、“ウソップ”…だっけ?気になってるみたいだから先に言っておくけど、この子、悪魔の実の能力者なのよ。ほら」

 

 そう言いながらナミが麦わら娘の頬をぐいっと引っ張る。

 

 本当にゴムのように伸びる少女の身体に、ウソップは顎が地面に付くほど驚愕した。

 噂には聞いていたがまさか実在していたとは。

 

 そんな彼の驚く表情を認めたナミは、引っ張った頬の羨ましいほどに心地よい肌触りに小さく舌打ちしながら手を放す。

 奇妙な果物をたった一つ食べただけでこのシミ一つない滑らかな柔肌が手に入るのなら是非とも馳走になりたいくらいである。

 

 そしてばちんっ、と小気味良い音を響かせながら小さく悲鳴を上げるルフィの情けない姿に溜飲を下げた。

 

「まあだから、この三人の中で一番強いのがこの麦わらっ子ってワケ。女所帯で申し訳ないんだけど、アンタの、ええと…八万人だったかしら?部下たち程度ならこの子一人で余裕で勝てるから、あまり戦うのはオススメしないわね」

 

 女故に下に見られることに慣れているナミは、悪魔の実の能力というわかりやすい武力をチラつかせ精神的優位に立とうと画策していた。

 

 目的は当然、この島の住人たちとの仲介役としてこの少年を利用することである。

 

 故郷のコノミ諸島に戻るにせよ、その後ルフィに続いて偉大なる航路(グランドライン)を目指すにせよ、この近くで本格的な船を調達しなくてはならない。

 自分たちの上陸に真っ先に反応して飛んできたことから、女航海士はウソップがこの島における一角の人物であることに期待していた。

 

 なお一味を“女所帯”と宣言されたゾロは不満げだったが、既に少年の“ハーレム剣士”呼びで気疲れしていたため無視することにした。

 

「な……ななな…ッ、べっ、べべ別に悪魔の実の能力者が相手だろうが関係ねェっ!おおおおれは誇り高き海の戦士を目指す者!たっ、たった三人の海賊に怖気付く臆病者じゃねェぞっ!!」

 

「何言ってるのよ、ウソップは私の仲間なんだから戦う必要なんか無いじゃない」

 

『…………は?』

 

 

 一瞬、麦わら娘ルフィが言い放った理解不能な発言に場の全員が固まる。

 

 そして一拍置いて我に返り、困惑した。

 

「“仲間”って……ルフィお前、コレを一味に入れるってことか?」

 

「……向こうは初対面って感じだけど、アンタだけが一方的に覚えてる昔の知り合いとか?」

 

「うぇっ!?い、いやいや知らねェぞおれは!?島から出たことないし」

 

 上下関係を明確化し船長の意思を確認するだけに止めるゾロ。

 同じく反対はしないが理由を求めるナミ。

 そしてワケがわからず混乱するだけのウソップ。

 

 三者三様の反応を前に言葉足らずの女船長が一言だけ付け加えた。

 

「う~ん、“昔”ではあるけど……“未来”?あとはないしょっ!」

 

「いや意味わかんないわよ!……はぁ、あのね?仲間ってのは計画的に募集するものなの。船の許容スペースに水食糧の調達力からお宝の配分まで、考えなくちゃならないことがいっぱいあるんだから。穀潰しを乗せるワケにはいかないし、何かその長鼻くんに一味に加えるだけの価値があるの?」

 

「いやまずおれの同意を求めろよハーレム海賊団!!」

 

 あまりに適当としか思えない勧誘に呆れたナミは懇切丁寧に一般的な海賊の経済事情を掻い摘んでルフィに説明する。

 

 一人当事者が叫んでいるが、その言葉に耳を傾ける者はいない。

 剣士も航海士も、ウソップがあの謎のカリスマを持つ我らの女船長の誘いを断れるほどの猛者には見えず、彼の意思は無いものと判断していた。

 

「価値?ウソップは狙撃がとても上手よ!ね、ウソップ?」

 

「えっ、お、おう  って何で知ってんだ…?ホントにおれ、この女とどっかで会ってるのか…?」

 

 唐突に初対面の女海賊に自分の特技を評価されて戸惑う長鼻少年。

 まじまじとルフィの童顔を見つめるも、自身の記憶に該当する人物はいない。

 

 まさか本当にこの『キャプテン・ウソップ』の伝説が島の外にまで広まっているというのだろうか。

 

 少年はその可能性に身震いした。

 恐怖から。

 

「ほう、狙撃手か。海賊である以上、海戦に備えるために確かに要るな」

 

「狙撃手って…大砲無いのにどう“要る”のよ。まずは船医でしょ、どう考えても…」

 

 そもそもまずは船が先だとナミは本来の目的をルフィが忘れぬように念押しする。

 

「というワケだから、ウソップ!船長命令です!船ちょ~だい?」

 

『どういうワケだよ!?』

 

 

 新たな海賊王の狙撃手、『“ゴッド”ウソップ』。

 

 後にその名で恐れられるようになる未だ無名な少年が恋焦がれた海賊人生の始まりは、その波乱万丈な冒険譚に相応しい  ドタバタとした“出会い”であった。

 

 



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11話 オオカミ少年・Ⅱ (挿絵注意)

大海賊時代・22年 

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島シロップ村

上陸1日目

 

 

 

 食事所『MESHI』。

 

 東の海(イーストブルー)ゲッコー諸島のとある島で営まれているシロップ村の唯一の飲食店である。

 日没時には沈む夕日に入れ替わるように集まり出す飲んだくれの男衆で賑わい、料理好きの店主の強いこだわりで未だに居酒屋の看板を掲げることを拒んでいる簡素な食堂だ。

 

 普段は閑散としているはずの日中の店内では、この日、厨房がキリキリ舞いの戦場と化するほどの大騒ぎが起きていた。

 

「すげェな、アレ…」

 

「あのほっそい腰のどこにあんな量のメシ入るんだ…?」

 

「見ろよあのでっけェ胸、ばるんばるんじゃねェか…!もみてェ…っ」

 

「奥のアンちゃん、昼間っからいい飲みっぷりだぜ!ひゅーっ!」

 

「ウソップの新しい友達か…?女の子たち紹介してくれねェかな」

 

「……な…何故“海賊狩り”がこの村に……!……ヤバい!」

 

 続々と集まる野次馬たちの注目を集めているのは、店の一角を占拠する四人の珍客たち。

 周囲の食卓にまで皿々を広げ、山のように盛られた新鮮な葉物料理に満面の笑みで喰らい付く黒髪少女と、清酒を四斗樽ごと浴びるように呑む酒豪の青年剣士。

 そしてその傍らで我関せずと上品に仔牛の衣揚げを切り分ける橙髪の少女と、暴飲暴食を続ける男女を唖然とした面持ちで見つめる村一番の有名人『“嘘つき”ウソップ』少年だ。

 

 何とも奇妙なこの一団、この島で僅か半刻前に新結成した海賊である。

 

 

 その名も『麦わら海賊団』。

 

 新たな仲間と船を探しにこの島で錨を下した彼ら彼女らは、早速迎え入れた新人の狙撃手ウソップ少年を頼りに、腰を落ち着かせられる場所を求めてここ食事所『MESHI』を訪れていた。

 目的はもちろん、もう一つの用事である遠洋航行用の本格帆船の相談だ。

 

 

「“カヤお嬢様”?」

 

「ああ、アイツ以外にこの村でお前らが望む船を持つ者はいねェな。村外れに一家が持ってる桟橋があるが、そこでちらっと何隻かそれっぽい帆船を見たことがある。お前らの乗ってきた無理やり合体させたような双胴船(カタマラン)よりは大分マシだろうぜ」

 

 交渉の流れを感じ取った女航海士ナミの案により、一味は新入り歓迎宴会のついでに今後の計画を練るべく村の食堂で頭を突き付け合っていた。

 

 二日ぶりに目にするマトモな野菜に喜びの舞を披露するサラダ狂いの女船長ルフィと、女性陣  主にナミ  に良い酒を奪われた“オレンジの町”の悔しさから店の酒という酒を飲み干すアル中剣士ゾロ。

 

 そんな一味の汚点二人を無視し、ナミとウソップは船の調達の目途を立てる。

 

「1年前に親を失った大富豪のご令嬢…ね。流石にそんな不憫な境遇の相手から奪うワケにはいかないわね…」

 

 欲するモノを得る手段として真っ先に強奪を選ぼうとする物騒な女航海士兼、泥棒のナミ。

 

 相手は美少女といえど、れっきとした海賊なのだ。

 目の前の女を恐ろしげに見つめるウソップであったが、体が弱く、何かと体調を崩しがちな友人の令嬢の身を案じ少年は感情的になる。

 

「なっ、当然だ!これでもお前らを信用して話したんだぞ!?んな酷ェことするならこのおれが相手になってやる!」

 

「私たちだってそこまで零落れてはいないわ。ただ“バギー海賊団”から貰ったのと……あとルフィたちが持ってたお宝が結構あるから、それで交渉出来るかも知れないわね」

 

 “夢”のナミお姉さんのお宝に対する抜け目の無さを見習ってしまった少女ルフィは、お宝に対しそれなりの執着心を持っていた。

 その結果『麦わらの一味』はアルビダやバギーなどから容赦なく財宝を奪い、現在約3000万ベリー相当のお宝を有している。

 

 流石に外洋航行が出来る本格的な帆船を購入するには至らない金額だが、女航海士は己の交渉術で何とか初期ホーイ船  欲を言えば初期キャラベル船あたりを手に入れたいと考えていた。

 

(まぁ、ホントは故郷を買い取る資金に回したいんだけどね……)

 

 以前の彼女なら間違いなく船など買わずに丸ごと盗み取る手筈を立てていたであろう。

 

 だがナミにはもう、その手段は取れない。

 彼女にとって此度の“カモ”は、最早赤の他人と割り切れるほど疎い人物ではなくなってしまったのだから。

 

 ちらりと女航海士は自分の新たな商売仲間に目を向ける。

 

 山のように積まれてある空のサラダ皿の隣でソワソワと追加注文を待ち続ける、幼げな童顔の女の子。

 不覚にも気に入ってしまったこの愛らしい女海賊に、あの憎くも恐ろしい魚人共と戦ってくれと頼むこと自体に、女航海士の中に眠る十歳の少女は未だ消極的であった。

 

(どうしたいんだろ、私……どうすればいいのかな……)

 

 俯く少女の顔に影が差す。

 

 図らずも強者ルフィという鬼札が手元に転がり込んで来たナミは今、今後の方針も立場も何一つ明確にさせぬまま、彼女の指示に従いこの島まで一味の小船を運んできた。

 いつ以来になるかわからないほど、穏やかで気の緩みきった心地よい朝を迎え、その幸せの味を知ってしまった若き悲運の女航海士。

 少女は迫り来る現実から目を背け、甘い夢のような日常に縋り付こうとする。

 

(そもそも今更“助けてあげる”って言われても……じゃあ私の今までの努力はどうなるのよ……)

 

 幼少期、思春期と、人間が最も成長する大事な時を不幸のどん底で過ごしたナミの胸中に、大きな波紋が広がっていく。

 

 もっとベルメールさんと遊びたかった。ノジコと気軽なケンカをして、それを叱って欲しかった。自慢の美貌を駆使して村の男たちをからかい、ときにステキな異性と幸せな恋をしてみたかった。

 

 でもそれらはもう、二度と叶わない幻想。

 

 故に、今更現れた遅すぎる救世主に頼るという行為そのものについて否定的な感情が無いかと問われれば、当然あると答えざるを得ない。

 八年間も貯金を続けてきた執念が物事をそう簡単に割り切らせてはくれず、複雑な思いが少女の胸中に渦巻いていた。

 

 今までの努力が無価値であったことに対する落胆はもちろん、頼ろうとしている勇者サマがアレなのもまたナミを苛立たせる要因でもあるのだが。

 

 小さく溜息をつきながら、ナミは隣でレタスを踊り食いするアレの頬を摘んで注意を引いた。

 

「と、言うわけだからルフィ。その“カヤお嬢様”ってのに会いに行くわよ」

 

「ふぉえ?」

 

 ごっくん、と口の中の食物繊維を呑み込んだルフィが小首を傾げる。

 

 頬を引っ張るナミの手に力が籠りそうになるが何とか自制し、目的の大富豪の館を目指して女船長を外に連れ出した。

 慌ててウソップが後に続く。

 

 ゾロは隣の客と飲み比べを始めており、酒精臭漂う厳つい男を体の弱い令嬢の前に立たせるワケにはいかないと放置することにした。

 

「どうせ何も考えてないんだろうし、私が交渉してくるからアンタは一味の船長らしく近くでキリッとカッコよく立ってなさい。適材適所ってヤツよ」

 

 形の良い唇を得意げに持ち上げ、若き女詐欺師は強気の笑みを浮かべる。

 

 その自信満々な顔に信頼で返した少女船長ルフィは力強く頷き、去り際に剣士へ一言残し、ナミを追って店を後にした。

 

 

  じゃあ、ちょっと行ってくるわねゾロ。……飲みすぎは傷に響くから、ほどほどにね…?」

 

 耳元で囁かれた少女の微かな吐息に酔いが吹き飛んだ剣士ゾロは、誤魔化すように三樽目の葡萄酒を乱暴に床へ戻す。

 

 酒は万能の薬と言うが、万病の元とも言うのだ。

 腹八分目ではないが、体調が万全ではない内はこのあたりでやめておくべきだろう。

 

 …通常の人間なら十回以上死ぬ量のアルコールを既に喉に通していた酒豪の小さな我慢であった。

 

(……ん?)

 

 酔いが醒めたからだろうか。いつもの冴えた感覚を取り戻したゾロの直感が不愉快な視線を感じ取る。

 周囲で飲み比べを始め大盛り上がりする村人たちの平和な視線ではない。

 

 より物騒な、戦意のある者が発する敵対の悪意だ。

 

 剣士は店を去った女たちの身を案じ席を立つ。

 そして奥の席で密かにこちらを窺う、奇妙なサングラスをかけた顎鬚の男に近付いた。

 

「よぉ、ケンカってのはもっと大胆に売るモンだぜ…?」

 

「!!?」

 

 まさか話しかけられるとは思わなかったのか、見るもわかりやすい動揺の仕草を見せるサングラスの不審者。

 

 男の無様な姿に警戒心が緩むも、先日の少女の涙が脳裏にチラ付き、ゾロは慌てて神経を尖らせる。

 二度目は無いと誓ったのだから。

 

  い、いや!悪かった、かわいいお嬢ちゃんたちとイチャイチャしてるあんたが羨ましくてつい、な」

 

「んなっ!?誰がイチャイチャだ!!」

 

「じょ、冗談だよ!冗談!……じゃ失礼するぜ、兄ちゃん」

 

 あせあせと低姿勢のまま店を去る不審者。

 まんまと逃がしてしまった怪しい男の後姿を視界に納めながら、くだらないことで毒気を抜かれてしまった己を恥じるお年頃の青年剣士であった。

 

 

「ちっ……だが油断は禁物…。アイツらが帰ってきたら、一応ルフィにも伝えとくか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島シロップ村“富豪の屋敷”

 

 

 

 

 初期キャラベル船『ゴーイング・メリー号』の商談。

 

 『麦わら海賊団』の未来を決める重要な話し合いが航海士ナミに一任されるようになった、最初の交渉事である。

 

 

 所変わって令嬢カヤの屋敷の裏庭。

 

 木に登り屋敷へ不法侵入した長鼻少年に続こうとする女船長を全力で引き止め、一味の女性陣二人は大人しく敷地の外から令嬢と接触するチャンスを窺っていた。

 

「まるでロミオとジュリエットの一幕ね…」

 

 ウソップとカヤの小さな逢瀬を眺めていたナミがポツリとそう呟く。

 

 令嬢が聞き上手ということもあるだろう。

 こちらの用事を完全に忘れてただひたすらに自身の脳内ファンタジーを披露する長鼻の少年。

 実に絵になる男女のワンシーンだ。

 

 そんな二人の世界を邪魔するのは心苦しいが、ナミは別に名作映画を観に来たわけではない。

 

「お二方ともお話中に申し訳ございません。お初に御目文字致します。私、オルガン諸島より参りました航海士のナミと申します。カヤお嬢様に船舶の商談がございまして、こうして伺った次第でございます」

 

「船舶……ですか?……あの、大変申し訳ないのですが、当家の事業は全て遠縁の親戚に譲渡致しましたので、わたくしにナミさんのご期待にお応え出来る権限はございません……」

 

 少年の話が途切れる瞬間、横からぬるりと会話に割り込まれた令嬢が、営業用の爽やかな笑顔の仮面を貼り付けた自称航海士の少女の姿に一瞬瞠目する。

 だが瞬時に我に返り、事前に用意されていたかのような堅苦しい拒絶の言葉を返した。

 

 おそらくこの手の話題は両親の死後何度も持ちかけられたのだろう。

 どことなくうんざりした表情を浮かべる令嬢に代わり、後ろに控えていた羊顔の執事が一応の礼儀といった体で詳しい内容を聞く姿勢を見せた。

 

 

 ナミの計画通りである。

 

「ナミさん、こちらは執事のメリーと申す者です。長年父の仕事の補佐を行ってきた彼に詳しいお話をお聞かせ願えますでしょうか?」

 

「!あ、あら?“メリー”とはもしや、あの船舶設計のメリー技師でしょうか…っ?!シロップ村出身の方とお聞きして村の方々に尋ねて回っていたところですぅ!」

 

「!」

 

 途端に顔を輝かせる少女に執事が驚き目を見開く。

 

 実はこの女航海士、ぐずるルフィを引き連れ周辺住民にこの富豪や所有する船のことをさり気なく聞き回り最低限の情報収集を行っていた。

 その途中で何かを思い出したように手を叩き「そういえば“メリー号”はメリーって羊(?)が自分で設計したって言ってたような」と遅れて重要情報を脳内びっくり箱から取り出した女船長を「先に言え」と引っ叩く一幕もあったが、「ちゃんと思い出したのに」と拗ねる少女の頭を撫でて立ち直らせた以後は順調に執事メリーの経歴も調べ終え、ナミは全ての裏付けを取って本人との交渉に臨んだのである。

 

 もっとも、相変わらずの化け物女船長の謎過ぎる情報網に一々突っ込むほどナミは暇ではない。

 強者には強者の伝手がある。あの天下の海軍本部の特殊体術を知る少女の脳なら、妙な知識の一つや二つが埋まっていても特に不自然とは思わなかった。

 

 先輩剣士の言う「諦めろ」の助言どおり、早速ルフィへの達観癖が身に付き始めている新入り女航海士であった。

 

「なんと、まさか貴方のようなお若い方がわたくしの名をご存知とは…!」

 

「は、はい!舵の利きが素晴らしく、無理の無い手堅い設計をなさる方と聞き及んでおります!それでですね、実は  

 

 その後、軽く事情を説明したナミは心優しい令嬢と執事の同情を引くことに成功し、本格的な交渉のために一度屋敷内に場を設けてもらうことと相成った。

 

(え、嘘、ちょろっ!この程度のよいしょですんなり家中まで上げてもらえるとか、プランDまで練ってた私がバカみたい……)

 

 順調すぎる展開に拍子抜けするナミ。

 だがこういうときに限って邪魔が入ったりするのが不親切な世の中というものだ。

 

 そして案の定、カヤが屋敷に女海賊2人を案内しようとしたその瞬間。

 

 

「おやおやこれはこれは…巷で評判のウソップ君じゃないか」

 

 

 仕立ての良い執事服を身を纏った冷徹な眼つきの男が現れた。

 

 屋敷に使える執事クラハドールである。

 

 中々にやり手そうな風貌の執事の登場に、ナミは交渉の雲行きが一気に妖しくなったことを肌で感じ取る。

 朴訥そうな執事メリーはともかく、この男が相手では感情に訴えるこれまでの詐欺まがいの商談は通じないだろう。

 

(まぁ、そう上手くは行かないわよね……ヘタに警戒されるのもアレだし、つかみは完璧なんだから後は機会を見極めましょう)

 

 ここは撤退が最善。

 そう即座に判断したナミは未練も残さず、少しの世間話を交わして屋敷から退散する道筋を立てた。

 

「申し訳ございません。折角お話を聞いてくださったのに……」

 

「ウソップさん……  えっ、あ、え、ええ。いえ、お構いなくナミさん」

 

「この続きはまた後日、改めてお伺いしてもよろしいでしょうか…?」

 

「……え、あ、は、はい。またお待ちしております……」

 

 どうやら令嬢はウソップと執事クラハドールの言い争いが気になって仕方がないようで、特に問題もなくナミは彼女に商談を後日に再開させる言質を取ることに成功する。

 満足する成果を得た女航海士は、令嬢とあの有能そうな執事の注意を引いてくれたウソップに感謝しながら、凛とした表情のまま美麗な彫刻と化していた一味の女船長を回収し帰路に就こうと踵を返した。

 

 

 一方、ウソップと執事クラハドールの舌戦はエスカレートしつつあった。

 

 そして話の焦点は少年の出自に移っていく。

 

「薄汚い海賊の息子ならどんな犯罪を犯しても不思議じゃないが、お嬢様に近付くのだけは止めてくれないか?」

 

「なっ、何だとてめェ!?」

 

「クラハドール!!?」

 

 “海賊の息子”。

 

 その言葉を聞き、ナミのウソップを見る目が冷ややかになる。

 自分が間借りしている彼ら『麦わら海賊団』は少々事情が異なるが、彼女の海賊嫌いは未だ継続中であった。

 

 その憎い海賊の息子で、村一番の大嘘吐き。

 執事クラハドールが彼に不快感を示すのも当然だと、麦わら娘の手を引く女航海士は内心彼に同意する。

 

 

 だが相方とは異なり、これまでナミの言い付け通りキリッとした顔を維持しながら口を噤んでいた一味の親分ルフィは、当然ウソップではなく執事の方を冷ややかな目で見ていた。

 

 一連の流れを“夢”で既に見ている女船長は、この男の従者然とした態度の全てがただの茶番にしか見えない。

 ウソップも彼にだけは嘘吐き呼ばわりされたくないだろう。

 

 とはいえ、“夢”は現実であると同時に、ただの夢でもある。

 

 基本的に、大切な存在である友や仲間に対する敵対行動を取られない限りは、相手と友好的に接するべきであることをルフィはシャンクスの海賊としての姿勢から学んでいた。

 

 そして何より、相手の喧嘩を買うか否かは船長が判断することであり、この一味の船長は自分である。

 “夢”のルフィ少年ではない。

 

 故に“夢”ではなく己が現実で受けた敵意を元に一味の戦闘命令を下そうと女船長は決めていた。

 

 今回の場合は仲間のウソップが執事に言葉の暴力を受けた状況である。

 ルフィ少年なら真っ先に手が出ている場面ではあるが、先日のゾロの大怪我の一件で暴力による解決策が万能ではないことを学んだ少女ルフィには、比較的温厚な別の考えがあった。

 

 

  ウソップのお父さんは四皇の“赤髪海賊団”一味の狙撃手“ヤソップ”よ」

 

『…………は?』

 

 

 突然、これまで一切の無言を貫いていた見事な肢体の童顔美少女が、屋敷の裏庭に澄んだ音色を響かせた。

 

 その声が伝える意味をぽかんとしたまま脳に浸透させた聞き手の三名は、その直後、驚愕に全身を硬化させる。

 

「あか…がみ、だと…っ!?」

 

「お、親父が……あの“四皇”の一味ィィ!!?」

 

「よ、“四皇”って…!海賊共の頂点じゃない…っ!!」

 

 一拍置き返ってきたのは望みどおりの反響。

 憧れの大海賊を、そして何より仲間のウソップに対する驚きの声に、女船長はにぱっと破顔する。

 

「そうよ、シャンクスたちは私が小さい頃に出会った大切な友達!ヤソップも友達だし、よくエール飲みながら息子のことを私に自慢してくれたわ!“おれの息子なら必ず勇敢な海の戦士になる”ってね!」

 

 海賊の父に憧れその息子であることを誇りに思い続ける少年。

 そんな“海賊の息子”を汚らわしいと侮辱し彼の名誉を貶めるのなら、逆にその海賊の父の名誉を評価すれば、息子に対する侮辱は賛辞となる。

 

 義兄エースとは逆の考えを持つウソップだからこそ成功する、平和的な解決法だ。

 

「でっ、デタラメだっ!……ッ、お嬢様、こんな連中と言葉を交わされてはなりません。ささ、こちらへ……」

 

 流石の執事クラハドールも、()の四人の海の皇帝たちの名を出されては内心穏やかではいられない。

 それでも、名も知らぬ少女の言葉に動揺してしまった事実を認めるつもりは無く、男は全てを戯言と決め付けるという極めて常識的な判断を取る。

 

 たった一言で場の空気を一変させた迷惑な麦わら娘から病弱な主人を引き離し、メガネの執事はひ弱な少女と共に裏庭を去って行った。

 

 

 

「親父がおれにそんなことを…」

 

 屋敷を離れ、心ここに在らずといった表情のまま砂利道を歩くのは、一人の少年。

 彼、ウソップの心中を支配するのは、後ろを歩く二人の少女の片割である麦わら帽子の日焼け娘、ルフィが口にした一言だ。

 

   おれの息子なら必ず勇敢な海の戦士になる。

 

 普通であれば、臆病で疑い深い少年はこんな初対面に近い人物の言葉を信じることはない。 

 

 だが、こと父親に関してだけは別。

 亡き母バンキーナが聞かせてくれた最愛の夫の英雄譚でしか父の存在を知らぬ少年の耳に初めて入った、他者の口から紡がれた憧れの海賊ヤソップの名である。

 傾聴しないわけにはいかなかった。

 

 

 謎の女海賊ルフィから語られる偉人の姿が、己の父を幻想の存在から実在の人物へと昇華させる。

 

 酒を片手に最強にして最高の一味と共に騒ぐ、男臭く海賊らしい人物像。

 母が口にした通りの狙撃の腕前で、無数の強敵たちから仲間を守る、真の勇者。

 東の海(イーストブルー)の男なら誰もが憧れる四皇『“赤髪”のシャンクス』と対等な漢として語り合う、格の違う大海賊。

 

 そして、そんな偉大な“勇敢な海の戦士”の心に確かに残る、息子であるこの自分の存在…

 

 

 この世に生まれて早十七年。

 これほど嬉しいことがあっただろうか。

 

「へっ…へへっ…」

 

 歓喜の涙を目元に溜め、照れくさそうに顔を赤らめる少年。

 

 その幸せそうな姿を、語り部の麦わら帽子の女の子はいつまでもニコニコと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年 

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島北海岸

 

 

 

「ほぉん、随分と執事服がサマになってんじゃねェか。“キャプテン・クロ”」

 

「……もう一度その名でおれを呼んだらてめェを殺す」

 

 無人の海岸に2人の男の姿が見える。

 

 派手な鍔付き帽子とサングラスを身に付けた不審者と、村の富豪令嬢カヤに仕える執事クラハドールの2人だ。

 

 不審者が口にしたとある名に、クラハドールは殺気混じりの静かな怒声を浴びせる。

 その身形に似合わぬ血生臭ささは、彼の忘れられた過去が齎すものだろう。

 

 

 『“百計”のクロ』

 

 その昔、東の海(イーストブルー)を騒がせた『クロネコ海賊団』の船長にして、あの『“道化”のバギー』をも上回る1600万ベリーの高額賞金首であった海賊だ。

 

 実はこの男、目の前の不審者の力を借りることで既に捕らえられた人物としてその指名手配を逃れた稀代の大策士である。

 

 そんな悪党が何の目的も無く執事などという職務に就いているはずが無い。

 

「…ジャンゴ、明日お嬢様を外出させる。あの長鼻の小僧のおかげで体調が戻っているんだ。少し煽ればあのガキと共に外へ出たがるだろう」

 

「…あんたは同行するのか?」

 

「…いや、別の執事に任せる。そこでお前が三人に催眠術をかけろ」

 

 “ジャンゴ”と呼ばれた不審な人物、その正体は奇術を用いる天才的な催眠術師である。

 

 その力は本人さえも未知数で、簡単な思考誘導はもちろん、一時的な洗脳や強固な精神支配、挙句には集団催眠や身体能力の本能的ストッパーの解除による筋力強化までも出来てしまう。

 男はこの力で一味の部下たちを強化し、東の海(イーストブルー)の海賊とは思えない超精鋭錬度のクルーたちを手に入れ海軍の目から逃れ続けていた。

 

 そしてそんな優れた奇術師を元船長としてこの無人の海岸に呼び出した『“百計”のクロ』の目的はただ一つ。

 

「内容は例のヤツでいいんだな…?」

 

「ああ……お嬢様に“屋敷と一族全ての財産をクラハドールに譲る”と遺書を書かせるんだ……!」

 

 それこそが三年かけて令嬢カヤに取り入り、生粋の海賊団船長である男が“執事”などという他人に奉仕する仕事に甘んじ続けた理由。

 己の豊かな平穏を手に入れる、人としての正常な願望を成就させるため。

 

 クラハドールことクロは長年、世界政府の目を欺き密かに富と地位の簒奪を計画していたのである。

 

 根っからの海賊。そう容易く足を洗えるわけが無い。

 既に執事としての平穏を手に入れておきながら、彼は己の富に対する欲望を抑えることが出来なかったのだ。

 

  完璧主義のあんたらしくねェな、ソレ」

 

「……何だと、てめェ。おれに逆らうのか?」

 

 元配下の分際で自分に意見する奇術師にクロは怒りを露にする。

 腰に隠し持っていたナイフを用いて脅しをかけようと身構えたが、察したジャンゴが慌てて訂正した。

 

「ま、待て待てそうじゃねェ!今は拙いんだ!この島に“海賊狩り”が女二人と共に来てるんだよ!」

 

「……“海賊狩り”?」

 

 三年にも亘る孤島の執事生活のせいで俗世から離れていたクロは、聞きなれない通り名に首をひねる。

 

「最近の東の海(イーストブルー)で一番名を聞く凄腕の剣士だ…!何かの手違いで捕まってたシェルズタウンの海軍基地施設を真っ二つに両断しただの、気迫で海兵が一度に何十人も気絶しただの、悪魔の実の能力者の女と共に海賊に堕ちただの、ここしばらくで随分とヤバい噂になってんだよ……」

 

「……何だその化物は。偉大なる航路(グランドライン)の怪物共じゃねェんだぞ、眉唾にもほどがある」

 

「一度ここに来る途中にメシ屋で見たが……それはおっかねェ野郎だったぜ…!ジロジロ見てたのがすぐにバレて睨み返された…!それに…噂通りの悪魔の実の能力者かは知らねェが、確かに異常に体のあちこちが伸びる女も連れてやがったし……悪いことは言わねェ、せめてヤツがこの島を去ってからにしねェか?」

 

 本人の言うとおり、この男は先ほど下準備に訪れたシロップ村であの食事所『MESHI』の大騒ぎを目の当たりにしていた。

 何事かと首を伸ばしてみれば、そこには海賊たちの間で裏指名手配書として出回っている人相書きと瓜二つな危険人物『“海賊狩り”ロロノア・ゾロ』の姿が。

 シェルズタウン海軍支部崩壊事件以後、尾鰭の付いた様々な噂を持つ三刀流剣士の情報を危機感を持って集めていたジャンゴは、男の異様に鋭い目に恐怖を覚えてしまった。

 あれは本物の化物である、と。

 

「“海賊狩り”か……」

 

「ッ!な、ヤベェだろ?!考え直せって…!」

 

 そんなジャンゴの心底怯えた顔を見たクロは思案する。

 

 別に切羽詰った状況というわけではないが、体調が回復しつつある年頃の令嬢カヤにどこぞの馬の骨との婚約話などが持ち上がってしまったら面倒なことになりかねない。

 

 彼女には身寄りが無い。

 家を建て直すには近親者か富豪の次男辺りと結婚し、その一族の後ろ盾を得るのが最も容易である。

 

 事実、過去に何度か執事メリーが手ごろな人物を探そうと動いたことがあった。

 そのときはカヤの体調を理由に退けたが、もうその言い訳も通用しないだろう。

 

 富豪同士の結婚とは両家にとっての一大事。

 隅から隅まで調べられ、その過程でまず間違いなくクロの出自が問われるはずだ。

 

 たとえそうでなくとも令嬢の存在が知られるようになったらその富を目当てに多くの人々が近寄ってくるに違いない。

 そんな状況で屋敷の簒奪など企めば必ず横槍が入る。己の望む豊かな平穏とは程遠い、陰謀渦巻く闇の世界に逆戻りだ。

 

 

 思案を終えたクロは決断する。

 

 時間はこちらの味方ではないが、その“海賊狩り”とやらは気がかりだ。

 女連れということなら、おそらくそう長い間こんな何も無い島に留まることにはならないだろう。

 

 ヤツに怯えるのは癪だが、不確定要素は極力排除するべきだ。

 

「…わかった、日を改めてもいい」

 

「わ、わかってくれたか…?」

 

「だがヤツが去ったら真っ先に行動する。これ以上の時間的ロスは碌なことにならねェ」

 

 慎重に慎重を重ねたクロは、1%の失敗確率さえも許さない。

 

 万事抜かりなく。

 そう締めくくったクロは場を解散させ、屋敷へと戻っていった。

 

 

 

 

 そんな現場の一時始終を目撃していた村思いな少年が一人…

 

 

「大変だ……!村に  カヤに知らせなきゃ…!」

 

 

 

 稀代の大策士の三年に亘る一大作戦が、今、未来の海賊王の一味と  そして一人の臆病な海の戦士の勇気と、ぶつかろうとしていた。

 

 

 




ファッションサイトでイケメン見つけたのでクロさんトレス


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12話 オオカミ少年・Ⅲ (挿絵注意)

大海賊時代・22年 

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島シロップ村

 

 

 

「あらウソップ!船番ご苦労様っ!こっちで一緒に食べましょ!」

 

 食事所『MESHI』の野菜と酒の在庫にクリティカルダメージを与えつつあった『麦わら海賊団』の三人の下に、暗い顔をした新入りの長鼻少年が戻ったのは、とっぷりと日が沈み店が賑わい出す時間帯だった。

 

 未だこの居酒屋紛いの食堂に彼らが屯している理由は大したものではない。

 ただの成り行きだ。

 

 ことの始まりは最古参の青年剣士ゾロ。

 村一番の富豪、令嬢カヤの屋敷へ帆船の商談に向かった一味の女性陣と新入り少年。彼ら彼女らの下へ合流しようと店を出た剣士ゾロであったが、この当代随一の方向音痴に目的地へ辿りつく力などあるはずがない。

 どれほど歩いても同じ食堂の前に戻って来てしまう彼が苛立ち、再度店の葡萄酒に手を出したところへ、新入りのウソップに船番を任せて屋敷から戻ったルフィとナミと遭遇。

 そのまま三人で夕食を食べつつ、「海賊らしいことがしたい」と言い残し一味の船へ…もとい生まれて初めて目にするお宝へと走り去っていった新参海賊少年の帰りを待っていたのであった。

 

 だが定時を過ぎてようやく戻った彼の顔には、確かな焦心と、不安げな躊躇いが浮かんでいた。

 

「……どうしたの、ウソップ?」

 

「……あぁ」

 

 幼げな澄んだ音色が鼓膜を震わせ、名を呼ばれた狙撃手ウソップはちらりとその声の持ち主である少女船長を一瞥する。

 

 

 船長ルフィに父ヤソップの話を聞かされ、『麦わら海賊団』に加わる決意をした長鼻の少年。

 

 だが父の友人であり、敬意を払うべき一味のキャプテンとはいえ、その姿はまるで発育が良いだけの童女。

 憧れる“勇敢なる海の戦士”とは真逆の見た目の少女が、息子たる自分を差し置いて父と親しくしていた事実は、どうしても納得し辛いものがあった。

 

 父に認められた人間とは思えない、幼稚な人物像。

 そのような女の下に付くことに漠然とした不満がある少年は、初めて自分にヤソップの話を持ってきてくれた大恩があるからこそ無下にも出来ず、未だに彼女への接し方に戸惑っていた。

 

 

 とはいえ、そのようなことは二の次。

 

 未だ迷いが色濃く、ウソップは思い詰めた表情のまま航海士ナミの隣に腰掛ける。

 ちゃっかり一番戦闘力を持たない人間の近くに座るところが彼の危機回避術なのだろう。

 

 そのおびえた様子に、余程の大荒れになる内容を予想した女航海士の顔が僅かに引きつった。

 

「…いつまでウジウジしてんだよウソップ。何だ、例のお嬢様にでも振られたか?」

 

「ッ、うるせぇ!お前みてぇなハーレム野郎と一緒にすんな、色ボケ剣士!」

 

「よぉし良い度胸じゃねぇかクソ長鼻ァ。表出ろ、刀のサビにしてくれる」

 

 女所帯の一味で肩身の狭かった剣士が同性のウソップ少年の加入で活き活きとしている。

 

 そんなバカ同士の言い争いに痺れを切らしたナミは海賊らしく、少し強引に聞き出すことにした。

 

「ねぇ、長鼻くん。ちょっといいかしら?」

 

 女航海士は値踏みするような目でウソップを見つめる。

 

 ルフィのいつも通りの強引な勧誘であったが、意外にもこの少年は自分やゾロとは異なりすんなり仲間に加わる決断をした。

 大海賊の父を持つ身。初めて出会った本物の海賊、そして双胴船『リトルトップ号』に積まれていた眩い黄金の輝きに、自身の海賊への憧れを抑えきれなかったのだろう。

 

 連中を海のゴミ共と蔑むナミの胸中は複雑であったが、村を  延いては病弱な友人の女の子を守ろうと臆病な心を奮い立たせ“海賊狩り”や悪魔の実の能力者のルフィに挑もうとする少年の勇ましさは嫌いではなかった。

 

 ならば今の内にちょっとした“上下関係”を仕込んでおいても損はなかろう。

 自分には船長のような優れた戦闘力は無いが、組織における優劣とは何も武力だけで成り立つものではないのだから。

 強かな女の本領発揮である。

 

 ナミはゾロの肉の塊に刺さっていたナイフを手に取りウソップの前で見せ付けるように遊び始めた。

 

「あのね。すごく辛そうな顔してる人が近くにいたら食事がとっても不味くなるの。アンタもそう思わない?」

 

 ひゅっ…と息を呑むウソップ少年の反応に満足した泥棒美少女は、鞭の次に飴を与える。

 

「でもせっかくこうして同じテーブルを囲ってるんだし、相談ごとならお姉さんたち優しいセンパイが聞いてあげるわよ?」

 

「…ッ!」

 

 そして最後にもう一押しと肉にナイフをドスン…!と突き立て直した。

 ご丁寧に靴のハイヒールで床を踏みつけ音をかさ増ししている。

 

「私たちの美味しい食事のために、ね?」

 

 初めて目にする場慣れした女海賊の恐ろしさに、ウソップの躊躇はあっけなく崩壊した。

 

 

  あの執事が、海賊?」

 

 尋問まがいの問いかけに彼が語った話の内容を一言で纏めたナミは、証言者の少年に要点を確認する。

 

 事実女航海士のまとめた通り、ウソップは富豪の屋敷に仕える執事クラハドールと奇術師ジャンゴの密会を目撃していた。

 

 小船まるまる二隻分の金銀財宝を涎塗れの顔でうっとりと眺めていた少年はそのとき海賊としての幸せを堪能していた。

 そんな至福の船番のひと時は、突然聞こえてきた数人の砂を踏みしめる足音に妨害される。

 

 すわ盗人か!と怯えながら慎重に様子を窺った彼の目に飛び込んできたのは、あろうことか、あの忌々しいメガネの執事クラハドール。

 

 いかにも密談らしい現場に遭遇したウソップは執事の弱みでも握れないかと聞き耳を立てていたが  聞こえてきた話の内容はそれどころではない信じ難い事実。

 

 

 執事クラハドールの正体が、あの元大物賞金首『“百計”のクロ』。

 

 

 大の海賊好きを自称するだけのことはあり、頭脳派海賊という珍しい賞金首であったその名は、手配書失効から三年が経った今でもウソップの記憶に微かにだが残っていた。

 

 そんな極悪人が企んでいたのは、部下の催眠術師の力を使い、主人たる令嬢カヤの財産を強引に引き継ぐこと。

 

 おまけに連中は作戦の囮役として自身の海賊一党を近くで待機させているらしく、状況は既に予断を許さないものとなっていた。

 

 その後二人が去るのを焦がれるように待ち続け、差し迫る村の危機を一秒でも早く伝えようと真剣に家々を回り、そして何より大切な令嬢カヤに伝えようと彼女の屋敷へと向かったウソップ。

 

 しかし、ここで()の有名な童話が現実となる。

 

 無数の嘘吐きの前科を持つ彼に、唐突に「お前の執事は海賊だ」と言われて誰が真剣に話を聞こうとするだろうか。

 案の定、村人たちは全く聞く耳持たず、肝心のカヤにさえ少年の声は届かない。

 

 そして執事を侮辱され不快感を露にする令嬢と、必死の形相で危機を訴えるウソップの言い争いの途中、渦中の執事クラハドールが帰宅する。

 自分の悪事の計画を暴露する悪人などおらず、当然鼻で笑われ彼は屋敷を放り出されることとなった。

 

 以後の長鼻少年は好意的だった友人カヤの信頼も失い途方にくれていたが、クラハドールが作戦を延期するほど警戒していたあの“海賊狩り”ならこの一大事を治めることが出来るのではないかと思い至り、こうして食事所で肉から野菜から酒まで根こそぎ飲み食い散らかす自身の新たな仲間たち『麦わら海賊団』の下へと足を運んだのである。

 

「…てめェまた嘘吐いてんじゃねェだろうな?」

 

  ッッ!嘘なんかじゃねェっ!お前らまで信じてくれねェのかよ!?新参者だけど仲間じゃねェか、おれっ!!」

 

 またいつものアレか、と白い目を向けてくるゾロにウソップはムキになる。

 自業自得とはいえ誰にも信じてもらえない虚しさに苛まれ続けていた彼は、その遣る瀬無い思いを怒声に訴えるしかなかった。

 

 とはいえ、自分自身で村人の説得が出来なかった以上、最早この未曾有の危機を乗り越えるために協力を仰げる相手は彼らのみ。

 怒れる自分の心を何とか自制して、ウソップは剣士に今一度頭を下げる。

 

 仲間とはいえ、これは彼とは何の関係の無い自分自身の都合なのだから。

 

「…まさかアンタがあの“海賊狩り”とは思わなかった。そしてそんな男を下に付かせるほどの悪魔の実の能力者。お前らの力がどうしても必要なんだ!あの執事野郎から村を…カヤを守るために!!」

 

 無論、彼の望みは助力などという生易しいものではなく、海賊迎撃の中心になってくれという、主力としての参加要請である。

 

 そのためウソップは仲間に己の全てを差し出すつもりでここまで足を運んでいた。

 

「執事野郎は“海賊狩り”が島を去った後に作戦を実行すると言っていた!なら一度島を出てヤツらの襲撃に合わせて背後から再上陸すれば連中を撹乱出来るかも知れねぇ!」

 

「へぇ…新入りのクセにこの俺に向かって正面から“敵陣ど真ん中に特攻しろ”って言い放つたぁ、いい度胸してんじゃねぇか。長っ鼻ぁ…」

 

 初めてゾロの体から殺気が放たれウソップの心臓が悲鳴を上げる。

 

 猛獣だの飢狼だの様々な怖ろしい異名を持つ“海賊狩り”の気迫だ。

 身構えてはいたが、まさかこれほど怖ろしいものだったとは。

 

 だが、同時に  頼もしい。

 

  ッ、ああ、何度だって言ってやるよ!一味に入れてもらって最初に言うことが“助けてくれ”だなんて幻滅するだろうが、この村はおれの故郷なんだ!」

 

 守りたいものを守るために、少年は剣士の殺気に怯む己を必死に奮い立たせる。

 そしてそれは、臆病者を自称する少年の胸の奥底に宿る、父親譲りの“勇敢な海の戦士”の心であった。

 

「頼む!村を救ってくれたら何だってやってやる!下僕でも雑用でも構わねェ!金も稼ぐ!酒も手に入れる!なんなら俺の命だって  

 

「ウソップ」

 

「…ッ!」

 

 

 だが少年の一世一代の覚悟を込めた言葉は、男の呼びかけによって中断された。

 

「おれたちは海賊だ。荒くれ者共だろうと組織には秩序ってモンがあんだよ。なにより  

 

 言葉を続けたゾロが面白そうに笑いながら顔を自分の隣へ逸らした。

 

 

   クルーが真っ先に頼るべきなのは、同じクルーのおれじゃねェだろ?

 

 

 ウソップの心に一瞬の虚無が生まれる。

 

 だがハッとあることに気付いた彼は、恐る恐るゾロの視線を追い  一人の少女の顔を見た。

 

 

「海賊は来るわよ」

 

「…へっ?」

 

 すると、それまで無言を貫いていた一味の女船長がその口を開いた。

 

「海賊は来る。だってウソップは嘘吐いてないもの」

 

 じっ…と見つめてくる端整な顔の麦わら娘に少年はたじろいだ。

 その視線に捕らわれた彼は、一瞬で少女の大きな双眸に引き込まれる。

 

 外の星空より美しい夜色の瞳が、無数の希望の星々で煌々と輝いていた。

 

「それに、困ってる仲間を助けるのは、船長の私の役目だもん。私はそのために強くなったんだから」

 

 そんなルフィとその瞳に見惚れているウソップの二人の姿に、隣の剣士と女航海士は呆れたような笑みを浮かべながら少年の行く末に同情していた。

 ああなってしまったらもう逃げられない。経験者は身を以ってそう語るだけだ。

 

 そして満面の笑顔の女船長が、未だ女の自分を認めてくれない無礼な新入りの仲間に問い掛けた。

 

 

「“私”に言いなさい、ウソップ。  どうして欲しい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年 

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島シロップ村

 

 

 

「俺に作戦がある」

 

 そう言い出したのは『麦わら海賊団』の一味に新規加入した狙撃手ウソップである。

 

 現在、彼ら一同は人目を避け少年の母が残した自宅の一室に集まっていた。

 まるで真夏の怪談のように蝋燭1本を囲んで額をつき合わせていた彼らは、静かに家の主人の提案に耳を傾けながら続きを催促する。

 

「まず一連の流れとしてはメシ屋で話した通り、目立つゾロを中心におれらが堂々とこの島を出航するフリをする。そんで闇夜に紛れて密かに船を戻し、執事野郎が作戦を発動させるまで隠れて待機。連中の作戦発動後にヤツの一味が島に上陸してくるまで身を潜め、臨機応変に撃破!以上だ!!」

 

「…おい、最後テキトー過ぎねェか?」

 

「うっ、うるせェ!執事野郎本人の動きがさっぱり読めねェんだよ!一味を倒してもヤツが無事なら何仕出かすかわからないから一緒に倒さねェと……」

 

 少年のあまりに杜撰な作戦にゾロは溜息を吐く。

 だが彼の言い分には仕方が無い部分もある。

 

 わからないのは執事クラハドールの動きだけではない。

 判明しているもう一人の主犯格である“ジャンゴ”なる奇術師の存在がそうだ。

 執事の発言では人を操る催眠術が使えるとのことであったが、その実力は未知数である。

 

 計画の阻止にはこの男の排除も絶対。

 出来ればヤツの情報が欲しかったが、動けば動くほどこちらの目的がバレる可能性も上がるため我侭は言えない。

 

 状況的に、おそらくソイツが昼間の食堂の不審者の正体だろう。

 やはりあのときに無理やりケンカを買ってでも倒しておくべきだった、とゾロは少し後悔する。

 

  そのゾロがあの食堂で見たグラサンの男が“ジャンゴ”って奇術師なら、アンタかルフィのどっちかで簡単に倒せそうね。殴れば終わりでしょうし」

 

「雑魚そうだったのは振る舞いだけだ。油断してると大抵碌な目に遭わねェぞ、ナミ」

 

「別にソイツじゃなくても、執事を私が一発殴ればそれで全部おしまいよ?……あっ、だったら今から直接屋敷に乗り込めばいいんじゃないかしら!」

 

「やめなさいバカ!たった一つの証言でぶっ飛ばして“コイツ悪いヤツです”って言っても誰も信じないわよ!それにまだあのカヤお嬢様から船貰わないといけないんだから…!」

 

「あ、そっか…」

 

 妙案とばかりにその幼げな顔を輝かせる女船長をピシャリと叱るナミ。

 

 萎れるルフィの哀愁漂う姿に呆れつつも、少しだけ胸が痛んだゾロは少女の案を小さくフォローする。

 

「…まあでも実際ルフィの実力でこの東の海(イーストブルー)の海賊相手に苦戦するとは思えねェし、お前が前に出るなら迎撃は適当でいいだろうぜ。村と例のお嬢様を襲わせなければこっちの勝ちなんだから、ボスの執事を倒せば終るっつールフィの考えは間違いじゃない」

 

「ゾロ…!」

 

 拙い頭で何とか捻り出した作戦の方向性を褒めて貰った女船長が背中の影を取り払い、感極まった笑みを浮かべる。

 コロコロ変わる少女の愛らしい表情が青年の目を捕らえて離さない。

 

 そんな動揺するゾロの内心を的確に突く女が一人。

 

「あら、随分ルフィに甘いじゃない…?」

 

「……棚の上から見下ろす景色はさぞ良いモンだろうな。なぁ、“ナミお姉さん”?」

 

「うぐっ!……わ、私はちゃんと叱りますぅっ!」

 

 なお、ただの墓穴であった模様。

 

 未だに“オレンジの町”でからかわれたことを根に持っている頑固な女航海士。

 隙在らば仕返ししてやろうと剣士に挑むその姿は彼女らしくない子供じみたものであった。

 

 

 そんな見えない火花を散らす剣士と航海士に、新入りのウソップはポカンとマヌケな表情を浮かべてしまう。

 

「……お前……仲間に好かれてるんだな…」

 

 まるで兄姉に可愛がられる妹のような女船長。

 海賊の親分と配下というよりは仲のいい兄妹のような関係を一味の仲間たちと築いているルフィに、少年はぽつりと呟く。

 

 そしてその呟きはウソップ邸の密室によく響いた。

 

「なっ!べっ、別におれは…っ!コイツとは技を教わる対価につるんでるだけだ!」

 

「そっ、そうよっ!“仲間になれ”ってしつこいし…強いから私の目的のために不本意ながら一緒にいるだけよっ!」

 

 新入りの客観的な視点を知った兄貴分・姉貴分のゾロとナミが慌てて反論する。

 だがその慌て様はどこからどうみてもただの照れ隠し。

 隣で目をダイヤモンドのように輝かせている通り、ルフィでも気付けるほどだ。

 

「やぁん、もうっ!二人ともだぁ~いすきっ!!」

 

 そして感極まったのか、少女がそっぽを向く仲間二人に飛び付き、その見事な双子山に彼らの顔を埋めるように抱きしめた。

 

「そうよ、ウソップっ!二人とも私のこと大好きだし、私も二人のこと大大だぁい好きなのっ!私の命より大切な仲間たちなんだからっ!!」

 

『むーッ!むぅぅぅぅっ!!』

 

「そ、そうか……でもその命より大切な仲間たちが今まさにお前のおっぱいの中で溺れて命を終えようとしてるんだけど……?」

 

「あ」

 

 両胸に埋まったまま必死にもがく剣士と航海士の危機的状況にようやく気がついたのか、女船長が二人の拘束を解く。

 

  ぷはっ!てっ!てめっ!!何し  

 

「ルゥゥゥフィィィッ!!“あ”じゃないわよアンタホントいい加減にしなさいよ!気安く男に触んなって今朝言ったばっかでしょ!?今のサービスで十万ベリーは取れるのよ!?二度とすんなァッ!!」

 

「え、待って困る!まだウソップ抱きしめてないの!ウソップも大切な仲間よっ!」

 

「やめんかバカァァッ!!」

 

 その言葉にウソップは咄嗟に少女の顔を見る。

 そしてそこにあった真剣な表情に彼女の本気を確認した後、少年は流れるように視線を下し、これから己が迎え入れられる桃源郷を凝視してしまう。

 

 親しい異性など病弱な令嬢カヤしかいない身だが、自分は別に女の体に興味が無いわけではない。

 合法的にそのでっかいマシュマロに触れることが許されるのなら、男としてどうして躊躇うことが出来ようか。

 

 だが、世の中はそう青少年たちに優しくはなかった。

 

  ウソップ、わかってるわね?!アンタルフィに触れたら殺すわよ!?」

 

「はっ、はひっ!役得とか考えてスンマセンでしたァァ!!」

 

「ゾロもそんなムラムラモジモジしてる暇あったら刀でも手入れして精神統一してなさいっ!このむっつりラッキースケベ!!」

 

  ッッ!?しっ、してねェよてめェッ!!」

 

「……ねぇ、三人とも近所迷惑だから静かにしなさいよ。子供じゃないんだから」

 

『お前のせいだろクソゴム女ァァァ!!!』

 

 

 見事に部下三名揃って船長を怒鳴りつける。

 全く以って不本意ではあるのだが、そのくだらない突っ込みに参加出来たおかげで、ウソップは少しだけ彼ら『麦わら海賊団』に溶け込めたような気がした。

 

 コイツらとなら、あの1600万ベリー賞金首の『”百計”のクロ』が相手でも勝てる。

 そんな根拠の無い自信が、胸中の焦げ付くような不安を和らげてくれた。

 

 そして己の一味の絆に満足したのか、一味の船長がその大きな胸を反らし新入りの狙撃手ウソップの作戦を採用すると宣言した。

 

「じゃあウソップの案で精一杯目立って出航して、そのあとこっそり上陸して執事を迎撃することにするわ!皆いいっ?」

 

「異議なし」

 

「私もいいわ。諸島沖の夜間航行は私たちが乗ってきたあの小船だと相当不安だけど……」

 

「そんなの何とかしなさいよ、航海士でしょ?」

 

「船に構造的な限界があんのよっ!沈んだらバギーたちから奪ったお宝まで全部パァなのよ?!せめてここウソップの家に置かせてもらえない?こんな平和な村なら盗まれる心配なんてないだろうけど…」

 

 概ね作戦に同意してくれた一味の仲間たちは、一斉にウソップへ顔を向ける。

 やる気に満ちた、闘志溢れる本物の海賊たちの目が、無垢な少年の心を射抜いた。

 

 そこに輝く夢と希望、そして確かな信頼の光が、故郷を愛する少年狙撃手の胸に感動を沸き上がらせる。

 

 

   勇敢なる海の戦士。

 

 

 尊敬する父が母に残した、大切な言葉。

 その幻想の片鱗が、目の前の海賊たちの決意の瞳に垣間見えた気がしたのだ。

 

 少年は胸に溜まった心地よい熱を慈しみながら、男らしく力強く頭を下げ、己の新たな仲間たちに感謝した。

 

「お前ら…!恩に着る…っ!!」

 

「しししっ!やっと海賊一味に慣れてきたみたいね、ウソップ!これが私たちよっ!ようこそ“麦わら海賊団”へ!!」

 

「狙撃手が加わったんなら海戦がしてェな。お誂え向きの敵がいるんだが…手元に船と大砲がねェのが残念だぜ」

 

「ったく……勘違いしないでよね?コイツらがおかしいだけなんだから。海賊ってホントはもっと貧乏で薄暗くて…意地汚くて汚らわしくて醜くて下種揃いで憎くて憎くて  

 

「はいはい落ち着いてナミ。頭撫でてあげるから……なでなで」

 

  ッ、あぅ……って、やめんかコラ!!」

 

 そんな女性陣を尻目にゾロが少年に作戦の詳細を求める。

 

  んで?目立って出航するのはわかったが、何か策でもあんのか?」

 

「目立つだけならコイツらにサラダとお酒渡すだけで勝手に盛り上がってくれるけど」

 

 剣士の問いは当然のもの。

 故にウソップは、彼らの助力で生まれた精神的余裕でとある作戦を密かに考えていた。

 

「ああ……それでなんだけどよ  

 

 心強い味方を得た、この『キャプテン・ウソップ』の最初の船出。

 少年は最後の仕上げと勇気を振り絞り、その問いを仲間たちに投げかける。

 

  おれらって一応“海賊”だよな?」

 

「うんっ!」

 

「おう」

 

「まぁ…不本意ながら」

 

 三人が各々の思い通りに頷く。

 そんな彼ら彼女らの答えに、ウソップの口角がいやらしく吊りあがる。

 

 狙撃手のその表情は、初めて海に出る若い少年の顔とは思えない、立派な悪党の笑顔だった。

 

「ならさ  

 

 

 

   “海賊”の船出が地味だなんて、カッコ悪いと思わねェか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島シロップ村“富豪家の個人桟橋”

 

 

 

 翌日、平穏とのどかさが売りのシロップ村はかつてないほどの騒ぎに包まれていた。

 

「お、おれの財布が無いぞ!?」

 

「仕入れたばっかりの酒樽も消えてらぁ!」

 

「泥棒、いや  “海賊”だぁ!!」

 

 家々から飛び出し右往左往する村人たちの間を一人の女が駆け抜ける。

 

 人目を惹く見事なスタイルをしたその美少女は、橙色の綺麗な髪の毛をジョリー・ロジャーが描かれている黒のバンダナで覆い隠していた。

 

 麦わら帽子を被った骸骨の海賊旗、『麦わら海賊団』の一員を示すものである。

 

「おーっほっほ!シケた村だったけれど、私の手にかかれば塵も積もって山になるってね!取り戻したければ桟橋まで追っていらっしゃい、おーっほっほ!」

 

 まるで舞台女優のような芝居がかったセリフで自身の犯行を自慢する女は、村人たちの注目を確認すると一目散に村外れの桟橋まで逃げ出した。

 

 このような明確な悪意に晒された経験の少ない平和なシロップ村の村人たちは何が起きているのか理解出来ないまま、海賊を自称する女を追って桟橋まで走る。

 

 そして、信じられない光景を目にした。

 

 

「みんなぁ~、ごめぇ~ん!おれ、捕まっちったよぉ~!」

 

「オイラたちもぉ~!えっと、こ、こわ~い…?」

 

「かっ、海賊たちの言うこと聞かないと、オレたち酷いことされちゃうかも~!」

 

 そこには村の富豪一家が所有する2本マストのキャラベル船に陣取り、村の子供たちを人質に取った3人の海賊たちがいた。

 

 ロープでぐるぐる巻きにされた4人の少年たちを見せびらかすように、その両脇には先ほどの泥棒少女と三本の刀を差した剣士がふてぶてしく佇んでいる。

 

 あまり人質の少年たちに怯えの色が見えないのがせめてもの救いといったところか。

 どうやら今すぐ非道な行為に出るわけではないらしい。

 

 村人たちが集まるのを悪い笑顔で見下ろしていた海賊たちの下に、数名の身形の整った男女が慌ててやってきた。

 村長モーニンと村の富豪家令嬢カヤおよびその執事たちである。

 

「君たちは昼ごろの…っ!一体何者なのです!?子供たちを放しなさい!」

 

 メガネの執事クラハドールが一同を代表して海賊たちに問いかけた。

 

 その目には子供たちへの愛情などなく、あるのはただ怒りのみ。

 男が呟いた「余計なことを」の小さな声が届いたのはこの場の二人ほどだろう。

 

 そんな彼の苛立った問いかけに上機嫌に返答したのは、甲板の最前列で両手を腰に当て最も偉そうな態度を取っている人物だ。

 

「しっしっしっ!私は海賊王になる女、“麦わらのルフィ”!あなたたちの財宝はこの“麦わら海賊団”が頂いたわ!」

 

 高らかと玲瓏な声を上げるのは一味で最も小さなシルエットの持ち主、麦わら帽子を被った最年少らしき女の子だ。

 赤の袖無しブラウスの裾を胸下で結び、下はデニムのショートパンツを穿いただけのその姿はとても海賊行為のような悪事を働く人物のそれには見えない。

 

 だが彼女から発せられる強烈な気迫が、少女の華奢な容姿をただならぬ人物と錯覚させていた。

 

「私の願いはただ一つ!一味のステキな船出を邪魔しないことっ!そしたら近くの島にこの子たちを解放してあげるわ!」

 

 すると彼女は一気に空へと飛び上がり、大きく息を吸い込んだ。

 

「なっ!?ひ、人があんなに大きく膨らんで!?」

 

 まるで巨大な風船のように膨らんだ少女に驚愕の声を上げる村人たち。

 そんな彼らを余所に、“ルフィ”と名乗った女海賊がその体に溜め込んだ空気を広がる帆に向かって一気に吹きかけた。

 

「ゴムゴムのぉ~追い風ぇっ!!」

 

 強風が吹きマストが軋みを上げながら、キャラベルを桟橋から解き放つ。

 

 みるみる内に距離が離れていく海賊たちの乗る船を唖然と見送りながら、村人たちはようやく理解した。

 

 

 自分たちの平和な村が、悪逆非道の海賊たちに襲われたことに…

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

「酷い…何て事…っ!」

 

 水平線へと消えていく船『ゴーイング・メリー号』を、令嬢カヤは悲痛の表情で見続けていた。

 

 蔵の海賊被害の確認に向かった執事クラハドールに代わり、茫然自失とした病弱な少女の肩を抱いているのは、長年家に仕えてきた執事メリー。

 自分の設計した船が盗まれ心穏やかではいられないはずなのだが、それをおくびにも出さずただ主人たるカヤの体を案じる彼に、令嬢の心に僅かな温かさが戻る。

 

 だが、それでも少女の胸中は乱れたまま。

 彼女の瞼の裏には連れ去られた大切な友人の、申し訳なさそうな顔が焼きついていた。

 

 一体彼は自分に何を申し訳なく思っていたのだろうか。申し訳なく思っているのは自分のほうなのに。

 

「ウソップさん……まだ仲直りも出来ていないのに…」

 

 いつも自分を優しい嘘で励ましてくれる、お調子者の長鼻の少年。

 

 先日は不本意な形で喧嘩別れとなってしまったものの、カヤにはこれまでの彼の優しい気遣いが忘れられないでいた。

 一度ゆっくりと話し合って、酷い言葉をぶつけてしまったことを謝罪したかった。

 

 本当にあの海賊たちは村の子供たちを、彼を返してくれるのだろうか。

 そのことを考えると、カヤは震えが止まらなくなった。

 

 何か、何か自分に出来ることは無いか。

 

 そう必死で考えた令嬢は、昔父に見せてもらった一枚の紙のことを思い出した。

 

(そういえばお父様の書斎に…!)

 

 

   もしものときにその番号を使いなさい。

 

 その父の教えを忠実に守ってきた病弱の令嬢カヤは、大切な友達の一大事に、彼から貰った“生きる勇気”を燃え上がらせる。

 

 そして、最も長く仕えてきた自分の執事にある指示を出した。

 

 

「メリー、お父様の書斎に参ります。机の三番目の引き出しの鍵を渡してくれる…?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もし、麦わら帽子の海賊少女が“斧手のモーガン”指揮下の海軍第153支部を崩壊させていなかったら。

 もし、三刀流の剣士の悪名が上がらず、それがジャンゴの目に留まっていなかったら。

 もし、海賊専門の女泥棒が近隣の海軍の動向に気を配っていたら。

 もし、長鼻の少年が海賊に誘われ舞い上がっていなければ。

 もし、大富豪の令嬢が友人の危機に立ち上がる勇気を振り絞れなかったら。

 もし、簒奪者の執事が目先の海賊被害の確認に固執せず、常に令嬢の側にいたら。

 もし、もし、もし…

 

 そんな無数のイフの、どれか一つでも現実であったのなら、平穏だったはずのシロップ村が更なる混沌の未来へと進むことはなかったであろう。

 

 

 

 通常、自治体が海賊被害にあった際、その訴えは基本的に自治体が隷属する国家直属の治安維持組織が受理する。

 

 そして国家に属さない独立市町村に該当するシロップ村において、その訴えに応じることが出来る治安維持組織がたった一つだけ存在する。

 

 

 

 

 世界政府直属治安維持組織  『海軍』である。

 

 

 

 

 



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13話 オオカミ少年・Ⅳ

ちょっぴり長めなので挿絵は無いです。
楽しみにしてた人ごめんね…



大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖

 

 

 

 月明かりが雲に陰る深夜の東の海(イーストブルー)

 とある島を目指し、夜の陸風を手繰りながらジグザグに進む一隻の船影が光の間を縫うように進んでいる。

 

 

 『ゴーイング・メリー号』。

 

 メリー技師によって設計された、二本マストに角帆・三角帆の複合構成で航続性および機動性共に優れる初期キャラベル船の傑作である。

 

 高い経済性と汎用性を持つこの小型な帆船の船首に飾られているのは生き物の頭らしきモチーフ。

 羊ともチンアナゴとも見て取れるその奇妙なオブジェはどこかマヌケで愛らしい印象を抱かせる。

 

 そんな船首の上にぺたんと座りながら、麦わら帽子を被った骸骨の海賊旗が風にはためく様を感慨深げに見上げているのは、同じく麦わら帽子を被った一人の少女。

 

 その頭の帽子に因んだ海賊一味『麦わら海賊団』を率いる若き少女船長、モンキー・D・ルフィである。

 

 

(メリーだぁ…)

 

 船首の羊の頭を優しく撫でながら、麦わら娘はその見事な景色の特等席に腰かける。

 

 それは少女が夢見る時代の覇者、“海賊王”の夢の原点である、一人の少年が愛したお気に入りの場所。

 同姓同名の異性の彼が紡いだ海の王を目指す覇道の大冒険を、六歳のある夜の“夢”で見た少女ルフィは、こうして憧れであったあのメリー号を手にした幸せを大いに喜んでいた。

 

 人間である剣士ゾロや航海士ナミ、狙撃手ウソップたちは船長たる自分が女であったことで少なからず異なる一面を見せている。

 しかし船であるメリーは変わらず“夢”のまま。

 

 仲間たちの“夢”と現実の差異が気に食わないなんてことは決してない。

 確かにルフィ少年のものとは異なるが、今の自分が彼らと築いている絆はそれに勝るとも劣らない、命に代えてでも守りたいと思えるほど大切な宝物だ。

 “夢”のルフィ少年の絆と交換しろと言われたら全力で断る程には、この現実の仲間たちとの関係を少女は気に入っていた。

 

 だが“夢”と全く同じ存在であるメリーを手にした感動もまた、同様に大きいものであった。

 偉大なる先達である麦わら帽子の少年に対する大きな憧れは十年が経った今も尚、色褪せることはないのだ。

 

 これからこの船と共に巡る冒険の日々が楽しみで仕方が無い麦わら娘は、少しでも“彼女”(メリー)との有限の旅を楽しもうと、向かい風に逆らうその勇ましい姿を見つめ続けていた。

 

 

「ねぇ、ルフィ…アンタ、あの空気吸ってでっかくなるやつもう止めなさい」

 

「えっ、何で?」

 

「あまりにはしたなくて見るに堪えないから」

 

 後部(ミズン)マストで逆風を操り船を前に進める三角帆の原理に首を捻っていると、小さな船尾楼から出てきた一味の航海士がそんなことを言ってきた。

 相変わらず故郷の母親代わりであるマキノのように細かい人物である。

 

 この手の注意は何度もしつこく繰り返されることを既にあの酒屋の女店主との十四年にも亘る共同生活で身を以って知っているルフィは、神妙な顔で二度とやらないとその口煩い橙髪の少女に誓う。

 そして満足そうに頷きながら三角帆の調整に向かう女航海士の後姿を見送ったあと、麦わら娘は水平線上にその天辺を覗かせた一つの島へ視線を移した。

 

 

 シロップ村の島影が水平線に消えたのを確認した新生『麦わら海賊団』は今、とある一大作戦に基づいて日没を待ち、盗んだメリー号を半刻ほど前に取り舵一杯でゲッコー諸島へUターンさせていた。

 

 深夜の諸島へ突入する危険な航海をいとも容易く行う、その二十メートル前後の小型帆船の航海士の名はナミ。

 天才と形容することすらおこがましい超人的才覚を以って天候と海の動きを掴む優秀な人物だ。

 

 久々のマトモな帆船を操る機会に気分が高揚していた女航海士は早速船のクセを覚え、その扱いやすさに惚れ惚れする。

 

「それにしてもこの船イイわねぇ~!このまま海賊たち倒したらお礼にちゃんと貰えないかまた相談しましょ」

 

「オイオイ。村の皆の財布も酒もこの船も、ちゃんと“借りてるだけ”だって忘れるなよお前ら?」

 

 そんな彼女の希望に焦りを含んだ声で返事をする少年が一人。

 

 昨日一味に新規加入した、長い鼻が特徴的な狙撃手ウソップである。

 

「……お酒はもうゾロの胃袋の中よ」

 

「ゾロおおおっ!?」

 

 酒樽の底の木目に向かって叫ぶウソップ。

 すると少年に名を呼ばれた樽の隣に座る青年が、手元の木杯を高々と掲げ尊大な感謝の意を示した。

 

 一味最古参の戦闘員、“海賊狩り”の異名を持つ三刀流の剣士ゾロだ。

 

「おう、美味かったぜ」

 

「てめェ昨日あんなに神妙に頷いてたクセに早速作戦の真目的忘れてんじゃねェか!」

 

 騒ぐ二人を呆れた眼つきで眺めながら、ナミは今回自分たちが行っている作戦の原則を再度確認する。

 

「ったく、ちゃんとわかってるわよ。私たちの海賊行為も、ちびっこたちの誘拐も、近々襲ってくるあの執事の海賊団も、最後はぜーんぶ“嘘でした”がやりたいんでしょ?」

 

「ホント、ウソップ面白いこと考えるわね~。しししっ!」

 

 先刻、『麦わら海賊団』は海賊らしく無防備な村を襲い、村民たちから財を強奪し人質の四人の子供たちを得て島を去っていた。

 

 だが上機嫌に笑う女船長の言うとおり、先ほどのシロップ村での大騒動は、村の大嘘吐きウソップ少年の大規模な悪戯であった。

 人質の子供たちは何を隠そう、この長鼻の狙撃手が自称船長を務める『ウソップ海賊団』のクルーたち、にんじん・ピーマン・たまねぎ少年たちである。

 自称船長ウソップ含む彼ら四人の悪童たちの協力の下、『麦わら海賊団』は“いかにも”な海賊の船出を村人たちに印象付けることに成功していた。

 

 それらは全て、村に迫る真の脅威『クロネコ海賊団』の目を欺くため。

 

 あの高名な“海賊狩り”を警戒し牙を隠す海賊の親玉兼、富豪の執事クラハドールにその剣士ゾロが村を去ったと見せかけることが目的であったが、ただサヨナラと挨拶するだけでは味気ないと考えたウソップの提案で海賊らしい派手な船出を演出したのだ。

 

 そして今船を反転させたように、ルフィたち一味はまだ村を去るつもりは微塵も無い。

 密かに再上陸しゾロの出航を知った敵が鬼の居ぬ間に村を襲い掛かるのを待ち構え、それを撃退するのがこの作戦の肝である。

 

 それは簒奪者執事の率いる『クロネコ海賊団』の襲撃を防ぎ、自分たち『麦わら海賊団』も含めた海賊の襲撃そのものを全て“嘘”に仕立て上げるため。

 

 まさに“勇敢な海の戦士”による一世一代の大嘘吐きだ。

 

 

  ああ、そうだウソップ」

 

「何だよゾロ、飲んだ酒ならちゃんとメシ屋のおっちゃんに金払えよ?」

 

 ふと、程よく酒が回った剣士ゾロが思い出したように新入りの狙撃手に言い付ける。

 

「砲甲板に桟橋の奥にあった弾薬庫から弾と火薬を少しだけ積んでおいたぜ。狙撃手ならそいつで例の海賊団に当てて見せろ」

 

「へっ?」

 

 一瞬何を言われたのかわからなかったウソップは思わず情けない返事を返す。

 

「お前はおれら一味の狙撃手で、船には全四門の大砲がある。そしてこれから1日以内に接敵する。ウチの船長が認めたお前の狙撃の腕を俺たちに見せてみろ」

 

 その言葉で彼はようやく剣士の言わんとしていることが理解出来た。

 そしてそれは臆病な彼にとって極めて不都合なことでもあった

 

「い、いやいや待て待て!おれ大砲なんて生まれて一度も触ったことねェんだけど!?」

 

「お前はルフィに選ばれた一味の狙撃手だぞ?戦うことを除けばただの居酒屋の一人娘以下のコイツが、自分以上の無能を船に乗せるハズねェだろ」

 

「選ばれたって……」

 

 ウソップは唖然としたまま言葉に詰まる。

 そのまま沈黙してしまった長鼻の少年に苛立ったのか、ゾロが彼を睨みつけながら言葉を紡いだ。

 

「おれとルフィは戦える。ナミは船を操れる。お前は何が出来る?船内の隅っこで震えることか?お前は自分を見出してくれた一味の船長が  女が戦うのに、狙撃手として援護射撃の一つも出来ねェのか?」

 

 剣士の厳しい言葉が少年の臆病な心を苛む。

 

 もっとも、当のゾロは新入りのウソップに対する苛立ちはあっても、敵意や不快感は無かった。

 ただの村人である長鼻の少年が大切な者を救うために必死に敵に立ち向かおうとする、その潔い勇気。

 それはゾロをして人並みならぬ度胸だと認めるものであった。

 

 人見知りの激しいゾロは、役立たずを一味の一員と認めるつもりはない。

 

 だが同時に、あのルフィが興味を示した男が無能なワケがないとも確信していた。

 現に少女が目を付けていた航海士ナミは若くして卓越した航海術を持ち、優れた情報収集能力と鑑定眼、そして盗賊技術を有する極めて有能な女であった。

 

 此度新たに仲間に加えたウソップもあの少女船長が直々に勧誘した人物である。

 ただの凡才であるはずがない。

 

 故にゾロは臆病な少年に少し発破をかけるため、こうしてウソップのプライドをちくちくと刺激していた。

 

「…まあいい。武器も弾薬もあり、敵も選り取り見取りだろう。あとはお前の度胸だけだ。海賊を名乗るのなら嘘を吐くだけじゃ足りねェってことだよ」

 

「…ッ」

 

 小馬鹿にしたような口調で彼のヤル気を煽り、青年剣士は席を立つ。

 この男なら、これだけ言えば必ず勇気を振り絞ることが出来るだろう。

 

 少年の瞳に宿った決意の光に満足したゾロは、女船長の座る船首へと歩いていく。

 

 剣士の視線の先にあるのは『麦わら海賊団』の戦闘員としての二度目の敵が現れる決戦の地、シロップ村。

 

 戦う敵は知略を駆使し己の悪名を捨てた、器の小さい元海賊『“百計”のクロ』。

 三年という長い年月をかけて計画したことが屋敷の財産の簒奪という、実に小物臭い男である。

 

 だが以前の賞金額は1600万ベリーだという。

 先日自分に手痛い屈辱を、そして消えぬ胸奥の傷を与えたあの『“道化”のバギー』よりも格上だ。

 

 金額が直接戦闘力に直結するわけではないが、あのクソピエロに匹敵する曲者であることに変わりは無い。

 

(腹の傷もここ一日で随分と良くなった。美味い酒の効果だな)

 

 手元の木杯をぐいっと呷り、脇腹に滲む心地よい温かさを堪能する。

 先ほどの出航の夕日も美しかったが、夜の島というのもまた風情があるものだ。

 

 まろやかな蒸留酒の風味を楽しみながら、ゾロは来たる戦いに思いを馳せた。

 

(あと二、三日あれば体は問題ないだろうが……“剃”はダメだな。アイツの言う通り“覇気”で身体を強化出来るようにならねェとバギーのときのような速度は出せねェ)

 

 未だ抜けきらない麻痺毒のせいもあるだろうが、ここ数日の練習で一度も成功しなかった高速移動術を実戦で使用しようと思うほど剣士は傲慢ではない。

 『“百計”のクロ』との戦闘で再度、あの身体の動きが爆発的に良くなる現象が起きてくれないものかと期待はしているものの、それを前提に戦いを挑むことはあまりにも危険だ。

 

 何より、まずはこの奇妙な船首の上に座りながら不満げな顔でこちらの顔を見つめてくる過保護な女船長を説得し、戦闘許可を貰う必要があるのだが。

 

「ルフィ  

 

「ダメ」

 

「…………おい、まだ何も  

 

「そんなに“戦いたいっ!”って闘志昂らせてたら、私の見聞色の覇気ならすぐにわかるんだから…っ!ゾロは今回は戦っちゃダメ…!“お酒控えて”って船長の言い付けも守れない悪い子は知りません…っ!」

 

 即答であった。

 取り付く島もなく、少女が頬を膨らませながら声を抑えて叱ってくる。

 

 しかし引き下がるわけにはいかない。

 先日のバギーとの雪辱戦で成功した“剃”と覇気による身体強化の感覚を、両方とも忘れてしまう前に身に付けなくてはならないのだから。

 

「…まぁそういうなよルフィ。あんときは不覚を取ったが、今度は剣士殺しの悪魔の実の能力者じゃねェんだろ?」

 

「違うけど、それでもダメ…!バギーのときも私の目の前で戦ったのにあんな無茶して…っ!船医もいないのにまた大怪我したらどうすんのよ…っ!」

 

 だが全く聞く耳を持たないルフィに、ゾロは遂に声を潜めることも忘れ怒鳴ってしまった。

 

「お前はおれの母親か!」

 

「私はあなたの船長よ!」

 

 相手も限界だったのか、同じように怒張声を上げ睨み返してくる。

 

 その大声に反応したのだろう。

 シロップ村の村長宅から盗んだ海図を頼りに手ごろな海岸へ船を進めていたナミが、呆れた声で話しかけてきた。

 

「はいはい、島近いから静かに。船長なら船長らしくして、ゾロもダダ捏ねない」

 

「ダダじゃねェよ!戦闘員の仕事をしようとしてるだけだ!」

 

「それより中々良い入り組んだ海岸があったから、船泊めるのはそこにしたわ。難所で誰も近寄らないらしいけど、この私にかかればお茶の子さいさいよ!さぁ、海図の見方も知らないド素人諸君!目の前の天才美少女航海士を褒め称えなさい!」

 

 人の話を無視し、胸を反らしながら自慢げに己の力量を自画自賛する女航海士。

 詳しい事情は知らないが、余程凄いことなのだろう。

 

「わあっ!流石ナミ!頼りになるわねっ!」

 

「さぁ、みんな!私の言う通り後ろの三角帆を動かしなさい!石一つ掠ることなく完璧にこの岩礁の奥までたどり着いてみせるわ!」

 

「きゃーっ!ステキよナミ!  みんな聞いたわねっ?!ナミの言う通りにしなさい!船長命令よっ!」

 

「それは船長命令と言えんのか…?」

 

「追認もボスの仕事だし……まぁ、いいんじゃねェの?」

 

 素朴な疑問を残したまま、一味の四人は己の役割を全うすべく行動を開始する。

 

 そんな中、ゾロは未だに過保護な女船長を説得し戦闘許可を貰う術を考え続けていた。

 

 

 そして一味の新入りもまた、己の臆病な心との戦いを乗り越えようと、勇気を振り絞る……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島北海岸

 

 

 

 『麦わら海賊団』を名乗るふざけた三人組が去った翌日。

 

 シロップ村を脅かすもう一つの海賊一党『クロネコ海賊団』の首脳部では、大金を手にする一大作戦を前にした希望に満ちた状況とは真逆の、凍えるほどの恐怖が渦巻いていた。

 

 その空気を生み出しているのは、一党を束ねる悪名高き船長。

 

「ふざけんじゃねェぞ!!」

 

 怒鳴る男、名を『“百計”のクロ』という。

 

 シロップ村の富豪の屋敷を合法的に簒奪する計画を三年かけて準備してきた、“執事クラハドール”のアンダーカバーを持つ元賞金首の海賊である。

 

 先刻の警戒していた“海賊狩り”の船出の直後、自身の海賊一党へ村を襲うよう電波通信機器“電伝虫”で指示を出そうとしていた海賊執事。

 そんな中、彼を思い留まらせ、更にはこのように怒り狂わせる凶報が飛び込んできたのである。

 

 

 『海軍、シロップ村へ向かい出航』。

 

 

 屋敷の蔵の海賊被害を確認すべく主人である令嬢の側を離れていた一瞬の出来事であった。

 唐突に令嬢カヤよりその事実を知らされたクロは今、周囲の見回りを言い訳に屋敷を離れ、元部下の『“奇術師”ジャンゴ』と二人のみの海岸で周囲に怒鳴り散らしていた。

 

 全くの想定外。

 クロネコ海賊団は公には解散済み、ジャンゴもただの催眠術師としか知られていない、自分の正体などもっての他。

 

 だというのに、結果だけ見れば、己の与り知らぬところで状況はこれ以上ないほどに最悪なものになりつつあった。

 

「“海賊狩り”   いや“麦わら”!余計なことを…っ!」

 

 これならまだヤツらごと計画通り配下に村を襲わせたほうがよっぽどマシだった。

 しかし時既に遅し。海軍は通報を受け即座に出航準備を始めたらしく、既に事は動き出してしまった。

 

 クロが危惧している最悪は令嬢カヤの存在が海軍に知られることである。

 

 若く美しい病弱な令嬢が一人、大きな屋敷を守っている。

 善良な海兵ならおせっかいを焼きたがるだろうし、意地汚い者であればよからぬことを考えかねない。

 事実この自分がそうなのだから。

 

 だが海軍の接待を行うのは通報者にして村一番の有力者、つまりそのカヤ本人なのだ。

 

 

 そして何より、通報を受け取った巡回船のトップが問題である。

 

「…おい、本当にそのネズミだのマウスだのの海軍大佐ってのは下種で有名なのか?」

 

「あ、ああ。“海賊狩り”がヤったこの辺りの管轄だった“斧手のモーガン”がしょっ引かれた今、この海を一時的に担当してるのはソイツの第16支部だ。コノミ諸島を食いモンにしてるあの“アーロン海賊団”との癒着まで噂されてるクズ野郎だって聞くぜ…」

 

  ッックソがァァァっ!!」

 

 久々に聞いた小さな縁のあるモーガンの名に気付く余裕もなく、クロは怒りに身を任せ近くの崖をナイフで切り裂いた。

 三年のブランクを感じさせない彼の実力に奇術師ジャンゴは体を震わせる。

 

 二人は今、海軍参上という火急の件で計画を調整すべく集まっていた。

 

 だが“百計のクロ”の頭脳を以てしても、この危機的状況を打破出来る知恵は中々出てこなかった。

 

「お、おれの催眠術でネズミを  

 

「どうやって側に連れまわしてる海兵を処理するんだ!?一人ならともかく全員分の精密な記憶操作なんぞ出来ねェだろてめェは!」

 

 ネズミ大佐一人なら何の問題は無かった。

 下剤か何かでヤツ一人をトイレに誘き出して術をかけ、カヤと屋敷の事情を忘れさせればいい。

 記憶改竄なら既に三年前のモーガン海兵相手に成功しているため不安はない。

 

 だがそれほど名の通った小物なら必ず腰巾着がいる。

 おそらくはヤツが連れまわしているであろう取り巻き共だ。

 

 たとえネズミ大佐を処理しても、ソイツらが上司にカヤのことを思い出させてしまう可能性が高い。

 ジャンゴの耳に届いてくるほど悪名が知れ渡っている軍人が未だに失脚していないのは、ヤツが恐ろしく姑息だからだろう。

 

 その手の連中の考えなど同族の悪人としていくらでも考えられる。必ず至るところに己の耳や目を紛れ込ませているはずだ。

 それこそ復興支援の人数合わせに村を訪れるであろう二等兵以下の雑兵たちの中にも。

 

 カヤの存在を知ったネズミ大佐とその取り巻きが、彼女を逃がすことは絶対にない。

 

「取り巻きがどこにいるか、どこでお嬢様の話を聞きつけてくるかわかったモンじゃねェ!あのお人よしの村人共ならその辺を歩く半舷上陸中の海兵見習いにだってペラペラとあの女のことを喋っちまうんだろうぜ、クソがよぉっ!!」

 

「そ、そりゃあどうにもならねェな…」

 

 

 いっそのこと村そのものに入られる前にヤツら海兵全員を一箇所に集めて一網打尽に出来ないものか。

 

 単純な動きに限るのならば、ジャンゴの催眠術でも大人数を操れる。

 クロの切り札の一つだ。

 

 何か無いものか。

 上陸してくる連中を全て同時に操り、尚且つこの島へ巡回することになった原因の通報そのものを無かったことにさせる方法を。

 

 クロは全力で頭を振り絞り  ふと隣の男の顔を見た。

 

 

  何だ、目の前にあるじゃねェか。海兵共を船ごと一箇所に集める最高のコマがよぉ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖

 

 

 

「間もなく作戦海域へ突入します、大佐」

 

「…ああ」

 

 うっすらと白ずむ東の海(イーストブルー)の洋上に一隻の船影が浮かんでいる。

 

 朝日に少しずつ照らされるその識別旗に描かれているのは、白地に羽ばたく一羽のカモメ。

 世界政府直属治安維持組織『海軍』を象徴する海軍旗である。

 

 現在この海軍艦船は進路をゲッコー諸島へと向けて進んでいた。

 先日、諸島のシロップ村の有力者から彼ら海軍第16支部へ届いた海賊被害届に対する救援作戦を行うためだ。

 

 だが船内の士気は決して高いとはいえなかった。

 

「チッ、何故この私がこんな面倒なことを…」

 

「…第153支部崩壊の影響です」

 

 奇妙なネズミ耳が付いたフードを被る中年の細い男が艦長室で数名の海兵と共に悪態を吐いていた。

 

 この男、名を海軍支部大佐ネズミという。

 東の海(イーストブルー)では名の知れた人物で、海賊との癒着により巨額の富を築いていると噂される悪徳軍人である。

 決定的な証拠を残さずコソコソと私腹を肥やすその姿から『“灰色”のネズミ』と揶揄されている男だ。

 

 部下を金で買収し、その証拠を自ら握ることで支部の統率を完璧なものとしているこの小悪党は、一週間ほど前に起きた東の海(イーストブルー)を震撼させたあの大事件の余波を受け、一時的にここゲッコー諸島近海の管理を任されていた。

 

「“麦わら海賊団”か…」

 

「麦わら帽子を被った薄着の女と、三本の刀を差した剣士。準備中の『バスターコール』司令部からの報告と一致します。また支部崩壊事件以後参入したと思われる、もう一人のオレンジ髪の女泥棒の情報もあります」

 

「チッ、面倒な…」

 

 ネズミは部下の言葉に不愉快そうに舌打ちする。

 海兵の言う通り、彼ら第16支部が現在捜索中の海賊が例の大事件の当事者たちの特徴と合致しているのだ。

 

 

 一週間ほど前、某島の港町シェルズタウンにある海軍第153支部の中央基地施設が突如縦に真っ二つに裂けるという常識を疑う出来事が起きた。

 

 当初、緊急報告を受けた海軍上部組織『海軍本部』の担当官は耳を疑った。

 鋼鉄とコンクリートで作られた強固な基地施設の壊滅など、魑魅魍魎が蠢く偉大なる航路(グランドライン)でもそうそう起きない一大事である。

 建物の“両断”ともなればまさに前代未聞。

 

 どうやら海軍本部は此度の一件を異常なまでに重く受け止めているらしく、既に犯人確保を目的とした極めて有力な討伐部隊が目下編成中のようだ。

 

 そして肝心の東の海(イーストブルー)海軍支部では全ての支部次官が緊急会合を行い、事態の究明と犯人の追跡及び情報収集に徹し、犯人一味に対する直接戦闘厳禁の旨が確認された。

 

 

 当然ネズミ大佐も会合の決定を把握している。

 

 故に目立たずコソコソと海賊から賄賂を集める彼のような小悪党にとって、このような海軍・海賊間の力関係が大きく変化する事態は実に不都合極まりないものであった。

 

 その渦中真っ只中にいる犯人と思しき人物が起こした出来事に関わるなど、以ての外である。

 

 

「フン、まあいい。それより通報者の番号がワケありだという話は裏を取ったか?」

 

 面倒事から目を逸らしネズミはこの被害届に応じた最大の理由である、とある情報の真偽確認を命じていた部下に問う。

 

「はっ!今回使用されたものは東の海(イーストブルー)を中心に活動する船舶事業の有力者一族に配布された優先出動番号ですが、当主は既に一年前に他界しており現在は遠縁に当たる人物にほぼ全ての権限が譲渡されております。しかし此度の被害届は前当主の実子を名乗る女性から出されたものであり、通信履歴も少ないことからおそらく両家のつながりは極めて限定的であると考えられます」

 

「チチチチ…そいつは素晴らしい。ワザワザ足を運んだ甲斐があったというもの」

 

 海軍支部大佐はニヤリと嗤う。

 まさかこれほど美味しい話が転がっていたとは。

 

 当主の死で後ろ盾を失い滅んだ名家の話は無数にある。

 その中でも、此度のような若い女が残された家の遺産を一人で管理している状況は非常に珍しい。

 

 興奮した面持ちで彼は件の通報者に関する資料をペラペラと捲る。

 収入が村との小さな取引の極小海運業のみでありながら、高等使用人である執事を10数名も雇い続けている富豪の令嬢。

 おそらくかなりの資産を蓄えていることだろう。

 

「……管轄が私の手を離れたら取引相手の適当な海賊団にあの村を襲わせたいな。情報料だけで億は行くかも知れねェぞ、チッチッチッ…」

 

「億……」

 

 一同がその金額に唾を飲む。

 

 一蓮托生と割り切っているネズミ配下16支部の海兵たちは強い結束力を持つ。

 ボスの破滅は自分たちの破滅であり、ボスの利益もまた自分たちの利益となるのだ。

 

 最早彼らは羽ばたくカモメを掲げただけの、れっきとした犯罪者であった。

 

「…よし。船員は1・3・5・7班の半舷上陸を許す。1班は村民と可能な限り友好的な関係を築き件の通報者の令嬢に関する直近の情報を入手。3・5・7班は島の地形調査を行い襲撃計画立案に役立てろ。船の指揮はラット次官に任せる」

 

「はっ!」

 

「後はそうだな、確か“海賊将軍ギャンザック”が村人に反逆されて拠点を失っていたはずだ。弱体化した今ならかなりこちらに有利な条件で取引を交わすことが出来るだろう。ヤツに令嬢の情報を流し村を襲撃させる。担当に通達しろ!」

 

「はっ!」

 

「今海軍本部では件の支部崩壊の犯人を捕らえる一大作戦が準備中だ。既に上のお偉方が直々に調査に東の海(イーストブルー)を巡回しているらしい。知られないよう急いで令嬢の財産を手に入れるのだ!」

 

『はっ!』

 

 矢継ぎ早に指示を出し、ネズミは大きな高揚感と共に自分の椅子に深く座り込んだ。

 

 村に着いたらこちらの印象が悪くならない程度に訴えを聞き流し、適当な被害総額を見積もり本部に提出すればこちらの関与は疑われない。

 後は海賊との交渉さえ上手く行けば、自分は何の危険も冒すことなく大金を手に出来る。

 

 あくどい笑みを浮かべながら自分の手元に転がり込んでくる富を妄想する海軍支部大佐であった。

 

 

 だが次の瞬間、ネズミは気付かされた。

 カモを狙う悪い猟師が、決して自分だけではなかったことに。

 

「ほ、報告します!10時の方角に海賊船を確認!旗は不明!」

 

「何だと!?」

 

 慌てて艦橋へ登り観測員から望遠鏡を引っ手繰る。

 続いて続々と集結する幹部たちを尻目にレンズを覗くと、報告どおりの海賊船が目に飛び込んできた。

 

 灯りを全開にしながらこちらへ近付いてくるその船は異様だった。

 

 白ばみ始めた夜海にぼんやりと見えるのは、猫の顔に似た奇妙な造形物を艦首に飾ったキャラック船。

 そのメインマストに高々と掲げられていたのは同じく猫を象ったジョリー・ロジャー。

 

 船員が最も油断する夜明け間近を狙った、王道の海戦である。

 

 これから一儲けしようというときに、とんだ邪魔が入ったものだ。

 

「チッ、総員戦闘準備!観測員、年鑑は確認したか!?」

 

「はっ!本年度の海賊年鑑に収録されている海賊旗ではありません!」

 

「バカな!東の海(イーストブルー)であの規模のキャラック船が近年海賊の手に渡ったなどという情報は無い!過去5年間の収録も合わせてもう一度調べ直せ!再結成した海賊団かもしれねェ!」

 

「はっ!」

 

 悪徳支部に所属するとはいえ、腐っても海軍。

 目を見張るような速度で戦闘準備を整えるその姿は、軍を名乗るに相応しい練達した兵たちのものである。

 

 着々と弾薬がカノン砲に装填されるなか、海賊団の情報を記載した『海賊年鑑』を再確認していた海兵が一人声を上げた。

 

「海賊旗を確認!敵は“クロネコ海賊団”!三年前に船長“百計のクロ”がモーガン元大佐により捕縛され解散が確認された一味です!」

 

「何ぃ!?またモーガンか、クソったれ!!」

 

 ネズミは爪を噛みながら苛立ちに歯軋りする。

 

 自分がこの海域の管轄になったのも、目の前の海賊団も、元を辿れば全てあの第153支部と共に吹っ飛んだモーガン大佐が関係していたのだ。

 

 まるっきり偶然なのだが、ネズミにはまるで全てがつながっているように感じ、彼の不快感はピークに達する。

 大佐は深呼吸を繰り返し一先ず己の怒りを静めることにした。

 

 そしてしばしの間逡巡する。

 

(ここで戦い被害を出すのは勘弁蒙りたい。適当に応戦しつつ一度海域を離脱するか…?)

 

 だがネズミの小悪党としての本能が、これが決して不幸な遭遇戦ではないことをしきりに己に訴えてくる。

 

 そもそも一般的な海賊はその粗暴な印象に反し、決して無意味な戦闘行為を行わない。

 戦うと武器弾薬を消耗し、怪我人の治療のために医療用品や薬も使わなくてはならなくなる。

 

 当然構成員たちにも報酬を支払わなければならない。

 いずれも決して安価なものではなく、戦うときは必ず勝利と利益の両方を確信してから行動に移す。

 そのため彼らは決まって商業航路の上に縄張りを作り、海流や難所の把握はもちろん、通年の天候気温に至るその海域の全てを知り尽くした上で、通過する戦闘能力の少ない商船ばかりを狙うのだ。

 

 つまり、こちらが利益の全く出ない戦闘艦、しかも海軍艦船であることを確認したうえで逃亡せずに攻撃してくるあの海賊団には、不利益どころか大損害を覚悟してでも守りたい何かがあるということ。

 

 三年間の時を経て再結成した野望多き一味が、こんな辺鄙な海域で臆せずに海軍艦船へ戦いを挑む理由などそう多くは無い。

 

 

 そしてネズミは本能で、その理由の正体を言い当てた。

 

「資産だ!あの連中、女が管理する名家の資産を狙ってやがる!!」

 

「た、大佐!?」

 

 その叫びに困惑した声を上げる自分の部下を無視し、ネズミは己の本能が出した答えに理屈を付けようと頭脳を高速回転させる。

 

「通報者の女は村のガキ四人と帆船を“麦わら海賊団”を名乗る連中に奪われたと言っていた!だがそれが奪われた物の全てではなかったらどうだ?!船長不在で燻っていた“クロネコ海賊団”が連中の傘下に入り、“麦わら”が富豪の資産を盗み取った…!“クロネコ”は通報を受け出動した我々海軍を足止めし“麦わら”の逃走の時間を稼ぐ!辻褄は合う!こんな辺鄙な海域に一度に二度も異なる海賊団が出現する理由なんぞ、あの資産のほかに何がある!?」

 

「ぐ、具申致します!古参の“クロネコ”が新参の“麦わら”と手を組み、あまつさえ囮を引き受けるとは考えにくいかと…っ!」

 

「バカが!“麦わら”はあの海軍支部崩壊事件を起こした犯人でほぼ間違いねェんだぞ!?古参だろうが船長不在の海賊団の一つや二つ簡単に従わせる程度の実力はあるはずだ!」

 

 己の推理に自信を持ったネズミは目の前に迫る海賊船を睨みながら、悩みに悩む。

 

(どうする?あの富豪の資産は諦めるか…?)

 

 大金を失うのは惜しいが、今自分たちが損害を受けるのは時期が不味い。

 海軍本部の有力部隊の件ももちろんだが、そろそろ今月分の貢金の回収に海賊共のアジトを巡らなくてはならないのだ。

 

 だが耳聡い連中ならここ最近の海軍の活発な動きを警戒しているだろう。

 海賊側はこちらの情報を探ろうと、貢金の支払いの際には色々と駆け引きを行ってくる可能性がある。

 そのような険呑な空気の中でボロボロの巡回船で連中のアジトに乗り入れては侮られてしまう。

 

 交渉事において侮られることは敗北と同義。

 

 だからこそ、この巡回船の被害だけは最小限に止める必要がある。

 ここで冷静さを欠いては既に手にする事が確定している金を掴み損ねてしまうだろう。

 水面に吼えて咥えた肉を愚かにも手放すほどネズミは短絡的ではない。

 

 小悪党は想定される利益と損失を天秤にかけ、決断した。

 

「船速最大、取り舵いっぱい!当海域を一時離脱する!」

 

「…ッ、はっ!」

 

「連中の出方を見る!ただの時間稼ぎならこちらを執拗に追ってくることは無いはずだ!ならば我々にも付け入る隙はあるぞ!」

 

「はっ!!」

 

 姑息な海軍支部大佐『“灰色”のネズミ』は部下に命令し、巡回船に敵海賊船から距離を取らせる。

 

 数発の大砲による応戦があったが、ある程度距離を稼いだ後に『クロネコ海賊団』はゆっくりとゲッコー諸島へと引き返していった。

 

 

「大佐、敵が退いて行きます!」

 

「随分あっさりと追撃を諦めたな。敵も被害を減らしたいようだが……他に重要なことでもあるのか?」

 

 『麦わら』および『クロネコ』の両海賊団が共同戦線を張り、なおかつ富豪の資産が既に彼らの手元にあるという最悪の状況を前提で作戦を立てるネズミ。

 彼は敵の油断を誘うべく、海賊船が水平線の向こう側に消える瞬間をただひたすらに待ち続ける。

 

 そして夜明けと共に再度巡回船を反転させた。

 

「無茶はしないが、隙は逃さねェ。最悪奪われた財産を溜め込んでる連中のアジトを把握出来れば十分だ。……どの道“麦わら”はもうじき来る本部の討伐部隊に討ち取られる。我々はその後でじっくりと連中の家捜しをすればよいのだからな、チチチチ…」

 

 

 先週の大事件の犯人を討つために、あの国家戦力規模の大艦隊による無差別破壊命令『バスターコール』までもが準備されている事実。

 それを隠しもせずに下部組織『海軍支部』へ通達してくることからも、海軍本部が連中の撃滅作戦に込めている意気込みを感じる。

 

 どうやら例の討伐部隊もあの支部崩壊事件以上に前代未聞の大規模なものになるらしい。

 

 

   『麦わら海賊団』は必ず倒される。

 

 

 偉大なる航路(グランドライン)のマリンフォードで作戦発動の命令を今か今かと待っているであろう海軍本部の超戦力の戦果に便乗し、倒された海賊団の遺産を狙う。

 僅かな危険で最大の成果をあげる理想的な作戦に、ネズミ海軍支部大佐以下第16支部一同は大きく士気を上げ、撤退した『クロネコ海賊団』を追って連中のアジトを突き止めるべく船を進ませた。

 

 

 子供思いの、そして友人思いの病弱な令嬢の願いで、彼ら悪童四人組の救援作戦のために出航したはずの巡回船。

 

 正義を名乗る彼らは、最早シロップ村の海賊被害のことなど完全に眼中に無かった。

 

 





カニ親父ことギャンザックさんの話はいずれウソップ編の前に挿し込みますので、しばしおまちを


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14話 オオカミ少年・Ⅴ

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島沖

 

 

 

 燦々と降り注ぐ太陽に照らされキラキラと輝くオルガン諸島沖の洋上で、数名の男たちの荒々しい声が木霊していた。

 

 声を辿り進むと、一隻の大きな軍艦の威容が眼前に現れる。

 灰色の猛犬の頭部を象ったその巨艦の頂点に掲げられているのは、白地に羽ばたく蒼翼のカモメ。

 

 海軍  それもここ四海(ブルー)ではめったに見かけない『海軍本部』の主力艦、一等砲塔装甲艦だ。

 

 勇ましい戦列砲が鈍色に光るその軍艦の甲板では、周囲に響き渡る声と同じ数の海兵たちが汗水垂らし互いに木刀を打ち付け合っていた。

 海軍本部新兵の基礎剣術訓練である。

 

「よし、あと百回」

 

「ひゃひゃくぅぅ!?」

 

「くぅ……ぐうううっ!」

 

 樟脳の臭いが漂う楠木の甲板に倒れ伏しているのは、ボロボロの水兵服に身を包んだ若い少年と青年の二人。

 厳しい訓練に音を上げつつも何とか立ち上がろうとする若者たちに小さく微笑みながら、彼らの教官らしき男が木刀を振り下ろす。

 

 それを合図に洋上に木材がぶつかり合う高い音が再度木霊し始めた。

 

 

「随分見込んでるのね、ガープさん」

 

 突然、教官の背に暢気な声が届く。

 聞き覚えのあるそれに咄嗟に振り向き、どこから持ってきたのかビーチチェアに寝そべる客人へ男は礼をする。

 

「はっ、シェルズタウン支部崩壊の際に当艦にてガープ中将が引き取られました雑用の者たちです。中々見ごたえがあります」

 

「いや、所属も違うし…こちとらただの暇人なんだからそんな畏まる必要ねェよ…」

 

 ビーチチェアの日陰からのそのそと起き上がり僅かに渋い顔を作る長身の男。

 何ともノンビリとしたその姿勢に緊張が解れ、教官の男は肩の力を抜く。

 

「本官も事情は聞き及んでおります。……というか上司が当事者なんですけど、このクソ忙しいときに閣下が暇とか何かの冗談ですか?」

 

「お、いいじゃねェの。そういう感じ好きよ」

 

「光栄です」

 

 自由人の上司でこの手の人間の扱いに慣れている教官の男は、客人のささやかな賞賛にしれっと礼を返す。

 

 彼にこの男のノリに便乗するつもりはあまり無かった。

 それより、自堕落な上司の副官として彼に尋ねたいことが幾つもある。

 

 折角の機会。教官の男は目の前の客人に直球で質問を投げ掛けた。

 

「……作戦の発令はいつ頃になりそうですか?」

 

「さァな……おれの貴重な休暇を使って現地見て来いだなんて裏技使うくらいだ。大前提のヤツらとの“休戦”はよっぽど絶望的なんだろうな、ヤんなっちゃうぜ…」

 

 この男の休暇が貴重とか何かの冗談かと問いたくなるが、教官の男はその思いを無視し話題を続ける。

 

 上層部の事情は理解出来たが、欲しかった情報ではない。

 もう少し具体的な時期を把握しなくては上司の怠惰が更に悪化してしまう。

 

「つまりただ徒に本部に戦力を留めているということなのでしょうか?」

 

「君…そういうこと言っちゃダメよ。あれでも一応ヤツらへの牽制になってくれるかも知れねェんだから」

 

「…余計に拗れそうな気がしてならないのですが、元帥閣下の許可は下りているのですか?」

 

「いやほら…流石に四皇本人と四皇の幹部が直接乗り込んで来るならこっちも本気度ってのを見せねェと…」

 

「…方々はバスターコールの戦力程度で連中を威圧出来るとお考えなのですか?」

 

「……なんで副官ってこんな怖いヤツらばっかなの…?」

 

 眉を顰め嫌そうな顔をする客人に、教官の男は小さく溜息を吐く。

 結局これほど高位に位置する将校であっても全く先の展望が見えないくらい、上層部は混乱し続けているらしい。

 

 『新世界』の戦力均衡とは現在もそれほどに危ういものなのだ。

 

 

「そういえば副官君は例の子に何度も会ってたんだよな。どんな子?美人?ボイン?凄ェボイン?」

 

 どうやらこの話題はお気に召さなかったようで、客人がわかりやすく話を変えた。

 

 大した情報を得られず期待を裏切られた教官の男は、憂さ晴らしにこの傍迷惑な男に無理難題を突きつけ返す。

 

「…ガープ中将にお尋ねされてはいかがですか?今なら片手が動かせませんので、“代償”も少なくて済むかもしれませんよ?」

 

「ッ、バカ言っちゃいけねェ…!あの孫バカ爺さんにンなコト訊いたら殺されちまう…!」

 

 彼らしくない慌てた態度に男は溜飲を下げる。

 

 人間、誰しも常に気を張り続けていられるわけではない。

 

 教官の男が新兵の訓練に熱を入れているように、この客人にとっては気楽な外出や、こうして誰かと交わす世間話が彼なりの息抜きなのだろう。

 

 もっとも、本人が会いに来た人物はこの教官の男の上司に当たる  

 

 

  何じゃ、こっち来とったのか」

 

 

   自身の噂にひょっこりと現れる、このモンキー・D・ガープ中将だ。

 

「ご無沙汰です、ガープさん。ちょいと遊びに来ました」

 

「ふん、どうせセンゴクのクソジジイの差し金じゃろう?やじゃやじゃ、わし帰らないもん!」

 

「幼児ですか、全く…」

 

「いやルフィちゃんの真似じゃ、似とるじゃろうボガード?ぶわっはっは!」

 

「…お孫さんにもう片方の腕も潰されますよ?」

 

 陽気な笑い声を甲板中に響かせる恰幅のよい老将と、その元弟子。

 二人の会話は  一部の地雷を除けば  いつだって極めて穏やかで気楽なものであった。

 

 教官の男、ボガードは隣で艦の最上位の人間の登場を敬礼で迎え入れるべく訓練を中断した二人の若者、雑用のコビーとヘルメッポに剣の形を再開させる。

 姿勢は立派だが、その実、休息を入れようとサボっているだけなのが丸わかりだ。

 

 

 この雑用二名は先の客人との会話の通り、例の大事件で崩壊した海軍第153支部における実態調査の際に人員整理で引き取った者たちである。

 

 片割の少年コビーがまさかの孫娘の友人であることを知ったガープが、愛しの“ルフィちゃん”の近況報告と武勇伝を聞き出すため強引に自艦に乗せたのが事の始まり。

 周囲の証言でもう片方の雑用ヘルメッポも少女と縁があったことがわかり、上機嫌のままオマケ扱いで乗艦させられたこの青年も、弱音を吐きながら何だかんだで元海軍支部大佐の息子に相応しい優れた武の才能を開花させていき、二人は今に至る。

 

 なお青年のほうは孫娘とどのような縁があったかは頑なに語ろうとしないため、老将の興味と稽古が専ら少年のみに向いてしまっているのが、ここ数日のボガードの小さいほうの悩みである。

 

 

 大きいほうの悩みは言わずもがな、先ほどから交わされる上官二人の会話の内容の通りだ。

 

「じゃから既に言ったはずじゃ!わしはルフィちゃんに今年のお誕生日プレゼントを手渡しに行かねばならんから忙しいと!」

 

「いつまで現実逃避してるんですか…。気持ちはわかりますけどね、お孫さんはもう海賊になっちまったんですって。海軍中将がそう気軽に海賊に会いに行けるわけねェでしょうが…!」

 

 

 『ルフィちゃん』。

 

 英雄中将の自慢の孫娘の名である。

 

 先週の海軍第153支部崩壊の主犯であり、彼女はここ東の海(イーストブルー)で名の知れた剣士『"海賊狩り"のゾロ』を仲間に引き入れるために支部の運営されているシェルズタウンを訪れていた。

 そこで捕らえられていた“海賊狩り”を救う際に海兵の攻撃を受け、その報復として基地施設を踵落としで両断したことが此度の現地調査で判明している。 

 

 僅か六歳で常軌を逸するほどの強大な覇気に目覚め、その後も凄まじい早さで成長を続け、今や単独で海軍本部を壊滅させられると祖父ガープに称えられるほどの圧倒的強者だ。

 

 幼いころから()の四皇『“ビッグ・マム”シャーロット・リンリン』もかくやと言わんばかりの超人であった彼女に、海軍は十年前から熱視線を向け続けていた。

 特殊体術“六式”はもちろん、保有する“ゴムゴムの実”の能力の戦法考案や、専門家による“生命帰還”の特訓、果てには軍部内での地位の保証など、祖父ガープを通じて様々な支援を若き英雄候補に行ってきた。

 

 

 その期待の英雄候補の  この忌々しい闇黒の世、大海賊時代を終らせるはずであった女勇者の  突然の海賊堕ち。

 

 上層部の大混乱も無理は無い。

 

「そろそろ逃げてないでセンゴクさんとこ帰りましょうよ、一緒に頭下げてあげますから。お孫さんが海賊になったって聞いてあの人一気に二十年くらい老けちゃって…もう見てらんねェんですよ」

 

「ぶわっはっは!何言っとるんじゃ、お前は!ルフィちゃんはのう、ルフィちゃんは  ルフィちゃんは…………うおおおんルフィちゃあああん!!何で…っ!何で…っ!!」

 

「あらら、また始まった…」

 

「何でいつまで経ってもわしの『”英雄ガープ”ファングッズ』のお誕生日プレゼントを受け取ってくれないんじゃァァァっ!!」

 

「そっちかよ!?」

 

 常にボケる立場であるこの客人にツッコミをさせることが出来るのは、同じ海軍内でもかつての師であるガープ老のみ。

 

 何年経っても変わらない関係に男は苦笑しつつも、永遠に目指すべき目標として目の前の老将を尊敬し続けていた。

 

 …もっとも、尊敬し辛い側面もあるのだが。

 

「ふん!現実逃避も何も、わしはルフィちゃんが選んだ道にケチ付けるような小さい男じゃないわい!海賊になったのならいつでも仕事で捕まえに行く名目で会いに行ける上、捕まえても監視の名目で牢屋まで会いに行けるじゃろう?ルフィちゃん……海賊に堕ちても、じいちゃん孝行すぎて…わし泣いちゃうっ!うおおおんルフィちゃあああん!!」

 

「……副官君、いつからこんな孫バカ悪化しちゃったの?」

 

「割といつもこんな感じですが、何かおかしなところでも?」

 

 今までは比較的仕事の話や雑談が多かった両名だが、孫娘に会いに行く英雄中将と常に行動を共にし、孫娘本人とも面識のある副官ボガードが見てきたガープの祖父としての顔は、流石の元弟子であっても初めて目の当たりにするものであった。

 

 これまでの孫自慢である程度予想は付いていたものの、まさかこれほどとは。

 そんな客人の男の顔には隠しきれない呆れが浮かんでいた。

 

 とはいえ、この英雄殿の人間性に呆れるのはいつものことなので、最早本人さえも特に気にしたことはない。

 大雑把な彼らならではのコミュニケーションの一つだろう、と客観的に二人を見るボガードは推理する。

 

「じゃがやはり心配じゃ……。ルフィちゃん、ここ数年で益々器量好しの究極超絶傾国美女になって……海のクズ共と船の閉鎖空間で何日も一緒におって不埒なマネでもされたらと思うと――うおおおっ!!誰じゃァわしのルフィちゃんを汚そうとするボケナスはァァァッ!!?」

 

「…ガープさんのその腕を縦に真っ二つに出来るモンスターが東の海(イーストブルー)の海賊如きに危ない目に遭うワケねェでしょう。……にしても“美女”か  ッゴハァァァッ!!?」

 

「ボケナスは真横におったわっ!!なァにわしの可愛い可愛い孫娘に色目使っとんじゃ死に晒せ青二才ィィィッ!!」

 

 二メートルを優に超す長身が光の速さで巨艦の中央楼に激突し、ガラスのようにバリィィン!と無数の破片に砕け散る。

 この客人が有する、己の実体すら捨て去ることの出来る最上位の悪魔の実の能力だ。

 

 破片のまましばらく目を回していた客人であったが、その身体はまるで彫刻のように少しずつ原型を取り戻していく。

 そして副官ボガードは復活した男の纏う空気が変化しているのを読み取った。

 

 どうやら世間話は終わりのようだ。

 

 

「……今おれとガープさんで挑んで、勝てますかね…?」

 

「無理じゃ」

 

「即答ですかい…」

 

 鼻を小指でほじくり、引きずり出した固形物を指で丸める老将。

 その機械で補強された痛々しい左腕を一瞥し、客人の男は溜息を吐く。

 

「若いころのわし以上の武装色、究極の“未来視”の見聞色、覇王色の覇気に至ってはロックスのジジイさえ上回るほどじゃ。わしの孫とは思えん突然変異じゃよ、あの子は」

 

「……何度聞いても気がおかしくなりそうな例えの羅列ですね」

 

 覇気使い同士の戦いは有する覇気の優劣で全てが決まる。

 その全てにおいて彼の孫娘殿の比較対象に上がるのが、時代を築いた伝説と謳われる海兵海賊たち。

 

 まるでこの世の覇者たちの力が一人の少女の肉体に集ったかのような戦闘力に、男は天を仰ぐ。

 

超人系(パラミシア)の能力は覇気との相性が良いのじゃ。自然系(ロギア)の力に頼りがちのお前じゃ、最初から覇気の重要性を自覚し、一番伸びる幼少期にわしが鍛えまくったルフィちゃんに先制でド頭ぶん殴られて終わりよ。相手が悪い」

 

「…ボルサリーノのヤツも教官に似た様なこと言われたって言ってましたよ」

 

「あの石頭ジジイは覇気で大将にまでのし上がった男じゃ。覇気の鍛錬に対する厳しさは海軍随一よ。それに見聞色の覇気さえ磨けば無敵になれる光人間のアイツはお前とはまた違った事情がある。同列にするだけ無駄じゃ」

 

「……やっぱ無理か」

 

 口惜しそうな顔で見つめてくる客人にガープが笑って返す。

 何とも彼らしくない悩みを抱えているものだ。

 

「若造が年寄りの進退問題を心配するモンじゃなかろう!二人でルフィちゃんを手土産に本部へ戻るなぞ夢のまた夢じゃ!さっぱり諦めんか」

 

「……はぁ…身内の不始末なんて馬鹿げたことで辞めないでくださいよ…?これでもおれ、ガープさんのこと尊敬してるんですから」

 

「ぶわっはっはっは!何じゃ殊勝じゃのう!……センゴクのジジイめ、そんなに怒り狂っとるのか?やっぱもうちょっとノンビリしてから  

 

「さっさと叱られて来て下さい」

 

 逃げようとする上官を何とか羽交い絞めにする客人の姿から目を逸らし、剣術の形を繰り返す雑用二人に細かい注意をする副官ボガード。

 

 そんな彼の下に、一人の部下が紙を片手に甲板を上がり近づいて来た。

 

 通信室を任せている少佐の持ち寄ったその報告を耳にしたボガードは、嫌な予感が背筋を這い回る感覚に犯される。

 面倒な  非常に面倒な仕事が来るときに決まって感じる、第六感の直感のようなものだ。

 

 一瞬、管轄外を言い訳に情報を握りつぶそうかと魔が差すが、しばしの逡巡の後、部下が送る白い目に観念して報告することにした。

 

 

「ガープ中将、これより通過する海域より救難信号を受信しました。識別番号は『第16支部』の海軍艦船です。……いかがなさいますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島北海岸

 

 

 

 シロップ村が営まれている小さな島。

 

 本日、夜明けと共にこの島の北方にある海岸に数十人ほどの粗暴な男たちが現れた。

 その後ろで堂々と佇む巨船に掲げられている海賊旗が彼らの正体を万人に宣告する。

 

 

 『クロネコ海賊団』

 

 三年前に船長『“百計”のクロ』の逮捕と共に解散したはずの海賊たちは今、復活した親玉の号令で結成以来の一大作戦に従事していた。

 

 闇に潜む自分の代わりに船長を任せた『“奇術師”ジャンゴ』の満面の笑みを見ながら、執事クラハドールこと“キャプテン・クロ”は昂る感情を抑え静かに言葉を投げかける。

 

  状況を報告しろ」

 

「おう、こっちは上手く行ったぜ!連中こっちが追いかけたらすぐビビって逃げ出しやがった!」

 

 興奮しながら奇術師が先ほどの海軍との遭遇戦について語りだす。

 部下と船を託し海軍艦船を追い払う、可能ならば沈めるよう命じていたが、どうやら最低限の仕事はしてくれたようだ。

 

 だがクロは受け取った情報に不審な点を見つける。

 

「……すぐ逃げ出しただと?」

 

「ん?ああ、相手はあの小悪党だからな。利益にならねェ戦闘は一切しないと聞いていたが、どうやらその通りだったらしい」

 

 気楽そうに「拍子抜けだったぜ」と笑うジャンゴ。

 男の能天気な姿に執事は眉根を寄せる。

 

 相手は腐っても海軍である。

 市民から通報を受けそれに応じた以上、作戦行動中に遭遇した海賊に威嚇されただけで怯えて撤退するわけが無い。

 正義を語る者は、その代弁者としての面子を放棄することは許されないからだ。

 

 クロは連中があっさり撤退した理由について少しだけ考えを巡らせる。

 そしてボスの無言に焦れ始めたジャンゴに指示を出した。

 

「戦闘員は予定通りに上陸したここ北海岸からシロップ村を襲わせる。だが砲手含む非戦闘員は全て船に残し、戦闘員の上陸が完了次第すぐに島を出航して近海を見張らせるんだ」

 

「なっ、お前まさか逃げた海軍がまた引き返してくるって思ってんのか!?」

 

「逆に何故海軍が海賊を前にあっさり手を引いてくれると思えるんだ、バカか?こちらの出方を慎重に見極めようと一時的に撤退したってのがオチだろうが」

 

 そのようなことも見抜けない馬鹿な部下に苛立ち、執事は近くの崖に自身の感情をぶつける。

 岸壁が刃物で削れる音に近くにいた部下たちが悲鳴をあげる。

 配下の情けない姿をうっとうしく思いながら、クロは自身の副船長に作戦内容の最終確認を行う。

 

「いいか?お前の仕事は密かに裏口から屋敷へ入り、カヤお嬢様に遺書を書かせることだ。海軍のネズミ野郎には一先ずこの近辺がおれたちの縄張りであることを印象付けさせれば十分だ。……今はな」

 

 元々クロは海軍と海戦を行い、途中でジャンゴを敵の艦船へ乗り込ませ海軍支部大佐共々海兵たちを催眠術で一網打尽にするつもりであった。

 だが海軍がこちらを恐れて近寄って来ないのであれば、より安全かつ確実に屋敷の資産を得ることが出来る。

 

 要はそのネズミ大佐が令嬢カヤに会う前にこの自分が資産を受け継ぎ終えればいいのだ。

 連中も多少の身元調査でカヤの事情をある程度把握しているだろうが、既に資産が異なる人物の手に移っているのならば引き下がるしかない。

 

 遺書とは、共通する明文化された法が殆ど無い独立市町村であるシロップ村において、絶対である。

 

 今こうして配下の海賊たちに村を襲わせようとしているのも、全てはそのドサクサでカヤを殺すためのカモフラージュに過ぎない。

 屋敷は動かせない以上、村人たちに簒奪の事実を怪しまれるわけには行かないのだから。

 

 

 もっとも、ドサクサで殺すつもりの連中は何も己の主人だけではないのだが…

 

「わ、わかった。じゃ船のほうは航海士にでも任せて、おれはこれから屋敷に向かうぜ」

 

  待て」

 

 底冷えのするような低い声で部下を引き止めるクロのその声色は、とても苦楽を共にした仲間にかけるものではなかった。

 

 背筋が震えたジャンゴは恐る恐る後ろを振り返り、ボスの指示を待つ。

 

「船で近海を見張らせるヤツらに催眠術で強化の暗示をかけろ。海軍の巡回船を死んでも逃がすな」

 

「む、無茶言うなよ!武装は巡回船のほうが下とはいえ戦力を分散させて満足に戦えるか!最悪こっちが全滅する!」

 

「いつもお前の催眠術でウチのド素人共が百発百中の腕前になってただろ。筋力と精神力の強化を重ね掛けすれば問題ない。  やれ」

 

 決死の命令を下したクロは見るもの全てが凍りつくほどの極寒の眼つきでジャンゴを睥睨する。

 

 高い知性と精神力を持つこの男に催眠術が効かない以上、奇術師と彼の力関係はいつだって変わらない。

 

 ボスが去った一味を何とか束ねてきたジャンゴ。

 だが、男には眼前の死の恐怖に打ち勝つことが出来なかった。

 

「わ、わかった…!言う通りにする…」

 

 そして奇術師は、今まで守ってきた仲間を見捨て、己の命を選択した。

 

 

 だが幸か不幸か、彼の仲間たちはその決死の作戦に従事する前に、どこからか飛んで来た砲弾の一撃でその意識を手放した。

 

『何だ!?』

 

 ドッ  オォォォン、という発砲音に続いた風切り音が『クロネコ海賊団』のキャラック船『ベザンブラック号』に迫る。

 

 直後木材が炸裂する音が響き渡り、中央のメインマストが轟音を立てながら海岸へ倒れ伏した。

 

「バ、バカな!もう海軍が追い付いて来やがったのか!?」

 

「違う!あれは!」

 

 砲弾やマストの破片で地獄絵図と化した甲板から数名の砲手が望遠鏡の先に見える識別旗を確認する。

 時同じく、クロの優れた視力が遠方に浮かぶ一隻の船を捉えた。

 

 それは執事の作戦における最大の不確定要素であったあの忌々しい邪魔者共が掲げた、麦わら帽子を被った髑髏の旗だった。

 

 

 『麦わら海賊団』

 

 船長の少女が被る古ぼけた麦わら帽子からその名をとった一味で、シェルズタウン海軍支部中央施設を真っ二つに割ったと噂の“海賊狩りのゾロ”を有する、男一人女二人の極々小規模海賊団である。

 

 村からの船出の際に船長の『“麦わら”のルフィ』が噂通りの悪魔の実の能力者であることが確定となり、その危険性も決して無視出来ない極めて厄介な連中だ。

 

「ふざけるな…何故出航したはずのアイツらがここにいる!?」

 

 あれほどの騒ぎを起こした地にまた舞い戻った連中の行動理由が見当も付かないクロは怒り狂う内心を必死に抑える。

 

 ヤツらのせいで平和ボケした村民や令嬢カヤは警戒心を抱くようになり、更に厄介な海軍まで呼ばれてしまったのだ。

 百計の男が三年もかけて準備した計画は最早修正不可能なほどに狂っている。

 

 クロが心中に巻き起こる憎悪に手放しそうになる理性を何とか押さえつけていると、再度大砲の発砲音が響いた。

 

 

 そして次の瞬間、彼の計画は完全に崩壊した。

 

 

  よぉ、執事。ウチの狙撃手の初陣はどうだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島“難所の海岸”

 

 

 

  ったく、いつまで拗ねてんのよ」

 

「……拗ねてないもん」

 

 朝日が覗く夜明けの東の海(イーストブルー)

 白む水面を静かに進む一隻の帆船の姿があった。

 

 麦わら帽子を被った骸骨の旗を掲げたその船に乗る一団は、時代の名を冠す海の荒くれ者共の一つ。

 海賊一味『麦わら海賊団』である。

 

 

 先日、ここゲッコー諸島のシロップ村にて狼藉を働いた彼ら彼女ら一党は、密かに村が営まれている島に舞い戻り、日を改め再度出航していた。

 

 以前の傍若無人な振る舞いに反し、その目的は意外にも島の村を襲いかかる海賊から守ること。

 『麦わら』の一味とは異なる、生粋の凶悪海賊『クロネコ海賊団』を撃退するためである。

 

 

 そんな飄々とした奇妙な一味の船長は今、とある事情で不機嫌であった。

 

「ゾロは戦闘員以前にアンタとの付き合いも一番長いのよ?男ってのは見栄っ張りなんだから、女の前で良いトコ見せたがってるときには黄色い声援送るくらいで丁度いいの」

 

「……別にそんなコトしなくても私のゾロはカッコいいもん」

 

 頬を膨らませイジけている一人の少女、名をルフィという。

 その愛らしい見た目に反し、当代随一の戦闘力を持つ人外のバケモノ女船長である。

 

 対するもう一人の人物もまた、見目麗しい美少女。

 一味の船を操り自然の猛威を乗り越える、天才航海士にして海賊泥棒のナミだ。

 

 荒事とは一切無縁そうなこの二人の海賊は今、ここにはいない仲間の一人の青年の話題で敵海賊船を見つけるまでの暇を潰していた。

 

 

 『“海賊狩り”のゾロ』。

 

 東の海(イーストブルー)中で名の知れた凄腕の剣士である。

 

 尊敬する女船長よりとある事情で戦闘禁止命令を出されていた青年であったが、少女の超人的能力“見聞色の覇気”が捉えた敵海賊団の接近に居ても立っても居られず、潔く頭を下げてまで首魁『“百計”のクロ』と一騎打ちを行う許可を勝ち取っていた。

 

 仲間の身を案じた判断を無下にされた女船長は、文字通り風船の如く頬を膨らませ「勝手にしなさいっ!」とついカッとなり剣士を島に放置して船を航海士に出させてしまったが、彼を大切に思う気持ちは本物。

 ルフィは先日の“オレンジの町”での教訓を元に、危険なときは今度こそ殴ってでも戦いを止め以後は自分が敵を片付けようと心に誓っていた。

 

 少女に取って最も重要なのは仲間のプライドより、皆の無事そのものなのである。

 

「はぁ……過保護なのも良いけど、ホントは女は戦う男の背中を見ながらその勝利を願うものなのよ?アホみたいに強いアンタにはわからないでしょうけど」

 

「……私はゾロの船長だもん。……仲間を守るのは当然のことだもん」

 

「はいはい、もんもん言ってないでもう一人の良いトコ見せようとしてる仲間の手伝いでもしてらっしゃい。ウソップとちびっ子たちじゃあの重たい大砲弾薬全部準備出来ないでしょ?」

 

 不機嫌な女船長を促すナミの視線の先には四人の少年たちの姿があった。

 

 シロップ村より人質として連れてきた彼ら自称『ウソップ海賊団』の構成員たち。

 その自称船長であるリーダーこそ、『麦わら』の一味の新入り狙撃手ウソップ少年である。

 

 長い鼻が特徴の彼に従い、ナミが盗んだ『砲術指南書』を頼りに砲弾を詰める様は非常に危険なものなのだが、根が図太い海の荒くれ者たちに取っては些細なこと。

 ドが付くほどの素人揃いでは指南書を読んだ者が最も正しい知識を持つ、『麦わら海賊団』であった。

 

 

「……ウソップ~?手伝うわ  って、あら?」

 

 突然、ルフィが砲甲板へと向かう足を止め、西の方角へ首を振り向いた。

 

 少しずつ細まるその大きな目に、少女の力を知るナミがはっとする。

 

「ルフィ、近いのね!?」

 

「うんっ!  みんな、敵よっ!やろーどもぉーっ、大砲をもてぇー!!」

 

 まるで近所の女の子がはしゃいでるようにしか聞こえない元気いっぱいの甲高い女声で、本物の殺し合いの合図を出す麦わら帽子の女船長。

 

 海賊同士の海戦。

 

 気の抜ける号令に転びそうになる悪童四人組であったが、その意味を脳が理解するにつれ少年たちの顔から血の気が抜け落ちる。

 

「どっ、どこだ!?適当言ってんじゃねェだろうなルフィ!!?」

 

「あわ、あわわわわ…!」

 

「来た…!来ちゃったよぉ…っ!」

 

「おっ、おいら、お腹が……」

 

 人生初めての実戦。

 

 砲撃準備中は子供の好奇心が恐怖を忘れさせてくれたが、いざ敵の存在を認識すると途端に足が竦みだす。

 薄っすらと朝日が昇り始めたばかりの暗い海で相手の位置がわからないことも、彼らの未知への恐怖を駆り立てる要因となっていた。

 

 人、皆誰しも“わからない”ことが最も恐ろしいのだから。

 

「ルフィ!見てっ!」

 

 怖気付く少年たちの横で、場慣れした航海士ナミが島の海岸へ指を差す。

 

 釣られて振り向いた五人の目に飛び込んできたのは、一隻の闇色のキャラック船。

 そのメインマストの頂上にはためく猫の顔を描いた海賊旗がウソップのかつて得た知識を想起させる。

 

「“クロネコ海賊団”…!間違いねェ、“百計のクロ”の海賊団だ…っ!!」

 

『ひぃぃぃぃっ!!』

 

 少年が裏返った声で叫んだ途端、周囲から子供たちの甲高い悲鳴が上がった。

 抱き付く六本の腕から彼らの脅えが手に取るようにわかってしまう。

 

 そしてその事実を口にした本人もまた、敵の海賊船と  そして己の手に握る火種を顔面蒼白で見つめていた。

 

(撃つのか…?おれ、が……?)

 

 身体が凍える。

 

 己の血管に水銀のように重く冷たいものがどろりと流れ込んだような、形容し難い異物感が五臓六腑を駆け巡る。

 四肢は震え、肺は忙しなく酸素を求め膨張し、視界は濁る一方。

 五感など殆ど麻痺してしまっているというのに、絶対零度の玉の汗が皮膚を這う感覚だけが鮮明に感じられた。

 

 それは今まで少年が晒されたことの無い、途轍もない恐怖。

 

 初めて飛び込む砲弾と硝煙の世界  戦場の殺意が、空気が、振動が、未熟な子供の精神を苛む。

 

 勇ましいことを抜かし、非力で身の程を知らないただの小僧が抱いたちっぽけな勇気。

 それら全てをすぐさま投げ捨て逃げ出したくなる、本当の死の気配がウソップの臆病な心を膨れ上がらせた。

 

 勇気を蛮勇を吐き捨てるほどの、果てしない後悔。

 

 

 やはり無理だったのだ。

 

 こんな弱い自分が海賊になるなんて。

 

 

 父のような、“勇敢な海の戦士”になるなんて  

 

 

  大丈夫」

 

 水が耳に詰まったかのように遠のく聴覚。

 そんな少年の耳に、澄みきった鈴音の声が優しく触れた。

 

 鼓膜を震わす音色に引き寄せられるように、ウソップは後ろを振り返る。

 

 

 どこまでも見通せる、七色の星雲で彩られた美しい黒の煌きが、少年の目に飛び込んできた。

 

 太陽のような笑みの中心に輝くのは、仲間を導く二つの満天の星空。

 全てを見通し、包み込む夜の瞳に、ウソップたちの震える心が吸い込まれる。

 

 また、あの目だ。

 

 ウソップはその笑顔に惹かれたあの日の記憶を鮮明に思い出す。

 焦がれるほどの夢を見てしまう、果てしなく遠く広い、あの海の如き大きな器。

 人としての格の違いを目の当たりにしたかのような、己の全てを委ねたくなるような、“王”の慈愛の意思を。

 

 

「私はあなたの船長だもの!私がいる限り、怖いものなんか無いんだからっ!」

 

 

 少年たちはその輝きに突き動かされるように、心の奥底に眠る、人の持つ強い意思を呼び覚ます。

 

 それは彼らを導く一人の少女が灯した、彼らの強い心が生んだ大きな勇気の光であった。

 

「ウソップ、撃てる?」

 

 満面の笑みで見下ろす、一味の偉大な女船長が少年に問い掛ける。

 

 否、問いではない。

 

  おう」

 

 問いとは、答えを尋ねる行為。

 

「もう怖くない?」

 

  おう…っ!」

 

 船長ルフィが投げ掛けたるは、問いに在らず。

 

 

 それは偉大なる“王”が唱える、戦の鬨の号令であった。

 

 

「よーしっ!ウソップっ、ちびっ子たちっ、やっちゃってぇ~っ!!」

 

『オオオオ  ッッ!!!』

 

 

   その日、東の海(イーストブルー)の無名の海賊団で、一人の勇敢な海の戦士が誕生した。

 

 

 



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15話 オオカミ少年・Ⅵ (挿絵注意)


3万文字は長すぎたので二つに分けます。



大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島沖

 

 

 

 ゲッコー諸島沖の海上。

 

 牧歌的な村や港町が営まれているのどかなこの海では今、平穏とは真逆に位置する重火器の発砲音が木霊していた。

 

 褐色火薬の白い煙が轟音と共に早朝の海風に乗り、どこまでも漂い続ける。

 落下する鉄の砲弾が大地を揺らし、寝起きの海鳥たちが一足早く自身の双翼で日の出の空へと飛び立った。

 木材が爆ぜる甲高い炸裂音も、大樹が倒れ伏すかの如き地響きも、全てがこのゲッコー諸島沖の海で行われている非日常  海賊同士の戦闘が揺ぎ無い現実であることを訴える。

 

 争う両雄の名は『クロネコ海賊団』、そして『麦わら海賊団』。

 

 その戦いは目の前の島にあるシロップ村を賭けた二つの勢力がぶつかった最初の出来事であった。

 

 

「ま、また…当たっ…た?」

 

 洋上より島の海岸へ向かい二度目の18ポンドカロネード砲実体弾を撃ち放ったのは、敵の先制を突いた一隻のキャラベル船『ゴーイング・メリー号』。

 

 その小型帆船の中央甲板上で新入りの狙撃手の腕前に感嘆しているのは、本人を含めた六人の少年少女たち。

 勇ましい艦砲が轟くこの場に最も相応しくない彼ら彼女らこそ、戦場の双璧の一角にして時代の名を関す海の荒くれ者共の一党、『麦わら海賊団』である。

 

 20キロ近い重量を誇る砲弾を震える手付きで砲口へ詰め込み、書物の見様見真似で火薬を調合する拙い子供の技術。

 だが、その不慣れな準備が齎した結果は、誰もが目を疑う信じられないものであった。

 

 海岸で上がる一筋の煙を望遠鏡で確認した一人の美しい少女が顎を落とさんばかりに驚愕している。

 一味の航海士ナミだ。

 

「嘘……1キロはあるのよ…?近距離用のカロネードで…しかも移動式砲車でロープの固定も適当なのよ…!?」

 

「当然よ!ウソップはこの私の狙撃手なんだからっ!」

 

 女航海士の疑問に満面の笑みで答えたのは、こちらもまた愛らしい相貌を持つ豊満な肢体の女の子。

 大金星を二度も上げた新入り狙撃手の実力を当然と言い切るその少女の名はルフィ。

 この少年少女海賊団の親玉、世にも珍しい女船長である。

 

 驚愕、歓心、歓喜。彼らが思い思いに盛り上がるのも当然。

 何故なら先ほど一味の新規加入の狙撃手が初弾で狙い打ったのは海岸に停泊していた敵海賊船のメインマスト。そして続けて放たれた此度の砲弾が抉った地に佇んでいたのは  二人の首魁、執事クラハドールこと『“百計”のクロ』と『“奇術師”ジャンゴ』であったのだから。

 

「……何なのよこの一味。悪魔の実の能力者に“海賊狩り”、今度は百発百中の名砲手?」

 

『キャプテン、すっご~い!!』

 

 奇襲とアウトレンジのお手本のような一方的展開に一味と人質ちびっ子たちの士気は鰻登り。

 

 そして、敵の親玉に18ポンド砲弾を叩き込んだ張本人、新米狙撃手ウソップ少年は、自身の成果を未だに信じられず目を白黒させていた。

 初めて大砲を触ったド素人でありながらおよそ想像出来る最高の結果を叩き出した己の腕前に、恐怖さえ覚えてしまうほど。

 

 腕前のみならず、自分の中で眠っていた才能に対しても。そしてその才能を一目で見抜いた自分たち『麦わら海賊団』のボスに対しても……

 

「ルフィ……お前って、人を見ただけでソイツの才能を見抜けるのか…?」

 

「そんなの出来るワケないじゃない。ヘンなこと言うわね、ウソップは」

 

「いやおれだってンなワケゃねェって思ってるけどさぁ!」

 

 ウソップは新たに自分の上司となった謎多き少女船長ルフィに自分の疑問をぶつける。

 

 人を惹きつける不思議な魅力を持った麦わら帽子の女の子。

 彼女の人物像を新参の狙撃手の少年は未だに掴みかねていた。

 

 そんな新入りの姿に大笑いしながら、麦わら娘がウソップに向かってそのはち切れんばかりの胸を張る。

 

「私はあなたの船長よ?仲間の力は私が一番良くわかってるんだからっ!」

 

「…ホント、バカなのか凄いのかよくわかんない子ね。アンタは」

 

 呆れながらも小さく微笑むのは、内心未だ一味内での立ち位置を明確に定められていない影多き女泥棒ナミ。

 船長の鑑識眼に半信半疑だった彼女も、相手本人も知らない才能を見抜くその力に舌を巻く。

 

 恐ろしいやら頼もしいやら、そして天真爛漫な無鉄砲バカの意外過ぎる才能がどこか納得がいかない悔しさを感じさせる。

 

 そんな危なっかしくも頼りになる女船長に、ナミは少しずつその心を委ねていく。

 

(……これが終ったら一度ちゃんと話してみよう)

 

 にこやかにウソップの腕を褒め称えるルフィを見つめながら、心の中の幼い少女が八年越しの希望を前に、密かに胸を高鳴らせた。

 

 

「ん…?お、おいルフィ、あのメガネ執事まだ立ってるぞ…っ!」

 

 しばらく己の手と命中跡を交互に見つめていた狙撃手が突然声を上げた。

 

 ウソップの指先に釣られ目を凝らした先に佇んでいたのは、彼の言うとおりの人物。

 

 大砲の一撃を受けてなお健在な敵の船長、メガネ執事もとい『“百計”のクロ』に一味の視線が集中する。自慢の知恵で1600万ベリーもの懸賞金額を無に帰した狡猾な男だ。

 

 島のシロップ村に建つとある富豪の屋敷を、悪名を上げることなく奪うために三年もの年月を準備に費やした百計の男。その計画が狂わせられた簒奪者の額に浮かぶ青筋が、1キロ先の甲板からも見て取れた。

 計画の最も重要な手札であった『“奇術師”ジャンゴ』を潰された彼は怒りに我を忘れ、周囲の味方の海賊たちを手当たり次第に斬りつけている。あれではそう遠くないうちに一味が全滅してしまうだろう。

 

「……お、お怒りみたいですよ、ルフィさま」

 

「ルフィ、アンタのなんか凄い力でアイツ倒せない?このままだとあの執事発狂したまま村を襲いそう…」

 

 暗に…いや、最早直接「お前が何とかしろ」と一味の船長に頼む新人二人。

 両名には近接戦闘行為を行う力はなく、ナミに至っては地団駄の応用で海軍特殊体術“六式”の一つが成功してしまいそうなこと以外はただの非力な女性とそう大差ない身体能力である。不安に思うのも無理は無い。

 

 しかし、一味の期待を一心に集める女船長の顔には拗ねる子供のような表情が浮かんでいた。

 

 原因は続く少女の言葉通り。

 

 

「む…ゾロのバカがいる……」

 

 

 “ゾロ”。

 

 一味の最後の一人にして最古参の青年。『“海賊狩り”のゾロ』の異名を持つ凄腕の剣士である。

 

 敵の『クロネコ海賊団』一党が屯する砂浜を崖の上からふてぶてしく見下ろしているこの男、実は一味の仲間たちに秘密にしている大怪我が腹部にあり、未だ万全の状態ではない。以前女泥棒ナミと出会い、仲間に引き入れたオルガン諸島の“オレンジの町”で戦った、とある大物海賊にやられた傷だ。

 その事実を知る唯一の人物である船長ルフィは、以前この島を訪れる船の中で甲斐甲斐しく彼の怪我を治療していたのだが、どうやら今回の戦闘の後でまた同じ事をするハメになりそうである。

 

 傷の責任の一部が自分にあると考えている麦わら娘は、後ろめたさからあまり強く剣士の主張に反対出来なかった。

 誰よりも強さを渇望し、強敵との戦闘機会を望み頭を垂れた仲間の強い意思。

 覚悟を決めた男の強情さに根負けした彼女は  見ての通り  敵が上陸するあの島に剣士ゾロを一人残して船を出させていた。

 

 本当は仲間の傷が心配で仕方ない。

 だが、仲間の意思を無視することもしたくない。

 

 ルフィは複雑な思いで大切な人の戦いを見守っていた。

 

「……いいのルフィ?あの執事、結構強そうだけど」

 

 そんな麦わら娘の不機嫌そうな、それでいて不安そうな顔を見たナミが軽い助け舟を出す。

 

 だがそれでも少女は素直になれない。

 

「ふんっ!船長の言うコト聞けないゾロなんて知らないもんっ!」

 

「あっそ。じゃあ、あの海賊船をウソップが狙い易い位置までこの船動かすわね」

 

 押してダメなら引いてみろ。

 そんな単純な心理戦でさえ抜群の効果を発揮する相手が、この子供っぽい少女船長である。

 

「ッ、まっ、待ってこれ以上ゾロから離れたらダメっ!」

 

「めっちゃ心配してんじゃないのよっ!もうアイツに任せていいのね?!」

 

 煮え切らない過保護なボスに女航海士が最終確認を行う。

 風の関係上、帆船を同じ海上に留めておくのも決して簡単ではないのだ。

 

 事情を知らされた無学なルフィは、やり場のない憤りを元凶である無茶な剣士にぶつけることにした。

 

「うぅ  ~~~ッッ!ゾロのバカぁっ!危なくなったら今度こそ私が全部終らせるんだからぁーっ!!」

 

 

 そしてその言葉が届いたのか、海岸で睨み合っていた二人の男たちが遂に激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島北海岸

 

 

 

 『麦わら海賊団』の船長である少女の心配を一身に受ける剣士ゾロ。

 男は今、己を高めるための強敵との出会いを求めていた。

 

 シェルズタウンで無様な姿を晒し、オレンジの町でも不覚を取ってしまったゾロは、自分が認めた船長に情けないところを見せてしまった自分自身を許せなかった。

 それは大剣豪を目指す道で暢気にも足踏みしていることに対する憤りだけではなく、己に屈辱を味わわせておきながら、そのどうしようもなく人を惹きつける力で心を奪う彼女に醜態を晒してしまった1人の男の焦燥でもあった。

 

「ハッ、ビビって怖気付くガキの尻蹴ったつもりが、とんでもねェ才能を開花させちまったみてェだな。…やるじゃねェか、ウソップ」

 

 先日、甲板で怖気付く臆病者の少年に発破をかけた剣士が、想像だにしていなかった彼の高い実力に最大級の賛辞を送る。

 

「ッ、おっと…!」

 

 剣士が一味の新参狙撃手の腕前に感嘆の声を上げたその瞬間、彼の首を目掛けて5閃の紫電が走った。

 間一髪で回避し即座に自慢の3本刀を構える。そしてゾロの目に飛び込んで来たのは、憎悪に表情が抜け落ちた煤だらけの執事服を纏う怪物であった。

 

  よくも…よくもやってくれたな。“麦わら”ァ…」

 

 人は怒りが頂点を上回ると、感情を忘れ冷静になるという。

 男はこの瞬間、3年かけて準備してきた計画が全て失敗に終ったことを認めた。奇術師は目を回し、一味は船諸共半壊。そして沖には海軍を騙った盗賊が虎視眈々と隙を窺っている。

 

 最早修正不可能な完全なる計画破綻である。

 

「お前がウソップの言ってたメガネ執事か。よくそんな悪党の臭いプンプンさせて今まで執事の真似事なんか出来たな。簒奪なんか止めて俳優でもやって金稼げばいいんじゃねェのか…?」

 

 ゾロは戦意を高めながら、十指の刃『猫の手』を身に着けた射殺すような眼つきの元執事をじっくりと観察する。

 彼の目からして相手はかなりの使い手。今の弱った自分が決して侮ってよい相手では無い。

 

 対するメガネ執事ことクロも長年の経験で目の前の青年が決して自分に劣る相手ではないことを見抜いていた。

 三年のブランクがあるとはいえ、これほどの殺気が飛び交う地に立てば嫌でも感覚が研ぎ澄まされていく。

 

 風貌からしてコイツがジャンゴの言っていたあの『“海賊狩り”ロロノア・ゾロ』だろう。

 

 自称船長の悪魔の実の能力者も厄介だが、例えあの海軍施設崩壊の荒唐無稽な噂が嘘であろうとも、この男は非常に邪魔だ。

 

 だが、隙が無いわけでは無い。

 

「…お前、その身体…万全じゃねェな?海軍支部ぶった斬ったと聞いてたが、流石に無傷とまでは行かなかったようだな、“海賊狩り”」

 

「……は?おい待て、そっちは冤罪だぞ!…畜生、あのバカ…!てめェのせいで濡れ衣の噂になってんじゃねェか…っ!」

 

 思わず遠方の味方船『ゴーイング・メリー号』の女船長を睨みつける。

 だがその大きな隙を逃す百計の男ではない。

 

  ッ!?」

 

 時間が惜しいと自慢の大技“抜き足”で一気にゾロへ迫り、その首を目掛けて『猫の手』を振るう。

 

 だが男の一撃は甲高い金属音と共に失敗した。

 

「へぇ…やるじゃねェか。アンタもその技知ってるのか」

 

「…コイツの名は“抜き足”。音も立てずに暗殺者の集団さえ何一つ気付かれることなく皆殺しに出来るおれの高速移動技だ。だが遅ェな……3年で腕が鈍ったか…?自分の技とは思えねェ遅さだ、クソが」

 

「何だ、始まって早々負けたときの言い訳か?思った以上の小物だな」

 

「小物はてめェだハーレム剣士!もう一遍死ね!」

 

「だから違ェっつってんだろ!!」

 

 双方の荒々しい剣技が海岸を荒らし砂が舞い上がる。鉄が悲鳴を上げる音が木霊し、クロの『猫の手』が火花を散らしながらゾロに襲い掛かった。

 ただでさえ速くて太刀筋が見え辛い元執事の攻撃が両手10本も迫ってくるのだ。剣士は敵の戦闘スタイルに舌を巻く。

 

(独自の縮地か…?よく見れば“剃”とはまた違うな。速度はアイツの足元にも及ばねェが…無音とは面倒な…)

 

 だが伊達にこの数日間をルフィと共に過ごしたわけではない。

 確かに速いことは速いが、今まで何度もあのバケモノ女船長の技を見てきたおかげか、驚くほどの速さではない。何が起きているのかすらわからない麦わら娘の動きのほうが速度も脅威も圧倒的に上。

 その奇妙な武器のクセに慣れさえすれば効果的に反撃することだって十分に可能だろう。

 

 そして目にも留まらぬ速度で剣士を守勢に立たせているクロ自身もまた、決して余裕があるわけではなかった。

 

(クソが…この短い斬り合いでもうおれの動きに対応してきている。慣れていない今のうちに仕留めるのが無難か…)

 

 相手の驚異的な順応力と成長速度に臍を噛んだクロは時間を敵と定める。

 憎悪に染まるクロは未だ冷静であった。

 

(まだ海軍がうろついてんだ。いつまでもコイツらと遊んでられるワケでもねェ。さっさと終らせて部下共にネズミを殺させねェと…)

 

 『クロネコ海賊団』はこの作戦が終れば用済みだが、最低限の仕事としてあの小賢しい海軍支部大佐は今後ヘンなちょっかいを出されないためにも殺してもらわなければ困るのだ。ヤツさえ死ねばまた屋敷の簒奪を再計画することが出来る。

 

 事実、百計の男はこの計画の最終段階で海軍支部大佐ネズミ共々自身の一味を皆殺しにするつもりである。

 それこそが『“百計”のクロ』との決別であり、令嬢から資産を受け継ぐ“執事クラハドール”となるための最後の一手。

 

 クロが望む豊かで平穏な日常に彼ら『クロネコ海賊団』の居場所は最初からどこにも無い。

 

 だが今はまだ十分に利用価値のある大切な駒である。

 海軍の上陸を阻止するには、海戦で敵の巡回船を沈めるのが最も手っ取り早い。

 それを連中の攻撃で『ベザンブラック号』のマストが折られた以上、再接近すると予想される海軍巡回船との戦いは圧倒的に不利となる。

 

 その最低限すら妨害されたのだ。

 許せるわけが無い。

 

 散々振り回してくれた連中だ。長鼻のガキにはジャンゴとの密談現場を見られ、連中の親玉には余計な騒ぎを起こされた挙句、海軍まで呼ばれてしまった。

 3年の労力を棒に振った全ての元凶に、計画を潰された簒奪者クロの憎悪が襲い掛かる。

 

「海軍もそうだが…てめェらは絶対に生きて帰さん!ここでくたばりやがれ“麦わら海賊団”!!」

 

 

 瞬間、男の姿が消失する。

 

「!?」

 

 速い。

 真っ先にゾロが抱いた感想である。

 

 “剃”特有の風切り音も無く、クロの“抜き足”が一瞬で男を剣士の懐まで運び込む。

 

 咄嗟に脇腹の怪我を庇い後ろへ飛び退いたゾロの腕から熱い血潮が噴出した。

 猛獣の鉤爪に切り裂かれたかのような傷が剣士の動きを硬直させる。

 

 当然その隙をクロは見逃さない。

 先ほどの“海賊狩り”の、らしくない無計画な動きにある仮説を立てた元執事は再度男の脇腹を狙う。

 

「ッ、させるかよっ!」

 

「……やはりな。その腹巻の下にあるのがお前のご大層な噂の代償か…!」

 

「だから噂は身に覚えがねェっつってるだろ…っ!!」

 

 全盛期の感覚を取り戻しつつあるのだろうか。殺気を強めた執事の速度が跳ね上がった。

 船長の“剃”を見慣れていなければ今の一撃でやられていたかもしれない。

 

 このままでは速度の差で押し負ける。

 速さとはほぼ全ての戦闘において場の主導権を握る重要な戦術的要素。特別な能力や技術を持たない今の剣士にクロの“抜き足”を超える手段はない。

 

 たった一つを除いて。

 

「クソッ…!“剃”   ッぐっ!?」

 

「!?」

 

 戦場の高揚感に身を任せ思い切り大地を蹴ったゾロ。だが最後に縋ったその技も、多少の加速以上の効果は現れない。

 

 勢いを制御しきれず大きくバランスを崩し転倒する“海賊狩り”。その無様な姿に執事の口から失笑が漏れる。

 

「ハッ、何だそれは…?咄嗟の猿真似に頼るしかないとは、呆れてものも言えねェな」

 

 勝手に崖に激突し、打ち付けたのか頭を抑える剣士をクロは嗤う。

 多少はマトモな動きになったが、男には自身の速度を操る技術も筋力も不足している。おまけに風圧対策や軌道変更の足捌きも雑そのもの。

 無駄の多い、目を覆いたくなるほど拙い移動術だ。

 

「“剃”とか言ったな、醜い技だ。歩数を増やし加速しようという魂胆なんだろうが、そんなもの力任せに地面を蹴ってるだけだ。方向転換するのにも態々踏ん張って一度止まらなければならない。何より空気抵抗を全く考慮してないせいで砲弾でも飛んでるようにひゅんひゅん五月蝿ェんだよ。移動時も地団駄踏んでる振動で居場所が簡単にバレる、筋力さえあれば無能でも使える超人お遊びのようなものだな。おれの“抜き足”の劣化とすら呼べねェ紛い物未満の技だ」

 

 クロの優れた観察眼が剣士の高速移動術の分析を一瞬で終らせる。

 長い年月をかけ磨き上げた己の“抜き足”に絶対の自信を持つ男には、汎用性と単純性を突き詰め体系化された海軍の特殊体術は、安直な速度だけを求めた見るに耐えない幼稚なものに思えた。

 そして同時に、幼稚でありながらこの自分に届きうる速さを齎すその技に、執事は自身のプライドを汚されたかのような焦りの含む不快感を覚える。

 

「……目障りだ、さっさと死ね…!」

 

「くっ…“剃”!!」

 

 一瞬で距離を詰められ、ゾロは必死に技を駆使する。

 凄まじい風圧と揺らぐ視界の中で何とか自身の居場所を把握し、思い切り足を踏み付け速度を殺す。

 

(堪えろ!)

 

 腹部の傷も厭わず、身体中の筋肉を総動員したおかげか剣士の両脚が大地にめり込み制止した。

 バギー戦で行使したものとは雲泥の差。それでもかつての戦い以来となる初めての成功に、ゾロは隠し切れない安堵と喜びの感情を顔に浮かべる。

 

 ようやく、船長の期待に一つ応えることが出来た。

 

 

 だが  

 

「だから……音と振動でバレバレだって  

 

「な、しまっ…!?」

 

 剣士のそれは間違いなく、その“抜き足”の使い手が苛立つほどの気の緩みであった。

 

  言ってんだろ“紛い物”ォォォッ!!」

 

「ッ、“剃”!!」

 

 執事と剣士の俊足移動が拮抗する。

 

 僅かな残像を残し、遠方の浜で巻き上がった砂埃の中から現れたのは、両手の刀で執事の左右十刃の“猫の手”を受け止めた剣士の姿。

 

 そして、クロは身を以って知ることとなる。

 男の持つ、“海賊狩り”とは異なる、もう一つの異名の真の意味に。

 

「バ…カなっ…!!?」

 

「てめェは速度だけで、ただ長い爪を振り回してるだけなんだよ、執事野郎  

 

 速度に翻弄されていた剣士であったが、その差さえ詰めれば残る勝負は武器に練達する互いの技量に委ねられる。

 そして男は、その卓越した実力で称えられる優れた剣士『“海賊狩り”のゾロ』。

 

 

  おれは、“三刀流”のゾロだぜ?」

 

 

 海岸で目にも留まらぬ速さで交差した両者。

 その結果は意外にも、これまで守勢に立たされていた未来の大剣豪を夢見る剣士、ロロノア・ゾロが誇る約束の太刀『和道一文字』で、百計の男の左肩を袈裟斬りにした光景であった。

 

 仕立ての良い純白の襯衣(しんい)が朱に染まる。かなり深くまで斬られた傷だ。

 いつ以来かわからない明確な痛みを覚えた執事は唖然と立ち尽くす。

 

 ありえない。

 ありえてはならない。

 

 

「グッ……ッソがァァァッ!!」

 

「!!」

 

 爆風。

 そう形容出来るほどの強烈な闘気が男から放たれた。

 

 周囲を震え上がらせる殺意に満ちた怒声がゾロの心を怯ませる。

 

 

 そしてその直後、執事の身体の力と共に、放たれていた気迫が異様なほど全て掻き消えた。

 

 まるで幻だったかのように全てが静まり返った海岸に残されたのは、両肩の力を抜きゆらりと揺れる隙だらけな男の姿。

 常に油断なく指先の鋭利な刃を構えていた強敵らしからぬその無防備な様子は、まさに止めを刺す絶好の勝機。

 

 だが、ゾロの本能は突然巡ってきた千載一遇の機会に、一切の手を動かせなかった。

 

 あれはヤバい。

 気力が感じない男の佇まいに、“海賊狩り”は己の知覚を超えた恐ろしい何かを感じていた。

 

 

「……もう…もう沢山だ」

 

「…ッ!」

 

 糸に繋がれた操り人形のようにフラ付く執事の口から、底冷えのするほどの悪意に満ちた声が零れる。

 

 相手を殺す。

 たった一つの意思に染まったその闇の瞳がレンズを通し凶暴な光を放っていた。

 

 

「もう、死ね  

 

「!!?」

 

 執事の口からその言葉が紡がれた直後、ゾロの真横の岩肌が五つの深い爪跡を残し抉られた。

 

 一拍遅れ、剣士の脳が男の行動を分析する。

 それはまさに一瞬の出来事であった。

 

(くっ、速い…!どこだ、どこに消えた!?)

 

 剣士は己の感覚を最大限研ぎ澄ませ、自身の周囲を取り巻く惨劇の下手人の姿を探す。

 

 知覚出来ない速さではない。

 

 だがその速度を存分に使ったある特徴が、ゾロに二の足を踏ませていた。

 “海賊狩り”ほどの男に動くことさえ躊躇わせるその執事の動きは、“形振り構わず相手を殺す”という至上命題を成し遂げるために最も適した行動であった。

 

 

 その技の名は、”杓死”(しゃくし)

 

 敵も味方もなく、ただその飛び抜けた速さに己の身体を委ね手当たり次第に斬り付ける、無差別全体攻撃である。

 岩が、崖が、大地が、大気さえもが不可視の斬撃に切り裂かれ、耳を抉るほどの悲鳴を上げていた。

 

 ゾロは短い時間でこの敵の技の妙に気が付く。

 

(規則性も、意思さえも感じない…!コイツ、まさか自分が何を斬ってるのかすらわかってねェほど限界まで速く動いてるのか…!?)

 

 そしてその事実に気付いた直後。

 剣士は右足に鋭痛が走るのを感じた。

 

「くっ  ッがぁっ!?」

 

 咄嗟に飛び退いた“海賊狩り”。

 だがそれは愚策であった。不運にも降り立った先にあったのは、超速の速さで振るわれた敵の五本刃の“猫の手”。

 幾つもの異物が胸部を走り抜け、追うように燃えるような痛みが襲う。肋骨を切り裂き、肺に流れ込んだ血が生理反応によって咳と共に口や鼻から吐き出された。咥える自慢の大業物を彩る美しい柄巻が吐血で赤黒く染まっていく。

 

 

 そして、ゾロは小さな女の悲鳴が耳に届いた気がした。

 

 

   ドクン…

 

 

 その瞬間、男の見る世界が停止した。

 

 否、停止ではない。

 まるでこの世の全てが海に沈んだかのように鈍化したのである。

 

 怪我と毒に荒んだ肉体を燃え盛る灼熱の炎が巡り、遠のく耳が、白む目が、鈍る鼻が、舌が、肌が、直感が、異様なまでに冴え渡る。

 

 全てが別の高次元へと至る、強者のみに許された超感覚。

 そして、わけがわからずに困惑する男の瞳が、時の狭間のような世界の中で、不規則に飛び散る鮮血を捉えた。

 

 宙に舞う赤。

 その色を目にした剣士は突如、鮮やかな絵画を刷毛で汚すかのように塗り走る、醜い“黒”色を見た。

 

 

  見つけたぜ、クロ…!!」

 

 確信と同時。ゾロは唐突に湧き上がった全能感に動揺する己を抑え、無粋な色の塊に向かい三振りの刀を全力で振るった。

 

 

 “三刀流・鬼斬(おにぎ)り”。

 

 敵を六つに切り裂く剣士の最高奥義の一つ。先日の“オレンジの町”にて戦った強敵『”道化”のバギー』の逃げる背中へ振るおうとした切り札たる三太刀だ。

 

 獲物を失ったかつての大技が今、速度自慢の異なる強敵へと放たれる。

 鈍化した世界で捉えきった、『“百計”のクロ』に迫る豪速の“剃”と共に。

 

 

 しかし  

 

 

()()鬼斬(おにぎ)  ッッなんだっ!?」

 

「!?」

 

 

   剣士の必殺の一撃が振るわれる瞬間、飛翔音と共に突然真上の崖が崩落した。

 

 頭上へと降り注ぐ大量の岩石砂に紛れていたのは、燃える木片と真っ黒の爆煙。

 先ほど一味の新入りが見せた大戦果を知るゾロにその正体がわからないはずが無い。

 

 砲撃。

 

 慌てて振り向いた先の水面に浮かんでいたのは、三隻の帆船。

 一隻は仲間が乗る『ゴーイング・メリー号』。一隻は目の前の敵が有する『ベザンブラック号』。

 

 そして、双方の奥に、一隻の船が複数の硝煙を風に漂わせていた。

 その帆柱の頂点で勇ましくはためいてるのは、白地に羽ばたく一羽の蒼いカモメ。

 

 無辜な民に希望を与える、正義の御旗である。

 

 

  海軍船!?何で連中がこんなとこに…!?」

 

「……チッ、このクソ面倒なときに…っ!!」

 

 場にあまりにもそぐわない異質な轟音に正気に戻った執事が憤怒の表情で海を一瞥し、剣士と共に固まった。

 これ以上状況も悪化しまいと高を括っていた自身を更なる混沌へと突き落とす理不尽な乱入者に、クロの憎悪は天上知らずに跳ね上がる。

 

 だが、優先順位を間違えてはいけない。

 

 計画を再考するために最も邪魔な存在は目の前の死に損ないの剣士ではなく、男の憎悪が今最も昂る相手。

 悪徳海軍支部大佐『“灰色”のネズミ』なのだから。

 

「おいジャンゴ!いつまで寝てるんだ!さっさと船の出航準備整えろ!アレを沈めるのが先だ!」

 

「……ッ、気付いてたのか…!?」

 

 地面に這い蹲り死んだフリをしていた足手纏いの腹部へ執事の革靴が深くめり込む。

 上司たる己が厄介な敵と戦っている最中、この催眠術師は専門外だと言わんばかりにノンビリと剣士ゾロとの戦いを観戦していたのだ。斬り殺したい衝動に駆られるが、コイツにはまだ使い道がいくつもある。

 

 そんなボスの冷酷な命令に、沖のキャラベル船の砲撃で満身創痍の『“奇術師”ジャンゴ』は必死に抵抗する。

 

「ゲホッ、ガホッ……っ!……まっ、待てよクロ…!『ベザンブラック号』もメインマストがヤられて速力に不安がある…!オマケに船員も負傷してるし、これ以上は  

 

「黙れ無能が!村一つ満足に襲えねェお前らの使い道なんざ、もうあの姑息なネズミ野郎の下までおれを連れていってから死ぬことくらいだ!グズグズするなァァッ!!」

 

 その言葉に決闘の最中であったゾロが反応する。

 

 村の富豪令嬢カヤが、海賊『麦わらの一味』に連れ去られた友人を救うために振るった勇気を知らぬ剣士は、唐突に現れた海軍艦船にわけがわからず混乱していた。

 だが平然とこちらに対する戦意を捨て去った強敵クロの変わり身の早さに、剣士は強い不満を抱く。

 

  “おれを連れて行ってから”…だと?お前、まさか逃げるのか…!?」

 

「時間切れだ。見りゃわかるだろ、バカか?海軍ってのは海賊含む反政府勢力の命も宝も平穏も何もかも奪って行く海賊以下の盗人だ。後でどうとでもなるてめェら海賊より、殺す優先順位が遥かに上なんだよ、“海賊狩り”。この決着はまた後だ…!」

 

 執事の冷ややかな態度に、男は驚愕と怒りに殺気立つ。

 

 思い返されるのは先日の“オレンジの町”で戦った剣士殺しの大物海賊との二戦。

 何れも敵の逃亡という過程を経て、ゾロの勝敗にケチを付ける形で終了した戦いだ。

 

 あの姑息なクソピエロに続いて此度の相手までもが途中で戦闘を放棄しようとする現実に、未来の大剣豪の憤怒が爆発した。

 

「ふざけんな、てめェ!海軍なんて後にしろ!逃げてねェでおれと戦えっ!!」

 

「ふん、そんなに戦いたいならソコのゴミ共の処分でもしてろ。行くぞジャンゴ!てめェにはまだ仕事が残ってんだ!!」

 

「なっ、待ちやがれ臆病者!!」

 

 配下の戦闘員たちを指差し、振り返りもせずに悠々と船へと戻る敵の首魁。

 あまりに度し難い結末に、ゾロが怒りに身を任せその隙だらけな背に飛び掛る。

 

 だが刀を振るおうとしたその直後、剣士は咄嗟に己の直感に従い自身の左側面へ庇うように武器を構えた。

 

「なっ!?」

 

 すると間髪居れずに甲高い音が響き渡り、男の両腕に凄まじい衝撃が走った。

 勢いに吹き飛ばされ転がるゾロは再度、自身の左の脇腹へ振るわれた一筋の紫電を感知する。

 

 すぐさま体勢を立て直した剣士は  乱入してきた二人の敵の姿をその目で捉えた。

 

 

「……たまには役に立つじゃねェか、ジャンゴ。おれでも手を焼く最大強化済みの“ニャーバン・兄弟(ブラザーズ)”を投入するとは」

 

「こ、これで時間は稼げる…!  頼むクロ、他の戦闘員たちも船に乗せてくれ!今のままじゃ海軍とコイツら同時に相手にするだけの人員が足りねェんだ…!!」

 

 そんな敵のトップ同士の会話が微かに剣士の耳に届く。

 どうやら目の前の男たちは“ニャーバン・兄弟(ブラザーズ)”という、連中の切り札的存在らしい。

 

『う…ウグゥゥゥゥ…ッ!!』

 

「…チッ、狂った化け猫か…!不躾な邪魔者が…っ!!」

 

 まるで理性を感じられない細身の男と肥満の巨漢がゾロの行く手を阻む。

 実に不愉快な状況。剣士は苛立ちを隠しもせずに正面から敵を粉砕しに突撃した。

 

 だが流石は1600万ベリーの賞金首が期待する殿二人。そう容易く“海賊狩り”を通さない。

 

「ぐっ……コイツら…っ!狂ってるクセに執拗にあの赤っ鼻の傷ばっか狙って来やがって…っ!!」

 

『ニ゛ヤァァァァッ!!』

 

 理性は飛んでも知性は健在。おまけにいやらしい騙まし討ちを多用する姑息な細身男と、その巨体にそぐわぬ俊敏な巨漢の優れたコンビネーションが、少しずつゾロの余裕を奪って行く。

 

 突然、背を庇いに振るった刀の柄に何かの液体が投げ掛けられ、勢い余った剣士は握る右手を誤って滑らせてしまう。

 慌てて振り向いた先で目にしたのは、潤滑油と思しき高価そうな瓶を握る細身の男の姿。

 狂気に侵された男の白い目がまるでこちらを嘲笑っているかのように細まっていた。

 

 そして直後、手放した右手の刀をいつの間にか握っていた背後の巨漢が凄まじい速さでゾロへと迫る。

 

「このっ…!二刀流 ()()()()!!」

 

 交差させた残り二振りの刀で強固な盾を作り、攻撃を防ぐ。

 

 技量は連中のボスに比べれば大したことはない。

 だが催眠術で超強化されたその驚異的な身体能力は、純粋な“強さ”として二人を隙の無い手強い敵たらしめていた。

 

 ゾロは焦る。

 既に執事は奇術師と共に海賊船の中へ消えており、微かに風に乗って届くのは船内から発せられる多数の男たちの慌しい声。このままでは間違いなく船は出港し、敵を逃してしまう。

 そして剣士が戦うこの“ニャーバン・兄弟(ブラザーズ)”もまた、男の焦燥を駆り立てる要因の一つ。絶妙な二対一の状況に四方八方から繰り出される磨き上げられた十指の鋼の鋭爪が執拗にゾロの脇腹の怪我を狙うのだ。

 

(くそっ……!アイツを泣かして…アイツに治療させちまった傷だぞ…!?こんな下っ端程度に何やられそうになってんだ、おれ…っ!)

 

 忘れもしない、守ると誓った大切な少女の涙が鮮明に瞼の裏に浮かび上がる。

 己の神聖な野望を突き進む二つ目の理由となった、自責の念に沈む彼女の沈痛な表情。

 

   二度とあんな顔をさせて堪るものか。

 

 剣士の悔いるような願い。

 単純にして明快なその願いを叶え続けるには、強さが必要だ。

 “最強”という、揺ぎ無い強さが。

 

 足りない。

 

 形容し難い、それでいてどこかで感じた記憶のある燃え盛る劫火の熱が、何かを欲するように剣士の体の奥で燻り続ける。

 

 足りない、この程度では。

 

 刀を振るう度に積もる屈辱が、自覚させられる己の弱さが、脳裏の少女の涙を止めなく溢れさせる。

 

 戦術も何もあったものでは無い。男の心の揺らぎが、最早どちらが狂人かわからぬほどに杜撰で短絡的な攻撃となって殿の敵二人に向かう。

 

 だが、その自滅とも言える青年の動揺を見逃す敵、『“ニャーバン・兄弟(ブラザーズ)”のシャム』ではない。

 

「ッ!?しまっ  

 

「キシャアアアッ!!」

 

 見え透いた単調な刀を難なく避けた細身の男が一気にゾロの懐へ入り込む。

 慌てて後ろへ飛び退こうとするも、下がる先には敵の相方『“ニャーバン・兄弟(ブラザーズ)”のブチ』がその巨体を一瞬で剣士の背へと周りこませていた。

 

 前後共に隙だらけ。

 盛大に体勢を崩したゾロに『クロネコ海賊団』の切り札たる船守の猫兄弟の完璧な同時攻撃が勢いよく迫る。

 

 まただ、またアイツの目の前で無様を晒してしまう。

 

 屈辱、後悔、自己嫌悪、そして絶望。

 怪我だの毒だの連戦の消耗だの、そのような言い訳すら思いつかないほどに、剣士は己の心身双方の弱さに絶望していた。

 

 終る。

 そう何かを手放した男の耳を、その何かを救い上げる悲痛に満ちた叫び声が貫いた。

 

 

「ゾロおおお  っ!!」

 

 

 凄まじい風切り音と共に、自身の悲鳴を置き去りにする速度で一人の少女が剣士の視界に飛び込んで来た。

 

 そして、凄愴に歪んだその愛らしい顔の目元から零れる大粒の煌石が  

 

 

 

  手を出すなルフィィィッッ!!!」

 

 

 

   男の闘志の劫火の最後の燃料となって身体中に蠢く“何か”を爆発させた。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 





オリ技(ゾロ編)

【二刀流 金部四面(こぶじめ)
防御技。
刀を交差し四隅の十字盾を作る。それだけ
名前は”金剛天部”と”四隅四面”から。”昆布〆”

【三刀流 紫剃(しそ)鬼斬(おにぎ)り】
攻撃技。
”剃”で加速し放つ”鬼斬り”。
バギーのときに使うつもりで構えた技だが、船長に「逃亡する相手を攻撃するな」と言われ自重した。なおその逃亡する相手をボコボコにしたのも船長である。
クロ戦でも不発に終った、オリ技のクセに未だ失敗ばかりの不憫技。活躍は後半までお待ちを。
名前は”紫電”と”剃”から。”紫蘇おにぎり”


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16話 オオカミ少年・Ⅶ (挿絵注意) 


遅れて大変申し訳ない!

あ…ありのまま 今 起こったことを話すぜ!

『おれは先日3万文字を1万5千の2話に分けたと思ったらいつのまにか後半が3万に戻っていた』

な… 何を言っているのかry


はい、また二つに分けます。
サラダちゃんが過保護を止めるお話。
またゾロくんが主人公です。ウソップくんは次話大活躍します(3度目

次こそ、次こそウソップ編終ります…



 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖海軍第16支部巡回船

 

 

 

「どういう…ことだ?」

 

 

 “四海”(ブルー)と呼ばれる東西南北四方の名を冠す大洋。

 赤い土の大陸(レッドライン)偉大なる航路(グランドライン)に分かたれたこの四つの海は、その位置関係に準じた特異な風が吹くことからその名を持つ。

 ここ東の海(イーストブルー)で“常東風”と呼ばれるそれは、四海(ブルー)偉大なる航路(グランドライン)が交差する“登る運河”リヴァース・マウンテンを目指して東から西へと吹き続け、偉大なる航路(グランドライン)を目指す海賊たちを後押しする“夢の追い風”として時代と共に親しまれてきた。

 

 東の海(イーストブルー)の天候はこの“常東風”と、島々に吹く陸風・海風、そして四季折々の気温変動による季節風、その三つの風と壮大な海によって育まれる。

 現在の夏においては強烈な上昇気流が生み出す“夏風”が“常東風”と衝突し、島々の陸風・海風が凪となる早朝の外洋を大きく掻き乱す。故にこの時期の早朝の海  特に荒れが酷いゲッコー諸島遠洋  は遠洋航海には適さない、というのが航海士たちの常識であった。

 

 

 そんな真夏の東の海(イーストブルー)が朝日に赤く照らされる頃。暴れる“常東風”に荒れるゲッコー諸島沖の海上では、一隻の帆船が高波に煽られ大きく揺れていた。

 

 海軍第16支部所属一等巡回船『スケイブン号』である。

 

 

「何故“麦わら”が“クロネコ”に攻撃を…?同盟…では無かったのか…?」

 

「はっ!ど、どうやら両者の同盟は杞憂であったようです…」

 

 上官の推理にケチを付ける形になり、海兵の一人が恐る恐る客観的な視点を述べた。

 

 

 上官の名はネズミ。

 とある事情でここゲッコー諸島の巡回を一時的に担当している海軍支部大佐である。

 

 この男、極悪賞金首『“ノコギリ”のアーロン』を筆頭に実に8つもの海賊団との金銭取引関係がある悪徳将校だ。

 主な癒着は海賊行為の黙認と引き換えに貢金を受け取ることで、自身の管轄海域で活動する取引相手の海賊たちの懸賞金額が上がらぬよう悪事を隠蔽し、賞金稼ぎたちなどから守っている。

 

 そのような小悪党が面倒な荒海航行を行ってまでこの夏の早朝のゲッコー諸島沖を巡回している理由はたった一つ。諸島で営まれているシロップ村の富豪家の資産を手に入れるためだ。

 

「あの海賊共が令嬢の資産を巡って争っていることは状況的にまず間違いない…!だが、では何故“麦わら”は一度去ったあの島にまた戻ってきたんだ…?それに“クロネコ”は島の船員を引き上げている…?あれはどうみても上陸を妨害されて始まった戦闘  っ、ま、まさか…!?」

 

 荒れる海に込み上げる吐き気を耐えながら、支部大佐ネズミが目の前で争う二つの海賊団の関係を推理する。

 

「まさか連中  まだ双方とも資産を手にしていない…!?」

 

 ネズミは自身のその発想に目を見開いた。

 

 男がこの島でひっそりと佇む、とある資産家の屋敷の存在を知ったのは先日のこと。

 運良く屋敷のある村が海賊に襲われ、その被害の通報を行ったのが資産家の長女にして遺児を名乗る若い少女であった。

 

 令嬢の身元を調べ判明した屋敷の状況。それは愚かにも親戚との縁を捨て、屋敷を守る少女と数名の執事たちによる慎ましやかな生活が営まれている…というもの。

 

 まるで据え膳のように無防備な巨額の資産。

 当然、狙う不届き者共は多かった。

 

 支部大佐ネズミの双眼鏡に映るのは二つの海賊団。

 上位組織『海軍本部』さえもが異様なほど警戒し、大規模な討伐部隊が準備されている謎の新進気鋭の極々小規模一味『麦わら海賊団』。そして、かつて1600万ベリーの大型賞金首に率いられ、三年の年月を経て再結成した野望多き一党『クロネコ海賊団』だ。

 

 連中こそ、富豪の屋敷の資産を巡り争う海の不届き者共である。

 

「…そう、そうだ!これは我々含む三つの勢力が別々の思惑で行動した結果拗れた状況なんだ!」

 

「!や、やはり偶然の三つ巴なのですね…!」

 

 当初、ネズミはこの両者が同盟を結んでいるものと想定していた。だが現状を見る限り、その心配は杞憂に終ったことになる。

 

「ああ、どうもそうらしい…!虎視眈々と資産を奪おうとしていた“クロネコ”の前に、船と物資を求めた“麦わら”が突然やって来て、村を荒らした…!潜んでいた“クロネコ”は連中のせいでおれたち海軍を呼ばれ、資産の存在が我々に悟られぬよう、昨夜にこちらを牽制するために攻撃してきたんだ!…そしてその後“麦わら”たちが資産の存在に遅れて気付き、舞い戻った…!!あそこでヤり合ってる連中はそれだ!!」

 

「な、なる…ほど…?」

 

 目まぐるしい状況変化にもかかわらず、小悪党のお得意の妄想癖は留まることを知らない。それでもある程度正解に近い謎の説得力を感じさせるのは、最早この男の天性の才なのだろう。

 

 もっとも、『麦わら』が洋上で如何にして見落とした資産の存在に気付いたのか、部下の海兵たちにはわからない。前提となる仮説が憶測の域を出ない、あまりにもあやふやな分析である。

 

 だが重要なのは事態の推理ごっこではない。大事なのは、近い日に貢金の回収に海賊たちのアジトを巡るこの巡回船を無傷で守ることと  最終的に『麦わら』と『クロネコ』のどちらの海賊団の手に屋敷の資産が渡ったのかを知ることである。

 

 『麦わら』であれば、当初の予定通りアジトだけ把握しておけばよい。連中は直にやって来る海軍本部の超戦力の討伐部隊に殲滅される故、態々こちらが犠牲を払う必要などないのだ。

 

 だが万が一資産が『クロネコ』に奪われるか、本来の持ち主である富豪の令嬢の手に残ったままであった場合、事情は大きく異なり他力本願な計画では不十分となる。

 

 そして最も厄介なのが、資産が『クロネコ』に渡った場合。 

 

「大佐!具申します!“麦わら”と協力し“クロネコ”を攻撃するべきです!」

 

「!」

 

「もし“クロネコ”の手に資産が渡れば、我々が連中から資産を奪うには我々自身の手で直接戦って奪うほかありません!“麦わら”は本部が潰すでしょうし、令嬢は交渉でどうとでもなります!最も困難な状況を避けるために、ここで“麦わら”の戦力を借り“クロネコ”を潰すべきです!」

 

 そう上司に提案したのは次官のラット支部大尉。初期の頃から上官を支え続けてきた腹心中の腹心である。

 その付き合いの長さから、二人の間に“海軍将校”として果たさねばならない義務に頓着するなどという発想は存在しない。あるのはただ、如何にしてより多くの富を得るかである。

 

「……他に意見は無いか?  ならばラット次官の策を取る!標的は“クロネコ海賊団”!艦は風下のまま反転!砲兵は後部砲室より順次発砲せよ!」

 

 

 戦略を即座に立て直した海軍第16支部は、富豪の資産を手に入れられる確率が最も高い状況を作り出すために、巡回船『スケイブン号』一丸となって三つ巴の戦いにその身を投じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島海岸

 

 

 

 その感覚は、男がかつて戦った剣士殺しの能力者に膝を突かされたときに感じたものと同じであった。

 

 己が抱く勝利への執念が、ただの意思を超えた物理的な力となって身体を限界の更に先へと至らせる、謎の不可視の炎熱。

 何かを成す。その確かな意思が齎した、筋肉や精神による力の発揮とは明らかに異なる人知を超えた現象が、自身の肉体を通して起きていた。

 

 

「ゾ……ロ?」

 

 佇む男の鼓膜を、幼げな少女の鈴音の声が震わせる。

 

 はたと我に返りその持ち主へと振り向き、目にした人物の顔には、ぽかんと呆けたはしたない表情が浮かんでいた。

 

 

「……泣かせてねェ」

 

  え?」

 

 薄っすらと赤らむ少女の大きな目から視線を逸らし、男、剣士ゾロは自分の足元に転がる二人の男を見下ろしながら、バツが悪そうに復唱した。

 

「……おれはやられそうになんかなってねェ。……だからお前を泣かせてねェ」

 

 その言葉を言い終え、強情な男は少女に背を見せたまま砂浜のほうへと足を向ける。

 

 血だらけの体で地面に倒れ意識を飛ばしているのは、男の強敵との一騎打ちを邪魔した無粋な殿の二人組、“ニャーバン・兄弟(ブラザーズ)”。ゾロが先ほどから湧き上がる自身の力に身を任せ、反撃の一振りの下に叩き斬った敵の成れの果てである。

 

 足止めを倒した今、剣士が望むのは自身の獲物たる敵の首魁『“百計”の男』との勝負の決着だ。

 

「……おれをあの執事野郎のとこまで連れてけ、ルフィ」

 

 男の命令が少女、一味の船長ルフィの耳に響く。

 その内容が理解となって脳に浸透するにつれ、娘の目が潤み、頬はフグのように膨れ上がった。

 

「ッ、むぅぅぅっ!  バカっ!ゾロのバカっ!無鉄砲!あとむっつり!」

 

「誰がむっつりだ!あとおれはバカでも無鉄砲でもねェ!」

 

「バカよっ!だってそっち私たちの船の方向と逆だもん!」

 

 ルフィの怒鳴り声に小さく固まった剣士は、ゆっくりと少女の人差し指が示す方角へ振り向く。そこにあったのは男の、自身が乗り込む海賊団『麦わらの一味』が操る海賊船『ゴーイング・メリー号』の小柄な船影。

 

 そしてゾロは再度、己が先ほど目指していた方角へ向き直る。

 そこには見渡す限りの大海原。

 

 おかしい、メリー号が瞬間移動している。

 

「ほらっ!ゾロは目の前にでぇぇん!って浮かんでる船の存在すら見失って勝手にどっか行っちゃう迷子バカなんだからっ!」

 

「ッ、まっ、迷子じゃねェ!」

 

 首を捻りながらルフィの指摘に反論する男。

 だがゾロの主張を投げ掛けられた船長の頬は膨らむ一方。揺れ動く夜空の双眸はキッと吊り上げられ、痛ましい赤に染まっていた。

 

「心配したもん……心配したんだもんっ!!」

 

 男を睨みつける少女の口から吐き出されたのは、胸を突き刺す悲愴な叫び声。

 

「怪我してるのに…!我慢強くて頑丈なゾロがいつも痛そうにしてるほど酷い怪我なのに…っ!鍛錬もお酒も止めないし!戦わないでってお願いしてるのに、船長命令なのに言うこと聞かないしっ!!」

 

「…先に断っただろ」

 

「断んないでよっ!!」

 

 四の五の言わせぬ頑固な意思でゾロの弁論を受け付けない過保護な女船長。

 まるで子の身を案じる母親のように、一味のボスが身勝手なクルーを叱咤する。

 

「船長の私に謝りなさいっ!ナミとウソップにも謝りなさいっ!“怪我してるのに無茶してごめんなさい”って!“仲間に心配かけてごめんなさい”って!」

 

 反省の誠意を欲し、ルフィは剣士に謝罪を求める。

 強さを求め、強敵を求めるゾロにとっては認め難い要望だ。

 

 だが、船長の強要に抗議しようと感情を沸立たせた男の耳に微かに届いた、少女の口からポツリと零れた最後の一言は、震える沈痛な掠れ声だった。

 

 

  私も“二度としないで”なんて…言わないから……」

 

 

 はっと振り向いた先にあったのは、デニムの内ももの短い裾を握り締めながら俯く少女の姿。

 

 唇を噛み、小さく震える肩が、その胸中に押さえ込まれている感情の大きさを無言で語る。

 

 大切な人間が傷付く恐怖に男女の差などなく、その場に居ながら黙って見ていることしか出来ない無力感は誰であっても同じ。

 特に圧倒的な強さを持つこの人物だからこそ、仲間である青年の意思を重んじ、その手に宿る力を差し伸べることを封じ続ける遣る瀬無い思いは察するに余りある。

 

 自身が負う傷一つ一つが、少女の心の傷となる。

 

 その事実から目を逸らし続けてきた剣士は、これ以上逃げることを許してもらえなかった。

 

 

  悪かった」

 

 しばしの逡巡の後に下げた頭は、自身が想像していた以上に重く  

 

 

  うん、許します」

 

   少女の寛恕の笑みは、いつもの屈託の無い無邪気なものとは異なる、どこかの誰かの最期を想起させるような……心を偽る虚しい笑顔だった。

 

 

 その嫌な記憶の正体にゾロがたどり着きそうになる直前。子供らしく唐突に話題を変えた少女が声高々に剣士の勝負を賞賛した。

 

「そうよゾロっ!さっきソコの人たち倒す直前にまた覇気がぐーんって上がったわね、凄いじゃない!そのくらいだった頃のエースはわかり易いほど以前より体が頑丈になったり、五感とか直感が鋭くなったって言ってたわ!あなたもそんな感じなんじゃないかしらっ?!」

 

 今度こそ心底嬉しそうに目を輝かせ、歓喜に自身の愛らしい幼顔を高揚させるルフィ。

 島に置き去りにされてから、僅か一日。少女のその代名詞たる太陽の笑顔を見ていなかっただけで、随分と遠く、空虚な喪失感を覚えてしまうものだ。

 

 取り戻せた彼女の本来の素顔に感じる形容し難い高揚感と、思い出しそうになったかつてのトラウマが霧散する、言い知れぬ安堵感。剣士は双方の奇妙な感情に困惑するも、船長が齎した新たな話題は、そんなゾロの関心さえも非常に強く引くものであった。

 

「あ、ああ…。やっぱこの、ぐつぐつしてるのが覇気…なのか…」

 

「ぐつぐつ…?……あの、ごめんなさいゾロ…私って武装色も見聞色も覇王色の覇気もある日突然使えるようになったの。あなたのソレはその前か…もっと前の段階だと思うから、よくわからないわ…」

 

 普段から喜怒哀楽の激しい人物であったが、今の少女の感情は負の方向へ振れ易いように思える。

 剣士の問いに答えられない。そんな些細な無力感であっても、彼女の心を大きく苛んでしまうのだろうか。

 

 とはいえ、その本質が陰ったわけではないらしい。

 

「……あっ!でもでもっ!さっきゾロ、めちゃくちゃに暴れる執事の居場所捉えてたわよね?!そっちは私がいつも使ってる“見聞色の覇気”の素質だと思うわ!武装色の覇気の身体強化もさっき使ってたし、もうそこまで覇気を掴んでるなんて、流石ゾロねっ!!」

 

 些細なきっかけや閃きでコロコロと忙しなく表情を変える少女ルフィ。

 常に振り回されてばかりの剣士は内心を悟られまいと慌てて返す言葉を捜した。

 

「ッ、そう、そうだあの時、時間が引き延ばされたような妙な感覚があった。もしやソレか…?」

 

「そうそれっ!エースが目覚めそうになったときになんかそんなコト言ってた気がするわっ!あの力は相手の心の声を聞くコト以外に体感時間を延ばしたりも出来るから、ゾロの“時間が引き延ばされた”~って感覚も同じ見聞色の覇気よ!きっとそう!」

 

 何とも煮え切らないが、どうやら彼女は男が双色の覇気の素質を持つと信じ疑っていないらしい。

 真に才ある者のみにしか発現しないと語るその特異な力。ゾロは己が全てに恵まれているなどという楽観的な考えは持ち合わせていない。

 だが目の前の少女の自信に満ち溢れる笑顔を見ていると、何故か根拠の無い確信を覚えてしまう。

 

 意思の力。

 信じることで我が物と出来るのであれば、たとえそれが戯言であったとしても、強者たる“王”の玉音ならば信ずるに値する。

 

 一匹狼として生きてきたはずの剣士は、ここ一月未満の短い時間における自身の心の変わりように小さく苦笑した。

 

「……これも“信頼”ってヤツか…」

 

「…ッ、信頼……」

 

「……いや、何でもねェ。  それより早く船を出せ、執事を追うぞ…!」

 

 信頼には信頼を。

 ゾロは無言で一味の船長に求める。

 

 

   おれを信じろ。

 

 

 倒しそびれた敵との決着を求める力の求道者、未来の大剣豪ゾロ。

 

 その力強い剣士の視線に、少女ルフィは僅かにたじろぐ。

 

 嫌。傷ついて欲しくない。無事でいて欲しい。

 そう願ってしまうのは、あの日の夜に見た“夢”で、大切な人を失う恐怖と苦痛を知るからこそ。

 

 それでも、覇気を通し感じる男の強い意思が、少女の心を船長のそれへと引き締めさせる。

 

 かつて“オレンジの町”で『“道化”のバギー』との再戦を望んだゾロに教えられた、“仲間を信じる”ということ。ルフィ少年が理解し、自分が理解していなかったもの。

 

 今、少女の仲間が再度、少女にその理解を求めていた。

 

「…ッ」

 

 ズキズキと胸中を侵す痛みに耐えながら、ルフィは深呼吸を繰り返す。少しずつ強くなっていく己の心が、仲間を守るための暴力以外の力へと昇華してくれることを祈りながら。

 

 

 そして船長ルフィは覚悟を決めた。

 

 

  わかったわ。私も、もう泣かない」

 

「…ッ!」

 

 ゾクッ…と剣士の体を何かが走り抜けた。

 

 少女が成した決意は、少女が世界に穿つ心の楔。

 海を揺らし、空を震わせ、時代に選ばれし寵児の意思が大地を響かせる。草木が、石土が、まるで万物が“王”の御意を得たかのように、目に見えぬその頭を垂れた。

 

 王の素質とは、臣民を従え背負う、王の意思を叶える力。

 

 臣下を信じ、その意思を背負うと決めた、若き海の女君主(プリンセス)。覇道を進む王者の覚悟が、弱き少女の悲痛を耐え忍ぶ新たな力となって、未来の海賊王の玉体に宿ったのだ。

 

「……私、もう泣かないから。……だから、ゾロ  

 

 少女の満天の夜空の瞳が剣士の心を射抜く。

 

 下されるのは、男が従う覇者の王命。

 民を導き、覇道を進み、この世の全てを欲す偉大な海の王女が臣下に望む、たった一つの願い。

 

 

  勝ちなさいっ!!!」

 

 

 高く、玲瓏とした声が剣士の魂を圧倒する。

 まるで砲撃の爆風を受けたかのような衝撃が身体中を走り、男はあまりの威圧に硬直した。

 

  ッッ!!」

 

 最初の出会い。シェルズタウンで受けた、あの意識を飛ばすほどの凄まじい気迫が再度“王”より放たれる。

 だが少女が放つ此度の力の奔流には、威伏させる武の意思を感じない。

 

 あるのはただ、己の信じる剣士の勝利を後押し鼓舞する“王”の信頼のみ。

 

 そしてそれは、未来の海賊王の背中を守る未来の大剣豪が、己の主に望んだ何よりも尊い意志の力であった。

 

 

 ……その信。剣士として、男として、応えねばなるまい。

 

 

  無論だぜ、船長ォッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖『ゴーイング・メリー号』甲板

 

 

 

 ここは『麦わら海賊団』が無断で拝借しているキャラベル船『ゴーイング・メリー号』。

 海賊らしく傍若無人でありながらも、他の海賊の襲撃を受ける一味の狙撃手ウソップ少年の故郷、シロップ村を守るために海へと繰り出した、義理堅い一味でもある。

 

 そんな彼らが進む先にあるのは二隻の帆船。

 敵の一党『クロネコ海賊団』と、突然現れた世界治安維持組織『海軍』の巡回船である。

 

 前者は問題ない。先日から標的として定めている、れっきとした敵である。

 

 問題は後者。一味の彼ら彼女らがその海軍船に抱いているのは純粋な疑問、「何故ここにいる」である。

 

 いきなり島を攻撃し、一味の戦闘員である剣士『“海賊狩り”のゾロ』と敵の親玉『“百計”のクロ』との一騎打ちに水を差した不躾な“絶対正義の執行者”。

 そんな連中に、そもそも海賊として良い感情を抱けるわけがない。

 

 だが、この場で最も闘志を昂らせているはずの男、ゾロは今、腑抜けになっていた。

 

 

「……“信頼”ってなんだ…?」

 

 虚ろな目を空に向け、ポツリと呟くその言葉は実に多くの議論を呼ぶ難題であった。

 

「…なんかゾロが深いこと言ってるぞ、ルフィ」

 

 そんな剣士の状態を同情めいた視線で見つめていた一味の狙撃手ウソップが、全ての元凶である隣の少女に指摘した。

 少年の言葉には隠す気の無い非難の意が籠っている。

 

 だが当の少女、一味の船長ルフィは、きょとんとした顔で自身が島の海岸から回収してきた剣士に問い掛けた。

 

「何メソメソしてんのよ、ゾロ。ちゃんと受け止めてあげたじゃない。怪我にだって気を使って無事な右腕と右足を掴んだのよ?“過保護は止めろ”って言われたから止めたのに、今度は“優しく扱え”だなんて優柔不断だわっ!」

 

  ンな一千メートルも先の海に放り投げるバカがいるかっ!!海岸で敵と戦ったときより死ぬかと思ったじゃねェか!!」

 

 少女の心底不思議そうな表情に猛烈な憤怒を抱いた剣士、ゾロが抜けた腑をかき集め気力を取り戻す。

 

 先ほどまで殊勝なか弱い女の子の顔をしていたと思えば、いきなり圧倒的強者の王器を示した、己の偉大な船長ルフィ。

 その覇気に当てられ気が高揚していたはずのゾロの思いを唐突に裏切った少女に、男は信頼という言葉の意味を考え直すハメになっていた。

 

「……てめェさっきまでおれのコトまるでガラス細工みてェに心配してたじゃねェか。突然こんな扱いするとか、おれなんか嫌われること  命令無視して敵と戦ったな、うん。……すまん」

 

「別に怒ってないわよ?もう全部許したし  それに私ゾロの意志を尊重して、あなたのコトちゃんと信じるって決めたもの!」

 

「だからって扱い雑過ぎるだろ!!」

 

 食いかかる剣士にルフィは不愉快そうに頬を膨らませる。

 

「…だって男の人に身体触らせるワケにはいかないんでしょ、ナミ」

 

「……へっ、私っ?」

 

 突然話題を振られた一味の航海士ナミが目を見開いて少女を見つめる。

 その理解に欠けた彼女の顔に、ルフィは更に腹を立てた。

 

「だからナミが“簡単に男に身体触らせちゃダメ”なんて言うから、ゾロを投げるハメになったのっ!……それにゾロに聞いたら私の身体にそんな、見ただけで何万ベリーの価値なんて無いって教えてくれたわ…っ!ナミのバカっ!嘘吐き!」

 

『……は?』

 

 一人で勝手に良くわからないことを口にしながらぷりぷりと怒る麦わら娘に、その場の全員の頭上に疑問符が浮かぶ。

 

「……ねぇゾロ、どういうこと…?」

 

 極めて素朴な疑問を当事者の片割たる剣士ゾロに投げ掛けたのは、謎の怒りを向けられた美しい女航海士ナミ。

 その至極もっともな問いに男はルフィと共に語りだす。

 

 それはつい四半刻ほど前の出来事であった  

 

 

 

 

 

『じゃあ、早く船に戻りましょ!私がだっこして連れてってあげるわっ!』

 

『応っ  って、は?』

 

 “王”の命を受け、謎の高揚感が身体中を巡る剣士の昂る闘志を吹き飛ばしたのは、当の“王”のそんな言葉であった。

 

 

『はいゾロ  きてっ!』

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 突然少女が胸襟を広げ、男に満面の笑顔を見せる。

 

 勢い良く開いた腕に釣られるように、思わず効果音の幻聴が聞こえてしまうほど重たげに揺れる、二つの豊か過ぎる小麦色。

 様々  そう、実に様々な状況において、相手を自分の胸元に迎え入れるための仕草。そこに込められた意図を理解することを、招かれた剣士自身の理性が全力で拒絶する。

 

 硬化したまま顎を垂らすゾロの姿を疑問に思い、こてんっと小首を傾げた少女はしばしの思考を経て、突然あることに気が付いた。

 

  ハッ!ダ、ダメっ!ごめんなさいゾロっ、やっぱダメよっ!私に触ったらゾロの借金がまた増えちゃう…っ!!』

 

『…………は?』

 

 脅えるように自身の身体を抱き、顔を青ざめさせる絶世の肢体を持つ愛らしい少女船長ルフィ。

 まるで目の前の無体な男に乱暴されそうになっているかのように震える人物が、まるで理解不能なことを口にする。

 

 しばしの時を考察に使ったゾロであったが、すぐに徒労に終ることに気付き、大人しくこの頭のおかしい女の言葉の続きを待った。

 

『あ、あのねゾロ…!ナミがね、私の裸は見るだけで何万何十万ベリーもしちゃって、触ったりなんかしたら何百万も払わないといけないんだって言ってたの…っ!』

 

『………………は?』

 

『わ、私も知らなかったんだけど……その、ナミが入る前に二人きりだったときに、えと、わ、私そういうの全然わかんなくて、結構ゾロの近くで着替えたり身体拭いたりしちゃってたじゃない…?あれもお金取られちゃうんだって…!』

 

 前言撤回である。

 これはいくら考察しても、当人の言葉の続きを待っても、到底理解出来る話ではないようだ。

 

『……何言ってんのかさっぱりわかんねェが、その“お金取られちゃう”ってのはお前がおれから取るんだよな…?』

 

『えっ?何で私がゾロからお金なんか取るの?』

 

『…………だったらどこのどいつが請求するんだ?』

 

『えっ?……あれ?誰かしら…?』

 

『だからお前じゃねェなら誰なんだよ!!?』

 

 ゾロの咄嗟のツッコミが冴え渡る。

 

 まるで第三者が不運な多額債務者の状況に同情しているかのような他人目線の文脈が、少女の言葉の内容を著しく混乱させていた。

 

 もっとも本人の反応を見る限り、どうやらただナミに言われた言い付けや受け売り  若しくは軽い冗談の類だったものを、このバカが曲解してマジメに捉えてしまったのだろう。

 

 

 ……考えるに値しない、極めて無駄な時間であった。

 

『……安心しろ。あの船が手に入ったら二度とそんなことは起きねェから、その借金とやらも忘れろ。フツーの女の身体にそんな価値はねェ、いいな?』

 

『え?…で、でもナミが“ある”って…』

 

『さァな、アイツがそう言うならアイツのにはあるんじゃねェの?身体だろうがなんだろうが、てめェの価値なんざてめェで決めるモンだろ?』

 

 その言葉の何かが琴線に響いたのか、少女が神妙に考え込む。

 

『私の……うーん、嫌な人に触られるのはヤだけど、別にお金貰うよりは怒って殴りたいかな…?』

 

『ならお前の身体の価値は、海軍基地施設を真っ二つにするお前の一撃と同等ってことだ。よかったな』

 

『むぅ……ナミの嘘吐き…!』

 

 不満そうに頬を膨らませる少女の子供っぽい仕草に毒気を抜かれ、ゾロは溜息を吐きながら船長に乗船許可を催促した。

 

『何でもいいからさっさとおれを船に乗せろ。もう執事の船があの謎の海軍船の近くまで離れてやがる』

 

『あれくらいならメリー速いしすぐに追い付けると思うけど……あ!』

 

 明るく輝くルフィのその顔に言い知れぬ不安を覚えた剣士が、嫌そうな表情を浮かべて小さく後ずさる。

 

『ねぇ、ゾロ?…私の身体に触れずに船に乗れれば“何でもいい”のよね?』

 

『……おい』

 

『じゃあ私の手を掴んで。  投げてあげる』

 

 

 ゲッコー海に浮かぶ幾つもの島の一つ。

 

 朝日に赤く照らされるその近海の洋上で、麦わら帽子の女の子が一人の男を一千メートル先の船まで砲丸投げし、それを空を飛びながら追い駆け着弾直前に回収し、優しく味方の海賊船の甲板に降り立つ何とも珍妙な光景が広がった  

 

 

 

 

  バカじゃないの?」

 

  バカじゃねェの?」

 

  バカなんだよ!!」

 

 船長ルフィの仲間たちが同時に少女を失笑する。

 親分としてあまりにも耐え難い屈辱に、麦わら娘は顔を羞恥と憤怒に赤らめ怒声を上げた。

 

「バッ!バカにしてぇっ!!バカよ!?バカなのは知ってるわよ!!?でもそんなにバカバカ言う必要なんて無いじゃないっ!バカって言う方がバカなのよっ!!  ん?……あっ!これでみんなバカね!一味の名前“バカバカ海賊団”にしようかしら!」

 

『抜けるわ一味』

 

 一同の辛辣な返しに少女がしょげる。

 

「まあ、つまりこのバカの誤解だな」

 

「誤解っていうか……何なのこれ…?」

 

「バカで十分だろ、時間の無駄だ。さっさとあの海軍どうするか決めて、執事の船におれを連れてけ」

 

 ウソップの“誤解”という単語にぴくりと反応した少女が拗ねながら、それでいて何かに縋るような顔を航海士に向けた。

 

「……その、つまりナミは嘘吐いてないのね…?」

 

「いや嘘っていうか……まあお前がただのバカってことだよ。航海士の姉ちゃんは悪くねェから安心しろ」

 

 嘘に詳しいオオカミ少年が自身の発言に強い説得力を持たせ、バカを落ち着かせる。

 

「そう、ならいいわっ!誤解してごめんなさい、ナミ!」

 

 無条件に仲間の言葉を真に受ける無垢(バカ)な少女がぱぁっと花のような笑みを浮かべ、航海士に謝罪した。

 

 あまりの素直さに一味の三人は接敵するまでの時間中、ずっと船長に哀れむような、生温かいような、そんな視線を送り続けていたとか、いなかったとか。

 

 

 

***

 

 

 

 

  “クロネコ”が海軍に追い着いた!攻撃も始めてる!」

 

 子供の高い声が風に乗り、高波に大きく揺れる甲板に広がる。

 出航からずっと見張りを引き受けていた人質四人衆、自称『ウソップ海賊団』の一人、遠見が得意のにんじん少年である。

 

 少年の声に『麦わらの一味』はハッと緩んだ気を締め直し、自称船長ウソップが童子に詳細を求めた。

 

「でかした!どこだ!?どんな感じだ!?」

 

「あっち  えぇと、北北西っ!」

 

「まあ船の観測員なら方位じゃなくて干支かクロックポジションがいいんだけど、まあいいわ。見つけてくれてありがとっ、にんじんくん」

 

「でっ、でへへ…」

 

 鼻の下を伸ばす情けない顔の少年と、彼を骨抜きにした小悪魔ナミを交互に見つめながら、少女船長が己の航海士に尊敬の眼差しを送る。

 海賊としての憧れがあの『“赤髪”のシャンクス』や“夢”のルフィ少年ならば、少女ルフィの女としての憧れは目の前の“ナミお姉さん”であった。

 

 そんな目を輝かせる少女を放置し、ゾロはこの場で最も豊富な海賊の知識を持つ長鼻の少年に訊ねる。

 

「執事が海軍を沈めるのにあんなに執着する理由は何だかわかるか?」

 

「…悪ィ、全然だ。そもそも『“百計”のクロ』は一度海軍に捕まってたはずなんだ。それが何でカヤの執事なんかやれるほど自由な身になってたのすらわかんねェ…」

 

 語り手のウソップも首を捻るばかり。深まる謎を前に、剣士は最後の切り札たる、バカだが偉大な船長の力を求めた。

 

「ルフィ、お前の覇気でなんかわかんねェか?」

 

 誤解が晴れて上機嫌な少女は、一度男へ振り向き目をぱちくりさせる。そしてこくりっと嬉しそうに頷き、遠方の二隻を一瞥した。

 

 

  あら?なんかあの人たちお嬢様の資産のコトばかり考えてるわ。執事のほうと同じで紛らわしいわね」

 

『……は?』

 

 僅か一秒足らず。

 まるで息をするかのような気安さで、遥か遠くを進む敵の戦略目的を赤裸々にする己の女船長。覇気に目覚めて間もないゾロは少女の途轍もない力をより詳しく理解し、そして戦慄する。

 

「……相変わらずとんでもないな、ウチのボスは」

 

 故に真っ先にルフィが齎した情報に反応出来たのは、既に“オレンジの町”で一度彼女の力を真横で目の当たりにし、全てを達観していた航海士ナミであった。この化け物船長の化け物っぷりはいつもの通りなのだから。

 

「……“お嬢様の資産”って…まさかあのカヤお嬢様が持ってるヤツ…?何で海軍がそんなものに興味を示すの…?」

 

「え?は?あの、お前ら何の話してんだ…?」

 

 対する新入り狙撃手は未だに化け物船長の発言の内容どころか、発言そのものの意味さえもわからずに混乱し続けていた。

 

 そしてルフィの情報を正確に分析出来たのもまた、幸か不幸か、異なる事件における被害者であるその人物であった。

 

 

  ちょ、ちょちょちょっと待って!今思い出した!あの巡回船、私前に見たことある…っ!!」

 

 いつも海賊相手に見せる底無しの憎悪。それに勝るとも劣らない強烈な感情を噴出し始めたその人物、ナミへと一味の三人が一斉に顔を向ける。

 

「あの船に乗ってる海兵は“ネズミ”って大佐よ!海賊共と癒着がある悪徳海兵、生粋のクズなんだから!」

 

 船長ルフィの超人的能力はわからずとも、航海士の記憶と経験、そしてその溢れんばかりの悪感情なら信じられるウソップ。病弱な令嬢を案ずる友達思いの少年は、この時初めて事態の深刻さを理解した。

 

「なっ!海軍だぞ!?ア、アイツらまでカヤの財産を…!!?」

 

「……御祓いでも行ったほう良さそうだな、そのカヤお嬢様ってのは」

 

 『クロネコ海賊団』に身内にまで入り込まれ、村を襲った『麦わら海賊団』の被害を世界政府に訴えれば、救援にやって来たのは海軍の皮を被った詐欺師集団。何とも踏んだり蹴ったりな病弱令嬢である。

 

「くそっ、どうすんだ…?!執事野郎はともかく、海軍に攻撃したらおれたち完全にお尋ね者に…っ!」

 

「いや、おれたち海賊だぞ?今更なに怖気付いてんだウソップ」

 

 当然のように言い放つゾロに、少年は思わず唖然とする。

 そして剣士の言葉を挑発と受け取った小心者は、勇気を湧かせて言い返した。

 

「かっ、海賊だろうとなァ!手当たり次第に敵作る必要はねェだろうが!こ、ここでアイツら撃ったりしたら、この“キャプテン・ウソップ”さまが賞金首に、に、に……あわわわ…!」

 

「落ち着けウソップ。船長が無名なのに、ただのクルーのおれたちが先に手配書に乗るワケねェだろ…」

 

 その慰めに胸を撫で下ろした新入りを軽く叩いて励まし、男は一味の最高権力者、ルフィに問い掛けた。

 

 

「……で、どうすんだ船長?」

 

 ゾロが試すように意地の悪い笑みを浮かべる。

 その顔に同じような表情で返した少女船長が声高々に宣言した。

 

「しししっ!決まってるじゃない!当然、沈めるわよっ!!」

 

『沈めるぅ!?』

 

 唐突の全面衝突宣戦布告に臆病なオオカミ少年たちが驚愕のあまり悲鳴を上げた。どうやら他の人質童子たちもいつの間にか集まっていたらしい。

 

「何驚いてんのよ、ウソップ。それにちびっ子たちも。連中にシロップ村はこの私の縄張りだと知らしめないと、またお嬢様のお宝狙われちゃうわよ?」

 

 当然のように言い張る船長ルフィ。聞く耳を持たなさそうな無鉄砲バカの説得を早々に諦めたウソップが助けを求め、一味有数の常識人たる航海士へとその身を縋った。

 

 だが少年は思い出すべきだった。彼女が目の前の海軍に抱く巨大な負の感情を。

 

「…うふふ、私怨がある身としては大賛成よルフィ…!ココで遭ったが百年目ってヤツだわ…っ!それにあのクズが目を付けたんだもの!船を沈められるくらいのしっぺ返しじゃないと、またお嬢様の資産を奪いに来るでしょうし  ウソップ、もう一度お願いよ!絶対に潰しなさい!!」

 

「ちょ、航海士さァん!?あんただけはマトモだと思ってたのにィ!!」

 

「マトモだからあのクズを殺したいほど憎いのっ!さっさと覚悟決めて撃ちなさいよ、男でしょ!?」

 

『ひぃぃぃっ!!』

 

 

 少女の憤怒の表情に為す術無く、自称『ウソップ海賊団』は復讐者ナミの尖兵へと転職することが決定した。

 

 

 

 

 三年の雌伏の時を経て、遂にその牙を向いた『クロネコ海賊団』。

 

 新たな仲間の故郷を守るべく立ち上がった『麦わら海賊団』。

 

 哀れな少女の全てを奪う、正義のカモメを掲げる悪党『海軍第16支部』

 

 

 朝日に紅く輝くゲッコー諸島の荒海。

 平和なはずのこの海で、これより令嬢カヤの資産を巡る、三つ巴の決戦の火蓋が切られる  

 

 

 





かわいいサラダちゃんが描きたかった…


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17話 オオカミ少年・Ⅷ (挿絵注意)


くぅ~疲れましたw これにてウソップ編完結です!
実は、敵役のクロ氏の野望の小ささを補うオリ展開を加えたのが始まりでした
本当は3万文字で終らせるつもりだったのですが←
殆ど書き終えてしまった章を練り直すわけにも行かないのでうpして一昔前の流行りのコピペで締め括った所存ですw
以下、ルフィたちのみんなへのメッセジは考えるのダルいので自己保管でどぞ

ルフィ「(空欄)」

ゾr(ry



…コピペはさておき、以下の本編ですが……某カリブの海賊BGMと一緒に読んでくださると、作者のうんこ文章でもたちまち宮部みゆ○レベルに楽しめるはずだ…!多分!

一番書きたかった、海戦ですよ!




 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島遠洋

 

 

 

 諸島沖を離れ、真夏の朝の外洋に吹き荒れる“常東風”と高波の中を、三隻の帆船が入り乱れている。

 

 通常、帆船とは風を動力に航行する船だ。

 よって帆船(かのじょ)たちは風の方向はもちろん、その速度や孕む湿気などの様々な環境的要素に極めて強い影響を受ける。

 

 

 その不確実性が顕著に現れるのが  海戦である。

 

 

「ウソップ!私が風上を取った場合、アンタの腕でどれだけ射程が伸びる?!」

 

 三つ巴の勢力の一角『麦わら海賊団』の海賊船『ゴーイング・メリー号』の中央甲板。

 水飛沫が吹き荒れる外洋の過酷な洋上で、一味の航海士ナミが狙撃手ウソップに大声で問い掛ける。

 

 船の航行に関する基礎及び応用術のほぼ全てを完璧以上に有するこの若き才女は、この場における最も確実な海戦の知識と経験を持つ人物だ。

 

「うえっ!?い、いや知らねェよンなコト!大体この砲術書の通りだとカロネード砲はあの執事の海賊船のマスト圧し折ったみてェに1キロ先の標的なんて当たらねェハズなんだけど…!」

 

「つまりアンタならもっと伸ばせるのね?!なら通常の追撃戦のセオリー通りに連中の上取ってやるわっ!さぁ、天才美少女航海士の腕の見せどころよっ!」

 

 荒れ狂う高波と朝日に紫色に輝く雲の動きを見、そして自身の肌に叩き付ける暴風を感じるだけで、正確な風速風向どころかその変化の兆候さえも割り出す少女。

 息を吐くように卓越した超感覚を披露するナミの能力の恐ろしさを正確に理解出来る者は、残念ながらこの場には居ない。

 

 

 海戦の大まかな流れは戦術にある程度左右されるが、基本的には会敵から、良い風が吹く陣取り合戦を行い、船首・船尾・舷の艦載砲を用いた砲撃戦で敵の戦力を弱体化させ、最後に敵艦船に自船を寄せ、悪魔の実の能力者に代表される高い個人戦闘力を持つ者が中心となり白兵戦にて決着を付ける。

 そのため白兵戦をより優位に進めるべく、砲撃戦にて敵の白兵戦要員を死傷させる基本戦術が多用されてきた。

 

 この白兵戦および砲撃戦において重要な戦術的要素となるのが、風だ。

 

 原理上風に逆らい航行することは非常に困難であるため、帆船同士の戦いは風上を取った船が殆どの場合に戦略的勝利を得る。

 風上を取った船は敵船への接近も離脱も自由に行うことが出来、同時に砲弾の射程や命中率も増す。決戦は当然、追撃戦も逃亡戦も風上を取れば何れも著しく有利になるのだ。

 

 

 そして、その有利を手繰り寄せるときに、航海士ナミの超感覚は反則的な効果を齎す。

 

「ッ!この感じ…風向きが逆に変わる!?ウソップ、急いで三角帆を風上へ調整して!ルフィはゾロと一緒に横帆を畳んで!このままだと煽られて最悪マストが折れちゃうわ!ピーマンくんは舵を面舵一杯に!みんな急いでっ!!」

 

「わ、わかった!あの横のロープで帆動かすんだよな?!」

 

「わぁい、おっしごとおっしごと~!」

 

「任せろ!」

 

「お、面舵って右に傾ければいいんだよね、航海士のお姉さん?!」

 

 矢継ぎ早に少ない船員たちそれぞれに最も適した指示を出す少女。

 その目は手元のコンパスと前方を走る敵の二隻の船を交互に見つめていた。

 

 そして、女航海士の指示通りの行動を各員が完遂した僅か一分後。

 

 戦局が一気に動く。

 

 

「あ!“クロネコ”の前のマストが傾いてる!あれ折れるんじゃない?!」

 

 最初にその変化を報告したのは、常に『クロネコ海賊団』の船を見張るよう指示していたちびっ子三人組の一人、優れた視力が自慢のにんじん少年であった。

 

 少年の大声に反応したナミが視線を向けた瞬間、朝の日差しを逆光で遮っていた前部帆柱(フォアマスト)の横帆の影が突然消失した。

 一瞬で露になった直射日光がナミの瞳を焼く。それはにんじん少年の予想通りの出来事が起きた証拠であった。

 

「ふんっ、バカな連中!海岸で船員分けて自滅して、しかもあんなデカいキャラック船でマスト二本だけで外洋の逆風に晒されたらどうなるかぐらい考えなさいっての!砲撃に集中させすぎて帆畳む人数も足りてないんじゃないかしら!」

 

「……あら?なんかあの人たちの船、航海士が前のウソップの砲撃で大怪我して動けなくなってたみたい。あそこから沢山混乱してる“声”が聞こえるわ」

 

 練達したルフィの見聞色の覇気が遠方の敵海賊船の状況をいとも容易くに曝け出す。

 相手の船内の情報が一切わからない海戦において、彼女の力はナミのそれとは異なる側面で大きな優位性を一味に与えていた。

 

「て、敵が混乱してる!?航海士不在って、おれらに勝機ありまくりじゃねェか!!」

 

『うおおおっ!!』

 

 敵勢力の片割『クロネコ海賊団』の致命的な隙に、その戦果を出した未熟な心の少年たちが大きく士気を上げる。

 

 そしてその余裕は、この場における最重要戦力である狙撃手ウソップの行動をより大胆なものへと昇華させた。

 

「お、おい!砲撃ってちゃんとした軍艦だと攻撃力が凄いけど、一度出した指示変更させるまでに時間かかるってナミの本になかったか?!な、なら今おれたちが逆の海軍のほう撃ったら…!!」

 

 少年の計画は単純。混乱し満身創痍の『クロネコ海賊団』を放置し、油断しているもう片方の勢力、ネズミ大佐の海軍巡回船に可能な限り多くの損害を与えようというものである。

 異なる標的である『ゴーイング・メリー号』へ攻撃する準備を整えるまでのかなりの時間、こちらは何発もの砲弾を連中に叩き込むことが出来るだろう。

 

「へぇ、悪くねェ…!上手く行けば執事野郎の船に目が行ってる例の悪徳海兵の度肝を抜けそうだ!」

 

「凄いわウソップ!そっちのほうが面白そうだしやっちゃってっ!」

 

『キャプテンすごーい!!』

 

 大した理由もなく勝手にはしゃいで攻撃目標を変更させようとする一味と人質童子たち。

 

 しかし海戦の現実を山のような書物から知る女航海士が、そんな無計画なバカ共を慌てて制止させようとする。

 

「ちょ、ちょっと!“二兎追うものは一兎も得ず”って諺知らないの!?戦闘には弱者から仕留めるって原則が…!つかまず巡回船まで弾届かないでしょうが!何キロあると思ってんのよアンタたち!」

 

 だが一味の狙撃手を信じる女船長は引き下がらない。

 

「ウソップが外すワケ無いでしょ?弾が届かないならナミが届くように船動かせばいいじゃない!船長命令よ、頑張って!!」

 

「はぁ!?  ったく、わかったわよ!今度こそ風上取ってやるから、それで射程延ばしなさいウソップ!」

 

「ええっ!?か、風上ってどんだけ砲弾の距離伸ばせるんだ…!?」

 

「カノン砲やカルバリン砲ならともかく、近距離用のカロネード砲の射程を風上で延ばす話なんて私も聞いたことないわよっ!なんもせずにその大砲で1キロ先も狙い打てるアンタ自身の才能を信じなさいっ!!」

 

「んな無茶な!」

 

 己すら自覚していなかった眠れる才能に全てを委ねられた少年狙撃手。

 一味の皆の信頼に沸き上がる熱と、根拠のない自信を恐れる冷たい不安が入り混じる。

 

「ッ、ルフィ!もう一度横帆を張って!ゾロは三角帆を常に風上へ!ってちょ!そこのシート放しちゃ終り!責任重大よ!ピーマンくんはもう一度取り舵  左に舵を傾けて!この大波を乗り越えた瞬間に再度反転したら……いけるっ!!」

 

 突然の風の変化で未だに混乱中の敵二隻を余所に、ナミの卓越した操縦術が『ゴーイング・メリー号』を着々と戦場の風上へと導く。波の傾斜を利用し船を傾かせてキールにかかる反力を減らし、重力を用い一気に反転。

 

 波と風と戦うこと少し。貴重な時間を最大限有効に使った女航海士の戦略がようやく功を奏した。

 

「来たっ!来たわよ!見なさい、そして感じなさい!これよこれ、この風よ!完璧な位置関係だわっ!!  ほらウソップ、出番よ!全部整えてやったんだから、さっさと命中させちゃいなさいっ!!」

 

「…ッ!」

 

 勝気の笑みを浮かべる才女が少年に男気を見せろと催促する。

 

 状況は予断を許さない。

 全てをお膳立てされ、追い詰められたウソップは自身の胸の内で渦巻く感情に折り合いを付けられぬまま、一思いにそれぞれを大砲の砲弾と共に噴出させた。

 

「~~~ッッ!くそぉっ、こうなりゃヤケだァっ!  コラァッ、悪徳海軍めーっ!!カヤを不幸にするならこの“キャプテン・ウソップ”さまの一撃必殺百発百中の18ポンド砲弾が黙ってないぞォォォっ!!」

 

 大切な友人の危機に立ち上がった一人の“勇敢な海の戦士”が、己の全身全霊を以って不埒者の海軍支部将校へ鉄の巨球を撃ち放った。

 

 

 浮力という単純な物理法則に従い水面に浮かぶ船は、その単純性から非常に堅牢である。

 軍艦として真っ当な設計をされた船は  海軍の最精鋭『一等砲塔装甲艦』の三連装砲に代表される68ポンド榴弾以上のものを除けば  通常の艦載砲程度の破壊力ではめったなことがない限り沈まない。

 

 

 …ならば、それを18ポンド実体弾、それも三、四百メートルの中近距離が有効射程といわれているカロネード砲で1キロもの相対距離から行う狙撃手は、一体何人この世にいるのであろうか。

 

 

「ル、ルフィ!?今!今あの巡回船、バゴーンって爆発したぞ!!?」

 

 

 そして  『麦わら海賊団』が乗るキャラベル船『ゴーイング・メリー号』の甲板で青い顔のまま狂乱する長い鼻の少年狙撃手も、その神懸り的な技量を持つ“何人”の内の一人である。

 

「はぁぁっ!?ちょっと待ちなさい、今何が起きたの!!?」

 

「ハッ、コイツやりやがったぞ!ハッハッハ!」

 

「あっ!これがアレね!ボガードさんが訓練で言ってた“弾薬庫に被弾!”ってヤツ!狙ってやるなんて凄いじゃない、流石だわウソップ!」

 

『キャプテェェェン!!すんっっっごおおおいっ!!』

 

 長鼻の少年の先ほどの宣言通り、一撃必殺百発百中の超天才的な砲術が遠方約1200メートルの海軍巡回船の甲板を内側から爆ぜ飛ばした。

 その大戦果に『麦わら海賊団』の甲板では青年少年少女たちが狂喜乱舞するほど大きく士気が高まる。彼ら彼女らの高揚感は留まる所を知らない。

 

 だが知識ある女航海士ナミは、狙撃手の活躍に対する歓喜より、彼が引き起こした現象そのものの説明がつかず顎が外れんばかりに驚愕していた。

 

「実体弾よ!?炸裂する榴弾じゃないのに、どうやってただの鉄の塊で相手の弾薬に引火させられるのよ!?」

 

「え、砲弾って爆発しないヤツなんかあるの?」

 

「爆発するヤツはしないのより何十倍も高いのよっ!船長なら補給物資の内容くらい把握しなさいバカっ!!」

 

 祖父に無理やり乗せられた、潤沢な装備と物資を与えられた海軍本部中将の主力艦が基準となっている、妙にセレブな価値観のルフィ。ただの富豪の家の船舶護身用の弾薬庫に、榴弾などという戦術兵器が置いてあるわけがない。

 ナミは無知で無学な女船長を叱り付ける。

 

「…考えられるのは、発砲直前の敵の大砲に命中して暴発したのが更に近くの火薬に連鎖引火した…ってか?とんでもねェ豪運だな。“お嬢様”に少しくらい分けてやりてェモンだ」

 

「え…ホントにそんな偶然あるのか…!?マジでおれが狙い撃ったのか…!?この距離でぇっ!!?」

 

 混乱から立ち直れないウソップは三度目となる大戦果にも関わらず、未だに己の力を理解出来ずにただただ自分自身の才能を恐れていた。

 

「へっ、狙撃手ならてめェの成果くらい堂々と胸張りやがれ!流石はルフィが選んだ仲間だ…!やりャ出来んじゃねェか、ウソップ!」

 

 剣士に何度も背中を叩かれ、戸惑う新入り狙撃手はゲホゲホと咳き込む。

 

 『“海賊狩り”のゾロ』。

 硬派で辛気臭い男かと思っていたが、意外にもフランクで親しみやすい兄ちゃんの一面もあるようだ。

 そして外見通りの無邪気で子供っぽい少女船長ルフィに、外見に似合わず随分男勝りなところがある女航海士ナミ。

 皆が狙撃手の腕を驚きと共に称賛する。

 

 一癖も二癖もある連中ばかりの『麦わら海賊団』だが、そんな彼ら彼女らと共闘したウソップは、不思議とこの一味が心地よい天職のように思えてきた。

 

 隣の剣士が言う所の「順調に染まってきた」というヤツである。

 

 

 思い思いに少年の砲撃に惚れ惚れしている一味と人質童子たち。

 

 だが、突然船の船長ルフィが視線を海へ向け大声を上げた。

 

  あっ!みんな気を付けて!海軍じゃなくて今度は執事のほうが私たちを狙ってるわ!」

 

『!』

 

 甲板の緊張感が一気に増し、一同は慌てて三つ巴のもう片方の敵、海賊船『ベザンブラック号』へ目を向ける。光学機器に頼る悪童にんじん少年が続いて女船長の言葉を補足した。

 

「ほ、ホントだ!アイツらの船の横の大砲ずらーっとこっち向こうとしてる!どっ、どうしよう、ボインのおねーちゃんっ!」

 

 その失礼な呼び名に不満を述べる少女船長を無視し、航海士ナミが敵船の行動に疑問を唱える。

 

「何やってんのよアイツら?この高波で低層の砲門なんか開けたら一気に水浸しじゃない…!第一ウソップじゃあるまいしそんな距離から私たち狙えるワケが  

 

 だがその慢心が危機を招く。

 

 敵の砲手と目が合ったと錯覚するほどの極限のタイミングで、右舷四門全ての大砲が同時に煙を噴いた。

 

 そして、遅れて届いた轟音と、それに続く飛翔音が一同の鼓膜を震わせ  

 

  あっ、当たる!」

 

『ルフィ!?』

 

 最悪の未来を口にした女船長が突然空へ舞い上がり、無造作にその華奢な腕を振るった。

 その直後、四つの爆発がマストの近くで轟いた。

 

 風に攫われていく多量の爆煙を唖然とした表情で見送った六人は、一拍おいてはたと我に返り大きく騒ぎ立てた。

 

「はあァァッ!?こんな荒れた海で四発全部命中させたのアイツら!?こっちも敵も百発百中の狙撃手揃いとか、この海で一体何が起きてんのよ!?」

 

「…やべェな、今ルフィが居なかったらこの船弁償するとこだったぞ」

 

「心配すんのソコかよ!?いやソコもなんだけどよぉ!!」

 

 ナミの驚愕は当然のもの。いかに優れた砲手であっても、砲弾の命中精度というものは自由気侭な自然環境の影響に晒される以上、どうしても限界がある。

 それをまるっきり無視したような精度を出す一味の狙撃手はもちろん、敵にまで規格外の砲手がいるこの現実。如何にして現実と納得出来ようか。

 

「……あ、わかった!あの人たち催眠術で全員超一流の狙撃手になってるみたい!」

 

「ええっ!?何それずっるい!!」

 

 子供たちの素直な感想に、年長組も揃って賛同する。そのような事が可能ならば、航海士が倒れた敵の不利も直に別の素人に肩代わりさせて補うことだって出来てしまうだろう。

 手数でこちらが圧倒的に不利。装備も敵が上となっては難しい戦いを強いられる。

 

 動揺する一同。

 

 

 だが彼ら彼女らには、臣下を勝利へ導く若き“王”がいた。

 

「大丈夫っ!私がいるわっ!たとえ敵にウソップが何人居ようと、こっちの本物のウソップも、ゾロも、ナミも、ちびっ子たちも!みんな守るんだからっ!」

 

 仲間や童子たちの不安を覇気で読み取った一味の女船長が『ゴーイング・メリー号』の船員たち六人に笑いかける。

 自信に満ち溢れた少女の、見る者皆に勇気を与える魔法の笑顔であった。

 

 その太陽の笑みはいつだって、仲間の危機を跳ね除ける光となる。

 

「防御は任せて!ウソップは私を信じて敵を攻撃しなさいっ!出来るわねっ!?」

 

  ッ、さっ、最初からそのつもりだっ!!こんなことで怖気付くおれじゃねェぞ、いくぜ“ウソップ海賊団”!」

 

『うおおおっ!!』 

 

 極限の状況に晒された子供たちの未熟な技術も、この短い期間でそれなりの形になりつつあった。観測員のにんじん少年も、操舵のピーマン少年も、弾薬調合のたまねぎ少年も。自称『ウソップ海賊団』の総力を挙げ砲口から必死に火薬を込める。

 重い砲弾を込めるのは手の空いたゾロが、船を操り砲撃に適した環境を整えるのはナミが。

 皆が一味の親玉、少女ルフィの力を、そして  この場の主役、狙撃手ウソップの腕を信じ、一門の大砲にそれぞれの闘志を託す。

 

「ッ、速い!もう敵撃ってきた!」

 

 背筋の冷える風切音を鳴り響かせながら、黒い米粒のような点が幾つもの恐ろしい放物線を描いて少年少女たちへ迫る。

 

 だが、その軌跡に視線を向ける者は居ない。

 

 理由は一つ。

 

「しししっ!私も一味の船長らしいトコ見せてあげるわっ!ギア4・タンクガール!」

 

「ぎゃあああっ!!そのでっかくなるの止めろって言ったでしょおおっ!!?」

 

 深呼吸一つで手足頭部乳房の付いたボーリング玉のような異形に変形した可憐な少女に、ナミが近くの10キロ近い砲弾を片手で掴んでぶん投げる。

 この女航海士、仲間限定で怒りに身を任せた超人的身体能力を発揮することが出来るらしい。

 

「何よナミ!こっちは“ゴムゴムの追い風”とは全然違う、私の自慢の防御形態よっ!さぁ、来なさい砲弾たちっ!ゴムゴムのぉ~キャノンボォォ  っわきゃっ!?」

 

「見!た!目!が同じだっつってんでしょうが!!しかも自爆してるし!いいから今すぐ止めなさい!!」

 

 少女が繰り出したその技、“夢”のルフィ少年が8億ベリーを超える最高峰の賞金首を撃破するほどのカウンター攻撃だ。

 だがその恐ろしい力も此度はあまりに過剰。

 

 このバカには想像もつかないことだが、海軍の標準的な榴弾は着発信管、つまり着弾時の衝撃で起爆する。

 

 四皇の最高幹部をも吹き飛ばす超火力をただの砲弾が受ければどうなるか、少女もようやく身を以って理解した。

 

「けほっ…ぺっ、ぺっ!…おかしいわね、“ゴムゴムの風船”では出来たんだけど……むぅ、折角カッコいいトコ見せようと思ったのに…」

 

「いや、でかしたルフィ!おかげでこっちはいつでもいけるぜ!発砲指示をくれ、船長!」

 

 ヤル気が空回りし船首の特等席でしょげるルフィへフォローを入れたのは、一味の新参狙撃手ウソップ。

 ここしばらく随分と臆病風に吹かれていた彼も、船長の信頼を受け続ける内に、胸中奥底に湧いた勇気を強い闘志へと昇華させていた。

 

 小心者だと自分を卑下しながらも、流石は大海賊ヤソップの息子だ。

 

 発砲許可を待つ狙撃手のワクワクした少年のような顔に釣られ、麦わら娘が笑顔を取り戻す。

 

 

 そして、船長の珍しい凛とした表情に、『麦わら海賊団』および自称『ウソップ海賊団』の六人は遂に、反撃の狼煙を上げる。

 

「ッ、もちろんよ!みんな、せーのっ!“火薬よ~しっ”!!」

 

『火薬よォォし!!』

 

 少女の確認を子供たちが復唱する。

 自分たちが行った準備を述べて貰った彼らの士気は天をも越える。

 

「砲弾よ~しっ!!」

 

『砲弾よォォォし!!』

 

 焦れるような確認に一同の期待に満ちた攻撃的な表情が深まる。

 

「安全確認よ~しっ!!」

 

『よォォォッし!!』

 

 ナミと子供たちを背に庇うゾロ。

 その姿を見た狙撃手ウソップは大きく頷き、急かすように船長の指示を乞うた。

 

 そして、『麦わら海賊団』船長『“麦わら”のルフィ』が、待ち焦がれた最後の命令を下す。

 

 

「頑張ってウソップっ!……せーのっ  うてぇ~っ!!」

 

『撃てェェェァァァッ!!!』

 

 

 鳥肌が立つほどの大咆哮。

 

 心強い仲間たちの戦意の熱気に後押しされ、少年狙撃手ウソップは全身全霊の力で砲身の点火口に火種棒を突き立てた。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖『ベザンブラック号』甲板

 

 

 

「ほ、砲列甲板が水浸しだァ!」

 

「畜生っ!上層の火の手が止まらねェ!」

 

「も、もうダメでさァ船長~っ!このままじゃ補給船までヤられて丘に戻れなくなっちまう!」

 

 三つ巴の一角『麦わら海賊団』の海軍船初撃大破炎上の大戦果に沸立っていたのも束の間。無謀にも連中を標的に定めてしまった彼ら『クロネコ海賊団』は今、敵キャラベル船より凄惨な報復を受けていた。

 

 海賊たちの指揮系統は最上位に船長が立つ。それは揺ぎ無い絶対である。

 

 故に、その船長の仲間に対する意識の違いで、海賊団は天国にも地獄にもなりうる大変な職業だ。

 

「……なァ、おれは“海軍を潰せ”と言ったよな?そしてお前らはその成果をあの“麦わら”に奪われたな。だからおれはお前らに“残った『麦わら』を沈めろ”と言ったよな?その命令は遂行されたのか?  答えろジャンゴォォォッ!!!」

 

「ひぃぃぃっ!!」

 

 敵の砲撃で大破し航行能力を完全に失った海賊船『ベザンブラック号』。その船長室では飛び散るガラスや木片を踏み付けながら部下の奇術師へ怒りをぶつける一人の男がいた。

 

 

 『“百計”のクロ』。

 

 例の富豪家に仕える“執事クラハドール”の面の顔を持つ、一味の元船長にして元1600万ベリーの賞金首である。

 

 先ほど敵海賊団の戦闘員『“海賊狩り”のゾロ』との戦いを態々切り上げ最優先の海軍船を皆殺しにするべく船を出させた男であったが、現在、一味のあまりの不甲斐なさに最早怒りが二周三周もしている極めて不安定な精神状態にあった。

 成功する世の海賊たちの通り、この人物も一味内で他の追随を許さぬ圧倒的な戦闘力を持ち、誰も逆らえないのが海賊団の悲劇を呼んでいる。

 

「じょ、状況は悪くねェんじゃねェのか…?最重要の海軍は沈んだし……ほ、ほら!このままだと白兵戦になるだろうから、そこで勝って連中の船を奪えばいいだけじゃねェか……」

 

「そうだな、てめェらはただおれが“海賊狩り”と、船長を名乗るあの悪魔の実の能力者の女を殺すのを見ていればいいんだからな」

 

「い、いや!べ別にそこまでは  

 

「当たり前だろふざけてンのかてめェェェッ!!?雑魚なら雑魚らしくおれのために戦って死ねよ、この無能共がァァァッ!!」

 

「わ、わかった!戦う!戦うから殺さないでくれ!!」

 

 床のガラス片に額が傷付くのも躊躇わず、ジャンゴは元船長の前で平伏する。

 

 奇術師にも意地があった。だがその意地も長年抑え付けられて来た恐ろしい百計の男の殺意の前では尻すぼみとなる。

 男が去って早三年。大切に維持してきた『クロネコ海賊団』を思う気持ちは本物なれど、己の命には代えられない。

 

 この上位二人の上下関係もまた、彼ら一味の運命を悲劇へと導く道しるべの一つであった。

 

 

 そんな彼らの下に、最高にして最悪の知らせが舞い込む。

 

 

「せ、船長!“麦わら”がもうすぐそこまで…!このままじゃ乗り込まれて  ッギャアアアッ!!?」

 

「ク、クロ!?」

 

 必死の形相で船長室まで報告を持って来たクルーを男が無造作に斬り付ける。

 倒れ伏し事切れた部下に青ざめながら、ジャンゴは隣の元上司の顔を責めるように見上げた。

 

「“このままじゃ乗り込まれる”だと?どこまで無能なんだてめェらは。キャラック船がキャラベル船に一対一で乗り込まれるだと?てめェらには海賊の誇りってモンがないのか、アア!!?」

 

 怒りにふら付くクロの支離滅裂な言葉に、奇術師が咄嗟に反論する。

 

「お、おい!連中の船奪うなら周囲に被害が出る戦闘はこっちの甲板でやったほうがいいに決まってるだろうが!落ち着けって!一度冷静に、な?」

 

「てめェら無能共と一緒にするな!!おれはお前らが海賊らしい考えの下で動くという前提であらゆる計画を立てているんだ!悪党なら悪党らしく傲慢に敵に挑んで死ね!!」

 

「むっ、無茶苦茶だ……!」

 

 狂っている。

 いつもの冷静沈着で怜悧な頭脳がまるで鈍らのよう。

 先ほどの“海賊狩り”との戦闘で少なくない出血があったからだろうか、男の息が微かに荒くなっている。感情の昂りで目は充血し、瞳の焦点も合っていない。

 

「ク、クロ…!医療室の精神安定剤を飲んで、十分でいいからしばらく休め…!今のお前じゃ“海賊狩り”に負けちまう…っ!」

 

「黙れジャンゴ!おれに指図するな!さっさと無能共を術で強化して“麦わら”を殺して来い、このグズが!」

 

「わ、わかった!今行って来る…っ!」

 

 状況は既に予断を許さず、これ以上聞く耳を持たないクロに構っていられる時間は最早無い。

 後ろから襲い掛かる強烈な殺気に震え上がりながら、ジャンゴは恐怖に身を任せて甲板へと逃げるように急行した。

 

 

 扉を開けた男が最初に目にしたのは、自身へと迫る大量の水飛沫であった。

 一瞬でずぶ濡れとなり、奇術師の視界が曇る。舌打ちしながらサングラスを拭こうとポケットのハンカチに手をやるも、二度目の大波が襲い掛かり、手元の全てが甲板の奥まで押し流された。

 荒れに荒れる、真夏のゲッコー諸島外洋の朝だ。

 

「ぐ…ぅぅっ!あの腐れ執事め…!天才自称するならせめてこういう状況を予想して時期をズラせよ、バカ野郎が…っ!」

 

 思わずそんな悪態が零れてしまうほど、目の前の光景は悲惨であった。

 戦闘準備に甲板に集まった部下たちは皆人手不足で疲労困憊。武器火器は波に攫われ周囲に散乱し、その顔には隠しきれない恐怖と絶望が浮かんでいる。

 

 それもそのはず。彼らの目の前で卓越した操縦術で大波を乗り越え近付いてくる船の甲板に立っているのは、あの恐怖の権化たる元船長クロと互角の戦いを演じ、海軍基地を壊滅させたなどの恐ろしい噂を持つ『“海賊狩り”のゾロ』。

 嗤う猛獣の如き形相でこちらを獲物と見定める男に、ジャンゴ自身も思わず腰が抜けそうになる。

 

(な、なんだアイツ…!クロに何度も斬られてニャーバン・兄弟(ブラザーズ)とも戦ったのに、まだピンピンしてやがる…っ!)

 

 奇術師は先ほどの剣士とボスの戦いを振り返る。あの吐血は胸を斬ったクロの刃が肺にまで達していた証拠。

 だが今、最早鬼の類と大差ない完全なる闘気の怪物へと変貌している目の前の“海賊狩り”は、殿を任せた狂猫兄弟二人を倒して尚、倒れない。

 

「ク、クロとの戦いも海軍基地での傷で手負いだったんじゃなかったのか…!?あんな化け物どうやって……」

 

「せっ、船長!来るぞ…っ!!」

 

『…ッ!』

 

 部下の一人の掛声に甲板の全員が息を呑む。

 

 今や目と鼻の先に近付いた横帆の複合キャラベル船。その甲板に見える敵の人数は僅か七。

 比喩でも何でもなく、こちらを見て本当に舌なめずりをしている最前線の“海賊狩り”と、悪魔の実の能力者である女船長“麦わら”の二大近接戦力。マストや楼の上に立っている狙撃手は、パチンコを片手に勇ましい顔をしながら膝を笑わせている、例のお嬢様の友人である長鼻のガキと、更に小さいガキ共が三人の計四人。そして船尾甲板で三角帆のシートを全力で引きながら巧みに船を操る、村の食堂に居たもう一人のほうの女。

 

 “海賊狩り”を除けば女子供だらけの冗談のような敵である。だがその冗談のように大きな胸をした先頭の女は、隣の剣士が主と認めた化け物を超える化け物なのだ。クロの加勢が遅れれば五分と持たずに全滅しかねない。

 

「…ッ、“海賊狩り”と“麦わら”には十分気を付けろ!乗り込むヤツらは上のガキ共と船尾(ケツ)の女をヤれ!」

 

「せ、船長…!そろそろ術を…!」

 

 消耗した部下たちの負荷を減らすため、ギリギリまで粘っていたジャンゴだが、先ほどの一人が言う通りここが限界だ。今度の洗脳が解ければ丸一日は動けないほどの疲労に襲われるだろう。

 とはいえ、背に腹は替えられない。

 

 敵船の甲板との距離は最早十メートル未満。身体能力に自信のあるものなら既に飛び乗る助走を付け始めてもおかしくない。

 

 ジャンゴは遂に己の切り札を切った。

 

「お前ら、術をかけるぞ!お前らは段々百人力の戦士とな~る…!段々、段々、百人力の戦士とな~る…!!」

 

『う…グゥゥゥゥッ…!!』

 

 脳が焼け焦げるほどの痛みが部下たちを襲う。限界を超えた多重催眠の反動だ。

 だが、それでも彼らは抗う。

 

 あんな、女とガキだらけの敵に負けるなど、彼らの海賊の誇りが許さない。

 

「段々、段々、段々、百人力の戦士とな~る…っ!!」

 

『グゥゥゥうわァァァッ!!!』

 

 一味の戦意が跳ね上がり、恐怖に揺れていたその瞳に炎が燈る。

 

 洗脳完了だ。

 

「行くぞお前らァッ!クソガキ共に本物の海戦を見せてやれェェェッ!!!」

 

『うおおおォォォァァァ  ッッ!!!』

 

 

 大海賊時代の華  海賊たちの白兵戦。

 

 残された両雄の最後の戦いが、鬨の声と共に幕を開けた。

 

 

『死ねェェェッ!!』

 

「ぱっ、ぱぱパチンコ撃てェェェッ!!」

 

 カットラスを片手にマストの吊縄に身を任せ、真横のキャラベル船へと飛び乗る幾人もの海賊たち。

 その手馴れた様はまさに百戦錬磨の大海賊。

 

 だが降り立ち体勢を崩した瞬間を見計らうように、マストの上から複数の鉄弾が飛来した。

 

「ガッ!?」

 

「ギャッ!!」

 

「痛ェェェッ!!」

 

 敵船へと挑んだ『クロネコ海賊団』のクルーたちの悲鳴が幾つも上がる。百人力の兵共も、百発百中の名狙撃手に目や喉や眉間を狙われては苦戦を強いられる。

 スリングショットとも呼ばれるその狩猟道具はれっきとした“殺し”を目的とした兵器。子供の筋力でも近距離ならば弓矢以上の威力を発揮するその飛び道具は、船の甲板のような狭い場所に屯する敵を上から狙い撃つには最適だ。

 

 どうやら村のガキ共も侮ってよい相手ではなさそうだ。

 

 

 だが目下最大の問題はこちらの甲板である。

 

「白兵戦!海戦の白兵戦よっ!“ルフィ”でさえ敵から逃げてばっかで満足に出来なかった海賊らしい海戦よっ!覇気で終らせるなんて勿体なさ過ぎるわっ!とことん楽しんでシャンクスに自慢してやるんだからっ!それぇーっ!ゴムゴムのぉ~ガトリ~ングっ!!」

 

『ぐわぁぁぁっ!!?』

 

 突然、満面の笑みで無数の伸びる腕を駆使し手当たり次第に殴ってくる女が降り立った。

 

 まるでゴムの如き超人的な身体。あの小娘こそ、ボスから語られた悪魔の実の能力者『“麦わら”のルフィ』に相違ない。

 その目を引く見事な肢体に一瞬戦意が挫けるも、洗脳の効果が健在な彼らは直ちに復活する。

 残された道は勝利のみ。白兵戦こそが両者の雌雄を決する最後の戦いなのだから。

 

「むっ!中々やるわね、あなたたちっ!バギーの雑魚一味とは比べ物にならない強さだわ!便利なモノね、催眠術!」

 

 完璧な統率で敵の親玉を取り囲み、防御と攻撃を分担しながら敵の行動を牽制しようとする『クロネコ海賊団』の戦闘員たち。

 だが彼らが豪速で振り下ろす刃物は、飛沫が輝く少女の美しい小麦肌に傷一つ付けられない。

 

「な、何で刃が通らねェんだ!?」

 

「これも悪魔の実の力なのか!?反則だ!!」

 

 まるで鋼鉄に攻撃しているかのように海賊たちの武器が弾かれる。

 すると、慌てふためく彼らへ、華奢な身体の“麦わら”がその童女のような幼顔をニヤリと歪めた。

 

「しししっ!ゴムの弾力と“生命帰還”の筋肉硬化、そして武装色の覇気の肉体強化が加わった私の“鉄塊”の堅さは、軍艦の主砲装甲以上の硬度と粘りよっ!流石におじいちゃんの全力を完璧に弾くには“武装硬化”を重ねないとダメだけど、あなたたちの攻撃なんか羽に撫でられた程度だわっ」

 

 海軍特殊体術“六式”。

 常人を悪魔の実の能力者と同等の戦力に引き上げる超人的格闘術を、更に幾つもの能力で応用強化している少女の防御力は、彼らの百人力、1000道力程度の力ではびくともしない。

 

 あの“海賊狩り”が認めた一味の親玉の実力。その片鱗を見た男たちは恐怖に思わず何歩も後ずさる。

 

 だが忘れてはならない。『麦わら海賊団』の白兵戦力は、この可憐な少女船長だけではないのだから。

 

 

「へっ、はしゃいで供も連れずに真っ先に敵船に乗り込む船長がどこに居るってんだよバカ…!露払いは戦闘員のおれの仕事だろ…!」

 

 異様に目をギラ付かせ、凶悪な笑顔の形相を浮かべた三本刀の剣士が振子のようにロープから降り立った。白兵戦の代名詞である。

 

「あっ、ズルいっ!私もソレやりたかったぁ!」

 

「なァに、これから偉大なる航路(グランドライン)で大暴れするんだろ?機会ならいつでもあるさ。それより  

 

 女の言葉を軽く流したその剣士は、より一層の悪人面を浮かべ手元の刀を『クロネコ海賊団』へと狙い定めるように指し示した。

 

 その佇まいだけでわかる。

 この男こそ、彼ら一味の元船長と渡り合った凄腕の剣士、『“海賊狩り”のロロノア・ゾロ』だ。

 

  まだ勝負は付いてねェだろ?執事野郎…!」

 

 男の底冷えのする恐ろしい声が甲板の騒音を凍らせる。

 

 

 そして突如、船尾楼の窓から一人の紳士服の人物が舞い降りた。

 

「……ふん、とんだ執着心だ。まさか船にまでおれと戦うために乗り込んでくるとはな…!」

 

 剣士の呼びかけに応じたのは、尊大な眼つきで相手を睥睨するゾロの敵、『“百計”のクロ』。

 

 一味の最高戦力にして最恐の男だ。

 

 

  全て練り直しだ、畜生が」

 

 海軍巡回船を爆破炎上させた英雄たちを称えもせず、執事はただ眼前で暴れる憎き敵『麦わら海賊団』を射殺す眼つきで睨む。

 今更何をしようとも、コイツらさえいなければ今頃は手にした屋敷の書斎で上質な勝利の美酒でも楽しんでいたことだろう。

 

 巡回船が脱落した今、もう己の復讐を遂げるに邪魔となる存在はない。あの船は直に沈み、生き残りもこの荒れ狂うゲッコー諸島外洋に呑まれて魚の餌になるだろう。

 

 残るは高名な“海賊狩り”と、ヤツが属する『麦わら海賊団』だけだ。

 

「そもそもそこの無能共の力に頼ろうとしたおれがバカだったんだ。やりようなら他に幾らでもあった。お嬢様を手篭めにするでも、屋敷の連中総出の旅行先で事故に見せかけて皆殺しにするでも。海賊団を利用しようと考えたせいで、より単純かつ確実な方法を計画する努力を怠った」

 

 百計の男の血走った白目が、目の前の邪魔者を射殺さんばかりに睨みつける。

 

「茶番も下らん演技もここまでだ。海軍が沈んだあたりに火油を撒いて確実に焼き殺し、屋敷の小娘を殺し、そこの『“麦わら”のルフィ』とやらを殺し、てめェも殺す!さっきの決着だ、“海賊狩り”!!」

 

   ルフィを殺す。

 

 その宣言に剣士の眉がぴくりと動く。

 

「……そうか。ボスのお前と戦うのも仲間への義理立てと自分の研鑽のためだったんだが……たった今別の理由が出来た。てめェ如き雑魚がコイツに指一本触れられるなんて、その思い上がりごとぶった斬ってやる…!!」

 

「はっ、“守る”だと?なら試してみろよ若造…!このおれから自分の女の命を守れるならなァ!!」

 

 互いに手負いの身。そう長くは戦えないだろう。

 

 ならば、答えはシンプル。一撃必殺である。

 

 勝敗を決す切り札の一撃はもちろん、自身の最高の技。

 十の刃を操る男が敵の姿に全意識を集中させる。初撃のみなら自由に操れるクロは、この一度で全てを決しに“海賊狩り”へ迫る。

 

 

「……違うな……ルフィは、守られるような弱い“女”じゃねェ  

 

 そして剣士もまた、この一撃に全てを込める。

 

 剣士は自慢の三振りの刀を振るう。

 空の玉座に一味の船長を座らせるために。

 己の“王”に、望む勝利を捧げるために。

 

 

  ルフィはおれの、『海賊王』だァッ!!」

 

 

 剣士は刀を振るう。

 その身に宿った、燃え上がる意思の劫火を纏いながら。

 

 

 そして  

 

 

「“()()鬼斬(おにぎ)り”!!」

 

「“杓死(しゃくし)”!!」

 

 

   超速の紫電が両雄の間で振るわれた。

 

 

 

 

 

  ……!!』

 

 

 沈黙が甲板を支配する。

 

 暴れる海も、吹き荒れる風も。

 まるで世界そのものが、両者の果し合いの末を見定めんとしているかのように、凪の如く静まり返っていた。

 

 

 そして……一方に上がった軍配に轟く、若き海の“王”の歓声が、凍った世界を熱気の大観衆へと変貌させた。

 

 

「やっ  たわあああっ!!私のゾロが勝ったわよおおおっ!!」

 

 

 固まっていた海も風も、全てが幻だったかのように沸き立ち上がる。

 唖然とする甲板には冷たい水飛沫が叩き付けられ、穴だらけの帆に襲い掛かるのは強固な綿糸を容易く千切る“常東風”。

 そこでは荒れ狂う夏の朝のゲッコー海が、“王の剣”の勝利を称え、波と風の盛大な拍手を送っていた。

 

 

 『クロネコ海賊団』は唖然とする。

 

 無敵を誇った船長が、長年の準備を経て実行された計画が、たった数名の新参海賊に倒されてしまった事実。

 皆、その認め難い現実と向き合えず、ただただ目の前の光景を信じられずに立ち尽くしていた。

 

 だが、世は大海賊時代。

 

 弱肉強食の掟を尊重し、神話や伝説で彩られた無数の書物より、自身の五感と直感を信ずる者が生き残る。

 

 そして倒れ伏した敗者『“百計”のクロ』の身体が波に傾く船に従い、樽のように転がっていくその無様な姿を見せ付けられた海賊たちは、遂に自分たちの三年越しの大作戦が敗北に終ったことを悟った。

 

 

 

『こっ、降参だァァァッ!!』

 

 

 

 『麦わら海賊団』対『クロネコ海賊団』。

 

 新生の両海賊団の初陣は、偉大なる野望を抱き、新たな時代を築く若者たちの一味  『麦わら海賊団』の勝利でその幕を下した。

 

 

 






エピローグ…あるけど……後日上げてもいい?

もろもろのキャラのその後とか、カヤお嬢様との女子会とか…



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18話 五人目の仲間 (挿絵注意)


分類:エピローグ

字数:24,844文字


↑なーんかおかしいんだよなぁ…(白目


お待たせしました。

これが本当のウソップ編完結です!(CV:渕上舞





大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖

 

 

 

  ここは…?」

 

 狭い密室で一人の男が目を覚ます。

 

 朦朧とした意識の中、真っ先に脳に飛び込んで来たものはツンと鼻を突く刺激臭。

 少しずつ視界の靄が晴れ、瞳の水晶体を通して視神経に薄い純白が照らし出される。

 

 身体中に蔓延るしつこい倦怠感に悩まされる男は、自分がどこかの船の医務室にいることに、長い時間を経てようやく気が付いた。

 

 

  目が覚めたか?」

 

 己の居場所の当てが脳裏に浮かんだ瞬間を見計らうように、一人の男の声が患者に投げ掛けられる。

 その突然に大きな反応を示すことなく、男は声の方向へと首を向けようとし、何か硬質な物体に阻まれた。

 

「無理をしないほうがいい。頭から強く海面に放り出され首の骨に皹が入っている。君の副官が高波の中必死に抱えてくれていなかったら、今頃貴官は命と引き換えに支部少将に昇進していたところだ」

 

 どこか冷たい印象を持たせる淡々とした声に、男は相手の正体に薄々と気付き始める。

 この自分の階級を知りながら微塵も謙る様子を見せない人物。それほどの上官と作戦行動中に遭遇した記憶は少ないが、今の騒がしい東の海(イーストブルー)ではそう珍しい出来事でもないだろう。

 

 男は表情を可能な限り引き締め、ベッドの側でこちらを無表情で見下ろす中折れ帽子の男と挨拶を交わした。

 

「…も、目礼にて失礼。海軍第16支部大佐ネズミ、貴官の救難信号への迅速な対応、感謝致します…!」

 

「本部中佐ボガードだ。本艦がたまたま近海を通過したまでのこと。君は運がいい」

 

 海軍本部中佐。

 

 上位の佐官で主に主力艦の副艦長や艦隊の参謀に任命される、軍部内で高い影響力を持つ地位だ。

 世界政府直属治安維持組織である彼ら『海軍』において、本部と支部は明確な従属関係にある。具体的には本部と支部所属海兵の階級制度の違いなど。男、支部大佐ネズミは海軍本部における大尉相当の地位に就く者として見做されるため、この場の両名には佐官と尉官という天と地ほどの差がある。

 

 そしてこのスーツの将校、ボガードの名を知らぬ者はここ東の海(イーストブルー)にはいない。

 

「“ボガード”…!?と、ということはこの艦は…!」

 

「本部中将ガープ長官麾下旗艦『ブル・ハウンド号』だ。意識が戻ったのなら閣下に報告書を提出したまえ。代筆はこの者が行う」

 

「は、ハッ!」

 

 緊張した返答を行う隣の冴えないメガネの小僧を顎で指し、中佐は話は終わりとばかりに部屋を後にする。

 あまりに自然な退出にネズミは制止の声をかけることも忘れ、ただ医務室の扉が閉まる様子を目で追い続けていた。

 

 パタンという音を最後に沈黙が場を支配する。

 

 しばし唖然としていた男であったが、ボガードの言葉を思い出し残った少年へ目を向けた。

 いかにも新兵といった具合の不慣れな直立、上官と二人きりの気まずい空気に青ざめる情けない顔。普段なら絶対に目にする事の無い類の下位海兵だ。

 

 だが、ネズミは武闘派な脳筋ではなく、知性で以って支部大佐の地位に上り詰めた人物である。

 上司や同僚を金で巧みに買収し、ときにその事実をネタに蹴落とし、望んだ支部長の座に就いた。当然、組織で立場を得るために必須な上下関係を深く理解している。

 

 この新米小僧を相手に威張り散らすのは容易い。

 だがネズミには、何故あの“英雄”ガープの副官がこんなガキを海軍支部大佐の自分の代筆に選んだのか、その理由がわからなかった。そして“わからない”ということは全ての状況において大きなリスクを孕む。

 

 ここは、ただ一時の満足感のために威圧的に出ることは避けるべきだろう。そう冷静に判断した男は不快感を押し殺し、好意を感じさせる優しげな声色で少年に話しかけた。

 

「…私は支部大佐のネズミだ。今回はよろしく頼むよ。君は?」

 

「ッ、ハッ!きょっ、こ此度当艦の新兵として配属されました、コビーと申しますっ!みじゅっ、短いあいじゃじぇすがっ、どっどどうぞよろしくお願いしみゃすぅっ!!」

 

 コビーと名乗ったガキの拙さに苛立つも、男は努めて紳士的な態度を維持する。

 

「…そう気張らずに。最初は誰も似た様なものだ。…では書類は持ったか?そろそろ始めよう」

 

「はっ、はひっ!」

 

 ドタバタと近くに置き去りにされていた鞄の中から用紙を取り出し、こちらを食い入るような目で待機する少年。

 その妙にキラキラとした瞳に首を捻るネズミであったが、そのことに彼の気が散ることは無かった。

 

「では頼むよコビーくん。…えーでは、今回の任務は  

 

 何故なら、男は報告書を綴る段階になって今、ようやくあの忌々しい出来事の全貌を思い出し  それに伴う途轍もない憤怒を制御することに全ての心理的余裕を奪われることになったからである。

 

 

  許さん」

 

「……へっ?」

 

「許さん許さん許さん許さんぞ『“麦わら”のルフィ』ィィィッッ!!!私から全てを奪いやがってェェェッ!!  小僧っ!!」

 

「はひっ!?ごっ、ごめんなさいワクワクしちゃってごめんなさいィィィッ!!」

 

「喧しい黙れっ!あの小娘は非常に、非常に残虐で危険な海賊だ!小娘だけじゃないぞ!私の船を一撃で葬った謎の砲手もだ!あの荒波を自在に乗り越える航海士も、当然例の”海賊狩り”も!連中の全てが政府を穿つ巨大な牙となる!!本部はなんとしてでもヤツの討伐に海軍の威信をかけ全力全開で当たらなければならないっ!いいな!?本部中将閣下にそう伝えるんだっ!  ほら早く報告書を書け、このクソガキがァァァッ!!」

 

「はっ、はひぃぃぃっ!!」

 

 

 なお、あまりの憎悪に男はあっさりと心の制御を手放した。海軍支部大佐ネズミの猫の被り物が剥がれ落ちるのも、あらゆる理由において必然。

 

 

 海軍第16支部、一等巡回船『スケイブン号』、大破炎上後沈没。

 人的被害甚大。死傷者および行方不明者98名。

 

 事実上、東の海(イーストブルー)における二度目の海軍支部壊滅であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島“富豪の屋敷・客室”

 

 

 

 

「いででで!」

 

「全く…っ!本当にウソップさんは、全く…っ!!」

 

 

 ゲッコー諸島の海戦が明けた翌日。

 

 女海賊『“麦わら”のルフィ』に率いられた『麦わら海賊団』は見事勝利を収め、人知れず守ったシロップ村へ密かに凱旋していた。

 密かに、というのはもちろん、先日の傍若無人な海賊騒ぎの演技の後始末をつけるためである。

 

 家々から金庫や財布、書物や地図海図などを奪い、帆船『ゴーイング・メリー号』をも奪うという海賊に相応しい悪行。

 そんな一味の所業は、元は敵の首魁である『“百計”のクロ』もとい執事クラハドールが警戒する一味の剣士『“海賊狩り”のゾロ』が島を去ったことを印象付けさせるために行った偽の海賊行為であった。

 

 だが、些か度が過ぎる悪戯にシロップ村は大混乱。

 挙句の果てには海軍まで呼ばれる次第となり、立案者である村の若者ウソップ少年以下、自称『ウソップ海賊団』の悪童四人組は、今更どんな顔をして村人たちに謝罪すれば良いのかわからず途方にくれていた。

 

 とにかく、最も心配をかけた人物の一人であり、最も守りたかった親友、富豪家の令嬢カヤの下へ一人謝罪に行ったウソップ。

 

 そこで少年は、門番に事情を聞き寝間着のまま玄関から飛び出てきた、目元を赤く腫らした少女と感動の再会  とは行かなかった。

 

「せめて…せめて一言でも事情を話してくれたら…っ!」

 

「…かっ、海賊の船出だ…っ。嘘は貫き通しての嘘だろ…!」

 

「そういう嘘は嫌いだって言ったでしょう!?」

 

 拗ねるウソップを、らしくない怒声で叱り付けているこの少女こそ、誰よりも彼の身を案じていた健気な令嬢カヤ。

 

 突然、硝煙と火傷、そして見るからに荒事を潜り抜けてきた証拠である刃傷でボロボロな姿で戻ってきた少年に、無事を喜ぶ歓喜や安堵やら、傷だらけな彼の身体に血の気が引く驚愕や恐怖やら、事件前の大喧嘩に対する謝罪やら、無数の思いに呑まれた少女は「まずは怪我の治療よ!」と自室に彼を放り込み、こうして消毒液を問題児の身体中に塗りたくっていた。

 

「あんな…あんなケンカしたまま…もう二度と会えないかと…っ!」

 

「…ッ」

 

 傷の手当がいち段落した今、令嬢の胸中を支配しているのは耐え続けてきた彼の死の恐怖から開放された安堵と、積もりに積もった自責の思いであった。

 

 俯くカヤの頬を伝う雫が、少年の寝かされているベッドのシーツを濡らす。

 

「ごめんなさい…、本当にごめんなさい…っ」

 

「ッ、謝るのはこっちのほうだ!散々迷惑かけて…っ!  結局何一つ言えねェんだからよ……」

 

 謝罪する少女を縋る思いで止めるウソップ。

 

 伝えなくてはならないことは山ほどある。

 だが、治療してもらった傷のことももちろん、一連の事件の真相も、その元凶とも言える彼女とのケンカの真実も、少年には何一つとして語ることが出来ない。

 

 嘘とは、貫いてこその嘘なのだから。

 

 

「……何も聞かないわ」

 

 ぽつり…と少女の口から短い一言が零れる。

 

 ハッとその呟きの主へ首を向けるウソップに、彼女は繰り返すように自身の言葉を続けた。

 

「私は何も聞かない。……ウソップさんのその怪我も、この前の海賊騒ぎのことも  クラハドールのことも」

 

 思いを押し殺すように、ぽつり…、ぽつり…と少女は自分の意思を少しずつ、丁寧に述べていく。

 

「傷だらけだけど、あなたは戻ってきてくれたもの。私の今の日常は、あなたが守れた最良のものだったのでしょう?  あなた一人を、除いて……」

 

 その言葉にウソップは小さく肩を跳ねさせる。

 恐る恐る隣に座る親友へ振り向いた彼は、彼女と目が合った。

 

 真っ直ぐ交わされる二人の視線。

 そして、僅かな沈黙を破ったのは、赤く色付く双眸の少女のほうだった。

 

 

「ウソップさん。あなたの夢を叶えてくれるあの人たちに、もう一度会わせてくれる…?」

 

「……え?」

 

 唐突に投げ掛けられた親友の頼みごとにウソップは思わず間抜けな声を零してしまう。

 彼女の問いに紛れ込んだ、聞き捨てならないある単語が脳に浸透するにつれ、少年の目が驚愕に見開いていく。 

 

 その表情を目にしたカヤは、小さく顔を伏せる。

 

 そして、ゆっくりと頭を上げ、大切な親友の瞳を見つめ返した。

 

 

  海賊になるのでしょう?」

 

 

 少女の言葉に、少年は今度こそ、身体の全てが固まった。

 

 

「私がどれほど沢山の嘘の物語をあなたに聞かせてもらったと思ってるの。……あの人たちと一緒に、今度はあなたの嘘よりも  もっと嘘のような、本当の冒険をしに行くんでしょう…?」

 

「そ…れは……」

 

 傷だらけの少年は親友の問いに思わず言葉に詰まる。

 

 自分から言わなくてはいけないことだった。

 嘘吐きで、村中の嫌われ者。そんな自分のことを大切に思い、身を案じ、こうして涙まで流してくれる、誰よりも尊い自慢の友人。

 この少女にだけは伝えなくてはいけない、長く、ともすれば永遠となるかもしれない、大事な大事な別れであった。

 

 何も聞かず、全てを理解しているかのように優しげで、悲しい目をしているカヤ。令嬢の沈痛な表情にウソップは唇を噛み締める。

 

 そんな彼の思いに、少女は海の男を見送る女としての最後の務めを果たそうと、涙に濡れるその顔で、今の自身に出来る最高の笑顔を作り上げた。

 

「私は海賊の流儀も、遊びも、戦いも知らない……寝込んでばかりで、何も出来ない無力な小娘よ」

 

 令嬢の独白を少年は慌てて止めようとする。

 こうして丁寧に傷を手当てしてくれるだけでも十分過ぎるほどだ。心を傷つけた嘘吐きに施してよい厚意ではない。

 

 だが、顔を上げた少女の表情に浮かんでいたのは、力に満ちた切なくも凛々しい笑みであった。

 

「でも、一人の親友の船出を祝うことくらいなら、私にも出来るわ…っ」

 

 その笑顔が、少年の心を射抜く。

 

 無数の思いと悲しみを秘めた、別れを惜しむ少女の精一杯の笑顔は、有無を言わせぬ友の強い意思であった。

 

 

「私に…あなたと  あなたの仲間たちの船出を、祝わせてもらえないかしら…?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島“富豪の屋敷・衣裳室”

 

 

 

「ねぇ、あの…お嬢様?…ホントに私たちまで呼ばれちゃっていいの?私たち相当迷惑な連中よ…?」

 

「そのお話はもう済みましてございます。どうかお気になさらずに。ウソップさんのお仲間なら喜んで歓迎致します。それに、せめて私だけでも皆様方の船出をお祝いして差し上げなくてはと思いまして」

 

「……何なの、この天使。しかもこんなドレスまで貸してもらっちゃって……」

 

 

 シロップ村の奥にひっそりと佇む一軒の豪邸。

 東の海(イーストブルー)有数の造船会社のオーナーが買い取った、旧貴族のマナーハウスである。

 

 当主の死に伴い一人娘の令嬢の個人邸宅となったその屋敷では今、三人の器量好い少女たちが肌着姿で衣装室に集っていた。

 

 見渡す限りの目を引く色とりどりのドレス。女に生まれた者なら誰もが一度は夢見るこの空間へ、少女の一人、屋敷の主人たる令嬢カヤは二名の客人たちを案内していた。

 親友の少年ウソップが新たに所属することとなった海賊一味『麦わら海賊団』。船出を控えたその一味の船長ルフィと、航海士ナミである。

 

「だ、だって折角の同性のお客様ですもの…!お二人ともとてもお美しい方ですのに、普段着でお越しになるなんて勿体ないです…っ!」

 

「いや、メリー号まで頂いちゃってるのにお嬢様の小港でパーティだなんて……」

 

 遠慮がちな航海士の反応は当然。

 先日の海賊騒ぎの当事者である彼女ら海賊団が盗んだ帆船『ゴーイング・メリー号』。その本来の所有者こそ、この病弱で心優しい令嬢なのだから。

 

 事情の説明のほぼ全てを、令嬢の親友である新入り狙撃手のウソップ少年に押し付ける形となった一味。だが事の顛末を一切追及して来ないお嬢様の優しさに甘え、結局何一つ語ることなくこうして盗んだ船の所有権を追認する形で譲られたばかりか、“出航記念パーティ”などというあまりに過分な厚意を受け取ることになっていた。

 

 流石の厚顔女泥棒ナミでさえ、これには思わず頭を下げるほど。

 だがそのような申し訳無さや罪悪感とは無縁らしい少女船長ルフィは、何も難しいことは考えず、ただ屋敷の豊富なコレクションに興奮していた。

 

「あっ!ナミナミっ!これなんかどうかしらっ!フリフリで可愛くて、あと色が真っ赤で強そう!」

 

「“強そう”って何よ……。第一アンタのそのスタイルにフリフリは子供っぽ過ぎて似合わないわよ。赤が好きならこのプリーツのミニドレスにしなさい。それならきゃーきゃーはしゃいでも可愛く見えるし、そのでっかい胸とも釣り合うから」

 

「ホントっ!?ならそっちにするっ!」

 

 受け取った衣装に黄色い歓声を上げながら、奥の老女の使用人に試着の手伝いをお願いするルフィ。

 すぐさま衣類を脱がせ、採寸を開始した使用人の背中から様子を窺う少女たちが、強靭なゴム繊維に支えられ微塵も崩れない、重力に逆らうかのように突き出る船長の胸部の双山に唖然とする。

 

「それにしても、凄い…ですね。補正しなくてもこんなにキレイな体型で…。ドレスもこれほど、その…メリハリのあるスタイルの方に着て貰えたら嬉しいでしょう……」

 

「…これにメイクしたらもっとヤバいわよ。港でのパーティ、なんとしても村の男たちに見られないようにしないと求婚者追い返すだけで一日終っちゃうわ……」

 

 大切な妹分のおめかし姿を如何にしてあのむっつり剣士たちから守ろうか、とヤル気を高めるナミ。その使命に燃える姿にカヤが呆れるように指摘した。

 

「他人事ではありませんよ…?今回は身内のみですが、ナミさんも負けず劣らずの可愛らしい方ですし、将来大きなパーティに参加なされたときはお二人とも甲乙付け難いほどの引っ張りだこになるかと」

 

「ん?ああ、私は身の程知らずの男共を追い払うの慣れてるから何の問題もないわ。心配ご無用よ」

 

 あっけらかんとした少女の態度に、強い女性に憧れる令嬢は顔を引きつらせながらも尊敬の眼差しを送る。

 

「な、なるほど……先ほどから選んでらっしゃる露出が控えめなドレスも、その、殿方に隙を見せない装いなのですね…」

 

 令嬢のその言葉にナミの肩がぴくりと小さく跳ねる。

 ホストとして当然、ゲストの嗜好を把握すべく目の前の二人の反応に神経を尖らせているカヤが、その仕草を見逃すはずが無い。

 

 何か訳ありだと即座に気付いた少女は、慌てて失言を謝罪し話題を変えた。

 

「し、失礼致しました…!その…わ、私…こうして一緒にパーティの準備を楽しむ女性のお友達が居なくて…憧れだったの。晴れ姿を褒めあったり…服の着せ替えっことかしたり…」

 

「…!」

 

 恥ずかしがりながらもはにかむように微笑む、令嬢の寂しげな姿。

 

 そんな少女に、ナミはハッとする。

 彼女もまた、カヤ以上の孤独な生活を強いられてきた人物。令嬢の願いは誰よりも良く理解出来る。

 今でこそルフィという仲間が出来たナミであったが、この病弱なお嬢様はたった一人の友人である長鼻少年さえも海賊として危険な冒険の旅に出て、側を離れてしまうのだ。

 

 こうして女三人。

 ウソップを通してのつながりだけでなく、互いが互いを大切に思い合える関係を築き、その絆を宝物にしたいのだろう。

 

「……いいわ」

 

「…え?」

 

「こんな優しくて美人な子と友達なんて、こっちが大歓迎よ…!だからアンタも敬語なんか止めてもっと仲良くしましょ  ね、カヤっ?」

 

「…ッ!うんっ!こちらこそ、ナミさんっ!ルフィさんっ!」

 

 新たな友情に歓喜する美少女二人。

 そんな目の保養となる光景に、唐突に名を呼ばれた天然バカがずけずけと割り込んだ。

 

  なぁに?呼んだかしら?」

 

「アンタはもう少しムードを大切にしなさいっ!折角カヤが勇気出して友達になろうって言ってくれたのに…!」

 

 デリカシーに欠ける少女船長をナミが叱る。

 だが当の本人はきょとんと首を傾げ、心底不思議そうに自身の胸中を明らかにした。

 

「勇気…?良くわからないけど、カヤはもう私の友達よ?だって船もくれたし、こ~んなステキなドレス着させてもらえるんですもの!それにウソップの友達は私の友達だわっ!」

 

 さも当然と言わんばかりに新たな友人の令嬢に飛び付くルフィ。

 マキノや義兄エースを散々悩ませてきたお得意の抱き付き癖に襲われたカヤは、少女の巨大な水風船のような胸に埋もれながら頬を紅く染め、目を白黒させていた。

 

 同じくいつもの被害者であるナミは、そんなお嬢様の混乱する内心が手に取るようにわかる。

 だがあえて助け舟は出さず、少女船長の過剰気味なスキンシップに対するカヤの反応に期待することにした。

 

 彼女は富豪の令嬢。私生活はともかく、人前では気品ある女性としての振る舞いを求められ続けてきた人物である。

 そのような少女が、同性の友人のあまりに子供っぽい行いにどのような反応を示すか。

 

 答えはさほど多くはない。

 

  ッぷぁっ…!ル、ルフィさんっ!じょ、女性がそのようなはしたないことをしてはダメよっ!」

 

「全くよ、もっと言ってあげなさいカヤ!」

 

 期待通りの展開に満足そうに頷くナミが、新たな友人を後押しする。

 

 なおこの女泥棒、育ちが悪いせいか自身の美貌を武器に荒くれ者共の世界を渡り歩いてきた、清純とは些かかけ離れた価値観の持ち主でもあった。

 同じ言葉でも清楚清純が服を着て歩いているようなカヤのものならば、ルフィもあるいは耳を傾けるかも、とこの無防備麦わら娘の貞操観念の教育を令嬢に押し付けようとしている厚かましいナミである。

 

「大丈夫よカヤっ!親しくない男の人にはしないってマキノと約束したもん!だから女の子のあなたとぎゅ~ってしても誰も怒らないわっ!」

 

「そっ、そういう話では  って“親しくない男の人には”ですって!?」

 

「あっ、そうそう。ソコちゃんと注意してね」

 

 隣から飛んでくる合いの手を無視し、お嬢様がルフィを問い詰める。自分でも信じられないほど感情的に。

 

「そ、それってつまり、親しい方にはいつもそんな振る舞いをしているの…!?た、例えばお仲間の剣士さんとか  ウ、ウソップさんとか……」

 

 カヤの躊躇うような声色。

 その奥に隠れた感情に心当たりがあったナミが、自身の脳の少し特殊な部位を活性化させる。

 

   これはつまり、そういうことと判断してもよろしいか?

 

 しかし、令嬢にはニヤリと客人の顔に浮かんだ意地の悪そうな笑みに気付く余裕は無い。

 

「いいえ?ナミに“無闇に男に触るな”って言われたからちゃんと我慢してるわよ。この前もウソップ抱きしめようとしたら怒ら  

 

「だっ!?だだ“抱きしめようと”!?」

 

 ルフィの返答に、富豪のお嬢様がらしくない素っ頓狂な声を上げる。

 直後ハッとし口を押さえるも、少女の叫びは既に新たな友人二人の注目を集めきっていた。

 

 一人は薄っすらと紅潮しながら目尻と口角がくっ付くほど品の無い笑みを浮かべており、片方の問題児は不思議そうにその大きな目をパチパチと瞬かせている。

 

 カヤは慌てて弁明しようと頭を働かせるも、自分自身、何故あれほど大きい反応をしてしまったのかわかっていない。

 俯き悶々と考えを巡らせる令嬢に救いの手を差し伸べたのは意外にも、何か良からぬことを考えていそうな、いやらしい顔を見せるナミであった。

 

「まぁまぁ、落ち着きなさいカヤ。それにルフィも。カヤはアンタの女の子としての見本でもあるのよ?本人がダメって言うんだから、アンタも友達の注意くらいちゃんと聞きなさい」

 

 下着に何度詰め込んでも飛び出てくるルフィの二つの果実に四苦八苦する使用人を余所に、女船長が地団駄を踏み、またビスチェのカップを弾き飛ばす。

 

「むっ、バカにしてっ!親しくても気安く男の人に抱き着いちゃダメなんでしょ?ちゃんと女の子っぽくなろうって決めたもん!子供みたいなことはしないわっ!」

 

  だって、カヤ。良かったわねっ、むふふ」

 

「い、いえ…私はその……」

 

 胸中に広がる謎の安堵に困惑しながら言い淀む令嬢。しかしいくら考えても適切と思える返事は浮かばない。

 仕方なく、少女は諦め自身のドレスを見繕う作業に戻ることにした。

 

 正面に並ぶのは、代々親族の婦人令嬢たちが揃えた百を越すドレスの一大コレクション。

 主役のルフィが情熱的な赤を選んだのだ。彼女を引き立てられるような大人しいパステル系の色にするべきだろう。

 

 そう思い衣装棚へ向けたカヤの目にふと、印象的な美しい光沢が映った。

 

 

 絹繻子織り(シルクサテン)のロイヤルブルー。

 

 まるで果てしなく遠い海のように深く、澄んだ色に、令嬢は見惚れた。

 

 少女は思い出す。

 確か、昔の名作映画のヒロインが身に付け話題になったものだ。

 探検家の男性との素敵な恋を描いた作品で、壮絶な冒険の果てに九死に一生を得て戻った恋人に、このドレスを纏ったヒロインが桟橋を飛び越え甲板の彼の胸元に抱きついた名シーンは、今尚多くの女性たちを虜にする。

 

 魔が差した、と形容すべきであろうか。

 

 カヤは、自分がこのドレスを着て少年に別れを告げる姿を想像し  その寂しさを吹き飛ばすほどの羞恥を覚える。

 映画の物語に肖り、いつまでも貴方の帰りを待つ、と言わんばかりの健気な様。まるで旅立つ恋人を見送るあのヒロインのような振る舞いに、純情な少女の顔が衣装と真逆の色に染まる。

 

 彼は大切な恩人であり、親友。

 既に過分な情を貰っている身だ。まだ大した礼も出来ていないのに、これ以上の想いは少年の船出の邪魔になるだけ。

 第一、自分は恋なんて、全くといって良いほどわからない。両親のような仲睦まじい関係には憧れるが、果たして自分が母のような、想い人を愛し愛されるほどの女性になれるのか。そんな自信のない女である自分に、誰かを異性として愛することなど失礼だろう。

 

 気付きかけたその感情の名を考えてしまわぬよう、令嬢はぶんぶんと必死に(かぶり)を振り、想いを散らす。

 

 そして、主役と間違われるほどに目立つその有名なドレスを棚に戻そうとし  それを横から奪われた。

 

 

  あーっ!私そのドレス知ってる!マキノが大好きだった映画に出てた女の人が着てたヤツね!」

 

「ッ、ルフィさん…!?」

 

 声の方角へ振り向いた先に居たのは、本日の主役の一人。ようやくビスチェの装着を終えた、下着姿の少女船長ルフィだ。

 まるで作り物のように非現実的で完璧な少女のシルエットに、令嬢は羨望を通り越し驚愕する。

 

「いいじゃない!まるでこのあたりの海みたいにキレイな色だわっ!それにしなさいよ、カヤ!」

 

「わ、私がこれを…?」

 

 まさかの主役本人からの援護射撃に少女は焦る。このような逸話のある優雅なドレスでは、せっかくのお別れパーティだというのに脇役の分際で悪目立ちしてしまうだろう。

 

 何よりこの衣装、スパゲッティストラップで背中が大きく開いた、中々に大胆な露出箇所が多いのだ。

 当然、映画の作中でも纏ったヒロインの妖艶な姿に恋人が惹かれ、パーティの途中に物陰へ連れ込み、人目を忍んで情熱的な愛を交わすシーンもあったほど。

 

 ナミのように殿方の扱いに長ける大人な女性ならともかく、ただの小娘である自分が着られるわけがない。

 

 だが、説得の助力を得ようと彼女が頼った女航海士は、真逆の船長の肩を持った。

 

「うわ、『燈台の下で』で流行ったイブニングガウン…!?これはまた露骨な……でもいいじゃない、本気で男に自分のコト覚えていて貰いたい意思をビシバシ感じるわ」

 

「ッ、待ってナミさん“露骨な”ってどういう意味…!?」

 

 口角を吊り上げる少女にカヤは顔を赤らめる。

 自分が知るのはこのドレスの由来と人気だけ。もしや他にも何か逸話があるのか、と無知な令嬢は知らぬ恥を晒したくない一心でナミを問い詰める。

 

「いいのいいの、それにしなさい。確かにルフィの言うとおり、海水が澄んで底が白砂のゲッコー諸島の海みたいな蒼色だわ。故郷の村の海を思い出すたびに、そのドレスを着たカヤのコトも思い出すのよ?」

 

「そうよ!絶対ウソップも喜んでくれるわっ!映画の女の人、とってもステキだったもの!」

 

「…ッ」

 

 問いを煙に巻く言葉であったが、少女の耳に届いた二人のそれは、揺れる乙女の心を捕らえて離さなかった。

 

 彼のために着るドレスを、他でもない彼に気に入って貰えると言われてしまえば、最早議論の余地はない。

 あるのは自分にその勇気を振り絞れるか否かの決断のみ。

 

「ったく、これだから箱入り娘は…!男ってのは恥らう弱い女に最も興奮するバカばっかなんだから、堂々としてたら意外と手を出して来ないものよ?」

 

「ッ!“手を出”  ってまさかこのドレス……そこまで、その、扇情的で有名なの…?」

 

「ま、かなりリアルで激しい濡れ場で使われたヤツですもの。男なら一度は真似てコレ着た女を脱がしたがるって有名ね」

 

  ~~~ッッ!!」

 

 例の映画の倒錯的なシーンを想起し、うっかり自分と、親友の少年をそこに当てはめてしまった令嬢は口をパクパクと開閉し首元まで茹で上がる。

 

 そのまま固まり無反応となった友人が放つ、刺激的な情事の“声”が覇気を通して届いてしまった無垢な少女船長は、驚いた顔で隣の仲間に問い掛けた。

 

「……ねぇねぇナミ。  なんでカヤってあの映画の女の人が冒険家さんとしてたみたいに、ウソップと物陰でえっちな戦いやりたがってるの?身体弱いんだし絶対負けちゃうのに……」

 

「……忘れなさい、いいわね?ていうか人の心読むな、覗き魔」

 

「むぅ…聞こえちゃったのよ…っ!  あの、ごめんなさい、カヤ……カヤ!?嘘、あなたも“ギア・2”使えるの!?それならウソップにも勝てるわね!」

 

「何が“ギア・2”よアホじゃないのアンタ!?」

 

 

 美しい少女たちの小鳥の囀りのような声が木霊する富豪家の屋敷。

 名残惜しい時間は瞬く間に過ぎて行き、入り江で参加を待ちわびる新たな仲間『ゴーイング・メリー号』を加えた小港のガーデンパーティが、満を持して開会する。

 

 

 尚、カヤが復活したのはパーティ開始直前であり、少女は時間の都合で目出度く例の曰く付きドレスで意中の長鼻少年の前にその姿を晒すことと相成った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島“富豪の屋敷・小港”

 

 

 

「な、何か凄ェな…これ」

 

「何でおれまでこんなモンを…」

 

 村を悪しき海賊、そして悪徳海軍から守った英雄一味『麦わら海賊団』。

 そのクルーとして新たに迎えられた村の少年ウソップと、彼ら彼女ら英雄たちの船出を祝うささやかなガーデンパーティが、少年の親友である富豪家令嬢の屋敷が所有する小港で開かれていた。

 

 亭主夫妻が他界し早一年。久々の客人を迎えた祝事に、屋敷の使用人たちが水を得た魚のように各々の仕事に熱を入れる。

 “ささやかな”という主人たる令嬢カヤの意思をそっちのけで、豪華な飾り付けや美食美酒が小さな港を埋め尽くさんばかりに広げられた、夏の昼過ぎのサマーパーティであった。

 

 これほど華やかな場なら、自ずと相応しい装いというものが求められる。

 客人の見目麗しい少女たちが屋敷のドレスコレクションに袖を通すという話を聞き付けた執事メリーの案により、男性客にも彼女たちに相応しい紳士服を、と勝手に盛り上がる使用人たちに催促され、一味の新入り狙撃手ウソップは仲間の剣士ゾロと共に見事な一張羅を纏い、着飾る淑女たちを待っていた。

 

「こういうの、ガラじゃねェんだが…」

 

「めちゃくちゃ似合ってんじゃねェか。やっぱ剣術やってると姿勢が違うなぁ…。おれなんかこのもじゃもじゃ頭見られただけで“帽子をご用意致します”だもんよ…凹むぜ」

 

 色はもちろん、形状から仕立て方に至るまで実に様々な種類が存在する女性のドレスだが、お洒落とは何も女の特権ではない。

 婦人服ほど遠目にわかるようなものではないが、男の正装にも無数の違いがある。

 

 特にこの剣士のように、立派に鍛え抜かれた躯体と鋭い眼つきの男前はまさにモデルのような佇まい。何を着ても似合う素材で好き勝手に遊ぶ執事たちのせいで無駄にスーツに詳しくなったゾロは、長々と続いた着せ替え人形がようやく終った開放感に早速グラスのスプマンテを呷っていた。

 

 対する狙撃手少年の服選びは別の意味で大変であった。

 特徴的な目、髪、そして何よりその長い鼻に合う衣装は、流石の大富豪家であっても僅か数点ほど。

 このような強烈な個性を持つ容姿の人物には、同じく個性的なスーツでバランスを整えることが最善。

 派手過ぎず、されど顔が浮かない程度に派手なスタイルを探し、白のストライプが品良く入ったダブルスーツを白シャツに深い銀色のネクタイ、そして黒の帽子で馴染ませ、胸元の牡丹チーフで引き締める、程よいコメディ色と気品が合わさった映画スターの如き装いとなった。

 

「ま、まぁとにかく、やっぱお洒落も“男”って感じがしていいよな!この帽子もこうして見れば悪の親玉って感じがして悪くねェ!お前もグレーに赤ってのがまたイカすな、Vゾーンっつーんだっけ?それ」

 

「…あのメリーとかいう執事が選んだヤツだ。褒めるなら執事を褒めろ。…つかあのお嬢様はまだか?早く船貰って向こうで飲みてェんだが」

 

 美味い酒に目を輝かせながらも、どこか逃げたそうにソワソワと落ち着きが無い仲間の青年ゾロ。

 未だ知り合って数日の仲だが、それなりに相手の人となりを把握していたウソップは彼の内心に当たりを付ける。

 

 

「はっは~ん?さてはゾロお前、ルフィたちのめかし込んだ姿見るの恥ずかしいんだろ…?!」

 

「ッ!ばっ、違っ  

 

「照れんな照れんなって!  いつもとは違う、美しいドレスや化粧で輝く仲間の美女たち……ああ!そんな彼女たちを見てしまったら、おれは今後どんな顔をして二人と話せばいいのだろうか…?  ってか!?ぎゃははははは!!“海賊狩り”返上して、代わりに“さくらんぼ狩り”名乗れよ!“チェリー剣士”でもいいぜ?あーっはっはっは!!」

 

「叩っ斬るぞてめェっ!!?」

 

 羞恥か憤怒かは知らないが、顔を赤くし狼狽する無手の剣士など恐るるに足らず。

 調子に乗る少年は、和気藹々と楽しく着替えているであろう美少女たちのドレス姿を妄想し、初心な青年を間接的に攻撃することにした。

 

「さてさて~やっぱ気になるのはルフィの服だよなァ?」

 

 最初のクルーだという剣士ゾロ。

 あの“海賊狩り”に海賊に堕ちる道を選ばせるほど、この男はあの元気っ子に強い思い入れがあるはずだ。

 

 ちらりと覗いた青年の顔は  非常に不愉快そうなしかめっ面。

 

 ビンゴである。

 

「うひひひっ!さぁ、一緒に考えるのだゾロくん!我ら“麦わら海賊団”の愛らしい親分ちゃんの、あのとんでもねェ巨大マシュマロにほっそい手足に腰!おっぱいに反して意外と小振りなケツもグッド!顔を隠せばパーフェクトなのに、あのガキみてェに無邪気で無防備な性格と顔が“手を出したら負け!”って感じに生殺しにさせてくる魔性の女!  そーんな気になるカノジョのドレスはァァ~ん??」

 

「…ッ!知るかっ!!  くそ、頼むぞナミ…!あの半裸バカにマトモなヤツ着させろよ…?!もう巻き込まれるのは散々だ…!」

 

 どんどん顔が赤くなる純情剣士に釣られ自分の顔まで赤くなり始めたウソップはひとまず、男の切実な願いを投げ掛けられた、一味のもう一人のほうの華について考察することにした。

 

「お、おやおやァ?女船長だけじゃ飽き足らず、女航海士にまで手を出そうとするとは、流石は高名な“ハーレム剣士”くんでありますなァ??」

 

「はぁ!?」

 

 驚愕に震える青年に腹を抱えながら、狙撃手は命知らずな妄想を加速させる。

 自身の脳内ファンタジーで活躍する理想の海賊たちなら、おそらくこんな風にあの少女を称するだろう。

 

「恥ずかしがんなよぉ~!わかるぜ、アイツもイイ女だよなァ~?こう、女の武器をわかってるっつーか、自分に自信満々ってのが男見下してる十代後半の背伸びちゃんみてェでよ!うぇっへっへっへ~!」

 

「酔っ払いのオッサンか!!  つかお前、アイツに下心とか命捨て過ぎだろ。バレたら散々それをネタに一生下僕みてェな扱いされるぞ…?」

 

 剣士の言葉にウソップはハッと固まる。

 思い出されるのは、あの男勝りな美少女の勝気な顔。こちらを睥睨しながらその美貌を悪そうに歪め、彼女のブーツを舐めさせられる自分の未来がありありと想起されてしまった。

 冷や汗が背中を伝った少年は、滑り過ぎた口のチャックを堅く締める。

 

 慣れない美女の品評会など、随分と無謀なことに励んでいたものだ。

 

「……アイツの未来の下僕くんに忠告してやるが、ナミはあの軟派な性格のクセに、着替えを見られそうになると同性のルフィにもキレるヘンなヤツだからな。半裸の女が見たけりゃあのアホゴムで満足しやがれ。おれは逃げる。  つかお前は大人しくお嬢様の貴重なドレス姿でも妄想してその無駄すぎる長鼻の下伸ばしてろ…!」

 

 色事には色事。

 咄嗟に思い出した少年と令嬢の仲睦まじい姿をネタに、ゾロが反攻に出る。

 

 だが色事に全く縁を感じたことのないウソップはきょとんと首を捻り、唯一理解出来た剣士の間違いを正すことにした。

 

「カヤのドレス?アイツお嬢様だし、体調良いときはよく着てるから別に貴重じゃねェぞ?美人だから全部似合ってるし眼福っつーか、楽しみではあるけど」

 

 狙撃手は今まで親友がその華奢な身体に纏った幾つかの衣装を思い返す。直近では船の商談にルフィたちを連れて行ったときの、あの上品でキラキラした空色のヤツだ。

 確かに酒屋で待っていたゾロは見ていない。

 

 だがそのことを指摘しようと見上げた剣士の顔はどこか呆れるような顔をしていた。

 

「……それはお前が来るから出来る限り気合入れてたんじゃねェのか?」

 

「おれが来るから?」

 

 その言葉に少年は目を瞬く。

 そういえば彼女は体調が悪いときは顔や身体を隠すようにしながら、必ず「見苦しくてごめんなさい…」と何故かいつも謝っていた気がする。

 

 剣士の何気ない仮説に妙に納得してしまったウソップは、親友の女性らしい気遣いに今更気付き、大いに動揺した。

 

  えっ、そうだったのか!?」 

 

「知らねェよ初対面の女のことなんか!  とにかくさっさとあのお嬢様に許可貰って船に避難しねェと、あのクソゴム女が選ぶドレスなんて嫌な予感しかしねェ……!」

 

 互いに異なる事情でソワソワし出す二人の不器用な紳士たち。

 

 

 そんな海賊コンビの情けない背にかけられたのは、緊張の色濃い、一つの小さな女声であった。

 

 

  ごめんなさい…っ!遅くなってしま……って……」

 

「ッ、カヤっ!?」

 

 突然聞こえた柔らかく澄んだ音色に驚き、ウソップは後ろを振り返る。

 

 

 

 そこで少年は  海の女神を見た。

 

 

 

 

「…ッ!……とても……とてもよく似合ってるわ……ウソップさんの、そのスーツ…っ」

 

 どれほど固まっていたのだろう。

 

 頬を紅潮させ、微かに息が上がっている親友のか細い声で我に返った彼は、慌ててこの手のマナーに添って、目の前の蒼い宝石を全力で称えた。

 

「おっ、おおおう!サンキューな、カヤ!お前もすっげーキレイだぜっ!キラキラしてて  あ、ほら!島の外れの岬から見える近くの海みてェな色っ!髪の毛もなんかふわふわ輝いてるし、えっと、あれだ!お前の金髪とドレスで“太陽と海”ってか?あは、あはははっ!  いや、ごめん……ボキャブラリーが足りねェ……」

 

 どこか地に足が付かない気分のまま、少年は親友の美しいドレス姿をいつものように褒めようとし、見事に失敗した。

 

 着慣れない服を身に纏い、初めての金持ちらしい社交会のような空間に呑まれているからだろうか。

 何度も目にしていたはずだというのに、今自分が目にしている彼女の姿は、これまでとは全く異なる見惚れんばかりの美しさを放っていた。

 

 儚げで淡く色付く少女の真っ白な肌に浮かぶドレスの蒼い光沢は、まるで島の純白の砂浜にさざめく真夏の波のよう。はらりと垂れる耳元の一房の金色は、さながらあの美しい北海岸に射し込む晴天の陽光か。そしてその深い紫の瞳は、今朝の壮絶な戦いの末に見上げたあの澄み切った朝焼け空の、勝利を称える暁の色。

 

 それは、故郷のゲッコー諸島の絶景たちが一人の少女の姿を象っているかのような、初めて見る親友の麗容であった。

 

「…ッ、あっ、ありがとう…嬉しい…っ!」

 

 何かを堪えるように肩を抱き俯きながら、令嬢が小さく震えている。

 

 一瞬、褒められて恥ずかしがっているのかと胸が大きく高鳴るが、そんなことは無いだろうとウソップは頭を振る。

 最近のカヤはどちらかといえば笑顔の多い、明るい人物だ。彼女のその明るさは長年励まし続けた自分の勲章でもある。第一、今更晴れ着を見られて照れる仲でもあるまい。これほど似合っているのだから。

 では笑っている  例えば、自分のこのスーツ姿を笑っているのかと疑ってしまいたくなるが、この親友は人の無様を笑うような人間ではないと再度頭を振る。

 

 となると、最後の可能性は  

 

 

「お、おいカヤ…?震えてるけど  寒いのか?」

 

「真夏だろアホかてめェ!!?」

 

 

 難解な女心を解読する名探偵ウソップを気取っていた少年であったが、突然後ろから投げ掛けられた嗄れ声に「わぁ!」と思わず悲鳴を上げてしまう。

 

 振り向いた先には、相棒ゾロの姿。

 

 そういえばコイツも居たのであった。

 

「なっ、何だゾロか…。ビビらせんなよ、ったく」

 

「てめェ、人の親切をアホなこと言って棒に振ってんじゃねェよ…!何のためにおれが気配消して二人きりに  って、はぁ……もういい。おれはそこのお嬢様に用がある」

 

 一味一の有名人“海賊狩り”の名をウソップの話から聞いている令嬢が、最も縁が少なく恐ろしい人物の登場に一瞬硬直する。

 だが目の前の少年を一瞥し、すぐさまパーティのホストとしての挨拶を交わした。

 

  申し訳ございません、剣士さま。ご挨拶が遅れてしまって…」

 

「気にすんな、美味い酒を馳走になってるのはこっちだ。こんな見事な会場に相伴与ることなんざ、考えてもなかったぜ。何か失礼があったら先に詫びる」

 

 海賊らしい粗暴な態度だが、義理堅い懐の広さを感じさせる人物。そんな剣士の気軽な態度にカヤの脅えが萎んでいく。

 

「それで……私に何か御用がおありと窺いましたが、どうかご遠慮なくおっしゃってください」

 

「ああ。折角のパーティ中に悪いんだが、譲ってもらったメリー号で飲みてェ。ナミがあの船泊めた入り江の方角聞くついでに、一度家主のあんたに断りに来た」

 

 その言葉の奥に、暴走執事たちの宴の準備に巻き込まれた迷惑を読み取った令嬢が、申し訳無さそうに謝罪する。

 お詫びと餞別に剣士へパーティで振舞われたお酒を幾つか見繕い、カヤは剣士の航海の無事を祈り別れを告げた。

 

 受け取った酒瓶を纏める執事たちの後姿をニコニコと見つめていたゾロは最後に少女へ礼を言い、メリー号を目指して屋敷の本館へと去って行った。

 

 

 残された二人の男女はその後姿が消えるまで見つめ続けてしばらく、どちらとも無く同じことを口にした。

 

 

『そっちに船は無いんだけど…』

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島“富豪の屋敷・本館”

 

 

 

「ナミナミ~っ!見てっ!どう?私かわいい?!強い?!“女らしくしろ”とか酷いコト言ってくるゾロも見直してくれそう?!」

 

「まだ言ってる……。はいはい、かわいいわよ。あのむっつりもイチコロよ」

 

 一足先に会場の港の視察へ向かった令嬢カヤをゆっくり追う二人の麗人、『麦わら海賊団』の船長ルフィと航海士ナミ。

 今生の別れとなるかもしれない一味の狙撃手ウソップと主催者のカヤを、このパーティで少しでも長く二人きりにしてやろうという航海士の粋な心遣いで、海賊少女たちは未だ屋敷の本館に屯していた。

 

「え?強さは?強そうじゃないの?」

 

「己はドレスに何求めてんじゃい!!ンなモン欲しけりゃもう軍服ドレスでも着て来きなさいよっ!」

 

「むっ!ヤだっ!あれ海軍っぽくてヤっ!」

 

「いやアンタが好きなあの海賊共の船長服も、一昔前の海軍提督服崩しただけなんだけど……」

 

 腕を柳のように細い腰に当て、ぷいっとそっぽを向いているのは、真紅に輝くオフショルダーにプリーツスカートのミニドレスを纏った船長ルフィ。「キャプテンっぽい!」という謎の価値観で帽子を欲した少女の頭には、同じ赤色のバラ装飾のトーク帽がちょこんと被さっている。

 年相応の可愛らしさの中に、大人の女性っぽくなりたいという小さな背伸びが垣間見える、彼女らしいコーディネートだ。

 

 もっとも、選んだのは隣の航海士ナミであるのだが。

 

 

「でもナミのもキレイな色ね!大人っぽくてステキよ!流石私の天才美少女航海士だわっ!」

 

「……そ、ありがと」

 

 どこか不満そうに首下の襟を弄りながら、素っ気無い返事を返す橙髪の少女。その装いは上司とは真逆の硬派なもの。

 ターコイズのマーメイド型の巻きドレスの上に清楚な空色のボレロを身に着けた、胸元以外の露出が極端に少ない、隙の無い姿である。

 ドレス選びの最中は何かとつまらなさそうにしていたが、自身が着飾る分の情熱を隣の親分のメイクや小物選びに費やし、ナミも女の子同士のお洒落の時間をそれなりに楽しんではいた。

 

「むぅ……本気なのにぃ…っ!絶対ゾロもウソップも褒めてくれると思うわ!ナミはとっても可愛くてキレイなんだから!元気出してっ!」

 

「いや何が悲しゅうて一味の野郎共に褒めて貰わなきゃなんないのよ…。”私が可愛い”なんてこの世の全ての男が知ってることだってのに」

 

「そうなの!?やっぱりナミって凄いのねっ!!」

 

 ただの比喩を愚直に受け取る素直な少女に、ナミはその知能を哀れむような目を送る。

 何とも将来が非常に不安になる海賊娘だ。

 

 そんなルフィの、外見だけをちらりと一瞥する女航海士。

 富豪家の最高峰の化粧類を用い、プロの使用人と共に全力で磨き上げた華やかなドレス姿の彼女は、今まで見てきた全ての女たちの中でも一二を争うほどに美しい。

 

 悩みに悩んだが、結局少女のメイク姿を一味の野郎共の前に出すことに決めたナミ。

 折角のパーティで一人だけスッピンなど、いくら化粧要らずの愛らしい童顔でも流石に不憫である。

 別に可愛い妹分をいじめるつもりは無い女航海士は、逆にルフィを完璧に飾り立てることで、ゾロやウソップの目に今日の彼女の姿を夢幻の類だと錯覚させてしてしまおうと画策していた。

 

「ったく、今のダサい私よりアンタのほうが断然かわいいわよ、ルフィ。自信持ってウチの男共に褒めて貰いなさい」

 

「ホントっ!?ゾロもウソップも!私のコト褒めてくれるかしら!“かわいい”って!“強そう”って!!」

 

「だからなんで“強そう”が入ってんのよ!?」

 

 会場の港に通じる裏庭へ向かいながら、少女たちは仲間の男性陣の話題で談笑する。

 

 そんな姦しい二人の会話は、風に乗って届けられた一つの小さな嗄れ声と代わるように終わりを迎えた。

 

 

  大丈夫なのか、ウソップのヤツ……。恋人残して海賊とか、あのお嬢様は聖人か何かか…?」

 

 突然ぽつりと庭の方角から聞こえて来たその呟きを、ルフィは耳聡く捉える。

 今、少女が最も自分の、この真紅のドレス姿を見て貰いたい二人の男性の内の一人。誰よりも仲間を大切に思う一味のボスが、彼らの声を  何よりその強い気配を間違えるはずが無い。

 

「え、ちょ!ルフィっ!?」

 

 咄嗟に屋敷のガラスドアから飛び出し、後ろのナミの制止の呼びかけを置き去りにする。

 

 先ほどの庭の声の主には散々“女らしくしろ”だの、“フツーの女と違う”だのと、酷いコトを言われ続けてきたのだ。今日のおめかしも、彼に呆れられ続けるダメダメな船長である自分を見直して貰いたいから頑張った、と言っても過言ではない。

 

 以前バギーの双胴船(カタマラン)で背後の女航海士に言われた“仲間の失望”という言葉を、未だに心の奥で密かに恐れている少女。

 憧れのナミお姉さんのお墨付きを貰ったこの晴れ姿で、ルフィは最近よく自分をバカにしてくるクルーたちの敬意を今一度集めようと画策していた。

 

   ほう、真っ赤で強そうだなルフィ!

 

   ちゃんとやれば出来るじゃねェか!

 

   流石だぜ、船長!

 

 このあたりが彼らしい賞賛だろうか。ルフィは妄想豊かに胸を高鳴らせる。

 “似合ってる”や、女の子なら是非とも欲しい“かわいい”などの言葉は流石に高望みが過ぎるが、口下手なあの人が褒めてくれるのであれば何でもいい。

 

 お店で採れ立てのフルーツサラダを注文したときのような大きな期待と共に、ドレス娘は勢い良く庭の青い芝を踏みしめた。

 

 

「あっ、いたいた!見て見てゾロっ!この強そうな赤いドレ…ス……」

 

「ッ、ルフィ!?てめっ何でここ…に……」

 

 

 発見。

 

 ばっちり互いに目が合ったルフィは、相手の仲間、剣士ゾロと同時に固まった。

 そして少女は、続けるはずだった自分の装いへの賛辞を求める言葉の、その全てを思わず手放してしまう。

 

 それは女船長が目にしたものが、全く予想すらしていなかった  実に見栄えの良い青年の佇まいであったからだ。

 

 

  キャーッ!!カッコいい!!ゾロすっごくすっごくカッコいいわ!!もしかして私たちに合わせてソレ着てくれたのっ?!」

 

 ルフィの目に飛び込んできたのは、高貴な光沢を放つ漆黒のスーツを身に纏った仲間の青年の見事な姿であった。

 

 貴公子。まさにそう形容すべきであろう、一人の若い紳士。

 剣術という明確な秩序を元に鍛えられたゾロの立派な躯体は、まるで一つの美術品のよう。その上に纏われた皺一つないスリムな黒衣は、下の力強い筋骨の凹凸に微かに隆起し、青年の男性らしさを無言で語りかけてくる。

 シングルスーツの奥に見える灰色のシャツも、モノトーンの中で一際目を引く首の真っ赤なネクタイも、胸元のシルクチーフから袖の銀カフスまで。盛装に包まれる男の全てが魅力的に輝いていた。

 

 彼らの晴れ着は冒険の途中で出会った各国の王族たちと食事をしたときや、あの黄金ばかりの巨大なカジノ船などで何度か見たことはある。

 次に立ち寄る予定の海上レストランにいるはずの料理人(サンジ)や、偉大なる航路(グランドライン)の七武海の下にいる音楽家(ブルック)などはいつも整った装いだ。

 

 だがこうして自分自身の目で見た彼のタキシード姿は、“夢”のルフィ少年を通したときより何倍も何十倍もステキでカッコよかった。

 

 ドキドキと早鐘を打つ胸の高揚感に突き動かされながら、少女は自身のドレス姿の感想を聞くことも忘れ、青年の無骨で固い大きな掌に飛び付く。そして自身の小さなそれに合わせるように、ぎゅっと強く握り締めた。

 

 華やかな衣装で着飾った、仲間の男女。

 そんな二人が楽しい宴で真っ先にやることといえば、ルフィには一つしか思い付くかなかった。

 

「ゾロっ!踊りたいわ!踊りましょうっ!ステキなドレスを着たら、女の子は同じくらいステキな男の人と踊らないといけないのっ!さぁゾロっ!フーシャ村のお祭りみたいにお手々繋いでくるくる回りましょうっ!!」

 

 真紅のドレスの短いプリーツスカートを翻し、故郷の郷土舞踊で自身の溢れる喜びを相手と分かち合おうとする可憐な乙女。

 

 だが、されるがままの仲間を振り回す少女の至福の時は、僅か一秒で終わりを迎えてしまう。

 

 

「ア!ン!タ!は  いい加減にしろォォォッッ!!!」

 

「むぎゅぅっ!!?」

 

 幸せの絶頂にあった船長の興奮を水浸しにしたのは、突然後ろから首を握り締めてきた女の両手であった。

 

 一瞬でステキな時間を台無しにされたルフィは、咳き込みながら後ろの下手人へ怒りをぶつける。

 

「ケホッ、…ッはぁっ、なっ、何すんのよナミっ!あなたの番はあーとーっ!今はゾロと踊って  ん?あっ、なら三人で踊りましょ!ほらナミっ!私とゾロの手を取ってっ!」

 

「喧しいっ!!黙らっしゃい、この脳みそパッパラパー!!アンタ数十分前の約束もう忘れたの!?気安く男に抱き付くなって言ったでしょ、この節操無し!!」

 

 般若の如き恐ろしい形相で叱咤してくる航海士。

 折角仲間に入れてあげようとしたと言うのに、何故怒るのか。それに「節操無し」とはまた辛辣なことを言う。

 

 もちろんナミの言う“数十分前の約束”は覚えている。男に気安く抱き付くなというアレのことだ。ナミやゾロはもちろん、マキノやエースとも交わした大事な約束を忘れるワケがない。

 だが今はステキなパーティで、しかも互いを飾り立てるのは同じくらいステキな一張羅。これほど滅多に無い非日常な状況であっても「気安い」などと言われれば、我慢し続けている自分は一体いつになったら仲間の彼らへの愛情を表現することが叶うというのだろう。

 

 だが、少女が怒りを口にしようとした瞬間。泣きそうな顔のナミがあろうことか、ふらふらと隣のゾロの肩に寄りかかった。

 

「はぁぁぁ~っ……も~ヤダぁこのバカせんちょぉ~っ……何とかしなさいよゾロぉ~っ」

 

「知るかバカ!!コイツの教育は同じ女のてめェの仕事だろ!おれにどうしろっつーんだよ!?」

 

「はぁ!?私のせいなの!?アンタもルフィに見惚れてお顔カッカお口パクパク体カチコチさせてないでちゃんと拒絶しなさいよ!コイツの保護者歴一味随一でしょうが!!」

 

「ッ、見惚れてねェっ!!つか誰が“保護者”だ!  クソっ、コイツら避けるためにメリー号目指したのに何で遭遇しちまうんだ…!船はどこだよ…!?」

 

 そんな二人の言い争いを余所に、無垢な少女ルフィは驚愕のあまり氷漬けとなった。

 

 あの、散々“気安く”男に触れるなと言い続けて来たゾロとナミが、まるで意に介さず互いにくっ付いているのである。

 まさに人のフリ見て我がフリ直さぬ暴挙。あれこそまさに二人が言う“気安い”触れ合いではないのだろうか。

 自分が感動的状況で、しかも剣士の手しか触っていないのに、まるでそのヘンの木に寄りかかるかのような気軽さで、あろうことか肩や腕や胸をべったり密着させる仲間の男女。

 接触面積で言えば明らかにこちらのほうが下だというのに、これは一体どういうことなのか。バカなルフィにはわからない。

 

 わからなければ、訊けばいい。

 

「あーっ!ナミずっるーいっ!私には男に触るなって言うクセに自分だけは良いなんてっ!まるで狡賢い村の大人たちみたいだわっ!何であなたは良くて私はダメなのよっ!!横暴!理不尽!不平等っ!!」

 

「は?……あ、ごめんゾロ。肩ありがと、ちょっと強烈な眩暈がしたから……」

 

「ん?……ああ、気にすんな。それよりさっさと港行くぞ。……もうメリー号に避難する意味ねェし」

 

 そんな少女の怒り交じりの尋問を無視し、悪びれる素振りも無くしれっと横を通り過ぎていくクルーたちに船長はショックを受ける。

 

 愛する仲間たちによるまさかの完全スルーに思わず涙が滲むが、先日のゾロとの約束を思い出し何とか堪えてみせる。

 

  二人とも行っちゃった……なによ、全く……」

 

 折角誘ったダンスも始める間もなく終らせられ、屋敷の裏口へ歩みを進める二人。ルフィはその後姿を半べそを掻きながら、とぼとぼと追うことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島“富豪家の屋敷・小港”

 

 

「おおっ、ルフィ!!すっげーなそのドレス!真っ赤で強そうでゴージャスで!その頭の帽子は“自分はキャプテンだ!”ってヤツか?おれのもそうだぜ“キャプテ~ン・ウソップ”!しかもなんか今日すげー顔大人っぽくないか?いつも10歳くらいのガキにしか見えねェのに、今ならあの“海賊女帝”も青ざめる超絶美女だぜ!流石我らのセクシー親分ちゃん!!ヒューヒューッ!」

 

  ~~~ッッ!!ウソップ~ッ!!心の友よ~っ!!」

 

 港のガーデンパーティ会場で二人の晴れ姿の男女が熱い抱擁を交わしている。

 宴の主賓『麦わら海賊団』の女船長ルフィと狙撃手ウソップだ。

 

 これまで一味の他の二人に正当なはずの怒りを無視されたり、ダンスを邪魔されたり、ドレスの感想を聞きそびれてしまったりと踏んだり蹴ったりな少女。精一杯頑張ったおめかしが空回りし続ける彼女の落ち込む心を救ったのは、新参仲間の長鼻少年の素直で温かな賞賛であった。

 

「褒めてくれて嬉しいっ、ありがとう!ウソップもテレビでよく見るすっごい手品師みたいでとってもとってもステキだわっ!あっ、何かやってみてくれないかしらっ!あの帽子からバサバサバサぁ~って真っ白なハトさん出すヤツとか!」

 

「はっはっは!そりゃ無理だ!……つか何泣いてんだお前?またナミに怒られたのか?」

 

「ッ、そうよっ!聞いて聞いてウソップ…!ゾロもナミも酷いのよ…っ!」

 

 途端に笑顔を悲痛に歪め、縋るように最後の仲間に抱き付く少女ルフィ。

 その悩ましいほどに柔らかな感触のせいで、船長の涙ながらの訴えの全てを聞き逃してしまったウソップは、神妙な訳知り顔でウンウンと頷き適当に後ろの仲間たちを叱咤した。

 

「そうだったのか…全く酷いヤツらだぜ!おいお前らっ!船長にはもう少し敬意ってモンをだなぁ!」

 

「アンタは別れ惜しんでくれる娘の前で別の女に抱き付かれてんじゃないわよウソップ!ルフィもいい加減離れなさいっ!」

 

 本日何度聞いたかもわからない女航海士の怒声にぴくりと身体を震わせた傷心のドレス娘が、頬の風船を膨らませ思い切り拗ねて見せる。

 

「ふ、ふんっ!ナミなんか知らないもんっ!  あっ、カヤっ!お手々貸してっ!後ろの意地悪な人たちほっといて、ウソップと三人で踊りましょっ!!」

 

「おお!宴っぽくていいなルフィ!」

 

 船長の誘いに手を叩く、お調子者の長鼻少年。そんな海賊たちの愉快な空気に呑みこまれ、戸惑う令嬢は二人の間を右往左往する。

 

「え、あのっ」

 

「やり方は簡単よ!みんなで手を繋いでくるくるスキップしながら楽しく回るのっ!さぁ、カヤもきてっ!」

 

 ぴょんぴょんと跳ねながら実演して見せる少女のあられもない姿に、カヤは慌てて制止の声をかける。

 その胸元では、巨大地震による地殻変動で双山の標高が明らかに上昇していた。

 

 このままでは山の桜色の頂が雲のベールを脱いでしまう。

 

「や、止めてルフィさんっ!ド、ドレスでスキップなんてはしたないわ!」

 

「なんだよ、折角なんだからおれたちも一緒にぐるぐる回って楽しもうぜカヤ!誰も見てねェんだし!」

 

「あなたが見てるでしょう!?」

 

 

 和気藹々とした華やかな時間はあっという間に過ぎていく。

 地元の踊りにはしゃぐ船長とクルーたち。古典ダンスを楽しむ令嬢と少年。譲り受けた船の開発秘話に盛り上がる執事と航海士。初めての美酒に舌鼓を打つ酒豪…

 思い思いに宴を楽しむ『麦わら海賊団』はいつしか時を忘れ、最後に真打の登場が執事たちより伝えられるころには、場の熱気は最高潮に達していた。

 

 

「おまたせ致しました、“麦わら海賊団”の皆様。本日の最後の主賓がいらっしゃいました  『ゴーイング・メリー号』です!」

 

『メリー!!』

 

 桟橋から望む小さな入り江。

 小船に曳航され瀬戸の対岸の奥から現れたのは、無数の色とりどりの満艦飾で彩られた一隻の小型帆船であった。

 

 ゆっくりと会場の港まで進んでくるその船の頂上にはためく一枚の海賊旗(ジョリー・ロジャー)が、美しいドレスで着飾ったキャラベル船の所属を万人に宣告する。

 

 赤いリボンの麦わら帽子を被った骸骨  辺りを賑わす海賊一味『麦わら海賊団』の海賊船だ。

 

「キレイ……」

 

「まぁ!二本マストにかわいくお洒落しちゃって、ステキなレディじゃない。メリー号!」

 

「へぇ…まるで船の嫁入りだな」

 

「うおーっ!輝いてるぜ、おれの戦友っ!」

 

 主役の登場に海賊たちが大いに沸立つ。

 

 賞賛を浴びる己の船をまるで子を見送る父親のように見つめる執事メリーが、最後の仕事と言わんばかりの誇らしげな笑顔で、新たな主人たちに愛娘の紹介を行った。

 

「船長さまと航海士さまには既にお伝えしておりますが、これは二十年前に私メリーが設計を任されました、速度及び航続性共に優れる横帆・三角帆の複合構造を採用した初期キャラベル船です。艦底のキールは手入れ要らずの銅版コーティング、舵はオーソドックスな船尾中央舵方式で、兵装は前部砲甲板に24ポンドカルバリン砲一門、両舷の共通砲甲板に18ポンド同砲を一門ずつ、そして中央甲板には移動砲車付きの18ポンドカロネード砲を一門の計四門にございます。既に移動式のカロネード砲はお使いになられたご様子でしたが……誠に申し訳ないのですが、当方でご用意出来る弾薬は旧式の実体弾と海軍式2号褐色火薬のみにございます。本格的な榴弾や昨今主流の強綿薬式火薬は……まぁ、海賊らしい方法で入手されるのがよろしいかと」

 

「へっ、海賊に海賊らしく敵から奪えとは、中々粋な執事だな。あんた」

 

 触りの説明を終えた執事に剣士ゾロがニヒルな笑みを浮かべる。

 

 その感想にメリーは神妙な顔で言葉を紡いだ。

 

「…事情は理解しております。海軍のこと、先日の海賊騒ぎのこと……」

 

「メリー、止めて……」

 

 言いかけた内容を主の令嬢カヤが遮る。

 

 皆理解していることであった。

 海賊たちが語らないことは、全てを解決した彼ら彼女らのみに許された選択だ。帰らぬ一人の同僚のことも、その後連絡が途絶えた海軍のことも、今の平和な船出のために客人たちが命を懸けて成したもの。

 自分が今やるべきなのは、親友を信じ、彼の仲間たちを信じ、村の影の英雄たちの新たな旅立ちを祝うことなのだから。

 

「……失礼致しました。しかしながら、当会場においては海軍も海賊も正義も悪もございません。此度のお客様は“麦わら海賊団”の皆様です。いつの日か、また皆様を当家へご招待出来るときを楽しみにお待ちしております」

 

 そう締めくくった執事メリーは一礼し、隣の淑女に場を譲った。

 

 静かに俯く少女は、幾度の深呼吸を終えるとゆっくりと顔を上げ、大切な人との長い長い別れを見送る覚悟を決める。

 

  ウソップさん。……それにルフィさん、ナミさん、ゾロさん。どうかご無事で」

 

 切なげに微笑む令嬢の、確かな願いが風に乗り、海賊たちの鼓膜を震わせた。

 

 

   いってらっしゃい。

 

 

 美しきゲッコー諸島の絶景に見送られ、四人の海賊たちは新たな仲間と共に小さな港を後にする。

 故郷を離れるシロップ村の若者ウソップは、離愁の寂しさを感じることなく、強い絆で結ばれた愉快な仲間たちと共に壮大な冒険へと旅立った。

 

 

 『海賊王』の狙撃手  『“ゴッド”ウソップ』の物語を紡ぐために。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 時代を制した海の王『“麦わら”モンキー・D・ルフィ』の冒険譚には、一つの無名の村がある。

 

 『“嘘吐き”ウソップ』と呼ばれる一人の少年が、貫く嘘に命を賭け、朝の日課の海賊騒ぎを一つ残らず嘘にする、勇敢な嘘吐き戦士の物語。

 奪われた財布も三日経てば元通り。嘘を告げるは火傷に刃傷(にんじょう)、硝煙まみれのオオカミ小僧。

 

 

   海賊騒ぎ?やーい!やーい!騙されたーっ!

 

 

 笑う少年、怒る村人、追われる背中は未来の“王”の名砲手。

 

 そして三人残った悪童たちの、噤んだ口は弧を描き、皆で一つの嘘を吐く。

 

 

 『  海賊騒ぎ?やーい!やーい!騙されたーっ!』

 

 

 村の名は『シロップ村』。

 

 オオカミ少年たちが己の嘘に誇りを持つ、世にも奇妙な村である。

 

 

 

 

 





長らくお付き合い頂きありがとうございます。
これにてウソップ編、今度こそ閉幕です。

次のサンジ編は相当オリ展開入ります。
特にミホーク辺り…

ご注意の上、お楽しみに


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19話 海の料理人と居酒屋娘・Ⅰ (挿絵注意)

 

大海賊時代・22年

偉大なる航路(グランドライン) サンディ島アラバスタ王国“レインディナーズ”

 

 

 

 コツ…コツ…コツ…

 

 美しく磨かれた大理石が革靴の硬質な音を響かせる。

 その足音は歩く人物の感情を示す、隠しきれない悦楽を含んだ軽やかなもの。

 

 そんな規則正しい旋律を奏でる廊下を、扉越しに興味深げな顔で見つめる一人の女がいた。

 見事な調度品が置かれ、美しい緑豊かな街並みを一望する最上階の一室。豪奢なソファーに腰を沈め、複数の書類へ目を通していた女は、近付くメトロノームの沈黙と共に席を立った。

 

 

  久しぶりだな、ミス・オールサンデー」

 

 重厚な椚の観音開きを潜り抜け、大柄な人影が入室する。黄金に輝く左手の義手に、顔を水平に走る大きな縫い痕が印象的な男だ。

 

 巨漢の珍しい好意的な挨拶にクスリと笑みを零し、女がその形の良いルージュの唇を開く。

 

「お帰りなさい、Mr.0。……随分ご機嫌ね、余程楽しい会議だったのかしら?」

 

「クク…何、気に食わねェ連中の愉快な顔を見れただけだ」

 

「あら、人が悪いのは相変わらずなのね」

 

「海賊に善人などいる訳ねェだろう」

 

 手元の花押待ちの書類を男に手渡し、女はテーブルに二つ目のカップをコトリと置いた。

 芳しいルイボスの香りを放つ食器に手を付ける者はいない。それはこの両者の信頼関係を強く表す光景であった。

 

 粗暴な仕草で皮椅子に腰掛け、男が渡された書類の文面を丁寧に読み進める。

 

 神経質なエゴイスト。

 四年に亘る雇用関係で女が知ったこの上司の本質だ。

 

 感情などという不確かで非合理的な基準が悉く排除された実力成果至上主義の世界。

 女身一つで海賊たちの墓場、偉大なる航路(グランドライン)へ足を踏み入れた孤独な渡り鳥は、この最後の宿木を思いのほか気に入っていた。

 

 そんな冷徹な男が見せる珍しい愉悦の感情に、女の興味は惹きつけられる。

 

 だがしばらく続いた沈黙に油断していた彼女は、唐突に目の前の海賊の口から呟かれたその言葉に大いに動揺した。

 

 

「……英雄ガープの噂の孫娘殿が海賊に堕ちた」

 

 直後、女の微笑の仮面が剥がれ、咳き込む音が無音の執務室に木霊する。

 

  ケホッ……ッ、冗談でしょう?入隊直後に研修すら飛ばして大将の座が決まってたのよ?」

 

 部下の無様な姿を嘲笑い、興に乗る男は先日手に入れた一枚の荒い紙をテーブルに放り、会議で仕入れた取っておきの情報を自慢気に語りだす。

 

「小娘一人のためにわざわざ大昔の上級大将制度まで掘り起こしてポストを用意していたセンゴクも泡吹いて倒れたらしい。大海賊時代を終らせるはずの若き勇者が政府に牙を向いたんだ。上層部は対策と祖父の英雄殿の責任問題で大荒れだ」

 

 人前でなくば腹を抱えて笑い出していただろう。かつてなく上機嫌な海賊は渡された紙を読みながら絶句する女を余所に、懐から取り出した葉巻の吸い口に切り込みを入れる。

 

「“UNTOUCHABLE”……“接触禁止”と  “無敵”……ね」

 

「金額は世間の目を欺く囮。本命はソレだ」

 

 渡した茶色の紙を難しい顔で見つめる女に、上司の男が一言補足する。

 

 例の表記が載せられた現在有効な賞金首の手配書は、今回発行されたものを含めても、僅か五枚。

 その単語の意味を誰よりも理解する男は自嘲気味に葉巻を火に翳す。

 

「『世経』はコイツを東の海(イーストブルー)だけにばら撒く予定だそうだ。おそらく討伐部隊のことも把握しているだろう。相変わらず食えねェ野郎だ」

 

 秘匿されているはずの海軍および世界政府の最高機密をいとも容易く突き止める新聞屋に、男は不愉快ながらも賛辞を送る。

 

 

 その機密とは、復活したはずの『上級大将制度』の停止。

 

 海軍上層部がひた隠しにする謎の超戦力を表舞台に出させるための改革案で、長らく停止されていたこの制度の復活が提案されたのは今から十年ほど前。その制度がここ数年以内に施行されると密かに囁かれるようになっていたのだが、ある日突然ぱったりと関連する噂が途絶えたのである。

 そしてほぼ同時に慌しい動きを見せ始めた海軍本部と、突然の“四皇”及び“最高幹部”のマリンフォード襲来。

 

 立て続けに起きる大事件に世間の目は攫われたが、ごく一部の情報通は例の制度停止に関わる重大な“何か”を強く警戒していた。

 

 その一人が、この異例の指名手配を受けた女海賊の事情をどこからか嗅ぎ付けた、世界最大の新聞会社を率いる男『“ビッグニュース”モルガンズ』社長である。

 

「……四皇すら超越すると称された実力者が敵になったんですもの。政府がいつまで隠し通すことが出来るか……」

 

 豆茶の香りを掻き消す香ばしい葉巻煙の匂いで我に返った女は、隠しきれない戸惑いを含んだ感想をぽつりと零す。

 誰もが想像する未来の大嵐を畏れる部下の姿に、男は黒い笑みを浮かべ更なる不安を煽り出す。

 

「…政府は三大将を動かすために“白ひげ”と“赤髪”に一時的な休戦を打診しているが、四皇共の反応は冷ややかだ。笑えるのが小娘の兄があろうことかあの忌々しいジジイの高名な二番隊隊長で、“赤髪”も十年前の東の海(イーストブルー)時代に直接面識があるらしい。あの左腕は溺れる小娘を海獣から守るときに捧げたんだとよ」

 

 立て続けに明らかとなる衝撃的な事実に、女は驚愕にはしたなく口を開けてしまう。

 

「…ちょっと待ちなさい。貴方自分が何を言ってるかわかっているの…?」

 

「ククク…おれも最初に聞いたときは耳を疑ったぞ。だがあの犬猿の仲の二人が同時に本部に現れ政府に釘を刺しに来た瞬間を目にすれば信じざるを得ねェ。顔を合わせば冠婚葬祭の最中でも殺し合いを始めるとまで言われてる“赤髪”と“火拳”が仲良くお手々繋いで『ルフィに手を出すな』だからな。あの若造共、余程に例の小娘がかわいいらしい。クハハハハ!」

 

 堪えきれず、遂に笑い出した上司の愉快な姿に女の喉が上下する。聡明な知能と唯一無二の知識を買われてここにいる彼女はその言葉を聞き、ある重要な問題に思い至った。

 

  まさか貴方、今回の“七武海”緊急召集の内容って……」

 

「ああ。四皇との休戦が失敗した以上、三大将は動かせん。バスターコール程度で小娘は倒せねェと知る首脳陣の粋な計らいで、見事おれたちに討伐部隊の主力として白羽の矢が立ちやがった。海賊は海賊同士で潰し合えとのありがてェ思し召しだ」

 

 その恐ろしい作戦名に、女は心臓が一気に縮むのを感じ取る。

 事の重大性を彼女に伝えるのにこれほど適した言葉も無いだろう。

 

 悟られぬよう密かに息を整えた女は上司に続きを催促した。

 

「……動くのは?」

 

「“鷹の目”、“暴君”、それと“九蛇”。会議に顔を出した全員だ  おれ以外の、だがな」

 

 当然のように自身の名を除外する上司に、女の胸中を圧する重しが霧散する。政府を恐れ、追っ手の無い楽園まで逃げ延びた先でまたあの地獄に巻き込まれるなど、出来過ぎた笑い話だ。

 

 心の余裕を取り戻した女は、相手の口の滑りが良い内に要点を聞き出すべく、上司の自己承認欲を煽る無知な人間を演じきる。

 

「四人も出席…それに“鷹の目”だなんて…。珍しいわね、“赤髪”とのつながりかしら」

 

「さぁな、“一騎打ちの邪魔は許さん”と互いに火花を散らしてたぜ」

 

「…となると“鷹の目”の参加はいつもの戦闘衝動、ね…。なら“九蛇”は何故?政府に従順な“暴君”はともかく、どうして海賊女帝がアマゾン・リリーを離れてまで討伐部隊に…?」

 

「自分より若くて目立つ女はいらねェだとよ」

 

「……」

 

 伝え聞くその傍若無人な人間性に、女は呆れながらも納得する。

 

 そしてそれだけの戦力をかき集めた異例の大作戦。

 その成否をこの場で最も正しく予想出来る人物は、同じ大海賊であるこの男を置いて他にない。

 

「……討伐部隊の勝ち目は?」

 

「“鷹の目”は四皇“赤髪”と何度も勝敗を争った確かな実績がある。協調性が無いのが欠点だが、ヤツが全力で当たるならそれだけで五割は固い。たとえ“鷹の目”が仕損じれど、続くのは“暴君”に“九蛇”だ。満身創痍で満足に戦える相手じゃねェ。……配下のザコ共を切り捨てられる賢い女なら、バケモノ揃いの四皇に類するその力で逃げることは可能だろうがな」

 

 男はそこで言葉を区切る。

 微かな沈黙の中に、女はどこか、彼らしくない憐憫の情が微かに顔を覗かせているかのような錯覚を覚えた。

 

 だがそれも一瞬。

 幻のようなそれを取り払い、相手を蔑む悪人面で、男は渦中の少女の運命を断言する。

 

「……捨てられねェなら  ヤツが現れる前の、希望も絶望もねェ楽しい元の世の中に逆戻りってワケだ」

 

「そう…」

 

 己の与り知らぬことではある。

 だが女は、かつての自分と同じ未熟な少女が、あの恐ろしい焦土作戦の標的とされてしまう事実に少なからず思うところがあった。

 

 

  凍結していた最終計画を再開させる」

 

「……!!」

 

 

 突如、男の身体から途轍もない気迫が放たれた。

 

 まるでこの国の嵐のように、ざらざらと肌を削るような荒い不可視の砂塵が周囲の大気を震わせる。

 

「時代の寵児が政府の手を離れた。海賊王が作った群雄割拠の楽園も終焉かと思い慎重に動いていたが……クク、どうやら海賊(われわれ)の世はまだまだ続くらしい…!」

 

 女はその言葉に小さく息を呑む。

 

 四皇級の戦力を手にした海軍が大海賊時代を終らせる。

 それがごく一部の情報通が予想するこの世の未来であった。

 

 だが、その予想された未来は英雄少女の裏切りと共に崩れ去った。

 

 そして今、時代の移り変わりを予見し雌伏の時を過ごしていた目の前の怪物が、新たな世界の始まりに先んじるべく、遂にその巨大な(あぎと)を開く。

 

 

 男の喜悦の正体。

 

 それは終りなき混沌の再来を願う、一人の海賊の邪悪な歓喜。

 果て無き野望を秘めた、“王”の玉座を望む、眠れる覇者の目覚めの咆哮であった。

 

 

  働いて貰うぞ、ニコ・ロビン……アラバスタの“国取り”だ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ゴーイング・メリー号』甲板

 

 

 

 真夏の晴天が広がる東の海(イーストブルー)

 

 絶好の航海日和の大洋を一隻のキャラベル船が進んでいる。

 西へ吹き続けるこの海特有の風、“常東風”を受けるその横帆に描かれているのは、麦わら帽子を被った骸骨のエンブレム。

 

 時代の名を冠す海の荒くれ者共の一勢力、『麦わら海賊団』の海賊船『ゴーイング・メリー号』だ。

 

 先日立ち寄ったゲッコー諸島にて心優しい富豪の令嬢に贈与されたその船の上で、彼ら彼女ら海賊一味は思い思いに新たな船出の余韻に浸りながら、海賊生活を謳歌していた。

 

「きゃあ~っ!冷たぁいっ!よくもやったわねナミ~!」

 

「ほらほら~!ウチは人数少ないんだから船長のアンタも甲板磨きするの!サボってたらまた水ぶっ掛けるわよ!せーのっ、それ~っ!」

 

「やぁぁんっ!海水はダメぇ~!このぉ、お返しよっ!ざばーん!」

 

「ちょ!私のパーカー濡らさないでっ!」

 

 美しい水着に身を包み、見目麗しい二人の少女たちがココナツの殻を片手に走り回っている。

 天然のたわしを掴み、海水と砂で甲板の滑りを擦り落とす作業は全ての船乗りたちの通過儀礼。誰もが嫌になるほどの重労働だ。

 

 大変な作業、当然長く続けば気も持たない。ましては二十歳にも届かぬ女の子。

 早々に飽きた二人はくみ上げた海水で、きゃっきゃとはしゃぎながら童女のように陽気な水遊びを始めていた。

 

 蟲惑的な肢体を布一枚の下に隠し、その豊満な胸部や臀部を弾けるように揺らす洋上の乙女。傷一つない柔肌に薄く浮かぶ汗と潮を夏の日差しにキラキラと輝かせる彼女たちこそ、この海賊船の船長ルフィと航海士ナミである。

 

 先日争った強敵『クロネコ海賊団』や悪徳海軍支部の巡回船を相手に、幾度も修羅場を潜り抜けた仲間の男性陣たち。傷付いた戦士たちに休息を、と一日の雑用を引き受けた女海賊たちは、彼らのために一肌脱いで甲板磨きに精を出しつつも、何だかんだで結局こうしていつものように遊んでいた。

 

 そんな愛らしい美少女たちが作り出す桃源郷に、鼻の下を伸ばしている助平少年が一人。

 この船と共にゲッコー諸島のシロップ村で一味の仲間に参入した凄腕の狙撃手、ウソップである。

 

「最高だ…」

 

 ビーチチェアに踏ん反り返る狙撃手はパラソルの下で結露の宝石を煌かせる、元居酒屋娘の女船長が準備した色鮮やかなトロピカルカクテルを一口含む。

 その酒の肴は、眼前に広がるカクテル以上に甘く美しい景色だ。

 

 少年は今、彼女たちと共に過ごす海賊の日常を大いに堪能していた。

 

 人は腹と喉と心が満たされると、自身の幸せを神や仏や人に感謝することがある。

 人生の絶頂と称えるべき至福の一時に満悦するウソップは、この空間の正当な所有者であったはずの、一味の最後の一人に申し訳無さそうに謝罪した。

 

「なぁゾロくん、さん?おれって見たまんま男なんだけど、今更ながらおれ、お前のハーレム一味に乗り込んじゃってゴメンな?」

 

「そうか、ならその股間のモノ切り落としたら許してやるよ」

 

 無造作に「ほらナイフ」とウソップの股下の甲板に刃物を投げ刺すのは、目の前の楽園から目を逸らし、無心を心がけながら縮地の足捌きを繰り返す一味の戦闘員『“海賊狩り”のゾロ』。

 

 ここ数日の日課の“剃”の練習中で忙しかった彼は、相手にするのも億劫だ、と澄ました顔でその使い古されたネタを受け流す。そんな剣士による突然の去勢命令に顔を青ざめるウソップは、股間を押さえながら情けない悲鳴と共にナイフから距離を取る。是非とも冗談であってほしい要求だ。

 

 脅える少年と修行バカな青年、そして我関せずにはしゃぐ少女たち。

 シロップ村を出航してから続く、至って平和な正午のメリー号の甲板であった。

 

 

「やぁん、潮で体べとべと…  って、あら?」

 

 ふと、麦わら帽子の水着娘が何かに気付いたのか遠方の海へ振り向いた。

 

「ん?どうしたルフィ」

 

 釣られてゾロが船長へ振り向く。そして目に飛び込んできた眩しい光景から視線を逸らし、慌てて少女が見つめる方角を望んだ。

 

 その先にあったのは、ぽつんと浮かぶ小さな島。

 規模からして海流に運ばれた珊瑚の死骸が積もり生まれる珊瑚島であろうか。座礁の危険はこの少女の見聞色の覇気やナミの航海術の前にはあって無いようなもの。わざわざ注視するほどの島でもないはずだ、と疑問に思った剣士はルフィに問いかける。

 

「二人の男の人の気配があるのよ。片方が死にそうだわ」

 

「…遭難者か?急いで助けたほうが良さそうだな…!」

 

「ちょっと飛んで船まで連れてくるわね!」

 

 “剃刀っ!”と唱えた水着少女が残像も残さずその場から消え去る。

 

 そしてその僅か数秒後。

 両腕を縄のように巻き付けた二人の男たちと共にルフィが甲板に降り立った。

 

 

「なっ、何だ女!?おれたちに何の用  ってゾロのアニキィ!!?」

 

「!?コ、コイツらは…!」

 

 少女の腕の中でじたばたと暴れるサングラスの男。その姿を見た剣士が驚愕の声を上げる。

 

 短い間、されど確かに自分を慕い共に賞金首たちを狩った仲の元同業者。

 東の海(イーストブルー)中で知られる賞金稼ぎユニット、その名も  

 

「ジョニー!?ヨサク!?」

 

「ゾ、ゾロのアニキィィィッ!!くっ、アニキにこんなへばった情けねェ姿見せちまうなんて…っ!おれたち賞金稼ぎ失格だ…っ!」

 

 久々の再会に剣士は驚きを隠せない。

 どこかで会うこともあろう、と気楽に考えていたが、まさかこのような海のど真ん中で遭難しているところに出くわすとは。

 幸運な巡り合いに歓喜するやら、不甲斐なさに涙するやら。そんなむさ苦しい男たちの騒ぎを一味の海賊たちは不思議そうに眺めていた。

 

「何?ゾロの知り合い?」

 

「うおっ!?大丈夫かコイツ、死にそうじゃねェか!」

 

「うーん、どっかで見たような…“ルフィ”の友達とかかしら…?ダメだわ、もう十年も前だし」

 

「ちょっとルフィ!一人でブツブツ言ってないで様子見てやんなさいよ!私、一人ぐったりしてるから飲料水と栄養剤持って来るから!」

 

 そう言い残し、パーカー水着娘ナミは小走りに船内へ姿を消した。

 

  だから一体いつからこんなになってたんだよジョニー!?」

 

「も、もう三日も前からこんな状態で…っ!おれにも何が何やら…!」

 

 残されたルフィの耳に男たちの切羽詰った会話が届く。

 

 ルフィが船に運んだ人物は二人。

 先ほどからゾロとの再会を喜んでいるサングラスの男と、意識が無いまま抱き抱えられている相方の額当ての男だ。後者から発せられる気配は貧弱で今にも消えてしまいそうなほど。

 事態は予断を許さない。

 

 船長は急いで衰弱している人物の横に跪き、拙い医療知識で容態を確認する。

 

「酷い肌荒れ…瘡蓋から滲む血…臭い息……これってアレじゃないかしら。えーと、名前は確か…あ、わかったわ!壊血病!」

 

「!助かる方法知ってるのか、ルフィ!?」

 

 真剣な仲間の問いかけに少女は必死に頭の記憶を絞り出す。ぽたりと落ちた一雫は、幸運にも皆が望んだ知識であった。

 

「えっと…確か昔、村のお医者さんに一月だけ弟子入りしてたときに“将来船出したら仲間がコレになるの気を付けなさい”って言われたヤツだと思うんだけど  あ、そうそう!お野菜食べてればならないから私は問題ないって言われて嬉しかったの思い出したわ!」

 

 何とも彼女らしい記憶に、ゾロはかつての仲間を救う光明を見る。

 

「野菜食えば治るのか?なら青汁でも煎じて出してやってくれ!見捨てるのは忍びねェ…!」

 

「ゾ、ゾロの兄貴~っ!  おいヨサク!助かるぞ、もうちょっとの辛抱だ!」

 

 剣士の宿願もあり、心優しい海賊たちは栄養剤や、船長専用の冷蔵室に山のように蓄えられている様々な種類の生鮮野菜と果物を男に恵む。

 

 元の生命力が異常なのだろう。遭難者が息を吹き返すのに要した時間はまさに一瞬であった。

 

 

 

「申し遅れました。おれの名はジョニー!」

 

「あっしはヨサク。ゾロのアニキとはかつての賞金稼ぎの同志!」

 

『どうぞお見知りおきを!』

 

 『麦わらの一味』四人が勢ぞろいする前で、左右対称の決めポーズで万全をアピールする男たち、ジョニーとヨサク。

 復活直後にタバコを吹かす賞金稼ぎの姿を見る限り、どうやら本当に問題ないようだ。

 

「…ん?どっかで聞いたような名前……もうっ、あとちょっとで思い出せそうなのに…っ!」

 

 その名乗りにどこか親近感を覚えるルフィであったが、肝心の記憶が奥歯に詰まったかのように出て来ない。

 先ほどの医療知識を思い出すために脳を回転させすぎたせいで過熱状態になってしまったのだろうか。バギー戦や先日のゲッコー海海戦を戦った直後よりも強い疲労を感じる。

 

 だが頭から湯気を発していた少女は思考数秒後に“これは無理だ”と即座に判断し、未練も残さず記憶捜索作戦の戦略的撤退を選択した。

 

「へぇ。あっしらのことご存知とは、中々の情報通じゃねェか、身軽なお嬢ちゃん  それで、あんたらはゾロのアニキと一体どういうご関係で?」

 

「私、海賊ルフィ。ゾロの船長よ」

 

 早々に記憶のサルベージを諦めた少女は、あっけらかんとした態度で男たちの問いに答える。賞金稼ぎを前に笑顔で“海賊”を名乗れる能天気な船長であった。

 

『船長?』

 

 決めポーズ同様それぞれ右左に首を傾げる両者。そして一拍置いてその言葉の意味を理解したジョニーとヨサクが体中を使い驚愕の感情を表現した。

 

『船長おおおっ!!?』

 

「むっ、何驚いてんのよっ!どっからどう見ても船長じゃない、私っ!」

 

 艶やかな肢体の童顔少女が腰に両手を当てフグのように頬を膨らませる。

 既にコビー、ゾロ、ナミ、ウソップと、会う先々で自身の立場を信じてもらえない麦わら娘は怒り心頭。女船長として女らしく振舞おうと意識し始めているというのに、一体何が彼ら彼女らの目を惑わせているのか。

 

 当然だが、女らしさと船長らしさには何の関係も無い。しかし女航海士に「女らしくしなさい!」と毎日のように叱られ続けているルフィは、いつも通りの頭脳で双方に密接なつながりがあると勘違いしてしまっていた。

 目指すべき船長像である憧れのシャンクスやルフィ少年は自分とは性別が異なり、“夢”に出てきた名だたる女船長たちは単純に知能や性格の違いで参考に出来なかったのだ。故に、自分が追い求めるべき理想の女船長像は自分で作るしかないのである。

 

 だがたとえバカでも、その身に宿る船長としてのカリスマは他の全ての海賊団船長を凌駕する、と少女ルフィは自負している。

 彼女の不機嫌の根本はそこにあった。

 

「大体どうしてみんな私が女の子だからって意外そうな顔するのよ!この滲み出る船長オーラがわからないなんて節穴にも程があるわ、あなたたちっ!!」

 

 ふんす、と鼻息を荒立てる水着娘の胸が、水遊びの微かな水滴を振り弾きながら重たげに上下する。

 

「い、いやぁ…どう見ても…」

 

「あ、ああ……へへ…」

 

 眼前の素晴らしい物理現象を熱い思いで観察する男たち。その顔は緩みきり、視線は舐め回すように少女の肢体のあちこちを巡っている。

 目の前の小娘はどう見ても、海賊に売られる側の人間が持つ容貌だ。

 

 ごくり…と唾を呑む男たちの下卑た眼つきに小さくたじろぐルフィ。水着娘は困惑気味に彼らの視線の先にある自分の身体を見下ろし、硬化した。

 

 その胸の見事な果実を覆うのは、品の良い無地の蒼いビキニ。

 微かに隆起する少女の骨盤付近には、左右二つの蝶結びが下の布地を下腹部の素肌に弱々しく留めている。

 女性的な滑らかな凹凸をほぼ全て曝け出した、極めて挑発的な装いだ。

 

 仲間たちだけの船で油断しきっていた船長は自分が連れてきた二人の男の視線に遅れて気が付き、慌てて近くのビーチチェアのタオルで胸元を隠す。

 

「ッ、ちょっと!ドコ見てるのよっ!ナミのと違ってお金はかからないけど、私の身体には私の拳一発分の価値があるのよ!?私のお野菜たらふく食べた分際で生意気だわっ!」

 

 ルフィは拳を握りながら賞金稼ぎたちを牽制する。

 

 普段の袖無し胸開きブラウスとショートデニム姿とそう変わらない露出とはいえ、流石の無防備少女であっても上下布切れ一枚という服装を赤の他人に見せることは躊躇われた。

 隣で頬をひくつかせている女航海士や、シロップ村の令嬢カヤに影響され、少しずつ童女の精神が大人の女になりつつあるのだろう。

 

 もっとも、タオルを胸部に巻いただけの、湯上り女の如きその外見は余計に男を誘う扇情的なものなのだが、そのようなことなど夢にも思わぬ無垢な彼女は自身の完璧と思われるガードに満足げに頷くだけであった。

 

「これでよしっ!もう見ちゃダメよ?」

 

「へへ…っ、おっとすまねェな  って、いやいや!そんなことより“船長”って!!」

 

 そんな気まずい空気を取り払い、話を本題に戻した賞金稼ぎの片割ジョニー。遅れてヨサクが相棒の剣幕に加わる。

 

「そっ、そうっすよアニキ!何でアンタほどの男がこんな女の下に…!!」

 

「あ、ああ。おれはコイツにおれの夢を預け  

 

「おい女!命の恩はある。だがそれはそれ、これはこれだ!てめェみてェなお嬢ちゃんが一体どういう了見でアニキを従えてるってんだァ?!」

 

  って話聞けよお前ら!」

 

 かつての恩人『“海賊狩り”のゾロ』。

 最弱の海東の海(イーストブルー)で井の中の蛙を張っていた賞金稼ぎジョニーとヨサクは、剣士との出会いを経て海の広さを知った。彼らは目指すべき目標が出来たのだ。

 そんな敬愛する恩人を従えると抜かす一人の小娘が目の前にいる。人の下に付く小さな器ではない“海賊狩り”がただのクルーに甘んじている理由など、明るいものであるはずがない。

 

 今こそ囚われのアニキを救い、これまでの恩に報いるとき!と戦意と高める賞金稼ぎコンビは昂る感情に支配され、激しい思い込みに突き動かされていた。

 

 もちろん、仲間を愛する女船長が彼ら彼女らとの絆にケチを付けられ心穏やかでいられるはずがない。

 男たちへの曖昧な親近感などとうに消え去っていたルフィは、その大きな双眸を吊り上げ、遂に実力行使に踏み切った。

 

「了見?ゾロは私の大切な仲間よ。文句があるなら殴って聞かせてあげるわっ!私の身体えっちな目で見た対価も一緒に、えいっ!」

 

『ちょ、待  ッぎゃあああっ!!?』

 

 

 弱肉強食の掟が蔓延る大海賊時代。

 

 勇ましい勘違いに奮い立つ賞金稼ぎユニット、ジョニーとヨサク。

 二人の男たちはこの日、情けなくも一人の女の子の拳が語る時代の理に屈するハメと相成った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ゴーイング・メリー号』ラウンジ

 

 

 

  ったく、最初からそういいなさいよねっ!あなたたちがゾロの友達の、あの“ジョニー”と“ヨサク”だって知ってたら殴らなかったのに」

 

「いや、あの…最初にあっしら自己紹介を…」

 

 

 遭難者救助にセクハラ事件、そして仁義の暴走。

 甲板での騒ぎが一段落したメリー号では、一味の四人と客人二人による小さな話し合いが行われていた。

 

 頭の冷えたルフィも賞金稼ぎたちの無礼を許し、比較的穏やかな空気が流れている。

 紆余曲折の末、少女はようやく彼らの正体を思い出していた。

 

 

 ジョニーとヨサク。

 

 “夢”に出てきたルフィ少年の友人で  僅かな時間であったが  ここ東の海(イーストブルー)で幾度も死線を共に潜った戦友だ。些か女にだらしない側面もあるようだが、ゾロの同志を名乗るほどのことはあり、二人とも義理堅く人情味のある男たちである。

 先ほどの無礼も、憧れの少年の友人であるのなら話は別。仲間や友人に多少いやらしい目で見られたくらいで腹を立てるほど少女ルフィは狭量ではない。

 

 少なくとも、この程度の不愉快に耐える精神的強靭性はこれからの少女にとって必要不可欠なのだ。

 

 

 なぜなら、今彼女が向かっている場所には、女好きで名高いあの青年がいるのだから…

 

 

「ねえねえ。あなたたちサンジのトコ行く方法知らないかしら?」

 

「さ、三時…?」

 

「じゃあ海のレストランは?私ソコに行きたいの!」

 

 目を輝かせながらルフィは二人の水先案内人に望む目的地の場所を尋ねる。“夢”でこの賞金稼ぎたちの案内で連れて行ってもらった、一味の大切な仲間の一人が働く思い出深い舞台だ。

 

 そしてジョニーたちが返した言葉は、少女は求めていた答えそのものであった。

 

「海のレストラン……もしかしてあの“バラティエ”ですかい?」

 

「そう!それっ!連れてって!仲間に加えたいコックさんがいるのっ!」

 

 期待通りの展開に女船長は破顔する。

 やはり“夢”の記憶は頼りになる。もし思い出せなかったら素肌を見られた不快感で賞金稼ぎたちを船から放り捨てていただろう。彼らも運がいいが、自分も運がいい。

 これで無事、ジョニーたちの案内で東の海(イーストブルー)最後の仲間を自身の『麦わら海賊団』に加えることが出来そうだ。

 

 ルフィの望みにクルーたちも概ね賛同する。

 

「“仲間に加えたい”?  ってことは、おれにも後輩が出来るのか!?……い、今のうちにこの“キャプテン・ウソップ”さまの格をアピールする方法を考えねェとな…ゴクリ」

 

「酒の肴ならお前の居酒屋料理で間に合ってるが、美味いモンはどんだけあっても歓迎するぜ。楽しみだな」

 

 船旅とは退屈で窮屈なもの。船乗りたちの娯楽の筆頭は、やはり酒と飯と女である。

 女に関しては、まさかこの無垢な少女船長の船に攫った娘や娼婦を乗せるワケにもいかず、本人含む一味の女性陣に手を出すことなど以ての外。

 とすれば残りは酒と飯。酒は船に載せられるが美食はそうもいかない。船に積むことが出来る限られた材料で、如何に美味な料理を用意出来るか。その難題を解決するには卓越した調理技術が求められる。

 

 つまり、プロの海上料理人が必要なのだ。

 

「わぁっ!ありがとゾロっ、私の料理褒めてくれて!でもプロのサンジの料理のほうがずっと美味しいし、体にも良いわっ!私たちもヨサクみたいに栄養不足で倒れちゃわないように、急いで“バラティエ”で働くサンジをゲットするわよっ!」

 

『応!』

 

「コックねぇ…。まあ船医も欲しいけど、栄養バランスや美味しい料理は確かに食べたいわね。…んん~っ、カヤのお屋敷でご馳走になったあの高級料理の味が忘れられないわぁ」

 

 ワクワクしながら新たな仲間候補の青年の力量を称えるルフィに、一同は力強く頷いた。

 

 特にナミの“食”の娯楽に対する執着は強い。

 身の安全のためにも、男の前で酒に乱れる姿を晒せない女性陣。ザルの酒豪である女航海士はともかく、ルフィのアルコール耐性は人並み以下しかないのだ。少女の保護者も兼任しているナミは船長の名誉を守るためにも常に彼女を見張る必要があり、あまり気軽に酒を楽しむことが出来なかった。

 残された最後の娯楽に情熱を抱くのも自然の流れである。

 

 もちろん、このゴム娘の反則的な体質に負けぬよう、自身の美容に励むためでもあるのだが。

 

「“バラティエ”ならこの先の海域にありますんで、数日から一週間くらいの航海で着けると思います。ゾロのアニキのボスとなりゃ喜んで案内しますぜ、ルフィの大姉貴!」

 

「“大姉貴”って……“妹”の間違いでしょ」

 

「…まあ、“姉貴”ってガラじゃーねェな」

 

「しししっ、なら私はゾロとナミとウソップの妹ねっ!ねえねえ、おにーちゃーん!おねーちゃーん!頭撫でて~  ッふぎゃっ!?痛いっ!何でぶったのっ!?」

 

『……ッ、ふんっ!』

 

 

 愉快な喧騒が響く海賊船『ゴーイング・メリー号』。

 麦わら帽子の女の子モンキー・D・ルフィ率いる『麦わら海賊団』は、二人の賞金稼ぎと共に進路を海上レストラン『バラティエ』へ定め、垂涎の思いでまだ見ぬ美食と新たな仲間を目指し大海原を疾走した。

 

 

 





前話のパーティ集合写真(画像ちょっとデカい)


【挿絵表示】


カヤさんのドレスの元ネタは某カリブの海賊映画つながり…と言えなくも無くなくないイギリス映画から


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20話 海の料理人と居酒屋娘・Ⅱ (挿絵注意)


クリーク&ギンサイドを本文最後に加筆しました。


 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』中央ホール

 

 

 

  サンジさん、あんたはおれの命の恩人だ…本当にありがとう…っ!今度はちゃんと客としてくるから、またさっきの炒飯…作ってくれるか?」

 

「へっ、おれは料理人だぜ?……いつでも来いよ、ギン」

 

 

 東の海(イーストブルー)の西端。

 

 偉大なる航路(グランドライン)の入口のほど近くに広がる大洋に、一隻の奇妙な船が浮かんでいる。

 魚の頭を象った船首に、尾びれに見立てた大きな船尾舵。甲板の二本帆柱(マスト)の間にそびえるのは“RESTAURANT BARATIE”と綴られた切妻陸屋根の中央楼。まるで丘の建物を移築したかのような外観をしたこの船は、世にも珍しい、海を航行するレストラン船である。

 

 

東の海(イーストブルー)最強最悪の海賊一党、『クリーク海賊団』ね…。どんなクズ一味にでも酔狂な野郎ってのはいるもんだな」

 

 一際目立つその大きな中央楼のバルコニーで、空の皿を指の上で回しながら小さな独り言を呟くのは、一人の黒衣の紳士。

 片目を隠す前髪に添うように全体を整えられた鮮やかなブロンド。煙草の火口から煙を立たせ、ニヒルな笑みを浮かべる男の眉はくるりと螺旋を描いている。

 

 男、いや青年というべきその身形の良い若者は、手元の皿の中身を振舞った“客人”の小船が水平線の向こうへ消えていく光景を、穏やかな顔で見守っていた。

 彼の顔にタダ飯食らいを責める気難しい感情は微塵も見えない。あるのは自身の料理を泣きながら喜んでくれた上客へ向ける、満足げなプロの料理人の笑みだけだ。

 

 

 青年が働くこの船の名は、海上レストラン『バラティエ』。

 

 かつて『“赫足(あかあし)”のゼフ』と呼ばれた海賊団船長が自身の遭難経験を元に開いた、不毛の大海原にぽつんと浮かぶ洋上のオアシスだ。

 嵐に流された遭難者を、長い船旅に疲れた船乗りたちを、退屈な海の生活に欠伸を零す淑女たちを  “食”を求める全ての者を、このレストランは善悪分け隔てなく客人として歓迎する。

 

 

  おっ…!」

 

 そんな美食の聖域に、今日も多くの海の乙女たちが訪れる。

 

 外の夏空のように澄んだ青色のスカートに包まれた華奢な腰を姿勢良く椅子に下す、四番テーブルのご令嬢。

 どうやらエスコートは相席のあの冴えない蝶ネクタイの青二才のようだ。緊張に体を固くし身振り手振りで薀蓄を語る蝶ネクタイ。その青二才に柔らかな微笑みを返す彼女の横顔は、何とも退屈そうに見える。

 

 これはいけない。美女の笑顔を曇らせる行為は、たとえいかなる理由があろうと許しがたい犯罪だ。

 蝶ネクタイ野郎のクソつまらない雑学語りを忘れさせる美酒美食を急いでご用意しなければ、“愛のコック”など到底務まらない。

 

 そう覚悟の表情を浮かべるのは先ほどの螺旋眉毛の青年。

 “愛のコック”を自称する、この店の副料理長である。

 

 上品な黒のダブルジャケットを纏う若紳士は、コツコツと小気味良い足音を立てながらワインセラーへ向かう。

 見繕うのは微かな甘みを持つ白のスパークリングワイン。つまみにはクセの少ないコンテチーズとソフトドライの一口イチジクが良いだろう。美容に最適な、全ての女性の大好物だ。

 

 チーク材の小さなインテリアボードにチーズと干し果物を飾るように載せ、自称“愛のコック”の青年は柔和な表情を作り、青いスカートの美女の座る四番テーブルへと近付いた。

 

  当店のフロアに咲き誇る青薔薇の奇跡…他ならぬ君の美しさにようやく気付いた愚かな僕を許しておくれ、晴天のドレスのお嬢さん」

 

「……え、あの…?」

 

「ああ、申し訳ない。僕は君の微笑の青空にかかる、“退屈”という名の叢雲を掃う一陣の恋風……副料理長のサンジと申します。どうぞお見知りおきを」

 

 “愛のコック”  もとい青年サンジは、胸に手を当て仰々しい礼を客人に披露する。

 チラリと一瞥した令嬢の顔は、まっさらな空白の呆け顔。驚きに口を小さく開けるその顔も実に見目麗しい。

 

 サンジは湧き上がる美女への思いを上手に言葉へと昇華させ、愛を囁くように女性客へ今回の趣を即興で説明し始める。

 

「本日は久々の快晴。海と空が交わる特別な“青”をお召になられた女性のお客さまに、当店自慢の新作スパークリングをサービスしております。君の心からの笑顔のために……爽やかな甘酸っぱい夏の恋の味をどうぞ」

 

  そんな意味不明なサービスはしてねェぞ、チビナス」

 

 

 突然、そんな甘い空間を踏み躙る嗄れ声がサンジの背後から飛んで来た。

 

 イヤになるほど聞いたその声を聞き間違える彼ではない。いつまでも自分を子ども扱いする忌々しい男の声だ。

 副料理長は額に青筋を浮かべ、苛立ちの籠った静かな怒声を後ろの不躾な邪魔者にぶつけ返す。

 

「意味不明なのはてめェの頭だクソジジイ。女性が店に来た日はいつだって最高の記念日に決まってんだろ。遂にボケたか、老害…!」

 

「はん、色ボケしてんのはお前だろサンジ。客に迷惑だ、さっさとホールにオーダーを運べ!」

 

 振り返った先に立っていたのは予想通りの老人。

 三つ編みの長い髭に一本木の義足の右脚を持つ、この店のオーナー兼料理長。

 

 青年の師匠、ゼフだ。

 

 生意気な若造を鼻で笑い、老人がいつもの文句でサンジを突き放す。

 

「大体いつまで人の店の副料理長の座で偉そうに踏ん反り返ってるつもりだ?先週も迷惑だから出てけっつったはずだがな」

 

「ッ、何だと!?」

 

 青年はゼフの言葉に思わず逆上する。

 だがサンジの怒りを軽くいなし、老人はゆらゆらとした足取りで二階のオーナー室へと消えて行った。

 

「女に現抜かしてる暇があれば一度くらい、このおれを唸らせる料理を作ってみせろ。……つっても、外を知らねェお前みてェなチビナスには一生かかっても無理だがな」

 

「…ッ!」

 

 はき捨てるような言葉。

 吹き上がる感情をぶつける相手を失い、青年は歯を食い縛りながら自身の憤怒を押さえ込む。

 

 長年共に暮らす元海賊の料理人ゼフ。

 性格や口癖、会話の些細な調子を知り尽くされている老人の年の功に中々太刀打ち出来ないサンジは、あの片足の師匠に相手にされない自分の未熟さに苛立ちを募らせる。

 

 恩に報い、この店に骨を埋める覚悟を今一度あのクソジジイに認めさせるか、追い返されることを見越して真面目に働くか。しばしの葛藤の末、副料理長の青年は肺に溜まった熱を溜息と共に吐き出し、客のオーダーを受け取りに厨房へと足を向けた。

 

 その直後  

 

 

『うわっ!?』

 

 突然サンジの耳に劈くガラスの破砕音が飛び込んできた。同じく周囲の客も脅えるように辺りを見渡している。

 最も多くの目が集まっているのはホールの天上、否、その先の二階である。聞き間違いではない。上で何かがあったようだ。

 

 厨房へ向けた足先を反転させ、小さな舌打ちを残した副料理長は急いでホールを飛び出し上階へと続く階段を駆け上がる。

 

 果てなき大海原に浮かぶ海上レストラン『バラティエ』。

 海の荒くれ者共が闊歩する大海賊時代において、平穏などという生温い日常は存在しない。ましては孤独のレストラン船。人、物、金が集まる無防備な料理店を狙う輩は数知れず。

 訪れる美しくもか弱い美女たちに安心して料理を楽しんでもらうためには、大至急騒ぎを鎮火させる必要がある。

 

 己の身を守る術は己自身の力のみ。元海賊がオーナーを務めるこのレストランもその掟に倣い、全ての料理人が荒事に親しんでいる。

 ふてぶてしい戦うコックたちの中でも随一の腕っぷしを誇ると自負するサンジは、女性客たちの心の安寧のために誰よりも早く二階へたどり着き、店の責任者が仮眠を貪るオーナー室の扉を蹴飛ばした。

 

「おい、何があったクソジジイ!下のレディたちに迷惑かけねェようにさっさと終ら…せ……」

 

 飛び込んだ自室で暢気にぐーすか眠るゼフに嫌味の一つでもぶつけようと口を開いた副料理長は  用意していたセリフの半ばで残りの全てを忘れるほどの衝撃的な光景を目にした。

 

 

 この世の全ての美女に恋する男、『“愛のコック”サンジ』。

 毎日のように野蛮な怒声や戦闘音が響くこのレストランで、本日最初の騒ぎを起こした不届き者は  

 

 

  あーっ!サンジ!!サンジだわっ!!会いたかったわサンジっ!私の仲間になってっ!!」

 

 

   青年が今まで出会った女性たちの中でも飛び切り見事な容姿を誇る、愛らしい笑顔の少女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』中央ホール

 

 

 

「はいお待たせ~っ!お魚さんのお料理と、お肉のお料理よっ!」

 

「ど、どうも……うへへ」

 

「はいどうぞっ!また何か欲しかったらお手々あげてね!」

 

『はぁ~い、お嬢ちゃんこっち~っ!』

 

「はーい、ちょっと待ってて!一人ずつ行くわねっ!」

 

 

 海上レストラン『バラティエ』の一階ホールを、腰のミニスカートとサロンエプロンの裾を翻しながら軽やかに走り回る、一人の小柄な少女がいる。

 この店に初めて入ったウェイトレスにして、一瞬で周囲の視線を釘付けにした、期間限定の看板娘だ。

 

 ボタンが弾け飛びそうなほどに膨らんだ給仕服の胸元を躍動させる少女の妖艶な姿に、鼻の下を伸ばす男性客たち。そんな正直者共に紛れて、この場で最も見るに耐えない顔を作る一人の紳士服の青年がいた。

 

 料理店の副料理長、サンジである。

 

「はぁぁぁん……」

 

 リボンの翅を羽ばたかせながら客席の間を華やかに舞うエプロン姿の妖精へ、青年の情熱的な視線が送られる。

 新入り娘の働きぶりを見守る同僚の料理人たちと共に、サンジはウェイトレス少女の背中をデレデレと蕩けるような目で追い続けていた。

 

「ああ…やっぱ可愛い女の子がいる職場はいいな……」

 

「料理長もまるで孫娘でも見るかのように優しい目ェしてたぜ」

 

「おっぱい…!おっぱい…!ハァ…ッ!ハァ…ッ!」

 

「あ、今日のまかない作んのおれだからな」

 

「なっ、ふざけんなてめェ!あの子に食べてもらうのはおれだ!」

 

「ああ!?お前らこんなときばっかヤル気出しやがって!まかないは当番制だろ!」

 

 走り回る給士姿の女の子に骨抜きな『バラティエ』の暴力コックたち。

 

 だが中には少女の働く姿を口惜しげに見続ける者もいる。

 

「くぅっ…でも少ししか居てくれねェんだろ…?あぁ勿体ねェ…っ!」

 

「サンジのスカウトだってよ。あんな子が船長だなんて、むしろこっちからあの子の船にお世話になりてェくらいだってのに…」

 

 一人のコックのその言葉に、残りの全員が一斉に渦中の幸運な副料理長の方へと振り向いた。

 当然、好意的な感情を浮かべた顔は一つもない。

 

 そんな同僚たちの恨めしげな視線に晒されたサンジは、胸を押さえながらホールの床に膝を突き、搾り出すような声で号泣した。

 

「ッあああぁぁぁっ!!愛よっ!!果てしなく蒼く広き空と海よっ!!天はなんという残酷な選択をおれに与え給うたのか…っ!ちくしょォォォッ!!」

 

「おい!うるせェぞサン  げっ、料理長!?」

 

「……何の騒ぎだ、こりゃ」

 

 泣き叫ぶ副料理長の騒音に目が覚めたのか、休憩を終えたゼフがホールに戻る。慌てて新入り少女の観賞を中断し、料理人たちは我先にと厨房へ逃げ出した。

 

 だが騒ぎの原因は未だ後ろの上司の存在に気付かない。

 

「はあああぁぁぁんっ!!“女神の誘い”か、“命の恩”か…っ!このおれに、あの…あの可憐な天女の太陽の笑顔に、悲愴の雨を降らせろと言うのか…っ!無理だ!そんな大罪おれに犯せるわけがないっ!!だが…だが…っ!ッッぐううゥゥゥお゛れ゛は゛と゛う゛す゛れ゛は゛ァァァ!!」

 

「だから客前で騒ぐなっつってんだろチビナス!!くたばれ“料理長義足キィーック”!!」

 

  ッげぼあぁぁぁっ!!?」

 

 突然、弾丸の如き一撃が背中を襲い、サンジはあまりの激痛に視界が暗転する。過去に何度も味わった憎き師匠の強烈な突き蹴りだ。

 

 薄れ行く意識の中。

 『“愛のコック”サンジ』の脳裏には、数刻前に起きた己の人生の転換点である、あの麦わら帽子の天使との出会いの光景が走馬灯のように駆け巡っていた  

 

 

 

 

 

 

 

  で?つまりお嬢ちゃんはそこのキャラベル船を持つ海賊団の船長で、コイツを一味のコックに欲しいと。そういうことか?』

 

『そうよっ!サンジ以外の人を私のコックにするつもりはないわ!だから私、サンジが“うん”って言ってくれるまでここで待つつもりよっ!』

 

 

 海上レストラン『バラティエ』のオーナー室。

 ガラスが散らばる部屋の中央で、一人の少女がぎこちない正座を作っている。

 

 突然窓から飛び込んで来た無礼者とは思えない真摯な態度を見せる問題娘。

 些か非常識な手段で入店した、その麦わら帽子を被った薄着の女の子の容姿に、部屋へ乱入した直後のサンジは一瞬で心を奪われた。

 

 

 最初に青年の目を釘付けにしたのは、雲一つ無い夜天の星空の双眸であった。

 散らばるガラスの光が、透き通る黒曜石の宝玉の奥に無数の綺羅星を輝かせる。どこまでも深い夜闇の中に揺らめく星雲のような虹色の焔は、その懸珠の瞳の持ち主が宿す強い意思を映しているのだろうか。

 

 吸い込まれそうなほどに黒い二つの夜空が輝く、天の川のように華やかな笑顔。そんな少女の美貌が呪縛となって見惚れるサンジの心を絡め取る。

 

 白磁のような白目を縁取る長く艶やかな睫毛。その黒い額縁を通り越せば、芳ばしい焼き菓子の香りを幻嗅するほどの小麦肌が、窓から射し込む陽光を受けて浮かび上がるように淡く輝いている。

 視線を下せば、そこには紅色に色付くふっくらとした頬っぺたが。視線を右に逸らせば、未だ丸みが強く残る、形のいい小振りな鼻が、ちょこん。

 その更に下で薄い桜色の艶を放つ、瑞々しい生気に溢れた可愛らしい唇は、少女の満面の笑みに沿い、ぱぁっと大きく開かれている。

 

 そして青年は、たどり着いた彼女の小さなあごを超えた先にあった  溢れんばかりの女の色気に思わず息が止まってしまった。

 

 

  美の…女神……』

 

 意図せず零した言葉は、まさに目の前の肢体を形容するに相応しい賛美句であった。

 

 繊麗な首筋から、山の裾の如き傾斜を描く小柄な撫で肩。蜂のようにきゅっと括れた婀娜やかな腰付きに、慎ましくも丸々と実ったお尻。そこからすらりと長く伸びる、細い足の女性的な曲線美。それらが醸し出す盈々たる気品は、彼女を一瞥する者全てに慎ましやかで謙虚な印象を抱かせる。

 だが、その華奢な身首をなぞる万人の目に、それまでの少女の無垢な処女性から逸脱した、あまりにも大胆すぎる“肉感”が飛び込んでくる。

 

 少女の胸元にぶるん!とそびえる、巨大な双峰だ。

 

 一度目にしたら決して逸らすことの出来ない魔性の芸術。その豊穣のふくらみは爆発しそうなまでに大きく張り詰めた  触れることが叶うのなら、それはさぞ顔を埋めたくなるほど温かく、頬ずりしたくなるほどすべすべしていて、鷲掴みに揉みしだいて蹂躪したくなるほど柔らかそうな  全ての男を虜にする禁断の果実であった。

 

 一切の穢れを知らぬ、か弱い童女のように容易く手折れそうな四肢に腰と、無邪気で幼げな顔付き。

 爆発的な女の色香を放ち、異性の情欲を狂うほどに扇情する、艶やかで嬌しい蟲惑的な豊胸。

 

 そんな二つの相反する美が同時に備わる、ありえない矛盾もまた、彼女の麗容を際立たせる。

 

 それはまるで、緑の蕾が僅かに顔を覗かせたばかりの楚々とした野百合の花畑で、大輪の牡丹が咲き乱れているかのような、幼女と女性の異なる魅力が共存する奇跡の美少女であった。

 

 

  なるほどな、随分コイツのこと見込んでくれてんじゃねェか。……だがお嬢ちゃん。まさかこのチビナスが腹ァ括んの待ってる間、ウチでタダ飯食らうつもりじゃあるめェな?こんな役立たずな副料理長、いつでも連れてってもらっちまって構わねェが、飯代払えねェヤツに恵んでやれるのは余程の事情に限らァ』

 

『むっ、失礼ねっ!もちろんちゃんと対価は払うわ!お金はナミが意地悪して渡してくれないからダメだけど、これでも私、居酒屋の一人娘なの!お料理はマキノに怒られてばっかりだったけど、お客さんの注文受け取るくらいなら出来るもんっ!サンジが仲間になってくれるまでココのウェイトレスやってあげるわっ!!』

 

 “一目惚れ”という名の雷に打たれた副料理長サンジは、少女と料理長ゼフの会話に置いていかれていることすら気付かずに、ただひたすら目の前の女神の美しさに見惚れていた。

 

『ふん、運がいい娘っ子だ。丁度昨日ウチのウェイターが全員逃げ出しやがってな。ホールの手が足りねェ。余計なトラブル起こさねェって約束出来んなら……すぐに着替えて下の連中に挨拶して来い。  採用だ』

 

『ッ、ホントっ!?わぁい、やったぁ!!カヤに貰った可愛いメイド服着てマキノのお店のときみたいに働いてみたかったのっ!!』

 

『……いい機会だ、サンジ。さっさとこのめんこい海賊お嬢ちゃんの船に世話になっちまいな  サンジ?……ああ、こりゃダメだ』

 

『ん、あら?どうしたのサンジ?』

 

 

   サンジ…

 

   サンジ…

 

   …ンジ…

 

   ……ジ…

 

 

 少女のしっとりと濡れる愛らしい唇が紡いだその名が天使の福音となって、青年の耳に無邪気な鈴音の幸せを運ぶ。

 鼓膜を介さず魂そのものを震わせる天上の調が脳裏に幾度も木霊し、サンジは感動のあまり  己が身を目の前の女神に投げ出した。

 

『ああ海よ!日輪の下でなお、果て無き宇宙の星々を煌かせる小さな双空が見えるだろうか!!ああ天よ!汝の下を離れこの艱難蔓延る下界に降臨せし“美の女神”の、その妍麗(けんれい)たる玉姿が見えるだろうか!!  見えるとも!女神の敬虔な使徒であるこの僕には見える…っ!!』

 

『え、あの…サンジ?あ、あなたから聞こえてくる心の声が、その、怖いわ…』

 

 耐え難い恋の苦しみに我を失い、溢れる感情を目で鼻で口で手で足で、体の全てで表現する『“愛のコック”サンジ』。

 桃色の世界でハートの瞳を輝かせながら思いの丈を伝える青年に、美の女神が困惑げな表情を浮かべ後ずさる。その後退の一歩が、少女のブラウスの前で半ば曝け出された重たいものを誘うように波打たせ、開いた距離を再度サンジに詰めさせる。

 

 ああ、そんな戸惑う彼女の愛くるしい幼顔も、不安げに抱きしめるその繊細な身体も、零れ落ちそうなほどに大きく揺れる胸元の実りも、全てがまるで魅了の魔法を放っているかのよう。

 底が見えない恋慕の海にどこまでも沈んでいく己の不甲斐なさを心地良く感じながら、目の前の女神の、あどけなさと艶やかさがそれぞれ偏在する人形の如き美しさに溺れるサンジであった。

 

『そう!僕はたった今っ!君の忠実なる下僕となった…っ!!君の笑顔のためなら海賊の道だろうと!修羅の道だろうと!喜んで疾走してみせよう!!それこそが君の恋の奴隷となった、この“愛のコック”サンジの進むべき宿命なのだね!!?』

 

『えと、よくわからないけど私サンジに奴隷じゃなくて仲間になってほしい…んだけど』

 

  ッッはあああぁぁぁん……♡』

 

 か細い声でこちらを窺いながら誤解を訂正しようとする美の女神。そこに含まれる確かな優しさを幻視し、青年は溢れる思いに耐え切れず盛大な奇声を上げてしまう。

 

 奴隷ではなく、仲間。

 それはつまり、こんな自分と対等な関係でありたいということが彼女の望みであり、“対等”とはようするに、非常に  そう、非常に親しい間柄になりたい…ということではないだろうか。

 

 そう推理した瞬間、サンジは己の理性の全てが天高く吹き飛んだ気がした。

 

『んんぅむむぇがみぃぃよおおおーっ♡!!!』

 

『ひゃっ!?ちょっと、なにいきなり飛び付いて  って、キャーッ!サンジが落ちちゃうっ!!』

 

 

   ふにょん…

 

 

 桃色一色の世界の中。

 体を締め付ける強い圧迫感に紛れ、胸板の大部分を覆うパン生地のように温柔な感触が男の微かな意識に届く。

 

 サンジはしばらくスーツ越しにその心地良い弾力を堪能し、ふと自分の平行感覚に異常を覚えた。足裏にあるべき自重の反力が無く、代わりにあるのは頭部と同じ浮遊感。両腕は胸部から腹部にかけて固定され、体の自由が奪われている。

 幸せな胸元の感覚を著しく阻害するそれらの異常を苦々しく思いながら、青年は天国から浮世へと意識を戻す。

 

 開けた瞼の外にあったのは、全てが反転した世界であった。

 一瞬の混乱の後、サンジはすぐさま自分がオーナー室の窓から海へと飛び出してしまったことに気が付く。

 そして慌てて落下に備え体勢を整えるべく、体を捕らえる柔らかな束縛から逃れようと腰を捻り  

 

 

『あ、ちょっと待っててサンジ!今引き上げてあげるわっ!』

 

 

   自分にぎゅっ、と抱き付く美の女神を見た。

 

 サンジは見た。

 見下ろした先の、目と鼻の距離にある少女の幼気で愛々しい童顔を。自分と彼女、二人の胸板に押し潰され、残された左右の脇腹の隙間にはみ出る圧倒的な質量の日焼け色を。

 サンジは感じた。

 外気の潮風に送られ、ふわりと届いた麦わら娘の暖かな吐息を。胸元のスーツの上からでさえ確認出来る、全ての男たちの悩ましい夢の結晶にして、この世の至宝たる最上のたわやかさを。

 

 そしてサンジは、己の度し難い愛慕の情想を、情熱の赤の噴水で以って意中の美少女へ披露した。

 

『ッぶぼふうゥゥゥゥ  ッッ!!!』

 

『ッきゃあっ!?サ、サンジっ!?サンジ血が!血が凄いっ!サンジが出血多量で死んじゃうーっ!!』

 

『喧しいお前ら!さっさと下行って働け、このボケナス共ォッ!!』

 

 

 我が人生に一片の悔いなし。

 

 堪えきれない想いを放出し終えた“愛のコック”は、女神の胸元の楽園に陶酔しながらその意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

  きゃ、ちょっと!お尻触ろうとしないで、ヘンタイっ!」

 

 突然、レストランホールに倒れ伏すサンジの耳に少女の可愛らしい悲鳴が、走馬灯の女神のものと被るように届いた。

 一瞬で脳裏の映像を振り払い我に返った副料理長は、背後の上司ゼフに蹴られた痛みも忘れて飛び起き両脚でホールの床を踏みしめる。

 

「おっと悪ィな、へへ…ワザとじゃねェからよ」

 

「むーっ!人の悪意なんてすぐにわかるんだからっ!嘘吐いても  って、やっ!?ちょ、ちょっ!あっ!む、胸もダメだって!もうっ、私今お店のお手伝い中で暴力禁止なのっ!あなたたちのこと殴れないんだから触って来ないでぇっ!」

 

 驚き紅潮した顔でスカートの後ろを押さえながら、給仕娘が身形の悪い二人組みが座る二番テーブルから飛び退く。少女の厭わしげな表情を目にし、サンジの双眸が血走るほどに見開いた。

 

 女神に劣情塗れの下卑た手で触れるなど、何たる許しがたい暴挙。万死に値する。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「いいじゃねェか、減るもんじゃねェんだし…なぁ?毎度毎度ばるんばるんさせやがって、誘ってんだろォ?」

 

「おれたちデザートにお嬢ちゃんのそのでっけースイカが食べたいでーす!ほらちゃんと注文持って来いよ、こちとらお客サマだぜ?」

 

「ッ!イヤっ!触らないでっ!  ッッもうっ!何よこのお料理屋さん、ウチのお店と全然違うじゃないっ!なんでココのお客さんこんなえっちな悪意ばっかりなのよっ!もーっやぁーんっ!助けてマキノー!マキノぉーっ!!」

 

「!!?」

 

 

 少女の泣き言がホールに広がった瞬間、漆黒の残像が客たちの視界の端に走った。

 

 その直後、凄まじい破壊音が轟き、続くように場の全員の鼓膜を震わせたのは、複数の微かな落水音。冷房の効いた店内に生暖かい真夏の潮風が漂い出し、さざ波の音色がホールの沈黙に木霊する。

 

 電光石火。

 

 それはまさにそう形容すべき一瞬の出来事であった。

 

 

  クソ失礼致します、お客様方」

 

 誰もが固まる凍った空間の中で、伸ばし上げた足をゆっくりと下すその若紳士の姿は、まるで舞台役者のように洗練されていた。

 

「女性に対する乱暴狼藉は人の道に外れた蛮行。当店が料理をお出しするお客様は()に限りますので、人にあるまじき犬畜生はこのように叩き出させて貰います。……ご留意の上、お食事をお楽しみ下さい」

 

 海上レストラン『バラティエ』副料理長サンジは、自身の勤める料理店における最低限のマナーを男性客たちに説明し、その愛らしい大きな目をぱちくりさせる憐れな被害者を優しく裏手の厨房までエスコートしながら場を後にした。

 

 店の女性客たちの拍手を背に受けホールを去るその貴公子の伸びきった鼻下に気付いた者は  残念なことに  意外と多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

 ガレオン船。

 

 大海賊時代最大級の帆船で五百人以上の乗員、五百トン以上の積荷、そして五十門以上の大砲を積載出来る海の覇者だ。平時には村一つ動かす大型商船として海を越え、戦時には無数の火砲の一斉射で山を崩す戦列艦となるこの怪物は、帆船という風力推進を用いた船舶の一つの完成形として五つの海を制してきた。

 

 東の海(イーストブルー)の外れ。

 偉大なる航路(グランドライン)への出入り口、リヴァース・マウンテンを望む小さな孤島の海岸に、その海の覇者の一隻が異様な姿で佇んでいる。

 三層の横帆を掲げた三本大樹は雲をも貫き、船首で巨大な牙を向かせるのは見据える有象無象に王者の格を示す大獅子の頭。36ポンドカノン砲が並ぶ片舷二十一門の大戦列が睥睨する先は、射線に入る物全てが更地と化す、人類史有数の殺戮結界である。

 そして、巨艦の頂点にはためく二つの砂時計は、敵対する愚者の残りの命を表す、僅かばかりの慈悲による降伏命令だ。

 

 

 その船の名は『ドレッドノート・サーベル号』。

 

 東の海(イーストブルー)でその悪名を聞かぬ日は無いとさえ言われ、実に五十隻もの海賊船、総勢五千人の構成員からなる最強最大の海賊一党『クリーク海賊団』の大艦隊を率いる不動の旗艦である。

 この平和な海で暴虐の限りを尽くした彼らは、絶対の王者たる首領(ドン)に率いられ、先日満を持して王たちの海、偉大なる航路(グランドライン)へ進軍した。

 

 だが、そんな覇者たちが誇る威風堂々たるガレオン船は  まるで満身創痍の落ち武者の如き無様な姿で孤島の海岸に浮かんでいた。

 

 覇道を突き進む追い風を受ける巨大な角帆は引き千切られ、万人を震え上がらせる大戦列の砲甲板は海水で水浸し。天にそびえる後部帆柱(マスト)は折れて傾き、恐怖の大海賊が誇った艦隊旗艦の威容は、死者の気配色濃い幽霊船のように惨めな(さま)で人知れず救いを乞うていた。

 

 

  ッがはぁ…っ!……ハァ…ッ、ハァ…ッ……」

 

 

 瀕死の巨艦の一際豪奢な一室に、男の荒い息が木霊する。

 

 潮と硝煙に塗れ、割れた窓から海風が吹き込む野晒しの部屋。その濡れたベッドの上で、一人の男が仰向けに寝転んでいた。

 室内の磯臭い空気を喘ぐように吸い込み酸素を求める血だらけの大男は、苦痛に顔を歪ませ拙い動作で寝台を降りる。

 

「クソ…忌々しい悪夢だ…」

 

 ギラ付く手負いの猛獣の瞳が周囲を見渡した。視界に映るのは、相も変らぬ嵐の後のように散らかった船長室。文字通り、悪夢にも勝る最悪の光景である。

 

 男は不快げに舌打ちし、部屋の中央に鎮座する黄金の椅子に腰掛ける。僅か数歩の運動が死線一つに匹敵する。背もたれに体を埋めたまま幾度も深呼吸を繰り返し、体力を回復させた男は備え付けの伝声管へ苛立たしげに吐き捨てた。

 

「……起きたぞ。状況を報告しろ」

 

「ド、首領(ドン)…!たった今ご報告に上がろうと…!ギ、ギンさんが戻りました…っ!」

 

 打てば響くような返事に男の機嫌が僅かに好転する。ここ数日で最も良い知らせだ。

 

 海軍に捕らえられていた、己の最も忠実な部下の帰還の意味を理解する傷だらけの巨漢は、薄い笑みを浮かべながら報告の下っ端に短く指示を出した。

 

「……連れて来い」

 

「へ、へい…!」

 

 伝声管のブラスの蓋を閉じ、男は大きな息と共に目を閉じる。

 

 しばらくの沈黙の後、ふらふらとした足音が部屋の壊れた扉の奥から聞こえて来た。近付くブーツの音に促され、男はゆっくりと目を開ける。

 

  たっ、ただいま戻りました…首領(ドン)…!し、しかしこの船は一体…!?」

 

「……嵐にやられた。…あの女共、随分あっさり引いたと想ったら時化を嗅ぎ付けてやがったんだ……。おかげでこのザマだ、クソったれ…!」

 

 顎鬚の男、ギンが一味の危機に唖然としている。例の化物共との戦いの途中で腰ぎんちゃくの海軍に捕らえられていた部下。彼が知る味方の被害はあの悪夢の海戦の途中まで。

 

 突然現れた、奇妙な海王類に引かれた一隻の海賊船の襲撃に遭い、命辛々逃げ出した一味の先に待っていたのは無情の大嵐。

 敵の悪魔の実の能力で石にされた多くの味方船に、怒涛の如く押し寄せる高波や暴風を耐え切る力などあるはずがなかった。

 

 最後に残った本船もこの有様。

 まさに落ち武者の名に相応しい無様な衰容である。

 

「下のクルーたちは…何日飯にありつけて無いんですか…?」

 

「……お前の情報が頼りだ。もう四日も何も食ってねェ。そろそろ死人が出る」

 

 男の言葉にギンが喉を鳴らす。今にも消えそうな風前の灯を救うために、自分に何が出来るか。

 短い逡巡の末、彼は自分の敬愛するボスに希望の炎を差し出した。

 

 

「“首領(ドン)・クリーク”……案内します。海上レストラン『バラティエ』へ…!」

 

 

 

 



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21話 海の料理人と居酒屋娘・Ⅲ


やはり上中下では終らなかったか…

次回こそサンジ編終了です

前話の最後に加筆したシーンがありますので、気になる方はそちらから


 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

「んんマッドゥモォァゼッル・ルフィ~!!惚れ直してくれたかなぁ~ん?!…君の危険に逸早く颯爽と駆けつける、愛の奴隷騎士!その名も~んんサンジでーすっ!!」

 

「え、ええ…ありがとう、サンジ…」

 

 

 下賎な大罪人たちを海へと蹴り飛ばし、傷付いた給士娘の心の愛撫  もとい自身の欲望のため、彼女を裏手にエスコートした副料理長サンジ。

 クネクネと体を波打たせ、自称“愛の奴隷騎士”は二人きりの休息室で姫君にお褒めの言葉を催促していた。

 

「で、でもあんな暴力お客さんに振るってよかったのかしら…?ごめんなさいサンジ、私のせいでお髭の料理長さんに叱られちゃう…」

 

「ッッはうあああぁぁぁん……~♡」

 

 育った故郷の居酒屋との環境の違いに戸惑う少女。母親代わりの女店主の「暴力禁止」の言い付けが全ての飲食店スタッフのマナーだと、ある意味正常な価値観を持つ元居酒屋娘ルフィは、自分のためにその禁忌を破った仲間候補の青年の身を案じ、申し訳無さそうに首を俯かせる。

 

 そんな給仕娘のいじらしい仕草に、愛の奴隷騎士の奇妙な踊りは激しさを増す一方。

 

「ああっ、君の身体に触れる不届き者に裁きの鉄槌を下すこと以上の正義があるだろうか!いや、無い!もしあのクソジジイに蹴り殺されても、それはおれの男の勲章となるのさ。…ぐふっ、ぐふふふ」

 

「そ、そう…」

 

 先ほど身体を弄られた二人組みの不届き者共以上に気持ち悪い顔を見せるサンジから、感謝や悔悟の念が吹き飛んだ少女が三歩ほど後ずさる。そして当然のように、揺れる胸元に吸い寄せられる青年の正直な視線も付いてくる。

 

 本当にこの女好きを一味に入れていいのだろうか。自分を含む仲間の女性陣の安全を考えた女船長は、このとき初めて己の仲間の人選に疑問を抱いた。

 ようやく思春期が訪れつつあった過敏で未熟な少女にとって、彼が見せるあまりにも直線的な異性の好意は毒にも等しい。

 

「え、えっと…それじゃあ私はお客さんのトコに戻るわね。助けてくれてありがとうサンジ。でも何か怖いからしばらく私に近付かないで」

 

「仰せのままに!……えっ?」

 

「あ、そうそう!そろそろ私の仲間があなたのお料理食べにお店に来るから、サンジは厨房で頑張って!」

 

「ッ畏まりまっすぅぃたぁ~♡マッドゥモォァゼッル・ルフィ~!!  って、ちょ、ルフィちゃん!?“近付かないで”ってどういうこと!?」

 

 条件反射で御意を示した副料理長は、はたと少女の突然の拒絶に気が付き、慌てて縋り付こうとする。だがその腕が女神に届くことは無い。

 

 運の女神はもちろん、女神とはその去り際を決して引き止めさせない残酷な存在であった。

 

 

 

 

 所変わって料理店の中央ホール。

 

 雑用たちの手によって即席の板壁で修復された客席では、何事もなかったかのように食事客たちが料理に舌鼓を打っていた。

 時々投げ掛けられる心優しい女性客の声に笑顔で返し、接客に戻った臨時ウェイトレスのルフィは店の入り口へと軽い足取りで向かう。

 

 出迎えに行くのはもちろん、覇気で感知した近付く一味の三人と客人二人だ。

 

「あっ!みんなぁ!こっちこっち~!」

 

「ルフィ!?うわ、ホントに働いてる  って、それカヤにもらった服じゃない。早速着てるのね…」

 

「おおっ!ドレスもよかったけど、そっちのミニスカメイドも似合ってんなルフィ!客の男共もメロメロなんじゃねェか?いい商売だぜ、うひひ」

 

『マブいっす…ルフィの大姉貴……っ!』

 

「また人騒がせな…」

 

 まさか身内のトップの歓迎を受けるとは思っても見なかった五人。仰天する彼ら彼女らに悪戯心が刺激され、ルフィはくるりとその場で回り拙いカーテシーを披露した。一部を除く仲間の男性陣の歓声に女船長の機嫌は益々上昇する。

 新たな友人、令嬢カヤの屋敷で見た侍女たちの仕草を真似ながら、一味を席に着かせ注文を取る給仕娘。オーダーを厨房へ出しに戻るその姿は、普段の彼女らしくない上品で淑やかなものであった。

 

「しししっ、驚いた?カヤが小さい頃にお屋敷のメイドさんのために遊びで買った物らしいんだけど、一度こういうの着てウェイトレスやってみたかったのよ!どう?伊達に十三年間もマキノのお店で働いてないでしょ、ふふんっ!」

 

 しばらく経って厨房からホールの仲間たちの下へ戻ったルフィは自慢げに胸を張り、皆に己の有能さをアピールする。

 

 ぷちっ、とどこからか嫌な音が聞こえたのは気のせいだろうか。

 

「いや、可愛いけど……あんたのスタイルだと胸とかぱつぱつじゃない。それに屈んだら下着見えるわよ、ソレ…」

 

「うっ…」

 

 だが仲間のもう一人の女性陣、航海士ナミの遅すぎる忠告に少女は硬化する。

 つい先ほど無体なセクハラ客にスカートを触れられたとき、お尻に妙な心細さがあった。もしかしたら捲られて見られていたかもしれない、と今更気付いた給仕娘は、ここ最近で何度か感じた羞恥で頬が熱くなる感覚に困惑する。

 以前は記憶に無かった、独特の不快感だ。

 

 戸惑う内心を振り払おうと、何か楽しいコトでもないかと周囲を見渡すルフィ。ふと注意を引いたのは、一人だけこの給仕服姿の感想を述べてくれていない仲間の剣士、相棒ゾロの仏頂面だ。

 

 そういえば先日の令嬢カヤの屋敷のパーティでも、彼だけ自分のドレス姿を褒めてくれなかった。

 胸中で当時の不満が首を擡げ、少女は新たな感情に突き動かされるように剣士の前でもう一度、自分の今の姿いを見せ付けるように一回転してスカートを翻し、じっと無言で彼の目を見つめる。

 

 何かを期待するようにキラキラと輝く、そんな女上司の太陽の笑顔を向けられた口下手な青年ゾロは思わずたじろいだ。

 

「……何だルフィ?おれはお前に分けてやれるサラダなんか頼んでねェぞ」

 

 そう口にした途端、少女の笑顔が一瞬の落胆の表情を経て、怒れるフグに七変化する。

 

「ッ、むーっ!ゾロのバカっ!もう知らない!別の人に注文運んで貰いなさいっ!」

 

「はぁ、何だいきなり?」

 

 ぷりぷり拗ねながら他の客の席へと走り去っていく給士娘の後姿から目を逸らし、隣の長鼻狙撃手に助けを求める青年ゾロ。だが上位の朴念仁の狙撃手ウソップに難しい年頃の女心などわかるはずも無い。

 首を捻る男共は仕方なく最後の砦に首を向けた。

 

「おいナミ、女言語の解読ぷりーず」

 

「…さぁね。自分で考えなさい、ガキ共。…にしても論外のゾロはともかく、あんなわかりやすいのも理解出来ないなんてウソップもいい加減カヤに見捨てられるわよ?」

 

「えっ、何でおれが怒られる感じになってんの!?……ゾロくん、なんか知らんがお前のせいでこっちに飛び火したんだけど、謝罪は君が頼んだビフテキ一品で手を打とうではないか」

 

「それおれの飯のほぼ全部じゃねェか!」

 

『ゾロのアニキ…』

 

 まさかあの身嗜みにほぼ無頓着なルフィが女の子らしく自分の服装を褒めて貰いたがっている…などとは夢にも思わない最古参のクルー。

 

 そんな鈍い青年の困惑げな姿に、ナミは呆れを含んだ白い目を送る。

 色恋に限らずとも、女とは美しくありたい生き物であり、その美しさを人に認めてもらいたいもの。意外と素直なウソップはともかく、この硬派を気取る剣士が女の容姿を褒める姿など想像も出来ないが、生憎彼は既に船長に目を付けられてしまっているのだ。散々“女らしくない”とバカにし続けていれば当然相手の反応は嫌悪か無視か、意地になって自分を磨くかの三つ。

 少女の負けず嫌いな性格も考慮せずに心無い罵声を浴びせ続けたツケだ。そう剣士を嘲笑うナミは、傷付いた上司と同じ女として何か一言嫌味でも言おうかと口を開き  

 

 

  おお…なんと言う美しき…!この世に舞い降りた女神は二人いたというのか…っ!!」

 

 

   突然投げ掛けられた、剣士と真逆の歯の浮くようなセリフに言葉を遮られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』中央ホール

 

 

 

「…誰?あんた」

 

 

 給仕娘が持ってきたオーダーを腕によりをかけて仕上げた副料理長サンジ。

 未だ一味に加わる決心が出来ない義理堅い男であったが、「どうせなら仲間たちとの顔見せをしたい」と女神に腕を引かれてしまえば拒絶することなど不可能。少女の張り詰めた胸部のプディングをスーツの袖越しに堪能しながら、青年は女神と共に1番テーブルの五人席へ料理を振舞いに向かう。

 そこで、愛の奴隷騎士は本日二度目の衝撃的光景を目にしていた。

 

 日差しが射し込む窓際の席に腰掛けていたのは、圧倒的な美。

 

 虎眼石の如き鮮やかな金褐色の瞳に、絹糸のように煌びやかなオレンジの髪。極めて端整な美貌は、未だあどけなさが残る、熟した甘味と若さの酸味のバランスが絶妙に整った十代終盤にしか現れないもの。

 まさに完璧としか形容しきれないその美少女の相貌から視線をずらし、彼女の玉体の見事さを脳内鑑賞会で発表しようとした瞬間、彼女が自然な動作で足を組み替え誘うようにポーズを取ってくれた。

 

「あら、なぁにコックさん?私にキョーミがあるのかしら?」

 

 サンジの鼓膜が少女の甘い声を浴びる幸せに小刻みに震える。

 魅せるのは、自分の価値をよく理解している真の美女にしか出来ない、自信に満ち溢れた挑発的な仕草。妖艶な微笑みを浮かべる彼女は、己と言葉を交わすに相応しい男か否かを見極めるような目を青年に向けていた。

 

「ああ…当店を降臨の地と定められた幸運に感謝を…!双柱の女神の神々しい佳に相応しい絶品の料理を  

 

「ちょっとサンジ!何言ってるか全然わかんないけどナミをクドくなら、まず船長の私に確認を取るのが先じゃないかしら!私の仲間になってくれないならナミはあげられないわっ!」

 

『“仲間”!?』

 

 女神の御眼鏡に適うよう必死にアピールする副料理長の言葉を遮ったのは、一味の残りの料理を運ぶもう一人の女神ルフィであった。

 そのタイミングの良さは、さながら嫉妬に拗ねる可憐な乙女。サンジはそんな彼女の愛らしい反応にまた鼻から情熱が噴き出そうになる。

 

 もっとも、そのような推測を述べられても当人は首を捻るだけなのだが。

 

「うわ…これはまた随分軟派なヤツが出て来たわね。大丈夫かしら」

 

「……男に二言はねェ。船長が決めたのなら、従うのがクルーだ」

 

「いやいや、おれ自身の知らねェ才能すら見抜くルフィが選んだ候補だぞ!?絶対優秀だって、なぁ新入りくん!  よし、まずは褒めるとこから初めて“いい先輩”アピールは成功だ…!」

 

 何やら偉そうなことをほざく野郎二名が居るようだが、二人の女神さまがこちらに対してあまり肯定的でないのは非常に不味い。

 命の恩がある料理長ゼフのために尽くそうと決めたはずの覚悟が揺らぐほどの美少女たち。未だ迷う内に、何と彼女たちと共に歩む花道のほうも揺らいでいるではないか。

 どちらを選んでも後悔するのは決まっているが、いずれにせよこの女神たちに嫌われては死んでも死に切れない。

 

 だが焦るサンジを余所に、女神たち…と汚い()路上の()石ころ()共の会話はどんどん悪いほうへと転がっていく。

 

「うっ……ちょっとナミそんなコト言わないで…。私もホントは今結構迷ってるの…」

 

「…は?お前が選んだ、一味のクルーに相応しいヤツなんだろ?優秀なんじゃなかったのか?」

 

「う、うん。そうなんだけど……ちょっと予想以上に好かれちゃって、私どうやって接したらいいのかわからなくて……」

 

 肩を竦めながら、頼れる仲間のナミお姉さんの背に隠れようとする純朴思春期少女ルフィ。

 

 普通であれば、彼女ほどの器量好しなら引く手数多の男共が居たはずである。

 だが少女の反応はまるで初めて同年代の異性に告白され戸惑う童女のよう。

 

 美女とくれば真っ先に口説くサンジには想像もつかないことではあるが、この天真爛漫の元気娘は母親代わりの女性と義兄の鉄壁に守られ続けてきた箱入り娘であった。故にルフィは、これほど露骨な好意を向けてくる男性と密接に関わる機会など一度たりともなかったのである。

 ましてやこれから全幅の信頼を置く仲間として歓迎する相手となると、余計に問題だ。

 

 ルフィにとって、時々覇気が捉えるゾロやウソップの男性特有の性的な欲望は不快感より信頼感が勝るため、特に嫌な感情を覚えることは無い。

 だが、この女好き料理人から聞こえる心の”声“は、他の男性が自分に向けてくるものとは些か本質が異なっていた。

 

 サンジの欲望は  そのだらしが無い態度とは裏腹に  意外にも性的なものをあまり感じない。

 代わりにあるのは「美女にちやほやされたい」という子供のように純粋な願望。

 

 ルフィの常識は未だ十歳未満で止まっていると疑われるほどに子供っぽく、男女の肉体関係に順ずる獣欲を向けられても、どこか他人事のように、この世に存在する無数の悪意の一つだとしか思えない。

 だが、サンジのように悪意がほとんど無く、ただ美しい女に気に入られたいと願う好意的な欲望は、性的な劣情と恋愛との関係がよくわからないルフィの幼稚な価値観でも理解出来てしまう。

 

 “仲間に恋慕の感情を抱かれている”という、極めて衝撃的な事実と共に。

 

 

「お前……コイツに何したんだ?ウチのボスが仲間の勧誘にこんなに消極的な姿、初めて見たんだが」

 

「全くだな。殊勝なルフィとか、今日は槍の雨が降るぜ」

 

 そんな純粋な乙女の内心がわからず唖然としていたサンジの耳に、耳障りな男声が飛び込んで来た。相手にするのも億劫なのだが、その男共のあまりに失礼な態度に青年はつい感情的になる。

 

「あぁ?てめぇら誰に向かっておれの女神を“コイツ”呼ばわりしてんだァ?!」

 

「“女神”って……化物の間違いだろ」

 

「ウチの女共に夢見るならナミにしておけよ、新入りくん。この自称天才美少女航海士ならちゃんとペットとしてお前みてェなヤツでも可愛がってくれるさ。ルフィに色気はまだ早い。……身体は何かの事故だと思え」

 

「んだとゴラァッ!?ただのクルーの分際でこんな美少女たちを“ウチの女共”だとぉぉん!?調子乗ってんじゃねェぞクソ共、羨ましいんだよちくしょぉぉぉっ!!」

 

『いやお前も今日からその一人だから』

 

 逆上するコックと迷惑そうに顔を顰める一味の男性陣。

 彼らに取って、ルフィに『麦わら海賊団』の仲間に誘われることは不可避の絶対なのだ。既に末路が決まっている人間の個人的な不満など、あってないようなもの。女のナミならともかく、いい大人の男のウジウジ悩む姿など見苦しいにもほどがある。同情はするが。

 

 そんな酷い温度差の言い争いに身を投じるサンジの女好きな人間性を、興味深そうに観察している一人の少女がいた。彼曰く“二人目の女神”こと航海士ナミである。

 

「……ああ、なるほど。こりゃお子様なルフィには気が重いわね」

 

 そう呟いた彼女は、珍しく男に脅える一味の最年少の女の子を軽く抱き寄せ不安を払う。なすがままに甘えてくる少女船長の極めて貴重な殊勝な態度に内心身悶えしながら、ナミお姉さんはある提案を彼女に投げ掛けた。

 

 

  ねぇ、ルフィ。迷ってるなら彼の扱い、私に任せてくれないかしら?」

 

「…え?」

 

 にっこりと自信に溢れる笑みを見せる航海士。その笑顔に促されるように、ルフィの揺れる瞳が確かな意思を取り戻す。

 

「確かに女にだらしないヤツだけど、他の男共より遥かに無害よ。たまにご褒美上げてれば忠誠心もすぐに得られるし、何より男避けにも期待出来るわ。あんた戦いは強いけど男のいやらしい視線とかにはてんで無防備なんだから、彼が居ればそういうのから守ってくれるでしょうね。適材適所ってヤツよ」

 

「…ホント?私、サンジと仲良く出来る…?」

 

 母性本能を著しく駆り立てる気弱そうな表情を向けられ、ナミは姉貴分としての意地が芽生えるのを自覚していた。こんな顔を向けられ、どうして彼女の力になれずにいるだろうか。

 

「大丈夫。ちょっと珍しい正直すぎる好意に驚いちゃっただけよね、ルフィ。あんたはいつもみたいに何も考えずに普通に接していればいいのよ。何かあったら後はお姉さんに任せて、ねっ」

 

「うん…うんっ!ナミがそう言うなら信じるわっ!!」

 

 元々図太い性格をしているのだ。

 一時の気の迷いのようなものにいつまでも翻弄されるルフィではない。全幅の信頼を寄せる仲間に「問題ない」と言われてしまえば、この女好き料理人が見せる好意への戸惑いなど一瞬で消え去るだろう。

 

 案の定、少し慰めてあげただけですぐ立ち直った少女の目に、以前のような動揺は見当たらない。

 

「単純…」

 

「単純だな…」

 

「単純すぎる…」

 

「ん?どうしたのみんな?  あ、サンジ!もうあなたのコト怖くないから、今日から正式に一味の仲間ねっ!この人たちは右からナミ、ウソップ、ゾロよ!そこの二人はゾロの舎弟のジョニーとヨサク!歓迎するわっ!」

 

 一同の半目に晒されながら、ルフィは隣で呆けている仲間候補の料理人に胸襟を開く。

 その姿はまるで幼子を胸元に迎え入れる慈愛の女神のようで、サンジには到底理性的でいられるものではなかった。

 

「んんぅるぅうふぃぃちゅわぁぁ~ん!!」

 

「自重しなさい、このエロコック!!」

 

 早速姉貴分の本領発揮。強烈なビンタにさえ快感を感じる高度に訓練された愛の奴隷騎士は幸せな鼻血を撒き散らしながらホールの床へと沈んでいった。

 

 

 

 

 賑やかな正午の海上レストラン『バラティエ』。

 

 だがその平穏を脅かそうとする強大な悪意が近付くのを、優れた覇気使いの臨時給仕娘ルフィは聡く感じていた。

 

 

  何度も悪ィな、サンジさん。……百人の餓死寸前の上客を連れてきた。言ったろう、今度は“ちゃんと客としてくる”ってな」

 

 

 そう口にしながら海上レストラン『バラティエ』の出入り口に立つその男の瞳は、かつて心優しい副料理長が目にした人情溢れる穏やかなものとは全く異なる、鮮烈な覚悟の光を燈していた  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』船着場

 

 

 

「…いいレストランだ。あの船を貰うとしよう」

 

 

 その巨艦は突然現れた。

 

 真夏の太陽に照らされ美しい水面が天上に反射する『バラティエ』の中央ホール。だが今、美しい店内は恐ろしい影に覆われ、窓の外は隣接するボロボロの船舷のみを映している。

 あと僅かに前進するだけでぺしゃんこに押し潰されるほどに寄せられたその船は、あの悪名高い『クリーク海賊団』の両砂時計を掲げた恐ろしく大きな、満身創痍のガレオン船であった。

 

 

首領(ドン)・クリーク…?何を、言って…」

 

 そんな瀕死の海賊船『ドレッドノート・サーベル号』の一室で、この騒ぎの首魁である一人の男、『海賊艦隊提督“首領(ドン)”クリーク』が空の食器を海に捨て、満足そうな表情で眼下のレストラン船を見下ろしていた。

 

 一味の幹部『“鬼人”のギン』が目の前の料理店から持ち帰った大量の水食糧を腹に詰め込み復活した大悪党は、早速傍若無人な願望を胸中に湧き上がらせる。

 死に絶えの亡霊のようなこの船を捨て、至急新たな船を調達し、艦隊を立て直し、情報を集め、今一度あの地獄の海へ挑むのだ。己の果てしない野望のために。

 

 だが意気込むクリークに冷や水を浴びせたのは、他でもない、自身が最も信頼する忠臣ギンであった。

 

「この世は強さこそ全て。そして強さとは結果が決める。義理人情などと美談を語ろうと、所詮は強者のお遊びだ。……お前はこのおれの覇道をただの遊びだと言うのか、ギン?」

 

「…ッ!」

 

 珍しく船長に逆らう意思を示す部下に、クリークはこの世の掟を突き付ける。

 長い飢餓地獄と偉大なる航路(グランドライン)の悪夢で海賊としての覚悟が揺らいだのだろう。世話が焼ける、と“首領”(ドン)は一度だけ男の口答えを見逃すことにした。

 

  ま、待ってください、首領(ドン)…っ!せめてコックたちに降伏を促してくれませんか…?おれが相手のトップと戦いこちらの力を見せて、それで逆らう愚かさを教え込む…!あんたの名前の前に必ず彼らの膝を突かせてみせます!」

 

 しかし、男は引き下がらない。

 このとき、クリークはさぞ自分が間抜けな顔をしていただろうと回想する。それほどこの部下は優秀で忠実な者であった。

 

 思わず相手の正気を疑いたくなった“首領”(ドン)は、一から目の前の腑抜けを更生させようと武器を握り、思い留まる。

 ギンの主張は間違いでは無い。一味が大幅に弱体化した今、余計な戦闘で被害を増やすことは避けるべき事態。彼の実力ならあの程度の雑魚など鼻歌交じりに一掃出来るだろう。

 

 短い思考の後、クリークは男の意見を採用した。

 

「…ふん、ヤツらがおれに従うなら構わねェ。…だがそれも一度までだ。次に逆らったらお前を殺す」

 

「ッ、ありがとうございます…っ!」

 

 安堵の表情を浮かべながら一礼し、意気揚々とレストラン船へと乗り込むギン。

 その後姿を見送る、東の海(イーストブルー)最強と謳われる男の目は吹雪のように冷たかった。

 

 

 

  随分長ェことくっちゃべってたな、ギン。飼い主とのご相談は終ったのか?」

 

「……サンジさん、わかってるはずだ。首領(ドン)を敵に回したヤツらがどうなったか……。  頼む、後ろの本船をやるから降伏してくれ…!!」

 

 

 白兵戦専用舞台『魚ヒレ』。

 

 大勢のゴロツキや海賊たちに常日頃から狙われ続ける『バラティエ』を守るため、店外に拡張する大面積の足場だ。食事客用の船着場一帯に展開された木製の舞台へ最初に舞い降りたのは、敵陣営『クリーク海賊艦隊』の代表ギンと、『バラティエ』代表のサンジであった。

 

 一刻未満の短い関係ではあったが、一皿の炒飯を介し掛け替えの無い友情を育んだ二人。

 飢える彼を救った副料理長サンジは、不本意ながらも覚悟を決め、己の引き起こした凶事のケジメをつけるため  そして己の最も大切なものを守るために、迫る巨悪を己が身一つで迎え撃つ。

 

「そいつは無理な話だ。この店はクソジジイの宝でね、おれはここを死ぬまで守るって決めてんだ」

 

「……んなこと頼んでねェぞ、チビナス。お前の汚ェ血で汚れた店なんざ、いつでも潰して見せらァ」

 

 聞き捨てならぬと因縁の会話に割り込んだのは、大恩のある師匠ゼフ。幼い命を片足の犠牲で救った元海賊の老シェフの茶々を、青年は鬱陶しげに振り払う。

 

「てめェに頼まれたからじゃねェよ、図に乗んなクソジジイ…!これはおれの好きでやってることだ!足腰ブルってる老害はさっさと引っ込んで安楽椅子に座ってろ!」

 

「…ふん、ガキが一丁前にかっこつけやがって」

 

「…ッ、おれはもう”ガキ”じゃねェっ!いい加減に認めろクソジジイ!!」

 

 言い争うむさ苦しい男共。

 だが汗臭い世界にふわりと玲瓏とした乙女たちの美声が響く。避難客たちの護衛を買って出た心優しい海賊団『麦わらの一味』の船長ルフィと航海士ナミである。

 

「サンジー!その人今のあなたより強い覇気してるから気を付けてねーっ!」

 

「サンジくぅ~ん!頑張ってぇ~っ!  ほらルフィ、こうやって黄色い声出して応援するといいわよ」

 

「ッはぁぁぁぁぁい♡!!んルフィちゅわぁぁん!んナミすわぁぁん!」

 

 途端にデレデレと恋のダンスを踊る、何とも締まらない代表戦士もとい愛の奴隷騎士サンジ。そのふざけた態度に目を瞬かせるギンは小さく頭を振り、両手の鉄球旋棍(ナックルトンファー)を大きく構えた。

 

「……いいのか?そんな余裕ぶっこいてて。…あのお嬢さん、随分優れた力量分析力を持ってるみてェだが…忠告には素直に従うのが賢明だと思うぞ」

 

「ふっ…恋する男ってのはいつだって、レディの前では無敵にならなきゃならねェモンさ  来いよ、ギン!!」

 

「ちっ、仕方ねェ…っ!!」

 

 

 弾丸。

 

 その一歩のあまりの速さに思わず怯んだサンジは、成す術もなく腹部に鉄球を喰らい店の外壁に激突した。

 

「な…っ!?げほっ、ぐほっ…!ぐ…っ!」

 

「サンジっ!?」

 

 女神の悲鳴に飛ぶ意識が呼び戻され、愛の奴隷騎士は一命を取り留める。

 何たるザマか。サンジは慌てて立ち上がろうと足に力を入れ、異常な震えが体の動きを阻害していることに気が付いた。

 

 凄まじい激痛が神経を圧迫する。おそらく今の攻撃で内臓のどこかが損傷したのだろう。咳き込む鮮血が料理人の舌を狂わす鉄味となって、持ち主に体の危機を訴える。

 

「……聞こえなかったみてェだな。忠告には素直に従うのが賢明だぞ…?」

 

 無様に寝転がる料理人の頭に、ギンの重たい言葉が降り注ぐ。

 

 油断が無かったとは言えない。

 だがまさかこれほど優れた強者であったとは。

 

「…サンジさん、降伏してくれ」

 

 外壁の下で倒れ付し、体を痙攣させる恩人に向かい、男が乞う。

 その沈痛な思いを必死に隠す顔は、最早どちらが怪我人かわからぬほど。

 

 義理堅い酔狂者の惨めな姿に小さく笑みを零し、サンジはゆらりと立ち上がり一本の煙草に火を点した。

 

「げほっ……!っ…!……聞こえなかったのはてめェだろ、ギン。クソくらえ…っ!」

 

「…ッ!ああ、そうかよ。なら死ね…!!」

 

 再度、男の旋棍が料理人へと迫る。二度目の攻撃で躊躇いを捨て去ったのか、接近する速度は明らかに別物。

 目にも留まらぬ一閃が容赦なく襲い掛かり、轟音と共に粉砕された舞台の木床が無数の破片となって周囲に散らばった。

 

 粉塵の煙に覆われた場へ、仲間の無事を願う料理人と『麦わらの一味』たちの野次が飛び、一部が加勢すべくバルコニーの手すりに手を掛ける。

 だが、そんな彼らの伸ばす手を遮る者が居た。

 

 自慢げな笑顔で舞台を見下ろす給仕娘、海賊団船長の『“麦わら”のルフィ』である。

 

 

「!!?」

 

 少女に食い掛かろうと口を開ける料理人たちの横顔に、突如猛烈な暴風が吹きつけた。

 咄嗟に振り向いた先にあったのは  

 

『なっ…!?』

 

 

   煙草を吹かし佇む黒衣の若紳士と、その見下ろす先で胸を押さえて跪く旋棍男。

 

 それはまるで幻のような、攻守が逆転した驚くべき光景であった。

 

 

  言ったはずだぜ、ギン。恋する男はレディの前では無敵だと」

 

 

 『”鬼人”のギン』と『”愛の奴隷騎士”サンジ』。

 因縁の両者の果し合いは、容易ならぬ展開へと縺れ込む……

 

 

 





次回『クリーク死す!』



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22話 海の料理人と居酒屋娘・Ⅳ


ごめん、ちょっとモチベがお亡くなりになられて復活に時間かかった



 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』船着場

 

 

 

 闘気吹き荒れる大舞台。

 譲れぬ道がぶつかる不運に見舞われた二人の男たちが、洋上のステージにて友との一騎打ちの決闘を交わしている。

 

 一進一退の攻防。

 そんな一歩も引かない両雄  サンジとギンを興味深そうに見つめる、六人の男女がいた。

 

 『麦わら海賊団』。

 当事者の一角でありながら、見世物の観戦者のように新たな仲間候補を見定める、些か場違いな連中だ。

 

 

  ふぅん。強いじゃない、彼。頼りになりそうだわ」

 

 海賊一味の航海士兼、海賊専門泥棒の少女ナミが面白そうに呟く。

 最早事実上の仲間の一人である彼女だが、元は財宝集めのビジネスパートナーとしてこの少数精鋭の海賊団に席を置いている身である。既に自身その事を半ば忘れているナミも、一味のクルーたちには高い戦闘力を要求していた。

 この自分の下僕であることを望む、自称“愛の奴隷騎士”を名乗る男なら尚の事。

 

「ま、まあ流石ルフィのイチオシ“期待の新人”ってヤツだな!このおれさまの指導があればクルーとしては、きゅ、及第点って感じでいいんじゃねェか?うん…」

 

「狙撃手が格闘コックに何を指導すんだよ…。あの女好きに金持ちお嬢様の射止め方でもご教授してやんのか?」

 

「ぷっ、確かにサンジくんには無い技術ね。彼って全てが露骨過ぎるからカヤみたいな箱入りにはキツいでしょうし」

 

「…何だかこの“キャプテン・ウソップ”に対する仲間たちの印象がとんだ鬼畜外道になってる気がするのだが、遺憾の意を表明してもいいかねキミたち?」

 

 澄ました顔を心がけつつも冷や汗が止まらないその長い鼻の少年は、一味の狙撃手ウソップ。

 新たな後輩の登場で、先輩としての矜持を維持しようと必死に見栄を張る姿は何とも頼りないが、新入り候補の強烈な突き上げを受ける立場とは、何かと心穏やかではいられないものだ。

 特に少年のように己の実力を行使する場が限定される者にとっては、動転のあまり法螺の一つや二つ吹いてみたくもなる。

 

 そして突き上げと言えば、もう一人…

 

「それよりあんたはどうなのよゾロ。随分余裕そうだけど、新たなライバルくんにウチのお姫様へのアピール合戦で先越されちゃわないかしら、一味のNo.2さん?」

 

「…なんだその“アピール合戦”って」

 

 退屈そうな顔で料理店の舞台の戦いを見下ろす剣士に、美女がいやらしいニヤけ面で擦り寄る。

 久々に異性の熱烈な求愛を受けたことで乙女脳が活性化した女航海士。新戦力にして女好きのサンジ青年の加入で、ナミは可憐な少女船長の寵愛を最も受ける一味最古参の“海賊狩り”殿にも、何かしらの心の変化が起きることを期待していた。

 

 具体的には、ルフィを巡るオス共の醜い争いを始めて欲しい。さぞや笑いを誘う滑稽な絵面となることであろう。

 

 もっとも、そう他者の期待通りに進展しないのが人間関係の難しさ。

 

「……大体ウチの化物ボスの前にはおれもあのエロコックも目くそ鼻くそだろ。横だの後ろだの見てる暇なんかねェよバカ」

 

 ゾロの平然とした態度を受け、出歯亀好きな乙女の輝く瞳に影が差す。やはり後ろの長鼻少年のようなわかりやすい動揺を見せてくれる男は稀なのだろう。ナミは使えないむっつり剣士に落胆せざるを得なかった。

 

「あら謙虚。ルフィのあの容赦ない稽古まだ受けてるんでしょ、少しは自信持ったらどう?」

 

「…登れば登るほど頂の高さがわかる、ってヤツだ。お前もサボってねェでさっさと“剃”を身に付けろ。またあのクソピエロのときみてェに捕まって無体な目にあっても知らねェぞ」

 

「……太ももの腫れが引いたら考えるわ」

 

 藪蛇だったか、と自称天才美少女航海士は目を逸らす。

 

「ったく…にしてもバカなクセに荒事だけは優秀過ぎる上司ってのも困り物だぜ…」

 

 大した参考にもならないと早々に観戦に飽きてきたゾロは、長引く戦いを不満げに見下ろす隣の麦わら帽子の少女を一瞥する。

 世界最強の剣豪を目指す青年の目には、その強者の領域に最も近い彼女の姿が常に映っていた。背中を守ると誓った女に追い付くことに比べれば、新入りとの比較や一味内での立場のような些細な問題など、全く以ってどうでもいいことである。

 

「あまりチンタラしねェほうがいいぜ、エロコック。ウチのボスは気が長くねェからな」

 

 柳のような細い腰に両拳を当てながら、トントンとハイヒールの踵で焦れるような旋律を奏でる給仕姿の少女。その不機嫌そうな様子を横目に、ゾロの小さな呟きが風に流れていく。

 

 欠伸交じりの忠告が届いたのだろうか。

 舞台上で争う二人の男たちの決闘は佳境に突入し、両者の戦いに遂に大きな動きが生じる  

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』“魚のヒレ”

 

 

 

 耳を劈く風切音が外洋の真昼の海上に木霊する。

 その発生源の黒脚が描く鞭のような軌跡から大きく距離を取り、料理店の戦闘舞台“魚のヒレ”の端に飛び乗った旋棍(トンファー)使いのギンは相手の追撃に備え武器を構えた。

 

(強いな…)

 

 膠着する戦闘の僅かな余裕の中、男は脳裏でそう零す。

 

(技術も力も怖くは無いが…気力が強い。前に感じたものとはまるで別人…)

 

 悪名高い『クリーク海賊艦隊』の副船長に順ずる“戦闘総隊長”の立場に就くこの男は、一味の戦闘員たちの無駄な犠牲を避けるべく、敵対する相手の力量を分析する術に長けていた。

 先日、飢えから救ってくれた恩人がそれなりの実力者であることを見抜いていたギン。油断なく挑んだつもりであったものの、思わぬ大苦戦に見通しの甘さを突きつけられ、男は小さく臍を噛む。

 

「ちっ…!女の声援なんかでまさかここまで士気が変わるとは…!」

 

「あぁ…あの可憐な唇からおれを応援する歓声が紡がれて…それを叫ぶためにおれと同じ空気を吸い込んでくれて  ッはっ!?お、おれが吐いた息がルフィちゃんナミさんのあの形のイイお鼻から肺に入り酸素として身体中の血管を巡って  い、いや待て!既におれが作った料理を召し上がっていただいた時点であの美少女たちの玉体には、このおれの  いや最早おれと彼女たちの関係は、“身体レベルで繋がっている”と言っても過言では…!!……ぐふっ、ぐふふっ、ぐふふふふうぇっへっへ~」

 

「……何言ってんのかさっぱりわかんねェけど、あんたの頭がおかしいことだけはわかったよ…っ!!」

 

 苛立ち混じりに武器先端の鉄球を変人の胸部に叩き付けるも、掌に届いた感触は羽のよう。渾身の一撃を紙一重で回避する青年コック。その優れた動体視力と危険察知術は並大抵のものではなかった。

 

 旋棍(トンファー)使いは焦っていた。

 この戦いは『クリーク海賊団』の力を見せ付け、余計な争いを避ける目的で首領(ドン)の承認を得たもの。だが本来の目的は目の前の恩人の命を守るという個人的なものである。

 船長の気は決して長くない。これ以上梃子摺るようであれば冷酷な“首領(ドン)”に見限られてしまう。

 

(あんたのためだってわかってんのか、サンジさん…!)

 

 独りよがりであろうと構わない。

 強敵に立ち向かい大恩ある老シェフの店を守ろうとする青年の覚悟は見事。だが命を救われた者が返せる最大の恩は、同じ命の恩であり、奇しくも今の自分が返せる唯一の恩でもあるのだ。

 

 ギンは外した一撃目の遠心力でもう片方の鉄球を、今度こそ青年の胸部に命中させる。

 

「ぐ…うっ!!」

 

「諦めてくれ、サンジさん…!頼むから…っ!」

 

 確かな手応え。骨が、肉が、人体そのものが軋む音がギンの旋棍(トンファー)を伝わった。

 恩人の口から吹き出る血潮は砕いた肋骨が肺に突き刺さった証拠。だが未だ立ち上がろうとするその仕草を見る限り、攻撃は狙った心臓に届いていない。

 運が良いのか、寸前で避けたのか。もしかしたらこちらが意図せず手加減をしてしまったのかもしれない。

 

 己の甘さに反吐が出る。

 

 一味の一員にとっての絶対正義とは、崇拝する“首領(ドン)”・クリークの命令のみ。

 “首領(ドン)”が望めば、男は迷うことなくそれに従った。それがギンという殺戮者の生き様であり、戦う意味でもあった。

 

 だが、この戦いは自分の我侭が齎した、男にとって奇跡にも等しい“情け”である。船長の命に背きながらも慈悲を与えられ、ギンは今、ここに立っていた。

 

 勝たなくてはならない。それも相手の勝機の全てを叩き潰す、圧倒的な力の差で。

 

 

  何をしている、ギン」

 

「…ッ!」

 

 突然、底冷えのする低い声が男の背中に襲い掛かった。

 恐怖に心臓が縮み、僅かの間、体が氷のように硬化する。

 

 拙い、時間がない。背を伝う冷や汗に身震いし、焦燥に駆られたギンは形振り構わず目の前の青年料理人に突撃した。

 だが振るった武器は空を切り、大振りに揺らいだ姿勢は素人目にも映る垂涎物の隙となる。

 

 当然、美女たちの声援を受けた無敵のコックが見逃す好機ではない。

 

  首肉(コリエ)”!!」

 

「ッげぁっ!!」

 

 凄まじい衝撃が無防備な首元に直撃し、ミシリ…と絶望的な音が耳に届く。思わず飛び出た絶叫は、まるで鶏の首を絞め殺すかのような無様なものであった。

 だが、転がるように逃げるギンは、続いた豪速で襲来し骨肉を穿つ革靴の嵐に捕らわれ逃げられない。

 

  肩肉(エポール)!!背肉(コトレット)!!鞍下肉(セッル)!!胸肉(ポワトリーヌ)!!腿肉(ジゴー)!!」

 

「!!?」

 

 蹴撃の轟嵐に翻弄され、男は前後不覚に風に舞う。一瞬の隙に無数の蹴りに蜂の巣にされた身体は壊れた人形の如き哀れな姿で宙を跳ね、大技の準備を終えた“愛の奴隷騎士”の下へ落ちていく。

 

 それはまるで、最後の仕上げを残す絶品の肉料理が皿の上に豪快に盛られる瞬間のような、勝利の芳香漂う光景であった。

 

「女にモテねェ狂犬は飼い主の下へ帰んな  “羊肉《ムートン》ショット”!!!」

 

「ぐァァァッッ!!!」

 

 脇腹を貫通し、臓物が破裂する嫌な音がギンの骨に伝導する。正面から受ければ腹に風穴が開いていたほどの、尋常ならざる必殺の脚技。

 最後の強烈な一撃で砲弾もかくやと言わんばかりに吹き飛ばされた男は、背後の巨艦『ドレッドノート・サーベル号』の堅牢な舷側をぶち抜き、対舷の内壁の瓦礫に埋もれるように静止する。

 

 

 『クリーク海賊艦隊』の“戦闘総隊長”ギン。

 

 全ての戦意を削ぎ落とされた彼の耳に微かに届いたのは、守りたかった恩人のあまりにあんまりな決め台詞であった。

 

 

「お前の後ろで踏ん反り返ってる、もみ上げのオッサンと…おれの後ろの、見目麗しい美の女神たち。お前の敗因は単純  “愛”の差だ、独り身野郎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

「んルゥゥゥフィィィちゅわぁぁん!んヌゥゥゥアミすわぁぁぁん!おれの女神たちぃぃ~っ!…貴女方の愛の奴隷騎士が、勝利をお届けに参りましたぁーんっ!!」

 

「キャーッ!凄いっ!凄いわサンジっ!覇気じゃ負けてたのにあんな鮮やかに決めちゃうなんて!流石私の仲間  って、ちょ、も、もう少しそのラブラブしてるの押さえてっ!全部覇気で聞こえちゃうからぁ…」

 

「ちょっとサンジくん!ルフィはまだ子供なんだから自重しなさい!」

 

「はあああぁぁぁん  ♡♡♡」

 

 

 眼下の海上舞台に響き渡るふざけた歓声が、男の耳に障る。

 その者、『海賊艦隊提督“首領(ドン)”クリーク』の顔には隠しきれない驚愕の表情が浮かんでいた。

 

 料理店のバルコニーで寛ぐ妙な美女二人に纏わりつくあのスーツの阿呆が、先ほど己が最も信頼する部下『“鬼人”のギン』を下した。

 敵の前に立てば一味の誰よりも早く突撃し、如何なる慈悲も情けも掛けず容赦なく嬲り殺す、冷徹な狂犬。それがクリークの知るギンであり、一味の最高戦力を意味する“戦闘総隊長”の座を与えた所以である。

 

 その“鬼人”を、ただの料理店のコックが倒した。

 にわかに信じがたい光景に男が唖然とするのも無理はない。

 

「ちっ……おいパール!出番だ、マスクを準備しろ!」

 

「…例の“アレ”ですね。任せてください、“首領(ドン)”!」

 

 だがそれも一瞬。

 情に絆され腑抜けたギンが不覚を取ることも想定の範囲内だ、と動揺を落ち着かせた“首領(ドン)”は、もう一人の切り札である奇抜な出で立ちの大男に戦闘命令を下す。

 

「強ェ弱ェに過程などあるものか。勝者は常に結果が決める。そしておれは  “敵の死”以外の結果は認めねェ…!!」

 

『応!!』

 

 部下たちの気合を背に、男は自慢の兵器を準備し『バラティエ』のバルコニーへ照準を合わせる。これまで無数の敵を屠ってきた、必殺の“M・H・5”だ。

 

 

  ッ!みんな毒ガスよっ!息を堪えて!!」

 

『何だって!?』

 

 発射直前、例の青年コックに言い寄られ脅えていた給仕服姿の女が、如何なる理由かこちらの意図を看破し周囲に注意を呼びかけた。

 爪を上手に隠すギンの力量を即座に見抜いた分析力に続く、的確な危険察知。まぐれならぬ娘の才にクリークは思わず瞠目する。

 

「…ほう、中々詳しいじゃねェか小娘。だがもう遅い…!!」

 

 超硬度のウーツ鋼で作られた仕込盾の中央部が開放され、カラクリ仕掛のロケット弾が発射される。猛毒ガスを辺りに撒き散らし、弾頭は海上レストランの頭上で爆発した。

 大型海王類さえも退ける極めて致死性の高い劇物が料理店一帯に広がる様を見下ろし、クリークは煙の奥で敵が死に絶え床に倒れ伏す光景を幻視する。

 

 だがガスが料理店のバルコニーに到達したその瞬間、目を疑う現象が起きた。

 

「ゴムゴムのぉ~ガトリングっ!!」

 

「何!?」

 

 例の聡い給仕娘の両腕がまるでゴムのように伸縮する無数の連打撃と化し、繰り出す拳の風圧で“M・H・5”が散らされたのである。

 

 予想だにしていなかった結果にクリークは顎を垂らす。全くの無警戒であった小娘に、とっておきの兵器を無力化された衝撃。本人の常識外れな  否、生身の肉体ではありえない超人的な身体能力。いずれも、かつての己であれば何かの間違いだと驚愕に固まっていただろう。

 

 だが幸か不幸か、今のクリークは先日命辛々逃げ出した偉大なる航路(グランドライン)での経験が未だ根強く心に巣食い、かの海における絶対の常識を身を以って知ったばかりであった。

 “己の目で見た物こそ全て”という、海賊たちの墓場を生き抜いた先人の知恵を。

 

 五千もの部下が、五十もの海賊船が、まるで魔法のように一瞬で動かぬ石像と化したあの正気を疑う光景に比べれば、ただのウェイトレスが身軽に料理店の屋根まで跳躍したことも、小娘の腕が伸び縮みすることも、未だ常識の範囲内というもの。

 何故なら男、いや男たちには、給仕娘の異常な肉体的特性の理由に大いに心当たりがあったからだ。

 

「……悪魔の実の能力者か、忌々しい。何より“ヤツら”と同じ女ってのが気に入らねェ…!」

 

『“首領(ドン)”…』

 

 部下たちの脅える声が耳に届く。未だ先日の悪夢に悩まされている者たちだ。

 クリークは萎んだ風船のように縮こまる彼らの姿に舌打ちする。

 

「バカかお前ら。全ての能力者があの女共と同じなワケねェだろ。あの小娘を見ろ、所詮は腕が伸びるだけの雑魚じゃねェか」

 

「…!」

 

 傷だらけの甲板でざわつく部下たちの前に進み、男は小娘の実力に驚き固まる海上レストランのコックや食事客たちの能天気な様子を睥睨する。その立ち姿は東の海(イーストブルー)最強の名に相応しい、威風堂々たるカリスマそのもの。

 ボスの威容に固唾を呑む部下たちへ、クリークは先ほどの“遊び”とは異なる本当の海賊の戦いを見せてやると彼らを扇動した。

 

「かつてのおれは力はあっても知識と経験が不足していた。偉大なる航路(グランドライン)に溢れかえる能力者共と戦う方法をな。でなけりゃ同じ東の海(イーストブルー)出身の海賊王があの魔の海を制覇出来るわけがねェ…!」

 

「そうだ……そうだ!」

 

「ロジャーに出来て首領(ドン)に出来ねェわけがねェ!」

 

 船長の言葉が男たちの瞳に闘志の焔を宿す。

 

「おれたちは運がいい。あの雑魚を相手に能力者連中を相手取る戦闘方法を、この安全な海で実験出来るんだからな」

 

 悪魔の実の能力者は超人的な力と引き換えに海に嫌われると伝わるが、戦闘中に突如撤退し嵐を避けたあの女共の行動から見るに、その伝承にはある程度の信憑性があると男は考えていた。ならば勝機は大いにある。

 

「能力者共の弱点は海だ。泳げないだけなのか、海水を浴びると能力そのものが使えなくなるのか、まずはそれを見極めるぞ。  船を出せ!遠距離の砲撃で小娘を海に引き摺り下ろす!!」

 

「…ッ、で、でもまだパールさんが…!」

 

「馬鹿かてめェ、おれはレストラン船を手に入れに来たんだぞ?そこに高火力の榴弾などぶち込むわけねェだろ。撃つのはそこの女能力者を捕らえる“鉄網弾”だ。パールの防御力なら当たっても何の問題もなく耐える。…急げ!!」

 

『へ、へいっ!!』

 

 戦意燃ゆる最強の海賊団に相応しい、ギラ付く眼つきで指示に従う部下たち。敵が女ということもあり、異性への恐怖心を植付けられた先日の大惨事の影響を懸念していたが、どうやら杞憂であったようだ。

 

 

「…忌々しいバケモノ女共の悪夢を忘れるいい機会だな。あの身の程知らずのゴム女相手に軽いリハビリと行こうじゃねェか、クックックッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』船着場

 

 

 

「敵が退いてくぞ…!」

 

「勝った…のか?」

 

 サンジとギンの一騎打ちに敗北した『クリーク海賊艦隊』のガレオン船が幽鬼の如く無音で海上レストランの船着場を離れていく。

 だが、短絡的に勝利を確信し沸立つ一同を窘める男がいた。

 

「喧しいわボケナス共!あの『“首領(ドン)”クリーク』が部下の一騎打ちに負けた程度で大人しく撤退するタマな訳ゃねェだろう。…おそらく優位な砲撃戦に切り替えるつもりだ。パティ!カルネ!“サバガシラ1号”を出せ!」

 

「砲撃!?」

 

「で、でもヤツらこのレストラン船奪うんじゃねェんですかい?砲撃なんかしたらボロボロになっちまうぞ…!」

 

 料理長ゼフの指示にコックの幾人かが疑問を呟く。そんな料理人たちの会話に、助っ人の『麦わら海賊団』から意見が飛んで来た。

 海賊マニアの狙撃手ウソップが唱えた鋭い考察である。

 

「…あんたらあの船をよく見ろ。半分くらいが石になってやがる。偉大なる航路(グランドライン)はバケモノ揃いだって聞くが、あんな芸当が可能なヤツは一人しかいねェ…!」

 

 長鼻少年の推理を料理長が肯定する。かつて同じ魔の海を生き延びた『“赫足”のゼフ』は、自然と彼と同じ考えに至っていた。

 

「ああ。あの連中を壊滅させたのは  『王下七武海“海賊女帝”ボア・ハンコック』だ」

 

『しっ、“七武海”!?』

 

 周囲の素っ頓狂な声がバルコニーに広がった。

 

 “王下七武海”。

 偉大なる航路(グランドライン)を我が物顔で渡る、この海の頂点の一角である七人の大海賊。世界政府に海賊行為を容認された必要悪の側面もあり、その知名度及び戦闘力から格別の扱いを受ける、この世で決して手を出してはならない真の強者だ。

 

 一同はようやく得心する。

 あの悪名高い『クリーク海賊艦隊』の、無様に零落れた姿の理由に。

 

「ヤツらは今、その恐ろしさを知ったせいで悪魔の実の能力者を酷く警戒してやがる。船を出したのも接近されるのを恐れて砲撃で始末してェんだろう。たとえ多少『バラティエ』が傷付いてもな」

 

「悪魔の実の能力者…ってことは  

 

 ゼフの言葉に反応した料理人たちが一斉に洋上舞台で佇む一人の女の子へ目を向ける。

 

 臨時ウェイトレスの少女ルフィ。

 

 その正体が、船着場のあの真新しい海賊旗を掲げたキャラベル船を有する海賊一味の船長であることはオーナー料理長と給仕娘本人より知らされている。少女の天真爛漫な愛らしさに惑わされ今まで全く意識していなかった事実に、料理人たちはこの場で改めて向き合うこととなっていた。

 毒ガスを無数の連打で殴って散らすほどの非常識に慣れ親しんだ、れっきとした実力者であるという意外すぎる裏の顔と共に。

 

 

 そんな話題の女の子は、海上レストラン『バラティエ』の拡張甲板“魚のヒレ”から巨大な敵海賊船が去っていく光景を勝気な笑みで見つめていた。久々の戦闘に高揚する彼女の顔に、弱者が浮かべる不安や懸念の色は微塵もない。

 だが闘志昂るその華奢な背に、荒い息を立てる満身創痍の青年サンジが沈痛な声で少女の名を呼び縋りつく。

 

「ま、待ってくれルフィちゃん…!おれがパティのバカ共の足であの船まで行く!女の子に戦わせるなんて  ぐっ!」

 

「ダメよ、ボロボロなんだから大人しくそこで私のコト見ててっ!…あ、でもそこからじゃクリークの船遠いわね。何かいい手は  

 

 しばし頭を回転させたルフィはポンっ、と手を叩き、サンジの腕を片手で掴む。流石の天然娘も未だ異性としての苦手意識がある彼を抱き抱えることはしない。

 

「んほっ!?」

 

「せっかくだし一緒に行きましょ、サンジっ!あなたが大金星で勝ったから、今度は私があの雑魚たち瞬殺してこの『“麦わら”のルフィ』の溢れ出る船長オーラを感じさせてあげるわっ!仲間になるの悩んでるあなたも私にイチコロよっ!」

 

 少女の手のつるつるすべすべした人間離れな至高の柔肌に、場違いにも興奮する女好きな仲間候補。それでも尚、戦場に向かおうとする可憐な乙女を引き止めようとするフェミニストな似非紳士へ、ルフィは花の笑顔で勝利を宣言する。

 

 既に女船長の実力を知る仲間三名の「瞬殺でいいぞ」だの、「何人かそれなりのヤツおれに残せ」だの、「スカート気を付けなさい」だのといった暢気な野次の中で一人だけ浮いている新入り候補の青年サンジ。

 

 船長としての強さに対する信頼か、か弱い女を守ろうとする優しさか。

 以前であれば後者の配慮は侮辱でしかなかったものの、そこは遅れた思春期に揺れる乙女心。憧れのナミお姉さんや、清楚純情を地で行く淑女カヤとの出会いに感応した無垢な少女は、気恥ずかしくも生まれて初めて受けた正常な女扱いに密かに感動していた。

 

 もっとも、今は船長たる我が身が狙われる海賊同士の戦いの真っ最中。このようなときは、やはり仲間たちの信頼のほうが望ましい。

 サンジの制止を無視し、給仕娘は勧誘中の仲間候補を掴んだまま共に宙へと飛び上がった。

 

「ルフィちゃん!?何を  って、うおあああっ!?」

 

『とっ、飛んだぁ!?』

 

 向けられる無数の驚愕顔に鼻を高くしたルフィは、「“剃刀”!」の掛声と共に、遠方からこちらを狙う左舷二十一の砲門目掛けて天を駆ける。

 まるで示し合わせたかのように砲口が火を噴き、直後砲弾が幾つもの小さな弾に分かたれ空飛ぶ男女に迫る。その現象は主に面制圧を目的とした“ブドウ弾”と呼ばれる特殊弾に類似している。しかし分離した小弾にはそれぞれを繋ぐワイヤーが括りつけられており、それらが散開する光景はまるで幾つもの蜘蛛の巣が飛び掛ってくるかのようであった。

 海軍の対海王類兵器の一つ、“鉄網弾”だ。

 

 だが少女は、その程度の小細工など児戯に等しいと言わんばかりに無造作に腕を振るい、迫り来る特殊弾を叩き落とす。

 通常の大口径の大砲は一度発砲すれば数十分から一時間は再装填に時間を取られる、と先日のシロップ村を巡るゲッコー海海戦のときにナミから教わった記憶がある。ならばこれでしばらくサンジの恩人ゼフの店が傷付く心配はないだろう。

 

 ふと、ルフィの覇気が周囲の雑魚の中で少しだけ浮いている気配を感知した。ギンやクリークに比べれば気になるほどの相手ではないが、戦闘好きの彼の刀の錆落としくらいにはなる程度の強者である。

 

「ゾロ~っ!そのヘンにちょっとだけ強い覇気した人がいるからあとよろしく~っ!」

 

 退屈そうにしていた一味の剣士に娯楽を譲る、心優しい上司。立て続けの激戦の傷を案じ、しばらく戦闘行為を禁止させていたゾロも既に完全復活済みである。休み明けで鈍った腕を慣らす試し切りには丁度いい。

 

「へいへい、お前も楽しんで来いよルフィ」

 

「はぁ~い、行ってきまーす!サンジが“夢”以上の力で旋棍(トンファー)の人を倒したんだもの!私だって船長らしいトコ見せてあげるわっ!行くわよサンジっ!それぇーっ!!」

 

「ちょ、ルフィちゃあああうわあああァァァッ!!」

 

 気の抜けた返事を残し、空飛ぶ少女船長は仲間候補の青年コックと共に『バラティエ』を後にする。

 哀れな若紳士のドップラーを見送る一同の目には、驚愕に混じった憐憫の情が浮かんでいた。

 

 

  さて……そろそろ出てきてもらおうか、そこのヘンなヤツ」

 

 ルフィが新入りを抱え遠くの海賊船へ突撃するのを見送ることしばらく。

 船長に場を任された『麦わら海賊団』の戦闘員ゾロは、料理店の洋上舞台の下に隠れる変質者を捉えていた。

 

「……ふぅん、よく気付いたね。あとおれは“ヘン”じゃない。第2部隊隊長の『“鉄壁”のパール』であーる!ハァーッハッハッハッハ!!」

 

「いや…そのアホみてェに目立つピカピカした帽子がぷっかり海に浮かんでたら誰でも気付くわボケ」

 

 ノソノソと亀のように舞台へよじ登る、実にふざけた姿をしたその男を、ゾロは油断なく観察する。

 急所に幾つもの巨大な円盾を貼り付け、“鉄壁”を自称する変人。さぞかし防御に自信があるのだろう。

 

 狙うは何故か露出している首元。誰もが思いつく無難な選択だが、それ故に最も正道である。

 

(だが無防備な箇所を狙らえばヤツの防御自慢に屈したようなモンだ。そいつァちっとばかし、つまんねェな…)

 

 ゾロの覇気は未だ産声を上げたばかり。覇気使いたちのように相手の力量を見分けることなど出来はしない。

 だがそれが出来、尚且つ仲間に過保護な少女船長は、大した忠告もなく「あとよろしく」などと気軽に抜かしていた。

 それはつまり、目の前の敵はその程度の相手だということ。ならば正面からヤツの長所を叩き斬ることぐらい出来ずに、何が未来の大剣豪か。

 

「…おい盾野郎」

 

「んなっ!だから“パール”だって言ってるだろきみぃ!この盾の中心に輝く真珠が見えねーの  ッひぃっ!?」

 

 剣士の言葉を遮った瞬間、大男の背筋を強烈な悪寒が走り抜けた。三振りの刀を構えるその若者の瞳が、パールの幼少期のトラウマであるジャングルの猛獣を想起させる。恐怖のあまり男は咄嗟に両手足の盾を摺り合わせ、獣避けの火達磨状態“ファイヤー・パール”に移行した。

 

  そのデカブツが本当に鉄壁か、確かめてやるぜ」

 

「!!?」

 

 だがその猛獣には如何なる炎も無力であった。

 剣士の「鬼斬り」の声と共に、三閃の紫電がパールの視界に走る。直後、大男は自身の胸に掛かっていた重量感が不自然に消える謎の感覚を覚え、思わずバランスを崩す。

 それが何であったのか気付くことなく、『“鉄壁”のパール』はそのまま仰向けに倒れ、飛び散る鮮血の雨の中で深い闇の中へと意識を飛ばしていった。

 

「…へぇ。試しに炎ごと斬ってみたが、かなり威力が上がったな。これなら新しい技名を…そうだな、敵を焼き斬る“鬼斬り”で、“焼鬼斬り”にするか。  新技のきっかけに感謝するぜ、焼きタテ野郎」

 

 

 剣士ゾロが最後の刀を鞘に納める後ろには、大の字に横たわったまま白目を向いた大男と、六つの美しい切断面が輝く巨大な円盾の残骸が転がっていた。

 

 

 

 





読者「生きてたのかぁ!真ゲs…クリークぅ~!!」

クリーク「ジャンジャジャーン♪今明かされる衝撃の真実ゥ☆」


…ごめんなさい、更新優先したのでクリークは次回殺します(殺伐


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23話 海の料理人と居酒屋娘・Ⅴ (挿絵注意)


前回に引き続き間が開いてしまったので詫びおっぱい



【挿絵表示】







 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』船首

 

 

 

「おいバカ野郎!そっちのパドルは右だっつってんだろハゲ!」

 

「誰がハゲだ、そのクソダセェグラサン叩き割るぞてめェ!」

 

 同僚のサンジと敵海賊団の旋棍(トンファー)使いの男との決闘の幕が引いた海上レストラン『バラティエ』。気に食わない副料理長へ適当な皮肉をぶつけ終えた料理人パティとカルネは、料理長ゼフの指示に従い船首の小型砲艇・人力パドルボート『サバガシラ1号』の出動準備を進めていた。

 彼らの任務は狙われる新入り臨時ウェイトレスのルフィを乗せ、迫り来る敵の砲弾を回避し給仕娘を守ること。むさ苦しい男ばかりの厨房に咲く一輪の可憐な花に傷一つ付けまいと男のプライドに火が燈る暴力コックコンビは、互いに怒鳴り合いながらも着々と小船の準備を整えていく。

 

 そんなヤル気漲るオッサンたちに近付く二つの影あり。

 

  ごめんくださぁ~い」

 

『うひょああっ!?』

 

 突然後ろから飛んで来た女の猫なで声にパティとカルネは悲鳴を上げる。慌てて振り向いた先に居たのは二人の男女。ルフィちゃんが言っていた『麦わら海賊団』の女航海士ナミと、狙撃手の長鼻小僧だ。

 気になっていたもう一人のほうの美少女の登場に暴力コックコンビは鼻の下を伸ばしながら本人たちが考える最高に紳士的な態度で対応する。もちろん長鼻小僧のほうは眼中にすら無い。

 

「えーごほん!ようこそおいでくださりました、お嬢さん!」

 

「お嬢さんの大切な船長ちゃんはこのカルネが自信を持ってお守りいたしやがりますので、どうぞご心配なく!」

 

「…あ?足漕ぎしか出来ねェてめェに何が出来んだよグラサン、魚の餌になりてェのかァ?」

 

「お?ヤンのかハゲ、表出ろや」

 

 五秒と持たずにジェントルマンモードの仮面が剥がれる男共。だが険呑な言い争いを始める料理人たちの隠しきれない粗暴さを平然とスルーし、美少女が切なげな溜息を吐く。

 途端にケンカを中止し直立する彼らを責められる者は健全な男ではないだろう。

 

「はぁ…ごめんなさいコックさんたち。その問題のルフィなんだけど、あの子サンジくんを連れて先にクリークのガレオン船まで行っちゃったのよ。ウチの船長、悪魔の実の能力の応用で空飛べるし。ホントせっかちなんだから…」

 

『……はいィィィ!?』

 

 ナミの冗談のような発言にオッサン二人は仰天する。

 尚厳密には空を飛ぶ術と“ゴムゴムの実”の能力はさほど関係ないのだが、この場においては特に掘り下げる必要性も無く、同じ“六式”を修行中の女航海士が彼らに詳しい説明を続けることはなかった。

 

「そうなのよ、ホント困った子…。あっ、それでね?ここにウチの凄腕狙撃手が手持ち無沙汰にしてるから、扱き使ってあげてくれる?彼、戦いたくてしょうがないみたいで」

 

「おっ、おおおれは勇敢なる海のせせ戦士っ!!し、新入りを正しく導くのが先輩の役目だからな!“キャプテン・ウソップ”の名は伊達じゃねェってとこ見せてやるじぇっ!あは、あはひゃあはあは!」

 

『へっ?』

 

 美少女航海士と狙撃手小僧の突然の便乗援軍宣言に目をぱちくりさせるオッサンたちの気持ち悪い絵面にナミは頬を引き攣らせる。思わず続きの言葉を言い淀んでしまうのも無理はない。

 

「え、えっと、料理長のお爺さんに聞いたの。その小船、海軍の海防艇を買い取って改造したヤツなんでしょ?ウチの自慢の狙撃手なら18ポンド実体弾で海軍巡回船一発轟沈させられるとんでもない腕だから、頼りになると思うわ」

 

『実体弾で一発ゥ!?』

 

「えっ!?い、いやあれは奇跡っていうか」

 

 早速先日の“自称キャプテン・ウソップ伝説”を有効活用する強かな女航海士ナミ。もっとも、伝説を作った当の本人は内緒にしてもらいたかった様子。それが人格者らしい謙虚さではなくただ過剰な期待に脅える臆病さから来ているところが、何とも彼らしい。

 

 しかし些か脅かしすぎたのか、暴力コックたちの顔には驚愕ばかりが浮かんでいる。これでは交渉にならない。

 仕方無く、ナミお姉さんは本来の目的を語り二人の同意を得ることにした。この男共にとっても決して無視出来る内容ではないはずだ。

 

「それにルフィは今サンジくんと一緒にいるのよ?ほら、彼って紳士的だけど…アレじゃない?だからあの子と二人きりにするのは心配で  

 

『お任せあれ!!』

 

 即答であった。

 

「あのグル眉一人だけ一味に誘われやがって!ちくしょおォォおれもルフィちゃんの専属料理人になりてェェ!」

 

「抜け駆けなんか許すか!ルフィちゃんに指一本触れてみろ、血祭りに上げてやらァ!あとついでにウチの料理長の座もやらねェ!」

 

『うおォォォォッ!!』

 

 元より不仲の同僚だ。敬愛するオーナー料理長に可愛がられて調子に乗ってる副料理長への反発は  彼の『バラティエ』への思いを知って尚  そう容易くふっ切れるものではない。

 そしてその感情の炎は、可愛い美少女船長から海賊一味に勧誘されたことで更なる燃料を得ていた。

 

「……すげェ。ルフィのヤツ、一体何したら数日でこんな信奉者作れるんだ…?」

 

「そんなの数日なんかなくたって、薄着してちょっと胸揺らせば大体一発じゃない。バカなの?」

 

「流石にコイツらほどバカじゃ  …ねェよ…」

 

 男に対する酷い偏見に男性代表ウソップ選手が異議を唱える。とはいえ(あなが)ち間違いでもないのであまり強気になれない尻すぼみな反論であった。

 我が一味のセクシーキュートな少女船長殿の、前が非常に開放的な普段の赤いブラウス姿はもちろん、先日のドレスにも水着にも今回の給仕服姿にも見惚れていた者に、ナミのその言葉を否定する権利は無いのだ。無念ながら。

 

 

  それじゃコックさぁん。お願ぁい、ねっ?」

 

『Yes Ma’am!!』

 

「男ってホントちょろい生物だよな…」

 

 かくして突撃砲艇『サバガシラ1号』は心強い凄腕狙撃手と航海士の援軍を受け、建造以来初めての海戦へと赴いた  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

 『クリーク海賊艦隊』旗艦が誇る片舷二十一門の大戦列。

 人類史屈指の殲滅領域を生み出す超兵器の噴煙が晴れる中、甲板の海賊たちはただ唖然と目の前の信じられない光景に瞠目していた。

 

 潤沢な装備を有する海軍本部の艦船から強奪した新型大砲に特殊弾。“鋼の魚網”の異名を持つ鉄網弾の一斉射を以って敵の女能力者を海に沈めるはずが、結果は完全なる失敗。

 

 悪魔の実の能力者とはいえ、相手がまさか人一人抱えたまま階段を上るように空を駆け、腕の一振りで二十を超える特殊砲弾を叩き落とす化物であったなど、一体この世の誰が想像出来るというのか。

 

 指一つ動かすことすら叶わず、敵が飛翔しながら迫る光景をぼんやりと見つめていた海賊たちは、一陣の突風と共に背後から響いた、とんっ…という軽やかな音を合図に凍結から開放された。

 

  !!』

 

 そこに居たのは、一同の獲物の給仕娘。ゴムらしき伸縮性に富んだ肉体を持つ悪魔の実の能力者であった。

 

 少女の姿を間近で見た海賊たちは再度、硬化する。

 大きな夜空の双眸を爛々と輝かせ、勝気な笑みを浮かべるその顔は幼く、ともすれば童女と言っても差し支えなく、愛らしい。身首は容易く手折れる華奢なもの。繊細な肩付きも、蜂のように括れた腰も、すらりと流れるような長い曲線美を描く手足も。それらの全てを展示棚の中で大切に飾りたくなるほどに可憐な生娘であった。

 もっとも、その給仕服の胸元のボタンを弾き飛ばしそうなまでに怒張させた、二つの巨大な果実を除けば、であるが。

 

 ごくり…と喉を鳴らしたのは誰であったか。

 つい数秒前にあれほどの超人技を見せ付けられたはずの海の荒武者たちが、その事実を完全に忘却してしまうほどの、決して抗えない扇情的な蟲惑。

 

 そんな妖艶な嬌が支配する『ドレッドノート・サーベル号』の甲板に、場の女王の愛らしくも心胆寒からしめる傾城の如き声が響き渡った。

 

「さて……こんにちは、“首領(ドン)”・クリーク。私は海賊王になる女、ルフィ!  あなたをぶっ飛ばしに来てやったわっ!!」

 

 およそ戦闘行為とは無縁なはずの美しい少女が、東の海(イーストブルー)最強最悪と名高い『クリーク海賊団』を前に挑発的な勝利宣言を唱える。

 そのちぐはぐな印象が、男たちの脳に焼き付いているあの地獄の海の魔女と重なり、かつての恐怖を想起させた。

 

「ひっ  ひひゃあああ!!」

 

「や、止めろ…っ!おれを、おれたちを見るなっ!!」

 

「お前ら!女から目をそらせ!石にされるぞ!!」

 

「バ、バケモノ…!!」

 

 甲板の縁にしがみ付くように海賊たちは少女から距離を取る。数分前の悪党らしい敵意はどこへやら、彼らの姿は到底自慢の悪名を轟かせる極悪一味のものとは思えない。

 

 給仕娘に連れられ無理やり見学させられた料理人サンジも、相手のこの情けない有様には目を見張っていた。

 

「ふふん!どう、サンジ?これが私の船長オーラよっ!仲間になりたくなったでしょ?」

 

「ルフィ、ちゃん……キミは一体…」

 

 小型ながらも立派な帆船を所有し、美しい女性航海士を連れ、一目で只者ではないとわかる優れた剣士を配下に持つと知りながらも、心のどこかで青年はこの見目麗しい臨時ウェイトレス本人を蔑んでいたのだろう。

 船長を自称せども、所詮は若い女の子の海賊ごっこ。彼女に奉仕出来る至福の時は、あくまでここ『バラティエ』の副料理長としての立場に限った話であると、サンジは最初からそう決めていた。如何なる美女の誘いであっても、そのようなお遊びに付き合えるほど彼の命の恩は軽くはないのだから。

 故に、店の不届きな男性客すら撃退出来ないか弱き乙女と思っていた少女の、あまりにも当初の印象からかけ離れた強者の気迫に、青年は圧倒されていた。

 

 そしてそれは当然、『麦わら海賊団』船長モンキー・D・ルフィのことを何一つとして知らないこの男も同じであった。

 

「…気に入らねェな、小娘」

 

「!」

 

 サンジはハッとその低く重い声の主へ振り向き、咄嗟にルフィを背に庇う。

 そこには、船尾楼の上から不遜な態度でこちらを見下ろす、この船を統べる男、『海賊艦隊提督“首領(ドン)”・クリーク』が佇んでいた。

 

「てめェの全てが気に入らねェ。男を誘うその身体も、人形みてェな顔も、おれを見下す目も  その“野望”もよォ」

 

「……何ですって?」

 

 ゾワッ…と大気が震える。

 笑みを消した給仕服姿の少女が発する只ならぬ気配に、海賊たちが微かに悲鳴を漏らす。それはまるで幾千もの大砲の前に立たされたかのような恐怖であった。

 

 だが、クリークは動じない。

 

「てめェが何者なのかは興味もねェ。化物がそんなふざけた給仕服姿(ナリ)してる訳もな。…だが“海賊王になる女”だと?  笑わせるなよ小娘…!そいつァてめェみてェなナメ腐ったガキが、しかも女が、口にしていいモンじゃねェ!運よく悪魔の実を食って得た力で天狗になってるようだがな、メスの分際で図に乗るなよ能力者!!」

 

 男は許せなかった。

 こんな、ぬるま湯の天国でただの料理店の給仕員に甘んじているだけの女に、奇跡的に分不相応な力を得ただけの子供に、己が積み上げた大艦隊を粉砕したあの魔の海域を制覇するなどと豪語されたことが。小娘の能天気な態度も、悪魔の実との恵まれた巡り会わせも、女の身でありながら無数の男たちが打ち砕かれた夢を追うなどと抜かす身の程知らずな無知さも、その全てが憎く、妬ましく、腹立たしかった。

 

「おれは東の海(イーストブルー)の支配者『“首領(ドン)”・クリーク』だ!てめェが食ったその悪魔の実も!その力も!全てこのおれのモンだ!てめェなんかが自由にしていい力じゃねェ!!死にたくなければおれに平伏せ、小娘ェ!!」

 

「イ~ヤ~で~す~っ。それにそんなこと言ったって、あの実はもう十年も前に食べちゃったもの。確かに吐きたくなるほど美味しくなかったけど、だからって吐いてまであなたにあげたくは無いわ。ばっちいし」

 

 少女のふざけた反応にクリークの岩のような形相が憤怒のマグマに変貌する。

 

「ならさっさと死ねクソアマァ!野郎共、小娘を切り殺せ!!」

 

『はっ、はひィィィッ!!』

 

 恐怖の権化“首領(ドン)”の怒り溢れる絶対命令が、部下たちの竦む足を弾かせる。長年に亘る海賊団での生活で染み付いたクルーとしての掟は、二つの恐怖に板挟みになって尚、彼らの揺ぎ無い行動原理として健在であった。

 

 だが縋ったその命令は、奇しくも男たちに二度目の絶望を与えることとなる。

 

「…なぁに?あなたたちみたいな雑魚をいたぶる気は無いんだけど、それでも私に挑んでくるの?」

 

「うるせェ!女の分際で図に乗るなよ!これからてめェをじっくりと八つ裂きにして  

 

「いいえ、無理よ。だって  

 

 

   ゾクッ…

 

 

 天が、地が、海が震える。

 甲板には無数の亀裂が走り、大気は爆ぜ、海面は波打つ。

 

 それはまるで周囲の全てが、自然が、森羅万象世界そのものが、少女の気迫に怯んだかのような光景だった。

 

 

  あなたたち、弱いもの」

 

 

 瞬間、少女に迫った全ての男たちの額が大地を突いた。

 ある者は口から泡を吹き、またある者は白目を向いて無様に床に倒れ伏す。まるで跪き頭を垂れる、“王”に平伏す民草の如く。

 

 そしてそのまま、幾度待ても、倒れた男たちは誰一人として立ち上がることはなかった。

 

「……っあ」

 

 周囲の大惨事に青年は唖然と固まったまま、指一つとして動かせない。

 気だるげな少女の視線一つで幾十もの屈強な海賊たちが無力化されたその光景は、それなりの修羅場を潜り抜けているサンジであっても噂すら聞き覚えがない驚天動地であった。

 

 これが海賊王を目指す者同士の戦いなのか。数多の大物海賊たちが消えていった偉大なる航路(グランドライン)は、こんなワケがわからないことが日常茶飯事のように起きる海なのか。

 そしてその信じ難い現象を引き起こした小柄な乙女の後姿を見つめるサンジは、このとき、ようやく彼女が最初に自分を一味に誘ったときに口にしていた言葉の意味を理解した。

 

   私は『海賊王』になる女よっ!

 

 甲板に寝そべる有象無象には目もくれず、真っ直ぐに一人の男を  同じ野望を持つ“競争相手(クリーク)”のみを見つめる海賊娘。

 その“王”の叱咤を免れたサンジは、鼻歌でも歌いそうな気軽さで敵の首魁の下へと歩き出したルフィの後姿を眺めたまま、只ただ茫然自失とし続けていた。

 

 

  その力は悪魔の実を食った連中全てが手に入れるようだな。目にしたのは二度目だ、くそったれ…っ!」

 

 ゆっくりと近付く給仕娘(バケモノ)に向かい、気丈にも吼える一人の男が、未だ船尾楼の上に立っている。

 一瞬で甲板の部下たちを掃討された、この船の船長だ。

 

 そんな彼の悪態に、少女が事も無げに「何言ってるの?」と首を傾げる。その無垢な表情に、男は背筋が凍る錯覚に陥った。

 人間より寧ろ神に近いその力を、息を吐くように使う目の前の女能力者が、彼の底無しの傲慢を忘れさせる本能的な恐怖を呼び起こす。

 

 だが続いてクリークの耳に届いた鈴音の如き美しい声は、能力者が蠢く偉大なる航路(グランドライン)へ挑み続ける彼にとってのある種の救いであり、同時に目の前のバケモノの特異性を強調させる絶望でもあった。

 

「これは悪魔の実の能力じゃないわよ?さっき言ったじゃない。弱い人たちは海賊王の前に立つことすら出来ないの。あなたの仲間たちが倒れたのは弱かったから。残ってるあなたとサンジが無事なのは私がそう望まなかったから。それだけ」

 

 人知を超えた力を見せ付ける規格外の少女が、当然のことのように先ほどの現象を説明をする。その言葉から漂ってくるのは、揺ぎ無い圧倒的強者としての自負。

 片方が一歩も動かず相手を睨み、直後にもう片方が全滅。それは両者の力の差にそれほどの隔たりがあるからであり、倒した方法などといった基本的な疑問を抱く必要が無いほど“戦い”として成り立っていなかったからに過ぎない。

 

 そしてそれは、現時点で何が起きたのか全くわからないこの“首領(ドン)”・クリークすらも、甲板に転がる部下たちと同じ“雑魚”だと主張していることと同義であった。

 

 

 …何と、度し難いことか。

 

 

  ふざけるなよ小娘」

 

 男の胸中にざわめく恐怖が、煮え滾る憤怒に塗りつぶされる。 

 

「ふざけるなよメスガキがァッ!!おれを誰だと思ってやがる!!」

 

 その感情に共鳴するかのように、クリークが纏う金色の鎧が無数の銃弾を吐き出した。絶対防御のウーツ鋼鎧に内蔵されている機械仕掛けの火砲の一斉射が、歩む少女へ殺到する。

 

「…“鉄塊拳法”」

 

 だが辿り着いた弾丸は、その玉のような日焼け肌に掠り傷一つ付けることなく、硬質な音を立てながら甲板へ弾かれ転がった。

 そしてバケモノは尚も歩みを止めずにゆっくりとクリークへ迫って来る。

 

「悪魔の実の能力だけじゃ海賊王にはなれないわ。偉大なる航路(グランドライン)にはさっきみたいに空を飛んだり、身体を鉄のように硬くしたりする体術を使える人たちが沢山いるの。海賊王を目指すなら、あなたはその人たちとどう戦う?どうやって仲間を守る?“六式”を使える能力者と戦うのに海水をかけるだけじゃ、私の服が濡れるだけよ」

 

「体術だと?小賢しいッ!兵法など弱者の戦い方だ!“最強の装備”と、それを振るう“最強の筋力”!それこそが“最強の武力”だ!脆弱な女如きが、何トンもの兵装を装備出来るこのおれに戦いを語るなァッ!!」

 

 近付く少女から目を離さず、大男は直ちに銃撃を諦め陸上砲兵用の“鉄網弾”へと切り替える。弱点は既に判明している。火砲が効かないのなら、当初の通り敵を捕獲し自慢の筋力で海へ放り投げればよい。

 

「…“嵐脚腕撃ち・斬斬舞(きりきりまい)”」

 

 だが頭上へと放られた鋼の網は、小娘の右手が放った鎌鼬の如き無数の空気の斬撃に切り刻まれ、破砕機に放り込まれた鉄片のように一瞬で漂う砂塵へと変貌する。

 

「バカ…な…」

 

 何も無い空中を駆けるように飛び回り、一睨みで百人近い大の男たちの意識を刈り取り、鋼鉄のような肉体で銃弾を弾き、腕の一振りで対海王類用特殊弾を粉微塵にする、常軌を逸した少女姿の化物。

 砲撃も銃撃も捕獲も侭ならず、見せ付けるが如く己の手札を一つずつ真正面から潰してくる給仕娘に、途轍もない屈辱と恐怖、そしてそれらを燃やし尽くすほどの怒りがクリークの胸中でとぐろを巻く。

 

「くッッそがあああァァァッ!!」

 

 鬱積する負の感情に身を任せ、追い詰められた男は両肩の肩当てを取り外し、遂に最強の切り札を切る。

 “首領(ドン)”・クリークが誇る大槍、“大戦槍”。振るう際に受ける衝撃をエネルギーへと変換し、攻撃時に爆発する仕掛けが施されている恐ろしい武器だ。

 数多の敵を爆殺してきた頼もしい愛槍の心地よい重さに己の覇道の全てを賭け、クリークは眼下の敵へ狙いを定めて五トンを超す巨大な槍を大きく振りかぶる。

 

「これが“武力”だ!これが“海賊王”に相応しい男の力だァッ!!てめェの思い上がりごと潰れて死ね、小娘ェェェッ!!」

 

 強者としての誇りと意地、軟弱な容姿の敵が孕む超人的な力への苛立ちと嫉妬、そして立て続けに降り掛かる災害に己の覇道を邪魔されていることへの憤慨と憎悪。ありとあらゆる激情を乗せ、“首領(ドン)”・クリークは憎き小娘に渾身の一撃を叩き付けた。

 

 木材が砕かれ引き裂かれる甲高い音が、まるで船が叫ぶ悲鳴のように広い海に散っていく。

 放たれた全力全開の一振りは、そのあまりの力に槍ごと舞台の『ドレッドノート・サーベル号』の中央甲板を爆ぜ飛ばす。傷だらけの海賊船への耐え難い衝撃となった“大戦槍”の諸刃の大爆発は、巨大なガレオン船を真っ二つにへし折り、凄まじい水柱を天に上らせた。

 

 その爆轟は遠く水平線の先まで轟き、クリークの東の海(イーストブルー)最強の名を天下万人に知らしめる。

 

 

 …そして男は、砕けた大槍が掌から零れ落ちる感触すら忘れ、傾く船尾の割れ跡に佇みこちらを見下ろす  無傷の少女の姿を仰ぎ見た。

 

 

「かっ  

 

 ドスン…と粉々に粉砕された自慢の“大戦槍”が斜めの甲板に埋まり、伝わる振動が折れた船の傾斜を鋭化させる。

 

 その“坂”は、まるで両者の力の差を表す神の悪戯のようで、同時に眼上の小娘がこの場の“王位”の争いの勝者に選ばれた光景であるように、男には思えた。

 小娘が立ち、全てを見下ろすその場所は、自分には到底辿り着けない絶対強者の領域のように、男には思えてしまった。

 

「…倒れた仲間に見向きもせずにそんな大きな爆発使う人に、海賊王は相応しくないわ」

 

 “大戦槍”の爆発の余波でざわめく風に煽られ、高台に立つ少女の衣類がふわりと波打つ。揺れる短い濡羽色の黒髪も、軽やかに舞うスカートも、それらの奥に見え隠れする淡い小麦色と共に、男に蹂躙されるために存在するはずの弱い”女”そのもの。

 だが蹂躙する側であるはずの(クリーク)を、歩くだけで圧倒した彼女が佇むその姿は、幻想的ながらも圧倒的な“武力”に守られた、恐ろしくも心奪われるほどの、挑発的な美であった。

 

 

   認めるものか。

 

 

「……そこから降りろ、小娘」

 

 微かに震える、奈落の底から登って来たかのような低く重い嗄れ声が、男の喉から込み上げる。

 

   認めてなるものか。

 

「そこから降りやがれ!!誰を見下してんだクソアマァッ!!」

 

 沈みゆく巨艦の甲板を我武者羅に駆け上がり、クリークは己を睥睨する少女へ我が身一つで襲い掛かる。

 武器も無く、武術も無い。持てる武力を全て潰され追い詰められ、奇しくも彼の手元に残ったのは、傲慢な雌に身の程を知らしめるための、圧倒的な雄の筋力であった。

 伸ばした両手はその華奢な首へ容易く届き、豪腕の握力で絞め殺さんと放った十指が抉るように柔らかな素肌へ食い込んでいく。今まで抱いたどの女よりも劣情を駆り立てるその感触が男の更なる力となり、今にも手折れてしまいそうな少女の肢体を汚しに掛かる。

 

「おれが最強だァッ!最強なんだァァッ!お前も!ギンを倒した後ろのコックも!誰もおれに逆らうなァッ!!おれは“ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)”を手に入れ、この大海賊時代の頂点に立つ男だァァァッ!!」

 

 狂乱し血走る凶悪な双眸が、手中にぶら下がる脆弱な女の愛らしい幼顔を射殺さんばかりに睨みつける。男のその瞳に最早理性は欠片も無く、そこには居るのは人では無い、耐え難い屈辱に憤激するだけの高慢の怪物であった。

 

 分かたれた船首から少女の名を叫ぶコックの声も、船に流れ込む海水の轟音も、何一つとして男の耳には届かない。彼が欲するのは、目の前の小娘の苦痛溢れる懺悔の言葉のみ。

 それらを笑いながら踏み躙る己の姿が脳裏に想起され、クリークは両手に全身全霊の力を注ぎ込む。

 

 

 だが、無数の激情に支配される男の望みは、果たされなかった。

 

 

「それは私。あなたには無理」

 

 

 大国の海軍にも等しい超戦力を有した稀代の大悪党、『海賊艦隊提督“首領(ドン)”・クリーク』。

 

 最強の名を欲しいままにした男に残った最後の記憶は、爆発的な気迫と共に深い闇に呑み込まれ、支配した東の海(イーストブルー)の水底へと沈んでいく、無力な己の惨めな姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

「このっ!クソ揉み上げ野郎っ!おれのルフィちゃんにっ!何してくれてんだボケェっ!!」

 

「ふふん、どうかしらサンジっ!これが私の船長オーラの一つ、“覇王色の覇気”よ  って、ちょっと!死体蹴りなんかしてないで船長の話ちゃんと聞きなさいよぉっ!」

 

 ルフィに睨まれ崩れ落ちたクリークを錨の鎖でグルグル巻きにしながら蹴り続けるサンジの鼓膜を、背後で拗ねる女神の溜息が震わせる。

 慌てて錨ごとクソ揉み上げ野郎を海に捨て、振り向き少女の前に跪く。

 

「!めっそうもない、ルフィちゃん!大勢の男たち相手に微塵も臆せず勇敢に立ち向かい平伏させる、その愛らしくも凛々しい船長オーラにこの愛の奴隷騎士サンジ、感服致しましたァん!!ああっ、おれもルフィちゃんに睨まれて気絶したい……」

 

「ホント!?わぁい、サンジがやっと私のコト認めてくれたわぁっ!」

 

 無邪気に飛び跳ねるルフィの愛らしい姿に鼻下を伸ばす、全ての美女を愛する恋の料理人サンジ。

 だが青年の心を奪い続けているのは、目の前の可憐な少女の美貌でも、胸部の怒張に耐え切れずに弾け飛んだボタンの隙間から見える深い大渓谷でもない。

 

 故に、僅かな静寂の時を与えられた彼が最初に呟いたのは、誤魔化すことの出来ないその胸中であった。

 

「…凄く…強いんだな、ルフィちゃん…」

 

 ぽつりと零れた仲間候補の言葉を肯定的に受け取ったルフィが、満面の笑みでボタンが飛んだ胸を張る。

 

「もちろんっ!私は大切な仲間をどんな強敵からも守れる、あなたの船長になる女だもの!」

 

 少女が宣言する。まるでそれが当然のことのように。

 自分の、定められた未来であるかのように。

 

「だから私の力を見せた今、もう一度言うわね、サンジ。  私の仲間になりなさいっ!!」

 

 弾むような声と共に差し出されたその手は細く、小さく、繊麗で…それでいて強く、大きく、豪快な、美しくも心強い不思議な魅力に溢れていた。

 まるでそれが霊や魂などといった形而上の領域で惹かれ合う、自分の定めであるかのように。

 

 だが  

 

 

「…ごめんな、ルフィちゃん」

 

 サンジにはその定めに添うことが出来ない。

 

「おれの命はさ…九年前にあのクソジジィに拾われてから、もうおれのものじゃなくなっちまったんだ。…ジジィはこんなクソガキ一人救うために、一番大切な宝(バラティエ)さえ守れねェ弱っちぃ体に零落れてな。今回だって本来ならルフィちゃんみたいな可憐な女性に戦わせることなく、自分であの店を守れたはずなんだ」

 

 水平線の端に微かに見える、壮大な海に浮かぶ船乗りたちのオアシスを望みながら、青年の懺悔は続く。

 

「“おれさえいなきゃ”なんてくだらねェことを言うつもりはねェ。ただ…あのクソジジィは自慢の右足を捨てて、代わりにおれを生かすことを選んだ。だったら生かされたこの命でアイツの右足分の働きくらいしてみせねェと、恩に報いたとは言えねェんだよ」

 

 男の搾り出すような重たい言葉を、少女は相槌一つ打つことなく、最後まで静かに聞いていた。

 赤の他人の店のために敵の親玉の下へ単身乗り込んでいった、凛々しく心優しいルフィのそんな気遣いに頭を下げながら、サンジは心から感謝した。

 

「…ありがとう、ルフィちゃん。君に会えて、君の一味に誘われて、一緒にジジィの店で働いたこの二日間は、間違いなくおれの人生の中で最も幸せな時間だった」

 

 未練を断ち切るべく、このまま別れを告げるべきか迷った副料理長サンジは、傷付けた乙女の顔色を窺うように彼女の愛愛しい童顔を覗き  息を呑んだ。

 

 そこにあったのは、普段の少女とは全く異なる、相手を諭すような慈愛に満ちた大人びた女性の柔らかい笑顔であった。

 

 

  あのね、サンジ。私ね、昔あなたみたいに海賊に命を助けてもらったことがあるの」

 

「!」

 

 弾けたボタンの女神が語りだしたのは、憧れの大海賊と過ごした大切な日々の一頁。“モンキー・D・ルフィ”という人物の原点であり、同時にこれから訪れる新たな時代の草創期の物語であった。

 

 そしてその語り部の意図を、同じく命の恩を忘れぬ義理堅い青年は見逃さなかった。

 

「シャンクスは能力者になって泳げない私を丸呑みにしようとした海王類から守ってくれたんだけど、そのときに私の代わりに左腕を食べられちゃったの。沢山の仲間たちや縄張りを守らなきゃいけない大海賊団の船長なのに、それでも私に“腕の一本くらい安いモンだ”って言ってくれたわ」

 

 遠くの海を愛おしそうに見つめながら、少女が丁寧に自分が受けた大恩を言葉に変える。

 

「サンジ。シャンクスは助けた私に“自由に生きろ”って言ってくれたの。  “死ぬまで詫びろ”なんて一言も言わなかったわ」

 

「…ッ!」

 

「私は救われた命で自分の夢を叶えて、シャンクスに“あなたのおかげよ”ってお礼を言うの。サンジは料理長になんて言うの?“救われた命を捨ててでも『バラティエ』を守ります”?あの人素直じゃないけどホントはすっごく優しい人よ。あなたにそんなコト言われたら絶対悲しむわ。全然恩返せてないじゃない」

 

 切なげな少女の双眸に呼応するかのように、青年の不動の覚悟が揺れ動く。

 

「…それでも、おれは…」

 

 わかりきったことであった。

 

 だれよりも“感情”の大切さを知る孤独な王子は、恩人ゼフの冷たい態度の裏に隠された確かな愛情に気付かぬ訳がなかった。

 

 しかし、だからこそサンジはゼフへの恩義を掛け替えの無いものとして大切にする。

 “出来損ない”、“失敗作”と否定され続ける幼少期を過ごした幼き青年は、初めて己が身を犠牲にしてまで助けてくれた老海賊に、命の恩以上の情があった。

 

 それはまるで父と子で完結した世界(バラティエ)から飛び立つことを恐れる、親離れに躊躇う雛のようであった。

 

 

「そう  なら仕方ないわね」

 

 どれほどの沈黙が過ぎ去ったか。

 無言を貫く料理人の耳に、静かな、美しい声がふわりと届いた。

 

 僅かに肩が跳ねたのは彼女への後ろめたさからだろうか。変わらぬ天上の調であるはずの少女の声色が、失望の言葉の幻聴となってサンジの心を抉る。

 

「サンジ」

 

 だが鼓膜を震わせたその声に縋るように振り向いた先にあったのは、海を背に甲板の縁に佇みこちらを見つめる、一人の少女の変わらぬ笑顔であった。

 思わず頬が緩む愛愛しいその微笑が、何故か青年の胸をざわつかせる。

 

 そしてその不安を嘲笑うかのように  

 

 

「ルフィちゃん!!?」

 

 

   少女の姿が傾き、縁の奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

「けほっ!…っ!…うぇぇ、クリークのせいで海水に木屑がいっぱぁい…イガイガするぅぅ…」

 

「げほっ、がほっ…!ハァ…ハァ…な、何でこんなこと…っ!」

 

 落水した海賊少女を傷だらけの身体に鞭を打ちながら大破したガレオン船へ引き上げたサンジは、息を整え間髪入れずに問題娘の自殺未遂を問い質した。

 

 悪魔の実の能力者は海に嫌われ泳げない。それも人体の高い浮力を無視し岩のように沈むほど不自然に。彼ら彼女らは他者の助けなくして再び日の下へ浮かぶことはなく、最後には窒息もしくは圧死し帰らぬ者となる。

 故に能力者が海に落ちるということは、そのまま死を意味する致命的な過ちであり、ましては自分から飛び込むなど自殺行為に等しい。

 

 サンジは少女の突然の凶行を青ざめた顔で責め立てる。

 

 だがルフィの声に、青年の叱咤に応える自責の念は無い。

 あるのは己の望み通りの結果を歓迎する、満足そうな喜びであった。

 

「ふぅ…。よし、これでサンジは私の命の恩人ねっ!今度は私があなたに恩を返すために、これからあなたに代わって『バラティエ』を死ぬまで守ってあげるわっ!」

 

「…え?」

 

 咄嗟に凝視した彼女の顔には、普段どおりの純粋無垢な太陽の笑顔。

 だがサンジにはその笑顔がどこか、悪戯が成功した童子のような可愛らしい邪気が含まれているかのように見えた。

 

「何…言って…」

 

「だって私の仲間になったら恩を返せないんでしょ?だったらお髭の料理長に命を救われたサンジに命を救われた私が代わりに恩を返してあげるわ!そしたらサンジは命の恩とか気にせず私の仲間になれるもんっ!」

 

 その一瞬、青年は少女の言ったことを理解出来なかった。

 だが続く沈黙が彼の脳に時を与え、無理解は理解へと咀嚼され、そして困惑へと反転する。

 

 つまり彼女は、先ほどの自殺未遂を阻止されたことを命の恩と強引に解釈し、その恩を以ってこちらの料理長ゼフへの恩返しを代行することで『バラティエ』への執着から、否、束縛から解放しようとしているのだ。

 

 一方的で、独善的で。己の生き様を否定することにも等しい発言。

 だが、サンジには何故かそれがこの少女らしい善意に思え、折角の仕立て良い給仕服が台無しになった濡れ姿に健気な乙女の強い意思を感じていた。

 

 そしてそれは、続いた彼女の言葉によって確信へと変わる。

 

「船長命令よっ!私の恩人のサンジの大切なお料理屋さんを責任を持って守る  ここを私の縄張りにするわっ!」

 

 ぎゅっと拳を握り締めながら高らかに宣言する海賊娘の声には、その愛らしい声色以上の力強さを覚える、心を震わせる何かが籠っていた。

 

「縄…張り…?」

 

「そうよ。海賊は気に入った場所を縄張りにして、そこに住む人も畑も森も町も港も海も、ぜーんぶ守るの!海賊王の縄張りを襲う人なんかいないから、あなた一人で守り続けるよりずっと安全だわ!“この麦わら帽子の海賊旗が目に入らぬかー!”ってヤツよ、しししっ!」

 

 少女の言葉にサンジは呆けたように顎を垂らす。

 

 縄張り。

 大海賊たちが自身の名を以って影響下に置き、ときに治める守護領域である。その在り方は様々で、噂に名高い人魚たちの楽園『魚人島』のように好意的な庇護下にある地から、怨嗟の絶えぬ奴隷未満の搾取地のような扱いを受けるものと千差万別。

 いずれにせよ、縄張りの維持は自由な冒険とは程遠い容易ならぬ問題であり、相応の見返りがない限り進んで定めることは稀である。

 

 少女は言った。私の夢は海賊王だ、と。

 ではそれほどの野望を抱く人物にとって、ただの海上レストランである『バラティエ』は果たして縄張りとして守護するに値する店なのだろうか。伝え聞く魔の海を命辛々乗り越える大冒険を引き返し、態々ここ東の海(イーストブルー)へ踏破した地獄を逆行するほどの見返りがあるだろうか。

 

 はた、とサンジは気付く。

 

 あるはずが無いのだ。

 だからこそ、少女は泳げぬ身で海へと飛び込んだのだ。

 

 彼女の言う、“命の恩”という義理を、その見返りとするために。

 

 そしてそれは、しがない料理人の若造に過ぎない自分が、その命を懸けるに足る大切な仲間であると述べる無言の言葉であり、同時に飛び込んだ己を必ず助けてくれるという絶対的な信頼の体現でもあった。

 

 この海賊娘が価値を見出していたのは、仲間に誘われたこの自分なのだ。

 普段であれば美少女に求められる至高の幸福に赤き情熱の噴水を作っているはずのサンジは、このとき、震えることすら叶わぬほどに、目の前の潮滴る乙女の覚悟に只ただ圧倒されていた。

 

「でも今の私はまだ無名のルーキーだわ。賞金首になって、たくさん懸賞金が付くようにいっぱい活躍したいんだけど、身体動かしたり長く冒険を続けたりするには栄養満点の美味しいお料理を作れる海のコックさんが必要なのっ!」

 

 大きな双眸を爛々と煌かせ、海賊娘が自身の抱く、果てしなく遠い夢を共に追おうと若き料理人へ手を差し出す。

 一人では辿り着けない、時代を創った“王”の頂に立つために、彼女は義理堅い青年を諦めない。

 

 私の夢には、あなたが必要なのだと。

 

 

「だからサンジっ!ステキなお料理を毎日たくさん作って、私が海賊王になれるくらい元気にさせてっ!!」

 

 

 その言葉はまるで恋人のプロポーズのようで、美食の職人にとっての最高の自己肯定であった。

 

 

 煌びやかな二つの星空が青年の心を奪う。

 その無数の天体の輝きに、飽和する歓喜に呆けるサンジはふと、かつて幼い自分にあることを語ったあのクソ忌々しい偉大な料理人の瞳を思い出した。

 

 三ヶ月にも亘る飢餓地獄で即身仏の如く痩せ細った老人の醜い姿。比べることすらおこがましい、美女たちの幸せを願う愛の奴隷騎士に相応しからぬ無礼でありながら、青年は奇妙にも目の前の可憐な乙女と己の憎き恩人の、あの笑顔が重なって見えた。

 

(そう言やぁ、クソジジィもこんな目をしながら『バラティエ』のこと語ってやがったっけか…)

 

 サンジは、昔聞いた老人の嗄れ声がまた自分の鼓膜を震わせた気がした。

 

 

   海は広くて残酷だなぁ、チビナス……。そこによぉ、海の広さに殺されそうになってるヤツを救う、海のど真ん中にあるレストランをブッ建てんのが  

 

 

  “おれの夢”…か…」

 

 自然と口から飛び出たその言葉は、己の生きる意味を思い出させる魔法の呪文であった。

 

(…そうだ。おれにも夢があったんだ)

 

 

 最初にその名を呼んだ者は、一人の無名の料理人であったと言う。

 

 赤い土の大陸(レッドライン)凪の帯(カームベルト)に分かたれた四つの(ブルー)。決して交わることの無いそれらの海では独自の生態系が育まれ、まだ見ぬ無数の魚が果てしない大海原を彩っている。

 

 物理的に繋がることが無いはずの四つの海。

 だが如何なる理由か、そこで生きる全ての海の幸が一堂に会する、摩訶不思議な幻の海がこの世のどこかに存在する…という伝説が実しやかに語り継がれている。

 

 それは決してありえない、料理人たちの願望が見せる空想上の存在であるはずなのだ。

 

 最早考えることすらなくなった、子供の頃の奇想天外な夢。

 巡り巡って命の恩人となった男との出会いをくれた、疾うの昔に捨て去った、全ての料理人が語る理想の海を求める夢。

 

 その海の名は、集う四つの(ブルー)全てを冠する理想の名。

 誰一人として見たことがない、母なる海が祝福する美食の楽園。

 

 その夢の名は  

 

 

  “オールブルー”」

 

 青年が記憶の奥底に眠り続けるソレに辿り着いた瞬間、まるで示し合わせたかのように少女の口が大きな弧を描いた。

 それはまるで正解を言い当てた子供を褒める母親のようで、同時に好きな夕食の献立を出された子供のような姿であった。

 

「ねぇサンジ!私、偉大なる航路(グランドライン)でその海を見つけたら、あなたが料理してくれたそこのお魚さんが食べたいわっ!」

 

「!」

 

 瞳の奥に満天の星々を輝かせ、海賊娘が青年の夢を後押しする。

 かつて同じ料理人たちに失笑された、幼き少年の無垢な夢を。

 

「どんなお魚さんがいるのかしら…!鱗が虹色とかだったらキレイで食べ辛いわね…。身は柔らかいほうが好きよ!ほくほくしてて、さらさらな油たっぷりで、そしてちょっとだけ甘い、ほっぺが落ちるほど美味しいお魚さんだったらステキだわ…!だからね、サンジっ  

 

 

   私と一緒に捜しに行きましょうっ!

 

 

 その瞬間。強く、暖かいものが、サンジの胸を貫いた。

 

 気休めでも便乗でもなく、本心からそれを願い、そして夢見る少女の純粋な思いが今一度、双の掌となって彼の前に差し出される。

 だが青年の下へ伸ばされたその手は空ではない。自身を恩で縛り付け一人檻に閉じ篭る幼き少年を迎えるその掌には、道しるべ無き夢の迷い人の手が力強く握られていた。

 

 かくして少女は少年の手を引き夢の舞台へと駆け上がる。

 

 あなたはもう、自由に生きていいのだと。

 

 

「ふっ…くくく…っ。……これが“未来の海賊王”、か…」

 

 思わず零れた笑い声は、今までの迷いが嘘のように明るく晴れ晴れしい声であった。

 

 濡れる柔肌に水滴の宝石を煌かせる偉大な女海賊の下へ、青年は跪く。

 愛して止まない見目麗しい美少女の下ではない。己の呪縛から解き放ち、共に夢を追おうと希望に満ちた大冒険へ導く“王”の下へ。

 

 それは紛れも無い、一人の騎士の忠誠の儀であった。

 

 

「と、言うわけだから!これから毎日私のご飯を作って、サンジ!」

 

 料理人サンジは感無量といった表情で、純白の下着の透ける少女を見上げる。ああ、神よ。俺は、俺の両手は、今日この日のために料理の腕を磨いてきたのだな。

 最早彼に戸惑いなど無かった。目を逸らしていただけで、答えは彼女に出会った時点で既に決まっていたのだから。

 

 こんな蟲惑的な姿の女神に誘われ躊躇うなど、天地神明に誓ってありえない。

 

 曇りなきハートの眼で、自由となった“愛の奴隷騎士”は全身全霊を以って、少女の願いに応じたのであった。

 

 

「仰せの通りに  んルフィィィちゅわァァァんっ♡!!」

 

 

 もちろん、紳士として濡れる乙女に上着を羽織らせることは忘れない。

 

 ただ、彼が目の前の抗い難い誘惑に打ち勝つには今暫しの時が必要であった。

 





上中下で終るはずが6万文字の大作に…なんでや

ともあれこれでサンジ編は終了。長々とお付き合い頂き恐悦至極。
でも次の話が引き続きバラティエなので、あくまで一区切りという形です。

さて、いよいよオリ展開の怒涛の複線回収…覚えていてもらえてるかめっちゃ不安(不安


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24話 水面下の王者たち


お待たせしました。
舞台は引き続きバラティエで、本話は新章のプロローグとなります。




 

大海賊時代・22年

偉大なる航路(グランドライン) バルティゴ革命軍本部

 

 

 

 “白土の島”バルティゴ。

 

 巨大な上昇海流により運ばれた珪藻殻の砂漠に覆われた、偉大なる航路(グランドライン)の無数の超自然的な島々の中でも有数の過酷な環境に晒される不毛の地である。水平線の先からも見えるほどの強烈な砂嵐が舞い上がるこの死の島は、訪れる者全てを拒む白砂のカーテンに常に覆われ、その全貌を見た者は居ないとされる。

 

 十年ほど前、雑草一葉すら生えぬとされたこの島に突如巨大なガレオン船が訪れた。

 龍を象るその異様の帆船から降りた幾百もの荒くれ者たちは様々な悪魔の実の能力を駆使し、瞬く間にアドベの要塞を作り上げ、現在島は空前絶後の白亜の蟻塚の都と化している。

 

 開拓者たちの名は『革命軍』。

 

 『大罪人“革命家”ドラゴン』に率いられた、八百年にも亘る世界政府の支配体制の転覆を目論む人類史有数の犯罪組織である。

 

 島の外見からは想像出来ない不自然なまでに無風の都市。その中央にそびえる珊瑚の如き奇妙な建造物の一室に、三人の男女が殺伐とした空気を纏いながら頭を突き付け合っていた。

 

 

  それ、確かなの…?」

 

 短い沈黙を破ったのは場の紅一点。短い黄髪の上に赤いキャスケット帽を被った妙齢の女だ。

 その女性的な容姿に反し、隣に立つ道着を纏った男に順ずる“師範代”の位に就く優れた戦闘員である。

 

「我が友からの頼みでもある。向こうでも幾つか手を打つと言っていたが…何せ相手が相手だ。あの男の思想と過去を振り返るに、あまり期待はしないほうがよかろう」

 

 そんな彼女に己の術を伝授した隣の道着の格闘家が、問われた疑問に答える。

 “美しい”という形容詞を除けばごく普通の人間である帽子の女とは異なり、この男の容姿は異形の一言であった。

 

 肢体は人間とさほど大きな違いは無い。だが首元に走る左右対称の不自然な切り込みや、手足の指間に広がる水掻き、そして頭部から背筋に張る背鰭は、一目で彼が人ならざる者であることを主張する。

 

 

 魚人。

 

 人間と魚類双方の身体的特徴を併せ持つ希少種族である。この水陸両生の亜人たちは人間の十倍もの筋力を持ち、水中では海王類と共に敵なしの天下を誇る生態系の強者だ。

 

 だがその歴史は悲惨そのもの。強大な力を持ちながらも人口が少ない彼らは、排他的思想が根強い陸の支配者である人間たちにより耐え難い差別を受け続け、不当にも弱小種族の烙印を押されていた。

 近年は人間社会の頂点である世界政府との和解が進み、表面上は友好関係にあるものの、両種族の意識改革は未だ遅れており、対等な扱いを受けているとは言い難い。

 

 革命軍に所属するこの魚人族の格闘家も現状に不満を抱いている多くの同胞たちの一人であり、組織の最大目標である超血統原理主義的思想の持ち主“世界貴族”『天竜人』の排除のために、その優れた武術の数々を構成員たちに伝授している。

 もっとも、幾多の魚人活動家の中では比較的穏健な者の一人。優れた人格者でもある彼は同じく穏健派の出世頭で名高い“友”を後押しすべく、人間との友好的な交流に積極的であった。

 

 武闘派らしい“拳の語り合い”という、些か攻撃的な交流ではあるが。

 

 

「…あまり悠長にしている暇はない。動くのなら今ここで決めてもらおう」

 

 そして、最後にして室内で最も目を引くのが、この大男。

 七メートルに迫る巨躯を誇る、革命軍の最古参の一人で、その手には固く閉じられた一冊の謎の聖典が抱えられている。

 

 一連の説明を終え、目の前の男女をこの場に集めた張本人である巨漢が両者に確認を迫った。

 

 男が組織のボスより命じられた、とある人物の『救援作戦』に参加するか否かを。

 

「くまさんの力があればひとまずは大丈夫だと思いますけど……問題はあのシスコン要件人間なんだよね…」

 

「…ボスに先手を打たれ今は地下で海楼石の鎖に巻かれている。おれと高名な革命軍の“切り込み隊長”につながりがあると政府に悟られたら面倒だ」

 

 巨漢の淡々とした言に二人の同志は大きな溜息を吐く。

 

「いつまで妹離れ出来ないのよ、あのバカは。前はそうでもなかったのに…」

 

「全く、“火拳”もやっかいな置き土産を残してくれたものだ…。ひとまずはあの義兄も容易く動けない案件であることを強調して納得してもらうしかあるまい。私も同胞たちから良い返事を受け取ったのだ。あやつの代わりに少しは役に立てるだろう」

 

「…では?」

 

 格闘家の男は自慢げに胸を叩く。

 

「うむ。我が“魚人空手柔術道場”の力、海軍の連中にとくと見せ付けて進ぜよう」

 

「おお~っ!流石ハック、海じゃ無敵の男!」

 

 彼ら革命軍と男の所属する魚人空手組合の関係は一切外部に知られていない。また“友”の『タイヨウ海賊団』に隷属する下部組織でもなく、知己の“王下七武海”二名と“革命軍”、双方との裏のつながりを持ちながら自由に動けるこの魚人が率いる武力集団は、このような政治的しがらみに雁字搦めになった状況における貴重な手札であった。

 

 格闘家の心強い援軍に巨漢の頭部が僅かに上下する。

 

「…わかった。だが姿を晒す白兵戦は避けろ」

 

「是非もない。政府は敵対者が魚人であるというだけで“王国”を攻撃する口実に使うのだ。討伐部隊が通過する凪の帯(カームベルト)にて海王類を刺激し嗾ける策が吉と出よう」

 

「え~っ!てことは私お留守番?折角会えるかもしれないチャンスだったのにぃ…」

 

 偉大なる革命軍総司令官殿の高名なご令嬢に、年の近い同じ女として興味津々の帽子娘。事実上の組織No.2であるあの金髪の青年に毎日のように聞かされ続けた義妹君の伝説の数々を知る身としては、是非ともそのご尊顔をこの目で拝見したかった。

 だが、今回のような特殊な作戦において魚人ではない自分に出来ることは少ないようだ。

 

 不満を述べる女を余所に、実動部隊リーダーの巨漢が変わらぬ平坦な声色で作戦の内容を要約する。

 

「…元よりあの童女が“鷹の目”さえ撃破出来れば片が付く話だ。“九蛇”は脅威だがヤツの能力は同性に対して不安定。子供の身でおれを倒せたあれが成長した今、一対一なら四皇以外に不覚を取ることなど考えられん。我々の仕事はその状況を自然な形で準備するだけだ」

 

「お前はボスと共にご令嬢と拳を交わしたことがあったそうだな。それほどの強者とは…一度手合わせ願いたいものよ」

 

 その言葉に、常に岩のように硬い巨漢の表情が僅かに緩む。

 

「…懐かしいな。あれほど笑った記憶も珍しい。特にあの童女の正体を知ったときのボスの顔と来たら……くく」

 

 思い出し笑いに小さく喉を鳴らす男のあまりにも意外な姿に、初めて彼の無表情が崩れる瞬間を目撃した左右の男女が絶句する。

 

「……くまさん、笑えたんだ」

 

「おい、もう少しオブラートに包め。…だが確かにこの男が笑うほどとは……ボスも人の子だったということか」

 

「…おかげでボスの近寄り難さが多少解消された。部下たちの人心掌握を考慮すれば恥の掻き損ではない」

 

「あれで解消された後なの…?」

 

 女は自身の上司がよく浮かべるあの薄ら寒い微笑を思い出す。

 その下にどのような悪巧みがあるのか考えただけでぞっとするが、こうして実娘の身を案じ万が一の手を用意するあたり、少なくとも体を流れる血は赤いらしい。

 

「ボスはボスだ。折角の借りを返す機会、是が非にも成功させて見せよう」

 

 胡散臭そうな目を巨漢に向ける女とは異なり、魚人の男の顔には使命に燃える勇ましい表情が浮かんでいた。

 元よりあの刺青の指導者には、世界政府の圧力による祖国『リュウグウ王国』の軍縮の煽りで居場所を失っていたところを拾われた大恩がある。今では種族の垣根を越え人間含む他種族にも、魚人が誇る格闘文化“魚人空手”を広めることが叶った。彼は尊敬している上司の恩に報いるため、此度の極秘作戦に並ならぬ意気込みを抱いていた。

 それが恩人の娘を救うことともなれば、武に生きる一人の男としてこれほど名誉なことはない。

 

「…おれはこれからマリンフォードの艦隊と合流する。お前は先に凪の帯(カームベルト)へ行き待ち伏せしろ」

 

「承知した。だが万一海軍に進路を変更されては拙い。お前のビブルカードを頼るが構わんな?」

 

 小さく頷く巨漢の姿を認め、魚人の男は早速同胞たちを集めるべく足早に地下通路へと消えていった。島全土を覆う砂嵐のベールを避けるために開通されたこの通路は、後方の秘港との数少ない連絡路である。

 最近例の秘港は専ら、船を必要としない彼ら魚人たち専用のインフラと化しており、その一画には解放された元奴隷の人魚たちの好みによる鮮やかで幻想的な内装改築が施されていた。

 

「人魚プロデュースのメルヘンな廊下をダッシュするハックって、なんか凄くシュール…  あ、私は何すればいいんですか?お二人の連絡係?」

 

 走り去る道着姿の筋骨隆々とした魚人の後姿から目を逸らし、集まった面子の中で一人だけ任務を与えられていない帽子の女は期待にその大きな瞳を輝かせる。

 

「…お前は地下牢でサボの見張りだ」

 

「えぇぇぇっ!?」

 

 だが返って来たあまりにあんまりな指示に、憐れな女は落胆の溜息と共に床へ崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) コノミ諸島『アーロンパーク』

 

 

 

 香り立つみかん畑で知られるココヤシ村の外れの海岸に、一棟の塔が佇んでいる。

 偉大なる航路(グランドライン)の鎖国国家『ワノ国』にそびえる宗教建築、五重塔と多宝塔を組み合わせたような奇妙な建造物だ。

 

 その日、海岸の塔の正面広場では大きな騒ぎが起きていた。

 多くの怒声が飛び交い、ときに地鳴りが響くほどの破壊音が木霊する、只事ならぬ騒動。

 

 騒ぐ者共は皆、人ではない。

 青、赤、黄、灰。幾つもの人ならざる色の肌を持ち、多数の腕を持つ者、巨大な唇を持つ者、両腕に魚類のヒレのような突起物を持つ者など、実に多種多様の異形が顔を青ざめ走り回っている。

 

 彼らの名は魚人族。偉大なる航路(グランドライン)の海底に栄える“魚人島”『リュウグウ王国』を故郷に持つ種族である。

 

 そんな混乱する魚人たちの中心に、一匹の巨大な魚の姿があった。

 深海の藍色の肌に白色の点々が規則正しく並んでいるその魚は、海王類を除く全ての魚類のなかで最も大きい躯体を誇る、とある鮫の種である。

 

 だが、海の王者たる彼ら魚人たちが動揺しているのはこの大型鮫の威容にではない。

 

 彼らの焦りの原因は、この鮫が口に咥える一匹の電伝虫と、見慣れた手配書、そしてこの鮫を遣わせた人物の正体にこそあった。

 何故ならその鮫は、男たちの元上司である、とある高名な大海賊が率いる使い魚として全ての魚人たちが知ることなのだから。

 

 

「……アニキか?」

 

 騒々しい正面広場の中央。

 狼狽する一同の中でただ一人平静な表情を貫いていた屈強な魚人が、飄々とした声色で大鮫に差し出された電伝虫の受話器を取る。両歯のノコギリのような長い鼻を持つ、この場の最上位の人物だ。

 

 

『…久しいな。ざっと十年ぶりにお前さんの声を聞いたが…まだ頭は冷えんようじゃのう』

 

 懐かしい低声に、男の周囲で聞き耳を立てていた魚人の同胞たちがどよめく。それらを一睨みで黙らせ、ノコギリ鼻の男は電波の先にいる人物へ棘のある言葉を送った。

 

「…どういう了見だ、あんた。おれとしちゃァ、今更どのツラ下げて元『タイヨウ海賊団』のおれに話しかけてやがったのか気になって仕方ねェんだがな  “王下七武海”サマよォ?」

 

『…お前さんは相変わらずじゃな。まだ子供の癇癪を卒業出来んか、愚かな…』

 

 相変わらずはお互い様。

 かつて同じ野望を抱いた同志も、偉大な統率者の非業の死と共に道を違え、今ではすっかり牙を抜かれたばかりか種族を裏切り宿敵と逢瀬を交わす愚か者へと成り下がったまま。

 

 九年の長い年月でも、この両者の溝を埋めるには何一つとして至らなかったようだ

 

「シャハハハハ!随分な言い様じゃねェか、アニキ!こんな下等種族に虚仮(こけ)にされたまま耐え忍ぶのが大人なら、おれは死ぬまで子供で結構!……あんたみてェに魚人の誇りを捨てる気はねェんだよ…ッ!!」

 

 相手の意図が読めない魚人の男は不審感を上手に隠しながら、当時の自分の姿を思いだしながら変わらぬ演技を続け情報を引き出しにかかる。

 

 だが、受話器越しの元上司は、男が挑んだ心理戦の土俵にすら立とうとしなかった。

 

 

『…手配書を見たか?』

 

「…!」

 

 唐突に投げ掛けられた意味深な単語に男の瞼がピクリと引き攣る。

 そして一同の目が一斉に、壁に打たれた真新しい一枚の紙に向かった。

 

 “手配書”。

 

 今の東の海(イーストブルー)を生きる全ての者にとって、その単語が指すものは一つのみ。

 突然“ニュース・クー”によってばら撒かれた、“UNTOUCHABLE”なる奇妙な表記が記載された、あの高額賞金首の謎多きルーキー女海賊の手配書である。

 

 海賊。

 それはこの奇抜な塔の下に集まる彼ら魚人たちの職業でもあった。

 

 後ろ暗い活動を行っている彼ら『魚人海賊団』は、敵対する海軍の動きに当然敏感であった。縄張りのあるここコノミ諸島を管轄下に置く海軍第16支部を買収し、憎き海軍本部マリンフォードが浮かぶ偉大なる航路(グランドライン)との玄関口ローグタウンの近海を二十四時間体制で監視し、情報が漏れた際に配下の海王類を使い海難事故に見せかけた口封じを行うなど等。男たちは自身の悪行を隠蔽するためのありとあらゆる活動に意欲的であった。

 

 そんな彼らが最近最も警戒しているのが、本部と東の海(イーストブルー)支部間の通信の活発化に伴う、海軍の水面下の動きである。

 

 明らかに増した巡回活動と、それに反比例するかのように下がった好戦性。上から戦闘禁止命令でも出ているのかと疑いたくなるほど、ここ半月間の海軍艦船はどれも極端に損失を恐れていた。

 

 それはまるで、大軍の先遣隊が行う斥候のような、あまりにも不可解な動きであった。

 

 

「アニキ…あんた、何を知ってやがる」

 

 この平和な海に漂う不穏な空気。

 同時にばら撒かれた妙な表記が載せられた高額賞金首の手配書。

 そして、突如として破られたかつての同志との長年に亘る沈黙の壁…

 

 この状況で今彼の前の海水プールを泳ぐ大鮫の主が、例の一連の謎の動きに無関係であるはずがない。

 広場の中央に立つノコギリ鼻の魚人は、凛とした表情を浮かべる電伝虫に、ここ数日の疑問を氷解させる答えを求める。

 

 だが期待に反し、続いた電伝虫の言葉は、男が最も恐れていたものであった。

 

『わしァ詳しいことは何も知らん。じゃがのう、その娘っ子の兄君には大きな義理がある』

 

「…義理だァ?」

 

『三年前、彼が東の海(そっち)で“魚人海賊団”の噂を聞いたそうじゃ。わしもあの人も互いに立場に囚われ容易く動けん。そこでわしと懇意にしとったお前さんの手を借りられんかと頼まれた』

 

 その言葉に男は絶句する。

 三年前といえば、丁度海軍本部ローグタウン派出所に就任したスモーカー本部大佐の情報収集のために近隣の海賊たちを買収し、上陸以来最も派手に動いた年であった。確かに、彼ら『魚人海賊団』の悪名が一時的に広まってしまい、火消しに例のネズミ支部大佐へ大金を支払い協力を仰いだ記憶がある。

 

 おそらくこの元上司の言う“娘っ子の兄君”とやらは、火消しが間に合わなかった数ヶ月の間に偉大なる航路(グランドライン)へ出航した数少ない海賊の一人なのだろう。

 

 魚人の男は噛み続けていた臍を開放し、素知らぬ態度で電伝虫の相手の追及を未然に防ぐべく、話題を煙に巻こうと試みた。

 

「シャーッハッハッハ!!こいつァ傑作だ!種族の裏切り者が何のつもりかと思えば、まさかの“手を貸せ”と来たか!アニキにこんな落語の才能があったとはなァ、シャハハハハ!」

 

『そうか、わしの頼みが聞けぬか』

 

 だが悲しいかな。男はこの“海侠”とまで謳われる人情溢れる元上司と、致命的に相性が悪かった。

 

『元より手ぶらで頭の固いお前に頼み込むつもりァないわい。かつて見逃した命の恩を返せと言うても聞く耳持たんじゃろう。…故に土産話を持って来た』

 

「……ほぉ、面白い。呆けたあんたの土産話たァ、おれを笑わせてくれるくらいには聞く価値があるモンなんだろうな?」

 

 伝う冷や汗を無視し、魚人の男は眼前に立つ処刑台の幻をふてぶてしく見上げる。

 そして彼は、こちらの罪を述べる巨漢の処刑人の姿を幻視した。

 

 

  東の海(イーストブルー)に無辜の村人たちを虐げる魚人の海賊がいる”』

 

 

 予想していた言葉。故に男の動揺も少なかった。

 

 だがそんな無言の彼の鼓膜へ、受話器を通した相手の静かな憤怒が伝わってくる。

 

『随分ふざけた噂が流れとるそうじゃのう。確かに九年も経てば、憎き男と交わした命の約束も、そやつの魚人空手を忘れるのも無理は無かろう。故に  今一度お前の体に問うてみるか?』

 

「…ッ!」

 

 瞬間、男の全身を凄まじい悪寒と痛みが襲った。

 咄嗟に胸を押さえようと魚人は腕に力を込める。だが彼の体は岩のように硬く、指一つ曲げることすら叶わない。

 

 その昔、この元上司の下から去る際に受けた無数の激痛が、当時の記憶に紛れて蘇ったのである。

 

『魚人と人間の友好は成りつつある。負の連鎖はわしらが耐えることでようやっと途切れようとしておる。今の魚人島の若いモンには人間の友がいる者も多い。タイのアニキの遺言は、亡き王妃の悲願は、少しずつ、実現へと近付いとるんじゃ。……お前、皆の我慢と努力を踏み躙った上、このわしとの約束まで破りおったなァ…ッ!!』

 

 それはまるで海底火山の噴火のようであった。怒声の噴煙が男の肺を圧し潰し、噴火する気迫の溶岩が肉体を焼き焦がす。

 

 原初的な恐怖に苛まれ、たまらず魚人は万が一のために用意していた言い分を捲くし立てた。

 

  まっ、待ってくれよアニキ…!流石にその噂を根も葉もねェモンだとは言わねェ!……だがおれたちァ海賊だぜ?“村人を虐げる”ってのは、ただの村を縄張りにしてるだけさ!確かに甘ちょろいあんたから見れば善とは言えねェだろうが、回収してる奉貢は近隣の人間の世界政府加盟国『ゴア王国』の税金とそう大差ねェ額にしてる!虐殺も暴行も、敵対されねェ限り一切してねェぞ?最初に村人が何人か死んだのは小競り合い時の不可抗力だったんだ!村人たちも平和な暮らしをしてる!アニキが嫌う人間の海賊共よりずっとマシさ!それだけで不義理者扱いは狭量が過ぎるんじゃねェか、“海侠”さんよォ!」

 

 嘘ではない。

 世の中には彼の縄張りより遥かに卑劣な権力者の支配下に置かれた世界政府加盟国が数多くあることを、この魚人は今までの海賊人生でそれらを己の目で見て来ており、知っていた。

 

 奉貢金さえ払えば平穏な日常を送ることが許され、他のより残虐な海賊や海獣から守護される。

 彼が治める縄張りは、善良な人間が人間を支配する国々よりは不自由であるが、強欲な人間が人間を支配する国々よりは遥かに温情的であった。

 

 支配者が強大な力を持つ魚人であるというだけで過度な悪印象が広まってしまっているだけなのだと、男は受話器越しの相手に弁明する。

 

 そしてそれは客観的に見ても、決して誤りではなかった。

 

最弱の海(こっち)でアニキみたいなピースメインとやらをやろうとしても、貧乏海賊ばっかで稼ぎになんねェんだよ! “海賊に海賊行為をするな”って、あんたはおれの大切な同胞たちに漁師にでもなれって言ってんのか!?」

 

 魚人は沈痛な思いで慷慨する憐れな男を熱演する。

 

 その言葉に  僅かとはいえ  しかと本心が籠っていたことが幸いしたのだろう。男の必死の演技は見事、義侠を重んじる通話先の元上司の同情を引き出すことに成功した。

 

『……そうは言っとらん。じゃが自重しろと言うとる』

 

「ふざけんな!これ以上どう自重しろってんだ!おれの怒りを忘れたのか、アニキ!今でも時々思う、目の前の人間共を皆殺しに出来ればどれほど最高かってなァ!…くそったれ!」

 

 余裕が生まれたノコギリ鼻の男は荒ぶる感情に支配された風を意識しつつ、両者の決定的な仲違いとならない以前どおりの微妙な交友関係を維持しようと試みた。

 

 

 そして男の賭けは、一応の勝利となる。

 

『…わかった、お前さんの悪行を責めるのはひとまず止める』

 

「ッ、わかってくれたか…!?」

 

『お前さんの言うこと全てを鵜呑みにするほどわしァ愚かじゃないわい。じゃがその縄張りの村々の支配が世界政府加盟国と同じ程度なら、万が一があっても政府への多少の弁明にはなろう』

 

 穏やかな調子に戻った相手の声色に安堵する魚人の男であったが、直後その耳に「じゃが  」と不穏な接続詞が続いて届く。

 

『代わりにわしの頼みを一つ聞いてもらおう。……何、捨てられぬ憎しみに苛立ちを募らせとるお前さんに丁度いい怒りのぶつけ先を紹介するだけじゃ』

 

 何かと手厳しいこの元上司が罪を許す対価に要求してくる成果。

 只ならぬ案件であると覚悟を決めた男に下った“頼みごと”は、案の定、非常に危険なものであった。

 

 

『…その手配書の娘っ子の討伐に向かう、“七武海”三人を主力とした海軍の大艦隊が凪の帯(カームベルト)を越えて進軍しておる。お前さんにはその艦隊  “バスターコール”の(あし)を潰して貰いたい』

 

「!」

 

 

 “バスターコール”。

 

 主力艦十隻という、国家海軍規模の大艦隊を用いる緊急無差別破壊命令の作戦名で、小規模な島であれば半日で更地へと変える、世界政府の武力の象徴の一つだ。

 

 魚人の男は例の作戦における海軍の指揮系統は知らないが、彼が恐れているのはその主力艦群ではない。

 艦隊に乗艦する五人の  かつて同階級の強者に半殺しにされた  海軍本部中将たちである。

 

 そして、同等の恐怖の対象でもある“王下七武海”が三人も…

 

「……穏やかじゃねェな。冗談抜きで東の海(イーストブルー)が消滅するぞ…?一体このガキみてェなアホ面の人間のどこにそんな恨みを買うタマがあるってんだ?」

 

『知らんと言っとる。じゃがエースさんは不当だと烈火の如く怒っとった。伝え聞く限りは、あの“赤髪”もな。おそらくその娘も政府のくだらんメンツの被害者じゃろう』

 

 どうやらこの元上司は、昨今の東の海(イーストブルー)を取り巻く巨大なうねりにおいて、渦中真っ只中に位置する例の手配書の小娘に味方しろとこちらに要求しているらしい。

 その想像を絶する危険性に喉を鳴らす男を無視し、受話器越しの相手は淡々と状況説明を続けた。

 

『近日、海軍本部管轄のローグタウンにその討伐部隊の一部が入港する。主力の“七武海”三人の内一人は艦隊とは別に相変わらず単独で行動しとるようじゃが、“九蛇”は進軍航路が海軍と凪の帯(カームベルト)で被り、互いに進路を譲らずしばらく立ち往生しとったらしい。結局双方睨み合いながら同じ航路を並走。その結果不本意ながら当初の予定通りの“七武海・バスターコール”連合軍が成立したそうじゃ。おそらくローグタウンに入るのはこの部隊じゃろう』

 

 作戦開始以前からバラバラな宿敵共の愚かさを失笑する魚人であったが、その脳裏に浮かんでいるのは別の疑問。

 

(随分新鮮な情報を持ってやがるな、アニキのヤツ。航行中に“九蛇”が合流したことを何故知れる…?艦隊内に人間の協力者でも…いや、同胞に海中から監視させているのか?)

 

 魚人族の秘密兵器の一つに人魚の持つ魚類コミュニケーションの特性を活かした“超音波通信機”というものがある。

 これは人間の聴力では聞き取れない波長の音波を用いた水中通信機で、超音波会話の解読技術を持たない海軍に悟られることなく通話が可能な確かな連絡手段として魚人族の間で密かに活用されていた。

 

 魚人至上主義の男は、今回の“頼みごと”に自分の海賊団以外の同胞の協力があると即座に看破する。

 

 

 その瞬間、ふと男の頭上にある天恵が降りた。

 相手の危険な“頼みごと”を利用した、彼の『帝国』の戦力強化を期待出来る妙案が。

 

「…おいおいアニキ、あんたやっぱ本気でおれたちに死んで欲しいのか?“バスターコール”にはあのバケモノ連中、海軍本部中将が五人も乗ってやがんだぜ?おまけにアニキと同格の“七武海”まで便乗してるってんなら、命が幾らあっても足りねェぞ。……だからよォ、アニキ  

 

 そして男がその名を口にした瞬間、受話器越しの男が沈黙した。

 

 

  魚人街で燻ってるあのガキ共の連絡先を寄越せ」

 

 

 一瞬の間。

 魚人の男にとっては随分な時間に感じた張り詰めた緊張の静寂は、相手の長い溜息と共に霧散した。

 

『……あのバカ共…確か“新魚人海賊団”じゃったか?あんな子供の海賊ごっこを戦力にするつもりか?』

 

「!」

 

 興味がなさそうな相手の声色に、男はどす黒い期待に胸を膨らませる。

 

 知らないのだ、この元上司は。

 おそらく、人間への憎しみを捨てようと躍起になるあまり、かつての己を想起させる反人間思想を持つ同胞と接触することを自分から避けてしまっているのだろう。

 そのせいで彼は未だ辿り着けていないのだ。

 

 あの“王妃暗殺事件”の真相に。

 あの“新魚人海賊団”の価値に。

 

 男は流行る気持ちを抑え、不機嫌そうな悪態を吐き相手の非を責める。

 

「…ハッ、少なくともおれを死地に放り込もうとしてるあんたよりは役に立つさ」

 

 協力を強く求めているのは向こうの方である。あの仁義に命をかける男が東の海(こちら)の『魚人海賊団』の悪名をひとまず見逃すとまで言っているのだ。話の持って行き様によっては更なる譲歩を引き出せるだろう。

 

 十年近い海軍支部との癒着からも見て取れる彼の高い交渉術は、この場に渦巻く男の大きな野望的駆け引きを匂わせない。

 

『…わかった。確かに楽な頼みではない故、援軍があれば心強かろう。元々あやつらもお前さんが憎しみを植付けた不憫な子供たち。責任持って面倒見るのが筋っちゅうモンじゃ』

 

 その言葉に、男は己の口角が攻撃的に吊り上がるのを自覚する。

 

 思えば最後にあの少年たちと会ってから十年近くが経っている。

 人間との和解だの平和だの、まるで洗脳のように次世代の子供たちに価値観を押し付ける今の祖国に置かれて尚、憎しみを忘れなかった彼らの意思は十分にこちらの大きな力となるだろう。

 そして同時に、今の平和ボケした魚人島に内通者が出来るということは、男の『帝国』の覇道の大きな後押しとなる。

 

 もちろん、彼らが持っているであろう例の“アレ”も、得られる大きな戦力に含まれるが。

 

 

 そんな男の悪巧みに気付かない魚人島随一の人間贔屓は、意外にも、此度の“頼みごと”に義理人情以外の行動理由を用意していた。

 

『会議に出席しとったクロコダイルからの情報じゃが、作戦海域はあの処刑の地“ローグタウン”の外海を想定しとるらしい。話に聞いたお前さんの縄張りの近くじゃろうて、十分に魚人島(リュウグウ)との協定違反。何せ、“魚人コミュニティを巨大な戦力で威圧”しとるんじゃからな。お前さんらが()()()()()()()()()()()()()()()、政府に文句は言わせん。わしァ魚人の人権のために政府の犬になったんじゃからな』

 

 まるで人間のように屁理屈を捏ねながら重箱の隅を突く政治的駆け引きに、受話器を手にする男は瞠目する。

 そこには世界政府に対する強い不信と、旧世代の魚人らしい  この人物が捨て去ったはずの  人間への強い不満が見え隠れしていたのだから。

 

「シャハハハハ!随分“らしくねェ”こと考えるじゃねェか、アニキ!一体どこのどいつの入れ知恵だァ?」

 

『…お前さん、わしを聖人君子か何かと勘違いしとらんか?“仁義”っちゅうモンは、オヤジさんやエースさんのような、同じ仁義を知る相手に尽くして初めて“仁義”たりうる。……“仁義を知らぬ者へ仁義を尽くす者”など、天竜人の奴隷と変わりゃァせん』

 

 どこか冷めたようなその声色に、魚人の男は小さく口笛を吹く。

 

 やはり人はそう容易く変われない。

 かつて誰よりも人間を憎んでいたあの“アニキ”の後姿を知る彼は、この男の心の奥底に封じ込まれている(とうと)い憎悪の残滓を見つけたことに強い喜びを覚える。

 

 どれほど道を違えようと、受話器の先にいるあの人は、いつまでも彼ら“魚人街”のゴロツキ共の頼りになる親分であった。

 

『……秘めた怒りの矛先を向ける相手を見誤るな。政府が隠れて人魚(どうほう)たちの奴隷密売を繰り返しこちらの義理を踏み躙るなら、わしらも陰でそれなりの報いを与えて何が悪い。連中には、こちらがわざわざ大義名分を用意しとるだけありがたいと思ってもらおう  頼めるな?』

 

「はっ、誰にモノ頼んでやがんだアニキ!あんたの義理とやらに付き合う気はねェが、ここ最近の東の海(イーストブルー)の海軍共の増長は目に余るからな。同胞たちも暴れたくてうずうずしてたところだ。精々魚人街のガキ共と一緒に楽しんでやるぜ。なんせおれたちはアニキと違ってアイツらと同じ“子供”だからな、ククク…!」

 

『…かたじけない、アーロン』

 

 その返事で満足したのか、深い感謝の言葉を最後に電伝虫はガチャという音と共に沈黙した。

 

 

「……ふん、“舵を潰せ”か。仁義とやらが懸かっても腑抜けは治らねェようだな、ジンベエのアニキ…」

 

 使いのジンベエザメが去った後、ノコギリザメの魚人の男は共に黒い笑みを浮かべる同胞たちに囲まれながら、手元の水中通信機の周波を先ほどの元上司より受け取った数字に合わせ、通信を開始した。

 

 

 

「よぉ、久しぶりだな!…あれから九年だが、そろそろ例の“玩具”は確保出来たか  ホーディ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

 木造船の最期は、時に女神ダフネの結末に例えられる。

 水面に漂う木材の墓場と化す乙女(ふね)の死が、愛の悪戯に耐え切れずその姿を物言わぬ樹へと変貌させた清流の女神の伝説を彷彿とさせるのだ。

 

 命果てて尚己の姿を洋上に止める彼女たちは、多くの海の男たちにかつての麗容を惜しむ涙を流させる。

 美しい人の姿を捨てた河神の娘のように、五つの海を支配した勇猛な女王たるガレオン船『ドレッドノート・サーベル号』は、東の海(イーストブルー)の蒼い波の上に静かに横たわった。

 

 

「船って意外と沈まないものね。前にウソップが一発で海軍の船爆発させてたから、このおっきなのもすぐダメになるかと思ってたわ」

 

「まあ木材そのものに浮力があるからな。でもルフィちゃん泳げないんだから足元に気を付けてくれ。あ、もちろん危ないときはおれが支えるけど、これ以上濡れて風邪でも引いたら大変だからな」

 

 揺れる巨艦の甲板で暢気に語り合う二人の男女は、先ほどこの海賊船の主を倒した新進気鋭の海賊団、『麦わらの一味』の女船長ルフィと新入り料理人サンジである。

 大切に守り続けてきた海上レストランを支配しようと襲い掛かった『クリーク海賊艦隊』を迎撃殲滅し、以後もその名に誓って庇護すると宣言した麗しき海賊少女に感銘…もとい魅了され、料理人の青年は彼女の軍門に下る決心を終えていた。

 

 配下のクルーとして船長を敬うべくルフィを不慮な事故から守ろうと気合を入れるサンジであったが、その実、ただずぶ濡れな女上司の素肌に合法的に触れたいだけであることは、当の彼女にその優れた見聞色の覇気で見抜かれている。

 当然、自分の上着を羽織らせ隠れてしまった濡れ着に透ける少女の純白の下着を惜しみ涙する心の煩悩と共に。

 

 服の下に隠し、普通は人に見せない女性のブラやショーツ。ただこちらが見られて恥ずかしくなるだけのそれらを覗くのに、何故この青年はこれほど情熱を注ぐことが出来るのだろう。

 あまりにも不埒な目的を、微塵の悪意も無く遂行しようとするこの女好きの若紳士が理解出来ないルフィは、未だ清廉潔白で無邪気な十七歳の乙女である。

 

 その場で理解出来なかったことは以後の別の機会まで忘れることにしている少女船長は、未練も残さず新入り仲間の価値観に思いを馳せることを放棄し、近付く四つの気配のほうへ目を向ける。

 そこに見えたのは一味の仲間の男女、航海士ナミと狙撃手ウソップを乗せた奇妙な小船であった。

 

「あ、みてみてサンジ。ナミたちがやっとこっち追い付いたみたい。  おぉ~い!ナミ~っ!ウソップ~っ!遅ぉ~い!もう全部終っちゃったわよぉ~っ!」

 

「ッはっ!んんナミすわぁぁ~んっ!!不肖サンジ!今日よりキミの愛の奴隷に永久就職しましたぁぁぁん!どうぞよろしく扱き使ってお願いしむぅわぁ~すっ!!」

 

 指差した水平線へ向かって突然奇妙なダンスを踊り始めた料理人に、ルフィはぎょっとし思わず距離を取る。そしてしばらくその変な動きを警戒し続けていると、ふとかつての記憶が想起された。

 

 なるほど、これが十年前のあの“夢”で何度も見たサンジの代名詞“恋の舞”とやらか。

 よく“夢”のナミやロビン相手に披露していた得意技を真横で見せられた少女は、面白そうにジロジロとその動きを観察する。

 

「へぇー器用な動きね。…こんな感じかしら?」

 

 そして真似したダンスを横の人物と同じように、遠方のナミへ捧げてみた。

 

「ナミ~っ!みてみてぇ~!船長と新たな仲間のデュエットよ~っ!ぐねぐねぐねぐ  っひゃっ!?ちょ、ちょっと!どこから砲弾投げてるのよ!そんなこと出来る筋力あるならさっさと“剃”をマスターしなさいっ!!」

 

「だまらっしゃい!今すぐその下品な動きを止めんかクソゴム!砲弾もういっちょぶん投げるわよ!?」

 

「あの、ナミくん…?キミ、おれの砲撃より遠くに投げてないかねそれ…?」

 

 急に水平線の近くから豪速で飛んで来た鉄の塊を反射的に避けたルフィの耳に、魚の頭部を象った小船から恐ろしい女航海士の怒張声が届く。

 その横でドン引きしているウソップの青い顔まで視認出来る少女の驚異的な五感は、覇気を組み合わせることで、実に半径十数キロの周囲のありとあらゆる現象を捉えることが出来ていた。

 

 そして、島一つの森羅万象を容易く暴く、そんなルフィの見聞色の覇気が  突如凄まじい速さで空から接近する強大な気配を探知した。

 

 

  え?」

 

 少女船長は何気ない動作で遠くの快晴へ目を向ける。

 

 ここは群雄割拠の戦国時代における、平和の象徴東の海(イーストブルー)

 

 最後に血肉滾る闘争を繰り広げた祖父ガープとの定期稽古から早四半年。

 “最弱の海”と揶揄される心地良いぬるま湯を存分に堪能していた未来の海賊王は、“夢”の記憶の情報と、四皇にすら遅れを取らない圧倒的な武力に裏打ちされた己の絶対王政を脅かす強者の気配の接近を、まるでまどろむ寝起きの虎のようにぼんやりと見続けていた。

 

「…ん、どうしたんだ?何かあったか、ルフィちゃん?」

 

「えっ、な、何これ…?何この凄い覇気  って、ダメっ!ナミっ!ウソップっ!二人とも来ちゃダメっ!!」

 

 唐突に現れた非現実を認めるのに少女船長が要した時間は僅か数秒ほど。この海や、“楽園(パラダイス)”であれば驚異的な反応速度であるが、こと彼女が覇を望む“新世界”においては  特に『万国(トットランド)』や『ワノ国』では  致命的なまでに遅い状況把握である。

 

 もしこれが四皇との戦いの最中であれば、今の隙に一体何人の仲間たちが命を落としたことだろう。

 現在の彼らの非力な覇気を感じながら、彼らを守ると誓った船長ルフィは己の不甲斐なさに唇に血を滲ませる。

 

「…ッ、サンジごめんなさいっ!ちょっとあの小船まであなたのこと投げるわね!」

 

「はい?え、ちょ、ルフィちゃん何言って  っでわあああァァァッッ!!?」

 

 即座に祖父を、否、万一に備えそれ以上の強者を想定した時代の寵児モンキー・D・ルフィは一瞬でギアを“4(フォース)”にまで上げ、近くの無防備な新入りサンジを掴み、遠くのナミたちの魚頭小船まで放り投げた。

 

 そして投げた料理人が無事ナミの膝枕で介抱されている姿を見届けた直後、轟音と共に  近くの甲板の残骸に五つの奇妙な凹みが発生した。

 

 

  チッ、あの痴れ者め…このわらわに触れるどころか三日も宙を彷徨わせるなど無礼千万!今度会ったら切り刻んでスクラップにしてくれる…!」

 

 

 必殺の“ゴムゴムの魔嬢銃(ジェーンピストル)”を構えるルフィの鼓膜を、木屑の粉塵の間から放たれた、玲瓏とした女性の不快気な声が震わせる。

 

 

 その凹みの中から現れたのは、少女ルフィの“夢”ではこの場に居る筈が無い  絶世の傾城であった。

 

 

 

「……して、そなたが最近調子に乗っている随分な下馬評の小娘か?海軍史上最悪の裏切り者とやら」

 

 

 



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25話 王下七武海・Ⅰ

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ローグタウン海軍派出所

 

 

 

 始まりと終わりの地、ローグタウン。

 

 東の海(イーストブルー)南西の果てにあるこの港町に今、十を越す巨大な軍艦が所狭しと停泊していた。天にそびえる巨体の集団は裏町の路地裏からも見えるほど。鈍色に輝く船首の68ポンド三連装カノン砲は驚愕や高揚、恐怖など実に様々な非日常的感情を野次馬たちに駆り立てる。

 

 だがその威容に反し、周囲の誉れ高き海軍本部の海兵たちは皆苛立ちや落胆の文字を背負っていた。

 それもそのはず。海軍史上有数の大作戦を前にして、艦隊は思わぬ伏兵に出鼻を挫かれていたからだ。

 

 

   ふざけておるのか?」

 

「はぁ、こちらとしても不本意な事態だ。まさか海王類の縄張り争いに巻き込まれるとは…」

 

 そんな士気の低い海兵たちの中でも最も淀んだ空気を纏っている一人の将校が、二人の異様な男女を前に頭を抱えていた。艦隊長官に任命された海軍本部中将モモンガである。

 東の海(イーストブルー)を舞台とした一大作戦。作戦目標である例の17歳の少女と少なくない縁があるこの男は、此度の任務に軒並みならぬ思いで臨んでいた。

 その熱意に水を掛けられ苛立つ中将は、溜息交じりに目の前の巨漢と美女へ事情を説明する。

 

「ともかく、艦隊の被害は主力艦四隻小中破。残念ながらローグタウンの船廠で入渠出来る一等装甲艦は一隻のみだ。工作部の報告では損傷軽微な艦を仮設浮ドックや周囲の島々の民間造船所で修復させても再編成に最低一週間は掛かるとのこと。造船所の空きは今問い合わせてる最中だが、場合によっては今月中の作戦発令は無くなるだろう…」

 

 中将率いる主力艦十隻の大艦隊は作戦本部を設けたローグタウン派出所に向かう途中、突如現れた二体の超大型海王類とその配下と思しき海獣たちの群れに襲われ少なくない被害を負った。

 

 とはいえ全滅も視野に入るほどの災害を乗り切れたのも、このふてぶてしい佇まいの男女の力によるところが大きい。

 

「そなたたちの艦隊の話はどうでも良い。さっさとわらわに無傷な船を一隻寄越すのじゃ。道中でやられた遊蛇(ゆだ)たちの回復を待っておれば小娘に偉大なる航路(グランドライン)へ逃げられる」

 

「…四皇級の強者を相手にこんな貧弱な兵站では話にならん。十分な戦備が整うまでおれは先に別件を片付けに行く」

 

「なっ、待て貴様ら! 指揮権はこちらにあるのだ、再編成まで大人しくしていろ!」

 

 慌てて引き止めようと声を荒げるモモンガを鼻で笑うこの両者、世界政府と協定を結ぶ“王下七武海”と称される大海賊である。当作戦における主戦力である二人は、されど平然と任務を自己解釈し自分の都合の良い行動しか取らない傍迷惑な連中であった。

 

「ん? おお、あの補給を終えた船が良さそうじゃ。さっそくソニアたちに船を移らせよう。案内を寄越せ、中将」

 

「おいふざけるな! そんな勝手が許される訳なかろう!」

 

 本来であれば上官に該当する艦隊長官の指示を無視し、片割の美女が窓の外を指差す。白魚の如き彼女の指が示す先にあるのは、艦隊旗艦『オックス・ホーン号』。当然そのような暴挙を認めるモモンガではない。

 だが断固として首を縦に振らない海兵に対し、女は美しい所作で小首をかしげ不可解を表現した。

 

「“許される”? 何を申しておるのじゃ、そなたは。“許す”という行為はわらわの特権ぞ?    そなたがわらわにあの船を献上することを許す。案内はどこじゃ?」

 

「くっ、“海賊女帝”。噂に違わぬ身勝手さ…!」

 

 傍若無人な女の態度にモモンガは舌打ちを返す。

 

 

 王下七武海「“海賊女帝”ボア・ハンコック」。

 

 当代随一の佳人として名高い絶世の美女だ。見つめる眼差しは老若男女全ての心を奪い、その意に沿わぬ者は石と化すという。最高の麗容に後押しされた彼女の悪魔の実メロメロの実の能力は、幾万もの大軍を一瞬で物言わぬ石像へと変える常軌を逸した殲滅力を秘めている。

 “女帝”の名の通り、男人禁制の女ヶ島アマゾン・リリーを治める皇帝で、国最強の戦士たちを率いた『九蛇海賊団』は凪の海(カームベルト)に紛れ込んだ海賊たちを狩り、その利益で国を富ませていた。

 

 

   “海賊女帝”、何故それほど生き急ぐ。“麦わら”は協力せずして倒せる相手ではない。お前一人が突出しても無様に散るだけだ」

 

「……このわらわが、小娘相手に、()()なるじゃと? 今一度申してみせよ、下郎…!」

 

 そんな高慢な“女帝”へ無遠慮な言葉を投げ掛けるのは、同じく王下七武海の一席「“暴君”バーソロミュー・くま」。

 南の海(サウスブルー)ソルベ王国の元国王であり、かつてはその異名の通り暴虐の限りを尽くしたとされる人物だが、世界政府への貢献という一点においては海賊とは思えないほどに従順かつ有能であった。

 もっとも、あくまで海賊の枠組みにおいて、ではあるが。

 

「…その年でもう耳が遠くなったか? おれに面倒な七武海“新規”任命の手間を負わせるなと言っている」

 

  ッッ! 貴様もわらわを愚弄するか? よかろう乗ってやるぞ、その挑発…!」

 

「だから大人しくしてろと言っとろうが、こんのクズ共がァッ!」

 

 隙あらば相手の神経を逆撫でし反応を楽しむ性悪集団。絶対的な武力と、それに裏打ちされたふてぶてしいまでのプライドは彼ら彼女ら大海賊の代名詞だ。

 

 そんな傲慢な連中の中でも特にその傾向が強い美女“海賊女帝”が、射殺さんばかりの眼つきで海軍高官を睨み付ける。

 

「クズとは何じゃ中将、不敬であろう! 直ちにあの船を寄越さねば……今この場で石にしてくれるっ!」

 

「! 貴様、艦隊長官を脅す気か!?」

 

「そうか断るか。…なら死ね   

 

 文化的に男を弱者と見下す女ヶ島の皇帝は、当然のようにこの場の書面上の最高権力者である艦隊長官モモンガを処刑すべくその力を発動する。彼のように能力の効きが悪い強者であろうと、直接触れば一瞬で終るほどの恐ろしい力だ。

 

 だが、“女帝”の繊麗な真玉の手は、別の人物の左腕に遮られた。

 

 

  待て、ハンコック」

 

 その華奢な手首を掴んだのは隣の巨漢。“暴君”の異名を持つバーソロミュー・くまだ。

 女の悪魔の実の能力に侵され少しずつ石へと変貌していく自身の手を放置し、男はもう片方の手の皮手袋を口で脱ぎ捨てた。

 

「…何じゃ貴様。薄汚い男の分際で誰の許しを得て我が名を呼ぶ、我が玉体に触れる! そなたも石になるか、痴れ者めっ!」

 

「逸るお前に船より上等な手段を紹介してやるだけだ。少しじっとしていろ」

 

 殺気をモモンガからこちらへ向け直す“女帝”の白磁の柔肌に、巨漢の手が迫る。

 

 

「ッ! 何をす  

 

 

 その瞬間、ぱっ…という気の抜けるような音と共に、女の姿が掻き消えた。“海賊女帝”に負けず劣らぬ、“暴君くま”の恐るべき悪魔の実の能力である。

 

「く、くま!? 貴様まさか…っ!」

 

 すると一部始終を唖然とした表情で見つめていたモモンガ中将が我に返り慌てて騒ぎ立てた。

 

「本人の希望だ」

 

「ふざっ、ふざけるなっ! 今すぐ連れ戻せ! あのガープ中将すら舌を巻くほどに成長したルフィだぞ!? 幼い頃ならともかく今のあの子にいくら七武海とはいえ単独で勝てる訳なかろう!!」

 

「それもまた本人の希望だ」

 

「貴様の挑発のせいではないかっ!!」

 

 その言葉に平然と返ってきたのは、俄に信じられない情報であった。

 

「身に覚えが無い。それに挑発と言うのなら政府上層部を責めろ。あの連中は“海賊女帝”を動かすために先日の会議でヤツの地位剥奪を仄めかした」

 

「…ッ! 五老星がだと?」

 

「この作戦には監視役のおれを除き、七武海の中でも政府への貢献度が特に低い者が従事している。不参加は地位剥奪の口実として十分だ」

 

 王下七武海の主な活動は海賊退治とその成果の一部上納、そして有事の際の政府側への協力である。この前者における貢献が最も著しい者が「サー・クロコダイル」と「ゲッコー・モリア」、後者に「“暴君”バーソロミュー・くま」が当てはまる。

 また政治的判断により、「海侠のジンベエ」が魚人島との、「“天夜叉”ドンキホーテ・ドフラミンゴ」がその特別な血統および新世界ドレスローザ王国との、そして「“海賊女帝”ボア・ハンコック」が凪の帯(カームベルト)女ヶ島アマゾン・リリーとの、それぞれ同盟の象徴として世界政府よりその地位を与えられている。

 そして、その何れにおける貢献が最も少ない男でありながら、その圧倒的な知名度による抑止力として長年勤めを果たしてきた、世界最強の大剣豪「“鷹の目”ジュラキュール・ミホーク」。

 

 このようにそれぞれ相応な武力並びに政治的評価の上で王下七武海の座に迎えられているが、政府側の彼らに対する評価は実に現金かつ合理的であった。

 

「斬れ過ぎる上、勝手に手から滑り落ちる刃を好む者はいない。ましてや上納金を改竄する者、財宝ごと海賊船を真っ二つにする者など、政府からしてみれば鼻持ちならぬ同盟相手だ。()()()()()()()()()()()が現れれば、用済みと判断されてもおかしくはない」

 

「せ、政府がルフィと引き換えにあの女を見限ったと言うのか…!?」

 

「まさか。上がその可能性を“海賊女帝”へ挑発的に仄めかしただけだ。十年にも亘る計画を反故にされた政府が裏切り者を権力中枢に迎え入れるはずが無い」

 

 モモンガは唇を噛みながら「だろうな」と肩を下ろす。その口惜しげな姿をじっと見つめる巨漢であったが、詳しく追及することはせず、ただ淡々と“女帝”の参戦経緯に関する持論を披露した。

 

「あの女は愚かだが、その部下には多少道理がわかる者がいるらしい。恐らく先々代皇帝グロリオーサあたりが事態を重く受け止め、何とか“女帝”へ作戦に参加するよう説得したのだろう」

 

「…政府も最早形振り構わなくなったか。ムキになった“女帝”が短絡的な行動に出ることなど予想が付くだろうに…   い、いや! ならば尚更連れ戻さなくてはならん! ヤツが七武海のまま死ねば世界の均衡が乱れるのだぞ!?」

 

 しばらく眉間を押さえていた長官であったが、はたと現状の大問題を思い出し慌てて事の下手人へ食い掛かる。

 だが“暴君”が自身の身勝手な判断を改めることはなかった。

 

「…“麦わら”が生き残れば“海賊女帝”の死どころではない大混乱になる。失敗の許されないこの討伐作戦において、協調性がない者は威力偵察にでも使い倒せばいい」

 

「貴様…! 四皇級の強者相手に戦力逐次投入の愚策を犯せというのか!?」

 

「元よりあの身勝手な女は戦力と見做していない。そんなことよりおれは別件で忙しい。極秘任務について知りたいのなら本部に問い合わせろ」

 

「なっ、おい! 待っ   

 

 

 必死の制止も虚しく、巨漢の姿が“女帝”同様に掻き消える。

 

 一人残された『バスターコール○二一一艦隊』長官モモンガ海軍本部中将は、虚しく空を切った己の両手で固い拳を握り、割れた窓から決して届かぬ怨嗟の咆哮を憎き男へ叩き付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

 潮に濡れた粉塵が泥のように跳ねる、死したガレオン船の甲板。乾燥したチーク材の浮力で最後の勇姿を見せる巨船の遺体の上で、二人の女が対峙していた。落ち武者たちの怨念蔓延るこの洋上の墓場にあまりにも不釣合いな、蒼空に座すべき天女の如き美女たちである。

 

 だが、その周囲に満ちるのは圧倒的な覇者の威光と、火山の火口にも迫る高熱の蒸気。短い沈黙の後、片割の  強烈な蒸気をその身に纏った  些か未熟さが残る幼げな美貌の少女が呆けたように相手の名を呼んだ。

 

   ハン…コック?」

 

 澄んだ鈴音の声に眉を寄せたのは、少女に対峙する女性。頭頂から足の爪先、髪の毛先に至る全てが天上の神々によって生み出された人形のような、至高の言葉に相応しい美姫である。

 

「…ふん、わらわの威圧を受け顔色一つ変えぬか。噂に違わぬ実力者よ、モンキー・D・ルフィ」

 

 美姫  王下七武海「“海賊女帝”ボア・ハンコック」は忌々しげに目の前の少女を観察する。

 

 妙な容姿の小娘であった。

 この絶世の美女と名高い自分に迫る美しさの、細身ながら妖艶な肢体には同性の己も思わず目を見張るほど。だがその相貌は童女の如く幼げで、年頃の娘とは思えないほどにあどけない。

 それはまるで二人異なる年齢の女を無理やり一人に接合したかのように不釣合いで  もし自分を当代随一の作曲家による最高傑作とするならば、少女は幾人もの天才たちが各々好き勝手に自身の最高傑作を強引に繋ぎ合わせたメドレーのような  実に非現実的で不調和な美であった。

 ゴム人間らしい異常なほど滑らかで無機質な肌も、精巧な夜空の星雲を描いた白磁器のような宝飾的な双眸も、そのアンバランスでちぐはぐな造形を際立たせる。

 

 だが、そんな容姿の印象を霞ませる特徴が一つ。

 

 

(何と、何と言う覇気じゃ…)

 

 女は思わず唾を呑む。今まで出会った名だたる海軍や海賊の強者たちの中でも、纏う気配の密度が桁違い。見聞色の覇気が訴えるその力はまさに人の身を超えた怪物のそれ。見通せる実力の底は深海の海溝のようで、暴こうと潜れば力の水圧で押し潰されるほどに果てしなく、深い。

 

 特筆すべきはその両手先に圧縮された武装色の覇気の結晶。振るった軌跡がそのまま金剛石をも海岸の砂山のように抉るであろう途轍もない強度の武装硬化は、まるで他者の覇気を拒むように凶猛な黒雷を弾けさせている。

 その一部がまるで蜂の二対の翅のように背中から放電される様は、灼熱の蒸気に覆われる少女の化物じみた姿も合わさり、動物(ゾオン)系幻獣種の獣人形態宛らの人外異様であった。

 

(これほどの力、女ヶ島の者では無いのか? 英雄ガープの孫娘より、国を捨てた歴代女帝の落胤と言われたほうがまだ納得がいく)

 

 まじまじと、それでいて決して相手にその内心を悟らせない尊大な態度で、女は不気味な赤光を帯びる武装硬化に覆われた小娘を睥睨する。

 だがそれが所詮虚勢であることは、他ならぬ彼女自身が誰よりもよく理解していた。

 

 女ヶ島の女尊男卑の価値観を重んじるアマゾン・リリー皇帝だからこそ素直に認めることが出来る、少女の強者としての格に、天地万人に名高い“海賊女帝”はただ只管に圧倒されていた。

 

 

「私の名前……ハンコック、あなた私のこと知ってるの…?」

 

 そんな困惑げな小娘の声が彼女の意識を浮世へ戻す。

 

「私、“あなた”とは初めて会うハズなんだけど……え、初めてよね? だってあなた凄い睨んで来るし…」

 

 揺れる瞳でこちらを窺う美しい少女が武装硬化や黒雷を解除する。ハンコックは相手の纏う覇気が一気に緩むのを感知した。

 好機だ。

 

「知らぬ。そして知る必要もない!   虜の投槍(スレイブジャベリン)”!!」

 

「ッきゃ! ちょ、ちょっと…っ!」

 

 当初のような慢心は最早無い。己に害なす強敵と判断したハンコックは、小娘の隙を好機と捉え一撃必殺の石化投槍を放った。

 

 豪速で飛翔する桃色の大槍がそのはち切れるほどに大きな胸元へ迫り、そして寸前の所で空を切る。代わりに穿ったのは背後の船首楼。瞬く間に石灰質の薄灰色へ変色した『ドレッドノート・サーベル号』の遺体が自重の増加に大きく揺れた。

 これが“海賊女帝”の悪魔の実の力。彼女の魅力に酔う無礼な有象無象を石へと変貌させる、メロメロの実の能力である。優れた使い手であるハンコックは研鑽を重ね、一部を除くほぼ全ての攻撃に制限なしの石化効果を付与出来る領域にまで至っていた。それはすなわち、自身の魅力に動かされない硬い意思の持ち主や、草木植物、果てには銃弾や建造物などの無機物すら“女帝”の力に平伏すということ。

 

「ちっ、素早しっこいガキが…」

 

「まっ、待って待ってハンコック! 私は敵じゃないわよっ!」

 

 とはいえ、攻撃が当たらなくてはその頼もしい能力も意味を成さない。蒸気の放出を解いた敵の少女が甲板を転がるように逃げる姿に舌打ちを吐き、ハンコックは同様の攻撃を両手に宿らせ、続く二連撃を投擲する。

 進路を遮るように放った双槍は床一面を冷たい石に変えるも、目当ての小娘はその玉のような柔肌に掠り傷一つ負っていない。先ほど帯びていた高熱に晒され乾いた衣類に汗一つ滲ませない余裕が垣間見える。

 まるでこちらの攻撃を見通しているかのような巧妙な回避術に女は目を見開いた。

 

 それは紛れも無い“見聞色の覇気”。それも、女ヶ島において誰一人として避けることの出来なかったこの自分の一撃を容易く回避出来るほどに磨き上げられた、美しい覇気であった。

 

(実に見事…やはり女こそが最強なのじゃ)

 

 だが、気に食わぬ。

 か弱げな四肢でバネのように跳ね上がり体勢を整える給仕服の女の子。華奢ながらも瑞々しい肉感を弾ませ、事無げに攻撃を避ける小娘の姿にハンコックは更なる皺を眉間に寄せる。

 

「出過ぎた杭は十分にわらわの敵じゃ! 大人しく石になるがよい、小娘!」

 

 少女の実力は既に把握、否、把握出来ないほどに高いと悟っている。ならばこそ、この小娘に思い知らせてやらねばなるまい。女ヶ島の“九蛇”の戦士たちこそが女の頂点なのだと。

 その辺の凡俗に遅れを取るなど、アマゾン・リリー皇帝の名が廃るというもの。

 

 横暴な女帝の追撃から逃れようと、慌てる小娘の可憐な後姿が空を駆ける。だが遮蔽物の無い空中にいる敵など容易い的だ。

 

「“虜の矢(スレイブアロー)”!!」

 

「きゃあああっ!!」

 

 それはハートの弾幕であった。機関銃すら凌駕する無数の矢が風を切り裂き無防備な少女へ殺到する。射抜くもの全てを物言わぬ石像へと変える即死の嵐。

 

「ッ! こういう攻撃ずっと前のくま相手以来だけど……もうあのときとは違うのよっ!    “ギア2(セカンド)”!!」

 

 しかし、石化の矢雨は届かない。

 突如あの強い熱気を蒸気と共に放出し始めたゴム娘が、稲妻の軌跡を描きながら弾幕の隙間を縫うように宙を舞った。超人的体術『六式』と見聞色の覇気を併用した高等立体移動術だ。六式に明るくないハンコックはその技名までは知らないものの、海軍の連中がたまに使う体術を発展させたものだろうと当たりを付け、弾幕の密度を倍増させ対応する。

 

 この程度は想定済み。そして既に本命の攻撃の“仕掛け”は終えた。

 あとは小娘の注意をこちらに引き付けておけば、見聞色の覇気を周囲に割く余裕を削れ、磐石となる。

 

「避ける隙間も与えぬ!   虜の弓兵隊(スレイブサギタリウス)”」

 

「ひゃっ、増えちゃった! ならこれならどうかしら?    “ゴムゴムの軟変体(アメーバ)”!!」

 

「!?」

 

 だが、その気合を込めた石化の矢が命中する瞬間、攻撃が少女の体をすり抜けた。

 見間違いではない。ゴム娘の脇腹や即頭部がまるで粘体のように変形し矢が貫通したのだ。悪魔の実の基本的な理を完全に無視したその現象に、ハンコックは驚愕する。

 

「な、貴様ゴムの超人系(パラミシア)のクセに自然系(ロギア)の真似事が出来るのか!?」

 

「ふふん、“夢”でカタクリがやってた先読み変形よっ! 見聞色の覇気に“紙絵”と“生命帰還”を一緒に使えば私のゴムゴムの実でもあの人のモチモチの実の真似が出来るんだからっ! 流石に体に穴開けるのは無理だけど!」

 

 かつて祖父ガープの紹介で海軍の教官より考案された、生命帰還の併用で行使する“紙絵”の上級奥義、“軟泥(スライム)”。伸縮及び弾性に富むゴムの肉体は工夫次第で実に無数の応用が可能であった。

 

「くっ、猪口才な…っ! じゃが   

 

 勝ち誇った笑みを浮かべながら、ハンコックは天を指差す。

 

 小娘の技は確かに効果的である。驚異的な見聞色の覇気を駆使し、それに合わせ自在に体を変形させる超反応を持つからこそ、このゴム人間は超人系(パラミシア)の能力の枠を超えた身体運用術を確立出来ていた。

 

 だが、それはいわば強引に理を捻じ曲げているのと同義。当然、処理しなければならない情報も、張り巡らせなくてはならない意識も桁外れ。ただでさえ人知を超えた精神力を要する覇気と生命帰還。更には無数の即石化の矢が襲い掛かる状況に晒され、掛かる心理的負荷は到底一人の人間に負えるものではない。

 

 果たして小娘はそのような状態で、空から迫る脅威に気付くことが出来るだろうか。

 

 答えはその幼げな顔に描いてあった。

 

 

「これならどうじゃ、小娘?」

 

「えっ   はああぁっ!?」

 

 

 そしてハンコックが指差した先を見上げた少女へ   石化した天が墜ちて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『サバガシラ1号』

 

 

 

 海上レストラン『バラティエ』から数キロの遠洋。そこに漂う小舟の乗員たちは、生まれて初めて感じる物理的な意思のぶつかり合いに、ただひたすら足を竦ませることしか出来なかった。

 

 

「ちょっとサンジくん!何が起きてるの!?」 

 

 沈み行く『クリーク海賊艦隊』旗艦のガレオン船を望む奇妙な小舟『サバガシラ1号』。海上レストランの臨時ウェイトレスにして『麦わら海賊団』の船長である少女ルフィを援護すべく出動したこの魚頭の小型砲艇では今、戦闘どころではない大騒ぎが起きていた。

 

 大爆発と共に巨艦が真っ二つに裂けてしばらく。突然、船長に連れて行かれた新たな仲間の青年料理人サンジがこちらに飛んできたかと思えば、直後入れ替わるようにガレオン船の甲板に何者かが墜落し、そのままルフィと戦闘を始めたのである。

 訳がわからぬ航海士ナミが声を荒げるのも無理はない。

 

 だが美しき海の乙女に名を呼ばれた愛の奴隷騎士が彼女に返せる答えは、否の一文字のみ。

 

「ッ、悪いナミさん…! 突然ルフィちゃんが慌てだして、事情を聞こうと思ったときは既に放り投げられてたんだ…!」

 

「ったく、あの子はいつも勝手ばっかり…!」

 

 苛立つナミは隣の狙撃手ウソップと共に口惜しげに遠方のガレオン船の残骸を見やる。

 

 それもそのはず。鮮やかな桃色の光を放つ大槍を握る薄着の女らしき人影と、突き出される攻撃から転がるように逃げる一味の少女船長。その姿を辛うじて捉える彼ら彼女ら仲間たちの目には、俄かに信じ難いものが映っていたのだから。

 

「な、なあ…ルフィがあんな追い詰められてんのって初めてじゃねェか…? クロんときの無双っぷり見てたらアイツが苦戦するとこなんて想像も出来ねェんだけど。一体あそこで何が起きてんだ…?」

 

「私だってわかんないわよ…っ! まさかあのルフィとまともに戦えるヤツがいるなんて…」

 

 未だ長い付き合いと言えるほどの関係ではないが、両者共にあのおバカで強大な船長に惹かれて『麦わら海賊団』に加入した身であり、麦わら少女のずば抜けた戦闘力に絶対的な信頼を寄せていた。ルフィならどんな相手でも鼻歌交じりに瞬殺し一味の皆を守ってくれる、と。

 

 だが、今彼らの前にはその絶対的な信頼を裏切る恐ろしい光景が広がっていた。

 

 

   ッ!お、おい今の…!」

 

 そのとき、『サバガシラ1号』に乗る一同は、傾いた巨艦の甲板に敵が放った桃色の大槍が刺さる瞬間を目にした。するとその直後、瞬きする間に船の残骸から色が失せ、モノトーンと化した船尾楼が一瞬で水底へと沈んだのである。

 まるで石像のように一切の抵抗なく海へと消えたガレオン船の後部に、目撃したウソップが驚愕の声を上げた。

 

「うっ、嘘だろ…!? あの石になる力は有名な”七武海”の…!」

 

「“七武海”ですって!? じゃ、じゃあまさかあそこでルフィと戦ってるヤツってゼフさんが言ってたあの…!」

 

 機関銃のような光の矢を放ち、瞬く間に巨艦の残骸を石に変え粉砕する若い女。そのような常軌を逸した芸当が可能な人物はこの世に二人といない。

 

 自他共に認める海賊オタクのウソップと、大先輩の老海賊料理人が唱えた一つの仮説。以前目にした『ドレッドノート・サーベル号』の惨状から想定される最悪の展開が現実となったことに、海賊たちの顔から血の気が引く。

 

「そんな…っ! “王下七武海”が仕留め損なったクリークたちをわざわざ追いかけて来たって言うの…?」

 

「どういうことだ、ナミさん! その“王下七武海”ってのは一体…?」

 

 恩師ゼフ以外の海賊との縁が少ないサンジは、初めて耳にするその仰々しい呼び名に不安を隠せない。

 

 だが詳細な情報を求めた相手が述べた名は、青年が密かに憧れていた、とある大海賊を指す蠱惑的な称号であった。

 

「むしろお前が知ってなきゃダメなくらいだろ! あの敵はクリークの五倍近い、初頭懸賞金額8000万ベリーの化物中の化物だ! 魅了したヤツを全て石にする“メロメロの実”の能力者で、そして   “世界一の美女”って言われてる女海賊!その名も『“海賊女帝”ボア・ハンコック』!」

 

「!!?」

 

 

 “海賊女帝”ボア・ハンコック。

 

 おそらく、この世で彼女の名と逸話を知らぬ男はいないであろう。魚人島の”人魚姫”と共に語り草にされる、写真であっても死ぬまでに誰もが一度は目にしたいと願う、究極の美女。当然、青年も耳にしたことのある名であった。

 まだ見えぬ、決して抗えない至高の婀娜を想像するだけで虜になってしまいそう。

 

 だがその天上の華を一目見ようと遠く首を伸ばす不埒者も流石に事態の深刻性を理解し、船長ルフィに託された非力な仲間たちを守ろうと背に庇う。

 

「ナミさん、おれの後ろに…!」

 

「ヤ…ヤベェ、どうすんだナミ! あんなの天災みてェなモンじゃねェか…! 戦うどころか巻き込まれただけで死んじまう!」

 

「嘘、嘘嘘冗談じゃないわよ! 大海賊なら大海賊らしく偉大なる航路(グランドライン)に引っ込んでなさいよ…っ!」

 

 次々に石化の弾幕を繰り出す神話の怪物に慌てふためく『麦わら海賊団』。これほどの距離からでさえ感じることが出来る圧倒的な死の気配に、ウソップは恐慌から身近な人物に縋り付く。

 

 そんな箱入り少年の腕の中で震えるナミは、その特異な生い立ちから目の前の強敵の実力をより具体的に認識していた。

 

(王下七武海って言ったら、あのアーロンさえも配下にしちゃう“海侠のジンベエ”と同格の化物じゃない…っ!)

 

 戦えるわけがない。

 

 ナミは干乾びた喉で空気を嚥下する。脳裏に浮かぶのは、幾人もの勇者たちが挑んでは散っていった、故郷を虐げる魚人族の姿。人間の十倍もの筋力を持ち海中を支配する半魚の亜人共は、その異形の口が唱えるとおりの“万物の霊長”に相応しい絶対強者だ。

 少なくとも、連中に心折られたナミにとっては常にそうであった。

 

 だが、今彼女の目の前で一味の少女船長ルフィと戦っている敵は、その最強の種族たる魚人族の頂点の親玉までもが名を連ねる世界政府公認の大海賊。土俵が、位階が、格が違う。自分たち有象無象とは文字通り生きる世界が異なる、伝説に語り継がれるべき超越者。

 そんな想像すら出来ない力を持つ、この世の頂点の一人こそが、眼前の名高き王下七武海ボア・ハンコックなのだ。

 

 

 逃げなくては。

 

 天を貫く大樹のマストが女の蹴りの一つで棒切れのように水平線へと吹き飛んでいく恐るべき光景に、海賊たちの体を原始的な恐怖による自己防衛命令が走る。

 故に、彼ら彼女らが取ろうとした行動は単純で、誰もが真っ先に考え納得するものであった。

 

 だが逃走を図るナミたちを嘲笑うかのように、王下七武海は一同に強者の理不尽を見せつける。

 

 

   えっ?」

 

 最初にその異変に気付いたのは航海士のナミであった。

 肌で天候変化の予兆を読み取れる超人的才覚を持つ彼女は、周囲に漂う気圧と湿度が急激に下がったことを感知する。

 その直後、突然暗転した視界に困惑する仲間たちに先駆け、ナミは自身の直感に従い空を見上げた。

 

「……は?」

 

 女航海士の呆けた声に釣られ、男衆の首が天へ向けられる。

 そして彼女と変わらぬ顔で顎を垂らした。

 

「……なんだあれ? なんでこんな海のど真ん中に、石の天井があるんだ…?」

 

「…幻でも見てんのか?」

 

 その言葉が真実であればどれほど救われるだろう。

 

 一同の頭上には、遠方のクリークの海賊船はおろか自分たちの立つ『サバガシラ1号』までもを覆い隠すほどの、見るもの全てを圧倒する巨岩が浮かんでいた。

 否、それは岩などという小規模なものではない。頂上が見えぬほどに高くそびえる、天に漂う空飛ぶ島であった。

 

 唐突に奪われた曇天の空に海賊たちは唖然とする。

 

「…嘘。この気圧、湿気の感じ……もしかして上の積乱雲が消えた…? あ、ありえない! 一体何が起きたらあんな低気圧の塊が一瞬で消滅すんのよ!? それにあのでっかいのって   まっ、まさか…!!」

 

 だが天候を知り尽くす橙髪の少女にはわかるのだ。突然現れた宙の巨体に遮られ生まれる気流の異常な動きが。大気から多量の湿気が消えたことが。

 

 そして、何か巨大なものが高速で移動する不気味な風切音が…

 

「…おい。なんかあれ、落ちて来てねェか?」

 

『……』

 

 その震え声に返事を返す者はいない。皆が頭上の異常に目を奪われたまま、ただ茫然自失とし続ける。

 

 そして幾度の瞬きの後、彼ら彼女らの情けなくポカンと開いた口から出てきたのは   お手本のような絶叫の大合唱であった。

 

 

『うっ  うわああァァッ!!?』

 

 

 目の前に広がる信じがたい光景は、宛らこの世の終わりの一頁。まるで天の裁きの如く、絶望的なまでの大質量が眼下の全てを滅ぼさんと東の海(イーストブルー)の大海原へ墜ち迫る。

 

 そして遠方のガレオン船の傾斜するマストを木端微塵に圧し折りながら、終末の隕石は『麦わら海賊団』の三人を乗せた魚頭の小舟を圧し潰した   

 

 

    かに見えた。

 

 

 

 

 

 

  ちょっとハンコック! いくら”ルフィ”の友達でも、私の仲間たちを巻き込むなら許さないわよっ!!」

 

 

 死を覚悟し、ナミたちの理性が己の命を諦めようとした瞬間。

 

 突然の強烈な衝撃と浮遊感の後に一同の鼓膜を震わせたのは   皆の偉大な船長の、愛らしい涼音の幼声であった。

 

 

 

 



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26話 王下七武海・Ⅱ (挿絵注意)

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所“巨雲島”

 

 

 

 眼下に広がる光景は、まさに地獄と形容するに相応しい、死の海であった。

 

 天高くそびえる積乱雲の体積は山を越え、文字通り島一つに値するほど。その巨体全てが岩石の塊と化したとき、千メートル近い宙に浮くそれが一体どれほどの潜勢力を秘めているか。

 

 答えは今、空を漂う心細い小舟に乗る『麦わら海賊団』の目に焼き付いていた。

 

「なによ、これ…」

 

 海の底まで届く、全長一万メートルを超す桁外れの大隕石が落下した東の海(イーストブルー)の水面は、まるで世界が窪んだかのような大きな歪を起こした。それは平和を汚す異物に対するこの海の最後の抵抗であり、直後空しく屈服した青き大海原は、寸前の平穏が嘘のような大爆発で荒れ狂った。

 歪んだ水面は巨石の周囲に輪を描き、踏み潰された水風船のように破裂する。しかしその規模は天地の差。盛り上がる海水の巨丘は山脈より高く、弾け飛ぶ潮は島一つを容易く更地へ変える大津波と化す。不規則な水圧の乱れが無数の大渦を育み、暴れる洋上では峰のような高波がぶつかり合う想像を絶する大災害。

 

 小型砲艇『サバガシラ1号』と共に宙に浮かぶ五人は、辺りに広がる死の海を、まるで狐に抓まれたような呆けた顔で見つめていた。

 

 

 そして飛沫の轟嵐の果てに現れたのは、天より墜ちし破滅の星の残骸が育んだ一塊の岩の孤島であった。

 

 

   みんな、ちょっとあの岩の島で待ってて! 先にメリーと『バラティエ』守って来るわねっ!」

 

 ふいに先ほどの少女の声が再度耳に届き、唖然とする一同は我に返る。

 

「ッ、ルフィ!? ルフィなの!? 無事なの   っきゃあっ!?」

 

『うわっ!?』

 

 慌てて周囲を見渡す一味のクルーと料理人たちは急に足が竦む浮遊感と共に降下し、ふわりと渦中の石化した積乱雲に降ろされた。実物に触れればよくわかる。圧倒的な体積。圧倒的な質量。これほどの物体が空から降ってきたなど、その瞬間を目撃した者でなければ到底信じることなど出来やしない。まるで最初からそこにあったかのように、王下七武海「“海賊女帝”ボア・ハンコック」が生み出した岩の孤島は、東の海(イーストブルー)の大海原に堂々と聳え立っていた。

 

   ハッ、ルフィ! ルフィはどこっ!?」

 

「ッ、ルフィちゃん待ってくれ! こんな海の中で君一人で行かせるわけには…っ!」

 

「!! そ、そうだっ!こんな大災害じゃおれたちの店が沈んじまうっ!」

 

「メリーも無事じゃ済まねェぞ!」

 

 立て続けに起きる奇想天外の非日常に慌てふためく海賊たちと操縦席の暴力コックコンビは、頼れる唯一の味方に縋ろうとする。されど空飛ぶ給仕服の少女ルフィを探す彼ら彼女らの目に映るのは、吹き荒れる嵐と荒れ狂う地獄の海景色ばかり。

 

 すると突如、聞き慣れない大人びた美しい女声が潮の竜巻の中から投げ掛けられた。

 

 

   フン、仲間どころか周囲の被害にまで気を配る余裕を見せるか。忌々しい小娘じゃ…」

 

『!!?』

 

 咄嗟に背後から届いた声の方角へ振り向く一同。石化し海に墜ちた積乱雲の頂点に、一つの人影が水煙のベールの中に浮かび上がっていた。

 

 霞む大気の中に現れた、長身の女性のシルエット。

 

 それは砂時計のように深く括れる官能的な腰に手を当て、嵐を物ともせずに凛々しく佇んでいた。豪奢な刺繍の縫われた赤い腰巻から覗いているのは、大きく滑らかな臀部からすらり伸びる、美しい曲線を描いた長い足。胸には見事な二つの大豊穣が深い渓谷を作り、場の老若男女を一人の例外なく釘付けにする。

 

 彼ら彼女ら『麦わら海賊団』の脳裏に共通してチラつくのは、皆がよく知る麦わら帽子の女の子の姿。だが、胸元の双峰を除けば些か子供らしい華奢さが目立つ一味の少女船長とは異なり、目の前の女の肢体はまさに完成された女体と称するに相応しい肉感的なもの。

 

 そして、絶えず吹き荒む突風に流され露わとなった女の美貌に、小舟の五人は一瞬で恋に落ちてしまった。

 

「美の…女神?」

 

 呟かれた小さな擦れ声は誰のものであったか。比喩でも賛美でもない。ただ、すとん…と全ての知性ある生き物の心に落ちるそれは、目の前の存在に何よりも、誰よりも相応しい言葉であった。

 

 風に舞う長く整えられた黒髪は、はためく絹織物から清流に流れるオーガンジーへと千変万化の姿を見せる、天女の羽衣の如く。左右で対称に分かたれた前髪は、決して交わることのない相反する色でその下の透き通る白肌を際立たせ、微かに浮かぶ潮の水滴は宛ら磁器の器に煌めく水晶粒のよう。豊かな黒色の額縁の中に飾られた深海のように深い藍色の懸珠は、見惚れる哀れな有象無象を決して帰らぬ恋の水底へ誘う蒼き宝玉の瞳。

 それら全てを包み込む淡い光は、彼女の柔らかな素肌の感触を見る者全てに視覚を以て感じさせるほどに瑞々しい輝きで、目元の濡れたように艶やかな漆黒の眉と睫がその幻想的な灯を美しき麗貌の形に引き締めている。

 

 地獄の海に囲まれた岩島に恐る恐る降り立った『サバガシラ1号』の面々。一同の前に現れたその女は、この世の男女の理想を遥かに凌駕した、まさに文字通りの“天上の美”であった。

 

「う、美しい……」

 

「すげぇ、こいつがあの“海賊女帝”…! 世界一の美女って名高い大海賊か…」

 

「…は、はは……何なのこいつ…。こんなのが同じ人間の女だなんて思いたくないわ。どっかの有名な彫刻家にでも顔と体を作って貰ったのかしら…」

 

「あぁ…ぁぁぁ……おれ、もうここで死んでもいいやぁ……」

 

「お…おぉぉ…女神よ…」

 

 女のあまりの佳に、ナミたちは悠々と近付く怪物  王下七武海「“海賊女帝”ボア・ハンコック」の至高の美姿をぼんやりと見つめることしか出来ない。

 

 一歩、また一歩。コツ、コツ、と響く人形の如き傾城の足音は、弱者に死を宣告する処刑の秒針。歩み寄るその女が秘めた力は、周囲に広がる荒海の大災害を容易く起すほどに強大で、たとえ天地が逆巻けど対峙して生き残れるものでは断じてない。それでも一同全員の脳は、逃げるという発想に至ることを拒み続けた。

 それも致し方なし。一体誰が、こんな華やかで美しい姫君に、これほどの地獄を作り上げるほどの人知を超えた力が宿っていると納得出来るというのか。自分たちが両足で踏み締める、この堂々と鎮座する岩の孤島が、彼女の手によって生み出されたものであると認められるのか。

 

 故に、近付く女神に釘付けな新米海賊たちが自らの過ちに気が付いたのは  美女の怪物が目と鼻の先の距離に立った  全てが手遅れとなったときであった。

 

 

「……誰じゃ、一体…わらわの通り道に   

 

 不快げな声色がナミたちの耳に届いたその瞬間、美女が横たわる『サバガシラ1号』に無造作な蹴りを入れた。

 

   こんな醜いガラクタを置いたのは…」

 

『!!?』

 

 軽い遠心運動。

 たったそれだけの無気力な動作で、小型砲艇が無数の鉄と木板のゴミと化した。人を容易く屠る黒鉄の破片が目にも留まらぬ豪速で爆ぜ散り、周囲に立ち竦む五人に襲い掛かる。

 咄嗟に頭を庇うことが出来たのは、つい先日ゲッコー海で死線を潜った海賊一味、そして日頃より荒事に親しんだ暴力コックだからであろう。辛うじて軽傷で潜り抜けたナミたちは破裂しそうなほどに暴れる心臓で間近の敵から後退る。

 

(やっ、ヤバいヤバいヤバ過ぎる…! あんなテキトーな蹴りで鋼鉄の大砲が砕け散るなんて、完全に魚人の筋力超えてるじゃない! そのほっそい足のどこにそんな力があんのよ、こいつ…!)

 

 体中を血が忙しなく巡っているはずなのに、その顔は死人の如く青褪め、足は生まれたての小鹿のように震えるばかり。女の非現実的な美しさに魅了され、辛うじて残っていた僅かな彼我の距離さえも失ったナミは、後悔と絶望に涙を目元に滲ませる。

 

 だが、恐怖に固まる女航海士は直後、思わず困惑の声を零してしまった。

 

 

「……ぇ?」

 

 腕を伸ばせば捕らわれてしまうほどの、不可避の距離。

 

 それほどの側まで近付いていながら、この場の全ての命を握る美女は視線一つ寄こすことなく、彼女たち五人の間を素通りしていったのである。

 

『……は?』

 

 “海賊女帝”の不可解な行動に残りの男たちがナミに続くように顎を垂らす。

 まるで視界に入っていないかのように平然と通り過ぎる絶対強者。それはまさに王者に相応しい勇ましさで、同時に数多の男の心を捕らえて離さぬ煽情的な足運びであった。

 

 周囲の視線が背中に集中する中、我関せずと嵐の奥へ消えていく“王下七武海”を、一同はポカンと呆けたまま見送り、そのまま茫然と立ち尽くす。

 

 

「……見逃して…貰ったのか…?」

 

 

 擦れた声で呟かれたウソップのその言葉は、確かに自分たちの境遇を表すに最も適したもの。

 されどそれが自身が生き残れた理由の全てではないことに気付かぬ『麦わら海賊団』の三人は、未だ“未来の海賊王のクルー”としての自覚に乏しい、平和ボケした東の海(イーストブルー)の零細一味に過ぎなかった。

 

 

 自分たちが  「眼中にすら無い程度の弱者である」という、あまりにも不名誉な真実に気付かぬまま、彼ら彼女らはただ情けなく腰を抜かし続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

 嵐吹き荒む東の海(イーストブルー)の南西端。

 

 五つの海が交差する『リヴァースマウンテン』の逆流運河を望むその海域は今、魔の海と名高い偉大なる航路(グランドライン)でも類を見ない異変に揺れ動いていた。

 

 

   おい、無事かルフィ!? ……クソッ、一体何が起きてやがんだ…!!」

 

 ルフィが卓越した六式を駆使し遠方の敵海賊船へと向かってしばらく。突然上空の雲が石になり、そのまま彼女が戦うクリーク海賊船の真上に落下したのである。

 天を貫く積乱雲が落下し、大災害を巻き起こしながら石柱のような島へと変貌する光景を唖然と見続けていた“海賊狩りのゾロ”は、咄嗟に船長の無事を祈る。如何に強大な力を持つ少女であっても、悪魔の実の能力者にとっての最大の弱点である海水に囲まれた空間では些細なミスが命取りになり兼ねない。

 

「アニキ、津波が来る…! もうダメだァァッ!!」

 

「たっ、たた助けてくだせェ! ルフィの大姐貴ィィッ!!」

 

『ひゃあぁぁああああァァァッッ!!』

 

 誰の目にも明らかな大惨事の予兆を前に泣き叫ぶ彼らは、ゾロの舎弟を自称する賞金稼ぎユニット、ジョニーとヨサク。短い船旅で幾度も目の当たりにしたアニキの上司が持つ超人的な力に最後の希望を託し、コンビは食事客たちと共に可憐な臨時ウェイトレスの救いの手を求める。

 

 そんな恐慌する『バラティエ』一同の中で、建設的な行動を取ろうと試みる老人が一人。

 

「不味い、時間がねェ…! てめェら、急いでベルトで互いの体を縛り付けろォッ!! 客を最優先だ!!」

 

『ッ、へいっ!!』

 

 海賊たちの墓場と恐れられる偉大なる航路(グランドライン)を生き延びた元・クック海賊団船長『赫足のゼフ』は、自身の経験を基にこの絶体絶命の状況で出来る最善策を取る。

 

「ぐぅ…っ! 来るぞ、てめェら!! 堪えろォォォッッ!!」

 

『うわあああァァァッッ!!!』

 

 だが、頼もしいオーナーシェフの言葉は場の混乱を最低限に抑えることは出来ても、それが命の保証に繋がるかは命じた老料理人自身さえもわからない。彼らに出来るのは、馬鹿げた規模の高波に流されぬ己の幸運を、零に限りなく近い奇跡を天に祈ること。そして   

 

 

   ごめんなさい、みんなっ! 遅くなっちゃった!!」

 

 

    副料理長サンジに代わり店の新たな守護者となった、未来の海賊王の救いを待つことのみであった。

 

『ルフィちゃん!?』

 

「ちょっと、ソコっ! 巻き込んじゃうから下がってて!!」

 

 迫り来る洪大な大津波が海上レストラン『バラティエ』を飲み込む直前、間一髪で間に合った給仕服の女の子。その姿は、恐ろしい紅光を帯びた黒い稲妻の翅を羽ばたかせる、火山の火口の如き白煙を纏った人ならざる異形であった。

 たった一目。だがその愛々しくも恐ろしげな姿を見た料理人は、食事客は、賞金稼ぎは、海賊は皆一様に、襲い掛かる百メートルを超えた超巨大津波が霞むほどの、少女の放つ巨人の大軍の如き凄まじい存在感に圧倒された。

 

「“ゴムゴムのぉ   

 

『!!』

 

 異形の乙女が背の双翅を一際強く弾かせながら空高く飛翔する。劈く雷鳴を残し天を駆ける給仕娘の黒鉄色に染まった両腕に、ゾロは大気が歪むほどの桁外れの覇気を感じ取った。

 その右の片割が蜂のような縞模様に沿い陥没し、遂にその限界に達したとき、獰猛な笑みを浮かべる怪物は轟く叫声を張り上げる。

 

 そして少女は山脈の如き超大な顎を開く海水の巨壁へ目掛け、その右腕を撃ち放った。

 

 

  女王大雀蜂(クイン・ヴェスパー)”ッッ!!」

 

 

 血のように深紅の妖光を放つ、闇色の雷の貫手。

 如何なる原理で左様な現象を引き起こしているのか。誰も答えを持ち得ないその超常現象が黒い紫電を描きながら、絶望的な躯体の鎌首を擡げる大津波を穿ち  

 

 

    海を真っ二つに吹き飛ばした。

 

 

『かっ   

 

 鼓膜を引き千切るほどの爆轟の後、周囲が凪のように静まり返る。

 

 分かたれた海水の断崖絶壁が一瞬の沈黙を経て、裂け目に浮かぶ海上レストランを避けるように左右へゆっくりと倒れ伏した。それはまるで大画面に映る特撮映画の一幕のように非現実的で、刺激的な夢の光景として脳裏に焼き付いていく。

 

 風や波浪が嘘のように消え去った『バラティエ』のバルコニーの上で、集まった人々はまるで抜け殻のような姿で目の前で起きた出来事を見つめていた。

 

   ゾロっ! あっちでハンコックが覇気ドバドバ流してナミたち怖がらせてるから、ちょっとお仕置きしてくるわねっ!」

 

 そんな沈黙の世界に最初に戻った音は、軽やかで玲瓏とした女の声。名を呼ばれた青年剣士はハッと空を見上げ、スカートの裾を抑えながら宙に立つ一人の少女の姿を捉える。彼女のその言葉でゾロはすぐさま事情を把握した。

 

「ッ、“ハンコック”だと!? クリーク一味を壊滅させたってエロコックの師匠が言ってたヤツか! まさか連中を追って来てたとはな…」

 

「私もびっくりしたわよ、いきなり襲い掛かって来るんですもの! とにかく急いで倒さないと、ハンコックが覇王色の覇気を使ったらナミたちが一網打尽になっちゃうわ!」

 

 ゴクリ…と剣士の喉が鳴る。

 二人の初対面、シェルズタウンにてこの麦わら娘がこちらを屈服させようと放って来た、恐るべき気迫の威圧。あのような精神の暴力を喰らえば碌に鍛えていないナミやウソップはひとたまりもないだろう。最悪ショックでくたばってしまうかもしれない。

 

「じゃあ行って来ます! ゾロはメリーとお店のみんなをお願いっ!」

 

「ッ、ああ! 任せろ!」

 

 そして、小さな沈黙の中、男女の瞳が交差する。

 

 ゾロは渦巻く感情を抑え  自分に出来るたった一つのことを  少女の勝利を信じ、願い、一人戦地へ挑む船長へ精いっぱいの声援を送った。

 

   勝ってこい、ルフィっ!!」

 

 その短い言葉に、青年は万感の思いを込める。彼にこの事態の真相は何一つわからない。突然の大災害のことも、石化した雲も、全ての元凶である、まだ見ぬ強敵ハンコックのことも。

 だが男にそれらの説明は一切不要であった。必要なのは、目の前の偉大で愛らしい少女船長のいつもの希望と自信に満ち溢れた、太陽のような笑顔。それだけで彼は一味の勝利を確信する。

 

 そして少女船長ルフィは仲間の鼓舞に少女は息を呑んだ後、こくりっと大きく頷き、最高の向日葵をその可憐な幼顔に咲かせてみせた。

 

 

「…ッ! ええ! 勝ってくるわ、ゾロっ!!」

 

 

 力強く、温かく、嬉しそうに、船長が相棒の激励に答える。そして深紅の光に覆われた漆黒の稲妻を描きながら、ルフィは遠方にそびえる石柱の島へ飛び去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所“巨雲島”

 

 

 

   フン、流石は四皇に類すると名高い強者じゃ。何とも出鱈目な手段で自分の船を救うものよ…」

 

 

 “虜の矢(スレイブアロー)”で墜とした積乱雲の巨岩の端に立ち、遠方の海を不機嫌そうな仏頂面で見つめる美女、ハンコック。その視線の先には真っ二つに裂けた大海原が広がっていた。

 

 遠く離れたこの地にも届く、凄まじい振動。それは彼女の標的である給仕服の小娘が、自身の船に迫る大津波を文字通りぶっ飛ばした光景が事実であることの証であった。

 

「……戻ったか、“麦わらのルフィ”」

 

 ハンコックの見聞色の覇気が、高速で飛来する爆発的な覇気の塊を捉える。先ほどの遊戯のような薄いものではない。明らかにこちらを敵と定めた、優れた覇気使いが放つ暴力の意思である。

 

 強烈な耳鳴りと共に、恐ろしい黒雷を両手と背に纏った小柄な少女の姿が現れた。薄い紅色に染まった蒸気を体から放ち、六式で宙からこちらを見下ろすその人物こそ、三名の王下七武海が従事する大作戦のターゲット、「“麦わら”モンキー・D・ルフィ」。海軍の連中がこの自分の後任として王下七武海の席を準備していると噂の、生意気な小娘だ。

 

 

「…ケンカする前に聞いていいかしら? どうしてハンコックがここにいるの?」

 

 “麦わら”の問いに美女は思わず転びそうになった。頭を振り、王下七武海は今一度少女に説明する。ケンカ遊びで挑まれるなど、このアマゾン・リリー皇帝に対する冒涜だ。

 

「どうして、とは片腹痛い。最初に問うたではないか、『随分な下馬評を持つ海軍史上最悪の裏切り者はそなたか』と」

 

 瞼をぱちくりと瞬かせる零細海賊団の女船長に、ハンコックは淡々と言葉を続ける。

 

「こんな辺境の海にわらわが気紛れで足を運ぶ訳なかろう。わらわは……いや、我ら王下七武海三名は、そなたを殺しに来たのじゃ   海軍()()大将の席を蹴り海賊の道を選んだ、他ならぬそなたをな」

 

「海軍上級大将? …なんかどっかで聞いた気がするわ、その凄くイヤな響きの名前。えっと、何だったかしら…」

 

 むむむ…と少女が眉間に人差し指を押し付ける。そのまま頭上に不可視の黒煙を焚く相手の全く知性を感じられない姿に、女は大きな溜息を零した。

 

「…そんなことだろうと思うたわ。政府の怒りを盛大に買ったことを自覚しておる者が未だ故郷の側でウロウロしておるはずがない。海軍の上位将校や教官が幾人もそなたに稽古を付けていたと聞いたが…そなた、やはり理由すら知らずにその者共に教えを受けておったのか?」

 

「そうよ? 教えてくれたから喜んで教わったわ。おかげで強くなれたし、海軍は嫌いだけどモモンガさんやヤマンバ子お婆ちゃんは好きよ! また会えたらお礼を言うのっ!」

 

 何年にも亘ったと聞く、秘蔵っ子への海軍による手厚い支援。その結果がコレなのは果たして少女のせいか、あるいは本人の思想確認を怠った世界政府の責任か。いずれにせよ愚かと言うほかない。

 

 ハンコックの脳裏に先日の海軍本部での作戦会議の光景が蘇る。こんな救いようのない阿呆共に自分の七武海の座を脅かされていたとは、末代までの恥だ。

 無論、それはあの忌々しい五老星が交渉の手札としてチラつかせただけの、事実無根の噂。されどたとえ嘘偽りであっても、それは己の安楽椅子を揺さぶる存在は等しく悪と見做す、高慢な“海賊女帝”。他者に見下されるなど業腹の極みだと、ハンコックは空を六式で跳ねるゴム娘に向かい凶悪な“虜の矢(スレイブアロー)”を射放った。

 

 それを合図に、両者の二度目の決闘の火蓋が切って落とされる。

 

「そなたのアホ面をみていると腹が立って仕方がない…! 今一度、失墜する叢雲の大岩に潰れて死ねっ!!」

 

「ふんっ、同じ攻撃にそう何度も戸惑う私じゃないわよっ!    “嵐脚・蓮華”!!」

 

 だが放った石化の矢は狙った上空の低気圧に触れることなく、想定外の異物に阻まれた。少女が放った無数の風の刃である。

 煩わしい海軍の特殊体術の鎌鼬が、鋭利な三日月石の雨と化し岩の島に降り注ぐ。

 

「チッ、ならば直接射殺すまでじゃ!    (ピストル)キス”!!」

 

「! ソレは知ってるわ、ゴムじゃ弾けないヤツね! でも私の“指銃”も負けてないわよっ!    “飛ぶ指銃・(バチ)”!!」

 

 両者の中心で二つの弾丸が衝突する。だが空飛ぶ少女が放った空気弾は石化して尚飛び続け、避ける暇も与えず見事ハンコックの右肩に命中した。

 

「ッ何っ!? わらわの攻撃が圧し負けたじゃと…!?」

 

「やった、威力はこっちが上ねっ! ならもっと増やせば   剃刀(カミソリ)”!!」

 

 童女のように顔を綻ばせた小娘が、覇気の黒雷に覆われた両手を正面に構える。

 そして直後、その姿が掻き消えた。

 

「! どこへ…!」

 

 ハンコックは消失した敵を捉えるべく慌てて見聞色の覇気を全力で展開する。

 

 だが   

 

「バ、バカな…何じゃこの速度は…!?」

 

    感じる少女の強大なはずの気配は、まるで霧のようにハンコックの周囲を覆い尽くしていた。

 

 美女は直感でそのカラクリを解き明かす。

 それは俄かに信じがたい、されどこの小娘ならやりかねない、気配の残像を残すほどの神速移動。弾性に富んだゴムの肉体を武装硬化で更に練り上げ、繰り出される六式の立体走術は音をも容易く置き去り、覇気の探知すら惑わすほど。

 

 あまりの速度にハンコックは思わず後退る。それを隙と見たか、小娘が威勢良く自身の技名を唱え上げた。

 

「弾幕なら私だって得意よっ! くらいなさいっ   “飛ぶ指銃・(バチ)()”!!」

 

「!!?」

 

 不可視の敵がそう叫んだ瞬間、女は突如、敵意の洪水に飲み込まれた。

 

 それは弾丸の氾濫であった。

 まるで排水口に吸い込まれる濁流の如く、少女が放った空気弾がハンコックへ四方八方から殺到する。慌てて両脚を覇気の鎧で保護し、女は襲い掛かる無数の“飛ぶ指銃”とやらを撃退すべくそれらを必死に振り回した。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「“芳香脚(パフュームフェムル)   ッくぅっ!!?」

 

 だが、その黒鉄色に染まった脚を走る強烈な衝撃に、女は思わず苦痛の悲鳴を零す。

 想定を遥かに超えた威力の弾丸はハンコックの強靭な武装硬化を以てしても防ぎ切れず、自慢の柔肌を真っ赤に腫らす。ミシミシと響くのは己の骨が打撲で軋む音。それほどの破壊力を秘めた攻撃が百発百中の狙いで何百何千という数の暴力で畳み掛けてくる。

 

 このままでは足が捥げてしまう。僅か数舜の攻防で限界を悟った女は、屈辱に震える内心から目を逸らし、一か八かの賭けに出た。

 

   ッッお…っのれェェェッッ!! チクチクチクチクと調子に乗りおってっ!!」

 

 傷だらけの両脚を下ろし、ハンコックは唇に手を当てる。

 好機とばかりにその無防備な体を抉る空気弾。だが痛みに歯を食い縛りながらも、女はただ只管に手元に光る桃色の光球へ力を籠め続ける。

 

 そして永遠にも思える一瞬の果て。

 遂に完成した大技を、“海賊女帝”は血だらけの両腕で間髪入れずに炸裂させた。

 

「ッ! 何か来るっ…!」

 

「離れよ小娘ェッ    

 

 

 直後、巨大な光のドームが彼女の周囲に展開した。

 

 石化の球盾、“蠱惑の長城(プルクラウォール)”。天上天下唯我独尊を体現するハンコックには珍しく  だがその実「誰にも支配されたくない」と願う彼女の本質に限りなく近い  自分の身を想像される全ての悪意から守るために編み出した、攻防一体の究極の大技である。

 触れるもの全てを石像へと変える光のオーラが、美女を中心に辺り一面に爆発した。迫り来る幾千もの空気弾が石礫と化し、バタバタと虫のように島の岩肌へ落ちる。

 そして、高速で飛び回る敵の気配がハンコックの立つ石化した積乱雲の島に降り立ち、数十メートル先の一点に凝縮した。

 

 現れたのはスカートの短い裾が微かに欠けた姿で油断なく攻撃の構えを取る、蒸気と黒雷を纏った給仕娘、ルフィ。絶え間ない超高速運動を長々と続けておきながら、その頬を伝うのは一滴の冷や汗のみ。信じ難いまでに無尽蔵の体力である。

 だが真に恐るべきは少女の見聞色の覇気の練度。あれほどの速度で移動しながら正確に己の位置と周囲を把握する技術は、最早相応の悪魔の実の能力すらも凌駕する完成度だ。

 

 自慢の大技を衣類の軽い損傷程度に抑える小娘の異次元の技量に、ハンコックは息を整える間も惜しみ舌打ちを吐く。

 

「ハァ…ッ、ハァ…ッ、くっ…憎たらしいガキじゃ…! 大人しく喰らっておれば良いものを…っ」

 

「むっ、こっちのセリフよ! さっきの“撥の巣”であなたに『まいった!』って言わせるつもりだったのに、あんなの連発されたら堪らないわ」

 

 その不快げな態度に釣られるように、ルフィの眉間に皺が寄る。

 

 悪魔の実の能力者、特に無敵に近い防御力を誇る自然系(ロギア)能力者に対抗する手段の一つに、“武装色の覇気”がある。しかしこの力は相手の実体を捉えることは出来ても、能力そのものを無効化出来る訳ではない。特にハンコックのメロメロの実の能力は相手の肉体に“石化”という大きな負荷を掛けるもので、加えその解除は彼女自身の意思のみに左右される。

 物理的な接触全てが相手に害を成し、尚且つ能力者本人にしか解くことの出来ない石化の呪い。“海賊女帝”ボア・ハンコックはこの能力と自身の優れた覇気および格闘術を駆使し、接近戦において無類の強さを誇る王下七武海として十年以上もの間その座を守り続けてきたのだ。

 

 だが、だからと言って目の前の尋常ならざる覇気の持ち主を相手にふんぞり返っていられるほど彼女は楽観的ではない。

 

(向こうも格闘戦を躊躇しておるようじゃが…悔しいがそれはこちらも同じこと。特にあのとんでもない密度の武装硬化を帯びた両手……あんなものを真面に喰らったら足の一本二本では済まぬ…)

 

 ハンコックは先ほどの攻防から、自分が能力の加護に守られた薄氷の上に辛うじて立ち続けているだけであることを自覚している。それは高慢な彼女に身の程以上のプライドに縋る愚を犯させないほど危機的な状況だからこそ。

 

 この“海賊女帝”をも殊勝に戦場に縛り付ける目の前の超新星モンキー・D・ルフィは、間違いなく世界屈指の強者であった。

 

『…』

 

 互いに一歩を踏み込む好機を待ち続ける、一触即発の緊迫した空気が石化した積乱雲の島に漂う。

 

 だが、その膠着し張り詰めた緊張の糸を引き千切ったのは、焦れる襲撃者のハンコックではなかった。

 

 

   え?」

 

「!」

 

 

 突然、少女の首が左の方角へ振り向いた。

 あまりに自然で隙だらけな動きに、ハンコックはその千載一遇の勝機を突くことを忘れ、好奇心のままに敵が望む先の荒れる海へと目を向ける。

 

 そこにあるのは平穏を取り戻しつつある東の海(イーストブルー)の大海原。衝突する高波も、蜷局を巻く大渦も、僅かな残滓を残し今やその猛威を忘れつつある。気になるものは何一つとして見当たらず、見聞色の覇気にもそれらしい気配はない。

 

 小娘の唐突な反応を疑問に思ったハンコックは、訝しげに問い質した。

 

「…戦いの最中に余所見とは、相変わらず腹立たしい小娘よ。その見事な覇気で何が見えた…?」

 

 だが給仕娘はその問いに答えない。少女の大きな夜空の瞳に浮かぶ黒真珠の如き瞳孔が少しずつ縮んでいく様に言い知れぬ悪寒を覚えながら、美女は小さく喉を上下させる。

 

 少女の横顔には、先ほどのような子供っぽい表情は見当たらない。実力者に相応しい、鋭い目つきの絶対強者がそこにいた。

 

 

「……ねぇ。あなたさっき、“我ら王下七武海『三名』”って言ったわよね…?」

 

 

 そう尋ねる“麦わら”の問いを耳にし、ハンコックははたとあることに気付き彼女の視線を追う。

 

 そしてそれは“海賊女帝”の見聞色の覇気の感知範囲に   化物じみた覇気が新たに現れた瞬間と全くの同時であった。

 

 

 

「ああ、やっとわらわに追い付いたか   王下七武海最強を名乗る不届き者が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

 嵐が掻き消え、微かな小波に揺れる海上レストランの拡張甲板では大勢の人々が無事を喜び合っていた。

 その中で若き剣豪ゾロは、立ち上る水煙の奥に少女が消えて尚、一人だけいつまでもその後ろ姿の幻影を見守り続ける。

 

 ギリ…と軋む不快な音は、剣士の固く噛み締められた歯から零れ落ちる、痛憤の激情。握る拳には血が滲み、何かを堪えるように怒張した体中の筋肉は鬼神の如く。

 

「……ッ」

 

 男は、ただ只管耐えていた。

 

 彼女が戦う戦場は、“王”の覇気吹き荒れるかつてない死地。

 あの嵐の奥で、ルフィは今までの敵とは格が二つも三つも違う、自分たちのような無名な極小海賊一味など腕の一振りで壊滅させるであろう、この世の頂点の一角と戦っているのだ。

 あんな、か弱げな容姿の女の子が。

 

 少女に守られるのでも、そして  少女が願う通り  その華奢な背を守るでも無い。他ならぬ己の背に隠し、他ならぬ己の剣でその身も心も全て守ってやるのが、剣豪ゾロの考える男のあるべき姿だった。

 

 だが、彼にはその秘めた野望を果たすだけの力が無い。少女自身も、その小さな背一つさえも、守ることが出来ない。身の程を忘れ剣を抜こうとも、無力で無様な足手まといにしかなれないのだ。

 

 故に剣士は少女の勝利を信じ、願い、一人戦地へ挑む彼女へ精いっぱいの声援を送る。それが今の彼に出来る最善で、たった一つのことなのだから。

 

「……んなこたァわかってんだよ、くそったれ…っ!」

 

 だからと言って、そう容易く自分を納得させるにはゾロが抱いた野望は大きく、胸に刻んだ誓いは気高く、磨き上げてきた剣は鋭すぎた。男は人生を剣に捧げ、それに相応しい研鑽を重ね、誇りを持ち、覇道を突き進みながら生きてきた生粋の剣士である。剣とは武力の象徴であり、そして武力とは手段であり、目的でもある。

 そんな男が如何にして誰かに守られたまま心穏やかでいられると言うのか。それも自分に新たな世界を見せてくれた大切な仲間である、守るべき女に守られたままでいられると言うのか。

 

「…守ってやる」

 

 耳に遠く届く機関銃のような発砲音。落盤のような破砕音。絶えず瞬く深紅の光帯と、桃色の光弾。死闘を繰り広げる若き少女船長の苦痛の表情がゾロの瞼裏に浮かび上がる。

 

 少女ルフィは女性である。

 

 古今東西、女とは花や宝石に例えられる美の象徴だ。男の傷は勲章だが、女の傷は恥となる。一味の顔である船長の恥は一味の恥であり、その恥を許したゾロの恥となるのだ。

 たとえガサツで品のない女でも、目に見える恥辱の痕はいつまでも自身の敗北の証となり、男の誇りを汚し続けるだろう。何と言う屈辱か。

 

「いつか必ず守ってやる…! 未来の大剣豪のおれが、海賊王(あいつ)の背中を…! あいつ自身を…っ!!」

 

 それは船長と交わした誓いにして、男の責任。

 最高の“王”に見出された剣士は耐え難い屈辱を言葉に綴り、己の心身魂魄に刻み込む。二度と守られる弱者の立場に立たぬように。二度とこの思いを味わうことの無いように。

 

 

 だが、運命はときに度重なる試練の壁を築き、男の覇道を験すのだ。

 

 その覇道の険しさを示す、高く、分厚い巨壁の長城を。

 

 

 

   ならば、この黒刀からどう守る。時代の申し子に焦がれる、弱き者よ」

 

 

 

 果てなき瀑布を登る鯉に惹かれた「“海賊狩り”ロロノア・ゾロ」。

 遠く届かぬ美しき錦の尾に、己の無力を悔む大器の(かわず)。その大魚が住む狭き井に、巨大な壁がそびえ立った。

 

 そしてゾロは、その絶壁の頂上に舞い降りた、一匹の鳳の眼光に立ち尽くす。

 

 

    その大鷹の鋭利な双眸に輝く、二つの閃電の如き金色に。

 

 

 

 



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27話 王下七武海・Ⅲ

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所シェルズタウン近海

 

 

 

『ふふっ、ふふふっ。ゾ~ロ~、ゾロゾロゾロ~っ、ゾ~ロが仲間にな~あった~っ♪ にししっ、夢みたぁーい』

 

『ッ、てめ、いい加減離れろっ! 女が気安く男にベタベタくっつくな!』

 

 

 時を遡ること一月と僅か。

 

 『麦わら海賊団』の結成間もないかつての海賊船、バギー海賊一味に作らせた双胴船『リトルトップ号』ですらない、名もなき小さな漁船の甲板での一幕である。

 

 密かに胸を高鳴らせる未来の大剣豪ゾロが新たな船出を終えて半刻ほど。日課の鍛錬前の精神統一に組んだ座禅の股座に、悩ましい女性的な柔らかさを船長命令で無理やり迎えさせられていた新人海賊は、その小ぶりな臀部の持ち主の楽しげに揺れる黒髪の旋毛に持てる限りの怒声を浴びせていた。

 

『むーっ、なによ! 私あなたが仲間になってくれるのずぅーっと楽しみにしてたんだもん! こうしてゾロのお膝に座ってないと夢から覚めちゃうかもしれないじゃないっ!』

 

 そう言い返すのは剣士の胸板に自身の華奢な背中を預ける、見目麗しい日焼け娘。自慢の麦わら帽子をその破裂しそうなまでに大きな胸に抱く体育座りの少女が、風船のようにゴムの頬を膨らませる。

 それでも、拗ねる態度の中にさえ溢れる新たな仲間のゾロに向けられた大きな好意は、青年の仏頂面に強い朱を差すほどに直線的な愛情であった。

 

『知るかっ! つかこのおれが女の下に付いたってのに夢の一言で片づけるな!』

 

『しょうがないじゃない、女の子に産まれちゃったんだから。後から「やっぱり男の子が良かった」なんて言っても性別は変わらないわよ。バカなゾロー』

 

『誰がバカだ、このバカ!』

 

 最強を目指す己が手も足も出ないと認めたこの強者に教えを乞う対価に、彼女率いる構成員彼女一名の自称『麦わら海賊団』に加わったゾロであったが、男は早くも半刻前の自分の選択を強く後悔し始めていた。

 とはいえ、一度下した決断を取り下げる男など男にあらずと己を律する誇り高い剣士に、そしてなにより、先のコビー少年との別れに見せた彼女の寂しげな表情に不覚にも心揺れてしまった青年に、少女を泣かせるであろう「船を降りる」という選択肢は最早取れない。

 

 順調に『麦わら海賊団』の一員として染まりつつある、未だ新入りのゾロであった。

 

『クソッ…おい! いいか、よく聞けよ。おれは強くなるために、海賊王という途轍もない夢を目指すお前の船に乗ったんだ。お前と、女と馴れ合うつもりで乗ったんじゃねェ。てめェの器に疑問を覚えたらすぐにその首切り落としてやるからな!』

 

 だが譲れないものは譲れない。上司への僅かな遠慮も捨て去り、ゾロは強い言葉で拒絶の意を示す。

 その本気の意思を感じたのだろう。萎れた少女がしぶしぶと、後ろ髪を引かれているような渋面で腰を浮かせ、ようやく青年の股座から降りた。そのままぺたんっとお尻を彼の真正面の甲板に下ろし「心が寒い」と自分の体を抱きながら不満げな視線を送ってくるが、ゾロは努めて無視を決め込む。目の前に飛び込んでくる、薄着娘の両腕に圧迫された胸部の大渓谷など見てはいない。

 

『ふ、ふんっ! 私は器の大きい船長だもん。仲間に拒絶されても、が…我慢出来るもん』

 

『おう、そうしろ。おれに寝首を搔かれたくなかったらな』

 

『むっ、今のあなたに斬られるほど私は弱くないわ。全力の私を殺せる人なんて、この世に五人くらいしかいないんだからっ。ふふん、未来の海賊王は伊達じゃないのよ!』

 

 態度を一切軟化させてくれない初めての仲間に半べそを掻きながらも、落ち込む自分を何とか奮い立たせる少女船長ルフィ。自慢気に張るはだけた赤いブラウスの胸元の視線を吸い込む双峰の躍動は、幸か不幸かゾロの目には入らない。最早見慣れつつあるその現象より遥かに衝撃的な発言が目の前の魔性の果実の持ち主から語られたのだから。

 

    この女の上に、更に五人の強者。

 

 揺れる内心を隠すため、ゾロは胡散臭そうな顔の仮面を被ることにした。

 

『…ケッ、随分な自信だな』

 

『あーっ、信じてないわねあなたっ! …まあゾロはまだ弱いものね。でも大丈夫、安心して。もう少し強くなったら、あなたもこの強くてステキなルフィちゃんの偉大さがわかってくるわ!』

 

 自信満々の笑顔にからかうような色を浮かべる少女上司に、剣士はピクリと瞼を震わせる。つい先ほどシェルズタウンの海軍基地で「土俵に上がることなく負ける」という信じ難い敗北を味わった彼にとって、“弱い”とはまさに禁句の二文字であった。

 

『…ほう? ならその高名な未来の海賊王サマですら「勝てない」と言わせるほどの五人の強者ってのは、一体どこのどいつだ? ここまでおれが弱い弱いとバカにされちまったら、ぜひ参考までに聞いてやりたくなるぜ』

 

 口にした瞬間、ゾロは大いに後悔した。

 剣束を握ることなく格の違いを悟ってしまうほどの絶対強者、ルフィ。それほどの人物が、その子供っぽい負けず嫌いな性格を以てしても勝敗を不安視する化物中の化物がこの世には何人もいるのだと言う。

 

 井の中の蛙大海を知らず。

 今のゾロの嘘偽りない心境を、他ならぬ勝者ルフィに知られた剣士の羞恥は臍を噛む痛みでも掻き消せない。

 

『むっ、何よ。「勝てない」なんて言ってないわっ! 死ぬ気で全力全開で、守る仲間たちの必死の応援を受けた超スーパーな私なら絶対勝つわよ! 勝てるけど……』

 

 だがムキになる彼女にとっては青年の失言より、仲間から強敵に劣ると言われたことのほうが重要であったらしい。咄嗟にその愛らしい女声を荒げるが、続く言葉は竜頭蛇尾。どこまでも正直な彼女が僅かな沈黙の後に語ったその五つの名は、世界最強の剣豪を目指す「海賊狩りのゾロ」の記憶に強く、深く刻まれた。

 

『…勝負に集中して仲間を守れなかったら意味ないから、出来れば戦わずに逃げたい人たちなら何人かいるわ   

 

 

 特に、新聞すら読まない世捨て人の自分でも知る   その誉れ高き称号を持つ男の真名だけは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

   黒い大剣に、鷹の目の…男……」

 

 

 凍り付いたゾロの耳に、老料理人ゼフの震える声が辛うじて届く。

 それは、目の前の拡張甲板に佇む剣士の印象を何よりもよく表す言葉であり  男の異名そのものであった。

 

 曰く、王下七武海最強の男。

 

 曰く、四皇”赤髪”の好敵手。

 

 曰く、生ける大災害。

 

 “四海(ブルー)”に、“楽園(パラダイス)”に、“新世界”に。

 全ての海に轟き恐れられるその異名は数あれど、ひとつだけ、この世の全ての者が認める、彼だけのために存在する称号がある。

 

 その称号こそ、ロロノア・ゾロが男に剣を向ける理由であり、欲するたった一つの野望の名だ。

 

 

   世界最強の大剣豪、「“鷹の目”のミホーク」。

 

 

 今、若き剣豪の前に、伝説がいる。

 

 

  あんたが…“鷹の目の男”か?」

 

 竦む足で辛うじて絞り出せたのは、そんなありきたりな問いかけ。短い間で覇気の片鱗を掴んだ剣豪は、だからこそ、目の前の強者の威容に圧倒される。それはまるで生まれたての虎児の前に龍が舞い降りたかのような、異なる世界を生きる者同士の会合であった。

 

「如何にも。…だがお前に名乗るべき名はそれでは足りんだろう  “世界最強の大剣豪”の名を欲する数多の剣士と同じ目をしているお前にはな」

 

「…ッ!はっ、よくわかってんじゃねェか」

 

 律儀に会話を続けてくれる大剣豪ジュラキュール・ミホークに、青年が勝気な言葉を返せる理由はただ一つ。この男と同じ世界に住む化物少女の背を、今まで追い続けていたからこそ。

 

 そして、そんな強者の世界に住む者同士が同じ海に降り立ったとき、両者の目的が大きく違うことはありえない。

 

「……ルフィに、何のようだ」

 

 せめてもの虚勢。若き剣豪は精いっぱいの意思を、覇気を込め、眼前の大鷹を睨みつける。

 

 無論、その程度の気迫で”最強の剣士”が怯むはずもなく、大剣豪の異名たる金色の鷹目はゾロを一瞥すらしない。男の視線の先にあるのは、やはりというべきか、青年の守るべき少女が戦う遠方の落ちた石の積乱雲であった。

 

「久々に心躍る戦いが出来ると聞いて足を運んだ。邪魔をしてきた“赤髪”を振り切るのに時間を取られたせいで一番槍は逃したようだがな。惜しいことをした」

 

 おそらく、クリークを追ってきた王下七武海のことを指しているのだろう。若き剣豪は“鷹の目”の目尻が僅かに下がる様を目にする。

 

 だが男の言葉はゾロを混乱させる一方。

 

「…なんであんたほどの男が無名のあいつ(ルフィ)のことを知ってやがる」

 

 王下七武海「“海賊女帝”ボア・ハンコック」は偉大なる航路(グランドライン)へ挑んだ『クリーク海賊艦隊』を仕留めに遠路遥々ここ東の海(イーストブルー)までやって来たはずだ。

 だが先ほどのミホークの発言は、あたかも同じ王下七武海同士で競争でもしているかの如く、未だ名も無き少女船長を狙って襲撃したかのように捉えられる。

 

 何か、この一連の大事件に関する、途轍もない誤解があるのではないか。麦わら娘の身を案じるゾロは悪寒に体を微かに震わせる。

 

「あれほどの強者が無名なはずがなかろう。“海軍の秘蔵っ子”と知る人ぞ知る、政府の秘された掌中の珠()()()娘といったところか。もっともおれが知ったのもつい最近だがな」

 

 だが、不安に苛まれる青年の内心を知ってか知らずか、大剣豪が語った事実はゾロの危惧を嘲笑う信じ難いものであった。

 

 驚愕に固まる青年の後ろで無言で事の成り行きを見続けていた、二人の立つ船のオーナー料理人ゼフが一つの疑問を投げかける。

 

「…海軍だと? 確かにあの嬢ちゃんは近いうちにさぞ名を上げるだろうが…政府が海賊相手に七武海ほどの戦力を差し向けたことなんざ聞いたこともねェぞ。ましては無名の小娘だ。…ワケを話せ“鷹の目”、ここはおれの店だ」

 

 海軍の対海賊戦略は一般市民にも知れ渡っている。特に億超えの大型賞金首を相手にする際、彼らが派遣する切り札“海軍将校”は民衆の希望だ。その戦略の特例を避けるための王下七武海派遣なのだろうが、最早本末転倒どころではない異例中の異例の大事件となっている。

 あまりに愚策。故にゼフは政府がその愚策を犯さねばならないほどの何かに囚われていると直感で見抜き、目の前の刺客に詳細を訊ねる。巻き込まれる理不尽には偉大なる航路(グランドライン)の冒険で慣れているが、それとこれとでは話が違うのだから。

 

 だが、ゾロにはある心当たりがあった。かつて少女が語った、六式の話の途中で出てきた、化物娘の過去の一頁である。

 

 そして、あまりに小さいその心当たりは、見事政府の秘密の一つを曝け出した。

 

 

「知らぬと見える。“麦わら”の祖父は、あの“海軍の英雄”ガープだ」

 

『!?』

 

 その名を知らぬ者はいない。特にかの英雄殿の故郷である、ここ東の海(イーストブルー)においては。

 ただならぬ力を持つ恐るべき海賊娘であったが、その体を流れる血は少女の輝かしい才能にこれ以上ないほどの説得力を与えていた。

 

「モンキー・D・ルフィは六歳で三つ全ての覇気に目覚めた時代の寵児。以後海軍は少女に手厚い保護と稽古を施し、成人の暁には最高戦力をも上回る“海軍上級大将”の座を特別に設ける手はずが整っていたようだ」

 

「海軍…上級大将だと?」

 

「詳しくは他に聞け。おれは裏切り者を仕留めたい政府の誘いに乗っただけだ」

 

 長々と続くオウムのような問答に飽きたのか、男が無造作に背の大剣を抜き放った。あまりに正直な敵意の表し方に『バラティエ』の一同はポカンと呆け、現実逃避にその美しい黒刃の全貌を鑑賞してしまう。これがあの名高い大剣豪の一振り  最上大業物・黒刀“夜”か、と。

 

 そんな彼らの中でただ一人、応戦する姿勢を示した人物がいた。最初から全てを覚悟していた若き剣士、“未来の大剣豪”ロロノア・ゾロである。

 放たれるであろう即死の一太刀を全身全霊で受け止めようと、なけなしの覇気を必死に高める青年。若き剣豪の瞳に浮かぶ決死の覚悟を一瞥した大剣豪が、僅かに口角を持ち上げた。

 

「…なるほど、時代の申し子に憧れるだけのことはある。四皇級と名高い強者との一戦の前だ。お前の想い人に良き死に様を見せたいのであれば   

 

 そして続けられたその言葉は、両者の隔絶した力の差を表す、強者に相応しい驕りであった。

 

   我が黒刀を這う潮露くらいは落としてもらおうか、弱き者よ」

 

 

 覇気の洪水。

 

 剣豪ゾロは目の前の敵と相対しただけで、己の覇気の全てが押し流されたような錯覚を覚えた。

 

   ッッ!?」

 

 明確な敵意を示した最強の大剣豪。その体から放たれる気迫の嵐は、かつて剣士の少女船長が放った覇王色の覇気を彷彿とさせる物理的な衝撃となってゾロに襲い掛かった。

 

「……この程度の覇気を前に怖気づいたか? これから無数の試練を潜るあの娘を守ると豪語した男とは思えん怯え様だな」

 

「…ッ! うるっ  せェェェッッ!!」

 

 ミホークの投げやりな挑発に後押しされ、若き剣豪は吹き飛ばされた戦意をかき集め、それらを全力の咆哮と共に爆発させる。

 起きたのは、青年の覇気の目覚めの瞬間であったあの「道化のバギー」との一戦の再現。しかし、ゾロの体を巡る闘気の劫火は道化師との戦いのときより遥かに熱く、迸る血潮を焦がすほど。ぐつぐつと煮え滾る頼もしい力が剣士の肉体をかつてないほどに高めてくれる。

 男は間違いなく、少女と冒険を続けるうちに、シェルズタウンで大人しく捕らえられていた自分とは見間違うほどの急成長を遂げていた。

 

 だが、それでもゾロの瞳は、“最強”が立つ頂の土俵すら映せない。

 

「覇気で体を強化したか。このおれを前に手を抜いているバカかと案じていたが、杞憂で結構」

 

「ッ、へっ!これからだぜ、“世界最強”…っ!」

 

 高まる敵の戦意に微塵の警戒も見せない大剣豪。強者としての自負がそうさせるのか、はたまたそれほどの実力差があるからか。いずれにせよ、ゾロに出来ることは死力を尽くすこと。

 

 出し惜しみは一切ない。

 放つは今の自分に持てる最強の大技。守ると誓った少女との冒険で、修行で、戦いで身に着けた、傷つく仲間に涙を流す泣き虫な彼女の笑顔を守るために編み出した、必殺の一撃だ。

 

 狙う首は己の野望の名そのもの。背に守るは技を捧げた、二度と泣かせないと誓った少女。その奥義を放つに相応しい、これ以上ない舞台である。

 

「三刀流奥義   

 

 ゾロは沸き立つ覇気の全てをこの一撃に込める。火を噴きそうになるほどの高熱が青年の両腕を伝い、自慢の三振りの刀へ伝っていく。初めての感覚に戸惑う内心を無視し、体中の筋肉を膨れ上がらせた若き剣豪は持てる全てを注ぎ込んだ一撃を解き放つ。

 

 速い。体が軽い。

 

 目まぐるしく変化する景色の中で、ゾロは恐ろしいほどの全能感を覚えていた。先日戦った「百計のクロ」の“杓死”とやらを捉えたものと同じ、されど遥かに鮮明な感覚。経験したこともないほどの凄まじい速度で突進していながら、まるで水の中を動いているかのように遅い周囲の世界。

 

 一歩、もう一歩。

 遅い。もっと、もっと速く。

 

 遂に我が物とした“剃”の凄まじい俊足に身を任せ、若き剣豪は強敵の真正面へと迫る。

 

 そして、眼前へと迫った大剣豪の隙だらけな胸元を目掛け、自身の技と力の限りを尽くした三太刀を振るった。

 

 

  紫剃(しそ)鬼斬(おにぎ)り”ッッ!!」

 

 

 もし彼の少女船長がこのときのゾロを目にすれば、手放しで喜んだであろう。それほど青年が行使した一撃は鋭く、力強く、間違いなく彼の生涯で最も高い威力を叩き出したものであった。不完全な硬化ながら、武装色の覇気の奥義の一つ“武装憑依”を自身の得物に施し、見聞色の覇気を用いた超感覚を発揮する。本来の彼の実力ではありえない大偉業。

 その瞬間、ゾロは文字通り、己の限界を超越したのだ。

 

 幾つもの限界を、超えたのだ。

 

 

 

 だが   

 

 

   どうした? まだ片面の露も落ちていないぞ」

 

 

 青年が目指した頂は、亡き親友と交わした約束は、守ると誓った少女の受難は、果て無き那由他の限界を超えた先にある、宇宙(そら)に輝く金色の月面にあった。

 

 それは、水面の月に吠える愚かな獣の知らぬ、真の強者の領域であった。

 

   はっ?」

 

 ゾロは放心する。

 

 彼には眼前の光景が理解出来なかった。振るった最強の一撃は火事場の馬鹿力とも言うべき、かつてなく強い思いと覇気が籠った、自分のものとは思えないほどに強大な威力を育み敵へ迫ったはず。先ほどの鈍化した世界の中であってもその太刀筋を知覚出来ないほどの、神閃であった。

 

 だが気付いたときには目の前にあの巨大な黒刀が立ち塞がり、あれほど心強く思えた自身の両腕には激しい痺れが走り、今にも刀を手放しかねない弱々しい有様。幾度瞼を瞬かせても、腕に力を込めても、五感で感じる悪夢は覚め止まない。

 

 戦慄する若き剣豪の口から零れるのは、直前の威勢が幻と化した、擦れるような震え声。

 

「う、そ……だろ……?」

 

「何を無様に呆けている?よもやその程度の未熟な武装硬化でこのおれを迎え撃とうと意気込んだ訳ではあるまいな」

 

 茫然自失とするゾロの耳に、響く刃のような男声が届いた。はたと我に返った剣士は息も忘れ必死の“剃”で距離を取る。

 

「あの娘がここに来るまでがお前の余命だと言ったはずだ。…“海賊女帝”に気取られていた“麦わら”がもうおれの覇気に勘付いたようだぞ」

 

 微塵の警戒も見せず、大剣豪が平然とゾロから視線を逸らし遠くそびえる石柱の如き岩島を望む。

 

 だが荒い息を繰り返す青年はその千載一遇の好機に手元の武器を振るうことも忘れ、ただ只管震える己自身と戦っていた。

 

(あり…ありえねェ…っ! 何だ、これは…何なんだ一体…っ!)

 

 信じ難い強者、ルフィと出会い早一月。この世の頂の高さを知り、あんなバカ女に頭を下げてまで教えを受けてきたゾロは、彼女との冒険で素晴らしい成長を遂げていた。目に見える目標は男の意欲を擽り、優れた技術を持つ師は男の具体的な指標となった。

 

 だが、少女の桁外れな力を幾度も目にして来たはずの青年は、本当の意味でその力を理解したわけでは決してなかった。

 

(剣士として挑んでようやくわかった、正面から敵対してようやくだ…! これが…このアホみてェな高さが…世界の頂だって言うのか…!?)

 

 覇気を用いる技の一つに“武装硬化”がある。これは武装色の覇気で鎧を作り、覆う箇所の攻撃防御双方の力を爆発的に高める技術で、自在に操れる者は万人より“覇気使い”として認められる。

 この技を行使する際、覇気を感知出来る者たちの目には、硬化した部位が黒鉄色に染まって見える。だが逆の見方をすれば、覇気を感知出来ない弱者には黒化現象が見えず、何の前触れもなく敵の攻撃や防御が跳ね上がったという結果しかわからない。

 

 覇気とは、覇気の啓蒙を持つ者にしか知覚出来ない異次元の技術である。

 

 そして、最上位の次元に立つ強者ルフィの存在を日頃より目にしておきながら、弱者ゾロは少女と同じ次元に立つ剣士と剣を交わしたことで、ようやく己の傲慢を理解した。

 

(何が「頂を知った」だ…! 散々手加減されて甘やかしてくれて、あいつの高さを見せて()()()()、頂点を知った気になってただけじゃねェか…!!)

 

 自分と世界。その隔絶した彼我の力量差を初めて正しく認識した剣士は、崩れ落ちそうになる戦意を必死に繋ぎ止めようとする。

 

 

  なるほど。先ほどの攻撃がお前の全てだったということか」

 

「…ッ!」

 

 だがこの地は戦場。一騎打ちの場に立つ己以外の者は、敵。

 

 そして、本命の決闘を前の軽い前座として目の前の剣士との戯れを楽しんでいた大剣豪が、相手の内心を知り大きく肩を落とす。

 

 

「…そうか   ならば遊戯は仕舞だ」

 

 

 一閃。

 

 残像も紫電も無い。停止した時間の中で振るわれたかのようなその黒刀の軌跡を辛うじて浮世に描いたのは、青年の胸元に咲いた真紅の曼殊沙華だけであった。

 

 瞬く間に視界を覆った醜い赤色の花弁を、ゾロは唖然と見つめる。

 

   ッぁ……」

 

 理解出来ない光景に驚き、咄嗟に発した声は言葉にすらならない血潮の排気。身を焦がすほどに溢れかえっていた体中の熱が、血の花が咲く胸部へ一瞬の間をおいて殺到する。

 霞む視界が横転し、ゾロは身体の右側部に何かがぶつかる衝撃を感じた後、そのまま泥のような脱力感に襲われた。

 

「この程度であればいつもの短刀で十分だったか。相手の力量を見誤ったのは久しぶりだ、弱き者よ」

 

 闇に染まりゆく世界の中で、青年は大剣豪が十字の首飾りを手に取る光景を目にする。

 

 氷のように冷たい体に凍えるゾロ。

 ふと脳裏に浮かぶのは、走馬灯のように浮かんだ一人の若き女剣士の姿。共に最強を目指すと誓った親友で、悲運の末に無念の帰らぬ人となった、強き少女の  “女”であることに涙を零す  女々しく弱い秘姿。

 

 今、亡き親友が夢見た“強き女”が、ゾロの覇道を導いている。

 モンキー・D・ルフィと言う、この世の全てを手にした証  海賊王の王冠を夢見る、心優しい女だ。

 

 

(また……負ける、のか…)

 

 青年は、己の不甲斐なさが流させた少女の幾つもの涙を思い出す。

 いつもの大輪の向日葵のように明るく輝かしい笑顔が陰り、堪えても堪えても溢れ出す涙の宝石。真っ赤に腫らした目元に大粒の雫を溜め、倒れ伏す仲間の名を呼ぶ悲痛な声。自責の念に俯きながら、拙い技術で必死に傷を治療する、震える小さな手。

 

(あいつは、もう泣かねェって約束してくれたじゃねェか…)

 

 傷の癒えぬ体で「百計のクロ」と狂猫兄弟の連戦を潜り抜けた、あの日のシロップ村。彼女らしくない悲しげな表情で紡がれた、その言葉。

 

   私も、二度と無茶しないでなんて、言わないから…

 

 それは、強者が弱者の力量を信頼するという、ありえない言葉であった。強者が弱者に対して行うことは、保護か暴虐。弱者を守ることはあっても、弱者に守られることはない。

 

 それでも、少女は剣士を信頼した。たとえ弱くても私の背中を守るのはあなただ、と。

 

 

 だから。

 

 

 

   頑張ってッ!! ゾロ!!」

 

 

 

 男はその信頼に励まされ、何度でも立ち上がるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

「……太刀筋までも見誤ったか? 確実に死ぬ一撃だったはずだがな…つくづく妙な男だ」

 

 

 僅かな感心の色が乗った声が海上レストランの拡張甲板に木霊する。

 

 その声の持ち主の視線の先に佇むのは、白い襯衣をどす黒い赤で染め上げた一匹の獣。獰猛な笑みの奥に鋭利な眼光を走らせる、斬り捨てたはずの若き剣豪は、確かに男が殺したはずの弱者であった。

 

 目を見開く大剣豪は、死に絶えのか細い息を繰り返す剣士の言葉を待つ。

 

「ハァ…ッ、ハァ…ッ…、あんたの言う通りだ。…おれは、弱い。亡き親友との約束も違えちまうし…守りてェモンも守れねェ。はは…前にあのクソピエロに言われたとおりだぜ。“お山の大将”…ってな…」

 

「…その通りだ。最弱の海で多少名を上げただけの、偉大なる航路(グランドライン)に無数にいる雑魚の一人。それがお前だ」

 

「はは…だろうな…」

 

 自嘲気味に失笑する剣士にミホークは落胆する。気の触れた弱者が時折見せる諦めの境地か。

 この手の輩を一思いに仕留めるのは至難の業。無論、全力の一撃を放てば百回殺しても溢れるほどの釣銭が出るだろう。だが、ただの虎児に己の持てる全てをぶつける愚を犯すミホークではない。

 

 弱過ぎず、されど十分死に至らしめる一太刀。

 

 大剣豪は抜きかけた胸元の十字刃から手を放し、右手の黒刀を正面に翳した。今度こそ、この男の限界を見極め、確実に斬り殺してみせよう、と。

 

 だが、新たな遊戯に笑みを浮かべるミホークの期待を、この男はまたしても裏切った。

 

「……けどよ。剣士として、剣であんたに負けても  

 

「…!」

 

 ポツリと呟いたその言葉と共に、剣士の纏う弱々しい気配が一変する。

 

 

   漢として、心で負けるわけにはいかねェんだよォォッ!!」

 

 

 瞬間、爆発的な覇気が若き剣豪の瀕死の体から解き放たれた。

 

 それは僅か一瞬、されど確かに、“最強の男”を身構えさせるほどの凄まじい闘志であった。

 もっとも、感じる覇気は肌を撫でる希薄なもの。“新世界”では新たな島に上陸するたびに出会える、ありふれた感覚。“楽園(パラダイス)”でもそれなりに名の知れた海賊一味の船ならば一人は見かける程度の、貧弱な気配だ。

 

 だが大剣豪を驚かせたのは、そんな誰でも比較出来る覇気の力量ではない。

 

「…ほう。死の瀬戸際に瀕し、壁を超えたか。……悪くない、久々に興味を引かれる剣士を見た」

 

 それは、この「鷹の目のミホーク」の一太刀を受けて尚立ち上がり、戦いの最中で更なる進化を遂げる驚異的な成長速度と  

 

「…だからこそ殺すには惜しい。折角拾った命で生き急ぐな、若き力よ」

 

「うる…せェっ…! 手負いの獣を…舐めんなよ…っ!」

 

   絶望を知って尚、挫けぬ強き心の有様であった。

 

 清々しいまでの諦めの悪さ。男気とは正反対に位置する醜い意思でありながら、同時にこれ以上ないほどに勇ましく、実に男らしい見事な意思。

 ミホークは剣士の若く、青臭い剣の輝きに僅かに目を細める。

 

 男に、死に場所を求める弱者へ掛ける情けなど持ち合わせていない。死にたいのなら殺す。それだけだ。

 

 だが…

 

(最後の問答だ。……見せてみよ、お前の全てを。この“鷹の目”に)

 

 もし。大剣豪は最後にもう一度、この若き剣豪に期待を抱く。

 

 もし、彼の持つ心の強さが本物であれば…

 

 

「…何故立ち上がる。己の弱さを知るのなら、おれの前に立ち塞がる意味などないと分かるはずだ」

 

 男の最後を分かつ、世界の頂からの問いかけ。

 返されたのは、やはり彼らしい若き心の意地と誇りであった。

 

「おれは…っ、海賊王の背を守る…大剣豪になるんだ…っ! あいつを斬っていいのは…っ、おれの…くそったれな血に染まった剣だけだ…ァっ!!」

 

 その言葉が絶海の甲板に広がった瞬間。ミホークは、先ほど視界の端に降り立った一つの巨大な覇気が大きく揺らぐのを感じ取る。

 

「…残される女は後ろでお前の無事を願っているが?」

 

 だが、男が指摘した心揺さぶる事実にも、剣士は瞳一つ震わせない。そこには若さや、人の心の弱さを超越した、強者を名乗るに相応しい強き意思の力が宿っていた。

 

 まごう事なき、覇気の源である。

 

「…死なねェよ、おれは。あいつの…背中を守るって…約束したからな…」

 

 剣士の耳には、立ち尽くす料理人や食事客、かつての賞金稼ぎ仲間の声にならない吐息も、遠く荒れる海の轟音も、自身の心音も、そして  必死に悲鳴を噛み殺す、守るべき少女の祈りさえも、届かない。

 

 剣士二人の完結した世界。

 偉大な覇者の立つ、途方もない彼方の領域に招かれた“未来の大剣豪”ロロノア・ゾロは、遂に目の前まで近付いたこの世の頂点へ、最後の一振りを向ける。

 

 大剣豪が招く、生死の狭間に生まれた美しい隔世へ足を踏み入れた若き剣豪。そこでゾロが口にしたその言葉は、実に“鷹の目”好みの言葉であった。

 

 

「なにより、最強を目指す男に  “後ろ”なんか見てる暇はねェだろ…?」

 

 

 ニヤリ。

 大剣豪は自身の口角にそのような楽しげな擬音が書き加えられた気がした。

 

「…面白い」

 

 最早言葉は不要。ふらつく足を踏み締め、大技の構えを見せる若き剣豪へ、ミホークもまた剣を構える。

 

 見せてもらおう、その強き心が振るう最後の一太刀を。

 

「三刀流奥義   

 

 三本刀の剣士が両手の太刀を風車の如く回転させる。放つ覇気が霧散し、太刀筋を読ませない。

 

   小世界の裾野は鉄囲山が囲む風輪につき…

 

 剣士は豪速の“剃”で最強の下へと迫る。

 

   九山八海を乗り越え四大州を踏み締め…

 

 時の止まった世界の中で、ゾロは切り裂く黄金の閃電を目にする。

 

   そびえる須弥山の頂に広がるは一人の剣士の頂…

 

 

 千の剣士の頂が、更なる千の頂を経て、大千の頂となる。それは十万億土の果てにある剣の極地、剣の娑婆。最強に至った者がその眼下に見下ろすこの世の全て。

 

 その大いなる名は。

 

 

 

 「   ”三・千・世・界”ッッ!!」

 

 

 

 未だ若き剣豪には見えぬ、剣の世の最果てである。

 

 

「背中の傷は……剣士の恥だ」

 

 ゾロは万感の感謝を込め、頂の覇者へ笑みを返す。

 今度こそ、誰の手を取ることなく、己自身の両脚でこの頂へと昇って見せる。そう暗に口にして。

 

 

   見事」

 

 

 かくして最強の大剣豪に挑んだ若き力は、振るわれた二度目の黒刀の前に倒れ伏した。

 

 

 

 



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28話 王下七武海・Ⅳ

 
クライマックス前の一息(作者の
キリが悪かったので8000文字と短めです。



 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所“巨雲島”

 

 

 

 空前絶後の驚天動地の果てに生み出された孤島。標高海抜二千メートルを超すこの巨大な岩の柱を目の当たりにし、その創造が四半刻にも満たない数瞬前の過去であると考える者は一体この世に何人いるであろうか。

 

 その数少ない一人にして石柱の創造者である女神の如き美女が、仏頂面で島の頂上に佇んでいた。

 

「フン、小娘が。わらわとは遊びであったと申すか、忌々しいガキじゃ」

 

 口惜しげにそう呟く美貌に反し、女の艶めかしい肢体はボロボロであった。

 薄着の隙間に曝け出された白磁の素肌はどこも紫色に染まり、鮮血が滴り落ちる。さぞ美しかったであろう長い素足の曲線美は腫れにより、荒い丘陵の如き歪な凹凸が痛ましく浮き上っている。

 だが無数の打撲傷や銃傷、刃傷で覆われる至高の女体は、それでも尚、戦場を舞う戦乙女のような凛々しい麗容であった。

 

 

   どうやら命は見逃してもらったようだな」

 

「!?」

 

 そんな戦乙女、王下七武海「“海賊女帝”ボア・ハンコック」の耳に、突然不快な男声が侵入する。咄嗟に振り向いた先に居たのは想像通りの人物。自分をここへ飛ばした張本人にして同じ王下七武海の「“暴君”バーソロミュー・くま」だ。

 

 まるで瞬間移動のように、ぱっ…とあらわれる奇妙な義手を付けた巨漢。そのあまりのタイミングの良さにハンコックは自身の覇気を活性化させる。

 

「下郎……そなた、一体いつから…!」

 

「お前はともかく、あの少女の覇気の感知を潜り抜けられると豪語出来るほどおれは己惚れてはいない。だがその襤褸雑巾のような姿を見るに、おれの予想は正しかったようだな。幸運な女だ」

 

   芳香脚(パフュームフェムル)”!!」

 

 相も変わらぬ無礼な物言いに、戦乙女は必殺の石化蹴をその狙いやすい巨体へ叩き込む。

 

「!」

 

「フン、遅すぎてあくびが出るわ…っ!」

 

 初撃は相手の能力で避けられたが脚は二本。先ほどの激戦で受けた傷が悲鳴を上げるが、繰り出した左足は見事巨漢の右腕に命中し一瞬で石へと変貌させた。忌々しい小娘との戦いの後故か。まるで亀のような男の鈍重な動きにハンコックは思わず失笑を零す。

 

 だが無理が祟った彼女の体はぶり返した激痛に耐え切れず、短い攻防は両者の膝が岩場に突く不完全燃焼な結果に終わった。

 

「ぐ…ッ、敵に手傷一つ負わせること叶わずに惨敗した腹いせをおれにぶつけるな。先日のと合わせて石化を解け、これでは参戦出来ん」

 

 珍しく苦々しい声で悪態を吐く男に美女は荒い息のまま首を捻る。その仕草を見た巨漢は口で器用に左手の義手を取った。

 そこでハンコックはようやく思い出す。そういえばこの下郎に飛ばされた三日前、無礼な海軍中将を石にしようと伸ばした手を掴まれ、逆に自身の手が石になった馬鹿がいた。目の前のこの大男である。

 

 雄に手首を触れられた当時の嫌悪感が再燃し、美女は顔を歪める。こやつに掛ける情けなど最早欠片もない。

 

「ッ、ハァ……ハァ……、ッそのまま当たって散ればよかろう? 小娘に怖気付いたのなら政府にこう申せ、『過ぎた真似をし女帝の怒りを買った』とな」

 

「…仲間割れなどしている場合か? “鷹の目”が敗北すれば任務は失敗だぞ」

 

 その言にハンコックはきょとんと放心する。

 

「仲間割れ…? “仲間”とは誰のことを申しておるのじゃ? この場にはわらわと不届きな男一匹しかおらぬようじゃが……ソニアたちはまだ来ておらぬぞ」

 

「…政府には人選に著しい問題があったと報告するべきだな」

 

 石化した右腕と、左手。能力の全てが掌に浮かぶ肉球に依存するバーソロミュー・くまは、これで力の大半を封じられた。

 

 処置なし、と頭を振る巨漢にハンコックは僅かな違和感を覚える。この男、噂では「七武海一政府に従順な海賊」と知られているが、どうも当初より此度の任務に大きな熱意を感じない。先々々代皇帝より五月蠅く聞かされた話に出てきた彼とは、些か異なる振る舞いだ。

 もっとも男の些細な態度の違いなど彼女にわかるはずもなく、淡々と機械のように行動する彼を「そういう人間」と片付れば仕舞な話。単純に伝わる話自体が誤りである可能性も無きにしも非ず。

 

 第一、男の性格や態度に一々気を配るなど馬鹿々々しいにもほどがある。

 

 一瞬で忘れ、ハンコックは息を整え立ち上がる。これ以上戦えば傷が悪化し痣が残ってしまうかもしれない。彼女に傷跡を掻き消す乙女の味方、“生命帰還”の技術はないのだから。

 

「…致し方ない。“鷹の目”の働きに賭ける」

 

 平然と、まるで最初から何もなかったかのような無機質な声色で、巨漢が立ち上がり遠方の奇妙な帆船へ目を向けた。

 

「…なんじゃ。男なら雑魚らしく徒党を組んで襲えばよいではないか」

 

「あの男とそんなことをすればどうなるか、見ればすぐにわかる」

 

 

 “あの男”  「鷹の目のミホーク」。

 

 世界最強の大剣豪として、女ヶ島にも辛うじてその異名が伝わっている伝説の剣士だ。先日のマリンフォードでの作戦会議で、一部の海兵や政府関係者らしき人間から「彼一人で十分ではないのか」と無礼な意見が出たことをよく覚えている。尚その者たちは今あの三日月島の端に散らばる瓦礫となってもらった。

 

 ハンコックは不快な顔で巨漢の隣に立ち、その視線の先を追う。すると男が僅かな沈黙の後、場を賑やかそうとしたのか、実に笑える冗談を口にした。

 

「…先達として忠告しておく。知識無き王が治める国は、無政府状態(アナーキー)にも劣る」

 

「フン、“暴君”が君主論でも説くつもりか? 何をしても許される美しきわらわに国の興亡などどうでもよいことじゃ」

 

 思わず鼻で笑ってしまったハンコック。その姿を横目で見ていた巨漢が正面へと向き直り、見聞色の覇気が捉える二つの怪物の気配をゆっくりと指さした。

 

 

「ならばこそ知れ、暗愚帝ボア・ハンコック。お前の哀れな民たちのために   この世の頂の戦いを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

 崩れ落ちる剣士の体が寸前のところで柔らかな感触に守られる。

 まるで最初からそこに居たかのように、ルフィは最速の“剃刀”で傷付いた仲間を胸元に優しく迎え入れた。

 

「……ッ!」

 

 受け止めた体の軽さが物語る、死力を出し尽くした剣士の哀れな心境。今にも消えてしまいそうな心細さにせき止めきれず、少女の目尻を一滴の水滴が伝い落ちる。このまま抱きしめ青年の存在を心身全てで感じていたい気持ちを封じ、ルフィは甲板を呆けた顔で見つめる人々へ向き直り、跪いた。

 

   皆さん、お願いします…!」

 

 必死に、切実に。船長は己の仲間を救うため、自分に出来るたった一つのことをする。無能な自分に出来る最善を。

 

「XFの血液型の方はいませんか…?! 仲間に血を恵んでください…! ゾロを、助けてください…っ! お願いしますっ!!」

 

 

 輸血。

 その言葉は少女ルフィにとって  否、“ルフィ”にとってとても大きな意味を持つ。

 

 それは“夢”のルフィ少年の最後の仲間、魚人の任侠親分との掛け替えのない絆。瀕死の少年を、種族の壁を超えて救ってくれた恩人の温かい人情は少年の体を流れる血に宿り続け、絶体絶命の逃亡戦の殿に一人残った彼との確たる繋がりであった。

 

 少女の“夢”でルフィ少年は、船長としての心構えとして仲間のトナカイ船医に幾つかの基本的な医療知識を覚えるよう言われていた。だが少年が耳を貸すことはなく、「船医はお前だ!」の一言で片付けていた。

 それは語る本人である一味の船医への無条件の信頼であり、その信頼は照れ屋な青鼻少年の呆れと、励みになっていた。

 

 だが当時六歳であった無名の村娘ルフィに、彼らの間にあるその不可視の繋がりは文字通り見えなかった。そんな船長の態度は彼女の目には、自分の無知に胡坐をかいた無責任な態度に思えたのである。

 

 少女ルフィは“夢”のルフィ少年を尊敬はしても、妄信はしていない。悪いと思ったところは反面教師として注意し、ああはなるまいと自分を戒めていた。

 無論、性別による精神的な差異を除けば、両者の本質は同じ。それでも、その数少ない、それでいてとても大きな差異が、少女ルフィの船長としての姿勢であった。

 

 彼女は母親代わりのマキノの店を手伝ううち、店であろうと海賊船であろうと、組織で最も偉い者は仲間の補佐やその抜け穴を埋められる多彩な人間でなくてはならないと感じるようになっていた。

 故に少女ルフィは我武者羅に強さを求め、拙い頭で何とか航海術や医術、大工技術の触りだけでも学ぼうとした。それは仲間に甘えてばかりを止め、彼ら彼女らが安心しながら一緒に冒険してくれるような船長になりたかったからこそ。特に“夢”で死に掛けた前例があるルフィにとって、仲間の血液型を知っておくことは船長としての最低限の知識の一つだと、少女はトナカイ船医の言葉に素直に納得出来ていた。

 

 

 モンキー・D・ルフィの何よりの最優先は仲間の命、仲間との絆である。

 

 そのためならば、少女は、未来の“王”としての矜持や姿勢など喜んで海に投げ捨てる。血と潮と泥に汚れた甲板に額を付け、土下座しながら他者の慈悲を乞うことなど何の抵抗もない。

 

 たとえそれが周囲がどよめき瞠目するほど、あの大津波を割った絶対強者らしからぬ異常な行為であっても。

 

 

   ッ、おいデュボー! XF型ならおれとバランとジビェの血を取れ! あとついでにあの剣士の小僧を手当てしてやれ!」

 

 だが、その異常は、確かに人を動かした。

 

 オーナーシェフのゼフに呼ばれた丸眼鏡の中年男性が僅かな逡巡のあと、自暴自棄な笑顔で周囲の料理人たちに指示を出し始める。

 

「ッ…クソッ、やってやらぁ! あの“鷹の目”に二度も斬られた男を救うなんざ、医者最高の名誉だ…!    おら、ぼさっとするな無能コック共! さっさと動脈掻っ捌いて医務室の血液パックに中身ぶっこめ!」

 

「おれらに死ねと!?」

 

「うるせェぐず共さっさとやれ!    ルフィちゅわぁん! 終わったら私に素敵なキッスをくれないかい?」

 

『んなっ!? ふざけんな殺すぞ死ねエロ藪医者ァァッ!!』

 

 料理長の号令と共にドタバタと準備に奔走する『バラティエ』一同。中には少女の真摯な態度に心打たれ献血や医療看護を志願する食事客の姿もある。

 

 海賊である『麦わらの一味』に慈悲を恵む彼らの優しさに、ルフィは濡れる瞳を震わせ、跪いたまま咽ぶ声で何度も感謝の言葉を叫び続けた。

 

 

「…ばか…やろ……」

 

「ッ、ゾロ!? 意識が…!」

 

 そんなルフィの耳にか細い声が届く。ヒュー…ヒュー…と擦れた吐息を漏らす、瀕死のゾロの精いっぱいの声だった。張り詰めた緊張が僅かに解れ、感極まった少女は胸元に抱えた彼を強く強く抱きしめる。

 もう二度と放さない。そう自分の両腕で青年に伝えるように。

 

「よかった…! ホントによか   ッ、…ふぇ?」

 

 仲間のチクチクする短い髪に顔を埋め、安堵の感情をうわ言のように繰り返していた船長は、ふと自分の頬が硬く冷たいものに撫でられる感触で我に返った。

 

 剣ダコで覆われた、男らしく、優しい手。初めて触れられたそれは、少女がずっと想像していた通りの、彼らしいゾロの手であった。

 その冷え切った弱々しい掌へ、両手が塞がるルフィはせめてと頬を擦り付け彼の求めに健気に応える。だが傾けた頭は堤防を崩し、目元の雫を重力に晒してしまう。

 

「なんて…かお、してやがる……」

 

「ッ、ないて…っ、ないっ! ないてないもんっ!」

 

 気付いたときには遅かった。伝う水滴が頬を撫でる剣士の手に触れ、その青白い顔を悲痛に歪ませる。

 咄嗟に給仕服のブラウスの肩に顔を埋め、流れる塩水の飛沫を染み込ませる少女。しゃくり上げるような自身の呼吸はハンコックとの戦いでの消耗だ。そうに決まっている。

 

 瞼の堤から溢れそうになる感情の波を必死に堪えていると、小さな吐息がルフィの首筋を掠めた。あまりにも小さなそれがゾロの声であったことに遅れて気付き、慌てて彼の口元へ耳を運ぶ。

 

 だが、頑張って晴らしたはずの視界は、聞こえた仲間の声に水面へ突き落された。

 

「へ……っ。そう…だな……。やくそく…だから…な……」

 

「…ッ!」

 

 約束。

 

 その単語に少女は思わず息を詰まらせる。

 目の前にあるのは、小さく口角を持ち上げるいつもの彼の、ぼやけた顔。まるで何かとても大切なものを諦めようとしているかのようなゾロの擦れ行く声に、ルフィは全ての事実から目を逸らし、差し出された虚実に縋り付く。

 

「ええ…、ええ…っ! ゾロもまけてないもん…っ! こころでまけてないもんっ! まけないって…っ、やくそく…してくれたもん……」

 

 必死に紡いだ台詞は、今にも消えてしまいそうな彼を自分の側に繋ぎ止めたいがためのもの。悲鳴に類する、驚くほどに痛ましい声。

 それでも辛うじて伝わってくれたのか、ゾロの瞼が僅かに見開き、反芻するようにその言葉を繰り返した。

 

「そうか……、まけて…ねぇか……」

 

 青年が口にしたその単語を唱えるたび、少女は彼の瞳に少しずつ熱が灯っていくのを感じる。

 

 幾度の反復の後。剣士の揺れる瞳が自分のものと交差した。

 

「……なら…よ……、たのむ…ルフィ……」

 

 そして、少女の掛け替えのない仲間の唇がその言葉を綴った後、ルフィは涙を堪えることが出来なかった。

 

 

「……おれに…まだ、おまえを…………守らせて…くれ……っ!」

 

 

 ゾロが、泣いていた。

 

 

「……ぁぅ」

 

 締め付けられる胸の痛みに少女は思わず小さな嗚咽を漏らす。

 男らしく、常に武人前とした勇ましい剣豪の  漢の涙。そこに宿る思いの強さに船長は圧倒される。

 

 それは確かに“夢”で彼が見せたもの。だが、そこに込められた感情を目の前でぶつけられた今のルフィには、全くの別次元の重さを感じた。

 惨憺とした、身を千切るような耐え難い痛痒の重さに。

 

「不安に…させたかよ……。こんなやつに……背中なんて…まかせられねぇ…って」

 

 剣士の沈痛な声色が心ごとルフィの鼓膜を震わせる。溢れてしまった涙をせき止めるのに精いっぱいなルフィはただ、必死にかぶりを振り続けることしか出来ない。

 

 不安などあるわけがない。大切な仲間たちに不安などあるはずがない。

 

 無論、まだ出会って間もないルーキー海賊団。”夢”のルフィ少年の一味のような強い絆を育むに至ってはいないことくらい、能天気な少女にもわかる。

 

 まだアーロンのことも相談してくれないし、正式に仲間になってもくれないけれど。

 まだウソップと一人だけ仲がいいのを根に持ってて、しかも女の自分を船長として完全には認めてくれないけれど。

 まだジェルマの過去も秘したままで、そしてルフィ自身、平然としていられるほど、いつもの彼のラブラブ恥ずかしい感情を向けられるのに慣れないけれど。

 

 それらは全てこの不甲斐ない船長の自分が悪いのだ。

 

 今回の彼の大怪我も  双方に大きなすれ違いがあったとは言え  世界政府を裏切った自分のせいでもあるのだ。まだ力を付けていない、未だ弱い仲間たちを“新世界級”の大惨事に巻き込んでしまったのは、他ならぬこのモンキー・D・ルフィなのだから。

 

「守れるわけ…ねぇよな…っ、目指すあいてに……傷ひとつ…つけられねぇ……、よえぇおとこなんかに…よぉ…っ!」

 

 非力な自身への絶望を吐き出す哀れな敗者。少女はそれを悲惨な思いで否定する。

 

「っく……ぞんな…っ、ぁぅ、そんなごど…、ないもん……っ!わたじの…せなかは……っ、ぞろがまもるんだからぁ…っ!」

 

 だがえずくように吐き出された声は、ルフィ自身の耳にもわからないほどに、人語の形を成していなかった。

 

 不安などあるはずがない。特に、最初に仲間になってくれて、最も船長の自分を大切に思ってくれる彼にだけは。

 

 確かに、仲間なのに全然甘えさせてくれないし、戦闘になったら心配する船長命令を無視してすぐに強敵に挑み大怪我して帰って来るし、ときどきそういう目で見てくるむっつりさんだけど。それでも彼の男らしさや優しさ、そして何より船長の自分を立ててくれる強い敬意は、仲間たちの中で未だ彼だけが向けてくれるものである。おそらく現時点で、本当の意味でこの自分のことを頼るべき道しるべ、海賊団の船長であると認めてくれているのは彼だけだ。

 

 弱いのが不安なら、強い自分が守ってあげる。弱いのがイヤなら、強い自分が鍛えてあげる。そしていつか大剣豪になってくれた彼に背中を支えてもらいながら、この世の全てを共に掴むのだ。

 

 ゾロ以外の人間に背中を任せる気などない。無論、背中ががら空きな者に、海賊王などなれるわけがない。

 

 海賊王モンキー・D・ルフィの大剣豪は、目の前の剣士ロロノア・ゾロだけだ。

 

 

「…ッ、なら……三度目…の、正直…だ……っ!」

 

 その信頼に、覚悟に動かされたのだろうか。ルフィの言葉を受け取った剣士が最後の力を振り絞り、側で彼の身を案じるかのように転がる一本の刀を手に取る。

 

 そして、それを天高くつき上げた。

 

 

「……おれは…もう   二度と負けねェッッ!!」

 

 

 一人の剣士が誓いを立てる。遠のく己の耳に、かつての勝者たちに、まだ見ぬ強敵たちに、そして  剣を捧げた未来の優しき海賊王に。

 

「あいつに勝って…っ、大剣豪になるまで……おれは、ぜったいまけねぇッッ!!」

 

 僅かに残った覇気が男の言霊に乗り、周囲へと散っていく。世界そのものに己の決意を刻むかのように。

 

「もんく、あるか…っ  海賊王ッ!」

 

 少女はその問に抱擁で返す。強い、強い、強い、抱擁で。

 そして、歯を全身全霊で食い縛り、涙の津波を押し止める。濡れる目元を擦り、鼻水を呑み込み、ルフィは満面の太陽をその顔に輝かせて見せた。

 

 

「……しししっ   ないっ!!」

 

 

 三度目の正直だ。

 

 自分ももう、二度と泣かない。

 

 

 

 この日交わされた二人の若者の約束は、未来の海賊王と大剣豪の  大切な絆の誓いとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

   よくぞ耐えた、強き者よ」

 

 

 その言葉は、無謀な戦いに挑み続ける仲間を最後まで見届けたことにか。はたまた交わした涙の約束とやらを必死に守り抜いたことに対してか。

 

 いずれにせよ、「鷹の目のミホーク」は、想いを押し殺しながら男の誓いの全てを受け止めた少女に、同じ男として相応の賛辞を贈るべきだと思えた。

 

 

「……ありがとう。ゾロを殺さないでくれて」

 

 船医に海上レストラン内の医務室へと運ばれていく青年。その様子を見守る沈痛な背中の少女が、ぽつりと感謝の言葉を零す。

 

 静かで、感情の無い無機質な声色。ミホークにはそれがどこか機械的で不気味なものに聞こえ、最後に残った気の緩みを今一度引き締めた。

 

 この人物だけは、一瞬の油断もなく、死力を尽くして当たらねばならない。

 

「中々見所のある剣士であった。時代の申し子に相応しい、良い“眼”を持っている」

 

「…自慢の相棒よ」

 

 平然と続く会話は、二人の間で高まる総毛立つほどの緊張感の中で交わされる、場違いな異物。

 

 それでもこの僅かな平穏の間だけは、先ほどの若き剣豪の雄姿を褒め称えるべきであろう。剣士としての礼儀を欠く者が”最強”という名誉ある名を持てるはずがない。

 ミホークがもつその称号は、彼の単純な力量以上にその気高い様を称するべく語られ出したものであった。

 

 少女もまた、そんな大剣豪の在り方に則り、秘めた牙を唇の裏に隠し続ける。男の言葉は今の傷付いたゾロの励みになるかもしれないのだから。

 

 

 そして、強者たちの口がどちらともなく沈黙する。

 

 一触即発の空気は遂には現世へと具現し、世界に静かな歪を起こさせた。

 

   っぁ」

 

 観衆が零らした悲鳴は、弱き心が“王”の慈悲を乞う平伏の証。固唾を呑んで見守る弱者が一人、また一人とその意識を手放していく。

 

 ひれ伏すのは人だけではない。波打つ水面は静まり返り、甲板や店壁は心臓の鼓動の如く軋み、耐え切れず亀裂を走らせる。

 

 風一つなく、水音一つ立たず、息一つない。

 

 脈動する形而上の何かが起こす不可視の圧迫感が支配するその絶海の甲板では、睨み合う二人の男女以外の全てが屈服する。

 

 この世の頂に立つ、両者の覇気の前に。

 

 

「では……相棒を斬られた怒りごと、このおれにぶつけて見せろ   モンキー・D・ルフィ!!」

 

 

 堪え切れぬ戦闘衝動に、男は猛獣も逃げ出す凶悪な笑みを浮かべ、眼前の頂を戦場へと誘う。構えた大剣は如何なる強者をも斬り伏せる最高の大業物だ。

 

 だが、佇む女は凪のよう。その身から放たれる桁外れの“王気”の中心にありながら、感じる気配は宛ら台風の目が如く。

 

 それはまるで世界が少女、モンキー・D・ルフィの存在を認識することを恐れているかのようであった。

 

「ええ。でもあなたを倒すのは成長した未来のゾロよ。だから、“鷹の目”    

 

 そして、最後に響き渡った涼音の声に促され  戦慄く世界が少女の覇気を受け入れる。

 

 

 

 

   ゾロの前で、無様を晒したらぶっ飛ばすわよ」

 

 

 

 

 直後。

 

 劈く雷轟と共に、森羅万象がこの世の終わりを覚悟した。

 

 



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29話 王下七武海・Ⅴ (挿絵注意)

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

 強き意思の力の具現化とも例えられる覇気の技は、必ず術者の想像力の影響を受けて現れる。

 身を守るとき、原初的な防御手段である“外皮”にあやかり、自身の「皮膚を硬化させる」イメージを抱くように。気配を捉えるとき、最も広い知覚能力を持つ“聴覚”にあやかり、相手の「心の声を聞く」というイメージを抱くように。

 強大な覇気を意識の制御下から離さぬよう、具現化する“力の形”に具体的なイメージを付与をすることは覇気使いたちの常識だ。

 

 

  “ギア4(フォース)・ホーネットガール”」

 

 

 一瞬の出来事。

 小さく呟いた少女の身体が異形と化した。

 

 具象化させたのはその技の  否、形態名であろうか  名が冠す通りの空の蟲王、“雀蜂”に類するもの。蜂のように縦横無尽に飛び回り、鋭利な毒針で敵を屠る。桁外れの覇気をかくなる意思の制御下に置いた結果が、その翅の意匠で浮き上がった武装硬化と背中の黒雷なのだろう。

 

 そして、誰もが想起する蜂の代名詞  鋭い尾針の具象が、双腕の馬鹿げた密度の武装硬化か。周囲の覇気を拒絶するかのように激しく弾けるその雷球の如き両手こそ少女の主兵装に相違ない。

 

 

 片や百戦錬磨の大剣豪、片や人知を超えた超常現象の成れの果て。相手の戦闘手法を即座に見抜いた「鷹の目のミホーク」は自慢の黒刀“夜”を構え、強者の攻撃を待ち構える。

 

 その行為は、王者が挑戦者を迎えるためのもの。

 

 そして、最強の名に相応しい威厳のある  だが同時に、ある種驕ったその行為が、果たしてこの場における最善であったか。大剣豪は直後に答えを知ることとなった。

 

 

『!!?』

 

 

 ズドン!と凄まじい覇気が『バラティエ』の周囲に広がる。

 気迫という抽象的な概念が物理的な圧迫感を持ち、周囲の全てを軋ませるそれは、まるで世界そのものが悲鳴を上げているかのような現象であった。

 

 戦地を渡り歩く者は皆己の命の危機を察知する術に長けている。それは五感を超えた不思議な直感であったり、覇気のように自他の意思の力を司る特殊な技術であったりと様々だ。人はときにそれらが捉える危険の予兆を”殺気”と呼び、自身に迫る明確な敵意として感知する。その気配は込められた意思の強さに比例し強くなり、同時にそれが齎す危険の度合いに左右されるものである。

 憎悪が育む殺意は刃の如く鋭く、巨人の怪力が放つ殺気はときにそれだけで相手の命を押し潰すほどに重い。その強い意志を武力にまで昇華させる覇気使いたちの戦場は、まるで不可視の洪水のように敵意が渦巻く魔界と化すのだ。

 

 そんな戦場に生きる練達した覇気を持つ“王”は、有象無象から望んだ一人のみにその威光の全てをひけらかすことすら可能。威圧する相手はたったの一人。未来の海賊王が持つ全力全開の覇王色の覇気が大剣豪ミホーク一人に殺到する。

 

「ッ!? これは…!」

 

 魂そのものをぶん殴られたかのような凄まじい衝撃が襲う。しかしその足は揺げど膝突くことはない。己が決して有象無象などでは無いことを、ミホークは目の前の“王”に平然と見せつけたのである。

 

 だがその大剣豪の一瞬の隙こそが船長ルフィの狙いであった。

 

 

   ”ゴムゴムの雀撥銃(ワスプガン)”ッッ!!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 稲妻のような軌跡を残し、少女が空を切り裂きながら神速の速さで強敵に迫る。金剛石すらバターのように抉る硬さを誇る武装硬化の“指銃”が  ミホークの右肩を貫いた。

 

「な  ぐっ!?」

 

 バギャン!と鎖骨が砕かれ肉が抉れる音が響く。

 今までに体感したことのない鋭さ、硬さ、重さ、そして速さ。攻撃をその身に受けたことで剣士はこの女海賊の纏っている武装色の覇気の密度を詳細に感じ取り、その常に冷静な表情を大きく崩す。

 

 そこへ更なる驚愕が鷹目の男に襲い掛かった。

 

「遅いっ   “剃刀《カミソリ》”!!」

 

 途轍もない悪寒を走らせる己の直感を信じ、大剣豪は振り向き様に“夜”を振るう。姿勢を崩しながらも美しい太刀筋を見せるその剣は見事疾走する幽鬼を捉え、切っ先の海面をバックリと斬り裂いた。

 男の放つ全てが山をも両断する絶死の斬撃。触れればそのまま黄泉へと召される死神の刃だ。

 

 しかし  

 

「何!?」

 

   全てを斬り伏せる自慢の黒刀は、あろうことか、少女の閃電走る紅黒の手刀に大きく弾かれた。

 流石のミホークもこれには声を上げる。能力者とはいえ無手の相手に即死の太刀を振るうなど如何なるものか、そう常に己に幾ばくかの枷を嵌めて決闘を楽しむ癖がある大剣豪であったが、最早そのような美学に傾倒している場合ではない。

 

 少女のその華奢な十指は、六式などという玩具とは比較にもならない、この世でも最上位に値するれっきとした凶器であった。

 

   !」

 

 衝突の余波で木端微塵に砕け散る甲板の残骸の上。瞠目する大剣豪の鷹目が、少女の夜空の瞳と交差する。

 瞬きすら出来ない僅かな時。だがミホークの金瞳は確かに、その大きな黒曜石が何かを暗示するように細まったのを視覚した。

 

「シッ!!」

 

 咄嗟に左手に持ち替えた長剣“夜”を振るう。だが退けようと狙った少女の姿はそこに無し。外した斬撃は不可視の覇気の刃と化し、深く抉られた絶海の水面は荒波を高く巻き立てる。

 

 だが巨大な装甲艦すら両断する一撃を条件反射で行使する怪物は、己の偉業を誇るどころか見向きもしない。

 

 理由は単純。

 

(ありえん、何故この速度の中でおれの一撃を感知出来る…? これでは視界どころか見聞色の覇気も使えんはず…)

 

 人間の反射神経どころか魂に作用する覇気の知覚限界すら超える敵の速度に、ミホークはそのカラクリを暴こうと思考を回転させる。

 

 

   “ゴムゴムの誘導蜂弾(バンブルビー)”!!」

 

 

 それは逸れた意識を浮世へと戻す涼音の響き。

 

 突然聞こえた少女の玲瓏とした声に振り向こうとした瞬間、ミホークは宙を舞った。

 

 衝撃が走ったのは腹部。

 なるほど脇腹を突き飛ばされたのか、と暢気に考えながら大剣豪は水面で水切り石の如く何度も跳ね回る。

 

 そして長い長い滞空時間を経て、最後に遠方の石化した積乱雲の岩島へ激突し、盛大な水しぶきと土煙を上げながら崩れた断崖の裏に姿を消した。

 

 

 縦横無尽に空を飛び回る船長ルフィが行っているのは、六式応用術“剃刀”の多重連続使用である。

 この技は十年前、かの海軍元少将モモンガ師匠が伝授した六式の二つ、“剃”と“月歩”を組み合わせた高等立体移動術であり、“夢”の強敵である元「CP9」のロブ・ルッチが得意としていたものを更に発展させたものだ。究極奥義“六王銃”以上にルッチの驚異的なスピードが強く印象に残っていたルフィは、基礎の二式を鍛えた後にその修得を目指しすぐさま修行を開始していた。

 

 超高速で空中を長時間移動するだけの筋力と持久力、移動中に周囲を捕捉し続ける動体視力と集中の持続力、更に見聞色の覇気を維持し、同時に攻撃のための武装硬化を行えるほどの人知を超えた強靭な精神力。どれ一つとして楽に得られるものではなく、幼い少女は生傷の絶えない体に鞭打ち今まで四六時中研鑽を行って来た。

 

 それは、彼女だけの特異性  “夢”で数々の苦い敗北を知るからこそ。

 

 偉大なる航路前半“楽園(パラダイス)”最後の島シャボンディ諸島で、為す術も無く敗北した強敵、海軍大将「“黄猿”ボルサリーノ」。光の速さという異次元の速度を誇る、スピードタイプの強敵である彼に対応するにはコレしかない。そう麦わら娘は己の高い戦闘知能で自己分析した。

 未だに衝撃覚め止まぬ、義兄エースのあり得るかもしれない理不尽な未来。もし彼がこの世でも万が一捕まり、あの海軍本部頂上決戦が起こったとしても、“黄猿”さえ倒せれば義兄を抱えて空を超高速で逃げられる。

 

 その最初の遭遇となるシャボンディ諸島での事件が起きるまで、ルフィはかの海軍大将との戦いを見据えたスピード重視の猛特訓を既に何年も前から行っていた。

 

 

 そしてその努力は今、目の前の“王下七武海最強の男”が無様な姿を晒すほどまでに報われていた。

 

 

   確かにおじいちゃんより強いけど、おじいちゃん今八十間近のおじいちゃんなのよ? 『私は強い』って覇王色の覇気でちゃんとあなたに伝えたはずなのに、何度も喰らうなんて…私相手に遊んでるの!?」

 

 ルフィは不満げに頬を膨らませ、世紀の大剣豪が埋もれる岩島の絶壁を“月歩”で見下ろしながらぽつぽつと呟く。

 

「小手調べはもう終わりっ、全力で来なさい! あなたの覇気がそこで爆発しそうなほど高まってるの、わかってるんだから! ウチのゾロにこれ以上ダサい姿見せないでくれる!?」

 

 舐められていることに段々と不機嫌になりつつあった女船長が、挑発気味に音量を上げた声を眼下の波打ち際に投げかける。

 

 

 その言葉が彼の耳に届いたのかは定かでは無い。だがかの大剣豪がその時を“頃合”と見たのは確かであろう。

 

 

「ッ、来たわね  “ゴムゴムの雀撥銃(ワスプガン)”ッッ!!」

 

 

   瞬間、海が『Y』の字に割れた。

 

 

 その光景は水平線へと至り、絶海を縦に横に走り抜ける。

 ルフィを狙った斬海の大太刀は、寸前に放たれた紅黒色に輝く兆速の雷拳でその軌道を二つに分かつ。

 

 海賊娘の後ろ遠くにあるのは自身の守るべき海賊船と海上レストラン『バラティエ』であった。必殺の指銃、そして速度と回避に特化したこの戦闘形態だが、基より武装硬化は攻防を両立出来る覇気の奥義。迎撃に撃たれた必殺技は確とその役目を果たす。大剣豪の太刀筋に合わせて攻撃をぶつける卓越した技量は、偏に少女が有する覇気の恐るべき練度を物語っていた。

 

 「“四皇”ビッグ・マム」配下の最強の男、「将星シャーロット・カタクリ」との戦いで目覚めた未来視の見聞色の覇気を“夢”のルフィ少年より得ていた麦わら娘。その更なる強化と安定性を求め、彼女は力の目覚めより十年、一日たりともその鍛錬を欠かしたことはなかった。

 

 

  今のを防げたのは、“赤髪”で二人目だ」

 

 

 海に響き渡る澄んだテノールがその声の持ち主の感心を伝えてくる。

 

 だが、油断なく腕を構えようとしたルフィは、このとき初めて表情を歪めた。

 

 持ち上げた右手。

 そこに、今まで一度たりとも感じたことのない、“痛み”が走ったのである。

 

「……え?」

 

 少女ルフィが義兄や祖父と頭を突き付け合って編み出した、ルフィ少年には無い彼女だけのギア4(フォース)形態、“ホーネットガール”。この特異な姿の最大の特徴は、今の自分の精神力が可能な限界まで覇気を両手に硬め、常時発雷現象を起こすまでに至らしめた、前人未踏の超密度の武装硬化である。

 それはあの「“海軍の英雄”ガープ」の全力の拳骨すら穿つ絶死の一撃であり、その超硬度を突破出来る攻撃など無いと、あの鬱陶しくも偉大な祖父ですら「ありえん」と断言していたほどなのだ。

 

 絶対的な自信に生まれた、僅かな亀裂。

 

 

   ()()()()()、若き強者よ」

 

 

 気付いたときには時すでに遅し。

 動揺は強者同士の戦いにおいて、致命的な過ちとなる。まして相手はあの名高い「鷹の目のミホーク」だ。

 

 少女の心に生まれた小さな小さな罅に、この世で最も鋭い斬撃が濁流のように殺到する。

 

「!!?」

 

 それは刃の檻であった。

 

 一瞬にも満たない、文字通り須臾の隙を突かれた少女は、自慢の武装超硬化をも揺るがす即死の斬撃の竜巻に飲み込まれた。

 

  ッッ!! しまっ   

 

「無駄」

 

 そして、その茨の柵を潜り抜けることを躊躇ってしまった可憐な乙女に  神殺しの魔刃が襲い掛かった。

 

 

「ッくぅっ  !!」

 

 その一撃は、大剣豪が放った世界最高の一太刀。自身の生み出した斬撃の竜巻ごと、この世の全てを両断する、神閃であった。

 

 咄嗟に翳した切り札の両手に、先ほどとは比較にならない鋭い痛みが走る。それが覇気の敗北であることは両者の目に明らかであった。

 

 あの“シャーロット家の最高傑作”さえも苦労する、戦闘時における平常心の維持。戦士たちの至上命題を、途轍もない覇気を制御しながら続ける僅か十七歳の少女は、間違いなくこの世の全ての強者に手放しで絶賛されるであろう。

 

 だが世は大海賊時代。強者だけが覇を成し、弱者にその慈悲に縋る以外の道はない。

 誰よりも強くあらねばならない海賊王を目指す船長モンキー・D・ルフィは、この短い応酬の間に、己の最強の切り札を破られたのだ。

 

 

 状況は息を吐く間もなく一転。

 今、少女はこの場において、確かな弱者となり果てていた。

 

 

「少々驕りが過ぎたようだ。……互いに、な」

 

 祖父を超えて早四年。初めての敗北の足音に怯える少女の耳に、鋭利な敵意が籠った強者の声が届いた。その肩からは初撃の深い傷の流血が滴り落ちている。

 

 だが、男の瞳に一切の揺らぎはない。言い放った言葉の通り、一切の驕りと油断を捨てた世界の頂が、射殺す眼つきで目の前の”敵”へ己の誇りたる黒刀の切っ先を向けていた。

 

「故に、だ。若き強者よ   

 

 そして続く言葉と共に、ジンジンと痛む血の滲んだ両手を抱えながら微かに震える弱者を、世界最強の大剣豪の鷹目に輝く黄金の閃電が射抜いた。

 

 

  以後の結果にかくなる言い訳は無いと知れ、モンキー・D・ルフィ…!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所“巨雲島”

 

 

 

 一般的な“四海(ブルー)”で発達する積乱雲は、低いもので四千メートル、真夏の強烈な上昇気流に育まれるものならば局所的に雲頂二万メートルを超す場合がある最大の雲形だ。

 これは気象学的常識で言えば必然の規模であるが、こと地上においては当然の如く桁違いの巨体となる。山が海抜数千メートル程度であることを述べれば、その違いも推して知るべし。

 故に「“海賊女帝”ボア・ハンコック」が石化させ海へと墜としたその途轍もない大きさの岩塊は、容易に海底五千メートルへ到達し、尚も海面から山のようにそびえ立つ、紛う事無き“島”となった。それも塔のように天へと伸びる、モノリス島に。

 

 そして、そんな岩の塊を中心とした絶海の大海原で、二人の男女が海の底さえ変貌させるほどの大艱難を引き起こしていた。

 

 

   どうした…!! 相棒の仇を討つのではないのか、小娘!!」

 

「ッきゃあっ!?」

 

 男の怒声と共に天が裂ける。上昇気流と下降流の対流が両断された上空は突発的な高低気圧が入り乱れ、晴天に豪雨、暴風に凪と千変万化の相を見せていた。

 

 それは男  世界最強の大剣豪「鷹の目のミホーク」が振るった、全てを斬り裂く闇色の一閃。その必殺の刃が天変地異を起こしながら、たった一人の女の子へと殺到する。

 

 攻撃を必死の形相で躱す少女  「麦わらのルフィ」の痛痒な悲鳴が大剣豪の耳に障る。

 

「何だそのザマは…! 先ほどの見事な武装硬化は何処へ捨てた…!!」

 

 これほど全力で戦うのはいつ以来か。遥か昔、かの好敵手が腕を失ってからというもの、ミホークは日々の研鑽以外に興味を引かれる強敵との出会いに恵まれたことはなかった。

 元来彼は好戦的な性質。当然それは最強などという武力の頂点に至るに必要な素質である。十年にも亘る安寧を粉々に砕かれ、忘れていた己の本質、渇望が表面化した“鷹の目”は、誰もが震え上がったかつての異名”生ける大災害”としての自分を取り戻していた。

 

 だからこそ、ようやく出会えた強敵が無様に震える姿など、落胆を通り越し憤怒すら抱く。奮い立つ戦闘狂は待ち望んだ最高の舞台に登ったのだ。その相手自身に梯子を外されては堪らない。

 

「くぅっ  こ…ッのおおおっ!! “ゴムゴムの蜂群銃乱打(バンブルガトリング)”ッッ!!」

 

 無論、強敵ルフィにそのようなつもりは皆無。少女は己と仲間たちの命を狙う男を、そして最愛の相棒を斬り伏せた憎き仇を懲らしめるために”最強”へと挑んだのである。

 繰り返される大剣豪の挑発が腹立たしい。乱れた覇気の制御に苦悩する自分の心の弱さが忌々しい。苛立つ海賊娘は冷静さを忘れ、覚束ない武装硬化のまま我武者羅に拳の雨を解き放つ。

 

 だが所詮はコケ脅し。如何に未来視の見聞色の覇気が優れていようと、それを扱う者に理性が無くば活用は不可能だ。

 未来とは不確定で受動的なもの。攻撃を予見出来ても、その攻撃が繰り出される前に回避行動を取れば当然相手は取り止める。然るべき機会に行使して初めて意味を成す力を無意味に用いれば  

 

「ッ、貴様…このおれに安易な連打とは笑止千万!!」

 

「!? そんな  ッああっ!?」

 

   未来は己の領分を侵す異物へ牙を向く。

 

 全ての小細工を真正面から斬り伏せるミホークの一太刀は、迫る意思無き拳を切り刻み、握られた黒刀が強者の鮮血を浴びる喜びに玲瓏とした響きを奏でる。ルフィを突き抜けた覇気の刃は背後の岩島を抉り、削ぎ、止まぬ落盤を巻き起こしながら空へと消えて行った。

 残されたのはまるで抽象彫刻のように歪な造形の岩山と、その中腹に横たわる傷だらけの少女であった。

 

「うぅ…っ」

 

「先ほどの冴え渡っていた覇気は猫騙しか? これほどおれを昂らせておきながらたった一度の揺らぎで崩れるなど許さん。立て、時代の寵児よ…! 貴様は地べたなど似合わぬ誉れ高き強者だろう…!!」

 

 血塗れの両手を胸に抱きかかえながら朦朧とするルフィに、大剣豪は期待を抱き続ける。つい数舜前までこの“鷹の目”でさえ恐怖を抱くほど強大な力を纏っていた圧倒的な強者。未だ若いとはいえ、覇気は十二分。既に死地と化したこの場で今更剣を収めることなど出来やしない。

 自分が死ぬか、少女が死ぬか、共に死ぬか  少女が敗北を認め逃亡するか。男が剣を下すのはそのときだけだ。

 

 そしてミホークは見抜いている。この小娘はこんなところで終わる凡才ではない、と。

 

「……あの船で貴様が見せた異常な反応速度、あれは“未来視の見聞色の覇気”だろう。まさか斯様な切り札を持っていたとは、実に高揚したぞ。政府が寄こした報告書に目を通さず出向いた甲斐はあった」

 

 大剣豪は少女を奮い立たせるべく、心からの賛辞を贈る。その驚異的な力は確かに彼に深い傷を負わせたのだ。

 この十年、無敵であった男が一度たりとも受けたことのない、深い傷を。

 

「両手の武装超硬化、未来視の見聞色、そしてあの凄まじい覇王色。剣に全てを捧げたこの”鷹の目”には至れなかった覇気の極地。まさしく時代の寵児に相応しい天与の資」

 

 少女が苦しげにその小さな肢体を起こす。

 怯えている。だがその瞳に燃え盛る戦意の焔は一向に衰えない。ただ、未熟な心がその戦う意思を邪魔している。

 

「その全てに到達しておきながら、たった一度の心の乱れで無様に膝を突くなどあってはならないことだ。…磨き過ぎた己自身の才に溺れたか、“未来の海賊王”よ」

 

「…ッ」

 

 海賊娘の青褪めた顔に僅かな怒気が上る。

 若者が最も嫌うものは、努力の否定。世界を知らぬからこそ青い夢を邁進し、そして多くは絶望的な現実という壁に衝突し夢破れる。

 少女からしてみれば、今の状況はその壁を打ち砕くために研鑽を重ねた力そのものに振り回されているに等しい。単純に「鷹の目のミホーク」という壁に力及ばず敗北すること以上の屈辱だ。

 

 だが、未だその顔には強い動揺が残っている。

 

 

「……島の裏側に雑魚が五人いるな。お前の名を呼ぶ者もいる」

 

  ッッ!?」

 

 ならば最後の荒療治。

 

 怒りでさえ不安と恐怖を塗りつぶせないのであれば、少女の船長としての器に語り掛けるほかない。自分のことにはとことん無頓着であったあの赤い髪の好敵手も、仲間の危機には誰よりも強く美しい剣を振るって見せたのだから。

 

「モンキー・D・ルフィ。我が最強の黒刀、そこで受け切らねば  

 

「なっ!? だっ、ダメ  

 

 ようやく立ち上がった強者に獰猛な笑みを返し、ミホークは自慢の大剣を振りかぶる。込める覇気は最大。受けた肩の傷が軋むほどの力を纏わせた、最強の一撃だ。

 

 

  島ごと仲間が輪切りと化すぞ」

 

 

 そして大剣豪は手中の黒刀で、視界の全てを袈裟斬りにした。

 

 



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30話 王下七武海・Ⅵ

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『巨雲島』

 

 

 

「なに…あれ……」

 

 

 襲撃する王下七武海の関心から逸れ、辛うじて生き永らえた『麦わら海賊団』の三名、航海士ナミ、狙撃手ウソップ、そして新入り料理人サンジ。同じく魚頭の小舟で短い旅を共にした海上レストランの暴力コックコンビ、パティとカルネと命の無事を喜び合っていた弱者たちは、僅かな平穏の後に再来した二度目の驚天動地に、またしても茫然と魂を抜き取られていた。

 

 彼ら彼女らの眼前に広がるのは、まるで三等分に切り分けられた蒼色のゼリーのような、果て無き東の海(イーストブルー)の大海原。深度五千メートル前後との調査報告が上がる、天体規模の夏の製菓店の名物商品が海底の大皿の上でぷるぷると震え、その表面に泡立つ波のホイップクリームが荒い鱗のように塗りたくられている様は、俄かに現実とは認め難い。

 だが周囲に轟く爆轟が、震える大気が、両足の裏から伝わる振動が、目の前の光景が真実であると一同に訴える。目を逸らしたくなるほどの絶望的な現実感で。

 

 幾度も繰り返される浮世の夢幻に、五人は狂いそうな気を抑えるのに精いっぱいであった。

 

「さ、流石東の海(イーストブルー)で最も偉大なる航路(グランドライン)に近い海域…。まさに魔の海だぜ、はは…は……あひっ!あひゃひゃひゃひゃ!!」

 

「んなワケあるかよクソ長鼻、正気に戻れっ! こんな大惨事が日常茶飯事なら流石のクソジジイでも尻尾巻いて逃げるわ、アホ…!」

 

「水平線って割れるもんなの…? 世界の終末でしょ、こんなの……」

 

 側の声も聴き辛いほどの爆音が絶えず響き渡り、不安に駆られる一同五人は一塊になり互いを励まし合う。

 

 そんな彼らの心を嘲笑うように、鼓膜を劈く一際強烈な音が彼らの真横で発生した。

 

  ッッ!?』

 

 凄まじい大気の振動に吹き飛ばされたナミたち。ガンガンと響く頭痛と耳鳴りにふらつきながら辺りを見渡した『麦わら海賊団』は、ふと自分たちの足元が異常な傾斜を象っていることに気が付いた。

 

 それは磨き上げられた大理石のように滑らかな坂。寸前まで影も形もなかった、終わりの見えない鋭く、広く、長い坂だ。

 

「……え、なに…これ?」

 

 そして一同は気付く。

 坂の端を滑り台のように無音で滑り落ちる、小型砲艇『サバガシラ1号』の残骸が乗った、途轍もなく巨大な岩の塊に。

 

 だが天は、否、争う二人の男女は弱者に声を上げる間も許さない。悲鳴がこみ上げるナミたちの口が大きな円を作った作ったその瞬間、近くの絶壁に小さな物体が轟音と共に激突したのである。

 

 ズガァァァン!ゴゴゴゴゴ  とダイナマイトも霞む破壊音。それを耳にした一同は頭部を守りながら、今度こそ大絶叫を解き放った。

 

「こっ、ここ今度は何よもおおおっ!!?」

 

「ひぃぃぃっ!! もォォォやだァァァッッ!! おれシロップ村帰るゥゥゥん!!」

 

 己の悲運を呪う無力な海賊たち。

 だが次なる不幸を警戒し辺りを頻りに見渡す彼ら彼女らの耳に、か細い苦痛の声が届く。

 

 

   くぅ…ッ」

 

 それは崩落した崖の中から発せられた、弱々しい少女の悲鳴。

 

 

「……ルフィ?」

 

 ぽつり…と呟かれたナミの呼びかけに一同が一斉に彼女の視線の先を追う。落盤の土煙が風に流され露わになった崖の壁面に、一人の小柄な人影が叩き付けられていた。

 纏う白黒の女性ものの衣類、『バラティエ』でとある臨時ウェイトレスが嬉しそうに着ていた給仕服。血と埃で汚れた顔はわからずとも、その姿は間違いなく『麦わら海賊団』の船長ルフィのものであった。

 

「…ッ! ダ、ダメっ! みんな来ちゃダメぇっ!!」

 

 その名を呼ばれた瞬間、岩壁に埋まっていた小柄な人影が動き出す。

 呆ける一同は必死にこちらへ手を伸ばすその様子をぼんやりと見つめ  

 

「くっ…! ごっ、“ゴムゴムの雀蜂(ヴェスパ)  ッあああっ!?」

 

   ッッ!?』

 

 そして続く鼓膜を突き破るほどの耳鳴りに悶絶した。

 

 強烈な爆風が海賊たちを吹き飛ばす。訳がわからないまま何とか体勢を整え辺りを見渡したナミたちは、地面が、あれほど頼もしかった島そのものが、まるで巨大なステーキのように縦三つに分かたれた光景を刮目する。

 そんな、魂を抜かすほどの衝撃的な光景を。

 

 だが言葉も出ずに茫然自失と眼前の規模違いな現象を見つめる一同は、その視界の端に映った不吉な赤色に目を奪われた。

 

『ルフィ!!』

 

 岩肌に投げ出され、腕を庇うように丸まるその少女はボロボロであった。

 

「ルフィちゃんッ! 大丈夫かルフィちゃ  って、なっ、なんて怪我だ…! クソッ、おれは一体何をやって…っ!!」

 

「嘘…何よその傷…!? ッ、ルフィ! ルフィしっかり…!」

 

「無事かルフィ!? ま、まさかお前おれたちのこと  

 

 慌てて我に返り船長を案じる仲間たち。絶対無敵の最強ゴム娘の無残な姿が、彼らに最早何度目になるかもわからない驚愕の感情を駆り立たせる。

 

 すると突然、一同の背後に聞き慣れない澄んだテノールが投げかけられた。

 

 

   劣勢の中で人の本質は目を覚ます。この“鷹の目”を前に己の命ではなく仲間を優先するとは…なるほど確かに“王”の器だ、時代の申し子よ」

 

『!!?』

 

 それは一人の剣士。

 

 左手に巨大な黒い剣を持ち、悠々と近付く整った口ひげの男。貴族然とした佇まいはその者の只ならぬ風格を強調し、何よりも目を引く鋭利な眼光はナミたちが知る三本刀の腹巻剣士を想起させる。

 だがその鋭さは比べ物にならない。まるで大地の小動物を狙う猛禽類の如き恐ろしい金色の瞳が油断なく地べたの少女を睨み付ける。

 

 そして何より、男が放つ、心臓が圧し潰れそうになるほどの強烈な圧迫感が、歩み寄る剣士の愕然たる格の違いを物語っていた。

 

「たっ、“鷹の目”……だと…?」

 

 男の言葉を耳にした狙撃手ウソップが思わず声を零す。誰もが一度は耳にしたであろうその名は、万人を震え上がらせる恐怖の権化。

 

 そして彼らは一瞬で理解する。

 

 割れる海、切り刻まれる岩の島、そして  その足元にひれ伏す一味のバケモノ船長の無様な姿。目の前のこの男こそ、かの高名な世界最強の大剣豪「“鷹の目”ジュラキュール・ミホーク」その人であると。

 

「…だが強者よ、おれとの決闘で雑魚を庇う暇があればその乱れた覇気を整えろ…! 小娘!!」

 

   !!?』

 

 固まる一同の前で、王下七武海がその漆黒の大剣を大きく構える。叩き付けられるのは意識が飛びそうになるほどに濃密な殺気。鋭い気迫はそれ自体が刃のように海賊たちの心を切り刻む。

 

 死地に吹き荒れる狂猛な覇気は弱者を蝕む瘴気の渦。無防備に晒されれば命は無い。

 まさに絶対絶命。

 

 

「い…いけない! ッごめんなさいみんな、今空飛んで逃がすから  剃刀(カミソリ)”!!」

 

『ッひっィィィあああァァァ!?』

 

 だが、彼らにはいつだって救いがある。未来の海賊王たる、少女船長モンキー・D・ルフィという一味の道しるべが。

 仲間の危機に一早く行動を起こした彼女がゴムの腕を大きく伸ばし、凍る五人を抱き寄せ空を駆ける。

 

 目にも留まらぬ逃走の後には、守るべき弱者たちの微かな悲鳴のみが残っていた。

 

 

 

***

 

 

 

   何故見逃した、“鷹の目”」

 

 先ほどの剣士が倒れた船へと逃亡する少女と雑魚共。それを見送るミホークの隣に一つの気配が現れる。

 

「“暴君”…」

 

「あの崩れた“麦わら”なら間違いなく仕留められたはず。次代の逸物に情でも湧いたか?」

 

 遥か見上げる大男  王下七武海「“暴君”バーソロミュー・くま」がそこにいた。少女との戦いで一番槍の名誉を奪った同僚「“海賊女帝”ボア・ハンコック」と共に先ほどの攻防を見物していたことは気付いていたが、途中で仲間割れを始めたときには思わず正気を疑った。

 

 もっとも、この男の場合は全て虚像であろう。巧妙に隠してはいるが、この“鷹の目”は欺けない。

 

「お前ほどではない」

 

「……」

 

 案の定、巨漢の気配が一変した。

 

 僅かな沈黙ののち「慧眼御見逸れする」と肩を竦めた男は、暫しの逡巡を経て小声で自身の目的を暴露した。

 

「………訳あって少女を逃がしたい。可能ならコノミ諸島まで。些か不安が残る連中だが、手の者が控えている」

 

 強者の果し合いを知らぬ弱者が世迷い事を。

 ミホークは同僚の不躾な言に侮蔑の視線で返し、ただ淡々と己の目に映る事実のみを述べた。

 

「最早この場における小娘とおれとの間に生死の境目などない。おれか、小娘か、はたまた共にか…全ては天運に委ねられた。今更貴様が手を出したところであの者の運命は変わらん」

 

「…!」

 

 協力を拒絶したミホークに巨漢が一瞬で攻撃の姿勢を取る。そんな男のあまりの愚かさに、大剣豪は僅かに眉を傾斜させた。

 

「ほう、その状態で尚もおれに挑もうとするほど大事か。…興味深い。元ソルベ王国国王、政府への反逆、モンキー・D()・ルフィ…………なるほどな。貴様の背後、この“鷹の目”が見破ったぞ」

 

「…!?」

 

 その瞳の無い機械的な目に視線をぶつけると、巨漢が面白いようにその岩の如き表情を歪めた。相応にこちらを高く評価しているのか、随分と素直な反応を見せてくれる。

 これでよく今まで政府に悟られずにやって来れたものだ、とミホークは鼻で嗤う。否、嗤うべきは気付かぬマリージョアの節穴共か。

 

「安心しろ。政府の下らん“土竜叩き”など暇つぶしにもなるまい。そしてこの作戦の成否も  

 

 そしてミホークはちらりと自分が通過したゲッコー海の方角を見聞色の覇気で確認し、返す刀で  

 

 

   貴様がそこでおれの隙を血眼で探す間に決まる」

 

 

 仲間を避難させ覇気の制御を取り戻した、()()の“王”の雷拳を迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

  下ろすわね、みんなっ!」

 

『ひいいいいぃぃぃ  ッがはぁっ!!』

 

 

 体が潰れるほどの重力負荷から解放され、五人は青息吐息で海上レストランのバルコニーに這い蹲る。中には気圧で肋骨が折れた者もおり、一同の顔には皆少なくない苦痛の表情が浮かんでいた。

 

 否が応でも身に染みる、自分と船長、そしてあの岩島に陣取る王下七武海たちとの力の差。

 

「くっ…ハァ…ッ、ハァ…ッ、し、死ぬかと思ったわ…!」

 

「げぼっ! げぁっ…! じ、Gヤバ過ぎ…口が鉄臭ェ……ッ、ル、ルフィお前ェッ! 毎度毎度ちょっとは加減ってモンを  ぶべっ!?」

 

「ッく、うるせェ状況を察しろクソ長っ鼻っ!  ルフィちゃん! 追手は!?」

 

 悪化したクリーク一味との戦いの傷を庇いながらも、迫り来る敵を何とか迎え撃とうとする青年料理人サンジ。あの「赫足のゼフ」より戦う術を教わった愛弟子は油断なく周囲の危険を警戒する。無論、全ては守るべき美少女たちのために。

 

 だが船長とは一味の守護者。仲間を矢面に立たせることなど許しはしない。

 前に出ようとするサンジを背に庇いながら、ルフィは覇気で敵の位置を確認する。

 

「っっ……み、みんなを逃がすの待っててくれるみたい。…ごめんなさいナミ、ウソップ、サンジ、あとゾロもメリーもヨサクたちもコックさんたちも『バラティエ』も。絶対みんな守るからここで待ってて! 私もう行かなきゃ…っ!」

 

『なっ!?』

 

 痛みに震える体に鞭を打ち、少女はふらふらと立ち上がる。だが船長が仲間たちを案じるように、彼ら彼女らもまた、これまでの冒険の中で少女を愛おしく思う気持ちが芽生えていた。

 ナミたちは咄嗟の感情に突き動かされ、立ち上がるルフィを慌てて引き留めようとする。

 

「まっ、待ちなさいあんた! そんなボロボロで……ってかまず何が起きてるのかくらい説明を  

 

「そ、そうだルフィ! なんで東の海(イーストブルー)に“海賊女帝”に加えてあの“鷹の目のミホーク”まで居やがるんだ!? しかもお前と戦ってるし…もうワケがわかんねェよ、ちくしょおっ!!」

 

 敵の動きが無いのをいいことに、次々に事情の説明を求める仲間たち。命の危険は理解出来ても、その理由くらいは把握しておきたいと願うのも無理はないだろう。

 ルフィは岩島の方角を警戒しつつ、放してくれないナミたちへ仕方なく語り出した。

 

「…なんか私、もう世界政府に目を付けられちゃったみたいなの。あの人たちは命令で私を倒しに来たって、さっきハンコックが言ってたわ」

 

『はぁっ!?』

 

 世界政府と敵対する。

 その意味を正しく理解出来る者はルフィ以外にこの場にいない。だが自分たちが巻き込まれているこの地獄のような現状がそうであることくらいは、政府の脅威を知らぬ一同でも理解出来た。

 

 同時にそれが如何に理不尽なものであるか、もだ。

 

「ちょ、ちょっと待って! だって私たちがやった悪事ってシロップ村を演技で襲って、やって来た海軍を返り討ちにしたくらいよ? …ッ、まさかあの悪徳大佐なの? あのクズが何かしたの!?」

 

 恐怖と怒りにヒステリックな叫声を上げるナミ。しかし少女船長は申し訳なさそうに首を振り、躊躇いがちに真実を告げる。

 

「…ごめんなさい、どうでもいいことだと思ってみんなに言ってなかったんだけど  私のおじいちゃん、海軍で結構偉い人なの。“ガープ”って言って海軍本部で中将やってるんだけど…」

 

『“ガープ”!?』

 

 立て続けに明かされる、誰もが驚く衝撃的な事実。かつて少女本人よりオレンジの町で「身内に海兵がいる」と海軍の特殊体術と共に伝えられたナミさえも初耳の男性陣と同じく顎を垂らす。

 

 気まずそうに俯くルフィの姿にしばし唖然としていた一同だが、その意味が脳に浸透するにつれ、ポツポツと彼らの口から得心の声が零れ出した。

 

「いや……そりゃ普通言えねェよルフィちゃん。海賊王目指す女の子が“海軍の英雄”の孫娘だなんて。むしろそんな秘密教えてもらえるなんて、新参の仲間として光栄の限りだ」

 

「つかお前のバケモン具合の理由がこれ以上ないくらいよくわかったわ。“仏のセンゴク”、“黒腕”のゼファー”、“大参謀つる”と同じ海軍伝説世代の一人の縁者とか、とんでもねェ貴人の血筋だったんだな。カヤが霞むレベルの超絶サラブレッドお嬢様じゃねェか……」

 

 同じくとある王家の一子として生を受けたサンジは、その事実を語ることの重さをよく理解している。もっとも彼の場合は捨て、そして捨てられた身であり、最早語るに値しない無価値な過去であるため「なかったこと」と忘却しているのだが。

 そして同じく高名な大海賊のクルーの倅であるウソップも、つい最近他ならぬこの少女自身よりそのことを知らされたばかりであるからか、秘しておきたい気持ちも決してわからなくはなかった。

 

 故に語られた船長の生い立ちに最も大きな反応を示したのは、一味の誰よりも裏社会に通じるこの聡い元女泥棒であった。

 

「待って待って、それホントならスキャンダル騒ぎどころじゃ  って、もしかして私たちソレで狙われてんの!? 大体なんであの英雄サマが身近にいて海賊王なんか目指すのよ、意味わかんないわよあんた! マトモな育ちしてる女ならお祖父さんの紹介で政府か海軍のお金持ちの上役のお嫁に行こうって考えるでしょ普通!?」

 

「んなっ! ま、また“マトモな女なら”ってバカにして…っ! 海兵なんて窮屈そうな人生送ってる男の人のお嫁さんになることに一体なんの夢があるのよっ! 私は海賊王になるのっ! 海軍上級大将とかにも海兵のお嫁さんにもならないわっ!!」

 

 萎れる少女も流石に夢を否定されれば言い返さずにはいられない。だが置かれた状況も忘れ言い争いを始める姦しい二人を宥めようとする男衆は、ふと聞捨てならない単語を耳にし咄嗟に反応する。

 

『…“海軍上級大将”?』

 

 彼らに海軍組織の詳しい序列はわからない。しかしその言葉に込められた仰々しい威厳と、不吉な響きが、海賊たちに何か不穏なものを感じさせていた。

 

 それは少女本人にとっても不本意な話であったらしい。嫌そうな顔で語られた彼女の過去は、一同が置かれている現状の原因としてこれ以上ないほどの説得力を有していた。

 

「興味なくてよく覚えてないんだけど、おじいちゃんが私にそんな感じのになって欲しかったみたいなの。それで世界政府も乗り気だったらしくて、私が海賊になったからプンプン怒ってるんだって」

 

『…………』

 

 それだ。

 

 ウソップたちは一斉に頭を抱える。この大海賊時代、世界政府は虫のように湧いてくる海賊たちを根絶やしにすべく、様々な戦力を欲している。ましてやこの化物船長のような若く強く愛らしい少女など、実働に広報と様々な使い道があったはずだ。

 そしてその価値を評価されていたということは、本人が敵に回った今、ルフィ率いる『麦わら海賊団』は政府に非常に厄介な存在だと見做されているということでもある。

 

 討伐に政府が王下七武海ほどの切り札を差し向けるのも、それだけ彼女を高く評価していたことの裏返しであろう。わざわざ自らの栄光の道を捨て邪道に走ったルフィの規格外さに、一同は不思議なものを見る目を送る。

 

 だが同時に、彼らは理解する。彼女が海賊王の夢に懸ける、途轍もなく大きいその情熱を。

 そして今、ルフィが背負う無数の柵が『麦わら海賊団』へ牙を向いていることを…

 

「大丈夫っ。みんなを守れる船長になりたくて、頑張って強くなったんですもの…! このくらいへっちゃらよっ!」

 

 ボロボロな少女が体を抱き、顔を強張らせながら仲間たちに宣言する。気丈な発言とは真逆の弱々しい姿に、五人は当然の危惧心から強い焦燥を覚える。

 彼らは初めて、目の前の絶対強者の力を疑った。こんな姿になった彼女に、あの王下七武海から自分たちを守れる訳がない、と。

 

「お、おいルフ   

 

「絶対守ってみせるからっ」

 

 だが、続いた少女の言葉に、海賊たちは思わず全ての不安が吹き飛ぶほど驚愕してしまった。

 

 

   私を信じて」

 

 

 それは、傷だらけな笑顔。

 いつもの自信に満ち溢れた明るさはどこにもない。瞳に宿っていたはずの美しい希望の星々は分厚い陰に覆われ、悄然とした印象を抱かせるそれに、ウソップは隣の仲間たち同様息を呑んだ。

 

 少年にとって、目の前の少女は常に強い人物であった。執事野郎に父を馬鹿にされたときは彼の名誉を守ってくれて、シロップ村を演技で襲う彼の悪ふざけを喜んで歓迎し、戦時には恐怖で足が竦む自分を笑顔で励まし道を示す、偉大で優しい女の子。いざ自分が戦えば一騎当千。傷一つ追うことなく彼の故郷を守り、万人を魅了するその笑顔と力で一味を引っ張るルフィは、まさに少年の考える理想の船長そのものであった。

 もっとも、尊敬しつつも妬みがあったことはウソップ自身も気付いている。息子の自分を差し置き、父と幾つもの思い出を作っていた彼女を妬ましく思ったことは幾度もあった。自分には無い高い戦闘力、包容力、カリスマ。そして何よりも、壮大な夢を追い続ける、絶対に揺らがない強い自信。臆病な少年にはどれも眩しいものばかりであった。それが気に食わず、やれ女であるからだとか、考え無しのバカだとか、つい粗探しをしては空しい悦に浸り、己の情けなさから目を逸らしていた。

 それでもウソップにとって船長ルフィとは、彼が初めて出会った海賊の船長であり、“船長とはかくあるべし”と手下を納得させるだけの何かを持っている不思議で魅力的な人物であった。自分の脳内”キャプテン・ウソップ”の振る舞いの参考として、何度も彼女の姿を想像してしまうほどに。

 

 どこか、自分では決して手にすることの出来ない人知を超えた何かを持っている、人の上に立つべき少女。

 そんな彼女が、今、満身創痍な体を引き摺り尚も一人強敵に立ち向かおうとしていた。

 

 ウソップは  否、『麦わら海賊団」のクルーたちは初めて、船長ルフィの容姿相応の弱さを見た気がした。 

 

 

「……サンジ?」

 

 ふと、固まる一同の中で一つの人影が動いた。

 

 最も少女と過ごした時間が短く、故に受けた衝撃が最も少ない人物。そして誰よりも女性を愛し、大切にする紳士的な青年。

 

 そんな“愛の奴隷騎士”が、らしくない神妙な顔で、彼らしく美少女船長の前に跪いていた。

 

「…レディがそんな水臭いこと言わないでくれ、ルフィちゃん」

 

「え…?」

 

 おもむろに彼女の小さな手を取り、キスを捧げるサンジ。

 

「おれは全ての女性の味方だ。…だけどな、おれはついさっき、君に忠誠を誓った騎士になったんだ。たとえ君が誰であっても、どんな運命を背負っていようと  おれはいつだって君のために料理を作り、君のために戦いたい…!」

 

 咄嗟の行為に呆けるルフィ。だがその言葉にはたと我に返り、慌てて青年の黒衣にしがみ付いた。

 

「ダ、ダメ! 今のサンジが戦ったら  

 

「ああ、見ればわかるさ…ルフィちゃん。クソ情けねェことにな…」

 

 サンジの視線の先には、血塗れの甲板から海上レストランへと続く大量の血の跡があった。

 そこで起きたであろう出来事を、いつも笑顔なこの少女船長をここまで消沈させる出来事を想像した一味の古参二人は、最後の仲間の三刀流剣士の姿がどこにもないことに遅れて気付き、顔を青褪めさせる。

 

「だけど……こんな雑魚でも、この場くらいは何とかして見せる! だからルフィちゃん、後ろの船と仲間と店はおれに任せてくれ…っ!」

 

 重たい、様々な思いを呑み込み、自分に出来る最善を尽くそうと許可を求める騎士。強敵に追い詰められ、弱者の不甲斐なさを知ったルフィにその申し出を断ることは出来ない。

 

 ただ、船長である自分のためを思ってくれている彼の温かい心は、確かに少女の力となっていた。

 

「…ありがとう、サンジ。お願いしますっ!」

 

「仰せの通りに、我が姫…!」

 

 ルフィは新たな仲間に感謝を述べる。その笑顔に返されたサンジの表情も、また同じ、喜びと悲痛の混ざった複雑な笑みであった。

 

「…さて、あのクソ藪医者。ルフィちゃん泣かせねェように真面目に仕事してっか見張っとかねェとな  おい行くぞパティ!カルネ!」

 

「ッ、お、おれに命令すんなサンジ!!」

 

「クソッ……漢パティ、自分の無力が情けねェ…っ!」

 

 そう言い残し、青年はポケットのタバコに火を灯しながら、暴力コックコンビと共に静かに店内へと消えて行った。

 

 誰にでもわかるほどに、その拳を硬く握り締めながら。

 

 

   はぁ…。もう、そんな顔してる女の子なんか責められるワケないでしょ。バカルフィ…」

 

「…ナミ?」

 

 青年が去り、暫くの静寂。

 それを大きな溜息と共に破ったのは、人に言えない様々な闇を抱えているはずの、人情深いナミお姉さんであった。

 

「大体何よ、“王下七武海”って…しかもそんなのと二人も一緒に戦える女の子って。んな化物が東の海(イーストブルー)にいるならさっさと言えっての…!」

 

    魚人如きにビビってた私がバカみたいじゃない。

 

 ぽつりと呟いた独り言を隠すように、航海士は「ルフィ」と己の船長の名を呼ぶ。

 そしてか細く、それでいて確かな声で、すれ違い様の少女の耳元に一つの言葉を残し青年コックの後を追った。

 

 

「…信じてるから、私の“勇者”」

 

 

 咄嗟に振り返った先にあったのは、何かを振り切るように走り去るナミの後ろ姿。呆けるルフィを余所に瞬く間に『バラティエ』の扉口まで辿り着いた彼女は、そこで突然くるりと振り返りドスの利いた怒張声を張り上げた。

 

   ちょっとウソップ!? 守られる側にもやるべきことってモンがあんのよ!? 船長に迷惑かけたくないならそんなトコでビビって突っ立ってないで、店の中で震えてなさいっ! 私たちがバラけてちゃルフィが守り辛いでしょ!」

 

 その叱咤にはたと我に返ったルフィは、戸惑いがちに最後に残った隣の臆病狙撃手へと向き直る。

 

「じぇゃっ!? びっ、び、びびびびビビってねェしィッ!? おほっ、おほおれはゆゆ勇敢なるうう海のせ戦士ししィッ!!」

 

「あっそ! なら犬死しないうちに早く中にお入りなさい!」

 

 口角に泡を残しながら電気椅子の死刑囚の如く痙攣する情けない箱入り少年ウソップと、相手にしない肝っ玉姉さんのナミ。そんな二人の言い争いを訳がわからずオロオロと交互に見続けるルフィに、涙目な狙撃手が震える声で虚勢を張る。

 

「だっ、だがこっこここではおれの武器である大砲は使えねェからなっ! しし仕方なく敵の首を譲ってやらんこともないっ! なはっ、なははは!!」

 

 その台詞を述べて満足したのか、千鳥足でレストランホールへと去っていく長鼻小僧。

 

 だがその足は僅か十数歩で歩みを止める。

 少年の、無様な震えと共に。

 

「…ウソップ?」

 

 深呼吸だろうか。幾度も大きく肩を上下させていた狙撃手が、ルフィへ振り返り、強い炎の籠った視線をぶつけて来た。

 意を決したような神妙で、険しくも威勢的な顔を浮かべながら。

 

 そしてウソップが  僅か半月未満の過去まで武器一つまともに手にしたことの無い、ただの臆病な村人に過ぎなかったウソップが  誰よりも力強い声援を、一人戦地に向かう勇敢な女の子に送り付けた。

 

 

   勝てよっ、おれたちの“船長”ッッ!!」

 

 

 大海原に木霊する自分の声が消えるまでの僅かな時間、少年の震える眼光が少女の陰った夜空の瞳を射抜き続ける。

 そしてその中にある何かを確認したように大きく頷くと、そのまま振り返らずにこの場の全ての人間が集まる『バラティエ』店内へと姿を消した。

 

 

 少女は一人残される。

 

 華奢で可憐な乙女の肢体は、吹き荒れる海風に容易く散ってしまいそうなほどに心細い、春の桜花のよう。そんなか弱い女の子が、数多の強者を震え上がらせるこの世の頂点の一角“王下七武海”、その中でも選りすぐりの者たちが待ち受ける死地へと向かわなくてはならないのだ。

 

 だが、その顔に絶望は無い。震える肩も、俯く頭も、何かを堪えるように体を抱きしめるその血だらけの両手も。全ては彼女の胸中に沸き起こる  歓喜の表れ。

 

 

  “後ろのみんなは任せてくれ”…だって」

 

 それは一味の料理人、サンジの言葉。

 義兄たちやゾロと同じような男のプライドを封じてまで船長を支えようとしてくれた彼の、少女への確たる信頼の証。

 

  “信じてる”…だって」

 

 それは一味の航海士、ナミの言葉。

 ”夢”では誰も頼らず一人メリー号を盗み去っていったほど故郷想いで仲間想いの彼女が見せた、少女への確たる信頼の証。

 

  “おれたちの船長”…だって」

 

 それは一味の狙撃手、ウソップの言葉。

 女のルフィをいつもどこか茶化すようにそう呼んでいた彼が初めて見せた、少女への確たる信頼の証。

 

 それらは紛れもなく、少女ルフィが求めた仲間たちとの絆の証であった。

 

 

「……もう…大丈夫」

 

 船長ルフィは、心地よい心音を奏でる胸から手を放す。

 

「……もう…負けない」

 

 船長ルフィは、下ろした血だらけの両手で、強敵に破られた必殺の拳をもう一度握り直す。

 

「……もう…私は   

 

 そして『麦わら海賊団』船長モンキー・D・ルフィは、陰った瞳の暗雲を払い去り、“仲間の信頼”という星明りと共に反撃の狼煙を上げた。

 

 

   誰にだって勝てるッッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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31話 王下七武海・Ⅶ(挿絵注意)

 
一部書き直し(9/12)


 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所“巨雲島”

 

 

 

 腕を捥がんばかりの強烈な衝撃が男の両腕を襲う。薙いだ大剣を手放さないのは剣士としての意地か、それともこの掛け替えのない至福のひと時を僅かでも長く味わいたい戦闘狂の渇望故か。敵の凄まじい貫手の攻撃を受け宙を舞った「鷹の目のミホーク」は、彼女との出会いを授けた己の運命に深い感謝の念を送っていた。

 

「ぐぅ…っ!   くく、やはりお前のような者が全力を出せるのは仲間の声援を背に受けたときであったか…!」

 

 先ほどの不安げな戦いぶりは幻か。全くの別人の如き、自信に満ち溢れた覇気。明らかに以前よりも、そして、最初に見せた相棒の剣士の仇討に燃えていた状態さえも凌駕した、この”最強の大剣豪”を以てしても初めて目にする桁外れの力が黒刀”夜”を容易くはじき返す。

 

 剣柄を握る手の痺れを心地よく感じながら、大剣豪は相手の海賊少女「麦わらのルフィ」へ満面の笑顔を見せた。

 それが本来攻撃的なものであると説いたのは誰であったか。だが、事実万人が震え上がり泣きながら慈悲を乞うほどの恐ろしい形相でありながら、男のその凶悪な笑みに”麦わら”が返したのは、同じ喜の表情。

もっとも、こちらはまるで童女が新品の洋服を自慢するような、随分と可愛らしいものであったが。

 

  待っててくれてありがとう! おかげで今の私はみんなに“信じてる”って応援されたスーパールフィちゃんよっ! さっきまでのへっぽこルフィちゃんと同じだと思わないことねっ!」

 

 威勢のいい掛け声と共に拳を構えるボロボロな少女。だが剣士が切り刻んだはずの柔肌に目立つ傷は見当たらない。それはあの不安定な心理状態にありながら辛うじて致命傷を避け続けた天性の危険察知能力以上に、彼女の驚異的な肉体再生力を象徴していた。

 

 人体を細胞レベルで操作する、ジオマンスやバイオフィードバックに類する多細胞生物の限界の先にある超発達神経、“生命帰還”の技術。稀有な力を容易く、それも極めて高度な完成度で行使するルフィの卓越した才覚に、大剣豪の背筋を一筋の冷や汗が伝う。

 

(「天は二物を与えず」など、所詮は弱者の言慰(いいなぐさ)だが……これほど天に愛された者も人の歴史の中でも珍しかろう)

 

 悪魔の実、六式、覇気、そして生命帰還。

 後天的な悪魔の実の能力を除けば全てが途方もない努力の果てにある正真正銘の達人の御業である。だがそこに努力で至れることこそ、天与の質に相違ない。才ある者が半生を捧げようやく得られる技術を、幾つも、軽々と使いこなす二十歳にも満たない未熟な小娘。これを天才と呼ばずして何と言う。

 

 ミホークは理解する。己が今まで戦って来た強者や俊英を名乗る連中が、如何に無才な凡人共であったかを。

 そして今、男の目の前にいるこの少女こそ、天より全てを与えられた真の天才  真の強者である、と。

 

「礼を言うのはおれのほうだ…! このときを待っていたぞ、強き者よ!!」

 

 ミホークは自身の得物を大きく振りかぶる。己の半身にして、自慢の最上大業物。主の思いを読み取ったか、これより始まる最高の舞台を前にした黒剣“夜”が武者震いに澄んだ音色を響かせる。

 

「さぁ…いざ共に参ろうぞ、モンキー・D・ルフィ! これより先は油断も驕りも慈悲もない、真の強者の戦場なり!! この“鷹の目”  己の全力を以て相手仕るッッ!!」

 

「望むところ…っ! もう手加減なんか出来ないから  ここで負けたら許さないわよッッ!!」

 

 人類史最高の剣の才を持ち、“最強”の名をただ一人掲げることを許された大英雄ジュラキュール・ミホーク。

 天に、時代に覇を成す王として選ばれ、万の力を与えられた奇跡の御子モンキー・D・ルフィ。

 

 ありとあらゆる枷を解き放った二柱の超越者が、これより、新たな伝説を紡ぐ  

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

   “ゴムゴムの雀蜂銃(ワスプガン)”ッッ!!」

 

   ガアアアァァッッ!!」

 

 猛獣の如き咆哮を上げながら、ミホークが大剣を袈裟切りに振るった。

 空が、島が、海が、空間すら斬り裂くかのように両断され、世界の絶叫が振動となり周囲の生物を蹂躙する。山が刺身のように薄切りにされ、遠く離れ逃げ惑う海鳥や魚が爆散し、近海の荒れ狂う水面が塵と気泡と血と屍で褐色に染まるその光景は、宛ら叙事詩に伝わる末法や大艱難の序章のよう。

 

 余波で斯様な地獄を生み出す邪神の刃は、されど目当ての女神の首には届かない。

 凄まじい覇気の圧力に大地が抉れ、墜星跡の如き巨大な穴を作る破壊の中心。そこでは男の黒刀の刀身が、たった一本の華奢な人差し指で受け止められている、俄かに信じ難い現象が起きていた。

 

 だが両者の顔に驚愕は無い。二人の目は弱者の生きる浮世を映さず、強者が具現化させる”意思の力”のみを見せているのだから。

 

   ッッ!!』

 

 ギリギリと耳障りな異音を上げ鍔迫り合う神々の武器が互いの衝撃に耐えられず、込められた力の暴発と共に大きく弾かれる。

 大剣豪の大剣“夜”と、無名の少女の超“指銃”の衝突が引き起こした大爆発。その衝撃が岩島を貫き、そびえ立つ数千メートルのモノリスが引き裂かれる中、佇む二つの巨石柱の両頂でルフィとミホークは次なる一手の構えを取った。

 

「“ゴムゴムの誘導蜂弾(バンブルビー)”!!」

 

「!!?」

 

 速い。

 咄嗟に得物を防御に振るった行動は、男に出来た最善であった。一拍遅れて見聞色の覇気がようやく先ほどの攻撃の予兆を訴える。少女の操る覇気の極意による、事象を超えた超速度で繰り出された攻撃が、かの“鷹の目”の感知能力すら上回っているのだ。

 

 大地が抉れるほどの衝撃波に吹き飛ばされ、大きく体勢を崩した大剣豪は、本能で敵の第二撃が来る予感を覚える。

 最早自身の見聞色の覇気など当てにならない、まさに未来の領域での戦い。

 

「もいっこ! “ゴムゴムの誘導蜂弾(バンブルビー)”!!」

 

「ぐっ  させるかァァァッッ!!」

 

 だがミホークも百戦錬磨の剣士。無数の修羅場を超えてきた男のみが持つ膨大な戦闘経験が、覇気の気配を捉えるより早く、瞬時に敵の次の手を暴き出す。

 

 ミホークが薙いだ柔の剣は見事少女の追撃をいなし、少女の隙だらけな黒雷弾ける背中を彼の前に晒させた。

 

 絶好の隙。

 舌なめずりなどしている暇はない。男は刀身が受けた力の反動をそのまま遠心力へと流用し、一瞬の好機を逃さぬ必殺の一太刀で紫電を描く。

 

   追って、“ヴェスパー”っ!!」

 

 

 だが、少女の給仕服に刃が触れた瞬間、ミホークの首筋に途轍もない悪寒が走った。

 

「な  ぐッ!?」

 

 直感に従い形振り構わず捻った腰の、脇腹付近。

 辛うじて内臓を残し、そこにあったはずの己の肉が、派手な血の鉄砲水を残しながら消失していた。

 

 直感に従うのを拒んでいれば、あと一瞬動きが遅れていれば、間違いなく肝臓が消し飛ばされていた。

 間一髪。何とか九死に一生を得たミホークは、またしても間に合わなかった見聞色の覇気の危険察知の追従に舌打ちする。

 

(…ッ! 何だ今のは、どこから  ッ不味い、次が来るっ!)

 

 驚愕する間も惜しい。戦場は”未来”。そこに唯一つ肉迫出来る己の豊富な戦闘経験が、またしてもけたたましい警鐘を鳴らしていた。

 だが、体の反応が追い付かない。

 

「くっ  舐めるなァァァッッ!!」

 

 それでも、ミホークは危機を乗り越える。

 隙だらけの自分の身を守る、最後の手段。大剣豪は黒刀に纏わせた武装色の覇気を一気に周囲へ爆発させた。

 

   ッガァァッ!!」

 

「…ッ!? まっ、負けないもんっ!!」

 

 しかし相手も大剣豪に劣らぬ戦闘の天才、時代の申し子モンキー・D・ルフィ。

 男の苦肉の策を物ともせず、覇気の狂刃が触れる箇所を無駄なく武装硬化で保護した少女が、一気にミホークの懐へと飛び込んだ。

 

 肉を切らせて骨を切る。

 立て続けの攻勢に押され、必死に後退する大剣豪。

 

「チッ! 吹っ切れたか小むす  何っ!?」

 

 だが、ミホークの目が、躱したはずの攻撃が再度自身の背後を狙っている姿を捉えた。ルフィの腕に浮かぶ蜂の縞模様の武装硬化部が関節のように折れ曲がり、大きく軌道が切り替ったのだ。

 

(! これが先ほどおれの脇腹を背後から抉ったカラクリか…!)

 

 瞬時に数多の強敵の攻撃を見切って来た偉大なる大剣豪でさえも、視認してようやく気付くほどの神懸かり的な速度と威力。

 そして、同じく認識することすら困難な僅かな時の後  

 

 

  これで捉えたっ!!」

 

 

 いつの間にか、少女の即死の刺突指が男の懐の真っ只中で、隙だらけな胸元を目掛け神速の速さで直進していた。

 

 

「!? しまっ  

 

 十年ぶりの  否、おそらく生まれて初めての、濃い、死の気配。

 

 咄嗟の武装硬化も準備出来ない、無に等しい時の狭間。覇気の放出も破られ、体を捻る余裕も無く、開いた腕を閉じ剣を盾に構える時間など以ての外。

 大剣豪はこれまでの覇道で己が用いた数々の防御手段を全て絞り出し  一つの絶望的な結論に至る。

 

   間に合わない。

 

 万策尽きた、絶体絶命の危機。

 

 

(こんな……容易く……)

 

 何も出来ない一瞬の最中。少しずつ己の急所に近づく覇気の塊を、ミホークはまるで断頭台へ登る心境で見つめ続ける。

 脊髄反射すらままならない須臾の世界の中で、大剣豪の魂に一つの感情の焔が、まるで陽炎のように燃え上がった。

 

 

 男にはかつて、ある渇望があった。

 

 それは“最強”の名など遠い果てにある、非力な少年の記憶。名だたる強者たちを前にした弱者の屈辱が育んだ、飽くなき“最強”への憧れ。

 

 その渇望を捨てた者に、男が夢見、至った玉座は相応しかろうか。

 進歩を止め、停滞の安念に甘んじる者が、その称号を名乗るに足るか。

 

 

(……否)

 

 男が強者との殺し合いに夢を見るのも、弱者に覚醒の機会を与えるのも、倒錯的な破滅願望などといった陳腐な心理によるものではない。

 “赤髪”に幾度と挑んだのも、若き剣豪ロロノア・ゾロを生かしたのも、全てはこの己自身が更なる高みへ登るがため。

 

 最強は不変ではない。敗北を記した強者は弱者となり、そこに過去の偉業が覇を成す余地などない。

 故に、最強へと至った男が真に望んでいたのは、己の生でも、名声でもない。

 

 ジュラキュール・ミホークは、その“最強”という夢幻を追い続ける  永遠の求道者でありたいのだ。

 

 

(足りん……この、程度の力では……)

 

 絶体絶命の危機に瀕し目覚めた眠れる渇望が、男に告げる。

 己の限界は未だ見ぬ果てにある、と…

 

 

 

 

    ザァッ…

 

 

「!!?」

 

 瞬間、ルフィの未来視の見聞色の覇気がありえない未来を映し出した。

 

 だが驚くのも一瞬。

 微塵の迷いもなくそれに従い、少女は男の胸部を穿つ絶死の超”指銃”の軌道を無理やり修正する。確かな手応えを得たルフィはそのまま神速の“剃刀”で男の空いた脇下を通り、懐から脱出した。

 

 少女が見た未来は、胸元を狙った攻撃が貫く箇所の左端、その小さな面積に敵の有り丈の武装色の覇気が集中し、更に武装硬化の微細な強弱で生み出された傾斜で“指銃”の軌道が逸れるよう誘導された、信じ難い光景であった。

 

 まるで、そこに来る攻撃に事前に備えていたかのように。

 

 

   まさか、()()()()…?」

 

 ありえたはずの未来を変える力。

 咄嗟の反応では不可能なまでに計算され尽くされた、複雑な武装硬化の精密操作。

 

 そしてその結果、確実に心臓を抉ったはずの少女の指は大きく脇腹を抉るだけに終わった。

 

 見せられた未来より大幅に深い傷を負わせることが出来たのは、ひとえに両者の見聞色の覇気の差である。だが、その圧倒的であったはずの差は、明らかに縮まっていた。

 

 

   感謝する……心から感謝するぞ、“麦わら”…!」

 

 

 こくりと緊張に小さく喉を鳴らすルフィの耳に、大剣豪の隠しきれない喜悦を含んだ声が届く。

 

「…頂に至り早十年。辿るべき先達も、追うべき強者もない。失意のまま停滞との詰まらん一人相撲で一生を終えるものと覚悟していたが……どうやらおれのさだめもまだまだ捨てたものではないらしい…!」

 

「…ッ!」

 

 新たな力、新たな世界に目覚めた“最強”が、溢れる歓喜の情に笑みを浮かべる。

 それはどこまでも純粋で、あどけない童子のような、積年の憂鬱から解放された一人の男の素顔であった。

 

 そして、その金色の鷹目に僅かな“未来”を映しながら、狂暴な歯を見せる猛獣の如き笑顔で、大剣豪が今一度自身の大剣をルフィへ突き付けた。

 

 

「さて、『“麦わら”のルフィ』よ……立ち塞がる強敵が更なる先へと至ったぞ…!」

 

 

 今、停滞を捨て去り進化を遂げた大剣豪が、未来の海賊王へ最後の牙を向く。

 

 

 

 

「この“鷹の目”が授ける最後の試練  超えられるものなら超えてみろ…ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所“巨雲島”

 

 

 

   愚かな…! 同じ手は  

 

「ッ、こっちのほうがまだまだずっと先を見てるわっ! 私の十年の研鑽をこの短い戦いで超えられるものですか…っ!!」

 

 

 不可解な言動を繰り返しながら凄まじい覇気の塊をぶつけ合う、二人の男女。

 その片割れである見目麗しい童顔の少女、「麦わらのルフィ」は、相手の剣士の恐ろしい剣技に少しずつ平静の鎧を削ぎ落されつつあった。

 

 理由は、少女の“夢”でも体験したことの無い、度し難い現状にある。

 

(くっ…ちょっとずつ“鷹の目”の未来視が私に追い付き始めてる…っ!)

 

 覚醒、または進化。

 

 あのルフィ少年が強敵たちとの戦いで己の力を増していったように、少女ルフィという強敵を前にした大剣豪、「鷹の目のミホーク」がこの土壇場で“未来視の見聞色の覇気”に目覚め、より強大な存在となり確定していた敗北を乗り越え襲い掛かって来たのである。

 これほどの強者、しかも脂の乗り切った全盛期の男に尚も成長の余地が残っていたとは。“夢”で自分と同姓同名のヒーローが幾度も成し遂げた奇跡を心躍る思いで疑似体験しておきながら、いざ同じ状況に敵として立たされた少女は、そのあまりの理不尽に舌を巻く。

 

「むぅぅぅっ!! 私のほうが上っ、上だもんっ! みんなに信じられてるんだから絶対勝ってやるぅッ!!」

 

 ルフィは煮え滾る熱意を力へと変え、氷のように冷えた理性で冷静に、敵が勝利する未来を潰しにかかる。

 

「“ゴムゴムの蜂群銃乱打(バンブルガトリング)”!!」

 

「それは効かんと言った  ッ!? くっ、そういうことかっ!!」

 

「だから私が上って言ったでしょうっ! 本命はこっちよっ   “ゴムゴムの蜂群密集陣(ハイヴスウォーム)”!!」

 

 以前のへっぽこルフィちゃんのへっぽこ威力と追尾とは大違い。狙い澄まし、確実に敵の急所へ迫る即死の超“指銃”が殺到する。

 

 しかし。

 

「ぐぅ…ッ! だが  見える! 見えるぞ…ッ!!」

 

「ッ、そんな…っ!?」

 

 男の力への渇望が更なる“先”を映し出し、迫る少女の無数の追尾変化軌道攻撃が一つ残らず急所から逸らされる。

 

 柔の剣を巧みに操り、紙一重の回避を続けるミホーク。その卓越した技術と経験は如何なる天才であっても超えることの出来ない、最強に相応しい美しき剣舞。疑似とはいえ“夢”で二倍の戦闘経験を得ているはずのルフィであっても追い付けない、至高の領域だ。

 

 元々「鷹の目のミホーク」は少女を遥かに上回る時間を剣に捧げ、十二分の経験をその身に蓄積させていた。膨大な修行を続けながら尚も停滞していたのは、ひとえに進歩が求められる極限の状況との遭遇が皆無であったが故。

 まるでダムが決壊するかのように、身の危険どころか死の一歩手前まで追い詰められた大剣豪の眠れる魂は、新たな“最強”へと至るために再度、進化の道を疾走し始めたのである。

 

「…ッ、それでも私の未来視のほうがまだまだ上だもんっ!    “ゴムゴムの蜂群密集陣(ハイヴスウォーム)”ッッ!!」

 

「!? 更に増え  ぐぅぅぅッッ!!」

 

無論、仲間の信頼を受け取ったルフィに怯えも不安も許されない。如何なる困難も乗り越えてみせると気合を入れ直し、少女はズレ始めた自分の希望する未来を土壇場で修正しに掛かる。

 

 無数の超“指銃”がミホークを四方八方から追い詰める。未来視の見聞色の覇気を併用した正確無比な変則軌道攻撃が、まるで生き物のように自由自在に動きながら敵へ襲い掛かる。

 

 少女の脳裏には、“夢”のルフィ少年と「将星シャーロット・カタクリ」との死闘の光景が浮かんでいた。

 

 未来視を持つ者同士の勝負では、通常戦闘以上に覇気を維持する強靭な精神力が重要となる。自身の秘密を知られたカタクリは動揺から覇気の制御を手放し、未来視に目覚める前のルフィ少年から幾度も攻撃を受けていた。つい先ほどミホーク相手に真逆の体験をした少女にとっては既に身に染みていることである。

 そして両雄の戦いの終盤。少年はその驚異的な成長速度で、何十年に亘り研鑽を続けたカタクリの見聞色の覇気を超越し、勝利を収めたのであった。

 

 未来の海賊王に相応しい、実に見事な逆転勝利。

 だが、それは言い換えれば、たとえどれほど平時の修行を重ねていようと相手の戦闘時での成長次第で、未来視の優位は幾らでも変化する、ということ。有象無象が相手であれば考慮にも値しない可能性だが、此度の敵はあのゾロが自身の一生を掛け目標とする大剣豪「鷹の目のミホーク」。侮れるはずがない。

 

 あのゾロが目指す相手だ。この戦いの最中に必ず自分の見る未来へ追い付いて来るだろう。

 だからその前に  

 

   倒してやるゥゥゥッッ!!」

 

「!!?」

 

 ルフィは気合を一層込め、追尾する百発百中の即死の連打を放ち続ける。その猛威は凄まじく、ミホークが幾度受け流せど軌道を修正し、正面から、背後から、右から、左から、頭上から、地中から、全方向より繰り返し彼の胴や頭部へ迫る。

 覇気の暴風で足場が一瞬で消失し、無数の被弾で体が抉られ続ける大剣豪が這う這うの体で逃亡を図るが、少女は決して得物を逃さない。

 

「ぐっ、ガアアアァァッ!!   ッまだだ、まだ足りん…ッ! より“先”をおれに見せろォォォッッ!!」

 

「くぅぅッアアアァァッ!! さっさと崩れなさいッッ、“鷹の目”ェェェッッ!!」

 

 繰り出される超速の超”指銃”の全方位集中砲火。

 だが少しずつ、少女の攻撃のズレが大きくなっている。ミホークの未来視が研ぎ澄まされ、更に進化しつつあるのだ。

 

   不味い。

 

 敵の予想以上のしぶとさ、そして成長速度にルフィは焦りを心に積もらせていく。

 

 思い返されるのは、最初にこの男に自慢の武装超硬化に罅を入れられた場面。

 三大将のように悪魔の実の能力が恐ろしいのではない。カタクリのように覇気が敵わないのではない。ビッグ・マムやカイドウのように身体強度が化物じみている訳でもない。

 ミホークの強さの本質は、一瞬にも満たない微かな隙すら見逃さない、異次元の戦闘本能。ほんの小さな動揺を狙われ、あっという間に崩される恐怖。あの衝撃的な一幕は、少女ルフィにとってもルフィ少年にとっても、生まれて初めての経験であった。

 

「くっ…仕方ない…っ!」

 

 相手の心理的消耗は十分ではないが、このままではこちらが揺らいでまた以前のような手痛い反撃を受けかねない。

 二度目を許してしまう前に、ルフィはここで勝負に出ることを決断する。

 

「“剃刀(カミソリ)”!!」

 

 連打攻撃を維持しつつ、少女は大きく空へ駆けあがる。

 放つは逃げ場のない地面へ向けた、大空襲宛らの超大技。

 

   ッッ!? なっ、何だこれは   ッいかん!!」

 

 絶え間ない攻撃に歪むミホークの渋面が、一瞬で青褪めた驚愕顔へ変貌する。

 即死の超“指銃”の嵐に晒されて尚、男には更なる未来を予見する余裕があると言うのか。既にそれほどの精度にまで成長している敵の未来視の見聞色の覇気にルフィの頬を冷や汗が伝う。

 だが、まだ男の更に先を見ていると己の力を信じる少女は、躊躇いなく大本命の大技を解き放った。

 

 ここに来て出し惜しみなど出来るはずがない。

 天賦の才を、長年に亘る祖父ガープの協力で幼い頃より磨き上げ、途轍もない覇気を得ていた少女ルフィ。そんな彼女でさえも使うことを躊躇うほどの、桁違いの覇気を消費する“女王蜂(クインビー)”シリーズ。一撃で大津波を爆ぜ飛ばす大技に、更に限界まで高めた未来視の見聞色の覇気を駆使し、事前に動作を決めることで初めて実現する圧倒的な連打を行う大技“ゴムゴムの蜂群密集陣(ハイヴスウォーム)”を合わせる。

 

 完成したのは、少女が持つ  最高最強の範囲攻撃だ。

 

 

「島ごと消し飛びなさいッッ!!  ”ゴムゴムの女王蜂群密集(クインビースウォーム)ッッ!!」

 

 

 “バスターコール”の一斉射にも等しい大爆風。

 東の海(イーストブルー)中に響き渡るほどの大轟音。

 

 海域全てを覆うほどの膨大な粉塵をまき散らし、文字通り山を一瞬で更地に変える武装超硬化の弾幕が、覇気の黒雷と共に、眼下の全てを消滅させる。

 

 

 

 ハンコックの作った巨大な岩島が  土煙ではあるが  元の雲に戻るかのような数十秒の大量破壊現象の後。

 

 僅かな岩礁を残し陸地の悉くが沈んだ絶海の中に、一つの小柄な人影が肩を大きく上下させながら立ち尽くしていた。

 

 

 

「ハァ……、ハァ……、……ッこんちくしょぉ…!」

 

 人影  「麦わらのルフィ」は荒い息を上げながら、立ち上る粉塵のベールの奥へ目を向ける。

 

 体から絶え間なく放たれていた狂猛な黒雷は、今や小さくパチ…、パチ…と思い出したように弾ける程度。纏っていた紅色の水蒸気はまるで冷めた湯飲みのように儚げで、かつての力強さはどこにもない。

 これほど覇気と体力を消耗したのはいつ以来か。四年前に祖父ガープ相手に初めて全力勝負で勝利を勝ち取ってから常に余裕を残す常勝の日々であった少女は、疲労に震える体を強く抱きしめる。

 

 その顔に浮かぶ感情は、焦燥。

 

 超大技を終えた疲労が霞むほどのソレを必死に落ち着かせながら、ルフィは残った小さな陸地を射殺さんばかりの鋭利な眼つきで睨みつける。

 

 

 見聞色の覇気が捉える他者の気配には様々な形があれど、その感知から逃れられる方法は存在しない。覇気とは万人が持つ意思の力であり、自我を持つ者がそれを隠すことは不可能だ。まして少女の覇気の練度は自身の類まれなる才覚と熱意も相まり前人未踏の領域にまで踏み込んでいる。

 

 そんなルフィが、たとえ煙に視界を封じられた程度で  

 

 

  まるで全智の…神の領域だな。お前が見ている、()()()()は……」

 

 

 あの「鷹の目のミホーク」ほどの強大な気配を見逃すはずがない。

 

 

 

 異界の、並行世界の収束。

 

 本来出会うはずのない二人の少年少女の魂が交差し、生まれた奇跡の少女モンキー・D・ルフィ。合わさった両者の力は時代の覇者に相応しい、間違う事無き”絶対強者”の領域へと至っていた。

 

 その”絶対”の全力全開の攻撃を受けて尚。

 バケツを被ったように血塗れな満身創痍の体で尚。

 最強の十二振りの黒刀”夜”を、波のように凹ませて尚。

 

 

 男は、確かにそこに立っていた。

 

 

「ハァ…ッ、ハァ…ッ、お前は…こんな世界を見ていたのか。まさしく“時代の申し子”…だな……」

 

 島一つを  それも海抜二千メートルを超す巨大な塔の如き岩の塊のほぼ全てを  水面から消し飛ばすほどの超大技を受け切った最強の大剣豪が、ふらつきながらも倒れることなく辺りを見渡している。

 

 その姿から、言動から、ルフィは男が遂に、自分の十年の練達と並んだことを察した。

 

 

「…ッ、上等よ…! これからが勝負ってワケね…っ!」

 

 悔しくない、と言えば嘘になる。

 それでもルフィは諦めない。なけなしではあるが、“ホーネットガール”を維持するだけの覇気は残っている。動揺で揺れていた未来視の見聞色の覇気も、両手の武装超硬化も、この短い休息で制御を取り戻せた。

 何より、仲間の信頼を受け取ったスーパールフィちゃんは絶対に負けないのだ。

 

 再度、この強敵を必ず倒すと覚悟を決める。

 少女船長は今一度両手と背に黒雷を纏い、血流の超加速と覇気で身体能力を跳ね上げながら、佇む強敵へ敵意を飛ばした。

 

 だが。

 

 

  おれの負けだ」

 

 

 “鷹の目”が呟いたその一言は、未来視で予見していながら、到底信じることの出来ない想定外の宣言であった。

 

「…こ、降参するの?」

 

 あまりの驚愕に思わずまた覇気の制御を手放してしまったルフィ。だがミホークは自身の言葉通り、隙だらけな少女へ己のベコベコになった大剣を振るうことはしなかった。

 

「……最初にお前の攻撃を肩に受けた時、この戦いはどちらかが倒れるまで続くと思った」

 

 男の言に少女は訝しげに眉を寄せる。

 

「何それ。私は全力で戦わないとあなたに負ける未来が見えたから、たとえゾロの目標でも倒す気で挑んだのよ? 私に倒されるならその程度の人だってことだし、あなたはそうじゃないって知ってるから、ここで勝負はつかないはずでしょう?」

 

「フッ、だろうな。…だがおれはこの力に目覚めてから、その名の通り……見える未来が変わったのだ」

 

 大剣豪は「こんなことは初めてだ」と僅かに戸惑うような素振りを見せながらも、どこか嬉しそうに声を弾ませる。

 

「…新たな世界には、新たな覇道があった。長年先の見えなかったおれの世界に、お前が新たな道を敷いていたのだ」

 

 そして、男の顔に悔しげな笑みが浮かぶ。

 

  今のおれの力では、今のお前を倒すには至らない」

 

 少女は息を呑む。

 覇気ではない。己の強者としての本能が、男の言わんとしていることを理解したがために。

 

 

「やっ  たあああっ!! ゾロの仇を取れたわあああっ!!」

 

 

 青息吐息の身体の一体どこにそんな体力が残っていたのか、少女が両腕をバンザイし勝鬨を大音量で叫び上げた。

 ぴょんぴょん跳ねて喜びを表現する麦わら娘。呆れるミホークは処置なしと言わんばかりにゆっくりと頭を振る。

 

 だが、ふと彼女から顔を逸らし遠方へ目を向けた彼は、それまでの微笑を曇らせ小さく肩を落とす。

 そして未だ気付かず呑気に勝利に酔う小娘に状況を把握するよう促した。

 

「…残念だが時間のようだ。覇気で南西の“声”を聞け」

 

「わーい  って、え? 南西?」

 

 素直に反応したルフィはそのまま言われた通り自分の背後へ視線を送る。

 

 直後、少女が嫌そうに歪めた顔でこちらへ向き直った。

 

 

「……なんか凄くめんどくさい人の気配を感じたんだけど。どうしてココにいるのよ…」

 

 発動から一瞬で他者の気配を捉える“麦わら”の優れた見聞色の覇気に感嘆しつつ、ミホークは不愉快そうに自身がやって来た海路へ目を向ける。

 

「何故嫌がる? …アレでも一応はお前の味方だろう。会議でセンゴクが命令違反だと怒り狂っていたぞ」

 

「そうなの? でも私もう十七歳で大人の仲間入りしたんだから、いつまでもベタベタされるのイヤぁ…」

 

 つい先ほどまで死闘を繰り広げていたはずの好敵手、「鷹の目のミホーク」と「麦わらのルフィ」。両者の間にはいつの間にか奇妙な一体感が醸し出され、何方ともなくこれから起きるであろう不本意な嵐に辟易し、溜息のデュエットを演奏した。

 

 

 だが、それも致し方無し。

 

 何故なら、二人が気配を感じ取り、共通して「めんどくさい人」と形容したその人物は、此度の『モンキー・D・ルフィ討伐作戦』には参加が許されていない上、完全なる私用でこの海域へ猪突猛進して来たのである。

 

 少女ルフィに仕事で遅れたお誕生日プレゼントを手渡そうと意気込む最中、可愛い可愛い孫娘の命を狙う王下七武海(海のクズども)の存在を知り、血走る眼で東の海(イーストブルー)を爆走する、海軍一の英雄にして、自由人  

 

 

 

「ルゥゥゥフィィィィちゃぁぁぁんッッ!! じぃぃぃいちゃんがたぁぁぁすけぇぇぇに来ぃぃぃたじょぉぉぉんッッ!!」

 

 

 

   爺バカ中将、モンキー・D・ガープが。

 

 

 

 

 




 

オリギア4“ホーネットガール”のルフィちゃんオリ技シリーズ紹介(大体スネイクマンのパクリ)


・ゴムゴムの雀蜂銃(ワスプガン)
基本技。猿王銃(コングガン)指銃(しがん)版。名前はそのままスズメバチ。

・ゴムゴムの誘導蜂弾(バンブルビー)
大蛇砲(カルヴァリン)指銃(しがん)版。名前はモフモフ蜂の英語から。追尾の掛け声はスネイクマンの“パイソン”ではなく蜂のラテン語英読みの“ヴェスパー”にした。

・ゴムゴムの蜂群密集陣(ハイヴスウォーム)
黒い蛇群(ブラックマンバ)指銃(しがん)版。名前はそのままハチの巣と群れの英語。

・ゴムゴムの女王大雀蜂(クインヴェスパー)
雀蜂銃(ワスプガン)の強化版。100m級巨大津波をぶっ飛ばせる威力。

・ゴムゴムの女王蜂群密集(クインビースウォーム)
女王大雀蜂(クインヴェスパー)を使った黒い蛇群(ブラックマンバ)。現段ルフィちゃん階最強技。


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32話 王下七武海・Ⅷ

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー海洋上『ブル・ハウンド号』甲板

 

 

 

  いい加減にしろ“英雄ガープ”。海兵が政府の命を受けた七武海の邪魔をするな」

 

「じゃかァしいッッ!! わしの可愛い可愛いルフィちゃんに指一本触れさせて堪るかァッ!!   拳・骨・隕石(ゲンコツメテオ)”ォッ!!」

 

 

 『麦わら海賊団』が海上レストラン『バラティエ』を訪れるときより、遡ること三日と少し。

 一味の狙撃手ウソップの故郷シロップ村近海で、巨大な軍艦が一艘の小さな小舟へ砲弾の暴風雨を降らしていた。

 

 王下七武海「鷹の目のミホーク」の海賊船を狙う、海軍本部中将モンキー・D・ガープ率いる部隊旗艦『ブル・ハウンド号』である。

 

 とある不祥事により捕縛された東の海(イーストブルー)海軍第153支部(通称”シェルズタウン支部”)の支部長の地位にあった海軍支部大佐「斧手のモーガン」を護送し、本部への帰路についていなくてはならないはずのこの巨艦は、当然のように艦隊長官ガープの私用に付き合わされていた。

 その私用とやらが「孫娘へ会いに行く」というものなのだが、無論、これは軍規違反である。

 

「ちょ、ガープさん!? 帰還命令違反はまあいつものこととして、流石に作戦妨害までやられるとちょっとおれも立場上見逃せないんですけどねェ…ッ!」

 

「“青雉”か……丁度いい、そこの馬鹿を抑えておけ。ただでさえ“赤髪”の阿呆に絡まれ遅れているのだ。急がねば一番槍を逃してしまう」

 

「ぬゥゥゥッッ!! 待たんか若造ォォォッッ!!」

 

 そんなあたりまえのことを切羽詰まった顔で口にする長身の男が一人。休日を言い訳に海軍本部を離れ、噂の”英雄の孫娘”の追跡を行っていた最上位将校、海軍大将「“青雉”クザン」だ。

 この男、得意の海上自転車ツーリングに飽き、道中を通過するこの『ブル・ハウンド号』にかつての師匠ガープ中将の厚意で便乗させてもらっていたのだが、老将のあまりの身勝手に、名高い”問題児師弟”の一人とは思えない苦労人の形相を見せる日々が続いていた。

 

 彼の最近の心の友は同じ苦労人仲間、艦の副官の任に就く海軍本部中佐ボガードである。

 

「…先ほど入ったフルボディ本部大尉の報告では、ルフィちゃんは海上レストランでウェイトレスとして奉公活動をしているとか。七武海の襲撃を受ければ民間船などひとたまりもありませんので、無辜の一般人の救出に本艦が向かうのは当然のこと…とまあ、面目が立たなくはないでしょう」

 

 前言撤回。そう述べる心の友は裏切り者であった。

 

「きみ…意外とガープさんに心酔してるのな。長いこと副官やってんの伊達じゃねェってか…一杯食わされたぜ、全く」

 

「度合いはともかく、中将を敬愛していない海兵は少ないのでは?」

 

 まるで機関銃のように砲弾を素手で放り投げる上司の横で、しれっと言い返す裏切り者ボガード本部中佐。どこか達観した目でその事実を語る男の姿に頬をひくつかせながら、クザンは大きく肩を落とす。

 自身とて老将に大恩ある身。海軍大将という立場さえなければ、いけ好かない王下七武海の猛威を躱すべく、恩人の  飛び切りの美人と噂の  孫娘ちゃんへ陰ながら手の一つや二つ差し伸べることもやぶさかではない。

 

 無論、あくまで陰ながらではあるが。

 

「まーそうなんだけど  って、ちょっとガープさん! これ以上は流石にシャレじゃすまねェって! 海賊とは言え連中、一応はおれたち同様政府側なんですから…!」

 

 しかし、男はこれでも恩人より上位の階級に就く者。そう安易に…というより軍人である以上、命令違反どころか作戦妨害まで企むなど当然許されるはずがない。

 ぶん投げる砲弾に殺意と共に覇気まで籠め始めたエスカレート気味の孫娘大好きジジィを自重させるべく、クザンは慌てて老将を羽交い絞めに掛かる。

 

 だが溺愛する孫娘のためなら元帥どころか全軍総督の命令すら無視するこの爺バカが、元弟子風情の言に耳を傾けるはずもない。

 

「ぬんっ、邪魔じゃ放せクザン!!   おいボガード! さっさと船の速力を上げんか! “鷹の目”がもうあんな遠くまで逃げとるぞ!!」

 

「いやだから作戦妨害は不味いってガープさん!!」

 

「既に最大船速です。これ以上の速度は出ません、中将」

 

「じゃったら全員で漕ぐッッ!! 氷で櫂を作れクザン、急げェッ!!   ルフィちゃあああん!! じいちゃんが今すぐ助けに行くから待っとれよおおおッッ!!」

 

「人の話聞けよジジィ!! あんた身内の裏切りで自分の立場がやべェってことくらい自覚してくれ頼むからァ!!」

 

 完全に処置なし。

 揺すれど振り払われ、能力で凍らせど叩き壊される。それでも老将の進退を真剣に案じ続ける海軍大将“青雉”は、実に師匠思いの弟子であった。

 

 だが男の道中、三日三晩の説得も空しく。突然の天変地異と共に発生した謎の大嵐の中心で  先ほどの“鷹の目”のものを含む  二つの桁外れな覇気を感知した瞬間、ガープは荒れ狂う海の中で喜々として部下に砲弾の準備を急がせた。

 

「追い付いたぞお、”鷹の目”ェッ!! よくもわしのルフィちゃんをォォォ……その岩島ごと海の藻屑にしてくれるわァァァッッ!!   拳・骨・流星群(ゲンコツりゅうせいぐん)”!!」

 

「あぁぁ……こりゃ軍法会議じゃ済まねェよ、もう……」

 

 そんな恩人の猪突猛進な姿に、クザンは最早この一件が長年の恩師と共に海を渡る最後の時間になるだろう、とある意味軍人らしい、あまりにあんまりな覚悟を決めることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所“巨雲島”

 

 

 

 神々の決戦の果てに沈んだ岩島の跡。

 波を被る僅かな岩礁すら残すまいと、この即席の陸地に幾度も襲い掛かる災難は、宛ら異物を排除せんと動く世界の意思の表れか。

 

 そんな哀れな残骸に降り注ぐ砲弾の豪雨の中で、二人の男女が呆れた顔で佇んでいた。

 

 

「…あの男は加減というものを知らんのか? 肝心の孫娘まで攻撃に巻き込まれているが」

 

「何しに来たのよおじいちゃん……これからみんなで逃げるところだったのに」

 

 石化した積乱雲の岩島で死闘を繰り広げた両雄、「鷹の目のミホーク」と「麦わらのルフィ」。戦いを終えた後の僅かな休息の途中に乱入してきた不届き者に、両者が思うことは一つであった。

 

「…まあいい、またどこかで巡り合うこともあるだろう。研鑽を怠らないことだな。“麦わら”」

 

「ふん、上等よっ。あなたに追い付かれないくらい覇気を鍛えて、今度こそ完膚なきまでに叩き潰してあげるわ! 今に見てなさいっ!」

 

 勝気な笑みで胸を張る少女。その眩い自信にミホークは己の望む形に落ち着いた彼女との関係を確信し、満足そうに頷いた。

 

「クク…それでこそ、この“鷹の目”の導き手に相応しい…! 共に更なる高みへ登ろうではないか、“麦わらのルフィ”よ!」

 

「ええ、望むところっ! あ…でもあなたを最初に倒す剣士は私のゾロよ? いつか強くなったゾロのために首を洗って待ってることねっ!」

 

 上機嫌の元は少女との出会いだけではない。

 

 己が初めて見誤った、強き心を持つ剣士ロロノア・ゾロ。

 短い合で幾つもの壁を超え、目を見張る進化を続ける若き力。その青い輝きをミホークは思い起こし、ニヤリとその鋭利な歯を覗かせる。この大剣豪を負かすほどの強者ルフィと共に歩む彼が、一体どれほどの成長を遂げるのか。いずれ想い人の船長を守るために前に立ち、“最強”の座を懸けた果し合いを挑んでくるであろうその男は、一体どれほど  この「鷹の目のミホーク」を高みへと誘う  素晴らしい“踏み台”となってくれるのか。

 青年との戦いを想起し、そして、その果てに己が辿り着く剣士としての更なる境地を想像し、大剣豪は笑みを深める。

 

「フッ、なら精々あの小僧の輝きを鈍らせるな。いずれ我らの頂まで上り詰めたら……ヤツが見せる新たな剣の可能性を楽しみにするとしよう」

 

 何とも強者らしい、不遜な内心。

 だがそれこそが、永遠の“最強”の求道者の正しい姿に他ならない。

 

「ふふんっ! きっと驚くと思うわ。だってゾロは私の大剣豪なんだからっ!」

 

 だからこそ、同じ強者たる少女は男の在り方を否定しない。

 少なくとも、自分の相棒の超えるべき壁として、男が青年の前に立ち塞がり続ける限り。

 

 眉間に寄せていた眉の皺を解き、ルフィは愛らしく破顔する。

 

「それじゃあ私、おじいちゃんがめんどくさいからそろそろ逃げるわね! 何かヤバそうな覇気の人も一緒に船に乗ってるし…!   バイバイ、“鷹の目”! またどこかでケンカしましょうっ!」

 

 にぱっと満面の笑みが浮かぶ幼げな美貌は、無垢で天真爛漫な童女を彷彿とさせる。おそらくこちらが彼女の本来の姿なのだろう。

 

 愛嬌溢れる少女の童顔を前にミホークは苦笑する。誘ったのはこちらだが、それを踏まえて尚この“鷹の目”を相手に「ケンカをしよう」などと口にする者など彼女くらいのものである。

 何とも可愛らしい好敵手が出来たものだ。

 

 

  “たァァァかァァァのォォォめェェェ”ッッ!!」

 

『!』

 

 その耳に突如、地獄の怨嗟の如き濁声が飛び掛かった。

 面倒な邪魔者『”拳骨”のガープ』の声だ。

 

「……十七歳のォォォ……嫁入り前のォォォ……初恋すら知らぬゥゥゥ……わしのめんこい可愛いルフィちゃんにィィィ……」

 

『!!』

 

 それはまさに烈火の如し。

 鬼すらひれ伏す憤激の情に支配された一人の修羅が、地獄の焔すら陰り見える鮮烈な“赫”を体に浮かべ、爆発的な覇気を漲らせていた。

 

 そして、老将の激情が、一人の満身創痍の大剣豪へ殺到する。

 

 

「ンぬァァにしてくれとんじゃアアアァァァッッ!!!」

 

 

 途轍もない衝撃波を撒き散らしながら、ガープがミホークの下へ突進する。

 本気も本気。全身全霊など遥かに超越した力を発揮し大剣豪を殺しに掛かる、怒りに狂った祖父の姿。だがそんな老将の戦意の源とも言える少女ルフィは、渦中真っ只中にありながら、驚愕と呆れの混ざった顔でただ彼の暴走を見つめることしか出来ない。

 

「くたばれ若造がァァァッッ!!   ぬゥゥゥんッッ!!」

 

   ッぐぅっ!?」

 

 咄嗟に黒刀“夜”を構え、相手の初撃を受け止める大剣豪。だが満身創痍の肉体に、孫娘を傷物にされた祖父の憤怒の拳はあまりに耐え難い。

 一瞬で自慢の大剣ごと殴り飛ばされたミホークは、無様な舞を踊りながら遠くの海面の裏へと消えて行った。

 

 ぽかん、と呆けた顔で好敵手の惨めな姿を見つめていたルフィは慌てて我に返る。

 

「うわぁ…すっごい怒ってる。これ倒れるまで暴れ続けそうだし、こっち来る前にさっさとトンズラしましょ」

 

 以前故郷のドーン島の近くにある無人島で行った手合わせで、少女はガープの片腕を“ギア4・ホーネットガール”の必殺技で貫き大怪我を負わせてしまった。その傷を頭の片隅で心配していたのだが、あの大惨事を見る限り全くの不要であったらしい。

 適切な栄養さえ摂取すれば体の傷など“生命帰還”で完全再生出来るルフィは、祖父の怒りの理由に首を捻る。もっとも、彼の脳内は複雑怪奇であるため、少女が自身の貴重な知力をガープの行動原理を解き明かすために割くことは無い。

 一瞬で推理を諦めた孫娘は、祖父が起こした混乱に便乗し、この場からの早期逃亡を目論んだ。

 

 だが、“剃刀”で『バラテイエ』の仲間たちの下へ向かおうと踵を返したルフィの耳に  

 

 

   あらら…そう簡単に逃がしてもらえるとか思っちゃってるワケ、お嬢ちゃん?」

 

 

 かつて“夢”で聞いた、ある忌々しい男の飄々とした声が侵入した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ブル・ハウンド号』

 

 

 

 束の間の平穏を搔き乱す、一隻の海軍艦。未だ微かに残るなけなしの見聞色の覇気でさえも感じられた、その船の中に陣取る二つの巨大な気配。

 片方は少女のよく知る過保護な爺。だがもう片方は…?

 

 その正体をある程度は予想していたものの、まさか本当にあの“三大将”の一角が七武海の刺客たちに交じっていたとは。厄介に過ぎる強敵の襲来にルフィは焦燥を隠せない。

 

 

 海軍大将“青雉”。

 

 偉大なる航路(グランドライン)屈指の猛者たちの巣窟と名高い海軍本部の中でも最上位の階級に就き、「海軍の最高戦力と称され"新世界”でも超級の強者として恐れられる人物。ヒエヒエの実の氷結人間で、全ての悪魔の実の能力者の弱点である海水を一瞬で凍り付かせる絶対零度の冷気を操る、自然系(ロギア)能力者である。

 かのルフィ少年は冒険の道中で四人の海軍大将と遭遇し、いずれのときもその桁外れの実力に絶体絶命の危機に瀕しているが、この男は少年が最初に遭遇した巨大過ぎる世界の壁、文字通りの”絶望”そのものであった。

 

 "夢”の記憶に登場するその感情の権化は数多い。もちろん「サー・クロコダイル」やパシフィスタなど、成長の果てに乗り越えられた絶望もある。だが少女が、ルフィ少年が負け越している相手に対して未だ苦手意識が拭えないのもまた事実。

 

 たとえ少女ルフィが、"夢”の少年より遥かに強大な力を得ていたとしても。

 

 

「…流石に"鷹の目”相手だとそれなりに消耗したみてェだな。これならおれ一人でも何とかヤれるか…?」

 

 ただの超新星(ルーキー)として見られていたルフィ少年とは大違い。この男に一切油断無く、己を上回る強者と見做されている感覚はある意味新鮮で、少女はその強烈な殺気に思わず後退る  ところを船長の矜持で踏み止まった。

 

 仲間の声援を受けたスーパールフィちゃんに"恐れ”など無いのである。

 

「ッ、ちょっと!なんであなたがココにいるのよ、"青雉”…!」

 

「…おいおい、まさか顔までバレてるのかよ。まいったね、こりゃどーも」

 

 少女の問を無視し、通り名を言い当てられた男が苦々しい顔でボリボリと首を掻く。

 その無造作な仕草に反し、"青雉”の佇まいに隙は微塵も無い。自然系(ロギア)能力者は実体を捨てる自身の絶対的な攻撃無効化能力に甘えがちで、武装色の覇気を纏った奇襲攻撃に弱い傾向がある。だがルフィは、たとえ速度と一撃必殺の攻撃に特化した対大将"黄猿”  もとい、対自然系(ロギア)能力者用形態“ホーネットガール”へ再々度移行したとしても、覇気を擦り切らせている今の自分にこの男の不意を突けるとは思えなかった。

 

 ルフィは臍を噛みながらも逃げる機会を慎重に疑う。しかし「逃がさん」と言わんばかりに“青雉”が目を光らせる。

 

 しばしの睨み合いの末、最初に口を開いたのは、追手の大男であった。

 

  おれはあんたのじいさんに昔、結構世話になっててね。そっちにも色々あるんだろうが…おれからすれば、あの人を裏切ったお嬢ちゃんにはちょーっと思うとこがあるのさ」

 

 挑発のつもりか。全く以て独りよがりな  少なくともルフィにとっては  海軍大将の言葉に、少女は大きく頬を膨らませ自身の感情を表現する。

 

「むっ、『裏切った』ってなによ人聞きの悪い! 海軍上級大将だとかナントカはそっちが勝手に勘違いしただけじゃない! 私の夢は海賊王よっ、海兵になるなんて一度も言ってないわ!」

 

「いや、あんた…あんだけ爺さんやウチの鬼教官に世話になってたじゃねェか。海兵が嫌でも、せめて賞金稼ぎとかにしてくれれば七武海就任で何とか落ち着かせられたってのに…」

 

「ヤダっ! 賞金稼ぎも七武海も絶対イヤっ! …あ、でも海軍の教官の人たちにはいっぱいお世話になったわ。だから会ったら沢山『ありがとうございます』ってお礼言うのっ! 冒険の途中で会えるかしら…?」

 

 邪気の欠片もない純粋な笑みを浮かべる童顔の少女。思わず釣られて頬を緩めてしまいそうになるほど可愛らしい乙女の笑顔だが、“青雉”は鋼の理性で耐えてみせる。

 

 これがより大人びた美貌の女性の笑みであれば別の意味で危なかったであろう。

 

「はぁ…こんな超絶スーパーボインかわいこちゃんならうっかり許しちまいそうになるんだが  

 

 危機感故か、戦意を削がれそうになった男が立ち直り、纏う雰囲気を一変させた。

 

   流石にこんなクソッタレた時代を作っちまった“海賊王”をまた誕生させる訳にはいかねェからよ  

 

 海軍大将。無辜の民の守護者にして、世界政府の最高戦力。

 その席に座る男の殺意が不可視の刃となり、海賊娘へ一斉に突き刺さった。

 

 

  悪ィが”世界平和”ってヤツのために、ここで死んでくれ…!!」

 

 

 直後、東の海(イーストブルー)の大海原は  唐突な氷河期を迎える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

 海が割れ、山が崩れ、岩が消し飛び、石砂が巨大な雲となり無数の雷を水面に墜とす。

 絶え間ない爆轟が、衝撃が、振動が、絶海の大海原に木霊する。

 

 それはまさに終末の世の光景。途切れぬ破壊に耐え切れず、数千メートルを超える高さでそびえ立っていた石化した積乱雲の巨島が瞬く間に歪な岩礁へと変貌していく。

 

 その破壊地獄の中心。生身の弱者が立てば一瞬で物言わぬ肉塊へと化す覇気の洪水が  争う神々の勝敗が決したのか  今、止まった。

 

 

「ど、どうなったんだ…?」

 

 不安に駆られながらも船長の勝利を信じ続ける『麦わら海賊団』と、海上レストランの料理人や食事客たち。短い間とは言え、人生に一度としてあってはならない超常現象に幾度も晒された彼ら彼女らには不思議と同族意識が芽生えており、事の元凶でありながらも必死に皆を守ろうと戦う可憐な少女船長の無事を心から願うようになっていた。

 

 コックたちも客たちも皆、愛らしい笑顔で人々を魅了する見目麗しい給仕服の彼女の姿が脳裏に浮かぶだろう。

 だが今、この場で一同が共通して少女ルフィに見出していたのは、自分たちを守ってくれる、紛れもない強き”王”としての武力と  心を強く惹き付ける王者のカリスマであった。

 

 

「お、おい見ろ!あれってまさか…!!」

 

 そんな『バラティエ』の目に、一隻の軍艦の艦影が飛び込んできた。

 

 中央帆柱に高く掲げられているのは、正義の御旗たる「大空に羽ばたく蒼き鴎」。世界政府に隷属する海上治安維持組織『海軍』の象徴である。海賊同士の争いで地獄の淵に立たされる無辜の民にとっては救いの希望だが、唐突に現れたその旗を掲げた軍艦に一同から歓声が上がることはなかった。

 

 本日新たに海賊『麦わらの一味』の縄張りとなった海上レストラン『バラティエ』。そこに立て籠もる彼らにとって、”海軍”とは今や救いから遠く離れた、恐るべき脅威の一つと化していたのだから。

 

「海軍…!? 七武海に続いて海軍までやって来たの!?」

 

 ざわつく船内を代表し声を上げたのは、海賊一味の自称天才美少女航海士ナミ。

 船長を信じ、己の五感が捉えた現実から逃げない彼女は、未来の海賊王の航海士に相応しい肝っ玉姉さんであった。

 

 もっとも、ナミが泣きそうな顔で見つめる新たな絶望は、未だ始まったばかり。

 

 

『!!?』

 

 

 突然、轟音と共に海がまた割れた。

 

 最早見慣れた大惨事ではある。

 だが、決定的に違う光景が一つ。

 

 

「……な、に……あれ…」

 

 

 割れた海の、底の見えない深い深い谷。

 その対岸と呼ぶべき水の絶壁が硬質な輝きを放ちながら、時を止めていた。

 

 まるで氷のような  否、”ような”とは語弊がある。

 

 微動だにせず固まった液体の断面に走る幾つもの罅割れから発せられる、耳を覆いたくなる異音。遠く離れたこのレストラン船の上まで届く、肌を斬り裂くような冷気。それら全てが眼前の怪奇現象が現実であることを、『バラティエ』に避難する一同に突き付ける。

 

 海が、凍っていた。

 

 

「かっ  

 

 言葉が無い。

 

 クリークから始まり、王下七武海の“海賊女帝”、空から落ちる数千メートル規模の岩の塊、割れる大海原に巨大津波、あの世界最強の大剣豪“鷹の目”、そして唐突に現れた氷の大陸。怒涛の如く相次ぐ地獄の襲来に、レストラン船で体を寄せ合う海賊も料理人も食事客たちも、皆が悲鳴を枯らし抜け殻のような顔で新たな嵐が迫る光景を伺い続ける。

 

 そんな彼ら彼女らの耳に、ようやく、あの愛おしい救いの福音が届いた。

 

 

  くぅぅっ冷たぁい…っ!嫌いっ!あの人やっぱり嫌いよっ!!」

 

 

 それは海を割り、冷気の浸食を止めた皆の救世主の声。

 

『ルフィ!!』

 

 鈴の音色に導かれ、一味の仲間たちは気高い少女船長の帰還に歓喜の雄叫びを上げる。

 

 神話の世界。この海の頂点の戦い。ただの人に過ぎない彼らにとっては、生きていることこそ奇跡に他ならない。そんな死地へ赴く可憐な少女の背中を、『バラティエ』店内で震える面々は沈痛な想いで見送ったのだ。

 

「ルフィィィッッ!! おまっ、あの“鷹の目”に勝っちまうなんて…! おれァ…おれァもうダメかとォ思っでぇぇぇ…びぃえええぇぇん」

 

「はっ、ははは…! 信じてるとは言ったけど…まさかホントに…っ!   バカっ、バカルフィ…っ! 心配かけてぇ…っ!!」

 

 少女が率いる一味のクルー、狙撃手ウソップと航海士ナミが涙ながらに船長に飛び付く。

 

「うおおおっルフィちゃん…! 無事で何よりだぜ…っ!!   ッおいお前ら! おれたちの未来の海賊王ちゃんが帰って来たぞ!! …助かる! 助かるんだ! やっとこの地獄から解放されるんだァッ!!」

 

  ッッうおおおォォォッッ!!』

 

 海賊たちの涙を皮切りに、レストラン船の一同は安堵と歓喜の声を次々に解き放つ。

 

 だが『バラティエ』の空前絶後のお祭り騒ぎは、当の“王”の言葉で掻き消えた。

 この場で唯一この地獄に対抗する術を持つ少女が語る、新たな脅威の接近と共に。

 

 

  まっ、待って! ごめんなさい、またヤバいヤツが来ちゃったの! もうこれ以上ココで戦うと『バラティエ』が沈んじゃうから私たちで囮になってお店のみんなを逃がしましょうっ!」

 

『……え?』

 

「もうちょっとの辛抱だから、私に釣られてあの人たちがここから離れるまで何もしちゃダメ…! お店のみんな、いい?」

 

 

 沈黙。

 そして動揺。

 

 一度解き放たれた感情が行き場を失い、周囲に不可視の渦を巻く。不安に駆られる女性客たちはパートナーの腕の中で震え、気丈な男たちも緊張に幾度も唾を呑む。破滅の嵐は留まることを知らず。その事実が『バラティエ』を更なる絶望へ叩き落とす。

 

 そして。

 

 

  氷河時代(アイスエイジ)”!!」

 

 

 そんな爆発寸前の危うい心理的均衡は、一人の男が起こした凍て付く紅蓮地獄によって、一瞬で大恐慌へと変貌した。

 

「くっ、みんな伏せてっ!!  ”ゴムゴムの火拳銃乱打(レッドホーク・ガトリング)”ッッ!!」

 

『うわあああァァァッッ!!』

 

 迫り来る冷気の波動。それを押し返さんと打ち出される無数の火柱の戦列陣。せめぎ合う吹雪と熱風の後ろで、非力な東の海(イーストブルー)の羊たちは必死に己の命にしがみ付く。

 

 そんな一同を背に、希望の少女は迫り来る絶望に抗い続ける。力を振り絞り放った面制圧攻撃はその目的を果たし、襲い掛かる冷気を霧散させた。

 

「……ったく、なんて数の連打だ…! ゴムの超人系(パラミシア)のクセに炎まで纏っちゃって。海すら凍るおれの自慢の大技が形無しじゃねェか、化物嬢ちゃんが…!」

 

 白煙の奥から現れたのは、一人の長身の男。“正義”の二文字を背に描いたコートを肩にはためかせるその佇まいは、海軍将校のみに許された、誰もが知る正義の代弁者の姿だ。

 

 体に氷を纏わせ少女を睨む大男の巨大な存在感に、『バラティエ』の一同は息を呑む。

 

「ハァ…ッ、ハァ…ッ、ふんっ! こっちのは小山を更地にする威力よっ! 舐めないでよね…っ!」

 

 だがその代償は決して少なくない。意識を手放してしまいそうなほどの疲労感に耐えながら、ルフィは精いっぱいの虚勢で目の前の強敵を睨み付ける。

 

「勘弁してくれよ。…んで、後ろの一般人は人質のつもりか? あーあ、“期待の勇者”が堕ちるとこまで堕ちちゃってまあ…」

 

「あなたの…っ、無差別な冷たいのから守ってるのよ…っ! 見りゃわかるでしょう、これでも喰らってなさいっ!   “ゴムゴムの火拳銃(レッドホーク)バズーカ”…ッ!」

 

「!! ッぐはぁっ!?」

 

 無茶をせねば全てを守ることなど出来はしない。大技でなけなしの覇気すら擦り減らしながらも、少女船長は身を削り何とか敵に有効打を入れ時間を稼ぐ。遠くへ飛んでいく“青雉”の姿を視界に収め、ひとまず息を整えようと肩の力を緩めるルフィ。

 

 その瞬間、少女は強烈な立ち眩みに襲われた。

 

「…ッ!」

 

 咄嗟に脳裏に浮かんだのは、一味の皆の顔。

 仲間に心配を掛ける訳にはいかない、とルフィは慌てて踏み止まる。震える体に鞭を打ち、少女は床に這い蹲るナミたちへ空元気の笑顔を見せながら船の出航準備を急がせた。

 

「ッ、ほ、ほらっ! 今のうちにお願い、ナミっ! みんなも! まだまだ追手来ちゃいそうだし、これ以上ココを危険に晒すワケにはいかないもの。海賊らしく、派手に愉快に逃げましょうっ!」

 

「…ルフィ?」

 

「だ、大丈夫…っ! 私、まだまだへっちゃらよ! さぁみんな、船まで飛んでくから腕に掴まって!」

 

 猶予は僅か。一分一秒も惜しい少女は仲間たちを掴んで船着き場のメリー号へ飛ぼうと“剃刀”を行使する。

 

 だが。

 

 

「あッ…!?」

 

『うわっ!?』

 

 空を駆けようと床から踏み出した最初の一歩。少女の体がガクリと崩れ落ちた。

 

「ッご、ごめんなさい…! も、もう一度…」

 

「お、おい大丈夫かルフィ!?」

 

 慌てて立ち上がり、ルフィはウソップの声に辛うじて「大丈夫!」と笑顔で返す。

 だがその膝は笑うように痙攣し、歩くことさえもやっと。予想以上の消耗に少女は焦燥に顔を青褪めさせる。

 

 連戦に次ぐ連戦。加え三度四度と“ギア4”を繰り返し発動し、数千メートルもの岩の塊を消し飛ばす少女の最強の範囲攻撃“ゴムゴムの女王蜂群密陣(クインビースウォーム)”を一切の出し惜しみ無しで行使した反動は想像を絶する。そして先ほどの超連打攻撃の多用が止めとなり、酷使され続けた彼女の体は遂に限界を超えてしまった。

 

 それでも残った覇気の残滓をかき集め、必死に体を動かそうと粘るルフィ。そんな少女の目に仲間たちの不安げな表情が飛び込んでくる。

 

「こっ、この…! 動いてよぉっ!」

 

 だが抗うも空しく。束の間の休息に緩んでしまった緊張は戦意の影に隠れていた膨大なダメージを露出させ、少女の身体は自己防衛本能によって活動を停止しつつあった。

 

 致命的なまでの体力の消耗。そして沖にはあの海軍大将が猛威を秘めたまま、未だ健在。

 

 絶対絶命の危機だ。

 

 

 

 

  お待たせしました、姫」

 

 

 

 そのとき、どこからかふわりと漂って来たニンニクの香りがルフィの鼻孔を擽った。

 

 

「…ぇ?」

 

 それは絶望の死地に唐突に紛れ込んだ、あまりにも場違いな異物。

 

 人間の原初的本能を呼び起こす芳醇な”食”の存在感に、場の一同全員は恐怖も忘れ、ぽかんとその声の持ち主へ寸分違わぬ間抜け面を向けてしまう。

 

「サンジ…?」

 

 少女は突然現れた仲間の奇怪な行動に唖然とする。

 

 ここはレストラン。

 その事実を誰もが忘れかけていた中、少女の前に差し出された一枚の皿は、この場に何よりも相応しく、同時に何よりも意外過ぎるものであった。

 

 白磁の食器に山盛りに積み上げられていたのは、湯気のベールに覆われた色とりどりの野菜の炒め物。柔らかく仕込まれた豚バラと、香り良くローストされた胡桃が顔を覗かせる一品は、垂涎ものの食の誘惑だ。

 

 死に怯え、救いを乞うだけの弱者に成り下がった海上レストランの一同。

 しかし、その青年  否、師弟だけは塞ぎ込むことなく自分のなすべきことを理解していた。

 

「何ぼけっとしてやがんだ、嬢ちゃん。おめェ朝から何も口に入れてねェんだ。チビナスのクソレシピでも胃に放り込めば少しは腹の足しにならァ。あのデカブツ海兵が戻って来るまでにさっさと食って精を付けろ」

 

「あァ? レディを急かすんじゃねェよクソジジィ! てめェはその生い先短い命でルフィちゃんがおれの料理を召し上がる時間を稼いで死ね!」

 

「フン、おれに言われてやっとてめェの仕事に気付く間抜けが偉そうに」

 

「んだとてめェ!」

 

 『バラティエ』のオーナー料理長、ゼフ。

 大災害で豚小屋以下の惨状となった厨房で、互いを罵り合いながらも弟子サンジの補佐を務めた名シェフだ。

 

 喧嘩っ早い暴力コック二人の睨み合いに挟まれたルフィは、混乱のまま両者の間で右往左往する。

 

「あ、あの…サンジ? このお料理って…」

 

 戦場の真っ只中で出された“異物”に戸惑う少女。そんな船長に、一味の料理人は慈愛に満ちた笑みで語り出した。

 彼女のために、彼に出来た最善の手助けについてを。

 

「ルフィちゃん、ここはジジィの店だ。そしてこの店はお腹を空かせた人間全員に食事を出す場所なんだ。…それが、新しくルフィちゃんの縄張りになったこの店の、昔からの存在理由さ」

 

「…ッ!」

 

 少女は青年の言葉に促され、辺りを見渡す。

 集まる視線は怯える惨めな弱者のものばかり。

 

 だがルフィには見える。

 名も知らぬ関係ながら、短くも濃密な体験を共に潜り抜けた彼らの瞳の奥にある、“王”への期待が。敬愛が。信頼が。

 

 それは紛れもなく、彼ら彼女らが、この「麦わらのルフィ」が守るべき者たちであることの証であった。

 

 

「私の、縄張り…」

 

 少女の言葉を、店のオーナーが肯定する。

 

「ああ、そうさ。縄張りのボスが腹ァ空かせて震えてやがるんだ。飯の一品も出せねェようなら、おれァ店の看板を下ろしてやる」

 

「へっ、違いねェ…!」

 

 ニヤリと勝気な笑みを浮かべる老人と青年。少女の目に映るその笑顔は、二人の意思が同じであることを示していた。

 

 ルフィの胸に、温かい何かがふつふつと湧き上がる。

 そんな彼女の紅潮する頬に笑みを深めながら、サンジが恭しく跪く。

 

「ルフィちゃん。それに何より  

 

 そして少女を見上げる青年は、続く言葉に万感の思いを込めた。

 

 

   きみの料理人は、このおれだ」

 

 

 料理人が皿に垂らす、最後の仕上げ。

 

 その言葉のソースが掛けられた、仲間の青年の手に乗る素朴な料理は、まるで黄金のように美しく輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

「急げ、急げ!有りっ丈だ!」

 

「物置の酢漬けも全部持って来い!あのペースならこのままだと足りなくなるぞ!」

 

「…にしてもあの細い体のどこにあんな量の飯が消えてくんだ?」

 

「食った直後に消化してるんだとよ。やっぱ強い人間ってのは体の構造から違うらしい…ハッ!? 医学の進歩のための研究と称したら、ルフィちゃんのあのエロエロボディを堪能出来  

 

「死ねエロ藪医者! お前が治療してた”海賊狩り”の兄ちゃんはちゃんと無事なんだろうな? ルフィちゃん泣かせたら殺すぞ、てめェ!」

 

 

 ここは東の海(イーストブルー)の名所、海上レストラン『バラティエ』。

 

 新たにとある無名の海賊少女の縄張りとなったこの絶海の食事処では今、倉庫の食糧が底を突く勢いでコックたちが無心に料理を作る、野戦病院のように凄惨な光景が広がっていた。

 

 彼らが戦う厨房で準備された美食の数々が運ばれる、レストランの中央ホールの一角。そこに一人の小柄な少女を囲む奇妙な人だかりが出来ていた。

 

「ちょ、ちょっと…! どんだけ食べるのよあんた  って、皿ごと食うなバカ! もっと品よく食べなさいって、女の子でしょ!?」

 

「ふぁふぃふぉっ!? ふぁふぇふぉふぉふぁふぁっ!」

 

「だから食いながら喋るなっつってんでしょ、このクソゴム!!」

 

 集う彼ら彼女ら四人の名は『麦わら海賊団』。身勝手にもこの海域の領有を主張する、構成員僅か五名の零細にして、世界最強格の海賊一味である。

 

 そんな集団の中央に陣取り、コックたちが運ぶ大量の料理を浴びるように喰らうその少女こそ、未来の海賊王を自称する超級の強者。

 海賊団の船長モンキー・D・ルフィだ。

 

「……へへ、なんか『おれたちのルフィが帰って来た!』って感じがするぜ」

 

「ああ…おれの料理がルフィちゃんに笑顔と活力を取り戻させた…! くぅっ、料理人冥利に尽きるとはまさにこのこと…!」

 

「サンジお前、女が関わるとダメになんのか有能になんのかどっちかにしろよ…」

 

 ただならぬ因縁がある世界政府が寄こした刺客たちとの激闘を二度三度と続け、この世の覇者を目指すに相応しい気迫を常に放っていた一味の親分。まるで別人のような少女船長の威圧感に少なくない衝撃を受けていたクルーたちは、いつもの彼女らしいおバカで天然な野菜大好き腹ペコ娘が忙しなく料理を口に掻き込む姿を目にし、ようやく張り詰めた緊張の糸を緩めつつあった。

 

 そして集う少女の仲間三人  ナミ、ウソップ、サンジの安堵の笑顔に囲まれながら、船長『”麦わら”のルフィ』はその華奢な両腕を天へ突き伸ばし、気合いっぱいの掛け声を上げた。

 

 

  ふッッかああァァつッ!!」

 

 

 先ほどまでの襤褸雑巾の如き姿はどこへやら。今やそこにいるのは、気力に満ち溢れ、瑞々しい艶を放つ柔肌の元気っ娘であった。

 

「んん~~っ! よしっ、覇気も満タン! 傷も完治! 絶好調よっ!!」

 

『おおっ!』

 

 ぴょんぴょんとはしゃぐ海賊少女は軽い伸びで四肢を解しながら、蘇った体の調子を確認する。

 

「うん、やっぱりサンジの作るお料理がないと私は海賊王にはなれないわ!   仲間になってくれてありがとう、サンジっ!!」

 

「!!」

 

 ぱぁっと満面の笑顔の花を咲かせる幼げな風貌の美少女が、一味の新入り青年料理人に心からの感謝を送る。

 それは“愛の奴隷騎士”を自称するほどの無類の女好きである彼に問って、何よりの勲章。感極まった青年サンジは昂る気持ちに身を任せ、どさくさに紛れ少女の弾ける巨大な双胸に飛び込もうとした。

 

「んんルゥゥフィィィちゅわああ  

 

 だが彼女が率いる海賊団には純粋無垢な船長を妹のように可愛がる、負けず劣らぬ美貌の姉貴分がいる。一味の航海士を務める才女ナミだ。

 

「はいアウト」

 

   ぶべっ!?」

 

 コックの正直過ぎる好意に戸惑う少女を守る、ステキなお姉さん。その平手が容赦なく青年の頬に入り、仲間限定で発揮される彼女の怪力に吹き飛ばされたサンジが長い滞空時間を経てホールの床に墜落する。

 

「はぁん…ナミさんのビンタもイイ……! 乙女のすべすべお肌が…ぐふっ、ぐふふふ…」

 

 土足で歩くレストランのフローリングと濃厚な口付けを交わす青年料理人。そんな女好きコックの気持ち悪いうわ言に、場に集った三人目の仲間である狙撃手のウソップ少年は頬をひくつかせながら、隣の女性陣二名に憐憫の瞳を向ける。

 

「これからコイツと共に過ごす日常が始まるのか。色々と大変そうだな、ウチの女共」

 

「そう? しつけ甲斐のある下僕じゃない。ルフィに奴隷(おとこ)の扱いを教えるいい教材だわ」

 

「あっうん、おめェはそういうヤツだったな。失敬、失敬」

 

 あっさりと返すナミに、少年はどこか達観したような顔で謝罪する。彼の所属する『麦わら海賊団』は、未来の海賊王が集めた曲者揃いの一味だ。変質者に怯むどころか尻に敷こうとする彼女も、やはり”王”に選ばれた剛の者。

 

 

   ルフィ、忘れ物だ」

 

 

 そう賑やかに食事を楽しむ彼ら彼女らの耳に、聞き慣れた男声が飛び込んできた。

 

 後ろを向いた先に立っていたのは、全身に包帯が巻き付けられた一人の青年。船長ルフィを狙う刺客の一人にして、目指すべき頂に座す大剣豪「鷹の目のミホーク」に挑み、土を付けられた一味最後にして最初のクルーである。

 

『ゾロ!!』

 

 “海賊狩り”の異名を持つ三刀流剣士を一味の皆は喜声と共に迎え入れる。ゾロは一同の過剰な歓迎に煩わしそうに返しながら、先ほど名を呼んだ少女の前へと進む。

 そして、眩しい笑顔の船長へその忘れ物を差し出した。

 

「しししっ、やっぱりコレが無くちゃダメねっ! ありがとゾロっ!!」

 

 受け取った宝物  赤いリボンの麦わら帽子を深く被り、ルフィは相棒へ太陽の笑みを贈る。彼の無事は既に見聞色の覇気で気付いていたが、やはり直接目で確認した仲間の姿は残る不安を掃う何にも代えがたい光景だ。

 

「…ッ! だ、大事な宝物ならてめェで持ってろバカ…!」

 

「えっ。ご、ごめんなさい…」

 

 だが当のゾロはその笑顔に、“鷹の目”に敗れ彼女と三度目の誓いを交わしたあの一幕を思い出し、あまりの羞恥に咄嗟に視線を逸らしてしまう。

 ぼんやりとした意識の中にあっても、平常であれば口が裂けても言うはずのない弱音の数々。あまりに素直な感情の暴露。それらをあろうことか最も聞かれたくない人物に零してしまった事実に、剣士は顔に燃えるような熱を登らせる。

 

 

   取り込み中んとこ悪ィな、嬢ちゃん。ウチの砲弾火薬、水食糧、あとその剣士の小僧の抗生物質以下医薬品と医療用具。出来るだけ積んどいたぞ」

 

『!』

 

 そんな相棒の奇妙な態度にルフィが首を傾げていると、海賊たちのキャラベル船『ゴーイング・メリー号』の出航準備を指揮していたゼフがレストラン船のホールに戻って来た。その手際、流石は偉大なる航路(グランドライン)帰りの猛者と言ったところ。以前オレンジの町でお願いした『バギー海賊団』にも匹敵する、まさに熟練の船乗りの御業である。

 

「ありがとう、ゼフおじいちゃんっ!」

 

「フン、無駄にすんじゃねェぞ」

 

「ええ!もちろんっ!」

 

 老シェフの厚意に向日葵の笑みで返したルフィは最後の料理を口に掻き込み、即座に店のバルコニーへ飛び出した。

 

 

「さて」

 

 

 手すりの上に仁王立ちになった少女は笑顔で眼前の海へ目を向ける。その背中は自信と気力に満ち溢れた、誰よりも大きな存在感を放つ、縄張りの主に相応しい威容であった。

 

 華奢な体から放たれる爆発的な気迫が大気を震わせ、場の一同は圧倒される。

 

「みんなよぉく聞いて、“船長命令”よっ!   これから『バラティエ』を出航して政府の追手から逃げましょうっ!!」

 

『…!』

 

 自然と後ろのバルコニーに集まる一同へ、ルフィは一味のトップとして進むべき道を示す。

 

「あの人たちの目当ては私。だからまずは私たち『麦わら海賊団』が囮になってお店のみんなを逃がすわ!」

 

「……嬢ちゃん、それが縄張りの主の決定なんだな…?」

 

「ええ! …あ、そうそう! あとココが私の縄張りだってことは私が名を上げるまで秘密ねっ! こんなにいっぱい強い人たちと戦ったんですもの、すぐに有名になるわ! それまでの辛抱よっ!」

 

 ゼフの心配を一笑し、少女船長は自慢気に宣言する。その愛らしい音色は、不思議と周囲に活力を与える凛々しく力強いものであった。

 

「じゃあ次は私の仲間たち! 最初は…ナミっ!」

 

「…ッ!」

 

 彼女の声に弾かれるように、ナミは思わず姿勢を正す。

 

「ナミはヨサクたちと一緒にメリーの操縦をお願い! 針路はあなたに任せるわ!」

 

「…アイアイ、船長っ!」

 

 船長の信頼が女航海士の胸に火を灯す。その熱に突き動かされるように、ナミは与えられた指示に自然と首を縦に振る。

 

「次にウソップ! あなたは前回クロたち相手に使った甲板の大砲で敵の追手を砲撃!」

 

「ヒッ…お、おうっ! まっ、まままきゃせろ船長ォッ!!」

 

「サンジ! あなたは迎撃出来そうな砲弾とかからメリーを守ってちょうだいっ!」

 

「仰せの通りに、美しき我が船長…!」

 

 矢継ぎ早に飛ぶ船長命令が『麦わら海賊団』のクルーたちを高揚させる。散々己の無力を自覚させられ続けた彼ら彼女らのプライドがぐつぐつと煮え滾った。

 

 船長は自身の仕事を成した。そして強敵を下した今、追手を振り切る最後の仕上げに、初めて仲間の力を求めたのだ。

 これに応えずして何が“未来の海賊王のクルー”であろうか。

 

   以上っ! みんな、異存はおあり?」

 

 有無を言わせない強い意志の瞳を輝かせる、満面の笑顔の女の子。海の荒くれ者共の先導者らしからぬ純粋無垢な姿でありながら、少女の放つ光は夜の闇を照らす星明りの如く万人の心を惹きつける。

 

 飲まれている。

 そう感じてしまうほど、彼女の船長たる麦わら少女はこの場を完全に支配していた。

 

『否っ!!』

 

「しししっ、ステキっ! …それじゃあ  

 

 まるで最初からそう定められていたかのように、“王”の命を受けた彼らは昂る感情に突き動かされ  

 

 

   出航おおお~っ!!」

 

『応おおおォォォッッ!!』

 

 

   少女の可愛らしい号令に魂に響く咆哮を上げた。

 

 

 

***

 

 

 

「……行くか、チビナス」

 

「!」

 

 意気揚々と『ゴーイング・メリー号』へ乗り込む海賊一味。その最後尾で美少女の期待に応えようと戦意を昂らせる青年料理人の耳に、聞き慣れた濁声が届く。

 忌々しい恩人にして師匠のゼフだ。

 

 サンジの肩が老シェフの言葉に僅かに跳ねる。その小さな動揺の正体に行き着いた青年は揺れる心を隠すようにゼフへ嫌味を吐いた。

 

「…んだよ、出てけっつったのはてめェだろクソジジィ…!」

 

「ああ、清々すらァ」

 

「…ッ、ああそうかよ」

 

 オーナーの心無い言葉の棘がサンジの胸に深く刺さる。

 

 恩人の城『バラティエ』を自身の死に場所と定めて早九年。救われた命をこの老人の夢へ捧げることこそ恩返しであると自身に言い聞かせ続けていながら、サンジは一人の少女との出会いを経て、自分自身の夢を追う道を選んだ。

 そのことに対する後ろめたさを持ちながら、素直に頭の一つも下げることが出来ない。自己嫌悪を隠したいのか、そんなサンジが返す言葉もどこか冷たいものであった。

 

「大した料理も作れねェ、おまけにこんな節操無しをウチの臨時ウェイトレス  いや、“縄張り主”サマの下に遣わすのは店の恥だがな……少なくとも年がら年中ずっと女の尻追いかけてるお前なら、船長嬢ちゃんの栄養管理くらいは出来るだろう」

 

「あァ? 当然だろ、誰にモノ言ってんだてめェ…!」

 

 今生の別れになるかもしれない。だと言うのに、長年この料理店を切り盛りしてきた両者の間で交わされるのは厭味ったらしい悪態の応酬。

 そんなゼフの態度に、そして素直になれない自身の心の狭さに苛立ちを募らせるサンジの声は荒れる一方。

 

「フン、船上コックの仕事は一味の体調管理だ。…忘れるんじゃねェぞ」

 

「ッ! だから、誰にモノ言ってると思っ  

 

 だが、ムキになり遂には怒張声を張り上げた青年の怒りは、食い気味に被せられた恩師の言葉に一瞬で霧散した。

 

「お前に言ってんだよ、サンジ」

 

 

 老人の言葉は柔らかかった。

 顔に浮かぶ温和な笑みも、声色も、細まった両目も。全てが直前の仏頂面とはかけ離れた、青年が初めて見る彼の慈愛に満ちた表情。

 

 訳がわからずに口を開閉する、そんな小僧の情けない姿をゼフは小さく笑う。可愛い子には旅をさせろ。よく聞く諺ではあるが、かつて「赫足のゼフ」とまで呼ばれた己にコイツへくれてやる別れの涙など一滴も無い。

 ゼフは固まるサンジに背を見せ、義足を感じさせない堂々とした歩みで自身の店の中へと消える。

 

 …だが、一言くらいは贈ってやってもいいだろう?

 

 

   風邪ひくなよ」

 

 

 閉じた扉の外から響く青年の威勢の良い涙声を聞きながら、師ゼフは愛弟子が帰るまでにここをどのような店に発展させて見せようかと、遠い未来予想図を脳裏に描く。

 

 その目頭に、消えぬ強い熱を感じながら。

 

 

 

 



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33話 王下七武海・Ⅸ(1/2)(挿絵注意)

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ゴーイング・メリー号』

 

 

 

 涼音のような女声に続く帆のはためき音。錨縄を手繰る威勢のいい男女の掛け声。船着き場から投げ掛けられる大勢の人々の歓声。

 東の海(イーストブルー)の大海原に木霊するそれらは、新たな冒険の始まりを予感させる夢の福音だ。

 

 だがそんな平和で晴れ晴れしい旅立ちは、未来の海賊王を名乗る少女船長ルフィにとって無縁のものであった。

 

  あー、こりゃメシ食って生命帰還で復活しちまってんな。倒す最高のチャンスを棒に振っちまったぜ、ちくしょうが…! ったく、ただでさえこんなエロかわい子ちゃんをいい大人が全力出して襲うだけでも嫌な絵面だってのに…!」

 

「誰が”エロかわい子ちゃん”よ、このヘンタイっ! もうっ何でもいいからおじいちゃんと一緒にあっち行って!!」

 

「NO~! 生娘なお嬢ちゃんには悪ィが、男ってのはみんなヘンタイなんだぜ?   逃がさねェよ…っ!!」

 

 最初に彼女のキャラベル船に襲い掛かったのは、海軍の最高戦力こと『海軍大将”青雉”クザン』。屈指の戦力”王下七武海”三名の尽力で追い詰めた世界政府の裏切り者を討伐せんと、海をも凍らせる極寒の冷気が大男から放たれる。

 

「”氷河時代(アイスエイジ)”!!」

 

「”ゴムゴムの火拳銃乱打(レッドホークガトリング)!!」

 

 対する船長ルフィはゴムの摩擦と血流加速で生み出した高熱を腕に纏わせ、無数の炎の拳の弾幕を放つ。

 それは『バラティエ』での対面で少女が男の攻撃から料理店を守った、両者の攻防の繰り返し。だが、あの満身創痍の海賊娘と今の気力溢れる彼女の攻撃が同等であるなど、受けた海軍大将が見誤るはずもない。

 

「…ッ!だからゴムに炎は卑怯だってお嬢ちゃん…っ!   氷河峰脈(アイスアルプス)”!!」

 

 火山噴火にも匹敵するルフィの炎熱の大技を前にし、不利を悟った海軍大将は即座に“氷河時代(アイスエイジ)”を中断。すぐに足元の海水を深くまで凍らせ、浮力の上昇を利用した巨大な氷壁を創造し、少女が放つ火拳の暴風を防ぐ。

 

 爆炎、水蒸気、氷砕片。

 それらが吹き荒れるルフィ、クザン両者の間合いは双方に僅かばかりの空白の時を与える。

 

「よし、今のうちに…! ゾロ、サンジ、中央角帆(メインセイル)をお願いっ!」

 

『ラジャー、船長!』

 

「膨らむのはナミに怒られちゃうから、これで風を送りましょ  “ゴムゴムのつっぱり突風”!!」

 

 仲間の男性陣に船の帆を任せたルフィは、掌裏で連打した空気を海賊船のマストへ一気に叩き付けた。ミシミシと軋む異音を上げながら『ゴーイング・メリー号』が少女の生み出す強烈な推進力を受け大海原を疾走する。

 

 だが、ルフィを追う刺客は”青雉”一人ではない。

 

 

  虜の弓兵隊(スレイブサギタリウス)”!!」

 

 突如、立ち上る水蒸気の中から無数の桃色光の矢が飛び出した。

 

「なっ、嘘おっ!? あ、あれってまさか…!」

 

「ぎゃあああっ!! あの石化女まで復活してるううう!!」

 

「うおおおっ!! 美の女神よ!おれを石にしてく  じゃなくて、船はおれが守るぞおおおっ!!」

 

「…師匠との今生の別れかもしれねェのに立ち直り早ェな、このエロコック」

 

 水煙を斬り裂き『麦わら海賊団』へ接近してきたのは、一隻の朱塗りのジャンク船。

 その船首に佇む追手の正体は、討伐部隊主力の一角『”海賊女帝”ボア・ハンコック』であった。

 

 世界政府が発令したモンキー・D・ルフィ討伐作戦の正規戦力は三名の”王下七武海”。不本意ながら単独で部隊の先遣隊を務めた彼女は、標的の海賊娘ルフィの驚異的な実力の前に一度屈してしまった。

 だが今、美貌の女海賊の後ろには、皇帝を慕う百戦錬磨の覇気使いたちがいた。

 

「よくも蛇姫様を…ッ!!」

 

「お姉さまの美肌が…美肌が…ッ!! 許すまじ小娘ェェェッッ!!」

 

『待てーっ! “麦わら”ァァァッ!!』

 

 女船長の頭上にはためく海賊旗に描かれているのは、舵輪を成す九匹の蛇。女ヶ島アマゾンリリー帝国屈指の精鋭のみが入団を許される、凪の帯(カームベルト)最強の海賊、『九蛇海賊団』だ。

 二匹の巨大海蛇“遊蛇”に曳かれる海賊船では、崇拝する女帝を傷物にした小娘への殺意と憤怒の波動が竜巻のように渦巻いている。

 

「ハンコック…! “鷹の目”との戦いの途中から覇気が消えてたからちょっと心配だったけど、あれに巻き込まれずに回避出来るなんてやっぱり手強いわね…! でもその攻撃はもう見切ったわっ! “飛ぶ指銃・撥の群”!!」

 

 迫り来る石化の矢を打ち落としながら、ルフィはあの巨大な岩島を消し飛ばした己の全力全開の大技から退避するハンコックの実力に舌を巻く。思えばあの陸地も彼女がメロメロの実の能力で生み出したもの。それほどの実力者が、他者の決闘の余波程度で脱落することなどあり得るはずがない。

 

「くっ、また小手先でわらわの攻撃を…っ! 貴様だけは許さぬ! 地の果てまで追い掛けてわらわ自ら引導をくれてやるわァッ!!」

 

「我ら『九蛇海賊団』を舐めるな、“麦わら”の小娘! 戦列砲放て!!」

 

『撃てェッ!!』

 

 激情と共に飛んでくる強敵の猛攻からルフィは油断なく船を守る。その背に、一味の頼りになる天才航海士が歓喜と共に吉報を届けてくれた。

 

「…ッ!ルフィ、“常東風”を掴んだわ! これから最大船速に入るから二人ともあともう少しだけ粘ってちょうだい…っ!」

 

「任せて、スーパールフィちゃんは無敵なんだからっ!」

 

「はぁん…♡ 流石我が一味の乙女たち、なんて可憐なんだ…」

 

 姉貴分ナミの言葉の通り、一味一同の体に吹き付ける海風が一気に強まる。『ゴーイング・メリー号』が、南西の偉大なる航路(グランドライン)東の海(イーストブルー)の海賊たちを運ぶ海域風“常東風”に乗ったのだ。

 

「くっ、しまった! “麦わら”に逃げられる…っ!」

 

「このままじゃ引き離されるわ! 遊蛇たちは何をしているの!?」

 

「こっ、これ以上は無理です! ただでさえ傷が癒えていないのに…!」

 

 追い掛ける『九蛇海賊団』から標的の海賊船がみるみるうちに離れて行く。しかしその差を埋める手段が間に合わない。一味の主要推進力である船曳の海蛇たちが消耗しており速度が出せないのだ。

 元々『九蛇海賊団』はこの三日間、凪の帯(カームベルト)で海王類の群れに襲われ傷付いた”遊蛇”に東の海(イーストブルー)を強引に走らさせていた。ローグタウンで王下七武海『”暴君”バーソロミュー・くま』に飛ばされた船長ハンコックを救うためだ。

 そして長い強行軍を経て満身創痍の蛇たちに、海域随一の追い風に乗った敵のキャラベル船を捉えるだけの力は最早残っていなかった。

 

「うおお凄ェ、帆船最速のジャンク船を引き離してやがる! おれらのメリーめちゃくちゃ速ェじゃねェか!」

 

「あの船曳いてる蛇たちが弱ってるみたいだし、それにウチの航海士はこの私なのよ? 今更あいつらが本来自慢の風力推進に変えてももう遅いっての、バーカ!」

 

「麗しきナミさん…! おれの女神は美しいだけじゃなく、卓越した航海術までお持ちだったのですね…っ!!」

 

「…お前の女神は何人いるんだよ」

 

 思わぬ優位に沸き立つ『ゴーイング・メリー号』の甲板。

 

 

 だが、一同の笑顔は長くは続かない。

 

 

『うわっ!?』

 

 はしゃぐ彼ら彼女らの耳に不気味な飛翔音が届く。そして右舷近くに大きな水柱が立ち上った。

 炸裂、榴弾による艦砲射撃だ。

 

「こ、今度は何だよちくしょおおっ!?」

 

「…ッ!見てルフィ! あそこ!」

 

 一味は叫ぶナミの指先へ目を向ける。そこにあったのは、大空に羽ばたく蒼き鴎を高々と掲げた、一隻の軍船であった。

 

 船首を飾る猛犬、両舷に開かれた幾つもの砲門。

 

 “海軍の英雄”「拳骨のガープ」の搭乗艦だ。

 

 

  久しぶり、ルフィちゃん」

 

「ボガードさん!? お久しぶりねっ、四ヶ月前以来かしら!」

 

 ルフィの見聞色の覇気が戦場の遠方で呟かれた知人の挨拶を耳聡く捉える。少女が物心付く以前より祖父ガープの副官を務めてきた、海軍本部中佐ボガードだ。

 艦長が不在の軍艦を仕切る彼の口から、尊敬する英雄の孫娘へ向けた残念そうな声が上がる。

 

「全く、君には困ったものだ。ガープ中将の英雄譚に一切関心が無いのは気付いていたが、まさか海賊に憧れていたとは……つくづくあの人も報われない」

 

「むっ、ボガードさんも私を狙うのね! いいわ、かかって来なさいっ!」

 

 親しい海軍将校のいつも通りの愛情の中に、確かな敵意が渦を巻く。彼の内心を読み取ったルフィは、同じ戦意で以て彼を迎え撃とうと船尾の高欄に飛び乗り仁王立ちする。

 

 そんな好戦的な船長へ、狙撃手ウソップが慌てて縋り付いた。

 

「お、おい何言ってんだルフィ! あれお前の爺さんの船なんじゃねェのか?! み、身内なんだから何とか見逃してもらえたりとかよぉ…!」

 

「何言ってんのよウソップ。相手は海軍よ? 私たち海賊の敵じゃない。それに見逃すも何も、おじいちゃんなら今”鷹の目”しか見てないからこっちの戦いとは関係ないわ。大人しく応戦お願いねっ!」

 

 ルフィの笑顔の船長命令に、戦闘禁止で暇をしている剣士ゾロが嫌らしい笑みで便乗する。

 

「…だ、そうだぜウソップ。またお前の故郷でのときみてェに一発爆沈で頼むわ」

 

「一発轟沈だと? へぇーこの長鼻野郎、そんなに凄かったのか……楽しみだ」

 

「期待してくれていいわ、サンジくん。この”キャプテン・ウソップ”さんなら絶対やってくれるもの、ね♪」

 

「イヤアアアアア!!」

 

 一味の期待に長鼻狙撃手の胃が不調を訴える。

 

 だが緊迫した状況で弱音は吐けど、戦意は未だ健在。

 今の彼は”未来の海賊王のクルー”という自負を持つ、一人の男である。ボロボロの体を引き摺り、皆を守り、「見捨てないで」と涙ながらに一味に懇願する船長の姿を見てしまった少年には、応えなくてはならない想いがあるのだ。

 そんな彼女に頼られて奮い立たぬなど、目指す”勇敢な海の戦士”どころか”漢”が廃るというもの。

 

 半ば自暴自棄に震える体へ鞭を打ったウソップは、責任分散のために一味の客人二人ジョニーとヨサクを巻き込むことにした。

 

「~~ッッコンちくしょおおおっ、やってやらァーッ!! おい賞金稼ぎのバカコンビ! 大砲は準備出来てんだろうなぁっ!?」

 

「ふっ、無論! そう来るだろうと思って  

 

「紙一重で準備完了っす、ウソップのアニキ!」

 

「出来てんのかよっ!」

 

 ルフィ船長の鉄拳制裁で『麦わら海賊団』の雑用に成り下がっている哀れな賞金稼ぎユニット。彼らもウソップ同様、少女の涙に心打たれた者の二人である。

 惚れた弱みと言うべきか、男たちはかつてない命の危機に怖気付くことなくルフィを陰ながら支えようと励んでいた。少年狙撃手はそんなジョニーとヨサクに日課のツッコミを入れながらも感謝する。

 

「だあああもう後には引けねェ、おれは百発百中のウソップさまだァーッ! これでも喰らいやがれ、海軍ッッ!!」

 

『撃てえええァァァッッ!!』

 

 仲間たちの声援を受け、狙撃手は渾身の思いで火種棒をカルヴァリン砲の火口へ突き立てる。

 重音が一同の胸に響き、砲弾が勢いよく敵『ブル・ハウンド号』へ飛翔する。その狙いは正確無比の言葉さえも霞むほど。まるで魔法のように、ウソップが放った18ポンド実体弾は敵艦の左舷砲門の一つへ吸い込まれていった。

 

 それは大砲の戦列が敷かれる砲甲板。潤沢な火薬に榴弾が犇めく、軍艦の急所。

 あのゲッコー海海戦の再現か。米粒のような砲弾の軌跡を見つめる、少年の武勇伝に立ち会った海賊たちは、このとき誰もがそう思った。

 

 

  侮るなよ、海賊共」

 

 だが彼ら彼女らの敵は、世界有数の精鋭部隊。

 

 その声が直接耳に届いたわけではない。しかし一同がそう幻聞した瞬間。一筋の紫電が敵艦の舷側に走り、砲甲板に命中した筈の砲弾が膾切りのように散り散りとなった。

 

『なっ!?』

 

「ヒヤアアアうそおおお!!?」

 

「…ッ! へぇ、やるじゃねェか…!」

 

 多くの声がメリー号の甲板に揃い木霊する。渾身の一撃を斬り伏せられたウソップは悲鳴を上げ、腕の立つ剣士の技前にゾロが感嘆の声を零す。

 

「……我らは海軍本部。全世界から選ばれた一握りの益荒男女傑が集う、正義の最高戦力だ。一兵卒に至るまでの“世界の違い”を、最弱の海(イーストブルー)しか知らん貴様らに見せてやろう  右舷戦列、発砲せよ!!」

 

『撃てェッ!!』

 

 見事な剣技を披露したボガードが何事も無く刀を鞘へ納め、部下に第二射を指示する。

 ドッオオオン!と心臓に響く砲撃音が『麦わら海賊団』へ届き、続いて大粒の黒点が恐ろしい放物線を描きながら届いた音を追従した。

 

 そこで船長ルフィは、その全てが一味のキャラベル船の進行方向へ狂いなく迫り  突如、周囲の海が凍り付く未来を覇気で“見る”。

 

「ッ、来たわね“青雉”…っ! サンジ、砲弾を!」

 

「Yes, Ma'am!」

 

「他のみんなは伏せてっ、あの吹雪が来るわ!   “ゴムゴムの火拳銃大嵐(レッドホークストーム)”!!」

 

 少女が炎の拳の暴風を解き放った瞬間、覇気で幻視した通りの肌を劈く冷気が『ゴーイング・メリー号』を襲った。

 撒いたはずの海軍大将が再度追撃を開始したようだ。

 

「ぐぅぅ…ッよし、今だ! ルフィちゃん、頭上失礼するぜ!」

 

「ええ! 迎撃お願い、サンジっ!」

 

「御意にございます、姫! …ふっ、女性を一人矢面に立たせるなんざ”愛の奴隷騎士”が聞いて呆れるぜ!   切肉(スライス)シュート”!!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 ルフィと敵の攻撃の鍔迫り合いが放つ余波に耐えきり、甲板から飛び上がったサンジが迫る『ブル・ハウンド号』の砲弾の軌道を足技の柔術で逸らす。

 着弾したのはメリー号から大きく離れた氷の海面。硬質な破砕音を上げ爆発した榴弾は、鋭利な氷片を周囲に撒き散らした。

 

「ほげええええ、またあの氷野郎が来たあああ!!」

 

「な、泣き言言わないのウソップ! ジョニーたちも早く次弾装填急いで! ルフィ、何も見えないからこの霧掃ってちょうだい!」

 

「ええ、任せてっ!」

 

 航海士の要求通りルフィは覇気を込めた腕を無造作に振り、霧を晴らす。

 

 だが開かれた眼前に広がっていたのは、今まで見たことも無い、極寒の氷獄。

 追手の海軍大将が生み出した、そびえ立つ氷の巨島が一味の進路を塞いでいた。

 

「ほああああっ!? ヤバいヤバいヤバい道がねェェッ!!」

 

「今度は氷の大陸ぅ!? いつの間にあんなの出来たのよ、もう天変地異はこりごりだってのにーッ!!」

 

「おいおい、北の海(ノースブルー)でもあんなでっけェ氷山見ねェぞ…!」

 

 突然現れた断崖絶壁に海賊たちは立ち竦む。

 

 だが、彼ら彼女らの親分の覇道は、この程度の障壁で止めることなど出来はしない。

 

「大丈夫よみんな! ナミっ、私が何とかするからあなたはメリーを直進させて!」

 

「直進んん!? い、いいいいのねルフィ? ホントにいいのね!? 止まれないからもうこのままいくわよ!? 信じてるからねっ!!?」

 

 突然の無茶ぶりにナミが泣きベソを掻きながらヤケになる。そんな航海士を無視し、少女は一瞬で黒雷と蒸気を纏い空へ飛びあがると、“ギア4(フォース)・ホーネットガール”の一撃でその光景を一変させた。

 

「”ゴムゴムの女王大雀蜂(クインヴェスパー)”!!」

 

『うぎゃああっ!?』

 

 舷縁に吹き飛ばされるほどの衝撃波が吹き荒れ、一味のクルーたちは甲板を転げ回る。

 直後、凄まじい爆音が響き渡り、混乱する視界を必死で正した一同は  

 

「あば、あばば…壁が…氷の大陸が…真っ二つに…」

 

   船首の先に巨大な氷の渓谷を見た。

 

「す、げェ……流石ルフィちゃん…! 未来の海賊王…!」

 

「…ッ、いつ見ても気が狂っちまいそうな馬鹿げた覇気だぜ、ったく」

 

「かっ…ぁ……! …ねっ、ねぇルフィ、あんたホントにマジで人間なの? 私夢見てるワケじゃないわよね…!?」

 

 敵も敵なら味方も味方。この半日で無数の地獄を見させられ、クルーたちの開いた口はいつまでたっても塞がらない。ショックで命を放棄しないのは、不本意な”慣れ”か。はたまた、それこそが”王”の臣下の素質であるからか。

 

「むっ、失礼ね! “新世界”に行ったらこれくらい出来る人結構いるわよ、10人くらい」

 

「“10人”って全く気休めになんないわよバカァッ!!」

 

「もうっ、さっきから何よナミ! なんでこんなときにまで私のことバカ扱いす  あ、また敵が来る!」

 

「バカをバカって呼んで何が悪いのよ、このバーカ! ばーか! うわぁーん!」

 

「おいナミが幼児退行しやがったぞ! 何とかしてやれルフィ!」

 

「出来ることなら退行してしまいたいっての! あんたはさっさと追手に鉄弾命中させなさいウソップ! 代わりにあんたの頭砲口に詰め込むわよっ!?」

 

「もう無茶苦茶だあああ!!」

 

「ちょっと、油断し過ぎよあなたたち! 上を見なさい、敵が来るわよ!?」

 

 度重なる理不尽な驚天動地に遂に半狂乱になってしまった『麦わら海賊団』のクルーたち。

 

 そんな彼ら彼女らが突入した氷の渓谷に、豪速の何かが吹き飛んで来た。

 

『ぎゃあああっ!?』

 

 今度は何だ。号泣しながら抱き合うナミとウソップを尻目に、一味の戦闘員たちは眼前の氷壁に激突した物体へ意識を向ける。

 砕け散り崩落する氷の塊から船を守り、白煙が去った絶壁の大穴を凝視したゾロたちは、そこに現れた人物の姿に驚愕した。

 

 

  ぐっ…流石は“英雄”…! 老いて尚その自慢の拳は健在か…っ!」

 

 かつての気高い佇まいが影も形も無い、襤褸雑巾のような様。

 

 祖父孫娘と立て続けに死闘を交わした、最強の王下七武海『“鷹の目”のミホーク』の無様な姿がそこにあった。

 

「…ッ!あいつ…っ!」

 

 宿敵の登場にゾロは思わず立ち上がる。受けた胸の傷が疼き出したのは、男の屈辱が生んだ錯覚だろうか。つい数刻前に味わった彼我の実力差も忘れ、剣士は己の亡き親友と…そして己の船長と交わした大切な約束を果たさんと、未熟な覇気を研ぎ澄ませる。

 

「あ、あ……ぜ、前後で敵に挟まれた…!」

 

「『バラティエ』で倒したはずなのに、あいつ…まだルフィを狙おうっての…!?」 

 

「くっ…ルフィちゃん、おれの後ろに…っ!」

 

 だが、誰もが彼のように奮い立てるはずがない。一日で体験した無数の地獄。その中でも随一の恐怖であったあの”鷹の目”に道を塞がれ、クルーたちは絶望にその顔を歪ませる。

 

 

 そして…

 

 

  許さん…許さんぞぉぉぉ……”鷹の目”ェェェッッ!!」

 

 

 孫娘を傷物にされたと怒張する最恐の爺バカが、任務も立場も全て忘れた修羅と化し、氷の巨壁を粉砕しながら舞台の壇上に再度、その姿を現した。

 

 

 

 

 

 



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33話 王下七武海・Ⅸ(2/2)

 
スタンピード視てモチベ戻らないファンとかいないんだよなあ…



注:過去に更新した王下七武海編を全体的に少し修正しました(9/12


 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ゴーイング・メリー号』

 

 

 

「“英雄”ガープ……!」

 

 氷の大渓谷を疾走するキャラベル船の甲板に、その誉れ高き豪傑は現れた。この世全てに轟く偉大な海兵の名を、こと男の故郷たる東の海(イーストブルー)では幼子から老人まで知らぬ者はいない。

 だが海賊へと堕ちた『麦わら海賊団』の面々にとって、かつて伝え聞いた心躍る“海軍の英雄”の伝説は真逆の意味を持つ。それはまさに、登場する脱兎の悪役たちが抱いた通りの、絶望の代名詞であった。

 

「ど、どっちだ…?」

 

 千切れそうなほどの緊張感の中、誰かが縋るように尋ねる。奇しくも彼らの船長は自らをこの英雄の孫娘だと言うが、正義を是とする立場ある海軍将校が身内の不祥事を見逃すはずもなし。修羅の如き気迫を帯びた化け物を前に、威勢の良い荒くれ者共も腰が引け、身動きひとつ取れずにいた。

 そんな怯える一味の仲間たちを背に、船長の海賊少女が老将へその問を投げかける。

 

「ちょっとおじいちゃん、ソコ邪魔よ! 味方してくれるの? 敵ならぶっ飛ばして無理やり進んでやるわっ!」

 

「なっ、おいルフィ!?」

 

 身内への甘えか、純粋な実力か。あの伝説の海兵を苛立ち混じりの不遜な態度で挑発する女船長、モンキー・D・ルフィに海賊たちが慌てふためく。

 

 逃げる“麦わら”、追う“鷹の目”、そして新たに現れた“海軍の英雄”。三つ巴の緊張は、されど最後の登場人物の予想外で、ある意味必然の行動にあっけなく崩壊した。

 

 

  うおおおおんルフィちゃあああん!!」

 

「ッきゃあ!?」

 

『うわっ、こっち来た!?』

 

 まさに電光石火。成り行きを注視する『麦わら海賊団』の目の前で、情けない号泣顔のヒゲ爺が瞬間移動し、愛して止まない孫娘を腕の中に抱きしめていた。

 

「怪我は!? 嫁入り前の大切な乙女の素肌を汚されておらんか!? すぐにわしの船医に   いや男にルフィちゃんの身体を診せて堪るか! …よし、久々にじいちゃん自ら治療してやろう! さあ、おいでールフィちゃあーん!」

 

「えーっ、ヤダ! おじいちゃんお髭ジョリジョリしてて嫌い!」

 

「はぅあッッ!?」

 

 あまりに突然の出来事であった。船長を守らんと意気込んでいたはずのクルーたちが指一本動かせない刹那の間に、孫娘の身を案じる祖父と嫌がる思春期娘という場違いなまでに平和な家族の日常が繰り広げられていたのである。

 

「もうっ…! ちゃんと栄養たっぷりのお料理食べたら、手足を斬り落とされたりしない限りすぐに治るの修行中に何度も見てたでしょう! どさくさに紛れて抱き着くの止めてっ!」

 

「んなっ!? わ、わしはただルフィちゃんのことが心配で   

 

「心配無用、よっ! 私ももう大人の女の人になったんだから自分のコトくらい自分で出来るわ。仲間たちもいるし、子供扱いしないでっ!」

 

「ガーン!」

 

 如何な英雄と言えども人は人、やはりどこの祖父も孫娘には弱いらしい。ゾロたちは少女の拒絶に顎を甲板まで垂らし硬直する“英雄ガープ”の情けない姿を見つめながら、先ほどの緊迫感が嘘のように霧散するのを呆けた頭で感じていた。

 とは言え、事態は歓迎すべき。この爺バカの英雄が味方ならばいかなる敵が相手でも逃げられるだろう。

 

 そんな緩んだ空気が広がり始めた、その最中。背後から凍り付くような男声が投げ掛けられた。

 

 

   だからよォ……逃がさねぇっていっただろ、お嬢ちゃん」

 

『!!?』

 

 一同が振り向いた直後、一味の海賊船『ゴーイング・メリー号』にかつてないほどの脅威が襲い掛かった。

 

 

「“アイス(ブロック)両棘矛(パルチザン)”!!」

 

「“つっぱり圧力(パッド)砲”!!」

 

「“虜の矢(スレイブアロー)”!!」

 

 

 三つの破壊の暴風。氷の槍が、炸裂する空気弾が、万物を石へと帰す即死の矢が。世界政府の命により集ったこの世の頂点たちが繰り出す必殺の大技が一つとなり、標的“麦わらのルフィ”へ目掛け放たれる。

 攻撃の元を辿り、目に映るのは海軍本部ガープ部隊の旗艦と、『九蛇海賊団』の戎克(ジャンク)船。撒いたはずの強敵たちによる恐るべき追撃戦の再開だ。

 

『うわあああっ!!』

 

「げっ、“くま”までいる! やっぱり三人目の七武海ってあの人だったのね、面倒だわ…!」

 

 敵主力の三名  王下七武海「“暴君”バーソロミュー・くま」、同上「“海賊女帝”ボア・ハンコック」、そして成り行きで陣借している海軍大将「“青雉”クザン」。政府に忠実として知られるくまに、先時小娘に惨敗し雪辱の機会に燃えるハンコック、立場ある海軍将校の最上位に準ずるクザンはそれぞれ相応の士気で標的の海賊「“麦わら”モンキー・D・ルフィ」を追っていた。

 

「うおおォォッ、ルフィちゃんとナミさんはおれが守るゥゥッ!    “パーティテーブル・キックコース”!!」

 

「砲弾以外は私に任せて、あの三人の攻撃に触れたら酷いことになるわ!    “飛ぶ指銃・(ばち)”!!」

 

 いずれも零細新星(ルーキー)海賊たちにはひとたまりもない空前絶後の殺戮弾幕へ、ルフィと新戦力のサンジは気丈に挑む。

 だが、苦戦は免れないはずの敵の攻撃が、どうもおかしい。

 

「なっ、邪魔をするな男共! そなたらのせいでわらわの矢が暴発しておるではないか!」

 

「邪魔はお前だ“海賊女帝”。今までおれの両手を石化で封じておきながら、今度はおれの攻撃を妨害する気か?」

 

「ったく、お前らの攻撃どっちもクセが強過ぎるんだよ…! おれの“両棘矛(パルチザン)”がボロボロじゃねェか」

 

 遠ざかる『麦わらの一味』より500メートルの戦闘区域。逃走を図る敵船を死に物狂いで追い駆ける二隻の巨船の甲板は、一触即発の空気に包まれていた。

 如何に同じ敵と戦っていようと、異なる海賊団が、何より海賊と海軍がそう容易く力を合わせられるはずもない。足並み揃わぬ攻撃は互いに衝突し削り合い、ルフィたちはメリー号に届く僅かな数を難なく凌ぐ。

 

「…何だ、敵の攻撃が途中で自滅してるぞ?」

 

「あははっ、バッカみたい。海軍が海賊なんかと組むからそうなんのよ! ルフィー! サンジくーん! そのまま全部迎撃しちゃいなさーい!」

 

「な、なんか知んねェけど、これってもしかしてチャンス到来? …よ、よーし。ここはいっちょキャプテン・ウソップさまの華麗な砲撃でリベンジと行こうじゃねーかっ…!」

 

「おおっ!!」

 

 身の安全が保障されるのであれば、後はこの男の独壇場。いつものお調子者が目を覚まし、狙撃手ウソップが大きくなった気に身を任せて百発百中のカルヴァリン砲へ点火棒を突き立てた。

 狙う先が海軍ではなく隣の女ばかりの比較的弱そうに見える海賊船の方なのが、理想の勇ましい自分になり切れない彼の限界か。それでも少年が放った虎の子18ポンド榴弾は狙い通りに見事命中し   不幸にも最高の戦果を挙げてしまった。

 

『あっ…』

 

 炸裂した榴弾の爆炎が晴れ、現れたのは一人の女。眩い美貌が煤に塗れ、風に流れる絹織物のような黒髪を鳥の巣にした絶世の美女。

 九蛇海賊団船長“海賊女帝”ボア・ハンコックがそこにいた。

 

 隣の海軍大将の冷気より冷たい沈黙が海域全てを支配し、俯き影で隠れた皇帝陛下のただならぬ気配に皆が息を呑む。そしてブチッ!と何かが千切れる音が辺りに木霊した瞬間、地獄の釜の底から響いて来たような低い怨嗟の声が端正な唇より吐き捨てられた。

 

 

   雑兵共が……誰を虚仮にしたのか、その魂に我が覇気を直接刻み込んでくれるッッ!!」

 

 

 直後、ハンコックが目にも留まらぬ速さで天を駆けた。飛び交う砲弾や氷片、果てには大気すら足場とし、宙へ舞い上がった美女は眼下の小さな海賊船を視界に納め   そして凄まじい暴風を解き放った。

 

『!!?』

 

 周囲の大気がビリビリと振動し、メリー号に乗る新米海賊たちは体中を巨人にぶん殴られたかのような衝撃を受ける。

 

 彼ら彼女らはこの感覚を知っている。自らの“王”が持つ、天に選ばれし者たちの力。覇王色の覇気だ。

 

 腰が抜け、体が震え、視界が白む新米海賊たち。一同はあの失墜する岩の積乱雲の上での恐怖を、ようやく思い出した。ああ、おれたちはあんな化け物にケンカを売ってしまったのか、と。

 

 だが一味でただ一人、微動だにせず覇王の威圧と相対する少女船長は、突き付けられた挑戦状に口角を吊り上げていた。

 

「ふふん、私と“王の素質”を争うっての? だったら見せてあげるわ   

 

 

    この“未来の海賊王”の、王の格をっ!

 

 

 それは、まるで彼女を中心に世界そのものが爆発したかのような現象だった。

 ズドンッ!と少女の体から不可視の巨壁が解き放たれ、女帝の“王気”を向かい打つ。覇王色同士の鍔迫り合いで凶悪な黒雷が爆ぜ散る中、有象無象は二人の海の女王の圧倒的な存在感に耐え兼ねるかの如く意識を飛ばし、強者の目には島一つ覆うほどの巨大な緋球が頭上の桃球の覇気の塊を圧し潰さんとする幻影が映っていた。

 その力は遠く離れた海軍艦と七武海の海賊船さえも蹂躙し、二隻の甲板は死屍累々の地獄絵図へと変わり果てる。

 

「ッ、バケモンかよ…!」

 

「資料にあったが、まさかこれほどとはな。…流石はあの人の娘だ」

 

 思わず幻視してしまうほど強固な“王”の領域内に佇むクザンの喘ぐような一言は、この場で健在な選ばれし覇者全ての心中を代弁する言葉。ある者は敵の恐るべき力に震え、またある者は身内の誇らしさに胸を張る。まさに時代の申し子の呼名に相応しい、少女の桁外れな気迫に皆が呑まれていた。

 

 そんな中、船長の護りで惨事を逃れたナミがはたと我に返り声を張り上げる。

 

   み、見てルフィ! 敵の船速(あし)が止まった…!」

 

「よぉし、今の内に全速前進っ! このまま振り切るわよ!」

 

『おおーっ!』

 

 指差す先には荒れる波間に消えて行くカモメと蛇輪の旗姿。敵船とメリー号、彼我の距離はようやく埋め難い差に開いていた。

 

「チィッ、何という威圧範囲じゃ   って、そなたら何を青褪めておる! “九蛇”の戦士がわらわ以外の覇王色に怖気付くなどありえぬっ、さっさと立たぬかッ!」

 

「ッ! も、申し訳ございません蛇姫様!」

 

「…将を射んとする者はまず馬を射よ。船を動かす船員を潰しにかかったか、これはしてやられたな…」

 

「おのれェ、動けぬならそこを退け海軍ッ! 逃がさぬ、逃がさぬぞ小娘ェェッ!」

 

 “麦わら”のとてつもない覇気も、冷静に状況を分析するくまの余裕も、焦燥に地団太を踏む“海賊女帝”の怒張声も、全てがクザンの怒りを逆撫でする。元より協力という発想があれば海賊になど落ちぶれない強者たち。好き勝手に暴れる野蛮人共に業を煮やし、海軍大将は頼れるはずの四人目の味方へ苛立たしげに呼び掛けた。

 

「はぁ、海賊と共闘すると毎度碌なことにならねェ…   ガープさん! そろそろ遊んでないで協力してくださいよ!」

 

「クザン大将。ルフィちゃんのことになるとウチのボスの我儘度は乳児以下になるので何を言っても無駄です」

 

「クソジジイ!!」

 

 しかし老将と長い付き合いの副官、ボガードの言葉を実によく理解出来てしまったクザンは、著しくない戦局を俯瞰し天を仰いだ。

 

 世界政府が今回の作戦に投入した戦力は国家規模を超え、虎の子の“王下七武海”三名までもが加わっている。しかし蓋を開ければ味方の協調性の無さと、海王類の襲撃など様々なトラブルに苛まれ目を覆わんばかりの事態に。海軍大将たる自分と“英雄ガープ”までも急遽援軍として参陣しておきながら「成果無し」で終わるなど、世界政府史上有数の面目丸潰れの汚点となってしまう。

 そのような大失態を犯せるほど海軍大将“青雉”の名は軽くない。

 

「…ったく、まあ身内の失態の沙汰は五老星(うえ)が追って下すことになるからどうでも良いとして   

 

 煮え滾る激情に我を忘れるは愚将の様。大将にまで上り詰めた生粋の叩き上げたる男の心は、この修羅場において尚、紅蓮の氷獄のように冷たく燃えていた。

 

    上手く逃げてくださいよ、ガープさん。もう手加減出来ませんので…!」

 

 クザンは全ての余裕を捨て去った。そして、隣で怒りに我を忘れ発狂するハンコックを放置し、一人眼下の海へと手を翳す。

 

「げ、あやつめ……不味いぞルフィちゃん、クザンが本気(マジ)じゃ!」 

 

「わっ、凄い覇気…! さっきよりまだ上があるなんて…っ」

 

 行使するのは全力の大技、“氷河時代(アイスエイジ)”。氷を生み出し司るヒエヒエの実の能力で、先の一幕にて“麦わら”に両断された氷の大陸を操り、船ごと左右から容赦無く圧し潰す超質量の一撃だ。

 

「おい、氷の崖が閉じてくるぞ!?」

 

「ヤバいヤバい死ぬ死ぬ死ぬゥーッ!!」

 

『うわあああァァッ!!』

 

 遠くの海賊たちの絶叫が大地震にも勝る轟音に掻き消され、クザンは見聞色の覇気で圧殺した敵の気配を探る。

 

 だが敵を潰すべく地形すら変わる天変地異にも等しい攻撃を用いながら、直後男の顔に浮かんだのは目的を成した安堵ではなく、焦燥の二文字であった。

 

 

「なっ!? …おいおい、こりゃ一体どういうことだァ?     “鷹の目”ェッ!!」

 

 

 強烈な耳鳴りが海域に響き渡り、クザンは目を見開いた。突如として自慢の氷の大断崖が一瞬で格子状に切り刻まれ、粉々に砕け散ったのである。

 無数の氷の破片が舞う極寒の大海原の中、彼は味方で最も戦意の高かったはずの男の通名を叫ぶ。一太刀で海軍大将が誇る最強の大技を膾切りに出来る斬撃使いなど、この場で一人のみ。ここに来て最も敵に回したくない強者、世界最強の大剣豪“鷹の目のミホーク”が標的を背に海軍の前に立ち塞がった。

 

「……つい」

 

「お前…ッ!」

 

 長い沈黙の後。微塵も悪びれず冗談の如くそう返答する相手に、青筋を立てるクザンの憤怒が絶対零度の冷気となって甲板を覆い尽くす。

 

「どいつもこいつも海のクズ共が、ふざけやがって……大体お前に政府を敵に回す理由も利益も何一つねェだろ!」

 

「…既に“麦わら”との一騎打ちで敗北した身である以上、これより先は協定外だ。先ほどの一振りが不満なら……お前たち好みに『正当防衛』とでも言っておこう」

 

「正当だろうが過剰だろうが、そんな言い訳が通じる段階はとうに終わってんだよ…! 冗談キツいぜ。こんな大戦力派遣しといて、まさかホントに小娘一人捕らえられずに終わっちまうのか…?」

 

 次から次へと起きる想定外に唖然とするクザンを尻目に、『麦わら海賊団』は一目散に船を疾走させる。勝利の大逆転が目前となった一味面々の顔には眩い笑顔が。

 今度こそ、この地獄から逃げ切れる。

 

 

「ぶわっはっは! 流石わしの孫じゃ、ああも大胆な逃げっぷりは久々に見たわい!」

 

 しかし、そう安堵に胸を撫で下ろそうとする一同の耳に、背後より馬の鳴くような笑い声が届いた。騒がせ者はメリー号の甲板に胡坐をかく、お邪魔虫の老海兵ガープ。そのヒゲ面は大笑いで飛び散らした涙と唾でべとべとだ。

 一頻り腹を大きく揺すっていた白髪の巨漢は、されど突如、ニィッと口角を吊り上げ拳を打ち鳴らす。

 

「…さて、ただ可愛がるばかりが子育てとは言えん。わしもただ見逃すだけじゃセンゴクのクソジジィに何を言われるかわかったモンじゃないわい。ここは一つ、じいちゃんも心を鬼にして   

 

 豹変した老将の皺だらけの双眸には、親しい孫娘も初めて見る、獰猛な大英雄の真の素顔が覗いていた。

 

 

   悪いお友達とつるんじゃった可愛い反抗期の孫娘に、祖父の愛を叩き込んでやらねばのうッッ!!」

 

『!!』

 

 

 間近で目の当たりにする本物の強者の戦意。老いて尚微塵も衰えぬ爆発的な闘気に真正面から晒されたゾロたちクルーは、体中の毛穴から間欠泉が噴き出す勢いで発汗し、ガクガクと足を震わせて茫然自失と立ち尽くす。

 

    大丈夫、私に任せて」

 

 だが身を圧し潰さんばかりの重圧は、一人の少女が前に立ったことで霧散する。大樹の下に集った四人と下っ端二人は、故に船長ルフィの背に如何なる恐怖も跳ねのける絶対の信頼を寄せてしまうのだ。

 まるで、それが未来の海賊王の証であると本能で知っているかのように。

 

「昔の子供のじゃれ合いならともかく、そう何度もルフィちゃんを全力で殴るなどじいちゃん耐えられないっ! 一撃で決めじゃ!」

 

「ふんっ、一撃も二撃も同じよっ!    “ギア4(フォース)”!!」

 

 一息の後、女海賊の身体が強烈な蒸気に包まれた。爆走するメリー号が白煙を置き去りにし、ベールの奥から現れた少女の姿は、華奢な前腕以端が象の足の如く肥大化した異形。頭部首筋を除く全身は紅色の妖光を帯びた黒鉄色に染まり、上気する素肌からは天女の羽衣にも似た蒸気の帯が潮風の中でたなびいている。

 武装色の覇気で靭性と伸縮性を強化した筋肉風船の火力特化形態(モード)   “バウンドガール”だ。

 

「ほう! 前回の決闘で使っとった指銃の刺突特化の“ホーネットガール”より、拳同士の真っ向勝負を選んだか! じいちゃんの自慢の拳骨すら超えようとは、それでこそルフィちゃんじゃ! ぶわっはっはっは!」

 

「おじいちゃんの得意な殴り合いに勝たないとおじいちゃんに勝ったとは言えないもん! お望み通り一撃で終わらせてあげるわっ!」

 

 楽しくて仕方がない。そんな戦闘狂の相貌に破顔し、「いざ!」の掛け声と共に両者は繰り出す片腕に全力を込める。

 そして獣のような咆哮と共に、Dの血を引くモンキー一族の殺伐とした家族団らんが始まった。

 

 

「“拳・骨・ルフィちゃん愛注入撃(ラブパンチ)”ッッ!!」

 

「“ゴムゴムの大・大猿王銃(キングキングコングガン)”ッッ!!」

 

 

 空へ飛びあがった二人は寸分違わぬ同時に拳を解き放つ。一直線に互いへ目掛け爆走する両右手は阿吽の呼吸で重心同士をぶつけ合い、およそ人の身体から発せられたものとは思えない重厚な金属音を鳴り響かせた。

 

「ぬわああああァァァッッ!!」

 

「はあああああァァァッッ!!」

 

 衝突するルフィとガープの覇気が竜巻となって舞い上がる中、せめぎ合う両者の拳の均衡は小動もしない。片や筋骨隆々とした巨漢、片や両前腕を膨れ上がらせた小柄な少女。だが不似合いな二人の力比べは、彼女の背に投げ掛けられた四つの声によってその天秤を大きく傾かせた。

 

『行ッけえええルフィィィッ!!』

 

   !!」

 

 少女船長の目が見開かれる。聞こえる声援は自分を信じ付いてきてくれる仲間たちのもの。彼らのために戦う彼女はいつだって最強、スーパールフィちゃんなのだ。

 面映そうに緩んだ唇を引き締め直し、麦わら娘は湧き上がる力を右腕へと注ぎ込む。暴れる風がこちらへ傾き始め、ルフィは目の前の祖父の瞳に驚愕の色を見た。

 動揺は覇気の制御を手放す大きな隙。“夢”でのカタクリ戦、そして先ほどのミホークとの戦いで身を以て学んだ彼女は、この千載一遇の好機を逃すまいと一気に畳みかける。

 

 そして長い激突の末。黒鉄色に染まった少女の巨大な拳が、競った相手の腕ごとその大きな体を殴り飛ばした。

 

 

「やっ   たぁ勝ったああーっ! 勝ったわよみんなぁーっ!」

 

 

 錐揉みしながら遠くの海へと飛んでいくガープ。五秒ピッタリの長い滞空時間の後、天高く上る水柱を残して海中へ消えた大英雄の残像を呆けた顔で見つめる『麦わらの一味』が、遂に勝鬨を上げた。

 

「~~ッッ! へっ、ホント期待を裏切らねェ船長だぜ…!」

 

「よ、よかったぁ……流石ルフィの大姐貴だぜ! これで今度こそ、今度こそ脱出だァーッ!」

 

「もう一秒でもこんな地獄にゃいられねェよォォッ!」

 

「ふはっ、ふははは! こ、今回はこれくらいにしておいてやるっ! 思い知ったか海軍共ーっ!」

 

「あんたたちはさっさと持ち場に付きなさいっ、この役立たず共がッッ!!」

 

 この土壇場でほぼ何の役に立っていない満身創痍にて安静中のゾロと、ウソップ以下臆病賞金稼ぎコンビのジョニーとヨサクを蹴り飛ばし、ナミが最後のダメ押しを決断する。

 

「ったくもう!    ルフィ! もう女だとかどうでもいいからまたあの風船みたいので帆に風送って! 一気に加速するわよっ!」

 

「ええ、任せてっ! あなたたち、衝撃そなえーっ!」

 

『!!』

 

 一味のトップは船長なれど、甲板のトップは航海士。仲間の命をナミに託したルフィは彼女の指示通り宙へ飛びあがり、強靭なゴムの筋肉でめいっぱい息を吸い込む。

 

「待てェーッ、“麦わら”ァァッ!!」

 

「何をしているお前たちっ、蛇姫さまの仇だぞ!? へばってる遊蛇(ゆだ)の首を絞めてでも船を走らせろッ!」

 

「キィィーッ!! 覚えておれ“麦わらのルフィ”ッ!この恨み忘れぬぞ…ッ! 忘れぬからなァァァッ!!」

 

 追手の声も波風に掻き消され、もう耳に届かない。そしてメリー号の両舷にしがみ付き身構える仲間たち全員の姿を見聞色の覇気で捉えた後、少女船長が蓄えた空気を思い切り帆柱へ吹き付けた。

 

 

「“ゴムゴムのぉ    追い風”ぇーっ!!」

 

『いっーけえええェェェッッ!!』

 

 

 かくして空前絶後の大逃走劇は終わりを迎える。この世の頂点の一角に座する者たちの激突によって様々な遺恨を残し、その幕はようやく下りたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『棺船』

 

 

 

「見事…」

 

 遠ざかるキャラベル船を望む奇妙な小舟の上で、ぽつりと呟く一人の男がいた。

 一連の逃走劇に一振りの助太刀を恵んだ“鷹の目”ジュラキュール・ミホーク。大剣豪は自分を下した麦わら娘を見送りながら、今や隻腕のかつての好敵手と鎬を削った日々を思い出していた。互いに剣を用い、戦いの前にも後にも途中にも邪魔が一切入らない、理想的な決闘を。

 己の戦いへの渇望を満たしてくれた、“四皇”の地位に就く男が突如この東の海(イーストブルー)で片腕を失ったと聞いたときは耳を疑ったものだ。

 

    その腕、誰にくれてやった?

 

    不思議な瞳の、女の子だよ。

 

 男は船尾に立つ少女の瞳を見る。吸い込まれそうなほど透明な黒曜石の中に散りばめられた、夜空の星々のような、夢と希望に煌く無数の光。それは万人を惹きつけ魅了する、少女の純粋で壮大な夢が持つ美しさであった。

 

  進め、“麦わら”! お前の思い描く、海賊王の覇道をッ!」

 

 ミホークの激励に、少女が満面の笑みで頷く。荒事とは無縁な可憐で愛らしい娘。だが彼女であれば、如何なる困難をもあの笑顔で乗り越えて行くだろう。剣士の頂点に立つこの大剣豪にさえそう確信させるほどの強い命の輝きこそが、モンキー・D・ルフィが時代の玉座に相応しい何よりの証なのだから。

 

「…ロロノア・ゾロ」

 

「!!」

 

 鷹揚に頷き返したミホークは、少女の隣でこちらを睨む小者へ目を向ける。

 

 今はまだ、原石の域を出ぬ石くれに過ぎない弱き剣士。されどその胸の内に宿る渇望、覚悟には、前を進む“未来の海賊王”の背を託すに足るほどの強さが垣間見える。

 なればこそ、幾多の困難へ挑む若き力を、先達として鼓舞せねばなるまいて。

 

    「誰かのため」という、己には持ち得ない、されど確かな真の強さを持つ男を。

 

 

「…超えてみろ、更なる高みへと歩み続けるこの”鷹の目”を! 未来の海賊王を守る大剣豪は  貴様だ!!」

 

 

 水平線の奥で、大剣豪は若き剣士が息を呑む音を耳にする。そして続いた青年の返答は、実に彼好みの勇ましい言葉であった。

 

「……へっ、言われなくとも…ッ!」

 

 

 荒波を乗り越え、氷山を砕き、空気弾を、石化の矢を、氷の鳥たちを打ち落とし、『麦わら海賊団』は長き地獄の嵐を遂に潜り抜ける。この世を支配する世界政府の魔の手をすり抜ける彼ら彼女らはこの日、全世界にその脅威を知らしめた。

 

 そして、新たな時代は幕を開る。

 

 

 

 

 

緊急報告

 

 標的「“麦わら”モンキー・D・ルフィ」率いる『麦わらの一味』対、世界政府旗下王下七武海「“鷹の目”ジュラキュール・ミホーク」、「“海賊女帝”ボア・ハンコック」、「“暴君”バーソロミュー・くま」。並びに非正規援軍海軍本部大将「“青雉”クザン」、海軍本部中将「“拳骨”モンキー・D・ガープ」以下同長官幕下“ガープ部隊”。

 

 両軍、東の海(イーストブルー)コノミ諸島沖海上レストラン『バラティエ』近海にて会敵。これを“コノミ諸島沖海戦”と記す。

 

 戦闘の結果  

 

 

 

 

 

   『麦わらの一味』の完全勝利。

 

 

 

 





やっと終わったぜ…


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