耽美公演『Black Rose ~聖なる闇の薔薇伝説~』 (ストレンジ.)
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Chapter1:胎動 ~はじまり~


 ──これは、とある禁断の書(グリモワール)に記された物語である──




 ──むかしむかし、あるところに『チューニ大陸』という、剣と魔法のメルヘンでポエムでファンタジーな世界がありました。

 

 大陸の中央には広大な森が広がっており、そこには心やさしい妖精たちが住む森がありました。

 たくさんのおそろしい魔物がひそむこの世界で人々は、やさしい妖精たちの力を借りながら編み出した強力で清らかな結界魔法を張り、それぞれ自分たちの国を創りました。

 人間たちの国の所在はそれぞれバラバラでしたが、それらはすべて『ロザーリン王国』と名付けられ、人間は妖精たちと助け合いながら平和に暮らしていました。

 

 ロザーリン王国は、3つの小さな国から成っています。

 

 ひとつは、妖しげな彩を放つ闇の力を操る『黒薔薇の王国』。

 

 またひとつは、清浄で堅固な光の力を統べる『白薔薇の王国』。

 

 そして最後のひとつは、涼やかさの内に刹那の情熱を秘める蒼の力を駆使する『蒼薔薇の王国』……。

 

 『ロザーリン王国』の統治者たちは、そんな退廃の美(いず)る三者三様の魔法の力を用いて辣腕を振るいつつ平和を治めていたのでした──

 

   *

 

 物語のはじまりは黒き薔薇の古城にて。古城といってもそれはあくまで外観だけ。まわりを囲む鉄柵と城壁に青々と黒の花弁を咲かす薔薇の蔦絡まる耽美なこの城は隅々まで管理が行き届いており、清潔で頑強そのものでした。

 

「うるおいが欲しい……」

 

 そんな黒薔薇の古城の(あるじ)『闇の女王ルーミン』ことルミの、ため息混じりのつぶやき。

 

 久遠の命を燃やしつづける太陽の柔らかな眼差しを受け、今日もロザーリン王国はあたたかな朝を迎えています。

「今日も王国はなにごともなく、昨日と同じように平和でのどかな時が流れる……はぁ」

 時刻は午前9時。やや遅めの朝食をとっていた女王ルミは、指でつまんだブルスケッタを悩ましげに見つめながら先程よりも大きなため息をつきました。

 

「失礼ながら陛下、王国やその民が災禍に見舞われず心安けく日々を過ごせるというのは、まことに尊きことでございましょう……それのどこにご不満があるので?」

 

 そう尋ねるのは古城に仕える侍女たちを束ねるメイドの(おさ)、アイです。

「誤解しないで、アイ。事件も自然の猛威もない。作物は順調に育ち、魔物が結界を越えてここまで来ることは滅多にないし、来たところで衛兵によって速やかに処理される……実に重畳。それは実に善きことよ……でも」

 息を吸い、少し間を空けてから女王はつづけて言いました。

「それだけでは退屈……なのよね」

「ふむ……退屈、ですか」

 仕事熱心かつ有能な女王、そして彼女を慕うその臣下たちにかかれば(まつりごと)なんて朝飯前。ちちんぷいぷいお茶の子さいさい、大事も小事もすっかり解決。あっという間に黒薔薇の王国は繁栄を究め、残ったのは悠久の時を実り豊かに暮らすための妙案を思案するのみとなってしまいました。

「では半年前に襲撃してきたガーゴイルたちの残党を探し出して追撃でもさせましょうか」

 粗探しをするように考えながらそんな案をアイがひねり出しました。

「『石の雨事件』のガーゴイルたちね……もういいでしょう。過剰な殺生はするものではないわ。向こうだってもう戦意はないでしょうし第一、もう遠くに行ったはずよ」

 洗練された動きで手に取ったナプキンで口まわりを拭き、ルミが言いました。

 

   *

 

『石の雨事件』とはガーゴイルの群れによって起こされた黒薔薇の国襲撃事件のことで、今から半年前、ガーゴイルたちは自らの身体を石化させることができる特性を利用して黒薔薇の国の結界のはるか上空から降下、触れれば灼熱の激痛に侵される結界を石の身体で強引に突破し、そのまま落下の衝撃で土地、住民、建造物に初撃を与えたのち、生身の姿に戻り街や城を急襲するという電撃的侵攻作戦が勃発。死傷者こそ出ませんでしたがガーゴイルの石の身体の表面を流れる魔力によって落下の衝撃を受けた大地は栄養を失い、いかなる植物も生えない不毛の地と化し、作物は枯れ、やがて朽ちていきました。魔力は人体に対してももちろん害を及ぼし、たとえ頭上をほんの少し掠めただけでもその箇所に生えていた髪は直ちに抜け落ち、しかも永久に生えてくることはありませんでした。王国内の男たちはこれに(おのの)き震え上がりましたが、同時に何体かのガーゴイルは逆上した被害者たちによってリンチにされ、数を減らしました。

 突然の攻撃に後手に回らざるを得なかった黒薔薇の国ですが、ルミは戦闘面においても傑出した力を持っていました。いよいよガーゴイルが城に向かいつつあるとき、ルミは王国の腕利きの召喚術師たちに庭園の石畳の上に魔力を含んだ特殊なペンキで大きな魔方陣を描かせ、自身はその真ん中に立ちました。

 気味の悪いガーゴイルたちの鳴き声が聞こえてきたところでルミは呪文を詠唱しました。すると、なんということでしょう。ルミのまわりの魔方陣から、いちどきに50体近い吸血鬼の大群が現れました。闇の女王の面目躍如です。血色の悪い顔、白い肌、黒と赤のリバーシブル仕様のマント、丁寧にアイロンがけされたシワひとつないスーツにワックスでガチガチに固めた七三分けの頭。そして「お疲れ様です」と、くたびれた声──紛うことなき吸血鬼の群れでした。

 

「よろしくお願いいたします」「こういう者です」──

 

 感情の起伏の一切ない鳴き声を上げると、吸血鬼はスーツの内ポケットから一枚の長方形の薄く白いものを取り出しました。吸血鬼の武器とされる携行物『メイシ』でした。

 

「よろしくお願いいたします」

「こういう者です」

「ガーゴイルの方ですか」

「決して怪しい者ではありません」

 

 吸血鬼たちは鳴きながら次々とメイシを取り出し、まるでニンジャの手裏剣のようにガーゴイルに向かって投げつけました。回転する薄く鋭利なメイシによってガーゴイルの身体は切りつけられ血が流れ出します。

「ギャアアアァァァァァァァ」

 すかさずそこに吸血鬼が牙を立て、溢れ出る血液を素早く迅速に急いで口で吸いました。ガーゴイルの身体がみるみる痩せ細っていきます。吸血鬼の素早く迅速に急いで口で吸う勢いは生半可なものではなく、とても素早く迅速で急いで口で吸っていました。

 しかしガーゴイルも馬鹿ではありません。いや、馬鹿でした。襲撃をかけたガーゴイルたちの中には、自分を石化させるのを忘れて普通に結界へ突っ込んでいってみすみす焼かれ死ぬような脳味噌ミトコンドリア野郎が何体かいました。ですが街を襲っているガーゴイルたちは結界に引っ掛かったガーゴイルたちほどは馬鹿ではありません。なぜなら、結界に引っ掛かったガーゴイルは街に降り立つことなく死にましたが、結界をやり過ごしたガーゴイルは結界をやり過ごして街に降り立ち街を襲うことに成功してるからです。

 吸血鬼の吸血攻撃を受けたガーゴイルたちは血を吸われはじめるやいなや、すぐさま例の特性を用いて自らを石の身体にして吸血を免れようとします。

 しかしガーゴイルはやっぱり馬鹿の脳味噌ポタポタ焼きミトコンドリア野郎でした。石になっては当然動けなくなるので逃げることも反撃することもできません。しかし元に戻ればまた血を吸われます。結局ガーゴイルの取った手段はその場しのぎのちゃちなものに過ぎず、ルミが追加で召喚した怪力自慢のオーガたちによって石化した身体を粉々に砕かれ絶命しました。死体を放っておいては先に説明したとおり土地や作物に深刻な被害を与えてしまうので、死体はルンバで一片の欠片も残さずキレイに吸いとられました。吸血鬼には血を吸われ、ルンバには粉々になった石の身体を吸われ、ガーゴイルたちは実に吸われ上手でした。上手に吸われるテクニックを競い合う『第346回、輝け! 世界吸われ王選手権』的な催し物が開催されていれば、優勝して賞品のお菓子詰め合わせセットや次大会参加時でのシード権を得られたかもしれません。

 

「まぢヤババ。ウチかえる」

 わずかに生き残ったガーゴイルたちはたまらず踵を返し王国から逃げていきます。ギャル口調で。家に帰ったら地道に働いて暮らそう。そのためにまずは読書でもして教養を身につけよう。手始めに夏目漱石の『こころ』でも読もうか、いや宮沢賢治の詩集が先かな、でもフォールアウト4もやりたい、などと考えながら。しかし──

「ギャアアアァァァァァァァ」

 哀れ、結界のことをすっかり忘れていた残りわずかなガーゴイルたちはダメ押しでさらに数を減らしていきました。本当に救いようのない脳味噌ザ・フール野郎でした。つまり彼らは王国を支配して結界を解かない限り生きてここから出られない背水の陣を馬鹿ゆえに知らず知らずのうちに敷いていたのです。アンビリーバボォ。

 攻めることも守ることも逃げることもままならぬことを悟ったガーゴイルたちにできることは、ひとつしかありませんでした。

「メンゴ。まぢ許してちょ。」

 黄金の国・ジパングが誇る無形文化財、『土下座』でした。ギャル口調で。

 しかしそもそも仕掛けてきたのはガーゴイルたちなのです。にもかかわらず形勢不利と判断するなり降伏して撤退しようなどとするのは虫がよすぎるというものです。

 それに彼らの土下座には、本来であれば生じるはずの必死さ、誠実さがまるで感じられません。土下座というのは通りいっぺんの謝罪にあらず。以下の、

 

 もはや私が犯したその罪は己の一部なのだ、これを受け止め、この罪により辛酸を嘗めたものの魂を案じ、鎮めるための言葉をあたくしは未だ知りえない。というか、この罪に対する謝意を決然たる意志をもって世界へと表出せしめる手段として言葉・言語は代替に堪えない。言葉ではこの気持ちを沸点へは到底導けない。そのために僕には身体があるのだということを我輩は今知った。身体によってこのプライベートな怨念を沸点へと導くのだ。プライベートな怨念。私怨。

 大切なのは能書きよりも行動すること。「今日放課後サーティーワン寄ってかない?」って言わなくてもいつの間にかサーティーワンにみんな集まってアイス買ってる女子高生のように。

 ミーの犯した愚かしい愚行。その非道は結句フィードバックして最終的には他ならぬこのボクちゃんをもっとも無邪気に惨たらしく貶めるのだ。自業自得。それはそうかも知れんけども、でも自らに返ってくるのを待つだけでは謝罪とはいえない。被害に遭われたかたの御心を慰める責任がお父さんにはあると思う。お父さん今日で会社を辞めて明日からたい焼き屋さんになろうと思う。なんたる無邪気なマイホーム・パパ。その無邪気さによってのみ家庭は滅びゆく。

 余の胸中に揺蕩(たゆた)う謝意を身体に託し世界に顕現せしめん。ゆくぞ。ゆくぞよ。うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

 

 ──という以上のようなエモさがともなってはじめて土下座という行為が単なる行為でなく本質をもって為されるのです。ガーゴイルたちはそのあたりのことをろくに理解もせず場当たり的に土下座をしているに過ぎない。ギャル口調で。だから彼らの土下座は住民たちの憤りと不快感を煽るだけでした。これがもし藤本里奈ちゃんのようなキューティーな美少女であれば「あ、いっすよー」と言ってあっさり解放されたかもしれません。

 というかそもそも、自分よりまわりの人たちのことを思って行動するということを自然にできる優しくがんばり屋さんで、でもそのようすを押しつけがましく出したりしないで黙って真面目にやってのける天使・藤本里奈ちゃんであれば街を襲うようなことをするはずがありません。みんなと協力して街の復興作業に精を出すことでしょう。日々体力を酷使する肉体労働にもめげずに作業をこなす里奈ちゃん。住民たちはその健気さに心を打たれ、そのタフさに勇気を貰い、ともに手を取り合って街は以前の姿を取り戻していきます。そして時は流れ、街は完全にかつての姿を取り戻しました。歓喜の声を上げる住民たちと里奈ちゃん。その夜はみんなでキャンプファイヤーを囲って夜通し『ウィー・アー・ザ・ワールド』や『アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ』を歌いながら祝いのダンスを踊るのです。花は咲き乱れ小鳥やリスも歌います。パーティーの後半では特別ゲストの有浦柑奈ちゃんも『イマジン』を歌って住民たちをねぎらいます。それから住民たちの心には優しさと思いやりが絶えることなく、次の世代にも脈々と受け継がれ、黒薔薇の国は大きな愛と平和に包まれ、世界に平穏が訪れました──こうなったかもしれません。

 

 しかし現実はそうはいきません。ガーゴイルの不釣り合いなギャル口調にイラついた住民たちは太くて丈夫な縄で両手を縛り、家から持ち出した使わなくなったぶら下がり健康器具に吊して、手で庇うことのできなくなった向こう脛を木刀で何度も痛めつけたり、頭にヘッドフォンを被せて半日ぶっ続けで『自動演奏ピアノのためのサーカス・ギャロップ』を大音量で聴かせたりと過酷な刑をガーゴイルたちに処しました。「処す? 処す?」「処わいでかっ!」そんなやりとりを交わしながら。眩しい笑顔で。ときにはにかみながら。爽やかな汗を流して。

 

「もうその辺になさい」

 私はメイドさんの格好をした里奈ちゃんが見たくて見たくてしょうがなかった。制止の言葉をかけたのは誰あろう女王ルミでした。

 女王の登場に、木刀でさんざん痛めつけ赤く出血したガーゴイルの向こう脛の傷口に練りからしを塗り込んでいた住民たちの手が止まります。

「女王! しかし……」

「しかしもかかしもありません。すでに勝敗は決し、彼らは著しく数を減らしこちら側に死者はなし……もう十分でしょう」

 他でもない女王のお言葉とあっては、住民たちもこれ以上木刀でさんざん痛めつけ赤く出血したガーゴイルの向こう脛の傷口に生わさびを塗り込むのを止めざるを得ません。

 木刀でさんざん痛めつけ赤く出血したガーゴイルの向こう脛の傷口にペースト状にしたハバネロを塗り込むのを止め、住民たちはガーゴイルを縛りつけていた縄をほどきました。こうしてわずかに生き残ったガーゴイルたちは女王の慈悲により二度とこの近くをうろつかないことを条件に黒薔薇の国を五体満足で去ることを許されました。住民たちは泣き顔で両脚を押さえながらノロノロと街から去っていくガーゴイルたちの後ろ姿をデスソースの入った瓶を片手に名残惜しそうに見送りました。

 

 以上が『石の雨事件』についてのあらましになります。ご静聴ありがとうございました。

 

   *

 

 ルミはさりげなく女王としての威厳を醸しつつアイの案を退けました。その威厳はバファリンと同じくらいの優しさからくるものでした。身体半分を占めるほどの優しさを人間が持つのは容易なことではない。しかしそれくらいの優しさを持っていなければ国を統治する立場に身を置くことなどできないものなのです。本来ならば。

「そうですか。それなら…………フフッ」

「……? なにかおかしな考えでもあるの?」

「いえ。別におかしいというものではありません……」

 思い出し笑いによる感情の起伏がフラットに戻るのを待ってからアイは続けました。

「それなら……写真集の第2弾の出版を検討してみてはいかがです? 国民……特に男性諸君は狂喜することでしょう」

「………………」

 アイにジト目を向けたままルミは沈黙しました。

 

 かつてルミは自分の意思によってではありませんが写真集を出したことがありました。もとより抜きん出た美貌をもつ女王ルミ。写真集は売れに売れ、増刷に次ぐ増刷がかかり、半年足らずで第20刷が発行されるほどでした。

 その内容はといえば、基本的にはプライベートな姿を過度な演出なしに写した、女王の写真集にしては装飾の少ないものでした。しかしそれが国民の心を捉えることになったのです。花に水をやるルミ。日の当たるテラスで読書にふけるルミ(日焼け止めをしっかり塗っているので彼女の肌への心配は無用です)。メガネをかけてお忍びで街へとショッピングに繰り出すルミ。湯上がりに浴衣姿で卓球を楽しむルミ。なかでも、軽度の猫アレルギー持ちでありながらその症状に耐えつつ涙目で猫を抱いている姿が、特に多くの国民の心の琴線に触れたようでした。『萌え』という言葉に人間が接触した瞬間であります。こうして女王の写真集は歓喜をもって多くの国民に受け入れられました。

 

   *

 

 しかし、ある一部の人間たちにとっては、『萌え』では済まされぬ、甘なる美を越えた蠱惑(こわく)の愉悦が、わずかながらこの本には編まれましましておられたのです。黒薔薇の国いちばんの詩人を自称する、『常に前かがみの詩人』と名乗る男が、このことをいち早く察知。まだ写真集を見ていないものたちに、その真っ赤に実る禁断の果実の甘い毒のもっとも香るところを熱情のままに説きます。

 

「それでは肝心のページを観てみることにしよう。見る、のではなく、観る。この心構えを忘れてはいけない。その観るべきページが綴じられている本というのはもちろん、黒薔薇の国女王陛下・ルミのファースト写真集、『いと愛しき潤いの日々にて』(定価3550マニー也)である。黄金の国・ジパングには消費税なる税が存在するという。ここ黒薔薇の国、というかチューニ大陸にはそのような税はないから、定価のぶんマニーを支払えば売買はつつがなく成立する。よかったね。

 さあ、問題のページはここだ。96ページから101ページにかけての、わずか6ページに渡る6枚の写真群。ここに広がる魅惑の世界、それは…………水着! 水着じゃよ諸君! 水着姿の女王陛下だっ! ルミ女王の眩しく透明感のある絹のごとき柔肌が、それを包む水着の水着以外の部分から惜しげもなく披露されている箇所が6ページ分、この本には確かに存在しているのだ! やったあああああああああああああ!!!!

 汝、エッチか? と問うたか? エッチだ。だが別に極端に露出度の高い水着を着用してるとか、性的に過激なポーズをとっているわけではない。別にアルファベットの「V」の形をした、肝心要の場所しか隠さないような水着を着ているわけでもなければポールダンスを踊っているわけでもない。ただ単に水着姿で海辺を歩いてるところやトロピカルジュースを飲んでいるところ、ヤドカリをじっと見ているところなどの美しくも微笑ましいショットばかりだ。

 しかし微笑ましさ、清々しさの中にこそ大いなるエッチは宿る。腹を括って披露した攻撃的な水着姿や体勢よりも健康的な要請のもとに晒された肌にこそ、我々の臍下におわします紳士的で神秘的な電撃イライラ棒は屹立する。その男性内的宇宙にビッグバンを促す運動量の発生を余儀なくさせるほどの力を生じさせる。まったくもってけしからん。この際はっきり言おうか? 俺はこの説法を終え帰途に着いたのち、わたしはこの女王陛下のお姿に多量の熱を含んだ視線を向けながら右手──左利きのかたは左手に置き換えてくれ。両利きの人は各自熟考に熟考を重ねてそれぞれの方法論を用いて実践に励んでほしい──にエロス的力場を発生させ、そこから生じる魂の上下運動という名の性なる解放戦線の真っ只中に身を任せることで得られる孤独な浄化作業に耽溺する気にならない気がしない。

 だがぼくは『常に前かがみの詩人』だ。これは神の祝福を受けし名。易々とは行為へと至れぬものにしか持つことのできぬ貴き名だ。やはりぼくは帰ってからも悶々としつづけるであろう。それがぼくの抱える文学なのだ。さ、君たちはリビドーに身を任せたまえ。できれば長く時間をかけて。なぜならば、もっとも長く進行する快楽の現在にこそ宇宙に繋がる道があるのだから」

 詩人は颯爽と去りました。

 

 だが詩人は同時に不安を感じてもいました。

(「……この独善・独裁的な桃色遊蕩思考は女王であられるルミ様、ひいては世にその姓を留めておいでのアダムとイヴの営みに端を発する久遠の(わだち)の渦中にある我々の片割れの方々を慈しむようでいてその実貶めているのではないのか? 宇宙よ、私は私の有する日本国言語が不安です。でもその不安よりも里奈ちゃんはかわいい」)──と。

 

 そんなこんなで、この写真集に瞳を触れてしまった男はみな、そういう煩悶とした猥雑で支離滅裂な妄想を四方八方乱れ飛びさせるほどのエクスタシーを強烈なまでに体感し、これによって一時期黒薔薇の国のGDPは激烈に落ち込みました。ルミは、写真集の第2弾を出せばまたそのような事態を招くのではないかという不安を抱いていました。

 しかしルミは、同時に自分の写真集に底無しの狂熱をもって迎えるであろう存在がこの国には確かに存在していることに悪い気はしませんでした。なのでこの案はいったん保留となりました。なので女王の新たな写真集が発売される可能性はないわけではないのです。わくわく……。

 

 そんなことを知るよしもない『常に前かがみの詩人』は、自宅にてルミの写真集を片手に、このエルダー・スクロールに収められた6ページの壮快で淫靡な引力に翻弄されながら、詩をしたためていました。前かがみの体勢で。

 

「おお、いと愛しき我らが闇の女王(クイーン)よ! その海深き空の色に溶ける風に梳かす髪よ! 明け暮れのらりくらり世渡るまこと気まぐれ猫の眼よ! クール・キャット! クール・キャット! ワァオ! ぼくはあなたのつくるお味噌汁が飲みたい。できれば地味目のエプロン姿でそれをつくってほしいのです。あなたのお姿は高貴で眩しくて見るものすべてハッピーにさせるから地味なお召し物の方があなた本来のワビサビが活かされてとてもいいとぼくは思う。でもドレス姿はもっと無敵だ。ああああああああああああああああああああああああルミさんと結婚してえよおぉぉぉぉぉぉぉお!!!! 日がな一日人目もはばからずイチャリンコしてぇよおおぉぉぉ……」

 

 詩人はその身に宿した霊験あらたかなポエジーが暴走しているのを自覚していましたが、自分ではどうすることもできませんでした。どうすることもできないまま、王国内の隅々にまで響き渡らんばかりの大声でポエってました。右手は股間の目と鼻の先に添えるだけ。その辺は彼はガッツを駆使して頑張って耐えていました。

 大声を出したことで少し落ち着きを取り戻した詩人は窓を開け、つぶやくように言いました。前かがみを維持したまま。

 

「『Virgin Love』の2DリッチMVは呼吸を困難にさせるほどの尊さを秘めていると私は思う。私の場合、特に藤本里奈ちゃんの姿を見ていると、えもいわれぬ感情が胸のまんなかあたりから立ち上ってくるのを強烈なまでに感じる。それは感謝のような感じだ。誰に対する感謝かはわからない。いや、世界に対して、か。藤本里奈ちゃんの存在する世界にアタイを存在させてくれてありがとう、みたいな。二次元と三次元に隔てられていることは問題じゃない。二次元だって三次元だって、どちらも宇宙に囲いこまれたところにあるものだもの。だから二次元も三次元も同じ場所だ。里奈ちゃん、ああ里奈ちゃん。君の笑顔を見るとぼくはしゃーわせになる。君はぼくの笑顔を見てしゃーわせになってくれるだろうか? もしそうなら余はもうなにも恐れるものはない。炎陣Forever.なので今夜のお夕飯は焼き肉にしようと思います。もちろんコーラを添えて。氷を入れれば美味しさ倍増」

 詩人は最寄りのスーパーに牛肉とコーラを買いに向かいました。前かがみのままで。

 

   *

 

「それならば、近々行われるはずだった白薔薇の王国の『怪物退治』の助力を願い出てはどうです」

 三度目の正直よろしく、みたびアイが進言すると、ようやくルミは食いつきを見せたようでした。

「怪物退治……例の“山”に住まう魔物討伐の件ね」

 

 白薔薇の王国の北端にそびえる『ダットゥイン山』。この山には未だ魔物たちが住み着いており、頂上には“死の怪鳥(ヘルグリフォン)”と呼ばれる強大な鳥の魔物がいます。先頃から、この魔物たちによる国境警備隊への襲撃に頭を悩ませていた白薔薇の王国のマナミ国王はついにヘルグリフォンの討伐を決意。討伐隊を編成するも、そこに結界に耐性を持った魔物たちによる白薔薇の王国への大規模侵攻の報が届き、討伐隊はダットゥイン山に向かうこともなく解散。後顧の憂いを絶てぬまま、外部からの侵攻に備えて防戦体制を整えることを余儀なくされてしまいます。

 しかしマナミ国王はヘルグリフォンの件を諦めきれません。そこで褒賞を用意し、王国の内外から希望者を募って特別討伐隊を結成しようと号令をかけますが、いかんせん敵は強大な魔物の群れ。思うように人数は集まらず、二の足を踏んだままいたずらに時が過ぎていくというのが現況なのでした。

 

「彼の国の冠を戴く者は勇猛果敢、疾風怒濤にして沈着冷静、常勝不敗の獅子心王。しかし同時に『諦め』という言葉をひどく厭悪(えんお)する熱血漢でもあるご様子……。意地でも怪鳥を討たんとするそこへさして援軍を送ればマナミ殿下もお喜びになることでしょう」

「確かにそうだけど……ウチは白薔薇の王国へはすでに魔物侵攻への守りに向けた守備隊を送っているし、討伐隊にまで手を回していたら今度はこっちの警備が手薄になってしまうわ。国内は平和でも国外からの脅威は常にあるのだから、おいそれと人員を外部に割くわけにはいかないし……」

 好感触のこの意見にも、大手を振って良しとするに足る余裕がないことを理由にルミは退けようとします。ですがアイはそれを手で制してこう言いました。

 

「王国の兵士を討伐隊に割く必要はありません。いい機会です、『ランコ姫』をヘルグリフォン討伐に向かわせましょう」

 

「……! ランコを、魔物退治に?」

 ルミは一瞬だけ驚いた顔をしましたが、すぐ真顔に戻り、

「うん……でも、そろそろ頃合いだものね。一考の価値はあるわね……」

 考えるルミにアイは続けました。

「姫ももう14。学びの時機です。いや、13で先代国王から一部の権利と兵力を譲り受け内政と戦に奔走していたあなた様から見ればむしろ遅いくらいでしょう。姫の魔力はすでに強大と訊いております。しかるべき手はずを整えればヘルグリフォン討伐は成せるはず」

「……強大な魔力も使いこなせなければ無用の長物。ランコにも、そろそろ世界を知ってもらうべきなのかもしれないわね……」

 そう言うとルミは立ち上がり、おもむろにベランダへ向かいました。扉を開け、微風を浴びながら庭園を見下ろすと、ゴシックなロリータドレスに身を包んだ、灰がかった銀髪の少女がひとり見えます。少女は広げたスケッチブックになにかを描いているようでした。

「お話は私から……女王、ご許可のほどを」

 そう言ったアイは、あとはしめやかに女王の言葉を待ちます。

 

「…………ランコ、あなたもいずれこの国を双肩に背負って生きていく者のひとり……。黒薔薇の魔力をその血に宿す者として、大きな一歩を踏み出してみせて」

 

 女王はランコ姫を見つめながら独り言のように小さくつぶやき、それから──

「許可するわ。よろしく、アイ」

「御意」

 夢見る瞳の少女に、遥かな旅路への道を歩ませる決心をしたのでした。

 

 

 

(つづく)



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Chapter2:曲折 ~さまよい~

 

 黒薔薇の国だからといって、なにも黒薔薇ばかりが咲いているとは限りません。ここ黒き薔薇の古城の庭園では、薔薇だけでも黒薔薇(カニーナ)はもちろん紅薔薇(キネンシス)白薔薇(ギガンティア)黄薔薇(フェティダ)蒼薔薇(シヴヤリン)が華麗に咲き誇り(ここでの“蒼”は“濃く、輝くような青色”を意味します)、チューリップやヒマワリ、彼岸花やアサガオ、うえきちゃん、とにかく様々な花が豪勢にロマンチックに咲き、シックな趣のある庭園が花たちの美をさりげなく引き立たせてうえきちゃん。

 

 そんな壮麗な花たちを受ける花器たる庭園を、花にも人にも心地の良いように維持するのは庭師の生涯の命題と言っても差し(つか)えないほどの一大事業です。

 この果てのない大仕事を一手に──いえ、両手いっぱいに請け負うのは黒薔薇の国随一の庭師、『ユミ』と『アイコ』の美少女ふたり組でした。

 ユミとアイコ──はじめふたりは自然を愛で、花や風景にふれながらお散歩を楽しむだけのどこにでもいる美少女でしかありませんでしたが、そうやって毎日自然に触れていくことで、もともと強力な潜在能力を秘めていたふたりの魔力はみるみる力を増していき、やがて独特の成長を遂げることになりました。

 

 まず花が大好きなユミは、いつしか花と意思の疎通が可能になりました。花の状態を他ならぬ花自身に直接教えてもらうことによって、成長や健康維持に必要なものや育成環境を迅速に整えられるようになりました。加えて彼女は魔界の植物とも仲が良く、有事の際には闇植物を召喚して魔物退治にあたることもできる優秀な魔術師でもありました。

 いっぽうアイコは日課のお散歩daysの積み重ねによって大地(ガイア)のささやきに耳を傾けられるようになりました。これにより、花の意思を汲み取ったユミから得た情報をもとに、花ごとに適した状態の土を大地の声を頼りに探し出すことができるようになったのです。しかも彼女は黒薔薇の国の住人には珍しく光の植物を召喚することのできる魔術師でもあり、戦闘が起きた際には堅固な天界の植物の力を借りて土地や人々を守る術にも長けていました。

 つまりふたりは特殊な才覚をもつ傑出した庭師であると同時に植物魔法のスペシャリストでもあり、それよりなによりとにもかくにも美少女であり、その美貌は魔法云々への評価を二の次にせざるを得ないほどでした。とはいえやはり優れた魔術師であることにも疑いようはありません。いやでもやっぱり美少女ってほうを推したいかな。『優れた魔術師』と『美少女』なら美少女のほうが断然、良いし。例えば、世界が崩壊するまさにそのとき。『優れた魔術師』と『美少女』、どちらに隣にいて欲しいか。『美少女』に決まっている。この問いは世界が滅ぶ前提で為されているから優れた魔術師がいても世界の終わりを回避することはできない。だったらとりあえず美少女にいてもらいたい。だってそのほうが心がポカポカすんもん。世界の終わりそっちのけで彼女(具体的にイメージしやすいよう、ここでは仮に藤本里奈ちゃんとしておきます)をあたたかく見つめる。幸福。もし彼女もこちらを同じだけのあたたかさをもって見つめてくれたなら──。そのとき、言葉はいらない。ふたりは空間を越えてふたつの熱い光の玉となってどこか知らないところを揺蕩うでしょう。つまり、世界が滅んだあともふたりは永遠となる。ゆえに美少女一択。しかし本題に戻ると彼女たちは優れた魔術師でもあり美少女でもあるわけで、She's a ハイブリット・ヒューマン。それはそれは凄まじい訴求力を放つ存在なのです。Flowery最高!

 

 そんなふたりを『常に前かがみの詩人』が知らぬはずはありませんでした。ある日ふたりの圧倒的美少女ぶりにいてもたってもいられなくなった詩人は悶々としながらも前かがみの姿勢のまま時速3.6ノットの速度を維持した足取りで帰宅。鬼のような勢いでポエムを書きなぐり、翌朝、彼女たちからインスピレーションを受けた詩集『やすらぎとやさしさのシフォンケーキ、雲の上でふんわり華やぐミルクセーキを添えて』を電撃発表。3週間後には刊行され『このポエムがすごい!』ランキング13位を記録して、詩人は食洗機とキャベツ太郎を買いました。

 

 しかし詩人にそれほどの狂気を与えたユミ・アイコのふたりでも黒薔薇城の庭園を造りあげるまでの道のりは決して容易なものではありませんでした。自然というのは常に人間の予測・思惑を越えるものです。それは花や大地の声を聴ける力をもつふたりの前でも等しくそうでありました。嵐が起こり豪雨が降り、冷害があれば酷暑もあり……庭師の日常にはさまざまの試練がなにげなく襲いかかってきます。ですが彼女たちはどんなときも花や大地を、つまり自然を、そして互いを、親友(パートナー)を思いやり信頼する気持ちを忘れませんでした。ユミもアイコも、困難を前に強がったり、自分たちがもつ能力を鼻にかけて思い上がった態度をとったりせずに、とにかくやれることをやれるだけ取り組む姿勢を崩さず貫き、使命を燃やし、悩めるときは素直に助言・助力を請い、敬愛と憧憬の目で相手を見つめ、ふたりの間には緊密なコミュニケーションが醸成されてゆきます。

『藍子ちゃんと夕美ちゃんの緊密なコミュニケーション』

 ──この言葉だけは忘れず持ち帰ってください。先生からみんなへの宿題……いや、祝福です……。

 

 さて、そうした日々の積み重ねが彼女たち間を取り持てば、当然そこにはひときわ熱く(たぎ)る想いが生まれ(いず)ることになります。それはもちろん──恋心(KOI-GOKORO)……。そしてそれがもたらす、尊き相手の清らかでしなやかな肉体に包まれた『魂』という名の果実を貪らんとする『ひみつの欲望』……。“ひみつ”ってひらがなで表記すると、少女の清らかさと、その膜1枚に隔てられた先に眠る野獣的な本能との4対6くらいのパワーバランスによるせめぎ合いが、司令塔であり得点王でもあらせられる『いささか下心を伴う愛欲』選手擁する野獣的な本能チーム側が、今宵は少女の清らかさチームの要である『ときめきママレードオレンジピーチ・パイ』選手不在の折もあって、氏とともにフィールドの両翼を担う『王子なオレより孤独で壊れそうなありのままのぼくを見つけて愛して』選手の不調も手伝って圧倒的優勢でゲームが進行していくような感じがあってとてもいい感じでした。そう思いますよね? そうですね? そうです。そうでありました。

 

   *

 

『藍子ちゃんと夕美ちゃんの緊密なコミュニケーション』

 

「藍子ちゃん……いくよ?」

「…………はい」

 

 庭師の職務に就いてから一緒に住んでいる、やや広めの丸太小屋。月の隠れる曇り空の未明の下、恋を知ったばかりのふたりはその唇を恐る恐る相手の唇にはじめて重ねました。緊張で震えた湿り気のある桃色の唇から、吐息とともにお互いへの愛がこぼれていきます。

 

「ぁ、藍子ちゃん……も、もっと、強くしても…………いい、かな?」

「…………ん。いい…………じゃなくて……」

「え…………?」

「……そう、して……。強くしてくれなきゃ……イヤ……」

「…………ッッ!」

 

 依然空は分厚い雲に覆われ、月はふたりの蜜月を知るよしもありません。ユミは欲望に突き動かされるがまま、ぎこちないながらも舌をそっと伸ばしアイコの舌に絡めます。アイコも一瞬、反射的な抵抗を感じつつも、やがて自らの意志で積極的に絡めていきます。そっと、でもやがて、強く、強く……。

 

「藍子ちゃん…………いいよね?」

「うん…………私たち、イケナイ女の子になっちゃうんだね……」

「……ごめんね。でも、もう……我慢なんて、できない」

「……私だって同じだよ。……夕美ちゃんとなら、イケナイ女の子になっちゃっても……いい。ううん、なりたい…………です」

「藍子ちゃんっ……!!」

 

 ふたりの欲望は、いよいよ自制の利かない禁断の高みにまで昇りつめてゆきます。ユミは自分に吸いつくように重なった汗ばむアイコの──愛する人の身体がこんなにも熱いことをはじめて知りました。もちろん、それはアイコも同じでした。

 

 ──このような深き闇夜(あんや)

 眠らぬ草木のささめきを聞いたか

 若草の蔦絡め、百合の花弁に夜露の垂れるを見たか

 陽だまりに浴し微睡(まどろ)紫丁香花(ライラック)の薫風に吹かれたか

 このような深き闇夜に……

 

(『やすらぎとやさしさのシフォンケーキ、雲の上でふんわり華やぐミルクセーキを添えて』所収「夜奏花(やそうばな)」より抜粋)

 

 生温い春の嵐の一夜が明け、手折られぬ絆を互いの体温から探し求め見つけ合ったユミとアイコ。心が通いあってしまえばあとは一直線。それからというもの、ふたりは互いの体温のあたたかさを、みずみずしい肌の柔らかさを、ある日はアイコから、またある日はユミから、それはもう毎日のように求め、貪り、ありとあらゆる快感の樹海をふたりきりで幾度も幾度も彷徨(さまよ)っては森の深きに溺れてゆきました。一線を越えたあとのふたりは、まさに欲しがりガールでした。それってとっても素敵。

 

   *

 

 そんな愛ある日々を重ねた彼女たちから放たれる強大な尊みオーラを、“女の子どうしの恋をサイリウム振って全力で応援したい勢”、通称『百合厨(ラフレシア)』の皆さんが尊みスカウターによって検知、ただちに世界中の尊みを司るチューニ大陸の神『尊み秀吉』に、『マリア様がみてる』本文中の会話文と『大技林(だいぎりん)』の20p~550pに載っている裏ワザ紹介文の組み合わせのみで構成された暗号を用いて狼煙(のろし)で報せました。午前2時に。

 

 暗号の完成は一夜にしてならず。マッチ棒で大聖堂を建てるような至難の試みでした。暗号製作班の誰もが、『マリみて』の乙女たちが繰り広げるハチャメチャ・パニックdays & 胸キュン・はにかみdaysによる愉快さ、尊さ、リリカルさ、『大技林』の脱衣麻雀ゲームの裏ワザ紹介欄に掲載されている脱衣シーンのエッチさ(ただし乳首は『☆』になる)の虜になってしまい、作業は遅々として進みませんでした。

 

「このままじゃダメだ! みんな、もっと集中しよう!」

 

 あまりにも気だるい空気の漂う現場に、暗号製作班リーダー『一万円札の福沢諭吉とにらめっこしていつも必ず負ける男』の激が飛びます。これを契機に心機一転した製作班は、飲み干したエナジードリンクに水道水を入れたものをグビグビ飲みながら作業に励みました。

 そのような労働環境の劣悪さにもめげず暗号を完成させた彼らの軌跡はDVD『スパルタンX 冒険者たち ~常識という名の魔物を疑え カレーライスに熱湯入れてかき混ぜてもカレーメシにはならないことに気づいた男たち~』の特典映像に6分ほどのダイジェストとしてまとめられて収録されているので、あの感動の物語をご家庭で何度でも楽しむことができます。興味のある方は全国のCD・DVD販売店にて『THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTER 14 情熱ファンファンファーレ』をお求めになってはいかがでしょうか。楽しいとき、辛いとき、落ち込んだとき、どんなときでも聴けば心が癒されて、前向きになって、燃え上がる。まさに全人類必聴盤(オールタイムベスト)な一枚となっております。We are ポジティブパッション!!!

 カップリング曲には、サイキックエスパー美少女アイドル・堀裕子ちゃんによる2ndソロ曲『サイキック!ぱーりーないと☆』と、高垣楓さん、川島瑞樹さん、松永涼ちゃん、速水奏ちゃん、新田美波ちゃんたちによるGONINヴァージョンの『Nocturne』を収録。パッションをメインにしつつクール成分もしっかりin、そしてアイドルは誰もがKawaii(キュート)。つまりこれ一枚で山賊性(トリコロール)が補給できる、実にバランスのいい一枚でもあったのです。

 

 『THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTER 14 情熱ファンファンファーレ』は、チューニ大陸全土で3005兆2枚を売り上げ、世界遺産に登録されました。

 

   *

 

「高森藍子ちゃんと相葉夕美ちゃん……いいね……尊い」

 

 吉報を感知した、神々の住まう超次元空間『輝け! 僕らの廃墟』のなかに存在する彼の支配領域『セゾン・谷間の百合』の四畳半で手作りママレードジャムを煮詰めていた秀吉の心のUO(ウルトラオレンジ)52本がバッキバキに折れて領域内は火事のごとくに光輝きました。が、これはあくまで秀吉の心象風景に過ぎず、実際に個人によって52本のUOがいちどきに焚かれたわけではないので特に厄介勢などはおらず、安心してのどかな時間を過ごすことのできる環境でありましたし、秀吉はお菓子作りが趣味なので彼手製のクッキーやシナモンロールを食べることもできる、実においしい空間でした。

 Floweryのふたりに、よく晴れた日の丘の上で恋する人に想いを寄せながら春風に髪をなびかせのんびり野良猫と散歩をしている少女を見たときのような気持ちにさせられた秀吉はその尊みのお礼として、かなり神ってる永続性の魔法をふたりにかけ、予期せぬ祝福(セレンディピティ)を与えました。この祝福によって、人間に対して対立でも友好でも中立ですらない無垢なるものであるはずの自然が彼女らに微笑みかけるようになり、例えば大陸中を荒らし回る暴風雨が発生したときも、ふたりの築いた庭園内でだけはその勢いを弱め、植物を愛でるそよぐ風と恵みの雨に変わり、場合によっては晴れ間が差すことさえありました。しかしだからといってふたりはその祝福ばかりに頼り、自らの手による庭園の世話を怠るようなことはなかったのです。それというのもふたりが心の清い美少女だからです。これに痛く感動したその日の秀吉の手作りチョコクロワッサンは絶品だったそうな。

 

   *

 

 そのような愛と祝福に満ちた庭園で、今日もランコ姫は48色のクーピーを駆使して思いつくがままスケッチブックに絵を描いておりました。なんの変哲もない、いつもの一日。

「おはようございます、姫様。今日はなにを描いていらっしゃるんですか?」

 うえきちゃんに水やりを終えたばかりのユミとアイコがランコ姫に話しかけました。うえきちゃんは現在の生育状態の良し悪しが一切見た目に出ない特殊な植物なのですが、ユミの能力と観察眼をもってすれば気難しいうえきちゃんの世話もなんのその。ただし時折いたずらに飛ばす花粉には注意しましょう。

 

「ユミ、アイコ、煩わしい太陽ね。我が禁断の書(グリモワール)覚醒(めざめ)は近い……ゆえに使い魔の沈黙(ねむり)を妨げぬよう静謐(せいひつ)(とき)を刻みなさい」

 †(ユミちゃん、アイコちゃん、おはよう! 今日もとってもいいお天気ですね。あそこで眠っている黒猫さんを描いてるんです! あと少しで終わるからちょっと静かにお願いしますね)†

 

 驚かせてしまったでしょうか? 実はランコ姫はこのように平静から呪文の詠唱文のような文言を用いて話す癖があるのです。町の者たちはこれを「偉大なる魔術師になる器を持つことの証左」として姫を崇め奉り、女王ルミに内緒で城下町すべてのお店で使うことのできるギフトカードをプレゼントしたりお年玉をたくさんあげたりしていましたが、実際のところランコ姫は、「そのほうがカッコいいもん」という理由でこのような言葉づかいを好んでしていただけなのでした。しかし闇の女王の一族だけあって大いなる魔力をその身に宿しているのは事実ではあります。こないだもランコ姫はギフトカードを使い、クーピーのビリジアンだけを56本大人買いしてホクホク顔で城下町を歩いていました。姫様のあどけない美少女ホクホクスマイルを見た住民たちもホクホクが止まりませんでした。それらすべてを神のゾーンで見守っていた秀吉も悶絶しながらホクホクでした。その日作ったラズベリーパイのソースはほんの少し焦げててその香ばしさがいいアクセントになっていたそうな。

 

「あっ、本当。黒猫さんが気持ちよさそうにお昼寝していますね~」

 少々ボリュームを絞った声で言ったアイコの目の先にあるシロツメクサの花壇の目の前に、ランコの言ったとおり体を丸めて可愛らしげに眠る一匹の黒猫がいました。

 あたたかな日差し、日光で輝かしく彩られる木々の葉、風に吹かれて踊り香る花々、黒猫、美少女たち、うえきちゃん──黒薔薇城の庭園の、あまりにも穏やかでいとおしい時間がゆるやかに流れていきます。

 

 ですがそこに、カツカツカツ──と、小気味の良いテンポではっきりと鳴り響くメイド靴(トゥパンプス)の足音。

「ごきげんよう姫様。アイコにユミも」

「あっ……」

 凛としたアイの声音(こわね)と足音に目を覚ました黒猫は、そそくさとその場を立ち去っていってしまいました。

「……あの猫を描いておられたのですか。申し訳ありません。ですが、今日は姫様に大事なお話があるのです……スケッチブックを閉じて聴いていただけますか」

 ふわりとした場の空気を声ひとつでキュッ、と引き締めると、アイはランコのほんの少しだけひきつった顔を見つめました。

 

 その目は優しく、頼もしい。いつもどおりの、タレ目が柔らかい印象を与えるアイの瞳。そのはずなのに──

 

「……いいわ。話して」

 ランコは、今だけはアイの瞳に大いなるなにかが動きだすようなものを感じ取って、閉じたスケッチブックを抱える手にちょっぴり力が込もってしまうのでした。

 

 ──ざわめき立つ美少女たちの胸の内など知るよしもなく、少し離れたところでその光景を眺めていた黒猫があくびをしました。そこまで含めた光景を、うえきちゃんはただ見ていました。動けないから。動かないから。植木だから。

 それらすべてやその他すべても含めた世界の光景を、尊み秀吉も焼き上がったカスタードクリーム入りメロンパンをお皿に盛りつけながら静かに見守っていました。

 

 

 

(つづく)



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Chapter3:回想 ~おもいで~

 

「白薔薇の国北部にそびえる怪鳥の巣、ダットゥイン山の支配者、ヘルグリフォンはご存じですね? 白薔薇の国では今、そのヘルグリフォンを討伐するための部隊を結成すべく人員を国内外から募っております。そこで女王陛下はこの件を、黒薔薇の王族の血を引く者が十代のうちに成さねばならぬ『試練の儀』として定め、姫に討伐隊に参加し、ヘルグリフォンを打ち倒すようにとの命を仰せられました。姫には早速明朝、ヘルグリフォン討伐のため白薔薇の国へと向け出立していただきたく存じ上げます。ついては今宵は姫にとってしばしの間、この国で召し上がる最後の晩餐となるので料理人にはいっそう腕によりをかけさせようとのルミ女王の計らいにございます。ご希望はありますか?」

「ハンバーグ!!!!!!!! 来てしまったのね、この(とき)が。これも黒き薔薇の城に住む血族の運命(さだめ)……この庭園の景色をしばらく見れなくなるのは寂しいけど……女王(お母様)の命とあれば受けるしかないようね。フフッ……」

「さすがは闇の女王のお世継ぎ、覚悟は当に決まっておられたようだ。私も安心してお見送りすることができます。チーズはinしますか」

「してっ!!!!!!!!」

「アイさん、待ってください。そのヘルグリフォン討伐の旅、行くのはランコ様おひとりだけなんですか? 私たちはおろしダレの和風きのこハンバーグでお願いします」

 不安げな顔でアイコが尋ねました。アイコの隣にいるユミも同じ表情をしていました。

「フッ……君たちの不安はわからないでもない。だが姫はすでに次期女王として十分な素養をお持ちだと、私もルミ女王も考えている。心配は無用だ。それに君たちはこの花の園を守るという使命があるはずだ。それを中途で放り出して旅についていっても姫は喜びはしないよ……そうだろう? 承った」

「…………」

 アイコもユミもなにも言えませんでした。アイには、ふたりがランコの旅についていこうと考えていたのはお見通しのようでした。

 

 

 

~ みんなだいすき、ハンバーグ ~

 

みんなだいすきハンバーグ

おにくがジューシーハンバーグ

とろとろチーズのハンバーグ

日がな一日ハンバーグ

とにもかくにもハンバーグ

たべたらなくなるハンバーグ

みんなおかわりハンバーグ

みんなきえてなくなれハンバーグ

 

 

(ゴー・トゥ・ホスピタル仁科(にしな) 詩集『朝9時に工業団地のド真ん中でアヒージョのつくり方教えてくれる老婆』より抜粋)

 

 

 

「アイコ、ユミ……ありがとう。あなたたちはあなたたちの使命を果たしなさい」

「ランコ姫……」

「魂は、我とともにあり!」

†(心は、いつもいっしょだよ!)†

 勇ましげにランコが言うと、ふたりに笑顔が戻りました。

「それに、だ……」

 そこから少しの間を置いてアイは話を続けました。

「これは姫様の『試練の儀』ではあるが、誰の手も借りずにひとりで旅に出ろとは、私も女王も言っていないよ」

「え……」

 アイのこの言葉には、アイコとユミだけでなくランコもきょとんとしました。

「『試練の儀』はなにもひとりきりですべてを成し遂げなければいけないわけではない。現にヘルグリフォンの討伐には白薔薇国で部隊を編成したうえでことに当たるわけだからね。旅についていく以外にも手助けの方法はあるはずだよ、ユミ、アイコ?」

 そう言って思わせぶりにアイはふたりに目配せしてみせました。それに気づいたふたりは喜び勇んでランコに言いました。

「姫様、旅にはついていけないけど、お手伝いはさせてくださいね♪ 私たちの……この魔法で!」

 そうしてふたりはランコに向かって順番に“ある呪文”を教えました。

 

「……! これは……!」

 

 ランコ は じゅもん 『スキアラバアイバユミ』 と 『アイコチャンカイギ』 を おぼえた!

 

「私は闇の植物魔法、アイコちゃんは光の植物魔法が得意だから、攻撃なら私、防御ならアイコちゃんを呼んでみてください。きっと力になってみせますから!」

 なんということでしょう。ふたりがランコに教えた呪文は、それぞれユミとアイコを一瞬にして呼び出せる召喚魔法だったのです。これでランコ姫は、『スキアラバアイバユミ』を唱えればユミが闇の魔法植物による攻撃を、『アイコチャンカイギ』を唱えればアイコが光の魔法植物で脅威からその身を守ってくれるという、きわめて有用な攻撃と防御の魔法をいちどきにふたつ覚えたのです。これはランコ姫の潜在的な魔術への素養、そしてユミ、アイコとの間に築かれた友情の賜物であって、これほどの強力な呪文をふたつまとめて覚えるなど、よほどレベルの高い魔術師でなければ不可能な離れ業でした。

「ユミ、アイコ……そなたらの魔法(おもい)、確かにこの胸に刻み込んだわ。ありがとう……」

「えへへ……これで本当に“魂は”……」

「うむ! “我とともにあり!”…………でも…………やっぱり寂しいようわあぁぁぁぁぁぁぁ~んッ!!」

 今まで沈着冷静な態度でいたランコですが、ふたりからの厚い友愛の証に、思わず感極まってしまいました。

「姫様は寂しがりやですね……大丈夫ですよ、お呼びになってくださればいつだって会えるんですから……」

 そう言うアイコの目からも、涙がわずかに顔を覗かせていました。

 

「……よいですかな、姫。話はまだ終わっておりませんゆえ」

「……うむ、そうであったな……。かまわぬ、続けなさい」

 ランコが落ち着くまでしばらく待ってからアイが再度口を開きました。

「先に申し上げたとおり『試練の儀』は、達成に他者の助けをいとわぬもの……。課せられた命は違えど、女王陛下もかつて『試練の儀』の際には微力ながらお力添えを申し出た私と数人の者を従えてその儀を成し遂げられました」

「アイが……お母様の『試練の儀』に?」

「ええ。もう10年ほど前になるか、フフ……」

 ランコは、顔を少し横に向けかすかに唇を歪めながら自嘲気味に笑うアイの襟足を揺らしているそよ風から、ルミがいつも濃紺のショートヘアから漂わせている優しいローズマリーの香りと同じ匂いがすることに気づきました──。

 

   *

 

 (よわい)13にして政治に戦に辣腕を振るっていたルミが『試練の儀』に臨んだのは18のとき、久しぶりに行きたいと思ったものの激務でプライベートな時間がほとんど取れず、結局そのときは実現することができずに一瞬頭を過るだけで終わった、“10歳の頃に遊びに行った『わくわく使い魔ランド』に再訪する”というささやかな願いを4年ぶりに思い出し、今度は実現させ12年ぶりにランドに訪れた22の春、園内の『ネコちゃんコーナー』でばったり再会した、かつて召喚の契約を結ぼうとしたものの交渉に失敗しムシャクシャして無理矢理仰向けの体勢にしてから小一時間に渡ってお腹のいちばん柔らかい部分をわしゃわしゃ撫で(さす)ったり人差し指でつんつんつついたり指先をツーッ、と這わせてくすぐったり顔を埋めてモフモフしたりとさんざんやりたい放題した末に勝利のドヤ顔と恍惚の笑みを浮かべつつランドを去っていったルミに、いつか復讐せんと機会を窺っていた職業:使い魔兼Youtuber兼プロデューサーという肩書きを持つ、有償10連ガシャを100万回回したらしいという伝説がまことしやかに噂されている黒猫の長老『Hi-KAKIN(ハイ・カキン)』さんに、どんな解呪魔法でも完全に解くことは不可能なほどの強力な魔法耐性を持つ猫アレルギーの呪いを出会い頭にかけられしまい、それから王国中の腕利きの治癒師を集めてなんとかアレルギーを軽度のものに抑え込むことに成功したとはいえ、まさか自由闊達に猫とふれあうことに難儀する日が来ることになるであろうことなどまだ夢にも思っていなかった16歳の初夏の頃でした。

 

「ここがあのミノタウロスたちのハウスね」

 

 ルミに課された『試練の儀』、それは西の森に潜伏しているミノタウロスの強盗団の殲滅でした。このミノタウロスたちは徒党を組んで森の近くにある小さな村で恐喝や盗みを繰り返しており、下手に手出しをすればその豪腕から繰り出される斧の攻撃によってあっけなく殺されてしまうため魔力を持たない村の力自慢の男たち程度ではどうすることもできず、村は恐怖と不安に包まれてすっかり活気を失っていました。そこで『試練の儀』を迎えたルミに白羽の矢が立ったというわけです。

 

 強盗団が隠れ家にしている丸太小屋は大きく立派で、中からは複数の騒がしい笑い声が漏れ出ており、どうやら強奪の戦果を祝ってパーティーが行われているようでした。しかし小屋の入り口の左右には両刃の斧を携えたミノタウロスが2体仁王立ちで辺りを見張っているのでこのままでは近づくのも難しい状況でした。

「姫様、小屋には裏口もありますがそこにも見張りが……正面と同様に2体。やはり斧を持っております」

 森の中を慎重に動きながら、遠くから小屋の周辺を探っていたアイが合流してルミに報告しました。

「強盗団の構成員は全部で13。出払っている者はなし……。まずは中の9体に気づかれずに外の4体を片付ける必要があるわね」

「暗殺、ですか」

「あなた“たち”の専門分野ね。中の9体は私が受け持つわ。あまり仲間任せにしては『試練の儀』にならないし……頼めるかしら」

「御意……正面の2体は私と『メアリー』がやろう。『タマミ』と『アヤメ』は裏口に回ってくれ。合図をしたら決行だ」

「ガッテン! ハチノスにしてやるワ!」

「ニン! “素早く、確実に”──ですね」

「いよいよ大詰めですね……タマミの妖刀・村昌子(むらまさこ)もルミ姫の『試練の儀』成就を目前に歓喜に震えて魔力は十二分にみなぎってますぞ!」

 アイの他にルミに従っていたのは、チューニ大陸中央に広大に広がる森のはずれに居を構える『オエド族』と呼ばれる妖精の女の子、タマミ、アヤメ、メアリーの3人でした。3人は優れた隠密技術の持ち主で、それぞれサムライ、ニンジャ、ガンナーの職業(クラス)に就いて仕事を探していたところをアイに雇われる形で途中からルミの『試練の儀』を成すための旅に参加していました。

 

 アイの号令で裏口へと静かに向かったタマミとアヤメを待ちながらアイとメアリーも準備をはじめます。

「メアリー、消音(ミュート)魔法は忘れずにかけたかい?」

「余計なお世話ヨ、アイ。アタシよりジブンの準備をさっさとなさい」

「手厳しいな。だが……よし、OKだ」

 喋りながらもアイは持ち物のアタッシュケースを開いて中から取り出したスナイパーライフルのパーツを素早く組み上げ、魔法をかけた弾丸を装填し発射準備を終えました。ルミの女王就任後はメイド長を務めているアイですが、かつては長距離からの射撃で標的を仕留める暗殺者(アサシン)タイプのガンナーで、その腕は今も衰えていません。

「アイ、裏口のふたりもOKよ。私も問題ないわ」

 タマミたちといっしょに裏口に向かわせた使い魔のカラスがルミの元に戻り、首を縦に振ってふたりの準備の完了を伝えました。

「よし……では始めようか」

 スコープを覗き、見張りのミノタウロスの1体の額に照準を合わせ、アイが引き金を引きました。

 引き金の手応えとは裏腹に銃口から出てきたのは、ひらひらと舞う1匹の蝶──。

 

「おい見ろよ、キレイな蝶だぜ……」

 

 ひらひらと小屋に向かって飛んでいく蝶に、アイが『狙撃』した見張りのミノタウロスが当然のごとく気づきました。

「見とれてないでしっかり見張れ。常に近くに暗殺者が潜んでるかもしれないと思え」

「そんな奴いるかよ」

 もう1体のミノタウロスが忠告をしても標的のミノタウロスは聞く耳を持ちません。

「こっちにまっすぐ飛んでくるな……おっ?」

 アイの放った蝶が標的ミノタウロスの眉間に留まりました。

「おほほっ、お前おれが怖くないのか? いい度胸してるぜ。気に入った」

 ミノタウロスが無邪気に笑いました。その蝶が、自分を殺す弾丸であるとも知らず……。

「気をつけろって。その蝶が攻撃だったらお前さん、死んでるぜ。たかが蝶にはしゃぎやがって……」

「うるせぇな、神経質め。もっと肉を食え肉を。精をつけてもっと俺みたいにビッグに構えられるミノタウロスになれよ」

「肉を食うとお前みたいにガサツになるなら俺はしばらくサラダバーに通うことにするよ」

「は? てめぇはただの牛か? 草しか食わねぇならその辺の放牧地帯でホルスタインどもと仲良くやってな──」

「(よし、メアリー行け!)」

 小声でアイが言うと同時に、音も立てずにメアリーが死角から小屋の入り口に向かって走りだしました。

(あなたもいきなさい)

 ルミが命令すると、使い魔のカラスが大きく音を立てて飛び立ちました──タマミとアヤメへの『合図』です。

 

「──突撃(スラスト)

 

 カラスの羽音を聞くのとメアリーが小屋に到達したのを見たのと同時に、アイは一言呪文を唱えました。するとミノタウロスの眉間に留まっていた蝶が一瞬にして弾丸に戻り、ミノタウロスの頭に音もなく『突撃』していきました。抑制の美と解放の熱を象る月光蝶──アイが編み出した魔法、『ハービー・バレット』による静と動の一撃です。

「ぐふっん」

 小さな小さな、そして間抜けなうめき声。ゼロ距離で発射された魔力の込められた弾丸はあっという間にミノタウロスの頭蓋骨の一部を砕き押しのけ、脳の深くに食い込みました。

「え、あっ、おっ……?」

 ほぼ同時にもう1体のミノタウロスからも意味不明の小さな声が途切れ途切れに上がります。メアリーが手に持った小型拳銃(デリンジャー)から無音で次々弾丸を発射し、ミノタウロスの首から胴体にかけてを穴だらけにしました。

 カラスの羽音を裏口近くの森の陰から聞き取ったタマミ、アヤメも迅速に行動に移りました。

 まずアヤメが魔力で切れ味を高めたクナイを高速で放つと同時にタマミが小屋に向かって走りました。その一瞬あとアヤメもタマミを追うように小屋に向かいます。隠密行動に長けたふたりの走りに、世界は音を発することを忘れました。

 2体のミノタウロスがふたりに気づいてから声を上げたり攻撃の動作に移るまでの間に、一方のミノタウロスの喉元をクナイが快速で通り抜け、もう一方のミノタウロスの首が、タマミが抜刀するやいなや放物線を描いて森の中へと飛び込んでいきました。それらの行動の完了は、表の2体のミノタウロスが命を失うのとまさに同時。

 

 そうして絶命し倒れゆく計4体のミノタウロスの死骸たち。しかしこのまま倒れられては衝撃音で小屋の中のミノタウロスたちに気づかれてしまいます。間髪入れずにルミは『通販の女帝』を召喚。女帝はこの間衝動買いしたばかりの超高性能衝撃吸収シートをミノタウロスの足元近くに素早く設置。シートがミノタウロスが床に倒れる衝撃とそれに伴う音をバッチリ吸収・消音。ことなきを得ました。勢いで買ったはいいが大量に余って使い道に困っていた吸収シートを消費することができて女帝にとっても好都合だったのでWin-Winでした。

 一方、裏口の2体はアヤメの口寄せの術によって召喚された、臆病で引っ込み思案、でも心の内の芯の強さは誰にも負けない儚げな雰囲気をほんのり纏った美少女ラッパー『Yukiy-Ho'』が音速で地面に深い深い穴を掘り、2体のミノタウロスの死骸はそこに落ちてゆきました。

 

「A-Yo! Ho,ho! Megalopolis掘りにゆきM@S 地底かき分けGO MY WAY!! ドリルかましてGO前へ!! 強固な土だって、まるで雪だって、響子の土地は? って鳥取だって! どっちみち砂丘進むみたいにサクサク行く! でも砂丘荒らす Watt!? そんなん、なんなん……ダメじゃん。思い出をありがとう、って勇気もってまた前へ進んでいきたいじゃん。ルール守ってシャベル持って喋るの苦手でもポジティブ! にAccess to the futureって、あくせくしていかなくっちゃ! んで疲れたらTya tyme tha 緑茶! あ、よかったらこれどうぞ」

 

 そう言ってYukiy-Ho'はジパング土産の雪の宿をアヤメに渡してから去りました。

 こうしてルミたち一行は音もなく4体のミノタウロスを殺戮することに成功しました。

 

   *

 

 相も変わらず愉快そうな声や物音の漏れてくる丸太小屋の前の地面に、ルミはたっぷり10分かけて魔法陣を描きました。そうして準備を整えてからルミは半径3mほどの大きさの魔法陣を前に、1分半ほど時間をかけて丁寧に呪文を詠唱しながら、魔法陣を描くのに使ったステッキの先を小屋の前につきつけながら魔力を込めました。

 見張りの死滅した小屋の前で声をひそめる必要はもはやなく、平静どおり涼やかで通りのいい声を辺りに響かせると、魔法陣がにわかに黒く輝きだし、と同時にステッキの先端からは球体状の炎が出てきて、どんどん膨らみだしました。

「はあっ!!」

 ルミがお腹に力を込めて、甘くなく凛としていていつまでも耳にしていたくなるような響きのある、内の情熱を窺わせなくもなくはありつつも、感情をはっきりとは表さない淡白さがむしろ魅力的な声で叫ぶと、巨大な炎の塊がまっすぐに飛んでいき、丸太小屋をあたたたたたたたかく包み込みました。

 断末魔を上げながら小屋から飛び出してくるミノタウロスたちを視認した次の瞬間、ルミは魔法陣に仕込み終わった魔力を一気に解放しました。

 

ォォォォアアアァ!」

ゥゥゥゥゥンッッ!」

あ仕事じゃあ!」

んんっ! 腕が鳴るぜ!」

くいアンチクショウはどいつだァ!?」

ストンバックが欲しい。暖色系の」

クラ丼食べ行く?」

シ! スシがいい!」

いていくぜ。おごりならな」

ま何時? お急ぎ便来ちゃう!」

いうか、藤本里奈ちゃんっているじゃん、アイドルの。我輩、最近あの娘のこと考えるたび胸が切なくて辛くなるんよ。コレってやっぱり里奈ちゃんが可愛すぎるからだよなあ。ほんと、見てくれはギャルな派手めのビジュアルでカワイイ、ってよりキレイ系なんだけど健気で真面目で頑張り屋さんでさ…………俺、守りたい。里奈ちゃんのアイドル道と笑顔を。彼女の魅力を銀河中に轟かせてぇよ。つくづくそう思う日々だよ」

「そうだね」

 

 魔法陣から現れたのは、ミノタウロスに負けないくらい屈強な肉体をもつ12体のオーガたちでした。

 自分たちが出てきた魔法陣に込められた魔力から召喚主のルミの意向を汲み取ったオーガたちは、直ちにミノタウロスの群れへ殺到していきました。残りのミノタウロスは9体。しかも炎で焼かれてすでに虫の息の者もおり、闘いの行く末はもはや明らかでした。

「あアアあアアアアアアアアァアァァァぁァッ!!!」

 大地が震えんばかりのミノタウロスたちの絶叫。オーガたちは青息吐息のミノタウロスたちにも全力でかかり、その脅威的な怪力を如何なく発揮しました。ある者は棍棒によるフルスイングで頭部を潰され、またある者は首を締め上げられた勢いで骨をへし折られ、またあるものは周辺の散乱物の中から手に取ったスプーンで目玉を抉り出され眼窩(がんか)の中にメントスを入れそこにさらにコーラを注がれたのち瞬時にガムテープで何重にもぐるぐる巻きにされ、またあるものは落ちていた食べかけの雪の宿を勿体ないと拾い食いをしたらたまたま近くに生えていた毒キノコもいっしょに口にしてしまい、全身にショッキングピンクの痣が浮き出ながら、留学先のテキサスで1日20回ピザ屋に無言電話をかけるバイトをしていた頃の記憶をフラッシュバックさせられながらオーガたちに皆殺しにされました。

 

 西の彼方に傾いた陽の光があたりを真っ赤に照らしました。夕陽のオレンジに射されて浮かび上がる赤。それは地面や焼け落ちた丸太小屋の残骸や雑草に飛び散ったミノタウロスの血液と、ミノタウロスたちがパーティーの立食のトマトフォンデュ用に用意していた2トンもの潰れたトマトによる、どろり赤とフレッシュ赤とのふたつの色彩が織りなすめくるめくハーモニー。血の匂いを嗅ぎ付けて寄ってきたカラスの群れにはオーガの棍棒の一撃によって潰されたミノタウロスの頭部と潰れたトマトを判別することはできませんでしたが、どちらも嫌いではなかったのでさっそくそれらを(ついば)み晩餐としました。一帯にこぼれたコーラとばらまかれたメントスには、早くもアリがたかりはじめていました。

 

   *

 

 2ヶ月後、大量もの潰れたトマトの流れる果汁の養分を吸った丸太小屋跡の大地は豊かに逞しく育ち、焼け跡などなかったように辺りは夏真っ盛りの風に吹かれて波立ち、深緑の調べを聴かせてくれる青々しい草原の海が広がっていました。

「姫もいよいよ女王になられるのですね」

「儀式を終えただけよ。気が早いわ」

 厚い葉に遮られて弦月の光わずかに降り注ぐ樹の下、ルミとアイはふたりだけの語らいの時間を楽しんでいました。

「ますますお忙しい日々を送られる」

「そっちは明日からにでもなりそうね」

「優秀な参謀が要り用になると思いませんか」

「ふふっ、自信満々の割に遠まわしな言い方ね」

 いたいけなルミの笑みにはすでに女王の気品が漂いはじめていました。

「貴方の近くに、お付きしたい」

「……いいわね。『お仕えしたい』ではないのが、特に」

「……」

「幼なじみのあなたが言う『近く』って……どこなのかしら?」

 勿体つけるルミを前に、軽い目眩にでも遭ったように樹にもたれかかりアイは言いました。

 

「……互いの立場など、小さい頃は気に留めることもなかった。それが今では日に日に私をいたぶるのです。じわり、じわりと……焦らすように。極刑の執行を自ら請い願いかねぬほどに……。あの黒き薔薇の城で貴婦人としてのたしなみを施されていく貴方を想像するほどに、貴方は私の中でより尊く、そして遠くなっていく……」

 つのる思いに突き動かされてアイは夜空の星を見るようにルミの瞳を見つめ、心の内を吐露しました。

「けっこう……可愛いことを言うのね」

「っ、貴方はそう思われませんか? 現在という時が、幼き過去の私たちの間に影を差し込み変容しつつあると。まるであの弦月にも似た」

 そこまで言ったところで、アイはルミの唇によって一瞬だけ口を塞がれました。

「影が差し込むのなら、こうして照らしてあげればいいのよ。弦月だって、日が巡ればまた満月になるわ」

「……そうやって、貴方は私の心を容易く何度でも奪ってみせる……」

 すがる態度を隠さないままアイはルミの手を握りました。

「私と身体を重ねたい?」

「…………」

「でもダメよ。次期女王たるもの、慎みを弁えてなければいけないもの」

「私たちの間柄に弁えや分別など……!」

 もたれかかっていた樹から、情動のままにルミの胸へと身を起こしかけたアイを制して、互いの息も触れ合うほどにルミは自らアイに顔を寄せました。そして燃える期待とわずかの困惑に身悶するようにして若木に背を密着させたアイに寄りかかるように身体を傾けてから、

「あなたの背が、いつか私よりも高くなったら……きっとこの心も身体も、恋のままに燃やし尽くせるわ。でも今はここで堪えましょう……互いに、ね」

 呟いて、もう一度ルミはアイに唇を重ねました。

 片目だけ開けた月の覗く濃紺の空の下、歓喜と焦燥に身を焦がされながらアイは世界が眩むほどの濃い口づけを、一夜をかけてルミと交わし合いました……。

 

 

 

(つづく)



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Chapter4:出立 ~たびだち~

 

 ナイフでジューシィお肉を切り分けると、そこは肉汁とともにトロッと溢れるチーズだった。

 

 よだれのこぼれそうになるのを抑え、平静を装いつつランコ姫は注意深くお皿に垂れ流れたチーズをお肉ですくい取り、シェフ渾身のミディアムな焼き加減のハンバーグをその舌の上に乗せた。

「……! んぅ~~~──ッ!」

 ひと口食べたとたん、ランコ姫のCoolなご尊顔がたちまちCuteなプリティ・フェイスへと綻ぶ。無理もない。今宵このハンバーグを拵えたのは、黒薔薇城が誇る宮廷料理人の若きホープ『キョウコ』が姫の旅立ち前の最後の晩餐のためにと腕によりをかけた一品なのですから……。

 

 晩餐を終え食後のミルクティーを飲んでいるとき、いよいよ明日からの旅についてのあれこれをルミ女王が話し出しました。

「ランコ、まずなによりあなたの目的は白薔薇の国へ赴き討伐隊に参加してヘルグリフォンを倒すこと。あなたがそのために白薔薇城へ向かうことは既に連絡を通してあります」

 ルミはそこまで言ってからカップの中の残りわずかなミルクティーを飲み干しました。すかさず脇に控えていた給仕が新たにミルクティーを注ごうとするのをそっと片手で制してつづきを喋ります。

「ついては、そのことで白薔薇の国があなたの旅の手助けを買って出てくれたの。なんでも白薔薇と黒薔薇の国のちょうど中間にある『エナドリ村』に兵をひとり送るそうよ。そこから白薔薇の国まではその人が付き添ってくれるそうだから、まずそこを目指すのがさしあたっての目標ね」

「エナドリ村……魂の糸を無垢なる方へと手繰り寄せれば、霊長の祖たちの妙技に心奪われ、眼を星々の如く瞬かせた日々が久しいわ……」

 姫は小さい頃エナドリ村へ遊びに行き、そこで見た『エナドリ猿軍団』なる、曲芸を披露する猿たちの催し物に夢中になった記憶に思いを馳せました。猿たちはいずれも皆とても利口で、一輪車に乗りながらけん玉をやってのけたり、バランスボールに乗りながらお手玉をしてみせたり、竹馬に乗りながら、仮想通貨の取引で億単位の金を動かし、超有名企業の株を買い荒らし回り、市場を大混乱に陥れたりするなど様々な曲芸で見物客を魅了しました。瞳を輝かせてそれらを目一杯楽しんだランコは帰りに、ゾウの頭の上に片足立ちで乗って縦縞のハンカチを横縞にしながらフルーチェを一気飲みする芸を披露した、猿軍団の花形スター、『青色4号・ビシソワーズ・大五郎ジュニア』のブロマイドを買ってウキウキしたまま帰宅しましたとさ。

 

「……思い出に浸るのもいいけど、話はここからが本題よ」

 かつて見た青ビシ五郎の勇姿を脳裏に描くランコに小さな微笑を向けルミが続けて言います。

「その白薔薇の国からの仲間が待つエナドリ村までの道中も決して安全が保証されてるとは言えません。この試練の儀がヘルグリフォンを倒すための旅である以上、当然あなたは至るところで魔物たちと知恵で、あるいは魔力を用いて戦わなければなりません。しかし白薔薇国到着までの道のりをあなたと派遣された仲間のたったふたりきりで往かせるほど苛烈、もとい無責任に歩ませるつもりもありません」

「なる栄光(ホド)、お母様は白薔薇の同胞(はらから)の他に、我に闇の眷属を用いようとお考えか! 流石は我が母にして闇の女王! その慈悲に、胸キュン……!」

 女王たる母の決め細やかな配慮。これには娘のランコ姫でさえも、思考停止してピックアップ期間中に湯水のごとく課金してガシャを回してしまいそうになるほどの抗いがたい魅力を感じざるを得ませんでした。かつてルミが若干17歳にして会得した108の体系からなる妙技『デキる女ムーブ』のひとつ『おかんムーブ』の応用、厳しくも優しく諭し愛情を注ぎ子を見守る『肝っ玉系おかんムーブ』のなせる技でした。ちなみに黒薔薇城の兵士たちの間では、いったい誰が流布したのかルミの『デキる女ムーブ』のひとつに、『夏休み中、頼んでもいないのに家庭教師と称して親がいないときに家にやって来てはあの手この手で誘惑してくる近所に住む年上幼なじみ系エッチできれいなおねえさんムーブ』が存在するというウワサがまことしやかに囁かれており、そのせいで兵士たちは浮わつき訓練や勉学に身が入りきらず、槍で同僚兵士の秘孔をうっかり突いてしまったり、危険物取扱免許丙種や泥水ソムリエ検定準2級の資格取得の試験に落第してしまったりしてそのたび、「いっけな~い! ワタシったら、またやっちゃった~( ̄▽ ̄;) テヘッ♪」などと往年の少女漫画のお転婆系主人公ムーブをかますのが日に日に上手くなっていく昨今でございました。

 

「して、我が冥府魔道に足跡を描く者は誰ぞ!?」

 息巻くランコが開いた右手をビシッとルミに突きつけると、やや少しして食堂の入り口から何者かが現れ、ルミの代わりに答えました。

 

「アタシっすよ、ランコ姫……このたびの姫の試練の儀の旅、最初から最後までお手伝いさせていただくっす!!」

 

「サキ!? そなたが我が闇の眷属とは……ブラヴォー、嗚呼、ブラヴォー!」

 姿と声の主をみとめるやランコが歓呼の調べを鳴らしたその相手というのは、黒薔薇城近衛兵の一員『サキ』でした。

「あなたの旅のお供にはふさわしい存在でしょう?」

「お母様……いかにも! サキ、願わくばこの身に宿した試練の儀、汝により宇宙(そら)より広く、おいかわ牛乳より白き画板とし、那由多(なゆた)の色彩を十重二十重(とえはたえ)に織らんことを我、所望す!」

「ありがたきお言葉……もちろん御意っすよ!」

「やったあ!!!!」

 

 このえへい の サキ が なかま に くわわった!

 

 ランコにとってパーティーにサキが加入することは実に喜ばしいことでした。幼い頃から共にこの城で育ち、共に絵を描き、年も3つしか違わないこともあってランコにとってサキは姉も同然の気心の知れた存在であり、同時にその天衣無縫のしなやかな強さに想いを馳せればランコの心はたちまち二重の安心感に包まれました。

 

   *

 

 幼少の頃よりランコの姉貴分ということもあって、女王直属の部隊に名を連ねる前よりルミから魔術の指南を受けていたサキは、瞬く間に召喚術師としての才に目覚め、その存在は城内に徐々に知られていくようになりました。

 過日、黒薔薇国内でも辺境の地にある小さな村にゴブリンの山賊たちが襲撃してきたとの報を受け、ルミは鎮圧のため兵士を村に向かわせ、その中にはサキもいました。

 渦中の村に到着するやサキは懐から絵筆を取り出し、前方に向かって空を切りました。

 

 実はこの絵筆、『ユメのえふで』という妖精が作った魔法の絵筆で、もともと快活で爽やかな性格に加えて美少年のごとき凛々しい風貌が放つサキの魅力は行く先々に住まう種々様々な者たちを魅了し、それは神なる秘術の申し子である妖精とて例外ではなく、村への遠征の途中、休憩のために寄った妖精の森で仲良くなったお絵描き好きの妖精『ユメ』から友情の証として贈られた高次元魔道具(アーティファクト)の一種でした。召喚の際、通常はなんらかの物質に魔方陣を描かねばならないところ、この絵筆を使えば空間に直接陣を描け、また簡単な武器やあまり知性を持たない生物であれば詠唱文すら省略して召喚することができる電光石火の逸品であり、素早くトリッキーな攻めを得意とし、特に魔方陣の描画の速さに定評のあるサキにとって水魚の交わりともいえるほど相性の良い道具で、このあたりは作成から授受までの経緯に至るきっかけが友情にあったという幸福の賜物といえるでしょう。

 

 なにもない空間を走る筆先から、鮮やかなターコイズグリーンカラーで海の戦の神を表す紋章が現れた、のが見えたのはほんの一瞬。その次の瞬間には、召喚した一振りの曲刀(シミター)を片手にゴブリンの群れに駆けていくサキ。味方の兵士たちも敵のゴブリンたちも、その俊足を捉える頃には、サキの振るうシミターによって小柄ながら雄々しく鍛え上げられた身体をもつゴブリンの屍が2体、3体と、それぞれ異なる場所ながらそのすべてが鮮やかな斬り口を路傍に晒して倒れていました。

 突然の来襲に混乱をきたしながらもゴブリンの群れは牙と闘争本能を剥き、ろくに手入れもしていないと見える赤黒く汚れた太い棍棒を軽々と操りながら兵士たちに向かっていきました。なかでも単独で先陣を切るサキへの警戒はやはり強く、ゴブリンたちの多くはサキひとりに狙いをつけ執拗に襲いかかっていきました。

 機動力に自信のあるサキも、さすがに脳筋モンスターに数で押されては直線勝負は不利と判断し、素早く3歩ほど大きく下がるとシミターを真上に軽く放り投げ、それが落ちてくるまでの間に懐から再び取り出した絵筆で今度は野生の狩人の魔方陣を描き絵筆をしまい、ゴブリンたちに見せつけるように横に構えた左腕を魔方陣の少し下あたりに出しながら元通り右手でシミターをキャッチしました(この間わずか3秒)。

 右手に握った柄の感触とは別の、やや骨ばって刺々した感覚を確かめてから口を結んで不敵な笑みを浮かべたサキの左腕には、大きな魔界(とんび)が留まっていました。この鳶はサキの使い魔で、名を『グラフィディア』といいました。

 サキの志す絵の道“グラフィティ”と理想郷を意味する“アルカディア”からとってサキが名付けたこのグラフィディアは、その巨躯に違わぬ膂力(りょりょく)で翼を羽ばたかせ、地上4mの中空に向かってサキごと飛び立ちました。

「鳥ダ!」

「イヤ、飛行機ダ!」

「ノン! アレハ鳶ダ!」

 ゴブリンたちが口々に上げる驚きの声を、サキは東南の方角から吹いてくる乾いた風の音混じりに聞きながら、シミターを持った右手を横向きに伸ばし口笛を短く吹きました。それを合図とグラフィディアが前進しながら素早く降下していきます。足が地面スレスレの位置にまで降りてきたとき、サキは自分を攻撃しようと大きく振りかぶった棍棒が振り下ろされるよりも速く、横一列に並んでいた3体のゴブリンの腹部を一文字に切り裂いてから、また先程の口笛を吹くとグラフィディアはふたたび上昇しました。

 以降はまさにサキとグラフィディアの呼吸を合わせた空中円舞。無骨で力任せなだけのゴブリンたちの間の悪い攻撃を難なく避けながら返す刀で次々と一刀のもとに斬り伏せていき、総勢30匹ほどいたであろうゴブリンの山賊たちはそのほぼ半数がサキの手によって数を激減させられたこともあって、今や生き残りは10匹を切るほどにまで追い詰められていました。

 

   *

 

「──ってなワケで、見事なワンサイド。サキがひとりでほとんど全部倒したこともあって遠征したウチらの被害はほぼゼロ。村の方も主な被害は金品と食糧の強奪くらいで物損、人損はナシ。全員ブッ倒して金品も返ってきてるから損害は実質食糧だけだな」

「……どうやら被害は最小限に抑えられたといっていいようね。ご苦労様」

 ゴブリン撃退に村へと出向した遠征軍に兵士の“監査”役として同行していた、ルミの側近のひとりである『ツカサ』は、黒薔薇城へと帰途に着いたのちルミに謁見し、ことの次第を報告しました。

「村の無事もなによりだけどさ、今回の遠征でアイツを連れていったのは正解だったね。とんだ大器がインプットされちまった。女王のお気に入りだったアイツを知らなかったなんて、アタシもまだまだアプデが足りてないな」

 冗談混じりに(あるじ)の先見の明と観察力を誇らしげに讃えながら、ツカサは上気した顔をルミに見せました。

「嬉しそうね。そんなにサキが気に入った?」

「有能な人材を推挙(スカウト)するのがアタシの仕事だからな。眼にかなう奴が見つかれば、そりゃアガりもするさ。サキ……今後間違いなくバズるね」

 サキの名を、自らの力を誇示するように口にしてご満悦のツカサに、ルミも興味深い面持ちを示しながら尋ねました。

「あなたが言うなら大いに期待できるわね……それで、どんなところが気に入ったのかしら」

 その質問に答えるのが今の自分の生き甲斐とばかりに一歩前に進み出てから、ツカサは遠征の道中で視たサキの姿を語りました。

 

「知ってると思うけどまず身体能力な。うん、メチャ良い。とにかく動きがスマート。足も速いし体力もある。そのせいかひとりで突っこみたがるクセもあるけど、曲刀をブンブン振り回して筋肉バカのゴブリン共と渡り合う程度には腕っぷしもある。っていうかアイツあれで召喚術師なのよな。戦士系のクラスでもイケんじゃね? って思いもしたんだけど、その十八番の召喚魔法の展開スピードのはえーのなんの。途中で寄った妖精の森で召喚魔法補助のアーティファクトを手に入れてたんだけど、これが呪文の詠唱省略可能のスグレモノなワケ。しかも妖精と仲良くなって手に入れたってんだから、人柄の良さも相当なもんだぜ。

 で、戦闘に入ったらソッコー武器出して突っ込んで大暴れ。でも動きにムダは無し。脳筋ではないんだなこれが。少しして、ちょい膠着してきたと思ったらまた詠唱省略で今度は使い魔の魔界鳶呼んで次の瞬間には空飛んでんの! そこからタイミング狙って降下して斬って、上昇して、チャンス来たらまた降下して斬って、また上昇して……って。ジェットコースターの山場の繰り返しかよって。ありゃ体幹も相当だね。なにより使い魔との息の合いっぷりがハンパねぇ。で、気がついたらもうほとんどいねーの、ゴブリン。あとはもう全員で堅実に各個撃破で消化試合。ヤバい。

 あっ、あと見た目も外せねーよな。アイさんを美少年寄りにした感じっての? もう、戦闘が終わったそばから村の女子がキャーキャー言ってんの。他の兵士どもが虚無に満ちた顔でそれ見ながら立ち尽くしてたぜ。あれなら見た目重視の華やかなジョブもこなせるだろうな。

 しかもそれだけじゃなく……アタシの見立てによれば、ゆったりした服装でハッキリとはわからなかったけど、ありゃ顔だけじゃなくスタイルも相当なモンだね。身のこなしの良さも考えたら、踊り子なんかも向いてんじゃないか? はははっ! あんなのが踊り子に転職しちまったら、この国の男どもはもう一生ふんぞり返って町を歩けなくなるだろうな! 男も女も骨抜きにされちまうよ」(人材マニア特有の早口)

 

そうなのですよツカサ。沙紀ちゃんはボーイッシュかつノーブル、それでいて可愛らしく、なおかつセクシーという、魅力がこれでもかといっぱい詰まった女の子なの。遊び人に転職してバニーガールの格好をするのも良いと思うわ。いつか誰かがそんな絵を描けばいい。それはきっと、世界平和への偉大なる一歩……

 

「誰だ今の」

 超次元空間から神の声が響き渡りました。しかし神の深奥にして摩訶なる調べは発されたそばから森羅万象の闇へと溶け去り、その声が発されたことなど、今はもう覚えているものはこの世界には存在しないのでした。

 己が発した言の葉が次の瞬間には世界と呼ばれる空間が超自然の内に擁する、存在定義という名の象牙の塔から滑落し、そのあらゆるを司るなにものをしても忘却の果ての果ての果てに霧消され尽くす、といった事柄の地点に到達することすら叶わぬ運命(さだめ)を背負った神の孤独とはいかなるものなのでしょう? ここ中間テストに出ますよ。

『言葉』──この崇高無垢にして万の毒に充たされた暴虐の祈りは、風に運ばれたタンポポの綿毛などよりも容易く軽々と千里を越えて、それを用いるものすべてを真贋(しんがん)の如何に関わらず突き刺すのです。カマキリの卵かけご飯。

 

「アタシの言いたいこと、わかるっしょ?」

「ええ。ここで私が首を横に振れば、あなたの声に耳をふさぐだけでなく、この国の未来からも目を背けるようなものね……サキを呼んでちょうだい」

「女王様ならそうこなくちゃね」

 こうしてサキは女王陛下直々の要請を受け近衛兵団に入隊したのです。

 

   *

 

 未知なる旅路への誘いがもたらす期待と不安。そんな冒険者としてはありきたりの、しかしまた同時に、歴史の大海にその飛沫を上げたすべての勇者とて抱かなかった者はいないであろう普遍の感情の波に揺られながら、いつの間にか立てていた寝息は朝告鳥(あさつげどり)のさえずりにかき消され、ランコはそこで(まぶた)を静かに開きました。

 朝告鳥などという字面からニワトリを想起する方が多いと思われますが、それだといささか趣に欠けるような気の流れが東西の方角から煙のようにやって来る情緒があるので、ここでいう朝告鳥とは、青とか緑系統の爽やかな毛色と少し長めのくちばしが愛くるしく、日の出とともに鳴きはじめる習性をもつチューニ大陸にのみ住まう小鳥の一種であることは、もう皆さんご存知ですね。

 

『想像してごらん』 ──ジョン・レノン

 

 時も地も越えた遥か彼方からほのかに差す、光とも闇ともいえる、あるいはそのどちらともつかぬ無間のうねりの中から、革命の音とともに生涯を歩んだ音楽(ミュージック)の神の至言が、わたしやあなたの頭にアコースティックギターでAのコードをなにげなく鳴らすように響いている。そんな朝でした。

 

「お母様、皆の衆……行って参る。必ずやヘルグリフォンの首級を上げこの地に戻り、『試練の儀』成就の証としてその禍々しき怪鳥の(こうべ)を黒き薔薇の古城の祭壇に捧げる誓いを出立(しゅったつ)の言葉として、ここに刻もう!」

「ランコ……くれぐれも気をつけて。サキやこの先で待つ協力者への助力は惜しみなく請いなさい。あなたには仲間がいることを決して忘れないように。それと、生首は不気味だし置き場に困るからヘルグリフォン討伐の証は羽根でいいわ」

「はい」

「いい返事ね……サキ、後は頼んだわよ」

「はっ! 姫君の命と試練の儀の達成、この命に代えても!」

「あなたも必ず帰ってきなさい。ランコ単独での凱旋は絶対に許しません。この命令を破るようであれば、国の存続が立ちいかなくなるほどの途方もない費用と時間をかけて、この世のあらゆる書物に記された“荘厳”の二文字が霞んで消えるほどの絢爛に過ぎる葬送の儀を、近衛兵ひとりだけのためにわざわざ執り行います。そうすればこの国はあっという間に衰退滅亡し、私は有史以来最も忌むべき暗愚として大陸の歴史に汚名を残し続けるでしょう。そうならぬように頑張りなさい」

「……! はっ! 陛下のお言葉、しかと承りました!!」

 わずかに漏れでた涙を見られぬようルミに深く頭を下げ、そのまま回れ右をしてからサキは頭を上げ、開け放たれた町の大門の先に広がる大地を見つめていました。

 

「う゛う゛う゛う゛う゛~っ……!!」

 

「へっ?」

 突如隣から聞こえてきたうめき声に、サキは怪訝になりながら首を横に向けました。

「お゛か゛あ゛さ゛ま゛~ッ! わ゛た゛……わたしがんばるぅぅぅ!! がんばるか゛ら゛ぁぁぁ~っ!!」

 ランコの顔面に水難の相がありありと出ていました。

「ランコ……なんて締まりの悪い顔を……」

「あぁーっ! 姫様、ほら! チーンして……!」

 

「──フフフッ、あなたにしては珍しく口数が多い……」

 ランコとサキのてんやわんやを微笑ましく見守りつつ、アイがルミに囁きました。

「……姫を預かる、まだまだ若い近衛兵への私なりの叱咤激励よ。慣れないことはするものじゃないわね」

 ランコたちを見据えたまま仏頂面でルミが答えました。

「さあ、もうお行きなさい! 残りの涙は悲願の勝利を挙げるまでとっておきなさい」

「ぅぅぅ、失敬……では、行って参る! 皆よ、プロヴァンスの風とともにあれ!」

 今度こそ旅立ちの挨拶をしっかり決めて、いよいよランコとサキは町の外へと踏み出しました。気力に溢れるふたりの足取りは軽く、2分ほどでその姿はもう豆粒ほどに小さくなって見えなくなりました。

 

「……さて。愛娘も無事に旅立ったことだし、慣れない場での高揚を葡萄酒で鎮めるとしましょう」

「……ずいぶんと切り替えの早いことで」

「あの子に教えられることは全部教えたわ。役目を果たした伝承者は静かに(まつりごと)に勤しみながら命の水に日々の小さな愉しみを見いだすのよ」

「急に引退者じみた物言いをなさる。姫が儀を終えて帰ってきたら、一笑に伏されるでしょうな」

「それくらい大きな器を身につけて戻ってくることを祈るわ。さあアイ、付き合いなさい。グラスになみなみ注いだら、気取って葡萄の花を浮かべて飲み干すのよ。きっと飲みづらいわ。うふふ……」

「やれやれ、なにが面白いのやら……御意」

 見送りの一行を引き連れて、ルミとアイは(きびす)を返し城に戻っていきました。その短い道中、アイは以前ユミに教わった、ある花に関する知識を思い出しました。

 

 葡萄の花言葉──『酔いと狂気』『欲望』『快楽』…………『信頼』『思いやり』。

 

(まったく……常闇(とこやみ)を統べる、我らが黒薔薇女王陛下の慈しみ。そのなんと回りくどいことか……)

 ルミの遠回しな意趣を察したアイは、ひとり苦笑をこらえながら黒薔薇城の門をくぐっていきました──。

 

   *

 

 その頃、城門を出てからしばらく続く舗装された大きな一本道を歩くランコとサキに、早くも冒険者への洗礼の刻が訪れたのでした。

 

「うぬら、待たれよおぉぉっ!」

 

 カシャン、カシャン、という金属類の軋む音引きずる音を伴ってふたりの前に現れたのは、初級冒険者の前にしか姿を現さないといわれる魔物、『スライム』でした。

「拙者を見たがここで最期……そなたらがこれから編まんとしておった血沸き肉踊る唯一無二の冒険譚の紙幅(しふく)……我が白刃のもとに両断し、薄い本(R-15指定)または異世界ものラノベへと改変してくれるわぁっっっ!!」

 スライムは帯刀していたジパング刀を鞘から抜き、研ぎ澄まされた刃先の濡れた光をランコとサキへ向けました。

「なんの! そなたこそ、我が覇道を記す大河のごとき遠大な聖典の皮膜に添える帯に刻む推薦文にしてくれるわっ!」

 

『美少女魔導師のひたむきな奮闘と仲間への愛に号泣必至!! ──スライム』

 

「きえええええええっっ!!」

 全身に纏った堅牢そうなジパング甲冑の重さをものともせず、スライムは奇声を上げて刀を真上に振りかざしながらランコに飛びかかっていきました。

「おおっと!」

 カキィンッ! 刃と刃が激しくぶつかった音がフィールドに響く。それは、例の魔法の絵筆で瞬時に召喚したシミターで、サキがスライムの渾身の一撃を見事に受け流した音でした。

「ほう、おぬし剣の心得がおありか。だがしかし、まぐれは二度三度と続きはせぬぞ……」

 憐れむような視線を余裕たっぷりにサキに注ぎながらスライムはこんなことを続けて言いました。

「おとなしく降伏いたせ。ここより東に二十里ほど行った先にある町にハローワークがある。そこまでしおらしく拙者についていき、しかるべき手筈(てはず)を調えたのち踊り子に“じょぶちぇんじ”して修練を積み、十五の段に至ると習得できるという『さそうおどり』を覚え、妖しげな眼差しを我が一身に注ぎつつ腰を激しく振り振りダンスィングすれば拙者にたてついたことは不問に処そう」

 男ってほんとおバカ。スライムは、だらしなく鼻の下の伸びきった欲にまみれた醜い顔を、その上に戴く額上部中央に温泉マークの家紋が刻印されたジパング兜で隠しながら、以上のような無理難題をランコとサキにつきつけました。しかし、体の線があまり出ていないゆったりとした洋服に身を包んだサキに対して、初対面でそれだけ桃色に染まりきった随想(ずいそう)を可能にするほど、サキの女性としてのたおやかな潜在的魅力を見抜いた眼力は、たかがスライムといえども侮れませんでした。

 スライムは、ふたりが要求を受け入れ誓約が果たされたあかつきには、その光景をしかと目に焼き付け、それをもとにちょっぴりエッチな異世界冒険もののライトノベルを執筆し某編集部に持ち込もうと画策していました。タイトルももう、フィールドで出会った美少女勇者パーティーが、全員踊り子に転職するやいなや俺を淫らに誘惑してくるものだから、ついつい毎晩宿屋二階の角部屋でお楽しみしてしまって、いつになっても第一の村から出られない件』にしようと心に決めていました。

(編集部の御仁の中には作品の看板たる主題は明朗かつ短くまとめるのを美徳といたすものもおろう。しかし、いささか長大になれど『宿屋二階の角部屋でお楽しみ』の文言は絶対に譲れぬ……!)

 脳内で自らの性癖(こだわり)について能書きをとうとうと垂れることにうつつを抜かしていたそのとき、スライムは突如として全身から体温が急速に奪われ、一切の身動きが取れなくなっていることに気がつきました。

 

「我、氷女(こおりめ)の名のもとに汝を拘束せし息を吐かん……『アイス・アイス・ベイビー』!」

 

 それは、実はスライムが夢想に(ふけ)っていたとき、不意を突くべくすでに一度小声で呪文を詠唱していた事実を揉み消すように、改めて今度は大きな声で呪文を(から)詠唱したランコの初歩的な氷魔法によるものでした。

(凍って……う、動けぬ! バカな。我が身に降り注いだこの火急(かきゅう)もとい氷急(ひきゅう)の事態が、あの純情可憐そうな銀髪巻毛の娘さんによるものだというのか!? あの、男を惑わす上目遣いのひとつも知らなそうな無垢な光を宿した紅き(まなこ)と共にご尊顔におわします、秘めやかな快楽に身を(よじ)(あえ)ぎを漏らしたことなど(つゆ)もなさそうに瑞々しく膨む熟れた林檎色の唇から紡がれた、極東の凍てつく大地に住まうといわれる魔女の威を借りた氷の秘術によるものだというのか!?)

 

「さすが闇の女王の娘たるランコ姫っす! あとはアタシが! でやあああっ!」

 

 スライムは5秒でそこまで俊巡したのちサキのシミターによって、着込んだ甲冑ごと胴体を一刀両断されて息絶えました。享年四十五。ライトノベル執筆による印税生活という夢想に人生の潤いを賭けた生涯でした。

 

   *

 

「さてと……そろそろ旅を続けなきゃっすね」

 記念すべき冒険の最初の獲物となったスライムの遺骸に火を点し、火葬が終わるまで小休止を挟んでいたふたりは遺骸をしっかり葬り去ると、腰を上げてふたたび歩きだしました。

「ん~っ! これが戦果を上げるということなのねサキ! 実に清々しい気分だわ。この胸の高鳴りに、我が喉に宿る漆黒より鳴らされし幻楽四重奏団(ブラック・カルト・カルテット)饗宴(ギグ)を所望しているわ! マ~、マ~♪」

 サキの返事も待たずに軽く声出しを済ませると、ランコはひとときの高揚感に任せて高らかに自慢の喉を震わせました。

 

 

ー耽美公演『Black Rose ~聖なる闇の薔薇伝説~』挿入歌ー

 

こがねいろ水門(ウォーターゲート)

ハロハロ~! 暗黒創造神? ランコちゃんの、この夏最高にノリノリな必殺ポップ・チューンで、ゆいといっしょにアガッてこ~♪(推薦文寄稿:大槻唯)

 

作詞/ドゥーゲンザーク・ノヴォリーヌ3世

作曲/ルー経一(けいいち)

編曲/ドビュッシー第3形態

 

生路(せいろ) (よろこ)びあれば(あい)あり

(ふつ)として(つゆ)(したた)れば 玉光(ぎょっこう)()でし

()を重ねよ しかと

(おの)(わだち)を 踏みせしめし

 

生路 (たけ)る想いが(かなめ)(なり)

(よど)めば ()先達(せんだつ)()

去来せし影に 飛翼(フライング・ウィング) 奪われ

戦慄(わなな)きの旋律(しらべ)(いな)とするなら ()く歩め

 

 

 しばらくの間、ランコは歌いサキはそれに耳を傾けながら、ふたりはエナドリ村への道を踏みしめていきました。

 

 

 

(つづく)



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Chapter5:討伐 ~クエスト~

 

 黒薔薇の国を出てから早3日。ランコとサキの第一の目標であるエナドリ村から20kmほど手前の平原地帯を脇に逸れて、小高い山々が連なる山岳地帯に入ってからほどなく進んだ所に、小さな廃鉱山がありました。

 小さいながらもかつては質の高い銀が大量に埋蔵されており、近隣の村に住む怖いもの知らずの鉱夫や一攫千金を夢見るトレジャーハンターたちが豪腕や魔力を振るって日夜銀の採掘で賑わう、その筋の界隈では少しばかり名の知れた山でした。

 しかし、しばらくしてから銀の埋蔵量も減り、夢を見るには途方もない労苦を果たさねばならないことを人々は悟り始め、一歩、また一歩と鉱山から足が遠退いていく者が増え、今では稀に周回遅れの情報を聞きつけてやって来た勘に鈍く話に疎い三流トレジャーハンターや冒険者がわずかに訪れ、無為の汗を搾り、行き場のない怒り混じりの嘆息を木霊(こだま)させる虚ろな廃鉱となり、いつしか近隣の人々から『愚か者の銀(フールズ・シルバー)』と名付けられ、もはやその名も忘れ去られつつありました。

 

 さて、そんなうらぶれた廃鉱にある日訪れたオークの一団。宿無しの彼らはこの廃鉱を自分たちの寝ぐらに決めたようです。

「掘っても掘っても、なんも出なぁーい……」

「諦めんな、おこぼれがまだきっとあるはずだ」

「へへっ、あるかどうかもわからない銀の搾りカスを汗だくになって必死こいて探すとは、俺たちも落ちぶれたもんだな」

 そこに運悪く居たのはエナドリ村で自宅警備員を営む村人たち。普段はそれぞれ自宅でゲームをしたり母親の世間話相手をしたり猫に餌をやったりして得た薄給で生計を立てている彼らですが、(きた)るべき大作PCゲームの発売に備えて大金を必要としていました。電脳の荒波に幾度となく揉まれた彼らは野心高く、ゲームをプレイするだけでは飽き足らず、より快適なゲーミング・ライフを求めてゲームソフトだけでなくハイエンドな部品を用いて高性能なゲーミングPCを自作、高級ゲーミングチェアに腰かけ手塩にかけて組み上げたPCで最新ゲームをドクターペッパーを飲みながら心ゆくまで楽しむという野望を誰もが抱いていました。

 しかし彼らは世を忍ぶ闇の住人。暗夜、消灯された自室を七色に彩るゲーミングPCのRGBの極光のみを(おの)が希望の(よすが)と定めし人知れぬ修羅たち。派手な活動で村の回覧板を醜聞で賑わすことはまかりならぬ鉄の(カルマ)を背負いしジョブ、それが自宅警備員なのです。ゆえに彼らは御天道様の下で日銭を稼ぐことが出来ぬ身。鉱山が隆盛を極めている時分にも決して我が業に背を向けることなく、日の下で爽快に頭脳と肉体を駆使し世を回る大車輪の中の歯車の一部として切磋琢磨したくなる誘惑をこらえて、いかなるときも聖域(じたく)を離れずに平常の業務に勤しみ、堪えきれぬときは気まぐれに昼食のジャージャー麺を母親の分も(こしら)え束の間の感謝の念に浸り、またぞろ雀の涙ほどの賃金で糊口(ここう)をしのぐ忍耐の日々を送りました。

 そして鉱山の銀があらかた掘り尽くされ廃鉱となり滅多に人影が現れぬようになって人々の忘却の彼方に流されつつある昨今、ついに彼らは夜半、ドアの開閉音に細心の注意を払い自宅から足を踏み出すと、自作PCのための資金を集めるべく『愚か者の銀』へと赴いたのでした。

 

「おい、向こうで物音がしなかったか」

「なに、ここじゃなくてか?」

「まさかこの中の誰かの親じゃ……」

「馬鹿な、あり得ん。皆外出を悟られぬよう家を出たはずだろう」

「その通りだ。少なくとも俺じゃないぜ、なにせ引き戸を物音立てずに開けて玄関に出てまた戸を閉めるのに40分もかけたんだ! バレるはずがない」

「俺なんか2階の自室の窓から電柱に飛び移って外に出たんだぞ! もちろん物音なんて立てずにだ!」

「それなら俺なんてネットの懸賞サイトで当てた温泉旅行のチケットを両親にプレゼントしたぞ! 昨日から2泊3日の旅程で今家には誰もおらん。完璧に無人だ! 猫はおるがな」

「なんて名前?」

「ぺーちゃん」

 村人たちが物音が聞こえたという方向に一斉に視線を向けて(いぶか)しんでいると、その答えともいうべき影が、ひとつ、ふたつ……幾重にも重なっていき、やがてその正体を村人たちの前に現しました。

「なんてこった……」

「うわ、うわわわわ……」

 村人たちは恐れおののき、身体を震わせ始めました。現れたのは豪腕とずる賢い頭脳を持つ猪のような頭部をした怪物、オークの群れでした。

 

「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁあ……」

 

 その夜深く、あれほど静まり返って朽ちていくばかりだった『愚か者の銀』で、人々の狂騒的な叫び声が何度も何度も轟きました──。

 

   *

 

 一夜明け、再び静まり返った鉱山の入り口を朝日が照らし出しました。すると、なんということでしょう。地味極まりない土色ばかりだったあのみすぼらしい鉱山の入り口は村人たちの鮮血によって、どす黒さ一歩手前の奇跡的な赤黒さで見事に華美に染め上げられているではありませんか。

 続いて中に入って下に降りていくと、途中の脇道にかつて鉱夫たちが休憩所として利用していた少しばかり広い空間が姿を現しました。空間の中央には鍋が火にかけられており、中にはブロック状や、すり身にされた村人たちの肉がじっくりコトコト、もうどれがどの箇所の筋肉の筋かも判別できないほどトロトロに煮込まれており、辺りには食欲をそそる匂いが立ち込めていました。

 極めつけは最奥部。鉱山内で最も深くに位置する採掘ポイントに我々スタッフが向かうと、そこには数々の村人の惨殺死体で造られたオブジェが飾られていました。両手を左右すげ替えて、手の甲を合わせて拝んでいるようなポーズをとっている死体、陰嚢袋を引き裂かれ、引きちぎり取り出した睾丸を、これまたえぐり出されて空洞になっている眼の窪みに入れ、両目玉の方は乳首に接着剤で貼り付けられた死体、なかでもひときわ目を奪われるのは、頭部の右半分を切開して露出し渇いた脳の表面に『オーク参上』、『ミートソース』、『カラス死ね』などとサインペンで様々な落書きが書かれている、『ミスター・ホイップクリーム・マン』と書かれた札が首にかけられた全身ホイップクリームまみれの死体でした。オークたちは掘り尽くされ変哲のない石くればかりが残る殺風景なこの場所に、一服の清涼剤として様々なオブジェを創作、設置し空間に安らぎと潤いを与え華やかな雰囲気を演出することに見事に成功していました。

 

 この匠の劇的な所業による名声はエナドリ村にも素早く届けられ、村は恐怖と悲しみに包まれ、消費電力はやや下がりました。

「オークが我らの村のすぐ近くにおってはおちおち眠ることも出来ぬ! 一刻も早く奴らを滅さねば!」

 村内会の席でエナドリ村の長が憤激しました。今は持病の腰痛で腰を常にかがめ、歩行の際は杖をついて歩くことを余儀なくされている身ですが、若い時分は魔力と体力を振るって戦う魔闘士として幾多の魔物を(ほふ)ってきた豪の者でした。

「村長サンよぉ、滅するったってどうやってだ? いくらなんでもオークの群れ相手に戦えるヤツなんてこの村にゃまともにいねぇよ」

 村人Aが皮肉混じりに村長に返しました。いっぱしの口を聞く若者ですが特にこれといった技能を持たない、しがない鍛冶屋見習いでした。

「ここは村外に討伐依頼を出すのが定石じゃろうて。幸いこの村は財政的な苦労もない。しかるべき額を述べ、周辺の町村に触れ回れば何人かの腕利きが集まるじゃろうて。のう、村長?」

 機知に富んでいるような言い回しで村人Bが提案しました。老齢を思わせる口ぶりですが今年15の生意気盛りの少年でオセロの村内チャンピオンでした。2年後のある日、バンドを組もうと楽器店でトライアングルを物色しているとギターとベースの弦の数が違うことに気づいて出家を決意。僧としての道を歩むことになります。

「野に咲いた一輪の花、それはパンジー……きらめく星の狭間においでよ。僕の心の水仙は泉の深い愛の暴れ馬。カマンベール、カマンベール……カマンベールチーズケーキの園で『こち亀』4巻をよーく読め……宇宙の調べがそこにはある」

 見知らぬ人が呟きました。誰も彼のことを知らず、なにやら高貴な雰囲気が漂っていることもあって誰も彼に口出ししません。

「ふぅむ……確かに、他にまともな者がおらんとなってはワシひとり奮戦しても勝ち目は薄いと言わざるを得ぬ……依頼を出すのが懸命か……」

 渋いため息をついて村長が決断しました。さしもの彼も、衰えた自らの能力ただひとつとあってはオークの大群を相手にするのは不可能と判断せざるを得ませんでした。

「ジャンプ! ジャンプ! 楽しいジャンプ! 飛び跳ねるだけで夜まで遊べるよ! レッツ・ジャンプ!」

 口惜しそうにオーク討伐依頼の旨をSNSに書き込もうとスマートフォンを取り出した村長の重厚な背中をジャンピングおじさんがジャンプしながら見つめていました。3日後捻挫します。

 

   *

 

 ──という、以上の残虐無道のオークの一団によるエナドリ村の危機を、ランコは持ち前の魔力を用いて唱えた予知魔法によってあらかじめ察知、幼き頃の思い出が詰まったエナドリ村の救済並びにヘルグリフォン討伐の前哨戦としてサキの同意を得てオーク討伐遂行を決定、先行してオークを討ち取った(のち)村へと向かう算段となりました。

 時刻は“飛翔せし龍の背鱗(はいりん)金色(こんじき)を纏いし刻”(午前8時)。山岳地帯に入り忍び足で『愚か者の銀』までやって来たランコとサキは、獰猛極まる禽獣(きんじゅう)の群れが集う廃鉱の入口を前に協議を始めました。

「して、サキ。この廃鉱(ダンジョン)、いかに攻略する?」

「そうっすね、敵はオークの集団、基本力任せの直線的な攻撃をスタイルにしてる奴らっすけど、同時に罠を張ったりもしてくる賢さを持ってる連中でもあるわけっすからね……」

 華奢(きゃしゃ)な人間なら文字通り紙くずのように丸められてしまうであろうほどの力を持ちながら、あらかじめ罠を張り正面からぶつかる前に敵の戦力を削いだり、部隊を分割して波状攻撃や挟み撃ちをすることもあるオーク。彼らとレベル差の少ない今のランコとサキでは正面突破はきついものがありました。

「そもそもまずはこの廃鉱の中からあいつらを出したいっすね。広い場所までおびき寄せて、動き回って敵を翻弄(ほんろう)しながら1匹ずつ確実に倒していくのがベターかと思うんすよ」

「ふむ、確かに小賢しいオークを相手にするなら敵の寝ぐらを聖杯捧げし終の闘技場(決戦のバトルフィールド)とするのは下策。罠に注意を払いつつあの豪腕と渡り合うには、正直に言って今の我では経験が足りぬ……どうやって奴らをおびき寄せる?」

「なぁ~にっ! 相手がいくらずる賢いとはいえ、こっちには未来の大賢者兼闇の女王様がいるんすから! 難しいことはないっすよ!」

「だ、大賢者、兼、闇の女王……! ほあぁ~、いい響き……!」

 サキの激励の言葉にランコは思わず単純明快に顔面を喜びの感情で満たし、未来の己、徒然なるままに無間の闇を従えし黒き薔薇の女王となった自らの姿を夢想しました。

 

 

『暗黒創造神カン=ザキ・エル・アステリア蘭子』

 

SSR 闇文明(14)

クリーチャー:ダークロード/ハンバーグ 22000

 

Q・ブレイカー

 ハンバーグを食べてもよい。そうした場合、このクリーチャーを手札または墓地からバトルゾーンに出してもよい。

 このクリーチャーがバトルゾーンに出た時、ハンバーグを食べてもよい。そうした場合、自分はゲームに勝利し、このゲーム終了後、敗北したプレイヤーは勝利したプレイヤーにハンバーグを奢らなければならない。

 

退屈っすね。あの御方が戦場に出たら、一方的に勝つに決まってるっす。

─暗黒の深淵より出でし化生吉岡(ディエス・イレ)沙紀

 

 

「ぬふ、ぬふふふふふふ……♪」

 夢想の中でランコはまさに闇の軍勢を従える破壊神と化していました。並みいる怪物の群れを激ムズダンジョンで得た伝説の杖から放たれる、なんかどこに繋がってるかよくわからない暗黒空間に飛ばす魔法で消し去り、自分の通った跡には毒々しいほどに真っ赤な薔薇が咲き誇り、三日月の妖しい光がそれを煌々と照らし、凱旋した黒薔薇城のテラスで特製デミグラスソースのかかったハンバーグを食べながらチェリオを飲む……そんな妄想(イマジネーション)を炸裂させていました。

 

「あのー……」

「ふふふ……うん?」

 背後から控えめに響く呼び声によって我を取り戻したランコは、同じく声に気づいたサキと同時に後ろを振り返りました。

 

「いらっしゃいませ」

 

 そこには、紅白帽を被って、縦6列・横7列に並んで体育座りでランコとサキを上目遣いで見ている42匹のオークたちがいました。

「ん、ななななななななっ!?」

「驚いたでしょう、無理もありません。私たちもあなた方を驚かせるためだけにこんなことをしたのだから。どうです、オークの不意打ちは。驚いたでしょう。これが僕らのスタイル」

 驚くふたりを尻目にオークたちは立ち上がり、紅白帽の内側をつまんで伸ばし、つばが真上に来るようにして被り直した後、めいめいが修学旅行のお土産で買った木刀を(ふところ)から取り出し始めました。中には家が裕福なのか木刀に混じって本物の日本刀を持っている者もいました。

生娘(きむすめ)の血の色は、き、きれいなんだろうなあ~うへ、うへへへへへ……」

「横の……カレシィ↑、ん? カレシィ↓? も可哀想だから、な、仲良く、ご、ごろじであげるんだな」

 手にした武器に殺気を込めながらオークたちがふたりににじり寄ってきます。しかし短髪の美尊顔たるサキのことをオークたちは男だと勘違いしているようでした。

「うへへへはへ、いだ、いだだぎま~す!」

 1匹のオークがしびれを切らし、木刀を振り下ろしました。

「せぇいっ!」

「あへ~?」

 しかし振り下ろされた木刀がランコに当たるよりも速くサキは曲刀(シミター)を召喚し、木刀ごとオークを一文字に斬り伏せました。

「いざサキに続かんっ! “闇よ、終わりなき無明の名のもとに、我が覇道に横たわりし蹉跌(さてつ)(そそ)ぎたまえ”!」

 突然の修羅場にも怖じ気づくことなく、自慢の喉で流暢に呪文を詠唱すると、ランコの右手に深い紫色の刃を持つ細身の西洋剣が現れました。

 

(ほころ)べ、『贄徒花(にえのあだばな)』」

 

 台詞と共にランコが剣を振るうと、紫色の衝撃波らしきエネルギーがオークたちに向かって飛んでいきました。

「んああ゛あ゛ッッ!? ……なんでもないやんけじゃんか」

「ハッタリかい、驚いて損したわぁ~、なに? ひょっとして自分、ぺーぺーのドシロウトかいな!?」

「アホくさ~、ウチ帰らせてもらうわ。そろばん塾行かなアカンさかい」

「ウチも、パーティー行かなアカンねん」

「やで」

 衝撃波を浴びても何事も感じなかったオークたちは怪しい関西弁でランコを口々になじりました。

 と、そのときです。

「おや、なんだか身体が熱く……まるで大学生活の大半を方言研究会での活動に捧げたあの青春の日々がまざまざと思い出されるような……」

「熱っ!? あづぅっっっ!!」

「あぢぃ! 内側が……身体の中が熱い!」

 わずかな間を置いて衝撃波を浴びた数匹のオークたちが身体の異変に気づき始めました。どうやら身体の内側が燃えるように熱くなっているようでした。

らめえぇ……あたしの内側(なか)、いっぱいアツくなっちゃうよおおおぉぉぉォオゲボァ!!

 1匹のオークが自分なりに精一杯の女性アイドル声優ボイスで嬌声を上げるもあまりの苦しさに耐えかね、眼や口から紫の炎を吹き出しながら最後にはその正体にふさわしい獣の咆哮を撒き散らして絶命しました。

 

 

げに浅ましき惡の華よ、己が種子を識れ

 

血に飢え淀み走ったその瞳

 

恐れを知らず貪り続けたその牙

 

屠り、辱しめることで築き上げたその命から

 

結ぶ実無きことを

 

咲く花無きことを

 

生える芽無きことを

 

《サロン『棘ノ會』主催者:神崎蘭子》

 

 

 身中から毒々しい色の炎を燃え立てて次々と倒れていくオークたちを前にランコは脳内で以上のポエムを詠み上げていました。“サロン『棘ノ會(とげのかい)』”とは、ランコが幼い頃茶会に興じる際に設けた()()()()()()社交界(サロン)の名前で、そこでランコは彼女の中二友達(ともがら)と午後の紅茶ミルクティーやシルベーヌに舌鼓を打ちながら絵や詩を創作したり『ルーンファクトリー4』をプレイしながら談笑する少女時代を(たの)しんだのでした。

「ぬううぅぅぅ……なんの、これしきの煉獄で、我が青春の甘酸っぱいレモンの香り漂う部屋で開け放った窓から白い砂浜と青い空と海が見える手作りのコテージで間接照明の光だけがふたりがただのオスとメスとなって互いを求め合う様を見届けている満月の夜のごとき仄暗(ほのぐら)い熱情を滅せると思うてかあぁぁぁ!!」

 そんななか、大学時代は方言研究会に所属していたというオークだけは、胸中に甦った青春の日々に想いを馳せることで焼死を免れていました。

「ぬおおおおおぉっ、『満月の夜』に『白い砂浜と青い空と海』は見えんっ!!」

 先ほど自らが口にしたばかりの比喩表現の中にある、情景描写上における文章の矛盾を自分で指摘しながらオークはなにかを決心したように赤黒い瞳でランコを睨みつけました。

「我が母校『私立オーク女学園に見せかけて叙々苑附属学院大学内サークル・テキサス州方言研究会』よ永遠なれええぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!」

 雄叫びを上げながら木刀を構えて全力でランコめがけて走っていきました。誰が? オークが! どんな? 大学時代方言研究会に所属していた!

「そぼろ」

 しかし意を決し敢行した突撃とはいえそこは無策の空虚な一撃、オークはあっという間にランコの前に立ち塞がったサキによって倒されました。享年34。半月ほど前に中型二輪免許を取った矢先の不幸でした。

 

「やるのぅ、お嬢さんがた(バンビーナ)

 突如、ランコの魔剣の力の前に怖じ気づき始めたオークたちも思わず安堵してしまうような渋い低音ボイスが辺りに響きました。

「ぬしらは下がっておれ」

「先生……!」

「先生ッ!」

 残りの群れの中から『先生』と呼ばれながら出てきたのは、周りが木刀を所持しているなかでひとりだけ日本刀を持っていたオークでした。

 

「吹きさらせ、朽舞柄(くちぶえ)

 

 日本刀をランコに向けてかざし、オークがポツリと呟きました。

「な……にッ!?」

 その一言にランコが血相を変え驚愕の目つきでオークを見ました。

(「あのオーク、魔剣の使い手なのか!?」)

 そう声には出さずとも、サキも驚きをもってオークの持つ日本刀に釘付けになりました。

 しばし静寂の時が廃鉱の出入口前に流れました。そして……

 

「今だっ、拙者が魔剣所持者、通称『マケニスト』ぶった雰囲気を醸し出して相手が警戒して次の行動に移りかねている隙に、みんなで接近して寄ってたかって木刀でなぶり殺せいっ!」

 

 やはりずる賢いとはいえ所詮オーク。行き当たりばったりな上にやることは数でゴリ押し、指示も大声で伝えるからランコたちに筒抜け、バカじゃん。

「おおおおおおおぁぁぁ!」

「ん!? んんんんん!?」

 そう思いきや、サキが自分でも意外そうにうろたえました。残りのオークは日本刀持ちを入れて29匹。それらが破れかぶれに叫びながら一斉にこちらに向かって来る様はなかなか迫力があり、一時的にランコとサキの判断力を鈍らせるほどのものでした。

「喜色に(まみ)れよ、『欲溺増太(よくできました)』!」

「申して解せ、『八封智恵足袋(やふうのちえたび)』!」

「頑張れ、『ベアーズ』!」

 加えて彼らは、自らを奮起させるために各々思いついた魔剣風の名を木刀に冠しながら怒濤の勢いでふたりに迫ってきます。この視覚・聴覚に訴えてくる威圧感を前にランコはすでに半泣き状態でした。

「『みなぎれ! ボボボンバー』!」

「『輝け! ビートシューター』!」

「『Dreaming of you』すき」

「『Driving My Way』楽しみ!」

「あの、いささか不意を突くように始まるリズムに喰い込むベースのスラップ、そしてそれらに融和するギターから織り成される、()くようでいてそこまで速くない、わずかに焦燥感を煽る妙味を持ったテンポから展開されるイントロ、それから一瞬の(ブレイク)を挟んで始まる木村夏樹(きむらなつき)黒埼(くろさき)ちとせ・松永涼(まつながりょう)による、熱気溢れながらも爽やかに通り過ぎていく夏の真昼の風のごとくクールで力強いボーカル。夏樹と涼が魅せる、良くも悪くも安定した地盤のもと放たれるロック・アイデンティティに、ちとせ嬢が蠱惑(こわく)の笑みを浮かべながら噛みつき、ときにふたりを(おびや)かし、ときに三位一体(さんみいったい)となって聴く者の胸を揺さぶる、音楽の名に集いしふたりの獅子と黒羽(くろば)の天使による魂の饗宴! こいつはフルバージョンが楽しみだぜぇええええええええええぇ! 『THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 3chord for the Rock!』!!!!」

(ひそ)()え、『不倫』!」

 

「ぎょえぇぇぇえ! 恐ろしきいぃぃぃぃぃ!」

 しかし怯えるランコの声で、すんでのところでサキが平常心を取り戻しました。シミターを左手に持ち換えて彼女の(かなめ)の魔道具である『ユメのえふで』を取り出し素早く(くう)に魔法陣を描いて、目の前に有刺鉄線のバリケードを召喚しました。

「気をつけろっ! チクチクするぞ!」

「止まれ止まれ! おい止まれって!」

 集団の先頭にいるオークたちが叫ぶも、一丸となって敵に向かって殺到する群れの流れは急には止まれず、先陣を切っていた者たちは見事に有刺鉄線と後方から押し寄せてくる仲間たちによってサンドイッチにされてしまいました。

「姫! 落ち着いて、剣を構えて!」

「ひゃいっ!? ……うむ!」

 サキの指示でようやくランコも我に返って魔剣をしっかりと握り直しました。有刺鉄線と後続によって身動きの取れないオークを、ふたりはそれぞれの剣で鉄線もろとも斬り払っていきました。

 途中サキは一度攻撃をやめると、後ろを振り返り地面に素早く新たな魔法陣を描きました。

 

「メリー・クリスマース!! よい子はいるかなー?」

 

 サキが有刺鉄線に続いて召喚したのは、胸まで伸びた白い髭を持ち、真っ赤な帽子と服を着こんだ恰幅のいい中年男性と、男性の乗っている大きなソリを引く2頭のトナカイからなる乗用魔物『ザ・タクシー』でした。

「タクシー! エナドリ村までお願いするっす!」

 ランコとサキは素早く客席に乗り込むとタクシーに行き先を告げて後方に向き直り身構えました。斬り倒された有刺鉄線を(また)いで後続のオークたちがふたりの乗ったタクシーを全力疾走で追っていきます。

「どう、どう!」

 運転手がトナカイの胴から伸びる手綱を引いて緩やかに減速しながら廃鉱前の下り坂を下りていきます。一見オークに追いつかれてしまいかねないように見えますが舗装されていない山岳地帯の坂道は険しく、草履を履いているオークたちにとってここを全力で走って下りていくのは大変な難儀でした。

「どわっと……とととっ!?」

「うろぅっ!」

「どいてどいてどいてぇ~っ!」

 道幅も大して広くない、悪路極まる下り坂。案の定オークたちは転倒して次々と自滅していきました。転び方が悪く首の骨を折る者、地面に倒れて後から来たオークたちに踏まれていって轢死する者、バランスを崩した際に手に持った日本刀で誤って喉を裂いてしまった『先生』、道の隅で眠っていたバハムートの尻尾をうっかり踏んづけてしまい火炎放射で焼き殺される者。なんとか転ぶことなく必死にタクシーを追い続ける者たちも、ランコの魔剣やサキが召喚術で用意した吹き矢によってどんどん数を減らしていきました。

「ふんぐぁあああっ!」

 しかしここで最後の1匹がタクシーに追いつき、ソリの縁をつかんでついにランコたちの目の前に迫りました。

「お客様、飛び乗り乗車はお止めください!」

「オゴォォ……!?」

 そんな危機を払い除けたのは誰あろうタクシーの運転手でした。危険行為を伴う乗車に臨む者は乗客にあらず。運転手は運転席の脇にある白い布袋から取り出した激辛フライドチキンをオークの口にねじ込みました。バハムートの炎もランコの魔剣による内からの炎も避けてここまで来たのに、最後はやはり炎属性の攻撃によって口内を焼き尽くされ、ラスト・オーク、通称『ラ王』は倒されました。

「よし! やったっすね、姫!」

「うむ! 鮮血に染まりし聖夜の祝福の運び手(タクシーの運転手さん)も助力に感謝いたす!」

「なぁ~に、わしは迷惑客に乗車拒否をしただけじゃよ、ホ~ホッホッホ!」

 運転手は口髭をいじりながら大きく高笑いを上げました。

 

「おっ、ランコ姫、これを」

 ふとなにかに気づいたサキが自分のスマートフォンの画面をランコに見せました。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 表示されていたのはランコが予知魔法で察知していたエナドリ村からのオーク討伐依頼でした。

「んふふふふふ……村長よ、随分と遅かったではないか! その討伐依頼……我が既に承諾済みであるわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 自分の予知魔法の精度を満足げに確認したランコはドヤ顔で討伐依頼にいいね!を添えて受諾すると、坂を下り終え徐々に加速しながら平地を滑走するソリの上で意気揚々と風を感じながらサキとエナドリ村へ向かいました。この時点で『THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 3chord for the Rock!』が発売されていれば、ランコとサキが運転手に『Driving My Way』をBGMに流すよう頼んだのは言うまでもありません。

 

 

 

(つづく)



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