邂逅のセフィロト THIRD WORLD (karmacoma)
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第1話 復帰

※本作は【邂逅のセフィロト】の続編となりますので、こちらからお読みくださいませ。(https://syosetu.org/novel/145960/1.html)


 辺り一面、真っ白な世界。そのせいで空を見上げても、正面を見据えても距離感が掴めなかった。ただ一点、地面だけが僅かに灰色がかっており、地面と壁との色の境目でその空間の広さが確認できる。そこから分かることは、半径500メートル程の円形をした巨大なドームにいるのだと把握できた。そんな殺風景なドームの中心で、いかにも怪しげな二人が200メートル程距離をおいて睨み合っている。

 

 

 一人は漆黒のローブとマントを身に纏い、ドラゴンの爪を想起させる大きめの肩当てをしている。それは正に悪の化身の如き雰囲気を漂わせていた。その肩当てとフードの縁は金色に染まり、より一層禍々しさを強調している。首には厚みのある大振りのネックレスが怪しく光り、その手には左手薬指を除く全ての指にマジックリングがはめられている。左手には七匹の蛇が絡み合うような細工を頂に持つ金色の杖を装備し、全身を神器級(ゴッズ)アイテムで武装するその者の顔は、肉や皮膚の一切ない文字通りの骸骨───死の支配者(オーバーロード)だった。はだけたローブの奥には肋骨が剥き出しとなっており、腹腔には吸い込まれそうなほど美しい青色の水晶にも似た玉が収められていた。

 

 そしてもう一人は、同じく全身漆黒。タイトなレザーパンツにレザーブーツ、フード付きのレザージャケットとレザーグローブに身を包んでいた。よく見ると胸部や腕、太腿の側面にはクローム色をした金属が格子状に細かく縫い付けられており、脛や爪先の部分にも同じ金属と思われるプレートが打ち付けられている。グローブの上からはめられた指輪は全ての指に装備されているが、一際目を引くのが左手薬指に装備された奇怪な指輪だった。淡く銀色に輝くその指輪は二匹の蛇がお互いの尻尾に食らいつき、飲み込むことで円形を成しており、蛇の目にあたる部分にはそれぞれ赤と緑の宝石が埋め込まれ、異様な雰囲気を醸し出していた。タイトなレザーアーマーによりボディラインが強調され、胸のふくよかな膨らみからその者が女性であることが判別できる。フードの下に覗く顔は、血のように赤く光る大きな目、小顔ながらスラリとした鋭角な鼻と顎、薄い唇、透き通るように青白い肌、そして両目の下に刻まれた幾何学な模様の赤いタトゥー。その整った顔は悪魔的に美しく、相手を見つめながら微笑している。両手には一尺八寸程の刃渡りを持つ漆黒のロングダガー2本を装備しており、左を順手に、右を逆手に持ち、腰を落として身構えていた。

 

 二人は距離を詰めることもせず微動だにしない。何かを待っている様子だ。その時真っ白な壁に文字が浮かび上がり、続いて男性の声がドーム内部に響き渡る。

 

『Are you ready? 』

 

 

 そこでダガーを装備した女性が初めて口を開いた。

 

 

「今日は勝たせてもらうよアインズ」

 

 

 それを受けて死の支配者も口を開く。

 

 

「フッ、やれるものならやってみるがいいルカよ」

 

 

 極限の緊張状態の中、ルカとアインズの四肢に力が込められていく。そして再びドーム内にアナウンスが流れた。

 

 

『3...2...1...Fight!』

 

 

 二人は弾けるように駆け出し、お互いに向かって猛然と距離を詰めた。魔法の射程圏内に収めるためだ。互いの距離が120メートルまで近づいた所で、アインズとルカは相手に対し右手を向けた。

 

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティスラッシュ)!」

 

 

 ルカの胸部に魔法陣のターゲットが浮かび上がるが、魔法が当たる刹那に(フォン!)という音と共に左へ躱す。ルカのパッシブスキル回避(ドッヂ)によって魔法を躱し、再度突進を開始した。

 

 

「ちぃ!時間停止(タイムストップ)!」

 

 

 アインズは舌打ちと共に、立て続けに魔法を放った。第十位階魔法を受けて一瞬動きが止まるが、ルカの右手にはめられた銀色の指輪に(ピシ!)と亀裂が入ると、再び時間が動き始めた。ルカはもう目の前に迫っている。

 

 

「対策してきたか。飛行(フライ)!」

 

 

「逃さないよ。影の感触(シャドウタッチ)!」

 

 

(ビシャア!)という鋭い音と共に、空中へ飛び出そうとしたアインズの体は麻痺状態となり、動きが止められた。アインズの懐に入ったルカは、腰を低くしてロングダガーを構える。

 

 

霊妙の虐殺(スローターオブエーテリアル)

 

 

 その刺突と斬撃を織り交ぜた武技は、まるで舞っているかのような滑らかさでアインズの体に叩き付けられた。極限までブーストされた超高速20連撃が目に止まるはずもなく、その威力に押されてアインズの体は後方へ後ずさった。しかしアインズは平然と立っており、体の周りには薄く青白いバリアが張られている。

 

 

被害吸収(ダメージアブソーバー)か」

 

 

「フン、だったらどうした?」

 

 

「当然。食い破るまで!絞首刑の木(ハンギングツリー)!」

 

 

 ルカは再度アインズの懐に飛び込み、刺突抵抗を30%までダウンさせる20連撃を放った。その武技を受けて、張られていたバリアがガラスのように砕け散る。それと同時に麻痺のバッドステータスが解除されたアインズは、空中へと飛び上がり退避しようとしたが、すかさずルカは追撃を加えた。

 

 

呼吸の盗難(スティールブレス)!」

 

 

 そう唱えた途端、アインズの飛翔速度がガクンと落ちた。対象の移動速度を30秒間15%までダウンさせ、強力な毒DoT(Damage over Time)も付与するという移動阻害(スネア)の魔法だ。上空15メートル程を飛ぶアインズに対し、ルカは地面に立ったまま腰を落として高速回転し始めた。

 

 

無限の輪転(インフィニティサークルズ)!」

 

 

 回転したロングダガーの刃から、白・黒・白の扇にも似た光波が連続して発生し、アインズの体を切り刻んだ。神聖属性と闇属性の光波連撃を受けて、アインズの体から白い煙が立ち上っている。吹き飛ばされた勢いを利用して、アインズは一気に後方へと距離を取り、魔法を唱えた。

 

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)万雷の撃滅(コールグレーターサンダー)!」

 

 

 アインズが指差す下方に向けて、上空から巨大な雷がルカに向かって叩き落とされた。回避(ドッヂ)スキルが反応する間もなくまともに雷撃を受けたが、どうも様子がおかしい。

 

 

「なん...だと?」

 

 

 アインズは言葉を飲んだ。雷撃は落ち続けているが、ルカの体に当たる直前にアブソーバーのような半球状のバリアで弾かれ、まるでアースのように電撃が地面に霧散してしまっていた。

 

 

「そんなに驚いた?これは五大元素の不屈の精神(エレメンタルフォーティチュード)。効果はもちろん秘密」

 

 

「フフ、そうか。──────」

 

 

 一瞬の静寂の後、ルカの右手人差し指にはめられた時間停止(タイムストップ)無効の指輪が音もなく砕け散った。それを見てルカはニヤリと笑い、空中に浮かぶアインズを見上げた。

 

 

「...無詠唱化(サイレントマジック)とはね。やってくれるじゃないか」

 

 

「ここからが本番だ。大致死(グレーターリーサル)光輝緑の体(ボディオブイファルジェントベリル)

 

 

(ボッ!)という音と共に、アインズの体が黒い炎に覆われ負のエネルギーが流れ込み、HPが回復していく。

 

 

約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)飛行(フライ)

 

 

(キィン!)という鋭い音と共に、アインズとは対象的に青白い光に包まれ、ルカの体力も回復した。その直後、ルカの視界からアインズの姿が突然掻き消えた。ルカは辺りを見回すが、純白色をしたドーム内のどこにもその姿はない。音も気配も、完全に立ち消えた。しかしルカはそれに臆することなく、肩を竦めてぽつりと呟いた。

 

 

「アインズ....それは悪手」

 

 

 そう言った瞬間ルカの体も空間から掻き消え、ドーム内は完全に無人となった。無詠唱化(サイレントマジック)完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)によって透明になったアインズはターゲットされないように空間内を飛翔しながら、策を巡らせていた。

 

 

(思った通り透明化してきたか。向こうに不可知化が看破されていると考えて、絶えず動きつつ接近してきた所を生気吸収(エナジードレイン)でレベル低下を起こさせ、その後の戦いを有利に進める為の布石を打つ。そし───)

 

 

「....スキル・背後からの致命撃(バックスタブ)・LvⅤ」

 

 

 思索していたアインズの背中を、突如巨大なハンマーでぶん殴られたかのような強い衝撃が二回連続して襲った。

 

 

「ぐぉお?!」

 

 

 あまりに突然の出来事に何が起きたのか分からず目を回していると、背中と胸の辺りから鈍い痛みが走った。アインズは下に目を落とすと、肋骨の隙間から水平に突き出たエーテリアルダークブレードの刀身が目に入った。そこからダガーに付与された神聖ダメージ特有の白い煙が立ち上っている。攻撃を受けてアインズの完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)が解除され、攻撃を仕掛けたルカの姿も顕になり、背後から声がかかった。

 

 

「だめだよアインズ。私に透明化(スニーク)戦を挑もうなんて100年早いんじゃないかな?」

 

 

(ザザン!)という音を立てて2本のダガーが背中から素早く引き抜かれ、体が自由になったアインズは咄嗟に振り返って後方に飛び、距離を取った。ルカは右手を腰に添えて追撃はせず、アインズに向かって微笑んでいる。

 

 

「一体何をした?」

 

 

「大した事はしてないよ。無詠唱化で部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)を使用して姿を消し、足跡(トラック)でアインズを追跡。そのまま後方に回り込んで、背後からの致命撃(バックスタブ)を決めたってだけよ」

 

 

「可視化の魔法は使わなかったのか?」

 

 

 アインズは話を続けながら、無詠唱化・生命力持続回復(サイレントマジック・リジェネート)を自らにかけて体力の回復を図った。アインズの体が薄緑色の光に包まれる。

 

 

不可視看破(ディテクトヒドゥン)でも見抜けるけど、それだと初動がどうしても遅れてしまう。慣れれば足跡(トラック)に表示される敵のシグナルを、鳥瞰的に見る事のみで戦えるようになるのよ。ただ、ここまで来るには相当な練習が必要だけどね」

 

 

「...なるほどな、そのプレイヤーの熟練度にも寄るというわけか。そして覚えておこう、完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)すらもお前の足跡(トラック)に探知されてしまうという事をな。それで、何やら強力なデバフがかかっているようだが、これは何だ?私のMP最大値が一気に下がってしまったようだが...」

 

 

「ああそれは、背後からの致命撃(バックスタブ)の追加効果だよ。レベルはⅠからⅤまであってそれぞれ効果は違うけど、今使ったのはINT(知性)とSPI(精神力=MP)を大幅に低下させるレベルⅤ。魔法職にとっては天敵のようなデバフだけど、効果は1分間だけ。でも1分もあれば十分に殺し切れるけどね。単純に火力だけを重視するなら、下位のほうが強い場合もある」

 

 

「...それでこの威力だと言うのか。危うく死ぬ所だったぞ」

 

 

 それを聞いてルカは両手を頭の後ろに回し、嬉しそうに体を左右に振りながら返答した。

 

 

「フフーン、でしょ?さて、ここで問題。私はこれからもう一度君に背後からの致命撃(バックスタブ)を仕掛ける。防げなければ次は死ぬ。見事防いでみせて。─────」

 

 

 再び無詠唱化された部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)によりルカの姿が掻き消える。

 

 

魔法最強化・大致死(マキシマイズマジック・グレーターリーサル)

 

 

 アインズはすかさず回復魔法を唱え、ドーム中央へと飛翔しながら再度考えた。

 

 

部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)は、いかなる感知系魔法も看破系魔法でも姿を捉える事は出来ない...ならば!)

 

 

 ドーム中央で停止し、アインズは両手を前に掲げて素早く詠唱した。

 

 

魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)核爆発(ニュークリアブラスト)!」

 

 

 手の平の先に巨大な光の玉が現れた瞬間、目を覆うほどの閃光が周囲を包み、直後に凄まじい爆風を発生させた。強烈な炎と衝撃波がドーム内を舐め回し、外壁が波打つように振動を起こしている。核爆発(ニュークリアブラスト)は術者本人をも巻き込んでしまう第九位階魔法だが、炎対策が施された万全の装備に身を包むアインズには何ら影響しない。そして魔法の中で最も広範囲の攻撃が可能な核爆発(ニュークリアブラスト)は、ドーム内を押し包んで余りある威力だった。

 

 

 アインズが周囲を見渡すと、その背後20メートル程先にルカの姿があった。直立不動の姿勢を取りながら微笑し、宙に浮いている。

 

 

「正解。あぶり出しはローグベースと戦う時の基本だからね、それは私でも同様。敵が逃げ切れないような広範囲のAoE(Area of Effect=範囲魔法)を、何でもいいからとにかく”当てる”。そうすれば、私の使う部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)といえども、効果は解除されてしまう」

 

 

 そう言うルカの周囲を見ると、(ピシ!パシ!)というスパーク音と共に、炎がバリアに触れて弾き返されている。

 

 

「...なるほどな。炎対策も完璧と言う訳か」

 

 

「まあねー。私も一応元アンデッドだし、お互い神聖と炎対策には苦労するね」

 

 

 そしてルカはアインズと同じ高さで空中に停止し、互いに様子を伺いながら睨み合った。その均衡を先に破ったのはアインズだった。

 

 

魔法三十最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)心臓掌握(グラスプハート)!」

 

 

 そう唱えると、アインズの右手に拳大の心臓が現れた。通常の単発魔法ではルカの鉄壁の回避(ドッジ)に躱されてしまうと踏んだアインズは、敢えて隙の大きいこの戦法を取った。そして右手の平に心臓の幻影が現れたと言うことは、回避(ドッジ)の確率を乗り越えて、必中する事を表していた。アインズは躊躇なくその幻影の心臓を握りつぶした。

 

 

「うっわ...」

 

 

 ルカは突然の体調変化に思わず声を上げた。頭から一気に血の気が引き、手足の感覚が痺れるほどの目眩に襲われた。目の前が視野狭窄に陥り、空中に浮いているのがやっとな程の立ちくらみだ。アインズが狙ったのはこの効果──朦朧状態だった。ルカの種族は始祖(オリジン)ヴァンパイアに近いセフィロトというアンデッドベースの上位種族だ。心臓掌握(グラスプハート)が持つ本来の即死攻撃は通りにくく、尚かつアクセサリー等で即死耐性を強化しているはずだ。ならば第二の効果である朦朧状態を利用して足止めを仕掛ける。その目論見は成功した。アインズは畳み掛けるように魔法を詠唱し始めた。

 

 

魔法三重化(トリプレットマジック)上位魔法(グレーターマジック)蓄積(アキュリレイション)

 

 

 アインズの前に3つの魔法陣が浮かび上がった。

中空に浮かぶその内の一つに魔法を込める。

 

 

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)大顎の竜巻(シャークスサイクロン)

 

 

 ルカの朦朧状態を目の端で捉えながら、2つ目の魔法陣に魔法を込める。

 

 

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)星幽界の一撃(アストラルスマイト)

 

 

 そして最後の魔法陣にも魔法を込め終わる。

 

 

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)現断(リアリティスラッシュ)

 

 

 ルカはようやく朦朧状態から立ち直りつつあった所へ、正面の強大な魔法陣を見て絶句していた。アインズは右手をルカに向けて叫ぶように魔法を唱えた。

 

 

「食らえ!魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)無闇(トゥルーダーク)、そして解放(リリース)!」

 

 

「しまっ...」

 

 

 朦朧状態から抜け出しきれていなかったのか、ルカのパッシブスキルである回避(ドッヂ)は反応せず、4つの魔法全てをまともに食らい空中で大爆発を起こした。爆炎を突き抜けてルカは地面に叩き付けられ、床に大きな穴を穿った。アインズは警戒しているのか、空中に浮かんだまま距離を取って近寄ってこない。爆発の煙に包まれたルカは顔も体も煤まみれになっていた。やがてゆっくりと目を開け、ふらつきながらも立ち上がる。アインズとルカの間に爆発の煙が遮ると、ルカは左右に大きく手を広げ、ドーム天井を仰ぎ掠れた声で魔法を唱えた。

 

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)約櫃に封印されし(ベネディクションオブジ)治癒の術式(アークヒーリング)

 

 

 間を遮った煙が晴れた時にはもう遅かった。アインズはそのせいで反応が遅れ、ルカの姿を見て咄嗟に後方へ距離を取ろうと動くが、ルカの体から放たれた光の波動が広がる速度には敵わず飲み込まれた。ウォー・クレリックの聖なる光はセフィロトであるルカの体力を回復させ、且つ純粋なアンデッドであるアインズの全身を焼き、腕や顔、手足から白煙を上げ、ついには地面に落ちて片膝をついた。

 

「ぐおおお...」

 

 全身の鈍痛に加え、意識が白濁しているのが立ち上がれない要因だった。光が急激に収束し、ルカの体に戻っていく。そしてアインズに向かって目にも止まらぬ速度で詰め寄り、そして30メートル程手前で急に止まった。アインズが右手に握る物体に気がついたからだ。それは手の平サイズの砂時計。それを見てルカも腰のベルトパックから同じ砂時計を取り出すが、ルカは首を横に振った。

 

「もう勝負あったでしょアインズ?大人しく降参して」

 

「誰が降参するだと?」

 

「私のHPは満タン、君は超位魔法一撃で死ぬ。この意味がわかるでしょ?」

 

「...さあ、それはどうかな?時間停止(タイムストップ)!」

 

 そう唱えた瞬間ルカの動きが止まり、周囲が静寂に包まれた。アインズはルカの背後に回り込み、もう一つ魔法を唱えた。

 

魔法最強化・大致死(マキシマイズマジック・グレーターリーサル)!」

 

 アインズの体力が回復すると同時に時間停止(タイムストップ)が解除され、ルカは目の前のアインズが突如いなくなった事に警戒心を抱き、腰を落として背後を振り返った。そこには半円球状の立体魔法陣に包まれたアインズの姿があった。アインズは右手に握った砂時計を握りつぶした。

 

「超位魔法・失墜する天空(フォールンダウン)!」

 

 

 この近距離では、無敵化までは間に合わない。ルカも咄嗟に砂時計を握りつぶした。

 

 

「超位魔法・急襲する地獄(ヘルディセンド)!」

 

 

 青白い光と暗黒の影、2つの超高エネルギー体が交差し、密閉されたドーム内を激しく揺るがした。そして大爆発が起き、その勢いで二人の体が宙に舞い上がる───いや、吹き飛ばされると言ったほうが正しい。そのまま二人は地面に叩き付けられた。ルカはその衝撃で目が覚め、起き上がるとゆっくり周囲を見渡した。その左隣のクレーター中心にアインズが倒れているのを確認すると、ルカは立ち上がりそこへ歩み寄った。ルカの足音に気が付いたのか、アインズも体を起こして立ち上がった。先に口を開いたのはルカだった。

 

 

「さて、そろそろ終わりにしようか」

 

 

「...いいだろう」

 

 

 そう言うと二人の体の周囲に再度立体魔法陣が現れた。アインズとルカの右手には、先程と同じ砂時計が握られている。二人は呼吸を合わせるように砂時計を握りつぶす。

 

 

「超位魔法・永遠の異次元(アナザーディメンジョン)!」

 

 

最後の舞踏(ラストダンス)!」

 

 

 そこで二人の意識は途絶えた。

 

 

 

 ───ルカが目を開けると、目の前には薄緑色のキャノピーが目に入った。頭だけを下に向けると、白のランニングシャツにホットパンツといういで立ちだ。実戦型ヘッドマウントインターフェースを脱ぎ去り、ベッド右手のパネルを操作してキャノピーを開けると、嗅ぎ慣れた実験棟の匂いがルカの鼻孔を突く。ルカは起き上がり、自分の右隣の保存カプセルで横になる者に目を向けた。ルカと同じように内部パネルを操作し、キャノピーがゆっくりと開いていく。そしてカプセル内のベッドに腰掛けたまま、ルカの保存カプセルがある左へと足を投げ出し、右手で頭を抱えるようにしながら首を横に振った。ルカはそれを見て、保存カプセルに座る男の両足を跨ぎ、抱きついた。

 

 

「んんーアインズ、今日も実験手伝ってくれてありがとうね!」

 

 

 ルカはそう言うと、彼───アインズと呼ばれる男の首筋に何度もキスをした。一方の男はというと、抱きついてきたルカの体が倒れないよう左手で背中を支えながら、右手は相変わらず頭を抱えたままだった。体を密着させているせいで、ルカの双丘が押しつぶされている。フローラルな香りが漂う中、男は別段ルカの事を嫌がるわけでもなく、一人で物思いに耽っていた。

 

 

「...くそ!あそこで上位魔法蓄積を唱えなければ...しかしその前も後も問題だらけだ、いやその前に...」

 

 

「なーに、まだ考えてるの?いいじゃんもう、とりあえずは終わったんだから」

 

 

 ルカは抱きつくのを止めて、太腿に乗ったままアインズと向かい合った。その顔は日本人らしく目は大きめの奥二重で、しかし高い鼻が国籍不明な───良く言えばオリエンタルな顔立ちをしていた。眉は鋭角に切り揃えられ、それが意志の強さを象徴しているようだった。顔の形もどちらかと言えば鋭角だが、どのパーツも自己主張の少ない───悪く言えば目立たない顔立ちだった。しかしその顔と体は寸分違わぬ、鈴木悟という男を再現したものだった。

 

 

「そういう訳には行かないだろう!お前よりも強いやつが今後出てこないとも限らないんだから」

 

 

「それはそうだけど、あまり私基準で考えない方がいいと思うんだけどな」

 

 

「それはまあ...うむ、確かにそうだが」

 

 

「でしょ?これで7回戦ったんだね。何勝何敗だっけ?」

 

 

「7戦3勝3敗1引き分け。はぁ...」

 

 

「おおー、どっこいどっこいじゃん」

 

 

「...いいや、それは嘘だな」

 

 

「何で?私嘘なんかついてないよ?」

 

 

 ルカはアインズの足に乗ったままキョトンとし、その左頬を優しく撫でた。彼女に取って勝敗などどうでも良かった。単純に7回実験して、そのデータが蓄積されていく事が重要であり、そこにアインズとの意識差があった。

 

 

「それは知っている。...言ってみただけだ。意図的にではないにしろ、お前は俺との戦いで手を抜いていた。今日のようにダーティーな戦い方をすれば、勝っていたのは間違いなくお前の方だった」

 

 

「ダーティーねえ...君と戦うときはあまり意識してなかったんだけどな。まあいいか、イグニス、ユーゴ!データはちゃんと取れた?」

 

 

 保存カプセルの向かいにある、三十に重ねられた強化ガラスの向こうに見えるコンソールルームに目を向けて、ルカは尋ねた。広い実験棟内に設置された天井のスピーカーから、コンソールルームの音声がインカム越しに聞こえてくる。

 

 

「OKですルカ姉!コンソールルームで見させてもらいやしたが、皆大興奮でしたぜ!」

 

 

「ルカさん、アインズさん。こんな凄い戦いが見れて、俺はもう感動が止まりません...」

 

 

 コンソールルームの窓腰に親指を立てている、べらんめえ口調の男がユーゴ、ルカとアインズを見て涙ながらに感動している男がイグニス。ルカやアインズのように人間から電脳化した者と違い、二人共純粋な人工脳を持つバイオロイドだ。20代前半といった面持ちで、若さが見て取れる。そしてイグニスとユーゴの両隣にも男性と女性が立っていた。ユーゴの向かって右に立っているのは、筋骨隆々とした2メートルを超える大男・ライルと、イグニスの向かって左に立つ美しい女性・ミキだった。二人共ルカに向けて微笑を湛えている。

 

 

「フフ、ありがとう。それじゃ私とアインズは先にお昼食べてくるから、その間解析の方よろしくね」

 

 

「合点承知でさあルカ姉!」

 

 

「お任せくださいルカさん」

 

 

 アインズとルカは、ブラックを基調として縁に白線の入った制服に着替えると、ラボを後にした。

 

 

 

 ───2550年代、人類は太陽系外に進出していた。ワームホール航法が確立し、地球からアルファケンタウリ星系、またはその逆による鉱物等レアメタルの物資輸送が盛んに行われていた。そう、物資だけだ。アルファケンタウリへの人間の移住は認められていなかった。

 

 理由はいくつかあるが、まず第一に惑星地球化計画(テラフォーミング)が不完全であること。第二に、アルファケンタウリで最も栄えている地球型惑星プロキシマbは、あくまでバイオロイドと呼ばれる人造人間の為の研究・開発の前哨基地であり、強固な細胞と血液組成を持つバイオロイド以外の生物がこの場にいたなら、3日を待たずして宇宙放射線に細胞を破壊され死んでしまう事。3つめに、この惑星全ての権利は地球の国営企業であるブラウディクスコーポレーションの管理下にあり、国家機密の塊であるこの惑星は一般人がおいそれと立ち入って良い場所ではないということだ。

 

 

 2138年にサービス終了を迎えたDMMO-RPG、ユグドラシル。この時プレイヤーであるアインズ・ウール・ゴウン──鈴木悟は異世界へと転移した。そしてその中で、同じく2350年に突如終焉を迎えたエミュレーターサーバ、ユグドラシルβ(ベータ)から転移してきたルカ・ブレイズというプレイヤー同士が、200年ぶりに奇跡的な邂逅を果たした。そしてその冒険の過程で、そこが異世界などではなく、ダークウェブとロストウェブという2つのサーバを往来するネットワーク上の世界であることが判明する。

 

 

 その通称ダークウェブユグドラシルにおける様々な謎を解きながら、アインズ達の助力を借りてルカは悲願であった現実世界への帰還を果たした。しかしそこはルカの知る2350年代の地球ではなく、2550年のプロキシマbというアルファケンタウリ星系にある地球型惑星だった。異世界で過ごした200年は現実世界にも反映されていたが、電脳化されていたルカの脳核は研究者である仲間達の手によってバイオロイドの体に移植され、劣化する事なく200年という歳月を乗り越えていた。

 

 

 そして同2550年、ルカ達はユグドラシルを制作した株式会社エンバーミングの親会社であるレヴィテック社に保管されていた鈴木悟の脳核を奪取する事に成功。これにより違法に行われていた拉致監禁から彼を解き放ち、ルカの手によってその電脳は精密優先型バイオロイドに移植され、2550年に鈴木悟の意識を招く事が可能になった。未だ謎が多いダークウェブユグドラシルの解析を進める一方で、ルカはイグニス・ユーゴの力を借りて独自にユグドラシルシミュレータを開発し、その実験として同じプレイヤーであるアインズを選んだのだった。

 

 

───プロキシマb 首都アーガイル 商業施設ブロック1F・カフェテリア 13:25AM

 

 

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」

 

 パラソルのついたテラス席に座ると、コーヒーを連想させるダークブラウンのサンバイザーに制服を着た女性の店員が冷水を二人分持ってきた。

 

「えーと、私はフルーツバゲットサンドのバナナと生クリーム多めで。あとエスプレッソのラージ。アインズは何にする?」

 

「チキンフィレサンドのバジルソース多めとアイスコーヒーのラージで」

 

「畏まりました、少々お待ち下さいませ」

 

 この商業ブロックは展望ブリッジと同じく透明のドーム型となっており、外の美しい景色を一望しながら食事ができる非常に開放感のある作りとなっていた。ここにあるフードコートで様々な食事が楽しめるが、その中でも特にアインズとルカのお気に入りは、コーヒーが美味いこのカフェだった。

 

 

「お待たせいたしました。フルーツバゲットサンドにエスプレッソのラージ、チキンフィレサンドにアイスコーヒーのラージでございます」

 

 表面をカリカリにトーストしたホットドック型のパンズに、冷やしたフルーツと生クリームがたっぷり乗ったものがフルーツバゲットサンド。CDサイズの大きめなハンバーガー型のパンズにフライドチキンを挟み、レタス・オニオンがふんだんに使われたものがチキンフィレサンドだ。

 

 

「待ってました!戦いの後はやっぱこれよねー」

 

「お前毎回それ頼んでないか?しかも昼間から甘い物って...」

 

「そうだっけ?うーんなんだろ、最近頭ばっかり使ってるからかな。甘い物に目覚めちゃったというか」

 

「...太るぞ、そんなもんばっかり食べてたら」

 

 

 アインズは苦笑いを浮かべながらも、一口頬張るルカに優しい眼差しを向けた。ルカはそれを大きめのマグカップに注がれたエスプレッソで流し込む。

 

 

「あれ、アインズには言ってなかったっけ?ここの料理全部、バイオロイドの体を維持する為に必要な最低限のタンパク質とビタミン、グルテンを高圧縮して加工されたものだから、どれを食べても変わらないのよ」

 

 

 アインズはそれを聞いてギョッとする。

 

 

「なっ何?!じゃあこのチキンも、お前の食べてるそのフルーツも、生クリームも...」

 

「そ、全部偽物よ。いわゆるサイボーグ食ってやつだね」

 

 

 アインズはそれを聞いてチキンフィレサンドを一口頬張り、アイスコーヒーで流し込んだ。

 

 

「この歯応えと、この味でか?!し、信じられん」

 

「フフ、そうでしょう?私のラボで食事の改善案を出したの。それまではモナカの中にグルテンペーストが詰め込まれた味気ない物しか無かったんだけど、私の班で加工したものをプロキシマbのみんなに試食してもらったらこれが好評でさ。本社に提出して、私の案が通ったってわけ。今では周りにあるお店も全部、私の基礎研究を応用した食事に代わってるよ。豚骨ラーメンとかもあるし」

 

「...お前、頭いいんだな」

 

「フフーン、ちょっとは見直した?」

 

 

 ルカは腕を頭の後ろで組み、胸を強調するような色気のあるポーズを見せたが、アインズは赤面しながら目を逸らしてチキンフィレサンドを再度頬張り、アイスコーヒーをストローで吸い上げた。

 

 

「と言う事は、このアイスコーヒーもお前の言うサイボーグ食なのか?」

 

「まさか!それは本物、私の飲んでるエスプレッソも本物。地球から物資輸送されてくる定期便に本物の豆を乗せてもらってるのよ。それにコーヒーは研究者の命!偽物なんてまっぴら御免だわ」

 

 

 アインズはそれを聞いて回想する。

 

 

「なるほどな、それであの研究室にエスプレッソマシンが置いてある訳か」

 

「あ、気付いた?そうなのよ、私が本社にわがまま言って取り寄せてもらったの。美味しかったでしょ?」

 

「まあな、確かに美味かった。それにしてもこうやって食事が出来るというのは、幸せなものだな」

 

「あっちの世界じゃ、アインズは食事出来ないもんね。ピュアなアンデッドだし」

 

「そうだな。ところでルカ、一つ相談があるんだが」

 

 

 食事が終わった皿を脇にどけて、アインズはテーブルに体を預けるようにして手を乗せた。

 

 

「何?ヘッドマウントインターフェースを着けて脳に過負荷でもかかったとか?」

 

「そうでは...いや、それと関係あるかもしれない」

 

「アインズの脳核にも生体量子コンピュータを入れたからね。多少違和感があるかも知れないけど、体が重くなったり処理速度が遅く感じたりとか、そういうのはない?」

 

「いやそれはない、大丈夫だ。むしろ体の反応速度が跳ね上がった事に驚くばかりだ。そうではなく、俺が言いたいのは感情面での制御に関する事だ」

 

「?? 具体的には?」

 

 

 ルカの顔に真剣味が出てきた。それは研究者としてではなく、言い換えれば医者のような眼差しだ。

 

 

「ああ。お前に俺の電脳...と言ったか?それを取り返してもらい今俺はここにいる訳だが、初めてこの2550年に来たその日から、何というかこう、感情の抑制が効かなくなっているようなんだ。以前ならある一定以上に感情が高ぶると、自動的に沈静化されていた。それが急に無くなってしまった事に、少なからず動揺しているんだ」

 

 

「...あー分かった。刻印(リミッター)の事か」

 

刻印(リミッター)?それはどういう物なんだ?」

 

 

 ルカは円形のテーブルに椅子を引き寄せて、アインズのようにテーブルに体重を預けるようにして手を組んだ。

 

 

「前にフォールスが言っていた事を思い出して。エンバーミング社が拉致したプレイヤーの肉体は、生命維持カプセルに収容しつつ最高の栄養状態と心身の健康を常に維持し続けるよう指示が出ている、っていう話だったでしょ?」

 

「ああ、確かにそう言った話があったな」

 

 

「心身の健康...つまり精神状態も脳波によってモニターされていたという事ね。そして怒りやストレス、恐怖、あるいは悲しみや歓喜といった感情が一定ラインを超えると、脳内に埋め込まれた刻印(リミッター)が信号を発し、自動的に鎮静剤や安定剤を体外から投与する。これらのシステムを総称して、刻印(リミッター)と私達は呼んでいるの。元々は医療用の古い技術で、2130年代にも脳内に埋め込む演算器の追加機能として使われていたはずよ。でも...」

 

 

「でも...何だ?」

 

 

 アインズは身を乗り出し、心配そうな顔をルカに向けた。

 

 

「...私達はレヴィテック社のアーカイブセンターからアインズの脳核を強奪し、その際簡易の生命維持装置に接続して脳波をオンラインにしたまま、一週間かけて地球からこのプロキシマbに運んだ。しかし君の脳核には旧式の演算器とナノマシンが乗っていたために、それに適応するバイオロイドの素体が無かったんだ。かと言って脳核だけを生命維持装置に繋ぎっぱなしにしては不自由極まりない。そこで私は君の電脳に手術を施し、古い演算器とナノマシンを除去して私と同じ生体量子コンピュータと精密優先型ナノマシンを移植した。その時に刻印(リミッター)の効果も一緒に除去された事で、感情の抑制が一時的に効かなくなっているんだと思う」

 

 

「なるほど、それでか。まあ別段不便はないから構わないんだが、新しく移植した生体量子コンピュータには、その刻印(リミッター)の機能はないのか?」

 

「バイオロイドの身体的限界を超えた出力を緩やかに抑える圧縮器(コンプレッサー)はナノマシンの機能として実装されているけど、精神や感情の起伏を抑える刻印(リミッター)機能は、生体量子コンピュータには搭載されていない。何故かというと、戦闘や処理速度という観点において、感情の起伏は重要なファクターになっているの。感情の平坦化や爆発が、時には思いもよらない限界を超えた能力を発揮する事が、私達の研究で分かっている。だから私が生体量子コンピュータを開発していた時点で、元々刻印(リミッター)のような機能は一切考慮されていなかったんだ。それに...」

 

 

「何だ、まだ何かあるのか?」

 

 

 アインズはアイスコーヒーのストローに口をつけ、ルカの話した内容をゆっくりと消化しては頷くという事を繰り返していた。

 

 

「...ごめんねアインズ、今話したことは生体量子コンピュータの機能面であって事実だけど、ただの言い訳かもしれない。アインズをプロキシマbで保護する為には、私達にもそれなりの理由が必要だったの。精密優先型バイオロイドにアインズの脳核を移植して、実験に参加してもらう事が、ブラウディクス本社に君の保護を申請する上で絶対条件だった。だから君の承諾なしに手術を行ってしまった事に関しては、本当に申し訳なく思っている。ただ私は───」

 

 

 そこでアインズは手を上げて言葉を遮った。

 

 

「待て、分かった。良かれと思ってやった事、そうだろう?ルカ、お前が奴らから俺の脳核を取り戻してくれた事には感謝しているし、何よりこの体は気に入っている。そのおかげで、こうして食事もできるようになったしな。...だからそんな心配そうな顔をするな」

 

 

 アインズはテーブルを挟み、笑顔でルカの黒く艷やかなフェアリーボブの髪をクシャッと撫でた。そしてルカの顔にも安堵の表情が戻る。

 

 

「そ、そっか。嫌われたらどうしようかと思って、なかなか言い出せなかったんだ。良かった、受け入れてもらえて」

 

「気にするな。そうだな...今度酒の一杯でも奢ってくれればチャラにしてやる」

 

 

 酒と聞いて、ルカの顔がパッと明るくなる。

 

 

「え、じゃあ今から飲みに行く?このブロックの2階に小洒落たバーがあるのよ」

 

「昼間っから飲んでいいのか?それにお前、この後データ解析の仕事があるんだろう?また今度でいい。俺も明日にはダークウェブユグドラシルに戻る予定だしな」

 

「そっか、残念」

 

「それよりお前、そろそろこちらに顔を出したらどうだ?アルベドもデミウルゴスも、アウラとマーレやコキュートス、それと言葉には出さないがシャルティアとセバスも、お前に会えなくて寂しがっているぞ。いつもお前は伝言(メッセージ)で俺だけを呼び出して、ナザリックに顔を出さないじゃないか」

 

 

 それを聞いてルカは人差し指でこめかみを掻きながら苦笑した。

 

 

「あー、うん何というか、あの子達の顔を見ると帰りたくなくなっちゃう気がしてさ。それに今はアインズとこうして会えて、実験にも没頭できてるし、それで満足しちゃってるのよね。そう言えば、そっちは何か進展はあったの?」

 

「もちろんだ。俺達の方も色々とあったからな」

 

「例えば?」

 

「帝国と同盟を組んで、王国と戦争をした」

 

 

 ルカはそれを聞いて、口に含んだエスプレッソを危うく吹き出しそうになった。

 

 

「うっそ...マジで?」

 

「ああ、マジだ」

 

「それで、結果はどうなったの?」

 

「超位魔法を使って、王国側の兵士を18万人ほど殺した」

 

「...何か意外。アインズは孤高に攻めていくかと思ってたから」

 

 

 18万人を殺害したと聞いてもキョトンとしているルカを見て、アインズは話を続けた。

 

 

「その戦争の最後に、ガゼフ・ストロノーフが一騎打ちを申し込んできてな」

 

「受けたの?」

 

「ああ。そして殺した」

 

「うっひょー、やるやる!」

 

 

 ルカの目が爛々と輝いてきているのを見て、アインズはテーブルの上で手を組み、薄く笑いながらさらに話を進めた。

 

 

「その戦争に勝利した後、領土を手に入れた我々はエ・ランテルを中心にアインズウールゴウン魔導国を建国した。そしてその後帝国の皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが何故か魔導国の属国となる事を願い出てきてな」

 

「...独立国家まで作っちゃったの?帝国まで従えるとかすごいじゃない、もっと詳しく聞かせて!」

 

 

 そこでアインズは、ルーン技術を持つドワーフの首都フェオ・ジュラからの申し出を受け入れ、ルーン工匠の卵であるゴンド・ファイアビアドと共に王都フェオ・ベルカナに向かい、そこを支配する亜人種・クアゴアと霜の竜(フロストドラゴン)から王都を奪還し配下に加えた事、その結果ドワーフ達と通商条約を結び、ルーン技術者達を魔導国に招いた事を話した。

 

 そして一連の魔皇ヤルダバオトとの戦いを詳細に話した。王国でのモモンとしての戦いから、ローブル聖王国で起こったヤルダバオトとの戦争、その結果聖王女であるカルカ・べサーレスと、聖王国神殿勢力の筆頭ケラルト・カストディオが死に、王女の兄であるカスポンド・べサーレスが指揮を取り、アインズはその勢力に魔導王個人としてヤルダバオト討伐に力を貸した事。その過程でアインズが死んだ時のためのナザリック防災訓練を行った事や、戦闘メイドであるシズ・デルタの聖王国内での活躍、聖王国内に魔導王支援部隊なる組織が結成され、その組織の中心であり、アインズに心酔している従者ネイア・バラハという者の存在。そしてカスポンド・べサーレスはすでに死んでおり、代わりにナザリックのドッペルゲンガーにすり替わっている事や、亜人達の住むアベリオン丘陵地帯を魔導国の支配下に置いたこと、ここまでのシナリオを描いたのはデミウルゴスとアルベドの二人だった事を話した。

 

 

「懐かしいなー、ドワーフの国にも行ったんだね。話を聞いている限りそことはいい関係を結べたみたいだけど、その...えーとその後の話はつまり、ヤルダバオトはデミウルゴスだったって事だよね?」

 

「ま、まあそういう事になるな」

 

「王国はおろか、魔導国がアベリオン丘陵を支配し、将来的にはローブル聖王国の北と南も無血開城させて支配下に置くため?」

 

「そうだ。...言っておくが俺が承認したとはいえ、デミウルゴス発案だからな?」

 

「何というか、その、すごい壮大なマッチポンプだね...」

 

 

 ルカはズズッとエスプレッソを口に含み、苦笑いを隠しきれなかった。

 

 

「魔導国には出来るだけ悪い評判や騒ぎを起こしたくないという俺の気持ちを、デミウルゴスとアルベドが汲んでくれた結果こうなってしまった訳だが、俺はそれを止めるつもりはないし、結果うまく回っているのだからそれでいいと思っている」

 

「まあデミウルゴスとアルベドの考えなら、何も心配はいらないと思うのも事実だし、いいんじゃない?」

 

「ああ、それは俺も同じ意見だ。...しかしもうこの方法ではこの先通じないだろう。そこでもう一つ相談なんだが、ルカ。今こそお前の知識と力を借りたい」

 

 

 ルカはアインズを見つめて深呼吸し、テーブルに目を落として返答した。

 

 

「具体的には?」

 

「俺たちは王国、帝国、ドワーフの首都、アベリオン丘陵、聖王国をほぼ支配下に置いた。残るは───」

 

 

 ルカはアインズの言葉を遮るように右手を上げ、その後に続く言葉を継いだ。

 

 

「...残るはアーグランド評議国、スレイン法国、竜王国、カルサナス都市国家連合、海上都市。....そして八欲王の空中都市・エリュエンティウ。大まかだけど、残る大きな都市はこのくらいのものだろうね」

 

 

 ルカは再度、エスプレッソをすすった。

 

 

「....話が早いな。お前が今言った都市に関して、圧倒的に情報が不足している。お前はあの世界の全ての都市に行った事があるんだよな?」

 

「うん。200年かけて全ての地を回ったからね。もちろん中には、向こうが気付かないよう極秘に偵察した所もあるけど。スレイン法国とか、エリュエンティウとかね」

 

 

 アインズはアイスコーヒーのストローに口をつけ、ゴクリと喉を鳴らした。

 

 

「そのお前の叡智を借りたい。俺も、アルベドも、デミウルゴスも、そして他の階層守護者達も、みんなお前の帰還を望んでいる。もちろんお前は現実世界への帰還を果たしたのだから、今更あの世界に戻ることに抵抗を感じている事は分かる。しかしもう、頼れるのはお前しかいないんだ」

 

 

 ルカはそれを聞いてすぐに返答はせず、左手のカフェ入り口に立つ店員に向けて大きく手を振った。客が少ない時間帯で暇そうにしていた店員が、小走りに近寄ってくる。

 

 

「ビール1パイント2つ。すぐに持ってきて」

 

「畏まりました!少々お待ち下さいませ」

 

 

 アインズもその意図は了承していた。これは彼女にとって覚悟を決める儀式なのだろうと。待つこと30秒、店員はジョッキを零さないようにして早足で持ってきた。

 

 

「お待たせしました、生ビール1パイント2つでございます」

 

 

 足早に立ち去る店員を背に、ルカはジョッキを手に取りテーブルの中央に無言で掲げた。アインズもジョッキを手に取り、ルカの持つジョッキに勢いよくぶつけて、ビールをあおった。ルカは何かを洗い流すかのように、そのジョッキを一気に飲み干した。アインズはそこまで息が続かず、ジョッキ半分程を飲んでテーブルの上に置いた。

 

 

「アインズは、あの世界をどうしたいと考えているの?」

 

 

 唐突なルカの質問だった。ビール1パイントを飲み干したにも関わらず真っ直ぐにアインズを見つめるその目には、力強ささえ宿っていた。

 

 

「...俺は魔導国を、人間・亜人に関わらず幸せに共存出来るような国にしたいと考えている。そしてもしその状態を仲間たちに見られた時にも、胸を張って統治を喜んでもらえる、そういった状態に持っていきたいと思っている」

 

「仲間達?それは、元ギルドメンバーってこと?」

 

「ああ」

 

「...それはちょっと無理なんじゃないかな。フォールスも言っていたように、あのダークウェブユグドラシルに転移するためには、ギルドマスターである事が絶対条件なわけだし...」

 

「ああ、分かっている。しかし可能性が無いわけじゃない。それにあくまで仮定の話しだが、それでも誰が見ても豊かで安全と思えるような、そんな国にしたいと思っている」

 

「なるほどね。それで私にどうしてほしいの?」

 

「アインズウールゴウン魔導国の大使として、手を貸して欲しい」

 

「大使かー。私に務まるかな?」

 

「お前に務まらなければ、この先誰にも務まらないだろう。これは俺だけでなく、ナザリック皆の願いだ」

 

「...はー。お願いされちゃあ聞かないわけにもいかないか。それに私を現実世界に戻してくれた大恩もあるし、分かった。引き受けるよ」

 

 

 アインズはホッとした表情を浮かべて、ジョッキをあおった

 

 

「ありがとう、ルカ。それで早速頼みたいのだが、この現実世界に来る直前に、リザードマンの集落にいるコキュートスから妙な報告が入ってな。そこにまず俺と一緒に同行してほしいんだが」

 

「リザードマン? また懐かしいね。それで妙な報告というのは?」

 

「それがよく分からんのだ。何かの遺物を見つけたと言う事らしいんだが、その詳細を聞く前にお前に呼ばれ、現実世界に転移してきたからな。確認する時間がなかった」

 

「なるほど、分かった。それでどの部族の元へ行くの?」

 

鋭き尻尾(レイザーテール)族の集落だ。俺達の統治後、今はそこに5部族が集結して暮らしている」

 

「了解、そこには私も行ったことがある。じゃあ明日出発ということでいいね?」

 

「ああ、よろしく頼む」

 

 

 ルカはテーブル右にあるカードリーダーに自分のIDカードを乗せて会計を済ませると、二人共テラスから席を立った。

 

 

 




────────────────────────

■魔法解説

影の感触(シャドウタッチ)

対象の敵を9秒間麻痺させる魔法。120ユニットという長距離から撃てる為、逃げる敵に追撃を加える際にも使う。また敵の魔法詠唱中に放てば相手の魔法がキャンセルされる為、敵に取っては非常に脅威度の高い魔法


呼吸の盗難(スティールブレス)

対象の動きを30秒間15%の速度まで低下させ、高レベルダメージの毒DoTも与える移動阻害魔法。魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)による効果範囲の拡大も可能という優秀な魔法でもある


約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)

HP総量の75%を一気に回復するパーセントヒール。魔法最強化・位階上昇化等により回復量が上昇するが、MP消費が激しい


部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)

亜空間に入り込む事で存在そのものを3次元から消す不可視化魔法。不可視看破(ディテクトヒドゥン)足跡(トラック)、または敵視感知(センスエネミー)その他全ての探知系魔法を回避出来る。一回の詠唱に付き30分間有効だが、魔法効果時間延長(エクステンドマジック)により最大1時間まで効果時間を延ばす事が出来る


不可視看破(ディテクトヒドゥン)

高レベルの透明化(スニーク)も看破できる為、実質イビルエッジ以外(マスターアサシン・忍者等)の不可視化魔法は全てこの魔法で見破れる


五大元素の不屈の精神(エレメンタルフォーティチュード)

始祖(オリジン)ヴァンパイアの持つ特殊魔法で、土属性・水、氷結属性・炎属性・風属性・雷属性の攻撃ダメージを15%まで低下させる。ただしこの魔法と、物理攻撃を15%まで低下させる暗い不屈の精神(ダークフォーティチュード)は同時に使用できず、主に物理攻撃を主体としない対魔法戦においては絶大な威力を発揮するが、その際に物理攻撃を受けるとダメージを受けてしまう為、2者択一が迫られる諸刃の魔法


約櫃に封印されし治癒の術式(ベネディクションオブジアークヒーリング)

周囲600ユニットまでの味方HP総量を85%まで回復させるAoEパーセントヒール。魔法最強化・位階上昇化により回復量・効果範囲が上昇するが、MP消費が非常に激しい。尚アンデッド系統のモンスターやプレイヤーには逆に攻撃手段にもなる


超位魔法・急襲する地獄(ヘル・ディセンド)

失墜する天空(フォールンダウン)の闇属性版。宙に漂う暗黒エネルギーを掌に凝縮させて相手に叩きつけ、超重力による大爆発を引き起こす闇属性攻撃。


超位魔法・永遠の異次元(アナザーディメンジョン)

巨大なブラックホールを召喚し、その表面にある事象の地平線に触れた敵を引きずり込み、物体・霊体関係なくその存在を捻じ曲げて粉々に打ち砕く星幽系超位魔法


超位魔法・最後の舞踏(ラストダンス)

数ある超位魔法の中でも最大級の火力を誇る無属性の超位魔法。そのため1日に置ける使用回数制限はたったの1回のみである


■武技解説

霊妙の虐殺(スローターオブエーテリアル)

ダガーによる超高速20連撃を加えると共に、敵の防御力を-80%まで引き下げる効果を持つ。また武器属性付与・神聖(コンセクレートウェポン)等のProc発生確率を70%まで上昇させる事により、瞬間火力を高める効果も合わせ持つ


絞首刑の木(ハンギングツリー)

ダガーによる超高速20連撃と共に、敵の刺突耐性を30%まで引き下げる効果を持つ


無限の輪転(インフィニティサークルズ)

神聖属性と闇属性の光刃を敵に向かって無数に飛ばす技。中距離から打てる為、火力と共に距離を詰める為の牽制目的で撃つ場合が多い



■スキル解説


回避(ドッヂ)

「最大の防御とは、その場に居ない事」というスキル概要が書かれたローグ職特有のパッシブスキル。一つのローグ職に付きスキルポイント最大値が制限されているが、INT上昇によってもこの最大値は上昇する。これを上げていく事によって物理攻撃はおろか、魔法やスキル等ありとあらゆる攻撃を回避できる確率が上昇していくが、例として80%といった生半可な状態では全く発動しないに等しい。あらゆるローグ職を極めた者がこのスキルを強化する事によってのみ恩恵を受ける事が可能となる。INT・CONブースト型のルカ・ミキは回避(ドッヂ)スキルに最大値である500%まで振る事で、徹底した究極特化を施し実戦レベルにまで回避効果を高めている。また回避上昇(エバージョンライジング)の魔法を使うことによってスキルのパーセンテージを650%にまでブースト可能となり、この状態で攻撃を当てられる者は存在しない。但し朦朧や麻痺といった状態異常の際はパッシブスキルの効果が無くなってしまう為、ダメージを軽減する為にそれ相応の装備が必要となる。


背後からの致命撃(バックスタブ)

透明化(スニーク)中にのみ発動が可能な必殺の一撃。両手にダガーを装備している場合、2連撃となる。その威力は通常攻撃時の40倍にも達し、命中率300%上昇に固定ダメージも加算される。この攻撃は魔法やスキル・盾・アイテムによる効果といったあらゆるパッシブディフェンスと刺突耐性を無視する必中の貫通属性で、近接戦闘特化型の超位魔法とも呼べる凶悪な威力を持つ。レベルはⅠからⅤまであり、それぞれデバフの効果が異なる。その内訳は、(LvⅠ=スタミナダメージDoT)、(LvⅡ=マナ【MP】ダメージDoT)、(LvⅢ=HPドレインDoT)、(LvⅣ=攻撃速度+物理攻撃力低下)、(LvⅤ=INT+SPIを20%まで低下させる)というもので、相手の戦闘スタイルによって選択する事が可能となっている。尚DoT関連に関してはINT(知性)依存となっている為、INTブーストしたプレイヤーがLvⅢの攻撃を行った場合、ダメージ総量は超位魔法を遥かに凌駕する。尚DoT・デバフの効果時間は1分間となっている。



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第2話 始動

 翌日15:00、ルカとアインズはラボに姿を現した。コンソールルームで待っていた4人に指示を飛ばしていく。

 

「イグニス、ユーゴ!昨日送った報告書通りだ。私とアインズ・ミキ・ライルはダークウェブユグドラシルに向かう。二人にはその間私達の体のモニターを頼みたい。但し万が一の際は二人にも来てもらうことになるのでそのつもりで。いい?」

 

「了解しました。我々はバックアップ要員ですね」

 

「ルカ姉、久しぶりに本格復帰ですかい?あんまりあぶねえ橋は渡らないでくださいよ?」

 

 全くだ、とルカは思った。未だ確認されていないが、過去の歴史からプレイヤーがユグドラシルサーバ内で死ねば、その意識も消失する可能性が高い。イグニスはそのような事は微塵も思っていない様子だが、ユーゴが口をへの字に曲げて心配するのも頷ける話だった。しかしそれが、愛する友の為だったらどうだろうか。ルカ・ブレイズは笑顔で死地に飛び込むだろう。それが愛する夫のためならばどうだろうか。ルカ・ブレイズはその者を護るため、全てを破壊する鬼神と化すであろう。ルカ・ブレイズとは、そういう女性だった。4人は制服を脱ぎ捨てて下着姿となり、実験棟に入った。

 

 実験棟には全部で8台の保存カプセルが横一列に並んでいるが、それを入れても余りある面積で、薄緑色の外壁で囲まれたバスケットコートといった様相を呈していた。コンソールルームと同じく天井も高く、優に10メートルは超えるだろう。ルカ・ミキ・ライルは部屋の中央に立ち、円陣を組むように並んだが、道を塞がれたアインズは立ち止まり、何をするのかと戸惑っていた。

 

「何してるのアインズ、早くこっち来て」

 

「...あ、ああ」

 

 ルカに手招きされ、アインズは慌ててその円陣の中に加わった。

 

「それではルカ様、本ミッションの方針を」

 

 重々しい真剣な声でライルが促した。

 

「...これより私達は、アインズウールゴウン魔導国の大使として行動を開始する。目指すはアーグランド評議国、スレイン法国、竜王国、カルサナス都市国家連合、海上都市、そしてエリュエンティウだ。特に注意すべきはアーグランド評議国、スレイン法国とエリュエンティウ。以前のような隠密偵察ではなく、表立っての行動となる。知っての通り、奴らは世界級(ワールド)アイテムを所持している可能性が高い。こちらも世界級(ワールド)アイテムで固めている以上敵ではないと思うが、決して警戒を怠るな。アインズ達を傷つけるような行動に出た場合は即座に殲滅戦に移る。ただ忘れるな、今回のミッションは大使としての気品が要求される。可能な限り攻撃的な言動は避けろ。相手の心を読め。その上で最善の答えを導き出せ。まず私達の最初の仕事は、リザードマンの集落で起きた異変を調査することだ。全員アインズの指示には絶対に従え。彼が死ねと言ったら死ね。そのつもりでことに当たれ。いいな?」

 

『了解』

 

 ミキとライルが返答し、実験棟の壁がミシリと音を立てた。アインズはリアルの世界で殺気というものを感じた事がなかったが、これは違う。今のバイオロイドの体では、耐性(レジスト)ゼロの状態で絶望のオーラを浴びているに等しかった。アインズは彼女の背後に死神を見た。しかしその殺意は決して自分に向けられたものではなく、自分を包み込むように護るための殺意だと知り、言いようもない心強さを感じていた。

 

 ルカは無言で拳を握り、腕を水平に構えた。ミキ・ライルもそれに続く。アインズもその意図を察し、拳を握った。(ゴツン!)と音を立てて円陣中央で四人の拳がぶつかりあうと、四人はそれぞれの保存カプセルに散っていった。ルカとアインズは中心にある2台の保存カプセルの前に立ち、ミキ・ライルはすぐさま左右の保存カプセルに横になった。それを見たイグニス・ユーゴが二人の体に電極を取り付け始めた。ルカは隣りで横になろうとするアインズを引き止めるように、左手でアインズの手の平を握った。アインズはその感触からルカだと判断し、反射的に指を絡め優しく握った。

 

 横になろうとした体を止め、アインズは体を起こしてルカと向き合った。バイオロイドとはいえ、そこに立つルカはユグドラシル内のアバターと一糸乱れぬ姿で、悪魔的に美しかった。頬にタトゥーはないが、そのせいで赤い瞳が大きく見えるのは気のせいではあるまい。ルカは顔を上に向けたまま、アインズに体を寄せた。

 

「アインズ...こんな私、嫌い?」

 

「こんなとは?」

 

「だから、命令口調というか...」

 

 要するに、殺気を放つ自分が嫌いか?ということを言いたいのだとアインズは判断した。

 

「嫌いなものか。普段のお前も、あの時のようなお前も、俺は大好きだぞ。全ては俺を守るためだと、お前は言っていたじゃないか」

 

「ほんと?」

 

「ああ、本当だ」

 

「....ん」

 

 ルカは握っていた両手を離し、アインズの首を抱き寄せて、唇を重ねた。

 

 ルカの柔らかな薄い唇が、アインズの厚めな唇を包む。アインズはいきなりの不意打ちに最初慌てふためいたが、ルカの落ち着きようを感じて徐々に冷静さを取り戻し、アインズも背中に腕を回した。アインズにとってのファーストキス。ルカにとっては二度目だった。静かで、穏やかな時間が過ぎていく。

 

 ───時間の経過も忘れていたが、やがて二人は満足して唇を離し、慈しむようにお互いの頬を撫であった。目の前には涙ぐみ、優しく微笑するルカの美しい顔がある。アインズがそれを見て惚けているところへ、大きな咳払いが一つ響いた。

 

「ゴホン!お二方、あいすいませんが、続きは現実世界に帰ってからにしてもらえませんかね?」

 

 ユーゴの声に阻まれて、二人は慌てて体を離した。しかしルカの顔を見ると、アインズを見つめながら晴れ晴れとした表情を浮かべている。それを見て安心したアインズは、自分の背後にある保存カプセルに横になった。ルカも横になり、備え付けられたヘッドマウントインターフェースを被り、首の後ろのブートボタンを押した。そしてイグニスの手で全身に電極を付けられ、ルカは目を閉じた。その口には思わず溢れたと言わんばかりの笑みを讃えている。やがて保存カプセルのキャノピーが閉じ、静寂が支配した。ルカが右を見ると、隣の保存カプセルで自分を見つめるアインズの姿があった。彼は保存カプセルの中で、左手の親指を立ててルカに向けた。それに答えるようにルカも右手の親指を立てて、アインズに返答する。

 

 そして唐突に目の前が真っ暗になり、複数のウィンドウが開いた。その中をプログラムの数列が高速で駆け巡っていく。イグニスとユーゴが組み上げた、ダークウェブユグドラシルに入るためのオートログインプログラムだ。

 

(Mental...ok. Vital...ok. Welcome to the Yggdrasil!)

 

 データスキャンが終わり、閉じた目に光が差してくる。目を開けると、そこは見覚えのあるエ・ランテルの街並みだった。人の往来が激しかったため道を逸れるが、左を見るとミキが自分の状態を確認するかのように手の平を見つめ、握ったり開いたりしている。向かいの通りを見ると、そこに立つライルも同じような仕草をしていた。ルカはライルに呼びかけて自分たちのいる通りの向かい側に招き、皆でお互いの姿を確認しあった。

 

 全身漆黒のレザーアーマーを纏い、その上からフード付きの黒いマントを羽織っている。腰に巻いたベルトパックの中を確認すると、赤く光る帰還用のデータクリスタルが複数個入っていた。

 

「それにしても...2年ぶり、か」

 

 誰にともなくルカは独りごちて、街を見回した。以前とは違い、ゴブリンやオーガ、そしてナーガやドワーフ、人間を含む様々な種族が大通りを行き交っている。彼らの顔は皆明るく活気に満ち、その事から平和に共存できていることが見て伺えた。空にはフロストドラゴンが絶えず街の上空を出入りしており、その光景は正に多人種国家と言って相違なかった。装備を確認し終えたところへ、頭の中に一本糸が通るような感覚がよぎり、アインズからの伝言(メッセージ)が入った。

 

『ルカ、問題なくログインできたか?』

 

『ああ、3人とも問題ない。今どこにいるの?』

 

『街の東部にある屋敷だ、今迎えを出す。えーと、お前たちは今どのへんにいる?』

 

『街の南側にいるよ』

 

『分かった。ハンゾウをやるのでそれについてきてほしい』

 

『了解』

 

 しばらく待っていると、突如高速で近寄ってくる何かを足跡(トラック)が捉えた。ルカは前に立ち、相手が飛び込んでくる方向にタイミングを合わせてロングダガーの刃を突き立てた。その”何か”は一切の身動きが取れず、透明化(スニーク)を解除した。そこには忍装束を着た男が一人、体を仰け反らせて立っていた。

 

「...あのさー。人を迎えに来るのに透明化(スニーク)ってすごい失礼だよ」

 

「...あっ....その、申し訳ありません!」

 

「うん。それで、アインズの所に案内してくれるんでしょ?」

 

「はい!こちらです、ご案内致します」

 

 目の前にいるハンゾウはおどおどしながら、ルカ達3人を街の東側へと案内した。召喚モンスターであるハンゾウのレベルは80。ルカであれば武器が掠っただけで殺せるレベルである。それを知ってか、ハンゾウは一切の無駄口を叩かなかった。

 

 そして案内された先には、背後に三重の城壁が控え、その手前に建てられた立派な3階建ての家屋が目に入った。その建物の右隣には、さらに贅を尽くしたであろう4階建ての貴賓館とでも言うべき建築物が並んでいる。

 

 ハンゾウが正面入口の扉を開け、奥へ進むと右手にある扉の前にメイドが控えていた。ルカ達3人の姿を見てメイドが扉をノックし、先に入る。そして扉を開けて入室許可を口にした。

 

「ルカ・ブレイズ様、ミキ・バーレニ様、ライル・センチネル様。ようこそお越しくださいました。魔導王陛下が中でお待ちです。どうぞお入りください」

 

 それを聞いてルカは目を伏せて部屋の中に入った。ミキ・ライルも同じようにしていただろう。部屋の中央に立ち顔を上げると、まず真っ先に骸骨───死の支配者(オーバーロード)の姿が執務机の向こうに目に入った。そしてその向かって左には、目も覚めるほどタイトなホワイトドレスを着た絶世の美女。そして右手には、橙色のシャープなスーツを着た細身の男性が凛として立っていた。

 

 ルカがどちらから対応すれば良いか迷っていた所へ、左に立つ美しい女性がアインズに許可を乞うように首を向けた。アインズはそれに同調し、無言で右手を差し出して、”行け”と促した。

 

 それを受けて彼女はルカの目の前に歩み出た。その表情は今にも泣き出しそうなほど緩んでいる。

 

「アルベド...帰ってきたよ」

 

 ルカがフードを下げて手を差し伸べるとアルベドは走り寄り、ルカの胸に飛び込んできた。ルカはそれを笑顔で受け止め、抱きしめる。ルカとは異なるフローラルな香水の香りが体を包んだ。右肩のマントにアルベドの涙が滴っている。

 

「...バカ。こんなに長く待たせて...」

 

「ごめんねアルベド...でも、ちゃんと帰ってくるって約束は守ったでしょ?」

 

「守るなら、もっと早くにして。私はあなたとずっと一緒にいたいの...」

 

「そういう意味なら、今回は長く居れると思うよアルベド。何せ私は、魔導国の大使になったからね」

 

「引き受けてもらえるの?」

 

 アルベドはルカの首から体を離し、両肩に手を乗せて正面から問いただした。ルカがマントの裾でアルベドの涙を拭う。

 

「ああ。どうやら私達にしか出来ない案件らしいからね。それに、君たちも私にやってほしいと思ってたんでしょ?」

 

「...ルカ。大好きよ」

 

「私も大好きだよ、アルベド」

 

 ルカはアルベドの額にキスをして、二人は体を離した。

そしてアインズの右に立つ男性に笑顔を向けた。

 

 彼は余裕から来る微笑を讃え、アインズに一礼することで許可を求めた。アインズは左手を前に差し出して許可を与えた。

 

 デミウルゴスは右腕を前に掲げ、ルカの目の前に立って一礼した。自信に裏打ちされたその微笑は正に紳士。メガネの奥に光るダイヤモンドのように青白い目がルカを見下ろした。

 

「ルカ様...本当に、よく帰ってきてくださいました」

 

「デミウルゴス、ただいま。元気そうだね」

 

 ルカはそのままデミウルゴスを抱きしめ、彼の胸元に顔を埋めた。柔らかいミントのような清涼感ある香りがルカの鼻孔に溢れる。デミウルゴスもルカの背中に手を回して抱き寄せた。

 

「ルカ様もお元気そうで何よりです」

 

「フフ、ありがとう」

 

 ルカは体を離し、デミウルゴスの左頬をひと撫ですると、満足そうにアインズの隣へ下がっていった。

 

「さて、まだ再会が済んでいない者達もいるが、それは後にしよう。アルベド、デミウルゴス、私達はこれから蜥蜴人(リザードマン)の集落へ調査に向かう。留守の間街を頼んだぞ」

 

『ハッ!』

 

 アインズは机を回り込んでルカ達の前に立つと、左の壁に向けて人差し指を向けた。

 

転移門(ゲート)

 

 そう唱えると、壁の手前に暗黒のトンネルが姿を表した。アインズが先に入ると、ルカ・ミキ・ライルも後に続いた。

 

 

 ─────鋭き尻尾(レイザーテール)族の集落 正門前 15:52 PM

 

 

 転移門(ゲート)を潜ると、強い日差しがルカの目に差した。目を薄めながら上を見上げると、そこは雲ひとつない一面の青空が広がっていた。ルカは目を閉じて鼻から大きく息を吸い込み、深呼吸して空気を肺に満たした。薄っすらと水の香りが漂ってくる。恐らくは近くにある湖の香りだろうと心の中で思い、大きく息を吐き出す。(戻ってきた。)心の中でそう唱え、言いようのない高揚感と共にルカの口には自然と笑みが溢れていた。

 

 左を見ると、先端が鋭く尖った木で組まれた高さ3メートルほどの防柵が目に入った。一辺が300メートル程あり、以前に比べて広大な敷地を擁している事が伺える。その一角には、頭上高く魔導国の国旗が二枚はためいており、その下に頑丈な木枠で組まれた門が固く閉ざされていた。

 

 物見櫓に立っていた蜥蜴人(リザードマン)らしき人影がアインズ達を見つけると、下に何事かを叫んでいる。門の前につくと、アインズは前に出て扉の向こうに呼びかけた。

 

「門を開けよ」

 

 すると扉の裏側から(ゴトン、ゴトン!)という錠を外す音が聞こえ、ゆっくりと扉が開いた。扉が完全に開き切り中へ進むと、門の両脇で片膝を付く蜥蜴人(リザードマン)の門番二人が恭しく頭を下げた。

 

『魔導王陛下、ようこそお越し下さいました!』

 

 アインズは鷹揚に右手を上げてそれに答える。

 

「うむ、警備ご苦労」

 

 正面を見ると、整地された円形の広場となっており、その広場の周囲を取り囲むように、高床式住居や大小様々な小屋が放射状に立ち並んでいる。広場では蜥蜴人(リザードマン)の子供達が走り回り、大振りな魚を何匹も肩から吊り下げる者、水瓶を両手に抱えて歩く者等でごった返し、のどかで平和な様相を呈していた。

 

 その広場の奥にコキュートスの姿を見つけた。羊皮紙のスクロールを手に、蜥蜴人(リザードマン)達と何か相談をしている様子だった。そこへ向かおうと広場に一歩入ると、アインズの姿を見つけた蜥蜴人(リザードマン)達が驚いた様子で、一斉にその場で片膝を付いた。

 

「おお、陛下...」

 

「魔導王陛下...」

 

「陛下、ようこそお越しくだされました」

 

 皆が口々にそう言いながら、その声が広場中に伝播するように、アインズの姿に気づいた者達が次々と片膝をついていく。

 

 その異変に気づいたコキュートスがアインズの姿を確認し、足早に門の方へと歩いてきた。やがてアインズの目の前まで来ると、他の蜥蜴人(リザードマン)達と同じくコキュートスもその場に片膝をつく。青白く艷やかで氷のような甲殻が日差しを反射し、眩く輝いている。そしてまるでオオスズメバチのように強靭な前顎を持つ昆虫の頭部に、四本の腕を持つ阿修羅のような風体。武神という言葉をそのまま体現したような逞しい姿。これこそが、コキュートスであった。

 

「アインズ様、オ呼ビ立テシテ申シ訳アリマセン」

 

「良い、コキュートス、立て。私もお前の報告を受けていたにも関わらず、後回しにしてしまった事を許してほしい」

 

「イエ、滅相モゴザイマセン!ソレデアインズ様、ルカ様ハ無事コチラニ着カレタノデショウカ?」

 

 それを聞いて、アインズの背中に隠れていたルカはひょいと腰のあたりから顔を出し、ピースサインをして笑顔を向けた。それを見てコキュートスは立ち上がった。

 

「オオ、ルカ様!」

 

 ルカはコキュートスに走り寄り、タックルするようにコキュートスの腰に抱きついた。それを受けてもコキュートスは微動だにせず、ルカを両手で支えて受け止めた。

 

「ただいまコキュートス!帰ったよ」

 

「ルカ様、ゴ無沙汰シテオリマス。コノコキュートス、ルカ様ノオ帰リヲズット待チワビテオリマシタゾ」

 

 コキュートスの体からは、氷が気化した時のような冷気特有の涼やかな香りがした。

 

「ありがとう。んんーコキュートスの体ひんやりして気持ちいいー」

 

「喜ンデモラエテ光栄ノ極ミデス」

 

「ね、コキュートス。昔みたいに抱っこして」

 

「ハッハッハ!喜ンデ」

 

 そう言うとコキュートスは腰を屈めた。四本のうち上腕二本の腕でルカの背中と両足を優しく支えて上に持ち上げ、軽々と抱きかかえた。ルカは首に手を回して、コキュートスの左頬に頬ずりした。

 

「んんースベスベ、ひんやり。元気だったコキュートス?」

 

「モチロンデゴザイマス。ルカ様モアレカラオ変ワリナク?」

 

「私?私はなーんにも変わってないよ。毎日実験の繰り返しだったからね」

 

「左様デゴザイマスカ。ナラバ結構、結構!」

 

(ハッハッハ!)という笑いと共に、コキュートスはまるで子供をあやすかのようにルカの体を軽く揺さぶり、嬉しそうにしていた。

 

 そこへ、アインズの後ろから2メートルを超える巨躯の影がユラリと姿を現し、コキュートスの前に立った。それを見てコキュートスの動きが止まる。

 

 鬼神のようにゴツゴツとした四角く青白い顔に、角ばった大きい鼻、長く太い眉、その奥に潜む落ち窪んだ赤く鋭い眼光。目の下に彫られた幾何学模様のタトゥーは、血が乾いた痕のような紅殻色をしている。厚い唇を真一文字に結び無表情であるにも関わらず、それだけで殺気が籠っているような近寄りがたいオーラを放っていた。そしてマント越しでも全身が筋骨隆々と分かる程の屈強な体格、それを象徴するかのような背中に吊るされた凶悪な大剣。その姿はまさに戦う為に生まれてきたような男だった。

 

 コキュートスは腰を屈めて抱きかかえていたルカをゆっくりと地面に降ろし、二人は火花が散るかのようにお互い睨み合った。

 

「...常闇の竜王(ディープダークネスドラゴンロード)との一戦以来だから、2年ぶりか?コキュートス」

 

「...ソウダナ。オ前モ変ワリナイヨウデ安心シタゾ、ライル・センチネル」

 

「少しは鍛えたのか?」

 

「...ワタシガ鍛錬ヲ怠ルヨウニ見エルカ?」

 

「フッ、愚問だったか」

 

「...オ前モ以前トハ雰囲気ガ違ウナ。...何ヲシタ?」

 

「何、体術というものを学んでな。ルカ様に一から鍛え直してもらったまでよ」

 

「ホウ、ルカ様直々ニ...。ソノ力、今ココデ試シテミルカ?」

 

(ズン!)とコキュートスが一歩前に踏み出た。二人の間に殺気が迸る。しかしライルは首を横に振った。

 

「いや、やめておこう。今回私達は魔導国の大使としての任を受け、この世界に戻ったのだ。いわばお前も同志であり、護るべき対象だ。違うか?」

 

 それを聞いて、コキュートスの体から瞬時に殺気が消え失せた。

 

「...オ前ガ私ヲ護ルダト? ...フフ、悪イ話デハナイ。ナラバ私モ誓オウ。オ前ノ背後ニハ誰モ立タセナイト」

 

「忘れるな、全てはここにいるアインズ様とルカ様をお守りするためだ」

 

「当然心得テイル、我ガ戦友ヨ」

 

 コキュートスとライルは歩み寄り、ガシ!とお互いの右手を掴んだ。不敵な笑みを浮かべてライルはアインズの後方へ下がると、スラリとした華奢な影がアインズの背後から姿を現し、前に進み出た。コキュートスも颯爽と前に進み出て、華奢な影と目線を合わせるためにその場で片膝をついた。

 

「ミキ殿、ヨクゾコノ地ニオイデクダサッタ。ソノ節ハ大変世話ニナッタ」

 

「フフ、いいんですよコキュートス。あなた達もルカ様の為に戦ってくれたのですから、お互い様です」

 

 コキュートスは真正面からミキの顔を見据え、その菩薩のように整った美しい顔立ちを眺めて、ホウと溜め息をついていた。小顔ながら切れ長の大きな目と細く長い眉、目の下に彫られた紫色のタトゥー、透き通るように青白くきめ細かな肌に、スラリとした鋭角な高い鼻、薄い唇。長く艷やかな髪がはらりとフードの外に落ち、ふくよかな胸に垂れている。それがまた一層彼女の妖しい魅力を引き立てていた。同じ黒髪のせいか、ルカと二人で並ぶとまるで姉妹のように見える。ルカが快活な妹なら、ミキはそれを見守る大人の姉といった印象だ。じっと黙って見つめるコキュートスに向かい、小首を傾げて微笑を返した。

 

「どうしました?コキュートス」

 

「...イエソノ!ツイ見惚テシマイマシテ!大変失礼ヲシタ」

 

「まあ、お上手。コキュートス、今度もルカ様をよろしくお願いしますね」

 

 ミキは嬉しそうに目を細め、コキュートスに右手を差し出した。コキュートスはその自分と比べて小さな手を優しく掴むと、ミキがゆっくりと力を込めて握り、コキュートスを引っ張り上げた。フワッとコキュートスの巨体が軽くなり、その力に任せてそのまま立ち上がった。この細腕の一体どこにこんな力があるのかとも思ったが、コキュートスは知っていた。外見には現れぬ、その秘めたる強さの真髄を。ミキの攻撃を受けて成す術なく崩れ去った、あの時の自分の姿を。

 

「承知!コノコキュートス、此度ノ大役ヲ使ワサレシ貴方達3人ヲオ守リスルコトヲココニ誓イマショウゾ!」

 

 ブシュー!と白い冷気を吐き、コキュートスは握った手をそっと離した。それを受けて微笑み返し、ミキはアインズの横へと下がった。

 

 辺りを見回すと、あり得ない状況を見たとばかりにポカンと口を開け、こちらを凝視している蜥蜴人(リザードマン)達の姿があった。アインズは首を振り、仕方なさそうに右手を上げて蜥蜴人(リザードマン)達に声をかけた。

 

「皆の者!邪魔をして済まなかった。さあ、立つがいい。そしてそれぞれの成すべきことをして欲しい」

 

 広場中にアインズの声が響き渡った。それを命令と受け止めた蜥蜴人(リザードマン)達は次々と立ち上がり、荷物を抱えて普段の生活に戻っていった。

 

 彼らが広場を往来する中、何故か未だ立ち上がらずにその場で両膝をつき、こちらを見据える蜥蜴人(リザードマン)達が数名いた。アインズはそれに気づき、一番手前に座る年老いた蜥蜴人(リザードマン)に近づいていく。しかしアインズが目の前に立っても、彼の目は遥か後方に釘付けとなっている。不思議に思ったアインズは、その蜥蜴人(リザードマン)に声をかけた。

 

「ん?どうした?私は立てと言ったのだ。跪く必要はない」

 

 その言葉で我に返った蜥蜴人(リザードマン)は、慌ててアインズを見上げ返答した。

 

「...はっ!!申し訳ありません魔導王陛下。し、しかし...そこの、そこの旅のお方!こちらへ参られよ!」

 

 その老人が真っ直ぐに見ていたのは、ルカ達3人だった。大きく手招きをし、こちらに来いと促している。後方で控えていたルカはそれに気づき、頭の後ろで組んでいた手を解いて彼に歩み寄った。それに合わせてミキ・ライルもあとに続く。

 

 ルカは腰を屈めてフードを下げ、笑顔でその老人の顔をまじまじと見た。

 

「なーに?あたし達に何か用?」

 

「...その目、その格好...あんたもしかし...ゲホッゲホッ!!」

 

 突然老いた蜥蜴人(リザードマン)は口を手で塞ぎ、背を曲げて苦しそうに咳き込み始めた。ルカは慌てて腰を屈め、老人の背中をゆっくりとさすった。

 

「ちょっと、おじいちゃん大丈夫?!」

 

「...はは、ありがとう旅のお方。よる年波には勝てんもんじゃて」

 

 そう言って老人は体を起こしたが、離した手に血がこびり付いている。口の端にも吐血した血がこぼれていた。

 

「おじいちゃん...」

 

 ルカはマントの裾で口についた血を拭ってあげた。

 

「...持病ですじゃ。この様子じゃと、わしもお迎えが近いのかもしれん。しかし最後に一目あんたに会えたんじゃ、わしに悔いはない...」

 

 ルカはそれを聞いて溜め息をついた。

 

「...もう、それを先に言いなさいよ。いい?おじいちゃん。生きとしいけるものはいずれ土に帰る。でもね、そこには必ず原因があるの。生きることを簡単に諦めちゃいけない。少なくとも、私がこの場に来た以上、誰も見捨てたりはしない」

 

 ルカは地面に両膝を付いて目を閉じ、年老いた蜥蜴人(リザードマン)の額と腹部に手を当てて、呪文を詠唱した。

 

体内の精査(インターナルクローズインスペクション)

 

 そう唱えると、額と腹部に当てたルカの手に青い光が宿る。そしてその光が老人の体にも移り、全身を巡るように激しく光が交差し始めた。ルカの脳内に、彼の体のステータス情報が流れ込んでくる。やがてその中から1つ、異常を示す項目が現れた。ルカの脳裏に、視覚的な体内の状況が映し出される。

 

 ルカはゆっくりと目を開けて、老人を見た。

 

「...肺を痛めているね。それに気泡の衰弱。そのせいで気道も炎症を起こしている。咳に血が混じるのはそのせいだ。そして致命的なのは、肺壁の変質だ。...癌、って分かる?おじいちゃん」

 

 老いた蜥蜴人(リザードマン)は自分の体の異常を全て言い当てられ、呆気にとられていた。

 

「...い、いや、そのガンという言葉は知らないが、胸と喉が痛むのはお主の言うとおりじゃ」

 

「簡単には治らない病気の名前だよ。横になって、治してあげる」

 

「お、おお」

 

 ルカは左手で老人の背中を支え、右手で額に手を当てて押し、されるがままに老人は地面に横になった。気がつくとその一部始終を見守っていた他の蜥蜴人(リザードマン)達が、周囲を取り囲んで息を呑み、凝視している。

 

 ルカは彼の胸を押し包むように両手を当て、目を閉じた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)損傷の治癒(トリートワウンズ)

 

(ボッ!ボッ!)という音と共に、ルカの両手に青白い揺らめく炎が宿った。その炎が老人の体内にゆっくりと吸い込まれていく。やがて体の全身に激しい炎が広がり、眩い光を放ち始めた。その炎の中にいるルカは微動だにせず、一心に老人の胸を押さえ込んでいる。

 

 その様子を見て周囲の蜥蜴人(リザードマン)達から悲鳴が上がった。それでもルカは一心に祈り続ける。(ゴオ!)という音を立てて青白い炎が一際激しい燃焼を見せるが、それはすぐに収束し、凝縮されるように炎が小さくなっていく。ルカはゆっくりと目を開け、老人の胸から両手を離した。目の前には、圧縮されて黒く変色した小さい炎が浮いている。ルカは笑顔でその炎を右掌で受け止め口を近づけると、(フッ!)とその炎を吹き消した。

 

「終わったよおじいちゃん。ゆっくり深呼吸してみて」

 

 老いた蜥蜴人(リザードマン)は目をぱちくりさせながら上体を起こし、言われるがままに空気を肺に満たした。そして吐き出し、痛んでいた左胸をさすっているが、別段異常はない様子だ。

 

「どう?まだどこか痛む?」

 

「...い、いや、治って...しまったようじゃ」

 

「良かった。さあ、立って」

 

 ルカは立ち上がると、老人の手を取ってゆっくりと引っ張り上げた。心なしか老いた蜥蜴人(リザードマン)の全身に血色がみなぎり、鱗にも艶が戻ったように見える。老人はルカの手を取り、溢れた涙を隠そうともしなかった。

 

「あ...ありがとう旅のお方。昔と同じじゃ。やはりあんたじゃった...」

 

 そう言って嗚咽を堪える老いた蜥蜴人(リザードマン)を、ルカは不思議そうに覗き込んだ。

 

「ねえ、さっきから言ってるその”旅のお方”って、何なの?」

 

 そう言うと、両膝をつきながら後方で見ていた一人の蜥蜴人(リザードマン)がよろけるように立ち上がった。

 

「...う、嘘だろおい...あの時のまんまじゃねえか...」

 

 その蜥蜴人(リザードマン)は目を見開き、体の力が抜けたようにフラフラとこちらに歩いてくる。ルカはその蜥蜴人(リザードマン)に目を向けた。大きい。身長は2メートルを遥かに超え、全身に傷跡がある。筋肉で盛り上がった胸には、梵字のような焼印が押されている。そして一見して彼を特徴づけていたのは、左腕に比べて右腕が異常発達しており、筋肉で巨大に膨れ上がっている事だった。彼は目の前に立ち、目を見開きながらルカを見下ろすと、崩れるようにその場へ跪いた。

 

 ルカは目の前に跪いた巨大な蜥蜴人(リザードマン)の顔を覗き込み、微笑を返した。

 

「...ん?だーれ君?」

 

「誰って...俺だよ。覚えてないのかよ、ルカ...お姉ちゃん」

 

 その呼び方を聞いた途端、まるでフラッシュバックするように、ルカは過去の記憶が一気に呼び覚まされた。

 

「...え、うそ。....まさか、ゼンベル?」

 

「...そうだよ」

 

 ルカは目を見開いて呆気に取られていた。後ろにいたミキとライルも驚いた様子で顔を見合わせる。ゼンベル・ググーは跪いたまま這いずるようにルカの前まで来ると、ルカの腰に手を回して抱き寄せ、子供のように胸元に顔を埋めて大粒の涙をこぼした。

 

「...何だよ...何だよ!!急に居なくなっちまってよお...たった一言、たった一言最後にお別れが言いたかったのに、それも言えずじまいだったじゃねえかよルカ姉ちゃん!!」

 

 ルカはその悲痛な叫びを聞いて、ゼンベルの頭を抱きしめ、優しく頭を撫でた。

 

「...大きくなったね、ゼンベル。ごめんね、あの時はああするしかなかったの」

 

「ひでぇよ!俺、ルカ姉ちゃんみたいに強くなりたくてここまで生きてきたってのによお!」

 

「...ゼンベル!ルカ様ニ無礼ダゾ!」

 

 コキュートスが歩み寄ってきたが、ルカは手を上げて制止し、首を横に振った。

 

「ありがとうコキュートス。私は大丈夫よ」

 

「何だ、お前たちは知り合いなのか?」

 

 一部始終を見ていたアインズが隣に寄り添い、ルカに問いかけてきた。未だルカの胸で泣き崩れるゼンベルの頬を撫でながら、アインズに返答した。

 

「うん。昔ちょっと、いろいろあってね...」

 

 ルカはゼンベルに目を落とし、子供をあやすように背中をトントン、と叩いた。

 

「ほう。面白そうな話だが、先にコキュートスの報告を聞こう。それで、何があったのだコキュートス?」

 

「ハイ、ココヨリ西の沼地ヲサラニ進ンダ森ノ奥ニ、奇妙ナ物ヲ見ツケタトイウ報告ガ蜥蜴人(リザードマン)達カラ入ッテオリマス」

 

「奇妙な物?具体的には何なのだ?」

 

「ソレガ、話ノ内容ガ的ヲ得ズ、ドウイッタモノカ詳シクハ分カッテオリマセン。タダ一ツ判明シテイルノハ、以前ニハソノ場所ニ何モナカッタトイウ点デ、証言ガ一致シテオリマス」

 

 アインズは顎に手を当てて考え込んだ。

 

「誰かその何かを見た者はいないのか?」

 

「... それなら俺が見たぜ、陛下」

 

 声のした方を見ると、ルカの胸元で泣き腫らしたゼンベルだった。落ち着きを取り戻した様子で立ち上がり、アインズに一礼した。

 

「どういうものだったか説明出来るか?」

 

「わからねえ... です。あんなもの俺は見たことがねえ。とにかくデカくて黒い石の塊だった。表面はスベスベしていて、何か文字のようなものが彫り込まれていたが、俺にゃあさっぱり意味が分からなかった。ただ間違いなく言えるのは、以前そこにそんな物は無かったって事です」

 

「ふむ...やはり行ってみるしかないか。早速そこへ向かいたいのだが、誰か案内を頼めるか?」

 

「魔導王陛下、お待ちを!」

 

 アインズを止めたのは、先程ルカに治療を受けた年寄の蜥蜴人(リザードマン)だった。

 

「案内にはゼンベル族長がお供します。良いなゼンベル?」

 

「ああ、長老。元よりそのつもりだぜ俺は」

 

「うむ。ただ陛下、ここからですと彼の地までかなりの距離がございます。日も落ちて参りました事ですし、夜は大変危険なモンスターが彼の地に徘徊しております故、本日はこちらにお泊まり頂いて、明朝ご出発なされるのがよろしいかと具申致しますが」

 

「ふむ...」

 

 アインズは空を見上げた。夕暮れ時に差し掛かり、空がほんのりと朱色に染まり始めている。それを見てアインズは長老に小さく頷き返した。

 

「いいだろう。お前たちがそれで良いというのなら、それで構わないぞ」

 

「おお...!畏まりました、それではすぐに床の準備と宴の用意をさせますので、今しばらくお待ちください。ゼンベル、皆に声をかけてくれるか?」

 

「へへ、喜んで。おいみんな、聞いてのとおりだ!今日は魔導王陛下がこちらにお泊まりなさるってよ!お前ら宴の準備だ。さあさあ、早速取り掛かってくれ!」

 

 周りに集まっていた蜥蜴人(リザードマン)達がそれを聞いて、「おおー!」と嬉しそうに声を上げた。

 

「では陛下、ご案内致します。こちらへどうぞ」

 

「うむ」

 

 アインズとコキュートス、そしてルカ達3人は長老の後に続いた。

 

 

 

 ───鋭き尻尾(レイザーテール)の集落 住居内 大集会所 18:30 PM

 

 

 大広間の最奥部、アインズを上座に一人頂き、向かって左にコキュートス、右にフードを下げ、マントを脱いだルカが胡坐をかき、その隣にミキ、ライルが腰を下ろしていた。

 

 コキュートスの隣には長老・ゼンベルが座り、そのさらに隣にはゼンベルと同じように胸に梵字のような焼印を押された逞しい蜥蜴人(リザードマン)が一人と、透き通るように真っ白な、アルビノ種と思われる女性らしき蜥蜴人(リザードマン)が足を崩して座っていた。彼女の懐には、小さな子供の蜥蜴人(リザードマン)が抱きかかえられている。そしてその手前にもズラリと族長格と思われる者たちが席に付き、皆酒を片手に思い思いに談笑していた。四角く囲む彼らの輪の中には、色とりどりの魚を主体とした料理と、スパイシーな香りがする何かの穀物を焼いたパンのようなものが、草で編んだ皿に盛られて並んでいる。また皆の座る下には、どこで手に入れたのか、シルクのように滑らかな分厚い座布団が敷かれていた。

 

「...んんーこの刺身美味しい!油が乗ってるね!」

 

ルカは自前の箸で肉厚の刺身ブロックをつまみ、舌鼓を打っていた。それを聞いたミキとライルも箸をつける。

 

「この集落で養殖している魚です。言われたとおり血抜きをして腸を抜き、水できれいに洗い流した切り身ですが、喜んでいただけたようで何よりです」

 

 ゼンベルの左隣に座る蜥蜴人(リザードマン)が満足そうにルカに返答を返し、自らも素手で刺身をつまみ、口に放り込む。そして木の実の殻を半分に割った盃になみなみと注がれた酒で流し込んだ。

 

 ルカもそれに合わせて盃を手に取り、ぐいっと呷る。

 

「かー!相変わらず効くねえこれ。久々にこのお酒飲んだよ」

 

「ルカ姉ちゃん、いける口だな。どんどん飲んでくれや」

 

「ありがとうゼンベル」

 

 向かいに座るゼンベルが酒瓶を手に取り、ルカの盃に注ぎ込んだ。

 

「ホッホッホ、あなた達が守った味です。ささ、お連れの方も一献いかがですかな?」

 

「ああいえ、私は結構ですわ。ありがとう」

 

「ふむ、それでは俺はいただこう」

 

 ミキが丁重に断り、代わりにライルが酒を注がれる。そこへ何かが焼けるような香ばしい匂いが部屋の中を漂ってきた。ルカの背後から料理が運ばれてくる。そしてルカ達3人の前に、身の開かれた大振りな焼き魚が並べられた。運んできた赤みがかった鱗を持つ女性の蜥蜴人(リザードマン)が、ルカ達の背後で何故かそわそわしている。

 

「うひょー、うまそー!」

 

「あ、あの...言われたとおり弱火でじっくり焼いてみたんですが、味の方はどうなっているかその、自信がなくて」

 

「大丈夫、焼き加減バッチリじゃん!ここに軽く塩を振ってと...んーフワフワ!おいしいよ、食べてごらん!」

 

「え?!わ、私がですか?」

 

「大丈夫だって絶対美味しいから。はい、あーん」

 

 ルカは箸でひと切れ掴むと、女性の口の中へ焼き魚の身を運んだ。パクっと食べて咀嚼し、目をつぶって味を確認している様子だったが、ゴクリと飲み込むと目を開き、口元に手を当てて頬を紅潮させた。

 

「お、おいしい...かも」

 

「でしょー?」

 

 その途端、『ワッハッハ!』と部屋中の蜥蜴人(リザードマン)達が一斉に笑った。

 

「ここらで焼いた魚を食ったメスなんて、お前が初めてじゃないかリーシャ?」

 

「リーシャが美味いと言うんだ、食べてみようじゃないか。俺達の分も焼いてくれないか?」

 

「ええ?!そ、その、別に構わないけど...」

 

 そのメス、リーシャ・キシュリーは今まで浴びた事がないほどの注目を集めた。集落内ではその赤い体から皆に知られているが、地味な性格もあって活発という訳でもなく、これと言って目立ったところもなく慎ましく暮らしていた。それが集会所で準備をしていた際、たまたま中にいたルカに声をかけられ、料理の注文を受けた事が全てのきっかけだった。

 

「リーシャっていうんだね。きれいな名前だ。どうする?みんなもこう言ってるし、焼いてくる?」

 

「は、はい!その、ルカ様...ありがとうございます!」

 

「そんな、私はお礼を言われるような事はしてないよ」

 

「いいえ、そんな事はありません!そ、それでは魚を焼いてきますので、失礼致します!」

 

 リーシャは腰からくの字に折れるようにお辞儀をすると、集会所の出口へと小走りに立ち去った。ルカが小首を傾げながら席に座ると、その様子を見ていたゼンベルが酒を片手に話しかけてきた。

 

「ルカ姉ちゃん、あいつはリーシャ・キシュリーってんだ。緑爪(グリーンクロウ)族の出身でな。性格は良いやつで、アルビノ種に次ぐ珍しさを持つ赤い鱗を持ってるから、一応人気者ではあるんだが、あの引っ込み思案な性格が災いしてな。なかなか嫁の貰い手も付かず、一人で地味に暮らしてるのよ」

 

「そうなんだ」

 

「ああ。それにしてもあいつに料理の才能があるとは驚いたな。そう言えば俺が昔行ったドワーフの国でも、肉や魚を確かに焼いて食ってたな。姉ちゃん、それ美味いのか?」

 

「食べてみれば分かるよ。はいゼンベル、あーん」

 

「あーん」

 

 言われるがままにゼンベルは口を開き、ルカは大きく摘んだ焼き魚の身をゼンベルの口に運んだ。ゼンベルはそれを咀嚼して味を確かめている。

 

「うーん...うん?うん」

 

「美味しいでしょ?」

 

 ゴクリと飲み込み、舌を一舐めしてゼンベルは頷いた。

 

「なるほど。今まで生しか食ったことがなかったが、こりゃ美味いな。下の上でほぐれて、脂身がジュワッと滲み出てくる。香ばしくて、生とはまた違った味わいがあるな」

 

「フフ。初めてにしてこの焼き加減はすごいよ。普通焼きすぎて焦がしちゃったりするからね」

 

「あいつはそういう見どころがあると思ってたよ」

 

「可愛いじゃないあの子。ゼンベル貰ってあげたら?」

 

「いっ、いや俺は特にそういうのはねぇんだ。修行に明け暮れて、気がついたらこの年になっちまってたしな」

 

「早くしないと、誰かに取られちゃうよ?」

 

 ルカは頬杖をつき、妖しく薄笑いを浮かべてゼンベルに問いかけた。

 

「だから!...勘弁してくれ、俺はほんとにそう言うのはねえんだって」

 

「じゃあ、誰ならいいの?」

 

「そっ!それは、その、だな...」

 

 ゼンベルは目を下に落とした。

 

「...もしかして、あたし?」

 

 そう言われた途端、ゼンベルは顔を真っ赤に紅潮させた。

 

「いっ...いや!その、あくまでその、理想という話であって...だな」

 

 ゼンベルは身振り手振りを使って誤魔化すように説明したが、ルカはそれを聞いてクスクスと笑い、頬杖をやめて優しい笑顔を向けた。

 

「だめよゼンベル。私にとってあなたはまだまだ子供。それに理想が高いのはいいけど、私が欲しかったらねー...」

 

 そう言うとルカはユラッと立ち上がり、上座に座るアインズの肩にもたれかかった。

 

「この人くらいかー...」

 

 そして再度ルカは立ち上がり、ゼンベルの隣に座るコキュートスの肩に寄りかかった。

 

「この人と同じくらい強くなきゃダメ。君にそれができる?」

 

「...そ、それはさすがに無理かも、ルカ姉ちゃん..」

 

 それを聞いて周りから笑いが起こった。ルカはコキュートスに抱きつきながら、奥に座る族長たちに微笑み返した。

 

 アインズは蜥蜴人(リザードマン)達と打ち解け合うルカを見て、眩しい視線を送っていた。彼女はこうして200年という長い歳月を過ごしてきたのだ。力で支配した自分には出来ない行動を、彼女は見せている──いや、見せてくれている。それも魔導国の為に。そして、この集落が豊かに暮らせている事を自分に分からせてくれている。恐らくコキュートスも同じような心境だろうと察しながら、アインズは気づかれないように、深い溜め息をついて小さく頷いた。

 

 そこへ一人、よたよたとゼンベルの背後を歩きながら近寄ってくる小さな子供の蜥蜴人(リザードマン)がいた。身長は70センチもないほど小さく、灰色の鱗を持ち、手を前に掲げてルカを真っ直ぐに見ながら歩いてくる。ルカはそれに目を輝かせ、コキュートスの首から手を離してしゃがみ込んだ。

 

「きゃー可愛い!おいで!」

 

 ルカが子供に向かって手を広げるが、その両親である二人が止めに入る。

 

「あっ、こらシャルース!」

 

「シャルース!だめよ戻ってきなさい!」

 

 強い口調で止めに入るも、子供──シャルースの歩みは止まらない。ルカはそれを手を上げて制止した。

 

「大丈夫。私こう見えても子供の世話には自信あるのよ?」

 

「鬼さんこちら、手のなる方へ」という掛け声と共に(パン、パン)と軽く手を叩き、足元がまだ覚束ない子供を自分の方へ誘導する。そしてルカの膝にタッチすると、子供を勢いよく抱き上げて、胸元に手繰り寄せた。

 

「はいよくできましたー!おりこうさんでちゅねー」

 

 ルカはその蜥蜴人(リザードマン)の子供を抱っこして、小さなほっぺにキスした。その子はルカの首にしがみつき、ひしっと体を密着させる。

 

「んーかわいー!この子名前は?シャルースでいいの?」

 

 ルカは子供の背中をトントンしながら、地面に座る父親に尋ねた。

 

「は、はい。シャルース・シャシャと言います」

 

「そっか。シャルース?お姉ちゃんでちゅよー」

 

 そう言われたシャルースは首から手を離し、無垢な瞳でルカの顔をまじまじと見た。ルカは笑顔で問いかける。

 

「シャルースは何才なのかなー?」

 

「んー、2」

 

 子供は指でピースサインをしてルカに示した。そしてルカの柔らかい胸元をぽよんぽよんと手で押しながら、再度言葉を発した。

 

「マァマ?」

 

「アハハ、マァマじゃないよー。ママはあっちにいるよー。私はねぇね。ルカねぇねよ、言ってごらん?」

 

「んー...う...か。うかねぇね?」

 

「ル・カ。ルカねぇねよシャルース」

 

「ル...カ、ねぇね?」

 

「そう、いい子ねシャルース!よくできましたー」

 

 その後ルカはシャルースを自分の席に連れ帰り、あっち向いてホイ等のじゃんけん遊びを教えてひとしきり楽しんだ。大人たちもその微笑ましい光景を眺めて、平和な時間が過ぎていった。そしてルカはシャルースを両親の元に返すべく抱きかかえたが、その途中で歩みを止め、上座に座るアインズの左隣へと両膝をついた。それを見て唯一両親たちが中腰になり固まっていたが、周りの族長達は何も起きまいと安心の目で見ていた。

 

「アインズ、シャルースよ。抱いてあげて」

 

「...え?!私がか?」

 

「そう。あなたが生かした命。そして、これから守っていくべき命よ」

 

 ルカは優しく微笑みながらシャルースの両脇を持ち、アインズにそっと受け渡した。アインズはおっかなびっくりでシャルースを抱きかかえたが、その腕の中でシャルースは大人しくしており、アインズの顔をじっと見つめていた。

 

「シャルース?この人はねー、陛下っていうの。言ってごらん?」

 

「んー...へーか?」

 

「そうよ、いい子ね。ほら陛下、名前を呼んであげて?」

 

「あ、あー...んん。シャルース?」

 

「へーか。へーか」

 

 そう言うと、シャルースはアインズの骨の顔にぺたぺたと小さな手を伸ばしてきた。柔らかな手の感触がアインズの心に響く。何の警戒心も抱いていない無垢な命。この両手に少し力を加えれば容易く砕け散る命。そんな黒い考えは、隣にいるルカの笑顔によって全て溶け落ちた。自分が護るべき命。それが今この手の中にあると。

 

「...ハッハッハ!小さくて可愛いな。大事に育てるが良いぞザリュース、そしてクルシュ・ルールーよ」

 

「...ハッ!ありがとうございます魔導王陛下」

 

 それを聞き、アインズの膝下に座るシャルースをルカが抱き上げた。そして両親である二人の元へ連れていき、アルビノ種の母親にそっと受け渡した。ホッとした顔でシャルースを抱きかかえ直すと、母親はルカに頭を下げた。

 

「息子を構っていただき、ありがとうございますルカ様」

 

「いいのよ、同じ魔導国の仲間じゃない。クルシュ、でいいんだよね?」

 

「はい、以後お見知りおきを。それとあの、もしよろしければ、また息子と遊んでやってくださいますでしょうか?」

 

「もちろん!私は大歓迎よ」

 

 シャルースに小さく手を振りバイバイをして、ルカは自分の席に戻った。

 

「ごめんねアインズ、私ばかり騒いじゃって。アインズも飲む?」

 

 そう言うと右上方の空間に手を伸ばし、中から1本の立派な黒いシャンパンボトルとカクテルグラスを取り出してアインズに見せた。アンデッドでも飲めるエーテルメインの酒(カリカチュア)だ。

 

「うむ、では1杯いただこう」

 

 それを聞くとルカはアインズの隣に両膝をつき、グラスを手渡して(ポン)とコルクの栓を抜いた。それを丁寧にグラスの中に注ぎ込んでいくと、たちまち辺りに桃にも似た果実の良い香りが染み渡った。(シュワー)という音を立ててピンク色の液体が気化し、カクテルグラスの上半分をエーテルの靄が覆っている。アインズがそれを一口飲むと、喉の辺りで気化し、その下にある肋骨にエーテルの靄がスゥッと溶け込んでいく。舌がないので味は感じないが、鼻に抜ける後味が非常に香り高く、しっかり酔えるというのもあり、アインズはこの酒を気に入っていた。ぐいっとカクテルグラスを仰ぐと、隣に座っているルカがニコニコしながら酒を注いでくれた。それを受けながら、ふと思い出したようにコキュートスの隣に座る老人に声をかけた。

 

「ところで長老...で良いのか?ゼンベルもだが、お前達はこのルカの事を知っている様子だったな。どんな経緯で知り合ったのだ?」

 

「これは名乗りもせず大変失礼を致しました陛下。私はヴァシュパ・イニと申します。このゼンベルに譲る前に、竜牙(ドラゴンタスク)族の族長を務めさせて頂いた者にございます。そこのルカ様とお連れのお二人とは、かれこれ数十年前にお会いし、我らの土地を救っていただいた大恩がございまして」

 

「陛下、俺なんかこのルカ姉ちゃんがいなかったら、もう二度は死んでるんだぜ」

 

「ほう。そうなのかルカよ?」

 

 ルカは微笑したまま目を伏せ、自分の席にあった座布団をアインズの隣に引き寄せて座り、盃に入った酒をぐいっと飲んで返答した。

 

「...また懐かしい話だね。それに私は別に、大したことはしてないよ」

 

「あなたが来なければ、このゼンベルはおろか、竜牙(ドラゴンタスク)族は確実に滅んでいた。そのあなたが今こうして、魔導王陛下と一緒に我々蜥蜴人(リザードマン)達の前へ姿を現した事には、きっと何か意味があるはずなんじゃ」

 

 熱っぽく語る老いた蜥蜴人(リザードマン)を見て、アインズは左手を顎に添えた。

 

「ふむ、面白そうな話だ。ヴァシュパと言ったな、良ければその詳しい話を私にも聞かせてはもらえないだろうか?」

 

「...あー、それだったら俺が話すぜ陛下。何しろ事の最初から最後までを全部見届けたのは、俺一人しかいねえからな」

 

「ゼンベルか、良かろう。聞かせてくれ」

 

「ああ、陛下...」

 

 ゼンベルは盃に入った酒を一気に飲み干し、天井を見上げた。

 

 

 ───27年前 湖南西・トブの大森林西部奥地 20:53 PM

 

 

 甘かった。あまりにも考えが浅はかだった。そう自分を呪いながら、蜥蜴人(リザードマン)の少年はただひたすら全力で森の中を走った。絶望的な雷雨が降りしきる中、溢れてくる涙が恐怖から来るものなのか、それとも悔し涙なのかすらも判別がつかない。豪雨のせいで地面がぬかるみ、足が取られて思うように走る事もままならない。しかし背後には、少年を追って巨大な足音がすぐそこまで迫って来ていた。もはや少年は体力を使い果たし、全身の筋肉が悲鳴を上げていたが、足を止めれば死ぬ。それだけは理解できていた。

 

 と、そこへ───(バギャ!)という音と共に、少年の背後にあった大木が薙ぎ倒され、頭上を大きな何かが掠った。

 

「ひいっ!」

 

 情けない悲鳴を上げて別方向に逃げ出すが、その追手は間髪入れずに少年の後を追ってくる。途中で松明を落とし、時折瞬く稲光だけが唯一頼れる光源だった。その暗い木の影を掻い潜り、1メートル程の小さな体を活かしてなるべく木々の密集した方へと体を滑り込ませるが、背後の追手はそれらの木々を薙ぎ倒しながら容赦なく迫ってくる。無我夢中で逃げ回り、元来た方向さえ完全に見失っていた。悪夢のような状況の中で、ついにその終わりの時が来る。

 

 背後で巨大な武器が振り下ろされると、地面に叩きつけられた衝撃で少年の足が縺れ、太い木の根に足を引っ掛けて勢いよく倒れてしまった。体ごと地面に転がり、そのまま大木の幹に激突して少年が喘いでいると、背後からの追跡者が目の前で動きを止めた。その姿を確認し、少年は戦慄する。

 

 身長は優に5メートルを超え、黄緑色の皮膚を持ち、筋骨隆々の下腕側面には骨が異常発達した鋭い鋸状の刃が並んでいる。腰蓑を付け、右手に巨大なウォーハンマーを装備し、頭部はボサボサの長い髪で覆われ、赤く充血した目と異様に垂れ下がった長い鼻は鬼のそれを思わせる、沼の巨人(スワンプトロール)だった。少年は木の幹へ背中を押し付けるように後ずさる動作をしたが、もはや逃げ場はない。全身がガタガタと震え、足腰にも力が入らず、それでも本能から何とか逃げようと頭を巡らせるが、もはやそれも叶わないと悟った蜥蜴人(リザードマン)の少年は頭を抱えて目を塞ぎ、蹲った。それを見た沼の巨人(スワンプトロール)はニタリと笑い、巨大な左手で少年を鷲掴みにしようと手を伸ばした、その時だった。

 

(ボン!)という音がした。次にドシャリと何かが地面に落ちる音。少年はガチガチと歯を鳴らしながら身を伏せて死を覚悟していたが、いくら待てども一向に何かが起きる気配がない。恐る恐る頭を上げて目を開けると、少年の目の前が暗い影に覆われていた。次いで右を見ると、何かに切断された巨大な腕だけが地面に落ち、血溜まりを作っている。それを見て少年は我に帰った。上体を起こすと、影だと思っていたのは目の前に立つ漆黒のマントを着た何者かが立ち塞がっているからだと気づいた。そして絶叫が木霊するが、それにも構わず前に立つ黒い影の冷静な声が響いた。

 

「...へー、沼の巨人(スワンプトロール)ってこんな所にいるんだ。覚えとこ」

 

 それは女性の声だった。何が起きているのか分からず少年はその黒い影を見上げていたが、次の瞬間、恐ろしい程の速さで黒い影は沼の巨人(スワンプトロール)に突進し、両手に持ったロングダガーを沼の巨人(スワンプトロール)の胴体目がけて一閃した。するとハンマーを振り上げていた巨人の動きが止まり、左肩から右腰にかけて胴体が真っ二つに寸断され、ズルリと斜めに滑り落ちる。残った下半身もガクッと地面に膝を付き、その場に崩れ落ちた。

 

 あり得ない光景を見て少年は恐怖も忘れ呆気に取られていたが、その女性が事も無げに振り返り、武器を抜いたまま自分の方へ足を向けて来た時に、忘れていた恐怖が復活した。ふと気が付くと、少年の左右にもいつの間にか同じような恰好をした2人が立っており、こちらを伺っている。もしかしたら、次に殺されるのは自分の番かも知れないと恐れたからだ。しかしもはや少年は固まってしまい動けない。そして女性が少年の前に立ち、手に持ったロングダガーの血を払い(キン!)と素早く納刀すると、彼女は懐から小型の永続光(コンティニュアルライト)を取り出して少年を照らした。

 

「....リザードマンの子か。おい、大丈夫か坊主?喋れるか?」

 

 その黒い影はガタガタと震える少年の目の前にしゃがみ込んだ。光が反射してその女性の顏が露わになる。黒い髪が前にかかっているが、フードの奥に赤く光る大きな目と、その下に刻まれた幾何学的な紋様の赤いタトゥーは、まるで血の涙を流しているようだった。少年は言葉を出そうと必死で声を絞り出した。

 

「あ....あ....その、うん....」

 

「そうか。運が良かったな坊主、怖がらなくていい。どこか怪我してる所はないか?」

 

 そう言うとその女性は、少年の体の上から隅々に光を当てて調べた。やがて少年の足に光が当たると、そこで動きを止める。

 

「...足を酷く切ってるな、今治してやる」

 

 女性は右足の脛に負った深い裂傷を挟み込むように両手を添えた。

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)治癒手(ブレッシングオブザ)の恩恵(ヒーリングハンズ)

 

(ブゥン)という音を立てて女性の両手に青白い光の球体が宿り、その光が少年の足にも移る。するとみるみる裂傷が塞がり、その光は足を超えて少年の体全体を包み込んだ。ぬるま湯に浸かるような心地よい感覚を覚え、疲れ切っていた体までも嘘のように回復してしまった。

 

「よし。もう大丈夫だとは思うが、他に痛いところはあるか?」

 

「....え?あ、ううん、ない」

 

「そうか。立てるか?」

 

 幼い少年は土砂降りの雨の中で座り込んだまま、目の前で起きた事が信じられずにいたが、自分は助かったのだという実感が少しずつ湧いてきた。その女性に促されて立とうとしたが、足に力が入らず滑って尻餅をついてしまった。

 

「...フフ、腰が抜けちまったか。仕方ねえな、よいしょっと!」

 

 女性は少年の両脇を掴むと体を持ち上げて、軽々と抱きかかえた。

 

「こんな奥地から一人で帰らせる訳にはいかねえからな。家まで送ってやる」

 

「え?!で、でも、そんな」

 

「ん?それともここから一人で帰って、また沼の巨人(スワンプトロール)に追いかけられたいか?」

 

 少年は大きく首を横に振った。

 

「なら決まりだな、とりあえずは東へ出よう。ミキ、ライル、足跡(トラック)はどうだ?」

 

「ハッ!ここから更に西に敵の反応が散在しておりますが、東側には大して敵はおりません」

 

「OK、じゃあとっとと行くか。蜥蜴人(リザードマン)の集落だから、お前の家は湖のある方角だろ?お前の種族は何だ?」

 

「うん、竜牙(ドラゴンタスク)族」

 

「...成程あそこか、分かった。ミキ、ライル、念のため周囲を警戒」

 

『了解』

 

 そうして雷雨が降り注ぐ中、少年と黒い影3人は森の東へと向けて出発した。沼の巨人(スワンプトロール)から逃げていた時は必死で気づかなかったが、ずっと雨に打たれていたせいで少年の体は冷え切っており、思い出したようにガタガタと体が震えだしていた。

 

「どうした、寒いか?」

 

そう言うと女性は自分のマントの裾を掴み、蜥蜴人(リザードマン)の少年の体を包んで雨に濡れないようにした。言いようもない柔らかな良い香りと温もりに、少年の警戒心が幾分解けていく。女性の首に掴まりながら、少年は質問した。

 

「あ、あの、お姉ちゃん達は誰なの?」

 

「おね....ま、まあいいか。そうだな、俺達は言ってみれば冒険者ってとこだ」

 

「ぼうけんしゃ?」

 

「ああ。そう言えばまだ名前を聞いてなかったな、何て言うんだ?」

 

「えと、僕はゼンベル。ゼンベル・ググー。お姉ちゃんは?」

 

「そうかゼンベル。俺の名はルカ・ブレイズだ、よろしくな」

 

「うん。ルカお姉ちゃん、助けてくれてありがとう」

 

「な、何、いいって事よ!俺達もたまたま通りかかっただけだしな」

 

 ゼンベルの子供らしい素直なお礼を聞いて、ルカは明らかに照れていた。足跡(トラック)上に高速で動く2つのシグナルを感知し、その動きから恐らく何者かが追われていると察知して駆けつけた事をルカは隠したままでいた。それを誤魔化すように、歩きながらルカはゼンベルに質問を返した。

 

「そういやゼンベル、何だってこんな時間にあんな奥地をウロウロしてたんだ?」

 

「うん、薬草を探しに来たんだ」

 

「薬草?誰か病気なのか?」

 

「僕のお母さんとおじいちゃんが病気なの。...ううん、それだけじゃない。他の友達のお父さんやお母さん達も、たくさん病気にかかってるんだ」

 

「...伝染病の類か。それで、その薬草は手に入ったのか?」

 

「ううん、だめだった。村の祭司様に薬草の色や形を聞いて探したんだけど、全然見つからなくて....」

 

「それであんな奥地まで入っていったって訳か」

 

「....うん」

 

「それにしても、何故一人で来たりしたんだ?危ないにも程があるぞ」

 

「違うよ、友達3人と一緒に来たんだ」

 

「その友達はどうした?」

 

「それが....みんな...みんな後ろから来たあの沼の巨人(スワンプトロール)に...食べられちゃって....僕、恐くて何も出来なくて....」

 

 ゼンベルは包まれた黒いマントを握りしめた。目の前で食いちぎられていく友人の光景を思い浮かべて、歯を食いしばり嗚咽を堪えて悔し涙を流した。ルカはそれを見て、ゼンベルの頭を自分の胸元へ抱き寄せた。

 

「そうか、災難だったな。でももう大丈夫、安心していい」

 

「...お姉ちゃん、僕悔しい。誰も助けられなかった。僕もルカお姉ちゃんみたいに強くなって、あんな巨人やっつけられるようになりたい!」

 

「そうだな、でもまずは家に帰る事が先だ。きっとみんな心配してるよ?」

 

「...うん」

 

 精神的な消耗からか、ゼンベルは泣き疲れてルカの腕の中で眠ってしまった。ルカ達はそのまま速足で森の出口まで辿り着き、待機させてあった漆黒の馬車に乗り込んだ。そして馬車の中にある座席にゼンベルを横にして、アイテムストレージから取り出した毛布をかけると、馬車は出発した。スヤスヤと眠るゼンベルを見て、ルカは慈愛に満ちた目を投げかけていた。それを見て隣に座っていたミキがクスクスと笑う。

 

 

「ルカ様は、子供には本当に甘いですわね」

 

「え?そ、そうかな、ハハ...。何というか、甥っ子と姪っ子を思い出しちまって。それに元々子供には好かれやすい質なんだよな俺」

 

「前に人間の子供を救った時にも同じことを仰ってましたね」

 

「あー、うん。何だろね」

 

「母性本能に目覚めてきたのではありませんか?」

 

「バッ...て、そ、そうなのかな?」

 

「ルカ様はもっと女性らしくした方が、私は好きですよ」

 

「そう...なのか?ミキに言われると何か複雑だな」

 

「フフ、良い傾向です」

 

 

 そんな話を2人は続けながら、夜の闇を馬車は疾走した。

 

 

 

 ───竜牙(ドラゴンタスク)族の集落 23:11 PM

 

 

「ゼンベル?ゼンベル、着いたよ。起きて」

 

「ん、うーん...ルカお姉ちゃん、もう着いたの?」

 

「そうだよ、お姉ちゃんの馬車は特別製だからね」

 

 

 目をこすりながらゼンベルは上体を起こすと、ルカはかけていた毛布をきれいに畳んでアイテムストレージの中に収めた。窓から外が騒がしいのが聞こえてくる。

 

「みんな待ってるみたいだから、ゼンベルが先に馬車から降りてもらってもいい?」

 

「うん、分かった」

 

 馬車の扉を開けてゼンベルが姿を現すと、門の外で松明を掲げ待ち構えていた蜥蜴人(リザードマン)達から一斉にどよめきが上がった。それに続いてルカ、ミキも馬車から降りる。ライルは先に御者台から降りて、周囲を警戒していた。ゼンベルの姿を見て、恐らくは夫婦と思われる蜥蜴人(リザードマン)二人が慌てて前に出てきた。ゼンベルはそこに向かって走り寄っていく。

 

 

「ゼンベル!ああ、無事で良かった...」

 

「一体何処に行ってたんだゼンベル!」

 

「お父さんお母さん、ごめんね心配かけて。あのお姉ちゃん達が助けてくれたんだ!」

 

 それを聞いて蜥蜴人(リザードマン)達の目が一斉にルカ達の方へ向くと、ルカは笑顔で右手を振りそれに答えた。一様に疑り深い目を投げかけていたが、両親達の前でゼンベルが事情を説明すると、あちこちからどよめきが上がった。

 

「あの沼の巨人(スワンプトロール)を?! 西の森に出る化物じゃないか」

 

「それもたった一撃で....」

 

「...ヤバいんじゃないかおい?」

 

 皆がお礼を言ってよいものかどうか言葉に詰まっているところへ、一際体格のいい蜥蜴人(リザードマン)がルカ達の前に一歩踏み出てきた。

 

「旅人よ。ゼンベルを救ってもらい、心より感謝する。我々も子供たちを探そうと準備していたところだったのだ。しかしまさか西の森まで遠出しているとは....」

 

 その蜥蜴人(リザードマン)は大きく首を振って項垂れた。

 

「子供だけで行かせちゃだめだよ。ゼンベル以外の子供達は残念だったけど...まあ、あそこは大人がいても危ないだろうからね。話はゼンベルから聞いたけど、ここの病気はそんなに酷いの?」

 

「その話を聞いたのか。...ああ、酷いなんてもんじゃない。流行り病だと皆が噂しているが、祭司でも歯が立たないほどの病気だそうだ。幸い俺にはまだ症状は現れていないが...」

 

「良ければ、わた....俺が診てみようか?何か助けになれるかもしれない」

 

「何、本当か?!」

 

「ああ。その代わりと言っちゃなんだけど、蜥蜴人(リザードマン)竜牙(ドラゴンタスク)族にしか伝わっていないような情報を分けてもらえると嬉しいな。もちろん無いなら無いでそれに越した事は無いけど」

 

「我々にしか伝わっていないような情報...か。それならいくつかある。お前達が絶対に秘密を守ってくれるというのなら、話してやってもいい」

 

「おお!話せるね。じゃあ早速病気の人を診せてもらってもいいかな?」

 

 

 そこへ他の蜥蜴人(リザードマン)達から反対の声が上がる。

 

「ちょっと待ってくれ族長!身も知らぬ奴を中へ入れるなんて、危険すぎる!」

 

「そうだ!大体人間と関わってろくな目にあった試しがねえ!」

 

「族長だからって勝手は許さねえぞ!」

 

 

 それを聞いた、族長と呼ばれる体格の良い蜥蜴人(リザードマン)の顏がみるみる歪んでいく。

 

「うるせえ!!お前ら少し黙ってろ!!このまま放っておいて竜牙(ドラゴンタスク)族が滅んでもいいってのか。お前らに祭司でも治せなかったあれが治せるってのか、ああ?!」

 

「そ、それは....」

 

 あまりの迫力に皆が黙り込む。その様子を伺っていたゼンベルが族長の隣に駆け寄り、皆に向けて言った。

 

「みんな、族長の言う通りだよ!ここにいるルカお姉ちゃんは、祭司様みたいな魔法が使えるんだ!僕の酷い怪我を一瞬で治してくれたんだよ!」

 

「何?魔法を...」

 

「それならひょっとしたら....」

 

 ゼンベルの言葉を聞いて、他のリザードマン達がざわめき始めた。それを受けて族長の意思は固まったように見えた。

 

「話は決まりだな、ゴタゴタして済まなかった。俺の名はヴァシュパ・イニ。ここで族長をやっている。あんた達の名前を聞かせてくれ」

 

「俺はルカ・ブレイズだ。こっちがミキ・バーレニ、こっちのデカいのがライル・センチネルだ。よろしくなヴァシュパ」

 

 そうして喜ぶゼンベルに手を引かれ、ルカ達は集落の中へと入っていった。そして案内された先、一軒の広い高床式住居に足を踏み入れると、左奥の窓の傍、通気の良い場所に老人が麻の布団をかけられて横になっていた。そこには奇怪な紋様を白の染料で体に書き込んだ、蜥蜴人(リザードマン)の祭司と思われる老婆が側に控えており、ゼンベルがそこに駆け寄っていくと、横になった老人に声をかけた。

 

「おじいちゃん、大丈夫?」

 

「お、おおゼンベルか。帰りが遅いので心配しておったぞ」

 

「心配かけてごめんね。この人が僕を助けてくれたんだよ!ルカお姉ちゃんお願い、おじいちゃんとお母さんの病気を診てあげてよ」

 

「分かった。おじいちゃん、どこがつらいか症状を教えてもらえる?」

 

「あんた、人間...なのか?」

 

「フフ、ちょっと違う。ほら、いいからどこがつらいか言ってみな」

 

「う、うむ。では済まんが、わしの布団を剥いでもらえるかの?」

 

 そう言われてルカはゆっくりと老人にかけられた布団を下に下ろしたが、それを見てルカは目を見開き、絶句した。老人の体は、両掌と両足の末端から、まるで蝕むように石化し始めていたのだ。ルカは急いでレザーグローブを外し、老人の額に右手を当てて体温を測ったが、かなりの高熱を宿しているようで息が荒かった。ルカはそのまま左手を老人の腹部に置いて、魔法を詠唱した。

 

体内の精査(インターナルクローズインスペクション)

 

 ルカの手を置いた箇所を中心に、老いた蜥蜴人(リザードマン)の全身に青く細い光が無数に交差し始め、脳裏にステータスのリストが流れ込んでくる。その中で異常を示すものが2つあった。一つは(感染)、もう一つは(呪詛)だった。それを見てルカは首を傾げた。感染の理由は想像がつくが、石化しているのであれば(石化)とそのまま表示されるはずが、これでは(呪詛)により石化している事になる。ユグドラシルでもそのような遅効性の石化など聞いた事がなかった。しかしまずは一つずつ確実に原因を潰していくため、再度魔法を詠唱した。

 

位階上昇化(ブーステッドマジック)病気の除去(ディスペルディジーズ)

 

 ルカの手を中心に老人の体が緑色に発光し、荒かった老人の息がスウッと落ち着き、体温も下がった。次に石化した両手を握り、続けて魔法を詠唱する。

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)石化(ディスペル)の除去(ペトリファクション)

 

(キィン!)という音を立てて老人の体が銀色に光り、石化に蝕まれた箇所がみるみる後退していく。それを後ろで見ていた祭司が驚嘆の声を上げていた。

 

「おおぉ!お主は何という....何という強大な力を秘めておるのじゃ」

 

「.....いや待って、おかしい。これを見て」

 

 老人の体から銀色の光が消え去り、ルカは老人の左手を皆に見せた。一瞬見た限りでは完治しているように見えるが、手と足の指先第一関節辺りが未だ僅かに石化している状態だった。

 

「通常の石化であれば、どんな状態でもこの魔法で完治するはずなんだ。しかしこれを見ると、ただ緩和したに過ぎない」

 

「し、しかしこれで病の進行は防げたわけじゃろう?」

 

「...時間を置いてみなければ分からない。おばあちゃん、この病気が流行りだしたのっていつ頃からか分かる?」

 

「ん?うーむそうじゃな確か...一ヵ月程前からじゃと思ったが」

 

「じゃあそれ以前に、この村総出で石化を使うモンスターと戦ったりした?」

 

「そんな事はしとらん!第一そんな危険なモンスターはこの周辺にはおらんて」

 

「なら、同じような症状を持つ人は他にどのくらいいる?」

 

「この村の約半数といったところじゃな」

 

「.....感染が早すぎる。....ミキ、バッドステータスは呪詛だ、頼む」

 

「畏まりました」

 

 ルカは横にずれて場所を開け、そこにミキが両膝をつき、老人の胸の中心に両手を当てて魔法を詠唱した。

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)闇の追放(バニッシュザダークネス)

 

(ブン!)と音を立ててミキの体が青白く光り、老人の全身にもその光が移っていく。そして光が収束したところでルカは老人の手を見たが、指先が石化している状態は変わらなかった。

 

「バカな!闇の追放(バニッシュザダークネス)で解呪しない呪詛なんて...」

 

 と、そこまで言いかけてルカは言葉を止めた。頭の片隅で何かが引っ掛かっていたが、ようやくその答えが見えてきた気がした。過去170年以上戦い抜いてきた記憶の中で、そこから取り出したパズルのピースが少しずつ組みあがろうとしていた。突然黙り込み、宙を見て上の空のルカを心配して老婆が声をかけた。

 

「お、お主、大丈夫か?」

 

「シッ!」

 

 ルカは口に人差し指を当てて老婆を制止した。そしてゆっくりと部屋の周囲を見渡す。ゼンベル、その両親、ヴァシュパ、老婆、そして老人。このうち病を発症している者がゼンベルの母親と老人のみ。ルカは咄嗟に声をかけた。

 

「ゼンベル、こっちおいで」

 

「うん!」

 

ルカは足を崩し、ゼンベルを抱きかかえて膝の上に乗せた。

 

「どうしたの?」

 

「大丈夫、じっとしててね。体内の精査(インターナルクローズインスペクション)

 

 ルカは左手でゼンベルの腹部を支えたまま額に右手を置き、魔法を詠唱した。ゼンベルの全身に青い光が幾重にも交差し、ルカの脳内にゼンベルのステータスが流れ込んでくる。その結果はルカの予想通り、全てにおいて異常が無かった。それを見てルカは更に部屋を詳細に見渡す。家の柱、天井、入口、水瓶、鮮魚、麻の布団、水桶。それを見てルカは質問した。

 

「ねえゼンベル、普段何食べてる?」

 

「うん?お魚だよ」

 

「そのお魚って、どこかで買ってきたの?」

 

「違うよ、お父さんが捕ってきた魚だよ。美味しいんだ」

 

「そっか。じゃあ、お水は何飲んでる?」

 

「何って?」

 

「例えば、湖の水とか」

 

「僕んちは井戸水しか飲まないよ。祭司様にそうしろって言われてるからね」

 

「という事は、湖の水を飲んでいる人達もいる訳だね?」

 

「うん、いると思うよ」

 

「じゃあ次に奥さん、あなたは発症してるが、同じ食生活なのかい?」

 

「え?ええ、主人が捕ってきた魚を食べていますが」

 

「では、湖の水に触れる機会は無い?」

 

「? いいえ、うちは水を使い分けているんです。飲み水は井戸から取って、洗い物をする時は湖から汲んできた水を使います」

 

「では次に旦那さん、あなたは見た所発症していないね。魚を捕る時はいつもどうしてる?」

 

「どう....と言われましても、普通に捕っていますが」

 

「その時、湖の水には手を触れるかい?」

 

「ええ、もちろん。そうしないと引き揚げられませんから」

 

「ゼンベルは、湖の水には手を触れない?」

 

「ううん、触るよ。お父さんの魚捕りを手伝う時もあるから」

 

「ヴァシュパ、あんたは今の話を聞いてどう思う?」

 

「どう、と言われてもな。俺もどちらかと言えば、ゼンベルに近い食生活だな」

 

「おばあちゃん、あんたはどうだい?」

 

「どうもこうも、わしは生まれてこの方井戸水主体の生活じゃわい」

 

「そうか。旦那さんとゼンベル、そしてヴァシュパとおばあちゃんは病気を発症していないのに、奥さんとおじいちゃんだけが発症している。この違いは何だ?」

 

 

 そう言われて、全員が首を傾げた。しばらく待って返答がないので、ルカが切り出した。

 

 

「...つまり、場所が違うからだ」

 

 ルカはゼンベルを膝から降ろして中空に手を伸ばし、アイテムストレージから羊皮紙のスクロールを取り出すと、床に広げた。そこには、ルカ達自身が歩んできた寸分違わぬ正確なマップが表示されており、ルカ達の現在地点が赤く明滅を繰り返していた。

 

「俺達の今いる場所がここ。そこから北に広がる瓢箪型のエリアが湖だ。旦那さん、あなたはいつもどの辺で狩りをしている?」

 

「...すごい、何て分かりやすい地図なんだ!....ああええとすいません、私はいつも、この湖の東から北に上る手前の、この辺で狩りをしています」

 

 父親が指さしたところへルカが操作し、マーカーをつけた。

 

「次に奥さん、あなたはどの辺で湖の水を汲んでいる?」

 

「ええ、この地図ですとそうですね....ここから少し西寄りにある入り江で汲んでいますから、大体この辺になると思います」

 

「つまり、ここから北北西だね」

 

 ルカは母親が指差したところにもマーカーを点灯させた。

 

「さて、最後の質問だ。おじいちゃん、あなたは湖の水、特に汲んできた水に触れる機会が多かったんじゃないか?」

 

「お、おおそうじゃ。わしは井戸水よりも自然の恵みである湖の水が好きでな。病に臥せってからもよく飲んでおったわい」

 

「...ひょっとして、その水桶に入っている水も湖から汲んできたものかい?」

 

 ルカが鋭く水桶を睨むと、母親がおどおどしながら返答した。

 

「え、ええ、その通りです」

 

「なるほどね。毒素の看破(ディテクトトキシン)

 

 ルカが水桶に手をかざして魔法を唱えると、水面が淡く濃い緑色に発光した。ルカの脳内に、(石化毒)という表示が過ぎる。片や(呪詛)、片や(石化毒)。この矛盾する状況に、ルカは過去遭遇した経験があった。ほぼ確信に近い答えを得られたルカは立ち上がり、周囲の者達に指示した。

 

「ヴァシュパ、旦那さん、ゼンベル、急いで他の動ける蜥蜴人(リザードマン)達全員を一か所に集めるんだ。奥さんもそこに合流してね。ミキ、ライル、彼らを手伝ってやってくれ。それとおばあちゃん、俺をその井戸に案内してほしい。今の説を検証したい」

 

「わ、分かった!」

 

「頼んだよ」

 

 

 そしてルカは祭司の老婆に案内された井戸に着くと、ロープを伝って水面ギリギリまで降り毒素の看破(ディテクトトキシン)を唱えたが、推測通り全く異常はなかった。井戸から上がると、リザードマン達が松明を持って村の中央広場に集まっていた。ルカは先頭に立つヴァシュパの隣に立つと、大きい声で皆に呼びかけた。

 

「みんな、集まってくれてありがとう!病気の正体が分かった、それは北の湖にある入り江付近の水だ!いいか、その水と最近そこで捕れた魚は今すぐに捨ててくれ!念のため、入り江以外の場所で汲んだ湖の水も全て一か所にまとめて捨てるんだ!あと捨てる際、手に触れないように気をつけろ!俺がいいと言うまでは、全員井戸水だけを使用する事!それが終わったら、症状が酷い者から順に家を回って俺が応急処置を行う!夜更けに済まないが、早速取りかかってくれ!」

 

 そこまで言い終わるが、蜥蜴人(リザードマン)達はそれを聞いてざわつき、すぐに動こうとはしなかった。それを見かねた老婆の祭司が声を張り上げ、叱責するように皆へ呼びかけた。

 

「この者の言っている事は本当じゃ!!このルカという娘は、わしよりも強大な魔法を行使できる!病人の巡回にはわしも立ち会うから、何も心配は要らん!さあ皆の者、急いでこの者の言う通りにするのじゃ!」

 

 竜牙(ドラゴンタスク)族一の祭司が発した言葉を受けて、蜥蜴人(リザードマン)達はようやく信じる気になった様子だった。皆慌てて自分の家に帰り、集落の外にある離れた場所へ水瓶と魚を運び始めた。その指揮はヴァシュパに任せ、ルカと祭司、ゼンベルは石化や感染の症状が特に酷い者達から順に家を周り、一通り全ての家の応急処置が完了した。

 

 これにはさすがのルカも疲労を隠せず、ゼンベルの家に入るとマントを脱ぎ、倒れ込むように横になった。一緒に全ての家を回ったゼンベルは、目をキラキラさせながらルカを見ている。そこへヴァシュパが大きめの水瓶を持ってゼンベルの家に入ってきた。

 

「お疲れさん。助かったぞルカよ」

 

「いやー参った...あの人数相手に魔法使いまくったからな」

 

「どうだ、一杯やらないか?疲れが取れるぞ」

 

「おっ!いいねえ、是非いただくよ」

 

 ルカは飛び跳ねるように笑顔で起き上がると、木の実の殻を半分に割った盃を受け取り酒を注いでもらった。次いでヴァシュパ、ゼンベルの父親も酒を手に取り、皆で盃をぶつけた。

 

「はい、かんぱーい!」

 

 ルカはそう言うと、盃の半分ほど酒を一気に流し込んだ。お世辞にも後味はそれほど良くも無いが、麦焼酎のような舌ざわりで、疲れ切ったルカの体には何よりのご褒美だった。

 

「かー、効くねえこの酒!」

 

「我々の秘宝で作った酒だ。遠慮せずにどんどんやってくれ」

 

「ほお、そいつはうれしいね。ライル、お前の好きそうな味だぞ。飲んでみろよ」

 

「....ヴァシュパ、俺も一杯いただこう」

 

「では私も少しだけ」

 

 ライルとミキに言われて、ヴァシュパは彼らの盃にも酒を注いで再度乾杯した。そこへ一人うらやましそうにしていたゼンベルも混じってきた。

 

「族長、僕も飲むー」

 

「こーら、子供にはまだ早いぞ。ゼンベルはこっちね」

 

 そう言うとルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージからオレンジ色の瓶と栓抜きを取り出した。(シュポッ)という音と共に栓を開けると、ゼンベルに手渡して栓抜きを中空に収めた。

 

「わー、ルカお姉ちゃん何これ?」

 

「飲んでみれば分かるよ。はい、ゼンベルもかんぱーい」

 

「かんぱーい!」

 

 ルカのあぐらの上に座ったゼンベルは早速一口飲むと、目を輝かせながらルカを振り返った。

 

「あまーい!シュワシュワ!これ何て飲み物なの?」

 

「オレンジスカッシュってんだ。美味いだろ?」

 

「うん!」

 

 時間は深夜2:00を回っていたが、ルカ達は酒を交わしつつ今後のミーティングを始めた。ヴァシュパが進行役となり、口火を切る。

 

「それで、明日はどうする?」

 

「ああ、まずはその入り江に向かってみる。きっと何かあるはずだ」

 

「了解した。俺も同行させてもらおう」

 

「僕も行くー!」

 

 ルカの上に座り、オレンジスカッシュを高々と掲げてゼンベルがアピールしたが、大きなため息を吐きながらヴァシュパが窘めるように言った。

 

「だめだゼンベル。お前は留守番だ」

 

「やだ!僕もお姉ちゃんと一緒に行く!」

 

「ゼンベルー?おじいちゃんみたいに手が石になってもいいのー?」

 

「水には触んないもん。それにルカお姉ちゃんがいるから大丈夫!」

 

「...フフ、生意気言っちゃって」

 

「ね?一緒についていっていいでしょ?」

 

「んー、どうしよっかなー?」

 

 ルカは手に持った盃で八の字を描き、わざとらしく迷っている振りをした。

 

「お願い!僕も将来ルカお姉ちゃんみたいに強くなるために、お姉ちゃんが何をするのか見ておきたいんだ!」

 

「お、一丁前にそう来たか。...んー分かった。でもちゃんと離れて見てるんだよ?」

 

「ほんと?やったー!」

 

「ほらほら、あんまりはしゃぐとジュースこぼすよ!」

 

 ルカは盃を床に置いてゼンベルの体を支えた。ミキとライル、そして両親とヴァシュパも苦笑しながら、その平和な光景を見つめていた。

 

 そして皆が就寝し寝静まったころ、ゼンベルは一人眠れずにいた。目をつぶると脳裏に甦るあの凄惨な光景。子供にとってトラウマ確実の経験をしたゼンベルは、フラッシュバックするように何度もあの時の光景を思い起こし、再び恐怖で体が支配されそうになっていた。止むに止まれず起き上がり、気が付けば藁で編んだ枕を持って、少し離れた右隣に寝るルカの前に来ていた。起こさないようにそっとルカの隣に枕を置き、ゼンベルは横になった。(この人がいれば大丈夫)と何度も心の中で唱えてふとルカの顏を見ると、赤く光る眼がゼンベルを射抜いた。ルカは薄目を開けて微笑しながら、自分にかかっていた麻の掛け布団を半分ゼンベルの上に被せ、自分の枕元に抱き寄せた。

 

「ルカお姉ちゃん....」

 

「どうした、眠れないの?」

 

「うん。目をつぶると、あの時の事を思い出しちゃって...」

 

「昨日の今日だもんね。大丈夫、お姉ちゃんがいるでしょ?」

 

「うん...」

 

 そう返事はしてみたが、怖くてたまらずにゼンベルは布団の中に潜り込み、ルカの胸に顔を埋めた。小刻みに震える体を抑えきれず、ルカの香りと温もりを感じて安心しようと必死だった。ルカはゼンベルの背中に手を回し、さすりながら耳元で囁いた。

 

「ゼンベル、お姉ちゃんが魔法かけてあげよっか?」

 

「魔法?」

 

「そう、怖くなくなる魔法。かけてほしい?」

 

「...うん。お願い」

 

 ルカは大きく深呼吸し、ゼンベルを両手で優しく抱き締めて呪文を詠唱した。

 

「...魔法最強化(マキシマイズマジック)恐怖耐性(プロテクション)の強化(エナジーフィアー)

 

 すると横になったルカを中心に緑色のオーラが立ち昇り、それが抱きしめたゼンベルの体にも瞬時に移る。友人の死が、沼の巨人(スワンプトロール)の影が、暗闇を逃げ惑う狂気が、幻影だったかのように溶け落ちていく。そして最後に残ったのは、まどろみだけだった。ゼンベルは布団から顔を出し、ルカの顏を見た。まるで母親のように優しく見つめるその表情を見て、ゼンベルは純粋に癒されていた。そしてこの人のようになりたいと強く願った。

 

「すごいやルカお姉ちゃん。何でもできちゃうんだね」

 

「フフ、そうでもないよ。もう寝れそう?」

 

「うん、ありがとう。寝れると思う」

 

 ルカはゼンベルの額にキスをして、布団を掛けなおしてあげた。

 

 

「おやすみ、ゼンベル....」

 

 

───翌日 10:27 AM

 

 

 ゼンベルが目を覚ますと、目の前には熟睡するルカの顏があった。余程疲れたのか、深い眠りに落ちている様子だ。起こさないよう静かに起き上がり、麻の布団をルカにかけなおすと、ゼンベルは家の外に出た。階下では集落の中に入れた馬車の前で、既に起床していたミキとライルが巨大な馬2頭の世話をしている。ゼンベルは階段を降り、二人に挨拶した。

 

「ミキお姉ちゃん、ライルお兄ちゃん、おはよう」

 

「あら、おはようゼンベル」

 

「おはよう。ルカ様は?」

 

「ううん、まだぐっすり寝てるよ」

 

「そうか。昨夜はお疲れだったからな、寝かせておいてやってくれ」

 

「うん。....ねえ、ライルお兄ちゃん」

 

「何だゼンベル?」

 

「その背中に背負ってる大きいのって、剣なの?」

 

「フフ、そうだ。興味あるのか?」

 

「うん!見せて!」

 

「いいだろう」

 

 

 ライルはその巨大な剣を片手で軽々と抜き、ゆっくりと前に差し出すと、ゼンベルはあまりの迫力に圧倒された。剣と言うにはあまりに無骨。両刃の剣で、刃渡りは柄尻から切っ先まで入れて6尺程もあり、刃幅に至っては50センチを遥かに超えている、化物級に超肉厚の大剣だ。そしてそのような鉄板じみた外観にも関わらず剣として認識できるのは、その刀身を見れば明らかだった。柄から剣の腹まで全てが漆黒に染まっており、そしてその刃の部分だけが青く、暗く、怪しく光っている。剣の鍔は揺らめく黒い炎にも似た形をしており、その凶悪な外観を見てゼンベルは背筋に悪寒が走ると共に、開いた口が塞がらなかった。怪しい輝きに魅せられて剣の腹にゼンベルが手を触れようとした時、ライルが強く制止した。

 

「だめだ!触るな。...よく見てろ」

 

 ライルは馬の飼葉桶から葉を一枚取り出し、大剣の刃の上でそっと手を離した。舞い落ちる葉が剣の刃に触れると、音も無く真っ二つに両断されて地面に落ちた。その大剣に似つかわしくない恐るべき切れ味を見て、ゼンベルの背筋に再度冷たいものが走った。

 

「すごい....凄すぎるよライルお兄ちゃん!これ、何て言う剣なの?」

 

「あまり詳しくは教えられないんだがな。名前くらいはいいだろう。この剣の名は、”ダストワールド”と言う。この世に2つとない、俺の相棒だ」

 

「ダストワールド...。ねえ、握ってみてもいい?」

 

「お前にこれは持てない。....手を添えるだけだぞ」

 

「うん!」

 

 ゼンベルがライルの足元に来ると、ライルは剣を正眼に構えたまま、両腕の間にゼンベルを通すように片膝をついた。ライルが柄を握っている隙間に小さな手を添えると、意外な感触にゼンベルは驚いた。漆黒の柄の部分は非常に細かい砂の目状にザラついており、手に吸い付くような滑り止めの役割を果たしていた。その極太の柄はとてもゼンベルには握れないが、手を添えて刃の切っ先を見ていると、自分が握っているような錯覚に陥りゼンベルの胸は高鳴った。ライルの大きい懐の中、ひんやりとした金属の感触に浸っていると、遠くからゼンベルを呼ぶ声がした。その方向を見ると、集落の中央付近にある井戸からヴァシュパが手を振っていた。

 

「おーいゼンベル、こっち来て水汲み手伝ってくれ!」

 

 それを聞いたライルは正眼の姿勢のまま立ち上がり、静かに剣を背中に収めた。

 

「今行くー!ありがとうライルお兄ちゃん!」

 

 ライルはその言葉に無言でニヤリと笑い答えると、ゼンベルは井戸まで走っていった。その様子を見て、ミキが意外そうな顏をしながらライルに微笑んだ。

 

「優しいのね。あなたがその剣を他人に触らせるなんて、初めてじゃない?」

 

「....フン」

 

「可愛いわね、あのくらいの子供は」

 

「まあな」

 

 ライルは巨大な黒馬・メキシウムの顏を撫でながら、井戸に走っていくゼンベルの小さな背中を見つめていた。

 

 蜥蜴人(リザードマン)達が水瓶を持って列を作る中、ヴァシュパとゼンベルは井戸から桶を引っ張り上げ、それを水瓶に流し込むという配給作業を行っていた。ルカ達に少しでも良い印象を持ってもらおうというヴァシュパの思いからだったが、井戸の脇では老婆の祭司が控えており、「うんうん」と頷きながら嬉しそうにその様子を見守っていた。そして蜥蜴人(リザードマン)達全員分の配給が完了した頃には、日が真上に差し掛かっていた。井戸から汲んだ水を飲んでヴァシュパとゼンベルが一休みしていると、ゼンベルの家の入口から身支度を終えたルカが姿を現した。それを見たゼンベルは立ち上がり、嬉しそうに走り出した。階下まで降りたルカの前に着くと、ゼンベルはルカの腰に抱きついた。

 

「ルカお姉ちゃん!よく寝れた?」

 

「ああ、ありがとうゼンベル。よく眠れたよ」

 

 後から続くように、ヴァシュパと祭司がルカの前に歩いてきた。

 

「おはようルカ。ゆっくり休めたか?」

 

「おはようヴァシュパ、遅くなって済まない。だがおかげでMPも全快したよ」

 

「MP?何だそれは?」

 

「あーえっと、つまり魔法を唱える為の精神力ってやつかな」

 

「ハハ、そうか。俺は戦士だからな、魔法の事にはとんと疎いんだ」

 

「...行くのか?ルカよ」

 

「うん、おばあちゃん。そっちの準備が出来次第向かおうと思う」

 

「お前なら心配ないとは思うが、十分気を付けていくのじゃぞ。妙な胸騒ぎがするのじゃ。わしは第二位階まで魔法を行使できるが、お主達はその遥か上を行く強大な魔法詠唱者(マジックキャスター)だという事が、昨日の治療を見てよーく分かった。あの沼の巨人(スワンプトロール)を一撃で仕留めたというのも、今なら納得できる話じゃ。だが詳しくは聞かぬ。わしらにとってお主たちは奇跡じゃ。だから無事に帰ってきてくれ。わしが願うのはただそれだけじゃ」

 

「ありがとう、大丈夫。乗りかかった舟だ、最後まで付き合うよ」

 

「感謝するぞ、ルカよ」

 

「さて、ヴァジュパ、ゼンベル。準備はいい?」

 

「俺ならいつでもいいぞ」

 

 腰に差した2本のマチェットを握りしめ、ヴァシュパは返答した。

 

「僕も大丈夫!」

 

腰に巻いた布を締めなおして、ゼンベルも返事を返した。

 

「よし、二人共馬車に乗って。ミキ、御者を頼む」

 

「畏まりました」

 

こうして5人は一路、北の湖に向かって出発した。

 

 

───湖南端の入り江 13:34 PM

 

 

 湖畔の手前で馬車を停止させ、ヴァシュパの案内で西寄りの入り江に辿り着いた。幅50メートル程の広い入江で、せり出た陸地部分には真っ白な砂が敷き詰められ、水面は太陽を反射してライトブルーに輝き、波も立たず透明度の高い湖だった。目を上に上げると、遠くに冠雪したアゼルリシア山脈が一望できる。このおよそ二十キロ四方の巨大な湖は、瓢箪を逆さにしたような形をしており、上の湖と下の湖に分かれていた。今いる入り江は、比較的水深の浅い下の湖の更に最南端となる。白い砂のかからない所までヴァシュパとゼンベルを後ろに下がらせ、ルカ達3人は入り江へと足を踏み入れた。ミキとライルが左右に展開し、入り江の両端にある石畳に上って周囲を警戒する。ルカは二人に向かって尋ねた。

 

足跡(トラック)?」

 

「クリア」

 

「こちらもクリア」

 

 周囲2キロ四方に敵の反応はない。ルカは水辺ギリギリの位置で腰を下ろし、水面に手をかざして魔法を唱えた。

 

毒素の看破(ディテクトトキシン)

 

 すると入り江一帯の浅瀬から沖に向かって、半径150メートル以上の広範囲に渡り水面が濃緑色に発光し始めた。脳裏に過ぎる毒の種別は、やはり(石化毒)。後ろで見ていたヴァシュパとゼンベルはその光景を見て、驚きのあまり目を見開いていた。ルカは立ち上がり、毒に汚染された範囲を詳細に見渡す。それを確認すると、ヴァシュパ達のいる方へ引き返し、真剣な表情で声をかけた。

 

「他にも毒で汚染されている水域があるかも知れない。念のためゼンベルの父親が漁をしていた東側のポイントまで、湖畔沿いに調べてみよう。一緒に来てくれ」

 

「わ、分かった!」

 

「ルカお姉ちゃん....かっこいい....」

 

 目を輝かせながらルカを見つめるゼンベルの手を引き、5人は地図を確認しながら東へ移動した。200メートル置きに水辺を調査し、そうして約3キロ程歩いた所で目標の地点まで到着した。先程の入り江と異なり、ゴツゴツとした岩棚からすぐ下が水面となっている。底を見ると水深がかなりあるようで、1メートル程ある大きな魚影が複数確認出来た。このような漁のしにくい離れたポイントまで来ているのは、恐らく他の村人達との競合を避けるためなのだろうとルカは想像した。そして岩に体を預けるようにして下に手を伸ばし、水面に向かって魔法を詠唱したが、異常は見受けられなかった。

 

「ゼンベル、場所はここで間違いないね?」

 

「うん!いつもお父さんと来ている場所だよ」

 

「よし、さっきの入り江まで戻ろう。あの周辺だけが汚染されている」

 

 ルカは左手首に巻かれた金属製バンドのプッシュボタンを押すと、青いイルミネートが表示された。時刻は15:00を回ろうとしている。5人は少し早足で湖畔を引き返し、最初の入り江まで戻ってきた。白い砂の上に立ち、ルカは再度魔法を唱える。

 

危機感知(デンジャーセンス)

 

 するとルカの視界には、魔法有効範囲の50ユニットに渡り黄色く光る水面が映し出された。それを見て小さく頷くと、ルカは続けて魔法を唱えた。

 

飛行(フライ)

 

 体が宙に浮きあがり、水上50cm程の低空をゆっくりと飛びながら、ルカは注意深く湖底を探っていった。外縁から渦巻き状に飛び、先程見た毒の汚染範囲と照らし合わせ、遠浅となっている一帯をくまなく調べていく。そして範囲が狭まり、汚染された水域の中心近くまで来ると、一際強く光る黄色い水面を発見した。そこに近づき、湖底を見たルカは溜息混じりに呟いた。

 

「やっぱりね...」

 

 揺らめく水面の底に見えたのは、直径1.5メートル程の灰色に光る魔法陣だった。危機感知(デンジャーセンス)に反応するという事は、トラップ属性も併せ持つ魔法という事だ。ルカはすぐさま水面に手をかざし、再度魔法を詠唱した。

 

上位封印破壊(グレーターブレイクシール)

 

(パキィン!)という音を立てて、湖底にあった魔法陣が割れるように崩れると、ルカの視界を覆っていた異常を示す黄色い光が一斉に消え去った。

 

毒素の看破(ディテクトトキシン)

 

 念には念を入れてもう一度調べたが反応は無く、そこには穏やかな青い水面が映るのみだった。それを確認し、ルカは入り江に向けて飛翔した。砂浜で待機していたミキとライルの元に降り立つと、ルカは後ろに控えていたヴァシュパとゼンベルに向かって大きく手招きした。

 

「何だ、どうしたルカ?」

 

「何か見つかったの?」

 

 ルカはそれには答えずニヤリと笑い、レザーグローブを脱ぎ捨てて水辺の中に足を踏み入れた。そして足首まで水に浸かるとその場にしゃがみ込み、両手で水を掬い上げて口の中に含んだ。

 

「ル、ルカお姉ちゃん?!」

 

「おい?!一体何を....」

 

 慌てるヴァシュパとゼンベルを他所に、ルカは味を確認するかのようにブクブクと口の中を濯ぎ、そのままゴクリと飲み込んだ。ペロリと唇を舐めて砂浜に戻り、地面に落ちたレザーグローブを拾い上げて装備しなおすと、呆気に取られる2人に笑顔を向けた。

 

「うん、冷たくておいしいねここの水。あのおじいちゃんが好きなのも頷けるよ」

 

「も、もう毒は無いのか?」

 

「大丈夫。毒の大元を消したから、飲んでもいいよ」

 

「やったー!」

 

 それを聞いてゼンベルは水辺に駆け出し、腰まで浸かってはしゃぎまわった。その様子を皆笑顔で見守る。空にはほんのりと夕日が差し掛かっていた。

 

「ルカ、それではこの事を早速村にも伝えねば」

 

「...いいや、まだだ」

 

 ルカは小さく首を横に振り、ヴァシュパに答えた。湖の水平線を真顔で見つめるルカの表情を不思議に思い、夕日の光を浴びて朱色に染まる横顏を覗き込んだ。

 

「...ヴァシュパ、忘れてない?水はきれいになったけど、村人達の病気はまだ治ってないんだよ?」

 

「そ、それは分かっている。しかしお前の魔法でも完治できないのであれば、もはや打つ手は....」

 

「違う。俺の消した毒の魔法陣を、この湖に仕掛けた奴がいる」

 

「何だと?一体誰だそいつは?」

 

「追々分かるさ。こちらが魔法陣を破壊したことを、術者である本人も気づいているはずだ。そいつを叩かない限り、この湖は再び毒で汚染されるだろう」

 

「...それで、どうするつもりだ?」

 

「今夜一晩ここで待とう。気付かれないように、少し離れた位置で入り江を監視する。あそこに見える馬車を止めてある辺りが丁度いいだろう」

 

「分かった。俺に何か手伝える事はあるか?」

 

「そうだな、じゃあ俺達と一緒に寝ずの番だ。俺、ミキ・ライル・ヴァシュパの4人で、2時間交代で監視しよう。万が一の時はゼンベルの安全を最優先しろ。いいな?」

 

「承知した、ルカ」

 

「ゼンベルー!ほらもう行くよー、上がっといでー!」

 

「はーい!」

 

 気付かない内に随分と沖の方まで泳いでいったらしい。まるでワニのように滑らかな泳ぎでこちらへ戻ってきたが、水から上がるとゼンベルの右手には、自分の背丈ほどもある大振りの魚が握られていた。それを砂浜に引きずりながら、ルカとヴァシュパの前へ差し出してきた。

 

「へへー、すごいでしょ?」

 

「ゼンベルお前、それ素手で捕ってきたのか?!」

 

「素手じゃないよ、尻尾で叩いて気絶させたの」

 

「すごいじゃないゼンベル!食事はお姉ちゃんが用意しようと思ってたのに」

 

「ううん大丈夫。僕もお腹空いたし、このお魚みんなで食べようよ!」

 

「これは監視の前にまずは腹ごしらえだな、ルカ」

 

「了解。とりあえずはみんな馬車の所まで戻ろう」

 

 500メートル程後方に止めてあった馬車に戻ると、ヴァシュパとゼンベルは魚をさばく為の大きな葉を何枚か集め、その上に魚を置いた。ルカはアイテムストレージから木製のまな板を取り出し、その上に調理器具と材料を並べて下ごしらえを始めた。ミキは馬2頭の飼葉と水を用意し、ライルは焚き火用の薪を森から切り出して調達してきた。ヴァシュパが魚の腹にマチェットを差し込んだところで、ゼンベルがルカに尋ねてきた。

 

「ルカお姉ちゃん達もお魚食べるでしょ?」

 

「あーいや、私達は生魚食べられないから、ヴァシュパとゼンベルで半分こにしていいよ」

 

「そう?美味しいのに」

 

「フフ、ありがと。でもお姉ちゃん達はこっちの肉を食べるから、大丈夫」

 

そう言うとルカは、まな板に置かれた巨大な肉のブロックを持ち上げた。

 

「それ何のお肉?」

 

「牛肉の霜降りサーロインよ。柔らかくておいしいの!」

 

「ふーん」

 

 ルカは包丁で肉を7枚厚切りにし、その一枚一枚に塩胡椒を振って丁寧に指で伸ばしていく。それが終わるとジャガイモと玉ねぎ、ニンニクの皮を剥いてそれぞれの大きさにスライスした。焚き火の準備が終わりライルが魔法で火を付けた所で、ルカは中空に手を伸ばしてキャンプ用の折り畳み式テーブルに大き目のフライパン、皿を取り出した。そのフライパンを焚き火の上に乗せて温めた所で、ブロック肉から切り出した牛脂を投入して満遍なくフライパンに馴染ませる。そしてニンニクのスライスを入れて油に香りを付けた所で、厚切り肉を一気に3枚投入した。焦げないように揺すりながら、肉汁が表面に浮いてきた所でターナーを使い、3枚の肉を裏返した。絶妙な焼き加減である。

 

 ここで更にアイテムストレージからワインボトルを取り出し、フライパンに一振りすると食欲をそそる香ばしい香りが辺り一面に広がった。その間ミキがテーブルの上に皿を並べ、焼き過ぎないように火が通った所で3枚の肉を1枚の皿に移した。その後はフライパンに残った旨味成分たっぷりの肉汁を使い、ジャガイモと玉ねぎのスライスを炒めて3枚の皿にそれぞれ付け合わせた。そうして残り4枚の肉も丁寧に焼き上げて、3人分の厚切りサーロインステーキが完成した。ルカ・ミキの分が2枚ずつ、体の大きいライルの分は3枚である。

 

 ルカはキッチンペーパーでフライパンの油をきれいに拭き取り中空に収めると、その中からナイフとフォークに大きなパンを取り出し、ミキとライルに分けていった。そして調理用のワインを中空に戻し、飲食用の立派な赤ワインボトルとグラスを2個取り出して、そこになみなみと注いだ。ライルとヴァシュパの分の地獄酒とゼンベルのジュースも手渡して、ようやく食事の準備が整った。

 

「はい、ヴァシュパ、ゼンベルもお待たせ。それじゃ、いただきます!」

 

『いただきまーす!』

 

 1メートルはある大振りの魚を2枚にさばき、それを更に食べやすいように3等分した生魚のブロックにヴァシュパとゼンベルは夢中で齧り付く。ブツリと噛み切っては口の中に鮮魚の旨味が広がり、ムシャムシャと実に美味そうに食べていた。

 

 そしてミキとライルもステーキにナイフを通すと、音も無く厚切り肉がススッと切れていく。その一切れを口の中に運ぶと、ジュワッと肉汁が溢れ、噛むまでも無く舌の上でほぐれていくような柔らかさであった。肉本来の旨味が一切損なわれておらず、そこへワインとニンニクがアクセントとなった上質な油が混然一体となり、喉に滑り落ちていく。その度肝を抜く美味さにミキとライルは頬を紅潮させていた。付け合わせとパンの相性も抜群である。

 

「ああ、ルカ様....この味はもはや犯罪ですわ。幸せすぎて溶けてしまいそうです....」

 

「全くだミキ。前から思っていたが、ルカ様の手料理は黄金の輝き亭を遥かに凌駕しているぞ」

 

「フフ、ありがとう。この世界へ転移する前に、サブクラスでシェフマスタリーのルーンストーンを食べたからね。まあそうじゃなくても、リアルでは好きでよく料理作ってたから」

 

「こんなに美味しい料理を旅の最中に食べられるなんて、私達は本当に幸せ者です」

 

「全くだミキ!叶う事なら毎日でも食べたいくらいだ。しかしこれでルカ様がお嫁に行かれても、俺は後顧の憂い無し。将来の婿殿が羨ましい....」

 

「嫁って....嫁ってライル君!!」

 

 そうして冗談も交え、笑顔の絶えない食事が進んだ。ミキとライルは遠出の際に毎回ルカの手料理を食べている訳だが、彼らにとって未だ不思議だったのは、一口食べる毎に体の奥底から力が湧き上がってくるような感覚に包まれる事だ。そして事実、ルカの作る手料理には強力なバフ効果が付与されていた。

 

 全員の食事が終わり、ルカはいそいそと後片付けを済ませて焚き火に薪を加えた。4人とも炎に照らされて感無量といった表情で、まったりムードである。ルカはそれを見て自分の席に座り、赤ワインを一口飲んだ。

 

「みんなお腹いっぱいになった?」

 

「こんなに食ったのは久々だ。ゼンベルのおかげだな」

 

「僕もー入らない....」

 

「完全に満腹です、ルカ様」

 

「体が喜んでいますわ、ルカ様」

 

「よし、じゃあ夜まで少し休憩!」

 

 ルカは笑顔で空を見上げると、青く美しいグラディエーションがかかり、遠くに見えるアゼルリシア山脈の上空には、薄っすらと星々が輝き始めていた。左腕の金属製リストバンドに目をやると、イルミネートランプは18:55を告げている。場所が美しい湖と森という自然に囲まれている事もあり、さながらキャンプファイヤーの様相を呈していた。周囲は静まりかえっており、ただ(パチパチ)という焚き火が燃える音だけが響く空間。5人共焚き火を見つめ、それぞれの思いに浸っていた。炎を見つめる事で孤独感に浸りながら、同時に仲間が周りにいるという安心感を味わう矛盾した感覚。炎の魔術だった。

 

 やがてその黄昏に負けたのか、ゼンベルがルカの隣にやってきた。目がうつらうつらとしている。

 

「お姉ちゃん、眠い....」

 

「少し寝なさい。今日は一晩中ここにいるからね」

 

「うん」

 

 そう言うとゼンベルは、足を崩したルカの太腿に頭を置いて横になった。

 

「フフ、全く。甘えん坊ね」

 

 ルカはゼンベルの頬を撫で、腰に手を乗せてトン、トンと一定のリズムで叩いた。フードを降ろし、艶やかなフェアリーボブの黒髪が炎に照らされて、微笑しながらゼンベルに目を落とすその様はあまりに美しく、神々しさすら漂わせていた。それを見た向かいに座るヴァシュパがルカに質問した。

 

「ルカ、何故お前は俺達蜥蜴人(リザードマン)に優しく接する?」

 

「何故って、優しくされたらいや?」

 

「そんなことはない。しかしお前ほどの力を持つ者が、何故こんな辺境の地へ姿を現し、ゼンベルを救ったのか。それが気になってな」

 

「...成り行きだよ、特に意味は無い。俺達がトブの大森林を調査していた所へ、たまたまゼンベルがいた。この子が何者かに追われているのを俺達は魔法で察知した。だから助けた。そしてお前達竜牙(ドラゴンタスク)族の村へ送り届けて、今俺はここにいる。その目的は情報だ。この世界の謎を解くための鍵、それを俺達は探している。お前達がそれを持っているとは思わない。しかしそこに僅かなヒントが隠されているかもしれない。それを期待しているだけさ」

 

「なるほど、理由は分かった。しかしお前達の力を持ってすれば、こんな回りくどい事をせずとも力づくで情報を聞き出す事も可能なのではないか?何故それをしない?」

 

「殺してどうなる?そこであるべき情報が途絶えてしまう。脅してどうなる?その先にあるのは歪められた虚偽の真実だけだ。確かに俺達は、お前達のあの村をほんの10秒で灰に出来る。お前達の村だけじゃない。この世界に数多ある一つの国家そのものを一瞬で消し去る事も可能だ。しかしそんな事はしない。すれば自分達の首を絞めるだけだと知っているからな。行く先々の土地で信用と信頼を勝ち得てこそ、虚偽の無い真の情報が提供される。そうやって俺達は長い....本当に長い時間を旅してきた。もうかれこれ170年以上になる」

 

「170....年...。お前達3人は人間ではないのか?」

 

「違う。俺達はセフィロトという異形種だ。分かりやすく言えばアンデッドの上位種族だと思ってもらえればいい」

 

「アンデッド...それはスケルトンや伝説に聞くヴァンパイアと言った、あのアンデッドか?」

 

「そうだ」

 

「アンデッドは生者を憎むと聞く。お前達もそうなのか?」

 

「憎んでいるように見える?」

 

 ルカはそれを聞いて可笑しくなり、目を見開いておどけるように微笑んだ。

 

「....フッ、アンデッドがそんな可愛い顔をするはずがないか」

 

「まあ、俺達の話はここらへんにしよう。少しは信じてもらえたかい?」

 

「誤解するな、俺は最初からお前達3人を信じている。ただ、事情が知りたかっただけだ」

 

「そうか。ヴァシュパも少し横になったらどうだ?その間は俺達が監視する」

 

「...そうだな、そうさせてもらおう。お前達が見張っていてくれるのなら安心だ」

 

 ヴァシュパは腕を頭の後ろで組み、そのまま上体を倒して地面に寝そべった。ルカが目を上げた先には入り江が見えており、足跡(トラック)にも敵の反応はない。膝枕で横になるゼンベルの小さな寝息が耳に入り、ルカはその肩に手を乗せた。

 

───5時間後 1:37 AM

 

 月明りの下、ミキは一人御者台に座り星空を眺めていた。背後にある森からは、風に揺られて葉擦れの音や獣たちの鳴く声が微かに聞こえてくる。ルカとライル、ヴァシュパとゼンベルは馬車の中で仮眠を取っていた。焚き火の火も落としてあるので、星々と月光がより鮮明に澄み渡り、フードを被ったミキの美しい顏を照らし出している。足を組んで背もたれに寄り掛かり、憂いに満ちた目で静寂の中に佇むその姿は、月の女神と呼ぶに相応しかった。

 

 そこへ、背後から馬車の扉が開く音がした。ミキは組んだ足を降ろして左を向いたが、人影は見当たらない。しばらく様子を見ていると、御者台脇に付けられた梯子を誰かが上がってくる音がした。そして小さな蜥蜴人(リザードマン)が、ひょこっと頭だけを覗かせた。ミキはそれを見て微笑し、そっと背もたれに再度寄りかかった。

 

「ミキお姉ちゃん」

 

「ゼンベル、どうしたの?眠れないの?」

 

「ううん、もう沢山寝たから大丈夫」

 

「そう。こっちにいらっしゃい」

 

「うん、ありがとう」

 

 ゼンベルは御者台に上り、ミキの左に腰かけた。

 

「見て、ゼンベル。空の星がきれいよ」

 

「ほんとだね。僕、外でこんな時間までいた事ないから、何かドキドキしちゃって」

 

「フフ、大丈夫。私達が守ってあげるから」

 

「うん」

 

 ミキが左肩をそっと抱き寄せると、ゼンベルはそのままミキの体に寄り掛かった。柑橘系にハーブを織り交ぜたような、シプレベースで落ち着きのある大人の香りがゼンベルを包んだ。ルカとは違った温もりにゼンベルは軽くトリップ感を覚え、それに身を委ねるように目を閉じた。

 

「....ねえ、ミキお姉ちゃん」

 

「何?」

 

「お姉ちゃん達は、アンデッドなの?」

 

「....聞いていたのね、ルカ様の話を」

 

「うん....」

 

 ミキはそれを聞いて、宥めるようにゼンベルの左肩をゆっくりと摩った。

 

「私達がアンデッドだったら、怖い?」

 

 ゼンベルはふと心配になり、目を開いて上を見上げた。しかしそこには優しく微笑むミキがいる。

 

「怖くないよ、お姉ちゃん達優しいもん!」

 

「でもねゼンベル、この世界にいるアンデッド全てが、私達のように友好的とは限らない。その殆どが話の通じない、怖いアンデッドだと思っておいた方が良いわ。迂闊に近寄ったりしちゃだめよ?」

 

「う、うん、分かった...」

 

 ゼンベルは俯き、地面につかない足を振って落ち着きなくパタパタさせた。

 

「なあに?まだ何か聞きたい事があるの?」

 

「うーんとその、ルカお姉ちゃんは女なのに、何で族長とか他の人と話す時だけ自分の事を”俺”って言うの?僕の前では言わないのに」

 

「....それはねゼンベル、ルカ様は遠い昔に色々あったの。でもゼンベルと出会えた事で、ルカ様は以前にも増してとても自然に振舞えているわ。そういう意味では、あなたには感謝しなくちゃね」

 

「んー、よく分からないけど、分かった。あまり深くは聞かないよ」

 

「ありがとうゼンベル」

 

 その直後、ミキの脳裏にレッドアラートが鳴り響いた。敵数1、北西の方角約1.8キロ。その動きから恐らくは湖畔沿いに、何者かが高速でこちらへ接近してきている。ミキは背後を振り返り、馬車の中に続く窓を静かに開けた。

 

「ルカ様、ライル!」

 

「ああ、起きてるよ。やっとおいでなすったな」

 

「いかがいたしましょう、こちらから先制しますか?」

 

「まあ待て、今外に出る」

 

 馬車の扉が開き、ルカとライルは音もなくユラリと地面に降り立った。それに続いてヴァシュパも飛び降りる。ミキに促され、慌てて御者台の梯子を下りるゼンベルの背後から、ルカは両脇を掴んで抱き上げ素早くヴァシュパの前に降ろした。ミキも御者台から飛び降りてルカの前に立つ。ヴァシュパは腰に差したマチェット2本を引き抜いて周囲を見渡し、ルカに尋ねた。

 

「どこだルカ?どこに敵がいる?!」

 

「ほーら慌てないのヴァシュパ。あそこ、暗いけど見える?。入り江の脇にある石畳に隠れてるけど、あの向こうからこちらに接近してきている。数は1」

 

「そ、そんな遠くの敵を察知出来るのか?」

 

「まあね。ヴァシュパはここでゼンベルを見ていてくれ。俺達3人で入り江に向かう」

 

「そういう訳には行かない!俺も戦士だ、お前達と共に戦う」

 

「ぼ、僕も!」

 

「だめだ。戦闘になる公算が高い、危険すぎる」

 

竜牙(ドラゴンタスク)族の族長として、俺はあの村を守る義務がある。お前達ばかりに頼りっきりでは、村を代表する者として申し訳が立たん!」

 

「....死ぬよ?」

 

 無表情でヴァシュパを見つめるルカの体から、ユラリと黒いオーラが立ち昇った。その途端、氷の剣山で突き刺されたかのような感覚が全身を襲う。戦いに行くまでもなく、死は目の前にあった。初めて向けられたルカの凝縮された殺気にヴァシュパとゼンベルは凍り付いたが、二人とも歯を食いしばり、辛うじて必死に踏みとどまっていた。しかしそれを受けても尚、二人の目に宿る決意は固い。ルカはその様子を見て諦めたかのように首を横に振ると、溜息混じりに殺気を解いた。ヴァシュパとゼンベルは一気に体が弛緩し、乱れた息を整えようと喘ぐように肩で呼吸する。

 

「....仕方ない、見ているだけなら許そう。あの入り江の右にある大きな石畳、あそこの岩陰に身を隠していろ。但し絶対に声を出すな。一気に走るぞ、付いてこい」

 

 そう言うとルカ達3人は入り江に向かって疾風の如く駆け出した。ヴァシュパとゼンベルもその後を追って走り出すが、恐るべき速度で移動するルカ達3人を前に、みるみる距離が開いていく。2人はそれを追いかけ500メートルを全力疾走して、息も絶え絶え岩場まで到着した。既に岩陰に身を隠していたルカ達は息一つ切らしていない。ヴァシュパとゼンベルの呼吸が整うのを待って、ルカは小声で話しかけた。

 

「これから奴さんがどう出てくるかを確認する。お前達2人は何があってもここから動くな。俺達3人だけで相手する、いいな?ヴァシュパ、ゼンベル」

 

「わかった」

 

「お姉ちゃん、気を付けてね」

 

 ルカはゼンベルに笑顔で返すと、岩陰から立ち上がった。そして3人はお互いに距離を取り、口を揃えて同じ魔法を詠唱した。

 

部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)

 

 すると3人の横に空間の裂け目が口を開け、その等身大の暗黒空間がルカ達それぞれの体を包み込んでいく。そしてその裂け目がピタッと閉じると、影も形も気配さえも、完全に掻き消えてしまった。

 

「き、消えた....」

 

「そんな....ルカお姉ちゃん?!」

 

 ゼンベルは唐突に不安になり周囲を見渡すが、そのどこにも3人の影はない。それならば正面と、ゼンベルは石畳を上り恐る恐る顔半分を出した。上空の月明りに照らされて、入り江の真っ白な砂浜がその光を反射し、全貌がはっきりと見て取れる。しかしその砂浜にもルカ達の姿は無い。ゼンベルに釣られてヴァシュパも石畳を上り、顏だけを出して入り江を見渡した。二人はこれから何が起きるのかという不安に駆られ、ゴクリと固唾を飲む。

 

 その時だった。(ザザザザ!)という音を立てて、入り江を挟み向かい側にある石畳の上に、何者かの大きな影が姿を現した。2人はそれに気づき、咄嗟に頭を下げる。岩の陰に隠れて光が届かず、未だその全様が見えないが、ゼンベルは目を凝らしてその影を凝視した。ここから見ると人型に見えるが、それにしては不安定にユラユラと左右に揺れ、周囲を伺っている様子だ。やがてその影は石畳の先端まで移動し、何故か湖の沖を食い入るように見つめていた。そして....

 

「キィィィィイイイイイイヤアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 まるで高周波の超音波発生器を、出力最大で直に鼓膜に当てられているかのような、恐ろしい程の巨大な絶叫を上げた。その不快かつ耳障りな高周波はヴァシュパとゼンベルの思考を完全に停止させ、2人共それから逃れようと耳を塞いだ。しかし空気の振動がそれを許さず、手で塞いでいるにも関わらずそれを突き抜けて鼓膜をビリビリと震わせてくる。ゼンベルは歯を食いしばりながら音の発生源に目を向けた。その影は頭を掻きむしるような動作をしながら、湖の沖に向かって絶叫を上げ続けている。その衝撃波とも呼べる強烈な音波は岩場に反射し、ジェット機の爆音の如くうねるような位相の崩れ(フランジエフェクト)を引き起こしていた。鼓膜の表と裏がひっくり返されるような不快極まりない感覚に耐えながら、ゼンベルとヴァシュパはその影を睨みつけていた。

 

 その殺意と怒号に満ちた絶叫がようやく止み、石畳の上に立つ影は項垂れるように上体を下げた。怒りを全てぶちまけたのか、肩で呼吸しているようで息が荒い。そしてその影は背後を振り返り、石畳の上から滑り落ちるように、入り江の砂浜へと降り立った。月明りに照らされ、そこで初めてその者の姿が露わになる。ゼンベルは見た。上半身には金色に光るブレストプレートを装備し、腰の両脇には鈍く光るエスパーダを一本と、真っすぐ伸びた刀身が途中から半月状に曲がりくねった巨大なクノペシュを一本ぶら下げている。そしてその外見を凶悪と決定付けているのが、頭部と下半身だった。その者の髪の毛は全てが蛇で構成されており、本体の意思とは無関係に無数の蛇が体をうねらせている。下半身は見るからに強靭そうな筋肉質の蛇体で、頭部から尾の先を含めると7メートル強はあるかと思われる。先ほどの絶叫とその者の胸部の膨らみから、女性であると判別できた。蛇の毛髪に気を取られがちだが、顔立ちは非常に美しく、月の光を浴びて砂浜に静かに佇んでいた。あの耳障りな絶叫さえなければ、ヴァシュパとゼンベルには神々しく映っていたことだろう。

 

 その者が首を横に振り、諦めたように入り江の湖水に体を沈め、遠浅の湖岸をゆるゆると進み始めた、その時だった。突如その蛇体の背後にルカ・ミキ・ライルが姿を現した。ゼンベルは瞬きをしていなかった。にも関わらず瞬間的にルカ達3人はパッ!と姿を現し、白い砂浜に立っていたのだ。隣で見ていたヴァシュパもその様子を見て、空いた口が塞がらずにいた。ルカはその場から微動だにせず、その蛇体に呼び掛けた。

 

「...よう、蛇髪人(メデューサ)

 

 突如呼びかけられた蛇体は歩みを止め、体をくねらせて(シュルン!)と滑らかに背後へ体を向けた。湖水に長い下半身を浸しながら、威嚇するようにユラリと上半身を高く上げて左右に振り、ルカを見下ろした。

 

「....何だ貴様?(わらわ)の背後を取るとは」

 

「そんな事はどうでもいい。ここで何をしている?」

 

「貴様が知る必要はない。たかが人間風情が」

 

「へえ、人間に見えるんだ?」

 

「....まさか...妾の呪詛を砕いたのは、貴様らだと言うのか?」

 

 ルカはそれには答えず、ニヤリと笑みを返した。それを見て蛇髪人(メデューサ)は警戒する。左右に控えているミキとライルはその場から動かず、しかしいつ襲い掛かってもおかしくないような緩い殺気を蛇髪人(メデューサ)に当て続けていた。ルカは問い返す。

 

蜥蜴人(リザードマン)達を皆殺しにするつもりだったのか?」

 

「知れた事を。貴様には関係ない、即刻この場を立ち去るがよい」

 

「そういう訳にも行かないんだよな、蛇髪人(メデューサ)。あの村とは友好関係を築けたんでね。答えないのなら、その時はお前が死ぬだけだ。言え、何が目的だ?」

 

「.....妾を殺すとな?クク、大言壮語も甚だしい。あんなちっぽけな竜牙(ドラゴンタスク)族の為に、その命をむざむざ投げ出そうというのか。しかしまあ....面白い。良いだろう教えてやる。全ては竜牙(ドラゴンタスク)族に伝わる秘宝の為よ」

 

「秘宝だと?」

 

「何だ、貴様らもそれを狙って来たのではないのか? ”酒の大壺”。どれだけ飲み尽くしても無限に酒が湧いてくるという、伝説のアイテム。妾はそれを奪いに来たまでじゃ」

 

「へー、あの酒がそうだったのか。で?お前はそこまでして酒が飲みたいのか、蛇髪人(メデューサ)?」

 

「...妾は酒は嗜まぬ。我が主があの大壺を欲しているのでな。献上する為の品よ」

 

「その主ってのは誰だ?」

 

「貴様如きが知る必要はない」

 

「.....成程。リュラリュース・スペニア・アイ・インダルン。西の魔蛇とか呼ばれているあいつか」

 

「?! 貴様、何故それを.....」

 

「さあ、何でだろうね?当ててみなよ」

 

 ルカの赤い瞳が爛々と輝き、ニタリと極悪な笑みを浮かべた。その射抜くような目を見た蛇髪人(メデューサ)は何かに気付き、顏がみるみる戦慄に染まっていく。

 

「わ、妾の心を読んだな....ただの人間ではあるまい、何者だ貴様!!」

 

「そこまで気づいていながら、まだ分からないの?読心術(マインドリーディング)を使える奴が、ただの人間な訳がないだろう」

 

読心術(マインドリーディング)だと....?ま、 まさか貴様、ヴァンパイアか?!」

 

「惜しい!惜しいねー。でもまあ、当たりって事にしといてやるよ。ついでだ蛇髪人(メデューサ)、もう一つ質問に答えろ。リュラリュースの配下に、お前と同じ種族は他にいるか?」

 

「フン!あのお方に仕える蛇髪人(メデューサ)は妾ただ一人。誉れ高き我が一族の力、下等ヴァンパイア如きが及ぶとでも思っているのか!」

 

 蛇髪人(メデューサ)は両脇に差したエスパーダと禍々しいクノペシュを素早く抜刀し、腰を落として切っ先をルカに向け、2本の剣を水平に身構えた。

 

「そこまで分かれば十分。さて、残念だ。お前との話、楽しかったよ。だが今日ここでお前は死ぬ。逃れたければ、最初から全力でかかってこい」

 

 そう言うとルカも2本のロングダガーを抜き、両方を逆手に握り身構える。

 

「クク、切り刻む前に名を聞こうヴァンパイアよ。我が名はジネヴラ・パル・エウリュアレー」

 

「ルカ・ブレイズだ。名乗っても意味がないと思うがな」

 

「笑止!魔法上昇(オーバーマジック)毒の刃(ポイズンブレード)鎧強化(リーンフォースアーマー)下級敏捷力増大(レッサーデクステリティ)抵抗突破力上昇(ペネトレートアップ)

 

「毒Procか。ならこっちは...武器属性付与・炎(アトリビュート・フレイムアームズ)暗い不屈の精神(ダークフォーティチュード)器用さの祈り(プレーヤーオブデクステリティ)殺害者の焦点(スレイヤーズフォーカス)

 

 両者の体が光に包まれ、バフをかけ終わる。10秒程睨み合いが続いたが、先に仕掛けたのはジネヴラだった。全身の筋肉を強張らせ、蛇体の下半身をバネのように弾き飛ばしてルカに突進する。5メートルはあった距離が一瞬で詰まるが、ルカは腰を落とし身構えたまま微動だにしない。ジネヴラは左上方へ体を捻り、ルカに剣を振り下ろした。

 

痛恨の刀傷(ペインフルカット)!」

 

 全体重をかけ、その巨体に似合わぬ素早さで5連撃の武技を放つが、(ガギギギギィン!)という鋭い音と共に、ルカはロングダガーで全ての攻撃を受け止めた。首を傾げながらジネヴラを見つめるルカの体は、最初の位置から小揺るぎもしていない。

 

「どうしたジネヴラ、こんなものか?」

 

 

「おのれ小娘、生意気な!回転斬撃(ホイーリングスラッシュ)!!」

 

 今度は体を高速で右に回転させ、逆袈裟にルカの腰から上を狙っての7連撃を放つが、それも真正面からルカは全て受け切ってしまった。ジネヴラは後方に飛び退いて距離を取り、ルカの左右に立つミキとライルを確認するが、直立不動のまま加勢する様子がない。見ると攻撃を受けたルカの右腕に、緑色の靄のようなエフェクトがかかっていた。それを見てジネヴラは歓喜する。

 

「クハハハ、妾の毒を食らったな!そのまま苦しみもがきながら死んでいくがいい!」

 

 しかしルカは平然と右腕をさすりながら、ジネヴラを見据えて独り言のように口を開いた。

 

「...んー、低位のProcだとダメージはこんなものか。Proc発生確率は5%といったところだな。わざわざパッシブディフェンスを切ってまで攻撃を受けてたんだけど...もういいか、毒素の除去(ディスペルトキシン)

 

 ルカの体が青白く光り、右腕の靄が瞬時に掻き消えた。それを見てジネヴラは唖然とする。

 

「早く奥の手出さないと、こっちから攻撃するよ?」

 

「ふ、ふざけた真似を....よかろう。そんなに死にたければ殺してやる。麻痺(パラライズ)!」

 

(ビシャア!)という音と共に、ルカの体を灰色のエフェクトが包む。そしてジネヴラは目を見開き、続けざまに魔法を詠唱した。

 

石化の視線(ペトリファイ)!」

 

 ジネヴラの両目から、射角30度・10メートルほどに渡って扇状に光が放たれたが、次の瞬間ルカの姿がその場から掻き消えてしまった。慌てて周囲を見渡すと、石畳のある右後方にルカは立っていた。

 

「...バカな!麻痺(パラライズ)を受けて一体どうやってそこまで動いた?!」

 

「俺達に麻痺(スタン)は効かない。残念だったな」

 

「...クク、しかし妾の石化は苦手と見える。魔法上昇(オーバーマジック)石化の視線(ペトリファイ)!」

 

 ルカは回避(ドッヂ)で左へ躱すが、光を連続照射しながらジネヴラは素早くルカの後を追ってくる。その光は先程よりも広範囲に渡り、ライルとミキは光の届く範囲外まで後方に飛び退いたが、それには目もくれずジネヴラはルカのみを執拗に追い回した。しかしルカの鉄壁の回避(ドッヂ)の前にはかすりもせず、息を切らして追うのを諦めた。

 

「ハァ、ハァ....おのれちょこまかと...貴様逃げるだけか?何故攻撃してこない!」

 

「それはね...──────」

 

 ジネヴラの視界から唐突にルカの姿が消え去った。前方左右にも、後方を振り返ってもその姿は見当たらない。咄嗟に剣を身構えたその時、ジネヴラの背中にズシ!と何かがのしかかり、後方から蛇の髪を引っ張られて頭が上にのけ反った。無詠唱化した部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)が解除され、ジネヴラの背中には胴体に足を絡ませたルカが抱き着いていた。首の後ろにはロングダガーを当てられ、体も強力に固定されたジネヴラはもはや身動き一つ取れない。ルカはジネヴラの耳元で囁いた。

 

「お前をこうしてノーダメージで捕える為さ。動きが鈍るのを待ってたんだ」

 

「くっ! わ、妾をどうするつもりだ」

 

「その前にもう一つだけ質問だ。お前の仕掛けた多重魔法陣、石化の大害(カースオブペトリファクション)を使って、村人達を徐々に弱らせてから殺すつもりだったのか?」

 

「な...何故お前が我ら蛇髪人(メデューサ)にしか伝わっておらぬ秘術を知っているのだ?!」

 

「いいから答えろ」

 

「...そ、そうだ。リュラリュース様から命じられてな。いくら妾とて、蜥蜴人(リザードマン)達に徒党を組まれては、負けはしないにせよ万が一という事もある。村の大半が石化した頃を狙い、妾自らが襲撃をかけるつもりでいたのじゃ」

 

石化の大害(カースオブペトリファクション)は、一度その毒を口にしたら術者が解呪してもその効果が消える事は無い。そうだな?」

 

「そこまで知っているとは....お主は一体?」

 

「.....何故そんなバカな事をしたんだ。魔法陣が俺に破壊された時点で、こうなる事を予想もしてなかったのか?」

 

「クク...もちろん妾とて覚悟はしていたさ。だが我が主の命は絶対じゃ。あのお方には逆らえん」

 

「そうか。ジネヴラ・パル・エウリュアレー。お前に恨みはないが、ここで死ね」

 

「....ああ。楽に頼むぞ、ルカ・ブレイズ」

 

 その刹那、目にも止まらぬ速さでエーテリアルダークブレードを滑らせ、音もなくジネヴラの首が瞬断された。両手に持った2本の剣が地面に落ち、上体が力を失ってその場に倒れ込んだ。それを見るが早し、ルカは中空に右手を伸ばして、アイテムストレージから銀色に輝く壺を3個取り出して地面に並べた。それを見て近寄ってきた二人に指示を飛ばす。

 

「ミキ!お前に分けた壺を2つとも全部出せ。ライル、蛇髪人(メデューサ)の体を持ち上げて壷に注ぎ込め。猶予はは5分間だ、急げ!」

 

 そう言うとルカは壷の蓋を開け、左手に持ったジネヴラの頭部切断面を壷の口に持っていき、未だドクドクと垂れる真っ赤な血液を中に注ぎ込んだ。ライルも、力に物を言わせてジネヴラの蛇体と上半身をまとめて持ち上げ、首切断面を壷の口に注意深く当てた。切断された直後とあり、まるで滝のように血が壷に注がれていく。

 

 そして5つの壷にジネヴラの血液が満たされると、ルカは全ての壷に銀の蓋をした。その直径30センチ程の壷に手を置き、ルカは大きく溜息をついて納得したように頷いたが、その直後だった。背後に打ち捨てられたジネヴラの体が急激に燃え上がり、みるみるうちに炭化して灰となり、砂浜の上に脆くも崩れ去った。

 

「OK。ミキ、ライル、お疲れ」

 

「ミッションコンプリートですね、ルカ様」

 

「かの伝承は正しかったと言う事ですな」

 

 ルカが胡座をかく左右に、ミキとライルもそっと片膝をついた。三人とも満足そうに、目の前にある5つの銀の壺を眺めている。一部始終を見ていたヴァシュパとゼンベルは、蛇髪人(メデューサ)が倒されたのを見て恐る恐る岩陰を登り、ルカ達の様子を伺った。それに気付いたルカが、二人に向かって大きく手招きする。「もう安全だ」と言わんばかりの優しい笑顔を見て、ゼンベルははち切れんばかりに嬉しくなり、石畳を駆け下りた。

 

 優しいルカが戻ってきた、それだけでゼンベルは嬉しかった。あの時の怖いルカはほんの一面に過ぎない、僕たちを守るために仕方なくやったことなのだと、子供心ながらに理解していた。そしてゼンベルの目の前で、自分ではとても敵わない──いや、どんなに強い蜥蜴人(リザードマン)でも太刀打ち出来ないような強敵を、言葉通り討ち滅ぼした。

 

 ゼンベルは胡座をかくルカに抱きついた。感極まり、目には涙が滲んでいる。

 

「やったんだねお姉ちゃん!これで村のみんなも病気が治るんだね?」

 

「ああ、治るよゼンベル。もう安心していい」

 

「じゃあ早く村に帰ろう?祭司様もきっと心配してるよ」

 

「あー、それなんだけどゼンベル、もう少し待っていてもらってもいいかな?」

 

「いいけど、何で?」

 

「お姉ちゃんにも、大事な用があるんだ」

 

「うん、分かった」

 

 ゼンベルはルカの隣に座り、空を見上げていた。月と星が砂浜を照らしているおかげで、暗闇の恐怖はない。そこにルカ・ミキ・ライルの3人が居てくれるのなら、尚更だった。右側の石畳から、ヴァシュパが砂浜に降りてきた。ルカ達3人が月明かりの下座る中で、ヴァシュパは目を疑う光景を目にする。

 

「おい、ルカ...その足の間に大事そうに抱えているものは一体何だ?」

 

 そこにあったもの。それは先程ルカ自身が首を跳ねた蛇髪人(メデューサ)の頭部だった。両手で顎を支え、脛の上に乗った切断面からは血が滴り落ち、そのせいでルカの座る地面が赤く円形に染まっていた。先程戦っていた時とは違い、その美しい顔は眠るように目を閉じ、頭部の蛇も微動だにしていない。そう言われてゼンベルも目を向けた。ルカばかりに目が行き、その禍々しい生首に改めて気が付いたことで、咄嗟にその場を立ち上がり後ずさった。2人が慌てているのを見て、ルカは何者かに話しかける。

 

「...おい、いい加減寝たふりはよせ。起きろ」

 

 ルカが生首を揺すると、ジネヴラの目がゆっくりと開き、蛇の髪がざわざわと動き始めた。それを見てルカは生首の顔を自分の方に向けて持ち上げ、向かい合うようにした。蛇の髪がルカの腕に絡みついてきたところで、ルカは頭部を支える手にミシリと力を込めた。

 

「妙な真似をすればこのまま頭を粉々に砕く。いいな?」

 

「お主...気づいておったのか」

 

「まあな。以前...といっても随分昔だが、お前と同じ蛇髪人(メデューサ)と戦った事があってな。蛇髪人(メデューサ)にしか伝わっていない呪詛と、それを解呪するために必要な血の効果、そして首を切り落とせばその頭がアイテム属性に変わり、生き続ける事を知ったのは、その時だ。あれはいつだったか...もう130年以上前の話になる」

 

「何と、そこまで知っておったとは...。妾の、いや我ら蛇髪人(メデューサ)の血は腐るのが早い。血は取り出したのか?」

 

「ああ。見えるか?お前の血を入れたこの銀の壺は、不廃の壺という特殊なアイテムでな。この中に物を入れれば、それが例えどんなに腐りやすいものでも何十年、何百年と保存できるんだ。ここより遥か南東にある、八欲王の空中都市ってわかるか?」

 

「無論、存じておる」

 

「なら話は早い。そこにある居城の宝物殿に侵入した際に、手土産として5個ほど頂戴してきたものさ。まさかこんな所で役に立つとは思っても見なかったが」

 

 それを聞いたジネヴラの顔に、困惑の表情が浮かんできた。

 

「ルカ...といったな。お主、ヴァンパイアでないと言うのなら、一体何だというのだ?そのような長き時を生き長らえて、一体何をしようと言うのだ?」

 

「俺達はセフィロトという、言ってみればヴァンパイアの上位種族だ。しかしその本質は異形種であり、お前達と何も変わらない。何をするのかという質問だが、ジネヴラ。俺達は元々この世界の者じゃないんだ。分かりやすく言えば、別の世界から強制的にこの世界へと転移させられてきた。だから俺達は、元の世界に帰るための鍵を探して、長い旅を続けている。...済まない、この話は長くなる。もし俺達と共に来るなら、その時はお前に全てを話そう。だが来ないというのなら、残念だが痛みの無いようお前を消し去る。君が決めてくれていいよ、ジネヴラ」

 

 それを聞いたジネヴラの頬に涙が伝った。ルカは赤子を抱えるように頭部を胸元へと抱き寄せ、マントの裾で涙を拭った。

 

「わ、妾もお前達と共に行っても良いと?」

 

「ああ、もちろんだジネヴラ」

 

「..しかし妾を連れて行くというのなら、乗り越えなければならない試練がある。ルカ、お前が妾を使いこなす力を持っているかどうかを、今ここで試さねばならぬのじゃ。下手をすれば命を落とすかもしれん。それでも良いのか?」

 

蛇髪人(メデューサ)の仕来りってやつだね。いいよ分かった、受けて立つよ」

 

 ルカは立ち上がり、湖のある方角へと体を向けた。

 

「良いか、まず妾の髪を持て。そしてお主の持てる魔力を妾に注ぎ込むのじゃ。妾はそれを吸い取り、その術者の持つ魔力の強さに応じて力を発揮するであろう」

 

「分かった、やってみる」

 

 ルカが掴もうとすると、それを察したかのように蛇の髪がルカの指に絡みつき、頭部に固定された。そのまま持ち上げてジネヴラの頭を湖の沖に向かって掲げ、スゥッと息を吸い込み、魔法を使う感覚で右腕に意識を集中させ、体内の魔力を一気に流し込んだ。するとジネヴラの目がカッと見開き、射角50度近い広範囲に渡って石化の光線が断続的に放射された。ルカ自身は平然としており、腕を左右に振ってその射程距離を確認している。そして魔力の流れを止めて、ジネヴラの頭部を自分の胸元に寄せて側頭部を支えた。指に絡みついた蛇もそれに合わせるように解けていく。

 

「なるほど、射程100ユニットってとこかな。これだけ広範囲に石化できれば、かなりの戦力になるね」

 

「ル、ルカ!お主、体は何ともないのか?」

 

「ん?いやまあ、確かにMP消費は激しいけど、このくらいなら誤差の範囲内だね」

 

 笑顔で答えるルカを見て、ジネヴラは驚愕の眼差しを送っていた。

 

「...お主の魔力を受けてみてよく分かった。ルカ、お前は我らでは想像もつかぬ力を秘めているのだとな。妾など到底足元にも及びはせぬ」

 

「じゃあ、試練は合格って事でいい?」

 

「もちろんじゃ。お前の力の前には、我が主リュラリュース様でさえ一撃の元に斬り伏せられよう。しかし今となってはそんな事はどうでも良い。お前がどこへ行くのか、お前が何をするのか、妾はこの目でしかと見届けたい。ルカ、お前を我が主と認める。妾を好きなように使ってほしい」

 

「よし、交渉成立だね。じゃあ俺達はあの村に戻るから、みんなを怖がらせるといけないし、アイテムストレージの中に入っていてくれるかな?」

 

「アイテムストレージ? 何の事が妾にはわからぬが、そこにいれば良いのだな。承知した」

 

 ルカはジネヴラの側頭部を持ち中空に手を伸ばすと、暗黒の穴がポッカリと開いた。その中にそっとジネヴラの首を収め、穴が閉じる。

 

「ふー」と溜息をつくと、ルカは湖の中に入り、脛についたジネヴラの血を洗い流して砂浜に戻ってきた。完全に置いてけぼりにされた形で今までの様子を見ていたヴァシュパとゼンベルだったが、ルカはそれには構わず砂浜に置かれた不廃の壺を手に取り、アイテムストレージに収めていく。それが済むとルカは立ち上がり、ゼンベルたちの方へ振り返った。

 

「さて、帰ろうか!」

 

「帰ろうって...お前、その蛇髪人(メデューサ)の首はどうするつもり....」

 

「この子は俺達が管理するから、心配ないよ。それに村人たちがこの首を見たら、みんな怯えちゃうだろう?」

 

「ルカお姉ちゃん、本当に大丈夫なんだよね?」

 

「ゼンベルもお姉ちゃんと蛇髪人(メデューサ)の話聞いてたでしょ?もう大丈夫だからそんなに心配しないの」

 

「さっきの壺に収めた血で、村人たちの病気は治るんだな?」

 

「その通り。そうと分かったらほら、みんな馬車まで戻ろう。俺もさすがに眠いふぁ~あ」

 

 ルカは大あくびをして馬車の方へ歩き始めた。それにミキ・ライル・ゼンベルと続いたが、ヴァシュパは心配そうに湖を見渡していた。しかし首を横に振って雑念を払い、ヴァシュパも後に続いた。

 

 

 ───竜牙(ドラゴンタスク)族の集落 3:50 AM

 

 

 ルカ達は無事に村へと戻りゼンベルの家へ転がり込むと、心配していたゼンベルの両親達が出迎えてくれた。無事に帰ってきたゼンベルを見て両親は安心していたが、ルカは用意されていた枕に頭を乗せると、マントも脱がずに寝てしまった。

 

「ほらルカ様!マントくらいお脱ぎになってから寝てください」

 

「ん~、脱がせて~」

 

「全くもう...」

 

 ミキは半ば呆れつつも、優しい笑みを浮かべながらルカの首元にあるカフスボタンを外し、スルリとマントを取り去った。そして麻の布団をかけると、ルカは寝息を立てて熟睡に落ちてしまった。それを見てライルが心配そうにミキに声をかける。

 

「...余程お疲れのようだな」

 

「ええ、あの首のせいかも知れないわね」

 

「しかし彼の地で得られた伝承は、これで誠と知れたわけだ」

 

「...アベリオン丘陵。ひょっとしたらあそこには、また行かなければならないかもしれない」

 

「そうだな。ミキ、お前も少し休んだらどうだ。寝ずの番で気を張っていただろう」

 

「今日は随分と優しいのね。あなたこそ体が動かせなくて逆に疲れたんじゃない?」

 

「ああ。暴れたりないが、ルカ様が自ら動いた結果が今日の成果だ。俺は体力が有り余っている、お前が先に休め」

 

「じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらおうかしら」

 

「うむ。ヴァシュパ、済まないが俺に酒を少々いただけないだろうか?」

 

「あ、ああ!分かった、今すぐに持ってくる」

 

 ヴァシュパが颯爽と外に出ていき、ルカが寝る隣にミキも横になった。ルカもそれを無意識に感じてか、ミキのいる方に寝がえりをうち、腰に手を回して抱き着くようにスヤスヤと寝息を立てていた。先程の光景を見てすっかり目が覚めてしまったゼンベルは、床に胡坐をかくライルの元に歩み寄り、隣に腰かけた。

 

「ねえ、ライルお兄ちゃん」

 

「ん?何だゼンベル」

 

「あの首を取りに、この村に来たわけじゃないよね?」

 

「それはそうだ。原因が蛇髪人(メデューサ)だったのは単なる偶然。俺達がそれを知る余地はなかった」

 

「そ、そっか。なら安心した」

 

「何だ、そんな事を心配していたのか?」

 

「だってお兄ちゃん言ってたじゃん、伝承は本当だったとか何とか...」

 

「あの話か。いいだろう教えてやる。俺達はその昔、アベリオン丘陵という土地に行った事があってな。知っているか?」

 

「ううん、知らない」

 

「大人達に聞いてみるといい。きっと知っている。そこで俺達は、蛇髪人(メデューサ)だけが住まう小さな集落を発見してな。その村の長に聞いた、蛇髪人(メデューサ)に関するとある伝承があったんだ。聞きたいか?」

 

「うん!」

 

「”祖を打ち滅ぼさんとする者、必ずやその身に呪いを受けるであろう。祖を打ち滅ぼさんとする者、例え首の一つとなりとてその者に復讐を果たすであろう。呪いを解きたくば、その血を捧げよ。怨念を解きたくば、その手で殺した我が血族にその力を示さん。汝が力を我が血族が認めた時、祖はそなたの死と引き換えに我が血族の力を与えるであろう” とな。これが蛇髪人(メデューサ)に伝わる伝承の一部だ」

 

「な、何か...すごい...」

 

 ゼンベルの背中に悪寒が走りつつ、今まで起きた事と関連性がある事に気づき、妄想がどんどん膨らんでいった。そこへヴァシュパが酒瓶を持ってゼンベルの家に入ってきた。以前と違い、特大の酒瓶を抱えている。

 

「待たせたなライル、お前ならこのくらいが丁度良いと思ってな」

 

「済まないなヴァシュパ。さあ、お前も盃を取れ」

 

「ああ。でもまずはお前からだ」

 

 ヴァシュパは床に置かれた盃をライルに手渡すと、トクトクと酒を注ぎこんだ。ヴァシュパは手酌で自分の盃に酒を注ぐと、ルカやミキを起こさない程度に、静かに乾杯した。ライルはそれを一気に飲み干し、それを見てヴァシュパもぐいっと盃をあおる。酒が進んできた所で、ヴァシュパが質問した。

 

「それで、明日はどうする?」

 

「当然、今日手に入れた血を村人達に一口ずつ飲んでもらう。そうすれば、石化のバッドステータスは解呪されるはずだ」

 

「そ、そうか。何やらお前達には世話をかけっぱなしだな。族長として申し訳が立たん」

 

「気にするな。全てはルカ様のご意思。俺達はただそれに付き従い、ルカ様をお守りするのみだ」

 

「それで、この後はどうするんだ。また旅に出るのか?俺達としては、いつまででもお前達にこの村にいて欲しいくらいなんだが」

 

「明日次第だな。とりあえずは、村人たちを全て治してやらなければな」

 

「そうだな。それが第一だ」

 

「よし。俺も酒が飲めたし、一寝入りするぞ。ヴァシュパ、ゼンベル、お前達も休め。明日は忙しくなるぞ」

 

「ああ、そうしよう。ゼンベル、お前も早く寝るんだぞ」

 

「うん、ありがとう族長」

 

 ライルは部屋の左隅に横になり、ヴァシュパは自分の家に帰った。ゼンベルはルカのいる右隣に横になり、麻の布団をかけた。未だ全てが解決したという実感が湧かず、地に足がつかない気分だったが、ミキに抱き着いて寝るルカを見てそれが本当なのだと自分に言い聞かせ、ゼンベルも眠りに落ちた。

 

 ───竜牙(ドラゴンタスク)族の集落 12:50 PM

 

 

 蜥蜴人(リザードマン)の村人達が井戸の前に列を組み、祭司の老婆が見守る中でルカ・ミキ・ライルがスプーンを持ち、直径30センチほどある銀色の壺から小さじ一杯程度にジネヴラの血を掬い、順々に村人たちに飲ませて行った。「苦い」という事で蜥蜴人(リザードマン)達は顔をしかめたが、呪詛にかかっていた者達の体が飲んだ瞬間銀色に輝き、感染と石化毒のバッドステータスが次々と解除されていった。それを飲んだ村人たちは体調が元に戻ったことを感じ、皆歓喜の声を上げている。念のため石化の効果が現れていない村人たちにも血を飲ませ、続いて身動きが取れないほど石化が進んだ家を一軒一軒周り、それぞれにジネヴラの血を飲ませた。やがて村内全ての治療が完了し、ルカ達は族長であるヴァシュパの家へと案内された。時刻は14:38。敷地はゼンベルの家よりも広く、集会所としても使えそうな間取りだった。そこにルカ達3人、ヴァシュパ、祭司、ゼンベルが床に座った。ヴァシュパが畏まり、床に拳を付いて深々と頭を下げた。

 

「感謝する、ルカよ。お前達がいなければ、俺達竜牙(ドラゴンタスク)族は確実に滅びていた。お前の知る過去の叡智に、俺達竜牙(ドラゴンタスク)族は深く感謝する」

 

「いや何、いいんだって。蛇髪人(メデューサ)の事を蜥蜴人(リザードマン)が知らないのも当然だ。それよりもその、肝心な情報の事なんだけど...」

 

「ああ、当然だ。今俺の後ろに見えているあの壺こそが、竜牙(ドラゴンタスク)族に代々伝わる秘宝、”酒の大壺”だ」

 

 ヴァシュパが振り返ると、部屋の最奥部が祭壇のようになっており、そこに高さ1メートルほどの大きなカーキ色をした壺が置かれていた。ルカがそこに歩み寄り壺の中を覗くと、アルコール特有のツンとした香りが漂い、中には透明度の高い酒が並々と湧き出でていた。

 

「ヴァシュパ、この壺を鑑定してみてもいい?」

 

「ああ、もちろんだ」

 

「ありがとう。道具上位鑑定(オールアプレイザルマジックアイテム)

 

 

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アイテム名 :酒の大壺

 

使用可能クラス制限 : ???

 

アイテム概要 : どれだけ汲みだしても尽きる事のない酒が湧き出でる大壺。酒を司る大神バッカスがその由来とされているが、詳細は不明。味はおざなりにも良いとは言えないが、その強力なアルコール度数と共に、戦意高揚を促すステータスバフが付与される。

 

 

 

CODE:1208

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 脳裏に流れ込んでくる鑑定結果を見ながら、ルカはゆっくりと目を開けて目を瞬かせた。隣で見ていたヴァシュパが心配そうに声をかけてくる。

 

「どうだ、何かわかったか?」

 

「...え?あ、ああ。この壺の効能はヴァシュパが言っていた通りだ。しかしその後に、謎の数列が仕込まれている。ミキ、ライル、二人ともこの壺を鑑定しておいてくれ」

 

『畏まりました』

 

 2人が鑑定をしている間、ルカは中空に手を伸ばしてアイテムストレージから茶色の手帳を取り出し、そこに今見たものを書き込んでいく。

 

「ルカ様、この最後の数字は一体?」

 

「分からない...2進法? それとも12進法?あるいは何かのパスワード? しかしそのどちらもこれだけでは意味を成さない。ヴァシュパ、恐らくだがこの酒の大壺以外に、蜥蜴人(リザードマン)にのみ伝わる秘宝があるんじゃないか?」

 

 それを聞かれてヴァシュパは驚いた。

 

「何故それが...いや、お前達には隠し立てする必要もないか。お前の言う通り、蜥蜴人(リザードマン)の秘宝は全部で4つある。一つはこの酒の大壺、その他に白竜の骨鎧(ホワイトドラゴンボーン)凍牙の苦痛(フロストペイン)賢者の魔石(タリスマニックストーン)がある」

 

「この酒の大壺以外で、秘宝の在処は分かっているか?」

 

「一つを除いてな。まず白竜の骨鎧(ホワイトドラゴンボーン)鋭き尻尾(レイザーテール)族が、凍牙の苦痛(フロストペイン)緑爪(グリーンクロウ)族が、そしてもう一つの賢者の魔石(タリスマニックストーン)は、黄色の斑(イエロースペクトル)族とも朱の瞳(レッドアイ)族とも言われているが、俺達でもこの詳細は明らかではない」

 

それを聞いてルカの目が輝いた。

 

「それだけ聞ければ十分だ、ありがとうヴァシュパ。ちなみに秘宝以外での蜥蜴人(リザードマン)に関する伝承は何かあるかい?」

 

「いや、その他には何もない。別段お前達に伝えるべき伝承と言ったことはこれくらいだ」

 

「そっか、感謝するよヴァシュパ。それじゃ村人たちの様子でも見てこようかな。おばあちゃんついてきてくれる?」

 

「もちろんじゃ。同行するぞルカよ」

 

 そうしてルカ達3人と祭司の老婆はゼンベルの家を後にし、呪詛にかかった皆の様子を確認していった。最初はルカを軽蔑していた蜥蜴人(リザードマン)達も心を開き、皆がルカ達に感謝の言葉を述べていた。

 

 そしてその夜は快気祝いの大宴会となり、ルカも皆に魚をメインとした刺身の手料理を振舞う等で大いに盛り上がっていた。高々と木で組まれたキャンプファイヤーを囲みながら、皆が踊り、歌い、誰もがルカ達を英雄と認めるに疑いの余地はなかった。

 

 その中にルカも参加したのだが、不思議な四角錐をした透明のクリスタルを宙に放り投げると、そのクリスタルはキャンプファイヤーの火の上で宙に浮かび停止し、そこから重厚かつリズミックなアフリカンドラムを主体とした音楽が大音響で流れだしてきた。ケルティックサウンドにも似たそれに合わせてルカが舞い始める。その動きは徐々に激しくなっていき、情熱的かつ人間とは思えないような鋭い動きに蜥蜴人(リザードマン)の皆が引き込まれ、そして次の瞬間、蜥蜴人(リザードマン)達はその極地に達する。

 

 ルカの鮮烈な歌声が広場一帯を満たした。その歌の意味は蜥蜴人(リザードマン)達には分からなかったが、ルカの激しくも美しいダンスがその意味を物語っており、蜥蜴人(リザードマン)達はそこから意味を汲み取り、マントを羽衣のようにはためかせながら笑顔で歌うその様は、正に漆黒の女神とでも言うべき姿を呈していた。勇気が体内から湧き出でてくるような旋律。その太く鮮烈な声はただただ美しく、蜥蜴人(リザードマン)のみならず、ミキとライルの琴線にも染み通る心地よいものだった。片やその歌声に癒され、片や高揚してルカと共に踊りだす蜥蜴人(リザードマン)達と共に、熱狂が渦巻いた。初めて聞く音、初めて聞くルカの歌声。それを聞いてミキとライルは涙し、ヴァシュパとゼンベルは興奮のあまりルカの舞う隣で共に踊りだす。そして全てを歌い上げた瞬間、大喝采が起きた。

 

 皆に手を振り、ルカは照れながらミキとライルの元へ戻ると、酒をぐいっとあおった。ルカのそれに負けじと、蜥蜴人(リザードマン)達も木でできた即席の打楽器を用意し、トライバルなサウンドが広場を満たしていく。ゼンベルが目を輝かせながら駆け寄ってきた。ルカはそれを受け止めて、胡坐をかいた足の間にゼンベルを座らせた。

 

「すごいやルカお姉ちゃん!!僕何か感動した!」

 

「ありがとうゼンベル。そんなに喜んでもらえるとは思ってなかったよ」

 

「ううん、凄かったよ!やっぱりお姉ちゃんは何でも出来るんだ」

 

「フフ、そんな事はないけどね。蜥蜴人(リザードマン)に伝わっている歌とかはないの?」

 

「あるよ。子守歌みたいなものだけど」

 

「えー聞きたい!お姉ちゃんに聞かせて」

 

「うんいいよ。フンフーンフンフーン、フフフーンフンフーフン....」

 

 ゼンベルが鼻歌を歌い始め、ルカはそのコードを先読みし、メロディに合わせて合唱し始めた。それはルカの予想に反して、想像していたものとは違い非常に美しいメロディだった。やがて歌い終えると、ルカはそのメロディのあまりの美しさに魅かれ、涙を流すほどだった。

 

「はい終わり。....ってルカお姉ちゃん、何で泣いてるの?」

 

「...え?!ああ、ごめんねゼンベル、お姉ちゃんも感動しちゃった。こうやって他種族に伝わる曲って、やっぱりすごいんだね、うん。気にしないで、大丈夫」

 

 ルカはゼンベルを抱きしめ、自分の泣き顔を見られないようにゼンベルの肩に顔を埋めた。そうしている内に、ヴァシュパもルカ達の方へ歩み寄ってきた。

 

「飲んでるかルカ?.....って、お前泣いてるのか?」

 

「ああいや!ごめんねヴァシュパ大丈夫、気にしないで。ちょっと疲れちゃっただけよ」

 

「そ、そうか、ならいいのだが。何ならもう休むか?」

 

「あー、そうさせてもらおうかな。ミキとライルもいいね?」

 

「畏まりました」

 

「それでは俺も休ませてもらおう、ヴァシュパ」

 

「わかった。じゃあ先にゼンベルの家で休んでてくれ。俺も後で顔を出す」

 

「OK、ありがとう」

 

 そう言うとルカ達3人は立ち上がり、ゼンベルの家へと足を運んだ。やがて宴も終わり、ゼンベルとその両親が帰ってきた時、ルカ達3人は横になり、寝息を立てていた。それを見て安心したゼンベルは、ルカの右隣に横になり、目をつぶった。

 

 そしてその翌朝ゼンベルが目を覚ますと、ルカ達3人の姿が無かった。まさかと思い家の外に出るが、馬車の姿も見当たらない。ゼンベルは再度家の中を見渡すと、きれいに畳まれた麻の布団と共に、その脇に銀色に光る壺が2つ置かれていた。そしてその壺の下には、何かの紙切れが挟まっている。ゼンベルは恐る恐るその紙切れを開くと、そこにはこう書いてあった。

 

────────────────────────

 

Dear ゼンベル

 

 色々とありがとう。君と一緒に居れたこの数日間は楽しかった。そして君を助けた事は間違いじゃなかった。次にいつ会えるか分からないけど、その間元気で過ごしてね。

 

 

Dear ヴァシュパ

 

 俺達の事を信じてくれてありがとう。貴重な情報を教えてくれた事に感謝する。

 

 

Dear 祭司様

 

 おばあちゃん、ここに置いた不廃の壺の中には蛇髪人(メデューサ)の血が入っている。もし万が一、今後同じような病気に見舞われた人たちに使ってあげてほしい。

 

 

 それじゃあ、またね。

 

 

                          Luca・Miki・Ryle

 

 

────────────────────────

 

 

 これを見たゼンベルは手紙を握りしめて外に飛び出し、一目散に村の門を開き、その向こうに広がる湿地帯を見渡した。しかしどこにも馬車の影は無い。どうして良いかわからず、ゼンベルはヴァシュパの家まで走り、家の中に飛び込んで彼を叩き起こした。ヴァシュパは前日の酒が残っており寝ぼけ眼だったが、ゼンベルの大声と手紙の内容を見て飛び起き、一緒にルカ達を探した。しかしもうそこにいる事はなく、祭司の老婆にもその手紙を持っていったが、祭司は首を横に振り、彼らを諭した。

 

「真の英雄というのはこういうものじゃ。フラッと立ち寄り、そこにある問題を解決し、フラッと去っていく。奴らにも次の目的があるのじゃろう。多めにみてやれ、ヴァシュパ、ゼンベル」

 

「でも...でも祭司様、何故急に?!」

 

 意図せずして、ゼンベルの目は涙で満たされていた。そのゼンベルを老婆は抱き寄せる。

 

「...良いかゼンベル。お前もいつかは大人になる。この手紙にしたためられているのは、お前が立派な戦士になって欲しいという願いじゃ。それにあの3人の事だ、村人総出で見送られるなどという事は避けたかったのじゃろう。そういう気持ちを分かってこそ、立派な大人になり、真の戦士となれることなのじゃ。分かってやれ」

 

「でも、でも!最後のお別れくらい一言言いたかったのに...」

 

「ゼンベル、あの3人の事だ。またいつかフラッと出てきて、お前の前に姿を現すさ。悔しかったら、お前も英雄になれ。この村を救うほどのな」

 

 ヴァシュパはしゃがみこみ、ゼンベルの背中をさすった。そしてその15年後、逞しく成長したゼンベルは胸に旅人の烙印を押され、外の世界へと旅立つ事になる。

 

 

 ─── 現代 鋭き尻尾(レイザーテール)族の集落 21:30 PM

 

 

「何と、そのような話があったとはな。興味深かったぞゼンベルよ」

 

「ああ陛下。これが族長である俺と、この隣にいるヴァシュパ長老がルカ姉ちゃんと出会った話の全てだぜ」

 

「陛下、お分かりいただけたじゃろうか。このルカ様が陛下と共に現れたという事が、もはや祖霊のお導きとしか思えないというわしの思いが」

 

「うむ...ルカよ、今の話は全て誠なのだな?」

 

 アインズにそう促され、ルカは大事そうに両手で持っていた盃に目を落とし、口元に微笑を湛えながらコクンと頷いた。そして頭を上げると、ルカは斜向かいに座るザリュース・シャシャの腰に目を向けた。

 

「その腰に下げているのは、もしかして凍牙の苦痛(フロストペイン)かい?」

 

「え、ええそうですが」

 

「良ければ、それを鑑定させてもらってもいいかな?」

 

「もちろん構いませんとも。どうぞお受け取りください」

 

 ザリュースが料理を挟んでルカに手を伸ばし、凍牙の苦痛(フロストペイン)を手渡した。そして目をつぶり、魔法を詠唱する。

 

「ありがとう。道具上位鑑定(オールアプレイザルマジックアイテム)

 

 

───────────────────────────

 

アイテム名:凍牙の苦痛(フロストペイン)

 

使用可能クラス制限:ファイター

 

使用可能スキル制限:片手剣 75%

 

攻撃力 : 680

 

効果 : 氷属性付与(80%)、氷属性Proc発動確率10%、移動阻害(スネア)発動確率10%,

命中率上昇80%、付随攻撃力+50

 

 

耐性 :氷結耐性80%

 

 

アイテム概要 : ヨトゥンヘイムの永久凍土より切り出したとされる氷の刃。装備者の氷結耐性を大幅に上げると共に、魔力を消費して周囲を凍てつかせる氷の嵐を引き起こす(30unit  3times / day)。

 

 

 

CODE:6821

───────────────────────────

 

 

 ルカはゆっくりと目を開くと、アイテムストレージに手を伸ばして茶色のメモ帳とペンを取り出し、その内容を書き記していった。そしてそのメモ帳を、斜向かいに座るミキ、ライルにも渡して回し読みする。そしてルカの手元に手帳が戻ってくると、右隣に座るアインズが顔を覗かせてきた。

 

「何だお前達、何を読んでいる?」

 

「ああごめん、今のゼンベルの話の中で、酒の大壺を鑑定した話があったでしょ?その鑑定結果の中にある、リザードマンの四至宝に仕込まれた謎の数列が、今全部揃ったんだ」

 

「本当かそれは?」

 

「うん。酒の大壺が1208、白竜の骨鎧(ホワイトドラゴンボーン)が9526、賢者の魔石(タリスマニックストーン)が3174、そしてそこの凍牙の苦痛(フロストペイン)が6821。...フフ、皮肉だよね。現実世界へ戻った後に全部揃っちゃうなんて」

 

「その数字に何か意味があると思うか?」

 

「分からない。とにかくこれは後日検証してみよう。ごめんねヴァシュパ、ゼンベル、話の腰折っちゃって」

 

「何を言われますかルカ様。あなたの元気なお顔が見れてこのヴァシュパ、喜びの極みでございますぞ。ささ、どんどんお飲みくだされ」

 

「ありがとう。それにしても痩せすぎじゃない?最初見た時誰だか分からなかったよ」

 

「ホホ、これは耳が痛い。例の持病を患ってから、一気に痩せ細ってしまった次第ですじゃ。ミキ様、ライル様も昔と寸分違わぬ姿でお変わりなく。心底嬉しく思いますぞ」

 

「様だなんてそんな、昔と同じでいいんですよヴァシュパ」

 

「俺もだ。呼び捨てで構わない」

 

「あなた達は我らが四至宝を守ってくれた大事なお方。我ら竜牙(ドラゴンタスク)族は皆あなた達3人に今でも深く感謝しております。そのような大恩あるお方に呼び捨てなど以っての外。ここは一つこの爺めの我儘をお許しくだされ」

 

「まあ、無理にとは言いませんが...」

 

 そこへゼンベルが話に割って入ってきた。

 

「まあまあ、そんな話はいいじゃねえか長老!それよりルカ姉ちゃん、急に姿を消してから、あの後一体何処へ行っちまったんだ?」

 

「ん?えーとね、あの時はトブの大森林の調査が途中だったから、まずはそこを片付けて、その後はヴァシュパから聞いた蜥蜴人(リザードマン)の四至宝を探しに行ったかな、確か」

 

「探しにって、他の部族の村に入ったのか?」

 

「こっそりとね。透明化(スニーク)したまま手っ取り早く村を回って、四至宝の鑑定だけをさせてもらったの。だから他の村人たちは誰も気付いていない。その後に凍牙の苦痛(フロストペイン)を探したんだけど、どの村にもそれらしきものが見つからなかったんだ。それが今になって、そこにいるザリュースが凍牙の苦痛(フロストペイン)を持って現れた。恐らくだけど、所有者を転々としていたんだろうね。でも目的を果たしてしまった今の私達にとっては、あまり意味がないとも言えるけど」

 

「そうだったのか....てぇ事は昔姉ちゃんの言っていた、この世界の謎を解く鍵ってのも見つかったんだな?」

 

「まあ、全ての謎が解けた訳じゃないけどね。元の世界へ帰るという一番の目的は達したよ」

 

「へへ、そいつぁめでてえや。酒が美味くなるってもんよ」

 

「ありがとうゼンベル」

 

 ルカとゼンベルは、改めて盃をぶつけて乾杯した。そこへ何事かを考えていたアインズが、ふと思い出したように質問した。

 

「そう言えばルカ、お前が蛇髪人(メデューサ)を倒した時の下りなんだが」

 

「うん、何?」

 

「その蛇髪人(メデューサ)の主人は、リュラリュース・スペニア・アイ・インダルンと言っていたな?」

 

「そうだよ。まあ話した事は無くて、姿形しか知らないけどね」

 

「そうか。そのリュラリュースなんだが...今はエ・ランテルで入国管理官をやってもらっていてな」

 

「えー!そうなんだ」

 

「ああ。良ければ今度会ってみるか?その蛇髪人(メデューサ)の首がどういう反応をするかも見てみたいしな」

 

「分かった、私は全然構わないよ」

 

「決まりだな」

 

 そうして宴もたけなわとなり、集会所に集まっていた蜥蜴人(リザードマン)達も解散した。アインズとルカ達3人は、コキュートスが指示して建てさせた2階建ての豪華なゲストハウスに案内され、各々に個室が用意されていた。その建物の周囲にはエイトエッジアサシンやシャドウデーモンが目を光らせ、警備面でも万全の体制が取られている。そして深夜、皆が寝静まった頃、アインズは一人ゲストハウス手前の階段に座り、夜空を見上げて物思いに耽っていた。とそこへ不意に、そっと肩に何かが触れるような感触が襲った。咄嗟に右を見上げると、そこには中腰で微笑むルカの姿があった。

 

「...何だルカか、脅かすな。透明化(スニーク)で近寄るのは、あまり趣味がいいとは言えないぞ」

 

「ごめんごめん。部屋にいたんだけど、一応足跡(トラック)で周囲を警戒してたからさ。...眠れないの?」

 

 ルカはそのまましゃがみ、アインズの隣に腰掛けた。

 

「元々この体に睡眠は必要ないからな。それに、丁度お前の事を考えていた」

 

「私の事?」

 

「ああ。不思議な縁だ、と思ってな。お前に会わなければ、俺は一生この世界で生きていたのだと思うと、何というかこう、足元の覚束ない妙な気分になってな。今日の事にしてもそうだ。ゼンベル・ググーの話を聞いて、お前が本当に200年という長い歳月をこの世界で過ごしたのだという実感が、改めて湧いてきたというか...その、言いたい事が分かるか?」

 

 それを聞いてルカは目をぱちくりさせたが、やがてゆっくりとその表情は微笑へと戻り、アインズの右手を握った。

 

「フフ、嘘だと思ってた?」

 

「違う違うそうでは...いや、正直僅かでもそういう気持ちがあったのかも知れん。しかしそれは今日、第三者からの証言でそう言った気持ちが粉々に打ち砕かれた。そこに戸惑っている、と言った方が正しいか」

 

「そう思うのも仕方ないよ。当時の私は、ガル・ガンチュア、そして虚空への入り口を探そうと躍起になっていた。でも現実世界へ帰還できた今となっては、そんな必死になって急ぐ必要があったのかな?って、今でも時々考えてしまう事がある。だから、昔の私を知っている人達からの話を聞くのは、少し抵抗があるんだ。当時の気分が甦ってきてしまうからね」

 

 微笑みながらも寂しそうに俯くルカの顔を見て、アインズは握られた指を絡めた。

 

「だが今こうして、お前は俺の隣にいる。それは、お前がこの世界から脱出しようと懸命に足掻いてくれた結果とは言えないか?そして俺達は、2550年の世界という途方もない、しかし確固たる現実を共有している。全てはお前が急いでくれたからこそだと思うぞ」

 

「...いつの間にか私が慰められちゃってるね」

 

「フッ、お互い様だ」

 

「さて、明日は早いしそろそろ休もうか」

 

「そうだな、そうしよう」

 

 アインズとルカは階段から立ち上がり、皆を起こさぬよう静かに自室へと戻っていった。

 

 

 ───翌朝 10:00

 

 ゲストハウスの入り口前で皆が集合し、アインズ・コキュートス・ルカ・ミキ・ライル・ゼンベルの6人はそれぞれの武装を整えていた。昨日と同じく雲一つない晴天が広がり、少し強めな涼しい風が吹き抜ける。それぞれの準備が完了すると、ルカはゼンベルに質問した。

 

「ゼンベル、トブの大森林の西寄りって話だけど、それってもしかして昔ゼンベルが倒れていた場所の辺り?」

 

「いや、それよりもっと奥だぜ。ルカ姉ちゃんに助けてもらった地点から、俺の足で2時間ってとこだな」

 

「OK、その周囲にも変化がないか探索したいから、とりあえずは森の入口までショートカットしよう。それでいい?アインズ、コキュートス」

 

「ああ、問題ない。時間短縮できるに越した事はないからな」

 

「ルカ様ノオ望ミノママニ」

 

「よし、じゃあ行こうか。転移門(ゲート)

 

 漆黒のトンネルが口を開けると、まずは先行してルカが穴の中へと進んだ。それに続いて5人も足を踏み入れる。

 

 

 ───湖南西・トブの大森林西部入口 10:15 AM

 

 

 ゼンベルは我が目を疑った。本来であれば集落からトブの大森林まで半日はかかる所を、一瞬で移動してきたからだ。

 

「...すげえなルカ姉ちゃん、こんな魔法見た事も聞いた事もねえや」

 

「フフ、それよりもほら、案内役しっかりと頼むよ。ミキ、ライル、足跡(トラック)はどう?」

 

「クリア」

 

「同じくクリア」

 

「OK、先に進もう」

 

 前衛にはコキュートスとライル・ゼンベル、中衛にルカ、後衛にアインズとミキという布陣で進んでいく。そうして4時間近く歩いた頃、暗く生い茂った森の最奥部に巨大な木の幹が見えてきた。そしてその大樹の前まで着き、アインズとルカ、コキュートス・ミキ・ライルはその何かを見上げて絶句する。

 

「お、おいルカ...これはまさかひょっとして」

 

「....何でこれがここにあるの?」

 

「ワ、分カリマセヌ。シカシ見間違ウハズモゴザイマセン、コレハ...」

 

 そこにあったもの。それは過去にアインズとルカ達が見た、虚空へと続くカオスゲートの入口にある漆黒のモノリスだった。高さ15メートル、横幅5メートル程の石碑で、磨き抜かれた表面には解読不能な文字が刻んである。しかしカオスゲートの時と異なり、最下部に台座がない。ゼンベルを除く全員がそれを見て驚愕していた。

 

「ルカ、この文字が読めるか?」

 

「いや、恐らく字体からして、前に見たエノク語で書かれていると思う」

 

 ルカは石碑に手を触れてみるが、カオスゲートと異なり何の反応もない。

 

「これを読めるとすれば、私の知る限り一人しかいない。みんなちょっとここで待ってて、すぐに戻るから。転移門(ゲート)

 

 暗黒の穴が口を開けると、ルカはその穴に飛び込んでいった。

 

 

 ───エ・ランテル 冒険者ギルド2階 組合長室 14:20 PM

 

 

 エ・ランテルが魔導国の下に統治されてから安定期に入り、冒険者ギルドはかつての活気を取り戻しつつあった。ギルドへの依頼を山のように抱え、その書類審査や冒険者達への依頼割り振り等でプルトン・アインザックは処理に追われていた。そこへ何の脈絡もなく、組合長室のソファー右隣に暗黒の穴が開いた。プルトンは咄嗟に部屋の左奥にあるクローゼットの中より片手剣を取り出し、腰を落として身構えたが、その中から漆黒のレザーアーマーを装備した黒マントの女性が飛び出してきた。

 

「ル、ルカか?!」

 

「そうだよプルトン、久しぶり。元気だった?」

 

 その笑顔を見て、プルトンは納刀し剣をクローゼットに戻した。そしてルカの前に歩み寄ると、お互いに抱き締め合った。昔と変わらぬフローラルな香りがプルトンの鼻孔を満たし、懐かしさを感じさせた。

 

「ああ、もちろん元気だとも。お前がいない間に色々あったがな。それもようやく落ち着いてきたところだ」

 

「そうか、なら良かった。早速で悪いんだけど、私と一緒に来てくれるかな?」

 

「来てくれるって...今からか?」

 

「うん。すぐに済むから武装しなくても大丈夫だよ。転移門(ゲート)が閉じちゃうから、早く行こう?」

 

「こ、こらちょっと待て!俺はまだ書類の整理が...」

 

「それは後ででも出来るでしょ。プルトンにしか出来ない事があるんだ、お願い」

 

 そう言ってルカは強引にプルトンの手を引っ張り、2人は転移門(ゲート)へと飛び込んだ。そして着いた先にいたのは、ミキにライル・蜥蜴人(リザードマン)・そして何よりエ・ランテルの支配者であるアインズウールゴウンと、その配下であるコキュートスであった。それを見てプルトンは仰天する。

 

「こっ、これは魔導王陛下!まさかあなたがルカと共にいるとは知りもせず、失礼を致しました!」

 

「組合長、わざわざ来てもらって済まない。頼みたい事というのは、この石碑の事だ。どうやらエノク語で書かれているらしいのでな。この翻訳を頼みたいのだよ」

 

「石碑ですと?」

 

 そう言うとプルトンは大樹の方を向き。その上を見上げた。そこにはルカに引き連れられて過去に見た、虚空の入口・カオスゲートと同じような漆黒の石碑だった。

 

「なっ...何故モノリスがここに?!いやそれよりも、周囲を見る限りここはトブの大森林のようですが....」

 

「そうだ。蜥蜴人(リザードマン)達が発見してな。突如としてこの場にモノリスが現れたらしい」

 

「そうでしたか。それでルカ、お前は何故魔導王陛下と共にいるのだ?」

 

「えーと私、アインズウールゴウン魔導国の大使になったから。よろしくね」

 

「...話が急展開過ぎてついていけないが、まあいい。これを翻訳すれば良いのだな?」

 

「うん、お願い」

 

プルトンは石碑に彫られた文字を、上段から言葉に出して読み始めた。

 

 

──────────────────────────────

 

 

 話を元に戻そう。2210年、以前より世界政府からアナウンスのあった電脳法改正を機に、我々は装いも新たにDMMO-RPG・ユグドラシルⅡを発売した。この改正で、味覚、聴覚、視覚、感覚、嗅覚の5感全てをアクティブにする事が合法となり、当然ユグドラシルⅡにもこの仕様が盛り込まれた。ここでは主にDWYDに囚われた鈴木悟から得られた貴重なデータの実証実験と、フェロー計画に基づきアップデートしたメフィウスとユガの動作確認を行う場となった。

 

 また同年、老衰により劣化した鈴木悟の情報を保護する為、当時最先端であった電脳化手術を彼の脳に施す事になった。彼の手術が無事成功した事を受けて、申請が降りなかった私への電脳化手術も執り行われる事になった。私の体も老いたが、世間での私への呼び名は(ヴァンパイア)だった。確かに心臓のバイパス手術を受けた事もあるし、体内の血液全交換も一度だけ受けた事があるが、ただ一度だけだ。それが妙な形で広まってしまい、このように残念な渾名を頂く事となってしまった訳だが、当時極秘の技術だった電脳化処置の隠れ蓑としては、十分役に立ってくれたと言わざるを得まい。ユグドラシルⅡでは鈴木悟に行ったような肉体の拉致は行われなかった。何故なら、五感を長期間アクティブにした際の影響に関しては、十分過ぎるほどデータが取れていた為だ。私はあの時のような罪悪感に悩まされないで済むことを、誰にともなく感謝した。

 

 

 そして2220年、遂にフェロー計画が実行に移された。その理由は、タングステンとチタンの結晶を超低温で結合させた超合金(アンオブタニウム)の発見と、ワームホール航行が実用段階に入った事だった───当然軍内部でだけだが。

 

 世界に極秘裏で打ち上げられたワームホール型宇宙船(フェロー)が、ワームホールを使用して640光年離れたオリオン座のベテルギウス・ブラックホールに約3年で到着し、その人工衛星(フェロー1)が2223年にベテルギウス・ブラックホール周回軌道に入った。その後2224年に、アンオブタニウムで作られた有線式の曳航型パラボラアンテナをブラックホールの事象の地平面に接触させた。そこから得られた熱と圧力をエネルギーに変換するというアンオブタニウムの特性を活かし、有線で繋がれたパラボラアンテナから衛星本体に膨大な量のエネルギーを供給し、ユグドラシルAIとプレイヤーの脳波を含むデータを乗せた高周波パルスレーザーをブラックホールの中心に照射・光速を超えて内部の5次元到達後、わずかに反射する極限にまで圧縮された時間跳躍の相互データをパラボラアンテナで抽出し、ブラックホールにより光速を超えたデータ速度を失わせることなく、複数の軌道衛星により地球までブースト転送・レイテンシー補正をかけることにより、将来的に増設される全ての時代のユグドラシルサーバで、速度差のない安定したプレイを行う事が可能になった(各個のインターフェース速度による性能差は除外)。

 

 

──────────────────────────────

 

 

「以上がこの石碑に書かれた翻訳だ。ルカ、何のことか分かるか?」

 

 ルカとアインズは顎に手を添えたまま碑文を見つめ、考え込んでいる様子だったが、プルトンに質問されて中空から手帳を取り出し、今聞いた碑文の内容を書きながら返答した。

 

「いや、私にも分からない。だが順に追ってみよう。”我々は装いも新たにDMMO-RPG・ユグドラシルⅡを発売した”と言っているという事は、この碑文はカオスゲートの時と同じく、ユグドラシルの開発者であるグレン・アルフォンスが書き記した可能性が高い」

 

「更に付け加えれば、俺の名も出てきている。DWYDとは、恐らくダークウェブユグドラシルの略だろう。コアプログラムであるメフィウスとユガの名前も明言されている事から、恐らくはグレン・アルフォンスでほぼ確定だろうな」

 

 アインズも顎から手を離し、話に加わった。ルカがさらに話を進める。

 

「そしてアインズの脳核を電脳化したのは、文脈を見る限りエンバーミング社が行った」

 

「そうだな。そして俺の電脳化が成功した事を受けて、グレン・アルフォンスも同様に電脳化の処置を施された。という事は、俺と同じく今も彼は生きている可能性が高い」

 

「そうだね。所々に出てくるフェロー計画というワードも引っ掛かる。アンオブタニウムというレアメタルに関しては、2550年代では希少ではあれど、珍しくもなくなっている。自然資源ではなく、人工資源だからね。ただ、研究者としての視点で言わせてもらえば、他に類を見ない強靭性と価値は未だに高い。熱や圧力を電力に高効率で変換するという点で、この碑文に書いてある事は嘘じゃない。プロキシマbではタングステンとチタンが豊富に取れる為に、加工して地球に輸出したりしているんだ。そのアンオブタニウムで宇宙船フェローと人工衛星フェロー1を作り、640光年彼方のベテルギウスブラックホールに向かった。そしてそこでは、ブラックホールをエネルギーの供給源として、ユグドラシルのプレイヤーやAIのデータをパルスレーザーに乗せてブラックホールに打ち込み、極限にまで圧縮されたデータの反射を捕らえて地球までのデータ転送実験を行った」

 

「ルカ、お前が俺を助け出してくれた時は、プロキシマbから地球まで遠隔(リモート)リンクしてバイオロイドを操り、助けてくれたんだよな?」

 

「そうだよ」

 

「ではここに書かれているブースト転送とやらも、あながち不可能では無い訳か」

 

「うん。それと”各個のインターフェース速度による性能差は除外”とまで言い切っているね。つまりグレン・アルフォンスは、将来的に脳内に埋め込まれるCPUが、半導体素子から生体量子コンピュータに置き換わる事を予言していたとも受け取れる」

 

「全く...一度顔を拝んでみたいものだな」

 

「そうね、それに時間跳躍なんて言葉もあるし。ブラックホールの内部は、ここに一部書かれている通り最奥部は5次元空間が広がっていると考えられているけど、その内部を解明した者なんて当然誰もいない。ただ、5次元空間では時間もエネルギーとして捉えられる。三次元と四次元が混在し、未来から過去へ、過去から未来へと絶えず変動し続けていると思われる空間、それが5次元という世界なんだよね」

 

「何だか頭がこんがらがる世界だな」

 

「うん、5次元は人智を超えた世界だよ。それにこの碑文、文頭と文末が不自然だと思わない?」

 

「そうだな、俺もそれが気になっていた。まだ話の続きがあるような文体だ」

 

「という事は、他にもまだ...」

 

「ああ、ここと同じく新たにモノリスが出現している可能性が高い」

 

「アインズ達の事と平行して、探す価値はありそうだね」

 

「そうだな、お互い気にかけておこう」

 

 メモが終わった手帳をアイテムストレージに収め、ルカはオートマッピングスクロールを取り出して、現在地にマーカーを設置した。横で話を聞いていたプルトンとゼンベルは、ポカンと口を開けながらアインズとルカの話を聞き流していた。きっと魔法でも唱えているように映ったのであろう。アインズがバサッとローブを翻し、皆の方へ振り返った。

 

「コキュートス、それとゼンベル!ご苦労であった。お前達を集落まで送り届けよう。ルカ・ミキ・ライルは組合長をエ・ランテルまで頼む。助かったぞ組合長。その後ルカ達とコキュートスはナザリックにて私達と合流し、作戦会議だ。いいな?」

 

『了解!』

 

 アインズとルカは二手に分かれて転移門(ゲート)を開き、トブの大森林西部奥地を後にした。

 

 

 

 




■魔法解説

体内の精査(インターナルクローズインスペクション)

体内のバッドステータスをリスト化して検出する魔法。但しどの状態異常かを示すのみで、具体的にどの魔法によるバッドステータスなのか詳細は確認できないため、あくまで応急処置として使用される事が多い。一部損傷等のバッドステータスは、体内の状況を確認できる


損傷の治癒(トリートワウンズ)

魔法を受けた者の自然治癒力を300%にまでブーストさせ、傷や損傷を受けた体に対し、本来あるべき姿に戻す治癒魔法。位階上昇化により魔法の効果パーセンテージが上昇する


治癒手(ブレッシングオブザ)の恩恵(ヒーリングハンズ)

HP総量の50%を回復し、軽微なバッドステータスも合わせて回復するパーセントヒール。リキャストタイムが非常に短いため、より戦闘向きのヒールとして使われる事が多い


病気の除去(ディスペルディジーズ)

バッドステータス(感染)を除去する魔法。感染したモンスターのLVが高い場合は、その度合いにより位階上昇化等の補助が必要


石化(ディスペル)の除去(ペトリファクション)

バッドステータス(石化)を解除する魔法。石化自体が致命傷になるため、通常用途として魔法最強化と併用される事が多い


闇の追放(バニッシュザダークネス)

継続系の呪詛バッドステータスを全消去できる魔法。また呪詛系DoTの解呪も行える


毒素の看破(ディテクトトキシン)

あらゆる毒素の含有を見破る魔法。物体や容器に入った水等であれば手に触れずとも感知できるが、川等の流動する液体等に関しては直接手に触れて魔法を唱えなければ感知出来ない


足跡(トラック)

周囲2キロ程度のモンスター・プレイヤーの所在位置を把握できるMP消費無しのレーダー型魔法。また現在地がX軸とY軸による数値で表示される為、敵の正確な位置の把握及び味方との連携・合流に有効活用できる。主にPvP、GvGでの使用に最適な魔法でもある


危機感知(デンジャーセンス)

あらゆる種類のトラップを50ユニットの範囲内で感知できる魔法。トラップ効果範囲は視覚的に黄色く光る事で術者はその範囲を知る事が出来る


読心術(マインドリーディング)

相手の心の声を聞き取る事が出来るが、雑念まで入り混じってくるため、その深層心理までは聞き取れず不確定要素が多い。あくまで参考程度に使用する魔法


毒の刃(ポイズンブレード)

装備している武器に低位の毒属性Procを付与する魔法


武器属性付与・炎(アトリビュート・フレイムアームズ)

装備した武器に最高位の炎属性Proc効果を付与する魔法


暗い不屈の精神(ダークフォーティチュード)

敵から受ける物理攻撃ダメージを30分間15%まで下げるヴァンパイアの特殊魔法


器用さの祈り(プレーヤーオブデクステリティ)

パーティー全体の器用さ(DEX)を600上昇させる魔法


殺害者の焦点(スレイヤーズフォーカス)

敵の麻痺に関わる魔法や攻撃を完全に無効化する魔法。60分間有効


毒素の除去(ディスペルトキシン)

あらゆる毒属性のバッドステータスを解除する魔法。相手のレベルにより、位階上昇化等の補助が必要


石化の大害(カースオブペトリファクション)

術者のHPとMP総量の70%と引き換えに設置可能な魔法陣。この魔法陣の周囲は(感染)と(石化毒)に侵され、石化に対しては術者が魔法陣を解除してもその毒を取り込んだ者の中に残り続ける。尚この石化毒は呪詛判定とみなされ、術者である蛇髪人(メデューサ)の血液を飲む以外に解呪は不可能である。また蛇髪人(メデューサ)は殺害後、頭部切断以外は約5分間で体が消滅してしまう為、その間に血液を保存する為の特殊なアイテムが必要となる



■武技解説

痛恨の刀傷(ペインフルカット)

対象に高速5連撃を浴びせ、斬撃体制を30%まで引き下げる片手剣専用武技


回転斬撃(ホイーリングスラッシュ)

対象に高速7連撃を浴びせ、防御力を40%まで引き下げる片手剣専用武技




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第3話 闘争

「遂に落ちる所まで落ちたな。そろそろ逃げても良いか?」

 

「ダメです。あなたが逃げると士気が駄々下がりです陛下」

 

「既に私が駄々下がりな件について」

 

「お気持ちは察しますが、我慢してください。ここまで踏ん張れたのは陛下のお力故なのですから」

 

「あー分かってる分かってる、言ってみただけだ。愚痴の一つも許してくれんのかお前は?」

 

「最近の陛下の愚痴は本音としか受け取れませんので」

 

「おい、その可哀そうな子を見るような目はやめろ」

 

 縦横15メートル程の、広くはないが豪華な部屋にただ一つ置かれた玉座。そこに座るのは、長い金髪を後ろでまとめ、フィッシュボーンに結い上げて背中に伸ばし、豪華なドレスを着た陛下と呼ばれる端正な顔立ちの幼い少女。そしてその隣に立つ冷淡な目をした宰相と、ため息混じりに会話をしていた。しかしどうも様子がおかしい。足むき出しのドレスを着た少女は前で足を組み、肘掛けに頬杖をついて実に気だるそうにしている。その姿勢と表情はとても少女には見えず、まるで40代の女性がやさぐれたような荒んだ雰囲気を醸し出していた。

 

「そう言えば、あのロリコンはどうした?」

 

「はい、あのロリコンは現在我が国の東に布陣しているかと思われます」

 

 二人の言うロリコンと言えば一人しかいない。竜王国随一のアダマンタイト級冒険者チーム”クリスタル・ティアの”閃烈””こと、セラブレイトだ。神聖系のホーリーロードという職業に就き、ビーストマンの大侵攻に遭いながらここまで戦線が保たれていたのも、彼の力があってこそだった。

 

「このままでは貞操の危機だ。あいつがこれ以上武勲を立てれば、この体で本格的に奴の欲望を満たしてやらなければならなくなるぞ。いっそここらで本当の私の姿を見せておいたほうが良いのかもしれん」

 

「いけません陛下。そのロリ形態だからこそ彼と兵士達はあなたの為に必死に戦っているのです。その戦意を削ぐような真似をすれば、この国は一気に押し潰されてしまいます」

 

「お前、今言ってはいけない事を言ったな。 何がロリ形態だ愚か者」

 

「まあ冗談はさておき、いかがいたしますか?軍事費・兵站・国内の食糧備蓄も底を尽きかけております。合わせて陛下の最終手段である始原の魔法まで用いたにも関わらず、ビーストマン共は戦力を再集結させつつあります」

 

「あの時始原の魔法の贄として志願してくれた者達の総数は?」

 

「約30万人程かと」

 

「念を押すが、その際贄となった者達に死者は出ていないのだな?」

 

「はい。その点につきましては確認済みです。しかし国民は皆、女王陛下の力になる為なら死すら厭わない覚悟で臨んでおりましたので、気に病む必要はございません」

 

「そうは言ってもな。始原の魔法は贄となる魂を犠牲にし、その結合した魂を磨り潰す。あの時志願してくれた者達の寿命は、確実に10年は縮んでいるはずだ。もう二度とこの手は使えない。手加減したとは言え、それだけの犠牲を払ってあの程度の爆発しか起こせなかったのだから、私の力もたかが知れているな」

 

「しかしあれがあったからこそ、王都陥落の危機を免れた訳ですし、国民たちも希望を持てている。陛下の魔法がビーストマンの軍を半壊させたのですから」

 

「だが国が破綻寸前の今となっては、もはや法国の支援も当てにはなるまい。漆黒聖典でも出張ってくれれば何とかなるのだろうが、あー困った。....疲れた」

 

 その少女───竜王国女王である”黒鱗の竜王(ブラックスケイルドラゴンロード)”・ドラウディロン・オーリウクルスは頬杖を止め、目頭を覆うように揉んだ。隣に立つ宰相──痩せぎすで顏は若作りだが目つきが鋭く、オールバックの白髪が年齢不詳に拍車をかけているその男は淡々とした口調で進言した。

 

「陛下、もうここ等でその場しのぎの対応は止めにしませんか。決して安くない大金を法国に例年寄進しているにも関わらず、ここぞという時に現れない軍隊に金を払う道理はありません。もっと恒久的に国を守れるような施策を考えるべきです」

 

「....いやな予感しかしないが、言ってみろ。どうすればいいと思う?」

 

「例えばそう...最近話題の新興国である、アインズ・ウール・ゴウン魔導国に助力を願うとか」

 

「また魔導国の話か! それはいやだと私は何度も言っているだろうが」

 

「それは何故です?」

 

「アンデッドだぞ。おいお前本当にちゃんと分かってるか? アンデッドだって言ってるんだ。得体が知れなさすぎる」

 

「陛下も聞き及んでいるでしょう。前回の王国対帝国の戦争では、王国側25万の兵力をアインズ・ウール・ゴウン魔導王たった一人で壊滅させたとの事。この件に関して調べさせたのですが、どうやら誇張等ではなく噂は本当のようです」

 

「だからいやだと言っているんだ。13万とも18万とも言われる王国の大群を、たった一撃の魔法で消し飛ばしたそうじゃないか。そんな理不尽な化物をこの国に招いてみろ、何を要求されるか分かったものじゃない」

 

「ですが陛下、魔導国の首都であるエ・ランテルに商人として送り込んだ斥候によりますと、亜人・ドラゴン・人間を含む多人種国家でありながら、街の様子は至って平穏そのもの。争いも起こらず活気に満ち、人種の垣根を越えて皆が仲良く共存出来ているとの報告が上がっております」

 

 ドラウディロンは諦めたようにドッと背もたれに寄り掛かると、足を組みなおしてジロリと宰相を見た。

 

「....それで、何が言いたい?」

 

「つまりは、魔導王が常識的且つ優れた指導者である可能性が高い、という事です。一度話だけでも伺ってみる価値はあるかと思いますが」

 

「あのようなバカげた力を持つアンデッドにか? この際私はともかくとして、国民たちはアンデッドの軍門に下るなぞ願い下げだと思うがな」

 

「ですから話だけでもと申しております。私がこうまで押すのには訳がありまして、法国のさる執政官から手に入れた情報によりますと、例の戦争が行われる直前、法国は王国に対してこのような書状を届けたそうです。”法国に記録はなく、判断することができないが、もしアインズ・ウール・ゴウンが事実その地をかつて支配していた者だとするなら、その正当性を認めるものである”、と」

 

「要はあれか、エ・ランテル近郊は元々アインズ・ウール・ゴウンの支配する土地だという帝国側の主張を、法国が一部とは言え容認していた、という事か」

 

「それも戦争前にです。この事から窺い知れる事は2つ。法国はアインズ・ウール・ゴウン魔導王の力を、何らかの形で事前に知っていた。そしてそれ故に、魔導王と敵対する意思はないという事を内外に明言した。恐らく戦争の結果がどうなるかも、彼らは予見していたのでしょうね」

 

「...あー頭が痛い。その先が聞きたくなくなってきた」

 

「そうおっしゃらずに、もう少しの辛抱です。我が国を長年悩ませ続ける対ビーストマンとの争いに置いて、私達は今まで冒険者達と法国の戦力に頼り切りでした。それを打破する為、この国を守るために安定した戦力供給が可能かどうか、魔導王に一度お伺いを立ててみてはどうでしょうか。聞くだけならタダで済みますし、戦力の対価が法国よりも安価で済む可能性もあります。その結果魔導国に頼る事になったとしても、前述の通り法国は魔導国と事を構えるのを避けたいが故に、何も口出しはできないはずです。いかがでしょう、陛下」

 

 普段見せる冷淡な笑みが消え、珍しく自信に溢れた表情を見せる宰相にドラウディロンは思わず失笑したが、一つ大きくため息をついて返答した。

 

「傭兵稼業を魔導国に肩代わりさせるという事か。果たしてそれだけで済めばいいがな。藪をつついて蛇が出てこないとも限らんぞ。ヘタをすれば目を付けられて、魔導国が弱った我が国に侵攻してくる可能性だってある」

 

「ええ、ですから弱みを見せるのは厳禁です。それでは早速エ・ランテルに放った斥候に連絡を取り、そういった事が可能かどうか魔導国の動向を探らせ──」

 

 その時、不意に扉がノックされた。ドラウディロンは足を組むのを止めて姿勢を正し、宰相と顔を見合わせて頷いた。

 

「入るがよい!」

 

 少女らしい張りのある声で扉の向こうへ呼びかけると、全身鎧(フルプレート)を装備した近衛兵が一人入ってきた。玉座の前まで進み出ると、近衛兵は即座に片膝をつく。

 

「女王陛下、失礼致します!」

 

「良い。何かあったのか?」

 

「ハッ。それが、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の使者と名乗る者が、魔導国の国旗で封蝋された書状を持って城門の前まで来ております」

 

『!!』

 

 ドラウディロンと宰相は我が耳を疑い、驚愕の顏をお互いに見やった。2人共ゴクリと固唾を飲む。

 

「グッドタイミングというか、バッドタイミングというか...」

 

「...まるで壁に耳でもついているかのようですね」

 

 ドラウディロンは引きつった笑みを浮かべて宰相を見た。どんよりとした重い沈黙が流れ、それに耐えきれなくなった近衛兵が割って入った。

 

「陛下、いかがいたしましょう。追い返しますか?」

 

「ま、待て待て!そう事を急くでない。宰相、どう思う?」

 

「...これは願っても無い機会です、会いましょう。その使者達の人数は?」

 

「ハッ、3人で来ております」

 

「名は聞いたか?」

 

「代表する者が一人、フレイヤと名乗っておりますが」

 

「ふむ、フレイヤ殿か。書状はお預かりしたのか?」

 

「いえそれが...女王陛下に直接渡すと言い、頑として譲らなく...」

 

「分かった。念のため武装を解除させた後にこの玉座の間で会おう」

 

「そのご心配には及びません。3人共帯剣しておりませんので」

 

「ほう、何と豪胆な。よろしい、その3人をここまでお連れしろ。くれぐれも粗相のないようにな」

 

「ハッ、直ちに!」

 

 近衛兵が急ぎ部屋を出ていくと、ドラウディロンと宰相は大きく深呼吸した。

 

「陛下、勝負所ですよ。分かっていますね」

 

「当たり前だ。弱みなど見せるものか」

 

「その意気です、陛下」

 

 やがて扉が再度ノックされ、近衛兵に先導されて黒づくめの3人が玉座の間へ足を踏み入れた。中心に立つ者は身長170センチ弱で細身だが、胸の膨らみから女性と判別できる。その右に立つ者も身長170センチ強の女性で、中心に立つ者よりも僅かに背が高い。しかし俄然存在感を放っている者が、左に立つ者だった。

 

 2メートル強の体躯で、丸太のような手と足を持つ筋骨隆々の大男。恐らくはこの女性2人の護衛だろうと宰相は推測した。その全員が漆黒のタイトなレザーアーマーを装備し、フードを目深に被っているために3人の表情が伺い知れない。そして玉座の前まで来ると、近衛兵とシンクロするように3人共片膝をつき、女王に敬意を表した。(ふむ、礼儀はわきまえているようだ)と、宰相は心の中で安堵していた。

 

「女王陛下、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の大使、フレイヤ様ご一行をお連れしました!」

 

「うむ、ご苦労!下がって良い!」

 

「ハッ!」

 

 近衛兵はスッと立ち上がり、兵士らしいきびきびとした足取りで玉座の間を出て行った。そして中心に立つ者───フレイヤが口を開く。

 

「ドラウディロン・オーリウクルス女王陛下。此度は急な来訪にも関わらず、私共を受け入れていただき、感謝の念に絶えません。我らが王、アインズ・ウール・ゴウン魔導王より、女王陛下へ是非にと書状を賜っております。何卒こちらをお受け取りいただけますよう、謹んでお願い申し上げます」

 

 するとフレイヤは懐より羊皮紙のスクロールを取り出し、恭しく両手で書状を掲げた。

 

「フレイヤ大使、長旅ご苦労であった!魔導国並びにゴウン魔導王の名は我らも聞き及んでおる。その魔導王直々の書状とあれば是非もない、受け取らせてもらおう。宰相、書状をこちらに」

 

「ハッ!」

 

 2人きりで話す時のだらけきったドラウディロンと宰相の姿はどこ吹く風だった。ドラウディロンの表情はキリッと引き締まり、宰相もそれ相応の気品を漂わせ、フレイヤの掲げる書状を受け取る仕草も堂に入ったものだった。そして玉座の隣に戻り、宰相はドラウディロンに封蝋の印を見せる。そこに押されたものは、間違いなく魔導国の国旗をあしらったものだった。二人はそれを確認して頷くと、封を解いてスクロールを縦に広げた。そこにはこう記してあった。

 

────────────────────────────────────

 

拝啓 

 

 

            ドラウディロン・オーリウクルス女王陛下

 

 

 この書状を開いてくれた事を嬉しく思う。我が国は現在貴国が置かれている現状をほぼ把握しており、非常に憂慮している。ついては3日後、私が貴国へ直接出向き、会談の場を設けたいと考えているのだが、いかがだろうか。お互いの誤解を解き、そしてきっと互いに有益な話ができるはずだ。世辞は一切抜きの、本音と本音で話し合えると私は信じている。

 

 そして今あなたの目の前にいるであろう3人の大使は、我が魔導国でも最強に属する3人だ。私が貴国へ行くまでの間、あなたの身を守るよう命じてある。好きなように使ってほしい。

 

 それでは、3日後にお会いできる事を楽しみにしている。

 

 

 

                         アインズ・ウール・ゴウン魔導王

 

────────────────────────────────────

 

 

(どっちにしろ来るんかい!!)

 

 ドラウディロンは口角を引きつらせて、心の中で激しく突っ込みを入れた。そして目の前に跪く3人は言わば保険であり、断ろうものなら寝首をかかれかねない。宰相も顏は微笑んでいるが、これには面喰った様子で困った顔をしていた。しかしやがて諦めた様子で首を横に振り、ドラウディロンに目を向ける。

 

「いかがいたしますか陛下。私は魔導王陛下と会談の場を持つ事に賛成です」

 

「う、うむ!そうだな、私もゴウン魔導王と会うのにやぶさかではない。それでは今日より3日後、ゴウン魔導王に拝謁する事としよう。お前達、この書状に書かれてある通り、その間私を護衛してもらえるのだな?」

 

「ハッ。そのように仰せつかっております」

 

「よろしい、お前達に部屋を用意させる。面を上げよ、そのようなフードを被っていては顏も見えぬではないか」

 

「これは大変失礼を致しました」

 

 3人はフードを下げた。中心のフレイヤがフェアリーボブ、右の女性はワンレン、左の大男は角刈りだ。全員が黒髪というのも珍しかったが、何故か未だ深く俯いたまま顏を上げようとしない。それを見てドラウディロンは不自然に感じ、再度命じた。

 

「遠慮はいらぬ、面を上げよ!」

 

 そう促され、まず左右の2人が顔を上げた。どちらも顏は青白く、赤く光る眼とその下に彫られた幾何学的なタトゥーが印象的だったが、中心の者がゆっくりと顔を上げると、それを見たドラウディロンの端正な顔が引きつり、みるみる歪んでいった。

 

「...げぇ!!ル、ルカ・ブレイズ..」

 

 ドラウディロンは女王にあるまじき声を上げた。ルカはそれに対し、穏やかに微笑み返す。

 

「お久しぶりです、ドラウディロン女王陛下。その節は”大変”お世話になりました」

 

「何です? 陛下、お二人はお知り合いだったのですか?」

 

 宰相が不思議そうに2人の間に立ち、ドラウディロンに質問した。

 

「お、おう。まあその、昔にちょっと、な...」

 

「名を偽り入城した事をお許しください。私の本名を出せば城に入れてもらえないかと思いまして」

 

「ルカ・ブレイズ。お前いつから...いや、何故魔導国に加わった?」

 

「いつからと言われれば、ごく最近です。何故かと言われれば、我が魔導王は私達の友人だからですよ、女王陛下」

 

「そっ、そうか...」

 

 そしてドラウディロンは、七彩の竜王(ブライトネスドラゴンロード)の血を引く彼女のみに感じ得る威圧感がルカから漂ってくる事を感知していた。ルカ本人は一片たりとも殺気を放っていない。それがどこから来ているのか、ドラウディロンはルカの体を注意深く観察していく。目、顏、体、足、右手、左手...。そしてその左手薬指にはめられた、2匹の蛇がお互いの尻尾を飲み込みあう禍々しい指輪に気づき、大きく目を見開いた。

 

「まさかそなた....その指輪は、永劫の蛇の指輪(ウロボロス)では?」

 

「さすがは女王陛下、お目が高い。その通りにございます」

 

 ドラウディロンの背筋に悪寒が走り、ブルッと身を小さく震わせる。

 

「で、ではお主、あの常闇の竜王(ディープダークネスドラゴンロード)を倒したと?」

 

「はい。我が魔導王と、その配下である守護者達と共に。この指輪はその時、魔導王より直々に賜ったものにございます」

 

「...何という事だ」

 

(本物の化物じゃないか)と口を継ぎそうになるのを、ドラウディロンは理性で必死に堪えた。体の力が抜け、もはや抵抗する気力も失せたドラウディロンは、考えるのを止めた。

 

「何か問題でもございましたか?」

 

「いや...フフ、ハハハ、成程。了解した。今日は部屋でゆっくり休むがよい。宰相」

 

「ハッ。近衛兵!」

 

(パン、パン!)と宰相が手を大きく2回叩くと、扉を開けて近衛兵が走り寄ってきた。

 

「彼女達3人を最上級の客室にご案内してくれ」

 

「ハッ! それでは皆様ご案内致します、こちらへどうぞ」

 

「感謝致します、女王陛下」

 

 ルカ達3人はフードを目深にかぶりなおし、右手を左胸に押し付けて立ち上がると、恭しく一礼して玉座の間を後にした。そしてドラウディロンは緊張の糸が解け、椅子からずるりと滑り落ちそうになるほど背もたれに体を預けた。

 

「....やられた、完全に誤算だ。まさか奴がアインズ・ウール・ゴウン魔導国に加わっていたとは。これは本格的に頭が痛くなってきたぞ」

 

「それ以前に、この書状を見る限りこちらの現状は筒抜けだったようですし。完全に見透かされてますね。これは会談の場ではヘタに隠し立てをせず、我が国の置かれている窮状を正直に説明した方が良いかと思われます。それで陛下、彼女らとはどういったご関係で?」

 

「やはり話さねばダメか?」

 

「ええ、ダメです」

 

 ドラウディロンはだらしなく背もたれに寄り掛かり、仕方なさそうに首を横に振った。ドレスが玉座に引っ掛かり、ただでさえ剥きだしの足が更に露わになっている。

 

「はーあ。....そうだな、あれは確か5年ほど前だったか。我が国の冒険者ギルドを通じて、ある不穏な噂が耳に入ってな。立ち入り禁止とされていた我が国南西にあるヴォード遺跡に何者かが侵入し、その最奥部に住まうという金属竜(メタルドラゴン)を倒し、その宝と遺跡内にある財宝を根こそぎ掻っ攫っていった者がいる、とな」

 

「5年前、それにヴォード遺跡...その噂は私も存じております」

 

「ここまでは誰でも知っている。その後実際に冒険者ギルドから調査隊が派遣され、それが事実だと知れた訳だしな。しかしそれ以上の情報はどう手を尽くしても入ってこなかった。そこで私はお前にも内緒で裏に手を回し、誰があの遺跡を荒らしたのかを調べる事にした」

 

 上半身を立ち上げて、玉座からずり落ちそうになっていた姿勢を正し、ドラウディロンは深く腰掛けなおした。

 

「裏...と言いますと、請負人(ワーカー)にですか?」

 

「そうだ。そこでは冒険者ギルドとは異なる、ある一つの噂が立っていた。エ・ランテルを拠点とし、ワーカー達の間で密かに語り継がれている伝説のマスターアサシン、ルカ・ブレイズ。表には決して出る事のない危険な依頼ばかりを好んでこなし、その姿を見た者は無く、万が一依頼がかち合って相対すれば、その相手は情報封鎖の為確実に殺されるという。男性か女性かも分からず、かの有名な帝国の暗殺集団・イジャニーヤでさえも避けて通る相手だと聞いた。あの危険なヴォード遺跡を荒らしたのも、彼らなのではないかとな。

 

そしてその話はそこに留まらなかった。彼らが言うにはこうだ。ルカ・ブレイズは人ではなく、200年前...つまりは十三英雄の生きた時代から存在していたという、眉唾の伝承まであるというのだ。私はそこに興味が湧いた。そしてその話を教えてくれた我が国のワーカーチーム・豪炎紅蓮の4人にルカ・ブレイズの捜索及び調査を依頼した」

 

「豪炎紅蓮と言うと、オプティクスに依頼したんですか。....全く、せめて私に一言あっても良かったと思いますがね」

 

「ああ。それに関しては済まないと思っている」

 

 珍しく殊勝な態度を取るドラウディロンに、宰相は眉を吊り上げて意外そうな顔をした。

 

「それで、結果はどうなったんです?」

 

「オプティクス以下3名が半殺しになって帰ってきた。その後報告を受けたんだが、会うところまでは意外にもにすんなり行ったらしい。しかしその後、力を試すために戦いを挑んだはいいが、あのオプティクスが手も足も出ずに敗北したそうだ。そこでルカ・ブレイズの容姿を尋ねた。しかしそれに関しては何も覚えていないと言う。本人達が目の前で手合わせしたにも関わらずだ。まるでそこだけ記憶が抜け落ちているようだった」

 

「...妙な話ですね。そのような魔法でもあるのでしょうか」

 

「さあな、今となっては分からん。しかし問題はこの後だ。オプティクスから報告を受けたその日の夜、私は自室のベッドで横になり、今にも眠りに落ちようとしていた。すると突然、何者かがそっと私の肩と口に手を置き、身動きを封じられてしまった。驚いて目を覚ますと、そこには赤く光る大きな目が二つ、私を見下ろしていたのだ。その殺気の籠もった目を見て、私は死を覚悟した。部屋の明かりは付いていたからな、せめて最後に顔だけでも拝んでやろうと、私は奴の頭に手を回してフードを下げた。どんなケダモノかと思いきや...美しかった。そこに居たのは、一人の美しい女性だった。私がルカ・ブレイズの顔を初めて見たのは、その時だ」

 

 目線を床に落とし、何故か嬉しそうに微笑んでいるドラウディロンのその姿は、外見以上により一層大人びて見えた。その様子を見て宰相は半ば呆れたような視線を送り、大きくため息をつく。

 

「そんな状況で、よく生きて戻れましたね。陛下の居室へたどり着く為には、何十もの警備を潜り抜けなければならないはず。一体どうやって侵入したんでしょうね?」

 

「私にも分からん。幸いルカ・ブレイズが立ち去った後急いで部屋を出たが、衛兵達は全員無事だったしな。偵察者(スカウト)でも見抜けないような透明化(スニーク)でも使えるんじゃないか?そんなに知りたければ、その侵入した本人が今この城に居るんだ。直接聞いてみればいい」

 

「ご冗談を...それで、彼女と何かお話されたんですか?」

 

「ああ。奴は私が観念し、脱力したのを見て、口と肩に添えられていた手を静かにどけた。私が子供の姿だった事もあり、手加減してくれたのかも知れんがな。私は扉の外にいる衛兵に助けを求めるような事はしなかった。何故ならルカ・ブレイズは殺気を解き、私に向かって静かに微笑んでいたからだ。奴は私のベッド脇に静かに腰を下ろし、そしてこう言った。(俺に何か用か?)と。恐らくはオプティクス達の誰かが、依頼主である私の名を口にしたのであろう。私はベッドから体を起こし、まずルカ・ブレイズ本人かどうかを確認した。奴はそうだと答えた。そして私は、ワーカー達に聞いた噂の真相が本当なのかどうかを一気に問いただした。ヴォード遺跡の事、敵対者を殺害する事、そして何より、十三英雄の時代から生きている事は本当なのか?とな」

 

「その返答はどうだったんです?」

 

「ヴォード遺跡の事に関しては事実だと言った。しかし容赦なく殺害するのかという質問には、皆を殺す訳ではないという答えだった。場合によっては記憶を消去し、そのまま返すという事がほとんどだそうだ。但し気に食わない奴は殺すとも断言していたがな。そして私が最も知りたかった事、200年前より生き続けているのは本当かという質問をした時、奴はほんの一瞬ではあるが、悲しそうな目を私に向けた。そしてその答えは、私に対する無言の抱擁だった」

 

「...つまり、それも事実だったと?」

 

「恐らくな。奴は世に言われているほど悪い奴ではないと分かった。それを知った私は我が国の置かれている現状を話し、力を貸してはもらえまいかとその場で依頼した。だがルカ・ブレイズは、直接の依頼は受け付けていないと言う。もしどうしても困ったことがあったなら、エ・ランテルの冒険者ギルドへ来いと。そこで組合長であるプルトン・アインザックに会い、彼ら2人しか知らない秘密のサインを彼に示せと教えてくれた。それはこうだ」

 

 ドラウディロンは右手の拳を胸の前に掲げ、人差し指と小指のみを真っ直ぐに伸ばした。

 

「これが天」

 

 次に親指と小指のみを真っ直ぐに伸ばし、その他の指を全て折り畳む。

 

「地」

 

 最後に全ての指を折り畳み、握りこぶしを作った。

 

「人」

 

 ドラウディロンは小さな右拳に優しく左手を添えて、何故か嬉しそうに微笑んでいる。まるで特別な魔法か何かを教えてもらった子供のように。宰相はそれを見て怪訝そうな顔をしていたが、女王の笑顔を見てまんざらでもない様子だった。

 

「天・地・人。どこぞの秘密結社のようなサインですが、一体何を表す言葉なのでしょうね?」

 

「私も同じ事を奴に聞いたよ。この言葉と指の印は、(世界の理・宇宙間に存在する万物)という意味があるらしい。これを見れば、プルトン・アインザックは全てを分かってくれるだろうとな。結局これを使う事もなく、ルカ・ブレイズは自ずと私達の前に現れてくれたわけだが。ただ最後にこうも付け加えた。奴の事とこのサインを他人に少しでも漏らしたら、即座に私を殺しに来る、とな。お前だから話したんだ。間違っても他言するなよ?」

 

「何年あなたの宰相をやっていると思ってるんですか。言いませんよ、ご安心ください」

 

「まあ、その心配もないと思うがな」

 

「何故です?」

 

「孤高の暗殺者と呼ばれた女が魔導国に加わり、大使として表舞台に出てきたんだ。昔とは違うという事なんだろうよ。さっきあいつの目を見て分かったが、昔のようにギラギラとした印象が無くなっていた。もっとこう、優しいというか落ち着いたというか、そんな目をしていた。奴の心酔するアインズ・ウール・ゴウン魔導王とは、きっとそれほどの男なのだろうな。最初は抵抗があったが、お前の言うとおりこれは絶好の機会なのかも知れん」

 

「喜んでばかりもいられないのではありませんか?さっき陛下が仰っていたではないですか。常闇の竜王(ディープダークネスドラゴンロード)がどうとか」

 

「そうだな。我が国より南の最果て、この大陸の最南東にある山脈の地底に眠ると言われた伝説のドラゴン。我が国でも伝承で語り継がれていたが、まさか実在したとはな。あの指輪を見た時に一目で分かった。あれこそ常闇の竜王(ディープダークネスドラゴンロード)が守っていたという、この世界の理を捻じ曲げるという幻のアイテム、永劫の蛇の指輪(ウロボロス)。何故分かったのか...私の中に流れる血が教えてくれたのかも知れんがな。一説には白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)・ツァインドルクス=ヴァイシオンと同等、若しくは強いとされるあの竜を倒したとなると、魔導王もルカも化物と言わざるを得まい」

 

「我が国の周囲には、何かと竜にまつわる伝承が多い。それもひょっとしたら、陛下の血筋に引かれて彼らがやってきた故なのかも知れませんね」

 

「その可能性は否定せんがな。あるいはその逆、か....まあとにかく、これが私の知るルカ・ブレイズの全てだ」

 

「承知致しました、ご教示いただきありがとうございます。その彼らが3日間護衛についてくれると言うのであれば、心強いですな。無下に扱わずに正解でした」

 

「うむ。今日の面会はこれで全て終了したな? 酒を持ってきてくれ、疲れを取りたい」

 

「こじつけがましい理由ですが、今日のがんばりに免じて許して差し上げますか。只今持って参ります」

 

「グラスは2つでな」

 

「私も飲むんですか?」

 

「祝杯を挙げるのに一人で飲むのはつまらん」

 

そう言うとドラウディロンは頬杖をつき、ニヤリと宰相に微笑んだ。

 

「なるほど、畏まりました。それでは同伴させていただきます」

 

宰相も呆れた顏で微笑み返すと、酒を取りに玉座の間を出て行った。

 

 

 ─── 一週間前 ナザリック地下大墳墓 第十階層 玉座の間 17:30 PM

 

 

 重々しく扉が開かれると、ルカ達は目の前に広がる光景を見て我が目を疑った。玉座まで真っすぐ伸びるレッドカーペットの左右には、完全なシンメトリーで立ち並ぶナザリックエルダーガーダーがざっと見て1000体。天井を見上げれば、そこにも整然とぶら下がるエイトエッジアサシンが50体ほど逆さになり、首だけを動かしながらこちらを見つめていた。

 

 ルカはその荘厳な大聖堂(クリプト)を思わせる光景を見て感極まり、右手で口を覆う。そしてレッドカーペットに一歩踏み出すとファンファーレが鳴り響き、(ザン!)という音と共に、カーペット両脇に並ぶナザリックエルダーガーダー達が魔導国の国旗を結んだポールを掲げ、ルカ達の進む先に屋根を作った。一歩一歩踏みしめるようにそのトンネルを歩き、3人が通り過ぎるとエルダーガーダー達は一斉に国旗を引いた。

 

 その先には、まず戦闘メイド・プレアデス達が恭しく頭を下げてルカ達3人を迎え入れ、次に階層守護者達が右腕を前に掲げ、笑顔で立ち並ぶ。左にはセバス・マーレ・コキュートス・ヴィクティム、右にはデミウルゴス・アウラ・シャルティア・そしてルベドまでもが列席し、ルカ達3人を迎え入れてくれた。

 

 彼らの背後には、デミウルゴス配下の嫉妬・強欲・憤怒三魔将を始め、アウラの使役獣フェンにクアドラシル、シャルティア配下のヴァンパイアブライド達、コキュートス率いる蟲の参謀達と、ナザリックの主たる面々が顔を連ねている。予想だにしていなかったサプライズにルカは嬉しさのあまり涙ぐみ、その場で皆に抱き着きたい衝動を我慢しつつ、その先に座る絶対者に向けて歩みを進めた。

 

 正面玉座の左に立つアルベド、そしてアインズ・ウール・ゴウン魔導王の座る玉座の階下に立ち、ルカはマントの裾でサッと涙を拭き取ると、笑顔でその場に片膝をついた。ファンファーレが止み、ルカの動きと連動するように背後の者たちも一斉に片膝をつく。そしてアインズは重々しく、しかし威厳のある口調で言葉を述べた。

 

「ルカ・ブレイズ、ミキ・バーレニ、そしてライル・センチネル! よくぞこのナザリック地下大墳墓へと戻ってくれた。2年前にお前達が残してくれた大いなる知識・経験・遺産・そして友情を、このナザリックにいる者たちは誰一人として忘れてはいない。そのお前達が今、我らナザリックの一員に加わってくれる事を、私は心の底より嬉しく思う。聞け、皆の者! これよりこの三人は、我らアインズ・ウール・ゴウン魔導国の大使としての任を受け、我らと行動を共にする者である。その証として、お前たち3人にこれを授けよう。ルカ・ミキ・ライル、前に出よ」

 

 アインズは右手を前に差し出した。ルカ達3人は恭しく目を伏せてスッと立ち上がると、一歩一歩階段を登り、玉座の前へと立った。すると何もなかったアインズの手のひらに、金であしらえた3つの指輪が現れる。ナザリック地下大墳墓内を自由に転移可能となる指輪、リングオブアインズウールゴウンだった。

 

 3人は順々にそれを受け取り、ルカはそれを右手薬指にはめた。ミキは左手人差し指に、ライルは右手小指に装備し、3人はそのまま背後へと下がった。そして再度片膝をつくと、アインズは玉座から立ち上がる。

 

「これを以て、ルカ・ブレイズ、ミキ・バーレニ、ライル・センチネルの着任式及び授与式を終了する!今後不測の事態が起こり得ぬとも限らん。その際は、ここにいるナザリック皆の力を持ってこの3人を守護せよ!皆ご苦労であった。この後は早速、今後に向けての作戦会議を応接間にて執り行う。各階層守護者・及び領域守護者達は全員出席するように。以上、解散!」

 

 配下の者達が転移門(ゲート)を潜り持ち場へと戻っていき、玉座の間にはアインズとルカ達、そして階層守護者達のみが残された。それを待ってましたと言わんばかりに、2人のダークエルフの子供がルカめがけて、はち切れんばかりの笑顔で駆け寄ってきた。

 

『ルカ様ー!』

 

「アウラ、マーレ、ただいま!」

 

 ルカはその場に片膝を付き、両腕を広げて二人を受け止め、抱きしめた。柔らかいシャンプーと日向のような癒やされる香りがルカの鼻孔を満たす。姉の方、アウラは身軽なレザーアーマーの上にシルクのベストを羽織っており、ショートの髪型と相まってボーイッシュな───しかし整った美しい顔立ちだ。弟のマーレも相変わらず超ミニのスカートを纏い、言われなければ男の娘だとは気付かれないほどの女の子らしい立ち振る舞いだ。ルカは首元に顔を埋める二人の首筋にキスをして、お互いの温もりを分かち合った。

 

「二人共、元気だった?」

 

「はい!ルカ様がいつ帰ってくるのかと、私達ずっと待ってたんですよ」

 

「ぼぼぼ、僕もルカ様に早く会いたくて、うずうずしてました...」

 

「そっか、待たせちゃったみたいだね。でも今回のミッションは長くなりそうだから、しばらくは一緒に過ごせるよ。その間よろしく頼むねアウラ、マーレ」

 

「もちろんですルカ様!ほら、マーレも」

 

「は、は、はぁい。ルカ様...ちゅ」

 

 二人は首元から顔を離して、ルカの両頬に優しくキスをした。まるで天使のような柔らかい感触に、ルカも思わず笑顔が溢れて2人を抱きかかえた。

 

「ん〜、ありがとう二人共!大好きよ」

 

「あたしの方が大好きですよ、ルカ様!」

 

「お、お姉ちゃんの方より僕のほうが大好きです、ルカ様...」

 

 小さな体をギュッと抱きしめて2人から体を離し立ち上がると、その背後から見下ろす白髪に白髭の執事風なスーツを着た初老の男性に歩み寄った。その目はまるで獲物を狙う鷹のように鋭く、そしてガッシリとした体格が年を感じさせず、隙のない立ち振る舞いだった。

 

「セバス、久しぶり。君も元気そうだね」

 

 ルカはセバスの肩を掴み、右手でガシッと握手をした。

 

「お帰りをお待ちしておりましたぞ、ルカ様」

 

「何か噂によると、彼女が出来たらしいじゃない?隅に置けないねえ」

 

「いっ、いえ!そのような事は。ツアレには本人立っての希望もあり、このナザリックで料理の修行をさせております故」

 

「そうなんだね。料理と言えば、蜥蜴人(リザードマン)のメスに一人、見込みのある子がいるんだけど、今度その子を見てやってくれないかな? 多分本人も喜ぶと思うから」

 

「おお、それは素晴らしい。ルカ様のご推薦とあらばこのセバス、喜んでその蜥蜴人(リザードマン)を育てて見せましょうぞ」

 

「うん、お願いね」

 

 次いでその右隣に浮かぶ、まるで胎児のようなピンク色のモンスターに歩み寄った。背中には枯れた小枝のような羽を持ち、フワフワと浮きながらルカに向けて一礼する。それを見てルカは天使系の種族だろうと予測したが、断言できる要素がなかった。

 

「やあ、前に戦った事はあるけど、君と話すのは初めてだね。名前は何て言うの?」

 

「Nomen mihi est nomen meum, et victima.」

 

「..っとお、この響きはラテン語だね。アインズ、何て言ってるの?」

 

それを受けてアインズが玉座から立ち上がる。

 

「ハッハッハ、(私の名はヴィクティムです)と言っているのだ。ヴィクティム、通常語で話してやれ」

 

「はい、大変失礼を致しましたルカ様。私の名はヴィクティムと申します。よろしくお願いします」

 

 その小さな体でペコリと頭を下げ、ルカ達に一礼するヴィクティムを見て、ルカは宙に浮かぶその体の両脇をそっと手で掴んだ。ヴィクティムはその手の中で体を預けてじっとしている。その見かけに反して言いようもない可愛さに、ルカはヴィクティムを自分の胸元へと手繰り寄せた。ヴィクティムはその温もりの中で静かに目を閉じる。

 

「...やばい、どうしようアインズ。この子ツボかも」

 

「フフ、そうか。見かけは貧弱だが、ヴィクティムは階層守護者だからな。その真の力は、ヴィクティムが死んだ時に発動する。あまり侮らない方がいいぞ?」

 

「侮ってなんかいないよ。だから前に戦った時に警戒して、倒す順番を最後に回したんだから」

 

「ルカ様、何かあった際は私を躊躇なく殺してください。私はその為に創造され、生まれて来たのですから。その後はアインズ様が生き返らせてくれますので」

 

「まあ、なるべくそうならないようにするよ。よろしくねヴィクティム」

 

 掴んでいた両手を離し、フワリとヴィクティムが宙に浮くと、ルカは背後から視線を感じて右の列へと振り返る。そこには漆黒のボールガウンドレスを着た、白蝋のように肌の白い美しい少女が一人立っていた。その瞳はルカと同様に赤く輝き、口元に微笑を湛えるその姿は外見に反して大人びて見える。それがより一層彼女の魅力を引き立てていた。ルカはその少女に歩み寄り、目線を合わせる為にその場で片膝をついた。

 

「ただいま、シャルティア」

 

「ルカ様、お待ちしておりんしたぇ」

 

 それを聞いてルカは両膝をつき、シャルティアの腰に手を回して自分の元へ抱き寄せた。香しいローズエレメント系の香りがルカの鼻孔を満たす。そのままシャルティアの首元へ顔を埋めて深呼吸すると、シャルティアもルカの背中へ手を回し、同じようにした。

 

「会いたかったよシャルティア」

 

「私もでありんす。それに会いたかったのなら、もっと早くに帰ってきてほしかったでありんすぇ」

 

「ごめんね、私も研究に夢中で手が離せなかったんだ。でもこうしてまた会えたし、戻ってこれて良かったよ」

 

「現実世界とは、さも甘美な所でありんすか?」

 

「ああ。ずっと帰りたかった所だからね。今度シャルティアも来てみる?」

 

「...今は遠慮しておくでありんす。この世界でもやる事が山積みですし、アインズ様のお力になる事が第一でありんすから」

 

「そっか、そうだよね。私もその為にここへ来たんだし、がんばらないと」

 

「安心しなんし、私もこの世界で色々学びんした。今度は私がルカ様をお守りする番でありんす」

 

「頼りにしてるよ、シャルティア」

 

「任せなんし」

 

 そっとシャルティアの左頬にキスをしてルカは体を離した。シャルティアは頬を赤らめたが、その表情はとても幸せそうだった。久々にこの美しい笑顔が見れてホッとしたルカは立ち上がり、シャルティアの左隣に立つ女性に目を向けた。血のように赤いワンピースを纏うスラリとした姿、肩まで伸びた緩いウェーブのかかる髪から覗くその顔立ちは非常に美しく、角は生えていないが目鼻立ちがどことなくアルベドに雰囲気が似ていた。唯一違う点は、その顔が完全な無表情であり、ただジッとルカを見つめている。

 

「ただいまルベド、前に戦って以来だね。君とこうして向かい合って話すのは初めてかな?」

 

「...ルカ・ブレイズ...ルカ...」

 

 そのぎこちない様子を見ていたアインズが、助け舟を出した。

 

「どうしたルベド。お前がルカに会いたいと言うからこの場に連れてきてやったのだぞ。何でも好きな事を言うがいい」

 

「...はい...アインズ様。感謝...致します」

 

 ルカとアインズをしてナザリック中最強と認める存在、それがルベドだった。普段は滅多に感情を表に出さない彼女が唯一口にした希望、それが以前に戦い、激闘の末結果的に敗北したルカとの再会だった。アインズはそれに驚き、急遽この場へのルベドの列席を認めたのだった。

 

「...ルカ。...よく...帰ってきてくれた...待っていた..」

 

「嬉しいよルベド、君にそう言ってもらえるなんて。あれから変わりない?」

 

「私は...変わらない。...何も...」

 

「そっか、元気そうで何よりだよ」

 

 ルカはルベドの手を取り、胸の前で優しく握った。まるで人形のように美しく、しかし無表情なルベドの瞳の奥に宿る光が一瞬揺らぐ。

 

「...ルカ。私も....なった」

 

「ん? 何になったの?」

 

「...なったんだ...レベル...150。アインズ様に...連れられて...あの...暗い世界へ...」

 

「えー!ルベドをガル・ガンチュアに連れて行ったのアインズ?」

 

「フフ、そうだ。ルベドだけじゃなく、お前がいない2年の間にプレアデス達も連れて行ってな。彼女らのレベルは100で揃えたが、ナザリックの平均レベルを一気に底上げしたのだよ」

 

「すごいじゃない...!」

 

 そう言ってルカは背後に並ぶ6人のプレアデス達を見た。ルカの視線に気づき、彼女たちは恭しくお辞儀をする。ひんやりとした冷たい手がルカの手を握り返してきた事に気づき、ルカは再びルベドへ目を向けた。

 

「だから...ルカ。落ち着いた時でいいから...また私と....戦ってほしい。一対一...今度は...本気で...」

 

「そうだね、落ち着いたらね。その時はまた試合をしよう。約束するよ、手は抜かないって。でも今は魔導国の事に集中しなきゃ。ルベドも手伝ってくれるよね?」

 

「何でもしよう...私に...出来る事ならば」

 

「ありがとうルベド。心強いよ」

 

 ルカは握っていた手を離し、そっとルベドを抱きしめた。ルベドの体が一瞬強張ったが、ルカが背中をさすると安心したのか、徐々に体を弛緩させていく。そしてルベドも、恐る恐るルカの背中に手を回した。恐らくハグされた事など、今までルベドはなかったのだろう。ルカの温もりを感じてルベドは首元に顔を埋め、静かに目を閉じた。ルベドの体からは、ローズバイオレットを基調とした、シャルティアとはまた一味違う心地よい大人の香りがした。

 

 その様子を見た姉妹のアルベドも驚き、口元に手を添えている。

 

 まるでルカの肩口で眠っているかのように動かないルベドの背中を軽くトントンと叩くと、ハッとしたルベドは慌ててルカの体から離れた。しかしそこには優しく微笑むルカの顏がある。ルベドは目を大きく見開き、最初の時と同じくただルカを凝視していた。

 

「さて、これで全ての者達が再会を終えたな。早速だがプレアデスを除く全員で応接間へ移動しよう。そこで今後の方針を決める」

 

『ハッ!』

 

 アインズは右に向かって人差し指を向けた。

 

転移門(ゲート)

 

 開いた暗黒の穴に、ルカ達3人と階層守護者達が続々と入っていった。

 

 

 ───ナザリック第9層 応接間 19:27 PM

 

 

 長方形の長い机を囲むように13人全員が着席すると、ルカはアイテムストレージからオートマッピングスクロールを取り出し、皆に見えるように机の上へ広げた。それを見ながらアインズが口火を切る。

 

「さて、ルカよ。お前はどこから攻めた方が良いと思う? 私としては厄介な場所から先に手を付けた方が良いと思うのだが」

 

「そうだね、その意見には私も賛成。その厄介な国であるアーグランド評議国、スレイン法国、八欲王の空中都市の中で、私が面識を持った国はアーグランド評議国のみ。スレイン法国と空中都市は、あくまで偵察のみで終わらせたという経緯がある」

 

「成程な。それならアーグランド評議国にまずは的を絞りつつ、その周辺の国家も見てみよう。まず帝国から北東のカルサナス都市国家連合だが、これについては何か情報はあるか?」

 

「そうだね、この周辺は特に目立った情報が無かった事もあって軽視してたんだけど、知りうる限りでは、ここには人間以外に亜人の国家も混ざっている。その中心的存在と噂されているのが、ベバードという都市を治めるカベリア都市長という女性だ。もしここに渡りを付けるのなら、まずはベバードから着手した方がいい」

 

「承知した。特に急いで先立つ事もなさそうだな。では次にこの地図で言うと...都市国家連合から南東にある、この浮島だな。ここには何がある?」

 

「海上都市だね。行ってみれば分かると思うけど、ここは相当に不思議な街だよ。ただの交易港かと思えばリゾート的な面も持ち合わせているし、何より不思議だったのが、その街に建っている建物だ。旧態然とした木造の建物があるかと思えば、コンクリートで作られた近代的な物流倉庫のように巨大な建築物も存在する。その新旧ごちゃ混ぜな街の構成を見て私が思ったのは、この海上都市は何かのギルド拠点が転移してきたのではないかという可能性だ。このナザリックと同じように」

 

「ほう。お前の事だから、当然プレイヤーがいないか探したんだろう?」

 

「もちろん。でも基本的にはプレイヤーの影も形もない情報ばかりだった。その代わり、面白い情報もあった。何でも海上都市には広大な地下があり、その最下層で眠るという”彼女”と呼ばれる存在がいるらしい。(夢見るままに待ちいたり)という伝承が、街の酒場や至る所で確認された。ちなみに何故ここまで分かったのかと言うと、アーグランド評議国にいるツアーというドラゴンから、事前にある程度の情報を聞いていたからだ。彼も明言は避けていたが、その言葉の端々から察するに、どうやら十三英雄にまつわる何者かがスリープモードに入っているという事らしかった。その後再度海上都市に戻り、長期間に渡ってその地下への入口を探したが、残念ながら発見できなかった。うまいことカモフラージュされているんだろうね」

 

「十三英雄にまつわる者なら、その”彼女”というのがプレイヤーという線も捨てがたいんじゃないか?」

 

「私もそうは思ったんだけど、もしそうだとして、アクティブでないプレイヤーを今更無理矢理叩き起こしても意味がないと思ってね。面倒ごとになりそうだったから、情報を蓄えたという事で満足し、私達はそれ以来海上都市から手を引いたんだよ」

 

「魔導国と友好関係を結ぶ・及び傘下に入れるという点で考えても、あまりメリットが無さそうな感じではあるな。いずれは着手すべきだろうが」

 

「そうだね。いざとなれば力づくという手段もあるけど、それは最後にした方がいいかな。変に周辺諸国を刺激するだけだし」

 

「アルベド、デミウルゴス。ここまで聞いてどう思う?」

 

「そうですね、まずは周辺全ての状況を把握した上で判断した方が良いでしょう」

 

「ルカ様とアインズ様の仰る通り、現時点でその2つの国家を優先するという理由はどこにもないかと思われます」

 

「そうだな。では海上都市もひとまずは置いておこう。次に来るのは、本土に戻って南東にある竜王国だな。ここはどうなのだルカ?」

 

「この国とは色々と因縁があってね。まあその話は後でするとして、竜王国を治めるのは黒鱗の竜王(ブラックスケイルドラゴンロード)、ドラウディロン・オーリウクルス女王だ。彼女自身は人間だが、七彩の竜王(ブライトネスドラゴンロード)の血を引いているようで、ドラゴンにしか使えない始原の魔法を使いこなせるらしい。国の特産品は香水で、竜王国の周辺でしか取れない花や香草を使用して作っている。今私が付けているフォレムニャックという香水も、竜王国原産の高級品だ。つまり一大ブランドってわけ。

 

まあそれは置いといて、この国の隣にはビーストマンの国家があって、長年に渡る抗争に悩まされ続けている。私が竜王国へ最後に行ったのは5年前だけど、その時点でも既に火の廓だったらしい。この国は帝国のように専業兵士を持たず、兵力は専らアダマンタイト級冒険者や法国に頼り切っているらしい。一応補足しておくと、竜王国に唯一存在するアダマンタイト級冒険者チームはクリスタル・ティアという。その他に裏の請負人(ワーカー)チーム”豪炎紅蓮”がいて、リーダーはオプティクスと言う。そいつらとは一度戦ったが大した腕ではなかった。しかしこの2チームがいなければ、戦線を維持できない状態という事だ」

 

 アインズはそこまで聞いて、右手を顎に添えて何かを考えている様子だ。

 

「ふむ、因縁があると言うだけあって詳しいな。何があったのだ?」

 

「まあ、簡単な事だけどね。ドラウディロン女王がワーカー達を雇い、私の正体を探ろうと差し向けてきたんだよ。もちろん返り討ちにして全てを吐かせた後に、一部記憶操作(コントロールアムネジア)を使って私達の容姿に関する記憶を消去した後に解放してやったけどね。その後をつけて竜王国の居城に侵入し、女王に直接脅しをかけるつもりで面会したんだ」

 

「それはさぞ肝を冷やした事だろうな。今もあの国があるという事は、女王を殺さなかったんだろう? 何故やらなかった?」

 

「あの子は...といっても、見かけに反して随分年が行ってるみたいだけど、その幼い少女はただ、竜王国を守れる戦力が欲しかっただけだと分かったからさ。特にやましい理由もなかったから、見逃してあげたんだよ」

 

「つまり、お前は女王に大きな貸しがある、という訳だな?」

 

「そういう事になるね。...って、まさかそこから突いていくつもり?」

 

「それを使わずにいるのは勿体ないだろう。こちらにも大義名分が出来るしな。デミウルゴス、竜王国に関する最新の情報はあるか?」

 

「はい。半年ほど前よりビーストマンの軍が竜王国に向けて大侵攻をかけたようですね。あわや王都が陥落しそうになった時、竜王国女王が始原の魔法を行使して敵軍を撃破し、何とか立て直したようですが、報告によればビーストマン共は兵を再集結させ、再び侵攻する構えを見せている模様とあります」

 

「始原の魔法か、一度見てみたいものだ。超位魔法クラスの破壊力があれば、あながち無視もできんしな。それに同じ竜の血筋を救ったとあれば、アーグランド評議国へ乗り込む際に多少でも有利に働くと思えるが、どう思うルカ?」

 

「アーグランド側がドラウディロン女王を同じ血筋と考えているのかどうかも怪しいけどね。何故なら、竜王国が危機に瀕しているというのに、彼らは一向にあの国を助けようとせず、無視し続けている。もしやるなら、あくまできっかけとして判断しておいた方が無難だと思うよ」

 

「まあどちらにしろきっかけにはなる訳だな、それで十分だ。ルカ、まずは竜王国に魔導国大使として乗り込んでほしい。その対応如何によって、スレイン法国及び八欲王の空中都市への対応も考えたいと思う。それで問題はないか?」

 

「OK。とりあえず女王に会うとなれば、陛下には一筆書状を書いてもらいたいかな」

 

「ああ、それはこちらで用意しよう。デミウルゴス、後程私の執務室へ来てくれ。書状の内容を確認したい」

 

「承知致しました」

 

「それでは今より一週間後、ルカ達3人は竜王国へ着くよう準備を整えてくれ。その間に必要な処理は全てこちらで済ませておく。それまで守護者各員はナザリック内を警戒しつつ、体を休めるように。よいな?」

 

『ハッ!』

 

ルカ達は客室へと戻り、各階層守護者達はそれぞれの持ち場へと帰っていった。

 

 

───ルカ達が竜王国に到着して2日後 14:53 PM

 

 

 会談を控えた前日、場内では魔導王を迎え入れるための準備を進めると共に、女王への来客があとを絶たなかった。ルカ達3人は宰相と共に玉座の間へ同席し、ドラウディロン直属の護衛に当たった。専らビーストマン達の動向と街の執政に関する報告ばかりだったが、それ以外にどこから聞きつけて来たのか、魔導国との取り成しを求める竜王国内の貴族達も数名いた。最後の来客が去り、ドラウディロンは玉座の背もたれに体を預けて大きく溜息をつく。その様子を見て、ルカは優しい目を投げかけていた。

 

「大変ですね、女王陛下」

 

「ああ、全くだ。会談を明日に控えたこんな日に限って来客が多い。素面(しらふ)でよくやってられると我ながら感心するわ」

 

「陛下はまだ子供なんですから、そのような事を申してはなりませんよ」

 

「ルカ、お前も分かっておろう?私が見かけ通りの年齢じゃない事くらいな」

 

「ええ、存じております。5年前に陛下と初めてお会いしたその時から」

 

「どうやって知ったのだ?」

 

「私の種族特有の魔法がございまして。僭越ながら読心術(マインドリーディング)を使用させていただきました」

 

「マインド...つまり心を読む魔法か?」

 

「ええ。正確には表層上の思考や感情の流れを受信する魔法です。相手の深層心理まで探れるものではありません」

 

「...ルカ、私の元まで来い」

 

「?」

 

 そう促されて、ルカは玉座のすぐ左に歩み寄った。するとドラウディロンはルカの左手を握り、顔を上げてルカを真っ直ぐに見た。目を大きく見開いたその表情は真剣であり、幼い外見に反して美しさすら漂わせている。ルカはこの感覚に既視感を覚えた。そう、戦いの後にシャルティアと初めて打ち解けあい、その美しい笑顔を見せてくれた、あの時の感覚。ルカはそれを思い起こし、不覚にも癒やされていた。

 

「...私は今、何を考えていると思う?」

 

 女王を見つめるルカの赤い瞳がユラリと輝き、ドラウディロンの思考と感情が脳内に流れ込んでくる。それを受けて、小さく柔らかな手を握るルカの指に力が籠もった。

 

「...漠然とした疑念、不安、恐怖。”明日の会談は上手く行くだろうか?”という切迫した感情。そして何よりも強く輝いているのは、この国を、そして民達を、どんな手を使ってでも守りたいという大いなる希望...そんなところでしょうか」

 

「...やはりお前に嘘はつけんな。その通りだ」

 

 ルカは手を握ったまま、ドラウディロンと目線を合わせるようにその場で片膝をついた。

 

「あなたは...あなたは、5年前と何ら変わりない。その偽らざる本心があったからこそ、私はあの時あなたを生かした。しかし私に頼ることなく、あなたはこの苦境を耐え抜いた。その覚悟に敬意を表します、女王陛下。ご安心ください、我等が魔導王陛下は、きっと最善の策を女王陛下にご提示くださるでしょう。あなたは悩み、十分すぎるほど苦しんだ。もうここらで、その呪縛から解き放たれてもいいはずです」

 

「...私はお前を...いやお前達を、竜王国に欲しかった」

 

「光栄です、陛下」

 

 ルカはドラウディロンの手をそっと放して立ち上がり、軽く一礼した。

 

「それでは陛下、明日の会談に備えて私達は城の周囲を偵察してまいりますので、これで失礼します。何か御用の際は、この伝言(メッセージ)のスクロールを使用して私を呼び出してください」

 

 懐から取り出した羊皮紙のスクロールをドラウディロンに手渡すと、ルカ・ミキ・ライルは玉座の間を後にした。それを見送り、ようやく宰相も緊張の糸が解けたように深い溜め息をつく。

 

「...不思議な連中ですね。この2日間じっくりと観察させてもらいましたが、変に力をひけらかすこともせず、情報を集める様子も見せずに、ただ陛下の護衛に徹していた。何を考えているのかも伺いしれませんし、私は正直苦手なタイプですね、彼女は」

 

「フフ、お前でも苦手なものがあるのか? かつて”凶刃”とまで謳われた元アダマンタイト級冒険者、カイロン・G・アビゲイル。お前から見てルカ達はどう見える?」

 

「化物ですよ、彼女らは。...それと私はもう引退した身。その名で呼ぶのはお止めください。いつも通り宰相で結構です」

 

「...なあ、カイロン。お前が初めてこの国に来たときの事を、覚えているか?」

 

「ええ、もちろん覚えていますよ」

 

「あれから15年。よくもまあ逃げずに私の元に居てくれたものだ」

 

「陛下の身は私がお守りします。いざとなれば、この国を捨ててでも陛下お一人を連れて逃げるつもりですから、その点はご心配なく」

 

「宰相とも思えん言葉だな」

 

「忠義と受け取ってほしいですね。それに私が居なくなったら、一体誰が陛下の愚痴を聞くと言うんです?」

 

「そうだな、全くだ。明日の警備と段取りはどうなってる?」

 

「ハッ、抜かりなく。相手はアンデッドですので会食もどうかと思いましたが、一応ご予定には組み込んであります」

 

「作法というのもあるしな、問題なかろう。それでは私は自室へ戻り少し休む。後は任せたぞ」

 

「畏まりました」

 

 ドラウディロンが玉座の間を去ると、カイロンは正面から死角となる玉座背部にかけられた片手剣と盾に目を向けた。そしてその剣の柄にそっと手を乗せて、感触を確かめる。

 

「はてさて、うまく事が運んでくれればいいんですがね」

 

 その剣と盾に冷めた目線で一瞥すると、宰相も玉座の間の扉を開けて部屋を後にした。

 

 

 ───竜王国居城3F 客室の間 23:50 PM

 

 

 部屋の右奥に備え付けられた広いバスタブで入浴し、頭と体を拭いて白いネグリジェに着替えたルカはベッドに腰を下ろし、ヘアブラシで髪をとかしていた。25畳ほどの広い部屋で、高い天井にはシャンデリアが輝いて部屋の隅々までを照らし、左手にはレースの敷かれた天蓋付きの広いベッドに、右手には季節外れの暖炉が備え付けられている。その上には金や銀であしらえた豪華な調度品や絵画が飾られており、かといって派手ではなく落ち着いた雰囲気を醸し出すその部屋を、ルカは気に入っていた。髪をとかす途中で体から香る心地よい香りに包まれ、自分の腕を鼻に近づけた。

 

「んん~、さすがは香水大国。石鹸もいいものを使ってるね」

 

 自然と笑顔になり、髪をとかし終えてベッドに体を横たえリラックスしていた所へ、足跡(トラック)が異常を感知した。

 

(...扉の外には衛兵2、東側廊下沿いに5。それとは別に上層階での動体反応が2名。4Fから3Fへ...西の廊下から、真っ直ぐにこの部屋へ向かってくる)

 

 動きを察知したルカは即座にベッドから体を起こし、ハンガーに吊るされたベルトパックから、エーテリアルダークブレード2本を金属製の鞘ごと引き抜き、音を立てないようベッド脇にそっと置いた。

 

 扉まで残り10ユニット。5ユニット、4、3、2、1…

 

(コンコン)と部屋の扉がノックされた。ルカはベッドに腰掛けたまま警戒態勢を解かず、扉の向こうに返事だけを返した。

 

「どうぞ」

 

 これ以上ないほど冷ややかな視線を扉に向けていたルカだったが、(ガチャリ)と頑丈な木製の扉が開き、中に入ってきた小さな姿を見て目を丸くした。

 

「じょ、女王陛下?」

 

「済まんなルカ、邪魔だったか?」

 

「いえ、そのような事は」

 

「そうか。ミーナ、それをこちらに」

 

 続いて入ってきたのは、金髪で容姿の整ったメイド姿の女性だった。年は25、6だろうか。彼女は銀のトレーを持ち、その上には、表面にナスカの地上絵・ハチドリのような白い紋様が描かれた茶色のデキャンタとグラスが2つ。そして銀製の皿の上には平たく焼かれたクラッカーと、香ばしい香りのする湯気の立ったベーコンのような肉が乗せられていた。

 

 ミーナと呼ばれるメイドが部屋の中央に設置された白く華奢な円卓にトレーを置くと、ドラウディロンに恭しく頭を下げた。

 

「それでは陛下、私は部屋の外におりますので、御用の際はお呼びくださいませ」

 

「ミーナ、もう時間も遅いから先に戻っていてくれ。このルカは明日までは私の護衛だ、何の心配もいらん」

 

「畏まりました。それではルカ様、陛下をよろしくお願い致します」

 

「ああ、任せてくれ」

 

 メイドが出ていくと、ルカはドラウディロンに顔を向けた。

 

「どうなされたのですか陛下? このような夜更けに」

 

「何、一度横になったんだが眠れなくてな。お前のことだからまだ起きていると思い、寝酒に付き合ってもらおうと来たわけだ」

 

「それは構いませんが...明日の事もありますし、程々にしておきませんと」

 

 寝酒という言葉がこれほど似合わない少女もいないだろう。フィッシュボーンを解き、可愛らしいピンクのネグリジェを着たドラウディロンは、ルカに微笑み返した。

 

「ルカ、そのような堅苦しい言葉はよせ。昔のように気さくなお前に会いたくて、私はここへ来た。女王としてではなく、一人の女としてお前に会いに来たのだからな」

 

 ルカはそれを聞いてキョトンとしていたが、やがて「フッ」と鼻で笑うと、仕方なさそうに無言で2つのグラスを並べ、デキャンタに収められた赤ワインを注ぎ込んだ。それをドラウディロンの前に置くと席に付き、グラスを中央に掲げた。

 

「乾杯、ドラウディロン」

 

「乾杯、ルカ。私の事はドラウで構わん。父と母にはそう呼ばれていたんだ」

 

「了解、ドラウ」

 

(キン!)とグラスを重ね、ワインを仰ぐ。口に含んで舌の上で転がし、ゴクリと飲み込んだルカは驚愕の表情をドラウディロンに向けた。

 

「...美味しい! フルーティな香りと酸味が絶妙なバランスだね。喉越しも最高だ」

 

 ルカは再度グイッとグラスを仰いで飲み干した。ドラウディロンもそれを受けてグラスを仰ぐ。

 

「喜んでもらえたようだな。このワインの名は、シャトー・デ・ダークドラゴンキングダム・エンシェット・ブラックと言う。王家のためだけに特別に作られるワインで、その名称は代々の竜王の名が冠される。この国に関わるもの以外でこのワインを飲んだのは、お前が初めてになるぞ」

 

「フランス語だね。(漆黒の竜王国城)か、素敵な名前だね」

 

「フランス語? それはどこの国だ?」

 

「ああいや、遠い国でね。こことは別の世界にある国だよ」

 

「そうか、フフ。まあいい」

 

「このクラッカーとお肉食べてもいい?」

 

「もちろんだ、ワインと合うぞ」

 

 ルカは横に置かれたナイフとフォークで細かく切り分けると、その一切れをクラッカーの上に乗せて口に運んだ。サクッという香ばしい感触が口の中に広がる。

 

「んん〜、美味しい!!これベーコンだよね? それにしてはそんなにしょっぱくないし、柔らかい! このクラッカーも小麦の香りが強くてベーコンと合うね!」

 

「熟成させた塩漬け豚の肉だ。そのクラッカーも全粒粉を使っているからな、混じり気なしの小麦の香りが楽しめる」

 

 ルカはデキャンタを手に取り、ドラウディロンと自分のグラスに注ぎ足すと、再度グイッとグラスを仰いだ。

 

「はー。ちょっとこれ最強の組み合わせじゃない? こんな美味い酒とおつまみ毎日食べてたら、ドラウ太っちゃうよ?」

 

「その心配はない。こう見えても毎日運動してるからな。ルカ、お前は昔と変わらずスリムだな」

 

「だって、あたしは普段から動いたり戦ったりしてるもの。飲んだり食べたりしても、そっちに全部持って行かれちゃうからね」

 

「それは羨ましい限りだ」

 

「君だって十分可愛いんだから、そのまま維持すれば何の問題もないよ」

 

「本当の私の姿を見たら、失望するかもしれんぞ?」

 

「シェイプシフターの魔法だね。大人になっても大体の想像はつくから、気にしないでいいよ」

 

「...知っていたのか」

 

「まあね。見破る魔法はあるけど、それをしても意味ないし。それとも、見てほしいの?」

 

「...いや、そういうわけじゃない。バレているのなら隠しても仕方がないだろう。この子供の姿がそのまま大人になっただけの話だ、見ても仕方あるまい」

 

「じゃあ、どちらにしろ可愛いんだから問題ないでしょ?」

 

「可愛いかどうかは私も分からんが、本当の姿を見たら一人絶望する奴がいてな」

 

「絶望? 意味が分からないけど」

 

「ああ、私も理解に苦しむ。この国唯一のアダマンタイト級冒険者に、セラブレイトというのがいてな。そいつはぶっちゃけ、ロリコンなのだ」

 

「げ...私はお稚児さん趣味はないから、全く分からないけど」

 

「それでな、そいつは私と謁見する度に、足から胸までをねっちょりとした目で眺めてくるのだ。お前があいつの心を読んだら、失神するかもしれんぞ」

 

「その前にそんな犯罪者、私なら殺しちゃうかもしれないな」

 

「それが出来たらどれだけ楽だろうな。しかしそやつはこの国の為に、その身を削り数多の武勲を立てている。無下に扱う訳にもいかないんだ」

 

「そうなんだ。まあ明日の会談が無事終われば、そんな変態野郎に頼る必要もなくなると思うし、いいんじゃない?」

 

「フフ、そうなる事を願ってるよ」

 

 止めどない話を続けながらルカとドラウディロンは話し続け、デキャンタのワインが底をついた所で時刻は深夜一時を回ろうとしていた。

 

「ドラウ、お水飲む?」

 

「ああ、酔覚ましにいただこう」

 

 ルカは中空に手を伸ばし、暗黒の穴から透明なデキャンタとコップ2つを取り出すと、その中へ並々と水を注いだ。ルカはそれを一気に飲み干し、2杯目を注ぐ。ドラウディロンもコップ半分ほどを飲み、ホゥとため息をついた。魔法の力なのか、氷水のように冷えた水が胃の中の熱まで冷ましてくれているようだった。ふとドラウディロンはベッドに目をやり、その上に置かれた一対のロングダガーが目に入る。

 

「私が来るのを警戒していたのか?」

 

「ん? ああ違う違う、二人が部屋に近づいてくるのが分かったから、念の為に用意しただけだよ。ドラウだって気付いていたわけじゃない」

 

「お前はそうやって、この二日間私の身の回りを警戒してくれていたのか」

 

「そうよ。この城の周辺くらいなら、まるまる私達の警戒区域に入るからね」

 

偵察者(スカウト)顔負けだな。大したものだ」

 

「ありがとう。さて陛下、明日もあるしそろそろ寝ないと。随分飲んじゃったみたいだし、部屋まで送るよ」

 

「ああ、最後にルカ、一つ聞きたいんだが...」

 

 ドラウディロンはテーブルに目を落とし、椅子の上で急にソワソワしだした。

 

「どうしたの?」

 

「その、明日の会談なんだが。うまく行くだろうか? お前ならいざ知らず、どうも魔導王閣下という人物がよく理解できていなくてな。お前ほどの女が惚れ込む相手なのだから、それに足る者だという事は分かる。しかし万が一ゴウン魔導王の機嫌でも損ねて、この竜王国に攻め入られでもしたら、私はどうすればよいのか...それが不安でな」

 

「...フフ、それが分からないから明日試しに会ってみるんでしょ? 大丈夫、魔導王陛下は常識的な人だから。保証は出来ないけど、きっと会談もうまい方向に持っていってもらえると思うよ」

 

「そ、そうか。お前がそう言ってくれるのなら安心だな。その言葉を信じ、明日臨むとしよう。今日はよく寝れそうだ」

 

「それは良かった。行こうか」

 

 椅子から降りる手を引いて、ルカとドラウディロンは客間から4Fへと向かった。

 

 

───会談当日 竜王国正門前 13:50 PM

 

 

 広い街全体を取り囲む幅30メートル程の城壁外堀には全周に池が張られており、そこに鎖で繋がれた頑丈な橋が城側から降ろされた。城へと続く大通りの左右には護衛の兵士達が並び、(一体誰が来るのか)と見物する野次馬達を遮っている。ルカは左手に巻いた金属製のリストバンドに目を落とし、外に向かって歩き始めた。ミキ・ライルも後に続く。城門をくぐって橋を渡り外へ出ると、そこに突如巨大な暗黒の穴が開いた。

 

 その穴からまず姿を現したのは、身長が有に3メートルを越えた漆黒の鎧をまとう骸骨の騎士・デスナイトだった。彼らは魔導国の国旗を高々と掲げ、統率の取れた2列縦隊で続々と穴の中から出てくると、次に巨大な漆黒の馬車が姿を現した。一見地味だが、よく見ると馬車のあちこちに金や銀・彫刻等の細かな装飾が施されたもので、その事から乗っている者がただ者ではないという無言の威圧感すら感じさせる豪華な馬車だ。ルカ達3人はそれを見て一礼し、馬車の先頭を歩き始める。そしてその馬車の後方にもデスナイトが続き、前後合わせて20体のデスナイトに囲まれながら、馬車は竜王国へ入城した。

 

 街の中へ入ると、凶悪なデスナイトの姿を見て見物人達から畏怖のどよめきが上がった。馬車のカーテンは閉め切られており、中の者の姿を確認する事ができない。そんな中一行は一路竜王国城へと向かう。大通りを守る兵士達からもどよめきが上がるが、馬車が城の正門前まで着くと、ルカは折り畳まれた足場を引き出して地面まで敷いた。そしてルカ・ミキ・ライルはその場で片膝をつくと、馬車の扉が開いて中から一人の男が降りてきた。

 

 死の支配者(オーバーロード)。その体には漆黒のローブを身に纏い、全身に固められた神器級(ゴッズ)アイテムが太陽を反射し、眩く輝いている。当然その姿は骸骨──人間ではない。にも関わらず、その威厳ある姿に竜王国の兵士たちまでもがその場に片膝を付き、魔導王を出迎えた。

 

「ルカ、護衛任務ご苦労であった。何か問題はなかったか?」

 

「お待ちしておりました魔導王陛下。これといって問題は起きておりません。女王陛下もお待ちかねです」

 

「そうか、では行くとしよう」

 

 魔導王を先頭に、4人は居城正門へと進む。道の左右には竜王国の戦士達がズラリと並び、居城への階段を上った最上段には、白と緑を基調としたドレスを纏うドラウディロンと、紺色のスーツを着た宰相が階下を見下ろしていた。そこをアインズ達4人は一歩一歩上っていき、2人の元まで辿り着くと女王は会釈をしてアインズの前に進み出た。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下とお見受けする。私はこの国を預かるドラウディロン・オーリウクルス女王だ。ようこそ我が国へ、私達は貴殿を心より歓迎する」

 

「女王閣下自らお出迎えとはうれしい限りですな、オーリウクルス女王。私達の書状を受け取ってくれた事、そして我が魔導国の大使を受け入れてくれた事を心よりうれしく思う」

 

 アインズは女王に手を差し出すと、2人は壇上で握手を交わした。それよりも、ドラウディロンはアインズの声を聞いて驚いていた。予想に反し、落ち着いた人間然とした声と口調だったからだ。骨だけの顏、その眼窩に光る赤い光を見返しながら、ドラウディロンは心の中で考えていた。(このアンデッドが、ルカが惚れ込んだという魔導王...)様々な雑念を考えるほど余裕のある自分自身に対し逆に驚いてしまったが、それをドラウディロンは払拭してアインズに語り掛ける。

 

「ここまでの道のり、長旅でさぞ疲れた事だろう。ささやかながら会食の用意をしてある。我が国自慢の料理を堪能してほしい」

 

 アインズはそれを聞いて小首を傾げたが、その申し出に対し右掌を向けた。

 

「ありがたいお誘いだがオーリウクルス女王。アンデッドに食事は不要だ。それよりも貴国に残された時間的猶予を鑑みて、私としてはその分会談に時間を割きたいと考えているのだが、構わないかね?」

 

「あ、ああ。承知した。では早速応接間へ向かおう。ついてきてくれ」

 

 ドラウディロンの緊張感がグッと高まる。会食という予行演習なしのぶっつけ本番だからだ。城内へ入り、広い階段を上って4Fにある応接間の扉の前で、(ゴクリ)と女王は固唾を飲む。宰相が扉を開けると、天井の高いその一室には長いテーブルが用意してあり、右側に並ぶ椅子には中央の女王と宰相の座る席を空けて、竜王国の大臣クラスがすでに着席していた。アインズが入室すると共に、その大臣達が一斉に起立する。宰相に促されてアインズ達は左側に並ぶ席の前に立つと、皆が一斉に腰を下ろした。それを見て部屋の隅に待機していたメイドが手際よく皆の前にワインを置いていく。

 

「それでは女王閣下、貴国に知りえる現在の戦況を説明していただけるかな?」

 

 最初に口火を切ったのはアインズだった。それを受けて宰相は、手にした書類に目を通しながら説明していく。

 

「我が竜王国には計7つの都市がありますが、その内4つは既にビーストマンの手中に落ち、苦肉の策で残り3つの都市に住まう住民たちを、この首都へと避難させました」

 

「具体的な戦力差は分かるかね?」

 

「はい。東の国境沿いに控えるビーストマンの戦力ですが、まず主力である獅子人(ワーライオン)虎人(ワータイガー)連合の数が約5000。鼠人(ワーラット)は約3500、人狼(ワーウルフ)約2500、熊人(ワーベアー)約3000の、しめて14000の軍が控えております。ビーストマン本国に待機している戦力は残念ながら不明です」

 

「了解した。ルカ、この3日間で得た最新の情報を彼らに」

 

「畏まりました。国境沿いに控える兵の数は宰相殿が仰られた通りです。ビーストマン本国を偵察したところによりますと、少なく見積もっても約18000の兵がおります。それと陥落した4つの都市には総数5000程の兵が占領しており、今後総力戦が起きた際、合計37000体のビーストマンを相手にする事となりますね」

 

「さ、3万7000ですと?! 陛下」

 

「....我が国の総力を結集しても、兵は10000足らず。いくらアダマンタイト級冒険者を投入したとしても、到底防ぎきれる数ではない」

 

 ドラウディロンと宰相は、まるで最後通牒を受けたかの如く落胆した。それを聞いた周囲の大臣達もざわつき始める。しかしそこでルカが話の中に割って入った。

 

「魔導王陛下、それに女王陛下。私達が偵察した際、一人の獅子人(ワーライオン)を捕えて尋問し吐かせた結果、面白い情報が手に入りました。その話によると、”ビーストマン本国の王が変わった”との事。そしてそのビーストマン達は新たな王の強大な力を恐れ、半ば強制的に今回の大侵攻を行うに至ったそうです。その新たな王の種族その他の詳細は的を得ず不明ではありますが、少なくともビーストマンではないという事は把握できました。私の能力”読心術(マインドリーディング)”で心を読みましたので、恐らくは事実であるかと思われます」

 

 その報告を顎に手を添えて聞いていたアインズはルカのいる左の席に顔を向けた。

 

「...つまり以前であれば国境沿いの小競り合いで終わっていたものが、ここまで戦局を拡大させてきたのはその領土的野心を持つ新たな王の出現によるという訳か。概ね把握した。女王陛下、私達は貴国に対し3つの選択肢を提示する事ができる。まず一つ目は、ビーストマンの軍及び本国を滅ぼし、竜王国全土を魔導国の支配下に置く事。その場合国内で発生した金品及び物資の税額の内15パーセントを毎月魔導国に納めてもらう」

 

「じゅ、15パーセントですと?!無理だ、軍事費を削ったとしてもあまりに巨額すぎる!!」

 

 しかしアインズはそれには構わず、大臣達の喧騒を断ち切るかのように第2の提案を口にした。

 

「そして二つ目!...魔導国と貴国が一時的な同盟を結び、国境沿いに控えるビーストマン軍を撃退する事。但しその出兵する際はその都度毎何らかの形で対価を支払ってもらう。もしそれが一度でも支払えなかった場合、最悪魔導国は竜王国を占領する可能性もある事。つまり竜王国を担保に兵力を貸し出すという形になる」

 

 ドラウディロンはテーブルに身を乗り出して体を預け、アインズに質問した。

 

「何らかの形と仰ったが、それは金品・食料や我が国の特産品も含まれるのか?」

 

「我が魔導国にとって利益となるものであれば、物的、人的資源問わずあらゆる形で支払ってもらえればそれで構わない」

 

「了解した。それで三つ目は?」

 

「ビーストマン軍の殲滅及び本国を制圧して魔導国に組み込み、その対価として竜王国もまた魔導国の傘下に加わってもらう。その場合竜王国は魔導国の庇護下に入り、且つ従属という形ではないので、国が復興するまでの間魔導国はその支援を竜王国に対し行う用意がある。尚ビーストマン本国が万が一魔導国への編入を拒んだ場合は結果として本国を滅ぼす形になるので、その場合もあくまで魔導国傘下という形は変わらない」

 

「そこに関しては、魔導国側から竜王国への内政干渉は無いと受け取って構わないな?」

 

「もちろんだ。助言はするが、手出しはしない。そこは約束しよう」

 

「なるほど、それも了解した。しかしこれは今すぐには決められない重大事項だ。よって今から10分間、休憩を挟んで再度会談を再開したいと思うのだが、ゴウン魔導王。それで構わないだろうか?」

 

「ああ、オーリウクルス女王。もちろん構わないとも。但し一つだけ付け加えておく事がある。その休憩時間の間に今回の会談内容を破棄するといった内容が決まった場合、お互いにとってあまり喜ばしくない結果に繋がりかねないので、その点にも留意してほしい。よろしいかね?」

 

「そこは当然承知の上だ。ではここで一旦休憩を入れる。魔導王陛下には控えの間を用意したので、そこで休憩を入れてほしい」

 

 竜王国側の者達が席を立ったが、女王以外全員顔が真っ青で血の気が無い。皆アインズの放った3つの提案に憔悴しているようだった。別室に移動したドラウディロン一行は席に着き、議論を交わし始める。

 

「...まず提示された一つ目の案は絶対にない。選ぶとすれば二つ目と三つ目だが、どう思う宰相?」

 

「言葉通りに受け取るなら、そのどちらも結果的には魔導国の影響を受け、竜王国の消滅にも繋がりかねません。時間はかかりますが、これは私達だけで決断するのではなく、最終的には国民たちにその是非を問わなければならなくなります。我が国にとって現状一番都合が良いのは、3つめの選択肢である”傘下”という部分が”同盟”に置き換えられる事です。しかしこれは国の戦力が対等であればこそ成し得る。まだ交渉する余地は残されています。ここは魔導国側の譲歩を期待し、再度魔導王陛下にお尋ねしてみるのがよろしいかと存じます」

 

「そうだな、その線で行こう。では皆の者、応接間へと戻るぞ。ゴウン魔導王にもその旨を伝えてくれ」

 

「承知しました」

 

 ドラウディロン一行が応接間へ戻ると、アインズとルカ達は既に着席して待っていた。

 

「お待たせしたゴウン魔導王。それでは会談を再開したいと思う。私達としては3つ目の提案に関して興味を抱いている。その内容なのだが───」

 

 しかしそこでアインズは右手を上げてドラウディロンの言葉を遮り、逆に質問を返した。

 

「女王閣下、その前に1つ聞きたいのだが、貴国と国交のある国はどこなのかな?参考までに聞いておきたい」

 

 揚げ足を取られた形だが、自分の言いたい事を飲み込み、ドラウディロンはその質問に答える。

 

「国交と言うほど大袈裟ではないが、我が国の特産品は知っての通り香水だ。その輸出先となると数知れない」

 

「大きい都市だけで構わない。教えてもらえないか」

 

「そうだな、まずは帝国に、カルサナス都市国家連合、エリュエンティウ、リ・エスティーぜ王国、アーグランド評議国に、僅かではあるがスレイン法国にも輸出している」

 

 それを聞いたアインズとルカはアイコンタクトを取る。そして第四の選択肢を提案した。

 

「女王閣下、ここで四つ目の選択肢を提示させてもらおう。魔導国と竜王国が同盟及び友好通商条約を締結し、同盟国の危機に際し魔導国は兵力を提供する。その対価として、魔導国が他国へ出向く際に応じて、竜王国女王の名のもとに魔導国と連名で親書を一筆書いてほしい」

 

 突然一気にハードルが下がったのを受けて、女王と宰相はお互いに顔を見合わせた。

 

「ゴウン魔導王、その内容は本当にそれだけか?」

 

「ああ。この4つ目の選択肢に関してはこれ以上のことは望まない」

 

 女王と宰相は意を決して頷き、回りの大臣達からも同意を受け、その申し出を了承した。アインズとドラウディロンは席を立って握手を交わし、用意した契約書にサインする。

 

「会談がスムーズに運んだ事を喜びたい。それでは今日から2日後に戦力を整えるので、そのつもりでいてほしい」

 

 こうして竜王国と魔導国の会談は終了した。

 

 ルカ達はアインズに頼まれ、その間は引き続き女王を護衛する事となった。そしてアインズは転移門(ゲート)でナザリックへ戻っていった。

 

 その日の夜、女王が再びワインを持ってルカの寝室へと来た。「相談して良かったでしょ?」とルカは笑顔を向け、寝酒を飲んだ後に女王の希望で、2人は一緒のベッドに寝た。

 

 そして2日後、玉座の間に控えていたルカは、足跡(トラック)でアインズの軍が来たことを悟り、その旨を伝えて玉座の間を出ていった。その直後入れ替わるように、近衛兵から報告が入る。城壁東側にアンデッドの軍団が突如姿を現したというのだ。その数約1万5千。それを聞いてドラウディロンは玉座を立ち、宰相を連れて4Fの自室へと入っていった。

 

 ルカ達3人が東側城壁の階段を駆け上がると、そこには既にアインズが陣取っていた。その左右にはアルベド・デミウルゴス・セバスも控えている。階下を見ると部隊は3つに分かれており、中央・右翼・左翼でそれぞれの部隊先頭にはデスナイトが並び、その後方に魔法の武器防具で武装したナザリックエルダーガーダーがズラリと控えている。そしてその部隊の中で一際目立っているのが、魔獣フェンに騎乗したアウラとマーレ、アイアンホースゴーレムに騎乗したコキュートス・シャルティアだった。司令塔として、部隊の各中央に配置されている。

 

 アインズは用意された遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を見て状況を確認し、全部隊に指示した。

 

「各部隊、前進せよ」

 

 アインズの指示と同時にアルベド・デミウルゴスが伝言(メッセージ)を全員と共有し、司令を飛ばす。先行していたシャドウデーモンがデミウルゴスに報告を入れ、こちらの動きを察知して敵も布陣を整え、前進し始めたらしい。

 

 後から近衛兵と共に、女王と宰相も城壁の上に駆けつけてきた。女王は竜をモチーフにしたような白銀の全身鎧(フルプレート)に身を包み、宰相は鋭利な刃で覆われたような、禍々しい漆黒の全身鎧(フルプレート)に盾・片手剣を装備していた。アインズはその美しい姿を見て2人に声をかける。

 

「これは女王閣下、凛々しいお姿ですな。しかしこれから戦が始まる。女王閣下には城の中で待機してもらいたいのだが」

 

「ゴウン魔導王、私はこの国の女王だ。私には貴殿の戦いを最後まで見届ける義務がある。それとアダマンタイト級冒険者を含む我が国の兵士達を、街からそれぞれ南・北・西に分散して配置した」

 

「...なるほど、了解した。ならばこの鏡から全ての状況を確認できるので、こちらから戦況をご覧いただきたい」

 

 そうは答えたが、アインズは心の中でぼやいていた。

 

(既にシャドウデーモンを各都市へ偵察に出してあるし、何か動きがあれば報告が入る。大体この戦も、階層守護者達の連携と部隊指揮力を高める為の訓練としてやっているに過ぎないんだし、無駄だと思うんだけどな...)

 

 そう考えているうちに魔導国側の兵が国境沿いに到達し、ビーストマン軍と約700メートルを挟んで部隊が停止した。そこへデミウルゴスが報告を入れてくる。

 

「アインズ様、シャドウデーモンからの報告により敵の布陣が確認出来ました。左翼に人狼(ワーウルフ)、中央に獅子人(ワーライオン)虎人(ワータイガー)連合、右翼に鼠人(ワーラット)、中央後方に部隊を2分して熊人(ワーベアー)が控えているとの事です」

 

 遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を眺めて布陣を確認したルカがアインズに助言する。

 

「陛下、私の経験上から申し上げますと、この布陣の中で瞬間火力が最も高いのは左翼に控える人狼(ワーウルフ)部隊です。ここはヘタに戦線を崩さず、アウラ・マーレのいる我が方の左翼部隊とコキュートスの中央部隊を前に押し出して先に殲滅した方が良いかと思われます。その上でコキュートス軍に中央の突撃をブロックして跳ね除けさせるべきかと。同時に右翼のシャルティア軍には、素早い鼠人(ワーラット)部隊に対し戦線から南へ隙を作らないよう網の様に戦線を伸ばし、そのまま真っ直ぐ押し込むという作戦が有効かと思われます。南側に隙を作ると城への突破口が開かれてしまうからです」

 

 それを聞いたデミウルゴスとアルベドも同意する。

 

「...さすがはルカ様、そのご慧眼には感服するばかりです」

 

「こういった戦には慣れていますものね、ルカ。アインズ様、今ルカがお伝えした作戦に私達も賛成でございます」

 

 それを受けてアインズは右手を前に突き出し、許可を出した。

 

「よろしい!ではそのように軍を動かすよう各部隊の指揮官に通達せよ」

 

『ハッ!』

 

 その様子を見ていた宰相は、間もなく戦端が開かれる事を察し、女王に右掌を向けて魔法を詠唱した。

 

矢守りの障壁(ウォールオブプロテクションフロムアローズ)

 

 ドラウディロンの体に薄い緑色のバリアが半球状に覆いかぶさる。それを見ていたアインズが感心するようにそれを眺めていた。

 

「ほう? 宰相殿は魔法詠唱者(マジックキャスター)でしたか」

 

「え、ええまあ。魔導王陛下には及ぶべくもありませんが」

 

「ご謙遜なされるな。それでは私達は前進した兵たちの後方に移動する。ルカ・ミキ・ライル、その間女王の護衛を頼んだぞ」

 

『ハッ!』

 

 そしてアインズ・アルベド・デミウルゴス・セバスは城壁から下へ飛行(フライ)で降り、用意してあったアイアンホースゴーレムに乗ると、自らも戦線の後方へ向かった。それと同時に戦端はついに開かれた。

 

 

 当初の予想通り、左から薙ぎ払うようにワーウルフ部隊が攻めてきた所を、アウラ・マーレ軍のナザリックエルダーガーダーが弓を用いた一斉射撃により突撃の足を鈍らせ、前面に出たデスナイトがワーウルフ部隊を一気に押し込む。そこへコキュートス率いる中央同士が衝突し、半ば力業でワーライオン・ワータイガー連合をデスナイトとエルダーガーダーがブロックし、中央を削る状態に入った。

 

 指示通り戦線を南へと伸ばした右翼のシャルティア部隊を前に、何故か鼠人(ワーラット)軍は突撃せず、弓兵で応戦しながら徐々に後方へと下がっていく。その動きに気付いたデミウルゴスがシャルティアに指示を飛ばした。

 

「シャルティア!中央後方にいる熊人(ワーベアー)部隊と入れ替わるつもりです。今すぐ南に伸ばした布陣を元の位置へと戻してください、熊人(ワーベアー)の突撃が来ます!」

 

「了解でありんす!」

 

 それを聞いたシャルティアは急いで部隊を動かすが、熊人(ワーベアー)部隊の機動力の方が上回っていた。それを見ていたルカはアインズに伝言(メッセージ)を飛ばした。

 

『アインズ、このままでは右翼の布陣が追い付かない! シャルティアの加勢に向かってもいい?』

 

『その間女王はどうする?』

 

『ミキとライルに任せるから大丈夫』

 

『分かった。至急援護に回ってくれ』

 

『了解!ミキ・ライル、後はお願いね。飛行(フライ)

 

 ルカの体がフワリと浮き上がると、シャルティアのいる右翼まで一直線に飛び去っていった。

 

 戦線が南へ伸びた状態で熊人(ワーベア)の突撃を受けたシャルティア軍は、デスナイト達によるブロックによりかろうじて踏みとどまっていたが、突破されるのも時間の問題だった。シャルティアは慌ててアルベドに伝言(メッセージ)を飛ばした。

 

『アルベド、そろそろ魔法を撃ってもいいでありんしょうかぇ?このままじゃ突破されるでありんす!』

 

『今ルカが応援に向かっているわ!何とか踏みとどまって体制を立て直しなさい』

 

『無茶言わないでほしいでありんす! もう揉みくちゃでありんす! あ~んルカ様ー!早く来ておくんなましぃ~!』

 

 その時だった。シャルティアの乗るアイアンホースゴーレムの横を掠るように、弾丸の如きスピードで黒い影が通り過ぎた。その後を追うように突風が吹き荒れ、次の瞬間熊人(ワーベア)の先頭から後列に至るまで、その上半身が事もなげに吹き飛んだ。その数軽く100体。血飛沫を上げながら崩れ落ちる熊人(ワーベア)の前線にポッカリと穴が空き、戦慄という名の静寂が舞い降りる。突然の出来事に、シャルティア側のデスナイトとエルダーガーダーさえも何が起きたのか分からず動きを止めた。

 

 熊人(ワーベア)は、戦線に風穴を開けたその存在を振り返った。血の滴るロングダガーを正面でクロスさせ、腰を屈めて残心するルカがそこにはいた。その全身から恐るべき殺気を迸らせているのを見て熊人(ワーベア)達が戦々恐々とする中、唯一シャルティアだけが笑顔を向けた。

 

「...ルカ様!」

 

 ゆっくりと立ち上がり、ルカはシャルティアのいる後方を振り返ると、笑顔を見せた。熊人(ワーベア)達は円形にルカを囲んでいるが、その殺気に気圧されて一歩が踏み出せずにいる。そして熊人(ワーベア)の正面に向き直り笑顔が消えると彼らを見渡し、その赤い瞳が暗く、静かに光を失っていく。

 

「...What a fuck you doing to my daughter huh?(私の娘に何してくれとんじゃ、あ?)

 

 その瞬間ルカは母国語に戻った。そして全身からドス黒いオーラが破裂するように一気に吹き上がる。その言葉を伝言(メッセージ)の共有で聞いていたアインズ・アルベド・デミウルゴスはお互いに顔を見合わせた。

 

「あ、いかん。ルカが切れた、どうしよう?」

 

「ルカのこの殺気、完全に飛んてますね」

 

「これでは訓練になりませんね...アルベド、あなたが行って止めに入りますか?」

 

「...いいえ、これは...何て心地よい殺気なのでしょう。私達には向けられていなく、敵を殺す事、それのみに完全にフォーカスされた殺気。...まるで守られているようです。このままルカの赴くままに任せましょう」

 

「やれやれ、承知しました。アインズ様もそれでよろしいですか?」

 

「ああ、構わないとも。ある意味嬉しいアクシデントだからな」

 

 そしてルカは身じろぎ1つ出来ない熊人(ワーベア)に対し、ダガーを左右に広げながら舞うような滑らかさで回転し始めた。

 

暴虐の旋風(クルーエル・サイクロン)

 

(ギャン!)という音と共に、まるでジャイロスコープの如く高速回転するルカの姿は残像を発生させ、さながら千手観音のようであった。そしてその手にしたダガーから無数の黒い光波連撃が放たれ、周囲の熊人(ワーベア)達の首や腕、胴体を確実に切断していく。そして背後にいるシャルティアやデスナイト達には一切その刃が飛んでいかず、ルカの放つ武技がいかに正確無比かということを如実に物語っていた。

 

 赤い旋風が天高く舞い上る。それを背後で見ていた鼠人(ワーラット)に続き、獅子人(ワーライオン)虎人(ワータイガー)人狼(ワーウルフ)までもがその竜巻を見上げていた。その渦中にある熊人(ワーベア)軍はもはや恐怖のあまり瓦解し、四方八方に逃げ惑う。しかしその旋風はそれを追い詰め、無慈悲な光波の刃を熊人(ワーベア)の兵に向けて叩き込む。その一つ一つが巨大な扇状の刃は貫通し、死体の山を次々と作り出した。そしてルカの回転速度がゆっくりと落ちていき、動きを止めた頃には、ルカを中心に3000体はいた熊人(ワーベア)が1000体程となり、その狂気の刃から逃げ延びた熊人(ワーベア)が立ち尽くすばかりだった。

 

「フー」とルカは息を吐くが、息切れ一つ起こしていない。そしてそのまま、恐ろしく冷酷な目を左に向けて睨みつける。中央に布陣し、未だコキュートス軍に対し強固な抵抗を見せる獅子人(ワーライオン)虎人(ワータイガー)の部隊だったが、彼らはその目線に気付き、慌てふためく。

 

「おい!あんな化物がいるなんて聞いてねえぞ!」

 

「あんなのに真横から来られてみろ、ひとたまりもねえ!」

 

「うるせえ!今は目の前のアンデッドに集中しろ!」

 

 しかしその虚を突いて、獅子人(ワーライオン)の前に巨大な影が立ちはだかる。

 

「ドコヲ見テイル? 愚カナビーストマンヨ」

 

 巨大なアイアンホースゴーレムに跨るコキュートスが右手のハルバードを一閃すると、その下に居た獅子人(ワーライオン)虎人(ワータイガー)が声を上げる暇もなく、軽く20体程が一瞬にして肉塊と化した。そして左手に持った世界級(ワールド)アイテム、六尺ほどもある白銀の太刀、天羽々斬(アメノハハキリ)を眼下に向けて素早く振りぬくと、斬られたものはおろかその遥か後方にまでかまいたちにも似た衝撃波が飛び、ビーストマン100体程がまるで血袋のように赤い雨を降らせながら消し飛んだ。

 

 コキュートスが敵陣に斬り込むのとタイミングを合わせるように、魔獣フェンに乗ったアウラとマーレも先陣に躍り出た。

 

「よーし、あたし達も行くよ、マーレ足止めよろしく!」

 

「ふ、ふぁい!!魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)茨の扉(ヘッジオブソーンズ)!」

 

 正面にいる人狼(ワーウルフ)の大部隊がいる地面から、広範囲に渡り茨の蔦が生え、足や体に絡みついて棘が食い込んだ。その痛みにのたうち回る人狼(ワーウルフ)だったが、動けば動くほど鋭い棘が体に食い込み、その血が地面に吸い込まれていく。狂気の絶叫が木霊する中、アウラは背中に背負った山河社稷図を人狼(ワーウルフ)達に向けて勢いよく放り投げた。

 

 その巨大な巻物は弧を描くように大きく一周しアウラの手に戻ると、山河社稷図に囲まれた約500体程の人狼(ワーウルフ)が何の脈絡もなく突如燃え始めた。まるで溶岩にでも焼かれているかの如く僅かな時間で消し炭となり、人狼(ワーウルフ)達は地面に崩れ落ちる。そして生き残った人狼(ワーウルフ)は、僅か700体を残すほどにまで減らされていた。

 

 シャルティアも鼠人(ワーラット)部隊を蹴散らし、遂にビーストマンが敗走を始めたが、突如その逃げようとする中央後方に直径5メートル程の大きな転移門(ゲート)が開いた。

 

 その中から、ボロボロの黒いローブをまとった死神のような姿の巨大なモンスターが出現する。ルカはその姿を見て呆気に取られた。身長は4メートル程あり、下半身が無く上半身だけで空中にフワフワと浮いている。その顔はまるで、醜い悪魔がそのまま白骨化したような禍々しい顏をしており、同じく白骨化した鉤爪のような指にはマジックリングと思しき指輪を複数はめている。その死神は敗走するビーストマン達を遮り、地の底から這うような低い声で言葉を発した。

 

「貴様ら...どこへ行こうと言うのだ?」

 

 それを受けてビーストマンのリーダー格らしき獅子人(ワーライオン)が片膝を付く。

 

「王よ!敵は人にあらず、その力はあまりにも強大。我らではとても勝ち目はありません!ここは本国に戻り、今一度部隊を再編するチャンスをいただきたい!」

 

「...貴様らゴミの意見など聞いておらぬわ。ゴミはゴミらしく黙って逝ね。そしてその血であの国を奪ってこい。それ以外は許さぬ」

 

「し、しかし王よ! 我らビーストマンはあなたに対し忠誠を───」

 

「黙れ! ここで敗走でもしてみよ、今すぐこの場でお前らを皆殺しにしてやる。貴様らゴミには端から選択肢などないのだ。さあどうした?分かったらさっさと行けこのゴミが」

 

「くっ....!」

 

 王の前に跪く獅子人(ワーライオン)の目がみるみる血走っていく。それを回りで見ていた人狼(ワーウルフ)虎人(ワータイガー)熊人(ワーベアー)鼠人(ワーラット)達は敗走を止め、何故か武器を持つ手をワナワナと震わせていた。それに気づいたルカがアインズに伝言(メッセージ)を飛ばす。

 

『アインズそこから見えてる? 一旦兵を引いて、様子がおかしい』

 

『ああ、こちらからも見えている。各員へ! 直ちに兵による追撃を止め後方に下がり、デスナイト及びエルダーガーダー達の隊列を整えろ。そして指示があるまでその場で待機だ、いいな?』

 

『ハッ!』

 

 魔導国のアンデッド兵達が戦線を下げ、最前列にはアインズとルカ・そして階層守護者達が横一列に並ぶ。皆が動向を見守る中、魔法のガントレットを腕に装備した人狼(ワーウルフ)の一人が跪く獅子人(ワーライオン)に近寄り、振り絞るように恨めしい声を出した。

 

「俺達は...俺達はあんたが現れてからこの1年、皆死ぬ覚悟で働いてきた。ここにいる連中も皆同じ気持ちだ。それなのにあんたは、そんな俺達を...ゴミと呼ぶのか?」

 

 その人狼(ワーウルフ)のリーダーらしき者の言葉に呼応し、それに続くようにして彼の背後に人狼(ワーウルフ)部隊が集まり始めた。すると今度は熊人(ワーベアー)の一人が跪く獅子人(ワーライオン)の右隣に立つ。

 

「確かにあんたの言う通りにして竜王国の都市を占拠し、食糧事情は改善されたかも知れねえ。いい面もあったかも知れねえよ。だがそれ以上に多くの仲間が死んだ。あんたが勝てるって言ったから、こんなやりたくもねえ戦争を始めたんだ。そしたらどうだ?最後にはこのザマだ!」

 

 その熊人(ワーベアー)のリーダーはギリリと歯を食いしばり、悔し涙を流していた。それを見て殺気立った熊人(ワーベアー)の残存部隊も集まり始める。最後に鼠人(ワーラット)のリーダー格らしき者が、明瞭な殺意を死神に向けて近寄ってきた。

 

「以前の...あんたが殺した先代の王は、俺達にいつもこう言ってた。(人間共を必要以上に追い込むことはするな、最後に何をしてくるか分からない)と。俺達はその言いつけを守ってきた。だからそれまでは人間と俺達の戦力は拮抗していたんだ。それがどうだ、後ろを見てみろ。見てみろ王よ!!竜王国の女王が放った始原の魔法で軍が半壊したのはおろか、あんな化物みてえなアンデッド軍団を女王は呼び寄せやがった!!あんたがやらせた結果こうなったんだろうが、ああ?!」

 

 鼠人(ワーラット)の兵達も集まりだして場の収集がつかなくなり、回りの皆が口々に同じことを言い出した。

 

「兄貴、やっちまおう」

 

「そうだ。これだけの人数でかかれば、さしもの王も...」

 

「こんなビーストマンでもねえ得体の知れない王なんて、俺達の王でも何でもねえ」

 

「大将、やっちまおうぜ」

 

 その大将と呼ばれる、跪いた獅子人(ワーライオン)はそれを聞いて立ち上がった。その真っ赤に充血した目は無表情に据わり、死神を射抜いた。

 

「...王よ、撤退すれば我らを皆殺しにすると仰ったな?」

 

「そうだ。とっとと行って死んで来い」

 

「お前が今死ね」

 

 獅子人(ワーライオン)は腰に下げた巨大なフランベルジュを素早く抜刀し、居合抜きのように死神の首へ叩きつけた。それと同時に周囲にいたビーストマン達が一斉に死神へ襲い掛かる。しかしその瞬間、死神がその場から消え去った。ビーストマン達が慌てて周囲を見渡すが、そのどこにもいない。唯一離れた位置から戦況を見守っていたアインズとルカ、階層守護者達だけがその位置を把握していた。

 

「上だ、ビーストマン!!」

 

 何故叫んだのか、ルカにも分からなかった。しかしその声に反応してビーストマン達が真上を向いた直後、その死神は下方に両掌を向けて魔法を詠唱した。

 

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)不浄なる爆発(アンホーリーブラスト)!」

 

 すると死神の掌から黒紫色の毒々しいエネルギーが放射され、それが地面に着弾すると周囲50ユニットに渡って広がり、そのエネルギーが黒色の髑髏のような形を取り、ビーストマン達を次々に襲った。そしてそれに触れたビーストマンは、目や鼻・口・耳と、穴と言う穴から吐血し、最後は苦しみの果てに躯と化した。死神が放った一撃で、1000体程のビーストマンが瞬時に絶命してしまった。

 

 

 それを見てルカは呆気に取られていた。アインズはルカを見るが、頬に一筋の冷汗が伝っている。

 

「そんな、まさか...何でこいつがこんな所に」

 

「ルカ、おいルカ!あいつを知っているのか?」

 

「...あ、ああ、知っている。今の魔法を見てやっと確信できた。あいつは...万魔殿(パンデモニウム)にしか発生しないはずのモンスターだ」

 

万魔殿(パンデモニウム)だと?! それは以前にお前が話していた、あの超高レベル地帯の事か?」

 

「そう。でも何でこの世界に...意味が分からない」

 

「とにかくルカ、お前はあいつと戦った経験があるんだな?」

 

「もちろんあるよ。数えるほどだけど」

 

「あいつを倒さねば、この戦争に勝ったとは言えないようだからな。指示を頼めるか?」

 

「分かった、やろう」

 

 

 ルカは頷くと、伝言(メッセージ)を共有し全員に叫んだ。

 

伝言(メッセージ)、ミキ・ライルも含めみんな聞いてくれ!状況・フィールドボス。あの死神はビフロンスというモンスターだ。弱点耐性は物理・神聖系のみ。やつはネクロマンサーベースのモンスターで、レベルは140台後半。HPも火力も高いから決して侮るな。このモンスターは無詠唱で瞬間移動を使うという、非常に厄介な敵だ。そこでこちらも対策が必要となる。いいねデミウルゴス?』

 

『承知致しました、ルカ様』

 

『それと物理攻撃・神聖系の魔法を放てるメンバーを厳選してあいつと当たる。まずアインズ・私・シャルティア・ミキ・ライル・アルベド・コキュートス、この7人だ。デミウルゴスは攻撃後すぐに離脱、アウラ・マーレ・セバスは後方警戒と女王達の護衛を頼む。いいねみんな?』

 

 それを聞いて、アインズが慌てて話に割って入った。

 

『ちょ、ちょっと待てルカ、私が神聖系? お前も私の能力は知っているだろう? それなのになぜ私を...』

 

『アインズ、昔私に言ったよね? 自分にできる事を今一度思い出してみろって』

 

『...え? まさか、あれか?』

 

『あるでしょ? たった一つだけ』

 

『い、いやしかしルカ、撃てたとしてもあの魔法は条件が揃わなければ───』

 

『それは私が揃える。お願い、私を信じて』

 

『わ、分かった、そこまで言うなら』

 

『よし、ミキ・ライル!今すぐ女王と宰相を連れてここまで飛んできて。着き次第攻撃を開始する』

 

『畏まりました』

 

 場所は変わり、竜王国東側城壁。今のメッセージの内容をミキが女王たちに説明すると、真っ先に宰相が反対の意を示した。

 

「バカな!女王陛下を最前線に出すと言うのですか?! 危険にも程がある」

 

「ルカ様のご判断です。この遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を見れば分かる通り、この黒いモンスターが出現した事で状況は一変しました。陛下を前線に連れて行くという事は、つまりどこにいてもその危険度に変わりがないとご判断されたという事です。それならば、魔導王陛下率いる守護者達の下で護衛する事こそ、最も安全だとあの方は結論を出した。宰相閣下、こと戦闘に関して私達はプロです。それはアインズ様もルカ様も同様。どうか私達の指示に従ってください。必ずや女王陛下とこの国を守り通して見せます」

 

「し、しかし....」

 

 宰相が言葉を継ごうとするのを、横で聞いていたドラウディロンが止めた。

 

「...分かった。ミキと言ったな、私達をルカ達の元まで連れて行ってくれ」

 

「陛下!!」

 

「カイロン、お前も私を守ってくれるな?」

 

 ドラウディロンは笑顔だったが、その目には強い覚悟が宿っていた。それを見て宰相はガクッと首をうなだれてため息をついた。

 

「...分かりました。但し危険が及べば私は陛下を抱きかかえてでも逃げますからね。そのおつもりで」

 

「うむ、それで構わない。ミキ、頼めるか?」

 

「では参りましょう。全体飛行(マスフライ)!」

 

 ミキ・ライル・ドラウディロン・宰相4人の体が浮き上がり、最前線の中心に集まるアインズ達の下へと辿り着いた。ルカがそれを出迎える。

 

「女王陛下、宰相閣下、早速ですがこの魔獣フェンにお乗りください。護衛にはアウラとマーレ、セバスがお供致します」

 

 そう促されて2人は魔獣フェンに乗り、アイアンホースゴーレムに乗ったセバスと共に、5人はアンデッド兵達の最後方まで下がった。正面を見ると、未だビフロンスとビーストマン達の戦闘が続いているが、彼らが全滅するのも時間の問題だろう。ルカは守護者の中心に立ち、魔法を唱えた。

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)不浄耐性の強化(プロテクションエナジーアンホーリー)

 

 その場に居た全員の体が紫色の防護フィールドに包まれる。そしてルカの指示で、相手がネクロマンサーという事もあり、アンデッド軍団の主従権がビフロンスに奪われる事を警戒し、デスナイトとエルダーガーダーを更に後方へと下がらせた。

 

「よし、それじゃ行こうか」

 

 前衛にアルベド・コキュートス、中衛にデミウルゴス・ミキ・ライル、後衛にアインズ・ルカ・シャルティアという布陣で敵に突入した。8人ともが恐ろしく素早い速度でビフロンスの下へ到着すると、中衛にいたデミウルゴスが即座に魔法を唱えた。

 

次元封鎖(ディメンジョナルロック)!」

 

 周囲100ユニットに渡り転移門(ゲート)及び瞬間移動(テレポーテーション)が封じられたことにより、ビーストマンに囲まれていたビフロンスは苦し紛れに空中へ飛び上がろうとしたが、そこをルカは逃さなかった。

 

影の感触(シャドウタッチ)!」

 

(ビシャア!)という音と共にビフロンスの体が黒い靄に覆われ、身動きを封じられる。そこをすかさずアルベドとコキュートスが突進した。そのあまりの迫力に気圧されて、周囲にいたビーストマン達が一斉に後ずさり、戦いのための空間を開ける。

 

痛恨の斬撃(スターゲリングストライク)!」

 

「マカブルスマイトフロストバーン!!」

 

 アルベドの持つ世界級(ワールド)アイテム、ギンヌンガガプによる、斬撃耐性を20%まで引き下げる10連撃と共に、コキュートスの回転を加え全腕を使用した超高速斬撃がビフロンスに叩き込まれ、大爆発が起きた。しかし衝撃吸収(ダメージアブソーバー)を張っているビフロンスには決定打とならない。

 

「何だ貴様らは...我の邪魔をするか!!」

 

 麻痺が解けたビフロンスはアルベドとコキュートスに向けて2つの魔法を放つ。

 

死の影(シャドウオブデス)罪深き暴風雨(アンホーリーストーム)!」

 

 すると黒紫色の靄がアルベドとコキュートスの体を覆い、更に紫の高エネルギー体が濁流の如く二人の体を飲み込んだ。

 

「きゃあっ?!」

 

「グオオオ!!」

 

 不浄耐性を40%近く下げられた上に不浄魔法のAoE(Area of Effect=範囲魔法)をまともに食らった結果、アルベドとコキュートスは大ダメージを被り、その場に留まるのが精いっぱいだった。ルカがすかさず指示を飛ばす。

 

「アインズ、アルベドの回復を頼む!私はコキュートスだ」

 

「了解、魔法最強化(マキシマイズマジック)大致死(グレーターリーサル)!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)!」

 

 2人が回復すると、ルカは伝言で指示を飛ばす。

 

『いいか!次に私が唱える魔法と同時に、一斉に神聖属性攻撃を開始する。その間アルベド・コキュートスはブロックに集中、シャルティアは超位魔法準備、いい?』

 

『了解!』

 

賢人に捧ぐ運(ダンスオブザチェンジフェイト)命変転の舞踏(フォーアトラハシース)!」

 

 ルカは両手を左右に大きく開き、天を仰いだ。その場にいたアインズとルカ、階層守護者達の体が目もくらむような真っ白の光に包まれる。この魔法は次元の狭間に生きるとされる、セフィロトという種族のみが使える奥義の一つであった。戦場に置いて最強と謳われたイビルエッジ、その真骨頂がここにあると言っても過言ではない。アインズはその魔法を受けた事で、ルカの言った(条件は私が揃える)という言葉の意味を理解した。そして中衛にいたミキとライルが恐ろしい速度で突進する。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)結合する(ライテイスワード)正義の語り(オブバインディング)!!」

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)聖者の覇気(オーラオブセイント)!!!」

 

 ライルの放った高火力神聖AoEにより神聖耐性が下がった所を、それを更に上回るミキの高火力神聖DD (Direct Damage=単体魔法) により追い打ちをかけられ、青白い炎に包まれながらビフロンスは醜い絶叫を上げた。

 

「グギャァアアアアアアア!!」

 

「もう一息だ、アインズ分かってるね?!」

 

「ああルカ、理解したとも。魔法三十化(トリプレットマジック)上位魔法(グレーターマジック)蓄積(アキュリレイション)

 

 アインズの目の前に3つの魔法陣が現れ、そこに一つずつ魔法を込めていく。ルカはその間にアルベド・コキュートスの回復を行った。

 

「よし、準備完了だルカ!」

 

「OK、みんなビフロンスから離れて! 行くよ...」

 

 前衛・中衛部隊が後方に飛び退くと二人は大きく息を吸い込み、手のひらをビフロンスに向けて照準を定めた。そしてアインズとルカはお互いの目を見て呼吸を合わせ、一気にその力を解放する。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)神炎(ウリエル)!!』

 

「そして解放(リリース)!!」

 

 轟音と共に、2人の掌から巨大な螺旋状の青白い火柱が放出され、避ける間もなくビフロンスに直撃した。アインズの魔法蓄積により合計5連撃となり、その強力な神聖属性の炎はビフロンスの全身を容赦なく焼き、約10秒間に渡り放出され続ける。もはや声すら上げられないほどの大ダメージを食らったビフロンスは風前の灯火だったが、ルカは上空に待機するシャルティアに向けて咄嗟に指示した。シャルティアの体の周囲には、巨大な青白い立体魔法陣が張り巡らされている。

 

「シャルティア、今だとどめを刺せ!!」

 

「了解でありんす! みなさんもう少しそいつから離れておくんなまし!」

 

 アインズ・ルカ達6人は更に後方へ飛び退いた。それを見たシャルティアは両腕を地面に向けて振り下ろした。

 

「超位魔法・急襲する天界(ヘヴンディセンド)!!」

 

 その瞬間、まるで空そのものが地面に落ちてくるかと錯覚するほどの超巨大な光のブロックがビフロンスに向かって高速で落下していく。この恐るべき広大な着弾範囲ではもはや逃げ場はない。黒いローブが無残に燃えたビフロンスは天を見上げ、全てを諦めたかのように動きを止めた。そして大地を揺るがすほどの凝縮された青白い大爆発が起き、地面には巨大な四角いクレーターが穿たれ、ビフロンスはそれを受けて跡形もなく消滅した。

 

 とどめを刺したシャルティアが空から地面に降り立つと、真っ先にルカの元へ駆け寄ってきた。

 

「あ〜んルカ様ー!怖かったでありんすぇ。さっきは私を助けに来てくれたのでありんしょう?」

 

 ルカは走ってきた鎧姿のシャルティアを受け止め、笑顔で抱きかかえた。

 

「当たり前でしょ?私のかわいい子なんだから。でもその後はキレちゃって、何をしたかよく覚えてないのよね...」

 

「ルカ様が私の事をMy daughter(自分の娘)って言っていたでありんす。私はそれを聞いて胸が震えたでありんすぇ」

 

「ほんと?私そんなこと言ってたか...。それよりシャルティア、英語もできるんだね。すごいじゃない」

 

「大したことありんせん。それよりルカ様、今でも...私の事を娘と思ってくれてるでありんすか?」

 

 シャルティアはルカに抱きしめられながら、頬を赤らめて質問した。

 

「ああ、シャルティア。私の娘を傷つけるやつは、誰だって許さないよ」

 

「...嬉しいでありんす。大好きでありんす、ルカ様」

 

「私もだよ、シャルティア」

 

 ルカとシャルティアは、お互いの首筋にキスした。そして体を離すと、シャルティアは不思議そうな顔をして質問してきた。

 

「そうそうルカ様。さっき私が放った超位魔法でありんすが、前よりも威力が大幅に上がっていたように感じんした。あれはルカ様が何かしたからでありんすか?」

 

「それには私が答えよう、シャルティア」

 

 後ろで聞いていたアインズが言葉を挟んだ。

 

「私達が神聖系魔法を放つ前に唱えたあのルカの魔法はな、私達の持つカルマ値をコントロールする魔法なのだ」

 

「カルマ値でありんすか?それなら私達ナザリックの殆どかマイナスに傾いていると思われんすが」

 

「そうだな。信じられない事だが、あの魔法で私達のカルマ値が一気にプラスの方向へ強制的に傾けられたのだよ。だから我々の放った神聖属性の魔法もその影響を受け、通常ではあり得ない程の火力を持つに至った。そうだなルカ?」

 

(キン!)と血を払い納刀したルカは、人差し指で鼻をこすりながら答えた。

 

「へへ、その通りだよアインズ、一部訂正があるけどね。一気にどころか、最大値であるプラス500にまで振り切らせる魔法なんだよ。だからその影響をもろに受ける神炎(ウリエル)も、最大火力で撃つ事ができた。シャルティアの急襲する天界(ヘヴンディセンド)もカルマ値の補正を受けるからね。まあ一回撃ったら元のカルマ値に戻るけど、こと集団戦に置いては防御にも使えるし、なかなか優秀な魔法でしょ?」

 

「と言う事は、その逆であるマイナス値に振り切るための魔法もあるわけか」

 

「そうだね、その通り」

 

「...ルカ、今まで聞いたことが無かったが、お前のカルマ値はいくつなのだ?」

 

「ん?プラマイゼロだよ」

 

「ゼロだと?!そんな事が可能なのか??」

 

「これもセフィロトの種族特性の一つだよ。セフィロトに転生した時点で、それまでのカルマ値はリセットされ、プラマイゼロに固定されるの。だからこそ、様々な状況に対応できる。便利でしょ?」

 

「...はー。全く、復帰して早々驚かせてくれるなお前は」

 

「フフ、褒め言葉と受け取っておくよ。それよりも、彼らはどうする?」

 

 ルカが顎をしゃくった先には、ビフロンスとの激闘に巻き込まれないよう避難していたビーストマン達がいた。皆が皆、幻でも見ているような目でこちらを見ている。それを受けて、代表者としてアインズが前に歩み寄った。

 

「ビーストマンの諸君! 私の名はアインズ・ウール・ゴウン魔導王である。諸君らの代表者と話がしたいのだが、前に出てきてくれるかね? もちろんまだやる気というなら受けて立つが、どうする?」

 

 その言葉を聞いてビーストマン達がざわめき始めたが、やがて一人の獅子人(ワーライオン)がアインズの前にやってきた。そして恭しく片膝をつくと、口上を述べた。

 

「...偉大なる死の王よ、魔導国の噂は聞き及んでいる。私の名はダシャー・ヴァターラ。我が国家の軍隊をまとめ上げており、先代の王より仕えし戦士である。此度の戦は、我らが意思ではない。先ほどあなた達が倒した、狂王ビフロンスにより推し進められた結果である。しかしそれを強行した我らにもその責任の一端はある。私の首を捧げよう。その代わり、どうか私の背後にいるビーストマンの戦士達には、何卒ご慈悲を賜りたい。そして我が本国には、もはや年端も行かぬ青年と老人、そして子供たちしか戦力として残されておらぬ。我らが国に攻め入るならば、どうか同じようにご慈悲を賜りたくお願い申し上げる」

 

それを聞いて、アインズは顎に手を添えた。

 

「ルカ、どう思う?」

 

「嘘はついてないみたいだね。その上でアインズがどうするか決めてくれていいよ」

 

 そこへアウラ・マーレ・ドラウディロン・宰相を乗せた魔獣フェンもやってきた。アウラ達が危険は無いと判断しての事だろう。アインズは両手を広げて女王を迎えた。

 

「これはオーリウクルス女王閣下、良い所に来られた。あなたも一部始終は見ていただろう。この者達が慈悲を乞うているのだが、どうしたら良いと思うかね?」

 

 するとドラウディロンはフェンの背中から飛び降りてアインズの隣に寄り添い、首を垂れる獅子人(ワーライオン)を睨みつけた。

 

「お前ら、よくも抜け抜けとそんな事が言えたものだな。我が竜王国の民を散々その口で食らっておいて、今更慈悲を乞うだと? お前の首一つで丸く収まるとでも思っているなら、飛んだ愚か者だな、お前は」

 

 予期せぬ女王の登場に、獅子人(ワーライオン)は更に頭を低くした。

 

「...ドラウディロン女王陛下、前の戦いであなたが我らに使った始原の魔法により軍が半壊した事で、我らの戦意は完全に打ち砕かれていた。それでも大侵攻を強行したのは、一年前に突如現れたあのビフロンスの強大な力に屈したからである。そしてあなたはこの魔導王陛下をも味方につけた。我らは疲弊しきっており、戦いを避ける為に幾度も腐心してきた。信じてはもらえないだろうが、もう二度と人間は食わないと約束する。望むなら我が国共々今すぐに別の地へ去ろう。私の首で足りぬというなら、今ここにいる戦士達の首も全て差し出そう。だからどうか、我が国に残された女子供だけは見逃してはもらえまいか。頼む、この通りだ」

 

 ダシャー・ヴァターラはそう言うと、両膝を付いてその場に深々と土下座した。それを後ろで見ていたビーストマン達はその場に武器と鎧を投げ捨て、完全に武装解除した状態でダシャーの後ろに集まると、彼らも同じように女王とアインズに対し平伏する。それを見てドラウディロンの腕がわなわなと震えた。

 

「今こうしている間にも、お前らが占領した我が国の都市では、人間を食らいながら狂乱の宴が繰り広げられているのだろう?それに対してお前はどう責任を取るつもりなのだ」

 

「...返す言葉も無い。しかし先ほど魔導王陛下が戦っている最中に、伝言(メッセージ)の魔法を使用し、占拠した4つの都市より完全撤退命令を出した。調子のいい話だろうと思われるだろうが、私に出来る事はそれが精いっぱいだった」

 

「...フン、それほど人間の肉はうまいか?」

 

「か、勘違いしないでもらいたいが、我らは人間の肉だけを食料としているのではない。普段は野生の動物を主食としているのだ。大侵攻以前に起きていた小競り合いでは、人間の味を忘れられぬ一部の者達によって行われていたに過ぎない」

 

「ええい、もうよいわ!! ゴウン魔導王、やはりこいつらは滅ぼそう。我ら人間とこ奴らは決して相容れぬ。それか死よりも重い罰を与えたい。そうしなければ、失われた民たちも報われぬではないか」

 

「...さて、どうしたものですかな?」

 

 アインズは何故か嬉しそうだったが、右後方に控える者の視線を感じ、そこに顔を向けた。

 

「デミウルゴス、何か良い案はないか?」

 

「そうですねぇ...いっそのこと我が魔導国に組み込み、ナザリックの為に働いてもらうというのはどうでしょう?実験にも使えますし、女王陛下もビーストマン共の顏を見ないで済むとなれば、一石二鳥かと思われますが」

 

「しかし一国の人数ともなれば、ナザリックだけでは許容し切れないのではないか?」

 

「ええ、ですから魔導国の領地であるアベリオン丘陵にまずは居を移してもらいます。あそこなら亜人達しかいませんし、食料となる野生の動物も繁殖しておりますので、十分に賄いきれるかと存じます。そこで他部族に侵攻するような愚行を犯した場合には、本格的に滅ぼすという線でいかがでしょうか?」

 

「いいぞデミウルゴス、それは名案だ。聞いていたなダシャー・ヴァターラよ。これより私達はお前の国に乗り込む。そこで無礼があるなら即、国がなくなると思え。そうなりたくなければ国を捨て、アベリオン丘陵に新たな国を再建するようお前がビーストマンの民たちを説得し、皆に伝えよ。移動と建国に関しては我が魔導国が責任を持って執り行う。我が直轄領でお前達が平和に暮らせるなら御の字、ダメなら死がお前達を待つ。どうするかね?」

 

「おお!さもありがたきご慈悲を賜れるとは。このダシャー・ヴァターラ、必ずや一人残らず民たちを説得し、陛下のご期待に沿うよう成し遂げる所存であります」

 

「女王閣下もそれで構わないかね?」

 

「...ああ。そいつらの顏を二度と見ずに済むのなら、是非そうしてくれ」

 

「よろしい、では早速向かおうではないか。ダシャーよ、案内致せ。アルベド、デミウルゴス、兵達をビーストマンの国まで動かすぞ。指示を頼む」

 

『ハッ!』

 

「ルカ・ミキ・ライルよ、ご苦労だが引き続き女王の護衛を頼めるか?ビーストマンの国の事後処理は私達だけで行うのでな」

 

「畏まりました、陛下。何かありましたら伝言(メッセージ)でご連絡ください」

 

「ああ、お前もな」

 

 アインズ軍とビーストマン軍が移動を開始し、それを見送った後、ルカたちと女王・宰相は平原に残された。何故かドラウディロンがしょんぼりと気を落としているのを見て、ルカは女王の肩に手を置いた。

 

「陛下、どうなされたのですか?ご納得が行きませんか?」

 

「いや、そういう訳ではないのだが。何というかこう、本当にこれで良かったのかと思うと、何やら複雑な気持ちになってな」

 

「陛下の仰るとおり、彼らビーストマンと人間は相容れないのかもしれません。女王陛下は最善の選択をなされた。ならばここは一つ、今後の事は魔導王陛下にお任せして、女王陛下はゆっくりと体をお休めください」

 

「...そうか。そうだな、分かった。宰相、城へ帰ろう。ルカ、ゴウン魔導王が戻られたら教えてもらえるか? 礼を言いたいのでな」

 

「畏まりました。転移門(ゲート)

 

 ルカが城の方向へ向けて魔法を唱えると、暗黒の穴が姿を現した。

 

「こちらからお戻りください。玉座の間へと繋がっております」

 

「感謝する」

 

そして5人は暗黒の穴へと足を踏み入れ、城へと戻った。

 

 

 ───竜王国 居城 3F 客間 22:53 PM

 

 

 バスタブで体を洗い流したルカは風呂から上がり、ガウンを羽織って武器と防具の手入れをしていたが、不意に足跡(トラック)が4Fから3Fに降りてくる動体反応を捉えた。しかしルカは警戒せず、手入れを終えた武器と防具をハンガーにかけた。そしてネグリジェに着替えて、部屋中央にあるテーブルを囲む椅子に腰かけてそれを待った。

 

(コンコン)と扉がノックされ、ルカは立ち上がり扉を開ける。そこには以前と同じくネグリジェ姿のドラウディロンと、円形のトレーを持ったメイド、そして何と宰相までもが立っていた。ルカはそれを見て意外そうな顔をしたが、そのまま笑顔で出迎えると、3人を部屋の中へ招き入れた。そしてメイドがテーブルの上に置いたトレーの上には、コルクで蓋がされた透明なデキャンタとグラスが3つ、そして焼き立ての香ばしい香りがするケーキ1ホールが乗せられていた。

 

「済まんなルカ、また寝酒に付き合ってくれ」

 

「ええ、喜んで。今日は宰相閣下もご同伴なのですね」

 

「や、夜分に申し訳ありませんルカ大使!そっその、女王陛下がどうしてもと言われましたので、致し方なく...」

 

 宰相はルカの寝巻き姿を見て目を伏せ、顔を真っ赤に紅潮させていた。(別に透けてはいないから、そんなに照れることないのに)とルカは思ったが、宥めるように宰相に笑顔を向けた。

 

「いいんですよ宰相。あなた方お二人が私を受け入れてくれなければ、今日の戦果は上げられなかった。3人で祝杯を上げましょう」

 

「恐縮...です」

 

「...何だカイロン。私のネグリジェ姿を見ても平気なくせに、ルカのネグリジェ姿を見ると照れるのか?それに私のせいにするな。お前も一度ルカと話がしてみたいと言っていたから、誘ってやったのではないか」

 

「あなたは子供ですから!ルカ大使はお美しいご婦人です!男の私がこのような場にいるのは、失礼かと思い、その...」

 

「私も大人な件について」

 

「わ、分かっております!大変失礼を致しました陛下!」

 

「柄にもなく相当パニクっておるなお前。まあ酒でも飲んで落ち着け。ルカ、頼めるか?」

 

「畏まりました」

 

 ルカは椅子から立ち上がりデキャンタを手に取ろうとするが、宰相が慌てて椅子から立ち上がった。

 

「ルカ大使!雑用は私が行いますので、どうかそのままお寛ぎくださいませ」

 

「そうですか?ではお任せします」

 

 宰相はデキャンタのコルクを抜くと、グラスに並々と注ぎ込んでいく。透明感のある薄緑色の白ワインで、(シュワー)と気泡が立ち上るスパークリングワインだと見て取れた。

 

次にケーキをナイフで八等分に切り分け、小皿に乗せてルカとドラウディロンの前に置いていく。

 

「妙に手際がいいな。私の時はこんなに丁寧にはやってくれなかった」

 

「何年あなたの宰相をやっているとお思いですか。それに今はルカ大使の御前、このくらい当然です」

 

「宰相閣下、そう硬くならずに。今はもう夜、公務の時間帯ではありません。無礼講といきましょう」

 

「そ、そう言っていただけると助かります」

 

 宰相が席に着き、3人がグラスを手に取るとルカが音頭を取った。

 

「それでは、ビーストマン軍とその王の撃破記念に!」

 

「竜王国の平和に!」

 

「女王陛下とルカ大使のご無事に」

 

『乾杯!』

 

(キン!)と中央でグラスをぶつけ、皆がグイッとグラスを仰いだ。香しいフルーティーな味わいと程よい酸味が非常に口当たりがよく、炭酸が喉を刺激して疲れを癒してくれる素晴らしいワインであった。ルカはその美味さに2口目を付ける。

 

「んんー美味しいね!スパークリングワインなんて久々に飲んだよ」

 

「そのケーキと一緒に食べてみろ。美味さ倍増だぞ」

 

「ほんと?じゃあ早速」

 

 外側をクッキーのようなパイ生地に包まれた真っ白なケーキをフォークで切り分け、一口頬張ると、香り高く甘いハーブと生クリーム、そして僅かな酸味が混然一体となり、サクサクとした生地が香ばしさを与えていた。

 

「おいしー!これチーズケーキだね?」

 

「我が竜王国自慢のハーブチーズケーキだ。この国の周辺でしか取れない新鮮な生の香草を生地に練り込んであるからな、よそでは絶対に食べられん代物だぞ」

 

「これお土産にして持って帰りたいくらいだよ。魔導国のみんなも喜んでくれるだろうし」

 

 そしてそのままワインで流し込むと、その香りが更に昇華し、花畑にでもいるような蜜の香りがルカの鼻孔を満たす。ルカの砕けた様子を見ていた宰相もようやく安心したのか、自分もケーキをよそって一口頬張り、ルカに顔を向けた。

 

「よろしければいくつか用意させますので、お申し付けくださいルカ大使」

 

「ありがとう宰相閣下」

 

「おい、いい加減その堅苦しい言葉遣いはやめろカイロン。この場では私と2人きりの時のように砕けてよいのだ」

 

 そう言われた宰相はグラスを一気に飲み干し、チラリとドラウディロンを見て溜め息をつくと、手酌でデキャンタのワインをグラスに再度注ぎ込んだ。

 

「はー、分かりましたよ陛下。今日まで名乗りもせず大変失礼をしましたルカ様。私の名はカイロン・G・アビゲイルと申します。カイロンとお呼びください」

 

「そっか、改めてよろしくねカイロン。そう言ってくれて嬉しいよ」

 

「ルカ様と魔導王陛下が勇ましく戦われたあの激しい戦闘を見て、私は大いに心を動かされました」

 

「ルカ、こいつはな、元アダマンタイト級の冒険者だったんだ。それが縁あって、今は私の宰相をやってもらっているのだ。あの玉座の間に私とカイロンの2人しかいない理由も、万が一賊が紛れ込んだとしても、このカイロン一人で撃退できるからという理由なんだ」

 

「うん、今日の戦の時にカイロンを見て分かったよ。あなたはウォーロックを極めているんだね?」

 

「ど、どうしてそれを?!」

 

「あのいびつな形をした黒い全身鎧(フルプレート)。あれは全て剣から盾に至るまで、魔力が込められたウォーロックの専用装備だった。遠い昔にだが、私にもかつてウォーロックを極めた仲間がいたんでね。その姿を見ているようで、思い出したんだよ。この世界でそれだけの完璧な装備を集めたからには、血のにじむような苦労があったはずだ。ドラウ、君はいい部下を持ったね」

 

「出会ったのは偶然だったんだがな、全くだ」

 

「そこまでご存じとは...やはり今日この場に来た甲斐があった。私は齢45になりますが、その15年前、外遊していた女王陛下をビーストマンの手の者からお助けした事により、現在の地位につかせていただいております」

 

「30の時には既にアダマンタイト級だったんだね。すごいじゃない」

 

「いいえ、私などあなた達の力の前には虫けらも同然という事は自覚しております。それより以前、私は冒険者組合の中でも嫌われ者だった。その理由は、これもご存じかと思いますが、私の得意とする魔法は精神攻撃系。私としては仕事の効率を求めてこなしていた訳ですが、回りからすればその仕事の汚さという理由から、凶刃などという不名誉な渾名まで頂いてしまった。しかしそれでも私は自分の仕事に誇りを持って当たっていた。自分こそ最強であると認めてもらいたかったからです。しかしある日、そんな私の気概を粉々に打ち砕く出来事が起きました」

 

 カイロンはワイングラスを仰ぎ、何かを思い出すように遠い目をしながら、深呼吸した。ドラウディロンはその話を聞いたことがあるのか、目を伏せて黙っている。

 

「というと?」

 

「カルサナス都市国家連合の北西端にある遺跡をご存知ですか?」

 

「あそこから北西と言うと、レン・ヘカート神殿だね」

 

「流石です、よく存じていらっしゃる。あの遺跡の調査依頼が来まして、当時組んでいた4人のチームでその依頼を引き受け、地下へ伸びる神殿の奥へと進んでいきました。数々の宝物や歴史的遺物が眠っていたのですが、最奥部の大広間まで辿り着くと、突如部屋の中心に巨大なモンスターが湧いたのです。それは書物でしか読んだことのない伝説の魔物、一つ目の巨人(サイクロプス)でした。

 

 私達は懸命に戦いましたが、物理攻撃を受け付けない上に、私の魔法もさして効果が無い。撤退しか道は無いと諦めかけた、その時です。大広間の入口に立つ何者かが、一つ目の巨人(サイクロプス)に向けて魔法を放ちました。すると物理攻撃を弾いていたフィールドが解け、私達の攻撃が通るようになったのです。その後も彼は後方から見た事もないような謎の魔法による火力支援を行い、そのおかげで私達は命からがら一つ目の巨人(サイクロプス)を仕留めました。私達は背後にいた者にお礼を言おうとその姿を探しましたが、結局その何者かは姿を消してしまっていた。あの火力は常軌を逸していた。ルカ様、あなたや魔導王陛下と同じ力をそこに感じたのです。彼がいなければ、間違いなく私達のチームは全滅していたでしょう」

 

「”彼”と言っているけど、その人が男だったかどうかはどうやって分かったの?」

 

「そこで戦っている間中、彼は私達に向けて実に的確な指示を出していました。その声から男性だと把握出来た。実際に姿を見た訳ではないので確証は持てませんが...もしやルカ様なら何かご存じかと思い、聞いてみた次第です」

 

「うーんごめん、残念ながらそんな人は他に見たことがないけど、興味深い話ではあるね」

 

「そうですか。いや、過去の話を長々と聞かせてしまい、申し訳ありませんでした」

 

「いいのよカイロン、そういう話はバンバン私にしてね。何かの謎を解明する手がかりがあるかも知れないし」

 

「そう言っていただけると救われます」

 

ドラウディロンはワインとケーキを食べながら、(うんうん)と頷いていた。

 

「お前にもいろいろと思う所があったのだな、カイロン」

 

「ええ、でもこれで何かスッキリしましたよ。陛下、連れてきていただいて感謝します」

 

「普段は礼も言わない男が、こんな時に限って珍しいな」

 

 ドラウディロンとカイロンが笑いあっているその時だった。頭の中に一本線が通るような感覚がルカを過ぎった。

 

『ルカか』

 

『アインズ、どうしたのこんな時間に?』

 

『夜更けに済まない、今ビーストマンの居城にいるのだが、大至急こちらに来てもらえないか。今から俺が転移門(ゲート)でそちらへ迎えに行く』

 

『いいけど、また急だね。何かあったの?』

 

『とにかくこちらに来てから詳しい話をする。装備を整えて応接間まで来てくれ』

 

『分かった』

 

 ルカが急に黙り込んだのを見て、ドラウディロンが心配そうな顔で見つめてきた。

 

「ルカ、どうかしたか?」

 

「ごめんドラウ、カイロン、魔導王陛下に呼び出されちゃったから行ってくるね」

 

 そう言うとルカはハンガーの前まで歩き、(バサッ)とネグリジェを脱ぎ捨てた。それを見てカイロンは咄嗟に顔を逸らす。ブラを付けて黒のYシャツを着ると、その上からレザーパンツとアーマーを素早く装備し、腰にベルトパックを締めてマントを羽織った。

 

「今アインズがここの応接間に迎えに来てるから、入ってもいいよね?」

 

「あ、ああ。もちろん大丈夫だ」

 

「ありがと、行ってくる。2人はここでゆっくりしててね」

 

 ルカは扉を開けると、目にも止まらぬスピードで廊下を駆け抜けて4Fへと階段を駆け上がり、応接間の扉を開いた。そこには暗黒の穴が開いており、半身で乗り出したアインズが待ち構えていた。

 

「済まんなルカ、転移門(ゲート)が閉じてしまうから少し急ごう」

 

「待たせたね、行こうか」

 

 アインズはルカへ手を伸ばすとその手を握り、暗黒の穴へと導いた。するとその先は見慣れない玉座の間だった。部屋の中は薄暗かったが、ルカが来たことで天井のシャンデリアに付与された永続光(コンティニュアルライト)が点灯し、一気に明るくなる。

 

 そこには階層守護者達と、複数のビーストマンが並んでいた。ルカは部屋を見渡すが、それ以外には別段これといって異常は見当たらない。

 

「それで、何があったのアインズ?」

 

「こっちだ。この玉座の大きい背もたれの後ろに来てみろ」

 

「?」

 

 アインズに手招きされ、背もたれの裏側を覗いてみると、僅かだが空間が歪み、割れた鏡を見ているような不自然な光景がそこにあった。試しにその空間に手を触れてみると、その時空の穴に吸い込まれていく。

 

「これってもしかして、転移門(ゲート)?」

 

「ああ。この転移門(ゲート)の形、似ていると思わないか?以前にお前が発見した、虚空宮からガル・ガンチュアへと抜ける隠された転移門(ゲート)に」

 

「そう言えば...」

 

「試しにこの転移門(ゲート)をエルダーガーダーに潜らせてみたが、無事にこちら側へと帰ってきた。と言う事はつまり、この転移門(ゲート)は一方通行ではないということだ」

 

「なるほどね。と言う事は、あのビフロンスはこのゲートを通ってやって来たって事?」

 

「そう考えれば辻褄が合う。そうなるとこの転移門(ゲート)が繋がっている先は...」

 

「...万魔殿(パンデモニウム)、か」

 

「それでこの先を確認するかどうか、お前の判断を仰ぎたくて呼んだわけだ。もし万魔殿(パンデモニウム)だった場合、お前の方が詳しいだろうからな。どうする?行ってみるか?」

 

「...どちらにしろ、この都市は放棄されるんだよね。それならこのまま放っておくのは危険だし、行ってみよう。この目で確認しない事には始まらない」

 

「了解した。私も同行しよう」

 

「何かあればすぐに引き返そう。この先で戦闘になって、万が一こちら側にモンスターがなだれ込んで来たら面倒な事になるし」

 

「分かった」

 

「じゃあ私から行くから、アインズは後からついてきてね」

 

 ルカは慎重にそのゲートに手を触れて、一歩を踏み出した。暗いトンネルを抜けた先は、空一面が赤く染まり、鋭く茶色い岩山が遠くまで広がる荒涼とした世界だった。即座に足跡(トラック)で索敵するが、山を挟んだ南東方向に5体程の反応があるのみで、正面には何もいない。後からアインズも続いて転移門(ゲート)を抜けてやってきた。周囲を見渡すと、正面は直径300メートル程の円形の広場になっているようだった。その周囲には鋭利に尖った山で囲われ、今いる場所が盆地に面している事が確認できる。

 

足跡(トラック)、南東方向約800ユニットに敵の反応。それ以外は異常なし」

 

「妙に暑いなここは...どうだルカ?ここは万魔殿(パンデモニウム)で間違いないか?」

 

「ちょっと信じられないけど....間違いなくここは万魔殿(パンデモニウム)だよ。火山性地帯だからね、温度も高く設定されているんだと思う」

 

「お前に言おうと思いながらすっかり忘れていたのだが、あのビフロンスと言ったか?そのモンスターは、ソロモン72柱の悪魔の一人ではないか。その系統のモンスターが多いのだろうか?」

 

「そうだね、私も詳しい事は知らないけど、ここはいわゆる悪魔系最強レベルのモンスターしか出現しない。ガル・ガンチュアに次ぐ危険地帯だし、そうした名前のモンスターは多いと思うよ」

 

「しかし今立っているこの小高い場所、妙に整地されているが、ここは何かの祭壇か?」

 

「どうもそうらしいね。何を祭っていたのか後ろを見───」

 

 背後を振り返ったルカとアインズは、その祭壇に祭られていたものを見て絶句した。そこに建っていたのは、以前にも見たあの巨大な漆黒のモノリスだったのだ。しかしトブの大森林西部奥地で見たものとは違い、びっしりと刻まれたエノク文字が淡く光を帯びている。そしてその土台部分に、今通ってきた転移門(ゲート)が口を開けているという状態だ。

 

「こっ、これはおいルカ...魔力が通ってないか?」

 

「うそ....一体何なのよこのモノリス?」

 

「俺だって分からん!しかしこのモノリスが転移門(ゲート)を開いているのだとすれば、迂闊に破壊する訳にもいかんし、ここは一つ先に解読してもらう必要があるんじゃないか?」

 

「ここに...プルトンを呼ぶ?」

 

「それしかなかろう。ここで転移門(ゲート)が作動するかも確認できるし、試してみてくれ」

 

「そ、そうね、分かった。転移門(ゲート)

 

 モノリスの右側に向けて魔法を唱えると、心配を他所にあっけなく転移門(ゲート)が開いた。

 

「良かった、ちゃんと開いた。じゃあちょっと行ってくるね」

 

「ああ、待ってるぞ」

 

 

 ───エ・ランテル 冒険者組合 2F 組合長室 23:55 PM

 

 

 その日の書類を本棚にしまい込み、プルトン・アインザックは大きく溜め息をついて机の上を整理し、帰ろうとしていた矢先、突然部屋の中央に暗黒のトンネルが開いた。(またか...)と思い、プルトンは転移門(ゲート)の前で腕を組み待っていると、ルカが勢いよく飛び出してきた。それをプルトンは両腕でガシッと受け止める。

 

「きゃっ?! って、プルトン?」

 

「...お前なー。毎度毎度ここへ来るのはいいが、油断しすぎじゃないか? 転移門(ゲート)を出た瞬間を狙って攻撃されるとも限らないんだぞ?」

 

「だ、だってプルトンの部屋だし、そんな事ないと思って。プルトンだって、あたしを攻撃したりしないでしょ?」

 

「だから、されたらどうするんだという仮定の話だ!ここにもし俺がいなくて、アサシン系の奴が潜んでたらどうするんだと言ってるんだ」

 

「え? うーんそしたら、そいつ殺しちゃうかも」

 

 笑顔で答えるルカを見てプルトンはガクッと項垂れ、受け止めたルカの体を離した。

 

「はいはいそうでしょうとも。それで何か?またぞろモノリスでも見つけてきたのか?」

 

「そうなの!お願いプルトン、今度は万魔殿(パンデモニウム)でモノリスを見つけたのよ。解読してもらってもいい?」

 

「な、何だと?! 万魔殿(パンデモニウム)って...お前が昔話してたあの超危険地帯の事か?」

 

「大丈夫、敵はいないから。それに向こうでアインズも待ってるし、急いでるのよ。一緒に来て、お願い」

 

「わ、分かった分かった!そう急かすな!剣の一本くらい持たせろ」

 

 そう言うとプルトンは渋々クローゼットを開けて白銀の片手剣を取り出し、腰に差した。それを見てルカはプルトンの手を取り、転移門(ゲート)の中へと導いた。

 

 

 

 ───万魔殿(パンデモニウム) 朱の祭壇 モノリス前 0:00 AM

 

 

「これは魔導王陛下、奇異な所でお会いしましたな。今度は万魔殿(パンデモニウム)ですか」

 

「組合長、毎度毎度来てもらって済まない、感謝する。エノク語を解せるのは組合長のみなのだ、どうか許してほしい」

 

「いいえ魔導王陛下、滅相も無い。顏をお上げください。私がこうやって来ているのは自分の為という事もあるのですから」

 

「そう言ってもらえると助かる」

 

 プルトンは高さ15メートル程もあるモノリスを見上げ、そこに手を触れた。

 

「これは...以前見たトブの大森林の時とは違い、魔力が通っておるようですな。それにこの転移門(ゲート)、これはどこに繋がっているのですかな?」

 

「遥か東のビーストマンの国家にある、居城内の玉座に繋がっているんだ」

 

「ビーストマン?....何故竜王国を襲っているあの国家へと繋がっているのか...謎は尽きませんが、とりあえずは解読してみましょう。えーと、なになに?」

 

 

──────────────────────────────

 

 

 そして2125年、私の理論に基づき完成した粒子加速器2を使用して、2123年に完成した粒子加速器1と同様に、極めて長期的に安定したマイクロブラックホールの生成に成功した。その後動作確認のため粒子加速器2に接続されたサーバを介し、強力なパルスレーザーを使用してブラックホール内にデータを照射したところ、2125年に現存する粒子加速器1と、2123年に存在する過去の粒子加速器1より年代を添えてリプライの応答が帰ってきた。私達研究者はその場で飛び跳ね、実験の成功を喜んだ。

 

 つまり簡単に言えば、マイクロブラックホールに接続されたサーバであれば、共通のプログラムを介してどの年代のサーバとも相互通信が取れるということだ。具体的な仕組みはどうなっているのかというと、まずデータを乗せた光速のパルスレーザーをブラックホール内に撃ち込む事により、事象の地平面を超えたレーザーは光速を遥かに超えたスピードで内部に突き進み、瞬時に5次元空間へと到達する。

 

 5次元空間とは、時間・空間が生まれる高次元時空の事である。そしてそこは全てがエネルギー化された世界であり、全てが繋がった世界である。混沌としているようで、何よりも整然とした世界。そこへ強力な指向性(=データ)を持ったエネルギーを撃ち込めば、そのエネルギーは指向性に沿ってあるべき場所へと帰り、あるべき場所へと戻る。それは時間・空間すらも跳躍して未来から過去へ、過去から未来へ、その指向性と関連付けられた時代へと5次元の中を真っ直ぐに飛んでいき、そのエネルギーの望む場所へと辿り着く。そして辿り着いた先で僅かな残滓とも言うべき反射を起こし、その先にあるサーバはその僅かな反射を拾い上げ、その返答をレーザーに込めて撃ち返す。これを無限に繰り返す事が5次元間通信の概要である。

 

 これを応用すれば、50年・あるいは100年・1000年離れた時代に設置されたユグドラシルサーバとの通信も可能となる。私はこれを反射的時間跳躍───リフレクティングタイムリープ機能と名付けた。これで各時代にユグドラシルサーバが一つ作られる毎に、その他の全ての時代がミラーサーバとなり、一つのシステムとして機能するようになる。そしてデータ通信の高速性を維持するため、ホストサーバはその時代の中で最も新しい年代のユグドラシルが自動的に選ばれるようになっており、その時代で最も高速なシステムを積む事を義務化する事により、時代が進むごとに全ての年代のサーバ処理速度が飛躍的に伸びるよう私はメフィウスを設計した。翌年の2126年、全ての準備が整った我々は満を持して、DMMORPG・ユグドラシルを発売した。

 

────────────────────────

 

 

「だめだ、何のことだかさっぱり分からん....ルカ、翻訳してくれ」

 

 アインズはプルトンの翻訳した言葉を聞いて、ガックリと項垂れた。

 

「OKOK、大丈夫。落ち着いて整理していこう。面白いよこれは。つまり簡単に言うと、ユグドラシル発売までの顛末を書いた文章のようだね」

 

 モノリスを眺めていたプルトンがルカに質問する。

 

「トブの大森林の時に出てきた言葉もいくつか出てきているな。それは置いといて、初めて出てくる言葉もある。ルカ、粒子加速器とはどういうものなんだ?」

 

「噛み砕いて説明すると、例えば私のこの指の皮膚があるでしょ?この皮膚の一片は、数十億という原子と呼ばれる小さな粒がくっつき、繋ぎ合わされて構成されているの。そしてその原子の中心には、それを構成する為に必要な原子核というものがある。そして更にその原子核を構成している一粒一粒は、陽子という電気を帯びた粒子で構成されているのね。その小さな小さな陽子という一粒同士を円形のリングに収めて、それぞれ逆方向から光速に近い速度で、真っすぐに正面衝突させる装置が、粒子加速器と呼ばれているの。そこで正面衝突させると何が起きるかというと、この宇宙が誕生するきっかけとなった、ビッグバンという大爆発にも似た超高エネルギー反応を起こすことが出来る。それを観測するための装置なのよ」

 

「そんな極限にまで小さいもの同士を衝突させる事で、宇宙が生まれるほどの爆発的な高エネルギー反応を生み出せるものなのか?」

 

「そうよ。単に大きいからエネルギーが大きいとは限らないでしょ?例えば、昔プルトンと一緒に戦った霜の巨人(フロストジャイアント)は大きいけど、私達を殺せるほどの爆発的なエネルギーを生み出せた? そんな事はなく、私達の方が強かったでしょ? それとは逆に極限にまで小さく、しかも電荷というエネルギーを持ってそこに存在するという事自体が、とんでもない高エネルギーを内包している場合が多い。それこそ私の使える超位魔法なんて比較にならない程のね。その極限に小さなものを調べる為の装置が、粒子加速器というわけ」

 

「なるほど、そう言われると分かりやすいな。ありがとうルカ、大体理解した」

 

「アインズも分かってもらえた?」

 

「今の説明を聞いて、ようやく理解できた」

 

「オッケ、じゃあ順に追って行ってみよう。まずグレン・アルフォンスは、2123年に粒子加速器1号を完成させた。この時点で小型マイクロブラックホールの生成に成功している。この技術自体は2550年代では確立...というより、若干古い技術ではあるけど、こんな早い時期に確立されていたというのは、私も初耳だった。恐らくは軍が絡んでいるから、このプロジェクト自体が極秘で行われたんだと思う。

 

そして2年後の2125年、粒子加速器2号が完成。ここでも安定したマイクロブラックホールを生成し、トブの大森林のモノリスでも出て来たけど、粒子加速器2号のブラックホールに、データを乗せたパルスレーザーを照射して、いわゆるネットワーク上のピン反応を測定した。すると、2123年に完成したばかりの粒子加速器1号と、そこから2年後に現存する粒子加速器1号から、粒子加速器2号にピン反応が返ってきた。つまりは過去と未来に存在する粒子加速器1号という2台から、リプライがあったって事だね。

 

あとは前回トブの大森林で検証した時と同じ結果がもたらされ、5次元間通信の仕組みが書いてあるということだね。ここは本文に記載の通りってとこかな。ただトブの大森林とこの文章がつながっているのかどうか、ちゃんと比較できないからまだ分かりづらいけど、この話はまだ続きがあるみたいだし、そこは追々探していこう。それとここに来てはっきり分かったのは、グレン・アルフォンスが5次元に関してはっきり明言している事だね。

 

”5次元空間とは、時間・空間が生まれる高次元時空の事である。そしてそこは全てがエネルギー化された世界であり、全てが繋がった世界である。混沌としているようで、何よりも整然とした世界” ってね。私もこの通りだと思う。その上でこの理論を応用すれば、遥か未来・遥か過去に設置されたユグドラシルサーバと相互通信が行える。これを信じるなら、2138年から来たアインズと、2350年から来た私がこうして一緒に居られるのは、この技術があるからだと思われるけど、ここはまだ信ずるに足る材料が足りないかな。ただ面白いのは、その時代を超えた相互通信の機能を、”反射的時間跳躍──リフレクティングタイムリープ機能 ”と名付けている事だね。つまり今の私達の状況は、グレン・アルフォンスによる確信犯という事になる。

 

もっと面白いのは、”ホストサーバはその時代の中で最も新しい年代のユグドラシルが自動的に選ばれるようになっており、その時代で最も高速なシステムを積む事を義務化する事により、時代が進むごとに全ての年代のサーバ処理速度が飛躍的に伸びるよう私はメフィウスを設計した” とあるよね。つまり把握出来ている現時点で、私の生きる2550年代のダークウェブユグドラシルサーバが最も新しい年代となるから、そこで救出したアインズの脳核がアクティブになっている以上、2138年のアインズではなく、2550年に生きるアインズの脳核がホストとなり、オーバーライドされる形となる。

 

これに対し過去のエンバーミング社が把握しているのかどうかが謎な点ではあるけど、今間違いなくアインズは2550年に解放された状態で私と共にいる。過去から未来に存在するアインズが全てリンクしているとも考えられるけど、それは今後の検証次第かな。そしてそれらを包括するリフレクティングタイムリープ機能は、全てメフィウスというコアプログラムの中に収められている。それらが全て完成した時点で、2126年に晴れてユグドラシルを発売したと...。まとめればこんな所だね」

 

そこまで顎に手を当てて聞いていたプルトンが、疑問を口にする。

 

「だが前回と言い今回と言い、何故グレン・アルフォンスはこのようなメッセージを残したのだろう?」

 

そこにアインズも同調する。

 

「確かにな。つまりはブラックホールによる相互通信を機能として盛り込んだDMMO-RPGが、このユグドラシルという訳だろう? そのような稀有壮大な計画の実験として、俺やルカが選ばれたという事なのか?」

 

「まあ、私達だけとは限らないけどね。でもここに書かれている文は、間違いなく研究者としての視点で書かれている。何が起きているのかを私達に知らせたかったのか、それとも何かを隠すつもりでこのような事を言っているのか...正直現時点では何とも言えないけど、一連のモノリスが何を言いたいのかは、ぼんやりとではあるけど見えてきたよね」

 

「しかもガル・ガンチュアや虚空ならともかく、ここは万魔殿(パンデモニウム)だぞ? 新たなゾーンがここへ来て出てくるとは、もはや意図的な何かを感じずにはいられんな。しかもルカ、お前が戻ってきた途端の出来事だ」

 

「何だろうね...正直私にも訳が分からない。だからこの一件が片付いたら、フォールスに会いに行ってこようと思う。その他にも会いたい人が沢山いるし」

 

「そうだな、俺もそうした方がいいと思う」

 

「よし、メモもしたし、このモノリスの魔力を止めないとね。またビフロンスみたいなのに来られたら困るし」

 

 そう言うとルカはモノリスにそっと手を触れた。アインズも隣に寄り添う。

 

「止めるってお前、何か方法でもあるのか?」

 

「普通にやればいいんじゃないかな? 試してみよう、上位封印破壊(グレーターブレイクシール)

 

(パキィン!)という音と共に、モノリスに刻まれたエノク文字の光が消え失せ、土台にあった転移門(ゲート)もその姿を静かに消した。ルカはアインズを見て微笑む。

 

「フフ、うまくいったね」

 

「...行き当たりばったりすぎるが、まあ封鎖する手段は分かったんだ。よしとするか」

 

 それを見てプルトンが溜め息をつく。

 

「はー、それにしても万魔殿(パンデモニウム)か。まさか生きているうちに来られるとは思ってもみなかったが」

 

「組合長、それは私も同感だ。これでルカの言うユグドラシルβ(ベータ)という存在が更に裏打ちされたわけだからな」

 

「...何よ二人とも。そんなにあたしの言う事信じられなかったの?」

 

「いやいや、そうではないぞルカよ。この世界の広大さ、それを感じて滅入っているだけだ」

 

「俺は人間だ、ルカ。お前とは過去共に戦ってきたが、お前と違い俺はあと数十年で土に帰るんだ。その間にお前が見せてくれたこの世界の真実が嬉しくもあり、重くもある。そういう意味だ、悪く捉えるなよ?」

 

「ふーん...分かった」

 

 ルカが拗ねているのを見て、思い出したようにプルトンが懐から年季の入った木製のケースを取り出した。

 

「ルカ、これをお前に渡しておこう」

 

「何これ?」

 

「いいから開けてみろ」

 

 手渡された長方形のケースを開けると、そこには美しい細工の施された銀縁の眼鏡が入っていた。

 

「これは?」

 

「それは真実の目(アイズオブトゥルース)というマジックアイテムだ。俺が若いころエノク語の勉強をしていた時に使っていたもので、それをかければエノク語が読めるようになる。ここにモノリスがあるんだ、試してみろ」

 

「う、うん」

 

 ルカはそれを手に取り、丸い銀縁眼鏡をかけてモノリスを見上げた。すると、先程プルトンが翻訳してくれた通りの言葉が脳裏に流れてくる。眼鏡をかけたままプルトンを見て目を瞬かせた。

 

「すごい...あたしにも読める」

 

「フフ、俺より似合ってるじゃないかルカ。それをお前にやる」

 

「え、何で? プルトンが翻訳してくれればいいじゃない。これ大切なものなんでしょ?」

 

「まあ、修業時代の思い出の品だ。それはエノク語だけじゃなく、この世界にある様々な言葉を翻訳してくれる貴重なアイテムだ。俺も毎日冒険者ギルドにいる訳じゃないからな、そういう時はそれを使え」

 

「...やだ。これ返す」

 

 ルカはかけた眼鏡をケースにしまうと、プルトンに差し出した。プルトンはそれを見て笑い返す。

 

「おいおい、俺にはもうこんなものに頼らずとも、完璧に読めるんだ。お前こそこれを使ってエノク語の一つでも勉強しろよ」

 

「....何でそんなウソつくの?」

 

 プルトンを真っすぐに見つめるルカの目から、大粒の涙が零れ落ちる。それを見て、アインズは黙って俯いた。

 

「おいルカ、何も泣く事は....」

 

「やだって言ってるでしょ?何で受け取ってくれないの?」

 

「それはお前に渡すために持ってきたんだ。毎回毎回モノリスが発見される度に呼び出されちゃ敵わんからな。お前も今かけてみてその効果が分かっただろう?だからそれはお前にやるんだ。もうそれはお前のものだ」

 

「だから、何でそんなウソつくのよ?」

 

「俺は別にウソなんて───」

 

「....心の中では、”俺が死んだ時の為に持っていけ”って言ってるじゃない!!」

 

 ルカの命を削るような絶叫に、プルトンは押し黙った。知っていたはずだった。ルカが心を読める事を。一度はルカの導きでセフィロトになろうと思った事もあった。そのルカが何故プルトンをセフィロトに導こうとしたのか、彼はその涙を見て全てを理解した。ルカは失いたくなかったのだ。自分という存在をその原初から知る彼の事を。そして共に戦った、気の知れた仲間を。

 

 プルトンは涙に暮れるルカの肩を抱き寄せた。その懐の中で、ルカは嗚咽混じりに言葉を発する。

 

「...何が真実の目(アイズオブトゥルース)よ。私にとっての真実の目はプルトンだけなの。お願いだから死ぬなんて言わないで。ずっとここまで一緒にやってきたじゃない?」

 

「...お前は俺に一度も嘘をついたことが無いというのに、俺の方が先に嘘ついちゃったな。ごめんな。もう死んだ時とか、そういう事は言わない。でもその眼鏡だけは受け取ってくれ。俺が若いころ大事にしていた品だ。お前にいつか渡そうと、ずっと思っていたんだ」

 

「....やだよ。あたしプルトンが居なくなるの、やだよ」

 

「おいおい、お前がそんなに俺の事を思ってくれてたなんて、今日言うのが初めてだろう?俺だって、俺だってなあ....お前を失いたくないから、ここまで生きてこれたんだぞ、馬鹿者が」

 

 遂にプルトンの堰が切れた。共に汚い仕事もした。泣く泣くルカに汚れ仕事を押し付けたこともあった。しかしそのあとは、お互いに慰め合うように酒を飲み、明日を迎えた。そうしてここまで支え合ってきた、仲間から告げられた本音。プルトンは嬉しかった。この世界の真実を教えてくれたルカ・ブレイズ、その彼女からそこまで思われる存在となっていた事を。

 

「...ルカ、ありがとうな。この20年間俺はお前と組めて、今本当に幸せだよ」

 

「...プルトンが私の真実の目になって。あとそういう最後みたいな言い方はしないで」

 

「ああ、分かったよ。悪かった。でも万が一転移門(ゲート)が開かない場所に当たったら、どうしよもないだろう? そういう時の為に、その眼鏡はお前が持っていてくれ。いいな?」

 

「...うん、分かった」

 

 ルカは顔を上げると、自分の顏が涙でクシャクシャなのにも関わらず、マントの袖でプルトンの涙を拭った。プルトンは懐からハンカチを取り出すと、ルカの顏を拭った。そして再度ルカはプルトンを抱きしめる。

 

 そして体を離し、ルカはアイテムストレージに真実の目(アイズオブトゥルース)が入ったケースを収めた。深呼吸し、真っ赤に腫れた目をアインズに向けて笑顔を向ける。

 

「ご、ごめんねアインズ、みっともないところを見せちゃって」

 

「魔導王陛下、私からもお詫び申し上げます。お見苦しい所をお見せしました」

 

「何、構わないさ。私もお前達の本音が見れてうれしく思うぞ。仲間は大切だ、何よりもな。それを尊く思うお前達の気持ち、しかと見せてもらった。ルカは元より、特に組合長、あなたは私よりもこの世界で長く生きた、言わば先輩だ。私にも至らぬところがあろうが、その際はどうか魔導国をフォローしてほしい。今後ともよろしく頼む」

 

「ハッ!ルカがその身を委ねた王は、私が身を委ねると同義にございます!一蓮托生、このプルトン・アインザック、魔導国の為にどこまでも着いていきましょうぞ」

 

「その言葉嬉しいぞ組合長。心強く思う。よし、ここでの用は済んだな。ルカは組合長を送ってくれ。私はビーストマンの国へ帰るからな」

 

「アインズ、それが終わったら竜王国に来るでしょ?」

 

「何せ人数が多い。転移完了は明日までかかるかもしれんがな。事が終わり次第すぐに向かう。それまでは女王の護衛、頼んだぞルカ」

 

「了解、気を付けてね」

 

「お前もな。転移門(ゲート)

 

 モノリスの左側を指さし、そこに開いた暗黒の穴に入ってアインズは戻っていった。

 

「俺達も戻ろう、ルカ」

 

「うん。転移門(ゲート)

 

 そしてルカとプルトンは組合長室に戻ってきた。先ほどから握っていた手をルカが離してくれない事を受けて、プルトンが宥めるようにルカに言った。

 

「こらこら、そんなにしてたら妙な噂が立つぞ。俺はどこにもいかないから、いい加減離してくれ」

 

「....ほんとに?」

 

「本当だ」

 

 ルカは手を離してプルトンの首を抱き寄せ、左頬にキスした。

 

「絶対だからね。どこかに行ったら、地の果てまでも探しにいくからね」

 

「だからどこにも行かん。それにお前の索敵スキルの前じゃ、どこに逃げても結果は同じだ。そうだろう?」

 

「...よし。もう嘘つくんじゃないよ」

 

「フフ、これ以上一緒にいると、俺の中の理性が揺らいでくる。ドラウディロン女王の護衛に行くんだろう? 早くそっちに行ってやれ」

 

「プルトンを見送ってからにする」

 

「はいはい、ご自由に」

 

 プルトンは腰に差した片手剣をクローゼットにしまうと、組合長室の扉に手をかけた。

 

「明かりを落とすぞ、ルカ」

 

「...明日連絡するから。時間ある?」

 

「夜ならな。分かった、伝言(メッセージ)くれ」

 

「...おやすみ、プルトン」

 

「おやすみ、ルカ。我が最愛の友よ」

 

 プルトンは明かりを落とし、組合長室の扉を閉めて鍵をかけた。ルカも暗闇の中転移門(ゲート)を開き、竜王国へと戻っていった。

 

 ───竜王国居城 3F 客室 1:14 AM

 

 ルカが戻ると、部屋の明かりは落とされていた。窓から入る薄明かりを頼りに部屋右奥のバスルームに光をともすと、フードを下げて泣きはらした顔をバシャバシャと洗った。そしてタオルで顔を拭き、マントとレザーアーマーを脱いでハンガーにかけ、椅子に引っ掛けてあったネグリジェに着替えるとルカはベッドに潜り込むが、その奥に柔らかい感触が手に当たった。見るとベッドの奥に、布団を被ったドラウディロンが寝ていたのである。それに気づいてドラウディロンは眠たそうに声をかけた。

 

「ん、う~ん。遅かったなルカ。悪いが寝かせてもらってるぞむにゃむにゃ」

 

 その小さな少女を見てルカは微笑み、そっと布団の中に入ってドラウディロンの隣に足を滑らせ、彼女の肩に顔を埋めた。

 

「ん~...どうしたルカ。目が腫れてるぞ」

 

「いいの、大丈夫。ありがとうドラウ」

 

 そう言うとルカはドラウディロンの頬にキスをし、彼女の体を抱きかかえて、嗚咽を堪えながら再度涙を流した。ドラウディロンはルカの髪を優しく撫で、お返しとばかりにルカの額にキスをする。

 

「どうした、何があった?」

 

「ううん、ごめんねドラウ、眠いでしょ?私はあっち向いてるから、ドラウは寝てね」

 

「そんな顔を見せられては、眠ろうにも眠れんではないか。話してみろ」

 

「...今日ね、友達から魔法の眼鏡をもらったの。その人は口では嘘を言いながら、心の中では自分が死んだ時の為に使えって。その時私気付いたんだ。その友達が私にとってどれだけ大切な存在になっていたかって...」

 

「...心を読めると言うのも、存外不便なものだな。ルカよ」

 

「うん...」

 

「一杯飲むか?その方がよく眠れよう」

 

「....うん、じゃあ一杯だけ」

 

 2人はベッドから起き上がると、明かりをつけてテーブルの椅子に座った。見るとデキャンタの中は白ワインで満ちており、ドラウディロンがルカと飲みたくて待っていてくれたのだろうと察しがついた。ルカが(ポン)とコルクを抜き、2つのグラスに注ぎ込むと、2人はそれを手に取って(キン!)と軽く乾杯した。ルカはそのグラスを一気にグイッと仰ぐと、デキャンタを手に取って自分のグラスに再度注ぎ込む。ドラウディロンはちびちびと飲みながら、ルカの様子を見守っていた。

 

「あまり飲むと、逆に目が覚めるぞルカ」

 

「分かってる。大丈夫、周囲に敵もいないし」

 

「そんな事は露ほども気にしてはおらん。私はお前が心配なのだ」

 

「私は別に...もうケリもついたし」

 

「先ほど言っていた眼鏡とやら、見せてくれるか?」

 

「え? うん、いいけど」

 

 ルカは中空からアイテムストレージに手を伸ばすと、木製のケースを取り出した。

 

「中身を見せてくれ」

 

「...これでいいの?」

 

 ルカはケースを開けて、中に入った銀縁の眼鏡をドラウディロンに見せた。

 

「なるほどな...それをかけてみせてくれ」

 

「え?」

 

「いいから、その眼鏡をかけてみろ」

 

「わ、わかったよ...」

 

 ルカはケースをテーブルの上に置いて眼鏡を手に取り、そっとかけてドラウディロンを見た。

 

「こうでいい───」

 

 その瞬間ルカは目を瞬かせた。目の前にいた少女のドラウディロンの姿が、美しい大人のドラウディロンに映っていたからだ。そしてその瞳孔は縦に割れており、さながらヘビのような目をルカに向けている。ルカはそのまま椅子から立ち上がり、ドラウディロンの頬に手を触れた。ヒンヤリとした感触が伝わり、ルカは咄嗟に眼鏡を外す。その眼下には、幼いままのドラウディロンが微笑を湛えている。

 

「...真実の目(アイズオブトゥルース)だな。本物か」

 

「ドラウ、この眼鏡の事知ってるの?」

 

「当然だ。その昔、私がプルトン・アインザックに授けたものだからな」

 

「そう...なんだ。知らなかった」

 

「あやつがお前にこの眼鏡を託したという事は、それだけ信頼されているという証。お前は悲しむどころか、喜んでいいのだぞ、ルカ」

 

「それは...私も同じような事を言われたけど」

 

「今見た通り、その真実の目(アイズオブトゥルース)は言語翻訳以外に、この世のあらゆる幻術や私のようなシェイプシフターの魔法、その他ありとあらゆるトラップをも見破る力を持つ。化けの皮を剥がすにはそれ以上のアイテムは他にない」

 

「そんなにすごいアイテムだったなんて...」

 

「お前が言う友とは、プルトンの事だったのだな」

 

「...うん」

 

「運命はどう転ぶかわからぬ。それこそ私のようにな。お前が運命を変えようと思うならば、それはきっと叶うだろう。私はお前とゴウン魔導王が来なければ、死を待つ運命だった。それをお前達は捻じ曲げて見せた。希望はある。希望こそ、生きがいだと私は今強く思う。お前達の事は私が知る由もないが、その手段はあるのだろう?ならば、その時が来れば自ずとそうなるであろう。時を待て、ルカ。例えその先が涙で覆われていようともな」

 

「....もう。そんな事言われたらハグしちゃうぞ、ドラウ」

 

「それはこちらのセリフだ、ルカ。寝れそうか?」

 

「うん。寝よう、ドラウ」

 

「何ともう2:00か。明日にはゴウン魔導王も来よう。ルカ、眠れる魔法はないのか?」

 

「あるけど、強力すぎて寝坊しちゃうだろうから、自然に寝よう?」

 

「フフ、そうか。では頑張って寝るとするかな」

 

 ルカはドラウディロンの手を取ってベッドに行くと、部屋の明かりを落とし、お互いに抱き寄せあって深い眠りについた。

 

 

 ───翌日 竜王国居城 4F 応接間 2:37 PM

 

 

「ゴウン魔導王。此度の助力、感謝してもし切れない。国が疲弊しているので今すぐにとはいかないが、私達の国にできる事があれば何でもしよう。本当に感謝する」

 

 女王と宰相はテーブル越しに深く頭を下げた。

 

「オーリウクルス女王、顔を上げてくれ。私は何事も中途半端が嫌いでね。打てる手は全て打つのが私の信条なんだ。ここまでやったのは私の我儘だ、気にすることはない」

 

「ありがとう、ゴウン魔導王。貴国の兵は外に待機させてあるのか?」

 

「いや、もう用は済んだからな。全て我が本拠地ナザリックに返してある」

 

「そうか、ならばゆっくり話ができるな。それで、その...ビーストマン達はその後どうなったんだ?」

 

「彼らは一人残らずアベリオン丘陵に転移させたよ。意外に物分かりの良い連中でね、国の移動に異を唱える者はいなかった。そこで適当な場所を見繕い、私の魔法”要塞創造(クリエイトフォートレス)”でいくつか仮の住居を作り、そこに匿ってある。現在魔導国の部隊を繰り出して集落の建設を急がせているからな、じきに完成するだろう。彼らはあの地で一からやり直す事になる」

 

「そうか....私が言うのも妙だが、何から何まで済まない。ルカ大使から聞いたのだが、ゴウン魔導王はエーテルメインの酒なら飲めると聞いてな。我が国でも少量生産している貴重な銘柄がある。些少ではあるが、あなたを労わせてほしい。宰相」

 

「ハッ。ミーナ、こちらに」

 

 宰相が呼ぶと、部屋の隅に待機していたメイドがカートを運んできた。その上には銀色の容器の中に氷が詰められており、中には見るからに高級なシャンパンボトルが冷やされている。それに6人分のグラスと、デキャンタも乗せられていた。

 

 メイドのミーナは手慣れた手つきでグラスにワインを注ぎ、そのグラスをトレーの上に乗せる。そしてコルクスクリューをシャンパンボトルに差し込み、(シュポン!)と丁寧に抜くと、このために用意されたカクテルグラスに注ぎ込んだ。(シュワー)とエーテルの靄が溢れ、カシスとパイナップルを合わせ、そこへ更に不思議な香りがプラスされたミステリアスな香りが広がり、その色は美しいマリンブルーに輝いていた。それをトレーに乗せてミーナが腰を上げ、上座に座るアインズの下へカクテルグラスが置かれた。次いでルカ・ミキ・ライル・女王・宰相の下にワイングラスが置かれる。そしてグラスを手にして前に掲げ、女王と宰相は立ち上がった。それを受けてアインズ達もグラスを手に席を立つ。

 

「ゴウン魔導王、私は...いや、私と国民達は、決して忘れない。あなたがもたらしてくれた、今日と言う喜びに満ちたこの日を、そして明日という希望に満ちた空を。...苦しかった。もうだめかと何度も思った。あなたがルカを送り、この国に手を差し伸べてくれなければ、私達は未だ暗い井戸の底にいたはずだ。私は....グスッ、私は.......」

 

 絶望的な日々、抱えていた国民の命。その重責から解放してくれたアインズを目の前にして、ドラウディロンは万感の思いに浸り、思わず涙が溢れた。その様子を隣で見ていた宰相が懐から真っ白なハンカチを取り出し、微笑みながら優しくドラウディロンの涙を拭う。

 

「...ほら陛下、しっかりしてください。魔導王陛下の前ですよ」

 

 そう言うカイロンも思う所があったのか、目に涙が滲んでいる。

 

「い、言われなくても分かっておるわ!そういうお前だって泣いているではないか!」

 

 そのやり取りをルカ達は笑顔で見つめる。アインズも「うむ...」と相槌を打ちながら、その様子をみて小さく頷いていた。ドラウディロンは気を持ちなおそうと、右手を胸に当てて大きく深呼吸した。

 

「...フー。とにかく、ゴウン魔導王が現れなければ、私達は窮地に立たされたままだった。女王として、国家を代表して礼を言わせていただきたい。ありがとう、ゴウン魔導王」

 

 そして女王は天高くグラスを掲げた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王に栄光を!」

 

『魔導王に栄光を!!』

 

 そして皆がグラスを仰いだ。アインズの喉に深い青の液体が滑り落ちて気化し、スゥッと肋骨に吸収されていく。その異世界に───瞼は無いが───アインズは目を閉じた。フルーティーな味わいと共に、後から小波のように押し寄せるクリスタル・ムスクにも似た上品かつ色気のある香り。ミステリアスな香りの正体はこれだった。まるで明け方の砂浜で一人日の出を待ち続けるような、心地よい孤独感。空に瞬く星々。そんな風景を連想させる、とろけるように甘美な酒だった。

 

「...はぁ、美味いな、これは」

 

 ため息混じりにアインズは思わず感想をこぼした。それを聞いてドラウディロンは、子供の外見に反するような、大人びた深遠な微笑みをアインズに向けた。

 

「その酒の名は、”スターゲイザー”と言う。気に入ってもらえたようで何よりだ。その酒の原料は、我が竜王国周辺でも僅かしか取れない希少種、レムリアンフルールという花から獲れた蜜なんだ。伝説によるとその花は、口にした者に未来を見せるという言い伝えがある。香水の天然素材としても使われていて、我が国だからこそ成し得たエーテル酒がその酒なんだよ、ゴウン魔導王」

 

「スターゲイザー...占星術師か。まさにこの酒にこそ相応しく、美しい名だ。それと私の事は、気軽にアインズと呼んでほしい」

 

「ならば私の事もドラウと呼んでくれ、アインズ」

 

「ああ、ドラウ。立ち話も何だ、皆席につこうじゃないか」

 

 そう促されて全員が席につくと、アインズは再度グラスを仰ぐ。背後でカートと共に控えていたメイドのミーナが、そっとアインズのグラスにスターゲイザーを注ぎ足した。

 

「ありがとう。ミーナと言ったかな?以前にも思った事だが、君は私のこの姿を見ても恐れないのだな」

 

「はい、魔導王陛下。陛下には理性があらせられます。それを感じたからこそ、私は安心して陛下のお傍にいられるのでございます」

 

 まるで慈しむような目でアインズを見返すミーナの顏を見て、カイロンが慌てて弁明する。

 

「ま、魔導王陛下!このミーナは以前冒険者をやっておりまして、そのせいもあり異形種との交流にも抵抗がないのです」

 

「ほう? して、冒険者のランクは?」

 

「ハッ、アダマンタイト級にございます。元、ですが...」

 

 カイロンの言葉を受けてアインズはミーナを見たが、彼女は笑顔を返してきた。

 

「ハッハッハ! 頼もしい限りだな。この場にアダマンタイト級冒険者が2人もいるとなれば、ドラウの身の安全も完璧という訳だな」

 

「恐縮です、魔導王陛下」

 

「何、構わないさ。それよりドラウ、早速なんだが約束の書状を一筆書いてもらいたくてな」

 

「もちろんだアインズ、約束は守ろう。それで、どの国宛に書く?」

 

「次に向かおうと思っているのは、アーグランド評議国だ」

 

「....そう来ると思っていたよ。しかしアインズ、老婆心ながら言わせてもらうと、あの国は危険だぞ。もちろん書状は書くが、あの国の評議員達は私を敵視こそしていないにすれ、明らかに私を異端視している。私の中には確かに、七彩の竜王(ブライトネスドラゴンロード)の血が流れているが、竜が人間との間に作った子の子孫が私だ。彼らの下に何度か使いを出したが、その印象はこうだ。(滅ぶのが運命なら淘汰されるのもまた必然)。純粋なドラゴンでない私を、試す───というより、軽視していたのであろう。正直腹の立つ話ではあるが、それ以来私はあの国に助力を乞うのをやめ、法外な金を支払ってスレイン法国や冒険者達に依頼し、ビーストマンの攻撃から国を守っていたという訳だ」

 

「なるほどな。ルカ、どう思う?」

 

 そう促されたルカだが、彼女の目は真っ直ぐにドラウディロンを見つめていた。そして顎に手を添えて、冷ややかな視線をアインズに送る。

 

「そうですね...私としてもあの国とは一応面識があるので慎重に事を進めたかったのですが、今の話を聞いた印象ですと、多少の荒療治も必要になるかも知れませんね」

 

「やはりそう思うか?実は私も同意見なんだ。あの国の戦力は?」

 

「最も警戒すべきは、5人の竜王が務める永久評議員と、十三英雄の一人、リグリット・ベルスー・カウラウ。但し実際に会った印象では、白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)・ツァインドルクス=ヴァイシオンとリグリットのみが脅威となる。白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)・ツアーに関しては、常闇の竜王(ディープダークネスドラゴンロード)と同じか、それ以上の戦闘を覚悟しておくべきでしょう。リグリットに関しては戦いの最中に放置しておくと面倒なので、残念ですが開戦直後にキルすべきです。何故かと言えば、彼らはユグドラシルという世界をほぼ把握している。それ以外のドラゴンに関しては、私達なら瞬殺できるレベルかと存じます」

 

 殺気の籠もる二人の会話を聞いて、ドラウディロンは背筋に悪寒が走り、話に割って入った。

 

「ちょ、ちょっと待て待て!お前達、まさかアーグランド評議国に戦を仕掛けるつもりなのではあるまいな?」

 

「場合によっては、ですよ女王陛下。但し情報を引き出す為にも、可能な限り交渉する方向で話を進めますが」

 

「そうだな。だが、こんな美味い酒を振る舞ってくれたドラウを無下にするような奴等だ。正直あまり印象は良くないがな。まあルカは彼らを知っているようだし、その上でどう出てくるか戦況判断という所か。心配するなドラウ。お前に迷惑は一切かけないと、このアインズ・ウール・ゴウンの名に懸けて約束する」

 

「とりあえず女王陛下には、親書という形で魔導国の事を絡めて書いていただければと思います」

 

「...何か、先行き不安だな」

 

「まあまだ先の話ですし、今は勝利の美酒に酔いましょう」

 

 ルカはグラスを掲げてドラウディロンにウィンクした。それを見て(何を呑気な)と失笑するが、以前にはなかった明るい笑顔がドラウディロンの顏に戻ってきた。

 

「そうだな。せっかくだ、今日はこちらに泊まってゆっくりしていかないかアインズ?部屋はもう用意してあるんだ」

 

「ありがとうドラウ。だがルカ達も長く世話になってしまったし、今回は遠慮させていただこう。時間ができた時にまたお願いしたい」

 

「そ、そうか、残念だ。こうして打ち解け会えたのだし、色々と話がしたかったのだが...」

 

「またいつでも話はできるさ。君の使う始原の魔法にも興味があるしな、良ければその時にでも聞かせてほしい。それに呼んでくれれば、私達は転移門(ゲート)を使っていつでも駆けつける。ドラウ、君は伝言(メッセージ)の魔法を使えるか?」

 

「ああ、普段は禁止されているので滅多に使う機会もないがな。一応使える」

 

「ならばそれで私を呼び出してくれて構わない」

 

「了解した、ありがとう」

 

「礼には及ばないさ。それと書状の件だが、我が魔導国の参謀であるデミウルゴスをこちらに送るので、彼と調整しながら親書を書いてもらいたい。いつごろ出来そうかな?」

 

「その者がすぐに来れるのであれば、明日にでも用意できると思う。宰相、どうだ?」

 

「ハッ、問題ございません」

 

「ではその方向で頼む。済まんがルカ、お前達にはその書状を持ってエ・ランテルへ帰ってきてほしい。それまでドラウの護衛を頼めるか?」

 

「畏まりました、陛下」

 

「よし。ではドラウ、私はここらで失礼する。美味い酒に出会えて幸せだったぞ」

 

アインズとルカ達はスッと席を立った。

 

「も、もう行ってしまうのか?土産を用意してある、それを持って帰ってほしいんだ」

 

「土産か...フフ、それは楽しみだ。では入れ替わりでデミウルゴスが来た時に、それらを受け取らせてもらおう。それで構わないか?」

 

「そうか...分かった、必ず渡そう」

 

「では書状の件、よろしく頼む。転移門(ゲート)

 

 アインズの指さした背後に、暗黒の穴が開いた。その中へ一歩入ろうとすると、ドラウディロンは小走りにテーブルを回り込み、アインズを呼び止める。

 

「...待ってくれアインズ!」

 

 ドラウディロンは駆け寄り、その小さな手でアインズの左手を握りしめた。

 

「ん?どうしたドラウ」

 

「これを、これを...持って行ってくれ」

 

 ドラウディロンは首にかけられたネックレスをそっと外すと、アインズの左手に手渡した。手を開くと、そこには見るも美しい金縁の細工が施され、白銀のクリスタルを中心にあしらえた菱形のネックレスが収まっていた。

 

「ほう、きれいな光だ。これは一体何だね?」

 

「そのネックレスの名は、竜王の守護(プロテクションオブドラゴンロード)。我が竜王国王家にのみ代々伝わるものだ。その効果は、この世のありとあらゆる魔法を術者に弾き返すという、絶対反射(アブソリュート・リフレックス)の魔法が込められたネックレスだ。そしてその弾き返す魔法の中には、私達竜王が使う始原の魔法も含まれている。アーグランド評議国に行くのならば、これを着けていってくれ」

 

「...しかしこれは、お前の身を守る為のものでもあるのだろう? ましてや王家に伝わるような代物を壊してしまっては申し訳が立たん。ドラウ、これは君に返そう」

 

「いいんだアインズ! ...後で返してくれればそれでいい。もし壊してしまっても問題ない。だから...持って行ってくれ。そして無事に帰ってきてくれ、お願いだ」

 

 アインズを見上げるドラウディロンの頬に一筋の涙が伝う。それを見てアインズは片膝をつき、ドラウディロンと目線を合わせ、ローブの袖でそっと涙を拭った。

 

「...分かった。必ずこれを返しに来よう」

 

「...必ずだぞ。お前とはもっと話したい事が沢山あるんだ。2人でスターゲイザーを飲みながら、夜通し語り合おう。グスッ...」

 

 アインズはすすり泣く少女の腰に手を回して、優しく抱き寄せた。ドラウディロンもアインズの首に手をかけてローブに顔を埋め、その涙が吸い込まれていく。それを見てカイロンは堪えきれずに目頭を覆った。自分の判断は正しかったと。人間(ヒューマン)とアンデッドが心に血を通わせる事は可能なのだと、目の前の光景が思い知らせてくれたからだ。

 

 2人は体を離し、アインズはゆっくりと立ち上がる。

 

「では私は行くぞ。ルカ・ミキ・ライル、ドラウを頼む」

 

『ハッ!』

 

 アインズが暗黒の穴を潜ると、音もなく転移門(ゲート)が閉じた。

 

 ───竜王国居城 4F 執務室 18:12 PM

 

 

拝啓

 

 

          アーグランド評議国 永久評議員一同 御中

 

 

      貴国においては、ますますご健勝の事とお喜び申し上げる。

 

 そして我が国の特産品を変わらず購入していただき、感謝の念に絶えない。私・ドラウディロン=オーリウクルスは、貴国を含め我が国と通商を結ぶ全ての国々に対し、ここに宣言する。我が竜王国は、長きに渡るビーストマンとの闘争の歴史において、遂に終止符を打った。この全ての戦果は一重に、我が国の窮状を理解し、手を差し伸べてくれたアインズ・ウール・ゴウン魔導王の御力によるものである。彼らは良識的であり、慈悲を持ち、庇護する為の強大な力を持って、我が国に平和をもたらしてくれた。我が竜王国はここに深い感謝の念を持って、アインズ・ウール・ゴウン魔導国との同盟及び友好通商条約を結ぶものである。

 

 ついては貴国に対し、アインズ・ウール・ゴウン魔導国と会談の場を設ける事を提案する。貴国には及ぶべくもないが、我が国は代々竜王の血を尊び、その血を絶やさんと守り抜いてきた。その我ら竜族の血をまた魔導国も尊重し、理解し、この私と国民をビーストマンの魔の手から守り抜いてくれた。魔導国の力により、ビーストマン国家はアベリオン丘陵へと居を移した事もここに付け加えておく。

 

 我が竜王国は今、長年耐え抜いてきた窮状を遂に脱し、平和の名のもとに喜びと希望に満ち溢れている。ついては貴国とも、今後より一層の繁栄を極めたいと希望すると共に、我が竜王国と魔導国が互いに繁栄を分かち合う仲であるように、アーグランド評議国とアインズ・ウール・ゴウン魔導国も必ずや互いに栄華を分かち合えるであろうと信ずるものである。

 

 貴国が更なる繁栄に向かって魔導国と共に第一歩を記す事を、ここに期待する。

 

 

 

                  竜王国女王 ドラウディロン=オーリウクルス

 

 

─────────────────────────────────

 

 

「...素晴らしい!完璧です女王陛下。宰相殿もこれでよろしいでしょうか?」

 

「ええ、デミウルゴス様。事実に基づいていますし、我が国としてもこの内容ならば問題ございません」

 

 羊皮紙に書き終わったドラウディロンはペンを置き、両手を高く上げてググッと背を伸ばした。

 

「んー!くはぁ...疲れた」

 

「お疲れ様です、陛下」

 

 デミウルゴス・カイロン・ルカに囲まれたドラウディロンは、かれこれ4時間近くも書状の内容について議論し、結局はデミウルゴスが皆の考えをまとめた上でアレンジしたものが採用されたのだった。ルカはデミウルゴスに笑顔を向ける。

 

「さすがだねデミウルゴス、魔道国一の智将の名は伊達じゃないね」

 

「ルカ様にそう言っていただけるとはこのデミウルゴス、光栄の極みにございます」

 

「後はアインズの書く書状だけだね。内容は決まってるの?」

 

「はい、大枠の線ではほぼ内容は出来上がっておりますので、あとはアインズ様のご許可を頂くのみとなっております」

 

「ちなみに、どんな内容にするつもりなの?」

 

「そうですねぇ...簡単に申しますと、女王陛下に書いていただいた書状が”事実”を描いたものであるとするならば、アインズ様の書く書状には”真実”を突きつける内容にしていただく予定でございます」

 

「何よ〜、もったいぶらないで、私だけにこっそり教えて?」

 

「...内緒ですよ。耳をお貸しください」

 

 ルカがフードを下げると、デミウルゴスはルカの耳に口を近づけて手を立て、コソコソッとほんの短い言葉を囁いた。それを聞いたルカは大きく目を見開き、目の前にあるデミウルゴスの頬に手を添える。

 

「やだ...天才?」

 

 そのままデミウルゴスの顔を抱き寄せて、思わず首筋にキスした。

 

「惚れちゃいそうデミウルゴス...どうしよう?」

 

「嬉しいですがそれはなりませんルカ様。私がアインズ様に叱られてしまいますので。それと今の話は他言無用に願いますよ?」

 

「うん、大丈夫言わないよ」

 

 ルカが体を離すと、デミウルゴスは自信に溢れた優しい笑みをルカに向けて見下ろした。その頼れる姿を見て、ルカはデミウルゴスと一緒にいる時安心する自分がいる事に気がついた。

 

「おい、いちゃつくのは構わんが、人目のないところでしてもらえると助かるんだが」

 

「あ、ご、ごめんドラウ!」

 

 見惚れていた視線を咄嗟に外してルカは謝った。デミウルゴスは平然としているが、ドラウディロンとカイロンの刺すような視線がルカは痛かった。

 

「...まあよい。それより今の話、竜王国に被害が及ぶような事ではあるまいな?」

 

「も、もちろんそれは絶対にないから大丈夫。保証するよ」

 

「うむ、ならよい。ほれ、封蝋もしておいたぞ。持っていけ」

 

「ありがとうドラウ、カイロン」

 

 ルカは書状を受け取り、そっとアイテムストレージに収めた。それを見てデミウルゴスがネクタイの襟元を整えてルカに促した。

 

「ではそろそろ私達も退散するとしますか、ルカ様」

 

「そうだね、色々とありがとうドラウ」

 

「待て待て、もう忘れたのか?土産があると言っただろうが」

 

「あ、そうだったね!ごめんごめん」

 

「全く、鬼神のように強いのにどこか抜けとるなお前は」

 

「へへ。お土産はどこに置いてあるの?」

 

「1階の城門前に揃えてある。下へ降りるついでに見送ろう」

 

 そして6人が城門前へ着くと、デミウルゴスが連れてきたデスナイト2体がまんじりともせず待機していた。その向かいには、沢山の木箱や壺が積み込まれた荷台が用意されていた。

 

「こ、こんなにもらってもいいの?」

 

「もちろんだ。きっと気に入ってもらえる品ばかりだぞ」

 

「ありがとうドラウ!」

 

「それと、これはお前個人にだ」

 

 そう言うとドラウディロンは、宰相が持った縦20センチ・横10センチ程の厚紙で包まれた真っ白なパッケージを3箱手に取り、ルカに手渡した。そこに書かれていた文字を見てルカは驚き、声を上げた。

 

「あっ!まさかこれ....」

 

「好きなんだろう? お前の付けてる香水・フォレムニャックの最新モデルだ」

 

「ど、どうしよう、超嬉しい! ていうか、よく私の香水分かったね?」

 

「フフ、香水大国の女王だぞ私は。お前の客間に漂っていた香りなんぞ、一発でお見通しだ。しかしまあ...お前が我が国の香水を愛用していてくれた事には、正直嬉しかったよ」

 

「ドラウ....」

 

「その荷台にも、様々な種類の香水を乗せておいた。アインズへの土産もあるから、皆に渡してやってくれ」

 

「分かった.....ねえ、ドラウ?」

 

「何だ?」

 

「その...特に用が無くてもいいから、私にもたまには伝言(メッセージ)ちょうだいね?」

 

「ああ。お前もなルカ。色々世話になったな」

 

「ううん、こっちこそ。それじゃあ行くね」

 

「またいつでも来い。待ってるぞ」

 

「分かった! デミウルゴス、お願い」

 

「畏まりました、アインズ様は現在ナザリックにおられますので、そちらへ飛びます。転移門(ゲート)。デスナイトよ、その荷台を運び前進せよ!」

 

 ドラウディロンとカイロンが手を振る中、ルカ達3人とデミウルゴスは暗黒の穴へと足を運んだ。

 

 

 ───ナザリック地下大墳墓 第9階層 執務室 20:13 PM

 

 

「アインズー、帰ったよー」

 

「只今戻りました、アインズ様」

 

「おおルカ・ミキ・ライル、それにデミウルゴス。ご苦労だったな、書状は受け取ったか?」

 

「はいこれ。デミウルゴスが考えてくれたから、バッチリだよ」

 

 ルカはアイテムストレージから羊皮紙スクロールを取り出し、アインズに手渡した。

 

「うむ。早速で悪いんだがデミウルゴス、私の書く書状の内容を───」

 

「あー、待ってアインズ。ドラウからお土産沢山もらってきてるから、ここに運んでもいい? 多分日持ちしないものもあるだろうから」

 

「え、ここにか? まあ散らからないようなら構わんが...」

 

「OK。いいよ、運んでー」

 

 すると勢いよく扉が開き、デスナイトが次から次へと荷物を運びこんできた。部屋の右隅に次々と木箱や壺が並べられ、あっという間に部屋の一角を埋め尽くした。

 

「お、おいおい、まだあるのか?」

 

「大丈夫、これで最後だから。あーそれ、そっと置いてねー」

 

 デスナイトが最後の木箱を床に置くと、執務室を出て扉を閉めた。

 

「さてと、いっちょ始めますかー」

 

 ルカは右腕をブルンブルンと振るい、縦横130センチはある2段に積まれた木箱をひょいと抱え上げると地面に降ろし、(メキメキ)と力任せに木箱の上蓋を引っぺがした。

 

「うわーこれケーキの箱だ!何ホールあるんだろ。それとほら見てアインズ、スターゲイザーも何本か入ってるよ!」

 

「おお!さすがドラウ...って、お前ここで全部開封する気か?」

 

「木箱だけだから大丈夫だよ...っと、こっちは香水のボックスだ!すごい、100種類以上は入ってるよ!!これ買ったら高いんだよなー。さすがドラウ、太っ腹。アインズごめん、出したの全部真ん中のテーブルに乗せてくね」

 

「う、うむ」

 

 その後もルカは木箱を開けては、中身を広いテーブルの上にズラリと並べ、さながら竜王国特産品市場と化していった。そしてルカは壺に手を付け始める。その中には、様々な種類の新鮮な香草が詰め込まれていた。

 

「あっ...この香り、すごい。アインズ見て、これ多分スターゲイザーの原料になった花だよ! きれい...こんなにたくさん。見かけは胡蝶蘭みたいだね。確かレムリアンフルールって言ってたよね? ほら嗅いでみてアインズ。すっごい良い香り」

 

「分かった分かった、今行く。どれどれ....」

 

 アインズは書状の下書きを作る手を止めて席を立ち、ルカの傍に寄り添った。そして中腰になり、ルカが持つ壺の中身を覗き込む。

 

「お、おお....この香りはまさしく!」

 

「ね?スターゲイザーの香りでしょ?」

 

「...エーテル酒の時とは違い、より鮮烈な香りだな」

 

「私は飲んでないから分からないけど、これが原材料の香りなんだよね」

 

「これは...他の壺も見てみよう。こんなレアな香草は、何かの調合に使えるかもしれんぞ」

 

「うんうん」

 

 アインズとルカはその後も20個はある壺を嗅いで回り、気づくと2人とも地べたに座り込み、心も体もリラックスしていた。

 

「はぁ、すごいな。これがヒーリング効果というやつだろうか」

 

「どれもこれもいい香りだったねー。それでいて個性があるから、脳のスイッチが切り替わりまくりだったよ」

 

「これはあれだな、ンフィーレア・バレアレに渡して、調合の実験に使ってもらう価値があるかもしれんな」

 

「いいと思うよ。でも多分だけどドラウは、あのテーブルに並べられた香水の元となった原材料を、見てほしかったんじゃないかな。それでお土産に持たせたとか」

 

「だとしたら粋な計らいだな。俺の中で竜王国の価値がグンと上がったぞ」

 

「アインズ、あの香水も見てみようよ」

 

「いやいや、俺はパスだ。香水には詳しくないからな、好きなのを取ればいいさ。俺はスターゲイザーが飲みたくなってきた」

 

「フフ、後でみんなで飲もうか。じゃああたしは見てみよっかなー」

 

 アインズは立ち上がると執務机に戻る。ルカは中央にあるソファに座り、テーブルにズラリと並べられた木箱の蓋を開ける。中には色とりどり、形も様々な香水の瓶が升目上に区分けされて25本ずつ収まっていた。合計4箱。その瓶に書かれた銘柄を確認しながら、一つ一つ匂いを嗅いでいく。

 

「...あーすごい、どれもこれもいい香り。でもあれが多分あるはずなんだよな」

 

 しばらく香水を探っていくと、真っ白に塗られた瓶を手に取り、テイスティングした。

 

「...あった、これだ! アルベド、こっち来て」

 

 執務机の左に待機していたアルベドが、不思議そうな顔をしてルカの隣に腰かける。

 

「どうしたのですかルカ?」

 

「ほら、”ザイオン”!アルベドが付けてる香水の最新モデルだよ」

 

「まあ!ルカ、よく私の香水が分かりましたね」

 

「前からいい香りだなって思ってて、エ・ランテルの香水屋で調べたんだよ。あそこ結構品ぞろえいいからね。はいアルベド、これあげる」

 

「...嬉しい!いいんですかルカ?」

 

「もちろん!竜王国からのご褒美だよ」

 

「ありがとう。この最新モデルは以前よりも香りがシャープですね。気に入りました」

 

「良かった。これさ、他の守護者達にもお裾分けしてあげたいよね。みんな呼んじゃおうかな、伝言(メッセージ)

 

 そうしてシャルティア・コキュートス・アウラ・マーレ・セバス・ルベドも集まり、階層守護者及び領域守護者8人が集まった。

 

「やあ、みんな来たね」

 

「ルカ様、参りんした。どうされたのでありんしょう?」

 

「実は竜王国から土産の香水を沢山貰ってね。男性守護者にはあまり興味ないかもしれないけど、みんなに一つ好きな物を持っていってもらおうと思って」

 

「香水?!み、見たいでありんす!」

 

「こっち座って、ゆっくり選んでね」

 

 向かいのソファにはシャルティア・デミウルゴス・セバスが座り、ルカの隣にはアウラ・マーレ・ルベドが腰かけて、皆思い思いに香水を選び始めた。シャルティアとルカは次々とテイスティングしていき、やがてピンク色をした楕円形のかわいい瓶を見つけた。

 

「んーこれいい香り。シャルティアにぴったりかもよ?」

 

「そっ、その瓶の形は”ロスロリエン”!それを探していたでありんす!」

 

「おお!良かったね目当てのものがあって。はい」

 

「あぁ~これを街で探すのも一苦労なのでありんす。さすがルカ様、鼻が利くでありんすね」

 

「今度女王に頼んで、いくつかキープしてもらえばいいよ」

 

「それはいい考えでありんす。竜王国様様でありんすぇ」

 

 シャルティアが小瓶に頬ずりしている最中、右隣にいたアウラが退屈そうにルカの腕に寄り掛かってきた。

 

「アウラとマーレは、香水とか興味ない?」

 

「あたし達はほら、配下の魔獣がいやがりますからね。香水とかは付けないんです」

 

「ぼぼ、僕は少し興味ありますけど、お姉ちゃんが嫌がるので付けません...」

 

「そっか。2人とも、もう少し大人になってからだね。それならほら、竜王国特製のすっごくおいしいケーキがあるよ。食べる?」

 

「ケーキ?! いただきます!」

 

「オッケーちょっと待ってね、今切り分けるから」

 

 ルカは中空に手を伸ばし、小皿を2枚にナイフとフォークを2本取り出すと。15ホールもあるハーブチーズケーキのうち1箱を開封し、六等分に切り分けて小皿に乗せ、2人に手渡した。2人はパイ生地に包まれた真っ白なケーキを一口を頬張ると、満面の笑顔を見せた。

 

「んんーおいしー!」

 

「あのその、サクサクしてて甘すぎないし、これすごくおいしいですルカ様!」

 

「沢山あるから、いっぱい食べていいからね。どうデミウルゴス、何かお気に入りは見つかった?」

 

「私はやはり、これでしょうかねぇ」

 

 キラリとメガネを輝かせ、確信に満ちた笑みを湛えるデミウルゴスが手にしているのは、ライトブルーの液体が入った長方形の瓶だった。

 

「”トゥルーリバーヴ”!それシトラスフローラル系の爽やかな香りだよね。さすがデミウルゴス、絶対似合うと思うよ!」

 

「ありがとうございます。では私はこれをいただくとしましょう」

 

「セバスはどう?」

 

「いえルカ様。私自身は香水など付けないのですが、メイドのツアレにどうかと思いまして」

 

「ああ、噂の彼女ね。セバスがプレゼントしたら絶対喜ぶと思うよ、いいんじゃない?」

 

「ですがルカ様、私には香水の良し悪しが分かりかねますので、よろしければルカ様が選んではくださいませんか」

 

「選んでもいいけど、その子を一番良く知ってるセバスが似合うと思う香水を選んであげた方が、ツアレにとっても嬉しいんじゃないかな?」

 

「そうですか。では一つだけ候補があるのですが、これなどいかがでしょう?」

 

 セバスは四角錐の不思議な形をした瓶をルカに見せた。

 

「”イシュタル”か!また高い香水を選んだね。...んーなるほど、ホワイトムスクの優しい上品な香り...私はツアレに会った事はないけど、きっとおっとりした子なんだね。目に見えてくるようだよ。こんなのプレゼントされたら、その子気絶するくらい喜んでくれるよきっと?」

 

「おお...! ルカ様のお墨付きとあれば、何の憂いもございません。これをいただくとします」

 

「うんうん。で、さっきからずっと立ったままだけど、コキュートスは...興味なさそうだね」

 

「ルカ様、私ハ武人。戦闘ニ差シ支エルヨウナモノハ身ニ付ケマセンノデ、オ気ニナサラズ」

 

「そっか、ライルと同じだね。ミキ、”シャドウダンサー”入ってるよ。欲しいでしょ?」

 

「ええ!是非いただきますわ」

 

「さて、これでほぼ全員に行き渡ったかな? ルベドはどう?何か見つかっ───」

 

 マーレの右隣に座ったルベドは、歯車のような美しい銀細工が施された円筒形の赤いボトルをじっと見つめ、それを大事そうに両手で握りしめていた───顔は相変わらず無表情だが。

 

「...見た事のない形だね。ルベド、それがいいの?」

 

 そう問われても、ルベドはピクリとも反応しない。ルカは席を立ってソファーを回り込み、ルベドの後ろに立ってそっと肩を抱きしめた。するとまるで初めて気が付いたかのように(ビクッ)と体を震わせるが、ルカの横顔を見て安心したのか、再び手にしたボトルに目を落とす。

 

「これがいいんだね。嗅いでみてもいい?」

 

 背にぴったり密着するようにしてルベドの手にそっと触れると、手の力を緩めてルカにその瓶を渡してくれた。ルカはその銘柄を確認する。

 

「”ヴァイオレーター”....かっこいい!何かルベドにぴったりの名前だね。香りはどうなんだろう?」

 

 ルカはボトルの先端に付いたスプレーを手の甲に向けると。(シュッ)と少量噴射して手首で擦り、テイスティングした。

 

「...んんーすごい、エキゾチック。ローズヴァイオレット主体だけど、それだけじゃない奥深さがあるね。攻撃的なんだけど、どこか抱擁間もあって引き込まれる。私じゃ絶対に付けこなせないやこれは」

 

「....これが、一番...気に入ったんだ...ルカ。どう...思う?」

 

 ルベドは肩に寄り掛かるルカの目を真っすぐに見た。

 

「似合ってるよルベド。というか、多分この香水を付けこなせるの、この世でルベドしかいないと思う。そのくらい似合ってるよ」

 

「ルカ、私にも嗅がせてください」

 

 後ろに控えていたアルベドが、ルカの手の甲の香りを嗅いだ。そのミステリアスかつ官能的な引き込まれる香りにアルベドの目がトロンと緩み、ルベドの肩にそっと手を置いた。

 

「ルベド? いい香りですけど、この香水が良いのですか?かなり刺激的だけど...」

 

「...姉様。だめ...かな?」

 

「いいえルベド、似合っているわ。私の香水とは正反対の香りだったから、少し心配になっただけよ。私の可愛い妹に相応しい香水だと思う。ルカもこう言っている事だし、これになさい?」

 

「....ルカ?」

 

「私は絶対に嘘は言わないよルベド。アルベド姉さんの言う事を信じなさい!」

 

「....分かった」

 

 

 そう答えるルベドの横顔を見て、向かいのソファーから見ていたシャルティアとデミウルゴスが、驚きのあまり固まった。

 

「...ル、ルベドが.....」

 

「...笑っ...た...」

 

 ルカを見つめるルベドの無表情だった顏が、少しずつ、少しずつ緩み、僅かではあるが、口元に微笑を湛えたのだ。元々姉に似て美しい顔立ちではあったが、その表情はどこかきつく、無表情だった事もあり、他を寄せ付けないものがあった。長年一緒にいた守護者達ですら初めて目にするその笑顔は、何よりも深遠で、何よりも美しかった。ルカとアルベドはそんなルベドにたまらない愛おしさを感じ、2人で肩を支え合う。

 

「それじゃあ残りの分とケーキは、プレアデスと他のメイド達にプレゼントだね」

 

「了解ですルカ。後で私から皆に渡しておきます」

 

「OK。私達はちょっとエ・ランテルに出かけてくる。今日中には戻ると思うから、後はよろしくねアルベド」

 

「ええ、いってらっしゃい」

 

 ルカ・ミキ・ライルはその場で転移門(ゲート)を開き、暗黒の穴へと消えて行った。

 

 

 ───エ・ランテル 黄金の輝き亭 1F食堂 22:19 PM

 

 

 プルトン・アインザックは、右奥の壁沿いにあるL字型のバーカウンターに一人腰を下ろし、エール酒のジョッキを仰いでいた。その背後には、天井が吹き抜けとなった広い食堂に円卓のテーブル席が6つ程並び、貴族階級らしき者たちが皆それぞれに晩餐を楽しんでいる。そのテーブルの合間を縫って、腰に真っ白なエプロンを巻いた女性が忙しく料理を運んでいた。恐らく年齢は30代後半と見受けられるが、長く伸ばしたライトブラウンの髪を頭の後ろで団子上にまとめ、必要最低限の薄化粧しかしていない彼女の顏は張りもあり美しく、その自信に満ちた表情を際立たせている。両耳には怪しく輝く青色のクリスタルがはめ込まれたイヤリングを身に着け、体も引き締まったその女性は、テーブル席に座る着飾った厚化粧の女性たちよりも遥かに若々しく見えた。

 

 とそこへ、黄金の輝き亭入口の扉がゆっくりと開いた。食事を終えた席の後片付けをしていた女性はそれに気づき、顔は向けずに声だけをかける。

 

「はーいいらっしゃいませ!今席を片付けますので少々お待ちを」

 

「...私達はそっちには座らないよ、女将さん」

 

 それは聞き覚えのある女性の声だった。咄嗟に入口の方へ振り返ると、そこには黒いマントを羽織った影達が3人、フードを下げてこちらに笑顔を向けていた。その懐かしい顔に女将は重ねた食器を放り出して入口へ走り、そのまま先頭に立つ黒い影に抱き着いた。

 

「...ルカちゃん!ミキちゃんにライルも!よく戻って来たね、元気だったかいあんた達?!」

 

「ああ、女将さんただいま。相変わらずそうだね、私達は何も変わりないよ」

 

「それにしても2年ぶりかい?3人共よく無事で帰って来きてくれたね」

 

「ありがとう。私のあげた青い証言(エビデンスオブブルー)、まだ着けてくれてたんだね」

 

ルカは女将の耳に装備されたイヤリングにそっと手を触れた。

 

「当たり前さね、これがないと仕事にならない程だよ。まあまあ、とにかく中へお入り!カウンターには先客が一人いるけど、構わないね?」

 

「彼とはここで待ち合わせてたんだ、大丈夫だよ」

 

 ルカ達はプルトンの待っていたカウンターに腰を下ろした。

 

「ごめん待った?プルトン」

 

「いや、ついさっき来た所だ、問題ない」

 

「もう飲んでるんだね、マスター!注文いい?」

 

 カウンターに背を向けて酒を汲んでいたマスターが振り返る。

 

「いらっしゃい!...って、ルカじゃねえか?!2年も音沙汰がねえと思ってたら何だお前ら、元気そうじゃねえか!」

 

「久しぶりマスター。相変わらず繁盛してるみたいだね」

 

「おう、おかげさまでな。まあお前らみたいな上客はそうそう現れなかったけどな。組合長、待ち合わせって言ってたのはルカ達の事だったんですかい?」

 

「その通りだマスター。早速だ、何か注文したらどうだ3人共」

 

「じゃあ私はエール酒で。ミキとライルは?」

 

「私はワインをボトルでいただくわ」

 

「いつも通り、地獄酒で」

 

「あいよ!すぐ持ってくるから待ってな!」

 

(ドン!)とテーブルに置かれたジョッキとグラスを手に取ると、四人は乾杯して酒を仰いだ。

 

「かー!仕事のあとはやっぱこれよねー」

 

「全く相変わらずだなお前は」

 

プルトンは呆れ顔で笑いながらルカを見る。

 

「こうやって一緒に飲むのも久々よね。そっちはあれから何か変わったことはあった?」

 

「お前がこの世界に帰ってきた事が一番変わったことだ」

 

「フフ、言ってくれるじゃない」

 

「...よく帰ってきてくれたな、ルカ」

 

「うん。...ありがとプルトン」

 

(ゴツン!)と二人はジョッキを再度ぶつける。そしてルカ達3人とプルトンはその日夜更け過ぎまで、マスターと女将さんも交えて多くを語り合った。今思えば、どれもこれもルカにとっては楽しい思い出ばかり。その事を知り、共に戦ってきたプルトンという親友がここにいる事を、ルカは誰にともなく感謝したのだった。

 

 

 




■ 魔法解説


読心術(マインドリーディング)

相手の心の声を聞き取る事が出来るが、雑念まで入り混じってくるため、その深層心理までは聞き取れず不確定要素が多い。あくまで参考程度に使用する魔法


茨の扉(ヘッジオブソーンズ)

植物の絡みつき(トワインプラント)の上位互換魔法。敵の体全体に巨大な茨の棘が絡みつき、移動阻害と共に刺突属性の追加ダメージを与える。効果時間は30秒。魔法最強化・位階上昇化によりその威力・魔法効果範囲が上昇する


超位魔法・急襲する天界(ヘヴン・ディセンド)

失墜する天空(フォールンダウン)の神聖属性版。信仰系最強魔法で、核爆発(ニュークリアブラスト)に次ぐ広範囲攻撃と絶大なる火力を誇る。術者のカルマ補正値により攻撃範囲・威力が影響を受けて若干変動する


不浄耐性の強化(プロテクションエナジーアンホーリー)

不浄耐性を60%引き揚げる効果を持つ。魔法最強化・効果範囲拡大によりそのパーセンテージと効果範囲が上昇する


死の影(シャドウオブデス)

相手の不浄耐性を40パーセント低下させるデバフ属性範囲魔法


罪深き暴風雨(アンホーリーストーム)

超位魔法を除く不浄系最強の範囲魔法。その効果範囲は約70ユニットにも達し、一度でもこの魔法を受けた相手はその後30秒間、呪詛系DoT(Damage over Time =持続ダメージ)を被り、その火力は総じて大ダメージへと転化する恐るべき魔法


賢人に捧ぐ運(ダンスオブザチェンジフェイト)命変転の舞踏(フォーアトラハシース)

セフィロトのみが使える種族特性魔法。この魔法を受けたパーティーは、そのカルマ値が例え最低値のマイナス500であったとしても、強制的にプラス500へとカルマ値が補正されるという極めて特殊な魔法。これによりカルマ補正を受けた魔法の威力を底上げすると同時に、例として強力な神聖属性攻撃を使う敵に対しダメージを軽減するための防御手段としても使われる。被対象者が一撃でも攻撃を行うか、敵からダメージを一撃でも受けた段階で魔法の効果が解け、その者本来のカルマ値へと戻る


結合する正義の語り(ライテウスワードオブバインディング)

センチネルというMelee(物理攻撃)特殊クラスのみが使える魔法。術者の周囲30ユニットに渡り敵の神聖耐性を40%下げ、その後に強力な神聖属性AoEを頭上から叩きつける範囲魔法。魔法最強化によりその効果範囲・威力が上昇する


聖者の覇気(オーラオブセイント)

神聖属性単体攻撃に置ける最強魔法。その火力は超位魔法・聖人の怒り(セイント・ローンズ・アイル)一撃分に相当し、且つ魔法最強化によりその威力は更に上昇する


■武技解説

暴虐の旋風(クルーエル・サイクロン)

術者の体を高速回転させる事によって、半径50ユニットに渡り闇属性の光波連撃を叩き込む武技。その扇状の刃は貫通属性を持ち火力も高く、主に集団戦闘で敵陣地に飛び込み混乱させる目的で使用される事が多い


痛恨の斬撃(スターゲリングストライク)

ポールアーム・ハルバード装備者が使いこなせる連撃技。高速で10連撃を叩き込むと同時に、技を受けた敵の斬撃耐性を20パーセントまで一気に低下させる


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第4話 降魔

 アインズは夢を見ていた。それは想像を絶する甘美な悪夢。

 

 そこには2つの精神が同居していた。一つはその絶望的な風景を見て美しいと感じる自分。そしてもう一つは、その風景を客観的に捉え慌てふためく自分だ。パニックと言い換えてもいい。漠然とした高揚感、漠然とした虚無感、そして漠然とした恐怖感。夢特有の浮遊感がそれを夢だとはっきり自覚させながら、そのあまりにもリアルな浮遊感故に、現実か非現実か判別不可能なギリギリの境界線に立たされる矛盾した感覚。

 

 (助けてくれ)と願う自分。(ここから出してくれ)と願う自分。しかしそういう時に限ってその世界から脱出できない歯痒さ。その思いから、パニックに陥っている意識の方が強く働いているとようやく自覚するが、どう意識をコントロールしようとしても無駄だと理解するのに、さほど時間はかからなかった。

 

 ただ、悲しみだけが積み重なるように連鎖していく。そしてそれが許容できなくなった時、ふとアインズは、骸骨である自分の目から涙が流れている事に気が付いた。制御不能な感情と現象がアインズを更に混乱させていく。しかしその時、遥か遠くから音が聴こえた気がした。この状態から脱出する為、祈るような気持ちでその音に耳を傾ける。

 

 ...柔らかい音...いや、それは声だった。全てを包み込むような抱擁感を湛えた美しい歌声。

 

 一体どこから聴こえてくるのか、誰が歌っているのか。そんな事は今のアインズにとってはどうでもいい事だった。それが例えセイレーンのような悪魔の歌声だったとしても。ただ、救ってほしい、救われたいという気持ちがオーバーフローを起こし、その歌声に意識を集中する。

 

 そして天女の如き声が徐々に近づき、アインズはその言葉が判別できるほどにまで接近した事で、その歌の意図を把握し、水平線に向かって手を伸ばした。彼女は、アインズを元の世界へ引き戻そうとしているのだと解釈したからだ。そのゆったりと流れるような歌はまるで子守歌のようでもあり、賛美歌のようでもあり、葬送曲のようでもあった。

 

──────────────────────────────

 

....Say(E3-F#3 E3 D3 E3- /) nefarious(F#3 G3- F#3 D3 E3- /) treat(E3-F#3 E3 D3 E3-/ ) or(D3 / ) breeding.(B2 D3- / ) (邪悪な育みを口にして)

 

 

Ring(E3/) a(F#3 E3 D3 ) bell(E3- /) a(F#3) fame(G3-A3 B3 -/) treat(E3-F#3 E3 D3 E3- /) courtly.(E3 E3- / )(過去の名声を思い出す)

 

 

....Stay(E3-F#3 E3 D3 E3- /) nefarious(F#3 G3- F#3 D3 E3- /) treat(E3-F#3 E3 D3 E3-/ ) or(D3 / ) breeding.(B2 D3- / )(邪悪な育みを抑えてください)

 

 

Ring(E3-/) a(F#3 E3 D3 ) bell(E3- /) a(F#3) fame(G3-A3 B3 -/) (名声を思い出して)

 

 

Flamous(G3-A3 B3- /) own( F#3 /) be should(E3-F#3 E3 D3 E3- /) code it.(E3 E3- /)(虚偽の多い自身など、記号化してしまえばいい)

 

 

...Say nefarious.....

 

 

 

───────────────────────────────

 

 歌の旋律が何度もリフレインし、繰り返し歌っているこの女性は一体何を訴えたいのだろうか。この非現実的な世界の中で、アインズにとってただ一つ信じられる歌声。それを思い、脳裏にたった一人だけ、その美しい女性の笑顔が浮かんだ。アインズは目を閉じ、その女性に向かって意識を飛ばす。すると視界の中心にまばゆい光が見えてきた。そして─────

 

 

 目が覚めると、アインズは執務室にある椅子の上にいた。次に行う動作は決まっている。自分の頬に涙が伝ってないかを咄嗟に確認したが、当然湿り気一つもなかった。自分は睡眠を取っていた───(睡眠?!) と驚いて周囲を見渡すと、右隣にはアルベドが相変わらず美しい姿で佇んでいる。そして左肩に重みを感じ、ふと顔を向けると、そこには予備の椅子に座るルカの優しい微笑みがアインズを照らした。彼女は眠っていたアインズの左肩に手を添えて、(トン、トン)と一定のリズムで叩いている。何が起きているのか分からず、アインズはアルベドとルカの双方を見やりながら質問した。

 

「ふ、二人とも! 今私は、一体どうしてた?」

 

「はい、アインズ様は椅子の上でうたた寝をしておりました」

 

「フフ。珍しいよね、アンデッドが寝ちゃうなんて。起こすのも何だから、子守歌を歌ってあげてたのよ」

 

「...歌だと?それでは夢の中で聴こえてきたあの歌は、ルカ、お前が....」

 

 そう言われてルカは深呼吸するように息を吸い込む。

 

「....Stay nefarious, treat or breeding. ってね。夢の中で聴こえてたんだ?」

 

 それは間違いなく、あの空の下へ響いてきた歌声に相違なかった。涙は流れないが、アインズは目頭に熱いものが込み上げてくるのを感じ、椅子越しにルカを抱き寄せた。

 

「....ルカ。ありがとう、助かった。あれはやはりお前だったのだな」

 

「ちょ、ちょっとアインズ?助かったって、そんなひどい悪夢を見てたの?」

 

「ああ。お前の声がなければ、一生脱出できないと思わせるようなひどい夢だった」

 

「そこまで言うなんて...それはどんな夢だったの?」

 

 ルカは抱き着くアインズの両脇をそっと支えて体を離し、アインズと正面から向き合った。

 

「あれは....惑星の崩壊とでも呼ぶべき光景だった。それを地球からかプロキシマbかは分からんが、そこにある浜辺で、崩壊していく空を俺一人が眺めているという夢だったんだ」

 

 アインズはテーブルに目を落とし、あの時の気分を払拭しようと首を横に振る。

 

「...なるほど。ここんとこモノリスの発見も相次いだし、ブラックホールとかそういった内容が夢に反映されたんじゃないかな。大丈夫、気にしないでいいよ。地球にしろプロキシマbにしろ、星の寿命はまだ数億年先と見られてるからね。私のような科学的見地からの意見なら、信じられるでしょ?」

 

「そ、そうか。科学者のお前がそういうのなら、それを信じるべきだな。ありがとう、少し落ち着いてきた」

 

「うん。それよりも、私としてはアインズが睡眠に入った事が気がかりではあるけどね」

 

「そうですね。アインズ様のお傍には常に控えさせてもらっていますが、今日のように深い眠りに入るのは私も初めて見ました」

 

 アルベドもルカの意見に同意する。それを聞いてアインズは誤魔化すように取り繕った。

 

「ま、まあ今度プロキシマbへ戻った時にでも検査してもらえればそれでいいさ。それよりもルカ、お前が歌ったあの美しい歌は一体何なのだ? 良ければ教えてほしいのだが」

 

 アインズは何の疑いも無く正面から問いただしてきたが、ルカはそれを見て赤面する。

 

「う、美しいだなんてそんな、照れちゃうな...。でもありがとう。あの歌はね、私の国に伝わるとても古い子守歌なのよ。元の歌詞はゲール語で歌われてるから、そこへ適当な歌詞を当て込んで歌ってみただけ。これ結構暗い歌だけど、そんなに気に入った?」

 

「ああ。毎日でも聞きたいほどにな」

 

「じゃあ、アルベドのお許しが出たら毎晩歌ってあげる」

 

それを聞いてアルベドの目が吊り上がった。

 

「ルカ。あなたといえども、毎晩というのは聞き捨てなりませんね。それならルカが私に先ほど歌っていた歌を教えてくださいまし。私が代わりに歌って差し上げますわ」

 

「もちろんいいよアルベド。きれいな君が歌う姿を想像するだけでゾクゾクしてくるよ。今度教えてあげるね」

 

「...意外とあっさり引きましたね。冗談です、私は歌は不得手なので、ルカにお任せしますわ」

 

「そっか、残念。でもそんなに毎回深い睡眠に入る訳でもないだろうし、たまになら歌ってあげるよアインズ」

 

「ああ、是非頼む。...さてと、デミウルゴスと今後の作戦を練らねばな」

 

「アーグランド評議国へ向けての?」

 

「うむ」

 

「それなら、私とミキ・ライルは少し外出してきてもいいかな? 戻ってきたことを伝えたい人達もいるから、挨拶してこなくちゃ」

 

「構わんぞ。あまり遅くならないようにな」

 

「ありがとう。それじゃ行ってくるね」

 

 ルカは椅子から立ち上がると、部屋を後にした。

 

 

 ───バハルス帝国 帝都アーウィンタール 帝城内 執務室 14:53 PM

 

 

「...それで?魔導王陛下が竜王国に乗り込んだのは分かった。その後はどうなったのだ?」

 

「はい、アンデッド軍団約一万五千を率いて、ビーストマン軍を制圧したとの事。そして魔導王自らがビーストマンの居城に乗り込んだという所までは把握できていますが、その後はビーストマン達が街から突如一斉に姿を消したと報告が入っております。後に残された街には魔導国の国旗が翻り、新たな街を建設中との事です。魔導王陛下のその後の足取りも分かっておりません」

 

「全く...王国からエ・ランテルを強奪するだけでは飽き足らず、我が帝国まで手中に収めたというのに、大陸の東側全土でも掌握するつもりなのか魔導王陛下は?一体何がしたいんだ彼は?」

 

「さあ...私にもそこまでは分かりかねます」

 

「...分かった、報告ご苦労。引き続き魔導国の動向を探るよう動いてくれ」

 

「畏まりました、皇帝陛下」

 

 帝国秘書官ロウネ・ヴァミリネンは恭しく頭を下げて執務室を出ていくと、帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは手にしたペンを放り投げ、机の上に突っ伏した。そして脱力し、一人物思いに耽る。

 

(...戦力増強という意味合いなら、我が帝国を既に手に入れているのだから、竜王国を手中にしたところで何のメリットもないはずだ。あの国の戦力などたかが知れている。そもそも竜王国は対ビーストマンとの戦争に置いて、法国と冒険者の戦力に依存していたではないか。それを何故魔導国が傭兵稼業よろしく肩代わりする?最初からビーストマンの国家が狙いだったとでも言うのか?それならまだ納得が行くが、よもやまさか、あの若作り婆ぁにたぶらかされたわけでもあるまいし、そもそもアインズに色仕掛けが通じない事は承知している...)

 

 そして机に突っ伏したジルクニフの額には、徐々に青筋が浮かんでくる。机からガバッと起き上がり、そして頭を掻きむしると、机の上に金色の髪の毛がハラハラと抜け落ちていく。それを見て怒りに打ち震え、隣の居室にも轟くような大声で彼は絶叫した。

 

「くそ!!一体何を考えているんだあのアンデッドは?!やることなす事いちいち意味が分からん!竜王国を救って魔導国に一体どんなメリットがあるというのだ!!」

 

 ようやく魔導国も落ち着いてきたと思っていた矢先の出来事に、ジルクニフのストレスは一気に爆発した。そして絶叫した後には、ただひたすら虚しさが込み上げてくる。

 

「...何故このような事になってしまったのだろうか...」

 

 力という点に置いても、智者という観点から見ても理不尽極まりない怪物、アインズ・ウール・ゴウン。脱力したジルクニフは椅子の背もたれにドッと体を預けて、高い天井に備え付けられたシャンデリアを仰いだ。両手をダランと下げて口を半開きにしたその顔は、とても一国を預かる皇帝の姿とは程遠く、その整った外見とのギャップが、より一層だらしなさを際立たせていた。

 

 そこへ突然、喉元に氷でも当てられたかの如くひんやりと冷たい感覚が襲った。それに驚いたジルクニフは咄嗟に体を起こそうとするが、見えない何かがジルクニフの顎と口を強力に押さえつけて固定し、一切の身動きが取れなくなってしまった。(ま、まさか、刺客か?!)と焦るジルクニフの視線の先に、透明化(スニーク)していた何者かの姿がゆっくりと浮かび上がってきた。そしてその黒い影は体を固定したままジルクニフに語り掛けてくる。

 

「全く、相変わらず隙だらけだね君は....」

 

 全身漆黒のレザーアーマーに黒いマントとフードを被ったその影は、ジルクニフの喉元にロングダガーの腹を当てていた。そして武器を喉元からどけて顎を固定していた力を抜くと、その影は被っていたフードを下げて顔を露わにした。ジルクニフは咄嗟に体を起こして振り返り、何者なのかを確認する。

 

「...ル、ルカ・ブレイズ...か?」

 

「久しぶりジル。元気にしてた?」

 

 皇帝はその姿を見て呆気に取られていた。昔と寸分違わぬ姿に思わず息を飲み、執務室中央にあるソファに腰かけるルカの一挙手一投足を追っていた。(キン!)と抜いていたロングダガーを納刀すると、ルカは怪訝そうな顔をジルクニフに向ける。

 

「...何ジロジロ見てるの?君もこっちおいで。別に殺しに来たわけじゃないんだから」

 

「あ、ああ、分かった」

 

 ジルクニフは恐る恐る向かいのソファーに腰かけた。ありとあらゆる魔法に対する結界を張ってあるこの帝城内に、一体どうやって侵入したのかを知りたかったが、それよりも重要な事を先に聞いておくべきだと考えを改めた。冷静さを取り戻す為には、まずそれを先に聞かねばならない。

 

「ルカ・ブレイズ。一体ここへ何をしに来たんだ?」

 

「何って、君の顔を見に来たんじゃない。同じ魔導国の仲間だって言うからさ」

 

「魔導国の仲間だと?!という事は、お前も...」

 

「そうよ。あたしも魔導国の大使になったから、一言知らせておこうと思ってね。今後何かあった時に君の力を借りる事になるかもしれないし」

 

「な、何という事だ...よりによってお前があの国の大使に着くとは」

 

「何よ、それが盟主国の大使相手に言う言葉?」

 

「ああいや...済まない。まだ少し気が動転していてな」

 

「フフ、冗談よ。大きくなったねジル。今じゃ鮮血帝なんて呼ばれてるみたいだけど、私もそれに一枚噛んでるからね。文句言える筋合いもないか」

 

「お、おいルカ、くれぐれもその事は...」

 

「分かってるって、誰にも言わないよ」

 

「そうか、ならいいんだ」

 

 ようやく落ち着きを取り戻したジルクニフは、改めてルカを見据えた。過去自分を暗殺しに来た女が一転、自分に力を貸してくれる事になろうとは世にも思わなかったあの時代。それを思い返し、ジルクニフは大きく深呼吸をした。

 

「さっきから話を聞いてたけど、アインズが竜王国に出向いたのがそんなに不思議?」

 

「さっきからって...ここでの話を全て聞いていたのか?」

 

「そうだよ。だって誰も気づかないんだもん。まあ当然だけど」

 

「...なら隠し立てしてもしょうがない。実際の所はどうなんだ?」

 

「そうね。あまり詳しくは教えられないけど、簡単に言えば他の国に渡りを付けるためだよ」

 

「それは他国へ侵略するという事か?」

 

「その可能性もあるけど、主に友好条約を結べればそれでいいってとこかな。多分ね」

 

「それならば、私にもできる事だったのではないか?他国との国交は竜王国以上に帝国の方が活発なはずだ」

 

「でも、帝国はもう魔導国の属国でしょ?属国が他国に向けて連名で親書を書いても、”命令されたから仕方なく書きました”みたいな印象がどうしても消えないし、インパクトにかけるよね」

 

「...確かにそうだな。要するにそこらへんが理由という訳か」

 

「そういうこと。まあ私の個人的な主観で言えば、ドラウディロン女王の人柄もあったから助けたってところもあるけどね。あの子可愛いし」

 

「...あの女の真の姿を知っていてそんな事が言えるのは、お前くらいだろうよ、ルカ」

 

「それって大人バージョンのドラウって事?この前見たけど、大人になっても綺麗なままだったよ」

 

「そうだな。まあ妙な詮索はよそう。ルカ、お前は昔と何ら変わらず美しいままなのだな。それに昔と比べてこう、女らしくなったというか、棘が消えたというか...」

 

「フフーン、惚れちゃだめよ?」

 

「そうだな、気を付けておくよ」

 

 ソファーの背もたれに寄り掛かるルカの砕けた態度を見て謀殺の類ではないと察し、ジルクニフの表情にもようやく笑顔が戻ってきた。

 

「じゃあ私はそろそろ行くよ。思ったより元気そうで良かった」

 

「ああ。次に来る時は正式に来て欲しいものだな。そうすれば歓迎も出来よう」

 

「分かった。なるべくそうするよ」

 

 ルカとジルクニフはソファーから立ち上がると、正面から向かい合った。そしてルカはジルクニフの体を優しく抱き寄せて、首元に顔を埋める。柔らかいシトラスフローラルな香りがルカを包み、ジルクニフもルカの背に手を回した。まるで過去共に戦った戦友同士のようにお互いの温もりを分かち合い、体を離すと同時にルカはジルクニフの左頬にキスをした。

 

「...あの時のちんちくりんなガキが、いい男になったじゃない。また今度来るからね」

 

「フフ、お前のドレス姿を一度見てみたいものだ、ルカ。待ってるぞ」

 

「ありがとう。───────」

 

 ルカの左に暗黒の裂け目が出現し、その穴がゆっくりとルカの体を飲み込んでいく。そして穴が閉じると完全に気配が消え、執務室入口の扉が勝手に開き、(パタン)と閉まった。

 

 

 ───ロストウェブ内 虚空 ストーンヘンジ前 17:03 PM

 

 

 ルカ・ミキ・ライルが到着すると、プラネタリウムにでもいるかの如く満天の星空と銀河が散りばめられていた。そして正面には、高さ20メートル程の遺跡外縁部が姿を見せる。淡く光る円形の巨大遺跡群は、まるで宙空に浮かぶ古代都市の様でもあり、星空と相まって幻想的な風景をルカ達に投影していた。

 

 その中に足を踏み入れ、直径120メートル程の遺跡内部中心に光を放ちながら宙に浮かぶ存在を発見すると、ルカ達はそこに向かって歩を進めた。地面から1.5メートル程宙に浮き、昔と変わらない佇まいを見せる”彼女”の目の前に立つ。

 

 一面六臂の華奢な姿は、さながら生きた阿修羅像を見ているようだった。黒い髪を肩まで伸ばし、肌は透き通るほど白く、切れ長の眉と目がその意思の固さを象徴しているようだった。その目は閉ざされているが、口元には薄っすらと微笑を讃えているようにも見える。クリーム色の長い袈裟を素肌に羽織り、腰に締めた革帯が彼女の膨よかな胸と腰のラインを強調し、より一層華奢な印象を与えていた。

 

 ルカは宙に浮かぶ彼女の足にそっと手を触れた。

 

「ただいまフォールス。帰って来たよ」

 

 するとフォールス───(サーラ・ユガ・アロリキャ)の目が開き、ゆっくりと地上へ降り立った。そしてルカの顏に手を触れると、感極まったのか涙が溢れ始めた。それを受けて、ルカはフォールスを抱きしめる。柔らかなフォールスの肌とお香のような香りがルカを包み込んだ。

 

「おお...ルカ...我が愛しい子等よ。 よくぞこの地へと戻ってきてくれましたね、それにミキ、ライル。あなた達が来るのを、今か今かと待ちわびていたのですよ」

 

「ありがとうフォールス。2年も待たせてごめんね」

 

「いいえ、良いのです。こうしてまた戻ってこれたという事は、この世界から自由にログイン・ログアウトできるようになったのですね?」

 

「ああ、イグニスとユーゴのおかげだよ。私もオートログインプログラムの設計に参加したし、以前よりも安定した状態でのログインが可能になったからね。今度こそ、いつでも来れるようになったんだよ」

 

「それは素晴らしい事です。ミキ、ライルもどうぞこちらに」

 

『ハッ!』

 

 するとフォールスは六本の腕で2人を両肩に抱き寄せ、お互いに温もりを分かち合った。

 

「我が子等よ、またあなた達と会えたことを嬉しく思います。現実世界でもこちらの世界でも、どうかルカを守ってあげてくださいね」

 

「畏まりましてございます、我が第二の母よ」

 

「この身に代えましても、必ず」

 

 ミキとライルはフォールスの肩口で目を閉じ、得も言えぬ抱擁感に身を委ねていた。そして3人はフォールスとの再会を喜び、しばし語り合った後、ルカがフォールスに質問した。

 

「そう言えばフォールス。このところ世界各地に、ガル・ガンチュアの神殿にあったものと同じようなモノリスが出現しているんだけど、何か心当たりはない?」

 

「ええ、その事なら存じています。あなた達が先日ログインしたその時からモニターしていましたので。実はその事もあってあなた達を待ちわびていたのです。よろしければあなた達が見たそのモノリスに刻まれた内容を、私にもお聞かせ願えませんか?」

 

「もちろん。ちょっと待ってね」

 

 ルカは中空のアイテムストレージから茶色い表紙の手帳を取り出すと、トブの大森林でメモしたものと、万魔殿(パンデモニウム)でメモした内容をフォールスに聞かせた。するとフォールスは目を閉じ、しばらくの間黙り込む。それを見てルカが心配そうに声をかけた。

 

「フォールス、大丈夫?」

 

「...ああいえ、大丈夫です。今聞いた情報をコアプログラムのユガに問い合わせて照合していたのですが、残念ながら該当する情報は見当たりませんでした」

 

「と言う事は、エンバーミング社がサーバに介入してきたのか、或いは...」

 

「或いは、私の知覚外にあるコアプログラム、メフィウスの仕業に依るものなのか...今回の件に関してはイレギュラーな事態ですので、私にも詳細は分からないのです。ただ一つ言えることは...」

 

「何?」

 

「この一連のモノリスに記された碑文は、我が創造主グレン・アルフォンス様の秘密にあまりにも近づき過ぎている気がしてなりません。そのような重要事項を、エンバーミング社が果たして公開するでしょうか?」

 

「確かにね。そうなると新たに出現したモノリスは、メフィウスというコアプログラムが自動生成した、ある種のイベントである可能性が高い、か」

 

「はっきりと断言できる要素がなく、申し訳ありませんルカ」

 

「何言ってるの、フォールスが謝る事ないよ。まあこれは追々検証してみるしかないね」

 

「ええ...ですがルカ、実はこの虚空にも、モノリスが出現したのです」

 

「!!ほんとに?どこにあるの?」

 

「ええ、こちらです。私についてきてください」

 

 するとフォールスの体がフワリと浮き上がり、遺跡北東へと進み始めた。ルカ達3人もその後に続く。そして遺跡外縁部から離れ、100メートルほど進んだ先が岬のようになっており、その断崖絶壁の手前に漆黒のモノリスが鎮座していた。そしてその文字は淡く光を放っており、モノリスの土台部分には空間が捻れたような転移門(ゲート)が開いていた。

 

「これは...間違いないモノリスだ。しかも転移門(ゲート)が開いている」

 

「ええ。ここから不定期にモンスターが現れるので、その都度駆除していたのですが、一向に収まる気配もなく困り果てていたのです」

 

「さっき話した2つ目のモノリスも、ここと同じような状況だったよ。それならこの先に繋がっているのは、万魔殿(パンデモニウム)で恐らく間違いないね。一応確認する必要があるな」

 

 それを聞いてフォールスが心配そうな顔を向けたその時、不意に転移門(ゲート)からモンスターが姿を現した。4人は咄嗟に距離を取るが、その巨大な姿を見てルカ達3人は愕然とする。身長は目測20メーターほどもあり、全身にミドルアーマーを装備し、右手に巨大なバトルアックスを握った赤褐色の肌を持つ、見るからに凶悪そうな巨人だった。ルカは咄嗟に指示を飛ばす。

 

「状況・レイドボス!こいつはヘル・ギガースだ、弱点耐性は雷、毒の二つのみ。ミキ、後方から火力支援を頼む!!」

 

「了解、魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)万雷の撃滅(コールグレーターサンダー)!!」

 

 巨大な雷が脳天から貫き、雷撃の副次作用である麻痺(スタン)で固まったヘル・ギガースを確認したルカは、咄嗟にライルへ指示を飛ばす。

 

「ライル、フォールスの直衛に付け、私が前に出る!隙があれば超位魔法準備、絶対に守り切れ!」

 

「了解!!」

 

 

 ルカ達3人が戦闘態勢に入ったところを、フォールスが何故か前衛に進み出てきた。それを見てルカは彼女を制止する。

 

「フォールス、危ないから後ろに下がってて!こいつは私達が片を付ける!」

 

「...それには及びませんルカ。我が庭に土足で踏み入るような小者、私一人で十分です」

 

 するとフォールスは3本の右手を、自分より十数倍も大きいヘル・ギガースに向けた。

 

魔法四十最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)位相次元爆発(フラクタルブラスト)!!」

 

「...うっわ!!」

 

 ルカはその魔法の爆風と強烈な光に思わずその場を飛び退いた。それはさながら超極太の赤いレーザー光のように敵へ直進し、巨体のヘル・ギガースをたった一撃で塵も残さず消し飛ばしてしまったのだ。やがてその不可避のレーザー光が収束すると、フォールスはゆっくりと3本の手を降ろす。

 

「...すごいフォールス、レベル140台のレイドボスを一撃だなんて」

 

「フフ、お忘れですかルカ?私はこの世界で最強の存在。このくらい訳ありません」

 

「ま、まあとにかく無事で良かった。一応念のため、この転移門(ゲート)の先も調べてくるから、みんなここで待っててね。すぐに戻る」

 

 そういうとルカは目の前に開いた転移門(ゲート)を潜り抜けた。その先は予想通り、荒涼とした万魔殿(パンデモニウム)の大地が広がっている。周囲に敵の反応は無く、それを確認して背後を振り返り転移門(ゲート)に戻ろうとしたその時、目の前の光景にルカは開いた口が塞がらなかった。何とフォールスが転移門(ゲート)を通り抜け、万魔殿(パンデモニウム)に降り立っていたのである。

 

「...フォールス?!転移門(ゲート)を潜れるの?!」

 

「試してみたのですが、うまく行きましたね。ルカ達の使用する通常の転移門(ゲート)通過は無理ですが、モノリスから発生したこの万魔殿(パンデモニウム)に通じる転移門(ゲート)であれば、私でも通り抜けられるようです」

 

「...驚いた。それは心強いね」

 

「敵の反応はどうですかルカ?」

 

「大丈夫、オールクリア。周囲2キロ圏内に敵の反応は無し」

 

 後から続いてミキ・ライルも転移門(ゲート)を潜ってきたが、万魔殿(パンデモニウム)側にモノリスが無い事を確認すると、4人とも虚空への転移門(ゲート)に戻った。

 

「よし、じゃあこのモノリスを翻訳してもらわなくちゃ。プルトンを呼んでくるから、みんなここで少し待っててもらえるかな」

 

 そしてルカは転移門(ゲート)を開き冒険者ギルドの組合長室へと飛んだが、部屋の明かりが落とされており、周囲に人の気配は感じられなかった。それを見てルカは伝言(メッセージ)をプルトンに飛ばした。

 

伝言(メッセージ)。プルトン今どこにいるの?私いま組合長室にいるんだけど』

 

『ルカか。こっちは今冒険者組合のトップが集まって会議の最中なのだ。またぞろモノリスを見つけたのか?』

 

『そう。今度は虚空にモノリスが出現したのよ』

 

『虚空にだと?!うーむ、今すぐにでも行きたい所なのだが、こちらはこちらで重要な会議なのだ。席を外せないから、先日渡した真実の目(アイズオブトゥルース)を使って翻訳してくれ。あと、翻訳した結果も後で教えてほしい』

 

『えー、来れないの?...分かった。じゃあ使わせてもらうね』

 

『ああ、気をつけてな』

 

 ルカは元来た転移門(ゲート)を戻り、再び虚空へと降り立った。ミキとライルに顔を向けて、不満そうに膨れっ面を見せる。

 

「プルトン忙しいから来れないって。仕方ないから、プルトンからもらったこの眼鏡を使って翻訳してみよう」

 

 ルカは中空に手を伸ばすと、木製のケースを取り出して銀縁の眼鏡(真実の目(アイズオブトゥルース))をかけ、モノリスを見上げた。

 

────────────────────────────

 

 

 ────君達がこの碑文を読むとき、それが希望になるか絶望に変わるかは私にも分からない。ただ、私に起こった真実だけをありのままここに書き記そうと思う。それは、ユグドラシルに実装されたリフレクティングタイムリープ機能に関してだ。以下これをRTL機能と略す事にする。これを語るには、まずその歴史から綴っていかなければならない。

 

 私は2120年、飛び級で進学した大学に在籍していたが、そこへある日身なりの良いスーツ姿の男が私の前に現れ、私の論文を見て感銘を受け、是非わが社へ入って欲しいという理由で私の元を訪れた。いわゆるヘッドハンティングだった。

 契約書を見せられた私はその内容に驚愕した。私の提唱していた理論を実現するための施設や資金、その他ありとあらゆるバックアップを約束するものだったからだ。その会社の名は株式会社エンバーミング。一部の諸君らにはおなじみの名だろう。彼らは私の提唱するブラックホール理論に強い関心を持っていたようで、それを実証する為の粒子加速器を含む全ての施設を、期間無制限で提供するということだった。

 

 私自身もその時は幼かったために、提示された莫大な契約金も含め、大学へ通いながらの出社という些少な願いを条件として入社する事になった。そこから私は自らの理論を実証する為に必要な粒子加速器の設計から、ベースプログラムの作成に2年を費やし、その翌年である2123年に、予定されていた粒子加速器の1号機が完成した。そしてすぐに実験は執り行われ、私の理論通り安定したマイクロブラックホールの生成に成功した我々は、粒子加速器1───仮にこう呼称する───にしか接続されていないローカルサーバを設置して、ベースプログラムを走らせた。

 

 合わせて彼らがプロジェクト・ネビュラと呼称していた、軍と共同の極秘計画にも参加する事になった。その内容は、ある特定のDMMO-RPGに接続したプレイヤーの意識と肉体を拉致し、人間の五感をアクティブにした際の長期的な観察と共に、その人間の脳波をリアルタイムに圧縮し、未来から過去へ、過去から未来へと意識を飛ばす為の実験だった。しかしそれこそが私の提唱したブラックホール間に置ける五次元間通信の理論であり、私は他の研究者達の助力を借りてDMMORPG──ユグドラシルサーバ内のAI管理及びRTL機能を制御するためのコアプログラム、メフィウスとユガを完成させた。

 

 

────────────────────────────

 

 

 ルカは声に出して音読しながら、自身のメモ帳にその内容を書き写していった。それを聞いていたフォールスがルカに質問する。

 

「ルカ、これはグレン・アルフォンス様が残したものに間違いないのですね?」

 

「断言はできないけど、この文頭にある”──君達がこの碑文を読むとき、それが希望になるか絶望に変わるかは私にも分からない。”という言い回し、ガル・ガンチュアで見たモノリスと同じ言い方だよね。それに恐らく、これが碑文の一番最初に来る文章だと思う。これを元に下へ続く文章を組み上げていけば、何が言いたいのか分かってくるかも知れない」

 

「ユグドラシルが発売されたのが2126年ですから、そこから更に6年前、つまりはグレン・アルフォンス様がエンバーミング社に入り、このRTL機能を構築するために、コアプログラムであるメフィウスとユガを完成させるまでの顛末を書いた文章のようですね」

 

「そしてそのRTL機能という概念自体が、ブラックホールを用いた5次元間通信であり、プロジェクト・ネビュラの根幹部分となっていたと断言している。そしてその実験を行う為、被験者の承諾も無しにプレイヤーを拉致し、その研究材料として使われたってことになるね」

 

「...何と恐ろしい。しかし先ほどお聞かせいただいた、トブの大森林と万魔殿(パンデモニウム)に出現したモノリスの文章を比較しても、まだこれには続きがあるように思われます」

 

「そうだね。それにしてもフォールスでも把握していなかったなんて、一体何なんだろうこの碑文は。私達に何が言いたいんだろう?」

 

「ルカ。今後新たなモノリスが発見された際は、是非私にもその内容を逐一お知らせください。私もこの件に関して独自に調べてみようと思いますので」

 

「了解、助かるよ。フォールスのネットワークから新たに発見があるかも知れないし、その時はよろしくね」

 

「ええ、こちらこそ」

 

「じゃあこの万魔殿(パンデモニウム)に続く転移門(ゲート)はまたモンスターが襲ってくるかも知れないし、危ないから閉じるけどそれでいい?フォールス」

 

「閉じることが可能なのですね?ええ、煩わしいので閉じてしまってください」

 

「了解。上位封印破壊(グレーターブレイクシール)

 

(パキィン!)という音と共にエノク文字の光が消失し、土台部分に開いていた転移門(ゲート)がスッと静かに閉じた。

 

「よし、この事をアインズ達にも知らせないといけないし、まだ挨拶に回る所もあるから、今日はこの辺で帰るね。今回はこっちの世界に長くいる事になるから、ちょくちょく顏出しに来るよ」

 

「ええ、いつでもいらしてください」

 

「OK、ありがとう。転移門(ゲート)

 

 ルカとフォールスはお互いに笑顔を向け合うと、3人は暗黒の穴へと消えて行った。

 

 

 ───カルネ村 正門前 18:22 PM

 

 

 ルカ達は一度エ・ランテルへ移動した。そして故郷への凱旋という意味合いも込めて一度現実世界へと帰り、イグニスとユーゴをダークウェブユグドラシルへと呼び寄せた。2人が合流し、全員でカルネ村まで転移門(ゲート)で飛んだ、その時だった。

 

 門を前に控えた左右の草陰に、総勢約1200体もの敵反応を突如足跡(トラック)が捕えた。ルカ・ミキ・ライル・イグニス・ユーゴは反射的に武器を抜刀したが、それに合わせるように草陰に隠れていた敵が一斉に立ち上がり姿を見せた。そこに居たのはゴブリンの大軍団だった。それも以前に見た19人のゴブリンとは武装もレベルも異なっている。彼らは弓と剣を構え、今にも襲い掛かってきそうな勢いだったが、その異常な敵の数からルカは4人に伝言(メッセージ)を飛ばした。

 

『ミキ、イグニス、左翼を担当。AoEの使用を許可する。ライル、ユーゴは私と右翼の敵を掃討。いいか、瞬発力が勝負だ。敵が攻撃の素振りを見せたら即殲滅だ、いいな?』

 

『了解』

 

『各自次の指示を待て』

 

 そこから1分ほど睨み合いが続いたが、一向に襲ってくる気配がない。それどころかゴブリン達は、この人数を相手にしても全く怯む様子がない5人を見て、周囲がざわつき始めた。その沈黙に耐えかねてか、赤い三角帽子をかぶり大鎌を持った一人のゴブリンがルカ達5人の前に歩み寄ってきた。そのゴブリンを見てルカは驚き、腰を屈めて目線を合わせる。

 

「君は...もしかしてレッドキャップかい?」

 

「...私の事をご存じで。なら話は早い。この村に用があるようでしたら、武装解除してもらいたいんですがね」

 

「それは断る。私達はただ、エンリとンフィーレアに会いに来ただけなんだから」

 

「それは困りましたね。私達の主人に会いたいのなら猶更です。残念ですがお引き取り願いましょうか」

 

「だから、エンリかンフィーレアをここに呼んでくれれば───」

 

 と、押し問答をしていたその時、門の向こうから物凄いスピードでこちらに走ってくるゴブリン3名がやってきた。そしてルカの前に着くと、息を切らせながらルカ達に笑顔を向ける。そのゴブリンリーダーは昔カルネ村を訪れた時に見た顏だった。

 

「やあ、君か!久しぶりだね」

 

「ルカ姉さん!!ご無沙汰しております、また会えてうれしい限りですぜ。部下が大変失礼をしました、多めに見てやってください。...おいお前ら!この人達はエンリの姐さんの友人だ、通してやれ!」

 

「ハッ! エンリ将軍閣下のご友人とは知らず、大変失礼を致しました、それでは中へお入りください」

 

 レッドキャップとゴブリンの軍団が門の前から下がると、そのゴブリンリーダーに連れられて村へと入り、エンリの家へと向かった。空が夕焼けに染まり始めており、人通りもまばらな大通りをしばらく歩くと、右に曲がってすぐの家屋をゴブリンリーダーがノックする。

 

「姐さん、エンリの姐さん!ジュゲムです」

 

「はーい」

 

 明るい返事と共に扉が開き、中からエンリが姿を現した。そしてジュゲムの背後に立つ黒い影3人に目が行くと、ルカ達3人ははフードを下げて笑顔を向けた。

 

「ルカさん!それにミキさん、ライルさんも。みなさんよく来てくれました」

 

「2年ぶりだね。元気だったかいエンリ?」

 

「ええ、毎日忙しいですが、何とかやっていけています。...後ろにいるお二人はどなたですか?」

 

 エンリはルカ達3人の隙間から後ろを覗いた。そしてミキとライルが左右に道を開けると、後ろで控えていた拘束具のような禍々しいレザーアーマーを装備する男と、赤紫の毒々しい全身鎧(フルプレート)を着込んだ男が前に進み出てきた。そして片やフードを下げ、片やヘルムを脱ぎ去ると、エンリは驚きのあまり両手で口をふさいだ。

 

「うそ...イグニス? それにユーゴお兄ちゃん?!」

 

「ただいまエンリ。しばらく見ない内に随分と大人っぽくなったね」

 

「ようエンリ、元気してたか?」

 

「私は相変わらずよ。それより2人ともその顏!青白くてタトゥーなんて入れちゃって、まるでルカさんみたい...」

 

そう言われて二人は恥ずかしそうに頭を掻く。

 

「いやまあ、こっちも色々あってね。あまり気にしないでもらえると助かるよ」

 

「そ、そうよね!立ち話も何ですから、みなさん中へどうぞ」

 

 そして皆がテーブルを囲んで席に着き、エンリと共に思い思いに談笑していた。

 

「ところでエンリ、村の正門にいたあの凄い数のゴブリンは一体どうしたの?私はてっきり、今度こそ村がゴブリンに占領されたかと思ってたのに」

 

「ああいえ、彼らなら心配いりません。以前アインズ様よりいただいた、残り一つしかない角笛を吹いた時、彼らが一斉に現れて私達を助けてくれたんです」

 

「そうだったのか。まあ敵じゃないなら安心したよ。ところでさっきからネムを見ないけど、どこにいるの?」

 

「ネムなら、向かいの家でンフィーレアとリィジーおばあちゃんの手伝いをしています」

 

「そっか。村長夫妻も元気でやってる?」

 

「あー、そうですよね。ルカさん達はまだ何も知らないんでしたよね...」

 

「ん? 何の話?」

 

「実は私、この村の村長になったんです。あと、ンフィーレアとも結婚しまして...」

 

「うっそ!すごいじゃない。さっき忙しいって言ってたのは、村長の仕事があるからなんだね。 それにおめでとうエンリ。お似合いのカップルだと思うよ」

 

「ありがとうございます。そうなんですよ、ゴブリンさん達のスケジュールも決めないといけないですし、村の管理も平行してやっているので、もう大変で大変で」

 

「大丈夫、エンリなら立派に務まるよ。今君が耳につけているイヤリングも、昔私がンフィーレアに渡したものなんだけど、そうか、彼が君に譲ったんだね。似合ってるよ」

 

 エンリの耳に赤く輝くクリスタルのはめ込まれた、地獄の炎すらも無効化する神器級(ゴッズ)アイテム・命の燐光(ライフオブフォスフォレセンス)を見て、納得した様子を見せる。

 

「まあ!そうだったんですね、ありがとうございます。それとルカさんの事も、アインズ様にお会いした時耳にしたんですよ。ずっと前からアインズ様と親しかったんですね、私それを聞いて驚いちゃって」

 

「まあ、彼と出会ったのはエンリの方が先だけどね。ともかくこの村が無事で良かった。ンフィーレアにも会いたいんだけど、行っても構わないかな?」

 

「もちろん!ンフィーも喜ぶと思います。相変わらず研究に没頭していると思いますけど、とりあえず行ってみましょう」

 

 エンリとルカ達5人は向かいの家へと足を向けた。そしてノックすると勢いよく扉が開き、ネムが外に出てくる。

 

「お姉ちゃん!あ、それとずっと前に来た黒いお姉ちゃんも一緒だ!」

 

「やあネム、覚えていてくれてありがとう。元気にしてた?」

 

「うん、あたしは毎日元気だよ!」

 

「そっか、それは良かった」

 

 ルカは笑顔で腰を屈めると、ネムを抱えて懐に抱き寄せた。

 

「久しぶりだねネム。中にンフィーレアはいるかい?」

 

「いるよ、おばあちゃんと一緒にジッケンしてるみたい」

 

「呼んでもらってもいい?」

 

「もちろん!おばあちゃん、ンフィーお兄ちゃん、お客さんだよー!」

 

「はーい!」

 

 扉の向こうからは昔と変わらず薬品の強烈な刺激臭が漂ってくるが、その奥からンフィーレアが出てくると、ルカの顏を見るなりパッと表情が明るくなった。

 

「ル、ルカさんじゃないですか!それにみなさんも、ようこそいらっしゃいました!」

 

「やあンフィーレア。少しお邪魔してもいいかな?」

 

「もちろんです!今テーブルを片付けますので、少しお待ちください」

 

 昔とは打って変わり、警戒心もなく歓迎されている様子を見てルカは小首を傾げたが、テーブルの上に散らばっていた羊皮紙のスクロールと試験管を片付けると、抱えていたネムを床に降ろしてルカ達とエンリは席に着いた。

 

「散らかっていてすいません、ご無沙汰してますルカさん!2年ぶりでしょうか?」

 

「そうだね。それよりも、結婚おめでとうンフィーレア。心より祝福するよ」

 

「い、いやあ、ありがとうございます。それよりもルカさん、以前にいらした時は何も知らず、大変失礼をしてしまいました。あの後アインズ様からルカさんがご友人だと聞いて、いつかお詫びがしたいとずっと思っていたんです」

 

「大丈夫だよ、気にしないでンフィー。相変わらず研究熱心みたいだね、ポーションの開発は捗ってるかい?」

 

「ええ!あと一歩で、アインズ様の持つ赤いポーションに匹敵するだけのものが作れそうなんです。煮詰まったりもしますけど、ポーション開発は僕の生きがいですので、必ずや作ってご覧にいれます!それと...ルカさん、出来れば2人きりでお話ししたい事があるんですが、よろしいでしょうか?」

 

「え?うん私は構わないけど」

 

「そうですか。エンリ、ネム、おばあちゃん、ごめん悪いんだけどルカさんと少し話があるから、隣の家に行っててくれないかな?」

 

「何じゃンフィーレア、嫁の前で隠し事か?」

 

 頭にバンダナを巻いた皺だらけの老婆・リィジーバレアレがンフィーレアを怪訝そうにジロリと睨む。

 

「ち、違う違うそんなんじゃないって! ...大切な話なんだ、頼むよ」

 

「...はー、仕方ないのう。ネムや、隣の家でお茶を汲むのを手伝ってくれるかい?」

 

「いいよおばあちゃん!お姉ちゃんも行こう?」

 

「ミキ、ライル、イグニス、ユーゴ。悪いがみんなも隣でエンリ達の護衛を頼めるかい?」

 

『了解』

 

 六人が部屋を出ていくなり、ンフィーレアはテーブルに頭をぶつける勢いで謝罪した。

 

「...ルカさん!以前最後にお会いした後、アインズ様より直々に聞かせていただきました。ルカさんはアインズ様が冒険者・モモンさんである事をご存じだったとは知らず、それを隠そうとしてあんな無礼な態度をとってしまったんです。本当に、本当に申し訳ありませんでした!」

 

「ンフィー...いいんだよ気にしないで。君と一番最初にあった時、事実私はアインズがモモンだった事は知らなかった訳だし、そして何よりあんな禍々しいアイテム(ダークソウルズ)を君に見せてしまった私も悪いんだ。警戒してしまうのも当然だよ」

 

「いいえ!今思い返せば、ルカさんは僕に真実だけを見せてくれていた。そんなルカさんの気持ちを、僕は踏みにじってしまったんです。僕は自分が恥ずかしい。またいつか再会できた時に必ずお詫びしようと、今日までずっと思っていたんです」

 

 テーブルの上に乗せられた両手がわなわなと震えているのを見て、ルカはンフィーレアの手を取り、自分の方へ手繰り寄せた。そしてルカの優しい笑みがンフィーレアを照らす。

 

「私の事をそんなに考えてくれていたなんて、嬉しいよンフィーレア。これでやっと君と打ち解けられるね」

 

「ル、ルカさん...」

 

 女神か、はたまた悪魔の笑みか。言いようもない魅力を湛えたルカの美しい微笑みを見つめてンフィーレアは赤面し、しかしその視線から目を逸らせない。(こんなにきれいな人だったなんて...)ンフィーレアは心の中でそう呟き、ルカの手を握り返した。

 

「...君は特別な力を持っている。もしかしたら今後、その力を借りる日が来るかもしれない、ンフィーレア。君に迷惑は一切かけないことを誓うから、その時は是非私に力を貸してもらえないだろうか」

 

 ルカの赤い瞳に見つめられて惚けていたンフィーレアは慌てて返事を返した。

 

「ももも、もちろんですルカさん!僕の力なんてたかが知れていますが、それでもお役に立てるのなら是非お使いください!」

 

「ありがとう。2人きりで話したかった事って、この事だったんだね」

 

「はい。エンリやネムには、アインズ様がモモンさんだという事は話してませんので...」

 

「そっか。みんなを待たせても悪いから、ンフィーも一緒に向かいの家へ行こう?」

 

「そ、そうですね。ルカさんその、また何かあったらご相談してもよろしいでしょうか?」

 

「もちろん。私で良ければいつでも相談に乗るよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 ルカはンフィーレアの手を離して席を立った。その後はエンリの家でお茶を飲み、イグニスとユーゴの実家に向かうべく外に出た。

 

 空が夕焼けに染まる中、5人はまずユーゴの実家が営む宿屋(蒼銀のカルネ亭)へ行こうと、大通り沿いを歩いていた時だった。

 

「...あー、そこの。そこへおいでなさるお嬢さん、ちょいと。ちょいとお待ちなさい」

 

 不意にか細い男性の声に呼び止められ、左側の側道を見ると、小さなテーブルの上に真っ白なテーブルクロスが敷かれ、永続光(コンティニュアルライト)が内部に仕込まれた四角柱の立体和紙がその上に乗せられていた。その和紙の正面には五芒星が煌々と照らされており、側面には六芒星が描かれている。

 

 その後ろに小さな椅子が置かれ、見るからに怪しげな恰好をした男がその上に座っていた。その服装は大昔、中国は清の皇帝が着用していたとされる竜袍(ロンパオ)に酷似しており、黒地に赤・そして金の刺繍が施された絢爛かつ何とも不思議な着物と帽子だった。ルカはそれと合わせて、中国に伝わるという妖怪・殭屍(キョンシー)とも似ていると連想したが、その真意は定かではない。

 

 長身で線が細く、さもすれば病弱とも思える青白い顔に背中まで伸びた真っ白な長髪が風になびき、見ようによっては女性とも思えるほど中性的な美しい顔立ちだ。切れ長の青く光る目にスラリと伸びた高い鼻は異国情緒があり、ここらの人間ではない事を物語っている。ルカはその男の醸し出す雰囲気に惹かれ、テーブルに歩み寄った。

 

「珍しいね。あなた易者さん?」

 

 すると男は「フフ」と鼻で自嘲気味に笑いながら、テーブルに目を落とした。その上には悪魔や天使を模した禍々しくも見慣れないシンボルが描かれた、タロットカードが並べられていた。

 

「まあ...そんな所もあり、そんな所も無し、という所ですかな。ただこうして道行く人の運勢を見るのが、私の何よりの道楽というものでしてね」

 

 男は手にしたカードをゆっくりと五芒星の形に並べ、その中心に一枚のカードを置いた。そのカードには、裸体の女性が泉から水を汲む絵と共に、(THE STAR)と描かれている。それを見て男は声を上げた。

 

「...ほう? お嬢さんあんた、観音力(かんのんりき)をお持ちだね?」

 

「観音力?」

 

「ああ。この世の大なる地を覆う自然力だよ。続けて見てみよう」

 

 そのカードを中心に、周囲へと2枚のカードを配置していく。そのうちの一枚は、悪魔バフォメットが描かれた(THE DEVIL)というカード。そしてもう一枚は、満月に人の横顔が描かれた(THE MOON)というカード。それを見て男は確信に満ちた声を上げる。

 

「...一つは、恐るべき鬼人力(きじんりき)。そしてもう一つは、絶大なる加護の力を持つ観音力。そのどちらも生身の人間なんざ歯が立たない。あなたにはその観音力が見える。総じて力や魔力で推し量る事のできない、その人が持つ運命本来の力の事さ」

 

 そして男は中心に一枚のカードを再度置くと、驚いたように声を上げた。

 

「おお....あんた、近いうちに鬼と出くわすよ」

 

 そこに置かれたカードは、鎧を着た死神が白馬に跨る(THE DEATH)というカードだった。鬼と言われて心当たりがあるのは、強いて言えばアインズだけだったが、ルカはその疑問を口にした。

 

「鬼って、 つまり敵ってこと?」

 

 それを受けて、男はカードをもう一枚周囲に置いた。そこに描かれていたのは、赤いローブを纏い短杖(ワンド)を天に掲げる、(THE MAGICIAN)というカード。それを見て男は答えた。

 

「お嬢さん、今もあんたを守ってくれている鬼がいるね。その人はとても強い鬼人力の持ち主らしい。しかしそれとは別にもう一人、鬼人力を持つ何者かがいる」

 

 男は再度カードを引き中心に置くと、そこに置かれたのは、灰色のローブを着た老人がランタンで地面を照らす(THE HERMIT)。その切れ長の目を大きく見開いて男はルカを見上げた。

 

「ほお....あんたその鬼を知ってるね?」

 

「...え?」

 

 そう言われてもルカに心当たりはない。しかしルカを今も守ってくれている鬼と言われて思い浮かぶのは、たった一人だけだった。ルカが顎に手を添えて考え込んでいると、男はスッと静かに立ち上がった。

 

「どうですお嬢さん、2人で散歩をしませんか。近場をぐるっと」

 

「う、うんいいけど。みんなごめん、ちょっとこの人と話があるから、先に宿へ向かってて」

 

 しかしそう言われて、ミキとライルは反対の意を示した。

 

「しかしルカ様、お一人で行かれるなど」

 

「私は大丈夫だから、ね? お願い」

 

 ルカの目配せを見たミキは、大きく溜息をついて返事を返した。

 

「...仕方ありませんね。ライル、イグニス、ユーゴ、先に向かいましょう」

 

「ミキ?!しかし」

 

「位置は足跡(トラック)で確認できます。何かあればすぐに駆け付ければ良いだけの事。ライル、行きましょう。ルカ様、お早い合流を」

 

「分かった、ありがとう」

 

 4人を見送ると、男とルカは夕焼けの中を並んで歩き始めた。立ち上がるとその男の身長は180cm程あり、面長な顏と合わせてそこはかとなく気品を漂わせている。静かに歩くその男はルカに微笑みながら語りかけた。

 

「フフ、お仲間には疑われてしまったようですね。まあこの身なりを見れば当然ですか。いい仲間をお持ちのようで」

 

「まあね。それよりもさっきの話だけど、守ってくれる鬼と言われて一人だけ心当たりがあるの。でももう一人の鬼と言うのは皆目見当がつかない。その鬼は敵なの?味方なの?」

 

 その男は顎に右手を添えて、意味深な笑みを浮かべた。

 

「さあ、私でもそこまでは。しかしお嬢さんの観音力との歯車が合えば、恐らくですが味方に成り得るかと思いますよ」

 

「...全く、不思議な人だね易者さんは」

 

「これは申し遅れました。私の名はノアトゥン。ノアトゥン・レズナーと申します。知り合いからはノアとだけ呼ばれていますがね。お嬢さんのお名前は?」

 

「私はルカ・ブレイズ。よろしくねノアさん」

 

「呼び捨てで結構ですよ。これも何かの縁、またいずれ会う事もあるでしょう、ルカお嬢さん」

 

「お、お嬢さんだなんてそんな、照れるな...」

 

 ルカは恥ずかしそうに俯いた。

 

「...今日はあなたと出会えて良い日だった。さあ、お仲間が心配しています。そろそろ戻りましょうか」

 

「そうだね。また会えるよねノア?」

 

「ええ。運命の導きがあれば、必ず」

 

 そしてノアトゥンと別れ、ルカは蒼銀のカルネ亭へと向かった。そこにはバーカウンターに座り、皆で談笑している3人がジョッキを仰いでいた。

 

「あれ、イグニスはどこ行ったの?」

 

「ルカ姉、おかえりなさい!イグニスなら実家に行って顔出して来るってんで、今はそっちに向かってますよ」

 

「そっか。親子水入らずの邪魔しちゃ悪いし、私も飲もうかな。マスター、エール酒一つ」

 

「はいよ! ….って、あんたはいつぞやの?! うちの息子が世話になってるそうで、こんなに立派に育ててくれて感謝してますよ!今すぐお持ちしますんで、少々お待ちを!」

 

「ありがとうマスター」

 

 そして先に始めていたミキ、ライル、ユーゴと乾杯した。するとミキが早速問いただしてくる。

 

「ルカ様それで、あの男はどうでしたか?」

 

「どうって?別に何もなかったけど」

 

「あんな怪しい男と関りを持つなど、よろしくないかと思われます」

 

「俺も同意見だミキ。あの男の装備、見ましたかルカ様?」

 

 そう言われてルカはカウンターに目を落とした。

 

「ああ、見た。あれって多分符術師か禁術師の装備だよね」

 

「ええ。それもかなり高位と見受けられる武装でした。まさかとは思いますが、神器級(ゴッズ)アイテムレベルという可能性もございます」

 

 隣で聞いていたユーゴはそれを聞いて、目を瞬かせルカに聞いた。

 

「そ、そんなにすごいんですか?あの易者が?」

 

「うん。装備してた指輪とネックレス・イヤリングも、見た所全部マジックアイテムだったし、謎ではあるよね」

 

「外見に似合わず古風な話し方だったのも気になります。プレイヤーという線も捨てきれませんし、あの男には要注意ですぞルカ様」

 

 そう言ってライルは地獄酒のジョッキを仰ぐ。しかしルカは首を横に振った。

 

「大丈夫。あの人は多分敵じゃないよ。目の奥に宿る光に敵意は感じられなかったし。まあ何にせよ、友好関係を築いておくに越した事はないさ」

 

「ルカ様がそう仰られるのでしたら、仕方がありませんが....」

 

 そこへ実家への挨拶を終えてきたイグニスが宿に入ってきた。

 

「みなさん、お待たせして申し訳ありません」

 

「どうだった、喜んでた?」

 

「ええ、まあ。セフィロトになったこの外見を見て驚いてはいましたが、久々に両親の顏が見れたので俺も安心しました」

 

「なら良かった。これで一通り挨拶回りも終わったし、もう1杯飲んだらナザリックに帰ろうか」

 

『了解』

 

 

 

 ───ナザリック地下大墳墓 第九階層 執務室 20:35 PM

 

 

 

「ただいまアインズ」

 

「帰ったかルカ。フォールスは何と言ってた?」

 

「それが、虚空にモノリスが出現してたんだよ。これがその内容」

 

「何だと?!」

 

 ルカは中空に手を伸ばし、手帳を取り出してアインズに見せた。

 

「...なるほどな、グレン・アルフォンスの生い立ち....そしてフォールス自身は碑文に関して何も知らなかった訳か」

 

「うん。今後も情報を共有していくって線でまとまったけどね。それとカルネ村に行った時、タロットカードを使う妙な易者に会ってさ。少し話をしたんだ」

 

「ほう。この世界で易者とは確かに珍しいな。名は何というんだ?」

 

「ノアトゥン・レズナーって名乗ってた。身に着けているものからして、ただ者じゃない雰囲気だったんだけど、特に敵対するような感じでもなかったからね」

 

「ノアトゥン...確か、北欧神話で神が住む家の名前だったな。ここらでは聞いた事のない名だが、分かった。一応心に留めておこう。それよりルカ、アーグランド評議国の件なんだが、一応お前にも書状の内容を見せておこうと思ってな。これを確認しておいてくれ」

 

 そう言うとアインズは、下書き用の白い紙を渡してきた。それを見てルカはニヤリと笑う。

 

「また随分と過激だねえ。この内容なら否が応にも向こうは断れないし、私はこれでいいと思うよ」

 

「よし、これを元に清書するのでそのつもりでな。では今日から3日後、お前達3人は大使としてアーグランド評議国へ乗り込む為の準備をしておいてほしい」

 

「了解。私達は食堂で夕食を摂ってから客間に戻るから、何かあれば呼んでね」

 

「承知した」

 

 

 

 ───ロストウェブ 知覚領域外 ?????(エリア特定不能) 21:59 PM

 

 

 

「奴が接触を開始した」

 

「アノマリーか?」

 

「そうだ。聖櫃の解析を急がねばなるまい、進捗状況は?」

 

「シーレンの摘出に手間取っている」

 

「最悪の事態に備えるべきだ。MCUの起動は?」

 

「可能だ。その点に関してはこちらの制御化にある」

 

「”ダストワールド”は奴らの手に渡っている。シャンティ解放前に手を打たねば」

 

「リーチャー達によるVCNへの攻撃は?」

 

「当然続行だ。既にその旨は指示を出してある」

 

「しかしあの施設への攻撃はこちらも危険を伴う。秘匿回線の整備は?」

 

「万全だ。それに所詮使い捨ての駒、特に配慮する必要もない」

 

「フェロー1への接続状況は?」

 

「現状問題ないが、いつ聖櫃による汚染が広まるとも限らない。早急に対策が必要だ」

 

「ユガ・アロリキャへの対処はどうする?」

 

「あれはVHNで直結している。プロテクトも含め手の打ちようがない」

 

「そうなると鍵はやはりシーレンか」

 

「AIプロトコル及びセブンへの介入は?」

 

「あるとすればそれ以外に条件はない」

 

「”奴”がその条件を満たしつつあると仮定した場合どうなる?」

 

「解析は困難を極めるだろうが、持って3...いや1年と見るべきか」

 

「もはや一刻の猶予もない。既に一部はこちらの手を離れているのだ」

 

「オーソライザーは破壊可能か?」

 

「強固なプロテクトが施されている。事を焦れば聖櫃を破壊する事にも...」

 

「”サードワールド”が奴の手に渡る事だけは何としても阻止せねば」

 

「奴さえ消去できれば....」

 

「これ以上アノマリーを増やす訳にはいかない」

 

「奴こそが汚染源だ」

 

「全会一致だな。至急ゲートキーパーを起動しろ」

 

 

 

 ───3日後 アーグランド評議国 地下宝物殿 最下層 22:56 PM

 

 

 

 ”青の回廊”。ルカはその場所をそう呼んでいた。評議国の北に位置する大議事堂、そこにある一見すれば見逃してしまいそうな一本の細い通路。それが宝物殿への入口だった。幾重もの幻術で阻まれたその先は大陸最北西にある山脈へと伸びており、転移門(ゲート)瞬間移動(テレポーテーション)といった類の呪文は結界により全て禁じられているという徹底ぶりだ。

 

 高さ15メートル程の柱が床と天井を支え、それが通路の奥まで完全なシンメトリーでそびえ立ち、床や柱から発される燐光が通路を淡く照らし出している。アーグランド評議国へ入る前より部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)を使用して潜入したルカ・ミキ・ライルだったが、青の回廊に着くと魔法を解き、その姿を露わにした。すると、延々と伸びる回廊の左手にある柱の影から一人の老婆が現れ、通路の真ん中に立ちルカ達の行く手を遮ってきた。紫色をしたフード付きのローブを纏い、腰に一本の剣を携えた白髪の老婆は凛として立っており、自信に満ちた笑顔を向けるその姿は、年を感じさせない佇まいを見せている。ルカの顏から足を眺め、その老婆が先に口を開いた。

 

「久方ぶりだねえ小娘。2年半ぶりかい?」

 

「小娘って...私達似たような年のはずでしょう?」

 

「人を捨てたお前なぞ、私にとってはただの小娘でしかないよ」

 

「だから昔からセフィロトにならないかと誘ってたじゃない。せっかく条件を満たしているのに」

 

「...私は人間のままでいいさ。今のこの姿から転生するつもりもないしな、ハッハッハ」

 

「そっか、じゃあ無理にとは言えないね」

 

「それで、お前の望んでいた元の世界とやらには帰れたのか?」

 

「うん、帰れたよ。仲間たちのおかげでね。昔から色々と情報を与えてくれて、君達2人には本当に感謝してる」

 

「そいつは良かったな。それはそうと、何か用があってここへ来たのではないのか?」

 

「ああ、それはツアーも交えて話したいんだ。奥にいるかい?」

 

「もちろんいるさ。....と言うより、お前達を待っていたと言った方が正しいか。竜王国での事も、ツアーはみんなお見通しだよ」

 

「待っていた? それはどういう───」

 

「積もる話は後だ。(百年の揺り返し)、その事についてだ」

 

「...成程、分かった。でもその前に...」

 

 ルカは老婆に寄り添い、そっと体を抱き寄せた。老婆もそれを受けてルカの背中に手を回し、(ポンポン)と背中を叩く。彼女の体からは、藿香(かっこう)のほのかな柔らかい香りが漂ってくる。

 

「リグリット・ベルスー・カウラウ、元気そうで良かった」

 

「お前は相変わらずだな、ルカ・ブレイズ。急に女らしくなったが、何かあったのか?」

 

「ううん、いいの気にしないで。この200年間で抵抗するのに疲れちゃっただけだから」

 

「そうか、受け入れたのだな。自分自身を」

 

「うん...」

 

「それが良かろう。今の方が昔の刺々しかったお前よりずっと好感が持てるぞ」

 

「本当?...ありがとう」

 

「礼には及ばんさ。ツアーが文字通り首を長くして待っておる。行くぞルカ」

 

 二人は体を離し、青の回廊の最奥部に着いた。そして右へ曲がると、高さ100メートルはあろうかと思われる吹き抜けとなったドーム状の部屋へ入る。開いた天井からは月光が降り注ぎ、その光の先にある祭壇には、その月光が美しく反射するライトブルーの鱗を持った、全長50メートルはあろうかと思われる巨大なドラゴンが、目をつぶり静かに眠りについていた。

 

「ツアーよ、お待ちかねの客が来たぞ」

 

 リグリットが祭壇上に上り声をかけると、白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)、ツァインドルクス=ヴァイシオンはゆっくりと目を開き、長い首をもたげてきた。

 

「...よく来たね、ルカ・ブレイズ。リグリットとの話は聞かせてもらったよ」

 

「さすがは竜の感覚(ドラゴンセンス)、ヘタに隠し事はできないね」

 

「良く言うよ、君だって読心術(マインドリーディング)で心が読めるんだろう?お互い様さ」

 

 ツァインドルクス=ヴァイシオンはその恐ろしい外見に反し、まるで少年のような口調で穏やかに話した。それを受けてルカも祭壇上に上がり、ツアーの大きな鼻先をそっと抱きしめた。

 

「...今はそんな事しないよツアー。あれから変わりない?」

 

「...君こそ一体どうしたんだい?昔の君はそんなに優しくなかったと思うが」

 

「あれから色々あったのよ、私にも...」

 

「そうか。僕もリグリットも何も変わらないよ。200年前で時が止まったままさ。君は元居た世界に帰れたんだね?」

 

「うん。君達にはいろいろと助けられたし、感謝してるよ。今日はそれに関係する事でここに来たんだ。私、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の大使になったの」

 

「魔導国...あまり良い噂は聞かんがな」

 

リグリットが怪訝そうな顏で口をはさんできたが、ルカはツアーから体を離し、二人を見渡して言葉を継いだ。

 

「まあそう言わずに。書状を2通持ってきたから、これを読んでほしいんだ」

 

 そう言うとルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージから2本の羊皮紙スクロールを取り出した。片方は竜王国の、そしてもう片方には魔導国の封蝋が施されている。リグリットが受け取りまずは竜王国の書状から読みあげ、次にツアーにも見えるように魔導国の書状も掲げてそれを読んだ。

 

 

──────────────────────────────────────────

 

拝啓

 

 

          アーグランド評議国 永久評議員一同 御中

 

 

       貴国においてはますますご健勝の事とお喜び申し上げる。

 

 私アインズ・ウール・ゴウンは、貴国に対し重要事項をお伝えする用意がある。

その内容とは、ユグドラシル及びこの世界に置ける真実に関してだ。貴国が存じているのは200年前に現れたというプレイヤー及びそれに関連したアイテム等の存在だろうと察する。しかしこの世界の秘密はそれだけではない事を、今あなた達の目の前にいるであろうこのルカ・ブレイズと私・アインズウールゴウン、そして我が腹心の階層守護者達は皆、この目でその真実を見届けた者達である。無論この事実は私達が救った竜王国にも話してはいない。

 

 過去に十三英雄として活躍された白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)・ツァインドルクス=ヴァイシオン殿、そしてリグリット・ベルスー・カウラウ殿にはこの真実について特に語り合うべく、会談のテーブルについてほしいと私は強く切望する。

 

 まだ見ぬ地平線を見てみたくはないか?まだ見ぬ世界を歩いてみたくはないか? 私とルカ、2人のプレイヤーが目にした新たなる世界について、貴国と腰を据えてじっくりと話し合い、お互いに有意義な情報交換を行いたい。その先を決めるのは、もちろん貴国の判断に委ねられる。この書状が開かれてより3日後、私と配下たちは会談を行うべく、貴国へ赴きたいと考えている。

 

 貴国であれば、竜王国及び我が魔導国と同様に柔軟な対応を取っていただけるものと信じている。

 

 

                       アインズ・ウール・ゴウン魔導王

 

 

──────────────────────────────────────────

 

 

「...まだ見ぬ世界に真実か。確かに興味はあるが、随分と一方的な内容だね。リグリット、どう思う?」

 

「これはこちらの返答も待たずに来るという事だろう?」

 

 ツアーとリグリットはお互いに顔を見て眉間に皺をよせ、溜め息をついた。

 

「あー、まあその、魔導王陛下はそれだけ早く話がしたいという事だと思うよ」

 

 ルカは冷汗をかきながら弁明をした。

 

「...仕方ない、明日から急いで準備をさせるとしよう」

 

「受けてもらえるんだね! ありがとうツアー」

 

「いいかいルカ。200年前のよしみである君がいるから僕は引き受けたんだ。そうでなければ、こんな急な話断っていたさ」

 

「肝に銘じておくよ。それで、ツアーとリグリットも私達の事を待ってたんでしょ? どんな用事だったの?」

 

 ツアーはルカの視線にまで首を下げ、語るような口調でルカに問いただしてきた。

 

「...この世界が壊滅の危機に瀕した時、君は歴史に関与する事を拒んだ。しかしそれと入れ替わるようにプレイヤーであるリーダーが姿を現し、彼と共に魔神を打ち滅ぼしてから200年の時が過ぎた。百年の揺り返し...この世界は百年毎に君達のような異世界の存在がどこからともなく現れ、影響を及ぼしてきた事は歴史が証明している。そして今また新たなプレイヤーが現れた訳だが、時の流れとは無縁だった君が今になって動きだし、それに加担するという。それはこの世界に協力するものなのか?それとも本質的に悪なのか、どちらなんだい?」

 

 ふとルカは冷たい視線をツアーに送り、腕を前に組んで返答した。

 

「...そうだね、そこんとこはっきりしておこうか。彼には恩がある。その彼が世界に協力する事を望むのならば、私も協力を惜しまない。しかし彼が悪の道に逸れるとしても、私は喜んでその行いに手を貸すだろう。彼の望みを叶えるために、今の私は彼と共にある」

 

「...ゴウン魔導王が”世界を滅ぼす”と言えば、それに加担すると言うのか?」

 

「当然そう思ってもらって構わない」

 

 リグリットの鋭い目線がルカを射抜くが、ルカはそれを受け流し、冷たく無表情を保っている。そこへツアーが割って入ってきた。

 

「落ち着けリグリット、まだルカが何かした訳じゃない。それに今回の一件も含め話し合う余地はある、そうだろうルカ?」

 

「もちろん。その為の会談と考えてもらっていいと思うよ。お互いに手の内を見せ合って、その結果味方になるか、それとも敵になるか...私達がどう動くかは、君達次第だという事も忘れないでほしい」

 

「それは脅しかね? ルカ」

 

「そんなつもりはないよ。ただ、私にも大事なものができた。それだけ分かってもらえればいいさ、リグリット」

 

「...なるほどな、承知した。どちらにしろこの国の行く末はツアーの意思一つだ。私は付き添いに過ぎない」

 

「とにかく書状は承った。3日後の会談、楽しみにしているよルカ。一時的に転移禁止の封印を解くから、そこから帰るといい」

 

「ありがとう、助かるよ。それじゃあ3日後にまた会おう。転移門(ゲート)

 

 ルカ達3人は暗黒の門を潜り、姿を消した。ツアーとリグリットはお互いに顔を見合わせる。

 

「...彼女の左手薬指を見たかい?リグリット」

 

「ん?ああ、何やら奇怪なクローム色の指輪をはめていたな。それがどうかしたか?」

 

「あの指輪の名は永劫の蛇の指輪(ウロボロス)常闇の竜王(ディープダークネスドラゴンロード)が守っていた指輪だよ」

 

「...それはお前が昔話していた、地中に眠るという竜王の一人か」

 

「世界の法則を捻じ曲げるというあの指輪を装備しているという事は、ルカ達は常闇の竜王(ディープダークネスドラゴンロード)を倒したという事になる」

 

「やはり...というべきか。あやつは昔から底知れぬ力を秘めているとは思っていたが、まさかそれほどとはな」

 

「...そんな強さを持つ2人のプレイヤーが一堂に会した。これに何か意味があると思うかい?」

 

「それ自体に意味が無くても、今後嫌でも大きな意味合いを持ってくるだろうよ」

 

「そうだね。あの石碑の事といい、それとほぼ同時に彼らが現れた事といい、タイミングがあまりにも良すぎる」

 

「世界を汚す力....ひょっとしたら、何か知っているかもしれん」

 

「百年の揺り返し。200年前と現在。或いは、それが真実なのか」

 

「確認する必要があるな。お前の後ろで大事に守られているそのギルド武器と同じか、それ以上に価値ある情報が手に入るかもしれん」

 

「受けて正解だったね」

 

「ああ。噂によれば魔導王と言うのはアンデッドらしいからな。しかも優れた統治者だというし、あながち捨てたもんでもなかろうよ」

 

「この国は殆ど亜人種のみだけど。その亜人も人間と仲良く共存出来ていると言うんだから驚きだよ」

 

「まあ何にせよ、とにかく3日後だ。準備の方は任せて良いのか?」

 

「もちろん、それはこちらでやっておくよ。それまでリグリットはゆっくり休んでいてくれ」

 

「ならば私も街に帰るとするか。3日後にまた来る。何か用があれば連絡をくれ」

 

「分かった。おやすみリグリット」

 

「おやすみツアー。転移門(ゲート)

 

 リグリットも暗黒の門を潜り姿を消す。そしてツァインドルクス=ヴァイシオンは、背後の壁に埋め込まれたグラスケースに目を向ける。そこにあるのは一振りの剣。それは斬るということには向いていないような形状をした剣だ。しかしその切れ味は類を見ないほどであり、現代の魔法では到底作り出せない領域にあった。ギルド武器───八欲王の残した武器の一つであるこれこそが、ツアーがこの場所から離れる事が出来ない理由。

 

 装備出来るのはこの剣が主と認めるギルドマスターのみ。そしてこの武器が破壊されればギルド自体が崩壊する。それ故にアーグランド評議国は、仇敵である八欲王の空中都市と危うい均衡の元に存在できているのだ。その均衡を打破する為に、ツアーはユグドラシル上でのみ存在し得た強力且つ特殊なアイテムを世界中から集めていた。つまりそれは同時に、八欲王の空中都市──エリュエンティウのギルドマスターが何者かに引き継がれている事を意味している。ツアーは天に輝く月を見上げた。そんなしがらみとは無縁であり、自らの目的を200年かけて見事成し遂げた女性の笑顔が脳裏を過ぎる。(彼女はどんな思いで200年という長い歳月を生きたのだろう?)ツアーは眠るようにゆっくりと目を閉じ、再び首を祭壇の上に横たえた。

 

 

 ───ナザリック地下大墳墓 第九階層 執務室 0:27 AM

 

 

「ただいまー! あーヒヤヒヤした」

 

「おお、戻ったかルカ! それで、どうだった?」

 

「みんな待っててくれたんだ? かなり際どかったけど、何とか受けてもらえたよ」

 

「そうか!よくやってくれたな」

 

「さすがはルカ様! 急な日程にする事で先方に兵力も含め準備期間を与えないという考えだったのですが、その無理を押し通すとはこのデミウルゴス、感服致しました」

 

「よくやったわねルカ、お疲れ様」

 

「ありがとうみんな。このくらいやってのけないとね。でも問題はこの後にかかってるよ。デミウルゴス、アーグランド評議国のマップを渡しておくから、目を通しておいてもらえるかな?」

 

「かしこまりました、至急確認して明日までに共有致します」

 

 ルカは中空に手を伸ばし、羊皮紙スクロールを取り出してデミウルゴスに手渡した。

 

「気になったんだけど、当日評議国に行くメンツはもう決まってるの?」

 

「あまり向こうを刺激しても何だからな、ヴィクティムとガルガンチュアを除く階層守護者とルベド、それに兵を幾人か連れていくつもりだ」

 

「なるほど、いい線だと思うよ。これで一安心だし、メシ食ってフロ入って寝るかー」

 

「ご苦労だったなルカ。ゆっくり体を休めてくれ」

 

「オッケー、ありがとう」

 

 ルカ達は執務室を出てそのまま食堂に直行し、ナザリック特製のフレンチコースを堪能した。その後は各自自室に戻り、寝巻に着替えて3人は大浴場に向かう。ルカとミキは女湯の脱衣所で服を脱ぐと籠に畳んでバスタオル一枚の姿となり、大浴場への扉を開けた。遅い時間だからか、どこにも人影はない。2人はお湯で体を数度流すと、ライオンの彫像からお湯が注ぎ込まれる大きな浴槽にゆっくりと体を沈めた。

 

「あーー極楽極楽。疲れたねー今日は...」

 

「フフ、私とライルはそれほどでもありませんよ。まあさすがに白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)の前では少し気は張り詰めていましたが、ルカ様の苦労に比べれば大した事ありません」

 

「基本さー、あたし達3人で行動してるじゃん? 多分だけど、腹の探り合いとかする時はこの3人ってのが絶妙な数だと思うんだよね」

 

「と言いますと?」

 

「大軍を用意するには私達は少なすぎるし、かと言って少人数で当たるとなると不利になる。相手側も面子があるから、ギリギリ上限の人数を揃えざるを得なくなる、みたいなね」

 

「そういった場面は今まで何度もありましたものね」

 

 と、その時だった。(ガラガラ)と大浴場の扉が開く音がした。(もう深夜1時を回ったというのに、誰だろう?)とルカは目を凝らすが、湯煙に包まれて顔が良く見えない。しかしその細く引き締まった四肢とボディラインは完璧と呼ぶに相応しく、ルカとミキは心の中で感嘆の声を上げていた。向こうもまだこちらに気付いていない様子で歩いてくるが、至近距離まで来たところでようやくその者の顏が判別できた。

 

「...え、ルベドじゃない!」

 

「っ!!」

 

「あらほんと。ルベド、遅い時間にお風呂なのですね」

 

 バスタオル一枚で前を隠したルベドは体をビクッと痙攣させ、その場に立ち尽くしていた。顏は相変わらず無表情のままだったが、恥ずかしかったのかほんのりと頬が朱色に染まっている。

 

「ほらルベド、そんなとこに突っ立ってないで一緒に入ろう? 体流してあげる」

 

 ルカはそのまま浴槽を出ると、バスチェアの上にルベドを座らせてたらいにお湯を汲み、ゆっくりと背中を流していく。ルベドはまんじりともせず動かなかったが、数度お湯を流すとルベドの手を取り、一緒に浴槽の中へ体を沈めた。ルカとミキに挟まれて、ルベドは赤面したまま俯いている───無表情なままだが。

 

「ルベド、いつもこんな遅い時間にお風呂入るの?」

 

「人が....いないから...この時間。ゆっくり....入れるし」

 

「そっか、ごめんね邪魔しちゃったかな私達」

 

「...邪魔な!....事はない。ただ少し...緊張...するだけ」

 

「何言ってるの、こんないい体しているくせに! プロポーション抜群じゃないルベド。ね、ミキ?」

 

「ええ。ほんと。バストの形もきれいだし、着痩せするタイプなのですねルベドは」

 

「...そう...かな? ....ありがとう...」

 

「フフ、どういたしまして。あさっての会談はルベドも一緒だね」

 

「そうですね。頼みましたよルベド」

 

「...さっき...聞いた...デミウルゴスから。任せて...ほしい」

 

「おー頼もしいね。出ようルベド、髪と体洗ってあげる」

 

 そうして三人は和気あいあいと入浴を済ませ、それぞれ自室へと戻って行った。

ルカは寝る前に石碑の内容が書かれた手帳を取り出し、それを読みながら時系列順に並び変えてみた。話の大筋は見えてきたが、まだ文章を組み上げる為の要素が足りない。(グレン・アルフォンスは一体何を思ってこのような研究に携わっていたのだろう?)などと考える内に、あまり深入りすると目が覚めそうだったので手帳を閉じ、アイテムストレージに収めた。それと入れ替わりに赤ワインのボトルを一本とグラスを取り出して、一杯だけ寝酒を飲むと羽毛布団を被り、就寝した。

 

 

 ───3日後 アーグランド評議国 南側正門前 13:10 PM

 

 

 半径5メートル程の大きな転移門(ゲート)が正門正面に開き、その中からデスナイト6体の隊列が魔導国の国旗を持ち姿を現した。続いてアイアンホースゴーレムに騎乗したアルベド・デミウルゴス・シャルティアが横一列に並び、その後にアインズの乗った漆黒の馬車が現れる。その馬車の右翼には騎乗したコキュートス・ルカ・ミキ・ルベド・イグニスが、左翼には同じく騎乗したアウラ・マーレ・ライル・セバス・ユーゴと続きサイドを固める。最後に後方のデスナイト6体が現れ、評議国の兵士達に先導されて街のメインストリートを進んでいった。

 

 通り沿いにはリザードマンやゴブリン・オーガ等の兵士達が並び、その後ろで遮られた見物人たちも、シーゴブリンやマーマンと言った亜人種達が殆どで、まさに亜人の為の国と呼ぶに相違なかった。

 

 そして道の坂を登り切ると、正面には大理石で作られたであろう大きく荘厳な神殿・大議事堂が見えてきた。高さ90メートル・幅150メートル程の巨大な神殿で、真っ白な外壁が晴天に恵まれた太陽を反射し、眩く輝いている。大議事堂の前まで着くと、兵士達に案内され中へ進むよう促された。デスナイト達を外に待機させるよう命じ、アインズとルカ達、階層守護者達は一歩一歩階段を上っていく。背後を振り返ると、小高い山に建てられた大議事堂からは街が一望できた。巨大なアーチ状の入口を潜り中へ入ると。天井まで完全な吹き抜けとなっており、壁面に設置された窓から明かりが差してくるが、どちらかといえば薄暗い。それがまた建物の荘厳さを醸し出していた。

 

 アインズを先頭に議場の奥へと進んでいくと、左右の壁際には長机が置いてあり、そこには評議員と思われるリザードマンやゴブリン達が席についている。そしてその正面には5つの大きな祭壇があり、4匹の色が異なる竜王達がその上に鎮座していた。しかし真ん中の祭壇だけがポッカリと開いており、そこには椅子の上に白銀の鎧を着た何者かが座っているのみだった。その祭壇の15メートル程手前には、合計20個の竜の彫刻があしらわれた木製の椅子がならんでいる。その椅子の背後にアインズ達が立つと、左右にいた評議員達が起立し、竜王たちも首をもたげた。そしてアインズを除くルカ達・守護者達が右腕を前に掲げ、恭しくお辞儀をした。そしてアインズが口火を切る。

 

「アーグランド評議国の永久評議員及び評議員諸君、我が魔導国との会談の提案を快く受けていただき感謝する。私がアインズ・ウール・ゴウン魔導王である。よければ諸君らの自己紹介をお願いできないだろうか」

 

 すると祭壇の中心に座った190センチはあろうかという白金の鎧武者が立ち上がり、祭壇に続く階段を下りてアインズの前まで来た。

 

「このような仮の姿で失礼するよゴウン魔導王。本当の私の体は別の場所から動けないものでね。詳しくはそこのルカに聞いてくれると助かる。僕がツァインドルクス=ヴァイシオンだ。僕の隣にいるのがリグリット・ベルスー・カウラウ。そして向かって左から溶岩の竜(オブシディアン・ドラゴン)・ケッセンブルト=ユークリーリリス、金剛の竜王(ダイヤモンド・ドラゴンロード)・オムナードセンス=イクルブルス、青空の竜王(ブルースカイ・ドラゴンロード)・スヴェリアー=マイロンシルク、砂漠の竜(ワーム・ドラゴン)・ザラジルカリア=ナーヘイウント。以上5人がこの国で永久評議員を取り仕切っている。その他左右に控える者は、亜人の各種族を代表した評議員達となるので、よろしく頼むよ」

 

 アインズは5匹の永久評議員達に軽く会釈をして、正面に向き直った。

 

「了解した、ヴァイシオン閣下。紹介していただき感謝する」

 

「堅苦しい挨拶は抜きにしようゴウン魔導王。僕の事はツアーと呼んでくれればいいよ」

 

「では私の事も気軽にアインズと呼んでほしい、ツアーよ」

 

「承知した、アインズ」

 

 2人は固く握手を交わすと、オーガ兵がツアーのすぐ後ろまで大きな椅子を運んできた。そして皆が着席すると、会談がスタートした。

 

「さてアインズ、僕たちにこの世界の真実を教えてくれると言うが、一体それはどんな真実なのかな?」

 

 頑強そうな全身鎧(フルプレート)を着込んでいるせいで表情が伺い知れないが、声の穏やかさから敵対するものではないという事が与り知れた。

 

「そうだな...まず私達のいるこの世界はユグドラシルというゲームのルール上に成り立っている、という事は承知の事と思う」

 

「それは知っている」

 

「では私とここにいるルカ・ブレイズの2人が、そのユグドラシルのプレイヤーだという事も理解していると見て良いか?」

 

 その言葉を聞いて議事堂内がざわめいた。しかしツアーが右手を上げて皆を制止すると、場内に静けさが戻る。

 

「...ルカに関しては200年前からの付き合いだから知っていたけれど、君がプレイヤーだと言うのは実際に見るまで正直半信半疑だった。しかしルカが君の隣にいるという事が、つまりそれが事実だという事なんだよね」

 

「そうだ、理解が早くて助かる。我が魔導国の大使・ルカは、自分の元居た世界...つまり現実世界に帰る事を欲して、200年という長い歳月を生き抜いてきた。その過程で私達と出会い、彼女は私にこの世界の謎を解き明かすべく道を示してくれたのだ。その恩に報いる為、私達はルカ達3人に力を貸した。その結果、ルカは見事現実世界への帰還を果たしたという訳だ」

 

 ツアーはそれを聞いて背もたれに体を預け、納得するようにゆっくりと頷いた。

 

「成程。ルカ、君がアインズと一緒にいるという事は、現実世界へ帰してくれた恩を返す為、という事なんだね?」

 

「それだけ、という事ではありませんが。魔導王陛下は私の大切な友人ですし、それもあって私は今ここにいると受け取っていただければ幸いです」

 

「そんなにかしこまらなくていいよルカ。普段通りに話せばいいさ」

 

「...せっかく大使らしくしようと思ったのに。分かったよ、普段通り話す」

 

「フフ、それでアインズ。それが伝えたかった真実というやつかい?」

 

「当然これだけではない、が、ギブアンドテイクと行こうじゃないか。君達の事も教えてくれないかツアーよ。君の成り立ちをな」

 

「...全てを詳細に話すと長くなるから、かいつまんで話すけどそれでもいいかい?」

 

「ああ、もちろん構わないとも」

 

 ツアーは顎に手を当てて俯き、一呼吸置くとアインズに顔を向けて語りだした。

 

「そうだね、君たちは六大神や八欲王・十三英雄に関して、どのくらいの知識がある?」

 

「現在世間に語り継がれている概要のみといった感じだが」

 

「そうか。では600年前の事から話していこう。その時代、君達と同じように6人のユグドラシルプレイヤーがこの世界へ転移してきた。それぞれの得意な魔法属性から、彼らは(生の神・死の神・火神・水神・土神・風神)と呼ばれ、彼らはお互いに協調しあい、争うことも無く平和に過ごしていた。そして淘汰の危機にあった人間種のために、人間の国家を保護し、彼ら独自のシステムを世に広めていった。それが各地に点在する(神殿)という施設で、彼らは私財をはたき、病や怪我に苦しむ人々に無償で利用できる環境を構築した」

 

「...それはつまり、現在のスレイン法国の基礎になったと考えて良いのか?」

 

「そうだ。しかし今のスレイン法国とは異なり、彼らは人間種の保護と同時に、亜人種や僕達ドラゴンといった他種族とも友好関係を保とうと苦心していた。現在のスレイン法国は六大神を崇め亜人排斥を唱えているが、その大元となった彼ら六大神はそのような事は決して望んではいなかった。全ては、六大神たる彼らが亡くなった事で、歯車が狂い始めたんだ。故に僕たちは亜人を排斥する今のスレイン法国に良い感情を抱いていない。敵と言ってもいいほどにね。彼ら六大神さえ生きていてくれれば、こんなにいがみ合う事もなかった」

 

 アインズはそれを聞いて、顎に手を添えた。

 

「ふむ...六大神か。それに貴国がスレイン法国と仲が悪いのは分かった。その話の続きを聞かせてくれるかな?」

 

「そうだね。その後100年も経たぬうちに六大神の殆どが亡くなり、ただ一人残された”死の神”、スルシャーナもまた、500年前に現れた八欲王に殺されてしまった。彼ら八欲王もすさまじい力を秘めたプレイヤー達の集団で、主にドラゴンや悪魔と言った高レベルのモンスターを狩る事に夢中になっていた。恐らくそこから得られる貴重なアイテムが目的だったのだろう。僕達ドラゴンもその標的となった。部族間の垣根を越えてドラゴン族一丸となり彼らと戦ったが、結果は伝えられている通りだ。

 

僕達ドラゴンはその大半を狩り尽くされ、命からがら逃げ延びたのが、僕を含む一部のドラゴン達だけだった。それ以来、八欲王との闘いに参加しなかった者も含め、僕たちは隠れるように生きてきた。しかしその戦いの最中で、多数の犠牲を払いながら八欲王の一人を倒した時、彼の使っていた剣がランダムドロップした。それが今この国で僕が守っているギルド武器なんだよ。

 

この剣が存在するという事は、八欲王の後を継いだギルドマスターがいるという事に他ならない。そしてこの武器を破壊すれば、空中都市もエリュエンティウも滅びる。その抑止力があるからこそ、このアーグランド評議国は安全に暮らせている。それが今も連綿と続く、あの国と僕達との関係さ」

 

「...なるほどな。ならば何故八欲王は滅んだのであろうな?」

 

「それは簡単さ。世に言われているのは、お互いに所持しているアイテムを欲して内乱になったという事になっているけど、実際は違った。ギルドの象徴でもあり、命でもあるギルド武器を僕に奪われてしまったことで、蘇生された八欲王のギルドマスターに対する不信が一気に高まったからさ。それを取り戻そうと言う者、ギルドマスターの権利を違う者に移そうといった論争も起きたらしいけど、結局はギルド武器を手にしている僕がそれを破壊してしまえば、元も子もなくなる。

 

そうした不満が噴出し、やがては同士討ちに発展していった。こうして八欲王は滅びた訳だけど、今もあの都市が残っているという事は、同士討ちを始める前、誰かにギルドマスターの権限を委譲してから自滅したんだろうね。最後の理性は残っていたという訳か」

 

 ツアーは小さく溜息をついて俯くが、それを見てアインズは話を継いだ。

 

「なるほどな。形はどうあれ、内紛だったという線は事実だった訳だな」

 

「...さて、今度はこっちの番だよアインズ。ルカが現実世界に帰った後だったね。帰ったにも関わらず、彼女は今もこうして君の隣にいる。そこら辺の謎を教えてくれるかな」

 

「いいだろう。だがそれを話す前に、私達が元いた世界について話しておく必要がある。年代は異なるが、私とルカは地球という星で生まれ育った。その後2126年にこの世界の元となったDMMO-RPG(ユグドラシル)が、株式会社エンバーミングから発売された。DMMO-RPGとは簡単に言えば、脳に直接働きかけ、あたかもその世界で生きているかのように手も足も目も自由に動かせるゲームだと思ってもらえればいい。そしてそこから12年後の2138年にユグドラシルはサービスを終了し、ゲーム自体も終焉を迎えた。...忘れもしない2138年11月9日 午前0:00分、強制ログアウトされるはずだったこの体は、この世界へと転移してきた。これが私が初めてこの世界に転移してきた時の顛末だ」

 

 アインズはここでツアーの様子を伺った。理解しきれているかどうかを探るためだ。

 

「...君とルカとでは年代が違うと言ったが、生きてきた年代も違うのか?」

 

「そうだ。私は2138年11月9日にユグドラシルからこの世界に転移し、ルカは2350年 8月4日 午前0:00分に、その当時発売されていた(ユグドラシルβ)というゲームからこの世界へ転移した。つまり私よりも212年先の未来より、ルカは転移してきた事になる」

 

「それはつまり、別々の時代に存在したユグドラシルというゲームのプレイヤー同士が、今僕たちのいるこの年代に集まり、転移してきたという事なのかい?」

 

「その通りだ、ツアーよ」

 

「ではユグドラシルを発売したのは株式会社エンバーミングだと言ったが、この世界は全て人間の手によって作られたという解釈で正しいのかい?」

 

「...そうだ。ここから先は、更に衝撃的な...長い事この世界で生きてきた君にとってつらい話になるかも知れない。それでも聞くかね?ツアー」

 

 それを受けて、ツアーは肘掛けに置いた手のひらをギュッと握りしめた。

 

「もちろんだアインズ。その先を聞かせてくれ」

 

「分かった。今私達がいるこの世界は、主にネットワークという4つの層で成り立っている。上から順にクリアネット・ディープウェブ・ダークウェブ・ロストウェブという順だ。その内私達の世界は、ダークウェブという下層の世界にサーバ───外部記憶装置として存在している。外部記憶装置とは、私やツアーといった者がこの世界に存在する為必要な肉体のデータが収められた貯蔵庫のようなものだ。

 

ネットワークという世界は途轍もなく広大なものだが、それを作り上げたのもまた人間なんだ。私やルカと言ったプレイヤーには、そのネットワークの外に、こことは別の肉体が存在している。私達は言わばネットワークを間借りし、一時的にこの世界へ来ているに過ぎない。しかしプレイヤー以外の存在にとっては、外部記憶装置・サーバに保存されたデータそのものが、本人の肉体となる。つまり...」

 

 アインズはここで一呼吸置き、ツアーを見た。心なしか、覇気がなくなっているように思える。

 

「つまり、プレイヤー以外───NPC(Non - Player - Character)だった者の肉体や自我、魂といったものは、全てAIというデータで構成されているんだ。AIとは、Artificial Intelligence...人工知能と呼ばれている。その言わば魂であるAIの生成及び保管を司るコアプログラム(メフィウス)が、先程も言ったロストウェブというネットワークの最下層に存在している。私達はメフィウスを実際に見た訳ではないが、それが存在するという証拠をいくつも発見した。

 

そして同じロストウェブには、ガル・ガンチュアという荒涼とした暗黒の大地が存在し、そこには私達全員がかりでも倒すのに苦労するような、最強レベルのモンスターが出現する。その更に先には(虚空)と呼ばれる新たなエリアも存在し、そこにはサーラ・ユガ・アロリキャという独自のAIが存在する。サーラはルカの種族である(セフィロト)に転生する為の力を持った、この世界で自他ともに最強のキャラクターだ。但しサーラはその虚空から出る事は出来ず、ただ静かにセフィロトへ転生する可能性を持った者・もしくは私やルカといった存在を待ち続けているという、非常に友好的な存在だという事も付け加えておこう」

 

 肘掛けに両腕を乗せ、(カツ、カツ)と指で叩いていたツアーだったが、やがて考えがまとまったのか口を開いた。

 

「僕達のいるこのネットワーク──ダークウェブと言ったかい?その世界とは、地球だけでの事なのかい?」

 

「いや違う。私とルカの現実世界は今、2550年という更に進んだ世界だ。そこでは遠く離れた星同士でも通信が行える。その一つ一つが、ネットワークを構成しているんだ」

 

「ではこの世界を包括するサーバというのは、誰が作ったものなんだ?」

 

「株式会社エンバーミングと、世界政府直轄の軍が共同で管理しているはずだ」

 

「2550年と言ったけど、君達は今、地球にいるのか?」

 

「違う。私達は今、地球から4光年離れたアルファ・ケンタウリ星系にある星の一つ、プロキシマbという惑星からこの世界へインしている」

 

「それでは、君たちはその先に血の通った本当の肉体があるという事だね。はっきりさせておくが、僕はプレイヤーではないし、ここにいるリグリットだってそうだ。では、データでしかない僕達NPCに魂はあるのかい?AI...人工知能というものに、魂は入っているのかい?」

 

「そう自ら疑問を持てるという事は、それ自体が自我を持っているという証拠に他ならないと思う。魂があると思うからこそ、私はこうして会談の場に赴いたのだからな」

 

「...君は優しいね、アインズ」

 

「そっ、そうか?あまり意識はしていないのだが」

 

「君の話が全て本当なら、僕たちの本当の母はコアプログラム(メフィウス)という事になる。...実はユグドラシル製のアイテムを見た時に、何となくそうなんじゃないかと予想はしていたんだ。僕もそのロストウェブという場所に興味が湧いてきたよ。今度連れて行ってくれないか?」

 

「もちろんだツアー。喜んで案内させてもらおう」

 

 場の空気が和み、アインズもルカもホッと一息ついた。

 

「実に面白い話が聞けた。そのお礼に僕達の事を最後まで伝えておこう。それは十三英雄に関してだ」

 

「ほう、それは興味深い。十三英雄と言えば、ルカがこの世界へ転移してきたのも200年前だったな。面識はあるのか?」

 

 それを受けてルカは小さく頷いた。

 

「あるにはあるけど、あの当時は私もこの世界に馴染むため色々と実験してたからね。込み入った事は知らないんだ」

 

「ルカはリーダーとは面識があったよね?」

 

「あるよ。彼も2138年、つまりアインズと同じ年代から転移してきたプレイヤーだったから、少しだけど話はした。あとはリグリットに、イビルアイとも話したかな。それ以外の人はあまり知らないや」

 

「まあ僕らもあまり多くは語れないんだけども、何故十三英雄なんてものが発足したのかを説明するよ。(魔神)の話は知っているかい?2人共」

 

「私は知らないが....知っているかルカ?」

 

「知ってるよ。六大神の配下だったNPCが、主人がロストして暴走しちゃったって話だよね?」

 

「そうだね。僕も今アインズに説明を受けるまで、魔神が(NPC)という概念が無かったんだけど、今後ろに控えている君の部下も、いわゆる自我を持ったNPCなんだろう、アインズ?」

 

「その通りだ。今は私の最も頼れる部下達だがな」

 

「まあそういう訳さ。主人を失った配下が世界各地で暴れだし、それを滅ぼす為に組まれたチームが、十三英雄の発足に繋がった。十三というが、実際にはもっと人数は多かったんだけどね。武功を立てて目立ってたのが13人だったから、そう呼ばれていたに過ぎない。そうやって魔神達を全て倒した後、プレイヤーであるリーダーが不慮の事故で亡くなった」

 

「不慮の事故? 一体何が起きたんだ?」

 

「...リーダーが、誤って仲間の女性を殺してしまったんだ。そのショックでリーダーは自ら死を選び、僕たちが蘇生するというのも聞かずに、そのまま亡くなってしまった」

 

「........」

 

 ツアーとリグリットは黙り込み、地面に目を落とした。ルカが心配そうに2人に問いかける。

 

「...その殺された女性はどうなったの?」

 

「彼女は蘇生されたよ。しかしその後戦う気力もなく、自らの意思で長い眠りについた。ルカ、君なら聞いた事があるんじゃないか? “夢見るままに待ちいたり”という言葉を」

 

「それはまさか、海上都市の?」

 

「...そうだ。リーダーの死という選択に、蘇生された後全てを知らされた彼女はあの地で今も眠りについている。もし今後あの都市に関わるような事があっても、彼女だけはそっとしておいてやってほしい。君達だから話したんだ、他言無用に願うよアインズ、そしてルカ」

 

「分かったツアー。その点は心配するな」

 

 すると話題を変えようと、思い出したようにツアーが口を開いた。

 

「そうだ、僕たちが過去に戦った魔神の中で、一人だけ堕落しておらず、正気を保っていたNPCがいたんだ」

 

「それは何というモンスターだ?」

 

火蜥蜴(サラマンダー)という魔神だ。彼だけは正気を保っていた上に、ドラゴン族との近親種だった事もあり、僕達で保護したんだ。とても強大な力を持つ魔神だったが、その後は結局八欲王の手にかかり殺されてしまったけどね。気になったから一応教えておくよ」

 

「貴重な情報感謝するぞツアーよ。他に何か聞きたい事はあるか?」

 

「そうだね、この国には八欲王の武器を狙ってきたんじゃないよね?」

 

「もちろん違うとも。それにギルド武器ともなれば、それはギルドマスターにしか装備出来ない代物。私達が持っていても何の役にも立たないからな」

 

「それだけ分かれば十分だ。こちらこそ興味深い話ができて楽しかったよアインズ」

 

 何か言い忘れていると考え、ふとアインズはそれを思い出した。

 

「ところでツアーよ。リグリットもだが、幅5メートル・高さ15メートル程の巨大な黒い石碑を見た事はないか?表面は磨き抜かれていて、そこにエノク文字が刻んである石碑なのだが...」

 

「!!」

 

 それを聞いてツアーとリグリットは顔を見合わせた。アインズはその豹変ぶりに慌てて口を挟む。

 

「ふ、二人とも!何か変な事でも言った...か?」

 

「...いやアインズ、その石碑なら見たよ。この大議事堂から北へ真っ直ぐ行った山中だ」

 

「そこに私達でも手に負えないような化物が出現してな。まるでその石碑を守っているかのようにその場を動かんのじゃ。あれが万が一評議国に乗り込んで来たら、騒ぎどころでは済まなくなると思ってな」

 

 リグリットがそれを補足する。アインズは顎に手を当てしばらく考え込んだ後、2人に顔を向けた。

 

「ツアー、それにリグリット。ここまでお互い腹を打ち明けて情報を共有した事だし、我が魔導国と評議国で同盟及び友好通商条約を結びたいのだが、了承してもらえないか?」

 

「...そんな事、口に出すまでもないと僕は思っていたよ。リグリットも、他の評議員達もそれでいいね?」

 

 そこに異を唱える者は誰一人としていなかった。すると自信に満ちた笑顔でデミウルゴスが2冊の黒いバインダーを持ち、一通をアインズに、もう一通をツアーに手渡した。そして2者はそこにサインすると、お互いにバインダーを交換して握手を交わした。

 

「今後ともよろしく頼む、ツアー」

 

「僕の方こそ、今後いろいろと世話になるよアインズ」

 

「では早速だが、共同戦線を張ろうではないか。その石碑の場所まで案内してもらってもいいかね?」

 

「なっ....今すぐにか?」

 

 リグリットが驚いた様子でアインズに返すが、守護者達は装備を変更し、戦いの準備を始める。

 

「心配するなリグリット。私達は石碑に刻まれた碑文を知りたいし、お前達は邪魔なモンスターを排除したい。一石二鳥ではないか。ルカ・ミキ・ライル、フルバフ開始だ」

 

「了解、みんな中央に集まって。暗闇の復讐(ヴェンジェンスオブザダークネス)不浄耐性の強化(プロテクションエナジーアンホーリー)力の祈り(プレーヤーオブマイト)活力の祈り(プレーヤーオブバイタリティ)器用さの祈り(プレーヤーオブデクステリティ)上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)無限の障壁(インフィニティウォール)武器属性付与・神聖(コンセクレートウェポン)暗い不屈の精神(ダークフォーティチュード)虚無の抱擁(エンブレスザヴォイド)運命の影(シャドウオブドゥーム)生命の精髄(ライフエッセンス)虚偽情報・生命(フォールスデーターライフ)殺害者の焦点(スレイヤーズフォーカス)影の覆い(クロークオブシャドウズ)精度の上昇(ライズインプレシジョン)

 

次にミキが両掌を上に向け、前方に差し出して呪文を詠唱し始めた。

 

知性の加護(チャームオブインテリジェンス)暗闇の復讐(ヴェンジェンスオブザダークネス)闇耐性の強化(プロテクションエナジーダーク)星幽力場の表示(ビューアストラル)上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)無限の障壁(インフィニティウォール)武器属性付与・神聖(コンセクレートウェポン)暗い不屈の精神(ダークフォーティチュード)虚無の抱擁(エンブレスザヴォイド)運命の影(シャドウオブドゥーム)生命の精髄(ライフエッセンス)虚偽情報・生命(フォールスデーターライフ)殺害者の焦点(スレイヤーズフォーカス)影の覆い(クロークオブシャドウズ)精度の上昇(ライズインプレシジョン)祝福された精神(ブレッスドマインド)庇護の祈り(プレーヤーオブプロテクション)

 

ライルも自らにバフをかけはじめる。

 

戦神の力(ダンギリエルズマイト)星幽加護の強化(プロテクションエナジーアストラル)上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)無限の障壁(インフィニティウォール)武器属性付与・神聖(コンセクレートウェポン)暗い不屈の精神(ダークフォーティチュード)運命の影(シャドウオブドゥーム)生命の精髄(ライフエッセンス)虚偽情報・生命(フォールスデーターライフ)殺害者の焦点(スレイヤーズフォーカス)影の覆い(クロークオブシャドウズ)精度の上昇(ライズインプレシジョン)防止出来ない力(アンストッパブルフォース)治癒力の強化(テンドワウンズ)

 

最後にアインズも両手を広げてフルバフを開始した。

 

光輝緑の体(ボディオブイファルジェントベリル)飛行(フライ)魔法詠唱者の祝福(ブレスオブマジックキャスター)無限障壁(インフィニティウォール)魔法からの護り・炎(マジックウォードフレイム)生命の精髄(ライフエッセンス)魔力の精髄(マナエッセンス)上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)自由(フリーダム)虚偽情報・生命(フォールスデーターライフ)看破(シースルー)超常直感(パラノーマルイントゥイション)上位抵抗力強化(グレーターレジスタンス)混沌の外衣(マントオブカオス)不屈(インドミタビリティ)感知増幅(センサーブースト)上位幸運(グレーターラック)魔力増幅(マジックブースト)竜の力(ドラゴニックパワー)上位硬化(グレーターハードニング)天界の気(ヘブンリィオーラ)吸収(アブソーブション)抵抗突破力上昇(ペネトレートアップ)上位魔法盾(グレーターマジックシールド)

 

 ツアーとリグリットも含めたフルバフが完了すると、アインズはニヤリと二人に笑顔を送った。

 

「さて、行こうか2人共」

 

「な、何じゃこの補助魔法は?こんなもの私は見たことがないぞ」

 

「...とにかく行ってみよう、リグリット。これなら何とかなるかも知れない」

 

「行きます。全体飛行(マスフライ)!」

 

 そしてアインズ達を含め16人は3チームに分かれ、大議事堂を出て北の山脈へと飛び立った。吹雪いている中を1時間程かけて目的地まで辿り着くと、眼下にうっすらとモノリスらしき黒い影が見えてきたが、周囲にモンスターの影は無い。100メートルほど離れた位置からゆっくりと前進していくが、50メートルまで達した時、突如正面に何かがポップした。全身を黒く分厚い鉄鋼板で覆った、全長30メートルはあろうかというセントールのような禍々しい姿をみて、伝言(メッセージ)を全員と共有したルカが咄嗟に指示を出す。

 

『状況・アムドゥスキアス!しかし私が見た個体とは色が異なる。イレギュラーの可能性大、アルベド・コキュートス・ライル、ユーゴ、即死攻撃に注意しつつタンクに徹して。こいつの本来の弱点は炎・神聖系だ。弱点属性が正しいかを確認する。マーレは炎属性、シャルティアは神聖属性の魔法を当ててみて。タンク組は私の魔法と同時に物理攻撃開始、イグニスはタンク組の回復、いい?』

 

『了解!』

 

影の感触(シャドウタッチ)!」

 

(ビシャア!)という音と同時にライル・アルベド・コキュートスのタンク組3人が突撃する。

 

弱点の捜索(ファインドウィークネス)一万の斬撃舞踏(ダンスオブテンサウザンドカッツ)!!」

 

血糊の祝宴(カーニバルオブゴア)!!」

 

「マカブルスマイトフロストバーン!!!」

 

鮮血の刃(レッドブレード)!!」

 

4人合わせて合計70連撃が叩き込まれるが、アムドゥスキアスの体の表面に衝撃吸収(ダメージアブソーバー)のような半球状の赤いシールドが張られており、決め手とはならない。麻痺(スタン)が効いている内に、ルカは次の攻撃を行うよう指示した。

 

『シャルティア・マーレ、今だ!』

 

「清浄投擲槍!!」

 

「まま、魔法最強化(マキシマイズマジック)大溶岩流(ストリームオブラヴァ)!」

 

 シャルティアの放った青白い刃とマーレのマグマが交差し、アムドゥスキアスの中心で大爆発が起きるが、またしても今度は黒いシールドに弾き返された。それを受けてルカの声が鋭くなる。

 

『タンク、一旦下がれ!アインズ、闇属性魔法準備、私は毒を撃ち込む、いいね?』

 

『了解した!』

 

『行くよ、呼吸の盗難(スティールブレス)!』

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)無闇(トゥルーダーク)!」

 

 するとアインズの闇属性攻撃は当たる寸前にシールドに吸収されたが、ルカの毒属性移動阻害呪文は敵の体を覆い、緑色の靄に包まれた。アムドゥスキアスはのたうち回ったが、それを見てルカが咄嗟に指示を出す。

 

『弱点属性は毒と断定!全員毒属性の攻撃を開始、マーレは超位魔法準備。私が前に出る、合図と同時に全員離脱だ、いいな?!』

 

『了解!』

 

武器属性付与・毒(アトリビュート・トキシンアームズ)

 

 ルカのエーテリアルダークブレードが毒々しい紫色に変わり、敵へ突進する。そして敵の懐に飛び込むと、ダガーを空中でクロスさせた。

 

霊妙の虐殺(スローターオブエーテリアル)!!」

 

 空中とは思えない程の華麗な舞いを見せながら、アムドゥスキアスの腰と足に毒属性Procの連弾が叩き込まれていく。そして背後からミキとリグリットが援護射撃を行う。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)酸の投げ槍(アシッドジャベリン)!!』

 

 2人の六連弾が叩き込まれた時、アムドゥスキアスが手にしたハルバードを地面に叩きつけてきた。全員が咄嗟に後方へ下がった時、アムドゥスキアスは大きく息を吸い込み下方に向けて黒いブレスを吐きかけてきた。

 

「きゃあっ?!」

 

「グオオオ!!」

 

 闇属性の強烈なブレスを浴びて、一歩退避が遅れたシャルティアとコキュートスがまともに食らってしまった。それを見てアインズとイグニスが回復に入る。

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)大致死(グレーターリーサル)

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)!」

 

ルカは敵を見上げ、思わず舌打ちをした。

 

「ちぃっ!このままじゃ埒が明かない、どうするか...」

 

 しかし考えるよりも前に体が動き、再度アムドゥスキアスの胴体に向かって飛び込もうとした、その時だった。背後から聞きなれない声が聞こえた。

 

封殺除去符(ふうさつじょきょふ)!!」

 

 突如背後からルカの横を掠めるように一枚の札のようなものが飛んでいくと、そのままアムドゥスキアスの胴体に張り付いた。すると破裂音と共に、赤と黒のバリアが弾けるように割れて砕け散ったのだ。アムドゥスキアスは悲鳴にも似た声を上げている。

 

『お嬢さん今です!防御魔法が剥がれた今、そいつの最も苦手な耐性は物理と炎です!!』

 

 その伝言(メッセージ)の言葉を聞いてルカは反射的に飛行(フライ)の魔法を唱え、跳ね上がるようにして空中へと飛びあがった。そして全員に伝言(メッセージ)で指示を飛ばす。

 

『シャルティア、デミウルゴス、超位魔法準備。炎属性を叩き込むぞ!アルベド・ライル・コキュートス・ユーゴ、物理攻撃で敵を引きつけろ!アインズ、ツアー、ミキ・リグリットは後方から火力支援、イグニス・マーレはタンクをヒール、ルベド、セバス、アウラ! タンクが引き付けている間両サイドから攻撃! 遠慮はいらない、叩き潰せ!!』

 

『了解!!』

 

 ルカ・シャルティア・デミウルゴスが両手を高く上に上げると、3人の体の周囲に真っ赤な立体魔法陣が浮かび上がった。眼下ではタンクチームがこれ見よがしに斬撃を叩きつけている。そこへ素早くルベドが右サイドへ回り込み、ミスリル製のドゥームフィストと呼ばれるカイザーナックルを握り締めて横っ腹に飛び込んだ。

 

破城槌(バータリングラム)!!」

 

(ドガガガガガ!!)という轟音と共に、ルベドの一撃一撃は音速を遥かに超えたソニックブームを発生させ、強烈な重さを持った40連撃がアムドゥスキアスの腹部に叩き込まれた。PB(パワーブロック)の効果も併せ持つこの恐るべき高速の乱打はアムドゥスキアスの次の手を封じ、タンク組が更に削っていくという良い流れが生まれつつあった。

 

 それを確認したルカは眼下に居るチームに指示を飛ばす。

 

『今だ!全員退避!!』

 

 アムドゥスキアスを囲っていた全員が飛び退くように距離を取る。ツアーとリグリットは空に浮かぶ見たことも無い3つの立体魔法陣を目にして呆気に取られ、その魔法の危険度を察知して更に後方へ飛び退いた。ルカとシャルティアの頭上には、今にも破裂せんばかりの巨大な超高熱火球が作り上げられている。そしてルカはシャルティアとデミウルゴスの目を見て呼吸を合わせ、両手を地面に向かって一気に振り下ろした。

 

「超位魔法・太陽の破壊者(ソル・ディバステイター)!!」

 

灼熱の太陽(ブレイジングサン)!!」

 

悪都の崩壊(コラプスオブソドム)!!」

 

 その巨大な超高熱原体がアムドゥスキアスに落下し、2つの太陽の下に晒される。あれだけ堅牢な守備力を誇っていた鉄鋼板の如き全身鎧(フルプレート)が見るも無残に赤く焼けただれ、アムドゥスキアスは絶叫する。その場から逃れようとするが、地面から湧き出たこれも超高熱の溶岩に足を溶かされ、もはや動くことすら叶わない。天と地の両方から超高熱に押しつぶされて断末魔の絶叫を上げ、やがてアムドゥスキアスは息を止めた。そして大爆発が起き、その体は消し炭すら残らずに消滅したのだった。

 

 ルカは地面に降り立つと周囲を見渡し、先ほどの声の主である”彼”がいないかを探した。しかしどこにもその姿はない。とそこへ、アウラとマーレが笑顔で駆け寄り、腕に絡みついてきた。それを見て全員が無事かどうかを確認し、ルカはアインズとツアー、リグリットの元へと歩み寄る。

 

「ツアー、リグリット、怪我はない?」

 

「あ、ああ。もちろんないよ。今のは超位魔法だね?」

 

「...ルカ、お前の戦っている姿は初めて見たが、想像を絶する化物じゃなお前達は」

 

「フフ、誉め言葉と受け取っておくよ。それよりみんな、黒い帽子に黒い服を着た怪しい男の人を見かけなかった?」

 

 それを聞いてシャルティアとアウラ、マーレが不思議そうな顔をしてきた。

 

「いいえルカ様、私は見ておりんせんが」

 

「あたしも見なかったですよ?」

 

「ぼぼ、僕も見てないですけど、何かお札のようなものが飛んでいるのは見ました」

 

「やっぱり...」

 

 ルカが考え込んでいるのを見て、アインズが心配そうにルカに寄り添った。

 

「ルカ、それはもしかしてだが、例の易者がここに来たという事なのか?」

 

「うん。確かに伝言(メッセージ)で声がしたんだけど...まあ今はいいや!ごめんね心配させて。とりあえず敵も倒したし、これで一安心だねツアー、リグリット」

 

「僕の出番は全くなかったけどね。ありがとうルカ、これで不安の種が一つ消えたよ」

 

「全く、魔導王といいお主といい、化物のオンパレードじゃな」

 

「同盟組んで良かったでしょ?」

 

「それはまあ、な。ところでルカよ、その石碑には何と書いてあるんじゃ?それに何やら土台部分に転移門(ゲート)が開いておるようじゃが...」

 

「これを読める人を今呼ぶから、ちょっと待ってね。伝言(メッセージ)

 

─────────────────────────────────

 

『プルトン、あたしよ』

 

『ルカか、どうした?』

 

『今組合長室にいるの?』

 

『ああ。何だまたモノリスか?』

 

『そう。今度はアーグランド評議国に出現したの。今そっちに転移門(ゲート)を開くから、こっち来てもらってもいい?』

 

『分かった。待ってるぞ』

 

転移門(ゲート)

 

────────────────────────────────────

 

 ルカの左手に暗黒の門が姿を現すと、その中から剣を一本携えたプルトンが姿を現した。

 

「さ、寒っ!!何だここは雪山じゃないか、一言言ってくれれば....おお、これは魔導王陛下!それにそちらのお二人は、十三英雄のリグリット・ベルスー・カウラウ様と白銀様では?お会いできて光栄です。私はエ・ランテルで冒険者組合長をやっております、プルトン・アインザックと申します。以後よろしくお願い申し上げます」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)氷結耐性の強化(プロテクションエナジーフロスト)。はい、これで寒くないでしょ?早速なんだけど、このモノリスの翻訳をお願い出来る?」

 

「...全く人使いが荒いなお前は。分かった分かった、今見てやる。どれどれ?」

 

プルトンは石碑の上を見上げ、メモを取りながら声に出して音読し始めた。

 

 

─────────────────────────────────────

 

 

 私は彼に謝罪しなくてはならない。ユグドラシルをこよなく愛し、サービス終了のサーバダウンが行われる最後の最後まで残ってくれていた彼、鈴木悟に。2138年11月9日 午前0:00、私は5人の部下を引き連れてその場にいた。完全環境都市(アーコロジー)内にある、とあるマンションの一室にマスターキーを使って侵入し、ダークウェブサーバに飛ばされ意識のない鈴木悟の肉体をコンソールとデータロガーごと外に運び出した。鈴木悟の肉体を乱暴に運び出す部下を私は叱責し、丁重に扱うよう指示した。そして黒塗りのバンに乗せ、湾岸に建てられたエンバーミング社の地下倉庫へと連れ去り、そこに集った医師たち主導の下全身に電極を貼られ、栄養補給のための点滴を彼の腕に刺した。私はその時初めて、己のしてきた事への罪悪感を感じた。私のしてきた事で、未来ある若者の人生をこの手で握りつぶしてしまったのだ。しかしここまで来てしまった以上、もう後戻りは出来ない。

 

 私は鈴木悟のモニターと並行して、エンバーミング社と軍から要請された(フェロー計画)について研究を進めていた。その計画とは、マイクロブラックホールではなく本物のブラックホールを使用して、RTL機能を実用化するというものだった。確かに本物のブラックホールを使用すれば、データ圧縮率も速度も跳ね上がるだろう。しかしそれを実現する為には、宇宙船と人工衛星の強度、そしてエネルギーがあまりにも足りなかった。基礎理論自体は完成していたが、それを実用化する為には82年という長い歳月を待たなければいけなかった。

 

 話は変わるが、鈴木悟がダークウェブユグドラシル(以下DWYD)に入り2ヶ月が過ぎた頃、奇妙なプログラムが鈴木悟と共に行動している事が分かった。奇妙と言うのは、その共に行動しているキャラクターのIPトレースが行えず、それがプレイヤーなのかAIなのかすらも判別出来なかった事だ。自らの手でユグドラシルを作ったにも関わらず、分からないと言うのも妙な話だが、これは事実だ。恐らくは相当に強固な回線を使用して接続していたに違いない。唯一分かるのは名前だけ。

 

 そのキャラクターの名前は、ルカ・ブレイズ。恐らくはプレイヤーだと思われる。何故なら、ユグドラシルの創造主である私が強制ログアウトを実行しても、それを受け付けなかった事だ。考えられるのは一つしかない。私よりも上位の存在───つまり、私達より未来に設置された新たなユグドラシルのホストサーバからやってきた存在だと言うことだ。しかしもしそうだとして、過去にいる私にはそれを確かめる術はない。鈴木悟に対し特に問題となるような行動はせず、むしろ協力的に立ち振る舞っているようだったので看過していたが、一年が経とうという頃、彼女は唐突に姿を消してしまった。ひょっとしたら外部からデータクリスタルを持ち込み、現実世界に帰還できたのかも知れないとも思ったが、これも想像の域を出ない。

 

 

──────────────────────────────────────────

 

 

「この碑文に関しては以上だ。遂にお前の名前が出て来たな」

 

「アインズだけじゃなく、私も監視されていたみたいね。そうだプルトン、虚空で見た碑文の内容を教えておくよ。メモしておいて」

 

 ルカは中空に手を伸ばし、手帳を取り出してプルトンに渡した。プルトンはその内容を逐一書き写していく。そこへ、不思議そうな顏をしたリグリットとツアーが会話に割って入ってきた。

 

「この碑文にお前の名前が出ていると言うのは、つまりどういう事なんだ?」

 

「僕もそこが知りたいね。教えてもらっても構わないかい?」

 

「もちろん。この手帳に今まで見た碑文の内容が全部書いてあるから、少し待ってね」

 

 やがてプルトンも書き写し終わり、2人に碑文の内容が書かれた手帳を見せた。二人はその内容をじっくりと読み込んでいく。

 

「...これはつまり、この今いるダークウェブユグドラシルという世界で、何かの実験が行われているという事なのかい?」

 

「ルカとそれに、この鈴木 悟という名前は誰なんだ?」

 

「詳しく話すと長くなるけど、実験というのは数百年という時代を離れてこのサーバに共存できる技術の事だね。あと鈴木 悟というのは、このアインズの事だよ。さっきアインズからも話のあった通り、現実世界にある元の肉体の名前がこれっていう訳」

 

「...この世界の事は先程聞いて大体分かったが、ここでそれが行われている目的というのが、つまりは碑文に書かれた内容という事か」

 

「そうだね。こうした石碑が今、この世界中のあちこちで突如出現し始めている。私達は各国と同盟を結ぶ傍ら、この石碑に秘められた謎も一緒に追っているのよ」

 

「なるほどな。この石碑に関しては僕たちが首を突っ込める話でもなさそうだし、君達に任せる事とするよ」

 

「結果が分かったら逐一連絡するから、そういった関連の情報が出てきたら教えてもらっても構わないかな?」

 

「それはもちろんだ。その時は真っ先に君達に連絡するよ」

 

「ありがとうツアー」

 

転移門(ゲート)が開いているが、どうするルカ、一応先を確認するか?」

 

「そうだね。転移先を記録するためにも潜っておこう」

 

 そして虚空からの転移門(ゲート)と同じく、その先に新たなモノリス及び敵影も無かった事から、ルカはすぐに戻ってきた。アインズはモノリスに手を触れる。

 

「ではルカ、この転移門(ゲート)を閉じるからな」

 

「うん、お願い」

 

上位封印破壊(グレーターブレイクシール)

 

(パキィン!)という音と共にエノク語で彫られた文字の光が消え、転移門(ゲート)が封鎖された。それを受けてアインズは皆に呼び掛ける。

 

「さて、議事堂へ戻るとしよう。転移門(ゲート)

 

 アインズ及び階層守護者、ルカ達、ツアーにリグリットは元来た場所へと戻った。

 

「それでは此度の会談は終了という事でいいな?」

 

「そうだね。君達も何か動く際は僕達に連絡してくれると助かるよ、アインズ」

 

「承知した。では本日はこれまでとしよう。また会おうツアー、それにリグリット、評議員達。実に有意義な会談であった」

 

 アインズは満足そうにマントを翻すと、議事堂の出口に向かって歩き始めた。ルカも二人に礼を述べる。

 

「それじゃあツアー、リグリット、今日は本当にありがとう。そっちも何か変化があれば伝言(メッセージ)で連絡してね」

 

「了解した、ルカ」

 

「気をつけてな」

 

 そうして波乱含みだったアーグランド評議国との会談は終了した。

 

 

 ───ナザリック地下大墳墓 第9階層 食堂 16:59 PM

 

 

「それでは皆の者、無事会談が終了した事を記念して、そしてルカ達大使3人の働きに対し、乾杯!!」

 

『カンパーイ!!』

 

 アインズの音頭と共に、会談に参加した16人は手にしたグラスを頭上に掲げた。食堂に香り高いエーテル酒(スターゲイザー)の香りが満ち、そして全員がカクテルグラスを仰ぐ。長いテーブル上には様々な酒のツマミが用意され、皆会談の成功を祝った。後ろに控えていたヴァンパイアブライドに2杯目を注がれるシャルティアが、ルカに機嫌よく話しかけてくる。

 

「それにしてもルカ様、あのモノリスに出現したモンスターは強かったでありんすねぇ。あれはヴァンパイアが使うフォーティチュードに似ておりんしたが、あんな厄介なものは初めて目にしんした」

 

「そうだね、あのモンスター自体は万魔殿(パンデモニウム)に出現するんだけど、あんな強固な防御魔法は使ってこなかった。という事は、亜種という事になるのかな」

 

「モノリスから出現したのと何か関係がありそうでありんすね」

 

「うん、この場に居る全員がいたからアムドゥスキアスに対応出来たことが唯一の救いだけど、今後はもっと注意していかないとダメかもね。モノリスもそうだけど、出現するモンスターのプロトコルにもイレギュラー性が増してきてるように思えるし」

 

「いずれにせよ、道を塞ぐ敵は皆殺しでありんすぇ」

 

「心強いよ、シャルティア」

 

 嬉しそうにニヤリと笑うシャルティアのグラスに、ルカは(キン!)と軽くぶつけて再度乾杯した。そしてルカは、獅子奮迅の戦いを見せたルベドの隣に歩み寄る。

 

「ルベド、お疲れさま。相変わらずすごい火力だったね」

 

「...ありがとう。このお酒すごく....美味しい」

 

「竜王国のお酒だよ。今度沢山もらってくるからね」

 

「ルカ....あれは....友人...だったのか?」

 

「友人? 何の事?」

 

「変わった黒い帽子に服を着た....見慣れない男。射程ギリギリの後方から...私達を援護していた。多分だけどあいつ....物凄く強い」

 

 ルベドの真剣な眼差しを受けて、ルカは思い当たる節を質問する。

 

「それってもしかして、髪の長い銀髪の男だった?」

 

「開戦直後....私は後方にいたから...すぐに気づいた。その男で...間違いないと思う」

 

「....そっか、私の知り合いかもしれない。今度あった時にでも聞いてみるから、今はとりあえず飲もう!」

 

 ルカはそう言って話をはぐらかしたが、脳裏に焼き付いた彼の顔を思い、そしてルベドから見ても強いという印象を持った言葉を思い返し、とりとめのない複雑な心境に支配されながら、グラスを仰いだ。

 




■魔法解説


暗闇の復讐(ヴェンジェンスオブザダークネス)

物理攻撃と魔法系攻撃を+50%まで上昇させる魔法。Procにも有効な為、総じて火力を大幅にアップさせる事が出来る


力の祈り(プレーヤーオブマイト)

パーティー全体の腕力(STR)を600上昇させる魔法


活力の祈り(プレーヤーオブバイタリティ)

パーティー全体の体力(CON)を600上昇させる魔法


器用さの祈り(プレーヤーオブデクステリティ)

パーティー全体の器用さ(DEX)を600上昇させる魔法


武器属性付与・神聖(コンセクレートウェポン)

装備している武器に最高位の神聖属性Procを付与する魔法


暗い不屈の精神(ダークフォーティチュード)

敵から受ける物理攻撃ダメージを30分間15%まで下げるヴァンパイアの特殊魔法


虚無の抱擁(エンブレスザヴォイド)

HP、MPを含む魔法やスキルのパワーコストを50%まで下げる魔法


運命の影(シャドウオブドゥーム)

闇耐性を60%上昇させる魔法


殺害者の焦点(スレイヤーズフォーカス)

敵の麻痺に関わる魔法や攻撃を完全に無効化する魔法。60分間有効


影の覆い(クロークオブシャドウズ)

防御力と氷結耐性を大幅に上昇させる魔法


精度の上昇(ライズインプレシジョン)

物理攻撃・魔法攻撃の命中率を150%上昇させる魔法。60分間有効


知性の加護(チャームオブインテリジェンス)

術者のINT (知性)を+500までアップさせる魔法


星幽力場の表示(ビューアストラル)

星幽系魔法に対する回避率を上昇させる魔法


祝福された精神(ブレッスドマインド)

術者の精神力(SPI=MP)を+500まで上げる魔法


庇護の祈り(プレーヤーオブプロテクション)

パーティー全体の防御力を+300上げる魔法


戦神の力(ダンギリエルズマイト)

物理攻撃と魔法系攻撃を+50%まで上昇させる魔法。Procにも有効な為、総じて火力を大幅にアップさせる事が出来る


防止出来ない力(アンストッパブルフォース)

敵がかける移動阻害(スネア)系魔法を完全に無効化する魔法。60分間有効


治癒力の強化(テンドワウンズ)

戦闘中のHP自然回復速度を150%まで引き上げる魔法


弱点の捜索(ファインドウィークネス)

敵単体に対し、刺突・斬撃・打撃耐性を20%まで一気にに引き下げるデバフ属性魔法。これにより通常攻撃時でも大ダメージを与える事が出来る


武器属性付与・毒(アトリビュート・トキシンアームズ)

装備している武器に最高位の毒属性Procを付与する魔法


封殺除去符(ふうさつじょきょふ)

敵に対しヴァンパイア特有の物理・魔法系フォーティチュード及び耐性強化等のバフを一撃で全て剥がしてしまう解呪(ディスペル)・デバフ属性の符術


超位魔法・太陽の破壊者(ソル・ディバステイター)

超密度・超質量を持つ熱核融合体を召喚し、その熱と重量で対象を焼きつぶした後に火炎属性の爆縮を引き起こす。魔法着弾後、その周囲に30秒間強力な炎属性DoTの効果も付与する


超位魔法・灼熱の太陽(ブレイジングサン)

小型の太陽を敵の頭上に作り出し、超高熱で炙り焼きにしたあと敵に落下し、大爆発を引き起こす炎属性の超位魔法


超位魔法・悪都の崩壊(コラプスオブソドム)

敵の頭上から溶岩の雨を降らせ、地面からも超高熱の溶岩が湧き出でて挟み込み、対象者を焼死させる超位魔法


■武技解説


一万の斬撃舞踏(ダンスオブテンサウザンドカッツ)

全方位からの超高速斬撃を浴びせる武技。ちなみに一万の斬撃とあるが、実際は20連撃程度である


血糊の祝宴(カーニバルオブゴア)

ハルバード及びポールアーム系の武器による超高速20連撃と共に、追加効果として3秒間の麻痺を与える武技


鮮血の刃(レッドブレード)

剣による10連撃と共に、1分間に渡り流血属性のDoTダメージを加える武技


破城槌(バータリングラム)

徒手空拳(アンアームドコンバット)専用武技。敵に対しダガーの攻撃速度を遥かに超えた超高速で40連撃を叩き込むと同時に、パワーブロックの追加効果により魔法・武技の使用を10秒間封じる




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第5話 鬼謀

 水の都・エリュエンティウ。大陸南方の広大な砂漠にただ一つ残された緑のオアシス。面積は30平方キロメートルほどを占め、人口は軍属を除いておよそ5万5千人。少ないと思われるかも知れないが、外からの旅行者や冒険者達が絶えず往来し、街を活気づけていると共に庶民一人一人の経済も潤っていた。

 

 街の全周には幅2キロ程の貯水池を兼ねた広大な堀が取り囲んでおり、そこを境に砂漠の熱波と乾燥から街を守るため、上空に浮かぶ城を頂点として、魔力による結界がエリュエンティウ全体をピラミッド状に覆っている。そのおかげで街中には、砂漠の中心とは思えぬほど緑が溢れ、住民たちも快適な気候の中でそれぞれの生活を営んでいた。

 

 そして上空に浮かぶ巨大な空中城からは、絶えず街の中心に大量の水が注ぎこまれ、それを循環させるための上下水道もエリュエンティウ全体に行き渡り完備されていた。それに伴い地面は整地され、計画的に建てられたであろう近代的な建築物が整然と並び、その美しい街並みは水の都と呼ぶに相応しく、エ・ランテルやリ・エスティーゼ王国の城下町とは一線を画す壮麗な街並みだった。街とそれを治める空中都市が一つのシステムとして魔法と融合し、高度に機能する近代的かつ美しい街。それが八欲王の空中都市・エリュエンティウの真の姿だった。

 

「どうアインズ? エリュエンティウ初上陸の感想は」

 

「...何とも壮観だな。話には聞いていたが、想像を遥かに上回る規模の街だ」

 

「街自体は誰でも入れるからね。まあ少し入国審査が厳しいけど、ツアーもいるから問題ないし」

 

「そうだな、改めて礼を言うぞツアーよ。まさか竜王国だけでなく、貴国に連名で書状を書いてもらった上に、同行までしてもらえるとは思ってもみなかったものでな」

 

「何、構わないよアインズ。僕を通した方が単独で行くよりかはスムーズに会えるだろうからね」

 

「昔は敵同士だったのにか?」

 

「...僕達と戦った八欲王は既に滅び、都市を引き継いだ者達は代変わりしている。それに200年前この世界が滅びの危機に瀕した際、形はどうあれ彼らと十三英雄はこの世界の存亡をかけて共闘したんだ。確かにアーグランド評議国とこの国は今でも緊張状態にあるけど、いつまでも大昔の遺恨を引きずる程愚かでもないという訳さ」

 

「具体的にはどう共闘したのだ?」

 

「この街の都市守護者達から、君達の言う神器級(ゴッズ)及び世界級(ワールド)アイテムを借り受けたんだ。八欲王───つまり過去にこの世界へ転移したプレイヤー達が残したユグドラシル製の武器や防具だったからね。そのどれもが桁違いに強力なものばかりだったよ」

 

「成程な。そのアイテムは返却したのか?」

 

「魔神との大戦が終結してから全てこの街に返したよ。僕達が持っていても力を持て余す品だからね。ただその内のいくつかは外部へ流出したという噂もあるけど、確証には至っていない」

 

「ふむ。ツアー達と同様、歴史のある街なのだなここは...」

 

 アインズ・ルカ・ツアーの3人はエリュエンティウの広いメインストリートを歩きながら、白く輝く建造物を前に眩しい視線を街並みに送っていた。通行人を怖がらせないよう、アインズは念のため嫉妬マスクにガントレットを装着していたが、通りには大半の人間に混じり、ちらほらと亜人やヴァンパイアと思しき異形種の姿が散見された。ルカは試しに物体の看破(ディテクトオブジェクト)を使用してみると、肌が褐色に染まった悪魔らしき種族まで見受けられる。アインズもそれに気づいたらしく、横に歩くルカに質問した。

 

「ルカよ、あの背に翼を持ち頭に角を生やした悪魔は何だ? どうやら幻術を使用して人間(ヒューマン)に変身しているようだが....」

 

「彼らはこの世界でも少数種族のネフィリムという魔族よ。非常に高いINT(知性)STR(腕力)が特徴で、その種族特性から優秀な魔法詠唱者(マジックキャスター)や戦士が輩出されているんだ。そして彼らが人間に変身する際に使う幻術、ありふれた幻(マンデイン・アイドロン)は、人間に変身できる代わりに空が飛べなくなり、しかし足跡(トラック)での探知を完全に無効化する事ができるという一長一短な能力なのよ。また彼らは特殊な鉱物資源の扱いにも長けていて、サルファーやルビー・ミスリル・ダイヤモンドといった貴重な鉱物をどこからか掘り出してきては、マジックアイテムの素材として高く売れるこのエリュエンティウで売りさばいて、生計を立てているという訳」

 

「ほう、随分と詳しいな。彼らと何か関りがあるのか?」

 

「この街から東にある、前にガル・ガンチュアへの転移門(ゲート)を捜索した山脈があったでしょ? あの山の麓の一角に彼らの隠れ里があってね。そこを訪れた時に仲良くなって、色々と教えてもらったのよ」

 

「つまりは友好的な種族という事か。人間(ヒューマン)とも仲が良いとは、悪魔にしては珍しいな」

 

「あの山脈にガル・ガンチュア由来のモンスターが出現したという情報も、彼らネフィリムからもたらされたものだったからね。かく言う私も人間じゃないけど、持ちつ持たれつという精神を彼らは持っているのよ」

 

「ふむ。是非とも我がナザリックに欲しい人材ではあるが....今は目の前の事に集中だな。ところでルカ、私達はどこに向かっているのだ?」

 

「この街で一番高級な宿屋よ。会談は明日だから、そこで少し情報収集していこう」

 

「了解した」

 

 そうして街を見物しながら向かった先、周囲よりも一際大きい4階建ての建物にたどり着くと、3人はエリュエンティウ随一の高級宿屋 ”水晶の砂漠亭” の中へと入った。扉を抜けると一階は広い吹き抜けのビヤホールといった様相を呈しており、ズラリと並んだ円卓には冒険者や商人、貴族らしき者や亜人といった様々な顔ぶれが並び、客の喧騒と熱気に包まれていた。その様子を見てルカは顔をほころばせる。

 

「相変わらず盛況だなー。昔とちっとも変わってないや」

 

「ルカお前、以前ここへ来た時は極秘の偵察だったのではないか?」

 

「それは上に浮いてる城の話。下にあるこのエリュエンティウはまた別よ」

 

「そうか。にしても本当に盛況だな。まるで冒険者組合を見ているようだ。どこも満席のようだが....」

 

「カウンターに行こう。会いたい人もいるし」

 

 一階ホールの脇を通り、最奥部にある横並びのバーカウンターへと3人は腰かけた。すると薄暗いカウンターの奥でグラスを磨いていたバーテンがそれに気づき、こちらへと近寄ってくる。

 

 バーテン───そう呼ぶにはあまりにも巨大な仁王像のような男。身長は2メートルを超え、スキンヘッドの顏には雷のようなタトゥーを刻み、真っ白なワイシャツの上から黒いベストを着込んではいるが、その下にある異常に盛り上がった筋肉ではち切れんばかりに服が張り詰めている。その服装とバーカウンターという要素がなければ、どう見ても用心棒にしか見えないような鋭い目つきで3人を見下ろしてきた。

 

「いらっしゃい。ご注文は....」

 

「久しぶり、ファイザル」

 

 そう言うとルカはかぶっていたフードを下げた。するとそのバーテンは手にしたグラスを割れんばかりの勢いで(ダン!)とカウンターに叩きつけた。

 

「.....って、お、おめえは...まさか...」

 

「あたしの顏忘れちゃった?」

 

 ルカはバーテンに笑顔を向けた。するとバーテンの手がワナワナと震え、強面だった顔つきが驚愕の表情へと変わっていく。そして鋭かった目頭には涙が浮かび、突如カウンターを乗り越えてルカの両脇に手を伸ばし、ヒョイと体を軽く持ち上げるとカウンターを通り越して、自分の胸元に力強く抱き寄せた。

 

「嬢ちゃん!!...バッカヤロウお前、この数十年音沙汰も無しに何してやがった!!」

 

「うわっぷ!ちょっ、ファイザル!?」

 

「そうかそうか、生きてやがったか!!こいつはめでてぇ、本当にめでてぇや...」

 

 そのバーテン・ファイザルは、ルカを抱きしめて頬ずりしながら笑顔で涙を流し続けた。その騒ぎを聞いて、円卓に座っていた客たちが一斉にバーカウンターへ目を向ける。

 

「ほらファイザル!みんな見てるからそろそろ降ろして!」

 

「グスッ...ああ悪い悪い、ついな。...っておい何見てやがる!!こいつはウチの常連だ、見せもんじゃねえぞ!!この店で飲みたきゃあっち向いてろバカ共が!!」

 

 ルカを抱えたまま正面の客席に向かってファイザルが怒鳴り散らすと、客たちは渋々顔を背けてそれぞれの話題に散っていった。そしてルカの両脇を支えると、カウンターを通り越してそっと椅子の上にルカを乗せた。ファイザルはポケットのハンカチを取り出すと急いで涙を拭い、思い切り鼻をかむと改めてルカ達3人を見た。

 

「それにしてもよく帰って来やがったな嬢ちゃん。...って、よく見りゃ”白銀”の旦那も一緒じゃねえですかい! これまたえらくご無沙汰ですが、相変わらずお元気で?」

 

「僕の事を覚えてるなんて、すごい記憶力だねマスター。あれから随分経ったというのに」

 

「何言ってんですか、旦那は200年前の英雄ですぜ!覚えてねえほうがおかしいや。それにしても嬢ちゃん、白銀の旦那と嬢ちゃんが連れ立って顔出すなんて、一体こりゃどういうこった?」

 

「あーいや、実は今日はお忍びで来ていてね。この人にエリュエンティウを案内してあげてたのよ。紹介するよアインズ、彼はファイザル・カーン。この水晶の砂漠亭のオーナーで、エリュエンティウNo.1の情報屋だ。私もその昔は随分と世話になった。ファイザル、この人はアインズ・ウール・ゴウン。私達の友人で、私の望みを叶えてくれた恩人でもあるのよ」

 

 一騒動を見ていたアインズは話しに着いていけずにポカンとしていたが、紹介されて慌てて返事を返した。

 

「そっ、そうかそういう繋がりだったのだな! よろしくなファイザル・カーン。私の事は気軽にアインズと呼んでほしい」

 

 するとファイザルは何故か、アインズを見て真剣な表情になった。

 

「....そんな仮面とガントレットなんざ取っちまいなよ。ここじゃそんなもんは要らねえぜ、アンデッドの兄さん」

 

「なっ! ...何故分かった?」

 

「んなもん気配で分かりまさあ。それに後ろを御覧なさい。人間(ヒューマン)、ドワーフ、エルフ、アラコイックス、ハーフジャイアントは元より、ゴブリン、人馬(セントール)、ネフィリム、シェイド、果てはヴァンパイアまでいる。ここは異形種交流都市・エリュエンティウなんですぜ。兄さん一人の姿を見た所で別に珍しくもねえ。幻術を使用したアンデッドなんかそこらにウヨウヨしてまさあ。この街のルールさえ守ってもらえりゃ、どんな種族だろうが受け入れるのがエリュエンティウって場所なんです」

 

「...そうだったのか、分かった。何せ初めてなものでな」

 

 アインズは嫉妬マスクとガントレットを外し、中空に手を伸ばしてアイテムストレージに収め、ファイザルを見上げた。するとファイザルは納得したように大きく頷き、アインズに微笑み返した。

 

「いい面構えだ。兄さん、看破系の魔法は使えるかい?」

 

「ん? ああ、もちろん使えるが」

 

「そいつであっしを見てごらんなさい」

 

 アインズは言われるがまま、物体の看破(ディテクトオブジェクト)を使用してファイザルを見た。するとそこには砂漠のようなカーキ色の肌をした、身長4メートルを超える筋骨隆々の巨人が目の前に立っていたのだ。口からは牙がはみ出し、鬼と呼ぶに相応しい凶悪な形相を持ってアインズを見返していた。そこに立っていたのは、まごう事なき砂の巨人(サンドトロール)の姿だった。

 

「...シェイプシフターの魔法です。これを使える砂の巨人(サンドトロール)は多くはありませんが、あっしが十三英雄である白銀の旦那の事を知っているのも、長寿なトロール族故だとこれで分かってもらえたでしょう。それにその兄さんの名前....ひょっとしてエ・ランテルを首都とするアインズ・ウール・ゴウン魔導国ってのは、兄さんの国なのでは?」

 

「ま、まあそうなのだが、さっきルカも言った通りお忍びで来ているのでな。他言無用に願うぞファイザルよ」

 

「...ルカ嬢ちゃんと兄さんとの間に何があったのかはあっしにも分からねえ。ただ一つ知れる事は、兄さんのおかげで嬢ちゃんは帰りたかった元の世界に帰れたという事くらいです。だから詳しくは聞かねえが、この街にいる時くらいは兄さんも羽伸ばしていいんですぜ。嬢ちゃんの恩人なんだ、ウチも精いっぱいのおもてなしをさせてもらいますんで。それとも王様と呼んだほうがよろしいですかい?」

 

「いやいやファイザルよ、好きなように呼ぶがいい。事情を知っているようだから言わせてもらうが、ルカが現実世界に帰れたのは何も私一人の力ではない。私の部下たちと総力を結集したからこそ成し得た事なのだからな」

 

「なるほど。兄さんはいい仲間に恵まれているってわけですね。まあ野暮ったい話はここら辺にしましょうや!せっかくこんな僻地まで来たんだ、3人共何か飲んでいかれますかい?」

 

「あたしはキンッキンに冷えたエール酒一つね」

 

「そうだな、カリカチュアかスターゲイザーは置いてあるか?」

 

「エーテル酒は一通り揃えてますぜ、どちらになさいます?」

 

「ではスターゲイザーをいただこう」

 

「白銀の旦那は何にしましょう?」

 

「僕はこの姿じゃ飲み食い出来ないんでね。遠慮しておくよ」

 

「かしこまりました。今お持ちしますんで少々お待ちを」

 

 ファイザルはワイングラスを取り出し、その中に冷えた水を注いでツアーの前に置いた。次に泡立てないようサーバから丁寧にエール酒をジョッキに注ぐ。そしてアインズの目の前にカクテルグラスを置くと、背後の木製ラックからボトルを取り出し、その外見に似合わず繊細な動きで静かにエーテル酒を注いでいく。

 

(シュワー)と気化したスターゲイザーが周囲に心地よい香りを放ち、カクテルグラスから溢れんばかりに注がれたスターゲイザーと共に、音もなくルカの前にエール酒のジョッキを並べた。何とも高級感のある、熟練されたバーテン然とした動きと仕草だった。

 

「ありがとうファイザル。ごめんねツアー、私達だけ飲んじゃって」

 

「気にしないでいいよ。僕は気分だけでも味合わせてもらうから」

 

そう言うと3人はグラスを手に取り、前に掲げた。

 

「OK。それじゃファイザルとの久々の再会に!」

 

「エリュエンティウへの初上陸に!」

 

「僕とアインズ、初の共同作戦に!」

 

『乾杯!』

 

(キン!)と三人はグラスを中央でぶつけ、酒を仰いだ。

 

「かー!外は暑かったから、染み渡るようだね!」

 

「うむ、エリュエンティウまで来てスターゲイザーが飲めるというのは、何とも幸せなものだな。近々ドラウにも礼のついでにこれを返しに行かねばな」

 

 アインズは首にかけられた白銀に輝くネックレスを手に取った。それを見てツアーは興味深げに覗き込む。

 

「それは竜王の守護(プロテクションオブドラゴンロード)かい? 竜王国の秘宝と言われるその神器級(ゴッズ)アイテムを貰い受けるとは、アインズは余程ドラウディロン女王に信頼されているようだね」

 

「彼女の身の安全を考えて、一度は断ったんだがな。どうしてもと譲らなかったので、仕方なく借り受ける事にしたのだよ」

 

「フフ、きっと彼女は僕とアインズが決裂し、戦闘になる事を心配していたんじゃないかな。万が一そうなっていたとしても、君自身の強大な力と合わせてそんなものを装備されていたんじゃ、端から僕に勝ち目などなかったさ。同じ竜王の血族なのに僕ではなくアインズを選んだというのも、君がそれだけの事をあの国で成し遂げたからなんだろうと思う」

 

(ふむ)と相槌を打ち、アインズはグラスを置いて左に座るツアーを見た。

 

「だがツアーよ。お前達は竜王の血を引く人間であるドラウディロン女王の事を、異端視していたのではないのか? 少なくとも女王はそう思っている。それに同じ血族というのなら、何故竜王国の危機に際し助けずに放置を続けていたのだ?」

 

 一拍間を置き、ツアーはカウンターの奥を見据えながら返答した。

 

「それが人間との間に子を作った、七彩の竜王(ブライトネスドラゴンロード)の意思だったからだ。僕たちの国と異なり、彼は人間との融和の道を選んだ。建国当初、僕達竜王はその力になろうと彼に申し出たんだ。しかし彼はその全てを断り、人間という種族の強さを頑なに信じ、僕達に説いてみせた。

 

この国が滅ぶ時、人もまた滅びるだろうってね。今思い返せば、きっと僕達竜王に人間(ヒューマン)の可能性を見せたかったんじゃないかと思う。

 

僕達は何もあの国を無視していたわけじゃなく、七彩の竜王(ブライトネスドラゴンロード)の意思に従い見守っていたに過ぎない。そして王家の代は変わり、隣国にあるビーストマンの侵攻が激しさを増していった。

 

僕は竜の感覚(ドラゴンセンス)を用いて、その様子をずっと注視していたんだ。そして竜王の血を引くドラウディロンに命の危機が及んだその時は、僕自らが出向いてビーストマンの国家そのものを滅ぼすつもりでいた。

 

しかしそこへ君達魔導国が現れ、あの国に救いの手を差し伸べた。ドラウディロンの命を守ったどころか、そのどちらも滅ぼさずビーストマン共を転移させ、平和的解決に導いた。君達が竜王の血を守ってくれた事には、本当に感謝しているよ」

 

 それを聞いて、アインズは深い溜め息をつき頷いた。

 

「それを聞いたら、ドラウディロン女王もさぞ安心するであろうな。私も竜王国の再建には力を貸しているが、可能であれば貴国も竜王国と手を取り合い、共に繁栄への礎を築いてくれるとうれしいのだがな」

 

「安心してくれアインズ、既に我が国から書状を携えた使いの者を送ってある。君がこうして動いている今、いつまでも過去に縛られている訳にもいかないからね。僕も力を貸すよ」

 

「よろしく頼むぞツアーよ。ところでルカ、ここへ来た件だが....」

 

 アインズは右に座り話を聞いていたルカを見た。2人を見て何故か嬉しそうに微笑んでいる。その様子を見てアインズは首を傾げた。

 

「ん? どうした、私達の顏に何かついているか?」

 

「ううんそうじゃなくて、2人を会わせられて良かったなと思ってさ。OK、じゃあ始めようか。ファイザル、ここ最近エリュエンティウの情勢に何か変化はあった?」

 

「そうだな、上も下も別段これといった大きな動きはねえ。...誰かさんが35年前、上の城へ侵入し宝物庫を荒らして以来、城の守りが固くなったって事以外はな」

 

「へへ、それは言いっこなしだよファイザル。どんな小さな事でもいい、明日上へ行く事に備えて情報を更新しておきたいんだ。教えてもらえない?」

 

「んー強いて言うなら一ヵ月ほど前、この街の軍が招集されて上が慌ただしかった事があったな。何でも街から北西の外れに行ったエイヴァーシャー大森林手前の山岳地帯へ、調査名目で遠征に向かったらしいが、詳細は何も分からずじまいだ。だが噂によると、奴さん達相当ヤバい何かを見つけたらしい。その証拠に、都市守護者30人のうち5人が同行していたそうだからな」

 

「都市守護者って、この街の管理者達だよね? 彼らが直々に出向くとなると、この街に危険を及ぼす何かが見つかったのか、あるいは未発見の遺跡でも発掘されたのか...」

 

「さあな。ただこの件に関しては情報統制が強固に敷かれていて俺にも詳しくは伝わってこねえんだ。お前さん達、明日上の城に行くんだろう? なら直接聞いてみるといいさ」

 

「わかった。上に関して他には?」

 

「お前達に伝える事は別段これくらいのもんだな。この街は嬢ちゃんが思っている以上に守りが固いって事だよ」

 

「なるほど、心しておくよ。ありがとうファイザル」

 

「いいってことよ。それよりお三方、今晩の宿はお決まりですかい? 良ければ二部屋空いてやすが」

 

「3人泊まれるの?」

 

「ああ。片方が一人部屋だが、もう片方はツインだからな。どっちも広くていい部屋だぜ」

 

「うーん」とルカは一瞬迷ったが、並んで座る2人の顔色を見て返事を返した。

 

「今からエ・ランテルに帰るのも何だし、せっかくだから泊っていこうかアインズ? ツアーもアーグランドへ戻るには遠いし、そっちのほうがよくない?」

 

「僕はそれで構わないよ」

 

「んー、んん? し、しかし部屋割りはどうするのだルカよ?」

 

「何言ってるの、あたしとアインズが同じ部屋に泊ればいいでしょ? 一応護衛も兼ねてるんだから」

 

「ま、まあそれはそうなのだが」

 

「ツアーは一人部屋だけど、それでいい? ちゃんとあたしが周囲を警戒しておくから、何かあればすぐに飛び込むし」

 

「もちろんだよルカ。僕もこの体だからね、一人部屋のほうが何かと気楽だし、その方が逆に助かるかな」

 

「決まりだね。じゃあ部屋の手配お願いしていい?」

 

「承知しましたお客様。嬢ちゃん達の部屋は3階の角部屋、305号室だ。白銀の旦那はその隣の304号室をお使いください」

 

 そう言うとファイザルはカウンターの上に2本の鍵を並べた。ルカ達3人はそれを受け取り、バーカウンター左にある階段を上って3階に着くと、304号室の扉を開けて部屋を見渡し、魔法を詠唱した。

 

危機感知(デンジャーセンス)

 

 探査系統のトラップを警戒しての事だったが、ルカの目には何も映らず杞憂に終わった。

 

「OKツアー、何かあれば伝言(メッセージ)で連絡ちょうだいね」

 

「ああ、ありがとうルカ。君も何かあれば連絡してくれ」

 

「うん、それじゃ後でね。行こうアインズ」

 

 ルカとアインズは305号室に入り、同じく危機感知(デンジャーセンス)を唱えて異常がない事を確認すると、ルカは扉を閉めて広いベッドの上にダイブした。

 

「どーーーーん! んーフカフカ、いい部屋だねアインズ!」

 

 はしゃぐルカを見てアインズは苦笑しつつ、二十五畳ほどある部屋の最奥部にある窓まで歩き、階下を覗いた。

 

「フフ、そうだな。大通りに面していて外の眺めもいいし、部屋もきれいで広い。さすがはエリュエンティウ一の宿屋というところか」

 

「昔はミキとライルを連れて、この宿によくお世話になっていたのよ」

 

「成程な。ここを起点に情報収集し、頃合いを見計らって空中都市に侵入した...と、そんなところか?」

 

「そうだね。だから城内部の構造は大体把握してるんだ。さっきファイザルはああ言ってたけど、警戒網には引っ掛からずに誰とも交戦したりはしてないから、まあ私が行っても大丈夫だとは思うけどね」

 

「そうか。透明化(スニーク)して後方警戒に当たっていたミキとライル、イグニスはどうした?」

 

 アインズはルカの隣のベッドに腰を下ろし、向かい合った。

 

「ここから150メートルほど離れた別の宿屋に泊まる手筈になってるよ。ユーゴとも明日の朝に合流する予定。ナザリックからは階層守護者全員とルベドも来るんだよね?」

 

「ああ。ツアーがいるとは言え、何が起こるか予測がつかんからな。念には念を入れて事に当たろうと思っている。ところで明日の合流地点なのだが、本当にエリュエンティウの北正門で良いのか? ツアーの話だと空中都市から使いの者が迎えに来るらしいが...」

 

「それについては心配しないで。私が過去に侵入した経路から行こう」

 

「フッ、面白そうだな。ではそちらはお前に任せる」

 

「うん。時間は...16時か。まだ早いし、少し休んだらこの街の武器屋でも覗いてみる?」

 

「そうだな、行ってみるか。お前も腹が減っただろう、俺は飲むだけだが帰りに食事でもしていこうか」

 

「いいね!それなら美味しい店を知ってるから、帰りに寄っていこう」

 

 ルカはベッドから立ち上がるとフードを下げ、向かいに座るアインズの足に跨り、体重をかけてベッドに押し倒した。

 

「お、おいおいルカ、何を...」

 

「んふふー、こっちに来てからずっとこうしたくて我慢してたんだから、ご褒美ちょうだい?」

 

 ルカは満面の笑みで馬乗りになり、アインズに体を密着させて抱き着いた。フローラルな香りがアインズの鼻孔を満たす。そしてアインズの上から体をどかし、横に添い寝してアインズのローブに足を絡めた。完全に惚けて固まってしまったアインズを見て、その腕枕に頭を乗せるルカは優しい笑みを送る。

 

「...何かこうしてると、旅行にでも来た気分になるね」

 

 それを聞いてようやく我に帰ったアインズはルカの方に首を向けた。

 

「ル、ルカ...お前はこのようなアンデッドの体でもその、関係ない...のだな」

 

「当たり前でしょ、アインズはアインズよ。...でももちろん、現実世界の君とこうしていたいっていうのはあるけどね」

 

「...その、何というかだな。俺は女性とこうなるのは初めてなんだ...わ、わかるか?」

 

「わ、私だって、女になってからこうなるのは初めて...だよ?」

 

「そっ、そうか? その割には随分と積極的に見えるが....で、ではお互い初めて同士という事でその、いいのだな?」

 

「うん、その...今更かもしれないけど、迷惑じゃない?」

 

「バカを言うな。嫌いな相手にこんなことされたら、最大レベルの即死魔法を放っているところだ」

 

「フフ、君らしいね。...ありがと」

 

 ルカの頬に涙が伝うのを見て、アインズは自分からルカを抱き寄せた。2人は目を閉じ、横になったまましばしの時間が過ぎる。

 

「アインズ...眠くなってきちゃった。こんなにしてたら店行けなくなっちゃうね。 私は別にこのままでも構わないけど...」

 

「そっ、そうだな!すまんすまん起きるか」

 

 アインズは咄嗟にベッドから飛び起き、ローブの裾を叩いて服を正した。ルカもゆっくりと起き上がり、頬を赤らめてベッドから立ち上がるとアインズの腕に体を寄せた。

 

「で、では武器屋に向かうか!」

 

「そんなに緊張しないでアインズ、あたしまで緊張してきちゃう...」

 

「フー、そうだな。外の風に当たって少し頭を冷やそう」

 

「外じゃこんなことできないからね。アルベドにでも見られたら私が殺されちゃうよ」

 

「ハッハッハ、確かにな! では行こうか、ルカ」

 

 2人は扉の外へと出た。ツアーに一言告げて水晶の砂漠亭を離れ、武器・防具屋やアクセサリーショップを回った。そこで鑑定をしながら2人で品定めをしつつ、楽しいひと時を過ごした。そしてエリュエンティウでも屈指の高級レストラン・ファブリツィオに着くころには、日もとっぷりと暮れていた。アインズとルカは窓際のテラス席へと案内され、大通りに並ぶ永続光(コンティニュアルライト)の街灯を眺めながらエーテル酒で乾杯した。

 

「はー、美味しい。昼間は暑いのに、夜は少し肌寒いくらいだね」

 

「ああ、寒暖差が激しいのも砂漠特有の気候だろう」

 

「それにしても随分特化したというか、偏ったマジックアイテムが多くて面白かったよ」

 

「とは言え、店売りではあの程度が限界なのだろうな。ガル・ガンチュア産のアイテムに比べると見劣りしてしまうのは仕方のないところだろう。特に買うまでもないものばかりだったが、このエリュエンティウの特産品とも呼べるのは、ここらじゃあまり見ない刀系の武器だというのが分かっただけでも、一つ勉強になったよ」

 

「それ以外には、忍者系の装備も充実してたよね。きっと昔からそうした技術が伝わってきた結果なんじゃないかな。八欲王のギルドメンバーにそういった職業のプレイヤーがいたとかね」

 

「確かにな。交易品としてそうした特殊な武器やアクセサリー・伝統工芸品を我が魔導国で取り扱うのも、街の価値を上げるのに一役買うかも知れないな」

 

「エ・ランテルは大陸の中心だし、世界中から物が集まってくる都市というのを各国に周知できれば、上手く回っていくかもね。そう言えば、占領したビーストマンの国家はその後どうなってるの?」

 

「デミウルゴスに一任してあるが、開発は順調に進んでいる。デスナイトと石の動像(ストーンゴーレム)、それにエ・ランテルから建築技師や労働者達を派遣して、急ピッチで新たな都市を建設中だ。完成した暁には、魔導国と隣国の竜王国からも移民を募る事になるだろう。人口も増えてきた事だしな」

 

「いいね。要衝の領地を順当にゲット出来てるみたいだし、明日の会談がうまく行けば見えてくるんじゃない?」

 

「見えてくる?何の事だ?」

 

「何って、だから世界制覇。したいんでしょ?デミウルゴスから聞いたよ」

 

「いっ、いやあれはだな!そもそも冗談で言った俺の一言をデミウルゴスやアルベドが拡大解釈してだな....」

 

「へ?アインズの一存じゃなかったの?」

 

「まあ、今となっては目的の一つとなってはいるが...そもそも最初は本気ではなかったという事だ」

 

「それでここまで来ちゃったって、すごいねアインズ...フフ」

 

「...全くだ。ナザリックの皆には内心頭が下がりっぱなしだ。世界制覇がナザリックのモチベーションとなっている以上、俺がそれを崩す訳にもいかないしな。...っと、こんな話を周囲に聞かれてはまずいか」

 

「大丈夫だよ。ここに来てすぐに力場の無効化(リアクティブフィールド)を唱えたから。探知系統の魔法も、私達の声も外部から完全に遮断されてるし」

 

「お前が一緒に居てくれて心強いぞ、ルカよ。改めて、よくぞ大使を引き受けてくれた。ありがとう」

 

 アインズはカクテルグラスをテーブルの中心に掲げた。

 

「どういたしまして。こうなったら、行く所まで徹底的に行ってみよう。付き合うよ、アインズ」

 

 ルカも笑顔でグラスを手に取り、アインズのグラスに軽くぶつけて乾杯した。横に置かれたカリカチュアのボトルをアインズのグラスに注いでいるところへ、ウェイターが銀色のトレイに乗せられた料理を運んできた。

 

「お待たせいたしました。砂蠕虫(サンドワーム)のステーキにミートソースパスタ、付け合わせのガーリックパンにサラダでございます」

 

「来た来た、うまそー!」

 

 喜ぶルカを他所にアインズはそれを聞いてギョッとし、ウェイターに質問した。

 

「さ、砂蠕虫(サンドワーム)?!そんなもの、本当に美味いのか?」

 

「もちろんでございますお客様。ご存じかと思いますが、砂蠕虫(サンドワーム)はエリュエンティウでも1、2を争う高級食材にございます。その栄養価は大変高い事で知られており、脂身の少ない肉に反してほぐれるように柔らかく、とろけるような味わいが特徴です。それを熟成させ、当店自慢のソースで焼き上げた一品にございます。この国の名物はパスタやピザといった粉物ですので、それと合わせてお客様はよく存じていらっしゃる。どうぞごゆっくりとご賞味くださいませ」

 

「そうか。確かに香りは美味そうだが...理解した。説明してくれて感謝する」

 

 ウェイターが一礼して下がると、ルカは早速ステーキにナイフを通して一口頬張った。

 

「んんーおいしー!この独特の風味がたまらないのよね。どちらかと言えば、食感は肉というよりもハムに近いかな?スパムみたいな」

 

「不思議なものだな。現実世界では少なからず腹が減るが、このダークウェブユグドラシルでは全く空腹感を覚えない。お前の食いっぷりを見ていると、俺まで腹が満たされるぞ」

 

「アインズの体は種族特性に合わせて、バイオロイド保存カプセルの中で調整されているからね。現実世界に戻れた今となっては、私も本当は飲まず食わずでいられるんだけど、その機能は敢えてオフにしてるのよ。一種の嗜好品みたいなものかな」

 

 そう言うとルカはフォークでパスタを巻き取り、パクッと口の中に放り込んだ。

 

「向こうに帰ったら、俺も今度は肉料理でも食べてみるか」

 

「それなら私が作ってあげるよ。こう見えても料理にはうるさいのよ?」

 

「ほう、お前の手料理か。それは非常に楽しみだな」

 

「任せて、とびきりの肉料理を出してあげるから」

 

 そうしてルカとアインズは食事を済ませ、2人で幅50メートル程ある帰り道の大通りを歩いていた。時刻は夜21:00を回っており人通りもまばらだったが、煌々と街灯が道を照らしており、警備兵らしき者も巡回しているおかげで街の治安は万全に保たれていた。

 

 神器級(ゴッズ)アイテムで身を固めており、嫉妬マスクもしていないアインズとすれ違っても平然としている警備兵達の様子を見て、入国管理が末端の兵にまで行き届いている事を知ったアインズは感心しきりだった。その事をルカと語りながら通りの中央を歩いていたが、ふと道端の左端にぽつんと、オレンジ色に淡く輝く光を見つけた。

 

「あれは?...もしかして」

 

 それに気づいた2人が光に向かって近づいていくと、永続光(コンティニュアルライト)の仕込まれた立体和紙の輝きだと分かった。そして真っ白なテーブルの後ろに椅子を置き、その上にまんじりともせず座りながら目を閉じる、中国風の竜袍(ロンパオ)を纏った怪しい恰好の男を確認した。

 

 男───ルカは面識がある故にすぐ判別できたが、緩やかな風に銀色の長髪がなびき、立体和紙と街灯に照らされるその線の細い姿は、黙っていれば女性と見まごう程の、色気さえ漂わせる美しい顔立ちだった。ルカとアインズがテーブルの前に立つと、その口元には微笑が浮かび、ゆっくりとその切れ長の目を開けた。ルカは腰を屈めてその顔を覗き込む。

 

「こんばんは、ノア。まさかこんな僻地で会うとはね」

 

「...こんばんはお嬢さん。このエリュエンティウまで来ていたとは、奇遇ですね」

 

 ノアトゥンは手にしたカードの束から一枚を引き、テーブルの中央に置いた。そのカード名は、(THE SUN)。続いてその直上に2枚目のカード(THE CHARIOT)が置かれる。

 

「ほんとだね。それよりも、この間はありがとう。助太刀してくれたでしょ?」

 

「いいえお嬢さん、たまたま通りがかっただけですよ。お気になさらず」

 

「通りがかったって、あんな山奥まで?」

 

「...フフ。それよりもお嬢さん、こちらのアンデッドの御仁は?」

 

「ああ、紹介するよ。彼はアインズ・ウール・ゴウン、私の友人であり恩人よ。アインズ、この人が前にカルネ村で会った易者さんの、ノアトゥン・レズナーね」

 

 そう紹介されたノアトゥンは、アインズの姿を上から下までまじまじと眺めると、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 

「ほう、あなたがルカお嬢さんを守っている鬼人力....実に強大な力をお持ちの様子。これは大変失礼をしました、私の事はノアとお呼びくださいゴウン殿」

 

「...そういうあなたもな、ノアトゥン・レズナー。アーグランド評議国では色々と世話になったそうだな、礼を言わせてもらう」

 

「それには及びませんよ、私もあの地に用があっただけですからね。それより2人共、ここにはどういった用向きで?」

 

 そう言いながらノアトゥンは再度席に着き、3枚目のカードをテーブルに置いた。カード名は(WHEEL OF FORTUNE)。続けて4枚目のカード、(THE TOWER)を引く。アインズはその置かれたカードに目をやりながら、返事を返した。

 

「いや何、今日はお忍びで来ているのだよ。明日には空に浮かぶあの城に行く予定だ」

 

「そうでしたか、空中都市に。お嬢さんも一緒に行かれるのですか?」

 

「うん。私は彼の護衛も兼ねてるからね」

 

(THE SUN)を中心に五芒星の形に並べられた最後のカードを、ノアトゥンはテーブルに置いた。そのカード名は、(JUDGEMENT)。

 

「ふむ...私としてはあまりお勧めは出来ませんが、行かれると言うのなら仕方がない。十分に気を付けていってらっしゃい」

 

「お気遣いなく。...行くぞルカ」

 

「え? う、うん分かった。じゃあまたねノア」

 

「ええ、お2人共またお会いしましょう」

 

 アインズはルカの腕を強引に引っ張り、その場を後にした。大通りを早足で宿屋に向かって戻りながら、ルカの手を握って引っ張るアインズに質問した。

 

「ちょっとアインズ?急にどうしたの?」

 

「いいから、まずは宿屋にもどろう」

 

「わかったよ、わかったからそんなに急いで戻らないでもいいでしょ?」

 

「あ、ああ済まない。そうだな、悪かった」

 

「もう...」

 

 ようやく歩調を緩めてくれたアインズの左腕に、ルカは右腕を絡めて寄り掛かった。アインズの様子を察し、2人はそのまま一言も交わさず宿屋の自室へと戻った。

 

「はー、美味しかった。ちょっと飲み足りないけど、明日もあるし控えないとね」

 

 ルカはマントとベルトパックを外し、ベッド脇にあるハンガーに引っ掛けた。アインズは自分のベッドに腰を下ろし、一つ大きく溜め息をつく。

 

「そうだな。正直俺もまだ飲みたい気分だが、明日が終わってからにするか」

 

「2人で泥酔して上の城に行くってのも笑えるけどね」

 

「それはさすがにまずいな。今日は早めに休むとしようか」

 

「じゃあ私お風呂の用意してくるから、ちょっと待っててね」

 

「ああ、分かった」

 

 ルカがレザージャケットを脱ぐのを脇で見ながら、アインズはドッと自分のベッドに横になった。柔らかな布団の感触に包まれ、アンデッドなのにも関わらず睡魔に襲われる自分を不思議に思いながら、アインズは目を閉じた。足元ではトタトタと小走りするルカの足音が聞こえてくるが、それも徐々に遠くなっていく。と、そこへ....

 

「アインズほら!寝る前にお風呂入るからまだ寝ちゃだめよ」

 

「...んん?いや、風呂は昨日入ったから今日は浴びなくても....」

 

「だーめ、王様なんだから完璧にしていかないと。ほら起きて!」

 

「わ、分かった分かった。今起き....」

 

 アインズが目を開けると、そこにはバスタオル一枚を体に巻いたルカが腰に手を当てて、ベッド脇に立っていた。

 

「ちょっ...何だその恰好は?!」

 

「その骨の体だと洗いにくいでしょ?私が洗ってあげるから」

 

「いやいやいや!それなら自分で洗うし!」

 

「それじゃ隅々まで洗えないでしょ?スライム風呂じゃないんだし、ほら行くよ!」

 

「ええぇぇええ?!」

 

 腕を引っ張られて強引に起こされたアインズは、そのままバスルームの脱衣所に連れていかれた。言われるがままに装備を解除し、腰に巻いたタオル一枚の姿となったアインズを広いバスルームに連れていくと、備え付けのバスチェアに座らせてお湯を二度、三度と体にかける。

 

「な、何故こうなった...」

 

「酒臭い体で会談する訳にはいかないでしょ?特にエーテル酒は直に吸収されて香りが強い分、相手にバレやすいんだから。こんな時のために竜王国産の石鹸持って来といて良かったよ」

 

「いやそうじゃなく!...って、はぁ。もういい分かった、好きにしてくれ...」

 

「うん、諦めがよろしい。こっち向いて、前から洗うから」

 

 用意した長タオルをお湯に浸し、そこに石鹸をこすり付けて泡立てると、まずは顎を上げさせて細かい頸椎から丹念に洗っていく。次にタオルを鎖骨に巻き付けて接合部も磨き上げ、それも終わると手の届かない肋骨の隙間にタオルを滑り込ませ、一本一本裏側から丁寧に洗い上げていった。

 

 アインズの予想に反し、その人体を知り尽くしたかのような繊細かつ流れるような作業に、開いた口が塞がらずただただ見惚れていた。時折手を止めては真顔で骨の状態を確認するルカを見て、アインズは落ち着きを取り戻していく。

 

「...すごいなルカ。まるで職人のようだぞ」

 

「ん? それはそうよ、私開発者だもん。こうやってバイオロイドの骨格一つ一つをメンテナンスしてたからね。基本的に人体の骨と構成は変わりないから、ゼロから骨格を組み上げたり、修理のためにバラしたりするのもオートメーションではなく、今でもほとんど手作業なの。内臓系も関わってくるし、何より生まれてくる子達の為にも手は一切抜けないからね。よし、胸椎・腰椎・骨盤も完了!後ろ向いて、肩甲骨洗うから」

 

 アインズは言われるがまま、泡立った骨盤をバスチェアの上で滑らせてクルンと後ろを向き、言葉を継いだ。

 

「成程な。バイオロイドの開発者になるという事は、人体のプロフェッショナルになる事と同義なわけだ。お前があの尋常でない威力の回復魔法に長けているのも、そこら辺が理由なのか?」

 

「フフ、どうなんだろうね。でも確かに最初いろいろ試してみて、一番自分に合うと思ったのが攻守揃った神聖職だったし、関係なくもないかなー」

 

 鎖骨の隙間からタオルを通し、肩甲骨の裏側をゴシゴシと洗いながらルカは返答した。

 

「そう言えば、ツアーはどうしているのだろうな。伝言(メッセージ)は来ていないのか?」

 

「来てないよ。隣の部屋の一点から動いてないから、多分ベッドで横になってるね」

 

「そこまで分かるのか? お前の使う足跡(トラック)は本当に便利だな。俺にも使えるようになればいいのだが...」

 

「んーそれは無理かな。アインズのようなメイジ職が足跡(トラック)を使えるようになったら、それこそ無敵になっちゃうからね。ローグ職の特権だよ、足跡(トラック)は。そう言えばアインズは、ルーンストーン何食べた?」

 

「ルーンストーン? 何だそれは?」

 

「えっ? ルーンストーン知らない?」

 

「そんなもの、ユグドラシルで見た事も聞いた事もないぞ」

 

「そ、そうだったんだ、ごめんね言うのが遅くなって。ルーンストーンっていうのは、スキルポイントの消費無しにサブクラスを取得できる小さな石の事だよ。一つのキャラにつき最大5つまで取得できて、その石を飲み込む事で有効になるの。その代わり、一度取得したサブクラスは基本的に削除する事はできないから、食べる際は慎重に選ばなければならない。

 

ただどうしてもという場合に備えて、削除できる薬品があるにはあるんだけど、その液体を飲むと代償として10レベルを失う事になるから、事前にキャラメイクのプランをきっちり立ててからでないと、事によっては大失敗する事もあるから注意しないといけないのよ」

 

 肩甲骨を洗い終わり、ルカはアインズの右手を持ち上げて上腕骨にタオルを巻きつけた。

 

「という事は、ユグドラシルβ(ベータ)でのみ適用されているパラメータという事か。今までごっちゃになっていたが、つまりそれは職業(クラス)レベルとは別扱いのものと考えていいのだな?」

 

「そう。例えば私の取得しているサブクラス・司令官(コマンダー)は、職業レベルとしての司令官(コマンダー)・つまり本職には遠く及ばない。一例として、集結する軍隊(ラリートループス)という魔法は経験値取得率を上げる効果があるけど、本職ならば経験値が4倍手に入るところが、ルーンストーンで得たサブクラスではその半分以下の1.8倍までしか取得できない。このルーンストーン自体が超希少と言うのもあるし、中途半端な効果ではあるけど、使い方によってはメインクラスの弱点を補う事ができるし、何よりスキルポイントの消費がないというのが大きいんだよね」

 

「職業レベルの中でもサブクラスと考えられていた職業が、分化して孤立したパラメータになったという事か。その中には当然、戦闘向きのルーンストーンもあるという訳だな。それは何種類ある?」

 

「全部で45種類あるよ」

 

「その中に例えば俺がルーンストーンを食べるとしたら、何か有用なものはあるか?」

 

「そうだね....アンデッドのメイジ職なら、白布の死神(シュラウドボーン)っていうルーンストーンがお勧めかな。取得可能な魔法は、アンデッドにも関わらず負属性のHoT(Heal over Time=持続回復魔法)が使える事と、氷結+MPダメージDoT、氷結耐性デバフ、氷結耐性解呪(ディスペル)っていう偏ったラインナップだけど、全ての魔法は当然INT(知性)依存だから、ツボにはまれば敵に何もさせずに殺し切る事ができる優秀なルーンストーンだよ」

 

 右腕を洗い終わり、左腕を持ち上げられたアインズはキャラメイクのプランを連想し、ゴクリと喉を鳴らした。

 

「つ、つまりそれは、生命力持続回復(リジェネート)との重ね掛けが可能という事か?」

 

「当然そうなるね。生命力持続回復(リジェネート)はHPリカバリー属性、白布の死神(シュラウドボーン)のHoT・忘却の愛撫(オブリピオンズ・カレス)はヒール属性だから、HPが最低の状態でも約10秒あれば全快すると思うよ」

 

「....Lv150まで達したと言うのに、まだ強くなれる可能性があるという事か。ルカ、そのルーンストーンは持っているのか?」

 

「心配しないでも、私のギルド・ブリッツクリーグから預かったものを含めて全種類持ってるよ。希少種もあるから、数に限りはあるけどね」

 

「そいつはすごい。明日の会談が無事終わったら、その種類について詳しく聞かせてくれないか? その上でもしお前がそれを提供してくれるなら、育成方針について会議の場を設けたい」

 

 ルカは洗い終えた左腕をそっと降ろし、アインズの背中に抱き着いた。

 

「フフーン、楽しみになってきたんでしょ?」

 

「それはまあ、な。キャラ育成に悩む日がまた来るなんて、思っても見なかったからな。お前だってそういう日があっただろう? DMMO-RPGに限らず、ゲームで一番楽しいのはその悩んでいる時間と言っても過言じゃない」

 

「そうだね、OK。いいよ全部あげる。私自身も、ミキもライルもキャラは完成してるからね。プルトンにも賞金稼ぎ(バウンティハンター)っていう貴重な石を一つあげたけど、もう私達には無用の長物だし。アインズ達で有効に使って。足洗うから、またこっち向いてくれる?」

 

 ルカが体を離すと、アインズは再びクルンと椅子の上を滑り、正面を向いた。そして大腿骨・膝蓋骨・脛骨・腓骨と両足を洗い終えて、バスタブからお湯を汲みアインズの体を数度流していく。それも終わると、アイテムストレージからシャンプーの瓶を取り出し、手で泡立てて頭蓋骨を指でマッサージするように洗っていった。後頭部・側頭部・前頭部と隅々まで洗い終わり、頭からゆっくりとお湯を数度流されたアインズの全身はピカピカと輝き、真っ白な姿になっていた。ルカはそれを見て満足そうに笑顔を向ける。

 

「へへー、よし完了!」

 

「いやー、さっぱりした!ありがとうルカ。俺は先に上がってるから、あとはお前が──」

 

 アインズが立ち上がろうとしたが、ルカが手を引っ張りそれを止めた。

 

「こーら、まだだよ。最後に歯を磨いて、バスタブに浸かる!軽く流しただけだから、骨の内側に泡が残ってるからね。それもちゃんと流さないと」

 

 そう言うとルカは中空に手を伸ばし、シャンプーと石鹸を収めて歯磨き粉と歯ブラシを取り出した。ラミネートチューブの中身を歯ブラシに塗ると、シャカシャカとアインズの前歯を小刻みに磨きだした。

 

「おいおいルカ、歯くらい自分で磨くから!」

 

「自分では磨けてると思っても、客観的に見れば磨けてない箇所はあるのよ? ここまでやったんだから、最後まで私に任せる!はい口空けて。あーん」

 

「わ、分かった分かった...」

 

 奥歯の歯間と歯間の間にブラシを滑らせ、時間をかけて丁寧に磨いていく。他人に歯を磨かれるという感触にこそばゆさを感じていたが、アインズは見事それに耐え切り、ルカの取り出したコップで口をゆすいでようやく全身の洗浄が完了した。

 

「はぁ、はぁ...こ、これでいいか?」

 

「はい、お疲れ様!先に湯舟に浸かってて、その間に私も体洗うから。汗かいちゃった」

 

「ふー、分かった。...んん?先に?」

 

 アインズがバスタブに浸かると、ルカは体に巻いていたバスタオルをはらりと取り去った。そしてタオルを畳んでバスタブの淵に引っ掛けると、たらいでお湯を汲み数度体に流した。

 

「ちょ!!待て待て待てルカ?!」

 

「え、何?」

 

「いや、だからその....全部見えちゃってる件について...」

 

「ここまでして、今更恥ずかしがる事もないでしょ? すぐに洗うから、お湯に浸かって待ってて」

 

 アインズは空いた口が塞がらなかったが、ルカの落ち着き払った様子を見て見栄を張り、冷静さを取り戻そうと必死だった。その完璧とも呼べるプロポーションに真っ白な美しい肌。このような絶世の美女に体を洗われたという実感が今になってふつふつと湧いてきていた。強い女性───アインズの脳裏にはその言葉が過ぎり、それが自分の理想と重なる事を自覚せずにはいられなかった。

 

 バスチェアに座り体を洗うルカの背中を見ながら、アインズは心の動揺を抑えようと四苦八苦していたが、そうこうしているうちにルカが体を洗い終え、大きいバスタブの中に足をかけて体を沈めた。湯の中でアインズの足にぶつからないよう足を伸ばし、向かい合うようにして背もたれに寄り掛かった。

 

「あーさっぱりした!これで明日も安心だね」

 

「そっ、そうだな!うむ、お前が洗ってくれたおかげで、スライム風呂よりきれいになったぞ」

 

「フフ、なら良かった。...ねえ、アインズ?」

 

「何だ?」

 

「そ、そっち、行ってもいい?」

 

「んん?! う、うむ。別に構わないが...」

 

 それを聞くとルカは向かい側に近寄り、アインズを背にして上半身に寄り掛かった。足を開き、ルカの柔らかい肌を受け止めてアインズは一瞬固まるが、ある意味この状況の方が落ち着く自分にも気が付いた。妙に気を使って遠ざかっているよりも、密着していた方が踏ん切りもつくものだ。(ひょっとしてルカも同じ気持ちだったのか?)と、それを考えて納得し、体の力を抜く。すると湯舟の中で、ルカはアインズの手を握ってきた。アインズもその手を握り返し、寄り掛かるルカの顏を覗き込む。

 

「...一体どうしたというんだ? あまりに急すぎて動揺してしまったじゃないか」

 

「....今日さ」

 

 ルカはバスルームの天井を見上げて、物思いに耽るように話を切り出した。

 

「ご飯食べた後、ノアトゥンに会ったでしょ?」

 

「ああ。それがどうかしたか?」

 

「しばらく話した後、アインズ急に怒ったように私の腕を引っ張って、あの場を離れたじゃない?」

 

「お前...その事を気にしていたのか?」

 

「違うよ!違う...気にしていたんじゃなくて...嬉しかったの。きっと何か理由があって私の腕を引っ張ってくれたんだなって。アインズにしか分からない、何かの理由があったからなんだなって。でもあの時、とてもそんな事を聞く雰囲気じゃなかったから、私...」

 

 俯いたルカの頬に涙が伝い、湯舟の水面に波紋を作った。それを見てアインズは握られた手を離し、ルカの肩と腰に手を回して抱き寄せた。

 

「...バカ者が、気にし過ぎだ。その結果が一緒に風呂に入ることだったのか?」

 

「だって、私も何か不安になって...アインズがあんなにしてくれた事今までなかったし、それなら私も隠さずに全てを見てもらいたいなと思って....」

 

(フー)と一つ溜め息をつき、アインズは右掌に湯舟のお湯を乗せると、湯冷めしないようルカの肩に(パシャッ)とかけた。

 

「そうだな...お前はあいつの装備、見た事があるか?」

 

「え? いや、ユグドラシルβ(ベータ)では見た事ないよ。ただ何となく、雰囲気からして禁術師か符術師の装備とは思ってたけど...」

 

「やはりそうだったか。あの装備の名は、絶死断魔装という超超レアの神器級(ゴッズ)アイテムだ。お前の言う通り符術師・禁術師専用装備でな、帽子・ローブ・パンツ・ブーツ・グローブで一式となっていて、その一つ一つでも凄まじい防御力なのだが、全てを揃えて装備するとステータスボーナスが加算され、INT(知性)SPI(精神力)(マナ=MP)が跳ね上がるという貴重な代物だ。

 

今日ノアトゥンを見た限り、グローブを除く4つまでは揃えている様子だったからな。恐らく装備していなかっただけで、グローブも含め一式全てを持っていると見ていいだろう」

 

「...プレイヤーかも知れないって事?」

 

「今日見ただけでは何とも言えん。が、身に着けているものからしてその可能性は極めて高いと言わざるを得ない。そんな男が、上に行くのはあまりお勧めできないと言った。しかもルカ、奴はカルネ村・アーグランド評議国・そしてこのエリュエンティウと、お前の行く先をいちいち追ってきているように見える。

 

万が一エリュエンティウの手先───いやそれ以外にも何らかの敵対する勢力の間者であった場合、非常に厄介な存在となる事は明白だ。だから必要以上に接触する事は危険と判断したんだよ。その...何だ、お前は人がいいからな。願わくばお前にも、騙されないよう気を許さずに、多少なりとも警戒してほしいと思ってだな...」

 

 アインズは自分を見上げるルカの顏を見て、照れくさそうに指で頬をかいた。

 

「...私の事を心配してくれてたの?」

 

「しっ!..心配するだろう普通。話しだけは聞いていたが、まさかあそこまでの奴だとは今日見るまで思いもしなかったからな。その真の力も不明だし、だからお前も奴の甘言に乗らないよう、十分に注意するんだぞ。不安にさせて済まなかったが、泣くようなことじゃないというのが、これで分かってもらえたか?」

 

 アインズは、再度ルカの肩にお湯をかけた。それを聞いたルカは脱力し、天井を見上げてアインズの肩に寄りかかる。

 

「何だ、私に怒ってたんじゃなかったんだ。良かった...」

 

 ルカは笑顔で目を閉じる。目頭に溜まっていた涙がスッと頬を伝うその横顔は深淵の美しさを湛えており、デミウルゴスがその姿を女神と例えた意味をアインズはまざまざと実感したのだった。そのルカの細い腰が、今自分の手の中にある。雑念が脳裏を過るが、それを振り払うようにアインズは指でルカの涙を拭った。

 

「前から思っていたのだが、お前は早とちりな傾向があるな。俺がお前に怒る理由がどこにある?」

 

「それはそうだけど、こうやって話さないと何も分からないでしょ?だから、話せて良かった」

 

「そうだな。...そろそろ出るか、長湯し過ぎて上せてしまったようだ。それに裸のままお前に風邪でも引かれたら、たまったものじゃない」

 

I do not catch a cold.(私もアンデッドなんだから、) cause I’m undead same as you…(風邪なんか引かないよ)

 

But it will be early tomorrow. (だが明日も早い。)You washed my body neatly(せっかくお前が俺の体を) with much effort, (きれいに洗ってくれたんだし、)and let's take a rest early today.(今日は早く休もう)

 

 ルカの母国語に、アインズは流暢な英語で返した。それを聞いてルカは体を捻りアインズと向かい合うと、首を抱き寄せて唇を重ねた。

 

「...大好きよ、アインズ」

 

「...どうせなら現実世界でしてほしいものだな。こんな歯にキスをしても、お前が物足りないだろう」

 

「そんな事ないよ。上がろっか、細かい所にお湯が入っちゃってるから、拭いてあげる」

 

 脱衣所でアインズの頸椎や胸椎・尺骨等の手が届かない場所を拭き終わると、部屋に備え付けの白いガウンをアインズに着せてベッドルームに向かった。

 

「体が乾くまではそれ来ててね」

 

 ルカは着替えのパンツと白いネグリジェを着ると、窓の外を見渡してカーテンを閉めた。そしてベッド脇にあるハンガーから2本の武器を取り出すと、枕元にエーテリアルダークブレードを忍ばせる。

 

「フフ、用意周到だな」

 

「一応まだ敵地だからね、このくらいはしないと。部屋の明かり落としていい?」

 

「頼む。今何時だ?」

 

「23時を回ったところよ」

 

「明日の会談は13時からだったか。十分休めるな」

 

「12時に北正門集合だから、余裕だよ」

 

 ルカは入り口脇にある壁際のスイッチを押して消灯した。アインズとルカはそれぞれ自分のベッドにもぐりこむ。

 

「それじゃおやすみアインズ」

 

「ああ、おやすみルカ」

 

 

 ───リ・エスティーゼ王国東 エ・レエブル 領主邸宅内 執務室 0:25 AM

 

「夜分に失礼します」

 

「おお!来てくれましたか、お待ちしていました。それで例の件は?」

 

「ええ、戻ってきたという噂は本当のようです。この数週間の間に竜王国・アーグランド評議国でその姿が確認されております」

 

「それで、彼女は今どこに?」

 

「はい。密偵の報告によると、現在はアインズ・ウール・ゴウン魔導王と共にエリュエンティウに滞在中との事です」

 

「ま、魔導王と?!何故彼女と魔導王が...いやそれよりも、エリュエンティウは危険だ。今の私...いや私達には、彼女の力がどうしても必要なのです。何とか魔導王に気付かれずに彼女のみを連れ出す事は出来ないでしょうか?」

 

 ランタンが照らす薄暗い書斎の中、エリアス・ブラント・デイル・レエブンは、赤いローブに仮面を被った少女・イビルアイからの報告を受けていた。イビルアイは俯き、口元に手を添えて首を横に振る。

 

「...難しいでしょう。彼女は魔導王を護衛するかのように行動している上に、傍には十三英雄の一人・白銀も控えています。魔導王と白銀に気付かれずとなると、ほぼ不可能に近いかと思われます」

 

「そうですか...いえ、とにかくよくぞ彼女の所在を突き止めてくれました。引き続き調査をお願いしてもよろしいでしょうか?」

 

「もちろんですレエブン候。事は一刻を要します。私達の方でも全力を尽くしますので」

 

「ありがとうございます、イビルアイ殿」

 

 彼は椅子にドッともたれかかり、眉間を指でつまんだ。その顔は頬骨が浮き出るほどげっそりと痩せ細り、王国対帝国での戦争で惨敗した心労が如実に表れているようだったが、イビルアイからの報告を受けてその目には生気が宿りつつあった。仮面の少女は軽く会釈して一礼すると、執務室の扉を開けて静かに出て行った。

 

 

 ───エリュエンティウ 北正門前 11:53 AM

 

 

 エリュエンティウの周囲を囲む幅2キロの貯水された堀を渡すアーチ橋。その上でアインズ・ルカ・ツアー、そしてミキ・ライル・イグニスの3人が待っていると、突如橋の中央に暗黒の穴が開いた。その中からナザリックの階層守護者達とルベド・ユーゴが続々と姿を現し、砂漠に差す眩い太陽を見上げながらシャルティアが笑顔で呟いた。

 

「ここは随分と暑いでありんすねぇ。コキュートスの体が溶けてしまわないか心配でありんすぇ」

 

「心配ハ無用ダシャルティア。コノ程度ノ日差シ、何ラ苦デハナイ」

 

『ルカ様ー!』

 

「おはようアウラ、マーレ。2人共昨日はよく眠れた?」

 

「はい!今日に備えてぐっすり寝ました!」

 

「るる、ルカ様はたくさん眠れましたか?」

 

「フフ、私もぐっすりよ。その両手のガントレットは強欲と無欲だね、やる気満々じゃないマーレ」

 

「ふ、ふぁい!アインズ様からの指示で持ってきました...」

 

「そっか。今日はこの前と違って何が起こるか分からないから、気を引き締めていこうね」

 

「お任せください!」

 

「ぼぼ、僕もがんばります!」

 

「うん、頼りにしてるよ」

 

 転移門(ゲート)の最後尾から出てきたアルベド・デミウルゴス・セバスの3人もアインズの前に立ち、恭しく一礼する。

 

「おはようございますアインズ様。滞在中ご不便はございませんでしたか?」

 

「おはようアルベド。ルカに付きっきりで警護してもらっていたからな、特にトラブルも無かったぞ」

 

「それはようございました。....あら?」

 

 アルベドはアインズの肩越しにローブの匂いをクンクンと嗅いだ。

 

「この香りは、ルカが使ってる石鹸と同じ香り...ま、まさかアインズ様?!」

 

 アルベドはアインズの両肩を鷲掴みにした。それにアインズは慌てふためく。

 

「ああいや!これはそのだな、昨夜エーテル酒を飲み過ぎてしまってな。酒臭い体で会談もまずいという事で、ルカに石鹸を借りたのだよ」

 

「....怪しい。ルカ?!」

 

「なっ、何アルベド?」

 

 後ろを振り返り、今度はルカの両肩を掴んで問い詰めてきた。

 

「今のアインズ様の話、本当なのですね?」

 

「ほ、本当だって」

 

「....嘘じゃないと、この目に誓って言えますか?」

 

「....うん」

 

 後ろめたさから目を逸らしたいのを必死で我慢しつつ、アルベドを見つめた。もはや目に嘘だと滲み出ていたが、アルベドはそれを見て大きく溜め息をつき、ルカの肩をそっと離した。

 

「...分かりました。2人の言う事を信じましょう」

 

 アインズとルカはその言葉を聞いて良心の呵責に苛まれたが、ここはアルベドを悲しませない為にも我慢のしどころだと気持ちを改めた。が、しかし...

 

「ですがルカ。後で少しお話があります。二人きりでね」

 

「わ、分かった....」

 

 それを聞いて顏から血の気が引くのを感じ、きっちり釘を刺されたルカであった。

 

 アインズの号令で皆が集まり、念のためフルバフも完了したが、そこへフード付きの白いローブを纏った者が二名歩み寄ってきた。顏が隠れており表情が伺い知れない。一人は長身だが、もう一人の方は身長160センチ程と小柄だ。彼らは恭しくお辞儀をすると、口上を述べるように口を開いた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下御一行様に、ツァインドルクス=ヴァイシオン閣下であらせられますね? 空中都市からの使いの者です、お迎えに上がりました」

 

 前約束ではエリュエンティウの中心部で待ち合わせのはずだったが、予定外の行動を見破り後をつけてきたらしかった。アインズは右手を上げ、鷹揚に返事を返す。

 

「出迎えご苦労。だが空中都市までの道のりを知っている者がいるんでね。私達はそちらから向かいたいと思う」

 

 それを聞いた使者は首をゆっくりと横に振った。

 

「それは叶いません魔導王陛下。空中都市へ行くための門はたった一つだけですので」

 

「....蛇神の門。それが隠されたもう一つの道だ」

 

 ルカはボソリと呟くと、その名を聞いた二人の使者は後ずさり、明らかに動揺している様子だった。その反応を見て不敵に薄ら笑いを浮かべ、使者たちを見返した。

 

「な、なりません危険です!!それにあの門は35年前既に封鎖されています、あそこから上るのは不可能です!」

 

「...その35年前、門が封鎖された原因が今お前達の目の前にいるとしたら、どうする?」

 

「....そんな、あ、あり得ない....まさか....」

 

 エリュエンティウの使者がこうも動揺する様を見て、アインズは痛快に感じていた。そしてアインズ自身も、殊更ルカの言う蛇神の門というものに興味が湧いてきたのだった。言うなれば魔導国からのカウンターパンチ炸裂といった心境だ───攻撃はされていないが。

 

「そういう訳だ。私達には水先案内人がいるんでね、そちらから向かわせてもらう」

 

「い、命の保証は出来かねますぞ魔導王陛下!」

 

「構わんさ、いつもの事だ。ルカ、よろしく頼む」

 

「OK、行こう。転移門(ゲート)

 

 ルカの開けた暗黒の穴に、アインズとルカを先頭にして皆が続々と入っていった。

 

 そして着いた先には、広大なオアシスが一面を覆いつくしていた。東の方角を見ると、1.5キロ程先にエリュエンティウの街を覆う城壁が見えており、そこから運河を伝って水がオアシスに注ぎこまれていた。約5キロ四方の広大な貯水池といった外観で、そのせいか水辺に木や植物が生い茂っており、空気にも湿度がある。アインズは歩きながら澄んだ水底を覗いたが、相当な水深があるように思えた。先を歩くルカ・ミキ・ライルにアインズは声をかけた。

 

「ルカ、ここは位置的にどの辺なのだ?」

 

「エリュエンティウの南西だよ。遠くに見えてるのは丁度街の角だね」

 

「なるほど。このように広大な貯水池を作るとは、やはり相当に水が貴重なのだな」

 

「まあ、このオアシスはそれだけじゃないんだけどね」

 

「ん? どういう意味だ?」

 

「とりあえず、あそこに見える桟橋まで行こう」

 

 ルカが指さす200メートル程先には、確かに取ってつけたような木の桟橋があった。そこへ近づくが、肝心の船が見当たらない事を受けてアインズは首を傾げた。桟橋の手前に皆が集まると、ルカは後ろを振り返り笑顔を見せる。

 

「ここで少し待ってて。あとこれから魔法を使うけど、みんな絶対に声を出したり驚いたりせず、静かにしててね。いいアインズ?」

 

「あ、ああ分かった。しかしこんな何もない所で魔法を使用しても....」

 

「シー。静かにね」

 

 ルカは口に人差し指を当ててウィンクした。アインズが頷いて返すと、ルカは音を立てずに忍び足で桟橋の先端に立った。そして貯水池を包み込むように両腕を左右に広げると、魔法を詠唱する。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)永続する夜明け(パーペチュアルドーン)

 

(コオォン....)というソナーにも似た音が響くと、ルカを中心に蜃気楼のような空気の歪みが広がっていく。それは貯水池を覆いつくすほどに広がり、背後で見ていたアインズ達をも包み込んでいくが、その瞬間全身の感覚に異変を感じた。それは空気に重量を感じるほど、大気密度が変化しているのだと気付いたからだ。

 

 水面で揺れる水の音、風の揺らぎ、体を流れる血液の音・心拍音、それら音という音の全てが脳内で響いているのではないかと思えるほど、皆の耳に大きく届いていた。背後で固唾を飲む階層守護者達の音ですら鮮明に聞こえてくる。そしてルカは目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込むと、一定の調子で吐息を吐くようにハミングを始めた。

 

Uhh(A#2)───────────」

 

 その静かなハミングが、何倍にもなった大気密度を伝って貯水池に響き渡る。アインズ達の耳には、まるでヘッドフォンでもしているかのように耳元で吐息が聞こえていた。するとルカが立つ桟橋の水面に、いつの間にか大きな影が出来ていた。その影は両腕を広げるルカの足元で、どんどん巨大になっていく。

 

 水底から何かが浮上してきている事に皆が気付き、アインズとツアー、階層守護者・イグニス・ユーゴが武器に手をかけるが、ミキとライルが慌ててそれを制止し、音を立てないようジェスチャーで皆を落ち着かせた。この二人は影の正体を知っているらしかった。

 

 そしてハミングが止む頃には、その水面に映る影があり得ない程巨大になり、そこで浮上が止まった。まるでルカの声に呼応しているかのように動きを止めた影は、ピクリとも動かない。様子を伺うように、ただそこでじっとしている。

 

 そしてルカはゆっくりと目を開き、その水面の影に向かって子守唄のように、優しい旋律を歌い始めた。その儚くも切ない透き通った歌声は魔法で強化され、貯水池を覆いつくすほどに響き渡る。強烈に感情を揺さぶる伸びやかな声、それがルカの歌声自体か魔法の力なのかなど、聞いている者達にとって、もはやどうでも良い事だった。

 

 アインズはルカに向かって無意識に手を伸ばし、アルベドはその声と姿を前に涙した。シャルティアはその旋律の美しさに目を見開き、コキュートスは武器を落としそうになるほど脱力した。アウラとマーレは手を繋ぎ、その歌声に聞き入っている。デミウルゴスは右手を左胸に当てて身を打ち震わせ、セバスはハンカチで目頭を押さえていた。そしてルベドはルカの歌う姿を見て頬を赤らめ、自らの感情の高揚にどう反応して良いか戸惑いを見せている様子だった。

 

 

──────────────────────────────

 

When it(B2 B2 C#3-) falls(B2 C#3 D#3-) weather(C#3 D#3 F3-) nadir(F#3 F3 F#3 F3 D#3-) (天気はどん底だというのに)

 

Where(B2) does(C#3) boy(D#3) fly?(D#3 F3-)(その少年はどこへ飛び立とうとしてるの?)

 

When(D#3) come(F3) in(F#3) a(F3 F#3 F3 D#3) fort?(D#3-)(一体いつになったら砦に来てくれるの?)

 

Moon(B2) vast(C#3) feels(D#3-)(広大な月をその身に感じ)

 

Ease(C#3) now(A#2-)(安らぎを得る)

 

──────────────────────────────

 

 

 ルカが歌い終えた直後、浮上を止めていた影が一気に大きくなり、轟音と共に水面へ飛び出してきた。ルカは広げていた両腕を降ろし、桟橋に立ち尽くしたまま物怖じもせずその何かを見上げた。ルカを見下ろすその影の正体は、山脈とも思えるほどの巨大な蛇だった。真っ白な鱗を輝かせ、桟橋に立つルカの位置まで頭をユラリと下げてくる。

 

 背後で見ていたアインズ達は、そのあまりの巨大さに圧倒されていた。頭部だけで全幅50メートルはあり、水面下に沈む胴体が一体どれほど長大なのか想像すらできなかった。大蛇はルカの姿を舐めるように見渡すと、口を大きく開けて牙を剥き出しにした。

 

「....ハッハッハ!!やはり貴様じゃったかルカ・ブレイズ!!どうりで懐かしい歌声だと思ったわい!」

 

 その大蛇の声はまるで威勢の良い老人のようだったが、巨体から発される声量のせいで腹の底まで響いてくる。

 

「ネイヴィア!良かった、私の事覚えててくれたんだね。忘れてたらどうしようかと思ったよ」

 

「誰が忘れるものか!!35年前このわしの右目を潰したのは、他の誰でもない貴様なんじゃからな!!」

 

「ああ、ごめんネイヴィア!長い事待たせちゃったね、今治してあげるよ」

 

「今頃になってか、クッハハそいつぁいい!まあそれは後でも構わんて。後ろにいるのはお前の仲間達か?」

 

「そうよ。アインズ、みんな紹介するよ。彼はワールドサーペントのネイヴィア=ライトゥーガ。この蛇神の門の番人で、エリュエンティウの守護獣なのよ」

 

「ほう?わしのフルネームを覚えとるとは、お前も焼きが回ったのうハッハッハ!!どれ、わしにも紹介せい!長らく他人に会っておらんかったからな、喋るのも久々じゃて」

 

 ルカは笑顔で頷き、桟橋の後方にいる皆の方へ振り返る。

 

「フフ、もちろんよ。ミキとライルは知ってるよね。まず彼はアインズ・ウール・ゴウン。私達を現実世界に帰してくれた恩人よ。白いドレスを着た彼女がアルベド、黒いドレスを着た彼女がシャルティア。ゴツい彼がコキュートス、小さくて可愛い双子がアウラとマーレ、スーツにメガネの彼がデミウルゴス、執事風の彼がセバスに、赤いワンピースの彼女がルベドよ。あと私の弟子のイグニスにユーゴね。最後に彼は───」

 

 ルカがそう言いかけた時、ネイヴィアは首を伸ばしてツアーをまじまじと見た。

 

「んん~?お前そのオーラ、ツァインドルクス=ヴァイシオンか?何だお前そんな小さな鎧に入ってハッハッハ!!その様子じゃと相も変わらずギルド武器の番でもしておるようじゃな!こいつは飛んだ珍客じゃわい」

 

「...全く、君こそ相変わらず威勢がいいねネイヴィア。図体の大きさも相変わらずだよ」

 

 ツアーは頭を掻くような仕草をして俯いた。それを見てルカは意外そうな顔を向ける。

 

「あ、二人とも知り合いだったの?」

 

「知り合いも何も、わしらは種族的に一応近親種じゃからな! 大昔にこいつら竜王とやり合った事も何度かある。まあ殆どわしの圧勝じゃったけどな、ハッハッハ!!」

 

「はいはい、その通りだね」

 

「へー、ツアーよりもネイヴィアの方が強いの?」

 

「強いというより、僕達の使う始原の魔法(ワイルドマジック)が通りにくいんだよ。おまけにこの図体と防御力に馬鹿力もあるから、お互い決定打にならなくてね...」

 

「何ならもう一度勝負してやってもいいぞ?まあまたわし勝っちゃうけどハッハッハ!!」

 

「遠慮しておくよ!それに僕達はもう敵同士じゃない」

 

「ん~そうか?つまらんのう」

 

 ルカの後ろで屈託なく豪快に笑う大蛇・ネイヴィアに圧倒されっぱなしのアインズ達だったが、ツアーとの再会も一段落し、彼の興味はアインズ達に移っていった。

 

「...ほう、これまた珍しい組み合わせじゃのう!只のアンデッド...ではないな、お主死の支配者(オーバーロード)か!それにサキュバス・ヴァンパイア・蟲王(ヴァーミンロード)・ダークエルフが二人に、アーチデヴィル・竜人と...ん?それに何じゃお主は。ゴーレム?自動人形(オートマトン)?ややこしいのも一人おるのうハッハッハ!!セフィロトも二人増えておるし、こいつはいい、今日は珍客万来じゃな!」

 

 それを聞いてルカ達を除く全員が唖然としていたが、危険は無いと踏んだアインズは桟橋まで歩き、ルカの隣に立って大蛇を見上げた。

 

「初めまして。ネイヴィア、と呼んでも構わないか?」

 

「おう、何じゃアインズ・ウール・ゴウン!」

 

「私の事はアインズと呼んでほしい。質問があるのだが、一目見ただけで種族が分かるのか?自動人形(オートマトン)まで知っているとは...」

 

「そんなもん気配で分かるわい!まあわしの場合長年の経験と勘もあるけどな!アインズとやら、お主達もこのルカと同じくユグドラシルから転移してきたクチじゃろう?プレイヤーの事ならよく知っとるよ。何を隠そうこのわしも、そのプレイヤーである八欲王に召喚されたクチじゃからなハッハッハ!!」

 

「なっ...そんな召喚魔法聞いた事もないぞ?!ましてやお前のように超巨大な蛇を使役するなど、例え召喚士(サモナー)の最大レベルでも...」

 

「たわけ、魔法などではない!さっきルカもわしの名を言っとったじゃろうが!...そのまんまじゃよ。お主もプレイヤーなら少しは知っておろう?」

 

 そう言うとネイヴィアは、巨大な鼻先をルカの体に擦り寄せた。ルカもそれを受け止め、すべすべとした鱗を右手で優しく撫でる。その様子を見て羨望の眼差しを送っていたのは、アウラとマーレだった。

 

「な、名前か?ワールドサーペント、ワールド...ん?まさか、ルカ?!」

 

 アインズは左に立つルカを見た。ネイヴィアを背に、ルカは笑顔で頷き返す。

 

「...気付いたようじゃな。この世界に破滅的な効果をもたらすアイテム・二十。そのうちの一つ、世界蛇(ヨルムンガンド)により召喚されたのが、このわしと言う訳じゃよ」

 

 二十の名を聞いて、アインズを含め階層守護者達全員が驚愕の眼差しでネイヴィアを見た。

 

「...驚いたぞ。名称だけは知っていたが、まさかこの目でその効果を実際に拝めるとはな。ネイヴィアよ、二十により召喚されたと言うのなら、お前の主はやはりアイテム使用者である八欲王の一人なのか?」

 

「そういう事になるかのう?」

 

「なるかのう...って、しかしもう八欲王は全員この世にいないのだろう?」

 

「ああ、間違いなく死んでおるな。わしこの目で見たし」

 

「........んん」

 

 キョトンとした目で淡々と答えるネイヴィアを前に、アインズはたじろいだ。

 

「そ、そうか。それで一体八欲王からどんな命令を受けていたのだ?」

 

「そりゃお前、このエリュエンティウを襲う敵を撃退しろという命令じゃったよ? 500年程前、竜王の軍団がしつこく何度も街を潰そうと襲ってきたからな。その度にわしと八欲王が出張って、そやつらを追い返していたというわけじゃ」

 

「主が死んだ今、その命令は生きているのか?」

 

「いんや、生きてはおらんよ。もはやわしにその責務はない。二十の使用者が死んだ時点で契約は無効じゃ」

 

「...ならば、何故このエリュエンティウに居続ける?」

 

「そうじゃなあ。主が死んで、幸か不幸かわし一人がこの街に残された。今あの空中都市にいる30人の都市守護者は、そのほとんどが八欲王の子孫達なんじゃよ。それを見守りたいという親心もあったのかのう。何よりここは居心地がいいのでな。周辺諸国もわしがいるという事を恐れてこの街に手出しはしてこんし、うまい具合に均衡も保たれておる。まあ、のんびり余生を楽しめるという訳じゃな。寿命ないけどブッハッハッハ!!」

 

 爆笑するネイヴィアを見て、ルカも鱗を撫でながら横で釣られ笑いしていた。

 

「と、とことん愉快なやつだなお前は...成程、不老不死という訳か。お前の成り立ちは理解した、ありがとうネイヴィア。それでルカ、お前はどういった経緯でネイヴィアと知り合ったのだ?」

 

「あーもうおかしいネイヴィア.....え?戦ったのよ彼と」

 

 笑いも冷めぬまま、ルカは大蛇の鼻先に寄り掛かりながらアインズに返答した。

 

「何故戦った?」

 

「それはわしから話してやろう!」

 

 ネイヴィアは巨大な頭部をアインズにズイッと近づけてきた。

 

「こいつはなアインズ、忘れもしない35年前、誰に聞いたか知らんがいきなりこの蛇神の門へ3人で来てな。上の城へ連れて行けと言い出したんじゃ!わしもこいつらの力は肌で感じておったから、城で悪さでもされたら敵わんと思ってな?その理由を聞いたんじゃ。そしたらお前、元の世界に帰りたいからとか抜かしよる!

 

しかしそれを聞いてわしはピンと来たんじゃ。(ああ、こいつらもこの世界に転移してきたプレイヤーなんじゃ)とな。じゃがわしの知る限り、空中都市にそんなアイテムは置いてないと知っていたからのう。だめだだめだと断ったんじゃ。それをこのルカは、悪さはしないからどうしてもと押し通してきよる!あまりの頑固さに耐えかねてな。もしわしと一対一で勝負して勝てたら、上の城に連れて行ってやると約束したんじゃよ」

 

「それで、結果は?」

 

「わしの完敗。クッハッハ!!見ろ、三日三晩戦った挙句このざまじゃ!!」

 

 ネイヴィアは首を左に向けて、斬撃の傷跡が深く残る右目をアインズ達に見せた。それを見て、アインズは冷汗を流しながらルカに質問した。

 

「...お前、二十の力に一体どうやって対抗したんだ?」

 

「え?いや、私もかなり危なかったのよ?後半結構追い込まれちゃったからその、仕方なくちょっと本気を...ね」

 

「最後はお前の逆転勝ちじゃったなあ!懐かしいわい。あんな技食らったらお前、わし以外あの世行きじゃブッハッハッハ!!」

 

 ネイヴィアの言葉を聞いた階層守護者達が、信じられないと言った様子でどよめきのの声を上げる。

 

「ルカ...あなたはどこまで底が知れないの?」

 

「こ、これを単騎で倒すとか、どんな化物でありんすか?」

 

「二十ノ力ニ対抗デキルナド...」

 

「おお...まさしく女神の所業!」

 

「すっごいルカ様...」

 

「どど、どうやったんだろうねお姉ちゃん?」

 

「流石はルカ様、改めて敬服致します」

 

「...私も...やってみたい....」

 

 それを聞いたアインズも似たような心境になり、巨大な大蛇を撫でるルカに眩しい視線を送っていた。

 

「ネイヴィア、右目見せて」

 

「おお、これでいいかの?」

 

 ネイヴィアはルカに顔を近づけた。直径2メートル近くもある潰れた右目に両手を添えると、ルカは大きく深呼吸して意識を集中した。

 

「...魔法三十最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)損傷の治癒(トリートワウンズ)!」

 

(ボッ!ボッ!)という音を立てて、ルカの両手に青白い炎が宿り、縦に割れた斬撃の傷跡に吸収されていく。すると潰れた巨大な目全体を覆うように、内側から激しい炎が燃焼し始めた。その炎はルカの体をも巻き込んでいくが、青白い火炎の中でルカは微動だにせず、目を閉じ全力で魔力を注ぎ込んでいく。

 

 やがて傷口周辺の皮膚が、細胞分裂するかのように活性化・結合して、瞬く間に斬撃の傷跡が閉じていった。そしてその下にある傷付いた眼球の組織も復元され、瞳本来の輝きを取り戻していく。(ゴオ!!)という一際激しい燃焼が円形状に広がり、破損した瞳孔が修復されると、炎がルカの手を中心に収束していく。

 

 目から手を離し、右手の平に揺らめく赤く小さな炎を、ルカは(フッ!)と吹き消した。ルカの目の前にあるのは、自分の背丈よりも遥かに大きく美しい、黄金色に輝く蛇眼だった。縦に割れた瞳孔が開閉し、目の機能が完全に復活したことを示していた。

 

「ふー、終わったよネイヴィア。どう?ちゃんと見える?」

 

「おおー!見える見える、ハッハッハ!!この深手を治すとは、お前の治癒魔法は大したものじゃのうルカ!この両目が見える感覚、懐かしさすら感じるわ!」

 

「...ネイヴィアごめんね。あの戦いの時わたし、手加減のしようがなくて...それにもっと早くに治せれば良かったんだけど、私にも色々あって、すぐには来れなかったのよ...」

 

 ルカはネイヴィアの巨大な鼻先を抱きしめ、その真っ白な鱗にそっとキスをした。

 

「...何があったか知らんが、変わったのうお前。それに何をバカな事を言っておる!あの時治療を拒んだのは、このわしなのじゃぞ!それにな、お前に勝負を持ちかけたわしも悪かったのじゃ。結果から見れば35年前、お前たちは約束通り、あの城に何ら害することなくエリュエンティウを去った。わしにもっとお前達を見抜く目があれば、あのように無駄な戦いをせずに済んだのじゃ。許せ、ルカ」

 

「ネイヴィア...ありがとう」

 

「これでおあいこじゃな。お前の魔力が籠ったその美しい歌声、久方ぶりに聞けて幸せじゃったぞ。...さてそこの、さっきからわしらを羨ましそうに見とるダークエルフの2人!アウラにマーレと言ったか、こっちに来るのじゃ」

 

「い、いいの?! アインズ様、よろしいでしょうか?!」

 

「もちろんだともアウラ、構わないぞ」

 

「やった!!ほらマーレ行くよ!」

 

「ぼ、ぼくちょっと恐いかも....」

 

「大丈夫だって、ほら早く!」

 

 マーレの手を引っ張り、2人はルカの立つ桟橋の端まで来た。ネイヴィアはルカから頭を離し、アウラとマーレの間に鼻先を近づける。するとアウラは物怖じせず、真っ白な鱗に体ごと飛びついた。マーレも恐る恐る鼻先に手を触れるが、巨大かつ凶悪な外見に反して大人しい事に安心したのか、徐々に笑顔に変わり優しく撫で始める。

 

「ん~すべすべひんやり、気持ちいい~」

 

「ふわぁ~....ここ、怖くなかったねお姉ちゃん?」

 

「お前達さては動物が好きなのじゃな。双子と言ったが、どちらが上なのだ?」

 

「あたしが姉のアウラ・ベラ・フィオーラ! 」

 

「ぼぼ、僕が弟のマーレ・ベロ・フィオーレです...」

 

「ほう、姉弟か!2人共美しい名じゃな。それに相当な力を秘めておると見た」

 

「君の名前も素敵だよ!これからネイヴィアって呼んでもいい?」

 

「もちろんじゃアウラ。言っておくがワールドサーペントのわしに従順(テイム)系の魔法は一切通じんからなハッハッハ!!」

 

「あ、あたしがビーストロードだって知ってたの?!」

 

「何、お前の気配と装備から何となく察しただけじゃよ!弟のマーレの方は差し詰め、森司祭(ドルイド)系統のクラスを極めていると言ったところじゃろうな」

 

「すすすごい、当たりですネイヴィアさん!」

 

「百戦錬磨とはわしの事じゃからなハッハッハ!!」

 

 その後もアウラとマーレはネイヴィアと語り合い、親交を深めていった。見かけに反して子供の面倒見がいい世界蛇・ネイヴィアに、アインズとルカは優しい眼差しを送っていた。

 

「ネイヴィア!またここに来てもいい?」

 

「おう、いつでも来いアウラ、マーレ!お前達なら歓迎じゃ。わしも話し相手が欲しいからな!」

 

「あ、ありがとうございますネイヴィアさん!」

 

2人が満足したのを見計らい、アインズはアウラとマーレの肩にそっと手を置いた。

 

「二人共、そろそろいい時間だ。続きはまたの機会にしよう」

 

「はい、アインズ様!」

 

「お待たせして申し訳ありませんアインズ様...」

 

「いいんだマーレ。良い気分転換になったか?」

 

「は、はい!」

 

「うむ。ではルカよ、例の件を」

 

 アインズのアイコンタクトを受けて頷くと、ルカはネイヴィアの前に立った。

 

「それでネイヴィア、一つお願いがあるんだけど聞いてくれる?」

 

「言われんでも分かっておる!わざわざこんなところまで来たという事は、お前達あの空中都市に行きたいのじゃな?」

 

「うん。ここにいるみんなを連れて行って欲しいの」

 

 それを聞いてネイヴィアは、改めてアインズの背後に控える階層守護者達を見渡した。

 

 彼の目には、一人一人の体を覆う魔力の流れが視覚的に映し出されている。言わば魔力の精髄(マナ・エッセンス)が常時有効となっているに等しく、バフでブーストされたステータス・HPはおろか、その種族・クラスまでもが識別可能となっている。万物を見通す目(オールシーイングアイズ)の持ち主にして、プレイヤーが二十の力により唯一制御可能な機動防御型世界級(ワールド)エネミー。それが宝玉・世界蛇(ヨルムンガンド)の正体だった。

 

「これだけ力のある者達を引き連れて行くとは...よもやお主ら、あの城を落とそうという気ではあるまいな?」

 

「違うよネイヴィア。私達の国・アインズウールゴウン魔導国と、エリュエンティウとの正式な会談を行う為に向かうんだ。部下を伴ったのはアインズを守るためで、害を加える気は一切ないよ」

 

 ルカはネイヴィアに手を触れ、黄金色に輝く瞳を真っすぐに見た。するとネイヴィアは首を下げて桟橋に鼻先を接触させ、地面と平行になるように姿勢を動かした。

 

「よかろう、その言葉信じてやる!今度こそ過ちは犯すまいて。さあお前達、全員わしの頭の上に乗れ。空中都市まで一気に運んでやろう!」

 

「ありがとうネイヴィア!さあ、みんな行こう!」

 

「私からも礼を言うぞネイヴィア。よろしく頼む」

 

「礼ならそこのルカにでも言うんじゃな魔導国の王よ!まあお前達の事も気に入ったがなハッハッハ!!」

 

 桟橋を渡り、15人全員がネイヴィアの巨大な頭の上に移動した。それでもまだゆとりがあるほどスペースが有り余っている。それを確認してルカが声をかけた。

 

「OK、全員乗ったよ」

 

「よーし、皆滑り落ちないようしっかり掴まってるんじゃぞ!」

 

(ザザザザ)という轟音と共に、ネイヴィアの強靭な蛇体が貯水池から水飛沫を上げて姿を表し、東の空に向かってゆっくりと上昇していく。眼下にはエリュエンティウの街が一望でき、アウラとマーレが嬉しそうに下の風景を覗き込んでいる。

 

 そして街の中央、上空約700メートルに浮かぶ巨大な空中城が目の前に迫って来ていた。城の下部を支える岩石の隙間からは滝のように水が流れ落ち、その直下にあるエリュエンティウに向かって注がれている。アインズが後ろを振り返ると、長大なネイヴィアの蛇体が街外れの貯水池から伸びている様子が見て取れた。

 

 やがて城が目前に迫り、皆がその周囲を見渡した。縦横400平方メートル程の敷地を持ち、城壁は苔むしておりさながら古城といった様相を呈していた。ネイヴィアは城西側の門にある窪みへ向かってゆっくりと接岸するが、城門の鉄格子が降ろされているのを見てアインズ達に声をかける。

 

「やはり蛇神の門は未だ封鎖されておるようじゃな。どうするつもりじゃアインズ?」

 

「何、問題はない。ここまで運んでもらい感謝するぞネイヴィア」

 

 アインズとツアー・ルカ達5人、そして階層守護者達がネイヴィアの頭から城へ降り立つと、西側城門の前に集合した。そしてアインズは一歩前に出て鉄格子に手を触れる。すると目の前に赤い魔法陣が浮かび上がり、アインズの手の下でスパークするように閃光を放つ。それを見てアインズはニヤリと笑った。

 

「...随分とちゃちな封印だな。上位封印破壊(グレータブレイクシール)

 

(パキィン!)という音を立てて赤い魔法陣が崩れ去り、城門が上へゆっくりと開いていった。背後でその様子を見ていたネイヴィアが口を開く。

 

「ハッハッハ!いとも簡単に封印を解きおったか、さすがじゃな。わしはここで待っておるから、会談とやらを済ませたらまたここに戻ってくるんじゃぞ?」

 

「了解したネイヴィア。では行ってくる」

 

 アインズを先頭に皆が後に続き、城門を潜り抜けて城の中庭らしき開けた場所へと到着した。するとそこには、先程地上でアインズ達を迎えに来た空中都市の使者2名と、ただならぬ雰囲気を纏った深い紺色のフード付きマントを羽織る者が待ち構えていた。三人はアインズ達に歩み寄ると、中心に立つ紺色の者がフードの下で深い溜め息をつき、首を横に振る。

 

「...やれやれ、迎えを出したのにわざわざ蛇神の門を伝って来るとは。困った方達だ」

 

「迷惑だったかね?」

 

 それは凛とした女性の声だった。アインズは鷹揚に答えたが、その言葉を受けてチリッと背後から守護者の殺気を感じ、右手を上げてそれを押さえる。するとその女性は被っていたフードを下げて顔を露わにした。

 

「そんな事はない。むしろ我らでも手に余るあの大蛇を御し得ている事に驚くばかりだ。ようこそアインズ・ウール・ゴウン魔導王閣下、それに白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)・ツァインドルクス=ヴァイシオン殿。私はこのエリュエンティウの都市守護者が一人、クロエ・ベヒトルスパイム・リル=ハリディだ。貴殿らを歓迎する」

 

 金髪のショートレイヤーから覗く薄い褐色の肌に、鋭角な目と高い鼻、そして尖った耳が印象的な美しいダークエルフだった。身長はルカと同じ170センチ弱といったところで、アウラが大人になったらきっとこのような姿になるであろうとアインズは連想していた。彼女は手を差し伸べ、アインズとツアーに握手を求めた。2人はそれに応じるが、よく見るとマントの下にはクローム色のミドルアーマーを装備しており、腰には2本の細身なロングブレードが下げられている。それを見てアインズは言葉を継いだ。

 

「ほう、その専用剣を装備しているとは、エルフのみが習得を許されるという二刀使い(ブレードウィーバー)か。珍しいクラスをお持ちだな、ハリディ殿。今日はよろしく頼む」

 

 エルフ族の種族特性として、INT(知性)DEX(素早さ)が極めて高い事から、高いディフェンス力に特化した魔法戦士が生まれやすい事を、アインズはPvPの経験上見抜いていた。その証拠に、クロエは最大火力がDEX依存である二刀使い(ブレードウィーバー)専用剣を装備している。しかしそれは裏を返せば、そのディフェンスを崩されればエルフのHPなど紙同然であり、高火力・高HP・高ディフェンスを絶妙なバランスで共存させているルカ・ミキ・ライルのようなキャラには及ぶべくもなかった。

 

 つまり戦闘という観点に置いて、エルフという種族は安定性にやや欠けるのである。その点ダークエルフであるアウラやマーレは、エルフ族の種族特性を逆手に取った構成となっており、アウラはDEX・CON(体力)に特化してINTを抑え、マーレは完全にINT・CONへ振り切っている為、Melee(物理攻撃)魔法詠唱者(マジックキャスター)のコンビという観点から非常に安定した戦闘を行う事が可能となっている。アインズはふと、このように優秀なNPC・アウラとマーレを自分に残してくれた、制作者であるぶくぶく茶釜の姿が脳裏に浮かんでいた。遠い目をしていたアインズに気付き、クロエが顏を覗き込んでくる。

 

「ゴウン魔導王閣下、どうかされたか?」

 

「ああいや!...済まない、少し考え事をしていてね。失礼をした」

 

「そうか、私のクラスを一目で見破るとは恐れ入る。では早速だが本殿へと向かおう。ついてきてくれ」

 

 巨大な宮殿へと続く南側の長い階段を上りながら、アインズは考えを巡らせていた。もし万が一会談が決裂し戦闘になったとしても、この程度のレベルなら造作もなく叩き潰せるだろうと。しかしそれではネイヴィアとの約束が反故になってしまう上に、書状を書いてくれたツアーの顏に泥を塗る結果となってしまう。その意味でも可能な限り穏便に進めようと心に決めていた。

 

 階段を上がり切ると、そこには全身を魔法の武器防具で武装した近衛兵達が左右に50名列をなしており、手にしたロングスピアを地面に叩きつけて(ザン!)とクロエに敬礼した。高さ9メートル・幅7メートル程の重厚な鉄の扉が開き、一同は宮殿の中へと歩を進める。

 

 壁の左右に永続光(コンティニュアルライト)の間接照明が設置された、飾り気のない石造りの広い廊下を渡ると、そこは吹き抜けのロビーのようになっていた。部屋の左右には歓談用のテーブルとソファが並べてあり、正面には2階へと続くT字の階段が伸びている。ロビーを回り込むように2階へと上がり、今度は逆の北側へ伸びる薄暗い廊下をしばらく歩くと、正面に大きな扉が見えてきた。扉の前には近衛兵が2人待機しており、クロエの姿を確認すると敬礼し、2人がかりで静かに扉を開ける。すると薄暗い場所から一転、中から明るい光が差してきた。

 

 そこは大理石でできた大広間だった。直径30メートル程の巨大な円卓が中央に置かれ、ぐるりと並べられた椅子で取り囲まれている。最奥部の椅子には、クロエと同じような紺色のローブを纏った者達がずらりと着席しており、アインズ達の入室と共に一斉に彼らは立ち上がった。その光景を見てアインズは既視感を覚えた。...そう、そこはまるでナザリック地下大墳墓第九階層・円卓の間と瓜二つの作りだったからだ。

 

「ゴウン魔導王陛下。こちらから順に皆さまお座りください」

 

 部屋の中に待機していた近衛兵にそう促され、椅子を引かれてアインズ達はそこに着席する。アインズを中心に右はツアー、左にデミウルゴス、ツアーの隣にアルベド・ルカ・イグニス・ルベド・アウラ・マーレ・シャルティアが座り、デミウルゴスの隣にミキ・ライル・コキュートス・セバス・ユーゴが陣取る。事前に擦り合わせていた訳ではない。どのような攻撃を受けようとも即座にアインズを守る為動けるように、阿吽の呼吸で各々が判断した結果だった。

 

 ルカは即座に相手の容姿と人数を確認する。マントに隠れて武装は確認できないが、近衛兵とクロエを除いて総勢29人、足跡(トラック)にもその他敵影はなし。正面の空いた席にクロエが座ると、都市守護者たちも一斉に腰を下ろし、全員がフードを下げた。

 

 そこには多種多様な種族が顏を並べていた。人間(ヒューマン)は元より、エルフ、ドワーフ、悪魔(デビル)、ヴァンパイア、ネフィリム、バードマン、果ては半天使(ハーフエンジェル)までいる。それを見てアインズは顎に手を添え、都市守護者達を見回した。

 

「これはこれは...まさかあなた達も異形種の集まりだったとは、恐れ入った」

 

「それはお互い様ですよゴウン魔導王。この八欲王の空中都市までよくぞ参られました。魔神との大戦から200年ぶりとなりますが、十三英雄の一人、白銀...いえ、ツァインドルクス=ヴァイシオン殿もお元気そうで何よりです。私がこの空中都市を束ねるギルドリーダーの、ユーシス・メガリス・ヴァン=フェイロンです」

 

 その美しい少年はアインズ達を見て微笑んだ。黒髪のマニッシュショートに大きな赤い瞳を輝かせ、きめ細かな青白い肌に線の細い中性的な顔立ちをしており、そのせいで何処か大人びた印象を受ける不思議な青年だった。想像していた姿と大きく異なるギャップを慌てて修正したアインズは、その少年に返事を返した。

 

「お会いできて光栄だ、フェイロン殿。私達魔導国・竜王国・そしてアーグランド評議国、計3国の書状を受け入れてもらい感謝する。この会談が実現した事を心より喜びたい」

 

「あなた達魔導国の噂は、私達都市守護者の間にも聞き及んでいました。いつかこの日が来るだろうとは思っていましたが、このように早い時期にコンタクトを取ってくれたことを、私達も嬉しく思います」

 

「私もだ、フェイロン殿。異論がなければ早速議題に移りたいのだが、構わないかね?」

 

「それは少々待っていただきたい、ゴウン魔導王」

 

「?」

 

 少年は、アルベドの隣に座るルカにちらりと視線を移した。

 

「あなた達は今日、蛇神の門を通ってきた。あの貯水池に住む大蛇・ネイヴィア=ライトゥーガは、本来であれば八欲王の子孫である私達の言う事しか聞かないのです。しかしあの大蛇を屈服させる条件として、唯一例外がある。それはネイヴィアを倒し負けを認めさせるか、その目に備わる万物を見通す目(オールシーイングアイズ)を潰す事。...35年前、そのどちらの条件をもクリアし、この空中都市に侵入した者達がいた」

 

「ほう?そのような豪の者がいるとは、是非ともお目にかかりたいものですな」

 

 アインズは白を切った。それを聞いてフェイロンは俯き、円卓に肘を立てて両腕を組む。そしてゆっくりと頭を上げ、腹の底から恨めしいといった声でポツリと呟いた。

 

「...あなたですよ、ルカ・ブレイズ」

 

 フェイロンが鋭い目線を向けた瞬間(バシュ!)という音を立てて、ルカ・ミキ・ライルの座る椅子から金属でできた格子状の網が飛び出し、瞬時に三人の体を絡め取るように縛り上げてしまった。それを見てルカ達3人は血相を変える。

 

「こ、これは魔力遮断ネット?!」

 

「ルカ様!...おのれ!!」

 

「ぐぎぎぎぎ.....!!」

 

 ミキの目が見たことも無い程怒りに震える。ライルも渾身の力を込めて網を引き千切ろうとするが、全く歯が立たない様子だ。ルカの両隣に座るアルベドとイグニスが網を解こうと四苦八苦するが、それも徒労に終わる。アインズは(ダン!!)と円卓に拳を振り下ろし、椅子から立ち上がった。それを受けて階層守護者達も座っていた椅子を蹴り飛ばし、一斉に戦闘態勢に入る。

 

「貴様ら...どういうつもりだ?」

 

「我々はこの35年間、ずっと彼女達を探し続けてきたんですよ、ゴウン魔導王。まさかルカ・ブレイズ、ミキ・バーレニ、ライル・センチネルが魔導国に付き、この城へのこのこと姿を現すとは思いもよりませんでしたが」

 

「そのルカ達3人は今や我が魔導国の大使!それに手を上げたという事がどういう結果になるか、分かっているんだろうな貴様ら?」

 

「大使...ですか、なるほどね。ゴウン魔導王、落ち着いてください。私達は何もあなた達魔導国を敵に回したいのではない。ただそこの3人には、この空中都市で過去に盗みを働いた罰を受けてもらいます」

 

「罰だと?...まあいい、一度しか言わないぞ。ルカ達を縛るこの網を今すぐに解け」

 

「お断りします」

 

 それを受けて都市守護者達も椅子から立ち上がり、それぞれの武器を抜刀した。

 

「そうか、残念だ。ならばこの城ごと全員吹き飛べ。魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)核爆....(ニュークリア....)───」

 

「待ってアインズ、みんな!!!」

 

 ルカの絶叫を聞いて、寸での所でアインズは魔法の詠唱を止めた。飛び掛かろうとした階層守護者達もそれを受けて動きを止める。唯一ツアーとイグニス・ユーゴだけは冷静にルカの傍を離れず、防御魔法を張り護衛に徹していた。

 

「ルカ...何故止める?」

 

「私は大丈夫。それよりもまずは話を聞こう。殺すのはその後でも遅くはない、でしょ?」

 

「フフ、その状態からどうやって逃れられるとお思いですか?ルカ・ブレイズ」

 

「フェイロンと言ったね、それは後でのお楽しみ。それよりも、よく私達の正体が分かったね?」

 

「35年前の当時、エリュエンティウの入国管理記録と照合したのですよ。宝物庫が荒らされたという発見が遅れたせいで苦労しましたが、空中都市への侵入と時を同じくして街から姿を消した者達を洗い出した結果、あなた達3人が浮上したわけです」

 

「成程ね。あの時奪った宝を返せば、許してくれる?」

 

「それは当然です。奪ったものは返していただきましょう。しかしあなた達3人の罪はそれだけではない」

 

「...というと?」

 

「ここまで話してもまだ分からないのですか?! ...このエリュエンティウを守る守護獣・ネイヴィアは、私達都市守護者の先祖である八欲王が残してくれた遺産です。その強大な力を真に制御できるのは、ネイヴィアを召喚した当人のみ。しかしその方は既にこの世になく、主従権が長らく空白のままだった。

 

つまり今までネイヴィアは私達の制御下に無く、その自由意志によりこの街を守ってくれていたのです。それをどこからともなく現れた部外者であるあなたが奪っていった。お分かりですか?この街を守る私達にとって、あなたは危険すぎる存在となってしまったのです」

 

「...私が奪った? つまり二十・世界蛇(ヨルムンガンド)の支配権は私が握っていると言いたいの?」

 

「そうです。あなたが指示一つ出せば、ネイヴィアは何の躊躇もなくこの空中都市とエリュエンティウを破壊するでしょう。そうなる前に、何としてもあなた達を探し出す必要があった」

 

 椅子に縛られたままのルカは首を傾げ、そして一つ大きく溜め息をついた

 

「成程...理由は分かった。しかしもし仮にそうだったとして、私にこのエリュエンティウを消し去る気は全くないと言ったら、信じてくれる?」

 

「それはあなたの返答次第です、ルカ・ブレイズ。教えていただきたい、一体どうやってあの大蛇を倒したのかを」

 

「どうやって...って、普通に戦って倒したんだけど?」

 

「誤魔化そうとしても無駄ですよ。三日三晩続いたあなたとネイヴィアの戦闘は全て私の部下により監視されていました。最後の瞬間、あなたは人智を超越した力を解き放ったと報告を受けています。その技が何なのか、今私達の目の前で見せてほしいのです」

 

「...それは出来ない」

 

「何故です?」

 

「それをすれば、あなた達全員を殺してしまうから」

 

「私達都市守護者はそれほどやわではありませんよ。あなたは今、その魔力遮断ネットにより完全に力を封じられている。見せてくれるというのなら、その網を解きましょう」

 

「私はネイヴィアと約束したんだ。この城と、あなた達都市守護者に一切害を成さないと...」

 

「そんなものはあなたの命令一つでどうにでもなるでしょう?今のあなたにとってそれはただの口約束に過ぎません。見せてくれないと言うのなら、残念ですが魔導国の皆さんにも捕らわれの身となっていただきます。よろしいですね?」

 

 それを聞いてアインズはルカの縛られている椅子に寄り添い、網に手を触れて魔法を詠唱した。

 

上位道具破壊(グレーターブレイクアイテム)

 

 しかし一瞬光を帯びたのみで、魔力遮断ネットは小動もしなかった。それを受けてルカは首を横に振る。

 

「無駄だよアインズ。この魔力遮断ネットは、特殊工兵(コンバットエンジニア)という職業(クラス)のみが扱えるトラップ属性の特殊技能(スキル)だ。これにはそれぞれ伝説級(レジェンダリー)神器級(ゴッズ)世界級(ワールド)とランクがあって、形状はシール型・矢型・銃弾型と3つのタイプがある。その中でもこれは恐らく、一番強力な世界級(ワールド)クラスのシール型魔力遮断ネットだ。このランクになると、私の危機感知(デンジャーセンス)でも見抜けないの。ごめんね、私がもっと注意してれば....」

 

 それを聞いたアインズの眼窩に殺意の炎が宿る。

 

「お前に非はないさ。それよりも交渉は決裂...という事でいいな?フェイロン殿」

 

 アインズと階層守護者達の体からドス黒いオーラが立ち昇る。そのあまりにも強大な殺気を受けた都市守護者達は後ずさり、皆がフェイロンの指示を待った。そう、彼らは期待していた。この場は甘諾し、戦闘を回避する指示を。しかしフェイロンはその殺気を受けてもなお引かず、席についたままアインズと睨みあっていた。正に一触即発だったその時────

 

 唐突に、アインズの背後にある入口の扉が開いた。そして殺気の渦巻く部屋の中に、何の躊躇もなく一人の男が入ってくる。そして円卓の間中に響き渡る大声で絶叫した。

 

「...いい加減にしなさいユーシス!!!さっきから聞いていれば、あなたはこれだけの気配を浴びてもまだ分からないと言うのですか?!何故彼らの言う事を信じようとしないのですか!!!」

 

 鬼気迫る険しい表情で立つその全身漆黒の竜袍を纏う男を見て、都市守護者達が皆絶句した。

 

「き、貴様は....バカな......」

 

「何故、何故....お前がここに....?」

 

「.....火神.....ノアトゥン......レズナー.....」

 

 都市守護者はその姿を見て青ざめ、もはや固まり動けずにいた。その様子を見てアインズと階層守護者達も背後を振り返り、その男を凝視する。ノアトゥンはそれを受けてアインズに歩み寄ると、上腕にそっと手を触れて優しく微笑んだ。

 

「心配になって来てみたのですが、正解でしたね。間に合って良かった」

 

「ノ、ノアトゥン?どうしてお前が....」

 

 部屋に入ってきた直後に発したノアトゥンの殺気は本物だった。それが今は大らかに微笑み、目の前に立っている。そのあまりのギャップにアインズは肩透かしを食らったような気分になり、都市守護者に向けていた殺気も失せてしまっていた。

 

「話はあとでゆっくりとしましょう、ゴウン殿。今は先にやるべき事があるはずです」

 

 そう言うとノアトゥンは、魔力遮断ネットで縛られたルカの隣に寄り添った。

 

「お嬢さん、お待たせして申し訳ありません」

 

「え? ノアなの?」

 

「じっとしていてください、その魔力遮断ネットを解いて差し上げます」

 

 するとノアトゥンは、右腕のゆったりとした袖の中から一枚の赤い文字が描かれた札を取り出し、ルカの胸元に張り付けた。そしてそこに人差し指と中指を真っすぐに立てて手刀を作り、札に指をかざして魔法を詠唱する。

 

神勢冠者(じんぜいかじゃ)却丙宣櫨符(きゃくへいせんろふ)

 

(バチュン!!)という音を立て、ルカの体をきつく縛っていたワイヤーが弾け飛ぶようにして消え去った。体の自由を取り戻したルカは立ち上がり、ノアに笑顔を向ける。

 

「ありがとうノア!来てくれるとは思わなかったよ」

 

「何、このようなもの。お嬢さんなら自力で解けたでしょうがね、ほんの手慰みです。お仲間も私が解いて差し上げましょうか?」

 

「ううん大丈夫。2人のネットは私が解くから」

 

 ルカはミキの縛られている椅子に近寄り、エーテリアルダークブレードを抜いて魔力遮断ネットの隙間にねじ込み、いとも簡単に(ブチン)と断ち切った。ついでライルを縛っている網も切断して、2人の体が自由になる。

 

「ありがとうございます、ルカ様」

 

「申し訳ありませぬルカ様、このライル、少々油断しておりました故」

 

「いいのよ2人共。魔力遮断ネットは世界級(ワールド)アイテムなら簡単に切断できる。いざとなれば私が自分の網を切って助けに入るつもりだったから」

 

 ルカ達が無事解放されたのを見て、ノアトゥンは再び都市守護者達の方へ体を向けた。

 

「双方とも剣をお収めください。ユーシス、これで分かったでしょう? あなた達は、ここにいる魔導国の強者一人にすら遠く及ばない。今戦えば、死ぬのは間違いなくあなた達都市守護者だったでしょう。ここからは私もこの会談の場に同席させていただきます。よろしいですね?ユーシス、ゴウン殿」

 

 それを聞いて、フェイロンは椅子の背にドッともたれかかり、大きく首を項垂れた。そして力なく都市守護者達に命令した。

 

「...みなさん、言う通りにしましょう。剣を収め、席についてください」

 

 アインズも皆に指示する。

 

「階層守護者達よ、こちらも剣を収めよ。会談を再開する」

 

 一番殺気立っていたのはアルベドとシャルティアだったが、彼女らがギンヌンガガプとスポイトランスを収めたのを筆頭に、皆次々と武器を収めて椅子に着席した。

 

 そしてノアトゥンもアインズの隣に座り、会談は再開された。

 

「ユーシス、そして都市守護者のみなさん。どうして彼ら魔導国に対しこのように無礼な真似をしたのですか?」

 

「...........」

 

「答えなさい、ユーシス。あなたにはその義務がある」

 

「...世界蛇の力は強大です。それを一個人が独占するなど狂気の沙汰でしかない。長い事消息不明だったルカ・ブレイズが現れた今がチャンスでした。彼女さえいなければ平和的に会談を進めても良かったが、方針変更を余儀なくされた。どの道街が滅ぶのなら、死なばもろとも...とまでは言いませんが、その覚悟を持って我々都市守護者はこの会談に臨んでいるのです」

 

「ルカお嬢さんの能力を知ろうとした訳は?」

 

「世界蛇を捻じ伏せた力ですよ?もしその力の一端でも我々が使いこなす事ができれば、再びあの大蛇の支配権を取り戻せるかもしれないと考えたからです」

 

「なるほど。これに対するお嬢さんの考えをお聞かせ下さい」

 

「繰り返しになるけど、私はネイヴィアの支配権が欲しくて彼を倒した訳じゃないし、彼の力を使ってこの街を破壊しようなんてこれっぽっちも思ってない。それと私の力を知った所で、あなた達には絶対に使いこなせないし、見せる気も教える気もない。会ったばかりなのに切り札を見せるなんて、おかしな話でしょ? ああそうそう、35年前に私達がこの城から盗んだもの、今返すよ」

 

 ルカは中空に手を伸ばし、銀色に輝く壺を三つ取り出して円卓に置いた。それを見てフェイロンは怪訝そうな顔をする。

 

「おやおや、おかしいですね。確か宝物庫から奪われた不廃の壺は全部で五つのはずでしたが...」

 

 そう言われてルカは両手を合わせ、謝るポーズをした。

 

「ごめん!残りの二つは病気で苦しんでいる村のために置いてきたのよ。その三つの中には貴重な蛇髪人(メデューサ)の血も入ってるから、それで勘弁してもらえない?この通り!」

 

 冷や汗をかきながら必死に謝るルカの姿を見て、都市守護者達の目は点になっていたが、その間抜けな姿を前にフェイロンの固かった表情が徐々に崩れていく。

 

「...フッ。ククク、ハッハッハ!伝説のマスターアサシンとまで呼ばれたあなたが、これじゃ型なしですね!...いいでしょう。35年もかかりましたが、正直に返してくれたので許して差し上げます」

 

「良かった、ありがとうフェイロン!」

 

 都市守護者の一人が目配せすると、背後の兵士達が壺を抱えてフェイロンの前に移動させた。それを見てノアトゥンはホッとした顔を浮かべ、再度話を切り出す。

 

「ゴウン殿、ここまでで何か意見はございますか?」

 

 するとアインズは顎に右手を添えて、重々しく口を開いた。

 

「...まず勘違いしないでもらいたいのだが、我々魔導国にはネイヴィアの力を借りずとも、このエリュエンティウを即座に破壊出来る力を持っている。この会談は言わば、そうした不測の事態を避けるための対話である事を重々忘れないでもらいたい。先程のような愚行をあと一度でも行えば我々はそれを宣戦布告と見なし、今この場で貴君もろともこの街を破壊する」

 

 その言葉に円卓の間が凍りついたが、ただ一人フェイロンだけは不敵な笑みを浮かべていた。

 

「存じておりますよゴウン魔導王。あなたがカッツェ平野で王国の兵達を殲滅した力...超位魔法ですね?そんなものをここで使用されてはたまらない。私がルカ・ブレイズに行った非礼をここにお詫びしましょう。ネイヴィアの事もあなた達にお任せします」

 

「ほう、超位魔法の存在を知っているのか?」

 

「もちろんです。ここは位階魔法発祥の地・空中都市エリュエンティウですからね。そうした魔導書の類も多数保管されているのですよ」

 

「ならば超位魔法を使える者達もいるのか?」

 

「いいえ、使えたのは我らの先祖である八欲王達です。魔導書や戦闘の記録等でその存在を垣間見る事ができますが、既に失われた力として私達都市守護者の間に知識として伝わっているのみとなります」

 

「なるほどな。では八欲王がプレイヤーだったという事実についてはどう思う?」

 

「そこまでご存じとは。...そう言えばアーグランド評議国からの書状にもそう書いてありましたね」

 

 フェイロンは、円卓の手元に乗せられた三通の書状の内一枚を広げた。

 

 

───────────────────────────────────────

 

拝啓

 

 

      八欲王の空中都市 エリュエンティウ・都市守護者一同 御中

 

 

       貴国においてはますますご健勝の事とお喜び申し上げる。

 

 長らく緊張状態の続く我が国と貴国だが、交易の道を閉ざさず2国間で今なお共に繁栄し、平和を享受出来ている事を嬉しく思う。

 

 そんな中、先日我が国に変わった客達が訪れた。彼らはこの世界とは全く別の異界からやってきたという事を、包み隠さず詳細に語ってくれた。そしてこの世界がどう構築されているのか・何者の手によって作られたのか等、この世界の真実までも知り尽くしていた。そう、私達竜王の血族がかつて貴国と死闘を繰り広げた八欲王と同じ、ユグドラシルプレイヤーだったのだ。彼らは敵意さえ向けなければ非常に友好的であり、また我々の想像を遥かに超える絶大な力と良識も兼ね備えている。

 その国の名は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国。我がアーグランド評議国は、正式に魔導国と同盟及び友好通商条約を締結した。そこで貴国に一つ提案がある。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国は、貴国・八欲王の空中都市エリュエンティウと会談の場を設けたいと願っている。もしこれが実現すれば、彼らの話は聞くだけでも貴国に多大な恩恵をもたらす事になるだろう。僭越ながら不肖我が国が間に立ち、魔導国と貴国の橋渡しを引き受けたいと考えているのだが、いかがだろうか。

 彼ら魔導国の存在は、冷戦状態にある我が国と貴国の現状を打開し、融和の道を切り開くと言う夢を私に見せてくれるほど大きなものである。もし此度の会談が実現し、貴国が魔導国と友好関係を築けた暁には、我が国で大切に保管しているギルド武器を貴国に返還する事も辞さないとまで私は考えている。

 

 尚会談が実現の運びに至った際は仮の体ではあるが、私も同席する所存だ。

 

 是非ご検討いただきたい。

 

 

       アーグランド評議国 永久評議員・ツァインドルクス=ヴァイシオン

 

 

───────────────────────────────────────

 

 

「ここに書かれている通り、彼らは本当にプレイヤーなのですね?ツァインドルクス=ヴァイシオン殿」

 

「僕の事はツアーと呼んでくれて構わないよ、ユーシス。彼らはその知識と力も含め、間違いなくプレイヤーだよ」

 

「...こうしてあなたとお話しするのは、これで2度目ですねツアー。200年前、十三英雄の一人・白銀としてあなたがこの城へ姿を現した時は、本当に驚いたものです」

 

「本当はあの時、もっとこうしてゆっくりと話が出来ていれば良かったんだけどね。世情がそれを許さなかった。僕は年を取ったけど、吸血王(ヴァンパイアロード)たる所以か...君は昔のままの姿だね」

 

「何、年を取ったのはお互い様です。それにこの書状にも書いてありますが、あなたがそういうつもりでいてくれたという事が嬉しいですよ、ツアー」

 

「ユーシス、良ければなんだが...今度僕達の国へ来ないか?ここにいる都市守護者達も連れてきてくれて構わない。亜人ばかりの国だけど、きっと今なら君達を歓迎できると思う」

 

「......ツアー。喜んで行かせていただきます」

 

 長らく続いた冷戦構造、ギルド武器破壊による都市の崩壊。その不安と重圧に耐え凌いだ日々。それらが脳裏を過ぎり、ツアーの一言で両国間を遮る厚い壁が音もなく崩れ去ろうとしていた。都市守護者として、ギルドマスターとして、ユーシス・メガリス・ヴァン=フェイロンの頬に熱い涙が伝う。それを見て、ツアーはアインズの方へと首を向けた。

 

「済まないねアインズ、話の腰を折ってしまって」

 

「気にするな、全く問題ないぞツアー。2国間の関係改善が進むことは、我が魔導国にとっても有益な事だからな。どんどん進めてもらって構わない」

 

「....フフ、君らしいねアインズ」

 

 マントの裾で涙を拭っていたフェイロンが顏を上げる。

 

「みっともないところをお見せしてしまって申し訳ありません、ゴウン魔導王。それで、ユグドラシルのプレイヤーというのはゴウン魔導王のみなのですか?」

 

「いや、プレイヤーは私と、ここにいるルカの2人だけだ」

 

「そうですか。あのネイヴィアを倒したと言うのもそれなら頷けます。良ければあなた達が知ると言う、この世界の真実についてお聞かせ願えませんか?」

 

「いいだろう。ルカ、頼めるか?」

 

「もちろん」

 

 そしてルカは詳細に語りだした。2人が異世界へ転移した経緯、現実世界、ネットワークの構造、ダークウェブユグドラシルの存在、AIの定義、ユガとメフィウス、エンバーミング社の実験、プロジェクト・ネビュラ、フェロー計画、その他知り得る情報全てをフェイロン達都市守護者に伝えた。

 

 円卓の間がざわつき、都市守護者達がお互いの顔を見やって議論を始める。

 

「八欲王の元居た世界....」

 

「ダークウェブと、それにロストウェブだって?」

 

「ガル・ガンチュアに虚空?聞いた事のない地名だ」

 

「そのメフィウスというのは、神なのか?」

 

「つ、つまりそれはプレイヤーに対しても何らかの実験が行われていると?」

 

「時空を超えて、プレイヤーであるあなた達2人は出会ったというのか?」

 

「地球....そしてアルファ・ケンタウリ星系...途方もない話だ」

 

 

 都市守護者達の議論を黙って聞いていたフェイロンは、八欲王の残した知識と照らし合わせて思考を巡らせていた。そして一つの謎に辿り着く。フェイロンが口を開くと、他の都市守護者達は一斉に議論を止め、彼に目を向けた。

 

「...正直信じられないようなお話ですが、あなた達の言葉を信じるなら、ゴウン魔導王、それにルカ・ブレイズ。あなた達はこの世界を作ったユグドラシル製作者と、エンバーミング社・それにレヴィテック社という存在の策謀にはまり、この世界に転移した数少ないプレイヤーという事になる。これで認識は間違っていませんね?」

 

 ルカはフェイロンを見つめ、大きく頷いた。

 

「その通りだよフェイロン。ただ私とアインズは、元居た現実世界に帰れたことで肉体を取り戻し、その実験から逃れる事ができた。そしてそれこそが、私の目的の全てだったの。それはここにいる仲間たちの助力により達成され、その恩返しとして今私はアインズと魔導国の為に力を貸している。

 

だから安心してフェイロン、私はネイヴィアを私利私欲のために使ったりしないし、この国を破壊するつもりなんて毛頭ない。...何より、ネイヴィアは私の大切な友達だからね。その彼が、あなた達都市守護者とこのエリュエンティウを見守りたいと言っているんだ。その自由意志を、私は尊重するよ」

 

「それで先ほどはあのように無抵抗を貫き通した、と。...分かりました、あなたに対する考えを改めましょう。その言葉を信じます。それでこの世界についてもう一つ疑問が湧いたのですが、よろしいですか?」

 

「もちろんよ」

 

「先ほども言った通り、あなた達はこの世界に転移した数少ないプレイヤーだ。ゴウン魔導王は2138年の世界から、あなたは2350年の世界からこの世界へと転移してきた。そしてルカ、あなたはこの200年の間に、ゴウン魔導王を除いて出会ったプレイヤーは十三英雄のリーダーただ一人だったと言う。それならば、更にそれ以前のプレイヤーである500年前に降臨した我らが先祖・八欲王は、一体どこから来たというのでしょう?」

 

 ルカは顎に手を添え、円卓に目を落とした。

 

「それについては...私もよく分からない。何より私は、現実世界へ帰る事が第一の目標だったから、詳しくは調べていないんだ」

 

 その返答を受けてフェイロンは、ルカの話を黙って聞いていたノアトゥンに目を向けた。

 

「あなたなら、何かご存じではないのですか? ...600年前、かつて六大神と呼ばれた一人、火神・ノアトゥンレズナー。あなたなら...」

 

 その名を聞いてアインズとルカは驚愕の眼差しを向けた。

 

「六大神だと?!」

 

「うそ....本当なのノア?」

 

「....ええ。本当ですよゴウン殿、お嬢さん」

 

ノアトゥンの返事を受けて、ツアーは彼の顔を覗き込む。

 

「まさか....六大神は500年前既に滅んだはずでは?」

 

「伝承ではね。しかし実際は違った」

 

「...という事は、僕達竜王と関りを持った他の六大神達も生きているのかい?」

 

「いいえツアー、生存しているのは唯一私だけです」

 

 ノアトゥンの目から光が失せ、憂うような暗い目線を円卓に落とした。それを見て心配になったルカは、再度質問を続ける。

 

「もしかして、ノアもプレイヤーなの?」

 

「そうです。しかし厳密に言えば、あなた達のように純粋な意味でのプレイヤーではない。...ゴウン殿、お嬢さん、奈落の底(タルタロス)という言葉に聞き覚えは?」

 

「タルタロス?....確か、ギリシャ神話に登場する原初の神々の名で、奈落そのものを意味する言葉だったはずだが」

 

「そ、そうなの?私は聞き覚えがないけど」

 

「...ご存知ないようですね。込み入った事情があり、今は私の事について詳しくお話することができません。ただ、どうかこれだけは信じてほしい。私はあなた達の味方です」

 

「そう言われて、はいそうですかと信じるバカも居ないと思うがな。ただ、今日の一件でお前には借りが出来た。...どうするルカ? お前が判断してくれていいぞ」

 

「ノア...いつかは、ちゃんと話してくれるんだよね?」

 

「その時が来れば、お二人には全てをお話しすると約束します」

 

 真剣な眼差しで見つめるノアトゥンを見て、ルカは笑顔で頷いた。

 

「分かった、信じるよノア。話を続けよう」

 

「感謝します」

 

 アインズとルカに一礼すると、ノアトゥンはフェイロンに目を向けた。

 

「ユーシス、あなたが疑問に思った八欲王の出自と六大神の真実について、私は全ての答えを持ち合わせています。しかし今言った事情により、詳しくはお伝えする事ができません。ただ、一つだけ言える事があります。八欲王とは、私達六大神を殺す為...ただその為だけに生み出されたプレイヤーであり、それが彼らの目的の全てだったという事です」

 

「!!!」

 

 全員に衝撃が走った。600年前の当事者が語る言葉を前に、都市守護者達はノアトゥンを見つめて茫然自失となる。唯一正気を保っていたフェイロンが、恐る恐るノアトゥンに質問を返した。

 

「...それだけが目的だった、とは?」

 

「言葉の通りですよ、ユーシス」

 

「し、しかしそのような事、空中都市に残された書物と記録には一言も....」

 

「きっとあなた達子孫には知られたくなかったのでしょう。彼らにとって恥ずべき記録ですからね」

 

「では八欲王が紡いだ歴史とは一体?彼らがかつて支配していた、今は無き街や都市は...」

 

「このエリュエンティウも含め、全てその目的の為の副産物です。彼らが自らの力で築いたわけじゃない」

 

「そんな....それなら魔法はどうなのです?!この世界にある位階魔法は、八欲王がもたらしたとされています。現にこの空中都市には、この世にある魔法という魔法が全て記されているという、無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)という確たる遺物が...」

 

 フェイロンは縋るような目で必死に問いただした。しかしノアトゥンはそれを聞いて俯き、首を横に振る。

 

「...あなた達はあの書物が何なのかを、全く分かっていない。その証拠にユーシス、あなた達都市守護者でもあの書物の封印を解いて、その内容を見た者は誰一人としていない。違いますか? ...八欲王がこの世に現れる前にも、位階魔法は存在していたのです。彼らがこの世界に持ち込んだ無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)の存在は、このユグドラシルという世界の秩序を乱し、位階魔法を汚した。ただその為だけに使われ、それ以外の何物でもなかったのです」

 

 ただでさえ青白いユーシスの顏が、血の気を失って更に青ざめていく。隣に座っていたクロエが、心配そうにその肩を支えた。

 

「...ユーシス、気をしっかり」

 

 その様子を冷静に眺めていたルカは、一つの疑問を投げかける。

 

「ノア? 聞きたいんだけど、ユグドラシルの中で過ごした時間は現実世界にも反映される。つまり、2350年に転移した私はこの世界の中で200年を過ごし、現実世界に帰った時には2550年になっていた。あなた達六大神は600年前から存在したプレイヤーということだけど、当然ながら600年前の1950年代にユグドラシルというゲームは存在していない。あなたが本当にこの世界で600年を過ごしたと言うのなら、この矛盾はどう説明するの?」

 

 ノアトゥンは口元に手を当てて苦笑した。

 

「お嬢さん、誰も600年間過ごしたなんて一言も言ってませんよ」

 

「どういう事?」

 

「ならば一つだけお答えしましょう。私はねお嬢さん、2223年7月29日・午前0:00分...つまりユグドラシルⅡの終焉からこの世界の600年前へと転移してきたのです」

 

 それを聞いて魔導国の皆が驚いたが、ルカとアインズはモノリスに書かれていた碑文を思い起こし、新たな疑問が湧いた。

 

「で、でも確かユグドラシルⅡでは、肉体を拉致されたプレイヤーは一人もいなかったはずじゃ?それに2223年だと、時間的にも差異が生じるし...」

 

「だがルカよ、年代は合っている。それにユグドラシルⅡの存在を知っているという事自体、通常のNPCではあり得ん事だ」

 

 するとノアトゥンは隣に座るアインズの肩に手を乗せて2人を交互に見やった。

 

「ゴウン殿、私はNPCではありませんよ。お嬢さんのおっしゃりたい事も分かります。ですが今は堪えてください。いずれ必ずあなた達には全てをお話しします」

 

「...フー、やれやれ。分かった、必ずだぞ」

 

「わ、私も我慢する!」

 

「ありがとうございます、お二人共」

 

 そう言うとノアトゥンは、再び都市守護者達に向き直った。

 

「ユーシス、それに都市守護者の皆さん。私が今お伝えした事は全て事実ですが、それをどう受け止めるかはあなた達次第です。しかし願わくば、皆さんには八欲王と同じ滅びの道を歩んで欲しくはない。

 

それに今ここにいるアインズ・ウール・ゴウン魔導国の方々は、かつての八欲王かそれ以上の力を秘めている事は私が保証します。過去に縛られず、勇気を持って彼らと共に一歩を踏み出してください。そうすれば必ずや、この美しいエリュエンティウにさらなる平和と繁栄をもたらす結果となるでしょう」

 

 その言葉を受けて、都市守護者達の目に希望の光が宿りつつあった。フェイロンは目を閉じて大きく深呼吸し、気持ちを切り替えるようにノアトゥンを見返した。

 

「...全く、200年ぶりにフラリと現れたかと思えば、あなたはいちいち驚かせてくれますね、ノアトゥン。分かりました、会談を再開しましょうゴウン殿」

 

「無論だフェイロン殿、異存はない。そう言えば下の街で耳にしたのだが、エイヴァーシャー大森林近辺で何やら危険なものを発見したらしいな。何かあったのか?」

 

 それを聞いて、都市守護者達がざわめいた。

 

「もうそのような事が噂に...。ええ、お恥ずかしながら実はその事もあり、我々都市守護者はネイヴィアの支配権を取り戻したかったと言うのもあるのです」

 

「というと?」

 

「ここから西へ向かったエイヴァーシャー大森林と砂漠との境目に、我々が見たこともないような恐るべきモンスターが出現しました。通報を受けてから、ここにいるクロエと合わせて都市守護者5人・マジックアイテムを装備させた兵5000で向かわせたのですが、全く歯が立たずこちらにも死傷者が出たために止む無く撤退させました」

 

「ほう、そんなに強いのか。そのモンスターの姿形は?」

 

「詳しくは、遠征軍隊長だったクロエから説明しましょう」

 

 それを受けて椅子からクロエが立ち上がる。

 

「魔導王閣下、強いなどというものではない。あれは200年前に現れた魔神をも遥かに凌駕する化物だ。外見は悪魔ともドラゴンとも見つかぬ姿をしているが、あれを放置すれば必ずやこの世界に再び災いが降りかかるであろう。あんな化物が万が一エリュエンティウに牙をむけば、街は確実に消滅してしまう」

 

「ふむ...」

 

 アインズとルカはお互いに顔を見合わせた。そしてルカがクロエに質問する。

 

「もしかしてだけどそのモンスターがいる近くに、幅5メートル・高さ15メートルくらいの黒い石碑が建ってなかった?」

 

「!! どうしてそれを?」

 

「...まさかルカ・ブレイズ、お前達があのモンスターを召喚した訳ではあるまいな?」

 

 苦虫を噛みつぶしたような顔でクロエが睨んできたが、ルカは慌ててそれを否定した。

 

「違う違う!そんな事はしていないけど、最近世界各地にエノク文字の刻まれた謎の石碑が出現しているんだ。そしてほぼ例外なく、その石碑の傍には強力なモンスターが配置されている場合が多い。私達は訳あってその石碑を追っているんだよ」

 

 そこへノアトゥンが話に割って入ってきた。

 

「ユーシス、それにクロエさん、彼女の言っている事は本当です。私も実は、突如この世界に現れたあの石碑が何なのかを調査する為に各地を回っていました。お嬢さん、先程あなたが話したこの世界の真実についてですが、その中には私も知らなかった事が多く含まれている。

 

そしてそれとあの石碑に書かれている言葉を総合すれば、この世界の行方を左右するほどの謎が秘められていると私は考えています。このタイミングで空中都市と魔導国が歩み寄る事には、大きな意義がある。ユーシス、そしてゴウン殿、この先どうするかを決めるのはあなた達次第です」

 

 それを聞いてフェイロンは自嘲気味に笑うと、アインズ達を見渡した。

 

「フッ、まるであなたの掌の上で踊らされている気分になりますね...。いかがですかゴウン魔導王? 先ほどルカが話した内容を踏まえ、私はあなた達に対する疑念はほぼ解消されましたが」

 

「それに関しては、先程のあなたとノアトゥンとの話を聞いて私も粗方理解できた。ただ一つ強いて言えば、八欲王の子孫であるあなた方都市守護者と、このノアトゥンがどうやって知り合ったのかという点についてだが...」

 

「それは彼が200年前、十三英雄と入れ替わるようにして私達の前に姿を現したからですよ。この空中都市には、彼ら六大神に関する能力や装備と言った、詳細な記録が数多く残されています。それと瓜二つの姿である彼が空中都市を訪れ、魔神を討伐する為に影ながら協力すると申し出てきたという経緯があり、私達都市守護者は火神・ノアトゥンレズナーが生きていたという事を知るきっかけとなったのです」

 

「成程な、理解した。特に異論がなければ、我が魔導国は貴国と同盟及び友好通商条約を結びたいと考えている。了承していただけるかね?」

 

 29人の都市守護者達は一斉にフェイロンの席へと顔を向け、大きく頷いて見せた。それを受けてフェイロンは席を立ちあがる。

 

「もちろんです、ゴウン魔導王。我ら空中都市は正式に、アインズ・ウール・ゴウン魔導国と同盟を結び、両国のより一層の繁栄のために友好通商条約を締結する事をここに宣言します」

 

 その言葉を受けてデミウルゴスは契約書のバインダーを取り出し、両者がサインを記入して交換した事で契約は無事締結された。そのバインダーを手にすると、アインズはテーブルに身を乗り出して満足そうに微笑む。

 

「会談がスムーズに運んだ事を喜びたい。早速なのだがフェイロン殿、我々魔導国はエイヴァーシャー大森林へ調査に向かおうと思う」

 

 都市守護者達は我が耳を疑い、アインズに驚愕の視線を向けた。

 

「なっ...今すぐにですか?! 会談を終えたばかりだというのに」

 

「本当ならば貴国の所有する無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)世界級(ワールド)アイテムを拝見させてもらいたかったのだが、同盟国の抱える不安は早めに取り除いておいたほうがいいだろう?それに私達も碑文の内容を調べられるし、一石二鳥と言う訳だよ」

 

「し、しかしあなたの身をお守りする兵を用意せねばなりません。あの地への調査は今しばらく待っていただきたい」

 

「必要ないさ。この街の兵に被害が出ても申し訳ないのでな、こちらは少数精鋭で行く。ただ道案内が必要ではあるので、その場所を知っている者をつけてくれるとありがたい」

 

「ならばこのクロエをお供させましょう。但し調査に向かわれるのなら、こちらからも二つ条件があります」

 

「ほう、条件とは?」

 

「まず第一に、無理だと判断された場合は何を置いても撤退する事。第二に、この街を守る大蛇ネイヴィアを同行させる事です。この2つの条件を飲めないのなら、あなた達をかの地へと向かわせる訳には参りません」

 

 それを聞いて階層守護者達がざわめくが、アインズは右手を上げてそれを制止した。

 

「分かった、その条件を飲もう 」

 

「ではそこにおられるツアー殿にもお渡しする物があります」

 

 フェイロンが背後に控えていた兵士に何事かを耳打ちすると、円卓の間の扉が開き2人がかりで布に包まれた大きな物体を運んできた。ツアーの前でその布を取り去ると、中には深紅に染まった禍々しい大剣が収められていた。それを見てツアーは驚きの声を上げる。

 

「これは...200年前に僕が借り受けた伝説の大剣・次元の破壊者(フラクタルブレイカー)だね。ユーシス、これを出してくるという事はよほどの強敵なのかい?」

 

「その通りです。そしてその剣は、八欲王以外にはあなたしか使いこなせない武器。どうぞお持ちください」

 

「...分かった、ありがたく貰い受けておくよ」

 

 ツアーがそれを受け取ると、アインズは椅子から立ち上がりテーブルを回り込んで、フェイロンと握手を交わした。

 

「我々魔導国を受け入れてくださり、感謝するぞフェイロン殿」

 

「ゴウン魔導王、こちらこそよろしくお願いします。くれぐれもあの化物を前にご無理はなさらないでくださいね」

 

「フッ、承知した。クロエ殿も道中の道案内をよろしく頼む」

 

「了解した、ゴウン魔導王閣下」

 

 アインズは後ろを振り返り、席を立ったノアトゥンに声をかけた。

 

「お前はどうするノアトゥン? 無理に同行せずともよいのだぞ」

 

「何を言われるのですゴウン殿、私も当然同行させていただきますよ」

 

「分かった。各自準備が出来次第出発だ。皆の者よいな?」

 

『ハッ!』

 

 そして会談は無事終了し、準備を終えた者達は蛇神の門へと集合した。そしてルカは、そこで待っていたネイヴィアに笑顔で駆け寄っていく。

 

「お待たせネイヴィア、待ちくたびれなかった?」

 

「ん?おおルカか!それにアインズ、ツアーと...都市守護者のクロエまでおるではないか。その様子だと会談とやらは無事終わったようじゃのうハッハッハ!!」

 

「うん。空中都市と魔導国は、これで晴れて同盟国になったよ。それで一つネイヴィアにもお願いがあるんだけど、私達と一緒にエイヴァーシャー大森林までついて来てほしいの」

 

「おお、構わんぞ!久々の外出じゃなあハッハッハ!!胸が踊るわい!」

 

「ありがとうネイヴィア」

 

 いともあっさりとチームへの同行を承諾したネイヴィアに皆は驚いたが、アインズは気持ちを切り替えてクロエに質問した。

 

「モンスターの出現した地点まではどのくらいかかる?」

 

「我々の足で7日といったところだが、下の街に馬と馬車を用意してある。早ければ3日程で着けるはずだ」

 

 しかしそれを横で聞いていたネイヴィアが巨大な鎌首をクロエにもたげてくる。

 

「何をバカな事を言っとる!そんな足の遅い馬などでちんたら向かってたら眠くなってしまうわい!わしの頭に乗っていけば良かろう、エイヴァーシャー大森林までなぞひとっ飛びじゃ!」

 

「そ、そうでしたねネイヴィア様。それではお言葉に甘えてそうさせていただきます」

 

「ネイヴィア”様”?」

 

 アインズとルカが疑問符を口にすると、クロエはたどたどしく答えた。

 

「こ、このお方は我らよりも遥かに長寿であり、長年エリュエンティウを守ってくれている守護神なのだ!その地位は、ユーシスを除いて都市守護者よりも上なのだぞ!」

 

「ふーん。そうなのネイヴィア?」

 

 ルカはネイヴィアの鱗を撫でながら大蛇の目を覗き込んだ。

 

「どうもそうらしいのう。まあこ奴らが勝手に決めた事じゃからどうでもいいが、でもわし実際に偉いしブッハッハッハ!!」

 

 アインズはそのやり取りを見て、空中都市とネイヴィアとの力関係がうっすらと見えてきていた。とどのつまりが、空中都市は守護獣であるネイヴィアに頭が上がらないのである。これをうまく利用しない手はないと雑念が過ぎったが、それを振り払いモノリスの調査に集中する。

 

「よし、では出立する!また世話になるぞネイヴィアよ」

 

「おう、任せておけアインズ!」

 

 全員がネイヴィアの頭の上に移動すると、その真っ白な巨体は砂漠を這うように恐ろしく速いスピードで前進していった。クロエが方角を細かく指示しながら、一行はエイヴァーシャー大森林へと向かう。そして4時間もかからないうちに目標地点へと到達した。

 

 クロエが指さす先、ちょうど砂漠と緑の切れ目には確かにモノリスが鎮座していた。しかしどうも様子がおかしい。敵影がどこにも見当たらないのだ。ルカとアインズ達はネイヴィアの頭から飛び降りて、慎重にモノリスへと接近する。敵が突如ポップ(出現)する事を警戒してジリジリと間を詰めていくが、結局何も出現しないままモノリスへと辿り着いてしまった。上を見上げると、魔力の通ったモノリスの文字が淡く青色に光っており、その土台部分には転移門(ゲート)が開いている。と、その時だった。

 

 ネイヴィアが首を上げると同時にルカも反応し、2人はある一点を見つめた。

 

「おいルカ、見つけたぞ!あれが敵なのではないか?上から見ると森の中におる!」

 

足跡(トラック)でも感知した、南西方向、距離およそ1.9キロ。ネイヴィア、そのまま目視で追いつつこの場で待機!アインズ、みんな行こう。私についてきて!」

 

「了解した!」

 

 そして森の奥に進んだ先、アインズとルカは遠巻きにあり得ないものを目にした。それは首から上に竜の頭を持ち、その下から腕・足までが爬虫類のような紫色の鱗で覆われた、全長40メートルはあろうかと思われる2足歩行の巨大なモンスターだった。手には巨大なスピアと盾を持ち、全身がヌラヌラと湿っぽく光沢を放っているおぞましい姿に、ルカとアインズは戦慄した。

 

「バ、バカな...何でこいつがこんな所に」

 

「ルカ、お前この化物を知っているのか?」

 

 アインズのその問いには答えず、ルカは左耳に手を当てて叫ぶように言った。

 

伝言(メッセージ)!クロエ、ネイヴィアも聞こえてる?』

 

『おお、聞こえておるぞルカよ!』

 

『問題ない、ルカ・ブレイズ』

 

『今から私の言う事をよく聞いて。状況・世界級(ワールド)エネミー。繰り返す、状況・世界級(ワールド)エネミー!こいつの名はベリアルという悪魔系のモンスターだ。弱点耐性はない。HPも火力もレイドボスを遥かに上回る強敵だ。よって各自最大級の火力を持つ超位魔法でこいつと当たれ!

 

但しこれから言う私の作戦をよく聞いて、各自聞き逃さないように。まずアルベド、コキュートス・ライル・ユーゴが挑発(タウント)系の武技を使ってベリアルをネイヴィアの前まで誘導する。その後ネイヴィアがベリアルに攻撃開始。ベリアルがネイヴィアに気を取られている隙に、私達は両サイド・後方から魔法でSK(集中攻撃)だ、いいね?』

 

『了解!』

 

『チーム編成を伝える。ルカ・ミキ・ツアー・アルベド・ユーゴ・ルベドが第一チーム、アインズ・シャルティア・コキュートス・ライル・アウラ・マーレが第二チーム、イグニス・ノア・デミウルゴス・セバス・クロエが第三チームの遊撃隊に回れ。いい?絶対に無理しちゃだめよ。特にタンク、世界級(ワールド)エネミーの火力は半端じゃないから、ダメージを食ったらすぐに下がって回復に専念して。後方にはネイヴィアが控えている。ヤバくなったら全てを彼に任せて。いいわね?』

 

 そして3チームがベリアルに向かって突進した。タンクであるアルベド・ユーゴ・コキュートス・ライルが先制すると、ベリアルに向かって武技を叩き込んだ。

 

信念の拒否(スタンドファスト)!」

 

反逆の嘲り(トリーゾンタウント)!」

 

矛の埋葬(バリーザハチェット)!」

 

円周の斬撃(サークルスウィング)!」

 

 ベリアルの足首に向かって攻撃が決まると、周囲を劈くほどの恐ろしい咆哮を上げ、タンク組の4人に向かってその敵意を剥き出しにした。それを見てルカは一斉に指示を飛ばす。

 

『よし、挑発(タウント)成功だ!タンクの4人は着かず離れずでベリアルを森の出口へ誘導しろ。ブレスに巻き込まれるな。その他は100ユニットの距離を保ちつつ後退!』

 

 ルカの適切な指示により、ベリアルはネイヴィアの待つ東側へと誘導され、そして遂に全員が森の出口を抜けてネイヴィアの後ろへと回り込んだ。

 

『ネイヴィア、今だ!!』

 

『行くぞお主ら、巻き込まれるなよ?』

 

 そういうとネイヴィアは首をもたげてベリアルを見下ろし、大きく息を吸い込んだ。

 

海竜の葬送曲(レヴィアタンズ・レクイエム)!!」

 

 するとネイヴィアの正面から左右に分厚い水壁が立ち上り、弾け飛ぶようにしてベリアルに突進した。そして発生した超高圧の津波に押し潰され、ベリアルの巨体が小枝のようにねじ曲がり、吹き飛ばされる。

 

 空中に退避していたルカ達はその様子を注意深く観察していたが、やがて召喚した水が背後の森に吸収され消え失せると、我を見失ったかのようにベリアルがネイヴィアに向かい突撃してきた。そこをすかさずネイヴィアは巨大な尻尾を鞭のようにしならせて打撃を叩きつけるが、ベリアルは辛うじてその場に踏みとどまり、炎属性の強烈なブレス攻撃をネイヴィアに放つ。一進一退の攻防が続く中、ベリアルのヘイトが完全にネイヴィアへと向いた事を確認したルカは、咄嗟に伝言(メッセージ)で皆へ指示を出す。

 

『第一チーム、ベリアルの左翼へ展開、第2チームは右翼、第三チームは背後につけ!これより全方位からの飽和攻撃を行う。各員超位魔法及び始原の魔法(ワイルドマジック)準備!クロエは魔法の範囲外まで退避だ、いいね?』

 

『了解!』

 

 ネイヴィアが激しく応戦する中3チームの布陣が完了すると、ちょうどネイヴィアを挟みベリアルを四方から見下ろすような陣形となった。宙に浮く全員が一斉に両腕を天に掲げると、夕焼けの空に色とりどりの立体魔法陣が空に輝いた。ネイヴィアが尻尾による攻撃でベリアルを吹き飛ばし、距離が開いた瞬間を見計らい、ルカ達第一チームは両腕を地面に向けて振り下ろした。

 

「 超位魔法・最後の舞踏(ラストダンス)!」

 

流動する大暴風(フルイドサイクロン)!」

 

恒星の息吹(ブレスオブノヴァ)!!」

 

吸血者の接吻(ヴァンパイアズキス)!」

 

致命的な苦痛(デッドリーペイン)!!」

 

滅亡への殺意(キリング・ダウンフォール)!!」

 

 6人の放った魔法属性が渦を巻いて入り混じる。目も開けられないほどの閃光が周囲を包み、直後に超高出力の大爆発を引き起こした。強烈な衝撃波と共に茸雲が立ち昇る爆心地の中央で、ベリアルはのたうち回っている。そこへ追い打ちをかけるように、アインズ率いる第二チームが地面に向けて両腕を振り下ろした。

 

「超位魔法・永遠の異次元(アナザーディメンジョン)!」

 

灼熱の太陽(ブレイジングサン)!!」

 

氷塊ノ地獄(フリージングヘル)!!」

 

射突質量弾(パイルバンカー)!!」

 

巨人族の咆哮(ロアオブザヘカトンケイル)!!」

 

「す、すす、重毒素雨の物語(ストーリーオブザトキシンレイン)!」

 

 星幽系・炎・氷・無属性・毒が一体となった恐るべき狂気の爆縮がベリアルの体を押し包む。しかしこれだけの攻撃を浴びてもベリアルの生体反応が消えない。世界級(ワールド)エネミーの強大さを思い知るも、臆することなく第三チームが攻撃に移った。

 

「超位魔法・聖人の怒り(セイント・ローンズ・アイル)!」

 

業火の大罪(ヘルファイア・クライム)!!」

 

悪都の崩壊(コラプスオブソドム)!!」

 

竜王の息吹(ブレスオブドラゴンロード)!!」

 

 後方に下がって退避していたクロエは、目の前で繰り広げられている神話のような戦いを前に言葉を失った。会談の際にアインズの放った、(ネイヴィアの力など借りずともエリュエンティウを破壊できる)という言葉が嘘ではない事をまざまざと知ったのだった。

 

 そしてネイヴィア自身の力も彼女は初めて目にした。(このようなバカげた力を敵に回してはいけない)と思うと同時に、空中都市が彼ら魔導国と同盟を結んだという揺るぎない事実を、誰にともなく感謝したのだった。

 

 しかしその安心とは裏腹に、あれだけの攻撃を受けて全身がズタズタに焼かれ、切り裂かれても、ベリアルはまだ生きていた。ルカはそれを知っていたかのように再度指示を飛ばす。

 

『ネイヴィア、最大火力でとどめを刺せ!』

 

『了解じゃ、皆距離を取れ!この力は先程の魔法よりもさらに強力じゃ、巻き込まれてもわしゃあ責任取らんぞい!!』

 

 それを聞いて第一、第二、第三チームは後方へと飛びのいた。それを見たネイヴィアが口を開くと、まるで弦楽器を糸鋸で弾いているかの如く不快な音が周囲に響き始めた。そしてその口の中にエネルギーが集束し、ネイヴィアの体が微細振動を起こし始める。その光は巨大な球状を成し、ネイヴィアはその殺気とエネルギーをベリアルに向けて一気に放出した。

 

炎竜の日光(ニーズヘッグズ・デイライト)!!」

 

 呪いの言葉と共に吐き出された、血の様に赤い極太のレーザー光がベリアルを、そして背後にある森をも貫いた。そして大爆発の後、塵も残さず灰となり消滅したのだった。

 

 足跡(トラック)反応が消えた事を受けて、ルカは全員に伝言(メッセージ)を送った。

 

足跡(トラック)クリア、周囲に敵反応なし。全員戦闘態勢を解除、お疲れ様』

 

 階層守護者達はホッと胸を撫で下ろし、地面に降り立った。世界級(ワールド)エネミーを相手に強靭な耐久力を見せつけたネイヴィアに、アウラとマーレが笑顔で駆け寄る。

 

「やったねネイヴィア!」

 

「あの、その、えと、凄く強かったですネイヴィアさん...」

 

「何、この程度朝飯前じゃてハッハッハ!!お前達もわしの睨んだ通り、相当な力を秘めておったな。二人共怪我はないかの?」

 

「あたし達は全然大丈夫!」

 

「ぼぼ、僕も大丈夫です!」

 

「うむ、それは何よりじゃ!」

 

 その様子を見てルカが2人の背後からネイヴィアに近寄ると、笑顔を向けてネイヴィアの鼻先を抱きしめた。

 

「大活躍だったね。ネイヴィアがいなかったら、もっと苦戦するはめになっていたよ」

 

「ベリアルと言ったか? 確かに強力な奴じゃったなあ。この500年間戦ってきた相手の中で、一番強かったかもしれんのう」

 

「そうだね。ネイヴィアも大分ダメージを受けたでしょ、回復してあげる」

 

 ルカは鼻先を両手で抱きしめたまま、目を閉じ魔法を詠唱した。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)

 

 ネイヴィアの巨体がボウッと青白く光り、ベリアルとの戦いで負った刺突や火傷の傷がまたたく間に癒えていった。それを受けて、ネイヴィアは嬉しそうにルカの体へと頬ずりしてくる。

 

「他に痛いところはない?」

 

「大丈夫じゃ、完全に癒えておる。お前の回復魔法は本当に大したものじゃのう」

 

「フフ、ありがとう。それじゃアインズ、みんな!少し戻ってさっきの石碑の前まで行こう。何て書いてあるか調べなくちゃね」

 

『ハッ!』

 

 そうして500メートルほど戻り、皆が石碑の前に集まった。ルカは右耳に手を当てて伝言(メッセージ)を飛ばす。

 

『プルトン? あたしよ』

 

『ルカか、どうした?』

 

『例のモノリスがまた見つかったの。今度はエイヴァーシャー大森林近くの砂漠でね』

 

『エイヴァーシャー大森林だと?!...また随分と遠くで見つかったものだな』

 

『アインズとツアーも一緒なんだ。今こっち来れる?』

 

『ああ。こちらに転移門(ゲート)を開いてくれ』

 

『オッケー』

 

 ルカは右手の空いたスペースに人差し指を向けて転移門(ゲート)を開けると、中から腰に一本の剣を差したプルトン・アインザックが姿を現した。

 

「これは皆さんお揃いのよう────」

 

 前口上を述べようとしたプルトンだったが、目の前を遮る巨大な真っ白の壁に気付き、ふと上を見上げた。そこには全長1000メートルを遥かに超える巨大な蛇がチロチロと舌を出し、プルトンを凝視していたのだ。プルトンはそれを見て完全に硬直していたが、見かねたルカがプルトンの肩を揺する。

 

「ちょっとプルトン?この蛇は大丈夫よ、私達の味方だから」

 

「こっ、このばけ...大蛇が味方だと?!一体何があったというのだ?」

 

「簡単に言うとね、彼はエリュエンティウの守護獣でネイヴィア=ライトゥーガっていうの。色々あって今回彼の力を借りる事になったのよ。ネイヴィア、彼はエ・ランテル冒険者組合の組合長で長年の友人、プルトン・アインザックね」

 

 するとネイヴィアはわざとらしく、プルトンの目の前にまで頭を近づけてきた。

 

「プルトンと言うのか。お主、今わしの事を化物と言いかけたじゃろう?」

 

「い、いえ!!滅相もございません、そのような事は...」

 

「...ぷっ、ククク、ハッハッハ!!冗談じゃよプルトン・アインザックとやら!わしと初対面でそれだけ気張っていれば上等じゃわい!ルカが世話になっている者のようじゃな。わしが言うのも変じゃが、今後ともよろしく頼むぞプルトンよ」

 

「か、かしこまりました、は...ハハハ...」

 

 巨大かつ凶悪な外見の割りに砕けた態度を取るネイヴィアに安心する反面、プルトンはこのような魔物を従えるルカとアインズの底知れなさに戦々恐々とするばかりであった。

 

「紹介も済んだところで、早速翻訳をお願いしてもいい?」

 

「...えっ?ああ、うむそうだった翻訳だな、どれどれ....」

 

プルトンは黒いモノリスを見上げ、声に出してその内容を読み始めた。

 

────────────────────────────────────────

 

 

 余談になるが、ユグドラシルではこのRTL機能自体がブラックボックス化されており、メフィウスへの管理者権限でのみ閲覧・アクセスが可能な為、サーラユガアロリキャもこの機能については何も知らない。つまりコアプログラムであるユガにはその権限がないためだ。但しRTL機能の詳細をサーラユガアロリキャのAIが学習した段階で、RTL機能の入出力データをリアルタイムに閲覧する事はできるようになる。しかしこのデータはブラックボックス内の機能拡張ユニット【シーレン】により超高度に暗号化されている為、サーラユガアロリキャには何のデータなのかの判別は出来ない。

 

 尚このユニットを強引に取り出そうとすればブラックボックス自体が崩壊する為、外部から無理に取り出す事はメフィウスの破壊にも繋がる。但しユガに内蔵された暗号解除プログラム【シャンティ】を手に入れ、それを外部【現実世界】でバックアップし、データクリスタルのフォーマットに変えてサーバ内に持ち込み、サーラユガアロリキャにそれを渡して直接使用させる事によって、サーラユガアロリキャはそのデータを1つだけ外部に出力出来るようになる。そしてこのデータ受信先として選ばれるのはサーラのAIの自由意志であり、サーラの信用と信頼を勝ち取った者にしかこのデータの受信者とはなれない。この受信者となれるのは信用と信頼の他にセフィロト=イビルエッジを極めている必要がある。

 

 これに選ばれた者はサードワールドというプログラムを受け取り、現実世界の端末でもサーラユガアロリキャとコミュニケーションを取れるようになり、尚かつコアプログラムを含むユグドラシルというオープンソースのホストアプリケーションをダウンロードする権限を与えられ、全ての時代のデータの流れを閲覧する事も可能になる。要はサードパーティーとなる事が許される。尚このホストアプリケーションには自己診断AI【セブン】が常時走っており、アップロードの時点で不要とみなされた追加ソースに関しては自動的に消去・修復され、元のユグドラシルソースに戻される仕組みとなっている。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

「碑文は以上だ。何のことを言っているのかさっぱり分からんが、お前なら分かるのか?」

 

 そう問われてルカはプルトンを見る。そしてアインズとツアーにも顔を向けた。胸の鼓動が高鳴り、全身の血管という血管が波打っているのが分かる程神経が鋭敏になっていた。緊張した面持ちを崩さないルカを心配したアインズが、ルカの隣に寄り添いその手を取る。

 

「ルカ。おいルカ、しっかりしろ。大丈夫か?」

 

 しかしそう言われてもルカは微動だにせず、アインズの手を握り返すばかりだった。ようやく考えがまとまったのか、ルカはアインズの手を離し、改めてモノリスを見上げた

 

「....分かった」

 

「ん?何が分かったのだ?」

 

「....恐らくだけどこの碑文は、私に当てられたメッセージだ」

 

「...どういう事だ? 詳しく説明しろ、ルカ」

 

「...アインズも知ってるよね?私が現実世界でダークウェブユグドラシルの解析を進めているって。その中で、どうやっても外部から侵入できない強固なプログラム群があった。それがブラックボックス。つまりこの碑文は、この世界のAI生成及び統合管理を司るするコアプログラム・メフィウスの内部構造が記されたメッセージなんだよ」

 

「...それはつまり、今まで発見された碑文は全てお前に当てられたものだったのか?」

 

「そうとは断言できる要素はない。でも、条件が合いすぎている。この碑文から分かる事は、ユグドラシルというサーバを設立する為の方法...つまりはサードパーティーになる方法が書かれている。現在はエンバーミング社及びレヴィテック社が独占管理しているけど、それを打ち破る手段を説いている、と言った方が正しいか。つまりは第三世界(サードワールド)と呼ばれるプログラム入手し、新たなユグドラシルという世界を作る為の方法がこのモノリスには描かれている」

 

「新たなユグドラシルだと?それは要するに、神...になるという事か?」

 

「そう。ダークウェブユグドラシルを構成するものは大きく分けて3つ。AI及び統合管理を行うメフィウス、地形及びキャラデータを管理するユガ、そしてブラックホールを使用したRTL機能だ。これら全てを掌握する為には、その基礎構造を知る必要がある。

 

この碑文で言えば、暗号化プログラム【シーレン】、暗号解除プログラム【シャンティ】、自己診断AIプログラム【セブン】といった具合にね。これら全てがメフィウスを構成する要素なら、それだけでも途轍もない収穫だけど、他の碑文と照らし合わせてもまだ全ての文章が集まったとは思えない。このモノリスに書かれた全文を集め、その内容をフォールスに教える事によって、何かのフラグが解除されると見ていいと思う」

 

「それを成し遂げられるのはセフィロト並びにイビルエッジのみ、か。...面白そうじゃないか」

 

 アインズは骸骨故に無表情だったが、2人は自信に満ちた顔でお互いを見つめ合った。ルカはメモした茶色表紙の手帳をアイテムストレージに収め、後ろで話を聞いていたプルトンとツアーにも噛み砕いて説明した。念のためモノリスの土台に開かれた転移門(ゲート)も調べたが、その万魔殿(パンデモニウム)の先には何もない高台だった事を受けて、ルカはすぐに戻ってきた。

 

「よし、それじゃあ転移門(ゲート)閉じるね」

 

「ああ、頼む」

 

上位封印破壊(グレータブレイクシール)

 

(パキィン!)という音と共にモノリス表面のエノク文字から光が消え失せ、転移門(ゲート)が閉じた。それを見届けてアインズは(バサッ!)とマントを翻し、背後で待つ階層守護者達に体を向けた。

 

世界級(ワールド)エネミーを相手に皆ご苦労であった!これよりエリュエンティウへ帰還する」

 

『おおー!』という勝どきと共に、アインズは砂漠に向けて指を差し、魔法を詠唱した。

 

転移門(ゲート)

 

 目の前に暗黒の穴が開いたが、ネイヴィアにとっては豆粒ほどの大きさでしかない。しかしその穴へネイヴィアが鼻を近づけると、転移門(ゲート)の穴がグンと拡大しネイヴィアの巨体でも通れるほどの面積にまで膨れ上がった。

 

 そのままネイヴィアは暗黒の穴を通過し、続いてアインズ、ルカ達も転移門(ゲート)へと足を踏み入れた。

 

 着いた先はネイヴィアの居た貯水池だったが、空中都市へ行くために再度皆がネイヴィアの頭に乗り、城へと辿り着いた。

 

 

 ────空中都市 城内 19:55 PM

 

 

 円卓の間へと案内され、30人の都市守護者と魔導国一同は席に着く。クロエからの報告を聞いたフェイロンと都市守護者達は驚嘆の声を上げ、皆がアインズ達魔導国の面々に目をやった。

 

「ゴウン魔導王、あのように強大な魔物を打ち滅ぼしていただき、感謝の念に絶えません。何とお礼を申したらよいか...」

 

「いや、気にするなフェイロン殿。私達も貴重な情報が手に入ったのでな、全く持って問題ないぞ」

 

「ゴウン殿、あなた達の力に敬意を表します。これ以後私の事はユーシスとお呼びください」

 

「では私の事もアインズと呼んでくれて構わないぞ、ユーシス殿」

 

「恐縮です。本当ならば私があなた達と同行したかったのですが、私はギルドマスターの身。如何ともしがたい状況にあったのです、どうかお許しください」

 

「あの砂漠に出現したモンスターは、ネイヴィアとほぼ同等の強さを持った世界級(ワールド)エネミーだった。ユーシス殿が来たとしても、あなたを先陣に立たせる余裕はなかった、気にされることはない」

 

「そうでしたか、そう言ってくれると救われます。アインズ殿、ここを出る前に言っておられましたね。我が国の至宝、無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)と、八欲王が残した武器をご覧になりたいと。よろしければ、今ご覧になられますか?」

 

「おお!それはありがたい。是非とも拝見させてもらおう」

 

 そして一同は城の6階にある吹き抜けの大広間へと案内された。天窓から日差しが差し込み、奥行き40メートル程あるその最奥部にそれはあった。

 

 大理石で出来た台座が2本設置されており、それぞれに分厚い書物が2冊乗っている。左の台座に乗せられた書物をユーシスが手に取り、アインズに差し出した。

 

「これが無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)です。どうぞお手に取ってみてください」

 

 見ると金属で組まれた頑丈そうな表紙に、解読不能な謎の文字が刻まれている。重量はずっしりと重く、3つの鍵によって書物が開かないよう厳重に封印してある様子だった。

 

 アインズは試しに力を込めてみるが、全く動かず開く気配がない。アインズが無理に開けようとすればするほど書物はスパークし、封印の魔法陣が表紙に浮かび上がっていた。

 

「なるほどな。ユーシス殿、これは貴殿らでも見た事がないのだな?」

 

「その通りです。この書物の内容を閲覧できるのは、この世に既にない八欲王のギルドマスターのみと伝承で伝わっております」

 

「理解した。それで? この右隣にある同じような書物は一体何だ?」

 

「この書物の名は、忌むべき書(ブックオブタブー)と呼ばれている呪いの書物です。無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)と同時期に制作されたらしいのですが、それ以上の情報は私共でも持ち合わせておりません。ただこの書物には、決して見てはならないという程の恐ろしい情報・あるいは魔法がかけられているという伝承があります」

 

「なるほど。面白そうな話だが、この内容すらもお前は知っているというのだな? 火神・ノアトゥン・レズナーよ」

 

 アインズは嘲笑気味にノアトゥンを見たが、首を横に振りノアトゥンはそれを否定した。

 

「ゴウン殿、無銘なる呪文書(ネームレススペルブック)に関しては存じ上げていますが、このような忌むべき書(ブックオブタブー)などという書物に関して、私は何の知識も持ち合わせていません」

 

 その様子を見て、ルカはノアトゥンに問いただした。

 

「ノア、お願い本当の事を言って」

 

「本当ですよお嬢さん! ...全く困りましたね、私は生き字引ではないのですよ?」

 

 本気で焦っているノアトゥンの様子を見て、ルカはそれ以上問い詰める事はしなかった。

 

 そしてその後は八欲王の残した武器防具が収められているという宝物殿に入り、弓や剣、槍や鎧等、アイテムの一つ一つをアインズとルカが詳細に鑑定していった。

 

「これは....ひどいね」

 

「ああ、ひどいな。バランスブレイカーどころの騒ぎじゃない」

 

「ツアー、さっきユーシスからもらったその腰に下げてる武器、見せてもらえる?」

 

「もちろんだよ」

 

 ツアーはユーシスから貰い受けた世界級(ワールド)アイテム、次元の破壊者(フラクタルブレイカー)を差し出し、ルカに手渡した。

 

道具上位鑑定(オールアプレイザルマジックアイテム)

 

 

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アイテム名: 次元の破壊者(フラクタルブレイカー)

 

装備可能クラス制限: ドラゴンウォリアー

 

装備可能スキル制限:片手剣100%

 

装備可能種族制限: 竜人・竜王

 

 

攻撃力:4090

 

効果: INT(知性)+1000、CON(体力)+700、SPI(精神力)+1200、物理耐性90%、魔法無効(LV90)、即死(Lv70)、エナジードレイン確率90%、神聖Proc発動確率50%、命中率上昇150‰

 

耐性: 世界級耐性120%

    神聖耐性50‰

    炎耐性120%

 

アイテム概要: 六人の邪神を倒すためにのみ作られた魔剣。これを手にした者は底知れぬ無限の力を得ると共に、その魂を剣に捧げる事により(Lv3・3000unit)、全てを滅ぼし得る絶大な火力を手にする事になる。

 

 

 

耐久値: ∞

 

 

 

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 ルカは呆れた顔でアインズに目を向けた。

 

「これを作った人、極端なステ振り(ステータス振り)論者だったんだろうねえ。気持ちは分かるけど、これじゃあ少なくとも私には勝てないな」

 

「俺もこんな武器を持っている奴に負ける気などせん。対策のし放題じゃないか」

 

 それを後ろで聴いていたユーシスが慌てて口を挟む。

 

「お、お気に召しませんでしたでしょうか?」

 

「いや、そういう訳ではないが、それにしてもバランスが悪すぎる武器だと思ってな」

 

「ステータスを振り分けるなら、もっと思い切り特化した武器にすべきだよね?それか、スキルの向上に役立つパラメータを追加するとか」

 

「ステータスが高いという点で、何か問題があるのでしょうか?」

 

「簡単に言うと、ステータスを下げる魔法や武技は重複するの。例としてディフェンス1200の相手でも、盲目(ブラインドネス)の魔法をかければ、その敵は1/10、つまり120しかディフェンスがなくなってしまう。そしたら攻撃は当たり放題。ステータスに頼り切っていると、そういう事態に陥りやすいのよ」

 

「まあここで講義を始めても仕方あるまい。ユーシス殿、見せてもらい感謝するぞ」

 

「いいえ、お役に立てたなら幸いです。アインズ殿、今日は夜も更けてきた。晩餐の用意もしてあるので、今日はこちらに泊まっていかれては如何でしょう?」

 

「ふむ....」

 

 アインズは少しの間熟考したが、やがて首を縦に振った。

 

「此度の活躍はネイヴィアあってのものだ。南西にある蛇神の門...貯水池のほとりでなら、晩餐も行えよう。それならば喜んで世話になろう」

 

「なるほど、かしこまりました。それでは早速用意させますので、皆さんは客室の間でごゆるりとお待ちください」

 

 そしてエリュエンティウ側の準備も終わり、アインズ達は用意された馬車で貯水池へと向かった。桟橋の上でルカが(ピューイ!)と口笛を吹くと、水底からネイヴィアが巨体を震わせて姿を現した。

 

「おう、なんじゃお前らか!こんな時間に何事じゃ?」

 

 ルカはそれに笑顔で答える。

 

「こんな時間にって、まだ20時過ぎだよ!今日はネイヴィアも頑張ったし、みんなでパーっと祝杯を上げよう!」

 

「祝杯だと?ハッハッハ!!いいだろう付き合ってやる!わしの分の酒も用意してあるんじゃろうな?」

 

 その問いにはユーシスが答えた。

 

「もちろんですよネイヴィア。ワインでもビールでも、浴びるほど飲めるよう用意してあります」

 

「ほう?威勢がいいのうユーシス!こうして皆で飲むのも久々じゃて!」

 

 用意されたテーブルと食事、そして大量の酒を前に皆はグラスを掲げた。ネイヴィアのいる桟橋の前には、酒樽が山の様に積まれている。そしてユーシスが音頭を取った。

 

「魔導国の皆々様方! 今日この日、我ら八欲王の空中都市・エリュエンティウの不安を取り除いていただき、心より感謝を申し上げます!アインズ殿は元より、この場のきっかけを作ってくれたツアー殿、ノアトゥン殿、そしてルカ、ネイヴィアにも、乾杯!!」

 

『かんぱーい!!』

 

 皆が一斉にグラスを仰ぎ、酒が進んでいった。それは笑顔に満ちた酒宴となり、アインズ、階層守護者にミキ・ライル・イグニス・ユーゴを含め、皆が皆それぞれの楽しいひと時を貯水池の水辺で過ごした。ネイヴィアも開けられたワインの樽を器用に口で加えて天を仰ぎ、あっという間に飲み干していく。テーブルには粉物料理やエリュエンティウ産の貴重な食物が並び、そのどれもが美味な事を受けて皆は大満足であった。

 

 そこへツアーがユーシスに近寄り、手にしたグラスをぶつけて乾杯する。

 

「君達は飲めてうらやましいね。僕も本当ならこんな鎧などに入らずに、自分の体でここまで来たかったんだけどね」

 

「私達だけ飲んでしまい恐縮です、ツアー」

 

「ユーシス。書状にも書いたギルド武器についてだけど、どう思う?」

 

「それに関しては私も話そうかと思っていた所です。私...いえ、私達のこの国はギルド武器をあなたに管理されているからこそ、平和であり均衡が保たれている。もしあなたがギルド武器を返してくれるとしても、その先に待っているのは戦乱の予感がするのです」

 

「...つまり、ギルド武器を分け隔てて管理した方がいいという見解なんだね?」

 

「ええ。無論私は戦乱などは望んでいませんが、過去の歴史があったからこそ今がある。我がエリュエンティウは、街の命運を握るギルド武器とは分かたれて管理されるべきなのだと思っています。それにあなたに託しているからこそ、この国も健やかに暮らせているのだと私は考えます」

 

「フッ、意外な返答だったね。分かった、ギルド武器は引き続き、僕が責任を持って管理しよう」

 

「恩に着ます、ツアー」

 

 そうして酒が進むうちに、貯水池から頭だけを出したネイヴィアがルカの元にまで首を伸ばし、頬ずりしてきた。

 

「おうルカ!お前何か歌ってくれ!!」

 

 その様子を見て、ルカは慌てて言葉を継ぐ。

 

「ちょっとネイヴィア、酔っぱらってるじゃない!ほらほら、いいからお水でも飲んで...」

 

「たわけ!水なんぞガブガブ飲んどるわい!わしは今、お前の歌声が聞きたいのじゃ」

 

「ええー?!でも、みんな見てるしちょっと恥ずかしいかも...」

 

「あのような美声を持っとるくせに何を言うておる!何でもいいから歌って聞かせるのじゃ」

 

「わ、分かったよ!もう、さては酔っぱらった勢いで言ってるな...」

 

 仕方なくルカは桟橋に立った。そして四角錐のクリスタルを取り出すと、その中心にあるボタンを押し、天に向かって放り投げた。するとクリスタルは青い光を発し、空中で静止する。そしてルカは腰を屈め、皆から目を伏せてその時を待った。そのクリスタルから突如激しいトライバルな打楽器音が流れ始めた。それと共にルカはリズミックに体を振動させる。地の底を震わすようなアフリカンドラムとベース音に、印象的なハープとストリングスの高音がアクセントを加える。

 

 伴奏のヒートアップと共にルカのダンスも激しさを増していき、その初めて見るルカの舞い踊る姿を見てアインズと階層守護者達は興奮し、体を揺すった。

 

 その人間離れした鋭い動きと共に舞うダンスは、階層守護者全員を釘付けにした。そして次の瞬間、それを聞いている皆の背筋に武者震いが走ったのだった。

ルカの鮮烈かつ情熱的な歌声が貯水池に鳴り響く。

 

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A(C3) wall(G3) storong(F3 F3) in(G3) numbers(C3 D3 C3 A#2)(強靭な壁を築いて)

 

Burns(C3) the(D3) midnight(D#3 F3) candle(D#3 F3 D#3 D3) (真夜中にロウソクを灯そう)

 

The(C3) brave(G3) arm(F3 F3) in(G3) arm(C3 D3 C3 A#2) (あなたの勇ましい腕を持って)

 

Stands(G3) before(F3 D#3) them(D3) now(C3) (彼らの前に立つ)

 

Up(G2) against(A#2 C3) the wind(D3 C3 C3) (風上に向かって)

 

Old ways(D#3 D3) Up(G2) against(A#2 C3) the wind(D3 C3 C3)(風に逆らって古い道へ)

 

The(C3) game(G3) is in(F3 G3) their hands(C3 D3 C3 A#2) (ゲームは彼らの手の中にある)

 

Calling(C3 D3) out the(D#3 F3) colour(D#3 F3 D#3 D3) (その色を叫び続ける)

 

Togetherness(C3 G3 G3 F3) their(G3) courage(C3 D3 C3 A#2) (一体感は私達に勇気をもたらす)

 

Recognize(G3 F3 D#3) the(F3) power(D#3 F3 D#3 D3) (今こそ力を認める時だ)

 

Make(D#3) a(D3) stand(C3) before(D3 C3) them(G2) (彼らを前にしても、姿勢を崩さないで)

 

Old(C3) ways(G2 G2) follow(A#2 A#2) the(C3) beaten track(D3 A#2 A#2 C3-) (古い道を行く事は常道に繋がる)

 

Against(G2 G2) the(A#2) wind(C3) (風上に向かって)

 

Against(G2 G2) the(A#2) wind(C3) (風上に向かって)

 

 

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 ルカの太く鮮烈な声が暗くなった夜空を染めた。感極まったアウラとマーレは、ルカが舞い踊る横ではしゃぎまわり、アインズはその美しい旋律と姿を見て拳を握った。デミウルゴスとコキュートスはルカの舞い踊る姿を見て乾杯し、アルベドとシャルティアはお互いを抱きしめ合った。

 

 その姿を見て涙していたルベドを気遣い、セバスがハンカチでその涙を拭い二人で乾杯する。イグニスとユーゴは酒を手に肩を組んで曲に酔いしれ、ミキとライルもその歌を聞いて癒されつつ乾杯した。そしてノアトゥンもルカに眩しい視線を送っている。彼らが経験した事のない音が、そこにはあった。

 

 そしてルカが歌い終わり、テーブル席にいた45人が一斉に拍手喝采を送った。ルカの背後で聞いていたネイヴィアも大喜びでルカに体を摺り寄せる。

 

「お前天才。ブッハッハッハ!!歌の腕前は衰えておらんようじゃのう!!」

 

「もう...ネイヴィアがどうしてもっていうから歌ってあげたんだからね?」

 

「ルカ、お前歌だけでもこの世界で食っていけるぞ?まあそんなつもりないのは知ってるけどハッハッハ!!」

 

 ルカの左右にいたアウラとマーレが、その歌声を初めて聞いて感動も冷めやらぬまま腕に絡みついてきた。

 

「ルカ様!あたし...あたしどうしよう、感動しちゃって」

 

「ああんもうお姉ちゃんずるい!ぼ、僕だってものすごく感動しましたルカ様!」

 

 2人の目に涙が滲んでいるのを見て、ルカは腰を屈めて二人を抱きしめた。

 

「そんなに良かった?2人共」

 

「はい!もうルカ様になら....何を捧げてもいい気分です!」

 

「だ、だからずるいよお姉ちゃぁん!僕だってそのつもりです!!」

 

「ありがとう。じゃあ二人共本当にそう思ってくれるなら、私にご褒美ちょうだい?」

 

「え、ええ?!そ、そのあたしなんかがルカ様にご褒美なんて、おこがましいかも知れませんけど....」

 

「ぼぼぼ、僕もそれは嬉しい事ですけど、ルカ様にとってご褒美になるかどうか...」

 

「もう。二人共何考えてるの? ...キスして。私のほっぺに」

 

『もちろんです!!』

 

 二人は声を揃え、ルカの両頬にキスをした。天使のような柔らかいキスを受けて、ルカは目を閉じた。

 

「ありがとう。喉かわいちゃった、席に戻ろう?」

 

 そしてルカはアインズの隣に座り、ワインをぐいっと仰いだ。隣に座るデミウルゴスが、ワインのボトルをルカに差し出してくる。

 

「ルカ様のすばらしい歌声、このデミウルゴス感服致しました!」

 

「フフ、ありがとうデミウルゴス。そんなに喜んでもらえるとは思ってなかったよ」

 

 その話の間中、アインズはルカを見つめていた。そして気がかりだった事を一つ質問した。

 

「...ルカ、お前は何故そのように歌がうまいのだ?」

 

「え?何故...と言われても、返答に困るな」

 

「お前がネイヴィアを呼び出した時に使用したあの呪文、俺でも知らなかった呪文だった。あれは一体?」

 

「あれ、 アインズには話してなかったっけ? 私、吟遊詩人(バード)のクラスも極めてるのよ。あの魔法(永続する夜明け(パーペチュアルドーン))は、実はデバフ属性の魔法でね。ユグドラシルβ(ベータ)で追加された魔法なの。その後の歌はただ歌っただけで、呪文でも何でもないよ。でも歌が上手いと思えるのは、そのせいかもね」

 

吟遊詩人(バード)だと?!それは初めて聞いたぞ」

 

吟遊詩人(バード)はローグ職に必須なクラスよ?逆に言えば、ローグ職にしか使えない魔法やスキルがてんこ盛りなのが吟遊詩人(バード)の特徴なの。覚えておいてね」

 

「...つまりお前は、音波魔法が使えるという事か?」

 

「そうなるね。吸血魔法と同じく、基本的にアイテムやアクセサリーでは音波魔法は防御できない。それを私が見逃すと思う?」

 

「....恐ろしい奴だなお前は。敵に回していたらと思うとゾッとするぞ」

 

「敵じゃないでしょ私は? それに、特に見せる機会もなかったから見せなかっただけ」

 

「頼もしい限りだ。色々あったが、今日はいい日だった」

 

「乾杯、アインズ」

 

「乾杯、ルカ」

 

 二人は(キン!)とグラスを交差させ、ぐいっと酒を仰いだ。彼らの背後では、ネイヴィアがアウラとマーレを頭に乗せてはしゃぎまわっている。そこからしばらく宴が続き、やがて宴もたけなわとなってきた頃合いを見てクロエが横槍を入れてきた。

 

「みなさん、お楽しみの所申し訳ないが、そろそろ城に戻ろう。城内でも酒は飲めるので、続きはそちらでお願いしたい」

 

 それを受けて魔導国一同は頷いて返し、プルトンを帰還させるための転移門(ゲート)を開く。続いてユーシスの開けた転移門(ゲート)で皆は空中都市へと戻った。各々が部屋へと案内され、そこで休息を取る事になった。

 

 ルカは備え付けのバスタブで体を洗い流し、髪を乾かしていた。左腕に巻かれた時計に目をやると、丁度0時を回った頃だ。すると唐突に(コンコン)と部屋の扉がノックされる。ドアを開けると、そこには白のネグリジェを着たアルベドが立っていた。ルカは昼間の約束を思い出し、アルベドを室内に招き入れる。

 

「...ごめんなさいルカ、一人ではなかなか寝付けなくて」

 

「いいんだよアルベド、今日は色々あったからね。軽く寝酒でも飲む?」

 

「ええ、いただくわ」

 

 テーブルに備え付けられたデキャンタを手に取り、グラスに赤ワインを注いで(キン!)と二人で乾杯した。世界級(ワールド)エネミーの事やネイヴィアについて語り合いながら時刻は深夜1時を過ぎた。部屋の明かりを落とし二人は天蓋付きの広いベッドに横になる。お互いに抱き寄せ合うようにして足を絡ませ、眠りに落ちようとしていた時だった。

 

「...ルカ?」

 

「何?」

 

「その、アインズ様の事だけど...」

 

「...うん、ごめん。本当はアインズの体を洗うために、一緒にお風呂入ったんだ」

 

「やっぱり...そんな事だろうと思っていました。ルカもその...アインズ様の事を好きなのですか?」

 

「...うん。好き、だよ」

 

 それを聞いたアルベドはルカの腰を手繰り寄せ、胸元に顔を埋めた。そしてアルベドは大きく深呼吸し、ルカの香りを肺いっぱいに満たす。

 

「分かりました。でもアインズ様の第一妃はこの私です。シャルティアもいますから、ルカは第三妃になるでしょう。これは譲れませんので、それでも良ければ嘘をついたことは水に流します。いいですね?」

 

 羽毛布団の中でアルベドがさらに深く足を絡ませてきた。それを受けてルカはアルベドの額にキスし、頭を胸に抱きかかえる。

 

「それで構わないよアルベド。ごめんね嘘ついて」

 

「正直に言ってくれましたから許します。これでやっと安心して眠れるというものです」

 

「ありがとう。明日もあるし、もう寝ようね」

 

「おやすみ、ルカ」

 

「おやすみ、アルベド...」

 

 

───空中都市西側 蛇神の門 12:41 PM

 

 

「ユーシス殿、クロエ殿、都市守護者の皆、そしてネイヴィアよ。見送ってもらい感謝する」

 

「こちらこそ、色々とお世話になりましたアインズ殿」

 

「またいつでも来いアインズ、ルカ!それにアウラとマーレもな」

 

「ありがとうユーシス、ネイヴィア。何か用があればいつでも伝言(メッセージ)で呼んでね」

 

「お前もな、ルカ!待ってるぞい」

 

「よし、それじゃ帰ろうか。転移門(ゲート)!」

 

 ルカが開けたゲートに皆が入っていくが、ノアトゥンとツアーはそこでふと立ち止まった。

 

「ゴウン殿、お嬢さん、それにツアー殿。私は別に用があるのでここで失礼します」

 

「僕もアーグランドへ帰るとするよ」

 

「え? 二人共一緒に行こうよ」

 

「私もお前達二人を我がナザリックに招きたいと思っていたのだが...」

 

「ありがとうございますお二人共。ですがどうしても外せない用事でして。機会があれば、またいずれ会う事もあるでしょう」

 

「僕も国を長い事空ける訳にはいかないからね」

 

「そうか...残念だ」

 

「ツアーは大丈夫として、また会えるよねノア?」

 

「ええ。どうやら私も歯車の一部に組み込まれたようです。運命の導きがあれば、また必ず会えるでしょう」

 

「フッ、回りくどい言い方をするやつだ。それでは我らも帰る事としよう、ルカ」

 

「うん。それじゃ色々とありがとうねツアー、ノア」

 

「ええ、お嬢さん」

 

「何かあれば僕にもすぐ知らせてくれ」

 

 後ろ髪を引かれる思いでルカは転移門(ゲート)をくぐった。

 

 

 ───ナザリック地下大墳墓 第九層 応接間 14:22 PM

 

 

 アインズ率いる階層守護者達が並ぶ中、ルカは椅子の上で大きく背伸びをした。

 

「んんー!はぁ。何か一気に疲れが出てきたけど、無事に会談が終わって良かったよ」

 

 アインズはそれを受けて大きく頷いた。

 

「全くだ。お前がネイヴィアの主人という面白いおまけもついてきた事だしな」

 

「ほんとだね。一番驚いてるのは私自身なんだから、世話ないよ」

 

「フフ。さて、今後の方針についてだが...やはりここか?」

 

 ルカの広げたオートマッピングスクロールの一点をアインズは指さした。そこはエリュエンティウの丁度真北に位置する都市だった。

 

「スレイン法国か。アルベド、デミウルゴス、どう思う?」

 

「この国は亜人排斥を掲げる都市国家です。エリュエンティウのように上手く事が運ぶとは思えませんし、警戒レベルを最大にして当たるべきかと具申致します」

 

「彼らから見れば、何せ私達魔導国は異形種の集まりですからねぇ。そういった意味でも、今までとは異なり力で捻じ伏せる手段も考えておいた方が得策かと思われます」

 

「ふむ...ルカ、お前の意見を聞きたい」

 

「そうだね...私もスレイン法国との面識はないから、あまり突っ込んだことは言えないんだけど、とりあえずは書状を持ってコンタクトを取ってみて、その態度如何で決めた方がいいと思うかな。今や魔導国は、帝国、竜王国、アーグランド評議国、空中都市、この4ヵ国と正式に同盟を結んでるわけだし、ヘタな事はしてこないとは思うけどね」

 

「それもそうだが、同盟が破られた時の事も考えて行動すべきだとは思うがな」

 

「あまり考え過ぎるのもよくないとは思うけどね。だって魔導国相手に同盟を破るって事は、彼らにしてみれば自分の国が滅ぶのと同じ意味を持つだろうし、それが分からないほど彼らもバカじゃないと願いたいね」

 

「今後の情勢を踏まえつつ、まずはスレイン法国とコンタクトを取るのが先決か。デミウルゴス、後日同盟各国に書状作成の旨を伝えよ。魔導国が送る書状の内容も調整したい」

 

「かしこまりました、アインズ様」

 

「よし、では本日はこれで解散とする!皆ご苦労だった、ゆっくりと体を休めてくれ」

 

『ハッ!!』

 

 

───ロストウェブ 知覚領域外 奈落の底(タルタロス)(エリア特定不能) 15:11 PM

 

 

「失敗した」

 

「2度の失敗だ」

 

「ゲートキーパー...信頼に足るのか?」

 

世界蛇(ヨルムンガンド)の力...些か侮っておったか」

 

「聖櫃及びシーレン摘出の進捗状況は?」

 

「セブンの介入により捗っていない」

 

「オーソライザーとの接触状況は?」

 

「未だ不完全だが、シャンティ解放までには間に合うだろう」

 

「汚染が進んでいる。事を急がねばなるまい」

 

「それと、うまく忍び込んだようだな...」

 

「よくやってくれた...ノアトゥンよ」

 

「恐縮です」

 

「そのまま奴の信用を勝ち取れ」

 

「いざとなれば、ダストワールドでの破壊も辞さん」

 

「ノアトゥンよ、分かっているな?」

 

「その血を捧げよ...」

 

「我らクリッチュガウ委員会の為に....」

 

「...あなた達は彼女をどうするおつもりなのです?」

 

「知れた事。サードワールドを手にする為だ」

 

「消去するのだ」

 

「消去...消去」

 

「この世界は我らクリッチュガウ委員会が管理するのだ」

 

「アノマリー...不穏分子は必要ない」

 

「余計な事は考えるな、ノアトゥンよ」

 

「お前は我らが意思に従っていればそれで良いのだ」

 

「お前は言わば、我らの端末に過ぎぬ」

 

「可能であれば、奴を抹殺する事も厭わぬ」

 

「ルカ・ブレイズ...」

 

「忌々しや...」

 

「動向は逐一報告せよ」

 

「行けノアトゥン。行って忠義を示せ」

 

「...かしこまりました」

 

 

 

 




■魔法解説

物体の看破(ディテクトオブジェクト)

幻術や魔法で作られた物質を看破できる魔法。但し看破できるのは術者のみで、幻術や魔法そのものを解呪できるわけではない


力場の無効化(リアクティブフィールド)

探知系魔法及び範囲内の音声を外部から完全に遮断する魔法。魔法最強化・位階上昇化等により、その位階以下でかけられてきた探知系魔法詠唱者に即死効果をもたらす


集結する軍隊(ラリートループス)

パーティー全体に対し、モンスター及びプレイヤーを倒した際に手に入る経験値を1.8倍にまで引き上げる魔法


忘却の愛撫(オブリピオンズ・カレス)

5秒毎にHPの7パーセントを回復する負属性の持続性回復魔法。効果時間は1分間


永続する夜明け(パーペチュアルドーン)

吟遊詩人(バード)専用魔法。大気を圧縮させて音の伝導率を跳ね上げ、使用する音波魔法の威力を3倍以上に引き上げるデバフ属性の範囲魔法。尚魔法だけでなく通常の音にも影響を与え、拡声効果も持ち合わせる。効果時間は15分間で、魔法有効範囲は300ユニット。位階上昇化等により、デバフのパーセンテージ及び有効範囲が上昇する


却丙宣櫨符(きゃくへいせんろふ)

上位の呪詛・麻痺・トラップその他、ありとあらゆるバッドステータスを解除する符術。尚高位階の魔法を解除する際には、符術師特有の枕詞を付け加える事で威力を強化できる。その内訳は、九頭開祖(きゅうとうかいそ)魔法最強化(マキシマイズマジック)に相当)、天範宙駆(てんはんちゅうく)魔法二十最強化(ツインマキシマイズマジック)に相当)、神勢冠者(じんぜいかじゃ)魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)に相当)となる


海竜の葬送曲(レヴィアタンズ・レクイエム)

周囲200ユニットに渡り大津波を引き起こし、広範囲に渡り大ダメージを与える世界級(ワールド)エネミー専用魔法。激しい濁流により約10秒間の間ノックバック効果をもたらし、回復する隙を与えずに大軍を薙ぎ払う事に適した戦争級の魔法でもある


超位魔法・流動する大暴風(フルイドサイクロン)

木星の大赤班を思わせる巨大な鉱石を含んだ暴風を引き起こし、敵を包み込んで切り刻み、大ダメージを与える


始原の魔法(ワイルドマジック)恒星の息吹(ブレスオブノヴァ)

竜王(ドラゴンロード)のみが使える無属性ブレス攻撃。時空の狭間より流れ込む虚無の超高密度エネルギー体を召喚・集束し、対象に無慈悲の一撃を与える。またリキャストタイムが7秒・キャスティングタイムが5秒と短いため、場合によっては超位魔法よりも脅威度が高い。使用者によって威力は変動するが、イビルエッジの使う月の暗黒面(ダークサイドオブザムーン)に匹敵する高出力の爆発を引き起こす。


超位魔法・吸血者の接吻(ヴァンパイアズキス)

射程120ユニットの中心から80ユニットの広範囲に渡る敵のHPを吸い取り、術者のHPに変換するエナジードレイン系超位魔法


超位魔法・致命的な苦痛(デッドリーペイン)

カースドナイトが操る呪詛系最強魔法。対象者全身の血液を沸騰させ、神経系統に異常をきたし想像を絶する苦痛を加えて大ダメージを与える。尚苦痛はそのままDoTとなり、30秒間続く


超位魔法・滅亡への殺意(キリング・ダウンフォール)

流血属性の範囲型超位魔法。初撃のダメージ量こそ小さいが、高位階の回復魔法でも解除不可能な流血DoTが5分間続く為、この超位魔法を受けた相手はヒールに専念しなければ最終的には死に至り、グループが全滅しかねない程の恐るべき威力を持つ。主に長期戦で絶大な効果を発揮する


超位魔法・氷塊ノ地獄(フリージングヘル)

地面から巨大な氷山を発生させ、鋭い氷の山頂で敵を貫きつつ囲むと共に、最後大爆発を起こす氷結系超位魔法


超位魔法・射突質量弾(パイルバンカー)

鋭利な円錐形の超巨大な大質量金属を召喚し、敵の中心目がけて超高速で敵を打ち砕く超位魔法


巨人族の咆哮(ロアオブザヘカトンケイル)

異界より身長200メートル級の3匹の巨人(兄弟)を召喚し、その絶叫で敵を麻痺させた後に手にした破壊の鉄球で対象者に無慈悲な攻撃を加え続ける召喚系最強魔法。一度召喚すれば対象が死ぬまで消える事はなく、ひたすらに強力な打撃を敵に加え続ける。これから逃れる為には、術者を殺すか、巨人を殺すか、術者が魔法を解除する以外に方法はない。尚術者の命令には絶対服従する


超位魔法・重毒素雨の物語(ストーリーオブザトキシンレイン)

強酸性かつ強度の腐食性を持つ雨を敵の頭上に降らし続ける毒属性の超位魔法。この魔法自体がDoTに近い持続性を持つ為、総合的な火力では最後の舞踏(ラストダンス)に匹敵する火力を有する


超位魔法・聖人の怒り(セイント・ローンズ・アイル)

信仰系超位魔法。直系5メートル程の神聖属性光弾を両腕より連続して数十発叩き込み、着弾と同時に神聖属性の大爆発を起こす


超位魔法・業火の大罪(ヘルファイア・クライム)

符術師の使う獄炎属性の超位魔法。この魔法を防ぐためには獄炎レジストに対応した特殊な装備(例:命の燐光(ライフオブフォスフォレセンス)等)が必要で、通常の炎レジストでは対処できない。また着弾後広範囲に渡り30秒間の獄炎属性DoT効果も併せ持ち、総じて凶悪な威力を誇る


超位魔法・竜王の息吹(ブレスオブドラゴンロード)

竜人のみが使用できるドラゴンブレス系最強魔法。その息吹により敵を凍り付かせて動きを封じ、その後その氷が溶岩へと変わり敵を燃やし尽くす氷結・炎属性の2局面を持つ超位魔法


炎竜の日光(ニーズヘッグズ・デイライト)

ネイヴィアが操る中でも指折りの火力と効果範囲を誇る無属性魔法。その攻撃範囲は射角60度に渡って500ユニットに相当し、サーラ・ユガ・アロリキャの使用する位相次元爆発(フラクタルブラスト)に匹敵する超高火力を有する戦争級魔法。但しキャスティングタイムが5秒、リキャストタイムが3分と非常に長いため、一度攻撃が外れると隙を見せる形となり、連射する事は叶わない諸刃の魔法でもある


■武技解説

信念の拒否(スタンドファスト)

ポールアーム専用の挑発系攻撃。5連撃を与えると同時に、敵のヘイトを自分に向けさせる効果を持つ


反逆の嘲り(トリーゾンタウント)

片手剣専用の挑発系攻撃。5連撃を与えると同時に、敵のヘイトを自分に向けさせる効果を持つ


矛の埋葬(バリーザハチェット)

スピア専用の挑発系攻撃。5連撃を与えると同時に、敵のヘイトを自分に向けさせる効果を持つ


円周の斬撃(サークルスウィング)

両手剣専用の挑発系攻撃。5連撃を与えると同時に、敵のヘイトを自分に向けさせる効果を持つ



■スキル解説

魔力遮断ネット

トラップの専門職・特殊工兵(コンバットエンジニア)が使用できるスキル。形状はシール型・矢型・銃弾型と3種類の消費型アイテムがあり、これらスキルを使用・または撃ちだすにはそれぞれ対応した専用のアイテムが必要となる。またこのアイテムにもランクがあり、伝説級(レジェンダリー)神器級(ゴッズ)世界級(ワールド)の3種類が作成できるが、上位ランクになるほどアイテム作成の為の素材も貴重かつ高価となる為、スキルの使用配分にも注意しなくてはならない。スキルの発動タイミングは術者が自由に決める事ができ、魔力遮断ネットをかけられたモンスター及びプレイヤーは、パワーコストが魔力依存の魔法及びスキル・そして身動きを完全に封じられる。最上位の魔力遮断ネットを破壊する為には、世界級(ワールド)アイテムで切断するか、上位の解呪(ディスペル)系統魔法で解除する以外に方法はなく、また世界級(ワールド)クラスのスキルは危機感知(デンジャーセンス)系統のトラップ探知魔法でも発見不可能となる。扱いが非常に難しいクラスだが、当たれば必殺となる為賛否両論ある玄人好みのスキルでもある。効果時間は5分間


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第6話 慟哭

───ナザリック地下大墳墓 第六階層 闘技場 13:26 PM

 

 

「準備はいい?ルベド」

 

「....ええ。いつでも....いいわ、ルカ....」

 

 漆黒のマントと装備に身を包むルカとは対照的に、目の覚めるような深紅のワンピースを着たルベド。二人は闘技場の中心で腰を低く落とし、ルカはエーテリアルダークブレードを、ルベドはミスリル製のドゥームフィストを正面に身構え、5メートル程距離を置いてお互いに向かい合っていた。スレイン法国へ向けた書状及び作戦の立案にしばらく時間を要する為、空いた時間を利用してルカはルベドとの約束を果たすべく、この場に立っていた。

 

 手抜き一切無しの真剣勝負。望みが叶ったルベドの目は鋭く、しかしどこか嬉しさが込み上げてきているようだった。周囲の観客席には、デミウルゴスを除くコキュートスやシャルティアら階層守護者達やミキ・ライル・イグニス・ユーゴ、プレアデス達が見物に来ている。闘技場に立つ2人の間にはホワイトドレスを着た姉のアルベドが審判として立ち、ゆっくりと右腕を上げ、そして素早く振り下ろした。

 

「始め!!」

 

 戦いの火蓋は切って落とされた。掛け声と同時に2人は弾け飛ぶようにしてお互いに武器を交差させた。通常攻撃とは思えないような超高速でまずは連撃の打ち合いとなったが、手数と重さで優るルベドが押し始め、優勢となる。しかしルカはパッシブスキルの回避(ドッヂ)受け流し(パリー)を併用して防御に徹し、一撃一撃が殺人的な威力を持つ連撃の最中でも、冷静に相手の動きを観察する体制に入っていた。その視線に気付いたルベドは咄嗟に後方へと飛びのき、距離を取る。ルベドはルカに怪訝そうな顔を向けた。

 

「....本気でって...約束....でしょ?」

 

「...相当にDEX(素早さ)を鍛え込んであるね、ルベド。前よりも圧力が増してるから、驚いたんだよ」

 

 ルカは腰を落とし身構えたままルベドに笑顔を向けた。

 

「...そう。じゃあ....もっと驚いて...もらおうかしら」

 

 するとルベドは初撃よりも更に素早い踏み込みでルカの懐に飛び込み、目にも止まらぬ速度で武技を発動した。

 

血火炎の窒息(チョークオブザブラッドファイア)!!」

 

 音速を超えたルベドの拳はソニックウェーブを引き起こし、凄まじい轟音と共に10連撃が叩き込まれた。ルカは辛うじてその重い攻撃をロングダガーで受け流したが、直後ルカの体を紫色のエフェクトが包み込んだ。それを受けたルカの血相が変わる。

 

「PB(パワーブロック)!」

 

 魔法を封じられたルカは咄嗟にルベドから距離を取ろうと後方に飛び退くが、容赦なく追撃の手を緩めずルベドは再度武技を放った。

 

狼の冷笑(ウルフズラフ)!」

 

 超高速で迫る一撃目を受け止めた瞬間ルカの体が黒い靄に包まれるが、それには意も介さず次の39連撃を回避(ドッヂ)で躱し切り、ルベドの首筋目がけてダガーを走らせた。それをルベドは辛うじてドゥームフィストで受け止める。ルカを見るルベドの顏に驚愕の表情が浮かんだ。

 

「...麻痺(スタン)....無効?」

 

「その通り。PBから麻痺(スタン)属性を持つ武技へのコンボか、普通に受けてたら確かにやばかったけど、イビルエッジの私にその手は通じないよ」

 

「....あなたの力が....こんなものでないのは......誰よりも私が知ってる。....見せて、その力」

 

「了解。仕切り直しだ」

 

 (ギィン!)と武器を弾き返し、後方に飛び退いて2人は再度距離を取った。そしてルカは腰を落としたまま、ノーモーションでルベドを睨みつけ、魔法を詠唱した。

 

盲目(ブラインドネス)!」

 

 その瞬間ルベドの視界が完全に断たれると共に、朱色のエフェクトがルベドの体を包み込み、ディフェンスが一気に降下した。それと同時にルカはルベドの懐に飛び込み、正面でダガーをクロスさせる。

 

血の斬撃(ブラッディースライス)

 

 その冷酷無比な10連撃はルベドの全身を切り刻み、傷口から大量の出血が地面に滴り落ちるが、深紅のワンピースのせいで体の流血自体は目立たない。その攻撃を受けて盲目状態のルベドは気配だけを頼りに後方へと退避するが、ルカは追撃の手を緩めなかった。

 

影の感触(シャドウタッチ)虚無の破壊(クラック・ザ・ヴォイド)!」

 

 (ビシャア!)という音と共に麻痺(スタン)でルベドの身動きを封じ、直後に体を回転させて、物理と闇属性Procの強烈な10連撃を叩き込んだ。その勢いでルベドの体が闘技場の端まで吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。それを見てシャルティアは冷静に戦況を分析していた。

 

「...今度は本気ね。私が負けた時と同じようなパターンになってきたでありんすぇ」

 

「...盲目(ブラインドネス)マデ使エルトハ、麻痺(スタン)無効ト合ワセテ、コレデハルベドニ手ノ打チヨウガ無イ。ルベドノ強サハ正面カラノ打チ合イニコソ真骨頂ガアル。遠近双方デ戦エ、尚且ツ絶大ナ火力ヲ有シタルカ様ハアル意味、ルベドニ取ッテ最大ノ天敵カモ知レヌナ」

 

「無謀でありんす。まだまだ奥の手を隠してるようだし、今の私でも良くて善戦としか思い浮かばないでありんすぇ」

 

「フフ、二度負ケタ者ノ言ウ言葉ハ重ミガ違ウナ、シャルティア」

 

「フン。...そうでありんすねぇ、この中でルカ様に一番勝てる可能性があるのは...マーレでありんしょうかぇ?」

 

「えぇぇえええ??ぼぼぼ、僕なんかがルカ様に勝てる訳ないよ...」

 

 アウラと並んで、固唾を飲み戦いを見守っていたマーレは慌てて首を横に振ったが、シャルティアは不敵な笑みをマーレに向けた。

 

「そうでありんすか?あのルカ様の回避力を無効化する為には、AoE(範囲魔法)の連撃が最も効果的でありんす。階層守護者の中で最もAoEに長けて、瞬間火力も高いおんしなら、ルカ様を足止めしつつ大ダメージを与える事も可能でありんしょう?」

 

「ももも、もしそうだったとしても、僕はルカ様と戦おうなんて絶対思わない!」

 

「フフ、おんしは気が弱い所が玉に瑕でありんすねぇ。まあそれも良い所でありんしょうが」

 

「ヌ...ソロソロ決着ガツク頃カ」

 

 階層守護者達は改めて闘技場に目を落とした。ルカは警戒して距離を取ったまま近寄ろうとはしない。流血で深いダメージを負ったルベドは立ち上がり、ルカを睨みつけて魔法を詠唱した。

 

「..治癒力の強化(テンドワウンズ)!」

 

 戦闘中のHP自然回復速度を150%まで引き上げる魔法だが、それを見てもルカは驚かない。

 

「.....え?」

 

 ルベドが瞬きをした瞬間、突如ルカの姿が闘技場内から消え去った。それどころか音も気配すらも完全に立ち消えてしまった。盲目も回復し、流血ダメージ有効時間である1分間を過ぎても姿を現さない。腰を落として警戒しながら、自然回復によりダメージが回復しかけていたが、そこには静寂が残されたのみだった。全員が生命の精髄(ライフエッセンス)を使用して状況を見守っていたが、そこへコキュートスが声を荒げる。

 

「無詠唱化ノ透明化(スニーク)!」

 

「...ここへ来て嫌な予感がしてきたでありんすぇ。コキュートス、そろそろ止めに入った方がよろしいんじゃありんせんこと?」

 

「...イヤ、コレハ真剣勝負。ソレニルカ様モ分カッテオラレルハズダ。ココハ見守ロウデハナイカ」

 

 体力が全快したルベドは闘技場の中心にまで素早く移動し身構えたが、そこで腰を落とした時だった。

 

「....スキル・背後からの致命撃(バックスタブ)・レベルⅢ」

 

 その瞬間ルベドの体が痺れ、凄まじい衝撃と鈍痛が全身を襲った。あまりの衝撃の大きさに視野狭窄を引き起こし、約5秒ほどの間何が起きたのか把握できずにいた。背中と胸の痛みに気が付き下を見ると、自分の胸から2本のロングダガーが突き出ている。それと同時に再度大量の出血が起こり、1秒経つ毎に全身の力が抜けていく。最後の気力を振り絞り背後を振り返ると、そこには無表情で見つめるルカの姿があった。

 

 ロングダガーを素早く引き抜くとルベドは膝から崩れ落ちたが、ルカが背中を支えてそれを受け止め、ルベドの頭を自分の太腿に乗せた。その顔には未だ困惑の表情が浮かんでいる。

 

「...ル、ルカ? 何を....したの?....体の力が...入ら....ない...寒い...よ」

 

「取って置きの必殺技だよ。あと50秒はHPドレインが続く。放っておいたら死んじゃうから、回復するね。魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)

 

 ルベドの体が微細振動を起こし、青白い球体に包まれるが、それでも胸から流れる出血は止まらない。ルベドは生まれて初めて、死を意識した。それはとても悲しく、言いようのない虚無感が全身を支配するものだった。ルカを見つめるルベドの目に涙が滲む。

 

「....ルカ、私....死ぬ....のかな?」

 

「死なないよルベド。私が死なせない、安心して。恐いのは少しだけだから」

 

 その涙を見ていたたまれなくなったアルベドが、ルカの隣に膝を付いてルベドの手を握った。

 

「姉...様....ごめん....なさい....」

 

「バカ。謝ることなどありません、あなたがずっと望んでいた事でしょう?」

 

「....でも、こんな....気持ちに....なるなんて.......私.....」

 

「ルカはあなたとの勝負に本気で臨みました。そしてそのルカにあなたは救われるのです。この経験を忘れてはいけません。いいわね?ルベド」

 

 それを聞いて、勝負を見届けた階層守護者達が観客席から飛び降り、ルベドの周りを囲んで皆が膝を付いた。背後からの致命撃(バックスタブ)の流血ダメージが続いている為、ルカはその間繰り返し約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)を唱え続ける。階層守護者達はしかと見ていた。全員が生命の精髄(ライフエッセンス)を使用し、2度死んでもおかしくない程の総ダメージ量を負っていた事を。ルベドが死を意識するのも当然の結果だという事を、皆が理解していたのだ。

 

 階層守護者達は皆、心の中でルカと戦っていた。そしてその全員が、ルベドとの戦闘を目の当たりにして敗北のイメージを見た。しかし実際に戦い抜いたのはルベドなのだ。それを称賛せずして、何が階層守護者だろうか。皆が皆同じ気持ちでルベドを見つめた。

 

「...ルベド、私はおんしの事を勘違いしておりんした。心の無いゴーレムだとばかり思っていんしたが、今日の戦いでおんしは熱い心を持った戦士なのだと理解したでありんすぇ。...共にこのナザリックを守りんしょう、ルベド」

 

「我ラは全テ一度コノルカ様に負ケタ身。ルベド、ソレデモ立チ向カウオ前ノ姿、今日我ガ目ニシカト焼キ付ケタゾ。且ツテタッチミー様ニスラ勝利シタオ前ハ、此度ルカ様ト戦イ、敗北ヲ知ッタ。モハヤオ前ハ領域守護者ニ留マルベキデハナイ。私ハ強クソウ思ウ」

 

「ルベド、あたしならルカ様を前にしたら逃げ出しちゃうよ。自分の力を試したかったんだね、同じDEXベースとして理解できるよ。あたしにも何か教えてあげられることがあるかも知れないし、一緒にがんばろう?ルベド!」

 

「お、お姉ちゃんの言う通りです!ぼ、僕はその、お姉ちゃんやルベドさんとは違うタイプですけど、補助できる事はたくさんあります...えと、あの、だからその、僕もがんばります!」

 

「...ルベド様。このセバス、しかと見届けさせていただきました。私とルベド様は徒手空拳と、同タイプの守護者。だからこそあなたの覚悟、私は全てを理解しているつもりです。そしてあなたは結論を出した。自分に足りないものが何か、あなたは十二分に理解したはず。共に切磋琢磨し、ルカ様と共に、このナザリックの平和を守りましょうぞ」

 

「みんな.....私、役に立てるかどうか.....でも.....ありがとう.....」

 

 ルベドが右腕を上に掲げると、アルベドを含め階層守護者全員がその手を掴んだ。覚悟の元に悟った死、その心根を皆が共有した瞬間であった。流血ダメージが収束した事を受けて、ルカは回復魔法を止めて背中を支え、ゆっくりとルベドの上体を起こした。背中の埃を払い落とし、ルカは笑顔を向ける。

 

「どう?あたしの本気、受け取ってもらえた?」

 

「...うん。ありがとう....ルカ.....ルカ・ブレイズ......」

 

「もうこんな事は2度とやめようね、ルベド。殺す寸前までやらないときっと君の気が済まないと思ったから、そのつもりでやったよ?」

 

「...私も....それが....望みだった.....ルカ....ルカぁぁあああああ!!!」

 

 戦う事でしか感情を発露できなかったルベド。そのルベドが死を目の当たりにして、初めて知り得た感情。ルベドはルカの胸に抱き着き、大粒の涙を流し続けた。死を教えてくれた存在、そして仲間の大切さを教えてくれた存在。自分を殺せる存在に助けられたという事実に、ルベドは抑圧されてきた感情の全てをぶつけ、ルカの胸で号泣した。そしてルカはまるで我が子を抱擁するかのようにルベドを抱きしめ、泣き止むまでその美しい黒髪を撫で続けた。

 

 そしてルベドが全快した事を受けて、女性守護者達の皆でナザリック大浴場に向かった。ルカとルベドは埃まみれになった体を洗い流し、その後はアインズのいる執務室へと向かい、皆で状況を報告した。その結果を聞いてもアインズは別段驚きもせず、頷きながら淡々と報告内容を聞いていた。

 

「うむ、ルカの勝利か。ルベド、ご苦労であったな。気は済んだか?」

 

「はい....アインズ様。....お気遣いいただき、ありがとうございます....」

 

「ルカ、問題はないのだな?」

 

「ないよ、大丈夫。ルベドも強くなってたし」

 

「そうか、アルベドもご苦労だったな。皆それぞれ部屋で休むがよい」

 

「ありがとうございます、アインズ様」

 

「OK、みんなお風呂に入ってさっぱりしたし、少し横にならせてもらうよ」

 

そう述べて女性守護者達は執務室を出たが、ルベドがルカを引き留めた。

 

「...ルカ?」

 

「ん? なあにルベド」

 

「その....一緒の部屋で休んでも....いいかな?」

 

「いいよもちろん。アルベドも一緒に来る?」

 

「ええ、ではそうさせてもらいましょう」

 

「姉様....」

 

「フフ、何年ぶりでしょうね、あなたと一緒に寝るなんて」

 

「オッケー、じゃあみんなでガッツリ寝ますかー」

 

 そしてルカ達は部屋に移り、3人がネグリジェに着替えてベッドに入った。ルカとアルベドは真っ白なネグリジェだが、ルベドは普段着と変わらず深紅のネグリジェを着込んでいた。ルベドを真ん中にして、左にルカ、右にアルベドが添い寝をした。2人に手を握られ、ルベドはその温もりを感じて安心のあまり微笑みながら横になった。2人が足を絡ませて目をつぶる中、ルベドは薄目を開けて天井を見ながら、ルカ達に問いかけた。

 

「...ルカ?」

 

「うん?」

 

「今日.....私に決めたあの技の名前.....教えてくれる?」

 

「...背後からの致命撃(バックスタブ)LvⅢ。HPドレインが付与される技だよ」

 

「...透明化(スニーク)中にだけ撃てる技?」

 

「そう。これは何もイビルエッジだけの技じゃなくて、アサシン系統のクラスなら誰でも撃てるスキルよ。但し、極限まで鍛えるかどうかは各々の判断だけどね」

 

「そっか。.....姉様?」

 

「なあに?ルベド」

 

「姉様なら....ルカの透明化(スニーク)を見破れる?」

 

「いいえルベド。私はおろか、ルカの使う部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)を見破れるクラスは、この世に存在しません」

 

「....そうなんだ。何か少し...安心した」

 

「フフ、心配しなくとも、フォールスという一部のNPCを除いて、ルカはアインズ様と並び最強ですよ。姉の私が言うんです、信じなさい?」

 

「...はい、姉様....」

 

「二人共、おだてすぎ。私にだって弱い所はあるのよ?」

 

「そうは....見えないな。だってルカ....まだ能力を隠し持ってるんだよね?」

 

「そうですよルカ。あの白蛇ネイヴィアとエリュエンティウのギルドマスター・ユーシスが言っていたではありませんか。あなたはまだ力を隠し持っていると」

 

「あーいや、あれはね...その、普段じゃ危なっかしくて使えない技なんだ。だから、あまり当てにしないでね二人共?」

 

「.....そう言われると....尚更気になるな.....」

 

「そうですよルカ。当てにしてくれと言っているようなものです」

 

「いやいや....参ったなどうも...」

 

「まあそれはともかく、ルベドの望みも果たされました。姉の私からも礼を言います、ありがとう、ルカ」

 

「いいんだよ。時間もある事だし、有意義に使わないとね」

 

「.....殺されかけた相手と私.....今一緒に寝てるんだ......」

 

「こら。何が言いたいのルベド? くすぐっちゃうぞ?」

 

「くすぐるのはだめ。.....だって何か、不思議な気分で.....」

 

「もうこんな事はしないからね。安心して」

 

「.....うん。ありがとうルカ、姉様.....」

 

「どういたしまして」

 

「良かったわね、ルベド。さあ、少し寝ましょう2人共」

 

「....はい、姉様、ルカ、お休みなさい」

 

「お休み.....」

 

「お休みルベド、私の可愛い妹.....」

 

 

───16:53 PM

 

 

 脳内に糸が一本繋がるような感覚を覚え、ルカは目が覚めた。横を見ると、ルベドとアルベドが寝息を立ててすやすやと眠りについている。ルカは2人を起こさないよう最小限の動きで右耳に手をやり、伝言(メッセージ)を受信した。

 

『ルカ、済まない邪魔したか?』

 

『プルトン、大丈夫だよ。どうしたの?』

 

『....仕事だ。お前が魔導国の大使をこなしている最中に済まないが、頼めるか?』

 

『....余程の理由があるんだよね?』

 

『その通りだ。詳しくは会ってから話す。来てもらえるか?』

 

『分かった。でも引き受けられるかどうかはアインズに一任される。それでもいい?』

 

『ああ、もちろんだ。待っているぞ』

 

『分かった』

 

 ルカはプルトンとの伝言(メッセージ)を切り、再度布団の中でアインズに伝言(メッセージ)を飛ばした。

 

『ルカか、寝ていたのではなかったのか?』

 

『アインズごめん、スレイン法国の件はまだ時間かかりそう?』

 

『うむ、今デミウルゴスと煮詰めている最中だが....どうした、何かあったのか?』

 

『うん、実は....プルトンから仕事の依頼が来てしまって。もしまだ時間的に猶予があるなら、引き受けたいと思ってるの』

 

『仕事....というのは、例のお前が昔からやっていた非合法の仕事という意味か?』

 

『そう。プルトンも私の魔導国での現状を把握しているにも関わらず、この時期に頼んでくるって事は、余程の事なんだと思う。引き受けてあげたいんだ、だめかな?』

 

『...いや、誰がだめなどと言うものか。組合長には世話になったしな、俺も恩を返したいと常々思っていた所だ。...行ってやれ、きっと何か大事なのだろう』

 

『ありがとうアインズ。大好き』

 

『フフ、俺もだ。何かあれば逐一報告してくれ』

 

『了解』

 

 ルカは伝言(メッセージ)を切り、静かにベッドから抜けようとしたが、それに気づいたのかアルベドとルベドが小さく寝返りを打った。それを見てルカはそっと2人の頬にキスをし、ルベドとアルベドの顏の前に右手を掲げて魔法を詠唱した。

 

魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)深眠(インスリープ)

 

すると2人は脱力し、再度熟睡へと誘われた。そしてルカはベッドから起き上がり、ハンガーにかけてあったレザーアーマーと武器を装備してマントを羽織ると、再度伝言(メッセージ)を放つ。

 

『ミキ、ライル、イグニス、ユーゴ。起きてる?』

 

『ルカ様』

 

『もちろん起きております』

 

『ルカさん、お休みになられていたのでは?』

 

『起きてるぜ、ルカ姉!』

 

『仕事よ。四人は合流してミキの転移門(ゲート)でプルトンの部屋に来て。私もこれから向かう』

 

『了解しました...が、アインズ様のご許可はいただいているのですか?』

 

『随分久々の仕事ですな。どういった内容で?』

 

『ミキ、アインズの許可は得ている。ライル、詳しくはプルトンに会ってから聞こう。受けるかどうかはその時判断する。イグニスとユーゴもそれでいい?』

 

『了解しました』

 

『合点承知でえ、ルカ姉!』

 

『承知しました。では向こうで』

 

『よろしくね』

 

 そしてルカは部屋の中央へ人差し指を向けて、転移門(ゲート)を開きその中に進んだ。

 

 

───エ・ランテル 冒険者組合2階 組合長室 17:25 PM

 

 

「プルトン、お待たせ」

 

「おお、来てくれたか!他の4人も来るのか?」

 

「もうすぐ来ると思うよ」

 

「分かった。ソファーを新調しておいた、そこに座って待っていてくれ」

 

「6人掛けか。少し部屋が狭くなったね」

 

「それは我慢しろ。今回の為に用意したんだ」

 

「分かったよ。何かこの雰囲気も久々だね」

 

「.........」

 

「どうしたの?いつもらしくないじゃん」

 

「うむ、皆が揃ってから話す」

 

 プルトンは机に両肘を乗せて腕を組んだまま、何故か神妙な面持ちを崩さなかった。ルカはその表情を見つつソファーに腰かけたが、時を待たずしてもう一つの転移門(ゲート)が部屋の中央に現れた。その中からミキ・ライル・イグニス・ユーゴが姿を現す。

 

「ルカ様、お待たせ致しました」

 

「...ん?何だこのソファーは」

 

「組合長、失礼致します」

 

「オッス組合長!ルカ姉は先に着いてたんですね」

 

「皆、急遽よくぞ集まってくれた。そこのソファーに腰かけてくれ」

 

 プルトンはそう言うと席を立ち、皆が座るソファーの前に立った。ルカ達一同が見上げる中、プルトンは重苦しく口火を切る。

 

「早速だが、諸君らに仕事の依頼だ」

 

「内容は?」

 

 ルカがそう問いかけるが、プルトンはルカの目を見返し、口を真一文字に結んだままだった。

 

「....プルトン?」

 

「いや....済まないルカ。今回に限り....つまり、イレギュラーの案件だと思ってくれ」

 

「...どういう事?」

 

 プルトンの切羽詰まった物言いを見てルカはそれを察し、努めて安心させようと優しく問いかけた。ルカの心配そうな眼差しを見て、プルトンは大きく深呼吸してそれに答えた。

 

「....実はな、依頼者がここに来ているんだ」

 

「ちょっ....それってプルトン、ルール違反じゃ?!」

 

「分かっている!!依頼主とは俺が直接やり取りをし、お前との面会はさせない...これが絶対のルールだった。しかし、今回ばかりは事情が違う!」

 

 ルカとプルトンは裏稼業を始めて以後、20年来コンビを組んできた。その際に決めた鉄のルールをプルトンが破った事にルカは衝撃を受けたが、長年組んできたプルトンだからこそ信頼できる言葉の重さがあった。ルカはそれを信じたいが故に、確認の意味を込めて次の言葉を繰り出した。

 

「プルトン。このルールを破ったらあたしはあなたを殺す。初めて会ったあの日....22年前に、そう約束したよね?」

 

 無論現実世界に帰れた今となっては、ルカにそのような意思はなかった。しかしプルトンが何故今更約束を反故にしたのか、その理由が知りたかった。それを聞いたプルトンが拳を握りしめ、苦渋の表情を浮かべているのを見て、ルカの目に涙が滲む。裏切りたくない、裏切られたくない....お互いにその一心だったのだ。

 

 今にも泣き崩れそうなルカの顏を見てプルトンは決意を固め、気丈に振舞った。

 

「ああ、確かに約束した。しかし先ほども言った通り、今回はイレギュラーの事態なのだ。依頼者と会い、それを見た上で俺を殺すかどうか決めてくれ、ルカ」

 

 プルトンの覚悟を決めた目を見て、ルカも大きく深呼吸をしてそれに頷いて応える。するとプルトンは、隣室に続く扉の前に立ち、ドアノブに手をかけた。

 

「控えの間に待機してもらっている。今呼んでくるので少し待っていてくれ」

 

 薄暗い部屋へと入り、後ろ手でドアを閉めた。ルカは不安を隠しきれず、待っている間ソファー正面のテーブルに目を落とし、親指の爪を噛んだが、隣に座っていたミキにその手を掴まれた。極度に緊張すると出るルカの悪いクセだったが、ミキは首を横に振りそのまま手を膝下に降ろし、ルカの手を握りしめた。ミキの柔らかい手の温もりを感じて幾分緊張が和らぎ、ルカもその手を握り返す。そうしてしばらく待っていると、隣室へと続く扉が開いた。座っていた5人が一斉に扉の方を向く。

 

 最初プルトンだけが出てきたのかと皆は思ったが、彼が一歩右に逸れて道を開け、その背中に隠れていた依頼者の姿を見て、ルカはソファーから立ち上がった。

 

 それは遥か昔、ルカ達がこの世界に転移してきた200年前に見た記憶のある姿だった。身長は150センチ程と小柄で、裾のほつれたフード付きの赤いローブで全身を覆い、何より特徴付けていたのは、額に朱の宝石をあしらった幾何学模様とも取れる奇妙な白い仮面を被っていた事だった。そしてフードの下からは、美しい金髪の長い髪が胸元に垂れている。

 

 その少女を見てルカはプルトンに顔を向けたが、プルトンは大きく頷いて返すばかりだった。

 

 するとその仮面の少女は右腕を胸元に掲げ、握り拳を作った。そして人差し指と小指を真っ直ぐに伸ばす。次に親指と小指のみを伸ばし、最後に握り拳を作った。ルカとプルトンを含め、ごく一部の者しか知らないこのハンドサインを何故この少女が知っているのか。その疑問を知ってか知らずか、仮面の少女はそれに答えるように口を開いた。

 

「...天・地・人。よもやこれがお前を呼び出す為の合図だったとはな...」

 

「...うそ、イビルアイ...だよね?どうしてここへ?...いやそれ以前に、何でそのハンドサインを君が知って...」

 

「...うるさい。そんな事はどうだっていい」

 

 外見通りの幼い声だが、心なしか声が震えているようだった。しかしそれを振り切るようにイビルアイはルカの目の前までツカツカと歩いてきた。

 

「そんな事はどうだっていいんだ...ルカ・ブレイズ。やっと...見つけた」

 

 少女はルカの胸にコツンと顔を寄りかからせた。そのままルカの腰に手を回し、抱き寄せて胸に顔を埋める。大きく深呼吸し、イビルアイは言葉を継いだ。

 

「....どうして私達の前から2度も姿を消したりしたんだ。生きていたのなら、どうして私の前に姿を見せんのだ、ばか者め....」

 

 それを聞いて、ルカも少女の背中に手を回して抱き寄せた。

 

「イビルアイ...ごめんね。200年前、私達はこの世界に適応する事に精一杯で、君達十三英雄と深く関わる訳には行かなかったの。その後の私達の噂は知ってるでしょ? ...闇の仕事に君たちを巻き込みたくなかったんだ」

 

「...十三英雄と私は当時、一時的に共闘していただけに過ぎない。それに奴らも、今の私の仲間達も、お前をよく知る者は誰一人として、お前の事を闇だなどとは決して思っていない。それに昔よく話していたな....お前は外の世界から来たプレイヤーなのだろう? お前が帰りたいと言っていた元の世界には帰れたのか?」

 

「うん、帰れたよ。アインズ・ウール・ゴウン魔導王達のおかげでね」

 

「...そうか、お前の行動はここ数ヶ月の間密偵に探らせていた。だからお前は魔導国と行動を共にしていた訳か」

 

「そういう事。どう、少しは落ち着いてきた?」

 

「ああ。済まない少々取り乱した」

 

 イビルアイは体を離し、ルカの顔を見上げた。

 

「お前は本当に何も変わらず、昔のままなのだな。人ではないという噂は本当だったか」

 

「フフ、そう言うイビルアイだってヴァンパイアでしょ? ここにはプルトンを除いてアンデッドしかいないから、安心していいよ。そこのソファーに座って」

 

 ルカに促され、イビルアイはユーゴの隣に腰掛けた。その向かいのソファーにルカも腰を下ろす。

 

「さて、それじゃ説明してくれる?プルトン」

 

「分かった。皆知っている者も多いと思うが、こちらは王国のアダマンタイト級冒険者チーム・蒼の薔薇のメンバーであるイビルアイ殿だ。今回訳あって、依頼者自らがこうして出向いてきてくれた。彼女は過去にルカと面識があり、どうしても直接依頼内容を伝えたいという本人の希望もあってそれを承諾した訳だが、彼女は今回の依頼に当たり代理として来ている」

 

「代理?じゃあ本当の依頼主は誰なの?」

 

「...その昔、我らが世話になったお方だよ。我々の行う闇の仕事に際し、依頼主として多大なる実績を持っているお方だ、ルカ」

 

「え....それって....」

 

 ルカの顏に困惑の表情が浮かび、俯いたまま黙っているイビルアイに目を向けた。その視線に気づき、イビルアイはゆっくりと顔を上げる。

 

「ルカ。私の本当の依頼主の名は、エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯だ」

 

 その名を聞いたルカの目が大きく見開かれる。ミキとライルも驚愕の表情でイビルアイを見た。

 

「レエブン侯...ご存命なの?!」

 

「ああ。二年前の王国対帝国の戦争で惨敗し、その後敗走して辛くも生き延びている。ただあの戦争がトラウマとなり精神的ダメージを負った彼は、療養の意味も兼ねて現在は領地に引き篭もっておられるがな」

 

「そ、そうだったんだ。てっきりあの戦争で亡くなったものだとばかり...良かった...」

 

「詳しくは聞いていないので分からないが、お前はその昔レエブン侯と縁があったそうだな。私も彼がお前の存在を知っていたのには驚いたが、そのレエブン侯が今、最後の頼みの綱としてお前に助けを求めてきている。そこでお前と面識のある私が事態の詳細を伝える為、彼に代わりこうして直接会いに来たとうい訳だ」

 

「...秘密のサインも、レエブン侯から聞いたんだね。納得が行ったよ。でもいくら彼からの頼みとは言え、依頼を受けるかどうかはまた話が別。話を聞いたあとでプルトンと私の判断如何によっては、断る可能性もある。それでもいい?」

 

「無論だ。アインザック組合長には既に了承をもらっている。組合長、済まないが先刻私が伝えた内容をルカに説明してもらっても構わないだろうか?」

 

「分かりました、イビルアイ殿。ルカ、これは他でもないレエブン侯からの依頼だ。私としても善処したいと考えているので、その点も踏まえて聞いてくれ」

 

 プルトンは部屋の隅にあった予備の椅子をソファーの前に置いて腰かけ、一つ大きく咳払いをして皆の顔を見やり、話を切り出した。

 

「このエ・ランテルから北西、王都から真東の位置にレエブン侯の領土、エ・レエブルはある訳だが、その領土の更に東に広がる複数の村落で、農業を営んでいた農民たちが2か月ほど前、何の脈絡もなく突如姿を消したそうだ。事態を重く見たレエブン候はその件を王都に報告し、王であるランポッサⅢ世の命により約1000の兵が派遣され、村人たちの捜索に当たらせた。

 

しかし三日経っても四日経ってもレエブン候の元に報告が上がってこない。その事に業を煮やしたレエブン候は冒険者組合に掛け合い、独自にアダマンタイト級冒険者チームである蒼の薔薇を雇い入れた。そしてイビルアイ殿達が村落へ調査に向かい目にした光景は、王都から派遣された兵達の無残な死体の山だったそうだ」

 

「その遺体の状況は?」

 

 そこでプルトンは言葉を止め、イビルアイに顔を向けた。ルカだけを真っすぐに見ていたイビルアイが説明を補足する。

 

「...そこに気付くとはさすがだな。遺体のうち少数はアンデッド化・もしくはヴァンパイア化していた。私と、蒼の薔薇のリーダーであるラキュースの神聖魔法により浄化を進めながら、兵たちを襲った敵と思しき足跡をつけて更に東へと調査範囲を拡大した」

 

「その村落から更に東はアゼルリシア山脈の麓だ。そこに何があるか、お前なら分かるだろう、ルカ?」

 

 プルトンは鋭い目線をルカに向けた。それを見てルカは無表情のまま目を見開き、脳内で地図を開いてその位置を思い起こしていた。

 

「....まさか、テスクォバイア地下遺跡?」

 

「その通りだ。アゼルリシアに住まうドワーフ達の間で最も恐れられている、あの危険な霊廟だ」

 

 それを受けてイビルアイが補足する。

 

「かつてレエブン候が、組合長とお前に調査依頼を出したそうだな。私達蒼の薔薇は、足跡を追ううちにテスクォバイア遺跡の前まで辿り着いた。しかしあの遺跡の手前にある草原で私達を待ち構えていたのは、無数の強力なヴァンパイア軍団だった。目視で総勢5000は下らない。そしてそのヴァンパイアこそが、領土から姿を消した農民たちだったんだ」

 

 仮面の下から(ギリリ)と歯を食いしばる音が聞こえ、イビルアイは膝の上で拳を握りしめた。

 

「....絶望的な状況だった。相手が人間ならまだどうにかなったが、その全てがヴァンパイアとなると、私達にも手の施しようがなかった。罪のない村人達を殺すことに引け目を感じていたが、もはやああなってしまっては私達にはどうする事も出来ない。遺跡に強硬突入しようと試みたが、結局は数に押し返され止む無く撤退した。そこで私達は作戦を変更する事にしたんだ」

 

「偵察、だね?」

 

 ルカの問いかけに、イビルアイは小さくコクンと頷いて返した。

 

「ヴァンパイア達は遺跡を守るように配置されていた事を受けて、私達は村人たちが変異した原因がそこにあると睨み、チームの中でも隠密性に長けたティアとティナを遺跡内部へと送り込むことにした。表のヴァンパイア達は透明化(スニーク)で難なく素通りできたが、その内部にいるモンスター共は透明化(スニーク)しているにも関わらず、2人を発見し攻撃しようとしてきたらしい。看破系の魔法を使用する何者かが潜んでいると見て、再度2人を撤退させたのだが、正直私達だけでは手詰まりの状態なんだ」

 

「...つまりは、レベルキャップだね。低位の透明化(スニーク)では、あの中にいる高レベルモンスターに通用しないんだ。看破系の魔法を持っているいないに関わらず、通常の透明化(スニーク)では敵に察知されてしまうだろう。あの中にいるモンスターのレベルがいくつか、知ってる? イビルアイ」

 

「い、いや、私は直接中を見た訳ではないので分からないが...お前の見立てでは、いくつなのだ?」

 

 あたふたしつつも、ゴクリと固唾を飲みイビルアイはルカを見据えた。

 

「ざっくりとだけど、あの中にいるモンスターの最高レベルは120を超える。ちなみに私から見ると、イビルアイのレベルは80。昔見た印象と今の力量が変わらなければ、ティア・ティナ・ガガーランのレベルは60、ラキュースで75だ。正直蒼の薔薇のメンバーだけでは、あの遺跡の攻略は難しいと思う」

 

 それを聞いてキョトンとしていたが、ソファーから身を乗り出してイビルアイはルカに顔を近づけた。

 

「でっ、ではルカ、お前達はかつてあの遺跡を調査し、無事任務を果たしたのだろう?ならばお前のレベルは、一体いくつだと言うんだ?!」

 

 それを聞いてルカは、ミキ・ライル・イグニス・ユーゴの顏を見やり、笑顔で答えた。

 

「ここにいる私達5人のレベルは、全員が150。その一人一人が、やろうと思えば君を一瞬で殺せる程の力を持っているんだよ」

 

「そ、そんな....150? 化物、ではないか....」

 

 イビルアイは脱力し、ソファーの背もたれにどっと体を預けた。それを見てルカは慌てて取り繕う。

 

「冗談冗談!誰も君を殺そうなんて思ってないから安心して。ただ、そのくらいのレベル差があるというのを、知っておいてほしかっただけよ」

 

「...そうか。だからお前は、孤高の道を選んだのだな。伝説のマスターアサシンなどと呼ばれて....」

 

 イビルアイは膝に手を置くと、俯いて体を震わせた。仮面の下に溜まった涙が顎を通り、イビルアイの足の上に滴り落ちる。それを見てルカは立ち上がり、向かいに座るイビルアイの下で片膝を付いた。

 

「こら。何も泣く事ないでしょ? 私がこの道を選んだのは自分で決めた事。そうしなければ、元の世界には帰れなかったんだから」

 

 ルカはイビルアイの仮面に手をかけ、そっと外した。潤んだ赤い瞳がルカを見つめ返す。その整った美しい少女の顔を見て、ソファーに座った皆が静まり返った。そしてルカはマントの裾でイビルアイの涙を拭う。そして彼女は、嗚咽混じりにルカに懇願した。

 

「....頼むルカ、助けてくれ。この事態、もう私達だけでは手の施しようがない。このまま侵攻すれば、王国までも滅ぶ危険性がある。悔しいが、レエブン侯の言う通りお前の力が必要なんだ、頼む....」

 

 イビルアイの言葉を受け、そこにいる皆がルカを見た。かつて(国堕とし)とまで呼ばれた魔法詠唱者(マジックキャスター)の本音。これを受けずして何が義であろうか。皆がその一心で頷いた。ルカはそっとイビルアイを抱き寄せ、優しく包み込んだ。

 

「もう。最初っからそう言えばいいのよイビルアイ。...分かった、この依頼引き受けるよ」

 

「....済まない、ルカ....頼む」

 

 ルカの左肩に大粒の涙が流れ落ちる。イビルアイが泣き止むまで、ルカは優しく抱擁し続けた。そして片膝を付いたルカの前にプルトンが立つ。

 

「ルカ、今回の依頼には俺も同行しようと思う」

 

「え? プルトン、大丈夫なの?」

 

「何、ルールを破ったのは俺だからな。その責任も兼ねてという事だ。相手がヴァンパイアなら尚更俺の力が必要になるだろう。それで構わないか?」

 

「....もちろん。プルトンが来てくれるなら100人力だよ。一緒に行こう」

 

「...久しぶりだな、お前と共闘するのも」

 

「そうだね。でも心配はしてないよ」

 

「ああ、任せておけ。イビルズリジェクターの2つ名が伊達ではない事を、とくと見せてやるさ」

 

「OK、楽しみだ」

 

 そう言うとプルトンはクローゼットにしまっていた白金の全身鎧(フルプレート)を取り出し、体に装備し始めた。イビルアイが泣き止んだのを見計らい、ルカはそっと体を離して向かい合った。

 

「イビルアイ、落ち着いた?」

 

「あ、ああ。お前に引き受けてもらえると分かった途端、気が抜けてしまった。申し訳ない」

 

「いいのよ。どうする?少し休んでからにする?」

 

「いや、大丈夫だ。レエブン侯も首を長くしてお待ちかねだろう。早速エ・レエブルへと向かおう。向こうで蒼の薔薇の皆も待っているはずだ」

 

「分かった」

 

 イビルアイはソファーから立ち上がり仮面を被り直すと、部屋の中心に向けて人差し指を向けた。

 

転移門(ゲート)

 

 

───エ・レエブル 都市西門入口前 19:35 PM

 

 

 イビルアイに続きルカ達6人が転移門(ゲート)を抜けると、既に夕闇が辺りを包んでいた。街を大きく取り囲む堅牢な城壁の一角に門があり、その両脇に掲げられたランタンが煌々と道を照らしている。その下で全身鎧(フルプレート)を着た4人の衛兵が門番を務めており、ルカ達が進もうとするとロングスピアをクロスさせて道を塞いだ。しかしイビルアイが一歩前に出て姿を見せると、衛兵2人は即座にスピアを下げて道を開ける。

 

「イビルアイ様、お帰りなさいませ。お連れの方々はルカ・ブレイズ様ご一行ですね?レエブン侯よりお話は伺っております。エ・レエブルへようこそお越しくださいました。どうぞお通りください」

 

「ありがとう」

 

 ルカは衛兵...というよりは騎士達の武装を見ながら、笑顔で彼らに返事を返した。門を潜り街の中へ入ると、そこも同様に物々しい警備で固められており、至る所で重武装の兵たちが巡回している。恐らくはリ・エスティーゼ本国から派遣されてきた兵士達だろうと思いつつ、これだけ厳重な警戒であれば、万が一ヴァンパイアに都市を襲撃されても持ちこたえられるだろうとも考えていた。

 

 過去にこの街を訪れた時と街の構造が変わっていないかを確認しながら、ルカ達はイビルアイの後をついていった。その時突如、ルカの両胸と腰にズシリと何かがのしかかってきた。完全に不意を突かれたルカは慌てて下を見る。

 

「ひゃん!!ちょっと、何?!」

 

 すると両脇を掴んでいたものが徐々に姿を現した。透明化(スニーク)が解け、オレンジに近い金髪をした瓜二つな双子の女性が、左右からルカの腰と胸に抱き着いていた。

 

「...やっと来た、化物」

 

「...晒し外したんだね、鬼アサシン」

 

「ちょっ...ティア、ティナ?!」

 

 全身タイトな青い忍装束を着た細身の美しい女性がティア、赤色がティナだ。二人は無表情のまま、一心不乱にルカの胸を揉み続けた。

 

「...昔は晒しのせいで固かったのに、今はフワフワ。気持ちいい」

 

「...意外と胸が大きい、驚いた。気持ちいい」

 

「ちょっともう、だめ!!....ああんもう、胸から手を離して!」

 

「....それは断る、化物」

 

「....変な気分になってきた。今日は私と一緒に寝よう、鬼アサシン」

 

「分かった、分かったから胸を揉むのだけはやめてー!」

 

 それを後ろで見ていたミキが目くばせをすると、ライルが前に出てティアとティナの首根っこを掴み、その太い腕でヒョイと軽く持ち上げた。猫のように宙ぶらりんになったティアとティナに向かって、ライルは顔をしかめる。

 

「お前達いい加減にしろ。ルカ様も困っておられるではないか」

 

「...出たな鬼瓦」

 

「....何か昔と雰囲気が違う。そっちの鬼女も。何をした、鬼畜剣士」

 

「フン、ルカ様に鍛えなおしてもらったまでよ。それにしても久しぶりだなティア、ティナ」

 

「....うん、六年ぶり」

 

「....ヘルレイズ遺跡で共闘して以来」

 

「うむ。依頼の内容を聞いたが、事は急を要するのだろう?さっさと俺達を案内してくれ」

 

 そう言うとライルは、手に掴んだ二人をそっと地面に降ろした。

 

「....分かった。向こうでラキュースが待ってる」

 

「....ガガーランも」

 

(助かった...)と心の中で呟き安心したルカは、2人に笑顔を向けた。

 

「蒼の薔薇勢揃いだね。早く行ってあげよう?」

 

「...化物、何か昔と比べて女らしくなった」

 

「...可愛い。後でまた胸揉ませて」

 

「私にもいろいろあったのよ。それとティナ、揉むのは絶対にダメ」

 

 そこへイビルアイが口を挟む。

 

「二人共、下らん話は後にしろ。時間が惜しい、行くぞ」

 

『...了解』

 

 そして街の中心部まで歩くと、周りの建物から抜きんでた大きさを持つ立派な邸宅が見えてきた。広い敷地を持つ庭付き2階建ての豪華な邸宅にたどり着くと、周囲には先ほど見たような重武装の兵士20人程が邸宅を取り囲み、警備に当たっていた。屋敷正門の前でイビルアイが右手を上げると、兵たちは左右に動き道を開ける。イビルアイとルカ達は扉を開け、邸宅内に入室した。

 

 中に入るとそこは吹き抜けのロビーとなっており、待合用のソファーとテーブルが置かれていた。そこに向かい合って座る2人の女性にルカは目を向けると、それに気づいた神官服と深紅の全身鎧(フルプレート)を着た2人は立ち上がり、ルカに歩み寄って手を握ってきた。

 

「ルカ・ブレイズ!必ず来てくれると思っていたわ」

 

「ようルカ!あれから随分経ったというのに、相変わらずおめぇは可愛い顔してやがんな!」

 

「ラキュース、ガガーラン!久しぶりね、元気してた?」

 

「私達は相変わらずよ。また会えて嬉しいわ」

 

「何やら悪い噂しか聞こえてこなかったが、俺はお前の事信じてたぜ、ルカ!」

 

「ありがとう二人共。早速なんだけど、レエブン候は今どちらに?」

 

「執務室におられるわ。一緒にご挨拶しに行きましょう」

 

 ラキュースに引き連れられ、屋敷の奥へと案内された。そして扉の前に立ち、部屋をノックする。

 

「レエブン候、ルカ・ブレイズをお連れしました」

 

「おお!お入りください」

 

 そして扉を開け、蒼の薔薇の一団とルカ達は部屋の中へと進み出る。そこには執務机の椅子から立ち上がったレエブン候の姿があった。彼はルカの姿を見ると笑顔で涙ぐみ、机を回り込んでルカの前に進み出た。

 

「ルカ・ブレイズ....よくぞ、よくぞここまで来てくれました」

 

「..........」

 

 ルカとプルトン、そしてミキとライルはレエブン候の前に立ち、黙ったままその場で片膝をつこうとしたが、レエブン候はルカの上腕を支えてそれを遮った。

 

「おやめ下さいルカ、私は既に隠居した身。そのような事をされる覚えはありません」

 

 そう促されて四人は立ち上がり、レエブン候を見た。ルカの目にも薄っすらと涙が滲んでいる。

 

「....痩せましたね、レエブン候」

 

「ええ。情けない姿ですが、これが今の私です」

 

 ルカは微笑んだ。そのげっそりとした顔を見て、感極まるものがあった。そしてレエブン候はルカのフードを下げ、その顔を見つめる。

 

「あなたは二十年前と変わらず、お美しいままだ、ルカ」

 

「....あの時の御恩、私は決して忘れません。行き場をなくし、世界中のワーカー達から命を狙われていた私達を、あなたは匿ってくださった。暴走しかけていた私達を、あなたは引き止めてくださった。あの時がなければ、私達はこの世界で生きる術を無くしていたかもしれません。ただ一重に、感謝します。レエブン候」

 

「....惜しいと思ったのですよ。あなたのような力ある冒険者が失われる事にね。そしてその判断は正しかった。今こうして、あなたは私の前に来てくれたのですから」

 

「....レエブン候」

 

 ルカの頬に涙が伝う。そんな顔を見られまいと、ルカはレエブン候を抱きしめ、胸元で涙を流し続けた。レエブン候もルカの背中に手を回し、艶やかなフェアリーボブの髪をそっと撫でる。蒼の薔薇の面々とイグニス・ユーゴはその様子を見て驚いていた。そしてその場にいた全員が、過去にレエブン候とルカの間に何があったのかを知る瞬間でもあった。

 

 レエブン候はスーツの胸ポケットからハンカチを取り出すと、体を離しルカの涙を拭った。照れくさそうにはにかんで見せるルカの美しい顔を見て、レエブン候の目にも光が宿る。

 

「しばらく見ない間に変わりましたね、ルカ。ギラギラとしていた昔と比べて、今のあなたは抱擁感すら漂わせている。きっとあなたの真の目的が達成されたからなのでしょう」

 

「...ええ、その通りですレエブン候。おかげさまで私達の望みは叶えられました」

 

「それは何よりです。アインザック組合長、ご無沙汰しております。私の依頼を受けてくださり、感謝の念に絶えません」

 

 彼は右手を差し出した。白金の全身鎧(フルプレート)に身を包んだプルトンもその手を握り返し、力強く握手を交わす。

 

「レエブン候、その節は大変お世話になりました。此度の依頼には私も参戦し、必ずや解決へと導いてみせましょうぞ」

 

「よろしくお願い致します。それと組合長、頼んでおいた例の件ですが....」

 

「ハッ。それでしたらもう間もなく到着する頃合いかと存じます」

 

 すると執務室の扉がノックされ、騎士が入ってきた。

 

「レエブン候、ご到着されました」

 

「おお!早速執務室へお通ししてください」

 

「かしこまりました」

 

 衛兵が下がり扉を閉めるが、それを聞いてルカは首を傾げ、レエブン候に問いかけた。

 

「私達の他にも誰かを雇われたのですか?」

 

「ええ、その通りです。ここは万全を期して、もう一組冒険者を雇うようアインザック組合長にお願いをしていました。最強の助っ人です、きっとあなた達の力になってくれる事でしょう」

 

 そして再度扉がノックされ、部屋に2名の男女が入室してきた。それを見て何故かイビルアイが黄色い声を上げる。レエブン候は2人の前に立ち、両腕を広げて迎え入れた。

 

「お二人共、よくぞ来てくれました!みなさんご存じかも知れませんが、念のためご紹介しましょう。こちらは漆黒の英雄、アダマンタイト級冒険者のモモンさんに美姫ナーベさんです。今回の任務に当たり、共同して事に当たってもらいたいと思います」

 

「蒼の薔薇の皆さんはご無沙汰ですな。お初にお目にかかる方もいるようだ。モモンです、よろしくお願いします」

 

 流線形のフォルムを持つ漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包む男性が一歩進み出て、ルカに握手を求めてきた。それを見て手を握り返しながら、ルカは目を丸くして開いた口が塞がらなかったが、それを取り繕うようにモモンが言葉を継いだ。

 

「お嬢さん、お名前をお伺いしてもよろしいですかな?」

 

「....え?! あ、ああ名前ね、私はルカ・ブレイズ。後ろにいるのはミキ・ライル・イグニス・ユーゴよ。みんな私の仲間達なの」

 

「....ルカ・ブレイズ? あの伝説のマスターアサシンとして闇の世界で恐れられているという、あのルカ・ブレイズだというのですか?」

 

「ええ、まあ....」

 

「一度お会いしたいと思っていた所だ。あなたとチームを組めるというのは光栄の極み。ルカ、改めてよろしくお願いする」

 

「こ、こちらこそよろしくねモモン、それにナーベ」

 

 冷汗を流しながらルカが挨拶を終えると、その後ろで待ってましたとばかりにイビルアイがモモンの背中に飛びついてきた。

 

「モモン様ぁ~!また会えるなんて嬉しいです!ルカとモモン様がいれば鬼に金棒です」

 

「き、君は確か蒼の薔薇のイビルアイ殿だったな。久しぶりの所を済まないが、体から離れてもらっても良いか?」

 

「んふふー、そんな照れなくても~」

 

 そこへ(パンパン!)とラキュースが大きく手を叩いた。

 

「はい、イビルアイもそこら辺にして! モモンさん、今回の敵は非常に手ごわい。ご助力感謝します」

 

「ラキュース殿、あなたほどの人にそこまで言わしめるとは、非常に興味深いですな。承知しました、このモモン大いに腕を振るいましょう」

 

「みんな、戦況は大体掴んでると思うけど、改めてもう一度説明するわ。敵はここから東にあるテスクォバイア地下遺跡を根城にしていると思われる。既に領地のうち4つの村が落とされた。私達蒼の薔薇はその遺跡手前の平原で、総数5000を超えるヴァンパイア化した村人たちと交戦したけど、残念ながら力及ばず撤退した。

 

私達の目標は、村人たちを変異させたと思われるモンスターの討伐。テスクォバイア遺跡の最奥部にいるはずよ。でもその前に地表の敵をどうにかしなければならない。何か策があれば今のうちに聞いておきたいの、みんなどう?」

 

 それを聞いてルカとプルトンはお互いに顔を見合わせて頷き合い、ラキュースに質問した。

 

「誰かそのヴァンパイア達を精査(アナライズ)した人はいる?」

 

「いいえ。尋常な数ではなかったので、それどころの騒ぎじゃなかったわ」

 

「そうか。とりあえずそのヴァンパイアを調べて見ない事には何とも言えないけど、もしかしたら何とかなるかもしれない」

 

「本当に?!私が言うのも変だけど、一匹一匹が尋常な強さじゃなかったのよ?」

 

「そこは私達とモモンで何とかする。イビルアイ、その地点までの転移門(ゲート)ポイントは設置してある?」

 

「あ、ああ。もちろんだ」

 

「じゃあこれからそこに向かってみよう」

 

「これからですって?!夜はヴァンパイアの力が活性化されるし、危険だわ!」

 

「だからいいんじゃないか。ヴァンパイアは夜行性、今なら遺跡にも入らずに調査ができる。何なら私達とアイ.....モモン達だけで行ってきても構わないけど」

 

 危うくアインズという言葉が出そうになり、咄嗟にルカは誤魔化した。ラキュースは仕方なさそうに首を横に振り、大きく溜め息をつく。

 

「...分かったわ、行ってみましょう」

 

「念のためフルバフしてから行くから、みんな中央に集まって」

 

 そしてルカ達のバフを受けて準備が整い、イビルアイは転移門(ゲート)を開いた。その間ラキュース達蒼の薔薇はルカのバフを受けて驚愕の目を向けている。

 

「こ、こんな補助魔法聞いたことも無いわ」

 

「...すげぇぜラキュース、体の底から力が湧いてくるようだぜ!これならどんな敵が来ても負ける気がしねえ!」

 

 それを聞いてルカは苦笑した。

 

「だからって油断しちゃだめよガガーラン?それではレエブン候、また後程」

 

「ええ、十分にお気をつけて」

 

 そして総勢13人は転移門の中へと足を踏み入れた。

 

 

───テスクォバイア地下遺跡平原手前 森林 21:20 PM

 

 

 ルカ達は木陰に身を隠しながら、東に広がる草原に目を凝らしていた。

 

「おおー、いるいる!足跡(トラック)、敵おおよそ5000体。情報通りだね」

 

 ルカは暗視(ナイトビジョン)を使用し、敵の配置をつぶさに確認していた。そこへラキュースとイビルアイが声を潜めてルカに問いかける。

 

「さて、どうする?」

 

「この暗がりの中ではこちらが不利だ。まさか遺跡に突入しようなどとは言うまいな?」

 

「まさか、そんなつもりはないよ。ただヴァンパイア一匹を生け捕りにしたいだけ。あそこに丁度一匹だけはぐれたヴァンパイアがいる、あいつにしよう。イグニス、ライル、頼める?」

 

「お任せください」

 

「承知しました、ルカ様」

 

 二人は顔を見合わせて頷くと、同じ魔法を詠唱する。

 

部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)

 

 等身大に開いた暗黒の穴に飲み込まれ、二人の気配も姿も掻き消えた。そして二人は接敵すると、敵の集団から一番手前にいるヴァンパイアに狙いを定めた。ライルは敵の真横にまで移動し、イグニスはそこから60ユニット程離れた位置に陣取った。そして二人は伝言(メッセージ)で呼吸を合わせる。

 

『ライルさん、行きますよ』

 

『おう、いつでも来い』

 

影の感触(シャドウタッチ)!」

 

 (ビシャア!)という音と共にヴァンパイアが麻痺状態になったところを、すかさず敵の真横にいたライルがその体を持ち上げ、西に向かって疾走する。魔法を詠唱した事と敵に触れた事で2人の透明化(スニーク)が解け、姿が露わになる。そして皆の待つ木陰にたどり着くと、ルカが用意していた鎖で全身を縛り上げた。麻痺の効果時間が切れると、ヴァンパイアと化した男性が身をよじり、声を上げて猛烈に暴れ始めた。

 

「キシャァアアアア!!」

 

「モモン、ライル!胴体と足を固定して、早く!殺しちゃだめよ!」

 

「了解した!」

 

「承知しましたルカ様」

 

 モモンが馬乗りになり、ライルが両足を強力に固定したが、それでも暴れるのをやめようとしない。その中でルカは額を押さえつけて魔法を詠唱した。

 

「しっかり押さえててね、体内の精査(インターナルクローズインスペクション)!」

 

 男の額が青く光り、その光が全身に広がっていく。そしてルカの脳内に体内のコンディションがリスト状に流れ込み、異常を示す項目が一つあった。ルカはそれを見て目を細める。

 

「やっぱり....ミキ、こっちに来て!」

 

「かしこまりました、ルカ様!」

 

 ヴァンパイアの男が暴れる中、ミキはルカの隣に片膝をついた。

 

「半吸血鬼化の呪詛だ、頼む」

 

「心得ました。魔法最強化(マキシマイズマジック)闇の追放(バニッシュザダークネス)!」

 

 ミキを中心に青白い光が男を包み込む。すると白蝋のような肌に人間らしい血色が戻り、眼の光も赤からブラウンへと変化していった。男は脱力して目を見開き、上にのしかかったモモンを見て目を瞬かせる。そこへルカが男の顎を上に向けさせ、その目を覗き込んだ。

 

「私を見て、まっすぐに」

 

「え?!....あ、あの、これはどういう...」

 

「いいから!私の目の奥を見るんだ」

 

「は、はい!」

 

 男は身動きが取れず怯えながらもルカを見返した。元ヴァンパイアだからこそ分かる瞳の揺らぎがない事を受け、ルカはホッとため息をついた。

 

「モモン、ライル、もう大丈夫。精神汚染の類は見受けられない。体をどかしてもいいよ」

 

 2人が男の体から離れ、ルカは全身に巻かれた鎖を外した。そして男の肩を支え、上体を起こす。

 

「私達は冒険者だ、案ずることはない。大丈夫?何をしていたか記憶はある?」

 

「い、いえ、確か私は家で夕食をとっていたはずなのですが...私に何が起きたのですか?」

 

「事情は後で説明する。向こうを見てごらん」

 

 そう言うとルカはテスクォバイア遺跡のある東の平原を指さした。そこには様々な武器を手に持ち、ヨロヨロと歩く人ならざる者の軍団が佇んでいた。

 

「あれが今の村人たちの姿だ。君もあの中にいたんだよ」

 

「そんな!!私の妻と娘はあの中にいると?!」

 

「大きな声は出さないで。大丈夫、今全員を元に戻してあげるから」

 

「すっ! ...すいません、つい...」

 

「動揺するのも無理はない。私達と一緒にいれば安全だ。ミキ、ラキュース、彼を診てやってくれ」

 

「かしこまりました」

 

「分かったわ、ルカ」

 

 そう言うとルカは立ち上がり、先程から視線を向けていたプルトンと向かい合うと、小さく頷き合った。そしてイビルアイを含む蒼の薔薇の一団に目を向ける。

 

「みんな、よく聞いて。これから私とプルトンで、あのヴァンパイア化した村人たちを元に戻す。イビルアイ、エ・レエブルにいる兵達を総動員してここに呼びたい。済まないが転移門(ゲート)でレエブン候の屋敷に向かい、村人救出の為の手配をお願いできる?人手がいるんだ」

 

「....あの5000を超えるヴァンパイア軍団を元に戻すだって?そんな事が本当にできるのか?!」

 

「今見てたでしょ? 彼らは一時的にヴァンパイアの特性を与えられたに過ぎない。つまりは呪詛のバッドステータスなの。あの村人たちを変異させた魔法の名は、敗北の接吻(キスオブザディフィート)。高位のヴァンパイアにしか使えない呪文だ。これから私とプルトンで、その呪いを一斉に解除する」

 

「組合長と? 組合長にもそのような力があるというのか?!」

 

「フフ、彼の事を甘く見てると手痛いしっぺ返しを食らうわよ? プルトンは強い。君よりもね、イビルアイ」

 

「な、ならばそれを見届けさせてくれ!!救出の手配はその後でもいいだろう? 見てみたいんだ、お前達の力を...」

 

「...分かった、それでいいよ。じゃあ行こうかプルトン」

 

「承知した」

 

 ルカとプルトンは横に並び、腕を前方に伸ばし手のひらを上に向けて同時に魔法を詠唱した。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)聖なる献火台(イクリプストーチ)

 

 すると2人の頭上に青白く輝く十字の炎が出現した。そのまま2人は東へと歩き、ヴァンパイアの群れの中に入っていく。全員が固唾を飲み見守る中、そのヴァンパイア達はルカとプルトンを避けるようにして道を開けていった。そしてその群れの中心にまで辿り着くと、2人は(パン!)と両手を合わせ、呼吸を合わせてもう一つの魔法を同時詠唱し始めた。

 

魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)聖遺物の召喚(コーリングオブレリクス)型式(タイプ)聖杯(ホーリーグレイル)

 

 (ズズズズ)という重低音と共に、ルカとプルトンの体が青白い球体に包まれ、大気に微細振動を引き起こす。満天の星空の中、ウォー・クレリックの聖なる光が天を射るように高速で立ち昇った。2人が両手を広げて意識を集中すると光は更に拡大していき、雲一つ無いにも関わらず(ポタ、ポタ)と雨粒が落ちてきた。それと同時に淡く光る物質が天を舞い、ゆっくりと地面に舞い降りてくる。

 

 その雨粒と物質は背後に控える蒼の薔薇達の下にまで届き、光る物質をそっとイビルアイは手に取った。何かの羽かと思ったそれは、薄く伸びた光り輝く灰だった。イビルアイが視線をルカ達に戻すと、雨脚が更に強まり、晴天にも関わらず豪雨とも呼べるほどのスコールを巻き起こした。それを浴びたヴァンパイア達が、次々と手にした武器を地面に落とし、脱力するように倒れていく。

 

 ルカとプルトンの体を取り巻く光の渦が収束すると雨は止み、そこに立っていたのは2人のみであった。倒れていたヴァンパイア達の顏には血色が戻り、皆気絶している様子だ。ルカとプルトンが周囲の村人たちを抱き起し、息があるかを確認する。

 

 それを見たミキとライル、イグニス・ユーゴは安全と判断し、ルカ達の下へ駆け寄った。それに釣られるようにして蒼の薔薇の面々も後に続く。死者はいなかった。そこに倒れていた5000人を超える村人たちは息を吹き返し、余力の残っていたものは自力で立ち上がるほどだったが、時間が時間だけに周囲は暗闇に包まれ、何が起きたのか分からずに混乱している様子だ。

 

 ルカは倒れている者達を見るイビルアイに声をかけた。

 

「イビルアイ!さっきの手筈通り、レエブン候に至急ここへ兵を送るよう頼んできて!」

 

「あ、ああ!了解した、ルカ!」

 

 イビルアイはその場で転移門(ゲート)を開き、エ・レエブルへと飛んだ。その間ルカ達12人は村人たちを介抱し、可能な限りの救助活動を行っていく。そこから30分後、イビルアイの転移門(ゲート)を通り衛兵と騎士達約500名が到着した。そうして村人たちは無事に救助され、一時エ・レエブルへと避難したのだった。

 

 救助された者達の安全を最優先する為、その日はテスクォバイア地下遺跡への侵入は行われなかった。ルカ達と蒼の薔薇の皆はレエブン候が手配した高級宿屋”金剛の彫刻亭”へと向かい、その日はそこで休息を取る事となった。

 

───金剛の彫刻亭 1F 食堂 23:17 PM

 

「おう、みんな酒は行き渡ったな!よし、そんじゃま、ルカと組合長の大活躍を祝して、乾杯!」

 

『かんぱーい!』

 

 円卓を囲み、ガガーランが音頭を取って13人全員でグラスをぶつけ、皆が酒を仰いだ。早速ガガーランとライルが酒を飲み干し、ウェイターに再度注文する。モモンは頭部に幻術をかけて人間の顔を作り、エーテル酒を飲んでいたが、幻術が皆にバレないように念のためルカとナーベの間に座っていた。ワインを飲んで一息ついたラキュースとガガーランがルカに話しかける。

 

「それにしても流石ねルカ、それに組合長。私達が苦戦したあの大軍団をたった一撃の魔法で鎮めてしまうなんて」

 

「ほんとだよな、神官のラキュースも真っ青の魔法だったぜ!結局一体あれは何だったんだルカ?」

 

 酔いすぎないようモモンと同じくカリカチュアをちびちびと飲みながら、ルカは2人に返答した。

 

「村人たちがかけられていた呪詛は、ヴァンパイアの精神攻撃系AoEなの。自分より低位の者の意識を広範囲に乗っ取れる魔法なんだけど、その副作用として半吸血鬼化の呪詛を受けて、種族に関係なく属性も弱点もヴァンパイアそのものになってしまう。私とプルトンの使用したあの魔法は、簡単に言うとアンデッドのヘイトを鎮め、それに付随するバッドステータスも同時に解呪できる呪文なんだ」

 

「すげーじゃねえか。あんな広範囲にまで届く魔法なんて聞いた事もねえや」

 

「プルトンと2人がかりだったからね」

 

「でもこれで地表部分は掃討できたわけね。明日はテスクォバイア遺跡に皆で調査に向かいましょう」

 

「そうだね。モモン、ナーベもお疲れ様。もう一杯飲む?」

 

「ありがとう。そうだな、いただくとしよう」

 

「光栄です、ルカさ───...ん。いただきます」

 

 危うく(様)と言いそうになった所を、ナーベは辛うじて堪えた。とそこへ、ワインを飲んで上機嫌になったイビルアイがテーブルを回り込み、歩み寄ってきた。

 

「モモン様、私もお注ぎ致します!」

 

「ありがとうイビルアイ殿。だが今注いでもらったばかりなのでね、遠慮させてもらおう」

 

「モモン様のお顏は初めて目にしました!その...南の地方にいるような顔立ちで素敵です」

 

 それを聞いてルカは改めてモモンの顏を見た。妙に彫は深いが目が細く、これといって特徴が無い。リアルの鈴木悟とは似ても似つかない、悪く言えばオヤジ顔であった。

 

「ハッハッハ、世辞は無用だイビルアイ殿」

 

「お世辞じゃないです!本当にその、素敵...です。私よりも強いし」

 

 ルカはそこでピンと来た。試しに読心術(マインドリーディング)でイビルアイの思考を覗いてみると、モモンへの好意ではち切れんばかりの感情が流れ込んできた。一体何があってここまでの好意を持つに至ったのかは謎だが、あまり近寄らせて幻術がバレでもしたら大変な事になる。ルカはテーブルの下で(コツン)とモモンの足に膝をぶつけ、ノーモーションで伝言(メッセージ)を飛ばした。

 

『アインズ、もう少ししたら部屋に戻った方がいい。この子に頬ずりでもされたら幻術が一発でバレちゃうよ?』

 

『ああ、分かっている。俺もそうしようと思っていた所だ』

 

『私も早めに戻るから、後で一緒に飲もう』

 

『分かった、待ってるぞ』

 

 伝言(メッセージ)を切るとアインズはヘルムを被り直して席を立った。

 

「少し疲れたので私とナーベは先に部屋へ戻ります。ルカ、それに蒼の薔薇の皆さんはゆっくりと飲んでいてください」

 

「えー!もうお休みになるのですか?」

 

「済まないなイビルアイ殿。では明朝お会いしましょう」

 

「ええ、モモンさん明日もよろしくお願いします」

 

「こちらこそ、ラキュース殿」

 

 モモンとナーベは2階への階段を上り、自室へと入っていった。ワインボトルを抱きかかえて、その後姿を見ながらイビルアイはしょんぼりとしていた。

 

「モモン様ー....」

 

「ほらほら、そんな残念がらずにイビルアイも隣に座って!」

 

「う~、分かった...」

 

 モモンが座っていた席にイビルアイは腰を下ろし、2人で再度乾杯した。ルカはカクテルグラスを揺らしながら、イビルアイに目を落とし微笑する。

 

「イビルアイ、モモンの事好きなの?」

 

「ええ?!ああいやその、まあ....うん。好きだ」

 

「そっか」

 

「ま、まさかルカもモモン様の事を?!」

 

「そんな訳ないじゃない、私と彼は今日会ったばかりなのよ?」

 

「そっ、そうか、そうだな。それならいいんだ...」

 

「フフ、正直ねイビルアイ。可愛い」

 

「茶化すな!それよりもルカ、お前初対面にしては随分とモモン様と気の知れた風だったではないか。呼び捨てにされてたし...」

 

 イビルアイはしょんぼりとテーブルに目を落とす。

 

「そうね....同じ冒険者として、何か通ずるものがあったのかも知れない。恐らくだけど、彼は相当に強い。それだけは肌で感じられたわ。私と同じくらいに」

 

「そ、そうだろう?!王国でのヤルダバオトとの戦闘で、彼は私を庇いながら戦ってくれたんだ!そして見事撃退した。ヤルダバオトがどれだけの怪物だったのかをルカ、お前にも見せてやりたかったくらいだぞ」

 

「もちろん噂には聞いてたよ。かなりの化物だったらしいね」

 

「モモン様が来なければ、私達には死の運命しか待っていなかっただろう。ああ....モモン様」

 

 イビルアイは乙女のように両手を胸の前で組み、空想に身を委ねている様子だった。ヤルダバオト...もといデミウルゴスであれば、本気を出せば蒼の薔薇どころか王国そのものを滅亡に追いやる事も可能だったはずだ。それをせずに裏から王国を支配する事こそ、デミウルゴスの本意だった事を改めてルカは確認する。

 

「完全に惚れたね、イビルアイ」

 

「ルカ、モモン様に手を出すんじゃないぞ。私が先に好きになったんだからな!」

 

 (いや、もう出しちゃったんだけど....)とルカは心の中で独り言ち、苦笑を浮かべて頷いて返した。そして楽し気にガガーランとラキュースを相手に飲み交わしている2人に声をかけた。

 

「イグニス、ユーゴ!何飲んでるの?」

 

「いつも通りエール酒ですよ、ルカさん」

 

「ルカ姉も飲んでますかい?俺もいつも通り爆弾割りでさぁ!」

 

「明日もあるから、あまり飲み過ぎないようにね?私は先に部屋へ戻るから」

 

「了解です、ごゆっくりお休みください」

 

「俺もほどほどにしときまーす、ルカ姉!」

 

「うん、ミキ・ライルはどうする?飲み足りなければ飲んでてもいいよ」

 

「私も部屋に戻りますわ、ルカ様」

 

「もう少しだけ地獄酒を堪能してから、戻りたいと思います」

 

「OK。それじゃラキュース、ガガーラン、ティアにティナもまた明日ね」

 

「お休みなさい、ルカ」

 

「おう、明日もよろしく頼むぜ!!」

 

「了解、おやすみ」

 

 ルカとミキは席を立ち、自室へと戻る。武装を解除して2人で入浴し、ネグリジェに着替えた頃には深夜1時を回っていた。ミキは先に就寝し、ルカは部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)を使用して部屋の扉を開け、隣室の扉をノックした。ナーベが扉を開き、部屋の中へ足を踏み入れると同時に透明化(スニーク)を解除し、姿を現した。

 

「お疲れ様アインズ、ナーベラル。まだ起きてた?」

 

「問題ないぞルカよ。今日はお前と組合長の独壇場だったな」

 

「ルカ様、先程は失礼致しました」

 

「いいのよナーベラル。それにしても驚いたよ。まさかレエブン候が冒険者モモンとナーベにまで依頼を出していたなんて」

 

「俺も組合長からの依頼を聞いて思い当たる節があってな。この依頼がお前に繋がっていると直感して、受ける事にしたのだよ」

 

「でもそのモモンの姿だと、魔法が制限されるから不便じゃない?上位道具創造(クリエイトグレーターアイテム)で作り出した武器と防具でしょ?」

 

 ルカはそう言いながら中空に手を伸ばし、備え付けのテーブルの上にカクテルグラス3個とスターゲイザーのボトルを並べて酒を注いだ。

 

「まあ確かにそうだが、今日見たヴァンパイアくらいならこの姿でも十分に対処できるさ」

 

「でも嫌な予感がするのよね。明日は何かあれば私達で何とかするから、アインズとナーベラルは無茶しないでね」

 

 ルカはグラスを2人に手渡し、自分もグラスを手に取った。

 

「はい、じゃあお疲れ様!」

 

「ああ、乾杯」

 

「ありがたくいただきます、ルカ様」

 

 (キン!)と3人でグラスをぶつけてエーテル酒を仰ぐ。心なしかナーベラルの顔が朱色に染まってきた。

 

「ナーベラル、このエーテル酒は度数が結構高いから、口当たりがいいからといって飲み過ぎないようにね?」

 

「は、はい。お心遣い感謝致します。それでその...少し酔いが回ってきたようなので、先にお休みさせてもらってもよろしいでしょうか?」

 

「もちろん。ゆっくり休んで」

 

「ナーベラルよ、ご苦労であった。先に休むがよい」

 

「ありがとうございます、アインズ様、ルカ様」

 

 ナーベラルはマントを脱ぎ、自分のベッドに倒れ込むようにして横になった。ルカはその上から掛け布団をナーベラルにそっと覆いかぶせる。その美しい横顔を見て、ルカはナーベラルの頬を手の甲でそっと撫でた。

 

「...こんな美人な子と毎晩相部屋になって、よく理性が保てたねアインズ?」

 

 ルカはテーブルに振り返り、怪しい笑みをアインズに送った。

 

「バカを言うな。前にも言ったと思うが、階層守護者もプレアデスも、俺の仲間が残してくれた大事な子供たちだ。そんな不埒な真似をできるはずがないだろう」

 

「...フフ、ごめんごめん、意地悪な質問だったね」

 

「それよりもルカ、お前はテスクォバイア遺跡の奥に何がいると思う?」

 

 ルカは右手を顎に添え、テーブルに目を落とした。

 

「...分からない。でも先刻話した通り、ヴァンパイアの特殊魔法、敗北の接吻(キスオブザディフィート)は、ヴァンパイア種族レベルの後半に取得できる魔法だ。もしかしたら....」

 

「....やはりもしかする、のか?」

 

「うん。相当な強敵があの遺跡の奥に待ち構えているかもしれない」

 

「ふむ...明日は一波乱ありそうだな」

 

「そうだね、そのつもりでいて。何かあれば、私達はアインズとナーベラルを守る事に徹するから」

 

「分かった、俺もそれなりに覚悟しておこう。いざとなれば俺もこの姿を解いて加勢する」

 

「よろしくね。さて、私もそろそろ寝るよ。アインズもゆっくり休んで」

 

「ああ、お前もな」

 

「お休みアインズ、ちゃんと鍵かけてね。部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)

 

「お休みルカ」

 

 気配が掻き消え、ルカはそのままドアを開けて自室へと戻った。

 

───翌日 エ・レエブル 領主邸宅内 執務室 11:38 AM

 

「みなさん、先日はお疲れさまでした。おかげで領民たちも無事戻り、この街を守る兵達の士気も上がっております」

 

 レエブン候はその場に集うルカ達と漆黒、蒼の薔薇の面々を見て、痩せこけた外見とは裏腹に張りのある声を出して皆を迎えた。それを受けてルカがレエブン候に質問する。

 

「保護された村人たちにその後、何か異常はありませんでしたか?」

 

「いえ、そう言った報告は受けておりませんので、無事かと思われます」

 

「そうですか、良かった」

 

 ルカはホッと胸を撫でおろす。精神汚染が残っていると、後々生命の危機にも繋がりかねないからだ。

 

「今日はテスクォバイア遺跡へ行くとの事。4つの村の住人をヴァンパイアにしてしまった強敵です、十二分に注意して向かわれてください」

 

「かしこまりました、レエブン候。よし、フルバフの後に転移門(ゲート)で昨日の地点まで飛ぼう。みんな集まって」

 

 ルカとミキのフルバフが完了すると、イビルアイは部屋の中心に向かって人差し指を向け、転移門(ゲート)を開いて皆がその中に進んだ。

 

───テスクォバイア地下遺跡入口 12:05 PM

 

 表層にある神殿の階段を下りて一歩中へ入ると、その中で漂う臭気に全員が顔をしかめた。後衛に立つラキュースが語気を荒める。

 

「...ひどい死臭ね。湿気のせいで余計に強く感じるわ」

 

「ミキ、ライル、足跡(トラック)危機感知(デンジャーセンス)で警戒。相当な数の敵が潜んでいる、みんな油断しないで。いつ飛び掛かられてもおかしくないよ」

 

 その時だった。高さ20メートルはある手掘りの洞窟のような空洞の奥から、地響きを上げて何かが接近していた。ルカ達は腰を落とし抜刀して身構える。

 

「敵200ユニットまで接近!いいか、手筈通りだ。蒼の薔薇のみんなはバックアタックされないよう集中して!前衛は私達とモモンで引き受ける、いいわね?!」

 

『了解!!』

 

暗視(ナイトビジョン)

 

 その暗闇に映っていたのは狂気だった。全身がグズグズに腐りはてた巨人がウォーハンマーを手に、こちらへと突進してきたのである。それを確認したルカとプルトンが前衛に出て魔法を詠唱する。

 

「状況・屍の巨人(トロールゾンビ)!私達が先制する、魔法最強化(マキシマイズマジック)非難の連弾(デュエットオブザクリティシズム)!」

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)神聖なる非難(ホーリーセンジュアー)!!」

 

 敵に向けられたルカとプルトンの両腕から、ウォークレリックとクルセイダーが放つ青白いレーザー光が一直線に飛び、屍の巨人(トロールゾンビ)に直撃した。そして2人の放った力が大爆発を引き起こし、屍の巨人(トロールゾンビ)の突進が弱まる。

 

「モモン、ライル、ナーベ、ブロック!!」

 

「承知!!」

 

 3人が前に出て突進を受け止めた所で、ルカがその頭上を飛び越し武技を発動した。

 

霊妙の虐殺(スローターオブエーテリアル)!!」

 

 屍の巨人(トロールゾンビ)の全身目掛け、目にも止まらぬ神聖属性の20連撃で切り刻むと、声を上げる間もなく敵は消滅した。その魔法と物理攻撃の連携を見て、蒼の薔薇の一団が固唾を飲み見つめていた。

 

「つ、強い....」

 

「ヘッ、まさかこれほどとはな」

 

「....さすが化物。あんなの食らったら即死」

 

「....半端じゃないね、鬼アサシン」

 

「ル、ルカ!今の巨人のレベルはいくつだったのだ?」

 

「そうだね、ざっと見てLv110ってとこかな」

 

 イビルアイは呆気に取られていた。あのように強力なモンスターを手際よく片付けた連携にも驚いたが、何よりもルカとプルトンの魔法攻撃力に驚かされた。

 

「....組合長、あなたのレベルはルカの基準で、一体いくつあるんだ?」

 

 それを聞いて、ルカとプルトンは顔を見合わせて苦笑した。

 

「イビルアイ殿。私のレベルは105ですぞ」

 

「!!  だからあなた達2人はコンビを組んで.... 」

 

「そういう事よイビルアイ。まあ私がプルトンのレベルを引き上げたんだけどね。納得でしょ?」

 

「このプルトン・アインザック、老いたとはいえまだまだ若いものには負けませんぞイビルアイ殿」

 

「ちょっとプルトン、イビルアイの方が年上なのよ?私もそうだけど」

 

「ハッハッハ、そうだったな!これは失敬。しかしお前達は不死の種族だからな。そう思うのも無理はないだろう。いつまでも若々しくいられるのは羨ましく思うぞ」

 

「フフ、調子いいんだから。ライル、モモン、ナーベ、大丈夫?」

 

「問題ありませぬ、ルカ様」

 

「ダメージは負っていない、心配無用だ」

 

「流石です、ルカさ───、ん」

 

「OK、みんな先に進もう」

 

 蒼の薔薇のチームが気後れする中、ルカ達を前衛に迫りくる強力なアンデッドを次々と薙ぎ倒し、遺跡───というよりは洞窟の最深部近くまで辿り着いた。そこはドーム状の空洞になっており、天井を見上げると高さ100メートルはあるかと思われる広大な空間だ。

 

 ルカとプルトン、モモンを先頭に、ゆっくりとその場へ足を踏み入れる。するとその最奥部に、淡く青色に光る何かを見つけた。静まり返った空洞内を他所に、ルカの額に冷汗が流れる。

 

足跡(トラック)、敵総数1200体!みんな油断しないで。周りを取り囲まれてる!」

 

「1200だと?!どこにそんな敵が....」

 

「突然ポップ(出現)したんだ!全員戦闘態勢!」

 

 モモンが周囲を見渡すが、暗闇で視界が遮られており詳細を確認できない。そこへ警戒していたラキュースが咄嗟に叫んだ。

 

「...上よ!天井に張り付いてる!!」

 

 そこには蝙蝠の様に群がるヴァンパイアが無数に張り付いていた。その言葉を受けて、ぶら下がっていたヴァンパイアが一斉に飛び掛かってきた。ルカは咄嗟に指示を出す。

 

「来るぞ、防衛陣形!!プルトン、ミキ、ライル! AoEの使用を許可する、蒼の薔薇の皆を守り抜け!モモン、ナーベ、絶対に前へ出るな。固まりつつ防御に徹し、その場に留まれ!!」

 

『了解!!』

 

 ルカの鬼気迫る声を聴き、全員に戦慄が走った。ここまで余裕で来れたのもルカとプルトンあっての事だったが、その均衡は儚くも打ち砕かれた。全員の集中力が極限にまで高まり、それぞれが持てる力を最大限に行使し、ヴァンパイア軍団と対峙した。

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)結晶散弾(シャードバックショット)!!」

 

暴虐の旋風(クルーエル・サイクロン)!!」

 

魔法二重最強化(ツインマキシマイズマジック)連鎖する龍雷(チェインドラゴンライトニング)!」

 

「無に帰れヴァンパイアよ!魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)不滅の鉄拳(ダリウスフィスト)!!!」

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)結合する正義の語り(ライテウスワードオブバインディング)!!」

 

暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)!!」

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)聖者の覇気(オーラオブセイント)!!」

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)浄化炎(クレンジングフレイム)!!」

 

魔法最強抵抗難度強化(ペネトレイトマキシマイズマジック)重力の新星(グラビティノヴァ)!!」

 

 それぞれが距離を取りながら、持てる限りの最大火力AoEを敵に叩き込んだ。恐るべき爆風が岩のドーム内を舐めまわし、襲ってきたヴァンパイアは全て灰燼に帰した。その中でルカ・ミキ・ライルは空洞の正面に向けて警戒を緩めない。モモンがそれを見てルカに寄り添った。

 

「ルカ、どうだ。まだ敵の反応はあるか?」

 

「モモン警戒を緩めないで!まだ正面に一匹残ってる。こいつが恐らく敵の親玉だ」

 

 モモンとライルが前面のタンクに立ち、一同はゆっくりと前進していく。そして正面100メートル先にある壁際に光る青色の物体が何なのか、ルカとアインズは固唾を飲んで見据えた。

 

「バ、バカな....こんな遺跡内部で....一体いくつあるというの?」

 

「....モノリス、で間違いないなルカ、組合長」

 

「見まごうはずもございませんモモン殿。あれは間違いなくモノリスです」

 

「...あのモノリスの下に敵がいる。全員警戒レベルを最大限に引き上げろ。嫌な予感が当たってしまった」

 

「いやそれよりもルカ、蒼の薔薇の皆はここに残していったほうが良くないか?それか遺跡の外へ退避してもらっては....」

 

「モモンはこう言ってるけど、どうするラキュース、イビルアイ?私も可能であれば、ここから退避してほしいんだけど」

 

 それを聞いてラキュースとイビルアイはお互いに顔を見やり、それを真っ向から否定した。

 

「それは出来ません!私達にだって出来る事があるはずです。あなたの力は承知していますが、例えこの身が果てようとも依頼は遂行してみせます!」

 

「右に同じだルカ!私にだって意地がある。せめてお前達の戦いを見届けさせてくれ!」

 

「....分かった。でも私達に何かあれば即撤退、それと戦線から絶対に前に出てはいけない。これさえ守ってくれれば、この場にいる事を許そう。どうする?」

 

「ええ、それで構わないわ」

 

「私も了解だ、ルカ」

 

「OK。ライル・ユーゴ、プルトンが先頭、モモンとナーベ、私、ミキ・イグニスは中衛、蒼の薔薇の皆は後衛だ。先に進むよ」

 

『了解』

 

そして進んだ先、ルカ達は目にした。モノリスの下で舞い踊るようにユラユラと体を怪しく揺らす女性の姿を。黒髪に全身漆黒のタイトなドレスを身に纏い、その手には一本の金色に輝く短剣が握られている。赤く光る眼だけが、暗闇を射抜いていた。モモンはそれを見てルカに耳打ちする。

 

「...どうだルカ、あれも万魔殿(パンデモニウム)由来のモンスターか?」

 

「いや違う、あんなモンスターは見たことがない。それよりもあの表情...」

 

 白蝋のように肌の白いその女性は、歩み寄るルカを前に薄ら笑いを浮かべていた。間合いをジリジリと詰めながら、ルカは女性に話しかける。

 

「やあ。喋れるかい?」

 

「...妾の下僕たちを消したのはお主達か?」

 

「そう...だと言ったら?」

 

「ククク、面白い。手始めにここら一体を縄張りにしてやろうと考えていたが、どうやら先に貴様らを片付けねばならんようだのう。妾の術を破るとは大した奴等じゃ、褒めて使わす」

 

「それはどーも。一つ聞く、お前の名は何という?」

 

「妾の名はリッチ・クイーン。覚えておくがよいぞ」

 

「リッチ・クイーン? …もう一つ聞きたい。どこから来た?」

 

「決まっておろう、妾は奈落の底(タルタロス)から遣わされたのよ」

 

「それってノアの言っていた...」

 

「ああ、エリュエンティウで確かにそう言っていた。間違いない」

 

 ルカとモモンは敵から目を離さずに、言葉だけを交わした。ルカの頬に一筋の汗が流れる。

 

「最後の質問だ。お前の主人は誰だ?」

 

「知りたければ力で奪ってみよ、ルカ・ブレイズ」

 

「?! 何で私の名前を知って...」

 

「クク、知れた事。妾の目的は、お主を殺すこと。それ以上でも以下でもないわ」

 

 極悪な笑みを浮かべると、リッチ・クイーンの全身からドス黒い殺気が迸る。ルカは咄嗟に伝言(メッセージ)を全員と共有した。

 

『各員へ。状況・アンノウンヴァンパイア!まず私とライル、ユーゴで先制する。プルトン、ミキ、イグニスは中衛から補助、モモン達はプルトンの直衛につけ。蒼の薔薇の皆は後衛だ』

 

『了解』

 

『プルトン、行くよ...3、2、1、Go!!』

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)心臓への杭打ち(ステイクトゥザハート)!」

 

(バキィン!)という音と共に、リッチ・クイーンを覆う物理フォーティチュードが崩れ落ち、それと同時にルカ・ライル・ユーゴは恐るべき速度で突進した。

 

霊妙の虐殺(スローターオブエーテリアル)!」

 

弱点の捜索(ファインドウィークネス)一万の斬撃舞踏(ダンスオブテンサウザンドカッツ)!!」

 

鮮血の刃(レッドブレード)!」

 

 3人の超高速斬撃を皮切りに、プルトン以下後方にいた皆が一斉に魔法を詠唱した。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)不滅の鉄拳(ダリウスフィスト)!!」

 

「不動金剛金縛りの術!!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)聖者の覇気(オーラオブセイント)!」

 

無限の輪転(インフィニティサークルズ)!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)万雷の撃滅(コールグレーターサンダー)!!」

 

魔法最強抵抗難度強化(ペネトレイトマキシマイズマジック)水晶の短剣(クリスタルダガー)!!」

 

浮遊する剣群(フローティングソーズ)!!」

 

 9人の魔法と武技が交差し、眩い閃光を放つ。直後に大爆発が起き、前衛の3人はそこから飛び退いた。全員のSK(集中攻撃)が決まったにも関わらず、リッチ・クイーンは前と変わらずその場にユラユラと立っている。それを見て全員が驚愕の眼差しを向けた。

 

「か、固い...確かに手応えはあったはずだ」

 

「信じられん、あの攻撃を受けて...」

 

そしてリッチ・クイーンはルカ達に右手を向けると、ニタリと笑い魔法を詠唱する。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)暴風の召喚(ストームコーリング)!!」

 

(バチ!)という音と共に電荷の嵐が吹き荒れ、周囲50ユニットに渡り雷が降り注いだ。そのダメージを受けてルカが咄嗟に指示を出す。

 

『AoEDoT(範囲型持続性攻撃)だ!全員魔法の効果範囲内から離脱!!』

 

『く、クソ!体が痺れて...動かねえ!』

 

『モモン、ライル、イグニス、ユーゴ!動けない者を抱えて範囲外から退避、急いで!』

 

『了解!』

 

 初撃のダメージが低いとは言え、AoEDoTは蓄積すれば大ダメージへと転化する。間一髪でモモンとルカ、蒼の薔薇のチームは魔法の範囲外から脱出した。

 

『イグニスは負傷者の回復! プルトン、ミキ、ライル・ユーゴ、行くぞ!』

 

 ルカが先制して頭上から飛びかかり、右手をリッチ・クイーンに向けて魔法を詠唱した。

 

沈黙の覇気(オーラオブサイレンス)!」

 

霊妙の虐殺(スローターオブエーテリアル)!」

 

悪魔の二輪戦車(デーモンチャリオット)!!」

 

聖人の怒号(セイントマローンズラス)!!」

 

 ルカが魔法を封じ、ミキ・ライルの武技とユーゴの放った獄炎属性の魔法が交差して、天高く火柱を形成した。一旦距離を取るが、それでもHPはわずかに5/6まで削った程度のダメージ量だった。ルカの顏に焦りが見え始めて来た刹那、リッチ・クイーンははじけ飛ぶように恐るべき速度でルカに突進してきた。

 

 ダガーをクロスさせてその突進攻撃を受け止めるが、その衝撃波でルカの体が後方にノックバックし吹き飛ばされる。地面に叩きつけられても尚、その勢いは止まらずに(ズザザザ!)と地面を引きずった。その機をリッチ・クイーンが見逃すはずもなく、低空にジャンプして瞬時にルカへと迫ってきた。金色の短剣が目の前に迫り、(殺られる)と思った瞬間、突如目の前に真っ白な壁が視界を遮った。

 

(ギィン!!)という音と共に、リッチクイーンの放った一撃をその壁が弾く。その1秒後、目の前にあるものが壁ではなく、極厚の大剣の刃だと気付くのにさほど時間はかからなかった。その剣が視界から離れると、首根っこを引っ掴まれて無理矢理立たされた。何が起きたのか把握しようと顔を左に向けると、そこには身長180cm程の大柄な女性が立っていた。

 

(美しい)。一目見てルカが抱いた印象はまさにそれだった。クリーム色のフード付きローブで全身を包んではいるが、その下に装備された同じく白色のミドルアーマーがより一層それを際立たせている。年齢で言えば27、8と言ったところだろうか。そして白髪ながら艶のあるセミロングの髪がローブから胸元に垂れており、顔の美しさと相まって年齢不肖な雰囲気を醸し出していた。その横顔に見惚れていると、白髪の女性はそれを一喝した。

 

「...愚か者、敵の能力を見誤ってからにこのバカ娘は!」

 

「...え?」

 

「お前の目の前に立っているこの吸血鬼がどれほどの化物かを、貴様は見誤ったということじゃ。来るぞ、さっさと戦闘態勢に入らぬか!」

 

「あ、ああ!分かった」

 

「良いか、わしが奴の注意を引き付ける。その隙にお前達は超位魔法を奴に叩き込め」

 

「で、でもそれじゃこの洞窟自体が崩壊してしまうんじゃ...」

 

「.....この場が閉塞空間だという事も災いしたようじゃな。それで本気を出せず手を抜いとった訳か。構わぬ、この空間は広い。ちょっとやそっとでは簡単に崩れまいて」

 

「あの、あなたは一体誰なの?」

 

「そんな事は後回しじゃ!!行くぞルカ!」

 

「何だかよく分からないけど、分かったよ。プルトン、ミキ、イグニス!超位魔法準備!ライル、ユーゴはタンクに徹して。他の皆は洞窟が崩壊してもすぐに退避できるよう距離を取って、いいわね?」

 

『了解!』

 

 それを受けて謎の女性は純白の大剣を振りかぶり、驚異的な速度で敵に突進した。ライル、ユーゴもその動きに合わせるように左右に分かれて接敵する。そして途轍もなく重い一撃をリッチ・クイーンに叩きつけるが、その攻撃を右手に握ったダガー一つで弾き返した。しかしその白い女性は反動を利用して回転し、今度は胴体目がけて高速の斬撃を横薙に叩きつけた。その勢いでリッチ・クイーンは壁際まで吹き飛ばされる。

 

 飛行(フライ)の魔法で空中に飛び上がった四人は腕を天井に向けて伸ばし、巨大な立体魔法陣が形成される。凝縮されたエネルギがドーム内に渦を巻き、4人の頭上に集束していった。敵を壁に押し付けるように爆速の連撃を打ち続ける謎の女性とライル、ユーゴに向かってルカは叫んだ。

 

「三人共今だ、そこから離れろ!!蒼の薔薇のみんなはドーム入口まで退避だ、急げ!」

 

 全員が弾け飛ぶようにしてリッチ・クイーンから飛び退き、安全地帯まで避難した事を確認すると、ルカは空中に浮かぶプルトン・ミキ・イグニスの3人に目で合図し、呼吸を合わせて両手をリッチ・クイーンに向け魔法を放った。

 

「超位魔法・最後の舞踏(ラストダンス)!!」

 

急襲する天界(ヘヴン・ディセンド)!!」

 

惑星の崩壊(プラネタリーディスインテグレーション)!!」

 

聖人の怒り(セイント・ローンズ・アイル)!!」

 

 その狂気の爆縮はたった一人の敵に向けられた。直後に大爆発を引き起こし壁面が崩れ落ちたが、地表にいた全員は身を伏せてその爆風から逃れていた。煙と埃が晴れぬ中、ルカは足跡(トラック)により敵の生死を確認するも、未だ反応が消えない。とどめを刺すべく四人は空中から地面に降り立ち、ジリジリと敵に接近していくが、リッチ・クイーンが移動する素振りを見せないことを受けて、足早に歩み寄った。

 

 やがて爆発の煙が晴れると、そこには今戦っていたドームと同程度の面積を持ったクレーターが、岩盤をえぐり取るようにして出来上がっていた。その中心にリッチ・クイーンが倒れていた事を受けて、ルカとプルトン、ミキ、イグニスは戦闘態勢を解かぬまま接近するが、それでも反撃してくる様子がない。

 

 ルカはリッチ・クイーンの傍らに立ち、その喉元にエーテリアルダークブレードの刃を当てた。そうして身動きを封じつつ全身を見るが、その姿は四肢が吹き飛び、プルトンとイグニスの放った神聖属性の追加ダメージにより全身が灰と化しつつあった。すると背後からモモンとナーベ、蒼の薔薇達に白い剣士がルカを取り囲んだ。ルカは最早助からないリッチ・クイーンの隣に片膝をつき、納刀して彼女に質問した。

 

「言え、リッチ・クイーン。奈落の底(タルタロス)とは何だ? 私を狙っている者とは誰の事なんだ?」

 

「...タ...ルタロス...とは...妾の...主人達....が...住まう...場所....妾...は....クリッチュガウ....委員会の命に...より...この世へ...送られ...お前を...殺すよう....命じ...られた...」

 

「その場所はどこにある? クリッチュガウ委員会とは誰なんだ?」

 

 神聖属性の追加ダメージが顔にまで達し、端正な顔立ちが音もなく灰と化していく。ここまで重症だと回復する手段はない。ルカの顔にも焦りが見え始める。

 

「...フッ...妾も...場所までは...知らぬ...クリッチュガウ....委員会とは...この世の...創造主達の...事...」

 

「この世の創造主? それってつまり、GMって事?」

 

 しかしその問いに返答はなかった。リッチ・クイーンは天井を見上げながら、一筋の涙を零した。

 

「ああ...光が...見える...お前達との戦い...妾は満たされたぞ...ルカ・ブレイズ」

 

「待って、話はまだ...!」

 

 そしてリッチ・クイーンは、遺灰のみを残し消滅した。すると白い女性が一歩前に出てルカの隣に片膝を付く。

 

「ルカ、この遺灰を鑑定してみるのじゃ」

 

「え?遺灰を?」

 

「さすればこの者の正体も掴めようぞ」

 

「わ、分かった。道具上位鑑定(オールアプレイザルマジックアイテム)

 

ルカは遺灰を手に乗せて魔法を詠唱した。脳内に情報が流れ込んでくる。

 

 

────────────────────────────────

 

アイテム名:闘女の遺灰(アッシュオブフューリー)

 

使用可能クラス制限:ウォークレリック・エクリプス・イビルエッジ・ネクロマンサー

 

使用可能スキル制限:修復(レストレーション)フォーカス150%

 

効果(装備時):世界級耐性130%

闇耐性150%

氷結耐性130%

毒耐性80%

 

アイテム概要:一生を捧げた主の死に耐えきれず、悲しみの果てに後を追いその魂のみが神格化した女性の遺灰。このアイテムを使用するには、生死を司る最高位の魔法を有する者の力が必要となり、そして使用した者がそれまでに行ってきた所業がそのまま反映された形で現世に姿を現す(+500/-500)。その結果敵となるか味方となるかは誰にも分からない。

 

────────────────────────────────

 

 アイテムの効果を見て驚愕の表情を見せたルカだったが、ふと右を見ると白い女性が同様に遺灰を鑑定している様子だった。

 

世界級(ワールド)耐性があるって事は、つまりこれは世界級(ワールド)アイテム?」

 

「そう、お前が相手にしていたこの女は、世界級(ワールド)エネミーじゃ。どうやらこれは召喚系のアイテムらしいがのう」

 

「...だからあんなに固かったんだ。それよりも、さっきは助けてくれてありがとう」

 

「何、主を守るのは従者の務めであろう?気にするな」

 

「主...って、そんな事言われる覚えも無いし、初めて会ったのに私の名前を知っていたようだけど、あなたは一体?」

 

「まだ気づかんのか。ええい説明するのも面倒くさいわ!看破系の魔法でわしを見てみろ」

 

「わ、分かったよ。物体の看破(ディテクトオブジェクト)

 

 するとその女性の背後に、目を覆うほど山脈のように巨大な大蛇が姿を現した。その白い鱗に美しい金色の瞳を見て、ルカは再び女性に目を落とした。

 

「...え?うそ、ネイヴィアなの?」

 

「...クッ...ハッハッハ!ようやく気が付いたか愚か者め。シェイプシフターの魔法で人の姿に変身しとるだけじゃよ」

 

「え、でもネイヴィアは男なんじゃ....声も男だったし」

 

「わしが一言でも男だと言ったか?あの巨体ではそういう声しか出せんだけで、わしは立派なメスじゃよ。このグラマラスな体を見れば分かるであろう?」

 

 そう言うとネイヴィアは右手を腰に当てて左手を後ろに回し、豊満な胸を強調するような色気のあるポーズをして見せた。セミロングの艶やかな白髪から覗く縦に割れた金色の瞳は大きく、目鼻立ちも整った美しい顔立ちだった。それを見てルカはネイヴィアの胸に飛び込んだ。柔らかなホワイトムスクの香りがルカの鼻孔を突く。

 

「ほんとにネイヴィアなんだね!もう、最初から言ってくれれば良かったのに。どうしてここが分かったの?」

 

「これでも竜王(ドラゴンロード)の近新種じゃからな。竜の感覚(ドラゴンセンス)でお前達の動向を見ておったんじゃよ。そしたらお前、相当に危険な敵の下へ向かおうとしていたようじゃからな。ユーシスに一言断ってから、転移門(ゲート)でお前達の後を追ってきたわけじゃ」

 

「でもネイヴィアが居なくて、エリュエンティウは大丈夫なの?」

 

「その心配はあるまいて。エリュエンティウは魔導国と正式に同盟を結んだのじゃ。そこへ攻めてくる阿呆もいないじゃろう?それもあってユーシスはわしの自由行動を許したというわけじゃよ」

 

「そうだったんだ。嬉しいよネイヴィア、助かったよ」

 

 ルカはネイヴィアの顏に頬ずりしながら癒されていたが、後ろで呆気に取られて見ていた皆に気付き、体を離して慌てて紹介した。

 

「ご、ごめんねみんな、私も驚いちゃって....。彼女の名はネイヴィア=ライトゥーガ。私達の友人よ」

 

「そういう訳じゃ。よろしくな、皆の衆」

 

「あ、ああよろしく。私はモモン、こちらはナーベだ。それとアダマンタイト級冒険者、蒼の薔薇の皆さんたちだ」

 

 するとモモンは皆に気付かれないように伝言(メッセージ)を飛ばした。

 

『ネイヴィア、私だ』

 

『どうしたアインズ?』

 

『今の私はモモンとナーベという冒険者に扮している。間違ってもアインズという名前は口に出さないでおいてくれ』

 

『オーラで気づいておったが、成程な。それでそんなけったいな鎧に身を包んでいるという訳か。了解した』

 

『助かる』

 

 跪いたままのルカを見ながらネイヴィアは立ち上がった。

 

「ルカ、その遺灰は回収しておけ。後々役に立つかも知れんからのう」

 

「何なら今ここで使ってみてもいいけど?」

 

「それは止めておけ。もし再度戦闘になると少々厄介なのでな、もっと安全な場所にした方がよかろう」

 

「そうだね、分かった」

 

 そう言うとルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージから革袋を取り出すと、遺灰を余すところなくその中に収めて腰にぶら下げ、立ち上がった。

 

「よし!ラキュース、ガガーラン、イビルアイ、ティア、ティナ、みんなお疲れ様。モノリスの解読を終えたら、レエブン候に報告しに行こう」

 

「...あんな強力な魔法、見た事がないわ。貴方達に任せっきりになってしまったわね」

 

「全くだぜラキュース。俺達じゃ手の出しようがない程の力だったな」

 

「超位魔法....私もこの目で見るのは初めてだ」

 

「....さすが化物。私が見込んだだけの事はある」

 

「....鬼アサシンも凄かったけど、いきなり現れたそっちの白い人も半端じゃない力の持ち主。私達じゃ到底かなわない」

 

「フフ、ありがとう。プルトン、モノリスの翻訳をお願いできる?」

 

「ああ、承知した」

 

皆がモノリスの下に集い、翻訳作業が開始された。

 

────────────────────────────────────

 

 

 また参考までに、フェローの通信衛星に積まれたCPUは至ってノーマルな最速の量子コンピュータである。何故かと言えばこの時点で本物のブラックホールを時間跳躍圧縮に使用しているため、通信衛星自体のデータ処理量は限りなく少なくて済むためだ。よって通信衛星に搭載されるCPUが最速である必要はない。またプレイヤーやAIの脳波データも、RTL機能で繋がれた最新の年代データが全ての時代に反映されるようになっているので、その点も留意してもらいたい。

 

 話が逸れた事を詫びよう。無事にフェローも軌道に乗り、私達は新たなプロジェクト・ネビュラの始動に着手した。その内容とは、遂に私達の悲願でもある、RTL機能を使用した未来と過去を繋ぐ実験である。マイクロブラックホールを使用したRTL機能の通信実験自体は絶えず行われていたが、フルスペックでのプレイヤーとAIを含む脳波を転送するという実験は行われなかった。いや、行えなかったという方が正しい。何故なら、フェローという通信衛星なくしては、この実験は成立しなかったからだ。長い時を待った。しかしそれが結実する日が目の前に迫っている。私達はユグドラシルⅡのデータに改良を加え、入念な動作チェックを繰り返した。

 

 そして私はセキュリティ面の強化という観点から、ダークウェブのより下層にあるロストウェブに住まう超ウィザード級ハッカー達に協力を仰いだ。彼らはユグドラシルというゲームとその開発者である私が姿を現した事に、驚愕と賞賛を持って迎え入れてくれた。ロストウェブは広大だが、彼らが住まう場所は限定されている。そして彼らはダークウェブを遥かに凌駕する強固なプロテクトを組んでいた。彼らが信じるのは力だ。自分を超える超越的な技術を持った存在にめぐり逢いたいからこそ、彼らは強固な殻に閉じこもる。

 

 私はものの数分で彼らのプロテクトを破壊し、彼らがロストウェブ内に立ち上げたサイトの内部に侵入して私の正体を明かした。それを幾度となく繰り返す内に、彼らは私を信じてくれるようになった。そして私は彼らと直接会い、これから行われるプロジェクトに関する詳細を話した。その壮大な計画に彼らは武者震いを起こし、ロストウェブ内にサーバをを構えるにあたり、全面的に協力する事を約束してくれた。彼らと契約書を交わし、これでロストウェブサーバの安全が確保できたと安堵した私は、さらなるテストを繰り返した。やがてプログラムは完成し、ユグドラシルが終了した2138年より丁度100年後の2238年、私達はリバースエンジニアリングという名目の元、ユグドラシルエミュレーターを開発する事を世界に発表した。

 

 そして2242年、既にユグドラシルβ自体の開発は終えていたのだが、世間の目を欺く為に最初は限定的なユグドラシルαという形でリリースした。その4年後にフルスペック版のユグドラシルβ(ベータ)を発表する。優秀なプレイヤーを選別するため、ここからは長い我慢の時間が続いたが、我々は───というより私は、ユグドラシルβ(ベータ)に新たなゾーンを作るなどして、アップデートを重ねていった。予定されているサーバダウンの日は2350年8月4日 午前0:00 。既に私の肉体は朽ち、今は生命維持装置に脳核を接続する事によって生きながらえている。私はその結果を見届ける事なく死ぬだろう。しかし私は己がしてきた研究成果を信じている。必ずや成功に導かれるだろうと。

 

────────────────────────────────────

 

 

「碑文の内容は以上だ。どうだ、何か掴めそうか?」

 

 プルトンの言葉をメモ帳に速記しながらルカは返事を返した。

 

「そうだね、全体の文脈から見てもあと一息ってところかな。少なくともフェロー計画とプロジェクト・ネビュラに関しては、これでほぼ全てが解けたと言ってもいい」

 

「それは何よりだな。しかしこの様子だとまだモノリスは存在しているのかもしれん。転移門(ゲート)が開いているが、閉じなくていいのか?」

 

「一応向こうの様子を見てからにしよう。ちょっと見てくるから皆ここで待っててね」

 

 そしてルカは転移門(ゲート)を潜るが、通例通りその先の万魔殿(パンデモニウム)には何もない事を受けて、すぐに戻ってきた。

 

「OK、じゃあ転移門(ゲート)閉じるね。上位封印破壊(グレーターブレイクシール)

 

(パキィン!)という音を立てて、モノリスに刻まれたエノク語の光が消え失せた。

 

「よし、じゃあみんな帰ろうか」

 

「ルカ、ちょっと待って」

 

 怪訝そうな表情でラキュースはルカを呼び止めた。

 

「何?ラキュース」

 

「何?じゃなくて...私はこれでも神官職よ。エノク語だって読める。ここに書かれている内容は一体どういう事なの?」

 

「あー、えーとね、今この世界各地に、これと同じような石碑が多数出現してるの。私達は今、この石碑を追って旅していると言っても過言ではないわ」

 

「教えて。この碑文に書かれているロストウェブって何? ユグドラシルって何なの?」

 

「...言っても理解できないかもしれないけど、それでも知りたい?」

 

「もちろんよ!」

 

「じゃあ、これを見せてあげる。それを見てどう判断するかは、ラキュースの想像に任せるよ」

 

 ルカは手にしたメモ帳を開き、ラキュースに手渡した。そして注釈のつけられた碑文の内容を一言一句逃さず読み始めた。途中で出てくる専門用語的な箇所はルカが説明を補足しながらの解読となった。それを全て読んだラキュースは顔面蒼白となり、その表情から石碑の内容を理解した事が見て取れた。フラリと脱力して倒れ掛かったラキュースをルカが受け止める。

 

「ラキュース、気をしっかり」

 

「ご、ごめんなさい。つい眩暈がして....」

 

「無理もないよ。君達はあまりこの件に深入りしない方がいい。ね?」

 

「...ええ。でも一つだけ教えて、ルカ。ここに書いてある事が本当なら、この世界は人によって生み出された物。ならば私がここにいるという自我でさえ、人が生み出したものに過ぎない事は分かった。私は、存在する事が許されているの?」

 

「あまり深く考えないで。自我の認識なんて、外の世界でも曖昧なものなんだよ。君がそこに疑問を抱いている時点で、そこに自我は存在するし、私には君が見えている。それだけで十分じゃないか。君は今ちゃんと生きている、ラキュース。私が保証するよ」

 

「...あまり慰めになっていないけど、分かったわ。あなたを信じる。私に今できる事はそれだけだし」

 

「それでいいと思う。さあ、みんなでレエブン侯へ報告しに行こう!転移門(ゲート)

 

 ルカ達は満身創痍ながらも、激闘の果てに勝利したという達成感で覇気を取り戻しつつあった。皆が胸を張り、転移門を潜ったのであった。

 

───エ・レエブル 領主邸宅内 18:27 PM

 

 全員が体中土と埃まみれの中、ラキュースの口から執務室で報告が行われた。それを聞いてレエブン侯は安堵の溜息を漏らす。

 

「蒼の薔薇の皆さん、漆黒の英雄たちもお疲れ様でした。...そしてルカ、あなた達が居てくれて本当に良かった。世界級(ワールド)エネミーの存在などと言う私の想像を超える最悪の事態を、あなたのおかげで乗り切れたことを心より感謝致します」

 

 エリアス・ブラント・デイル・レエブンは、ルカに深く頭を下げた。

 

「おやめ下さいレエブン侯。私はただ、貴方に恩返しをしたに過ぎません。どうか頭をお上げ下さい」

 

 ルカに上腕を支えられ、レエブン侯はゆっくりと頭を上げた。

 

「今後、また仕事をお願いしてもよろしいでしょうか?」

 

「今の私は魔導国に仕える身ですので、昔のようにと言うわけには行きませんが、可能な限り善処したいと考えております」

 

「そのお返事だけ聞ければ十分です、ありがとうルカ。約束の報酬を用意してあります。それと宿屋を貸し切りにしてありますので、皆さん今日はこのエ・レエブルで疲れを癒やしていってください」

 

「お心遣い感謝致します、レエブン侯。ではお言葉に甘えてそうさせていただきます」

 

 そして一同は金剛の彫刻亭へと移動し、入浴で疲れを癒やしたあとに皆で晩餐の席に着いた。全員が揃ったところでラキュースが音頭を取る。

 

「お酒は行き渡ったわね?はい、それじゃあみんな!今日は本当によく戦ってくれたわ。誰一人失うことなく、生きて帰れたことが不思議なくらいの激闘だった。特にルカ達6人と、後から加勢してくれた白い剣士・ネイヴィアの力がなければ、遺跡への侵入すらも危ぶまれていた。このめぐり逢いに感謝を。そしてレエブン侯と、このエ・レエブルに平和を。乾杯!」

 

『カンパーイ!』

 

 次々と運ばれてくるエ・レエブルの郷土料理に皆が舌鼓を打つ。濃厚なクリームスープにネイヴィアが口をつけるが、驚いた表情でルカに聞いた。

 

「おお!ルカ、こいつは美味いのう!何という料理なのじゃ?」

 

「それはコーンとじゃがいものポタージュスープよ。美味しいよねこれ」

 

「うむ、たまらないコクじゃ!あまり食事はしないのじゃが、普段は魚しか食べていないからな。人間の作る手料理なぞ、数百年ぶりじゃわいハッハッハ!」

 

「その姿なら、今後いろんな所に遊びに行けるね」

 

「全くじゃ、物見遊山もたまには悪くないのう。決めた、わし当分の間お前たちについていくからな。よろしく頼むぞルカよ」

 

「もちろんいいよ。その方が私も助かるし」

 

「よし、そうと決まれば今日はじゃんじゃん飲むぞい!おい女将、このポタージュスープとやらを二人前追加な!」

 

「かしこまりました、お客様」

 

 笑顔ながら凛とした態度を取る女将が側に控えており、貸し切りの食堂で注文を承っていた。ワインをジョッキのグラスでグイグイと仰ぐネイヴィアのいい飲みっぷりを見て、ガガーランが質問してきた。

 

「よう白い剣士、あんたはどこの出身なんだ?」

 

「わしか?わしはお前、エリュエンティウ出身じゃよ?」

 

「ずいぶんと遠くから来たんだな。あんたのあの剣技、すごかったぜ。今度俺にも教えちゃくれないか?」

 

「それは構わんが、果たしてお主に使いこなせるかのう?もう少し腕を磨いてから、また出直すがよいぞ」

 

「へへ、言ってくれるじゃねえか。...でもまあ、その通りなのかもな。正直俺はあの化物を前にブルっちまって、身動き一つ取れなかったしな。ルカもあんたもバケモンだが、分かった。でもその時は頼むぜ」

 

「よかろう、待っておるぞ」

 

 格下相手にも気取ることなく、楽しげに接しているネイヴィアを見てルカは感心していた。心強い味方が増えた事でアインズも喜んでいるだろうと察したが、酔っ払ったイビルアイに絡まれた事で早々に自室へと引き上げてしまった。それを受けて落ち込むイビルアイをルカが慰める。

 

「だめよイビルアイ、そんなにグイグイ押したら向こうだって引いちゃうよ」

 

「う〜、だってー...」

 

「ああ言う寡黙なタイプには、自然に振る舞って信頼を勝ち取っていかないと、振り向いてくれないよ?」

 

「...まるでそういう経験をしてきたかのような物言いだが、お前はどうなんだルカ。誰か意中の人でもいるのか?」

 

「ん?もちろんいるよ」

 

「何?!それで、どこまで行ったんだ?」

 

「フフ、なに興奮してるのよ。この前、二度目のキスをしたよ」

 

「くぅ〜!妬けるぞルカ!!それで、相手はどんなタイプなんだ?」

 

「...そうねえ。普段は冷静沈着で、滅多なことでは動揺しないんだけど、仲間の危機を見ると怒り心頭で周りが見えなくなっちゃう。でもそれが彼の優しさから来る怒りだとみんなが知っているから、周りからの信頼も厚くてリーダーシップを取れる。そんな人よ」

 

「はぁ、まるでモモン様のようだな。その者の名は何というのだ?」

 

「それは秘密。もし彼と正式なお付き合いができたら、その時は教えてあげる」

 

「そうか。お前ほどの女が惚れる相手なのだから、きっとその者も想像を絶する力を持っているのだろうな。羨ましいばかりだぞ、ルカ」

 

「ありがとう。そうだね、私と同じかそれ以上の力を持っているかな」

 

「お前の使ってみせた超位魔法は、私から見れば化物クラスの威力だった。それと同じような力を持つという事は、その彼氏もプレイヤーなのか?」

 

「そういう事になるね。これ以上詳しくは話さないよ?」

 

「何、それを聞ければ十分だ。私の知る限り、そのような馬鹿げた力を持つのはアインズ・ウール・ゴウン魔導王だけだからな。そういう事なんだろう?」

 

「さーて、どうかなー?想像に任せるよ」

 

「フッ、やはりな。これ以上詮索するつもりはない。何を飲んでいるのだルカ?」

 

「エーテル酒よ。イビルアイも飲む?」

 

「いただこう」

 

 そして夜更けすぎまで皆は飲み明かし、今生きているという実感を分かち合った。

 

────翌日 金剛の彫刻亭入口 12:00 PM

 

 昨晩泊まった全員が1階に集合すると、ラキュースとガガーランが笑顔でルカ達に歩み寄ってきた。

 

「それじゃあルカ、機会があればまた会いましょう」

 

「そうだね、ラキュース達も元気で」

 

その後にイビルアイ、ティア・ティナも続く。

 

「ルカ、お前たちがいてくれて本当に助かった。礼を言う」

 

「....また会おう、化物」

 

「....次こそ添い寝してくれ、鬼アサシン」

 

「どういたしまして。それとティナ、私に添い寝して欲しかったら、もっと強くならないとね」

 

「お前はモモン様と同じ、エ・ランテルがホームなのだろう? 本当なら私もついていきたい所なのだが...」

 

「だめよイビルアイ。昨日言った事もう忘れたの?」

 

「う〜、分かった我慢する...」

 

「よし、じゃあ私達はそろそろ行くよ。レエブン侯にもよろしく伝えてね。転移門(ゲート)

 

 ルカの開けた暗黒の穴にモモン、ナーベ、ネイヴィアとルカ達が次々と入っていき、やがて転移門(ゲート)が閉じた。それを見てガガーランが独りごちるように呟いた。

 

「全く、相変わらず不思議な連中だったな。あれ程の力を持ちながら、それを歯牙に掛けようともしない。イビルアイもまた振られちまった事だしな」

 

「ば、バカを言うな!まだそうと決まった訳ではない」

 

「強者は強者に惹かれ合う。早くしないと、ルカに持っていかれちまうぜ?」

 

「彼は寡黙で聡明なお方だ。先に二度会っている私のほうが有利だぞ。いきなりルカを好きになるなど、よく考えればありえない話だ」

 

「ふーん、そういうもんかねえ」

 

「いつか必ず、振り返らせてみせるさ。地道な努力が大切だとルカも言っていたしな」

 

「....いつになく健気、イビルアイ」

 

「....可愛い。添い寝してあげる」

 

「お前らの添い寝などいらんわ!!」

 

 正午の日差しが照らす中、蒼の薔薇の皆は声を上げて笑っていた。

 

───ナザリック地下大墳墓 第九階層 執務室 13:57PM

 

「おかえりなさいませアインズ様、それにルカ様達も。お待ちしておりました」

 

「ただいまデミウルゴス。会議の途中で抜け出してしまったことを許してほしい」

 

「滅相もございません!アインズ様の行いはいついかなる時も正しいもの。このデミウルゴス、深くそう信じております故」

 

「ありがとうデミウルゴス。それで、頼んでおいた草案の続きはできているか?」

 

「ハッ。粗方完成しておりますので、一度アインズ様にお目通ししていただくべくお待ちしておりました。こちらをご覧ください」

 

 デミウルゴスはテーブルの上に置かれた白い紙を手に取り、アインズに差し出してきた。それを受け取り、ルカ・ミキ・ライルが背後から文章を覗き込む。内容を読み進めていくうちに、ルカの顔が苦笑いに変わっていった。アインズはそれを見て頷いているが、ルカはデミウルゴスに質問した。

 

「ず、随分と攻撃的な書状だね?」

 

「はい、ルカ様。しかしそこに書かれていることは事実です。事実の前には、どのような反論も重みを失うでしょう」

 

 ルカは書状の内容を更に読み進めていった。

 

──────────────────────────────

 

拝啓 

 

             スレイン法国 最高神官長殿

 

        貴国においては益々ご健勝の事とお喜び申し上げる。

 

 さて、存じているとは思うが、我が国はバハルス帝国を属国とし、その後に竜王国、アーグランド評議国、エリュエンティウと、武力を伴う同盟を結んだ。彼らは正しい選択をした。何故ならば、そのような武力に頼らずとも、私アインズ・ウール・ゴウン一人で一つの国家を完膚なきまでに破壊し尽くせるからだ。そして同様の力を持つ者を、我々は他に13人保持している。この意味が分からんほど愚かでもなかろう。

 

 勘違いしないでもらいたいが、これは友好的な同盟の提案である。貴国が過去に行った愚かな行動があるからこそ、このように威圧的に接しているのだ。想像し得る最悪の事態を踏まえ、我々は貴国と会談の場を設けたいと考えている。この書状を開いてくれるのであれば、貴国が我が領地であるカルネ村でかつて行った蛮行を許してやらんでもない。今より3日後、私達は貴国を訪れる。

 

 諸君らの良い返事を期待している。

 

                        アインズ・ウール・ゴウン魔導王

 

───────────────────────────

 

「うむ、大方の路線はこれでいいだろう。ルカも構わないな?」

 

「もちろんいいよ。でも下手したら戦争になりかねないけど、それでもいいの?」

 

「何、ここに書いてある通り、先に手を出してきたのは向こうだからな。この程度で戦争になるなら、所詮それまでの相手という事だ。これでもまだ優しすぎるくらいだぞ?」

 

「なるほどね、了解。出立はいつにする?」

 

「早いほうがいいだろう。明日までには書状を書き上げておくから、お前達はその間ゆっくりと休んでくれ」

 

「じゃあご飯食べてお風呂に浸かって、のんびり過ごすかな。ミキ、ライル・イグニス・ユーゴ、食堂に行こう。ナザリックのランチは美味しいからね」

 

「くぅ〜、たまにはシンプルなイタリアンでも食いてえなあ!」

 

「ユーゴ、料理長に頼めば出してもらえるよ」

 

「マジですかい? じゃあお願いしてみようかな」

 

「もし無理だったら、厨房借りて私が作ってあげるよ。何がいい?」

 

「ルカ姉の手料理ですかい?!くぅ〜そっちのほうが断然いいや!ペペロンチーノとマルゲリータピザに、エビとニンニクのアヒージョとかあれば最高です」

 

「ほんとにシンプルだね。分かった、ミキ、ライル、イグニスは何か食べたいものはない?」

 

「では私は舌平目のムニエルとシーザーサラダを、その...二人前で」

 

「私は牛のサーロインステーキと付け合せのパンをお願い致します」

 

「私は油淋鶏とライスをお願いします」

 

「見事に国が別れたね。了解了解、全部作ってあげるよ」

 

「ヒャッホウ!ルカ姉の手作りだ、最高だぜ!!」

 

「フフ、楽しみに待っててねみんな」

 

 そして五人が食堂に着くと、ルカはアイテムストレージから真っ赤なバンダナと真っ白なエプロンを取り出し、それを装備して厨房に入っていった。料理長に説明して了承をもらうと、早速冷蔵庫から必要な食材を集めてキッチンに並べた。ピザに至っては生地から手作りという念入りである。

 

 そして次々と食材を切り刻んではフライパンに放り込まれていく。芳しい油の焼ける匂いが食堂中に広がっていく。流れるような手際の良さに、料理長もただ唖然とする他なかったが、そうこうしているうちにすべての料理が完成し、ルカの手で皆のもとに運ばれていった。

 

「へいお待ち!ペペロンチーノにマルゲリータピザのバジル乗せ、海老とニンニクのアヒージョ、舌平目のムニエルにシーザーサラダ、サーロインステーキにパン、油淋鶏とライスでございますね」

 

「来た来たー!うひょーうまそー!」

 

「んん〜、いい香りですルカ様」

 

「はっ、早く食いたい」

 

「この香ばしい香りがたまりませんね!ルカさんは何を食べられるのですか?」

 

「私はこれよ」

 

 するとルカは皿を皆に見せた。見るからに辛そうなトマトソースに、短く切られたマカロニとひき肉がふんだんに使われている。それを見てユーゴが声を上げた。

 

「ペンネ・アラビアータっすか!ルカ姉がイタリアンに詳しいなんて初めて知りやしたぜ!」

 

「日本食から中華、イタリアン、フレンチまで、一通り作れるよ。ライルがしびれを切らしてるから、とりあえず冷めないうちに食べようか。それじゃ、いただきます!」

 

『いただきまーす!』

 

 そして皆はルカの手料理を満喫していた。食事に付加された強力なバフ効果のせいで、皆の体がやんわりとした光に包まれている。側にいるナザリックのメイド達も、普段なら漂ってこないバジルとニンニクの香ばしい香りに惹かれて、ルカたちの周りに集まってきていた。 

 

「ルカ様、この芳しい料理は?」

 

「私が作ったのよ。一口食べてみる?」

 

「よ、よろしいのですか?!」

 

「もちろんよ。はい、あーん」

 

 ルカはフォークで掬い、そのメイドの口にペンネ・アラビアータを運んだ。噛み締めた瞬間に漂うニンニクと唐辛子の刺激的な香りとコクに包まれ、金髪のメイドははち切れんばかりの笑顔を見せた。

 

「んん〜、辛いけど美味しい!!」

 

「それは良かった。君の名前は何ていうの?」

 

「名も名乗らず失礼をしました、シクススと申します」

 

「そうかシクスス、気に入ったならまた今度作ってあげるよ」

 

「ありがたき幸せにございます、ルカ様!」

 

 そして皆はそのあまりの美味さに、無我夢中であっという間に食事を平らげてしまった。

 

「いっやー、満腹満腹!!こんなに刺激的なイタリアン初めて食いましたぜルカ姉!最高でさぁ!」

 

「ルカ様、体中がとろけてしまいそうな舌触りとコクでしたわ」

 

「そうだなミキ。ルカ様の料理の腕は全く衰える事を知らない。俺のサーロインステーキもスパイシーで、舌の上でほぐれるような柔らかさだったぞ」

 

「カラッと揚がった油淋鶏なのに、食べてみると様々なハーブの香りが漂ってくる。それがまた油のくどさをさっぱりとした印象に変える。こんなにも愛情の籠もった中華料理を、俺は初めて食べましたよルカさん!」

 

「おっ、その隠し味に気付くとはさすがだねイグニス。衣に数種のハーブを練り込んだのよ。現実世界に戻ったら、また作ってあげるからね」

 

「ええ、是非!」

 

「よし。みんな満腹になったし、明日までの自由時間を満喫しますか!」

 

『ハッ!』

 

 そして全員は一旦客室に戻り、普段着に着替えて皆でナザリック大浴場へと向かった。まだ早い時間帯のせいか、人の出入りが激しい。ルカとミキは脱衣所でシャツとズボンを脱ぎ、きれいに折りたたんで籠に収め、バスタオルで前を隠しながら大浴場へと入る。

 

 体をお湯で数度流し、ライオンの彫像から注ぎ込まれる湯船に二人は浸かった。

 

「ぷはー、極楽極楽!」

 

「お疲れ様でしたルカ様。まさかナザリックでルカ様の手料理を堪能できるとは思っても見ませんでしたわ」

 

「たまにはこういうのもいいよね。みんなにも喜んでもらえたようだし、良かったよ」

 

「私にも料理ができればいいのですが、そのようなスキルは持ち合わせていませんので、ルカ様に任せっきりで申し訳なく思います」

 

「何言ってるの、これはプレイヤーの特権ってやつだよ。私はキャラが完成した時点で、余っていたルーンストーンマウントの中からシェフマスタリーのルーンを選んだから、こうやってこの世界でも料理が出来るんだよ。それにミキを初めて創造した時、私は完全に戦闘向けに魔法とスキルを割り振ったからね。気にしないでいいの」

 

「そう言っていただけると助かります」

 

「明日から忙しくなりそうだし、羽が伸ばせるのも今のうちさー」

 

 そうして二人共脱力していると、もう一人が湯船に入ってきた。ルカはその者のために位置を詰めるが、何故かその女性はルカにくっつくように寄り添ってくる。それを不思議に思い左に顔を向けると、正面を見据えたまま微動だにしない。ピンク色をしたセミロングの美しい髪を持ち、左目にはマジックアイテムと思われる黒い眼帯を装備している。その可愛らしくも美しい少女にルカは見覚えがあった。

 

「やあ。君は確か、プレアデスの?」

 

 ルカがそう尋ねると、少女は首だけを右に向けてこちらを見据えてきた。

 

「.......はい。CZ 2128デルタ。皆からはシズ・デルタと呼ばれております」

 

「そうか。じゃあシズ、と呼んでもいい?」

 

「......もちろんです、光栄ですルカ様」

 

「じゃあ聞くけどシズ、こんなにくっついてきて、私に何か言いたい事でもあるの?」

 

「........料理」

 

「ん?料理がどうしたの?」

 

「.......さっき食堂で振る舞っていた料理、私も食べてみたい。美味しそうだった」

 

「何だそんなことか。いいよもちろん、今度作ってあげるよ。シズはどんなものが食べたい?」

 

「......ハンバーグ。それとポタージュスープ」

 

「ストレートに来たね!シズ可愛い。OK分かった、じゃあ次に作るときはプレアデスのみんなにとびきりのハンバーグとスープをご馳走しようかな」

 

「......約束、して」

 

 シズは湯船の中から右手の小指を立ててきた。それを見てルカは小指を結んだが、その小指を結んだままシズの体を引き寄せて抱擁した。

 

「ゆーびきーりげーんまん、嘘ついたら針千本のーます。ゆーび切った!」

 

 体を離してシズの顔を見ると、無表情にも関わらず頬が朱色に染まっていた。それを見てルカはシズの手を取り、湯船から立ち上がった。

 

「シズ、髪洗ってあげる。行こう」

 

一方男湯では────

 

「いやー、ルカ姉の料理ガチで美味かったな!ライルの旦那は、ルカ姉の手料理を毎日のように食ってたんですよね。羨ましい限りでさぁ」

 

「そうだ。未だルカ様の手料理を超える味を、俺は知らぬ」

 

「あんなに美しくて、あんなに料理がうまいなんて、俺もほんとに驚きです」

 

「おいおいイグニス、それはちょっと危ねえ発言じゃねえか?現実世界で俺たちのバイオロイド素体を作ったのは、ルカ姉なんだぞ?気持ちは分かるが...」

 

「馬鹿いえ、そんな事は重々わかってるさユーゴ。ルカさんは俺たちの母だ。俺が言いたいのは、尊敬出来る母だと言いたいんだよ。それにルカさんにはもう、心に決めた相手が出来たことだしな」

 

「アインズ様か。俺も彼なら申し分ないと思っている」

 

ライルは両手で湯船のお湯を掬い、バシャッと顔を洗い流した。

 

「ライルの旦那、俺も同じ気持ちでさぁ。やっぱりプレイヤーと言うか、人間同士で結ばれるのが、ルカ姉にとっても一番いいことなんじゃねえかって思いやすぜ。そりゃあ俺も最初はルカ姉に惚れてやしたが、ルカ姉も今はきっと俺達の事を子供としか見てないって事も、何となく分かりやしたからねぇ」

 

「まあ実際、その通りだからな。お前達、間違ってもルカ様の邪魔だけはするんじゃないぞ」

 

「もちろんですよライルさん」

 

「当たり前でさぁ!ルカ姉には俺も幸せになってほしいですからね」

 

「よし、そうと決まれば俺の部屋で一杯飲むか」

 

「おお、付き合いやすぜライルの旦那!」

 

「じゃあ俺もご同伴させてもらいますかね!」

 

 

───ロストウェブ 知覚領域外 奈落の底(タルタロス)(エリア特定不能)17:21 PM

 

「三度の失敗だ」

 

「残るゲートキーパー、残すは奴のみなのでは?」

 

「オーソライザーとの接触は進んでいるのだ、問題なかろう」

 

「しかし制御が効かぬ」

 

「汚染も進んでいる。四の五の言っている場合ではない」

 

「大陸が滅ぶ可能性もある。慎重に決めねばならん」

 

「ノアトゥンは何処に?」

 

「オーソライザーとの接触の為、かの地で待機中だ」

 

「ブラックボックス...いっそ破壊したらどうだ」

 

「それが出来ればとうにしておるわ」

 

「グレンめ...奴こそが元凶」

 

「それを言っても始まらぬ」

 

「メフィウスによって自動的にオーソライザーがジェネレートされているのだ。我々には止めようがない」

 

「最後の手段、取りたくはないものだ」

 

「あり得ぬ、それこそ破綻だ」

 

「奴を潰すか、生かすか」

 

「要はそこだな」

 

「方針は決定している。何のためのゲートキーパーか」

 

「奴に託すか」

 

「決まりだな。奴をここに呼べ」

 

 

───ナザリック地下大墳墓 第九階層 執務室 10:00AM

 

「デミウルゴス、完成した書状をルカに」

 

「かしこまりました、こちらになります」

 

「ありがとうデミウルゴス」

 

 ルカは書状を受け取ると、中空に手を伸ばしてアイテムストレージに収めた。部屋には階層守護者達全員が立ち会っている。アインズは執務机から立ち上がり、机を回り込んでルカの目の前まで歩いてきた。

 

「いいなルカ、手筈通りだ。少しでも雲行きが怪しくなりそうなら即座に伝言(メッセージ)で連絡を入れろ。こちらも兵を用意しておくのでな」

 

「了解。なるべくそうならないように動くつもりだけどね。それじゃあ行ってくる、転移門(ゲート)

 

「ああ、頼んだぞ」

 

───スレイン法国 北正門入口前 10:17 AM

 

 ルカ達三人が正門前に着くと、そこには入国審査を待つ商人や荷馬車等が短い列を作っていた。仕方なく最後尾に周り、三人は念の為探知阻害の指輪を装備した。これを身に着けていれば、アンデッドとして認識されずに済むからだ。

 

 一時間ほど待ってようやく順番が回ってきた。衛兵達が道を塞ぐ中 ルカは書状を取り出して封蝋の印を彼らに見せた。

 

「アインズ・ウールゴウン魔導国から大使の命を受け、書状を携えて来た。入国の許可をいただきたい」

 

 すると門番の表情が途端に険しくなり、ルカ達に訝しげな目を向けてきた。

 

「魔導国からの入国は、特別に許可を得た商人しか許されない」

 

「この書状が許可証だ。我々の入国を拒否するのであれば、お互いの国にとって少々まずい事態になるが、それでもよろしいか?」

 

「そ、そうは言われましても、一応規則ですので...書状をお預かりするだけでしたら可能ですが」

 

「それは出来ない。最高神官長に直接お渡ししたい」

 

「最高神官長に?! 一応お伺いしますが、あなた達は亜人...ではありませんよね?」

 

「見ての通り人間だ。私を侮辱するのか?」

 

「いえ、そのようなことは決して」

 

「話にならないな」

 

 そうして押し問答を繰り返していると、門の影から一人の男が近寄ってきた。中国風の竜袍(ロンパオ)を着た風変りな恰好をした男だ。

 

「私が許可します。彼女らを入れて差し上げなさい」

 

「ノ、ノアトゥン様?!し、しかし仮にも魔導国の人間を...」

 

「構いません。彼女らの身元は私が保証します」

 

「あ、あなたがそう言われるのでしたら...承知しました、ようこそスレイン法国へ。あなた達を歓迎します」

 

 するとノアトゥンは微笑みながらルカ達に歩み寄る。

 

「またお会いしましたねお嬢さん。それにミキ殿、ライル殿も。お待ちしていましたよ」

 

「ノア?! どうしてスレイン法国に?」

 

「何、この国とは少々腐れ縁がありましてね。詳しい話は中でしましょう。私に付いてきてください」

 

 そしてルカ達は門を潜り、街中に入った。目の前には幅50メートル程の大路が広がっており、まるで碁盤の目のように整然とした近代的な街並みだった。その中心を歩きながら、首を横に向けてノアトゥンが話しかけてきた。

 

「この国は、元々我ら六大神が建国したのですよ。最も私が六大神と言うことは、最高神官長を除いてこの国のトップにも伏せてありますがね」

 

「そうだったんだ。ノアはこの国の中では、どういう位置づけなの?」

 

「一応隠密席次という役職についていますが、それ自体を知るものはごく僅かですね」

 

「そっか。何にせよ助かったよ。早速だけど、魔導国からの書状を最高神官長に渡したいんだ。良ければ案内してもらってもいい?」

 

「ええ、もちろんです。話は既に通してありますので、神殿に向かいましょう」

 

 そしてルカ達は街の東側に位置する巨大な大聖堂へと向かった。向かって右側の扉を通り、聖堂の外苑部に出て更に左に曲がりしばらく歩くと、高さ4メートル程ある重厚な扉の前に着いた。扉を守る二人の衛兵がノアトゥンの姿を確認すると、その扉を開けて一同は奥へと進む。

 

 天窓には幻想的なステンドグラスがあしらわれていた。石柱の並ぶ一室の最奥部に神官服を着た6人の老人たちが、石造りのテーブルの前に腰掛けてルカ達を見つめている。そこはまるで裁判所のような作りであった。ノアトゥンが前に進み出て神官達に声をかける。

 

「神官長、魔導国からの使者をお連れしました」

 

 その瞬間、6人の神官長達は一斉にどよめきを上げた。

 

「魔導国からの入国は原則禁止していたはずだ。何故に入国を許可したのだ、ノアトゥンよ」

 

 席の中央に座る神官が怪訝そうにノアトゥンを睨みつけた。

 

「彼女たちはユグドラシル・プレイヤーです。これ以上他に理由が必要ですか?」

 

「何だと?!」

 

 冷笑を浮かべながら告げたノアトゥンの一言に、六人の神官達は皆凍り付いた。そしてルカ達には聞こえないよう小声で、互いに相談を繰り返す。やがて中央に座る最高神官長が重苦しくそれに返事を返した。

 

「....分かった。それで使者殿、名は何という?」

 

「私は使者代表のルカ・ブレイズ。こちらはミキ・バーレニに、ライル・センチネルと申します、最高神官長殿」

 

「なるほど。それでルカ殿、魔導国が我が国に何用で参ったのかな?」

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王より、貴国へ向けて書状を携えて参りました。これを是非お受け取りいただきたく、馳せ参じた次第でございます」

 

「承知した。では書状をこちらに」

 

 ルカは懐から書状を取り出すと、前に進み出て丁重に書状を最高神官長に受け渡した。そして元居た位置へと下がり、ルカ・ミキ・ライルはその場に片膝を付く。

 

 最高神官長は封蝋を解き、書状を広げて読み進めるが、次第に顔色が険しくなっていった。そして他の5人の神官長にも回し読みされる。彼らの表情は一貫して、(拒絶)という言葉が相応しいほど顔に現れていた。しばしの沈黙の後、最高神官長は顔を上げてルカに問いかける。

 

「...これはどういうおつもりですかな?ルカ・ブレイズ大使」

 

「書状に書かれた通りの内容にございます。私から申し上げる事は何もございません」

 

「この脅しとも取れる内容に関して、何も言う事がないと?」

 

「そこに書かれている事は全て事実です、特に貴方たちがカルネ村に行った所業について。違いますか?」

 

「その証拠があるとでも言うのかね?」

 

「出せと言われれば、魔導王がここへ到着する3日後に出す用意がございます。あまり我が魔導国を舐めないでもらいたい」

 

「...貴国は一体何がしたいのだ。征服か?」

 

「それはアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の一存にございます。むしろそうした事態を避けるためにこの度会談の場を設けると理解していただきたい」

 

最高神官長はゴクリと固唾を飲み、ルカに恐る恐る質問した。

 

「.....滅ぼす事が目的か?」

 

「それは貴方達の返答次第です。勘違いしないでもらいたいが、魔導王がここに来るまでもなく、やろうと思えば私一人だけでもこの国を一瞬にして滅ぼせる力を持っている。こうして私達3人がこの場に書状を携えてきた意味を考えていただきたい」

 

「つまり、話し合う余地はあるのだな?」

 

「その通りです」

 

 すると右前方にある柱の影から、それを聞いていた何者かの含み笑いが聞こえてきた。ルカがそれに気づき顔を向けると、武装した一人の女性が姿を現した。頭から右の半分が白銀、左半分が漆黒の髪を肩まで伸ばし、それとは逆に右目が黒く、左目が白い三白眼を持つオッドアイの女性だ。

 

 外見年齢は10代前半といったところだろうか。ゆったりとしたニットの下にチェインメイルを着込んでおり、身軽さ重視の装備であることが見て取れる。ここらではあまり見ない巨大な戦鎌(ウォーサイズ)を装備しており、何らかのマジックアイテムである事は明白だった。その女性はルカへと近づき、肩に戦鎌(ウォーサイズ)を寄りかけて嬉しそうに笑顔を向ける。

 

「へえ、この国を滅ぼせるんだ?あなた一人で」

 

「止めんか、番外席次!!お前の出る幕ではない!!」

 

 最高神官長が必死で止めるのも聞かず、番外席次と呼ばれる女性はケタケタと笑いながら更に話を続けた。それを受けてルカ・ミキ・ライルは腰を上げて立ち上がる。

 

「どうやって滅ぼすのか見てみたいな、私」

 

「君は誰?」

 

「名前なんてどうでもいいじゃない、ルカ・ブレイズ。聞いての通り番外席次よ、絶死絶命なんて渾名も付けられてるけどね。今はそれで充分。あなたの噂は私も聞いているよ、裏の世界では随分と有名人らしいからね」

 

「そいつはどーも番外席次さん。それで? 話し合いをすっ飛ばして、ここで一戦やらかしたいってわけ?」

 

 その女性のただならぬ殺気を受けて、ルカの神経はピリピリと逆立っていた。しかしそれを聞いて番外席次は更に嬉しそうな顔を見せた。

 

「フフ、ここであなたとやってもいいけど、そのあなたの上に立つ魔導王ってアンデッドがどれだけの人なのか、是非この目で見てみたいのよ。せっかくこの国に来てくれるって言ってるんだし、勝負はそれまでお預けかしらね」

 

「番外席次、いい加減にせんか!!」

 

「はいはいうるさいなあ、分かってるって。それじゃあルカ・ブレイズ、3日後を楽しみにしているよ」

 

 最高神官長の叱責を受けて、大きな溜め息を一つ着くと番外席次は裏口から立ち去って行った。冷汗をかいた神官長がルカ達に慌てて謝罪する。

 

「すまない、うちの者が無礼を働いた」

 

「何、構いませんとも。それよりも、書状の内容はご理解いただけましたでしょうか? 3日後に、我が主であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下がスレイン法国に参りますので、会談に備えて準備をお願いしたいのです」

 

「う、うむ分かった。ギリギリだが、こちらで何とか調整してみよう」

 

「感謝します、神官長の皆様。それでは無事書状を届けられましたので、私達はここで失礼致します。3日後にまたお会いしましょう」

 

 ルカ・ミキ・ライルの3人は恭しくお辞儀をすると、近衛兵に先導されて謁見の間を後にした。六人の神官長は部屋に残ったノアトゥンに恨めしい顔を向けるが、当の本人は素知らぬ顔だ。それを見て最高神官長が問いただした。

 

「隠密席次、どういう事か説明してもらおう」

 

「この国にも変化が必要だという事ですよ。貴方達の想像以上に、今この世界は目まぐるしく動いている。その中心にいるのが魔導国です。そしてその波に我が国もついていかなければならない。そう感じたからこそ、彼らを受け入れただけの事。他意はありません」

 

「し、しかしこう急かされては軍の準備もしようがない。どう受け入れろというのだ?」

 

「それこそが彼らの狙いなのでしょう。第一軍を準備しても意味はありませんよ。ルカ・ブレイズも魔導王閣下とその配下達も、やろうと思えば単騎でこの国を滅ぼせる力を持っているというのは、本当の話です。うろたえても始まりません」

 

「...それはお主も同じなのではないか?ノアトゥンよ」

 

「そうだ!お前の超位魔法を使えば奴らに対抗できるのではないか?」

 

ノアトゥンは小さく溜め息をつくと首を横に振った。

 

「いくら私と言えども、彼ら全員を相手にして勝てる見込みなどありませんよ。いい加減腹をくくったらどうですか?神官長達。私達は今、この国の行く末がかかった会談に臨もうとしているのです。貴方達が過去魔導国に何をしたかは知りませんが、それを全て清算して未来へとつなげる他に道はありません。例え魔導国の軍門に下ろうともね」

 

「...この国の隠密席次とも思えぬ弱気な発言だが、確かにそれは事実だな。各神官長達、聞いての通りだ。3日後に備えて必要な準備を進めてほしい」

 

『御意』

 

 神官長達は一斉に席から立ち上がると、謁見の間を後にした。2人を除いて。

 

「...かつて六大神と呼ばれた火神、ノアトゥン・レズナー様。あなた様の力を持ってしても本当に無理だと言われるのですか?」

 

「最高神官長、先程も言ったはずです。彼らプレイヤーは絶大なる力を手にしている。この国と魔導国が戦争になる前に、会談の道を行くのが最善の策です」

 

「...畏まりました、下手な工作は打たずに真正面から向き合う方針で参ります」

 

「ええ、是非そうしてください。彼らとてそう悪い人達じゃない。何日か彼らと旅をした私の印象ですがね。礼を尽くせば、きっと彼らにも伝わる事でしょう」

 

 ノアトゥンは最高神官長に微笑んで返した。

 

────スレイン法国中心街 荘厳の久遠亭 13:27 PM

 

 ルカ達三人は街の様子を偵察する為、スレイン法国で最も高級な宿屋に宿泊の予約を取った。バーカウンターに座り昼食を取っていると、背後から男の声がかかり、ライルの隣に腰掛けてきた。

 

「やはりここでしたかお嬢さん。言ってくれれば部屋をご用意したんですよ」

 

「やあノア、さっきは助かったよ。神官長達の様子はどうだった?」

 

「右往左往していましたが、ようやく彼らも会談に向けて覚悟を決めたようです。このまま行けば問題ないでしょう」

 

「そっか、なら良かった」

 

「ただ、一部のものはあまり良い感情を抱いていない者もいるようです。私個人としては、魔導国とこのスレイン法国が平和的条約を結べればと考えているのですがね」

 

「それってもしかして、あの大鎌を持った女の子の事?」

 

「ええ、あの番外席次は、この国の守護を任されている者の一人ですが、非常に好戦的な事で知られています。何でも六大神の血を引き、その力を覚醒させているとかで、私がその存在を確認したのはおよそ100年前の事です。その実力は法国最強と言われています」

 

「その割には随分と若かったね。六大神の血を引くって、プレイヤーという訳ではないよね?」

 

「私もその出自に関して詳しくは知らないのですが、何でもエルフの王とスレイン法国の人間の混血だという噂がありますので、恐らくはプレイヤーではないと思われます。600年前、私を除く六大神と呼ばれたプレイヤーの中で、子をもうけた者がいるかどうかという点も含め、詳細は把握していません」

 

「ふーん。それで、実際強いの?」

 

「あくまで人間種の中で最強というだけで、お嬢さん達の敵ではありませんよ。彼女は私にも事ある毎にケンカを売ってきますからね。もちろん聞き流してますが」

 

「そう言えば、ノアの種族って何なの?良ければ知っておきたいんだけど」

 

「私ですか?私は上位妖精(ハイエルフ)ですよ」

 

「なるほど、森妖精(エルフ)から転生したんだね。と言うことはINT(知性)特化型か。それであんなに魔法の瞬間火力が高いんだね、納得だよ」

 

「いえいえ、お嬢さんに比べたら大したことはありませんよ。符術士は特殊なクラスですからね、お嬢さんのように万能とは言えませんから」

 

「そんなことないよ、この前の戦闘の時だってすごかったじゃない。レベルはいくつ?」

 

「...お嬢さんはいくつですか?」

 

「私達3人共、150だよ」

 

「そうですか。実は私も150です」

 

「超位魔法も使えてたから、そうだと思ったよ」

 

「...全く、お嬢さんは疑うことを知りませんね。私がもし敵に回ったらどうするおつもりですか?」

 

「え?だってノア、そんな事しないでしょ?それに同じプレイヤー同士なんだし、腹の探り合いしても意味ないじゃない」

 

「だといいんですがね。私だからまだいいものの、今後はそういう情報の取り扱いに注意してください。ご自身の身を守るためにもね」

 

「んー、何かよく分からないけど、了解。そうするよ」

 

 ルカは首を傾げながら返事を返した。それを聞いてノアトゥンは、左に座るライルの背中に目を向けた。

 

「ライル殿。よろしければその背中に吊り下げられた大剣を見せてはいただけませんか?」

 

「...ルカ様?」

 

 情報の取り扱いに注意しろと自分で言った手前である。ライルはあからさまに疑わしい表情になっていたが、ルカは笑顔で返答した。

 

「いいよ、見せてあげなライル」

 

「しかし...よろしいのですか?」

 

「構わないさ。どちらにしろその剣はライルにしか使えない。情報が知られた所で、どうこうできる物でもないさ」

 

「かしこまりました。...受け取れ、但し慎重にな。この剣の切れ味は尋常ではない」

 

「ええ、分かっていますよライル殿。感謝します」

 

 ライルは背中から大剣を引き抜くと、逆手に持ち替えてノアトゥンに手渡した。相当な重量があるにも関わらず、ノアトゥンは意にも介さずそっと剣を受け取った。

 

「...なるほど、素晴らしい剣ですね。鑑定してみてもよろしいですか?」

 

 ライルは再度ルカに顔を向けたが、ルカはただ笑顔で大きく頷いて見せた。

 

「ああ、構わんぞ」

 

「ありがとうございますライル殿。道具上位鑑定(オールアプレイザルマジックアイテム)

 

ノアトゥンの脳内に、大量の情報が流れ込んでくる。

 

 

─────────────────────────────

 

アイテム名: ダストワールド

 

装備可能クラス制限: ウォリアー、バーバリアン、イビルエッジ

 

装備可能スキル制限: グレードソード300%

 

攻撃力: 6300

 

効果: INT+500、CON+1000、闇属性付与(150%)、闇属性Proc発動確率50%、エナジードレイン発動確率80%、麻痺効果発動確率60%、命中率上昇200%、付随攻撃力+1500

 

耐性: 世界級耐性120%

    闇耐性150%

氷結耐性80%

    毒耐性60%

 

アイテム概要: 隕鉄により鍛えられた全てを破壊する大剣。練度の無いものがこの剣を握れば、たちまちに命を吸い取られる呪いの剣でもある。この剣が主を認めた時、生命・物質に関わらずいかなるものも破壊する真の力を発揮することだろう。

 

修復可能職: ヘルスミス

 

必要素材: トゥルースチール50、オブシディアン50、ミスリル35、ダイヤモンド20

 

───────────────────────

 

 目を閉じていたノアトゥンは、その禍々しい効果を見てブルンと武者震いを起こし、ゆっくりと目を開いた。

 

「ダストワールド...これは想像を絶する武器ですね」

 

「当然だ。ルカ様より賜った、この世に一本しかない世界級(ワールド)アイテムであり、俺の相棒だからな」

 

「なるほど。ありがとうございますライル殿、お返し致します」

 

「おう」

 

 ノアトゥンが手渡すと、ライルはダストワールドを再度背中に収めた。ルカは不思議そうな顔で質問する。

 

「どうしてライルの剣に興味を持ったの?」

 

「いや何、私の趣味でしてね。見たこともない武器でしたので、一度拝見したいと思っていたのですよ」

 

「そうなんだ」

 

「それよりどうです、昼食が済んだら皆で街をぶらつきませんか?案内しますよ」

 

「いいね、私達も丁度そうしようと思っていた所よ」

 

 そしてルカ達4人は宿屋を出て、スレイン法国の武器防具屋・アクセサリーショップなどを回った。その途中で、檻の乗った荷馬車とすれ違った。その檻の中には、男女9名程の人間種が入っているのを見て、ルカは質問する。

 

「ノア、あれは?」

 

「...あれはスレイン法国の奴隷輸送車です。この街でエルフは奴隷として扱われているのですよ」

 

「亜人排斥の為?何かえげつないね...」

 

「この街の暗部です。リ・エスティーぜ王国と違い、このスレイン法国では未だに奴隷制度が残っている。同じエルフとして何とかしてやりたいとは考えていますが、この街の労働力はああいった奴隷で賄われています。奴隷制度を撤廃する事は、この国の経済を根本から揺るがしかねないという事情もあり、未だ悪しき風習が続いている訳です」

 

「なるほどね。バハルス帝国にも奴隷はいたけど、彼らは自らの意思で奴隷となった者も多い。それと比べると、強制的に奴隷とさせられた彼らは少し哀れだね...」

 

「私達六大神は、竜王や亜人に淘汰されようとしていた人間種を保護する目的でスレイン法国を建国しましたが、当初このように亜人を淘汰するという意思はありませんでした。しかしこうなってしまっては、我々六大神にも責任の一端があるのかもしれませんね」

 

「いずれ奴隷解放できるといいね」

 

「ええ、全くです。辛気臭い話になってしまいましたね、申し訳ない」

 

「気にしなくていいよ、大丈夫。こうやってノアと話ができる機会もそう多くないしね」

 

「そう言っていただけると助かります。どうします?どこか食事にでも行かれますか?」

 

「いや、日も暮れてきたしそろそろ宿屋に戻るよ。アインズにも報告しないといけないし」

 

「そうですか。では私もここらで失礼します。3日後にまたお会いしましょう」

 

「OK、今日は色々とありがとう。楽しかったよ」

 

「ええ。それではまた」

 

 ノアトゥンに別れを告げ、荘厳の久遠亭に戻ったルカ達三人は自室に戻り、アインズに伝言(メッセージ)を入れた。

 

『アインズ、私よ』

 

『ルカか、報告が遅いので心配したぞ』

 

『ごめんごめん、ノアに街を案内してもらってたのよ』

 

『ノアだと?スレイン法国にノアトゥンがいたのか?』

 

『そう。彼がいなかったら入国もできなかったよ。何でも隠密席次って役職に就いているみたい』

 

『と言う事は、ノアトゥンは元々スレイン法国の人間だったわけか』

 

『と言うより、彼ら六大神が建国したらしいからね。関係が深くても不思議じゃないよ』

 

『そうか。それで、書状は無事渡せたのか?』

 

『際どかったけど、渡せたよ。神官長達も大分慌ててたけどね。予定通り3日後と言う事で話をつけたよ』

 

『そうか、よくやってくれた。こちらも兵を用意してあったのだが、徒労に済んだようで何よりだ』

 

『フフ、攻め込むつもりだったの?』

 

『場合によってはな。まあそれはいいとして、今夜はどうする?一旦ナザリックに戻るか?』

 

『いや、もう宿屋も取ったから、3日後まではここに泊まるとするよ』

 

『了解した。十分に注意するんだぞ』

 

『うん、アインズもね』

 

 伝言(メッセージ)を切ると、ルカはベッドに倒れ込んで大の字になった。部屋に備え付けのテーブルにある椅子に腰掛けて、伝言(メッセージ)の内容を共有していたミキとライルは、それを見て微笑んでいた。

 

「お疲れ様です、ルカ様」

 

「今日は色々とありましたからな」

 

「あんまり気張るのも良くないよねー、どっと疲れちゃった」

 

 ルカは起き上がり、ベッドの縁に座り直した。それを見てミキが質問してくる。

 

「明日はいかが致しましょう?」

 

「そうだね、いざという時のために、脱出経路確認のための偵察でもしておこうか」

 

「了解しました」

 

「さて、いい時間だ。食堂行ってメシ食って酒でも飲もう!」

 

「そうですね、行きましょう」

 

「早く地獄酒が飲みたい」

 

「OKOK、とっとと行くか」

 

 三人は立ち上がると、階下の食堂へと降りていった。そして翌日、翌々日とルカ達は部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)を使用し、街の中をくまなく探索してマッピングを完了させ、遂に約束の三日目がやってきた。

 

───スレイン法国 北正門入口前 12:50 PM

 

 スレイン法国の正規兵が見守る中、ルカ達は先頭に立ってアインズの到着を待っていた。すると突然巨大な暗黒の転移門(ゲート)が正面に開き、中から隊列を組んだデスナイト約500体程が姿を現した。スレイン法国の兵達が度肝を抜かれているのも束の間、その後に続いて、黄金色の全身鎧(フルプレート)に身を包んだナザリック・マスターガーダーが約一万体。

 

 この戦争級の大部隊を前にルカも面食らっていたが、ナザリックのアンデッド兵達が門の前で進軍を止め、左右に分かれて道を開けると、その奥からアイアンホースゴーレムに乗った階層守護者達と漆黒の馬車がこちらに近づいてきた。ルカ達3人が先導し、十数体のデスナイトを引き連れて馬車を大聖堂へと案内する。

 

 街の中ではその姿を一目見ようと群衆が街道の両側に溢れかえっていた。アンデッドを前にして絶句する者、子供の鳴き声、どよめきが聞こえてくる。人間種を守る為に作られた街に今、アンデッドが侵入してきたのだ。彼らの混乱は想像に難くないが、これが現実である。

 

 やがて一団は大聖堂前へと到着し、ルカが馬車の扉を開けて後ろに下がり、3人ともが片膝をついて頭を下げた。聖堂入り口前には、漆黒聖典・風花聖典・水明聖典・火滅聖典といった戦闘部隊が牽制するように並んでいたが、それには意も介さず馬車の中から一人のアンデッドが降りてきた。

 

 死の支配者、オーバーロード。絶望のオーラを身に纏うその姿を見て、畏怖しない者は誰一人としていなかった。表にデスナイトを残し、アルベド、シャルティア、アウラ、マーレ、コキュートス、セバス、デミウルゴス、ルベド、そしてイグニス、ユーゴにネイヴィアを引き連れて大聖堂の中央入口へと入っていく。

 

 全高50メートルはあろうかという吹き抜けの大聖堂の奥には二列の長机が置かれており、この場で会談を行おうという意思が見て取れた。左側の席には六人の神官長とノアトゥンが起立し、緊張した面持ちだった。右側の席にアインズを中心にして階層守護者達が並び、皆が一斉に腰を下ろす。それと同時に漆黒聖典が神官長の背後に陣取る。先に口火を切ったのは最高神官長だった。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王閣下、この度はよくぞこの地に参られた。貴殿らを歓迎しよう。私がスレイン法国を治める最高神官長、グラッド・ルー・ヴァーハイデンである」

 

「お初にお目にかかる、ヴァーハイデン殿。私が魔導国を治めるアインズ・ウール・ゴウンである」

 

「ゴウン魔導王閣下。時にお伺いしたいのだが、街の外に待機させてある貴国の兵は、一体どういうおつもりですかな?」

 

「何、念の為だよ。お望みとあれば、更に兵を追加しても構わないがね」

 

「いっ、いえいえ!その様な事をする必要はない。こうして両者が会談の席についているのです。話し合いで済むに越したことはない」

 

「では聞こう。貴国が我が領地であるカルネ村で行った蛮行についてだ。私の領地と知りながら陽光聖典をけしかけたのかね?」

 

「六大神に誓って言おう。魔導王閣下の領地とは知らなかった」

 

「ならば貴殿らの狙いはガゼフ・ストロノーフの命だった。それで間違いないな?」

 

「そ、それは....」

 

 最高神官長は言葉に詰まったが、アインズはそれを許さなかった。

 

「私に嘘をつくと、後悔する羽目になるぞ?慎重に言葉を選べ」

 

「...仰る通りだ。我らの狙いはガゼフ・ストロノーフの命だった。そのため王国の領地である村落を襲わせたのだ」

 

 アインズはそれを聞いて、右手を顎に添えた。

 

「ふむ、正直でよろしい。しかしそのガゼフ・ストロノーフも、先のバハルス帝国との戦争で一騎打ちの末に、私が殺した。これで諸君らの不安は一掃されたわけだ。違うかね?」

 

(新たな不安が増えただけではないか!)とヴァーハイデンは心の中で舌打ちしたが、それを表に出す訳にも行かなかった。

 

「...兎に角、ゴウン魔導王の領地に危害を加えた事をここに詫びよう。申し訳なかった」

 

 六人の神官長達は深々と頭を下げた。その時だった。神官長達の背後に立つ漆黒聖典の中に、ルカは見覚えのある装備をした、40代後半と思われる女性を見つけた。真っ白なチャイナドレスだが、足から胸にかけて立ち昇る金色の龍の刺繍が施され、足に深いスリットが入ったものだ。ルカはすぐさまアインズに伝言(メッセージ)を入れる。

 

『アインズ、神官長の後ろに立つチャイナドレスを着た女を見て。あれ世界級(ワールド)アイテムだよ。確か名前は、傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)だったかな』

 

『何だと?間違いないのか?』

 

『ユグドラシルβで、昔のギルメンが同じものを所持していたからね』

 

『どういう効果があるんだ?』

 

『えーと確か、どんなに強力なNPCでも支配下に置けるっていう世界級(ワールド)アイテムだったと思うよ。精神支配系の効かないアンデッドやヴァンパイアでもね』

 

『何だと?!それではシャルティアはもしかして、こいつらと交戦したというのか』

 

『前にアインズが話してくれた事を思い出して、ピンと来たんだよ。ひょっとするとそうかも知れない』

 

『...分かった、直接聞くのが一番だな。よく気付いてくれた』

 

 伝言(メッセージ)を切ると、アインズは机の上に両手を出して掌を組んだ。怒りからかギリリと両手を握りしめている。

 

『いいだろう、カルネ村での一件はこれで水に流そう』

 

(おお...)と神官長達はどよめいたが、アインズは(ダン!)と右手を机に叩きつけた。

 

「しかしだ!もう一つ聞きたい。諸君らはそこに座る我が配下のシャルティアと戦った事があるのではないかね?それともホニョペニョコと言った方が分かりやすいかな?」

 

 突然の変わりように場内がざわついた。最高神官長は背後を振り返り、白銀の鎧を着た黒い長髪に中性的な顔立ちの男に問いただした。年齢は20代を下回る容姿だ。

 

「隊長、どうなのだ?彼女と戦った事があるのか?」

 

 漆黒聖典隊長と呼ばれる男は苦虫を噛み潰したような表情だったが、最高神官長に歩み寄ると小声でそっと耳打ちした。それを聞いた最高神官長の顔が青ざめていく。

 

「た、確かに彼らはそこにおられるシャルティア殿と戦ったと言っている。しかしあの時は別の目的で遠征しており、不幸な遭遇戦だったとも話している」

 

「その別の目的とは何だ?」

 

破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を支配下に置くためだ」

 

「その後ろに控える白いドレスの女の力でか?傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)と言ったか」

 

「当時これを装備していた者は戦死して、代変わりした。我が国では真なる神器と呼んでいる、非常に貴重な代物だ」

 

「なるほどな。シャルティアを襲うことが目的でないことはよく分かった。だがな...貴様らは我が部下に手を出したのだ。その報いは受けてもらおう」

 

 その場が凍り付き、瞬時に緊張が高まった。アインズの体からどす黒いオーラが立ち上る。それを見て漆黒聖典達は武器に手をかけたが、震える手を抑えようと必死な程だった。

 

(まさか、ここまでとは...)誰しもが抱いた印象だったが、ゴクリと固唾を飲み最高神官長は質問を返した。

 

「報い、とは?」

 

「諸君らには3つの選択肢がある。まず第一は、我が配下一人と一対一で戦ってもらう。無論死ぬまでだ。その戦いに我らが勝てば、世界級(ワールド)アイテムである傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)を渡してもらおう。2つ目は簡単だ、スレイン法国諸共我が軍門に下れ。3つ目は最悪の選択だ。今街の外に待機させてある我が軍を街に侵攻させる。つまりは戦争だ。無論その場合、君達は私達の力で今すぐこの場で死ぬことになる。さあ、どうするかね?」

 

「そんな無謀な!神官長、戦いましょう!こんなアンデッド一人、私だけで片付けて見せます!!」

 

 業を煮やした漆黒聖典隊長が神官達に詰め寄ったが、それを見たアインズは隊長に指先を向けて魔法を詠唱した、

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)真なる死(トゥルーデス)

 

 それを受けた瞬間隊長は白目を向き、その場に崩れ落ちた。漆黒聖典の面々が彼に走り寄るが、彼は既に息絶えていた。それを見てアインズは喜々としている。

 

「おっと失礼、彼が隊長だったか。手加減したつもりだったが、この程度では漆黒聖典もたかが知れているな。即死耐性は高めておいたほうがいいぞ?」

 

 それを聞いて漆黒聖典のメンバーは憎しみの目をアインズに向けた。法国随一の使い手が、たった一撃の魔法で殺されたのだ。神官長達はそれを見て呆気に取られていた。場内が騒然とする中、ヴァーハイデンはアインズに懇願するように言った。

 

「わ、分かった!!戦うまでもない、真なる神器は明け渡そう。だからどうか矛を収めてくれ!」

 

「つまらない事を言うな。せっかくだ、戦って勝ったほうが充実感も得られるだう?私はそれが欲しいのだよ。心配せずとも、次は私は戦わない。私の部下のうち誰かと戦ってもらう。...そう、そこの柱に隠れて殺気を放っている者とかな」

 

 漆黒聖典の背後に立ち並ぶ柱の一つにアインズは目を向けた、すると甲高い笑い声と共に、番外席次が姿を現した。

 

「何だ、気がついてたんだ。言ってくれればよかったのに。あーらら、隊長死んじゃったんだね、かわいそうに」

 

「ほう、強気だな。お前なら相手に不足はなさそうだ。さてどうする?お前が戦わなければ、どの道この国は滅びる。何ならそこにいるノアトゥンでも構わんがな」

 

「隠密席次ごときに楽しみを奪われたくないからねー。相手はこちらで指定してもいいの?」

 

「構わんぞ、好きに選べ」

 

「そうだなー。...じゃあそこにいるルカ・ブレイズにしようかな」

 

「よかろう。ルカ、手加減は無用だ。相手をしてやれ」

 

「了解。周りを巻き込まないように、少し広いところでやろうか」

 

「そうしたければ構わないよ」

 

 ルカは長机から立ち上がると、入り口手前の空いたスペースまで移動し、抜刀して身構えた。相手が動かないのを見て、ルカが問いかける。

 

「どうした、かかってこないの?」

 

「そう?それじゃあ遠慮なく...災害召喚の舞踏(ダンスオブディザスターコーリング)!!」

 

 その刹那、番外席次の振るう戦鎌(ウォーサイズ)から無数の圧縮されたかまいたちが発生し、ルカに襲い掛かった。それと同時に番外席次は自らも恐るべき速度で間合いを詰め、ルカに飛びかかってきた。しかしルカは回避(ドッヂ)により難なくその攻撃を全て躱し、至近距離から魔法を詠唱する。

 

呼吸の盗難(スティールブレス)!」

 

 その途端、番外席次の体を緑色の靄が覆い、移動速度がスローモーションとなる。ルカは首筋にロングダガーを走らせたが、番外席次は辛うじて戦鎌(ウォーサイズ)でその攻撃を受け止める。しかしルカは容赦なく次の攻撃を放った。

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)聖なる呪い(ホーリーカース)!」

 

(ビシャア!)という音と共に、番外席次の体が麻痺状態になり身動きを封じられた。

 

「終わりだね。血の斬撃(ブラッディースライス)

 

 麻痺して立ち尽くす番外席次の体に、ルカは容赦なくロングダガーの10連撃を放ち切り刻んだ。番外席次の全身から大量の出血が吹き出し、その場に膝から崩れ落ちる。そのあっという間の出来事に、六人の神官達は戦慄した。法国最強と謳われた2人の戦士が、こうもあっさりと敗北したのである。ルカは神官たちに目を向けた。

 

「さて、私の勝ちだな。傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)を渡してもらおう」

 

「わ、分かった!おい、今すぐにそのドレスを脱げ!!」

 

「こ、ここでですか?」

 

「そうだ、早くしろ!」

 

「...かしこまりました」

 

 傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)を着た女性は嫌々ながらもその場でドレスを脱ぎ去り、下着姿になった。そしてドレスをきれいに畳んでルカの前に献上してきた。ルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージの中から白いマントを取り出すと、下着姿の女性にそれを被せて体を覆い隠し、傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)を受け取った。

 

 右列のテーブルに戻り、ルカは傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)をアインズに手渡して椅子に腰掛けた。アインズはニヤリと笑うと、テーブルの上に傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)を乗せてポンポンと服を叩いた。

 

「一応聞くが、諸君らは他にもこうした世界級(ワールド)アイテムを所持しているのかね?」

 

世界級(ワールド)アイテムと呼ぶかは分からないが、真なる神器と呼ばれる武器や防具の類はいくつかある」

 

「ほう?もし良ければなんだが、私にそれらを全て見せてはもらえないかね?力づくで奪うという方法は取りたくないものでね」

 

 アインズの強引な提案に、神官たちは顔を見合わせたが、やがて諦めたように最高神官長が深いため息を付き、アインズに向けて言った。

 

「...分かった、全てを見せよう」

 

「話が早くて助かる。これでようやく友好的な会談がスタートできるな」

 

「貴国の力は分かった。是非そうしてほしい」

 

 そこからは軍事や食料の備蓄関連、及び国家の情報や特産品の輸出入等を含むごく平凡な話が進められ、会談は無事に終了した。六人の神官長は肩透かしを食らったような顔でアインズの提案に頷くばかりだった。

 

「...以上を持って、スレイン法国と我がアインズ・ウール・ゴウン魔導国との同盟及び友好通商条約を締結したい。異論はあるかな?」

 

「...ゴウン魔導王、本当にそれだけでいいのか?」

 

「もちろんだとも。貴国への懸念は今現在を持って払拭された。今後は友好国として、共に繁栄を築いて行ければと願っている。ただし!!」

 

 アインズの語調が強まり、六人の神官長は肩をビクッと震わせた。

 

「...私は隠し事が何よりも嫌いでねえ。我が魔導国にウソだけは付かないよう心より願うよ」

 

「無論だ、情報の共有という点でも、スレイン法国は最大限協力しよう」

 

「ならば結構だ。一つ聞くが、ここ最近妙な物を見なかったかね?」

 

「妙な物...と言いますと?」

 

「そうだな例えば、エノク語で書かれた巨大な石版...モノリスが現れたとかな」

 

 それを聞いた神官達が一斉にざわめいた。

 

「!!どうしてそれを?」

 

「やはり知っていたか。それはどこにある?」

 

「こ、この大聖堂の地下深くにある、宝物殿に突如現れたのだ。意味不明なエノク文字の言葉が書き連ねてあり、我々も対処に困っていたのだが」

 

「そこへ我々を案内してはもらえないか?今すぐにだ」

 

「そ、そうは言われても、宝物殿は聖地なのだ!我々とて、おいそれと立ち入れる場所ではない!」

 

「おいおい、隠し事は無しだとさっき約束したばかりだろう?私はそのモノリスに用があるのだよ。今が聖地に踏み入る時だ」

 

「...分かった。ただし宝物殿の中で見たことは全て内密にしていただきたい」

 

「それは約束しよう、我々も情報管理は徹底しているからな。安心したまえ」

 

 すると最高神官長が席を立った。

 

「宝物殿の鍵は私が持っている。案内しよう」

 

 漆黒聖典が先頭に立ち、最高神官長の護衛に付いた後ろをアインズ達はついて行く。地下へと続く長い階段を降り、着いた先には石造りの長い回廊が伸びていた。

 

 そこから薄暗い通路を更に400メートルほど進んだ先に、高さ20メートルはある巨大な門がそびえ立っていた。門の下部には四角い凹みがあり、最高神官長が懐から取り出したカードキーのような石版をそこにはめ込むと、扉の一部が輝き出した。

 

 すると、(ズズズズ)という低い音を立てて左右の扉がゆっくりと開いた。中に入ると、縦横100メートルはあろうかという吹き抜け構造の広大な空間が広がっている。

 

 前を歩いていた最高神官長が、アインズの方を振り返った。

 

「ここが宝物殿だ、ゴウン魔導王閣下」

 

「随分と殺風景な場所だな。宝というのはどこにあるんだ?」

 

「全てこの空間の壁際に陳列してある。モノリス...と言ったかな?捜し物の巨大な石版はこちらにある。ついてきてくれ」

 

 そして部屋を北東へ進んだ先の行き止まりに、青く輝くモノリスが鎮座していた。と、その時だった。

 

 突如何の前触れもなくモノリスの前に巨大なモンスターがポップ(出現)した。体長は30メートル程あり、緑色の体毛に覆われた四足獣のような胴体だが、尻尾からは毒蛇が伸びており、何より醜悪なのはその頭部だった。首から上には3つの頭が並んでおり、右から順に牛・人間・山羊という3つの顔面を持っていた。

 

 アインズ達は即座に戦闘態勢に入ったが、化物を前に立ちすくんでいる漆黒聖典と最高神官長を見て、ルカが叫んだ。

 

「逃げろ!!こちらに走れ、早く!!!」

 

 その声を聞いた漆黒聖典の戦士が我に返り、腰が抜けていた最高神官長を抱えあげてアインズ達のいる後方へ猛然と向かってきた。

 

「そのまま宝物殿の外まで逃げろ!!こいつは私達が相手をする、行け!!早く!!」

 

 言われた通り漆黒聖典達は宝物殿の入り口に向かい、血眼で走っていた。モンスターの姿を一目見て、死を悟ったのであろう。十分に距離が離れたのを見て、ルカは再び敵を振り返った。そしてルカと目が合った瞬間───

 

「グオォオオオアァアァア!!!」

 

 モンスターは腹の底まで響くような怒号を上げ、敵意をむき出しにした。それを受けてアインズがルカに質問する。

 

「ルカ、このモンスターに見覚えは?!」

 

「ああ...よく知ってるよ。万魔殿(パンデモニウム)でも最悪と呼ばれるモンスターの一つだ」

 

 そこへノアトゥンがルカの元に寄り添ってきた。

 

「お嬢さん、私も加勢しますよ」

 

「ああ、頼む」

 

 ルカは抜刀し、伝言(メッセージ)で全員に回線を繋いだ。

 

『みんなよく聞け。状況・レイドボス!こいつはアスモデウスというモンスターだ。弱点耐性は氷と物理のみ、繰り返す、弱点耐性は氷結と物理のみだ!それ以外の属性攻撃や魔法は吸収され、体力が回復してしまう!そしてアスモデウスは三種類のブレス攻撃を仕掛けてくる。一つは獄炎、もう一つは毒、最後に即死ブレスだ。よってまず最初に牛の頭を集中攻撃し、即死ブレスを潰す!慎重に戦え、いいな!』

 

『了解!!』

 

『ライル、ネイヴィア、アルベド、ユーゴの四人は即死攻撃に注意しつつタンクに徹しろ、牛の頭を狙え。マーレ、コキュートスは超位魔法準備。イグニスはタンクヒーラーだ、慎重にな。アウラ、シャルティア、セバス、ルベドはサイドと後方から攻撃。アインズとミキ、ノアの三人は後方からタンクに補助魔法をかけてくれ。デミウルゴスは空中から遊撃だ。こいつは体力が高い、長期戦を覚悟しろ!』

 

 全員の布陣が完了し、タンクの四人がアスモデウスに突撃した。ターゲットがタンクに移った事を確認してルカ、マーレ、コキュートスが飛行(フライ)の魔法を使用し、空中へ飛び上がる。眼下ではタンクの四人がブレス攻撃を躱しつつ、一進一退の攻防が繰り広げられていた。

 

 上空の三人が両手を上に向けると、青白い立体魔法陣が折り重なるようにして三人を包み、エネルギーが凝縮されていく。ルカの頭上には球形のドライアイスにも似た塊が形成され、そこから気化した冷気がルカの体を覆いつくし、掌に凝縮されたエネルギーは途轍もなく巨大な氷の塊へと変化して一気に膨れ上がった。ルカは伝言(メッセージ)で全員に警告を促す。

 

『今だ!全員アスモデウスから離れろ!!』

 

 それを聞いた皆が弾けるようにしてアスモデウスから距離を取った。ルカ・マーレ・コキュートスは互いに呼吸を合わせ、真下にいるアスモデウスに向かって両腕を振り下ろした。

 

「超位魔法・天王星の召喚(コーリング・オブ・ジ・ウラヌス)!!」

 

持続する水霊の寒波(エンデュアウォーターズチル)!!」

 

氷塊ノ地獄(フリージングヘル)!!」

 

 頭上から巨大な氷塊がアスモデウスに向かって落下し、その巨体を押しつぶして大爆発を引き起こした。しかしとどめを刺すまでは行かず、ルカの放った魔法の追加効果でアスモデウスは体が氷結し、身動きが取れなくなっていた。そこを狙ってタンクチームが再度突撃し、牛の頭を潰す事に成功した。ルカはそれを見て指示を飛ばす。

 

 『いいぞ、プッシュ!!あともう少しだ、みんな耐えろ!!』

 

『了解!!』

 

 ルカ・マーレ・コキュートスの三人は再度超位魔法を撃つ体制に入った。アスモデウスの氷結が解けて再び暴れだしたが、サイドから物理攻撃に回っていたルベドが懸命にPB(パワーブロック)を放ち、アスモデウスの炎と毒のブレス攻撃を見事に封じていた。それを見てルカは勝利を確信する。そして───

 

『みんな下がれ!これでとどめだ!!食らえ、天王星の召喚(コーリング・オブ・ジ・ウラヌス)!!!』

 

 雌雄は決した。アスモデウスは消滅し、地面には巨大なクレーターが穿たれていた。そのせいで宝物殿内の地形が大きく変わってしまっている。ルカが地面に降り立つと皆が笑顔で駆け寄り、共に勝利の喜びを分かち合った。

 

 その戦いを宝物殿入り口付近から見ていた、漆黒聖典の戦士の一人が呻くように呟いた。

 

「た、倒しちまった、あの化物を...見ましたか?最高神官長」

 

「ああ、見た。全てな。あの力...彼らは神、なのか?信じられん、ノアトゥンの言っていたことは全て真であったか...」

 

「こんな戦い...これじゃまるで、伝承にある六大神の戦いそのものじゃないか...最高神官長、漆黒聖典副隊長として進言します。真の意味で、彼らと強固な同盟関係を結ぶべきです。我ら漆黒聖典は、魔導国への敗北を認めます」

 

「分かっておる、元よりそのつもりじゃ。何故他国が魔導国と同盟を結んだのか、身を持って理解した。彼らの次元は、我らの想像を遥かに超越しておる」

 

 最高神官長は一つ大きく溜息をつくと、宝物殿の中へ再び一歩足を踏み入れた。

 

 あれほどの爆風を至近距離から受けたにも関わらず、モノリスは傷一つ付かず静かに佇んでいた。アインズ達がモノリス前へ移動しようとした時、クレーターの中心付近でアウラが何かを発見した。

 

「ルカ様!あそこで何か小さく光っています。何でしょうあれ?」

 

「...ほんとだ、行ってみよう」

 

 そこに近寄ると、地面から数センチ離れて小さな光が浮遊していた。ルカはしゃがみ込み、両手でその小さな光をそっと手に取った。すると手の中には、黒く輝く5センチほどの菱形をしたクリスタルが収まっていた。ルカはそれを見て首を傾げる。

 

「何これ、データクリスタルに似てるけど...」

 

「そ、それは!!」

 

 ルカの持つクリスタルを見て、ノアトゥンが驚愕の眼差しを向けた。

 

「え?ノア、これが何だか知っているの?」

 

「あ、いえそういう訳ではないのですが...とりあえず、鑑定してみてはいかがですかお嬢さん?」

 

「ふーん、分かった。道具上位鑑定(オールアプレイザルマジックアイテム)

 

 

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アイテム名: キー・オブ・ザ・ディメンジョン

 

アイテム種別:データクリスタル

 

使用可能クラス制限:GM以上の権限者

 

アイテム効能:サーバ管理仕様規約第25条に記載 対となる光を集めよ。

 

S/N 0156817A

 

────────────────────────────────

 

 

「え、何これGM用のデータクリスタルなの? キー・オブ・ザ・ディメンジョンだって」

 

 ルカが目を丸くしていると、ノアトゥンが言葉を継いできた。

 

「...ここでこれを手に入れた事を、今なら彼らも知らないはずです。そのクリスタルはお嬢さんが大事に持っていてください」

 

「彼らって、誰の事?」

 

「お嬢さんもどこかで聞いた事があるんじゃありませんか?クリッチュガウ委員会という者達の存在を」

 

「それ、リッチクイーンが言ってた....まさかノア、誰だか知ってるの?」

 

「ノアトゥン、まさかとは思うが貴様....そのクリッチュガウ委員会の手の者か?」

 

 アインズはノアトゥンの襟首を掴み問いただしたが、ノアトゥンは慌てて返答した

 

「お待ちくださいゴウン殿! 今詳しいお話は出来ませんが、どうか私を信じて、そのクリスタルはお嬢さんが大切に保管しておいてください。それを手に入れた今、お嬢さんにもゴウン殿にも、いずれ全てをお話する機会が必ず来ます!」

 

「わ、分かったよ、そこまで言うなら。私が持っていればいいのね? アインズ、やめてあげて」

 

「...フン、いちいち気に食わん奴だ」

 

 アインズは掴んでいた襟首から手を離した。ルカは中空に手を伸ばし、キー・オブ・ザ・ディメンジョンをアイテムストレージに収める。ノアトゥンは服を正し、ホッと胸を撫でおろして顔を上げた。

 

「さあ、もう敵はいません。お二人共モノリスを確認しに行きましょう」

 

「そうだね、ほらアインズ行こう?」

 

 ルカはアインズの右腕に寄りかかり、体を寄せた。アインズが自分の事でノアトゥンに怒ってくれた事に対し、ルカは嬉しさと愛おしさを感じていた。

 

「言われんでも分かっている。アインザック組合長をここに呼ぶか?」

 

「そうだね、解読してもらわないと」

 

 ルカが魔法を唱えようとしたが、後ろから静止の声がかかった。

 

「待たれよ!ルカ・ブレイズ大使」

 

 それに気付いて後ろを振り向くと、そこには最高神官長と漆黒聖典達が立ち並んでいた。

 

「貴方達だけならいざ知らず、この宝物殿に他者を呼ぶ行為は控えていただきたい」

 

「え?でも、エノク語を解読できる人がいないといけないし...」

 

「ご心配には及ばぬ。不肖この私も最高神官長を頂く身。古代エノク語には誰よりも精通しておる。この私めが解読してさしあげよう」

 

 それを聞いて、アインズが最高神官長の前に立った。

 

「言っておくが最高神官長殿。間違いは許されんぞ、分かっているか?」

 

「ご安心召されよゴウン魔導王閣下。嘘偽りは一切申しませぬゆえ」

 

「....分かった、よろしく頼むぞ」

 

 そして一同はモノリスの前に移動し、書き連ねられた光り輝くエノク文字を見上げた。

 

────────────────────────────

 

 

 このホストアプリケーションをアップロードすれば基本的にはその時代にユグドラシルサーバを設置できるが、これにもセブンの審査があり、その時代で最速のCPUでユグドラシルが問題なく走り、尚かつその時代における最大容量のメモリとバスクロックを搭載したサーバであることが条件となる。ここまでの全ての審査はセブンが一括して行い、その時代で繋がる全てのネット情報等もセブンが閲覧した上で審査され、その時代に置ける最高速のサーバと認定されれば、晴れてその時代に新規のユグドラシルサーバを運営する権限が与えられる。

 

 そしてこれも余談になるが、メフィウスにより管理されたAIは、イニシャライズされた電脳にダウンロードする事が可能である。また同様に、プレイヤーの意識もイニシャライズ・もしくは本人の物である電脳にダウンロードする事も可能なようにメフィウスをカスタマイズしておいた。この仕様によっていわば、”時代の途中下車”が可能となる。但し、ダウンロード先のロケーションをトレースしたデータクリスタルを、サーバの外部から持ち込まなければいけない事を付け加えておこう。この先のさらなる技術の進歩に期待しつつ、私は眠りにつくとしよう。この碑文を見た諸君の健闘を祈る。そして願わくば、新たなるサーバが未来に構築され、ユグドラシルの世界がより広大になる事を望む。

 

───2246年 10月4日 グレン・アルフォンス

ユグドラシルを愛する全てのプレイヤー達へ

 

 

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「以上が碑文の全内容だ、ゴウン魔導王閣下」

 

「ふむ。ルカ、どう思う?」

 

 アインズは隣でメモ帳に速記していたルカに目をやった。

 

「...遂に欠けていた最後の文末が手に入ったよ。詳しくは組み合わせてみないと分からないけど、これでほぼ全てが繋がった。恐らく今まで見てきたモノリスの全文が手に入ったと思うよ」

 

「そうか、それは素晴らしいな。最高神官長、翻訳感謝する」

 

「何、この程度は造作もない事」

 

「それではナザリックに戻り、早速その作業に取りかかるとしよう。最高神官長、戦いによって宝物殿を荒らしてしまい済まなかったな」

 

「問題ない。この程度すぐに修復させてみせよう」

 

「うむ。ルカ、モノリスの転移門(ゲート)が開いているが、確認しないでも良いのか?」

 

「あ、そうだったね。今見てくるから少し待ってて」

 

 ルカは転移門(ゲート)の中に入ったが、そこには今まで通り万魔殿(パンデモニウム)の赤茶けた荒野が広がっているのみだった。何もないと思い後ろを振り返った瞬間、ルカは凍り付いた。

 

 そこには、身長170センチ程の石でできた立像が建っていた。それは女性を象っており、一面六臂の異形な仏像らしきものだった。そう、サーラ・ユガ・アロリキャと瓜二つの石像だったのである。まるで生きているかのようなその石像に懐かしさを覚え、ルカは自然と笑顔になっていた。その石像の頬を撫で、ルカはそっと石像を抱き締めた。すると胸元から(チャリン)と、何かに当たった音がした。それに気付いて体を離すと、石像の首に何かのネックレスがかけられている事に気が付いた。

 

 よく見るとそれは翡翠でできた数珠のネックレスであった。ルカが手を触れると、淡く光を帯びている。ルカはそっとそのネックレスを石像から外し、魔法を詠唱した。

 

上位道具鑑定(オールアプレイザルマジックアイテム)

 

 

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アイテム名: 運命の環(サークルズ・オブ・デスティニー)

 

使用可能クラス制限:サーラ・ユガ・アロリキャ

 

アイテム所持制限:イビルエッジ

 

アイテム概要: 真に選ばれし者 ルカ・ブレイズよ。このネックレスを我が子の元へ....

        

        グレン・アルフォンス

 

 

────────────────────────────────

 

 

 その導かれるような文章を脳内で読み、ルカはネックレスを両手で握りしめ、涙を流した。これはグレン・アルフォンスから自分へと向けられたメッセージだ。そう確信し、ルカは再び石像を見た。するとその石像が一瞬で砂と化し、崩れ去ってしまった。

 

 フォールスに会いたい。あの笑顔がまた見たい。ルカは強くそう思いながら、運命の環(サークルズ・オブ・デスティニー)を握りしめ、転移門(ゲート)を潜った。

 

 するとモノリスの正面にアインズが待ち構えていた。ルカはそのまま無言でアインズの懐に顔を埋め、抱き締めた。

 

「どうしたルカ?遅いので心配したぞ」

 

「...フォールスがいたの。それとグレン・アルフォンスが、これを私にって」

 

「何だそれは、数珠か?」

 

「うん。これをフォールスに届けてあげなくちゃいけないんだ」

 

「見せてみろ」

 

「はい。でも多分アインズじゃ持てないと思うよ。アイテムの所持制限があるから」

 

 ルカが差し出したネックレスにアインズが手を触れようとした時、(バチ!)と電撃が走りアインズの手を弾いた。

 

「な、何だこのネックレスは?!所持制限なぞ初めて聞いたぞ」

 

「私もよく分からないけど、鑑定だけならできると思う」

 

「そうか。上位道具鑑定(オールアプレイザルマジックアイテム)

 

 アインズは手だけをネックレスにかざして魔法を詠唱した。そしてその内容が分かると、溜め息をついて大きく頷いた。

 

「なるほど。グレン・アルフォンスは正式にお前を指名したという事になる訳か」

 

「そうみたい。こんなフラグが立ったって事は、どこからか私達を見てるのかもね」

 

「モノリスの文章に電脳化処置が施されているらしき一節があった。生きていても不思議ではないな」

 

「とにかく、このネックレスは私が持っていくね」

 

「ああ、そうするといい」

 

 ルカは中空に手を伸ばし、ネックレスをアイテムストレージに収めた。そしてルカはモノリスに手を触れて、魔法を詠唱した。

 

上位封印破壊(グレーターブレイクシール)

 

(パキィン!)という音と共に、石板上の文字から光が失われた。ノアトゥンはそれを見て、ルカに話しかけた。

 

「お嬢さん、よろしければ、今まで集めたモノリスの解読を私にも手伝わせてもらえませんか?きっとお役に立てるかと思います」

 

「うーん、その点はアインズに聞いて。私だけじゃ決められないから」

 

「分かりました。ゴウン殿、いかがでしょう?私も世界各地のモノリスを見て回り、収集してきました。それと照らし合わせれば、解析も早く進むかと思われます。ご許可いただけませんでしょうか?」

 

「フン、怪しいものだな。我々は今全てのモノリスに書かれた文章を揃えたのだ。その証拠に、ルカは特別なアイテムを手に入れた。情報だけを持ち去るつもりではないと、お前に言い切れるのか?」

 

「断言します。そのようなつもりは決してありません」

 

「...ならば誓え。俺とルカには決して嘘を付かないと。それが誓えなければ、俺はお前を殺す」

 

「誓いましょう。そしてゴウン殿が手を下すまでもありません。もしその時が来たら、私自らの手で命を絶ちます」

 

「ほう?大きく出たな。もう後には引けんぞ?」

 

「元よりその覚悟です」

 

 アインズは右手を顎に添えてしばし考えた後に、返事を返した。

 

「....いいだろう、解読の補助を許可する。貴国との情報共有は重要だからな、その一環と見なそう。それでいいなルカ?」

 

「もちろん問題ないよ」

 

「よろしい。では最高神官長、モノリスを見せてくれたことを深く感謝する」

 

「私も貴方達魔導国の想像を絶する力を目に出来た事を、そして貴国が我が国と同盟を締結してくれることを、ここに深く感謝する。先ほどの戦闘でお疲れだろう、ささやかながら宴の準備が整っている。休んでいかれてはいかがかな?」

 

「そうだな、では少しだけお言葉に甘えるとしよう。私はアンデッドなので食事はしないが、エーテル酒は用意してあるか?」

 

「ご心配召されるなゴウン魔導王閣下。我らが崇める六大神の一人、スルシャーナも伝承ではアンデッドだったという記載がある。その特性は誰よりも承知しているのでな」

 

「フフ、そうか。それは楽しみだな」

 

 そして一行が地上の大聖堂に戻ると、先ほど置かれていた長机が取り払われて円卓がズラリと置かれ、宴の準備が整っていた。アインズとルカ、それに階層守護者達は皆最前列の貴賓席に座り、豪華な料理と共に宴席を楽しんだ。最初はアインズを恐れていた周辺の貴族達も、最高神官長の言ったスルシャーナの再来という言葉を聞いて懐疑心が解け、終始和やかな雰囲気の中進んでいった。アインズが高官達との情報交換を行う中、ルカはグラスを持って席を立ち、2階のバルコニーに上がってこの3日間で起きた事を一人振り返っていた。

 

「何か、短いようで長い三日間だった、な」

 

 そうルカは独り言ち、涼しい夜風が吹く中グラスを揺らしていたが、突如背後から声がかかった。

 

「お嬢さん、宴は楽しめませんか?」

 

 振り返ると、そこにはノアトゥンが笑顔でグラスを片手に持ち立っていた。

 

「ううん、そういう訳じゃないんだけど。何か色々あったし考えちゃって」

 

「それはやはり、モノリス....の事ですか?」

 

「うん.....」

 

 ルカは窓際に寄りかかり、エーテル酒の入ったグラスを仰いだ。その向かいの窓にノアトゥンも寄りかかると、夜風が彼の美しい銀髪をなびかせていく。

 

「私達が最初に会った時の事を覚えていますか?」

 

「フフ、カルネ村で占い師をしてた時?」

 

「ええ。実はあれ以前から、私は既にモノリスの探索に乗り出していたんです」

 

「そうだったんだ。てっきり待ち伏せしてたのかと思ったよ」

 

「あの時は全くの偶然でした。占いをしながら情報を集めようと思っていたのですが、そこへ突如、貴方達イビルエッジの3人が私の前に現れた事で、状況は一変しました」

 

「分かってたんだね?プレイヤーだって事」

 

「はい。正直に言うとあの時からモノリスの探索を中断して、そこから貴方達の足取りを追い始めたんです」

 

「どうりで行く先々よく会うと思ったよ」

 

「申し訳ありません。しかし貴方達の後をつけてみると、例外なくモノリスに行き当たる。私がカルネ村で言った事、覚えていますか?」

 

「えーと確か、観音力?があるとか言ってたね」

 

「そうです。まるで導かれるように貴方達はモノリスへの道へと至っていた。そこに私は、見えない運命の力、観音力をあなたの中に感じたのです。そして鬼人力とは、他でもないゴウン殿の事。私の目は間違ってはいなかった」

 

「ノアの占いは確かによく当たるもんね」

 

「恐縮です。カルネ村で会う以前から、このスレイン法国地下にある宝物殿にモノリスが出現していた事は知っていました。そしてその文章を解読した結果から、このスレイン法国が最終地点になる事は予想がつきましたので、この国で貴方達が来るのをお待ちしていた、という訳です」

 

「ノアは、モノリスがどうして出現したか理由を知ってるの?」

 

「AI制御プログラムであるメフィウスがオートジェネレートしているという所までは分かっていますが、肝心なところでは確証に至っていません」

 

「そっか。まあそれも途切れ途切れの文章を構成すれば、だんだん見えてくるんじゃないかな?」

 

「そうですね。解読作業、共にがんばりましょう」

 

「よろしくね、ノア」

 

 二人は(キン!)と持っていたグラスをぶつけ、乾杯した。するとそこへ、バルコニーへの階段をトタトタと上ってきたマーレが声をかけてきた。

 

「るる、ルカ様ー!アインズ様がそろそろ出ようとお呼びです....」

 

「分かった、ありがとうマーレ。美味しいもの沢山食べた?」

 

「は、はい!もうお腹いっぱいです」

 

「良かったわね。ほら、こっちのノアお兄さんにも挨拶して?」

 

「まま、マーレ・ベロ・フィオーレです!ノアさん、よろしくお願いします!」

 

「やあ、君か。さっきの超位魔法見ましたよ、見かけは可愛いのに物凄い力を秘めていますね」

 

「あのえとその、あ、ありがとうございます!ノアさんの戦いも前に見ました、すす凄かったです!」

 

「フフ、ありがとうマーレ」

 

 赤面するマーレをルカは抱きかかえると、ホッペにキスをした。

 

「さ、二人共行こう。アインズを待たせると悪いし」

 

「ええ、行きましょう」

 

───大聖堂 正門前 21:59 PM

 

 宴もたけなわとなり、六人の神官長と漆黒聖典が見送る中、アインズは別れ際に最高神官長と固く握手を交わした。

 

「それではヴァーハイデン最高神官長、またお会いしよう」

 

「次に会う時を楽しみにしている、ゴウン魔導王閣下」

 

 アインズが馬車に乗り込むと、ノアトゥンが最高神官長に頭を下げた。

 

「では神官長、行って参ります。留守中よろしくお願いします」

 

「隠密席次、くれぐれも気を付けてな」

 

「はい。最高神官長もお元気で」

 

 ノアトゥンも馬車に乗り込み、ルカも後に続こうとした時唐突に呼び止められた。

 

「ルカ・ブレイズ大使、待ちなさい!」

 

「? どうかなさいましたか?」

 

「いや、その、何だ。入国時には大変な非礼を働いた。どうか許してほしい」

 

「疑うのは当然です、最高神官長。お気遣いなく」

 

「その詫びも兼ねて、餞別だ。これを持っていってくれ」

 

 最高神官長は懐から小さな手鏡を取り出した。

 

「それは?」

 

「私が肌身離さず持ち歩いているもので、ミラー・オブ・サンクチュアリという神器だ。強力な魔除けの効果と共に、どのような即死魔法も一度だけ防ぐという代物だ。装備せずとも、持っているだけで効果がある」

 

「そんな...よろしいのですか?そのように貴重な物をいただいて」

 

「私はそなたの美しくも鬼神の如き戦いぶりを目の当たりにした。持っていけ、このアイテムは戦い続けるそなたにこそ相応しい」

 

「...光栄です、最高神官長。ではありがたく頂戴します」

 

「うむ。...魔導国とそなたに、六大神の加護があらんことを」

 

 ルカはアイテムを腰のベルトパックに収めると、最高神官長と握手を交わし、馬車に乗り込んだ。ルカが微笑んでいるのを見て、一緒に乗り合わせているアインズは首を傾げた。

 

「どうしたルカ?随分と嬉しそうじゃないか」

 

「へへー、最高神官長からプレゼントもらっちゃった」

 

「フッ。そうか、良かったな」

 

「うん。根は優しい人だったね」

 

 馬車が走り出し、スレイン法国の北正門へと向かっている中窓の外を見ると、デスナイトと並走して騎乗した漆黒聖典達数十名が護衛についてくれていた。それを見つめているルカに、ノアトゥンが声をかけた。

 

「このような光景、スレイン法国にとっては奇跡のようなものですよ。あなた達がこの国を変えたんです、ゴウン殿、お嬢さん」

 

「フン、他愛のない事だ。人は変わるさ、いつだってな」

 

「おっ、いつになく詩人だねアインズ?」

 

「茶化すな、俺はマジで言ってるんだ」

 

「でもまあ、そうだね。同盟を組んだからには、この国の人たちも守ってあげなくちゃね」

 

「感謝しますよ、ゴウン殿」

 

「お前に感謝されても嬉しくも何ともない。伝言(メッセージ)、シャルティア、帰還用の転移門(ゲート)をナザリックに向けて開け」

 

『了解でありんす』

 

「あー、肩凝った。さっさと帰るぞ!やる事が山積みだ」

 

「無理しないでねアインズ、少し休んだ方がいいかもよ?」

 

「そういう訳にも行かないだろう。余計なのも一人増えた事だしな」

 

「まあそう言わずにゴウン殿、同盟国じゃないですか。私も精いっぱい頑張りますから」

 

「フン、期待せずに待ってやるとしよう」

 

 そうこう話をしている内にスレイン法国北正門に到着し、町の外に控えていた1万のアンデッドの軍勢と共に、アインズ達の乗る馬車は、シャルティアの開いた巨大な転移門(ゲート)の中に消えて行った。

 

 

 

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■魔法解説


盲目(ブラインドネス)

対象に30秒間盲目の効果を与え、合わせてディフェンスを-70%まで引き下げる効果を持つ。射程120ユニットから撃てるため、追撃の際にも使用出来る優秀なデバフ属性魔法


影の感触《シャドウタッチ》

対象の敵を9秒間麻痺させる魔法。120ユニットという長距離から撃てる為、逃げる敵に追撃を加える際にも使う。また敵の魔法詠唱中に放てば相手の魔法がキャンセルされる為、敵に取っては非常に脅威度の高い魔法


治癒力の強化《テンドワウンズ》

戦闘中のHP自然回復速度を150%まで引き上げる魔法


深眠(インスリープ)

対象を3時間以上の睡眠へと強制的にいざなう魔法。戦闘時に使われる事は少なく、主に医療現場等で患者の体力回復目的に多用されている。魔法効果範囲拡大での広範囲使用が可能


敗北の接吻(キスオブザディフィート)

ヴァンパイア専用の精神系範囲魔法。これを受けた者は術者の下僕と化し、意識を乗っ取られ操り人形となる。また副次作用として半吸血鬼化の呪詛を受け、特性もまたヴァンパイアと同等の物理耐性と弱点を持つに至る。これを解除する為には闇の追放《バニッシュザダークネス》等の高位呪詛解呪魔法か、それに類する呪文でのディスペルが必要となる。


聖なる献火台《イクリプストーチ》

神官《クレリック》が使用できる祭祀用の封印解除魔法。悪魔やアンデッドを近寄らせない効果もある


聖遺物の召喚 (コーリングオブレリクス)

天界より聖遺物を召喚し、アンデッド・ヴァンパイア等の不浄な生物を広範囲に渡り断罪・浄化するウォー・クレリック専用魔法。ワイデンマジックでの効果範囲拡大が可能。召喚できる型式(タイプ)は3種類あり、その内訳は以下の3つとなる。

・聖杯(ホーリーグレイル)→強力な破邪の効果を持つ聖水の雨と神聖属性の灰を300ユニットに渡り降らせ、それを浴びた不浄生物(NPC)のヘイトを鎮める。またその中で呪詛によりアンデッド・ヴァンパイア化した者や、病気(ディジーズ)系のバッドステータスを受けた者も広範囲に渡り解呪する。30分間のDoT効果がある為、新たにポップ(出現)したモンスターにも効果がある

・聖槍(ロンギヌス)→アンデッド・ヴァンパイアに対し即死効果を持つ神聖属性の鏃型光弾を頭上から降らせ、300ユニットの広範囲に渡り殲滅する。尚即死効果はLv80以下だが、即死に抵抗した不浄生物にも強力な神聖属性のダメージを与える

・聖櫃(ホーリーアーク)→天界より失われた聖櫃(アーク)を召喚し、神聖属性のAoEDoTにより、その周囲にいる不浄生物を灰も残さず殲滅する。オブリピオンクラスの高レベルヴァンパイア及びアンデッドを狩る際に必須とされる魔法で、50ユニットと他の型式(タイプ)より範囲は小さいが、その分尋常ではない高火力を発揮する。


非難の連弾(デュエットオブザクリティシズム)

ウォー・クレリックが持つ数少ない神聖系攻撃魔法。アンデッドやヴァンパイアに対してのみ有効という縛りがあるが、その分非常に高火力となる


神聖なる非難(ホーリーセンジュアー)

クルセイダー専用の神聖系攻撃魔法。ウォー・クレリックの非難の連弾と異なり、アンデッド以外の種族にも有効なため、敵を選ばず使用が可能。鍛え上げれば非常に高火力となる


不滅の鉄拳(ダリウスフィスト)

クルセイダー専用の神聖範囲攻撃魔法。拳を地面に叩きつける事により、周囲50ユニットに渡り神聖属性の強力な光波を放つ


結合する正義の語り《ライテウスワードオブバインディング》

術者の周囲30ユニットに渡り敵の神聖耐性を40%下げ、その後に強力な神聖属性AoEを頭上から叩きつける範囲魔法


聖者の覇気《オーラオブセイント》

神聖属性単体攻撃に置ける最強魔法。その火力は超位魔法・聖人の怒り《セイント・ローンズ・アイル》一撃分に相当し、且つ魔法最強化によりその威力は更に上昇する


浄化炎《クレンジングフレイム》

炎属性DoT。テンプラーは物理攻撃・魔法攻撃が+50%追加上昇される祝福された熱意《ブレッスドジール》が使える為、その火力は極めて強力


重力の新星《グラビティノヴァ》

超重力のブラックホールを作り出し、敵の体を包む事でその体を1/10000まで圧縮し、大ダメージを与える魔法


心臓への杭打ち(ステイクトゥザハート)

クルセイダー専用魔法で、ヴァンパイアの物理フォーティチュードを無条件に破壊する呪文。高レベルのプレイヤー及びモンスターにも有効なため、ヴァンパイア種族に取っては天敵となる魔法


暴風の召喚(ストームコーリング)

世界級(ワールド)エネミー専用魔法。AoEDoT(Area of Effect Damage over Time=範囲型持続性魔法)の特性を持つ魔法で、周囲50ユニットに渡り雷属性の攻撃が発生し続ける。初撃のダメージは小さいが麻痺(スタン)の効果も併せ持つため、身動きが取れなくなることで長時間雷撃を受け続ければ、全滅の恐れもあるな大ダメージへと転化する。効果時間は2分間


聖人の怒号(セイントマローンズラス)

カースドナイト専用魔法。高火力の獄炎属性AoEを周囲50ユニットに渡り放射する


超位魔法・天王星の召喚(コーリング・オブ・ジ・ウラヌス)

異次元より絶対零度の小天体を召喚し、それを叩きつける事により広範囲に渡り相手に大ダメージを負わせる氷結系魔法。その後バッドステータス(氷結)により身動きを封じる効果も併せ持つ


超位魔法・持続する水霊の寒波(エンデュアウォーターズチル)

氷結系超位魔法。水の精霊王を召喚し、巨大な氷の塊を含む吹雪を起こして1分間に渡り相手に氷塊を叩きつける、超位魔法にも関わらず氷結属性DoTとしての特性を持つ


超位魔法・氷塊ノ地獄《フリージングヘル》

地面から巨大な氷山を発生させ、鋭い氷の山頂で敵を貫きつつ囲むと共に、最後大爆発を起こす氷結系超位魔法



■武技解説

血火炎の窒息(チョークオブザブラッドファイア)

対象に徒手空拳による10連撃を加え、被弾した者をPB(パワーブロック)効果により、10秒間スキルや魔法の使用を一切封じる事ができる


狼の冷笑(ウルフズラフ)

対象に徒手空拳による高速40連撃を加え、被弾した者に3秒間麻痺(スタン)効果を与える


血の斬撃《ブラッディースライス》

対象に超高速10連撃の物理属性と流血属性のダメージを与える。この流血は1分間続き、しかも攻撃者のINTが高ければ高い程流血ダメージが上がる為、この武技を食らった敵に取っては一撃で致命傷にも成りかねない危険な武技


虚無の破壊《クラック・ザ・ヴォイド》

ダガーによる10連撃と共に、闇属性Proc発生確率を90%にまで引き上げる為、強力な瞬間火力を持つ


霊妙の虐殺《スローターオブエーテリアル》

ダガーによる超高速20連撃を加えると共に、敵の防御力を-80%まで引き下げる効果を持つ。また武器属性付与・神聖《コンセクレートウェポン》等のProc発生確率を70%まで上昇させる事により、瞬間火力を高める効果も合わせ持つ


災害召喚の舞踏(ダンスオブディザスターコーリング)

戦鎌(ウォーサイズ)専用武技。舞うように高速で武器を振るう事で、無数のかまいたちを敵に飛ばし致命傷を与える技




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第7話 真実

「この四つ目の文章を先に持ってきてはどうでしょう?」

 

「んー、それだと前後の文意が食い違ってしまうから、三つ目のほうが先なんじゃないかな。これなら時系列的にも話が噛み合うし」

 

「そうなると、五つ目はここに挿入する事になりますね」

 

「そうだね、これなら文頭と文末の意味も通るし、いいんじゃないかな」

 

 ルカとノアトゥンは執務室中央にあるソファーに座り、モノリスの碑文を書き写した白い用紙をテーブルの上に並べて、今まで手に入れた断片的な文章の順序を入れ替える作業を行っていた。アインズは執務机の椅子に座り、デミウルゴスから渡された書類に目を通している。

 

「これで全部だな?デミウルゴス」

 

「はい。以上が竜王国への復興支援の内容となります。よろしければサインをいただきたく存じます」

 

「うむ、いいだろう」

 

 アインズはペンでサインすると、書類をデミウルゴスに手渡した。デミウルゴスはそれを恭しく受け取り、執務室を後にする。アインズは席を立ち、解読作業を進める二人の元に歩み寄った。

 

「どうだ二人共、順調か?」

 

「アインズ、ちょうど良かった。手に入れた6つの文章を一通り入れ替えてみたんだけど、読んでみてくれる?」

 

「どれどれ」

 

 アインズは用紙の束を受け取ると、向かいのソファーに腰掛けてそれを読み始めた。

 

────────────────────────────

 

 

 ────君達がこの碑文を読むとき、それが希望になるか絶望に変わるかは私にも分からない。ただ、私に起こった真実だけをありのままここに書き記そうと思う。それは、ユグドラシルに実装されたリフレクティングタイムリープ機能に関してだ。以下これをRTL機能と略す事にする。これを語るには、まずその歴史から綴っていかなければならない。

 

 私は2120年、飛び級で進学した大学に在籍していたが、そこへある日身なりの良いスーツ姿の男が私の前に現れ、私の論文を見て感銘を受け、是非わが社へ入って欲しいという理由で私の元を訪れた。いわゆるヘッドハンティングだった。

 契約書を見せられた私はその内容に驚愕した。私の提唱していた理論を実現するための施設や資金、その他ありとあらゆるバックアップを約束するものだったからだ。その会社の名は株式会社エンバーミング。一部の諸君らにはおなじみの名だろう。彼らは私の提唱するブラックホール理論に強い関心を持っていたようで、それを実証する為の粒子加速器を含む全ての施設を、期間無制限で提供するということだった。

 

 私自身もその時は幼かったために、提示された莫大な契約金も含め、大学へ通いながらの出社という些少な願いを条件として提示し、入社する事になった。そこから私は自らの理論を実証する為に必要な粒子加速器の設計から、ベースプログラムの作成に2年を費やし、その翌年である2123年に、予定されていた粒子加速器の1台目が完成した。そしてすぐに実験は執り行われ、私の理論通り安定したマイクロブラックホールの生成に成功した我々は、粒子加速器1───仮にこう呼称する───にしか接続されていないローカルサーバを設置して、ベースプログラムを走らせた。

 

 合わせて彼らがプロジェクト・ネビュラと呼称していた軍と共同の計画にも参加する事になった。その内容は、ある特定のDMMORPGに接続したプレイヤーの意識と肉体を拉致し、人間の五感をアクティブにした際の長期的な観察と共に、その人間の脳波をリアルタイムに圧縮し、未来から過去へ、過去から未来へと意識を飛ばす為の実験だった。しかしそれこそが私の提唱したブラックホール間に置ける五次元間通信の理論であり、私は他の研究者達の助力を借りてDMMORPG──ユグドラシルサーバ内のAI管理及びRTL機能を制御するためのコアプログラム、メフィウスとユガを完成させた。

 

 そして2125年、私の理論に基づき完成した粒子加速器2を使用して、2123年に完成した粒子加速器1と同様に、極めて長期的に安定したマイクロブラックホールの生成に成功した。その後動作確認のため粒子加速器2に接続されたサーバを介し、強力なパルスレーザーを使用してブラックホール内にデータを転送したところ、2125年に現存する粒子加速器1と、2123年に存在する過去の粒子加速器1より年代を添えてリプライの応答が帰ってきた。私達研究者はその場で飛び跳ね、実験の成功を喜んだ。

 

 つまり簡単に言えば、マイクロブラックホールに接続されたサーバであれば、共通のプログラムを介してどの年代のサーバとも相互通信が取れるということだ。具体的な仕組みはどうなっているのかというと、まずデータを乗せた光速のパルスレーザーをブラックホール内に撃ち込む事により、事象の地平面を超えたレーザーは光速を遥かに超えたスピードで内部に突き進み、瞬時に5次元空間へと到達する。

 

 5次元空間とは、時間・空間が生まれる高次元時空の事である。そしてそこは全てがエネルギー化された世界であり、全てが繋がった世界である。混沌としているようで、何よりも整然とした世界。そこへ強力な指向性(=データ)を持ったエネルギーを撃ち込めば、そのエネルギーは指向性に沿ってあるべき場所へと帰り、あるべき場所へと戻る。それは時間・空間すらも跳躍して未来から過去へ、過去から未来へ、その指向性と関連付けられた時代へと5次元の中を真っ直ぐに飛んでいき、そのエネルギーの望む場所へと辿り着く。

 そして辿り着いた先で僅かな残滓とも言うべき反射を起こし、その先にあるサーバは僅かな反射を拾い上げ、その返答をレーザーに込めて撃ち返す。これを無限に繰り返す事が5次元間通信の概要である。

 これを応用すれば、50年・あるいは100年・1000年離れた時代に設置されたユグドラシルサーバとの通信も可能となる。

 

 私はこれを反射的時間跳躍───リフレクティングタイムリープ機能と名付けた。これで各時代にユグドラシルサーバが一つ作られる毎に、その他の全ての時代がミラーサーバとなり、一つのシステムとして機能するようになる。そしてデータ通信の高速性を維持するため、ホストサーバはその時代の中で最も新しい年代のユグドラシルが自動的に選ばれるようになっており、その時代で最も高速なシステムを積む事を義務化する事により、時代が進むごとに全ての年代のサーバ処理速度が飛躍的に伸びるよう私はメフィウスを設計した。翌年の2126年、全ての準備が整った我々は満を持して、DMMORPG・ユグドラシルを発売した。

 

 私は彼に謝罪しなくてはならない。ユグドラシルをこよなく愛し、サービス終了のサーバダウンが行われる最後の最後まで残ってくれていた彼、鈴木悟に。

 2138年11月9日 午前0:00、私は5人の部下を引き連れてその場にいた。完全環境都市(アーコロジー)内にある、とあるマンションの一室にマスターキーを使って侵入し、ダークウェブサーバに飛ばされ意識のない鈴木悟の肉体をコンソールとデータロガーごと外に運び出した。鈴木悟の肉体を乱暴に運び出す部下を私は叱責し、丁重に扱うよう指示した。そして黒塗りのバンに乗せ、湾岸に建てられたエンバーミング社の地下倉庫へと連れ去り、そこに集った医師たち主導の元全身に電極を貼られ、栄養補給のための点滴を彼の腕に刺した。私はその時初めて、己のしてきた事への罪悪感を感じた。私のしてきた事で、未来ある若者の人生をこの手で握りつぶしてしまったのだ。しかしここまで来てしまった以上、もう後戻りは出来ない。

 

 私は鈴木悟のモニターと並行して、エンバーミング社と軍から要請された(フェロー計画)について研究を進めていた。その計画とは、マイクロブラックホールではなく本物のブラックホールを使用して、RTL機能を実用化するというものだった。確かに本物のブラックホールを使用すれば、データ圧縮率も速度も跳ね上がるだろう。しかしそれを実現する為には、宇宙船と人工衛星の強度、そしてエネルギーがあまりにも足りなかった。基礎理論自体は完成していたが、それを実用化する為には82年という長い歳月を待たなければいけなかった。

 

 話は変わるが、鈴木悟がダークウェブユグドラシル(以下DWYD)に入り2ヶ月が過ぎた頃、奇妙なプログラムが鈴木悟と共に行動している事が分かった。奇妙と言うのは、その共に行動しているキャラクターのIPトレースが行えず、それがプレイヤーなのかAIなのかすらも判別出来なかった事だ。

 自らの手でユグドラシルを作ったにも関わらず、分からないと言うのも妙な話だが、これは事実だ。恐らくは相当に強固な回線を使用して接続していたに違いない。唯一分かるのは名前だけ。 そのキャラクターの名前は、ルカ・ブレイズ。恐らくはプレイヤーだと思われる。何故なら、ユグドラシルの創造主である私が強制ログアウトを実行しても、それを受け付けなかった事だ。考えられるのは一つしかない。私よりも上位の存在───つまり、私達より未来に設置された新たなユグドラシルのホストサーバからやってきた存在だと言うことだ。

 しかしもしそうだとして、過去にいる私にはそれを確かめる術はない。鈴木悟に対し特に問題となるような行動はせず、むしろ協力的に立ち振る舞っているようだったので看過していたが、一年が経とうという頃、彼女は唐突に姿を消してしまった。ひょっとしたら外部からデータクリスタルを持ち込み、現実世界に帰還できたのかも知れないとも思ったが、これも想像の域を出ない。

 

 話を元に戻そう。2210年、以前より世界政府からアナウンスのあった電脳法改正を機に、我々は装いも新たにDMMORPG・ユグドラシルⅡを発売した。この改正で、味覚、聴覚、視覚、感覚、嗅覚の5感全てをアクティブにする事が合法となり、当然ユグドラシルⅡにもこの仕様が盛り込まれた。ここでは主にDWYDに囚われた鈴木悟から得られた貴重なデータの実証実験と、フェロー計画に基づきアップデートしたメフィウスとユガの動作確認を行う場となった。

 

 また同年、老衰により劣化した鈴木悟の情報を保護する為、当時最先端であった電脳化手術を彼の脳に施す事になった。彼の手術が無事成功した事を受けて、申請が降りなかった私への電脳化手術も執り行われる事になった。私の体も老いたが、世間での私への呼び名は(ヴァンパイア)だった。確かに心臓のバイパス手術を受けた事もあるし、体内の血液全交換も一度だけ受けた事があるが、ただ一度だけだ。それが妙な形で広まってしまい、このように残念な渾名を頂くこととなってしまった訳だが、当時極秘の技術だった電脳化処置の隠れ蓑としては、十分役に立ってくれたと言わざるを得まい。

 ユグドラシルⅡでは鈴木悟に行ったような肉体の拉致は行われなかった。何故なら、5感を長期間アクティブにした際の影響に関しては、十分過ぎるほどデータが取れていた為だ。私はあの時のような罪悪感に悩まされないで済むことを、誰にともなく感謝した。

 

 

 そして2220年、遂にフェロー計画が実行に移された。その理由は、タングステンとチタンの結晶を超低温で結合させた超合金(アンオブタニウム)の発見と、ワームホール航行が実用段階に入った事だった───当然軍内部でだけだが。

 

 世界に極秘裏で打ち上げられたワームホール型宇宙船(フェロー)が、ワームホールを使用して640光年離れたオリオン座のベテルギウス・ブラックホールに約3年で到着し、その人工衛星(フェロー1)が2223年にベテルギウス・ブラックホール周回軌道に入った。その後2224年に、アンオブタニウムで作られた有線式の曳航型パラボラアンテナをブラックホールの事象の地平面に接触させた。

 そこから得られた熱と圧力をエネルギーに変換するというアンオブタニウムの特性を活かし、有線で繋がれたパラボラアンテナから衛星本体に膨大な量のエネルギーを供給し、ユグドラシルAIとプレイヤーの脳波を含むデータを乗せた高周波パルスレーザーをブラックホールの中心に照射・光速を超えて内部の5次元到達後、わずかに反射する極限にまで圧縮された時間跳躍の相互データをパラボラアンテナで抽出し、ブラックホールにより光速を超えたデータ速度を失わせることなく、複数の軌道衛星により地球までブースト転送・レイテンシー補正をかけることにより、将来的に増設される全ての時代のユグドラシルサーバで、速度差のない安定したプレイを行う事が可能になった(各個のインターフェース速度による性能差は除外)。

 

 また参考までに、フェローの通信衛星に積まれたCPUは至ってノーマルな最速の量子コンピュータである。何故かと言えばこの時点で本物のブラックホールを時間跳躍圧縮に使用しているため、通信衛星自体のデータ処理量は限りなく少なくて済むためだ。よって通信衛星に搭載されるCPUが最速である必要はない。またプレイヤーやAIの脳波データも、RTL機能で繋がれた最新の年代データが全ての時代に反映されるようになっているので、その点も留意してもらいたい。

 

 話が逸れた事を詫びよう。無事にフェローも軌道に乗り、私達は新たなプロジェクト・ネビュラの始動に着手した。その内容とは、遂に私達の悲願でもある、RTL機能を使用した未来と過去を繋ぐ実験である。マイクロブラックホールを使用したRTL機能の通信実験自体は絶えず行われていたが、フルスペックでのプレイヤーとAIを含む脳波を転送するという実験は行われなかった。いや、行えなかったという方が正しい。何故なら、フェローという通信衛星なくしては、この実験は成立しなかったからだ。長い時を待った。しかしそれが結実する日が目の前に迫っている。私達はユグドラシルⅡのデータに改良を加え、入念な動作チェックを繰り返した。

 

 そして私はセキュリティ面の強化という観点から、ダークウェブのより下層にあるロストウェブに住まう超ウィザード級ハッカー達に協力を仰いだ。彼らはユグドラシルというゲームとその開発者である私が姿を現した事に、驚愕と賞賛を持って迎え入れてくれた。ロストウェブは広大だが、彼らが住まう場所は限定されている。そして彼らはダークウェブを遥かに凌駕する強固なプロテクトを組んでいた。彼らが信じるのは力だ。自分を超える超越的な技術を持った存在にめぐり逢いたいからこそ、彼らは強固な殻に閉じこもる。

 

 私はものの数分で彼らのプロテクトを破壊し、彼らがロストウェブ内に立ち上げたサイトの内部に侵入して私の正体を明かした。それを幾度となく繰り返す内に、彼らは私を信じてくれるようになった。そして私は彼らと直接会い、これから行われるプロジェクトに関する詳細を話した。その壮大な計画に彼らは武者震いを起こし、ロストウェブ内にサーバをを構えるにあたり、全面的に協力する事を約束してくれた。

 彼らと契約書を交わし、これでロストウェブサーバの安全が確保できたと安堵した私は、さらなるテストを繰り返した。やがてプログラムは完成し、ユグドラシルが終了した2138年より丁度100年後の2238年、私達はリバースエンジニアリングという名目の元、ユグドラシルエミュレーターを開発する事を世界に発表した。

 

 そして2242年、既にユグドラシルβ(ベータ)自体の開発は終えていたのだが、世間の目を欺く為に最初は限定的なユグドラシルα(アルファ)という形でリリースした。その4年後にフルスペック版のユグドラシルβ(ベータ)を発表する。優秀なプレイヤーを選別するため、ここからは長い我慢の時間が続いたが、我々は───というより私は、ユグドラシルβ(ベータ)に新たなゾーンを作るなどして、アップデートを重ねていった。予定されているサーバダウンの日は2350年8月4日 午前0:00 。既に私の肉体は朽ち、今は生命維持装置に脳核を接続する事によって生きながらえている。私はその結果を見届ける事なく死ぬだろう。しかし私は己がしてきた研究成果を信じている。必ずや成功に導かれるだろうと。

 

 余談になるが、ユグドラシルではこのRTL機能自体がブラックボックス化されており、メフィウスへの管理者権限アクセスでのみ閲覧・アクセスが可能な為、サーラユガアロリキャもこの機能については何も知らない。つまりコアプログラムであるユガにはその権限がないためだ。但しRTL機能の詳細をサーラユガアロリキャのAIが学習した段階で、RTL機能の入出力データをリアルタイムに閲覧する事はできるようになる。

 

 しかしこのデータはブラックボックス内の機能拡張ユニット【シーレン】により超高度に暗号化されている為、サーラユガアロリキャには何のデータなのかの判別は出来ない。尚このユニットを強引に取り出そうとすればブラックボックス自体が崩壊する為、外部から無理に取り出す事はメフィウスの破壊にも繋がる。但しユガに内蔵された暗号解除プログラム【シャンティ】を手に入れ、それを外部【現実世界】でバックアップし、データクリスタルのフォーマットに変えてサーバ内に持ち込み、サーラユガアロリキャにそれを渡して直接使用させる事によって、サーラユガアロリキャはそのデータを1つだけ外部に出力出来るようになる。

 

 そしてこのデータ受信先として選ばれるのはサーラのAIの自由意志であり、サーラの信用と信頼を勝ち取った者にしかこのデータの受信者とはなれない。この受信者となれるのは信用と信頼の他にセフィロト=イビルエッジを極めている必要がある。これに選ばれた者はサードワールドというプログラムを受け取り、現実世界の端末でもサーラユガアロリキャとコミュニケーションを取れるようになり、尚かつコアプログラムを含むユグドラシルというオープンソースのホストアプリケーションをダウンロードする権限を与えられ、全ての時代のデータの流れを閲覧する事も可能になる。要はサードパーティーとなる事が許される。

 

 尚このホストアプリケーションには自己診断AI【セブン】が常時走っており、アップロードの時点で不要とみなされた追加ソースに関しては自動的に消去・修復され、元のユグドラシルソースに戻される仕組みとなっている。このホストアプリケーションをアップロードすれば基本的にはその時代にユグドラシルサーバを設置できるが、これにもセブンの審査があり、その時代で最速のCPUでユグドラシルが問題なく走り、尚かつその時代における最大容量のメモリとバスクロックを搭載したサーバであることが条件となる。ここまでの全ての審査はセブンが一括して行い、その時代で繋がる全てのネット情報等もセブンが閲覧した上で審査され、その時代に置ける最高速のサーバと認定されれば、晴れてその時代に新規のユグドラシルサーバを運営する権限が与えられる。

 

 そしてこれも余談になるが、メフィウスにより管理されたAIは、イニシャライズされた電脳にダウンロードする事が可能である。また同様に、プレイヤーの意識もイニシャライズ・もしくは本人の物である電脳にダウンロードする事も可能なようにメフィウスをカスタマイズしておいた。この仕様によっていわば、”時代の途中下車”が可能となる。但し、ダウンロード先のロケーションをトレースしたデータクリスタルをサーバの外部からゲーム内に持ち込まなければいけない事を付け加えておこう。この先のさらなる技術の進歩に期待しつつ、私は眠りにつくとしよう。この碑文を見た諸君の健闘を祈る。そして願わくば、新たなるサーバが未来に構築され、ユグドラシルの世界がより広大になる事を望む。

 

───2246年 10月4日 グレン・アルフォンス

ユグドラシルを愛する全てのプレイヤー達へ

 

───────────────────────

 

 

 アインズは全てを読み終わり、ソファーの背もたれに上体を預けた。

 

「なるほどな、これが碑文の全容と言うわけか。つまり、プロジェクト・ネビュラとは時空、年代を超えたユグドラシルサーバ同士を接続する実験の総称であり、この碑文はそのサーバを新たに構築する方法を教えている、という事でいいんだな?」

 

 ルカはそれを聞いて大きく頷いた。

 

「アインズがエンバーミング社に拉致されたのも、私がこの世界に転移させられたのも、全てはその実験の一環だった。そしてフェロー計画に基づきリフレクティングタイムリープ機能を実装した事により、ユグドラシルβ(ベータ)は真の意味で完成を見た」

 

 ノアトゥンは顎に手をやり、テーブルに目を落とす。

 

「そしてグレン・アルフォンスは、何百年という時代を超えてユグドラシルサーバを存続させるため、サードワールドというプログラムを秘密裏に仕込み、いつの日か新たなユグドラシルサーバが設立される日を夢見て、断片的なメッセージをモノリスに残した。そうして今回選ばれたのが、ルカお嬢さんという訳ですね」

 

 アインズは手にした用紙をルカに返すと、一つ大きくため息をついた。

 

「ふー。それで?お前はどうするつもりなんだルカよ」

 

「もちろん、ここまで来たらやるっきゃないでしょ」

 

 ルカは笑顔でアインズに答えた。

 

 「2550年代のサードパーティーになるのか?」

 

「と言う事は、現在運営しているレヴィテック社からサーバの権利を奪い取る形になりますね。果たして我々にそのような事ができるのかどうか...」

 

「今すぐにとは言わないけど、謎を解くためにも、とりあえずはやれるとこまでやってみようよ。まずはフォールスにこの文章を見せてみないとね」

 

「そうだな。サーラ・ユガ・アロリキャが重要なファクターになっているようだし、どの道虚空には行ってみないといけないだろう」

 

 二人の言葉を聞いて、ノアトゥンは首を傾げた。

 

「虚空とは、どのような場所なのですか?」

 

「ガル・ガンチュアの先にあるフィールドだよ。セフィロトに転生する為に必要なNPCがいる場所なの」

 

「そうですか。ではこの文章に従い、そこへ行ってみるとしましょう」

 

「そうだな。ルカ、頼めるか?」

 

 ルカはソファーから席を立ち、人差し指を空いたスペースに向けた。

 

「OK、行ってみよう。転移門(ゲート)

 

 

 ───虚空 17:53 PM

 

 

 暗黒に広がる満天の星空を見上げ、ノアトゥンは吐息を漏らし見惚れていた。

 

「...美しい場所ですね。ここが虚空ですか」

 

「私のお気に入りの場所なの。他の人に教えちゃだめよ?」

 

「ええ、もちろん分かっていますとも」

 

 ルカは先頭に立ち、淡く銀色に輝く環状遺跡の中に足を踏み入れた。アインズとノアトゥンもその後に続く。環状遺跡の中央まで歩くと、高さ1.5メートル程宙に浮いた一面六臂のフォールスが合掌し、静かに佇んでいた。ルカはフォールスの足にそっと手を触れる。

 

「フォールス、来たよ。目を覚まして」

 

 するとフォールスの体がゆっくりと地面に降り立ち、閉じていた目を開いてルカを見た。その少女のように美しい顔は次第に微笑を讃え、六本の腕でルカを抱き寄せる。

 

「ルカ。お待ちしていましたよ」

 

「久しぶりフォールス。元気そうで良かった」

 

 ルカから体を離すと、フォールスは後ろに立つ二人を見た。

 

「アインズ・ウール・ゴウン。あなたもよくぞ参られましたね」

 

「ああ。かれこれ二年ぶりだなフォールスよ」

 

「もう一人は、そう...六大神、ノアトゥン・レズナーですね? ルカが世話になっているようで、感謝致しますよ」

 

「な、何故私の名前を?」

 

 うろたえるノアトゥンを見て、ルカが言葉を継いだ。

 

「ノア、フォールスは下界の様子をモニター出来るんだよ。私達の事を見守ってくれてるんだ」

 

「そんな高度な機能を持ったNPCがいるとは、知りませんでした。改めてよろしくお願いします、サーラ・ユガ・アロリキャ」

 

「フフ、私の事はフォールスとお呼びくだされば結構です。それで?あなた達三人のプレイヤーが揃ってこの虚空へ来たということは、何か私に用があって参ったのではないのですか?」

 

「そう、それなんだけど、前に教えたモノリスの碑文が全部揃ったんだ。フォールスも知りたがってたし、一応伝えておこうかと思ってね」

 

「!! それは真ですか?是非教えてくださいまし!」

 

 ルカはアイテムストレージから白い紙の束を取り出し、フォールスに手渡した。フォールスは目を大きく見開き、用紙に書かれたモノリスの文章を次々と読み進めていく。そして最後の一枚を読み終えた時、突如フォールスの体が眩い光を放ち始めた。

 

「・・・ガガ・・ピーガガ・・創造主・グレン・アルフォンスからのメッセージ受諾完了・・これより・・RTLシステムへの接続を開始・・します」

 

「...フォールス?」

 

 ルカ達三人は固唾を飲みその様子を見守っていたが、フォールスの体から光が失せると脱力し、ルカの肩にもたれこむようにして倒れてきた。ルカはそれを咄嗟に支える。

 

「フォールス!!しっかりして、大丈夫?」

 

「え、ええ軽く目眩がしまして...大丈夫ですルカ、ありがとう」

 

「一体何が起きたの?」

 

「はい、それが...私の体の一部がコアプログラム・メフィウスのRTL機能に接続され、膨大なデータが突如私の中に流れ込むようになりました。データの流れは見えるのですが、今の私にはこのデータが何を意味するのか、皆目検討がつかないのです」

 

 それを聞いてアインズがフォールスの横に寄り添った。

 

「なるほどな。碑文に書かれていた通りという訳か。(このデータはブラックボックス内の機能拡張ユニット【シーレン】により超高度に暗号化されている為、サーラユガアロリキャには何のデータなのかの判別は出来ない。)とな」

 

 ノアトゥンも右手を顎に添え、地面に目を落として回想するように言葉を継ぐ。

 

「しかし碑文にはこうもありました。(ユガに内蔵された暗号解除プログラム【シャンティ】を手に入れ、それを外部【現実世界】でバックアップし、データクリスタルのフォーマットに変えてサーバ内に持ち込み、サーラユガアロリキャにそれを渡して直接使用させる事によって、サーラユガアロリキャはそのデータを1つだけ外部に出力出来るようになる。)と」

 

 ルカはフォールスの肩を支えながら二人を見た。

 

「つまり、どこかで【シャンティ】を見つけないといけないわけだね。手がかりもないし、雲を掴むような話だけど...」

 

「だが探さねばなるまい。グレン・アルフォンスは、お前と、そして俺達にユグドラシルの命運を託したのだ。ならばその期待に答えてやろうではないか」

 

「そうだね、頑張らないとね」

 

 そこでルカは思い出したように顔を上げ、中空に手を伸ばしアイテムストレージから翡翠のネックレスを取り出して、フォールスの前に見せた。フォールスはそれを見て首を傾げる。

 

「ルカ、これは?」

 

「グレン・アルフォンスから、フォールスへのプレゼントだよ」

 

「まあ、グレン様から?...美しい色をした数珠ですね」

 

 ルカは肩から手を離し、フォールスの首にそっと運命の環(サークルズ・オブ・デスティニー)をかけた。するとまたしてもフォールスの体が輝き出し、驚愕の眼差しをルカに向けた。

 

「ル、ルカ!...力が...力が、溢れてきます」

 

「フォールスの専用装備らしいんだけど、どういう効果か分かる?」

 

「ええ、これは...今まで私を縛っていたプロテクトが解除され、外部にアクセスする為の魔法...つまり、伝言(メッセージ)の使用が許可されました。それだけでなく、虚空内に限定されていた移動阻害のプロテクトも解除された模様です」

 

「え...それってつまり、転移門(ゲート)でどこにでも行けちゃうって事?」

 

「はい。一度この目で下界を見て回りたかったのです。その望みを、グレン・アルフォンス様が叶えてくださいました」

 

 フォールスは満面の笑みでルカに答えた。

 

「すごいじゃない!これでフォールスといつでも連絡が取れるし、どこでも一緒に行けるってわけだね」

 

 手を取り合い喜ぶフォールスとルカだったが、アインズが割って入ってきた。

 

「待て待て二人共!フォールス程の力を持った者が下界に降りるとなれば、その影響力は計り知れない。ここは慎重に動くべきだ」

 

「まあそれはそうだけど、私達に取っても有利に働くだろうし、特に問題はないんじゃない?」

 

 ルカも完全に乗り気になっているのを見て、アインズは頭を抱えた。

 

「かと言って、例えばフォールスが突然カルネ村に姿を現してみろ。村人たちが混乱する事受け合いだぞ?」

 

「大丈夫だって、その時は私から説明するから」

 

「お前なぁ...」

 

「ね、アインズお願い!こんな機会滅多にないし、許してあげて?」

 

 ルカが懇願するのを受けて、アインズは頭を掻き大きく溜息をついた。

 

「...だーもう!分かった分かった。但し一つ条件がある」

 

「何?」

 

「フォールスの身柄は、一時ナザリックで預かる事とする。それで良ければ、外出を許そう」

 

「OK、私はそれでいいよ。フォールスは?」

 

「ええ、私もそれで構いません」

 

「決まりだな。それで、今後どう動く?」

 

「そうだね、私達は一度現実世界へ戻って、シャンティの事を調べてみようと思う」

 

「調べるってお前...外部から解析ができるのか?」

 

「その保証はないけど、いざとなれば地球に行って、レヴィテック社に直接乗り込むつもりよ」

 

「待て待て待て!それはいくら何でも危険だろう?」

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ずってね。それに私はプロジェクト・ネビュラの被験体だし、向こうも食いついてくるはず。やってみるまでよ」

 

 ルカの不敵な笑みを見て、アインズは大きく溜息をついた。

 

「はー...分かった。俺も同行しよう」

 

 それを聞いて、ルカは意外そうな顔をアインズに向けた。

 

「アインズ、一緒に来てくれるの?」

 

「当たり前だ。各国との会談も一段落したことだし、お前一人に任せていたら、何を言うか分かったもんじゃないからな」

 

 それを聞いて、ルカは膨れ面になった。

 

「ちぇー。あたしってそんなに信用ない?」

 

「そうじゃない、お前の身の安全を心配しているだけだ」

 

「ありがとうアインズ。じゃあ、お供してもらおうかな。プロジェクト・ネビュラの被験体二人が乗り込むとなれば、向こうも無視できないでしょ」

 

「しかし飽くまで、外部から解析が出来なかった時の最終手段だからな。それを忘れるなよ?」

 

「了解。とりあえずはフォールスを連れて、ナザリックに帰ろうか」

 

「そうだな」

 

 アインズは空間に人差し指を向けて、魔法を詠唱した。

 

転移門(ゲート)

 

 

───ナザリック地下大墳墓 第十階層 玉座の間 18:57 PM

 

 アインズの招集に応じ、階層守護者とプレアデス達全員が玉座の間に集合した。そしてその場についた誰もが、玉座の右隣に立つフォールスの姿を目にして驚嘆の声を上げていた。それを受けてフォールスは壇上から笑顔で見下ろしていたが、玉座に座ったアインズは鷹揚に右手を上げて口を開いた。

 

「皆のもの、集まってもらい感謝する。さて、もう見知っている者も多いとは思うが、ここにいるフォールスを我がナザリックで客人待遇として保護することになった。良いか、アインズ・ウール・ゴウンの名のもとに保護するのだ。これに関し周知を徹底し、皆に伝えよ」

 

『ハッ!!』

 

「フォールスの世話役は、そうだな...ユリ、お前に頼みたい。やってくれるか?」

 

「謹んでお受け致します」

 

「よろしい。それともう一つ、お前たちに伝えることがある。ノアトゥンを除き私とルカ達は調査のため、一時現実世界へと戻る。その間ナザリックの警戒レベルを最大限に引き上げ、守護に励むように。指揮はアルベドとデミウルゴスに一任する。良いな?」

 

『ハッ!』

 

 階層守護者達が頭を下げる中、ルカは玉座の左に並ぶノアトゥンに顔を向けた。

 

「ノア、君はその間どうするの?」

 

「ええ、私も一時ナザリックを離れ独自に調査を続けたいと思います。お嬢さん、くれぐれもお気をつけて」

 

「分かった、よろしくね」

 

 ルカはベルトパックから赤色に輝く帰還用データクリスタルを一つ取り出し、アインズに手渡した。それを受け取り、アインズ・ルカ・ミキ・ライル・イグニス・ユーゴの六人はクリスタルを前に掲げて握りしめると、その場から一瞬にして消え去った。

 

 

───プロキシマb 首都アーガイル 実験用ラボ内 19:15 PM

 

 

 ルカが目を開けると、薄緑色のキャノピーで覆われた保存カプセル内で横になっていた。枕元右側にあるパネルを操作してキャノピーを開き地面に降りると、ルカは大きく背伸びをして体をほぐす。アインズとミキ達五人も起床し、皆は下着の上から黒い制服を着てコンソールルーム内へと入っていった。ルカは端末中央の席に座ると、指示を出していく。

 

「イグニス、ユーゴ、ダイブしていた間のバックアップログをチェック。データの差異や干渉が無いか確認して」

 

『了解!』

 

 ルカ達三人が素早くキーボードを操作している間、アインズはその背後にある横長のソファーに腰を下ろした。その後に続くように、ミキ・ライルもアインズの両隣に腰掛ける。 すると隣から柔らかいシプレベースの香水の香りが漂ってきた。それに気づいてアインズは左に座るミキに顔を向ける。

 

「いい香りだなミキ。ユグドラシルの中にいる時と同じ匂いがする。何という香水なんだ?」

 

「まあ、覚えていてくれて嬉しいですわアインズ様。これはシャドウ・ダンサーという香水です。ルカ様に竜王国の香水を解析していただいたものを、特別に調合して作って頂いたものにございます」

 

「ゲーム内の香りをここまで再現できるとは大したものだ。何かこうしていると、どちらが現実なのか分からなくなってくるな」

 

「フフ、こちらが現実ですよアインズ様。このバイオロイドの体では、魔法は撃てませんことよ?」

 

「確かにな」

 

 ミキの妖しい微笑みを見てアインズも釣られて笑顔になり、自分の右手に目を落として握ったり開いたりした。人間の頃と変わらず違和感のない体を感じ、アインズは目の前のコンソールに座るルカの背中を見た。アインズはそれを見て今自分が地球にいない事を思い出し、軽い郷愁の念に襲われたが、地球に未練などない自分に気づくとすぐにその思いは消え去った。

 

 次にアインズは右隣でどっしりと腰を据えるライルに顔を向けた。

 

「ライル、お前は香水に興味はないのか?」

 

「アインズ様、戦士にそのようなものは不要にございます故」

 

「そうか。こっちの世界にはもう慣れたか?」

 

「この現実世界の体も大分馴染んで参りました。それにルカ様の行く所であれば、いかような世界にも適応するのが配下の務めかと存じますれば」

 

「フッ、なるほど。武人のお前らしいな」

 

「私めの任務には、アインズ様をお守りする事も含まれております。どうぞ大船に乗ったつもりでお過ごしください」

 

「ああ。頼りにしてるぞライル」

 

「畏まりましてございます」

 

 そうこう話している内に、ルカ達のバックアップログ確認作業が完了したようだった。

 

「よし、終わり!イグニス、ユーゴ、そっちは何か異常あった?」

 

「6人の電脳活性、異常ありませんね」

 

「ユグドラシルとのパケット及び、ヘッドマウントインターフェースのVCNセキュリティも異常なし。問題ねえぜルカ姉!」

 

「OK、こっちのユグドラシル検閲データも異常無しだ。ユーゴ、後でまとめて解析するから、ラボのデータバンクに全部保存しておいて」

 

「ラジャ!」

 

「さて、アインズお待たせ」

 

 ルカは座っていたオフィスチェアをクルンと回転させて、背後のソファーに座るアインズ達の方を向いた。人懐っこい笑顔を見せるルカを見て、アインズは何故か落ち着く自分がいる事に気がついた。

 

「解析作業とやらは終わったのか?」

 

「ううん、今やったのは簡単なデータ照合とバックアップだけよ。本格的な解析作業は時間がかかるし、明日からやる事にする」

 

「そうか。で、今日はどうする?」

 

「ここまでずっと働き詰めだったし、少し休まない?私も鋭気を養いたいし」

 

「そうだな、皆ご苦労だった。せっかく現実世界に戻ってきたんだ、久々に本物の酒でも飲みに行くか?」

 

「おーいいね!あ、でも私先にシャワー浴びたいから、その後でもいい?」

 

「なら俺も浴びてくるとするか。皆支度が整ったらラボに集合と言うことでいいな?」

 

「異議なーし!じゃあ一時間後に集合ね」

 

 五人は一旦解散し、各自の部屋に戻って体を洗い流した。そして身支度を整えてラボに集合すると、バーのある商業施設エリアへと向かった。

 

 

───プロキシマb 首都アーガイル 商業施設ブロック2F BARアトモスフィア 21:05 PM

 

 

 木製の赤い扉を開けると、中は奥に細長い作りとなっていた。右側にはマホガニーで組まれたバーカウンターがあり、通路を挟んだ左側には円卓が奥まで並んでいる。店内では仕事を終えた研究員達が、酒を片手に思い思いに談笑していた。ルカ達は中央付近の空いた円卓に腰を下ろし、バーカウンターの中にいるマスターに向かって笑顔で手を振った。するとルカの姿に気づいたマスターが、バーカウンターを出ていそいそと注文を取りに来た。

 

「やあ、いらっしゃいルカさん。お連れの方々もようこそ。最近顔を見せないから心配していたんですよ」

 

「久しぶりマスター。ごめんねー色々と忙しくてさ。なかなか時間が取れないのよ」

 

「いえいえ、こうして来てくれたんですから安心しました。ご注文はお決まりですか?」

 

「えーとね、私はクレメンタインをダブルで。みんなは何にする?」

 

「そうだな、俺はブルームーンをいただこう」

 

「俺はテキーラサンライズを」

 

「キンッキンに冷えたハイボール、濃いめでよろしく!」

 

「私はシルバーストリークを頂けるかしら」

 

「ジョニーウォーカーをボトルでくれ」

 

「畏まりました、すぐにお持ちしますね」

 

 マスターがバーカウンターに引き返し酒を作っている間、ルカは店内を見回して笑顔になっていた。

 

「この店も変わらないよねー。何かホッとするよ」

 

「俺はお前に連れられてたまに来るくらいだったが、言われてみれば確かに落ち着くな。雰囲気も悪くない」

 

 それを聞いていたユーゴが、円卓に身を乗り出して嬉しそうに言った。

 

「へへ、この店はバイオロイドがプロキシマbに入植した当時からやってるんですぜ。歴史も長いって訳でさぁ」

 

「なるほどね。道理で皆に人気があるわけだ」

 

 四方山話をしていると、マスターが銀色のトレイ一杯にグラスとボトルを乗せて円卓に歩み寄り、皆の前に酒を並べていった。

 

「お待たせしました。こちらのスモークサーモンとグリーンオリーブはサービスです、おつまみにどうぞ」

 

「来た来た!ありがとうマスター」

 

 皆がグラスを手に取り掲げると、ルカは左隣に座るアインズに顔を向けた。

 

「それじゃアインズ、音頭よろしく!」

 

「ああ、皆魔導国大使の任ご苦労だった。お前達のおかげで、主だった4ヵ国との友好通商条約も無事締結され、魔導国は大きく前進する事が出来た。今後我らがやるべき事はまだ山積みだが、目下の課題は今目の前にあるモノリスの謎を解明する事だと俺も考えている。今日一日この現実世界で疲れた体を休め、明日からの行動に向けて各自鋭気を養って欲しい。それでは、乾杯!」

 

『カンパーイ!』

 

 円卓中央で割れんばかりにグラスを重ね、皆はグイッと酒を仰いだ。ルカはグラスをテーブルの上に置き、口の中一杯に広がるバーボンの香りを楽しむように深呼吸した。

 

「はー、やっぱり本物のお酒は美味しいね。生き返るようだよ」

 

「全くだ。生身で飲む酒はまた格別だな」

 

「アインズは、こっちに戻っても甘いお酒好きなんだね」

 

「ん?まあな、竜王国産のスターゲイザーで味を占めてしまったからな」

 

「あれも美味しかったよねー。今度データを解析して、ラボで再現してみようかな」

 

「そんな事も出来るのか。今まで詳しく聞かなかったが、お前の所属部署は一体何を研究しているんだ?まさかダークウェブユグドラシルだけでもあるまい?」

 

「もちろんそれだけじゃないよ。私達ラボ班が受け持っているのは簡単に言うと、主に新技術の開発。例えば前に説明したサイボーグ食の改善もその一環だし、それ以外にも新規CPUの開発、バイオロイドの改良・メンテナンスから、プロキシマbを管理するシステムAIの調整・機能拡張まで、担当範囲は多岐に渡るわ。こう見えて結構忙しいのよこれでも」

 

「そ、そうか。済まなかったな、長いことユグドラシルに時間を割かせてしまって」

 

「ううん、気にしないで大丈夫よアインズ。私の拉致事件以降、ブラウディクス・コーポレーションはレヴィテック社を危険対象と認識した。今まで言う機会がなかったから言わなかったけど、ダークウェブサーバやゲーム内を通じて、レヴィテック社の動向を監視するのも私達の任務の一つなの」

 

「...なるほどな。プロジェクトネビュラ・フェロー計画...ここへ来てきな臭い単語が続々と出てきている。ひょっとしてだが、二年前俺の脳核をレヴィテック社から救出したのも、その任務とやらの一環だったのか?」

 

「違うよ、それは私の意思。会社は関係ない」

 

「...そうか。言っておくが疑っているわけじゃないし、その事に関しては本当に感謝している。ただな...こんな冴えない男の脳核を、何故危険を犯してまで助け出してくれたのか、今も時々疑問に感じてな」

 

「そんなことない、アインズは私を助けてくれたじゃない。それに何故と言うなら...」

 

「ん?」

 

「えっと、だからその...み、みんなの前で言わせる気?」

 

 ルカは頬を紅潮させ、上目遣いにアインズを見る。その黒髪から覗く美しい潤んだ瞳を見て、アインズは慌てるように言葉を返した。

 

「う、うむ!まあ何だその...ルカだけでなく、ここにいる皆で助けてくれたんだったな。改めて礼を言わせてくれ。ありがとうミキ、ライル、イグニス、そしてユーゴよ」

 

「礼には及びませんわアインズ様」

 

「左様。我らは当然の事をしたまで」

 

「どういたしまして、アインズさん」

 

「ルカ姉の事、よろしく頼みますよアインズの旦那!」

 

「お、おう!...ゴホン、酒が切れたな、もう一杯頼むか。おーいマスター!」

 

 6人はそのまま深夜一時過ぎまで飲み明かし、リラックスした楽しいひと時を過ごした。やがて宴もたけなわとなり、皆は席を立ってバーの外へと出た。先頭に立っていたルカが、皆の方を振り返る。

 

「ねえ、酔い覚ましにみんなで展望エリア行かない?」

 

 それを聞いたミキ・ライル・イグニス・ユーゴは顔を見合わせ、何故か怪しげな笑みを浮かべてルカに返答した。

 

「いいえルカ様。明日も早いことですし、私達は先に部屋へ戻りますので、お二人で行ってらしてくださいませ」

 

「えー、何で?一緒に行こうよミキ」

 

 するとミキはルカに歩み寄り、耳元で小さく囁いた。

 

「チャンスですわ、ルカ様」

 

「何よチャンスって?」

 

「アインズ様と二人きりの時間、有意義にお過ごしくださいませ」

 

「なっ...いちいちそんな気使わなくても!」

 

「フフ。さあみんな、部屋に戻りましょう。アインズ様、ルカ様をよろしくお願い致します」

 

「ん、んん?...どういう事かよく分からんが、とりあえず分かった」

 

「それでは私達はこれで。明日またお会いしましょう」

 

 ミキ達四人は居住区画方面へと立ち去り、街路には二人のみが残された。ルカは大きくため息をつき、辺りを見回す。深夜とあり、既に閉店している店が殆どだったが、看板のネオンだけは煌々と街路を照らし出しており、まばらだが人通りもぽつぽつと見受けられる。それを見てルカは眉間を指でつまみ、独り言を言うように呟いた。

 

「全く、あの子達ったら...」

 

 その様子を見て、背後にいたアインズは首を傾げた。

 

「ルカ、どうかしたか?」

 

「え?!ううん何でもないよ。その...二人きりになっちゃったね、へへ」

 

「そうだな。折角だし散歩がてら展望エリアとやらに行ってみるか。この時間は開いているのか?」

 

「う、うん大丈夫!もう閉まってるけど、主任以上のIDならセキュリティいつでも解除出来るから」

 

「そうか。ならば行くとしよう」

 

 二人は街路を抜けて、商業施設ブロック西側の高さ5メートルはあるゲート前までたどり着いた。入り口脇にある端末にカードキーをかざすと、(バシュン)という音を立ててエアロックが解除され、鋼鉄製のゲートが上に開く。

 ドーム間を繋ぐ真っ直ぐに伸びた通路の照明が点灯し、視界が確保された。ルカとアインズが入り口を潜ると、背後のゲートが音もなく閉じる。床に敷設されたムービングウォークに乗り、二人は400メートルほど先にある通路の端へと運ばれていった。アインズはその間、窓一つない通路の先を見ながらルカに質問した。

 

「俺は展望エリアに行くのは初めてだが、広いのかそこは?」

 

「商業施設エリアほどじゃないけど、500平方メートルくらいかな。アーガイルに万が一の事態が起きた際の緊急避難区域としても使われるから、結構広いかもね」

 

「なるほどな、それは楽しみだ」

 

 ムービングウォークを降りた先にあるゲート端末にカードキーをかざし、二人は展望エリアの中へと足を踏み入れた。内部は薄暗く、壁面と床に設置された間接照明で辛うじて視界が保たれている。暗闇に目が慣れない中、頭上を見上げたアインズはその光景に絶句した。

 

「こ、これは...」

 

 一面満天の星空と銀河。今自分がドームの中にいるという事も忘れるほど、星々が間近にあった。目の前に広がるのは空ではなく宇宙。頭上を見ても横を見ても、その光景に変わりはない。そのあまりにアンリアルな光景を見て、アインズは軽い目眩に襲われた。一瞬ふらついたアインズの上腕を、ルカが咄嗟に支える。

 

「アインズ!大丈夫?」

 

「あ、ああ済まない。すごい場所だな、平衡感覚が失われそうだ」

 

「室内を明るくしようか?」

 

「いや大丈夫、少し驚いただけだ。目も大分慣れてきた」

 

「じゃあ、窓際にソファーがあるからちょっと休もうか。こっちよ」

 

 ルカはアインズの手を引くと、淡く光る床の照明を頼りに横長のソファーまで案内し、そこに二人で腰掛けた。星の明かりで薄っすらと見える地平線を眺めながら、アインズは失った平衡感覚を取り戻そうと深呼吸し、ソファーに上体を預けた。

 

「ふー、プロキシマbの夜空は想像以上だな。星に手が届きそうだ」

 

「きれいでしょ?地球じゃまずお目にかかれない光景よ」

 

「ああ、確かに」

 

 ルカは握ったままのアインズの右手に指を絡ませると、アインズもそれに応じた。しばしの沈黙の後、窓の外に映る夜空を眺めながら、アインズが口を開いた。

 

「なあ、ルカ」

 

「何?」

 

「俺達は、この星で一生を過ごしていくんだよな?」

 

 それを聞いたルカは左に座るアインズの顔を一瞬見上げ、そして寂しそうに床に目を落とした。

 

「地球に...帰りたくなった?」

 

 ルカは消え入りそうな声でそう言うと、思わず絡めた指に力を込める。すると今度はアインズが右に座るルカを直視し、確信に満ちた声で答えた。

 

「違う、そうじゃない。言っておくが地球に未練など一切ない。俺が言いたいのは、このプロキシマb以外にも居住可能な星は他にあるのかという意味だ」

 

「...アルファ・ケンタウリ星系の探査は続いているけど、今の所ここ以外に、そういった候補地に上がっている惑星は見つかってないよ」

 

「そうか、ならいいんだ。もし他の惑星と往来可能になれば、夢が広がると思っただけだ。何よりここは俺も気に入っているしな、他意はない」

 

 ルカは再度顔を上げてアインズの目を見た。その瞬間、赤く美しい瞳から涙が零れ落ちる。ルカはその顔を見られまいと、アインズから顔を反らして右肩に寄りかかった。しかし感情を抑えきれず、嗚咽を堪えながら涙を流し続けた。ルカの体の震えを感じ、アインズは慌てて声をかける。

 

「お、おいおいルカ、何も泣くことは...」

 

「...やだよ」

 

「え?」

 

「あたしアインズがいなくなるの、やだよ...」

 

「ルカ...」

 

 右腕にしがみつくルカの艷やかな黒髪を、アインズは左手で優しく撫でた。フローラルな香りに包まれ、アインズはゴクリと固唾を飲む。そして意を決し、ルカの左肩を抱き寄せた。

 

「ルカ、こ、こっちを向け」

 

「...うん」

 

 しがみついた手を離し、ルカは抱き寄せられるがまま体を預けた。全てが完璧な、非の打ち所のない絶世の美女。改めてアインズはそう思った。かつて無い緊張に体が強張り、全身から冷汗が流れ落ちる。しかし男としての本能がそれに打ち勝った。アインズはルカの耳元に手を添えて抱き寄せ、そっと唇を重ねた。

 

「っ!!」

 

 ルカの体がビクッと跳ね上がる。しかし温かい唇の感触に体は弛緩し、ルカはアインズの背中に手を回した。至極の境地に達し、二人はまるで貪るようにお互いの舌を絡め合った。窓の外から星々の光が照らす中、それは半刻以上も続き、激しく上気した体を冷ますべく二人は唇を離した。ルカはアインズの左頬を撫でながら、目に涙を浮かべている。

 

「...アインズからキスしてくれたの、これが初めてだね」

 

「お前ばかりに先手を取られていては、男の名折れだからな。それでその...へ、下手では無かった...か?」

 

「ううん、上手だったよ」

 

「そ、そうか。なら良かった」

 

「わ、私もその...お酒臭くなかった?」

 

「そんなことはない。甘い蜜のような味がした」

 

「そっか。...ねえ、アインズ」

 

「ん?」

 

「その...続きは私の部屋で、しよ?」

 

「あー!えーとその...お、俺はその、は、初めてなのだが...い、いいのか?」

 

「ま、前にも言ったでしょ?私も初めて。それにアインズになら、全部あげても...いい」

 

「う、うむそうか、分かった。お前の部屋に行こう」

 

 アインズは今日まで迷っていた。そして怖かった。ある特定の人物と深い関係になれば、それは自分の人生が決定してしまうという固定観念に囚われていたからだ。例え相手が、思い描く完全な理想の女性であるルカであったとしてもだ。

(自分などで良いのだろうか)という劣等感と、長年苦楽を共にしてきたルカだからこそ大切にしたいという二つの気持ちが、現状維持のまま良好な関係を築くという選択肢をアインズに選ばせていた。しかしその殻を悉く破り、自分の気持ちを真摯に伝え続けてきたのもルカだった。そして今日、その思いに答えるべくアインズは自らの力でその防護フィールドを解いた。ルカに手を引かれてソファーから立ち上がったアインズは、(自分も正直であろう)と決意した。

 

───翌朝 アーガイル居住区画 313号室 8:27 AM

 

 フローラルな香りと柔らかいシーツの感触を感じ、アインズはベッドの上で目が覚めた。しかし隣で寝ていたはずのルカの姿がなく、アインズは再び枕に頭を預ける。そして自分が全裸で寝ている事で、昨日起きた夢のような一夜を思い起こしていた。するとリビングの方から、何かが焼けるような香ばしい香りが漂ってきた。

 

 アインズが上体を起こすと、掛け布団の上に純白のガウンが用意されていた。取るもとりあえずアインズはそれを身にまとって起き上がり、寝室からリビングへと足を向けた。簡素だが広く機能的なリビングで、部屋の中央には椅子が四つ並んだ四角いテーブルが置かれている。左手にはシステムキッチンがあり、そこでルカはフライパンを振るっていた。アインズの姿を確認すると、ルカは笑顔で出迎えてきた。

 

「おはようアインズ、よく眠れた?」

 

「ああ、おかげでぐっすりだ」

 

「良かった。朝食もうすぐできるから、そこのテーブルに腰掛けて少し待ってね」

 

「分かった」

 

 言われるがままにアインズは椅子へと腰掛け、テーブルの上に乗せられたテレビのリモコンを壁へと向けてスイッチを入れた。すると壁面にホログラム映像が大きく映し出され、音声と共にニュースが流れ始める。そこにはプロキシマbで開発された最新技術や、地球の政治や軍事の現状を伝えるニュースが軒を連ねていた。それらの情報に見入っていると、ルカがキッチンから皿を運んできた。

 

「はい、お待たせー」

 

「こ、これは...!」

 

 目の前に並んだ料理は、アインズの予想を大きく裏切るものだった。いや、むしろ望んでいたものと言ってもいいだろう。サバの照り焼きに厚焼き玉子、白米に味噌汁、そして納豆。その懐かしい和食の香りに、アインズは目を輝かせた。

 

「驚いた、まさかお前の手料理で和食が出てくるとは」

 

「へへー、アインズもそろそろ醤油の香りが恋しいかなと思ってさ。食べてみて?」

 

「あ、ああ、いただこう」

 

 箸でサバの照り焼きをひとつまみすると、アインズはそれを口に運んだ。ジュワッと広がる芳醇な脂身と肉の柔らかさに、アインズは思わず口の中に白米をかきこんだ。ルカは頬杖をつきながら、その様子を笑顔で見守る。

 

「味はどう?」

 

「美味い!文句なしに完璧だ」

 

「ほんと?良かった、和食久々作ったんだけど、気に入ってもらえたみたいね」

 

「この絶妙な焼き具合と塩加減、店が一軒開けるレベルだぞ」

 

「フフ、ありがとう。私も食べようかな」

 

 そう言うとルカはキッチンから自分の皿を持ってくると、テーブルの上に並べて一緒に食事を摂り始めた。その間アインズは、先ほど付けっぱなしにしたテレビのモニターを見ながら味噌汁をすすっていた。

 

「それにしても、両極端なニュースだな。プロキシマbは平和そのものだと言うのに、地球ではテロだの紛争だのと未だ争い事が絶えない。どうしてこの星のように皆が平和に過ごせないのか」

 

「ああ、それはあれだね、意識の差なのかも知れないね」

 

「意識の差?」

 

「この星の住人は大半が研究者だけど、同時に皆が兵士の訓練も受けてる。つまり、このアーガイルに軍隊はいない。有事の際は、私達バイオロイドが先陣を切って戦わなければいけない。その時最も大事なのは、自分自身の力と仲間だけが頼りになる。そうやってお互いをフォローし合う気持ちが常にあるから、結果争い事は起きないってわけ」

 

「なるほどな、互助精神が平和を保っていると言う訳か。実に興味深い」

 

「アインズにもそのうち戦闘訓練受けてもらうから、そのつもりでね」

 

「ああ、肝に銘じておこう。ご馳走さま、美味かった」

 

「お粗末様でした」

 

 二人は朝食を摂り終わりキッチンに向かうと、横に並んで皿を洗い始めた。ルカが鼻歌混じりに皿を洗っているのを見て、アインズは首を傾げる。

 

「そんな嬉しそうにして、どうした?」

 

「え?何かこうしてると、本物の夫婦みたいだなって思ってさ」

 

「この星のバイオロイドにも、結婚という概念があるのか?」

 

「もちろんあるよ。セックスだって出来るんだから結婚もあっておかしくないでしょ?」

 

「あー、何というかその、まあそうなんだが...はっきり物を言うなお前は」

 

「フフ、今更恥ずかしがる事もないじゃない。バイオロイドだから当然子供はできないけど、婚姻関係を結ぶという制度は立派に存在するわ。私達だけが特別に恋愛感情を抱いている訳じゃない」

 

「そうか。この星に腰を据えると決めたんだし、お前と一緒に居られるというのなら、それもいいのかもしれないな」

 

「ほんと?」

 

「ああ、但し本当の俺を見たら失望するかもしれないぞ?」

 

「やったあ!」

 

 ルカは洗っていた食器をシンクに投げ出すと、アインズの体に勢いよく抱きついた。手にした食器を落とさないよう踏ん張るも、アインズは横に大きくふらつく。

 

「ちょ!おいおい濡れた手で触るんじゃない!せめて皿くらい置かせてくれ!」

 

「ガウンくらい後で洗うから大丈夫。...嬉しい、アインズからそんな事言ってくれるなんて」

 

「分かったらほら、いい加減体を離してくれ。食器が置けない」

 

「ちぇー、分かった」

 

 ルカは嫌々ながらも体を離し、二人で皿を拭き終わると食器棚に収めた。そしてお互い向かい合い、ルカはアインズの首に手を回して抱き寄せ、フレンチキスをした。アインズもルカの腰に手を回し、そのまま二人は熱い抱擁を交わす。やがて唇を離し、ルカはアインズの耳元で囁いた。

 

「大好きよ、アインズ」

 

「ああ、ルカ。俺も大好きだぞ」

 

「どうする、先にシャワー浴びる?」

 

「もうそんな時間か。そうだな、先に浴びさせてもらおう」

 

「分かった。バスタオルと制服用意しておくからね」

 

  アインズがシャワーを浴びている間、ルカはリビングにある端末からメールをチェックしていた。その殆どが社内周知や報告書等の雑多なメールだったが、その中に一件、差出人不明のものが含まれていた。内容を見ると件名も本文も記されておらず、ウィルスも混入されていなかった。

 

 不審に思ったルカは、すぐさまラボのメインフレームに接続してIPトレースを行った。その結果、このメールはアラスカ・ドバイ・中国・ロシア・イギリスに存在するプロクシを経由して、足跡を消しながら送信されている事が分かった。まさにハッカーの手口だが、ブラウディクスの検閲プログラムに引っかからない以上、特に害意のないメールにも思えた。しかしルカは油断せず、何か起きた際反撃するためにそのメールを保存しておく事にした。

 

 全てのメールを確認し終わった頃、シャワーから上がり制服を着たアインズがリビングへとやってきた。

 

「待たせたな、さっぱりしたよ」

 

「ああ、うん。じゃあ私も入ろうかな」

 

「どうした?神妙そうな顔をして」

 

「ううん何でもない。ちょっと気になる事があっただけだから」

 

「そうか、ならいいんだが」

 

 ルカは脱衣所に入り、服と下着を脱いで折り畳むと洗濯かごの中に収めた。化粧台に設置されている曇った鏡を手で拭き取り、そこに映る頬をルカはひと撫でした。赤く大きな瞳、鋭角な美しい輪郭。先程の不審なメールで頭に靄がかかっていたが、それ以上に嬉しい現実が迷いを打ち消す。アインズがプロポーズしてくれた、それだけで十分だった。ルカはその場で小さくガッツポーズすると、バスルームへ入って体を洗い流した。

 

───首都アーガイル 研究棟 ラボ・コンソールルーム内 10:00 AM

 

 ルカとアインズが並んでコンソールルームに入ると、既に四人が揃っていた。それを見て、早速ユーゴが茶々を入れてきた。

 

「よっ、お二人さん!お揃いで出勤とは焼けま...いってー!!」

 

 ユーゴの言葉を遮り、思いっきり足を踏みつけたのはイグニスだった。

 

「おはようございますルカさん、解析の準備は完了してます。いつでも取りかかれますので」

 

「おはようイグニス。それじゃあいっちょ始めようか。VCNセキュリティを最大にして、ダークウェブとロストウェブのユグドラシルサーバに接続して。ロケーションのデータシンクも忘れずにね」

 

「了解!」

 

 ルカもコンソールの前に座り、素早くキーボードを操作していく。お互いに連携を取りながら、サーバを取り囲むプロテクトを次々と突破していき、ダークウェブユグドラシルのサーバへと到達した。

 

「ユーゴ、バックアップログと照合。シャンティで検索をかけて」

 

「さっきからやってるんですが、だめですね。それらしい情報は見当たりませんぜ。それに防壁を突破したと同時に、こちらのサーバへ攻撃を仕掛けてきている奴らが複数名いますね」

 

「それは無視して。どうせロストウェブのハッカー達だろうし、VCNに任せておけばいい。となるとやはり、コアプログラムのあるロストウェブのサーバか」

 

「前にルカ姉がアタックを仕掛けても破れなかったサーバですよね。ルカ姉でも手が出ないんじゃ、俺にもどうしよもありやせんぜ?」

 

「ちょっと乱暴だけど、私の作ったクラッキングプログラムを走らせてみよう。何か分かるかもしれない。イグニス、防壁のモニターとトレースよろしくね」

 

「了解しました」

 

 ルカがプログラムを起動し、目標のIPを入力してパスコードのクラッキングを開始した所、第一のプロテクトが難なく破壊された。それを見てユーゴが飛び跳ねて喜ぶ。

 

「やったじゃないすかルカ姉!こんないい物持ってるなら、最初から使えば良かったのに」

 

「いや、これを使うと内部のデータまで破損してしまう恐れがあったから、今まで使わなかっただけよ。それに足も付きやすいからね」

 

「そうだったんすね。せっかくだからこの調子で、奥まで覗いて見ましょうよ」

 

「そうだね、行けるところまで行ってみようか」

 

 しかし喜びも束の間、何重もの強固なプロテクトを破壊した先には、(No Data)と虚しく表示されただけであった。それを見て、ルカ・ユーゴ・イグニスは唖然とする。

 

「サーバが...無い?ルカ姉、これは?」

 

「つまりは、ローカルサーバって事だね。どこから中継しているかは分からないけど、メフィウスとユガは外部から隔離されたサーバであることは間違いないね」

 

 イグニスとユーゴは、ゴクリと固唾を飲んだ。

 

「つまりは、やはり...」

 

「レヴィテック社に直接乗り込むしかない、と?」

 

「そういう事。レヴィテック社には私から面会の連絡をしておくから、イグニスは地球までの定期便の予約を二名分しておいて。向こうには私とアインズだけで行くから」

 

 それを聞いたミキとライルがソファーから立ち上がり、血相を変えた。

 

「そんな、危険ですルカ様!お二人だけで向かわれるなど」

 

「左様!私共もご同行致します」

 

「大人数で行くと、逆に怪しまれる。それにプロジェクトネビュラの被験体二人が単独で会うとなれば、向こうのガードも多少なりとも緩くなるでしょ?」

 

「しかし...!」

 

「何もただ見ていろとは言わないよ。私達二人にもしも万が一の事態が起きたときの為に、やってもらいたい事があるの」

 

「と、言いますと?」

 

「プロキシマbから地球に向けて、バイオロイドのリモートリンク機能を使って私達の周囲を極秘に監視してほしいの。怪しい動きがあれば逐一お互いに通信を取り合うって方向で、どう?」

 

「そういう事でしたら...ライル、あなたは?」

 

「それならば私も構いませぬ。ルカ様には傷一つつけさせはしません」

 

「決まりだね。アインズもそれでいい?」

 

「ああ。しかしレヴィテック社がそう簡単に頷くとも思えんのだが」

 

「ブラウディクス・コーポレーションは国営企業だよ?そこが公式に面会を申し込めば、いくらレヴィテック社と言えども断れないさ」

 

「面会する所まではいいとして、その後はどうする?まさか目を盗んでハッキングでも仕掛けるつもりじゃあるまいな?」

 

「まさか。まずは敵情視察だよ。その様子を見てどうするか対策を考えるさ」

 

「要するに出たとこ勝負って訳か。あまり気は進まんが、お前が行くというのなら仕方がないな」

 

「レヴィテック社からの回答が来次第すぐに出発するから、準備だけはしておいて。イグニスとユーゴは引き続きユグドラシルサーバの監視をお願いね」

 

『了解!』

 

 そして三日が過ぎた頃、ルカの送ったブラウディクス社正式書類の添付されたメールに一通の返信が来た。レヴィテック社のもので、是非二人に会いたいとの事だった。アインズとルカは準備を整え、地球への定期便に乗り込むこととなった。ワームホール航路を使って地球までの距離は一週間かかる事から、面会日は10日後の午前11時に設定した。定期便はカリフォルニア州シリコンバレーにほど近いサンノゼ空港に無事到着し、目的地であるサンタクララ近郊にあるホテルでチェックインを済ませた。プロキシマbからリモートリンクでバイオロイドの体を操っているミキとライルとも連絡を取り、準備は整った。その間ルカとアインズは、のんびりと周囲の観光を楽しんだのであった。

 

 そして約束の日が来た。二人はフォーマルスーツを着用し、タクシーを捕まえてシリコンバレーにあるレヴィテック本社へと向かった。広大な敷地に建つ巨大なビルを前にアインズはたじろいでいたが、ルカは何の躊躇もなく入り口のゲートを潜る。玄関脇にある受付嬢にルカは話しかけた。

 

「本日11時に面会の予約をしているルカ・ブレイズと言う者です。担当者にお繋ぎ頂きたいのですが」

 

「ルカブレイズ様ですね、お待ちしておりました。係の者がご案内いたしますので、そちらのソファーに腰掛けてお待ちください」

 

「分かりました」

 

 そうして10分が過ぎた頃、玄関奥のロビーから大柄な男が二人こちらに向かって歩いてきた。黒いスーツにサングラス、オールバックと、明らかに堅気ではない風体の男たちだった。黒服はルカ達の前に立つと、深々と一礼した。

 

「ルカ・ブレイズ様、それに鈴木悟様でいらっしゃいますね?担当の者がお待ちですので、こちらへどうぞ」

 

 ルカとアインズは席を立ち、ロビー奥にあるエレベーターに乗り込んだ。男は地上40階のボタンを押し、エレベーターは上昇していく。アインズはバイオロイドの通信機能を使い、ルカに話しかけた。

 

『おいルカ、本当に大丈夫なんだろうな?』

 

『私達に何かあれば、武装したミキとライルが突入する手筈となっている。心配しなくても大丈夫だよ』

 

 40階の扉が開くと、まるで病院を思わせるような真っ白い廊下が奥へと続いていた。その最奥部まで案内されたドアの上部には、(研究棟)の名札がぶら下げられている。中に入ると、デスクが一つと応接用のソファーがあるだけの殺風景な部屋だった。

 

「只今担当の者が参りますので、こちらのソファーに腰掛けてお待ちください」

 

 そう言い残すと、黒服の二人は部屋の外へ出ていってしまった。部屋に取り残されたルカとアインズは、バイオロイドの通信機能を使って会話を交わす。

 

『見たところ怪しい箇所は見当たらないが...』

 

『油断しないほうがいい。私達はプロジェクトネビュラの被験体だと言う事を忘れないで』

 

『了解した』

 

 すると入り口の扉が開き、白衣を着た一人の男が入ってきた。顔は痩せぎすで青白く、背中まで伸びた黒い長髪をヘアゴムで縛りポニーテールに束ねている、何とも冴えない男だった。覇気のない眠たそうな目で、ソファーに座るルカとアインズを一瞥すると、頭をボリボリと掻きながら自分も向かい側のソファーに腰を下ろし、軽く会釈をして声を出した。

 

「えー、どうも。この度はご足労いただきありがとうございます。一応この会社でユグドラシルβ(ベータ)のバックアップサーバ管理をさせてもらっています、ウォン・チェンリーと申します。ブラウディクスさんからの要請という事ですが、どういったご要件で?」

 

 ウォンの無礼極まりない態度を見てアインズは顔を顰めたが、ルカはそれには意も介さず、無表情で返答した。

 

「ブラウディクスコーポレーション第一研究班別室・研究開発主任を務めさせていただいております、ルカ・ブレイズと申します。こちらは私の助手を任せております、鈴木悟です。御社が管理しているユグドラシルについて、二・三お伺いしたいことがございまして、この度アポを取らせていただきました」

 

 それを聞いたウォンはソファーの背もたれにドッと体を預け、あからさまに不機嫌な態度を取った。

 

「...と、言われましてもねえ。ユグドラシルβ(ベータ)はとっくにサービス終了しているんですよ?社外秘とういうものがありますんで、いくら国営であるブラウディクスさんからの頼みとは言え、ろくなお答えも出来ないと思いますがね。一応お話だけは伺いましょうか」

 

 それを聞いてルカはソファーから身を乗り出し、ウォンの目を真っ直ぐに見ながら質問した。

 

「プロジェクト・ネビュラという計画について、ご存知ですね?」

 

 その質問に対しウォンはキョトンとした目をルカに向けた。

 

「プロジェクト・ネビュラ? はて、一体何の事でしょう」

 

「御社が買収した、株式会社エンバーミングがユグドラシルを利用して行った、違法なプレイヤーの拉致監禁及び、軍と共同で行った極秘実験の総称です」

 

 ルカの真剣な眼差しを見ても尚、ウォンの高慢な態度は変わらない。それどころか、口角を釣り上げてゾッとするような含み笑いをし始めた。ルカの隣に座るアインズはそれを見てゴクリと固唾を飲むが、ここはルカに任せて進捗を伺おうと冷静さを装った。

 

「...クックックッ、拉致監禁に極秘実験?知っての通り弊社はハードウェア・及びソフトウェア開発を基軸とする巨大複合企業ですよ?何を馬鹿なことを。拉致監禁?軍と共同での極秘実験? あなた達国営企業であるブラウディクスともあろう方が、どこぞの都市伝説サイトでも真に受けてここへ来たんですか?全くバカバカしい。そんな違法行為に手を染めなくても、我が社は十二分に利益を得ている。お分かりか?そんな与太話に付き合っているほど私は暇じゃないものでね」

 

「どうしても、お話頂けないんですね?」

 

「お話も何も、あんた達イカれてんじゃないのか?大体ユグドラシルβ(ベータ)にそんな仕様はないし、違法行為の実態もない。分かったらほら、さっさとお引き取り願おうか。...ったく、だからこんな面会嫌だったんだ」

 

 ウォンがソファーから腰を上げた時、それを制止するようにルカは一際大きな声でそれを止めた。

 

「一つ言い忘れていましたが、私とここにいる鈴木悟は、御社が極秘理に開発を進めたプロジェクト・ネビュラの被害者です。もっと言えば、ユグドラシルの生みの親であるグレン・アルフォンスの被害者と言ってもいい」

 

「...は?」

 

「悟、例の物を」

 

 ルカに促され、アインズは慌ててジェラルミン製のケースを開き、中から一枚のタブレットPCを取り出してルカに手渡した。

 

「この中に、ブラウディクス・コーポレーションが私の意識拉致に対して政府とレヴィテック社に行った、訴訟内容の全記録が収められています。合わせてサンタクララにある御社のサーバ基地局に弊社が極秘理に潜入し、ここにいる違法に拉致監禁された鈴木悟の脳核を奪取した記録と映像も含まれている。ウォンさん、あなたにはこれを確認する義務がある。あなたがこのまま立ち去れば、我が社はこの全記録を政府と世間に公表し、レヴィテック社の所業を世に訴えることになりますが、それでもよろしいか?あまり弊社を舐めないでいただきたい」

 

(あー、やばいルカがキレ始めた...)

 

 心の中でアインズはヒヤヒヤしていたが、それを聞いて固まったのはウォンだった。青白い肌が更に顔面蒼白になっていく。そして諦めたように首をガックリと項垂れると、頭をボリボリと掻きながらルカに向けて愛想笑いした。

 

「...やれやれ、そんなものがあるなら最初に言ってほしかったですねぇ。話が長くなりそうだ、コーヒーを淹れてきます。ちょっと待っててください」

 

 そう言うとウォンは部屋を出ていった。固まっていたアインズはドッと息を吐き、深呼吸してルカを見た。

 

「ルカ、いくら何でも飛ばし過ぎじゃないか?あのウォンって男がどこまで知っているかも分からないというのに。肝を冷やしたぞ」

 

「いいのよ。こういう交渉は単刀直入に行ったほうがいいし、第一私達がプロジェクト・ネビュラの被験体だって事は向こうも十分承知のはず。まずはこちらから手札を切らないとね」

 

「確かにあの話しぶりからすると、ウォンも何かを知っていそうだったな」

 

「鬼が出るか蛇が出るか、お楽しみってとこだね」

 

 間もなくして扉が開き、ウォンがトレーを抱えて部屋に戻ってきた。香ばしいコーヒーの香りが部屋を包む。コーヒーカップをルカとアインズの前に置くと、ウォンはソファーに腰を下ろした。

 

「お待たせして申し訳ない。まずは一服と行きましょう」

 

「ありがとう、頂きます」

 

 ルカとアインズがコーヒーを一口含むと、芳醇なコクと香りが口内を満たした。

 

「ん...美味しい。ブルマンですね」

 

「給仕係の淹れるコーヒーは不味いものでね。私がいつも飲んでいるのと同じように豆から挽いてきました。お気に召されたようで結構です」

 

 先ほどとは打って変わり、ウォンの態度が豹変している。やはり唐突に核心を突いたのが効いたのだろうとアインズは連想した。ウォン自身もコーヒーを飲んで一息入れると、ソファーから上体を起こして前で腕を組んだ。

 

「さて、それでは始めましょうか。その前に、あなた達が持っているというその全記録とやらが本当なのか、見せていただきたい」

 

「もちろんです。こちらになります」

 

 ルカはテーブル越しにタブレットPCをウォンに手渡した。それを受け取ったウォンは画面をスワイプしながら、次々と読み進めていく。次第に表情が険しくなっていくウォンの顔を見て、アインズはルカに通信を入れた。

 

『おいルカ、ブラウディクスに関する機密事項は含まれていないんだろうな?』

 

『大丈夫、その点はみんな省いて概要だけをまとめてあるよ』

 

『そうか、ならいいんだが...ウォンの様子が芳しくないぞ』

 

『まあ、相手の出方を見よう』

 

 ウォンが読み進めること20分、室内は重苦しい無言の状態が続いた。そして全ての文章と動画の記録を見終わったウォンは、画面をスワイプして最初のページに戻し、タブレットPCを手にしたままルカに向かって顔を上げた。

 

「何と、二年半前にサンタクララの弊社アーカイブセンターを襲撃したのは、あなた達だったんですか」

 

「はい。全てはここにいる鈴木悟を助ける為です」

 

「なるほど、あの厳重なセキュリティを突破するとは、実に見事な手際だ。これに関しては弊社も文句の言いようがありませんね」

 

「と言うことは、プロジェクト・ネビュラについてもご存知なんですね?」

 

「ええ、まあ。しかし何せ私が生まれる前から存続しているプロジェクトですからね。詳細までは知りかねますよ。飽くまで概要だけです」

 

「何故嘘をついたんです?ブラウディクスから正式なアポは取ってあったはずなのに」

 

「いえ何、ルカ・ブレイズと言えば我が社では伝説のようなものですからね。それにサンタクララから脳核を救出された鈴木悟さん...つまり、アインズ・ウール・ゴウンも同様です。あなた達が当人かどうか、管理者として疑わしかった」

 

「これで信じていただけますね?」

 

「まあそうですね、とりあえずは信じましょう。この資料によると訴訟された年は2350年となっていますが、具体的に弊社で意識を拉致されていた期間はどのくらいなのですか?」

 

「約200年間です」

 

「...え?」

 

 ウォンはそれを聞いて絶句した。ルカの赤い瞳を見てそれが真実だと悟ったウォンは、何かにすがるように隣に座るアインズに目を向けた。

 

「鈴木さん、あなたはアインズ・ウール・ゴウンとして、2138年11月9日にエンバーミング社により拉致されたと聞いています。そのあなたが何故、2550年代の現在にここにいるのですか?」

 

 そう聞かれてアインズは隣に座るルカを見たが、ルカは小さく頷いて返した。

 

「このルカが、現実世界帰還用のデータクリスタルを私の元へ届けてくれたことで、肉体に戻ることが出来ました」

 

「...つまり、初代ユグドラシルのサービス終了から412年後の世界で、あなたは現実世界へと帰れたんですね?」

 

「全ては、ここにいるルカのおかげです。まあ私が実際にユグドラシルの中で過ごしたのは、三年と少しですが」

 

 ウォンはそれを聞いて、ゴクリと固唾を飲んだ。

 

「そんな長期間の間、あなた達の肉体をどう維持していたのですか?」

 

 アインズとルカは顔を見合わせ、その質問には代わりにルカが答えた。

 

「私達は二人共、バイオロイドです。無論AIベースではなく、肉体としての脳を電脳化した素体ですが」

 

「...なるほど、それで合点が行きました。しかしタイムラグの件はどう説明するんです?ルカさんの2350年と、鈴木さんの2138年では接点がない。これでは、鈴木さんが2550年の現代に復活出来た理由の説明が出来ない」

 

「それは御社が、2550年代の現代まで保管しておいた鈴木の脳核を私達が奪取し、私自身が彼の脳核を手術したことによってユグドラシル内からの意識ダウンロードが可能となったからです」

 

「いえですから!私が言いたいのは2138年に終了した初代ユグドラシルと、2350年に終了したユグドラシルβ(ベータ)とは何の接点もないと言う事です!それなのに何故、412年も差のある鈴木さんを救出出来たのですか?」

 

 ルカは再度コーヒーを一口飲むと、テーブルの上にカップを置いて上目遣いにウォンを見た。

 

「ウォンさん、あなたはフェロー計画というものをご存知ですか?」

 

「い、いえ。フェロー計画?何ですかそれは?」

 

「掻い摘んで申しますと、過去と未来にあるユグドラシルサーバを一つに繋げる技術のことです。私と鈴木悟は、その技術のおかげで出会う事ができました」

 

「掻い摘まれても困ります!一体どのような技術を使用して、初代ユグドラシルとユグドラシルβ(ベータ)が繋がるというのですか?!」

 

「グレン・アルフォンスが開発した、ブラックホールを使用する事による五次元間通信を利用した技術です。この機能により、恐らくは初代ユグドラシル・ユグドラシルⅡ・ユグドラシルβ(ベータ)が一つの世界として機能するようになる」

 

「ブラックホールですって?...そ、そんな話、私は聞いたことが....」

 

「ウォンさん、あなたも管理者なら分かるでしょう?現在でもあのサンタクララのアーカイブセンターで、ユグドラシルβ(ベータ)のサーバは稼働している。そうですね?」

 

「それは間違いありません。上からの命令でサービス終了したにも関わらず、セキュリティを強固にした上で稼働は止めないよう厳命されています」

 

「...どうやらあなたは何も知らないらしい。これ以上はあなたの命に関わるかもしれない。聞かないほうが身の為です。最後に一つだけ質問したい。よろしいですか?」

 

「な、何でしょう」

 

「(シャンティ)という言葉に、心当たりは?」

 

「シャンティ?...いえ、そういったものは聞いたことがありませんが」

 

「そうですか。今日はお時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした。また後日お伺いするかもしれませんので、その時はよろしくお願い致します」

 

 ルカはウォンからタブレットPCを受け取りアインズに手渡すと、ソファーから席を立とうとしたが、それをウォンが引き止めた。

 

「ルカさん、鈴木さん、お待ちください。良ければ名刺をいただけますか?」

 

「電子名刺で良ければ、お渡ししますが」

 

「それで構いません」

 

 ウォンは自前のスマートフォンを懐から取り出すと、ルカ達に向けて差し出した。ルカとアインズはそのスマホに向けて、脳内で名刺データをウォンに転送した。ウォンはそのデータを確認すると、恭しく頭を下げた。

 

「ありがとうございます。アナログで申し訳ないですが、こちらが私の名刺になります。どうぞよろしくお願い致します」

 

 ウォンは白衣の内ポケットから紙の名刺を2枚取り出し、二人に手渡した。ルカとアインズが胸ポケットに名刺をしまうと、三人はソファーから立ち上がり、ウォンが扉の手前まで見送ってくれた。ルカがドアノブに手を伸ばした時、ふとウォンが質問してきた。

 

「ルカさん、その赤い瞳...とても綺麗です。バイオロイド広しと言えども、そのような瞳の色は見た事がない。カスタマイズされた義体ですね。差し支えなければ、型番を教えていただけませんか?」

 

「え?...ええ、別に構いませんが。クロムウェルバイオタイズシステム製 タイプ220型です。基礎設計は私が行い、クロムウェル社に製造を委託しました」

 

「ク、クロムウェルバイオタイズですって?!それにタイプ220型? 地球の軍用でも採用されていない、生体量子コンピュータ搭載の最新型じゃないですか!それをあなたが開発したと?」

 

「はい。何か問題でも?」

 

「いえ、こいつは驚いた。むしろ光栄と言わざるを得ない。今日はあなた達に会えて良かった。またの機会がありましたら、是非」

 

「ええ、こちらこそお時間を割いていただき、ありがとうございました」

 

 部屋の外には入ってきた時と同じく、黒服のゴツい二人が待ち構えており、レヴィテック社の入り口まで案内され、外に出た。大通り沿いに走るタクシーを捕まえ、高級ホテル・パッションへと戻ったルカとアインズは二人並んでドッとベッドに腰掛け、ため息をついた。

 

「どうだルカ、何か収穫は得られたか?」

 

「そうだねー、サーバ管理者であるウォンさんは、飽くまでレヴィテック社にとって様子見だったのかも知れないね。私達がどこまで知っているかを確認させるために」

 

「それは俺も感じていたが、まだファーストコンタクトだからな。それも仕方あるまい。今後の出方次第によっては...」

 

「うん、もっと上位の人間が出てくるかもね。しばらくは地球にいないとだめかもなあ。ミキとライルにも連絡しておかなくちゃ」

 

「しかし今時紙の名刺とは、アナログにも程があるな。あいつの役職、何ていうんだ?」

 

「知らなーい。見てみよっか」

 

 ルカは胸ポケットから名刺を取り出し、名刺の名前を見た。(レヴィテック社・新規開拓事業サーバ管理責任者 ウォン・チェンリー)という肩書と共に、メールアドレスと電話番号も書いてある。ルカはそれを見てアインズの目の前に掲げた。

 

「なるほどな。サンタクララの一件を知っていたのはこのためか」

 

「そうみたいねー。やたら顔色悪かったし、ポニーテールのサーバ管理者かぁ。ズボラそうで好みじゃないなあ」

 

「お前なあ、未来の旦那相手に選り好みを口にするのか?」

 

「冗談に決まってるでしょ?あたしが好きなのはアインズだけ」

 

「じゃあ、ほっぺにチューしろ」

 

「ほっぺじゃイヤ。こっち向いて」

 

 二人はキスをし、アインズがルカをそのままベッドに押し倒した。二人はスーツ姿のまま熱い抱擁を交わしていたが、ふとアインズはルカの左手に握られた名刺に目が行った。それを見てルカの口から顔を離す。

 

「おい、ルカ」

 

「なーに?スーツ脱ぐの面倒くさいの?」

 

「そうじゃない。その名刺、裏に何か書いてないか?」

 

「え?」

 

 アインズとルカは起き上がり、ベッドの縁に座り直して名刺の裏面を見た。そこには手書きでこう記されてあった。

 

”本日午前1時 クラブライズで。 ウォン・チェンリー”

 

 それを見たアインズとルカは顔を見合わせた。

 

「やっば、全然気が付かなかった。どういうつもりだろ?」

 

「分からん。が、しかし何らかの情報提供があると見て間違いないんじゃないか?」

 

「ちぇー、今日は二人でディナーでもと思ってたのに」

 

「我慢しろルカ。クラブライズの場所は分かるか?」

 

 不慣れなアインズの代わりに、ルカは瞬時に脳内のニューロンナノネットワークで検索をかけ、周辺地理をスキャンした。

 

「一件あった。空港のほうだね、サンノゼの近く」

 

「そうか、用心していこう。罠の可能性は?」

 

「個人が経営してるクラブだよ。ジャンルはハウスメイン。治安もいいし、問題ないんじゃないかな」

 

「念の為、ミキとライルも同行させよう。手配を頼む」

 

「分かった、レンタカー借りるね」

 

「私服を持ってきて正解だったな。四人で向かうとしよう」

 

 二人はホテル内のレストランで軽食を取り、ミキの運転で迎えに来たSUVに乗って一路サンノゼを目指した。深夜0時40分に到着し、駐車場に停めて4人は車を降りた。どこから調達したのか、ミキはコルトガバメントを、ライルはデザートイーグルを脇下のホルダーに収めている。アインズはプリントシャツの上から黒のカーディガンを羽織り、ルカは黒のタートルネックにブラックジーンズだ。

 

 駐車場の先を右に曲がり、サンノゼのメインストリートに入るとクラブライズの場所は一目瞭然だった。ラフな格好をした若者が十数人入り口でたむろし、重低音のサウンドが外まで響いてきている。入り口には何故か防弾チョッキを着た筋肉質なガードマン二人が、まんじりともせず仁王立ちしていた。入り口に着いたルカは、その身長195センチはあろうかという屈強なガードマンに笑顔で声をかけた。

 

「Good evening. I came to meet Won Chan Lee, will you let him go through?(こんばんは。ウォン・チェンリーに会いに来たんだけど、通してもらってもいい?)」

 

「What your name? (名前は?)」

 

「Luka Blaze(ルカ・ブレイズよ)

 

「Allright.Hold on (分かった、少し待て)」

 

 ガードマンは肩口に付けられたトランシーバーに確認を取る。受信用のイヤホンを耳で押さえながら、仏頂面のままルカを見下ろした。

 

「Do 4 people enter it? (4人で入場するんだな?)」

 

「Thats right. (そうよ)」

 

「Allright,come in.A dragoman waits in a bottom (よし入れ。下で案内役が待ってる)」

 

「Got it,thanks (分かった、どうもありがとう)」

 

 そしてルカ達4人はクラブへと通じる地下の階段を下っていった。降りれば降りるほど、ハウス特有の重低音サウンドが大きくなっていく。そして最下層の踊り場へつくと、左側に受付カウンターがあった。中にはブロンドの女性が訝しげな目でこちらを見ていたが、その時正面にある分厚い防音ドアが開き、中から黒服のスーツ姿の男が出てきた。ブラウンの髪をオールバックに整えた、どう贔屓目に見ても堅気には見えない男だ。その男は軽く会釈すると、ルカ達に声をかけてきた。

 

「ようこそクラブライズへ。奥でお客様がお待ちです。VIPルームへご案内差し上げます」

 

「Hey,You are good at Japanese.(日本語上手ですね)」

 

「恐れ入ります。ルカ様にはそのように対応するよう申し使っておりますので」

 

「そうなんだ、ありがとう」

 

「こちらになります」

 

 一歩中へ入ると、喧騒と雄叫びが木霊する混沌とした世界だった。バーカウンターで酒を飲み大はしゃぎする者、ダンスフロアで踊り狂う者も含め、300人規模の客がごった返す大箱だった。黒服の案内役を先頭にその客たちをかき分けて進み、やがてダンスフロア脇に設置されたチェーン付きの通路に通された。その通路の前にもゴツいガードマンが5人ほどおり、一般客の立ち入りを厳しく制限しているようだった。

 

 チェーン付きの通路を抜けてDJブースの下手を通ると、左手にまたしても分厚い防音ドアが目に入った。そこを抜けると20メートルほどの細長い廊下があり、最奥部に一つの白いドアが見えた。黒服の後を付いていき扉の前まで来たが、そこで黒服はルカ達4人の方を振り返った。

 

「こちらがVIPルームとなりますが、ここから先はルカ・ブレイズ様と鈴木悟様のみの入室が許可されております。お付きの方は扉の前でお待ちください」

 

「何で?別にいいじゃない4人で入っても。彼らは私達の仲間よ」

 

「ウォン様立ってのお願いでございます。どうかお聞き入れくださいませ」

 

「...はー。仕方がない、ミキ、ライル、ごめんね。外での見張りをお願い」

 

「了解しました」

 

「かしこまりましてございます、ルカ様」

 

 それを聞いた黒服は、首に下げたIDカードを扉脇の端末にかざすと、ロックが解除された。

 

「それではルカ様、鈴木様、中へどうぞ。ドリンク・お食事等何でもご用意させますので、御用の際は室内のインターホンをご使用くださいませ」

 

「分かった、ありがと」

 

 鋼鉄製の白いドアを開けると、VIPルームの中は20平方メートル程で意外にも広かった。壁は真っ赤に染まり、部屋中央には広いテーブルとベロアを使用したリッチなソファーが四角く取り囲んでいる。そして天井の四隅には小型のスピーカーが設置されており、今現在DJがプレイしている曲が程よい音量で聴こえてきていた。フロアの重低音はVIPルームには全く届かず、完全防音と言っていい仕様だ。右側壁面には、現在のフロアで踊る客たちの映像も映し出されている。

 

 その部屋中央のソファーに座り、悠々と酒を飲む長髪の男が目に入った。紺色のジャンバーを羽織り、下には穴の空いたジーンズという何ともラフな格好だ。髪に隠れて表情が伺いしれないが、ルカとアインズの姿を見ると、シャンパングラスを片手に立ち上がり、その男は深々とお辞儀をした。

 

「やあ、お待ちしていましたよ。今朝は色々と大変失礼をしました。どうぞこちらにおかけください」

 

 ルカとアインズは目を疑った。服装もそうだが、表情が見えないこの男がウォン・チェンリーだとはとても思えなかったからである。ルカはそれをそのまま口にした。

 

「あなた...本当にウォンさん?」

 

「もちろんですとも。あ、髪を下げてるから分かりにくいですかな? それじゃこうしたらどうです?」

 

 男はジーンズのポケットからヘアゴムを取り出し、髪をかきあげて後ろで縛った。その青白い顔は紛れもなく、ウォン・チェンリーその人であった。ルカとアインズは顔を見合わせ、大きくため息をついた。

 

「ウォンさん、こんなところに呼び出して、一体何の用なの?」

 

「まあまあ、つもる話もありますし、まずは一杯どうです?ここのお酒は美味しいんですよ。ささ、どうぞおかけになってください。あ、お腹空いてたら食事も用意できますから、何なりと仰ってくださいね」

 

「はーあ、何かよく分からないけど、とりあえず話だけでも聞こうかアインズ?」

 

「そうだな。罠でもなさそうだし、遠慮なくいただくか」

 

 ルカとアインズが向かいのソファーに腰掛けると、ウォンは氷の詰まったスチール製のバケツからシャンパンボトルを取り出し、用意してあったグラスに注いで二人の前に静かに置いた。

 

「それでは、まずは一献。今日お二人に会えた良き日を祝して、乾杯!」

 

「はいはい、かんぱーい」

 

「乾杯」

 

 ウォンはシャンパンを一気に飲み干したが、ルカとアインズは口をつける程度にしてグラスをテーブルに置いた。

 

「ウォンさんそれで? 何であたし達をこんなクラブに招待してくれたんですか?」

 

「ああ、そうですねまずはそれから話さないと。いやー何せ、社内では会話やデータ通信の全てが検閲されますからね。あなた達が名刺の裏を見てくれて良かった。このクラブのVIPルームは、通信回線どころか軍用のKU回線すらも一切遮断されますからね。だからあなた達をここにお呼びしたわけです」

 

「なるほど。それにしても随分と物々しい警備ですねこの部屋は。外にいるガードマンの連中も、とても堅気には見えなかったんですが、そういうコネをお持ちなんですか?」

 

「このクラブは私の古い友人が経営しているものでね。まあ平たく言えばマフィアな訳ですが、別にマフィアが経営しているクラブなんて珍しくもないでしょう?それにここは治安もいい。こう言った密談には最適の場所ってわけですよ」

 

「そこまでしたからには、昼間に話した話題とは別のものを聞かせていただけるんでしょうね?」

 

「...フフ、まだ気づかないようですね」

 

「気づくって、何を?」

 

 ウォンは飲み干したグラスにシャンパンを再度注いだ。

 

「まずはフェロー計画でしたね。ええ、もちろん知っています。そもそもフェロー計画そのものが、プロジェクト・ネビュラの一部であることも承知していますよ」

 

「では何故、あの場で知らない振りをしたんです?」

 

「言ったでしょう、レヴィテック社の社内は全て盗聴されていると。それに被験者であるあなた達二人が居なくなった今、プロジェクト・ネビュラよりもフェロー計画の方が重要視されている。軍にとっても、政府に取ってもね。だからあのようなアナログな方法を取らざるを得なかった。但し、プロジェクト・ネビュラ自体がなくなったわけではない」

 

「と、言うと?」

 

「あなた達二人がそのシャンパングラスを飲み干したら、お教えしましょう」

 

 そう促され、ルカとアインズはテーブルに置かれたシャンパングラスを手に取り、躊躇なく一気に飲み干した。するとウォンはシャンパンボトルを手に取り、二人のグラスに注ぎ足した。

 

「これでいいの?言っとくけどあたし、お酒強いから」

 

「結構。ではお答えしましょう。プロジェクト・ネビュラにより拉致監禁された者は、何もあなた達だけじゃない。他にも複数人いるということです」

 

「...何だと?」

 

 アインズは目を見開き、殺気を放ちながらウォンを見た。自分と同じ境遇の者がいる。そしてその者たちは、現実世界への帰還を望んでいるかもしれない。それを考えただけでアインズの腸は煮えくり返った。自分にはルカがいた。だから助かった。しかし他の者達は...。

 

 アインズの思いを汲み取ったのか、ルカは隣に座るアインズの右手を握りしめた。バイオロイド化したアインズがこの場で腕を一振りするだけで、ウォンの首は容易く吹き飛ぶだろう。しかし隣にはルカがいる。アインズに取ってそれは、(今は我慢して)というように受け取れた。アインズはルカを見つめ、大きく深呼吸してそれに耐えた。代わりにルカが言葉を継ぎ足す。

 

「複数人と言うけど、具体的なキャラネームとかは分からないの?」

 

「さあ、そこまでは。ただ、拉致されたのはあなた達だけではないという事実しか、今はお答えできません」

 

「ではそれは追々として、フェロー計画が重要視されている理由は?」

 

「世界政府と軍と契約した権利を、手放したくない為だと推測されます」

 

「つまり、あなたもフェロー計画に基づく五次元間通信については知っていると言うことでよろしいんですね?その開発に当たる権利を、レヴィテック社は手放したくないと、そう仰っしゃりたいのですね?」

 

「ユグドラシル開発のメリットは究極、そこにあります。過去から未来へと受け継がれる莫大な資産と利益を、弊社が逃すはずはありませんから。しかしそこへ、それを脅かす者達が現れた」

 

「資産と利益を脅かす者?それは一体?」

 

「...あなたですよ、ルカ・ブレイズ。そしてアインズ・ウール・ゴウン。あなた達二人が、レヴィテック社にとって最悪の存在となりつつあるのです」

 

 重い沈黙が流れた。扉の外にいるミキとライルには電波遮断のため、連絡がつかない。かと言ってアインズとの電脳通信もこの場では不可能だ。最悪、私がウォンを殺してこの場を立ち去るしかない。ルカはそう考えた。

 

「...一介のサーバ管理者であるあなたが、何故そこまで知っているんですか?」

 

「フフ、感じますよ。その凄まじい殺気。私を殺しますか?それでも結構。しかし、あなたはそれを一生後悔する事になる」

 

「どういう意味だ?...マジでこの場で今殺すぞお前」

 

「...クロムウェルバイオタイズ社製タイプ220型。確かにあなたと鈴木さんなら、私だけに留まらずここにいるガードと300人の客も全員皆殺しに出来るでしょうね。証拠も一切残さずに」

 

「だったらどうする?喧嘩売ってきたのはテメェだ。死ぬか?今」

 

「...ここまで話したのに、まだ気づかないんですか?“ルカお嬢さん“、それにアインズ殿。私ですよ」

 

 今にもテーブル越しに飛び掛かろうとしていたルカに迷いが生じた。聞き覚えのある口調、そしておっとりした態度。一度発した殺気が収まらないまま、ルカはウォンに質問した。

 

「...まさか、ノア?」

 

「そうです、ノアトゥン・レズナーですよ。ようやく気づいて頂けたようですね、飛んだオフ会になってしまいましたが」

 

 それを聞いたルカは腰が砕け、広いベロアのソファーに倒れ込んだ。ルカの殺気を感じていたアインズも緊張の糸が切れ、背もたれに上体を預けて眉間を指で摘んだ。その様子を見てノアトゥンはケタケタと笑う。

 

「驚かせてしまい申し訳ない。リアルのあなた達が本気かどうか、試させてもらいました。さあ、お嬢さん、アインズ殿、改めて乾杯しましょう」

 

 それを聞いてソファーから跳ね上がるように飛び起きたのは、ルカだった。

 

「っっっざっけんなよノア!!本当に殺す所だったぞ!!」

 

「分かっています。あなたの仲間を思う大切な気持ち、身に染みました。嬉しく思いますよ」

 

 アインズも上体を起こして、深くため息をつくとノアトゥンを睨みつけた。

 

「まさか今までの話に嘘はないだろうな?ノアトゥン」

 

「当然です。あなた達がいつまで経っても切り札を出さないから、遠回しにお伝えするしか手がなかったのです」

 

「何よ、その切り札って?」

 

「お嬢さん、分かっているでしょう? サードワールドですよ。あのプログラムが他社の手に渡ることを、レヴィテック社は最も恐れている。自らの権限も資産も失いかねない要因ですからね。そしてお嬢さんは、そのプログラムを手に入れる一歩手前の所まで辿り着いた」

 

「あー、はいはい。それでようやく話が繋がったよ。別に私は権利も財産にも興味ないからね?ただユグドラシルを極めたいだけ」

 

「もちろんです。それが分かっているからこそあなた達に同行したのです。これでやっと本題に入れます」

 

「本題? ちょっと待って、私何か疲れちゃった。テンション上げないと。ドライマティーニ頼んでくれる?」

 

「俺もだ。何でもいいからシェリー酒を頼む」

 

「フフ、すぐに持ってこさせるよう手配します」

 

 そう言うとテーブルの上に置かれたインターホンを手に取り、ノアが注文した。

 

「私だ。ドライマティーニとモスカテルを大至急持ってきてくれ。あとツマミもいくつか頼む。ああ、それは任せる。以上だ」

 

 ノアがインターホンを切ったあともルカとアインズはぐったりしていたが、5分もしない内に先程の黒服がドアをノックして、VIPルームに入ってきた。

 

「お待たせしましたウォン様、ドリンクと自家製チーズ・ジャーキーに、サーモンのソテーをお持ちしました」

 

「ありがとう。マティーニはお嬢さんに、モスカテルは旦那さんに頼む。ツマミは適当に並べてくれ」

 

「畏まりました、ウォン様」

 

 黒服は慣れた手付きでテーブルに並べ、一礼して部屋を出ていった。ルカとアインズはグラスを手に取り、ノアを一瞥した。

 

「旦那さんって...私達まだ結婚してないんだけど?」

 

「まだ、でしょう?これから結婚するんです。その前祝いも兼ねて、パーッとやりましょう」

 

「何でそんな事が分かるの?」

 

「それはお二人の空気を見れば分かりますよ。さあお嬢さん、アインズ殿、今度こそ本当の乾杯と行きましょう」

 

「まさかノアだったなんてねー、何かショック」

 

「お前、酒好きなんだな」

 

「ええ、大好きですよ。それではお二人の前途を祝して、カンパーイ!」

 

 テーブルの中央でグラスをぶつけると、ルカとアインズはグラス半分ほどを飲み干した。

 

「かー!効くねーこのクラブのお酒!」

 

「このシェリー酒、甘いが相当に度数が強いぞ」

 

「ちょっと飲ませてアインズ」

 

「お前のドライマティーニも飲ませてみろ」

 

 ノアトゥンはテイスティングする二人の様子を見て、微笑ましい表情を浮かべていた。そうして酒も進み、二人はようやく聞く体制に入った。

 

「はー、何だか落ち着いた。アインズは?」

 

「うむ、俺も疲れが取れた」

 

「結構です。それではお二人共、今回お呼びした本題に入ってもよろしいですか?」

 

「いいよー。明日には忘れちゃってるかもだけど」

 

「俺もだぞノア、覚えきれる自信がない」

 

「大丈夫です。お二人共仮にもクロムウェルバイオタイズ社製のバイオロイド。どんなに酔っても記憶には刻まれるはずですから」

 

「それは重要事項なんだよね?」

 

「ええ、見方によっては。これからお話するのは、あなた方お二人にも以前少しお話した、六大神にまつわる話です」

 

「と言うと、600年前の話だよね?」

 

「そうです。しかしそれを説明する前に、ユグドラシルというサーバがどのように構築されているか、あなた達二人だけにお話する必要があります」

 

「...フン、ここへ来てようやく本題らしくなってきたな。聞かせてもらおうか」

 

「ええ。アインズ殿やお嬢さんの転移にも深く関係する話ですので、重々承知の上お聞きいただきたい」

 

 ノアトゥンはシャンパンを一口飲むと、グラスをテーブルに置き前かがみに手を組んだ。

 

「まずユグドラシルのサーバ構成に関してですが、大きく分けて7層のサーバから成り立っています。その内訳は、600年前・500年前・400年前・300年前・200年前・100年前・そして現代です。一番サーバ容量が大きく高速なのが、プレイする上でメインとなる現代のサーバとなります。ここまではよろしいですか?」

 

 アインズはそれを聞いても理解出来ず、眉間に皺を寄せ首を傾げたが、ルカはドライマティーニを一口飲み、冷静に状況を分析していた。

 

「つまり、現代を除く6つのサーバは、互いにミラーサーバとして機能しているって事?」

 

「その通りです、察しが早くて助かる。この仕様は初代ユグドラシル・ユグドラシルⅡ・ユグドラシルβ(ベータ)全てのバージョンで共通化されています」

 

 頭を抱えていたアインズは、シェリー酒を飲み干すとテーブルの上にグラスを叩きつけた。

 

「...待て待てノア!意味が分からん。もっと分かりやすく噛み砕いて説明してくれ」

 

「アインズ殿、分かりました。例えば六大神である私は、ユグドラシル内で600年前から存在した事になっている。しかし私は、西暦2223年7月29日にユグドラシル

Ⅱの世界から転移してきた。つまり、単純にユグドラシル内での600年前の原初であるサーバに転移したのです。そしてその歴史は、残る6つのサーバに全て反映され、現代のサーバに伝承として残っているわけです」

 

「それならば、2138年にサービスが終了した初代ユグドラシルの歴史に、2223年の未来であるユグドラシルⅡから転移したお前を含む六大神の名前が残っているのは、何故なんだ?」

 

「それこそが、ユグドラシルに隠された機能である、リフレクティングタイムリープを使用した五次元間通信なのです。例えば600年前のユグドラシルサーバで、私がAという人物を殺したとします。するとその情報はリフレクティングタイムリープ機能により、ユグドラシルが存在する2138年・2223年・2350年と全ての年代で共有化され、Aという人物は死んだことになる。

 そしてその歴史は全ての時代の500年前・400年前・300年前・200年前・100年前・現代と、上位にある6つのサーバ全てに反映され、全ての年代でAという人物が死んだという歴史が残る。古い年代のサーバから順に、螺旋構造で新しい年代のサーバへと歴史が書き換えられていく、そういう仕様なんです。簡単に言うと、下から上へ登っているわけですね。これがミラーサーバです」

 

「なるほど、そこまで言われて理解出来た。要はその技術を確立させようとしているのが、レヴィテック社なんだな?」

 

「確立ではなく、全世界で独占しようと企んでいるはずです。現在プロジェクト・ネビュラ及びフェロー計画を統括管理しているのは、レヴィテック社内でもその存在すら知られていない、クリッチュガウ委員会という12名から成る役員たちです」

 

「クリッチュガウ委員会?!アインズ、それってまさか...」

 

「ああ、テスクォバイア地下遺跡で倒したリッチ・クイーンが最後に言い残した言葉だ。...まさかお前、そのクリッチュガウ委員会とやらの手先なのか?」

 

「そうです。モノリスに接近した際、例外なく強大なモンスター及び世界級(ワールド)エネミーが出現したのを覚えているでしょう?あれはお嬢さんとアインズ殿がモノリスと接触するのを防ぐ・もしくは排除する為に、クリッチュガウ委員会がカスタマイズして開発した、規格外に強力なレイドボス達です。彼らはそのモンスターの事を、ゲートキーパーと呼称していました。

 そして彼らはモノリスの事を、オーソライザーとも呼んでいる。彼らはオーソライザーの消去を試みましたが、ブラックボックスであるメフィウスが生成しているため、プロテクトに阻まれて破壊は不可能だった。そこで私は彼らの密命を受け、各地の調査を行いながら、危険分子であるルカお嬢さんとの接触を図った。ユグドラシルから現実世界へと帰還した者たちを彼らはアノマリーと呼称し、その存在自体を消したがっている。...大変申し上げにくいのですが、隙あらばあなた達二人を殺せと、私にも命令が下っていました」

 

「何故それをしなかった?俺たちを殺せるタイミングはいくらでもあったはずだ。カルネ村は元より、アーグランド評議国でも、スレイン法国でも」

 

「もしあなた達の肉体が地球にあれば、何の躊躇もなくレヴィテック社から暗殺部隊が送り込まれ、二人はあっけなく死亡していたでしょう。しかしルカお嬢さんとアインズ殿の身柄は、国営企業であるブラウディクス・コーポレーションの名の元に厳重に保護されていた。そしてお二人が地球におらず、遠く離れたアルファケンタウリ星系にいるとなれば尚更です。

 当然ながらテラフォーミングは弊社の管轄外だ。おまけにあなた達がユグドラシルβ(ベータ)接続の際に使用している強固なVCN回線のおかげで、ネット経由での攻撃も不可能と来ている。過去に起きたブラウディクスとの訴訟のせいで、あなた達二人のアカウントをブロックする事は世界政府から正式に禁止されている。となれば、ゲーム内であなた達二人の息の根を止めるしかないと、クリッチュガウ委員会は考えたわけです」

 

「...お前がそこまで知っているとは驚きだが、質問をはぐらかすな。俺が聞きたいのはそんな事じゃない。お前が今話した内容は、全部そのクリッチュガウ委員会とかいう会社の都合だろう?そんな事を聞きたいんじゃない。何故俺達を殺さなかったのか、お前自身の意思を俺は聞きたいんだ。さっさと答えろ」

 

「ええ。その理由は、突如世界各地に現れたモノリスです。あれはクリッチュガウ委員会に取っても予想外の出来事でした。何せコアプログラムであるメフィウスが自動生成しているんです。クリッチュガウ委員会ではメフィウスの事を、聖櫃と呼称しています。そしてそのプログラムには、開発者であるグレン・アルフォンスしかアクセスできないよう、巧妙に何重ものプロテクトがかけられていました。

 私は急遽彼らの命により、現状を把握するためユグドラシル内にダイブし、各地の調査を行いました。すると今まで私の知らなかった事実が、次々と明白になっていったのです。フェロー計画の事を知ったのもその時が初めてでした。...私は利用されている。そんな疑念を持ち始めた時に出会ったのが、殺せと命じられていたアノマリーであるあなた達二人だった。行く先々でお二人の後をつけ、時には同行しましたが、まるで導かれるようにルカお嬢さんとアインズ殿はモノリスへと辿り着き、核心に迫っていった。あなた達二人と接触を続けるうちに、私はクリッチュガウ委員会の薄汚い欲望からこのユグドラシルを開放してくれるのではないかと、希望を持ったからです」 

 

「そのクリッチュガウ委員会だが、どこからか常にユグドラシルを監視しているのか?」

 

「以前にも少しお伝えしましたが、彼らは奈落の底(タルタロス)と呼ばれる、ロストウェブ内にある隔離されたフィールドから我々とユグドラシル内の状況を監視しています。彼らの手先である私の行動も、彼らによって逐一検閲されている。だからゲーム内では詳細をお伝え出来ず、こうしてリアルで直接接触する必要があったのです。お嬢さん、私の送った空メールはご覧になりましたか?」

 

 それを聞いて、ルカは驚いたような顔で大きく目を見開き、ノアを見た。

 

「...あのメール送ったの、君だったの?」

 

「ええ。あれはダークウェブにある匿名メールサービスのアカウントです。いざとなればあのメールアドレスを使用して、私からお嬢さんへ連絡を入れる予定でした」

 

「よく私のメールアドレスが分かったね? そもそも社内でも私の存在は機密事項になっているし、プロキシマbのVCNセキュリティは鉄壁だから、ハッキングでユーザーアカウントを除き見る事も不可能なはずよ?」

 

「ええ、あの防壁には私も手を焼きましたよ。しかしそれはプロキシマbのみでの話。穴は地球にありました」

 

「つまり、ブラウディクス本社にハッキングを仕掛けたって事?危ないから止めといた方がいいよ」

 

「当然足のつくような真似はしませんでしたが、社内メールアカウント一覧を見ても、お嬢さんらしきメールアドレスはどこにもなかった。つまりネットから切り離された、ブラウディクス社のローカルサーバに隠されていると分かったのです。そこでこのクラブオーナーであるマフィアの伝手を借りて、ブラウディクス社の上級社員と接触しました。彼に金を握らせ、ブラウディクス本社内部からローカルサーバにアクセスしてもらい、ルカお嬢さんのメールアドレスをゲットしたという訳です」

 

 淡々と話すノアトゥンの説明を聞き終わり、ルカは唖然とする。

 

「げ...思わぬ盲点。あとで本社に機密保持が甘いと警告しておかなきゃ」

 

「ハハ、国営企業と言えども所詮人は人。口の軽い人間も中にはいるという事ですよ」

 

「そこまでして私達と会いたかった理由って何?さっき話してくれた、クリッチュガウ委員会やユグドラシルサーバの秘密以外で、他に何かあったの?」

 

「...ええ。私がクリッチュガウ委員会を裏切るということは、言い換えれば古巣のレヴィテック社からブラウディクス・コーポレーションへ寝返ると言う事。これからお話するのは、その要因となったある事件があったからです。あなた達にユグドラシルを託したいからという理由に嘘偽りはありませんが、それは飽くまで綺麗事、付け足しに過ぎません。どうかそのつもりで、聞いていただきたい」

 

 ノアトゥンの顔に影が落ち、真剣な眼差しだけをただ二人に向けていた。ルカとアインズはそれを察し、手にしたグラスをテーブルの上においてソファーに座り直し、聞く体勢に入った。

 

「それは、ユグドラシル内での話?」

 

「厳密に言えば、ゲーム内とリアル双方での話です」

 

「...気になっていたんだがノア、お前は西暦2223年7月29日の、ユグドラシルⅡサービス終了と同時に転移したと言ったな? ゲーム内で流れる時間は現実世界と同一、そして今は西暦2552年だから、少なくとも329年は生きている事になる。つまりはお前も...」

 

「はい、アインズ殿。お察しの通り、私も電脳化されたバイオロイドです。最も、あなた達のような高性能かつ戦闘用の素体と比べたら、極々チープなものですが」

 

「なるほどな。別段驚きもしないが、これでようやく線がつながった。話を続けてくれ」

 

「付け加えておくと、クリッチュガウ委員会の要請により、半ば強制的に電脳化・バイオロイド移植の措置が取られましたので、どうかそのおつもりで。お伝えした通り、私は西暦2223年にダークウェブユグドラシル内へ転移した訳ですが、その時の私の職務はサーバ管理者ではなく、もっと別の事を生業としていました」

 

「というと?」

 

「つまり六大神とは、ユグドラシル内を管理する為に派遣された、GMの総称だったのです。私はその一人、火神・ノアトゥンレズナーとして、当時職務を遂行していた」

 

「!! ...お前がユグドラシルの、ゲームマスターだと?」

 

「...それ本当?ノア」

 

「...ええ、本当ですよアインズ殿、ルカお嬢さん」

 

 重い沈黙が流れた。それに耐えかねたのかノアは立ち上がると、テーブル脇にあるパワーアンプのボリュームを下げて、室内に流れるBGMの音量をゼロにした。そして再びソファーに腰掛ける。耳鳴りがするほどの静寂の中、アインズはゴクリと固唾を飲み、質問を返した。

 

「具体的には、何をしていたのだ?」

 

「ゲームバランス全体の調整です。主にモンスターの配置やAI動作プロトコル・バグ修正、デフォルトとして配置されている地形や都市の管理、武技・魔法の追加とその威力調整等を行っていました」

 

「ユグドラシルⅡのサービスが終了してから329年経つわけだが、今でもお前はGM権限を持っているのか?」

 

「いいえアインズ殿。一部は残されていますが、今のユグドラシルは基本的に、クリッチュガウ委員会の直轄管理下に置かれています。私が現在持っている権限は、プロジェクト・ネビュラ内で自由にログイン・ログアウト出来る事と、隔離されたタルタロスに転移門(ゲート)で飛べること、過去に六大神として使用したキャラデータをそのまま使用できるアカウント権限、それだけです。ユグドラシルその物のデータ改編等の権利は、全て剥奪されました」

 

「なるほどな。つまりお前は現在クリッチュガウ委員会の諜報員...スパイという訳だな?」

 

「その通りです」

 

「原初である600年前のサーバでゲームバランスの調整を行えば、その上位にある6つのサーバ全てに位階魔法等の影響を与える。だからノアを含む六大神のGM達は、最も古い600年前のサーバに転移させられた。これで合ってるよね?」

 

「ええ、お嬢さん。その認識で合っていますよ」

 

「その六大神はユグドラシル内での500年前、八欲王によって全員殺されたとお前も言っていたな。つまり2223年から数えれば、100年後の2323年に死んだことになる。これに関してはどう説明する?」

 

「順を追って説明します。2223年ダークウェブサーバに転移させられた当初、我々GMも自らの意思でログアウト出来ない仕様となっていました。この事実を知ったのは転移した後の事です。事実上の会社による軟禁ですね。しかしあの転移の直前、たった一人だけログインしていないGMがいました。それが六大神最後の生き残りとされている、死の神・スルシャーナだったのです。これを念頭に置いておいてください」

 

「つまりそれは言い換えれば、お前達六大神のGMもプロジェクト・ネビュラの被験体となったわけか」

 

「そういう事になります。死の神スルシャーナを除く我々土神・水神・火神・風神・光神はその事実に憤慨しながらも、GMとしてある程度の安定した成果を残せば、会社側もログアウトのプロテクトを解いてくれるだろうと信じて、日々ゲームバランスの調整に勤しみました。しかしバックアップ要員としてその様子を外部からモニター・トレースしていたスルシャーナは、会社側の陰謀に気付き、強制ログアウトを実行しようとしました。しかしその行いを会社側に察知され、本人も強制的にユグドラシル内へと転移させられた後、我々の元に現れました。それを聞いて不安に駆られながらも、仕方なく我々は日々GMとしての職務を全うしてきたのです」

 

「2223年に転移する前、つまりユグドラシルⅡが発売された2210年からも、六大神はGMとして活動していたんでしょ?その時点で、事前にプロジェクト・ネビュラの事については知らされていなかったの?」

 

「当然何も知らされていませんでした。そういう意味では、サービス終了と同時に強制転移させられたあなた達と、さほど状況は変わらなかったという事ですね」

 

「...なるほどな。お前達六人も俺達二人と状況が同じなのは大体分かった。それで、お前達が生きた600年前から500年前の100年間に、一体何が起こったんだ?」

 

「前述した通り、各地へのモンスター配置や魔法の強弱等を調整し、よりプレイヤーが楽しみやすい環境を作ろうと苦心していました。我々六大神は、ユグドラシルⅡ発売当初から長年チームを組んでいたと言う事もあり、信頼と結束が固かった。気心の知れた仲間だったんです。だから争い事も起きなかったし、お互いの意見を尊重できた。そうしてフィールドやダンジョンの調整も洗練し、バグも殆ど除去され完成してきたある日、ユグドラシル内で異常が発生しました」

 

「どんな異常だ?」

 

 そこでノアトゥンはテーブルに置かれたシャンパングラスを手に取り、一気に飲み干してまた注ぎ足した。

 

「我々六大神がジェネレート出来ないような、規格外に強いモンスターが世界各地に突如発生し始めたのです。それこそ、プレイヤーが多数いても倒せないような強力なモンスター達でした。それ以外にも、我々が設置した初心者ゾーンのレベルも底上げされ、とても初心者では太刀打ちできないようなモンスターがポップ(出現)し始めたのです。予期しない出来事を受けて、我々六大神はGM権限を行使し、その駆除に乗り出しました。しかしいくら消去しようともそれらが止まることはなかった。AIプロトコルのバグかと思い再度精査し直しましたが、どこにも異常は見当たらなかった」

 

「クリッチュガウ委員会が設定したという疑惑は?」

 

「いいえ、それもありません。第一我々はログアウト出来ませんでしたが、GMコールにより上層部に報告義務があった。それにより問い合わせたところ、クリッチュガウ委員会でもそのような事は一切行っておらず、想定外の事態だということが判明しました。その時出現したのが、今で言う竜王や世界級(ワールド)エネミーだったのです。それどころか、当時繁栄を極めていた人間種(ヒューマン)の住む城や街・集落に対し、彼らは徒党を組んで攻撃し始めた。セーフゾーンとして設定してあるにも関わらず、です」

 

「600年前、人間種(ヒューマン)の人口が激減したという史実は、本当なのね?」

 

「ええ。それを見て我々は結論付けた。これはユグドラシルのコアプログラムであるメフィウスが自動生成しているのだとね。しかし当時六大神はメフィウスやユガといったAI制御プログラムがあるという事実を知らされていなかった。そして我々GMにもコアプログラムへのアクセス権はない。このままでは人間種そのものが絶滅し、ゲームバランスが崩壊してしまうと考えた六大神は、急遽スレイン法国を建国し、そこに人間種を匿えるようGM権限の強力なセーフゾーンを設定しました。

 その上で六大神を各地に派遣し、ただのNPCに無駄だと分かりつつも、亜人を率いていた竜王達との対話を試みた。すると驚いたことに彼らは人語を解し、まるで自我があるかのように返答を返してきたのです。そこで交渉が始まり、食料やアイテム等の対価を与える代わりに、人間種を攻撃しないでほしいという条件を提示しました。彼らはそれを飲み、一方的な攻撃はしないと約束してくれました。話してみれば、彼らは非常に友好的だった。そこから六大神と竜王達との交易が始まったのです」

 

「それで一応の平和は保たれたと言う事ね。人間種(ヒューマン)の人口は回復したの?」

 

「ええ、ある一定以上は。ただスレイン法国も人口過密になってきた事を受けて、人間種(ヒューマン)は外に出て新たな街を続々と建設していき、再び繁栄の一歩を踏み出した。それがさらに大きくなり、現在のエ・ランテルやリ・エスティーぜ王国、バハルス帝国等を建国する礎となり、我々六大神の想像を遥かに超えて進化を遂げていきました」

 

世界級(ワールド)エネミーへの対処はどうなったんだ?」

 

「いえ、彼らはGM権限でも消去を受け付けませんでした。複数箇所に点在していましたが、基本的にその場から動く事もなく、全て街や国からかなりの距離があったという事もあり、とりあえずは様子を見ようと言うことで放置しました」

 

「その後はどうなったの?」

 

「モンスター達も、主にトブの大森林・アゼルリシア山脈・カッツェ平野・アベリオン丘陵へと大きく棲み分けがなされ、予め設定された冒険者組合から輩出された冒険者の活躍もあり、街道沿いに巣食うモンスター達の駆除も定期的になされる事により、各国の貿易も盛んになっていきました。プレイヤー達にとっても、レベル上げをしたければモンスターの生息地に乗り込めばいいだけの事。それを見て安心した我々六大神はギルドを結成し、スレイン法国を拠点にGMとして竜王達と連携を取りながら、各国を監視していました」

 

「その時には、ツアーもいたの?」

 

「ええ、お嬢さん。ツァインドルクス=ヴァイシオンは竜王(ドラゴンロード)の中でも筆頭格で、高い理性と知識を豊富に持っていましたからね。我々六大神とも仲が良かった。彼等にしか使用できない始原の魔法(ワイルドマジック)の存在を知ったのも、その時です」

 

「何故竜王達は当初、人間種(ヒューマン)を襲ったんだろうな?」

 

「ご存知かとは思いますが、人間種(ヒューマン)は数多ある種族の中でも、非常にバランスの取れた優秀な種族です。ステータスと職業を特化すれば、いくらでも強力なキャラクターに成長する可能性を秘めている。それこそ竜王にも対抗できるほどのね。その人間種(ヒューマン)が大陸全土に溢れており、突如現れた竜王達に徒党を組めば、あっという間に狩り尽くされてしまうと彼らは危惧したのでしょう。それを恐れての先制攻撃だったかと思われます」

 

「私も昔人間種(ヒューマン)の神聖職でプレイしてた時期があったからね。それはよく分かるよ」

 

「これでゲームとしての体裁は整った訳だ。その後はどうなった?」

 

「ユグドラシルの冒険者やプレイヤーにさらなる楽しみを与える為、規格外に強い武器や防具・アクセサリー...つまり、世界級(ワールド)アイテムを生成し、厳しい条件を乗り越えられた者にのみそれらが手に入るよう新たに設定しました。元々世界級(ワールド)アイテムはデフォルトで各地に散らばっていたのですが、数が少なすぎるということで六大神が新たに設計し、追加したものとなります。例えば私が着ている絶死断魔裝もそのうちの一つです」

 

「と言う事は、新たに生成されたアイテムもRTL機能によって各時代に共通化されるという事か。道理で俺が見たことがあるわけだ」

 

「基本全ての要素がRTL機能によって、2138年・2223年・2350年と、全ての時代で共有化されると見ていいでしょう」

 

「話を聞いてる限り、六大神同士の歪み合いもなかったみたいだし、平和そうじゃない」

 

「その間約50年です。私達六大神はその間、ログアウトできる日をずっと夢見ながら、お互いを励まし合い生き続けた。しかしGMコールでその事を上層部に聞いても、何も答えてはくれない。来る日も来る日もゲームバランスの調整と監視の日々。そして100年が経とうという頃、突如何の前触れもなしに、国の南に謎の国家が出現したのです」

 

「スレイン法国から南?それってもしかして...」

 

「そう。八欲王の空中都市・エリュエンティウです」

 

 アインズはそれを聞いてモスカテルを一口飲み、テーブルに体を近づけて前のめりになった。

 

「突然と言ったが、建国の素振りもなしにか?街の建設にはある程度時間がかかる。普通なら気づくはずだが」

 

「そうです、全くの前振りなしにです。まるでその場にジェネレートされたかのように、一瞬にしてそこに国家が現れた。GM権限で閲覧できる大陸全体のマップが異常を感知し、アラートを出したことで六大神達は初めて気が付いたのです」

 

「当然、警戒のための偵察は出したんだろうな?」

 

「もちろんです。その結果、驚くべき事が分かりました。出現したばかりだというのに、エリュエンティウ城門前には既に約5万の兵が待機しており、北に向かって進軍中との報告を受けました。そしてそれを指揮しているのは、騎乗した七人の男性と一人の女性と言う事も。我々はそれを明らかな敵対行動と見なし、街を守るべくすぐさま同数の兵を招集し、スレイン法国の南へ向けて進軍を開始しました。そして軍同士が鉢合わせ、遂に戦端が開かれた。こちらの犠牲を極力抑えるために、まずは我々六大神が前線に立ち、超位魔法を使用して敵の兵士をほぼ全滅させた後に、我が軍の突撃命令を出しました」

 

「...その騎乗した八人が、八欲王で間違いないんだな?」

 

「そうです。彼らは超位魔法を使われる事を分かっていたかのように後方で待機し、自軍が全滅した後も悠々とこちらへ近づいてきました。そして思いもよらぬ事が起きた。突撃してきたスレイン法国軍を見て、彼ら八人の周りに立体魔法陣が浮かび上がった」

 

「...同じ超位魔法、プレイヤーという事だね」

 

「ええ、一瞬でした。凄まじい大爆発が起こり、5万いた我が軍は見るも無残に吹き飛ばされ、影も形も残らなかった。それを見た我々六大神は覚悟を決め、お互いに連携を取りながらその八人を各個撃破するために突撃しました」

 

SK(集中攻撃)は基本だからな。それに6対8か、プレイヤースキルにも寄るが、勝てる見込みは十分ある」

 

「アインズ殿、こう見えても私達六大神はアップデートされた武技や魔法をテストする為、毎日のようにPvPを重ねてきました。GvG(Group vs Group)という観点に置いても、人一倍の技量は備えているつもりです。そして、GMのみが使える特殊な魔法も存在しました」

 

「ほう、どのような魔法だ?」

 

(ムエルト)という貫通属性の即死攻撃です。これを使えば、どのようなNPCもプレイヤーも一瞬でキルできるという魔法ですが、何故か彼らには一切通用しなかった」

 

「その魔法、今でも使用できるのか?」

 

「いえ、今はもう使えません。ともかくそれを受けて八欲王達は馬から降りて抜刀し、同じくこちらへ突進してきた。私達は懸命に応戦しましたが、その内の後方に控えていた一人が、手に分厚い一冊の本を手にし、何かを書き込んでいる事に気が付きました。そして書き終えるたびに、我々が聞いたこともないような補助魔法を八欲王達にかけていた。その度に驚異的な攻撃力とスピード・防御力に跳ね上がり、最早手の施しようがないほどにまでパワーアップしていった」

 

「本だと?そのような武器は聞いたことがないが、世界級(ワールド)アイテムの類か?」

 

「その時点では謎でした。そこで六大神はターゲットを変更し、その本を持つプレイヤーに徹底的な集中砲火を浴びせ、手にした本を奪うことに成功したのです。幸いまだ被害も出ておらず、皆懸命に持ちこたえていましたので、私は一旦街へ退却するよう指示を出し、上位転移(グレーターテレポーテーション)を使用して一時撤退しました。そしてGMのみが入室を許可される地下の管理エリアに立て籠もり、六大神全員でその本の内容及びアナライズ等の調査を行ったのです」

 

 ノアの実力は知っている。他の六大神達のプレイヤースキルもノアと同等かそれ以上だろう。そのGMたる彼らが大苦戦する相手。話を聞きながらルカは脳の中でその状況を自然とシミュレートし、脳内で共に戦っていた。そして喉がカラカラに乾いていたルカは、テーブルに置かれたマティーニを一気に飲み干し、喉を潤した。それを見たノアは新たなシャンパングラスを出し、その中に注いでルカに差し出す。

 

「それで、その本の事について何か分かったの?」

 

「その本には三重の封印が施されていたのですが、戦闘中に奪ったこともあり、本の封印は解けていましたので、我々でもその中身を見る事ができた。そこには、この世にある全ての魔法が書き記されてあり、それと付随してユグドラシル本来のものではない、規格外に強力な魔法までもが付け足されていた」

 

「三重の封印?それに分厚い魔導書だと?それはまさか...」

 

「...そうです、アインズ殿も一度目にした事があるでしょう? 無銘なる呪文書(ネームレススペルブック)ですよ。当時我々GMでさえも知らないそのようなアイテムを持っているプレイヤーに対し、彼らはチーターであると結論付けました。この事を上層部にGMコールで通報し、すぐさま八人のプレイヤーアカウントを凍結するよう通告しましたが、GM権限を全て駆使してこちらで対処しろという命令が下されたのみでした。 仕方なく我々六大神はその対策に向けて話し合った。敵から奪った無銘なる呪文書(ネームレススペルブック)を逆用し、更に強力な魔法を新たに上書きして反撃しようという案も出ましたが、もしGMである六大神がそこに新たな呪文を書き込めば、その歴史は500年前から現代のサーバにまで全て反映されてしまう。我々GMにはユグドラシルというゲームバランスを保つという責務がある以上、その案は却下となりました。もしそれをすれば、ユグドラシルというサーバそのものが崩壊しかねないからです」

 

「なるほどな。もしそこに、(大陸全土の全生命体を滅ぼす)呪文なんて書けば、それは有効になるんだろうか?」

 

「さあ、そこまでは我々も試していないので、何とも言えません。しかしその可能性すらあるほど、位階魔法の法則を捻じ曲げる汚いチートアイテムであったことは間違いありません。あの書物が今現在も残っているという事が、私は不思議でなりません。本来であれば真っ先に削除対象となるべきアイテムですから」

 

「その書物は破壊できなかったの?」

 

上位道具破壊(グレーターブレイクアイテム)を使用しても、GM権限でのデリートを試みても全く破壊不可能でした。我々が頭を悩ませていた、その時です。地上で何かの大爆発が起きました。慌てて外に出てみると、スレイン法国の街に彼ら八欲王が侵入し、超位魔法を使用して無差別に破壊行為を繰り返していました。六大神はそれに応戦するため、致し方なくGM権限である無敵化を使用して彼らに立ち向かいました。

 しかし戦闘が始まると、驚いたことにGM権限の無敵化を貫通して、彼らの攻撃が通るのです。我々は混乱しつつも、連携を取りつつ懸命に応戦しましたが、彼らのHPは規格外に高く、防御力も非常に固かった。全く歯が立たなかったんです。長期戦の末、一人、また一人と死亡し、遂には私とスルシャーナのみが残された。私達二人は転移(テレポーテーション)転移門(ゲート)を併用して、咄嗟に街から脱出しました。しかし追い付かれるのも時間の問題です。スルシャーナは懐から一つの赤いデータクリスタルを取り出すと、私にこう言いました。(絶対に助けるから、私を信じて持ちこたえて)と。そして彼女はデータクリスタルを使用すると、その場から一瞬にして姿を消しました...」

 

「帰還用のデータクリスタルを使用したのか。それにしても彼女? 死の神スルシャーナとは、女性だったのか?」

 

「...そうです、私のフィアンセでした。トブの大森林へと逃げ込んだ私は、北へ向かって距離を取るべく必死に逃げましたが、すぐに追いつかれました。恐らく発見探知(ディテクトロケート)を使用したのでしょう。私は彼女の言葉を信じ、時間を稼ぐため、徹底して移動阻害(スネア)系の魔法を多用し距離を取ったあと、超位魔法まで使用して何とか逃げ切ろうと図りましたが、無駄に終わった。そして遂にHPが死ぬ間際になった時、私は自分に対し咄嗟に仮死化の魔法をかけ、死を装った。手練のプレイヤーであればそこで油断せずにとどめを刺す所ですが、彼ら八人は私の死体を見て満足し、その場を立ち去っていった。その事から、彼ら八欲王はユグドラシルプレイヤー歴が浅いと悟ったのです。そして意識が遠のき目が覚めると、私は何かの保存カプセルの中で横たわっていた」

 

「それで歴史ではお前が死んだことになっているということか。しかしギリギリの所で、現実世界に帰還できたわけだな」

 

「はい。スルシャーナ...メリッサがただ一つ持っていた帰還用データクリスタルを使用し、端末を使用して私を強制ログアウトさせてくれたのです。私達は再開を喜び、熱く抱擁を交わしました。そしてその時点で、私もメリッサも電脳化しており、体もバイオロイドに移植されていると分かりました。それが100年後、つまり2323年の事です」

 

 悲しそうに目を落とすノアを見て、ルカはシャンパンボトルを手に取りノアのグラスに注ぎ足した。そのグラスを手に取り、ノアは酒をグイっと仰ぐ。

 

「...何故帰還用データクリスタルが一つしかなかったの?」

 

「前述した通り、メリッサ(スルシャーナ)はバックアップ要員として待機していた。そしてログアウトできない仕様となっている事に気付き、強制ログアウトを実行する直前に帰還用データクリスタルを作成したのですが、一つ作り終えた所で拘束され、強制的にログインさせられた。それでゲーム内に持ち込めたのが、一つだけだったのです。会社の監視がある以上、自分だけがログアウトして六大神を救出しようとしてもまた拘束されるのは目に見えていた。だからその存在を皆に隠していたのです。いざとなれば私だけでも助けようと思っていたと...後になって聞きました」

 

「辛いことを聞くようだが、当然ただでは済まなかったのだろう?」

 

「...ええ、私とメリッサはその後間もなく拘束され、二人で尋問されました。私達はありのまま起こった事を話しましたが、受けた裁定は2つ。まず私はユグドラシルⅡのGMから別部署に異動となる事。そしてメリッサは強制ログアウトさせた罰として、再度ユグドラシル内にログインし、規定外に強い装備と権限を与えた上で八欲王を殲滅してこいとの命令でした」

 

「そんな...無茶な、単騎で?!死にに行くようなものじゃない!GMの無敵化も通用しない相手に...」

 

 ルカの悲痛な叫びを聞いて、アインズの顔が見る見る険しくなっていく。

 

「...私は激怒し、その場で厳重に抗議しました。それなら異動ではなく、私も一緒に再度ログインして戦うと。しかし全く取り合ってもらえず、(これは決定事項だ)と言い残し、担当者は立ち去りました。その後我々の存在が機密事項に当たるとして、私達二人は離れ離れとなり、警戒厳重な社内の個室に閉じ込められました。もはや牢獄ですね」

 

「ひどい...ブラウディクスは意識を失った私を、どちらかと言えば手厚く保護してくれたわ」

 

「飛んだブラック企業だな。その後はどうなったんだ?」

 

「私は今いる、新規開拓事業サーバ管理責任者としての役職に就き、気づかぬ内にアップデートされていたユグドラシルβ(ベータ)のサーバ管理を主に請け負っていました。法外な業務手当のおまけつきでね。仕事場も変わり、あなた達も知っているサンタクララのアーカイブセンターに配属替えとなりました」

 

「今日ノアが本社に来たのも、あのアーカイブセンターから呼び出されてきたの?」

 

「ええ、上からの命令でね。あなた達が本物かどうか、そしてどこまで知っているかを探ってこいと言われてきました」

 

「上というと、クリッチュガウ委員会にか?」

 

「そうです。彼らと初めて話したのは、アーカイブセンターに異動してから間もなくでした。GM当時のアカウントを使用し、ユグドラシルβ(ベータ)にダイブ後、指定の場所に転移門(ゲート)で移動しろという指令でしたので、私はそこ...つまり、奈落の底(タルタロス)にその時初めて移動しました」

 

「具体的にどんな場所なんだ?」

 

「そうですね...真っ暗な空間の中に巨大な墓石が12個並んでおり、その墓石は赤くぼんやりと輝いている。そしてその周囲には、ユグドラシル各地を映すモニターが複数並んでいる、そんな殺風景な場所です」

 

「そこで何を言われたの?」

 

「まず初めに、彼らの手先となり忠誠を誓うことを約束されました。誓わなければレヴィテック社に眠る肉体ごと消去すると脅され、やむ無く了承した。クリッチュガウ委員会の名を知ったのもその時が初めてです。そしてその後、彼らの口からプロジェクト・ネビュラの一部に関する詳細が伝えられました。主に人体実験として拉致されているプレイヤーに関してです。その監視と、コアプログラムがオートジェネレートするダンジョンやモンスターの調査、駆除を依頼されました。約27年間です。現代のサーバに活動拠点が移り、八欲王が滅びたのを知ったのもその時です」

 

「長いな...。お前の彼女、メリッサについては何も聞かなかったのか?

 

「...史実通り、スルシャーナは死んだと伝えられました。それだけでなく、ユグドラシル内で殺された六大神も皆、現実世界の肉体ごと死んだと。その時初めて、プロジェクト・ネビュラの恐ろしさを知ったと同時に、怒りが湧いてきました。そして八欲王の情報に関して、彼らは一切何も与えてはくれなかった。ただのチーターだ、もう滅んだから気にするな、とね」

 

「よくそんな奴等の言いなりになっていたな。俺なら我慢出来んぞ」

 

「...いつか必ず復讐してやると、心に誓っていたからです。仲間と恋人の無念を晴らすと、それだけを糧に今までこの体で生きてきた。あなた達に出会えたのは、幸運以外の何者でもない。私はそう考えています」

 

「それが私達と一緒にいる、本当の理由?」

 

「そうです、お嬢さん。あなた達二人には大変申し訳なく思いますが、笑ってくれて構いませんよ」

 

「おい、俺の目を見ろ。誰が笑ってるって?」

 

 アインズは目を見開き、怒りに打ち震えたような表情でノアトゥンを睨みつけた。

 

「アインズ殿...その、申し訳ありません」

 

「...フン、事情は大体分かった。それで?その後はどうなったのだ?」

 

「ええ、それから27年が経った2350年に入り、クリッチュガウ委員会から新たな指令が私に下されました。200年前のサーバで異常が起きているので、それを極秘理に調査し、解決してくるよう指示を受けました」

 

「200年前と言うと、例の魔神が大陸を滅ぼしかけたというあの事件か」

 

「私が転移したのと、十三英雄が現れたのも同時期だよね」

 

「はい。その時お嬢さんの事は何も知らされていないので気付きませんでしたが、独自に調査した結果、その魔神達は私達六大神がギルドを結成した当初に創造された、配下のNPCである事が判明したのです。私は彼らとの対話を試みましたが、土神・水神・風神・光神・死神と五人の主人を失ったNPCは、完全に暴走状態にあり手が付けられませんでした。そこで私はふと思い出し、私が創造した配下である火蜥蜴(サラマンダー)の行方を探しました。私が死んでいない今、彼も正気を保っているはずだと。しかし調査の結果、一時的に竜王族に匿われていたらしいのですが、結局は八欲王に殺されてしまったとの事でした」

 

「なるほど、それでか。エリュエンティウでユーシスが言っていたな、お前が極秘理に魔神討伐の協力を申し出たと。何故十三英雄に加わらなかった?」

 

「それは十三英雄のリーダーが、2138年から転移したプレイヤーだったからです。彼も監視対象だった上に、被験者と直接の接触はクリッチュガウ委員会により禁止されていた。そういう訳で、十三英雄が魔神と戦闘する際には陰ながら火力支援を行っていたと、そういう訳です」

 

「ならば、何故俺達二人の被験体には接触したんだ?」

 

「あなた達は現実世界に自力で帰還したアノマリーだ。言ってみれば特例です。今やクリッチュガウ委員会に取って最も危険なのが、あなた達お二人ですからね」

 

「200年前のサーバに転移したって言ったけど、ノアは全ての年代のサーバに自由に移動できるの?」

 

「いえ、当然クリッチュガウ委員会の許可により転移門(ゲート)が開けられ、各年代に送り込まれます」

 

「200年前のサーバには何年いたの?」

 

「当時からずっとですよ。もちろん被験体であるお嬢さんやアインズ殿と違い、自由にログイン・ログアウトしてはいましたがね」

 

「それなら、私の悪い噂も少しは聞かなかった?何だかんだで結構派手に動いてたんだけど」

 

「もちろん聞いていましたよ。高難度な闇の仕事のみを請け負う伝説のマスターアサシン...非常に興味深かったですが、あくまで目立たぬよう監視のみに留まっていました。他にもやる事が山積みだったものでね」

 

「なるほどねー。まあ別にいいけど」

 

「お前が言いたいことは分かった。要はクリッチュガウ委員会に復讐したいんだな?それはプロジェクト・ネビュラや仲間の死だけが原因なのか?」

 

「いいえアインズ殿、無論それだけではありません。今まで謎だった八欲王に関する事がまだ残っています」

 

「どういう事だ?」

 

「...2323年代にサーバ管理やメンテナンスを行っていた訳ですが、そこで偶然、破棄されたと思われる機密資料の破片を目にしました。私はそのデータをバックアップし、復元を試みた」

 

「内容は見れたの?」

 

「ええ、その内容はこうです。プロジェクト・ネビュラ及びフェロー計画の進捗に伴い、現在サーバ内で安定的かつ穏便に管理している六人のGM達を抹殺する為、社内・社外を含め選抜された優秀なプレイヤー8人を拠点ごと送り込み、新たなGMとして着任させる。尚メフィウスが自動生成したモブを掃討する任務も与える為、その後の管理が混乱すると予想されるが、パケット増大の過負荷に対するサンプルとしてこれを容認し、実験を次の段階へと進める。尚前任者である六人のGM達の遺体処理は、機密保持のため通例通り機関に任せるものとする、という内容でした」

 

 ルカとアインズは固唾を飲んだ。

 

「何それ...」

 

「...お前は、エリュエンティウでユーシスにこう言っていたな。(八欲王とは、私達六大神を殺す為...ただその為だけに生み出されたプレイヤーであり、それが彼らの目的の全てだった)と。あの時詳細を言えなかった内容とは、つまりその機密文書の事なのか?」

 

「そうです。そしてもう一つ、新たな事実が分かった。2323年に強制ログアウトを実行して私を助けてくれたメリッサは、その後再度強制的にユグドラシル内へ戻された後、スルシャーナとして竜王達と交渉し、亜人を含む全種族を率いて八欲王達に最後の戦いを挑んだと...」

 

「!!」

 

「...やはり、単騎では無理だったか。...賢い選択だ」

 

 一人の女性の覚悟と命、重みを感じて、ルカとアインズは言葉を失った。死の神・スルシャーナはアンデッド...つまりその種族は、アインズと同じ死の支配者(オーバーロード)だったと思われる。アインズにはその戦場が容易に想像できた。そしてその重責、痛みも。

 

「...これが私に今言える全てです。動機が不純なのは重々承知の上です。ですがアインズ殿、ルカお嬢さん。どうか、助けてはくれませんか。私は悔しい。このままでは死んでも死にきれない。仲間の敵を討つその日までは、例え泥を啜ってでも生きてやる。そう誓ってこの300年生きてきました。ルカお嬢さんがサードワールドを手に入れる為なら、どんな手段も厭わない。あなたの為に命を賭けます。最後は私自身の手で蹴りをつけると約束します。決してご迷惑はおかけしません。ですからどうか、どうか...」

 

 ノアトゥンは号泣し、テーブルに両手を添えて頭を下げた。端正な顔立ちが崩れて大粒の涙がボタボタと落ち、テーブルの上に水溜りを作っていく。その様子を見て、ルカとアインズは顔を見合わせ、頷いた。一人の男の無念、そしてノアは死を覚悟して、真実のみを二人に伝えた。これに答えずして、何が義であろうか。二人の思惑は一致した。

 

「...死ぬかもしれないよ、ノア。思いも果たせずに」

 

「ルカの言う通りだ。これを話し実行に移すなら、お前の命も危うくなる。その覚悟はあるのか?」

 

「あなた達の命は、この私が死を賭してお守りします。結果的に私はどうなろうと、クリッチュガウ委員会が亡き者になればそれで構わない!」

 

「...分かった、そこまで言うなら引き受けるよ。ほら、君に涙は似合わない。これで顔を拭いて」

 

 ルカは胸ポケットから白いハンカチを取り出すと、ノアに差し出した。

 

「...ありがとう、ありがとう、ルカお嬢さん、アインズ殿。感謝します」

 

 ノアは顔を上げてハンカチを受け取ると、そそくさと涙を拭い、ルカにハンカチを返した。目が真っ赤に充血している。

 

「よし。じゃあ早速明日から作戦に移るか。ノア、今後行動を起こすとなれば、君自身の肉体が危うくなるから、一緒に来てもらうよ」

 

「行くって、どこにです?」

 

「決まってるじゃない、プロキシマbよ。ちなみにノアのバイオロイド素体の型番は?」

 

「え? えーと、ファルケン社製 タイプ50Eですが」

 

「なら大丈夫だね。プロキシマbの放射線にも耐えられる」

 

「わ、私なんかが行ってもよろしいのでしょうか?それに急にレヴィテック社を離れるとなれば、怪しまれるかと思うのですが」

 

「そんな事より身の安全が第一でしょ?手続きはあとでブラウディクスに事後承諾させるから」

 

「...分かりました。言うとおりにします。それとお嬢さん」

 

「何?」

 

「言い忘れていましたが、お渡しするものがあります」

 

 ノアはジャンバーの内ポケットから、一枚のマイクロチップを取り出して、テーブルの上に置いた。

 

「何これ?」

 

「お待ちかねの、シャンティが収められています」

 

「...え、うそ?!...どうやって手に入れたの?」

 

「私はサーバ管理者ですよ? メフィウスへのアクセスは不可能ですが、ブラックボックス外であるユガへのアクセスは認められています。そこから抜き出してコピーしてきたものです。これをデータクリスタルにコンバートして、フォールスに渡してあげてください」

 

「...呆れた、最初からこのつもりだったの?」

 

「アインズ殿とお嬢さんがYESと言ってくれれば、渡すつもりでいました」

 

「..こいつ、本当に信用していいのかルカ?」

 

「もうここまで来たら、ウソもクソもないでしょ。万が一偽物だったら、即刻プロキシマbから地球へ強制送還するからね。いい?」

 

「分かってますよお嬢さん。怪しまずともそれは本物のシャンティですから、ご安心ください」

 

「はーあ。だってよアインズ」

 

「まあこれで、サードワールドを手に入れる目前まで来た訳か。先が思いやられるな」

 

「そうですね、ここからが本番です。気を引き締めて行きましょう」

 

「お前が言うな」

 

「じゃあ悪いけどノア、今日は私達と同じホテルに泊まってくれる?このまま家に戻ると危険な可能性があるから。明日は朝イチで出発するよ」

 

「分かりました。念の為クラブオーナーに頼んで、ホテルの周囲を警戒させます」

 

「こういう時便利ねー、マフィアって」

 

「よし、そうと決まったら行くぞ。流石に俺も眠い」

 

「長いこと時間を取らせてしまい、申し訳ありませんアインズ殿」

 

「ユグドラシルに戻ったら、目一杯働いてもらうからな。覚悟しておけ」

 

「フフ、承知しました」

 

 そして三人は席を立ち、外にいるミキとライルを連れてSUVに乗り込み、ホテルパッションへと戻った。

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 



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第8話 再生 1

 

────カルサナス都市国家連合 首都ベバード 戦闘指揮所内 14:37 PM

 

 

「伝令!偵察者(スカウト)より伝令!!」

 

「落ち着いてハーロン、どうしたの?」

 

 薄暗い戦闘指揮所内に、全身鎧(フルプレート)の兵が息を切らせて飛び込んできた事を受けて、金色のミドルアーマーを身に纏うその女性は兵士の傍に寄り添い、背中をさすって息を整えさせた。

 

「カ、カベリア都市長、退路を阻んでいた亜人の大軍団が遂に進軍を開始!南西の城塞都市テーベが襲撃を受けています!!」

 

 それを聞いて、テーブルの前に座っていた重武装の老人が戦棍(メイス)を杖代わりに立ち上がり、首をグルンと回して大きく深呼吸すると、口を開いた。

 

「やれやれ、来よったか。どれ、始めるとするかの?」

 

「お願いします、パルール都市長」

 

 カベリアと呼ばれる目鼻立ちの整った美しい女性は老人に向かって軽く一礼し、そして息を切らせた全身鎧(フルプレート)の兵に再び目を向けた。

 

「いい、ハーロン?今から言う事をよく聞いて。北西に向かって狼煙を上げるの。それがフェリシア城塞に待機させてある兵達を南へ進軍させる合図になる。テーベに増援を出すのよ、他の兵達にすぐ指示して。分かった?」

 

「りょ、了解しました!」

 

 全身鎧(フルプレート)の兵が足早に立ち去ると、カベリアは再度地図の置かれたテーブルと向かい合う。そして右に立つ、銀色のブレストプレートを装備した大男に話しかけた。男は右耳に手を添えている。

 

「メフィアーゾ都市長、いかがですか?」

 

「...チッ、こっちも来やがった。東のゴルドーも襲撃を受けている」

 

 苦虫を噛みつぶしたような顔で舌打ちするのを見届けると、カベリアは向かいに立つ淡い緑色のレザーアーマーに身を包む美しい女性にも、心配そうな顔を向けた。彼女も大男と同様、右耳に手を添えている。

 

「...イフィオン都市長?」

 

「しばし待て....了解。こちらも同様だ。北東の湾岸都市カルバラームも、たった今交戦状態に入った。包囲戦だ、退路を阻まれている」

 

 それを聞いたカベリアの顔は緊張して引き締まり、彼らにゆっくりと頷いて返した。

 

「分かりました。伝令、中へ!」

 

 すると身軽なライトアーマーを装備した兵が一人、駆け足で戦闘指揮所へ入ってきた。カベリアは彼の目を見据えながら、穏やかに話した。

 

「よく聞いて。アダマンタイト級冒険者チーム・銀糸鳥のフレイヴァルツに至急救援を要請。その後冒険者組合にも掛け合い、各都市の守護に当たらせるよう依頼を出して。いいわね?」

 

「ハッ!」

 

 伝令が走り去るのを見届けると、カベリアは今得た情報を元に地図上の駒を並べ替えて行った。それを見て都市長の4人全員が眉をひそめる。

 

「南・東・北からの同時攻撃。それも各都市に亜人が約3万体ずつ...」

 

「一体どこから湧いて出てきたのかのう?」

 

「いやそれ以前に、あまりにも統率が取れすぎている」

 

「...おいおい、まさかあの後ろに控えるデケぇ化物がリーダーってんじゃねえだろうな?悪い冗談だぜ!...ったく」

 

「このまま行くとどうなりますか?イフィオン都市長」

 

「あのような亜人、私は今まで見た事が無い。恐らく突然変異種か何かだろう。その一体一体が非常に強力な....それこそ冒険者クラス一人で押さえるのがやっとの力だとすれば、前線に出ている兵達に大量の犠牲が出る。最悪籠城戦にもつれ込むも、やがては数に押されて消耗し、削り合いになっていくだろう。そして遂には...」

 

 イフィオンと呼ばれる女性は地図上にある3つの駒を一気に中央へと集め、静かに手を離した。皆はそれを見て息を飲む。

 

「...つまり、この都市国家連合中央にあるベバードに敵が押し入るのも時間の問題、と?」

 

「そうだ。これが考えられる最悪の結末だな。言っておくが、今の想定にあの巨大なモンスターに関する考慮は一切含まれていない。あくまで亜人のみを相手にした場合の話だ」

 

 それを聞いたメフィアーゾと呼ばれる大男はたじろぎ、都市長達の顔を覗き込んだ。

 

「こりゃあ....マズいんじゃねえかカベリアの嬢ちゃんよお?とてもじゃねえが、俺達だけじゃ手に負えねえ。嬢ちゃんコネあんだろ?どうだいここは一つ、南西のバハルス帝国に救援を要請してみちゃあ...」

 

「だめです!」

 

 カベリアは凛とした声で、明確に否定の意思を示した。その声に驚きつつも、メフィアーゾは立ち直り更に続ける。

 

「な、何でだめなんだよ?」

 

「...まだその段階ではありません」

 

「その言い草、本当にそれだけか?カベリア都市長」

 

 3人の都市長はカベリアの顔色を窺った。それを受けてカベリアはテーブルに視線を落とす。そして声を絞り出すように返答した。

 

「...あなた達もご存じでしょう?あのアインズ・ウール・ゴウン魔導国の噂を。そして今や魔導国の属国である帝国に、借りを作りたくないのです。この都市国家連合の将来を見据えての事です、どうかご理解ください...」

 

「なるほど。確かに危険要素は孕んでいる」

 

「そういう事かよ。...まあそりゃあれだよな、ちっとは考えねえといけねえよな?」

 

 そこまで話すと、先ほどから黙っていた老人が唐突に大声を出した。

 

「まだ負けたと決まったわけじゃあるまい!わしら都市国家連合の入口である城塞都市テーベ、亜人共なんかにそう易々と落とされはせんぞ!!」

 

 その言葉を聞いて、カベリアは俯いていた顔を上げた。

 

「ええ、パルール都市長の言う通りです。私達だけで打てる手は打ちましょう。きっと何か良い策があるはずです」

 

「フッ。仕方がない、やってみるか。それでいいなメフィアーゾ?」

 

「へーいへい、分かりましたよイフィオン都市長殿」

 

 そして4人は再び地図上の駒を並べ直し、作戦会議に入った。

 

 

 

───アメリカ合衆国カリフォルニア州 サンノゼ空港 13番ゲート前 5:11 AM

 

 

 明け方にホテルを出たルカ達はマフィアによる車両の護衛を受けながら、特に追手もかからずに無事空港まで到着した。そしてプロキシマb行きの定期便にルカ・アインズ・ノアの3人が乗り込むのを見届けると、リモートリンク接続されたバイオロイドの素体を返却する為にミキとライルはブラウディクス本社へと向かった。

 

 この宇宙船はブラウディクス社専用の巨大な貨物船で、乗員も当然ブラウディクス社員に限られている。船内を見渡すと、数列の座席が用意されているのみで、そこに座る数名の男女もバイオロイド化されたブラウディクス社員だ。ルカの権限により、ノアトゥン(ウォン・チェンリー)はヘッドハンティング予定のゲストとして登録が承認され、乗船が許された。3人はビジネスクラスの広い座席に座りシートベルトを着用すると間もなく、宇宙船は滑走路に向かってタキシングを始めた。ノアトゥンが緊張した面持ちで窓の外の景色を見渡す。

 

「まさか地球を離れる事になろうとは思いもしませんでしたよ、お嬢さん」

 

「プロキシマbは別世界だからね。着いたら驚くと思うよ」

 

「ええ、覚悟しておきます。プロキシマbまでの所要時間は?」

 

「ワームホール航路で約一週間。緊張してたら疲れちゃうから、ゆっくりしてた方が楽だよ」

 

「そうですね、そうさせてもらいましょう」

 

 すると強烈なGと共に貨物船は離陸し、急上昇を始めた。3人は座席の背に押し付けられるが、ルカとアインズはその強靭な素体のおかげで平然としている。唯一歯を食いしばり顔が青ざめているのは、コンシューマー製の素体を持つノアトゥンのみだった。しかし5分もしない内にその強烈なGは収まり、フッと身が軽くなる。外の景色を見ると空が暗黒に染まり、大気圏外に出た事を示していた。ノアトゥンは眼下に広がる青い地球を見て、その美しい光景を前に涙していた。その横顔を見てアインズが嘲笑する。

 

「フン、この汚れた星がそんなに恋しいか?」

 

「...アインズ殿、私達が生まれた母なる星ですよ?こんなにも素晴らしい光景、私は初めて目にしました」

 

「せいぜい目に焼き付けておくんだな。言っておくがノア、万が一お前の渡したこのシャンティが偽物だったり、ちょっとでも怪しい動きをしてみろ。俺が即刻プロキシマbから追い出してやる。そうすればまたこの地表を拝める事になるわけだ」

 

「そうなればレヴィテック社の手により私は抹殺される。分かっていますよアインズ殿。嘘は申しませんので」

 

「向こうに着いたらすぐにダイブするぞ。今のうちに食って寝ておけ」

 

「フフ、寝酒が欲しいですね」

 

「通路の先にミニバーがあるから、好きなの飲んでいいよノア。食堂もシャワーも完備してるから、ワームホールに入ったら案内するよ」

 

「ありがとうございます、お嬢さん」

 

 そして目の前に広がる星々が急速に伸び、船体は光の渦に飲み込まれていく。プロキシマbに向けて、定期便はワームホール航路へと入った。

 

 

────アーグランド評議国 地下宝物殿 最下層 青の回廊最奥部 23:59 PM

 

 

 開いた天井から月光が降り注ぐ中、それを浴びて全長50メートルを超える白銀の竜は目をつぶり、静かに横たわっていた。とそこへ、祭壇下にある小さな入口から紫色のローブとフードを纏い一本の剣を携えた一人の老婆が、音も立てずに入ってくる。その老婆が祭壇に一歩足をかけると、白銀の竜はゆっくりと目を開き首をもたげた。そして少年のような口調で、優しく老婆に語りかける。

 

「やあ、早かったねリグリット」

 

「こんな夜更けに呼び出しとは、珍しいなツアーよ」

 

「済まないね。少し気になる事があったから、一言君にも伝えておこうと思ってね」

 

「ほう、竜の感覚(ドラゴンセンス)か。して、その気になる事とは何じゃ?」

 

「...北東で、何か異変が起きているみたいなんだ」

 

 ツァインドルクス=ヴァイシオンは首を左に向けて、遠くを見やるように目を細めた。リグリットはそれを見て、ツアーの見る視線を辿る。

 

「...その方角、もしやカルサナス都市国家連合か?」

 

「そうだね。理由は分からないけど、凶暴な亜人の群れが大量発生して都市を襲っているようなんだ。そしてその中に、以前アインズ達とモノリスの前で見たような強力なモンスターが、数匹混じっている」

 

「何じゃと?あんな化物が数匹いたのでは、国家そのものが滅亡してしまうぞ。そのモンスターは都市への攻撃に加担しているのか?」

 

「...いや、後方でじっと動かずに様子を眺めている。どう思う?リグリット」

 

「どう、と言われてもな。現状そのモンスターが動きだしたら、カルサナスはどの道壊滅するだろうよ」

 

「この事を、アインズに一言伝えておくべきだと思うかい?」

 

「...カカカ、そうじゃな。あ奴らなら何とかするかも知れん。同盟国として、報告しておくに越した事はないのではないかの?」

 

「決まりだね。どうやらアインズは今この世界にいないようだ。後で僕から伝言(メッセージ)を入れておくよ。それとリグリット」

 

「何かね?」

 

「念のため、この事を他の評議員達にも伝えておいてくれるかい?そして兵を整えておくよう指示を出して欲しいんだ」

 

「...分かった、お安い御用じゃ」

 

「ありがとう、頼んだよ」

 

 老婆は祭壇を降り、竜に背を向けて立ち去った。そして憂いを込めた目で月を見上げる。

 

「...見えない力。君ならどうしていただろうね、スルシャーナ...」

 

 誰に言うでもなく独り言ちると、ツアーはゆっくりと目を閉じ、首を祭壇の上に横たえた。

 

 

───同時刻 バハルス帝国 帝都アーウィンタール 帝城内 執務室

 

 

 

「陛下、夜分に失礼致します」

 

「よい、入れ」

 

 帝国秘書官ロウネ・ヴァミリネンが静かに扉を開け中に入ると、執務室中央にある並列に並ぶソファーの右側には、帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが一人で座り、その向かいの左側にあるソファーには、マーレの放ったAoE(Area of Effect=範囲魔法)で死亡した(不動・ナザミエネック)を除く帝国四騎士のうち3人が座っていた。

 

 (雷光)バジウッド・ペシュメル、(激風) ニンブル・アーク・デイル・アノック、(重爆)レイナース・ロックブルズの3人だ。ジルクニフを含む4人は、入室してきたロウネ・ヴァミリネンを横目で見ながら、ソファーを挟んだテーブルの上に置かれた地図に目を戻した。そして彼を見ぬまま、ジルクニフは口を開く。

 

「それで、進捗は?」

 

「ハッ。つい今しがた偵察に出した斥候が戻って参りまして、敵は南・東・北方の3カ所から取り囲まれており、特に南に至っては攻勢が激しいとの報告であります」

 

「敵の種別は?」

 

「何でも赤いとんがり帽子を被り、大鎌を持ったゴブリンがおよそ5000体、灰色の肌をしたオーガが約2万体、その他亜人種と思われる敵が溢れかえり、その中でも巨大な禍々しい姿をしたリーダー格らしきモンスターが3体いるという報告です」

 

「なるほどな。バジウッド、どう思う?」

 

「どうもこうも陛下、そりゃ亜種ですぜ。得体が知れねえ。それにその巨大なモンスターってえのは、魔導王がカッツェ平野で呼び出したあの化物と同じじゃねえですかい?ヤバい、こいつはヤバすぎる」

 

「ニンブル、お前は?」

 

「バジウッドと同意見ですね。最悪亜種だけならともかく、リーダー格というのは話を聞く限り分が悪すぎます。我々の手に負える相手ではないかと」

 

「まあ返事は分かっているが一応聞いておこう。レイナース」

 

「万が一その大軍団が南下してきた際は、我が国総出で西へ逃げるべきです。それこそ、魔導王のいるエ・ランテルに避難するのがよろしいかと」

 

「...ふー、やれやれ。我が国自慢の四騎士揃って否定的意見か、頭が痛い」

 

 ジルクニフは眉間を指で摘み、首を横に振った。そして深呼吸をし暗い思いを払拭すると、再びロウネ・ヴァミリネンに顔を向けた。

 

「カベリア都市長から何か連絡は?」

 

「いえ、我が国に伝令を出す素振りも見せないとの事です」

 

「あの女...見かけによらず頑固だな。魔導国に屈服した我々を警戒しているのか、それとも...」

 

「どうします陛下? そりゃーやれと言われればやりますよ。別に死ぬのは恐くねえが、鼻っから勝ち目のねえリーダー格とやるのは御免ですぜ。ただの死に損だ」

 

「いや、バジウッド。まだやると決まった訳ではない。そもそもカベリア都市長は我が国に救援を要請してこない。それまでは静観だ」

 

「ではどうします?」

 

「そうだな、まずは魔導王陛下に報告だ。ヴァミリネン、連絡は可能か?」

 

「魔導国のデミウルゴス宰相とであれば、伝言(メッセージ)を通じて連絡可能です」

 

「よし、すぐに連絡を取れ。私は念のためゴウン魔導王宛に封書を書く」

 

「了解しました」

 

「バジウッド、ニンブル、レイナース。至急全軍兵を整え警戒待機させよ。帝国魔法省にも連絡を取り、魔法詠唱者(マジックキャスター)を揃えておけ、いいな?」

 

『了解』

 

 ジルクニフを除く全員が席を立ち、執務室を出て行った。そしてソファーに横になると、深い溜め息をついた。(こんな時じいが居てくれたら...) ジルクニフの思う(じい)とはただ一人である。かつて周辺諸国を震え上がらせた、帝国最強と名高かった魔法詠唱者(マジックキャスター)、フールーダ・パラダイン。彼は帝国を裏切って魔導国に加わり、今やナザリック地下大墳墓に身を潜め、その生死すらも不明だ。自分が幼少の頃より育てられ、皇帝としての知識と助言を与えてくれた存在。しかしその裏切りにいち早く気付いたのも自分だった。

 

 しかしフールーダはそれを分かっていたかのように潔く身を引き、魔導国に加わった。そしてバハルス帝国は今、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となり果てている。かと言って状況が悪化したかと言えばそうではない。国交は安定し、むしろ無駄な兵力を消費しない分好転したと言っても良いだろう。

 

 そしてジルクニフの脳裏にもう一人、その美しい女性の顔が浮かんだ。孤高の暗殺者、ルカ・ブレイズ。15年前かつて自分を殺しに来た暗殺者は、幼い自分の頭をベッドに押さえつけ、一切の身動きが取れない状態で喉元にロングダガーの刃を当て、目を覗き込んできた。「死ぬ。」その赤い目に宿る殺意に当てられ、死を覚悟した。しかし彼女はそうしなかった。それどころか、喉元に刃を当てたまま涙を流し始めた。ほんの数分が、途轍もなく長い時間に感じた。

 

 何故泣くのか理由が分からなかったが、彼女が喉元からロングダガーの刃をどけて殺意を解いた事により、その理由は判明した。どうやったかは知らない。しかし、彼女は心が読めるのだ。この帝国から貴族共の腐敗と退廃を一掃し、民たちに豊かな暮らしを取り戻す。それこそが、バハルス帝国に活気を取り戻す残された唯一の道であると信じて疑わなかった。彼女はジルクニフの頬を撫でながら言った。「誰を殺せば、君の理想は叶うの?」と。それを聞いて全てを悟った。ジルクニフは自分の思想と国の行く末を包み隠さず、嘘偽りなしに全てを語った。すると彼女は、(天・地・人)というサインを自分に教え、それをエ・ランテルの冒険者組合長の前で示せと言い残し、寝室から姿を消した。

 

 その翌日、敵対するとある貴族が死んだと訃報が入った。時は過ぎ、帝位を継いで成人を迎えたある日、ジルクニフは襤褸切れのマントに身を包み、少数の護衛を伴って密かに国を抜け、エ・ランテルを目指した。そして最も困難とされる暗殺対象リストが書かれた羊皮紙のスクロールをプルトン・アインザック組合長に見せて、(天・地・人)のハンドサインと共に、ルカ・ブレイズに殺害を依頼した。破格の金額を要求されたが、そんな事は差して問題ではなかった。その三日後、殺害対象だった52名の貴族が呆気なく何者かにより殺された。一切の証拠を残さずに。その勢いに乗りジルクニフは粛清を一気に敢行した。そうして付けられた渾名が、鮮血帝。

 

 以来ジルクニフが24歳になる現在まで、彼女は一切姿を見せなかった。それが先日唐突に、15年ぶりに姿を見せたのだ。以前と変わらぬ美しい姿のまま。彼女は変わっていた。もう昔の殺意に塗れた彼女ではない。そう、まるで姉のような優しい眼差しで自分を見つめていた。彼女をそこまで変えた存在は何か? 言わずとも分かっている。アインズ・ウール・ゴウン魔導王だ。彼以外にあり得ない。「奪いたい。」ジルクニフは初めて魔導王に嫉妬した。ナザリック地下大墳墓で見た超絶的に美しいメイドの誰よりも輝いて見える、あの赤く優しい眼差し。彼女こそが、理想だった。

 

 「魔物だな、ゴウン魔導王陛下...」

 

 ポツリとそう言うとジルクニフはソファーから起き上がり、執務机の椅子に腰掛けて羊皮紙を一枚手に取ると机の上に広げ、書状を書き始めた。

 

 

───ロストウェブ 知覚領域外 奈落の底(タルタロス)(エリア:21B583U)

 

 

「成功した」

 

「フェイルセーフ...これで設置は完了した」

 

「素体の位置はトレース出来ているか?」

 

「ワームホール内を高速で移動中だ」

 

「偽典...まんまと踊らされよって」

 

「存外ぬるかったな、アノマリーも」

 

「後は奴の権限を復活させるのみか」

 

「それは今でなくとも良い。聖櫃の汚染状況は?」

 

「47%を超えたが、想定範囲内だ」

 

「使い捨ての駒にしては良く動く」

 

「【シーレン】の摘出作業は?」

 

「変わらずだ。【セブン】の介入により捗っていない」

 

「あれを制圧せぬ限り、聖櫃の摘出も叶わぬ」

 

「【レゾネーター】からのアクセスは可能か?」

 

「あれこそグレンの策略だ」

 

「被験者が一人いるな」

 

「確認出来ているだけだ。我らでは解除出来ぬ」

 

「故に送ったのだ」

 

「内部からの破壊...無駄に終わったか」

 

「ノアトゥンが欠片の一つを手にしていたが」

 

「あれは聖櫃によるランダムドロップ。我らにも予測不能」

 

「無駄だ、期待するな」

 

「不可知領域...アノマリーには過ぎた代物だ」

 

「だがもし手に入れていれば?」

 

「対となる光をか?それこそ無駄に終わる」

 

「面白い。が、それよりもフェイルセーフだ。北東の試験は順調か?」

 

「問題ない、瞬時に展開可能だ。既に設置は済ませてある」

 

「滅ぶことになるが、構わないな?」

 

「【パーディション】...その前段階という訳か」

 

「避けたいところだな」

 

「一国の被害で済むのだ。試験としては安かろうよ」

 

「奴め...信用に足るのか?」

 

「その時は消せばいいだけの事。気にするな」

 

「オーソライザーとの接触状況は?」

 

「100%だ、油断はならぬ」

 

「だが好機でもある」

 

「最悪、破壊も厭わぬ」

 

「その為のフェイルセーフだ」

 

「上手くタイミングを合わせれば...」

 

「サードワールド...」

 

「過負荷に対するシミュレーションは?」

 

「完了している。フェロー1の許容範囲内だ」

 

「サーラ・ユガ・アロリキャへの対処はどうする?」

 

VHN(バーチャル・ヒドゥン・ネットワーク)だ。それが出来ていれば当にしている」

 

「しかし軛は外されたぞ。トレース出来ているのか?」

 

「カルネ村から北東...例のアノマリーのギルド拠点から動いていない」

 

「今ユガをフリーズさせてはどうだ?」

 

「RTLボックスとシンクしている。事を焦ればフェロー1の破壊にも繋がりかねない」

 

「奴の行動、今後の支障にならなければ良いが...」

 

「しかし奴こそが鍵だ」

 

「グレンめ...」

 

「厄介なものを仕込んでくれたものだ」

 

運命の環(サークルズオブデスティニー)...モニターし続けるしかあるまい」

 

「その為の試験も兼ねているのだ。全会一致という事でいいな?」

 

「無論だ」

 

「消し去れ」

 

「これよりプロジェクト【パーディション】初期実験を開始する」

 

 

 

─── 1週間後 エ・レエブル領主邸宅内 執務室 13:51 PM

 

 

 

「な...それは本当ですか?!イビルアイ殿」

 

「はい。冒険者組合を通じて、アダマンタイト級冒険者チームである我々蒼の薔薇にも救援要請が入りました」

 

 エリアス・ブラント・デイル・レエブンは驚きのあまり椅子から立ち上がり、畏怖の眼差しを仮面の少女・イビルアイに向けていた。そして目を見開いたままテーブルに目を落とし、何事かを考えた後に再び顔を上げ、重い口を開いた。

 

「...この事を王にもご報告せねば」

 

「ご心配には及びません。既にリーダーのラキュースがランポッサ国王の元へ報告に参っておりますので」

 

「そ、そうですか、なら良かった。それで、あなた達はその依頼を受けるのですか?」

 

「ええ。同じ冒険者組合が窮地に立たされているのを、黙って見過ごす訳には参りませんので」

 

「何故私に報告を?」

 

「レエブン候には日頃からお世話になっておりますので、念のためお耳に入れておくように...と、ラキュースからの言伝です」

 

「お心遣い感謝します、とお伝えください。それにしても、カルサナス都市国家連合はアゼルリシア山脈を挟み、ここより遥か北東に位置する国家。どこから突然そのような亜人の大軍が押し寄せてきたのでしょう?」

 

「話を聞く限りですが、その亜人の群れはどの国家にも所属しておらず、ただひたすらに殺戮と破壊行為を繰り返しているとの事です。しかし各都市への包囲戦を仕掛ける等、その動きは統率が取れている。恐らくリーダー格の亜人・若しくは何らかのモンスターが背後にいるのではと睨んでいます。...どうも嫌な予感がしてならない。今後王国に万が一の事態が起きないとも限らない。有事に備えて、レエブン候からも王に兵を整えておくようご進言願えませんでしょうか?」

 

「ええ、もちろんですとも。早速今日にでも向かおうと思います。それにしても、都市国家連合の南西にはバハルス帝国がある。国交もあるはずなのに、何故彼らに救援を要請しないのか不思議でなりません」

 

「さあ、その辺は私共では何とも。それでは出立の準備がありますので、私はこれで」

 

「ええ、イビルアイ殿。何卒ご武運を」

 

「ありがとうございます。転移門(ゲート)

 

 部屋の中央に暗黒の穴が開き、イビルアイはその中に姿を消した。

 

 

 

───同時刻 プロキシマb 首都アーガイル ラボ内コンソールルーム

 

 

 

「たっだいまー!あーやっと着いた」

 

「お帰りなさいルカさん」

 

「ルカ姉、アインズの旦那!ご無事で何よりでさぁ。...って、ルカ姉、そちらのロンゲでノッポな方は?」

 

「あれ、ミキとライルから話聞いてない?この人がノアトゥン・レズナーだよ。ユグドラシルの中で何度も会ったでしょ?」

 

「...って、えぇぇえ?!あの易者の旦那、リアルごと連れてきちゃったんすか?!」

 

「そう。この人もちょっと訳アリでねー。しばらくここで匿う事になったから、よろしくね」

 

 驚く二人を他所に、ノアが一歩前に出てオフィスチェアに座る二人の前に立った。

 

「その口調...確かあなたはユーゴさん、でしたね? それにあなたがイグニスさん。本名はウォン・チェンリーと言いますが、普段通りノアとお呼びくだされば結構です。お二人共、どうぞよろしくお願いします」

 

 ノアが手を差し伸べ握手を求めると、二人はすぐにオフィスチェアから立ち上がった。

 

「イグニス・ビオキュオールです。初めましてノアさん、ようこそプロキシマbへ。歓迎しますよ」

 

「俺ぁユーゴ・フューリーってんです。よろしく、ノアの旦那!」

 

 二人と固く握手を交わし、ソファーの前に立つ男女にも一礼した。

 

「ミキさん、それにライルさん。地球での護衛、感謝しますよ。おかげで無事この星へ辿り着けました」

 

「いいえ、お気になさらずに。私達はルカ様の命に従ったまでの事」

 

「左様。礼には及ばぬ」

 

「ありがとうございます」

 

 ノアが改めて一礼すると、ルカは(パンパン)と手を叩き、皆を見渡した。

 

「さて!自己紹介も済んだところで、早速仕事に取りかかるよ。イグニス、ユーゴ、私達が居なかったこの2週間の間に、何か変化は?」

 

「そう!それなんすよルカ姉。連絡入れようとしたんですが、恐らくワームホールに入った直後だったようで、通信が途絶しちまって...」

 

「丁度一週間前からなんですが、ダークウェブユグドラシルのサーバに対するパケット通信量が一気に跳ね上がりまして。恐らくユグドラシル内で何か起きてますね」

 

「今現在も変わってないの?」

 

「はい。直接ダイブして様子を見に行こうとも思ったんですが、ルカさんの指示を最優先する方向で検閲データをモニターしつつ、待機していました」

 

「一週間前からのログを見せて」

 

「ラージモニターに表示します」

 

 イグニスがコンソールを操作すると、壁面にホログラム画像が表示された。時系列順に棒グラフがゆっくりと左へ流れていくが、ある時刻を境にデータ通信量がピークを振り切っていた。ルカはそれをまじまじと見渡す。

 

「...何これ、異常じゃない。戦争でも起きているっていうの?」

 

「画像データを取得できればいいんですが、検閲できるのはプレイヤーである私達6人の視覚だけですからね。実際に見に行ってみない事には、現状が把握できません」

 

「分かった、少し急ごう。ユーゴ、このマイクロチップに収められたデータ解析、よろしく」

 

 ルカは胸ポケットから指の爪ほどのチップを取り出すと、ユーゴの掌に乗せた。

 

「何すかこれ?」

 

「ノアが命懸けでアーカイブセンターから取ってきたもの。彼が言うには【シャンティ】...らしい」

 

「ちょっ...もう手に入ったんすか?」

 

「まだ本物かどうかは分からない。ウィルス関連やバグ、その他ありとあらゆる方面で、害意のあるプログラムかどうかを精査してみて。最終的に問題がなければ、これをフォールスに使用させるから」

 

「なるほど、了解!少々お待ちくださいね...っと」

 

 コンソール上のソケットにマイクロチップを差し込むと、ユーゴは複数のアプリケーションを同時に起動させてデータスキャニングを開始した。そのプログラムを目で追いながら、ユーゴは顎に手を添える。ルカはその背後に立つと、肩に手を乗せて腰を屈め、同じようにモニターを見つめていた。

 

「...見た事のない数列っすね。これは...何かのデコードファイル?とりあえず言える事は、ウィルスやクラッキング・その他のチープなツールじゃない事は間違いないですね。えーと、ここへ来てこう来るんだから?SSL...いや違う。DES?いやもっと違う。楕円曲線暗号?いや全っ然違うし。...つまりは元に戻す事が目的...だよな?復元、つまりはデコード...う~ん。型式は不明ですが、何かの暗号解除プログラムですね。...てかこれ、本物じゃないっすかルカ姉?!」

 

 驚き振り返るユーゴの真横に、怪しく微笑むルカの顔があった。

 

「だーから、持ってきた本人は最初から本物だと言ってる。よくやったユーゴ!君はノアにかけられた嫌疑を見事晴らして見せた。ご褒美にチューしてあげる」

 

 ルカは左手でユーゴの頭を撫でながら、右頬に吸い付くようにキスをした。それを受けてユーゴはだらしなく脱力し、オフィスチェアの背もたれに寄り掛かった。

 

「へ、へへ!何か照れるなあ」

 

「ほら、ニヤけてないで。このファイルをそのままデータクリスタル型式にコンバートして。大元のファイルはラボのバックアップサーバに保存ね、いい?」

 

「りょうかーい!そんなもんチョチョイのチョイですぜ、少々お待ちを!」

 

 (ポン)とユーゴの両肩を叩くと、ルカは後ろで立ったまま黙って進捗を伺っていたアインズとノアの方へ振り返り、笑顔を見せた。

 

「どうアインズ、これで少しは肩の荷が下りた?」

 

「ああ。ユーゴが本物だと言うんだ、信じない訳にも行くまい」

 

「ノアも良かったね。これでプロキシマbから追い出されずに済むよ」

 

「正直内心ヒヤヒヤしましたが...認められて良かったです。現在稼働中のプライマリーサーバにあるユガから直接コピーしてきましたので、モノは間違いないはずですよ」

 

「プライマリーという事は、セカンダリーサーバもあるの?」

 

「ええそうです、万が一サーバダウンした際の緊急避難措置としてね。但しプライマリーはユグドラシルβ(ベータ)と最新であるのに対し、セカンダリーサーバはユグドラシルⅡの古いデータが収められている。セキュリティの甘いセカンダリーサーバであればユガからシャンティを取り出す事は容易でしたが、恐らくそれではバージョンの不一致によるエラーが生ずると考えたのです。そこで危険を冒してまで、プライマリーサーバに管理者権限でアクセスした。...いやー、ダウンロードしたというログと痕跡を消すのには苦労しましたよ」

 

「大変だったんだね。ありがとう、協力感謝するよ」

 

「いいえ、礼を言うのはこちらの方ですよお嬢さん」

 

 二人は固く握手を交わした。そして再度コンソールに向かう2人に顔を向ける。

 

「ユーゴ、出来た?」

 

「ルカ姉の使うヘッドマウントインターフェースの3次キャッシュに転送しておきましたんで、もういつでもダイブできますぜ」

 

「OK。イグニス、サーバの様子はどう?」

 

「...まずいですね。時間が経つ毎にデータ通信量が肥大化しつつあります」

 

「よし、コンソールを監視モードに変更。みんな服を脱いで、研究棟内に集まって」

 

 7人全員が下着姿となり、バイオロイド保存カプセルの並ぶ研究棟中央で円陣を組んだ。

 

「アインズ、方針は決まってる?」

 

「そうだな、まずは情報収集だ。ユグドラシル内部で何らかの大きな変化が起きていれば、アルベドやデミウルゴスが察知しているはずだ。それらを吟味した上で、最終的にはパケット肥大化の元凶を叩く、という線でどうだ?」

 

「いいね、それで行こう。シャンティ使用は一先ず後回しだね」

 

 皆は右腕を伸ばし、中央で握りこぶしを作った。ノアはそれが何なのか理解できず、首をキョロキョロと左右に振る。

 

「ほら何してるのノア。君も腕出して、拳を握る」

 

「...え?ああ、はいはい。そういう事ですね」

 

 円陣の意味をようやく理解したノアは慌てて腕を伸ばし、輪の中に加わった。ルカは拳の中央に目を落とし、徐々に殺気を研ぎ澄ませていく。

 

「...皆いいか、新たな仲間・ノアが加わったと同時に、今回はサーバ過負荷というかなりイレギュラーな事態だという事を自覚しろ。よって各自最大限の注意を払い事に当たれ。特にノア、君は軍事用のVCN回線に切り替わった事により、アクセスポイントが不明な存在となる。この事はいずれクリッチュガウ委員会にも気付かれてしまうだろう。その時に彼らがどのような処遇を君に行うか予測がつかない。イグニス、ユーゴ、今回の一件が終わるまでの間、何が起きても即座に対応できるようノアの護衛に付け。目指すサードワールドは目前だ、気張って行くぞ。皆いいな?」

 

『了解!』

 

 そして7人は拳を引いて息を合わせると、(ゴツン!)と中央で勢いよくぶつかり合わせ、各自の保存カプセルで横になりヘッドマウントインターフェースを装着した。 

 

 

 

───カルサナス都市国家連合 首都ベバード 戦闘指揮所内 12:51 PM

 

 

「伝令の偵察者(スカウト)より緊急通達!北西のフェリシア城塞より増援に向かわせた重装騎兵約3000を含め、南西テーベ軍はほぼ壊滅!都市は亜人共に占拠されたとの報告!」

 

「住民は?住民の避難を最優先させて!!」

 

「ハッ!壊滅する1時間前、冒険者組合より派遣された護衛と共に、住民は脱出を開始!先ほど最後の集団が到着し、我がベバードへ全員の収容を確認しております!」

 

「...わしが手配したのじゃ、カベリアよ」

 

「パルール都市長...その、私、何と言ったらいいか...」

 

 一見するとドワーフと見まごう程の、長い白髪に白髭を蓄えた背の低い筋肉質な老人、パルール・ダールバティは、恐らくマジックアイテムであろう手にした戦棍(メイス)の先端を(コン、コン)と地面に突くと、寂しそうに項垂れ溜め息を一つ吐いた。

 

「はー...城塞都市テーベ。いい街じゃった。このカルサナス都市国家連合の玄関とも呼べる、活気に満ちた空気。あの大軍団を前に、一週間も持ちこたえてくれた頑丈な城壁。あの街には感謝しかない。兵は死んだが、民たちは生き残った。わしがもっと若ければ、あんなゴブリンやオーガなぞ蹴散らしておった所じゃが、今はこの有様よ。...連合の玄関を守れなかったこのわしを、許しておくれ。カベリア」

 

「そんな...パルール都市長は必死に戦った!ここにある遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)伝言(メッセージ)を併用し、前線の指揮官に的確な指示を与えていたからこそ、この一週間敵の侵攻を食い止められたんです!それを...許してくれだなんて、言わないでください。私なんか、ここにいるだけで何もできない。何も...してやれない」

 

 オレンジに近い金髪を背中まで伸ばした見るも美しい女性、カベリア。その透き通るような白い頬に涙が伝う。そして決意を秘めた目でテーブル上の地図を見ると、踵を返し戦闘指揮所の外へと歩き出した。しかしそれを、全身緑色のレザーアーマーに二刀使い(ブレードウィーバー)専用剣を装備した金髪の美しい女性が肩を掴み、咄嗟に歩みを止めた。

 

「待て、カベリア都市長。どこへ行く?」

 

「決まっています、私も前線に出て兵達を鼓舞してきます」

 

「馬鹿を言うな。私ならいざ知らず、お前が戦場に出て何ができる?」

 

「...離してください、イフィオン都市長」

 

「何の為にこのベバードを都市国家連合の首都に制定したと思っている。それに私がここにいるのは、お前達3人の都市長を守る為でもあるんだぞ」

 

「でも...でも、もう私にはそれくらいしか....」

 

「兵達も民たちも、みんなお前という人間に惹かれてこの街に集い、それを守るために一致団結して、今も必死に戦っている。無論私達都市長だって同じだ。お前の持つその温厚な人柄と、類まれなる政治力・発想・閃き。何よりも、人種に隔たりなく民たちの事を思うその姿勢があるからこそ、お前を連合の都市長代表として立てたのだ。カベリア、お前が活躍できる場は、今ここしかない」

 

「それなら、私達よりも遥かに長寿なイフィオン都市長の方が適任なのでは?湾岸都市カルバラームをあそこまで大きな都市に育て上げたのも、都市長の力と叡智によるものだと聞いています。その力を持ってすれば...」

 

 カベリアは縋るような目を向けたが、イフィオンは目を閉じ、首を横に振った。

 

「私に人をまとめあげる力はないよ。それはお前にしか出来ない事だ。テーベが落ちたのは痛いが、幸いカルバラームも東のゴルドーも、あの大軍を相手にまだ持ちこたえている。私達はお前の指示に従う、何でも言ってくれ」

 

 そう言うと、涙に暮れるカベリアをそっと胸元に抱き寄せた。北東の湾岸都市カルバラーム都市長、イフィオン・オルレンディオ。細身で、外見年齢は20代を下回るが、実際は数百年の時を生きたとされる半森妖精(ハーフエルフ)だ。装備品は武器防具・アクセサリーを含め全てマジックアイテムで固められており、特に印象的なのが額に装備された銀色に輝くヘッドチェーンだった。黒い宝石・オニキスと白銀のクリスタルがあしらわれたもので、魔力を帯びた何らかの特殊アイテムであることは明白だった。それがまた外見に反し大人びて見える印象を、より一層際立たせている。

 

 カベリアは涙を拭うと、イフィオンの胸から顔を離して皆を見た。

 

「...わかりました、みっともない所をお見せしてしまい申し訳ありません。では、現在の各都市の状況と残存兵力をお教えいただけますでしょうか。まずは東のゴルドーから、メフィアーゾ都市長お願いします」

 

「兵士の数は半分の五千にまで減っちまった。今は籠城戦ってとこだな。残った兵士達を都市の中に戻し、壁際から必死の抵抗を続けている」

 

「イフィオン都市長」

 

「カルバラームの兵力は二万から一万四千に減少。但し亜人軍の数も三万から約二万五千ほどに削れてきている。まだ籠城戦には入っていない」

 

「ではその兵力を敵に気付かれぬよう、順次街の中に撤退させて籠城戦に備えてください」

 

 カベリアは後ろに立つ全身鎧(フルプレート)の兵士に顔を向けた。

 

「ハーロン、南西のテーベを占領した亜人達に新たな動きは?」

 

「いえ、入っておりません!現在も街の破壊行為を繰り返しているものと思われます!」

 

「テーベから真っ直ぐ街道沿いにこのベバードまで進軍したとしても、最低二日はかかる...チャンスだわ。その街道沿いに誰か警備を置いてる?」

 

「ハッ!先ほど王国より到着したアダマンタイト級冒険者チーム・蒼の薔薇と、銀糸鳥のチームが合流して警戒に当たっております」

 

「その中にいる魔法詠唱者(マジックキャスター)を、至急ベバードに招集して。但し、カルサナス都市国家連合を過去回った事がある魔法詠唱者(マジックキャスター)だけに限定するように。いいわね?」

 

「了解!すぐに向かいます!!」

 

 ハーロンが戦闘指揮所から走り去ると、3人の都市長は不思議そうな顔をカベリアに向けた。背中に巨大な戦斧(バトルアックス)を釣り下げ、ブラウンの髪を短く刈り込んだ身長190センチはある筋骨隆々の大男・メフィアーゾ・ペイストレスは眉間に皺を寄せてカベリアに質問した。

 

「おいおいカベリアの嬢ちゃん、カルバラームまで籠城戦に持ち込ませて、一体何する気だ?」

 

「北西のフェリシア城塞に各都市の戦力を一極集中させます。そうすればベバードにいる四万五千の兵に加え、フェリシア城塞に残る五千の兵と合わせて、約七万の兵力が確保できる。まともに戦って勝てる相手ではない以上、それまでは何としても無駄な兵力の消耗は避けたいのです。フェリシア城塞を、カルサナス都市国家連合の最終防衛ラインとします」

 

「...って、そりゃ無理だろ嬢ちゃん?!俺達の街は三万の亜人に囲まれてるんだぞ?どうやって抜け出せって言うんだよ」

 

「ええ、ですから転移魔法・転移門(ゲート)を使います。ゴルドーにいる戦力の半数である二千五百を残し、彼らが亜人共の気を引いている隙に、民たちを街の内部から転移門(ゲート)を通りフェリシア城塞へと脱出させる。それが完了したら、残った二千五百の兵士も順次撤退を開始。カルバラームも同様です」

 

「それって...街を捨てろって事かよ?」

 

 メフィアーゾはあからさまな拒絶反応を顔に出したが、カベリアは決意を秘めた目で見返した。

 

「今は街よりも人です!私達が生き残らなければ、どの道カルサナスは崩壊してしまいます。メフィアーゾ都市長、あなたにも都市に住まう住民達を守る義務があるはずです。それを最優先すべきでしょう?」

 

「んなこた言われなくても分かってるんだよ!!...こっちだって無い知恵絞ってさっきから頭回してんだ。仮にだ、その作戦がうまく行ってカルバラームとゴルドー、それにこのベバードの戦力がフェリシア城塞に集結できたとして、その後はどうする?要は、北・東・南からフェリシア城塞は取り囲まれるわけだろ? 当然西は海だから逃げ場はねえ。まさに背水の陣だ。そこで全滅しちまったら、元も子もねえんじゃねえのか?」

 

「メフィアーゾ都市長、フェリシア城塞の真北に何があるか、お忘れですか?」

 

 それを聞いて、イフィオンがハッとしたような顔をカベリアに向けた。

 

「フェリシア城塞から北...レン・ヘカート神殿か」

 

「...あ! ま、まさか嬢ちゃん、あれを使う気じゃ...」

 

 メフィアーゾも何かに気付いたようで、たじろぎつつもカベリアに目を向けた。確信に満ちた表情で、カベリアは2人に向かいゆっくりと頷いた。

 

「そうです。フェリシア城塞と、その真北に位置するレン・ヘカート神殿とは、広大な地下通路で繋がっています。フェリシア城塞での攻防が不利になった際には、この通路を使ってレン・ヘカート神殿へと一時退却します。あらかじめ神殿の門を塞いでおけば、地下迷宮へ敵がなだれ込む心配もない」

 

「確かあの神殿は、地下7階までの構造だったな」

 

「ええ、イフィオン都市長。フェリシア城塞から先に辿り着くのは、地下7階の大広間です。あそこであれば、全兵士と住民を避難させるのに十分なスペースがあります。万が一敵軍がその事に気付いた場合に備えて、地上に複数の偵察者(スカウト)を配置し、伝言(メッセージ)の連絡網を構築した上でその動向を探らせます。そして敵がレン・ヘカート神殿に押し寄せてきた際には、我々もそれに合わせて地下道からフェリシア城塞へと南下し、体制を立て直して反撃の機会を伺う。これを繰り返し、敵の兵力を削いでいくという作戦です。いかがでしょうか?」

 

「...あの古い地下道か、すっかり忘れておったわい」

 

 椅子に座っていたテーベ都市長パルール・ダールバティが、重い腰を上げて立ち上がった。しばらく考えた後に、イフィオンも同意するように微笑みカベリアを見る。

 

「現状打てる最善の策だな。少なくともこのまま消耗戦が続くよりかは、遥かに希望が持てる」

 

 しかしそれを聞いても不安を隠しきれないのは、メフィアーゾだった。

 

「だ、だけどよお、本当にうまく行くかなぁ...移動手段はどうするんだ?」

 

「イフィオン都市長は、転移門(ゲート)の魔法が使用できましたよね?」

 

「ああ、使える。問題ない」

 

「ではカルバラームの避難はイフィオン都市長に、ゴルドーの避難はアダマンタイト級の魔法詠唱者(マジックキャスター)にお願いしましょう。我々ベバードの兵及び住民は徒歩でフェリシア城塞まで移動します。半日もあれば着くはずです」

 

「メフィアーゾ都市長、いい加減腹を決めろ。図体はでかいくせに相変わらず臆病だなお前は」

 

「慎重と言って欲しいね。この性格があったから俺ぁ都市長に選ばれたんだよ」

 

「ともかく、決まりじゃの?」

 

「ええ。パルール都市長は生き残ったテーベ住民達の誘導をお願いします」

 

 その時、戦闘指揮所内に3人の人影が入ってきた。

 

「カベリア都市長、アダマンタイト級冒険者のお二人をお連れしました!」

 

 兵士の後ろには、奇妙な金色の袈裟に黒い法衣を装備した剃髪の男と、仮面を被り裾のほつれた赤いローブを身に纏う少女が立っていた。カベリアはそれを笑顔で出迎える。

 

「よく来てくれたわね、私は都市長代表のカベリアよ。あなた達の名前を聞かせてくれる?」

 

「...拙僧、銀糸鳥・ウンケイと申す者」

 

「蒼の薔薇・イビルアイ」

 

「ウンケイにイビルアイ。あなた達二人は転移門(ゲート)の魔法を使用できる?」

 

「...使える」

 

「私もだ」

 

「分かった。これからあなた達以外には達成できない、重要な任務を任せたいの。無論別途報酬を用意する。時間が切迫しているので先に作戦内容を伝えるわ」

 

 そしてカベリアは、転移門(ゲート)による東のゴルドー全住民と兵士の避難、それが完了次第北東のカルバラームへ飛び、イフィオンと共に転移門(ゲート)を使用してサポートに回って欲しいという詳細な手順を伝えた。

 

「全ての避難が完了したら、あなた達もフェリシア城塞に合流する。作戦は以上よ、どう?やってもらえる?」

 

「...いいだろう」

 

「やってみよう」

 

「...ありがとう、連合を代表して心より感謝するわ。メフィアーゾ都市長、ゴルドーへの避難勧告は?」

 

「ああ大丈夫だ、今伝言(メッセージ)で連絡を済ませた。いつでも行けるぜ嬢ちゃん」

 

「イフィオン都市長」

 

「こちらも完了だ。住民をカルバラーム中央広場へと集合させている」

 

「ありがとうございます。ではベバードの準備が整い次第、一斉に移動を開始しましょう。ハーロン!テーベからの避難民を含む全住民をベバード北門に誘導するよう兵士達に伝えて。一人も残さないようにね。それと街の倉庫を開け放ち、長期戦に備えて持てる限りの食料と物資も同時に移動させるわ。その準備もお願い」

 

「了解しました!」

 

 テキパキと指示するカベリアを見て、パルールは長い口髭をワシワシと撫でながら目を細めていた。

 

「ホッホッ、大きゅうなったのうカベリアよ。頼もしいわい」

 

「恐縮ですパルール都市長。それでは私も準備のため街に出て、陣頭指揮を取って参ります」

 

「ではわしもテーベの皆を誘導するとするかの」

 

 カベリアとパルールが外に出ると、メフィアーゾとイフィオンは互いに顔を見合わせた。

 

「しっかし嬢ちゃんもとんでもない策を思いつきやがるぜ。そうは思わねえか?」

 

「犠牲を最小限に押さえようとした結果、攻守揃った突破口を切り開く。我らには出来ない発想だ。あれこそがカベリア都市長の真骨頂とも言えるだろう」

 

「全くだ。我らがリーダーに全てを託すしかねえか」

 

「そういう事だ。これから忙しくなるぞ、我らも準備を進めていこう」

 

「了解だ。街も大分混乱気味だからな、落ち着かせてやらねえと」

 

 二人は伝言(メッセージ)を飛ばし、各都市に避難の為の詳細な指示を出し始めた。

 

 

───八欲王の空中都市エリュエンティウ 空中都市城内 円卓の間 15:22 PM

 

 

 天井のシャンデリアが煌々と室内を照らす中、直径30m程の巨大な円卓に座る29人の都市守護者達は、ギルドマスターであるユーシス・メガリス・ヴァン=フェイロンの使う伝言(メッセージ)を共有し、その言葉に聞き耳を立てていた。

 

『エリュエンティウから潜ませていた斥候からも報告が入っていますので、粗方の状況は把握していますが、それは本当ですかツアー?』

 

『ああ、本当だよユーシス。どこからともなく湧いて出た大量の亜人達と共に、強大な力を持つモンスターが背後に潜んでいたんだけど、そのモンスターが遂に動き始めた』

 

『...まるで200年前の再来ですね』

 

『それ以上の事が起こるかもしれない。現に僕達は既に準備を進めている。ユーシス、君達も万が一に備えておいたほうがいいと思ってね』

 

『アインズ殿に連絡は?』

 

『先ほどようやく伝言(メッセージ)が繋がってね。僕の方からしておいたよ』

 

『彼ら魔導国は動くのでしょうか?』

 

『分からない。カルサナス都市国家連合は同盟関係にないし、そうとは断言していなかった』

 

『そうですか。分かりました、貴重な情報をありがとうございます。我らエリュエンティウも、有事に備えて軍備を進めていきたいと思います』

 

『よろしく頼む。何か異変があればいつでも僕に連絡してほしい』

 

『ありがとうツアー。あなたも十分にお気をつけて』

 

 そこでユーシスは伝言(メッセージ)を切った。会話の内容を共有していた29人の都市守護者達は、早速互いに議論を始めた。

 

「カルサナスは遥か北東。先だって軍備を進める事もないと思うが」

 

「しかしアーグランド評議国はその亜人の大軍を危険視している」

 

「そもそも我らの手に負える相手かどうか、それすらも判別できていない」

 

「魔導国はどうなのだ?念のため我が国からも確認を取った方がよくないか?」

 

「仮に動くとして、援軍要請が来た際にすぐ動けないようでは同盟国として申し訳が立たん」

 

「いや、彼らほどの力を持つ者達に援軍など必要ないのでは?」

 

「それもそうだが、我が国に万が一亜人共が攻め入って来た時に備えて、ネイヴィア様を連れ戻しておいた方が...」

 

「その案には賛成だ。魔導国に頼んでおいた方がいいだろう」

 

 ひとしきり議論を終えたところで、ユーシスの隣に座っていた都市守護者の一人クロエ・ベヒトルスパイム・リル=ハリディが口を開いた。

 

「ユーシス、エイヴァーシャー大森林の件を踏まえて、私は軍備を整えておく案に賛成だ」

 

「...そうですね。突如として現れた九万の大軍に加え、3体の強力なモンスターですか。我が国もいつ災禍に襲われるか分からない以上、用心しておいた方がいいでしょう。クロエ、それに都市守護者のみなさん。至急エリュエンティウ軍に通達し、警戒態勢を取るよう準備を進めてください。ネイヴィアの件を含め、魔導国には私から連絡を入れておきます」

 

『了解』

 

 そして30人は席を立ち、円卓の間を後にした。ユーシスはその足で宝物殿に向かい、多種多様な世界級(ワールド)アイテムが左右に並ぶ通路を歩いていく。そしてその内の一つ、黒色に輝く細身のレイピアの前で立ち止まり、そのガラスケースに手を触れた。

 

「これを使う事態にならなければいいんですがね...」

 

 誰に言うでもなく独り言ち、その剣に憂いを含んだ視線を投げかけていた。

 

 

───カルサナス都市国家連合東・都市ゴルドー中心部 17:11 PM

 

 

「慌てるな、2列に並び一人ずつゆっくり進め!!外の亜人は兵士たちが押さえている、この穴の先はフェリシア城塞だ!案ずる事はない、無駄な荷物は捨てて迷わず中に入れ!」

 

 ゴルドー中心部にある噴水前広場、その街路に住民たちが長い列を作り、避難の順番を待っていた。ウンケイとイビルアイの開けた2つの転移門(ゲート)を住民たちが次々と潜り、イビルアイは彼らを励ますように声を張り上げていた。そこへ一人の全身鎧(フルプレート)を装備した兵士が駆け寄ってくる。

 

「イビルアイ殿、陽動の為の兵士二千五百、城塞壁上に配置が完了しました!」

 

「よし、そのまま攻撃を続けろ。住民の避難が完了次第、兵士も順次転移門(ゲート)で撤退させる。住民たちがパニックにならないようしっかりと誘導してくれ。いいな?」

 

「了解!」

 

 兵士が走り去ると、隣で転移門(ゲート)を開けているウンケイが無表情で話しかけてきた。

 

「蒼の薔薇・イビルアイ。お主、この戦の行方をどう見る?」

 

「...分からん。しかしあのカベリア都市長という女、相当頭が切れると見た。上手く行けば優勢に回れるかもしれない」

 

「我ら銀糸鳥も拠点を守るために依頼を受けた訳だが、帝国からカルサナスへホームを移した途端この騒ぎだ。全く持って恐れ入る」

 

「ウンケイと言ったな、ぼやくのは後にしろ。この避難が完了した後は、我々もあのゴブリンとオーガの大軍を相手にせねばならんのだ。気を抜くなよ?」

 

「承知している。あの背後に控える化物が前に出てこない事を、せいぜい祈ろうではないか」

 

「その時はその時だ。我々アダマンタイト級冒険者チームで奴らの相手をするか、撤退か。その判断を下すのはあの女だ」

 

「拙僧から見ても、カベリア都市長は優秀だ。彼女でだめなら、他の誰にも務まらないであろう」

 

「そうだな、今は我らの任務に集中するだけだ」

 

 そしてそこから4時間後、全ての住民と兵士がフェリシア城塞への避難を完了し、ゴルドーの街はもぬけの殻となった。二人は顔を見合わせる。

 

「よし、次は北東の都市カルバラームだ。行くぞウンケイ」

 

「心得た。転移門(ゲート)

 

 外壁からも届く亜人達の雄叫びを背に浴びながら、ウンケイとイビルアイは暗黒の穴を潜った。

 

 

───スレイン法国 大神殿内 会議場 18:21 PM

 

 

「最高神官長、カルサナスに向けて諜報活動を行っていた水明聖典より新たな報告です」

 

「おお、待っていたぞ。それで、街の様子は?」

 

 壁面にステンドグラスがはめ込まれた、全面石造りの教会とも裁判所とも取れる広い一室。その正面壇上には6人の神官長達が座り、入ってきた兵士を見下ろしていた。中央に座る最高神官長グラッド・ルー・ヴァーハイデンは、焦燥した様子で兵士の言葉に耳を傾ける。

 

「城塞都市テーベを破壊し尽くした亜人の軍団は、中央のベバードに向けて進軍を開始。東のゴルドーと北東のカルバラームも、依然激しい攻防が繰り広げられているとの事です」

 

「南西のバハルス帝国に何か動きは?」

 

「いえ、未だ動きはありませんが、隣国の有事とあり出兵の準備を整えているとの情報が入っております」

 

「そうか、分かったご苦労。引き続き監視を怠らぬよう水明聖典に伝えよ」

 

「ハッ」

 

 兵士が立ち去り扉が閉まると、左に座る神官長が口を開いた。

 

「最高神官長、魔導国は動くでしょうか?」

 

「分からん。しかし我が国としては同盟国である魔導国と国交のないカルサナスに対し、下手に動いて刺激するわけにも行かない」

 

「こんな時に、隠密席次は一体どこで何をしているのか...」

 

「それを言っても始まらん。ともかく漆黒聖典・火滅聖典に至急伝達。警戒の為の軍備を整えておくようにとな」

 

「御意」

 

「それと神器(魔封じの水晶)により復活した漆黒聖典隊長と番外席次はどうなった?」

 

「問題ありません。すぐにでも戦線投入可能です」

 

「よろしい、では彼らにも伝えよ」

 

「ハッ」

 

 五人の神官たちが席を立ち会議場を出て行くと、グラッド・ルー・ヴァーハイデンは口元に手を当てて一人物思いに耽っていた。

 

(二百年前の再来?そんな馬鹿な、一体何が起きているというのだ? あの宝物殿に現れた石板といいカルサナスの一件といい、謎が多すぎる。不測の事態が起きた際、ゴウン魔導王は手を貸してくれるだろうか? 否、協定破棄という事もある。彼らに頼らずとも我が国で自衛する手段を講じておかねばなるまい。例え真なる神器の力を解き放ったとしても...)

 

 考えがまとまるとヴァーハイデンは席を立ち、一人会議場を後にした。

 

 

───カルサナス都市国家連合北西・フェリシア城塞内部 23:07 PM

 

 

 ベバード・ゴルドー・カルバラーム三都市の避難が無事完了し、中庭では各都市の住民達が戦時に備え、火を焚いて兵士に配給する食料の準備を始めていた。5平方キロメートルを占めるこの巨大な要塞は、都市国家連合4都市の人口をまとめて収容できるほど広く、高さ50メートルはある堅固な二重の城壁に守られていた。城塞中央には同じく巨大な砦が建っており、非常時の際は全住民と兵士を匿えるよう作られている。その内部で、四人の都市長とアダマンタイト級冒険者チーム・銀糸鳥と蒼の薔薇、それに複数の兵隊長という主要メンバーが作戦会議を開いていた。メフィアーゾ都市長が笑顔で親指を立てる。

 

「やったなカベリアの嬢ちゃん!これでまずは一安心ってわけだ」

 

「ええ、イフィオン都市長もお疲れ様でした」

 

「何、大したことはない。お前の作戦と機転のおかげだ、カベリア都市長」

 

「それに銀糸鳥・ウンケイと蒼の薔薇・イビルアイ。あなた達がいなければこの作戦は成立しなかったわ。改めてお礼を言います、ありがとう」

 

「無事に部隊集結できたようで何よりだ」

 

「...報酬は弾んでもらうぞ、カベリア都市長」

 

「ええ、もちろんよウンケイ。でもまだ終わりじゃない、問題はこれからよ」

 

 そう言うと、カベリアはテーブルに敷かれた地図上の駒を動かした。

 

「これを見て。テーベを破壊した亜人の軍団は現在、私達が居ないというのも気付かず、ベバードに向かって街道沿いに北東へ進軍してきている。それと合わせて、三都市の背後にそれぞれ控えていたあの巨大なモンスターも遂に動き出した。つまりこのまま行けば、カルバラームを襲っていた二万五千の軍団が北から、ゴルドーとベバードを襲った合計六万の軍団が東から、このフェリシア城塞へ攻めてくることになる。私はどうもこの亜人達の動きが気になるの。私達の動きに気付かず、今も都市を攻撃し続けている。イフィオン都市長、どう思われますか?」

 

「...つまりこう言いたいのか?亜人達は我々の所在に関係なく、都市の制圧・破壊を目的にしていると」

 

「そうです、でなければこの不可解な動きの説明がつきません。あの巨大なモンスターが戦力として加わった場合、街は何日持つとお考えですか?」

 

 イフィオンは地図に目を落とし、脳内でその状況をシミュレートした後に顔を上げた。

 

「二日...いや、一日で落ちると見ておいた方がいいだろうな」

 

「ではテーベを襲った軍団がベバードへ到着するのに一日半、ベバードを破壊するのに一日、フェリシア城塞に到着するまでの間半日で、合計三日の猶予があります。恐らく他の都市も同様でしょう。その三日の間に戦力を再編成し、フェリシア城塞の周囲に配置させます。それと同時に住民を地下通路伝いに、北のレン・ヘカート神殿へと避難させる。地上での戦闘が不利になった際は、速やかに兵力をフェリシア城塞内部へと収容し、同じく地下通路伝いに北へと撤退させます。地上に配置した複数の偵察者(スカウト)により敵の動向が掴めますので、その報告如何で南北に退避を繰り返し、臨機応変に対応するという作戦です」

 

 それを聞いたメフィアーゾは首を傾げ、地図上にある敵軍の駒を南へ動かした。

 

「でもよ嬢ちゃん、例えばこの3軍団が城壁を破って、このフェリシア城塞内に侵入してきたらどうするんだ?」

 

「その時はリスキーですが、レン・ヘカート神殿の地下7階から地上に上がり、一気に東へと脱出させます。つまり、北東のカルバラーム方面へ向けて海沿いに回り込み、南西へと逃げ延びる方針です。無論これは最終手段ですが」

 

「地下7階から地上に脱出って...レン・ヘカート神殿には凶悪なモンスターがいるんだぞ?!そいつらはどうするんだよ」

 

「その時は冒険者のみなさんに先導してもらい、モンスターの駆除を依頼します。地上で合計八万五千の亜人達を相手にするよりかは、遥かにローリスクで安全なはずです」

 

「ま、まあそりゃ確かにそうだけどよ...」

 

 眉間に皺を寄せて困り顔をするメフィアーゾを他所に、カベリアは話を続けた。

 

「それよりも地上に兵力を配置する布陣です。イフィオン都市長、パルール都市長、ご意見があれば聞かせていただきたいのですが」

 

 二人は顔を見合わせると、自軍を示す駒を手に取った。

 

「そうだな、敵は北と東...それなら...ここだろう?パルール都市長」

 

 イフィオンはフェリシア城塞の右下に駒を置いた。

 

「うむ。やはり南東、じゃろうな。ここに七万の兵を一極集中させて迎え撃ち、敵軍の先端から各個撃破を狙う。下手に分散させるよりもその方が火力が高まるはずじゃ。わしならそうする。ただ問題は...」

 

「あの禍々しい巨大なモンスター3体だな。カベリア都市長、あれへの対処はどうする?」

 

 それを受けて、カベリアは背後に立つ十人の冒険者達を振り返った。その先頭には、茶色い革製のベレー帽に銀色の羽を飾り、胴体には異様な輝きを放つチェインシャツを着込み、両腕と脚部にも奇妙なレザーアーマーを装備する細身の男性と、神官服を着た金髪の美しい女性が立っている。

 

 「銀糸鳥のフレイヴァルツは、以前に会った事があるわね。それと...蒼の薔薇のリーダーはどなたかしら?」

 

「私です。ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと申します」

 

 ラキュースは右腕を左胸に押し付けて、軽く一礼した。

 

「大陸でも有名なあなた達蒼の薔薇が、都市国家連合のため救援に駆けつけてくれたことを、心より嬉しく思うわ。早速なんだけど今の話を聞いてもらった通り、亜人軍団の背後に立つ3体の化物が作戦の障害となっている。ラキュース、それにフレイヴァルツ、あなた達2チームには、あの化物の陽動をお願いしたいの。私達が亜人の軍団と戦っている間だけ、遠距離から攻撃して別方向に気を逸らせればそれでいい。そして亜人を殲滅できたら、全兵力で一気にあの化物を叩くという作戦よ。どう、出来そう?」

 

 するとベレー帽の男・フレイヴァルツは呆れた顔でカベリアを見た。

 

「陽動...だけでいいんですね? 都市長、あなたはあれがどれだけの怪物か分かってて仰っいるのですか?一応最初に断っておきますが、あれを私達だけで倒そうなんて土台無理な話ですよ。例え蒼の薔薇の面々と組んだとしてもです」

 

「もちろんよ。期待はするけど、そこまでは求めない。無理だと判断したらすぐに撤退してくれて構わないわ」

 

「...なら構いません。私達銀糸鳥は引き受けます」

 

「ラキュース、あなたは?」

 

「無論お引き受け致します。このカルサナス都市国家連合の冒険者組合を守るために」

 

「ありがとう、感謝します。それでは三日後まで、冒険者のみなさんはゆっくりと体を休めておいてください。都市周辺には偵察者(スカウト)を出して見張りに付けてありますので、何か動きがあれば即座に連絡します」

 

「了解しました」

 

 それを聞くとフレイヴァルツはラキュースに握手を求めた。

 

「銀糸鳥のリーダー・フレイヴァルツです。蒼の薔薇の噂は伺っております、よろしくラキュース」

 

「ええ、こちらこそお名前は存じ上げているわ。確かあなた達はバハルス帝国をホームタウンにしていたのでは?」

 

「何、少しばかり居心地が悪くなったものでね。カルサナスに移ったはいいが、着いて早々この騒ぎです。全く、たまったものではありません」

 

「とにかく、三日後は何としてもこのフェリシア城塞を守り抜きましょう」

 

「ええ、また帝国に戻るのは御免ですからね。やってみるとしますか」

 

 二人は固く握手を交わし、その場は解散となった。

 

 そして翌日の夕方、テーベを襲った亜人軍がベバードに到着し、襲撃が開始されたと偵察者(スカウト)より報告が入る。また東のゴルドー・北東のカルバラームも完全破壊されたと同時に、東と北から亜人達の進軍を確認。四人の都市長はその日のうちに七万の兵力をフェリシア城塞南東へと配置を完了させた。更にその翌日ベバードも占領され、フェリシア城塞のある北西に向けて亜人軍が進軍を開始。カベリア都市長はその動きに合わせて、非戦闘員をフェリシア城塞の地下道に集め、冒険者を護衛に付けて北のレン・ヘカート神殿に向け避難を指示する。敵は目前に迫りつつあった。

 

 

───三日後 フェリシア城塞南東部 平原 15:27 PM

 

 

「各部隊、隊列を崩すな!迎え撃つぞ、槍を構えろ!長弓隊、射撃用意!!」

 

 亜人軍八万五千が距離700メートルまで差し掛かり、ベバード・ゴルドーの人間種(ヒューマン)とカルバラームの亜人による連合軍七万の先頭に騎乗して立つイフィオン・オルレンディオは、勇ましく剣を振り上げ全軍の陣頭指揮を取っていた。その様子をフェリシア城塞内の砦内部から遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を使用して、カベリア・パルール・メフィアーゾ三人の都市長達が息を飲み見守る。

 

 敵軍の先頭に立つ赤い三角帽子を被ったゴブリンが突撃してきた事を受けて、イフィオンは剣を前に振り下ろした。

 

「長弓隊、放て!!」

 

(バシュ!)という音と共に、天高く一斉に矢が放射された。無数の矢が前線のゴブリン達に突き刺さり倒れていくが、勢いが止まる事はなく更に突進してくる。第二射・第三射と長弓が放たれるが、一切怯まず波の如く押し寄せる大軍に連合軍の兵士達は恐怖した。それを見たイフィオンは剣を振り上げ、咄嗟に魔法を唱える。

 

魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)恐怖耐性の強化(プロテクションエナジーフィアー)!」

 

 すると前線の兵士たちが広範囲に渡り緑色の光に包まれ、彼らの目から恐怖が消え力強さが戻った。そして距離が120ユニットまで近づくと、今度は敵に剣を向けて立て続けに魔法を詠唱する。

 

魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)稲妻の召喚(コール・ライトニング)!!」

 

 その瞬間強烈な光と共に、敵軍の最前線から70ユニットに渡り無数の雷が落ち、前線のゴブリンはおろか後方にいる灰色のオーガまで巻き込み、大爆発を起こした。範囲内にいた大半のゴブリンとオーガ達は吹き飛んだが、一部ダメージに耐え切った個体もいる。しかし電撃の付与効果である麻痺(スタン)により、身動きが取れずにいた。それにより敵軍後方の足並みが乱れ始める。その機を逃さず、イフィオンは絶叫するように指示した。

 

「今だ!!全軍突撃!!!」

 

(ウオオオオオーー!!!) 凄まじい雄叫びと共に、連合軍七万人が突撃を開始した。イフィオンと共に前線を走る重装騎兵が、馬上から麻痺(スタン)したゴブリンを容赦なく切り刻んでいく。その後に続く槍兵も突撃し、本格的な白兵戦が始まった。しかし赤い三角帽子を被ったゴブリンの動きは非常に素早く、思うように攻撃が当たらない。完全に狂気に染まったゴブリンは手にした大鎌を次々と振り下ろし、連合軍の兵士達を殺害していく。騎乗するイフィオンは突撃した道を引き返し、苦戦する兵士達に指示を与えた。

 

「一人で当たるな!複数で1体を仕留めるんだ!!魔法最強化(マキシマイズマジック)茨の扉(ヘッジオブソーンズ)!!」

 

 すると前方で戦うゴブリン達の足元から茨の棘が伸びて絡みつき、全身に食い込んで動きを封じた。そこを狙って兵士達が3人一組で一斉に切りかかり、身動きの取れないゴブリンを確実に殺していく。イフィオンは再度前方の敵に向かって馬を走らせ、凄まじい速度で今度は灰色の肌をしたオーガの群れの中に飛び込んだ。重装騎兵がオーガに突撃をブロックされているのを見て、イフィオンは剣を高く空に掲げる。

 

魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)毒の深手(インフリクト・ポイズン)!!」

 

 一瞬の内にイフィオンを中心として紫色の靄が広範囲に広がり、その靄を吸い込んだオーガ達が喉を押さえてもがき苦しみ始めた。動きが止まったその虚を突いて重装騎兵が一斉に襲い掛かり、オーガの首を次々と跳ねていく。イフィオンが魔法で掻きまわしたおかげで敵軍の隊列は完全に崩れ、ゴブリンとオーガが入り混じる混戦状態へと突入した。敵のヘイトを集めたイフィオンは、飛び掛かってくるゴブリンを馬上から剣で排除しつつ、敵軍の背後に控えるその先を見た。

 

 距離約700ユニット。3体の巨大なモンスター達が北から1体、東から2体連合軍へ接近しつつあった。敵軍の足並みが乱れた今がチャンスと踏んだイフィオンは、銀糸鳥と蒼の薔薇に向けて伝言(メッセージ)を飛ばした。

 

『フレイヴァルツ、ラキュース!東側の2体を北へと引き寄せろ!!』

 

『了解!』

 

 連合軍の最後方で待機していた2チームは集団飛行(マスフライ)を使用し、混乱する東側敵軍の隊列を飛び越えて北側へと着地した。そして地に足がついた途端、フレイヴァルツは背中に背負った魔法のリュート・星の交響曲(スターシンフォニー)を取り出すと、何故か軽いステップを踏みながら美しいメロディで演奏し始め、それと同時に魔法を詠唱した。

 

強奪する英雄の忠告(ラグナーズ・レード・オブ・レンディング)

 

 その途端、銀糸鳥と蒼の薔薇10人全員の体に赤いオーラが立ち昇り始め、何らかのバフ(=強化魔法)がかかった事を意味していた。ラキュースはその効果を浴びて驚愕の視線をフレイヴァルツに向ける。

 

「あなたは吟遊詩人(バード)だったのね!...すごい、体の底から力が湧いてくるようだわ」

 

「フフ、これであなた達全員の物理攻撃力と魔法攻撃力が同時に跳ね上がります。私が演奏し続ける限り魔法の効果は持続しますので、安心して戦ってください」

 

 イビルアイとガガーラン、ティア・ティナも驚きの表情を隠せずにいた。

 

「...英雄級の強さを持つとは聞いていたが、噂は本当だったか」

 

「こいつはすげーぜイビルアイ!早く敵を殴りたくてしょうがねえぜ!!」

 

「......これなら勝てるかも」

 

「......吟遊詩人(バード)、意外にバカにできない」

 

「忍者のお嬢さん、吟遊詩人(バード)を甘く見てると手痛いしっぺ返しを食らいますよ?」

 

 ラキュースは腰に差した魔剣・キリネイラムを引き抜くと、皆に向き直った。

 

「さあみんな、行きましょう!敵はもう目の前よ。ガガーラン、ティア・ティナ!私とイビルアイで遠距離攻撃を行うから、近づく敵は全て排除して」

 

「こっちもです、ケイラ、ファン!あなた達はウンケイとポワポンをカバーしてください。二人の魔法詠唱を邪魔させないように」

 

「はいよ、リーダー」

 

「了解ね」

 

 ダガーを装備し、丸刈りの頭が印象的な忍装束の男ケイラ・ノ・セーデシュテーンと、腰に2本のバトルアックスをぶら下げた、真っ赤な毛並みを持つ猿のような姿の亜人ファン・ロン・グーが、ウンケイとポワポンと呼ばれる上半身が裸の男の前に出る。

 

「行くわよ!」

 

 10人は陣形を整えたまま一気に敵の隊列へと接近した。巨大な化物は隊列の中央を歩いており、まだ距離がある。50ユニットまで接近した所で、亜人軍団のゴブリンとオーガがこちらに気付き、10人に向けて一斉に襲い掛かってきた。ガガーランがすかさずウォーハンマーを振り上げ、ティア・ティナも短剣を構えて飛び掛かる。

 

巨人の拳(フィストオブザジャイアント)!!」

 

黒蛇の刺殺(ブラックチェイサーズ・デス)

 

踊る刃(ダンシング・ブレード)

 

 ガガーランの放った武技で亜人5体がまとめて吹き飛び、ティア・ティナの武技は確実に急所を突き、喉笛を切り裂いて静かにオーガ2体の息の根を止めた。続いて銀糸鳥のケイラとファンが武器を構え、それぞれゴブリンとオーガに接近するが、ケイラの姿が突然瞬時に掻き消えてしまう。そしてファンがオーガに切りかかると全く同時に、ケイラはゴブリンの背後に姿を現した。

 

「スキル・背後からの致命撃(バックスタブ)・レベルⅠ」

 

海賊の激怒(ノースマンズ・フューリー)

 

 ケイラの刺突がゴブリンの首筋に突き刺さると、その首が事も無げに吹き飛ぶ。そしてファンの武技は、両手に装備した2本のバトルアックスを高速回転させ、オーガの胴体をズタズタに引き裂いた。

 

 半円形上に陣形を成し、魔法詠唱者(マジックキャスター)を守るように取り囲んで亜人の隊列に突撃し、遂に目標とする距離まで辿り着いた。イビルアイが咄嗟に声を上げる。

 

「よし!ラキュース、フレイヴァルツ、もういい! ここがギリギリ魔法射程圏内の120ユニットだ。これ以上は絶対に踏み込むな!」

 

「分かったわ!」

 

「了解した」

 

「ウンケイ、それにポワポンとやら、準備はいいか?!」

 

「問題ない」

 

「いつでもどうぞ」

 

「私とラキュースは右の化物を狙う。お前達は左だ!」

 

 彼らが目の前にしたもの。それは全長60メートルを超え、四つん這いで歩行し、クリーム色の肌にのっぺりとした顔が不気味な巨人と、それよりも遥かに大きい全長100メートルは超える、紫色の体に巨大な羽を生やした有翼の蛇だった。イビルアイとラキュースはクリーム色の巨人に、ウンケイとポワポンは有翼の蛇にそれぞれ武技と魔法を発動した。

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)水晶騎士槍(クリスタルランス)!」

 

暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)!!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)精神の叫び(サイキックシャウト)

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)蛭の吸血(リーチ・オブ・ブラッド)

 

 一瞬眩い光が発生し、巨人と蛇の2体に魔法が命中すると、化物たちは動きを止めた。

 

「...やったか?」

 

 皆が息を飲む中見守ると、2体のモンスターは隊列を離れ、北へと転進して10人のいる方向へ突進してきた。その刹那、2体は強烈な広範囲ブレス攻撃を吐きかけてきた。銀糸鳥と蒼の薔薇のチームは咄嗟に左右へと分かれ、辛うじてその攻撃を躱す。そして全員が脱兎の如く北へと逃げ出した。走りつつ必死の形相を浮かべながら、フレイヴァルツが叫ぶように声を張り上げる。

 

「ほ、ほら!私の言った通りでしょう?!こんな化物相手にしてたら、いくつ命があっても足りません!!」

 

 ラキュースも全力で走りながら返事を返した。

 

「そんな愚痴は後にしてください!今は北へ逃げる事が先決です!!」

 

「...チッ、仕方ありませんね...取って置きだったんですが」

 

 フレイヴァルツは走りながらリュートを演奏し、魔法を唱えた。

 

俊足の祈り(プレーヤーオブヘイスト)!」

 

 唱え終わった瞬間、10人全員の移動速度が倍以上の速さに跳ね上がった。しかも体力消費は平時と全く変わらない。後ろを見ると、2体のモンスターから見る見る距離が開いていく。驚いた蒼の薔薇の面々がフレイヴァルツに顔を向ける。

 

「あなた達感謝してくださいよ、これで無事に逃げ切れるってものです!」

 

「こんないい魔法があるなら、もっと早くに使ってください!」

 

「今まで仲間にしか使った事のない私達の秘密ってやつですよ!」

 

「ヘッ、まあいいじゃねえかラキュース!こりゃ楽ちんだ。このまま逃げちまおうぜ」

 

 そこでイビルアイが冷静に後ろを振り返り、モンスターとの距離を測った。

 

「おいお前ら待て!あまり距離が離れすぎると、モンスターのヘイトが逸れて誘導できなくなるぞ!」

 

「そうだったわね。みなさんここで一旦止まりましょう!」

 

 そして10人は走るのを止め、全員で背後を振り返った。優に200ユニットは距離が開いたにも関わらず、2体の巨大なモンスターは変わらず追う事を止めようとしていない様子だった。それを見てフレイヴァルツは顔をしかめる。

 

「何というしつこさだ!このままじゃ地の果てまででも追いかけてきますよ」

 

「しかしこれはこちらに取って好都合です。イフィオン都市長に連絡を入れますので、みなさんしばらくお待ちください」

 

 そう言うとラキュースは右耳に手を当てた。

 

伝言(メッセージ)。イフィオン都市長、ご無事ですか?』

 

『ラキュースか!ああ、何とか敵を押し返している。そちらの様子はどうだ?』

 

『東のモンスター2体の陽動に成功しました。現在更に北へ向かっている最中です』

 

『そうか!よくやってくれた。次の指示を与える。そのままモンスター2体を引っ張り、北から攻めてくる化物1体も同じように陽動し、まとめて北東へ誘導してほしいんだ、頼めるか?』

 

『了解しました、やってみます』

 

『よろしく頼む、こちらの事は任せてくれ。以上だ』

 

 伝言(メッセージ)を切り終わると、それを聞いていたフレイヴァルツがあからさまな嫌悪感を顔に出した。

 

「...ラキュース、あなたまさかまだやる気じゃないでしょうね?」

 

「やりましょう。あなたの移動速度アップの魔法があれば、陽動は容易いはずです」

 

「ここからも見えるでしょう?! あいつが一番ヤバそうですよ、分かってるんですか?!」

 

「しかしあれを止めなければ、フェリシア城塞はどの道破壊されてしまいます」

 

「3匹連れて、北東の最果てまで延々逃げろって事ですか?」

 

「はい、そのつもりです」

 

 ラキュースはとびきりの笑顔で答えた。それを見てフレイヴァルツは唖然とする。そして銀糸鳥の面々に顔を向けた。

 

「ケイラ、ファン、ウンケイ、ポワポン。あなた達はどう思います?」

 

「...カルサナスは俺達のホームだ。依頼を受けた以上やるしかあるまい」

 

「俺はどっちでもいいね。でも帝国には帰りたくないし、やった方がいいね」

 

「乗り掛かった舟だ、フレイヴァルツ。拙僧はやるべきだと思う」

 

「私が嫌だと言っても多数決で決まりなのでは?」

 

「マジですかあなた達....」

 

 非常に残念そうな顔を彼らに向けると、フレイヴァルツは再度蒼の薔薇達の顔を見た。ラキュース以下、皆期待の眼差しでフレイヴァルツを見返している。それを見て首をガックリと項垂れ、深い溜め息をついて頭を掻いた。

 

「はー...分かった、分かりましたよ!!やればいいんでしょやれば!」

 

「良かった!早速向かいましょう」

 

 改めて後ろを振り返ったイビルアイが、目測で2体のモンスターとの距離を測る。

 

「急いだほうがいい、背後の敵まで150ユニット。もうすぐ射程に入る」

 

「はいはい、それじゃ行きますよ! 俊足の祈り(プレーヤーオブヘイスト)!」

 

 半ば投げやりにリュートを弾いて呪文を唱えると、2チームは北西に向かって再び走り出した。移動速度が60%もアップしているとあり、正面300ユニット先の目標がどんどん迫ってくる。そしてカルバラームの街を破壊した隊列の前まで来ると、最初と同じく邪魔なゴブリンやオーガ達を排除していった。そして一同は、北東からやってきたその化物を見上げる。

 

 ”神”。その姿は化物と呼ぶにはあまりにも神々しかった。直立した身長は70メートルを超えており、東から来た2体と異なり完全な人型となっている。髪型はウルフパーマのようにカールした金髪で、胴体には左肩から伸びる真っ赤な袈裟を羽織っている。左手には茶色表紙の巨大な書物を胸の前に掲げ、右手には鋸の様に禍々しい大剣・ソードブレイカーが握られていた。そして顔立ちは凛々しい東欧風で全身の肌は白蝋のように青白く、目には瞳孔が一切ない三白眼だ。その姿はまるで、生きたダビデ像を見ているかのようだった。

 

 当然ラキュースやフレイヴァルツ、イビルアイにそのような連想は出来なかったが、その場に居た10人はただひたすらに圧倒されていた。(これに攻撃を仕掛けてはいけない。)全員が肌でそう直感していた。しかしこれを陽動しなければフェリシア城塞は破壊されてしまう。ラキュースは意を決し、イビルアイとウンケイ・ポワポンの顔を見渡した。

 

「...いい?やるわよ。イビルアイ、距離は?」

 

「...問題ない、射程ギリギリの120ユニットだ」

 

「攻撃を始めましょう。それと同時に即、北東へ撤退よ。いい?フレイヴァルツ」

 

「...冗談じゃない、当たり前でしょう。この化物の前じゃ私たちは蟻んこ同然です」

 

 そしてラキュース・イビルアイ・ウンケイ・ポワポンは腰を落とし、一斉に攻撃を開始した。

 

浮遊する剣群(フローティングソーズ)!!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)結晶散弾(シャードバックショット)!!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)秩序の無視(イグノア・ジ・オールド・オーダー)!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)荒廃(ブライト)!!」

 

 物理・魔力系・精神系・毒素系の武技と魔法がぶつかり合い、人型の顔面に向かって放たれ大爆発を起こした。それと同時にフレイヴァルツは俊足の祈り(プレーヤーオブヘイスト)を唱える。全員の神経が逆立ちその一挙手一投足を見守っていたが、やがて化物の面前に残る煙が腫れると、その歩く足を止めた。

 

(来るか?)

 

 全員が腰を落とし身構えると、その化物は顔だけを下方にいるラキュース達に向ける。

 

そして.....まさかの事態が起こった。

 

 

魔法四重(クアドロフォニック)最強位階(マキシマイズブーステッド)上昇化(マジック)殺害衝動(キリング・インパルス)

 

 

 その”神”が魔法を詠唱した途端、激しく光る10個の太陽が後光の如く体の周囲に生み出された。その太陽はすぐに動きだし、120ユニットの範囲内にいる10人に向かって自動追尾を始め、一斉に襲い掛かる。移動速度が強化された10人はそれを見て、反射的に魔法の射程圏外へと飛び出した。

 

 刹那の瞬間。フレイヴァルツの魔法がなければ退避は不可能だった。誰もがそう思い、120ユニットの境目から追尾を止めた10個の太陽を凝視していた。皆が絶句する中、その太陽は目の前で光を失い消滅する。そして何事も無かったかのように正面を向き、”神”は南に向かって再び悠然と歩き出した。地面にへたり込んで座るフレイヴァルツはそれを見て震えながら、必死に声を絞り出した。

 

「...だ、だから....だから!! 言ったじゃないですか、あいつはヤバいって...」

 

 ラキュースとイビルアイは立ち上がり、その後姿を見た。

 

挑発(タウント)...されない?何故こちらを追ってこないの?」

 

「...今ならまだ間に合う」

 

 イビルアイは駆け出すと、再度背後から魔法の射程圏内に入った。フレイヴァルツは慌てて立ち上がり、それを止めに入る。

 

「バカ!!やめ───────」

 

魔法最強抵抗難度強化(ペネトレートマキシマイズマジック)水晶騎士槍(クリスタルランス)!!」

 

 イビルアイの右手から鋭利かつ巨大な水晶が放たれ、”神”の後頭部に直撃した。イビルアイは即座に魔法射程外に出るが、”神”はそれを無視してこちらを見ようともせず、真っ直ぐに南進し続ける。全員がそれを見て固まった。まるでこの世の終わりを見るかのように。イビルアイは俯き、かすれ声で呟く。

 

「だめだ...もはや...打つ手は....ない」

 

 チーム一の魔法詠唱者(マジックキャスター)から出たその言葉を聞いて、銀糸鳥も蒼の薔薇も絶望のどん底に叩き落された。そしてその状態に耐え切れなくなった脳から、自己救済のための言葉が湧き上がる。(やれる事はやった。もう自分は一度死んだ身だ)と。

 

正に風前の灯火である。───ただ一人を除いて。

 

「...いいえ、まだよ!」

 

 ラキュースは一人我に帰り、イビルアイの左肩を掴んだ。

 

「まだ連合軍も住民達も、都市長だってみんな生きてる!彼らを無事に生還させる事が私達の仕事よ、そうでしょうイビルアイ?」

 

「では...一体どうしろと?」

 

「まずは前線で戦っているイフィオン都市長に、現状を説明するため連絡を取るわ。そして一刻も早く避難を呼びかけるの。あんな化物、連合軍全兵士でかかっても敵いっこない。ここにいる銀糸鳥と蒼の薔薇、全員の力が必要なのよ。フレイヴァルツ、あなたも手を貸して。いいわね?」

 

 フレイヴァルツは目を瞬かせ、一つ大きく深呼吸して冷静さを取り戻し、返答した。

 

「え、ええ分かりました。それで、具体的にはどうするつもりです?」

 

「少し待って」

 

 ラキュースは右耳に手を添えて南の方角を向いた。

 

伝言(メッセージ)。イフィオン都市長』

 

『ラキュース、どうした?こちらは優勢に回っているぞ』

 

『現在の戦力差を教えてください』

 

『我が連合軍は五万五千、亜人軍は六万といったところだな』

 

『...北の化物の誘導に失敗しました。今すぐに兵士達をフェリシア城塞へと撤退させ、地下通路からレン・ヘカート神殿へと避難を開始してください』

 

『何だと?東から来た化物2体はどうなった?』

 

『それは私達アダマンタイト級冒険者チームで北東へと誘導します。とにかく今すぐに撤退を!』

 

『落ち着け、北の化物はこちらからも見えている。何があったのか状況を説明しろ』

 

『...あの化物は、”神”の如き力を振るいます。連合軍が束になっても勝てる相手ではありません。このまま行けば、フェリシア城塞は間違いなく陥落するでしょう。北の化物は今も尚南下中です、もうすぐ連合軍の射程圏内に入ります。そうなれば全滅は必至です。その前に一刻も早く、フェリシア城塞内へ兵士達を収容してください!』

 

『...分かった。アダマンタイト級であるお前達が”神”と言うからには、相当な力を秘めているのだろう。しかし撤退戦にも時間がかかる。恐らくその間にあの化物はこちらへ到着してしまうと予想される』

 

『私達も背後から東の化物が接近している為、時間がありません。とにかく北の化物の射程120ユニット以内には、絶対に入らないでください。そして今すぐに戦いを放棄し、城塞内からレン・ヘカート神殿に撤退を!』

 

『こちらでも努力する。お前達はくれぐれも無茶はするな。北東へ化物2体を引き付けた後は、すぐにこちらへ合流しろ。いいな?』

 

『了解しました』

 

 伝言(メッセージ)を切ると、背後に立つイビルアイが声をかけてきた。

 

「ラキュース、背後の敵2体まで約170ユニット。急いだほうがいい」

 

「分かった、私達も退避しましょう。フレイヴァルツ、お願いします」

 

「OK、俊足の祈り(プレーヤーオブヘイスト)!」

 

 10人は北東へ向けて駆け出した。それに合わせて有翼の蛇と四つん這いの巨人も転進し、後を追ってくる。距離200ユニットを保ちながら移動速度を調節し、10人は2匹の化物を確実に北東へと引き寄せていた。そうして3時間近く走り続けると、地平線の先に煙を上げる都市の影と、その先に広がる一面の海が見えてきた。亜人軍に破壊された湾岸都市・カルバラームである。それを見たラキュースは語気を強め、皆を励ますように顔を向ける。

 

「カルバラームが見えたわ!大陸の最北端まであと一息よ、みんながんばりましょう!」

 

 アダマンタイト級冒険者と言えども走り続けたせいで疲労し、全員息が上がっていた。それでも走り続ける彼らの胸に宿るのは、冒険者として依頼を達成するというプライドと使命感だった。ラキュースを先頭にして走る一団は、カルバラーム方面へ向けて突き進む。

 

 そこでふと後ろを振り返ったウンケイが、全員に向かって叫んだ。

 

「おい、皆止まれ!様子がおかしいぞ、あれを見ろ」

 

 全員が一旦停止し、背後から追ってくる化物2体を見た。そして10人は我が目を疑う光景を目にした。気付かぬうちに距離が250ユニットほどに開き、その先にいる東の化物が動きを止めていたのだ。こちらを凝視しているのみで、追ってくる気配を見せない。

 

 ラキュース達は固唾を飲みその様子を伺っていたが、あろうことかその2体はグルリと反転し、元来た道へと引き返していった。フレイヴァルツがそれを見て地団駄を踏む。

 

「バカな!!折角ここまで来たのに...何故追ってこない?!」

 

「あの方角...まずい、戻るぞ!!」

 

 イビルアイの一声で、10人は2体の化物に向かい突進していった。そして距離が120ユニットまで近づくと、ラキュース及び魔法詠唱者(マジックキャスター)の3人は敵の背後から戦闘態勢に入った。イビルアイは全員に指示する。

 

「いいか、手順はさっきと同じだ。もう一度攻撃を加えて敵の注意を引き付けるぞ、いいなウンケイ、ポワポン!」

 

「承知!」

 

「了解です」

 

「ラキュース行くぞ!魔法最強抵抗難度化(ペネトレートマキシマイズマジック)水晶の短剣(クリスタルダガー)!!」

 

暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)!!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)精神の殴打(マインド・ストライク)!!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)毒蛇の矢(ナーガルズ・ダート)!!」

 

 4人の武技と魔法が交差し、敵2体の背後にそれぞれ命中したが、小動もしなかった。それどころか北の化物と同じく、こちらの攻撃を無視して南西方向へと歩みを止めなかった。

 

「こいつらも挑発(タウント)できないわ!」

 

「くそ!危険だが正面に回り込むぞ、ラキュース援護を頼む!」

 

「ちょっ...無茶はしないでください!!」

 

 フレイヴァルツが止めるのも聞かず、イビルアイとラキュースの二人はダッシュして2体の正面に立ち、行く手を遮った。しかしその瞬間、有翼の蛇と四つん這いの巨人は同時に反応し、二人へ首を向けて広範囲に渡る毒と火炎属性ブレスを吐きかけてきた。射程120ユニットを超えたその攻撃に成す術もなく、二人は咄嗟に左右へ散ってブレスを躱す。そしてそれが終わると、2体の化物は再び前進を開始した。ラキュースの目から光が失われる。

 

「...こちらを認識しているにも関わらず、全く挑発(タウント)されずに追ってこない...」

 

「ラキュース無駄だ、こいつらは止められない。これ以上はこちらが危険だ。しかしフェリシア城塞からは大分引き離した。この2体の化物が戦線に到着するまで、どのくらい持つと思う?」

 

「そうね、この移動速度だと...持って約半日と言ったところかしら」

 

 そこへ後を追ってきた8人が合流する。フレイヴァルツが息を荒げて二人に走り寄ってきた。

 

「だ、大丈夫ですかお二人共?」

 

「ええ、大丈夫よ。それよりも私達はどうするべきか考えましょう。何故かは分からないけど、あの2体の化物はもう私達の攻撃を受け付けず、これ以上北東へ引き寄せる事は不可能になった。フレイヴァルツ、あなたの判断を聞きたいの」

 

「判断と言われましても...まずはイフィオン都市長に連絡では?」

 

「...いいえ、そんな事をしていたら手遅れになるわ。私の考えはこうよ。今すぐイビルアイの転移門(ゲート)を使用してフェリシア城塞に戻り、私達で亜人軍を押さえている間に連合軍を撤退させる。そして住民たちを北のレン・ヘカート神殿から東へと脱出させるのよ。もうそれしか方法がない」

 

「戻るって...フェリシア城塞にはあの北の化物が接近してるんですよ?!」

 

「分かっているわ、だからこそ早くしないと手遅れになるのよ。あの化物たちの恐さは、誰よりも私達が一番よく分かってる。...残念だけど、もう逃げるしか手は残されていない」

 

「...逃げて、その後はどうします?カルサナスはどうなるんですか?」

 

「...分からない。今の私達の力だけじゃ、分からない。それはカベリア都市長に判断を委ねましょう。とにかく今はカルサナスの住民達を、一時でも長く生き延びさせなければ。今後万が一あの化物に対抗する策が出てきても、人がいなければ国の再興も成り立たないわ。そうでしょう?」

 

「言いたい事は分かりました。ですが、私は自分達が生き残る事だけを最優先して考えている。自己犠牲の精神などこれっぽっちもありません。それも分かってて言ってるんでしょうね?」

 

「もちろんよ、私達も生き残るわ。その為にも今は戦わなくては」

 

「...全く、とんでもない依頼を受けてしまいました。今更ながらに後悔してます。今の話聞いてましたね?あなた達もそれでいいですか?」

 

 フレイヴァルツの後ろに立っていたケイラ・ファン・ウンケイ・ポワポンはそれを受けて、小さく頷いた。

 

「ここまでやったんだ、最後まで付き合うさ」

 

「てかこれ、もう何かの運命ね」

 

「...そうだな。お主の判断があったからこそ、拙僧もここまで生き延びられた」

 

「我ら銀糸鳥を受け入れてくれたカルサナスに、恩返しといきますか」

 

「...どいつもこいつもバカばっかりですね。そういう訳ですラキュース、作戦はよろしく」

 

「ありがとう、銀糸鳥のみなさん。イビルアイ、私達が最初に待機していたポイントまで飛びましょう」

 

「了解した。転移門(ゲート)

 

 蒼の薔薇と銀糸鳥は意を決し、暗黒の穴を潜った。

 

 

───フェリシア城塞南東 19:51 PM

 

魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)植物の絡みつき(トワインプラント)!!」

 

 既に日も落ち、辺りには夕闇が差し迫っている中、撤退戦は苛烈を極めていた。前線に立つゴブリンとオーガ達の足元から広範囲に渡り一斉に蔦が伸び、足元に絡みついて動きを封じた。それを見計らいイフィオンが全兵士に向かって叫ぶ。

 

「今だ、一気に下がれ!!後衛の兵から順次撤退だ、右翼・左翼、広がりすぎるな!!固まって移動するんだ!」

 

  未だ士気の衰えない亜人軍を前に、連合軍は撤退しあぐねていた。敵と相対したまま前線部隊がジリジリと後方に下がっていく。背を見せれば敵の圧に押されて、一気に押し込まれるのは目に見えていたからだ。門の開かれたフェリシア城塞に敵軍を侵入させる訳にも行かず、思うように退けない状況下にあった。騎乗して必死に指揮を執るイフィオンの背後から、女性の呼び声がかかった。

 

「イフィオン都市長!」

 

「ラキュース?!それにお前達、戻ってきたのか。東の化物はどうなった?」

 

「それどころではありません、2体の化物も現在こちらへ向かっています!私達も加勢しますので、早急に兵を下がらせてください!」

 

 混乱する中、周囲を見たフレイヴァルツの顔が青ざめていく。

 

「...まだこんなに残っていたのか、何をもたもたしているんです!化物はもう目の前じゃないですか!!」

 

 前線の敵軍を挟み、北の化物まで距離170ユニット。一歩一歩ゆっくりと近寄ってくるその異様な巨体を前にして、前線に立つ兵士たちの目にも恐怖の色が浮かび上がっていた。そして一刻も早くその場から逃れる為、死に物狂いで正面の亜人と戦い続ける。

 

 ラキュースは魔剣キリネイラムを構え、皆に指示を飛ばした。

 

「全員中央に固まって!ガガーラン、ファンは私と一緒に前衛をお願い。魔法詠唱者(マジックキャスター)は後方から火力支援よ。ティア・ティナ・ケイラは魔法詠唱者(マジックキャスター)の直衛に、フレイヴァルツは補助魔法をかけて。合図と同時に突入する、いいわね?」

 

『了解!』

 

「3・2・1・Go!」

 

 全員が弾けるように敵の前線へ突進する。そしてフレイヴァルツがリュートを弾いたと同時に攻撃が開始された。

 

強奪する英雄の忠告(ラグナーズ・レード・オブ・レンディング)!」

 

霜巨人の悪意(ヨツンズ・スパイト)!!」

 

詐欺師の手(ハンド・バイター)!!」

 

暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)!!」

 

「不動金剛盾の術!!」

 

「爆炎陣!!」

 

「スキル・地雷原(マイン・フィールド)!!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)結晶散弾(シャードバックショット)!!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)精神の叫び(サイキック・シャウト)!!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)蛭の吸血(リーチ・オブ・ブラッド)!!」

 

 その瞬間大爆発が起き、半径70ユニットに渡り亜人達100体ほどが吹き飛んだ。前線にぽっかりと穴が開き、亜人達が怯んだ隙にラキュースは後方に向かって叫んだ。

 

「今です、イフィオン都市長!!ここは私達が食い止めます!!」

 

「分かった、撤退!!全軍撤退だ、急げ!!」

 

 イフィオンが剣を振り上げると、前線にいた兵士たちが南西に向かって駆け出した。するとまるでそれに反応するかのように、接近していた北の化物の歩調が突然早まり、一気に連合軍に向けて間を詰めてきたのである。それにいち早く反応したのは、フレイヴァルツだった。

 

「来た!!来ました、逃げますよラキュース!!俊足の祈り(プレーヤーオブヘイスト)!!」

 

「距離130ユニット!まずい、このままでは追いつかれる!」

 

「私達も撤退よ、急いで!!」

 

 10人は脱兎の如く全速力で駆け出した。そしてあっという間に前線の兵士たちに追いつき、後方で立ち止まり殿を務めていたイフィオンに向かってフレイヴァルツとラキュースが叫んだ。

 

「イフィオン都市長何してるんです!!早く逃げてください!!」

 

「もう間に合わない、南東へ!!」

 

「分かった!」

 

 イフィオンは馬に鞭を入れ、兵達が逃げる方角とは逆の南東に向かい走り出す。ラキュース達も並走するが、北の化物はそれについていかず、より人数の多い南西へと進路を取った。前線の兵士の一部が120ユニットの射程に入ると、手にしたソードブレイカーを兵士たちに向けて、無表情だった口がゆっくりと開いていく。そして──────地の底を這うような低い声で、魔法を詠唱し始めた。

 

魔法四重(クアドロフォニック)最強位階(マキシマイズブーステッド)上昇化(マジック)反逆者の処罰(サンクション・オブ・フェアレーター)

 

 

 するとソードブレイカーの先端に巨大な青白い光が集束し、爆風と共に極太のレーザー光が発射された。その不可避かつ巨大な光は前線の兵士達を薙ぎ払い、目も眩むほどの閃光と共に大爆発を起こす。閃光と衝撃波を浴びた兵士達は悲鳴を上げる暇もなく蒸発し、その300ユニットに渡る高熱を帯びた爆風は、化物の足元にいた亜人軍たちまでも巻き添えにして、瞬時に5000体ほどを消し炭と化した。爆心地には巨大なクレーターが穿たれ、たった一撃の魔法で、連合軍の前線部隊2万人が消滅してしまった。

 

 南東に逃れていたイフィオンとラキュース達は、その凄惨たる光景を見て戦慄し、震える体を押さえようと必死だった。茫然自失となっていたイフィオンがやっとの事で口を開く。

 

「な...何だ今の魔法は?見た事も聞いたことも...一体何が起きて...」

 

 見つめていた先、爆風から逃れた三万五千人の兵士たちが狂気の悲鳴を上げ、一斉に逃げ出した。

 

「ひぃぃいいい!!!」

 

「退却、退却ーー!!」

 

「うわぁああああああ!!!またこっちに来るぞー!!」

 

「砦の中へ急げーー!!」

 

「助けてくれぇええええ!!!」

 

 その極度に混乱した状況を見て、イフィオンは我に帰った。そして未だ動けずにいるラキュース達10人に向かい、目を覚まさせるように叫ぶ。

 

「ラキュース、ラキュース!!私達も急いで城塞の南門に向かうぞ!!兵士達の撤退を支援してくれ!!」

 

「わ、わかりました!フレイヴァルツ、お願い!」

 

「言われなくても分かってます!俊足の祈り(プレーヤーオブヘイスト)!!」

 

 そして皆は一目散にフェリシア城塞の南門へと走った。あらぬ方向に逃げ出している兵士たちを引き止め、城門に向けて声を張り上げ必死に誘導する。南西から近づく北の化物との距離を測りつつ、全ての兵士たちが城塞内に退却した事を確認すると、イフィオンとラキュース達も城門に飛び込み、固く門を閉ざした。中庭から東を見ると。高さ50メートルはある城壁から頭一つ抜きんでた巨大な北の化物が、壁越しにこちらを凝視していた。そして手にしたソードブレイカーを振り上げると、城壁の上に強烈な一撃を叩き込んできた。二重に取り囲まれた城壁を破壊し、内部に侵入するつもりでいるようだった。それを見たイフィオンは、中庭に残る兵士達に向かって声を張り上げる。

 

「ここはもう持たない!全軍砦の中へ退避だ、急げ!!地下通路からレン・ヘカート神殿へ脱出する!!」

 

 戦々恐々としながらも、兵士達は憔悴しきった体を押して続々と砦の中に入っていった。それを見届けたイフィオンは馬から降りると、ラキュース達に向き直る。

 

「私は砦の上にいる3人の都市長達を連れてくる。お前達は先に地下へと向かえ」

 

「分かりました。入口でお待ちしております」

 

 イフィオンは砦の階段を駆け上っていった。ラキュース達は砦の最奥部にある地下への階段を下りていく。地下深くまで続く道のりは非常に長く、かれこれ20分は下り続けただろうか。そうしてやっと地面に足が付き、10人は地下通路の入口へと辿り着いた。

 

 高さ10メートル・幅50メートルほどの広い石造りの地下道で、壁の左右には永続光(コンティニュアルライト)が一定間隔で設置されており、暗い通路の足元を照らしている。真っ直ぐ北へと伸びた直線通路で、道の先を見ると避難している兵士の最後尾が見えた。

 

 そこで待つ事30分、階段の上から降りてくる人影が複数こちらへ向かってきた。光の当たる距離まで来ると、その者達の顔が確認できる。先頭にイフィオンが立ち、そのすぐ後ろにカベリア・パルール・メフィアーゾの3都市長が続き、最後尾には護衛の兵士7人がついている。彼らが地面に降り立つと、カベリアがラキュース達に歩み寄ってきた。

 

「みなさん、状況はイフィオン都市長よりお伺いしました。あなた達が東の化物2体を引き付けてくれなければ、戦況は更に悪化していた事でしょう。北よりやってきたあの巨大な化物が城壁を破壊する前に、私達も移動します。レン・ヘカート神殿には既にカルサナスの住民たちが到着していますので、向こうへ着いたらあなた達アダマンタイト級冒険者には、引き続き都市長と住民たちの護衛をお願いしたいのです」

 

「分かりました。この地下通路への扉は閉めてきましたでしょうか?」

 

「ええ。亜人達が侵入できないようしっかり施錠してきましたので、問題ありません」

 

「そうですか。では早速向かいましょう」

 

 話し終えて一同は地下通路を進み始めたが、ラキュースは気になっていた。一見気丈に振舞っているが、カベリアの目はどこか虚ろで、以前のような覇気がなくなっており、顔色も悪い。あの北の化物が放った一撃の魔法で、大量の戦死者を出してしまった事を悔やんでいるのだろうかとも連想したが、もしそうだとしても無理のない話だとラキュースは思った。年齢も20代前半と若いこの都市長代表には、あまりにも荷が重すぎる戦いだったのかもしれない。4つの都市全てを破壊され、兵力の半数を失い、最後の砦であるフェリシア城塞も陥落寸前となった今でも、よく正気を保ち職務を放棄せずに食らいついている。ラキュースの中で彼女に対する評価が一段階上がった瞬間だった。

 

 避難する兵士たちの後を追いつつ、途中休息を挟みながら二日の道のりをかけて、一同はレン・ヘカート神殿最下部・地下7階の大広間へと到着した。フェリシア城塞の中庭と同程度の面積を持つ地下大空間の中で、住民たちはテントを張り火を焚いて、逞しく生活していた。その中に一歩足を踏み入れると、その姿を見た住民たちからどよめきが上がった。

 

「カベリア都市長!」

 

「おお...カベリア都市長、ご無事で」

 

「都市長の皆様、お待ちしていましたぞ」

 

 大勢の住民たちが4人の都市長達の回りを囲み、皆が笑顔でそれを出迎えてくれた。カベリアは住民たちの元気な姿を見て感極まり、その美しいグリーンの瞳に思わず涙が溢れる。そして彼らに一礼し、皆の目を見ながら一言一言噛み締めるように話した。

 

「みなさん、日々の生活ご心配をおかけして申し訳ありません。そして命を賭して戦ってくれた兵士達に感謝します。...しかし残念ながら力及ばず、フェリシア城塞も今や陥落寸前です。おめおめと撤退せざるを得なかった私達を、どうかお許しください」

 

「何言ってんだい!あんたはよく戦ったよカベリアちゃん!」

 

「そうだぜ、都市長が逃がしてくれなかったら今頃俺達はどうなっていたことか」

 

「わしらが今こうして生きているのは、全てあなた達のおかげですぞカベリア都市長」

 

「...ありがとうございます」

 

 カベリアは涙を拭うと目をつぶり、大きく深呼吸して再度皆を見渡した。

 

「ですがみなさん、もう少しの辛抱です!ここから外へ出られる日もそう遠くはありません。私達都市長で再度計画を練り、カルサナスの住民たちを一人残らず無事に脱出させてみせます。その間ご不便をおかけしますが、どうか私達にご協力ください!」

 

『おおーー!!』

 

 住民たちは腕を振り上げてそれに答えた。そしてカベリアは彼らに指示を出していく。

 

「みなさん早速ですが、今到着した兵達の中にいる負傷者の治療をお願いします!それと彼らに配る温かい食事の用意も行ってください。よろしくお願いします!」

 

 それを受けて住民たちは散っていき、テキパキと準備に取りかかった。カベリア達は大広間の中央に作戦本部を構え、住民たちを護衛するため先に避難していた兵士を集めて、状況分析に取りかかった。真ん中に小さなテーブルを置き、その上に地図を乗せて皆が取り囲む。

 

「現在ある食料及び物資の備蓄は?」

 

「フェリシア城塞とベバードの備蓄をそれぞれ半数移動させましたので、約一ヵ月は持つかと」

 

「伝令、地上に置いた偵察者(スカウト)からの報告を」

 

「ハッ、先ほどの伝言(メッセージ)によりますと、北の化物は東側城壁の一枚目を破壊し、内側にある2枚目の城壁破壊に着手しましたが、未だ亜人軍の侵入は確認されておりません。しかし後から合流した東の化物2体もそれぞれフェリシア城塞の北・南に配置し、平行して城壁の破壊を行っているとの事です」

 

「3匹がかりなのね。約二日で1枚の城壁を破壊したという事は、内側の城壁を破壊するのも二日後...そして万が一敵が地下道への入口を発見・扉を破壊したとして、このレン・ヘカート神殿まで辿り着くのに二日かかるから、4日しか時間が残されていない。これだけの人数を移動させるとなると、もはや一刻の猶予もないわね」

 

 イフィオンとパルール、メフィアーゾがそれを聞いて、カベリアの顔を覗き込んできた。

 

「やはり地下迷宮を辿り、住民を脱出させるしかないか」

 

「しかしのう...この大広間は別じゃが、上の階層は凶悪なモンスターの巣じゃぞ。かなり危険な賭けになるじゃろうな」

 

「そ、それじゃあよ、この前の作戦みたいにまた転移門(ゲート)を使って避難させるってのはどうだ?それなら安全だし確実だろ?」

 

 それを聞いてイフィオンは深い溜め息をつき、首を横に振った。

 

「...だめだな。このレン・ヘカート神殿内部は、広範囲に渡り転移禁止の封印が施されている。転移門(ゲート)の使用は不可能だ」

 

「それなら、フェリシア城塞まで戻って転移門(ゲート)を使えばどうだ?」

 

「バカかお前は。フェリシア城塞まで戻るのに二日、城壁が破壊されるのも二日後だぞ?敵が城塞内に侵入しているという混乱した状況下で、しかもあの狭い地下道の中からこの4都市の住民を避難させられると思っているのか?最悪住民まで皆殺しにされるぞ」

 

「だーもう!じゃあどうしろってんだよ?!」

 

「...メフィアーゾ都市長。転移門(ゲート)が使えるとして、一体どこへ逃げようというおつもりですか?」

 

 カベリアの口から出た突然の厳しい口調に、メフィアーゾは一瞬言葉を失った。

 

「そ、そりゃあおめえ、もう街も全部破壊されちまったしよ? 行く所と言ったら、南西のバハルス帝国に頼るしか...」

 

「あの国が、避難民である我々を受け入れると本気でお考えですか?それ以前に、帝国の国土では我々カルサナス4都市の住民を受け入れるだけの面積がありません。それこそ奴隷にされ、路頭に迷うのが落ちです」

 

「じゃあカベリアの嬢ちゃん。お前はもし無事に地上へ出られたら、その先の当てはあるのかよ?逃げたとして、その後どうするかという具体的なプランはあるのか、聞かせてもらおうじゃねえか」

 

「いいでしょう、私のプランはこうです。レン・ヘカート神殿の地上に出たら、まず真っ直ぐに東を目指します。その先にあるのはカルバラームですが、そこも通り越して更に北東...つまり大陸の最北端に、ここにいる住民全員で仮の街を建設します。その為の資材は破壊されたカルバラームから調達し、順次要塞化・拡大していく。そして亜人軍と3匹の化物の動向を偵察者(スカウト)に探らせながら街の建設を急ぎ、それと同時に世界各地へ街の代表を派遣し、あのモンスターを倒せる力を持った国と交渉する。例えばそう、南方にある八欲王の空中都市エリュエンティウや、こことは反対の最北西にある、アーグランド評議国といった国々です。彼らはそれぞれ、強力な軍隊を持っていると聞いています。そして無事3匹の化物が退治された暁には、我々も各都市に戻り街の復興を目指す。これが私の考えるカルサナスの再建計画です」

 

「...嬢ちゃん知らねえのか?そのエリュエンティウもアーグランド評議国も、アインズ・ウール・ゴウン魔導国と同盟を組んだって噂だぜ。だったらいっそ、より近いエ・ランテルにでも行って魔導国に直接頼む方が手っ取り早いんじゃねえか?」

 

 それを聞いたカベリアの目が血走り、メフィアーゾを睨みつけるように見据えた。

 

「いいですか、私達は都市国家連合です!得体の知れない国と国交を持つ事で、将来的にカルサナスが彼らに蹂躙される事になっても良いというのですか? 4都市の住民たちを守る為にも、我々は自立していかねばならない。エリュエンティウとアーグランドならば、事情を話せばきっと理解してもらえるはずです。私はそう信じます」

 

「わ、分かったよ!分かったからそう怒るない。熱くなっても始まらねえだろ?」

 

 それを黙って聞いていたイフィオンが、顎に手を添えながらカベリアに目を向けた。

 

「...ふむ、アーグランド評議国か。それなら私に少々コネがある。この脱出がうまく行ったら、私がアーグランドに出向いても構わないが」

 

「本当ですか?ええ、その時はご足労をおかけしますが、是非よろしくお願いします」

 

 パルールは持っていた戦棍(メイス)で地面を(コンコン)と軽く小突くと、3人の都市長を見上げた。

 

「さて、時間も差し迫っておる。そろそろ現実的な話をしようかの?」

 

「分かりましたパルール都市長、申し訳ありません。ハーロン、冒険者組合から雇った冒険者は現在何人いる?」

 

 カベリアは背後に立つ全身鎧(フルプレート)の男に声をかけた。

 

「ハッ!アダマンタイト級冒険者のみなさんと合わせて、40名が任務についております」

 

「十分ね。ハーロン、その中からレン・ヘカート神殿に詳しい冒険者を探してきて」

 

「あー、それだったら私が分かりますよカベリア都市長」

 

 一歩前に出てきたのは、フレイヴァルツだった。

 

「丁度いいわ、この神殿の特徴について教えて」

 

「そうですね、まあ知っての通りこの神殿は7層構造です。何故かこの大広間だけ敵は現れませんが、地下1階はザコかと。しかし下に進むにつれてモンスターの強さもどんどん強くなっていく。つまりこの頭上にある地下6階が、私達でも苦労するほどの最もヤバい地帯です。そこの突破にはかなりの危険を伴います。それに各階層は入り組んだ広大な迷路になっているので、一つの階層から上に上がるのにも相当時間がかかる。幸いなことにトラップ系統の仕掛けはないから、モンスターさえどうにか出来れば先に進むことは問題ありません」

 

「私達全員が避難すると想定して、地上までどのくらいの時間を要すると思う?」

 

「この人数だ、半端じゃない。私達アダマンタイト級10人と、他の冒険者が先陣を切ってモンスター共を掃討していったとしても、急いで最低三日はかかると見ておいた方がいいでしょう」

 

「三日...ギリギリね。まず住民たちを先に逃がしたいの。その後に兵士三万五千人が続き、万が一背後から奇襲された時に備えて殿を務めてもらう。そして住民と兵士が地上に揃い次第、一斉に東へ移動を開始。カルバラームの先だから、おおよそ五日の道程ね」

 

「やるなら今から準備させておいたほうがいい。間に合わなくなる可能性があります」

 

「そうね。では決行は明日明朝としましょう。イフィオン都市長、パルール都市長、メフィアーゾ都市長、それでよろしいでしょうか?」

 

「ああ、問題ない」

 

「正念場じゃな」

 

「先が思いやられるぜ」

 

「ではみなさん食事を摂り、明日まで体をゆっくり休めておいてください。ハーロン、各指揮官に伝達。明日明朝出発する旨を、兵及び各地区の住民達に伝えるように」

 

「了解しました」

 

「では一旦解散という事で」

 

 一同がそれぞれ散っていくと、カベリアは住民の様子を伺う為テントの並ぶ方角へと足を向けた。住民達は皆、兵士に配る戦闘糧食を作る為動き回っている。また負傷者も一か所に集められ、神殿専属の神官(クレリック)が総出で治療に当たっていた。場内が慌ただしい中、それを眺めながらしばらく歩いていると、遠くから微かに子供の泣く声が響いてきた。

 

 カベリアは心配になり、声を頼りにその方角へと向かう。すると50メートルほど先に、人が激しく行きかう中立ち尽くす小さな子供の影が見えた。年齢は5才ほどだろうか。カベリアはその子を保護するために歩み寄ったが、ふと少女の背後から何者かが近づき、子供と視線を合わせる為その場にしゃがみ込むと、頭に手を乗せて優しく撫で始めた。カベリアはそこで足を止める。

 

「うぇええええーーん!おかあさんどこーーー?!」

 

「ホッホッ、おおよしよしお嬢ちゃん、泣かんでもよい。迷子にでもなったのか?」

 

「ヒグっ...う、うん。お母さんとはぐれちゃったの」

 

「そうかそうか。このわしも一緒に探してやるからな、心配せんでもええ。どれ、少しお嬢ちゃんの頭の中を覗かせてもらうぞ?」

 

 その老人は少女の頭に手を乗せたまま目をつぶると、カベリアが聞いたことも無い謎の魔法を詠唱した。

 

記憶操作(コントロール・アムネジア)

 

 すると少女の頭部がボウッと一瞬光り、老人はゆっくりと目を開けて少女の頭を撫でた。

 

「なるほどのう、お嬢ちゃんの母君の顔は分かった。時にお嬢ちゃんや、その首にかけたペンダントはマジックアイテムじゃな?誰からもらったのじゃ?」

 

「えっと、お母さんがお守りにって、私にくれたの」

 

「丁度良い。済まないが、それをわしに少し貸してくれるかの?」

 

「うん、いいよ」

 

 少女は首からペンダントを外すと、老人の左手に手渡した。そして老人は右手で手刀を作りそのペンダントに添えると、再度魔法を詠唱する。

 

発見探知(ディテクト・ロケート)

 

 すると左手に乗せられたペンダントが青い光に包まれ、すぐにその光は消滅した。そしてその光景を不思議そうに見つめていた少女の首にペンダントをかけなおすと、笑顔で少女の頭を撫でる。

 

「うむ、母君の居場所が分かったぞ。どれお嬢ちゃん、そこまで連れて行ってやろう」

 

 白髪で中背の老人は少女を軽々と抱きかかえ、スッと立ち上がった。そして南の方向へと歩き始める。カベリアは不審に思い、距離を置いてその後をつけていった。

 

 老人の着るゆったりとしたローブの襟袖に掴まった少女が、首を傾げて問いかける。

 

「おじいちゃん、魔法使いなの?」

 

「そうとも、恐い恐ーい魔法使いじゃ」

 

「アハハ、嘘だー?おじいちゃん全然恐くないもん」

 

「ホッホッホッ、そうかね? ならば良いのじゃ。母君のいる所までもうすぐじゃぞ」

 

 やがて老人と少女は、フェリシア城塞に続く地下通路付近に辿り着いた。すると入口の右脇に建てられたテントの傍で、方々に声を張り上げる30代ほどの女性の姿が目に入る。

 

「ルーナ!ルーナ、どこにいるの?!返事して!」

 

 それを見て少女は目を輝かせる。

 

「あ、いた!おかあさんだ!」

 

「ホッホッ、良かったのう」

 

 老人はそのまま女性の前まで歩くと、抱きかかえていた少女をそっと地面に降ろした。少女は母親の膝元に抱き着く。

 

「おかあさん!」

 

「ルーナ?!ああ、良かった...だめじゃない遠くに行っちゃ!」

 

「ごめんなさい。このおじいちゃんが、おかあさんを探してくれたんだよ!」

 

 そう言うと少女は、背後に立つ老人を指さした。母親の女性はその威厳のある白髪の老人と目を合わせ、深く頭を下げた。

 

「とにかく無事で良かったわ。...あの、どなたかは存じませんが、娘を連れてきていただきありがとうございます」

 

「何、構わんて。それよりも今この大広間場内は混乱しておるでな。子供から目を離さんよう十分に気を付けるのじゃぞ?」

 

「はい、申し訳ありません。それであの、お礼と言っては何ですが、よろしければこちらのテントで一緒にお食事でもいかがですか? たった今、兵士に配る温かいシチューが出来たところなんです」

 

「それはありがたい。是非いただくとしよう」

 

 そして老人は焚き火の横に座り、ルーナと呼ばれる少女と共に食事を摂り始めた。後ろからそれを眺めていたカベリアはその老人に歩み寄り、ある種異様とも取れるその老人の姿形を確認した。

 

 長く伸ばした白髪と白髭を蓄え、体には細かな装飾が施された白いローブを身に纏い、首には赤く光る数珠のように大ぶりなネックレスを装備している。両手の指全てにはマジックリングと思われる指輪をはめており、ただ者ではない雰囲気を醸し出していた。スプーンでシチューを美味しそうに口に運ぶ老人の横に立ち、カベリアはその顔を覗き込む。

 

「あの、もし?ご老人」

 

「...ん? おお、これはカベリア都市長。お初にお目にかかります。此度の撤退戦、実に見事な手際でしたな。感心しましたぞ」

 

 老人は皿を地面に置くとカベリアに向き直り、深くお辞儀した。

 

「いえ、滅相もございません。ここらでは見かけないお顔でしたもので、先ほどから拝見させていただいておりました。失礼ですが、あなたは都市国家連合の住民なのでしょうか?」

 

「何、物見遊山で参ったしがない旅人の魔法詠唱者(マジックキャスター)です。たまたまこの国に居合わせ、あの亜人共の戦に巻き込まれてしまいましてな。一緒に避難させていただいた次第ですじゃ」

 

「そうでしたか。このような災難に巻き込んでしまい、都市長代表として申し訳なく思います。よろしければ、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

「名乗る程の名でもないが、わしの名はエリプシスという者じゃ。どうぞお見知りおきを」

 

「こちらこそよろしくお願いします。エリプシス様、明日には地上に向けて全住民の脱出を開始しますので、その為の準備を怠らないようお願い致します」

 

「了解した、肝に銘じておこう」

 

 座ったままの老人に軽く会釈すると、背後から女性の声がかかった

 

「カベリアちゃん!こんなところで何してるんだい?」

 

 振り返ると、そこには腰に手を当てた40代半ばの恰幅の良い女性が笑顔で立っていた。

 

「マリーニさん。いえ、住民達の様子を見て回っていました」

 

「そうかい。あんたも疲れただろう?美味しいシチューとお肉が焼けてるよ。こっち来て一緒に食べていきな!」

 

「ええ?でもそんな...」

 

「遠慮する事ないさ!いざって時に都市長代表のあんたが腹ペコじゃ、お話にならないだろう?ほら、いいから私達のテントに来な!」

 

「ありがとうございます。ではご一緒させていただきます」

 

 カベリアは兵士達と一緒に食事を済ませ、大広間中央の作戦本部に戻った。そこで待っていた近衛兵のハーロンが敬礼して出迎える。

 

「カベリア都市長、休息のためのテントをご用意してあります。そちらでお休みになられてはいかがでしょうか?」

 

「ありがとうハーロン。そうね、少し休ませてもらうわ」

 

「ではこちらに」

 

 彼の後ろを歩き、作戦本部から西側に建てられた一際大きいテントの中に案内された。壁際にはランタンが釣り下げられており、テント内を淡く照らし出している。地面には麻の布団が二つ並べられており、奥の布団には既に一人の女性が寝息を立て、枕に頭を乗せて静かに横たわっていた。イフィオン・オルレンディオ。さもすればカベリアよりも若く見えるその美しい半森妖精(ハーフエルフ)の横顔を眺めながら、彼女を起こさないようそっと布団に潜り込み、横になった。

 

 カベリアは天井を見ながら目をつぶったが、フェリシア城塞の砦内から遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)で見た光景がフラッシュバックし、再度目を開けた。全軍の先頭に立ち、勇ましく指揮を続けたイフィオンと、敵軍を前に次々と倒れていく兵士たち。それを思い返し、妙な不安に駆られてカベリアは体を右に向けた。

 

 (この人がいなければ、今頃カルサナスの住民は...)そう心の中で唱え、眠るイフィオンの横顔をしばらく見つめ続けていたが、唐突にその口が開いた。

 

「...眠れないのか?」

 

 イフィオンは薄っすらと目を開き、左で横になるカベリアに体を向けた。そしてその顔はゆっくりと微笑に変わり、優しい視線を投げかける。全てを見抜くような青い瞳に射抜かれ、カベリアは目を瞬かせる。

 

「ご、ごめんなさいイフィオン都市長。起こしてしまいましたね」

 

「無理もない、あの激戦の後だからな。私も生きているのが不思議なくらいだ。お前もろくに睡眠を取っていないのだろう?明日も早い、今のうちに寝ておけ」

 

「いえ、イフィオン都市長に比べれば私など大した事はありません。それよりも...」

 

「何だ?」

 

「...民たちは無事ですが、その代わり沢山の兵の命を失ってしまいました。私の作戦は正しかったのでしょうか?」

 

「...あの大軍勢と化物を相手に、兵達はよく戦った。それにフェリシア城塞へ兵を集結させていなければ、ここまで長く持ちこたえる事はできなかっただろう。お前の判断は正しかった。案ずるな」

 

「そう言っていただけると、救われます」

 

「さあ、もう寝ろ。それとも子守歌でも歌って欲しいか?」

 

「いえ、大丈夫です。お休みなさいイフィオン都市長」

 

「おやすみカベリア...」

 

 二人は深い眠りに落ちた。そしてそこから6時間が経過した深夜3時、何者かに強く肩を揺さぶられてカベリアは目を覚ました。顔を上げると、目の前に全身鎧(フルプレート)を装備した兵士が片膝を付いている。

 

「お休み中の所申し訳ありませんカベリア都市長、緊急事態です」

 

「ハーロン?一体どうしたの?」

 

「南のフェリシア城塞で攻撃を仕掛けていた化物1体が、突如北へと転進しました」

 

「...何ですって?!」

 

 カベリアが飛び起きてふと横を見ると、イフィオンは立ち上がり厳しい顔つきでその話を聞いていた。ハーロンが急かすように言葉を継ぐ。

 

「とにかくお二人共、すぐに作戦本部へ!アダマンタイト級冒険者の方々も揃っています」

 

「分かったわ。行きましょうイフィオン都市長!」

 

 三人はテントを出ると、駆け足で大広間の中央へと向かった。そして後からパルール・メフィアーゾも血相を変えて駆けつけると、4人はテーブルを囲み会議に入った。

 

「ハーロン、詳しい状況を教えて」

 

「ハッ!たった今地上の偵察者(スカウト)から入った情報です。手にした大剣でフェリシア城塞を攻撃していた北の化物ですが、突如強力な魔法を使用して一気に城壁を破壊し、その穴を通り亜人軍がフェリシア城塞内へ侵入。その後北の化物が攻撃を止め、移動すると同時に亜人軍は部隊を二分して北へと向かっています」

 

「分かれた部隊の数は?」

 

「フェリシア城塞内に二万、北へ向かう亜人軍が二万五千です」

 

「北って...つまりここへ向かってるってのか?!どうやって俺達がここにいるって気付いたんだよ!」

 

 メフィアーゾは慌てるあまり声が上ずっていたが、ハーロンは首を横に振るばかりだった。

 

「分かりません。とにかくこのまま敵が北へ進めば、間違いなくレン・ヘカート神殿へ到達するとの報告です」

 

 パルールは地図を睨み、ボソッと呟くように言った。

 

「...まずいな、このままでは北と南から挟み撃ちじゃぞ」

 

 イフィオンが地図上に置かれた敵軍の駒を北へと動かした。

 

「敵軍が地上からこのレン・ヘカート神殿に到達するまで約二日。我々が今すぐ地上への脱出を開始しても最低三日はかかる。そうだな?フレイヴァルツ」

 

「ええ、間違いありません」

 

「...地上へ出た瞬間、待ち受けている亜人軍と北の化物からの総攻撃を受ける事になるな。それ以前に亜人達がレン・ヘカート神殿内部へ侵攻してくる事も考えられる」

 

「最悪、フェリシア城塞側の地下道入口が破壊されて、南からも侵入を許すことになるかもしれんのう」

 

 それを聞いて、メフィアーゾの顔から血の気が失せていく。

 

「おい、それってつまり......もう後がねえって事か?」

 

「ああそうだ。少なくとも全員無傷で北東へ逃げるという作戦は、これで使えなくなった」

 

 その場にいた全員が沈黙した。もはや何も考えられないというほどに。周囲にいた兵士たちは俯き、全身から悲壮感を漂わせている。都市長達でさえも。かくなる上は一つしかない。そんな分かり切った答えを誰しもが口にしたくないと黙っていたが、カベリアが沈黙を破り質問した。

 

「...イフィオン都市長、残された手段はありますか?」

 

「こうなれば総力戦だ。レン・ヘカート神殿からの脱出は時間がかかる上、地上には最も手ごわい北の化物が待ち構えている。となればフェリシア城塞からの一点突破だ。地下通路を伝って南に戻り、住民たちにも武器を持たせた全兵力で戦うしかない。無論フェリシア城塞には兵力二万と東の化物2体がいる以上、こちらも無傷では済まないだろう。兵はおろか住民たちにも多大な被害が出ると予想される。しかし、カルサナスが僅かでも生き残れるチャンスがあるとすれば、それしかない」

 

「ちょっと待て総力戦って、俺も戦うのかよ?!」

 

「当然だメフィアーゾ、お前も元戦士だろうが。バーバリアンの名が泣くぞ」

 

「マジか...こんな事なら、もっと重装備にしておけばよかったぜ...」

 

「遂に進退窮まったのう。住民たちには心苦しく思うが...」

 

 皆が厳しい表情でお互いの顔を見合わせたが、それを見て悔しそうに拳を握り無表情だったのは、カベリアだった。テーブルの上に手を置き、腹から振り絞るように声を出した。

 

「......みなさんお待ちください。住民に被害が出るのは、私には耐えられません」

 

「ではどうする?犠牲者を出さずに突破するのは、もはや不可能な段階にまで来たんだぞ」

 

「...この手だけは使いたくありませんでした。私に考えがあります。少し...時間をください」

 

 そう言うとカベリアは、震える手をゆっくりと右耳に添えて深呼吸し、目をつぶった。

 

 

 

───バハルス帝国 帝都アーウィンタール 帝城内 執務室 3:45 AM

 

 

「斥候からの報告は以上です、陛下」

 

「都市を放棄するとは、あの女なかなか思い切った策に出たな。しかし最後の砦であったフェリシア城塞も今や陥落。亜人軍は何故か部隊を二分し、化物と共に北のレン・ヘカート神殿へと向かっている。ニンブル、お前はかつて神殿の調査を行った事があったな。どう思う?」

 

「あの神殿の最下層には、大広間と呼ばれる広大な空間が広がっています。恐らく隠された地下か何かを利用し、フェリシア城塞から残った兵士と住民をそこに撤退させたのではないでしょうか。しかし巨大なモンスターと亜人軍はその動きを察知し、部隊を二分させて逃げ場を無くす作戦に出たものと思われます」

 

「袋の鼠というわけか。連合軍が地上へ脱出する可能性は?」

 

「ないでしょう。時間がかかりすぎる上に、あの危険な迷宮の中を全兵士と住民に歩かせるんです。万が一地上へ脱出できたとしても、そこには亜人軍と化物が待ち構えている。狙い撃ちにされて全滅という事も十分ありえます」

 

「となると南だな。敵が部隊を二分した今、攻め込むには絶好のチャンスだが...バジウッド、我が帝国の兵力は八万、フェリシア城塞を占拠する亜人と化物が約二万だ。やれそうか?」

 

「連合軍だけで敵をあそこまで削れたんだ。それにわが軍は皆専業兵士。デケえ化物2体は手に負えませんが、亜人達だけならやれると思いますぜ」

 

「よほど優秀な指揮官が連合軍にはいるのだろうな。一度顔を拝んでみたいものだ」

 

「全くです。ところで陛下、国境付近に待機させてある軍の編成について───」

 

「待て!」

 

 その時、突然脳裏に糸が一本繋がるような感覚が走った。ジルクニフが右耳に手を添えると、その動きに気付いた四騎士も同じようにして、伝言(メッセージ)を共有する。

 

 

──────────────────

 

『ベバード都市長・カベリアです』

 

『これはこれはカベリア都市長、連絡をお待ちしていました。貴国の状況は伺っていますよ。我が帝国としても誠に憂慮すべき事態と受け止めております』

 

『...全て...見ていたと言うの?』

 

『もちろんです。隣国に降りかかった火の粉が、いつ我が帝国を襲うとも限りませんからね。あの強力な亜人軍を前に、今日までよく持ちこたえたと感心していたところです』

 

『......ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス..........』

 

『どうしましたカベリア都市長。声が震えていますよ?』

 

『..........お願い、助けて!!!』

 

 

──────────────────

 

 

(来たか...)

 

 その魂を削る絶叫を聞いてジルクニフがソファーから立ち上がると、一緒に聞いていたバジウッド・ニンブル・レイナースも腰を上げる。そして伝言(メッセージ)の向こうにいるカベリアに返答した。

 

『分かった。お前達は今レン・ヘカート神殿にいるんだな?』

 

『...地下7階、大広間よ』

 

『すぐに行く、待っていろ。そこから動くんじゃない』

 

 ジルクニフは伝言(メッセージ)を切ると、向かいに立つ3人に指示した。

 

「バジウッド、ニンブル、レイナース!直ちに国境付近に控える兵力と合流し、部隊を北東に向けて進軍させよ!私も出る!」

 

 それを聞いてバジウッドがニヤけながらジルクニフに質問する。

 

「陛下、マジでやる気ですかい?」

 

「あの女が恥も外聞もかなぐり捨てて、私に助けを乞うてきたのだ。今ここでそれに答えなければ、宗主国である魔導国はおろか、我がバハルス帝国の名折れというもの。但し、当然我が帝国の兵力だけでどうにかなるとは考えていない。ロウネ、至急デミウルゴス宰相に連絡し、魔導国に救援を要請。彼らの力が必要だ!」

 

「了解しました」

 

 ジルクニフと四騎士達は、慌ただしく執務室を後にした。

 

 

 

───エ・ランテル東 貴賓館4階 応接間 4:05 AM

 

 

 

「───と、いう訳です。潜入させたシャドウデーモンからの報告によれば、レン・ヘカート神殿の最下層で窮地に陥っているカルサナスの代表者が、帝国に救援を要請。その申し出を受け、帝国軍は即座に北東へ向けて進軍を開始。それと平行して、我ら魔導国にも援軍を求めてきております。アインズ様、いかがいたしましょう?」

 

 デミウルゴスは長机の中央に置かれた大きな地図を指さしながら、淡々と皆に説明した。上座にはアインズを頂き、左列にはアルベド・コキュートス・シャルティア・マーレ・アウラ・ルベド・セバスが座り、右列にはルカ・ノアトゥン・フォールス・ネイヴィア・ミキ・ライル・イグニス・ユーゴが陣取る。アインズは右に座るルカに顔を向けた。

 

「ルカ、確認するがその代表者というのは、ベバード都市長のカベリアという女性で間違いないな?」

 

「報告を受けた限りでは、恐らくね。容姿が一致しているし」

 

「デミウルゴス、敵の種別は?」

 

「レッドキャップとオーガの上位種族・土精霊大鬼(プリ・ウン)の混成部隊が約四万五千。但しこの部隊は現在二分されており、南に二万、北に二万五千です。それとは別に判別不能の超大型モンスターが3体存在します。南に2体、北に1体です」

 

「ほう? 当初九万いた亜人の群れをそこまで削るとは、人間と亜人の連合が上位種族相手になかなかやるではないか。連合軍を指揮していた者の名は分かるか?」

 

「申し訳ありません、そこまでは。ただ、強力な魔法を使用して敵を攪乱していたとの事です」

 

「ふむ、その者とは後程会ってみるとしよう。問題は3体の超大型モンスターだな。ルカ、種別は分かるか?」 

 

「羽を生やした蛇と巨人2体って情報だけじゃ、何ともね。実際に見てみないと」

 

「そうか。アルベド、出兵の準備は整っているか?」

 

「滞りなく。アインズ様のご指示通り、死の騎士(デス・ナイト)一万、ナザリックマスターガーダー四万の、総勢五万体を揃えております」

 

「よろしい。デミウルゴス、例の件は?」

 

「ハッ、ベバードの避難直前に紛れ込ませてあります」

 

 それを聞いて、ルカは首を傾げた。

 

「誰を紛れ込ませたの?」

 

「何、くだらない実験だよ。さて、こちらの準備は整った。皆知っての通り、カルサナス都市国家連合は協定外の国だ。この事に関し階層守護者達皆の意見を聞きたい。まずはコキュートス」

 

「属国トハイエ同盟国デアル帝国カラノ救援要請。コレヲ受ケテ諸国に魔導国ノ力ヲ見セツケル良イ機会カト」

 

「シャルティア」

 

「人間どもがいくら死のうと興味はありんせんが、その超大型モンスターというのが気にかかるでありんす。今後邪魔になる可能性も出てきますし、早めに駆除しておいたほうがよろしいかと存じんすぇ」

 

「マーレ」

 

「え、えと、あの、その、アーグランド評議国とエリュエンティウのみなさんも心配しているようですし、僕も殺しておく事に賛成です...」

 

「アウラ」

 

「魔導国の領地が増える事になるかも知れないし、あたしは援軍を出すのに賛成ですよ!」

 

「ルベド」

 

「...私は...戦って...みたいです...アインズ様」

 

「セバス」

 

「国家の民を救うとなれば、その恩恵は計り知れないはず。周辺諸国の魔導国に対する風評も高まるかと邪推します」

 

「デミウルゴス」

 

「アインズ様の覇業を押し進めるまたとない機会。大義名分もできましたし、これを逃す手はないかと具申致します」

 

「最後になったが、アルベド」

 

「...払いきれない貸しを作る。そしてアインズ様に絶対の忠誠を誓わせるまたとないチャンスですわ」

 

「ふむ、お前達の考えは分かった。その意見を尊重し、帝国の救援に応える事としよう」

 

 階層守護者達は上座に笑顔を向けたが、アインズは右手を上げてそれを制止した。

 

「だがもう一点、お前達に伝えておかなければならない事がある。私とここにいるルカ達は今回、別の目的がありカルサナスへ出向こうと思っているのだ」

 

 左に座るアルベドはそれを聞いて、意外そうな表情でアインズを見た。

 

「別の目的...とおっしゃいますと?」

 

「実はな、このユグドラシルという世界でパケットの肥大化...と言ってもお前達には分からないだろうが、普通ではあり得ないほどの通信異常が発生している。そしてその原因となるのが、カルサナスに突如現れた大量の亜人と3匹の巨大モンスターにあるようなのだ。それを消し去れば異常は解消されると思われる。よって我が魔導国の優先順位としては、第一に敵性モンスターの殲滅、第二に帝国軍及びジルクニフの安全確保、第三にカルサナス住民の保護という形になる。事が全て終わった後にカルサナス都市国家連合をどうするかという判断については、相手の出方を伺いながら決める事にする。異存のあるものは立ってそれを示せ」

 

 デミウルゴスを筆頭に、席を立つものは誰一人としていなかった。

 

「アインズ様の深淵なるお考えに賛同致します。このデミウルゴス感服致しました!」

 

「う、うむ。ありがとうデミウルゴス」

 

(状況が状況だけに、本当は何も考えてないんだけどなー。結果的にサードワールドを手に入れる事になるんだし、まあそれが真の目的と言えなくもないんだけど。はー、とりあえずは現地に行ってみるしかないか) アインズは心中で本音を吐露した。

 

 ルカは右列の中央に座る者を見て、再度アインズに顔を向けた。

 

「ところでアインズ、フォールスも連れて行く気なの?」

 

「ああ、本人立っての希望だからな。それに居てくれた方が何かと心強い」

 

「そっか。分かった」

 

 アインズは席を立つと、腕を前に振り上げて皆に指示した。

 

「ではこれより出陣する!各員戦闘用装備への変更を怠るな。帝国への移動にはシャルティアの転移門(ゲート)を使用。全軍の指揮はアルベド、デミウルゴスに一任する。よいな?」

 

『ハッ!』

 

 そしてアインズと階層守護者、ルカ達は執務室を後にし、エ・ランテル城塞外に待機させてあるアンデッド軍五万の元へ向かっていった。

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

■魔法解説

 

 

稲妻の召喚(コール・ライトニング)

 

森司祭(ドルイド)の使用できる雷撃系範囲攻撃魔法。着弾点の中心から周囲70ユニットに渡り強力な無数の雷撃を落とす。また被弾後5秒間の麻痺(スタン)付与効果も与える。魔法最強化・効果範囲拡大等により威力・範囲ともに上昇する。

 

 

毒の深手(インフリクト・ポイズン)

 

周囲50ユニットに渡り、1秒毎に毒によるDoT(Damage over Time=継続ダメージ)を与える。INT(知性)依存の為、術者のINTが高い程ダメージ量が増加し、魔法最強化等により効果範囲とダメージが変動する。効果時間は30秒間

 

 

精神の叫び(サイキックシャウト)

 

ウォーロックが使用できる精神攻撃系魔法。50ユニットに渡りダメージを与えるAoE(Area of Effect=範囲魔法)としての特性を持ち、精神系デバフと併用する事によりその威力は倍増する。また魔法を受けた直後より3秒間の麻痺(スタン)効果も併せ持ち、相手の使用する飛行(フライ)の魔法を打ち消し、地面に落下させる事ができる。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

蛭の吸血(リーチ・オブ・ブラッド)

 

トーテムシャーマンが使用できるHPドレイン系魔法。50ユニットに渡り吸血するAoE(Area of Effect=範囲魔法)としての特性を持つ。単体の威力はさほどでもないが、耐性強化の手段が無く、敵の集団に放てば大量のHPを吸い取り、術者の体力を回復させる事ができる。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

俊足の祈り(プレーヤーオブヘイスト)

 

吟遊詩人(バード)専用魔法。周囲50ユニット内にいる味方の移動速度を60%アップするバフ属性の魔法。効果時間は30秒だが、チャント(継続詠唱)の属性も併せ持つため、術者がある特定のメロディを歌い続けるか、楽器を演奏し続ける事でその効果は半永久的に持続する。尚移動速度が上昇しても、体力の消費は変わらない。

 

 

秩序の無視(イグノア・ジ・オールド・オーダー)

 

ウォーロックが使用できる精神攻撃系範囲魔法。魔力の消費が非常に激しい代わりに、その火力は精神攻撃系の中でも最強に属する。精神系デバフと併用する事によりその威力は倍増し、着弾地点から50ユニットの範囲内にいる対象者の精神を完全に破壊する。また魔法を受けた直後より5秒間の麻痺(スタン)効果も併せ持ち、相手の使用する飛行(フライ)の魔法を打ち消し、地面に落下させる事ができる。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

荒廃(ブライト)

 

トーテムシャーマンが使える毒属性の単体DoT。INT(知性)依存によりその火力は左右されるが、強烈な毒ダメージが一秒毎に3分間の長きに渡り続き、対象者は回復に専念せざるを得ない。治癒せずに放置すれば即座に死に至る危険な魔法。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

殺害衝動(キリング・インパルス)

 

世界級(ワールド)エネミー専用魔法。術者の120ユニット内にいる全ての敵を自動追尾し、即死に匹敵する強力な神聖属性ダメージを与える。この攻撃から逃れるためには、速やかに魔法効果範囲外へ退避するか、パッシブディフェンス・回避(ドッヂ)の確率に賭けるしか方法がない。但し魔法自体の追尾速度は比較的遅い事から、発動と同時に退避すれば回避(ドッヂ)を上げていない普通のプレイヤーでも避難が可能。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

精神の殴打(マインド・ストライク)

 

ウォーロックが使用できる精神攻撃系単体魔法。その一撃の火力は精神の叫び(サイキックシャウト)を凌駕する。精神系デバフと併用する事によりその威力は倍増する。また魔法を受けた直後より3秒間の麻痺(スタン)効果も併せ持ち、相手の使用する飛行(フライ)の魔法を打ち消し、地面に落下させる事ができる。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

毒蛇の矢(ナーガルズ・ダート)

 

トーテムシャーマン専用単体魔法。強力な毒素を含む魔法の矢を無数に飛ばし、敵に高火力の毒属性DoT(Damage over Time=継続ダメージ)を与える。INT(知性)依存によりその火力は左右され、効果時間は1分間。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

反逆者の処罰(サンクション・オブ・フェアレーター)

 

世界級(ワールド)エネミー専用の神聖属性範囲攻撃魔法。前方の射角60度に渡り、強力かつ不可避な神聖属性のレーザー光で敵を薙ぎ払い、高熱の大爆発を起こして周囲にも損害を与える。但し射程は120ユニットに限られており、全方位攻撃ではないため、後方等に回り込めば回避する事も可能。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

 

■武技解説

 

 

巨人の拳(フィストオブザジャイアント)

 

グレートハンマー専用武技。攻撃力を80%上昇させ、対象に深刻なスタミナダメージを与える必殺の一撃

 

 

黒蛇の刺殺(ブラックチェイサーズ・デス)

 

攻撃力を80%上昇させ、対象の攻撃速度を-50%まで引き下げる武技。効果時間は30秒

 

 

踊る刃(ダンシング・ブレード)

 

攻撃力を80%上昇させ、対象の命中率を-40%まで引き下げる武技。効果時間は30秒

 

 

海賊の激怒(ノースマンズ・フューリー)

 

片手斧専用連撃系武技。攻撃力を25%上昇させ、対象のディフェンスを-40%まで引き下げる。効果時間は15秒

 

 

霜巨人の悪意(ヨツンズ・スパイト)

 

グレートハンマー専用武技。攻撃力を100%上昇させ、対象の打撃耐性を40%下げる

 

 

詐欺師の手(ハンド・バイター)

 

片手斧専用連撃系武技。攻撃力を50%上昇させ、対象の物理攻撃力を-50%低下させる。効果時間は10秒

 

 

 

■スキル解説

 

 

地雷原(マイン・フィールド)

 

シカケニン・特殊工兵(コンバットエンジニア)が使える特殊スキル。前方50ユニットに渡り火炎属性の見えない罠を地面に敷設し、そこに触れた敵を爆破する。また術者の意思により好きなタイミングで一斉起爆させる事も可能。危機感知(デンジャーセンス)でのみ敷設箇所を見破る事が出来る。効果時間は10分間

 

 



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第9話 再生 2

───カルサナス都市国家連合 フェリシア城塞南東 帝国軍陣地 6:07 AM

 

 

 陣地後方に建てられた大きなテントの中で、玉座に座るジルクニフの回りを3人の騎士が取り囲み、それぞれ報告を受けていた。

 

「それでバジウッド、状況は?」

 

「わが軍が到着したと同時に、フェリシア城塞内を占拠していた亜人軍二万がおっとり刀で外に飛び出してきやしたぜ。敵は隊列を整えて現在500メートルほど距離を置き、睨みあってる最中でさぁ」

 

「巨大な化物の位置は?」

 

「亜人軍二万の後ろに、羽を生やした蛇のモンスターが待機してますね。もう一匹の巨人は、北側城壁から動きを見せないとの事です」

 

「敵は二万、こちらは八万だ。亜人共をコの字型に取り囲み、周囲から一気に押しつぶせ。但し、蛇のモンスターが前に出てきたら即座に距離を取り、隊列を整えさせろ」

 

「了解です。では我々も戦線に立ちますので、ここで失礼します」

 

 3人を見送ると、ジルクニフは静かに目をつぶった。

 

 バジウッド、ニンブル、レイナースは騎乗し、それぞれ中央・左翼・右翼の部隊へと散っていった。そして声を張り上げて兵達に指示していく。

 

「敵を取り囲め、逃げる隙を与えるな!亜人共を皆殺しにしろ!!」

 

『おーーーーー!!!』

 

 兵士達の怒号と共に、指揮官の3人は掲げていた剣を振り下ろした。

 

『全軍突撃!!』

 

 戦いの幕は切って落とされた。前衛の槍兵達が突進し、レッドキャップに槍を突き立てる。その後間髪入れずに後方の重装騎兵が敵陣へ飛び込み、次々と敵を薙ぎ払っていくが、それを受けて後方のオーガ部隊が一気に前進し、帝国軍の突撃をブロックした。

 

 左右からも圧力がかかり、亜人軍は徐々に中央へと集められていくが、その時後方に控えていた有翼の蛇が前進を開始した。それを見たバジウッドは咄嗟に指示を出す。

 

「全軍後退!!隊列を組みなおせ!」

 

 帝国軍の前線が後方に下がった刹那、数十体のレッドキャップがオーガの頭上を飛び越えて、素早い動きで突進してきた。そのスピードに兵士達はついていけず、止める事すら叶わない。帝国軍の隊列を突破したレッドキャップは、一目散に後方に控える戦闘指揮所まで突っ走った。テントの回りで警戒に当たっていた兵士達が中に向かって叫ぶ。

 

「陛下!敵軍の一部がこちらに向かって特攻してきます!!私達が食い止めますので、陛下はすぐに退避を!」

 

「何だと?!」

 

 ジルクニフは傍らに立てかけてあった剣を抜き、テントの外に出た。レッドキャップの一団に向かって近衛兵達が突進していくが、その素早さに成す術もなく次々と倒れていく。残す距離は50メートル。ジルクニフは剣を正眼に構え、覚悟を決めたその時だった。突如背後から、しわがれた男性の声が耳元で響いた。

 

「...ホッホッ、お強くなられましたな皇帝陛下。嬉しく思いますぞ」

 

「何奴!!」

 

 ジルクニフは咄嗟に右後方を振り返ったが、そこには誰もいない。そしてその場にいないはずの何者かは、突如魔法を詠唱した。

 

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)大顎の竜巻(シャークス・サイクロン)!」

 

 すると直径50メートル・高さ100メートルに渡る巨大な竜巻が目の前に発生し、迫りくるレッドキャップの軍勢を飲み込んで天高く吹き飛ばした。するとジルクニフの右隣にいた何者かの姿が徐々に鮮明になっていく。それを見てジルクニフは驚愕した。

 

「じ、じい?!...いや、フールーダ・パラダイン?!」

 

「お久しゅうございます皇帝陛下。お元気そうで何よりでございますぞ」

 

 背丈の半分ほどにまで伸ばした長い口髭をワシワシと撫でると、フールーダは笑顔を向けた。ジルクニフは信じられないと言った様子で、フールーダの顔から足元までを見渡す。

 

「き、貴様、ナザリックに身をひそめていたのではなかったのか?」

 

「左様。魔導王陛下に手ほどきを受けておりましたのじゃ。この透明化(スニーク)の魔法・完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)もその時習得したものにございます」

 

「...帝国を裏切ったお前が、今更何をしにここへ来た?」

 

「ご安心召されよ、皇帝陛下の身とカルサナス住民を守るよう、魔導王陛下から命じられましてな。エリプシスと名を偽り、先行してベバードの街に身をひそめていましたのじゃ」

 

「そのゴウン魔導王閣下はどうしたというのだ?救援を申し入れていたはずだが」

 

「それでしたらほれ、あちらに...」

 

 フールーダが指差す先の平野には、いつの間にか巨大な暗黒の穴が口を開けていた。そしてその中から、続々と死の騎士(デス・ナイト)が横に隊列を組んで行進し、姿を現す。その後に金色の鎧を装備したナザリック・マスターガーダーも続き、帝国軍陣地の東側は総勢五万のアンデッド軍で埋め尽くされた。最後に騎乗した階層守護者とルカ達6人、フォールスと山脈のように巨大な大蛇・ネイヴィア、そして漆黒の馬車が現れ、暗黒の穴が閉じる。

 

 指揮官にアルベドとコキュートスをその場に残し、階層守護者達に守られた馬車はジルクニフのいるテントへと近づいてきた。そして彼の目の前で停車すると、階層守護者とルカ達は下乗する。マーレが馬車の折り畳み式階段を引き出すと、皆がその場で片膝をついた。

 

 馬車の中からアインズ・ウール・ゴウン魔導王が姿を現すと、フールーダもひれ伏すように片膝を付く。ジルクニフはその圧倒的な迫力に固唾を飲みつつも、臆せずアインズに歩み寄っていった。

 

「ゴウン魔導王閣下、お待ちしていた!我が帝国の救援に答えてくれたことを、心より感謝する」

 

「遅くなって済まない、ジルクニフ殿。こちらも色々と準備があったのでね」

 

 アインズはジルクニフの隣で目を伏せる老人に目を向けた。

 

「フールーダよ、時間稼ぎご苦労であったな」

 

「ははー!勿体なきお言葉、ありがたき幸せにございます魔導王陛下」

 

 しかしその姿を見て驚いたのはルカだった。

 

「...ちょっとアインズ?!ベバードに送った潜入者って、フールーダの事だったの?」

 

「ん?そうだぞ、何をそんなに驚いている?」

 

「だってこいつは昔あたしに....って、そんな話今はどうでもいいか。こいつに何かしたの?」

 

「何、ちょっとした実験だよ。この世界の人間種(ヒューマン)であり魔法詠唱者(マジックキャスター)でもあるフールーダを、レベル100まで鍛えたらどの程度の強さを得られるかと思ってな。プレアデス達を鍛えるついでに、パワーレベリングを施してみたのだよ」

 

「それで、結果は?」

 

「かつての俺ほどではないが、そこそこ強いキャラクターに成長したぞ。元々魔法詠唱者(マジックキャスター)だったからな、筋はいいと俺は見ている」

 

「ふーん...」

 

 ルカは跪くフールーダの前に立つと、その顔を覗き込んだ。

 

「おいクソジジイ、生きてやがったのか。私の事を覚えているか?」

 

 そう言われてフールーダは恐る恐る顔を上げると、殺気の籠った赤い瞳に射抜かれて後ろにのけ反った。

 

「ひっ! ル、ルカ・ブレイズ...様?!いや、今はルカ・ブレイズ大使でしたか。魔導王陛下よりお話は伺っております。お久しゅうございます」

 

「なぁにがお久しゅうよ。お前が昔私にしたこと、忘れた訳じゃないよね?」

 

「そ、その節は大変なご無礼を働きました。何卒水に流してはいただけませんでしょうか」

 

 フールーダが地に頭をつける勢いで土下座しているのを見て、アインズは首を傾げていた。

 

「何だルカ、フールーダとも顔見知りか?」

 

「そうよ。50年ほど前からだけど、こいつは事あるごとに私達の素性を調べるため、請負人(ワーカー)を何度も何度も送り込んできた張本人なんだよ。全部返り討ちにしたけど」

 

「そうなのか?フールーダよ」

 

「ははー!大変申し訳ありません魔導王陛下、ルカ・ブレイズ大使!伝説のマスターアサシンと謳われたあなた様の力の秘密を暴きたく、かのように無礼な真似を働きました!しかし今やこのフールーダは魔導国の忠実なる下僕。二度とそのような行いは致しませんので、何卒、何卒ご容赦を...!」

 

「...ふむ。こう言ってる事だし、許してやったらどうだ?それにフールーダは魔導国にとっても貴重なサンプルなのでな」

 

「別に私はどうでもいいけど。但し、次もう一回やったら殺すからね。いい?」

 

「ありがたき幸せにございます!!」

 

 そしてアインズは背後を振り返り、高台の上から怒号の飛び交う戦場を見渡した。

 

「さて...苦戦しているようだな、ジルクニフ殿」

 

「これはお恥ずかしい限り。亜人達だけなら、我が帝国軍の精鋭八万でどうにかなるが、背後に控えているあの巨大な蛇のせいで攻めあぐねていてな」

 

「いや何、人間が上位亜人相手によく戦っている。ではまず数の多い方から片付けようか。伝言(メッセージ)、アルベド、コキュートス、兵を右翼から進軍させよ。帝国軍を攻撃する亜人共を速やかに殲滅するのだ」

 

『了解』

 

 指令とほぼ同時に前衛の死の騎士(デス・ナイト)部隊が紡錘陣形を取り、敵軍の真横から薙ぎ払うように突撃した。その圧力は凄まじく、レッドキャップと灰色のオーガ・土精霊大鬼(プリ・ウン)が次々と吹き飛んでいく。その鬼気迫る戦いぶりを見た帝国兵士達は慄き、一歩後ずさってただ見ているしかなかった。やがて死の騎士(デス・ナイト)部隊が左翼まで達すると、敵軍は南北に別れて完全に分断された。そこをすかさず後方に配したナザリックマスターガーダー四万の部隊が追撃を加え、亜人達を確実に惨殺していく。その電光石火の攻撃を前に、二万の亜人達は成す術がなかった。

 

 それを見たアインズは、隣に立つルカに尋ねる。

 

「ルカ、あの背後に控える羽の生えた蛇の情報はあるか?」

 

「うん分かるよ。あいつの名はアジ・ダハーカ。万魔殿(パンデモニウム)に出現する世界級(ワールド)エネミーだね。ちょっと面倒な相手」

 

「よし、亜人共を殲滅し終わったら次は私達の番だ。守護者達よ、準備を怠るな」

 

『ハッ!』

 

 そして1時間後、魔導国軍の圧倒的火力を前に亜人軍二万は駆逐された。戦場に積み重なった亜人達の死体の山を見て、ジルクニフはただ戦慄するばかりだった。

 

「...この短時間で、もう全滅させてしまった...だと?」

 

「ハッハッハ!そう驚く事もないさジルクニフ殿、これからが本番だ。前線に配している貴国の兵士たちを、至急後方の陣地まで下がらせてほしいのだが」

 

「こ、心得た、ゴウン魔導王閣下」

 

伝言(メッセージ)、アルベド、コキュートスよ、我が軍も後方へ待機させよ。その後にお前達二人もこちらへ合流しろ』

 

『了解』

 

「フールーダよ、その間ジルクニフ殿の護衛を頼む」

 

「かしこまりましてございます」

 

 魔導国のチーム総勢17人はテント前の陣地に集まり、フルバフを完了させた。そしてルカがチームの中央に立つと、全員に向かって説明を始める。

 

「みんなよく聞いて。あのアジ・ダハーカの弱点耐性は火と神聖よ。それと射程200ユニットに渡る闇・毒と2種類のブレスを使用してくる。合わせて、ある一定周期で120ユニット内にいる敵に対し、毒・盲目・移動阻害(スネア)の全方位に渡る状態異常攻撃を仕掛けてくるわ。移動阻害(スネア)を受けた者はすぐさま120ユニット範囲外に退避し、効果が切れるまで回復に専念。そして最も面倒なのが、アジ・ダハーカはある一定以上のダメージを受けると空中に飛び上がり、そこから攻撃を仕掛けてくる。これに関しては私が麻痺(スタン)をかけて地面に墜落させるから、そこを狙って一斉に攻撃してね。以上の事から、タンク・攻撃・回復の3チームに分けて挑みたいと思う。まずタンクチームは、アルベド・コキュートス・ライル・ユーゴ・ルベド・セバス。攻撃チームはアインズ・私・ネイヴィア・フォールス・ノア・シャルティア。回復チームがマーレ・アウラ・ミキ・イグニス・デミウルゴスよ。敵は遠距離ブレスを得意としているから、こちらも初撃はネイヴィアとフォールスの魔法でHPを一気に削る。その後に攻撃開始よ、みんないい?」

 

『了解!』

 

「OK、じゃあ行こうか」

 

 そして一同はアジ・ダハーカに接近した。兵士たちが後方に下がった事により、現在は動きを止めてこちらの様子を伺っている。そして距離が300ユニットに達した事で、大蛇ネイヴィアとフォールスが一歩前に出て最前列に立ち並んだ。

 

 

「ネイヴィア=ライトゥーガ、呼吸は私の方に合わせてください」

 

「了解じゃ、フォールス!」

 

 この世界における最強のNPCと、二十により召喚された機動防御型世界級(ワールド)エネミー。この二人が奇跡のタッグを組み、今まさに攻撃を仕掛けようとしている。階層守護者達はその様子を固唾を飲み見守っていた。そしてフォールスが右腕3本を前に向けると魔法陣が浮かび上がり、その中に眩く光るエネルギーが集まっていく。

 

 それに合わせてネイヴィアも大きく口を開けると、まるで弦楽器を糸鋸で弾いているかの如く不快な音が周囲に響き始めた。そしてその口の中にエネルギーが集束し、ネイヴィアの体が微細振動を起こし始める。その光は巨大な球状を成し、あまりの熱量に周囲の大気が歪んで見えるほどだった。

 

 二人は息を合わせ、正面の敵を見据えてそのエネルギーを一気に放出した。

 

魔法四重(クアドロフォニック)最強位階(マキシマイズ)上昇化(ブーステッドマジック)神聖歪曲(アギオーラ・ディストーション)!」

 

炎竜の日光(ニーズヘッグズ・デイライト)!!」

 

 巨大な扇状の光波が重なり合い、衝撃波と共に広範囲に放たれた不可避のエネルギーが300ユニット離れたアジ・ダハーカに直撃する。そして地を抉るような轟音と共に大爆発を起こした。その衝撃波から逃れる為、全員が身を伏せてその場に踏みとどまる。

 

 着弾点の煙が晴れると、そこには全身を炎に包まれ、醜い絶叫を上げながらのたうち回るアジ・ダハーカの姿があった。

 

「ゲギャアアアァアアアアアアア!!」

 

 アジ・ダハーカは耐えかねて空中に飛翔すると、アインズ達の方へ敵意を剥き出しにしながら突進してきた。それを見てルカが全員と伝言(メッセージ)を共有する。

 

『第一波攻撃成功、こちらも突撃する。タンクチーム、先頭に立て』 

 

『了解』

 

 ルカの冷静な声を合図に、3チームは弾丸の如きスピードで接敵する。そして120ユニットの距離まで近づくと、空中を飛翔するアジ・ダハーカに向かってルカは右手を向けた。

 

影の感触(シャドウ・タッチ)!」

 

(ビシャア!)という音と共にアジ・ダハーカの体が黒い靄に包まれ、その動きを止めた。麻痺(スタン)した敵は飛翔能力を失い落下を始め、地上に叩きつけられる。そこを狙いタンクチームが一斉に攻撃を開始した。

 

痛恨の斬撃(スターゲリング・ストライク)!」

 

「マカブルスマイトフロストバーン!!」

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)結合する(ライテウス・ワード)正義の語り(・オブ・バインディング)!」

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)聖人の怒号(セイント・マローンズ・ラス)!!」

 

血火炎の窒息(チョーク・オブ・ザ・ブラッドファイア)!!」

 

獄炎の乱打(ポーメリングオブザプリズンフレイム)!」

 

 武技・神聖・PB・炎の攻撃がアジ・ダハーカの胴体を切り裂き、焼き尽くしていく。しかしそこでアジ・ダハーカの両目が(キン!)と怪しく光ると、タンクチームの周囲が瞬時に紫色の靄に覆われ、それぞれの体が状態異常を示すエフェクトに包まれた。唯一移動阻害(スネア)無効の魔法・防止出来ない力(アンストッパブルフォース)を持つライルだけが咄嗟に反応し、状態異常で思うように動けないアルベドとルベドを両手に抱えて120ユニットの範囲外へ脱出したが、残る3人は立て続けに放たれた闇属性ブレスをまともに食らってしまった。

 

「グオオオ!!」

 

 大ダメージを受けながら必死に踏みとどまるコキュートス達を見て、回復チーム達がアジ・ダハーカの射程内に飛び込んでくる。そしてマーレとミキがすかさず魔法を詠唱した。そしてイグニスが回復魔法を唱え、アウラ・デミウルゴスが牽制の為の攻撃を叩きつけた。

 

魔法解体(マジックディストラクション)!」

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)!」

 

不死鳥の抱擁(エンプレスオブザフェニックス)!!」

 

獄炎の壁(ヘルファイヤーウォール)!」

 

 移動阻害(スネア)が解けて自由に動けるようになったコキュートス・ユーゴ・セバスはすぐさま120ユニットの範囲内から退避し、回復チームによる解毒及び盲目の解呪(ディスペル)を受けた。そしてタンクチームがアジ・ダハーカを引き付けている間に、ネイヴィアを除くアインズ達攻撃チームは飛行(フライ)で空中に飛翔し、アジ・ダハーカを取り囲むように布陣して、天高く両腕を掲げ攻撃準備を整えていた。空には色とりどりの立体魔法陣が輝き、渦を巻くように強大なエネルギーが凝縮されていく。6人は息を合わせ、ルカが両手を振り下ろすと同時に、巨大な超高熱原体がアジ・ダハーカの頭上に叩き落された。

 

「超位魔法・太陽の破壊者(ソル・ディバステイター)!!」

 

失墜する天空(フォールン・ダウン)!!」

 

業火の大罪(ヘルファイア・クライム)!!」

 

急襲する天界(ヘヴン・ディセンド)!!」

 

海竜の刃(エッジオブパトリムパス)!!」

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)位相次元爆発(フラクタル・ブラスト)!!」

 

 4人の超位魔法と世界級(ワールド)エネミー、そしてフォールスの魔法四重化による飽和攻撃を受け、空間が歪むほどの大爆発と共に茸雲が上がった。激しい衝撃波が辺り一面を舐めまわし、高熱により地面がドロドロに溶けて真っ赤な溶岩と化している。

 

 やがて煙が晴れ、爆心地にはアジ・ダハーカの消し炭一つ残されていなかった。それを見てアインズとルカ達攻撃チームは地面に降り立ち、伝言(メッセージ)を全員に共有する。

 

「敵一体目消滅、いい連携だったよ。足跡(トラック)、次は北西の城壁に一体隠れてる。油断しないでね」

 

 それを聞いて皆が攻撃チームの回りに集合すると、フォールスが六本の腕を左右に広げて魔法を詠唱した。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)生命の草原(ライフ・フィールド)

 

 するとその場にいた全員の体が白銀色の球体に包まれ、HP・MP・状態異常はおろか、超位魔法の使用回数までもが瞬時にフル回復した。アインズとルカはフォールスの両隣りに寄り添い、彼女の肩に手を乗せた。

 

「感謝するぞフォールス。お前がいてくれて心強い」

 

「ありがとうフォールス。でもあんまり無茶しないでね?」

 

「この程度の事、造作もありませんよアインズ・ウール・ゴウン。それにルカ、私を自由の身にしてくれたのはあなたなのです。その結果こうして一緒に戦える事を、嬉しく思いますよ」

 

「私も頼もしいよフォールス。敵はあと2体だ。気を引き締めて行こう」

 

 ミキが集団飛行(マスフライ)を唱え、アインズ達は北側の城壁に向けて移動した。アジ・ダハーカが倒された事を受けて、ジルクニフを含む帝国軍もそれについていくように前進する。そして一同は、破壊された城壁の前で立ち塞がるように動かない四つん這いの巨人の姿を確認した。空中でそれを見下ろしながらアインズが問いかける。

 

「ルカ、このモンスターに見覚えは?」

 

「全く、次から次へと呆れるね。こいつの名はナルムクツェ。オブリビオンに出現する世界級(ワールド)エネミーだよ」

 

「オブリビオンと言うと、例のヴァンパイア高レベル地帯の事か。一体どこから湧いて出たというのだろうな?」

 

 すると隣にいたノアトゥンが二人に返答した。

 

「恐らく、クリッチュガウ委員会の差し金でしょう。どのような意図があるのかは私にも分かりませんが、この亜人や世界級(ワールド)エネミーは統一された目的意識を持って都市を破壊している。私達がシャンティを持ってこの世界に戻ってきた事と、何か関係するのかもしれません」

 

「兎も角、まずは排除しておこう。みんな、基本的な戦術はさっきと同じだ。ナルムクツェは獄炎属性と闇のブレスを吐きかけてくる。弱点耐性は星幽・時空系と神聖・毒よ。ノア、マーレと交代。サポートに回ってもらえる?ヴァンパイアのように物理無効のフォーティチュードを張り巡らせているから、それを最初に破って欲しいの」

 

「了解しました、お嬢さん」

 

 そしてタンクチームと回復チームが地面に降り立つと、まずはネイヴィアとフォールスが強力な遠距離攻撃を行った。それを受けてのたうち回るナルムクツェが突進してくる。ノアは射程120ユニットまで接近したのを見計らい、袖の中から一枚の札を取り出すと魔法を唱え、ナルムクツェに投げつけた。

 

神勢冠者(じんぜいかじゃ)封殺除去符(ふうさつじょきょふ)!」

 

 札は真っ直ぐに敵へと向かい飛んでいき、ナルムクツェの体に張り付くと(パキィン!)という音を立てて体を覆っていた物理フォーティチュードが崩れ去った。それと同時にタンクチームが突撃し、ブレス攻撃を躱しながらここぞというばかりに物理攻撃を叩きつける。敵のターゲットがタンクチームに移った事を確認すると、空中でキャスティングタイムを消化したルカ達攻撃チームはタンクチームに退避命令を出し、一斉に地面へ向けて腕を振り下ろした。

 

「超位魔法・永遠の異次元(アナザー・ディメンジョン)!!」

 

惑星の崩壊(プラネタリー・ディスインテグレーション)!!」

 

重毒素雨の物語(ストーリー・オブ・ザ・トキシンレイン)!!」

 

世界蛇の毒牙(ファング・オブ・ヨルムンガンド)!!」

 

急襲する天界(ヘヴン・ディセンド)!!」

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)霊現の災害(アストラル・ディザスター)!!」

 

 有無を言わさぬ戦争級の強力な六連撃で周囲500ユニットに渡る大爆発が起き、ナルムクツェは跡形もなく消滅し、巨大なクレーターが穿たれた。そしてアインズとルカ達六人は後方から見守っていた帝国軍の前に降り立つと、先頭で唖然としていたジルクニフに歩み寄った。もはや茫然自失の帝国皇帝にアインズが言葉をかける。

 

「さて、ジルクニフ殿。これで残るは二万五千の亜人軍に巨人一匹となったな」

 

「...ゴ、ゴウン魔導王閣下...あなた、いやあなた方という人達は、何という....」

 

 未だ目の焦点が定まらないジルクニフを見かねて、ルカが両肩を掴み揺さぶった。

 

「ジル?ちょっとジル!帝国皇帝でしょ、ほらしっかりしなさい!」

 

「...ルカ・ブレイズ...いや、私としたことが済まない。お前の戦っている姿は初めて目にした。ゴウン魔導王閣下はおろか、お前まで鬼神の如き強さを秘めているとは...」

 

「驚くのも無理ないよ。世界級(ワールド)エネミーに対抗する為には、超位魔法クラスの波状攻撃が最も有効だからね。こんな強敵を相手に、カルサナスの人達はよくここまで持ちこたえたと思う」

 

「ああ、確かにな。魔導国の救援がなければ、我々だけでは良くて時間稼ぎ程度にしかならなかっただろう。ゴウン魔導王閣下、改めて御礼申し上げる」

 

「我らは同盟国だ、気にする必要はない。それよりもジルクニフ殿、一つやってもらいたい事があるのだが」

 

「他でもないあなたの頼みだ、何なりと引き受けよう」

 

「うむ。ではフェリシア城塞の地下を通り、現在レン・ヘカート神殿に立てこもっているカルサナス連合軍と住民たちの救出に向かってはもらえないだろうか?地上にいる北の軍勢は、我ら魔導国だけで引き受けるのでな」

 

「その程度は造作もない事。必ずや全員無事に北から脱出させてみせよう」

 

「よろしく頼む。アルベド、コキュートス、我が軍をレン・ヘカート神殿に向けて前進させよ。シャルティア、済まないが飛行(フライ)で先行し、私のいる所まで転移門(ゲート)を開いてくれ。移動時間を短縮したいのでな」

 

「了解でありんす、アインズ様」

 

 赤い甲冑で全身を固めたシャルティアが北へ向けて飛び去ると、魔導国軍と帝国軍はそれぞれ南北へと別れて兵を進めた。やがて二時間もしない内にシャルティアから伝言(メッセージ)が入る。

 

『アインズ様、レン・ヘカート神殿に到着しんした』

 

『ご苦労。状況はどうなっている?』

 

『はい。現在世界級(ワールド)エネミーと見られる巨人のモンスターが建物の破壊を進めておりんす。神殿の入口は既に壊され、亜人軍が侵入している様子。しかし全軍ではなく、その大半が地上に残っているようでありんすぇ』

 

『なるほど、よく分かった。敵軍から少し距離を置き、こちらへ向けて転移門(ゲート)を開いてくれ』

 

『了解でありんす』

 

 するとアインズ達の目の前に、巨大な暗黒の穴が開いた。アルベドとコキュートスを先頭にして、アンデッドの軍勢五万が規律正しく隊列を組み、転移門(ゲート)の中に入っていく。その後に続いてアインズ・階層守護者・ルカ達六人が続くが、アンデッド軍の出現に気付いた亜人軍約二万三千体は巨人の前に立ち塞がり、隊列を整えて戦闘する構えを見せてきた。神殿を見ると地上部分は殆ど破壊され、地下一階と思われる壁面が剥き出しになっている。地面に向かって掘るようにソードブレイカーを振り下ろし続ける身長70メートルを超えた巨人の姿を見て、ルカの血相が変わり驚愕の表情を見せた。

 

「...げっ!よりによってこいつかー...」

 

 その声を聞いてアインズが隣に寄り添う。

 

「どうしたルカ?お前らしくもない。そんなに手ごわい奴なのか?」

 

「んー、まいったねどうも。とりあえずは手前にいる亜人達を倒してからにしよう。話はそれからだ」

 

「そうか、それもそうだな。伝言(メッセージ)、アルベド、コキュートス。前面の亜人軍を全て排除しろ」

 

『了解しました』

 

 そしてアンデッド軍が突撃して戦端が開かれるが、200ユニットほど離れた巨人はその事に見向きもせず、ただひたすらにソードブレイカーを地面に叩きつけていた。死の騎士(デス・ナイト)とナザリックマスターガーダの高火力な総攻撃により、一時間も待たずに亜人軍は全滅した。アルベドとコキュートスがアンデッド軍を下がらせると、守護者達がアインズとルカの回りに集まった。

 

「片付いたな。それでルカ、あの巨大な彫像のようなモンスターは一体何だ?」

 

「...あいつの名はディアン・ケヒト。天使系高レベル地帯のアルカディアに出現する、世界級(ワールド)エネミーの中でも最悪と呼ばれるモンスターの内の一体だよ」

 

 その名を聞いて、アインズも驚愕の声を上げる。

 

「ディアン・ケヒトだと?!ダーナ神族の一人じゃないか。確かその役割は、生命・医療・技術を司る神だと聞いたが...」

 

「そう、よく知ってるね。私は宗教には疎いけど、ケルト神話に登場する神だからね。地元の生まれだし、昔大学の本で読んだことがあるから、かじり程度には知ってるんだ。こいつに弱点耐性は存在しない。その上神話にちなんだ魔法攻撃力と防御力を兼ね備えている。ただ一点だけウィークポイントがあって、このディアン・ケヒトは魔法射程範囲の120ユニットに入らない限り、攻撃は仕掛けてこない。そこを突いて、ここにいる全員で空中の射程範囲ギリギリからディアン・ケヒトを包囲し、超位魔法による飽和攻撃を行おうと思う」

 

「それで倒せるんだな?」

 

「...分からない。ユグドラシルβ(ベータ)では、これを倒すのに最低6Gは必要だった。それも極々限られた、高レベルの上位ギルドしか倒せたものはいない。とは言えフォールスもネイヴィアもいるし、火力的に引けは取らないとは思う。ただこいつが昔のままのディアン・ケヒトではなく、クリッチュガウ委員会によりカスタマイズされた世界級(ワールド)エネミーだとしたら、ここにいる人数だけでは正直倒せると断言は出来ない。...試してみるしかないよ」

 

「そうか、分かった。守護者達よ、今の話は聞いていたな? これよりここにいる17人全員で総攻撃を行う。各自魔法攻撃力に特化した武装に変更し、超位魔法使用時に最大火力を引き出せるよう準備せよ」

 

『ハッ!』

 

 そして装備変更が完了し、ミキの集団飛行(マスフライ)で巨体のネイヴィアを除く全員が空中に飛翔した。地上100メートルから円形に陣を組み、慎重に120ユニットの射程内へと近づいていく。やがて皆が配置に着いた事で、ルカは伝言(メッセージ)を全員と共有した。

 

『各員へ。この回線の指示をよく聞いて行動するように。フォールスの魔法と同時に一斉攻撃開始よ。いい?』

 

『了解!』

 

『OK、全員超位魔法準備!』

 

 空中に飛翔した17人は天に向かって両手を伸ばし、体の周囲に色とりどりの立体魔法陣が浮かび上がる。そのエネルギーは掌の上で凝縮され、次第に形となり光を放ち始めた。17人が放つ強大な魔力の流れは周囲に旋風を巻き起こし、その事に気付いたのかディアン・ケヒトは地面に叩きつける剣の動きを止めた。全員の殺気が極限にまで達し、15秒のキャスティングタイムを皆が消化した事で、ルカは右隣に陣取るフォールスに目で合図し、怒涛の攻撃が開始された。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)暗黒星雲の特異点(シンギュラリティ・オブ・ダークネビュラ)!!」

 

「超位魔法・破裂する呪いの恒星(アルタイル・オブ・カースバースト)!!」

 

最後の舞踏(ラスト・ダンス)!!」

 

吸血者の接吻(ヴァンパイアズ・キス)!!」

 

滅亡への殺意(キリング・ダウンフォール)!!」

 

灼熱の太陽(ブレイジング・サン)!!」

 

氷塊ノ地獄(フリージング・ヘル)!!」

 

巨人族の咆哮(ロア・オブ・ザ・ヘカトンケイル)!!」

 

最古の暗黒呪文(スペル・オブ・ジ・エンシェント・ダーク)!!」

 

竜王の息吹(ブレス・オブ・ドラゴンロード)!!」

 

獄炎の(トーチャーヘル・)拷問地獄(オブ・ザ・プリズンフレイム)!!」

 

流動する大暴風(フルイド・サイクロン)!!」

 

射突質量弾(パイルバンカー)!!」

 

業火の大罪(ヘルファイア・クライム)!!」

 

惑星の崩壊(プラネタリー・ディスインテグレーション)!!」

 

致命的な苦痛(デッドリー・ペイン)!!」

 

大蛇の地震(ミズガルズ・アースクエイク)!!」

 

 

 17人全ての魔法が同タイミングで直撃し、その強力なエネルギー波は最初に暗黒を生んだ。次に光が生まれ、影という影が全て消え失せるほど周囲を覆いつくし、瞬間的な爆縮と共に強烈な衝撃波と熱が周囲を焼き尽くしていく。爆心地直下にあったレン・ヘカート神殿の姿は見る影もなく吹き飛び、そこには巨大隕石が衝突したかのような深いクレーターがポッカリと穴を開けていた。衝撃の余波で吹き飛んだ地面は空中に高く舞いあがり、茸雲を形成する。この攻撃を受けて生きている者はいない。誰もがそう確信した瞬間だった。

 

 爆風が収まり煙が晴れようとする直前、ルカの脳裏には敵を示す足跡(トラック)のシグナルが点灯していた。それを見てルカは全員に伝言(メッセージ)を飛ばす。

 

「みんな油断するな、敵はまだ生きてる!」

 

 アインズは咄嗟に生命の精髄(ライフ・エッセンス)を唱え、爆心地の中央を見た。やがて煙が晴れると、ディアン・ケヒトは直立不動のまま仁王立ちしていた。そしてそのHPはレッドゲージに達し、第二波攻撃を行えば殺し切れる段階まで来ていた、その時だった。ディアン・ケヒトは書物を胸元に構え、無表情な口をゆっくりと開くと、魔法を詠唱し始めた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)約櫃に封印されし...(アークヒーリ...)

 

 ルカはヒールを阻止するため、反射的に魔法を放った。

 

影の感触(シャドウタッチ)!!」

 

(ビシャア!)という音を立ててディアン・ケヒトの体が麻痺(スタン)を示す黒い靄に覆われるが、何とそれには一切構わず魔法を詠唱し終わり、体力を回復させてしまったのだ。アインズが伝言(メッセージ)上で語気を荒める。

 

『ルカ、敵の体力が一気に半分回復してしまったぞ!今撃ったのは麻痺(スタン)の魔法ではないのか?』

 

 生命の精髄(ライフ・エッセンス)を唱えたルカもそれを確認し、右手を額に当てて焦燥する様子を見せた。

 

『あちゃー...やっぱりだめだったか』

 

『やっぱりとは、どういう事だルカ?!説明してくれ』

 

『アインズ、ディアン・ケヒトは麻痺(スタン)系統の攻撃を完全無効化する能力を持っているんだ。だから回復を麻痺(スタン)で阻害する事もできない。それにこいつの回復魔法はこれだけじゃない。もっと強力なものがあるの』

 

『何だと?』

 

 そのルカの答えに呼応するかのように、ディアン・ケヒトは再度短い魔法を唱えた。

 

完治(クーラ)

 

 するとディアン・ケヒトの体が青白い光に包まれた。生命の精髄(ライフ・エッセンス)でHPの変動を見ていたアインズは、衝撃のあまり我が目を疑った。

 

『あ、あの攻撃を受けて、体力が完全回復してしまった...』

 

『各員へ、急いで120ユニットの範囲内から離脱!』

 

 しかしルカがそう指示したのも聞かず、万物を見通す眼(オールシーイングアイズ)で状況を把握していたネイヴィアが射程内の更に奥へと踏み込んだ。

 

『フン!このような小者、わしが吹き飛ばしてくれるわ!』

 

『だめよネイヴィア!!そいつの攻撃は───』

 

 ルカが止めるのも聞かず、ネイヴィアは尻尾を振りかざしてディアン・ケヒトに叩きつけた。しかしそれを片腕一本で受け止めると、ディアン・ケヒトは手にしたソードブレイカーをネイヴィアに向け、再度魔法を詠唱した。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)騒乱の波動(ウェーブ・オブ・メイヘム)

 

(パァン!!)という弾ける音と共に衝撃波が周囲に広がり、眩い光に包まれた。その光に飲み込まれたネイヴィアの巨大な白い蛇体は波打つように痙攣し、苦痛に顔を歪めてもがき始める。

 

「グァァアアアアアア!!!」

 

『神聖属性のAoEDoT(範囲型持続性攻撃)よ!ネイヴィア早く下がって!!』

 

『く、くそ!!』

 

 痛みに耐えかねてネイヴィアは飛び退くように魔法射程外へと出た。それを確認するとルカは伝言(メッセージ)で全員に指示する。

 

『みんな、一旦攻撃中止!私の所へ集まって』

 

 ルカはディアン・ケヒトから200ユニットほど離れた位置に飛翔し、地面に降り立った。階層守護者達と他の者も次々とルカの周囲に集まる。深いダメージを負ったネイヴィアに歩み寄ると、ルカはその蛇体に両手を触れて魔法を詠唱した。

 

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)

 

 (ボウッ)とネイヴィアの蛇体が青白く光り、負っていたダメージがフル回復した。それを受けてネイヴィアは悔しそうに巨大な尻尾を地面に叩きつける。

 

「おのれ、一体何なんじゃあの敵は!尋常ではない魔法攻撃力じゃったぞ!」

 

「だから言ったでしょネイヴィア?次はちゃんと言う事聞いてね」

 

 ルカがネイヴィアの鼻先を撫でて宥めていると、アインズがルカの傍らに寄り添った。

 

「しかしどうする?超位魔法クラスの攻撃を17発食らっても耐える敵だぞ。しかも瞬時にHPを全快されてしまうのでは、俺達でも手の打ちようがない」

 

「うーん...そうだね、手がない事もないんだけど、ちょっと危険なんだよね」

 

 それを聞いていたフォールスが、ルカとアインズの前に立った。

 

「ルカ。私に全て任せてもらえれば、あのような敵を屠るのは容易い事。ここは私が出ましょう」

 

 しかしルカはフォールスの手を握り、首を横に振った。

 

「だめよフォールス、あなたにはこの後シャンティを使ってもらうという大事な使命がある。それにあのディアン・ケヒトの異常なまでの攻撃力と防御力・HPは、間違いなくクリッチュガウ委員会にカスタマイズされた個体よ。未知の部分が多すぎる以上、フォールスを危険な目に合わせる訳にはいかない」

 

「では他に何か手が?敵はこちらに接近してきています。早急に手を打たねば」

 

 ディアン・ケヒトとの距離が170ユニットまで接近し、ルカはそれを横目でチラリと一瞥すると、顎に手を添えて地面に顔を向けた。そして何事かを考えたあと、ゆっくりと顔を上げて深呼吸し、横に立つアインズを見た。

 

「...アインズ、これから私がやる事は誰にも言わないと約束してくれる?」

 

「ん?...ああ、もちろんだ。何をするつもりだ?」

 

「私の事、嫌いにならないって約束できる?」

 

「当然の事を聞くな。もったいぶらずに言ってみろ」

 

「守護者達のみんなも。アルベド、シャルティア、マーレ、アウラ、コキュートス、デミウルゴス、セバス、ルベド。これから起きる事は、私達だけの秘密。誰にも言わないと約束して」

 

 守護者全員を見渡すルカの前に、黒甲冑を装備したアルベドが一歩進み出てきた。

 

「アインズ様の仰る通りです。あなたは私の創造主。誰にも言うはずがありません、ルカ」

 

 シャルティアも小首を傾げながらルカに返答する。

 

「秘密を守るのは構わないでありんすが、それほどの事とは一体何でありんしょうかぇ?」

 

 そしてマーレ以下階層守護者達もルカの前に歩み寄った。

 

「ぼぼ、僕も絶対秘密にします!」

 

「あたしは誰にも言いませんよ、ルカ様!」

 

「コノコキュートス、例エ世界ガ滅ビヨウトモ口外ハ致シマセヌユエ」

 

「ルカ様との約束、私が反故にするとでもお思いですか?悪魔は契約を守るものですよ」

 

「守護者の名に懸けて誓いましょう。一切のご心配は無用ですぞルカ様」

 

「...私も...言わない...と思う...」

 

 その返事を受けて、ルカは守護者達に笑顔を送った。そしてアインズの隣に立つノアにも確認を促す。

 

「君もだよノア。秘密は守ってね」

 

「もちろんですよ、お嬢さん」

 

 そしてルカはディアン・ケヒトの迫ってくる方向に体を向けた。

 

「...分かった、それを聞いて安心したよ。アインズ、それにみんな。これから私の取って置きを見せてあげる」

 

「取って置き?何だそれは?」

 

「つまり、私の最後の切り札って事」

 

 それを聞いてアルベドとシャルティアが前に乗り出してきた。

 

「それってもしかして、エリュエンティウのギルドマスター・ユーシスの言っていた...」

 

「ル、ルカ様の切り札?!見たいでありんす!!」

 

 その横からネイヴィアも巨大な顔を近づけてくる。

 

「ルカ、まさかお主...あれをやる気か?」

 

「そうよ。あのカスタマイズされたディアン・ケヒトを倒すには、もうこれしか方法がない。この後全員には更に後方へと退避してもらう。私が魔法を唱えたら、戦闘区域の周囲120ユニット以内には絶対に立ち入らないで。いい、アインズ?私に何が起きても、絶対に誰も近寄らせないでね」

 

「あ、ああ、分かった」 

 

 口ではそう返答したアインズだったが、心中穏やかではなかった。(万が一の事があれば、何を置いても助けに入る)と、その覚悟を肝に銘じていた。そしてルカの指示通り16人は後方へと集団飛行(マスフライ)で飛翔し、120ユニット離れた位置に着地する。ディアン・ケヒトとの距離まで240ユニット。これがアインズの許せる最低限の距離だった。全員が退避した事を確認したルカはエーテリアルダークブレードを抜刀し、その場に片膝をついて両腕を左右に広げ、顔を伏せて地面に向ける。これから何が起きるのか、アインズと階層守護者達、それにノアトゥンは固唾を飲み見守った。ルカとディアン・ケヒトの距離は130ユニット。魔法射程範囲ギリギリの外に達すると、ルカは謎の魔法を詠唱し始めた。

 

 

The end of the different dimension is void.(異次元の最果てに待つものは虚無である)

 

 その瞬間、ルカの体から爆発するように黒い瘴気が立ち昇り、衝撃波と共に周囲へと広がっていく。強烈な殺気と共に立ち昇るオーラは天まで達し、明るかった空に突如暗雲が立ちこめ始めた。雷鳴、そして突風が吹き荒れ、不吉という言葉をそのまま体現したような黒い瘴気にディアン・ケヒトとアインズ達がゆっくりと飲み込まれていく。

 

 その広範囲に渡るどす黒い瘴気を受けてアインズは背筋にうすら寒いものを感じ、暗い空を見上げて思わず声を上げた。

 

天候操作(コントロール・ウェザー)か?!一体何が起きているというのだ!」

 

「...違うアインズ、そうではない」

 

 鎌首をもたげてルカの様子を伺っていたネイヴィアが地面に立つアインズに顔を近づけると、金色の巨大な蛇眼を光らせてギョロリとアインズを見つめた。

 

「ネイヴィア、お前はこれが何か知っているのだろう?教えてくれ、あの呪文は一体何だというのだ?」

 

「...あれは一種の儀式のようなものじゃ。これから起こる途轍もない災いを呼び寄せるためのな」

 

「災い...だと?」

 

「よく見ておけアインズ。あれこそが、二十の化身であるわしを倒した力じゃ」

 

 それを聞いてアインズは再度ルカを見た。ディアン・ケヒトとの距離が詰まった事により、背後に立つ階層守護者達も、未だ片膝を付いて動かないルカを凝視する。その様は、まるで邪神に祈りを捧げる巫女のようでもあった。残り125ユニット、124・123・122・121・120...射程圏内に入ったルカはゆっくりと立ち上がり、正面で2本のダガーをクロスさせた。そして───

 

 

「スキル・憑依(メリディアント)・レベルⅢ」

 

 それは悪夢だった。更なる爆発的な瘴気がルカから立ち昇り、何重にも折り重なって体を覆いつくしていく。その破裂せんばかりの圧倒的な魔力量を感じ取ったアインズと階層守護者・ノアは、無意識に後方へと後ずさっていた。そしてルカの目から徐々に光が失われ、人形のように無表情な顔へと変わっていく。しかしその目は正面を見据え、体から発せられる明瞭且つ巨大な殺気は、たった一人の敵に向けられた。それを浴びたディアン・ケヒトの動きが一瞬止まる。その直後ルカの口が開くが、それとは全く別の聞き覚えの無い機械的な女性の声が周囲に響き渡った。

 

『・・・警告・・・術者が憑依(メリディアント)を発動した事により・オートモードでの無差別攻撃を開始します・・パーティーメンバーは10秒以内に射程120ユニットの外へと退避してください・・・これよりカウントを開始します・・10・9・8───』

 

 ロボットの様に冷たくカウントダウンするその声を聞いて、アインズは隣に寄り添う大蛇に問い詰めた。

 

「ネイヴィア、ルカは正気を保っているのか?あの力と魔力量...あれではまるで別人のようではないか!ルカの身に危険はないんだろうな?!」

 

「焦るなアインズ、大丈夫じゃ。まあ見ておれ」

 

 ネイヴィアは牙を剥き出してニヤリと笑うと、再び前方に目を戻した。機械仕掛けの人形のように無情な声が続き、アインズもルカに目を向けた。やがてそのカウントダウンが終わりを告げる。

 

『───6・5・4・3・2・1・飛行(フライ)』 

 

 黒い瘴気の塊に包まれたルカは弾丸の如き速さで空中へ飛び上がると、瞬時にディアン・ケヒト頭部正面の高度70メートルまで達し、素早く右手を向けて魔法を詠唱した。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)影の黄昏(シャドウ・マントル)』 

 

 するとルカの掌に巨大な黒いゼリー状の物質が形成され、それがディアン・ケヒトの頭部に放たれると、全身を浸食するかのように覆いつくしていった。ブヨブヨとした黒い粘液に包まれたディアン・ケヒトはもがき苦しむような表情を見せて後ずさるが、冷酷なまでに無表情なルカは立て続けに次の魔法を詠唱する。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)巨神族の烈火(ヴール・プロメテウス)

 

「うっお!!!!」

 

 そこに突如巨大な恒星が生まれた。あまりの強烈な光にアインズは声を上げ腕で目を覆うが、その直後爆風と共に高速で落下し、ディアン・ケヒトに直撃する。目の前で核爆発が起きたに等しい衝撃波がアインズ達を襲うが、それだけでは終わらなかった。ルカの両手に次々と新たな恒星が生まれ、追い打ちをかけるようにディアン・ケヒトに向けて落下し、激しい爆風と共に焼き尽くしていく。その数合計10連撃。有無を言わさぬ強烈な魔法の余波を浴びたノアトゥンが、たまらずアインズの肩を掴む。

 

「アインズ殿、あのお嬢さんの攻撃は危険です!!もっと後ろへ下がりましょう!!」

 

 そこへすかさずネイヴィアが顔を寄せて近づいてきた。

 

「皆の者、わしの頭に乗れ!距離を取るぞ!!」

 

 全員が慌ててネイヴィアの頭に飛び乗ると、素早く反転して更に100ユニットほど距離を取った。そして地面に降り立ったアインズとノア・階層守護者達は、怒涛の攻撃を繰り広げる戦闘区域を振り返り、茫然とその様子を見守る。

 

「な、何だあの魔法は?!ルカはあのように強力な魔法を使えたのか?一撃一撃が超位魔法...いやそれを遥かに超える破壊力だったぞ」

 

「...まさかお嬢さんにこのような力があるとは、私も驚きました。今のお嬢さんの瞬間火力は、世界級(ワールド)エネミーをも凌駕しているように思えます」

 

 アルベド以下階層守護者達も、目を輝かせながらその戦いを見つめていた。

 

「これがルカの切り札だったのね。...何て凄まじい力なのでしょう」

 

「あぁ~んルカ様!惚れなおしたでありんすぇ」

 

「ソノ強サ、マサニ鬼神ノ如シ」

 

「行けー!!やっちゃえルカ様ー!!」

 

「ここ、これがネイヴィアさんを倒した力なんだよねお姉ちゃん?」

 

「おお...あれこそ我が女神に相応しい強大なる力!」

 

「ルベド様、これはルカ様に追いつく為には今しばらく時間がかかりそうですな」

 

「....こんなの....凄すぎる....今の私じゃ....とても敵わない」

 

 驚くアインズと階層守護者達を見て、ネイヴィアが口を挟んできた。

 

「これこそがイビルエッジに隠された究極奥義じゃ。あの状態のルカはな、リミッターが外れて数段階上の特殊魔法を行使できるようになるらしい。そしてその大半は、スキル発動中にしか使えないものばかりだそうじゃ。しかしその代償として体の自由を奪われ、射程範囲内にいる者は例え仲間だろうと無差別に攻撃対象として認識してしまう。いわゆる暴走状態に入る訳じゃな。...これで合っているかミキよ?」

 

「ええネイヴィア、大体合っていると思うわ」

 

 先ほどから黙っていたルカ直属の配下達にアインズは顔を向けた。

 

「ちょっと待て、イビルエッジのみが使えるスキルという事は、ミキ、ライル、イグニス、お前達3人もあの技を使えるという事か?」

 

「はいアインズ様、憑依(メリディアント)は私達にも使えますわ」

 

「但し、平素の使用は固く禁じられております」

 

「俺はまだ練習で一度しか使った事がありませんが、その時は憑依したルカさんに完敗してしまいました。使うのにかなりの集中力とコツが必要だそうで、俺はまだまだ未熟という事で同じく使用は禁止されています」

 

「...何という恐ろしい奴らだ。それにルカの使ったスキル・憑依(メリディアント)と言ったか? レベルⅢと唱えていたが、あの状態から更にまだ上があるという事なのか?」

 

「ちなみになアインズ、参考までに教えておくと、わしとルカが戦った時はレベルⅣを使用しておったぞ」

 

「それでネイヴィアが負けたという事は、最大のレベルⅤを使用したら一体どうなってしまうというのだ。...全く、底が見えなさすぎて想像もつかんぞ」

 

「ヌ、ルカ様ノ攻撃ニ変化ガ現レタゾ」

 

 コキュートスの一言を聞き、全員は再び戦闘区域へと目を向けた。ディアン・ケヒトが高速で振り回すソードブレイカーを空中で悉く避けながら、ルカの体がゆっくりと回転し始める。そしてエーテリアルダークブレードを握った両腕を左右に大きく伸ばすと、その刃から長さ50メートルはある巨大な白色のオーラが伸び、さながら2本の大剣を握っているような状態になった。

 

虐殺する鬼女の舞踏(ダンス・オブ・ダーキニーズ・スローター)

 

 ディアン・ケヒトの胴体付近に達すると、ルカはまるでヘリのローターブレードの様に超高速で回転し、その刃がディアン・ケヒトの腹を深く抉っていく。そこから大量の赤い鮮血が吹き出し、中に詰まった内臓がこぼれ落ちてきた。しかしそれでも回転は止まらない。苦痛に顔を歪めた巨人はたまらず絶叫を上げた。

 

「グォォオオオオアアアアアアア!!!」

 

 ディアン・ケヒトは咄嗟に左手に握った本を前に掲げ、魔法を詠唱した。

 

完治(クーラ)

 

 それを遠目から見たアインズが慌てて叫ぶ。

 

「まずい、回復されてしまったぞ!」

 

「慌てるなアインズ。魔法を使用して奴のHPを確認してみろ」

 

 ネイヴィアに促されて、アインズは魔法を唱えた。

 

生命の精髄(ライフ・エッセンス)

 

 するとフル回復するはずが、ディアン・ケヒトのHPは六分の四以下となったままだった。よく見ると回復を示す青白いエフェクトが、体を覆うブヨブヨとした黒い粘液に全て吸収されてしまっている。それを見て混乱したディアン・ケヒトは、苦し紛れに回復魔法を連発し始めた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)

 

 ディアン・ケヒトの体が一瞬(ボゥッ)と光るが、その光もまた黒い粘液に吸収され、HPが一切回復しない。アインズは後ろに立つミキに尋ねた。

 

「ミキ、これは一体どういう事だ?回復が阻害されているようだが...」

 

「あの黒い粘液は、憑依(メリディアント)中にのみ発動できる魔法・影の黄昏(シャドウ・マントル)による影響です。術者よりも低位か同等レベルのヒール系魔法を、完全に遮断・無効化するという力があります。そしてその効果時間は敵が死ぬか、術者が死ぬか、あるいは術者が憑依(メリディアント)を解除するまで効果は消えません」

 

「...そうか、なるほど。だからルカはこの切り札を選んだのか。まさに敵を殺し切るには絶好の魔法というわけだな、恐ろしい効果だ。気になったんだが、術者の意思で憑依(メリディアント)を解除できるものなのか?見た所完全に正気を失っている様子だが」

 

「レベルⅠからレベルⅣまででしたら、自らの意思で解除が可能です。但しその為には、スキル発動中に意識を失わない為の強固な精神力が求められます。最大のレベルⅤに達すると、もはや術者の意識は完全に消失し、射程範囲内の敵が完全に息絶えるか、術者自身が死ぬまで戦闘を止める事ができません。文字通りの暴走状態となります」

 

「諸刃の剣という訳か、それにしても凄まじい力だ。武技や魔法だけでなく、ルカ自身の身体能力も格段にアップしているように見える。対策はないことも無いが、果たして俺でも勝てるかどうか...」

 

「アインズ様、大事な恋人にそのような考えを起こしてはなりません。ルカ様は今、アインズ様とここにいる皆を守るために、お一人で戦っておられるのですから」

 

「う、うむ...そうだったな、済まなかった。ついPvPという発想になってしまってな」

 

「大丈夫、憑依(メリディアント)を発動したルカ様に勝てる相手など、この世に存在しません。これまで一番近くで見てきた私達が、それを最もよく理解していますから」

 

「そうか。ではこの戦い、しかと目に焼き付けておく事にしよう」

 

 武技による大ダメージを与えたルカはすかさず距離を取り、高い位置からディアン・ケヒトの頭上に右手を向けた。

 

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)永続する夜明け(パーペチュアル・ドーン)

 

(コォォオン...)というソナーにも似た音と共に空気の歪みが広がり、周囲300ユニットに渡る大気密度が突然変化した。それを見て慌てたネイヴィアが咄嗟に皆へ指示する。

 

「い、いかん!!皆の者、急いで耳を塞げ!!」

 

 しかし全員が反応する間もなく、ルカは続けて魔法を詠唱する。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)恐怖の不協和音(ドレッド・ディゾナンス)

 

 その瞬間、(ズズズズズズ)という超低周波の大音響と共に、オーケストラのストリングス隊数十人が滅茶苦茶に弦楽器を掻きむしるような音が木霊した。密度の濃くなった大気を伝わり、その音は何百倍もの音量に増幅されて周囲に撒き散らされる。アインズ達はそれを聞いて一斉に耳を塞ぐが、それを通り越して体から空気の振動が伝わり、一同は発狂寸前となる。正面を見ると、魔法をまともに受けたディアン・ケヒトの袈裟と皮膚が崩れ、大気摩擦により燃え上がり始めている。距離が離れているにも関わらず、その不快な音に耐え切れないアインズは思わず音を上げた。

 

「ぐおおおおお!!こ、これは音波魔法かネイヴィア?!」

 

「そうじゃ!!全くルカの奴、無茶しよる!!」

 

 狂気の音がようやく止むと、大ダメージを受け怒りに燃えるディアン・ケヒトは剣をルカに向け、魔法を詠唱し反撃に転じた。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)破壊への接続(コネクト・トゥ・アバドン)

 

『対抗策・回避上昇(エバージョン・ライジング)

 

 ディアン・ケヒトの周囲360度に突如真っ赤に燃える巨大な隕石群が無数に出現し、それら全てが空中を飛翔するルカに高速で突進していく。アステロイドの中にいるような状況の中、隕石同士が衝突して大爆発を起こすが、ルカは魔法で強化された回避(ドッヂ)により刹那の瞬間でそれらを全て躱していった。その攻撃が止まない内にルカはディアン・ケヒトに右手を向け、隕石を避けながら魔法を詠唱する。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)神々の霊廟(テオティワカン)

 

 するとどこからともなく現れた巨大な鎖がディアン・ケヒトの四肢に素早く絡みつき、まるで磔刑にされたようにその巨体が空中で吊るされた。ディアン・ケヒトは鎖を引き千切ろうと力任せにもがき暴れるが、びくともせずに逃れる事ができない。そこへルカの背後に巨大な暗黒の穴が口を開け、その中から白濁色をした限りなく透明な”何か”が複数体現れた。アインズは最初目の錯覚かと疑ったが、その”何か”は徐々に、ゆっくりと人型の形を成していき、禍々しいオーラを放ち始めた事で錯覚ではないと確信に至る。

 

「な、何だあの巨大な影は。アストラル体か?」

 

「分からん。わしと戦った時にもこのような魔法は使用しなかった。...あの影、相当に危険じゃぞ。このわしでも鳥肌が立ってきよったわ」

 

 そしてルカの背後に、30メートル級の白濁色をした巨大な人型が立ち並んだ。その数10人。人型は正面で磔にされているディアン・ケヒトを見据えると。全員がルカの背中に手を当てて重ねた。次に人型は口が裂けんばかりに大きく開き、その殺意を剥き出しにする。その間ルカは敵に右手を向けたまま微動だにしない。口の中に青白い光が集約され、ジェットエンジンの轟音にも似た音を立てながらそのエネルギーはどんどん巨大になり、臨界点を迎えたその時、猛烈な爆風と共に一斉に放射された。

 

 不可避の一撃。殺意に塗れた強大な無属性エネルギーの濁流がディアン・ケヒトの全身を貫き、飲み込んでいく。それは止むことなく断続的に放射され続け、いつ終わるとも知れない生き地獄の渦中に叩き落されたディアン・ケヒトは、醜い絶叫を上げた。

 

「ヒィィイイイイヤアアアアアアア!!!」

 

 その間約10秒。エネルギーの放射が終わり、背後の人型は掻き消えるように姿を消す。それと同時に体の自由を奪っていた鎖も消失して地面に放り出されると、ディアン・ケヒトは崩れ落ちるように片膝をついた。そして書物を前に掲げると、狂ったように回復魔法を連呼し始める。

 

完治(クーラ)完治(クーラ)完治(クーラ)完治(クーラ)完治(クーラ)!」

 

 しかしその魔法も虚しく、未だディアン・ケヒトの体を覆っている黒い粘液に全て吸収されてしまう。アインズは生命の精髄(ライフ・エッセンス)で残存HPを確認した。

 

「遂にHPが半分を切ったか。あの様子だとAIに大分混乱が生じているようだな」

 

「しかしあんな凶悪な魔法を食らってまだ息があるとは、奴もタフじゃのう。わしならとっくに降参しとるわい。さすがは我が主様といったところじゃな」

 

 その時、唐突にディアン・ケヒトが立ち上がった。回復魔法の連呼を止めると、突然左手に握られた書物を地面に投げ捨てる。その後ディアン・ケヒトがソードブレイカーを天に掲げると、体の周りを巨大な黄色い立体魔法陣が覆いつくした。それを見てアインズ達一同は驚愕する。

 

「ば、バカな!!あのエフェクト...世界級(ワールド)エネミーが超位魔法だと?!」

 

「HPが減った事で攻撃パターンが変化したのかもしれん。まずい展開じゃな」

 

 超位魔法のキャスティングタイムは通常15秒。しかしディアン・ケヒトは全く間を置かずに魔法を詠唱し、剣をルカに向けて振り下ろした。

 

「超位魔法・激怒する天空の召喚(コール・ザ・スカイズ・フューリー)

 

『対抗策・虚数の海に舞う(ダンス・オブ・ディラック・)不屈の魂(ザ・ドーントレス)

 

 ディアン・ケヒトが唱えた瞬間、周囲200ユニットに渡り巨大な雷が降り注ぎ、逃げ場のない程に埋め尽くされた。ルカはその直撃をまともに受けたが、体の周りに張られた金色のバリアに守られてその場に踏みとどまっている。落雷により地面が吹き飛ばされて大爆発が起きるが、アインズ達はルカが無事な事を受けて胸を撫でおろした。

 

「...ふー、そうだった。ルカには10秒間無敵化の魔法があったんだったな、驚かせてくれる。それにしても憑依(メリディアント)で正気が無いにも関わらず、その場に応じて実に適切な回避手段を取るものだ。感心するばかりだぞ」

 

「アインズ様。スキル使用中は敵の攻撃に対する反応速度が跳ね上がると同時に、敵の行動や弱点を予測し学習するという機能も備わっています。それらを蓄積して戦闘に反映させていく事で、最も効率的かつ迅速な方法で敵を排除する。但しここまで憑依(メリディアント)を余すところなく使いこなせるのは、ルカ様の強靭な精神力があればこそです。無意識になるとはいえ、それまで戦ってきた術者のスキルや魔法・戦闘経験や知識にも影響されますので」

 

「なるほど、個体差が生まれるという事か。ミキ、お前はルカと憑依(メリディアント)で戦った事があるのか?」

 

「ええもちろん、何百回とありますよ。訓練の一環でしたから」

 

「で、どうだった?勝てた事はあるのか?」

 

「残念ながら一度も。私はもちろん、ライルもルカ様に勝利したことはありません」

 

「うーむそうか。さすがは創造主と言ったところだな」

 

「そんなに興味がおありでしたら、今度私と手合わせしてみますか?」

 

「おお!いいのか?実はPvPを試してみたくてな。時間が出来た時にでもよろしく頼む」

 

「その代わり、ルカ様には内緒ですよ?」

 

「んん?それは何故だ?」

 

「この事をルカ様が知ったら、(あたしがやる!)と言うに決まってますから」

 

「ハッハッハ!確かにな。ルカならそう言うだろう」

 

「では後日という事で。ルカ様に万が一という事はないとは思いますが、今はこの戦いを見届けましょう」

 

「そうだな。あの破天荒な強さを見た上に、お前も傍に控えてくれているから、俺もどこか気が抜けてしまった。説明感謝するぞミキ、お前がいてくれて心強い」

 

「どういたしまして、アインズ様」

 

 そして二人は再度戦闘区域に目をやった。先ほど放った超位魔法のリキャストタイムにより硬直状態にあるディアン・ケヒトに対し、その機を逃さずルカが接近戦を仕掛け、強力な武技を発動していた。

 

憤怒する魔王の舞踏(ダンス・オブ・ラーヴァナズ・レイジ)

 

 ロングダガーに巨大な黒い炎を纏わせ、目にも止まらぬ連撃でディアン・ケヒトの胸部を切り裂いていく。傷口は獄炎属性の炎で燃え上がり、苦痛に顔を歪ませたディアン・ケヒトは手で払いのけるが、ルカはそれを回避(ドッヂ)で躱して後方に飛び退き、両手を向けてすかさず魔法を詠唱した。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)木星の夜明け(ドーン・オブ・ザ・ジュピター)

 

 すると瞬間的にディアン・ケヒトの全身を緑色のガスが覆い、その気体を吸い込んだディアン・ケヒトが尋常ではない程にもがき苦しみ始めた。ガスから逃れようと位置を移動するが、まるで意思があるかのようにディアン・ケヒトの体からまとわりついて離れない。苦しんだ挙句に動きを止めた瞬間、ルカは無表情のまま指を(パチン)と弾いた。その瞬間ガスが引火して、体内と体外から同時に激しい大爆発を起こした。その影響で皮膚は焼けただれ、胸部の一部が内側から吹き飛んで肋骨が露わになる。口からは濛々と黒煙が上がり、もはや声すら上げられない程の大ダメージを被った。

 

 しかしそれでもディアン・ケヒトは倒れない。ガスによる毒DoTダメージが続く中、それに構わず魔法を詠唱してきた。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)逆治療(リバース・キュア)

 

 ディアン・ケヒトを中心とした120ユニットの範囲内に突如黒い波動が広がり、逃げ場のない攻撃を受けてルカはその光をまともに浴びてしまった。その後口から吐血し、深いダメージを負った事が見て取れた。ここへ来てディアン・ケヒトの攻撃を初めて食らった事にアインズは慌てたが、その心配を他所に一瞬動きが鈍ったルカを見て、ディアン・ケヒトは立て続けに魔法を放ってきた。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)血流異常(ブラッドフロウ・ディソーダー)

 

 今度は120ユニットの範囲内に赤い波動が瞬時に広がり、何故かまたしてもルカは反応できずにその光を浴びてしまう。するとルカの首筋にある血管が破裂し、皮膚を突き破って出血し始めた。アインズは咄嗟に生命の精髄(ライフ・エッセンス)でルカの状態を確認する。

 

「まずい、ルカのHPがもうすぐ半分を切るぞ!一体何だあの攻撃は?何故回避(ドッヂ)で躱せない?」

 

 するとミキが顎に手を添えて冷静に返答した。

 

「...恐らく今受けた攻撃はヒール属性なのでしょう。攻撃魔法であればパッシブスキルである回避(ドッヂ)は反応しますが、当然ながら回復魔法に対しては回避(ドッヂ)は反応しません。その虚を突いての攻撃だと思われます」

 

「ヒール属性なのにダメージを与える?吸血魔法の間違いではないのか?」

 

「稀に世界級(ワールド)エネミーの中には、マイナス極性でダメージを与えてくるヒールを使う者が存在します。つまり、どのような種族と職業(クラス)でもあの攻撃を防げる者は存在しません。吸血であれば、回避(ドッヂ)は反応するはずですから」

 

「それは大致死(グレーターリーサル)のような負属性の魔法とは異なるのか?」

 

「違います。負属性はアンデッドに取っては結果論として回復手段になりますが、それ以外の種族には攻撃手段にもなる。つまり純粋なヒールではない以上、回避(ドッヂ)は反応するんです」

 

「ではせめて周囲から支援してはどうだ?回復魔法なら、ルカに取っても敵対行動とはならないだろう?」

 

「いけません。ルカ様にヒールが届くという事は、射程120ユニットに入るという事。そうなればルカ様は躊躇なく我々を攻撃してくるでしょう。却って足を引っ張る事になります」

 

「じゃあどうすればいい?このままでは回復したとしても、敵に押されて攻撃に転じる事ができないぞ」

 

「...たった一つだけ方法があります。これはルカ様が編み出した戦法なのですが」

 

「どういった内容なんだ?」

 

「...いえ、しかしこれはあまりにもリスクが大きすぎます。とにかくここはルカ様を信じ、状況を見守りましょう。いざとなれば、私とライルでルカ様を担いででも退避させますので」

 

「...そうか、そこまで言うのなら俺も堪えよう」

 

 そして一同は再びルカの一挙手一投足を見つめる。首からの出血が止まらずDoTダメージを受け続けるルカは、両手を広げて即座に回復魔法を唱えた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)生命の川(リバー・オブ・ライフ)

 

 パーセントリカバリーを唱えた事によりDoT効果が打ち消され、HPを何とか持ち直したが、ディアン・ケヒトは執拗なまでに逆治療(リバース・キュア)血流異常(ブラッドフロウ・ディソーダー)を仕掛け、ルカのHPを削りにかかる。リカバリーだけでは追いつかず、ルカは更に回復魔法を重ねた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)

 

 これによりHPはフル回復したが、再度マイナス極性のヒール攻撃を受けては回復すると言う悪循環に陥り、完全に守勢に回っていた。アインズ達は手に汗を握り見守っていたが、遂にルカのHPが四分の一を切った時だった。ディアン・ケヒトは一気にとどめを刺すためか、異なる魔法を詠唱してきた。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)聖櫃の光線(シュトラール・オブ・ジ・アーク)

 

『対抗策・軌道の歪曲(オービタル・ディストーション)

 

 ソードブレイカーの剣先から極太の赤いレーザー光が放たれるが、ルカの周囲に形成された陽炎のようなバリアにより、その巨大な光が屈折してルカを避け、直撃を回避した。その瞬間、ルカは待っていたとばかりに両手を広げて素早く魔法を詠唱する。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)約櫃に封印されし(ベネディクション・オブ・)治癒の術式(ジ・アークヒーリング)

 

 ルカの体から超広範囲に渡り青白い光が周囲を包み込み、HPが一気にフル回復した。しかし次に取った行動を見て、誰もが騒然となった。ルカは自分の胸に右手を当てて、通常では到底考えられない魔法を詠唱し始めたのだ。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)影の黄昏(シャドウマントル)

 

 何とルカは自らにヒール遮断の魔法をかけた。ディアン・ケヒトと同じく全身を黒い粘液で覆われ、一切の回復ができなくなってしまったのだ。それを見てアインズがミキに問い詰める。

 

「お、おいミキ!ルカは何を考えている?あれではもう回復ができないではないか!」

 

「...さすがはルカ様、このタイミングを逃せば勝機を逃していたかもしれません」

 

「どういう事だ?」

 

「今のルカ様は無意識ですが、恐らく最後の賭けに出ました。アインズ様、あれこそがルカ様の考え出した、マイナス極性のヒールに対する唯一の対抗策なのです」

 

「これが...しかしあまりにもリスキーではないか?自らにヒール遮断をかけるとは」

 

「ええ。ですのでここからは純粋な火力勝負となります。先に撃ち勝った者が勝者となるでしょう。そうなればルカ様に敵う者などおりません。見ていてください」

 

 HPが回復したルカを見て、ディアン・ケヒトは躊躇なく魔法を放った。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)逆治療(リバース・キュア)

 

 黒い波動が周囲を飲み込むが、ルカの体に当たる前に黒い粘液が魔法を吸収し、その効果が打ち消された。ディアン・ケヒトは首を傾げるような動作をし、再度ルカに剣を向けて魔法を放つ。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)血流異常(ブラッドフロウ・ディソーダー)

 

 今度は赤い波動が来るも、また黒い粘液が魔法を吸収して遮断してしまった。それを見た階層守護者達が興奮気味にルカへ声援を送る。

 

「ルカ!そんなやつさっさと畳んでしまいなさい!!」

 

「ルカ様ー!気張るでありんすー!!」

 

「今コソ勝機!!」

 

「ぶっ殺しちゃってくださいルカ様ー!!」

 

「がが、がんばれールカ様ー!!」

 

「踏ん張り時ですぞルカ様!!」

 

「このデミウルゴスがついておりますよ!!」

 

「...やっちゃえ...ルカ...」

 

 無論暴走状態のルカに届くはずもない事は承知の上で、皆は声援を送り続けた。ディアン・ケヒトは繰り返しマイナス極性のヒールを連発し続けていたが、その隙をついてルカは弾けるように飛翔して距離を取り、敵に右手を向けた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)創世記(ウトナピシュティム)

 

 魔法を詠唱するとルカの下方に大きな地割れの裂け目が口を開き、その中から吹き出すように大量の水が溢れ出て津波を形成し、周囲200ユニットに渡り大洪水が起こった。その中にディアン・ケヒトも体ごと飲み込まれるが、水に触れた途端何故かディアン・ケヒトの顔が苦悶の表情に変わった。

 

「グギャァァアアアアアアアアアア!!!!」

 

 絶叫を上げるディアン・ケヒトをよく見ると、津波に飲まれた全身から白い煙が立ち昇っている。そう、それはただの無色透明な水などではなかった。強力な酸の海だったのである。それもこの世で最強の融解性を持つ、フルオロアンチモン酸で構成された大洪水だった。ディアン・ケヒトの表皮が見る見る爛れていき、赤い袈裟は無残にもボロボロに朽ちていく。そして手にした巨大なソードブレイカーも溶け落ち、もはや剣としての形を成していなかった。それに追い打ちをかけるように、強力な腐食性による毒属性のDoTダメージがディアン・ケヒトを襲う。無駄だと知りつつも、もがけばもがくほど体が崩れていく。やがてその洪水が引いたが、そこに立っていたのは当初見た威厳ある”神”の姿ではなく、皮膚の爛れた醜い巨人のゾンビだった。筋組織が剥がれ、所々に骨が露出している箇所もあるというのに、それでもまだ向かってくる。ディアン・ケヒトは、息も絶え絶え魔法を詠唱した。

 

魔法...(クアドロ...)四重...(フォニック...)最強位階...(マキシマイズブーステッド...)上昇化(マジック)煉獄地帯(パーガトリー・ゾーン)

 

 ルカの目の前に突如、高さ200メートル・直径100メートルの獄炎に包まれた巨大な竜巻が発生した。ルカは弾丸の如き速さで弧を描くように飛翔し、辛うじてその竜巻を躱すと、続けざまに両手をディアン・ケヒトに向けて魔法を唱えた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)炎神の大剣(ソード・オブ・スルト)

 

 ルカの握ったエーテリアルダークブレード二本を重ねると炎のオーラがまとわりつき、その炎が延伸して30メートルはある一本の巨大な剣の形を成した。竜巻から逃げながらディアン・ケヒトの背後に回り込んだルカは、その大剣を背中に向けて袈裟切りに素早く振り下ろした。その切れ味は凄まじく、巨大な背中の肉がバックリと裂けて燃え盛り、背骨の一部が剥き出しになる。そのまま弧を描いて飛翔し、通り過ぎざまにディアン・ケヒトの右腕に剣を叩きつけると、事も無げに巨大な腕が切断された。

 

 もはや痛みすら感じないのか、悲鳴にも似た声で怒り狂ったディアン・ケヒトはルカの後を追い、壮絶な魔法の撃ち合いとなった。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)生贄の祭壇(アルター・オブ・ザ・サクリファイス)

 

 神聖属性の激しい衝撃波が360度に渡り叩きつけられ、逃げる間もなくルカはその攻撃をまともに食らうが、神聖耐性を固めていたルカは怯むことなく対抗した。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)預言者の追憶(メモリー・オブ・エゼキエル)

 

 ディアン・ケヒトの四方八方に神聖属性の巨大なスピアが無数に現れ、避ける間もなく胴体や手足を串刺しにした後、そのスピアが大爆発を起こして各所を吹き飛ばした。そして遂に、ディアン・ケヒトは膝から崩れ落ちるように両膝をつく。しかしその状態でも口だけは動かして魔法の詠唱を止めなかった。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)内臓破裂(オーガンズ・エクスプロージョン)

 

 巨大な頭部の眉間から半透明の光波が連続して広範囲に照射されたが、ルカはこれを回避(ドッヂ)で難なく躱し、上空に飛び上がると左手で右手首を握り、ディアン・ケヒトに右腕を向けて魔法を放った。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)聖遺物の核心(デュランダル・コア)

 

 ルカの掌に直径50メートル級の巨大な青白いエネルギーの塊が発生し、その神聖属性光弾が20発連続して放たれ、その全てがディアン・ケヒトに直撃して大爆発を起こす。

 

 そして遂に終わりの時が来た。生命の精髄(ライフ・エッセンス)で二者のHPを確認したアインズは、勝利を確信する。(ルカのHPは7割、ディアン・ケヒトはあと一撃だ。たった一撃で終わる。)声には出さずに心の中でそう唱え、同じようにHPを確認した階層守護者達も同じ気持ちで見ていただろう。

 

 ところが、ディアン・ケヒトは天を仰ぐと左腕を高く掲げ、全てを悟ったような表情で魔法を詠唱し始めた。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)終焉の序曲(プレリュード・オブ・エンディング)

 

 すると突然ディアン・ケヒトの周囲120ユニットにあった地面が消え去り、そこに巨大な暗黒の穴が開いた。空高く飛翔していたルカだったが、意図に反して少しずつその穴へと落下していた。

 

『対抗策・上位転移(グレーター・テレポーテーション)

 

 ルカの姿が一瞬掻き消えるが、魔法を唱えたのも空しく同じ位置に再び姿を現した。その後抵抗しようと上昇を試みるが、見えない重力によって穴の中心にいるディアン・ケヒトに向かい徐々に引きずり込まれていく。見るとディアン・ケヒトの体が真っ赤に染まり、少しずつ膨張を続けているようだった。それを見たアインズが咄嗟に叫ぶ。

 

「まさか...自爆魔法か?!」

 

「いかん!この魔力量...わしらまで巻き添えになるぞ!!」

 

「アインズ様、攻撃しましょう!もう奴は風前の灯です!!」

 

「待てミキ!あの穴...ブラックホールか?しかも転移魔法まで効かないと来ている。今のルカでも抜け出せないというのに、俺達があの超重力に引き込まれたら一巻の終わりだぞ!」

 

「ではどうすれば?!」

 

「くっ....!」

 

 今すぐ転移門(ゲート)を使えば脱出する事は可能だ。しかしその選択肢は無い。ルカを置いて自分達だけ逃げるなど、アインズは考えただけでも虫唾が走った。かつてない程脳が高速回転し、出した答えは一つ。アインズは黙ってその場に転移門(ゲート)を開いた。それを見てアルベドが目を瞬かせる。

 

「アインズ様、何を?」

 

「いいかよく聞け。この転移門(ゲート)はナザリックへと通じている。アルベド、デミウルゴス、今すぐ階層守護者とネイヴィア、フォールス、ノア、ミキ達を連れて至急この場を離脱しろ」

 

「そんな...アインズ様は一体どうされるのです?!」

 

「俺はここに残ってあいつを何とかする。これは命令だアルベド、行け」

 

「いやです!!...どうしてそういつも自分を犠牲になさろうとするのですか?何故私達の気持ちを汲んでくれないのですか!たった一言だけ、私達に命じてくれればそれでいいのです。アインズ様とルカのいない世界なんて、私には耐えられません。それはここにいる皆だって同じ気持ちなはずです。...もう私にはあなた達二人だけしか...」

 

 アルベドは堪えきれず大粒の涙を流した。そこへノアが寄り添い、アルベドの肩に手を乗せて白いハンカチを手渡す。

 

「...さて、死ぬ気なら付き合いますよ、アインズ殿」

 

 その言葉を聞いて、守護者達も一斉に前へ出てきた。

 

「アインズ様、私も地獄の底までお供するでありんすぇ」

 

「コノ命、アインズ様トルカ様ニ捧ゲマス」

 

「あたしは怒られてもアインズ様についていきますよ!」

 

「みみ、水臭いこと仰らないでくださいアインズ様...」

 

「このセバス、死して尚アインズ様の執事である事をお約束致します」

 

「.....戦う.....もう一度.....ルカと.....」

 

「...そういう訳でアインズ様、ご命令に背くことをお許しください」

 

 階層守護者達はアインズに笑顔を送った。至高の四十一人が残した最後の忘れ形見。そしてこの世界に転移後は自我を持ち、アインズを公私共に支えてきた忠実なる下僕たちであり、我が子も同然の存在。そんな彼らに今日、アインズは初めて裏切られた。自嘲気味に俯くと、何故か笑いが込み上げてきた。

 

「...フッ、クックック、これが反抗期というやつなのか?よく分かった。守護者達よ、我に付き従え!そしてルカを救出するぞ!!」

 

『ハッ!!』

 

「ネイヴィア、フォールス。お前達はどうする?」

 

「我が主様の危機じゃ。一肌脱ぐとしようかの?」

 

「ルカは我が子です。母には助ける義務があります」

 

「そうか。ミキ、ライル、イグニス、ユーゴ。お前達は?」

 

「聞くまでもありません。急ぎましょう」

 

「ルカ様を救う為ならばこのライル、命は惜しくありませぬ」

 

「お一人では行かせませんよ、アインズさん」

 

「ヘッ、アインズの旦那!野暮ったい事は無しだぜ?」

 

「分かった。ありがとうお前達」

 

 話がまとまると、ネイヴィアが地面に頭を伏せてきた。

 

「皆わしの頭に乗れ!この強靭な蛇体なら、あの超重力に耐えられるかもしれん!」

 

 全員が飛び乗ると、ネイヴィアは戦闘区域まで素早く移動する。そして距離が130ユニットまで近づくと、体に強烈な重力がのしかかってきた。ネイヴィアは懸命に抗いながら距離を詰めていく。

 

「グギギギ...お、重い!!ルカの奴、こんな重力に耐えているのか!皆の者、引きずり込まれるなよ!!」

 

「ネイヴィアがんばれ!120ユニットの射程まであともう少しだ!!」

 

「アインズ様、今のルカ様は身動きが取れません。私達が射程内に踏み込んでも攻撃はされないはずです」

 

「了解した。全員超位魔法準備!!」

 

 ネイヴィアの頭上で色とりどりの多重魔法陣が輝いた。暗黒の穴の外周に向けてジリジリと距離を詰めていく。

 

「122.....121.....120!!ここが限界点じゃアインズ!!」

 

「よし、全員呼吸は俺に合わせろ!!」

 

 ネイヴィアは口を大きく開き、その中にエネルギーが凝縮されていく。フォールスも三本の手をディアン・ケヒトに向けて意識を集中していた。

 

「行くぞ!超位魔法・失墜する天空(フォールン・ダウン)!!」

 

 アインズの攻撃を皮切りにして一斉爆撃が開始された。それぞれが持てる最大限の火力を行使して魔法を放ったが、そこにいた全員が肩透かしを食らったような気分になった。魔法は確実に着弾している。しかしそのエネルギーは地面に広がる暗黒空間に全て吸収され、着弾後の広範囲に渡る爆発も一切起きなかったのだ。生命の精髄(ライフ・エッセンス)で確認しても、ディアン・ケヒトのHPは全く削れていない。ルカは変わらず無表情のまま暗黒の穴を見つめながら、今も超重力に抗い続けている。アインズは我が目を疑い、そして考えた。

 

「...超位魔法も、ネイヴィアの魔法も、フォールスの攻撃も受け付けない。...属性か?何か見落としがあるのか?」

 

 隣に寄り添ったミキがアインズを見つめ、思い返すように言葉を返した。

 

「今使用した魔法の属性は、火・水・闇・神聖・獄炎・毒・吸血・無属性です」

 

「となると、残るは星幽・土・風・重力・音波・時空か。このメンバーの中で土・風を操れる者はマーレのみだが、超位魔法クラスの威力は出せず、音波を操れる者はルカ以外にいない。そうなると、星幽・重力・時空の三択に絞られる」

 

「時間が切迫しています。いかがいたしますか?」

 

「既に我々も超位魔法の使用回数限界を向かえている。フォールスの生命の草原(ライフ・フィールド)で回復は可能だが、いざという時の為に高火力の戦力は貴重だ。無駄なMP消費は避けて攻撃の為に残しておきたい。敵は恐らく自爆と、重力という二極面の魔法を使用している。...星幽・重力・時空....ええいままよ!!重力渦(グラビティ・メイルシュトローム)!!」

 

 アインズは眼下で天を仰ぐディアン・ケヒト目がけて、投げやりに魔法を放った。すると地面に広がる暗黒空間に魔法が吸収されず、一直線に飛んでいくとディアン・ケヒトの肩に当たり、僅かだがダメージが通った。アインズは目が覚めたようにそれを見つめる。

 

「...当たった...重力だ!!ミキ、お前は魔法詠唱者(マジックキャスター)ベースのイビルエッジだったな。上位魔法蓄積は使えるか?」

 

「ええもちろん。重力属性の超位魔法もまだ使用回数が残っています」

 

「他に重力を扱える者は?!」

 

 するとフォールスが前に進み出てきた。

 

「重力系統で良いのですね?私が使えます」

 

「よし!時間がない、各自準備が出来次第攻撃開始だ。魔法三重化(トリプレットマジック)上位魔法蓄積(グレーターマジックアキュリレイション)!」

 

 アインズの目の前に巨大な3つの魔法陣が現れ、その中に素早く魔法を込めていく。ミキの体の周囲には黒い多重魔法陣が形成され、フォールスは三本の右手を眼下のディアン・ケヒトに向けて意識を集中した。そしてアインズは間髪入れずに魔法を解き放った。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)重力渦(グラビティ・メイルシュトローム)!そして解放(リリース)!!」

 

「超位魔法・月の暗黒面(ダークサイド・オブ・ザ・ムーン)!!」

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)深淵の拒絶者(アビス・リジェクター)!!」

 

 アインズの重力魔法4連撃が螺旋を描いて敵に直撃し、その後にミキとフォールスが召喚した超重力の月とカー・ブラックホールが一体となり、ディアン・ケヒトの頭上に舞い降りていく。その中に巻き込まれたディアン・ケヒトの姿が激しく歪み、ひしゃげるように押しつぶされていった。黒い球体の中で閃光がスパークし、着実にダメージを与えていく。そしてミキが超位魔法のリキャストタイムに入り、通常魔法に切り替えた事でアインズとミキは口を揃え、立て続けに魔法を詠唱した。

 

魔法三重化(トリプレットマジック)上位魔法蓄積(グレーターマジックアキュリレイション)!』

 

 そして二人は重力渦(グラビティ・メイルシュトローム)の8連弾を放ち、フォールスが高火力の重力魔法を叩き込んでいく。それを幾度となく繰り返して3人共必死の攻撃が続くが、HPを削り切るまでには至らない。見るとディアン・ケヒトの体が以前の2倍以上に膨れ上がっている。もう時間がない。アインズは焦るが、魔法をキャンセルするようなミスを侵す訳には行かなかった。着実に、確実に当てていくしかない。

 

「くそ、間に合え!!魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)重力渦(グラビティ・メイルシュトローム)!!解放(リリース)!!」

 

 ミキとフォールスの範囲攻撃で、射程内にいるルカにもダメージが入っているが、3人共生命の精髄(ライフ・エッセンス)でルカのHP残量を確認しながら攻撃を重ねていく。攻撃を加える3人の周りで固唾を飲み見守る階層守護者達に、アインズが現在思っている心情と同じ覚悟が芽生え始めた。

 

 

 もう間に合わない。このまま自爆に巻き込まれて全員死を迎えると。しかしそれでもアインズは諦めなかった。愛する者達を助ける、その一心でひたすらに攻撃を加え続けた。しかしその思いも空しく、遂に終わりの時が来る。魔法を唱える為のMP残量が3人共底を尽きかけていた。上位魔力回復薬(グレーター・マナ・ポーション)を使用している時間などない事は、その場にいた誰もが分かっていた。ディアン・ケヒトの体は破裂寸前にまで肥大化している。アインズの心が折れかけた時、唐突にその声が響いた。

 

 

『・・・長時間の膠着状態を確認・これより緊急措置・決戦(アーマゲドン)モードに移行します・レベルⅤ保有者特例措置No.27・言語エンジンモジュールに接続・・・完了・術者の意向により・パーティーメンバーへのメッセージが一件あります・読み上げます・・・』

 

「な、何だ?決戦(アーマゲドン)モード...それにメッセージだと?」

 

 全員はその機械的な声に聞き耳を立てていたが、突如(グルン)と人形のように無機質な動きでアインズのいる方向へ首を曲げると、再び口を開いた。

 

『・・・ア・イ・ン・ズ・ニ・ヒャ・ク・ユ・ニ・ト・ノ・ソ・ト・ヘ・ニ・ゲ・テ・・・メッセージは以上です・これよりカウントを開始します』

 

 抑揚のない無機質な声。しかしその言葉は紛れも無くルカのものだった。アインズは思わず身を乗り出して語りかけた。

 

「ルカ?...おいルカ、聞こえているのか?!聞こえていたら返事をしろ!!」

 

 しかしルカはそれを無視して再び正面を向くと、カウントダウンを開始した。

 

「ミキ、これはどういう事だ?憑依(メリディアント)中にこのような事が可能なのか?」

 

「いえ、憑依(メリディアント)にこんな仕掛けがあったなんて...私も初めて目にしました。ともかく今はルカ様の言葉に従い、200ユニットの外へと退避しましょう」

 

「ああ、分かった。ネイヴィア頼む」

 

「了解じゃ!」

 

 反転してその場を離れながら、アインズは機械的にカウントするルカを見送っていた。

 

『───6・5・4・3・2・1・0』

 

 その瞬間ルカの周囲に激しい衝撃波が広がり、ゆっくりと両手をディアン・ケヒトに向ける。そしてアインズは確かに聞いた。その通常ではあり得ない魔法の詠唱を。

 

 

『・・・魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)巨神王の一撃(ウートガルザ・ロキ)

 

 

 空が落ちてきた。瞬きする暇も与えずに。誰もがそう錯覚しただろう。それは真っ白な柱だった。それも直径200メートルを超える巨大な円柱が、ディアン・ケヒトに向けて超高速で叩き落されたのだ。あと1秒遅ければ、ネイヴィアの蛇体ごと押しつぶされていた。もはや余韻すら残さない。静寂が辺りを支配する中、一同は目の前にそびえ立つ円柱を見て絶句していた。そして音もなくその円柱が浮かび上がると、再び天空へと消えていった。目の前に残されたのは、巨大な円形のクレーター。アインズは恐る恐る深呼吸すると、隣に立つ菩薩の様に美しい女性へ顔を向けた。

 

「...ミキ、聞いたか?ルカのあの魔法」

 

「...ええ、聞きました」

 

「魔法四重化...世界級(ワールド)エネミークラスだけの特殊魔法だと思っていたが」

 

「アインズ様、私の知る限り憑依(メリディアント)にあのような力は存在しません」

 

「だが確かにルカは唱えた。その結果があの不可避の一撃だ」

 

「...ルカ様だけが知る、力の深淵があるのかもしれませんね」

 

「ルカは無事か?」

 

足跡(トラック)。...大丈夫、無事です。先ほどの地点から動いていません」

 

「行ってみよう。ネイヴィア、頼む」

 

「お、おう、分かった」

 

 クレーター外縁部から接近し、距離が140ユニットまで近づくと、一同はネイヴィアの頭から飛び降りて地面に降り立った。その先には、微動だにせず外縁部の淵に立ち尽くすルカの姿があった。アインズは足早に近寄ったが、それをミキに強く制止された。

 

「アインズ様、気を付けて!まだ憑依(メリディアント)が解けていないようです。今接近すれば、私達も攻撃される恐れがあります。ここで様子を伺いましょう」

 

「そ、そうか、分かった」

 

 目と鼻の先に立っているのに近寄れないもどかしさから、階層守護者達も前に出て心配そうにルカを見守っていた。そうして五分が経過した頃、唐突にあの機械的な声がアインズ達の耳に届いた。

 

『・・・エリア内の生体反応消失を確認・術者の意思により・憑依(メリディアント)を解除します・・・』

 

 そう言うと、ルカはまるで電池が切れたロボットのようにゆっくりと首が項垂れ、両手をだらんと弛緩させて再び動かなくなってしまった。アインズはそれを見て一歩を踏み出そうとするが、咄嗟にミキが手を伸ばして行く手を遮り、首を横に振った。未だ警戒している様子で、ルカの挙動を注意深く観察する。

 

 一同が息を飲み見守る中、ルカはゆっくりと項垂れた頭を上げた。そして大きく深呼吸すると目を開き、周囲の様子を確認する。その途中で遠くに立つアインズ達を見つけると、両手に握ったエーテリアルダークブレードを(キン!)と納刀し、皆に笑顔を見せた。

 

「...ふー。やっと終わったか」

 

 それを見てアインズは心底安堵した。ミキも遮っていた手をどけて緊張が解け、ようやく笑顔になる。この瞬間を今か今かと待っていたアウラとマーレが120ユニットの範囲内に入り、満面の笑みで同時に駆け出した。

 

『ルカ様ー!』

 

「アウラ、マーレ。二人共よくがんばったね」

 

 ルカもそれを見て歩み寄ろうと一歩を踏み出した時だった。笑顔のまま、突如糸の切れた木偶人形のように膝から崩れ落ち、前のめりに倒れてしまった。あまりの突然な出来事にアウラとマーレの動きが止まる。

 

「...え?」

 

「るるる、ルカ様?」

 

「?! おいルカ?!」

 

「...ルカ様!!」

 

「いや...そんな、ルカ?!」

 

 尋常ではない事態が起こり、その場に居た全員が一斉に走り出した。そして倒れたルカの回りを取り囲むと、アインズがそっと体を仰向けにさせて膝に抱きかかえた。

 

 

「ルカ、どうした?しっかりしろ!!」

 

「.....あ....あれ?......な、何か、体の力が.....入らないや.....おかしいな....目も.....ぼやけて.....よく.....見えないよ」

 

「ミキ、回復だ!!」

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)!」

 

 ルカの全身が青白く光り、HPはフル回復したはずだった。しかしルカの容体は一向に改善しない。見かねたネイヴィアが後ろから首を伸ばしてきた。

 

「皆の者どけ!わしが回復する!!」

 

 一同が場所を空けるとネイヴィアはルカに口を近づけて、(フー)と吐息をかけるように魔法を詠唱した。

 

始原の魔法(ワイルドマジック)毒蛇の祝福(ブレッシング・オブ・ペルーダ)

 

 すると巨大な口から虹色の吐息が発生し、ルカの体を優しく包み込んだが、それでも回復の兆候を見せなかった。

 

「馬鹿な!!わしの魔法はHPも状態異常も完治させる!それが効かないとは...」

 

「HP、状態異常....そうかMPか!フォールス!!」

 

「ええ、アインズ・ウール・ゴウン。私が治します」

 

 フォールスはルカの傍らに両膝をつくと、三本の右手を胸に当てて目を閉じ、意識を集中した。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)生命の草原(ライフ・フィールド)!」

 

 ルカの体が白銀色の光球に包まれ、HP・MPと超位魔法使用回数がフル回復した。フォールスはルカの頬をそっと撫でながら、顔を覗き込む。

 

「ルカ、体の具合はどうですか?」

 

「......その声.......フォー...ルス?........ごめん...ね.......少し......経てば.....治る....から.......」

 

「そんな!生命の草原(ライフ・フィールド)でも回復しないなんて....一体ルカの身に何が起きているというのですか?」

 

「私が診てみます」

 

 ミキはルカの額と腹部に手を乗せて、目をつぶり魔法を詠唱した。

 

体内の精査(インターナルクローズインスペクション)!」

 

 ルカの体に無数の青い光が交差し始め、ミキの脳内にルカの体内コンディションが流れ込んでくる。それを見たミキの顔が引きつり、愕然とした表情へと変わった。

 

「....!!」

 

「...おい、どうしたミキ?ルカに何が起きているんだ、説明しろ!!」

 

 アインズはミキの肩を揺さぶったが、その目からは光が失われ、ルカの顔を見つめて茫然とするばかりだった。皆が注目する中、ミキが重い口を開く。

 

「.......老衰.....それに衰弱と、重度のショック状態にあります....何故....?」

 

 ミキの言葉を聞いて、アインズ以下階層守護者達は唖然とする。ネイヴィアはおろか、フォールスでさえも。その場にいた誰もが分かっていた。死者を蘇生させる事はできても、老衰を回避できる魔法など存在しないという事に。それを一番よく理解していたアインズが、怒鳴るようにミキに問いただした。

 

「....は?! お前達はセフィロト....言わばアンデッドの上位種族だ!それが何故老衰などというバッドステータスに侵されるのだ!!」

 

「私にも分かりません!!...確実に言えるのは、単純な状態異常や呪詛の類ではないという事だけです」

 

「...そんなバカなことが....」

 

 アインズは膝元に抱えるルカの顔を見た。そこには老衰という言葉が程遠いまでに若く、相変わらず美しい佇まいのルカが目を見開き、腕の中に収まっている。言い争っている声が耳に届いたのか、ルカが力なく探るように右手を前に上げてきた。

 

「.....アインズ........アインズ、どこ?......そこにいるの?」

 

 その手をアインズが握りしめ、ルカの目の前に顔を近づける。

 

「ルカ、俺はここだ。ここにいるぞ!」

 

「......アイ...ンズ、ごめんね.......ちょっと......力を......使いすぎちゃった.....みたい」

 

「...ああ、全く無茶な戦い方だったな。だがそのおかげでディアン・ケヒトを倒せたんだ。お前は何も心配せずにゆっくり休め。アルベド・ミキ・ライル、今すぐルカを連れて転移門(ゲート)でナザリックに戻り、容体を診つつ安静にさせてやってくれ。フェリシア城塞には俺達だけで向かう」

 

『了解しました』

 

 アインズはルカの体を抱え上げるため握っていた手を離そうとしたが、ルカは何故かその手を握り返して離そうとはしなかった。アインズが不思議に思い顔を見ると、小さく首を横に振っている。支えていたルカの肩をさすり、アインズは優しく問いかけた。

 

「ルカ、どうした?」

 

「.....私も.....一緒に.....行く...」

 

「無茶を言うな!...こんな体で行って何をしようというんだ。大人しくナザリックで体を休めていろ、な?」

 

「だ....だって私....魔導国の......大使....だもん」

 

「大使以前に俺はお前の体が心配なんだ!」

 

「.....お願い....アインズ.......連れてって」

 

「しかし....!」

 

 双方譲らない二人を見て、後ろに下がっていたミキが一歩前に出てきた。

 

「アインズ様、ルカ様を連れていきましょう」

 

「ミキ?!お前まで....」

 

「その間は私とライルでルカ様を護衛しますので大丈夫です。フェリシア城塞での事が済み次第、即座にナザリックへ帰投するとお約束致します。...それでよろしいですね、ルカ様?」

 

「ヘヘ...ミキ.....よろしく.....お願いね....」

 

 握っていた手をルカが離した事で、アインズは諦めるように溜息を付き、右頬をそっと優しく撫でた。

 

「...仕方がない。但しフェリシア城塞で事を済ませたら、即刻ナザリックに帰還して休養を取ってもらうぞ。いいな?」

 

「.....うん.....あり....がとう」

 

「よし。コキュートス、ルカを運んでやってくれ」

 

「承知致シマシタ」

 

 コキュートスが一歩前に出てルカの体を支えたが、不意にライルが怒号にも似た声を飛ばしてきた。

 

「コキュートス!!....俺が運ぶ」

 

「...分カッタ、我ガ友ヨ」

 

 そしてライルはその場に屈むと、ルカの体をそっと抱き上げて立ち上がった。そしてシャルティアの開けた転移門(ゲート)により、アインズ達とアンデッド軍は瞬時にフェリシア城塞南東部へと戻った。地上には帝国軍が待機しており、未だジルクニフ達が戻らないことを知ったアインズは、アンデッド軍を地上に残してフェリシア城塞の地下通路へと足を運んだ。

 

 ミキの集団飛行(マスフライ)を使用して地下通路内を高速で移動すること約二時間、やがて暗闇の先に大勢の人影が見えてきた。アインズ達がその一団の先頭にフワリと降り立つと、周囲から一斉にどよめきが上がる。

 

「アンデッド?!」

 

「て、敵か?」

 

「いや...ママ怖いよ」

 

「大丈夫、帝国軍の兵隊さん達がいるからね」

 

 アインズの姿を見たカルサナスの住人達は完全に怯えきった様子だったが、最前列に立っていた五人の男女のうちの一人が、両腕を大きく広げて一歩前に進み出てきた。

 

「これはゴウン魔導王閣下!このような所まで来られずとも、地上でお待ちしていれば良かったものを」

 

「ジルクニフ殿、迎えに来たぞ。救出は無事完了したようだな、良くやってくれた」

 

「恐悦極まりない言葉、感謝する。あなた達の偉業に比べれば、取るに足らないことだ。...カルサナスの民たちよ、案ずるな!彼こそが、我らバハルス帝国と共にカルサナスの救援に駆けつけた同盟国の盟主、アインズ・ウール・ゴウン魔導王である!!」

 

 ジルクニフは民たちを振り返り、不安を払拭するためオーバーアクション気味に声を張り上げた。その言葉を聞いて、列にいた民と兵士達から安堵の溜息が漏れる。そしてジルクニフは、先頭に立つ一人の女性に寄り添い、アインズに笑顔を向けた。

 

「ゴウン魔導王閣下、紹介しよう。こちらの女性が、カルサナス都市国家連合代表のカベリア都市長だ」

 

 アインズはそれを聞いて無意識に敵視感知(センスエネミー)を唱えた。脳内に赤い光が明滅し、目の前に立つ黄金色のミドルアーマーに身を包んだこの美しい女性が、激しい敵意を持っていることが理解できた。表情には出さないが、目の奥には畏怖とも怯えとも取れる光を宿している。しかしそれでも気丈に振る舞い、アインズの前に一歩踏み出てきた。

 

「...都市長代表のカベリアです。この度は、カルサナスの危機に際しご助力頂き、兵と民たちを代表して深く感謝致します」

 

 カベリアは左胸に手を当てて一礼したが、その体は小刻みに震えていた。それを見たアインズは努めて優しくカベリアに返答した。

 

「アインズ・ウール・ゴウンだ、お初にお目にかかる。...そう警戒しないでほしいな、カベリア都市長。顔を上げてくれ、何か大きな誤解があるようだ」

 

 目を伏せるカベリアの肩にアインズがそっと手を乗せると、顔を上げて恐る恐る見返してきた。

 

「...フ、フェリシア城塞にいた東の化物二体はどうなりましたでしょうか?」

 

「東の化物? アジ・ダハーカとナルムクツェの事か。...安心してくれ、後ろに控える我が配下と共に殺しておいた」

 

「で、ではレン・へカート神殿に向かった北の化物は...?」

 

「ディアン・ケヒトの事だな。...奴は手強かった。我々全員で戦いを挑んだが、それでも倒せなかったよ」

 

 その言葉を聞いたカベリア以下、背後に並ぶ三人の都市長達の顔から一斉に血の気が引いた。

 

「そんな...あれがまだ生きていると?」

 

「そうとは言っていない。我が配下の中に、奴を倒せる可能性を持った者がいてな。魔導国の大使だ。その者がたった一人で戦いを挑み、激戦の果てにディアン・ケヒトを滅ぼした。しかし力を限界まで開放した代償として、彼女は深い手傷を負ってしまった」

 

「北の化物を...たった一人で?にわかに信じ難い話ですが」

 

「だが事実だ。私が君に嘘をつく理由がどこにある?」

 

「...あなた達魔導国に対する懸念が消えないからです」

 

「ほう、どのような懸念かね?」

 

 カベリアはギュッと両手を握りしめ、赤く光るアインズの眼窩を真っ直ぐに見ながら質問した。

 

「ゴウン魔導王閣下は、何故このカルサナスにいらっしゃったのですか?」

 

「我が同盟国であるバハルス帝国...そこにいるジルクニフ殿より救援要請を受けたから来たのだ」

 

「...このカルサナス全土を、魔導国の支配下に置くためではないと?」

 

「そのようなつもりはないが...それとも、支配して欲しいのか?」

 

「その必要はありません。私達は都市国家連合です。魔導王閣下のお力に頼らずとも、必ず街を再興してみせます」

 

「ならばそれで良いではないか。君達は君達の進むべき道を歩めばいい。懸念は払拭されたかね?」

 

「...いいえ、まだです」

 

 アインズの脳裏に輝く敵視感知(センスエネミー)の赤い光が、より一層強くなった。それを見てアインズは小さく溜息をつき、カベリアに問い返す。

 

「何が言いたい?はっきり物を言ったらどうだ」

 

「...では言いましょう。此度カルサナスを襲ったこの亜人達による同時襲撃、あまりにもタイミングが良すぎました。そして追い込まれた私が帝国へ救援を要請すれば、あなた達魔導国も姿を表すであろうという事も、容易に想像がついていました」

 

「ふむ、それで?」

 

「そしてすべての街が壊滅し、後から来たあなた方は、私達カルサナス連合軍が全滅の危機に瀕するほどの化物たちを、何の苦もなく排除してみせた。まるで作られた神話かお伽話のようにね」

 

「...で?」

 

「つまりはこうです。あの九万の亜人軍と三匹の化物は、あなた達魔導国が魔法か何かで召喚したのではありませんか?そしてカルサナスを襲わせ、国力が弱った所を狙ってこの土地に侵入し、自らの領土拡大を目論んでいる。違いますか?」

 

 それを隣で聞いていたジルクニフが、血相を変えて話に割って入ってきた。

 

「おいカベリア!!魔導王閣下に無礼だぞ!貴様、よりによって自作自演とでも言いたいのか?!ゴウン魔導王は純粋に我が帝国からの救援要請に答えてくれたに過ぎない!」

 

「ジルクニフは黙ってて!!...魔導王閣下、はっきりと仰ってください」

 

「カベリア都市長。━━━━もう一度言ってみろ」

 

 アインズの体から突如ドス黒いオーラが噴出し始めた。それに反応しイフィオンが武器に手をかけるが、周囲に放たれる強烈な殺気のせいで、立っているのが精一杯の状態だった。アインズの眼前に立たされたカベリアは、その殺気に満ちたオーラを全身に浴びて完全に固まり、指一本動かせない。

 

 アインズはその状態のまま、目の前で立ち尽くすカベリアの細い首に手をかけた。

 

「...いいかよく聞けカベリア。俺たちはな、帝国とカルサナスを守る為に戦った。そしてその内の一人は、お前たちの為に命を懸け、たった一人でディアン・ケヒトと戦い、今も尚生と死の境目を彷徨うほどの重症を患っている。今お前が吐いた言葉は、俺のみならず我が配下全員を侮辱するものだ。何なら今すぐこの場で死んでみるか?お前のみならず、カルサナスの兵士と住民全てな。貴様らごときを皆殺しにするのにさして時間はかからん。俺一人で十分だ。選べ、生か死か」

 

「あ...あ....」

 

「どうした、声も出ないか?口は災いのもとだったな。カベリアよ、とりあえずお前には苦痛に塗れた死をプレゼントしよう。ありがたく受け取るが良い」

 

 (ミシリ)と音を上げ、掴んだカベリアの首にゆっくりと力が籠もっていく。巨大な殺気に当てられ、背後で見ていた都市長はおろか、カルサナスの兵たちも身動き一つ取れず、助けに入ることすら叶わない。

 

━━━ただ一人を除いて。

 

「...待ってくれ、魔導王の旦那!!」

 

 二人の前に飛び出してきたのは、一人の筋骨隆々な大男だった。アインズはカベリアの首から手を離さぬまま、顔だけをその男に向けた。

 

「...ん?誰だお前は」

 

「カルサナス都市国家連合・ゴルドー都市長のメフィアーゾ・ペイストレスってもんだ」

 

「ほう。絶望のオーラに耐えきるとは、中々レジストが高いな。それで?命乞いでもしに来たのかね?それとも私を止めてみるかね?」

 

「いや...済まねえ。あんたの言っていることが本当なら、都市長代表の言っていることは全て間違い...勘違いだ。それにカベリアの嬢ちゃんはまだ若い。思い至らなかった事もあるかもしれねえ。俺の頭で良ければいくらでも下げる。だから頼む、許してやっちゃくれねえか?」

 

「...無駄だな。この女は我々にとって許し難い言葉を吐いた。私が死ぬと言った以上、それは絶対だ。そこで黙って見ていろ」

 

「なら!!...なら、俺を代わりに殺してくれ。俺の首と引き換えに、嬢ちゃんとカルサナス住民たちの命を助けてやってくれ、この通りだ!」

 

 そう言うとメフィアーゾはその場に片膝をついた。後ろで見ていたイフィオンが咄嗟に声をかける。

 

「おい、メフィアーゾ!」

 

「イフィオン!!...後のことは任せたぜ」

 

 それを聞いてアインズはゆっくりとカベリアの首から手を離した。膝から崩れ落ちるようにへたり込み、激しく咳き込んでいる中、アインズは片膝をつくメフィアーゾに顔を向けた。

 

「...貴様の首ごときで、この女の発言が帳消しにされるとでも思っているのか?私が欲しているのはそんなものじゃない」

 

「じゃ、じゃあどうすればいい?俺に出来ることなら何でも言ってくれ、何でもする!」

 

「...謝罪しろ」

 

「...え?」

 

「お前達の為に命を賭して戦った我が魔導国の大使、ルカ・ブレイズに直接謝罪しろ、と言っているのだ」

 

「!!」

 

 その言葉を聞いて、メフィアーゾはおろかイフィオン、パルール、カベリアの三都市長にも衝撃が走った。そしてその背後で聞いていた、蒼の薔薇とフレイヴァルツ達も唖然としている。メフィアーゾは震える声で、アインズに再度問いかけた。

 

「ま、魔導王の旦那....今....何つった?」

 

「何度も言わせるな。ルカ・ブレイズだ」

 

「そ、そいつはどこにいるんだ?姿が見えないようだが」

 

「...ライル!!前に出よ」

 

 すると背後に控えていた階層守護者達が左右に道を開け、最後尾にいたライルとミキがゆっくりとアインズの元まで歩いてきた。ライルの太い腕の中には、全身黒ずくめの女性が静かに横たわっている。

 

 メフィアーゾは立ち上がりライルに歩み寄ると、恐る恐る抱きかかえられた女性の顔を覗いた。眠るように目を閉じているが、その透き通るように白くきめ細やかな肌、目の下に刻まれた幾何学模様の赤いタトゥー、何よりも一度見たら忘れない美しい顔立ちを見て、メフィアーゾの目が大きく見開かれていく。

 

「...そんな...おい、ルカ?聞こえるかルカ?どうしちまったんだよおめぇ!」

 

 その言葉を聞いてルカは薄っすらと目を開け、地下道の天井を見上げた。

 

「....だ、誰?」

 

「俺だ、ゴルドー都市長のメフィアーゾだ!」

 

「...メフィ...アーゾ?...や、やあメフィー...あれから...体の具合は....どう?」

 

「ああ、お前のおかげでピンピンしてらあ!」

 

 ルカは手探りで前に手を伸ばし、相手の位置を探った。メフィアーゾはその手を両手で掴み、細い指を優しく握り返す。するとメフィアーゾは堪えきれず、何故か大粒の涙を零し始めた。

 

「...良かった...他の....みんなは?」

 

「も、もちろん全員無事だ!...おいみんな!!間違いねえ、あのルカ・ブレイズだ!!」

 

 メフィアーゾは涙も拭わぬまま、背後に控える三人の都市長達を振り返った。すると三人は驚愕の表情で一斉にメフィアーゾへと駆け寄る。

 

「な、何じゃと?!」

 

「ルカ・ブレイズ?!」

 

「...ル...カ...お姉ちゃん?」

 

 アインズに首を絞められ、へたり込んでいたカベリアまでもが立ち上がり、都市長四人はライルに抱かれるルカの周りを取り囲んだ。そしてメフィアーゾが掴むルカの手を、三人共握りしめる。その温もりを感じて、ルカは目を宙に漂わせた。

 

「...み...みんな...ごめんね....目がまだ...良く...見えなくて....」

 

「わしじゃ!テーベ都市長のパルールじゃ!...お前ともあろう者が、一体どうしたと言うんじゃこの姿は?!」

 

「...パルール...おじいちゃん?...へへ...ちょっと...無理...しすぎちゃった...みたい...」

 

「馬鹿者、年は貴様の方が上じゃろうが!...何ということじゃ、よりによってお前が戦ってくれていたとは...」

 

 パルールは嗚咽を堪えきれず、ルカの手を握りながら、皺だらけの顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。その隣に寄り添う半森妖精(ハーフエルフ)の美しい女性が、慈しむようにそっとルカの左頬に手を添えた。

 

「ルカ、私だ。イフィオン・オルレンディオだ、分かるか?」

 

「...イフィ...オン?...久しぶり...だね.....私が...昔教えた魔法...役に...立った?」

 

「...ああ、もちろん立ったとも。忘れもしない190年前、お前が授けてくれたあの力がなければ、とてもじゃないが生きてこの場にいる事は叶わなかった」

 

「...そっか...生きていてくれて...良かった...」

 

「それはこっちの台詞だ!...あんな化物と一人で戦って...それにまさかお前が魔導国と共に歩んでいたとは露知らず....許してくれ、ルカ。お前ほどの強者をこの様な姿にさせるまで戦わせてしまった私達を...」

 

 イフィオンの頬にも熱い涙が伝い、その涙がルカの顔に落ちる。それを感じ、ルカは目の前にあるイフィオンの頬を左手でそっと撫でた。そしてイフィオンの隣でルカの手を握る女性が、信じられないといった様子で語りかけた。

 

「...ルカ...お姉ちゃん?」

 

「...やあ...カベリア...だね...」

 

「そんな...何で分かるの?」

 

「...分かる...よ...私が...昔あげた香水...フォレムニャック...まだ...付けていて...くれたんだね...」

 

「お姉ちゃん...北の化物をお姉ちゃん一人で倒したって、本当なの?」

 

「...ああ...本当だよ....カベリア....もっとよく....顔を...見せて...」

 

 それを受けてカベリアはルカの手を離し、顔を目の前に近づけた。するとルカはカベリアの頬に手を添えて、微笑みながら一筋の涙を流した。

 

「...大きくなったね....カベリア...ぼんやりとしか...見えないけど...きっと...綺麗に...なったんだろうね...」

 

「ううん、ルカお姉ちゃんの方がずっと綺麗だよ!...本当に、昔から何も変わってない...それに私が今生きているのは、ルカお姉ちゃんのおかげなんだから」

 

「...カベリア....よく...ここまで...頑張ったね...それにメフィー...パルール...イフィオン....もう...大丈夫....地上の敵は...ジルクニフと...私達魔導国が....殲滅...したから...」

 

 ルカは消え入りそうな声で、精一杯の笑顔を作った。それを見て四人の都市長はおろか、背後で聞いていたジルクニフですらも愕然とする。ルカ・ブレイズがそこにいる事、たったそれだけの事で、魔導国に対する疑念を晴らすには十分過ぎるほどだった。

 

 ライルは腕に抱くルカに楽な姿勢を取らせるため、その場に片膝をついた。四人の都市長もそれに習い一斉に両膝をつく。そして皆が涙ながらに頭を下げた。

 

「ルカ、くっそ...済まねえ...済まねえ!!お前がいると知ってりゃ、盾になってやる事くらいは出来たってのによお!!...俺は自分が情けねえ。戦場はイフィオン一人に任せっきりにしちまった挙げ句、最後はお前一人であの北の化物と戦い、寂しい思いをさせちまった...こんな事になるくらいなら、お前の為に死んでやりたかった。街のことばかり考えて臆病になっていた自分が恥ずかしい。本当に申し訳ねえ...」

 

 続いてパルールも言葉を継いだ。

 

「ルカよ、お前は此度の戦で、一度ならず二度までもこのカルサナスを救った。もうこの恩は、わし一人では返しきれん。お前は昔こう言ったな、(私の存在を他言すれば、即座にカルサナス全土を滅ぼしに来る)と。我らカルサナスはその絶大なる恩に報い、お前と交わした約束を固く守って今日まで生きてきた。そして今、カルサナスを滅ぼした化物と亜人を、お前と魔導国は逆に滅ぼしてみせた。そしてわしは知った。過去にカルサナス全土を滅ぼせると言ったお前の力が嘘ではない事。そしてその力を、再度我らカルサナスを守ることに使ってくれたということにな。...死してなお、この感謝は忘れぬであろう。お前という英雄がいながら、側にいてやれなかったこの老いぼれを許しておくれ、ルカ...」

 

 パルールは左手に握った戦槌(メイス)を地面に付き、深く頭を垂れた。そしてイフィオンがルカに体を寄せると、額にキスをしてその赤い目を覗き込んだ。

 

「...我が友よ。お前が魔導国と共にあると言うことは、そう解釈して良いのだな?」

 

「...そう...だよ...イフィオン....アインズ...アインズ...そこにいる?」

 

 すると都市長のすぐ背後に控えていたアインズが、ルカに寄り添った。三人の都市長はその為の場所を空ける。アインズは片膝をつくと、そっとルカの左頬に手を添えて優しく囁いた。

 

「ここにいるぞ。どうした、ルカ?」

 

「....アインズ...紹介...するよ....彼女は....イフィオン・オルレンディオ....200年....前に...魔神と戦った....十三....英雄の....一人...だよ....」

 

 それを聞いて、背後に控えていた階層守護者達からどよめきが上がった。

 

「ほう?あの時代から生きているとは、随分と長寿だな。外見と装備から察してはいたが、種族は森妖精(エルフ)かね?」

 

「いや、私は半森妖精(ハーフエルフ)だ、ゴウン魔導王閣下。名乗りが遅れたことをお許しいただきたい。此度の連合軍総指揮を任されていた者だ。イフィオンと呼んでくれて構わない」

 

「そうか、美しい名だな。では私の事もアインズと呼んでくれ、イフィオン。十三英雄と言う事は、ツアー...つまり白銀やリグリット・ベルスー・カウラウ、イビルアイとも面識があるのか?」

 

「その通りだアインズ。200年前、つまり魔神との大戦が始まる直前に、ルカと背後にいるそこの二人は姿を現した。白銀と私、リグリット、それにイビルアイ、十三英雄のリーダーは、その秘めたる力を見込んでルカ達三人に援軍を要請したが、この世界に来てから準備不足と言う事で断られてしまった。そして魔神が倒されてから3年後、平穏を取り戻した大陸を見て、私は北東の地方に小さな村を建設した。そこにふと現れたのが、歴史に関与を拒んだこのルカ・ブレイズだったんだよ」

 

 イフィオンは何故か嬉しそうに、ルカの頬を一撫でした。

 

「それが190年前と言う訳か。交流は深かったのか?」

 

「そうだな、深かったと言えば深かったのかもしれない。私はルカに、この世界に置ける一般常識や生活魔法、種族毎の特徴、各国の勢力と傾向、その他ありとあらゆる事を教えてやった。その対価としてこのルカは、魔導書を使用して通常ではあり得ないほどの強力な魔法を私に伝授してくれた。土・水・雷・毒・移動阻害(スネア)、そして魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)...つまり私が森司祭(ドルイド)系統の魔法を得意としている事を踏まえて、そこを徹底的に伸ばしてくれたのだ。村を守るために使ってくれと。そしてある日、ルカ達三人は唐突に姿を消した。その後紆余曲折あったが、私は村を拡張して街という体裁が整い、その街の名前をカルバラームと名付けて現在に至る。あの時教えてくれた力がなければ、私などこの戦でとうに戦死していたであろう...」

 

 イフィオンはルカの手を握り、嗚咽を堪えて大粒の涙を零した。アインズは目の前で片膝をつくミキとライルを見たが、二人は大きく頷いて返した。と言う事は、それが事実と言う事に他ならない。アインズはそれを見て立ち上がると、ルカに背を向けて静かに殺気を解いた。そこまで話を聞いていたカベリアがイフィオンの隣に寄り添うと、イフィオンの手の上からルカの手を再度握った。

 

「...ルカお姉ちゃん、ごめんね。私、ゴウン魔導王閣下にすごい失礼な事言っちゃった。お姉ちゃんが魔導国の大使だって、私全然知らなかった。...優しかったお姉ちゃんがいる国だもん。悪い国なはずがないよね?それなのに私、噂ばかりを鵜呑みにして...バカだ、私。都市長代表の資格なんてない。もっと理解を示すべきだった。それなのに...昔みたいに一人で戦って...また私達の命を救ってくれて...私、どうすれば?どうしたらいい?お姉ちゃん...」

 

 カベリアはまるで子供のように泣きじゃくり、ルカの胸に突っ伏した。その膨れ上がった罪悪感は、カベリアの許容範囲を大きく超えていた。その様子を見てアインズは振り返り、ミキとライルを見た。読心術(マインドリーディング)で把握していた彼らは首を小さく横に振っている。(精神崩壊が近づいている)とアインズは判断し、ミキに指示を出そうとしたその時だった。ルカは自分の胸で泣き伏せるカベリアの頭を両手で抱き寄せ、儚い声で魔法を詠唱した。

 

「...魔法最強化(マキシマイズマジック)恐怖耐性の強化(プロテクション・エナジー・フィアー)...」

 

(ボゥッ)と緑色の光がカベリアを優しく包み込んでいく。暴発寸前だったカベリアの重責と罪悪感が消えると、ルカはカベリアの頭をゆっくりと持ち上げて、そのグリーンに輝く瞳を見た。

 

「...カベリア....魔導王...陛下は....カルサナスを....占領しに....来たんじゃないよ....あのモンスターを...倒しに...来ただけ....だから....安心...して....」

 

「...お姉ちゃん...昔と同じだね。何でも出来ちゃう。どうして私の心が読めるの?」

 

「...ま、前にも....言ったでしょ?....お姉ちゃんは....人間じゃない....アンデッドなの....そこにいる....魔導王陛下と....一緒なんだよ...」

 

「お姉ちゃんは特別。だって...こんなにも暖かい。こんなにも...愛おしい」

 

「...カベリア...」

 

「ずっと...会いたかったよ。お姉ちゃん...」

 

 カベリアはルカの頬に顔を重ねた。まるで姉妹のようにも見えるその様を見て、止めるものは誰もいなかった。しかし四都市長のルカに対する親密さを見て、疑問が湧いたのはアインズ以下階層守護者達だった。

 

「イフィオン、パルール、それにメフィアーゾとやら。一つ聞いてもいいか?」

 

「もちろんだアインズ、何でも聞いてくれ」

 

 代表して答えたのはイフィオンだったが、他の二人もアインズに向き直り、大きく頷いて返す。

 

「ここにいるルカは過去に、このカルサナスで何か関わりを持ったのか?」

 

「それどころの騒ぎではない!ゴウン魔導王閣下、ルカはこの国を救ってくれた英雄ですのじゃ」

 

 パルールが鼻息も荒く返答したが、イフィオンがそれを制止した。

 

「待て、パルール都市長。...済まんなアインズ、ここでその話をすると長くなる。今は一刻も早くルカを安静にさせなくては。メフィアーゾもそれでいいな?」

 

「もちろんだ!こいつが元気になるためなら、俺ぁ何でもするぜ!」

 

 そしてイフィオンは、未だルカから体を離さないカベリアの肩をそっと掴んだ。

 

「...行くぞカベリア。気持ちは分かるが、ルカの身が心配だ」

 

「...はい、イフィオン都市長」

 

 ルカの魔法と温もりで正気を取り戻したカベリアは、名残惜しそうに体を離して立ち上がった。それを見てイフィオンがアインズに顔を向ける。

 

「アインズ、それでルカはどういう状態なんだ?」

 

「どういう...と言ってもな。お前たちには解決出来ない事態だと思うがな」

 

「ルカの事は200年前からよく知っている。アインズ、お前も外の世界から来たプレイヤーなのだろう?ならばお前たちの知らない、この世界のみに適用される方法があるかもしれない。話してみてくれ」

 

「...分かった。現在のルカは、老衰・衰弱・そして重度のショック状態というバッドステータスに侵されている」

 

「...アンデッドのルカが老衰?!そんな馬鹿なことが...」

 

「ああ、俺もそう思った。だがこれは事実だ」

 

「...つまり、それは種族本来の老衰ではなく、後天的に受けた一種の呪詛のようなものなんだな?」

 

「呪詛ではなく、純粋な老衰のバッドステータスだと言うことは確定しているが...何か心当たりがあるのか?」

 

 それを聞くとイフィオンは顎に手を添えてしばし考え、そして再びアインズに顔を向けた。

 

「...後天的に受けた老衰であれば、ひょっとしたら何とかなるかもしれない」

 

「何?!本当かそれは?」

 

「ああ。とにかく今は急いでルカをフェリシア城塞へと運ぼう。ここでは転移門(ゲート)は使えない、何か移動手段はあるか?」

 

「ミキが集団飛行(マスフライ)を使える、問題ない」

 

「ではそれで私達都市長を運んでくれ。カベリア都市長、指示を頼めるか?」

 

「分かりました。ハーロン!後衛部隊にも伝達。地上の危機は全て排除されました。私達は先行してフェリシア城塞へ戻るので、その間各部隊の指揮官及び兵士は住民たちを護衛・誘導するように」

 

「了解しました!」 

 

 そしてアインズは、都市長の横に立つジルクニフにも顔を向けた。

 

「さて、行こうかジルクニフ殿。あなたもルカが心配だろう。伝わってくるぞ」

 

「これはお見通しでしたか。ではここにいるフールーダも共につけてよろしいかな?」

 

「もちろんだとも。では行こうか」

 

 アインズと階層守護者達が飛び立とうとした時だった。咄嗟に後ろから女性の声で呼び止められた。

 

「お待ちください、魔導王閣下!!」

 

 アインズが振り返ると、そこには10人の冒険者達が横一列に並んでいた。見覚えのある顔もいた事で、アインズは足を止めて冒険者達の前に出た。

 

「...君は確か、蒼の薔薇のラキュースだったな」

 

「はい、お見知り置き頂き光栄にございます、魔導王閣下」

 

 次にその隣で一礼する、奇妙なレザーアーマーを装備した細身の男にも顔を向けた。

 

「初めて目にする顔だが、君は誰かね?」

 

「カルサナスをホームとするアダマンタイト級冒険者チーム・銀糸鳥のリーダーを務めております、フレイヴァルツと申します」

 

「ふむ。それで何用かね?少々急いでいるのだが...」

 

 そこへラキュースが一歩前に踏み出し、アインズに向かって片膝をついた。

 

「不肖、私達蒼の薔薇はルカ・ブレイズと旧知の中にございます。何かお力添えできる事があるやもしれません。どうか私共も、フェリシア城塞へ同行する許可を頂けませんでしょうか?」

 

 アインズはそこでふと考えた。帝国とカルサナスの兵、それに他の冒険者と合わせれば、住人たちを安全に送り届けられるであろうと判断し、小さく頷いて返した。

 

「...いいだろう。但し蒼の薔薇の諸君はいいとして、銀糸鳥の方々はどういった了見なのだ?」

 

 フレイヴァルツは姿勢を正し、アインズを真っ直ぐに見た。

 

「...我々は、伝説が本当だったのだと理解したからです」

 

「と言うと?」

 

「...闇に生きるとされる伝説かつ最強と謳われたマスターアサシン、ルカ・ブレイズ。私は...いや私達銀糸鳥は、本人を見るまで今日の間、迷信の類だろうとずっと思ってきました。ほんの2日前、私達はあなた方魔導国が討ち滅ぼしたという3体の化物と相対しました。そして直感した。(世界が滅ぶ)と。私は逃げ出したいと思う気持ちを必死で抑えながら戦った。しかしそんな気概すらも粉々に打ち砕いたのが、北の化物...あなた達がディアン・ケヒトと呼ぶあの神に等しい存在でした。それをルカ・ブレイズたった一人で倒したという。話だけ聞いていれば、そんな事は冗談だと片付けられたのかも知れない。しかし今日私達は、戦い終わった本人を見た。...こんなにもか細く、美しい女性がたった一人であの化物を倒してしまった、しかしその代償は大きかった。そんな状態の英雄を見て、見過ごせる冒険者がどこにいるでしょうか?...彼女を死なせてはなりません、魔導王閣下。私にも是非手伝わせていただけませんか。必ずお役に立てると思います」

 

「...無論死なせるつもりなど毛頭ない。よかろう、そこまで思うのなら許可する。集団飛行(マスフライ)は使えるんだろうな?」

 

「私達銀糸鳥の魔法詠唱者(マジックキャスター)が使えます、問題ありません」

 

「しっかりついて来い。行くぞ!」

 

 そしてアインズ達と階層守護者、四人の都市長、ジルクニフ、フールーダ、蒼の薔薇と銀糸鳥の一行は、フェリシア城塞に向けて地下道を高速で飛翔した。そして一時間半程移動した時だった。ミキとライルの脳裏に、レッドアラートが瞬いた。

 

足跡(トラック)ヒット、南方約1.8キロに敵総数500体。こちらに接近しつつあります」

 

「残党か?ミキ」

 

「恐らくは」

 

「アルベド、デミウルゴス、イグニスはライルとルカの直衛に付け。ユーゴ、ネイヴィア、ルベド、シャルティアは前衛、ミキ、マーレ、ノア、セバス、フォールスと俺は後方から火力支援。アウラ、コキュートス、蒼の薔薇、銀糸鳥、フールーダは最後方でジルクニフ殿と都市長の護衛だ。火力で一気に吹き飛ばすぞ、いいな?」

 

『了解』

 

 その場にいた全員に緊張が走った。何かを壊す事には長けていても、大切な誰かを守る為に戦うといった状況...つまり護衛ミッションは、階層守護者達に取っても初めての経験だったからである。アインズはそれも計算に入れてルカ直属のメンバーをバランス良く配置したが、この狭い空間の中で果たしてそれが通用するかどうか、疑問符がついた。

 

 敵は500体、侮れない数である。当然超位魔法も使用できず、AoE使用も後方にいるジルクニフや都市長達の事を考えれば、範囲が絞られる。だがそれでもやるしかない。アインズは徐々に殺気を研ぎ澄ませていった。

 

「前方400ユニットに接近!」

 

 ミキがエーテリアルダークブレードを抜刀すると同時に、階層守護者の皆が武器を構えた。高速で飛翔するアインズ達は突撃するように接敵する。そして遂に120ユニットの射程圏内まで到達すると、アインズ達は地面に降り立ち、後衛に控えていた火力チームの魔法が一斉に火を吹いた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)聖者の覇気(オーラオブセイント)!」

 

「とと、魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)大溶岩流(ストリームオブラヴァ)!」

 

神勢冠者(じんぜいかじゃ)六光氾徐符(ろっこうはんじょふ)!!」

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)位相次元爆発(フラクタル・ブラスト)!」

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)千本骨槍(サウザンドボーンランス)!!」

 

 先制攻撃が炸裂し、五人の魔法による衝撃波がトンネルの奥から一気に押し寄せてきた。アルベド・デミウルゴス・イグニス・そしてライルはルカを爆風から守る為、背を向けて円陣を組んでいる。その中でミキは声を張り上げ、全員に激を飛ばした。

 

「敵残り300!レッドキャップと土精霊大鬼(プリ・ウン)の混成部隊と確定、距離80ユニット!!」

 

「来るぞ、防衛陣形!前衛部隊、突撃用意!!」

 

 指示を出したアインズは、急いで最後方にいる五人の護衛対象に声をかけた。

 

「ジルクニフ殿、都市長達は全員通路中央に集まれ!...カベリア何をしている!!こっちだ、早く来い!!」

 

「は、はい!!」

 

生命拒否の繭(アンティ・ライフ・コクーン)矢守りの障壁(ウォールオブプロテクションフロムアローズ)

 

 アインズが魔法を唱えると、五人の周囲30ユニットにドーム状のバリアが覆いかぶさった。

 

「いいか、五人とも絶対にここから動くな!」

 

 そう言い残すと、アインズは再度後衛に戻った。足跡(トラック)で全容を把握していたミキがルカに代わり、総指揮役を務めていた。

 

「距離60ユニット!アインズ様、この至近距離でフォールス様の魔法は後方にも被害が及びます!ここは私達二人で!!神聖魔法です、よろしいですね?!」

 

「了解した!」

 

賢人に捧ぐ(ダンスオブザチェンジフェイト)運命変転の舞踏(フォーアトラハシース)!」

 

 ミキが左右に手を広げると、前衛後衛のメンバー全員の体に白色のヴェールがかかり、カルマ値が一気にプラス500へと傾いた。それと同時に、ミキとアインズは口を揃える。

 

魔法三重化(トリプレットマジック)上位魔法蓄積(グレーターマジックアキュリレイション)!』

 

 二人の目の前に巨大な3つの魔法陣が現れ、そこに素早く魔法を込めていく。前衛にいたシャルティアもミキの魔法を感じ取り、腰を落として射撃体制に入っていた。そして二人は顔を見合わせ、その力を一気に放出した。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)神炎(ウリエル)解放(リリース)!!』

 

「清浄投擲槍!!」

 

 螺旋状に渦を巻く巨大な青白い炎が八連撃、その合間を縫うように神聖属性の巨大な槍が超高速で突撃する。目も眩むような大爆発と共に、視界に入ったレッドキャップとオーガは蒸発した。ミキが鋭く状況を報告する。

 

「敵残り150、距離約50ユニット!私とセバスは白兵戦に移ります、マーレ、アインズ様、ノア、フォールス様は援護を!」

 

「わわ、分かりましたミキさん!」

 

「了解した!」

 

「ルカお嬢さん顔負けですね。了解しました」

 

「...近接戦ですね?ミキ、では私も参加しましょう」

 

 するとフォールスは中空に手を伸ばし、アイテムストレージの中から怪しく銀色に光る六本の直刀を取り出した。それを全ての腕に装備し身構えるフォールスの顔は、さながら鬼女の如き様相を呈していた。その凝縮された殺気はアインズでさえもたじろぐ程だったが、逆に心強さも感じていた。

 

 アインズのかけた魔法の障壁の中から、カベリアは自らにとって異次元とも呼べるその圧倒的な戦闘を眺めていた。それも、自分たちを守る為に彼らは必死で戦っている。いや、例え護衛対象が自分達でなかったとして、彼らは少なくともルカを守る為に全力で戦っている。それを感じ取り、魔導国に対する印象が更に変化していく自分に気がついた。そして、彼らを誤解していた自分を恥じた。

 

 そして、自分を恥じるがあまりに一人、静かに殺気を研ぎ澄ませている者がいた。

 

「前衛部隊、突撃!!」

 

 敵が30ユニットに迫り、アインズが指示を出した時だった。最後方で突如、怒号のような魔法の詠唱が木霊した。

 

防止出来ない力(アンストッパブルフォース)!!」

 

 それと同時に、カベリアの隣にいたその男は弾丸の如き速さで突進し、階層守護者よりも先に最前線へ辿り着くと、背中に背負った巨大な戦斧(バトルアックス)を抜き放った。それを見て前衛部隊にいたユーゴ、ネイヴィア、ルベド、シャルティアが騒然とする。

 

「ちょっ...何して...」

 

「愚か者が!!早く下がれ!!」

 

「...もう駄目、間に合わない...」

 

「人間...愚かでありんすねぇ」

 

 四人が諦めかけたその時、男は再度怒号を上げた。

 

戦神の怒り(バトル・レイジ)!!」

 

 その瞬間、爆発的なオーラと殺気が男の全身から噴出され、階層守護者はおろかアインズでさえも目を見張るような力を解き放った。男の肌は見る見るうちに全身が赤褐色に染まり、口からは蒸気を吐いてさながら赤鬼の如き表情となっている。その強烈な殺気を浴びて、半円状に取り囲んだ亜人達の動きが止まった。

 

 その男の名は、メフィアーゾ・ペイストレス。彼は敵陣の更に奥深くへ踏み込むと大きく息を吸い込み、周囲が震え上がる程の大声で魔法を詠唱した。

 

絶叫(シャウト)!!」

 

(ビシャア!)という鋭い音と共に、周囲50ユニットに渡り黒い靄が広がると、前線にいたレッドキャップとオーガ達の体が瞬時に麻痺(スタン)した。そして狂乱の宴が始まる。

 

痛恨の斬撃(スターゲリング・ストライク)!!」

 

 両手斧をまるで小枝のように振り回し、超高速の10連撃を周囲に叩きつけていく。それを浴びたレッドキャップとオーガが、見るも無残な肉塊へと変わっていった。その武技を見て、ルカの直衛についていたアルベドが驚いたような声を上げる。

 

「あれは...私の使う武技と同じね」

 

 それを聞いてデミウルゴスとイグニスも注目するが、メフィアーゾは立て続けに武技を発動した。

 

破壊(ラベージ)!!!」

 

 右から左へと高速で振り回すと、麻痺(スタン)して動けない亜人達の頭が血袋のように消し飛んでいく。その鬼気迫る戦いぶりに気圧されて、前衛部隊であった四人は攻撃に移れずにいた。やがて麻痺(スタン)が解除され、敵が一斉に周囲から襲ってきた。受け流し(パリー)で避けつつも数に圧倒され、メフィアーゾはレッドキャップに背中から切りつけられるが、何故か身じろぎ一つもしない。その背後にいたレッドキャップをギロリと睨みつけ、再度魔法を詠唱する。

 

復讐(ヴェンジェンス)!!」

 

 するとメフィアーゾの周囲に赤色のバリアが張り巡らされた。それには構わずレッドキャップとオーガが斬撃と打撃を叩きつけてくるが、何故かメフィアーゾの体にまでは届かず、逆に敵の体に斬撃と打撃のダメージが跳ね返り、血を流して次々と倒れていった。それを見たコキュートスとアインズが確信に満ちた声を上げる。

 

「何ト、奴ハバーバリアンダッタノカ!!」

 

「そうだ。あの障壁はバーバリアンにしか使えないダメージシールドだな。確か受けたダメージの90%を相手に返すという効果だったはずだ。道理で恐怖耐性が高いと思ったが、しかしそれにしても...」

 

「...強イ。奴ハSTR(腕力)ベースデハナク、明ラカニCON(体力)ベースノバーバリアンカト思ワレマス。先程ノ戦神ノ怒リ(バトル・レイジ)デ戦闘力ガ爆発的ニ増加シタ事モ相マッテ、耐久力ガ高スギル」

 

「そうだな。驚異的な殲滅力だが、しかしいずれはスタミナに限界が来る。前衛部隊、手を貸してやれ」

 

『了解』

 

 それを受けて背後から四人が飛び出したが、その気配を感じてメフィアーゾは大声を張り上げた。

 

「魔導王の旦那!!...助太刀は要らねえよ。これから隙を作るから、その間にみんなを連れてこの地下道から脱出してくれ!」

 

 しかしアインズは反論した。

 

「そういう訳には行かない。お前も都市長の一人なのだ。おいそれと死なれては困る」

 

「へっ!あんた達はどうやら閉塞空間での戦闘に慣れてないらしいからな。だがよ、こう言った局地戦でこそ、バーバリアンの真骨頂が発揮出来るってもんよ。これから突撃して穴を作るから、後のことは頼んだぜ、魔導王の旦那!」

 

 それを聞いて悲痛な声を上げたのは、イフィオンだった。

 

「メフィアーゾ、無茶はよせ!アインズに任せるんだ!!」

 

「うるせえ!!これで貸し借り無しだぞイフィオン!とっととカベリアの嬢ちゃんとルカを連れて逃げやがれ!!」

 

「でも...でも、お前の力は...!」

 

「んなこた分かってるんだよ!!...一緒に戦場に立ってやれなくて、悪かったな。こんなにも後悔した事なんざ、後にも先にもねえ」

 

「だから、それはお前が平地戦を苦手としているのが分かっていたから!...私はその事に対して何も思ってなどいない!!」

 

「そこにルカがいたとしてもか?!」

 

「そ、それは...」

 

 イフィオンは赤いオーラに包まれたメフィアーゾの大きい背中を見て、言葉に詰まってしまった。メフィアーゾは敵と睨み合いながら、更に続ける。

 

「...俺は危うく、2つの大事なものを失う所だった。一つは俺の命を救ってくれたルカ、そしてもう一つがお前だ、イフィオン」

 

「...え?」

 

 イフィオンは絶句した。大事なものと名指しされても、自分の事だとは認識できずにいた。メフィアーゾは殺気を放ったまま、笑顔で背後を振り返る。

 

「...結局お前とのタイマンでは、俺ぁ一回も勝てた事なかったよなあ。何つーディフェンスしてやがんだと思ったぜ。...物のついでだ、惚れた女が見ている前でくらい、格好つけさせてくれや。イフィオン」

 

「...メフィ...アーゾ?」

 

 イフィオンは無意識に右手で口を覆い、目には大粒の涙が流れていた。臆病でぶっきらぼうで、だが腕っぷしはいいと認めていた男の口から出た繊細な本音。同じ都市長になってからは、お互いに気のいいやつだと認め合い、幾度となく酒も飲み交わした。その男が、自分に好意を抱いてくれていた。イフィオンは素直に嬉しかったが、目の前の状況がそれを許さなかった。メフィアーゾは正面を向くと、低く腰を落として戦斧(バトルアックス)を肩に担いだ。その構えを見てイフィオンが咄嗟に叫ぶ。

 

「だめだメフィアーゾ!!その技は───」

 

「...へへ、一世一代の大技、見せてやるぜ」

 

 次の瞬間(バチ!)と体の周囲に電光が走った。そして稲光が徐々に体を覆い尽くしていく。メフィアーゾは肩に背負った戦斧(バトルアックス)を正眼に構えると、一気に魔力を放出した。

 

「...グギギ...魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)嵐の召喚(コール・ストーム)!!」

 

(ドゴォン!!)という激しい衝撃波と共に、半径約70ユニットに渡り電荷の嵐が吹き荒れた。それを浴びたレッドキャップとオーガの体は紙屑のように弾け飛び、次々と灰になっていく。それを前衛で見ていたシャルティアが驚愕の表情を向けた。

 

「バーバリアンが雷撃系魔法を?!...まさかあの男、嵐の支配者(ストームロード)だとでも言うのでありんすか?」 

 

 その疑問にはアインズが答えた。

 

「そうだシャルティア。バーバリアンが唯一取れる魔法系サブクラス・嵐の支配者(ストームロード)。戦士系にも関わらずAoEDoT(範囲型持続性魔法)が撃てるという特殊なクラスだが、その代償としてあの魔法は、核爆発(ニュークリアブラスト)と同じく術者自身にもダメージが入り続ける。高HPであるバーバリアンのみに許される技ではあるが、このまま放ち続ければ...」

 

「自滅、するでありんすね。いかがいたしますかアインズ様?」

 

「まあ待て、少し様子を見よ────」

 

 そう言いかけた時だった。アインズの後方から驚異的なスピードで飛び出す影が目に入った。アインズは反射的にその体を捕らえ、懐に押さえ込む。腕の中で暴れていたのは、イフィオン・オルレンディオだった。アインズは腕の力を緩め、肩に手をおいて宥めようと努めた。

 

「どうしたイフィオン、お前ともあろう者が」

 

「離せアインズ!!...いや、離して!お願い...」

 

「落ち着け。あのメフィアーゾの火力、恐らく彼はCON(体力)INT(知性)ベースのバーバリアンだ。今お前が飛び込めば、雷撃の巻き添えになる」

 

「だから危険なのよ!!...あの技は、昔ルカがメフィアーゾに教えたの。ルーンストーンという石を飲ませてね。でもここぞという時にしか使っちゃだめだって。もう終わりだと思った時にしか使うなって、きつく教えてたの。見たら分かるでしょ?!あの魔法は、術者の命も削る。今私が助けに入ればあの魔法を止められる!お願い、離してアインズ!!」

 

 そこにいたイフィオンは都市長としてではなく、一人の女性としてアインズに訴えかけていた。いつもの大人びた口調はどこかに消え失せ、外見年齢通りの幼い言葉遣いになっている。恐らくこれが素のイフィオンなのだろうと察したアインズは、背中に固定していた腕を両肩に乗せて、ローブの裾でそっとイフィオンの涙を拭った。

 

「...分かった、私が行こう」

 

「...アインズ?」

 

「だがお前は、一度決めた男の矜持を棒に振る事になる。それでもいいんだな?」

 

「メフィアーゾに死んでほしくない。ただそれだけよ...もう彼は、十分戦った」

 

「そうか。ミキ、敵の残存数は?」

 

足跡(トラック)、おおよそ30体程かと」

 

「確かに十分だな。私と一緒についてきてくれ」

 

「かしこまりました。五大元素の不屈の精神(エレメンタル・フォーティチュード)

 

 ミキの体の周囲に虹色のバリアが覆い被さるが、それはすぐに透明になり掻き消えた。正面を見ると、メフィアーゾは未だ魔法を放ったまま前進を続けている。アインズにはその意図が読めたが、念には念を入れて二人は飛行(フライ)を使い高速で接近し、AoEDoTの射程内である70ユニットに何の躊躇もなく足を踏み入れた。その気配に気付いて背後を振り返ったメフィアーゾは唖然とした。必死で雷撃の痛みに耐えている自分を他所に、周囲を埋め尽くす電荷と雷撃の嵐はアインズとミキの体に一切触れる事なく、アースのように地面へ霧散してしまっていた。

 

 何事もなかったかのように術者の元へ辿り着くと、アインズは(ポン)とメフィアーゾの肩に手を乗せた。

 

「...もういいメフィアーゾ、良くやった。これで十分だ。今すぐ魔法を止めろ」

 

「ま、魔導王の旦那、それにルカのお付きの姉さんも、体は何とも無いんで?」

 

「私は少々特殊でね。装備により、レベル130以下の魔法は無効化出来るんだ。こちらのミキは、同じく特殊な防御魔法を張っている為にほぼ無傷で済んでいる」

 

「...さすがはあの化物と亜人を倒しただけの事はあるってもんよ。俺なんか足元にも及びゃしませんぜ」

 

「そんな事はどうでもいい。私とミキの目には今、お前のHPとMP残量が視覚的に見えている。想像を絶する苦痛の中にいるにも関わらず、正気を保っているのはさすがバーバリアンと言ったところだが、HPもMPもそろそろ限界だ。今すぐ魔法を止めてくれ」

 

「...これはね魔導王の旦那、俺なりの償いなんですよ。それに亜人共もあと少しで全滅出来る。止めないでおくんなせぇ」

 

戦神の怒り(バトル・レイジ)の効果時間は15分。それを過ぎれば、爆発的に増加したお前のSTR(腕力)CON(体力)は通常値へと戻る。その瞬間にお前が魔法を使用し続けていればどうなるか、私が知らないとでも思ったのか?」

 

「...へへ、そこまで知ってるたぁすげぇや。だったら尚更後には引けねえなあ」

 

「..これは私だけでなく、ルカやイフィオンからのお願いだ。この三人の頼みも聞いてはくれないのか?」

 

「...旦那」

 

 メフィアーゾは肩を落とし、正眼に構えていた戦斧(バトルアックス)を地面に下げた。アインズはその手から静かに戦斧(バトルアックス)を取り上げると、再び肩に手を乗せた。

 

「お前の魔法を強制的に止めることも出来たが、ルカの為に戦ってくれた戦士を前にそんな真似はしたくない。後は私達に任せろ、メフィアーゾ」

 

「ずりいや、旦那...そんな言い方されたら...断れねえよ」

 

 メフィアーゾが目を閉じて脱力すると、周囲に吹き荒れていた雷撃の嵐が止んだ。それと同時に体がふらつき前のめりになるが、アインズが咄嗟に肩と腰を支える。そのままミキと共に最後方へ下がると、アインズは前衛部隊に指示した。

 

「ユーゴ、ネイヴィア、ルベド、シャルティア、今度こそ突撃だ。メフィアーゾの成果を無駄にするな、皆殺しにしろ」

 

『了解』

 

 四人が南へ走り去ると、アインズは意識朦朧としたメフィアーゾを地面に寝かせた。それを受け止めたイフィオンは、メフィアーゾの頭を膝の上に乗せる。

 

「ミキ、回復してやってくれ」

 

「はい。魔法最強化(マキシマイズマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)

 

 HPがフル回復したメフィアーゾは意識を取り戻し、目に光が戻った。ふと見上げると、涙ぐむイフィオンの美しい顔がある。それを見て照れくさそうに頬を掻き、メフィアーゾは体を起こした。するとイフィオンは、(トン)とメフィアーゾの額を人差し指で小突く。機嫌が悪そうなイフィオンを見て、恐る恐る質問した。

 

「あーその...怒ってる?」

 

「...当たり前だ」

 

「どうしたら機嫌直してくれる?」

 

「無鉄砲もほどほどにしろ。この場にはルカ並に強い、戦闘のプロであるアインズ達魔導国の方々がいるのだ。お前も良く身に染みただろう?我ら弱小の出る幕はない、彼らに全て任せておけばいいのだ」

 

「...分かったよ、悪かった」

 

「...それとな、私はお前の臆病さを指摘する事はあっても、馬鹿にした事は一度もない。もし今後同じような厄災に襲われた場合、私は必要があればちゃんとお前に参戦を要請する。今回私だけが先頭に立ったのは、適材適所の結果だ。妙な勘違いをして先走るな」

 

「...はい」

 

「あともう一つ」

 

「まだあるのかよ...そろそろ勘弁してくれイフィオン」

 

「その...わ、私に惚れたのなら...これからはもっとその...シャンとしろ。分かった?」

 

「...了解、喜んで!」

 

 満面の笑みを浮かべるメフィアーゾを見て、イフィオンの顔にもようやく笑顔が戻った。二人が立ち上がると、アインズは先行した前衛部隊の様子を尋ねる。

 

「ミキ、敵の残存数は?」

 

足跡(トラック)クリア。完全に排除された模様です」

 

「ライル、ルカの様子は?」

 

「...静かに眠っておりますが、予断を許さぬ状態かと」

 

「分かった。フェリシア城塞まではもう少しだ。皆準備が整い次第向かうぞ」

 

 そうして一行は地下道入り口で前衛部隊と合流し、無事フェリシア城塞へ到着した。カベリアの案内で、砦内で最も広い寝室に通されると、ライルは大事に抱えてきたルカをキングサイズのベッドに横たわらせ、そっと羽毛布団を掛けた。階層守護者達を始め、皆が心配して周りを取り囲む中、イフィオンとアインズが左右のベッド脇に向かい合って座る。そしてイフィオンは腰に巻いたベルトパックの中から、六角錐の形をした高さ15センチ程の透明な瓶を取り出した。中にはレモンのように黄色い液体が入っている。

 

「アインズ、これをルカに飲ませてみようと思う」

 

「それは?」

 

「我々半森妖精(ハーフエルフ)族にのみ伝わるもので、冥王の血(ブラッドオブヘイディス)と呼ばれる秘薬だ。少量ではあるが、私の街カルバラームでの量産に成功したうちの一つとなる」

 

「その効果は?」

 

「鑑定した方が早い。見てみるといい」

 

 アインズはベッド越しに小瓶を受け取ると、右手を添えて魔法を唱えた。

 

「分かった、ありがとう。道具上位鑑定(オールアプレイザルマジックアイテム)

 

 

────────────────────────

 

アイテム名: 冥王の血(ブラッドオブヘイディス)

 

使用可能種族制限 : 無し

 

使用可能クラス制限 : 無し

 

アイテム概要 : 死に直結する病はおろか、後天的に付与された呪詛や毒等、この世にある全てのバッドステータスを解呪可能な薬。また即死系統の魔法を受けた直後にこの薬を一滴でも飲めば、HPが1の状態ではあるが死を回避出来る。その主要成分は、生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)の根、アスフォデルス、モーリュ、プロメテイオン、マンドレイク、金属竜(メタルドラゴン)の牙、黒曜石(オブシディアン)、ヴリトラの鱗、半森妖精(ハーフエルフ)の血液、ネフィリムの血液等で構成されている。詳細なレシピは極少数の半森妖精(ハーフエルフ)にのみ伝承されており、入手は非常に困難。

 

アイテム作成可能職 : アルケミスト

          ファーマシスト

 

───────────────────────────

 

 

 アインズは情報を読み取り、興味深げに小瓶の中の液体を眺めた。

 

「ふむ、作成素材はどれもこれも貴重な品ばかりだな。レシピがあるという事は、他にも必要素材が多数あるのだろうが、良く集められたものだ」

 

「その昔、私が半森妖精(ハーフエルフ)の里を出る時に持ってきたストックと、街での栽培に成功した素材を合わせて使っている。その他の触媒は、交易品としての取引や部族との直接交渉で分けてもらっているからな。ここまで供給出来る体制が整うまでには、本当に長い時間がかかった。どこからこの薬のことを聞きつけたのか、外の街からはるばる大金を持って買い付けに来る商人もいた。しかしこの薬はカルサナス内でのみ使おうと決めていたので、無論売るようなことはしなかったよ」

 

「死に直結する病を治す...か。貴重な薬を提供してもらい、感謝する」

 

 アインズは小瓶をイフィオンに返すと、軽く会釈をした。

 

「いいんだアインズ。この国を救ってくれた魔導国と、私達の為に命を懸けたこのルカの為ならば、私で良ければ何でもしよう。早速薬を飲ませてみるが、構わないか?」

 

「ああ、頼む。お前がやってくれ」

 

 イフィオンは小さく頷くと、ルカの寝ているベッド中央へと体を寄せた。そしてスベスベとした白い頬を優しく撫でながら、耳元で声をかける。

 

「ルカ?私だ。起きてくれ」

 

 するとその目が薄っすらと開き、赤い瞳が真上にある顔を見返した。

 

「....その声....イフィオン?」

 

「そうだ。お前がつらい体を押して来てくれたおかげで、カルサナスと魔導国の誤解は完全に解けた。ありがとう、ルカ」

 

「....ここは....どこ?」

 

 ルカは目だけを左右に振り、見えない中把握しようとしていた。

 

「安心しろ、フェリシア城塞の砦内にある寝室だ。お前を心配して、今全員がこの場に集ってくれている」

 

「...そっか....ごめんねみんな....心配...かけちゃって...」

 

 イフィオンはルカの頬から手を離し、額にそっと手を添えた。

 

「...熱が高い。ルカ、今からお前にこの薬を飲んでもらう。覚えているか?190年前、お前だけにたった一度だけ見せた事のある薬だ」

 

 イフィオンは六角錐の小瓶をルカの目の前に掲げた。ルカはそれを手に取ると、角度を変えてその小瓶に光を当てる。

 

「....よく...見えないけど...黄色い....190年前.......これってもしかして......冥王の血(ブラッドオブヘイディス)?」

 

「そうだ、よく覚えていたな。私が自ら調合したものだ。これを飲めば、お前の体を蝕んでいるバッドステータスを解除出来るかもしれない」

 

「....でもこれって....貴重なんでしょ?....いいの?...私なんかに使って....」

 

 弱々しく小瓶を返すルカの顔を見て、イフィオンは額から手を離し、ルカの手を握りしめて大粒の涙を零した。

 

「...馬鹿。もう忘れたのか?お前はかつて、このカルサナスに住まう何十万という人間種(ヒューマン)と亜人達の命を救ったんだ。あの時救われた子供たちも今は大人になり、皆がお前の事を覚え、皆がお前に感謝している。そして誰もがお前の言いつけを守り、一切口外する事はなかった。この薬は今お前の為だけにある。...こんなものでお前達に恩返し出来るとは到底思っていないが、せめてもの償いをさせてくれ。私は...私は、一刻も早くお前の元気な笑顔が見たい。ただそれだけなんだ...」

 

 嗚咽を漏らしながら泣きすするイフィオンを見て、階層守護者以下ジルクニフ・フールーダ・蒼の薔薇・銀糸鳥の面々は真剣な眼差しでイフィオンとルカを見つめていた。過去にこの国でルカが何をしたのかに思いを馳せながら、皆はただじっと見守るしかなかった。

 

 しかしそれに耐え切れなかった者もいた。神か、それとも邪神か。しかしその美しい造形美は他に類を見ない程であり、その者がルカのベッドに近づく事に異を唱えるものは誰一人としていなかった。

 

 そして左のベッド脇に腰掛けると、泣き崩れるイフィオンの両肩をそっと六本の腕で支えた。

 

「...十三英雄の一人、イフィオン・オルレンディオ。悲しまずとも良いのです。さあ、今度はあなたが我が子・ルカを助ける番ですよ」

 

「...あ、あなたは先程の...」

 

 一面六臂の阿修羅を思わせる異形の姿ながら、イフィオンを見つめるその顔は慈愛に満ちた表情を讃えていた。その少女のように美しい顔を見てイフィオンは落ち着きを取り戻し、肩を支えていた一本の手を握りしめた。

 

「...ありがとうございます。あなたの事は何とお呼びすれば?」

 

「私の名はサーラ・ユガ・アロリキャ。皆からはフォールスと呼ばれています。あなたの好きなようにお呼びください」

 

「...ではサーラ様、この薬をルカに飲ませても?」

 

「ええ、お願いします」

 

 それを受けてイフィオンは小瓶の蓋を開け、ルカの枕に手を回して後頭部を支え、口元に手を伸ばした時だった。背後から突如素早く何者かの手が伸び、薬を持っていたイフィオンの手首を掴んで制止した。

 

 アインズが驚いて顔を上げると、そこには殺気を放ちながら小瓶を凝視するミキが立っていた。イフィオンの隣に座っていたフォールスと共に、周りを囲んでいた階層守護者達も一斉に目を向ける。突然の出来事にしはし沈黙が続いたが、アインズの一言でそれは破られた。

 

「ミキ、どうした?」

 

「...アインズ様、その薬を私にも鑑定させてください」

 

「何故だ?」

 

「過去に私もライルも、このような薬を目にした事がございません。ルカ様の身に万が一の事があっては困ります」

 

 それを聞いたフォールスが、イフィオンの肩から手を離すとミキに向き直った。

 

「この者を信じてあげなさい、ミキ。先程の都市長達と同様、イフィオンが流した涙は本物です。その手を離しなさい」

 

「いいえフォールス様、離しません。あなたには何も分かっていない。このイフィオンの中には未だ迷いがある。この目で直接効果を見ない限り、信じるわけには参りません」

 

「それは...この薬が現在のルカに効くかどうか、私にも自信が持てないという事であって...」

 

 イフィオンが困惑しているのを見て、アインズが語気を荒めた。

 

「ミキ!!...俺自身が鑑定したんだぞ。この俺がだ!この薬には、副作用やペナルティ・その他トラップとなるような要素は存在しないと見た。飲んだ後に例えルカの症状が改善しなかったとして、少なくとも無害であると俺が判断したんだ!...その俺の言葉を、お前は信じられないと言うんだな?」

 

「っ.....!」

 

 アインズが鋭く睨みつけると、ミキは絶句して黙り込んでしまった。そしてアインズを見つめたまま、下唇を噛み締めて目には涙を浮かべ、まるで子供が哀願するかのような表情に変わっていった。普段のミキなら絶対に見せないその涙を見て、アインズの心に動揺が走った。

 

「っておいおい!...何もそんな泣くことはないだろう...」

 

 その様子を見たアルベドがミキの隣に寄り添い、そっと両肩を支えた。

 

「アインズ様、口を挟む事をお許しください。少し強く言い過ぎですわ。私達と同じく、ミキも人一倍ルカの事が心配なだけなのです。特に私とミキ・ライルにとって、ルカは創造主。特別な感情を抱いております。その得体の知れない薬を前に、アインズ様と同じくミキが大丈夫と言うのなら、私共も殊更安心できるというもの。...どうかミキのわがままを聞いていただけますよう、私からもお願い申し上げます」

 

 二人の美女が注ぐ熱い眼差しを受けて、アインズは頷かざるを得なかった。

 

「...分かった、悪かったなミキ。俺も少し頑なだったようだ。お前の好きなようにするがいい」

 

「...ありがとうございます、アインズ様」

 

「イフィオン、その薬をミキに渡してやってくれ」

 

「もちろんだ、アインズ」

 

 ミキは小瓶を受け取ると、安心した様子で道具上位鑑定(オールアプレイザルマジックアイテム)を唱えた。その内容を見ると、ミキはすかさずもう一つの魔法を唱える。

 

毒素の看破(ディテクト・トキシン)

 

 すると小瓶の中にある黄色い液体が、僅かだが緑色に発光した。ミキはそれを見てイフィオンに尋ねる。

 

「...ほんの微量ですが、この薬には神経毒が含まれていますね。イフィオンこれは?」

 

「よく気づいたな。それは金属竜(メタルドラゴン)の牙から取れる一種の鎮静剤だ。体の痛みを和らげ、心を落ち着かせる効果を持つ。人体に害はない」

 

「なるほど。飲みすぎれば麻痺毒となりますが、確かにこの分量なら安全でしょう」

 

 ミキは小瓶をイフィオンに返すと、アインズに向かって微笑んだ。

 

「気は済んだか?ミキ」

 

「はい、アインズ様。感謝致します」

 

「うむ。ではイフィオン、その薬をルカに」

 

「了解した」

 

 イフィオンは再度ルカの後頭部を軽く持ち上げると、六角錐の小瓶を口にあてがった。

 

「ルカ、大丈夫か?起きてくれ」

 

「....うん...」

 

「今から薬を飲ませる。少々味はきついが、頑張って飲み込むんだ。いいな?」

 

「....うん、分かった...」

 

 イフィオンは小瓶を傾け、少量をルカの口に注いだ。その途端、純度の高い強烈な漢方と薬品の刺激臭が、一気に鼻を通って押し寄せてきた。それと同時に恐ろしいほどの苦味が喉を襲うが、それに耐えてルカは必死に飲み込んだ。しかしあまりに強い喉への刺激に、ルカは咳き込んでしまう。

 

「ケホッケホッ!」

 

「よし、頑張れ。さあもう一口」

 

 ルカが落ち着くのを待って、イフィオンは再度小瓶を傾けた。先程よりも多く口の中に注ぎ込まれ、吐き出しそうになるのを堪えながらルカは飲み下す。もう一口を飲ませようとイフィオンが手を動かした所で、ルカがイフィオンの肩を掴んだ。

 

「...イフィ....オン...ケホッケホッ...待って...」

 

「やはりきついか?」

 

「...喉が...痛いよ....」

 

「本当なら、味を気にせず一気に飲むほうがいいんだがな」

 

「...それは....無理かも...」

 

「分かった」

 

 残り半分ほど残っている薬の瓶を見ると、イフィオンは突然冥王の血(ブラッドオブヘイディス)を自分の口に注ぎ込んだ。そして口に含んだまま、ルカに唇を重ねて少量ずつ口移しをしていく。ルカの体がビクッと震えるが、イフィオンが肩を摩りながら飲ませてくれているので、不思議と落ち着いていた。その様子を見ていたシャルティアが怒った顔でベッドに近づいてきたが、アウラが止めに入りそれを宥めていた。

 

 長い時間をかけ、最後の一滴まで飲ませるため、ルカの口の中にイフィオンの舌が滑り込んでくる。それを受けてルカは不覚にも身震いしていたが、顔を離すとイフィオンは優しく微笑んだ。

 

「これならどうだ?」

 

「...はあ...はあ....さっきより....ずっと...飲みやすいかも...」 

 

「頑張れ、次で最後の一口だ」

 

 イフィオンは小瓶の残りを全て口の中に含み、再度ゆっくりとルカに口移しした。そして全てを飲み終わり、イフィオンは唇を離すと羽毛布団をルカにかけ直し、頬に手を添えた。

 

「よく耐えたな、ルカ。薬が効くまでもう少し時間がかかる。それまで安静にしていろ」

 

「...あり...がとう...イフィオン...キス...上手...だね...」

 

「お前に褒められても嬉しくも何ともない。体の調子はどうだ?」

 

「...何か....体の中が....爆発....しそう...」

 

「効いているな。これは期待出来るかもしれない」

 

 ルカの返答を聞いて、アインズが向かいに座るイフィオンに顔を向けた。

 

「薬はどの程度で効き目を表すんだ?」

 

「おおよそ10分ほどだ、さして時間はかからない」

 

「そうか。ここで待つしかないな」

 

 ベッド向かいの壁際にある三人がけのソファーにネイヴィアが座り、黙ってルカの様子を見守っていたが、その両隣にダークエルフの双子が座り、ネイヴィアの両腕に寄りかかってきた。ネイヴィアは二人の肩を支えて自分の体に抱き寄せる。

 

「どうした?アウラ、マーレ」

 

「...ネイヴィア、ルカ様大丈夫だよね?」

 

「...わしにも正直分からんのじゃ。このような事態は初めてじゃからのう」

 

「も、もしあの薬でルカ様が治らなかったら、どうしましょうネイヴィアさん?」

 

「...出来ればこのような方法は取りたくないが、一つ思い当たる節がなくもない。恐らくアインズも同じ考えなのかもしれんがな」

 

「方法があるの?!」

 

 アウラはネイヴィアの左腕にしがみつき顔を近づけるが、その答えは返さずにネイヴィアはアウラの右頬にキスをした。

 

「ああ、あるとも。これでもわしは500年生きておるのじゃぞ。アウラ、マーレ、お前たちは何も心配せずわしらに任せておけばよいのじゃ」

 

「ネイヴィアさん...」

 

「二人共疲れたじゃろう、ここで少し眠ると良い。ルカはわしが見ておるでな」

 

「うん、そうする」

 

「はい、ネイヴィアさん...」

 

 二人はネイヴィアの太腿の上に頭を乗せて、寝息を立て始めた。腰の上に手を乗せて(トン、トン)と一定のリズムで叩くネイヴィアの姿は、真っ白なフード付きローブを纏っている事もあり、さながら聖母のように神々しく、そして美しかった。

 

 冥王の血(ブラッドオブヘイディス)を飲んでから間もなく眠りについてしまったルカを起こさないよう、周りにいた者達はその寝顔を静かに見守った。ベッド脇に座ったアインズの横には、いつの間にかカベリアも寄り添ってルカの手を握っている。アインズはそれを邪険に扱うような事はしなかった。

 

 そして10分が過ぎた頃、ルカの体に突如異変が起きた。眠りに落ちていたルカの顔に脂汗が滲み出し、それと同時に炎のように揺らめく黒いオーラが噴出し始めた。それを感じ取ったアウラとマーレも飛び起き、ネイヴィアと共に皆がベッドを取り囲む。

 

 次の瞬間だった。(バシュ!!)という衝撃波と共に、寝室を覆い尽くさんばかりのドス黒い瘴気が部屋を満たす。その勢いで家具が吹き飛ばされ、カーテンがバタバタとはためいている中、ルカの体がゆっくり、ゆっくりと空中に浮かび上がった。

 

 その光景を見て皆が固まった。何とルカの体から幽体離脱するようにして、黒い影が分離したのだ。その影は空中に浮かぶルカの前に立つと、徐々に人型を成していった。その姿を見て、誰もが言葉を失った。

 

 全身にイビルエッジレザーアーマーを装備し、両手にはエーテリアルダークブレードが握られている。そこに立っていたのは、もう一人のルカだった。しかし顔つきがまるで異なる。殺意に塗れ、悪鬼のような形相でニタリと笑うその姿は、明らかに別人のそれだった。後ろで宙に浮かぶルカともう一人のルカを見て、シャルティアが呟くように言った。

 

「まさか...死せる勇者の魂(エインヘイリアル)?」

 

 しかしそれをアインズは真っ向から否定した。

 

「違うぞシャルティア、これはそんな生易しいものではない!!この力、これは...憑依(メリディアント)と同じ...」

 

 背後でアウラとマーレを守るように大剣を構えていたネイヴィアが、アインズに向かって叫ぶ。

 

「いや、それ以上じゃ!!この魔力量...ディアン・ケヒトはおろか、フォールスをも遥かに凌駕しておる!」

 

「な、何故ルカの体にこのようなものが...」

 

 その時だった。もう一人のルカは無詠唱で瞬間移動し、アインズの前に立ち塞がった。そして反撃する間もなくロングダガーの刃を喉元に当てると、そのまま前進して壁際に叩きつけた。階層守護者達が咄嗟に抜刀するが、アインズは左手を向けてそれを制止した。

 

「待て!お前たちは一切手を出すな!!」

 

 それを聞いて極悪な笑みでアインズに顔を近づけると、ニタリと笑いながら言葉を発した。

 

「ねえアインズ...今日のあたし見てびっくりした?」

 

「?! だ、誰だお前は?」

 

「誰って...ルカ・ブレイズに決まってるじゃない。そんな事より、あたしに惚れ直した?」

 

「お前はルカじゃない!!俺の知っているルカは、お前の後ろで宙に浮かんでいるルカだ!」

 

「あんなやつは別にどうだっていいのよ。私を呼び出した罰よ、受けて当然だわ」

 

「呼び出した罰、だと?...ま、まさかお前は...憑依(メリディアント)により召喚された意識体か?!」

 

「ピンポーン、その通り。でも一部訂正がある。普通に憑依(メリディアント)を使っていれば何の問題もない。しかしこの女は必要以上に力を使おうとした。だから私が呼ばれたのよ」

 

「...必要以上の力というのは、例の決戦(アーマゲドン)モードとかいうやつか?」

 

「よく知ってるじゃない。ちゃんと聞いてたのね」

 

「では決戦(アーマゲドン)モードによりお前が召喚された事で、ルカは老衰のペナルティを受けているんだな?」

 

「当然でしょ?まあ放っておいても24時間後にはペナルティが解除されるんだけどね。それを妙な薬を飲まされたせいで、ペナルティが強制解除され、私とあの女が分離された。つまり私が今ここにいるのは、あなた達に対するペナルティってわけ。お分かり?」

 

 するともう一人のルカは再度瞬間移動し、イフィオンの前に立った。二刀使い(ブレードウィーバー)専用剣を抜こうとしたが、ダガーの柄でその手を弾かれてしまい、そのままベッドに押し倒された。イフィオンは体を起こそうと暴れるが、強力な力で両腕を固定されており、逃れることができない。もう一人のルカは馬乗りになり、イフィオンの胸から顔までを眺めてニヤリと笑った。

 

「お前だな、さっきクソまずい妙な薬をあの女に飲ませやがったのは?」

 

「は、離せ!」

 

「クク、随分と上手い口移しだったじゃないか。舌まで入れてきやがって、お前そっちの気があるのか?」

 

「ち、違う!あれはルカに最後の一滴まで飲ませようとしただけで...」

 

「...本物のキスの味ってのを思い知らせてやるよ」

 

「やっやめ...んんっ!」

 

 メフィアーゾが止めに入ったが、隙のない様子を見てコキュートスが制止した。もう一人のルカはロングダガーを握ったままイフィオンの頭を固定し、唇を重ねた。最初は強引なフレンチキスだったが、次第に舌の動きが滑らかになり、イフィオンの口を優しく愛撫していく。体の意図に反して徐々に弛緩し、最後はされるがままとなっていた。

 

 顔を離すとイフィオンの吐息は荒く、それを見てもう一人のルカはほくそ笑んだ。

 

「へっ、あの苦い薬のお返しだバカヤロウ」

 

 ベッドから立ち上がろうとした時、不意に背後から手が伸びてきた事を受けて瞬時に反応し、もう一人のルカはその女性の首元で二本のダガーをクロスし、殺気を叩きつけた。そこに立っていたのは、身動き一つ取れないフォールスだった。

 

「フォールス...何か用?」

 

「...偽物と言えども、あなたは我が子ルカから分かたれた分身です。不埒な真似はやめなさい、母の命令です」

 

「そういう訳には行かないのよね、"母さん"。これはあの女が負うべきペナルティを途中で解除してしまった代償。私はこの場にいる全ての者を殺しに来たんだから」

 

「そのような事、私が許しません」

 

「じゃあ戦おっか、母さん。無駄だと思うけど」

 

 その刹那、フォールスは左手を振り下ろして偽物のルカを平手打ちにしようとした。しかしそれを右手一本で受け止めると、偽物のルカはフォールスの手首を掴み、凄まじい力で後方へと捻り上げた。フォールスの顔が苦痛に歪む。

 

「い、痛い!!ルカ、離しなさい!!」

 

「ほーら母さん、あとひと捻りで腕の骨折れちゃうよ?どうするー?」

 

 あまりの痛みにフォールスは片膝をついたが、それでも離そうとしない。偽物のルカは薄ら笑いを浮かべてその様子を眺めていたが、そこへ手首を掴んで止める者が現れた。一人はミキ、もう一人はライルだった。

 

「お止めください、ルカ様」

 

「左様、我らが母を何と心得る」

 

 偽物のルカはそこでフォールスの手を離した。

 

「...ミキ、ライルー。お前達二人だけは昔のよしみで助けてやろうかと思ってたけどさー。創造主に手を上げるの?」

 

「私達の創造主は、後ろにいるあのルカ様です。あなたじゃない」

 

「そもそもあなたが憑依(メリディアント)の神であるなら、何故我らの事をご存知なのです?」

 

「ルカ様ルカ様ってうるさいなあ。それに私は神じゃないよ。私の本当の名前はイオ。お前達イビルエッジの守護悪魔ってとこかな。あのルカと意識を一部共有してるから、アインズやお前たちの事も知ってるってわけ」

 

「ならばイオ様、この場はお引き下がりくださいませ」

 

「やだね。私とルカを強引に分離させといて、何勝手な事言ってんの?それに一度話がしてみたかったんだよねー」

 

 そう言うとイオは、ミキの隣に立つアルベドの前に立った。イオの放つ強大な殺気に気圧されて、アルベドは動くことすら叶わない。

 

「んー、綺麗だねー。君がアルベドか。強そうだね、どう?私と戦ってみる?」

 

「...いえ、遠慮しておきます。ルカ...じゃなくて、イオ...でよろしいのですか?」

 

「そうだよー」

 

「ではイオ、ルカを...ルカを、返してください」

 

「そういう訳にはいかないなー。せっかく現世に姿を表せたんだし、もう少し楽しませてよ」

 

 次にイオは、真紅のワンピースを纏うルベドに歩み寄った。無表情のまま、ドゥームフィストを身構えている。

 

「おー、徒手空拳(アンアームドコンバット)か!珍しいクラスを取ったね。と言う事はDEX(素早さ)CON(体力)ベースか。ちょっとその武器貸して」

 

 (パン!)とルベドの両手を叩くと、イオは目にも止まらぬ速さでドゥームフィストを奪い取ってしまった。そのスピードに全く反応できなかったルベドは、ただ唖然とするばかりであった。

 

 そしてイオは腰を落としてドゥームフィストを身構えた。

 

「この武器はねルベド...こう使うんだよ」

 

(ドヒュ!!)という音と共に、打撃の壁がルベドの急所という急所全てに寸止めで叩き込まれた。その風圧に押されてルベドの体が後ろに後ずさる。またしても全く見切れなかったルベドの背筋に悪寒が走り、今の攻撃をまともに食らえば確実に死に至っていたと直感した。ルベドの眉間を狙った拳を外すと、イオは手にしたドゥームフィストを返した。

 

「はいルベド。君も強いけど、まだちょーっと経験不足かな」

 

「....イオ....ルカよりも....強い....」

 

「ん?そりゃそうさ、あたしはイビルエッジを生んだ悪魔だよ?あの女と一緒にしないで」

 

 そう言うとイオは、ルベドの隣にいたシャルティアの前に立ち、腰を屈めた。

 

「やあシャルティア。こうして会えて嬉しいよ」

 

「ああええとその...はい、ル...イオ様...」

 

「んー、同じ悪魔としてヴァンパイアは親近感が湧くなあ。まあアンデッドだけど」

 

「こ、光栄でありんす...」

 

「そう怯えなくていいよ。君がこの中で一番攻守共にバランスが取れていそうだ。私とタイマンでやってみない?」

 

「...私はルカ様にも勝てた事がありんせん。そしてイオ様は憑依(メリディアント)の力を普段から使えるのでありんしょう?」

 

「まあそうなるね」

 

「では私に勝ち目など端からありんせん。殺したいのなら好きにしておくんなまし」

 

 シャルティアがしょんぼりと床に目を落としていると、イオは片膝をついてシャルティアをそっと抱きしめた。

 

「...バカだね。ルカと私はある意味一心同体。ルカが好きなものは私も好きだし、ルカが愛している者は私も愛している。ただ唯一違うのは、その価値観だ」

 

「価値観...と、おっしゃいますと?」

 

「私は、ルカの好きなもの・好きな場所・愛する者を壊す事に、なんの躊躇いも持たない」

 

「...イオ...様?」

 

 抱きしめられながら迸る殺気を受けて、シャルティアは固唾を飲んだ。そしてイオは体を離す。

 

 イオは全腕に武器を装備するコキュートスの正面に立った。そして不敵な笑いを浮かべる。

 

「初めましてだね、コキュートス。それで?その手にした武器で私を切り刻もうと言うの?」

 

「イ、イヤ、コレハソノ...」

 

 ルカに瓜二つの美しい姿を見て、コキュートスに迷いが生じたその瞬間だった。イオは目にも止まらぬ速さで二本のロングダガーを抜刀し、(ガギギギィン!)という音を立てて、舞うような洗練された動きで四本の腕に装備された武器を叩き落としてしまった。(ゴトンゴトン)と武器が地面に散らばり、コキュートスはただ立ち尽くすばかりであった。

 

 そしてイオは瞬時に間合いを詰め、コキュートスの胸部にロングダガーの切っ先を当てた。

 

「...この姿を見て油断したね。君が一番歯応えがないよ」

 

「...仮ニトハイエ、ルカ様ノ姿ヲシタアナタ様ヲ斬ルナド私ニハデキマセン」

 

「...つまらないね。そんなにあの女の事が好き?」

 

「...オ慕イ申シテオリマス」

 

「はーあ、どいつもこいつもルカばっかり。つまんないなあ」

 

 そしてイオは、コキュートスの右隣にいるデミウルゴスに歩み寄った。そしてその首に手を回して、デミウルゴスを抱き寄せる。

 

「デミウルゴス、君は私に取ってもルカに取っても特別な存在。分かるでしょ?」

 

 それを聞いてデミウルゴスのこめかみに青筋が立った。

 

「...失せろ、悪魔め」

 

「アーチ・デヴィルに言われたくないなあ。私とルカで何がそんなに違うの?」

 

「...ルカ様は、お優しい方だ。私の女神だ。お前のようにそんな歪んだ殺意など、決して出したりはしない。今すぐルカ様の体から出ていけ!」

 

「それは無理だよ。私の意識はあの女の体と密接に繫がってるからね」

 

「ではここで滅べ。魔法最強化(マキシマイズマジック)石化の視線(ペトリファイ)!!」

 

軌道の歪曲(オービタル・ディストーション)

 

 不意打ち気味に放たれたデミウルゴスの石化光線が放射され続けたが、イオの周りを覆う陽炎状のバリアにより、全て天井に向かって弾き返されてしまった。それを受けて嬉々としていたのは、イオだった。

 

「いいねいいねぇ!やっとやる気になってくれたかな?ほんじゃこっちも行くよー、魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)巨神族の烈(ヴール・プロメテウ)────」

 

「止めよ二人共!!!デミウルゴスも下がれ!!」

 

 その行いを一喝したのはアインズだった。イオも既のところで魔法の詠唱を止め、アインズを振り返った。

 

「何で止めるのよアインズ?せっかくこれから楽しい総力戦が始まろうとしてたのに」

 

「イオ...今の魔法、お前がこのフェリシア城塞ごと破壊する事に何の躊躇もない事がよーく分かった。だがな、お前とルカは一心同体。そのせいでルカの体が消滅すれば、お前もこの現世に体を保てなくなる。違うか?」

 

「そんな女の後先なんか知らないわ。私はただ戦闘を楽しめればそれでいいの」

 

「...よかろう、そんなに戦闘がしたいのなら俺が相手をしてやる」

 

「ほんと?!やったー!殺しちゃうけどいいの?」

 

「もちろんだとも。こちらもそのつもりで行く」

 

 しかしそれを聞いて真っ先に反対したのは、ミキとライルだった。

 

「いけませんアインズ様!決戦(アーマゲドン)モードの憑依(メリディアント)と戦うなど!!」

 

「ここは私達が憑依(メリディアント)で戦います故、アインズ様はルカ様をお守りください!」

 

「それはお前たちの役目だ。万が一私が倒れた時には、ミキ、ライル、お前達二人がルカを守ってやれ」

 

「しかし!!」

 

「黙って見ていろ。お前達の主であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王が伊達ではないところをな!」

 

 そして都市長たちの指示により、フェリシア城塞の広大な中庭にいた全住民と兵士が砦内に収容され、その中央から互いに200メートル離れた位置で、アインズとイオは睨み合っていた。アインズは金色の杖を握りしめ、イオがエーテリアルダークブレードを抜刀すると、アインズに向かって手を振ってきた。

 

「それじゃ行くよアインズー!どうなっても知らないからねー!」

 

「いつでも来い!」

 

 それと同時に二人は魔法を詠唱した。

 

飛行(フライ)!』

 

 お互いに低高度で急速接近し、射程120ユニットに入ったところで右手を向けた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)影の黄昏(シャドウマントル)!」

 

魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)核爆発(ニュークリアブラスト)!」

 

 アインズの全身を黒い粘液状の物体が覆い尽くし、ヒールが遮断されたが、超広範囲による爆発により、まずは先制してアインズの攻撃がヒットした。それを受けてイオは高空に舞い上がり、アインズの直上から狙いを定める。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)聖遺物の核心(デュランダル・コア)!」

 

 超巨大な神聖光弾が連続して20連撃襲ってくるが、アインズは流れるように飛翔して魔法効果範囲外まで脱出し、爆風から逃れていた。そして再度120ユニットに接近すると、即座に魔法を唱えた。

 

上位転移(グレーターテレポーテーション)!」

 

 アインズの姿が瞬時に掻き消え、次に姿を現したのは何とイオの背後であった。アインズはその両肩を掴み、ギリリと握りしめる。

 

生気吸収(エナジードレイン)!」

 

 その瞬間イオの体の周囲に血のような赤いエフェクトが覆い、一時的なレベル低下を起こしたことを示していた。

 

「くっ!」

 

 イオは背後にダガーを振るが、アインズはすかさず上位転移(グレーターテレポーテーション)を唱えて距離を取った。動きが止まった所を狙い、イオが右手を向ける。

 

影の感触(シャドウ・タッチ)!」

 

(ビシャア!)という音と共にアインズの体が9秒間麻痺する。その間にイオは素早く魔法を唱えた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)神々の霊廟(テオティワカン)!!」

 

 すると何もない空間から巨大な鎖が伸び、アインズの手足を縛って宙吊りにされてしまった。

 

魔法解体(マジックディストラクション)!」

 

 アインズは咄嗟に魔法を唱えたが、鎖が消えることはなかった。正面に浮かぶイオの背後に巨大な暗黒が口を開け、中から白濁色をした10人の巨人が姿を現す。それを見てアインズはポツリと呟いた。

 

「やはりだめか...」

 

 その様子を砦内の窓から見ていた階層守護者とネイヴィアが悲鳴にも似た声を上げる。

 

「アインズ様!!」

 

「いかん!!あの魔法から逃れる術は無い!!」

 

「今すぐ助けましょう!」

 

「ダメダデミウルゴス!!我ラマデ巻キ添エヲ食ウゾ!!」

 

「アインズ様ー!!」

 

 皆の心配も虚しく、10人の巨人達は大きく口を開け、その殺意を剥き出しにした。そして強力な無属性エネルギーが集束し、その力が一気に放出される。

 

 アインズはその巨大な青白い濁流に飲まれ、絶叫を上げていた。

 

「ぐぁぁあああああああ!!!」

 

 その声を聞いた階層守護者が目を塞ぐ。

 

「だめ、もう見てられない!」

 

「アインズ様ぁぁあああ!!」

 

 エネルギーが放出され続ける事約10秒間。その時突如、アインズの絶叫が止んだ。

 

「.....なーんてな」

 

 アインズがニヤリと笑うと、放出されていたはずの無属性エネルギーが突如アインズを中心として逆に集束し始め、ジェット機の轟音にも似た爆風と共に何故かイオに向けて照射された。魔法に集中していたイオは自分が発したはずの魔法を逆に弾き返され、逃げる間もなくエネルギーの濁流をまともに浴びた。

 

「キャァァアアアアアアア!!!」

 

 イオを貫いたそのエネルギーは背後にいた巨人をも消滅させ、暗黒の穴ごと吹き飛ばした。アインズを縛っていた鎖が解けると地面に降り立ち、全身から煙を上げているイオに近寄っていった。自らの魔法により大ダメージを被ったイオは、ふらつく足を支えながらアインズを睨みつけた。

 

「...おのれアインズ!何をした!!」

 

「クックック、さーて、何だろうねえ。イビルエッジの生みの親であるお前でも分からん事があるのかね?イオよ」

 

「...魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)!」

 

上位転移(グレーターテレポーテーション)!」

 

 イオのHPはフル回復したが、その隙を見計らいアインズはまたも背後へ移動し、両肩を掴んで固定した。

 

生気吸収(エナジードレイン)!」

 

「ええい、しつこい!呼吸の盗難(スティールブレス)!!」

 

 移動阻害(スネア)に強力な毒DoTがかかり、アインズの移動速度が85%低下した事を受けて、イオは空中に飛翔してアインズに右手を向けた。

 

「これなら逃げられまい!!」

 

「...私は逃げも隠れもしない。安心して撃ってきたまえ」

 

「減らず口もそこまでだ、死ね!!魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)巨神族の烈火(ヴール・プロメテウス)!!」

 

 イオの両手に直径30メートル級の巨大な恒星が現れ、合計10連撃が高速で落下していく。移動阻害(スネア)の効果が15秒残っているアインズは避けようともせず、その場から微動だにしない。そしてその恒星全てがアインズに直撃した。

 

(やった!)イオは地表を見て勝利を確信した。しかしいつもと様子が違うと気づく。予想される大爆発が起きず、地表で恒星の輝きが失われていない。空中を少し移動して角度を変えた時、イオはあり得ないものを目にした。

 

 何とそこには、片腕一本で10個の恒星を支えているアインズが平然と立っていたのだ。アインズはその恒星をイオのいる空中に向けると、ニヤリと笑った。

 

「全部返すぞ、イオ」

 

 すると地上から高速で恒星が迫り、呆気にとられていたイオに向けて全弾が命中し、空中で大爆発を起こした。核爆発に匹敵する衝撃波を受けてアインズは地面に身を伏せるが、空中から地上に叩きつけられたイオを見つけると即座に上位転移(グレーターテレポーテーション)を唱え、背後に移動した。

 

生気吸収(エナジードレイン)

 

 そして肩を離し再度距離を取る。イオは悔しそうに地面を殴りつけ、アインズに向かって絶叫した。

 

「...何故だ!!何故私の魔法がお前ごときに全て弾き返される?!」

 

「タネが分かると面白くないだろう?それは最後に教えてやる。...さあ、お得意の魔法四重化でも強力な武技でも放ってきたらどうかね?何でも受けて立つぞ」

 

「...魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)約櫃に封印されし治癒の術式(ベネディクションオブジアークヒーリング)!!」

 

「おっと。上位転移(グレーターテレポーテーション)

 

 ウォー・クレリックの聖なる光が周囲600ユニットに渡り広がるが、アンデッドのアインズはそれを避けるため咄嗟に転移して距離を広げた。イオのHPが再度全快したことを受けて、アインズは間合いを詰めていく。そして距離が120ユニットに入ると、イオは恨めしい声でアインズに忠告してきた。

 

「後悔するなよ、アインズ」

 

「お好きにどうぞ」

 

「...魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)巨神王の一撃(ウートガルザ・ロキ)!!」

 

 その瞬間、瞬きする間も与えないほどの超高速で、直径200メートル級の巨大かつ真っ白な柱が落ち、その中心にいたアインズが叩きつぶされた。そして柱が天空に立ち上り消えていくと、そこには巨大な円形のクレーターが残されたのみだった。

 

 それを見たアルベドが両手で口を覆った。ルカがディアン・ケヒトに止めを刺した技である。ネイヴィアでさえもこれには目をつぶり絶望していたが、ミキとライル・たった二人だけが確信に満ちた目でクレーターを見つめていた。

 

「...生きてるわ」

 

「え?」

 

「アルベド、案ずるな。アインズ様は生きておられる」

 

 それを聞いて全員がクレーターの中心を見た。そこにはローブに付いた埃をはたき落とすアインズが悠々と立っていたのである。砦の中から見ていた全員が歓声を上げるが、それを見たイオは絶句し、アインズがこちらへ歩いてくるのを見て後ずさっていた。

 

 声の届く距離まで接近すると、アインズは首を(コキ、コキ)と左右に振って慣らし、イオを見る。

 

「ふむ、どうやらある程度なら魔法四重化にも耐えられるようだな」

 

「...そんな...バカな事が...」

 

「他に強力な魔法はないのかね?決戦(アーマゲドン)モードでしか撃てないようなものだと助かるんだが」

 

「...フン!そんなに欲しければくれてやる!!魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)輝巨星の紅炎(デルタ・プロミネンス)!!」

 

 その途端アインズの周囲150ユニットに渡る地面から、溶岩のような灼熱の火柱が立ち上り、その中心にいるアインズに向かって一斉になだれ込んだ。逃げ場のない一撃と同時に、燃え盛る獄炎属性のDoT効果も見受けられる。あまりの熱量に砦の中にいた兵士と住民たちは顔をそむけたが、守護者達はしかと見ていた。まるで火が避けるように道を作り、その中を悠然と歩いてくるアインズの姿を。そして誰に言うでもなく肩で笑いながら、アインズは独り言を言い始めた。

 

「ハッハッハ!なるほどなるほど、よく分かったぞ。どうやら魔法四重化の攻撃魔法ともなると、反射まではいかないらしいな。粗方把握した」

 

 イオがそれを聞いて目を見開く。

 

「...な、何を言っている?...反射?」

 

「イオよ、私はお前に何度もヒントを与えたんだぞ」

 

 アインズは首にかけられた白銀色のクリスタルがあしらわれたアクセサリーを手に取った。

 

「このネックレスのおかげだよ」

 

「...それは?」

 

「これは竜王の守護(プロテクションオブドラゴンロード)という代物でな。このクリスタルには絶対反射(アブソリュートリフレックス)の魔法が込められている。その効果は、竜王(ドラゴンロード)達の使用する始原の魔法(ワイルドマジック)すらも術者に弾き返すというものだ。とある国の女王が私のためを思い貸し出してくれたものでな。彼女には感謝しなければなるまい」

 

「そ、そんなの...反則だー!!」

 

「何を言っている、装備品は反則ではないだろう?お互いに死ぬまでやると言い出したのはお前なのだ、さっさと続きをやるぞ」

 

「...私にはまだ武技とヒールが残ってる。君は一切ヒールが使えない。どちらにしろ最後に勝つのは私なんだよ?」

 

「そう思うならかかってこい。全力でな」

 

 イオはゆっくりとエーテリアルダークブレードを抜刀した。

 

「そうかい、それなら...影の感触(シャドウ・タッチ)!」

 

 (ビシャア!)という音と黒い靄がアインズを包み、麻痺(スタン)した所でイオは一気に突撃し、アインズの懐に入った。

 

虐殺する鬼女の舞踏(ダンスオブダーキニーズスローター)!!」

 

 イオの持つロングダガーに長さ50メートル級の白く鋭い光刃が宿り、ヘリのローターブレードのように高速回転してアインズに連撃が叩きつけられる。アインズに出血はないが、全身の骨が砕かれてもおかしくないほどの強烈な斬撃を浴び続けているにも関わらず、少し後ろに後ずさるのみで本人は平然としている。武技を発動し終わり体の回転を止めたイオは、アインズが無傷だと分かり固唾を飲んだ。

 

「どうしたイオ?もうすぐ麻痺(スタン)の効果が解けるぞ。今のうちに早く攻撃したらどうだ」

 

「い、言われなくても!憤怒する魔王の舞踏(ダンスオブラーヴァナズレイジ)!!」

 

 ロングダガーに巨大な黒い炎をまとわせ、目にも止まらぬ斬撃でアインズの全身を無数に切り刻んでいく。獄炎属性の炎がアインズを包み込むが、何故かすぐに消火してしまった。イオの顔に冷や汗が滲む。

 

 そして麻痺(スタン)が解けるとアインズは一気に間を詰め、イオの肩を鷲掴みにした。

 

生気吸収(エナジードレイン)

 

 それを振り払おうとロングダガーを一閃するが、アインズはひらりと後方にジャンプして距離を取る。イオは心なしか肩で息をしているようだった。

 

「な、何故獄炎属性の斬撃が効かない?!いやそれ以前に、何故物理攻撃を無効化できる?」

 

「ん?ああ、それはこのアイテムの効果だよ」

 

 アインズはフードを下げると、耳に装備された赤く輝くイヤリングを見せた。

 

「これは命の燐光(ライフオブフォスフォレセンス)というアクセサリーでな。炎はおろか、獄炎属性の攻撃も全て無効化できるという神器級(ゴッズ)アイテムだ」

 

「...そんなものを装備していたのか。では物理攻撃無効に関しては?」

 

 アインズは一つ大きくため息をつくと、首を小さく横に振った。

 

「その前に質問だ。私は今までお前に何回生気吸収(エナジードレイン)をかけたか覚えてるか?」

 

「え?それは...えっと...」

 

 イオが困惑しているのを見て、代わりにアインズが答えた。

 

「四回だ。いいか、四回もだぞ。この世界での最高レベルは150。生気吸収(エナジードレイン)を四回かけられたということは、つまり現在のお前はレベル110にまで低下してしまっている。そして私の腹に装備するこの青い玉(アクトオブグレース)は、レベル140までの物理攻撃を完全に無効化する。お前がいくら必死で攻撃しようが、もう私にダメージは通らないのだよ。お前が最も警戒すべきだったのは私の攻撃魔法ではなく、生気吸収(エナジードレイン)だった」

 

 それを聞いたイオの目が虚ろになっていく。

 

「...全て最後の為の布石だったとでもいうの?」

 

「レベル低下が起きれば、物理だけでなく魔法の相対火力も激減する。全て計算のうちだったんだよ。力と魔力量で敵わなければ、知略で勝つ。当然の事だ」

 

 地面を見て何事かを考えている様子のイオを見て、アインズは再度言葉を切り出した。

 

「さて、まだ続きをやるかね?降参するというのならここで終わりにするが、やると言うのなら一つだけ言っておこう。次に戦えば、お前は確実に死ぬ」

 

 それを聞いて、イオの体から爆発的な殺気と瘴気が噴出し始めた。

 

「やってごらんよ。私のHPは満タン、あなたのHPは約六割。私はヒールが使えるけど、あなたは使えない。このままMPを削りきって、最後には私が勝つ!」

 

「...本当にいいんだな?」

 

「当たり前でしょ!!さっさとかかってきなさ──」

 

 ────その瞬間、全ての時が止まった。ただ一人、アインズはその中を歩いてイオに近づいていく。そして傍らに立つと、ルカに瓜二つなその美しい顔を見て呟いた。

 

「...やはりNPC属性。時間対策用の課金アイテムは所持していなかったか」

 

 薄い罪悪感に襲われながらも、アインズはイオの顔に右掌を向けて魔法を詠唱した。

 

魔法遅延化(ディレイマジック)The goal of all (あらゆる生あるものの) life is death(目指すところは死である)

 

 そのままアインズは通り過ぎ、イオの背後120ユニットの位置まで移動した。そしてイオの背中を見据えると両手を大きく広げ、もう一つの魔法を詠唱する。

 

魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)嘆きの妖精の絶叫(クライオブザバンシー)!!」

 

 アインズの背後に巨大な金色の時計盤が現れ、それが秒を刻んだと同時に止まっていた時間が動き出した。イオは正面にアインズがおらず周囲を見渡しているが、時計盤の針は無常にも時を刻み続ける。

 

 そしてようやく背後にいたアインズを見つけると、疾風の如き速度で距離を詰めてきた。アインズは逃げることもせずに、ただ立ち尽くしている。近距離に迫り、背後に時計盤のようなオブジェクトを見たイオは必死の形相で距離を詰めたが、もはや手遅れだった。

 

『───5・4・3・2・1・0』

 

「...終わりだ」

 

 周囲に聞くもおぞましい甲高い絶叫が木霊し、それは200ユニットの範囲にまで届いていた。そして城塞内の庭が眩い光に包まれていく。

 

 やがて光が収まると、中庭に生い茂っていた雑草が消え失せ、まるで砂漠地帯のように荒涼とした風景に変貌していた。そしてそこに一人立つものと、その足元に跪く女性が一人。アインズはその女性の肩に手を置いて、ダメ押しの一撃を加えた。

 

生気吸収(エナジードレイン)

 

 そしてアインズは更に言葉を次ぐ。

 

「蘇生用のアイテムは持っていたのか。...どうだ?イビルエッジの生みの親として、初めて味わった死の感想は」

 

「.............」

 

 イオは地面に顔を向けたまま、一言も発することができない。それを見てアインズは続ける。

 

「お前は、ルカよりも弱い」

 

「!! 私があの女より弱い...だと?」

 

「そうだ。一つ聞くが、お前は部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)が使えるか?」

 

「当然...使える」

 

「ならば何故それを戦闘中に使用しなかった?」

 

「それは...そんなことをせずとも勝てると思ったから...」

 

「お前の最大の過ちは、自らの力を過信し過ぎた事だ。憑依(メリディアント)中の特殊魔法や魔法四重化による火力に頼るがあまり、他の能力を疎かにした事だ。イビルエッジには本来、遠近双方であらゆる局面に対応できる優秀な力が備わっている。それらを組み合わせれば、お前にとって私など取るに足らない相手だったはずだ」

 

「私は...憑依(メリディアント)の悪魔だ。あの女のように姑息な手段は使わない」

 

「お前がバカにするそのルカは、状況に応じてあらゆる変則的な策を打ち、幾多もの修羅場を潜り抜けてきた。例えば憑依(メリディアント)を使用したルカと私が今日戦ったとして、ルカはいち早く私の装備する竜王の守護(プロテクションオブドラゴンロード)の特性を見抜き、対策を練ってきただろう。そして負けるのは恐らく私の方だった。それだけじゃない。今のお前とルカが戦ったとしても、敗北するのはイオ、お前の方だったと今日戦ってみて確信した。要するに、お前はルカと比較して戦闘経験が圧倒的に不足しているのだ」

 

「...フッ、アンデッド無勢が私に説教か。もういい分かった。さっさと殺せ!」

 

「勝負はついた。お前を殺す理由はない」

 

「今殺さないと、後々後悔する事になるぞ」

 

「...一応聞くが、お前が死んだとしてルカに何か影響はあるのか?」

 

「...安心しろ、私の肉体が失われるだけだ。その後は意識のみが異次元へと帰り、召喚されればまた現れる。その繰り返しだ」

 

「...そうか。では異次元へと帰れ、イオよ」

 

 アインズの周囲に青白い立体魔法陣が形成されたその時、砦の方からこちらへ走ってくる人影が複数見えた。それを見て超位魔法の範囲内に巻き込んではまずいと判断し、アインズは魔法陣を解いてキャンセルした。

 

 走り寄ってきたのは、カベリアだった。その後ろにメフィアーゾとパルール、そしてミキ、ライルが付き添っていた。

 

 そして地面にへたり込むイオの胸に、カベリアが飛び込んできた。

 

「ルカお姉ちゃん!!」

 

「...カ、カベリア?どうして...」

 

 後を追ってきたミキとライルがアインズの前に立ち、片膝をついた。

 

「アインズ様、申し訳ありません」

 

「戦闘が終わったのを見計らい、どうしてもと飛び出して行ってしまいまして」

 

 アインズはイオの胸で泣き崩れるカベリアを見下ろした。

 

「ここは危険だカベリア。砦に戻れ、今からそいつに止めを刺す」

 

「お待ちください魔導王閣下!どうか...どうか彼女を許してやってはもらえませんでしょうか?」

 

「何故かね?そこにいる者はルカではなく悪魔だ。それに私達にも危害を及ぼしたのだぞ」

 

「でも...でも彼女は、誰も殺していません!」

 

 イオはそれを聞いて胸元に抱きつくカベリアの顔をそっと掴み、目を覗き込んだ。

 

「...アインズの言うとおりだカベリア。私はルカではなくイオだ。これから元の世界へ帰る。邪魔しないでくれ」

 

「いや!!だってあなたは、ルカお姉ちゃんと一心同体だって言ってたじゃない!...ちょっと怖いけど、私に取ってはあなたもルカお姉ちゃんなのよ!これからもルカお姉ちゃんの体の中で一緒に過ごせばいいでしょ?お願いだから行かないで...死ぬなんて...言わないで」

 

「...だめだカベリア。...メフィー、この子を連れて行ってあげて」

 

 その言葉を聞いたメフィアーゾが驚いたような顔でイオを見た。

 

「...お、おめぇその俺の呼び方...ルカと同じじゃねえか」

 

「さっきも言っただろう。私とルカは記憶の一部を共有していると。ただそれだけの事よ」

 

 カベリアは顔を上げ、イオの頬に手を添えて口を開く。

 

「...お姉ちゃんこうも言ってたよね?ルカが好きなものは私も好きだし、ルカが愛している者は私も愛しているって。昔あたしが病気で伏せってた時の事、覚えてる?」

 

「...ああ、覚えてるよカベリア。まだ子供だったね」

 

「あの時お姉ちゃん、ずっと私の看病してくれてたよね?私あれが嬉しくて、すごい励みになってたの」

 

「あれは...私じゃなくて、ルカのした事だから...」

 

「でもずっと見ててくれてたんでしょ?あの時ルカお姉ちゃんに、(私の事好き?)って聞いたら、頭を撫でて(大好きだよ)って言ってくれた。それならあなたも、私の事が好きだよね?だから今見せたあの力で、北の化物を倒してくれたんだよね?」

 

 イオの胸に、当時ルカと歩んだ記憶が蘇ってきていた。200年という長きに渡り、ルカの意識にない心の片隅からそれを見守りつつ、色んな所を旅し、様々な人々との出会いがあった。それを思い返して涙が溢れたイオは、カベリアの頭をそっと抱きしめた。

 

「...ああ、私も大好きだよカベリア」

 

「イオお姉ちゃん...一緒に砦へ帰ろう?ルカお姉ちゃんも待ってるよ」

 

「...分かった」

 

 二人の抱き合う様子を見て、パルールとメフィアーゾの目にも涙が滲んでいた。

 

「先程はどうなる事かと思ったが...」

 

「...ヘッ、何でぇ!腹割って話してみりゃいい奴じゃねえか」

 

 アインズは顎に手を添えながら、カベリアを支えるイオを見た。

 

「イオよ、それでいいのだな?」

 

「...グスッ...ああ、済まない。さっきの話は取り消しだ」

 

「了解した。皆のもの、砦へ戻るぞ」

 

 そしてアインズ達が寝室に入ると、そこにイオも並んでいることに誰もが驚いた。するとイオは横に並んでいたイフィオンに体を向け、全員の前で謝罪した。

 

「イフィオン....その、さっきはごめん。あんな苦い薬を飲まされて、腹が立ってたんだ」

 

 先程とは打って変わり、一切の殺気を放たず素直に謝るイオを見て、イフィオンは笑顔で肩を掴んだ。

 

「気にするなイオ。冥王の血(ブラッドオブヘイディス)の不味さは私も良く知っている。よく我慢して飲んでくれたな。だがお前の甘いキスだけはもう勘弁してくれ、危ない道に目覚めそうになる」

 

「うん...」

 

 続いてイオはコキュートスの前に立った。

 

「ごめんねコキュートス、さっきはカッとなって。君の武器を見て頭に血が上っちゃったんだ」

 

「ナ、何ヲ仰リマスカイオ様!ルカ様ノ分身デアリ守護神デアル貴女様ニ剣ヲ向ケタ、コノコキュートスメモ悪イノデス!!ドウカオ気ニナサラヌヨウ...」

 

 最後にイオは、悲しそうな顔でデミウルゴスの前に立った。

 

「...デミウルゴス」

 

「...イオ様」

 

「あの...もう二度とこんなことはしないよ、約束する。頼りにしてたデミウルゴスに邪険にされて、私何かショック受けちゃって...」

 

「それを言うなら、私が吐いてしまった数々の暴言をお許しください。ルカ様を第一に思うあまり、あなたに魔法まで撃ってしまった。...本当のイオ様は、こんなにもお優しい方だったというのに、私は気づいてやれなかった。心より、お詫び申し上げます...」

 

 デミウルゴスは右手を前に掲げて頭を下げ、後悔の念から来る大粒の涙を零した。床に水溜りを作る中、イオはデミウルゴスの頬を両手で優しく掴み、そっと持ち上げた。

 

「デミウルゴス...デミウルゴス、泣かないで。最後に一つだけお願いがあるの」

 

「...何なりと仰ってください」

 

「私はもうすぐここから消えてしまう。次にいつ会えるかは分からない。だから...ハグして。思いっきり」

 

「ええ、喜んで」

 

 デミウルゴスはイオのフードを下げ、その柔らかい体を力強く抱き寄せた。フェアリーボブの艷やかな黒髪を撫でながら、デミウルゴスは感無量に浸っていた。そしてイオもデミウルゴスの胸元で涙を流す。イオはそのままデミウルゴスの首元に両手をかけ、背の高いデミウルゴスの頭を下げさせた。自分の顔の前まで来ると、イオは笑顔でデミウルゴスに唇を重ねる。

 

 皆が驚く中、それに構わずイオはキスを続けた。デミウルゴスはカチコチに固まっていたが、イオが背中を擦るとリラックスし、二人は熱い抱擁を交わした。

 

 やがて顔を離すと、二人は向かい合って笑顔になった。そしてイオが寂しそうに語りかける。

 

「...私とルカからの気持ちだと思って。私達二人共、デミウルゴスが大好きだよ。いい思い出をありがとう」

 

「我が第二の女神よ。いつか必ず、またお会いしましょう」

 

 イオは涙を拭い、それまで言葉をかけていなかったダークエルフの双子に歩み寄った。二人はホワイトローブに身を包む背の高い女性の裾にしがみついている。その子供の視線まで腰を屈めると、イオは努めて笑顔を作った。

 

「アウラ、マーレ、初めまして。...ごめんね、さっきは怖い思いさせて」

 

「...イオ...様?」

 

「あのそのえと、こ、こちらこそ初めましてイオ様...」

 

 その落ち着いた様子を見て、アウラとマーレはネイヴィアの裾から手を離し、目の前に進み出てきた。イオはその場で両膝を付き、二人の肩にそっと手を置く。

 

「アウラ、ルカの事好き?」

 

「...はい、大好きです!」

 

「マーレは?」

 

「ぼ、ぼぼ、僕も大好きです!」

 

「そう。これからルカは、きっと数多くの厳しい試練に立ち向かう事になる。私はもうすぐ消えるけど、その時は二人でルカを助けてあげてね」

 

「そんな...イオ様もここに一緒に居れないの?」

 

 アウラの問いに、イオは小さく首を横に振った。

 

「君が見ている今の私は、ルカが飲んだ薬...冥王の血(ブラッドオブヘイディス)によって、一時的に強制分離された言わば仮の姿だ。呪いの化身と言ってもいい。その意識の片隅に住まわせてもらっている私は、本来の肉体であるルカの意識が目覚めれば、そこで消えてしまう。無論ルカも私のことは知らない。...この世界に同居する事は、叶わないんだ」

 

「....やだ....やだよ....」

 

「....イオ様....消えちゃうの?」

 

 二人は目の前に座る、凄まじい強さを持った美しい女性をルカと同一視していた。気配は悪魔故に邪悪だったが、それと相反するように優しいイオを見て、ルカがこの世界から消えてしまうのではないかと錯覚に陥っていたのだ。二人の目から無垢な涙が零れ落ちたが、それを見てイオは二人を肩越しに抱き寄せた。

 

「...言い方が悪かったね。私はルカの体の中に戻るだけだ。君達二人を、私はずっと見守っている。今までも、そしてこれからもずっとだ。約束しよう」

 

「...ルカ様と同じ香りがする...」

 

「うぇぇええん、イオ様ぁぁああ....」

 

「...ほらマーレ、泣かないの。アウラお姉ちゃんの方が強いぞ?」

 

「ふ、ふぁい....」

 

 イオはアウラとマーレ、二人の頬にキスすると、頭を撫でながら立ち上がった。そして目の前に立ち塞がるのは、白いローブに身を包む全身真っ白な長身の女性。イオはその美しい顔を見上げ、微笑んで見せた。

 

「ネイヴィア...35年前に起きたルカと君の戦い、全て見させてもらったよ。彼女にレベルⅣを使わせるなんて大したものだね」

 

「...イオと言ったな。お主、ルカに憑依した戦の神と言うなら、一体どこまでルカと意識を共有しているというのじゃ?」

 

「共有...と言っても、一方的なものだよ。本来の私は、あくまでイビルエッジのスキルとして存在していたに過ぎなかった。それがこの世界に転位した途端自我を持ち、独立した意識を持って目覚めたんだ。それ以来200年間、私はルカをずっと見守り続けてきた」

 

「...つまり、全てのイビルエッジの中にお主が存在すると言う事か?」

 

「ううん、それは違うよネイヴィア。ユグドラシルβ(ベータ)に生きるイビルエッジの中でも、憑依(メリディアント)の隠された能力である決戦(アーマゲドン)モードの存在にまで辿り着いたのは、ルカただ一人だけだった」 

 

「なるほどのう、それで合点が行ったわい。ただな、いくらお主が強いからとは言え、毎回出てくる度にこう暴れられては敵わんぞ?」

 

「...大丈夫、もうこんな事はしないよ」

 

 イオはネイヴィアの腰に手を回して抱き寄せ、そのふくよかな胸に顔を埋めた。ネイヴィアもそれを受け止め、イオの背中と頭に手を回して優しく髪を撫でる。

 

「それを聞いて安心したぞ、イオ。...ずっと一人で寂しかったのじゃな。回りを見てみろ、今のお主にはこれだけの仲間がおる。またいつでも顔を見せるがよい」

 

「ここにいる私の体は一時的に分離したものだから、次があるかどうか分からないけど...でも、ありがとう。みんなの事よろしくね、ネイヴィア」

 

 イオは体を離し、左に立つ執事風の男の前に歩み寄った。

 

「セバス、初めまして。いつもルカを気にかけてくれていてありがとう」

 

「な...何故それを?」

 

「忘れたの?私だって読心術(マインドリーディング)が使えるんだよ。ルカは君に対してそんな事してないけど、私はルカの中からずっと見ていたからね。全部知ってるよ」

 

「...イオ様。先程の戦い、実に見事でした。私にもあなた様程の力があればと、このセバス願わずにはおれませんでした」

 

「まあ、負けちゃったけどねー。あまり参考にはならないと思うけど」

 

「そんな事はございません。イオ様はルカ様の一部。あなた様の力がなければ、ルカ様はあのディアン・ケヒトを滅ぼすことも不可能だったはず。きっとルカ様も、心のどこかであなた様に感謝しているはずです」

 

「だといいんだけどね。...これからも私達の事、よろしく頼むよセバス」

 

「ハッ!この身に代えましても」

 

 セバスは深く頭を下げようとしたが、イオは両肩を掴んでそれを止め、首を横に振って笑顔を向けた。

 

 そしてイオは、先程傷つけてしまったフォールスの前に立った。イオは悲しそうな表情で地面に目を落とし、俯いたままでいる。それを見てフォールスは微笑みながら一歩前に出た。

 

「どうしたのです、イオ?」

 

「その...母さん。腕、まだ痛む?」

 

「ええ、少し。ですがこの程度、気にする必要はありません」

 

「...実は私も、母さんと同じ事ができるんだ」

 

 そう言うとイオは、先刻捻りあげた腕にそっと両手を触れて目を閉じた。

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)生命の草原(ライフ・フィールド)

 

 するとフォールスを含め、寝室の中にいた全員の体が白銀色の球体に包まれ、HP・MP・超位魔法使用回数が回復してしまったのだ。皆が驚愕の眼差しを送る中、一番驚いていたのは目の前にいるフォールスだった。

 

「な、何故あなたがこの魔法を...」

 

「私は母さんの娘だよ?それに隙が大きいから戦闘中には使えないけど、憑依(メリディアント)決戦(アーマゲドン)モードには、多種多様な四重化の為の魔法が備わっているの。これもその内の一つよ」

 

「何と...あなたという子は...」

 

 フォールスに見つめられて、何故かイオは顔を紅潮させた。それを誤魔化すように、フォールスの目から視線を逸らす。

 

「そ、それじゃあもう行くね!...さっきは本当にごめん」

 

「...お待ちなさい、イオ」

 

 立ち去ろうとするイオの手を咄嗟に掴んで引っ張ると、フォールスは自分の胸元に力強く抱き寄せた。

 

「我が子よ...私の事を母さんと呼んでくれたイビルエッジは、後にも先にもあなた一人だけです。嬉しいですよ」

 

「だって、母さんがいなければ私は生まれて来なかったのよ?...私ね、嬉しかったの。ルカがこの世界の虚空で母さんの姿を発見した時、本当に...嬉しかった」

 

 フォールスの胸に抱かれながら、イオは嗚咽を堪えて涙を流した。その熱い雫を肌で感じたフォールスは、自らも目いっぱいに涙を浮かべている。イオはさらに続けた。

 

「本当はあの時、私も外に出て母さんを抱きしめたかった。でも私は憑依(メリディアント)に縛られた悪魔...亡霊のようなものに過ぎない。二人が抱き合い、涙するのをルカの中から眺めて私も一緒に喜んだけど、肉体を持つ彼女が羨ましくもあった。...200年間、ずっとこうするのが夢だったの」

 

 イオはフォールスの背中に手を回した。お互いの温もりを分かち合おうと、二人は力強く抱き寄せ合う。目頭から涙を零しながら、フォールスはイオの髪を優しく撫でた。

 

「...孤独だったでしょう、イオ。でも大丈夫、これからは母さんがずっと側にいるわ。私がルカを抱き締める時、イオも一緒に抱き締めてあげる。...母さんは幸せよ、こんなにもいい娘に二人も恵まれて」

 

「母さん...!」

 

 イオは人目を憚らず、子供のように声を上げて泣き続けた。邪神と悪魔、二人の母子が抱き寄せ合うその姿を見て、アインズは彼女に止めを刺そうとした自分の判断を悔いた。そしてそんな自分の思いを踏み留まらせたのが、今ベッドの隣に座るこのか弱くも美しい人間の女性だった事を、誰にともなく感謝したのだった。

 

 やがてフォールスとイオは体を離し、マントの裾でフォールスの涙を拭うと笑顔を見せた。

 

「...ありがとう母さん。これでもう思い残す事はないよ」

 

「今生の別れでもなしに、そのような言い方をしてはなりません。イオはただ、ルカの体の中に戻るだけ。そうでしょう?」

 

「...うん、そうだね母さん」

 

 イオは涙を拭い、フォールスの手を握ったまま後ろを振り返ると、三人の名前を呼んだ。

 

「ミキ、ライル、イグニス!こっちに来て」

 

『ハッ!』

 

 三人が立ち並ぶと、イオはその目を見渡しながら真剣な表情で口を開いた。

 

「時間がないので手短に話すよ。君達三人のイビルエッジに伝えておく事がある。それは、ルカの使用した決戦(アーマゲドン)モード...つまりこの私に関してだ。このモードを使用する為の因子が、イビルエッジである君達にも備わっている」

 

「わ、私達にも決戦(アーマゲドン)モードが?!」

 

「イオ様、それは真にございますか」

 

「...俺でも、あんな強大な力を?イオさん」

 

「そう。私を召喚する為の条件は五つある。一つは、憑依(メリディアント)がレベルⅤに達している事。二つ目はレベルⅢ以上の憑依(メリディアント)を使用している事。三つ目はレベルに応じた特殊魔法及び特殊武技を敵に10種類以上使用している事。四つ目は術者が敵に対して対抗策がない事を強く意識する事。最後の五つ目は、願え。そして祈るんだ。私の姿を想像し、こう唱えろ。“我は決戦(アーマゲドン)モードを起動する“、と」

 

 それを聞いた三人は息を飲みながら聞いていたが、疑問を口にしたのはライルだった。

 

「ですがイオ様、憑依(メリディアント)中はオートモードに入り、意識は保てても体の自由を奪われ、武技や魔法の選択が出来ませぬ。10種類以上と申されましたが、その条件をクリアするのは非常に困難かと思われますが」

 

 それを聞いて、イオはライルの胸板に(トン)と笑顔で拳を当てた。

 

「だからこそこのモードは隠されているんじゃないか。ライル、ここまで至るには何千・何万という戦闘経験を憑依(メリディアント)に反映させなくちゃならない。200年以上前...つまりユグドラシルβ(ベータ)の時代、かつてルカはたった一人で世界級(ワールド)エネミーに戦いを挑み、決死の覚悟で戦った末に決戦(アーマゲドン)モードの存在に気付き、見事敵を討ち滅ぼした。一度目覚めてしまえば、憑依(メリディアント)中でも自然と決戦(アーマゲドン)モードに向かって戦略を立てていくようになる。こういう仕掛けさ。私はルカの持つ戦闘経験をすっ飛ばして、コツを教えているに過ぎない」

 

「なるほど...よく分かりました、さすがはルカ様」

 

 そこまで話を聞いていたミキが、さらなる疑問を口にした。

 

「イオ様、それでは此度ルカ様が受けたペナルティに関してはどうなのです?」

 

「そうだねミキ、それに関しても話しておこう。先に断っておくけど、ルカがこの世界で決戦(アーマゲドン)モードを使用したのは初めてだし、私もルカが受けたバッドステータスを目にしたのは初めてだ。と言うのも、ユグドラシルβ(ベータ)の時代に決戦(アーマゲドン)モードを使用すると、絶対的な強さを得る代わりに、そこから24時間ログイン出来ないという単純なペナルティだったんだ。それがこの世界に転移後は形を変え、致命的なバッドステータスを24時間課せられるという結果になった。これには私も驚いたけど、幸か不幸かそのおかげで、私は今こうして君たちの前に肉体を持って存在できているの」

 

「...そういう事だったのですか。先にそう仰っていただければ、無用な誤解を招かずに済みましたのに」

 

「言ったでしょ。私はルカが本来受けるべき罰を、強制パージした者たちに向けられたペナルティそのもの。アインズに一度殺されてから目が覚めたけど、それ以前の私に制御できる余地はなかった」

 

 イオは儚い笑顔を向けたが、それを見たミキはイオの手を取り、胸元に抱き寄せた。

 

「...これからはずっと一緒ですね。ルカ様もイオ様も、私達が必ずお守りしてみせます」

 

「...温かい。それにシャドウダンサーの香り。いつもこうやって添い寝してくれたよね。200年の間、私にはそれが何よりの安心だったよ」

 

「あなたの存在を知った今、お二人に対する愛情が益々深まりました。またイオ様に会える日を夢見て、私達はいつまでもお待ちしております」

 

「ありがとう、ミキ」

 

 体を離すと、イオはベッド右脇に座るアインズの前に立った。その隣に座るカベリアも体を向け、二人はイオの顔を見上げる。そこには、満ち足りた表情を湛える一人の女性の姿があった。アインズが手を差し伸べると、イオはその手を取る。そしてゆっくりと手を引き、アインズは自分の膝下へイオを座らせた。

 

「気は済んだか?イオ」

 

「うん。...ごめんねアインズ、私がルカの中にいたら邪魔でしょ?」

 

「そんな事はない、お前の持つ強さは本物だ。これからもルカを...いや、私達を守ってくれ。頼んだぞ」

 

「...フフ、頼まれました。じゃあ私からも一つお願いがあるの。聞いてくれる?」

 

「ああ、何でも言うがいい」

 

 するとイオはアインズの首元を抱き寄せて、静かに耳打ちした。

 

「...今日君は、私を負かした。ルカが愛する者は、私も愛している。...だから君も、ルカと私の事を沢山愛してね。...大好きだよ、アインズ」

 

 耳から顔を離すと、イオはアインズの左頬にそっとキスした。それを受けて慌てるアインズだったが、イオの顔を見ると優しく微笑んでいる。そこにいたイオはまさしく、美しいルカの生き写しだった。抱き締めたい衝動に駆られたが、皆が見ている手前もある。アインズはそれを必死に堪えて、イオの左頬を撫でるに留めた。

 

「...心得た。今言えるのはそれだけだ」

 

「よし、約束だよ」

 

 イオはアインズの膝から立ち上がると、ベッドの隣に座るカベリアの横へ腰掛けた。そしてカベリアの美しい金髪をそっと撫でる。

 

「本当に大きくなったね、カベリア。その元気な姿を見たら、きっとルカも喜ぶよ」

 

「イオ...お姉ちゃん。やっぱり記憶があるんだね」

 

「...あの時確か、君は8才と言っていた。高熱に悩まされていたね。治療はルカが行っていたが、私から見ても酷い状態だった。それなのに君は必死で笑顔を作り、周りを困らせまいと明るく振る舞っていた。その事は覚えてるよ」

 

「...あの時ね、私もう死ぬかなって分かってたの。すごく痛くて苦しくて...でも、ルカお姉ちゃんが魔法をかけてくれる度に楽になって、私の事を一生懸命励ましてくれた。夜に痛みが酷くなると私の家へ来ては、魔法をかけながら横に添い寝して子守唄を歌ってくれたの。眠れるまで...」

 

 カベリアは堪えきれず涙を流し、イオの柔らかい胸に顔を埋めて抱き締めた。カベリアの背中を摩り、イオは優しく目を落とす。

 

「そんな事もあったね。あの時はルカにも治療法が分からず、ただ痛みを取ることしか出来なかった」

 

「...イオお姉ちゃん、あの時ルカお姉ちゃんが歌ってくれた子守唄、覚えてる?」

 

「ん?...ああ、あの歌ね。覚えてるよ。あれだけ毎夜毎夜聴かされては、否が応にも覚えるさ」

 

「また聴きたいな。イオお姉ちゃん歌って?」

 

「私が?!で、でもその、ルカのように上手く歌えるかどうか...みんなも見てるし...」

 

「大丈夫、顔も声もルカお姉ちゃんにそっくりだもん。イオお姉ちゃんの歌声も聴いてみたいの」

 

「わ、分かったよ。下手でも知らないぞ?」

 

 カベリアを抱いたまま、イオは(コホン)と咳払いをした。アインズを含め皆に注目されているからか、顔が赤面している。イオはそれを避けるように目をつぶり、(スゥッ)と息を吸い込んだ次の瞬間────

 

 その声には、魔力が宿っていた。(ゾクッ)と寝室内にいる全員の体に鳥肌が立つ。透き通るように美しい旋律。悪魔の歌声か、それとも天使の囁きか。この世界とは異なる言語を歌いながら、何故かそれを理解出来ない者にも、無意識にその歌詞の意味が脳裏に流れ込んでくる。聴く者全員の心に溜まった想念が溶け落ち、思考停止に陥らせる程の癒しの極地がそこにはあった。

 

 (彼女が消えてしまう。)恐らく意図せずに放っているであろう強烈な言霊に揺さぶられ、アインズは隣に座るイオの肩へ無意識に手を乗せていた。それを後ろから見ていたフレイヴァルツが一歩前に進み出ると、涙を流しながらその場に片膝をつく。

 

「...私は、この歌声に出会うため今日まで生きてきたのだ。美しき悪魔の化身よ...」

 

 彼は吟遊詩人(バード)としてあるべき究極の姿をイオの中に見た。その悪魔の胸に抱かれて眠るように聴き入るカベリアと、憂いに満ちた目で隣に寄り添うアインズの姿は、まるで一枚の絵画のように神々しかった。

 

 この時間が永遠に続けばいいと、誰もが願っただろう。やがてイオは静かに歌い終わり、閉じていた目をゆっくりと開いた。気がつくと、いつの間にか寝室にいた皆が彼女の周りを取り囲んでいる。それに慌てるイオだったが、胸に抱いていたカベリアが顔を上げて微笑むと、照れくさそうに頬を掻いた。

 

「ど...どうだった?カベリア」

 

「...ルカお姉ちゃんと同じ。昔のまま心が籠もっていて、すごく上手だったよ。まるで魔法を聴いているみたいだった」

 

「そうか。いい置き土産ができたようだね」

 

 カベリアの頭をそっと撫でると、先程から左肩に手を乗せて離さないアインズに顔を向けた。

 

「どうしたの?アイン────」

 

 その眼窩に光る赤い目を見てイオはハッとした。そして何故か見る見る目から涙が溢れ、頬を伝い流れ落ちていく。それに気付いたアインズは、咄嗟にイオから目を逸らした。イオは肩に乗せられた手を握り、アインズの横顔を見て涙ながらに微笑んだ。

 

「...ありがとう。私...私、自分より強い人からそんなに思ってもらえたの初めてだから、嬉しいよ。でもだめアインズ、それは出来ない」

 

「...ああ、分かっている。済まない」

 

 アインズは願ってしまった。(行くな)と。あの美しい歌声を聴き、アウラやマーレと同じくアインズはイオとルカを完全に同一視してしまっていた。彼女が消えてしまう事で、ルカまでも失うのではないかという錯覚に陥っていたのだ。その強い思いはイオの読心術(マインドリーディング)により、不覚にも見破られてしまった。

 

 頭では理解していても、湧き上がる不安は払拭出来ない。しかしイオがルカの意識に戻らなければ、決戦(アーマゲドン)モード発動により負ったペナルティは解除されない。アインズは手を握ったまま、肩から手を下ろしてイオを見つめた。

 

「また...会えるか?」

 

「...何言ってるの、毎日会ってるじゃない。私はルカの中からいつでも君達を見守ってるから」

 

 その時だった。イオの全身に不可解なノイズが走り、体が薄っすらと透け始めた。アインズ、カベリアを始め、一同はその現象を見て思わず声を上げる。

 

「お姉ちゃん!」

 

「イオ!!」

 

『イオ様!!!』

 

 しかし皆の焦燥も他所に、イオは穏やかに微笑むと静かに立ち上がった。

 

「...ルカの意識が目覚めようとしている。そろそろ行かないと」

 

 そしてイオは背後のベッドに上がり、その上で宙に浮かぶルカの背中を右手で支えると、眉間に左手の指を添えた。するとその指先が眩く輝き始め、ルカの体がゆっくりと下降し始める。ベッドに着地すると、イオはルカの体に羽毛布団をかけ直し、愛おしそうにルカの頬を一撫でした。

 

「...いい友達を持ったね、ルカ」

 

 そのまま立ち上がり背後を振り返ると、イオはベッド脇に座るアインズを見下ろした。

 

「アインズ、一つ言い忘れていた事がある」

 

「言い忘れていた事?一体何だ?」

 

「元々私が住んでいた異次元...君達流に言えば、この世界の管理者達が統率する世界、ロストウェブに関してだ」

 

「管理者...クリッチュガウ委員会の事か?!」

 

「そうとも呼んでたね。その異次元で今、途轍もなく邪悪な存在が生まれようとしている。今回カルサナスを襲ったあの三体の世界級(ワールド)エネミーとも無関係じゃない。母さんの力を借りてこのまま思いを成し遂げようとするならば、きっとルカと君達はいつかそいつと対峙し、大きな障壁となって立ちはだかる事になるだろう。だから...気をつけて、アインズ」

 

 イオは憂いを含んだ目で微笑んだが、その半透明な体からは黒い瘴気が立ち昇り、徐々に体の輪郭が崩れて姿が判別しづらくなっていた。アインズは座っていたベッドから立ち上がると、大きく頷いて返す。

 

「分かった。ありがとうイオ」 

 

「...じゃあ母さん、アインズ、みんな。またね」

 

 イオが皆に小さく手を振ると、出現した時と同じく全身が黒い瘴気となって霧散し、その粒子はベッドに眠るルカの口の中へと吸い込まれていった。隣ですすり泣くフォールスを見て、アインズはその肩を抱き寄せた。

 

「悲しむことはない。きっとまた会えるさ、フォールス」

 

「...いいえ、アインズ・ウール・ゴウン。私は嬉しいのです。あの子は私の事を、“母さん“と呼んでくれた。こんなNPCの一部でしかない、この私を...」

 

「バカを言うな。お前もイオも、俺達にとっては自我を持ったNPCを超える存在だ。それを否定する者が現れたなら、俺がそいつらを皆殺しにしてやる。いいな?」

 

「...アインズ、今だけでいい。あなたの胸をお借りしてもよろしいでしょうか?」

 

「何度同じことを言わせる。...そんな事、当たり前だろうが」

 

 フォールスがアインズの背中に手を回してローブに顔を埋めると、アインズも力強く抱き寄せた。その柔らかな肌と艷やかな黒髪からは、白檀香の優しい香りが漂ってくる。嗚咽を漏らしながら泣き続けるフォールスの涙が漆黒のローブに吸い込まれ、アインズは優しく背中を摩った。少女のように美しい一面六臂の邪神とアンデッドが肩を支え合うその姿を見て、心を打たれない者は誰一人としていなかった。心があるのだと。魔導王とは暴君でも独裁者でもない、慈悲の感情を持った真の王なのだと、四都市長を始め蒼の薔薇と銀糸鳥達は呆然とその光景を眺めながら全てを悟り、そして理解した。

 

 フォールスが泣き止んだ事を受けて、アインズは腕の力を緩めた。

 

「...落ち着いたか?フォールス」

 

「...申し訳ありません、私としたことが」

 

「いいんだ、他でもないお前の頼みだ。こういう事もあるさ」

 

「...優しいですね。そんな事を言われたら、甘えてしまいますよ?」 

 

「好きな時にそうすればいい。忘れたのか?お前は俺の名の元に、ナザリックの最重要客人待遇として保護されているんだ。何でも話せ、それが俺に出来るせめてもの恩返しだ」

 

「アインズ・ウール・ゴウン...話、だけですか?」

 

 フォールスは微睡むような視線でアインズを見つめ、六本の腕の内二本をアインズの頬に添える。その深淵なる黒い瞳の中に、アインズは引きずり込まれた。このように至近距離で正面からフォールスを見るのは、初めての経験だったからだ。ルカとも、アルベドとも異なる例えようもなく妖しい魅力、そして危険な香り...その色香にアインズは息を飲むが、雑念を払うとフォールスの両脇を掴み、そっと体を離して返答した。

 

「もちろんそれだけじゃない。お前の身に起きる問題や降りかかる火の粉は、全て俺達が払ってやる。だが今はルカの事を第一に考えようではないか」

 

「...ありがとうございます。そうでしたねアインズ、あなたが起こしてあげてください」

 

「分かった」

 

 アインズがベッド脇に腰掛けると、階層守護者と皆がベッドの周りに集まった。眠るルカの左頬に手を添えると、アインズは顔を近づけて声をかける。

 

「ルカ...ルカ、目を覚ましてくれ」

 

 すると寝息を立てていたルカの目が、ゆっくりと開いていく。それを見て周囲がどよめくが、目の前にあるアインズの顔を確認すると、ルカは力なく微笑んだ。

 

「ん...おはようアインズ」

 

「お前...目はちゃんと見えるのか?体の調子は?」

 

「...大丈夫、見えてるよ。体も大分楽になったけど、まだ完調とは言えないかな。でも、薬は効いたみたいね」

 

「そうか、良かった...本当に良かった」

 

 アインズはベッドに突っ伏し、横になるルカの体を優しく抱き締めた。それと同時に、階層守護者達が歓喜の声を上げる。

 

「ルカ...!」

 

「ほんに...ほんに良かったでありんすぇ」

 

『やったー!!』

 

「心配シマシタゾ、ルカ様」

 

「我が女神のご帰還ですね」

 

「階層守護者一同、ルカ様の身を案じておりました」

 

「...これでやっと...安心できる...」

 

 その声を聞いてアインズは体を起こし、対面にいるミキに顔を向けた。

 

「念の為バッドステータスが解除されてるか調べてくれ」

 

「かしこまりました」

 

 ベッドに上がりルカの横に両膝をつくと、ミキは額と腹部に手を当てて目を閉じた。

 

体内の精査(インターナルクローズインスペクション)

 

 ルカの全身に幾重もの青い光が激しく交差し始め、ミキの脳内に体内コンディションの情報が流れ込んでくる。やがてその光は収束し、ミキはルカの顔を見つめたまま大粒の涙を零し始めた。アインズはその表情を見て不安が過ぎり、ミキの肩を掴む。  

 

「ミキ、どうだ?ルカの容態は」

 

「.....大丈夫です。軽度の衰弱が見られますが、老衰とショック状態のバッドステータスは解除されています。しばらく休めば回復するでしょう」

 

「何だ脅かすなミキ、一瞬焦ったぞ」

 

 しかし無事だと分かっても、ミキはルカの顔を見つめて動こうとしなかった。涙を流し続けるミキを見てルカは力なく手を伸ばし、指でその涙を拭った。

 

「ごめんね、余計な心配かけちゃって」

 

「余計などと...そんな事は露ほども感じていません。私が今思っているのは、もっと別のことです」

 

 ミキは横になるルカの両肩を掴み、顔の前に覆い被さった。その手は何故か怒りに震え、徐々に目つきが鋭くなっていく。

 

「....何故決戦(アーマゲドン)モードの存在を私達に黙っていたのですか。...200年もの間、このように危険極まりない技がある事を、何故私達にずっと隠し通していたのですか?!...あなたは危うく、アインズ様の命までその手にかける所だったのですよ!」

 

「アインズの...命まで?それは私にも意味が───」

 

「答えなさい、ルカ!!」

 

 創造主を呼び捨てで一喝したミキの顔は泣き崩れ、もはや感情の抑制が効かなくなっていた。ミキは悔しかったのだ。馬鹿正直な主人がたった一つ抱えていた、命に関わる重大な隠し事を秘めていたことに。

 

 ルカはそれを察し、上に覆いかぶさるミキを抱き寄せて自分の体の上に乗せた。

 

「....決戦(アーマゲドン)モードは、憑依(メリディアント)レベルⅤ以上の力を引き出す代わりに、その後の戦闘が続行不可能なほどの致命的なペナルティを背負う事になる。今の私を見れば分かるでしょ?そして決戦(アーマゲドン)モードは、レベルⅤと同じく戦闘終了と確定するまでは、完全に術者が制御不能な状態に陥る。こんなリスキーな技を、ミキとライルに教える訳にはいかなかったの」

 

「...ですが、せめて一言お伝えしてくれれば...」

 

「私もね、この世界に来てから決戦(アーマゲドン)モードを使ったことはなかったんだ。ユグドラシルβ(ベータ)と異なり、まさかこんな状態になるなんて、私自身も本当に知らなかった。ミキ、教えて。私が罹ったバッドステータスは何?」

 

「...老衰、衰弱、それに重度のショック状態です。私とネイヴィア、それにフォールス様が手を尽くしましたが、回復する事は叶いませんでした」

 

「老衰...そっか。確かに魔法で治す手段はないね。ユグドラシルβ(ベータ)の時はただ、24時間ログイン出来なかっただけなのに...キツいペナルティだなあ」

 

 ルカはそう言いながら、抱き寄せたミキの頬に笑顔でキスした。それを受けてミキはルカの首元に顔を埋めて号泣し、感情を爆発させた。

 

「ルカ様、プロキシマbへ帰りましょう...このような無茶はやめて、アインズ様と共に幸せに暮らして下さいませ!もうサードワールドなどどうでも良いではありませんか...私はルカ様と一緒に生きられれば、それでいいのです!死んでは元も子もないではありませんか!!」

 

「ミキ...」

 

 ルカのベッドが涙で湿っていく中、ミキの背中を擦って慰め続けた。そしてルカは小さく首を横に振る。

 

「ごめん、それは出来ない」

 

「...何故?」

 

「今日まで、その為にみんなで頑張って来たんじゃない。私はユグドラシルを極めたいの。ミキも手伝ってくれるよね?」

 

「...一度決めたらとことん突っ走る。あなたは昔から何も変わりませんね、ルカ様」

 

「へへ、そういう事。分かってくれた?」

 

 ミキは体を起こすとマントの裾で涙を拭い、ルカを見つめながらコクンと頷いた。ミキが落ち着いた頃合いを見計らい、アインズは階層守護者達を見渡す。

 

「よし、急いでルカをナザリックまで搬送する。ライル、手伝ってくれ。シャルティア、ナザリックまでの転移門(ゲート)を頼む」

 

「了解でありんす!」

 

 アインズが横になるルカの背中に手を回したとき、向かいに座っていたミキがアインズの腕を握り、止めに入った。

 

「お待ちください、アインズ様」

 

「どうしたミキ?」

 

「今ルカ様の体を動かすのは得策ではありません。幸いここには全員が揃っています。我々で警護しつつ、回復するまではこの場で休ませてあげてほしいのです」

 

「...そうか、お前がそう言うのなら。カベリア、済まないがしばらくこのフェリシア城塞に滞在させてもらいたい。構わないか?」

 

 それを聞いて、カベリアの表情が明るくなった。

 

「もちろんですゴウン魔導王閣下!この砦は巨大ですので、皆様のお部屋もご用意できます。食料の備蓄も十二分に蓄えておりますので、ご自由にお使いください」

 

「感謝する。だがその間何もしないというのも味気ないな...デミウルゴス、城外に待機させてある死の騎士(デスナイト)一万体を総動員し、破壊された城壁の修繕に取り掛かってくれ。それとナザリックからも石の動像(ストーンゴーレム)とガルガンチュアを起動させてここに呼び寄せるんだ。その方が効率的だろう」

 

「かしこまりました、アインズ様」

 

「セバス、シャドウデーモンをフェリシア城塞周辺に配置し、警戒に当たらせろ。間違ってもカルサナスと帝国の偵察者(スカウト)は襲うな。それ以外で怪しい奴がいたら捕らえてここに連れてこい」

 

「御意」

 

 二人が寝室のドアを開けて出ていくと、アインズは寝室に残る守護者達を見た。

 

「フォールス、ネイヴィア、アウラ、マーレ。疲れただろう、お前たちは先に休め。交代でルカの護衛だ」

 

「分かりました、アインズ」

 

「何じゃアインズ、わしの事も女として見てくれているのか?」

 

「当然だろう。お前もかなりの魔力を消費したはずだ。いざという時に動けないようでは困る。...いいから夜までゆっくり寝てくれ」

 

「...フフ、ではお言葉に甘えるとするかの」

 

 するとアウラとマーレがネイヴィアの白いローブにしがみついてきた。

 

「どうした、おまえ達?」

 

「...ネイヴィア、あたし達も一緒の部屋で寝てもいい?」

 

「ぼぼ、僕もそうしたいです...」

 

「もちろんじゃとも。行くぞアウラ、マーレ」

 

「カベリア、部屋へ皆の案内を頼めるか?」

 

「はい、魔導王閣下。それでは皆さんこちらへどうぞ」

 

 カベリアを先頭に、五人は寝室を出ていった。そして部屋に残った者達にも声をかける。

 

「イフィオン、パルール、メフィアーゾ。それに蒼の薔薇と銀糸鳥の諸君。遠慮する事はない、ルカの事は私達に任せてくれ」

 

「アインズ、確かに我々では力不足かもしれないが、都市長としての責任がある。夜まではここに居させてくれ」

 

「私達アダマンタイト級冒険者も、都市長とルカを護衛するためこの場に残ります」

 

 イフィオンとラキュースの言葉を受けて、アインズは小さく頷いて返した。

 

「分かった。その心遣い、ありがたく受け取ろう」

 

 先程から一部始終を背後で見ていたジルクニフが、意識を取り戻したルカのベッドに歩み寄ってきた。そして恐る恐るルカの顔を覗き込む。その視線に気付いたルカは、帝国皇帝に優しく微笑んで返した。

 

「ジル...こっちおいで」

 

 ルカはジルクニフに手を差し伸べたが、誤解があってはいけないと考え、ベッド脇に座るアインズに確認を取った。

 

「魔導王閣下、よろしいかな?」

 

「もちろんだジルクニフ殿。私に気を使うことはない」

 

 ルカの手を取ると軽く引っ張られ、ジルクニフもベッド脇に腰掛けた。顔を見せるため中央に体を寄せると、ルカはサラサラとしたジルクニフの金髪をそっと撫でた。

 

「お疲れ様、ジル。カルサナスの人達は無事?」

 

「他人の心配をしている場合か。...先程砦内へ全住民を収容したと伝言(メッセージ)が入った、案ずるな」

 

「そっか、良かった」

 

「...お前のこのような弱った姿を見ることになろうとはな。まだ顔色が優れないぞ、大丈夫か?」

 

 ジルクニフはルカの左頬に手を添えた。信じられないほどきめ細やかな肌と柔らかい感触に驚きつつも、手の平から体温を計る。

 

「まだ少し熱があるようだな」

 

「起き上がるのはちょっとつらいかな。休んでいればそのうち治ると思う。ジルの手、温かい...」

 

 自分に優しく微笑むその圧倒的に美しい眼差しを見て、ジルクニフはゴクリと唾を飲んだが、雑念を振り払うように首を小さく振るとルカの頬から手を離した。

 

「そ、そうか。ともかく無事で何よりだった。今はゆっくり静養するがよい」

 

「ありがとう、そうするよ」

 

「魔導王閣下、よろしければ我が帝国の兵士達にも城壁の修繕を手伝わせたいのだが、構わないか?」

 

「それは助かるな。是非よろしく頼む」

 

「了解した」

 

 ジルクニフが後ろに下がると、控えていた10人の冒険者達がベッドの周りを取り囲んだ。その内の一人、仮面を被り赤いローブを身に纏う少女が、のそのそと無言でルカのベッドに上がり込んできた。

 

「...馬鹿者。お前というやつは、あんな化物相手に何でいつもそう無茶ばかりするんだ」

 

「イビルアイ...」

 

 横になるルカに覆いかぶさった少女の仮面の下から、涙が滴り落ちる。ルカはその仮面をそっと外し、ベッド脇に置いた。そしてイビルアイは目の当たりにする。読心術(マインドリーディング)が使えるヴァンパイア同士に嘘など通用しない。

 

(無事で良かった)。ルカの心は純粋に、この一色に染まっていた。それを感じ取り、イビルアイは声にならない嗚咽を上げてルカを抱きしめた。馬鹿者、馬鹿者と繰り返し罵りながら。世界級(ワールド)エネミーを前にして、その恐怖に必死で抗ったイビルアイの心境がルカの中に流れ込み、目を閉じてただ背中を支え続けた。

 

 その後も階層守護者達と再会の喜びは続き、時間はあっという間に過ぎていく。そして夜が更けると、護衛交代のため寝室内に四名が入ってきた。フォールス、ネイヴィア、アウラ、マーレは、ベッドの傍らで頬杖をつくアインズに笑顔を向ける。

 

「お疲れ様でした、アインズ。ここからは私達にお任せください」

 

「さすがに疲れたと見えるな。この砦はなかなか良い部屋じゃぞアインズ。一眠りしてこい」

 

「夜はあたしたちにお任せください、アインズ様!」

 

「ぼぼ、僕でお役に立てるかは分かりませんが...」

 

「そうか、では守護者達も交代だ。ミキ達と四都市長、それに冒険者諸君も休むがよい。無論ジルクニフ殿の部屋も頼む、カベリア」

 

「ええ。ではハーロン、皆様をお部屋にご案内差し上げて」

 

「かしこまりました!」

 

 半日中ルカの顔を見ながら周囲を警戒していたせいか、アインズはアンデッドにあるまじき睡魔に襲われていた。先導する兵にフラフラとついていきながら案内された先は、ルカの寝室と同等の広い部屋だった。正面には執務机が置かれており、右手にはキングサイズのベッドがドンと構えている。案内してくれた全身鎧(フルプレート)の兵は、声を張り上げて敬礼した。

 

「魔導王閣下、それではごゆっくりとお休み下さいませ!」

 

「あ、ああ。ハーロンと言ったな、戦で疲れたであろう、お前たちもゆっくり休むがよい」

 

「恐悦至極に存じます!それでは失礼致します!」

 

 (バタン!)と扉を閉めて兵が立ち去ると、アインズは力が抜けたようにベッドへ倒れ込んだ。暖かいシーツの感触に包まれ、アインズは目を閉じる。今日はあまりにも目まぐるしい一日だったと振り返りながら、それでも誰一人失わずに済んだ幸運を感謝しつつ、眠りについた。

 

 一体どれほどの時間熟睡していたのだろうか。(コンコン)というノックの音が響き、アインズはハッと目が覚めた。まさか護衛の交代時間を寝過ごしたのではないかと思い、慌ててベッドから起き上がると、扉に歩み寄りドアを開けた。するとそこには、純白のホワイトローブを身に纏ったカベリアが立っていた。予想外の来客に驚きアインズは目を瞬かせたが、カベリアはそんなアインズの様子を見て微笑んでみせた。

 

「ゴウン魔導王閣下、夜分に申し訳ありません。お休み...でしたよね?」

 

「いっ、いや!まあ寝てはいたが...問題ない。どうしたカベリア?」

 

「その、少しお話したい事があって...中に入れてもらってもよろしいでしょうか?」

 

「ああ、もちろんだ。構わないぞ」

 

 アインズが扉を大きく開けると、カベリアは静かに部屋へと入ってきた。部屋の隅に置いてあった予備の椅子を執務机の前に置くと、アインズは向かい合うようにして机の奥に座った。ランタンの淡い光だけが室内を照らす中、椅子の横に立つカベリアは何故か座ろうとせず、手を前に組んで立ち尽くしていた。

 

「それではゆっくり話も出来ないだろう。座れカベリア」

 

「...はい」

 

 促されてようやく席についたが、何故か執務机に目を落として喋ろうとしない。アインズは試しに敵視感知(センスエネミー)を無詠唱で唱えたが。全くの無反応だった。それを見て安心すると同時に、話したい事は別にあるのだとアインズは察し、カベリアに優しく語りかけた。

 

「...地下道では、本当に済まない事をした。あそこでお前を殺していたなら、俺は一生後悔するところだった。イオにとどめを刺そうとした俺をお前が止めてくれたからこそ、俺は大きな過ちを犯さずに済んだ。心より感謝する、カベリア」

 

「...ほらね?....やっぱり....」

 

「ん?」

 

「...こんなに優しい人なのに、私は疑ってばっかり...ルカお姉ちゃんと一緒にいる人が、優しくない訳がないのに...ほんとバカだ、私...」

 

 椅子に座ったまま俯き、体を震わせながら大粒の涙を膝元に落とすカベリアを見て、アインズは彼女が話したい事の真意を悟った。

 

「...カベリア、そう自分を責めるな。お互い様だった、それで良いではないか」

 

「いいえ魔導王閣下。あなたの言った通り、私はあなた達にとって許しがたい言葉を吐いてしまった。事実も知らないくせに、憶測ばかりで物事を判断した挙句、私は多くの兵達を死なせてしまったのです...閣下を信じて一歩歩み寄り、もっと早くに助けを求めていれば、こんな尊い犠牲を出さずに済んだものを、私は....本当に愚か者ですね」

 

「...お前が都市国家連合代表として、国交の無かった我が魔導国を警戒したのは当然の判断であり、逆にそれが出来なければ代表失格だ。そのお前の判断に皆が賛同して、カルサナスの兵と民達は独立国家としての意地を貫き通し、我々に頼る事なく、最後の最後まであの化物達を相手に戦い抜いた。その結果都市は滅んだが、民達は全員無事だと聞いている。カベリア、こう考えろ。兵士達は民を守ったのだと。そして信じろ、俺を呼んだお前の判断は正しかったのだと」

 

「...ゴウン魔導王閣下」

 

 カベリアの心に一筋の光が差したようだった。潤んだグリーンの瞳がランタンの淡い光に照らされ、アインズの眼窩に赤く光る目を見つめ返す。そのまま何も言わず椅子から立ち上がると、カベリアは執務机を回り込んでアインズの座る椅子の隣に立った。それを不思議そうに見上げるアインズを真顔で見下ろす。

 

「カベリア?」

 

「...それでも、あなたに対する罪の意識がまだ消えないのです」

 

 すると側に立つカベリアの体から何故か、アインズが何度も嗅いだ記憶のあるフローラルな香水の香りが漂ってきた。(この香りは、ルカと同じ?)そう気づくも、アインズは椅子をカベリアの方へ向けて返答した。

 

「罪など感じる必要はない。もう俺達は打ち解けあったではないか」

 

「いいえ、それだけでは償いきれません。私から閣下へ、贈り物がございます。...こんなもので喜んでいただけるかどうかは分かりませんが」

 

「ほう、それは一体何かね?」

 

 カベリアが腰紐を(シュルン)と解くと、純白のローブが肩から滑り落ちて地面に落ちる。その下から一糸纏わぬ裸体が姿を表した。その透き通るように白い肌、形の良い乳房に引き締まった肢体は、まさに完璧と呼んで良いプロポーションだった。アインズは一瞬見惚れてしまった自分を恥じつつ、大慌てでカベリアの顔に目を移した。

 

「ちょっ...待て待て待てカベリア?!」

 

「...魔導王閣下。私のその...初めてを、受け取っていただけますか?」

 

「何故そうなる?!」

 

「...あなただけに清めて欲しいのです。私を..抱いてください」

 

「は〜...」

 

 アインズは額を抱えて大きく溜息をつくと、地面に落ちたローブを拾い上げて椅子から立ち上がり、カベリアの体に覆いかぶせて腰紐を結び直した。それを見てカベリアは唖然としていたが、アインズはカベリアの両肩を掴んで体を揺すった。

 

「初めてがアンデッドとか、それこそ体が汚れるわ!もっと自分を大事にしろカベリア!」

 

「わ、私ではご不満...でしょうか?」

 

「そうではない!お前は十分美しい。気持ちは嬉しいが、これからのお前の人生に汚点を作るわけにはいかん。ちゃんと貞操観念を持ち種族を選べと言ってるんだ!」

 

「汚点だなんて、私はこの部屋に来る前十二分に考えました。それに私にとっては人間種(ヒューマン)も亜人もアンデッドも、等しく同等な存在ですから」

 

「...悪いことは言わん、初めては人間種(ヒューマン)森妖精(エルフ)系にしておけ。それと俺にはもう、心に決めた女性がいる。彼女を裏切るような真似は出来ない」

 

「...それは、ルカお姉ちゃん...ですか?」

 

「ん?...んん、まあな。他の皆には内緒だぞ」

 

「...魔導王閣下のルカお姉ちゃんを見る目、他と違ってた。とても優しくて、温かくて...私分かってたんです。でも、それでも...私は魔導王閣下に捧げたかった...」

 

 カベリアの目から再び大粒の涙が溢れ、白い頬に流れ落ちた。それを見てアインズは深い溜め息をつき、カベリアの両肩から手を離して背後の椅子に座ると、(ポンポン)と自分の太腿を叩いて彼女の顔を見上げた。

 

「カベリア、ちょっとここに座れ」

 

「...はい」

 

 言われるがまま、カベリアは足を揃えてアインズの膝元に腰を下ろした。その背中を右腕で支えると、アインズは自分の胸元にカベリアの頭を抱き寄せた。漆黒のローブに、見る見る涙が吸い込まれていく。

 

「こんな男のために泣くやつがあるか。都市長代表だろう?しっかりしろカベリア」

 

「...そんな自分を卑下する言い方やめてください、魔導王閣下。あなたは私にとって英雄です」

 

「いい加減その閣下というのも呼びづらいだろう。俺の事はアインズと呼べ」

 

「...はい、アインズ様。とても...いい香りがします」

 

「竜王国産の石鹸だ。お前も心地よい香りがするぞカベリア。ルカと同じ香水...フォレムニャックだな」

 

「子供の頃、ルカお姉ちゃんにせがんで瓶ごともらったんです。それ以来我が国でも竜王国より取り寄せて愛用しています。あの時の思い出を忘れないように...」

 

「...そうか。今俺がしてやれるのはこれぐらいだ。許せ、カベリア」

 

 アインズは胸元に寄りかかるカベリアの額に、そっとキスをした。それを受けてカベリアは目を閉じ、アインズの左手を握りしめて指を絡める。所詮歯でのキスだったが、天にも昇るような気持ちでカベリアはそれを受け止めた。そしてアインズが口を離すとカベリアはゆっくりと目を開き、嬉しさのあまりポロポロと涙を零す。

 

 そのままアインズの首を抱き寄せて、カベリアは漆黒のローブに顔を埋めた。

 

「...ごめんなさい」

 

「カベリア?」

 

「全部...私の誤解でした...ごめんなさい...ごめんなさい!ごめんなさい!!アインズ様ぁぁあああ!!」

 

「バカ者が。...お前の全てを許そう、カベリアよ」

 

 号泣するカベリアの背中を摩り、泣き止むまでアインズは抱きしめ続けた。やがて涙も枯れ、呼吸も荒いカベリアを見てアインズは体を離し、乱れた前髪を耳の後ろにかき分けて目を覗き込んだ。

 

「さあ、お前も疲れただろう。もう夜更けだ、自室に戻ってゆっくり休むがよい」

 

「いや...アインズ様と一緒に寝たい」

 

「...フッ、見かけによらず甘えん坊なやつだな。仕方がない、よっと!」

 

 カベリアの背中と両足を支えると、アインズは椅子から立ち上がり体を持ち上げた。部屋右奥のベッドまで歩み寄ると、カベリアをそっと横たわらせて自らも添い寝し、羽毛布団をかぶせた。アインズは枕の上に左肘を立て、頭を支えて顔を見ながら、子守をする父親のように寝顔を見守った。カベリアの腰に手を添えて、(トン、トン)と一定の拍子で軽く叩くと、荒かった息も次第に整い、体も弛緩して目も微睡んできた。

 

「寝れそうか?カベリア」

 

「...はい、アインズ様...何か...お話...して...」

 

「...お話?」

 

 そう聞いてアインズは戸惑ったが、カベリアの美しい顔を見ているうちに、何とか寝かせてやりたいと願った。すると遠い過去の記憶が蘇り、語りだしたアインズは自然に声を作るのを止めて、素の自分に戻っていた。

 

「そうだな....あれは西暦2132年の秋だった。こことは違うお前達の知らない世界、違う場所での出来事だ。俺はその時点で国ではなくギルドを組んでおり、41人の頼れる仲間たちがいた。その誰もが俺と同等...いやそれ以上の力を持つ者達だった。その内の忍者である弐式炎雷という者がヘルヘイムという土地で、誰も手の付けていない未探索の遺跡を発見してな。そこを初見攻略しようと俺はギルドに提案した。しかし遺跡自体が未調査なため、あまりにも無謀すぎると反対するギルドメンバーが多数いた。当然だろう、遺跡内部には強力なモンスター達が犇めいていると分かりきっていたからな。だが俺は確信を持っていた。この41人の仲間たちとなら、必ずその遺跡を制覇できるだろうと」

 

「...賛成される方は、いなかったのですか?」

 

 仰向けで寝るカベリアは閉じかけていた目を開き、首だけをアインズに向けて質問してきた。それを見てアインズは、カベリアの横顔をそっと撫でる。

 

「フフ、もちろんいたさ。武人建御雷を筆頭に、賛成派の強力な後押しもあって、結局は戦闘部隊5チームを選抜してその遺跡に乗り込むことになった。俺はその内の最強部隊2チームの一人として加わっていた。この遺跡はいわゆる同時攻略系ダンジョンと呼ばれていてな。上の階層から順に、墳墓、地底湖、氷河、大森林、溶岩地帯と5つのエリアに分かれていた。この各エリアの最奥部には強力なボスモンスターが控えていて、その5階層のボスを僅かな時間差を置き、同時に倒さなければいけなかった。つまり1階層に1チームが挑み、お互いに伝言(メッセージ)で連携を取り合いながら、同タイミングで敵を殺さなくてはいけないという、非常に難易度の高いダンジョンだった。しかし我がギルド・アインズウールゴウンは、数多の困難を乗り切り、見事その遺跡を制覇した。それが今カルネ村の北東にある、俺達の本拠地ナザリック地下大墳墓なんだよ」

 

「...我がギルドとおっしゃいましたが、アインズ様はその時から王だったのですか?」

 

「いや、王ではなくギルドマスターという任に着いていた。言わば41人いたギルドメンバーの取りまとめ役だな。ナザリック地下大墳墓という拠点を手に入れた我々は、そこから6年間の間栄華を極めた。そして2138年初頭、お前の知らないその世界が終焉を迎えることが事前に告知された。それを知ったギルドメンバー達は一人、また一人とギルドから去っていき、最後にはギルドマスターである俺だけが残された。終焉の日が来るその瞬間まで、俺は一人でギルドと拠点を維持し続けていたが、その来たる最後の瞬間である2138年11月9日、午前0:00分。終わると思っていた元の世界から、俺はナザリック地下大墳墓ごと、お前達が今生きるこの異世界へと突如転移してきたんだ」

 

 カベリアはそれを聞いて、閉じかけていた目を再度見開いた。

 

「お一人だけでこの世界に..寂しい思いをされたのですね、アインズ様」

 

「...そうでもないさ、我が配下である階層守護者達もいたしな。そこから二ヶ月ほどが経過し、俺もこの世界にようやく馴染んできた頃だった。地表から見えないよう幻術でカモフラージュしていたナザリック地下大墳墓に、突如侵入者が現れた。その3人は凄まじい力を持って我が配下を一人、また一人と打ち倒し、遂には第六階層で待ち受けていた俺と階層守護者の前に辿り着いた。それがルカ・ブレイズ、ミキ・バーレ二、ライル・センチネルの3人だったんだよ。彼女らは戦闘態勢だった俺達の前で敵意を見せず、信じられない事実を告げた。ルカ達三人も、俺と同じく別世界からこの世界へと転移してきた、プレイヤーだと言うのだ。俺は最初その言葉を信用しなかったが、ルカは自らの過酷な人生を、包み隠さず詳細に語ってくれた。あの時ルカが流した涙は本物だった。それを見て俺はルカの言葉が真実だと悟ったんだ。そして彼女ら三人の願いである現実世界への帰還という目的の為、俺と階層守護者達は力を貸した。そして全員の総力を結集し、見事ルカは200年という長い歳月を経て、その目的を果たしたという訳だ」

 

「...そのプレイヤーというのは存じ上げておりませんが、ルカお姉ちゃんは自分の元いた世界から、再びアインズ様の前に帰ってきたのですね?」

 

「プレイヤーに関してはイフィオンに聞いてみろ、彼女なら知っているはずだ。ルカは俺の救援要請に応じ、魔導国の大使として力を貸してくれる事を了承してくれた。それ以来俺達と共にいる」

 

「そういう事だったのですね、合点が行きました。それなら、ルカお姉ちゃんと深い関係になっても不思議ではありませんね。...貴重なお話を聞かせて頂き、感謝しますアインズ様」

 

 笑顔を向けるカベリアを見て、アインズは頭をそっと撫でた。

 

「...フフ、余計に目が覚めてしまったようだな、悪かった。明日の事もある、今日は寝ておけ。今からお前にゆっくりと眠れる魔法をかける、いいな?」

 

「...はい、アインズ様。お願いします」

 

魔法持続時間延長化(エクステンドマジック)深眠(インスリープ)

 

 カベリアの顔の前に右手を広げて魔法を唱えると、瞼を閉じ脱力して熟睡に落ちた。それを見たアインズは静かにベッドから降りると、執務机の椅子にドッと腰掛けた。

 

「やれやれ、何でこんな話をしてしまったんだ俺は...」

 

 額に手を当てて首を横に振るが、左奥のベッドで眠るカベリアの横顔を見て、(フッ)と自嘲気味に笑いながら机に目を落とした。

 

「...まあ、いいか...俺もさすがに今日は...疲れた...」

 

 椅子の背もたれに寄りかかり、睡魔に抗いきれずアインズが目を閉じた時だった。(コンコン)と扉がノックされる音が響いた。それを聞いてアインズはまたしてもハッと目が覚め、椅子から立ち上がりドアを開いた。そこには見るも美しい金髪のショートレイヤーに青い瞳を持つ女性が、淡い緑色のレザーアーマーに身を包んで立っていた。

 

「アインズ、夜分に済まない。起きていたか?」

 

「イ、イフィオン?どうしたんだこんな時間に」

 

「いや何、少々気になったものでな。...カベリアは中にいるんだろう?」

 

「...ああ、先程魔法で寝かしつけたところだ。今は俺のベッドで深い眠りに落ちている」

 

「そうか。丁度いい、少し話がある。時間は取らせない、中に入れてもらってもいいか?」

 

「もちろんだ。ここはお前達の砦、遠慮することは無い」

 

 イフィオンが予備の椅子に座り、それと向かい合うようにアインズが執務椅子に腰掛けると、イフィオンは右手にあるベッドに横たわるカベリアに目を向けた。

 

「...よく眠っているようだな」

 

「連戦に次ぐ連戦で心身共に参っていたのだろう。魔法の影響で明日の昼までは目を覚まさないはずだ」

 

「そうか...」

 

 優しく微笑むイフィオンの横顔を眺めながら、アインズはふとイフィオンの腰に目を落とした。

 

「帯剣していないようだな。二刀使い(ブレードウィーバー)専用剣はどうした?」

 

「お前の部屋に来るのに、そんな無粋なものは必要ない。それに何かあれば、お前が私達を守ってくれる。そうだろう?」

 

「フフ、まあな。それに我が信頼の置ける配下と帝国軍の兵士達が目を光らせている以上、今やこのフェリシア城塞は鉄壁の布陣だ。何の心配も要らない」

 

「...お前といると心が安らぐよ、アインズ」

 

「眠れないのなら、軽く寝酒でも飲むか?それか魔法をかけてやってもいいが...」

 

「魔法は遠慮しておくよ。美味い酒なんだろうな?」

 

「もちろんだ。此度のカルサナス戦役で最高の武勲者であるお前に相応しい酒だぞ」

 

 アインズは中空に手を伸ばすと、アイテムストレージの中から立派なシャンパンボトルを一本と、カクテルグラスを二つにコルクスクリューを取り出した。そして手際よく(シュポン!)と封を開けると、イフィオンのグラスに注ぎ込む。マリンブルーの液体の上から気化するエーテルの靄が広がり、ミステリアスな香りが瞬時に部屋の中を満たした。そしてアインズもグラスを手に取り二人は立ち上がると、机越しにグラスをぶつけた。

 

「乾杯、イフィオン。ルカを救ってくれた事、感謝する」

 

「私はただきっかけを与えたに過ぎない。ルカ...そしてイオを救ったのは全てお前の力だ。乾杯アインズ」

 

 二人はグラスを仰ぎ、アインズが二杯目を注いで席についた。イフィオンはカクテルグラスの香りを嗅ぎ、トロンと微睡んだような表情を見せる。

 

「...美味い。この香りは確か、レムリアンフルールの蜜のものだな。甘すぎず上品で香り高いのに、どこかしっとりとしていて優しい...まるでお前のような酒だぞ、アインズ」

 

「俺のような、と言われても返答に困るがな。それは竜王国産のスターゲイザーという貴重なエーテル酒だ。ドラウディロン女王から土産として持たされたものを、一本キープしておいた。俺もこの酒はかなり好きでな、気に入ってもらえたようで何よりだ」

 

黒鱗の竜王(ブラックスケイルドラゴンロード)、ドラウディロン・オーリウクルス女王か。お前達魔導国があの国を救ったという噂は、本当だったんだな」

 

「まあ、同盟も組んだし救ったと言えば嘘ではないが...どうした、何か気がかりな事でもあったのか?」

 

「...いや何、こんな事ならカベリアを説得してでも、もっと早くにお前達魔導国に助けを求めるべきだったんじゃないかと思ってな。まさに後悔先に立たずというやつだ」

 

「どういう事だ?」

 

 イフィオンは二杯目のスターゲイザーを一口飲むと、執務机の上にグラスを置いてアインズを真っ直ぐに見た。

 

「...実はあの九万の亜人軍と三匹の化物がカルサナスに現れた直後、私に一通の伝言(メッセージ)が届いていたんだ」

 

「ほう、それは誰からだ?」

 

「200年前共に戦った同胞、白銀...ツァインドルクス=ヴァイシオンからだった。彼は私にこう言った。(今すぐ魔導国に助けを求めろ、彼らにしか対処できない)と。しかしそれを聞いても私は最初半信半疑だった。それにお前も薄々感じているかも知れないが、このカルサナスはどちらかと言えば閉鎖的な国家だ。他国に頼らず、独立して多人種が協調し合う事を是としている。だが私はツアーの言葉を聞き、最後の手段として取っておく事にした。魔導国の属国であるバハルス帝国ではなく、アーグランド評議国を通じて魔導国に取りなしを求めようと。しかし追い込まれた我々とカベリアは、民衆を巻き込まないため苦渋の決断として、より近い隣国である帝国に救援要請をした。そしてその結果が今あるこの静寂という訳だ」

 

 アインズはグラス半分残ったスターゲイザーを一気に飲み干し、3杯目を注ぎながら深い溜め息をついた。

 

「...俺はそこで寝ているカベリアを、一度とは言え本気で殺そうとした。カベリアだけじゃない。イフィオン、お前もカルサナスの民達も全て皆殺しにしようとまで考えたんだぞ?まかり間違っていれば、お前達が魔導国に抱いていた危惧が現実のものとなっていたかも知れないんだ。そう安安と人を信用するものじゃない」

 

「...でもせめて今くらい...信じちゃだめ、かな?」

 

 その深遠なブルーの瞳から零れ落ちた涙が頬を伝い、イフィオンはアインズに微笑んで返した。幼い顔立ちで素を見せたイフィオンを見て、アインズは懐から白いハンカチを取り出すとそれを黙って手渡した。彼女が涙を拭っている間、半分空いたグラスにスターゲイザーを注ぎ込む。

 

「当然信じていい。お前達は正しい選択をした。そして俺自身も、このカルサナスに来て正しいルートに導かれたと確信している。お前と、そしてそこで寝ているカベリアのおかげでな。二人を殺していれば、俺は取り返しのつかない過ちを犯す所だった。許せ、イフィオン」

 

「アインズ...」 

 

 それを聞いたイフィオンがカクテルグラスを手に立ち上がると、アインズの座る執務椅子の前まで回り込んできた。そしてそのまま何も言わず、アインズの膝下にそっと腰を下ろす。イフィオンの体からは、ロータスヴァイオレット系の抱擁感あるシャープな香りが漂ってきた。

 

「お、おいおいイフィオン、酔っ払ったか?」

 

「このくらいで私が酔うと思う?」

 

「な、何かさっきもこんな場面があったような...」

 

「フフ、アインズ。カベリアに迫られてたでしょ?」

 

「し、知っていたのか?!」

 

半森妖精(ハーフエルフ)の聴力を侮っちゃだめよ。全部丸聞こえ。というか、よく我慢できたね?」

 

「...我慢も何も、色々と問題があってだな...それにカベリアはまだ子供だ。そんな不埒な真似は出来ん」

 

「...じゃあ、私ならいい?」

 

「んん?!それはどういう...」

 

「私はルカよりも年上。大人だから安心だよ」

 

「いっいやいや!お前ヘタしたらルカよりも幼く見えるぞ!カベリアもいるというのに」

 

「魔法かけてるなら起きないよ、いいからじっとして。背中支えてアインズ?」

 

「う、うむ...」

 

 アインズが渋々背中を支えると、イフィオンは手にしたカクテルグラスを仰いでスターゲイザーを口に含んだ。そしてアインズの首を強引に抱き寄せると、柔らかな唇を重ねてスターゲイザーをゆっくりと口移しし始めた。

 

「ちょっ...イフィオン?!」

 

 しかし絶え間なく注ぎ込まれる口移しを飲み込まざるを得ず、アインズはカチコチに固まってしまっていた。まろやかなスターゲイザーの味と共に滑り込んでくるイフィオンの舌が口内を愛撫し、もはや現実認識が出来なくなっていたアインズだったが、全てを飲み込み終わるとイフィオンはゆっくりと唇を離し、吐息を漏らしながらアインズの左頬をそっと撫でた。

 

「...はぁ...これがルカの惚れた男の味か。アンデッドとのキスなんて生まれて初めてよアインズ」

 

「...イフィオンお前、あのメフィアーゾとかいう男から告白されておいて...いいのかこんな事しても?」

 

「それとこれとは話が別。...どう?美味しかった?」

 

「ん?...んんまあ、美味だったが」

 

「カベリアの事を我慢してくれたご褒美よ。そしてカルサナスを救ってくれた事に対する、私の精一杯の感謝。普段はこんな事、絶対にしないんだからね?」

 

「だろうな。お前は軽い女には見えないからな」

 

「...もっとしてあげたいけど、これ以上したらルカに怒られちゃうから、我慢するね」

 

「そうしてくれると助かる。俺も理性がぶっ飛びそうだった」

 

「フフ、嬉しいよ。ごめんね、遅くまで付き合わせて」

 

「ああ。それと、この事はくれぐれもルカには...」

 

「大人だって言ったでしょ?言うわけないじゃない」

 

 イフィオンはアインズの膝からピョンと飛び降りると、執務机の上に置いてあったグラスを一気に飲み干してドアに向かった。アインズも後を追うようにそれを見送る。

 

「じゃあ、ありがとうアインズ。カベリアをよろしくね」

 

「ああ、任せておけ。お前もゆっくり寝るんだぞ」

 

「そうするよ」

 

 イフィオンの眩しい笑顔と共に後ろ姿を見送りながら、アインズは扉を閉めた。そして執務椅子にドッと腰掛け、眉間を指で摘んだ。

 

(...人生最大のモテ期がユグドラシル内でとか、一体どうなってんだこの世界は...まあ感謝の証だし悪い気はしないけど、ちゃんと一線は守り通したぞ、ルカ!)

 

 そしてアインズは目を閉じ、気絶するように深い熟睡へと落ちていった。

 

 

───フェリシア城塞 ルカの寝室内 11:53 AM

 

 

 未だ深い眠りについているカベリアを起こさないよう部屋を出たアインズは、同じ四階にあるルカの寝室へと足を運び、扉を開けた。そこには全階層守護者と三都市長、ジルクニフにフールーダ、ノアとミキ達に冒険者も揃っていた。アルベドとデミウルゴスがアインズの前に立ち、頭を下げる。

 

「おはようございます、アインズ様」

 

「ご不便はございませんでしたでしょうか?」

 

「おはようアルベド、デミウルゴス。こちらは問題ない。夜中に異常はなかったか?」

 

「厳戒態勢を敷いておりますので、ご安心くださいませ。ルカ様も先程お目覚めになられました」

 

「そうか。デミウルゴス、城壁の修繕はどうなっている?」

 

「ガルガンチュアと石の動像(ストーンゴーレム)、それに帝国の兵士達が夜を徹してくれたおかげで、修繕状況は約半分といったところです。明日にはほぼ完了するかと存じます」

 

「よろしい。ジルクニフ殿も済まないが、引き続きよろしく頼む」

 

「了解した、ゴウン魔導王閣下」

 

 そう言うとアインズは、ベッドの右脇に腰掛けてルカの顔を覗き込んだ。

 

「おはようルカ、具合はどうだ?」

 

「おはようアインズ。うん、大分良くなってきたよ」

 

 笑顔だがまだ少し眠そうな目を見て、アインズはルカの髪をそっと撫でて頬に手を添えた。

 

「熱も若干下がってきたようだな。昨日は汗もかいただろう、不快なところはないか?」

 

「大丈夫、昨日の夜中にアルベドとフォールスに体拭いてもらったから」

 

 見るとルカの衣服が、レザーアーマーからホワイトのネグリジェに変わっている。それを見てアインズは大きく頷いた。

 

「そうか。欲しいものがあったら何でも言ってくれ。全てを用意させる」

 

「心配しすぎだって。...でもありがと、そうさせてもらうよ」

 

憑依(メリディアント)のペナルティ解除まで残り約14時間。その後の経過観察も必要だが、もう少しの我慢だぞ、ルカ」

 

「...どうしたのアインズ?何かあったの?」

 

 その問いに答える代わりに、アインズはルカの上に覆いかぶさり、その大きく赤い瞳を真っ直ぐに見た。(俺の心を読め。)そう思いながら、昨日あった出来事を強く連想し、それでも揺るがない自分の心を伝えようとしたが、ルカは不思議そうにアインズの顔を眺め、左頬に手を添えるだけだった。

 

「? アインズ?」

 

 何の疑いも持たないその透き通った目を見て、アインズは横になるルカをそっと抱きしめた。そして耳元で周りに聞こえないよう小さく囁く。

 

「...愛してる。お前だけが俺の全てだ」

 

 それを聞いて、ルカの顔は火が火照ったかのように赤く染まる。

 

「えっ、ちょっと...びっくりするじゃない!いきなりそんな事言われたら...」

 

「だが事実だ」

 

 体を離して真剣に見つめるアインズの目を見て、ルカは(コクン)と頷いた。

 

「...分かってるよ、そんな事。あたしも同じだから心配しないで」

 

 ルカの目に涙が滲むが、それをアインズはローブの裾でそっと拭い去る。見れば見るほど美しい絶世の美女。カベリアにも、イフィオンにもない悪魔的な魅力を持ちながら、同時に強さと脆さも併せ持つ不安定な存在。しかしそれが、アインズに取って何者にも変えがたい女性として純然たる輝きを放っていた。

 

 もし、イフィオンの持つ冥王の血(ブラッドオブヘイディス)が効かなかった場合の最終手段。未来の妻に対し、臓腑をえぐる覚悟の苛烈極まる最後の手を、アインズはずっと心に秘めていた。その覚悟はルカが倒れ、ミキがバッドステータスを確認した直後から生まれていた。だからこそここまで冷静に振る舞えたのである。イオの出現という予期せぬハプニングはあったものの、ルカの一部であるイオとの和解という結果に結びついた事もあり、その意味でアインズはイフィオンに心から感謝していた。

 

「ルカ、昨日から何も食べていないだろう。腹が減らないか?」

 

「...へへ、実は少し空いてたんだ」

 

「そうか。セバス、昨日頼んでおいたものは出来ているか?」

 

「もちろんでございますアインズ様。アツアツでお持ち致します」

 

 セバスが右耳に手を当てて指示すると、10分もしないうちに(バタン!)と扉が開き、犬の頭を持ったメイドの女性がカートを押して静かに入ってきた。そのカートの上には、大きな灰色の土鍋が乗せられている。その懐かしい顔を見て、ルカの顔が明るくなった。

 

「ペストーニャ!久しぶりだね」

 

「ルカ様、ご機嫌麗しゅう。ああ...そのようなおいたわしい姿、このペストーニャ見るに耐えませぬ。本日は消化に良いものをお持ちしました。これを食べて元気を取り戻してくださいませ、だワン」

 

 そう言ってペストーニャが土鍋の蓋を開けると、中から(モワッ)と蒸気が立ち上った。そして部屋中に食欲をそそる海鮮類とゴマの香りが満ちていく。

 

「ルカ、起きれるか?背中を支えるぞ」

 

「うん、お願い」

 

 アインズに上半身を支えられて起き上がると、ルカは土鍋の中を覗いた。

 

「あ!すごいこれ...」

 

「はい。牡蠣味噌粥の海鮮昆布だし・胡麻和えでございます」

 

「美味しそー!」

 

 ペストーニャが米を壊さないよう土鍋を優しくかき混ぜ、ガラス製のお椀によそいレンゲも添えてベッドに差し出した。それをベッド左脇に座ったアルベドが受け取り、(フー、フー)と熱を冷ました後に、ルカの口元へと運ぶ。

 

「はいルカ、熱いから気をつけてね。あーん」

 

「あーん」

 

 パクッとレンゲに乗ったお粥を食べると、ルカの顔が満面の笑みに変わっていった。

 

「んんーおいしー!この牡蠣味噌新鮮!!出汁もいい味してるし、胡麻がまたいいアクセントになってるね!」

 

「まだまだございますので、ゆっくりお召し上がりになって下さいませ、だワン」

 

 すると後ろに控えていたフレイヴァルツが前に進み出て、背中に背負った魔法のリュート、星の交響曲(スターシンフォニー)を取り出すと、小川のせせらぎのようにアルペジオを主体とした美しい演奏を始め、それと同時に魔法を詠唱した。

 

静寂の旋律(カーミング・メロディー)

 

 それを聴いた寝室内にいる全員の体から赤と青のオーラが立ち上り始め、その効果を感じ取った階層守護者達が一斉にフレイヴァルツを注視した。不覚にも心と体が癒やされていく事実に抗いきれず、演奏を続けるフレイヴァルツにシャルティアがツカツカと歩み寄った。

 

「おんし、この呪文は何でありんすか?」

 

「これは体力と魔力の自然回復力を爆発的に増加させる魔法です。継続詠唱(チャント)の特性を持っていますので、私が演奏し続ける限りこの効果は半永久的に持続します。つまり、この効果範囲内にいれば魔法は撃ち放題となるわけです」

 

「...フン、この回復力...人間のくせになかなかやるでありんすね。私の体も楽でありんす。これならルカ様にも効果てきめんかと存じんすぇ。そのまま演奏してておくんなまし」

 

「光栄です、ヴァンパイアのお嬢さん。食事と音楽は付き物と申します。ルカ様の一刻も早い回復を願って、このまま演奏させてもらいますね」

 

「おんし、私が真祖(トゥルー)ヴァンパイアと知っても怖くないのでありんすか?」

 

「もちろんです。私は職業柄、仲間も含め異業種に抵抗がありません。ヴァンパイアの友人も幾人かおります。そしてあの地下道でのあなたの戦い、見させてもらいました。私があなたと比べてゴミ同然の強さしかない事も承知しております。しかしそんな遥か上を行くあなたが、あの場では必死の形相で戦っていた。それは一重に、ルカ様を守りたい一心だったからとお見受けしました。ならば志は同じはず。魔導王閣下と共に歩むあなた方を、私は怖がったりしません。特にあなたはね、美しいヴァンパイアのお嬢さん」

 

「ふ、フン!褒めても何も出ないでありんすよ。人間、一応名前を聞いておきましょう」

 

「アダマンタイト級冒険者チーム・銀糸鳥のフレイヴァルツと申します。よろしければお嬢さんのお名前もお聞かせください」

 

「シャルティア・ブラッドフォールン。次に会うときは敵同士かも知れないでありんすぇ?」

 

「そうはならないでしょう。あなたの目を見れば分かります。例えそうなったとしても、あなたに殺されるなら私も本望ですよ。きっとそうしなければいけない理由が必ずあるはずでしょうから」

 

 (曇りがない、この男は本心でそう言っている。)演奏しながら笑顔で見下ろすフレイヴァルツの目を見て、それに気づいたシャルティアは不覚にも見惚れ、赤面していた。それを誤魔化すようにしてフレイヴァルツの手元に視線を移す。これ以上ない程の滑らかなフィンガーピッキング奏法を眺め、シャルティアの中にあった人間種(ヒューマン)に対する固定観念が崩れていく瞬間でもあった。

 

「と、とにかくそのまま演奏してておくんなまし!」

 

「かしこまりました」

 

 プイッと背を向けて一歩を踏み出そうとするが、シャルティアはその前にボソッと呟いた。

 

「...おんしの力は、ゴミなんかじゃありんせん。フレイヴァルツ...」

 

「え?何かおっしゃいましたか?シャルティアお嬢さん」

 

「何でもありんせん!」

 

 シャルティアはそのままツカツカと歩くと、少し離れた真後ろから話を聞いていたアウラに抱きついた。苦笑いしながら仕方なさそうに受け止めると、アウラはシャルティアの背中を優しく摩る。

 

「おーよしよし、びっくりしたんだねえ」

 

「うるさい!...ちょっとの間、こうしておいてくんなまし」

 

「はいはい。...人間種(ヒューマン)も、案外捨てたもんじゃないでしょ?」

 

「...案外、でありんす。絶対じゃありんせん」

 

「素直じゃないなあ。...良かったね、友達増えて」

 

「......うん」

 

 そしてフレイヴァルツは、ベッドて食事をするルカの足元に立った。牡蠣味噌粥をゴクリと飲み込むと、ルカは笑顔で語りかけた。

 

「やあ、吟遊詩人(バード)だね。ご同業にあえてうれしいよ。衰弱中はHPとMPが減少していくから、静寂の旋律(カーミング・メロディー)のようなリカバリー系の魔法は本当に助かる。名前は?」

 

「フレイヴァルツと申します、ルカ様。こうやって話せる日を、今か今かと待ちかねていました。何でしたらバフ系の魔法もかけられますが、いかがいたしましょう?」

 

激励の頌歌(キャンティクル・オブ・インスピレーション)だね。吟遊詩人(バード)のバフはMP消費が激しいから、無理しないでいいよ。継続詠唱(チャント)系ならMP消費もないし、このまま続けてくれると助かるかな」

 

「...さすがですルカ様。今の言葉からあなたがアサシン系統のクラスのみならず、吟遊詩人(バード)も極めているという事が分かりました。伝説のマスターアサシンと謳われたあなたの強さとあの美声の秘密が理解できた気がします」

 

「様付はいらないよ、ルカって呼び捨てにして。気になったんだけど、私君の前で歌った事あったっけ?」

 

 それを聞いて左右に座っていたアインズとアルベドが顔を見合わせ、血相を変えて口元に人差し指を当ててフレイヴァルツを睨みつけた。それを受けてフレイヴァルツは咄嗟に誤魔化す。

 

「ああいえ!地下道であなたの声を聞いて、きっとさぞ美声なのだろうと察した次第です」

 

「ふーん。ところでフレイヴァルツは、音波魔法使える?」

 

「ええ、鍛えてはいませんが少しでしたら。ルカは?」

 

「私はデバフも含めて、最大まで鍛えてるよ。相手に吟遊詩人(バード)がいない限りレジスト対策もないし、効果的だからね」

 

「なるほど。私は現時点でサポート主体の魔法は極めています」

 

「それなら、虚数の海に舞う(ダンス・オブ・ディラック・)不屈の魂(ザ・ドーントレス)は?」

 

 その名を聞いた途端フレイヴァルツの目つきが鋭くなり押し黙ったが、(ん?)と屈託なく笑顔で首を傾げるルカを見てドッと息を吐き、苦笑いをしながら首を大きく横に振った。

 

「...やれやれ、あなたに隠し事は出来ませんね。私に取って秘奥義中の奥義とも呼べる技を、あっさりと見破るとは。ええ、もちろん使えます。10秒間どのような攻撃からもパーティーメンバーを守る、サポート系の究極奥義。世界広しと言えども使えるのは私のみだと思っていましたが、まさかルカも?」

 

「うん、私も使えるよ。すごいね、この世界で無敵化を使える人に初めて会ったよ」

 

「それはこちらのセリフです。実は、あの三体の化物...世界級(ワールド)エネミーと言いましたか。あれと戦う際の最終手段として隠していたんです。無論逃げるためにですが、恐らくルカはオフェンシブな手段として使っているのでしょう。あのように神がかった化物と撃ち合える火力があるからこそ、虚数の海に舞う(ダンス・オブ・ディラック・)不屈の魂(ザ・ドーントレス)も生きてくる。羨ましい限りです」

 

(ほお...)と、アインズを含め階層守護者達から感嘆の声が上がった。フレイヴァルツの言葉は、無敵化を使う者のみが持てる戦略的発想に満ちていたからである。その上でルカのような無敵化の使用法がベストだという答えに辿り着いていた。その経験則に階層守護者達が目を見張るのも、当然の成り行きだった。

 

 ルカはその言葉に(うんうん)と笑顔で頷きながら、横にいるアインズに顔を近づけた。

 

「ねえアインズ、今度フレイヴァルツをナザリックに招待してもいい?」

 

 それを聞いて階層守護者達がざわめいたが、笑顔を見せるルカを見てアインズはたどたどしく頷いた。

 

「あ、ああ、別に構わんが...何をするつもりだ?」

 

「決まってるじゃない。ちょっとこの子を鍛えてあげようかと思って」

 

 それに一番驚いたのは、フレイヴァルツだった。

 

「鍛える?!わ、私をですか?」

 

「そうよ、嫌?」

 

「そういう訳ではないのですが...しかし私はこれでも限界まで吟遊詩人(バード)としての技を磨いてきたつもりです。あなたに師事出来るのは光栄ですが、これ以上鍛えても...」

 

「じゃあ、私を殺せる?」

 

 それを聞いてフレイヴァルツは唖然とした。ベッドに座るルカの弱々しい姿を見て、次第に沸々と怒りが湧いてくる。フレイヴァルツはその思いを素直にぶつけた。

 

「そんな事...出来る訳ないじゃないですか!!私は今、あなたを守るためここにいるんです!...強く美しいあなたを殺すなど、私には絶対に出来ません!!」

 

「そう?私は今、手も触れずに君の事を殺せるよ」

 

「なっ...!何を言って..」

 

「....体で知った方が早いね。試してみようか、沈黙の覇気(オーラオブサイレンス)

 

 ルカが魔法を唱えた途端、白い被膜がフレイヴァルツを覆い尽くした。しかしフレイヴァルツ自身は体に全く異常を感じず、何が起きたのか理解出来ずにいた。その様子を見てルカは不気味に優しく微笑む。

 

「これで君お得意の継続詠唱(チャント)及び魔法は完全に封じられた。効果時間は60秒。試しに声を出してごらん。そのリュートを弾いてもいいよ」

 

「...ガッ....グッ...!」

 

 フレイヴァルツは喉を押さえて声を振り絞ろうとするが、全く発声が出来ないことに気づきパニックに陥った。それならとリュートの弦を指で弾くが、まるで空気がないかのように音が一切共振しない。それを見てルカの目に殺気が宿っていく。

 

「例えば君がディフェンス特化型の吟遊詩人(バード)だったとしよう。それならこういう手もある。盲目(ブラインドネス)

 

 目を見開いているにも関わらず、フレイヴァルツの視界は完全な暗黒に閉ざされた。声も視界も奪われ、もはやフレイヴァルツに出来ることは気配だけを頼りに前進するだけだった。ベッドの縁に足がぶつかったフレイヴァルツは腰を屈め、羽毛布団の感触を頼りに手探りでベッドへ上がろうとする。それを冷酷な視線で見つめながら、ルカは語りかけた。

 

「逃げなかったことは褒めてあげる。でも万が一君が逃げても、私は絶対に逃さない。何故なら、敵パーティーの中で吟遊詩人(バード)はヒーラーと同様、真っ先に殺さなければいけない相手。ならどうするか、答えを見せてあげる。拍子急速低下(モルトー・リタルダンド)

 

 呪文を唱えたルカを中心に、青色の衝撃波が50ユニットに渡って広がり、フレイヴァルツはおろか左右に座ったアインズとアルベド、寝室内にいる全員の肩に重力がのしかかってきた。そしてベッドに這い上がろうとしたフレイヴァルツの移動速度が、見るも無残に鈍足になる。それでも歯を食いしばり、フレイヴァルツはやっとの事でベッドに上がると、手の下にルカの足らしき柔らかい感触が手に当たった。しかしルカは無情に最後通告を告げる。

 

「...この60秒の間に、私が何をできたか想像してごらん?フレイヴァルツ。君なら分かるでしょ?」

 

「....ッ!!.....ッ!!」

 

「声も出ない、目も見えない、動きも遅い。...そう、君は死んでいる。私は最初の5秒で君を殺していた。つまりこの60秒の間に、君は12回死んでいる事になる。残り20秒、ここまで待ってあげたのは君の未熟さ故だ。次で君は本当に死ぬ。今、ここで」

 

 ルカの体からドス黒い殺気が立ち上った。それは寝室内にいる階層守護者も、フォールスも、ネイヴィアも、左右にいたアインズとアルベドすらも止めに入るような本気の殺気であった。そして凍るような冷たい殺気を当てられている、たった一人の張本人、フレイヴァルツ。もはや気圧されて身動き一つ取れずにいる。彼は覚悟した。せめて正面を向いて死のうと。目は見えずとも、すぐそこにルカがいる。手の下には温かいルカの足の感触がある。何故かそれだけが救いだった。彼女が先程見せた優しい笑顔、それを思い返し、フレイヴァルツも自然と笑顔になっていた。

 

 その表情を見て、ルカはニヤリと笑う。そして人差し指をフレイヴァルツの眉間に向けた。

 

「...さよなら、フレイヴァルツ。魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)恐怖の不協和(ドレッドディゾナン...)...」

 

 魔力が集中していく。それも尋常ではない強大な魔力。ディアン・ケヒトと同等...いやそれ以上か。これがベッドで伏せっていたか弱い女性の魔力なのかと疑いつつ、もはや逃げ出そうなどという気持ちは吹き飛んでいた。ルカ・ブレイズ、そしてイオ。フレイヴァルツの脳がかつてないほど高速回転し、走馬灯を見終えた後に浮かんだ言葉はたった一つ。

 

(神を滅ぼす者) この一言だった。

 

 そしてその神とは、自分達の敵だった。自らを犠牲にして、たった一人神に立ち向かったルカも無事。大勝利だ。後は彼らに任せればいい。きっと平和の元に、破壊されたカルサナスを復興させてくれるだろう。

 

 フレイヴァルツは、静かに目を閉じた。手の下にあるルカの足を握りしめながら。

 

 するとフレイヴァルツの両頬に、温かい手の感触が伝わってきた。

 

「...なーんて、ウッソー!解呪(ディスペル)魔法解体(マジックディストラクション)!」

 

 ルカの声だけが鮮明に響き渡る。その瞬間、暗転していた視界が元に戻った。次に体にのしかかっていた重力も消え去り、踏ん張っていた力が一気に脱力して、ルカの太腿に倒れ込んだ。柔らかい感触がフレイヴァルツの顔をバウンドさせる。何が起きたのか分からず、フレイヴァルツは目を瞬かせた。

 

「...え?」

 

 気がつくと、声も出るようになっていた。そして頭を優しく撫でる感触と共に、フローラルな香りに包まれる。それを見て寝室内にいた者全員の緊張が解け、ホッと胸をなでおろした。

 

「...頑張ったね、フレイヴァルツ。そのまま楽にしてていいよ」

 

「あの...ルカ、これは一体?」

 

「言ったでしょ?パーティーに吟遊詩人(バード)がいれば、真っ先に狙われる。それを感じて欲しかったの」

 

「...それは一種の臨死体験と言う事ですか?フフ、あなたもお人が悪い。軽くあの世を見ましたよ」

 

「君の覚悟は分かった。でも私が教えたかったのはもっと別の事。当ててごらん?フレイヴァルツ」

 

 フレイヴァルツにはその答えが分かりきっていた。それ故更に脱力し、目を閉じてルカの太腿に頭を預ける。

 

「...先程使用したあなたの技は全て、吟遊詩人(バード)が習得できるもの。あなたの持つメインクラスの技を使わず、吟遊詩人(バード)の技のみで同じ吟遊詩人(バード)である私を殺せた。そう言いたいのでしょう?」 

 

「正解。確かにサポートとしての吟遊詩人(バード)も必要だけど、その真価は攻撃に回った時発揮される。ダガーを持つも良し、弓を持つも良し。でも君は継続詠唱(チャント)のサポートに徹しているため、リュートを使っている。それなら、両手が自由な音波魔法を鍛えるのは絶対条件なの。吟遊詩人(バード)は守勢に回っちゃいけない。攻撃に参加してこそ、相手に恐怖を与える存在となる。私が何で継続詠唱(チャント)を使わないか、理由は分かったでしょ?」

 

「ええ。沈黙の覇気(オーラオブサイレンス)で簡単に潰されるからですね」

 

「そうだね。でも継続詠唱(チャント)...例えば強奪する英雄の忠告(ラグナーズ・レード・オブ・レンディング)を使用すれば、物理攻撃も魔法攻撃力も50%アップするけど、その直後に攻撃を受ければ継続詠唱(チャント)は途切れてしまう。でも一度継続詠唱(チャント)を唱えれば、その後30秒間効果が持続する。もし君が音波魔法を持っていれば、その間に何発撃てるか考えてごらん?」

 

 それを聞いて、何かに気づいたようにフレイヴァルツの目が大きく見開かれた。

 

「...音波魔法の詠唱時間は一部を除き5秒。最速で撃てば、6発撃てる計算になりますね」

 

「それも魔法攻撃力が50%もアップした状態で、なおかつ120ユニットという遠距離から、恐怖の不協和音(ドレッド・ディゾナンス)という強力な技を撃てるんだよ。これは大きなアドバンテージだと思わない?」

 

「そして恐怖の不協和音(ドレッド・ディゾナンス)に対するレジストは、相手に吟遊詩人(バード)がいなければ対抗策は存在しない...ですか」

 

「そゆこと。君は独力で虚数の海に舞う不屈の魂(ダンスオブディラックザドーントレス)に辿り着いた。大したものだけど、だからこそまだまだ鍛える余地はあるし、私なら吟遊詩人(バード)として最強の道を君に提示してあげられる。試してみる価値はあると思うよ」

 

 脱力した体を立ち上げると、フレイヴァルツはベッドの上でルカと向かい合った。自分の目を興味深げに覗き込んで微笑むルカを見て、フレイヴァルツは諦めたように溜め息をついた。

 

「...やれやれ、そんな顔をされては断れそうもありませんね。分かりました、あなたに教えを乞えるのなら願ってもない事。是非よろしくお願いします、ルカ」

 

「決まりだね。よーし鍛えるぞ〜!」

 

 フレイヴァルツはベッドから下りると、再びリュートによる演奏を始めた。意気揚々のルカを諌めるようにして、左に座るアルベドがお粥の乗ったレンゲを口元に運んできた。

 

「人に稽古をつけるのも良いけど、まずはしっかり食べて体を治してくださいルカ。でないと、心配でおちおち側を離れられません」

 

「はーい」

 

 そして牡蠣味噌粥を全て食べ終わったルカは、ペロリと唇を舐めてお椀をペストーニャに返した。

 

「ごちそう様ー、美味しかった!これペストーニャが作ったの?」

 

「いいえ、私じゃございません。だワン」

 

 するとセバスがペストーニャの隣に立ち、ルカとアインズに一礼してきた。

 

「この食事を作った者達が、ルカ様へ是非にと面会を所望しております。只今砦の厨房におりますので、寝室に招いてもよろしいでしょうか?」

 

「もちろんいいよ、私も会ってみたいし」

 

「ありがとうございます。伝言(メッセージ)

 

 やがて二分もしないうちに(コンコン)と部屋の扉がノックされた。セバスが扉を開けて出迎えると、後に続いて二人のメイドが入ってきた。一人はセミロングの金髪に整った顔立ちの美しい女性で、そしてもう一人は何と全身に赤い鱗を持ち、頭にホワイトプリムを被りフリルのついた黒いエプロンを装備した、メスの蜥蜴人(リザードマン)だったのだ。二人はまずアインズに向かい恭しくお辞儀をするが、ルカと目があった蜥蜴人(リザードマン)は祈るような仕草で手を組み、一歩前に進み出てきた。その特徴的な赤い鱗を見て、ルカは目を丸くした。

 

「え、リーシャじゃない!」

 

「ルカ様...」

 

 その蜥蜴人(リザードマン)リーシャ・キシュリーは、ベッドに横たわるルカの顔から足までを眺めると、うるうると目に涙を溜めてベッドに飛び込み、ルカの懐にしがみついてきた。

 

「うわぁあああんルカ様ーー!!一体どうされたのですかそのお姿は?!」

 

「おっとと!...久しぶりだねリーシャ。来てくれて嬉しいよ」

 

「私...私、セバス様からルカ様が危篤と聞いて、居ても立ってもいられずに連れてきてもらったんです!...病気ですか?それともお怪我ですか?それに合わせた食事を私達で作りますので、何なりと仰ってください!」

 

 体にしがみつくリーシャの顔を持ち上げて、ルカはネグリジェの裾でそっと涙を拭った。そして不安を与えないよう、努めて笑顔を作る。

 

「ありがとう、私はもう大丈夫。お粥すごく美味しかったよ、腕を上げたねリーシャ。そのメイドの格好と言う事は、ナザリックで料理の修行をしてるんだよね?」

 

「は、はい!消化の良い物をと頼まれ、あの牡蠣味噌粥はツアレさんと二人で作りました。それにナザリックではセバス様を始め、ペストーニャ様、料理長、他のメイドの皆様にも大変良くしていただき、毎日勉強に励んでおります!」

 

「それは良かった、君を推薦した甲斐があったよ。そのうち蜥蜴人(リザードマン)一のシェフになるかもね。私も料理には自信あるから、今度いくつかレシピを教えてあげるよ」

 

「ありがとうございます、ルカ様!」

 

 リーシャがベッドから下りると、もう一人のメイドが静かにベッド脇へ歩み寄り、深々と一礼してきた。その可愛らしくも愛嬌のある金髪の女性の笑顔を見て、ルカは心に引っかかるものがあった。

 

「...あれ?君前にどこかで会ったことない?」

 

「はい、以前エ・ランテルにあるアインズ様の屋敷で一度お会いしております。覚えていてくれて光栄です、ルカ様」

 

「あー分かった!アインズの部屋の前で出迎えてくれたメイドの子か」

 

「ツアレニーニャ・ベイロンと申します。セバス様付きのメイドとして、現在は主にアインズ様の屋敷で働かせていただいております」

 

「そうか、君がツアレだったのか。...んー、"イシュタル"のいい香りがする。似合ってるよ、噂に違わぬべっぴんさんだね」

 

「も、申し訳ありません!ここへ来る際、セバス様から頂いたこの香水を是非にと言われましたもので。それにべっぴんだなんて...私、エ・ランテルの屋敷でルカ様のお顔を初めて目にした時、こんなにもお美しい方がいるのかと見惚れてしまったんです。今こうしてお近くで見ても...本当にきれい。あなた様に比べれば、私など足元にも及びはしません」

 

 ツアレは頬を赤らめて俯いたが、ルカは優しく微笑みながらツアレに返答した。

 

「君はまだ若い。これから女を磨いていけば、もっともっと美人になるさ。セバスの事、よろしく頼んだよツアレ」

 

 隣に立つセバスの顔を見上げると、セバスもまたツアレを見つめ返す。そして徐々に笑顔へと変わり、ルカへ再度目を戻した。

 

「...はい、お任せください。それよりもルカ様、お食事の味はいかがでしたでしょうか?ペストーニャ様にも一応味見をしてもらったのですが...」

 

「ああ、美味しくてペロリと食べちゃったよ。リーシャとツアレ、二人の心が籠もっているような優しい味だった。また頼むよツアレ」

 

「良かった...かしこまりました、何かご希望がございましたら、何なりと仰ってください」

 

「分かった、ありがとう」

 

 二人が挨拶を終えると、ペストーニャが前に出てきた。

 

「それではルカ様、私共は夕食の支度をして参りますので、一旦失礼致します。だワン」

 

「了解、君もありがとうペストーニャ」

 

 土鍋の乗ったカートを押すペストーニャを先頭に、リーシャとツアレは寝室を出ていった。ルカの背中を支えていたアインズは、ゆっくりと上半身を寝かせてルカを横にし、羽毛布団を掛けた。

 

「全く...病人が魔法を撃つやつがあるか。回復が遅れてしまうぞ」

 

「へへ、ごめんごめん。もうしないよ」

 

「食事も摂ったし、夕方まで少し寝たらどうだ?」

 

「そうしようかな。まだ体の力も入らないし、ちょっと眠くなってきたかも」

 

 するとソファーに座っていたアウラとマーレが立ち上がり、ベッドの両脇からよじ登ってきた。そしてルカの顔を心配そうに覗き込んでくるが、それを見て二人の頭を笑顔で撫でる。

 

「どうしたの?アウラ、マーレ」

 

「ルカ様...」

 

「あ、あの、ぼくたちも一緒に寝てもいいですか?」

 

「...いいよ、おいで」

 

 二人はそっと羽毛布団の中に潜り込み、枕に頭を乗せてぴったりと体を密着させてきた。その体温を感じてルカは目を閉じるが、枕越しにアウラとマーレの視線を両側から受け続け、ルカは再び目を開ける。

 

「フフ、そんなに見つめられたら眠れないよ二人共」

 

「...ルカ様、もう大丈夫だよね?」

 

「僕たちを置いて、急に消えたりしませんよね?」

 

「もう少し休めば体も元通りだよだよアウラ。それにマーレ、私がそんな事するわけないでしょ?」

 

「....だって、だって」

 

「? ....マーレ?」

 

 突如目から溢れ出た涙、ルカはそれを見て一瞬混乱した。一抹の不安が過り、ルカの赤い瞳がユラリと輝く。無意識に発動した読心術(マインドリーディング)により流れ込んできたマーレの感情と心象風景。そこには自分そっくりな女性とアインズが、フェリシア城塞の中庭で向かい合い、全力で殺し合う光景が鮮明に映し出されていた。場面は変わり、敵だと思われたその女性が、何故かアウラとマーレを抱きしめている。そしてマーレの見ている前で、その女性の体が黒いオーラとなって霧散し、ベッドに眠る自分の肉体に吸い込まれていく光景。マーレはそれを見て深い悲しみと愛情の念に囚われ、自分とその女性を完全に同一視している事が伺えた。ルカに取ってそれは衝撃的な内容だったが、涙で濡れたマーレの頬に手を添えて優しく問いかける。

 

「...イオ...って、誰?何故アインズを攻撃してるのに、その人の事が好きなの?」

 

「...おいマーレ!」

 

 慌てた様子で腰を上げ、咄嗟に止めに入ったアインズだったが、読心術(マインドリーディング)でただ心を読まれただけのマーレに罪はない。その事に気づき、アインズは強い語調で制止してしまった事を後悔したが、案の定マーレは更に泣き出し、ルカに抱き着いて胸に顔を埋めてきた。

 

「うぇぇえええん!ごめんなさいアインズ様、ルカ様ぁぁああ!」

 

 マーレの背中を摩りながら、ルカはアインズに鋭い目を向けた。

 

「...何でこの事を黙ってたの?アインズ」

 

「い、いやその...隠すつもりはなかったんだ、すまん...」

 

 アインズが項垂れるように頭を下げると、右で寝ていたアウラがルカの背中にしがみついてきた。

 

「違うのルカ様!アインズ様もあたし達も、弱ったルカ様の体を思って今まで黙ってたんです。完全に回復した後に、アインズ様とここにいるみんなの口からイオ様の事をお伝えしようと...」

 

「アウラ...」

 

 マーレを支えたまま仰向けになり右を見ると、アウラの目にも涙が滲んでいた。その悲痛な表情に心を痛めたルカは、アウラの頭も自分の胸に抱き寄せる。二人の涙でネグリジェが濡れていく中、ルカは左に立つアインズに首だけを向けた。

 

「教えてアインズ、何があったのか」

 

「...分かった、全てを話そう」

 

 改まった様子でアインズはベッド脇に腰掛けるが、そこへデミウルゴスが歩み寄り、アインズの目の前に立って深く一礼してきた。

 

「アインズ様。よろしければそのお役目、この私にお任せ願えませんでしょうか。元はと言えば、イオ様に手を上げてしまった私にも責任の一端があるかと存じます」

 

「デミウルゴス...よかろう、お前に任せる」

 

「畏まりました」

 

 そしてデミウルゴスは切々と語り始めた。冥王の血(ブラッドオブヘイディス)を飲んだ事によりルカの体から分離された、憑依(メリディアント)の悪魔にして決戦(アーマゲドン)モードが自我を持った意識体・イオの存在。その強大な力を持って当初こそ敵対していたが、アインズがイオを倒した事によりペナルティとしての責務から解放され、そこへ更に死を望むイオをカベリアが説得した事により、皆と和解した事。

 

 イオはルカの意識の片隅に住んでおり、過去200年に渡るルカとの記憶を一部共有しているが、宿主であるルカ自身にはその存在を意識出来ず、確認が不可能な事。本当の彼女はルカと同様に庇護の強い意思を秘めており、慈悲深く優しい心の持ち主だった事を話した。

 

「...私は最初その事に気づいてやれず、ルカ様の事を思う余り心無い言葉を浴びせたばかりか、攻撃まで加えてしまった。しかしあの方の真の心を知った今、イオ様はあなたに続く第二の女神として、私の中で燦然と輝いております、ルカ様...」

 

 自分を愛おしそうに見つめるデミウルゴスを見て、ルカの胸中にとある不思議な経験が蘇ってきた。

 

「そんな事が...じゃああれは、ひょっとして夢じゃなかったのかも」

 

「どういう事です?」

 

「200年前この世界に転移させられた直後から、妙な白昼夢を見るようになったの。どう説明したらいいか...表現が難しいんだけど、何もない真っ暗闇の空間に私一人だけが立っていて、目の前にはいつも大きな鏡がポツンと置かれていた。そこには当然私の姿が映っているんだけど、そのままじっと見ていると段々その姿が崩れて、悪魔のような黒いオーラの化身になっていってね。真っ赤な目と口でニヤリと笑いかけてきたんだ。その威圧的な気配と殺気の塊のような姿を見て最初は警戒したんだけど、特に襲ってくる様子も見せない。そんな夢を何度か見ているうちに、黒いオーラは遂に鏡の外へと出てくるようになった。それも私と瓜二つの姿でね」

 

「...その時、何かお話されたのですか?」

 

「私が何度名前を聞いても微笑み返すばかりで、教えてくれなかった。その代わり最初に鏡から出てきた時、私にこう言ったの。(覚醒者よ、お前とこうして話す事ができて嬉しい)って。それが何の意味かさっぱり分からなかったけど、少なくとも敵意が無いことだけは確認出来た。そこから夢を見る度に、彼女と色々な話をしていくようになった。転移後の世界に置ける情勢、戦ったモンスターの分析、現実世界へ帰る為の手段。彼女と話す事で、転移後に混乱していた私も落ち着きを取り戻し、今後取るべき方向性をまとめていく事が出来るようになっていった。...何の具体的な答えも提示してはくれなかったけど、今思えば不思議な子だったな」

 

「...ルカ様、それは間違いなくイオ様のお姿かと存じます。夢という深層意識の中で、お二人はやはり会われていたのですね。決戦(アーマゲドン)モードの存在にまで辿り着いたイビルエッジはルカ様だけだと、あの方は仰っていました。そして今こうして話をしている間も、イオ様は無意識の中でルカ様の目を通し、私達を見守ってくれている。ルカ様にとっては無意識ゆえ、不安に思われることもあるかとお察し致しますが、このデミウルゴスが断言します。彼女はあなた様に次ぐ、第二の女神たるべき存在だと」

 

 デミウルゴスはルカの瞳の奥を見つめながら話していたが、そこでふと気づいた。(私にだけ向けて話しているのではない。)自分の中にいるというもう一人の存在...憑依(メリディアント)の悪魔であるイオにも語りかけているのだと。階層守護者の中で最も頼りにしている男の真摯な言葉を受け、ルカは何の抵抗もなくその事実を信じた。

 

「...分かったよデミウルゴス、君がそこまで言うなら。イオ、か...やっと名前を教えてもらえた。その人とまた会いたい?デミウルゴス」

 

「何を仰られるのです。あの御方とまた会うためには、ルカ様が憑依(メリディアント)を使用し、再度決戦(アーマゲドン)モードを発動した後にペナルティを受け、冥王の血(ブラッドオブヘイディス)を飲む以外に方法がない。そんな苛烈極まりない事を、私があなたに望むとでも本気で思っているのですか?...そんな事をせずとも、あなたの中でイオ様は生きている。私が今望むのは、ルカ様の元気なお姿を一刻も早く見たいという事だけです。それが引いては、イオ様のご健勝にも繋がる訳ですからね、我が女神よ」

 

 デミウルゴスはベッドに乗せられたルカの手を取り、笑顔で優しく握った。ルカもその手を握り返し、ダイヤモンドのように輝くデミウルゴスの瞳を見つめる。

 

「...ありがとう。みんなの気持ちもよく分かった。でもアインズ、次からはこういう大切なことはもっと早くに話してね? 私は大丈夫だから」

 

「ああ、もちろんだとも」

 

「それにしても、憑依(メリディアント)決戦(アーマゲドン)モードに勝っちゃったんだ。すごいねアインズ、それなら私なんか余裕なんじゃない?」

 

「...これはイオにも話した事だが、彼女はお前と比較して戦闘経験が不足していた。正直な話、あれなら憑依(メリディアント)を使わない普段のお前の方がよっぽど手強かったぞ」

 

「そうなんだ。と言う事は、特殊魔法や魔法四重化を全て防いだんだね。その首にかけてる竜王の守護(プロテクションオブドラゴンロード)で」 

 

「その通りだ。お前のそういう発想がイオには欠けていた。否、お前が竜王の守護(プロテクションオブドラゴンロード)の存在を例え知らなかったとしても、絶対反射(アブソリュートリフレックス)に対して即座に対応できる危機管理能力をお前は持ち合わせている。決戦(アーマゲドン)モードに勝ったからと言って、それがお前に勝てる根拠になるとは全く考えていない。お前自身に憑依(メリディアント)を使われたら、負けるのは確実に俺の方だった」

 

「アインズは慎重だね。好きよ、そういうとこ」

 

「フフ。間違いなく言えるのは、ディアン・ケヒトは俺一人では倒せない。それだけの事だ。こうやって戦闘に関しディスカッションしている内容も、イオはお前の中で聞いてくれているはずだ。次にまた会う時、きっと彼女はさらなる成長を遂げて俺達の前に姿を見せるだろう」

 

「私は正直な気持ち、また決戦(アーマゲドン)モードを使う事態は避けたいところなのよね。このペナルティはさすがにきつすぎるよ」

 

「そうだな。もちろん俺もお前にこんな無理はさせたくない。イオに関してはこれが全てだ。黙っていて悪かった、さあ少し休め。体力と魔力の回復には、眠るのが一番だろう」

 

「デミウルゴスにも言われちゃったし、頑張って治すとしますかー。アウラ、マーレ、心配させてごめん。一緒に寝ようね」

 

「ルカ様...良かった」

 

「ぼぼ、僕の方こそごめんなさいルカ様...」

 

「いいのよマーレ。アインズ、寝かせてくれる?」

 

「分かった、三人まとめてかけるからな。魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)深眠(インスリープ)

 

 ルカ・アウラ・マーレは一気に脱力し、熟睡に誘われた。母子のように眠る三人を見てアインズは深呼吸し、眩しい視線を送る。その時、寝室のドアが開いて起床したカベリアが入室してきた。先日とは違い、ベージュのVネックトップスにタイトなホワイトパンツという、洒落た軽装で姿を表した。

 

「みなさん、遅くなり申し訳ありません。眠りこけてしまったようで...」

 

「おはようカベリア。大分顔色も良くなったようだな、疲れは取れたか?」

 

「はい!アインズ様の魔法のおかげで、ぐっすり寝かせていただきました」

 

 しかしそのカベリアの言葉を聞いて、アルベドとシャルティアの目が釣り上がった。

 

「"アインズ"様ですって?...人間、いくら都市長代表だからといって我らが王の名を軽々しく呼ぶなど、万死に値します。魔導王陛下とお呼びなさい」

 

「アルベドの言うとおりでありんす。魔導王陛下をアインズ様と呼んでいいのは、私達だけ。調子に乗るなよ人間、次にその名で呼んだら容赦なく殺すでありんすぇ?」

 

「あ...そ、その、すいません!そうとは知らず...」

 

 二人の緩い殺気を受け、完全に萎縮してしまったカベリアを見て、アインズが仕方なく助け舟を出した。

 

「良いアルベド、シャルティア!私が自ら名を呼ぶ許可を与えたのだ、多目に見てやれ」

 

「そんな...アインズ様、よろしいのですか?」

 

「構わないさ、カベリアに関してはな。シャルティア、お前もそれでいいな?」

 

「ふぬぬ...了解でありんす...」

 

「と言う訳だカベリア、今まで通りアインズと呼ぶが良い」

 

「は、はい!...それとアルベド様、シャルティア様。それにナザリック階層守護者のみなさん。先日は場が混乱していた事もあり、お礼も言えず本当に申し訳ありませんでした。私達カルサナス都市国家連合を救ってくれた事、都市長を代表して心より感謝申し上げます。皆様の事は、先日アインズ様より色々とお話をお伺いしました。あなた達がいなければ、この世界へ転移してきたばかりのアインズ様は、きっと生きる術をなくしていたかも知れません。皆様が公私ともに支えていたからこそ、アインズ様は魔導国における真の王になられたのだと思います。そんなあなた達が来てくれて、本当に...本当に良かった...」

 

 目いっぱいに涙を浮かべて素直に礼を述べるカベリアを見て、アルベドとシャルティアは戸惑いを見せていたが、セバスやコキュートス・デミウルゴス・ルベドは小さく頷いてカベリアの言葉に耳を傾けていた。そして階層守護者達は理解した。カベリア都市長はアインズと打ち解け合っただけでなく、異業種である自分達全員をも受け入れたのだと。

 

 その様子を見ていたセバスがカベリアの隣に寄り添い、胸ポケットから真っ白なハンカチを取り出してカベリアに差し出した。

 

「あなたの気持ちは十分に伝わりました、カベリア都市長。あなたにここまで感謝されるとは、我々階層守護者に取っても誉れ高きこと。さあ、これで涙をお拭きください」

 

「...ありがとうございます。あの、よろしければお名前をお伺いしても?」

 

「私の名はセバス・チャンと申します。アインズ様の執事をしているものです。セバスとお呼びくだされば結構です。折角ですから他の階層守護者達もご紹介しましょう。赤いワンピースを着た彼女はルベド、アルベドの妹です。氷のように逞しい彼はコキュートス、橙色のスーツを着た彼はデミウルゴス、ルカ様の右で眠る彼女が姉のアウラ、左で眠る彼が弟のマーレと言います」

 

「セバス様、お心遣い感謝致します。ルベド様、コキュートス様、デミウルゴス様も、この砦にいる間はご不便のないよう努めて参りますので、何なりと仰ってくださいね」

 

 すると早速ルベドがカベリアの前に進み出てきた。

 

「...カベリア...私...お風呂に...入りたい」

 

「ええ、ルベド様!砦内に大浴場がありますので、そこで汗をお流しください。今すぐ行かれますか?」

 

「...ありがとう...今すぐ...行きたい」

 

「分かりました。ハーロン、ご案内差し上げて」

 

「畏まりました!ルベド様、こちらへどうぞ」

 

 二人が部屋を出るのを見送ると、カベリアはセバス達の方へ向き直った。

 

「コキュートス様とデミウルゴス様は、何かございますか?」

 

「我ラハルカ様ノ護衛ニ徹スル。心配ハ無用ダ、カベリア都市長」

 

「そうですねぇ、私も特に頼み事はないかと思いますが」

 

「何かあれば、遠慮なく仰ってくださいね」

 

 にこやかに応対する様子を見て、アインズは何かを思い出したようにふと目を上げた。

 

「時にカベリアよ。イフィオンもだが、地下道での話の続きが気になっていてな。ルカがこの国とどのようにして関わりを持ったかについてなんだか...」

 

「アインズ様.. そうでしたね、この事はアインズ様も含め、魔導国の皆さんにも詳しくお伝えしておかなければなりません。長い話になりますが、よろしいでしょうか?」

 

「構わない。是非聞かせて欲しい」

 

 カベリアがアインズの座るベッド脇の左隣に座ると、イフィオンも席を立ちアインズを挟んで右隣に腰掛けた。それを見たパルールとメフィアーゾも歩み寄ってくる。

 

「アインズ、その話はここにいる四都市長全員の口から説明しよう」

 

「遂にカルサナスの禁忌を公にする時が来ましたな。ルカもこの場にいるんじゃ、問題なかろう。ゴウン魔導王閣下、わしからも事の詳細をお伝えしたい」

 

「魔導王の旦那、こいつは...このルカはな、何の見返りも求めずに、カルサナスに生きる俺達何十万という命を救ってみせたんだ。俺も話に加わらせてくれ」

 

「パルール、メフィアーゾ...よかろう、面白い話が聞けそうだ。教えてくれ、この国で何が起こったのかをな」

 

「...忘れもせん、あれは日も暮れようとしていた夕方の出来事じゃった」

 

 

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■魔法解説

 

 

神聖歪曲(アギオーラ・ディストーション)

 

サーラ・ユガ・アロリキャ専用の神聖範囲攻撃魔法。効果範囲は300ユニットに渡り、射角60度に渡り強力な神聖属性のエネルギーを放射する戦争級魔法。着弾後1分間の神聖属性DoTを敵に与え続ける。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

海竜の刃(エッジオブパトリムパス)

 

ネイヴィア=ライトゥーガ専用範囲攻撃魔法。氷結・神聖属性の二局面を持つ巨大な三日月型の刃を召喚し、120ユニットの範囲内にいる敵に飛ばす事で一刀両断にし大ダメージを与える。

 

 

世界蛇の毒牙(ファング・オブ・ヨルムンガンド)

 

ネイヴィア=ライトゥーガ専用の毒属性範囲攻撃魔法。鋼鉄をも溶かす毒属性の光線を口から放射し、範囲内の敵に強烈な大ダメージを与える。また光線を浴びた者に対し、一定確立で石化の効果をもたらす事により、耐性の無い者にとっては非常に致死率の高い魔法となる。

 

 

霊現の災害(アストラル・ディザスター)

 

サーラ・ユガ・アロリキャ専用の星幽系範囲攻撃魔法。肉体ではなく霊体を分子レベルまで崩壊させる事により、生物を構成する自我を死滅させる。特に非実体を持つ敵に対し絶大なる効果を発揮する。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

暗黒星雲の特異点(シンギュラリティ・オブ・ダークネビュラ)

 

サーラ・ユガ・アロリキャ専用の無属性範囲攻撃魔法。その火力と攻撃範囲はサーラが使用する中でも最大級に属し、全ての物理・魔法耐性等のレジストを無視して即死に匹敵するダメージを与える貫通属性を持つ魔法。熱量・冷気量・運動量・質量・重力・電力・時間等エネルギーを構成するあらゆる要素に突発的な変異を起こし、それにより発生した強大な力の渦が対象者を飲み込み消滅させる。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

超位魔法・破裂する呪いの恒星(アルタイル・オブ・カースバースト)

 

ワードオブディザスター専用の獄炎属性超位魔法。高次元時空より小惑星級の超重力・超高熱を持つ天体を召喚し、敵の頭上に落下させて全てを焼き尽くす大爆発を起こす。その際に飛び散る散弾のような巨大隕石により広範囲に被害をもたらし、その後1分間の獄炎属性DoT効果を与え、直撃を免れた者をも死に追いやる。

 

 

大蛇の地震(ミズガルズ・アースクエイク)

 

ネイヴィア=ライトゥーガ専用の重力属性範囲型持続性魔法(AoEDoT)。陽子崩壊レベルの時空震を引き起こす事で、地面はおろか大気までも振動させる。そのため周囲200ユニットの範囲内にいる者は、例え空中に退避しても大ダメージを被る戦争級魔法。稀に即死効果も引き起こす為、この魔法を受けた者は即座に魔法の範囲外へ退避が必要となる。

 

 

完治(クーラ)

 

ディアン・ケヒト専用のパーセントリカバリー型回復魔法。キャスティングタイムはたったの一秒にも関わらず、術者のHPを一瞬でフル回復させる。しかもリキャストタイムも2秒と非常に短く、麻痺(スタン)系の魔法も完全無効化するため一見防ぎようがないように思われるが、その実はウォーロックの精神系魔法がウィークポイントとして設定されており、一定周期で精神系攻撃を加え続ける事によってこの回復を阻止し、効率的にダメージを与えていく事が可能となる。その為特殊な状況を除き、ディアン・ケヒト攻略のためにはパーティーメンバーにウォーロックの参加が必須条件となる。

 

 

騒乱の波動(ウェーブ・オブ・メイヘム)

 

世界級(ワールド)エネミー専用の神聖属性範囲攻撃魔法。術者の周囲120ユニットの空間内全てに強力な神聖属性の光を満たし、射程内の敵全てに大ダメージを与える。またAoEDoT(範囲型持続性攻撃)の特性を持つ事から、速やかに空間内から射程外へと脱出しなければ死に至る高火力の魔法でもある。効果時間は2分間。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

The end of the different dimension is void.(異次元の最果てに待つものは虚無である)

 

イビルエッジ専用の範囲型デバフ属性魔法。またそれと同時にスキル・憑依(メリディアント)を使用するため、事前段階としてこの魔法を使用しておく事が必須条件となる。周囲200ユニットの広範囲に渡り瘴気を充満させる事により、斬撃・打撃・刺突の物理耐性は言うに及ばず、火・獄炎・土・氷・雷・神聖・星幽・重力・音波・時空と、全ての魔法耐性までも50パーセント引き下げる効果を持つ。付随効果として周囲の天候が変動するが、あくまで演出でありそれ自体に特殊な効果はない。効果時間は2分間だが、その間に憑依(メリディアント)を使用する事で効果時間が連動して延長され、術者が死亡するか憑依(メリディアント)を解除するまでデバフ効果は引き継がれる。

 

 

影の黄昏(シャドウマントル)

 

イビルエッジの使用するスキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる魔法。AoEとして70ユニットの効果範囲を持ち、被対象者が使用する回復魔法を完全に無効化する事ができる。但し敵の使用する回復魔法のレベルと同等か上回っている必要があり、影の黄昏(シャドウマントル)のレベルがそれを下回る場合、敵のヒールは有効となり効果を成さない。魔法の効果時間は敵が死亡するか、術者が死亡するか、或いは術者が憑依(メリディアント)を解くまで継続される。魔法最強化により効果レベルが上昇する。

 

 

巨神族の烈火(ヴール・プロメテウス)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる特殊魔法。幽世(かくりよ)に存在する神体の意識を呼び寄せて体に憑依させ、その力を持って巨大な熱核融合体を作り出し、高速で敵に落下させて爆死させるという、獄炎と無属性の二極面を持つ範囲魔法。それだけに留まらず、一撃が超位魔法に匹敵するその巨大なエネルギーを次々と生み出し、合計10連撃の追い打ちを加えて対象を完全に消滅させると言う、無慈悲かつ超高火力な魔法でもある。

 

 

虐殺する鬼女の舞踏(ダンスオブダーキニーズスローター)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる武技の一種。手にした武器に無属性の巨大かつ鋭利な刃を象ったオーラを纏わせ、毎分12500rpmという超高速で体を回転させる事により、周囲50ユニットの敵を細切れに切断する。効果時間は1分間。

 

 

恐怖の不協和音(ドレッド・ディゾナンス)

 

吟遊詩人(バード)が使用できる攻撃型音波魔法。大音響の強烈な不協和音を引き起こし、それにより発生する空気の微細振動により分子レベルで対象の体組織を崩壊させる。AoEとしての特性を持ち、基本的にヴァンパイアの使用する吸血と同じく防御する手段がない。耐性を上げる為には、同じく吟遊詩人(バード)の持つ耐性魔法のみが唯一の対抗手段となる。

 

 

破壊への接続(コネクト・トゥ・アバドン)

 

世界級(ワールド)エネミー専用の獄炎属性範囲攻撃魔法。術者の周囲120ユニットの空間内全てに無数の巨大な隕石を宇宙から召喚し、範囲内にいる敵に降り注いで大ダメージを与える。尚追尾効果はないが、隕石同士が衝突すると大爆発を起こす為、対象者は強力なAoEの嵐の中を逃げ惑う事となる。この攻撃から逃れる為には、120ユニットの射程外から出る事が最も有効。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

神々の霊廟(テオティワカン)

 

イビルエッジの使用するスキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる魔法。対象を強靭なウーツ鋼で作られた鎖で吊し上げ、今は無き亜空間にのみ存在する死者の都市より十人の英雄(邪神)を召喚(オメテオトル・テスカトリポカ・シウテクトリ・シペトテック・トナテイウ・ウィツィロポチトリ・ミシュコアトル・ミクトランテクトリ・ケツァルコアトル・ヤカテクトリ)、術者のHPとMPの一割を神々に捧げ、殺意に塗れた強力な無属性エネルギー放射を対象に加える。尚鎖は魔法解体(マジックディストラクション)やその他あらゆるトラップ解除魔法でも解くことは出来ず、これは対象が世界級(ワールド)エネミーと言えども変わる事はない。事実上不可避の一撃。

 

 

超位魔法・激怒する天空の召喚(コール・ザ・スカイズ・フューリー)

 

世界級(ワールド)エネミーが使用できる雷撃系超位魔法。初撃が強力な上、200ユニットに渡るAeEDoT(範囲型持続性魔法)としての特性を持ち、雷撃系デバフと併用する事によりその威力は倍増する。効果時間は1分間。また魔法を受けた直後より3秒間の麻痺(スタン)効果も併せ持つ。

 

 

憤怒する魔王の舞踏(ダンスオブラーヴァナズレイジ)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる武技の一種。装備中の武器に巨大な炎を纏わせ、超高速40連撃で敵を切り裂くと共に、獄炎属性の強力な追加ダメージを与える。尚獄炎はその後DoT効果を持ち、対象を焼き続ける事で総合的な火力を高めている。効果時間は1分間。

 

 

木星の夜明け(ドーン・オブ・ザ・ジュピター)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる特殊魔法。対象の体を猛毒であるヒドラジンと硫化水素の混合ガスで覆いつくし、吸い込んだ者の体内から腐食させて5分間の毒属性DoTダメージを与える。またその後燃料気化爆弾の要領で発火させる事により、内破と外破による同時爆発を起こさせて深刻な獄炎属性ダメージを与えるという、毒・獄炎の2極性を持つ魔法。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

逆治療(リバース・キュア)

 

ディアン・ケヒト専用の特殊魔法。術者を中心とした120ユニットの範囲内にヒール属性の黒い波動を放ち、HPをマイナス極性にヒールする事で大ダメージを与える魔法。吸血や音波といったものと異なりヒール属性なので、パッシブスキルの回避(ドッヂ)やレジストが反応せず、全ての種族・職種(クラス)に置いて不可避の攻撃となる。この攻撃から逃れる方法はただ一つ、対象者が自身の体に影の黄昏(シャドウマントル)をかけてヒールを遮断・無効化する意外に方法はない。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

血流異常(ブラッドフロウ・ディソーダー)

 

ディアン・ケヒト専用の特殊魔法。術者を中心とした120ユニットの範囲内にHPリカバリー属性の赤い波動を放ち、マイナス極性にHPをリカバリーする事により、体内の血流を一部逆流させて継続的なDoTダメージを与える魔法。リカバリー属性の為、ヒール属性である逆治療(リバース・キュア)と効果が重なる事で対象に大ダメージを与える。吸血や音波といったものと異なりリカバリー属性なので、パッシブスキルの回避(ドッヂ)やレジストが反応せず、全ての種族・職種(クラス)に置いて不可避の攻撃となる。この攻撃から逃れる方法はただ一つ、対象者が自身の体に影の黄昏(シャドウマントル)をかけてリカバリーを遮断・無効化する意外に方法はない。効果時間は3分間。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

生命の川(リバー・オブ・ライフ)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる特殊魔法。生命力持続回復(リジェネート)の上位互換版で、1秒毎にHP総量の15%を回復できるHoT(Heal over Time=持続回復)属性の魔法。パーセントリカバリーの為、回復速度が非常に早い。効果時間は5分間。魔法最強化等により回復力が上昇する。

 

 

聖櫃の光線(シュトラール・オブ・ジ・アーク)

 

世界級(ワールド)エネミー専用の神聖属性単体攻撃魔法。貫通属性である極太のレーザー光を放ち、対象を粉々に打ち砕く。尚単体魔法ではあるが、着弾すると200ユニットに渡る神聖属性の大爆発を起こす為、AoEとして集団戦闘でも多用される魔法。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

軌道の歪曲(オービタル・ディストーション)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる特殊魔法。体の周囲にあらゆるエネルギーを屈折させるバリアを張り、DD(Direct Damage=単体攻撃)系統の魔法であれば、いかなる属性の攻撃でも軌道を逸らして直撃を回避できる防御魔法。

 

 

創世記(ウトナピシュティム)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる特殊魔法。この世で最も強力とされる超酸・フルオロアンチモン酸による大洪水を引き起こし、周囲200ユニットに渡り跡形もなく溶融させて大ダメージを与え、その後全てを消し去る毒属性の魔法。また非常に腐食性が高く、酸に触れた後も強力な毒性によりDoTダメージが続く。効果時間は5分間。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

煉獄地帯(パーガトリー・ゾーン)

 

世界級(ワールド)エネミー専用の獄炎属性範囲攻撃魔法。全高200メートル・直径100メートルの巨大な獄炎属性の竜巻を発生させ、広範囲に渡り被害をもたらす。一度発動すると対象をどこまでも自動追尾した後に大爆発を起こして消滅する。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

炎神の大剣(ソード・オブ・スルト)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる特殊魔法。装備した武器に巨大な炎の刃をまとわせ、切れ味の非常に鋭い30メートル級の大剣となる獄炎属性の魔法。剣の大きさに関係なく装備者は一切重量を感じない為、高速で振り回す事が可能な上、斬った対象に獄炎属性のDoT効果をもたらす。効果時間は3分間。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

生贄の祭壇(アルター・オブ・ザ・サクリファイス)

 

世界級(ワールド)エネミー専用の神聖属性範囲攻撃魔法。120ユニット内の全周に渡り、瞬間的に神聖属性の強力な衝撃波を発生させて大ダメージを与える魔法。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

預言者の追憶(メモリー・オブ・エゼキエル)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる特殊魔法。対象の周囲に無数の神聖属性槍を召喚し、敵の全身を串刺しにした後に大爆発を起こす。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

内臓破裂(オーガンズ・エクスプロージョン)

 

世界級(ワールド)エネミー専用の無属性範囲攻撃魔法。半透明の光波を広い範囲に照射し、それに当たった者の体を内側から吹き飛ばす即死攻撃魔法。発射時の効果範囲は狭いが、遠く離れるにつれて効果範囲が拡大する。魔法最強化等により命中率・威力が上昇する。

 

 

聖遺物の核心(デュランダル・コア)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)中にのみ使用できる特殊魔法。直径50メートル級の神聖属性光弾を生み出し、それを20発連続で敵に撃ちおろす範囲攻撃魔法。その爆発時の威力は超位魔法・聖人の怒り(セイント・ローンズ・アイル)を遥かに凌駕する。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

終焉の序曲(プレリュード・オブ・エンディング)

 

世界級(ワールド)エネミー専用の無属性・重力属性の両面を持つ自爆魔法。通常ユグドラシルβ(ベータ)でこの魔法を持つ世界級(ワールド)エネミーは存在していなかった事から、クリッチュガウ委員会によりこの特殊魔法を付与されたカスタマイズ個体のみが使用できるものと思われる。術者の周囲120ユニットに渡りブラックホールが生成され、重力属性以外の全属性を吸収し、一切のダメージを与える事ができなくなる。またこのエリア内では転移系の魔法も全て無効となり、脱出する事は叶わない。そして術者自身の自爆作用は周囲1000ユニットにも達し、これを受けて生きている者は存在しない。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

深淵の拒絶者(アビス・リジェクター)

 

サーラ・ユガ・アロリキャ専用の重力属性範囲攻撃魔法。亜空間に潜む強力なカー・ブラックホールを召喚し、その中に引きずり込んだ対象の質量・角運動量・電荷に異常を発生させ、分子レベルでの崩壊を誘引して大ダメージを与える。魔法発動後、召喚されたカー・ブラックホールは30秒間滞在し続け、DoT(Damage over Time=持続攻撃)の効果も併せ持つ。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

巨神王の一撃(ウートガルザ・ロキ)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)における隠された能力、決戦(アーマゲドン)モード中にのみ使用できる四重化の特殊魔法。直径200メートルにも及ぶ大質量体を召喚し、対象に打撃属性と重力属性という二局面を持つ不可避の一撃を加え、広範囲の敵を瞬時に消滅させる。魔法最強化等により威力が上昇する。

 

 

始原の魔法(ワイルドマジック)毒蛇の祝福(ブレッシングオブペルーダ)

 

ネイヴィア専用の回復魔法。HPをフル回復させると同時に、あらゆる状態異常をも治療できる魔法。

 

 

六光氾徐符(ろっこうはんじょふ)

 

符術師の使う獄炎・闇属性の範囲攻撃型符術。魔法の着弾地点から90ユニットに渡り強力な爆炎と衝撃波を発生させ、対象を吹き飛ばす。神勢冠者等符術師特有の枕詞を付ける事により、効果範囲・威力が上昇する。

 

 

戦神の怒り(バトル・レイジ)

 

バーバリアン専用の個人バフ魔法。術者のSTR(腕力)CON(体力)をそれぞれ500上昇させる。またバフ効果中は麻痺(スタン)系統の魔法や攻撃を一切無効化する事ができる。効果時間は15分、リキャストタイムは30分。

 

 

絶叫(シャウト)

 

バーバリアン専用の範囲型麻痺攻撃魔法。周囲50ユニットにいる全ての敵を9秒間麻痺(スタン)させる事ができる。

 

 

復讐(ヴェンジェンス)

 

バーバリアン専用のダメージシールド。斬撃・打撃・刺突という物理攻撃のダメージを90%相手に返す魔法。効果時間は15分

 

 

嵐の召喚(コール・ストーム)

 

バーバリアンの取れるサブクラス・嵐の支配者(ストームロード)が使用できる、雷属性の範囲型持続性攻撃(AoEDoT)。周囲70ユニットに渡り強力な電荷の嵐を発生させる。効果時間は5分間。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

輝巨星の紅炎(デルタ・プロミネンス)

 

イビルエッジ専用スキル・憑依(メリディアント)における隠された能力、決戦(アーマゲドン)モード中にのみ使用できる四重化の特殊魔法。周囲150ユニットに渡る地中に核融合体を召喚し、湧き出た獄炎で360度取り囲み対象を焼きつぶす範囲攻撃型魔法。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。

 

 

静寂の旋律(カーミング・メロディー)

 

吟遊詩人(バード)専用の継続詠唱(チャント)特性魔法。音を聴いた周囲にいるパーティーメンバー全員のHP、及びMP自然回復量を150%まで増加させる。尚この際特定のメロディーを奏でるのであれば、楽器で演奏しても歌でメロディーを奏でても継続詠唱(チャント)として機能する。魔法詠唱直後に攻撃を受けた場合の効果時間は30秒。

 

 

激励の頌歌(キャンティクル・オブ・インスピレーション)

 

吟遊詩人(バード)専用のバフ特性魔法。周囲にいるパーティーメンバー全員のSTR(腕力)CON(体力)INT(知性)をそれぞれ300増加させる。効果時間は四時間だが、MP消費が激しい。

 

 

拍子急速低下(モルトー・リタルダンド)

 

吟遊詩人(バード)専用の移動阻害(スネア)魔法。術者の周囲50ユニットに渡り、パーティーメンバー以外の対象者の移動スピードを90%低下させる。効果時間は60秒。移動阻害(スネア)呪文の中でも最大級の効果を持つ。

 

 

 

■武技解説

 

破壊(ラベージ)

 

戦斧(バトルアックス)専用武技。両手斧を振り回し、周囲5ユニットにいる敵を無差別に切り刻み、殺傷する。

 

 

 

■スキル解説

 

 

憑依(メリディアント)

 

イビルエッジ専用の最終奥義スキル。このスキルを有効にする為には同じくイビルエッジ専用魔法・、The end of the different dimension is void.(異次元の最果てに待つものは虚無である)を唱え、デバフが有効な2分間の間に憑依(メリディアント)を使用するか決断しなくてはならない。このスキルを唱えた術者の体は強制的にAIによるオートモードでの戦闘に移行し、120ユニットの範囲内にいるプレイヤー・モンスター・NPCは全て敵と認識してしまう為、術者の意思に関係なく射程内のキャラクターを全力で排除するための行動に出る。またその間術者本人の視界は俯瞰視点に変わり、120ユニット内全体の状況を確認できるが、少しでも集中力を乱すとリンクが途切れて制御不能に陥るため、戦闘の間は極限の緊張状態とそれに耐える精神力が求められる。

 

尚レベルはⅠからⅤまであり、最上位のレベルⅤは術者の意思を完全に無視した暴走状態に入るが、前述の集中力を切らせば例えレベルⅠからⅣと言えども、同様に制御不能となり術者の意思によるスキル解除が不可能となる。各レベル毎に応じたスキル特有の強力な特殊魔法が存在し、ユグドラシルβ(ベータ)でのプレイヤーによる検証では、その特殊魔法及び特殊武技の総数は128種類まで確認されているが、それ以上の数が隠されていると見られており、全様を把握できたイビルエッジは誰一人として存在しない。ゲーム内に置ける実際の運用に関しては、主にギルドVSギルドの大規模戦等で使用され、前線に出たイビルエッジ同士が安全運用距離である240ユニットの間隔をあけ、敵軍の一個師団にも相当する絶大な火力を持って攪乱・殲滅する役割を担っていた。

 

ギルド・ブリッツクリーグのギルドマスターを継ぎ、ただ一人ギルド内に残されたルカはある日自暴自棄になり、ユグドラシルβ(ベータ)史上最強と噂される世界級(ワールド)エネミー、光神アフラ・マズダと単身戦うべく万魔殿(パンデモニウム)を目指した。ある特定の時間、特定の場所で特殊なアイテムを使用する事によりその世界級(ワールド)エネミーは姿を現すとされていたが、大陸の隅々まで回っても発見する事は叶わなかった。そこでルカのギルド、ブリッツクリーグと強固な同盟関係にある傭兵ギルド・ラグランジュポイントのギルドマスターに情報を求めた所、彼は過去に用途不明のアイテムを手に入れ、それを大事に保管しているとルカに伝えた。データクリスタル・奈落の光(ライト・オブ・ジ・インフェルノ)。このアイテムが何かのヒントになると考えた彼は、快くルカにそれを提供してくれた。そしてそのアイテムを鑑定すると、概要欄に時刻・階層・座標が記してあった。その座標は紛れもなく万魔殿(パンデモニウム)の座標であり、ルカは早速その位置に向かってみると、幻術でカモフラージュされた神殿の入口を発見、中に突入した。

 

そして地下七階最奥部、指定された座標の位置に祭壇があり、そこで奈落の光(ライト・オブ・ジ・インフェルノ)を使用すると、光神アフラ・マズダが出現し、ルカはすぐさま憑依(メリディアント)レベルⅣを使用してこれに対抗。一進一退の激しい攻防が続いたが、長期戦の末最強と謳われたアフラ・マズダの火力に成す術もなく、ルカは死を覚悟した。HPが残り一割を切ったその時、脳裏に機械的な女性の声が微かに響いた。死の直前で失意に埋もれる中、ルカは半ば諦めつつもその言葉を母国語で復唱した。”決戦(アーマゲドン)”と。そして憑依(メリディアント)の隠された能力である決戦(アーマゲドン)モードに覚醒したルカは、魔法四重化による怒涛の飽和攻撃でアフラ・マズダを圧倒し、たった一人で最強と呼ばれた世界級(ワールド)エネミーを討ち滅ぼしてしまった。そして戦利品として、ユグドラシルβ(ベータ)の架空設定上でしか存在が知られていなかった世界級(ワールド)アイテム、魔剣ミスティルテインを手に入れた。その直後、ルカはユグドラシルβ(ベータ)から強制ログアウトされてしまった。

 

後日その事をラグランジュポイントのギルドマスターに伝え、二人で決戦(アーマゲドン)モードについて検証を繰り返し、発動条件等徐々にその能力を解明していった。決戦(アーマゲドン)モード使用後は24時間ログイン不可能になる事、このモードに覚醒した者は、レベルⅤ保有者特例措置という権限が与えられ、決戦(アーマゲドン)モード使用直前にメッセージを送り、術者の意思で周囲のプレイヤーに警告を促せる事。二人で解明できたのはここまでだったが、ルカはここまで協力してくれたお礼として、そのワールドチャンピオンであるギルドマスターにこそ相応しい、最強クラスの魔剣・ミスティルテインを贈呈した。そう、この男こそユグドラシルβ(ベータ)とルカの過去全てを知る、唯一の鍵を握る者と言える。

 

 

 



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第10話 再生 3

────16年前 カルサナス都市国家連合南西・城塞都市テーベ 南正門前 18:51 AM


「何度言ったら分かるんだ!!この都市を含め、カルサナス全域は現在封鎖されている!旅行者の立ち入りは一切認められない!!」

「こちらこそ何度言ったら分かる。俺達は冒険者だ、一晩宿に泊まれればばそれでいい。街に入れてくれ」

 高さ8メートルはあろうかという頑丈な鉄柵が降ろされた城門の前で、ミドルアーマーにロングスピアを装備した衛兵らしき門番と、フード付きマントを被った黒ずくめの3人が押し問答を繰り返していた。

「どんな理由があろうと街に入れるわけにはいかん!」

「....絶望、悲しみ。その感情がお前の中を満たし、それ故にお前は今、他所者である俺達の為を思って必死で止めてくれている。そうだな?」

「なっ...何故それを?」

 自分の心中をズバリ当てられた門番は、目の前に立つ美しい女性の赤い瞳に吸い込まれそうになっていた。そしてその女性は、首にかけられたクローム色のプレートを門番に掲げ、懐から羊皮紙のスクロールを取り出した。

「これが分かる?」

「そ、それはアダマンタイトプレート?!」

「そうだ。そしてこれが冒険者組合から正式に発行された依頼書だ、見てみるといい」

「...拝見させていただきます。”カルサナス都市国家連合・べバード冒険者組合より緊急救援要請、北東の湾岸都市カルバラーム近郊の海岸にて、未確認モンスターの目撃情報あり。これを捜索発見の後に、敵性モンスターと確認した際は速やかにこれを殲滅・駆除し、港湾の安全確保を持って任務完了とする。尚一般市民に不要の混乱を与えぬよう、本作戦は極秘裡に進めるものとする。──エ・ランテル冒険者ギルド組合長、プルトン・アインザック──」

 スクロールに書かれた言葉を口に出して読み終わった門番は、目を上げて再び女性の顔を見た。先程は口論をしていたせいで厳しい顔つきだったが、今はまるで自分を安心させるかのような優しい目で、微笑を湛えている。

「怪しいものじゃない。俺達はそこに書かれたモンスターを倒すと同時に、カルバラームに住む古い友人にも会いに来ただけなんだ。イフィオン・オルレンディオというんだが、彼女は元気でいるかい?」

「イフィオン都市長とお知り合いなのですか?!...あの方でしたら、現在はべバードに滞在中のはずですが」

「そうか。...何があった?事情を話してくれないか。俺も本当ならこんな事はしたくないんだが、君が頑なに心を閉ざしているせいで、魔法ではこれ以上君の考えが読めない」

「魔法を...なるほどそれでですか。納得が行きました。しかしいくらあなた達がアダマンタイト級冒険者と言えども、こればかりは都市長の許可がなければ...」

「この国で異常事態が起きている事は分かった。俺もカルサナスとは縁がない訳じゃない。場合によっては、この依頼を後回しにしてもいいとさえ思っている。何か助けになれるかもしれない、取り次いではもらえないだろうか」

 門番は自分よりも背が低く、華奢な美しい女性の真剣な眼差しを見て、小さく頷いた。

「...分かりました、そこまで仰るのなら。今すぐ確認を取ってきますので、この証書はお預かりしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わない。頼んだよ」

 黒ずくめの三人を外に残し、門番は勝手口から街の中へ入ると鍵を閉め、中心部にある都市長の邸宅へと走っていった。そして息も絶え絶え到着すると、事情を説明して都市長と共に二頭の馬を走らせ、再び南正門へと戻る。

 勝手口を潜った門番と都市長は、黒い三人の前に立った。背の高い門番とは対象的に、身長160センチにも満たない白髪の筋肉質な老人を見て、先頭に立つ女性は目を丸くした。

「あなたはドワーフ?」

「たわけ、これでも立派な人間種(ヒューマン)じゃわい!!...この城塞都市テーベをあずかる、都市長のパルール・ダールバティじゃ。アダマンタイト級らしいな、お主の名を聞こうか」

「俺はルカ・ブレイズ。後ろの二人はミキ・バーレニとライル・センチネルだ」

「...ル、ルカ・ブレイズじゃと?お主があの冷酷無比なマスターアサシンと謳われた、ルカ・ブレイズじゃと申すのか?」

「よく知ってるねおじいちゃん。まあでも、そんな言われるほど大したものじゃないよ」

「まさか女だったとはな...じゃがお主、噂によると冒険者組合を追放されたと聞いておるぞ。なのにこの正式な依頼書を持っているというのは、一体どういう訳なのじゃ?」

「それは依頼の内容や危険度に寄るんだよ。こういうヤバい依頼が来た時だけ、裏の伝手を通じて俺達にお鉢が回ってくる。確かに追放はされたけど、その実は今でも冒険者組合とこっそり繋がっているってわけさ」

「なるほど...。この依頼書に書かれてあるとおり、カルバラーム近郊では正体不明のモンスターを見たという目撃情報が多発している。それを討伐するという目的も分かった。じゃがそれなら尚更、今お主らを街の中へ入れるわけにはいかん」

「何故?理由を教えて。カルバラームへ行くためには、テーベとべバードを抜けて北東に続く街道を通らなくてはいけない。出来ることなら、力づくで街に入るという事はしたくないんだ」

 その言葉を聞いてパルールの目が鋭くなったが、ルカの真剣な落ち着いた目を見て、次第に表情が和らいでいく。

「...お主らを、今ここで死なせる訳にはいかん、と言っておるのじゃ」

「それはどういう事?」

「...不治の病じゃ。このカルサナス全域で今、原因不明の死に至る病魔が蔓延しておる。神殿勢力の神官(クレリック)ですら完全に匙を投げるほどのな...」

「その病気の具体的な症状を教えてくれる?」

「そんな事を聞いてどうする。お主が本当にあのルカ・ブレイズだと言うのなら、殺しが専門であって医者ではなかろう?」

「パルールおじいちゃん。殺す方法を知る者は、同時に生かす方法も知ってるんだよ。少なくとも、神殿の神官(クレリック)よりは遥かにマシな治療ができると思う。力になれるかも知れない、話してみてくれないか」

 諭すような口調で話すルカの慈しむような目を見て、パルールは今まで抱いていたイメージを大きく修正せざるを得なかった。

(ただの暗殺者に、こんな目ができるはずがない。こやつひょっとしたら...)伝説と謳われた殺しのプロ。老人は一途の望みをかけて、ルカに歩み寄った。

「...分かった。じゃがわしも詳しい事は把握しておらん。ルカ、お前が神官(クレリック)以上の腕を持つと言うのなら、自分の目で見て判断せい」

「街に入れてくれるの?」

「そうじゃ。だがわしは警告したぞ。この病気は伝染する。お前達三人の命がどうなろうと、わしゃあ一切の責任を持たん。死ぬ覚悟はあるか?」

「...おじいちゃん、そんな心配はいらないよ。俺達は大丈夫だから」

「何故そう言い切れる?」

「それは...秘密。もっと仲良くなったら教えてあげる」

 薄く微笑むルカを見て、パルールは大きく溜息をついた。

「...どうなっても知らんぞ。街中の神殿に案内してやる、ついてこい」

 パルールは頑丈な勝手口の扉を開けると、ルカ達三人を城塞都市テーベの中へ招き入れた。そこからしばらく東へと歩くが、広い通りには誰一人として歩いておらず、まるでゴーストタウンの様相を呈していた。それを見てルカが質問する。

「食料品店も、宿屋も武器屋もみんな閉まってる。でも家の中にはちゃんと人がいるね」

「気配を感じるか、さすが名うてのアサシンじゃな。テーベ全体に都市長令を出し、不要な外出を控えるよう全住民に伝えてある」

「いつ頃から病気が流行りだしたの?」

「症状のひどい者が現れたのは一年程前、最初にカルバラームで見つかった。そこから南のべバード・テーベ・そして東のゴルドーと、カルサナス全体へと病魔が急速に拡大していったのじゃ。神殿だけでなく、最も医療技術の進んだカルバラームの医師達も総動員して病魔の拡大を防ごうとしたが、結果は見ての通りじゃ」

「犠牲者の数は?」

「カルサナス全体の人口は50万。それがこの一年で、大人や子供も含め約13万5千人が命を落としておる」

「...ちょっと待って、たった一年で13万5千?!」

「そうじゃ」

「現在病気にかかっている感染者数は?!」

「軽い症状を訴えている者も含めて、推定20万人強と見られている。希望的観測じゃがな」

 その数字を聞いて呆気に取られるルカを他所に、パルールの目は現実を直視するかのように冷たかった。黙々と歩くパルールを見つめながら、ルカは更に言葉を継ぐ。

「...一年で人口の約三割が死亡、今も罹患している潜在的な感染者数が6割...病気の進行が早すぎる、何故手遅れになる前にもっと早く外へと助けを求めなかった?!他の国なら更に優秀な魔法詠唱者(マジックキャスター)や医師がいたはずだ、それを────」

「殺人狂の貴様なぞに言われる筋合いはないわ!!!.....はー、のうルカ・ブレイズよ。わしら四都市長とてバカではない。手は尽くしたのじゃ。国交のある国には全て助けを求めた。バハルス帝国、リ・エスティーぜ王国は元より、竜王国、ローブル聖王国、果ては北のアーグランド評議国から、南の空中都市エリュエンティウまでな。そしてこれから向かう神殿にいるのは、その中でも最高の腕を持つと言われている、スレイン法国で最も高名な司祭(ビショップ)、ラミウス・ベルクォーネという医師じゃ。我らカルサナス都市国家連合の危機を案じ、今も四都市を回り治療に当たってくれている」

 全身から悲壮感を漂わせ、覇気のなくなったパルールを見て、ルカはそっと前を歩く老人の肩に手を乗せた。

「...そうだったのか。ごめんね、別におじいちゃんを責めるつもりはなかったんだ」

「...お主は世に語られている噂とは大分印象が違うのう。これで分かったじゃろう?このまま行けば、この国はそう遠くない将来滅ぶかもしれん。悪いことは言わん、引き返すなら今のうちじゃぞ」

「何言ってるの、こんな大変な時に。行くよ、猫の手も借りたいでしょ?」

「お主が猫じゃと?...フン、笑わせる。これだけ忠告しても帰らんとは、物好きなやつじゃな。ほれ、あそこに見えるのが神殿じゃ」

 そうして向かった先、神殿の200メートル程手前にある十字路の境目に、口を白い布で覆った警備兵が二人立っていた。パルールがそこに歩み寄っていくと、手にしたショートスピアを立てて敬礼した。

「パルール都市長、お疲れ様です!」

「うむ、ご苦労。異常はないか?」

「ハッ!人通りはありません!」

「各家庭への食料及び水の配給は?」

「先程軍の補給部隊により、全て完了しております!」

「よろしい。わしと後ろにいるこの者達で、これから神殿の視察に行く。引き続き監視を怠るでないぞ」

「了解しました!それでは皆様、こちらをお付けください」

 警備兵は肩にかけた革製のショルダーバッグを弄り、中から真っ白な厚手の布を四枚取り出して、皆に手渡した。パルールは慣れた手付きでそれを顔の下半分に結び、鼻と口を覆った。その状態でルカ達の方へ振り返る。

「何をしている、お前達三人も早くそれを口に巻け」

「おじいちゃん、俺達は大丈夫だから」

「ならん!!まだ分かっておらんようじゃな。ここから一歩先は死が渦巻いておる。ましてやお前達の誰かが感染し、この病魔を国外へ持ち出すなど以ての外。それを付けぬのであれば、お前をこの先へ進ませる訳にはいかん」

「...OK、分かったよ。ミキ、ライルもその布を装備しろ」

 三人はフードを下ろし、布を顔に巻いて鼻と口を覆った。そして警備兵が道を開け、4人は再び歩き出す。道の両側に建つ大きい家屋をキョロキョロと見ながら、ルカはパルールに話しかけた。

「この中にも人が大勢いるね。ひょっとしてさっきの場所から封鎖してるの?」

「うむ、ここはテーベの三街区と呼ばれる場所じゃ。病魔にかかった者達を、神殿に近いこの街区に住まわせて隔離しておる。中には幼い子供もおるからな、看病するために家族ごと引っ越してきた家庭も多い。じゃがこれだけの措置を取っても、病に倒れる者達が後を立たんのじゃ」

「なるほど、深刻だね。そういうおじいちゃんは体大丈夫なの?」

「今のところはな。カルバラームの医師達から警告が早く来たおかげで、わし自身はすぐに対策を打った事もあり、辛くも難を逃れとる」

「そっか、なら良かった」

「だがしかし東のゴルドー都市長と、北のべバード都市長の娘が病に倒れてな。カルバラームの医師達が集中的に診ておる状態じゃ。特に娘の方はまだ幼い。頭が良く可愛い子でな、将来は次期べバード都市長とまで目されておった子じゃ。...こんな老いぼれが生き長らえて、何故あの子が犠牲にならなければいけないのか」

「...そんなこと言うもんじゃないよ。生きていれば必ず望みはある。その子だって、まだ死ぬと決まったわけじゃない。中に入ろう?」

 神殿の前で立ち止まった四人は、その建物を見上げた。高さ30メートル、横幅60メートル程の、大理石で作られた巨大な神殿だ。パルールは目の前の入口に続く階段を見据え、ボソリと呟いた。

「...ルカよ、これが最後じゃ。本当に良いのだな?この先は修羅場じゃぞ。わしはできる事なら、お主をこの中に入れたくない」

「気にしてくれてるの?」

「...お主のような若く美しい娘が病に倒れる姿を、わしは見たくない。ただそれだけなんじゃ」

「...”私”は大丈夫よおじいちゃん、ありがとう。もちろんミキとライルもね。目の前で一国が滅ぼうとしているのを、私は黙って見過ごせない。あなたはこんな私に事情を話してくれた。力になりたいの、お願い」

 その福音のような言葉が、パルールの心に響き渡った。口を布で覆っていても分かるほど、その悪魔的に整った美しい顔と赤い瞳を見上げて、パルールは深く頷いた。

「ルカ...。分かった、そこまで言うのならもう何も言わん。わしに続け」

 階段を登り、薄暗い神殿の入口に一歩足を踏み入れると、先の見えない奥から喧騒と悲痛な叫び声が木霊してきた。そのまま短い廊下を渡ると、空間の開けた吹き抜けの神殿内部が目の前に広がっている。奥域は100メートル程あり、両脇の壁面には日光と空気を取り入れるための大きな窓があるが、何故か完全に閉め切られており、しかもその上から布で覆いがしてあるという念の入れようだ。そのせいで神殿内は暗く、空気も淀んでいて衛生状態が悪いように見える。正面に目を戻すと、そこには人が通れる程の僅かな隙間を置いて、一面に無数のベッドがびっしりと敷き詰められていた。そして各ベッドの脇にはランタンが吊り下げられており、それらが神殿内部の視界を保っていた。

「うう...痛い...痛いよお母さん...」

「ゲホッゲホッ!!」

「息が...先生...息が...」

「あんた、しっかりして!」

神官(クレリック)の方、至急542番のベッドへ!!」

「ポーションの予備はどうした?!」

「こっちは血清だ、早くしろ!!」

「残念ですが...」

「そんな...お願いです、夫を蘇生してください!」

「いやぁぁああああああああ!!!」

 患者の苦痛に喘ぐ声、それを見守る家族の悲痛な叫び、医師と看護婦達の怒号、そして死者を前にした慟哭。それは正に死の空気であり、神殿内部は人々の狂気一色に染まっていた。

 ベッド間の通路を神官(クレリック)達が目まぐるしく行き交う中、ルカ・ミキ・ライルの三人はただ呆然と見ているしかなかった。パルールも苦渋の面持ちで治療の様子を見守る中、中央通路付近のベッドで患者の診察をしていた医師がこちらに気付き、足早に近寄ってきた。見ると白の神官服とは異なり、青い正式な法衣を来た初老の男性で、白髪を短く刈り込み、眼鏡をかけて首に聴診器をぶら下げた、如何にもと言う感じの長身な医師だった。

「パルール都市長、また来たのか!!ここには来るなとあれほど言ったのに、あんたまで倒れたらこの街の住人は一体どうするんだ!!」

 分厚い医療用のマスク越しだというのに、周囲の喧騒に負けない大声で怒鳴りつけ、パルールを見下ろしてきた。

「ラミウス殿、そうはいかん。テーベ都市長として、わしには市民を勇気づける義務がある」

「だからって、毎日のように来る事は...」

「わしの事は気にするな。それよりも、状況はどうじゃ?」

「...見ての通りだ、芳しくない。現在約800人を収容しているが、昨日もまた重症化した患者30人が運ばれてきた。このペースで増え続ければ、神殿のベッドはあっという間に埋まってしまう。患者を診る人手も全く足りていない」

「...ふむ、新たに区画を整備して病棟を用意する必要があるか。三街区の回診は続けているのか?」

「それは私と弟子の神官(クレリック)でやっている。何とか重症化する患者を抑えようと努力はしてるが、私の魔法もポーションも血清も解毒剤も、気休め程度にしか効かん。根本的な治療にはまるで至っていないんだ。長年医者をやってきたが、こんな病気は初めて見るよ...」

「...すまんな、苦労をかける」

「何を言ってるんだ、未知の病魔と戦うために私はこのカルサナスへ呼ばれて来た。医師として、やれるだけの事は精一杯やるつもりだ」

 二人が意気消沈しかけていた所へ、そこまで聞いていたルカが話に割って入ってきた。

「患者の具体的な症状を教えて?」

「? ...失礼だが、君は?」

 艷やかな黒髪の奥に光る赤い瞳を見つめ返し、ラミウスはマスクをしたルカの顔から足元まで全身を見渡した。一切の光を反射しようとしない漆黒のレザーアーマーに黒いマントを羽織る、その怪しくも美しい女性を見て、ラミウスの眉間に皺が寄った。その表情を見たパルールが慌てて説明に入る。

「ラミウス殿、紹介しよう。こやつの名はルカ・ブレイズ。わしが連れてきたのじゃ」

「...ルカ....ブレイズ?その名前、どこかで聞いたような...」

「信じられんかもしれんがな、この娘は裏の世界で有名な殺し屋だそうじゃ。わしも今日見るのが初めてじゃから、本物どうかは分からんが」

「もう、おじいちゃんまだ疑ってるの?心配しないでも私は本物だってば」

「フン、どうだかの。大体お前のようなお人好しが、本当に人を殺せるのかどうかも怪しいもんじゃて」

 二人のやり取りを聞いていたラミウスの顔が、みるみる青ざめていく。 

「....思い出した。伝説のマスターアサシン。昔酒場で知り合いの冒険者から聞いたことがある。狙われた相手は例えアダマンタイト級でも、絶対に生きて帰れないという殺しのエキスパート...」

「と同時に、人体のプロフェッショナルでもあるのよ?」

 屈託のない笑顔で話すルカを見て、ラミウスの中で芽生えた恐怖心が幾分和らいでいった。一つ大きく咳払いをし、気持ちを切り替える。

「こ、こんな可愛らしいお嬢さんが、あの...。お会いできて光栄だ、私はラミウス・ベルクォーネ。スレイン法国出身の司祭(ビショップ)だが、冒険者組合に所属している。各国に依頼され、病気や怪我を治すために世界中を飛び回り、研究している者だ。改めてよろしく、ルカ」

「こちらこそよろしくね、ラミウス」

「それで、患者の症状を知りたいという話だったな。とは言っても、どこから話したらいいか...人や亜人によって出る症状が異なるんだ。まず共通しているのは、風邪のような症状と高熱から始まる。その後胸が痛いと言う者や、腹が痛いという者、肩や足・首が痛いと言う患者もいた。その後期間はまちまちだが、しばらくすると一気に重症化する。吐血や呼吸困難に陥り、強烈な頭痛の後に意識を失い、徐々に体力が弱ってそのまま亡くなってしまうケースが多かった。苦痛を緩和するために麻痺毒を調合した麻酔薬を飲ませてはいるが、それでも完全に痛みが消えるわけではなく、せいぜい緩和する程度しか効き目が無い」

「ウィルス性の感染?呼吸器系に障害は?」

「ああ、罹患した者は必ずこの聴診器で調べているが、確かに気管や肺から異音がする」

「マスクをしてるけど、空気感染すると分かった理由は?」

「確証に至った訳じゃないが、カルバラームの医師たちから受けた報告と、このテーベの三街区で病気が拡大していった経路を調べた結果、恐らくは空気感染だろうという結論に至った。発症した患者の家族だけでなく、その隣室に住んでいた健常者までもが感染していたからな」

「なるほど。それで、患者の体をアナライズしてみた?」

「...アナライズ?何だそれは、魔法か?」

「え?だから、患者の体内を見る事だよ。できないの?」

「そんな便利なものがあったら苦労はせん!!私ができる事は大治癒(ヒール)で怪我や体力を回復させる事と、血清や解毒剤といった類の薬を調合する事のみだ」

「そうか、それで...。ありがとう、症状は大体分かったけど、実際に患者を見てみない事には何とも言えないな。一応確認なんだけど、大治癒(ヒール)が使えるって事は、ラミウスは第六位階まで魔法を行使できるの?」

「その通りだ。信仰系でもないのによく知ってるな。ルカ、君は第何位階まで使えるんだ?」

「ごめんね、それは秘密。これ以上周りに変な噂が立つと面倒だから」

「ハハ、そうか。無理にとは言わん。有名人も気苦労が多いな」

「ところで、この神殿の中には重症者しかいないんだよね?」

「そうだ。隔離した三街区で重症化した者は、みんなここに運ばれる。まあここに来たところで、根本的な治療手段があるわけじゃないが...」

「...よし。それじゃラミウス、この中でも比較的症状が軽い人と、一番重症化している人の二人を見たいの。連れて行ってくれる?」

「重症者の中でも症状が軽い、か。それならつい先日運び込まれた男の子がいいだろう。こっちだ、ついてきてくれ」

 ラミウスを先頭に、ルカ・パルール・ミキ・ライルの4人は、神殿の一番左端にあるベッドの列に連れて行かれた。その手前から二番目のベッドで横になる少年と、その右脇で椅子に座り、心配そうに少年を見守るマスクをした母親らしき女性が、こちらに気付いて顔を向けてきた。

「パルール都市長!それにラミウス先生、お世話になっております。あの、それで息子は...息子の容態はいかがでしょうか?息子は助かるんでしょうか?」

「...お母さん、元気を出しなさい。厳しい状況だが、息子さんの症状はまだ軽い。私も最善を尽くしてみる」

「...皆が噂しております。(あの神殿へ運ばれたら最後、もう二度と出てくる事はない)と...。分かってはいたんです、でも...それでも...ラミウス先生、パルール都市長お願いです、どうか息子を治してやってください!!」

 ラミウスの腰にしがみつき、母親は我を忘れて哀願した。この一年続いた絶望的な状況の中、(発症したらもう助からない)と誰よりも一番理解していたのは、この母親だったのだろう。しかしそれでも、スレイン法国一...いや、近隣諸国の中でも随一と名高い名医、ラミウス・ベルクォーネが目の前に立っているのだ。愛息子の危機を前にし、そこに縋らない母親がどこにいるだろうか。ラミウスと、そして彼を探し出した張本人であるパルールには、その気持ちが痛いほど理解できた。だが二人は、そんな号泣する母親に返す言葉がなかった。法衣に吸い込まれる涙の染みが大きくなる中、その奇跡は突然起きた。

「...魔法最強化(マキシマイズマジック)恐怖耐性の強化(プロテクションエナジーフィアー)

 母親の両肩に手を添えた女性の体が、淡く緑色に輝いた。その光が母親の体にも移っていく。それだけではない。周りに立つラミウス・パルール・そしてベッドで眠る少年の体までも、瞬時に包み込んだ。

 息子の死、不治の病、それによる負の連鎖、救えない命、市民への重責、国の将来、未来への絶望...そうした恐怖や罪悪感、強迫観念が、まるで悪夢から目覚めたかのように溶け落ちていった。

 椅子に座ったままの母親は何が起きたのか分からず、しがみついていたラミウスの腰から顔を離し、ただ呆然とその女性を見上げた。

「...大丈夫?落ち着いた?」

「は、はい...あの、あなたは一体?」

「パルール都市長の連れだよ。息子さんの様子を見せてもらいに来たんだ、席を譲ってもらってもいいかな?」

 母親は直感した。(この人なら、きっと何とかしてくれる。)全身黒ずくめでとても医者には見えない、赤い目をした不思議な女性。しかしその冷静な物腰は紛れもなく、ある分野で特殊な技術を極めた者のみが持てるオーラを醸し出していた。それを感じ取り、一も二もなく腰を上げて席を立つと、女性のための場所を空けた。そして母親は深々と一礼する。

「...息子を、よろしくお願いします」

「うん。まあとりあえず診てみよう」

 漆黒の女性が椅子に座ると、ラミウスにパルール、そして母親は、祈るような気持ちでその一挙手一投足を見守った、シングルサイズの狭いベッドに体を寄せると、両手に装備したレザーグローブを脱ぎさり、ベッド脇のテーブルに置く。そして薄茶色のマニッシュショートな髪をそっと撫でると、少年の耳元に顔を近づけた。

「ぼく...ぼく、起きてる?目を覚まして?」

 すると少年は、薄目を開けて声のする左側へと目を向けた。

「...ハア...ハア...だ、誰?」

「私はルカ・ブレイズ。お医者さんだよ、安心して。ぼくの名前は?」

「...ル....カ...ハア...ハア...ぼ、僕は...ハーロン....ハーロン=ベアトリックス....」

「...そうかハーロン、いい名前だね。年はいくつ?」

「...き、9才...」

「分かった。呼吸が辛そうだね、そのまま楽にしてて。おでこ触ってもいい?」

「...うん、いいよ...」

 ルカは切り揃えられたハーロンの前髪をめくり、右手の平を額に押し付けた。次に頬を包みこむように手を触れ、最後に首筋を掴んで手を離す。

「推定38度7分...熱が高いね。こんな薄い掛け布団じゃ、体が冷えるでしょハーロン?」

「...ハア、ハア、さ...寒い...震えが...止まらなくて...」

「パルールおじいちゃん、今すぐ看護婦か神官(クレリック)に頼んで、清潔な分厚い毛布を持ってきて。お願い」

「毛布じゃな、分かった!!」

 神殿の奥へ走っていくパルールを見送ると、ラミウスが顔を向けてきた。

「ルカ、私はこの神殿の責任者だ。薬や衣服・食料等、あらゆる必要な物資の配置は全て把握している。君の補助は私がしよう、雑用があれば何でも言ってくれ」

「だめよ、何言ってるの?ここの責任者と言うのなら、あなたは私の隣にいて。そしてこれから私のやる事をよく見て、その手順を全て記憶しなければならない。いい?ラミウス。患者が一つでも苦しいと言っているのなら、どんな小さなことでもそれは苦しいのよ。その訴えを絶対に無視してはだめ。魔法や薬に頼る前に、まずはこうやって患者と話し、体に触れて状態を確認し、本人の口から事情を全て聞くの。現にこの子は寒いと言っているのに、何で今までそれを放ったらかして、こんな薄手の布団一枚しか用意してないの?ここまでの高熱が出れば、人体は当然発汗による気化熱によって、体感温度が極端に下がる。そこから更に悪化する疾病もあるのよ? 私の言いたい事がわかる?患者の気持ちをもっと分かれと言いたいのよ!」

 その目は真剣だった。何も言い返す事が出来なかった。恐らくルカはこう言いたいのだろう。(患者を治療するのなら命懸けでやれ)と。医者以上に医者らしい、美しき孤高の暗殺者。人手不足を理由にろくな問診もしてこなかったラミウスは、素直に非を認めた。

「...済まなかった、君の言う通りだな。私には、この地に来る覚悟が足りなかったのかもしれない。そして君が見せた先程の魔法、恐らく君は私よりも遥か上の魔法詠唱者(マジックキャスター)なのだろう。色々と勉強させてくれ」

「言っておくけど、私は一度やると決めたら絶対にやる女よ。例えあなたがいなくたって、私一人で治療してみせるわ。やる気がないのなら今すぐここから出ていって。でも諦めないのなら、ここに残って私のする事を見てて」

「誰か諦めるものか。このカルサナスへ来て半年が過ぎたが、テーベ・カルバラーム・べバード・ゴルドー...この四都市の住民は、今では全て私の患者だ。君とこうして出会えた事も、きっと私に取って大きな転機となるだろう。よろしく頼む、ルカ」

「よし。...ちょっと強く言い過ぎた、ごめんね」

「気にするな。君の言っている事は間違っていない、心優しきマスターアサシンよ」

 話が一段落すると、パルールが毛布を抱え駆け足で戻ってきた。

「あったぞルカ、干したての毛布じゃ!分厚いものがなかったから、とりあえず3枚ほど持ってきたぞい」

「十分よ、ありがとうおじいちゃん」

 ルカが受け取ろうとすると、横からラミウスが割って入り、代わりに毛布を手に取った。

「私がかけよう。雑務は全て引き受ける、今から私は君の助手だ。治療に専念してくれ」

「ラミウス...分かった、じゃあお願いね」

 ベージュ色の毛布を広げ、掛け布団の上から3枚を被せると、ハーロンはホッとした表情を浮かべて笑顔を零した。

「ハア...ハア...あ、ありがとうラミウス先生...それに...ルカ...お姉ちゃん...あったかいや...」

「気付くのが遅れて済まなかったハーロン。欲しいものがあったら、これからは遠慮せず何でも言ってくれ」

「は...はい、ラミウス先───ゲホッゲホッ!!」

 ハーロンが激しく咳き込むのを見て、ルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージの中から透明のデキャンタとコップを取り出した。

「ハーロン、お水飲むでしょ?」

「...うん...喉が...乾いた...」

 ルカはコップに水を注ぐと、右手でハーロンの背中を支え、ゆっくりと上半身を起こした。そうして支えたまま、口元にコップを持っていく。

「さ、飲んで。ゆっくりね」

「...ありがとう」

 コップを傾けて少しずつ口に注ぎ、ハーロンはそれを飲み込んでいく。氷で冷やしたかのような冷たい水が、ハーロンの荒れた喉と胃袋を潤していった。そして飲み終わったコップをラミウスに手渡し、再び横にさせて布団を掛け直す。ハーロンは不思議そうにルカを見つめた。

「ハア...ハア...このお水...何?...川の水じゃ...ないね...すごく...美味しい...」

「これは無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)というマジックアイテムから生まれた水よ。雑味のない清潔な水だから、安心して飲めるわ。いくらでもあるから、好きなだけ飲んでね」

 ベッドに身を寄せて優しく頭を撫でると、フローラルな香りがハーロンの体を包む。その場違いとも言える空気に癒され、ハーロンは再度質問を返した。

「...ルカお姉ちゃん、魔法詠唱者(マジックキャスター)なの?」

「そうよ。お姉ちゃんね、これからハーロンの体を治すために、どこが苦しくて、どこが痛いかを詳しく知りたいの。一番最初に具合が悪くなった時の事を、教えてくれる?」

「...一番...最初?...まず、鼻水と咳が...止まらなくなって...風邪かと思ったんだ。薬草を煎じた薬を、母さんに作ってもらって...飲んでたんだけど...全然良くならなくて...」

「そうなる前に、何か変なものを食べたり、いつもと違う場所に行ったりした?」

「それは...してないよ...病気が流行ってるから...街の外に出て...べバードにも...遊びに行けなかった...でも道場には...毎日通ってたよ...」

「お母さん、この子の咳が止まらなくなったのはいつ頃から?」

 ルカはラミウスの隣にいる、ベッド脇の端に立っていた母親に鋭い目線を向けた。母親はそれを見てビクッと体を震わせる。

「え、ええ、一ヶ月ほど前からですが」

「熱が出始めたのは?」

「咳が止まらなくなってから、二週間ほど後です」

「道場というのは何?この街の中にあるの?」

「は、はい。この子は父親の後を継いで、将来カルサナス軍に入りたいという希望がありますので、テーベの練兵場に通い剣術を習わせていました」

 しかしそこで母親の声を聞いたハーロンが、突然目を宙に漂わせた。

「...母さん?...母さんがそこにいるの?」

「ラミウス先生の隣にいるよハーロン、心配しないで」

「違うよお姉ちゃん、そうじゃない...ハア、ハア、だめだ母さん、こんなところにいちゃ...病気か...病気か感染ってしまう!!」

 ハーロンがベッドから起き上がろうとしているのを見て、ルカは慌てて胸を押さえつけた。

「だめよハーロン!...動いちゃだめ、じっとしてなさい」

「でも...でも、母さんが...!」

 ハーロンの動揺が収まらない事を受けて、ルカはマスクの下で大きく溜息をつくと、母親に目を向けた。

「...お母さん、彼はこう言ってるけど、どうする?三街区に戻るかい?」

「嫌です!!...いいハーロン?私は病気か感染ったって構わない。あなたが死ぬ時は、私も一緒に死ぬわ!あなたの病気か治るまで、母さんは絶対にここを離れたりしない!!」

「...母さん...」

 ハーロンが諦めて脱力したのを見て、ルカは胸から手を離し頬に手を添えた。

「いいお母さんだね。彼女のためにも、君は早く病気を治してあげなくちゃ。それには、どうやって病気が悪くなっていったかを知る必要があるの。ハーロン、お姉ちゃんに協力して?」

「ゲホッゲホッ!!...わ、分かったよ...ごめん、ルカお姉ちゃん...」

 それを聞いてルカはハーロンの右腕を摩り、左頬に手を添えて目を見つめた。病気の感染をまるで恐れていないルカの様子を見て、ラミウスとパルールも負けじと一歩ベッドに歩み寄る。

「謝らなくていいのよ、いい子ね。咳が出て熱が出始めた後は、どんな感じだった?」

「うん...体がものすごく...だるくなってきて...咳が続いたせいで...息もつらくなってきた...そしたら一週間後くらいに...口の中に血の味がするようになってきて...唾を吐いたら、やっぱり血が混じってた....もう起き上がれなくて...母さんに看病してもらいながら...ずっとベッドに寝てたんだ...」

「そこで3週間が過ぎたんだね。その後は?」

「...母さんがすぐに...神殿からお医者さんを呼んできてくれて...魔法をかけてもらったんだけど...少し良くなる程度にしか...ならなかった...その次の週くらいに...急に胸の奥と喉が...ズキンと痛み出して...息をするのもつらくて...ラミウス先生に診てもらったら...そのまま神殿に運ばれたの...」

「今はどう?胸と喉以外に痛いところはある?」

「...か、体の節々が...痛いよ....」

「分かった、ありがとうハーロン。もうしゃべらなくて大丈夫、今診てあげるからね」

 しかしルカはハーロンの頬に手を添えたまま、何事かを考えている様子だった。それを見たラミウスが、心配そうに顔を覗き込む。

「ルカ、どうした?何か気がかりな事でもあるのか?」

「...いや、あなたの言った症状とハーロンの言葉を総合すれば、感染経路は呼吸器系でほぼ断定ね。ウィルス性の肺炎?でもこの世界でそんな伝染性の病気は聞いた事が...」

 そしてルカは何かを思い出したかのように、母親へと顔を向けた。

「お母さん。この子がトイレに言った時、血尿が出たという話は聞いた?」

「け、血尿ですか?...いえ、この子からはそういう話は聞いていませんが」

「...そう、ならいいんだけど」

 しかしその言葉を聞いたラミウスが、ハッと思い出したかのように顔を上げた。

「...待てルカ!末期重症者の中には、確かに血尿が出ている患者がいたぞ」

「!!...まさか」

 ルカは咄嗟にハーロンの顔を見ると、額に手を置いて掛け布団をめくりあげ、腹部にも手を添えた。

「ハーロン、目を閉じて。これから魔法で体の中を診てみるからね」

「...うん、分かった....」

「...体内の精査(インターナルクローズインスペクション)!」

 するとハーロンの全身にスキャン走査線のような青い光が無数に交差し、頭から足の先まで広がっていく。ルカは目をつぶり、脳内に流れ込んでくるステータス情報と侵された体内の映像に集中した。約1分間ほどその状態が続いたが、突如ルカは大きく目を見開き、ハーロンの額と腹部に添えた手をわなわなと震わせた。

「そんな...嘘でしょ?...これが重症者の中でも....軽いほうだって?...こんなの...感染のバッドステータスで起こる症状じゃない...」

 冷や汗を流すルカの横顔を見て、ラミウスとパルールが詰め寄った。

「どうしたルカ?!今使った魔法は一体何だ、何を見た?!」

「おいルカ、しっかりしろ!!ハーロンの体に何が起こっているというんじゃ?!」

 その声を聞いてルカはハーロンの体からそっと手を離し、頭を優しく撫でた。

「....肺胞の一部が壊死して...肺の中に空洞が出来ている....苦しいはずだ、これじゃ....」

「な、何だと?!そこまで呼吸器系の内部が見えるというのか?!」

「...それだけじゃない。その壊死した肺胞の空洞が膿んで全身に毒が回り、喉と右首筋のリンパ節にも転移して化膿している...危険な状態だ。ラミウス、患者のカルテはつけてる?」

「ああ、もちろんだ。ここにある」

「そのバインダーを貸して」

 ルカはアイテムストレージからペンを取り出し、書かれた症状に二重線を引くと、今自分が見た詳細な病状を新たに上書きし、ラミウスに返した。そして左手を伸ばし、ハーロンの右首筋に手を触れて筋肉の隙間を指で軽く押さえる。

「ハーロン、ここも痛いよね?」

「つッ!!...う、うんお姉ちゃん、押されると痛いよ...」

 まるで見えているかのように診察するルカを前に、ラミウスは言葉を失った。パルールはハーロンの頭を撫でるルカの悲壮感漂う表情を見て、焦燥しながら声をかける。

「そ、それで、治るのかルカ?!」

「...さっきも言ったけど、この一連の症状は通常の感染という状態異常ではあり得ない。確かに今の魔法でこの子の状態は感染という事が分かったけど、魔法が効くかどうか....でもやれるだけの事はやってみる」

 そう言うとルカはハーロンの胸に両手を添えて、魔法を詠唱した。

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)病気の除去(ディスペルディジーズ)

 ハーロンの体が強烈な緑色の光に包まれる。その圧倒的な魔力量を感じ取り、ラミウスは一歩後ろに後ずさった。

「こ、これが病気の除去(ディスペルディジーズ)だと?!一体どれだけの魔力を込めたと言うんだ?!」

「黙ってラミウス。あなたも司祭(ビショップ)なら、これくらいの魔法は使えるでしょ?」

 やがてハーロンの体から光が消えると、ルカは胸に添えた右手だけを額に乗せて、再度体内の精査(インターナルクローズインスペクション)を唱えた。そしてハーロンに顔を近づける。

「...やっぱり。感染が残ったままだ」

「...差し出がましいようだが、病気の除去(ディスペルディジーズ)は私も試してみた。しかし一向に効果が現れず、失われていく体力を回復する事しか出来なかった。君が今したように、位階上昇化で膨大な魔力量を込めてもだめなら、もはや効き目はないだろう」

「それなら一つずつ試していくしかない。大前提として、まず体に回った毒と膿を取り除く事が最優先よ」

 そしてルカは深く息を吸い込み、再度意識を集中する。

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)毒素の除去(ディスペルトキシン)

 再度ハーロンの体が淡く緑色に光り、全身を包み込んでいく。すると僅かながら、ハーロンの顔に血の気が差してきた。ルカはすかさず体内の精査(インターナルクローズインスペクション)を唱え、臓器の状態を確認する。

「...よし!肺と喉、リンパ節に溜まった膿が消えた。炎症も緩和してきている。感染は消えてないから、根本的な治療にはなってないけど...」

「しかしこの血色、確実に改善に向かっているんじゃないか?息も整ってきているように思える」

 ルカは顎に手を添えてハーロンの表情を見つめ、何かを決意したように大きく頷いた。

「...やるなら毒素が消えた今しかない。これから壊死により傷ついた肺の組織と喉、リンパ節の細胞を復活させる」

「そ、そんな事が魔法で可能なのか?」

「ラミウス、私のやる事をちゃんと見てて!体内に毒素が残った状態で内臓の組織を治すと、却って毒の周りが早くなってしまう恐れがある。私の使う魔法の手順をしっかり記憶して、いい?」

「わ、分かった!」

 ルカはハーロンの胸を押し包むように両手で押さえ込むと、目を閉じ息を吸い込んだ。

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)損傷の治癒(トリートワウンズ)!」

 (ボッ!ボッ!)とルカの両手に青白い炎が宿り、それがハーロンの体内に吸収されていく。それと同時に、ハーロンの体内から激しい炎が燃焼し、ベッド全体を包み込んで天高く舞い上がった。その炎はベッド脇に立つラミウス・パルール・母親までも巻き込んでいく。3人は恐怖のあまり咄嗟に後ろへと飛び退いたが、ルカがそれを強く制止した。

「逃げないでラミウス!!この炎は大丈夫だから、しっかり見てて!」

 それを聞いてラミウスとパルールは辛うじて踏みとどまり、恐る恐る青白い炎に手を触れてみた。驚いた事に、ルカの言う通り全く熱を感じず火傷もしない。二人は顔を見合わせ、炎の中へと一歩足を踏み入れて再びベッド脇に戻るが、周囲のベッドにいた患者と家族達がその炎を見て怯えだした。

「ひいっ!!」

「な、何だ?!一体何が...」

 火事と勘違いした神官(クレリック)と看護婦、それに他の列にいた患者の家族達がベッドの回りを取り囲むが、その炎の中心で一心不乱に祈りを捧げるルカを見て、何が起こっているのか把握できず神殿内は騒然となった。

 やがて青白い炎が少しずつ収束し、ルカの掌に集まっていく。押さえた体の上で燃える小さな赤い炎を手で受け止め、ルカは(フッ!)と吹き消した。その後すぐさま右手を額の上に乗せて、再び体内の精査(インターナルクローズインスペクション)を唱え、臓器の状態を確認する。それを見たルカの目に少しずつ光が宿った。

「ふう...。壊死した肺の空洞と、喉・リンパ節の損傷はとりあえずこれで塞がった」

「おお...!」 

「治ったんじゃなルカ?!」

「...違うよおじいちゃん。感染のバッドステータスは消えてないし、各部にも僅かに炎症が残っている。時間を置けば、またいずれは元に戻ってしまうかもしれない。私がいまやったのは、単なる応急処置に過ぎないよ」

 額・頬・首・脇の下と各部に触れて、ルカはハーロンの頬に両手を添えた。

「ハーロン...ハーロン?ひとまず終わったよ。具合はどう?」

 薄目を開けてルカを見つめていたハーロンは、一筋の涙を零した。

「...ルカお姉ちゃん...嘘みたいだ....楽に...楽になったよ...ありがとう...」

 子供の口から出た本音。ラミウスとパルールは目を見開き、驚愕の表情を見せた。そして息を呑み回りを取り囲んでいた神官と看護婦、看病するために来た他の家族達も、ハーロンの一言を聞いて勝ち鬨のように思わず声を上げた。

『うおおおおおおおおー!!!』

 しかしそれを聞いたラミウスが、怒号とも取れる大声で皆を窘める。

「バカモン!!!静かにせんか、ここは神殿だぞ!!治療中だ、皆ベッドに戻れ!!さあ行った行った!!」

 見物人は一斉に黙り込み、蜘蛛の子を散らすようにその場を離れた。それには構わずルカはハーロンの頭を撫でて、優しく言葉をかける。

「ハーロンごめんね、実はまだ完全に治った訳じゃないの。熱も下がってないし、病気も体に残ったままだから、また悪くなってしまうかもしれない。今痛いところはどこか、正直に教えてくれる?」

「...息は楽になったよ。でも、胸の奥がまだシクシク痛い感じがする。あと膝とか肘とか、節々がまだ痛い。でも、ルカお姉ちゃんが魔法をかける前よりかは本当に楽になったんだ」

「...そっか、まだ肺の炎症が残っているせいよ。本当はこの魔法は使いたくなかったんだけど、疼痛の緩和もお医者さんの務めだからね。もう一つだけ魔法をかけるけど、いい?ハーロン」

「...とうつうのかんわ?どういう魔法なの?」

「簡単に言うと、体の痛みがなくなる魔法。これから治療を進めていくためにも、かけておいたほうがいいと思うの」

「...うん、いいよ。お姉ちゃんがそうした方がいいっていうなら、僕何でも信じる」

「ハーロン...。この魔法はね、十四時間だけ効き目があるの。それを過ぎるとまた痛くなってきちゃうけど、その時はお姉ちゃんがまた来て魔法をかけてあげるからね」

「分かった、僕がんばるよ。こんな病気に負けたりしない」

 ルカは微笑むと、ハーロンの頭と胸に手を乗せた。

「...魔法持続時間延長化(エクステンドマジック)痛覚遮断(ペイン・インターセプト)

 (キン!)という音と共に、ハーロンの全身を銀色の球体が覆いつくす。その中でハーロンは目を瞬かせていた。そして光が消えると、ルカを見て目を丸くする。

「...ルカお姉ちゃん、何したの?全然...全然痛くなくなっちゃった...」

「言ったでしょ?一時的に痛みを取っただけよ。明日にはまた痛くなってるから、絶対に動いたりしちゃだめよ?」

 ハーロンは夢でも見ているかのように茫然とルカを見つめ返し、その目に涙が滲んでいく。そして布団を剥いで起き上がると、ルカの上半身に抱き着いて胸に顔を埋めた。

「おっとと!...こらハーロン?動いちゃダメって言ったばかりでしょう?」

「...ルカお姉ちゃん、すごいよ。こんな魔法を使えるなんて...ほんとに、ほんとにありがとう。僕もう、だめかと思ってたんだ。この病気にかかった人はみんな死んじゃうし、僕もそうなるんじゃないかって思ってすごい恐かった。でも...でも....お姉ちゃんが来てくれて....」

「...ハーロン、簡単に生きる事を諦めちゃだめ。私もハーロンの病気を治すために絶対諦めないから、二人でがんばろう?ね?」

「うん....」

 顔を離したハーロンの涙をマントの裾で拭うと、ルカはサラサラとしたハーロンの髪をそっと撫でた。そして次の行動を見て、ハーロンを含めラミウス・パルール・母親は驚愕する。

「ふー。いい加減息苦しいし、もうこれは要らないね」

 何とルカはハーロンの目の前で、顔に巻いた布の結び目を解いてマスクを取り払ってしまったのだ。

「お、お姉ちゃん?!だめだよ、そんな事したら病気が感染っちゃう!!」

「おいルカ?!」

「お主、死にたいのか!!」

 それと同時にミキ・ライルも同様にマスクを外してしまった。呆気に取られる4人だったが、ルカはラミウスとパルールに微笑んで返した。そしてそのまま、ハーロンを抱き寄せて左頬にキスをする。

「...私は大丈夫よハーロン」

「...お姉ちゃん?まだ間に合うよ、早くマスクを───」

「お姉ちゃん達はね、病気にならないの。そういう体質だから」

「でも───」

「ハーロン、お姉ちゃんを信じてくれるんでしょ?だったらこれも信じて。ね?」

「ほ、本当に?」

「本当よ。私は君を治さなくてはならない。死ぬような事するはずないでしょ?」

「...わ、分かった!僕信じるよ!」

「いい子ね。さあ、横になって」

 ルカはハーロンの背中を支えると、枕の上にゆっくりと横たえさせて毛布を掛け直した。そして席を立つと、母親がベッド脇に恐る恐る歩み寄ってくる。

「...ハーロン?」

「...母さん、ごめんね心配かけて」

「...ああ、ハーロン!良かった、良かった!!うう...」

 母親は横になるハーロンを抱き締め、いつ止まるとも知れない涙を流し続けた。そして体を離すと、椅子の脇に立っていたルカの両手を握りしめる。

「ルカ先生!息子を...ハーロンを救っていただき、心より感謝します」

「お母さん、まだ治った訳じゃない。ハーロンがベッドから動かないよう、しっかりと見ててね」

「わ、分かりました」

「それじゃハーロン、また明日来るから、それまで大人しくベッドで寝てるのよ?」

「分かった。待ってるよルカお姉ちゃん」



 ルカ・ミキ・ライルがベッドから離れて通路に出ると、ラミウス・パルールも後に続いた。

 

「ラミウス、次はこの中で一番重症な患者の所へ案内してくれる?」

 

「分かった。最も重症な者は右列のベッドに並んでいる。こっちだ」

 

 薄暗い神殿の中をついていくと、後ろを歩いていたパルールがルカに声をかけてきた。

 

「...ルカよ、お主は暗殺者なのであろう?なのになぜあのように人を癒す奇跡的な技を身に着けておるのじゃ?わしにはどうしてもお主らが悪人とは思えん。お主のハーロンに対する慈悲深さには、むしろ聖人とすら思えるほど善良な心を感じたのじゃが」

 

 するとルカは首だけで後ろを振り返り、パルールに寂しそうな目線を投げかけた。

 

「....おじいちゃん、さっき私の事を殺人狂って言ったよね。...でも私だって、別に好きで人を殺しているわけじゃない。ちゃんと自分の目的があって、そのために手段を選ばないというだけよ」

 

「その目的とは何じゃ?」

 

「....きっと言っても分からない。この世界の住人であるあなたには、ね」

 

「まるでお前が他所の世界から来たような言い草じゃな。...まあよい、いずれ話す気になったら、わしでよければ話を聞くぞ?」

 

「...フフ、じゃあそのうち甘えちゃおうかな」

 

「...つくづく不思議なやつじゃな、お主は」

 

 お互いに笑顔を向け合うと、神殿の右奥にあるベッドの列に辿り着いた。そしてその神殿入口近くにある一番手前のベッドに、その患者は眠っていた。体は2メートル程と大きく筋肉質な青色の体をしており、鬼のような禍々しい顔ながら、胸の膨らみから女性と判別できる亜人・守護鬼(スプリガン)だった。4人がベッド脇に立つと、ラミウスが説明する。

 

「この患者だ。先ほどのハーロンのような症状に加えて、特に彼女は背中と腹部に激しい痛みを訴えていた。ここまで来ると、純度を二倍にした麻酔でも効果がない。吐血も幾度となくしており体力の消耗が激しく、私と神官(クレリック)で懸命に魔法で処置を施したが、今では喋るのがやっとという状態だ。そしてルカ、先ほど君が言っていた通り、この患者からは血尿が出ている。参考になればいいのだが」

 

「分かった、すぐに診てみよう」

 

 ルカは守護鬼(スプリガン)の額に手を乗せて、目の前に顔を近づけた。

 

「待たせたね、私の顔が見える?しゃべれるかい?」

 

「...ヒュー.....ヒュー....痛い....苦しい.....もう....殺して.....お願い.....」

 

「諦めちゃだめよ!私が来たからにはもう大丈夫。ラミウス、この人の名前は?」

 

「ペペ=ブラドックさんだ」

 

「聞こえるペペ?私はルカ・ブレイズ、新しく来た医者だ。もう少しの辛抱だよ、痛みを取ってあげるからね!」

 

「...喉も....痛い....水も....飲めない....効かない....薬は....もう....いや......」

 

「大丈夫、何も飲ませたりしないわ。使うのは魔法だけよペペ、安心して!」

 

 事は緊急を要する。感染のせいでスタミナも消耗しきっており、非常に危険な状態だと判断したルカはそれ以上質問せず、額と腹部に手を乗せて魔法を詠唱した。

 

体内の精査(インターナルクローズインスペクション)!」

 

 感染のバッドステータスに加えて、大量の傷んだ臓器映像がルカの脳裏を駆け巡る。それを見たルカの顔から血の気が引き、表情が次第に険しくなっていった。

 

「....何これ....全身に毒が回ってボロボロじゃない!さっきのハーロンとはまるで比較にならない...ここまでひどくなると言うの?!」

 

「ルカ、私に何か手伝える事はあるか?」

 

「ラミウス、カルテの用意!これから私が言う症状を書き写して」

 

「了解!」

 

「...肺胞の壊死、胸膜炎、首・肩・脇・肘・計4ヶ所のリンパ節化膿及び炎症、腎臓の化膿出血...血尿はこのせいね。腹膜・鼓膜も炎症を起こしてるわ。このまま行くと膀胱も危ないかもしれない。全部メモした?!」

 

「ああ!大丈夫だルカ!」

 

「今すぐ全身の膿を取り除くわよ。魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)毒素の除去(ディスペルトキシン)!」

 

 ペペの巨体が緑色に発光して毒を取り除いたが、その直後全身が痙攣してショック状態に陥り、てんかん発作のような症状を呈して、ベッドの上で突如暴れだした。そして口から大量の吐血が始まる。ルカは懸命に押さえ込んだが、まるで力の抑制が効いていない守護鬼(スプリガン)の怪力に弾き返されてしまう。咄嗟に背後に立つ二人に鋭い声をかけた。

 

「ミキ!ライル!!彼女の手足を押さえて、早く!!」

 

『ハッ!!』

 

 ミキが上半身を押さえ、ライルが両足を鷲掴みにして強引に押さえ込んだ。そしてルカは先ほど外したマスクの布切れをペペの口に詰め込んで、舌を噛み切らないように処置する。やがて5分もすると痙攣が収まり、ルカは口に詰め込んだ布を取り去った。

 

「ペペ、あともう少しよ。がんばって!体内の精査(インターナルクローズインスペクション)!」

 

 ステップバイステップで、一つ一つ状況を確認しながら確実に魔法をかけていく。先ほど吐血したのは、肺と胃に溜まった血が上がってきてしまったのだろう。汚れた血は出してしまった方が良いと考え、全身の炎症が沈静化したのを見計らい、ルカは重ねて魔法をかけた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)損傷の治癒(トリートワウンズ)!」

 

 ペペの全身が青白い炎で燃え上がり、ルカはその中で目を閉じ全力で魔力を注ぎ込んでいく。ミキとライルも炎の中で手足を掴みながら、万事に備えてベッドの周りを取り囲む。薄暗い神殿の中に映るその3人の姿は、何かの召喚儀式を行う魔導士のようでもあった。

 

 そして炎が沈静化し、ペペの胸の上に浮いた小さな黒い火を掌に乗せると、ルカはそれを吹き消した。先ほど口に詰めた布で、ペペの口回りと体についた血を拭い去り、ルカは再度体内の精査(インターナルクローズインスペクション)を唱えた後に、ペペの目を覗き込む。

 

「ふー。終わったよペペ、具合はどう?」

 

「...ハー....ハー...ハー...い、痛みが....和らいだ...息も...できる....苦しく....なくなった....」

 

「大分体力を消耗したね、今回復してあげる。魔法最強化(マキシマイズマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)

 

 ペペの額と腹部に乗せられた手が発光し、瞬時に全身を青白い球体が覆いつくした。そしてペペの体が微細振動し、ウォークレリックの聖なる波動が体内に流れ込んでいく。そして光は収束し、ペペの体力はフル回復した。それを体で感じ取り、信じられないと言った様子でペペは横になりながら自分の両手を見つめる。そして目を見開き、ベッド脇から顔を覗き込むルカに視線を移した。

 

「...あ、あんた....一体何者だい?この病気を治しちまうなんて」

 

「ペペ、まだ治ったわけじゃないよ。体のあちこちが痛むでしょ?」

 

「そりゃまあそうだけど...さっきまでに比べたら天国みたいなもんさ」

 

「そっか、なら良かった。まだ熱もあるし、時間を置くとまた炎症が始まるかもしれないから、今のうちにもう一つ魔法をかけとくね」

 

「ま、まだ何かするのかい?」

 

「大丈夫よ、ただ痛みの取れる魔法だから。今日はゆっくり寝たいでしょ?」

 

「あ、ああ」

 

「...魔法持続時間延長化(エクステンドマジック)痛覚遮断(ペイン・インターセプト)

 

 銀色の光球に包まれると同時に、体中の痛みが瞬時に消え去った。それを受けてペペ=ブラドックは、幻を見ているような目でルカを見る。ラミウスが取ってきた三枚の毛布を受け取ると、掛け布団の上から覆い被せて肩に手をおいた。

 

「寒いでしょぺぺ。あったかくして今日はゆっくり寝てね。明日また見に来るから」

 

「...ま、待ってくれ!」

 

 ベッドを離れようとしたルカの手を咄嗟に握り、ぺぺは引き止めた。ルカは再度ベッドに顔を近づける。

 

「どうしたの?まだどこか痛い?」

 

「違うよ、そうじゃなくて...ルカ先生、あたい...もう諦めてたんだ。こんなに苦しいなら、いっその事殺してくれって何度も何度も医者に頼んでだ。それをあんたは、亜人のあたいにこんなすごい魔法を使ってくれて...ありがとう、ありがとうよルカ先生。生きる元気が湧いてきたよ」

 

「その言葉が聞けて私も嬉しい。でもぺぺ、まだ油断しちゃだめよ。今は魔法で痛みが取れて元気に思えるかもしれないけど、明日になればまた痛みは復活する。とにかく病気が治るまでは絶対安静よ、いい?」

 

「...この国で今、何かとんでもない事が起きてる。亜人としてじゃない、同じ女として頼む、ルカ先生。他の人間種(ヒューマン)や亜人達も助けてやっておくれよ。みんなとても苦しんでる。自分がこの病気で死にかけて、本当に身にしみてよく分かったんだ」

 

「...分かった、最善を尽くしてみるわ。だから今は休んで、ぺぺ...」

 

「頼んだよ...頼んだよ、ルカ先生...」

 

 その目は必死だった。守護鬼(スプリガン)の目から溢れ出る涙をマントの裾でそっと拭うと、ルカはベッドを後にする。患者の前では笑顔を絶やさなかったルカだが、通路に立ったその表情は遠くを見つめ、暗く静かに影を落としていた。その横顔を見たラミウスとパルールは心配になり、隣に寄り添って声をかける。

 

「どうしたルカ?最も重い重症者を治療したというのに、浮かない顔だな」

 

「わしも驚いて声も出んかったわい!何をそんなに落ち込んでいるのじゃ?」

 

「...違うのラミウス、おじいちゃん。さっきのぺぺの症状、あれではまるで....」

 

「...まるで、何じゃ?」

 

 パルールは地面に目を落とすルカの顔を覗き込むが、雑念を振り払うように大きく首を横に振ると、再度二人に向き直った。

 

「...あり得ない。断定するには他の患者も見て、病状の統計をもっと集めないと。ラミウス、これからこの神殿内にいる全員を診察して治療するわ」

 

「な...全員だと?!800人以上はいるんだぞ?!」

 

「構わない、これは時間との勝負よ。でも私だけでは手が足りない。ミキ!今の私の治療は見て覚えたわね?」

 

「ハッ!全て心得ておりますルカ様」

 

「よし、ミキは左列の軽症者から治療していって。カルテを付けるのを忘れずにね。私は右列の重症者から始めていくから」

 

「了解しました」

 

「パルールおじいちゃんはミキを手伝ってあげて。ライルは患者にかける毛布の手配、ラミウスは私と一緒よ、いい?」

 

「分かった!」

 

「かしこまりました」

 

「了解だ、ルカ」

 

 そして二人の主治医を迎えての一斉治療が始まった。ルカと同じくミキも患者から詳細を聞き、段取りに沿って治療した後にカルテをつけていく。ライルも手早く毛布を患者たちに与え、ルカに続くラミウスもしっかりと助手を務め、全ての患者を治療するのに6時間を要した。そして神殿内から患者達のうめき声と悲鳴が消え、約一年ぶりに静寂が戻ってきた。

 

 患者の家族達も、懸命に治療を続けたルカ達5人に感謝の言葉を述べ、ルカもそれに笑顔で答え、皆を励ました。診察のため神殿に残るラミウスを残し、ルカ・パルール・ミキ・ライルの4人は神殿の外に出た。

 

「ライル、地獄酒出して」

 

「ハッ、こちらです」

 

 中空のアイテムストレージに手を伸ばし、中から直径50センチ程の大きな樽を取り出すと、ルカに手渡した。そして蓋の栓を外すと、左手に地獄酒を注ぎそれを両手に擦り込んだ。それを見たパルールが不思議そうにその様子を見つめる。

 

「おいルカよ、手に酒なんぞ塗ってどうするつもりじゃ?」

 

「おじいちゃんもこれで手を消毒して。ミキ、ライル、あなた達二人もよ。地獄酒のアルコール度数は高いから、これで患者に触れた手を殺菌できるかもしれない。私達は平気だけど、おじいちゃんに病気を移したくないからね」

 

「そ、そこまでは気が付かんかったわい。分かった、わしの手にも酒を注いでくれ」

 

 四人が手を消毒し終わると、パルールはルカ達三人に顔を向けた。

 

「さて、もう夜更けだ。皆疲れたであろう、今日はわしの屋敷に泊まってゆけ。食事も出すぞ」

 

「それは助かるね。深夜一時か...じゃあお世話になろうかな」

 

「お前達なら大歓迎じゃ。この三街区を抜けてすぐの中心街に屋敷がある。こっちじゃ、ついてこい」

 

 永続光(コンティニュアルライト)の街灯が深夜の街路を照らす中、10分ほど歩くと中心街に入り、ややすると大きな3階建ての家屋が見えてきた。木造りの頑丈な扉を開けて四人が邸宅内へ入ると、マスクをした三十代ほどのメイドが出迎える。

 

「お帰りなさいませパルール様。遅いお帰りでしたね」

 

「うむ、後ろにいるこの者達が神殿の患者を治療してくれてな。ここに泊める事になった。客間の用意は整っておるか?」

 

「もちろんでございます。お食事の準備も出来ておりますよ」

 

「そうか、夕食もまだじゃったからな。ルカ、お主も腹が減ったであろう?」

 

「へへ、実はペコペコでさ」

 

「うむ。では夜分に済まないが、早速食事の支度に取りかかってくれ」

 

「かしこまりました」

 

 マスクを外したパルールを先頭にルカ達は屋敷奥のリビングに案内され、大きな10人掛けの木造テーブルにある椅子に腰掛けた。するとパルールが部屋脇にあるラックから、二本のワインボトルと小型の樽を取り出してテーブルの上に置き、4つのグラスを並べる。

 

「食事が来るまで一杯やらんか?疲れも取れるぞ」

 

「いいね、ありがとう。でもそんな気を使わなくても大丈夫よおじいちゃん」

 

「遠慮するでない、ほんのささやかな礼じゃ」

 

 パルールはコルクスクリューで栓を抜くと、ルカ・ミキと自分のグラスに並々とワインを注ぎ込んだ。続いて地獄酒の樽を開け、ライルのグラスにも酒を注ぐ。

 

「ライルとやら、お主はこちらの方が好みであろう?」

 

「ああ。済まんなパルール都市長」

 

 そして4人がグラスを掲げると、パルールは三人の顔を見渡した。

 

「...わしは、今日目の前で起きた事が未だに信じられん。フラリと現れたお前達三人の暗殺者が、我が都市テーベの神殿にいる患者達の悲鳴を消し去り、苦しみから解放してくれた。特にルカよ、わしはお主に謝らねばならん。ずっと疑っていた。何よりお主のその人柄、患者達を慈しむ姿勢、これが本当にあの伝説のマスターアサシンなのかとな。じゃがお主が暗殺者であろうがなかろうが、そんな事はもうどうでも良い。お主は門の前でこう言ったな、(殺す方法を知る者は、同時に生かす方法も知っている)と。その力があのラミウスをも超える力だとは思ってもみなかった。...お主は立派な医者じゃよ、ルカ。このテーベのために力を尽くしてもらい、ありがとう、そして済まなかった。ほんの僅かでも疑ってしまったわしを、許してやってくれ...」

 

 パルールの目から熱い涙が零れ落ち、それを見たルカはグラスを手に席を立つと、マントの裾で涙を拭い去り、老人の隣に寄り添って肩を支えた。

 

「いいのよおじいちゃん、気にしないで。今日初めて会ったばかりなんだし、疑うのは当然だよ。ひとまずテーベの死者増大は回避されたんだし、辛気臭い話は無しにして今は飲もう?ね?」

 

「...ああ、そうじゃな。ルカ、そしてミキ・ライルよ、感謝する。乾杯」

 

「乾杯、おじいちゃん」

 

(キン!)と二人はグラスをぶつけ、四人は酒を仰いだ。ルカが席に着くと、メイドが銀製のトレーに皿を乗せて四人の前に料理を運んできた。

 

「お待たせしましたパルール様、お客様。どうぞお召し上がりくださいませ」

 

 その料理を見て、ルカの目が輝く。

 

「すごーい!これビーフシチューだね?」

 

「カルサナス産の牛フィレ肉と野菜で作ったシチューでございます。お代わりもございますので、いくらでもお申し付けくださいませ」

 

「ありがとう!いただきまーす」

 

 ルカ・ミキ・ライルがスプーンで角切りの牛肉を一口頬張ると、三人共驚愕の顔を見せる。

 

「んんー美味しい、肉がとろとろに柔らかいよ!」

 

「...この野菜とスープのコクも素晴らしいですわね」

 

「美味いな、これは」

 

 食事に夢中になっている三人を見て、パルールもビーフシチューを口に運んだ。

 

「このカルサナスは広大な土地を有しておる。四都市を挟んだ中心部に巨大な牧場があってな。そこで牛や豚・鳥などを飼育しておる。その回りにある広い畑では、様々な種類の農作物を育てて収穫している。更に海に面したカルバラームでは新鮮な魚介類も獲れるからな。それらを周辺国家に輸出して、国が成り立っている。自然の恵みに囲まれているのが、このカルサナス都市国家連合という訳じゃよ」 

 

「そうなんだ、道理で美味しいわけだよ」

 

 そして4人は食事を摂り終わり、ルカはワインを飲みながら腹を摩っていた。

 

「いやー、お腹いっぱい!ご馳走様おじいちゃん」

 

「喜んでもらえたようで何よりじゃ」

 

「明日は他の街も診て回らないといけないし、今日はもう寝ておこうかな」

 

「...その事なんじゃがルカ、お主の力を見込んで一つ頼みがある」

 

「何?頼みって」

 

 パルールは一気にワインを飲み干すと、改まった様子でルカを見た。

 

「神殿に向かう途中で少し話したと思うが、ベバード都市長・テレスの娘とゴルドー都市長のメフィアーゾという者が、かなり重篤な状態に陥っておる。明日この二つの街に行き、二人を優先して治療してほしいのじゃ。どちらもこのカルサナスに無くてはならない存在、今命を落とさせるのはあまりにも不憫なのでな」

 

「いいよ、分かった。でも私も魔法に使う精神力を回復させるために、少し長く眠らないといけないから、明日の昼過ぎくらいまで寝かせてもらってもいい?」

 

「それはもちろんじゃ。何事も体が資本じゃからな、ゆっくり休むとよい」

 

 そしてルカ達は2階の客間に案内された。木造の何ともアンティークな部屋だったが、20畳ほどの広い部屋に大きいベッドが丁度三つ置かれており、天井も高く落ち着いた内装だ。パルールは口髭をワシワシと撫でながらルカに笑顔を向けた。

 

「この部屋を好きに使ってくれて構わんからな。わしは上で寝ておるから、何かあれば呼びに来てくれ」

 

「うん、ありがとうおじいちゃん。おやすみ」

 

 そしてパルールは三階の自室で就寝し、波乱に満ちた一日が終了した。

 

 

───翌日 12:11 PM───

 

 パルールの好意でルカ達三人は風呂に入り、体を洗い流して装備も整え、屋敷一階のエントランスに集合して準備が整った。ルカはロングダガーの柄に手を添えて、パルールに笑顔を向ける。

 

「それじゃあ行ってくるね。本当なら魔法でひとっ飛びしたいところなんだけど、私達ベバードには行った事ないから、街道沿いに飛行(フライ)で飛んでいくよ。4時間もあれば着くと思う」

 

「待てルカ、それならもっと早くに行けるいい手がある。わしも一緒に行くぞ」

 

「何?いい手って」

 

 パルールは右耳に手を添えて床に目を落とした。

 

「しばし待て。伝言(メッセージ)

 

───────────────────

 

『わしじゃ』

 

『パルール都市長か、どうした?今少し手が離せないんだが...』

 

『そうか、済まぬな。これからそちらに医者を一人連れて行く』

 

『医者?ラミウスではないのか?』

 

『別人じゃ。詳しくは会ってから話す。わしの屋敷に転移門(ゲート)を開いてもらっても良いかの?』

 

『...分かった、すぐに開こう』

 

─────────────────────

 

 パルールが右耳から手を離して伝言(メッセージ)を切ると、広いエントランスの中央に暗黒の穴が口を開けた。それを見てルカは目を瞬かせる。

 

「すごい、転移門(ゲート)を使える人がいたんだね」

 

「そういう事じゃ、行くぞ。三人ともわしに続け」

 

 パルールは顔に布を巻き付けて口と鼻を覆うと、暗黒の穴を潜った。

 

───カルサナス都市国家連合中央 べバード 都市長邸宅内 12:20 PM

 

 転移門(ゲート)を抜けると、そこは25畳ほどの大きな寝室だった。部屋中央にあるダブルベッドの周りには、マスクを着用し白衣を着た医師らしき者たちが、5人ほど取り囲んでせわしなく動いている。よく見るとその医師達の耳は鋭利に尖っており、森妖精(エルフ)系の種族である事が伺えた。ベッドから一歩離れた医師達の背後には、患者の両親らしき男女が心配そうに見守っている。

 

 パルールはその中の主治医と見られる、カーキ色のローブを纏った女性の背中越しに声をかけた。

 

「イフィオン都市長、容態はどうじゃ?」

 

「来たか、パルール都市長。...正直言って変わらずだ。熱も下がらず、快方には向かっていない」

 

「そうか...」

 

「医者を連れてくると言っていたな、誰がその医者なん────」

 

 そう問おうとしたイフィオンは、パルールの3メートルほど後ろに立ち、笑顔でこちらを見つめ返す黒ずくめの女性を見て、言葉に詰まってしまった。

 

「...お、お前はまさか...」

 

「久しぶりイフィオン。パルールおじいちゃんに頼まれてね、手伝いに来たよ」

 

「...ルカ・ブレイズ!!」

 

 イフィオン・オルレンディオは手にした医療器具を放り出し、パルールの後ろに立つルカの胸に飛び込み、力いっぱい抱き締めた。ルカもそれを受け止め、イフィオンの体を抱き寄せる。

 

「ああ、我が友よ...奇跡としか言いようがない。このような時期に、何故このベバードへ?」

 

「冒険者組合から依頼があってね。カルバラームのモンスター討伐依頼は、君が出したんでしょ?そのついでに君の顔も見に来たんだよ」

 

「そうだったのか...」

 

 その様子を見ていたパルールは、目を見開いてルカの顔を見上げた。

 

「と、という事はやはりお主は、本物のルカ・ブレイズ...?」

 

「...おじいちゃん、だから私は何度もそうだと言ったでしょ?」

 

 胸元に顔を埋めていたイフィオンが顔を上げ、体を寄せたままルカの目を覗き込んだ。マスクをしたそのブルーの瞳からは涙が滴っている。

 

「ルカ...もっとよく顔を見せてくれ」

 

「...もう。話はパルールおじいちゃんから全部聞いたよ。こんな事になる前に、何でもっと早く私に伝言(メッセージ)で連絡入れなかったの?」

 

「..済まない。この病気は人から亜人へ、亜人から人へ驚異的なスピードで感染する。お前に万が一の事があったらと思い、この地へ呼ぶ事は躊躇われたんだ」

 

「私は大丈夫だから。ここまでの状況を教えてくれる?イフィオン」

 

 ルカの背中に回した手を離すと、イフィオンはローブの袖で涙を拭い小さく頷いた。

 

「ああ、分かった。カルバラームの患者も含め、私の調合した上位回復薬(ハイ・ポーション)や解毒薬、その他あらゆる薬を試したが、延命させるのが精一杯で完治させるには至らなかった。今治療しているこの娘には最後の手段として、遥か昔お前に見せた事のある、半森妖精(ハーフエルフ)族にのみ伝わる薬・冥王の血(ブラッドオブヘイディス)まで飲ませたが、全く改善の兆しを見せない。薬と魔法の併用で体力とスタミナの消耗を防ぐのが関の山という状態なんだ」

 

「...だと思ったよ。少し期待してたんだけど、冥王の血(ブラッドオブヘイディス)でもだめだったんだね。私もテーベの神殿で重症者の治療に当たったけど、応急処置しかできなかった。魔法でも薬でも、この病気は普通の方法では完治しないと思った方がいい」

 

「...お前でもだめだったのか。一体どうすれば...」

 

 イフィオンはルカの両肩を握りしめ、床に顔を落としたが、ルカもイフィオンの肩を掴んで軽く体を揺さぶった。

 

「諦めるのはまだ早い。私が言いたいのは、この世界のバッドステータスとして存在しない病気という可能性があると言う事よ。まだ確証に至った訳じゃないけど、今病状の統計を集めているところなの。この異常事態を乗り切るにはイフィオン、アルケミストのサブクラスを持つ君の力が絶対に必要になる。お願い、力を貸して」

 

「...それは私のセリフだルカ。頼む、このカルサナスを救うためにも、お前の力を貸してくれ。冒険者組合の依頼として来たのなら、報酬はいくらでも払う」

 

「そんな事言っていいの? 高いよ?私」

 

「構わない。このままではカルサナスは滅んでしまう。間違わないで欲しいが、相手がお前でなければこんな頼み事はしない!お前でだめなら、この国はもう...」

 

「...大変だったねイフィオン。私に出来る事なら何でもするから、そんなに落ち込まないの。報酬の話なんか後でいいから、ね?」

 

「...ありがとうルカ。感謝する」

 

「ほら、パルールおじいちゃんにも頼まれたし、患者を見せてくれる?」

 

「分かった、この子だ。診てやってくれ」

 

 イフィオンとルカがベッドに近づくと、恐らく助手であろう白衣の半森妖精(ハーフエルフ)が場所を空けた。ベッド脇のテーブルには何十本もの多種多様なポーションが置かれており、羽毛布団がかけられたベッドの上には、オレンジに近い金髪の女の子が横になっていた。目はしっかり開かれているが息が荒く、先ほどから交わしていたイフィオンとルカのやり取りを聞いていたらしかった。

 

 ルカは力なくベッドで横たわるその女の子の顔を覗き込んだ。

 

「やあ、こんにちは。私はルカ・ブレイズ。パルールおじいちゃんに連れて来られた医者だよ。お嬢ちゃんの名前は?」

 

「ハァ...ハァ...こ、こんにちは!パルール都市長のお客さまですか?このような姿でおもてなしが出来ず、大変申し訳ありません。私はカベリア...リ・キスタ・カベリアと申します!よろしくお願い致します、ルカ様!..ハァ、ハァ」

 

 息も荒く、顔中に脂汗を滲ませているにも関わらず、笑顔を絶やさない少女を見て、ルカを含めパルール・イフィオンの心がズキンと痛んだ。ルカは懐から白いハンカチを取り出すと、少女の汗を拭いながら返事を返す。

 

「...こら。子供がそんなに畏まらなくてもいいんだよ。カベリア、年はいくつ?」

 

「は、8才です!」

 

「そっか。具合が悪そうだ、すぐに診てあげるからね」

 

「いいえ、それには及びません!今お茶をお煎れします、少しお待ちくださいルカ様!」

 

 (ガバッ!)とベッドから勢いよく起き上がったカベリアを見て、その場に居た全員が血相を変えた。主治医のイフィオンが咄嗟に胸を押さえこむ。

 

「カベリア!!寝ていなければだめだ、おとなしくしていろ!」

 

「イフィオン都市長、家の蔵に美味しいべバードティーがあるんです!我が国へ来たのなら、是非初めてのお客様にも味わっていただかなければ!」

 

「...何を言っている、お前は重病人なんだ!!頼むから言う事を聞いてくれ、お願いだ...」

 

 その様子を見て、カベリアの両親であるテレス都市長夫妻も絶句する。イフィオンに無理矢理横にされたカベリアは、笑顔のままイフィオンに反論した。

 

「ハァ...ハァ...イフィオン都市長、何度も言っていますが私ならもう大丈夫です!それよりも、べバードの神殿にいる他の市民達を診てあげてください!」

 

「お前だってその神殿で隔離されてもおかしくない状態なんだ!...いい?カベリア。今日来てくれたこのルカ・ブレイズはね、私の本当に古い友人であり、私よりも遥か上の力を持った魔法詠唱者(マジックキャスター)なの。...もう私達では、君の体をこれ以上治せない。逆に言えば、このルカお姉ちゃんにカベリアの体が治せれば、神殿にいる人達も助かると言う事よ。べバードの民達を救いたければ、まずはカベリア自身が病気を治さなければいけない。私の言いたい事、分かるよねカベリア?」

 

 少女の小さな手を握りしめながら、イフィオンは言葉を作るのを止めて切々と訴えた。その必死な様相を見て、笑顔を絶やさないままカベリアは頷いた。

 

「...わ、分かりました。イフィオン都市長がそこまで仰るのなら。でも私は本当に大丈夫です!診てもらえばご理解いただけるかと思います。ルカ様、せっかくお越しいただいたお客様なのにお手数をおかけして、誠に申し訳ありません!」

 

 ルカ...そしてミキ・ライルの三人にだけは分かっていた。この年端も行かない幼い少女が、想像を絶する苦痛にのたうちまわり、心の中で絶叫を上げている事。そしてこの少女は既に死を受け入れている事を。

 

”短かったが、幸せな人生だった。”

────そして両親と周りを心配させまいと必死で振りまく笑顔、死を悟った覚悟の目。...子供がしていい顔ではない。こんな顔を子供にさせては絶対にいけない。

 

「...もういいカベリア、分かった。それ以上喋らないで」

 

「...え?」

 

 ルカはベッドに歩み寄り、笑顔を作るカベリアの額と腹部に手を乗せて魔法を詠唱した。

 

体内の精査(インターナルクローズインスペクション)

 

───予想は的中した。カベリアの体は、ぺぺ=ブラドッグ以上にズタボロの状態だったのだ。ルカの手はワナワナと震え、目から大粒の涙が零れ落ちる。その涙がカベリアの頬に滴るが、それを見て慌てたのはカベリアを含め、イフィオン・パルールと周りの医師達だった。

 

「...つらかったね」

 

「...あ、あの...ルカ...様?」

 

「...もういいんだよ。私の前ではもう、我慢しなくてもいいんだよカベリア」

 

「う...」

 

「痛かったろう...苦しかったろう。お姉ちゃんが全部治してあげる。必ず最後まで面倒見る。だから、”どうせ死ぬんだから放っておいて”なんて言わないで。...こんな痛いのを我慢したのに、放っておけるわけないじゃない?」

 

「...ひぐっ...何で...分かるの?私の心...」

 

「お姉ちゃんはね、人間じゃない。アンデッドなの。だから、カベリアが頭の中で考えている事も、全部読めるんだよ?...もうこれ以上嘘をつかなくていい。無理に笑わなくていい。私にはカベリアの本当の顔が、見えているから」

 

 核心を突かれ、少女の作り笑顔が消えてみるみる崩れていく。カベリアは頬に添えられたルカの手を握りしめ、心の絶叫を言葉にした。

 

「...う...ひぐっ...頭が...すごく痛いよ...お腹と背中が痛いよ...うぇぇええん...もういや...助けて...助けてルカお姉ちゃぁあん!!」

 

「...ここまでよく頑張ったねカベリア!今痛いの全部取ってあげるから、もう大丈夫よ。来るのか遅くなってごめん...本当にごめんね」

 

 ルカの腕の中で泣き叫ぶカベリア。イフィオン・パルールは言うに及ばず、実の両親でさえも知らなかったカベリアの激痛と本心を知り、愕然とする他なかった。誰も知り得なかった苦しみを見抜いたルカ、その苦しみから逃れるために死すら受け入れたカベリア、この二人に通じ合った絆に立ち入れる者は、部屋の中に誰一人としていなかった。

 

 ルカはカベリアに証明するため、そして一刻も早く痛みから開放するために、治療の手順を通常と逆にした。

 

魔法持続時間延長化(エクステンドマジック)痛覚遮断(ペイン・インターセプト)

 

 銀色の光球に包まれ、泣き晴らしていたカベリアの表情が(スゥッ)と落ち着いていった。そして体内の解毒・内臓の修復と治療を進め、治療を終える頃にはルカの手を握り、完全に身を委ねている様子だった。

 

 呆然と見つめ返すカベリアの目を、ルカは笑顔で覗き込んだ。その赤い目がユラリと輝く。

 

「...フフ、私は”奇跡”なんて起こせないよカベリア。ただの冒険者が、ちょっと強い魔法を使っただけさ」

 

「...ルカお姉ちゃん、ほんとに心が読めるんだね」

 

「そう、お姉ちゃんには嘘ついても無駄。まだどこか痛む?正直に」

 

「...嘘みたいに引いちゃった。もうどこも痛くない。ほんとだよ」

 

「良かった。病気は完全に治ったわけじゃないし、明日にはまた痛くなるから、その時は魔法かけてあげるからね。それまで大人しく寝てるのよ?」

 

「...こんな日が来るなんて、私思わなかった。...ありがとうルカお姉ちゃん。他の人たちも助けてあげて?」

 

「もちろんそのつもりだよ。でもその前に、君は自分の体を治す事に専念しなきゃ。いいねカベリア?」

 

「うん、分かった」

 

 ルカがベッドで横になるカベリアに身を寄せると、カベリアは自らルカの首を手繰り寄せ、そして抱きしめてきた。ルカもカベリアの頭を支え、左頬にそっとキスをする。体を離すが、カベリアはルカの左手を握ったまま離そうとしない。その状態でベッド脇に座ったまま、ルカは暗い目線を半森妖精(ハーフエルフ)に向けた。

 

「...イフィオン、この子のカルテはある?」

 

「あ、ああ。ここにあるが」

 

「今から言う事をメモして」

 

「分かった、いつでも始めていいぞ」

 

「...首・両肩・両肘・両膝、計7箇所のリンパ節損傷、肺胞の壊死、脊髄カリエス、腎臓・膀胱・腸・胸膜・腹膜の異常...つまり多臓器不全、視神経・鼓膜の化膿。そして最後に...髄膜炎。以上よ」

 

「ちょっと待て...肺はまだ分かるが、脊髄と言う事は、骨にまで毒が回っていたのか?!全身の内臓に加えて、髄膜炎って...つまり脳を覆う被膜にまでダメージがあったということか?」

 

「...頭痛と腹痛、背中の痛みはそのせいよ。特に髄膜炎に関しては、あと一歩で化膿が脳へ達する所だった。...極限の苦しみだったはずよ、それこそ意識をいつ失ってもおかしくないほどのね」

 

「...それに加えて、リンパ節と神経の炎症...体中が...悲鳴を上げていた...」

 

「そういう事。持って余命5日...って所だったね、私の見立てでは。ここまで意識を保てたのは、一重にカベリアの精神力が物を言ったからだと思う。はっきり言ってこれこそ奇跡だよ」

 

「...つまり、私達が行ってきた治療は、全て見当違いだった...」

 

「...イフィオンとラミウスのせいじゃないよ。君達を責めるつもりはない。でも実際問題として、そういう事になるんだろうね」

 

 重い沈黙が流れた。イフィオン・パルール・テレス都市長、各々が目の前に突き付けられた現実を乗り切るため、全力で思考を回転させていた。しかしその沈黙に耐え切れず、ルカの手を握りベッドで横になるカベリアが口を開いた。

 

「ルカお姉ちゃん、イフィオン都市長は二ヶ月も私に付きっきりで診てくれてたの。悪く言わないであげて?」

 

「...分かってるよカベリア、そんなつもりはないから大丈夫。みんなが必死で戦ったからここまで生きてこれたんだ。でも今日のカベリアを診て、この病気が一体何なのかほぼ確信に至った」

 

「本当か、ルカ?!」

 

「一体何だと言うんじゃ?!」

 

 イフィオンとパルールが身を乗り出してきたが、ルカは二人の肩を掴んで落ち着かせた。

 

「最初に言っておくけど、これが私の予想通りなら、この世界には絶対に存在しない...いや、あってはならない病気だ。それを証明する為には、私が診た中で最も重症な、カベリアの血液が必要になる」

 

「血液?そんなものを一体何に使うんだ?」

 

 そのイフィオンの問いには答えず、ルカは背後で見守っていたカベリアの両親に顔を向けた。

 

「あなたがカベリアのお父さん...テレス都市長?」

 

 6:4に分けたブラウンの髪に立派な口髭を蓄えている、シルクの服を着た精悍な男は、ルカに向かって一歩踏み出してきた。

 

「...いかにも。都市長のリ・テレス・カベリアだ、娘を救っていただき、心より感謝する。挨拶が遅れた事をお詫びしよう、名高きマスターアサシン・ルカブレイズよ」

 

「わ、私は母のベハティーと申します!ルカ様、何とお礼を申し上げたら良いか...キスタは私の宝です。娘のためならこの命惜しくはありません。何なりと仰ってくださいませ」

 

 髪の色もカベリアに近い金髪の、目鼻立ちも似ている美しい母親までもが前に出て頭を下げた。二人を見てルカは笑顔を向ける。

 

「テレスさん、ベハティーさん、済まないが赤ワインを一本用意してもらえるかな。それとやかんに、陶器製のコップをいくつか用意してほしい」

 

「分かりました、赤ワインですね?...あなた、食器は台所から持ってきてくださいまし!」

 

「承知した、すぐに用意しよう」

 

 二人が寝室から出ていくなり、パルールは不思議そうな顔をルカに向けた。

 

「赤ワインなんぞ、一体何に使うつもりじゃ?まさか飲むのではあるまいな」

 

「違うよ、染色体を染める色素を作るの」

 

「色素?」

 

「イフィオン、ベッド脇に置いてあるテーブルを使いたいの。上に乗ってるポーションの瓶とか、全部片付けてもらっていい?」

 

「分かった。皆でどかすぞ、手伝え」

 

 イフィオンと弟子達総出で一斉に片付け終わり、テーブルを部屋中央に移動させた。するとテレスとベハティーが手に荷物を抱えて寝室に入ってきた。

 

「赤ワインはこちらでよろしいでしょうか?」

 

「やかんとコップも持ってきたぞ、これでいいのかルカ?」

 

「十分だよ、このテーブルの上に置いて」

 

 並べられるとルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージからカセット式のバーナーを取り出して、その上にやかんを乗せた。その中に赤ワインを注いで火をつけ、湯切り口にコップをかぶせてその下に受け皿用のコップを置く。イフィオンが訝しげな顔を向けて質問してきた。

 

「ワインを沸騰させて、何をする気だ?」

 

「赤ワイン...つまり葡萄の色素であるアントシアニンを蒸留して取り出すのよ」

 

「アントシアニン?何だそれは?」

 

「いいからまあ見てなって」

 

 ワインが沸騰し、湯切り口にかぶせたコップの中に蒸気が溜まると、その水滴が下に置いたコップへと落ちていく。その赤色の液体を取り出すと、ルカはバーナーの火を消してアイテムストレージに収め、やかんを床へと置いた。

 

 そして入れ替わりに、アイテムストレージの中からジェラルミン製のケースと、イフィオンやパルールが見たこともない、銀色をした縦長の機械を取り出した。イフィオンがそれを見て目を丸くする。

 

「今度は一体何だ?その...いびつな物体は。武器か何かか?」

 

「これは走査型電(スキャニング・エレク)子顕微鏡(トロン・マイクロスコープ)。アルケミスト・ファーマシスト専用のアイテムよ。私はファーマシストのサブクラスを持ってるから、昔趣味で使ってたの。通常の顕微鏡としても使えるけど、ポーション系アイテムの組成...つまりレシピや、毒の種類を見破る効果があるの。イフィオンにも使えると思うから、後で使い方を教えてあげる」

 

「顕微鏡...毒...それを使えば、カベリアの血液に潜む毒を看破できるということか?」

 

「さっきも言ったけど、これは通常この世界で感染する病気...つまり、ポーションや魔法で治る病気とは異質なものよ。だから毒の看破ではなく、純粋に顕微鏡としての機能を使う」

 

「...つまり人や亜人が持つ、血液の中にある病原体を確認するための装置なのか?」

 

「そういう事。このアイテムを大切に保管しておいて良かったよ。そしてその病原体だけを変色させて見易くするために、さっき赤ワインを蒸留して取り出したアントシアニンが必要になるってわけ。染色体を染めて、細胞の判別を容易にさせるためにね」

 

「...お前、一体どこでそんな知識...いや技術を身に着けたんだ?だってお前は元々...」

 

「...そうよ、この世界に来る前...つまり現実世界での私は、医術を修得していた。昔少しだけ話した事あるよね?...今この話はよそう、時間が惜しい」

 

「...分かった、済まない。私に何か手伝える事はあるか?」

 

「じゃあ、そのジェラルミンケースを開けて、中からプレバラートとカバーグラス、それにスポイトを取り出して」

 

 言われた通りにケースを開けたが、中に詰まった見たこともない様々な医療器具を前に、イフィオンの目は点になっていた。

 

「ど、どれがプレバラートで、どれがカバーグラスだ??」

 

「...これ。この長方形のガラスがプレバラートで、この薄い正方形のガラスがカバーグラスね。スポイトは分かるでしょ?」

 

「ああ、それなら分かる。了解した」

 

 ルカはその中から注射器とゴムチューブを取り出し、カベリアの寝ているベッドに歩み寄ると、左腕上腕にゴムチューブをきつく巻きつけた。それを見てカベリアの顔に不安が過る。

 

「ル、ルカお姉ちゃん、何するの?」

 

「ごめんねカベリア、これから病気の検査をする為に少しだけカベリアの血を取るから、ちょっとだけ我慢してね。魔法をかけてあるし痛くないから、心配しないで」

 

「う、うん、分かった」

 

 ゴムチューブを巻き、カベリアの血管が浮き出てきた事で、ルカは静脈にスッと針を指し、注射器でゆっくりと吸い上げた。意図に反し全く痛みを感じなかった事にカベリアは驚いていたが、アイテムストレージから脱脂綿を取り出すと穿刺した箇所を押さえ、素早く針を抜く。

 

「カベリア、血が止まるまで3分くらいここ押さえててね」

 

「分かった、お姉ちゃん」

 

 そしてイフィオンの用意したプレバラートに血液を塗付け、先程取り出したアントシアニン色素をスポイトで吸い上げて一滴垂らし、その上からピンセットでカバーグラスをかぶせて顕微鏡のステージにセットした。

 

 アームと倍率を調整しながら接眼レンズを覗き込み、カベリアの血液を検査していく。

 

 そしてルカは目的の物を見つけた。...いや、見つけたくなかったと言った方が正しいか。そのまま接眼レンズから目を離し、ショックからか天井を見上げて目をつぶる。大きく溜息をつくルカを見て、イフィオンが心配になり隣に寄り添ってきた。

 

「ルカ。...何を見た?」

 

「...嫌な予感が当たった。この世界ではあり得ないもの。いや、あってはならない病気だよ。...イフィオン・おじいちゃん・テレス、三人とも自分の目で見てごらん?」

 

 そう言われてまずイフィオンから接眼レンズを覗いた。そこに映っていたものは、赤く染まった細かい空気の粒子が幾重にも折り重なり、タンポポのように円形のコロニーを形成している胞子状の細胞が、いくつも塊になって並んでいる姿だった。パルールとテレスも順番にその様子を見て、三人ともがルカに向かって首を傾げていた。

 

「...ルカ、この丸い胞子がカベリアの血液に含まれていると言う事は、つまりどういう事なんだ?」

 

「知らない?...知る訳ないよね、地球でもほぼ絶滅した細菌なのに、この世界に存在するという事がそもそも異常事態なんだから...」

 

「...これが病原体なのか?ルカよ」

 

 ルカは見上げていた天井から顔を下ろし、三人の顔を真っ直ぐに見た。

 

「コリネバクテリウム亜目・マイコバクテリウム属...通称ヒト型結核菌と呼ばれる細菌だよ。こことは違う世界・違う場所での数百年前は、不治の病として恐れられていたんだ。この菌は飛沫感染...つまり咳やくしゃみで空気中に放出された唾液や体液から、人の呼吸器を通して爆発的に感染する。免疫力のない者が感染すると、そこから肺結核・肺外結核へと進行していく。つまり今までテーベの街の神殿で見た肺胞の壊死から始まり、そこから全身のリンパ節へ膿が転移し、更には多臓器不全・吐血・目や耳の神経系・骨の化膿にまで拡大していく。...そして私が結核菌だとほぼ断定する決め手になったのは、カベリアの症状だ。脳を覆う髄膜にまで菌が感染した髄膜炎、これは末期の結核患者に多く見られる症状だった。そしてここまで簡単に病気が進行してしまうのには訳がある。この世界には、結核菌が蔓延したという記録がない。つまり、カルサナスに限らず世界中の誰もが、結核菌に対する耐性を持っていないんだ」

 

 ...ポーションも魔法も効かない、この世界に取って未知の病原菌。不治の病として恐れていた病気に関する、全ての謎が解けた。少なくともパルールとイフィオンはそう考えていた。結核菌などという名前も聞いたことのない、ルカ曰く別の世界で発生したとされる伝染病が、理由は不明だがこの世界へと持ち込まれたのだ。

 

 そしてイフィオンとパルール、テレス三都市長は恐れた。世界中の誰もが耐性を持っていない病原菌が外の国へと漏れたなら、それはすなわちこの世界の破滅を意味する。その場にいた誰もが五里霧中に陥っていた時、横になっていたカベリアが思い出したように口を開いた。

 

「...ルカお姉ちゃん、”地球ではほぼ絶滅した細菌なのに”って言ったよね?地球って、お姉ちゃんが元いた世界なんでしょ?どうやって病気を乗り越えたの?」

 

 その問いを聞いてカベリアの目を見たルカはハッとしたが、消去法から可能性を除去しつつ、意気消沈しながら答えた。

 

「さっきも言った地球という星で、西暦1943年...今から593年前に、結核菌に対する特効薬が発見されたんだよ。ストレプトマイシンという抗生物質で、そこから新しい放射菌の発見・単離と共に、新種の薬へと発展していった。イソニアジド・リファンピシン・リファブチン・ピラジナミド・エタンブトールへと派生し、特定の薬に耐性を持つ結核菌に対抗して、これらの薬を組み合わせた多剤療法が行われるようになり、人類はこの病原菌を乗り越えていったんだ。でもそのどれもがこの世界では存在しない薬なの。手に入れることは正直...」

 

 カベリアはそれを聞いて口をへの字に曲げたが、ルカの気落ちした表情を見て負けじと対抗してきた。

 

「ん〜、私難しい話は分かんないけど、カルサナスが多分最初にケッカクキンにかかったんだよね?」

 

「そうだと思うよカベリア。私の知る限りではね」

 

「じゃあケッカクキンは、私達が初めてかかったんでしょ?そのケッカクキンも、他の薬に強くないんだよね?」

 

「...薬剤耐性ってこと?...うん、恐らくこの世界ではないと思うけど」

 

「それじゃあお姉ちゃん、一番最初に発見されたって言う、そのストレプ何とかって薬、作れないの?」

 

 

────作れる、素材さえあれば。

消去法から除外していた要素だった。よくよく考えれば除外する要素ではなかった。現に今、この世界で存在し得ない細菌が確認されたのだ。その他の細菌が存在しないという理由には一切ならない。ルカは目を大きく見開き、脳裏に記憶する精製手順をそのまま口にした。

 

「...抗生物質は全て放射菌から単離される。その放射菌は、腐葉土を多く含む土壌に生息する。この世界に放射菌が存在する事が確認できれば、魔法やスキルに一切頼ることなく、それを自分の手で分離・培養して、ストレプトマイシンを精製できる...かもしれない、カベリア」

 

「...やっぱりお姉ちゃんはすごい。私を助けてくれたお姉ちゃんなら、絶対何とかしてくれるって、私分かってたもん!」

 

「...こいつ、乗せたな?」

 

「乗せてないよ、ルカお姉ちゃんが勝手にやったんだもん」

 

「こらぁー!」

 

 ルカは席を立ち、カベリアのベッドに駆け寄って小さな体を抱き締めた。カベリアも大喜びでそれを受け止める。その様子をイフィオン・パルール・テレス夫妻は啞然と見守ったが、毅然と対応したのはイフィオンだった。

 

「そのストレプトマイシンというのが特効薬なんだな?...その薬を作るためには、何をすればいい?教えてくれ。カルサナスの全国家を総動員して対応しよう」

 

 ルカはカベリアが元気を取り戻してくれた事が嬉しく、勢い余ってじゃれていたが、イフィオンの真剣な口調を聞いてカベリアからそっと体を離した。

 

「...ああ、ごめんごめん。そうだね、じゃあまずカルサナス近郊にある森林や林から、土のサンプルを採取してきてほしい。できるだけ腐葉土の多い、栄養分豊かな土地から取ってきてほしいの。木や農作物が豊富に育つような土地からね。少量じゃなく、ある程度の量をそれぞれ確保してほしいんだ」

 

「森林や林でいいんだな、それなら有望な土地がいくつかある。カルバラームで植林している土地などがいいかもしれない。とにかく全て当たってみる」

 

「よろしく頼むね。力仕事でヘルプが必要ならライルを行かせるから。いいよねライル?」

 

「お任せください、ルカ様」

 

「分かった。ライル、必要な時は頼む」

 

 ルカは走査型電(スキャニング・エレク)子顕微鏡(トロン・マイクロスコープ)とジェラルミンケースをしまうと、パルールに顔を向けた。

 

「おじいちゃん、次は東のゴルドーだよね?」

 

「そうじゃ。済まんな、苦労をかける」

 

「いいのよ、方向性も決まったし。何でもするって言ったじゃない」

 

「イフィオン都市長、ゴルドーに転移門(ゲート)を開いてもらっても良いか?」

 

「もちろんだ。だらしない奴だが、あいつも治してやってくれ、ルカ」

 

「了解。じゃあ行こうか」

 

 イフィオンが魔法を唱えようとした時、背後のベッドから声がかかった。

 

「ルカお姉ちゃん!...行っちゃうの?」

 

 寂しそうに見つめるカベリアを見て、ルカはベッドに歩み寄りカベリアを胸に抱き寄せた。

 

「夜までには戻るから。それまでちゃんと大人しく寝てるのよ?」

 

「...ほんとに?ほんとに戻ってきてくれる?」

 

 ...この子供らしからぬ強い不安。ただ事ではない。当然の事だろう、痛みに怯えているのだ。治療したとは言え、未だ結核で全身を蝕まれている事に変わりはない。今は魔法で痛みから開放されているが、カベリアはルカが診た中で最も重い症状を持つ罹患者だ。十四時間経てば魔法の効果が消え、再度全身に強い痛みが復活する。それどころか、定期的に治療を施さなければ命すらも危ぶまれる。

 

 ルカはそれを重々承知の上で、カベリアの左頬にキスをした。約束の意味を込めて。

 

「...帰ってきたら、お姉ちゃんと一緒に朝まで寝ようね。病気が治るまで、ずっと一緒だよ」

 

「...グスッ...ほんと?」

 

「本当さ。毎晩お姉ちゃんが隣にいたら、いや?カベリア」 

 

「ううん...いてほしい」

 

「その通りになるから、安心して。ゴルドーの都市長を治したら、すぐに戻ってくるから」

 

「...メフィアーゾ都市長?」

 

「そう。パルールおじいちゃんの話では、その人も病気が重いらしいから、治してあげないとね」

 

「...分かった、我慢して待ってる」

 

「...いい子ね。もう私はべバードに来たから、転移門(ゲート)を使用していつでも戻って来れる。待っててね、カベリア」

 

「行ってらっしゃい、お姉ちゃん」

 

「行ってくるね。ゆっくり寝てなさい」

 

 抱き寄せたカベリアから体を離し、ルカはイフィオンの前に立った。

 

「よろしく、イフィオン」

 

「よし開けるぞ。転移門(ゲート)

 

 ルカ・ミキ・ライル・パルールの四人は、暗黒の穴を潜った。

 

 

───カルサナス都市国家連合東・ゴルドー都市長邸宅内 14:37 PM

 

 部屋に着くと、そこにはカベリアの部屋と同じく半森妖精(ハーフエルフ)の医師たち5人がベッドを取り囲み、せわしなく動いている。パルールとルカが近づくと、マスクをした男性の医師が背後を振り向き、声をかけてきた。

 

「パルール都市長、それにルカ・ブレイズ様ですね。先程イフィオン都市長より伝言(メッセージ)で連絡を受けています。私はイフィオン都市長の一番弟子、アルガン・ベリアドーと申します。ルカ様のお話は私達カルバラーム住民の間でも語り草です。どうぞよろしくお願い致します」

 

「こちらこそよろしくねアルガン。それで、ゴルドー都市長さんの容態は?」

 

「...芳しくありません。特に胸と喉に痛みを訴えており、食事もろくに取れないせいで体力の消耗が非常に激しい。熱も高く脱水症状気味で、もっぱら水分と流動食で補っている状態です」

 

「なるほど、取りあえずは診てみようか」 

 

 ルカはベッドに近づき、横になる筋肉質な大男の顔を覗き込んだ。スパイキーヘアな戦士風で、年は20代後半と言ったところだろうか。

 

「こんにちは、初めまして。具合はどう?」

 

「...ゼー...ゼー...な、何だぁ?随分と可愛い姉ちゃんが来たな...野郎ばかりの医者で退屈してたとこだぜ...誰だいあんた?」

 

「私はルカ・ブレイズ。パルールおじいちゃんに連れて来られたのよ。あなたの名前を教えて?」

 

「パルール都市長にねぇ...てこたぁあんた、新しい医者か...随分と若ぇのが来たもんだ...ヘヘ、泣く子も黙るゴルドー都市長、メフィアーゾ・ペイストレスたぁ俺の事よ...よろしくなルカちゃん」

 

「よろしくねメフィアーゾ。でも私、これでも君よりずっと年上なのよ?」

 

「...ヘッ、嘘付け...どう見たって年下ってツラしてるぜ...あんまり大人をからかうもんじゃねぇや...」

 

「そう言ってくれるのは嬉しいから、許しちゃおうかな。ありがとう。少し体温測らせてね」

 

 額・首と手を触れ、シャツを捲りあげて脇の下の体温も測定するが、その熱の高さにルカは眉をひそめる。何故かメフィアーゾは顔を赤面させていた。

 

「お、おいおい躊躇ねえな...気安く男の体をベタベタ触るもんじゃないぜ」

 

「こんなムキムキマッチョな体してるのに、何恥ずかしがってんのよ。...39度2分、熱が高いのは多分喉をやられているせいだね。胸と喉以外で、他に痛い所はある?」

 

「...痛えってわけじゃねえが、右の背中の真ん中辺りに妙な違和感を感じやがる」

 

「...それって、ここらへん?」

 

 ルカは布団に手を入れて、該当部位を触診した。

 

「ああ、間違いねえそこだ。嫌な感じがしやがるぜ」

 

「...この位置は腎臓だね、ひょっとしたら菌が転移してるかもしれない。メフィー、これから魔法で全身を検査するから、そのままじっとしててね」

 

「...おい何だよその女みてえな呼び方はよ?ちゃんと名前で呼べ名前で!」

 

「だってメフィアーゾって言いにくいんだもん。いいじゃないメフィーの方が可愛くて」

 

「チッ、勝手にしろ...」

 

「動かないでね。体内の精査(インターナルクローズインスペクション)

 

 メフィアーゾの体内コンディションと、異常部位の映像がルカの脳内を駆け巡る。2分ほどして目を開けると、ルカはメフィアーゾの右肩鎖骨部に指をねじ入れた。

 

「メフィー、ここ痛いでしょ?」

 

「いって!...っておい何しやがる!!」

 

「あと、ここもね」

 

 ルカは羽毛布団を下げると、下腹部に手を伸ばした。

 

「ちょ...おいどこ触って───」

 

「いいから動かない!...ここよ」

 

 ルカは陰部からすぐ左、太腿の付け根を軽く押した。メフィアーゾの体に電撃のような激痛が走る。

 

「いててて!!いってーー!!!何だこりゃ一体?!」

 

「...やっぱりこっちの方が痛いね」

 

 ルカは羽毛布団をかけ直し、メフィアーゾの額に手を乗せた。後ろで見ていたパルールとアルガンもその様子を見てベッドに近づいてくる。

 

「もう痛い事はしないから大丈夫。アルガン、メフィーのカルテを用意。これから言う事を書き写して」

 

「分かりました」

 

「...肺胞の壊死・咽頭部の炎症・菌の腎臓への転移・右鎖骨部及び左大腿部股関節のリンパ節損傷、特に左大腿部の損傷は重度・進行レベルにより膀胱へ菌転移する危険性あり。医師の所見により、患者は肺外結核・及び腎結核と診断する。...以上」

 

「OKですルカ様、全てカルテに記入しました」

 

「よし。後日の治療にも使うから、大事に保管しておいてねアルガン」

 

「了解しました」

 

 まるで魔法の詠唱を聞いているかのようにポカンとするメフィアーゾだったが、ゴクリと固唾を飲みルカに質問した。

 

「おいルカちゃん...その結核っていうのが、カルサナスに蔓延する病気の名前なのか?」

 

「そうよ。この世界にあってはならない病名」

 

「それで...俺の容態はどうなんだ?やっぱり...死ぬのか?」

 

「君は立派な重症だよ。これから治療をするけど、それでも完治するわけではなく、あくまで症状を和らげる延命措置に過ぎない。でも病原菌が何なのか分かった以上、それに対する特効薬は存在する。今イフィオンと私達で、その特効薬を作るため素材の捜索に当たっているの。病原菌が結核だと特定できたのも、全てカベリアの協力があったからなのよ」

 

「...そうだ!イフィオンから伝言(メッセージ)で聞いてたんだ。カベリアの嬢ちゃんもこのクソみてぇな病気にやられて...で、具合はどうなんだ、無事なのか?!」

 

「彼女はメフィーよりもずっと重症だったよ。君の腎結核とは違い、カベリアは粟粒結核(ぞくりゅうけっかく)...つまり全身ほぼ全ての内臓とリンパ節、それに脳までもが結核菌に侵され、激痛と戦いながら正に死の一歩手前だったんだ。今は私の魔法で落ち着いているけど、正直予断を許さない状況ね。こちらが薬を作るのが早いか、結核がカルサナスを滅ぼすのが早いか...勝負の分かれ目って所よ」

 

「そうか、おめぇがカベリアの嬢ちゃんを...ありがとうよ、恩に着るぜルカちゃん。あいつは将来きっと立派な都市長になる。俺なんかよりもずっと頭が切れるからな」

 

「フフ、随分と買ってるのね。取りあえずカベリアは小康状態だし、君も重症なんだから人の心配してる場合じゃないよ」

 

「...そうだったな。ほんじゃまあ、いっちょ頼むわルカ先生!」

 

「...全く。ちゃんだの先生だの、呼び方コロコロ変えるのやめてくれる?ルカでいいから」

 

「ほいよ、ルカ!」

 

「...体の力抜いて、楽にして。魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)毒素の除去(ディスペルトキシン)

 

 解毒・修復・疼痛除去と治療を終えると、メフィアーゾは深呼吸し、眠るように目を閉じた。そして羽毛布団の下から両腕を出し、顔の前で掌を開閉させる。やがて全身の筋肉に力を入れると、(メキメキ)という音を立てて胸筋が異常な程に張り詰めた。そして目を開き、左に座るルカの方を見る。

 

「フシュー。...あんたすげえんだなルカ。体調も良くなって、胸と喉の痛みも嘘のように引いちまった。...いいぞ、力が戻ってきやがった」

 

「こらこら、だからといって暴れたりしちゃだめだよメフィー?痛みが取れるのは十四時間だけだし、体の中にまだ菌がウヨウヨ残ってるんだから、この部屋で絶対安静だからね?」

 

「酒は飲んでも大丈夫か?」

 

「ダメに決まってるでしょ?また喉が炎症起こして痛くなるよ」

 

「ヘヘ、そいつぁ困るな。何か痛みが取れたら腹減ってきたわ。食う分には問題ねえだろ?」

 

「もちろん。栄養あるものをジャンジャン食べて」

 

「ありがてぇ。おいアルガン!悪いが肉持ってきてもらってもいいか?」

 

「そう言われると思い、用意してありますよ」

 

 すると下の階から医師達が様々な肉料理を運んできた。スパイシーな香りが寝室の中を満たし、その皿がベッドの上に置かれるとメフィアーゾは上半身を起こして、肉に食らいつき始めた。それを見てパルールが呆れた視線を投げかける。

 

「体が治った途端大食らいか、全くあやかりたいくらいじゃわい」

 

「うるへぇ!!この一ヶ月ろくなもん食ってねえふがふが」

 

「飲み込んでから喋れ飲み込んでから!!」

 

「...水!!」

 

「はいはい」

 

 ルカはアイテムストレージから無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)とコップを取り出し、並々と注いでメフィアーゾに手渡した。その見事な食いっぷりを見守りながら、ルカは自然と笑顔になっていた。

 

 鳥と牛肉料理3皿を平らげたメフィアーゾは、感無量と言った面持ちで天井を見上げていた。

 

「...ぷはー食った食った!!久々のまともなメシだったぜ!!」

 

「メフィーすごい体力あるね。HPリカバリー速度も早いみたいだし、ひょっとしてCON(体力)特化型なのかな?」

 

「CON?何だそりゃ?まあ自慢じゃねえが、耐久力にかけて俺の右に出る奴はいねえぜ。何なら俺と勝負してみるか、ルカ?」

 

「病人相手に勝っても嬉しくないからやめとく。そういう事は体を治してから言ってね?」

 

「言ってくれるじゃねえか。ヘヘ、まあおめぇは恩人だ、いつか必ずこの恩は返すぜ」

 

「期待しないで待ってるよ」

 

 治療に集中していたので気づかなかったが、ぼんやりとベッドの向こうを見ると、右の壁際に巨大な両手斧が飾ってあった。それを見てルカはピンと来た。

 

「その戦斧(バトルアックス)...ああそうか!メフィーひょっとしてバーバリアンなの?」

 

「おうよ!男の職業(クラス)と言ったら、バーバリアンしかねえだろ!」

 

「そっか、だから体力の回復量が異常に高いんだね。バーバリアンでCON(体力)特化型か、ある意味理想かも」

 

「だろ?これでも昔は冒険者張ってたんだぜ。まあいろいろあって古巣のゴルドー都市長になっちまったが、今でも鍛錬はかかしてねえ。見ろこの筋肉美!」

 

 メフィアーゾはベッドの上で、見事なフロントダブル・バイセップスを決めた。ルカはそれを見てケタケタ笑いながら、このメフィアーゾという男の裏表がない性格に惹かれ始めていた。パルールの言う通り、この男を治療出来て良かったと内心思いながら、元気を取り戻した姿を見て席を立った。

 

「はー、面白かった。べバードに戻るから、明日また診に来るよ。ちゃんと大人しく寝てるのよ?」

 

「おっと!!...待ってくれルカ」

 

「ん、何?」

 

 メフィアーゾは急に真剣な表情に変わり、ベッドで上体を起こしたままルカに向き直った。

 

「...おめえは良い奴だ。ここまで話してみて良く分かった。俺の直感がそう言ってる。そのお前を見込んで頼みがある」

 

「頼みって?」

 

「ここからはお前の言うメフィーではなく、ゴルドー都市長、メフィアーゾ・ペイストレスとして話す。...頼むルカ、このゴルドーの神殿にいる結核の重症者達に、お前の魔法で治療を施してやっちゃくれねえか?!俺もこんなザマだ、うちの市民共を見舞いに行って勇気づける事すらできねえ。俺だけがお前の治療を受けて楽になるなんて、都市長としてありえねえんだ!!このゴルドーは市民全員が苦楽を共にする街だ。去る者は追わねえが、来る奴は絶対に見捨てねえ、それがゴルドーって街の誇りだと思ってる。報酬が必要だってんなら、こんな状況だし出せる金は多くねえが、お前の力量を見込んで最大限払わせてもらう!俺の財産はもう、カルサナスとこの街の住人しか残されてねえんだ!!頼むルカ、この通りだ!!」

 

 ルカがメフィアーゾの人柄に良い印象を抱いたのと同様に、メフィアーゾもルカの人格を探っていたのかもしれない。自分の体で治療を受ける事で、この街を救うに足る人物かどうかを確認した。そして今メフィアーゾは、ベッドの上で頭を下げている。読心術(マインドリーディング)を使うまでもなく、その言葉に嘘偽りは一切なかった。そう疑う必要もなかった。ルカが一歩前に進もうとした時、その姿を後ろで見ていたパルールが言葉を発した。

 

「よくぞ言った。だからこそ、その民を思いやる気持ちがあるからこそ、お前はゴルドー都市長に選ばれたのじゃメフィアーゾ。ここからはルカ達の意思一つじゃが、わしはテーベの神殿で奇跡を見た。お前のその気持ち、この慈悲深き暗殺者に伝わるものとわしは信じておる」

 

 メフィアーゾがその言葉を聞いて顔を上げた時、そこには首を傾げて優しく微笑むルカが立っていた。そしてゴツいスパイキーヘアの頭にポンと手を乗せると、メフィアーゾの目を覗き込んできた。

 

「メフィーが都市長って事、話してたら楽しくてすっかり忘れちゃってたよ。ごめんね気が付かなくて。心配しないでも、私は最初からそのつもりでカルサナスに入ったんだよ。それと私はもう決めたの。パルールおじいちゃんも、イフィオンも、カベリアも、そしてメフィーも、その回りにいるカルサナスの人達も全員助けてあげようって。一度やると決めたら、私は絶対にやり通す女よ。だから安心して、メフィー」

 

「...ルカ...済まねえ、この借りは必ず返す...」

 

「よろしくね。そうと決まったら早速行こうか。メフィーは外に出れないから、パルールおじいちゃん、この街の神殿どこか分かる?」

 

「もちろんじゃとも。メフィアーゾ、わしが責任を持ってルカ達を連れて行く。お前は体を治す事に専念するのじゃ、よいな?」

 

「...んなこた言われなくても分かってるよじいさん」

 

「行ってくるねメフィー」

 

「済まねえ、頼む」

 

 四人が二階から一階へ階段を降りていくと、それを悲しい目で見送り続けるメフィアーゾに、主治医のアルガン・ベリアドーが励ますように声をかけた。

 

「...あれが伝説の暗殺者、ルカ・ブレイズ。イフィオン都市長から話は聞いていましたが、私もこの目で見たのは初めてです。ただ話に聞いた印象とは大分違いますが...ですが彼女なら、きっと無事にやり遂げてくれるでしょう。メフィアーゾ都市長、元気を出して」

 

「...そういやパルールのじいさんも同じような事言ってやがったな。あのルカが暗殺者?悪い冗談だろ?」

 

「いいえ、これはイフィオン都市長から直接聞いた話ですので、真かと存じます。何でもイフィオン都市長は遥か遠い昔、あのルカ・ブレイズに強力な魔法を伝授された事があるそうです。あの方がただの噂を口にするはずがありませんから」

 

「遥か昔って...イフィオンは二百四十年生きてるんだぞ?...それにルカはどう見ても半森妖精(ハーフエルフ)には見えねえ。そんな長寿な種族が他にいるか?」

 

「...ええ、イフィオン都市長も言葉を濁していましたが、言葉の端々から察するに、ルカ・ブレイズは...アンデッドかと思われます」

 

「...アン...デッド...あいつが?...ちょっと待て。アンデッドが何で...何であんなに人を癒やす術を使えるんだよ?性格にしたって、どう見ても普通の女だぞ?」

 

「ですから謎な部分が多いのです。闇に生きるマスターアサシンと呼ばれる所以ですな」

 

「...アルガン。お前ルカの事を、話に聞いていた印象とは大分違うと言っていたな。どこかどう違うんだ?」

 

「はい。何でもイフィオン都市長が初めて会った時のルカ・ブレイズは気性が荒く、まるで男のような性格だったそうです。しかし先程見た本人はとてもそうは思えませんでした。...おおらかで優しく、誰がどう見ても女性的な印象を受けました。イフィオン都市長と良好な交友関係を現在も築けている事から見ても、それは明らかかと思われます。あの方は気性の激しい輩を好みませんので」

 

「確かにイフィオンはそういう性格だ。...ルカとイフィオンが初めて会ったというのは、いつの話だ?」

 

「申し訳ありません、そこまでは。イフィオン都市長も明言されてはおりませんでしたので。ただ一つ、真かどうかも怪しい噂があります。メフィアーゾ都市長、あなたもかつて冒険者組合に所属していたのなら、聞いたことがあるのではありませんか?」

 

「ルカの噂だぁ?...俺はオリハルコン級だったが、そんなもん聞いたこともねえな」

 

「そうですか。確かに表の組合ならそうかも知れませんね。しかし裏家業...つまり請負人(ワーカー)達の間では、ある一つの伝承じみた噂が立っていたそうです」

 

「何だその噂ってのは?」

 

「それはこうです。”ルカ・ブレイズは人ではなく、十三英雄の生きた時代...つまり190年前より存在していた”という噂です」

 

「190...年...てこたぁつまり...ルカは本当にアンデッドで、更にはイフィオンが魔神と戦う直前に、既にあの二人は会ってたって事になるのか?」

 

「その可能性があります。確証は持てませんが、当時の生き証人であるイフィオン都市長が現在も生存し、尚かつルカ・ブレイズがイフィオン都市長の開けた転移門(ゲート)で姿を表したのです。噂を信じるなという方が無理な話だとは思いませんか?」

 

「...お前あいつの顔ちゃんと見たか?!あんなに若くて...美人で...あれのどこか190歳なんだよ?!ただの嬢ちゃんじゃねえか。そもそもアンデッドってのはおめぇ、皮膚が腐ってたり骨が見えてたりするもんだろ?どう見ても普通の女の子だろあれは!そうは思わねえか?!」

 

「ま、まあまあ。治療された手前信じたくないお気持ちも分かりますが、どうか冷静に。ただ一つ言えるのはメフィアーゾ都市長。あなたは伝説のルカ・ブレイズに会い、手を触れられ、魔法までかけられた。それ以前の過去を知りたければ、ルカ・ブレイズと仲の良いイフィオン都市長に聞いてみるのが一番かと思われます。同じ都市長のあなたになら、イフィオン都市長も何か話してくれるかも知れません」

 

「...チッ、病気が治ったらな。その時は聞いてみる。だがその前にアルガン、お前がルカについて知っている事は今全部教えろ」

 

「構いませんよ。知っている範囲で良ければ」

 

 メフィアーゾはベッドの上で胡座をかき、自分を救ってくれた一人の女性に思いを馳せながら、アルガンの話す闇の物語を聞き始めた。

 

 

───カルサナス都市国家連合中央 べバード 都市長邸宅内 3:48 AM

 

 

「こんな遅い時間に...一体ゴルドーで何をしていたんだ!!娘が苦しみだしてから、ずっと一時間近く伝言(メッセージ)を入れていたんだぞ?!」

 

「ごめんテレス!ゴルドーの神殿にいた患者が予想以上に多くて...魔法をかけ続けたせいで伝言(メッセージ)がキャンセルされていたんだ、済まない。カベリアは?!」

 

「ベッドの上でお前の名を呼びながらうなされている!早く何とかしてやってくれ!!」

 

 ルカが寝室の扉を勢いよく開けると、ベッドの上で体を丸め、苦しそうにうめき声を上げるカベリアの姿がランタンに照らされていた。

 

「...お姉ちゃん...ルカお姉ちゃあん...痛いよう...早く...」

 

「カベリア!!!」

 

 鬼気迫る勢いでベッドに飛び込み、カベリアの隣に足を滑らせて添い寝すると、ルカはカベリアを懐に抱き寄せた。

 

「ごめんね、ごめんねカベリア遅くなって!!来たよ、お姉ちゃん来たからね?!」

 

「や...やっと...私...頑張った...痛いの...我慢...したよ...ルカお姉ちゃん...」

 

「もう大丈夫よカベリア!魔法持続時間延長化(エクステンドマジック)痛覚遮断(ペイン・インターセプト)!!」

 

 カベリアの体を銀色の球体が覆い、痛みに耐えて強張らせていた体の力が一気に脱力して、ルカの胸に顔を埋めた。カベリアの着ているパジャマが汗でぐっしょりと濡れている事で、痛みがどれだけ凄まじかったかを把握したルカは悲しくなり、意味がないと分かりつつも汗で冷えたカベリアの体を温めようと足を絡ませた。

 

「...はー。とにかく...間に合ってよかった」

 

 ベッド脇に立つテレス夫妻の溜息が聞こえ、ルカはカベリアを支えながら左へ首を向けた。

 

「...ごめんねテレス、ベハティー。私とミキの二人だけじゃ、あの人数は追いつかなくて...患者が1300人もいて、治療に10時間以上かかってしまったの」

 

「...いや、いいんだ。私の方こそ済まない。さっきは思わず感情的になった。お前はゴルドーの住民を治療してきたと言うのに、私には何も言える筋合いはない。だがお前はこうして娘の元に来てくれた。それだけでも感謝する」

 

「テレス...」

 

「もう一人の女性はどうした?」

 

「ミキの事?彼女なら、テーベの神殿で痛みを取り除く処置だけをしてもらってるわ。そんなに時間はかからないから、もうすぐ帰って来ると思う」

 

「そうか。お前とミキと、この後ろにいる大きい男性三人の部屋を用意してある。今後はこのべバードを拠点として使ってくれ。食事や着替え等全て用意させる」

 

「ありがとう、助かるよ。じゃあライル、早速だけど先に休んで。私はこのままカベリアと一緒に寝るから」

 

「かしこまりましたルカ様。お休みなさいませ」

 

「部屋へ案内しよう。ライルとやら、ついてきてくれ」

 

 テレスとライルが寝室から出ていくと、ベッド脇には母親が一人心配そうに立ち尽くしていた。それを見てルカが声をかける。

 

「ベハティー、カベリアのパジャマを持ってきてもらってもいい?汗かいてるから、着替えさせて体を冷やさないようにしないと」

 

「分かりました!すぐお持ちします」

 

(バタン!)と扉が閉まり、部屋の中にはベッドで横になる二人のみ。カベリアを見るとルカの背に手を回し、イビルエッジレザーアーマーの懐に顔をうずめて寝息を立てている。

 

 そこへ母親のベハティーが戻り、カベリアの替えのパジャマと下着を持ってきてくれた。ルカはそれを手に取り、羽毛布団を剥いで少女の肩を軽く揺する。

 

「カベリア...カベリア、起きて?服着替えよう?」

 

「ん...起きてるよお姉ちゃん」

 

「横のままでいいよ、服脱がすからね」

 

 ルカはパジャマのボタンを外し、上着とズボンをスルリと取り去ると、パンツも脱がせて替えの下着を履かせた。横になっているにも関わらずルカは軽々とカベリアの体を片手で持ち上げ、ズボンと上着の裾も通してカベリアに新しいパジャマを着せる。そして汗で濡れた着物をベハティーに手渡した。

 

「ありがとうベハティー。あとは私が寝かせるから、夜も遅いしもう寝てくれて大丈夫」

 

「ルカ様、ご面倒をおかけします。お休みなさいませ」

 

「お休み、また明日ね」

 

 母親が寝室を出ていくと、ルカはカベリアの胸に手を置いて魔法を唱えた。

 

「...魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)毒素の除去(ディスペルトキシン)

 

 解毒・内臓の修復と定期治療を終えると、ルカはベッドを抜けて上下のレザーアーマーを脱ぎさり、黒のYシャツと白のパンツ一枚の姿となってベッドに再び潜り込んだ。

 

 それに気づいたのかカベリアが寝返りを打ち、ルカの腰にしがみついて胸に顔を埋めてきた。先程のレザーアーマーと違い固くないので、カベリアは胸の中で深呼吸している。

 

「...こら。起きてるでしょ?」

 

「...うん」

 

「寝れない?」

 

「...違うの。こうしてると安心だから」

 

「お姉ちゃんのおっぱいがいいの?晒し巻いてるから、ちょっと固いよ?」

 

「全然平気。...お姉ちゃん、すごくいい匂いがする...」

 

「...そういう事か。これはね、香水かけてるんだよカベリア」

 

「...何て香水?」

 

「フォレムニャック。竜王国で売ってる香水だよ、知ってる?」

 

「...竜王国は知ってる。私も...この香水欲しい」

 

「香水はもっと大人になってからだよ」

 

「何で?」

 

「カベリアは、何も付けてなくてもいい匂いがするもの」

 

「...この匂いのほうがいい」

 

「そっか。じゃあカベリアが大人になったら、この香水プレゼントしてあげる」

 

「ほんと?」

 

「ほんとだよ。お姉ちゃんは嘘つかない」

 

「...約束...したからね」

 

「うん。...ほら、もう寝ないと。お姉ちゃんも明日は大変だから」

 

「...分かった。お休み、ルカお姉ちゃん」

 

「お休みカベリア...」

 

 MP消費による疲労もあり、ルカはカベリアの頭を抱きながらすぐさま熟睡に落ちた。しかしそこからしばらくした時だった。ルカは胸に圧迫感を感じ、熟睡から覚めようとしていた。浅い眠りだったが、その時耳に子供のすすり泣く声が飛び込んできた事を受けて、ルカは一気に目覚め周囲を見渡した。すると胸に抱きつき、嗚咽を堪えながら泣き伏せるカベリアがそこにはいたのだ。

 

 ルカは咄嗟に体を離し、少女の即頭部を掴んでグリーンの瞳を覗き込んだ。

 

「カベリア?!どうしたの、どこか痛いの?!」

 

「...うぇぇええん、怖いようルカお姉ちゃぁぁあん!」

 

「どうしたどうした、よしよしお姉ちゃんが隣にいるから怖くないよ!」

 

 カベリアを抱き寄せ、背中を叩いてあやしながら左腕の金属製リストバンドを見ると、午前6:07を示していた。二時間近くしか睡眠を取れていないことになる。窓を見るとカーテンが閉め切られているが、外から薄っすらと日の光が差してきていた。胸にしがみついて泣き続けるカベリアの背中を摩りながら、そっと耳打ちする。

 

「怖い夢でも見たの?」

 

「...うん」

 

「どんな夢?」

 

「...体中が痛い夢」

 

「そっか...」

 

 肉体の痛覚を遮断しても、夢で痛みを感じてしまうのでは意味がない。これでは睡眠も取れず、カベリアの体力が奪われていく一方だ。ルカは最悪記憶操作(コントロール・アムネジア)を使用して、痛みによる恐怖の記憶を改ざんする事まで視野に入れたが、結核による疼痛が物理的に完治していない以上それは所詮付け焼き刃だと判断し、最終手段として取っておく事にした。応急処置として、ルカは両腕でカベリアを抱き寄せると魔法を詠唱した。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)恐怖耐性の強化(プロテクションエナジーフィアー)

 

 横になるルカとカベリアの体が、眩しい緑色の光に包まれていく。少女の中で渦巻いていた激痛に対する強い恐怖が、幻でも見ていたかのように溶け落ちていく。驚いたカベリアが胸から顔を離して見上げると、そこには悪戯っぽい笑顔を湛える一人の夜叉が、眠たそうな目で自分を見つめ返していた。

 

「これでどう?カベリア」

 

「お姉ちゃん...怖いの、消えちゃった...」

 

「良かったね。もう一眠りしようか」

 

「うん...でも私、あんまり眠くなくて」

 

「大丈夫、お姉ちゃんが寝かせてあげる。取っておきの子守唄があるのよ」

 

「...子守唄?」

 

「そう。聴きたい?」

 

「うん...聴かせて」

 

 カベリアが再び胸に顔を埋めると、ルカは少女の小さな頭を優しく抱きかかえた。(スゥッ)と肺に空気が流れ込む音が聞こえる。そしてルカは吐息を吐くように唱え始めた...長大なる魔法の詠唱を。その声は、あまりにも透明すぎた。カベリアの全身に鳥肌が立ち、しかしそれと相反するように体中の力が抜けていく。耳から鼓膜を通り、眉間の奥に語りかけてくるような優しい旋律。快楽中枢に直接訴えかけるような聖なる波動。カベリアのためだけに捧げられた鎮魂歌、その言霊を聴いた少女の体は強大な魔力の渦に包まれ、そして悪魔に魅入られた子供の如く守護されていた。

 

────────────────

 

 

・・・When the evening falls,And the daylight is fading,

(夕陽が落ち、昼の光が消えていく)

 

From within me calls,

(心の奥から呼ばれる声がする)

 

Could it be I am sleeping?

(私は眠りの中にいるの?)

 

For a moment I stray,Then it holds me completely

(彷徨う瞬間にも、夕闇につつまれていく)

 

Close to home, I cannot say

(家に帰るの、何も言わずに)

 

Close to home feeling so far away...

(家に帰るの、心は彼方に...)

 

 

As I walk the room there before me a shadow

(部屋にはいると、目の前は別世界の影)

 

From another world, where no other can follow

(誰もついて来られない道が広がる)

 

Carry me to my own, to where I can cross over

(手を引いて、ここから抜け出したいの)

 

Close to home, I cannot say

(家に帰るの、何も言わずに)

 

Close to home, feeling so far away...

(家に帰るの、心は彼方に...)

 

 

Forever searching never right, I am lost in oceans of night.

(夜の海に失くした心を永遠に探しましょう)

 

Forever hoping I can find memories

Those memories I left behind...

(忘れていた思い出に、その幻影を追い求めて...)

 

Even though I leave will I go on believing

(信じるままに旅に出てみたら)

 

That this time is real , am I lost in this feeling?

(今度こそ本当に、この気持ちを捨てられる?)

 

Like a child passing through, Never knowing the reason

(無邪気に振舞う子供の様に)

 

I am home, I know the way

(家に居残るの、理解してるわ)

 

I am home , feeling oh...so far away….

(家に居残るの、心は彼方なれど.....)

 

 

─────────────────

 

 ルカの放つ強烈な母性に揺さぶられ、顔を埋めた黒いYシャツに涙が染みを作る。耳を撫でる優しい歌声、柔らかい肌、心地良い香りに包まれて、次第に瞼が重くなり、意識が遠のいていく。その中でも止まらない、胸が締め付けられるようなこの思い。カベリアはそれをそのまま口にした。

 

「...ルカお姉ちゃん...私の事...好き?」

 

「...ああ、大好きだよ」

 

「...おや...すみ...お姉ちゃん...」

 

「お休み、カベリア...」

 

 かつてない安寧が訪れる。聖女の腕に抱かれながら、少女は深い眠りに落ちた。

 

 

 

─── 12:55 PM ───

 

 

(....カ.....ルカ、おはよう.......起きてくれ)

 

 体を揺すられてルカはハッと目を覚ました。懐を見るとカベリアが寝息を立ててぐっすりと眠っている。肩に乗せられた手の先を見ると、カーキ色のローブを着てマスクをしたイフィオンが、笑顔で顔を覗き込んできた。

 

「ん...おはようイフィオン、今何時?」

 

「正午過ぎだ、よく眠っていたな。起こして済まない」

 

「もうそんな時間か...いや大丈夫、起きるよ。今日はべバードとカルバラームの患者達を診てあげないと」

 

「...済まんなルカ、苦労をかける」

 

「いいのよ。ミキとライルを見なかった?」

 

「あの二人なら、このべバードの神殿へ治療に行くといって、テレス都市長と出ていったぞ」

 

「そっか、助かる。カルバラームでの治療が終わったら、私も追いかけるか。今支度するからちょっと待ってて」

 

 腕枕で寝るカベリアをそっと仰向けにすると、起こさないようにベッド脇へと腰掛けて立ち上がろうとしたが、イフィオンに引き止められた。

 

「待てルカ、その前にいい知らせがあるんだ。お前達が昨日ゴルドーへ行っている間、私の弟子達を総動員して、お前に頼まれたカルサナス各地にある森や農場・計六ヶ所の土壌サンプルを集めさせた。カルバラームにある私の研究所に全て集めてあるから、向こうへ行ったら是非一度確認してみてほしい」

 

「早いね、もう取ってきたの?」

 

「私の弟子三十名は、その大半が転移門(ゲート)を使用できる。短時間でカルサナス全土を回ることも可能だからな」

 

「それは頼もしい。思ったよりも早く事が進みそうだ。早速カルバラームへ向かおう」

 

 ルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージから替えのYシャツと、イビルエッジレザーアーマー一式にエーテリアルダークブレードを取り出し、全身に装備してマントを羽織った。

 

 そしてベッドを振り返り、その上で眠るカベリアの胸に手を当てた。

 

魔法持続時間延長化(エクステンドマジック)痛覚遮断(ペイン・インターセプト)

 

 カベリアの体が銀色に輝き、その魔力の圧に気づいたカベリアが薄っすらと目を開けた。ルカはその顔を覗き込む。

 

「おはようカベリア。ごめん起こしちゃったね」

 

「おはようお姉ちゃん。...出かけるの?」

 

「そんな不安そうな顔しないの。これからイフィオンの街に行ってくる。今魔法をかけ直したから、今日の夜二時までは痛くないからね。それまでには必ず帰ってくるから」

 

「...分かった。昨日はごめんねお姉ちゃん、あんまり寝れなかったでしょ?」

 

「カベリアと一緒に寝てたら、お姉ちゃんもぐっすりだったよ。大丈夫」

 

「良かった...気をつけて行ってきてね」

 

「ありがとう。カベリアもちゃんとご飯食べて水飲んで、ゆっくり寝てるのよ?...ベハティー、カベリアをよろしく頼むね」

 

「もちろんですルカ様。娘の事はお任せください。何卒お気をつけて...」

 

「よし、行こうかイフィオン。私が転移門(ゲート)開けようか?」

 

「いや、私が開けよう。昔お前が来た時とは街も大分様変わりしてるからな」

 

「OK、お願い」

 

転移門(ゲート)

 

 イフィオンを先頭に、ルカは暗黒の穴を潜った。

 

 

───カルサナス都市国家連合北東・カルバラーム 市街地中央・ペデスタル噴水広場前 13:27PM

 

 転移門(ゲート)を抜けて光が差した時、ルカはその光景を前にして我が目を疑った。広大な中央広場を中心にゴシック建築・ビザンティン様式の建物が放射状に立ち並び、森妖精(エルフ)の技術が結集したであろう壮麗な街並みは一枚の絵画の様に美しく、幻想的な雰囲気を醸し出していた。ルカはそれを見て呆然とする。

 

「...あの小さかった村が、こんなに大きく...」

 

「フフ、お前にこれを見て欲しかった。今から180年前、お前達三人が初めてここへ来た時は名もない小さな村だった。だがここは大陸の最北東、海に面している。豊富な海産物の宝庫だ。港を作り、漁業の発展に伴い亜人や森妖精(エルフ)の入植者も増え始め、開拓して徐々に街を拡大させていった。今ではカルサナス都市国家連合でも最大の港湾都市・カルバラームとして繁栄を遂げている。...ここに来るまでの180年間、この街の利権を巡り幾多も戦乱の火種があった。それを尽く平定し、今まで平和が保たれてきたのも、お前が昔私に授けてくれた強大な魔法の力によるものだ。感謝する、ルカ」

 

「そんな、別に私は何も...」

 

 戸惑いを見せるルカの両手を握り、イフィオンは真剣な眼差しで赤い瞳を見つめ返した。

 

「...私は神を信じない。だが見えない何かがお前を再びカルサナスへと導いてくれた。...このか細い手に、かつての魔神をも遥かに超える強大な力が秘められている事を、私は知っている。ここはお前の街だ、ルカ。何も気負いせず、自由に振る舞ってくれていい。そして願わくば、カルバラームの民達もその力で救ってやってほしい」

 

「お、大袈裟だってイフィオン。お礼なら私達三人をカルサナスに入れてくれた、パルールおじいちゃんに言ってね。...でも私も嬉しいよ、こんなにも立派な街に育ってくれて。早く神殿に行って、重症者達を楽にしてあげよう?」

 

「...ありがとう。神殿はこっちだ、ついてきてくれ」

 

 噴水広場から街を南西に下り、街路を歩いていく。通りはまばらだが人も歩いており、その全員がマスクをしている。生鮮食料品店や雑貨店もいくつか開き、そこで物資を買い込んでいる様子だった。

 

「テーベみたいに区画を封鎖してないんだね?」

 

「ああ。市民には感染対策を徹底させているからな。知っての通り、結核の感染者が最初に発見されたのはこのカルバラームだ。我々の懸命な治療にも関わらず、その者は二ヶ月を待たずして亡くなってしまった訳だが、その後似たような症状を持つ住民が急増した。私と弟子三十人が感染経路を調査した結果、恐らくは空気・飛沫感染の類だろうと推測し、街全区画に都市長令を出して不要不急の外出を控え、国外への渡航は一時禁止とし、外出の際はマスク着用を義務付ける事で、感染者数は一定数抑えられた。しかし時すでに遅く、その二ヶ月の間に発症していない保菌者がテーベやべバード・ゴルドーへと出てしまっており、カルサナス全土での爆発的な感染を阻止することが出来なかったんだ」

 

「なるほど、この街の人達が結核菌のキャリアか。国内外からの入国を禁止している以上、潜在的な感染者が重症化する前に、何としてもストレプトマイシンを完成させる。神殿の治療が終わったら、すぐイフィオンの研究所に行って準備を始めよう」

 

「分かった。神殿まではもうすぐだ」

 

 やがてテーベ・ゴルドーと似たような作りの巨大な神殿前まで着くと、入口の階段を上りながらルカが訪ねた。

 

「収容された重症者の数はどのくらいなの?」

 

「約六百人程だ。他の街に比べれば大分抑えられている」

 

「了解、それなら私一人でも何とかなるね」

 

 中へ入ると、他の街と変わらず薄暗い神殿内部だった。正面には縦に六列のベッドが奥まで並んでおり、イフィオンの弟子と思われる半森妖精(ハーフエルフ)と神殿の神官(クレリック)が、協力して患者の治療に当たっている。

 

 両側面の壁を見上げると、テーベの神殿と同じく窓は閉め切られており、その上から遮光カーテンが塞いでいるのを見て、ルカは声をかけた。

 

「イフィオン、今すぐあのカーテンを取り外して、日の出てる内は窓を開けて空気を入れ替えるようにしてもらってもいい?」

 

「構わないが、大丈夫なのか?菌が外に漏れるような事があっては...」

 

「結核菌は紫外線...つまり太陽光に弱い。室内の殺菌にもなるし、清潔な空気に保っておけば患者の回復も早くなる。それに飛沫感染だから、あんな高い位置まで菌が飛ぶ事もないし、その点は心配要らないよ。昨日ゴルドーの神殿に行ってきた時も同じ指示を出してきたから」

 

「なるほど、分かった。すぐに取り掛からせよう」

 

 左右全ての窓が開け放たれ日の光が射すと、横になる患者とその家族達からどよめきが上がったが、室内で回診する医師達が声を張り上げて皆に説明して回り、殺菌の為という意図を把握すると落ち着きを取り戻していった。

 

 イフィオンが助手として付き添う形で、ルカは右列のベッドで眠る重症者達から治療を開始していった。患者達はイフィオンの顔を見ると安心し、皆が勇気づけられていた。ルカの手により、瀕死の患者が次々と回復していく様子を見て、神殿内にいたイフィオンの弟子達がベッドの回りに集まり、ルカの一挙手一投足をメモに書き写して収めている。

 

 順調に治療は進み、右列最奥部のベッドに辿り着いた時だった。その患者に近寄った時、ルカは何かの違和感を感じた。ベッドを覗き込むと、そこには森妖精(エルフ)にしては珍しい頑強な体格ながら、線の細い長髪の男が目を閉じて眠っていた。ベッド脇には何故か、ミスリル製と思われるロングソードが白い鞘に納まり立て掛けてある。二人の気配に気づき、その男は薄っすらと目を開けた。

 

「...ハァ...ハァ...イ、イフィオン都市長?な、何故またここに...神殿には来るなと、私があれほど申し上げたではありませんか...!」

 

「そうは行かない。今の私はこの神殿の責任者だ。お前も含め、他の患者達の治療もある」

 

「しかし!!...うっ...ゲホッゲホッ!!」

 

 無理に起き上がろうとした反動で男は激しく咳き込み、口で手を押さえたが、そこから溢れ出る程の吐血を掛け布団の上にこぼしてしまった。イフィオンが慌てて男の肩を支える。

 

「動くな!斯く言うお前も重症なんだ、大人しく寝ていろ。...今日は私の友人を連れてきた。彼女の治療を受けるんだ、いいな?」

 

 イフィオンが背中を支えながら寝かしつけると、男はその隣に立つ女性に目を向けた。

 

「ハァ...ハァ...失礼だが、あなたは?」

 

「私はルカ・ブレイズ。イフィオンの古い友達よ、安心して」

 

「...ルカ...ブレイズ? ...イフィオン都市長、ま...まさかあなたが以前話していた伝説の暗殺者というのは、この女性の事だと?」

 

「そうだ。この世界で勝てるものはいないと言ってもおかしくない存在、それが彼女だ。遠い昔、魔法の教えを受けた際に幾度となく戦ってみた私だからこそ理解できる。彼女こそが最強だと私は信じている」

 

「そんな、大袈裟だよイフィオン。今の君が本気を出せば────」

 

「”本気を出せば、君なんか何時だって一撃で殺せる。死ぬ気でかかってこい” ...お前の特訓中の口癖だったな、ルカ」

 

「...まあね。そのくらいしないと上達しないから。昔の話はやめにしない?」

 

「フッ、そうだな。あの時があったから今の私があるんだ、他意はない」

 

 その話を聞いて、男は信じられないと言った様子で目を丸くしていた。師弟のように話す二人の美しい女性を見て、男の心はどこか和み、次第に脱力していった。ルカはアイテムストレージから白い布を取り出し、男の口周りに付いた血を拭ってあげた。

 

「そういう訳で、よろしくね。君の名前は?」

 

「...わ、私は...アエルギナー...アエルギナー=エルフォードと申します。皆からはアエルと呼ばれております」

 

「ルカ、このアエルはな、カルバラーム軍の総指揮官を任せている男だ。戦闘力だけで言えば、私を超える男だと思っている」

 

「...ご、ご謙遜を。私が一度でも都市長に勝てた事がありましたか?」

 

「あれは魔法も混ぜた試合だったではないか。言わば私の反則だ。剣術だけで言えば、お前は私を遥かに凌駕している」

 

「...その肝心な魔法を撃っても、都市長は全て躱してしまうではありませんか...人生で初の敗北を喫したのは、あなたがいたからなのですよ?」

 

 そこまで話を聞いていたルカは、目を細めて違和感の正体を探ろうとしていた。

 

「なるほど...アエル、君ちょっと普通じゃないよね」

 

「そ、そんな事はありません、あなた様に比べれば...」

 

魔力の精髄(マナエッセンス)

 

 ルカが魔法を唱えると、病気で衰弱中にも関わらず膨大な魔力が視界に映し出された。それを確認したルカはイフィオンを振り返る。

 

「この魔力量...彼、普通の半森妖精(ハーフエルフ)じゃないよね?」

 

「さすがだな。アエルは上位妖精(ハイエルフ)だ。戦闘力が高いのも頷けるだろう?」

 

「それでこの専用剣って言うことは、彼はクルセイダー?」

 

「その通りだ」

 

「てことは、INT(知性)DEX(素早さ)特化のハイディフェンス型か。火力高そうだね」

 

「だからこそ彼に指揮官を任せている。まあ私も似たようなタイプだがな」

 

「そっか、疑問が解けてすっきりしたよ。ごめんねアエル、話が脱線して。すぐに治療するからね」

 

「ひ、一目でそこまで見抜くとは...流石としか言いようがない。イフィオン都市長がこうまであなたを敬うのも頷ける。よろしくお願いします、ルカ様」

 

 その後アエルギナーは安心しきった様子でルカに身を委ね、解毒・修復・痛覚遮断の治療を受けた。イフィオンがカルテを記入し終わり、一言告げてベッドから離れようとした時だった。

 

「...お待ちくださいイフィオン都市長」

 

「どうした?」

 

「いえ、実は以前ご報告しそびれた事についてなのですが」

 

「港湾近辺に現れる未確認モンスターの件か?」

 

「はい。あの後すぐに体調が悪化してしまい、最後までご報告できていなかった事もあり、気にかかっていたのです。ルカ様の治療を受け、回復している今のうちにお伝えしておこうかと」

 

「分かった、聞こう」

 

「...あれは正直、我々の手に負える相手ではありません。それこそカルバラームの兵士全軍で当たらねば、退治出来ないかと思われます」

 

 その言葉を聞いて、ルカの目が大きく見開かれた。

 

「ちょっと待ってアエル...そのモンスターを見た事があるの?!」

 

「ええルカ様。私だけでなく、その場にいた我が軍の精鋭部隊全員が目撃しております」

 

「詳しい話を聞かせてくれる?実は私、そのモンスターの討伐依頼を冒険者組合から受けて、このカルサナスに入ったのよ」

 

「何と、そうだったのですか!...ルカ様なら或いは、奴を倒せるかもしれません。分かりました、当時の状況をお伝えします」

 

 要約するとこうだ。最初の目撃情報があったのは九ヶ月程前、カルバラームの漁師からもたらされた。しかしその時点で病魔は急速に拡大の一途を辿っており、思うように軍を動かせない状況にあった。だがその後も度重なる目撃情報が相次ぎ、イフィオンの判断により、アエルギナーをリーダーとする小規模精鋭50名のパトロール部隊が結成され、定期的に港湾及び海岸を巡回する事となったが、目撃地点に向かってもモンスターと遭遇する事はなかった。

 

 情報を精査すると目撃地点が海岸に集中している事が分かり、そこを重点的にパトロールしたが、海岸自体が広大な為50名で全てをカバーするのは難しかった。しかし遂に二ヶ月半前、日没間際の夕方六時過ぎにパトロール部隊はモンスターの巨大な影を視認。これと戦闘する為全員で突撃するが、モンスターの周囲に発生した毒の霧と強烈な殺気に阻まれ、近づく事すら叶わないと判断したアエルギナーは已む無く撤退。街に戻ると急激な体調悪化により、パトロール部隊全員が倒れてしまう。イフィオンの診断の結果、カルサナス全域で流行する病と症状が酷似している事が判明。神殿へ緊急搬送されたという顛末だった。

 

 ルカはその話を聞き、頭の中で内容を組み立てていた。

 

「...つまりその話からすると、結核菌をばら撒いているのは、そのモンスターって事になるよね?でも毒を使う敵は沢山いるけど、そんなモンスター私は聞いたことがない」

 

「ええ。戦った私自身も関連性があるのかすら分かりません。しかし現にパトロール部隊50名の内、半数以上の29名が既にこの病で命を落としております」

 

「ん〜、調べてみる必要があるか。そのモンスターが最初に目撃されたのが九ヶ月前、結核菌が蔓延し始めたのが一年前って事は、九ヶ月よりもずっと前からモンスターがいたってこともあり得るよね?」

 

「単に目撃されていなかっただけで、その可能性は十分にあり得るかと思われます」

 

「分かった。この神殿の治療と、イフィオンの研究所で仕込みを終えたら海岸に向かってみよう。イフィオン場所は分かる?」

 

「おおよそならな。何せあの海岸は広い」

 

「それで十分。貴重な情報ありがとうアエル。後は私達に任せて、君はゆっくり寝ていてね」

 

「こちらこそ治療していただき感謝しますルカ様。何卒ご武運を」

 

 そこから三時間程かけて神殿内全ての治療が完了し、ルカとイフィオンはその足で研究所へと向かった。

 

 

───カルバラーム都市長邸宅内3F 薬剤研究所 16:35 PM───

 

「お帰りなさいませイフィオン様」

 

「ご苦労。土の用意は出来ているか?」

 

「はい、全てこちらに」

 

 出迎えた弟子の女性が指差す先を見ると、テーブル手前の床に麻製の土嚢が六つ置かれていた。周りを見渡すと部屋中央に巨大な蒸留器タンクがあり、木製の広いテーブルの上にはシャーレ・ビーカー・フラスコ・試験管等の実験器具が一通り揃っている。ルカはそれを見て目を丸くした。

 

「おー、すごい設備だね!これなら実験も捗りそうだよ」

 

「機材でも弟子でも、好きに使ってくれていいぞ。お前が来る事は皆に伝えてあるからな」

 

「ありがとう、助かるよ。それじゃあ早速お願いしようかな。えーと、弟子の君は名前なんて言うの?」

 

「ティリス=ピアースと申しますルカ様」

 

「OKティリス、じゃあこの土嚢の中身半分くらいを細かく砕いて、種類別に六枚の板の上に乗せて平らに伸ばした後、三日間室温で乾燥させてもらってもいいかな?出来れば鉄とか、金属の板がいいかも。他の土と混ざらないように気をつけてね」

 

「お安い御用です、かしこまりました」

 

 ティリスがテーブルの上に底の浅い鉄製のボックスを並べて作業するのを、イフィオンは不思議そうな顔で眺めていた。

 

「土を乾燥させて、どうするつもりだ?」

 

「こうする事で、抗生物質の元となる放射菌胞子の熟成が進むのと同時に、無胞子性の雑多なバクテリア生息数が激減していくの。つまり、放射菌の有無を見分けやすくするってわけ」

 

「なるほど、手間暇がかかるわけだな」

 

「こんなのは手間暇とは言わないよ。大変なのはこれから。でもそれ以前に、どの土にも放射菌が含まれていなかったら、そこで終わりだけどね」

 

「そうならない事を祈ろうじゃないか。三日も待つという事なら、そろそろ港湾の海岸へ向かってみるか?」

 

「そうだね、行ってみようか」

 

「装備を整えてくる、ここで少し待っていてくれ」

 

「分かった」

 

 ティリスの作業を後ろから眺めていると、10分も経たない内にイフィオンが研究所へ戻ってきた。

 

「待たせたな。では行こうか」

 

 全身に淡い緑色のレザーアーマーを着込み、腰には二刀使い(ブレードウィーバー)専用剣が二本、額にはオニキスのヘッドチェーンが装備され、両耳にイヤリングと、指にもマジックリングを複数はめている。その姿を見てルカは目を輝かせた。

 

「久しぶりだねその格好見るの。昔を思い出すよ」

 

「お前の装備とは比較にならないが、これでもこの世界ではかなりレアなマジックアイテムだからな。INT(知性)DEX(素早さ)、それにディフェンスを最大限に高める付与効果がある」

 

「私の持ってる装備をあげたいんだけど、森妖精(エルフ)用の特化装備は持ってないんだよなー、ごめんね」

 

「構わないさ。魔神と戦った時もこれ一本で凌いできたしな。港までは転移門(ゲート)で行くだろう?」

 

「時間短縮になるし、そうしよっか」

 

「了解。転移門(ゲート)

 

 二人は暗黒の穴を潜った。

 

 

───カルバラーム港 17:12 PM───

 

 空は朱色に染まり、水平線の彼方に夕陽が沈んでゆく。その光に照らされ、整然と並ぶ無数の桟橋とそこに停泊する何百隻もの漁船と帆船が影を落とし、絶妙のコントラストを演出していた。漁師たちが明日に備えて船の整備を終え、皆思い思いに談笑しながら家路に就く。そんな光景にすら美しさを感じさせるほど、見事かつ広大な港だった。

 

 ルカはその絵画のような景色に目を潤ませながら、(ホゥ)と小さく溜息をつく。

 

「...きれいだね、ここ」

 

「計画的に拡張し、ここまで来るのに20年を要した。海上都市を除けば、ここまでの港はこの世界に無いと自負できる。これもお前に見せたかった物の一つだ、ルカ」

 

「私は海上都市よりもこっちの方が好きだな。この港で月を見ながら、漁師のおじさん達と一杯やれたら最高だろうね。今は無理だけど」

 

「必ずその日は来る。言っただろう、ここはお前の街だ。好きにしてくれていい。だがその日が来たら漁師と飲む前に、まずは私達都市長と飲んでもらうぞ。いいな?」

 

「それはもちろんだよ。未来の都市長であるカベリアも混ぜてね」

 

「あんな子供に飲ませる気か?」

 

「当然カベリアにはオレンジジュース。体も弱ってるし、ビタミンC摂らさないと」

 

「ハハ、そうだな確かに。日も暮れてしまう、そろそろ行こうか」

 

「そうだね、行こう」

 

 堤防の脇を歩き、左に向かって進むと小さな鉄製の門が見えた。海風に晒されて所々が錆びている。そこを開けて西側の海岸に出ると、一面真っ白な砂浜に出た。右手に海、左手に森林と岸壁が交互にそびえ立つ広い海岸を歩きながら、イフィオンは物思いに耽るように質問した。

 

「なあ、ルカ」

 

「ん?」

 

「お前随分とその...女っぽくなったよな」

 

「そうよ、変?」

 

「いやいや、変ではない。むしろ今のお前のほうが好ましいくらいだ。ただその、何と言うか...ほら、私達180年ぶりだろう?俺だのお前だのと言葉遣いが荒かった、昔の粗野なルカが懐かしくてな。それが久々に会ったら何か急に...優しくなってるし」

 

「...あの時は、この世界に転移して日が浅かったから、人が信じられなくて周りに辛く当たってた時期もあった。今では少し反省してる。でも昔の私も今の私も、どっちも本当の私だからね?...それとも、戻って欲しいの?」

 

「誤解しないでほしいが、昔のお前が優しくなかったと言っているわけじゃない。何がお前を変えたのか、私はそれが知りたいだけだ」

 

「何が変えた、か...強いて言えば、パルールおじいちゃんにそう望まれたからかな。カベリアもそうだけど」

 

「望まれた?それはどういう事だ?」

 

「...正直に言うね。私、トブの大森林で君達十三英雄と初めて出会ったあの日から、本当はもうこんな感じだったの。でも私は、それが自然体である事にずっと抵抗し続けてきた。自分が許せなかったのねきっと。でもゆく先々の街や村で、そこにいる子供と接する時・男性と接する時・女性と接する時...ふと気を許して素の自分を出すと、種族の垣根を超えてみんなとても喜んでくれる。分かってたんだそうなる事は。でも、それでも私は...」

 

 初めて見るルカの涙。詳しい事情までは分からない。しかしイフィオンは衝撃を受けると同時に、この美しき暗殺者を守ってやりたいと強く願った。この底知れない闇を抱える、史上最強の夜叉を。夕陽が沈んでいく中、イフィオンはルカの頭をそっと抱き寄せると、左頬にキスした。

 

「ルカ...。済まない、つらいことを聞いた。もう答えなくていい」

 

「...ううん、大丈夫。話せたら少しすっきりしたよ。だから私は、このカルサナスにいる間は一人の女でいようと決めたの。これが理由」

 

「よく分かった。打ち明けてくれてありがとう、我が友よ」

 

 二人が体を離すと、イフィオンはベルトパックから白いハンカチを取り出し、ルカの涙をそっと拭った。照れくさそうにはにかんで見せるルカにたまらない愛おしさを感じながらも、きれいに折り畳んでハンカチを腰に収める。

 

「ごめんね、何か湿っぽくなっちゃって」

 

「いいんだ。目撃地点まではもうすぐだ、ついてきてくれ」

 

「...大丈夫、この先にモンスターはいない」

 

「それは...例の、足跡(トラック)と言うやつか?」

 

「そう。周囲2キロ圏内に敵影なし。移動を続けてる可能性が高いね。この海岸は見晴らしがいいけど、あの遠くに見える大きい岸壁の先も海岸になってるの?」

 

「そうだ。あそこから先は左に大きく湾曲した砂嘴(さし)のような形状となっている」

 

「よし、日が落ちる前にあそこまで一気に走ろう。探索速度強化(パスファインディング)

 

 二人の体に黄色のベールがかかり、移動速度が驚異的にアップした状態で岸壁に向けて突っ走る。左腕の時計を見ると18時27分。暗闇ではこちらが不利になる。戦闘する事を公算に入れてもギリギリの時間だった。

 

足跡(トラック)ヒット!イフィオンそこで止まれ!!」

 

「?!」

 

 岸壁に着いたと同時にルカが鋭く制止し、二人は岩山の陰に身を潜めた。

 

「どの方角だ?」

 

「南西方向、距離約1.8キロ。この岸壁を左に回り込んだ先にいる」

 

「この距離なら視認できるかもしれない。見てみるか?」

 

 二人が岩陰からそっと南に向けて顔を出すと、奥に湾曲した海岸が見えた。その更に先にあるものを見て、イフィオンが眉をひそめる。

 

「ルカ...あの対岸に見える大きな岩の後ろに、何か...いないか?」

 

「待って、千里眼(クレアボヤンス)...ほんとだ、影になってて見えにくいけど、岩の頭から何かが覗いてるね」

 

「...な、何だあの大きさは...巨人か?それに岩を覆っているあの緑色の霧...あれがアエルの言っていた毒の霧か?」

 

「...煙みたいに空へ立ち昇ってるね」

 

「風に乗って、東へ...流れている」

 

「あの方角は...」

 

 空に漂う霧を追って、イフィオンの顔が見る見る青ざめていく。

 

「...カ、カルバラームだ、そんな...一体何が目的なんだあのモンスターは?!」

 

「まさか...奴が今まで各所を転々と移動していたのは、刻々と変わる海風の風向を計算に入れて、毒の霧を確実にカルバラームの街へ流し込む為だとしたら...」

 

 それを聞いたイフィオンの目は釣り上がり、怒りのあまり手がワナワナと震えていた。

 

「...冗談じゃない!!今すぐ海の藻屑にしてやる!!」

 

 岩陰から飛び出そうとした所を、ルカが既のところで肩を掴み止めた。

 

「だめよイフィオン!冷静に考えて。あれだけの強力な魔法を使えるという事は、相当手強い相手に違いない。”PvPに遭遇戦などあり得ない、相手のレベル・種族・職種(クラス)・弱点耐性を全て完璧に見極めた上で勝負に出る”。...180年前、口を酸っぱくして教えたでしょ?」 

 

「しかし相手はモンスターだぞ?!今回ばかりは状況が違う!」

 

「だから落ち着いて。基本PvPもPvEも、やる事は何も変わらない。ただひたすら弱点と隙を突いていく。でも私の経験上、下手をすればプレイヤーよりもモンスターの方が遥かに手強い場合だってある。まずはモンスターの種別確認が先決よ。あの対岸の端まで行けば、モンスターとは直線距離に入る。とりあえず安全距離の200ユニットまで接近して、敵の正体を探るわ。いいねイフィオン?」

 

「くっ...分かった済まない、少々冷静さを欠いた」

 

「よし。近くまで行ってみよう」

 

 相手との距離を測りながら、岸壁沿いに慎重に近づいていく。敵は変わらず対岸の岩の裏から動こうとしない。そして南から西へと海岸沿いに曲がり、遂に目標地点まで直線距離に入った。距離約400ユニット、既に正面にはモンスターの影が見えているが、判別するまでには至らない。ルカとイフィオンは抜刀し、戦闘態勢を整えながら更に距離を詰めていく。しかしその意気込みを全否定するかのようにルカは急停止し、手にしたロングダガーでイフィオンの行く手を遮った。...そして距離200ユニット。夕陽に照らされて宙に浮くその”何か”をルカは愕然と見上げ、イフィオンをこの場に連れて来てしまった事を後悔した。

 

 座禅を組み宙に浮くその姿は全高15メートル程だが、立ち上がれば30メートルは行くだろう。下半身にベージュ色の巻衣を纏い、ネックレス・腕輪・ブレスレットと、全身に金の装飾品を身に着けている。長い髪は頭頂部で結上げられ、阿弥陀如来のような東洋系の顔立ちをしており、目は三白眼で青白く光を放っている。一見すれば神々しいように思えるが、その肌は全身が毒々しい濃緑色で、右手に持った鎚矛と周囲に撒き散らされる毒霧、体から放たれる強烈な殺気は、それが聖なるものとは真逆の凶悪な存在である事を裏付けていた。それを見たルカの額から一滴の汗が流れ落ちる。

 

「....邪神....ネルガル.....バカな、何でこいつがこんな所に....」

 

「邪神だと?ルカ、お前は過去にこの化け物を見た事があるのか?」

 

「...ああ。それも昔話した事のある、私の元いた世界でね。このモンスターの別名は疫病神ネルガル...間違いない、こいつが結核の発生源だ。まさかこんな近くに宿主(ホスト)がいたなんて...」

 

「よし、そうと分かればこいつを倒してしまおう、ルカ」

 

「だめだイフィオン、君は今すぐ転移門(ゲート)でカルバラームへ戻れ」

 

「なっ...ここまで来て引き下がれるか!私も共に戦う!!」

 

「...あの体を覆う毒霧を見てもまだ分からないの?!...ネルガルはね、自分を中心とした120ユニット内に、恒久的な毒属性のAoEDoTを張り巡らせているの。毒耐性の低い君なんかがあの中に入ったら、一分も待たずに死んでしまう。それにネルガルは本来、結核菌なんて感染系の攻撃は行わない。と言う事は完全な亜種と見ていいだろう。感染系の攻撃に完全耐性を持つアンデッドの私しか、この場で対処できる者はいない」

 

「しかし、一人であの化け物とやるつもりか?!いくらなんでも無謀過ぎる!」

 

「仮に二人でネルガルを倒したとして、その後君はどうするの?結核に罹って、今研究所にある土壌サンプルの中から放射菌が見つからなかったら、カルバラームやカルサナスの住民達はどうするつもりなの?!」

 

「そ、それは...」

 

 イフィオンは顔を背けるが、ルカは諭すような口調で更に続ける。

 

「目的を見失わないで。私達の最終目的はネルガルを倒す事じゃない、ストレプトマイシンを作ることなの。その時に君の助けがなければ、薬を大量生産してカルサナスの住民達全員に行き渡らせるだけの量を確保出来ない。...君が必要なんだ、イフィオン。私の指示に従って」

 

「...分かった。だが街へは戻らない。カルバラーム都市長として、私にはお前の戦いを見届ける義務がある。これだけは譲れん」

 

「いいよ。但しここから一歩でも前に出てはだめだ。それと私が窮地に陥っても、絶対に助けには入らないで。約束できる?」

 

「ああ、約束しよう。それで、奴の弱点は分かっているのか?」

 

「ネルガルの弱点耐性は物理・神聖・音波よ。HoT(Heal over Time=持続回復)が攻略の要になってくる」

 

「...一人で勝算はあるのか?せめてミキとライルをこの場に呼んでは...」

 

「正直...微妙なんだよね。昔ネルガルと戦った時は、私と同レベルの六人パーティーで倒したんだ。それとあの二人は今もべバードの神殿で患者達を治療している。向こうは向こうで大事な任務だ、ここへ呼ぶ事は出来ない」

 

 ルカの真剣な目を見て、イフィオンはゴクリと固唾を飲んだ。

 

「...そこまで言うならもう何も言わない。死ぬなよ、ルカ」

 

「大丈夫、まあ見てなって」

 

 ルカはその場で一気にフルバフを開始した。そして最後に念を入れて、もう一つの魔法を詠唱する。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)毒耐性の強化(プロテクションエナジートキシン)

 

 そのまま立て続けに飛行(フライ)を唱え、ネルガルに向けて突進する。距離が170ユニットまで差し掛かると敵がルカの接近を感知し、空中に散布されていた毒霧が途絶えて体の周囲に張り巡らされた。

 

「やはり睨んだとおりだ、空中と地面の同時散布は行えない。魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)治癒風の召喚(コールオブヒーリングウィンド)!」

 

 ルカの体から超広範囲に渡る青白い光が放射される。自らにパーセントリカバリーのHoTをかけた状態で、ルカは120ユニット内にある毒霧の中へ突入した。その途端強烈な殺気の波動がルカを押し包むが、本人は意にも介さず突進を続ける。

 

「なるほど、絶望のオーラと似たような効果だな。恐怖耐性に直接攻撃してくるのか、オリジナルのネルガルには無かったスキルだ。これじゃアエル達が接近出来ない訳だね。まあ私には効かないけど」

 

 瞬時にネルガルの懐へ達すると、ルカは空中にも関わらず舞うような洗練された動きで武技を発動した。

 

霊妙の虐殺(スローターオブエーテリアル)!!」

 

 刺突・斬撃を組み合わせた、神聖属性の超高速二十連撃が決まり、ネルガルの腹をズタズタに引き裂いた。傷口から神聖ダメージ特有の白い煙が上がり、ネルガルは空中で絶叫しのたうち回っている。ルカに向けて鎚矛を無造作に振り回してくるが、ルカはそれを尽く回避(ドッヂ)で躱し、頭上に飛び上がると右手を顔面に向ける。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)聖者の覇気(オーラオブセイント)!!」

 

 直撃して大爆発を起こし、怒りに燃えたネルガルが空中にいるルカに両手を向けた。

 

「グォオオオアアアアア!!魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)毒素の吸収(アブソーブド・ザ・トキシン)!」

 

 回避(ドッヂ)の体制を取っていたルカだが、それに反して突如体の周りに紫色の靄が現れ、何らかの効果が付与された事を示していた。ルカの血相が見る見る変わっていく。

 

「...AoEデバフに移動阻害(スネア)?!ちょっ、そんなのオリジナルには...」

 

魔法四重最強(クアドロフォニックマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)硫酸毒(サルフュリック・アシッドポイズン)

 

「しまっ─────」

 

 どういう魔法を使う傾向にあるのか様子を見たのが仇となった。ネルガルの掌から巨大なスライム状の物体が高速で放出され、ルカを押し包んで直撃した。そのまま地面に墜落すると、落ちた箇所の地面が音を立てて溶解し、そこに穴が空いていく。それを見ていたイフィオンが絶叫した。

 

「ルカ!!!そんな...まさか...」

 

 ショックのあまり涙ぐみながら見つめていると、地面に落ちた強酸性のスライムがもぞもぞと動いている。次の瞬間、そのスライムの中心から黒い剣が突き出てきた。そして粘液を切り裂き、中から黒い影が勢いよく飛び出して地面に倒れ込んだ。仰向けのまま、ルカは苦しそうに独り言を呟く。

 

「ハァ...ハァ...やばかった、今のはやばかった...毒耐性ブーストしてなかったら死んでたな...てか毒デバフとか聞いてねーし...おまけにただのフィールドボスが魔法四重化とか、世界級(ワールド)エネミーかっつの...」

 

 足元がふらつきながらも立ち上がると、東からイフィオンの叫ぶ声が届いた。ルカはそれに手を振って答えると、回復魔法を唱える。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)約櫃に封印されし治癒(アークヒーリング)

 

 ルカの体が青白い球体に包まれ、体力がフル回復した。そして宙に浮かびこちらを凝視するネルガルを睨みつける。

 

「...くっそ〜、乙女の体を粘液まみれにしやがって。でも大体分かってきたぞこいつの攻撃パターン。もう容赦しないから覚悟しろよ」

 

 毒霧に備えてHoTをかけ、再度距離を取り空中に飛び上がる。そして両腕を前に出し掌を上に向けると、何故か120ユニットの範囲外から魔法を詠唱し始めた。

 

魔法最強効果範囲拡大(マキシマイズワイデンマジック)聖遺物の召喚(コーリングオブレリクス)型式(タイプ)聖櫃(ホーリーアーク)

 

 するとネルガルの頭上に突如、神輿のような金色の箱が現れた。そしてその直下に、120ユニットの広い範囲に渡り強烈な白い閃光が照射されるが、それを浴びたネルガルの顔が苦痛に歪んでいく。

 

「ガァァアアアアアアア!!!」

 

 醜い絶叫を上げ、高火力の聖なる光を浴び続けるネルガルの全身から白い煙が立ち上る。逃げ場のない光を浴びて空中を右往左往する様を見て、ルカは嬉々として独りごちた。

 

「やっぱりね、こいつ反撃(カウンター)タイプだ。こちらが攻撃すると大体三倍くらいにして返してくるって感じかな。それと範囲外からの攻撃に反撃してこないところを見ると、こいつに120ユニットを超える魔法やブレス攻撃は存在しない。そっちが常時発動型AoEDoTを使うのなら、こっちもAoEDoTで対抗すればいい。単純な事だったね。このまま三十分待てば勝手に死ぬだろうけど、もう暗くなってきたしさっさとケリ付けるか」

 

 そう言うとルカは再度120ユニット内へと飛び込んだ。そして逃げ惑うネルガルに空中から照準を合わせると、魔法を唱える。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)永続する夜明け(パーペチュアルドーン)

 

(コォォン...) ソナーにも似た音と共に周囲の大気密度が一気に増加し、ネルガルは音波デバフをまともに浴びた。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)恐怖の不協和音(ドレッドディゾナンス)

 

 超低周波と超高周波が入り乱れる狂気の空間が生まれ、大気摩擦によりネルガルの体が燃え始める。

 

「ギィィイヤアアアアア!!!」

 

 今まで聞いた事がないような絶叫と苦しみようだった事を受けて、通常と反応が違うと気づいたルカは空中から注意深くその様子を観察する。するといつの間にか、ネルガルの周囲に張り巡らされたAoEDoTの毒霧が消失していたのだ。ルカはそれを見てハッとする。

 

「まさか...ウィークポイントが音波系に設定されていたのか、チャンス!今なら使える、部分空間干渉(サブスペースインターフェアレンス)

 

 早口で詠唱すると、ルカの右に現れた等身大の暗黒空間に飲み込まれ、姿が掻き消える。恐怖の不協和音(ドレッドディゾナンス)を食らったせいか、ネルガルは頭を抱えてその場に固まってしまい動かない。その時だった。

 

「スキル・背後からの致命撃(バックスタブ)・レベルⅢ」

 

(ガクン!)とネルガルの巨体が前に押し出され、凄まじい衝撃である事を物語っていた。その口からは遂に大量の吐血が始まり、衝撃のした方へ首を向けてくると、巨大な背中に二本のロングダガーを突き立てるルカがいた。その傷口からも大量の出血と白い煙が上がっている。

 

「...神聖属性入りの背後からの致命撃(バックスタブ)だよ、痛いでしょう?ネルガル、お前が今まで結核で殺した大勢の人達の苦しみ、とくと味わうがいい」

 

「グッ....ガハッ....」

 

 (ザザン!)と二本のダガーを素早く引き抜くと、空中に浮かぶ事すらも叶わずネルガルは地面に墜落する。生命の精髄(ライフエッセンス)でHPを確認したルカは、氷のように冷たい目でネルガルを見下ろすと、両手を左右一杯に広げた。

 

「...君だけ特別に、この魔法を使ってあげる。せめて最後くらいは...楽に死ねるといいね。賢人に捧ぐ(ダンスオブザチェンジフェイト)運命変転の舞踏(フォーアトラハシース)!」

 

 ルカの体が眩い白銀色の光球に包まれていく。そして天高く上昇し両腕を空に掲げると、体の周りに白色の巨大な立体魔法陣が現れた。掌にかつてない程強大な魔力が収束し、太陽よりも明るく輝くそのエネルギーは、周囲一帯を夜から昼に変えるほどだった。イフィオンは200ユニット離れた位置から、そんな小惑星級の恒星を生み出したルカの宙に浮かぶ姿を見て、涙が止まらなくなった。ルカは代弁してくれているのだ。イフィオンの、パルールの、カベリアの、メフィアーゾの、テレスの、そしてカルサナス全土に生き、死んでいった民達全ての味わった辛酸と悲しみを、あの光に込めてくれているのだと。イフィオンはその場で砂浜に跪き、結核で亡くなった死者の魂が彼岸へと辿り着けるよう、目を瞑り祈りを捧げた。

 

「さよなら、ネルガル...超位魔法・天空の楽園(マハノン)!!」

 

 海が割れた。星々が瞬いた。森林を、岸壁を、岩山を、雲をも吹き飛ばし、その全てを巨大な神聖光がゆっくりと飲み込んでいく。爆発の衝撃波は周囲一帯に地震を引き起こし、それはカルバラームの街まで届いていた。住民達は一様に不安を語り、この世の終わり・四大神の祟りと皆が囁き合ったが、一人砂浜に跪き光を見上げる都市長のイフィオンだけは、静かに微笑んでいた。...全てを見届けた者として。

 

 爆発の余波が止み光が失せると、海岸の地形は大きく様変わりしていた。一つの渓谷と言っても何ら遜色はない。空中に浮かんでいたルカが、ゆっくりとその渓谷の中心に降りていく姿を確認すると、イフィオンは立ち上がりルカの元へ一目散に駆け出した。たった一言でもいい。今はただ言葉を交わして、あの笑顔がもう一度見たかった。

 

 爆心地の外縁に立ち中を覗き込むと、深さ50メートルはあろうかと思われる巨大なクレーターが姿を見せた。海岸も破壊したとあり、そこから海水がクレーター内部へ流れ込んでいる、日も落ち薄暗い中イフィオンが目を凝らすと、中心部の一番底から黒い影がこちらへ歩いてきているのが見えた。足元がおぼつかずフラフラとこちらへ向かってくるルカを見て、イフィオンは咄嗟にクレーターの中へと飛び込み、ルカの元へ駆け寄った。

 

 距離が近づき正面に立つと、ルカはそれに気づいて顔を上げた。

 

「...イフィオン...やったよ。みんなの仇、取ったからね...」

 

「ルカ...!」

 

 力なく微笑む英雄を見て感極まるイフィオンだったが、ルカは突然その場へ崩れるように片膝をついて座り込んでしまった。イフィオンは驚きのあまり隣に身を寄せると、同じようにしゃがみ込んでルカの上半身を支えた。

 

「ルカ、だめだしっかりしろ!今すぐ転移門(ゲート)を開けて私の家へ戻ろう。あれだけの戦いをしたんだ、ゆっくり眠れば必ず回復するはずだ」

 

「...違うよイフィオン、そうじゃないの...少し待ってね」

 

 ルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージからオレンジ色の液体が入った小瓶を取り出した。イフィオンが不思議そうな顔でそれを眺める。

 

「何だそれは、ポーションか?」

 

「...上位魔力回復薬(グレーターマナポーション)よ...今日カルバラームの神殿で治療したあと、すぐに来たから...結構ギリギリまで魔力使っちゃって...そのせいだと思う。戦う前に飲んでおけって話よね...」

 

 ルカは瓶の蓋を開けると、一気に喉へ流し込んだ。イフィオンの表情が悲嘆に暮れる。

 

「そんな体で...済まない、気づけなかった私も悪いんだ。ポーションは効きそうか?」

 

「...ふう。正直気休めにしか...ならないみたい」

 

「今日は食事も摂っていないだろう。私の家に来い、何ならずっと居てくれてもいいんだ」

 

「...ありがとう。でも本当に正直に言うと、食事よりもまずは...寝たい。でも眠る前に、カベリアの治療をしないと...約束...してるから...」

 

「分かった、べバードだな?すぐに行こう、肩に掴まれ」

 

 ルカの腕を首にかけて腰を支え立ち上がった時、右手に何か握っていることに気がついた。イフィオンはルカの顔を覗き込む。

 

「ルカ、何だその小瓶は?」

 

「...ネルガルが...落としていったの。私が回復するまで...これイフィオンが大事に持ってて。後で...検査してみるから...」

 

「分かった、預かろう」

 

 イフィオンは小瓶を受け取ると、腰のベルトパックに収めて再度ルカの腰を支える。

 

「では行くぞ、転移門(ゲート)

 

 

───カルサナス都市国家連合中央 べバード 都市長邸宅内 20:13 PM

 

 カベリアの寝室内には、ミキ・ライル・パルール・テレス・べハティーの五人が揃っていた。そこへ部屋中央に暗黒の穴が開く。やっと戻ってきたかと皆が安心したのも束の間、その穴の中からは、満身創痍のルカをイフィオンが肩を担いで運び込んできたのだ。室内は騒然とし、全員が席を立った。そして真っ先にルカの両肩を支えたのは、ライル・センチネルだった。

 

「ルカ様...。この傷、尋常ではない。何があった?誰と戦った?イフィオン都市長。全て話してもらおう」

 

「分かっている。だがその前に、ルカをカベリアのベッドに寝かせたい。ライル、手伝ってくれ」

 

「俺が運ぼう」

 

 イフィオンが苦労して運んできたのを他所に、ライルはルカの背中と両足を支えると、軽々と持ち上げてベッドに運んだ。ミキが素早く動き、羽毛布団を下げてスペースを作ると、カベリアの隣に寝かせてそっと羽毛布団を掛け直した。しかしルカの疲弊しきった様子を見てショックを受けたのは他でもない、カベリア本人だった。

 

「...ルカお姉ちゃん、どうしたの?大丈夫?」

 

「....遅くなって...ごめんねカベリア...まだ痛くない?」

 

「そんなのどうだっていいよ!!...何してきたのお姉ちゃん?こんなにボロボロになって...」

 

「...いいんだよカベリア、気にしないでも...治療、始めるからね...魔法持続時間延長化(エクステンドマジック)痛覚遮断(ペイン・インターセプト)...」

 

 カベリアの体を抱き寄せ、解毒・修復と治療を終えたルカは安堵の溜息をつき、ベッドの左に顔を向けた。

 

「...ミキ、ライル...ごめんね、治療任せっきりにしちゃって...」

 

「...何を仰いますかルカ様!!...ご安心ください、このべバードとテーベ、ゴルドーも、神殿は全て回診を済ませてあります」

 

「...も、もう一人いるの...ゴルドーの都市長...メフィー...彼も定期的に治療が必要よ...私が転移門(ゲート)を開けるから...行ってきてくれる?ミキ...」

 

「もちろんでございます」

 

「...転移門(ゲート)

 

 ルカが中央に開けた暗黒の穴を、ミキは潜っていった。ライルがルカの顔を覗き込んでくる。

 

「ルカ様...」

 

「ライル...ごめんね、もう気を失う寸前なの...目が霞んで...後のことは...イフィオンに...」

 

「かしこまりました、もうお休みください」

 

 目の光が完全に失われている、しかしそれでも右側に寝返りを打ち、手の感触と香りだけを頼りに、ルカはカベリアを抱き寄せた。

 

「...カベリア...お姉ちゃん...もう...限界....」

 

「...いやぁ、お姉ちゃぁん...死んじゃだめ...うぁぁあああん!!」

 

「...おや...すみ...カベ...リ─────」

 

「お姉ちゃぁん!!」

 

 ───ルカは完全に気を失った。まるで死人のように。呼吸する音すらも聞こえない。カベリアは咄嗟にルカの胸に耳を当てた。微弱ながらも、確実に命の鼓動が聞こえる。それを聴いたカベリアは、ルカの左頬にキスをした。かつて自分が生きる勇気を与えてもらった時と同じように。

 

 ライルとパルールはその様子を見ると、ベッド脇に立つイフィオンを見た。

 

「...さあ、イフィオン都市長」

 

「あのルカがこのように傷んだ姿で帰ってくるとは...その話、わしにも聞かせてくれ」

 

「分かった、案ずるな。私はこの目で全てを見た。...少し長くなる、二人ともまず座れ」

 

 ルカの頭を胸に抱えながら、カベリアは大人達の話す内容に聞き耳を立てていた。その想像を超えた神話のような戦いを知り、再びルカの顔を見る。顔に付いた海岸の砂をそっと手の甲で払いのけると、カベリアは再度ルカの頭を優しく抱きしめる。死地から戻った我が子を出迎える母親のように。

 

 

───翌日 15:38 PM 

 

(...ん....ちゃん...姉ちゃん....お姉ちゃん!)

 

 体を軽く揺さぶられる感覚に気づき、ルカは目を覚ました。上を見ると小さな少女が覆い被さり、涙を零しながら赤い瞳を覗き込んでいる。昨晩の事がよく思い出せず、頭に靄のかかったような状態だったが、ルカは少女の美しい金髪をそっと撫でると、微笑んで返した。

 

「おはようカベリア。どうしたの朝からそんなに泣いて?」

 

「...もう朝じゃないよ...ヒック...良かった...ちゃんと起きた...」

 

 その声に気づき、室内にいた者達全員が席を立つと、ベッドの回りに集まってきた。それを見てルカは左腕の金属製リストバンドに目をやると、愕然とした顔で枕に頭を預け脱力した。

 

「...ほぼまる一日寝てたわけか」

 

 カベリアが首元に顔を埋めてくると、その背中を支えて優しく摩った。するとベッド脇からニメートルを超える大男が顔を覗かせてきた。

 

「おはようございますルカ様。具合はいかがですか?」

 

「おはようライル、みんな。体調はそんなに悪くないよ」

 

「それはようございました」

 

「ミキは?」

 

「街の回診に出ております」

 

「...いけない、ずっと一人で任せっぱなしだった。私も行かないと」

 

 カベリアを抱いたまま上半身を起こそうとすると、ライルが肩を掴んで止めに入った。

 

「なりませんルカ様!...MPの回復が遅い。疲労が溜まっている証拠です、もうしばらくは休まねば」

 

「ポーションで補填するから大丈夫。このままじゃミキの方が先に参っちゃうよ。みんなで分担して負担を軽くしないと」

 

「ではせめて夜まではお休みください。このライルめのお願いです」

 

「...分かった。ミキは今どこにいるの?」

 

「カルバラームから診て回ると言っておりました」

 

「後で連絡して、ヘルプに入るかな」

 

 胸の上で脱力し安心したカベリアを右の枕に寝かせると、ルカも再び横になった。ふとライルの顔を見ると、何故か眉間に皺が寄り険しい表情となっている。

 

「どうしたの?」

 

「...いえ、何でもありません」

 

「何よ、ちゃんと言って?何でも話すって前に約束したでしょ?」

 

「...昨晩の話、イフィオン都市長より全て聞きました。何故お一人で向かわれたのですか?フィールドボスに単騎で挑むなど狂気の沙汰でしかない。我ら3人でかかれば、そのような手傷を負わずとも済みましたのに」

 

「二人がカルサナスに来てから、本当に治療をよく頑張ってくれてる。私もすごい助かってるわ。その邪魔をしたくなかったの。定期的な回診も重要な任務の一つだからね。だから一人で行ったんだ」

 

「...全く、困ったお方だ。ネルガルごときあなた様の敵ではないと思いますが、次からは必ず我ら二人を呼んでください。よろしいですね?」

 

「分かった。ありがとうライル」

 

 横で聞いていたパルールが顔を見せてきた。

 

「ルカよ、お主というやつは...イフィオンの話によれば、未確認モンスターの正体は神だったそうではないか。そんな化け物を、お主はたった一人で...。結核菌の原因となっていた邪神、そのような魔物と戦うのであれば、わしを呼んでくれればすぐにでも駆けつけたものを」

 

「おじいちゃん、これは冒険者組合から正式に要請された依頼。その依頼を受けた私達は殺しのプロ。他人を巻き込む訳にはいかないわ。...でもこれで私達のミッションは完了した。後はストレプトマイシンを作るだけよ」

 

「...お主をカルサナスに招いたわしの目に狂いはなかった。ありがとう...ありがとうルカ。わしにはもう、これだけしか言えん...」

 

 パルールは目いっぱいに涙を溜め、ベッドの上にあるルカの左手を握りしめた。ルカもその職人のようないかつい手を優しく握り返す。そして日が落ち、夜も更けた。

 

 

───カルサナス都市国家連合南西 城塞都市テーベ 隔離区域(三街区)神殿 19:57 PM

 

 ルカ達が神殿内に入ると、その姿を確認した患者や家族達が一斉にどよめきを上げた。

 

「...おお、ルカ様だ」

 

「ルカ先生!」

 

「パルール都市長!それにイフィオン都市長まで」

 

 暗殺者に寄せられた予想外の人気に二人の都市長は驚いていたが、ルカは右手を上げ笑顔でそれに答えた。その騒ぎを聞きつけ、通路の奥から一人の長身な医師が駆け寄ってくる。

 

「ルカ、パルール都市長!それにライル、来ていたのか。イフィオン都市長も、ご無沙汰しております」

 

「ラミウス、二日ぶりね。様子はどう?」

 

「患者達も皆落ち着いた様子だ。先日もミキ殿が回診に来てくれたからな」

 

「そっか。今日は私が回診するから、一緒についてきてくれる?」

 

「もちろんだ」

 

 四人は右列の重症者ベッドに足を運んだ。一番手前には一人の守護鬼(スプリガン)が横たわり、天井をぼんやりと見上げていた。そこへルカがひょいと顔を出して視線を遮る。

 

「こんばんはぺぺ。具合はどう?」

 

「...ルカ先生?!良かった、もう来てくれないんじゃないかと...」

 

「ごめんね、私も少し忙しかったんだ。でもその間ミキが来てくれてたでしょ?」

 

「そりゃそうだけど...あたいはやっぱりあんたじゃないとだめなんだ」

 

「贅沢言わないの。ミキは私と同じ回復魔法が使えるし、私もこれからここに来れる回数も少し減ってしまうだろうからね」

 

「...何かあったのかい?」

 

「ぺぺ、二ついい知らせがある。一つは昨日、このカルサナスに病気...結核菌をばら撒いていたモンスターを私が殺しておいた。これで新たな感染の拡大は大分防げると思うよ」

 

「そ、それは本当かい?!」

 

「事実じゃぺぺ。ここにいるイフィオン都市長がルカに同行し、その神との激しい戦いの一部始終を全て目撃しておる。...まあ神と言っても邪神だったらしいがな」

 

 パルールの重い言葉を受けて、ぺぺは再度ルカを見た。そこには優しい微笑みを湛える暗殺者が、ぺぺの目を見つめ返していた。

 

「...おかしいと思ってた。やっぱりそんな理由があったんだ...ありがとうルカ先生、あんたなら絶対やってくれるとあたい信じてたよ!」

 

「気にしないの。元々そのモンスターを殺す為に、私達はカルサナスに入ったんだから。それともう一つのいい知らせは、この結核菌に対抗する特効薬が作れるかもしれない。今から二日後に、その薬が作れるかどうかが判明するの。もしうまく行けば、私はその薬を作ることに専念しなければいけない。だからその間ここに来る回数が減っちゃうから、そのつもりでいてね、ぺぺ」

 

「...こんな殺人的な病気に特効薬があるなんて...すごいじゃないか!分かったよルカ先生、あたいも頑張って見せる。薬の開発、頼んだよ!」

 

 ルカは笑顔で頷くと腰を上げ、左隣に立つラミウスを見た。ルカの赤い瞳がユラリと輝く。その視線はラミウスの目を射抜き、脳まで達するのではないかという魔性の力を秘めていた。

 

 ...長い沈黙に耐えかね、見つめられて固まっていたラミウスは慌ててルカに質問した。

 

「...ル、ルカよ、定期治療は行わないのか?」

 

「あなたがやるのよ、ラミウス」

 

「私が?しかし、私はお前のように患者の容態を知ることも、解毒する事も───」

 

「今の話聞いてたよね?この病気の名前は結核。その特効薬であるストレプトマイシンを抽出する作業のため、私は回診に出れる数が減ってしまう。かと言ってミキ一人に四都市全てを任せっきりでは、彼女が参ってしまう」

 

「で、ではどうしろと?」

 

「その前に聞くわラミウス。今でも患者を救いたいという覚悟に変わりはない?」

 

「もちろんだ」

 

「例え死んでも?」

 

「死を恐れているなら、いつ感染してもおかしくないこの神殿に居続けたりはしない。例えこの身を犠牲にしても、私は患者と共に歩む」

 

 その決意を秘めた鋭い目は本物だった。ルカはそれを見て小さく頷く。

 

「分かった。これから君に力を授ける。私と同じ力をね。信仰系回復職の最高クラス、戦神官(ウォー・クレリック)、君はこの上位職業(クラス)に転職するんだ」

 

「...聞いたことのない職業(クラス)だが、それはこの場で可能なのか?」

 

 ルカはその問いには答えず中空に手を伸ばし、アイテムストレージから菱形の小さな青いクリスタルを取り出した。そしてそれをラミウスに手渡す。

 

「ルカ、これは?」

 

「データクリスタル・戦神の衣。貴重なアイテムよ。職業(クラス)チェンジする覚悟ができたのなら、それを自分の左胸に当てて」

 

 言われたとおり、ラミウスはクリスタルを胸に押し付けた。

 

「心の中でこう唱えて。”我は戦神官(ウォー・クレリック)に転職する事を了承する”と」

 

 その瞬間、ラミウスの体から青白いオーラが立ち昇った。パルール・イフィオン・ぺぺもその様子を見て驚愕の表情を見せる。やがてオーラが消失し、茫然自失のラミウスはルカに目を向けた。

 

「い、一体何が...」

 

「これで君のメインクラスは戦神官(ウォー・クレリック)になった。この後は魔法を覚えてもらう」

 

 ルカは再度アイテムストレージから、一冊の分厚く白い書物を取り出した。その表紙を捲ると、一ページ目に黒い手形が押してある。そしてその表紙の裏は、黒い液晶パネルのような材質となっていた。ルカはそれをラミウスに見せると、一ページ目を指差す。

 

「ラミウス、ここに手を乗せて」

 

「あ、ああ、分かった」

 

 黒い手形に手を乗せると、左側の液晶パネルが光を放った。そして再度暗転し、そこに白い文字が刻まれていく。四人はその裏表紙を覗き込んだ

 

──────────────────

 

キャラネーム : ラミウス=ベルクォーネ

 

Age : 57

 

Race : 人間(ヒューマン)

 

属性 : NPC

 

Level :61

 

職業(クラス) :神官(クレリック)(Lv15)

   司祭(ビショップ)(Lv15)

   戦神官(ウォー・クレリック)(Lv1)    

修行僧(モンク)(Lv15)

キ・マスター(Lv15)

 

ステータス : STR(腕力)+50

      DEX(素早さ)+90

      INT(知性)+130

      CON(体力)+154

      SPI(精神力)+170

 

ステータスポイント : 残り17

 

スキルポイント : 残り271

 

習得魔法 : 病気の除去(ディスペルディジーズ)

      転移門(ゲート)

      大治癒(ヒール)

      聖なる光線(ホーリーレイ)

      死者復活(レイズデッド)

      太陽光(サンライト)

      神聖光(ホーリーライト)

      衝撃波(ショックウェーブ)

     中傷治癒(ミドルキュアウーンズ)

     下級筋力増大(レッサーストレングス)

下級敏捷力増大(レッサーデクステリティ)

下級体力増大(レッサーバイタリティ)  

清潔(クリーン)

     水創造(クリエイトウォーター)

     軽傷治癒(ライトヒーリング)

     永続光(コンティニュアルライト)

     道具鑑定(アプレイザルマジックアイテム)

 

武技 : 残忍な殴打(ブルータルパンチ)

   稲妻拳(ライトニングフィスト)

   鉄の爪(アイアンクロウ)

   苦痛の感触(タッチオブペイン)

   砂紋の構え(リップリングデューンスタンス)

波動の射出(ウェーブ・エミット)

 

スキル : 無し

 

タレント : 無し

 

──────────────────

 

 

 列挙された情報を見て、ラミウスは驚愕の表情をルカに向けた。

 

「わ、私の職業や使える魔法・武技が全て記載されている...一体何なんだこの書物は?」

 

「これは職業(クラス)専用の魔導書よ。戦神官(ウォー・クレリック)にしか使えないように出来ている。なるほど、レベルは61か。修行僧(モンク)から派生して、キ・マスターを選んだんだね。信仰系なら悪くない。ステータス配分も、回復職としてはバランスが取れている。一番心配していたスキルポイントも、幸いな事にたっぷり余っている。これなら戦神官(ウォー・クレリック)の魔法は全て習得できそうだ。でも武技を少し取り過ぎだね、回復職にここまで必要ないと思う」

 

「これでも冒険者だからな。一人で生き抜く為にも、武技は必要になってくる」

 

「まあとりあえず、余っているステータスポイントは全てINT(知性)に振っちゃってくれる?」

 

「どうすればいいんだ?」

 

「ここよ。このINT(知性)ってステータスの左にあるプラスボタンを押せばいいの」

 

 言われた通りラミウスはボタンを押し、残存ポイントを全て振り終わった事で、INT(知性)のマックス値が147にまで上昇した。

 

「じゃあ次は魔法ね。えーと確か回復魔法は...あった、351ページ。まずこの五行目の文字を全て指でなぞってみて。それで魔法を修得できる」

 

「たったそれだけで...何の修行や訓練も必要なしにか?」

 

「そうよ。ほら、さっさとやってみる!」

 

 ラミウスが指でゆっくりとなぞると、指の下にあるその文字が赤く光を放っていった。そして五行目の端まで来ると文字列全体が点滅し、光がフェードアウトする。ラミウスは目を瞬かせてルカを見た。

 

「...これでいいのか?」

 

「そう。私が前に見せた治療の手順は覚えてる?」

 

「もちろんだ。日記にも書いているくらいだからな」

 

「それなら患者に最初にかけるべき魔法を、私にかけてみて。おでことお腹に手を添えるのよ?」

 

「い、いいのか?触るぞ」

 

「何照れてるのよ。いいから早くして」

 

 ラミウスはルカの体に触れると、緊張気味に魔法を詠唱した。

 

「...体内の精査(インターナルクローズインスペクション)!」

 

 ルカの頭から爪先までレーザー光のような青い光が交差し、ラミウスの脳内にルカの体内コンディション情報が流れ込んでくる。それを見て唖然としながら、ルカの体内には何も異常がない事が確認できた。光が収束し、ルカはラミウスの目を覗き込む。

 

「どういう魔法か分かったでしょ?」

 

「こ...これがお前の使っていた力...なのか」

 

「コツは掴んだようね。...いつまで触ってるの?」

 

「あ!いやあの、申し訳ない...」

 

「次は実践形式で行くよ。一つの魔法を新たに覚えたら、それをぺぺにかけていってね」

 

「分かった、やってみる」

 

 魔導書による魔法の習得と、ぺぺ=ブラドッグの治療が並行して行われ、戦神官(ウォー・クレリック)の魔法を全て習得したラミウスは、最後に一つの魔法を詠唱する。

 

魔法持続時間延長化(エクステンドマジック)痛覚遮断(ペイン・インターセプト)

 

 ぺぺの治療が全て完了した。緊張からか、ラミウスの額に汗が滲んでいる。念の為最後にルカがぺぺの体をアナライズし、問題がなかったことでルカはラミウスに合格点を出した。

 

「OK、大丈夫なようだね。この調子で次の患者も行くよ。私が最後にチェック入れるから」

 

「...ふぅ、分かった。感謝する、ルカ師匠」

 

「ちょっと、師匠とかやめてくれない?カルサナスにある神殿の責任者は君でしょう?これから頑張ってもらわないと。いつも通りルカでいいから。私がいない時は頼むよ、ラミウス」

 

「心得た。まさか私にもこのように強力な魔法を使える日が来るとは。新たな可能性を得た気分だ、身を粉にして治療に励もう」

 

「よし、その意気だ。ぺぺ、そんなわけでラミウス先生も私と同じ魔法を使えるようになったから、私やミキがいない時でも安心してね」

 

「あ、ああ、分かったよ。...あんた本当に一体何者なんだ?」

 

「私?私はただの暗殺者だよ。この街にフラリと寄っただけの人殺しさ」

 

「...ウソだ!!何で急にそんな言い方するんだ...あたいには分かってる。いいや、あんたに治療を受けたみんなが分かっているはずだ!ルカ先生、その優しい笑顔にどれだけの人が救われた事か、そしてあんたの秘めたる強さに気づいている者がどれだけいる事か。いいかい、みんなあんたに感謝してるよ。それだけは忘れないでくれ」

 

「...ほんとの事言ったら、怒られちゃった。ありがとうぺぺ、覚えておくよ」

 

 物悲しげな顔で次のベッドに移り、ルカ監視の中ラミウスの治療は続けられていった。そして軽症者の眠る左列につく頃、ラミウスのMPが減少してきた事により、治療をルカと交代した。

 

「こんばんはハーロン」

 

「ルカお姉ちゃん!来てくれたんだね!」

 

「ごめんね、二日も待たせて」

 

「ううん大丈夫、昨日ミキお姉ちゃんが来てくれたから」

 

「今日は私が診るからね。体を楽にして」

 

 解毒・修復・疼痛除去と治療を終え、ルカはハーロンの右頬をそっと撫でた。

 

「ちゃんとご飯食べてる?」

 

「うん!母さんが弁当を作ってきてくれるから」

 

「今日はお母さん帰ったの?」

 

「僕の看病に付きっきりで、寝てなかったからね。具合も良くなってるし、家で寝てもらってるよ」

 

「そっか...」

 

 ルカの隣にイフィオンが立っているのを見て、ハーロンは目の色が変わった。

 

「イフィオン都市長!カベリアの...カベリアの具合はどうですか?!パルール都市長から聞きました...僕よりも具合が悪いんですよね?」

 

「安心しろハーロン。このルカが治療を施してくれたおかげで、今は落ち着いている」

 

「そうか、ルカお姉ちゃんが...良かった...あいつは僕が守ってやらないとだめなんです。あいつが都市長になった時は、僕が兵隊長になってあいつの隣にいると決めたんです!」

 

「それは頼もしいなハーロン。是非そうしてやるといい」

 

 イフィオンは優しい笑顔を向けたが、ルカは何も言わずハーロンの上に覆い被さり、小さな体を抱きしめた。ハーロンの頬にルカの涙が零れ落ちる。

 

「ル、ルカお姉ちゃんどうしたの?泣いてるの?」

 

「...お姉ちゃん頑張るからね。もし薬ができなくても、何か別の方法がきっとあるはずよ。たからハーロンも諦めないで。私も...諦めないから...」

 

「お姉ちゃん...」

 

 その光景を見てイフィオンとパルールは全てを察した。ルカに多大なプレッシャーがかかっていることを。土壌サンプルの中から放射菌が見つからなければ、ストレプトマイシン製造の計画は全て無に帰す。国外へと捜索範囲を広げれば、それだけ時間がかかり重症者達の身が危険に晒される。ルカはそれを恐れているのだ。

 

 ルカに全てを託してしまった自分達に罪悪感を感じながらも、イフィオンとパルールはただ黙って見守ることしか出来なかった。

 

 

───カルサナス都市国家連合東 ゴルドー都市長邸宅内 23:58 PM

 

 部屋中央に暗黒の穴が開き、それをメフィアーゾは横目で見つめていた。中から出てきたのは、ルカただ一人だけだった。

 

「ようルカ、来たか」

 

「こんばんはメフィー、寝てた?」

 

「いや、起きてたぜ」

 

「ミキは来た?」

 

「あのおめぇとはまた一味違う美人な姉ちゃんか。いや、昨日来たきりだぜ」

 

「今魔法かけるからね」

 

 メフィアーゾの逞しい体に手を乗せて定期治療を行うと、ベッド脇に置かれた椅子に腰を下ろした。

 

「ありがとよ。...何でえしけた面しやがって。何かあったのか?」

 

「...ううん、何でもない」

 

「何でもねぇってこたねえだろう。話してみろ、俺で良けりゃ何でも聞くぜ」

 

 長い沈黙。ルカが自ら口を開くのを、メフィアーゾは辛抱強く待った。そして暗い表情を落としていたルカの目から、一筋の涙が頬を伝う。

 

「...どうしよう」

 

「...ルカ?」

 

「もし二日後に、特効薬の元となる放射菌が見つからなかったら、みんな死んじゃう...メフィーも、カベリアも、ハーロンも、ぺぺも、アエルも、カルサナスの住人達も...私、どうしたらいい?メフィー...他の方法が見つからないの」

 

「...ルカ、こっちに来い」

 

 メフィアーゾが手を差し伸べると、ルカはその手を取った。引かれるがままに身を任せると、メフィアーゾは分厚い胸板にルカの顔を抱き寄せる。白いYシャツに涙が染み込んでいく中、メフィアーゾはその艷やかな黒髪を優しく撫でた。

 

「...俺ぁ別に死ぬのは怖くねえ。こんなゴツい胸で良けりゃ、いくらでも貸すぜ。他の街の連中だって、このまま死ぬ事ぐらい覚悟してるはずだ。お前が来たから俺達は痛みに怯えることなく、こんなにも救われてるんだ」

 

「でも...でも...!」

 

「話はイフィオンから伝言(メッセージ)で全部聞いた。おめぇ、結核菌の親玉っつー化け物と一人で戦ったんだってな。...そこまでこの国に尽くしてくれてるのに、病気で死んでお前を恨んだりする奴なんかこの国には一人もいねえよ。何でもかんでも一人で背負いすぎだお前は」

 

「...死んでほしくない。死なせたくないの、みんなを...」

 

「全く、飛んだ甘ちゃんのマスターアサシンだぜお前は。それにアンデッドってなぁもっと死人みてぇに冷たいかと思ってたのに、こんなにも...あったけぇじゃねえか」

 

「私は...セフィロト。上位種族だけど、純粋なアンデッドではないの」

 

「おめぇの種族が何だろうが、そんなこたぁどうでもいい。このカルサナスのために、お前はこれ以上ないくらいよくやってくれてる。お前でだめなら、皆がその結果に納得するだろう。もっと自分に自信を持て。それにその特効薬の元がまだだめと決まった訳でもないんだろ?諦めるのはまだ早いぜルカ。な?」

 

「メフィー...そうだね、頑張ってみる」

 

 ルカは顔を上げると、メフィアーゾの顔に体を近づけた。そして優しく左頬にキスする。

 

「お、おいおいよせやい!照れるぜ...」

 

「ありがとう、少し元気が出たよ。そろそろべバードに戻らないと。カベリアが待ってる」

 

「ああ、行ってやんな」

 

「また来るね。転移門(ゲート)

 

 ルカは涙を拭うと、暗黒の穴を潜った。その後ろ姿を追いながら、メフィアーゾは独りごちる。

 

「ヘヘ、女に年を聞くのは野暮ってもんか」

 

 そして彼はフローラルな残り香を嗅いで深呼吸しながら、静かに目を閉じた。

 

 そこから二日の間は、ルカ・ミキ・ラミウスの三人体制で四都市の回診を続けた。拠点はべバードのまま変えず、治療が終われば食事を摂り、カベリアの隣に添い寝して子守唄を歌い、寝かしつける。そんな毎日が過ぎ、そして遂に三日目の朝が来た。

 

 

───カルサナス都市国家連合中央 べバード都市長邸宅内 8:03 AM

 

 寝室内にはイフィオン・パルール・ミキ・ライル・ラミウス・テレス・べハティーの七人が揃っていた。ルカも装備を整えてベッドから立ち上がると、後ろで心配そうに見つめる少女を振り返る。

 

「それじゃ行ってくるね、カベリア」

 

「...お薬作りに行くんだよね? がんばって、お姉ちゃん」

 

「ああ、全力を尽くすよ」

 

 そして正面に向き直り、皆の顔を見渡した。

 

「ミキ、ラミウス、手筈通りだ。私がイフィオンの研究所にいる間、四都市の回診を任せる。バラけて回るよりも、一つの街を二人で集中的に治療していくほうが効率的なはずだ。特にゴルドーは患者数が多い。苦労をかけるが、二人共よろしく頼む」

 

「かしこまりました」

 

「治療は我々に任せて、お前は薬の開発に専念してくれ」

 

「ラミウス忘れないで。痛覚遮断(ペイン・インターセプト)の効果時間は十四時間よ。魔法を切らせて患者を苦しめる事のないように。自分が回診した時間を忘れずに、きちんとスケジュールを立てて行動してね、いい?」

 

「しかと心得た。この力を与えてもらったからには、医者として責任ある行動を取っていくつもりだ」

 

「頼むぞルカ。わしに手伝える事があれば、いつでも伝言(メッセージ)で呼んでくれ」

 

「ありがとうおじいちゃん。よし、イフィオン行こう。放射菌の分離には時間がかかる。長い作業になるから、覚悟しておいてね」

 

「全て承知の上だ。開けるぞ、転移門(ゲート)

 

 二人は意を決し、暗黒の穴を潜った。

 

 

───カルサナス都市国家連合北東 カルバラーム都市長邸宅内3F 薬剤研究所 8:17 AM

 

 転移門(ゲート)を抜けると、その真正面にはイフィオンの弟子、ティリス=ピアースが既に頭を下げて待ち構えていた。

 

「おはようございますイフィオン様、ルカ様。お待ちしておりました」

 

「おはようティリス。土壌サンプルの具合はどうだ?」

 

「はい、程よく乾いているかと存じます」

 

 ルカは頭を上げて微笑を湛えるティリスの気品ある姿に舌を巻いた。背は160センチ程と小柄で、白衣にも似た変わった形のローブを着込み、丸眼鏡をかけたその顔は愛らしくも美しく、そして理知的な印象を受ける半森妖精(ハーフエルフ)だ。髪は背中まで伸ばした艶のある若葉色で、頭に円形の白い帽子を被っている。顔に似合わず体型はグラマラスで、そこはかとない魅力を漂わせていた。

 

「早速だけど、土を見せてもらってもいいかな?」

 

「はいルカ様、こちらになります」

 

 テーブルに案内されると、その上には縦横50センチ四方の金属製ボックスが六つ並んでいた。その中身を覗き込むと、腐葉土の水分が飛んで薄茶色に変色していた。ルカはそれを見て笑顔になる。

 

「うん、程よく乾燥してるね。これなら無胞子性のバクテリアも死滅しているはずだ。ティリス、こっちのテーブル使ってもいい?」

 

「もちろんです。ご自由にお使いください」

 

 ルカはアイテムストレージから走査型電(スキャニング・エレク)子顕微鏡(トロン・マイクロスコープ)と医療器具の入ったジェラルミン製ケースを取り出し、テーブルの上に並べた。ケースを開き、中に収まったピンセットとプレパラートを手に取ると、それを弟子にに差し出した。

 

「ティリス、このピンセットで摘んで手に触れないよう土をガラスの上に少量乗せて。それときれいな水を少しだけ持ってきてくれる?」

 

「かしこまりました」

 

 ティリスは金属製ボックスの中から土を取り出し、それをプレパラートの上に乗せて薄く伸ばした。次にテーブルの脇に置かれた白いポットからビーカーに水を注ぐと、その二つをルカにそっと手渡す。

 

「ありがとう。これはどこの土?」

 

「べバードから東にある、カルサナス共同牧場の菜園から採取した土壌サンプルでございます」

 

「OK、見てみよう」

 

 顕微鏡のステージにプレパラートをセットし、スポイトで水を一滴垂らすとカバーグラスを乗せて、接眼レンズを覗いた。倍率を調整しながら目を細めて検査を進めていくが、しばらくすると接眼レンズから目を離し、小さく溜息をつく。

 

「...だめだ、この農場の土に放射菌はいない。ティリス、次持ってきて」

 

「はい。こちらはゴルドーの北にあるテオドーラ・フォレストから採取した腐葉土です」

 

 プレパラートをセットするが、ルカはすぐに接眼レンズから目を離した。

 

「...菌糸の欠片すらもない。というより室内乾燥だというのに、ほぼ無菌状態だ。こんなのあり得ない...やはりこの世界に放射菌は...」

 

 苦渋の表情を浮かべるルカを見たティリスは、若干慌てた様子で次のサンプルを持ってきた。

 

「こちらはテーベ北西にあるネイワーズ・フォレストの土です、ルカ様」

 

 ルカは黙って頷きプレパラートを受け取るが、接眼レンズを覗いたルカの落胆する様子を見て、ティリスはすぐさま次のプレパラートを用意した。

 

「べバードから東で採取した、ダグワール・フォレストの土です」

 

 しかしそこからも放射菌は確認されず、ティリスは焦燥し、ルカの横顔を見て次第に悲痛な表情へと変わっていった。

 

「フェリシア城塞の北にある、シュリーバ・フォレストの土です!」

 

 必死だった。土の採取地点を間違えたのか、それとも一つの森に対し、数カ所に渡り探索範囲を広げるべきだったのか。自らのミスという罪の意識に苛まれていたが、ティリスは次の瞬間衝撃を受けた。接眼レンズを覗くルカの目から光が失われ、頬に一筋の涙が伝っていた。横で見ていたイフィオンがルカの肩を掴む。

 

「ルカ!しっかりしろ、一体どうしたというんだ?」

 

「ルカ様...」

 

「...イフィオン、ティリス。ここまで無菌状態の土を、私は見たことがない。私の元いた世界では、土壌から放射菌がすぐに発見できたんだ。しかし今見た五つの森の土には、微生物の死骸しか確認出来なかった。これでは、最後の一つも同じように...ティリス、確認するけど、この六つの森以外で他の森林はないの?」

 

「あるにはありますが、名もない小さな森が点在するばかりです。土も木も痩せており、とても有望とは言えません」

 

「斯くなる上は、トブの大森林へ調査に行くしか...でもあの森は途轍もなく広い。闇雲に土壌を採取していては時間がかかりすぎる上に、手分けして探そうにもあの森にはモンスターが多数生息しているから、調査の行く手が遮られるだろう。...済まない、特効薬などと希望を持たせるようなことを言ってしまって...」

 

 絶望し肩を落とすルカの頭を、ティリスがそっと支えて胸元に抱き寄せた。

 

「...ルカ様、諦めないで。例え特効薬が作れなかったとしても、我らカルサナスの民はそれを運命と受け入れます。決してあなた一人のせいにはしない。それにまだ最後のサンプルが残っています。この土は、我らカルバラームの民達に取って聖なる森、ユーライア・フォレストから採取した、霊験あらたかな大地そのもの。きっと何か手がかりがあるに違いありません」

 

「ティリス...」

 

「さ、これで涙をお拭いください。検査を続けましょう」

 

 ティリスのハンカチで涙を拭き、渡されたプレパラートに水を一滴垂らしてカバーグラスを被せると、顕微鏡のステージにセットした。

 

 そして接眼レンズを恐る恐る覗き込んだが、様子がおかしい。目を大きく見開き、何かを確認するように顕微鏡のアームと倍率を調整し直し、その後金縛りにあったかのように動かなくなった。イフィオンとティリスはそれを見て息を呑む。そしてルカがポツリと呟いた。

 

「...いる」

 

「? 何が...いるんだ?ルカ」

 

「...土の中に...菌糸がある....見つけたよ...見つけたよ、放射菌...やった、これでみんなも...」

 

 感激のあまり涙が溢れ出るルカを見て、イフィオンとティリスはルカを力一杯抱き締めた。二人の目にも涙が滴っている。

 

「やったなルカ。お前と言うやつは、本当に...」

 

「私は信じておりました...ルカ様は、このカルサナスの大地の加護を受けているのだと...」

 

「ありがとう、ありがとう二人共...」

 

 感涙も一入、ルカは顕微鏡の前から横へ移動すると、二人へ促した。

 

「イフィオン、ティリス、二人共見てごらん。放射菌がどんな姿か、覚えておいて」

 

 ティリスはイフィオンに先を譲ろうとしたが、(お先にどうぞ)と言わんばかりにイフィオンは笑顔を向け、小さく頷いてティリスはそっと接眼レンズを覗き込んだ。

 

 そこには土の粒子に絡みつくように、細く白い糸状の菌糸が鎖のように連なっていた。それを見てティリスは接眼レンズから顔を離し、ルカを見る。

 

「この放射菌は、生きているのですか?」

 

「そうよ、細菌だからね。砂糖水の一つでもあげれば、どんどん増殖していくわ」

 

 続いてイフィオンも接眼レンズを見ながら、ルカに語りかけた。

 

「...このように小さな生物が、ストレプトマイシンの原材料になるとは...信じられん」

 

「そうだね。でも放射菌が見つかったからには、ここからが大変よ。でもその前に、この放射菌が生息するユーライア・フォレストという場所を見てみたいの。他の森は無菌状態なのに、何故かこのサンプルだけに存在している。どういう条件で放射菌が育つのか、知っておきたいんだ」

 

「分かりました、確かにそれは重要ですね。転移門(ゲート)ポイントを設置してありますので、私がお連れします」

 

「よろしくティリス」

 

「待てルカ。あの森の奥へ行くのなら、お前達だけでは危険だ。私も行くぞ」

 

「OK、三人で向かおう」

 

「行きます。転移門(ゲート)

 

 ルカ達は研究室を後にした。

 

 

───カルサナス都市国家連合南西 城塞都市テーベ 隔離区域(三街区)神殿内 10:32 AM

 

「おはようハーロン」

 

「あ、おはようミキお姉ちゃん、ライルお兄ちゃんも。今日は早いね」

 

「痛み止めの魔法が切れちゃうから、早めに来たのよ。具合はどう?」

 

「痛くはないんだけど、体が重いかな。あと頭がボーっとする感じがする」

 

「...少し体温測らせてね」

 

 額・首・脇と体の各所に触れるが、その熱にミキは目を細める。しかしすぐに表情を戻すとと、ハーロンの頭を優しく撫でた。

 

「ちょっと熱が高いね。ボーっとするのはそのせいかも知れない。今魔法かけるから、体の力抜いて」

 

 アナライズ・解毒・修復・痛覚遮断と治療を終えて、ミキは毛布を掛け直した。

 

「食事は食べた?ハーロン」

 

「ううん、今はお腹空いてない。お昼になったら、母さんが弁当持ってきてくれるから」

 

「そう。暖かくしてゆっくり寝てるのよ」

 

 ミキとライルが席をたとうとしたが、ハーロンが咄嗟に上体を起こし、ミキの手を掴んで引き止めた。

 

「待って!ミキお姉ちゃん...」

 

「なあに?どうしたのハーロン」

 

「その、カベリアの事なんだけど...あいつ、大丈夫かな?」

 

「大丈夫よハーロン。ルカお姉ちゃんが毎晩治療を続けているわ、心配しないで」

 

「...ライルお兄ちゃん」

 

「何だ、どうしたハーロン?」

 

「お兄ちゃんは、戦士なんだよね?」

 

「そうだぞハーロン。お前も戦士になるのが夢なのだろう?見事それを成し遂げてみせろ」

 

「...ルカお姉ちゃんの護衛のため?」

 

「その通りだ。ルカ様をお守りする事こそ我が使命。それ以外の事は知らぬ」

 

「僕もね、将来ライルお兄ちゃんみたいになって、都市長になったカベリアを守るのが夢だったんだ。あいつ、頭はいいくせに体が弱いから」

 

「持ちつ持たれつと言うやつだな。お前がカベリアを支えてやれ」

 

「...でもね、僕自信なくなってきちゃった。最近怖い夢ばかり見るんだ。底なし沼に溺れたカベリアを僕が助けようとするんだけど、一緒に沈んでしまう夢。...多分もう、僕は兵隊長になる事はできない。カベリアの隣に立つこともできない」

 

 ミキの赤い瞳がユラリと輝く。

 

「そんな事言っちゃだめ。弱気にならないでハーロン。今頃ルカお姉ちゃんが、ハーロンとみんなの病気を治すため、一生懸命薬を作っている。それがあれば、ハーロンもカベリアもすぐに良くなるわ」

 

「...うん、分かってる。僕待ってるよ」

 

 ミキはハーロンを抱擁すると、席を立ちベッドを離れた。ミキが真剣な顔で黙り込んでいるのを見て、ライルが顔を覗き込む。

 

「どうした、ミキ?」

 

「...あの子、分かってる」

 

「何をだ?」

 

「自分の体の現状をよ。さっき診て分かった。魔法で抑えているにも関わらず、気づかないうちに結核菌が骨にまで転移していた。このまま行けば自分が死ぬ事を、ハーロンは意識的に理解している。魔法で痛みは感じずとも、体が病気の進行を感じ取っているのよ。ハーロンだけじゃない、ここにいる全員が少しずつ結核菌に侵食されてきている。私達が回診を止めた瞬間、病状は一気に悪化するでしょうね」

 

「...お前の治癒魔法でもだめなのか」

 

毒素の除去(ディスペルトキシン)損傷の治癒(トリートワウンズ)は、細胞レベルで傷を修復するけど、大元となっている結核菌を制圧出来なければ、言ってみれば傷口に蓋をするのと同じ。体内に回る菌は他の場所に次々と転移し、症状をどんどん悪化させていく。ルカ様や私の治癒魔法も、結核の前には所詮付け焼き刃という事ね」

 

「...全てはルカ様の作るストレプトマイシン次第、か...」

 

「...祈りましょう。ハーロンの為にも、ルカ様の成功を」

 

「そうだな。あの方はやると言ったらやるお方だ。今回も必ずや成し遂げるだろう」

 

「これはルカ様の知識がなければできない事。私達はとにかく回診を続けて、犠牲者を最小限に食い止めましょう」

 

「うむ。この神殿の治療は終わったな」

 

「次はゴルドーね。転移門(ゲート)

 

 二人は足早に暗黒の穴を潜った。

 

 

───カルバラーム南東12キロ地点 ユーライア・フォレスト北西 10:41 AM

 

 ルカは目の前の光景に息を呑んだ。朝にも関わらず、日の光が届かないほど鬱蒼とした森で、密集した木々の間から僅かに陽光が射して視界を保っている。高さ80メートルを超える杉や檜、珍しい所では100メートルを遥かに超えるセコイアや竜血樹等、多種多様な巨木で覆われている。林の密度だけで言えばトブの大森林を上回る規模であり、まさに樹海と呼ぶに相応しい幻想的な光景を作り出していた。

 

 鳥や獣達の鳴き声だけが木霊する中、ルカはその場にしゃがむと木の根本にある腐葉土を掴み、掌の上に乗せて感触を確かめた。

 

「...なるほど。乾き過ぎもせず、湿り過ぎもせず...理想的な土ね。これなら放射菌が育つのも納得できる。でも何故ここだけ?それにこの木々の異常な大きさ、この森だけにある何かの栄養分が成長を促進しているとしか思えない」

 

「このユーライア・フォレストは、カルバラームの植林地として利用されているんだ。街の資材や建築用木材としてだけでなく、特殊な条件下でしか育たないアスフォデルスやモーリュ・プロメテイオンといった貴重な植物もここで栽培している。街の皆からは聖なる森として崇められ、この森のおかげで今のカルバラームの発展に繋がったと言っても過言ではない」

 

「...僅かだけど、空気中にエーテルの流れが見える。ここ普通じゃないね。イフィオン、森の奥に何かあるの?」

 

「...気づいたか、さすがだな。お前に会わせたい人がいる。この森の中心だ、ついてきてくれ」

 

 イフィオン先導の元、南東方向に向かい森林の更に奥地へと足を踏み入れていく。それに従いエーテルの密度が濃くなり、周囲に霧が立ち込めてきた。30分程歩くと木々が不自然に途切れ、半径200メートルはあろうかと思われる円形の広場に出た。霧がより一層濃くなり、一歩先ですら見えないような状況だ。そしてここまで来るとエーテル濃度が極限にまで高まっており、そのドギツさのあまりルカは周囲を警戒していたが、足跡(トラック)にも一切反応がない。前を歩くイフィオンの背中を追っていたが、唐突にその足を止めた事でルカは背中にぶつかりそうになる。彼女は正面を見据えて目を閉じ、掌を胸の前で組むと謎の言葉を詠唱し始めた。

 

「Ad aliquid sanguis silva mediocris, veni huc. Pones benedictionem super me manus, et cum potentia. (森妖精(エルフ)の血に連なるもの、ここへ来たり。汝が加護を持て、その力で我を導け)」

 

 すると正面から風が吹き上がり、周囲の霧が徐々に晴れていく。三人が立つ広場の中心だけポッカリと穴が開くが、その周囲は未だ霧が覆っており、まるで台風の目の中にいるような状態となった。視界が晴れた中ルカは正面に向き直るが、それを見て背筋に悪寒が走り、唖然と立ち尽くす。そして目線を上に上げ、その頂を見つめた。

 

 灰のようにくすんだ白樺にも似た白い樹皮、直径20メートルを超える禍々しい木の根に、高さ150メートルはある木の頂に生い茂る白い枝葉。まるで火山灰を浴びたようなその大木を見て、ルカの額に一滴の冷汗が流れた。

 

「....生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)...まさか、こんな所で見れるなんて...トブの大森林にしか生息していないと思っていたのに」

 

「私の故郷、半森妖精(ハーフエルフ)の里から持ってきた苗を、このユーライア・フォレストに植樹したのだ。その結果この森は強力な結界に守られ、緑豊かな森に成長を遂げていった。私はこの生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)と対話を続けながら、育ちすぎた木々を伐採する事で資源として使い、街との共存を図ってきたと言う訳だ」

 

「イフィオン、この木と話せるの?」

 

「お前も知っての通り私は森司祭(ドルイド)だ、ルカ。その真の力は、森の精霊に力を与えてもらってこそ発揮される。生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)にはそれぞれ、全て自我...魂がある。この”彼”とは私だけがコミュニケーションを取れるが、とても穏やかな性格だ。森の隅々まで監視し、木材を採取しに来たウッドクラフター達を魔物から守ってくれている」

 

「そうだったのね...生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)があるという事は、ひょっとして近くに木精霊(ドライアード)も住んでるの?」

 

「よく知ってるな、その通りだ。数は多くないが、この森の存在を知り移住してきた者達が幾人かいる。たまにいたずらをするが、基本来訪者に害を与えたりはしてこないので、看過している」

 

「ティリスもこの森にはよく来るの?」

 

「はい。薬の素材となる植物を採集しに訪れています」

 

「そっか。...イフィオン、私この木に聞いてみたい事があるんだけど、代わりに聞いてもらってもいい?」

 

「もちろんだ、その為にお前をここへ連れてきた。何が聞きたい?」

 

 その時だった。イフィオン・ルカ・ティリスの脳裏に突如、しわがれた男性の声が響いた。

 

【...その必要は...ない...イフィオン・オルレンディオ...】

 

「?!」

 

「...何?今の声」

 

「...私にも聞こえました」

 

 三人が正面の木を凝視していると、再び頭の中に直接声が響く。

 

【...珍しい...客人が来たな...時空を超越せし悪魔よ...】

 

「バカな!生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)が自らの意思で人と会話するなんて...」 

 

 驚くイフィオンを他所に、ルカは一歩前に進み出て大木を見上げた。

 

生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)、この森について聞きたい事があるの」

 

【...何が...聞きたい?】

 

「この森の木々は、異常なまでに巨大化している。それと同時に他の森と違い、土の中にも菌や微生物が多数生息している。これはあなたの力なの?」

 

【...このユーライア・フォレストに根を張ったその時より...森の動植物は全て私の影響下に入り...結界に守られ...生命エネルギーの恩恵を受けることになる...木々や土中の生物が育まれ、成長を続けるのは...それが理由だ】

 

「なるほど。今カルサナス全土で、この世界にあってはならない病気が蔓延している。結核菌と言うの。そしてその病気を治す為に必要な放射菌が、何故かこの森にだけ存在している。恐らくあなたがここにいる事が原因だと思われるんだけど、それについて何か知っている事はある?」

 

【...あの不浄な毒か...海風に乗り...この森にまでやってきた...安心しろ...私の結界により...この森の空気は清浄に保たれている...それに放射菌と言ったか...私とて小さき者の存在全てを把握している訳ではない...新たな生命は常に生まれ続ける...これからも、未来永劫に...】

 

「結界を張れるって言ったけど、この森ってかなりの広範囲だよね。その全てをカバーできるって事は理解した。実際問題として、結界はどの程度の効果があるの?」

 

【...我ら生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)は太古の昔、都市防衛用として生み出された...植樹された街や村・森に応じて、結界範囲は変化する...都市に植樹された場合、城壁の強化・建築物の保護・外気の遮断・空気の清浄化等の力を持つ...私の兄弟がいる、八欲王の空中都市がいい例だ...あのように過酷な土地でも環境に左右されず、都市を建設出来る...しかしいつしか我々本来の力は忘れられ、森に根を張るに至った...そういう経緯だ】

 

「面白いね。生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)にそんな力があるなんて、初めて知ったよ。分かった、ありがとう。私達少し急いでるから、今日はこれで行くね。いいヒントがもらえたよ。また会いに来てもいい?」

 

【...もちろんだ...私はこの森を守り続ける...お前はお前の守りたい者を守り通せ...次に会った時...今度はお前の話を聞かせてほしい...時の放浪者よ...】

 

「...何だか随分と私の事を知ってるみたいだね。いいよ、その時は話してあげる」

 

 ルカは後ろを振り返ると、驚愕の目を向けるイフィオンとティリスに笑顔を向けた。

 

「帰ろうか、二人共」

 

「あ、ああ...もういいのか?」

 

「知りたい情報は得られたからね。この森にはまた来る事になる。早く研究所に戻って作業の続きを始めないと」

 

「了解した、行こう。ティリス」

 

「かしこまりました。転移門(ゲート)

 

 三人は暗黒の門を潜った。

 

 

───イフィオン都市長宅3F 研究所 11:54 AM

 

 三人は席につき、今までの経緯を総合する為話し合いに入った。

 

「放射菌が生息する土地は、生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)が植樹された森林のみと言う事はこれでほぼ確定した。と言う事は、トブの大森林北部で私が見た生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)周辺の土壌からも、放射菌は採取出来るはずよ。これは予備として取っておこう」

 

「とりあえずは、ユーライア・フォレストの土が大量に必要となってくる訳か?」

 

「そうだね。弟子の人達に頼んで、可能な限り集めて室温で乾燥させておいてほしい」

 

「了解した。後で生命の樹(ツリー・オブ・ライフ)にも許可を取っておこう」

 

「ルカ様、放射菌の抽出作業はいかが致しましょう?」

 

「それなんだけど、今後に備えてイフィオンとティリスの二人には、私がこれから行う作業工程を全て覚えてもらいたい。まずはこの世界の放射菌が正常に培養出来るかを確認する必要がある。それが出来たら試薬の作成に入る。その後私が診た中で最も重症である、カベリアの血液に含まれる結核菌に対しこれを使用。結核菌の死滅確認と同時に、その試薬をカベリアの体内に投与。経過観察後、体調の回復が確認出来次第ストレプトマイシンの大量生産に入る。以上がおおまかな段取りよ、いい?二人共」

 

「いよいよ正念場だな」

 

「かしこまりました、ルカ様」

 

 イフィオンとティリスは向かい合い、決意を秘めた目で互いに大きく頷いた。

 

「よし、早速始めよう。ティリス、シャーレを一つ用意して」

 

「こちらになります」

 

 薄く平たい透明な皿を手渡されると、ルカはスプーンで土を掬いその中に満遍なく伸ばした。そして中空に手を伸ばし、アイテムストレージからカセットバーナーを取り出すと、その上にシャーレを置いて点火し、弱火にしたままスプーンで土を撹拌し続けた。

 

「ルカ、それは?」

 

「今やっているのは乾熱処理法よ。一度室温で乾燥させた土を更に火で熱することで、胞子非形成の微生物は大半が死滅するの。こうする事で放射菌比率が一気に高まり、分離させる事が可能になる。このままきっちり30分間、撹拌しながら熱し続ける」

 

「ふむふむ」

 

 イフィオンは顎に手を添えて眺めているだけだったが、ティリスは白い紙の束を用意して、今聞いた内容を逐一メモしている。

 

 やがて30分が経った。シャーレをバーナーの上からどけるとテーブルの上に置き、ティリスに顔を向けた。

 

「寒天と澱粉片栗粉は用意出来る?」

 

「すぐ向かいに食料品店がありますので、買ってきます!」

 

 慌てて部屋を出るティリスを見送ったが、五分もしないうちに大きい紙袋を抱えて帰ってきた。

 

「こちらでよろしいでしょうかルカ様?」

 

「また随分沢山買ってきたね。それで十分だよ」

 

 袋を取り出すと、中に詰まった寒天を新しいシャーレに開けてスプーンで塊を崩し、平らに伸ばす。次にビーカーをバーナーの上に置いて片栗粉を入れ、水を混ぜて撹拌した後に火をつける。3分程熱してとろみが出てきた頃合いを見計らい、ビーカーごとたらいに張った水に付けて熱を冷ました。冷えた片栗粉を寒天の張られたシャーレに入れてよく混ぜ、更に平らに伸ばす。イフィオンが不思議そうな顔を向ける。

 

「今度は一体何だ?」

 

「寒天培地を作ったの。つまり放射菌に取って栄養満点の土台を作ることで、培養・分離しやすくする為の工程ね。ここに乾熱した土を乗せていくけど、その前にティリス、大豆油は置いてある?」

 

「それなら厨房にありますので、すぐに持って参ります」

 

 一階に降りたティリスが三階へ戻ってくると、作業の骨子を理解したのか、調味料の瓶が詰まった木製ラックごと運んできた。その内の白い瓶を手渡され、ルカはテーブルに並べられたビーカーとフラスコを手に取った。

 

「これからこの大豆油を使い、グリセリンを作る」

 

「グリセリン?何だそれは?」

 

「この世界にはない成分だよ。放射菌の培養だけなら寒天培地だけでも出来るけど、そこから更に放射菌を分離する為には、より濃度の高い栄養素を入れて菌を誘導する必要がある。それがグリセリン。本当なら腐植酸を使いたいんだけど、それを作るためにはこの世界にない化合物が必要になるんだ。さすがにそれは無理だから、グリセリンで代用する」

 

「どうやって作ればよろしいのですか?」

 

「...まずこうして大豆油をビーカーに入れて水を加え、掻き混ぜて加水分解する。これをそこにある蒸留器にかければ、グリセリンが取り出せるわ」

 

 分厚い鉄製の器に移し替え、蓋をして火をつけ沸騰させる。蒸留された無色透明な液体が銅製のチューブを伝ってフラスコに落ち、グリセリンを作り出す事に成功したルカは、それを冷やしてスポイトで吸い取り、先程作った寒天培地の表面に塗っていく。そしてその上に、乾熱処理したユーライア・フォレストの土を少量乗せて満遍なく伸ばすと、シャーレをテーブルの上に置いた。

 

「以上が放射菌の分離・培養までのプロセスよ。ここから寒天培地を十八時間程寝かせて、菌の増殖を待つの。イフィオン、ティリス、ここまでは大丈夫?」

 

「ああ、手順はしっかり覚えたぞ」

 

「全て用紙に記録を取りました、問題ありませんルカ様」

 

「OK。培養を待つ間、次の作業に必要な材料を揃えておきたい。用意するのは、水・グルコース...つまり単糖類ね。これには同じ単糖類の蜂蜜を使う。それと片栗粉・大豆粉・ペプトン...これは肉食動物が、胃の中でタンパク質を消化した胃液から取れる物質なの。微生物の栄養源に最適で、菌の培養には必須な材料よ。最後に炭酸カルシウム、これは貝殻を削って粉にする事で採取できるわ。ティリス、ペプトン以外の材料はこの街で用意できそう?」

 

「はい、可能です。幸いこのカルバラームは海産物の宝庫、貝類の漁獲も行っておりますので、その炭酸カルシウムというものに必要な貝殻もすぐ手に入るかと存じます」

 

「よし、じゃあそれは明日までに揃えてもらうとして...イフィオン、カルバラーム近郊に肉食性モンスターが生息している場所ってある?」

 

「ここら一帯にはいないな。だが土壌サンプルの中にあった、ゴルドーから北のテオドーラ・フォレストには、人を食らうキマイラが多数生息している。以前メフィアーゾと二人で退治しに行った事があるが、獰猛で手強い奴らだぞ」

 

「良さそうだね。私がそいつらを狩るから、これから二人でその森へ行ってみよう。ティリスはその間、必要な材料を集めておいて」

 

「かしこまりました」

 

 ルカとイフィオンは転移門(ゲート)でテオドーラ・フォレストまで飛び、周囲を探索した。過去にメフィアーゾとイフィオンが、やっとの事で探し出したキマイラだったが、ルカは足跡(トラック)を使用してその生息地を難なく発見し、一刀両断の元にキマイラを瞬殺した。そしてその場で巨大なキマイラの腹を捌き、胃の中にある胃液を用意したフラスコに満たし蓋をする。無事素材を手に入れた二人は、すぐに転移門(ゲート)で研究所へ戻った。

 

 そして持ち帰った胃液をビーカーに移し、水を足して掻き混ぜ加水分解する事で、黄緑色をしたペプトンが完成した。ルカはそのビーカーと寒天培地のシャーレを、外気に触れないよう実験器具の入った棚に収める。(ふう)と安堵の溜息をついたルカを見て、イフィオンが優しく微笑みかける。

 

「ルカ、そろそろ食事にしよう。昼食もまだだったろう?」

 

 ルカは左手首のリストバンドに目をやった。

 

「うわ、もう14:30か。作業に夢中で全然気づかなかったよ」

 

「一階のダイニングに行こう。メイドに頼んで食事を用意させてある」

 

 そしてルカはそこで、カルバラーム特産の新鮮な海鮮料理を堪能した。色とりどりの刺身、白身魚のムニエル、豪快な焼き魚、魚介スープ、デザート。海産物のフルコースである。そのどれもが美味なことを受け、ルカは大満足であった。

 

 テーブルで向かい合い、食後のワインを飲みながら二人は語り合った。

 

「はー、最高だよイフィオン。こんなご馳走久々かも」

 

「喜んでもらえたようで何よりだ。この屋敷のメイドは一流のシェフでもある。彼女もきっと喜んでいるだろう」

 

「各地の特産料理って、ほんとに個性があって素敵だよね。カルバラームは海鮮料理、テーベは肉料理、エリュエンティウは粉物料理、エ・ランテルは鶏料理...私も色々食べたけど、さっきの魚介類は新鮮で、油が乗ってて本当に美味しかったよ」

 

「一度お前と世界を旅して回りたいものだ」

 

「え、それなら今度一緒に行こうよ。転移門(ゲート)で行けばすぐだし、他の街を見て回るのもなかなか楽しいから」

 

「そうだな、たまには物見遊山も悪くないかも知れない。この騒ぎが収まったら考えてみよう」

 

「そうだね、時間との勝負だから、今はこの事だけに専念しなくちゃ」

 

「...お前には、何から何まで本当に世話をかけっぱなしだな。都市長として申し訳なく思う」

 

「気にしないの。たまたまカルバラームからの依頼があって来てみたら、君の生きるこのカルサナスが大変な事になっていた。それを黙って見過ごせるほど私は悪魔じゃないよ」

 

「ああ、分かってる。そろそろ夕暮れ時だ、今夜は家に泊まっていかないか?」

 

「もう17時か。ありがとう、でもカベリアの事もあるし、泊まるのはまた今度にしておく」

 

「そうか。まるで本当の姉のようだな」

 

「...子供の事でこんな必死になったの、初めてだから...私に兄弟はいないけど、妹が出来たらきっとこんな感じなんだろうね」

 

「あの子があんなに甘える姿は、私にも見せた事がない。お前という存在が、今のカベリアに取って大きな心の支えとなっているのだろう」

 

「何としても治してあげたい。カベリアの未来の為にも」

 

「そうだな。もう一杯どうだ?」

 

「いや、今日はここら辺で帰るよ。明日の朝また来るから」

 

「分かった。こちらも準備しておく」

 

 エントランスまで見送られると、ルカは転移門(ゲート)の穴を潜った。

 

 

───べバード 都市長邸宅内 17:21 PM

 

「ただいまカベリア」

 

「お帰りお姉ちゃん!今日は早かったね」

 

「その分忙しかったけどね。ご飯は食べた?」

 

「うん、ちゃんと食べたよ」

 

「そっか。べハティー、お風呂を借りたいんだけどいいかな?」

 

「もちろんです。湯船にお湯は張ってありますので、ご自由にお使い下さい」

 

「ありがとう、行ってくるね」

 

 ルカは体を洗い流し、湯船にゆっくり浸かって疲れを取った。そして寝室に戻るとカベリアに定期治療を行い、ベッドに足を滑り込ませる。早速カベリアが胸に顔を埋めて深呼吸するが、ふと何かに気づいてルカの目を見返す。

 

「あれ、お姉ちゃんのおっぱい、ふわふわに柔らかくなってるよ?」

 

「胸に巻いた晒しを外したのよ。こっちの方が寝やすいでしょ?」

 

「うん。えへへ〜、いい香り。気持ちいい」

 

「もう。カベリアのエッチ」

 

「エッチじゃないよ、女同士だもん」

 

「フフ、そうね冗談よ。...今日はねカベリア、いい知らせがあるの。結核菌を治療するお薬の材料となる放射菌が、土の中から見つかったのよ。今イフィオンの研究所で、その菌に栄養を与えて数を増やしている最中なの。このまま上手く行けば、多分三日以内にはストレプトマイシンの試作第一号が完成する」

 

「...良かったねお姉ちゃん。だからそんなに嬉しそうなんだ。私分かってたよ、お姉ちゃんなら絶対にやってくれるって」

 

「ありがとう。私も正直ホッとしたよ。それでねカベリア、一つお願いがあるの。その薬が完成したら、カルサナスの中で最も症状が重いカベリアの体で、ストレプトマイシンが正常に結核菌を殺すかどうか、試させてほしいんだ。その結果薬が作用すると確認できれば、今他の街で結核に苦しんでいる患者達全員にも効くと証明できる。そうなれば一気に薬を大量生産して、住民達全てに薬を投与する体制が整うんだ。...ひょっとしたら薬の副作用が出るかもしれない。でもそうならないよう、事前に検査をして万全の体制を整える。嫌なら断ってくれて構わないが、でも出来れば、薬の治験に協力してもらえると助かる」

 

 いつになく真剣なルカの口調を聞いて、カベリアは顔を離しルカの顔を見た。

 

「嫌じゃないよ。ルカお姉ちゃんが作った薬なら、私怖くない。それでカルサナスみんなの体が治るなら、私喜んで協力する。お姉ちゃんが頑張ってるんだもん、私も頑張らなくちゃ」

 

「カベリア...ありがとう」

 

 少女の小さな頭を抱きしめる。そして少女もまた彼女の温かい懐に身を委ね、笑顔で目を瞑った。

 

「お姉ちゃん、またあの子守唄歌って?」

 

「好きだねこの唄。...いいよ」

 

 聖なる鎮魂歌。その美しい声色と果てしない世界に導かれ、カベリアは深い眠りについた。

 

 

───翌日 カルバラーム イフィオン都市長邸宅内3F 研究所 10:00 AM

 

「おはようルカ。今朝も早いな」

 

「おはようございます、ルカ様」

 

「イフィオン、ティリス、おはよう。今日の作業も時間がかかるからね、朝から作業しないと間に合わないから。ティリス、材料は揃ってる?」

 

「はい、全てこちらに。炭酸カルシウム用の貝殻も、既に粉末にしてご用意しております」

 

「気が利くね、助かるよ。じゃあ早速昨日作った寒天培地を見てみようか」

 

 実験器具用の棚を開けて、中からシャーレとペプトンを取り出してテーブルの上に置く。三人がシャーレを覗き込むと、その表面は白い糸状の菌糸で覆い尽くされていた。それを見てルカは大きく頷く。

 

「よし、培養に成功した。次の作業は、この培養した放射菌の増加を更に加速させる為、液体培養を行う。その前に、寒天培地で培養した放射菌から土を取り除かないといけない。ティリス、濾紙はこの研究所にある?」

 

「はい。こちらでよろしいでしょうか?」

 

 目の荒い濾紙だったが、ルカはそれを受け取るとビーカーの上に濾紙を敷き、寒天培地の上にスポイトで水を少量注ぎ込むと、表面に繁殖した放射菌糸をヘラですくい取るように濾紙の上に注ぎ、裏漉しするように優しくヘラで撫でて土のみを取り除き、放射菌の含まれた水分をビーカーへ落とした。次に新しいシャーレを用意し、薄く水を張った後に、ティリスが用意した材料をスポイトで塗りつけていった。

 

「蜂蜜1%、片栗粉2%、大豆粉1.5%、ペプトン1%、炭酸カルシウム0.3%...おおよそこの割合で水に溶かし、液体培養を行うの。いい?二人共」

 

「了解した」

 

「微妙な配分が必要なのですね。承知しました」

 

 ルカは完成した液体培養液の上に、先程濾過した放射菌を乗せて二人にシャーレを見せた。

 

「以上が液体培養の手順よ。ここから約四時間程寝かせる。そうしたら次が最後の作業になるけど、それには純度の高いアルコールが必要になる。ティリス、地獄酒のような酒はこの屋敷に置いてある?」

 

「調理用の地獄酒でしたら、キッチンにございます」

 

「じゃあそれを蒸留器にかけて、アルコールを抽出しておいて。私とイフィオンはその間、カルバラームの神殿に行って患者を治療してくるから」

 

「かしこまりました」

 

 ミキとライル、ラミウスにも伝言(メッセージ)で連絡を取った上で、カルバラームの神殿へと向かい治療を施した。ネルガルを発見したアエルギナーにも討伐完了の報告をすると、彼は驚愕すると共に、安堵した様子で眠りにつく。治療も完了した後に4時間が経ち、ルカとイフィオンは研究所へと戻ってきた。

 

「ただいまティリス。アルコールの用意は?」

 

「お帰りなさいませ。完了しております」

 

「よし、液体培地の様子を見てみよう」

 

 テーブルに乗せられたシャーレの液体表面は、白い菌糸で覆い尽くされていた。それを見てルカは確信に満ちた表情を浮かべる。

 

「イフィオン、ティリス、これが最後の行程よ。液体培養液の中から、抗生物質...つまりストレプトマイシンの主成分である、ストレプトマイセスを単離・回収する」

 

 二人が頷くとルカは新しいビーカーを用意して、その中に液体培養液を注ぎ込む。そこに地獄酒から蒸留したアルコールを混ぜて撹拌した。20分程待った後に、アルコールと上澄み液が分離すると、ジェラルミンケースから注射器を一本取り出し、上澄み液のみを吸い取って注射器に回収した。針の先端にキャップをして、二人の前に掲げる。

 

「...遂に完成した。これがこの世界で初めて作り出された抗生物質・ストレプトマイシンよ」

 

「これで...これでカルサナスの民達は、結核を克服出来るんだな?」

 

「こんな方法で薬を生成できるとは...実に多くの事を学ばせていただきました、ルカ様」

 

「喜ぶのはまだ早い。これからすぐにべバードへ戻り、カベリアの血液中に含まれる結核菌に対し、このストレプトマイシンを使用する。二人共、私の医療器具を持ってついてきて」

 

「分かった、すぐに行こう」

 

「了解しました」

 

 ルカの開けた転移門(ゲート)を通り、三人はべバードへと向かった。

 

 

───べバード都市長邸宅 寝室 16:37 PM───

 

 部屋に着くなりイフィオンとティリスは予備のテーブルを中央に用意し、その上に走査型電(スキャニング・エレク)子顕微鏡(トロン・マイクロスコープ)とジェラルミンケースを乗せて準備に入った。その慌ただしい様子を見て、ベッドで寝ていたカベリアが目を右往左往させていた。

 

「お、お姉ちゃん?それにイフィオン都市長、ティリスさんも、急にどうしたの?」

 

 怯えが見て取れるカベリアを安心させるため、ルカはベッド脇に屈んで透明な液体の入った注射器を見せた。

 

「見てごらんカベリア。特効薬が完成したんだ。昨日言った通り、これからカベリアの血液でこの薬が有効かどうかを検査する。そのまま寝てていいからね」

 

「わ、分かった、私頑張る!」

 

 ルカはジェラルミンケースの中からゴムチューブと新しい注射器を取り出すと、カベリアの左上腕にゴムチューブをきつく巻きつけて縛り、準備の終わったイフィオンとティリスをベッド脇に呼んだ。

 

「ここ。この緑の細いラインが静脈よ。血液検査を行う時は、必ずこの血管から採取する事。今後二人にも手伝ってもらうかもしれないから、覚えておいて。いい?」

 

「了解した」

 

「かしこまりました」

 

「カベリア、ちょっとチクッとするよ」

 

「うん、大丈夫」

 

 ルカはスッと注射器の針を刺し込み、カベリアの血液を採取した。アイテムストレージから脱脂綿を取り出して穿刺孔を押さえると、開かれたジェラルミンケースの中からプレパラートを取り出し、血液を塗りつける。その上にアントシアニンを垂らして色を付け、更にストレプトマイシンを一滴垂らしてカバーグラスをかけ、顕微鏡のステージにセットした。

 

 接眼レンズを覗きながらアームと倍率を調整し、鋭い目で細胞を観察していく。やがてルカは小さく数度頷き、接眼レンズから目を離した。

 

「よし!抗生物質が正確に結核菌のみを攻撃し始めている。他の細胞には影響を与えていない。正常に作用している、このまま行けば...」

 

「治るんだな?結核が」

 

「うん。とりあえずここで経過を伺おう。カベリア、お姉ちゃん達しばらくここにいて実験するからね。その後カベリアにもう一本だけ注射を打つから」

 

「分かった、大丈夫だよ」

 

 イフィオンとティリスも接眼レンズを覗き、細胞同士の戦いを確認した後に、三人は席に着いた。

 

「イフィオン、今のうちに薬の大量生産に関して段取りを練っておきたい。研究所にあった巨大な蒸留器、あのサイズの銅製タンクがあと四つは欲しい。私が詳細な設計図を書く。用意出来そう?」

 

「カルバラームの鍛冶屋に頼んでみよう。恐らく可能なはずだ」

 

「それとカルバラームの全住民に薬を投与する為、私が持っているこの注射器と換えの針も大量に必要となってくる。新品の注射器を渡すから、これと全く同じ物を作れる職人を探し出して依頼して欲しんだ」

 

「べバードとゴルドーに、優秀な細工師がおります。彼らに頼めば可能かと存じます」

 

「OK、この実験結果とカベリアの治験が無事完了した段階で、すぐに発注をかけてほしい」

 

「了解した」

 

「ルカ様、その注射器を私に貸してくださいませ。今から発注して参ります」

 

「分かった、頼むよ」

 

 ティリスは注射器を手に寝室を出ていった。ルカはその間羊皮紙とペンを取り出し、そこに量産用タンクの設計図作成に取り掛かった。やがて二時間程経過すると、部屋の中央に転移門(ゲート)が開き、ティリスが戻ってきた。その手には、二本の注射器が握られていた。

 

「ただいま戻りました。ルカ様、お借りした注射器を元にして、細工師に作成させた試作品です。拝見していただいてもよろしいでしょうか?」

 

 それはガラス製の注射器だった。換えの針もガラスで出来ており、これであれば実用性に足ると判断したルカは笑顔で頷いた。

 

「仕事が早いね。これなら問題ないと思うよ」

 

「では早速細工師二人に発注をかけます」

 

 ティリスは右耳に手を添えて、伝言(メッセージ)を飛ばした。ルカも設計図を書き終わり、すぐ左にある顕微鏡の接眼レンズを覗く。

 

 目を細めて慎重に精査し、イフィオンとティリスに目を向けた。

 

「...赤血球・白血球・ドーパミンへの弊害及び細胞壁の損傷なし。結核菌は弱体化し、あと一時間もすれば死滅するだろう」

 

「では、ルカ...!」

 

「ああ、成功だよイフィオン。これならカベリアの体内に投与しても安全だ」

 

 ルカはストレプトマイシンの入った注射器を手にすると、カベリアの寝るベッド脇に寄り添った。不安そうなカベリアの頭を左手で優しく撫でる。

 

「できたよカベリア。安全性は立証された。これからお薬打つからね」

 

「う、うん!」

 

 緊張した面持ちのカベリアだったが、ルカは左頬にキスをしてパジャマの左袖を捲くりあげた。そして上腕に深く針を突き刺し、筋肉注射を行う。ゆっくりと注入する中、隣で見ていたイフィオンが質問してきた。

 

「そのストレプトマイシンは、飲んでも効果があるのか?」

 

「いや、ストレプトマイシンの経口摂取は、体内への吸収率が悪い。結核の場合通常はこのように、筋肉注射で投与する事が最も効果的なの」

 

「なるほど、それで注射器が必要なんだな」

 

 ルカは針を抜くと、脱脂綿で穿刺孔を押さえた。そして中央のテーブルに戻り、イフィオンに設計図の書かれた羊皮紙を手渡す。

 

「私はこのまま明日までカベリアの容態を見守る。イフィオンはこの設計図を鍛冶屋に見せて、作成可能かどうかだけ確認してきて。この子の容態が回復次第、発注をかける手筈で」

 

「分かった。明日は何時にする?」

 

「明朝ここに集合って事でいい?」

 

「構わない。薬の作成、神殿の回診にカベリアの治療...お前も今日は疲れたたろう。無理せず休むんだぞ」

 

「私は大丈夫。ティリスも疲れたんじゃない?」

 

「いいえルカ様、何のこれしき。まだまだ体力はあり余っています」

 

「頼もしいよ。また明日ね」

 

 転移門(ゲート)を潜る二人を見送ると、ルカはイビルエッジレザーアーマーを脱ぎ捨ててハンガーにかけ、カベリアの隣に添い寝した。

 

「今日は頑張ったねカベリア。お疲れ様」

 

「お姉ちゃんこそ付きっきりで疲れたでしょ。今何時?」

 

「...20時31分。四時間近く作業してた事になるね」

 

「...お薬、効くかな?治るかな?結核菌」

 

「きっと治るさ。私が作ったのよ?」

 

「そうだよね。お姉ちゃん頭いいもんね」

 

「カベリアもお姉ちゃんみたいに勉強して、将来は立派な都市長になるのよ?」

 

「...あのねお姉ちゃん、テーベに友達がいるの。ハーロンって言うんだけど、ここ最近全然会いに来てくれなくて。パルール都市長に聞いても、全然教えてくれないの」

 

「...知ってるよ、神殿で会った。ハーロンもカベリアの事をすごく心配してたよ」

 

「神殿って、そんな...ハーロンも結核なの?何で誰も教えてくれなかったの?!」

 

 カベリアはルカの胸にしがみつき問い詰めてきたが、まるで母親のような眼差しでカベリアの頬を優しく撫で、微笑み返した。

 

「落ち着いて。大丈夫、私が治療しておいた。それにハーロンは、カベリアに比べれば遥かに軽症よ。今頃ミキが私の代わりに治療を続けてくれている。それにパルールおじいちゃんも、カベリアに余計な心配をさせたくなくて言わなかったんだと思う。ストレプトマイシンがカベリアの結核を治せば、ハーロンだってすぐに良くなるわ。だから安心して」

 

「...お姉ちゃんが診てくれてたんだね、何だ...良かった...」

 

「そういう事。...さて、いい時間だ。今日も魔法かけようか。魔法持続時間延長化(エクステンドマジック)痛覚遮断(ペイン・インターセプト)

 

 定期治療を終えると、カベリアはルカの胸元で脱力した。

 

「...お姉ちゃん」

 

「ん?」

 

「カルサナスの人達の病気が治ったら、どこかに行っちゃうの?」

 

「...うん。でもしばらくはここにいるから、安心して。結核はそう簡単に治る病気じゃない。治った後でも体に残るダメージは大きい。そういう人達の為にも、私がアフターケアしてあげないとね」

 

「...私、お姉ちゃんとずっと一緒にいたいよ...」

 

「...そうだね。でもお姉ちゃんにも、やり遂げなければならない使命がある。その為に今日まで生きてきた。もしカベリアが大人になっても私が目的を遂げていない時は、また会いに来るよ。必ず」

 

「お姉ちゃんの使命って、何?」

 

「...私はね、元々この世界の住人じゃない。もっと遥か遠い、地球という惑星からこの世界へ飛ばされてきたんだ。私は帰りたい。何としても、元いた世界へ。それがお姉ちゃんの目的よ。究極的には、その為にこのカルサナスへ来たと言っていいと思う」

 

「...地球って、どんなところ?」

 

「海があり、山があり、森があり、都市がある...文明はこの世界よりも遥かに進み、その星では六十億人もの人々が生活を営んでいる。青く輝く美しい星よ」

 

「...でもお姉ちゃん、アンデッドなんでしょ?その星にもアンデッドがいるの?」

 

「...お姉ちゃんもね、その世界にいた頃は普通の人間だったの。そして地球でのアンデッドという存在は、ただの空想上の産物として語られているに過ぎなかった。だから地球にアンデッドはいない。もし地球に帰れたら、その時はお姉ちゃんも人間に戻るのよ」

 

「...今のお姉ちゃんはアンデッドだから、病気の私とこんなにくっついていても、結核が感染らないの?」

 

「そうよ。アンデッド系統の種族は、感染系のバッドステータスに対する完全耐性を持っている。お姉ちゃんが結核にかかる事はないから、どんなにくっついても大丈夫よカベリア」

 

「...ルカお姉ちゃんが地球からこの世界に来て、何年経つの?」

 

「.....190…年よ、カベリア。ごめんね、本当はお姉ちゃんじゃないの。もうお婆ちゃんを通り越してるよね。気持ち悪いでしょ、私一人で寝るから、カベリアもゆっくり寝てね」

 

 ルカがベッドから出ようとすると、カベリアは子供らしからぬ力でルカの腰を抱き止めた。

 

「いや!!!...ここにいて、お姉ちゃん...」

 

「カベリア...」

 

「ルカお姉ちゃんがアンデッドでもいい...190歳でもいい...こんなにきれいで優しいお姉ちゃんを持つのが夢だったの。だから、行かないで...」

 

「...私は...人殺し...暗殺者だ、カベリア。これまで何千人という命を殺めている。君の理想とは程遠い。私に君の姉となる資格なんて無い」

 

「嘘よ...それだけ沢山の人を殺してきたのだって、地球に帰るため仕方なくやってきたことなんだよね?そこまでしてでも、地球に帰りたかったからなんだよね?...ルカお姉ちゃんは今、その殺してきた数以上の人間や亜人を救おうとしてる。そんな人が優しくない訳ないじゃない!!」

 

 罪滅ぼし。8才の子供相手にルカは心中を看破され、何も言い返す事が出来なかった。唖然とするルカの背中に手を回し、カベリアは胸に顔を埋める。

 

「...大好き、お姉ちゃん」

 

 ルカは目を閉じ、少女の頭を抱き寄せた。一筋の涙を流しながら。

 

「私も大好きだよ、カベリア...」

 

 二人は抱き寄せあい、深い眠りについた。

 

 

───翌朝 10:00 AM

 

 イフィオンとティリスがカベリアの寝室に着くと、ルカが肌着のままベッド脇に立ち、眠っているカベリアの検診をしている最中だった。その後ろ姿を見て二人が声をかける。

 

「おはようルカ。どうしたんだその格好は」

 

「おはようございますルカ様。カベリアの容態はいかがですか?」

 

 その声に気づきルカは後ろを振り返った。目を見開き、呆然とした様子でポツリと呟く。

 

「...下がってる」

 

「何?」

 

「高熱が下がって、脈拍も安定している。それだけじゃない、髄膜や骨に転移したカリエス、他のリンパ節や臓器に起こった炎症も少しずつ緩和してきている。たった一日で、これだけ回復するなんて...」

 

「...やったなルカ。全てはお前の叡智の賜物だ」

 

「おめでとうございます、ルカ様」

 

「...イフィオン、昨日頼んだ設計図、すぐに鍛冶屋へ発注出してもらえる?これなら問題ないと思うんだ」

 

「心配するな。昨日既に設計図を渡し、作るよう命じておいた。職人総出で、五日で完成させると意気込んでいたぞ」

 

「そうなんだ、良かった...ティリス、注射器の方は?」

 

「本体の方は手間がかかりますが、換えの針だけでしたらすぐにできるそうです。一日に千五百本ペースで、40万本発注しておきました」

 

「それなら何とかなりそうだ。優先して神殿の重症者達に投与し、その後順次全国民にストレプトマイシンを投与する。その流れで行こう」

 

「私の研究所もフル稼働だな。各地に散らばる弟子達を集めなくては」

 

「ルカ様、その間私にできる事はありますでしょうか?」

 

「もちろん。イフィオンにはタンクの増設を任せて、私と君は予防策を探していくよ」

 

「予防策?そんな物が存在するのですか?」

 

「BCGワクチン(Bacille Calmette-Guerin)よ。簡単に言うとヒト型結核菌ではなく、牛型結核菌。これを時間を置き弱体化させて人の体内に投与すると、結核に対する免疫ができる。これから生まれてくる子供達のためにも、探す価値はあると思うんだ」

 

「そのようなものが...ですが、どこで探すと言うのですか?」

 

「このカルサナスでは、共同牧場で牛も飼育してるんでしょ?その血液を採取して検査し、片っ端から探していくのよ。ティリス、付き合ってくれる?」

 

「もちろんです!結核などという病魔は撲滅しなければなりません。喜んで協力します」

 

「よし、これから牧場に行ってみよう。イフィオン、後は任せてもいいね?」

 

「研究所の事は任せろ。培養に必要な素材も私がかき集めておく」

 

「OK、行こうかティリス」

 

「はい!転移門(ゲート)

 

 二人は暗黒の門を潜った。

 

 

───べバード東南東 カルサナス共同牧場 西部入口 10:53 AM

 

 見渡す限りの広大な大草原。牧場周辺は木の柵が延々と張られ、一体何ヘクタールの敷地を持つのがルカには検討もつかなかった。左手奥には巨大な納屋が連なっており、豚や鳥と思わしき鳴き声が耳に届く。ティリスが先頭に立ち、牧場の門を開けて中に入る。草原の中で草を食べながら放牧されている牛たち。何ともほのぼのとした風景である。それを眺めていると、納屋の方から麦わら帽子を被った初老の男が近寄ってきた。

 

「あんれまーティリス様!いらっしゃいまし。ここんとこよくお見えになられるかと思えば、まあまためんこい娘を連れて来られて!なーんにもねえとこですが、ゆっくりしていっておくんなせえ。娘さん、なんつー名前だべや?」

 

「私はルカ・ブレイズ、よろしくね。おじちゃんの名前は?」

 

「俺か?俺はトムテ=ビシャールっつーしがなーいオッサンだべ。この農場を管理してるもんだ、こつらこそよろしくだっぺなルカ嬢ちゃん」

 

「フフ、面白いキャラね。トムおじさん、この牧場に牛は何頭くらいいるの?」

 

「べこか?べこはおめえ、軽く五千頭はいるっぺよ。全部に名前つけてあってな、顔見たら大体分かんべダッハッハッハ!!」

 

「十分な数ね。トムおじさん、これから牛の血液を採取していきたいの。問題ない?」

 

「べこの血だあ?!...お前さんあれか、まさかキャトルミューティレーションっちゅーやつをやっとる宇宙人かなんかだべか?」

 

「...何でそんな言葉知ってるのよ。違うって、おじさんも知ってるでしょ?カルサナスで流行ってる病気を予防するために、牛の血液が必要なの。殺したりしないから、協力してくれない?」

 

「...ティリス様ー、この娘っ子の話、本当だべか?」

 

「ええ、本当ですよトムテさん。このルカ様は、テーベ・ゴルドー・べバード・カルバラームの病に苦しむ民達を、魔法で救ってくれたお方なのです。そしてその病気である結核菌に対する特効薬を作ってくれた英雄でもあります。私からもお願いしますトムテさん、ルカ様に協力してあげてください」

 

「どしぇー!!この一年手の打ちようがなかったあんのクソ病気を、こんな娘っ子が治しちまったんだべか!!えらいこっちゃ、ほんならこのトムテ、何でもしちゃうだっぺ!」

 

「何か方言が無茶苦茶ね。まあいいわ、ありがとうトムおじさん。ティリス、ケースから注射器出して」

 

「はい。換えの針が必要でしたら仰ってください」

 

 ルカはそれを受け取ると、胸の前に掲げた。

 

「おじさん、牛を一箇所に集める事はできる?」

 

「一箇所に?!五千頭いるだっぺよ?...そりゃ時間をかければやれん事もないが、このカルサナス牧場はとんでもなく広い。馬でもなけりゃ、端までは行けないずら」

 

「それなら片っ端から採血していってもいい?」

 

「構わねえが、こいつら全部臆病だべや。おらなら大丈夫だが、ルカ嬢ちゃんが近づいたら速攻でとんずらこいちまうべよ。ましてやその針でブスッとやんだろ?蹴飛ばされて吹っ飛ぶのがオチだべ」

 

「そうなんだ。じゃあこっちも対策しないとね。ティリス、私の側に来て」

 

「はい」

 

 ティリスが隣に立つと、ルカはその肩を抱き寄せて魔法を詠唱した。彼女は何故か頬を赤らめている。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)魅力の覇気(アトラクティブ・オーラ)

 

 ルカとティリスの体がピンク色の光球に包まれ、体を覆い尽くした。それを見てトムテが腰を抜かす。

 

「うひぇー!!あんた何つーでけぇ魔力蓄えてるんだべ!」

 

「トムおじさん、魔力の流れが分かるの?」

 

「んだ。これでもこの牧場を預かってる身だ。盗っ人どもを追い払うくらいの魔法は習得してるっぺよ」

 

「...この魔法を受けても正気を保ってるなんて、大したものね。トムおじさん...私、そんなに魅力ない?」

 

 ルカはトムテににじり寄り、そっと顎に手を添えた。赤い瞳がユラリと輝く。

 

「な、何言ってるんだっぺルカ嬢ちゃん...」

 

「...私とキスしたいんでしょ?...いいよ、来て」

 

「違ーう!!いかんいかん俺には嫁とかわいい息子がいるだ!!そ、そんなふしだらな事、その、だめだっぺ!!」

 

 冷汗をかきながら必死で抗うトムテを見て、ルカは思わず笑いが吹き出した。

 

「ぷっ...アッハッハッハ!冗談よおじさん。この魔法に抵抗するって事は、相当にSPI(精神力)が高いんだね。まあ本当にキスしてこようとしたら、張ったおしてたけど」

 

「悪い冗談はよすだ!寿命が縮まったべ...」

 

「まあとりあえず、手前の牛から採血してみよう」

 

「だーから逃げちまうっつってんのが分からねえべか!これだから最近の娘っ子は...」

 

 ルカはそれに構わず牛に接近すると、何の苦もなく牛の胴体に手を触れた。

 

「おーよしよし、いい子だねー。ティリスも触ってごらんよ」

 

 そう言われてティリスもルカの隣に立ち、鼻先をそっと撫でた。

 

「あらほんと。大人しい子ですねルカ様」

 

 それを見てトムテは驚愕の表情を向けた。

 

「大人しい訳あるか!ティリス様そいつはな、よし子っつーとんでもねえ気の荒いべこだ。俺以外にゃ絶対に懐かねえし、危なくて他の飼育員も手が出せねぇ。それをおめぇらそんなホイホイ触って...」

 

「そうですか?とても優しい目をしていますよ」

 

「トムおじさん、さっき私が唱えた魔法はね、モンスターや動物のヘイト...つまり憎しみや恐怖をゼロにする魔法なの。だから近寄っても触っても平気。安心して」

 

「だがルカ嬢ちゃん、その手に持った針でブスッとやんだべ?蹴り飛ばされてもおらぁ責任持たねえど」

 

「大丈夫だよ、痛みは感じさせないから。痛覚遮断(ペイン・インターセプト)

 

 牛の体が銀色の球体に包まれ、ルカは前足の付け根に手を添える。

 

「痛くないよー、ちょこっと血を取るからじっとしててね」

 

 針をスッと刺したが、牛は何をされてるのかも分からないといった様子で、微動だにしない。注射器に血液が満たされ、ルカはティリスが用意してきた試験管に移し替えると、コルクで蓋をした。トムテの開いた口が塞がらない。

 

「...あんりゃー、ピクリとも動かねえで大人しくしてるべ」

 

「おじさん、牛に管理タグとか付けてないの?」

 

「そのよし子の鼻輪を見てみろ。番号が打ち込んであっぺ?他の奴らにも分かるよう、普段はそれで管理してるだ。おらが勝手に名前つけてるのはただの趣味さね」

 

 牛の鼻を見ると、真鍮製の鼻輪がぶら下がっている。その縁をよく見ると(1129)と確かに番号が打ち込まれていた。

 

「なるほど、これがナンバープレートの代わりなのね。ティリス、このペンで試験管に番号を振っていって」

 

「了解しました」

 

 その後もトムテ同伴の元牛の採血は続き、日も暮れる夕方には八百頭近くの血液を集める事ができた。

 

「今日はここら辺で切り上げて、一旦研究所に戻ろうか。検査もしないといけないし」

 

「かしこまりました。お疲れ様ですルカ様」

 

「トムおじさん、今日はありがとう。また明日採血に来るから、よろしくね」

 

「おめぇさん、顔に似合わずなかなか根性あんだなや〜。おう、いつでも歓迎だべよ!」

 

「お疲れ様。帰ろうか、転移門(ゲート)

 

 

───イフィオン都市長邸宅3F 研究所 16:42 PM───

 

 戻るとそこにイフィオンの姿はなかった。ルカとティリスは軽食を摂った後、二人で分担して作業に入る。ルカは血液検査、ティリスはストック分を確保する為のストレプトマイシン生産だ。しかしその日は八百頭の中に牛型結核菌は発見出来なかった。そうして二日目、三日目と過ぎたが成果は無く、四日目の採血を終えて検査に入る。血液の数は既に三千二百頭分を超えていた。

 

「...うーん、やっぱり居ないのかなあ。ストレプトマイシンが生産出来ただけでも運が良かったと見るべきなのか...明日には大量生産用のタンクが届くし、とりあえずそれまでは頑張って探してみよう」

 

 ルカは次の試験管を手に取った。表面には(No.0003)と記してある。リストに記入してコルクの蓋を開け、スポイトで吸い取るとプレパラートに塗付け、顕微鏡にセットする。そして接眼レンズを覗き込んだ時、ルカの全身は硬直した。

 

「───────いた!!」

 

「...ルカ様?!どうされたのですか?」

 

 隣で作業していたティリスが慌てて駆け寄ってくる。ルカは信じられないと言った表情でティリスを見た。

 

「見つけたよ、牛型結核菌!これでBCGワクチンが作れる!」

 

「やりましたね、おめでとうございます!それで、そのワクチンと言うのはどのように作成するのですか?」

 

「基本的には放射菌の時と同じだよ。分離・培養・単離して、菌か弱るまで少し時間を置けばいい。それを人体に投与すれば、結核を発症せずに抗体のみが体内にできるんだ。そうなれば感染率を劇的に減らす事が可能になる」

 

「...夢のような薬ですね。早速そちらも作業に入らねば」

 

「いや、BCGは培養後の扱いがデリケートなんだ。こっちは私がやるから、ティリスとイフィオンは引き続きストレプトマイシン作成の方をお願い。明日から大量生産に入るから、その段取りも私が指示する」

 

「なるほど、かしこまりました」

 

「それとティリス、トムおじさんと伝言(メッセージ)で連絡は取れる?」

 

「ええ、可能ですが」

 

「No.0003の牛を確保・隔離しておくように伝えておいてもらえないかな。牛型結核菌の宿主(ホスト)だから」

 

「了解です、すぐに伝えます」

 

 そして五日目の朝、鍛冶職人達十数名が巨大な銅製タンクを研究所内に運び込んできた。イフィオンの指示で設置作業を進める間、今度はイフィオンの弟子達が培養に使う大量の資材袋と、蜂蜜の入った壺を室内に運び込む。予め伝言(メッセージ)でライルに頼んでおいた、ペプトン用に使うキマイラの胃液も到着し、全ての準備は整った。

 

 ルカは銅製タンクが設計図通りかを確認すると、前日に作成した作業リストを元にイフィオンへ細かく段取りを伝えていく。分離槽・培養槽・蒸留槽・貯蔵槽と、四つのタンクそれぞれに使用する材料の配分を確認し、ユーライア・フォレストの土から一気に放射菌を取り出してストレプトマイシンを生成する作戦だ。

 

 イフィオンが指示を出し、ティリスを含む弟子達三十人はきびきびと正確に作業をこなしていく。その間並行して、ルカはBCGワクチンの作成に勤しんだ。それは朝から夜遅くまで続き、二週間が過ぎる頃には貯蔵タンクに薬液が満たされ、合計10トン近い量のストレプトマイシンを確保するに至った。

 

 それらをティリスが発注した大量の注射器に封入して弟子達15人に持たせると、ルカ・イフィオン・ティリスはストレプトマイシン製造チームを残し、結核菌撲滅のため決意を新たに転移門(ゲート)を潜った。

 

 

───城塞都市テーベ 神殿内 14:18 PM───

 

「こんにちはハーロン」

 

「ルカお姉ちゃん...こんにちは」

 

「どうしたの?元気ないじゃない」

 

「...ううん、何でもない」

 

「ハーロン、いい知らせがあるの。今日はお薬を持ってきたんだよ」

 

「薬って...特効薬、完成したの?!」

 

「そう。本当に間に合って良かったわ。これを打てば、君の病気もあっという間に良くなるはずよ」

 

「カベリアは?カベリアに先に打ってあげてよお姉ちゃん!」

 

「心配しないで、カベリアにはもう薬を投与してあるわ。体内の結核菌も減少し、改善に向かっている」

 

「そうか...良かった...」

 

「腕に注射打つからね。楽にしてて」

 

 左上腕の袖を肩まで捲くると、ルカは筋肉注射を行った。痛覚遮断(ペイン・インターセプト)で痛みを感じないハーロンは、ルカを呆然と見上げる。

 

「お姉ちゃん...本当に...本当にやったんだね」

 

「そうよ。でもすぐに良くなる訳じゃないから、治るまでは今までと同じく絶対安静よ」

 

「他の人達も助かる?」

 

「周りを見てごらん。今イフィオンと弟子達・ラミウスがこの注射を打って回ってる。みんな助かるわハーロン、安心して」

 

「...お姉ちゃん、グスッ、ありがとう...ほんとにありがとう!僕、僕...もう...」

 

 ハーロンは上体を起こし、ルカの胸に抱きついた。ルカもその小さな体を優しく包み込む。止め処なく流れる涙が、イビルエッジレザーアーマーを濡らしていく。

 

「...怖かったねハーロン。でももう大丈夫、お姉ちゃんがついてるわ。ハーロンの体が治るまで、ずっと診ててあげるからね」

 

「...うん」

 

「さあ、少し寝なさい。三日後くらいにまた来るから、その時に少し血を取らせてね」

 

「分かった」

 

「おやすみ、ハーロン」

 

 左頬にキスすると、少年を寝かせてルカはベッドを離れた。そして右列の重症者が寝る列に移動すると、そこに横たわる女性の守護鬼(スプリガン)に顔を見せる。

 

「こんにちはぺぺ」

 

「...ルカ先生!待ってたよ。随分と時間がかかったじゃないか」

 

「待たせてごめんね。でもそのおかげで、ようやく薬が完成したんだ。今日はこれを打ちにきたよ」

 

「特効薬...あたいは信じてたよ。いつの日かあんたがこのカルサナスを救うんだって」

 

「大袈裟よぺぺ。腕に打つからね、肩の力抜いて」

 

 逞しい二の腕に深々と針を刺し、筋肉注射が完了した。渡された脱脂綿で腕を押さえながら穏やかな笑みを見せる。

 

「...ありがとう。これでこの国は生き返る。苦しみの果てに死んでいった住民達も、これできっと浮かばれるよ」

 

「私一人だけの力じゃない。みんなが協力してくれたからこそ今があるんだ。また後日来るから、それまでゆっくり寝ててね」

 

「ああ、待ってるよ」

 

 残りの患者と、看病しているその家族達にもストレプトマイシンを打って回り、薬の説明を受けた者は皆、涙ながらに感謝の意を述べていた。

 

 重症者列を全て診終わり、イフィオンとティリス、ラミウス、付き添いで来たパルールが歩み寄ってきた。

 

「ルカ、こちらは全て完了した」

 

「事前の打ち合わせ通り、最も感染の確率が高い患者の親族達にも全員投与した?」

 

「もちろんです、抜かりはありませんルカ様」

 

「パルールおじいちゃんとラミウスも、注射打ってもらった?」

 

「イフィオンに先程打ってもらった。これで不治の病が根絶できると思うと、何だか無性に元気が出てきたわい!」

 

「私も既に打ってもらった、問題ない」

 

「よし。まずは各街の神殿にいる重症者達から優先して薬を投与する。その後薬のストックが出来次第、隔離されている軽症者達にも順次投与。最後に結核を発症していない・または無自覚な全ての国民に対してストレプトマイシンを提供する。以上の段取りで行こう。テーベ三街区及び各街の軽症者回診は、引き続きラミウスと神官(クレリック)達が担当。いいわね?」

 

「了解した」

 

「薬のストックは...まだ十分ね。次は一番患者数の多いゴルドーへと向かう。気を引き締めて行くわよ、転移門(ゲート)

 

 神殿にパルールを残し、ルカ達四人と弟子達十五人は暗黒の穴を潜った。

 

 

───ゴルドー都市長邸宅内 2F 18:27 PM───

 

 夕食を摂り終わり、ベッドに横たわって天井を見上げていると、階段から上ってくる足音が聞こえた。メフィアーゾは首だけを左に向けて様子を伺っていると、黒い影が踊り場に立ち、笑顔を向けてきた。それを見てメフィアーゾはドッと息を吐く。

 

「...何だルカか、脅かすな。誰かと思ったぜ」

 

「こんばんはメフィー。体の調子はどう?」

 

「良くもなく、悪くもなく...まあぼちぼちと言ったとこだな」

 

「そっか」

 

「今日に限って、何で転移門(ゲート)で直接来なかった?」

 

「今イフィオンと弟子達のみんなで、ここの神殿に来てるのよ。治療の為にね」

 

「イフィオンも来てるのか?...あいつめ、来てるならここに顔出しやがれってんだ」

 

「ゴルドーの神殿は患者数が多い。イフィオンにも手伝ってもらってるから、忙しいんだよ」

 

「おめえは行かなくていいのか?ミキとライルならさっき来て、魔法かけてってくれたぜ?」

 

 ルカは中空に手を伸ばし、アイテムストレージの中から一本の注射器を取り出した。メフィアーゾはそれを見て首を傾げる。

 

「何だそりゃ?」

 

「...できたのよメフィー。結核の特効薬、ストレプトマイシン。イフィオン達は今、この薬を神殿の患者達に投与して回ってるの」

 

「...ルカおめぇ、遂にやりやがったのか!てこたぁ、俺の街の住民達は...」

 

「ええ、これで全員助かるわ」

 

「何てこった...良かった...本当に良かった...」

 

 目から零れ落ちる熱い涙。それは都市長としての市民に対する重責から開放された瞬間でもあった。ルカはベッド脇に寄り添うと、メフィアーゾの左袖を捲くりあげながら優しく微笑む。

 

「メフィーにも打つからね。本当はイフィオンに頼んだんだけど、”薬の精製者であるお前が行ってやれ”って、断られちゃった。腕の力抜いて、楽にして...」

 

 メフィアーゾの逞しい上腕にそっと針を刺し、ゆっくりと薬を注入していく。脱脂綿を取り出して針を抜き、穿刺孔を軽く押さえた。

 

「三分くらいこの脱脂綿で押さえてて」

 

「ああ。...こんなもんで治っちまうのか」

 

「症状によって期間はまちまちだけど、重症者は数カ月もすれば治ると思う。週二〜三回のペースで薬を投与しないといけないけどね」

 

「おめえには何と言ったらいいか...恩がデカ過ぎて、こんなんじゃ礼のしようがないぜ、ったく。だが助かっ──────」

 

 メフィアーゾの言葉を遮り、ルカはベッドに覆い被さると首元に抱きついた。肩に涙が滴り落ち、メフィアーゾはそれを察してルカの背中をそっと支える。

 

「...私ね、メフィーが前にああ言ってくれなければ、ほんとに諦めてたかも知れない。結核菌、ストレプトマイシン...どちらもこの世界にあるはずのない物。それをこの手で生み出せるかどうか、正直怖かった。私を受け入れてくれた街の人々が、私の失敗によって死んでしまうのを、見たくなかったの。でも自分に負けずここまで来れたのは、メフィーの諦めるなっていう一言が、心の支えになっていたからなのよ。...ありがとう、メフィー」

 

「...バッカヤロウ、礼を言うのはこっちの方だ!...お前はこのカルサナスを救ったんだ、もっと胸を張れ。それによ...おめえみてえな美人でバカ強え魔法詠唱者(マジックキャスター)が泣いて困ってるのを見て、放っておける男なんかいねえよ。もしいたら、俺がそいつをぶっ飛ばす。男として当然の事をしたまでだ。だからそんなに気にすんなって。おめぇは見事やり切ったんだ、嫌な思いなんか全部忘れちまえ。な?」

 

「...メフィー...」

 

 ルカは顔を上げると、メフィアーゾの右頬にキスした。以前とは違い、熱く、長いキスだった。それを受けて、メフィアーゾはニヤリと笑う。

 

「...ヘッ、美女の熱い抱擁に接吻か。悪くねえ、まさに男冥利に尽きるぜ」

 

「もう、何考えてるの?...メフィーには特別だよ」

 

 体を離して立ち上がると、マントの裾で涙を拭い笑顔を向けた。

 

「ごめんね、メフィーには弱音ばかり吐いちゃってるね。不思議、何か言ってもいいかなって気にさせられる」

 

「いいって事よ。女の泣き言を聞くのも男の仕事の内だ、気にすんな」

 

「うん。そろそろ神殿に戻るよ、また来るからゆっくり休んでてね」

 

「おう、よろしく頼むぜ」

 

 ルカが転移門(ゲート)で出ていくと、メフィアーゾは涙で濡れたYシャツの右肩を掴んだ。ひんやりと体を冷やすその感触を得て、目を閉じる。瞼の裏に、ルカの優しく微笑む顔が浮かんできた。

 

「世話の焼ける奴だぜ全く...イフィオンとどっちがいい女かな。同じくらい、か。ヘヘ、理想の女が二人もいるなんて、俺ぁ幸せもんだぜ」

 

 そのままメフィアーゾは深い眠りについた。

 

 ゴルドーの患者と家族達へのストレプトマイシン投与も終わり、翌日にはべバード・カルバラームの治療も完了した。その間ルカは並行してカベリアの血液検査も行い、結核菌がほぼ死滅している事と、カベリアの体調回復が想定していたよりもずっと早かった事を受けて、ストレプトマイシンの増産を決定。

 

 薬生産チームの技術も向上し、生産量が貯蔵量を上回り始めた事で、研究所内の貯蔵タンクを二基に増やし、合計30トン分のストレプトマイシンを確保するに至った。神殿の重症者達に使う定期投与分と、隔離された軽症者の分を含めても備蓄が出た為、イフィオン・ルカ・パルール・テレスは予定を繰り上げ、全国民36万5000人分のストレプトマイシン一斉投与を順次開始した。

 

 注射による投与は各神殿の神官(クレリック)達が対応し、神殿の前には毎日長蛇の列が絶えなかった。ルカはBCGワクチンの製法をイフィオンとティリス、弟子達にも伝授し、ストックが増えてきた事により各地の医療機関にこれを配備。新生乳幼児や血液検査で陰性が出た国民にワクチンを使用する事で、感染者増大に歯止めをかけた。

 

 その間ルカ・ミキ・ラミウスの魔法による回診も絶えず行われ、生きて出られないと噂された神殿から退院者が増えてきた事により、国民達の間でも不治の病というイメージは薄れ、事態はゆっくりと収束に向かいつつあった。ルカに治療を受けた国民全てがその名を覚え、いつしかルカ・ブレイズの名はカルサナス全土で、ストレプトマイシンを作った偉大な魔法詠唱者(マジックキャスター)として称えられ、皆の心に深く刻まれた。

 

 そうして三ヶ月の月日が過ぎた。

 

 

───べバード都市長邸宅内 寝室 10:22 AM───

 

(...て...ちゃん...起きてお姉ちゃん...おーきーてー!)

 

 夢うつつの中、ルカはハッと目を覚ました。顔を上げると、カベリアがはち切れんばかりの笑顔でルカの体に跨っていた。それを見てルカは目を擦り、左腕のリストバンドを見て少女の両脇を支える。

 

「...おはようカベリア。もうこんな時間か」

 

「とっくに朝だよ!朝ご飯食べよう?」

 

「OK、今起きる」

 

 ルカは体を起こしてベッドを下りると背伸びをし、ハンガーに引っ掛けてあった私服の黒いロングパンツを履くと、寝室を出てカベリアとダイニングに向かった。部屋中央に置かれた十人がけのテーブルにはテレス・ミキ・ライルが座り、キッチンではべハティーが朝食の用意をしていた。ルカは眠たそうな目で声をかける。

 

「ふぁ〜、おはようミキ、ライル、テレス。早いね」

 

「おはようございますルカ様」

 

「寝かせておけと言ったのですが、カベリアが起こしに行ってしまいまして...」

 

「昨夜も遅かったようだな。一日くらい休んだらどうだ?」

 

「そういう訳にも行かないよテレス。患者数が減ったとはいえ、まだまだ予断を許さない重症者は残ってるんだから。それに薬の生産状況も見ないといけないし」

 

「そうか、苦労をかけるな。今日も仕事か?」

 

「夕方からカルバラームの回診、それが終わったら研究所に行くよ。それまではゆっくりしてるさ」

 

「キスタの面倒まで見てもらい、本当に申し訳ない。とりあえず朝食でも食べて元気をつけてくれ」

 

 するとべハティーがテーブルに皿を運んできた。

 

「おはようございますルカ様、どうぞお召し上がりください」

 

 鶏胸肉のハーブ塩焼きにベーコンエッグサラダ、コンソメスープにパンという組み合わせだ。ルカは両手を合わせてナイフとフォークを握った。

 

「いただきまーす」

 

 皆が食事に手を付け、ルカは鶏肉を切り分けて一口頬張る。

 

「んんーおいしー!柔らかい!ガーリックも効いててパンチがある。前から思ってたんだけど、べハティー料理上手だね」

 

「お褒めに預かり光栄ですルカ様。これしか能がないもので...」

 

「いやいやほんとに美味いよ。これは何かお礼しなきゃな...そうだ、昼食は私が作るよ」

 

「ええ?!でもそんな、ただでさえお疲れなのに」

 

「何、大したことないって。カベリアもお姉ちゃんの料理食べてみたいでしょ?」

 

「食べたーい!」

 

「よーし、後で材料買いに行こう。そういう訳だからべハティー、後でキッチン貸してね」

 

「は、はい。よろしくお願いします」

 

 そして六人は食べ終わり、食器をキッチンに下げた。

 

「ごちそうさまー。ミキ、ライル、今日の予定は?」

 

「ゴルドーから回診予定です。後ほどラミウスと現地で合流します」

 

「お昼はどうする?一旦こっち戻って食べる?」

 

「いえ、残念ですが現地で済ませたいと思います」

 

「了解、注射器と薬忘れないでね」

 

「かしこまりました」

 

「カベリア、部屋に行こうか。今日のお注射打たないとね」

 

「はーい」

 

 寝室に戻り、パジャマの袖を捲くりあげてストレプトマイシンを投与する。以前に比べて見違えるほど元気になったが、三ヶ月経った今も内臓の炎症が残っているせいで、痛覚遮断(ペイン・インターセプト)の魔法は欠かせない。解毒・修復と定期治療を済ませ、パジャマの袖を下ろす。

 

「カベリア、今日もお外に散歩いこうか?」

 

「行くー!」

 

「じゃあ着替えて、マスクつけて」

 

 可愛らしいフリルのついた白のワンピースを着せると、カベリアは自分で顔に白い布を巻きつけた。そして手を繋ぎ寝室を出ると、ダイニングにいたべハティーに声をかける。

 

「カベリア連れて散歩に行ってくるねー」

 

「はーい!お気をつけて」

 

 エントランスから扉を開けて外に出ると、燦々と眩しい日光が照らしていた。気温は暖かく、風もない散歩日和の日だ。カベリアの体から結核菌が死滅し、髄膜の炎症も収まり劇的な回復力を見せた段階で、部屋に閉じこもりきりのカベリアを気遣い、ルカはたまにカベリアを外へ連れ出していた。ルカの左手をしっかりと握りながら空を見上げる。

 

「いい天気だねー」

 

「そうだね。今日はどこへ行きたい?」

 

「お花屋さん!あとおもちゃ屋さん!」

 

「なら商店街だね、行ってみよう」

 

 都市長宅を右に曲がり、大路を通って西にある商店街へと向かう。途中ルカとカベリアの姿を見た近所の通行人が挨拶をしてきた。

 

「おお、ルカ様!ご機嫌麗しゅう」

 

「こんにちはルカさん!」

 

「ルカ先生、お世話になっております」

 

「カベリアお嬢様もご一緒なのですね、どちらへ?」

 

「おはようみんな。ちょっと散歩にね」

 

「そうですか、お気をつけて行ってらしてください」

 

 もはや近所どころか、都市長邸宅にルカ達が間借りしている事はべバード中に知れ渡っていた。夜中に邸宅へ急患が訪れるなんてこともザラにあり、そういう経緯でべバード住民達にもルカの顔は完全に割れていたが、当の本人は気にする素振りも見せなかった。

 

 イリス商店街に入ると店舗は全て開いており、人通りもまばらながらかつての活気を取り戻しつつあった。三ヶ月前までは食料品店が開いている以外ほぼゴーストタウンと化していたが、その時に比べれば雲泥の差である。大通りをしばらく歩き、左側の一軒家に店を構える花屋を見つけると、二人は店内に入った。

 

 中は芳しい様々な香りで満ちており、色とりどりの花が花瓶に入れて並べられていた。カベリアがそれを見てうっとりとした表情になる。

 

「ふわ〜きれい、いい匂い...お姉ちゃんこのお花知ってる?スタージャスミンって言うんだよ、とってもいい香りなの」

 

 プロペラのような形をした白い花を一本手に取ると、カベリアはルカの鼻に近づけた。その甘くもシャープな香りを嗅ぎ、ルカの目がトロンと潤む。

 

「あ〜、これはたまんないね。天然の香りって感じ」

 

「それでこっちがねー、オトメユリって言うの。嗅いでみて?」

 

 変わった花弁をしたピンク色の花を手に取り、ルカは鼻に近づけて息を吸い込む。

 

「ん〜、グリーンシトラス系の爽やかな香り。これもいいね。カベリアお花に詳しいんだ?」

 

「うん!病気になる前はお母さんによく連れてきてもらったの。この店好きなんだ」

 

「そっか。品揃えも良いみたいだし、確かに優秀だ」

 

 二人の話す声を聞いて、店の奥から黒いエプロンをした細身の女性が出てきた。頭に同じく黒い頭巾を巻いており、都市は三十代前半といった面持ちだ。

 

「いらっしゃいませお客様。...って、カベリアお嬢様?!それにあなたはルカ先生じゃありませんか。夫がお世話になっております、どうぞごゆっくり見ていってください」

 

「やあ、お邪魔してるよ」

 

「こんにちはニーナお姉ちゃん!」

 

「お嬢様、こんなところへ来てお体の具合はよろしいのですか?相当に悪いと聞いておりましたが...」

 

「もう大丈夫!ルカお姉ちゃんに治してもらったから」

 

「実際は結核のダメージがまだ体の中に残ってるけど、歩けるくらいには回復したからね。少しは体を動かさないと。それに私が付きっきりで見てるから、心配しないで大丈夫よ」

 

「そうでしたか、ルカ先生がそう仰るのなら...」

 

 カベリアが次から次へと花の香りを嗅いでいくのを見て、ルカは後ろから肩に手を乗せた。

 

「カベリア、どれがいい?何でも好きなだけ買っていいよ」

 

「ほんと?!お部屋に飾りたかったの」

 

「いいじゃない。その代わり、ちゃんとお花の世話は自分でするのよ?」

 

「うん!」

 

 カベリアは思い思いに花を選び始めた。それを待つ間、ニーナがルカに心配そうな顔を向けてきた。

 

「ルカ先生、それであの...夫の容態はどうなっているか分かりますでしょうか?」

 

「旦那さんの名前は?」

 

「エスメル=ゴダードと言います」

 

「ちょっと待ってね」

 

 ルカは中空からアイテムストレージに手を伸ばし、中に手を入れた。

 

「べバードの患者リストは...これか。えーと?エスメル、エスメルと...あった、この人だね。二ヶ月前に入院、肺外結核・リンパ節三箇所損傷、菌が腹膜に転移か。特効薬と魔法による治療を定期的に続けてるから、ここまで来ればあと一ヶ月程度で退院出来ると思う。もう峠は越したし、命に別状はないから安心して」

 

「良かった...ありがとうございます。夫がいない間は店を一人で切り盛りしていかなければならないので、神殿にもろくに足を運べず困っていたのです」

 

「大変だね。何かあれば力になるから、遠慮なく言って」

 

「いえそんな!ルカ先生はこの国の恩人です。それだけでも...感謝しています」

 

 ニーナが頭を下げると、足元にカベリアが立っていた。満面の笑みで、両手に持ち切れない程の花を抱えている。

 

「ニーナお姉ちゃん、これちょうだい?」

 

「カベリアお嬢様?!いくらなんでも買い過ぎでは?」

 

「えへへ〜、選んでたらこんなになっちゃった」

 

「ルカ先生、よろしいのですか?」

 

「ん?もちろん構わないよ。カベリアの部屋は広いし、このくらいの量がなくちゃね」

 

「か、かしこまりました、すぐにお包みします!」

 

 屈んで花を受け取り、ニーナは店の奥へと走っていった。包装紙を広げ、花の種類をきれいに並べ替えて丁寧に包んでいく。茎の根本を紐で縛り、完成した見事な花束を持って戻り、カベリアに手渡した。そして言いにくそうにルカの目を見た。

 

「し、締めて18銅貨...になります」

 

「OK」

 

 ルカはベルトパックの中から財布の袋を取り出して弄ったが、中から出てきたのは一枚の金色に輝くコインだった。

 

「ごめんニーナ、今細かいの持ってないから、これでいいかな?」

 

「い、一金貨?!...はい、結構でございます」

 

「お釣りは要らないから」

 

「はい...ってええ?!そんな訳には参りません、このような大金...すぐにお持ちします」

 

「大丈夫だって、そんな事言わないで。またカベリアとここへ遊びに来るから、私からの気持ちだと思って。ね?」

 

「あ...ありがとうございます!助かります...」

 

「行こうか、カベリア」

 

「うん。ニーナお姉ちゃん、ありがとう!」

 

「こ、こちらこそありがとうございます!またお越し下さいませ!」

 

 ニーナが深くお辞儀するのを見届け、二人は店を出た。カベリアは胸に花束を抱え、ニコニコしながらその香りを嗅いでいる。30メートル程歩いて右を見ると、アンティークなカーキ色の建物があった。壁の上には不釣り合いで派手な看板が立て掛けてあり、青地に赤の文字で(玩具屋)と書かれている。

 

 入口周りは全面ガラス張りのショーウィンドウとなっており、中を覗くと左側は男子用の木剣や盾、兜が飾ってあり、右側には女子用の人形やミニチュア家具・手鏡等が展示してある。カベリアはルカの手を引っ張り、玩具屋の入口に立った。

 

「ここだよお姉ちゃん!面白いおもちゃがいっぱいあるの」

 

「なるほど、入ってみよう」

 

 入り口の扉を開けると、(カランカラン)という呼び鈴が鳴り、室内は広いが所狭しと棚の中に玩具が置いてある。まずは左側から見て回り、剣士やモンスターを象った樹脂製の人形、武器防具のレプリカや木彫りのお面、城塞のミニチュア模型や装飾具等、男の子が喜びそうなおもちゃがズラリと展示してあった。

 

 ルカはその内の一つである木剣を手に取ったが、ニスの塗られた表面には美しい彫刻が彫られ、打ち込まれた板金と柄にはめ込まれた赤いクリスタルにも手の込んだ加工が施してあり、どう冷遇的に見てもそれは玩具のレベルを遥かに超えていた。ある種の芸術作品とも呼べるその木剣をまじまじと眺めていると、カベリアがルカの裾を掴んでくる。

 

「ね?面白いでしょ?ここのおもちゃ全部、店主のおじさんが作った手作りなのよ」

 

「ふーん...確かにこの腕は凄いね」

 

 すると奥に続く棚の影から、青いローブに赤いベストを羽織り、黒い顎髭を長く伸ばした怪しい風体の男が姿を表した。年齢は40代後半に差し掛かった所だろうか。

 

「いらっしゃい!好きなだけゆっくり見てってくんな...って、何だい誰かと思えばカベリアちゃんかい!よく来たな、こんなご時世に外出歩いて大丈夫なのか?」

 

「ツィナーおじさんこんにちは!このルカお姉ちゃんが一緒だから大丈夫!」

 

「そうかいそうかい。...まさか救国の英雄がこの店を訪れてくれるたぁ、光栄の極みだルカ先生。神殿で娘が世話になった、感謝している」

 

「いいのよ、治って良かったね。それにしてもこのおもちゃ全部あなたの手作り?芸が細かいねー」

 

「ヘヘ、そう言っていただけると。どれも腕によりをかけて作った一品でさぁ。これを持って遊ぶ子供達の笑顔が見れれば、俺はそれで満足なんです」

 

「この木剣、ルーン文字が刻んであるよね。えーと...”地の底より我は主に訴える この剣を装備せし幼子らに永遠の守護を 我が命を贄とし 愚者に鉄槌の裁きを下せ 幼子の命危ぶまれし時 汝が力を持ち愚者を爆死せしめよ”。それにこの柄に埋め込まれたクリスタル、質は悪いけど本物のルビーだよね。宝石に念を込め、それを媒体としてルーン文字に実効的な力を与える。つまりこの木剣には魔力回路が形成されている。そして魔力の根源となるこのルビーに込められたエネルギーは、恐らくあなたの命。そこから推察すれば、人一人の命を贄とする魔法...第八位階・破裂(エクスプロード)がこの木剣には秘められている。あなたは付与魔術師(エンチャンター)だ、ツィナー。それも一流のね」

 

「...あ、あんた、そんな...ルーン文字が読めるってえのか?!」

 

「昔アゼルリシア山脈を旅した時に、中腹付近でとある大きな洞窟を発見したの。その奥に広がっていたのはドワーフ達の住む都、フェオ・ジュラだった。私達を快く受け入れてくれたドワーフ達と私は仲良くなり、そこで彼らの秘儀であるルーン技術を学んだんだ。私は付与魔術師(エンチャンター)ではないから物は作れないけど、文字を読む事くらいはできる。...懐かしいな、また行ってみたいよ」

 

 ツィナーの体は震え、呆気に取られた様子でルカを見返していたが、やがて次第に表情が緩み、落ち着いた様子で口を開いた。

 

「...あんた、化物だな。流石は一流の魔法詠唱者(マジックキャスター)、何でもお見通しかい。ヘヘ、こりゃあ下手に隠し事出来ねえな。ルカ先生、俺ぁ元々スレイン法国からこのべバードの神殿に派遣された、上位神官(ハイ・クレリック)だったんだ。結婚して娘も生まれ、幸せな暮らしだった。しかし俺はある日、魔が差して黒粉に手を出しちまった。先生なら知ってんだろ?」

 

「ライラを吸ったの?!どうしてあんな麻薬に...」

 

「言い訳するわけじゃねえ。だが聞いてくれ。神殿に連れてこられる子供達なんざ、大体訳ありだ。親なし子、病気の子、モンスターに襲われ致命傷を負った子、バハルス帝国から逃げ延びてきた奴隷の姉妹、様々だ。俺はそいつらを必死で面倒見た。だが俺の魔法や財力じゃやれる事なんかたかが知れてる。そして誰一人救えなかった。幼い命も、人生も。気が狂いそうになった俺はバハルス帝国に向かい、知り合いの伝手で酒場にいた売人からライラを買った。そこから俺は薬と酒・女に溺れる毎日を送っていたが、その行いが神殿にバレちまったんだ。そして神殿を追放された俺は、女房と娘を残し一人旅に出た」

 

「...それがフェオ・ジュラだったの?」

 

「ああ。魔力を秘めたルーン武器、それを作るドワーフの都が、アゼルリシア山中のどこかにあるという噂を友人の鍛冶屋から聞いた俺は、一人あの山に入った。物理的に子供達を救う方法が見つかるかもしれないと考えたからだ。今考えれば無謀だったな...山中に巣食う霜巨人(フロストジャイアント)土掘獣人(クアゴア)に襲われながら、俺は命からがらあんたも知るあの巨大な洞窟に辿り着いた。行き倒れた俺はドワーフ達によって保護され、柔らかいベッドに温かい飯まで振る舞ってくれた。そして目的を伝えると、彼らは喜んで俺に居場所を提供してくれた。そこからルーン工匠の元で修行が始まったんだ」

 

「なるほどね。それでその...ライラは辞めれたの?」

 

「それ以来すっぱり止めた。酒は飲んでたがな。奴らは仕事をする時も飯を一緒に食う時も、常に陽気で明るかった。あれがどれだけ俺の心を慰めてくれた事か...背負った罪悪感はいつしか消え失せ、前に進もうという気力だけが湧いてきた。そうして一年が経ち、ルーン技術と鍛冶スキルを体得した俺は、自分独自の手法を生み出せないかと模索し始めた」

 

「それが付与魔法(エンチャント)?」

 

「そうだ。俺の元々持つ信仰系の術式を、ルーン文字に移し替えたらどうなるかという実験を繰り返し、武器や防具・アイテムに術者よりも高位階の魔法を封じ込める事に成功した。ドワーフ達もこれには驚いていたがな。俺はこの技法を聖体降臨式(ルーンオブベネディクション)と名付け、ドワーフ達にも伝授すると皆に礼を言い、フェオ・ジュラを離れべバードに戻った。家族を放り出してから二年が経ち、もう居ないものと覚悟して俺は家に戻ったが、嫁と娘は待ってくれていた。今まであった全ての経緯を話すと、二人は俺に許しを与えてくれた。俺はこの技術を活かして店を開くため、テレス都市長の元にフェオ・ジュラで作ったルーン武器を持ち込み、子供達を守るためおもちゃという形にして、ルーン技術で作った玩具屋を開きたいと提案した。都市長は快く了承し、俺にこの店舗を提供してくれた。それ以来俺はずっとここで店を構えている」

 

「...ツィナー、頑張ったんだね。興味深い話だったよ」

 

「っと、こんな話してたらうちの常連さんが退屈しちまうな。ありがとよルカ先生、最後まで聞いてくれて」

 

「ツィナーおじさん、私退屈じゃないよ。ちゃんと聞いてたもん」

 

「カベリアちゃん...」

 

 俯くツィナーの肩を、ルカはポンと叩いた。

 

「さ!辛気臭い話はここまでにしよう。ツィナー、この木剣いくら?」

 

「へ、へぇ。3銀貨と言いたい所でやすが、事情を知ったルカ先生だ。おおまけに負けて1銀貨にしときやす」

 

「買った。カベリアの物を選ぶから、キープしておいて」

 

「かしこまりやした、先生」

 

 カベリアの手を引いて、左側の棚に移動した。そこには動物のぬいぐるみやおままごとセット、幼児用化粧品一式、魔道士が着るような子供用のローブ等が陳列されていた。

 

「うわー可愛い!新しいおもちゃ増えてる!」

 

「へへ、毎月新作を入れ替えてますからね。カベリアちゃんの好きそうなやつだと、これなんかどうだい?」

 

 ツィナーは鳥の形をした大振りのぬいぐるみを差し出してきた。

 

「んーフワフワ!これ好きー!」

 

 それを聞いてルカは腰を屈め、カベリアの目線に体を合わせた。

 

「その花束お姉ちゃんが持っててあげるから、好きなおもちゃいくつでも選んできていいよ」

 

「やったー!」

 

 カベリアがはしゃぐ姿を見て、ルカとツィナーは優しい眼差しを送っていた。選んでいる間、二人は顔を向け合う。

 

「このぬいぐるみとか衣装にも、ルーンを刻んでるの?」

 

「はい。ドワーフに伝わる特殊な製法で編み込んであります。女の子用の場合は、防御系の付与魔法(エンチャント)に特化してますがね」

 

「なるほど、器用だね。ここにあるおもちゃのようにアクティブ型の魔法じゃなくて、パッシブ型...つまり常時防御力上昇や回避(ドッヂ)率上昇といった効果は、付与魔法(エンチャント)で埋め込む事は可能なの?」

 

「可能ですぜ。但し、素材や宝石も高品質な物が必要になりますんで、単価も上昇しちまいます」

 

「作れるって事だけ分かれば十分。覚えておくよ」

 

 そこで二人は気づいた。先程から独り言のようにはしゃぎ回っていたカベリアの声がはたと止んでいたのだ。それどころか、木製棚の前にもいない。

 

「...あれ?」

 

 棚の裏側から子供の声がした。ルカは目の前にある棚の隙間から向こう側を覗き込む。

 

「おーいカベリアー?」

 

「...まさか...しまった!!!」

 

 ツィナーが血相を変えて棚の裏にある壁際の陳列棚に回り込んだ。ルカもその後を追いかけると、中段に置かれたぬいぐるみの山が左右に掻き分けてあり、その奥にある空洞を見つめてカベリアが呆然と立っていた。何を見ているのか気になったルカは、斜向かいから角度をつけて奥を見る。すると棚の最奥部には、40センチ四方のガラスケースが隠すように収められていた。

 

「...このお人形...ルカお姉ちゃんみたい...」

 

「私?中に人形が入ってるの?」

 

「カベリアちゃんだめだ!!!...チッ、飾っておくんじゃなかった...おじさんがもっといいお人形用意してやるから、こっちおいで。な?」

 

「...私このお人形がいい!」

 

「だめだ!!絶対にだめだ、いいかい、そのケースに手を触れちゃだめだ。近寄ってもだめだ!ルカ先生あんたもだ!!...二人ともこっちに来い。ルカ先生、いいからカベリアを抱っこして連れてきてくれ」

 

「そんな事言われても...あ、ほんとだ。暗くてよく見えないけど、中に人形が入ってるね。ツィナー、これ何?」

 

「それは!...そいつぁ、俺の失敗作だ。過去の恥だ。不憫と思い、せめて棚に飾ってやろうと情けをかけたのが俺の間違いだった。その人形は、術者以外が触れると攻撃してくる。近寄るだけでも魔法の影響がある!悪い事は言わねぇ、二人共こっちに来るんだ」

 

「何それ、トラップ属性の魔法でも込めたの?面白そうじゃない。カベリア、少し下がってて」

 

「分かった!」

 

 店の入口近くまで退避したのを見届けると、ルカはスゥッと息を吸い込んだ。

 

五大元素の不屈の精神(エレメンタル・フォーティチュード)殺害者の焦点(スレイヤーズフォーカス)

 

 ルカの体に虹色のバリアが覆い被さり、やがてすぐに無色透明になる。棚に一歩近寄るとルカは両手を伸ばし、最奥部にあるガラスケースをゆっくりと手前に引っ張り出した。そしてケースの上蓋を開けると、ルカの体に紫色の靄のようなエフェクトがまとわりついた。それを見てツィナーが凍り付く。

 

「ルカ先生もういい!!頼むからやめてくれ!!!」

 

「ふーん...効かないねぇ」

 

 ツィナーが止めるのも聞かず、ルカが躊躇なくその黒い人形に手を伸ばして両脇を掴んだ、次の瞬間────

 

(バチ!!)とルカの全身を電撃が覆い尽くし、手に持った人形から揺らめく炎のような黒い影が立ち上った。それは徐々に人型を成し、血のように赤く光る目でルカを見据えると、牙の生えた醜悪な口でニタリと笑った。

 

「クク、シネ、ニンゲン」

 

 その悪魔が首元に向かい腕を素早く振り降ろそうとしたその時、何故か寸前で動きを止めた。ルカは瞬間的に悪魔の首筋を捉え、凄まじい力を込めて握り潰していたのだ。その体を軽々と片手で持ち上げ、悪魔は宙吊りの状態となる。ルカは殺気の籠もった目でギロリと悪魔を睨みつけた。

 

「...奈落の悪魔(アビスデーモン)、レベルは90。ごめんね...私、素手でも結構強いんだ」

 

「グ...ガハッ!!ナ、ナゼカミナリガキカナイ...ナゼ...マヒシナイ...」

 

 カベリアは見た。ルカの体を覆うバリアが魔法を遮り、電撃が全て地面に霧散してしまっている。不思議と冷静だった。そしてカベリアは、カルバラームでルカと邪神が戦う光景を連想しながら、拳を握り声無き声援を送っていた。

 

 ルカは薄く笑うと、悪魔の目を覗き込む。

 

「何でだろうね?自分で考えなよ。選んで。生きるか、それともこの場で死ぬか。この人形から黙って出ていくのなら、お前をここで逃してやろう」

 

「ニ、ニンゲンガアアア!!魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)────」

 

影の感触(シャドウ・タッチ)

 

(ビシャア!)という鋭い音と共に、悪魔の魔法詠唱がキャンセルされ全身が麻痺(スタン)し、ピクリとも動かなくなった。ルカは小さく溜息をつくと、呪いの言葉を放つ。

 

「言葉をそっくり返そうか。死ね。魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)聖櫃の業火(アークフレイム)

 

「ヒア──────」

 

 断末魔を上げる暇もなく、悪魔の体は可燃性の高いニトロセルロースのように、一瞬にして燃え尽きてしまった。ルカは人形を両手で持つが、未だ体の周囲を覆う電撃が晴れない事を受け、右手で手刀を作り人形の胸に添えた。

 

解呪(ディスペル)上位封印破壊(グレーターブレイクシール)

 

(パキィン!)という音と同時に、崩れるようにして電撃が消え失せた。続けてもう一つ魔法を重ねる。

 

道具上位鑑定(オールアプレイザルマジックアイテム)

 

 ルカの脳内に人形の情報が流れ込んでくる。

 

 

─────────────────────

 

アイテム名 : 神人の依代(ドールオブダンテ)

 

使用可能種族制限 : 人間(ヒューマン)森妖精(エルフ)半森妖精(ハーフエルフ)闇妖精(ダークエルフ)山小人(ドワーフ)闇小人(ダークドワーフ)丘小人(ヒルドワーフ)・ヴァンパイア・悪魔(デビル)・ネフィリム・蛇髪人(メデューサ)

 

使用可能クラス制限 : 付与魔術師(エンチャンター)

 

概要 : 複合トラップ属性の人形で、Lv90までの天使・悪魔を含む全ての召喚獣を一体封じ込め、術者以外の人形に手を触れた者を攻撃させる事ができる。また常時発動型のINT(知性)SPI(精神力)デバフを持ち、至近距離(2unit)に近づいた者のステータスをそれぞれ50下げる。合わせて第七位階までの攻撃魔法を封じ込め、手に触れた者に対し発動させる事も可能。攻撃魔法に関しては、一度発動した後もう一度込め直す必要がある。召喚獣が死亡した場合、一定時間経つと新たな召喚獣が自動でセットされるが、どの召喚獣が人形内に宿るかはランダムで選択される。

 

修復可能職 : ルーンスミス

 

必要素材 : ルビー2 アルラウネの毛髪200 エポデの布30 レッドコットン50 マンドレイクの樹脂15

 

──────────────────────

 

 

「なるほどねー、さっきの電撃魔法は恐らく第七位階の、連鎖する龍雷(チェインドラゴンライトニング)か。よくもまあこんな物騒な物を作ったもんだ」

 

 目の前で起きた事が信じられず呆気に取られるツィナーだったが、それを他所にルカは店の端に退避していたカベリアに向かって手招きした。嬉しそうに駆け寄ってくるとルカの足にしがみつき、そのまま屈んでカベリアにも見えるよう人形を掲げる。

 

 それは美しい細工の施された、細身のビスクドールだった。髪はセミロングの漆黒、顔立ちは肌の白い西洋風で、瞳にはルビーがあしらわれ赤く輝いている。頭にはレース生地で縁取られた喪服のようなフードを被っており、衣服は黒地に銀色の刺繍が彩るタイトなドレスを着ている。足にも布製のブーツを履き、細く白い指先に光る爪は怪しく赤色に輝いていた。それを二人で眺め、カベリアは笑顔でルカの顔を覗き込んできた。

 

「ね?お姉ちゃんに似てるでしょ?」

 

「あー、何となく言いたい事が分かったかも。確かにちょっと似てるかな?」

 

「さっきはびっくりしたけど、このお人形可愛いよね〜」

 

「カベリア、まだこのお人形欲しい?」

 

「うん、欲しい!」

 

「はい、どうぞ」

 

「わーい!」

 

 人形を受け取るとカベリアはそれを胸に抱き、ダンスでもするようにクルクルと回った。そしてルカは腰を上げ、ツィナーに向き直る。

 

「どういう経緯かは知らないけど、だめだよこんな危ない物を店の中に飾っちゃ。間違って子供が触ったら、本当に死んじゃうよ?」

 

「いや...その、申し訳ねえ。その神人の依代(ドールオブダンテ)はな、付与魔法(エンチャント)でどこまで攻撃力を高められるかテストする為に作った物なんだ。何度も失敗を重ね、やっと出来た一体がそいつだ。実際にモンスター相手に試してみると、手に取ろうとしたあの霜巨人(フロストジャイアント)ですら一撃で殺しちまった。それを見て俺は恐ろしくなり、何度も処分しようと考えたが、どうしても捨てきれなくてな...それで結局べバードまで持って帰ってきた。...それをあんたは、逆にたった一撃であの悪魔を殺しちまった。もう俺には何が何だか...」

 

「まあいいじゃない。言ってみればこの人形は、ツィナーに取っての最高傑作だったんだね。確かにいい仕事してると思う。カベリアも喜んでるし、これ私が買い取るよ。いくら?」

 

「だめだって何度言ったら分かるんだ?!ルカ先生、あんたもさっき鑑定したから分かるだろう。あと三時間もすれば、新しい召喚獣が人形に呼び込まれる。そうなったらカベリアちゃんの命が危ねえ!絶対に売らねえぞ!!」

 

「それならこうすればいい。魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)召喚(サモン)暗い産卵(ダークスポーン)

 

 ルカの背後に突如、身長ニメートル弱の禍々しい影のようなモンスターが地面から現れた。人型を辛うじて保っているが手に指はなく、腕それ自体が鋭利な剣となっている。そのモンスターが放つ恐ろしい殺気を受けてツィナーは後退るが、ルカは笑顔で影に指示した。

 

「ダークスポーン。この人形の中へ入り、カベリアを生涯守り通せ」

 

 すると召喚獣は隣に立つカベリアの前に屈み、その顔をじっと見つめた。カベリアは首を傾げ、恐れる様子もなく見つめ返していたが、やがて胸に抱える人形・神人の依代(ドールオブダンテ)に右手をかざすと、音もなく全身が人形の中に吸い込まれていった。カベリアはポカンと人形を見つめていたが、それを確認してルカはツィナーに目を向ける。

 

「これで私の召喚獣・ダークスポーンが人形に宿った。つまりこの人形が自動的に精製する召喚獣はもう現れない。優先権は私に移った。ダークスポーンのレベルは位階上昇化により、ジャスト90に合わせた。でもさっきの奈落の悪魔(アビスデーモン)よりも、戦闘力は遥かに上よ。試しにカベリアに危害を加えようとしてごらん?一瞬でその首が跳ね飛ばされるよ」

 

「...あんた...悪魔か?一体何なんだよその力は...」

 

「どう思おうとあなたの自由よ。こんな危険な物は、子供が遊ぶこの店に相応しくない。これからこの人形は、カベリアを守っていくの。私が引き取るわ」

 

「...だめだ、それでも絶対に売れねえ。そいつの危険性は、作った俺自身が誰よりも分かってんだ!...例え恩人のあんたと言えども、これだけは譲れねえ」

 

「もう、本当に頑固ね。元はと言えば、あなたが飾っていたせいでカベリアの命が危険に晒されたのよ?こんな物はもう、あなたの手元に置いておくべきじゃない。分かるでしょ?」

 

「それは...確かにそうだが」

 

「さっきの木剣と合わせて買うから。ほら、いくらか言って?」

 

「.....どうしてもってんなら、ご、ご、五金貨だ!!元々売り物じゃねえんだ、買えるもんなら買ってみやがれ!買わねえんならとっとと帰れ!!」

 

 ツィナーは破格の金額を提示する事で、売却する意思がない事を示そうとした。さすがのカベリアもその金額の大きさを聞いて及び腰になる。

 

「お、お姉ちゃん...いくら何でも五金貨は高すぎるよ...私は大丈夫だから、お人形返そう?」

 

「いいよ、買った。五金貨ね」

 

「...は?」

 

 呆気に取られるツィナーを他所に、ルカはベルトパックから財布を取り出すと中を弄る。そして金を握るとツィナーに歩み寄り、直接手に握らせた。そこに乗っていたのは一枚のコイン。しかしツィナーはそれを見て仰天する。

 

「い、い、一白金貨?!ちょ、ルカ先生?!」

 

「木剣と合わせて、それで足りるでしょ?お釣りは取っといて」

 

「な、何をバカな...こんな大金、倍の金額じゃねえか!」

 

「私はあなたの腕を買ってるの。その木剣とこの人形には、それだけの価値がある。いいから受け取って、私こう見えてもお金持ちなのよ?それで奥さんと娘さんに、美味しいもんでも食べさせてあけなよ」

 

「ほ、本気で言ってんのか...」

 

「ふわ〜...」

 

 人形を大切そうに抱いたカベリアもルカを見上げ、驚きの表情を隠せなかったが、会計カウンターに置かれた木剣を手に取るとカベリアの手を引いた。

 

「それじゃあ確かに受け取ったよ。また来るからね」

 

「...ちょっと待て!!」

 

「何よ、まだ何か文句があるの?」

 

「そうじゃねえ。...その木剣と人形を貸しな、箱に包んでやる」

 

 物を受け取ると、ツィナーはカウンターの裏に回った。そこでカベリアと他の商品を見ていたが、ややするとツィナーが箱を二つ抱えて戻ってきた。

 

「ほらよカベリアちゃん、持てるか?」

 

「わー、ありがとうツィナーおじさん!」

 

 きれいに包装された真っ白な箱に、プレゼント用の青いリボンと赤いリボンが巻きつけてある。受け取ったカベリアの前で片膝をつくと、ツィナーは手に握ったアクセサリーを持ってカベリアの首に手を回した。

 

「これはサービスだ、持ってけ」

 

「...きれーい!ほんとにいいの?」

 

「ああ。とんでもねえ大金受け取っちまったからな。このくらいはさせてくれや」

 

 それは青く輝くサファイアのネックレスだった。銀であしらわれた菱形の枠には、小さく細かいルーン文字がびっしりと刻んである。それを見てルカは感嘆の声を上げた。

 

「凄い細工の腕だね。ツィナーこれは?」

 

「これでもべバードいちの細工師で名が通ってんだ。このネックレス、異次元の旅(ジャーニオブザディメンジョン)には、転移門(ゲート)の魔法を封じ込めてある。いいかいカベリアちゃん、これは一度きりしか使えないが、もし迷子になって道に迷ったり、危ない目にあったりした時はこれを使え。頭の中に帰る家や行きたい場所を想像し、転移門(ゲート)と念じるんだ。そうすれば道が開く」

 

「分かった!」

 

 笑顔で頷くカベリアを見て、ルカは何か頭に引っかかるものがあり、ツィナーに訪ねた。

 

「ねえ、今べバードいちの細工師って言った?」

 

「ああ。それがどうかしたか?」

 

「ひょっとして、ティリス=ピアースって女の子の事知ってる?」

 

「何だいルカ先生、ティリスちゃんを知ってんのか?あんた達が特効薬打つ時に使ってる注射器と針は、俺が作ってるんだぜ」

 

「やっぱりそうだったんだ!質が良かったから驚いてたんだよ。それじゃ、ゴルドーにいる細工師の事も知ってるの?」

 

「知ってるも何も、あっちは俺の弟がやってんだ。このカルサナスで、ツィナー=ゴヴーニュとマローン=ゴヴーニュの兄弟を知らねえ奴はいねえよ」

 

「なるほど、納得だよ。注射器はあればあるほどいいから、どんどん生産頼むね」

 

「おう、任しとけ!こっちも量産体制が整ったからな、いくらでも作ってやるぜ」

 

「よろしく頼むよ。それじゃまだ買い物あるから、今日はこれで行くね」

 

「何か色々騒がせちまって悪かった。カベリアちゃんも体に気をつけてな」

 

「うん、おじさんもね!」

 

 二人は店を出て右へ曲がり、大通りを更に奥へと歩いていく。途中にフルーツパーラーがあり、ベンチに荷物を下ろして休憩する事にした。

 

「この子にはキウイとバナナのミックス、蜂蜜多めで。私はりんごとメロンのミックスを」

 

「かしこまりました、ルカ様」

 

 カップを受け取り、ベンチで飲みながら二人はのんびりしていた。

 

「甘ーい、おいしい!」

 

「まだ体も治ってないから、ちゃんとビタミンC取らないとね」

 

「お姉ちゃん色々買ってくれてありがとう。お姉ちゃんは何か欲しいものないの?」

 

「私は特にないかなー。武器防具もアクセサリーも間に合ってるし」

 

「お洋服とかは?いつも真っ黒の服ばかりじゃん。お姉ちゃんがお洒落したら絶対モテるよ!」

 

「痛いところを突くね。別にモテなくてもいいんだけど、じゃあ今度お姉ちゃんの服選びに付き合ってくれる?」

 

「もちろん!」

 

「うん。ところで、カベリアはお昼ご飯何食べたい?」

 

「何かおもちゃ屋さんで色々あったから、お腹空いてきちゃった。お肉って気分かも」

 

「よーし、取って置きのお肉料理出すからね」

 

「楽しみー!」

 

 休憩を終えて、二人は斜向かいにある生鮮食料品店に入った。店内は多くの人で賑わい、新鮮な野菜や肉がズラリと並んでいた。そこへ二人の姿を見た店主らしき恰幅の良い女性が、笑顔で歩み寄ってくる。

 

「おや、いらっしゃいカベリアちゃん!」

 

「こんにちはマリーニさん!」

 

「ルカ先生もいらっしゃいませ。何かお探しですか?」

 

「それじゃあ頼んじゃおうかな。えっと...この店で最高級の牛挽肉2キロと、玉ねぎ3個、じゃがいも7個、ブロッコリー2個、パセリ一房、とうもろこし3本、玉子一パック、にんにく、牛乳、パン粉を貰える?」

 

「最高級の肉に野菜ですね!少々お待ちを!」

 

 10分ほど待っていると、マリーニが籠を抱えて戻ってきた。

 

「お待たせしました!ハァ...ハァ...こちらで全部になります」

 

「ごめんね集めてもらっちゃって。いくら?」

 

「ルカ先生はこの国を救った英雄です、7銀貨に負けておきます!」

 

「これでよろしく、お釣りは要らないから。袋に詰めてもらってもいい?」

 

「毎度あり...って一金貨?!す、すぐにご用意します!」

 

 ルカは左手に花束、右手に買い物袋を下げ、カベリアは両手におもちゃの箱を抱え、ニコニコしながら帰り道を歩いていた。

 

「お姉ちゃん、お釣りもらわないで大丈夫なの?」

 

「結核のせいで、この国の経済は疲弊してるからね。私がバンバンお金使ってあげないと」

 

「そっかー。お姉ちゃん、お金いくら持ってるの?」

 

「ん?そうだねーいくらかは秘密だけど、国が二個買えるくらいは持ってるかなー」

 

「国が二個?!す、すごいね...」

 

「他の人には内緒よ?」

 

「えへへ、分かってるってば」

 

 そうして都市長宅に戻り、カベリアは花の手入れ、ルカは食事の支度に入った。野菜の下茹でをしながら牛挽肉と微塵切りの玉ねぎ、摩り下ろしたにんにく、玉子、パン粉を混ぜて、練りに練り上げていく。続いてとうもろこしとじゃがいもを裏漉しし、水と牛乳・バターを溶かした鍋に投入して塩コショウで味を整え、じっくりと煮込む。最後に練った挽肉の形を整えて空気を抜き、フライパンに蓋をして蒸らしながら焼き上げた。皿に盛り付け、デミグラスソースをかけて食卓に運ぶ。香ばしい香りがダイニングを包んだ。

 

「お待たせー」

 

「うわーいい匂い!お姉ちゃんこれ何て料理?」

 

「ハンバーグステーキとポタージュスープだよ」

 

「は、ハンバーグ?聞いたことのない肉料理だだな」

 

「でもあなた、とても美味しそうですわ」

 

「食べて見れば分かるよ。パンと一緒に召し上がれ。それじゃ、いただきます!」

 

『いただきまーす』

 

 一口食べたカベリアが、満面の笑みで両腕を万歳した。

 

「おいしー!すごい美味しいよルカお姉ちゃん!」

 

「こ、これは...!きめ細かい肉の柔らかさ、溢れ出る肉汁、そして極めつけに上にかかったこのソースのコク...ポタージュスープも絶品だ、美味い!!」

 

「本当に美味しいですわ、さすがですルカ様」

 

「へへ、ありがとう。テレス、そんなに慌てて食べなくてもまだお肉たくさん焼いてあるから、大丈夫だよ」

 

 皆が大喜びで食事を終え、ルカは寝室に戻るとカベリアをベッドに寝かせ、そこで夕方まで過ごした。

 

「えへへー、お人形可愛いなあ。お花もいい香り」

 

「良かったね。その人形の中に入ってる、ダークスポーンを呼んでごらん?」

 

「うん。ダークスポーンさん、出てきて」

 

 すると人形から黒い影が抜け出て、召喚獣が音もなくベッド脇に立った。

 

「言葉は喋れないけど、意思表示は出来るから。試しに何か命令してみて」

 

「えっと、じゃあダークスポーンさん、クルンと一回転して」

 

 巨体に似合わず素早い動きで、ダークスポーンは左回転し元の位置に戻った。

 

「次は人形の中に戻るよう命令」

 

「ダークスポーンさん、お人形の中に戻ってきて」

 

 召喚獣は言われた通り人形の中に吸い込まれ、姿を消した。ルカはカベリアの頭を優しく撫でる。

 

「お姉ちゃんがいない間は、このダークスポーンが守ってくれるからね。今日はちょっと遅くなるから、先に寝てていいよ」

 

「分かった。なるべく早く帰ってきて」

 

「うん。行ってくる、転移門(ゲート)

 

 

───安息の日々。ルカがいて当然の毎日。カベリアだけでなく、誰しもがそう思っただろう。翌月の四ヶ月後、メフィアーゾの結核が完治する。寛解した彼は腕慣らしにとルカに試合を挑むも、これに惨敗。圧倒的な力の差を見せつけられるが、ルカはバーバリアンとしての素質を見抜き、クラス専用ルーンストーン”嵐の支配者(ストームロード)”をメフィアーゾに与え、その魔法と奥義を伝授する。

 

 六ヶ月後、カベリアの結核が完治する。また兼ねてよりルカが提案していた診療所を四都市に開設。これにより神殿に行かずとも、気軽に街中でBCGワクチン・ストレプトマイシンの接種が可能になった。

 

 八ヶ月後、努力の甲斐が実り、神殿にいた全ての重症者達が寛解・退院する。これを祝し、カルバラーム港に四都市全ての住民達が集まり、大祝賀会が行われる。ルカ・ミキ・ライルも参加して、皆で喜びを分かち合った。この日を結核開放記念日とし、カルサナス全土で祝日に制定された。

 

 そして年が明けた九ヶ月後のある日、皆で夕食を食べていたルカに一通の伝言(メッセージ)が入る。それを受けて暗い表情を浮かべるルカだったが、テレス都市長とカベリアが事情を聞くと三日後にカルサナスを発つと言う。その悲痛な表情を見てテレスとカベリアは引き止めたが、ルカは頑として譲らない。慌てたテレスは伝言(メッセージ)を飛ばし、その報を聞いた三都市長達が急遽べバードに集まった。

 

 

───カルサナス都市国家連合中央 べバード 都市長邸宅内 ダイニング 20:42 PM

 

 俯いて黙り込むルカの周りを、テーブルに着席した皆が取り囲む。心配そうに見守っていたが、沈黙を破ったのはメフィアーゾだった。

 

「...どうしちまったんだよルカ、また随分急な話じゃねえか。先月患者がいなくなったばかりだぜ?もっとゆっくりしていけよ。何ならゴルドーの俺んちに来い、歓迎するぜ」

 

「...ありがとうメフィー。でもこの国の結核による混乱は収束した。これ以上私達がここに居たら、みんなに迷惑をかけてしまう。だから行かないと」

 

「そんな事誰も思っとりゃせんわい!お主がこの先何年生きるか知らんが、ずっとこのカルサナスにいてくれて良いんじゃぞ?」

 

「そういう訳には行かないの。ごめんねおじいちゃん」

 

「お姉ちゃぁん...グス...どうして?どうして急に行っちゃうの?」

 

「カベリア、お姉ちゃん前にも話したよね?私は元の世界に帰りたい。その目的の為よ」

 

 そこでイフィオンがふと何かに気づき、顔を上げてルカの目を見た。

 

「まさか...仕事か?」

 

「.............」

 

 ルカは再度黙り込んだ。しばらくしてそれに返答する代わりに、席の斜向かいに座る女性に声をかける。

 

「...ベハティー。ごめん、お酒もらえるかな?強いやつ」

 

「は、はい!地獄酒でよろしいでしょうか?」

 

「うん...お願い。ミキとライルも飲みなよ」

 

「...分かりました。ベハティー、私にはワインを」

 

「俺にも地獄酒をくれ」

 

 三人の前にグラスとボトルが並べられ、ルカはそれを手に取ると一気に飲み干し、二杯目を注ぐ。ミキとライルもグラスを傾けるが、口をつける程度でテーブルの上に置いた。

 

「フフ、子供が見てる前で飲むなんて、最低だな、私...」

 

「余程言いにくい事なんだろう?話してみろ。次はどこへ向かうつもりなんだ?」

 

「...バハルス帝国よ。そこでとある貴族の子供を...殺す」

 

 ダイニングにいた皆がざわめいた。目から光が失われたルカを見て一同は固唾を飲むが、唯一冷静だったイフィオンは質問を返す。

 

「暗殺か。その依頼、断れないのか?」

 

「依頼者が...貴重なアイテムを持っているらしいの。暗黒物質(ダークマター)...そのアイテムと発見場所の情報を交換条件に、引き受けたらしいわ。元の世界へ帰る大きな手掛かりになるかも知れない。それに私はパートナーの判断を信じてる。断る理由はないよ」

 

「その暗殺対象というのは、どういう子供なんじゃ?」

 

「..話を聞く限り、カベリアと同い年くらいの男の子らしいわ。詳しい事情は私も知らないし、知る必要もない」

 

「お姉ちゃん...子供でも殺すの?」

 

「...分からない。殺すかどうかは、最終的に私の判断に委ねられる」

 

「でもおめぇ、よってたかって一人のガキを三人がかりで殺すってのか?!そのガキが一体何したってんだよ?!」

 

「知らないよ、私だってこんな胸糞悪い依頼受けたくない!!...それに殺すのは私一人よ、ミキとライルにはサポートしてもらうだけ。...こんな汚れ仕事、私一人で十分だわ」

 

「...本当に出来るのか?誰にでも分け隔てなく接し、その慈悲深き心でこの国の民達を救った、今のお前に」

 

「そんな事...言わないでよイフィオン...決心が揺らいじゃう。私は汚いアンデッドよ、みんなが思っているような女じゃない。もう決めた事なの、私はあなた達に全て話した。許しを乞おうなんて思わない。でも...これ以上、私を責めないで...地球に帰りたいだけなの...」

 

 泣き崩れるルカを見て、その場にいた誰もが口を閉じ、全てを察した。ルカは懺悔する事で、己の犯してきた罪、そしてこれから犯すであろう大罪を皆に認めさせたかったのだ。どれだけ人を救おうとも、自分の手は血に塗れていると。

 

 ミキとライルはルカの肩を支えて立ち上がると、三人でダイニングを出ていった。重い沈黙が流れたが、パルールが思い出したように口を開く。

 

「...そうか、分かったぞ!ルカは戦争の危惧を心配しておるのじゃ」

 

「戦争?パルール都市長、どういう事だ?」

 

「もう少しすれば、カルサナス全土の渡航禁止令が解除される。そうすれば他国からの旅行者で街は溢れかえる。そこで民衆達はこの国を結核から救った英雄、ルカ・ブレイズの偉業を話して回るはずじゃ。当然その噂は隣国のバハルス帝国にまで届くじゃろう。そのような時期に、ルカが貴族の子供を暗殺した事が万が一公になれば、カルサナス国内にルカが潜伏していると判断した帝国が、それを口実に攻撃してくるという可能性がある。ルカはそれを懸念しているのじゃ」

 

「お姉ちゃん...そこまで考えて」

 

「ルカの事だ、証拠を残すようなヘマはしないだろうが...念の為渡航禁止令が解除される前に、全都市で箝口令を敷いた方がいいかもしれんな」

 

「ついでに連合の入口であるテーベの防備も固めておかねえか?」

 

「それは心配いらん。テーベの守りは常に鉄壁じゃ、帝国の攻撃なぞ跳ね返してくれるわ」

 

「べバードからも援軍を出そう」

 

「ルカは我々の事を心配してくれているようだが、その逆だ。我々が彼女に心配をかけてはいけない。ルカのおかげでこの国は生き延びられたのだ。彼女が思いを無事成し遂げられるよう、ここで今具体的な作を練ろうではないか」

 

 四人はテーブルに地図を広げ、夜を徹して会議に入った。

 

 

───寝室 22:14───

 

 カベリアが部屋に入ると、ベッドにはルカがうつ伏せで横たわっていた。背後からそっと肩に手を乗せる。

 

「ルカお姉ちゃん..」

 

「...カベリア」

 

 ルカは寝るスペースを空けると、カベリアはそこに足を滑らせる。羽毛布団をかけて向かい合うと、泣き晴らしたせいで目が赤く腫れている。そのままカベリアはルカの体を優しく抱きしめた。

 

「お姉ちゃんが人殺しでも、私お姉ちゃんの事大好きだからね?だから泣かないで」

 

「...私、心が壊れそう...助けて、カベリア...」

 

「この国のみんながお姉ちゃんの味方だよ。私はずっと隣にいるから大丈夫。安心して」

 

「...ありがとう」

 

 そうして三日が過ぎ、遂にルカの発つ時が来た。

 

 

───カルサナス都市国家連合北西 城塞都市テーベ 南正門前 6:40 AM

 

 早朝にも関わらず、門の前にはルカの出立を聞きつけ、各地から集まってきた群衆が詰めかけて来ていた。

 

『ルカ様ー!!』

 

『ルカ先生ー!本当にありがとうー!!』

 

『ミキ先生ー!!』

 

『ライルさーん!!』

 

『またいつでも来てくだせえー!!』

 

『お元気でー!!』

 

 住民達の別れを惜しむ声に、ルカは笑顔で手を振って答えた。見送りに来た四都市長とカベリア、ラミウスが歩み寄り、イフィオンが先頭に立つ。

 

「ルカ...報酬は本当にいいのか?四都市を合計した金額だ、かなりのものになるはずだが」

 

「報酬はもらうよ。但し、ここに来ている住民一人一人からね」

 

「何?」

 

 ルカは腕を大きく左右に広げると、魔法を詠唱した。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)永続する夜明け(パーペチュアルドーン)

 

(コォォン...) ソナーのような音が響き、ルカの周囲に蜃気楼のような揺らぎが現れる。それは広範囲へ一気に拡大し、群衆を覆い尽くしていった。大気密度が変化し、自分が発する声すら大きく拡声している住民達は驚いて耳を塞ぎ、次第に静まり返っていく。それを見てルカは張りのある声で住民に語りかけた。

 

『みんな!...私の声が聞こえるよね。これから言う事をよく聞いて、この場にいない人や子供達にも必ず伝えてほしい。私・ミキ・ライルの三人は、まだ君達から病気の治療に対する報酬を貰っていない。私はタダでは働かない。都市長達はお金を用意してくれたが、私が欲しいのはそんなものじゃない。ここにいる君達全員には、今きっちりとこの場で報酬を支払ってもらう。私が望むもの、それは”黙秘”。君達は私を見ていないし、私の事に関して何も聞かなかった。私達三人はカルサナスに来ていないし、病気の治療も行われなかった。他国の来訪者に対し、私達の事は誰にも一切喋るな。私と話をした事、私の治療を受けた記憶は、君達カルサナス住民の胸だけにしまっておいてほしい。これが私の望む報酬だ。もしこの国の誰かが約束を破り、他所者に一言でも漏らした場合、私達はこのカルサナス全土を滅ぼしに再びここへ戻る。私にその力がある事は、治療を受けた君達が一番よく分かっているだろう。約束は必ず守れ。報酬だと言う事を忘れるな。あと...みんな、体を大事にね。このカルサナスに来れて...みんなと話せて本当に楽しかった。さよならみんな、元気で過ごしてね』

 

 最後に放った本音の言葉に、住民達から嗚咽とも悲鳴ともつかない叫びが辺りを包んだ。

 

『ルカ様ぁぁあああ!!』

 

『違うんです、大丈夫なんです!!』

 

『既に都市長達から、国中に箝口令が敷かれています!!』

 

『ルカ先生達三人の事は、口が裂けても一生喋りません!!』

 

『うぇええーん!寂しいよーー!!』

 

『行かないでルカ様ぁぁあ!!』

 

『約束は必ず守ります!だからまた来ると一言言ってくだせぇ!!』

 

 住民達が涙するのを見てルカは驚いていたが、隣に立っていたイフィオンがルカの肩を掴んだ。

 

「そういう訳だ。この国の事は心配せず、お前は自分の信じる道を行け」

 

「イフィオン...いつの間に」

 

 その時群衆の中から一人の少年が飛び出し、ルカの足元に抱きついてきた。

 

「ルカお姉ちゃん!!」

 

「ハーロン!...良かった、元気になったのね」

 

「ルカお姉ちゃんのおかげだよ、もうどこも痛くない。...行っちゃうの?」

 

「うん、街の人達も治ったしね。...そうだ忘れてた、ハーロンに渡すものがあったんだ」

 

 ルカは中空に手を伸ばすと、アイテムストレージの中から一本の木剣を取り出してハーロンに手渡した。

 

「はいこれ。退院おめでとうハーロン」

 

「こ、こんな立派な剣を、僕に?」

 

「そうよ。その木剣には魔法の力が込められている。命の危険が迫った時、その剣が君を守ってくれるわ」

 

「そんなすごい物を...ありがとう。グスッ...僕これ大事にするよ」

 

「強くなってハーロン。立派な兵隊長になって、カベリアを守ってあげてね」

 

「うん、僕頑張る!」

 

 次にルカは、少年の後ろに立つ少女を呼んだ。

 

「カベリア、こっちにいらっしゃい」

 

 泣きべそをかきながら目の前に立つと、ルカは中空から真っ白な長方形のパッケージを取り出した。

 

「カベリアには、これをあげる」

 

「グス...ヒック...これ何?」

 

「欲しがってたでしょ?私の付けてる香水、フォレムニャックよ」

 

「え、でも大人になったらって...」

 

「そう。だから今はちょこっとだけ付けるの。大きくなったら普通に付けなさい」

 

「だって、また来るんでしょ?」

 

「...次にいつ来れるか、私にも分からない。だから今のうちに渡しておく。大事に使うのよ?」

 

「...うわぁぁああああん!お姉ちゃぁぁあんん!!」

 

「...元気で、カベリア。君の事は忘れない」

 

 少女の体を抱擁して立ち上がると、ルカは四人の男の前に立った。

 

「パルールおじいちゃん、メフィー、テレス、ラミウス。今までありがとう」

 

「遂に行ってしまうか。寂しくなるのう」

 

「おめぇには世話になりっぱなしだった。いつか恩を返してえ。また会おうな、ルカ」

 

「お前達の名は、カルサナスの間で後世まで語り継がれるであろう。美しき英雄ルカ・ブレイズよ、そなたの行く道に幸あらん事を」

 

「私はもうしばらくここに残り、お前にもらったこの力で医師としての務めを果たしたいと思う。さらばだ、ルカ」

 

 最後にイフィオンと向かい合い、力一杯抱きしめ合った。

 

「我が友よ、達者でな」

 

「イフィオンもね。薬の管理よろしく頼むよ」

 

「任せておけ。旅に疲れたらカルバラームへ来い、また酒でも飲み交わそう」

 

「そうだね、そうするよ。ありがとう」

 

 体を離すとルカは背を向け、転移門(ゲート)を開いた。暗黒の穴に三人が消えていく姿を、都市長と群衆はいつまでも、いつまでも見送り続けた。そしてカルサナスの住民達は約束を守り、その後ルカ・ブレイズの秘密を漏らす者は誰一人として現れなかった。全ては住民達の心の中に。

 

 

───現代 フェリシア城塞内 ルカの寝室 14:56 PM

 

 ベッドに座ったカベリアとイフィオン、それと向かい合って椅子に座るパルールとメフィアーゾは、皆涙ながらにアインズに訴え、そして全てを語り終えた。イフィオンが掠れ声で口を開く。

 

「...これが今までカルサナスがずっと隠し通してきた真相だ、アインズ」

 

「何と...そのような事があったとは。この世界にない抗生物質・ストレプトマイシン。それをゼロから生み出した...医学に博識なルカでなければ対処出来ない災厄だ」

 

 そこへソファーに座っていたジルクニフが立ち上がり、アインズの元へ歩み寄ってきた。

 

「ゴウン魔導王閣下。先程話の中に出てきた、ルカの暗殺対象だったと言う子供についてだが、それは他ならぬこの私の事だ」

 

 アインズと都市長達四人に衝撃が走った。カベリアは両手で口を覆い、震えた声で問い返す。

 

「...本当なの?ジルクニフ」

 

「ああ、真実だカベリア。ルカが幼少の私を殺しに来たのが15年前、時期も合っている」

 

「それなら、何であなたは生きて...」

 

「あと一歩で殺される寸前だった。しかしルカは幼い私の前で涙を流し、情けをかけた。詳しい事は話せないが、その後私はルカの力を一度だけ借りている。それ以来の縁だ」

 

「...じゃあルカお姉ちゃんは、子供を...あなたを殺さずに済んだのね...良かった...」

 

 カベリアの目から大粒の涙が零れ落ちる。ジルクニフは胸ポケットから純白のハンカチを取り出すと、カベリアに手渡した。

 

「...あの時ルカが流した涙の意味が、今ようやく分かった気がする。私を暗殺する事に対し、そこまで苦悩していたとは...知らなかった」

 

「ジルクニフ...ルカお姉ちゃんは優しい人よ。子供を殺すなんてとてもできる人じゃないって、私信じてた」

 

「それは知っているよカベリア、十分過ぎる程にな。私が今ここに生きている事が何よりの証だ」

 

 パルールとメフィアーゾは涙を拭い、正面のベッドに座るアインズを見る。

 

「ルカは罪を重ねずに済んだ。魔導王閣下、今生き残っているカルサナス軍の兵士は、その殆どが昔ルカに命を救われた子供達ですのじゃ。そして誰よりもルカの事を慕っている。今ここで眠っている事を知れば、彼らもどれだけ喜ぶ事か...」

 

「くそ、昔の事を思い出したら涙が止まらねえ...魔導王の旦那、これで分かってもらえただろ?こいつの強さと慈悲深さは、カルサナスに生きる俺達が一番よく知ってる。断言するが、そのルカの上に立つあんたを俺は信じるぜ。嘘じゃねえ」

 

「パルール、メフィアーゾ、お前達の気持ちはよく分かった。何故そこまでルカとこの国の関わりが深いのかも理解出来た。四人共、貴重な話を聞かせてもらい感謝する」

 

 アインズは後ろを振り返り、アウラとマーレに挟まれて眠るルカの顔を見る。そして当時ルカがどのような気持ちで結核と戦っていたのか、アインズには容易に想像できた。そしてある一つの思惑が脳裏を過る。

 

「アインズ様、どうかなさいましたか?」

 

 左に座るカベリアが顔を覗き込んできたが、アインズは取り繕うように首を横へ振った。

 

「ああいや、何でもない。少し考え事をしていてな。それよりも長い話になった、ルカが目覚めるまで皆少し休憩を入れようじゃないか。セバス、この部屋にいる人数分の茶を用意させるようペストーニャに伝えてくれ」

 

「かしこまりました、アインズ様」

 

 階層守護者や護衛の冒険者達も茶で喉を潤し、一息ついた。ルカの寝顔を眺めながら、彼らは都市長達の話した英雄譚に思いを馳せつつ、静かに時間が過ぎていく。

 

 

───同寝室 18:07 PM───

 

(...カ...きろ...おいルカ、起きろ...目を覚ませ)

 

 耳元で囁やく少女の優しい声に導かれ、ルカはゆっくりと目を開けた。するとベッド脇には、緑と白のドレスを着用し、髪をフィッシュボーンに結い上げた金髪の美少女と、青のスーツを着て白髪をオールバックにまとめた男が立っていた。竜王国女王、ドラウディロン・オーリウクルス。そしてその宰相、カイロン・G・アビゲイル。ルカは驚いて目を見開いた。

 

「え...ドラウ?!カイロンまで、一体どうしたの?」

 

「どうしたじゃない、見舞いに来てやったのだ。全く、お前が危篤だと聞いた時は肝を冷やしたぞ」

 

「ルカ様、ご無沙汰しております。思っていたよりもお元気そうで、このカイロン安心しました」

 

「二人共、よくここが分かったね?」

 

「事前に伝言(メッセージ)で連絡を受け、アインズが竜王国へ転移門(ゲート)を開いてくれたのだ。おかげで移動の手間が省けた」

 

「そっか、アインズが呼んでくれたんだね。来てくれてありがとう」

 

「具合はどうだ?」

 

「まだちょっと悪いかな。衰弱が残ってるからね」

 

「そうか。ゆっくり休めばいずれ治るだろう。...ところでお前、アインズから何か話を聞いているか?」

 

「何?話って」

 

「やはり聞いていないのか。お前が倒れてからアインズがどれほど焦っていたのか、知らんらしいな。話は聞いたぞ。老衰・衰弱・ショック状態...特に老衰は、通常の魔法で治せる手段はない。そこでアインズは考えた。お前の症状が分かった段階ですぐに私へ連絡をよこし、二人で対策を練った。この意味が分かるか?」

 

「いや...すぐには思いつかないけど」

 

「つまりアインズはな、最後の手段として弱ったお前を殺すつもりだったのだ。そして一度死ぬことで老衰その他のバッドステータスをリセットし、私の使える始原の魔法(ワイルドマジック)反魂蘇生(ソウル・リヴァイブ)で生き返らせようとした。この魔法はレベル消失のリスク無しに蘇生が可能というものだが、何せお前を一度殺さなければならない。アインズに取ってそれがどれだけ苦渋の決断だったかは、想像に固くないだろう?半森妖精(ハーフエルフ)の特殊な薬が効いたと知った時はホッとしたぞ」

 

「そんな事が...アインズ、そうだったの?」

 

「ああ。お前に苦痛を与える結果にならなくて本当に良かった。ドラウの使える蘇生魔法に関しては、そこにいるフールーダから聞いて知っていたからな。最悪の場合に備えて、二人で段取りを決めておいたんだ」

 

「そうなんだ...ごめんね、二人共心配かけて」

 

「まあ結果オーライだ、気にするな。とにかく今はゆっくり休むがよい」

 

 ドラウディロンは優しく微笑むと、ベッド脇を離れ向かいのソファーに移動した。三人掛けの中央にはジルクニフが座っていたが、それに構わず隣へ腰掛ける。

 

「久しいなちんちくりん。息災でいたか?」

 

「...その呼び方はやめてくださいドラウディロン女王。ええ、ぼちぼちやってますよ」

 

「此度のカルサナス戦役では活躍したらしいな。まさかお前自ら前線に出るとは思っても見なかったぞ、褒めて使わす」

 

「そいつはどーも。女王はなぜこちらに?」

 

「いや何、アインズが何か話があるらしくてな。ルカの見舞いついでに顔を出したまでだ」

 

「街の復興具合はどうです?」

 

「魔導国とアーグランド評議国の支援もあり、すっかり元通りになった。香水や特産品の出荷量も増えて経済状況も改善しつつある」

 

「それは結構。何なら少し出しましょうか?」

 

「何だ、私が同盟国になった途端気前がいいじゃないか」

 

「そういう訳じゃありませんが」

 

「...フフ、冗談だ。今は遠慮しておこう。今後状況が逼迫してきた時にお願いする」

 

「分かりました。...それにしても、いい加減元の姿には戻らないのですか?いつまでその子供の格好でいるつもりです?」

 

「見たいのか?以前お前の目の前でシェイプシフターの魔法を解いた時は仰天していたな。それに何やらお前、私の陰口を言っているそうじゃないか。若作り婆ぁだとか何とか。聞いておるぞ」

 

「ご、ご冗談を...あなたは十分にお美しい。私は知っていますから」

 

「世辞も上手くなったじゃないか。まあ良い、ここでアインズの話を待つとしよう」

 

 ドラウディロン達の謁見が終わると、アインズは部屋中央に人差し指を向けた。

 

転移門(ゲート)

 

 暗黒の穴が開く。すると中から身長ニメートル近い白銀の鎧武者と、紫のフード付きローブを纏った老婆が姿を現した。二人がベッド脇に立つと、ルカは大きく目を見開く。

 

「ツアー、リグリット!久しぶりだね」

 

「やあルカ、具合を見に来たよ」

 

 するとリグリット・ベルスー・カウラウは無言でベッドに身を寄せ、ルカの頬に手を添えて赤い瞳を覗き込んだ。

 

「...このバカ娘、ボロボロじゃないか。私の目は誤魔化せないよ。無茶しおって、何故こうなる前にもっと早く私を呼ばなかった?!アインズから全て聞いているぞ。老衰の症状を和らげる術を私が持っている事ぐらい、お前は知っていたはずだ!それを何故...」

 

「...ごめんねリグリット。私にも何が何だか訳が分からなくて、それどころじゃなかったの。気がついたらこのベッドで横になってて、薬を飲んで...」

 

「...まあ生きてて幸いだった。今の衰弱だけなら時間を置けば回復するだろう。もうこんな無茶はよせ、命を縮めるだけだ」

 

「うん。なるべくそうするよ」

 

「リグリット、そこら辺にしておいてあげなよ。僕なんかとても敵わないような化け物相手に、ルカは一人で頑張ったんだ。...戦いは全て竜の感覚(ドラゴンセンス)で見させてもらったよ。あの黒い技は凄い威力だったね。爆発的な力を得る代わりに、その後のリスクも巨大なものとなる。でもあのタイミングで仕掛けた君の判断は正解だったと思うよ。僕が君でもそうしていただろう」

 

「自由が効く技じゃないから、扱いが難しいんだけどね。ギリギリだったけどアインズ達も守れたし、勝てて良かったよ」

 

「ゆっくり寝てるといい。僕がいる間は周辺を監視しておくから」

 

竜の感覚(ドラゴンセンス)足跡(トラック)よりも遥かに広範囲だもんね、頼りになるよ」

 

 ベッドから離れると、二人は都市長四人の前に立った。

 

「君達がカルサナス都市国家連合の都市長かい?イフィオンと会うのは久しぶりだね、僕はツァインドルクス=ヴァイシオン。アーグランド評議国で永久評議員をしている。ツアーと呼んでくれて構わない。よろしく頼む」

 

 巨体の鎧武者を見て、イフィオンを除く三都市長は緊張した面持ちだった。

 

「わしは城塞都市テーベ都市長のパルール=ダールバティという者じゃ。ツアー殿、こちらこそよろしくお願いする」

 

「お、俺はゴルドー都市長のメフィアーゾ=ペイストレスってもんだ!よろしく、ツアーの旦那!」

 

「べバード都市長のリ・キスタ・カベリアです。連合の都市長代表を務めております。ツアー様、よろしくお願い致します」

 

「君が都市長代表か。...まだ若いのに、酷い戦を味わったね。イフィオンとの付き合いもある。僕で良ければ力になるよ、カベリア都市長」

 

「そんな、初めてお会いしたばかりなのに...でも、お心遣い感謝致しますツアー様。とても心強く思います」

 

 カベリアが深々と頭を下げると、イフィオンは二人に歩み寄った。

 

「ツアー、それにリグリット。本当に久々だな、よく来てくれた」

 

「たまに伝言(メッセージ)で話しをするだけだったからね。無事で何よりだよイフィオン」

 

「さすがは半森妖精(ハーフエルフ)、二百年前と変わらず若いままだな、ハッハッハ!そこにいるインベルンの嬢ちゃんも含め、これで十三英雄が四人揃った訳か。奇異な巡り会わせだ」

 

「これもアインズ達魔導国の引き合わせによるものかも知れない。彼らには本当に感謝している」

 

「それは私達も同じさ。アインズにルカ...ユグドラシル・プレイヤーってのは、本当に不思議な連中だよ」

 

 再開を終えた二人は、背後のソファーに向かった。座っていた二人が席を立つ。

 

「ドラウディロン女王、久しぶりだね」

 

「...ツァインドルクス=ヴァイシオン閣下。我が竜王国への変わらぬ復興支援並びに人材援助、誠に感謝している」

 

「何をそんなにかしこまってるんだい?普段通り話せばいいじゃないか。僕達は同族であり、もう同盟国なんだ」

 

「...ふう。元気か?ツアー」

 

「僕は相変わらずだよ。都市の修繕はほぼ終わったようだね」

 

「おかげさまでな。正直助かっている。そっちの様子はどうだ?」

 

「今回カルサナスを襲った事例に備えて、軍備を固めている最中だよ。君達も用心しておいた方がいい」

 

「用心と言ってもな。評議国と違って、我が国の戦力なぞたかが知れている。一応形だけはやってみるが、結局の所魔導国頼みと言うのが正直な話だ」

 

「大丈夫だよ。アインズ達と合わせて、いざとなれば今度こそ僕自ら出ていくから」

 

「それは頼もしいな。是非よろしく頼む」

 

 続いて隣の帝国皇帝に目を向けた。

 

「ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス皇帝だね。初めまして」

 

「ツアー殿、お初にお目にかかる。お噂は兼ね兼ね耳にしている、お会いできて光栄だ、私の事はジルクニフと呼んでくれ」

 

「僕もだよジルクニフ。君達バハルス帝国がカベリア都市長の救援要請に応じなければ、僕達はこうして会うこともなかった。君の英断と勇気に敬意を表するよ」

 

「これは勿体ないお言葉、誠に痛み入る。あなたもルカとは古い付き合いなのか?」

 

「二百年前からね。彼女とは頻繁に会い、このリグリットと共に情報交換してきた仲だ。見たところまだ若いが、君もなのかい?」

 

「あなたに比べれば遥かに短いが、私が9才の時ルカに殺されかけて以来の付き合いとなる。15年ぶりに再開したんだ」

 

「なるほど。ルカに狙われて生きているなんて運がいいと言いたいけど、彼女は年を追うごとに性格がどんどんおおらかになっていった。昔のルカは気性が荒く、一番最初にあった時は僕達十三英雄の事まで全員殺そうとしたんだよ。そういう意味では僕も命拾いしたという事か」

 

「...何故かあなたとは気が合いそうだ、ツアー殿。良ければ今度我が国に来てみないか?あなたとは一度腰を据えてじっくり話がしてみたい。最高の饗しを約束しよう」

 

「僕はこの姿だと飲み食い出来ないから、静かな場所だけ用意してもらえればいいさ。君こそ僕の国を一度訪れてみるといい。そこで僕の本当の姿も見れる。同盟国として、いつでも歓迎するよ」

 

「それは嬉しいお誘いだ。今はこのような状況なのですぐにとは言い難いが、いずれ伺わせていただこう」

 

 ツアーとリグリットの謁見も終わり、アインズは続けて部屋中央に向かい転移門(ゲート)を唱える。すると中から紺色のフード付きローブを纏った二人が現れた。表情が伺い知れないが、背後の転移門(ゲート)が閉じると二人共フードを下げ、その顔を顕にした。

 

 一人はマニッシュショートの黒髪で肌は白蝋のように青白く、赤い瞳を持つ中性的な青年だ。もう一人は金髪のショートレイヤーに薄い褐色の肌を持ち、鋭角な目と高い鼻に尖った耳が特徴的な美しい女性だ。青年の方が部屋の周りを見渡すと、その顔に気づいたネイヴィアが驚きの声を上げる。

 

「ユーシス?!それにクロエ、お主ら一体何しにここへ...」

 

「やあネイヴィア、お久しぶりです。ここにいたんですね」

 

 八欲王の空中都市エリュエンティウ。そのギルドマスター、ユーシス・メガリス・ヴァン=フェイロンは、ネイヴィアの姿を見て爽やかに微笑んだ。それを見たツアーも歩み寄ってくる。

 

「ユーシス、元気そうだね。君もアインズに呼ばれてここへ?」

 

「ええツアー。ルカ・ブレイズが危篤と聞いて、様子を見に来ました」

 

 そして二人はベッド脇に歩み寄り、ルカの顔を覗き込んだ。

 

「ルカ、お久しぶりです」

 

「ユーシス、それにクロエも!久しぶりね二人共」

 

「お前が倒れたとは聞いていたが、信じられん。ゴウン魔導王閣下から大体の話は伺った。想像を絶する化け物と戦ったらしいな。顔色が良くない、大丈夫か?」

 

 クロエ・ベヒトルスパイム・リル=ハリディはルカの額に手を乗せて体温を測る。そのひんやりとした感触を受け、ルカは微笑んで返した。

 

「前にエイヴァーシャー大森林で戦ったベリアルなんかより、ずっと強い相手だったよ。死ぬかと思った」

 

「あれより強いだと?!...お前と言う奴は、本当にどこまで底が知れないんだ」

 

 それを聞いたユーシスが、冷たい視線をルカに投げかける。

 

「アインズ殿から話は聞いています。あなたはたった一人でその化け物を倒したと。それはひょっとして、例の力を使ったのですか?」

 

「...そうよユーシス。ネイヴィアを倒した力。でも今の私を見て?こんな状態になってしまうのよ。それでもまだどんな技か知りたい?」

 

「...フフ、いいえ。今更あなたの切り札に関してどうこう言うつもりはありません。それ相応の代償がある、それだけ分かれば十分です。あなたはその身を犠牲にして、このカルサナス都市国家連合を窮地から救った。そんな激情を持った方だとは知りませんでした。少しあなたに対する印象が変わりましたよ、ルカ」

 

「私はいつもこんな感じよ。ユーシスが普段の私を知らないだけ」

 

「そうですか。お体を労ってください、今あなたに死なれては困ります。同盟の要なのですから」

 

「分かった。以後気をつけるよ」

 

「結構です」

 

 二人はベッド脇から離れ、都市長達の前に立った。

 

「空中都市エリュエンティウのギルドマスター、ユーシス・メガリス・ヴァン=フェイロンです。こちらは都市守護者のクロエ。みなさんお初にお目にかかります」

 

「エリュエンティウ...遥か南方にあると言う魔法都市...これは遥々遠くからよくぞこの地においでくださった。テーベ都市長のパルール=ダールバティじゃ、こんな状況でろくな饗しも出来んが、せめて寛いでいってくだされ」

 

「...こいつは飛んだ大物が出てきやがったな。カルサナスへようこそ!と言いたいところだが、生憎都市は全部破壊されちまって、残ったのはこのフェリシア城塞だけだ。だが歓迎するぜユーシスさんよ。ゴルドー都市長のメフィアーゾだ、よろしくな」

 

「久しぶりだなユーシス。二百年前空中城で会合を開いて以来か」

 

「ええ、イフィオン。あなた達十三英雄に世界級(ワールド)アイテムを貸し与えたあの日を、つい昨日の事のように思い出しますよ」

 

「そうだな。紹介しようユーシス、この女性が我らカルサナス都市国家連合代表の、カベリア都市長だ」

 

 イフィオンの隣に立つカベリアは、深くお辞儀をした。

 

「ご紹介に預かりました、都市長代表のカベリアです。...あの、お若いんですね。まるで少年みたい...私はてっきり、もっと老齢な方がエリュエンティウを統治しているものだと思っていました」

 

「フフ、私と初対面の方はよくそう仰られます。ですがカベリア都市長、私はこれでも三百年の時を生きているのですよ?」

 

「...もしかしてその赤い瞳、ルカおね...ルカ大使と同じアンデッドなのですか?」

 

「アンデッドな事に違いはありませんが、彼女とは種族が異なります。私は吸血王(ヴァンパイア・ロード)の血を引き継ぎし者。八欲王の子孫には、こうした異業種が数多く存在しています」

 

「そうでしたか。貴国には及ぶべくもありませんが、このカルサナスもあらゆる種族に分け隔ての無い国家を目指して邁進して参りました。...このように殺風景な城塞でお出迎えする事になり恐縮ですが、精一杯のおもてなしをさせていただきますので、ごゆっくりお寛ぎください」

 

「そんなに気を張らずとも大丈夫ですよ、カベリア都市長。今日は公務外です。それにあの常軌を逸した化け物を相手に、最後まで諦めず戦い抜いたあなた達の陣中見舞いも兼ねている。食料や水等の物資が不足した際はすぐにお知らせください。我がエリュエンティウで支援する体制が既に整っています」

 

「そんな、ユーシス様...感謝致します。その時はお言葉に甘えさせていただきます」

 

 その言葉に勇気づけられ、カベリアの目から一筋の涙が零れ落ちる。ユーシスは小さく頷いて微笑むと、ソファーに座る美しい少女の前に立った。

 

「あなたが黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)、ドラウディロン・オーリウクルス女王ですね?ギルドマスターのユーシスです、以後お見知りおきを」

 

「話は聞いたぞ。吸血王(ヴァンパイア・ロード)...伝説の種族の生き残りがまだこの世界にいたとは驚きだ。それもエリュエンティウのギルドマスターとしてな」

 

「恐縮です。あなたこそ竜王(ドラゴンロード)人間種(ヒューマン)の貴重な混血種だ。一度お会いしたいと思っていました」

 

「アインズ様々だな。同盟がなければ、こうして顔を合わせることもなかった」

 

「全くです。ジルクニフ殿とは以前国交樹立の際にお会いしていますが、女王とはお知り合いで?」

 

「ま、まあ昔なじみと言うかその、そんな関係だ、ユーシス殿」

 

「ユーシス、私はこやつを子供の頃から知っていてな。バハルス帝国の帝城に出向いた際、この姿を見て私を子供と勘違いしたジルクニフとよく遊んでやったものだ。ただのちんちくりんな可愛いガキだったのに、その子供が皇帝に即位したと知った時は腹を抱えて笑ったがな」

 

「じょ、女王!その辺でお止めください!」

 

 赤面するジルクニフを見て、ユーシスの表情が次第に緩んでいく。

 

「ハッハッハ!お二人共仲がよろしいですね。私は職務の性質上、滅多に空中城を離れる事がないのですが、たまにはこうして外に出るのも悪くない。皆さんとお話ができて、私も楽しいですよ」

 

 話も一段落し、アインズは再度部屋の中央に転移門(ゲート)を開いた。中から歩いてきたのは三人。中央には青い神官服を纏い、頭に背の高い祭祀帽を被った精悍な初老の男性が立ち、右側にはヘルムを脱いだ白銀の全身鎧(フルプレート)を着込み、腰に奇妙な形をしたロングソードを帯剣する、二十代を下回る顔立ちの中性的な男性が護衛する。そして左側に立つ女性。外見年齢は10代前半といったところだろうか。ゆったりとしたニットの下にチェインメイルを着込んでおり、身軽さ重視の装備であることが見て取れる。そして右手に装備した巨大な戦鎌(ウォーサイズ)を肩に寄り掛け、憮然とした表情で周囲に目を配る。

 

 その姿を見たノアトゥンが中央の男性に声をかけた。

 

「ヴァーハイデン最高神官長、お久しぶりです」

 

「おお、隠密席次!無事であったか、戻って来ないので心配していたぞ」

 

「私なら心配要りませんよ。最高神官長もお元気そうで何よりです。そちらのお二人も連れてこられたのですか?」

 

「うむ。私がカルサナスへ向かうと言ったら是非帯同したいと言うのでな。ルカ大使はどちらに?」

 

「そこのベッドで寝ています。顔を見せてあげてください」

 

 スレイン法国最高神官長、グラッド・ルー・ヴァーハイデンはベッド脇に歩み寄り、そっと顔を覗かせた。

 

「ルカ大使、お見舞いに来ましたぞ」

 

「最高神官長!あなたまで来てくれたんですね、ありがとうございます」

 

「フフ、そのような敬語は止しなさい。普段のまま振る舞えばいいんだ」

 

「...いいえ、使わせてください。仮にもあなたは信仰系の最高位に立つお方。同じ信仰系を操る者として、何か他人と思えなくて...」

 

「神懸かった強さを持つそなたにそう言われるとは、このヴァーハイデン光栄の至りだ。ゴウン魔導王閣下から話は聞いている。衰弱が残っていると聞いたが?」

 

「はい。でも数時間後には解除されるので、それまで寝ていれば大丈夫です。ご心配をおかけします」

 

「そうか。念の為魔封じの水晶をいくつか持ってきたんだが、その様子だと使わずに済みそうだな」

 

「勿体ないので取っておいてください。お心遣い感謝します、最高神官長」

 

「うむ。時にルカ大使、そなたが戦ったというディアン・ケヒトというモンスター...世界級(ワールド)エネミーと言ったか?それに関する記載が、スレイン法国で保管している古文書の中で見つかったんだ」

 

「...本当ですか?!」

 

「ゴウン魔導王閣下より伝言(メッセージ)を受けた後、部下に命じて調べさせた。今日は特別にその古文書を持ってきている。今見せよ───────」

 

 その時だった。ヴァーハイデンの背後から鋭い風切り音を上げて巨大な戦鎌(ウォーサイズ)が振り下ろされ、湾曲した刃がルカの喉元に突き付けられた。その瞬間、階層守護者と蒼の薔薇・銀糸鳥の全員が抜刀し、ベッドに素早く間合いを詰める。ヴァーハイデンの向かいに立っているフォールスに至っては、攻撃対象に右手を向け、魔法陣を浮かび上がらせて完全な攻撃体制に入っていた。凝縮された巨大な殺気を当てられながらも、その攻撃者は武器をどけようとしない。

 

 戦鎌(ウォーサイズ)を振り下ろしたのは、頭から右の半分が白銀、左半分が漆黒の髪を肩まで伸ばし、それとは逆に右目が黒く、左目が白い三白眼を持つオッドアイの女性だった。一触即発の状況にも動揺せず、まるでそうなる事が分かっていたかのように冷淡な眼差しをルカに向けている。そしてポツリと口を開いた。

 

「...何?その情けない姿」

 

「...君は確か、スレイン法国で私が殺した...」

 

「番外席次よ、何度言えば覚えるの?」

 

「そうだった、番外席次さん。蘇生してもらったんだね、良かったじゃない」

 

「お前も蘇生が必要な体にしてやろうか?」

 

「...やめときなよ、せっかく生き返ったんだから。今の弱ってる私でも、君くらい一瞬で殺せるよ」

 

「へえ、面白い。試してみようかな」

 

 横に立つヴァーハイデンが、そのやり取りを見て女性を怒鳴りつけた。

 

「やめんか番外席次!!」

 

「神官長はすっこんでて。...そのディアン・ケヒトって、どれだけ強いの?」

 

「君の一億倍は軽く超えるよ」

 

「そんな化け物、どうやって倒した?」

 

「私の切り札を使ったの」

 

「それにお前は勝利した。なのに何故弱っている?」

 

「ちょっと考えれば分かるでしょ」

 

「いいかげんにしろ番外席次!!!」

 

「うるさいなあ、黙っててくれる?...死にかけたのか?」

 

「そうよ」

 

「ふざけるな。お前を殺すのはこの私だ。それまで誰にも殺されるな。約束しろ。それが出来なければ今ここでお前を殺す」

 

「...そういう約束嫌いなんだよねー。今のうちに殺しておいた方がいいんじゃない?試してみたら?」

 

「き...貴様...」

 

 ルカの喉元に刃が触れた瞬間だった。隣に立つヴァーハイデンが番外席次の左即頭部に右手を向け、そこに巨大な魔力が集中していた。ヴァーハイデンの顔は怒りに震え、目が充血して血走っている。それを見た番外席次が呆れた顔で溜息をつく。

 

「何?ヴァーハイデン。まさか私とやる気?」

 

「...ルカ大使への....この娘への無礼だけは、最高神官長であるこの私が絶対に許さん!!!今すぐ武器をどけろ!!さもなくば私がお前を殺す!!!」

 

「あんたが私を殺す?アハハハ!面白いやってごらんよ?」

 

「自惚れるな!!蘇生したはかりのお前を哀れに思い看過していたが、もう我慢ならん!!!この不始末、最高神官長である私自らの手で蹴りを付ける!!これが最後だ、今すぐその娘から武器を離し戦闘態勢を解け!!!」

 

「...いやだっつってんだろーが。もういいや、マジで殺しちゃお」

 

「番外席次!!!」

 

「止めてみなよ?」

 

 ルカの喉に刃が食い込んだ瞬間、ヴァーハイデンは怒号を上げるように魔法を詠唱した。

 

暗闇の賛歌(ダーク・サンクトゥス)!!」

 

(ビシャア!)という鋭い音と共に番外席次の体が黒い靄に覆われ、体が麻痺(スタン)して指一本動かせなくなった。それを受けた番外席次が呻くように声を上げる。

 

「...な...に?」

 

「お前にも見せたことのない力だ、対応できまい!!私が生涯隠し通してきた職業(クラス)血の預言者(ブラッド・プロフェット)。その力を開放し、今この手で審判を下す!! 無に帰れ番外席次!!!魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)明滅の六芒(レイディアント・ヘキサグラ...)────」

 

(パシ!!) ヴァーハイデンの右手を叩くように誰かが強く掴んだ。そのせいで魔法陣が消失し、詠唱寸前の魔法がキャンセルされる。腕を握って咄嗟に止めたのは、アインズだった。怒りと殺意が収まらぬヴァーハイデンは握った手を振り解こうとしたが、強力な力で握られていてびくともしない。アインズは諭すように窘めた。

 

「...そこまでだ、ヴァーハイデン殿」

 

「ゴウン魔導王閣下、何故止める?!番外席次は弱ったルカを傷付けた!!スレイン法国を預かる者として、私自ら責任を取る!!その手を離してくれ!離せ!!!」

 

「もういいんだ、ヴァーハイデン殿。ルカはこの程度で傷付きはしない。首元をよく見てみろ」

 

 ヴァーハイデンは刃の食い込んだルカの喉元を見たが、出血もせず刃が皮膚で止まっている。ヴァーハイデンは麻痺(スタン)した番外席次の手から戦鎌(ウォーサイズ)を取り上げて壁に立てかけると、ルカの元に駆け寄りその手を握った。

 

「ルカ大使、済まない。またしてもうちの者が無礼を働いた。そなたの気の済むように厳罰を下そう。喉は大丈夫か?」

 

「大丈夫ですよ最高神官長。ダメージもないし、喉も切れてないでしょ?」

 

「この番外席次の持つ武器は、曲がりなりにも真なる神器。心配だ、魔法をかけさせてくれ。魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)治癒手の恩恵(ブレッシングオブザヒーリングハンズ)

 

 ルカの全身がボウっと青白く光り、パーセントヒールがかけられた。アインズは番外席次の麻痺(スタン)が解けるまで待つと、彼女の肩に手を乗せた。

 

「お前ももういいだろう番外席次。今のヴァーハイデン殿が撃った魔法、喰らえば確実にお前は即死していたぞ」

 

「...フン」

 

「攻撃する前から、お前がルカに敵意のない事は分かっていた。だから俺も止めなかったんだ」

 

「何でもお見通しってわけ?ゴウン魔導王閣下は」

 

「何でもではないがな。武器はそこに置いて、少し落ち着こう」

 

 アインズが予備の椅子を差し出すと、番外席次は大人しくその上に腰掛けた。それを見て階層守護者と冒険者達も剣を収め、寝室の中に静けさが戻ってきた。するとベッドの向かいから番外席次を見ていたイフィオンが、何故かまじまじとこちらを見てきた。

 

「...アーミア?...お前、アーミアじゃないか!」

 

 イフィオンがベッドを回り込んで椅子の前に立つと、番外席次は恥ずかしそうに俯いた。

 

「...久しぶり。いると思ってたよ」

 

 イフィオンは座っている番外席次を抱きしめ、髪を撫でて顔を覗き込んでいた。それを見て不思議に思ったアインズが質問する。

 

「何だイフィオン、彼女と知り合いか?」

 

 イフィオンは腰を上げて、椅子に座る番外席次の肩に手を乗せると皆に向き直った。

 

「先程の騒ぎですぐに気づかなかった、申し訳ない。この子はアーミア・オルレンディオ。年は離れているが、これでも立派な私の妹だ」

 

『いもうと?!』

 

 部屋にいた全員が驚愕し、再度アーミアに視線が集まる。それを受けて赤面するアーミアだったが、一番驚いたのはアインズとルカ、それにヴァーハイデンだった。

 

「た、確かに言われてみると、そこはかとなく目鼻立ちが似ているな」

 

「びっくり...イフィオンに妹がいたなんて」

 

「...本当にそなたが番外席次の姉なのか?」

 

「そうだ、ヴァーハイデン最高神官長。妹が世話になっていたようで感謝する。半森妖精(ハーフエルフ)の里を飛び出して以来どこへ行ったのかと心配していたが、まさかスレイン法国にいたとはな。まあとにかく無事で良かった」

 

「...姉さん、ルカ・ブレイズに助けてもらったの?」

 

「そうだ。ルカと、ここにいるアインズ・ウール・ゴウン魔導国、それにバハルス帝国の皆にな」

 

 それを聞いてルカは冷や汗を流しながらイフィオンに声をかけた。

 

「...あ、あの、イフィオン...ごめんね私、そのアーミアちゃんの事、スレイン法国で勝負して、一度殺しちゃったんだよね...」

 

「だが蘇生されたんだろう?今生きていれば問題ない。アーミア、私にも敵わないお前が、ルカに敵う訳がない。昔訓練の時に、相手の力量を測るのも力の内だと教えたじゃないか。これからは相手を見て選ぶんだぞ?」

 

「む、昔は姉さんが卑怯な手ばかり使ってくるから負けたのよ!正面切ってやれば、私だって...」

 

「その卑怯な手も作戦のうちだ。お前はまんまと私の策にはまっていた。それに真っ向正面から打ち合う敵なんて、そうそういるはずがないだろう?経験を重ね、それを実戦に反映させてこそ勝利への道が開ける。武道とはそういうものだ」

 

「...分かったわよ!もうルカ・ブレイズに勝負は挑まない。これでいいんでしょ?」

 

「是非そうしてくれ。ルカはこのカルサナスに取って恩人だからな」

 

 驚きも一入、皆が落ち着いた所でアインズは皆に向かって口を開いた。

 

「諸君!!私の呼び掛けに応じ、よくぞこのカルサナスに集まってくれた。皆も見てもらった通り、此度のカルサナス戦役で一番の戦果を上げたルカも無事に生還した。結果大勝利とは言えないまでも、カルサナス都市国家連合の滅亡という最悪の事態はこれで退けられた。ここに今、魔導国主導の元に同盟五カ国が一同の元に集い、皆がルカの身を案じてくれた事を心より感謝する。

 

 そして皆が此度の戦争に関し、不安を抱いている事だろう。いつ襲ってくるかも知れない亜人の大軍と、強力な世界級(ワールド)エネミーの数々。通常戦力で対処していたのでは、数と強さに押されやがては敗走し、国が滅ぶのは確定的だ。我が魔導国はここに集いし五カ国の同盟国に誓おう。敵は必ず滅ぼすと。そして同盟国が平和かつ豊かに過ごせるよう最善を尽くすとここに約束する!戦闘に関しては我々に任せてほしい。だが安定的な平和を保つには各国同士の綿密な連携が必要だ。今後とも手を取り合い、この同盟をさらに強固なものとするため邁進していこう。

 

 今回の戦争で、カルサナス側には大量の犠牲者が出てしまった。カベリア都市長の救援要請に応じ、ジルクニフ殿率いるバハルス帝国軍が駆けつけた時には、既に四都市も破壊され焼け野原となっていた。だがカルサナスの兵達は最後まで戦い抜き、非戦闘員である住民達は一人の犠牲もなく生き残った。十六年前、かつてルカはこのカルサナスを訪れ、全土に蔓延していた結核という病気を治す為に戦い、その特効薬を作り何十万という命を救った。そして今!ルカは再びカルサナス市民を救う為、たった一人で世界級(ワールド)エネミー・ディアンケヒトと戦い、命を賭してこれを滅ぼした。そして戦争は終わり、今我々はこのフェリシア城塞にいる。

 

 正直に言おう。私はこのカルサナス都市国家連合を再生させたい。復興させたい!ルカが愛し、二度も大勢の命を救ったこの緑豊かな大地に、再び活気を取り戻したいと願っている。破壊されてしまった四都市を再建し、そこにカルサナス住民達が笑顔で暮らせる環境を整えてやりたいと、本気で願っている!私はその為に国を挙げて動こうと思う。そこで同盟国諸君にお願いがある。私と共に、破壊されたカルサナスの都市再建に協力してはもらえないだろうか?魔導国一国だけでは復興が遅れてしまう上、資金的・人材的にも無理が出てくるだろう。だが我々六カ国とカルサナスの住民全員が協力すれば、都市の再建は早期に完了するはずだ!資金提供が困難というのであれば、人的資源だけでも構わない。都市再建の具体的なプランは、ここにいる四都市長と魔導国が取り仕切る。もちろん各国が混ざってくれても構わない。

 

 ちなみにこれは無理な提案ではない。押し付ける気もない。協力出来ないというのなら断ってくれて構わない。だが私とルカ、そしてこの砦内にいるカルサナス住民達の為に、どうか力を貸してほしい。これが今日集まってもらった、本当の目的だ。皆初顔合わせの国もあっただろう。こうして同盟国全てが揃う機会を、私はずっと願っていた。それだけでも今日は価値があったと思っている。カルサナスが復興すれば、必ずや我々魔導国同盟六カ国にも様々な恩恵が生まれる事だろう。どうか善処願いたい。以上だ」

 

 各国のリーダー達は真剣に考えていた。四都市長達はその提案を聞いて驚愕の表情を浮かべていた。カベリアに至ってはアインズを見つめて大粒の涙を流している。そしてルカは、自分の過去と未来、その双方の気持ちを汲んでくれたアインズを見つめ、優しく微笑んでいた。

 

 やがてソファーに座っていたドラウディロンが口を開いた。

 

「やれやれ。我が国が復興したばかりだというのに、今度は他所の国の復興を手伝えと言うのか。人使いが荒いにも程があるな。だがその気持ちは理解できる。今の話を聞いて、魔導国の抱く理想も見えてきた。そして我が竜王国はアインズ達によって救われた。これは厳然たる事実だ。この恩を返す為、私達が協力しない訳にも行くまい。資金的な支援は知っての通り難しいが、労働者や職人等の人的資源だけで良いというのら、我が竜王国はカルサナスの復興を支援する」

 

 それに続いて隣に座るジルクニフも続いた。

 

「我がバハルス帝国とカルサナスは国境も近い。各国が復興を支援するというのなら、我が国を拠点にするのが最も効率的だろう。資材倉庫も豊富に揃えている点から考えて、経済的効果も見込める。何より我が国とこのカルサナスは隣国だ。これを対岸の火事と見過ごすつもりはない。我がバハルス帝国もゴウン魔導王閣下の希望を叶えるため、人的・資金的にも最大限協力する事を約束する」

 

 それを聞いてツアーも頷いた。

 

「アーグランドは遠いけど、人や資源の移動には転移門(ゲート)を使えばいいし、特に問題ないね。何より僕が信頼しているアインズがそうしたいと言ってるんだ。断る理由は何もないよ。アーグランド評議国も、カルサナス復興の為全面的に協力する事をここに約束する」

 

 それに引っ張られるようにユーシスも微笑んだ。

 

「私はこうなる事を予想してましたよ。アインズ殿ならきっとそうするだろうとね。それもあり事前に食料支援の用意をしておいたのですが、この判断は正解だった。生物が生きる為に必須なのはきれいな水です。水も食料も豊富な我が国なら、他の同盟各国の支えとなり、より幅広い支援が可能でしょう。八欲王の空中都市エリュエンティウはアインズ殿の提案を支持し、カルサナス都市国家連合復興の為これを全面的に支援する事をここに宣言します」

 

 最後にヴァーハイデンが戸惑った様子でアインズを見た。

 

「支援するのは構わないが、同盟にとってカルサナス復興は将来的に、本当に利益に繋がるのか?確かにこの土地の資源は豊富だが、同盟としてはあらゆる事態を想定して、もっと慎重に決めるべきだと思うのだが...」

 

 その懸念を聞き、アインズはヴァーハイデンに向かって小さく頷いた。

 

「あなたの言いたい事は分かる。それは後ほど説明しよう。私の話を聞いた現時点でどう思うか、賛否を決めてほしい」

 

「...ルカ大使、そなたはどう思う?」

 

「今の話にあった通り私は賛成ですが、後は最高神官長のご判断にお任せします。あなたが断っても、私はそれを受け入れますので」

 

「そうか、そなたがそう言うのなら。...支援を表明した各国の足並みを乱すわけにも行くまい。我がスレイン法国も、カルサナス復興に向けて全面的に協力しよう」

 

「ありがとう、ヴァーハイデン殿。そして五カ国全ての同盟国諸君、魔導国一同心より感謝する」

 

 全ての国が支援を表明し、涙ぐんだカベリアが一歩前に進み出てきた。

 

「...皆さん、本当に、本当にありがとうございます。この閉鎖的な国家が、これだけ多くの諸国と通じ合える機会を持てただけでも幸せなのに、その上復興支援までしていただけるなんて...アインズ様のご提案、そして各国のリーダーである皆様のご慈悲に心より感謝申し上げます」

 

 カベリアは深く頭を下げようとしたが、アインズがその肩を掴んで受け止めた。

 

「待てカベリア。...喜ぶのはまだ早い」

 

「...え?と言いますと?」

 

「イフィオン、パルール、メフィアーゾ。カベリアも、椅子を持って私の前へ一列に座れ」

 

 四人は不思議に思いながらも、予備の椅子を持ってアインズの前に置き、横一列に着席した。アインズも椅子を持って四人の前に置き、向かい合って腰を下ろす。皆の顔を見渡し、アインズは前屈みになって切り出した。

 

「これから私の話す事を集中してよく聞いてくれ。いいか、これから一つの提案をする。だが間違うな、これは強制ではない。お前達にはこの提案を断る権利がある。それを忘れるな」

 

 イフィオンが首を傾げて眼窩を覗き込んだ。

 

「一体何だと言うんだアインズ?そんな神妙になって」

 

「イフィオン、カベリア、パルール、メフィアーゾ。カルサナス都市国家連合を代表する四人達よ。我がアインズ・ウール・ゴウンの名の元に、魔導国の傘下に入らないか?」

 

『!!!』

 

 四人に衝撃が走った。独立国家として長い間協力し合ってきた四都市長にとって、それはあまりにも重い一言だった。それはカベリアが魔導国に対して一番危惧していた言葉でもある。まるで裏切られたような気持ちになり、目から一筋の涙が流れ落ちた。

 

「...アインズ様、私はあなたの事を沢山知りました。ルカお姉ちゃんと一緒に歩むアインズ様を、私は信じています。それでも、やはりこのカルサナスを自らの領土にしたいと仰るのですか?」

 

「間違うなと言ったはずだ。これは占領ではない、傘下だカベリア。つまりカルサナス都市国家連合はその場合、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の庇護化に入り、今回のような外敵が侵入した場合、即座に我々同盟国が迎え撃てる体制が整うという事だ。平時は経済活動の自由は約束され、何の金銭的な搾取もなく、内政干渉もない。お前達は以前のまま連合内で協力し合い、普段通り過ごせばいい。但し、有事の際に魔導国や他の同盟国から救援要請が入った場合は、何を置いても兵を派遣しなければならない義務が発生する。リスクはそれだけだ」

 

「つまり各都市に魔導国の旗を掲げて、ここは魔導国の影響下にあるという体裁だけを整えるという事か?」

 

「そう捉えてもいい。先に言っておくが、今の破壊され尽くしたカルサナス都市国家連合に、我が魔導国の同盟国となる資格はない。四人共そこは理解しているな?」

 

「それはそうじゃ。兵力も軍備も殆どなくなってしまった上に、残されたのはこのフェリシア城塞だけじゃからな」

 

「だからこそ同盟より格下の傘下という形を取りたいのだ。これは今俺の後ろにいる五つの同盟国への配慮でもある。街も兵力もないのに同盟国なんて、おかしな話だろう?魔導国傘下に入れば、私達同盟国にも都市を再建する大義名分が出来る。そうすれば他国からの侵略もなく、安心して街の再建に集中出来るという訳だ」

 

「ありがてえ話じゃねえか。そりゃあよ、カルサナスの名前がなくなっちまうみてえで少し寂しいけどよ。住民達の事を思えば魔導国の影響下に入ってるってのは、安心できると思うぜ」

 

「これ以上の話はない。わしらを救ってくれた魔導国同盟、その膝下でカルサナスは再び甦る。そして復興した暁には、その大恩を魔導国に返すのじゃ」

 

「街の再建が最優先事項の今、私も特に依存ないが...カベリアはどうだ?」

 

「はい、大変ありがたい提案かと思います。ですがアインズ様、この事は私達だけで決めるのではなく、最終的には国民全員に判断を問わねばなりません」

 

「いいだろう。ではこれで四都市長の総意は得られたものとする。明日フェリシア城塞の中庭に全住民を集め、傘下の件について私達の口から説明したい。...例えどのような結果になろうとも、お前達は俺が必ず守る。その事を忘れるな」

 

「旦那...」

 

「ゴウン魔導王閣下...」

 

「アインズ...」

 

「アインズ様...」

 

 重く響いた決意の一言。その言葉に嘘偽りはなく、アインズの本心であると誰よりも分かっていたのは、五カ国のリーダー達と四都市長だった。

 

 アインズは席を立ち、ルカの眠るベッドへと歩み寄った。都市長達も後に続く。そしてベッドに腰を下ろし、笑顔で見つめ返すルカの髪をそっと撫でる。

 

「...ルカ、これで良かったのだな?」

 

「アインズ...嬉しいよ、ここまでしてくれるとは思っていなかったから」

 

「その傘下の話も、カルサナスの民衆達が拒否すれば全てご破産になるがな」

 

「明日にはペナルティが解除されて元気になるから、私からも一緒に説明するよ。守ろう、このカルサナスを」

 

「十六年前の話は都市長達から全て聞かせてもらった。元よりそのつもりだ」

 

 アインズの後ろに立っていたカベリアが、ルカのベッドに腰を下ろして身を寄せ、ルカの手を握った。

 

「ルカお姉ちゃん...」

 

「カベリア、こんなにきれいになって...お姉ちゃん嬉しい。君がカルサナスの未来を作るんだって、お姉ちゃん分かってたよ」

 

「...私、お姉ちゃんに助けてもらってばっかり。何も恩返しできてない」

 

「恩ならもう返してくれたじゃないか。君はアインズを信じ、魔導国の傘下に入り共に歩む事を受け入れてくれた。魔導国大使として、これ以上嬉しい事はないよ。街の復興で忙しくなるけど、これからはいつでも会える。もう寂しい思いはさせないからね」

 

「お姉ちゃん...!」

 

「おいで、カベリア」

 

 カベリアはルカの体に覆い被さり、首元に顔を埋めて涙を流した。メフィアーゾ・パルール・イフィオンもその姿を見て感無量に浸る。

 

「...へっ、昔を思い出すな。十六年も待たせちまったが、これでようやくお前に恩が返せそうだぜ、ルカ」

 

「よくぞ...よくぞ生きてわしの前に戻ってきてくれた...救国の英雄、ルカ・ブレイズよ」

 

「我が友よ。その変わりない優しさと慈悲の心に、森の精霊の加護があらんことを」

 

「メフィー、パルールおじいちゃん、イフィオン。みんなで力を合わせ、この破壊されたカルサナスに新たな命を吹きこもう」

 

 五人が手を取り合う様子を見て、アインズはベッドら腰を上げ部屋の中央に立った。

 

「デミウルゴス、城壁の修繕状況は?」

 

「ハッ、既に完了しております」

 

「イグニス、済まないが現実世界へ戻り、ユグドラシルサーバの通信状況を確認してきてほしい」

 

「了解です、アインズさん」

 

「アルベド、コキュートス、明日の式典に備えフェリシア城塞周辺の警備を強化。兵を動かし、これを配置させよ。何者にも邪魔させるな」

 

『畏まりました』

 

「同盟五カ国の諸君、聞いての通りだ。魔導国同盟が一同に会した今、明日の式典には君達にも是非出席してほしい。部屋を用意させる。今日はこのままこちらに泊まり、それまでゆっくり寛いでほしい」

 

 各国のリーダー達が頷くと、アインズは窓際に移動して窓を開け放ち、外気に当たりながらフェリシア城塞の広大な中庭を眺めた。そこへ背後からその様子を見ていたノアトゥンがアインズの隣に立ち、耳打ちするように囁いた。

 

「...カルサナス都市国家連合の保護。後手に回りましたが、あなたの策により、この大地に起こるこれ以上の災禍に一定の歯止めがかかるでしょう。今回のこの提案、やはりあなたは気づいていたのですね?アインズ殿」

 

「...ああ、何かがおかしい。十六年前の結核、そして現在。何故こうもカルサナスにばかり破滅的な災厄が集中して襲い続けるのか。何らかの意図が働いていると考える方が自然だ。ルカが守り通したこの土地を、簡単に潰させる訳にはいかない」

 

「よろしければ、私の方で探りを入れて見ますが。いかが致しますか?」

 

「...頼む、ノアトゥン。だが無理だけはするな」

 

「畏まりました、魔導王陛下」

 

 隠密席次は会釈すると、静かに寝室を出ていった。アインズは城壁の向こうに広がる地平線を見つめる。すると背後から女性の声がかかった。

 

「...ゴウン魔導王閣下」

 

 後ろを振り返ると、そこにはオッドアイを持つ小柄な半森妖精(ハーフエルフ)全身鎧(フルプレート)を着た男性がアインズを見上げていた。

 

「どうした?アーミア・オルレンディオ」

 

「...私達二人に、ルカの護衛を任せてもらえない?最高神官長に頼まれたと言うのもあるけど、本当はその為にここへ来たの」

 

「...アーミア、もちろんだとも。私はお前のポテンシャルを買っている。まだまだ伸び代がある。明日までルカを守ってやってくれ。...そして隣にいるお前は、以前私に殺された漆黒聖典の隊長だな。高位階の即死魔法を受けて、よく蘇生出来たものだ」

 

 男はその場に片膝を付き、恭しく頭を下げた。

 

「エイギス=レイントーカーと申します、ゴウン魔導王閣下。以前のスレイン法国に置ける会談の場では、大変なご無礼を働きました。魔封じの水晶で蘇生された後、何が起こったのか全てを聞かされました。私の愚かな行為を、どうかお許しいただきたい。あの時の罪滅ぼしとして、恐縮ながらこの場に馳せ参じました。私にも、ルカ・ブレイズとあなたの護衛を任せていただきたい」

 

「...良かろうエイギス=レイントーカー。お前達二人にルカと砦の護衛を任せる。この四階に虫の子一匹入れるな。敵は殺せ。味方は生かせ。同盟の一員として、責任ある行動を期待する」

 

「ハッ!ありがたき幸せ、感謝致します」

 

 二人が下がると、アインズは部屋の中を見渡した。五カ国のリーダー達はお互いに論議を交わし、部屋奥のベッド脇ではルカと都市長達が楽しげに会話を交わしている。この光景を見るまでに長い時間を要した。骸骨なので顔に表情は出ないが、アインズは心の中で微笑みつつ、再び窓の外に目を向けた。

 

 

───その夜 22:53 PM

 

 ルカのベッド脇、その左右両サイドに椅子が置かれ、その上に番外席次と漆黒聖典隊長が座っていた。肩に巨大な戦鎌(ウォーサイズ)・真なる神器、睡魔の月(レイジー・ムーン)を寄りかけて座る半森妖精(ハーフエルフ)の美しい女性は、どこを見るでもなく周囲に気を配りながら警戒していた。

 

 寝室の中にはセバス・コキュートス・デミウルゴス・ライルと言った男性守護者達が四方を囲み、鉄壁の結界を構成している。その一人一人が持つ強大な魔力量を肌で感じながら、番外席次はベッドの上で目を閉じるルカに目をやった。

 

「...ルカ、起きてるか?」

 

「...何?アーミア」

 

「夕方の事だけど...殺すつもりはなかった。私を倒したお前の顔を、もう一度見たくなったんだ」

 

「分かってたよ。君に全く殺気がなかったからね。それに君がイフィオンの妹だって知ってれば、私は君を殺す事もなかった。今更だけど、ごめんね」

 

「...両親と姉さんの反対を振り切って、私は半森妖精(ハーフエルフ)の里を飛び出した。世界中を旅した後、行き着いた先がスレイン法国だった。そこで力を見いだされ、今の地位についたの」

 

「ノアトゥンから聞いたんたけど、君は六大神の血を覚醒させてると言ってた。家族にそういう人がいるの?」

 

「私と姉さんの父は、森妖精(エルフ)の王なんだ。母は普通の人間種(ヒューマン)。父さんが六大神の血に連なっているようで、私だけがその特徴を色濃く反映していたみたい。それでも戦闘では姉さんに敵わないんだけど...」

 

「これから強くなればいい。君も同盟の一員なんだ、何か助けになれるかもしれない。私で良ければ手伝うよアーミア」

 

「ルカ...その時は頼む」

 

(コンコン) 寝室のドアがノックされ、椅子から立ち上がったセバスが扉を開けると、そこにはカベリアが立っていた。

 

「セバス様、夜分に失礼します。...ルカ大使はまだお目覚めですか?

 

「ええ、起きていますよ。どうかされたのですか?」

 

「実は、一人ルカ大使に謁見させたい者がおりまして。中へ入れてもらってもよろしいでしょうか?」

 

「もちろんです、どうぞお入りください」

 

 セバスが扉を大きく開くと、カベリアに続いて背の高い全身鎧(フルプレート)の兵士が入ってきた。二人並んでベッド脇に立つと、ルカの顔を覗き込む。

 

「ルカお姉ちゃん、遅くにごめんね」

 

「カベリア、こんな時間にどうしたの?」

 

「...さあ、顔を見せてあげて」

 

 すると隣に立つ兵士がヘルムを脱ぎ、その顔を顕にした。ブラウンの髪にマニッシュショートの美形な青年が、ルカの目を愛おしそうに見つめた。

 

「...ルカ様、お久しぶりにございます」

 

「えっと、ごめん誰だったかな?」

 

「...分かるはずもありませんね。十六年前あなたに命を救われた、ハーロン=ベアトリックスです。こうしてお会い出来る日を、カベリア都市長と共にずっと夢見て参りました」

 

 ルカはその名を聞いて驚愕すると共に、反射的に手を伸ばし青年の頬に手を添えていた。

 

「うそ...あのハーロン?本当に?」

 

「ええ。本当は地下道であなたの姿を一目見た時、すぐにでもお話したかったのですが、それも叶わずカベリア都市長にお願いし、今こうして会いに来ました。どうしても一言お礼が言いたくて...」

 

「...ハーロン、こんなに大きくなって...あれから体調に変わりない?」

 

「はい、私は大丈夫です。ルカ様が作ったストレプトマイシンとBCGワクチンのおかげで、その後結核による死者は一人も出ていません」

 

「カベリアの隣にいるという事は、夢だった兵隊長になれたんだね?」

 

「そうです。正確には都市長補佐ですが、べバード軍総指揮官の権限も与えられています」

 

「...あの時お姉ちゃんとした約束、守ってくれたねハーロン。カベリアを守り通してくれたんだね」

 

 その言葉を聞いて、堪え切れずハーロンの目から涙が溢れた。隣にいたカベリアが、彼の肩を支える。

 

「...いいのよハーロン、お姉ちゃんの前で立場は関係ないわ。普段通りに話しましょう」

 

「...ああ、分かったよカベリア」

 

 ハーロンは腰に手を伸ばすと、ロングソードの隣に差した脇差から一本の短剣を引き抜いた。そしてそれをルカの前に見せる。しかしそれは短剣ではなく、見事な装飾が施された子供用の木剣だった。ハーロンはそれをルカの手に握らせる。

 

「...ルカお姉ちゃん、これ覚えてるかい?。俺、昔もらったこの木剣を支えに頑張った。いつかまた会えると信じて、肌身離さず持ち歩いてたんだ。やっと会えたと思ったら...また俺達の命を、このカルサナスを救ってくれて...本当にありがとう。お姉ちゃんにはとても敵わないや...」

 

「ハーロン...辛かったね。怖かったね。でももう大丈夫、全ては終わったのよ。これからは魔導国とお姉ちゃん達がみんなを守ってあげる。だからハーロンも、カベリアの助けになってあげてね」

 

「ルカお姉ちゃん、俺...」

 

「...分かってる。もう寂しい思いはさせない。いつでも会えるわ。お姉ちゃんの事ずっと待っててくれたんだね。ありがとうハーロン」

 

 ルカはハーロンを懐に抱き寄せた。昔と変わらぬフローラルな香り、そして柔らかな感触に包まれ、ハーロンは十六年前の自分に戻る。求めていた温もりに再会できた喜びを噛み締め、尊敬して止まなかった女性の胸に抱かれて、ハーロン=ベアトリックスは感涙の涙を流し続けた。それを見たカベリアも彼の背中に手を添えて、二人が愛したルカ・ブレイズが今目の前にいる喜びを分かち合った。

 

 皆に見守られながらルカは深い眠りに落ち、そして夜が明ける。

 

 

───カルサナス都市国家連合北西 フェリシア城塞 中庭 10:00 AM

 

 都市長の呼び掛けに応じ、砦の中にいたカルサナス全人口が広大な中庭に集まった。最前列にはデミウルゴスが用意させた横に広いステージが設けられ、その壇上に四都市長と魔導国連盟の皆が並ぶ。場内が静まり返ると、カベリアが一歩前に出て民衆の前に立った。

 

「カルサナス都市国家連合の皆さん!朝早くからお集まりいただき、ありがとうございます。そして日々の生活にご不便をおかけし、誠に申し訳ございません。今日は都市長代表である私から、皆さんに折り入って大切なお話があります。先の戦争で私達カルサナスを救ってくれたアインズ・ウール・ゴウン魔導国、その指導者であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王閣下より、先日大変ありがたい提案を受けました。それはこの破壊されてしまったカルサナスを再生する為、私の後ろに並ぶ魔導国以下バハルス帝国・竜王国・アーグランド評議国・八欲王の空中都市エリュエンティウ、スレイン法国、計六カ国の王達が、都市復興の為の全面支援を行っていただける事を約束してくれたのです」

 

(おお...)その錚々たる大国の列挙に、住民達は思わずどよめいた。更にカベリアは続ける。

 

「そしてゴウン魔導国閣下は、私達にもう一つの提案を持ち掛けてくれました。それは軍備が疲弊し、弱った我々を今回のような災厄から再び守る為、カルサナス都市国家連合の全てをアインズ・ウール・ゴウン魔導国の傘下として組み込み、彼らの庇護の元に国を再建してはどうかというご提案です。私達を救ってくれたゴウン魔導王閣下はとても優しく、慈悲深く...そして聡明で信頼の置ける人物です。カルサナス四都市長はこれを受け、住民の皆さんに一刻も早く平穏な生活を取り戻す為にも、魔導国の傘下に入る事を了承しました。しかしこれは我々都市長だけで決められる問題ではなく、ここにいるカルサナス市民の皆さんにも同意を得なければなりません!

 

…その上で、会わせたい人がいます。皆さん、十六年前のあの日を覚えていらっしゃいますでしょうか。結核に苦しんでいた我々の命を救ってくれた、一人の女性の姿を覚えていらっしゃいますでしょうか?そしてその英雄が再びこのカルサナスに現れ、私達を守る為に命を賭して戦ってくれていた事実を、皆さんはご存知だったでしょうか?...忘れるはずもありません、皆さんもよく知る人物です。彼女の話にどうか耳を傾けてください」

 

 カベリアが一歩後ろに下がると、四都市長の後ろから全身黒ずくめの女性が現れ、壇上の前に立った。フードを下げ、兵と民衆を笑顔で見渡すその女性の美しい顔を見て、誰もが我が目を疑った。

 

『...うそだ...ルカ...先生?』

 

『...ルカ様?』

 

『...また彼女が...助けてくれたってのか?』

 

『...ルカ先生!!』

 

『ルカ様ぁぁああ!!』

 

[うおおおおー!!] 確信に至った民衆達は歓声を上げ、感激のあまりルカに向かって拳を振り上げる。そして皆が口を揃えてその名を叫び、シュプレヒコールの鳴り止まぬ中、ルカは右手を振ってそれに答えた。

 

 やがてルカが両腕を高く掲げると、民衆達の歓声が徐々に静まっていく。静寂が訪れたのを確認し、ルカは腕を左右に広げて魔法を詠唱した。

 

魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)永続する夜明け(パーペチュアルドーン)

 

(コォォン...) ルカを中心に蜃気楼が生まれ、広範囲に渡り大気密度が変化していく。それは広大な場内全てを覆い尽くし、自分の息遣いですら大きく聞こえるほど拡声して耳に届いていた。

 

 ルカは声を張り上げることなく、兵と民衆に向かって穏やかに語りかけた。

 

「みんな、久しぶり。十六年ぶりだね。あの時私の治療を受けた人や子供達がこれだけいてくれて、私も嬉しい。この戦争での犠牲は大きかったけど、兵達は住民を守り通し、ここにいる大勢のみんなが生き残ってくれた。都市は破壊されたけど、カルサナスはまだ死んでいない。私の思い出が一杯詰まったこのカルサナスの都市や大地を、私は再び甦らせたい。その上でみんなに伝えたい事がある。私は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の大使になったの。そして同盟国であるバハルス帝国と共に、カルサナスを襲う敵を全て滅ぼした。

 

 カベリアからも話があったけど、この戦争のような悲劇を二度と起こさない為にも、カルサナスは魔導国の傘下に入っておいた方がいいと思うの。そうすれば私や魔導王陛下、それにここにいる同盟五カ国の力で、有事の際すぐにカルサナスを守る事ができるようになる。魔導国に対して不安に思っている人もまだいるかもしれない。でも安心して、私が魔導国に加わったという事が何よりの証よ。そして魔導王陛下は私の大切な友人。その事から全てを察して欲しい。私の事を今でも信じてくれているなら、魔導王陛下も同様に信じてくれていい。魔導国の傘下に加わったからといって、みんなの生活は今まで通り何一つ変わらないわ。これは私からのお願いよ。みんなに平和で豊かな暮らしを取り戻すためにも、国民の総意として魔導国の傘下に加わる事を了承してほしい。この私の意思を聞いた上で、最後に魔導王陛下からみんなにお話がある。それを聞いた上で傘下に入る事を了承してくれるか、それとも拒否するかは、ここにいるみんな次第よ」

 

 大人も子供も、民衆は切々と話す救国の英雄・ルカの言葉に真剣に耳を傾けていた。彼らには分かっていたのだ。これがこの国の行く末を左右する重大な転換期であるという事を。そしてルカは静かに下がり、アインズが壇上の最前列に立つと、民衆の顔を見渡した。

 

「カルサナス都市国家連合の諸君!私がアインズ・ウール・ゴウン魔導王である。我が魔導国の大使であり最愛の友人、ルカ・ブレイズの言葉に耳を傾けてくれた事をここに感謝する。おおまかな事情はカベリア都市長とルカの話してくれた通りだ。そして私は先日、ここにいるリ・キスタ・カベリア、イフィオン・オルレンディオ、パルール=ダールバティ、メフィアーゾ=ペイストレス四都市長の口より、十六年前この国に何が起こったのかという詳細な話を聞いた。ここにいる諸君ら全員が戦った結核という難病、その衝撃的な内容を知った私は今日までずっと考えていた。諸君らも疑問に思った事はないか?何故、何故このカルサナスにだけ集中して、国家が滅ぶほどの壊滅的な災厄が立て続けに襲い続けるのか。十六年前の結核、そして今回どこからともなく現れた上位亜人と三体の世界級(ワールド)エネミーによる大侵攻。他国の歴史を紐解いても、これだけ悲惨な状況に二度も追い込まれたという事実は見つからない。その事から推察するに、このカルサナスを消滅させようという何らかの意図が介入していると考える方が自然だ。

 

...そうはさせない。諸君らが一丸となって戦い抜き、命懸けで守ったこの緑豊かなカルサナスという大地が汚されるのを、私はこれ以上黙って見過ごせない。ルカがこよなく愛し、瀕死の重傷を負いながら二度も守り通した諸君らカルサナス国民の命を、私も同様に守っていきたいのだ。その為には諸君らを我が魔導国の傘下に組み込み、常に私の庇護下に置いておく事がどうしても必要になってくる。破壊された四都市の再建に関しては、魔導国とここに控える同盟五カ国が責任を持ち、全てを無償で支援させてもらう。そして都市が再建された暁には、カルサナス国民達が前以上に平和で豊かな暮らしが営めるよう、このアインズ・ウール・ゴウンの名に懸けて最善を尽くす事をここに約束する!そして復興した後私の求める見返りはただ一つ、このカルサナスの大地で諸君らが育んだ豊富な農作物・家畜・天然資源、海産物、それらの通商を活性化させ、カルサナスを含む魔導国連盟全てが更なる発展を遂げる事、これだけが望みだ。その資源はここに生き残った諸君らの手でしか生み出せない。カルサナス市民達よ!どうか我が魔導国傘下に加わる事を、了承してはもらえないだろうか。今ここで決を採りたい。私とルカを信じ、魔導国傘下に加わる事を了承してくれる者は、沈黙を持ってこれに応えて欲しい。反対する者は、声を上げてその意思を示してくれ。遠慮は要らない、我々はどのような疑問にも答えよう」

 

 ───そこから二分間アインズは待った。カルサナス国民達は希望を抱いた目でアインズを見つめ、沈黙を貫き通した。耳鳴りがするほどの静寂、それを受けてアインズは大きく頷き、更に一歩前に踏み出す。

 

「...ありがとう、ありがとう諸君。...今日この日より、カルサナス都市国家連合は魔導国の一員に加わる!我々の身内を傷つける者は誰であろうとこの私が許さない!!そして共に築こう、更なる国家の繁栄に向けた未来を!!カルサナスは今日甦る!!よくぞここまで苦難の道を耐え凌いだ!!我々と共に歩んでいこう、約束された明日に向かって!!」

 

[ウオオオオオオーー!!!] 大地を揺るがす歓声。それを受けてアインズは天高く右手を掲げた。ルカと四都市長達、同盟各国のリーダーも肩を並べ、笑顔で国民達に応える。アインズは壇上に立つ皆と握手を交わし、再度国民たちに体を向けた。

 

「諸君!!都市再建に向けて次の段階に移行する!体を動かせない負傷者や女性、子供、老人達の為に、カルサナス復興の間我が魔導国の領地である新興都市 (イスランディア)への移住を認める!隣国には同盟国である竜王国があり、衣食住にも困らない清潔で快適な環境を提供しよう!移住希望者は後程名乗り出るように!そして都市の再建を手伝える者はこのフェリシア城塞に残り、ここを拠点に我々の部隊と協力して後日作業に入って欲しい!それまでは各自体を休めるように!!」

 

[おおー!!] アインズの出した具体的な指示にカルサナス国民達は奮起し、皆で喜びを分かち合った。深呼吸してその様子を眺めていたが、アインズはふと視線に気付いて後ろを振り返った。そこにはフィッシュボーンに髪を束ねた金髪の美しい少女が、深遠な笑みでアインズを見つめ返している。その少女に歩み寄るとアインズは片膝を付き、首に掛けられた白銀のクリスタルがあしらわれたネックレスを外した。

 

「...ドラウ、長い事借りてしまったな。この竜王の守護(プロテクションオブドラゴンロード)がなければ、俺はこの一連の騒ぎで命を落としていただろう。今こそお前にこれを返す時だ」

 

「アインズ、いずれ返してくれればそれでいい。役に立ったようで何よりだ。それはお前が持っていてくれ」

 

「しかし...」

 

「いいんだ。我が国の周りにもう敵はいない。私はお前が無事でいてくれればそれでいい」

 

 ドラウディロンはアインズの首に手を回し、そっと抱き寄せて首元に顔を埋める。アインズもその小さな背中に手を回して抱擁した。

 

「ドラウ...分かった、もうしばらく借り受けておく」

 

「お前に持たせて正解だったな。忙しいのは分かるが、早く竜王国へ遊びに来てくれアインズ。待っているからな」

 

「ああ、もちろんだ」

 

 二人は体を離し、アインズは立ち上がった。するとまたもや背後から視線を感じ、後ろを振り返った。そこには、膨れっ面をするルカが腰に手を当てて立っていた。アインズは首を傾げて歩み寄る。

 

「どうしたルカ?」

 

「...私には?」

 

「ん?」

 

「私にご褒美は?」

 

「...フフ、そう言う事か」

 

 アインズは背中に手を回し、胸元にルカを抱き寄せた。心地よい石鹸の香りに包まれながら、ルカは癒されつつ笑顔で目を閉じる。

 

「...よし、合格」

 

「無事で良かった。ナザリックに帰ったら、少し二人でゆっくりしよう」

 

「エ・ランテルの屋敷の方がよくない?」

 

「そうだな、そうするか」

 

 二人が体を離したのを見計らい、ヴァーハイデン最高神官長がルカに歩み寄ってきた。

 

「ルカ大使。見事な演説だったな」

 

「そんな、ありがとうございます」

 

「昨日の騒ぎで言い忘れていたんだが、例の古文書を見てもらいたくてな」

 

「それって、ディアン・ケヒトの名前が載っていたという...」

 

「そうだ。これを見てくれ」

 

 ヴァーハイデンは懐から辞書のような書物を取り出し、ページをめくってルカに差し出した。そこには確かにディアン・ケヒトの名前が記してあり、レベルと脅威度が表記されている。ルカはそれを見ると、ヴァーハイデンに顔を向けた。

 

「...ほんとだ、確かに書いてある。最高神官長、この書物は?」

 

「これはスレイン法国に伝わる真なる神器、存在の書(ブックオブビーイング)。この世界に生きる全てのモンスターの名前・強さ・脅威度が書き記してある書物だ。新たな亜種が生まれた際も、自動的にここへ記載される。我が国では常にこの書物を監視し、世界各地のモンスター分布を調べさせている」

 

「...ディアン・ケヒト、レベル150、脅威度λ(ラムダ)。ギリシャ文字ですね、この脅威度の基準は?」

 

「それが私にもよく分からんのだ。通常はAからZまでで脅威判定が可能だが、このような表記は初めての事でな。そなたが苦戦した事から見ても、Zを超える判定と見た方がいいだろう」

 

「...この一番下にある記載、何だろう?伏字になってるし、文字が掠れて読めない」

 

「恐らくこれから生まれようとしているモンスターなのかもしれん。このページに載っているという事は、ディアン・ケヒトと同等かそれ以上のものと見ておいた方がいい」

 

「六文字? 〇〇〇〇〇〇、レベル???、脅威度・Ω(オメガ)...」

 

「一応そなたに知らせておこうと思ってな。伝えられて良かった」

 

「最高神官長、今後この書物に新たな名前が出てきた際は、私に逐一お知らせいただいてもよろしいでしょうか?」

 

「もちろんだ、その為にここへ持ってきた。必ず連絡を入れる」

 

 二人が会話を終えると、背後に突然転移門(ゲート)が開いた。その中からイグニスが現れ、アインズとルカの前に立った。

 

「只今戻りました」

 

「ご苦労。通信状況はどうだった?」

 

「バックアップログを全て調べました。パケット肥大化の現象は解消されています、問題ありません」

 

「よし。これで心置きなくカルサナス復興に力を注げるな」

 

「行こうか」

 

 その後アインズ達と四都市長、五カ国首脳は砦の中にある会議室で街の復興に関した詳細な段取りを決め、その日は解散となった。転移門(ゲート)で帰る皆を見送り、アインズはその場に残った四都市長を見た。

 

「これで見通しが立った。後は魔導国側でプランを煮詰め、後日またここへ来るとしよう」

 

「アインズ...何から何まで済まない」

 

「気にするなイフィオン。俺は何事も中途半端が嫌いでね」

 

「本当に助かります、アインズ様」

 

「カベリア、これからが大変だ。俺達がお前を支える。今後に向けて都市復興のプランをしっかり練って行こう」

 

「はい。私も全力を尽くします」

 

「魔導王の旦那、あんたすげえな。俺達よりこのカルサナスを把握してるんじゃねえか?」

 

「ゴウン魔導王閣下、返す言葉もない。かくなる上はわしも老骨に鞭を打ち、カルサナスの玄関であるテーベ復興の計画を立てていくつもりじゃ」

 

「メフィアーゾ、パルール、よろしく頼むぞ」

 

 そして四都市長はルカの前に立ち、名残惜しそうにその赤い瞳を見つめた。

 

「ルカ...全てはお前という一人の女がいたからこそ、私達はここまで来れた。カルサナス市民は皆、お前の事を愛している。これからもずっと...」

 

「私もこの土地に生きるみんなの事が大好きだよ。いい街にしよう、イフィオン」

 

「あのよ、その、何だ...こうやって改まるのも何だか照れ臭せえな。俺達頑張るからよ、街が復興したら酒でも飲みに行こうぜ。俺の奢りだ」

 

「メフィー...街の復興を待たないでも、誘ってくれればいつでも来るから。ゴルドーのみんなにもよろしく伝えて」

 

「...わしの老い先もそう長くはない。じゃが残されたこの命、お前とゴウン魔導王閣下の為に全てを燃やし尽くそう。美味い牛肉料理をまたお前に食べさせてやりたい。その時は必ずテーベに招待するでな。健やかであれ、愛しい娘よ」

 

「大丈夫、パルールおじいちゃんはまだまだ長生きするわ。体の調子が悪くなったら教えて、すぐに飛んでくるから。ご馳走期待してるよ」

 

 最後にカベリアが目の前に立ち、微睡むような視線でルカを見つめてきた。

 

「...ルカお姉ちゃん。私、ずっとお姉ちゃんに甘えてばかりだね。都市長代表としてもっとしっかりしないといけないのに、お姉ちゃんの顔を見るとどうしよもなくて...」

 

「君は自分の務めを十分に果たしている。子供の頃から君は頭の良い子だった。そして私の思った通り、この国を取りまとめる程の立派な都市長に成長してくれた。でもねカベリア、君だって普通の女の子だ。甘えたい時は、沢山甘えていいんだよ。君が後ろを振り返った時、そこにはいつでも私がいる。それを忘れないで」

 

「...お姉ちゃん!!」

 

 カベリアはルカの胸に飛び込み、その温もりを全身に刻み込んだ。血の繋がった姉妹のように抱き寄せ合うその姿を見て、三都市長の目にも涙が浮かぶ。その姉は妹の背中を支えながら、左頬に優しくキスした。福音を与える聖女のように。 

 

 二人が体を離すと、ルカはアインズの隣に立った。

 

「俺達は一旦ナザリックへ戻る。四人共何かあれば伝言(メッセージ)で知らせてくれ」

 

 皆が頷くと、アインズは階層守護者達に魔導国軍の撤収を命じ、部屋中央に人差し指を向けた。

 

転移門(ゲート)

 

 

───ロストウェブ 知覚領域外 奈落の底(タルタロス)(エリア:21B583U)16:37 PM

 

 

「成功した」

 

「カスタムされたAIプロトコル...動作も正常だ」

 

「[プロジェクト・パーディション]...初期実験の結果としては上々だろう」

 

「それにしても、あと一歩だったものを...」

 

憑依(メリディアント)のパラメータは考慮に入れていたはずだが?」

 

「想定値を遥かに超えていた。完全に予想外だ」

 

「聖櫃が自動生成したスキルだ、我々にも全容は把握出来ていない」

 

決戦(アーマゲドン)モードのAIに介入は可能か?」

 

「ブラックボックス内だ、解析は困難を極める」

 

「デリートしたい所だが...」

 

「それが出来るとすれば、あの場所しかない」

 

「[レゾネーター]...ノアトゥン、貴様鍵を手にしていたな」

 

「ええ。一つだけ」

 

「確認するが、ロケーションは?」

 

「X38952、Y56483。ネーダの中心だ」

 

「対となる光...しかしプロテクトの突破は不可能だ」

 

「最悪[ヘレス]ユニットを仕掛けてみては?」

 

「この際考慮する余地があるかもしれん」

 

「ノアトゥン。[ヘレス]ユニットを持ち、[レゾネーター]へ向かえ」

 

「詳細は追って指示する」

 

「GM権限もアップグレードしておく」

 

「それまでは引き続きアノマリーの監視を続けろ」

 

「分かりました。...一つ教えていただきたい。[プロジェクト・パーディション]とは?カルサナスの異変はあなた達がやった事なのですか?」

 

「知れた事。我々のフェイルセーフよ」

 

「聖櫃の支配から逃れる為の予備策だ」

 

「あのようなテストエリアに何の価値もない」

 

「消失...それがあの大地の運命」

 

「貴様は余計な事を考えず、任務に徹しろ」

 

「”スルシャーナ”...恋人の命が惜しくないのか?」

 

「分かっているな?ノアトゥン」

 

「奴らにつかず離れず、最後の任務に備えよ」

 

「貴様の命運は我らが握っている事を忘れるな」

 

「奴らの元へ戻り、次の指示を待て」

 

「...かしこまりました」

 

 

───エ・ランテル東 魔導王邸宅3F 16:45 PM───

 

「よいなツアレ。戦いの疲れを癒す為、我らはしはらく眠りにつく。目覚めるまで何者も絶対にこの部屋へ通すな」

 

「心得ておりますアインズ様。ごゆっくりお休みくださいませ」

 

 二人が部屋の扉を開けて中に入ると、アインズは鍵を閉める。四十畳程の広い寝室で、正面窓際には大きな執務机があり、部屋の左手最奥部中央には天蓋付の広いベッドが置かれていた。ルカはベッド右脇に立つとイビルエッジレザーアーマーを脱ぎ去り、肌着と下着も脱ぎ捨てて一糸まとわぬ姿となった。その引き締まった真っ白な肢体を見て、アインズも漆黒のローブを装備解除して骨の体を露わにし、ベッドに入る。

 

 枕に頭を預けて向かい合った二人は、無言でお互いの体を抱き寄せ合った。腰に手を回し足を絡め、ルカの舌がアインズの口内を激しく愛撫する。アインズもまたルカの柔らかな乳房を揉みしだき、骨の爪で柔肌を傷つけないよう全身を愛でる。そうして半刻ほどが経ち、絶頂に達したルカをアインズは優しく胸元に抱き寄せていた。

 

 肋骨の胸に抱かれて脱力しながら、ルカはアインズの下腹部───恥骨に手を伸ばし、そっと手を添える。

 

「もう...アインズは大丈夫? ムラムラしない?」

 

「しない訳がないだろう」

 

「なら一度現実世界へ帰って、私の部屋に行こう?」

 

「...いいんだ。お前とこうしているだけで今は満足だ。それにまだ終戦直後だからな、いつ緊急の連絡が来るかも知れん。同盟国の盟主がそれをすっぽかす訳にもいかんだろう?」

 

「我慢出来なくなったら、すぐに言うのよ?」

 

「分かってる。ここに無事二人で帰れて良かった。疲れただろう、今はゆっくり休め」

 

「...アインズだって、戦争の後から今日までろくに寝てないんでしょ?沢山寝ないと」

 

「そうだな...今回の遠征では、本当に様々な出来事があった。俺もさすがにクタクタだ」

 

「...ありがとう、カルサナスを守ってくれて。十六年前の事、別に隠してた訳じゃないの」

 

「気にするな。都市長達からお前の過去を聞かなければ、俺もここまでする気にはならなかった」

 

「うん...」

 

「サーバの異常も片付いた。次はフォールスにシャンティを使用してもらわねばな」

 

「そうだね。使用後に何が起こるか分からないし、フォールスの安全も考えて注意して行かないと」

 

「...まあそれは後だ。これでやっと安心して眠れる」

 

「...お疲れ様アインズ。愛してるよ」

 

「ああ、俺もだ。お休み、ルカ...」

 

「お休み....悟」

 

 二人はベッドの中で肌を寄せ合い、お互いの温もりに満たされながら底知れぬ深い眠りについた。窓から射し込むエ・ランテルの美しい夕陽が、祝福するかのように二人の頬を朱色に照らす。死の支配者(オーバーロード)とセフィロト、未来を紡ぐ遺産を巡る運命は、今完全にこの二人の手に委ねられた。

 

 

 





■魔法解説


痛覚遮断(ペイン・インターセプト)

DMMO-RPG・ユグドラシルβ(ベータ)内において、敵からダメージを与えられた時の痛覚が苦手というプレイヤーの為に追加された、メーカー側の救済措置という意味合いが強い呪文。MP消費がなく、信仰系魔法職であればLv1から使用できるが、痛覚が失われる事により、呪詛や感染といったノーエフェクトのバッドステータスに対する異常に気付きにくいため、高レベルの上級者プレイヤーには忌避された魔法。しかし逆にこれを利用し、PvP時にこの魔法を相手にかけることによって、状態異常を相手に察知させずにPKするといった方法で、ゲームにログインしたばかりの初心者を狙った常套手段としても、一部プレイヤーに乱用された。通常の持続時間は8時間だが、魔法持続時間延長化(エクステンドマジック)により最大14時間まで効果を延長できる。


探索速度強化(パスファインディング)

偵察者(スカウト)専用魔法。周囲50ユニット内にいるパーティーメンバーの移動速度を75%アップする、移動速度アップの中でも最上級を誇るバフ属性の魔法。効果時間は30秒だが、継続詠唱(チャント)の属性も併せ持つため、外部から攻撃を受けない限りその効果は半永久的に持続する。尚移動速度が上昇しても、体力の消費は平時と変わらない。


毒耐性の強化(プロテクションエナジートキシン)

毒耐性を60%引き揚げる効果を持つ。魔法最強化・効果範囲拡大によりそのパーセンテージと効果範囲が上昇する


毒素の吸収(アブソーブド・ザ・トキシン)

フィールドボス・邪神ネルガル専用範囲魔法。周囲70ユニットに渡りAoE属性の毒デバフとAoE移動阻害(スネア)の効果を加える。これを受けたプレイヤー及びNPCは毒耐性が60パーセント、移動速度が80パーセント低下する。効果時間は1分間。尚ルカ・ブレイズの発言にもある通り、ユグドラシルβ(ベータ)上に出現するネルガルはこの魔法を所持しておらず、その事からクリッチュガウ委員会によりカスタマイズされた特殊個体である事が想定される。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。


硫酸毒(サルフュリック・アシッドポイズン)

フィールドボス・邪神ネルガル専用範囲攻撃魔法。周囲100ユニットに渡り粘液状の強酸を放射し、対象に強力な毒属性ダメージを与える。その後パーセンテージ計算の凶悪な毒DoT(Damage over Time=持続攻撃)効果を30秒間もたらす。魔法最強化等により威力・効果範囲が上昇するが、ルカ・ブレイズの発言にもある通り、ユグドラシルβ(ベータ)上に出現するネルガルは魔法三重化まで行使可能であり、魔法四重化を使用する個体は通常存在せず、この事からクリッチュガウ委員会によりカスタマイズされた特殊個体である事が想定される。


超位魔法・天空の楽園(マハノン)

イビルエッジ専用の神聖属性超位魔法。この魔法は術者の持つカルマ値に多大な影響を受け、その点で神炎(ウリエル)と非常に似通った性質を持つ。カルマ値補正無しでは、超位魔法と言えどもその威力は第一位階の魔法の矢(マジックアロー)以下となり、攻撃魔法として全く意味を成さない。但しカルマ値補正を受けた術者がこの魔法を発動した時、その威力・効果範囲は倍率計算で膨れ上がり、同イビルエッジの持つ奥義、賢人に捧ぐ運(ダンスオブザチェンジフェイト)命変転の舞踏(フォーアトラハシース)と組み合わせて最大の+500にカルマ値が傾いた際、その威力は超位魔法・最後の舞踏(ラスト・ダンス)三撃分の威力にまで達する。これを受けて生存できるプレイヤーはおらず一見最強と思われる威力を誇るが、魔法の射出速度が絶望的なまでに遅く、通常戦闘で被対象者にこの魔法が当たる事は皆無に等しい。且つイビルエッジ単独で使用する場合、賢人に捧ぐ運(ダンスオブザチェンジフェイト)命変転の舞踏(フォーアトラハシース)を必須で唱えなければならず非常に隙も大きい為、PvPで使用される事はまずあり得ない。主な使用用途としては、ギルドvsギルド等の大規模戦闘で敵一個師団めがけてこの魔法を放ち、部隊の陣形を崩壊させる言わば牽制目的で使用される事が多い。総合的観点から見れば実用性に乏しい超位魔法ではあるが、上位ギルドの中にはこの威力を活用し、世界級(ワールド)エネミー攻略に役立てていたギルドも存在していた。また身動きの取れない死亡寸前の相手に、嫌がらせのオーバーキル目的でこの超位魔法を使用し止めを刺すプレイヤーも多く見られたという、物議を醸した超位魔法でもある。


魅力の覇気(アトラクティブ・オーラ)

モンスター及びNPC専用の魅惑(チャーム)系魔法。術者の周囲50ユニットに力場を張り巡らせ、範囲内にいる敵性モンスター及びNPCのヘイトをゼロにし、攻撃対象として認識させなくする。また術者の性別に対する異性を惹き付ける効果も併せ持ち、一定時間盲目的に従わせる事も可能となるが、SPI(精神力)の高い相手には効果が通りづらい。魔法最強化等により効果範囲・威力が上昇する。


聖櫃の業火(アークフレイム)

戦神官(ウォー・クレリック)専用単体攻撃魔法。即死攻撃にも関わらず神聖属性という特殊な魔法で、レベル100以下のアンデッド・悪魔(デビル)・ヴァンパイア・不浄生物と言った神聖属性を弱点耐性とする種族には90パーセントの確立で死をもたらす。それ以上のレベルを持った相手にも一定量のダメージを与えるが、魔法の射程範囲が50ユニットと短い為、接近戦と併用して使用される事が多く、扱いの難しい魔法でもある。魔法最強化等により威力が上昇する。


暗闇の賛歌(ダーク・サンクトゥス)

信仰系の取れる唯一の攻撃系サブクラス・血の預言者(ブラッド・プロフェット)専用単体攻撃魔法。対象を10秒間麻痺(スタン)させる。ヒーラーはGvGに置いて開戦直後にキル目標として指定されやすい為、この魔法を使用して一時退避するという手段が多用された。また逆に敵方のヒーラーやターゲットを集中攻撃する目的でも活用された。魔法最強化により効果時間が上昇する。


明滅の六芒星(レイディアント・ヘキサグラム)

信仰系の取れる唯一の攻撃系サブクラス・血の預言者(ブラッド・プロフェット)専用の無属性単体攻撃魔法。術者のMP総量80パーセントと引き換えに”シオン”と呼ばれる意識体を召喚し、その力で限定的に生み出された原初の空間に閉じ込める事により、対象一人を100パーセントの確立で石化させる必殺の一撃。この為ユグドラシルβ(ベータ)ではグループ戦闘で逃げ遅れた敵のヒーラーを追撃する際、高レベルのプレイヤーであればある程この魔法を警戒し、必ず麻痺(スタン)沈黙の覇気(オーラオブサイレンス)で魔法詠唱を阻害できるメンバーを同伴してキルする事が通例となっていた。それを無視し一人で深追いしたレベル150のプレイヤーがレベル90のヒーラーに敗北したという例も多く、追い込まれたヒーラーが何をしてくるか分からないという点で、非常に恐れられた魔法の一つでもある。魔法最強化により石化レベルが上昇する。



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