緋弾のアリアAB (純鶏)
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流水編(前編)
1話 - 被弾したもの


「ねぇ、お姉ちゃん!」

少年はそばにいた女性に聞く。

「どうしたの?」

「僕の名前ってどう書くの?」

筆を持っていた少年は不思議そうな表情で、女性に問いかけた。その様子を見た女性は、にこやかな笑顔で書く。

「前に書いてあげたのに忘れたの? あなたの名前はこう書くのよ」

書かれた字はとてもきれいだった。どちらかというと行書体に近い字の書き方ではあったので読みづらくはあったが、それでも少年にとってはキレイに見えた。

『竹内 絨』

小さな紙に書かれた名前は、やや薄い字で書かれてあった。

「ありがとう、ハナ姉ちゃん!」

笑顔で答えた少年は、嬉しそうにその紙を見ながら、わら半紙の名前の欄に自分の名前を書いている。

「じゃあ、また分からないところがあったら呼んでね」

「うん!」

そう言って彼女は、部屋から出て行ったのだった……。



これは、オレの昔の思い出だ。


 自分の頭の近くで音が鳴っている。別にその音は待っていれば鳴らなくなるのだが、自分は耐えきれずその音のする方へと手を伸ばした。

 オレの頭の上で音が鳴っていたものは目覚まし時計だった。いつもなのだが、これのアラームを止めた瞬間は、何とも言えない達成感に似た感情に満たされていく。それと同時に、また眠たくなってわけなのだが、5分経てばまたアラームが鳴るので結局は起きることにした。

 

 起きたオレは冷蔵庫からお茶とロールパンを取り出し、テーブルに置いて座る。一番先にオレが口にしたのはお茶だった。誰しもがそうなのだろうけれど、朝起きてから水分を奪われるパンを真っ先に食べるやつはいないに違いない。もし、朝食がご飯であったなら変わってくるのかもしれないが、それでも真っ先に水分を取りたがる人間は多いはずである。

 コップに入ったお茶を飲み、味気ないロールパンを食す。この組み合わせは見た目からしても本当に味気ないものだ。それでも、朝にあまり食欲が湧いてこない自分にとっては、これくらいがちょうどいい。昔は親によく朝食と一緒に牛乳を飲まされたものだが、今になってみれば、よくあんな体液を飲まされていたものだと思えて仕方がない。別に嫌いではないのだが、朝に飲むのだけはあまり気分の乗らない飲み物であるのだ、牛乳というやつは。

 

 朝食をすませたオレは、5月4日と日付けの書かれた新聞を取りに行き、見出し記事を眺めながらテーブルへと向かう。

 

『―武偵殺し事件再び―』

 

 目の細いオレがより目を細めて初めて読んだ文面がそれだった。毎朝、新聞のテレビ欄と天気予報を見るのが日課となっていて、いつもそれ以外はそこまで読まないでいる。でもさすがにこの見出し記事に関しては、見過ごすワケにはいかなかった。なぜなら、約1ヶ月前に入学した自分の学校が、その武偵を育てる日本で唯一の学校で、将来なろうとしている武偵が殺された事件を無視することなんてできないのだ。

 しかしオレは、事件の概要を読んだ所で、その記事を読むのを止め、天気予報の欄へと目を移したのだった。その理由は単純明快。記事にも書いてある通り「再び」なのである。武偵が殺されるのは特別目新しいわけでもなく、よくあることなのだ。

 

 今年に入ってから武偵殺しという、「武偵の車や何かに爆弾を仕掛けては自由を奪い、短機関銃のついたラジコンロボで追い回して殺す」というやり口の事件が起こっていた。そして最近になって、犯人が捕まったと報道されたのだが、また事件は起こってしまったようだ。

 

(何とも物騒なご時世だな、まったく……)

 

 まったくもってこの事件に関しては他人事ではない自分ではあるが、だからと言って気を付ければ殺されないという話でもない。そもそも学生が狙われたことはなく、自分が狙われる理由なんて皆無だ。きっとこの事件で狙われた武偵というのは単に運が悪かったか、それなりに犯人に狙われる理由があったのだろう。

 そもそも武偵というのは、凶悪化する犯罪に対抗して作られた国際資格であり、武装を許可され、逮捕権を有し、あらゆる仕事を請け負う。いわゆる「便利屋」であり、命を落としたりや命を狙われたりするのは日常茶飯事なのだ。

 確かにこの武偵殺し事件が起きた頃は不安でいっぱいだったが、約4ヶ月も続くと人間ってのは、どうでもよくなるらしい。

 

 それにしても、

 

「はぁ……、今日は一日中雨か」

 

 いつも学校まで自転車で通学しているオレにとって、雨というものは面倒くさいことこの上ない障害だ。できるなら、オレが通学してる間だけでも晴れてほしいと天に向かって願いたくなる。でも、その願いさえも、お天道様にはむなしく届かないみたいだ。

 そんなことを考えながら、朝飯を済ませ、時計を見ながら学校の支度をし、今日は最寄りのバス停でバスに乗って通学することにしたのだった。

 

 

 7時50分。バス停で58分発のバスを待つ学生の列に入るが、後ろから続々と並んでくる人を見て、オレはつい溜め息をついてしまう。なぜなら、雨の日は普段自転車で通学する学生もバスに乗るから、キツキツの状態でバスに乗ることになるからだ。考えればこんなことは予想できないことではなかったのだが、思いつかなかった辺りはまだオレの頭は完全には目が覚めていないのだろう。

 

(混んでいると、汗をかきやすい自分としては蒸し暑くなるから嫌なんだけどな……。手汗とか出るし、無駄に疲れるし)

 

 そんなことを思っていると、いつのまにかバスは到着していて、前の生徒達は乗り始めていた。オレも前の人についていく。バスに乗るとすぐに周りを見渡し、空いているイスを見つけては、素早くそのイスへと腰を下ろした。

 

(やったね! ひとまず、イスに座れて良かったぞ。さすがに立ちながらのバスは結構キツいからな)

 

 そう思いながらオレはカバンをイスの下に置き、窓の外に目を向けるとそこには乗れなかった先輩や同級生達の姿が見えた。

 

(かわいそうに。一限目の授業には間に合わないんだろうな……)

 

 とはいっても、早く寮から出ればそんなことにはならないんだから、自分達の自己管理を怠ったせいでもあるし、仕方ないのかもしれない。

 そんな彼等を置いて、学校を目指してバスは動き始めたのだった。

 

 

 

 バスに揺られながら、オレは目を閉じて座っていた。もしかしたら昨日、深夜までパソコンをしていたせいなのかもしれない。オレはバスの中で眠くなってしまい、気持ちよくうたた寝をしそうになっていたのだった。

 そんなオレの近くで同じ学校の女子生徒達が何やら騒いでいた。

 

(うるさいなぁ……。朝っぱらから高い声出してハシャいでんじゃあねぇよ!)

 

 と心の中で言って、その女子生徒達に全く注意する気力も勇気もないオレは、目をつぶりながら彼女達の会話を聞いていた。

 

 

「でさ~、昨日のジュンがちょーウケてぇ。マジそこでやっちゃうって感じでさぁ」

 

「そうそう、ウチも思った!あそこでマツジュンがまさかって感じだったよねぇ」

 

「へー、そうなんだー。たしかに松潤っておもしろいよね」

 

 どうやら、主に喋っているチャラい2人と少し物静かな雰囲気の1人の合わせて3人が、オレの近くで周りを気にせず会話をしているようだ。

 

 

「あれっ? ない、ないよ!」

 

「えっ、どうしたの? かなっち」

 

「それが、わたしのケータイがないの。バスに乗る前にはあったんだけど」

 

 物静かそうな女子生徒は自分の携帯電話がないのか、制服やカバンの中を探している。だが、いくら探しても見つからないのか、必死に周りを見たり、地面に転がってないか、かがんで探してみたりしていた。

 彼女が急に探し始めたので、オレは目を開けてカバンを膝の上に置く。その際に、チラっと女子生徒のパンツが見えたのをオレはしっかりと見逃さなかった。

 

(ば、バレてないよな……?)

 

 縞模様のパンツに、少しドキドキしてしまう。

 

 

「マジで!?そんなん、どっかに落っことしちゃったかしちゃったんじゃないの?」

 

「でも、かなっち。あんた手に持ってるじゃないケータイ」

 

「それが、これは勝手にカバンの中に入ってて……、知らないケータイなの」

 

「えっ!? それ、かなっちのじゃないの?」

 

「うん」

 

「とりあえず、かなっちのケータイは学校着いてから考えよ。そこから、バスの人に話して探してもらおうじゃん」

 

「そ、そうだね。じゃあ、このケータイはどうしよう……」

 

「後で、学校に出しときゃいんじゃね? どーせ、誰か入れ間違えたか、偶然あんたのカバンの中に入った感じっしょ」

 

 

 そんなことを女子生徒達が話している最中、バスのアナウンス音が流れ始めた。オレは目を開けて、窓の外を見るが……、目の前の光景は、学校ではなく別の場所だった。

 

(あれ? 学校通り過ぎてるぞ? ココは海岸沿いじゃないか)

 

 そんな光景を見ながら、バスの運転手からのアナウンスが流れた。

 

「ただ今、このバスに爆弾が搭載されているとの情報が入りました。詳しい情報が入るまで、学校には止まらず、運行したいと思います」

 

 

(えっ……、今、何て? 爆弾?)

 

 数秒の沈黙の後、周りは一気にざわめきだす。それと同時にオレの思考は止まってしまっていた。

そんな中、オレのすぐそばで、もの凄い音量でその場が黙るような機械音が、さっきの女子生徒達のカバンの中から聞こえた。

 さっき、カバンの中にケータイがあったと言っていた物静かそうな女子生徒は、その発信源のケータイを取り出す。そして、ゆっくりとそのケータイを開いた瞬間、機械のような声を発してきた。

 

 

 「くふっ、くふふふっ。現在、このバスには爆弾がしかけてやがります。バスを降りやがったり、減速させやがると……、このバスは爆発しやがります。助けも連絡もできないよう、ジャミングもしかけてやがりますぜ」

 

 オレはこの機械から聞こえてくる音声は一体何を言っているのか意味がわからなかった。それとも、唐突過ぎて意味を理解するのに時間がかかったと言った方が正しいのかもしれない。

 さっきまで静かだった周りは、女子生徒の叫び声と同時にパニック状態へとが伝染していった。

 

 オレは今日読んだ新聞の武偵殺し事件のことを思い出す。きっと、それ同様の事件に巻き込まれてしまったのだろうか。心の底で、「今日のオレの星座占いは、きっと最下位だったんだろうな」と思ってしまう自分がいた。

 

 

 

 オレの腕時計は午前8時47分を指していた。何やら足音がバスの上から響いて、その後、後ろの方の窓を叩く音がして、近くにいた生徒が窓を空けた。

 

(なんだ? また何か起こったのか?)

 

 少し身構えた自分であったが、どうやら救援に来た武偵の先輩達のようだ。その姿を見たオレは、とてつもない安心感を覚えた。

 

 

「おいっ、みんな無事か!」

 

 どうやら救援に来てくれたのは、割と学校で有名な遠山キンジ先輩のようだ。

 

「キンジ!!」

 

 バスの中にいた、一人の男子生徒が遠山先輩の方へと向かっていく。こんな状況でも何やら楽しそうに話している二人を見ていると、事態はそこまで深刻ではないのかなと思えてきた。

 会話をしていた先輩2人の間に、オレのそばにいた女子生徒達が話し出してきて、もの静かそうな女子生徒はキンジ先輩にケータイを渡す。遠山先輩はケータイの音声の内容を聞くと、すぐさま通信機で、別行動をしている仲間と連絡を取り合っていた。

 

 そんな時、バスの後ろから何か当たった衝撃が来た。遠山先輩は後ろの様子を見に、上半身を窓の外に出したが、すぐに体を戻してオレ達に叫んだ。

 

「みんなっ!伏せろっ!!!」

 

 その叫びに反応して、オレはすぐに頭を下げて伏せる。すると直後に、窓の外からの無数の銃撃によって、バスの窓が後ろから前まで一気に粉々になる。

 

(な、何だ? 外では何が起こっているんだ? 銃で攻撃されているのかこのバスは?)

 

 その時、ぐらっとバスが妙な揺れ方をする。オレはそっと運転席を見てみると、運転手が肩に被弾し、ハンドルにもたれかかるようにして倒れている姿が見えた。

 

(や、ヤバイ! このままじゃ、道路から脱線してしまう!)

 

 そんな中、遠山先輩は運転席の方へと颯爽(さっそう)と移動していく。被弾した運転手に代わり、ハンドルを握る。

 

「ま、マズイな! バスが速度を落とし始めてる!!」

 

 遠山先輩がそう叫ぶと、さっき遠山先輩と会話していた男子生徒がやってきた。なにやら会話をし始めたと思ったら、今度はその男子生徒が運転席に座り、バスの運転を始めたのだった。会話を終えると遠山先輩は運転手を横に寝かせ、窓からバスの上の仲間の方へとのぼっていく。

 

 オレは窓の外を見ると、バスはレインボーブリッジを渡っていた。そんな時、運転席に座っている男子生徒から、

 

「おいっ! 誰か、その運転手を手当てしてやってくれ。この中に衛生科の生徒はいないのか? いないのなら、誰か応急処置ができるやつはいないか!」

 

 という大きな声が聞こえた。当然、前を見ていれば運転手がケガをしていることは明白だった。致命傷ではないにしろ、応急処置はしておいた方が賢明だ。そんなことは誰しもが分かっていることなのに、いくら待っても行こうとする学生はいなかった。

 

 

 衛生科とは、自分の通う学校の学科の中で、唯一医療関連を携わっている学科だ。その学科には基本女子が多く集まる。そういった中で、戦場や表立った依頼に出るタイプの女子は極わずかだ。基本、ある程度は戦闘ができるようになっていないといけないのだが、衛生科のカリキュラムでは護身術程度しか教わらない。つまり、己を守る程度のものしか学校では教わらないのだ。

 つまり、衛生科のほとんどがある程度は環境の整っている場所という、安全圏で治療をしていることが多く、常にいかなる場所で対応できるよう医療道具を持っているヤツは少ない。その場その場で大掛かりな治療ができるやつはAクラス級以上でないとムリなのだが、そんな学生は学校に数人にしか満たないレベルだ。

 だからといって、今の運転手の現状としては軽く肩に被弾した程度だろう。応急処置くらいなら素人でもできるレベルの話だ。しかし、どれだけ待っても未だに応急処置をしようとするやつはいない。しかも、このバスには1年の衛生科の女子生徒が多いからか、ほとんどが泣いてたり、腰を抜かしてたり、震えていたりして座っているだけだった。そんな彼女らに頼ることこそ、見当違いというものなのかもしれないなと感じてしまう。

 

 オレは立ちながら、運転席に座っている男子生徒に向けて叫ぶ。

 

「オレがします。自分、衛生科なので」

 

「おっ! そうか。じゃあ頼んだ! なるべく、安全運転してやるからなっ!」

 

 そう言ってオレは、カバンから簡易治療道具セットを取り出し、横になっている運転手の方へ向かい、治療を始めた。

 

(どうやら出血はしているが、傷はそこまで深くないようだ。止血しておけば大事には至らないのだろう)

 

 そんなことを考えながら治療をしていると、近くにいた男子生徒が話し出す。

 

 

「また来やがった。みんな伏せろ!!」

 

 男子生徒の声を聞いたオレは、イスにつかまりながら身を潜めた。しかし、今度はガラスの割れた音も、車内を撃たれた形跡もない。

 そんな沈黙の中、バスの上から遠山先輩の叫び声が届いた。

 

 

「アリア……、アリアああっ! アリアーーーー!!!」

 

(どうしたんだ!? まさか、遠山先輩が? いや、他の誰かが撃たれたのかっ?)

 

 そんな絶叫の中、外の方から大きい破裂音がバスの中へと響いてきた。その音は続いて2回鳴り響くと、今度は何かが衝突して爆発した音が大きく鳴り響いて聞こえた。

 

(今、車か何かが爆発したような音がしたけれど、何が起こったんだ?)

 

 そう思いながらオレは、そっと窓の外を見てみる。そこにはレインボーブリッジの真横に、学校のヘリが併走していて、なんとそのハッチには、緑色の髪の少女が狙撃銃をバスに向けていた。

 その直後、彼女は3発程、バスの下の方へと狙撃銃を向けて撃っていた。そうすると何かの部品がバスの下から落ちて、背後の道路に転がっていく音がした。その後、また彼女が狙撃銃で撃つと鈍い音がして、数秒後に何かが爆発した。どうやら、部品ごと海に落ちていった爆弾が起爆しらしく、海中から水柱が盛大に上がっている音が外から聞こえた。

 

 結果、爆発せずにすんだバスは、ある程度進んだ所で次第に減速して、道路の真ん中で停まり、オレ達みんなは、緑髪の少女の救助のおかげで助かったのだった。

 

 

 

 こうして、オレが高校生になってから初めて遭遇した『武偵殺しバスジャック事件』という1時間程度の出来事が終えた。

 

 負傷者2名という結末を残して……。

 




次回予告「あの事件から5日経った。オレは普段と変わらない生活を過ごしていた。
     そんな中、オレにとある手紙がやってくる。その手紙によって運命が変わる。
             次回、【龍の手紙】」


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2話 ‐ 龍の手紙

 ――約8ヶ月前――


ある病院の病室。その中に、オレと彼はいた。
彼はベットの上にいて、オレはただ立ち尽くすのみだった。


「なぁ、俺のやったことは間違っていたのか? なんでこんなことになっちまったんだ? どうすりゃいいんだよ、おいっ!」

「…………」

「……くそっ。もう、いいよ。ここから出て行ってくれ! もうてめーなんか、見たくもない!」

「…………」

「……俺は明日退院して、千葉の実家の方へ帰ることになったから東京には、いられない。もうここにいることも、武偵でいることもできないんだ! ちくしょぉぉ……」

「…………」

オレは病室を出て、扉を閉める。

「…………すまない」

 この言葉が、彼に聞こえたかどうかは定かでがない。
 ただ、くすんだ白い床を見つめながらそう呟いたオレはその場から立ち去っていった。


(オレは、バカだ! 自分の力量を過信したばっかりに、こんなことに)

 なんて自分は弱いのだろう。守ることも、救うこともできなかった。そんな思いを抱えながらオレは、左目を押さえ、病院を出た。
 
 季節はもう秋になろうとしていた。風はもう冷たく感じる。あの事件は、ただの傷害事件で済まされ、いつもと変わらない日常へと戻った。この左目に視力がなくなったこと以外は。
 最初は、片目だけの生活に戸惑いはあったが、ここ数日でその違和感さえも感じなくなってきている。

(これで、この銃はもう使えないな)

 オレは腰につけてる「FN P90」を見つめ、溜め息をついた。銃の使えない武偵。ましてや、強襲科の武偵など、戦闘においては不利すぎる。

 昔から正義の味方である武偵をオレは目指していた。だが、自分さえも守れない武偵では、憧れていたヒーローとして認めるわけにはいかなかった。

 風にうたれながら、オレは武偵学校を辞めようと考える。その方が、誰も傷つけずにすむ。誰も失うことはないはずだ。
 そんなことを考えながら川沿いの道を通って、寮に帰っていると、目の前で巫女さんが川を眺めて立っていた。その様子はとても困った感じだった。
 よく見てみると目の前の巫女さんは、黒髪の長髪で和風美人として名乗っても良い程、顔が整っている。清楚で年上の彼女を見たオレは、不安そうな顔をした彼女に釘付けになっていた。年齢も高校生くらいだろうか? そんな彼女に、オレはつい話しかけようとしたら、彼女は涙目で空にこう告げていた。

「私のせいだ」と。



「オレはいつも思う。現代の女子ってのは、何であんな野蛮で低レベルな性格の女子しかいないんだ?」

 

「いや、俺に聞かれても……。草食系男子に伴って、発生したと考えるしかないよね」

 

 教室の窓際でさっき買ったコンビニ弁当を食べながら、オレと友人の小野とで女子について雑談をしていた。

 

 

「はぁ……。もっと、清楚で優しい年上の女子っていないんだろうか」

 

「そうだねぇ……。また、通信学部で良い女の子がいたら教えてあげるよ」

 

「そう言って、また変に気難しい性格や誰かに片想いしているような女子を紹介して、あえて、面倒くさい方向に仕組ませるじゃあねぇだろうな?」

 

「あははははっ、さすがにもうそんなことはしないさー」

 

(どうだか。お前のせいで、同級生の情報科の間では、変な噂が流れていることは知ってんだぞ!)

 

 そんなことを思いながら、オレは弁当へと箸を進めていた。

 

 オレが片目をケガした事件から約半年以上。あの出来事があって、オレは今ここにいる。幸い、中等部の頃の知り合いだった小野と、今はこうして同じクラスで楽しく過ごしている。一応、友達としてコイツと仲良くやっていけているおかげで、ここのクラスにいても寂しいことはなく、一人でいることも少ない。基本良い奴なのだが、イタズラ好きというか、人を陥れることが大好きな性格をしている。そのため、たまにオレを振り回すこともよくあるわけだ。

 

 窓から見える景色を眺めながら、半年前に病院から帰る途中で会った女性のことを思い出す。会ったのはあの時限りで、実際にどこの誰なのかも全く分からない。それでも、オレは度々事件のことと、その女性のことを思い出す。

 まるで、思い出さないと忘れさられてしまうかのように。

 

 

 

「そういや、バスジャック事件の調査は今、どうなっているんだ?」

 

 思い出したように、オレは小野に先日巻き込まれた事件のことについて聞いた。

 

「あー、今のところ何も出てこないらしいよー。なにせ証拠は全部消滅しとるのもあって、足取りがつかないらしく、ここまで巧妙だと一筋縄ではいかないみたいだね」

 

「ふうん、そうか……、それなら仕方ないな」

 

 あの事件以降、オレは天気が雨でも自転車通学をするようになった。バスには厳戒注意体制がとられるようになったので、きっと前よりも安心して乗れるのだろうが、どうにもあまり乗る気にはならなかった。

 そういえば、現場に突入した先輩の女子生徒の一人が頭にケガを負ったらしい。バスに乗っていた生徒はみな無事であったことを思うと、その女子生徒に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

 オレはコンビニ弁当を食べ終えて、片づけ始めようとした矢先、

 

 

「そういや昨日はあの峰先輩と一緒にアニメイトウにいたらしいな」

 

「えっ? なんでそんなこと知ってんだ!?」

 

「俺っちの情報網ナメるなよー。伊達に女子とパソコン関係には不自由しないからな。それなりの情報は掴めるんだよ俺は! それにしてもまさか、あの先輩ととはなぁ……、ほんとまさかだわ」

 

「おまえの思っているのとは違う! 偶然、たまたま居合わせただけだ!! 声をかけられて、代わりに頼まれたエロゲーを買ってあげただけだ。それ以外はない!」

 

「それ以外、ねぇ……。まぁ、俺はあんな先輩と関わっていける自信ないわ」

 

 

 それはオレも同意したくなる。なぜなら、その「峰 理子」という先輩は、探偵科の先輩達の中でも1番の変人で、唯一制服をゴスロリ風に改造している超痛い先輩だ。また、容姿や体格は外国美人なのだが、性格がどうにも難ありという感じで、しかも趣味がエロゲーを嗜むことらしい。

 聞いた話によると、よくアニメイトウに出没することが多く、入学当初はここに来てはエロゲーを買おうとしていたら、容姿が幼く見えたため何回か店員さんに売ってもらえなかったことがあったらしい。そのせいか、オレもよくこの店に通っているせいで顔を覚えられたらしく、昨日はたまたま安売りしていたエロゲーがあったので、オレに話しかけてきては、代わりに買ってきてと頼まれたのだった。

 ただ、あの電波ともぶりっ子とも言えるあの雰囲気は、どうも人間として受けつかない。きっと彼女と付き合おうなんて考える男は、この世界では数少ないのだろう。

 

 とりあえず、弁当を片づけたオレは、トイレに向かうことにしたのだった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

               ―約6か月前―

 

 あの事件から2ヶ月が経った。東京で仲間だった竹内ジュウのことは忘れ、故郷の千葉へと移り住んだ。今では、普通の生活にも慣れ、普通の学校、普通の授業、普通の友人と一緒に住んでいる。2ヶ月以上前では考えられない光景だった。

 しかし、なぜだろうか。「なぜ、オレはこの場所にいるのだろう」と最近は頻繁に考えてしまう。その度にオレは、右手に力を入れてしまう。

学校から家まで歩いて行く途中で、目の前にコートを着た女性が立っている。

 

(うん?誰だ?あの女性は?)

 

 そう思った瞬間、その女性はオレの方を向いて歩いてきた。風がその女性の匂いを運んでくる。その匂いを嗅いだ後には、その女性はもう目の前に立っていた。

 

(なんて……、キレイな女性なんだろう)

 

 そう思っていると、その女性は微笑んだ表情で喋り出した……。

 

「あなたが……、井上くんね。私はカナと言います」

 

 そう言い出したその女性は、碧眼の眼差しでオレを見つめたのだった。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 バスジャック事件から5日後の放課後。オレは一人で寮へ向かって帰っていた。本来なら、今日も小野と一緒に帰る予定だったのだが、

 

「すまん! 急に情報科の女子がオレ会いたいって言うから、今日は一人で帰ってねー」

 

 とのことだ。

 

(まぁ、いつものことだけど相変わらず、女子にも人気だよなアイツ! 全くもってうらやましい!! いや、ほんとむかつくヤツだよあいつは)

 

 そんな苛立ちを抱えながら、オレは自転車を走らせて街の中を通っていく、その途中で、電気屋さんの外に置いてあったテレビで、たまたま台風予報をやっていたのでそれに目が止まる。

 

 

「台風13号は、依然勢力を保ったまま北上を続けています。週明けには関東地方に最接近。もしくは上陸の可能性がでてきました。そのため、週明けから火曜にかけて大雨暴風、それに伴う大幅な交通機関の乱れが心配されます。お出掛けを予定されている方はなるべく控えてください」

 

 

(はぁ、また台風くるのかよ……。最悪だ)

 

 そんな憂鬱な思いを抱えながら、オレはゆっくりと自分の寮へと自転車をこいで帰っていった。

 

 

 学生寮に着くと、駐輪場に自分の自転車を置いて、寮の中へと入っていく。

 

「あら、おかえりなさい! ジュウくんに手紙来てるわよ」

 

 寮監がいたことに気付かなかったオレは、急に話かけられて少し驚いてしまう。

 

「あ、はい、ありがとうございます」

 

 オレは、寮監に手紙をもらうと素早く去ってしまう。シャイなオレとしてはオカマっぽい寮監と会話はなるべく避けたかったのだ。

 

(何だろう? 母親からの手紙かな? まぁ、バスジャック事件もあったことだし、心配して送ってきたのかな)

 

 とりあえず、オレは自分の部屋に入ってから見ることにした。封筒を持ったオレはカバンを机の上に置き、イスに座って、その封筒の宛名を見た。そこには、何年振りだろう。オレにとって、縁の深い名前が英語表記で書かれていた。

    

 

 

『―Ryutaro Asada―』

 

 

 

 

 その名前を見たオレは驚きを隠せないでいた。なんたって、何年も会っていない父親から手紙が届いたのだ。別に父親と仲が悪いというわけでもなく、ただ疎遠になっていただけなのだが、手紙をよこしてきたのは今回で初めてだった。

 オレは、すぐさま封筒の中身を開け、手紙を読んだ。

 

(親父からの手紙なんて、何かあったに違いない!)

 

 その手紙にはこのような内容が書かれていた。

 

「  

 ―ジュウへ―

 

 急にこんな手紙が来ておまえは驚いているかもしれないな。なにせ、3年も会っていない父親から手紙が来たのだ。驚くのも仕方ないのかもしれない。

 実はおまえが武偵の医療科にいると聞いてすぐにこの手紙を書いたわけなんだが、おまえ、片目をケガしたらしいな。しかも、日本では治せなかったらしいな。そこで、一度オレにどうなっているのか診せてくれないか? もしかしたら、こっちの医療器材やオレの技術を活かせば治る範囲かもしれない。さすがに、武偵になろうとしている男が片目を失明しているとあっては、信用を得るのも仕事をするのも難しいはずだ。それとは別に、おまえに会って話したいこともあるしな。

 あと、もしロンドンに来るのなら、ロンドンの武偵学校へも行ってみたいと思わないか?オレの知り合いにその学校の講師がいて、たまにオレも現場の講師として学生に医療を教えていたりしている。もし、おまえが見たいというなら、学校を見学することも不可能ではない。ましてや、日本より本格的な医学や武術を目にすることが出来る。どうだ、ロンドンに一度来てみないか?

 この封筒に、ロンドン行きのチケットを添えておく。来る気になったら、オレに手紙か母さんに連絡をしてやってくれ。では、ロンドンで待っているぞ!    

                         ―浅田 龍太郎―    

                                          」

 

 オレは手紙を読んだ後、封筒の中にあるチケットを見てみた。

 

(3日後の午後7時。しかも、これは質の良い豪華旅客機じゃないか!!)

 

 チケットをテーブルに置いたオレは、途方もなく窓から外を眺めた。

 オレの親父、「浅田 龍太郎」は若くして、熟達の腕を持つ外科医として、世界医療支援団体NGOに所属している。たしか、33歳の時に日本に帰国し、オレの産みの親「里原ミキ」と出会い、結婚した。しかし、オレが生まれて1年後に交通事故でオレの母親は戻らぬ人となった。親父が37歳の時に日本のある病院に呼び寄させられる。そこで、現在のオレの育ての母親「竹内 飴美」と出会い、2度目の結婚をする。今では、親父はNGOのロンドン支部で働いていて、母親はとある製造会社の貿易取り締まり役として働き、2人とも別々の場所で暮らしている。

 

 そんな家庭で生まれたオレは、あまり親父と会うことは少ない。しかし、オレにとって1番の憧れでもあり、

 武偵になろうとキッカケをくれたのも、元々は親父のおかげだったのだ。そんな親父のトコへ行って、目を治してもらえるというのなら、是非行きたい。そして、何よりも親父と会うことができる。こんな機会はめったにない。これを逃したら、もう次はない気さえしてくる。

 

 今日も、夕焼けはキレイだった。寮から見える川の色は夕日の色に染まっていた。

 それを見ていると、半年以上前に川で誓ったあの出来事を思い出していた。

 

(オレは誓ったじゃないか。大切なものを救う武偵になってみせるんだって)

 

 テーブル、オレはロンドン行きのチケットを握ったのだった。

 

 

 

 

「明日の飛行機で、ロンドンへ行っちゃうのー?」

 

 授業の休み時間、少し羨ましそうな顔で小野はそう口にした。

 

「ああ。もうチケットはあるからな。夕方には寮を出ようと思っている」

 

「ロンドンかー、行ったことないから想像つかんわー。それにしても、急な話だね」

 

「いや、ついこのまえにロンドンに来ないかっていう話が来たからな」

 

「それじゃあ、今日は明日の準備する感じ? 今日のカラオケはどうするん?」

 

「あー、それなら大丈夫だ。明日の朝まで踊って歌ってもかまわないぞ」

 

「そうか、なら結局来る人数は5人というわけか」

 

「それで、今日のカラオケは他に誰が来るんだ?」

 

「えーと、牧田と堀江さんと高嶋さんかな」

 

「嫌がらせか!! なんで、よりにもよって前フラレた高嶋さんと陰でオレのこと嫌いだって言っている牧田まで来るんだよ!」

 

「いや、牧田に関しては俺と一緒にカラオケ行きたいって言ってたし、高嶋さんはオレと元々仲良いし、ジュウが来ても別にいいって言ってたよ」

 

「……ふうん」

 

 (もう、小野が嫌がらせをしているようにしか感じられない……。絶対、楽しんでんだろコイツ)

 

 一昨日とは変わって、天気が暗い雲に覆われた空を見ながら、オレは授業の準備を始めたのだった。

 

 




次回予告「オレはロンドン行きの飛行機へと乗る。親父に会えるというだけで、心が躍るようだった。
     そんな中、オレの乗った飛行機は少しずつ地上を離れていった。
              次回、『オルメスの弾』」


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3話 - オルメスの弾

(なん……だとっ!?)

 

 部屋の中を見たオレは、つい絶句してしまう。なぜなら、オレが乗った飛行機はそこらにあるような旅客機ではなかったからだ。1階は広いバーになっていて、2階には中央通路の左右に高級ホテルのような12の個室が機内に造られ、それぞれの部屋にベットやシャワー室までもを完備したものだった。いわゆる『空飛ぶリゾート』という中身の、セレブ御用達の新型機なのだろう。今まで普通の飛行機にしか乗ったことがないオレだが、こんな豪華旅客機に乗れたことに感動を覚えてしまう。

 

(テレビも、機内電話も、更にはクローゼットの中には冷蔵庫まであるとは、ほとんど豪華ホテルと変わらないな!)

 

 オレは、必要な荷物以外はキャビネットに置いて、部屋の中を探索しては時間を潰した。そんなことをしている間に、機内アナウンスが流れ、旅客機は離陸の準備をするため動き始めた。オレはアナウンスの指示に従い、イスに座ってシートベルトを締めては、テレビに写る飛行機からの滑走路を走る映像を眺めていた。雨が降っている中、猛スピードで動きながら離陸している様子は、飛行機に慣れていないオレを少しずつ不安にさせていく。しかし、ベルトサインが消えるとオレは安堵と共に冷蔵庫に入っていた紅茶を取り出し、テレビを見ながらさっきまでの不安を忘れていった。

 

(それにしても、面白い番組ってないのな。どれも、興味ないものだ)

 

 そんなこと思っていると、窓の方から雷の音が鳴る。その音が鳴り止むと、機内アナウンスが流れ始めた。

 

「お客様にお詫び申し上げます。当機は台風による乱気流を迂回するため、到着が30分程遅れることが予測されます」

 

 そんな機内放送が流れながら、オレの乗る豪華旅客機は少し揺れながら飛んでいた。

 

(ほんと、こんな時に台風が近づいてきてるなんて、オレもついてないよなぁ)

 

 そう思って窓を見てみるが、外の景色は雲と雷しか目に映らない。

 

 

「さて……、ゴットンイーターでもやってようかな」

 

 テレビを見てても退屈だったオレは、時間潰しに携帯ゲーム『PNP』を取り出した。時刻を見ると、まだ19時30分だ。ロンドンまではまだまだ時間がかかる。長い時間、ヒマを潰すのには最適だった。オレはベットに横たわり、最近流行りのアレカミという化け物を倒すというアクションゲームを始めた。

 

 

 銃を撃つ音が鳴る。だが決してこの音はゲームから流れているわけではない。部屋の中ではなく外だ。オレは数秒間、体が硬直してしまった。

 

(い、今のは銃声!? 通路の方から音がしたよな?)

 

 オレはおそるおそるドアを開け、周りを見渡すと乗客が大混乱に陥っていた。そんな中、機体前方の通路の先にはパイロットらしき2人を引きずり出しているアテンダントが立っていた。2人のパイロットは全く動いてなく、通路の床に投げ捨てられ、近くにいた誰かがアテンダントに銃を向け、大声で言う。

 

「動くな!」

 

 なんとなく聞き覚えのある声に対してアテンダントは、

 

「Attention Please. でやがります」

 

 と言うと、胸元から取り出したカンをこちらへと放り投げてきた。床に転がったそのカンから音をたてて煙が出ているのが分かる。

 

「みんな、部屋に戻れ! ドアを閉めろ!」

 

 という声が通路に響いて、すぐさまオレはドアを閉めた。その瞬間、飛行機はグラリと揺れ、機内の照明が消える。ドアの向こうから、乗客の悲鳴がこだましている。

 

 

 すぐに機内が赤い非常灯に切り変わると、オレは止まっていた思考を再び動かしていく。

 

(い、いったい何が起こってるんだ? とりあえず、さっきの煙は何かの有毒ガスだろうか? もしそうだとしたら、通路に出るのは危ないな)

 

 オレはハンカチを持った手で口を押さえながら、さっきから鳴り響くベルトサインに従って、シートベルトをつけ、考えていた。

 

(しかし、さっきの口調。何か聞き覚えがある。どこだ? どこで聞いたんだろう?)

 

 機内が大きく揺れる中、ベルトサインが消える。そのまま座り込んでいる中、急に扉が開く。そこには頭から血を流した少女を抱えた、武偵学校の遠山先輩が立っていた。遠山先輩はオレの存在に気づき、オレのいる部屋の中へと入ってきた。

 

 

「ど、どうしたんですか!?」

 

「今は話している時間はない! そんなことより、彼女を」

 

 武偵の服を着ていた少女は、呼吸が弱く、意識が途切れつつあるのか、ぐったりとしていた。

 

「その人、ケガしているんですか? と、とりあえず、ベットに寝かせましょう!」

 

 彼女をベットの上で横にさせると、備え付けのタオルで血まみれの顔面と側頭部を拭ってやる。

 

「う、ううぅ……」

 

 うめく彼女のこめかみの上には、深い切り傷がついていた。

 

(まずい、側頭動脈をやられてる! 頸動脈ほどの急所ではないが、すぐに血を止めないと)

 

 そう思ったオレは、さっきまで持っていた、簡易治療道具セットを取り出して、中にあった止血テープでとりあえず傷を塞ぐ。しかし、止血テープなんかで止めてもその場しのぎにしかならない。

 

(どうする!? 本格的な医療道具なんてものはないし、このままじゃ彼女が危ない!)

 

 簡易治療道具セットの中を手さぐりで探す中、オレはあるものを手に持った。それは、『Razzo』と書かれた小型注射器だ。

 

 約8ヶ月前、オレはこのラッツォという注射器を使ったことがある。ちなみに、このラッツォとは、アドレナリンとモルヒネを組み合わせて凝縮したような、気付け薬と鎮静剤を兼ねた、いわゆる復活薬だ。

 オレは当時、ある事件でかばってくれた友人の衰弱していった姿を見て動揺してしまい、あまり医療知識がなかったオレは、手が震え、間違ったところに針を刺してしまった。結果、彼は脊髄に障害をもつこととなり、武偵として生きることは不可能となった。それ以来オレは、彼を傷つけてしまったあの事件以来、ラッツォを再び持つことはなかった。

 だが、現在のオレの手にはラッツォと書かれた小型注射器がある。あの頃とは違って、医学を学んだオレの知識なら上手く使うことができるだろう。しかし、過去のトラウマと震える両手によって、注射を上手く刺すことができない。時間が経てば経つほど、オレの体は硬直し、頭は真っ白になっていく。数十秒の間、大きく鳴り打つ自分の心臓の音だけが耳に響いていた。そうしている間に彼女はピクリとも動かなくなり、終いには呼吸が止まっていく。オレは彼女の小さい胸に耳を当てて確認してみると、心臓は止まっていた。

 

(ヤバイ! 早く打たないと、彼女は死んでしまう!!)

 

 しかし、そう思えば思うほど、注射を打とうにも力が入らない。ましてや、手の震えが止まらない。耳をドアに当てて見張っていた遠山先輩は、その様子を見てオレのそばまで来ると、オレの背中を強く叩いた。

 

「しっかりしろ!! 今、アリアを救えるのはお前だけなんだ!! お前がしっかりしなくてどうすんだ!」

 

 その先輩の行動によってオレは、一呼吸をする。そして、止まることなく無我夢中で手を動かしていた。まるで、さっきまでの自分ではないような感覚にさいなまれながら。

 

(そうだ! オレはあの時誓ったんじゃないか! 救うって! 守ってみせるって!)

 

 オレは手際よく胸骨を探し当て、そこから指2本分、上。その心臓を突き立て、

 

(今度はオレが救ってみせる!!)

 

 オレは迷いを捨て、一思いに彼女の心臓に注射をブチ込む。そうすると、彼女は「びくんっ!」と身体が痙攣をし、除々に顔が歪みながらも呼吸を始めていった。

 

(い、息を吹き返した。生き返ったんだ!)

 

 オレは一呼吸をした後、地面に腰を下ろした。その瞬間、手にも足にも力が一気に抜けていく。流れていくように。そして、彼女は段々と青ざめていた肌をピンクがかったものに戻しつつ、呼吸を次第に強めていったのだった。

 そして彼女は声をあげる。

 

「…………っはぁ!!!」

 

 悪い夢から目覚めたかのように、一気に上半身を起してきた。

 

「って……えっ!? な、な、なな、何!? 何これ!!」

 

 薬のせいか、彼女の記憶は混乱し、いくらか飛んでいるようだ。

 

「む、胸が開いて……、キ、キンジ! またあんたの仕業ね!!」

 

「アリア、気がついたか! お前は理子にやられて、彼が、お前の治療を……」

 

「りこ……、理子ッ!!!」

 

 服を乱暴に整えると、彼女はベットの上から左右の拳銃を取った。そして、鬼の形相のまま、バランスの悪い足取りで部屋を出て行こうとする。

 

(ま……まずい! 止めないと!)

 

 ラッツォは復活薬であると同時に、興奮剤でもある。クスリが効きやすい体質なのか、彼女は正気ではないみたいだ。そこへ遠山先輩が彼女を押さえ、止めさせた。

 

「待てアリア! マトモにやっても、アイツには勝てないぞ!」

 

 しかし、彼女はそんな言葉も聞き入れず、遠山先輩にわめく。

 

「そんなの関係ない! は、な、せ! あんたなんか、どっかに隠れて震えてなさいよ!」

 

「し……静かにするんだアリア! これじゃあ、理子に俺とお前が同じ部屋にいて、ここにいることがバレる!」

 

「かまわないわ! 理子は私一人で片付ける。それにだいたい、あんたはあたしのことを助けにこなくてよかったのよっ!」

 

 彼女のツリ目は、その紅い瞳を激しい興奮に潤ませ、口の動きは止まらない。

 

「あんた、あたしのことキライなんでしょ!? あんたは言ったわよね! 青海に行ったとき、猫を探しに行く前に! あたし、覚えてるんだから!!」

 

 彼女を止めようにも、勢いが強過ぎてオレでは止められそうになかった。それを止めていた遠山先輩は、途中から苦い表情で目をつぶる。

 

「あたし覚えてる! あんたは、あたしに『大っキライ』って言った! あたし、あの時は普通の顔してたけど……、あたし、あんたのこと、最高のパートナー候補だと思ってたのに。でも、『キライ』って言われて……。あの時、本当は、胸が、ズキンって……。」

 

 それを聞いていた遠山先輩は急に何かを決心したような真剣な顔で、

 

「だからもういいのよ!あたしのことキライならいいのよ!あたしのことキラ・・・。」

 

 わめいていた彼女の口を、遠山先輩は塞いだのだった。まさかの、『遠山先輩の口で』だ。

 

 

 

 赤紫色の目を、飛び出さんかのようにして驚く彼女は、まるで指先まで石化したように、完全に固まっていた。

 

(え……ええっ!! こ、こんな時にこの先輩方は何をしてるんだ!?)

 

 2人は口を放し、遠山先輩はさっきとは違う、鋭い目つきへと変わっていた。

 

「アリア。許してくれ。こうするしか、なかったんだ」

 

「バ、バ、バカキンジ! あんた、こ、こんな時になんてこと、すんのよ……! あたし、あたし、ふあ、ふぁ……ファーストキス、だったのに……!」

 

 しかし、彼女はノドの奥から出るその涙声は、脱力しきって、かすれている。その様子だと、また暴れ出すことはなさそうだ。

 

「ああ、どんな責任でも取ってあげるさ。でも、ごめんよ……仕事が、先だ!」

 

「キ、キンジ! あんた、また……なったの!?」

 

(うん? また? いったい、何がどうなってどういうことになってんだ?)

 

 全く持って、オレにはさっぱりだった。特に、突然雰囲気の変わった遠山先輩に対してはもうわけが分からない。

 

「武偵憲章1条。『仲間を信じ、仲間を助けよ。』俺は、アリアを信じる。だからアリアも俺をオトリにしてくれ。いいか。3人で協力して『武偵殺し』を、逮捕するぞ」

 

 

 そう言って、遠山先輩は作戦内容を告げる。ただオレは指示通りに行動していくしかないのだった。

 

 

「バットエンドのお時間ですよー。くふふっ。くふふふっ!」

 

 女の人がどこからか用意したらしい鍵で、この部屋を開けてきた。

 

 そして、ナイフを握る髪の毛を手のように使って扉を押さえつつ、両手に銃を携え、笑いかけてくる。

 

「ここで理子の登場でぇーす!」

 

(!!?)

 

 まさかの、峰理子先輩だった。オレは驚愕の事実に驚きを隠せない。その峰先輩は実に嬉しそうに、左右の拳銃とナイフをカチンカチンとぶつけて鳴らした。

 

「あっ……、あはっ! アリアと何かしたんだ? よくできたねぇ、こんな状況下で。くふふっ」

 

 峰先輩はニヤニヤと遠山先輩を見つめ、人差し指を自分の口に当てる。

 

「で? アリアは? まさか死んじゃった?」

 

 髪のナイフでベットを指しながら、峰先輩が言う。そこはマクラと毛布を詰めて、人がいるように見せかけて膨らませてあった。

 

「さあな」

 

 チラッ、と遠山先輩が眼だけで横のシャワールームを見ると、峰先輩は目ざとくその視線を追ってきた。

 

「あぁん、そういうキンジ、ステキ。どっきどきする。勢い余って殺しちゃうかも」

 

「そのつもりで来るといい。そうしなきゃ、お前が殺されるぞ!」

 

「……さいっこー!愛してる、キンジ。見せて……オルメスの、パートナーの力を!!」

 

 引き金を引こうとした峰先輩に、遠山先輩は、ベットの脇に隠しておいた非常用の酸素ボンベを盾にするように掲げた。

 

「……っ!!」

 

 撃てば、自分ごと破裂する。それを悟った峰先輩の手が、一瞬、止まる。

 そして、その一瞬で遠山先輩には十分だったようだ。遠山先輩はボンベを投げつけながら、峰先輩に飛びかかろうとする。

 

 手のひらから金属が擦れる音を立てて、隠していたバタフライ・ナイフを開く。峰先輩がそれを見て、眉を寄せたその瞬間

 

「うっ!?」

 

 突然、飛行機がぐらりと大きく傾いた。足元が大きくブレて、姿勢を崩した遠山先輩。その前には、斜めに傾いた部屋の中で、笑みを浮かべる峰先輩のワルサーP99がこっちの額を狙うのが見えた。そして、銃声と共にその銃口から鉛弾が放たれ、遠山先輩へと飛んでいく。

 

 これは避けられない。右にも。左にも。絶対に避けられない。誰しもがそれを見て思うのだろう。

 だが、違った。遠山先輩は、ナイフで、銃弾を斬った。いわゆる『弾丸斬り』という非現実的な芸当をバタフライ・ナイフひとつでやってみせたのだ。

 

(も、もしかして、遠山先輩は弾丸を斬ったのか!!?)

 

 オレはその光景にどこか感動を含んだ驚きをしてしまう。それは峰先輩も同様で、驚いて眼を見開いていた。

 そしていつのまにか、遠山先輩は黒いガバメントを抜いて峰先輩に銃口を向けていた。

 

「動くな!」

 

「アリアを撃つよ!」

 

 体勢的にこっちに銃を向けるのは間に合わないと判断したのか、峰先輩は、シャワールームにワルサーを向けた。その瞬間、天井の荷物入れに潜んでいたアリア先輩が転げ出てきながら、白銀のガバメントで、峰先輩の持つ左右のワルサーを、精密に手から弾き落とした。

 さらに、アリア先輩は空中でシャワールーム付近へと拳銃を放し、背中から流星のように日本刀を2本抜く。

 

「やぁっ!」

 

 そして抜刀と同時に、振り返った峰の左右のツインテールを切断する。ばさばさっと茶色いクセっ毛を結ったテールが、持っていたナイフごと床に落ちる。

 

「うっ……!」

 

 峰先輩は両手を自分の側頭部にあて、初めて、焦ったような声を上げた。ちゃき、とアリアは刀を納め、流れる動作で拳銃を拾い上げる。

 そこでシャワールームに隠れていたオレも、そこから出て銃を拾っては、

 

「峰・理子・リュパン4世」

 

「殺人未遂の現行犯で逮捕するわ!」

 

 オレと遠山先輩とアリア先輩は、銃を同時に峰先輩へ向けたのだった。

 

 




次回予告「巻き込まれたオレは、ただの傍観者であった。しかし、友人の名前と共にオレの思い出が思い出される。オレにとっての始まりは、彼女との出会いからだったのだろうか?次回、第一部終了」


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4話 - 始まりの川沿いで

 遠山先輩がアリア先輩とキスをした後、今後の作戦とやらに参加させられ、シャワールームで旅客機のジャック犯を待ち伏せすることになった。さすがにあの峰先輩が、『武偵殺し』事件の犯人だとは思わなかった。だけど今、この部屋に入って来た峰先輩の姿を見て、オレは確信するしかなかった。

 

(それにしても、この3人。人間業じゃねぇな……)

 

 そんなことを思っていると、峰先輩はニヤニヤと満面の笑みを浮かべてオレ達3人を見渡した。

 

「そっかぁ。ベッドにいると見せかけて、次にシャワールームにアリアがいると見せかけて、どっちもブラフ。本当はアリアのちっこさを活かして、キャビネットの中に隠してたのかぁ……。すごぉい。2人とも、誇りに思っていいよ。理子、ここまで追い詰められたのは初めてぇ~」

 

 当たり前だが、2人ということはオレは戦力外で、初めからいないのと一緒ということなのかもしれない。こればかりは仕方ないのだろう。

 

「追い詰めるも何も、もうチェックメイトよ!」

 

「くふふっ。ぶわぁーか!」

 

 憎々しげに言う峰先輩は、髪をわさわさっと全体的にうごめかせ始めた。

 

(え、ええっ!? また、か、髪が動いてる。いや、髪の中で何かをしているみたいだ!)

 

 その瞬間、ぐらりとまた機体が大きく傾いた。全体的に斜めに傾いているということは、旅客機は急降下をし始めたのかもしれない。

 姿勢を崩したオレ達は、壁にぶつかる。

 

「ばいばいきーん」

 

 次の瞬間、峰先輩は脱兎の如く部屋から飛び出していた。

 

 

「さっきからおかしいとは思ってはいたが、この旅客機は理子に都合よく揺れすぎている。つまり、アイツは恐らくあの髪の中にコントローラーを隠し、遠隔操作をしていたのかもしれない」

 

 オレは、遠山先輩達追いかけながら、その話を遠山先輩から聞く。

 

(髪の毛を自由に動かせて、ましてや旅客機を操縦できるなんて……。ほんと、人間業じゃあねえよっ!!)

 

 階段降りると、峰先輩はバーの片隅で、窓に背中をつけるようにして立っていた。

 

「くふっ。キンジ。それ以上は近づかない方がいいよー?」

 

 峰先輩の後ろの壁際には、彼女を取り巻くようにして、丸く輪のように粘土状のものがあった。おそらく、爆薬か何かが貼り付けられてあるのだろう。

 

「ご存じの通り、ワタクシは爆弾使いですから」

 

 俺達が歩み止めると、峰先輩は目つきを鋭くしながら、

 

「ねぇキンジ。この世の天国……『イ・ウー』に来ない? 1人ぐらいならタンデムできるし、連れていってあげるから。それに、あのね、イ・ウーには……」

 

 そこで、峰先輩の声色が変わる。

 

「お兄さん、いるよ?」

 

 その言葉が出た途端、遠山先輩は瞳孔を大きくしながら、表情は今にも怒りそうな勢いだった。

 

「峰。これ以上オレを怒らせないでくれ。あと一言でも兄さんのことを言われたら、俺は衝動的に9条を破ってしまうかもしれないんだ。それは嫌な結末だろう?」

 

 武偵法9条。それは、『武偵はいかなる状況においても、武偵活動中に人を殺害してはならない』という内容だった。それは、武偵として絶対に侵してはいけない禁忌である。そんな禁忌を、遠山先輩は破ってしまいそうになるほど怒っているのだろう。

 

「あ。それはマズいなー。キンジには武偵のままでいてもらわなきゃね」

 

 峰先輩はウインクしたかと思うと、両腕で抱きしめるような姿勢をとり、

 

「じゃ、あたしはここらで退散するね。それと、サツキにもよろしく伝えといてあげるから」

 

 

『―サツキ―』

 

 峰先輩はオレの顔を見てその名前を言う。オレはその名前を聞いた瞬間、どこか懐かしく、久しぶりに聞いた感じがした。それは、オレが過去の事件で、傷つけてしまった友人の名前。それと一緒な名前だったのだ。

 

 その途端……、峰先輩はいきなり、背後にしかけてあった爆薬を爆発させ、その穴からパラシュートも無しで、機外にへと飛び出ていった。

 室内の空気が一気に引きずり出されるようにして、穴に向かって吹き荒れる。周りの物が穴に吸い出され、オレ達も吸い出されそうになる。何とか、床に据え付けられたツールにしがみつくと、天井から自動的に消火剤とシリコンのシートがばらまかれ、トリモチのようなそのシートは空中でベタベタとお互いを引っ付き合い、穴にクモの巣を張るようにして詰まっていき、閉まる。

 

(さ……さすが、豪華旅客機だ。こういう時の対策もしっかりしてあるんだな)

 

 遠山先輩が窓に向かうと、オレも窓に向かい、遠山先輩の横から窓の外を見てみた。遠巻きで、制服がパラシュートに変わり、下着姿の峰先輩が降りていく姿が見える。その峰先輩と入れ違いに、この旅客機をめがけて冗談のような速度で飛来する2つの光があった。

 

(ま、まさか……、あれはっ!?)

 

 信じ難い光景だった。何かがやってくると思ったら、それは『ミサイル』だったのだ。そのミサイルが自分の乗る旅客機に当たると、突風や落雷とは明らかに違う、まるで機体を巨大なハンマーで2発殴られたような衝撃が、轟音と共にこの旅客機を襲った。オレはその衝撃で地面に転がり、壁に激突した。

 痛みに耐えながら、旅客機の翼を見ると、幸い、左右のジェットエンジンの内側2基だけ破壊され、外側の2基は無事だった。それを確認した遠山先輩は操縦室へと走っていったので、自分はそれを追いかけていったのだった。

 

 

 

 

「おまえはとりあえず、乗客の人に自分の部屋に戻るよう誘導することと、他に爆弾や危険物がないかなど安全確認を頼む!」

 

「わ、わかりました!」

 

 旅客機の操縦室の中では、小さな体のアリア先輩が何食わぬ顔で操縦席に座り、ハンドル状の操縦桿を握っていた。そこに、遠山先輩も隣の操縦席に座っては何かを操作し始め、オレに乗客の誘導と安全確認をするよう告げたのだった。オレはその様子を見て、きっと彼らは操縦が出来るのだろうと信じ、操縦室を出たのだった。

 他の乗客に、自分が武偵であることを伝えると、すんなりと自分の指示に従ってくれた。とは言っても、ほとんど自分たちの部屋の中にいて、苦し紛れに「大丈夫ですので」とか「安心してください」とか声をかけて、部屋の中にいるよう話すだけだった。

 また、安全確認と言われても、爆弾などの危険物を隠そうと思えばどこにだって隠せそうな気がしてくる。そんな中、自分一人で調べるのには少し無理があった。ざっと、一階のバー周辺をくまなく探していたが、そうしているうちにアナウンス音が流れる。

 

「今からこの旅客機は着陸態勢を取るので、乗客の皆様は座席に座って、シートベルトをつけて衝撃に備えてください!」

 

(これはもう、自分の部屋に戻っておくべきだな)

 

 遠山先輩のアナウンスを聞いたオレはすぐに自分の個室に戻り、座席に座ってシートベルトをつける。窓の景色を見ると、暗くて分かりずらいが東京湾が見え、人工浮島も見えてきた。気になったのはそこに、キラキラとしたものがたくさん動いていた。もしかしたら、遠山先輩が連絡を取って、着陸の場所の誘導をしてもらっているのかもしれないな。

 旅客機は高度を丁寧に下げていく。平面まで近づくと一気に大きい衝撃がやってきて、旅客機は雨の中、人工浮島に強行着陸を敢行する。だが、なかなか勢いは止まらない。このままでは海の中へと水没してしまう。

 その途端、旅客機の片翼が風車の柱にブチ当たり、引っかかったように旅客機はグルリとその機体を回すように滑らせながら、止まったのだった。

 

 

 時刻は20時12分。こうして、俺達の周りで起こっていた『武偵殺し』事件は、無事に幕を閉じたのだった……。

 

 

 

 

 

               ――3日後――

 

オレはペンを置き、自分の書いた手紙の内容を読み返していた。

「 ―親父へ―

  ロンドンへの誘い、とてもうれしかったです。だけど、ごめんなさい、

  オレはまだロンドンへ行くことはできません。例え片目を失っていても

  ここで出来た信頼できる友人、頼れる先輩達、そしてこの環境で

  オレはたくさんのことを学び、気づかされ、

  そして大切なものを守り、大切なものを救うことを決めました。

  また、オレにはまだここでやるべきことができました。

  それが終わるまでは、オレはこの場所を離れるわけにはいけません。

  なので、親父に会いに行くことも、この場所から出ることもできないです。

  最後に、久しぶりに親父の手紙をもらえてうれしかったです。

  また、日本に帰って、母親やオレに顔を見せに帰ってくれると幸いです。

                          ―ジュウより―   」

 

 読み返したオレは、封筒に入れ、外のポストへと寮を出た。

 

 

 

 

 

 

            ――半年以上前  川沿いの道――

 

 

「あの……、どうかしましたか?」

 

 オレは、目の前にいる巫女さんに話しかけてみた。

 

「えっ!? あ、いや、なんでもないの。ただ、お友達とケンカしちゃって、つい……」

 

 オレの存在に気付いた巫女さんは、恥ずかしそうにそう告げた。

 

「あ、そうだったんですか……。あまりにも、そわそわしていたので、道に迷ったのかと思いました」

 

「あー、そうじゃないの。ただ、私のせいで彼を傷つけてしまったのかもしれないから、どうしよう……って思っていたら……」

 

「そ、そうでしたか……」

 

 オレはつい彼女に声をかけてしまったが、少し気まずい空気になってしまった。そんな中、巫女さんはオレの服を見て、質問してきた。

 

「その制服は、もしかして中等部の武偵さん?」

 

「あ、はい。今まで強襲科で学んでいました」

 

「学んでいた……? もう、強襲科ではなくなったの?」

 

「あっ……、いえ、今は武偵を辞めようと考えていまして……」

 

「そうなの……? 私の彼もさっき、武偵をやめると言いだしてきたの。……なんでだろ。彼はとっても優しい正義の味方のような人だったのに……」

 

「正義の味方……ですか。」

 

 その言葉を聞いた瞬間、オレは、彼女に質問してしまう。

 

「でも、その彼が正義の味方でなくなってしまうほど、誰も守れなくなったら……どうしますか?」

 

 自分は何を彼女に対して質問をしているのだろう。そう思ってしまうと、彼女に対して質問をしたことを後悔する。だが彼女はオレの質問に、真剣な顔付きで返してくれた。

 

「いいや、キンちゃ……、彼はきっと助けてくれるよ。いつも彼は助けてくれた! どんな時もわたしを。だって、誰も守れないから正義の味方なんじゃない。どんな時でも守ろうと、救おうとするから、彼は正義の味方なの!」

 

 オレは固まった。その時の彼女の強い眼差しに釘付けとなり、その言葉にハッとして、胸が激しく動かされる。

 

(そうか。そうだったんだ。今のオレにできることなんて限られてたんじゃないか。ははっ、オレが簡単に人間みんなを守れるわけないんだよ。何を自惚れてんだよオレ)

 

 オレはそこで気づいてしまったのだった。自分の目指しているものというのは何なのか。自分は何を目指していたのかを……。

 

「す、すいません。へ、変なことを質問してしまって……」

 

 すると、彼女は急に照れながら答える。

 

「わ、わたしも急に熱くなってごめんなさい。あ、わたし、もう戻らなくちゃ。そろそろ遅刻しちゃう。」

 

 そう言って彼女は去っていった。風が吹いている中、いそいそと髪をゆらしながら……。

 

 

 

 

 

           ――とある暗い部屋――

 

 ジュウと別れて半年くらいが経った。あの事件のことを思い出す度にオレはあいつのことを思い出す。だからと言って、俺を普通に武偵として生きられなくさせたあいつが憎いわけではない。むしろ、今の自分になれたことを感謝しているくらいだ。オレは力を得た。あの頃とは変われた。昔以上になれた。手に持ったナイフを机に置くと、後ろから急にノックの音が聞こえた。

 

「サツキくん、いいかしら。そろそろ、例の能力開花実験をしたいんだけど、明日の昼あたり大丈夫かしら?」

 

扉越しで俺に話しかける女性に対し、俺は扉に顔を向けて言う。

 

「構わないです。それまでに食事を抜いておきますか?」

 

「いいえ、前みたいに検査するわけでもないから、普通に昼食もとってここで待っていればいいわ」

 

「そうですか、わかりました」

 

そう告げるとすぐに、廊下の向こうから金属音を鳴らせて歩いてこっちに来るかのように、近づいては、オレのいる部屋の扉を開けた。

 

 

「ヴァイブス、話がある!」

 

振そこには白銀の髪をした少女が扉の前で、堂々と立っていた。大剣を背中に掲げ、青い瞳をした彼女は、ニヤリとした表情をしながら……。

 

 

 

 

 

 

           ――NGO ロンドン支部――

 

手紙を持った男は、宛名を見て悩んでいた。その様子を見た医者が話をかける。

 

「どうしたんだ? 手紙なんか見つめて。とうとう、この年になって好きな相手にラブレターでも出そうと決心したのかい?」

 

「ははっ! 俺には、最強で最愛のハニーがいるんだ。そんなことをしようものなら、手紙のようにクシャクシャにされちまうね!」

 

「それじゃあトム、その手紙はなんだい?」

 

「それが、リュータロー・アサダっていうやつ宛てに手紙が来ているんだが、そんなやつこの支部にいたか?」

 

「リュータロー? あー、あのサムライみたいな顔の日本人か。2年前にここを辞めて、日本に帰ってしまったよ、確か。きっと、その手紙の送ってきたやつは、まだここにリュータローがいると思って出してきたんだろうな」

 

「そうかそうか。どおりで聞いたことない名前だと思ったわけだ。それじゃあ、どうしようかこの手紙」

 

「俺が預かって、後からリュータローにこの手紙を送っておくよ。」

 

そう言うと、男は医者に手紙を渡す。

 

「そうか、ありがとうな。ノボル・イジューイン」

 

 手紙を持った伊住院登は、手を振って去っていったのだった。

 

 

 




次回予告「5月も終わり、6月。学校は『アドシアード』の準備で賑わってきた。
     そんな中、オレの視線の先には……。プ、プール!?
            次回、【堀江先輩】」


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5話 - 堀江先輩

 車内の中にある電子時計は9時頃を指している。オレの乗っている白いワゴン系の軽自動車は、人が増え出した街の中を走っていた。オレは後ろの窓際の席に座り、窓を開けては、風に当たりながら外の建物をただ見ていた。オレの隣で先輩と話をして盛り上がっていた小野は、オレの低い気分でいるのに気づいたのか、オレに近寄って話かけてくる。

 

「なぁなぁ、もっとテンション上げていこー。せっかくの、先輩との休日なんだからさ!」

 

「そうだぞ、竹内! おまえ、さっきから何もしゃべってないじゃないか。そんな、外ばっか見ていないで、オレ達の話に入ってこい!」

 

 前の運転席にいる先輩からも、そういった言葉がやってくる。声が大きくて、少し頭に響いてくるのでやめてほしい。

 

「いや……、さっきから先輩、自分の妄想話しか話していないじゃないですか」

 

「ななっ、失礼な! SSRを侮辱するなんて! 魔法や超能力は絶対にこの世に存在するんだぞ!」

 

「そうだぞジュウ! きっと、魔法使いや超能力者はこの世のどこかに存在していて、頑張ればそれを誰でも使えるようになるかもしれないんだ」

 

 はぁ、と溜め息をついたオレは、それ以降話すのをやめ、また窓の外を見る。

 SSRとは、超能力捜査研究科の名称であり、特に超能力や超心理学による犯罪捜査研究を行っている学科である。しかし、内容はひどく、オカルトか宗教などの類のような活動ばかりと聞く。ましてや実際に、何かそういう類のことができる人など……オレは実際に見たことはない。例え、そういう人間がいたとしたら、SSRをメインとする、武偵を育てる学校にしていった方が良いと思う。

しかし、そうならないのは、そんな人等が世界で極わずかで、どうこうできるレベルではないからだ。さらに、使えたとしても、微弱な力しか使えないに違いないだろう。

 

(何故、オレはこの車に乗ってしまったんだろうか……)

 

 眠気が残っていたオレは、目をつぶり、数十分前の出来事を思い出していた。

 

 

             

 

―8時40分―

 

 うるさいノックの音によってついさっき起きたオレは、部屋の扉を開け、目をこすりながら口を開く。

 

「……はぁ、すいません。もう一回言ってもらって良いですか?」

 

 確認するオレに、朝からテンションの高い目の前の男は、腕を前に出して、さっきと同じ言葉をオレに告げる。

 

「いや、だ、か、ら、さ~! プールにいこう……ぜぃ!!」

 

 いや、わけがわかんない。なんだ、その手は。全然、グッジョブ!な状況じゃないぞ。おい。

 

「えーと、何故に今、こんな時期にプールに行くんすか?」

 

「そりゃあ、女の子の水着を……って、いやいや、己の体力を鍛えに行くんじゃないか!」

 

 なんだこのテンション? 面倒くさい。

 

「はぁ……、しかし何でまた急に行こうと思ったんです?」

 

「そりゃあなんといったって、アドシアードが近づいているではないか。今年こそは、SSRも勝たなきゃならんのだ!」

 

「そうですか。頑張ってください。応援してます。良い結果を楽しみにしていますよ。本当に、マジで、真剣に。なので、それじゃあ……」

 

 オレは、ドアを閉めようとする。しかし、そのドアを目の前の男は閉めさせてはくれなかった。

 

「おいおい、まてまて。せっかく、オレと言う名の先輩がオマエを誘って来ているんだ。オマエも来い。小野も呼んであるから、さみしくないぞ!」

 

「別に、アイツとは昨日遊んだばっかりです。全然、さみしくないですよ」

 

「まぁまぁ、そんなこと言わず、あいつは毎日会っても飽きないヤツだろー? それに今日はオマエもどうせヒマなんだろ? せっかくの休日に、家にいても仕方ないぞー」

 

 たしかに今日は特にすることはない。それといった予定もないわけだから別に行くのは構わないのだが、昨日は徹夜でゲームをしていたのでまだ眠い。それに、こういったことは急にではなく、事前に誘ってほしい。特に、プールはオレにとっては色々と準備がいるのだ。

 

「はぁ、分かりました。とりあえず行きますよ。どうせオレは先輩と同じく常に毎日毎時間ヒマですからね」

 

 眠いのもあってか、つい嫌味っぽく言ってしまう。

 

「おお、そうかー。なら、下で待ってるから。ついでに、小野も呼んで来てくれや。……あと、オレはそんなにヒマ人じゃないからな!」

 

 そう言って先輩は、オレのいる部屋の前から去っていく。というか、わざわざここに来なくても、メールか電話で済む話だったのではと考えてしまう。でも、もしそうだった場合は、きっとオレは行こうとしなかったのだろう。結果的に、オレに会いに来たことで、彼は無理にでもオレを誘うことが出来たのだ。

 オレは部屋の中の押し入れから水着を取り出し、結果、しぶしぶプールに行くこととなったのだ。そして、現在。先輩の「堀江 修介」と友人の小野とでプールに向かっている。

 ちなみに、この堀江先輩はSSRの2年生。入学当初、何も分からないオレに親切にしてくれたり」、この学校に来て最初に話をしたのもこの先輩だった。先輩の妹もオレと同じ学年で、またその妹とはクラスも同じだったという。しかし、先輩はオレ達が入学してから、毎日のように自分の妹に会いに来ていた。いわゆる、巷で言われているシスコンっていうヤツなのだろう。その度に顔を合わすし、妹もその度にすんごく嫌がっている。そのおかげもあって、顔を覚えられたオレは、今では一緒に外出するほど仲良くなった。

 

(ただ、オレ達と遊ぶってことは、友達は少ないのかもしれないけど……)

 

 そんな先輩の車に乗ってオレはプールに向かっているわけだが、オレの気持ちは一向に高まることはなかった。むしろ、段々と気が重くなっていく。その理由としては、実はオレはそんなにプールは好きではないからだ。今更向かっていてなんなんだが、わざわざ金払ってまで水の中に入る理由が分からないのだ。しかし、先輩はどうしてもプールに行きたいと言っているし、水着を着ているかわいい女の子がいないか堂々と人間観察が出来るのは、そういった水の中に入る場所だけしかない。そう思うと、行ってみようかなと思えてくる。

 とは言っても、結局はこの人の誘いをいつも受けてしまうあたり、オレもこの人といて楽しいのだろうなと思ってしまう。まぁ、この先輩も面倒くさい性格がなければもっと楽しくなるのだが……。

 

「おーい。着いたぞ」

 

「ほら、いつまで寝てるんだよー! 起きるよ!」

 

 2人はそう言って、オレの肩を揺らす。

 

「あれ、いつのまにか眠ってしまってたのか……」

 

 想いにふけっている間に眠ってしまったらしい。オレは車から降り、あくびと背伸びをして、建物を見た。しかし、そこには、オレが思っていたような建物ではなく、1度テレビで見たことがあるような、ものすごく広い建物だった。

 

「って、ここって『デスニーシー・プール』じゃないですか! 市民プールとか普通のプールじゃあなかったんですか!?」

 

「あれっ? 言ってなかったっけー? 大きいプールに行くって」

 

 ハメやがったなこの先輩! 多分、本当の目的は【妹】だったんだ。オレは何日か前に学校の教室で、先輩の妹がうれしそうに女子達と話してたのを聞こえたからな。……いや、盗み聞きしたわけじゃなく、ほんとに聞こえてきたんだからな。

 多分、妹も口うるさい兄には何も言わなかったのだろう。しかし、妹のことなら何にでもお見通しというこの兄は、妹の監視に来たわけだ。ほんと、こんな兄を持つ堀江さんが、かわいそうに思えてくる。

 

「それで、先輩。節約生活を強いられてるこのオレに、2000円という大金を水を浴びるために使えっていうんですか!?」

 

「おう! そりゃあ『お金は天下の回しもん』って言うしな。たまには使わないと、お金がもったいないぞ!」

 

 はぁ……。色々ツッコミたいけど、ツッコまないでおこう。いや、やっぱりツッコもう! ここはあえてだ!

 

「そんなん、ある程度お金に余裕があっての話です! だいたいその言葉は、普通は無理に節約し過ぎるなという意味合いで使われたりするもんです。使い道のあるお金を犠牲にしていいということにはなりませんよ!」

 

「そりゃあそうかもしれないが……、でも、残念ながら、もうここまで来てしまったんだし諦めろ! 今更帰ることは出来ないし、金が足りないというのなら、利子なしで貸してやるぜ」

 

 もしこれが、利子ありで貸すんだったら、きっとオレはこの人と縁を切っていたところだろう。もしくは、親友という名の頼れる同級生こと小野に借りることになっていたに違いない。とりあえず、オレは体に渦巻く憤りを堪えながら、オレは口を開ける。

 

「……あー、もう! わかりましたよ! やってやるよ! この際だ、もう、遊びまくってやんよー!!」

 

「おっ、その意気だ! いっぱい楽しむぞお前たち!!」

 

「いえーい、楽しまなきゃソンソンだ~!」

 

 この時、駐車場で変なかけ声がこだましたのは、言うまでもないのだろう。

 

 

 

 

 着衣室から出て、ロッカーの前に来たオレは、信じられない光景を目の当たりにする。

 

「せ、先輩。まさかの、競泳水着ですか……?」

 

 言わずとも分かるだろうが、競泳水着とは水泳に特化した、水泳による水泳のための必要不可欠な水着のことである。決して、水遊びや水浴びの時に着用して良いものではない。

 

「ああ。これしか持ってないからな」

 

(恥ずかしい。こんな人と一緒に歩くの嫌だ、絶対嫌だ。兄を気嫌う堀江さんの気持ちが、今なら分かる気がする)

 

 だが幸い、競泳水着はブーメランではなく、太ももまであるスパッツタイプだった。それでも、充分に恥ずかしいけれど。

 

「あ。先輩、その水着カッコイイですね。まさかの、速着仕様ですか?」

 

「そうそう! このシリーズのスパッツタイプが出た瞬間に買ったやつだ。一万以上はしたけど、奮発したぜ!」

 

 速着仕様ってのは多分、『スピード・レーサー』と言って、水の抵抗を極限まで減らした仕組みで作られた水着のことだろう。何年か前にオリンピックなどで話題になっていたが、まさか、身近で買っている人を見たのは初めてだ。

 

「さて、そろそろ入ろうか。入口はこっちらしい!」

 

 先輩に言われてオレ達は、着替えや荷物をロッカーに置いて、プール入口に向かう。さすがはデスニーシー。入口からして、キャラクターや機械やらで、ものすごい設備だ。なにせ無駄に広い上に、入口のシャワーが回っているところなんて初めてみる。あまりプールに興味のないオレでも、少しテンションが上がった。

 入口を出ると、そこには様々なアトラクションにプールがいくつもあり、見渡せないくらい広い設備で、屋外もあるらしい。

 

「ひゃあ、広い。ここまで広いと、何から遊んでいいのか分からなくなるねー」

 

 よく、こういったアトラクション施設に行っている小野でさえ、どうやらここの設備には驚いているらしい。

 

「そ、そうだな。さすが、あれだけお金を払っただけはあるな」

 

 あまりの広さに、オレは、呆気にとられ、ただひたすら周りを見ていた。しかし、先輩もただひたすら周りを見ている。

 どちらかというと、誰かを探しているような気もするが、あえてスルーしよう。

 

「ほう。それでは一度、何があるのか見て回ろうじゃないか」

 

(やはり、この人は妹を監視するために来たみたいだな。はぁ、どんだけ妹好きなんだよ)

 

 オレには姉がいるが、そこまで家族を溺愛する意味が分からない。どういう経緯があれば、そういったことになるのだろう? 自分はそう思いながら、オレは先輩達と一緒にプールを見て回ったのだった。

 

 

 やっと、入口まで戻って来れたと思い、時計を見てみると、もう40分以上も経っていた。ただ見て回って来ただけだというのに、どれだけ広いんだこの、デスニーシーは。

 

「さて、一通り見て回ったことだし、近場の普通のプールに入ってみるか」

 

 さすがに、探しても見つからず、歩き疲れたのか、先輩はそう言いだしてきた。まぁ、オレもさすがに歩くのはもう避けたかったので、それにうなずく。

 

 オレ達が入ろうとしたのは、50メートルプール。8コース中3コースは、しきりがなく、自由に泳げることができる感じだった。オレはプールに足を入れると、ひんやり冷たくて気持ちいい感覚になっていく。最近は、気候も暑くなってきたころなので、この感覚は丁度いい気持ちよさだった。オレは勢いよく肩まで入ると、身体中が冷たくなり、ついちぢこまる。

 

(相変わらず、この肩まで入ると冷たく感じるこの感覚というか、一瞬の冷たさは、どうにも好きになれないな)

 

 その隣から、「ザボーン!」という音ともに、大きい波が押し寄せる。

 

「そこのキミ! 飛びこみはしちゃいけないよ!!」

 

「あ、すいませんー」

 

 それを見ていた監視員の人間が注意する。たしかに、プールの周りに人がいなくてよかった。

 

「先輩!!なに飛び込みしてるんですか!」

 

 さすがに自分だけに迷惑がかかるのならいいが、他人様に迷惑をかける行為だけはやめてほしい。

 

「いやぁー。つい、プール見ると、飛び込みたくなるんだよなー」

 

「あー、分かります。その気持ち。僕、小さい頃に水泳やってたんで!」

 

「おお。そうなのか。オレも中学までずっと水泳やってたぞ」

 

(はぁ、ダメだ。何を言っても、この2人の勢いは止まりそうにないな。……てか)

 

「えっ?!先輩は何となく分かるが、オマエ。水泳やっていたのかよ!」

 

 小野が水泳をやっていたという事実にオレは驚いてしまう。

 

「うん。5年ほどやってた。ん、あれ? 言ってなかったっけ?」

 

 というより、このプールに入る前にその事実をしっかりとオレには教えてほしかった。てっきりオレは、小野はインドア派の人間だとばかり思っていた。たしかに今思うと、小野の身体つきは意外としっかりしている。

 意外だ。パソコンばかり触ってたオタクとばかり思っていたが、なるほど、人は見かけによらないとはこういうことなのかもしれない。

 しかし、この事実をたった今発覚したことは、オレにとって嫌な予感しかしなくなってくる。

 そう。なぜなら、オレだけが仲間はずれなのだ。できれば、オレの思っている結末に至らないでほしいと願ってしまう。だけど、そんなオレの思いとは逆に、オレにとって最悪の結末に至ってしまったのだった。

 

「よし! それじゃあ、今からあっちのコースで、どちらが早いか勝負しようか!」

 

「あ、いいですねー。そうしましょう。はっきり言いますけど、僕は早いですよ!!」

 

「おっ、いい意気込みだな! だが、はたしてこのスピードレーサーに勝てるかな?」

 

「物に頼っている先輩には、負けませんよ。やってた年数では、僕の方が上ですし」

 

 2人がそんな話をしている中、オレはプールから上がり、

 

「じゃあ、どちらが早いか。上で見ていますねー」

 

 そう言って、とてもにこやかに手を振った。多分この時、オレは久しぶりに屈託のない笑顔をすることができたのだろう。

 

 しかし、そんなオレを取り逃がすことなく、先輩は足を掴む。

 

「いや、オマエも泳げ。これは、ウォーミングアップだ!」

 

「ジュウもここで勝負しなくて、男か! 元強襲科の意地を見せてみろよー!」

 

 やはり、この2人はオレを逃がしてはくれない。いつのまにか、2人はオレが逃げないようしっかりとオレの両足を掴んでいた。

 

(ちっくしょー! 逃げられねぇ。こんなことなら、このプールに入るんじゃなかった!!)

 

 

 結局、オレと小野と先輩で1コースずつ立ち、2人は精神統一していた。ていうか、飛び込み台にいる時点で気迫が違う。本当に経験者なんだと実感する。

 ちなみに、飛び込みは2コースしか許可されてなかったので、オレは普通にプールに入って泳ぐしかなかった。まぁ、逆に出来たとしても、飛び込みをしようとは思わなかったが。単純に怖いし。

 

「ちなみに、これは真剣勝負だから、最下位は罰ゲームだからな!」

 

「いいですよー。まぁ、僕は誰にも負けませんけど」

 

「えっと、ちなみに罰ゲームの内容は何ですか?」

 

 オレはおそるおそる聞く。先輩は、飛び込み台に乗ってオレ達に告げる。

 

「流れるプール、逆周だ!」

 

(な、なんだとっ! そ、そんなキチガイ染みたことやってられるわけないじゃないか!)

 

 そんな恥ずかしく、そんな地獄を味わうわけにはいかない。普通に泳がないでおこうと考えてたオレは、結局、泳ぐしかなかった。

 

「じゃあ、いくぞ!あの針が上を指したら、開始だからな!」

 

「わかりましたー」

 

(ちくしょう。いちかばちかだ!)

 

 残酷にも、タイム盤の滑らかに動く針は、20秒程経つと長針を上に指した。その瞬間、隣から「ドボーン!」という水しぶきの音がしたのは言うまでもないだろう。

 

 

 前を見てみるが、先が見えない。それくらい遠い。果てしなく遠い。50メートルって、こんなに遠いものだっただろうか。陸上で走っていれば、10秒もかからずに着くものだ。しかし、どれほど時間が経っても、終着点は見つからず、ただひたすらバシャバシャとしか聞こえない世界だった。

 どうやらこの世界はどんなにあがいても、なかなか前には進めないようだ。次第に体中が重くなる。息がしづらくなる。周りはキラキラと光り、それは綺麗な光景として見える。しかしながら、今の自分にはそんな綺麗な光景に感動している余裕はなく、ただ真っ青な光景を見つめていた。

 

さっきからどんなに目を凝らしても、目的地が見えることはなく、向かう先はまさしく闇の中。辛い。苦しい。息ができない。水を吐き出したい。そう思い、オレは腕を上げる。足をバタバタと交差させる。ただ、がむしゃらに。だけど、そうさせればさせるほど、腕を上げるのがつらくなっていった。終いには足も動かすのがつらくなり、足が言うことをきかなくなっていく。

 息ができず、水が体の中へと侵入してきて気持ち悪い。腕が上がらない。足が、段々と沈んでゆく。しかし、オレはそれでもあがいてみせる。ひたすら、見えない目的地を目指してだ。

 それでも、現実はそんなに甘くないようだ。海をなめてはいけないように。自然現象を侮ってはいけないように。水の中で、オレは脚の筋肉をつらせてしまう。「死ぬ」とそう頭によぎったオレは、がむしゃらに水をかきわける。その行為とは裏腹に、オレの体は水の中へと沈んでいく。

 普通、体を動かさず、力を抜いていれば、人間というものは沈むことはない。だが、空気を吐いてしまったオレは、息を吸うことも何かに掴む力も無くなっていた。オレは、水中の地面に触れながら、水上の世界を見上げ、目が閉じるのと一緒に気を失ったのだった。

 




次回予告「溺れたオレは、何とか命を取り留め、死に至ることはなかった。
     それにしても、水中というものは本当に怖いものだと改めて知らされる。
     そんな中、オレの前にある人が登場する。
            次回、『アドシアード』」


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6話 - アドシアード

 オレは今、波の出るプールに足だけを入れて座っていた。50メートルプールで溺れた後に意識を取り戻したオレは、当たり前のことだが監視員の人達に怒られた。

 また、オレは死ぬ思いをしたというのに、一緒に泳いでた2人からは、

 

「そんなんで元強襲科とか、笑えるなマジで。それでは、アドシアードで一人として勝つことはできないぞ!」

 

「まさか、泳げないとは……。セイジのせいで、怒られちゃったじゃないかー!」

 

 と、オレに文句を散々言うと、オレを置いて2人だけで泳ぎにいってしまったのだった。はっきり言うが、別にオレは泳げないわけではない。ただ、数十メートルくらいしか前に進まないだけなのだ。その理由は、あまり脂肪のなく、筋肉が占めるオレの体では体が沈みやすく、また、泳ぎ方を教えてもらってないので上手い泳ぎ方ではないのだろう。だから、少ししか進まないのだ。

 

 それでも2人がいなくなったので、なんとなく気楽になった。プールにきたからといって、泳がないといけないわけではない。

 ましてや、浮いたりや歩いたり、潜ったりしたりしたっていい。そうだ、女の子を見ていたりしてたっていいんだ。むしろ、そこが本題。メインであり、本来の目的だったはずだ。

 オレは、ずーっと、流れるプールの波に当たりながら、戯れている人達を見ることにした。

 

(よっぽど、ああやって楽しんでいる方がいいよな。ほんと、アドシアードが近いからって、体を鍛えるってのがバカバカしい。大体ここって、体を鍛える場所じゃなく、どちらかというと遊ぶ場所じゃないか)

 

 

 本当ならオレは、ここであの2人に泳ぎを教えてもらうべきだったのだろう。だが、それに気づいたのはまだまだ後の事であった。

 

 

 

 

『アドシアード』

 武偵学校で年に一度行われる国際競技会のことで、スポーツでいえばインターハイやオリンピックみたいなものである。ただ、競技内容が違っていて、ほとんどが強襲科や狙撃科など、強襲学部専門のキナ臭い競技ばかりが行われるのだ。

 

 だが、強襲科にいた頃ならまだしも、オレは今はそれほど必死に体を鍛えることはしていない。それに医療科なんて、護身術程度しか習わないので、体力作りはしないのだ。なので、元強襲科のオレとしてはそれに出場はしてみたい気はするが、誰かに勝ちたいとかそんな闘争心はないし、今更、体を鍛えようなんて思えなかったのだ。

 それ以前に、片目を失っているオレにとっては、不利なことが多くなるので、どうあがいても他の出場者に勝てる見込みが薄いのだ。つまり、どうあっても、強襲学部が有利なことに変わりはないのだろう。

 

(先輩には悪いが、オレは係員として参加するだけで、何にも出場しないでおこう)

 

 

 こういうプールには1時間に1回ほどプールに上がる、休憩時間というものがある。その休憩時間になるとオレは、誰もいないプールをみつめていた。一応、その場に座っていると歩いている人に邪魔になったり、足が当たったりするので、さっきまでいた場所から立っては別の場所で眺めていることにしたのだった。

 そろそろ、あの2人を探しにいかなくてはいけないなと思い、歩く人達の方へ目を変えると、急に背中を手で押される。オレはプールの方に落ちそうにはなるが、それで落ちることはなく、踏み留まることができた。

 

(だ、誰だ。オレの背中を押しやがったヤツは!)

 

 後ろを向いたそこには……、よくクラスで見かける顔がいた。

 

「やぁやぁ、誰かとおもたら、タケジューやん~! 奇遇やなー、ほんま。何でここにいるん~?」

 

 にこやかにビキニ姿で話かけてきたのは、まさしく、先輩が見つけたくても見つけられなかった堀江先輩の妹だった。彼女は知り合いに会えた嬉しさからか、テンションが高い。いや、いつもこんな感じかもしれない。ちなみに、オレのあだ名は「タケジュー」である。松本ジュウという名前だったら、マツジュンに似たあだ名で呼ばれていたに違いないなと思う。

 

「あー、堀江さんか、驚いた。残念ながら、堀江さんのアニキに連れられて、ココに来た感じなんだわ」

 

「えっ、ええっー!! うそっ、うちのアニキ、ここに来てんのー!? マジですかいなん!?」

 

 マジデス海難? それとも「マジでスカイなん?」という意味か? どっちにしてもわけわからんぞ。

 

「まぁ多分、いつもの堀江さんの様子見に来たんだと思う。あの人ずっと、周り見てばっかりだったし」

 

「はぁ……。まさか、こんなトコまで来るとはなー。ウチもどうやら、べっこう飴のように甘かったらしいわ」

 

「いやいや、逆に堀江さんのアニキが、水飴のように粘着力があり過ぎるだけかと」

 

「あははっ、そうやな、確かに。それにしてもタケジュー、ホント、アニキ付き合ってもらってスマンなぁ。わざわざこないなとこまで」

 

 堀江さんも、さすがに頭を垂れては申し訳なさそうな表情をする。さすがに、そんな表情をされては、せっかく楽しんで来ているであろう彼女に、暗い表情をさせてしまうのは気が引けてしまう。

 

「まぁ、今に始まったことじゃないし、ほんとに堀江さんが謝らなくてもいいよ」

 

 ていうか、普通こんなプールにまで先輩が来るとは思わないだろう。それに、ある程度は適当な理由をつけてここに来たのだろうから、それを嗅ぎまわってここまで来た先輩が異常過ぎるのだ。もし、彼に好きな女の子が出来たらと思うと、不安になってくる。

 さて、この人に限ってそんなことはないとは思うが、一応、目の前の堀江さんに聞いてみることにした。

 

「それで、堀江さんは、今日は彼氏とデートなのかな?」

 

「やだなぁー。そんなわけないじゃん~!! 今日は友達と一緒だよ、普通に。今、ウチがトイレ行ったついでに、飲み物買いに行ってたの。みんな、あっちの方のベンチに座って待っているんじゃないかな」

 

「へー、そうなんだ。てっきり、彼氏とこっそりデートしているんだとばかり」

 

「いやいやぁ、うちはそんな彼氏とこんなとこ行かへんし。何よりウチは彼氏作ろうなんて思わへんしなー。どっちかというと、友達といた方がええわ~」

 

 そうなのだ。この、『堀江 結衣』という女の子は、元柔道部でやや男勝り。性格も明るく、おおざっぱで、おしとやかな方ではない。ましてや、女の子といちゃいちゃとしていることが多く、アニキに良く似てフレンドリーな感じのする人だ。ただ、アニキよりはとても常識人であり、また、周りの空気も読める。そこらへんは、アニキとは大違いだ。

 特に彼女は、オレと同じクラスの探偵科にいるクラスメイトの一人で、学校で一番最初に仲良くなった女子の一人でもある。ちなみに、最近の女子の中では、とても良い子で芯のある人だとオレは思っていたりする。そんな彼女に、いつか彼氏ができるだろうと、常に心配している堀江さんのアニキは、無駄に監視をしたり、彼女の追跡をしているのだ。

 

「でも、なんでアニキはいつもうちの様子を見にくるんやろ~? はぁ……、もう理解できへん。マジでめんどくさいわぁ~!」

 

 しかし、彼女はそれには気付かないのであった。いや、単にどうでもいいのであまり考えていないだけなのかもしれない。

 

「あ、そうだったー。飲み物、持っていたんだったー。はよぅ、行かないと待たせちゃう。じゃあ、またな~タケジュー!」

 

 そう告げて、彼女は休憩時間終了のアナウンスと共に去っていった。

 

 

 午後5時頃。時刻はもう夕方になっていた。

 

「くあー、楽しかったなー竹内! オマエもこんなに楽しんだのは久しぶりだろう?」

 

 にやにやしながら、先輩はオレの肩に手をのせてくる。

 

「まぁたしかに、楽しかったは楽しかったですけど、それ以上に今日はとっても疲れましたよ。いや、ほんとにー」

 

「だね~。ついつい、色々遊んだじゃったし、もう動けないって感じだよね~」

 

 というか、こんな時間まであんなに遊べば、誰だって疲れてはくるのが普通だわ。

 

「でも、あのビック・サバイバーっていう乗り物に乗れなかったのは残念だったな。あれも、『赤・黄・青』の3つをコンプリートしたかったがなぁ」

 

「あ、たしかに、ウォータースライダー『流禅の灯火』の6つのコース行くより、そっちの方を行った方が良かったかもしれなかったですね~」

 

「そうだなー。もっと、時間があれば行けたな!」

 

「そうですね。時間があれば行けましたね!」

 

(……信じられない。どこに、その元気があるんだよ、こいつら)

 

 実はこの2人は、デスニーシーのアトラクションの8割は乗っていて、しかもそれに乗るための行列の中、ずっと待つのをどれだけ繰り返していただろう。オレは途中で、アトラクションには乗らず、色んなプールに入ったりしていた。そのおかげで、たくさんの女の子を堪能することが出来た。やはり、水着の女の子がプールに入っている姿は格別である。

 それよりもコイツら、ホントに遊びに関しては体力バカなのかもしんないな。そう思いながらオレはジュースを片手に、3人で無駄話をしながら一緒に駐車場へ向かったのだった。

 

 オレ達は先輩の車に乗り、先輩も運転席に乗って、シートベルトを締める。

 

「そういや今日、ここに妹も来ていたらしいんだが、全然会わなかったなー」

 

 わざとらしいし、知っていたし、ほんと今更だった。何気に落胆してるのは、ここに来たことが無駄骨だったと思えてきたからかもしれない。

 

「あ、そうなんですか。そういや、色々回ったのに、全然見かけませんでしたねー」

 

(多分、オレが来ていることを言ったので、きっとアンタを警戒して行動したんだろうな。伊達に探偵科ではないのだろう)

 

「オレも全く見てないですね。ていうか、人が多すぎて、あれじゃ分かりませんよ」

 

 とか、適当なことを言うオレであった。

 

「まぁ、それもそうだなー。さて、とりあえず帰るとしますか」

 

 エンジンが動く音を聞きながら、オレは明日が学校だと気づくと、とんでもないことを忘れていたな。と現実に引き戻された気分になる。

 

 

(そういや明日、中間の筆記テストじゃねーか!!)

 

 




次回予告「せまるテスト。せまる生徒会。せまるアドシアード。せまりくる雨。
     そして、あの人は誰だ? そう思わせる6月の上旬に、オレは戸惑う。
                次回、「星伽との再会」



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7話 - 星伽との再会

「つかれたぁ……」

 

 時刻はちょうど昼頃。オレは机の上に顔を乗せ、うつ伏せになりながらさっきまで使い続けた頭と眼を休めていた。周りでは、「終わったー」とか「分らなかったー」とか様々な言葉が飛び交っていた。だがそれも、時間が経つにつれて減っていき、いつのまにか周りの生徒は少なくなっていった。

 オレのいる教室は専門的な授業でしか使われない教室の一つで、さっきまでここにいた大半の生徒は、自分たちの教室に戻ったのだろう。オレもいつまでもこの部屋にいても仕方がないので、目を細めた顔でこの教室を出た。

 

 今日は、中間の筆記試験。いわゆる、普通の学校の中間テストみたいなものだ。さっき、それの3つ目がちょうど終わったところだった。80分の授業サイクルであるこの学校では、3限目が終わると昼の休憩時間となり、今日は筆記試験というのもあって、3限目が終わると各自で帰ってもいい日でもあった。

 

 教室に戻るとオレは、朝に買っておいたコンビニ弁当を取り出す。こういった日には、せっかく3限目で終わるのだから、実際は弁当を持ってくる必要はない。だが、せっかく昼から帰れるというのに、そのまま直帰してしまうのは、何だか勿体無い気がする。せめてでも、どこか寄って帰りたいものだ。

 とは言っても、どこか寄って遊べるほどお金はないし、明日は2つの実技試験がある。多分、今日は普段行かない場所に寄り道をして、そのまま帰ることになるだろう。確信は出来ないが……。

ちなみに、オレの受ける実技試験は1年生だけが行われ、先輩達や実技のない学科の生徒は、明日は休みなのだ。羨ましい。

 

 

 買ってきたシーチキンおにぎりを食べ切ると、試験から戻ってきた小野が近づいてくる。

 

「いやぁ、腹減ったわ~。あら、おぬしは今日もコンビニ弁当かい?」

 

「ああ。今日は、3限目までだからな。いちいち家で作るの面倒くさかったし」

 

「いーよなぁ~、俺は今日4つも試験あるんだよ~。なんというか、医療科が羨ましいわ~」

 

 小野はオレとは違い、情報科なので受けるテストの内容も違った。たしかに筆記試験は多いが、体を動かす実技試験はない。

 それでも、7つもあるのだから大変そうではある。

 

「そういや、心理治療の試験はどうだったん~? 前々から、難しいとか分からんとか言っていたけど、出来はそうだったん?」

 

「うーん、微妙なところだが、どちらかと言うとあんまりできなかった方かな。本音を言うと、それの勉強もあんまりして来なかったし」

 

 心理治療とは、いわゆるカウンセリングとか心理学とかの部類の精神治療学のひとつで、最も医療の中でも、オレの苦手とする分野であり、内容も複雑で難しいものだった。そりゃあ、テレビとかで人間の心理が分かる専門家とかが出てくるとカッコイイなと思ったことはある。実際に、そういったことが医療科で学べれるのだと期待していた。だが実際はそんなカッコイイものではなく、ただ答えのないものを難しい単語で埋め尽くし、無限にある複雑な仮定と理屈を並べたてたようなものだった。次第にオレは、心理治療の分野が一番苦手となり、今日の3限目にその試験があったので、無駄に時間と労力を使わされたのだった。

 よくよく考えてみれば、オレはどちらかというと人のことはあまり考えない性格だ。いちいち、人の顔や思っていることを考えて行動するなんて、面倒極まりないことだ。人の心理を読み解くのならまだしも、それを治療するなんてことはオレには合わなかったのだろう。

 

 

 小野もオレの隣の席に座っては弁当を開け、オレ達は一緒に食べながら話をしていた。すると、廊下側の方から声が聞こえてきたのだった。

 

「竹内―、ちょっと来てくれー!」

 

 そう言ってくるのは、オレのクラスの担任こと『杉田供一』(通称:キョン)という先生だ。この人は救護科の教諭の1人で、性格はおおざっぱであるが、常に冷静な対応を取ることのでき、顔も振る舞いや言動も何気にカッコ良く見えるという不思議な先生だった。たまに、面白いドジをしたり、どうでもいい内容だが面白い話もしてくれて、武偵の資格はないが、この学校の男性教師の中ではオレは好きな方である。

 

 オレは返事をし、廊下にいるキョンのところまで向かう。白衣を羽織っているキョンは、申し訳なさそうな顔で、頭をポリポリと手でかきながら告げた。

 

「すまないが、この後少しいいか? 今すぐではなく昼飯を食った後でいいんだが、少し手伝ってほしいことがあるんだわ。本当なら他の生徒に頼みたいところなんだが、大体の生徒が帰ってしまったようで、知っている医療科の一年がお前くらいだったから、後で医療物品室に来てくれないか?」

 

 察する通り、どこか天然染みたとこがあるこの先生はきっと、手伝ってもらう予定の生徒に声をかけておくのを忘れていたのだろう。ちなみに回数は覚えていないが、頼まれごとは以前にも何回かあった。

 

「分かりました。それじゃあ、昼食を食べ終わったら向かいます」

 

「おう、ありがとな!」

 

 そう言ってキョンは足早に去っていった。何か手伝い事をさせられるのは確かに面倒ではあるが、明日の実技試験の担当はキョンなので、せっかくならここらで少しでも印象を良くしておけば、何かといいことがあるかもしれない。と自分に言い訳を作り、前向きに考えてみることにした。

 そしてオレは、小野と残りのコンビニ弁当を食べながら、さっきまで話していたマンガの話へと戻したのだった。

 

 

(確かここらへんに……。おっ、あったあった!)

 

 さすがに、ここは頻繁に来る場所では無かったので、少しうろおぼえではあったが、迷うことなく医療物品室に着くことができた。部屋の扉は元々開いていて、そこから数人の声が聞こえる。

部屋に入ろうとすると、キョンがダンボール箱を持ちながら歩いて出てくる。一瞬ぶつかりそうになったが、とっさにキョンがダンボールを避けてくれたので当たらずに済んだ。

 

「おう、来たか。ちょいと、荷物をエレベーターまで運んでもらいたいんだ。部屋の中に、生徒会役員の生徒もいるから、そいつに話を聞いて持ってきてくれ」

 

 そう言うとキョンは、縦長いダンボールを担いで、エレベーターの方へと向かって行ってしまった。

 

 オレは部屋の中の方へと入り、誰かがいるであろう、音がする方へと進んだ。そこには、髪の長い女生徒が、ダンボールを開け、中身の確認をしていた。

多分、この人が生徒会役員の生徒なのだろう。オレは尋ねてみる。

 

「あの、すみません。杉田先生に頼まれたんですけど、どれを運んでいけばいいですか?」

 

その声に反応し、女生徒は振り返る。オレへと振り向く仕草はまるで、大和撫子のように清楚な感じがした。

 

「あ、そこに置いてあるもの全部らしいですよ。エレベーターまでお願いします」

 

 そう告げる女生徒は、可愛らしい表情でオレを見て言った。オレはその彼女の顔を見て、硬直してしまう。

 そう、その顔は忘れもしない。あの川沿いの道で会った巫女さんと一緒な顔立ちだった。つまりオレは、こんなせまい部屋の中で、オレをこの武偵学校へと行く決心をつけてくれた人に会ったのだ。

 

 

 

 あの後オレは、ダンボール箱を持ってエレベーターへと運んでいく。だが今になっても、驚きを隠せない状態でした。

 

(どう考えてもさっきの人は、間違いない……よな? あの時、あの川沿いの道で会った人と)

 

 去年の9月、オレは川沿いの道で彼女と会っていた。そこで、オレに大切なことを思い出させてくれた彼女を、決して忘れるわけがなかった。しかし、会った時の格好と容姿などを考えても、同じ学校にいる人だとは思わなかった。いや、普通は考えないだろう。なにせ、巫女姿で年上に見えたのだ。たとえ高校生くらいだったとしても、武偵学校にいるとは到底考えつかなかった。しかし、彼女もまたオレと同じ武偵の学校にいた。世間というものは案外狭いものなんだなと実感する。

 

 

 オレは、エレベーターにダンボール箱を載せ、再び医療物品室に戻ろうとすると、キョンと女生徒がダンボールやら医療道具を持って、こっちに向かって歩いていた。

 

「ありがとうな。もう、これで必要なものは一通り運んだみたいだ」

 

 キョンはオレにそう告げて、エレベーターに荷物を載せる。荷物を載せ終えると、エレベーターのスイッチを押して、1階へと運んでいく。

 

「星伽、急に手伝ってもらってありがとうな。この後は俺達でするから、もう帰ってもらってもいいぞ」

 

 キョンは女生徒にそう告げると、オレの肩に軽く手を置く。オレはこれからが仕事であるというわけだ。

 

「そうですか。それでは、杉田先生お先に失礼します」

 

「あっ、それと、明日の試験の手伝いよろしく頼むな」

 

「あ、はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

 そう言って、彼女は階段を上がって去って行った。

 

 

「じゃあ、直井。次は、エレベーターに載せたものを、戦闘技術訓練場(バトレンカ)に持っていくのを手伝ってくれないか」

 

「はい、わかりました」

 

 オレ達は彼女とは逆に、下へと階段を下りていったのだった。

 

 

 エレベーターが下に運んで行った場所に向かう途中、オレがキョンに質問する。

 

「さっきの生徒会の人って、誰なんですか?」

 

「うん? あー、さっきまで手伝ってくれた星伽のことか? あの子は、超能力捜査研究科(SSR)の2年の星伽 白雪と言って、SSRでも、トップクラスの成績を持っているという『期待の星』の生徒だ。しかもマジメで可愛らしくて良い生徒だと思う。オレももう少し若ければ……」

 

「そうなんですか……」

 

 キョンがオレにとってどうでもいいことを語り始めてきたので、オレは適当に相づちを打って受け流す。

 

(SSRか。堀江先輩なら何か知っているかもしれないな)

 

 それにしても、トップクラスとはすごい。きっと、陰陽道とかできるのかもしれない。どんな人なのかもっと詳しく知りたくなってきた。だが、SSRのやっていることは基本、非公開である。多分、彼女についての詳しいことや彼女がどのような能力を持っているのかなんてことは教えてくれないだろう。

 そう思ったオレは、これ以上キョンに彼女のことについて聞くのは止めることにした。

 

 

 2、3回ほど行ったり来たりしては荷物を運び回り、やっとエレベーターの荷物を運び終わると、キョンは一息ついてオレに話した。

 

「それじゃあ、明日、頑張ってくれな。さっきの生徒会役員の星伽も、明日は手伝いに来てくれるから、恥ずかしいところは見せるんじゃないぞ」

 

「大丈夫ですよ。普段通りにしていれば、実技は受かります」

 

「そうか。なら、楽しみにしてるかー! じゃあ、お疲れさん!」

 

「はい、それでは。杉田先生、お疲れ様です」

 

 オレは誰もいない教室に戻り、帰る支度をしたのだった。

 

 

 

 時刻は3時を過ぎたところだった。結局オレは、コンビニに寄っては立ち読みをしたり、新作のお菓子や飲料水を眺めたりして過ごし、3時過ぎたことを確認すると、足早に寮へと自転車を走らせる。

 ある程度寮の近くまで来ると、オレはふといつもとは違う道を通り、川沿いの道へと寄り道する。

 

 あの時、あの星伽先輩と会った場所まで来ると、オレはひと思いにふけっていた。

 

(あれから、約8ヶ月も経ったのか。早い。ほんとに、時が経つというのはあっという間だ)

 

 きっと、今日会った星伽先輩は、多分、オレのことなど覚えていないのだろう。ましてや、今日でさえも、オレの顔を覚えてくれたか怪しいくらいだ。

 オレは彼女と会えてうれしい半面、何か寂しげな感覚を味わっていく。やっと、やっと会えたのに、まだ彼女の存在が遠くにいるように思えてならない。ただ、あの時と変わらないのは、この河原の風景だけだった。

 

 しかし、オレは忘れていた。そう、最近いろいろあってか、武偵殺し事件のことを忘れていたのだった。それが、テスト明けのアドシアードによって思い出されるとは、この時には思いもよらなかったことだ。

 

 

 

 

 




次回予告「テストも終わり、とうとうアドシアードへの準備が行われていた。
オレは係員として、参加する。しかし、それが無事に終わることはなかった。」
次回、『陰躍の実行』



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8話 - 陰躍の実行

 風が吹く中、俺は東京の中を歩いて行く。こうしている今も、自分自身がなぜここにいるのかが分からないでいる。はたして、ここは東京のどこなのだろうか?

「ねぇ、お兄さん。どうしたんだぃ? なんだが、辛そうな顔をしているねぇ。何かあったのかぃ?」

 そう聞いてくるのは、少々気味の悪い雰囲気のフードをかぶった男性だった。今は夜の公園のそばまで歩いて来たのだが、フードを被っているせいか口元くらいしか見えない。

「……おまえにあ、かんけぇねぇだろっ!?」

 呂律が上手く回らない。どうやら本格的に俺はおかしくなっているのかもしれない。目の前に立つその男性を振り払おうとするが、よろけてしまって男性に体重を預けてしまう。

「心配しなくても大丈夫。良い夢を見せてあげますよ、お兄さん」

 ニコやかに言う男性は、俺の顔を見る。俺もまた虚ろに男性の顔を見る。

(なぜだろう……。懐かしい気がする)

 俺はその瞬間から、記憶を失うこととなった。



 
 「さて、行きましょうや。井上サツキ!」

 深い闇の中へと入っていく中で、男性はオレにそう言った気がした。


 重々承知の上、オレは廊下を足早に歩いていきながら保健室へと向かった。何を承知したのかと言えば、それは校内の電子掲示板を見れば分かることだった。

 

『保健・治療係員の生徒は、放課後の5時にて、保健室で打ち合わせを行うので、集まってください』

 

 テスト週間も終わり、学校の雰囲気はとうとう待ちに待った、アドシアードというお祭りに向けての準備へと変わっていった。もともと、そんなお祭りに出場する気のなかったオレは結局、アドシアードの保健係員になることにしたのだった。なので、この1週間はほとんどが授業とその準備に明け暮れる日々を過ごすという多忙な毎日であった。とは言っても、それは自分が1年生の係員代表になってしまったからだ。いや、係員代表に先生にさせられたと言った方が良いのだろう。この恨みはいつか何かで晴らしてやりたいものだ。

 

 ちなみにあのプール以来、オレは堀江先輩と会うこともなく、小野とも最近は教室で会って話すだけで、一緒に帰ったりや遊びにいったりなどはしていない。決して、あいつが女の子とデートとか他の友人と遊びに行っているからではない。単にオレが忙しいだけだからだ。

 

 と、とりあえず、多忙の日々を乗り越えたオレは、アドシアード前にある3日間の連休がやってきた。さすがに3日目の日曜日には、事前の準備として数時間は学校に行かないといけないのだが、まぁ、ひさしぶりに休日を迎えたオレは、1日中ただぐっすりと寝ていたのだった。

 

 

 深夜になって、オレは目が覚める。時間は真夜中の0時半。昼に昼飯を食べて起きたのだが、また眠ってしまったようだ。でもさすがに、12時間は寝過ぎたな。

 別に動いているわけではないのだが、またしても腹が減ってしまい、もうご飯を作る気力のなかったオレは近くのコンビニまで歩いて、何か腹の足しになるようなものを買うことにした。

 

 外に出ると、外では涼しい風が吹いていて、オレは身体の中の空気が入れ変わったような気分になる。寮を出ると、寮を出た先にワゴン車が駐車してあった。

 

(うん? これって確か、堀江先輩の車だよなぁ?)

 

 しかし、車内には誰も乗っていない。ましてや、堀江先輩の姿も見えない。とりあえず、自転車小屋に置いてある自転車に乗って、コンビニに行くことにしたのだった。

 

 

 いつも思うけれど、コンビニというものは何気に時間を潰してしまう場所である。なぜなら、ついつい雑誌の立ち読みをしてしまうし、新作の商品はないかとお菓子コーナーやパンコーナーなどの場所でひとつひとつ探してしまう。また、飲み物もありきたりで微妙なのしか置いてない場合と新作が多くてどれにしようか悩んでしまう場合がある。そんなことをしている間に、時間はあっという間に過ぎていってしまうのだ。なのでオレは、なるべく早く雑誌を読み終えて、焼きそばパンと弁当とピスカルという甘い清涼飲料水を持ってレジに向かう。

 ゆっくりしていきたいところだが、さすがに、20分以上もコンビニに滞在していたら、腹の虫が暴れる勢いになってしまい、何をしにここまで来たのかわからなくなりそうだ。

 

 

 そんなことを思いながら、寮の方へ向かって帰っているとこっちに向かって来る車がいた。暗くて分かりにくいが、白い軽のワゴン車だ。そう、その車はさっき寮の前で見かけた堀江先輩の車だった。

 

 車の窓から顔を出してきた堀江先輩は、ライトを消し、車を止めて降りてくる。

 

 

「おっ、竹内じゃないか! 何してたんだこんな時間に~? あ、もしかして、夜遊びか!?」

 

「いや別に、コンビニまでちょこっと買いものに出かけてただけですよ。それよりも、先輩こそどうしたんですか? こんな夜中に、車に乗って」

 

 先輩は少し苦笑いをしながら、空を見つめる。そういえば、いつもと雰囲気が違う。いつも髪を立たせて、ややモヒカン気味の髪型なのだが、今は髪が全体的に下ろしてある状態であった。何気に制服姿で、助手席には窓から見えるくらい大きなバックが置かれていた。

 

「いやぁ、ちょいと実家から帰れって連絡があってな。 仕方なく今から帰ることになったわけだ」

 

「はぁ、そうなんですか。先輩の実家って、どこなんですか?」

 

「東北地方の青森県の中の山の方。今から高速道路を使って、そこまで向かう予定」

 

「また、遠いトコに実家があるんですね」

 

「そうだなー。ま、アドシアードまでには帰って来ようと思うから、またそん時に会おうか。じゃあ、またなー」

 

 そう言って先輩は、オレが買ってきたものを物色し終えると、車に乗っては星が見える夜の中で進み始め、オレの知らない場所へと向かって行ったのだった。

 

 

(先輩も大変だな。何か、家の用事なのかな? まぁ、オレにはどうでもいいことか)

 

 自転車小屋に自転車を置き、階段を上がって、自分の部屋のドアノブを回す。

 

 自分の部屋の中に入ったオレは、すぐに弁当を食べ始めた。弁当を食べると急に眠気がやってくる。静かな夜の中で、オレもまた静かに眠っていったのだった。

 

 

 

 

 日差しが眩しい。朝だろうか。そうなのかと思いきや、時計を見ると昼だった。コンビニから帰った後いつのまにか、眠ってしまったみたいだ。てかほんと、寝てばっかだなオレ。

 しかし、なんだろう。コンビニに行った記憶はあるのだが、他に何をしていたか記憶にない。何か忘れている気がしてくる。だが、もしかしたら、夢だったのかもしれない。そんな思いが出てくる。とりあえず、起きてご飯を食べることにした。

 

(眠い。あんだけ寝たのに、何故にこんなに眠いんだろうか。人間というものは寝過ぎると逆に眠くなるというものなのだろうか?)

 

 目をこすりながら昨日買った焼きそばパンを食っているオレは、眠気覚ましに甘いコーヒーをのむことにした。最近、無糖のブラックコーヒーに慣れてしまったオレは、市販の子ども用の甘いコーヒーを冷蔵庫に置くことが増えた。これは、朝が眠たい時のために用意してあり、意外と目がさえてくる。

 

(あ、あんまっ!! 寝起きという味覚が不安定な状態でも、このコーヒーは甘く感じるなぁ。きっと、目が覚めてる時だったら、やばかっただろうな)

 

 そう思いながら、コップに注いだ甘いコーヒーを全部飲み干す。昼食を食べ終わり、歯を磨いていると急に携帯電話が鳴る。

 

(誰だよ! こんな朝っぱらから!!……って、今は昼か)

 

 口をゆすいで、オレは画面を開いて電話に出る。

 

「もしもし、竹内ジュウという者ですけど」

 

「いやいや、いちいち本名を言わなくても。そちが出るのは分かってるから」

 

 電話をかけてきたのは小野みたいだ。さすが、電話回数は1位の小野だな。

 

「それで、どうしたんだ?」

 

「いやいやぁ……今、ヒマかと思って」

 

「まぁ、ヒマというか。さっき起きたというか・・・」

 

「じゃあ、一緒にアキバに行かん? ちょい、欲しいもんがあるんやってー」

 

「……。OK。どーせ、ヒマだし。じゃあ、30分後にチャリ小屋集合で良いか?」

 

「いいよー。じゃあ、後で~」

 

 オレは鏡を見る。顔がやばい。いや、単に眠いから表情がやばいという意味で、顔の造りはアイドルの松ジュン並みだ。そうに違いない。

 とりあえず、髪も寝ぐせだらけで、起きた時に寝汗もかいていたので、オレは早々とシャワーを浴びることにしたのだった。

 

 

 

「すまん、すまん。遅れた」

 

 無駄にシャワーを浴びていたので、オレは思ったよりも時間をかけてしまい、約束の時間に遅れてしまっていた。

 

「うん? あ、別に大丈夫やから。それじゃ、行こうか」

 

 実は連絡もなしに10分以上も遅れて来たので何か小言でも言われるかと思ったが、ここで何も気にせずにいられる辺り、こいつがたくさんの女子と仲がいいのも頷けてしまう。

 当たり前だが、車の運転のできないオレ達は自転車で駅まで行き、そこから電車で移動することにした。自転車をこぎ慣れているオレにとっては、自転車で秋葉原まで行ってもいいのだが、さすがに小野はそこまで自転車を乗りたがらない人間なので、仕方なく出費のかかる電車に乗って行くことにした。

 

 

 秋葉原につくまでは、小野といろいろな話を盛り上げていた。話の内容には、堀江先輩は実家に帰ったらしいという話題もあった。どうりで、今日は一緒に来ないわけだ。実家に帰ってるなら行けないからな、アキバ。

 

 秋葉原に着くと、オレ達は時間を忘れて遊びまわった。まぁ、大半は小野の買い物の付き添いなだけだったが、それでも、ゲームセンターに行って遊んだりや小野の機械関係の話を聞いていたりなど、時間をつぶすことができた。

 

 

 帰る電車に乗ると、人混みがすごい。今日はいつもより混雑しているような気がする。

 

「今日は、えらく人が多いな……」

 

「あれじゃない? 花火祭り」

 

 小野が指を指した先には、大規模な祭りの広告があった。なるほど、今日は本祭りらしい。ましてや、花火だ。日本人が無駄に集まってくる行事の一つなのだから、そりゃあこんなに混んでても仕方ないのだろう。

 

「ついでに、祭りも行くか。せっかく、今日は花火もあるみたいだしな」

 

「いいよー。屋台の食べ物とかめっちゃ好きだし~」

 

 この感覚は不思議ではあるが、日本人ならば花火を見なくてはいけないという概念に囚われていく。まぁ、花火を見るのは好きなので、久しぶりに花火を見れることに心を躍らせていた。

 

 

              ―7時20分―

 

 

 電車を降りて、オレ達は武偵校駅行きのモノレールへと向かった。その理由としては、祭りが開催される場所には、モノレールを使って行った方が楽だったからだ。周りもそろそろ暗くなってきた頃、武偵校駅に向かっている最中……、浴衣姿の女性が、待ち合わせをしているのか、ケータイを見つめながら立っていた。

 

(あれは……、星伽先輩!!)

 

 清楚な白地に撫子柄の浴衣を着ていた彼女は、とてもキレイだった。あー、もう可愛い。黒髪美人で浴衣とか反則だろ。もし、美女コンテストがあったなら、必ず1位はとれるだろうな。それくらいの魅力を持っていた彼女に、オレは目を離せずにいた。

 

 その途端、さっきからチラチラと彼女を見ていたチャラい男性が彼女の方へと近寄ってきた。

 

(あれは、もしかしてナンパかっ!?)

 

 その男の話かけられた彼女は嬉しそうな顔はせず、どちらかと困っている顔をしていた。どう考えても、迷惑なナンパだろうか。というか、容姿を見る限りでは20歳後半だろう。そんな大人が、高校生をナンパするって恥ずかしくならないのだろうか?

 こういうのを見ると、同じ男として情けなくなるというのか、気持ち悪くなっていく。きっと、同じ性別であるからこそ、そういった部分を見てしまうと吐き気がしてくるのだろう。

 

 

「すまん。ちょっと、先行っててくれ。知り合いがそこにいるか……」

 

 しかし、小野はオレの話をさえぎってニコやかに言う。

 

「ほいほーい。まぁ、遠くから見ていてあげるわー(笑)」

 

(……こいつ。知ってやがったな。星伽先輩のことを。後からまた問いたださないといけないみたいだな。というか、助ける気ゼロかよ)

 

 

 

 オレは、星伽先輩がいる場所まで近づいて男性に話しかける。

 

「すいません。どうしたんですか?」

 

 その問いに男は、振り返ってオレの方を見ると、不機嫌そうな顔で言ってくる。

 

「ああっ? 誰だよオマエ?」

 

 多分、オレの姿を見て「コイツになら勝てる!」とか何か思ったのだろう。強気に出た男に、オレはさっきの問いに答える。

 

「いやオレも武偵ですけどなんか用ですか? 今から見回りに行くんですが?」

 

 そこで、男は硬直する。だが、さらにオレは星伽先輩を見て口を動かせた。

 

「あと、星伽先輩も武偵なんですから、何か言わないと分からないですよ」

 

 その言葉に、男は急に態度を変え、

 

「あ、いや、なんでもないから。少し尋ねてもらっただけだから」

 

 そう言って、男は去って行った。

 

 

 星伽先輩は、ボーとした顔でその一部始終を見ていた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 オレの言葉に、彼女はハッとした顔になった。

 

「う、うん。大丈夫だよー。あ、えーと、たしか……、一年生の子だったかな?」

 

(さすがに、1年生だとは覚えてもらっていたか。まぁ、準備と実技のテストの時に会ったんだから覚えてるのも普通か)

 

「あ、はい。1年治療科の竹内です」

 

「あ、ありがとう。ほんと、助かったよ~」

 

「いえいえ。大したことじゃないですから。それより、ここで何してたんですか?」

 

 とは言うが、普通に考えて分かるか。こんな場所でそんな格好でいたら……、

 

「今日、キンちゃ……、お友だちと花火祭り行く約束をしたから、ここで待ち合わせをしていたの」

 

 そこで、オレは心臓の音が聞こえるほど、つい聞きたくなったことを聞いてしまった。

 

 

「そうなんですか。もしかして、彼氏さんとですか?」

 

 オレはにこやかな顔でそれを言う。

 

 すると、彼女は急に顔を真っ赤にして、

 

「いや……、そのね。彼氏というか、彼氏じゃないというか、幼馴染というか、キンちゃ……、彼とはともだ……いや彼氏、いや幼馴染かなー。えーと、その……、うん」

 

(す、すごい動揺ぶりだ。ちくしょう! やっぱり、彼氏がいたのか。又は、想い人がいる感じなのかな?ってまぁ、そんなのどうでもいいか。……はぁ)

 

 どう考えても、普通の友達を待っているわけではなさそうだ。心なしか、オレは気分が下がる。

 

 

「でも、その彼とは7時に待ち合わせだったんだけど、もう30分も経っちゃってるの。どうしたんだろう。何かあったのかな? それとも、何か事件に……」

 

 彼女の顔は段々と不安の色に変わっていく。

 

(どんな事情があるにしろ、連絡1本もよこさないなんて最悪なヤツだなそいつ。こんな、美人を待たせるなんて、どんな神経してんだソイツ!)

 

 そう感じながら、オレはなだめるように星伽先輩に言う。

 

 

「きっと、大丈夫ですよ……。多分、忘れているか、何かに没頭しているかですよ。事件が起きたら、すぐに分りますし」

 

 そう言うと、彼女の顔は少しやわらぐ。

 

「そうだよね。彼に限って、そんなことはないと思うから、多分、急に任務か何かが起こったのかもしれない」

 

 

 そこで、ケータイのメール音が鳴る。残念ながら、彼女のではなくオレのだった。オレはそのメールを開くと、小野からだった。

 

『どう?しっかり誘えた?なんなら、オレは1人で見に行くけど、どうする?』

 

 といったような内容だった。その光景を見ていた彼女は言う。

 

「そういえば、君は何か用事があるんじゃないのかな?」

 

 

 時計を見てみると、時間は7時30分過ぎだ。確かにそろそろ行かないと、モノレールに乗るのに間に合わなくなる。オレは急いでメールを打ちながら、

 

「そうでした。俺も友人と花火祭りに行く予定だったので」

 

「それなら、その友達を待たせたら悪いから、早く行ってあげるといいよ。私はもう大丈夫だから」

 

「そうですか……。それじゃあ、失礼します」

 

 そう言って、オレは仕方なくその場を去って、小野の待つところへ向かったのだった。ただ、星伽先輩のことを考えながら……。

 

 

               

              ―10時過ぎー

 

 

 オレ達は花火祭りを堪能し、10時頃には寮へ帰ってきた。久しぶりに祭りや花火を堪能したオレは、遊び疲れたのか、ご飯を食べた後はマンガ雑誌を読んでいると、いつのまにかうたた寝をしてしまっていた。ほんと、寝てばっかオレ。

 途中で目を覚ますと、そのまま布団に入り、眠りに入っていった。ただ、ひたすら心地よい、世界の中へと、潜っていく……。

 




次回、「アドシアードがとうとう開催される。その手伝いでオレは大忙しだ!
    そんな中、一人の女性がオレの方へと歩み寄る。そ、それはなんと、星伽先輩だった!」
               次回【銀氷投影】


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9話 - 銀氷投影

  ――とある船の一室――


 長髪に長いコートを着た男性は言う。

「とりあえず、君のことを今後は『ハルシオン』と、呼ばせてもらおうか」

「……はい」

 それに対して自分は了承の意味で適当に返事をする。
 実際、コードネームなんて必要なのだろうか? と思う。今まであだ名ならついたことはあるが、こういった名称で呼ばれると思うと恥ずかしいものがある。しかし、もうあの名前を背負って生きたくない。偽り続けたあの明るい世界で自分自身が生きていくことは避けたいのだ。そのためなら、大切な人でさえも永遠の眠りという闇に誘うことも躊躇しないだろう。


「さっそくだが、私と同伴で任務についてもらう。場所は日本の横浜。サラトフという組織に何かしら情報を流している人間がいるらしい。名前は中塲 将兵。年齢は38歳。そいつを君の言う『永眠』というものをさせてやってほしい」

「……わかりました」

 何にせよ、世界のために、自分自身のために、指を引いていくしかない。引き金は、偽りのないものなのだから。



 オレにとって忙しすぎた長い準備期間は過ぎ、何事もなく開催されたアドシアードは、たくさんの人で賑わい始め、盛り上がりを見せていた。

 アドシアードの保健・治療係員であるオレは、まだ1年生ということもあって当日の仕事は少なく、時間によって仕事が区分けされていたので、オレの仕事は午後からだった。つまり、午前中はほぼ自由時間なのだ、イエーイ!!

 

 とは言っても、小野は午前中の競技に出たりしているので時間的に合わない。今空いてるクラスメイトも微妙な仲の人間しかいないし、そんなやつと気まずい時間を過ごすくらいならいっそ自分一人で過ごした方が気楽だ。

 というわけで、一人で寂しく競技を見ていることにした。……いや、決して他に友達がいないとかクラスメイトと仲の良いやつが少ないわけではない。ただ、この時間帯はたまたま仲の良いやつが空いていないだけだから!

 

 射的の競技が始まった。さすが先輩達だ。拳銃の腕前は素晴らしいほど上手い。こういうのを見ると、興奮が止まらなくなる。半年以上前に、片目の視力を失ったオレにはできない芸当だ。まぁ、失っていなければきっとあれくらいは出来たんだろうけどな。

 

 様々な競技を見ている中で、オレはある人物が出てこないかずっと待っていた。だが、いくら経ってもオレが探している彼。堀江先輩が午前中の競技に出てくることはなかった。

 

(あれ? おかしいな。たしか、堀江先輩ってアドシアードに出るって言っていたよな? もしかして、今日は棄権したのだろうか?)

 

 しかし、メールするのは何だか気が引けてしまう。もし、競技に出るために精神統一をしてる時にメールをするのは、良くないことだと思っている自分はメールをする気が起こらなかった。

 

 結局、午後になって昼休憩が終わると、オレは係りの仕事についていた。仕事の内容と言えば、ほぼ雑用ばかり。保健・治療係員というのは名ばかり、力仕事がほとんどであった。

 それもそのはず。出場者のケガなどは先生や男子生徒の先輩達が治療をやってくれるし、それの補助として女子生徒の先輩はその場に待機しなければならない。

 それと違って後輩達は、そういった仕事はノーサンキューなので、荷物運びや次の競技に向けての後片付けや準備などの関係のない仕事が回ってくるのだ。

 

 

 さっき頼まれた運び仕事をある程度片づけ、オレは役員本部へと向かっていると、肩を叩かれる。

 それに反応するように、オレは後ろを振り向くとそこには星伽先輩が立っていた。

 

「ねぇねぇ、ジュウ君。ちょっといいかなー?」

 

「あ、星伽先輩。どうかしましたか?」

 

 

 彼女は申しわけなさそうな顔でオレに言う。

 

「ごめんけど、地下倉庫まで来てくれないかなー? ちょっと、手伝ってほしいのー」

 

「ああ、はい。わかりました。いいですよ」

 

 そう言うと、オレは彼女についていった。女の人の頼みは断れない。特に、美人で可愛くて清楚な人が可愛らしく頼み事をしてきたら、断るわけがない。いや、断れないでしょ!! 

 オレは学校裏の地下深くにある、地下倉庫まで行ったのだった。

 

 

 

「星伽先輩。何を手伝ってほしいんですか?」

 

 オレは地下倉庫に着くと、星伽先輩にそう尋ねた。

 

「花火とか、競技に使われる火薬がもうそろそろで切れちゃいそうだから、そこらへんの物品を持って行ってほしいの」

 

(あれ? 前日に結構、火薬類は用意されていたとは思うんだが、もう無くなったのか。まぁ、予想以上に賑わっている証拠なのかな)

 

「あー、そうだったんですか、なるほど。でも、他に係の人とかいなかったんです?」

 

「多分、いたんだろうと思うけれど、誰かに頼もうと思った時にあなたの顔が見えたから」

 

「あ、そうだったんですね。なるほどなるほど」

 

 緊張のあまり、少し口早に喋ってしまうなオレ。実際はヒマそうにしてたオレがいたからという意味なのだろうが、実際にこうやって2人で話せる機会が持てたのだから気にしないでおこう。

 

 オレは星伽先輩について行き、ついていった先にひとつの部屋があった。

 

 部屋のプレートには薬品庫と書かれていた。彼女はその部屋の扉を開けるが、中は真っ暗で何も見えない。電灯のボタンは中にあるのだろうか。彼女はどんどん暗い部屋の中へと入っていく。オレもそれに続いて部屋の中へ入っていった。

 中に入るが相変わらず全く何も見えない状態だった。ましてや、星伽先輩がどこにいるのかさえ分からない。オレは彼女が電灯をつけるまで、何もせず待つことにした。そうしていると、急に真上から部屋の電灯がつき始めたのだった。よし、これで部屋の中が見えるぞ!

 

 よく見えるようになったこの部屋をオレは見渡す。おかしい。そう感じたオレは、目をこすってもう一度見渡してみる。だが、どこを探しても火薬も薬品も、ロッカーのような物以外は何一つ置いてなかった。

 さらに、さっき電灯をつけたであろう先輩の姿がこの部屋のどこにも見えない。オレは疑問を抱きながら、何度も周りを見渡してみる。

 

 しばらくして、部屋の扉が勢いよく閉まる音がオレの後ろの方から鳴った。振り向いたオレは、閉まった扉へ向かい、ドアノブに手を回す。しかし、扉には鍵が閉まっているのか、力を入れて押したり引いたりしても扉は全く開かない。

 分からない、わけが分からない! 今ここで何が起こってるのか? 何も分からず、オレは混乱する。

 

(なんで鍵が閉まるんだ? それに、先輩はどこに行った? いや、先輩がこの部屋の鍵を閉めたのか?)

 

 

 一生懸命、オレはドアノブを回す。

 どんなに回しても開かないのに、押したり引いたりを繰り返してみる。

 

 すると、急に扉の向こうから、星伽先輩の声が聞こえてくる。

 

「うふふっ。ごめんね~、竹内ジュウくん。ちょっとその部屋で待っててもらえるかな? 後で、おまえに会いたいという人間がいるのでな。それまで、その部屋で水浴びでもしているんだな」

 

 口調が少しずつ変わっていく。もしかしたら星伽先輩は、本来はこういった喋り方なのだろうか? いや、今はそんなことはどうだっていい。

 

「ま、待ってください! どういうことなんです? なんで待つのに閉じ込められないといけないんっすか!? だいたい、オレに会いたいやつって誰ですか!!」

 

 しかし、星伽先輩はもう扉の向こうにいないのか、オレの叫びに対して何も返ってくることはなかった。つまり、ここにはオレしかいないということ。星伽先輩にしてやられたということ。さらに……。

 

「――!?」

 

 部屋の上から爆発のような音が聞こえ、部屋の中は少し揺れる。揺れがおさまったと思った直後、天井の穴から水が流れ込んで来た。勢いよく上から流れる水は、狭い部屋の中の隅まですぐに行き渡っていき、どこにも逃げることなく、この部屋の中に蓄積されていった。

 

(くそっ、何が起こってるんだよ! なんで星伽先輩が、オレにこんなことするのかわけがわからない!!)

 

 まるで、別人が星伽先輩になりすましたかのような出来事に、オレは裏切られたという絶望感に埋め尽くされる。ほんと、嫌になる。これだから、女という生き物は苦手だ。特に、美人で可愛くて清楚な女の子でオレみたいなやつに可愛らしく頼み事をしてくるようなやつは、決まって調子にのった性格の悪い女でしかないな! 

 

 本当ならここで気付いてもよかったのだろうが、オレが星伽先輩に肩を叩かれた時に彼女はオレのことを「ジュウくん」と呼んでいた。オレは先輩に名字は教えたが、名前は教えてはいない。持論だが、名字だけ教えてもらったら、いちいち名前を知ろうとは思わないし、オレの名前が先輩達の間で出回るわけがない。さらに言ってしまえば、急に名前を呼ぶような女はビッチだ!! 結局、彼女が星伽先輩である可能性が疑わしいことに気付いたのは、部屋を流れている水によって頭の中が冷えてからだった。

 とは言っても、あそこまで変装が上手くて声もそっくりだった人間を、普通に星伽先輩だと思ってしまうのも仕方ないのではあるが。

 

 

 オレは何度か思いっきり扉を蹴ってみるが、扉はビクともしない。鍵がかかっているというよりも、扉の反対側を何かで固められたような感じだ。

 

 そこで、オレは扉を開けるのはムリだと分かり、諦める。念のため部屋の中を見渡しては何かないかと探してみるが、案の定何もない。オレは結局、ケータイを使って小野や先生に連絡をしようとする。だが、何度連絡をとろうとしても、電話はつながらないし、メールも届かない。

 

(くそっ。手詰まりか。水はもう足の太ももまできている。だけど、打つ手はない。はっきり言って、お手上げだ)

 

 そんな状況に、オレは改めてこの部屋を隅々までよく見渡し、部屋の構造を頭の中に入れた。

 

 コンクリートで出来たこの部屋に、防弾性のドア。広さ的に8畳ってとこだろう。それに、たくさんの薬品ロッカーとラックが置かれてるのを見ると、前に薬品や色々な物が置かれていたに違いない。また、天井にある穴は多分、前まで換気扇に使われていた場所なのではないかと考えられた。さらに、天井までは約3メートル未満。水が入ってくる勢いからしてあと30分すれば、この部屋は水槽のように水で埋め着くされるのだろう。

 

 さて、どうしたものか。オレは考える。ただ、ひたすら必死に考える。これでもか! と言わんばかりに考えてみる。だが、一向に思い浮かばないし、ただ時間が浪費されるだけであって、こればかりはどうにもできなかった。

 

 もし、中学時代であれば、扉をこじ開けたり、水の勢いを抑えたりなどが出来る装備を普段から常備していたのだが。とか思ってしまう。まぁ、今日はアドシアードという時点で、そんなもん関係なく、帯銃くらいしかしていない。たかが銃だけでは、塞がれた扉を開くことなんてできやしないのだ。

 

(それにしてもやたら水は冷たいし、この部屋の中は寒いな)

 

 この地下倉庫に入る時はあんまり思わなかったが、長くこの部屋にいると、この部屋が外とは違って、やたら寒い。まるで、エアコンの冷房をつけられたのかと思うくらいに。

 

 とりあえず、他にすることが思い浮かばないオレは、ケータイを触りながら他に何かないかと考えることにした。

 ひたすら、水が流れる音だけを聞きながら……。

 

 

 

 

  ――30分後――

 

 部屋の中に流れてくる水はもう2メートル半以上まで達していて、オレの肩まで水は来ていた。オレは部屋の中にあったラックやロッカーに足を乗せ、何とか頭を水面上に出そうと立っていた。しかし、この部屋は寒い上に冷たい水が流れている。そんな環境の中にいるせいか、オレは段々と体温を奪われていったのだった。

 

(あー、やばい。このままじゃ、オレ本当に死ぬな。確実に)

 

 頭が少しもうろうとしてきた中、オレはイチかバチか、ある1つの方法にかけてみることにした。あまり泳ぎの得意ではないオレにとっては、可能性は薄いのではあるが……。

 

 

 水があと数分で天井にまで達しようとした時、オレは一気に空気を吸う。身体に空気をため込むと、この部屋のドアの方へ水の中を潜る。しかし、ムダに空気を吸って潜ったせいか、なかなか下まで進むことができない。オレは手でラックにつかまって、少しずつ潜っていく。

 完全に地面まで潜ると、オレはもうろうと見える扉を目指して、力強く壁を蹴って蹴伸びをした。

 

 さすがにここまで水が入ってくれば、水圧に耐えきれなくなり、扉は開きやすくなるはずだ。オレが蹴伸びをして扉にタックルすれば、もしかしたら扉が開くかもしれない。

 そんな淡い希望を糧に、オレはタックルを試みてみるが、やはり扉は開かない。

 

(くそぅ、どんだけ頑丈なんだよ! 今度は、もっと近くでより力入れてみないと)

 

 

 しかし、体は浮いてしまい、また水面上へと顔を出してしまう。浮き上がると、もう水と天井が届きそうになっていた。あと数分も経たずに、この部屋に空気は存在しなくなる。

 そんな状況にオレは無我夢中でもう一度潜り、さっきより近い場所のロッカーから蹴ることにした。本当にこれがラストチャンスなのだと心の中でそう感じる。

 今度こそはと、ため込んで一気に体全体で当てるかのように力強く蹴伸びをした。

 

 

 だが、それでも扉は開く様子はなく、勢いのついた衝撃によって自分自身の体中の空気が口や鼻から逃げていく。

 

 

(ヤ、ヤバイ! は,はやく上へ!! あそ、こに、いかないと……)

 

 オレは必死になって水面上へと目指して泳ぐが、空気を失ったオレは浮くことなく沈むだけ。必死にラックを探すが、見つからず苦しんでいくばかり。

 

 段々と、意識がもうろうとしてくる。最近味わったあの溺れるという感覚がまた襲ってきたのだ。なんとも、辛すぎる状態。必死に水中でもがいているオレは、なんとかラックにつかまるが、もう力が入らない。

 もうダメだ。オレは、もう何もできずに水と一つになりかける。

 

 

 だが、後ろから鈍い音が鳴り響く。その途端、一気にオレは後方へと吸い寄せられる。体は水の流れに沿って連れていかれ、気づけばもう部屋の外へ押し出されていた。

 水を吐くと同時に、空気を吸う。それの繰り返しをオレはただひたすら行う。

 

「ぅおぉ、ごっほぉごぉっほぉー。……おええぇーぇ」

 

 いつのまにか、体の中に侵入した水の大半が抜け出た気がする。必死に息をする中、オレは前進しながら閉じていた目を開け、前を見ようとする。

 

(誰だ? 誰か、いるぞ。……黒い服の男?)

 

 

 べっとりと顔や頭についた水滴を手で拭ってふき取り、再びその男を見る。

 

 暗い廊下の先に立つ男。そいつは、微笑んでいる。それとも、憐れんでいるのだろうか。いいや違う。オレが苦しむ姿を見てニヤけていたのかもしれない。

 

 

 懐かしい。その感情の次には不愉快しか残らない。なんだか思い出せそうで思い出せない。

 久しぶりに見たその顔の人物は、なにやら口を動かしている。耳の中に水が入っているオレには、何を言ってるのか全く聞こえない。

 だが、口の動きを見れば分かる。いや、そう見えただけなのかもしれないが、きっとこう言ったのだろう。オレの友達というのか幼馴染というのか、身の回りにいるやつらはほんと、酷いやつしかいないのだろうか。

 

 

 彼の口振りからはオレに『お・ま・た・せ!』と。そう言ったように見えたのだった。

 

 

 

 




次回予告「青森県というところはいいところだ。まさしく故郷と呼んでいいのだろう。
     そんな中、俺は親父に呼ばれ、森の中へと入っていく。
     そこで聞かされた話は、俺にとってとてつもない焦燥を生んだ。
               次回『秘物たるもの』



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9.5話 - 秘物たるもの

(注)今回の話は、現在の本編とはかけ離れた場所のお話です。番外編としてお楽しみください。


―――堀江 修介視点――― 

 

 ここは、青森県青森市の八甲田山の森林の中。俺は家にいると親父に呼ばれ、親父と一緒に歩きながらあまり人気のない場所まで連れて来られた。いつも、家の神社の大事な事柄については誰もいないような場所で話をしている。きっと今回も跡継ぎである俺に話しておきたいことを話すつもりなのだろう。

 

 俺は実家の跡継ぎをするという条件の下で武偵学校に通うことを親たちに許可された。結衣も実家から逃げるように、俺と一緒の学校に通うことにした。それは結衣にとって、最善の決断だったに違いない。なにせ俺は、妹に唯一信頼されている存在である兄として、自分のそばで妹を守っていかなければならない。守るのは当然で、当たり前のことだからだ。

 それは、妹が女の子や異性だからとしてではなく、家族という意味でだ。結衣にとって家族は俺しかいないようなものなのだろう。そう、家族であり、家族以外ではない。俺と妹はそういった立ち位置で永遠に変わらない。そうあるべきなのだ。

 

 さて、話を戻そう。妹のことは今は関係なかったな。

 俺が今言いたいことは、なぜ今になって俺を実家まで呼んでは、跡継ぎの話をしたりやその準備をさせようとしているのか、ということだ。そんなもんは卒業が近くなったらか、実家に帰ってからにしてほしい。

 ただ、妹は呼ばれなかったことは救いだった。まぁ、跡を継いで、許嫁まで作らされたのだから、この家にとって妹はもう不要な生命体なのだろう。さすがに、おふくろはそこまで思っていないのだろうが、親父に関しては分からない。娘であっても女性には、干渉しないし、感傷もしないのだろう。それが、俺の親父、堀江孝文なのだ。

 

 

「さて、おまえには2つ伝えないといけないことがある。これは決して、他人にはもちろんのこと、身内や家族の一人でさえ言ってはならないことだ。そのことを理解した上で聞けよ」

 

「……言われなくても、分かっていますよ父上。この期に及んで、そんなことをしようとは思いません」

 

「まぁ、おまえだからな。たとえ私の息子であっても、絶対的な信用はできない」

 

 なんともまぁ、血の繋がっている父親とは思えない発言だ。そんなんで、家の神社を継げと言うのだから、この男は信用ならない。しかし、以前につい口を滑らしてしまったために、多くの人に迷惑

をかけたわけだから、オレを信用できないのは分からないでもない。なんだかんだ言っても、継げる人間が俺しかいないから、信用していくしかないのかもしれない。

 

「さて、まず一つ目なのだが、実はこの神社には一つだけ秘物たるものがある。それは、この家の敷地内のどこかに置いてあるのだが、その存在を認識しておいてほしい。ただ、それだけだ」

 

 うん? 親父の言うことが分からない。家に宝物があるという事実だけを知ってほしいという意図が汲み取れない。それこそ、「だから何なのだ?」と聞き返しそうになる。

 

「えっ? つまりは、探し出せということですか?」

 

「いや、そうではない。どこにそれがあるかなどおまえは認識しなくていい。どこにあるかは、私しか知りえないことだ。ただ、そういった存在があるということだけを認識しておいてほしいのだ。そうすれば、もしそれを目にする機会があったとしても、容易に扱うことはないからだ」

 

「えっと、つまり要約すると、秘物たるものがこの家の敷地内にあるから、もしそれを見つけてしまったら、触るなということですか?」

 

「そうだ、その通りだ」

 

 だからと言って、そのまま納得できるような回答ではなかったので、俺にとってはまだ腑に落ちないことばかりだった。いまいち、親父の意図が分からない。俺は親父に質問していく。

 

「でも父上、それなら、どこにあるかを知っていれば気をつけられるのでは?」

 

「だめだ。前にも説明したが、この世に存在する秘物たるものには『或る力』が備わっている。厳密に言うなら、『或る力』を求める人間に備えさせると言った方が正しい。それは、人間によって作られたからこそ、人間に適応されるように作られている。もしくは、武器や身に着けるような限定的な何かに適応される場合もある。もし、お前自身が秘物たるものの『或る力』を求めてしまった場合は、適応されてしまう可能性が出るのだ」

 

「それなら、尚のこと知っていればそれを対処できるのでは? 父上は知っているのでしょう? それは、適応されない対処の仕方を知っているからではないのですか?」

 

「いいや私は、その力を求めることが出来ない。秘物たるものの『或る力』に適応してしまった場合、今まで生きてきて培った力を失うのだから。それでは、本末転倒だろう。なにせ、どのような力か分かっているわけだし、割に合わないと分かっていれば、そんな力を欲しようとする気さえ起きなくなるものだ」

 

「は、はぁ……。それなら、父上の息子である私も」

 

「いや、お前の場合は変わってくる。秘物たるものの『或る力』が何なのかを知った時に、己の持つ力と天秤にかけた時に或る力を求めてしまう可能性が出てくる。そう、知っていれば興味を持つし、秘物たるものの『或る力』を求めようとするかもしれない。他に力があるとすれば、それを求めずにはいられないように、或る力がどのような力なのかさえ知らなければどうということはないのだ。ましてやお前は堀江家の血を受け継ぐ者。代々受け継ぐ力をお前が途絶えさせられたら困るのだ。だからお前は、秘物たるものがあるという存在だけを知っていれば良いのだ」

 

「なるほど……、分かりました。ですが」

 

「うん?」

 

「それならなぜ、私にその秘物たるものの存在を教えたのですか? 教えなければ、それこそ安全だったのでは?」

 

 そんなものがあると知らない方が、いいのではないのだろうか。知らなければ、それこそ干渉することなく済む。それこそ、リスクは小さくなるはずだ。

 強い風が吹く。親父は体を動かさず、木のように立ちつくして溜め息を吐く。表情から見るに、俺に対して呆れたようだった。

 

「さっきも言ったはずだ。容易に扱うな、触るな、と。知らないのでは、興味を持って触れてしまう可能性がある。もしくは、お前自身が『或る力』に干渉されてしまうこともある。ただこの場所に住んでいるだけならいいのだが、お前がこの家の神社の跡を継ぐというのなら、秘物たるものを目にする可能性が出てくる。だからこそ、今のうちにお前に伝えておこうと思ってな」

 

「そういうことですか……。じゃあ、もし、その秘物たるものを私が偶然見つけてしまい、偶然に或る力を求めて適応してしまったら、私は今持っている力を失う可能性はあるということですか?」

 

 最後にこれだけは聞きたかった。誰しも何らかの力を欲しがっていたりする。自分自身、もっと力があれば、もしもの時に妹を守れるのではないのだろうか。そう思うことがよくあるのだ。だが、何の力か分からないし、少し別の力に憧れたくらいで、今まで頑張って手に入れてきた力を失うのは避けたい。それだけは、不安になってくる。

 

 だが、親父は少しニヤつく。単に軽く笑っているだけなのだろうが、堅物の親父が笑うとどうしても気味の悪い笑いに見えてしまうようだ。

 

「それなら心配ないだろう。普段のお前なら、『或る力』を求めるようとはしないだろう。お前が知らなければ適応するような力ではないのだ。それだけは、絶対的な信用を持ってもいいと私は思う」

 

 そう言った親父の言葉に、少し不快感を覚える。なにせ、俺がバカにされているように感じたからだ。しかも、俺に絶対的な信用はできないと言っていた親父が、絶対的な信用を持ってもいいとか言っているのだ。それこそ俺が親父を「信じらんないっ!」と言いたくなる。

 

「でも、名称くらいは教えておいた方がいいか。お前のことだから、秘物たるものの見分けがつかん場合にも備えておかないとな」

 

「そうですか。んで、その名前は?」

 

「竹の笹に、弓矢の矢、薙刀の薙ぎで『笹矢薙』と言う」

 

「ささやなぎ……」

 

 なんとも、曖昧な名前であった。笹の矢で薙ぐという意味から取られたのだろうか? とりあえず、左足に虫がいるのか知らないが、ムズムズする。あまり、森の中に長居はしたくないので、2つ目の話に移ってもらうことにした。

 

「それで父上。2つめの伝えないといけないこととは何でしょうか?」

 

「ああ、そうだったな。一昨日から結衣の行方が分からなくなっているのだが、お前は何か知っているか?」

 

「……えっ!?」

 

「お前らには念のため位置風鈴をつけているのだが、一昨日あたりから途絶えてな。信頼されているお前なら何か知っているのではないかと思っていたのだが」

 

 

 (待て、待て待て! 一昨日!? というか、行方が分からない?? いない? 結衣が? 俺の妹の結衣がかっ!!?)

 

 頭が混乱していく。そのせいか、怒りをあらわにして親父に罵倒してしまう。

 

「な、なんで! なんでそのことを早く言わないんだよっ!! くっそやろ!!」

 

 俺は持っていた携帯電話で急いで結衣の携帯電話へと通話をかける。親父の悪いウソであってほしい。単なる親父の勘違いであってほしいのだ。そうであるに違いないんだ。

 しかし、繋がらない。携帯自体が電源が入っていないか電波の届かない場所にあるかだと携帯電話に言われる。そのことに対して、携帯電話に怒りをぶつけそうになるが、それどころではない。早く探さないとだ。

 すぐに、実家の方に向かおうとすると、親父に肩を掴まれる。つい、反射的に振り払おうとしてしまうが、今度は腕を親父に掴まれてしまった。

 

「待てっ!! お前は知らないのか。結衣がどこにいるのかを」

 

「ああ、知らないね! だからすぐに家に戻って、武偵学校に行く。そんで、知り合いに探してもらう。情報も得てやる」

 

「落ち着かんかっ! 事を荒立ててどうする。もしかしたら、ちょっと遠出をしているだけかもしれん。ましてや、あいつのことだ。知られたくなくて、意図的か無意識に位置風鈴を解いたのかもしれんぞ」

 

 親父の能力は風が主体であり、位置風鈴というのは現代社会で言うGPSのようなものだった。本来なら俺だけにかける予定だったのだろう。だが、きっとおふくろが結衣にもかけるように親父に言ったのだろう。おふくろはいつも密かに結衣の心配をしているから。

 ここで問題なのは、それが解かれたということだ。実際、俺はその位置風鈴に気付かなかった。ましてや、知っていたとしても、それを解こうなんてことはしない。なにせ、気付きにくく、そう簡単に解けないようになっているのがこの超能力なのだ。オレでさえだいぶ労力を使うというのに、何の才能もない結衣が出来るわけがないのだ。ありえないことだ。ありえないことが、起きている。その事実が、俺を焦燥を掻き立てて来る。

 

「だとしてもあいつが、急にいなくなるわけがない! 情報網を張ってある俺のところに連絡がないのもおかしいんだ! 結衣に何か起こっているとしか考えられないんだよっ!!」

 

「だが、今はあいつには知られたくないのだ。そうなれば、あいつも何をしでかすか分からんのでな。このことは、警察や武偵にまかせてお前は大人しくしていろ。お前にはまだしてもらわなければならないことがある。それが終わるまでは東京には帰させられない。なあに、心配しなくともあの結衣だ。いつのまにか平然と帰ってくるさ」

 

 俺は驚愕する。親父は、娘である結衣のことなどどうでもいいようで、ただ、おふくろが騒ぎ立ててほしくないだけなのだ。こんなのが、親なのか? 父親というものは、こういうものなのだろうか? 確かに、俺や母親は過保護なのかもしれない。心配し過ぎと言えば、そうなのかもしれないのだろう。だが、親父は逆だ。結衣に対して関心がなさすぎる。まるで、関わりたくないように感じてしまう。嫌いではなく、無関心。もう親父の中では、娘としてではなく、赤の他人として存在しているのだろう。

 

「っ……くそっ、分かったよ。母さんには内緒でいればいいんだな!」

 

 オレは怒りを必死に抑え、親父の指示に従うことにした。この家で、親父の意向に背くのは避けたい。そうなれば、結衣が俺の妹ではなくなってしまう。あいつの自由がなくなってしまう。それだけはダメだ。親父の言うことは絶対なのだから。反抗すれば、返ってくるのは自分たちだ。

 父親にとっていい行いをすれば、それに見合った良いことが返ってくる。逆に、父親にとって悪い行いをすれば、それに見合った悪いことが返ってくる。まさしく俺の父親は、因果応報のようなシステムであったのだ。

 

 その後も俺は妹のことを思いながら、家にいることにした。東京に帰った時、妹に会えるという希望を信じて。

 

 

 




次回予告「オレの目の前に立つ男は再会を喜んでいた。
     だが、オレ自身はその男との再会したことを最悪に思う。
     さぁ、ここが始まりだと、そう告げたのは紛れもなく過去の友人だった。
            次回『指折りの話』


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10話 - 指折りの話

 ―――とあるビルの屋上―――


 また一人私は引き金を引いて永眠させた。それは彼のためでもなく、私のためでもない。ただ見知らぬ誰かのためであり、組織のためであった。 

「上出来ね、ハル」

「…………」

 上出来なのだろうか? 確かに結果から見れば即死だろう。目標も死んだのだから、目的も果たされた。何の問題もない。
 だが、任務というのは出来て当たり前。どちらかと言えば、殺した後に自分は問題を起こしてしまっている。上出来と言うには、ほど遠いのではないかと思ってしまう。
 
 私は彼女に少し会釈をし、階段を下りる。重い狙撃銃を担いで一つずつ降りていくと、上から機械音が鳴り響いた。どうやら、彼女の携帯電話が鳴ったようだ。普通、こういった任務をしている時にはマナーモードにしておくものではないのだろうか? という疑問を持ちたくなる。だが自分は、そのことについて喋る気も起らないので、黙っていることにした。


「―――!?」

 彼女の顔に、少し驚きの表情が混じる。
 何かあったのかな? 彼女が話終えると、階段を下りて来る。そして独り言にのように言った。

「はぁ……、新しい任務が追加されたわ。こればっかりは私にも止めなかった責任があるわね……」

 そう言って私の肩を叩き、少し苦笑いをする。この表情を観たら、誰もが何らかの感情を抱くのだろう。きっと、助けてあげたいとか守ってやりたいとか可愛いとか心の中で呟くのだろう。
 だが私は、

(寝たいのに……)

 という「感情」ではなく、「願望」を心の中に抱いていたのだった。



 なんでだろう。なんでこんなことになってるのだろうか?

 なんでオレはびしょ濡れで、コンクリートに水や息を吐きながら、横たわっているのだろうか?

 とりあえず、今の状況はあれだ。狭い部屋で誰かを待っている間、水浴びをしていて、その誰かさんがここに到着したから扉が開いた。

 要約するとそんな感じだろう。なんとも、解り易くて、わけのわからない状況だな。

 

 オレの目の前に立っている男性は黒いパーカーにフードをかぶっていて、下はトレパンだった。両手に手袋をはめ、その片手には金属バットを持っている。ちなみに、トレパンとはトレーニングパンツの略称で、解り易く言うとジャージだ。まさしく、運動をする格好と言った方が良いのだろう。

 そんな目の前の青年はオレに話しかける。

 

「久しぶりだな、ジュウくん。俺の元気にしてたかい?」

 

「はぁ……はぁ……おまえはだれだよ!?」

 

「あ? いや、おいおいもう忘れたの? この顔を見て声を聞いても思い出せないの?」

 

 目の前の青年はフードを取る。別に距離が離れていて、顔は見えなかったわけではなかったのだが、頭があらわになると、本当に10代の青年といったところの顔だった。何気に自分よりは幼いような顔立ちに見える。

 問題は、見たことあるようなないような顔だった。記憶の中を探しても記憶自体が曖昧なせいか、何人か候補が出て来ても、そいつだと断言することができない。でも、やっぱり誰にも当てはまらないようにも感じてしまう。

 もしかしたら、デジャヴかもしんないな。人間なんて、似たような顔ばっかりだ。オレだって言いようによっちゃあ、アイドルの松ジュンに似てるし、お笑い芸人のアンジャッシュの松井にだって似てる。こんなやつは初対面に違いない。

 

「……ごめんけど、誰だ? なんだか知らないが、あんたがオレをここに待ってるよう指示した人か?」

 

 オレの言葉に気分を悪くしたのか、少し声を荒げて目の前の青年は話す。

 

「はぁ!? どういうこと? おまえ、まさか俺を忘れたっていうの? 中学時代、親友だとまで言った俺を」

 

 オレは手で顔を拭い、じっくりと目の前の青年の顔を見る。なんだろうか、見ているだけで不快感を感じる。いや、別に、顔が汚いとかそういうわけではなく、その顔を思い出そうとするだけで、イライラしてくるようだ。

 

「うーん、思い出せない。いや、思い出せそうな気もするが、思い出せないな。名前とか教えてもらえるか? あと、あんたがオレをここに閉じ込めて水攻めしたのか? それとも、星伽先輩の言ってた、ここで待つように仕向けた人か?」

 

「そんなことはどうだっていいだろうがよっ!!」

 

 急に目の前の青年は声を大きくして、バットで地面を叩く。その行動に、オレは驚いてしまう。

 

「思い出せない? 忘れただと? よくそんなこと言えるね。たとえ俺がおまえを忘れても、おまえが俺を忘れるなんて許せない。それだけは、理解できない!!」

 

 理解しなくてもいいから、オレの問いにも答えて欲しい。ぶっちゃけ、叫びたいのはオレの方なのだ。もうわけがわからない。ただでさえ水で溺れかけて疲れているから、もう話す気力も失ってきているというのに、一向に何も分からないままだ。

 とりあえず、どう対応していいのか分からないが、答えるまで聞くことにした。

 

「それで、あんたの名前はなんだ? 教えてもらえると分かるかもしんない」

 

 その質問に怪訝そうな表情で目の前の青年は答える。

 

「い・の・う・え、さ・つ・き!」

 

「うん? イノウ、エサ付き?」 

 

「違う! 井上 サツキだよ!!」

 

 意外と、区切って言葉を言われると勘違いしやすいものである。いや、オレが単に天然なだけかもしんないが。

 まぁ、とりあえず名前が井上ということは分かった。そうか、井上か。……うん? 井上? 井上……だと!?

 

「井上」というフレーズを聞いて、不快感と言えばいいのか、限りなく嫌という拒絶的な感情が芽生える。次第にオレは、片目に触れていた。視力のない左目を。

 

「今、なんつった? 今たしかに、井上サツキつったよなぁ!?」

 

 どこぞの能力を持ったヤンキーが言いそうなセリフを言ってしまった。いや、そんなことはどうでもいい。どうだっていいんだ。そうか、そうなのか。

 

「そうか……。おまえが、井上か! 思い出した。思い出したぞ、井上!!」

 

 井上はオレが思い出したのがうれしかったのか、顔の表情が緩んでいく。段々とニコやかな表情になっていった。

 

「はん、やっと思い出したのかよ。よっぽど、おまえの頭はイカレてるようだ!」

 

「生憎、オマエほどでもねぇな。なんだ? オレに何かやらかしに来たのか!?」

 

 井上は揚々とオレに話しかける。

 

「そうだね。まずは、おまえの顔をみたくてね。なにせ、俺にとっちゃあ憧れの存在だったからねぇ。会いたくもなるわけだ」

 

「それで、どうしようってんだ? バットなんか持って。憧れの存在に会えて、ついには自分だけのものにしようという思考にまでたどり着いたっていうのか?」

 

「まぁ、そうだね。できるならそうしてやりたいね。俺はお前のことが好きだからな」

 

「そうか、なら、オレの指でも折るのか? 永遠を誓うために」

 

 オレがそう言うと井上は、

 

「ふっ、ふふふ。ふはははははっ。あはははははははっ!」

 

 笑った。笑うしかないように。笑った。

 とある国では、永遠を誓うために指を折るらしい。それがどこの国で、どのような意味があってそんなことをするのかはわからないが。

 どうやら井上にはオレの言っていることが伝わったらしい。なんとも、不快だ。

 

「ははっ、お前イカレてる。イカレてるよ」

 

 だが、それを言った後すぐに井上の表情が変わった。さっきまで笑っていたのが嘘のように。そして、右手に持っているバットを振り回す。いかにも、何かを叩くことを意識しているかのように。

 

「さあて、じゃあ、オマエのご期待通り、叩いて折らせて頂きますかね。ここまでしてやったんだ、多少はオレといい勝負が出来るだろ? 」

 

 どうやら、何かが始まるようだ。それも楽しいことらしい。井上の表情から見るに、真剣勝負と言ったところか。だが、別にオレはそんなことはしたくない。正直、オレは少しでも休ませてほしいが、それでは井上にとっては意味がないようだ。

 こうなっては、行くしかない。退路はなく、進むしかない。進むことによって、その延長線上に、オレの選択の余地があるようだ。

 まぁ、この場でバットで叩かれるという選択は除いての話だが。

 

「さぁ、見せてもらうよ、ジュウ!!」

 

 

 

 

 ほんと、今日は厄日だ。……いいや、今日に限った話ではないな。

 武偵事件には巻き込まれるわ、プールでは溺れるわ、星伽先輩には彼氏がいるわ、今日は星伽先輩だったと思ったら、まんまと騙されるわ、そのせいで部屋に閉じ込められるわ、その部屋でも、溺れ死ぬ思いをさせられるわ、井上に殺されそうになるわ。

 とまぁ、数えたくもないが数々の日常茶飯事でない出来事ことが、最近よく起こっている。

 

 そんでもって、水攻めによって体力を削られたオレは今、なんとか井上の間合いをすり抜けては倉庫の中をひたすら走り回り、隠れながら逃げていた。なにせ相手はバットを持っている。しかも、ただのヤンキー程度なら単に振り回しているくらいだから、武器がなくても対処は出来たかもしれない。自分の力量で何とかできたかもしれないのだろう。

 だが、目の前の男は違う。オレを殺そうとしている男は、適当に振っているわけではなく、横に鋭い小振りをしてくる。これでは、攻撃しようにも隙がなくて攻撃できない。しかも、普段の制服だったなら銃を携帯していたのだが、今は運動服。そんなもの、腰につけるには邪魔だったのでロッカーに置いといたまんまだった。結局オレは、倉庫の中を逃げながら、何か使えそうな武器を探すことにしたのだった。

 

 

 

「ふふふっ……、ははははっ……!」

 

(くそっ、楽しんでやがるなコイツ! )

 

 ただでさえ暗いこの倉庫で、あえてバットの音を響かせ、ヤツは笑っている。つまり、オレを追い詰め、奥へと誘導させているからなのかもしれない。

 だからと言って、井上のいるところには行けないし、逃げるしかないのだから、追い詰められていようとも逃げるしかないのだ。それ以上にオレは、他にいい案を考えられるほど余裕もなかった。

 オレは逃げながらも必死で周りを見渡す。しかし、ここは火薬倉庫。火薬が置いてあるだけで、武器になるものが何一つ置かれていない。それでも走っては、何かないかと探していく。

 

(くそっ、どうする。どうしたらいい!? このままじゃ、本当に逃げ場がなくなって、追い詰められてしまうな)

 

 倉庫を進んでいく中、非常灯が光っていない空間を見つけ、奥の方でプレートが光っているような場所を発見する。どうやら、部屋があるらしい。すぐさまオレはそこへ方向転換をし、そこへと向かう。

 進んでみると、大きな扉があり、上の方にこう書かれていた。

 大きく『第一武器庫』と。

 

(よし! ここになら、あるはずだ!!)

 

 オレは重たい扉を開き、中へと入っていく。後ろからせまってくる音を感じながら。

 

 

 

 




次回予告「とうとう、ヤツとの勝負が始まる。正直、勝てるか分からない。
     だが、ここで闘わなければオレが殺されてしまう。
     オレは武器庫で過去との決着をつけることにした!」
            次回、「目覚め醒めた眼」


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11話 - 目覚め醒めた眼

 今、地下倉庫の武器倉庫へと逃げることができたオレは、井上に対抗できそうな物を探していた。井上の持つバットは木製。木製ゆえに、闘いにくいなと感じていた。なぜなら、木製のバットというのは鉄製のものよりは重い。ましてや、水分を含んだりもするので相当な重さになったりもする。それもあって井上は、振り下ろしたりや大振りの攻撃をしてこないのだろう。それでは、本当に隙もないし、近づく危険が大きくなってしまう。井上と闘うためには何としても何かしらの武器が必要だ。

 しかし、電灯が点いていないこの暗い部屋で、何かを探すのは少し厳しかった。でも今更、電灯のスイッチをつけようなんて思わない。それこそ手間だし、井上がやってきてしまう。必死に探してみるものの、この部屋にある武器とはどうやら大砲や大型の銃か、または爆弾系等の物ばかりのようだ。

 

(くそっ、何かないのか? なんか棒とか振り回せそうなやつとか銃とかないのかよ!?)

 

 一生懸命に何かないかと探している中、

 

「―――!!」

 

 この武器倉庫の構造上、大倉庫と火薬庫に出られる扉が対になってできている。つまり、オレが入ってきた扉の反対側にも扉があり、その先が大倉庫だ。その大倉庫の扉の向こうから、何やら言い争っているような声が聞こえる。もしかしたら、オレや井上の他にも人がいるのだろうか。気になったオレは少し耳をすましてみると、どこかで聞いたことのある声が聞こえてくる。

 しかし、何人か声が聞こえる中の1人に、オレをここまで連れてきたヤツのような声が含まれていた。扉の向こうには、井上の仲間がいるのかもしれない。そう思うと余計に闘う武器が必要だと感じて、急いで探すことにした。

 

 バットとコンクリートがぶつかる音が間隔的に聞こえてくる。それは次第に大きくなり、オレの焦りを掻き立てていった。

 

(……近づいて来る!)

 

 より鮮明にぶつかる音が聞こえてくるようになる。鳴っている音が扉の前まで来たと思ったら、急に静かになっていった。何も聞こえないこの沈黙した状況に、オレの心臓の鼓動が大きくなり、速く打っている。

 

「――!!」

 

 その時、急にこの部屋の電灯が点いた。きっと、井上がつけたのだろう。だが、光を遮って周りを見ても、井上はこの部屋にはいないようだ。もしかしたら、部屋の外に電灯のスイッチがあるのだろうか? 幸い、そのおかげでこの部屋の中がしっかり見えるようになったのだ。オレは、眩しさに慣れるとすぐさま、再びこの部屋を見渡していく。すると、部屋の右端に、古ぼけた竹刀や小太刀程の長さの木刀が束になってカゴの中にささってあった。木刀なら、なんとかなるかもしれない。

 すぐさまそこへと向かい、材質の良さそうな木刀を手にする。その瞬間、向かい側の扉が開く音がした。

 

 

(――来たようだな!)

 

 オレは意を決して、木刀を構えながら扉の方へと目を集中させる。扉からゆっくりと入って来た姿は、間違いなく井上だった。

 

 

「おっ、なんだいそんなもん持っちゃって。ご自慢の格闘術は使わないのかな? 中学時代はよくやっていたじゃないの、柔術みたいなのをさ!」

 

「柔術? ああ、実家で教わってた格闘術か。あれは残念ながら、もう使えないんでね。この状況でなら木刀さえあればなんとかできるさ」

 

 実際、中学時代は実家が道場もやっていたのもあって、柔術を少し習うことが出来た。本格的にやっていたわけではないので帯とか段とかよく分からないが、当時は柔術が使えるだけでもてはやされ、オレは天狗になっていたのだった。しかし、今それが通用するかどうかの話をするなら、可能性は低いと言えよう。

 理由を挙げるなら、1つは柔術を本格的にやっていないことだ。もう、1年以上は柔術について習っていないし、体もそこまで鍛えてもないので、体がその柔術にあった動きについていけるのかが怪しいのだ。ましてや、なにをしでかすか分からない相手に、柔術で対抗するほど猪突猛進な性格ではない。

 2つめは、オレの片目のことだ。完全に機能を失っているわけではないが、視力がほぼないに等しい。片目だけで近接格闘をするのは、相手との遠近感も分からないし、死角が大きいのだ。そんな不安定な格闘術を使えるわけがない。だからオレは武器になるようなものを探して、たった今は木刀を構えているわけだ。

 

 井上はオレの持つ木刀を見て馬鹿にするかのように言った。

 

「はん、そうかよ。 じゃあ、何か? そんなもんで俺に勝てるとでも言うのか?」

 

「勝ち負けなんてどうでもいいだろ? オレはオマエを倒して生きたいだけだ。倒さなきゃ気が済まない!」

 

 そう、気が済まない。オレは井上を叩きのめしたいという感情が湧いていた。それは、目の前の青年が井上だと知ってからだ。知らなかったのなら、わざわざこんなとこまで来て武器を探すことはせずに逃げていたに違いない。そうしなかったのは、過去の事件が原因だ。

 井上は嬉しそうに笑う。笑って、嬉しそうに、声を大にしてオレに言った。

 

「なら、倒してみろよっ!!!」

 

 ここで慎重にいかねば殺られる。そう感じたオレは一度大きく呼吸をし、心を落ち着かせる。そして、一気に前進した。井上の方へ向かって。それを見てか、井上もオレの方へと前進してきた。

 オレの予想では井上は待ち構えて攻撃してくると思ったのだが違った。両手でバットを持って片方の肩に置くような構えで走って来た。オレの持つ小太刀程の長さの木刀と井上の持つバットなら、バットの方がリーチが長い。しかも、重量的にもバットの方が重いので待ち構えて攻撃する方が有利なのだ。

 しかし、井上はそうしなかった。いや、分かっていたからかもしれない。オレが正確な距離感がつかめないこと。前に進んできたのは、フェイントであったということを。

 オレはとっさに木刀を片手に持って、井上を突き刺すかのように突いた。井上はオレがそうしてくると踏んでいたのか、バットを振り下ろして叩くように木刀に当てる。オレの持つ木刀は井上に当たることなく、床へと叩きつけられた。木刀はその場で勢いを止められたが、オレ自身は前進する勢いを止められたわけではない。このままでは、井上とぶつかることになる。

 井上は斜めに足を踏み込んでいてオレを避ける。その踏み込んだ足に力を入れ、勢いを止める。そこから、バットをもう一度振り下ろすために腕を上に持っていって構える。あとは振り下ろすだけなのだろう。だが、オレは井上にぶつかるつもりで前進していた。井上がオレを避けたと分かると、足に力を入れ前転する勢いで跳ぶ。そのおかげで、オレは井上がバットを振り下ろしても攻撃を当たらずにすんだのだった。

 

 井上はバットで空気を切り裂いて地面へと叩くと、オレのいる方へ視線を向ける。オレは前に転んでいきながら、体勢を整えていった。

 

「ふん、よけられたか! まぁ、逆に避けられて当然だったね、失敬」

 

 少し残念そうな顔で井上はオレにそう言った。逆にオレは井上の攻撃を避けれたことに安堵していた。

 

「ここで、やられて……たまるかよ!」

 

 オレはそう言って、木刀の切っ先を井上の方に向ける。いつでも、井上がここまでやってきて攻撃してきても大丈夫なように。

 

「そうだね。ここでやられたら俺も困るかな~!」

 

 少し楽しそうに言っている井上は、バットをくるんくるんっと回している。

 

「うん。もっと、ジュウくんには必死にあがいてもらわないと。俺を倒すまで……ね!!」

 

 バットは井上の手から離れ、宙へと飛んで回ってはまた井上の手に掴まれる。井上はぎゅっと片手でバットを握ると、楽しそうな表情でやってきた。

 やれやれ、そんな顔されたらオレ。もう……笑うしかないじゃないか!

 オレと井上の闘いが、始まった。

 

 

 

 

 

 あれから少し時間が経った。井上は相変わらず、待ち構えたりするわけではなく、攻めて行くスタイルで闘って来た。井上が疲れを知らないのか、単にオレが疲れていたからなのかは分からないが、一方的にオレが攻められていることが多く、井上の攻撃を避けるか受け流すかで何とか凌ぐことでいっぱいだった。これでは、いつかやられてしまうのだろう。

 しかし、何回やっても無理だった。こういった武器の扱いは井上の方が上手いみたいで、攻撃しようと思ってもあいつには隙がなかった。また、どれだけ自分の体勢を立て直しても攻撃している自分の方が隙が大きいのか、結局井上が攻める状態へとなってしまう。同じことの繰り返しに、井上は疲れた表情は見せず、オレだけが疲労感を体の中にと募らせているようだった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 自分の息が荒くなる。切羽詰まった状態に呼吸をするのも一苦労だ。その様子を見た井上は、呆れた顔で言う。

 

「なんだよ、もう息が上がってんのかよ、つまんねぇな! さっきから防戦一方だし、逃げてないでもっと本気だせよな!!」

 

「うるせぇぞ、黙ってろっ! オレは……本気だ。本当は……やれるんだ。疲れてなければ、勝てる」

 

 オレの言葉に気を悪くしたのか、井上は少し苛々した表情になっていく。

 

「あのなぁ……これで本気なわけないだろ? 密かに体力を温存してるのかと思いきやそんなわけでもないし。さっきから、木刀ばっかり使ってるし。なめてんの? 昔からの友人だから攻撃出来ないとかそんなんなの?」 

 

(はぁ? 昔の友人?)

 

「なら、不愉快だからやめてくんない? そんなことされちゃあ、せっかくバットという使い慣れていない武器で手加減しているというのに、本気で潰したくなるじゃあないか!」

 

 井上は苦笑いをしたまま、バットを思いっきり握っている。そんな井上を無視して、オレはうつむきながら話を戻した。

 

「今、オマエ、なんつった? 友人っていったか? 友人っていったのか!?」

 

 井上はオレの言っていることが分からないような顔になる。

 

「友人、だと!? ははっ、そうかよ。オマエはオレがオマエを友人と思っていると思ったのか……そうか」

 

「? 何言って」

 

「その友人の左目を奪い、武偵としての生きる道を塞ごうとしたオマエを、オレが友人なんて思うわけないだろうがぁ!!!」

 

 オレは井上に向かって木刀を投げつける。井上はそれを軽く避けるが、オレの言っている意味が理解できないのか、そのまま立ち尽くして話を聞いていた。

 

「半年前、あの事件に巻き込まれた時に調子乗って犯人を捕まえようとしたオマエをオレは止めようとした。それなのにおまえは、犯人の攻撃を防ぐためにオレを盾にしやがった。その挙句に、犯人を取り逃したから『顔も見たくない』とまで言いやがった。とんだクズだ!!」

 

 井上は何も言い返さない。目を見開いてオレを見ていた。

 

「だからオレはオマエを忘れた。記憶の底から消すように、失くした。オマエのことを。友人であったことを。そうしないとオレは生きていけなかった! そうしないと、友人であるオマエを殺したくて仕方がなかったからだ!!」

 

 オレの言葉に何か返そうとしてか、井上は口を開くが声は出ていない。

 

「いいか、オレには才能があった。れっきとした天才の持ち主だった。将来、有望な武偵になれるはずだったんだ。みんなから慕われる正義の味方になれたはずだったんだよ!! それを……それをオマエが! オマエみたいな凡才ごときが潰しやがって、ふっざけんなよ!!」

 

 手に持っていたバットの先が床につき、井上は体重をバットに預ける。

 

「さぁ、何か言うことないのか!? かけがえのない将来まで奪って、人に迷惑をかけて、周りの見えていないオマエは、オレに対して何か言うことないのかよっ!!?」

 

 オレの言葉を聞いて、井上は目をつむる。一呼吸すると、目を開いてオレを見る。その瞳は、どことなく優しさを感じた。もしかしたら彼は、オレを憐れんでいるのかもしれない。

 

「ひとつ、いいか。この世に天才なんていない。いるのは才能を活かせるか殺せるかの人間しかいない。あえてこの世界に天才がいるんだと言うのであれば、それは天才になれない天才ばかりなんだろうな。だからこの世界には努力が必要だし、平等ではないんだ。誰しも天才になれないからこそ、己の才能が分からないからこそ、才能の活かし方が分からないからこそ、凡才達が精一杯生きる世界なんだ。才能のせいにして、人のせいにしているようなおまえに俺が期待したのが馬鹿だったよ!」

 

「い、井上、てめぇ!! 凡才風情が調子乗ってんじゃねぇ!!!」

 

「凡人をナメるなよ! 有望才能人!!」

 

「いいぜ、やってやるよ! 櫛灘流古武柔術の格闘を見せてやる。死んで後悔しろっ!!」

 

 オレは構える。全身の力を抜き、瞼さえも力を抜いたようにただ両手を軽く差し出しているかのように柔軟に立つ。

 柔術というのは『流れ』。相手の力を誘い、その力を利用し、相手に返す。それは循環して流れる水のように浮けて流す武術。

 だが、オレの柔術は違う。似たようなものだが、根本的に違うものがある。

 井上はバットを持って走る。前進して、さっきと同じようにバットでオレを斬るかのように全力で振り下ろした。だが、先ほど見た攻撃を回避できないわけがない。井上の行動を読み、斜めに避けたオレは井上の背中と背中を合わせるように動く。その動きの流れで空振った井上の両腕を掴み、その勢いと共に足を払って、オレは片足に力を入れて跳んだ。跳んでは、井上を地面に叩きつけるように投げ、オレは体重を井上にのせて潰す。解り易く言うと、一本背負いをした直後に、その流れに跳んで踵落としする感じだ。

 井上は声にならないようなうめき声を出す。どうやら、致命傷を与えたらしい。なにせこの武術は、人を壊すための柔術。自分の力を乗せ、倍になって力が返ってくるようにする武術。それが、櫛灘流古武柔術。

 

「ゆっくりと、折れたあばらを体の中で噛みしめるんだな」

 

 オレは井上にそう言ってやった。そう言って立とうとした瞬間、異変に気付く。右腕に異変。いや、異変なんてないのに、異変を感じる。触ったって異変を感じないのに、頭では異変を感じた。

 

(痛い、痛い痛い。あれ? やばい。 痛っ……痛すぎるぞぉぉ!!!)

 

「あ、あ、あああ、あがああぁぁぁ!!!!」

 

 まるで右腕一本を斬られたかのような痛み。そんな痛みが鋭く頭に響く。

 

(なんだこれ、なんだこれ、なんなんだこれ、なんなんだよこれぇ!!)

 

「オレの、オレの右腕がぁぁあああ!!」

 

 痛みによってオレは、まるで駄々をこねる子どものように地面に倒れ、うめきまわる。時間を忘れ、ただ叫んだ。

 もう嫌だ。なんでオレがこんなことにならないといけないのか。オレが何をしたって言うのか? もう、誰に問えばいいのだろうか分からない。はっきり言って、誰かのせいにしないと生きていけない。もうお終いだ。もう何もしたくない。あの事件以来最悪だ。巻き込まれて、巻き込まれて、巻き込まれての繰り返し。それはまるで流れる川の中で溺れているよう。流水の中でオレはもがき苦しんでいる感じだ。一度溺れれば、流されていくだけ。流れに逆らうことなんてできない。川の流れから、逃れることなんて出来ないんだ。

 

 気付けば、誰かが立っていた。言わずともそれは井上なのだろう。絶望の中でオレは涙して言う。

 

「流されたまま死んでいくなんて、嫌だ……嫌だよぅ」

 

「それなら、なぜ逆らおうとしないの? なんで流れたまま生きようとする? 流されるのが嫌なら逆らって、必死に逆流を掻き分け、生きればよかったんだよ」

 

 そんなこと、オレにできるのだろうか? そんな生き方が出来たのだろうか? 

 いいや、オレはしなかっただけか。溺れることを知りながらも、怖くて、苦しいのが嫌で、溺れたままにしていた。それでは、流されていくままだったんだ。そのままではいけなかったんだ。

 なら、オレは生きるために、泳ぐしかない。下手でも、惨めでもいい。泳げば、いつかは溺れなくなる。泳げばいつか、流れにだって逆らえる。川の流れから逃れることだってできるんだ!

 

「……じゃあな、ジュウくん。これで、一生会うことはないのかな。お別れだね!」

 

 そう言って彼は、オレをバットで叩いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ――流水は龍粋のように渦巻きを作り、逆流し始める。

 ――物語は、過酷な逆流の道を辿る。

 ――その結末は、流れつく先にしかない。

 

 

                ――流水編 完結――

 




次回予告、「あの頃。オレ達はひたすらバカをやっていた。
      あれだけオレ達は一緒にいたのに……。
      あれだけ、共に闘ってきたというのに……。
      悲惨な事件が、オレ達を変えてしまう。
         
      次回 「Rely Off」


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始流編(過去編)
12話 - Rely Off


   ―――地下倉庫の武器倉庫―――

 この部屋の中にいるのは、『俺』と『こいつ』。手に持っているバットでコイツの後頭部に強い一撃を与えたのでもう起き上がってくることはないだろう。これでもうコイツは用済み。必要がなくなったわけだ。
 本来なら我ら「イ・ウー」の組織の仲間になってもらうため勧誘を含め、自分の力量がどこまで通用するのかを試したかった。そのために、わざわざこんな場所で殺しはせずに弱らせるといった闘い方を選んだのだ。そうすれば、俺はコイツの本気が見られると思っていた。そう祈って闘いに挑んだ。
 しかし、変わってしまったようだ。昔の頃と変わってしまったコイツは、昔ほどの度胸もなければ機転もなく、強くもない。明らかに俺自身が強くなったわけではなく、コイツ弱くなっている。そんなんじゃあダメだ。問題外である。ほんと話にならない。

「はぁ……。まさかこんなことになるなんて、誰も予想できなかったよね……」

 つい溜め息を吐いてしまう。何しろ憧れていた正義の味方像でもあった友人が、友人のせいにしないと生きていけなくなっているような人間になっていたのだ。さらには弱いときたもんだ。まさか、呆れと脱力感に苛まされるなんて思いもよらなかった。

 俺はバットを肩にのせ、部屋を出ようとする。出血はしていないので、コイツはここに放置しておいても大丈夫だろう。まぁ、内出血はしてるんだろうけど。
 大倉庫の方から、ジャンヌとその他らしき声やら音が聞こえる。だが俺には関係ない。こっちはこっちだし、あっちはあっちなんだ。ジャンヌの手伝いをする代わりに、俺の手伝いもさせてもらったので、この先はどうしようが勝手にすればいいはずなのだ。

「うっ……。あ、あたまがぁ!」

 痛い。どうやらそろそろもう一人の俺のお目覚めの時が近いのかもしれない。誰かは知らないが、この日本に来てから俺と言う名の別人格が呼び起された。それ以来ずっと別人格の俺でいるが、さすがに本人格の俺が目覚めてもおかしくはないのだろう。さてさて、どうしたものか……。

 火薬庫に出る扉のドアノブに触れる。いや、触れようとした瞬間だった。背中に何かを感じた。音を聞いたわけでもないのだが、俺の体が後ろに何かいることを伝えるかのように、背中からピリピリと走る。それはもしかしたら、「違和感」というものかもしれない。

「ま、まさかねー」

 俺は苦笑いをして、後ろを振り向く。振り向いたその先には、さっきまで倒れていた人間が立ち上がろうとしていた。どことなく、力を抜き切ったような様子で立ち上がろうとしているのが、とてつもなく奇妙な感じだった。痛覚を感じて、我慢や力を入れている様子ではないからだろう。そんな光景を見て、俺は絶句する。

「う、うそだろ……。いや、さっきたしかに殴ったよね? もう立てないはずだ。それなのになぜに立てるんだよ?」

 その問いに対して、俺の目の前で立ち上がろうとする男は何も言わない。ただ静かに、少しずつ立ち上がっていく。

「なぁ、答えろよ。この期に及んで俺と闘うつもりなのか? もう、おまえは負けたんだ。今の状態じゃあ余計に勝てないし、今の俺にも勝てない!」

 目を閉じたまま、目の前の彼は立っていく。今更、何をしでかそうと言うのか。期待を捨てていた俺は、正直もう闘いたくなかった。これ以上闘えば本当に目の前にいる男が死んでしまうからだ。

「もう立つんじゃない!! ここで寝ているんだ竹内ジュウ!!!」

 俺はそう言って、ジュウの方へと走っていく。ジュウ本人は相変わらず何もしゃべらないまま、俺の言葉を無視していった。

 もしかしたら、ジュウは意識が遠いのかもしれない。それなら、一発で終わらせてやる。直接、俺の手のひらに触れれば鋭い痛覚を味わわせることができる。そうすれば、完全に気を失わせれるはずだ。
 持っていたバットを投げ捨て、全速力で走る。ひたすら前へと走った。そして、頭を両手で掴んでやろうと思い、一気に両手で覆うように手を伸ばした。

「くらぇぇぇええ!!」

 そう言って俺はジュウの頭を掴んだのだが、掴んでいない。いや、掴んでいるつもりが届いていない。それ以前に、俺自身がその場で「くの字」になっていた。

「ぇ……あぁ、がっ!!」

 何が起こっているのか分からなかった。だが、今分かる事実だけ言えば俺の腹にジュウの手のひらがある。ジュウの足は地面に根を生やしているかのようにしっかりと地面についている。どうやら俺が前に進む勢いを利用して、ジュウは一瞬で片方の脚を一歩引いて、反対の腕を一直線に前に突き出したようだ。
 俺はジュウのまさかのカウンター技に少し驚きの表情を隠せなかったが、手を出してくれたのならそれを掴むまでだ。俺の能力は、触れれば十分。触れさせすれば、鋭い痛覚を与えることが出来るのだから。

(こ、今度こそ、くらぇぇぇええ!!!)

 自分の意識が遠のきそうな中で、俺の腹に当ててあるジュウの腕をがっしりと掴み、痛覚を与える。そうすれば、ジュウは痛覚によって頭の中のブレーカーが落ちてしまうはずだ。さぁ、地面の横たわってしまうがいい。

 しかし、彼は倒れない。何一つピクリとも動かない。石像がそこにあるかのように、その場に硬直していた。
 俺は変わらない状況に焦りと驚きを隠せない。何が起こっているのかが分からなかった。もしかしたら、自分の能力が発動しなかったのかさえ思った。だが、そんなことは考えられなかった。

「なっ……!!?」

 よく見てみれば、ジュウは目を瞑っていた。さっきから今まで、ずっと目を閉じていたままだったのだ。なのに、俺自身にカウンター技を食らわせたのだ。
 ありえない。そんなことはありえないんだ。そう言いたくなるくらい、自分自身は目の前にいるジュウに対して驚愕していた。

「お、おまえ、まさか……!」

 膝を床について俺はジュウを見つめる。俺の言葉に反応したかのようにジュウは片方の眼が開いていく。そこから見えるのは、黒。真っ黒な眼。全てを見通し、見透していくかのような眼が、ジュウの右目に備わっていたのだった。



  ――10ヶ月以上前――

 

 今は7月の下旬。暑い季節の中、東京の足立区にある武偵学校中等部はたった今、朝のHRを知らせるチャイムが鳴っていた。その校舎の中を懸命に駆けている学生二人がいた。まぁ、その内の一人がオレなわけだが、オレ達二人は顔を汗にまみれたまま、階段をひたすらのぼっていく。

 

 3階までのぼるとすぐに曲がり、廊下を必死に走っては【3-2】と書かれた教室の扉を開ける。

 

 

「次、なかむらぁ~!」

 

 教室の中では、渋い顔の40代前半の男が渋い声で中村君の名前を呼んでいた。中村君の名前を呼ぶのはいいが、オレ達にとってその「なかむら」という名前を教室の中で呼ばれていることは、『朝のHRに間に合わなかったので遅刻』という意味を指していた。

 

 オレ達は、その声を聞くとズルっと教室の地面に倒れ込む。そんなオレ達二人の姿を見た、教卓に手を置いている男性は呆れた表情で見ていた。

 

 

「……はぁ、ま~たオマエらは遅刻かっ! 残念だが、呼び出しの時にいなかった以上は遅刻だからなっ!!」

 

 その言葉を聞いたオレは、わざわざ汗水かいてまで頑張って登校してきたというのに、自分のせいで完全に遅刻したという現実を受け入れられず、つい隣の友人に文句を吐露してしまう。

 

「あーもう、ちくしょう! またしても、オレの評定が下がっちまう。サツキ、テメーがコンビニなんかよるから、遅刻しちまったじゃねぇかよっ!!」

 

「はぁっ!? それはジュウが寝坊するからいけないんだろ~っ! いつも、待ち合わせに遅れて来てるくせに!!」

 

 そう返してきたのは、オレの友人の井上サツキだった。こうなっては、オレ達の口論は止まらない。教卓に立つ先生は早く席へと座るよう2人に声をかけるが2人はいつものように言い争っている。

 

 その途端、まるで机を粉砕するかのような勢いで机を叩く音が教室中に響いた。

 

「「――!!!」」

 

 どうやらオレ達の担任こと安東先生は、オレ達の口論を静止させる程黒板を強く叩いたようだ。その瞬間、さっきまでオレ達の様子を眺めていたクラスメートの視線は、今はもうオレ達の方ではなく黒板の方へと変わっていた。

 

「いいかげんにしろ、おまえらっ! それとも、評定を下げられてぇのかぁっ!? それ以上HRの邪魔をするのなら、この後からキサマら2人は私の特別指導をすることになるが……いいのか? おいっ!?」

 

(やばっ!!)

 

 真剣な目つきでオーラをかもし出す先生の姿に、オレ達はすぐさま自分の席へと座る。さすがにこれ以上は自分達の評定を下げられるわけにはいかない。何より、安東先生の特別指導という名の地獄のシゴキだけは、絶対避けたいのだ!

 

 そんな出来事があって、今日も学校の朝のHRは再開されたのだった。今日は今学期最終日の学校の日。この後待っているのは終業式だ。明日から夏休みが始まろうとしていたのだった。

 

 

 

 ―――ステイホール―――

 

 終業式も終わり、午前中の内に授業も終わったのでオレと井上は1階にあるステイホールへと向かい、その中にある電子掲示板の前に立つ。

 

 大概の学校では、個人の成績などの詳細はその学期の終了と共に本人が知ることができるシステムなのだが、オレ達の武偵学校では4ヶ月に一回に実績や評価などが出され、その全てを総合した「武偵ランク」というものが学期終了間際に更新されるシステムとなっている。

 そして、高ランク『SS』『S』『A』の3つのどれかのランクを持つ学生には、電子掲示板にランク、学科名、生徒番号、名前が表示される。さらに、学校の許可は必要だが、そのランクに値する依頼を個人で受けることが可能になり、武偵として働くことが出来るようになるのだ。逆に言えば、それ以下のランクは学校からの依頼を受けることしか出来ないようになっている仕組みというわけだ。

 

 とは言っても、中等部の学科は『戦闘』『情報』『整備』の3つしかないので、14歳未満のオレ達で武偵としての依頼を受けられる程の実力を持つ学生も数が少ないのが現実であった。

 ましてや、『SS』とか『S』は希な存在だった。本当に余程の実力でないと、決してなれないランクであった。

 

 それでも2年生の後半から3年生の今までずっとBランクのままだったオレ達は、毎回学期が終わるたびに電子掲示板に自分の名前が載るんじゃないのかと確認しに行き、今回もその確認のためにオレ達はこの場所にやってきたのだった。

 

 オレ達は電子掲示板の前に集まっている人だかりをかきわけ、電子掲示板の見えるところまで行く。その時、さっきまで映し出されていた学校連絡から切り変わり、戦闘科の高ランク名簿が映し出されていく。

 

 オレは学籍番号と自分の名前が電子掲示板に載っていないかを注意して目で探してみる。

 

(「3314」……「3314」……「3314」……33、1、4!!!)

 

 

 ―― 3314 竹内ジュウ 

 

「っ……。ぃよっしゃああ!!」

 

 自分の名前があると分かった瞬間、オレはガッツポーズと歓喜の声を出してしまい周りから視線を集めてしまった。が、今はそんなことはどうでもいいくらいとても嬉しい。嬉しすぎる出来事だったのだ。

 そんな上機嫌の中、もう一度電子掲示板に視線を戻し、隣にいる友人の名前を探してみる。オレの名前から下の方に目を向けようとした時、

 

「ない……。オレの名前が……ない」

 

 という声と共に、友人こと井上の顔は悲しいのか悔しいのか、それとも諦めたのか。何とも感情を汲み取ることが難しい、微妙な顔をしていた。

 オレは2・3回程電子掲示板を見返してみたが、確かに井上の生徒番号と名前は載っていないようだ。

 

 そして、さっきまでオレの中にあった喜びの感情がどこかへ消え去ってしまったようで、オレは複雑な気持ちへと変わり、井上に何の言葉をかけたらいいのか戸惑ってしまう。

 

 この場合は「ま、しゃあなしだな!」とかけるべきなのだろうか?

 いや、それとも「次があるさ、頑張れ!」と言ってやるべきなのか?

 やはり、気をつかって「とりあえず、帰るか!」と帰ることを促してその話題に触れないべきなのだろうか?

 

 そんなことを考えながら、オレは頭の中の思考回路を回して必死に考える。だが、そんなことをしてる間にオレは井上に背中を叩かれる。

 

「ぁあ~~、変わってねぇー。くそぉー、またBか……」

 

 苦笑い混じりで井上はそう言ってきた。オレも苦笑いをして返す。

 

「今回はランクAいけると思ってたけど、やっぱ、おまえには負けるわー」

 

「ま……まぁ、オレはサツキとは違うからな。やはり『実力の差』ってヤツだろ」

 

「うわっ、そこまで言うかよおまえ……。でもまぁ別にいいや、次こそ絶対にAランクになってみせるぜ!」

 

「そうか、なら頑張ってみるんだな。……ま、その間にオレはSランクになっちまうかもだがな!」

 

「くそー、ナメやがって! 次こそ、ぜってぇAランクになってやるわ!!」

 

 そんな会話をしながらオレ達はステイホールを出て行き、自分の教室に戻って帰る支度をする。明日から夏休みだ。そんな思いを抱えて、オレ達は自分の家へと心躍らせて帰って行ったのだった。

 

 

 この頃はただ自分たちの夢を見て、自分にとって障害になる出来事なんて起こるわけがないと思い描いた未来を信じて生きていた。なのに、平然と変えてしまったオレ達のあの夏休みが、とうとう始まろうとしていた。

 そう、オレ達の運命や関係、未来までも変えてしまった。変えられてしまったあの夏休みが。

 




次回予告「夏休みの真っ最中。オレは井上の家に遊びに行っていた。
     格闘ゲームで対戦するが、さすがに井上に勝てなくてイラつく。
     ヒマになってきたところで、オレはふとテレビのCMに目が行く」
              次回、『GECO』


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13話 - GECO

   ―――数十日後―――

 

 

 普段の学校の生活から変わり、現在は楽しい夏休みが始まっているわけなのだが、オレ達中等部の学生は夏休みの課題として簡単な依頼をこなすことになっている。

 とは言っても依頼の内容はボランティア活動のようなもので、戦闘科のオレやサツキは力仕事が必要な運送業や清掃などの手伝いを2・3件するくらいである。まぁ、気持ち的には気軽な依頼ではあるが、体力的にはハードな依頼内容なので、次の日には筋肉痛が残る程過酷なものではあった。

 

 そんな依頼の数々を終え、筋肉通がなくなりかけたある日、家ですることしたいことをやりつくしてしまったオレは、井上の家にお邪魔させてもらっていた。

 まぁ、実際には井上は親戚の家から学校に通っているので井上の家ではなく、井上の親戚のじいちゃんの家ではあるのだが。

 

 冷房の効いた涼しい井上の部屋の中で、オレ達はひたすら家庭用ゲームをする。

 

 

「うおおおおおおおおおおおぉ~~!!」

 

 オレの操作するキャラがひたすら走る。

 

「…………」

 

 井上は黙って、オレのキャラの動きを見る。

 

「くらえ、しょーりゅーぅ!!!」

 

 一瞬で井上のキャラは後退しようとする。

 

(よし、かかったぞ!! さっきから青龍拳を出していたが、実は後ろからのフェイント技を……)

 

 と思いきや、井上の操作するキャラが前にダッシュしてきて格真拳を放つ。まさかのフェイントにオレの操作キャラのHPが0になり負けた。

 

「えっ……、ああぁーーー!! ……う、うそだろ」

 

「出しとけば当たるかなとは思って出したけど・・・・まさか当たるとはな(笑)」

 

「くそぉー、勝てねぇ! 現実なら勝てるのに、格ゲーじゃおまえに負けるわ」

 

(やっぱ、格闘ゲーは苦手だな……オレ)

 

「ま、やっぱり『実力の差』ってヤツかなー」

 

「ぐへぇ、ここで言うか。……それにしても、流石に1時間もしたし飽きてきたな」

 

「そうだね、さすがにこれ以上やっても弱い者イジメになるからつまらないしな。あ、でも、他に何かしたいのとかある?」

 

 弱い者イジメなんていうものは楽しいのは最初の内だけだ。何度もしているうちに自分の方がイライラしたり、つまらないという感情を抱くようになる。この世でイジメをしているやつは意地なんか張ってないで、より楽しい1日になるよう維持する方に目を向けた方が良いと常々思うな。

 って、そんなことはどうでもいいことであった。今は何をするかを考えるべきだ。確かにオレは「飽きた」とは言ったが、井上に他に何かしたいことがあるかと言われると、特にしたいことなどなかった。

 また、1人っ子である井上が複数人でできるようなものを持っているわけがなく、ほぼ1人用のゲームしか置いてなかったのだった。そんな井上の家において、二人でヒマな時間を潰そうって方が難しい。何も良い案が思いつかないオレは、座っていた姿勢から床に寝転がり、天井を見てうなだれる。

 

 

「あーあ、大崎や中嶋みたいに映画観に行けばよかったかなー。あいつらもオレ達を誘ってくれりゃあよかったのになぁ……」

 

「ま、今更『パリー・ポッテー』シリーズの最新作を見たところで、お互い前作見てないんだから、結局は話についていけずに寝てたと思うよ。きっと」

 

 そう言いながら井上は、テレビで地上波の番組で面白いものがないか手にリモコンを持ってチャンネルを変える。

 

「まぁ、そうか。確かにそれもそうだな」

 

 オレは重たい自分の体を起こし、目線を天井からテレビに向けた。そして井上はチャンネルを変えていく途中で、井上が好きな『SPEEK』というドラマの再放送をやっていたことに気付き、その番組を見ていた。オレは話の内容は知らないが、井上が見たいのであれば構わなかったので一緒にその番組を見ることにした。

 

 どうやら話の内容としては、天使のるしふぁーさんが1人の警察官にある真実を追って欲しいためその警察官の危機を助けながら、ある事件の真実に迫ってゆくといったものだった。

 

(うーん……まぁ、物語としてはまあまあ面白いかもしれないが、天使をCGにしたのはマイナスかなぁ。それと、キャストがまた戸田絵里かよ。ほんと起用されるの多いよなこの芸能人)

 

 とかドラマの評論を心の中で言っていると、テレビではとあるCMが流れてきた。

 

 

『ぱぱぁー、あんなとこに、かえるさんがいるよぉ~ぅ?』

 

『あ、ほんとだね、こんなお店のなかになん……うわぁ!!』

 

 ――変身したかのように煙が上がり、カエルの人形が人間に変わる。

 

『わーぁ!! カエルさんが、おにいさんになっちゃったぁ~!!』

 

『はいっ! らっしゅあわぁせぇい~!!』

 

『あ、すわこ! あれは、カエルじゃなくて、GECOの店員さんだったんだよ!!』

 

『あ~、そうだったんだぁ~~。そっか、ここってGECOだったもんねぇ~』

 

 ――そこで文字が写り、ナレーションに切り替わる。

 

『ただ今、GECOではDVD・BDレンタルが旧作100円。新作・準新作が1週間で300円。他にも、CDレンタル5枚で1000円。本レンタルは10冊で500円になっております!!』

 

『やっぱり来るなら、カエルのマークのGECOだよね~。ぱぱぁ~。』

 

『だなっ!(キリッ)』

 

『レンタルするなら~……GECO!!』

 

 

 そのCMを見終えた瞬間、オレは立ちあがりこう言った。

 

「よし、GECOに登下校(とうげこ)するか!!」

 

 その発言に誰も答えることはなく、ただシーンとなっていた。

 

「…………くくっ」

 

 よく見てみると井上はオレの発言に若干笑いを堪えていた。さすがの沈黙には耐えられなかったのかもしれない。井上は堪え切ると自分の口を開いて言った。

 

「じゃ、じゃあ、番組が終わってから行くかー」

 

 というわけで、このヒマな時間を打開すべくオレ達はドラマを見た後に、近くのGECOへと向かったのだった。

 

 これが、オレと井上とで一緒に行く最後の外出になるなんて、この時オレは全然思いもしない。いや、あんなことが起こるなんて考えもしないし、誰ひとりとして思ってなかっただろう。

 

 

       ――GECO店内にて――

 

 

「――ゲコゲコゲコッ、ゲッコゲコ。私の名前はケロ太じゃないよ。かわいいおめめのゲコ太だよ~」

「――ゲコゲコゲコッ、ゲッコゲコ。インドア大好きゲコ太だよ。みんなもなろう。インドア派!!」

 

 そんなレンタルショップのテーマソングが流れている中オレ達はGECOのレンタルコーナーでぶらぶらと歩いていた。

 

 ちなみに、ここは中古本やゲームの他におもちゃやレンタルビデオなどを取り扱っている。全国チェーン店のひとつであり、また子どもウケを良くしようとしているからなのか内装も子ども達が喜びそうな雰囲気となっており、いつも子ども連れの客が絶えない店だった。

 

 まぁ、別にここに来なくとも近くに似たようなお店の『TATUYA』があったのだが、さすがにそこはいつも客の数が多く、借りたい作品がほとんど借りられてしまうため、今回は少し遠いこのGECOに来たわけだった。ところが、

 

「ぁー……うん。ないな。『水火』はおろか『水夏#』もねぇし!」

 

 オレは日本映画の棚に置かれているDVDを眺めては、借りたかった作品を探してみたものの、やはり夏休みというのもあってかほとんど借りられていた。また、向こうから井上が戻って来ては

 

「ダメだわー。『PA IN POSSIBLE』と『KUSIREN』も探したけど……なかった」

 

 井上の方も目当てのDVDがなかったことを告げられる。何気に井上は洋画が好きらしい。

 

(くそ、この時期だとやはり最新作や準新作は借りられているか……)

 

 そう思いながらアニメコーナーにも行ってみるが、観たかった『拳語』シリーズもほとんど借りられてるという始末。さすが、西尾異新伝の作品といったところか。アニメの人気もすごいな。

 

 結局は、的な感じで中を見回って『ハリー・ポッテー』シリーズのまだ観ていないヤツが残っていたので

 それを借りることにした。本音を言うと、旧作DVDの料金がちょうど今は安かったので、無難にちょっとでもヒマを潰せそうな作品を借りたのだ。そして、オレはレジに向かおうとすると井上が

 

「ちょい、隣のコンビニに行ってジュース買って来る~」

 

 とオレに伝えてはすぐに行ってしまう。ついでにオレのジュースも買っておいてと井上に伝えたかったが、自分で見に行ってジュースを選んだ方が安全なので、そのまま井上を無視したオレは、DVDと財布を片手にレジに向かったのだった。

 

 清算を終えると、階段を下り、GECOの中にある書店コーナーを通り過ぎて外に出ようと歩いて行くと、ふと書店コーナーの新刊置き場に目が行ってしまう。なぜなら、なんとそこにはオレの大好きな漫画『ゼロルドノーカー』の最新刊が数少なく置かれていたからだ。

 

(ぜ、ゼロルドノーカーじゃあねぇかっ!!!)

 

 オレはいつもそれが連載されている週刊雑誌を見ようと思いながらも毎週見逃してしまう。そんなオレとしては、この作品の単行本がいつ発売なのかなんていう情報を知ることはなかった。ましてや、先月に24巻が発売していたので、まさかこんなにも早く新刊が出ているとはさすがのオレも思いもしなかっただろう。

 ……いや、実際に思わなかったわけだが。

 

 若干ニヤつきながら、タイトルや表紙、背表紙、巻数などを見回し、財布の中身など関係なくオレはレジにそれを持って行った。

 

(うわぁ、楽しみだなぁー。こりゃあ、借りたDVDよりこっち読まないといかんな!)

 

 ルンルン気分でオレは清算を終えてGECOから出ようとすると余程浮き足立っていたのか、つい、近くにいた人に肩が当たってしまう。その際に購入した本を落としてしまい、オレは謝りながら相手の人に本を拾ってもらった。

 

(は、恥ずかしい……)

 

 さすがに、少し舞い上がり過ぎてしまったようだ。そんな自分に嫌悪感を感じながら、オレは井上のいるコンビニへと向かうため、GECOを出たのだった。

 

 店から出た瞬間、まぶしい日差しが眼に入ってくると同時にオレは目を細めてしまう。さすがに、涼しい室内から外に出た時の感覚というものは割と嫌な感覚だな。そう感じつつ、オレは外の日光に目が慣れ始めてくる。

 だが、それと同時に何かの音がオレに近付いてくるような気がした。それはなんだか、車のエンジンのような音だった。そんな音が大きくなるにつれて、オレの視界は鮮明に周りの光景が見えるようになった。それとも、太陽の光が当たらないくらい近くまで来たのかもしれない。

 気づいた時には、もう目の前にいた。視界の先には車。黒いワゴン車がオレに近づいて来ていることが分かった。

 

(えっ?)

 

 車がオレのいる方に向かって来ているという光景。そんな光景をオレは現実であると信じたくなかった。まさしく目を疑うという光景だったからだ。しかし、オレの目は異常ではない。太陽の日光にやられておかしくなったわけでもない。見えている光景は確かに現実である。現実の出来事なのだ。

 

 もし、こんなタイミングでこんな最悪なことが起こったのなら、それはやっぱり誰しもが「自分はついていないな」と思ってしまうのだろうか。それとも、「仕方ない」と思えるのだろうか。いや、それ以上に自分が「死」という認識に頭が埋め尽くされるのだろう。

 オレの思考は一気に真っ白になる。身体も思考も記憶さえも真っ白に塗り替えられていく。何をすればいいかを考えるなんて、そんな悠長なことで出来なかった。そんな状態で動けるわけがない。もし、動けたとしたらそれはもう、人間の無意識に生きようとする本能なんじゃあないのかな。

 

 結局その後オレがどうなったのかなんていうのは、そのワゴン車の運転手に聞くしかないのだろう。なぜなら、どうなったかなんて記憶していない。なにもかもが真っ白になってしまったオレに、何が起こったのかなんて……分かるわけがないのだから。

 

 

 

 ワゴン車はガラスを突き破ってはガラスや鉄筋が大きく壊れる音を響かせて、建物の中へと突っ込んで行ったのだった。

 




次回予告「何が起こったのだろうか。オレが目を覚ますと、目の前には井上の顔があった。
     しかし、その時見せた井上の表情は、決してオレの心の不安を消すことはなかった。」
               次回「Tear Of Gas」


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14話 - Tear Of Gas

     ―――10ヶ月後の地下倉庫―――

「あれからデュランダルからの連絡が来ないわね、何かあったのかしら」

 そばにいたカナはそう口にした。
 本来はヴァイプスを回収する任務でこの地下倉庫に来た。ついでにデュランダルも拾って本部に戻る予定だったののだが、肝心のデュランダル自身からの連絡がない。もしかしたら、勧誘の任務に支障が起きたのだろうか。
 一緒に武器庫に向かっている彼女は、小型の端末機器を眺めながら部下からの連絡が来ないことを気にしているようだった。

 武器庫に着くと、2人の男性が倒れている。この2人は闘っていたのだろうか。服装がだいぶ乱れていて、木刀やらバットが地面に転がっている。奇妙なのは、勝負していた2人が2人とも地面に倒れていることだろうか。

「いたわ、どうやら気絶しているみたいね」

 カナは黒いパーカーを着ていた男を軽々と担ぐ。女性のような体型をしているのにも関わらず、楽に持ち上げる様に驚いてしまう。
 彼女が持ち上げた際に、ヴァイプスの顔を見る。

「こいつが、ヴァイプス……」

 やや整ったような顔立ちだ。きっとそのままの顔を維持していれば、イケメンとして言われることもあるのだろう。だが気絶しているその顔の表情は、少し苦しそうにしているように見えた。

「あら、また懐かしい子がいるわね」

 カナは倒れているもう一人の男性を見て言った。私もヴァイプスから倒れているもう一人の男性に目を止める。

(―――!!)

 なんとそこには、よく知っている男性が倒れていた。何度見ても間違いない、竹内ジュウだ。顔が見えなかったので気付かなかったが、まさか竹内がここにいるとは思わなかった。

「昔、事件があって以来ね。せっかくの逸材だったのだけれど、ある事件のせいで能力が使い物にならなくなった子。ヴァイプスはこの友人に会いに行ってたわけね」

「ぇ、事件?」

「その事件にヴァイプスも関わっていたのだけれど、なんか無差別に犯人が一般人を襲った事件に巻き込まれて、ケガをしたらしいわね。私達が勧誘しに行こうとした頃には、精神的におかしくなってて能力以前の問題だったわ。だから、勧誘対象から外されてヴァイプスの方が勧誘されたというわけね」

 つまり、事件に巻き込まれてしまったせいで能力を失い、イ・ウーに誘われることなく、武偵学校の学生として医療科にいたというわけか。彼にそんな過去があるとは、私自身驚きだった。

「さて、ここでお話している場合じゃなかったわね。ハル、行きましょう」

 カナはヴァイプスを担ぎながらそう言って武器庫を出ようとする。

「……さよなら、ジュウくん」

 そう言って自分もカナについていったのだった。




「っぉぃ! ジュウ! ジュウぅ!!」

 

「う、うん……?」

 

 なんだろう、誰かが叫ぶ声が聞こえる。

 

「大丈夫か! おいっ、返事をしてくれジュウ!!」

 

(――ハッ!!)

 

 オレは目を開けると、視線の先には井上がいた。その表情は、不安と必死さでいっぱいいっぱいだったような顔だった。オレは喋ろうとするが、

 

(――ズキンッ!!)

 

「い、痛てぇ!」

 

 その途端、何かで殴られたかのような痛みがする。特にその痛みは後頭部と片腕から発生していた。

 

「ジュウ!! 気がついたか!? おまえが店の前で倒れていたからどうしたのかと」

 

 井上の表情は、不安から安心しきった顔へと変わり、ふっと身体の力が抜けていったのがわかる。

 周りをよく見るとオレは店の入り口付近で倒れていて、その周りにはガラスやコンクリートの破片が地面に散りばめられていた。またここからでは全体は見えないが、店の入り口にはさっき突っ込んできて壁に当たって大破したワゴン車も入口を閉めるかのように止まっていた。

 そして、この騒ぎにかけついてきた人達が店より少し距離を置いて、何が起こったのかと集まっていた。

 

「それで、どこかケガはしていないか?」

 

 井上がオレに質問してきたので、オレは視線を井上に戻す。

 

「あ、ああ、大丈夫だ。右腕と頭が痛いが、多分、大丈夫だろう。」

 

 一応体全体を見回して確認してみたが、そこまでひどい外傷がないようだ。もしかしたら車に轢かれる前に避けたのかもしれない。多分、車から避ける際に車が右腕に当たり、その衝撃で後頭部を打って気絶したのだろうと思う。

 

「そ、そうか」

 

 そこで、井上は安心した表情から真面目な顔に変わる。

 

「それで、ここで何があった? 教えてくれ!」

 

「そうだな。車がオレの方に突っ込んできたまでは覚えているんだが、その後のことは覚えていないな。……っ!」

 

(――ズキンッ!)

 

 また後頭部に痛みが生じる。車には轢かれなかったにしろ、後頭部は強く打ったみたいだ。

 

 その様子を見ていた井上は、急に立ちあがる。

 

「よし、ならセイジはここで安静にして待ってて。救急車は直に来ると思う。オレは店の中に入って調べて来るよ!」

 

 そう言って井上は、お店の中へと走って行ったのだった。

 

「待っ……!」

 

(――ズキンッ!!)

 

 井上に言葉をかけようと身体を動かそうとしてみるが、またしても痛みが生じる。そのせいで、井上に制止の言葉をかける前に視界からいなくなってしまった。

 

(くそ、ダメだ。あいつのあの顔。あの顔は、あの表情は、冷静でない!)

 

 井上は自分では気づいていないのかもしれないが、つい許せないことがあると、表情や行動に表れて感情的になってしまう傾向がある。きっと今も、感情的になり過ぎて周りが見えていない状態かもしれない。

 もしかしたら、ワゴン車の運転手やGECOの店内にいる一般人の救助に向かったのかもしれない。ここでワゴン車が店に衝突したのがただの事故なら、止める必要はない。

 

 だが、どうにもこの事故がただの事故ではないように感じる。そもそも事故かどうかも怪しい。オレは痛みを堪えながら立ちあがり、よろめきながらワゴン車の方へと向かう。

 

 そうだ、よく考えてみるんだ。

 オレが何故車に轢かれそうになったのか?

 

(それは偶然なのだろうか?)

 

 これがもし、不可抗力でただの事故だったなら、こうも上手く店の中に突っ込めるだろうか?

 

(それも偶然か?)

 

 そして、何故店から誰一人として誰も出て来ない?

 

(偶然が偶然を呼んでいるのか?)

 

 それ以外にも、疑問や考えや推測など様々なものがたくさん頭によぎる。そこでひとつ、はっきりしたことがあった。

 店内の入口のすぐ前は駐車場だ。そこから上手くワゴン車が突入している。この光景を見れば一目瞭然で、それだけで全てをオレに語っているようだった。

 

 車は、店の入口に偶然に突っ込んだわけじゃない。店の中から簡単に誰も出れないよう意図的に塞いだのだ!

 

 しかも、オレはワゴン車に近づいて見てみるが、見る限り運転席側のドアは開いていて、中には誰もいない。店内は消灯していて、さっきまで明るかった場所から一転して真っ暗だ。まるで、店内に人間を閉じ込めたかのようだった。

 

(くそっ、しまった。……最悪だ)

 

 オレは後悔する。今という現実を信じず、何もかもを否定したいくらいだ。どれだけの数の『どうして』という言葉を自分にぶつければいいのだろうか。

 ここにいる自分が、この状況に置かれているこの自分が、どうしようもなくどうしようもないのだから。

 オレは動く度に痛みを感じながら、店の中へと進んでいくのだった。

 

 

 

    ―井上 side―

 

 

(ちくしょう、許せねぇなっ!!)

 

 頭では分かっている。分かっているが、どうしても自分が動きを止めることはできなかった。

 普段から持っている武偵手帳と特性ナイフがまさかこんなところで役立つなんて。いや、このために持っていたようなものか。

 お気に入りのナイフを手に握りながら、暗い店内の中を目を凝らしてゆっくり歩く。

 

 この店内の様子は明らかにおかしいことは感じていた。さすがに、店内が真っ暗でこの静けさは異変過ぎる。ましてや、1階フロアに人間がいそうな気配がない。何かがこの店内で起こっているということが考えられる。

 

 きっと、ワゴン車がこの建物に衝突したのは、ただの事故ではないのだろう。意図的に入口を塞ぐようにしたに違いない。ましてや、店内に入ったり出たりできるのは1つしかなく、非常口なども見てみたが、固く閉ざされて開けることが出来なかった。

 つまり、店内にいるお客さんは外に逃げることが出来ないし、店内は真っ暗だし、ワゴン車にも人はいなかった。

 

 考えたくはないが、この状況で考えられるのは『多数の人間を人質とした犯行』と考えて行動する方が良いかもしれない。ということは、慎重に行動しなければ、自分にも他の人達にも、危険な状況に陥ってしまう可能性が出て来る。

 ゆっくりと遠回りをして、おれは非常階段から2階へと進んでいく。そっと重い扉をずらし、そのすき間から中の様子を確認しようとする。

 

 中を見ると、何人かすぐそばに倒れているようだ。

 

(―――!?)

 

 だがそれと同時に、何か嗅いだことのある匂いがした。

 

(これは、たしか……)

 

 俺はその扉から少し離れる。一瞬くらくらっとしたような気がしたが、大丈夫だ、何ともないだろう。

 

(くそ、催眠ガスか!)

 

 一度学校で体験学習か何かで嗅いだことがあったがまさか、こんなところで役に立つなんてな。

 しかし、どう考えても自分一人だけでどうにかできるレベルの事件じゃない。こんな状況で下手に動くより、他の武偵の応援を待って行動に移した方が、自分にとってもこの中にいる人達にとってもリスクが減ることは分かっていた。

 

 しかし、自分も武偵のはしくれ。友人を殺そうとし、ましてや他の人達まで危険に追いやっている犯人がどうしても許せない。しかも、ここで少しでも状況を良くできるものなら、少しでも状況が良い方向に変わることができるなら、勇気を出して進みたい。

 

 そうだ、あいつに近づけるんだ。いや、少しでも近づいてみせるんだ。もしかしたらこれがキッカケでAクラスになれるかもしれない。ましてや、これだけの事件に関わったのなら、実績に残るはずだ。

 ここで止まる理由なんてない。何もせず、ただ待つなんてことはできるはずがないじゃないかっ!

 

 扉の向こうに誰もいないか確認をすると、ポケットからハンカチを取り出しては口に当て、俺は扉の向こうへと低い姿勢で入って行ったのだった。

 

 分からない状況の中、時間は一刻と過ぎていくのだった。

 

 




次回予告「事件に巻き込まれたオレ達は、2階の犯人のいる場所へとたどり着く。
     オレは犯人を取り押さえようとするが、事態は良くない方向へと進んでいく」
             次回「Protect Friend」


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15話 - Protect Friend

                  ―竹内 side―

 

「はぁ……はぁ……っ!」

 

 片手を押さえながら、オレは中へと走って進む。入った時は暗く感じた店内も段々と目が慣れていき、今ではよく見えるようになっていた。

 

 本当なら、真っ暗で誰もいないこの状況で慎重に進むべきなのかもしれない。だが、何故だろう。焦っているからなのか、過ぎていく時間の1秒1秒が長く感じ、近くに誰もいないという確信がもてるような気がした。

 

 実際にある程度進んではいるが、誰もいないし、誰にも気づかれた様子もない。しかも、さっきまで感じていた痛みと不安は、いつのまにか無くなっている気がする。まるで、アドレナリンが大放出しているかのようだ。

 

 オレはGECOの中の本売り場の新刊置き場を通り過ぎようとしていた。しかし、ふと目をやると、オレはある異変を感じた。

 

(さっき買った新刊がないな。もう売れ切れちまったのか? うん? そういやオレ、買った本はどうしたんだっけ? どっかいっちまったな)

 

 そんなことを考えているうちに、オレはいつのまにか階段の前に着いていた。さすがに、ここからは慎重に動かなければいけない気がしてきたので、ゆっくりと1段ずつ階段をのぼってゆく。階段が3分の2に達したところで、足を止める。何か匂いを感じたからだ。

 

(これは、催眠ガスか?……いや、違う。これは、ガスなんかじゃない!)

 

 この匂いをオレは嗅いだことが何度かある。もう一度よく嗅ぎながら、何の匂いか思い出そうとする。

 

(そうだ、この匂いは麻酔の匂いだ!)

 

 つまり2階は、麻酔のガスがある程度充満しているのかもしれない。そうか、どおりで静か過ぎると思ったが、どうやら中にいた人達に麻酔ガスか何かを使ったのかもしれない。でも、なぜそんなことをするのだろうか? いまいち意図が分からない。

 ……まぁ、いいや。どうやら今は換気扇がフルで活動しているおかげか、吸った所で人体に影響はないみたいだ。

 オレは、止めていた足をまた動かし、階段をのぼっていく。

 

 

 倒れている人達を無視してオレは店の奥に進んでいくと、遠くで男が大きな声でしゃべっているのが聞こえた。一般人だろうか? それとも、もしかしたらワゴン車で突入してきた人間だろうか。

 壁際まで慎重に近づき、遠巻きで休憩所の中にいる男性を見張りながら何をしゃべっているのか耳を傾ける。

 

 

「……ぉい! どういうことだよ! オレはしっかりやり遂げたはずだ!! おまえらの言う通りに行動に移したって言うのに」

 

「――――」

 

「な、なんだとっ、そんなはずはない!! た、たしかにオレは轢いたぞ!! 証拠にならないよう本も取っておいたし、あいつはしっかりと倒れていたんだ。い、いなくなる……そう! いないはずがない!」

 

 

 オレのいる方からは遠くて、休憩所の中にいる男が誰と何の話をしているのかは分からないが、轢いたとか何とか言ってる辺りはオレをワゴン車で轢こうとした犯人なのかもしれない。さっきからずっと喋ってもいるが、相手の声が聞こえない辺り、どうやらヤツはケータイで誰かと会話しているのだろうか。

 

 すると急に、犯人らしき男が携帯電話か何かを投げつけた。壁にぶつかっては何かが壊れる音が響く。

 

「ちくしょう!! こんなことならするんじゃなかったぜ。せっかく……大金が手に入るっていうから、依頼を受けたってのに!」

 

 そぉっと休憩所の中を覗き込むと、犯人らしき男は頭を抱えながら座っている。周りも見渡すが他に人間がいる様子はなく、沈黙が続いている。ということは、犯人らしき男は今はここに一人という可能性は高い。いや、一人だ!

 

 ワゴン車が突入してきて何分経ったかは知らないが、もうそろそろ警察や他の武偵が駆けつけてくるかもしれない。ましてや、このスキだらけの状況で犯人を捕まえるチャンスは、もう今くらいしかないのかもしれない。

 都合のいいようにオレは、ここで犯人を捕まえることを考えていた。そう、いつだってオレの決断に大きな失敗なんてなかった。それは慢心でもあったのかもしれないが、それ以上に自信でもあった。格闘術においても、勉強においても、誰にも負けないよう自信を得てここまでやってこれた。家の者からの意見を押しのけ、家出をする形でオレは武偵の学校に入った。そして、今学期でとうとうオレはAランクになった。いっぱしの武偵級になったということだ。そんな何もかも自分の意志で勝ち得てきたオレに間違いなんてない。このあふれてくる自信に、疑う余地などあるはずがないんだ! 

 オレはそう思った瞬間、いつのまにか犯人らしき男の方へと駆けだしていた。溢れる自信のせいか、迷うことなく一心不乱に向かって走って行く。

 

 犯人らしき男はオレが向かって来ることに気がついたのか驚いた表情をする。

 

「なっ!? おまえ、なんでっ! く、くるなああぁっ!!」

 

 走ってくるオレに向かって犯人らしき男は、ポケットから何かを取り出して投げつけて来る。

 

(今のオレに、そんなものが当たるかよっ!!)

 

 オレはスピードを緩めることもなく、紙一重でそれを避ける。近づくにつれ、犯人らしき男は隠し持っていたサバイバルナイフを持ち、振り回してきた。

 だが、今のオレにはそんな動きも手に取るようにわかった。きっと普段のオレならそんなものを振りまわしてきたら、慎重になって間合いを詰めてはスキを見て取り押さえるのだろう。でも、身体から湧いてくる自信がオレをつき動かしていく。

 オレはナイフを避けながら、犯人らしき男の腕を掴み、ナイフを持った腕を地面に叩きつける。そして、すぐさま彼を取り押さえ、犯人らしき男の顔を冷たい地べたにくっつけた。犯人らしき男は軽く悲鳴をあげる。

 

(……終わったな)

 

 オレは犯人らしき男が低抗しないよう絞め技をかけるが、力が強すぎたのか気絶してしまい、脱力してその場に倒れてしまう。一応、死んでいないかを確認したオレは周りを見渡してみる。とりあえず、犯人らしき男を取り押さえたということで、余計に舞い上がっていたオレはふと携帯電話が落ちているのに気がつく。

 さっき、犯人らしき男がキレた時に投げたやつなのだろうか? 確認しようと近づこうとして視線を凝らす。だが、そこでオレは異変を感じてしまう。

 

(いや、待てよ。さっきオレがいた場所の近くにないかアレ?)

 

 携帯電話以外に、犯人らしき男がオレに向けて投げた物は見当たらない。ということは、オレに向けて投げてきたのは携帯電話ということになる。じゃあ、その前に犯人らしき男が壁に向かって投げたのはなんだろうか?

 

 そんな疑問を抱いたまま、オレは後ろから何かが近づいてきたことに気付いて振り向く。近づいてきたのはなんと、井上だった。井上がオレの方に向かってひたすら走ってきている。何か叫んでいるような気がするが、聞き取れなかった。

 

 音がした。何かが発射されるような音が聞こえてきた。反射的にオレはその音がした方へと振り向くと、暗くて分からないが確かに誰かがいた。そこにずっと、誰かがいたらしい。

 

 

 

                 ―井上 side―

 

 

 GECOの休憩所、店内で唯一飲み食いが許される場所に1人の男が立っていた。そいつは誰かを待っているのか、さっきから何かのリモコンのようなものを片手に周りを警戒しながらうろうろと歩いていた。

 そして俺は、その犯人らしき男から見つからないようにしながらなるべく近づいて見張っては、他の応援が来るのを待っていたのだった。ただ、携帯電話の電池が切れていたため、連絡を取ることはできなかった。

 

(こういう時に、携帯電話の代わりの電池とかがあれば便利なんだけどなぁ)

 

 そんなことを思いながら、時々自分の周りに異変がないか視線を変えたりして、犯人らしき男を監視することにした。

 

(―――!!!)

 

 男は急に自分のいる方に振り向き、まるで俺を見つけたかのように歩いてくる。

 

(やばい!? 俺がここにいることがバレたのか??)

 

 ドクンドクンっ! と俺の心臓が高鳴る。まさかこんなにすぐにバレるとは思っていなかったので、少しパニクってしまう。

 

(ど、どうしよう!! どうすればいい!?)

 

 俺は懐からナイフを取り出しては、いつでも交戦に移れるようだけは備える。

 

「おい、いるのか! そこに!」

 

 犯人らしき男は声を荒げる。俺は正直出ていくべきかどうかを悩んだが、すぐに覚悟を決めて男の前に出ていこうとすると

 

「おまえだろ!? おれさまに依頼してきたやつは!!」

 

(――!?)

 

 その言葉を聞いて、俺は動きを止める。

 

(な、何だ? どういうことだ?)

 

 その時、ちょっと離れた方からかすかに声が聞こえてきた。俺はその声の人物の姿を探してみるが、どこを探しても見つからないでいた。

 

「……ふっ、そうだ。―を――したのは、わたしだ」

 

 その声は低く聞き取りづらい声で、声を聞く限りは渋い男性が喋っているように感じだった。犯人らしき男もさっきから周りを見渡しているあたり、どうやら、どこにその声の人物がいるのかが分かっていないようだ。

 

「きさまが、――のじけんを―――てくれたのは、かん――している。だが、キサマは、ひとつ見逃し――ることがある!」

 

「……ぉい! どういうことだよ! オレはしっかりやり遂げたはずだ!! おまえらの言う通りに行動に移したって言うのに」

 

 どうやら犯人らしき男には、この渋い男の声の人が何を喋っているのか分かるらしい。もっと近くに行けば、俺もこの声の人物が何をしゃべっているのかはっきり分かるのだが、さすがにそんなリスクをおかしてまで近づく勇気はなかった。

 

「わたしが――した――を、―――つもりだったの――――、その――が―――いない。―――は、依頼の――をあげる―――はいかない」

 

「な、なんだとっ、そんなはずはない!! た、たしかにオレは轢いたぞ!! 証拠にならないよう本も取っておいたし、あいつはしっかりと倒れていたんだ。い、いなくなる……そう! いないはずがない!」

 

「ざん――だろうが、きさまが―――をしっ――ひいて―――、おまえの―――だ」

 

「なっ!!?」

 

 そこで男は今まで持っていたリモコンらしきものをやみくもに投げつける。だがそれは無情にも渋い男の声の人物には当たらなかったようで、壁に当たって壊れる。

 

「ちくしょう!! こんなことならするんじゃなかったぜ。せっかく……大金が手に入るっていうから、依頼を受けたってのに!」

 

 そう言いながら犯人らしき男は近くにあったベンチに腰をかけ、頭を抱えながら座る。それから、静かに沈黙が流れる。さっきから渋い男の声がしなくなったのをみると、その声の人物はいなくなったのだろうか。

 

 沈黙が続いている中、しばらくして犯人らしき男がいる向こうの扉の方で人影が見えた。

 

(んっ? 何だ!? 向こうの方から誰かが走ってくるぞ!!)

 

 素早い走りをするその人物は、犯人らしき男の方へと向かっていた。ある程度近づくと、さすがに犯人らしき男も気づいたのか、驚いた表情をする。

 

「なっ!? おまえ、なんでっ! く、くるなああぁっ!!」

 

 そう言った瞬間、犯人らしき男の方へと向かっている男の姿がはっきりと見えた。

 

(あれはジュウ……なのか!?)

 

 何度見ても、さっきまで一緒にいた竹内ジュウの姿をした人物がそこにいた。だがそれが本当に「竹内ジュウ」本人なのだろうか? そういう疑問が出てくるほど、目の前で走ってきている人物の表情は自信にあふれた顔で、やや違う色彩を放つ碧い瞳だった。

 さらに、

 

「うがあああっ!!」

 

(は、はやいっ!!)

 

 まるで、相手の方がジュウの手のひらの上で操られているかのような、普段の動き方とは違う攻撃の立ち回り方や動き方。元々、武術を教わっていたジュウであるが、あんな動きは見たことがない。そんな異風を放っている目の前の男をジュウ本人なのだと認めて良いのか俺は悩んでしまう。

 

(―――!!)

 

 だが、悩んでいたはずの自分がいつのまにか、そのジュウらしき人物の方へと走っていく。一歩、また一歩と、足を前へ運ばせるたびに自分の胸の動悸が激しくなっていく。この動悸がただ、走っているから激しくなっているのではないことだけわかっていた。

 

(なんだろう? これは)

 

 わからない。わからなかったがこの感覚は、さっき感じたこの感覚は、なんとなくジュウが危険であることだけは伝わってきた。

 俺は走っていく。

 

(助けなきゃ! ジュウを守るんだ!!)

 

 何かが、この部屋のどこかにいるような気がしていた。不安を駆り立てくる人物が、この事件に関わっているそんな人物が、ここにいる。

 俺はひたすら走っていく。俺の存在に気づいたジュウらしき人物は、俺の姿を見る。

 

「いの……うえ?」

 

 俺はそのジュウらしき人物をかばうかのように飛び込む。その時にはジュウはもうオレの方を見てはいなかったと思う。

 

 何かが発射されたような音がした。

 そして、自分の視界が一瞬で暗闇へと変わり、思考がなくなっていく。まるで、自分の周りの時間が止まってしまったかのようだ。何もかも感じなくなり意識が遠のいていく。

 

 どうやら俺は、何かを守ったらしい。

 

 




次回予告「気がつくと井上は倒れていた。早く助けないと、井上の命が危ない!
     しかし、それ以前にオレは目の前の男を倒して捕まえないといけない!」
                次回「Razzo」


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16話 - Razzo

 暗く静寂な中、気がついたらオレは地面に倒れ、オレの体の上にはまるで体全体で覆うように誰かが乗っかっていた。乗っかっている人間は全く動く気配はなく、脱力しているようだ。

 

(いったい、何が起こったんだ??)

 

 自分自身に何が起こって、誰かと一緒に地面に倒れる状況になったのだろうか。だが、そんなことを考えた瞬間だった。

 

(――!!)

 

 顔の左側に激痛が走る。

 

(い、痛いっ!!)

 

 その痛みはじわじわとオレの脳に襲いかかるかのように大きくなっていく。

 

(痛っ、痛い痛い痛いっ!!! いたいいたいいいたいいいたいいいいぃぃ!!!!)

 

「うぅ、うがっ……ぁぁぁっ」

 

 左目を抑えながらオレは地面に横たわり、痛みに耐えていた。すると、オレの姿を見てなのか誰かがオレのいる方に歩いてくる音がした。

 

「―――って、―――とはな。つ――く、人間とは―――脆いものだな」

 

 フードを被ったコート姿の人物が、オレに近づきながら話かけてくる。

 

「そうは思わないか? たとえ、どんなに精神や体を鍛えようとも、また周りからどれだけ最強だと呼ばれる程の強者になったとしても、その人間がもし麻痺状態になってナイフで急所を切れば、いずれは出血多量で死んでゆく。さらに脳から麻痺した人間は、腕や足、指さえも動かすこともできない。そう、ただの人形へと成り果てるのだよ。そうなれば赤子を捻り殺すように簡単なもんだ」

 

 オレは痛みに耐えながら、もう片方の目でそのコート野郎を見てみる。さすがに顔までは見えないが、体格は女のように細く、声は30歳過ぎた渋いおっさんを想像させられる。

 

「そして、オマエの友人もオマエをかばって麻痺してしまったようだ。しかも、そのせいでオマエの左目を損傷させてしまうはめになるとはなぁ。なんという偶然! なんという奇跡だ! これを見て、人とは脆くも哀れな生き物だと思えずにいられるか? オマエ自身、友人のせいでこんな結末を迎えてしまって、悲しくはならないかね? 更に、オマエが調子に乗ったせいで、隠れていた友人が出て来てこんな状況になってしまったことを悔しくならないか? なぁ、どうだ? 涙が出そうになるだろ? 理不尽さに胸がいっぱいになるよなぁ? なぁ、おい?」

 

 

 彼はオレを無視するように、オレの周りをぐるぐると歩きながら語り続けている。オレは片目の痛みに耐えながら、ただひたすらこのコート野郎の言葉を聞いているが、結局、こんな事態を招いたこいつを憎まずにはいられなかった。

 

「そうか、そうかー。……悔しくて言葉に出来ないってかぁ!!!」

 

 コート野郎は急に振り向きざまにオレの頭を踏みつける。せっかく、目の痛みに耐えていたオレの理性がまたしても大きな痛みによって気が狂いそうになる。

 

「あがっ!! ぁぁ……っぅぅ!」

 

「はははっ! 痛みによってどうでも良くなったか? 忘れられるだろ、何もかもなぁ!」

 

(くそっ! こいつ、うぜぇ! 今すぐに殺してやりてぇぇ!!)

 

 またしても、オレは目の痛みに必死に耐えることになる。いつのまにかオレの頭の中は、左目の痛みを耐えることとこのコート野郎を殺してやりたいという感情で溢れていた。

 

「それにしたって、今回の任務はあの使えない雑草のせいで失敗という結果になったと思っていたが、まさか、あんな雑草を食べにお前らがわざわざ来てくれるとはな。しかも、ここまで好都合に事が運んでくれるとはつくづく幸運だよ。そういや、この国は多神教だったかな。我に味方してくれた気前の良い神に感謝せねばならないなぁ。はははーっ!!」

 

 コート野郎は腕を組みながら、声を高らかに上げながらオレに向かって話していた。しかしオレは、激痛を感じさせる目の痛みでそれどころじゃない。コート野郎の話なんて聞いてやる余裕も冷静さも持ち合わせてはいなかった。

 それでもこのコート野郎は、オレが話を聞いてると思っているのか口を閉じることはなく、先ほどまで討論していたのであろう倒れている犯人らしき男の方へと向かって歩いていく。

 

「まぁ、さすがにここまで予定外の展開が続いたんだ。そろそろ、今回のシナリオも終盤へと差し掛からなければならない。……ここらへんで、予定通りのクライマックスへと移させてもらおうか!」

 

 その途端、コート野郎は犯人らしき男の顔を掴み上げる。しかも片手で持ち上げるという芸当に、少し恐怖を覚える。気絶している犯人らしき男は、体を脱力しきったまま反抗せずにぶら下がる。するとコート野郎が片手で顔を掴み上げたと思ったら、もう片方の手で犯人らしき男の腹にパンチを食らわす。

 

「ぅおえぇっ!!!」

 

 ずっと気絶していた方がまだ幸せだっただろうに、犯人らしき男はコート野郎のせいで現実へと引き戻される。ここで何が起こったのか分からず、体内のものを吐き出しながら混乱しているような表情だった。

 犯人らしき男の意識が戻ったのと同時に、コート野郎は掴んでいた男の顔を離す。ここからでは表情はわからないが、きっとフードの中では満面の笑みを浮かべているのかもしれない。鼻息を荒くして、片手で自分のコートの中にある何かを探していた。そして、その中から出た黒い鈍器のようなものは決して殴るためのものではなく、撃つためのものだった。

 それに気づいたのか、犯人らしき男は片手で腹をかばいながら、「待った」と言わんばかりに驚いた表情で壁へと後ずさりしながら、手を伸ばしてコート野郎に手のひらを向ける。

 

「ぉ、ま、まま、まてよ! お、オレが何したってんだよ、なぁ! やめてくれよ、おぃ……やめてくれ。なぁ……やめ」

 

 その瞬間、コート野郎はすぐさま犯人らしき男へと標準を合わせ、黒い鈍器のような銃で首元と脚に撃った。それは構えてから一瞬の出来事で、的確に首元と脚に撃ったコート野郎の姿に、オレは更なる恐怖を感じずにはいられなかった。

 

 犯人らしき男は倒れ、いつのまにかコート野郎は井上のそばまで移動し、さっきまで握っていた井上の特性ナイフの「マルカ・クニエツ」を拾う。元々はオレの所持品だったのだが、ナイフの扱い方は井上の方が上手だったため、誕生日プレゼントとしてあげたやつだった。

 そんな特性ナイフをコート野郎が手にすると、普段からよく見慣れている銀色の業物の姿は、誰かを守るための武器としてではなく、誰かを殺すための凶器としてオレの目に映った。

 

(や……めろ!)

 

 井上の特性ナイフを持ったコート野郎が犯人らしき男の方へ歩くのを見て、それを止めようとオレは体を動かそうとする。

 しかし、さっきまで自分を突き動かしていた何かが失っていた。それは同時に、冷静さも立ち上がる力も、言葉を口に出す力さえも失っていることを示していた。

 

(や、やめ……てくれ!!)

 

 一歩。また一歩。またまた一歩。とコート野郎は歩いていく。進んでいる時間が長く感じるのに、何故か考えが働かない。体が動かない。目をまばたくことさえもできなかった。まるで、オレだけが時間を止められたかのように、すべてが硬直する。

 

 コート野郎が犯人らしき男の目の前まで来るといつのまにか、コート野郎は犯人らしき男が左手だけを上げているかのような状態になるように、左手で犯人らしき男の左手を持ち、右手には特性ナイフでその左手の手首に近づける。そしてその姿がオレに見えるように体をオレの方へと向けていた。

 

(あっ……!!)

 

 その後のことは一瞬だった。

 コート野郎はオレに「やめろ」と言わせてくれる程の時間は与えてはくれなく、鮮明に肌を一気に切り裂いた井上のナイフは、赤い液体を付着したまま地面に落ちたのだった。

 犯人らしき男がぐったりと血を流してぐったりと倒れている横で、コート野郎は体を動かすことなく、犯人らしき男の姿を見ていた。まるで、さっきまでの切る行為が過程に過ぎなく、血を流して倒れているこの瞬間が、芸術作品そのものだと言わんばかりにコート野郎は犯人らしき男の姿を眺めていたのだ。

 

 

「ふ、ふふっ」

 

 長い沈黙の中、微かに声が響く。

 

「ふふっ、ふふふふふっ」

 

 その声が大きく響くにつれて、オレはコート野郎の姿だけを見つめ、目が釘づけになっていた。そう、まるでさっきまでの目の痛みを忘れてしまったかのように。

 

 

「ふははははっ!! これで、だ! これで、死を恐れ、死にあらがう醜い末路を迎えるのではなく、美しく! そして静かに! 死んでいってくれるというわけだ!!」

 

 手を広げ、天を見上げるかのように高らかに叫ぶ。その叫びは、それだけでは止まらず、

 

「この静寂の暗黒の中で、眠っているかのようにゆっくりと『生』を終えるシナリオ! これがサイコウだとは思わないか? これこそが、人間が死んでいく中で、何にも劣らないサイコウの結末なのだと、オマエはそう感じないか?」

 

 

 コート野郎は強くオレに問いかける。しかし、オレはそれを答えることは出来なかった。

 

 だが、コート野郎はオレの顔を見ると、それ以降は問いかけることなく、井上のそばへと向かっていく。

 

「ふん……まぁ、いいや。さすがに調子に乗ってしゃべりすぎたようだ。ここらへんでこのシナリオをシメさせてもらおうか」

 

 そう言いながら、コート野郎は井上に近づき、黒い鈍器のような銃を取り出そうとする。だが、その途中で腕の動きを止め、倒れている井上の体全体を見回す。少し考えながら、井上の体に触れていると、急にオレの方へと振り向き始める。

 

「……ふふっ、そうだな。この後のシナリオは、おまえの最大の見せ場として残しておいてやろう。この事件が、どういう結末を迎えるかはおまえ次第というわけだ。せいぜい、おまえらの好きな『最後まで諦めない』という精神で足掻くんだな、主人公さん!」

 

 コート野郎は楽しそうにそう言うと、遠い暗闇の方へと歩き出す。少しずつコート野郎の周りがぼやけていきながら、暗闇と同化していく様子は、自分の頭が朦朧としてきたかのように思えた。まばたきをして、もう一度目を凝らして見た時には、コート野郎の姿はなくなっていた。

 

 

(―――!!?)

 

 その途端、忘れかけていた目の痛みが蘇ってくる。

 

(ぁぁっ、くそっ! いてぇ、いてぇよっ!!)

 

 結局、オレはここまで来て、何ができたのだろうか。コート野郎を止めることも、捕まえることも、誰かを守りぬくことさえも……オレにはできなかった。

 そんな自分の無力さを痛感すると同時に、オレは手のひらに力を込める。握りしめる力が増していくごとに、この力を持っていながら、自分が何もできなかったことが余計に腹ただしく、また、悔しく感じていく。

 そして、こんな事態を招いたのもこのオレ自身であることに気づくと、さっきまで自分の中にあった自信と言う名の傲慢さが、今はとても憎く感じて仕方がなかった。

 

 そんな想いが自分の中で交錯し始めるが、周りを見て、そんなことを考えている場合ではなかったことに気づく。

 

「い、いのうえ!」

 

 痛みをこらえ、よろめきながらもオレは井上のそばに寄って行く。容態を見てみると、井上の呼吸が薄く、少しばかり震えていた。意識を失い、体全体が麻痺しているようだ。

 

(た、たしか、こんな場合の時に武偵手帳の中にあったはずだ)

 

 常に武偵手帳を持っていないオレとは違って、井上なら常に持っているはずだ。オレは井上の武偵手帳を着ている服の中に手を入れて探す。

 服のポケットの中に武偵手帳があったのを確認すると、それの中から分解された部品一つ一つを取り出し、組み立てる。

 実は、常に緊急や危険が伴う武偵には、緊急対処用の「ラッツォ」という覚醒促進剤が武偵手帳の中に備わっている。

 

 これは、自分や仲間やケガを負った人などの意識が朦朧としている場合や、脳や心臓に向けての攻撃を食らってしまい、上手く動けない状態になってしまった場合に、これらを対処するための薬品が入った注射器のことである。

 

(これを、こうすれば……よしっ!)

 

 なんとか、記憶の中に残っていた組み立て方でラッツォを組み立てると、今度はできるだけの力を振り絞って井上の首筋へと刺す。これで、井上の意識が戻るはずだ。きっと助かるに違いない。

 

 ラッツォを全部注入したのを確認すると、オレは安心して壁によりかかる。本当はまだ安心している場合ではなかったのだが、朦朧としてきたオレは気づかない内に自分の意識を失っていたのだった。

 

 

 

              ――後日――

 

 

 起きると、そこには白い天井が見えた。自分の体を触ってみると、左目に包帯が巻かれていることに気づく。左目は開けることができなくなっていた。

 これは後から言われたことだが、医師からは左目の視力はもう2度と戻ることはないそうだ。

 

 オレの意識が戻ったのを知ったのか、数時間後には武偵校の先生達や知らない人達がやってきて、

 今回の事件のことをたくさん聞かれる。

 オレはそこで何が起こったのかを思い出しながら話していき、話が進むに連れて、今まで険しかったオレの担任の顔が和らいでいく。……まぁ、後で説教はされたのだがな。

 

 オレの話を聞きに来ていた武偵の人の話によると、今回の事件はオレがケガしているのを見た井上が、犯人らしき男と取っ組み合いをし、その際にその男の手首を切ってしまい、両方とも気絶し、気を取り戻したオレが井上にラッツォを打ち、また気を失う。という、なんともチンケな推測が飛び交っていたらしい。

 

 一応、複数犯いたのではないかという説も考えられたのだが、どうしても、ほかに加わっていた人物がいたという証拠が見つからなく、犯人らしき男は出血多量で死亡をしたとのことで、犯人らしき男からこの事件の詳細について語られることはなかったらしい。

 

 余談だが、その後、今回の事件のことでの進展を新聞やニュースで目にすることはなく、オレが知っていること以外、この事件について解き明かされることはなかった。

 

 

 オレは今回の事件の話を終えたが、事件のことも気になっていたが、それ以上に井上のことも気になっていた。

 武偵が出払った後で先生達に井上のことを聞いてみると、笑顔で「井上は大丈夫だ、生きている」と答える担任の安東先生の言葉に、オレは親友を失わずに済んだという安心感で満たされる。すぐに井上の病室を聞くが、まだ集中治療室にいるとのことだった。

 

 数日が経って、井上が普通の病室に移動したことを聞いたオレはその日のうちに会いに行くことにした。オレは左目以外は特に問題なかったので、力が有り余った体を動かすように井上のいる病棟の病室へと走って向かう。

 井上の名前が書かれた病室を見つけて扉に手をかけようとした時だった。病室の中から大きな声が聞こえる。そこには、井上と井上の母親の声が聞こえきて、2人の会話が止むことはなかった。

 オレは中に入ることが出来ずにいた。中に入るということは、扉に手をかけて、2人の前に出ていくということになる。今のオレにそんなことができるわけがなかった。2人の会話の内容を聞いてしまったオレが、何食わぬ顔で会うことなんて無理だったからだ。

 

 なぜなら、井上が集中治療室にいてこの『病室』に移動することになったのは、この病室で井上の涙の含む声が聞こえるのは、この事件の最悪の結末を迎えさせてしまったのは、

 

 

            オレのせいなのだから

 

 

 

 こうして、オレの過去にあった最大最悪の事件は幕を閉じていった。

 




次回予告「懐かしい夢の中、それは過去にあった偽りのない現実だった。
     しかし、オレはその現実から逃げるかのように目を開かせる。
     その先には以前、見た覚えのある光景が広がっていた。
     そう。目の前にある景色もまた、現実の光景であったのだ」
               次回「銀色の髪」


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16.5話 True Eye

このお話は、過去と現在をつなぐお話になります。
今まで出てきた内容もありますが、総集編としてお楽しみ頂けると幸いです。


   ――とある病院の病室――

 

 

 ふと目覚めるとそこは白い天井。ベットの上で寝ていたのは俺。周りには窓と花瓶の中にある花と白い壁と……母親がいた。

 あの事件以降何があったかなんて俺自身は覚えていないが、病室にいるということは自分はこの病院に運び込まれたということなのだろう。

 俺は体を起こそうとするが、起きれない。上手く力が入らないのだろうか。もう一度、体全体に力を入れて起きようとすると、なんとか体を起こすことが出来た。

 まるで自分の体が自分の体ではないようだった。実際はそこまでひどくはないのだろうが、最初はそう思えてしまうくらい自分の体に違和感を感じたのだった。

 

「かあさん!」

 

 俺はうたた寝している母親に話しかける。ハッと気づいた母親は俺の姿を見て驚いた表情をする。そしてすぐに口を開いた。

 

「サッちゃん起きたのね! どう? 体調は悪くない? 気持ち悪くない? 気分はどう? なんならナースさん呼ぼうか? その前に体は動くの? どう、大丈夫なの? 起きなくても、無理せずに寝てればいいのに。とりあえず、あーっと、どうしようか?」

 

「ひとまず落ち着きなよ。別に気持ち悪くないから、大丈夫だよ。それより聞きたいんだけどさ」

 

 戸惑っている母親を止めて、俺は聞きたいことを聞く。

 

「俺、どうして病院に? 何が起こったの?」

 

 病院にいる理由なんて、そりゃあケガしたからに決まってる。誰だって考えれば分かることだが、とりあえず何がおこってこの病院にいるのか経緯を知りたくて、俺はそう聞いてしまった。

 

「もしかして記憶がないの? えっと……サッちゃんは、GECOに行って事件に巻き込まれたの。その時にケガをしてこの病院に連れてこられたの」

 

 俺の聞きたいことはそういうことではなく、事件に関してもっと詳しく知りたかったのだが、もしかしたら知らずにここにいるのかもしれない。

 

「んー……じゃあ、ジュウがどうなったか知らない?」

 

 この際、事件のことは置いといてジュウのことを聞こう。そう思い、気になっていた友人のジュウのことを聞いた。

 

「ジュウくん……。あの子は左目をケガしたらしいけど、生きているらしいわ」

 

「そ、そうかぁ」

 

 俺は安心する。身を挺して守った友人が生きていて、俺はホッとしてしまう。

 

「でも……」

 

「……でも?」

 

 母親の顔が暗い。どうしたのだろうか? もしかして、ジュウに何かあったのだろうか?

 

「あの子のせいで、あなたは……」

 

「……えっ?」

 

 俺は母親に肩を掴まれる。母親の表情は今にも泣きそうになっていたが、意を決して何かを語ろうとしていた。

 

「サッちゃん、ようく聞いてね。あなたの体には後遺症が残ってね。上半身に麻痺症状が出るらしいの。……もう、あなたは何もかもうまく手で持つことが出来なくなるのよ!」

 

「―――!?」

 

 何を言っているのかよくわかんない。確かに手に違和感を感じたりはしたが、動かせないわけではない。そんなこと信じられるわけがないんだ。

 だが、意識し出すと不安感が一気に襲い掛かる。さっきまでの違和感が、俺を恐怖させる。

 俺の手はあまり感覚がなく、痺れているかのように震えていた。

 近くにに置いてあった花瓶を持とうとする。だが、持つことはなく倒れる。持とうとして持てなかったということが、信じられないことだった。

 

「で、でも……それも一時的なはずだよね。いつかは治るはず、なんだよね? 今だけなんだよね!?」

 

 俺はひどく焦ったように母親に尋ねる。怯えた俺を見て、苦しそうに下を向いて語ってくれた。

 

「いいえ、分からないそうよ。今の日本の医学では、完全に治すことは不可能らしいわ」

 

 俺は絶望する。希望を持って母親に聞いたが、まさかの裏切りのような言葉にひどく落胆する。

 現実の残酷さに打ちひしがれていく。

 

「……じゃ、じゃあ、あれか。俺は、武偵に……なれないのか? 目指してきた、なりたかった武偵には、もうなれないの?」

 

 母親は何も言わない。いや、何も言えないのだろう。必死に口を閉じている。何かを堪えていた。

 

「俺が、ジュウをかばったから、かばったせいで……」

 

 絶望感によって俺は周りが白くなっていく。頭も真っ白になっていく。感覚も真っ白に何も感じなくなっていく。血の気が引いて、孤独の世界に取り残されたような気がした。

 

 

 

 

 

   ――事件から3週間後――

 

 今日も一人、オレは部屋の中に佇んでいた。必死に、ただひたすら必死に、受け入れたくない現実から逃げようとしていた。

 

 アイツが憎い。アイツのせいでオレは武偵の夢を諦めざる負えなくなってしまった。アイツが余計なことをしたせいでオレはこんな体になってしまったんだ!

 

 殺してやりたい。あんなやつのために武偵を諦めるなんて酷過ぎる話だ。

 

 しかし、そんなことを思っても現実は変わらない。憎しみだけが取り残されていく。

 

 じゃあどうしたらよいのだろうか。考えても考えても、憎しみばかり増えていく。

 

 

 ふと、オレは脱力する。もう考えるのが疲れたからだ。考えすぎて、逆にどうでもよくなってきた。あんなヤツのことを考えることが間違いな気がしてくる。

 

 そもそも、今でさえ苦しんでいるというのに、さらに苦しむ必要なんてない。今まで苦しんできたんだ。あんなヤツのために苦しむ必要なんてないだろ。

 

 そう思ったらどうでもよくなってきた。あんなヤツのことを思い出すからいけないんだ。忘れよう。忘れればいいんだ。思い出さなければいいんだ。消そう、記憶から。

 

 オレはひと思いに、井上の痕跡を消した。写真も思い出も井上の関係するものすべて、消した。

 

 そして、最後に会って、全てをリセットしよう。そうすれば、オレはまた武偵として生きれるはずだ。そうに違いない!!

 

 

 次の日、オレは井上の病室に行ったのだった。

 

 

 

     ――病室――

 

「なぁ、俺のやっていたことは間違っていたのか? なんでこんなことになっちまったんだ? どうすりゃいいんだよ、おいっ!」

 

「…………」(知るかよ)

 

「……くそっ。もう、いいよ。ここから出て行ってくれ! もうてめーなんか、見たくもない!」

 

「…………」(オレだって見たくねぇ)

 

「……俺は明日退院して、千葉の実家の方へ帰ることになったから東京には、いられない。もうここにいることも、武偵でいることもできないんだ! ちくしょぉぉ……」

 

「…………」(せいせいするよ。ほんとにな)

 

  オレは病室を出て、扉を閉める。

 

「…………すまない、じゃあな」(これで、一生会うことはないだろうからな)

 

 この言葉が、井上に聞こえたかどうかは定かでがない。

 ただ、くすんだ白い床を見つめながらそう呟いたオレはその場から立ち去っていった。

 

 こうしてオレは、清々しく井上から解放され、記憶を消したのだった。

 

 

 オレは自分のせいで左目をケガした。ことにした。

 

 

 

(オレは、バカだ! 自分の力量を過信したばっかりに、こんなことに)

 

 なんて自分は弱いのだろう。一人の男を守ることも、救うこともできなかった。そんな思いを抱えながらオレは、左目を押さえ、病院を出た。

 

 季節はもう秋になろうとしていた。風はもう冷たく感じる。あの事件は、ただの傷害事件で済まされ、いつもと変わらない日常へと戻った。この左目に視力がなくなったこと以外は。

 最初は、片目だけの生活に戸惑いはあったが、ここ数日でその違和感さえも感じなくなってきている。

 

(これで、この銃はもう使えないな)

 

 オレは腰につけてる「FN P90」を見つめ、溜め息をついた。銃の使えない武偵。ましてや、強襲科の武偵など、戦闘においては不利すぎる。

 

 昔から正義の味方である武偵をオレは目指していた。だが、自分さえも守れない武偵では、憧れていたヒーローとして認めるわけにはいかなかった。

 

 風にうたれながら、オレは武偵学校を辞めようと考える。その方が、誰も傷つけずにすむ。誰も失うことはないはずだ。

 そんなことを考えながら川沿いの道を通って、寮に帰っていると、目の前で巫女さんが川を眺めて立っていた。その様子はとても困った感じだった。

 よく見てみると目の前の巫女さんは、黒髪の長髪で和風美人として名乗っても良い程、顔が整っている。清楚で年上の彼女を見たオレは、不安そうな顔をした彼女に釘付けになっていた。年齢も高校生くらいだろうか? そんな彼女に、オレはつい話しかけようとしたら、彼女は涙目で空にこう告げていた。

 

「私のせいだ」と。

 

 

 ――――――

 

 

「あの……、どうかしましたか?」

 

 オレは、目の前にいる巫女さんに話しかけてみた。

 

「えっ!? あ、いや、なんでもないの。ただ、お友達とケンカしちゃって、つい……」

 

 オレの存在に気付いた巫女さんは、恥ずかしそうにそう告げた。

 

「あ、そうだったんですか……。あまりにも、そわそわしていたので、道に迷ったのかと思いました」

 

「あー、そうじゃないの。ただ、私のせいで彼を傷つけてしまったのかもしれないから、どうしよう……って思っていたら……」

 

「そ、そうでしたか……」

 

 オレはつい彼女に声をかけてしまったが、少し気まずい空気になってしまった。そんな中、巫女さんはオレの服を見て、質問してきた。

 

「その制服は、もしかして中等部の武偵さん?」

 

「あ、はい。今まで強襲科で学んでいました」

 

「学んでいた……? もう、強襲科ではなくなったの?」

 

「あっ……、いえ、今は武偵を辞めようと考えていまして……」

 

「そうなの……? 私の彼もさっき、武偵をやめると言いだしてきたの。……なんでだろ。彼はとっても優しい正義の味方のような人だったのに……」

 

「正義の味方……ですか。」

 

 その言葉を聞いた瞬間、オレは、彼女に質問してしまう。

 

「でも、その彼が正義の味方でなくなってしまうほど、誰も守れなくなったら……どうしますか?」

 

 自分は何を彼女に対して質問をしているのだろう。そう思ってしまうと、彼女に対して質問をしたことを後悔する。だが彼女はオレの質問に、真剣な顔付きで返してくれた。

 

「いいや、キンちゃ……、彼はきっと助けてくれるよ。いつも彼は助けてくれた! どんな時もわたしを。だって、誰も守れないから正義の味方なんじゃない。どんな時でも守ろうと、救おうとするから、彼は正義の味方なの!」

 

 オレは固まった。その時の彼女の強い眼差しに釘付けとなり、その言葉にハッとして、胸が激しく動かされる。

 

(そうか。そうだったんだ。今のオレにできることなんて限られてたんじゃないか。ははっ、オレが簡単に人間みんなを守れるわけないんだよ。何を自惚れてんだよオレ)

 

 オレはそこで気づいてしまったのだった。自分の目指しているものというのは何なのか。自分は何を目指していたのかを……。

 

「す、すいません。へ、変なことを質問してしまって……」

 

 すると、彼女は急に照れながら答える。

 

「わ、わたしも急に熱くなってごめんなさい。あ、わたし、もう戻らなくちゃ。そろそろ遅刻しちゃう。」

 

 そう言って彼女は去っていった。風が吹いている中、いそいそと髪をゆらしながら……。

 

 

 

 




オレはまだ幼く、残酷な現実に向き合うことが出来なかった。
最初に行った行為は、責任転嫁。
井上を憎むことで何か月は保つことが出来た。
しかし、それでは憎しみが増すばかりで、段々と抑えられなくなっていった。
このままでは、憎しみでおかしくなりそうになる。
次に取った手段は記憶喪失。記憶を失うことによって、自分を保てた。
むしろこの場合は、記憶を改ざんしたと言った方が正しいのだろう。
そうすることによって、オレは何事もなく、普通に生活を送ることが出来たのだ。

――――――

こうして、流水編へと向かって行く。
それは、竹内ジュウが普通に武偵学校に通い、毎日過ごすはずだった物語。
物語は、流れ始めたのだ。


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