俺はスタイリッシュなヴォルフシュテイン (マネー)
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ザ・モーニング・スター
ザ・モーニング・スター編第一話:我らが学園都市


 ●

 

 世界をさまよう自立型移動都市、レギオス。汚染された世界から人類を、生物を隔離して保護する小さな世界。様々な思惑の混じり合う人類の箱庭だ。

 そのひとつ、学園都市ツェルニ。学園都市である事を示すペンと、少女の像形が縫われた旗を最も高い尖塔の頂上に掲げた都市だ。

 ツェルニは都市の栄養であるセルニウム鉱山の所有権をあとひとつしか残していない。言葉は違っても、所有権とは戦争によって都市間で奪い合う物であって、ツェルニは敗北を重ねているからだ。その問題を抜本的に解決しうる錬金術師は記憶からも忘れ去られ、記録と成り果てて久しい。

 ここは、そんな終わりの世界。

 

 ●

 

 救いの見えぬ世界。

 未来の見えぬ都市。

 だからこそ都市の緩やかな死に憂える青年が居る。

 名をカリアン・ロスといった。学生服に身を包んでいても白銀の髪に白い肌、整った顔の造形は作り物めいていて、柔和に笑っても瞳だけが冷徹な印象に残ってしまう。そんな男だ。

 彼はツェルニの武芸者では武芸大会という名の戦争に勝てないと感じていた。もしかしたら勝てるかもしれない。そういった可能性もあるだろう。だが、そんな曖昧な可能性に賭けようという気持ちにはなれなかった。”絶対”という言葉が欲しくなったのだ。

 だから新入生の名簿にその名前を見つけた時、運命だと本気でそう感じた。

 カリアンは入学式で偶然にも発生した愚かしい事態を口実に、彼を執務室に呼び出す事にした。前日になって到着した彼についての調査結果は、記憶にある”彼”の印象と大きすぎる齟齬があったので自分の眼で確かめようと思ったからだ。

 

「名乗るのが遅れたね。生徒会長のカリアン・ロスという。六年生だ」

 

 大きな執務机の肘を置いて名乗り上げるカリアンが視線を向けるのは悠然とソファに腰掛ける武芸者、レイフォン・アルセイフ。後ろにかき上げられた茶色の髪、ひたすらに冷たい藍色の眼光。彼が着るだけで一般教養科の制服すらも印象が違って見えた。年齢は少年と青年の中間程度だが、その振る舞いは熟練の武芸者達に匹敵する。

 ……いや、それ以上だ。

 その滲み出る雰囲気に対してカリアンは違和感を抱かない。実力を考えれば誰もが相応だと判断すると知っている。

 

「そうか」

 

 カリアンは自分がおよそ学生に似つかわしくないと知っているが、目の前の学生も似たような物だ、とそう感じていた。学園の支配者とも言うべき生徒会長に呼び出され、名乗られたというのに傍若無人な態度。普通ならば無礼者、あるいは驕っていると感じるだろうが彼の場合は恐ろしいまでに似合ってしまう。

 ……これが風格、という物かな。

 次は直接問いを投げかける。

 

「名乗ってはもらえないのかな?」

「――用件は何だ」

 

 淡々とした言葉ではない。脅す様な口調でもない。ただ精悍という印象を抱かせる声色だった。

 彼の人間性は知らないが、会話を成り立たせようと努力するタチではないらしい。対話で懐柔する事は難しそうだ、とカリアンは思う。だからこそ一歩を踏み込んでいく。

 

「感謝を伝えたかったのだよ、レイフォン・アルセイフ君。君のおかげで新入生から怪我人が出る事はなかった」

 

 入学式で発生した新入生の愚行。

 武芸科の新入生の中に敵対する都市同士の生徒が鉢合わせたらしく、小競り合いから本気の殴り合いまで発展していった。

 武芸者には、剄という超常の力を行使するための内臓器官が存在する。それゆえに武芸者のチカラは一般人を大きく上回っている。その事を忘れ、夢中で暴れていれば他の生徒達にも死傷者が出ていた可能性すらあったのだ。だからカリアンはその暴動を一瞬にして鎮圧してみせたレイフォンに感謝の念を抱いていた。打算もあるが、感謝の気持ちは純粋な物だ。

 

「新入生の帯剣許可が入学後半年なのはこういう事があるからでね。毎年の事ながら苦労させられるよ」

「邪魔だっただけだ」

「君がそう言うなら、そうなんだろう。しかし、もう少しどうにかならなかったのかね? 顔が潰れていたそうだが……」

 

 そう。邪魔だっただけ、という発言の通り暴動の原因たる二人を一瞬で鎮圧した行為に一切の容赦は介在しない。生木を裂くが如く無理矢理に、強引に止めている。

 武芸者ではないカリアンでは詳細は分からないが、レイフォンが武芸科新入生に近づいたと思ったら二人は互いに向かって弾け飛び、衝突したのだ。顔面から衝突した二人は、元に戻すには写真が不可欠なレベルの損傷だと聞いた。

 

「俺の知った事ではない」

「そうか……。原因が彼らにある事だし今回は取り立てて問題にはしないが、傷害沙汰は極力避けてもらいたい。学園都市には些か刺激が強いんだ」

「用件はそれだけか? ならば俺は戻る」

 

 そのままレイフォンはカリアンに背を向けて退出しよう歩き出し、

 

「それは少し待って欲しいな。レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ君」

 

 名と性の間につけられた呼称を聞いて脚を止めた。

 カリアンにとって、レイフォンが武芸科ではない事は不思議ではない。問題は、彼の行為を否定した場合に返ってくるだろう反応が読めない事だ。万が一にでも彼の勘気に触れてしまったら、と脳裏に顔を潰された二人が浮かぶ。

 勤めて表情を笑みの形に維持し、背を向けたままの彼に、容赦を知らぬ彼に提案する。

 

「一般教養科から武芸科に転科しないかい?」

 

 レイフォンは動かない。

 

「幸い、と言っていいかは分からないが武芸科の席が二つ空いてね。君にそのひとつを埋めてもらいたいんだ。武芸科に入ったからといって一般教養科と学ぶ事が違う訳ではない。三年までは必修だからね。それからも専門分野を学ばなければならない」

 

 レイフォンは動かない。

 

「君が何を目的にツェルニへとやって来たかは知らない。武芸科では出来ない、という事でもないと私は考えているが……?」

 

 頬を汗が伝うのを感じる。硬い唾を飲みこむと、ややあってから、

 

「くだらん。武芸科とやらで時間を無為に捨てるつもりはない」

「そうだろうね。しかし、だからこそ君に武芸科に転科してもらいたいと考えている」

「……どういう意味だ?」

 

 レイフォンは振り返り、改めてカリアンと向き合った。

 どうやらこの話は聞くに値する内容だと判断されたらしい。ここで順序を間違えれば全てが台無しだ、とカリアンは自身を戒める。

 

「学園都市対抗の武芸大会だよ。知っているかい?」

「いや」

「標準都市で言う戦争だよ。学園都市の戦争は武芸大会と呼ばれ、学園都市同盟が監督もする。健全な、というと聞こえはいいが、非殺傷を旨とする以外は戦争と同じ物と考えていいだろう。得る物も失う物も同じだしね」

「セルニウム鉱山だな。所有権が少ないのか?」

「あとひとつしかない。今期の武芸大会で何戦するかは都市次第だから分からないが、一戦もしないという事はありえない」

「負ければ都市は死ぬ、か」

 

 レイフォンは腕を組み、眼を伏せて思案する。

 何を考えているかは分からないが、カリアンは言うべき事を言うだけだ、と口を開く。

 

「私は今年で卒業する。ここが学園都市である以上、今後、この都市に留まる事はないだろう。関係がなくなるといえば、そうとも言える。しかし、私はこの学園を愛しているんだ。愛しているものが……たとえ、二度とその土地を踏む事がないかもしれないとしても、失われるのは悲しい事だと思わないかい?

 愛しいものを守ろうという気持ちは、ごく自然な感情だよ。そのために手段を問わぬというのも、愛に狂う者の運命(さだめ)だとは思わないかい?」

 

 語っている内に、感情が籠っていたらしい。口の端が僅かに歪んでいた。

 室内にある花瓶に目を向ける。花瓶からは小さく可憐な黄色の花が咲いている。記憶の中に蘇えったのは、あの花が健気に、そして美しく咲き誇る光景だ。十年の間、残り続けたあの温室だ。

 

()()がお前の理由(モチベーション)か」

 

 レイフォンの声を受けて、意識を彼に戻す。想いに耽っている間に彼は思案を終えていた様だ。

 

「すまない、答えを聞かせてほしい」

「……フン、いいだろう。だが条件がある」

 

 レイフォンから了承の言葉を引き出せた事に小躍りしそうになる感情の昂ぶりを抑え込み、平静を装って問いかける。

 

「なにかな。君は奨学金も元々Aランク。学費は免除だし、余り度が過ぎると周りに睨まれてしまうが」

「金銭ではない。錬金鋼(ダイト)所持の許可と錬金鋼(ダイト)の研究開発者、出来なければダイトメカニックでいい。紹介しろ。あと、俺が自由に出入り出来る広い空間だ」

 

 カリアンは聞きなれない単語に僅かに眉を歪めた。

 

「済まないが馴染みがない言葉でね。ダイトメカニックとは?」

錬金鋼(ダイト)の調整に携わる人間を、グレンダンではそう呼んでいる」

「なるほど、的確な名称だ。では、広い空間はどういう目的かな。用途によって必要な設備は違うからね」

「訓練だ」

 

 納得出来る回答だ。

 ひとつ問題があるとすればグレンダンの武芸者最高位に届く程の者に通常の設備で大丈夫なのか、という漠然とした不安だ。

 

「そうか、確かに君が新入生の待遇では不自由だろうね。そこで、どうだろうか。——小隊に入隊してみないかい?」

「小隊?」

「武芸大会で中核を担う部隊だよ」

 

 司令部下に小隊を置き、その更に下に武芸科の生徒で構成された大隊を置く。小隊は指揮官の様な役割を持つが、それぞれ十七の小隊は学内対抗戦で競い合って序列を定める。その中で最高の成績を修めた小隊が最高指揮権限を持つ事になる。

 一息で説明したカリアンは続けてこう言った。

 

「いわばツェルニに於けるエリートと思ってくれていい。既存の訓練設備を自由に使えるし、ダイトメカニックもそれぞれ専任が居る。だから――」

「レストレーション」

「!」

 

 金属音がしたと思った次の瞬間。気付けば、いつでも喉を掻っ切れる位置に青藍の凶器があった。一般人を相手にチェックメイトの状態にして、それでもなお油断なく突きつけられている青石錬金鋼(サファイアダイト)の刀は、レイフォンが隠し持っていた物らしい。

 カリアンが、なぜ、と問いかける前にレイフォンが言葉を引き継ぐように口を開いた。

 

「――だから俺に未熟者どもと戯れろ、と?」

 

 呼吸する様に淡々と話すレイフォンの眼はそれまで以上に冷たく、見る者を戦慄させる。

 しかし、カリアンは決して眼を逸らさない。ここが正念場だと理解しているからだ。明らかに命を握られた状況下で、息を吸う。

 

「小隊員は便宜を図りやすい立場にある。ツェルニにとっても、君にとっても、だ」

 

 普通ならば都市の運営を担う人物を害するはずがない、などと言える相手ではない。かつてグレンダンに居た者によれば通常の都市ひとつ程度に勝てない武芸者は天剣授受者に至らないのだそうだ。

 ならば、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフもまた、学園都市の戦力程度では脅威にすら成り得ない領域に棲む怪物の一人という事になる。赤子に犯罪者として追われる事を恐れる武芸者が居るはずもない。

 カリアンは死の瀬戸際に居る、と自覚して言葉を紡いでいく。

 

「無ければいいと思うが、不測の事態は予測出来ないから”不測の事態”なのだよ。我々に出来る事は準備までだ。万が一の事態に際して、君の”自由”を作る代わりだと思ってほしい」

「枷を填めるつもりか?」

「もちろん違う。ツェルニの学生は君が言う通り未熟なんだ。心までもね。だから彼らの誇りを汚さない程度の建前が必要になる。なってしまう」

 

 これだけではまだ足りない。

 これはツェルニの意見であり、レイフォンの利にはならないからだ。だから、という様にカリアンは言葉を重ねた。

 

「君は、グレンダンでは気軽に接していい存在ではなかったかもしれない。だが、ここはツェルニだ。君を知る者はまず居ない」

 

 だから、

 

「レイフォン君。ここでは全く新しい環境に居られて、全く新しい体験をするだろう。そうして得られる物全てに全く価値が無いとは思えない」

「曖昧だな」

「人は、武芸者は、未来を知る術を持たないからこそ、今日を精一杯に頑張って生きるのさ。君に武芸で最高の環境を提供する事は無理かもしれないが、一人の少年が過ごす空間としては、学園都市(ツェルニ)は十分に最高の環境だと私は信じている」

 

 重い塊の様に硬い唾を再び飲み込むと、音がやけに響いて聞こえた。

 そして、ややあってからゆっくりと青石練金鋼(サファイアダイト)が鞘に納められていき、金属音が小さく鳴った。

カリアンは、その硬質な音を耳にした途端、内心で安堵の息を吐きだした。背中に流れる大量の汗は、やはり”死”を目前にするのは堪えたという事なのだろう。

 

「――カリアン・ロス」

 

 先ほどまでの冷たさはナリを潜め、平坦な声でレイフォンは言う。

 

「今の所はお前を信用しておいてやろう」

「それは、ありがたいね」

「契約は成った。証として、……そうだな。あの花を一輪貰う」

 

 カリアンは危険な角度で眉を立て、しかし、それ以上の変化を表に出すことなく返答する。

 

「構わないよ。なんなら束で進呈するかい?」

「一輪でいい」

 

 短くそれだけ答えると、レイフォンは花瓶から花を一輪抜く。そのまま用意されていた武芸科の制服を手に、執務室の扉から出て行った。

 レイフォンが出て行ってからしばらくした時、カリアンはリクライニングチェアに沈める様にして身体を預け、大きな息を吐く。疲労が染み込んで熱を持った呼気だった。

 一人になった部屋で、書類を取り出した。一度目を通したはずの調書。レイフォン・アルセイフについての調査結果だ。そこに記載された一文を何度も読み返し、持って行かれた花の在った場所を見て、彼の態度を思い出し、再び息を吐く。

 

「ありえない、と勝手に結論付けていたけど、”火のない所に煙は立たない”という事なのかな……?」

 

 ――レイフォン・アルセイフが婦女暴行を働いた可能性あり。

 

 ●

 

 入学式当日は全校生徒が大講堂に集合する。

 一般教養科と農業科、機械科、錬金科、医療科、そして武芸科の生徒たちだ。入学式は、彼らにとっては単なる学校行事に過ぎず、退屈な時間だと思っている者も多い。しかし、武芸科の、特に小隊に属する武芸者にとっては意味が変わってくる。

 ここに全ての学生が集合するという事は、新入生の武芸者もまた、全員が集合する。彼らが未だ成熟していない1年生の内から育てて将来の中核と成す。あるいは、それに相応しい学生を探し出すのが一番の目的なのだ。それは、都市の守護を担う者の義務のひとつでもある。

 しかし、生徒たちは足早に大講堂を去っていく。

 入学式が一部の学生の暴走行為によって中止とされたからだ。珍しい事だが、全くない程の事でもない。

 大講堂を出ていく人波の中に一人の青年。白く短い頭髪に、薄い緑の眼をした大柄な男だ。制服に5と記された銀のバッチを付けている青年、ゴルネオ・ルッケンスは練武館への道を歩きながら、俺が入学した時も同様の事件があったな、と思う。だが、それよりも意識が向かうのは、

 

「本当に、あのヴォルフシュテイン卿が……」

 

 来た。

 このツェルニにやって来た。

 カリアンに呼び出されて天剣授受者について問われた時に、一応は聞いていた。それでも来るはずがないと、そう思っていた。きっと何かの間違いだと、そう信じたかった。

 しかし、レイフォンが目の前に、ツェルニに確かに居た。疑いようのない事実として存在していたのだ。

 どうしても兄がチラつくグレンダンから出て、わざわざ遠くの学園都市に来たというのに、

 

「結局、これか」

「どうしたんだ、ゴル。元気ないぞー」

 

 不意に掛けられた声の方向を見ると、赤い髪の毛の小柄な少女が居た。ゴルネオと同じく5の銀バッチを付けている以外は普通の学生服だが、無邪気な笑顔のせいか、快活な印象が強く表に出ている。そして印象に(たが)わず元気な少女は、13~14歳程に見えても実年齢はゴルネオと同じ20歳だ。

 

「シャンテか。いつから居た?」

「今だけど。……ホントどうしたのさ?」

「気にするな。少し、疲れただけだ」

 

 なら、さっさと帰るぞ! とやはり元気なシャンテはゴルネオの手を引いて人ごみを通り抜けていく。学び舎と商業区を抜ければ、そこは居住区だ。

 更に少し進めばいくつかのマンションが建っている。どこにでもある一般的なマンションだ。マンションのひとつに入って4階まで登り、いくつか扉の前を通ればゴルネオの部屋がある。そのもうひとつ向こうがシャンテの部屋だ。

 普段はここでシャンテと別れるのだが、今日はまだゴルネオの隣に居る。おそらく疲れたと言ったのを心配しているのだろう。

 

「俺の事なら気にしないでいいぞ。少し休めば大丈夫だ」

「ダメだ。そう言って前に寝込んだだろ? 今日は私が見ててやるからな。安心して寝てていいぞ、ゴル!」

 

 言われた言葉に、ゴルネオは苦笑する。これでは気疲れなどと言えないではないか、と。心の中で気遣いに対する感謝を呟き、しかし看病してもらう様な事ではないと断りを入れようとして、

 

「……?」

 

 不意に、それが目に入った。

 乱暴にポストに入れられた一通の手紙だ。

 シワだらけなのは雑な扱いをされたからではなく、長い時間を放浪バスで運ばれてきたためである。ゴルネオ・ルッケンスに遠方から届けられる手紙が出させる場所は、ひとつしかない。

 槍殻都市グレンダン。

 故郷からしかありえない。手紙を送ってくる様な人物に心当たりはない。正確に言えば、手紙で意思疎通を取る必要がありそうな人物に心当たりが無い、というべきだろう。

 

「誰からだ?」

 

 裏返すと、送り主を確認する。そこには手書きの文字でこう書かれていた。

 サヴァリス・ルッケンス。

 

「――――あ」

 

 目の前が真っ暗になった。

 

「ああっ、ゴル! ゴル――!!」

「…………だ、大丈夫。大丈夫、だ。……たぶん」

 

 そう、まだだ。まだ兄からの手紙だからといって、何かヤバい事が書かれているとは決まっていない。きっと兄からではなく、ルッケンス家からの手紙なのだろう。封を切って内容を確かめるまで確定ではないのだ。

 

「やれやれ、兄さん以外の名義で送ってほしかったな。ははは」

「……んー? レイフォンに鍛えてもらう様に頼んだからしっかりしろ? サヴァリスってのがゴルの兄貴か。じゃあ、このレイフォンって誰の事?」

 

 死んだ。

 

「ああっ、またあ!? ゴル! しっかりしろ、ゴル――!」

 

 ●

 

 うわー、やっちまったよ錬金鋼突きつけるとか少しバージノレプレイに熱入り過ぎじゃねー? もうちょいマイルド、マイルドに行こうぜぇ〜。

 

「やあ、学園都市っていうくらいだから学生食堂しかないかもって心配してたけど、そんなことなくてよかったあ〜」

 

 味に満足したのか、嬉しそうにケーキを頬張るツインテールの少女、ミイフィ・ロッテン。

 

「学生のみの都市運営ってどんなものかと思ってたけど、しっかりしてるんだな」

 

 感心した様子なのは武芸科の制服に身を包む赤毛の少女。三人の中では一番背の高いナルキ・ゲルニ。

 

「うんうんマップの作り甲斐がありそう。メイっちもそう思うっしょ?」

「……うん、大変そう」

 

 チラチラとレイフォンを伺いながらもしっかりスイーツを平らげていく腰ほどまである長い髪の少女、メイシェン・トリンデン。

 

馳走(ちそう)になった」

 

 なんてこと考えてたら三人娘に捕まって喫茶店に連れて来られてた。レンガ造りがいいふいんき(なぜか略)出してますね。いや、そうじゃなくて。

 あるぇ〜と本気で思うんだが。マイルド仕様とか言ってもあくまで本家に比べればであって普通に怖い系な人だと思います。なんでこいつら寄って来られんのよ? 超不思議! しかも同じ都市出身でもともと仲良しグループ。話が一瞬にして飛躍して膨らみまくる女子の会話なんて俺には関係ないです、はい。

 なのでここから離れようと思います。離脱! ジュワッ!

 

「それは許さん!」

 

 速攻でベルトを掴まれた、シュワワン。

 

「……離せ」

「嫌。そういやレイとんはなんか就労するの?」

 

 ミィフィさんにはバージノレ・アイ(行け! レイフォンの 睨み付ける!)が効かないらしい(効果は いまいちだ)けどどういうことなの。心臓に毛でも生えてんのかこのアマ。生半可な武芸者ならこれだけで十分たじたじなんですけど。終いにゃ泣くぞ、心で。

 あ、でもグレンダンでも子供には好かれてたなあ。なんででしょうか。てか、

 

「レイとん……だと?」

 

 まさか、この俺までも珍妙なあだ名で呼ぶの!? ミィフィ、恐ろしい子っ! 力が抜けて席に戻されちゃった。

 

「そ、レイとん。呼びやすいじゃん? ナッキ、メイっち、レイとん、で、私がミィちゃん。お分かり〜?」

「意味が分からん」

「だって自分で『ミィっちって呼んでね♪』とか自分で言ってたら気持ち悪いでしょ? だからレイとんはレイとんで決定ー!」

 

 知らないよ! 決定じゃないよ! とか言いたいけどナルキとメイシェンが即座に追従して言いやがったので何も言えませんでした。本家バージノレさんならこんな時どんな対応したんですか……!? 首飛ばして終わりですね、分かります。全く参考にならねーよバーカ! バーカ!! マザコン! ちなみにダソテさんは? ストロベリーサンデーを頼む? ですよねー。

 

「仕方ないな。ではこれからもよろしく、レイとん」

「そそ、レイとん、レイとん♪」

「……レイとん」

 

 レイフォンが異空間に迷い込んだっていう気持ちがよく分かってしまうよ。大体メイシェンだって最初に俺の眼見て悲鳴上げてたじゃないですかーやだー! 超こえー! 女ってこええー!

 はあ、俺もう疲れたよパトランジェロ……。

 

「で、レイとんはなにか就労するわけ?」

「……都市警を候補に入れているが、決めかねている」

「都市警察か。私と一緒だな」

「ナッキは警官になるのが夢だもんねえ」

「ああ」

「わたしは新聞社かなあ……」

 

 と、唐突に始まった女子の会話に入り込める訳がありませんでした。笑って無駄話を続ける三人娘を見ながら時間が過ぎるを待っていると、

 

「あの、すみません」

 

 突然かけられた声に、キタ————! と内心で俺、歓喜。

 そこに居たのは一人の少女。腰まで届きそうな長い白銀の頭髪に色素を失くしたかの様な白い肌、襟から覗く細い首。銀の瞳が冷ややかで人形の様な美人に、レイフォン以外の全員が息を呑んだ。

 この心苦しい状況に舞い降りた女神……ではないよなあ。こいつも面倒事を持ってくるタイプだった。でもこんな青春まっさかりな空間よりはマシです。

 

「レイフォン・アルセイフさんはあなたですね?」

「人違いだ」

 

 あ、いけね。

 

 ●

 

 レイフォンに声をかけた銀髪の少女、フェリ・ロス。

 フェリは念威での索敵や情報伝達などに優れる念威繰者(ねんいそうしゃ)だ。念威端子で兄であるカリアンの執務室を盗み見ていたため、レイフォンとのやり取りについても知っている。なので、

 

「人違いだ」

「執務室で話していた件で用があります。付いて来てください」

 

 一切の答弁を拒否することにした。舌打ちが聞こえたが、それは付いてくるという意味だろう。伝える事は伝えたので背を向けて歩き出す。

 

「世話になった」

「了解。行ってこい」

 

 一言二言を交わしてからは足音が付いて来る。

 喫茶店を出てから練武館までの道中、小隊について説明しながら考えていた。後ろを付いて来るこの男は一体何者なのだろうか、と。

 カリアンがツェルニ存続に賭ける執念は知っている。

 そのカリアンが、フェリの意思すらも無視したあの兄が下手にすら出て一心不乱に求め、決定の意思を委ねてまで手に入れようとする程の武芸者。小隊員を未熟者と一言で切って捨てた彼は、レイフォン・アルセイフとは何者なのか。

 ただ一人の武芸者にそこまでの価値を認めているという事実が、どこか自分の過去に重なった。

 情報売買を生業とする富豪の家に生まれたフェリは、突然変異の如く念威について異常な才能を持って生まれている。幼い頃から念威繰者としての教育を受けてきたが、念威繰者になることを当たり前の様に扱われ、恐怖すら覚えた。

 なのに、レイフォンは武芸者であることが自然の風体でいる。一般教養科に出願してツェルニへとやって来たはずなのに、だ。

 ……なにか不愉快です。

 と、少し考えながら歩いている内に古びた感じのある会館に到着した。

 

「ここです」

 

 練武館。小隊員が訓練する場所だ。

 目的の一室まで案内すると金髪の少女が待ち構えていた。

 隊長だ。

 なので役目は果たしたと考え、教室の隅へと移動。あとの対応は隊長がするだろうから見ていることにする。

 見れば同じように隅で気だるげに寝転がるシャーニッド・エリプトンと、ダイトの調整を担当するハーレイ・サットンが居る。特にハーレイは機械油などで匂いも酷いので、少し離れた位置に腰を下ろすことにした。

 

「わたしはニーナ・アントーク。第十七小隊の隊長を務めている」

 

 隊長はレイフォンに名乗り、小隊について長々と説明していった。

 説明を終えて確認する様に、分かったか、と問いかけると、

 

「無駄話はこれで終わりか?」

 

 教室の空気が凍った。

 正確に言うならニーナが、だ。ハーレイは驚いて固まっているが、フェリは特に驚くことではないと知っているし、シャーニッドはニヤニヤと笑みを浮かべて見ている。

 額に青筋を浮かべたニーナは腰から二本の黒鋼錬金鋼(クロムダイト)を抜き放ち、復元。双鉄鞭を手に低い声でこう言った。

 

「分かった。回りくどい言い方だったな、単刀直入に言ってやろう。わたしは貴様を第十七小隊の隊員に任命する。これは生徒会長の承認を得た正式な申し出だ。拒否は許されん」

 

 だが、とニーナは鉄鞭をレイフォンに突き付けて構える。眼に宿るのは明らかな怒りだ。

 

「その前に貴様の性根を叩き直す必要がありそうだ。さあ、なんでもいい。好きな武器を取れっ!」

 

 ぶっ潰す、と闘志を燃え上がらせるニーナ。

 ある意味でいつも通りの様子に呆れる観戦組だが、フェリは一人だけ別の心配をしていた。

 殺されたりしないだろうか、と。

 とはいえ、レイフォンはなんだかんだと言ってもカリアンを殺さなかった。脅しただけだ。契約のこともある。だから今回も大丈夫だろう、とは思う。しかし万一があっても面倒なので、フェリは念威端子を密かにカリアンの下へ飛ばすことにした。”最悪の場合”をどうにかするのは自分ではなく、カリアンだと認識しているからだ。という建前で何かあった場合に責任が自分に来たら嫌、という本音を覆い隠す。

 と、レイフォンがツナギ姿のハーレイに眼を止めた。

 

錬金鋼(ダイト)の調整を担当しているのはお前か?」

「え? あ、うん。僕だよ。ハーレイ・サットンっていうんだ。よろしく」

「研究開発はしないのか?」

「専門じゃないけど、一応。同じ研究室のヤツが凄い開発者だから一緒にやってるよ」

 

 そうか、とレイフォンは壁にある簡易模擬剣の一本を手にハーレイの方へと歩き出す。簡易模擬剣は刀身が長い広刃の剣で、レイフォンの体格からすると少しばかり大きい。

 

「君の体格だとバランス悪くないかな? 簡易模擬剣だからパラメータの変更は出来ないけど……」

「見ていろ」

 

 言うと、見せる様に剣を構える。剣に剄が込められていき、次の瞬間。

 ハーレイのみならず、教室に居た全員が、ニーナすら含めた全員が、どういうことだ、と驚愕する。

 排出された剄が衝剄にならず、そのまま刀身に留まっているからだ。刀身の外を流れる剄が増えていくと、呼応する様にして簡易模擬剣が崩壊していった。次第に崩れていく部位が増え、そして、

 

「あ、折れた……?」

 

 折れた刀身を茫然と見ていたハーレイは、ややあってから、はっ、と再起動。レイフォンをとてもキラキラした瞳で見る。誰が見ても餌を目の前にした犬の様に尻尾を振っていた。

 

「どういうことこれ!? もう一回出来る? ちょっと研究室で色々試してもらえないかな――!?」

「落ち着け。説明はする」

 

 ハーレイは鼻息荒くレイフォンに詰め寄り、いそいそとメモ帳を取り出した。

 

「ああ、よし。うん、どうぞ!」

「……『連弾』という剄技だ。排出した勁弾を爆発させず、錬金鋼に留まらせておくだけだがな。通常の錬金鋼では俺の剄を受けきれん」

「通常の錬金鋼では剄を受けきれない?」

「全力で剄を込めると錬金鋼が熱量に耐えられず、爆発してしまう。『連弾』は、少しでも剄を多く使える様に考案したものだ。何にせよ、今の俺は制限を受けた状態にあるのでな。改善できる錬金鋼の開発を頼みたい。おそらくオーダーメイド品になってしまうだろうが構わないか?」

「問題ないよ! こんな研究し甲斐のあるテーマを見逃す訳ないさ! さあ行こう! 今すぐ行こう!!」

 

 と、ハーレイが意気揚々と、レイフォンが淡々と練武館を出て行こうと歩き出した時になって、ようやくニーナが復帰。とりあえず引き留めるべく叫んだ。

 

「ちょ、ちょっと待てハーレイ! ポジション決めの試験が終わってないぞ!?」

「なに言ってんのさ! こんなこと出来る人、他に居ないよ? スキルマスターって意味の方なら完璧じゃないか!」

 

 確かに、とフェリは思う。

 本当かどうかはまだ分からないが錬金鋼の許容量を超える剄力を持ち、これまたよく分からないが『連弾』という開発者が興奮する技術も持っている。武芸の本場とも呼称させるグレンダン出身の武芸者で、何かしらの”特別”であったということは伊達ではないらしい。その”特別”を、”才能”を、”人生”を、

 ……あの人は疑問に思わないのでしょうか。

 抜きん出た才能に縛られるフェリは、同じく抜きん出た才能を自由に発揮する彼の振る舞いが妙に腹立たしく感じた。どうして自然に武芸者でいられるのだろうか、と。

 

「ハーレイ・サットン。行くのか行かないのか、はっきりしろ」

「ニーナを説得するからちょっと待ってて!」

 

 そう言って問答し始めた二人を、レイフォンは呆れた様な顔で眺め、こう言った。

 

「そんな小娘など放っておけ」

 

 再び空気が凍り付く。そして、ニーナだけが怒気という名の熱を静かに纏う。明らかに眼が据わっていた。

 

「大した口の悪さだな、新入生。いい加減にしたらどうだ?」

『――レイフォン・アルセイフ君!』

 

 聞き覚えのある声が険悪な雰囲気を漂わせる二人の動きを止めた。

 カリアンだ。

 慌てた様子で割り込んだ声は念威端子で中継しているため、独特の響き方をしているが、その声は確かに制止の役目を果たしていた。しかし、それだけで雰囲気が沈下する様な血の気の薄い武芸者は少ない。

 だから、という様にカリアンは念を押す。

 

『いいかね、レイフォン君。少し待ちたまえ』

「カリアンか。何の用だ?」

「生徒会長! 何なんですかこいつは!」

 

 平静に言葉を返すレイフォンと、激昂を隠しもせずに語調を荒げるニーナ。そして二人を宥めようと内心で焦りまくるカリアン。三人の中継をしなくてはならないフェリにとっては余り好ましくない。特に精神衛生上、非常によろしくない状況だと言える。

 密かに横目で出口までの距離を目算。およそ十二メートル。全力で走ってもフェリの脚では三秒は必要な距離だ。逆に自然なフェードアウトを狙うには長すぎる。

 ……逃げたい。

 本気でそう思った。

 

 



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ザ・モーニング・スター編第二話:追憶

 ●

 

 物心がついた時、現実を正しく認識出来なかった。

 目の前に広がる光景。

 鼻腔をくすぐる匂い。

 鼓膜を震わせる雑音。

 自分が着ている服の感触でさえ理解不能な何かに思えたのだ。だが、それも刹那の事だ。呆ける意識に対して脳が現実を叩きつけ、否が応にも納得させられた。

 俺はここに居るのだ、と。ここには俺を縛るモノは何も無い、と。

 

「人生ロールプレイ」

 

 ……なんて生まれた瞬間に考えた俺は筋金入りの厨二病。

 でもいいのさ。何故なら二度目の人生だから。もはや自重する必要はない。ただただカッコイイと思ったあの人っぽくなればよし! カ★コンのダソテさんっていいですよね。でも習うのが刀術なんでおにーちゃん目指そうと思います。いい人生ですね?

 そのためには化錬剄で剄を自在に変化させなくちゃイカン。超かっこいい居合いで数メートル先を球形に斬るとかさー、そうでもなきゃ無理でしょ。化錬剄ならサヴァリスかトロイアットだけど、ルッケンスは体系が出来上がってるから微妙。欲しい千人衝とか見て盗めばいいし? つーわけでトロイアットの自在な化錬剄が知りたい。

 大問題として、あの男は女以外には優しくない。正攻法じゃ断られるのがオチです。と、いう訳で。デルボネさ〜ん! デルボネおばあちゃ〜ん!? ちょっと協力よろしこ。かわいい孫(あの人からすればみんな孫だってさ)の頼み聞いてちょーだいな。トロイアットの動向を教えてくれるだけでいいんです。

 これでバージノレプレイは俺の物だ! あ、でも超攻撃的すぎて人間社会に馴染めないのは勘弁な。マジで。

 

 ●

 

 天剣授受者は強く在れば良い。

 女王であるアルシェイラが明言している事実だ。天剣は強ささえ確かであるならそれ以外は大した問題ではない。だからこそ天剣に成り得る様な存在はただ強さだけを求めていたり、地獄を見たいだとかの違いはあるが、結局の所、異常者の集団なのだ。

 その異常者が、ここ一ヶ月に渡って他人を教導している。サングラスをかけたカジュアルな服装の青年、トロイアット・ギャバネスト・フィランディンはこんな自分らしくない振る舞いの原因となった日を脳裏に描く。

 一ヶ月前。

 レイフォンの天剣授受式夜半のことだった。

 天剣授受式当日は祝宴。その翌日には天剣授受者としての振る舞いを可能とすべく、必要な準備が全て一気に行われる。天剣の調整から専用の都市外戦装備のサイズやデザインまで多岐に渡り、およそ丸一日は王宮に(こも)ることになるだろう。レイフォンは天剣の調整に最も多くの時間をかけていた。

 トロイアットは後で聞いた話だが、歴代でもレイフォンほど時間をかけた天剣はいないらしい。

 その日、天剣としての準備を整えねばならないはずのレイフォンが目の前に現れ、

 

「化錬剄を教えてほしい」

 

 などと土下座までして頼み込んできた時は驚いたのを覚えている。

 しかも都合の悪いことに苦労して落とした女とのデート中で、自分のことを”優しい”と評した瞬間だった。普通なら確実に断っているがレイフォンが十歳のガキだということと、どうしても護りたい人が居る、などと女受けすることを言いやがった所為(せい)で話を聞く羽目になった。

 間違いなくこのタイミングを狙われたのだと、確信した。表情に出さなかったことも、ブチ切れなかったことも奇跡だと今になって思っている。

 そしてレイフォンに化錬剄を教導させられる時間の所為で女を捕まえられない一ヶ月が過ぎた現在(いま)、トロイアットは自宅の庭ではなく王宮の庭に居た。

 

「よし、小型の陽球を作ってみろ」

 

 庭園、それもアルニモス戴冠家のプライベート空間である空中庭園だ。庭師か王家に関係のある人物しか出入りの許されていない場所で、一時的に弟子となったレイフォンに指示を出す。

 レイフォンが紅玉錬金鋼(ルビーダイト)を装備している両手を突き出すと、ややあってから二人の間に掌ほどの大きさの光の塊が発生した。レイフォンの剄力が結集した小型の太陽は破壊的エネルギーそのものだ。

 陽球の出来を確かめたトロイアットは無言で小石をレイフォンの足元へと蹴り転がす。と、小石の一点から熱に溶ける様に熔解(ようかい)していった。

 陽球からの照射だ。化錬剄で作り出したいくつものレンズを通して、熱が集中させられたのだ。その様子をじっくりと眺めていたトロイアットは不意に、

 

「あ――――! これで美女と楽しめるぜ――――!!」

 

 鬱憤を叫んで少しでも発散。そうでもしなければレイフォンをぶち殺している所だ。そうでなくても真面目に教えないと十歳にデタラメを教える様な天剣だ、と噂を広めるなんて言いやがった奴は殺してしまいたい。

 

「……長い、永い一ヶ月だった……!」

「それはすまなかったな」

「全くだクソ野郎!!」

「そう怒るな。報酬代わりの概念は教えてやっただろう」

 

 女について、自分以上に語れる野郎が居るとは思っちゃいなかった。絶対の自信があった。なのに、このレイフォン・アルセイフとかいう小僧は『萌え』という概念を持ち出してきた。まるで数十年数百年と練り上げられ、完成された文化の様に研磨された考え方、概念だった。だからこそこの小僧が憎い。自分以上に女を分析し尽くしていやがったこの小僧が!

 

「まあ、俺としても貴様が思っていた以上に義理堅くて助かった。手を抜かれるかとも思っていたが」

「抜いてたさ。お前は異常に物覚えがよかったから問題なかっただけだろ」

「そうか。やはり俺の器用さは天剣随一か」

「チッ」

 

 皮肉のひとつも通じない。

 神経の図太さこそが天剣随一なんだろう。ふざけたクソガキである。

 

「そういや、お前はなんで化錬剄を習うんだ? 俺はサイハーデンで十分だと思うがね」

 

 唐突な質問ではない。これはトロイアットにとって、ずっと疑問だったことだ。

 レイフォンはサイハーデン刀争術を修め、天剣争奪戦を勝ち抜いている。それこそがレイフォンの基礎となり、身体に染み込んだ戦闘技術だということは見れば分かる。戦闘体系として十分な部門であることも同じく見れば分かった。

 しかし、サイハーデン刀争術には化錬剄を扱う剄技など存在しない。つまり、レイフォンは全く別分野の技術を無理矢理叩き込んでいたということだ。

 

「別にたいした理由はない。昔から、俺にはどうしてもやってみたい戦い方があった。そのためには化錬剄が必要だった。それだけの話だ」

「やりたい戦い方ねえ。トロイアット様に憧れました、ってか?」

「馬鹿を言うな。貴様の戦闘は優雅とは程遠い」

「ハッ」

 

 自分のカッコよさは子供にはまだ早いらしいので鼻で笑い飛ばしてやると、老女ののどかな声が降り注いだ。

 

『汚染獣が接近しています。老性体二体。戦闘域への到達は二日後くらいですわね』

 

 デルボネだ。

 デルボネ・キュアンティス・ミューラ。百歳間近であり、日々の大半を病院のベッドで寝て過ごす老女だが、その絶大な念威の能力には衰えが感じられない。彼女が死ぬまでキュアンティスの地位、役割は揺るがないとさえ言われるグレンダン屈指の念威繰者だ。

 声のする方を見上げれば、チョウの形をした念威端子が浮いていた。レイフォンの傍にもある。

 

『そうですねぇ、お昼には到着するでしょうか?』

 

 誰かが聞いたのだろう。感情をしっかりと表現する声で答えていた。しぐさまで容易く想像出来る声音だと、トロイアットは思う。

 

『ランチは早めに済ませておくべきですね。だめですよ。ちゃんと食べないと大きくなれません』

「……デルボネ刀自(とじ)。それよりも情報を頼む。今回の出撃は俺なのだろう?」

『はいはい。戦闘区域は外縁部北西十キルメル周辺となるでしょう。ランドローラーを使う必要もありませんもの。あなたがたなら特に移動時間も必要ありませんね。よろしいですか?』

 

 天剣を差配して良いのは女王のみ。最後の問いかけは女王、アルシェイラへの確認だ。

 

『はい、わかりました。ではリンテンスさんを後詰に、レイフォンさんが出撃ということで。リンテンスさん、ちゃんとフォローしてあげてくださいね。それにレイフォンさん。子供とはいえ、あなたはもう立派な天剣授受者なのですから、しっかりとお働きなさい』

 

 リンテンス・サーヴォレイド・ハーデン。現在、天剣最強と目されている壮年の武芸者で、武器は極細の糸を無数に扱う鋼糸と呼ばれる技を使っている。

 黒を好んで身に着けているので、さらに黒いサングラスを付ければ立派な悪人になれるでしょ、とは女王談。人嫌いとして有名で、普段から不機嫌そうな表情と口調の男だ。生半可な悪党なら睨まれるだけで漏らすレベルだそうだ。

 

「精々、励むとしよう」

 

 レイフォンの言い方に、デルボネの声が小さく上品そうに、ふふふ、と笑った。

 

『レイフォンさん、もう少し元気よくお返事なさいな。そうすればひ孫を紹介してあげられますよ?』

 

 紹介する女性に不足はないらしい。下の年齢まで幅広いのは確かな様子。ならば、とトロイアットは言葉を挟む。とはいえ返答には期待はしていない。いつも通りのやりとりでもあるからだ。

 

「刀自、妙齢で魅力的な女性に知り合いが居るのでしたら、ぜひ俺にも紹介してほしいものですね」

『トロイアットさん、あなたが女性を一人にお絞りにできるのでしたら、とびきりの美人を紹介して差し上げますわ』

「そいつは難しい注文だ」

『ではお諦めなさい。あらあらカルヴァーンさん、そんな渋い顔をしなくてもよろしいでしょう? 人生に余裕は必要ですよ。では、みなさん。よい戦場を』

 

 そう言い残してデルボネの声は途切れ、トロイアットの頭上から念威端子が去っていく。空中庭園の更に上空にだ。再び都市外の監視に勤めるらしい。身体と違って元気なことだ。

 

「おい、さっさとお前も行きやがれ」

 

 デルボネとの交信が終わっても移動する様子を見せないレイフォンに声をかける。

 するとレイフォンはこちらへと歩み寄り、頭を下げた。これではまるでお礼でも示しているかの様ではないか、と本気で驚いたトロイアットは声を漏らした。意味を持った言葉にならないそれは、単なる音として空気を震わせていた。

 

「……あぁ?」

「トロイアット、今まで本当に世話になった。心から感謝する」

「お前、本当にレイフォンか?」

「失礼な奴だな、貴様は。……まあいい。ではな、トロイアット」

「ハ、さっさと失せな。リンテンスの旦那を待たせてるんじゃねえか」

 

 それは怖いな、と苦笑してレイフォンが飛ぶ。緊急時のみに許された高速移動で屋上を文字通り飛んでいく。

 

「リンテンスとレイフォンが同時に出るなら、”あっち”も動くんだろうな。……悪人にすらなれないってのは悲しいねえ」

 

 ユートノール家の屋敷がある方角に目を向けて呟き、トロイアットは王宮と去っていった。

 

 ●

 

 外縁部と都市部の境にある空間で、レイフォンは都市外戦装備を着せられていた。

 若草色に染められた汚染物質遮断スーツだ。ヘルメットにはヴォルフシュテインを象徴する刻印があり、スーツにもヴォルフシュテイン用の装飾が多数存在していた。だが、それ以上に異様なのはレイフォンの装備の方だろう。

 刀の天剣とその鞘である黒鋼錬金鋼(クロムダイト)、獣の四肢かの様な手甲と脚甲の紅玉錬金鋼(ルビーダイト)。鍔のみに装飾があり、絢爛というよりも瀟洒な意匠の青石錬金鋼(サファイアダイト)の大剣が背中にあった。ただでさえ通常よりも数の多い錬金鋼(ダイト)を全て復元した状態で保持するレイフォンの姿は、着付けをする技術部の人間をどよめかせるには十分なのである。

 とはいえ彼らもプロだ。一度動揺した後はそのまま流れる様に作業をこなしていく。作業服姿が慌ただしく動き回るこの場において動きがないのはレイフォンとリンテンスだけだ。

 

「リンテンスは着ないのか?」

「外に出るのはお前だけだ。……そのままで行くつもりか?」

「コレが俺のスタンダードだ」

 

 今まではずっとサイハーデンのみで戦っていたが、頭の中ではいつもこの状態を目指していた。それが功を奏したのかは不明だが、トロイアットに化錬剄の教導を受け、ひとまずの完成を見たスタイルに違和感はない。

 

「そうか。これはお前の初陣だ。俺は保険でいるだけだ。次からは別命がない限り一人でやることになるだろう。好きに戦え」

 

 レイフォンは一瞬驚いた顔をして、すぐにそれを消した。ヘルメットを被って接合部のチェックをしながら、

 

「大丈夫だ。無傷で戻ると約束してきたのでな」

 

 下部ハッチが開き、同時にレイフォンが飛び出した。

 眼下に広がるのは荒野。死んだ世界が広がっている。生気を破壊され尽くした荒野を北西へと駆けていく。

 レイフォンは、自分の心が凍っていくのを自覚する。感情を欠落させ、戦闘に集中している。これはレイフォンが汚染獣戦を経験していく中で学んだ自分なりのスイッチだ。

 通常の生活をしている時と戦場に居る時の武芸者は、別物でなければならない。戦闘に特化して、害意の顕現たる汚染獣を殺すこと以外の全てを思考から排除する。無駄な思考を織り交ぜれば、その武芸者は死んでいる。そうして死んだ者を何人も見てきた。

 ただ戦闘に焦点を絞るレイフォンは、

 

「――いい塩梅(あんばい)だ」

 

 高速で移動する最中、化錬剄による移動補助を試していた。脚甲から剄を変化させ、一時的な足場とする移動術。外力系衝剄の化錬変化、『エア・ハイク』、あるいは『トリック・スター』とでも言うべき剄技だ。これで空中での機動力が大幅に上がる。

 そうして外縁部北西十キロメルの地点に着いた時には、汚染獣を目視出来ていた。

 二体の汚染獣が寄り添いながらグレンダンへと直進している。レイフォンは自分という”敵”の存在を認知させるべく、技を放つ。

 外力系衝剄の化錬連弾変化、『重ね次元斬』。

 透明な金属音が連続して響く。

 直後、球形に抉り取る様な斬撃が発生し、さらに鳴り響いた金属音に倍する数の『次元斬』が連続発生して追撃。汚染獣の羽を裁断し、胴を削り取る。元々が巨体なため、大した効果は上げられないが、肉まで達したらしい。

 

「――――――!!」

 

 高音の絶叫が共鳴してフェイスマスクを貫き、鼓膜を震わせた。ビリビリと肌を打ちつける空気の振動は近距離では、それ自体が物理的な圧を持つ攻撃になるだろう。

 ……ここからだ。

 飛行能力を奪われて地に落ちた汚染獣はグレンダンに向かうことよりも”敵”の打倒を優先し、レイフォンへと這いずっている。

 と、フェイスマスクからデルボネの声がした。

 

『あらあら、ちょっとミスしてしまった様ですね』

「どうした?」

『汚染獣ですが、脳がふたつあったので二体だと思ったのだけど一体です。ほら、尻尾が繋がっているでしょう?』

「シャムの双生児というやつか……」

『どちらかというとアキツ虫の交合ですわね』

 

 いずれにしろ、

 

「――やることは変わらん!」

 

 跳躍。

 一秒後、さきほどまでレイフォンが居た空間を双頭の(アギト)が上下の連携で襲った。

 上空に逃れたレイフォンは急降下して強襲すべく『エア・ハイク』を足場に地面へと再び跳躍。手にした武器は青石練金鋼(サファイアダイト)のフォースエッジを模した大剣だ。

 

「はあっ!」

 

 狙うのは『次元斬』で表皮をはぎ取った箇所。

 下方への跳躍による脚力と重力を加算した兜割りは、確かな威力で剥き出しの筋肉を斬り裂いた。

 上側の汚染獣を確実に殺すため、『エア・ハイク』や汚染獣を踏み台にしてその場で停滞。限界ぎりぎりまで剄を込められた青石練金鋼(サファイアダイト)の連続使用を避け、追撃にはベオウルフを模して作らせた紅玉練金鋼(ルビーダイト)と天剣を使う。

 

「はッ、フン!」

 

 外力系衝剄の連弾変化、『重ね閃断』。

 左右の横なぎの二連撃だ。

 刀身に収束させた剄を斬線の形のまま解き放つ『閃断』を連続で繰り出し、刀身に纏わせていた剄が更に『閃断』を形成。追撃となって高速の連斬を実現していた。汚染獣の体内へ隙間を作ったレイフォンが次に叩き込むのは、

 外力系衝剄の化練変化、『流星脚』。

 光に変化された剄を脚から背後に流し、推進力を得て下方へと突進する強襲型の蹴撃だ。敵を砕き、叩き込まれる輝きは浸透剄の力そのもの。『重ね閃断』で作られた隙間に入り込み、内側から破砕した。

 小さな跳躍を何度も繰り返し、無数に連撃を重ねて表皮を抉り、肉を切り裂き、砕いていく。レイフォンの周囲は全てを殺し尽くす暴風と化していた。

 一秒に満たぬ時間で汚染獣を致命のレベルまで破壊していくと、

 

「!」

 

 ……違う!

 斬撃の手応えが変化した。骨を砕く感触ではない。全く別の手応えだった。レイフォンは咄嗟(とっさ)の反応で跳ぶ。全力の退避行動だ。

 直後。

 汚染獣の傷口から無数の影が溢れる様に飛び出した。

 幼生体。

 幼生体は飛沫の様に飛散し、レイフォンに追い縋ってくる。

 

「チィ……!」

 

 本来、老生体は繁殖を放棄して強力になっていく個体である。同時に特異な変貌を遂げる個体でもある。そんな老生体が、常に寄り添いながら内部に幼生体を持っていた。それが意味することは、

 

「――(つがい)だったかっ!」

 

 空中で飛沫を切り払いながら叫んだレイフォンを飲み込もうと下から迫る巨大な口があった。下側に居た汚染獣だ。(つがい)と子を無残に殺していく小さな敵を噛み砕かんと巨大な牙を揃えた口を広げ、迫っていたのだ。

 レイフォンにとって巨体の突撃を防ぐことは難しいことではない。問題は、そのレベルの剄技には一瞬のタメが必要であり、断続的な幼生体の飛沫が邪魔だということ。だから、という様に彼は動いていた。

 外力系衝剄の化練変化、『エア・ハイク』。

 脚甲に込められた剄を足場として物質化する『エア・ハイク』は一瞬しか展開出来ない。跳躍の足場以外に役目を持たないからだ。

 しかし、強大な活剄による恩恵を受けた武芸者の跳躍を支えきるソレを敵の攻撃に対して展開すれば、

 ……防循(ぼうじゅん)の役割を果たす!

 壁として機能するのは一秒に満たない刹那。それでも『エア・ハイク』を蹴るには十分な時間だった。

 跳ぶ。

 高速で危険域を離れ、小さな岩に着地。そして思う。すばらしい、と。

 幼生体は話にならなかった。雄生体を相手にしていた時は物足りなかった。弱い汚染獣では、連撃を決めるまでもなかった。一撃で殺せてしまうからだ。

 だから思う。老生体は素晴らしい、と。

 老生一期は余り硬い訳ではないが、それでも十分な硬度、そして生命力だ。天剣の連撃を受け、浸透剄で破砕され、それでもまだ生きている。武芸者にとって、戦う者にとって、全力を十全に振るっていい戦場とは、魚にとっての水場なのだ。

 天剣相手ですら使ってはならない本当の全力を許された戦場。それは、レイフォンに極限の高揚を与えていた。

 

「――よし」

 

 見れば、一体の勢いによって汚染獣は錐もみ回転しながら落下している。

 状況も完璧だ。だから、放つ。最強の半人半魔による最強の絶技を。その再現を。たとえ完成には遠い出来だとしても、あれを再現出来るというのがなんと甘美なことか。

 ……衝剄活剄混合の連弾化練変化――。

 

『――陛下がお呼びです、レイフォンさん。汚染獣はリンテンスさんに任せて王宮に行ってくださいね』

「――――……」

『命令、だそうですよ。急がないと機嫌を損ねてしまいそうですわねぇ』

「甘ったれが。そんなに殺されたいか……!!」

 

 ●

 

 一人の女性が王宮庭園に居た。

 黒髪で長身のグラマラスな体格をした美貌の女性だ。しかし、彼女が見た目通りの年齢ではないと、皆が知っている。見た目が十九歳で止まっているのは、膨大な活剄によって最盛期が維持されているからだ。名は、アルシェイラ・アルニモス。槍殻都市グレンダンの女王だ。

 彼女は茶番の結果を眺めていた。

 サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンス。

 カナリス・エアリフォス・リヴィン。

 カルヴァーン・ゲオルディウス・ミッドノット。

 グレンダンで最強の武芸者であるはずの天剣が、三人も身体の至る所から血を流し、地に伏していた。

 普通ならば天剣は敗北を許されない。それなのに大敗を喫した天剣達を女王は省みない。なぜなら彼らを叩きのめしたのは女王だからだ。

 アルシェイラにとって天剣三名による反逆など、力尽くで簡単に終わる。その程度の些事(さじ)に過ぎない。あるいは娯楽なのかもしれない。それ程までに女王は突き抜けて強い。彼女は最強だ。それゆえに女王なのである。

 

「どうか、ご寛恕(かんじょ)を」

 

 女王に嘆願するのは五十を超える壮年の男性、カルヴァーンだ。

 カルヴァーンだけが、女王の前で(ひざまず)いている。見れば、サヴァリスとカナリスは起き上がっているだけで動けそうにない。三人の中で微弱でも動ける体力を残していたのは、彼だけらしい。とはいえ彼らの中では最年長であり、最も経験豊かな武芸者なのだから、全盛期を過ぎた程度で若い天剣に劣っていては困る。

 

「……あんた初めからそのつもりだったのね」

 

 カルヴァーンは苦労性な人間だ。

 アルシェイラの天剣授受者を増やそうとする方法に不満があり、直訴までしていたがために反逆の提案をされた。その性格が災いして火消しの役目を買って出ていたのだ。

 

「で、そっちは? 満足した?」

「いや、さすがにお強い」

 

 答えるのは長い銀髪を後ろでまとめる青年、サヴァリス。

 彼はアルシェイラと戦い、とその願望のためだけの反逆の提案に乗った戦闘狂だ。折れた左腕を押さえて笑ってはいるが、額に脂汗を(にじ)ませているので無理をして作っているのだろう。

 

「もう少しいい勝負が出来ると思っていたのですが」

「考えが甘いわよ。で、カナリスはどうなの?」

「……っ」

 

 答えるのは特徴に欠ける顔立ちの女性だ。妙齢だが顔の部品のあらゆるものが没個性を目的に作られた様な女性、カナリスは、

 

「泣いてるの?」

 

 聞けば、影武者になるために育てられ、そう在るのが当然と思うままに天剣まで登りつめて職務に就こう、という時にアルシェイラに直接拒否された。そのため自分のアイデンティティを見失い、確かめるべく女王に挑んだのだ。

 そして無様に敗北した以上、女王は自分を必要としていない。そう考えてしまったのか、彼女は甲高い声で泣き叫び、

 

「あーん、死んでやる!」

「ええい、やめなさい!」

 

 必死になって自分の喉を突こうとする天剣授受者を抑えつけるのは女王でも骨が折れる。と、廊下の方から笑い声が響いてきた。

 

「活気がよろしいですな」

「ティグ爺?」

 

 ティグリス・ノイエラン・ロンスマイア。

 三王家のひとつ、ロンスマイア家当主。齢八十を数える老人で、現天剣授受者の中ではデルボネに次ぐ年長者であり、アルシェイラの祖父にもあたる。頭の半ばまで綺麗に禿げ上がり、残る頭髪も色が抜け落ちた男がこのタイミングで来たのは、

 

「カルヴァーンね」

 

 火消し役が選んだ消火剤という訳だ。

 

「そうで在れ、とされた者をその枠に収めないのであれば、その者のためにしてやらねばならない事があると、ご承知願いたいですな。ああ、もちろん考えるのが面倒であるなら、お認めになればよろしい」

 

 いつの間にかカナリスが泣きやみ、アルシェイラがなんと言うか、じっと見つめている。

 

「……はぁ、分かったわよ。とりあえずテストね。わたしの影武者になるなら馬鹿はお断り」

「はいっ!」

 

 アルシェイラには理解できないが、カナリスは笑顔で頷いた。これで天剣の方は終わり。

 あと残るのは、

 

「――こっちかあ」

 

 天剣たちに背を向け、視線を向けたのは一人の青年というにはまだ若い少年だ。

 ミンス・ユートノール。

 グレンダン三王家のひとつ、ユートノール家の一応、最後の一人。兄が一般人の女と駆け落ちし、父母も死んでしまったため、最早残るのはこの顔を青くさせて茫然とする青二才ただ一人なのである。

 彼は大きな勘違いと邪推を重ねて反逆を天剣に(ささや)いた首謀者だ。

 

「ティグ爺、なんかある?」

「ちと甘やかしすぎましたな。懲罰を与えるのが妥当かと」

「——っ」

 

 無情な宣言にミンスは顔色を青から白くさせた。

 

「取り潰すとウチが金出さないといけないし、うーん。ま、欲しがってたし、現実見せてやった方がいいかな」

「ふむ。それも良いと思いますが、彼はちと苛烈が過ぎますな。注意された方が良いでしょう」

 

 アルシェイラがデルボネの念威端子に言葉を告げてから時間が空く。ミンスにとっては死刑執行にも等しい長い時間だっただろう。

 ややあってから、不意にそれは姿を現した。

 

「――来たぞ、陛下」

「思ったより早かったわねー」

 

 汚染物質遮断スーツに身を包む小柄な姿から響くのは歳相応の甲高い声であるはずだが、異様に重々しい雰囲気を(かも)し出していた。彼はおもむろにヘルメットを外し、素顔を外気に晒す。

 

「俺を呼んだのは何故だ」

「レイフォンには、そこのミンスと戦ってもらおうと思ってね」

 

 直後。

 レイフォンが動いた。鞘を用いた抜き打ち、――居合い。

 不意打ち気味に放たれたレイフォンの居合いは、天剣授受者たちが”神速”という言葉を脳裏に思い描くほどの速度だった。刀身が空気をすり抜ける様にしてミンスの首へと走り、しかし、

 

「うん、ホントに速いねえ。天剣の中でも最速なんじゃない?」

「!」

 

 数メートル以上離れていたはずのアルシェイラが掴んでいた。

 

「な————!?」

 

 この時点でようやく自分が殺されかけたことに気付いたミンスは、尻餅をついた。脚を絡ませて転んだのだ。だが、アルシェイラもレイフォンもそんなことには目を向けていない。

 

「何故止める?」

「死なれると困るのよ。殺さない様にやりなさい」

「…………なるほど。()()()()()()()

「なに、なんか文句あるの?」

「――是非もなかろう」

 

 大きな息を吐いたレイフォンは改めてミンスを見る。

 

「立て」

「ミンス。このまま罰を与えられても不満が残るでしょ? だからチャンスを上げる。レイフォンに勝てば天剣を上げるわ」

 

 レイフォンとアルシェイラの催促に、ミンスが吠えた。

 

「わ、私を殺すつもりか!?」

 

 錯乱するミンスはチャンスなどと言って、試合中の事故として処理するつもりだ、と思っていたのだ。さきほど自分を守ったアルシェイラのことよりも、淡々と首を飛ばされかけていたという事実が重すぎたのだ。

 醜態を晒すミンスをしばらく見ていたレイフォンは再び大きく息を吐き、背を向けてこう言った。

 

「――くだらん。俺は帰るぞ」

「えー?」

「相手を見繕(みつくろ)うならせめて武芸者から選べ」

 

 暗にミンス・ユートノールは武芸者ですらないと宣言し、彼は王宮を後にした。間違いなく苛立っていた様だが、何故だかはアルシェイラには分からない。何かあったのか、とは思うが、考える事は他にある上にどうでもいい。

 

「うーん、一応、天剣との差くらいは分かったみたいだし、いいのかなあ?」

 

 首を傾げるアルシェイラは、レイフォンを睨み付けるミンスの表情が恐怖に歪んでいたことに”最後の時”まで気付かなかった。

 

 ●

 

 この時の出来事が原因になるとレイフォンは理解していた。

 しかし、この時の彼には、追放の直接要因になる出来事など想像できることではなかった。

 

 ●

 




ウープス。投稿しました。

同時になろうに残っていた小説も削除。まっさらです。今まであちらで感想、レビューを書いてくださった皆さんありがとうございました。

これから二次創作の活動はこちらでしようと思います。よろしくお願いします。


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ザ・モーニング・スター編第三話:未熟は未熟なりに

 ●

 

 カリアンか、と呟く声がある。

 レイフォンだ。

 彼は練武館の高い壁に背を預け、カリアンの声を経由させる念威端子を眺めて口を開いた。

 

「何の用だ。話は済んだと思うが?」

 

 冷たい声が飛ぶ。

 念威端子の向こう側に息を飲む気配がある。そして少しの間をおいて、声が返された。念威端子を通した音は空気を震わせて音を作るのではなく、念威の振動で音を形成するため、独特の音響を響かせる声だ。

 

『あ、いや、そのだね? 何をするにしても怪我のない様にしてほしくてね。彼らもツェルニの大事な戦力なんだ』

「貴様との契約だろう。武芸大会で重要な戦力は俺ただ一人。こんな有象無象相手に全力など出さん。手加減はしよう。だが……」

 

 彼は視線をニーナに向けて、は、と笑った。怪我の有無など結局のところ、

 

「――こいつら次第だ」

「ふざけるなあっ!!」

 

 練武館を怒声が貫いた。

 空気を振動させるのは音だけではない。ニーナの怒気に呼応して剄が全身から(ほとばし)り、無作為に放出された微量の剄が衝撃となって空気を叩いているのだ。

 押し出された空気がレイフォンの髪を撫ぜる。すると彼は風で垂れた髪を手櫛でかき上げ、彼女を視線の先に置くと、ほう、と不敵に笑った。

 

『ニーナ・アントーク君!』

 

 真っ先に反応したのはカリアンだ。レイフォンの反応に不穏な気配を感じた彼の声には焦りの色が(にじ)んでいた。しかし、表面上は平静を失うことなくニーナを諌めようと口を開いた。

 

『今は私がレイフォン君と話している。口を挟まないで――』

「――ふざけるなと言っているんです! 生徒会長!!」

 

 ニーナは感情のままに叫ぶ。

 

「この男一人だけで武芸大会に勝てるかの様な発言を見逃せと言うんですか! ツェルニの全武芸者への許されざる侮辱だ!! それを貴方が、ツェルニの代表である貴方が見逃すなど、あって良いはずがない……!」

『…………ッ』

 

 決して答えられない、答えてはならない問いかけにカリアンは沈黙した。

 答えなければならない問いかけに、何も言わないのか、とニーナは更に怒りを猛らせて再び口を開く。しかし、それを制止する様に耳を打つ音があった。

 

「そこらで止めておけ」

 

 ●

 

 動きを止めたニーナが頭の中で何度も反芻(はんすう)するのは、

 ……止めておけ? 止めておけだと……?

 ツェルニの武芸者を見下す発言を繰り返すお前が言うのか、とニーナは思う。平然と他者を侮蔑する(やから)が一体どういう思惑でカリアンを擁護するのだろうか。

 怒りを心に灯し、全身に充満させた剄をそのままに、壁に背を預けた制服姿の男を見る。

 傲慢で、挑発的で、しかし、ブレのない男だ。視線も強く、揺るぎない。自信に満ち溢れていた振る舞いは一切の(よど)みがなく”歴戦”という言葉を想起させた。

 ニーナはかけられた制止の声に対して問いを投げ返す。

 

「なぜ、お前が止める?」

 

 すると、レイフォンは呆れたようにこう言った。

 

「貴様らに奴を叱責する権利が無いからだ」

「どういう意味だ?」

「権利とは、義務と責任を果たした者だけが得られるものだ。貴様ら”ツェルニの武芸者”とやらは武芸者が果たすべき責務を完了しているのか?」

「…………!」

 

 ニーナは屈辱を顔に張り付けて沈黙させられた。

 ツェルニの武芸者は、都市の守護者としての十全な役目すら果たせなかったからだ。武芸者として、ツェルニの守護者としての役目を全うしていたのならば、残る保有鉱山がひとつになっているはずがない。

 もちろん、当時の武芸大会で戦略の中核を担い、そして大敗した者たちは既に卒業している。失態の大部分を担う武芸者は、今の学生とは別人だ。

 それでも、とニーナは歯を噛み締める。学年は関係ない。自分が、自分たちが戦力として不甲斐無いから負けたのだ、と。

 それを一番理解しているのはツェルニの武芸者だ。

 それを一番悔しく感じるのもツェルニの武芸者だ。

 

「それでも、わたしは――」

「それでも? 次こそは、という意志か?」

「そうだ。次こそは必ず勝利する。そのために我々は不断の努力をしている」

 

 は、とレイフォンが失笑した。

 明らかに非友好的な笑いだったが、彼はニーナが口を開く前に、いいか、と前置きを作り、

 

「本来ならば、未熟は恥じるものではないだろう。だが、理解しろ。我々武芸者にとって”次こそは”などという奮起は何の意味も持たん」

 

 なぜならば、

 

「武芸者が戦うのは都市の守護のため。即ち、武芸者の敗北とは”都市の死”そのものを意味する。次など存在しない」

「まだツェルニは生きているだろう!」

「まだ死んでいないだけだ」

 

 レイフォン・アルセイフという男は、ツェルニの武芸者を根本から否定している。その努力を無意味だと切り捨てている。その存在に価値が無いと諦めている。

 許しがたい屈辱だ。

 ツェルニを守ると誓う一人の武芸者として、決して見過ごしてはならない。この男を認める訳にはいかないのだ。

 

「お前は……、お前はあくまで我々を侮辱するのだな」

「貴様らに侮辱される程の価値はない。弱い武芸者に存在価値など無いと知れ」

 

 ならば、とニーナが(りき)み、声を張り上げようとする。しかし、それを遮り、軽薄な印象を受ける男が割り込んだ。

 

「――ならちょっと教えろよ、新入生」

「シャーニッド?」

 

 日頃からやる気を感じさせない男がニーナの肩に腕を置き、レイフォンに対して挑発的な視線を放っている光景は、違和感を抱かせる。

 なぜ、と。どうして、と。問いかけがいくつも脳裏を過ぎ去っていっては消えていく。しかし、明確な答えが出せず戸惑うニーナを置き去りにして話は進んでいった。

 

「なあ、お前は自分一人で武芸大会に勝てるって言ったよな」

「当然だ」

「だったら、俺とニーナ。いくら小隊員だからって、たったの二人を倒すのに時間は掛からねーよな?」

「安い挑発だな」

 

 しかし、とレイフォンは笑みを濃くする。

 

(たわむ)れだ。貴様らに教えてやろう。本当の強さというモノを、な」

「よし決まりだ。どうやろうかねえ」

 

 ここで、ようやくニーナは再起動。シャーニッドに詰め寄った。

 

「おい、ちょっと待て! 何を勝手に決めているんだ!?」

「――まあ聞けよ、ニーナ」

 

 と、シャーニッドが肩を組んできた。

 レイフォンの視線から隠れる様にして顔を寄せた彼の眼はいつになく真剣な物に見える。普段からこれくらいやる気を出しくれれば、と思わず半目で見てしまう。

 

「……なんだよ?」

「いや、なんでもない」

 

 そうかあ? と呟いたシャーニッドは、ややあってから、まあいいか、と吐息を吐き出した。ともあれ、

 

「あいつがどれだけ強いかなんて俺は知らねえ。けどよ、あの会長が認めてるんだぜ? 生半可な奴じゃないだろうさ。実際、間近で見ても強そうだし、二人で戦っても負けるかもな」

「それは……」

 

 確かに、と続きは声に出さずに思う。

 始めは静謐(せいひつ)な雰囲気だったので気付かなかったが、制止してきた時から異様な空気を醸し出していた。そこに居るだけで押し潰してきそうな圧迫感は、小隊員の誰からも感じたことのないものだ。

 その威圧感から最初に思い浮かんだのは、ジルドレイド・アントーク。仙鶯都市シュナイバルにおいて、名実ともに最強の武芸者である大祖父だ。

 ……馬鹿な、ありえない。

 ニーナは自らの思考に自嘲する。守護神として故郷に君臨する偉大な大祖父とツェルニの新入生でしかないレイフォンが同等の存在であるはずがない。そんな優秀な武芸者を都市が手放すなど、余程の事情でも無ければありえないからだ。

 だが、とレイフォンの方を覗き見る。

 もしも本当にレイフォンが熟達した武芸者であるなら、学生の自分では太刀打ち出来ないだろう。それだけの存在感が、彼にはあった。

 

「ニーナは防御型だし、俺は距離作るし? そう簡単には終わらせねーよ。そうなりゃあ言ってやれる。言い返せる。チームを馬鹿にするな、ツェルニを無礼(なめ)るな、お前一人で何が出来るってな」

「……なるほど」

 

 実力差があるのならば、相応の方法で時間を稼ぐということだ。

 レイフォンには”武芸大会に一人で勝利する”だけの実力を示すため、速攻で終わらせると条件が付けられている。ニーナとシャーニッドのどちらを相手にしても苦戦すら許されない。それを最も効果的に実行するのに最も相応しい戦法は、

 

「――防戦か」

「そういうこと。やってみるかい?」

「当然だ」

 

 見れば、シャーニッドの口元には笑みが浮かんでいる。きっと、自分もそういう顔をしているだろう。

 

「んじゃ、行きますか隊長(ニーナ)?」

「ああ、やるぞ――!」

 

 ●

 

「レストレーション」

 

 最初に動きを見せたのは、やはりレイフォンだ。

 彼は、一瞬の間に姿を掻き消していた。姿が消える直前まで自然体だったのに、だ。

 直立の姿勢から開始される運動で、人間の視界から姿を消す。脚力を大幅に強化して高速移動する旋剄でも捕捉出来るはずのフェリが見失う速度だ。そんなものは予測すらしていなかった。

 どこに、という疑念を抱くよりも前にフェリは念威で走査していた。刹那という僅かな時間で教室内を完全に掌握。念威が教室の全ての物質の動きを伝えてくる。情報の波が感じ取ったレイフォンの居場所は、

 

「な――!?」

「やる気がないのか?」

 

 ニーナの間合いの内側。

 レイフォンは十メートル近くあった距離をゼロコンマ一秒に満たない時間で潰し、ニーナの懐に入り込んでいたのだ。

 そもそも、武芸者の超人的身体能力は内力系活剄によって(もたら)されるものだ。念威繰者であるフェリには活剄の密度で武芸者の力量を読み取る事は出来ないが、レイフォン・アルセイフという武芸者が異常なまでに強い事だけは十分に理解させられた。

 

「くっ……!」

 

 身を引く様に地面を蹴りつけ、ニーナは後退。彼女の焦りからの行動は距離を作るためのものだが、その時には既にレイフォンが動いていた。

 

「――ふん」

 

 鞘を振り上げる単純な打撃がニーナに向けられる。真下から直上へと叩きつける一撃は鉄鞭と激突し、甲高く硬質な音を響かせた。

 

「!」

 

 素早い一撃をニーナが身体で受けずに済んだのは偶然だろう。後退の慣性から取り残される形で胸の前に構えていた双鉄鞭が幸いした。そうでなければ最初の一撃で撃墜されていたはずだ。

 金属音に混じって、なんて活剄だ、という声が念威を通してフェリに伝わり、しかし、続く音は打撃音で塗りつぶされた。

 レイフォンが追撃を仕掛けたのだ。

 狙いは、鞘が防御を弾き、無防備となった腹部。跳躍し、足から溢れた光が弧を作る。股関節(こかんせつ)を基点として、頭からつま先まで描かれる白光の円は蹴撃の二連だ。

 外力系衝剄の化錬変化、『日輪脚』。

 身体の側面で輝く光の円弧は、錬金鋼(ダイト)さえあれば老生体すらも砕く程の破壊力を持つ技だ。錬金鋼がなく、浸透剄としての破壊をしなくてもニーナを悶絶させるには十分な威力を誇る。

 直撃した。

 

「――――!」

 

 『日輪脚』はニーナの身体を激痛で(すく)ませ、言葉にならない絶叫を上げさせた。しかし、絶叫しようとなんだろうと、気絶すらしていない相手を前にして攻撃せずに終わらせるレイフォンではない。

 外力系衝剄の化錬変化、『流星脚』。

 白光を推進力として迸らせ、空中から急降下する急襲型の蹴撃だ。レイフォンは勢いのまま白い流星と化し、鋭い蹴りをぶち込んだ。

 衝撃は、打撃音というよりは飛沫(しぶき)の音に近い。

 飛び散るのは流星の光。そして、光は飛散すると同時に消え去った。

 光の源である流星の方はニーナを打ち抜き、しかし、それだけで止まる事なく地面まで到達した。

 衝突は再び飛沫音を響かせる。白光の剄が余波を撒き散らし、地面を(えぐ)る様に砕いたのだ。

 抉られた地面から走る無数の亀裂は、砂礫《されき》となって巻き上げられて煙幕と化す。土煙が二人を覆い隠して直接の視認を妨害していた。

 

「ニーナ!」

 

 シャーニッドが叫ぶ。

 煙に隠された情報を、ニーナの安否と勝敗を返答の有無で図っているのだろう。しかし、答える声は無い。

 ニーナは気絶し、敗北したのだ。

 彼もニーナの敗北をほぼ確信していた。とはいえ、全力で距離を作るべく走っていた短い時間でニーナが落とされるとは思っていなかったらしく、立ち止まって顔に驚愕を張り付けている。

 すると、彼は不意にその場で座り込んだ。

 

「――やってやるさ」

 

 そして軽金錬金鋼(リチウムダイト)の狙撃銃を復元。土煙に照準を定めた。

 距離にしておよそ十五メートル。

 最後の一瞬。レイフォンが飛び出す一瞬に全てを賭ける。

 自分よりも強い相手に対して、たった一度の機会(チャンス)に全てを賭けて挑む気概は褒めて然るべきものだろう。

 それでも、とフェリは思う。

 ……やはり手も足も出ませんでしたか……。

 土煙に隠された向こう側。レイフォンがやっている事を観ているから分かってしまった。

 

「な、なんだ……こりゃあ?」

 

 青い輝きを秘めた剣があった。十の剣はシャーニッドの首に切っ先を向け、円形に旋回していた。それは、

 

「『烈風幻影剣』。所詮は幻影に過ぎないが、それでも汚染獣に対して有効な攻撃手段のひとつだ。貴様ら未熟者を切り裂く程度なら容易い」

 

 土煙が薄れていくと、レイフォンが姿を現した。その足元には意識を失ったニーナが転がっていて、踏みつけられていた。

 意識の有無を確認しているのだろうか。

 更に、彼はシャーニッドが動けないのを状況にあるのをその目で確認すると、おもむろにフェリを見た。

 

「――――」

 

 息を飲む。

 まずい、と思った時には既に首の横に刃が置かれていた。

 刃の持ち手を見上げると、人間らしい温かみをまるで感じさせない視線がフェリを貫いていた。

 それ見た瞬間。まるで痙攣でもするかの様に身体が震えたのが分かった。自分でも未知の震えに疑念を抱く前に、レイフォンがこう言った。

 

「十七小隊の一人だったな。貴様はどうする?」

 

 どうするも何も、フェリは元から念威繰者であることすら望んでいない。戦う意志など皆無だ。

 だから、と首を横に振る。明確な否定の意思だ。すると、ややあってから、

 

「そうか」

 

 と彼が言い、刀が退けられた。

 フェリは何かを訴える様にして口を開き、しかし、吐く息は言葉にならず、あ、という短い音がこぼれるだけだった。

 そこで、冷たい汗が滝の様に背中を流れていた事を自覚する。

 フェリ・ロスという念威繰者に向けられた期待以外の視線。レイフォンという怪物が呼び起こした感情が畏怖である、と。

 殺すつもりは無かったのだろう。害する意志さえも無かったかもしれない。それでも、まるで虫けらでも見ているかの様な冷たい瞳は、感情の薄い念威繰者にも恐怖を抱かせたのだ。

 

「……これでいいだろう、カリアン。まだ戦いたいと言うなら知らんがな」

 

 恐怖に身を震わせ、身体を抱きしめるフェリに対して、レイフォンは何の感慨も抱かないらしい。

 彼は淡々と念威端子に言葉を向けていた。

 

『ありがとう。大事なくて良かったよ。けど、念威繰者を怯えさせるのは感心しないね……?』

「……え?」

 

 応対するカリアンの言葉の端に怒気の様なものが感じられた。その事実にフェリは戸惑いの思考を作る。

 ……あの兄が、私のことで……?

 怒ったりするのだろうか。

 有り得ない、と思う気持ちがあった。

 昔のようだ、と願う気持ちがあった。

 是と非。相反するふたつの感情が渦巻き、結論を出させない。しかし、思考の渦に沈む行為は、次第に恐怖よりも比重を大きくし、震えを止めていた。

 

「確かに。汚染獣に対して備えの無い都市に居るというだけで十分だったな」

『…………』

 

 幻影の剣も消し、出口へと足を向けるレイフォンの姿を、自分でも驚くほど冷静に眺めている事に気付く。彼の眼を直視していないためか、背筋が凍る様な感覚は戻ってこない。

 遠のく足音と共に聞こえる彼の声が自然に耳を打つだけだ。

 

「明日までに安全装置無しの錬金鋼所持の許可を出しておけ。どうせ許可は刃引きした錬金鋼の物なのだろう?」

『やれやれ。真剣を使っておいて良く平然と言えるね、君は。もう少し周囲に協調してもらいたい所だが』

「平然と裏取引を持ちかける男の言葉とは思えんな」

『人聞きの悪い事を言わないでくれたまえ、レイフォン君。私ほど誠実な男はそうは居ないとも』

「そう信じてほしいなら、相応の誠意を示す事だ」

『ふむ、安全装置を排した錬金鋼の許可証だったね。明日の放課後までには用意しておこう』

「そういうことだ、ハーレイ。調整も含めて明日頼む」

「……え、ああ。うん。分かったけど、ニーナは……?」

 

 単なる技術者であるハーレイですら一目で強烈と分かる蹴りを、ニーナは喰らっていたのだ。しかも、最後は落下によってコンクリートに身体を打ちつけている。ハーレイは完全に気を失った幼馴染の様子に、大丈夫なのか、という不安を言葉に出来ず、喉仏を上下させた。

 

「芯は外した。二〜三時間もすれば目を覚ますだろう」

 

 素っ気ない口調だったが、ニーナを叩きのめした張本人からの保障でハーレイは安堵し、息を吐く。

 

「そ、そっか。良かったあ……」

「――なあ」

 

 と、座り込んだままシャーニッドが呟く様に言った。

 

「どうやってそんなに強くなったんだ?」

 

 問いかけは、レイフォンに対するものだ。

 しかし、レイフォンは振り返らない。歩みを止めず、ロッカールームに通じる廊下への扉に手を掛け、

 

「場数と経験の量が自信と技術を作る。俺はそうやってきた。そして、――これからもだ」

 

 言って、扉の向こうに姿を消した。

 扉が閉まる音が余韻の様に教室に木霊する。やがて、シャーニッドは天井を仰ぎ、呟いた。

 

「……場数と経験の量、か」

 

 ●

 深夜になってから、ゴルネオはレイフォンに連れられて練武館に来ていた。

 今いるのは第五小隊の占有する一室だ。既に通常の訓練時間を大幅に過ぎているため、二人の他に人影は見当たらない。

 一人が地面に横たわったもう一人を見下ろしているだけだ。

 

「どうした。いつまで寝ているつもりだ」

 

 レイフォン・アルセイフの平坦な声を受けた地面に横たわる大柄な男、ゴルネオは、うるさい、と思考を作る。何よりも強く思うのは、

 ……天剣授受者(おまえら)と一緒にするな!

 生まれた時から兄のサヴァリスと比較され続けてきた。サヴァリスが天剣となってからは、比較すらされなくなった。天剣授受者とは圧倒的なまでの戦闘力によって熟練の武芸者達に思い知らせるからだ。決して届かぬ領域に棲む魔物である、と。

 天剣というイキモノの事は十分に知っている。だからこそ分からない。そんな怪物がなぜ、俺の相手をしているのか。グレンダンから、ルッケンスから、

 ……サヴァリスの重圧から逃れてきたこのツェルニで、何故。

 

「なんで、貴方が俺を鍛えるんですか?」

「サヴァリスに頼まれた」

 

 グレンダンから遠く離れた学園都市に、何の因果か天剣授受者がやって来た。しかも俺に鍛錬を施すというじゃないか。

 奇跡の様な話だ。

 冗談の様な、と言ってもいい。まるでありえない程に少ない可能性を引き当てたらしい。嫌な運命だと思った。

 悪態を吐きそうになる気持ちを押さえ込み、首を動かす。なんとか視界に映った男の表情からは、やはり何も読みとれない。

 

「素直に引き受ける性格でもないでしょう」

「否定はせん。だが、奴に限って言えば借りがある」

「借り……?」

「どうという事はない。サヴァリスが使ったルッケンスの技を盗んだだけだ」

「は? ルッケンスは格闘に主眼を置いていると言っても、化錬剄の武門ですよ。それを盗むだなんて、そんな……」

「見れば十分だ」

 

 馬鹿な、と叫ぶ寸前で言葉を唾液で落とし込む。そして再び心を占める感情は諦観に近いものだ。

 ……バケモノめ。

 化練剄は、武芸者が扱う基本剄技の『活剄』、『衝剄』に続いて名の知れた分野だ。しかし、これらふたつと比較すると極端に使い手が限定される。

 それは、単純に難しいからだ。

 活剄、衝剄を剄を剄のまま使用する剄技とするならば、化練剄は剄を文字通り様々に変化させて使用する剄技。行使に際してひとつ手間があり、難易度が上昇している。

 基本の剄技を修めるだけで時間が必要になるのに、ソレ以上の難易度に挑む者は少ない。

 

「基礎を教わらず、独力でそれですか。呆れますね」

「正確に言うなら、俺が欲したのは一部の技を除けばサヴァリスの体裁きの方だ。後はついでだな」

 

 一瞬、鼻白んだゴルネオに、ああ、とレイフォンが言葉を切った。彼は一度、眼を伏せて、

 

「ルッケンスの流派を侮辱する意志はない。失言だった」

「いえ、それが天剣授受者ですから」

「――元、だ。一時とはいえ俺は退位している。さて、休憩はもういいだろう。立て、ゴルネオ・ルッケンス。それとも限界か?」

「……まだ、だ!」

 

 力任せに身体を起こす。

 感覚で体の調子を探ってみると、活剄のお陰で一応動ける程度には回復している様だ。

 正しく訓練するためにも、限界を確かめるのは重要な要素。レイフォンが限界を探るのならば、ここで自分を出し切らねば、意味がない。

 

「良し。攻めてこい」

「――行きます!」

 

 ●

 

「――――」

 

 意識が覚醒する。

 その感覚を、水中から浮上していくのに似ている、とニーナは思った。

 目を開き、光を取り入れれば現実が見えてくる。簡素な白い壁、鼻腔が感じ取る消毒薬に匂い。視線を向ければ薬品棚もあった。

 保健室だ。

 どうやらベッドに寝かされていたらしい。更に辺りを見渡すと、横たわる自分の左右に人影が見えた。

 

「目が覚めたんだね。もう大丈夫なの? あ、はいこれ。お水〜」

「お? 起きたか、ニーナ」

「……ハーレイ、シャーニッド先輩……」

「ははは、寝ぼけてんのか? 先輩はよせって言っただろ」

 

 身体を起こし、そうだったな、と苦笑。自問する様に問いを口に出した。

 

「今は、いつだ?」

「夜の十時。ニーナが気絶してから四時間くらいかな」

 

 気絶という単語で思い出すのは、白の軌跡。美しい弧を描く光は、その輝きとは裏腹に凶悪なまでの威力を秘めていた。そして――、

 

「――っつう!」

 

 腹部で激痛が這いずる様に(うごめ)き、反射的に腹を抱え込んだ。

 苦痛に身動きの取れないニーナを、ゆっくりと優しげに寝かしつけるのはハーレイだ。

 

「動いちゃダメだって。後遺症は残らないって言ってたけど、まだ内臓にダメージが残っているんだから」

 

 そんなことはいい、と叫びたい。しかし、神経を殴りつける感覚がそれを許さない。万全には程遠い状態だ。まともに身体を動かせない。

 ならば、と手を伸ばす。伸ばされた手は襟を掴み、引き寄せた。

 

「う、うわ!?」

 

 保健室は清潔な状態に保たれるべきだという理念に従ったため、珍しくハーレイまでも制服を着ていたことが災いした。

 急な動作に反応出来ず、ニーナの上に倒れ込んだのだ。結果として、ニーナの顔の両脇にハーレイの手が置かれており、二人は互いの吐息を肌で感じられる距離になる。

 茶化した口笛が聞こえたが、ニーナは気にせず問いかけた。それは詰問、という勢いのそれで、

 

「――わたしが気絶してからどうなった!?」

「あ、いや、ちょっと待って……!」

「いいから答えてくれ。知りたいんだ」

「そうじゃなくて、ニーナ。まずいんだって!」

「何がまずいんだ。はぐらかさないで教えてくれ!」

「だはははははははははは!!」

 

 笑い転げるのはシャーニッドだ。

 彼はたまらず、といった様子で腹を抱えていた。いきなりの動きにニーナはようやく止まり、訝しむ様な視線を送った。

 

「いい加減気付いてやれよ、ニーナ。いつまで押し倒されてんだ」

「なに……?」

 

 言われ、ニーナは状況を確認する。

 自分はベッドに寝そべっていて、そこに顔を赤くしたハーレイが覆い被さっていた。まさしく目と鼻の先で、だ。

 ……これはっ!

 直後。

 

「きゃあああああああああ!」

 

 非常に女らしい悲鳴を上げてしまい、羞恥で顔を染めることになった。

 焦った上に恥ずかしいので今は確認出来ないが、ハーレイも手を放した瞬間に脱出したらしい。

 

「ぶわっはっはっは!」

「わ、笑うなあ――!!」

「ぐおっ!」

 

 だが、笑われるのは腹立たしいので一発ぶん殴っておく。これは照れ隠しではない。純粋な怒りなのだ。乙女の。

 ともあれ、

 

「……負けたんだな、わたしたちは」

「すげえテンションの下げ方だけど無視して補足するとだな」

 

 鼻を押さえながら言葉を一度切って俯き、仰ぎ、頭を()いて、

 

「――敗けた敗けた、完敗だわ。これ以上ないってくらいに敗けた。一人で武芸大会に勝てるってのも俺には否定できねーよ」

「お前はどうやって敗けた?」

「よく分かんね。いつの間にか蒼い剣が十くらい首の周りにあった」

 

 そうか、と気のない返事をして思い出すのは、レイフォンとの戦闘だ。

 速い、という思考を作る暇すら与えられぬ程の速力。

 双鉄鞭という重量級の武器を持つ自分を、軽く振った様な片手の一撃で軽々と吹き飛ばす活剄。

 思わず見惚れてしまう流麗な技から感じ取れる途轍もなく凶悪かつ破滅的な戦闘技術。

 どこをとっても武芸大会で無様を晒した自分達とは違いすぎた。

 次こそは確実に勝利してみせると意気込み努力して、そしてどこかで滅びを予感していた自分達を、彼は存在するだけで不要だと切り捨ててしまう。お前たちのやっていることは無駄だと言われた様な気がする。

 だから、とニーナは思いを口にした。

 

「――悔しいなあ」

「そうだな……」

「わたしたちとレイフォン。一体どれだけ差があるんだろうな?」

 

 あの途轍もない強さは、自分達の手が届く領域なのだろうか。

 無理だとは思わない。しかし、安易に辿り着けると言える様な差だとも思えない。何より、あれがレイフォンの全力だとは限らないのだ。

 

「遠い、な」

「……そういえば、な?」

 

 と、思い出したかの様にシャーニッドがこう言った。

 

「あいつが言ってたぜ。”場数と経験の量が自信と技術を作る”ってよ」

「場数と、経験の量」

「どんだけとんでもない修羅場潜ってくれば、あーなれるんかね?」

 

 ははは、と笑ってニーナは卓上に置かれた水を一気に飲み干した。

 

「あ、おいおい大丈夫かよ」

「――ならば我々も可能な限り積み上げていけばいい。違うか? シャーニッド」

「王道に勝る近道無しってか。いいねえ、好みじゃねえけど嫌いでもねえ」

 

 しかし、

 

「それには問題がある。しかも大問題。ツェルニの武芸者全員がぶち当たって(もが)いてるヤツだ」

「武芸大会まで、もう時間がない」

「ああ。俺たちには時間がない。悠長に経験を積み上げてく余裕なんて残っちゃいないっていう現実がある。このまま今まで通りにやってたら、きっと無価値な武芸者のままだ」

 

 不断の努力。

 不屈の意思。

 必勝の誓約。

 ツェルニの武芸者は皆、(まゆ)まぬ向上心を持って日々を過ごしているだろう。

 だが、それはツェルニだけの話ではない。

 あらゆる都市で武芸者達が同じ様に努力し、意志を抱き、大切な何かに誓っている。彼らもまた、自身が護るべき都市のために心身を賭して戦っているのだ。ツェルニの武芸者が努力して強くなるのならば、他の都市の武芸者も同様に努力して強くなっているのもまた道理。

 レイフォンの言った”まだ死んでいない”という言葉の真意だ、とニーナは結論する。だから、

 

「今まで以上にやればいい」

「どうやって?」

「訓練の意味を、密度を高める。幸い、この都市には学園都市には存在しないはずの達人が居る」

「俺たちに教えてくれると思うか? 正直微妙っていうか、無理そうなんだけど」

「それなら簡単だ。断られるなら断る理由をひとつずつ潰していく。何度でも頼み込むんだ」

「…………マジかよ」

 

 隊長の決定には従うのが小隊員の運命なのだよ、シャーニッド。

 

 ●

 

「で、ハーレイはいつまでそこに蹲ってんだよ。今日はもう帰るぞ俺」

「ちょ、ちょっとだけ待ってて。ニーナ、あ……えっと……」

「ハーレイ。あー、さっきは、その、だな……」

「はあ、もう勝手にしてくれ。俺ァ帰る。初々しすぎて見てるこっちが恥ずかしいっつーの」

 

 ●

 

 十七小隊相手に無双した翌日。レイフォンは教室で待っていた。

 そして放課後になると、やはり汚れきったツナギ姿のハーレイが教室まで迎えに来た。すっごい臭いです。機械油ってこんなにくせーの? とか思いながら連れてこられたのは装備管理部という看板の建造物だった。

 ハーレイが窓口に書類を提出すると大きめの木箱を受け取り、そのまま押し付けられました。しかもまだ別の場所まで歩く。大変じゃないけど、心労が。

 

「で、続きだけど、あんまりニーナのことを嫌わないでほしいんだ」

 

 教室から装備管理部までの道中、ハーレイはニーナの事情を教えてくれた。

 故郷の都市だけでは出会うことのない多くの出会いを求めていること。

 親元から家出までしてツェルニに来たこと。

 ニーナの性格のこと。

 ツェルニでの貴重な、奇跡の様な出会いをなくしたくないと思っている。自分の力でなんとかしたいとも思っている。そして一度思ったのなら真っ直ぐに駆け抜ける、と。

 ならばあえて言おう、カスであると! じゃないじゃない間違えてる。

 

「嫌った覚えはない」

 

 そうして真剣に向き合える何かを持つのは、良いことだと思います。なんというか、若いっていいよね……。あ、ヤバイ。こんなにおっさん思考してたかなあ? しばらく健康食品を食べよう。

 

「そう? ならいいんだけどね」

 

 ならいいんですぅー。とか絶対に口に出せない応対を脳内でしていると、研究室についた。

 扉を開き、一目見たハーレイの研究室は、雑多。というか、汚ねえ。

 なになら粘着性の物体が床にあったり、よく分からない名称の雑誌がホコリと一緒に積み上げられていたり、食べかけの乾燥パンが落ちていたり、と清潔感の欠片も存在しなかった。

 一歩を踏み出すと、

 

「!?」

 

 何の物かやはり分からない刺激臭がした。

 ここは危険だ。デンジャーゾーンだ! とか思うが努めて無視。実は綺麗好きなレイフォン君には結構クるものがあるんですがどーにかなんないコレ?

 ハーレイは荷物だらけの三つあるテーブルのひとつに、適当なスペースを作り、ここ、と示したので木箱を置く。木箱を開けると緩衝剤に埋もれるようにして棒状の真っ黒な塊があった。彼は炭素の塊らしき物体に端子をブチ込むと、

 

「さて、じゃあ握りから調整しようか。片手でいいのかな? それとも両手? あ、その刀と同じでいいなら複製するけど」

 

 テーブルに端に紛れ込んでいた物体を差し出されたので握りながら答える。青の混じる物体は、コードでハーレイの操作する機械に繋がっていた。

 

「新しく作った方がいいだろう。『連弾』の事もある。それから武装は複数用意してくれ。刀、大剣、篭手、脚甲だ。問題は無いか?」

「え? 問題はないけど、そんなに必要なの?」

 

 なんでこんなに錬金鋼を持つのかって?

 バージノレ鬼いちゃんがダァーイ好きだからさ。

 

「ああ。安全装置の施された試合、武芸大会用と実戦用をそれぞれふたつずつ頼む」

「はいよー。じゃあ、いつも刀を握ってる感じで」

 

 と、柄の長さや形状から調節が始まった。

 レイフォンが握ると、その情報が数値としてハーレイのモニターするパソコンに表示される。それを基にしてデータ上で柄を設定していく。そして、

 

「これでいいかな?」

 

 と、決定のキーが叩かれると、正体不明な物体が伸びたり膨らんだりして形状をモニターのそれと同じ状態に整えられていった。

 何度やっても肉眼で映像として見ると不思議で仕方がない。ぶっちゃけると気色悪い動きなのだ。うねうねと動きやがって。持っていても手に返ってくる感触はほとんどないが、それでも気持ち悪いのだ。芋虫が進むときの胴体みたいで嫌なんだよ、マジで。

 

「どう?」

「…………ん、ああ。握りは十分だ」

「全体の重量で若干の変更はあるけど、ひとまずオーケーだね。材質はどうしようか? あ、そうだ。サンプルがあったんだ」

 

 返事すら聞かずに研究室の奥へ行ったと思ったら棒状の束を抱えて戻ってきた。

 ダース単位でばら撒かれたそれは、握っている物と同様に計測に用いる物体らしい。

 

「これから試していこうか」

「……いや待てハーレイ・サットン。材質は決まっているから大丈夫だ」

「あ、そう?」

「ああ、そうだ」

 

 分かりきった答えを地道に探していくなんて拷問過ぎるだろ馬鹿野郎。大体、今日は帰ったら野菜で生活するって決めたんだよストレス貯めさせんじゃねー。

 

「これが終わったらあの『連弾』の方を試すから。いやー、ずっと楽しみで昨日も眠れなかったんだよねー!」

 

 さようなら、ストレスフリーで快眠の夜……。

 

 ●

 




ひさしぶりにDMC3をやってみました。ええ、以前はノーマルでヒーコラ言ってたんですが、DMC4ではMODの黒ダンテ軍団を20人程まで倒せる(集中力持たない……!)様になったので、いきなりDMD行きました。

私のキャラクターはダンテ? いいえ、ダソテでもありませんでした。

お前なんかグンテで十分だよ畜生ッ!



まあ、クリアしましたが。


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ザ・モーニング・スター編第四話:追想

 ●

 

 移動都市(レギオス)がある。

 都市には移動の震動を最低限に抑え、生活の阻害を極力避けるための工夫が施された建築物が並ぶ。中心には摩天楼の如くそびえ立つ塔があり、頂点には獅子の胴体を持つ竜が頑強な剣を噛み砕かんとする旗が掲げられていた。

 槍殻都市グレンダン。

 汚染獣に対して自ら襲撃するという特異な性質を持つ都市だ。

 普通ならば確実に滅ぶ道程を可能にするのが、女王率いる天剣授受者達だ。彼らが居るからグレンダンの住民は汚染獣戦に恐怖を抱かない。世界一安全な都市だ、とすら思っているのだ。

 

「――――」

 

 早朝。

 グレンダンに住む全ての人間が揺れを感じた。

 都市の移動によるものではない。明らかに別の要因で引き起こされた都震だ。

 揺れは一秒程度で収まるが、市民はゆるやかに空気を賑わせていく。

 

「また汚染獣か?」

「おいおいまだ朝だぞ。もうちょっと寝かせてほしいぜ」

「寝てていいぞ。嫁さんは俺が連れてくから安心しろよ?」

「ふざけんな。こっちはまだ熟れてねーぞ熟女専」

「テメェこそ趣味と違うだろ幼女専。こっちとら寂しい独り身なんだ。少しは配慮しろよ」

「貴方達の性癖なんてどうでもいいんです。――さっさと運べよボンクラ」

「ひいっ」

「アンタもだ。分かっているな?」

「……ハイ」

 

 いつも通りの避難風景だ。おかしな事は無い。不足する物があるとするなら、デルボネによる通知と、

 

「いつになったら避難警報が鳴るんだ?」

 

 え? と周囲が頭を塔に向けた時に、彼らの頭上を飛び越える動きがあった。

 

「――向こうだ、急げ!」

 

 武芸者だ。

 それも一人や二人ではない。グレンダンの全武芸者かもしれない無数の武芸者達だ。

 熟練の武芸者が雪崩染みて駆ける様は、怒濤の勢いを持っていた。だが、様相は戦闘に赴く感じではなかった。表情をはっきりと確認した者は居ないが、玩具を与えられた子供の様に喜色に富んだ声だったのだ。

 しかも、練金鋼こそ持っているものの汚染獣戦に備えるものではなく、ほとんどが着の身着のまま中心部の方向へと向かっていく。

 どういう事だ、という声がいくつも上がり、間を置かずに応えが来た。声はすぐ側に浮かぶ蝶の形をした念威端子からだ。

 

『――騒がせてしまいましたわね。心配ならずともいいですよ、汚染獣の姿はありませんもの』

「デルボネ様! これは、一体……?」

『ふふふ、彼らが見たいと思っていた光景があるのです。詳しくは、……そうですわね、お昼頃には終わると思いますので、帰ってきた方に聞いてあげるといいですよ』

「どういう事です?」

 

 声だけなのに、上品に笑う様が透けて見えるほど、感情豊かな声色でデルボネは言った。

 

『きっと、見たモノを誰かに話したいと思いながら帰ってくるのですよ』

 

 ●

 

 グレンダン居住区。

 町外れの孤児院と連結された建造された建物。サイハーデン刀争術と看板のかけられた道場だ。

 中では汚れた木目の上で木刀を振るうはずの者達が、手を止めて都市の揺れに色めき立ち甲高い声を立てる。突然の都震に対する子供達のあげる歓声にも似た感情の発露だ。

 彼らは汚染獣の可能性を口にしていた。

 だから、とデルクは声を響かせる。

 

「――落ち着け。都市に住まう我々が汚染獣との接触を喜ぶな」

 

 そして、

 

「あれは……、あの揺れは汚染獣によるものではない」

 

 反応が返されるよりも早く、外で(うごめ)く剄の波動が伝播した。都市中から響く波は、熟練の武芸者達の発するものだ。

 それは強烈な勢いを持った感情。一種の奔流だ。

 

「な――!?」

 

 喜色一辺倒の激情が、地面や屋根を駆けていく足音と共に周囲を賑わせ、去っていく。

 発している剄は十分に力強い。熟練の武芸者達のものだ。

 ややあってから騒乱の波が収まると、生徒の一人がデルクに問いかけた。

 

「な、何が……? 先生、どうなっているのです? 何かご存じなのですか?」

「少し待て。――リーリン。入ってきなさい」

 

 道場の勝手口。孤児院と通じる奥の扉が開き、少女が姿を見せる。

 

「どうした?」

「えっと、避難の準備をしようと来たんだけど、大丈夫?」

「揺れの事なら心配するな。あれは――」

 

 デルクは真剣な眼でリーリンを見た。

 そして言う。

 

「レイフォンだ」

 

 ●

 

 リーリンは養父が発するいきなりの言葉を聞いた。

 ……レイフォンが?

 生まれるのは疑問と、僅かな間を作ってから来る妙な納得だ。

 天剣授受者だからではない。普段の振る舞いを間近で見ているリーリンからすると、レイフォンは無茶な行動をしても、やりそうだ、と感じるからだ。

 リーリンが言葉を返すより早く、サイハーデンを学ぶ門下生から声が上がった。

 

「レイフォンさんですかっ!? サイハーデンで天剣になった、あの!」

「ああ。そのレイフォンだ。もうひとつの大きな剄はクォルラフィン卿、ルッケンスの天剣だろう」

 

 そこまで説明したデルクは言葉を一旦切って、そういえば、とリーリンを見た。

 

「レイフォンから経営について教わっているんだったな。なら、ちょうどいいから聞いていきなさい。グレンダン武門の名家、ルッケンス家についてだ」

 

 でも、と周囲を見渡すと、いつの間にか門下生達の並ぶ最前列中央に座布団が用意されていた。ここに座れ、と言いたいのだろう。周りに脚を崩して座り込む彼らの顔は一様にいい笑顔だ。

 はあ、と息を吐く。

 なにやら疲れた気がするが、仕方ないので用意された場に腰を下ろす。

 すると、不意に背後から声が上がった。声は若いが、レイフォンよりも太い。年齢もおそらく下だろう。声は勢いよく、デルクに問いかけた。

 

「センセイ! 我々も見学しに行きましょう!! ぶっちゃけ見たいです!」

「却下だ」

「え――――!?」

 

 門下生全員の叫びが合唱した。

 

「そこは快く“よし、行くか!”くらいは言う気概を見せてくださいよケチくせぇ――!!」

「無視して言うが、今のお前達では見ても意味がない。いや、まともに見るのも難しいだろうな。おそらく単なる移動すらも眼で追えん」

 

 それは、

 

「活剄の密度が違う。天剣授受者の中でもレイフォンは速度を重視しているから特に、な」

「じゃあ、クォルラフィン卿はどうなんですか? ルッケンスの武門は化練剄ってイメージですけど」

「間違ってはいないが、少し違う。ルッケンスは化練剄と得意とするが、あくまで格闘術の補佐として使用する武門だ。化練剄というならナインの武門こそ正統派だろう」

 

 デルクの説明を聞くリーリンは早くも心が折れそうだった。

 ……私が聞いてもなあ。

 リーリンはあくまで一般人に過ぎないので、どういう事が得意か、など興味がない。名門、即ち巨大な富を持つ組織の動向は都市経済では無視出来ないらしいが、内容まではちょっと、と感じてしまうのだ。

 思い出すのはレイフォンの教えてくれた経済の概念だ。

 ……確か、なんだったかな……?

 経済予測の他に、補足事項として色々言っていた事があったはずだ。

 その記憶を追っていると、デルクが門下生を見渡して、こう問いかけていた。

 

「では、ルッケンスの武門とはどういうモノか。……誰か知っているか?」

 

 手はあがらない。

 眼を伏せて、ふむ、と考えたデルクは、ややあってから不意に口を開く。次に届く言葉は門下生に向けられたものではなく、

 

「――リーリン。お前はどうだ?」

「え、私? 私は武芸の事は何も分からないから」

「武芸以外で大丈夫だ。知っている事があるなら言ってみなさい」

 

 指名されるとは全く思っていなかった。だが、頭の中に浮かぶ情報を整理していく。言うべき内容は経済よりもルッケンス家そのものについてでいいだろう。

 

「はい。えっと……」

 

 一息。

 

「――ルッケンス家は、グレンダン創設初期から続く武芸者の家系で、初代ルッケンスも当時の天剣授受者です。その頃の文献もいくらか残していて、英雄譚の様な話まで含めて様々な逸話が残されているそうです。中には三王家にすら残っていない資料もあるんだとか。

 現在は名門ルッケンスとして名を馳せていて、グレンダンで最も栄えているカルヴァーン様の武門に次ぐ武門に位置します。伝統的な流派で正統後継者のサヴァリス様が天剣を手になさった事からも天剣に”近い”武門と言われています」

 

 武芸者の天剣へ夢がルッケンスへの期待になっていたんだよね、と思いつつ、

 

「けど、流派の奥義? だとかを完璧に修めているのはサヴァリス様だけで、他の人は流派を修めきれてないから、才能のある人だけが至れるのではないか、という声もあるそうです。

 ちなみにレイフォンが天剣授受者になるまで、最年少天剣授受者の記録保持者(レコードホルダー)はサヴァリス様の十四歳でした。今はレイフォンの十歳。

 ……えっと、これでいい、かな?」

「十分だ。よく知っていたな」

 

 養父の表情は柔らかい笑みだ。けれど、これは自分が調べた事でも、知ろうと思っていた事ではない。

 

「レイフォンが教えてくれたからだよ」

 

 素直に教わった事を言うと、空気が一変した。

 

「――――」

 

 表情を驚愕という色で固めるデルクの顔があった。それは、驚いた、というよりも理解できない、という思考停止のそれだ。しかし、

 

「……お義父さん?」

「そうか。しかし、誰に教わったかを気にする事はない。重要なのは得た知識を必要な時に引き出せるか、だ」

「あ、うん。そう、だよね……?」

 

 リーリンが呼びかけた瞬間に、まるで白昼夢であったかの様に、いつもの暖かな養父の顔に戻っていた。

 一般人であるリーリンですら捉えられた急激な変化を周囲の武芸者が見逃すはずもない。であるにも関わらず、彼らの態度には、変化がない。ならば、先程のは、全て気のせいなのだろうか。

 ……本当に……?

 デルクは確かに不器用な男だと思う。しかし、彼は孤児院で引き取った子供に対して決して贔屓をしなかった。分け隔てなく平等に大人として接していた。そんなデルクを、今まで育ててくれた恩師を疑うなんて、不謹慎にも程がある。

沈んでしまう思考を、頭を振る事で解消。意識を改めた。

 

「知識を知識として終わらせず、知恵として使える様にしていく。それこそが最も重要で、最も難しいが、リーリンなら大丈夫だろう。これからも頑張るんだぞ」

「うん。朝ご飯の支度がまだだから、私はもう行くね」

「ああ」

 

 ……大丈夫だよね……。

 得体の知れない不安を無理矢理にでも掻き消して立ちあがり、道場を後にした。

扉を潜り、空を仰ぎ見る。視線の先にあるのはエアフィルター外に鎮座する赤く錆びた空だ。汚染物質に侵される以前は青かったという話しをどこかで聞いたが、今ではどこまでも赤いだけの空しかない。

しかし、きっと昔も変わらず遠く、広い空であったに違いない。

同じ空の下で、ここグレンダンでレイフォンがまた馬鹿をしているんだと思うと、少し気が楽になった。

 

「……うん。きっと、大丈夫」

「うおおお! リーリンちゃんの座った座布団だ――!!」

「やめんかあ――!!」

 

 …………大丈夫だよね……?

 

 ●

 

 都震の発生点からさほど遠くない位置に、ルッケンスの道場がある。

 道場はルッケンスの所有する私有地内に建設されていて、敷地は都市内でも広い部類だ。しかし、今は道場全体に降る様にして朱と蒼の色が舞っていた。

 剄の残滓だ。

 それを都市中に伝播させたのは、赤青(セキセイ)を纏う二人。

 青年と、少年と称して問題ない体躯の子供だ。

 強力無比な一撃を交わし合った二人は、視線を合わせると互いに間合いを取った。一息で飛び退いた十五メートルの空間は、天剣をして一呼吸が必要な距離だ。

 

「いきなり斬り掛かるなんて、どういう事かな、レイフォン。僕と戦いたいのかい? いつでも構わないけど、さすがに唐突だね。驚いたよ」

 

 辻斬り同然の行為に対して、青年は憤らない。むしろ、心底愉快だという感情を顕わにしている。それは微笑みというよりは濃く、笑顔というには獰猛な種類の笑みだ。

 それとは対照的に、レイフォンは淡々としている。彼は口を開くと、こう言った。

 

「――雪辱を果たしに来た。サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンス」

「へえ。道場破りの事か」

「ああ」

「懐かしいねえ、もう二年になるのか……」

 

 サヴァリスは構えを解き、腕を組む。しかし、それは警戒まで解いたのではない。愉快そうに思案する姿に、隙はない。

 

「ウチの道場がいつもと違う騒ぎ方をしていたから覗いてみれば門下生と師範代の全員が倒れていて、立っていたのは君一人だけ。なかなか珍しい光景だったよ。なにせ、ルッケンスの武門がたった一人の武芸者に負けた訳だからねえ」

「直後に来た貴様には敗れたがな」

「本当に楽しい試合だったよ。老生体を含めて、ここ数年では一番だったね。けれど、それも別におかしな事ではなかったらしい。天剣授受者ならその程度は出来て当たり前さ。たとえ、天剣を授かる前だったとしても、ね」

 

 それにしても、とサヴァリスは黒鋼錬金鋼の鞘を見た。

 

「なぜ錬金鋼が以前と違うのかな。天剣と鞘を一緒に扱う事になにか意味があるのかい?」

「……さあな」

「ふうん。まあ、なんにしてもやる事は変わらないし、構わないさ。――戦おう、今すぐに」

 

 サヴァリスが復元言語を唱え、天剣を着装する。

 

「そうだな」

 

 呼応する様にレイフォンが構えると、空気が急速に張りつめていく。

 動かないサヴァリスと、その周囲をゆっくりと歩くレイフォン。だが、二人ともが、すぐに動く事になると予期していた。それは、道場の中から聞こえてくる慌ただしい気配。

 

「――何事だ!」

 

 行った。

 

 ●

 

 レイフォンが飛び出した。

 ダークスレイヤー、『エアトリック』。

 旋剄を超える瞬間的な超高速移動は、サヴァリスの活剄ですら正確に姿を捕捉出来ない領域にまで至る。

 これによってサヴァリスの近くまで瞬時に移動。視線を下方へと誘導したレイフォンは再び、剄技を使用する。

 水鏡渡りの改変技。ダークスレイヤー、『トリックアップ』。

 自身の上空へ一瞬にして高速移動する。単純な速度だけでいうならば、トリックアップはエアトリックのそれを更に上回る。

 超常の神速を可能としたのは、脚甲ベオウルフだ。錬金鋼の存在は、剄技の精度と威力の限界を大幅に高めてくれる。

 しかも、水鏡渡りの剄技を”剄”とだけ見た場合、限界距離が伸びる程度ではあるが、

 ……連弾も可能……!

 風を置き去りにする速度は、天剣達の領域においてすら凄まじく、しかし、見失わせていられる時間は長くない。すぐにでも剄の波動で居場所を特定するだろう。

 だから、という様に虚空を蹴り付ける。

 外力系衝剄の化練変化、『エア・ハイク』。

 自由落下に初速度を追加でぶち込むと、手にしたフォース・エッジを構えて急降下していく。

 このまま落下すれば、サヴァリスの脳天から股間までをかち割れる、というタイミングで彼は動いていた。

 それは、迎撃。しかも剣を弾くのではなく、

 

「身体を狙ってくるか、サヴァリス!」

「勘だよ」

 

 続く動きは刹那の中で行われた。

 サヴァリスをかち割る兜割りと、レイフォンを穿つ右拳の突き上げは、二人ともが半身なってかわした。

 斬り下ろしと打ち上げ。どちらも強く慣性を残す動作だ。次の動作は、

 

「ち……!」

 

 やはりサヴァリスの方が速い。

 既に左拳が放たれている。

 攻撃の回転率は剣戟よりも拳が速く、大剣を振り上げていては間に合わない。ならば、とレイフォンはフォース・エッジを手放した。

 代わりに手を添えるのは、閻魔刀。

 

「――――死ね!」

 

 外力系衝剄の化練変化、『疾走居合い』。

 水鏡渡りで超移動すると同時に無数の斬撃を放つ荒技だ。

 疾風がサヴァリスの背後へと通り抜けた直後。弧を描く無秩序の剄が発露した。

 

「!」

 

 跳躍ひとつで殺傷範囲から回避したサヴァリスは、そのまま後方に退避する。

 仕切り直しだ。

 そして思う。これでは駄目だ、と。技や形式に振り回されている、とも。

 対人戦は勝手が違う。

 最強の半人半魔の姿に囚われすぎているのだ。だから疾走居合いの攻性範囲が上空まで及ばないと見破られた。

 ……流れを変えねばな……。

 そのためには、どうすれば良いのか。

 いや、そうではない。真似ようと考えるから動きがぎこちなくなるのだ。真似る必要すらなく成りきってしまえ。自然体であるべきだ。

 

「そう。――俺が……!」

 

 バージルだ。

 いや、もっと。もっとだ。

 叫ぶ以前に身体で理解しろ。心で納得しろ。

 自分に出来る事から成していけば良い。俺が俺である限り、それは彼の模倣に他ならないのだ、と。

 ……これもまた、道。

 些か浮ついていた意識が凍っていく。

 

「続きだ」

 

 ●

 

「これは、……楽しめそうですねえ」

 

 サヴァリスは周囲を飛び回る若き天剣の雰囲気の変化を良い物だと感じ取った。

 きっとここからは迷いなく全力だ。

 先程の攻防には存在していた不安定な部分が削ぎ落とされたのなら、きっともっと楽しめるはずだ。

 ……こういった趣向もイイ感じです。

 老生体戦では味わえない駆け引き。武芸者とでしか得られない心理戦だ。

 レイフォンの機動力はサヴァリスを大幅に上回るため、自分から攻めて止める事は難しい。攻防の合間にあった妙な間を無くなるだろう。

 しかし、サヴァリスはこちらから攻めれば、レイフォンも同じく向かってくると予想している。

 だから、行った。

 

「さあ、まだまだここからだろう? 楽しもうじゃないか!」

「試させてもらおう……!」

 

 互いが大きく踏み込み、二色の影が交差する。

 先手を取ったのはレイフォンだ。

 彼は抜刀する事なく鞘を振り上げていた。

 速く、鋭い一撃だ。しかし、軽い。腕を払えば簡単に弾ける程度に過ぎない。

 だからそうした。

 弾かれた鞘は腕を持っていき、レイフォンの腕を開かせる。大きな隙だ。

 レイフォンが隙を潰そうにも、左手は使えない。迎撃に使える武器は背にある大剣や篭手、脚甲だ。しかし、天剣による攻撃は天剣でなければ防げない。武器としての限界値が違うからだ。

 右拳に剄を収束。

 外力系衝剄の変化、『剛力徹破・突』。

 拳打の破壊をより深く突き抜けさせて爆発させる豪快な剄技を放つ。

 普通はこれで終わりだ。

 そして、サヴァリスは天剣授受者というイキモノを理解している。この程度で死ねる武芸者を“天剣授受者”とは呼ばない、と。

 それを理解した上で楽しみにしているのは、

 ……どうやって切り抜けるんです!?

 想いを馳せた直後。

 期待で輝く狂笑は、その上に驚愕を張り付けた。

 耳を掻き(むし)る様な音が強烈な衝撃と共に奔り、右拳を打ち返したのだ。

 その技を、サヴァリスは知っている。それは、同じく天剣授受者であるリヴァースの代名詞たる剄技。右腕を盾の様に構えるレイフォンが使ったその技の名は、

 

「金剛剄……!」

 

 サヴァリスは今、右拳に衝撃を受け、右半身が後ろに引っ張られている。先程とは逆に自分が姿勢を崩しかけているのだ。

 無理に逆らえば姿勢が一気に崩れ、大きな隙を晒す事になるだろう。

 だから、とサヴァリスは体軸を支点にして身体を回していく。右が後ろに流れるならば、左を突き出す。

 連打の流れだ。

 

「楽しませておくれよ、レイフォン――!」

「……来い!」

 

 二人の天剣。グレンダン最強の武芸者が拳と刃を交わし合い、衝撃を生む。

 刃が拳を受け流し、

 拳が刃を打ち払い、

 白銀が剣戟の音色を絶え間なく重ねていく。

 濃密な一瞬という時間で全てを切り裂く嵐の様な攻防だ。

 サヴァリスの手足が繰り出す連撃は、かなり速い。怒涛、と言える程に精密にして強烈。太刀を使うレイフォンよりも間合いは狭く、速度も劣るが、手数は圧倒していた。

 溜めの隙は無い。打拳、刺突、爪蹴(そうしゅう)。あらゆる方法を用いて少しずつ距離を詰め、極限の刹那を見極める。

 

「――――」

 

 見出したのは一瞬だ。

 零に等しい時間に脚先から指先までの関節を連動し、渾身の力を狙い定めて打ち放つ。

 

「はああッ!」

 

 閻魔刀を弾いた。

 十分な隙が生まれた。しかし、間を置かずに攻めれば金剛剄でこちらが弾かれる。だからといってカモフラージュのパターンを差し挟むと、

 

「――ッ!」

 

 居合い。

 まるで魔法か何かの様に、あらゆる姿勢から必殺の太刀が繰り出されるのだ。

 レイフォンがいつも好んで使っている居合いとは違う。何が違うのかは分からないが、この時の居合いだけはまさに別格だった。

 抜き身の太刀を鞘に納めてから再び抜刀しているはずなのに、

 ……まるで見えないとは……。

 回避で崩れた態勢を戻すためにしばらくは防戦一方になってしまう上に、攻めなければ居合いが来る。攻め過ぎても金剛剄か居合いで不利を押し付けられる。

 見事な技だ、と思う。そして、連続して使えない理由があるのだろう、とも。そうでなければ既に勝敗は決まっている。

 結果として生まれたのが、綱渡りの様に危うい均衡だ。

 このもどかしい戦況を崩すには、駆け引きを勝った上で何か技が必要になる。なんとも、

 

「充実した時間だ……!」

「今度は俺が勝つ……!」

 

 獣の様に俊敏で苛烈な打撃を放つサヴァリス。

 酷烈な斬撃を縦横無尽に踊らせるレイフォン。

 二人はこの時点で互いが互いに打ち倒し得る強敵だと悟っていた。

 

 ●

 

「な、なんだこれは……!」

「おい、やべえぞ!」

「余波でも危険だ! 門下生だけでも下がらせろ!!」

「バリケードはいい! おそらく意味が無い。それよりも避難を急げ!」

「これが、天剣――――!」

 

 いくつもの声が上がる。

 声の主はルッケンスの門下生、そして師範代達だ。

 

「下がれ餓鬼ども。お前等にゃこの戦闘は早過ぎる!」

 

 この場が危険であると判断した師範代は門下生の身体を掴み止め、安全圏への待避を促す。

 天剣が自分達とは違うイキモノだと知るがゆえの”当たり前”の行為だ。

 しかし、知らぬからこそ、否。届かぬと理解していて、それでもなお納得出来ないから少年は叫ぶ。

 

「嫌だ!!」

 

 絶叫は自尊心と僅かな向上心、そしてあらがいの意志だ。

 そうだ、と別の誰かが続いた。

 

「ここで引いたら、もう二度とアイツに立ち向かえない。きっと心が折れちまう」

「折れたら立ち上がれない。けど、折れなきゃ何度だって立ち上がれる」

「立ち上がれるなら、――いつか天剣に手が届く。届かせてみせる! そう信じているんだ……!」

 

 まだまだ未熟で、限界を知らない。

 青臭い意地だ。

 しかし、と思い直す様に言ったのは壮年に差し掛かろうという武芸者だ。彼は深い息を吐き出し、教え子達の隣に腰を下ろした。

 

「――いつの間にか忘れてたなあ、最初の気持ちってヤツを」

 

 意地とは、意志だ。

 誰よりも強くなる、という信念。都市を守りきれる守護者になるという宣誓だ。

 いつか、何かに誓った武芸者としての矜持(きょうじ)

 

「レイフォン・アルセイフ……!」

 

 ●

 

 レイフォンは周囲から聞こえる雑音の中に、名を呼ぶ声に気がついた。

 道場前に横一列に並ぶ者達の一人だ。

 

「貴様では若先生に勝てん!」

 

 声の主を見て、驚く。

 

「その次は我々が相手になろう! ただ一度の勝利でルッケンス一門を破った等とは言わせん……!!」

「ガハルド・バレーン……?」

 

 一際甲高く剣戟を響かせ、サヴァリスとの距離を作る。

 このまま競り合っていても埒が明かないのは理解しているのか、サヴァリスも抵抗する事なく身を引いた。すると彼は声だけは不思議そうに、楽しそうな表情で問いかけてきた。

 

「知り合いだったのかい?」

「……いや。ひとつ聞くが、あの男はああいう熱血だったのか?」

「うーん、僕も気にしてなかったからはっきり言えないけど、多分違うかな? もっと、どうでもいい武芸者だったはずだよ」

「そうか。…………そうか」

 

 ガハルド・バレーン。

 史実に於いて、レイフォン・アルセイフがグレンダンを追放される原因を作った男。その男が変わった。あるいは初めから“違った”のか。どちらにせよ、この事実は一種の希望であり、同時に危機でもある。

 ……俺によって、状況が変化する。それは……。

 グレンダンが“始まりの悪意(イグナシス)”に敗北する可能性を示唆している。そうなれば、何もかも全てが失われる。意味すらなく崩壊してしまう。

 今ならば、“絶対が欲しくなった”という感情が理解出来た。

 

「やる事が増えたな」

「――もういいかな?」

 

 問われ、気付く。

 意識が散漫となっていた。警戒を解いた訳ではないが、サヴァリス相手に僅かな乱れは致命的だ。

 

「すまん。待たせた」

「構わないよ。つまらない終わり方は僕も嫌だからね」

「ふん」

 

 静かに構えると、サヴァリスもまた身構えた。

 それまでと同じ構えだ。しかし、最初の攻防とは違い、ここからは決着へと収束していくだろう。

 要となるのは、タイミング。硬直した戦況を覆す技の差し込みだ。

 

「――少し、本気を出してやろう」

 

 行った。

 今度は、足を踏み出したのはレイフォンのみ。サヴァリスは愉悦を表情に張り付けて佇んでいるだけだ。

 ……どういう事だ?

 その行動に疑問を作る。

 先程までの攻防から、単純な戦闘技能は均衡を保っているのは明らかだ。

 お互いに攻めた結果が同等である時、受けに回れば一気に潰される。それが分からないサヴァリスではない。

 更に、レイフォンと比較して彼の戦闘経験は間違いなく優れている。それは剄技の差し込み、読み合いという駆け引きの差であり、有利だ。

 自らの有利をわざわざ切り捨てる理由があるはずだ。――否。なくてはならない。それは、

 ……なんだ……!?

 疑問に対する答えは、すぐに示された。

 サヴァリスの両腕が増殖した。まるで千手観音の様に無数の腕が発生したのだ。

 全てが剄で構成されたそれは、ルッケンス秘奥。

 

「――千人衝だと!? サヴァリス、貴様ッ」

「ははははは! 察しの通りさ……!」

「戦闘狂があ――!!」

 

 ●

 

 王宮庭園からルッケンス道場を見下ろす様にして俯瞰するのは、アルシェイラ・アルニモス。

 女王だ。

 彼女はやがて来る災厄に備え、対抗出来るだけの戦力を欲している。そして、最後の天剣を見定める機会を得た。

 

「サヴァリスが千人衝を使った。基礎の劣るレイフォンでは荷が勝つだろうけど、どうしかしらねえ?」

 

 自問に近い口調に対して答えるのは、黒いロングコートの男、リンテンスだ。

 身だしなみは乱れていて、無精ひげをそのままに煙草をくわえた口元は不機嫌そうに歪んでいる。

 彼は無造作に煙を吐き出すと、誰彼かまわず威圧してしまう口調でこう言った。

 

「ただの馬鹿だ」

 

 ぶっきらぼうでオブラートに一切包まない発言は、アルシェイラの耳には心地良い。下らない世辞や皮肉に時間を割くよりもよっぽど建設的だ。

 自然と笑いをかみ殺しながら同意していた。

 

「まあ、サヴァリスは馬鹿よね。それも救いようのない大馬鹿。ギリギリの臨場感でも楽しみたいんだろうけど、レイフォン相手なら正々堂々と出し抜けば勝てるのにねー」

 

 おそらく、ただ戦闘そのものをよりスリリングに楽しみたい、という所だろう。言外にレイフォンが格下だと宣言する様なものだ。

 

「知るか。興味がない」

「でもレイフォンには興味あるでしょ? あの子、物覚えの良さは異常だしさ」

「あの猿真似がどこまで本物か、興味はあるな。とはいえ奴は化練剄を学び、既に自分のスタイルを確立している。今から鋼糸を仕込んでも仕様がない」

「ふーん、リンはそう思うんだ」

 

 言外に、自分は違うと知っている、と含ませて笑う。

 今度は抑えず、表情にだけ感情を表した。するとリンテンスは、

 

「何が言いたい、って感じの顔ね」

「…………いいから話せ」

「はいはい、別に隠す事じゃないし、見てれば分かるわよ。――どこまでも貪欲な強さへの探究心って奴が、ね」

 

 ●

 

 千人衝は強力な剄技だ、とサヴァリスは思う。同時に、万能な剄技であるため極限の状況に対する対応が粗くなりやすい、とも。

 そして、天剣レベルの武芸者との戦闘ともなれば、一瞬の中の一瞬を争う事になる。連続攻撃は相手の油断や隙を引き出すための手段以上には成り得ない。

 だからサヴァリスは期待する。

 目の前で太刀を器用に使いこなす少年の積み上げてきた全てに。

 

「僕を更なる高みへと連れて行ってくれ、レイフォン――!!」

 

 無数の腕で攻め立てる。

 堪らず受けに回ったレイフォンは少しずつ後退しながら、宣言した。

 

「――(ひざまず)け!」

「!」

 

 腕が切断された。

 実際に腕を断たれた訳ではない。断たれたのは千人衝による幻影の腕の方だ。

 しかし、その瞬間に気付けなかった。一時も目を離したりはしていない。突如として現れたとして思えない蒼剣が、サヴァリスの幻影を切り離していた。

 

「これは……!?」

 

 一度退き、状況を俯瞰する。

 見れば、十の蒼剣がレイフォンの周囲を旋回していた。

 剣は剄で編まれた幻影だ。

 

「貴様との戦闘を参考に作り上げた剄技。円陣幻影剣――――!」

 

 分かる。分からないはずがない。今も自分で使用する剄技そのものだ。

 

「たった一度見ただけで盗んだのか、千人衝を!!」

「容易く、とまではいかなかったがな」

 

 自問の叫びに返されたのは、レイフォンの踏み込みだった。

 戦闘は急激に加速していく。

 

「くッ」

 

 剣群が迫る。

 高速回転する蒼剣は千人衝の腕で迎撃。刃に対して真っ向から拳をぶち込むと、一方的に切り裂かれた。

 込められた剄はおそらく同等。その場合に強度を決定するのは、

 ……密度、ですかね。

 強弱関係は実際の刀剣と拳の物と同じだろう。ならば、対応も同じだ。

 だからそうした。

 剣の腹を叩き、砕く。限界まで引き絞った抜き手で突き穿つ。そうして十の蒼剣全てを破砕した頃にはレイフォンを間合いに捉えていた。だが、まだ浅い。確実に仕留められる距離へ更に深く一歩を踏み込んだ。

 すると、閃光の様な一撃が飛んで来る。

 速い。

 まさしく必殺の居合いだ。しかし、

 

「もう、ソレは覚えたよ」

 

 外力系衝剄の変化、『剛力徹破・突』。

 十分な威力を持った剄技で鍔付近を打ち抜き、止める。居合いと止められ、両手を塞がれているレイフォンに次の攻撃を防ぐ術はない。

 ……()った――。

 左拳を突き出す。

 しかし、手に返る感触は肉を穿つ湿った感覚ではなく、硬い金属音。

 サヴァリスの打拳は“蒼剣”で防がれた。

 ……思ったよりも早い。

 随分と千人衝の扱いに慣れているらしい。一年間じっくりと研鑚を積んだのか、再度分身代わりの蒼剣を作るのに、一呼吸程の時間しか掛かっていない。

 驚愕する間もなく、次の瞬間にはレイフォンの攻撃態勢が整っていた。

 

「勝てるとでも思っていたか?」

「く、ははっ! いいや、ただ嬉しいだけさッ」

 

 幻影の剣が砕け散り、幻影の剛腕が穿たれ、その度に赤青の剄が空気を(えぐ)る。

 焼き増しの様な均衡だ。

 サヴァリスは攻めきれず、レイフォンも攻勢を維持出来ない。

 しかし、剣戟の音色はより一層激しく打ち鳴らされている。単に手数が増えただけではない。ひとつひとつの速度も遥かに増していた。

 そして天剣の戦闘は更に加速を続け、観客たる武芸者達の眼ですら、まともに捉える事の適わない領域へと自身を放り込んでいく。幻影が幻影を打ち砕いて鋼の音響を連続させるのとは対照的に、実体の攻防は次第に激しさを潜め、鋭さだけがより鋭敏に昂ぶっていったのだ。

 レイフォンとサヴァリスの二人ともが攻め続けて、それでも被弾は皆無。その程度には、これまでの戦闘を見覚えていた。

 めまぐるしく攻守が入れ替わり、レイフォンが薙ぎ払い、サヴァリスが突き穿ち、それでも二人は共に決定打を欠いていた。

 

 ●

 

「また互角。どちらかが危険を冒さなければ終わりそうにありませんね」

「まだまだ青いな。もうちょい違う見方をしなきゃ駄目だぜ」

「そうでしょうか? どちらも手詰まりに見えますが」

 

 焦げ茶色に塗装されたマンションの屋上で言葉を交わすのは、手すりに手を置いて彼らを眺めるクラリーベル・ロンスマイアと壁に背を預けたトロイアット・ギャバネスト・フィランディンの二人だ。

 巨大な剄のうねりを感じたため、クラリーベルは修行の一時中断を申し出て、彼らの戦闘を見物していた。天剣授受者の全力など、そうそう見られる様な物ではない。この機会は得難い体験になると感じている。

 ……レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。

 彼は自分と同じくトロイアットの教導を受けたと聞いている。自分の目指す先に近い何かを持っていると見ていいはずだ。

 トロイアットも彼に興味を持っている様だが、どちらかというと教材のつもりらしい。トロイアットは気だるげに口を開く。

 

「だから、そういう表面的なモンに捉われてちゃいけないのよ。特に俺とかクララみたいな化錬剄使いはさ」

「まさか、彼らの使うあの剄技は幻惑系統なんですか?」

「いいや?」

「…………。真面目にお願いします」

「俺は真面目だからよく聞け馬鹿弟子二号。若い奴らは大体勘違いしてやがるが、汚染獣ならまだしも人間相手に剄技なんて大した意味はねーよ。まあ、あのレベルになれば多少は違うのも確かだけどな」

 

 それは、理解出来る。

 汚染獣はその強靭な肉体と理不尽な生命力がある。その両方を打ち抜くとなれば、それだけ高い威力が必要になる。しかし、人間は簡単に死ぬ。首が斬れれば死ぬ。内臓が傷つけば死ぬ。血が流れるだけで死ぬ。

対汚染獣戦と対人戦では全くプロセスが異なってくる。

 

「どうやって殺すかを考えるのが汚染獣戦で、どうやって刃を届かせるかを考えるのが対人戦、という事でしょうか」

「相違点はそれで合ってるが、ここで言いたいのはそういう事じゃねーんだ。連中をよく見てみろ。あいつらは一見互角にやりあってる様にも見えるが、その実そうでもねえ」

 

 クラリーベルは、手すりから身を乗り出して凝視した。

 

「やはり分かりません。どういう事ですか?」

「よく見たから分かるって話じゃねーからまずは落ち着け?」

「あ、はい」

「で、だ。互角じゃないっていうのは戦況だ。近接戦闘能力で拮抗している時に、サヴァリスは強引に主導権をもぎ取りに行った。まあ、千人衝だな。だが目論見外れてレイフォンはそれすら含めて互角に持ち込んだだろ。ここまでは多分、レイフォンの思い描いていたシナオリ通りのはずだ」

 

 なぜならば、

 

「均衡を作ってからだ。自分で攻める事はあっても、とりにまでは行ってねえ。まず間違いなくサヴァリスが勝負に出るのを待っているんだと思うぜ?」

「――居合い抜き」

 

 抜刀はその技術の性質上、自分から攻め込むのには向かない。しかも、十全な威を発揮出来るのは正しい姿勢からのみだ。

 だから、待つ。

 その戦術は余すところなく正しい。

 

「それだけじゃない」

 

 トロイアットはよりよく観察出来る位置、クラリーベルの隣へと場所を移した。

 クラリーベルは隣の男を見上げ、次の言葉を待つ間にトロイアットの眼を見て、不意にこう感じた。彼が見ているのは戦闘行為ではなく剄技そのものなんだろうな、と。

 

「レイフォンの戦闘方法の全貌は不明だろう? なのにサヴァリスの方はバレている。――この差がデケェんだ。レイフォンから攻め込まれたらどう対応するか、完全のその瞬間に考えるしかないからサヴァリスは攻め込まざるを得ない。たとえ罠だとしても、主導権だけでもあった方がまだマシだからな」

「それはつまり――」

「――サヴァリスが追いつめられているのさ」

 

 ●

 

 どうしたものか、とサヴァリスは思案する。

 流石にこの膠着は予想していなかった。まさか千人衝に対して千人衝で対抗して来るだなんて予想外もいい所だ。

 とてもとても楽しいのは事実だが、対処に困る。

 ここからは総力戦だ。持てる奥義を尽くして戦う事になる。

 しかし、サヴァリスの戦闘方法がほぼ知られているのに対して、レイフォンのそれは全くの不明。しかも待ちに徹しているという事は、こちらが攻め込んだとしても捌ききる自信があるのだろう。

 これで主導権まで持っていかれたら流石にやり辛くなるだろう。

 ならば、自分で戦況を掌握しなければならない。サヴァリスは勝負を仕掛けるべく、大きく一歩を退き、

 

「そろそろ終わりにしようか、レイフォン」

 

 活剄衝剄混合変化、ルッケンス秘奥『千人衝』。

 百体に近い数の分身を作り出す。

 それら全てが十体以上を重ねた分身であり、これまでの千人衝とは比較にならない程に強力だ。ただし強力な分の消耗があり、長時間の連続戦闘は困難となった。だから、

 ……これで決める……ッ!

 レイフォンの前後左右、そして上空を囲う様にして分身を出現させた。

 逃がしはしない。

 

「――――ッ」

 

 レイフォンに出来るのは、今も身体を旋回する円陣幻影剣を利用して強引に突破する事と、移動術を使う事だ。

 だが、半円状に展開する分身に囲まれたレイフォンはあの超高速の移動術『エア・トリック』を使ってくる、とサヴァリスは考えていた。

 その場合に可能性として想定していた状況は二つ。囲いの外側への攻撃的回避行動か、

 

「――本体(ぼく)を狙ってくるか!」

 

 来た。

 外側に逃げればサヴァリスが無駄に疲れるだけという結果で終わっただろうが、この拮抗状態に飽きていたのはレイフォンも同様なのだ。

 だから、必ず狙ってくると思っていた。

 既に眼前で抜刀しているレイフォンは射程圏内だが、まずは銀の閃光の様な居合いを躱さねばならない。だから、とサヴァリスは身体を筋肉で強引に後ろへと戻していく。

 ギリギリのタイミングだったが、

 ……躱した!

 続く動作は全てが刹那の内に行われた。

 回避とほぼ同時に分身が化錬剄の糸を幻影剣に張り付けて拳打の衝撃を伝播させる。

 外力系衝剄の化錬変化、『蛇流』。

 

「!」

 

 破砕。一拍置かねば幻影剣は再出現しないため、レイフォンに武具は無い。しかし、

 

「そこだッ」

「――これは!?」

 

 外力系衝剄の化錬連弾変化、『重ね次元斬』。

 発生するのは、レイフォンが居合いという動作で放った球形の多重斬撃だ。

 サヴァリスは強引な回避動作を強行しているため、これ以上の行動は出来ない。重なる様にして顕在化していく次元斬を躱すのは無理だ。

 このままでは抉り取られる。

 ……あまりやりたくはないですが、仕方ない。

 サヴァリスは覚悟を決め、

 

「ぐぅ――ッ」

 

 不自然な軌道で更に後ろへと吹き飛んだ。

 直後、一瞬前までサヴァリスの身体があった空間を次元斬が抉る。回避に成功したのだ。

 その様を見たレイフォンは驚愕に眼を見開き、そして声を上げた。

 

「……糸? ――まさか、蛇流で自分を殴り飛ばしたのか!」

「なかなか痛かったよ」

 

 口の端から血を流しながらサヴァリスは狂気に笑う。

 多少ダメージを受ける事になったが結果として生き延びた。そして、もうレイフォンに逃げ場は無い。

 完全に囲んでいる。

 

「――――!」

 

 外力系衝剄の化錬変化、ルッケンス秘奥『咆剄殺』。

 口から放たれた震動波は分子結合すら破壊する衝撃だ。四方八方から放たれる“死”の重圧はレイフォンを飲み込み、世界から音を消し去った。

 

 ●

 

 サヴァリスの咆剄殺の余波が届く範囲に居るのはルッケンス武門の大馬鹿者どもだけであって、そこには彼らを護る無数の糸があった。

 鋼糸。

 リンテンスの天剣だ。

 

「ナイスよ」

「このために呼んだのか」

 

 イイ笑顔でサムズアップする女王に苛立ちを覚えたリンテンスは、ストレスを掻き消すように肺を白煙で満たす。

 グレンダン全ての武芸者が覗き見ているとはいえ、あそこまで近づこうという猛者は居ないらしい。お蔭で手間は少なかったな、と内心で愚痴を零していた。

 

「まあね。あ、もちろんあとで折檻するわよ? 都市内であんな大技かます馬鹿とか治安に影響が出そうだし」

 

 カナリスの泣いて喜びそうな一言を聞き流し、リンテンスは問いかける。

 

「あの小僧。助けなくてよかったのか?」

「いいんじゃない? あそこで助けたら天剣として恥になっちゃってただろうし」

 

 それに、

 

「生きてるしさ」

 

 ●

 

 サヴァリスは大きな剄の波動を感じていた。

 始めは張り巡らされたリンテンスの鋼糸による物だと思っていたが違った。自分の周囲の剄はリンテンスだが、その剄は上空から降ってきていた。

 

「……レイフォン!?」

「終わりだ。サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンス」

 

 サヴァリスは迎撃のために構えた。しかし、剄が圧倒的に不足していた。

 千人衝と咆剄殺の二連発で一気に剄を使い過ぎたからだ。

 使った剄を使いまわそうにも既に剄技は止めてしまったために霧散している。あと二秒あれば回復が間に合うが、レイフォンがそんなに待つはずもない。

 

「お披露目と行こう」

 

 魔剣技(てんけんぎ)、絶刀――。

 世界が曲がる。

 それは、不思議な光景だった。

 空から落ちていたはずのレイフォンの姿が掻き消え、変わりの様にいくつもの次元斬が空間を切り裂いていき、空という絵を歪ませていた。

 一体この光景は何なのか。絶技という言葉ですら足りない。まさに神業というより他になかった。神話か何かの様な規格外のデタラメにしか思えなかった。

 そして、サヴァリスの抱いたその感覚は正しい。この世界の誰一人として知らなくても、レイフォンだけがそれを知っている。

 伝説の魔剣士スパーダの血を受け継ぐ魔人・バージルの奥義である、と。

 

「う、あ……」

 

 いつの間にか両腕を失い、腹を抉られて横たわっていた。そして思う。巨大な水滴が降っていた様にも見えた、あの光景はまるで、

 

「雨――――……」

 

 ああ、負けたのか。悔しいけど、楽しかったなあ……。

 

 ●

 

 レイフォンが目指した魔人の最強の技は、未完成でありながらグレンダンの記憶に強い印象を(もたら)した。

 未熟な者達が英雄に憧れる様に。

 武芸者達が理解の範疇に無いと悟る様に。

 天剣達が自分ならばどうやって打ち破るかを思案する様に。

 そして、女王が己をも打ち倒し得る剄技の雛形だと認める様に。

 

 この日、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフはグレンダンの歴史に名を残す。『魔剣技・絶刀』の名と共に。

 

 ●

 

「……で、入院?」

「ああ」

 

 レイフォン・アルセイフは入院中です。

 絶刀がたったの一秒でも出来る様になったからって、無理しちゃいけないね。このザマっすわー。リーリンのお見舞いは嬉しいけどな! ちなみにデルクさんは意識が無い時に一回だけ来たらしい。知らんけど。

 

「レイフォンって頭いいけど、馬鹿だよね」

「…………」

「なに? 何か不満でもあるの?」

「いや、感謝している」

 

 ホントにな。返す言葉がねーわ。

 絶刀やりたいから、化錬剄で本体の居場所を誤魔化している間に千人衝の分身を突っ込ませて、サヴァリスの気を引かせて、なんとか上空までトリック・アップで逃げたんだけどなあ。

 まあ、絶刀をやるために極限どころか限界超えて活剄を高める必要があったからって、やっちゃダメだよな、普通。

 結果として筋肉ボロボロの内臓ズタズタで剄脈異常まで発生だもんな。何も言えません。

 

「ほら、口開けて。あーん」

「…………」 ←無言で口を開ける。

「あ――ん。あ――――ん!」 ←無視しつつ言えという催促。

「………………あ、あーん」

 

 すみませんご褒美です。

 あ、本音が。もとい!

 両手が動かないから仕様がないのは分かっているんだけど、ロールプレイヤーとしてはちょっと……。あ、でもバージノレさんもママポジションってか守る枠には素直だよな! ←自分に言い訳。

 個人的にはいいんだけどね。俺の戦う原動力のひとつはリーリンだし。

 ……おや?

 

「誰か、来たようだ」

「え?」

「やほー、元気してるー?」

 

 そんなふざけた調子で病室の扉が開き、入ってきたのは、

 

「……どちら様ですか?」

「私はシノーラ・アレイスラ。しがない美少女よ~」

 

 我らがクソ陛下のプライベート仕様ってヤツか。さっさと消え失せてくんないすかね。マジで。

 

「おはようリーリンちゃん。噂に違わぬ美味しそうな果実だこと」

「手を出したらどんな手を使ってでも殺すぞ」

「れ、レイフォン落ち着いて!」

「ダイジョブだいじょうーぶよ。……プフッ」

 

 このアマ。

 滅茶苦茶からかってやろーって感じのイイ笑顔してやがった。

 絶対付き合ったら後悔する。そんなん嫌に決まってるんで、対応とか一択だし。

 

「何の用だ」

「見舞いよ、見舞い。こーんな美少女のお見舞いよ? 嬉しく思いなさいな」

「何の用だ」

「はいはい、そう睨まないでよ。ごめんねリーリンちゃん、ちょっとだけ席外してくれる?」

 

 チラチラと目で、いいの? と聞かれているっぽいので頷く。

 二人はツーカー(死語)。

 

「あ、はい。えっと、じゃあ花瓶のお水を取り替えてきますね」

「うん、ありがとう」

 

 百合の花の花瓶を手に、リーリン出ていってしまった。ああ、俺の癒しが……。

 

「さて、時間ないし、聞きなさい。アンタのあの技、絶刀だっけ? あれは当分使用禁止ね」

「何故だ?」

「都市内で派手に馬鹿やった罰ってのが半分。危険っていうのが半分かしら。あれ、使い過ぎると死ぬわよ」

 

 マジなツラしてるから何かと思えば、そんな事かよ。

 言葉が足りてねーよ若作りのBBAがッ!

 

「身体が出来上がるまで、だろう? しばらく無理なのは間違いないだろうが」

「成長したからって、あれが危険な事には違いないでしょ。だから使い過ぎるとって言ったのよ」

「承知の上だ」

「……あ、そ。まあいいわ。伝える事は伝えたから今日はもう暇なんだよねー」

「帰れ」

 

 ちらちら見んな。

 マジで帰れ。帰ってくれ。

 全く。本気で迷惑ならそれとなく察したりするから憎めないんだよなあ。ああ、空が赤い。青空が懐かしいぜ。

 なんだかんだで、今日もレイフォンは元気です。

 




本日の処刑用BGM「Battle Fever剄-Kei-」 ←疾走感が欲しかった。なのでもしからしたらノリでやって途中描写不足があるかも? 脳内補完は作者がやっちゃいけないのに当たり前を省いてしまう不思議!


作業用BGM「Escape」 ←MUGENで鬼巫女の戦闘聞いてました。


追記;何故かレイフォンに萌えるという猛者が発生。これがギャップ萌えか。オソロシス。でも危険なので戻ってきた方がいいと思います。たぶんきっとメイビー

ここでバージノレイフォンの使う剄技について適当に解説にもなってない解説。

『エア・トリック』『トリック・アップorダウン』
旋剄を超えた超高速移動=水鏡渡り。

『疾走居合』
一瞬の交叉で無数の斬撃が閃光の様に煌めく無慈悲な無秩序斬撃=天剣技・霞楼。

『幻影剣』
作中にもある通り=千人衝。円陣、烈風、急襲の三パターンある。

『次元斬』
一応バージノレイフォンのオリジナル。化錬剄によって再現可能となったバージルの代名詞的な技。

『絶刀』
攻撃自体は多重連続次元斬。ただし使用には肉体への負担が大きい。いくつかの剄技を併用する事で再現している。どれかは秘密。

その他
とりあえずその技を使ったら書く。


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ザ・モーニング・スター編第五話:学生たちの過ごす日々

 ●

 

 放課後。

 学生は苦行の様な時間から解放され、思い思いの過ごし方に興じる時間だ。

 錬金科の学生であるハーレイが来たのは野戦グラウンド。

 ここは対抗仕合にも使用されるため、小隊員は模擬訓練の場として活用している。ハーレイが専属として就く十七小隊と、別件のレイフォンも今日は練武館ではなく、こちらで訓練の予定になっていた。

 本来であれば、もう少し早く合流出来たのだが、

 

「遅れちゃったかなあ。キリクと対論を始めちゃったのはまずかった」

 

 今の時間であれば、小隊員は訓練に精を出しているはずだ。

 すれ違いにならない様に控え室を覗いておく。

 野戦グラウンドの控え室はそれぞれ男子と女子の更衣室に繋がっていて、試合前の武芸者が入場前に腰を落ち着ける部屋になっている。訓練時には荷物置き場になる事も少なくないが、これは更衣室まで戻るより手早く済むためだ。

 現在は長椅子に荷物が二つ。

 レイフォンとシャーニッドの物だ。

 ちなみに武芸者でも女性は女性。みんな更衣室のロッカーに仕舞っている。

 

「うん、居るみたいだね」

 

 確認したハーレイは数歩を進み、扉を押し開くと広い空間に出た。

 高さ二十メートルはありそうなドーム型の空間で、一部は木々が乱立している。他の所は地面が隆起した場所や逆に僅かばかり沈下している箇所もある。そして最も多くの面積を占めるのは乾いた土の平坦なグラウンドで、そこには拳を交わす二人が居た。

 

「ニーナ、シャーニッド先輩!」

「ハーレイか?」

「珍しいな。お前さんがこっちまで来るなんて」

 

 二人はハーレイに視線を向ける事なく地面を蹴り、砂と空気をかき乱す。

 

「錬金鋼を使わないで、えっとなに? 組手?」

「ああ。レイフォンに言われたのでな」

「師事を頼んだんだっけ?」

 

 昨日だか一昨日にニーナがやけに嬉しそうに言っていた事を思い出す。

 これでもっと強くなれるぞ、と心の底から喜びを口にしていたっけなあ。

 

「あいつに頭を下げるなんて思わなかったけどな。マジ驚いたぜ」

 

 頭の後ろでまとめ、男にしては長めの髪を揺らしながらシャーニッドは愉快そうに笑う。

 するとニーナは、うるさい、と僅かに顔を朱に染めた。しかし、すぐに表情を引き締めると親指でグラウンドの反対側を指し示す。

 

「あれを見て、お前は何も感じないのか?」

 

 ニーナが示した先。

 ハーレイから見て奥の左側。林のすぐ近くだ。

 その”姿”を一目見て、息を飲む。

 左手の鞘から刀が引き抜かれ、姿勢の完成を以て居合いと成す。

 ゆっくりとした動作であるにも関わらず、姿に秘められた勢いを見せつけられる。レイフォンの繰り返す動きには、そう思わせるだけの力強さがあった。

 

「…………」

「ま、俺だって凄いと思うぜ。それでも頭下げてまで頼み込むとは思わなかったんだよ」

 

 訓練に来たレイフォンに対して、ニーナがとった最初の行動がそれだった。

 ニーナは初日に叩きつけられ、レイフォンと話した内容で随分と悩んでいた。しかし、翌日には持ち前の猪突猛進さを発揮。下を向いて思い悩む自分に渇を入れ、無理矢理に前を向けさせた。

 その結果が”頭を下げて教えを請う”という行為である。

 

「お前だって一緒に頭下げただろうがっ」

 

 シャーニッドも同様だった。

 いつもは訓練にすら遅刻して来るのに、何故か普段よりもかなり早く練武館に来ていた。そしてレイフォンが到着すると、ニーナと一緒になって彼も頭を下げた。

 

「俺は女にだけ恥かかせるなんて真似はしないのさ」

「お前はその妙な真面目さを少しは武芸に向けたらどうなんだ?」

「無理無理。俺の情熱はもう使用限界だっての」

「まったく、お前というやつは……」

 

 軽口を叩きながら組み手を続けている時だった。

 奥の雑木林に居たはずのレイフォンが近付いて来た。

 彼はニーナ達に休憩の旨を伝えると髪を掻き上げ、

 

「どうしたハーレイ。十七小隊の誰かに用でもあったか?」

「あー、俺たちはベンチで休んでるわ」

「うん、お疲れさまー。僕の用はレイフォンにだよ、はいコレ」

 

 一枚の紙を手渡す。

 錬金鋼についての情報が数値として記された仕様書だ。仕様書の一番に正式名称を記載する欄が設けられているが、そこだけは殴り書きでこう書かれていた。

 

「……複合(アダマン)錬金鋼(ダイト)? これは?」

「『連弾』で錬金鋼がダメになるって言ってたでしょ? それに関しては研究し直しだったけど、研究仲間が昔から考えてた新型錬金鋼がいい感じでね。一応、試作型が完成したんだ」

「ほう。現物はどこにある?」

 

 仕様書に一通り目を通したレイフォンは野性味のある笑いを浮かべて問いかけた。

 食いつき方は悪くない。少なくとも期待できそうだ、と考えている事はハーレイにも分かった。しかし、複合錬金鋼を託すにあたって重大な問題をひとつ残している。それは、

 

「すごく重いから研究室に置いてきたんだ。大きすぎてた身体が振り回されちゃうくらいだしさ、やっぱり実際に来てもらって細部の微調整した方がいいかなーって。あ、でも今後は改良を重ねてもっと軽量化してみせるから!」

「刃渡り百五十、重量にして五キル。確かに巨大かつ重い錬金鋼だが扱えぬ程でもない。訓練を終えたら訪ねよう」

「じゃあ終わるまで待ってるよ。細かい要望とかあれば聞いておきたいし」

 

 そして思う。

 レイフォン・アルセイフという男ならば、小さな不満は有っても扱いきれるだろう、と。それだけの技量を持ち合わせているとも。

 ハーレイはそういった実力者が満足する調整をこそ専門としている。

 生徒会からの特別依頼でもあるため予算に上限は無いに等しく、ある意味では腕の振るい甲斐がある状況だ。

 ……技術者冥利に尽きるってね。

 一人の特別に対する錬金鋼という研究も、誰よりも細かく武芸者の要望に応えるという調整も、その研究領域故に研究室の認可が下りなかった。それがただ一人の特別な武芸者が来た途端に重宝される様になったのだ。

 その事に思う所が無い訳ではないが、それでも自由に研究を突き詰められる現状の方がありがたい。

 

「今日はどれくらいで終わるんだい?」

「訓練は終わりだ。あとは少し、あいつらに聞いておくことが残っている」

 

 そう言うと、レイフォンはベンチで身体を休めていた二人に向かって問いかけた。

 

「ニーナ・アントーク、シャーニッド・エリプトン。お前たち二人に訊こう」

「私達に?」

「お前たちは、どんな武芸者になりたい?」

 

 ●

 

 対抗試合は二日間に渡って行われる。

 今回は四試合ずつ予定されていて、十七小隊の試合は初日の第三試合に組まれていた。

 当日の野戦グラウンドは超満員。

 既に第二試合が始まっていて、もうすぐ十七小隊の試合が始まろうという時間だ。

 試合直前になり、レイフォンは着替えを済ませて控え室に戻る。そして、いきなり眉尻を釣り上げることになった。

 シャーニッドの陽気な振る舞いは問題ない。フェリのやる気のなさも特におかしなことではない。しかし、

 

「……どうした?」

 

 ニーナの雰囲気が沈んでいた。

 彼女の纏う空気は厭戦の様な物ではない。どちらかと言えば、何かに悩む迷い子の様な物だ。だから、とレイフォンは先日の出来事に当たりをつけて問いかける。

 

「まだ答えは出ないか」

「ああ、まだ分からない」

 

 自分のことすらも分からなくなった、という様相でニーナは言った。

 

「私はずっとツェルニを守る事を考えてきたが私自身がどうなりたいか、なんて想像した事も無くてな。どうしたらいいのか、さっぱりだ」

 

 彼女の悩みは自分の”生き方”を求めるもの。

 これは余人に関われることではない。どれだけ言葉を尽くそうとも、自分を決められるのは自分自身に他ならない。

 だからレイフォンは己の経験で得た答えを端的に示すことにした。

 

「なるようにしかならん」

「――――」

 

 ニーナは目を見開いた。

 そして、声をかみ殺して笑う。

 今の言葉を聞いて、なんらかの意義を見い出したらしい。次の瞬間には今まで通りのニーナに戻っていた。

 

「――よし、最後に作戦の確認だ。シャーニッド!」

「あいよっと。俺は殺剄して隠れる。なんとか相手側の狙撃手をかわしてフラッグを狙う」

「レイフォン!」

「二人は止めてやる」

「フェリ!」

「可能な限り頑張りますよ」

「お前はもう少しやる気を出せ!」

「出してます」

 

 ニーナは息を吐く。

 

「まあいい。今回の試合は我々が攻撃側のため、私が倒された瞬間に敗北となるが、その上で私を本命に見せかける」

 

 それは、

 

「四人で五人を倒すのは工夫が要るが、私に目を引きつける。特に相手となる十六小隊はベテランの小隊。新入生が大活躍、そこで私が突撃となれば嫌でも目に付くはずだ。

 正攻法で挑んでも勝ち目は薄いなら、躱して行けばいい。全員が役割を果たせば勝てる! やるぞ……!」

 

 ●

 

 野戦グラウンドの中央でニーナは十六小隊の隊長の前に立つ。

 

「新設の小隊でどこまで出来るのか、見せてもらおうか。ニーナ・アントーク」

「――望むところです」

 

 会場の中央で握手を交わしたニーナは自陣のベンチへと向かう途中に思う。

 自分の作った小隊の初試合だ。絶対に勝ちたい、と。

 さらにに思う。

 ……負けはないんだろうな……。

 レイフォン・アルセイフ。

 グレンダンから来たという凄腕の武芸者の発言を思い出す。

 ニーナ・アントークが倒れる直前までは従ってやる、と。

 これは即ち、十七小隊というチームが敗北する時は自分の手で全て終わらせる、という宣言だ。彼の性格を思うに、おそらくそれで間違いないだろう。

 そうなってしまえば、レイフォン・アルセイフという武芸者の勝利であって、十七小隊の勝利ではなくなる。

 だからこそ、ニーナはレイフォンという鬼札を使うことなく勝利したい。

 ……難しい、な。

 そんなことを考えながらベンチに戻ると、シャーニッドの軽口に迎えられた。

 

「お? どうしたよ。旦那に挑発でもされてナーバスかい? 勝つぞ、なんて息巻いてたのに顔色悪いぜ」

「シャーニッド」

 

 名を呼び、息を吸う。

 

「我々は得難い指導者と、心強い戦友を得た。だからこそ、十七小隊で勝つぞ」

「……おう。任せな」

 

 そして、試合開始の時が来た。

 ブザーが鳴り響く。

 

 ●

 

 ブザーを耳にしたレイフォンは疾駆する。

 しっかりと学生に合わせて活剄を抑えているが、同様に飛び出したはずのニーナよりもかなり速い。

 ……少し、速いかねー?

 とはいっても、最低でもツェルニ最強アタッカーと示さなければならない。

 武芸者にとって、戦闘力とは発言力だからだ。

 発言力が必要になるかはとにかく、面倒を避けるのには有って困る事のないチカラだ。少なくとも面倒事が起きる事は知っているし文字通り力尽くで、

 ……取りに行く!

 数秒間を走れば野戦グラウンドの半分を越える距離を走破。半分から少しの地点で、敵側の武芸者がまだ動いていない事を察知する。

 当然だ。

 この試合は攻撃側と防御側に分かれて戦うもの。防御側はフラッグを折られれば敗北となるが、それ以外に敗北の条件が無い。

 フラッグ周辺で罠を仕掛けて待つに決まっている。だが、

 ……十六小隊の前線を構成するのは三人のはず。

 一人はニーナでも抑えられるとすれば、レイフォンが足止めするのは二人。新入生が一人で陣地前に姿を現せば”新人ゆえに組み易し”と判断して潰しに来るだろう。そこで目を引き付けておきたい。

 行った。

 走りにくい野戦グラウンドを反対側まで走り抜ければ、そこには五人。トンファー、斧、剣を持った近接戦術者が三人と、狙撃銃が一人、念威繰者が一人だ。

 三人の内の一人、トンファーの男が口を開いた。

 

「ここで一気に戦力差を広げれば後が楽だ。確実に落としてこい」

「了解」

「馬鹿め、一人で突出し過ぎたな!」

 

 二人がレイフォンを挟み込む様な動きで間合いを潰してくる。

 堅実な戦法だ。

 十六小隊は機動力に定評があっても過信はしていない。逃走と加勢の場合を想定した動きを見せていた。

 

「レストレーション」

 

 静かに練金鋼を復元。

 手にしたのは複合練金鋼。巨大さに見合う重量を持った太刀は十分な威圧感を伴っていた。

 

「でかい……!」

 

 しかし、それだけで怯む様な小隊員ではない。彼らは知っている。

 

「新入生に”ソレ”が使いこなせるか――!」

 

 巨大な武器は威力を保障する代わりに、重量や長大さ故に使い手を著しく制限するのだ。レイフォンの手にするソレは、熟練の武芸者であっても扱いが難しい。間違っても新入生程度に扱える代物ではない。

 即ち、虚仮脅しの時間稼ぎと判断できる。それを好機と見た二人はタイミングを合わせて突撃。

 斬りつける。

 

「ほう?」

「!」

「二人同時の攻撃を受け流しやがった……!?」

 

 悪くない剣筋だ、とレイフォンは思う。

 優れた武芸者による指導もなく、大した経験もない未熟者の攻撃にしては筋がいい。

 もう少し余力を削ぎ落としてもらえば、少しは複合練金鋼の慣熟練習にはなるだろう。だから、と激昂する様な物言いを思考したが、すぐに思い至る。

 ……バージノレロールなら問題なくね?

 

「戯れだ。付き合え」

 

 ●

 

 十六小隊のアタッカー二人を真っ正面から新入生が抑える。そんな光景にツェルニのほとんどの人間が目を奪われているだろう。

 試合中でなければ自分も見てみたい、という思いを胸に、ニーナは野戦グラウンドを駆け抜ける。

 レイフォンの位置を越えて、フラッグを視界に捉えた。もう少しでフラッグを取れる地点には到着した。しかし、

 

「そう簡単にはいかないか……!」

「期待の新人に前線を作らせ、その隙に自分でフラッグを狙う。……少し変わったか? ニーナ」

 

 殺剄で気配を隠しながら一気に駆け抜けて、あわよくばフラッグ強奪を狙う。それは、

 

「人数差があり、しかも機動力を、即ち即応性をウリにしている我々十六小隊に対して隊長が特攻とはな。無謀だぞ」

「そうでしょうか。少なくともウチのアタッカーが人数差を補っていますよ?」

 

 視界の端には、十六小隊のアタッカー二人に対して一歩も引かないレイフォンが居る。

 複合練金鋼を使いこなして戦う姿は手加減してるにも関わらず圧倒的だ。

 

『これは予想外の展開だあ――!! 無謀にも一年生アタッカーが十六小隊に特攻したかと思えば上級生二人の猛攻を前に一歩も引かない善戦を見せているぞ!』

「なるほど逸材だ。あの二人を同時に相手取って戦えるとは……」

「あとは、私が貴方を”抜け”ば終わりです」

「貴様如きに出来るものかッ!」

 

 十六小隊の隊長は強い。

 二年前の”あの戦い”の時も思った事だ。

 だが、今は更に強くなっている。

 トンファーの連撃は早い代わりに重さを伴わない。しかし、今の彼の連撃はその欠点が露呈しない様に工夫が為されていた。

 

「トンファーを回転させる事で更に速度を上げたのか……!」

「僅かだが遠心力で威力も向上しているぞ!」

 

 威力の改善が見られても、遠心力だけではタカが知れている。実際にニーナの感覚では大したことのない一撃だ。だとしても、それを補うための修練は確かに実を結んでいる。

 速く、鋭い連撃は受け止める事は可能だが、

 

「反撃の隙が……」

 

 ない。

 受け止めるので手一杯だ。

 このまま受け続ければ、いつか潰されてしまうだろう。

 

「どうした。このまま受け続けるだけか!」

「く……!」

 

 苦しい状況だ。

 だが、戦える。

 以前ならば既に膝を折っていた程の猛攻に、ギリギリの均衡だとしても未だ耐えている。これ程の成長を実感出来た行為はただひとつしかない。

 ……剄息の効果か!

 始めは大変だったが、今では剄息をしていなければ息苦しいくらいになっている。それがこれほどの効果を発揮するとは思っていなかった。

 

「チィ、まだ耐えるのか……」

 

 声から若干の疲労のニュアンスを嗅ぎ取った。

 心なしか、猛攻も勢いが衰えている様にも思える。

 ……判断を間違えたな!

 敵が短期決戦を可能と踏んで猛攻を仕掛けた結果、体力に陰りが見える。対してニーナにはまだまだ持久力に余力があった。その差をモノにするには攻めるしかない。

 集中が緩み、速度が鈍った瞬間。

 

「――はあッ!」

 

 軽いトンファーの攻撃を跳ね除ける。

 あとは、右手に振りかぶった鉄鞭を脳天に叩きつければ終わりだ。

 ニーナは勝利を確信する。

 直後。

 

「ぐあッ!?」

 

 腹部に打撃が炸裂した。

 痛い、という思いよりも先に馬鹿な、という思考が意識を充満する。

 ニーナが受けたのは単純な攻撃だが、トンファーによる攻撃の中で最も威力を見込めるもの。拳よりも細く硬い錬金鋼が勢いよく叩きつけられ、対象に抉りこむ様な打撃を加える一撃だ。

 攻勢を見せた瞬間に最大の攻撃を浴びせるというカウンターが示すのはひとつの事実。

 

「読まれて、いたのか……」

「それもある。だが結局の所は間違えていただけだ」

 

 腹部を押さえて膝を折るニーナを前にして、彼はトンファーを引き絞る様に構える。

 すると、剄が収束し始めた。

 

「ニーナ・アントーク、お前は防御力に優れている。鉄壁と言ってもいいほどにな。だがそれ故に攻防の駆け引きに慣れていない。だから読みやすく対処も容易い!」

「――ここまでだ」

「!」

 

 ニーナと戦っていたはずの男が、

 ニーナを倒していたはずの男が、あっさりと崩れ落ちた。

 それを成した人影はすぐ後ろから現れた。

 

「レイフォン……」

 

 レイフォンは応えず、林に、次にフラッグへと視線を送っている。

 つられてニーナが視線を向けると、直後。

 シャーニッドの歓喜の声と共に試合終了を告げるブザーが響いた。

 

「…………負けたのか、私は」

「まずは己を知るといい、ニーナ・アントーク」

 

 ●

 

 夜の祝勝会まで自由行動となったため、思い思いの行動を取ることとなった。ニーナは続く第四試合の観戦。ハーレイは複合錬金鋼の調整。シャーニッドはどこぞに消えた。

 そしてレイフォンは自室のある寮へと足を向けている。しかし、彼は一人ではなかった。一人の女性が彼を率いて歩いていた。

 

「俺に用があるんだろう、フェリ・ロス。いつまで黙っている気だ」

「ええ、お聞きしたいことがあります」

 

 聞きたいことがある。

 そう言いながらもフェリは足を止めない。振り向くことすらしない。まるでレイフォンを視界に入れぬ様に、と無理をしているともとれる素振りだ。

 呼び出しておきながら視線も向けない。そんな行動に、レイフォンは心当たりがあった。

 

「ふん。畏れを抱きつつも問いを投げるのか」

「……貴方を恐れているのは事実です。ですが、無闇に危害を加える様な愚かな方とも思いません」

 

 それに、

 

「私たち念威操者は感情は薄く、それすらも切り離して思考することが可能です。貴方ならご存じでしょう?」

 

 レイフォンが鼻を鳴らして応えると言葉が途切れ、足音だけが響く時間が生まれた。

 無言のまま歩き続けて建物の様式が違うものになる頃、不意にフェリが足を止めた。彼女は息を吸い、そして吐く。ようやく、という時間をかけて意を決し、振り向いた。

 

「試合が終わる時、貴方は隊長にこう言いましたね。――己を知れ、と」

「言ったな」

「では、これを見て貴方はどう思いますか?」

 

 言うやいなや彼女の頭髪が青白く光を放った。

 念威の光だ。

 足下に届くかという長髪の全てが念威の光に満たされていた。

 凄まじいまでの念威。才能だけ見れば間違いなく天剣授受者と遜色ないレベルだ。デルボネが存在を知れば後継者にと望むだろう。

 まさしく規格外の才能の塊。

 

「……なるほど、桁外れな念威だ」

「そうですね、私は故郷において天才と呼ばれた念威操者です。誰もが私に”そう”生きろと言うんです。ですが私には、誰もが言う念威操者という生き方が分かりません。ひどくイビツに感じられるのです。あるいは、それは私が私を知らないからなのでしょうか。もしそうなら私は……。

 ――きっと貴方も天才と呼ばれていたのでしょう? 故郷では天剣という称号を授かるほどなんですよね。だったら教えてもらえませんか? なぜ貴方は武芸者であることに一点の曇りもないのですか――?」

 

 切実な訴えは、絶叫だ。

 心が張り上げる悲鳴だ。

 己という存在の定義を問う慟哭(どうこく)なのだろう。しかし、とレイフォンは思う。

 

「下らん」

「な――」

 

 レイフォン・アルセイフにとって己の定義に不明な点などないからだ。

 何をしたいのか、

 何を成すべきか、

 何が義務なのか、

 何が権利なのか。

 その全てに疑問を差し挟む余地はなく、かつてといつかに対して一切の躊躇(ためら)いなく生きている。

 だから、とフェリが絶句するのを無視して告げた。

 

「貴様も、貴様の都市もだ。――フェリ・ロス」

「どういう意味、ですか」

「己が何者であるかの決定を、他人の意志に(ゆだ)ねるのか?」

「――――」

 

 問いかけの意図は、単純にして明快。

 それは、

 

「私が、何者で在りたいのか」

 

 誰がどう言ったからではなく、

 自分がどの様に生きたいのか。

 

「そうやって考えれば――――?」

 

 フェリが思考の渦から戻った時、レイフォンの姿は既にない。

 彼女は身体から力を抜くと、一言呟いた。

 

「……無責任なヤツ」

 

 ●

 

 対抗試合の二日目も無事終了し、夜。

 レイフォンはミィフィたちに連れられ、レストランに来ていた。

 先日の祝勝会は小隊のメンバーのためのものであったため、個人的に祝いの席を用意してくれたらしい。勝利を祝うという行為には縁がなかったが、

 ……結構、嬉しいモンだわ。

 表情は一切動かさずに内心で喜んでいると、

 

「最初にこれを。都市警の所長から渡してくれってさ」

 

 ナルキが無造作にそれをテーブルに乗せた。

 九百万という札束だった。

 

「え、えええっ!? ちょ、ナッキどうしたのこのお金!」

「ミィ静かに! レイフォンも早く受け取ってくれ。こんな大金は心臓に悪いんだ……」

「面倒を掛けた。手間賃とでも思うといい、今日は奢ってやろう。この通り、金はあるしな」

「え、いいの! やったあ――!」

 

 ナルキは落ち着け、とミィフィを手で制し、

 

「ともあれまずはレイとん、十七小隊の勝利アンド大活躍おめでとう!」

「おめでと――!」

「……おめでとう、レイとん」

 

 三人分の拍手が耳を打つ。

 

「よし、遠慮しないで食うからな! すいません、注文お願いしまーす!」

「今日のナッキはノリノリですなー」

「いきなりこんな大金渡されたんだぞ! 不安だった分、食えるだけ食ってやる」

「根に持ってたんだ……」

「構わん、好きに食っていいぞ。明日の体重計が楽しみだが」

「それは言わない約束だぞレイとん!」

 

 ナルキはやれやれ、と吐息。レイフォンの手元にある札束に視線を向けた。

 

「それにしても、この大金はなんなんだ? 人に言えないこととかしてないよな」

「もー、なに言ってんのさ! ナッキって結構ニブちん?」

「どういう意味だっ」

「都市警の偉い人が渡してきたんでしょ? それなのにヤバいお金とかある訳ないじゃん」

 

 ね? というミィフィの確認に軽く頷く。

 

「ただの配当だ」

「配当? まさか、対抗試合の賭博(とばく)か!?」

 

 ナルキの声に怒気が混じった。

 しかし、レイフォンは答えない。ただナルキを冷めた眼で見つめるだけだ。

 

「ちょ、ちょっとナッキ止めてよ、お願いだからさ」

「あの……あの、ナッキ……!」

「あ、ご、ごめん。でも、レイとんも何か言ってくれないか。これじゃあ……」

「ふむ」

 

 慌ててナルキを宥めるミィフィと、あわあわと動揺するメイシェンを見て、思い直す。

 ……確かに、黙ってたら場の混乱がヤバいです。

 だとしても、十七小隊の勝利に賭けたのは事実であり、小隊員が対抗試合に賭けをしてはならないのもまた事実。色々と言い訳は可能だが、あくまでルールに対して穴をついただけだ。

 純粋に武芸を信望する心根には黒すぎる。

 どうしたものか。

 悩んだレイフォンの頭脳が弾きだした答えは、

 

「何か問題があるのか?」

「ウッソ、そこで開き直んの!?」

 

 ミィフィのツッコミは素晴らしいが、状況が状況なので華麗に無視。

 

「ばっ、馬鹿を言うな! 武芸は私達がこの世界で生きていくための大切な贈り物だ。それを私欲で(けが)したんだぞ!?」

「その思想が必要であることは十分に()()()()()。不要だと切り捨てるつもりはない。だが、その思想に身を浸そうとも思わん。それは――」

 

 レイフォンから表情が無くなり、声の抑揚(よくよう)も失われた。

 ひっ、というメイシェンの小さな悲鳴も耳に入らない。

 

「……俺にとってそれは、飢餓(きが)(あえ)ぎ、死に(ひん)する者に向かって『武芸者の誇りために死ね』と告げることと同じだからだ」

「――――」

「武芸者としての義務を果たしている限り、どう生きようと個人の自由だ。誰に(はばか)ることもない」

「あ、う……」

 

 レイフォンは吐息する。

 昔を思い出して熱くなってしまっていた、と。

 やれやれ、と視線を落として大きく息を吐き出すと、再びナルキに向かい合ってこう告げた。

 

「威圧してしまったな。詫びと言ってはなんだが、ひとつ講義をしてやろう」

「……こう、ぎ」

「ナルキ・ゲルニ。武芸を扱う意義について問おう。――我々武芸者の義務とは、なんだと思う?」

「――え、あ、えっと」

 

 気に当てられて呆然としていたナルキは、問いかけられると視線を忙しく動かし、考える。

 ややあってから、

 

「市民だ。都市警察志望だからかもしれないけど、私はそう思う」

「正解だ。武芸者は都市を損ねる可能性の全てと戦う義務を負う。しかし、それは都市にしか人間が住めないから都市を護っているに過ぎない。即ち、市民の守護こそが最大の義務」

 

 そして、

 

「守護を(うた)っておきながら戦うことしか出来ない我々が守護者足り得るのは外敵が在ってこそだ。だからこそ考えろ。どういった行動がどんな影響を生み、護るという結果に繋がるのかを。常に意識しろ。護るべき市民が最優先だと」

「…………はい」

 

 まだ呆然としているのか、内容に理解が及ばないのか、レイフォンに教えられるのが悔しいのか。返事はどこか間の抜けたものだった。

 

「あ、……お料理、……来たみたいだよ」

 

 細々とメイシェンが言う。

 彼女が示した方向を見れば、確かにウェイターの青年がいくらかの料理を運搬していた。

 

「ふむ、せっかく用意してもらった祝いの席だったな。危うく台無しにする所だったが、ちょうどメシも来たんだ。仕切り直し、としてくれないか?」

「もちろん、オッケーだよ!」

 

 ミィフィの快諾がありがたい。

 視線をナルキに向けると、小さく頷いた。メイシェンとミィフィが取り繕ってくれた空気を壊すような真似はしない、といことだろう。

 レイフォンにしても全く同感だ。

 テーブル一杯に料理が並べられるとミィフィは音頭を取った。

 

「かんぱーい! いやー、レイとんスゴかったねー!! 最後なんかババーっと隊長さんの所まで言ってたし! そこんとこ、うちのナッキはどう思う?」

「ん、そうだな。あそこまで強いとは思ってなかった。あれは凄いよ」

「……でも、あんなに強いのに、……どうしてすぐ倒してしまわなかったんですか?」

「俺がすぐに倒すのは確かに容易い。だが、それでは対抗試合の意味が無くなってしまう。あのままニーナが持ちこたえていたなら、……これは!」

 

 大地が跳ねた。

 否。

 都市。

 震動で、都市全体が大きく揺らいでいるのだ。

 

「え、ええ――!?」

 

 最初に大きく縦に揺れ、それから斜めに激しく揺れが続いている。最初に穴かなにかに落ちて、そのまま滑っているということだろう。

 通常なら、このままでは、と危機感を募らせる場面だ。しかし、レイフォンはこの出来事を予期していた。

 

「……やれやれ、つくづく祝い事には縁がないらしい。ウェイター! タッパーかなにかを用意しろ!」

「レレレレ、レイとん!? あの、その、えっと!」

 

 倒れそうになったメイシェンは隣に座っていたので、咄嗟に抱きかかえていた。

 取り繕いようもなくテンパっていると小動物の様だ。

 

「ああ、すまん」

「あのー、レイとん。私と対応が違うんですけどー?」

「ナルキが居るだろう」

 

 ミィフィはナルキが抱えているので、怪我などは一切なく済んでいる。

 と、ウェイターがプラスチック製の容器をいくつか抱えてやって来た。

 

「適当に置けばいい。あとはこちらでやる。ミィフィ、メイシェン。二人で適当に詰め込んでおけ」

「えっと、どうしたの?」

「早くしろ。それからナルキ。お前は二人をシェルターまで警護、その足で都市警に向かえ」

「シェルター?」

「……レイ、とん?」

 

 困惑する三人に向かって、パニックにならぬよう慎重に言葉を重ねていく。

 

「事実はどうであれ、すぐに緊急招集があるだろう。最悪の場合、一般市民はシェルターへと避難しなくてはならない」

「レイとん、もう少し分かりやすく言ってくれ。回りくどいぞ」

「ナルキ、よく聞け。二人も騒ぐなよ」

 

 冷静に告げる。

 

「汚染獣が来た」

 

 




いつからレイフォン視点がのほほんだと勘違いしていた……?



ということで五話です。

戦闘BGMはDMC1の通常戦闘(いっちゃん最初の人形戦ってことで。名前しらない)
日常のほのぼのBGM『フンフンフン♪だよ、らき☆すた』 らららこっぺぱん

作業用BGMはブレイジングツアーを適当に聞き流してました。

ある意味では差し挟みの様な回ですが、この話の次の話でレイフォンの人生観が少し分かる、という形にするつもり。時間掛かりますけど。すみません。


きっと、ここから始まって色々変わってしまう歴史の分水嶺。そのひとつですなあ。


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ザ・モーニング・スター編第六話:過去と現在と

 ●

 

 クラリーベル・ロンスマイアは、グレンダン三王家のひとつ、ロンスマイア家の娘で、現天剣授受者であるティグリスの孫であり、女王・アルシェイラの従妹にあたる。

 血筋から才能を良く受け継いだのか、幼くともその実力は高く自他とも認める天才だ。

 愛称はクララ。親しい者にはそう呼ぶように言っている。

 

「行ってきますね、お爺様」

「うむ。毎度の事で慣れてしまってるやもしれんがトロイアットには気を付けろ、クラリーベル。奴は――」

「はいはい」

 

 祖父の”小言”を軽く受け流し、閉じる門の隙間に言葉を置いた。

 

「大丈夫ですって。先生は手の早い方ですが道理は(わきま)えていますよ。同意もなく馬鹿はしません」

 

 既に脚はいつもの鍛錬場所であるトロイアット宅に向かっていた。

 急ぐ必要は無いが、心なしか少し足早になっているかもしれない、とクラリーベルは苦笑する。

 

「仕方ありませんね、私も。いくらレイフォンと戦えるからといって浮かれすぎなんでしょうか」

 

 彼女が脳裏に描くのは、かつて初陣の際に不手際により窮地に陥るも、後見人となったレイフォンに救われた情景だ。

 自分と同じ世代の子供がグレンダンで武芸の頂点に立つという偉業。最年少で天剣を手にした少年に思う所があった訳ではない。しかし、クラリーベルとて一人の武芸者だ。羨望や嫉妬を抱いたこととてある。

 曖昧な感情を抱いていたからこそ、自分という才能を魅せつけたいと思った。そして、自覚せずとも舞い上がっていたクラリーベルは当然の様に無様を晒す結果を招いた。

 ペース配分を誤り、トドメを刺す前にダウン。

 なんたる恥辱か。

 許せなかった。

 汚染獣ではない。

 余りに不甲斐無い自分という存在が、だ。

 だからクラリーベルはレイフォンに執着を持っていても何もしなかった。何をするにしても自分が弱くて、弱すぎて話にならない。

 経験の不足はもちろん、基礎能力すらも貧弱である事実を認識した上で祖父以外の者にも教導を願い、天剣の一人、トロイアット・ギャバネスト・フィランディンを(たの)んだ。クラリーベルと同じく化錬剄を得意とする彼は急な依頼を快諾し、それ以来は師弟関係が続いている。

 歩くことおよそ十分。

 トロイアットの住居に到着した。感じ取れる剄から判断すれば、中に居るのはトロイアットのみ。

 感じ取れる剄は中庭からだ。

 

「――先生?」

「おう、クララ。今日は早いな」

 

 白塗りの豪邸に備え付けられたプールがあり、声はその隣の芝生の方からだ。

 

「気が逸ってしまったようで。やはりレイフォンと戦えると思うと抑えきれません」

「やっぱあの小僧かよ。初恋?」

「彼と同世代の武芸者なら誰だって”こう”なりますよ。十才という若輩でも天剣に手が届くと証明した人なんですからね」

 

 グレンダンの少年少女にとって、天剣は憧れだ。その憧れの存在になれるかもしれないという希望。それがレイフォンだ。

 熟練の武芸者達は『天剣』が特別な者だと知っているが、子供は知らない。だからこそ誰もが彼に憧れ、その姿を目指し、そして越えたいと想いの火を胸に灯すのだ。

 今の自分で届かないからずっと届かないとは思わない。レイフォン越えを願う一人の武芸者として、その機会を得られたというだけで舞い上がっても不思議はない。

 

「ふーん。まあ、クララは才能あるし、もしかしたら勝てる()()()()()()な」

「――つまり、今の私では絶対に勝てないと言うんですね?」

「そりゃ無理だろ。剄力じゃあ天剣でもトップクラスだが、それを除いてもアイツは俺レベルの天才だ。だから勝てねえ」

「説明になってませんよ」

 

 言いたい事は分かりますが、とクラリーベルは口元を手で隠しながら笑う。

 

「なんにせよ、私はレイフォン越えに挑戦するだけです」

「命短し恋せよ乙女ってか。ま、ひとつアドヴァイスしてやっから頑張んな」

 

 やや憮然とした表情でトロイアットが言った。

 

「レイフォンの戦いには対人の概念がねえ。老性体との戦闘以外を想定してねーんだ」

 

 それは当たり前の事だ。グレンダンでは老性体と戦えるのは女王を例外とすれば天剣のみ。その天剣が老性体と戦うために腕を磨くのは当然の事と言える。

 しかし、それではアドヴァイスと言った意味が分からない。

 

「人間と戦う事を想定していないって、天剣争奪戦は勝ち抜いてますよ? サイハーデン刀争術。見事な刀技でした」

「そうじゃねえよ。あいつはほとんどサイハーデンの剄技を使わない」

「はい?」

 

 サイハーデン刀争術は、レイフォンが初めて修めた戦闘術のはずだ。身体に染みついた戦闘技術を最大の実戦で使わないなど自殺行為にしか思えない。

 第一、身に着けた技術を汚染獣との戦闘、それも老性体に使わないならば一体いつ使うのか。

 

「戦いの基礎をサイハーデンで学んで、俺に化錬剄の基本と概要を教わってからは自己流のはずだぜ。様々な体系の剄技をどれも使う自分なりの戦い方ってヤツを作り上げたんだろうよ。だから基本が対老性体になってる。変な先入観があるとすぐに負けるぞ」

「動きの基礎がサイハーデン。そこに先生から学んだ化錬剄を融和。しかも独自開発とは、さすがはレイフォン。凄いです。あの時にはもう先生の化錬剄とかなり違う系統になってませんでしたか?」

「戦い方が変化するのは当然だろ。それ以上に剄技が違う」

 

 トロイアットは大きく息を吐く。

 

「どう説明っすかな……。サイハーデンを使ってた頃と違って、今のレイフォンに対人間レベルは意識にないはずだ。アイツがまともに戦うってことは老生体を殺し尽くすことと同じなんだよ」

「つまり、本気にさせるには老生体と真っ向から戦える戦闘力が必要だと?」

「その程度も出来ないなら、全力なんて出せねーのは確かだな」

 

 ●

 

 デルク・サイハーデンは目の前の光景を、いつか見たものだ、と思いを馳せる。

 

「気を付けてね、レイフォン。あんまり遅くならない様に」

「気を付けよう」

「うん、いってらっしゃい」

「ああ」

 

 レイフォンを見送る少女の名はリーリン・マーフェス。目鼻立ちがクッキリとし亜麻色の髪と緑色の瞳で、肩までかかる美少女と言って過言ではないだろう。将来が楽しみな子の一人だ。

 彼女が見送るのがレイフォン・アルセイフ。かつて自分に師事した少年であり、今や天剣に名を連ねる天才。

 ただそれだけだったのなら、何も問題は無かった。あるいは、それが努力の末による結果であれば素直に喜んでいただろう。だが、レイフォンは違った。

 ……レイフォン、お前は――。

 

「どうしたの、怖い顔してるわ」

「――いや。昨日は眠れなくてな、すまん」

「ホント? 無理はしないでよね、お義父さん。もう若くないんだからさ」

 

 リーリンの気遣いは嬉しい。血の繋がりが無くとも娘に気遣われるのは父親にとっては得難い喜びだ。

 

「お義父さん?」

「まだ朝は冷える。身体を冷やさないようにしなさい」

「あ、うん……」

 

 リーリンが家に戻った事を確認して、思考を巡らせた。

 ……レイフォン……。

 リーリンと共に保護した少年は、寡黙だった。誰と話すでもなく、誰と笑うでもなく、ただ武芸者として鍛錬し続けていた。

 かつて、なぜそこまで強くなろうとするのか、と問いかけた事がある。その時、レイフォンは淡々とこう言った。

 必要だからだ、と。

 当時、考えられた事情は武芸者への配給だが、それも違うと言っていた。

 デルクには、必要だという言葉の意味が分からなかった。

 レイフォンが何を考えているのか分からなかった。

 汚染獣が来てもグレンダンの武芸者達は難なく撃退している。十にも満たぬ子供が自分の身体を虐めてまで急いで強くなる必要など無いはずなのに、一体いつ武力を行使すると言うのだろうか。

 不思議に思う自分に対してレイフォンは更に、孤児院の資金運営はやっておくから心配しなくていい、とまで言った。デルクは自分がやっても上手く出来る訳ではないと考え、自分の監督下であるなら、と任せた。

 レイフォンは付加価値やらリスク・マネジメントやらと意味の分からない言葉を使っていたが、不思議な事に金に困る事は少なくなっていったのは覚えている。

 だからこそ理解が及ばない。

 ただの天才ならば理解出来なくても納得は出来よう。しかし、経営は知識なくして成功するものではない。ならば武芸に心身を注ぎ続けたレイフォンは、それだけの知識を一体どこで仕入れたというのか。知る機会なくして識るレイフォン・アルセイフ。

 ……お前は一体、何なのだ……?

 

「――いかんな」

 

 レイフォンの事を考えると、身体に力が入ってしまうらしい。いや、自分を誤魔化すのは止めるべきだ。認めるべきだ。目を逸らしてはならない。

 デルク・サイハーデンは、レイフォン・アルセイフに感謝すると同時に恐れている――――。

 

 ●

 

 トロイアットの屋敷の庭に、屋敷の主であるトロイアット本人とその弟子たるクラリーベルが立っていた。そしてレイフォンは相対する位置で歩を止める。

 

「来てくれましたね、レイフォン様」

 

 クラリーベルの口から告げられた言葉は歓迎だが、出で立ちや振る舞い、剄の輝きまでもが高揚した戦意を顕著に示していた。

 いや、とレイフォンは己の思考を否定した。彼女にとっては戦闘は歓喜に満ちた空間であり、十分な戦力を持った相手は歓迎すべきなのだろう、と。

 

「呼ばれたからと足を運んで来てみれば。――――貴様と戦えと?」

「お嫌ですか?」

 

 そう訊ねる彼女は、今にも襲いかかってきそうにも見えた。

 レイフォンは息を吐く。

 

「手間だ」

「手間を感じる程度には私を認めてくれているんですね」

 

 クラリーベルとは、あまり接点がないために正確な戦闘力を出で立ちだけで判断することは難しい。

 それでも、とレイフォンは思う。

 彼女には才能がある。それも天剣と比肩し得る天賦の才を、だ。そして今が身体が少しずつ出来上がっていく時期であることも考慮すれば、初陣の頃とは比べ物にならないほど成長していることだろう。

 ……だから厄介なんだよなあ。

 どれだけ目映(まばゆ)い才能を開花させつつあるとしても”準天剣級”と称される程度の武芸者では届かないのだ。

 全力を出してしまえば殺してしまいかねず、どこまで成長したかにもよるが、手を抜けば倒し切れない。そんな領域に居るものが、準天剣級。

 

「煩わしいと言っているんだ」

「言ってくれますね、と見栄を張りたい所ですが今の私では敵わない事くらい分かってます」

 

 とはいえ、

 

「そうまで軽視されると驚かせたくなる程度には意地がありますよ?」

 

 だからどうした、とは口にせず、レイフォンは視線だけでトロイアットに問いかけた。

 ……実際どーなのよ?

 対するトロイアットは眉をひそめ、すぐに表情を改めるとひとつの応答を作った。

 トロイアットは、悠然の笑みを作り、レイフォンに返したのだ。

 

「――――」

 

 試してみろ、と言っているらしい。

 だとすれば、本人が言葉にしている様に驚くことがあるのだろうか。

 ……相手が悪いね。

 訝しむ意識が見えたのか、クラリーベルは不満そうな口調でこう言った。

 

「私では無理とでも言いたそうですね?」

「ふん」

 

 いくらレイフォン・アルセイフという武芸者の肉体が途方もないポテンシャルを誇っているとしても、才能の上に胡坐をかいていた覚えはない。

 天剣授受者と呼ばれるだけの戦闘力を手にするまでに相応の代価を支払っている。

 クラリーベルの才能は認めよう。しかし、まだまだ磨き足りない原石に苦戦などあり得ない。

 なによりも、レイフォンはクラリーベル・ロインスマイアという武芸者の戦い方を”知って”いるのだ。自信を持ってこう言い切った。

 

「少なくとも今は不可能だ」

 

 ●

 

 格下だ、と明らかに宣言されたと同時。

 クラリーベルは動いた。

 トゲのあるメリケンの両端にナイフを付けた様な紅玉錬金鋼(ルビーダイト)胡蝶炎翅剣(こちょうえんしけん)に手を掛けた。

 自ら考案した錬金鋼は間合いが短い代わりに取り回しが良く、素早い攻撃を可能としている。

 ……これが避けられますか!?

 抜き打ちの一撃。

 滑るような、空気すらも切り裂く斬撃だ。

 今の自分に放てる攻撃としてはおよそ最高の斬撃だと確信出来る。不意打ちとして放たれた最高の斬撃は吸い込まれる様な軌道でレイフォンの首へと向かい、

 

「な――ッ」

「なるほど、思ったよりは速い」

 

 剣を抑えられるか、避けられる。そういった対応をされる。あるいは天剣授受者ならば素手で受け止められてもおかしくはない、とすら考えていた。

 しかし目の前の光景は、そんな予想すらも軽々と超えていた。

 レイフォンは刹那という時間で胡蝶炎翅剣をすり抜ける様にして突破。剣を振り切って態勢を硬直させたクラリーベルの眼前に身を置き、

 ……首を、掴み上げられるなんて……!

 不意を突いて得意の抜き打ちを放って、それでもなお相手にされなかった。一合を交わす事無く終わってしまった。格が違う、と否応なく納得させられた。

 途轍もなく圧倒的なまでの戦闘能力。

 クラリーベル・ロンスマイアという小さな武芸者とはかけ離れた領域。ひとつの頂点に触れたことで湧き上がった感情は、悔しさではない。

 それは、――歓喜。

 

「……なぜ笑う?」

「笑う?」

 

 言われてみれば、確かに口元が歪んでいた。

 掴み上げられているのが自分でなければ、そんな状態で笑えるはずがないという感想を抱いていたかもしれない。

 ()()()()()言い切れる。

 片手で自分を持ち上げるレイフォンを見つめて言い切ってやる。

 年若くして天剣授受者に至る可能性が証明された時から。初陣で後見人の貴方に助けてもらった時から。私をこんな女にしたのは貴方だ、と。

 

「決まってるじゃないですか」

 

 そして今、天剣授受者という武威を如実に示した時。私にこんな想いを抱かせたのは、

 

「――貴方が強いから」

 ……貴方が好きです。

「――――」

 

 クラリーベルは、レイフォンの顔色が変わるのを見た。

 怪訝の色から無へ。

 変化は驚愕を含むものであり、ある種の呆然とした不理解の色だ。

 ”驚かせた”ことと自分の想いを切り捨てられなかったこと。このふたつの事実はクラリーベルに快いものを抱かせ、自然と表情が笑みへと変わっていくのが感じられた。

 と、その時だ。

 

「あっ」

 

 クラリーベルの視界は反転し、エアフィルターで隠される錆びた空が見え、次の瞬間には鈍い音を響かせて地面に尻から叩き落とされる。

 

「きゃん!」

「……ふん」

「い、痛いじゃないですか。いきなり投げ捨てないで下さいよ」

「知るか、たわけ」

 

 抗議の言葉も口にしつつも、クラリーベルの表情は照れくさそうに崩れていた。

 レイフォンの反応がまるで照れ隠しのように思えて、その途端に自分までも照れくさくなったのだ。

 だから、という風に立ち上がると痛む尻を撫でて誤魔化し、微笑みを携えてこう言った。

 

「ふふ、それでですね、レイフォン様。もうしばらく私に付き合ってくれませんか?」

 

 さっきまでの無様な姿は、もう晒さない。

 過度な緊張はなくなった。勝てない相手だと十分に思い知った。今なら、気負うことなく戦える。

 レイフォンの眼だけをじっと見つめると、クラリーベルは口を開いた。

 

「今度こそ退屈させませんから」

 

 しばらく見つめ合っているとレイフォンが目を逸らし、ややあってから吐息。

 

「たまには、お前の遊びに付き合ってやろう」

「――はいっ!」

 

 宣言と同時に踏み込むクラリーベルには、確信があった。

 レイフォンが”付き合ってやる”と言った以上、自分から攻め立てて終わらせる様な真似はしない。

 ……私の攻勢を待つはず。

 それは、クラリーベルがレイフォンよりも遥かに弱いからだ。

 自分よりも弱い者に対して果敢に攻めれば、すぐに終わってしまうかもしれない。レイフォンはそう思っている筈だ。

 だからクラリーベルが攻め、レイフォンが受けるという構図が成り立つ。だというのに、

 

「……ッ」

 

 攻め入る隙が全く見出せない。

 レイフォンの姿勢は一見すると無防備にも思える。()()()()したままの天剣と、鞘となる黒鋼錬金鋼(クロムダイト)を手に持つ以外、特筆すべき点はない。鞘に手を添えて、ただそこに立っているだけだ。

 明らかにサイハーデン刀争術とは異なる姿勢。これがレイフォンの構え。

 あの日、天剣であるサヴァリスすら手を焼いた姿勢に対し、

 ……私が突破口を見つけ出せる道理などありませんね。

 ならば、下手に探りを入れず自分に出来ることを積み重ねていけばいい。

 身体を揺らしながら化錬剄の幻惑を用い、フェイントや牽制を動きに織り交ぜて進行方向をかく乱する。挙動を、視覚を、感覚を誤魔化していく。

 

「行きます!」

 

 行った。

 

 ●

 

 クラリベールが脇目も振らず接近していく。

 旋剄を用いた高速移動での突撃だ。

 彼女が胡蝶炎翅剣を構えると、姿がブレた。ブレはそのまま拡大してゆき、クラリーベルと全く同じ姿を現した。

 数にして十一。

 化錬剄によって作り上げた幻惑だ。

 クラリーベル達は、それぞれが化錬剄の幻惑を使いつつ、レイフォンとの間合いを詰めていく。

 対するレイフォンがひとつの動きを見せた。

 十一人のクラリーベルのうち、たった一人だけをあからさまに注視し出したのだ。

 

「どうした。……来ないのか?」

「行きたいのはヤマヤマなんですが、そう直視されると恥ずかしくなってしまいます。それよりも――」

 

 クラリーベルは吐息。

 彼女の剄と同じ色を拡散させ、化錬剄の幻影が空気に溶けた。

 

「そんなに分かりやすいですか? これでも結構見抜かれない自信はあったのですが」

「阿呆」

 

 淡々とした口調で、レイフォンはこう言った。

 

「トロイアットのやり方は俺も知っている。ヤツほどの練度もなく、何の工夫も見えん。それで通じる道理などあるまい」

「それは――」

 

 クラリーベルの分身として散らした剄の偽装を解除。

 代わりに顕在化するのは複数の剄弾だ。

 

「――知っていましたっ!」

 

 数にしておよそ三十。

 迫り来る剄弾に対して、レイフォンは緩やかな動作で後ろに跳んだ。

 回避の動きを見たクラリーベルは叫び、自身もまた攻め立てる。

 

「逃がしません……ッ!」

 

 剄弾は直線的な動きで追尾を開始。

 レイフォンが下がり、レイフォンを負う剄弾があり、そのまた向こうにはクラリーベルが追い縋る。

 と、不意にレイフォンが足を止め、抜刀。天剣を回転し始めた。刀身の白をそのままに、しかし、透き通った色で、傘の形状をした剄が作られていく。

 クラリーベルが疑問を口にする前に、変化があった。

 ……剄弾が……。

 爆発することなく、天剣に絡め取られた。

 剄弾は、それそのものが剄で出来た弾薬だ。半ば物質化しているためにタイムラグがあるとはいえ、触れれば直後に爆発する性質を持っている。

 それを無視した目の前の光景に対し、なぜ、という思考を作るよりも早く、レイフォンが動いていた。

 レイフォンは絡め取った剄弾を器用に刀身に並べると、クラリーベルに投げ返す。

 

「ふんッ!」

「く、ああッ」

 

 返された剄弾に向かって突撃している状況に叩き込まれたクラリーベルは、強引に身体を捻り込む。

 だが、回避にはまだ足りない。

 剄弾の一部が脚をかすめ、頭部に向かったものは腕で防御。

 接触と同時に剄弾は弾け、衝剄をばら撒き、クラリーベルは吹き飛ばされた。

 地面を転がって衝撃を散らす。数回ほど転がると脚を伸ばして静止。慣性を押し留めた衝撃が脚を貫き、激痛が襲った。

 裂傷の痛みを堪えていると、

 

「己の未熟に救われたな」

「!」

 

 首筋に触れる冷たい感触に息を飲む。

 剄弾に弾かれたクラリーベルに、いつ接近したのか。いつ天剣を首に突き付けたのか。

 ……気付けなかった……。

 速い。

 しかし、無理矢理の速度ではなかった。

 自然な動きで可能な速度だからこそ、いつ動いたのかすらも分からず仕舞いなのだ。

 レイフォンにとっては余裕を持った速度に意識が追いつかないという事実に、クラリーベルは悟る。

 クラリーベルとレイフォンの間にある、その差が分からぬほどに隔たる実力差。

 

「……さすがは、レイフォン様」

 

 敵わないなあ、と息を吐く。

 と、不意に彼女に声が掛けられた。

 

「ありきたりだったんだよ、クララ」

「先生! ……居たんですか」

「ここは俺ん家だ馬鹿野郎」

「夜を過ごした事も無い家でしょうに」

 

 腰掛けたベンチで、まあな、とトロイアットは笑った。

 

「で、なんで負けたか分かってるか?」

「さすがは天剣授受者ですね。手も足も出ませんでした」

「それ以前だったがな」

「どういう意味ですか?」

「どうもこうもねーよ。ヤツを見な」

 

 と言って彼が指で示したのは、そばで静かに佇むレイフォンだ。

 

「レイフォンの野郎な、最初から最後まで一歩として動いちゃいねーぞ」

「え? それは、どういう……」

「化錬剄の幻影さ。最後に天剣突き付けた時は本人だったけどな。それ以外じゃ、ずっとあそこに居たぜ?」

「では、最初に私が化錬剄を仕掛けていたのは!?」

「幻影。努力を間違えちまったな」

「――――」

 

 言葉が出なかった。

 全力で化錬剄を使い、奇策を用意して、神経をすり減らす思いをして攻め方に苦心していたのに、その全てが無意味。いや、意味を問う以前の問題だった。

 レイフォンと戦う”場”に立つことは叶わず、そのことに気付くことすら出来なかったのだ。

 

「私、は……ッ!」

 

 勝敗以前の問題だ。

 このザマで、どうやってレイフォン越えだなどと(うそぶ)くのか。

 

「見事だった」

「なにを――」

 

 失態を悔やむクラリーベルに声を送ったのは、レイフォンだ。

 

「――確かに俺と戦うに至らなかったが、お前の取った行動それ自体にミスは無い。的確な行動選択だった。ヤツの教導をモノにしているのだろう。その他に不足があるというなら、これまでと同じ様に積み上げていくといい」

 

 これが単なる慰めであれば怒っただろう。しかし、レイフォンに見事だった、などと言われて、

 ……嬉しくない訳ないじゃないですか。

 幼いながらの淡い憧憬を覚えさせたのはレイフォン。叶えられると夢見させたのも、レイフォンだ。だから、満面の笑みで期待に応えよう。答えを示そう。

 

「――はい!」

 

 この日からクラリーベル・ロンスマイアはレイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフに対する想いを公言する様になった。

 そしてこの日からレイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフは変態になった。

 

 ●

 

 クラリーベルとの決闘紛いをした日から数日が過ぎたある日。

 レイフォンは王宮に呼び出されていた。

 迎えに出てきたカナリスに連れられて王宮庭園へ向かい、だらしなくベンチに寝そべる女王を眼にする事になった。薄着ではないが、露出が比較的多い部類だ。妙にイラっとした。

 彼女はベンチの傍に立つティグリスと話していたがレイフォンを見て足を組むと、口元を不快気に歪めた。

 

「俺に対する視線誘導が目的か?」

「ガキが粋がってんじゃないわよ」

 

 アルシェイラ・アルニモス。

 グレンダンの女王たる最強の武芸者。

 彼女は背後に影武者であるカナリスを控えさせ、レイフォンと向き合った。視線に険は無い。警戒すらもなく、どことなく呆れの雰囲気が伝わってくる。

 

「で、アンタさ。なんで呼び出されたか分かってる?」

「いや」

 

 短く答える。

 すると、ティグリスが問いを投げかける。

 

「惚れた女人を甚振(いたぶ)り、辱める趣味があるというのは本当か?」

「どういう意味だ。……ティグリス翁?」

「……まあ、そうだろうな」

 

 吐く息と一緒に言葉を吐き出したティグリスは疲れた様にこう続けた。

 

「クラリーベルがお前に想いを寄せているそうだ。それ自体は構わんが先日からソレを隠そうともせん」

「それが?」

「それとほぼ同時に”ヴォルフシュテインが少女の首を締め上げていた”といった類いの噂が流れた。少女がクラリーベルである、という内容も含めてな」

「…………」

 

 レイフォンは応えない。既に嫌な予感で一杯だからだ。

 

「これが間違っていると言い切れない事は知っている。今、グレンダンではお前が――」

「もういい。先程の下らん問いはそれか」

「そーいうこと」

 

 アルシェイラが軽い声色で応える。

 

「それで色々言われてんのよねー。情操教育もままならない十歳の子供に天剣を与えるからだ、とかね。ホント下らないったらないわ」

 

 情操教育、倫理観念、一般常識。

 何が不足していようが”強さ”さえ確かであるなら天剣授受者足り得る。それを一番識っているのはアルシェイラ自身だ。噂ごときで天剣を呼びつけたりはしない。

 だからこそ分かる。天剣が”強さ”という絶対基準を満たしていても解任する例外があり、それが今回なのだ、と。

 

「おおよそ検討はつくが一応は聞いておこう。俺にどうしろと?」

「一〜二年の猶予はあげる。その間にどこか別の都市を探しなさい。……条件付き都市外追放よ」

 

 例外とは、民意。

 都市を構成する要素の中で最も重要であるが故に、決して無視出来ぬ大河の如き一方通行の流れだ。

 

「処分は分かった。だが、まだ建前ではない方の追放理由を聞かされていない」

「……そうね。例えば、武芸者が何をしようとしても、一般人に抗う術がないと広く認知されたらどうなると思う?」

「暴動が起こる。果ては都市社会の崩壊、即ち人類の滅びだ」

「そ。ましてやアンタは武芸者ですら止められない天剣授受者。本当にそうなりかねないのよ」

 

 天剣という暴威を若干とはいえ示してしまったレイフォンを置いておくことは出来ない。天剣が力づくで少女に迫った場合に止められる者が居ないという事実は民衆には重かったからだ。

 しかし、

 

「ハッ、面白いことを言う」

 

 レイフォンはアルシェイラを嘲笑う。

 これはお前たち王家が招いたのだ、と。

 

「ユートノールが居なければ、そんな懸念は出て来なかっただろう? 下らんな、実に下らん」

「アンタ、知って……」

 

 狼狽えるアルシェイラとは逆にティグリスは眉を立て、

 

「馬鹿な真似はするなよ、レイフォン」

「馬鹿な真似? ミンス・ユートノールを俺が殺すとでも思ったか、たわけ」

「なに……?」

「恐怖ゆえに俺を排除せんとするのはおかしなことではない。愚かだとは思うがな」

 

 それに、

 

「愚図とはいえ、無能ではない。保護者の真似事くらいは出来るだろう」

「!」

 

 ティグリスの顔色が変わった。

 呆から、険の色。

 明らかに”知っている”反応だ、とレイフォンは確信する。反対に、アルシェイラに理解の色は見えない。とぼけている様にも感じられない。

 まだ、知らないのだろう。

 

「保護者? どういう意味?」

「理解が及ばんならそれでいい。だが、これだけは覚えておけ」

 

 有りっ丈の殺意を込めて言い放つ。

 

「どんな理由であれ、護るべき市民を俺たちの戦争に巻き込むなら、アルシェイラ。――――俺は貴様を殺す」

 

 後日。

 レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフの天剣一時退位と、情操教育のために学園都市に留学することが発表された。

 

 

 

 ●

 

『本当にレイフォンは不器用だね。

 手紙を送ってきたかと思えば、封筒の中には(しおり)が一枚入ってるだけ! 何度も言ったよね? 言葉を伝えないと気持ちだって伝わらないって。いつだってあなたは一言二言だけで黙っちゃうし、誤解をされるような言い方もしてた。

 わたしは分かるよ? ずっと一緒に居たんだもの。でも、他の人には分からない。伝わらないんだよ。だからクラリーベル様の一件でグレンダンを追い出されることになったって分かってるよね? 分からない、なんて言ったら怒るから。

 でも、分かってるって言ったらもっと怒ります。絶対に分かってないし。手紙もまともに書けない人に相互理解なんて難しいことが出来るとは思いません。そんなあなただから、ツェルニでも、きっと対人関係に苦労してると思います。だから、少しだけでいい。昔を思い出して。

 わたしたちと普通に会話してた頃があったんだよ。少しの間だけだったし、すぐにレイフォンは今みたいになっちゃったけど、それでも誰とでも普通に話してた時期があったの。忘れた、とか言ってないで思い出しなさい。

 

 きっと、大丈夫。

 

 レイフォンはグレンダンのみんなの、孤児の英雄だったんだよ。あなたが本当は優しい人だって昔から知ってたわたしたちだけじゃない。他の人たちだって、みんなレイフォンのことが大好きでした。これは嘘じゃない。みんながそう思ってた。

 わたしだって、式典とかで陛下の(となり)に立っているあなたを見たりすると遠くに行ってしまったように感じたりしました。

 そんな眩しいくらいに輝いていたあなたに孤児院のことまで押し付けてしまったから、こんなことになってしまったんだと思う。わたしたちはレイフォンに頼り過ぎていたんだって、そんな風に考えました。

 だから、わたしたちにできることからやっていきます。働くのではなくて、上級学校に行こうと決めました。

 わたしは経営を学びます。レイフォンが心配しなくていいように、レイフォンよりも経営に詳しくなろうと思います。お父さんもあなたの一件があってから、少しだけ考えを改めたようです。引き取った孤児のみんなに、父親として生き方を教えていきたいって、そう言っていました。

 本当、わたしたちのお父さんは不器用だよね。あなたもそんなところばかり似なくてよかったのに。

 

 わたしは、お父さんの手伝いをしようと思います。経営を学んで、これからもお金に困らないで済むような孤児院にしようと考えています。

 お父さんとわたしで孤児院を守っていきたいと思います。

 今までずっとレイフォンにばっかり苦労を押し付けてたけど、これからはわたしたちだって頑張るから。許して、なんて言わない。あと少しだけでいいんだ。

 レイフォンも頑張って。

 

 素敵な押し花の栞をありがとう。見たことない花だけれど、とても綺麗だね。

 いつか、あなたがグレンダンを守ってくれるあの暖かい日々が再び来ることを、わたしは祈ります。

 

 

 親愛なる、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフへ

 

 

                              リーリン・マーフェス』

 

 

 

 

 ●

 

「……悪いな、リーリン。もう変えられないし、変えようとも思わないんだ」

 

 レイフォンは手の中にある一枚の手紙に、言葉を落とした。

 

「あれからもう二年、か」

 

 眼下に広がる風景は、グレンダンのものとは違う。

 ツェルニの学生たちが描く何気ない日常だ。そして、非日常がすぐそこまで迫ってきている。

 この世界で生きる人間に襲い掛かる災厄――汚染獣。

 生まれたばかりの赤子が相手だとしても、学園都市に住まう武芸者も年若い者だけだ。共に未熟であるならば、生存競争の頂点たる汚染獣に軍配が上がる。

 彼らが独力で撃退するのは難しいだろう。

 ここから始まる物語が、

 

「”鋼殻のレギオス”。でも――」

 

 果たして、語られた物語をなぞることになるのか、否か。

 最後を知らない『レイフォン・アルセイフ』に走破出来るのか、否か。

 どちらにしろ、やってみないと分からない。

 いや、とレイフォンは続きを口にした。

 

「――やってみないと、それすら分からないよな」

 

 『レイフォン・アルセイフ』を成し遂げようとは思わない。

 『レイフォン・アルセイフ』を成し遂げると、そう決めた。

 遠い昔に誓ったことだ。

 それが、『レイフォン・アルセイフ』という天才の肉体を自分勝手に遊び尽くす権利の対価。

 

 




四歳児れいふぉん「あい にーど もあ ぱぅわー(巻き舌)」
デルクだでぃ「えっ」


作業用BGM「dmc4 combo mad3」(ニコニコ動画)4:50からのコンボがカッコ良すぎた。
作中BGM「Din Don Dan Dan」(Ragnarok 2) 結構いい感じかな? はじまりって感じ。ちょっと合わない場面もありますが。


DmCにお兄ちゃんが出演すると聞いていたんだが、それは間違いだったよ。
あんな小物……。

しょせん がいでん グギギ


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ザ・モーニング・スター編第七話:戦場に立つ者たち

 ●

 

 自分の執務室に戻ったカリアンはリクライニングチェアに腰を下ろし、会議室から連れてきた男、――ヴァンゼの言葉を待った。

 

「汚染獣戦についての資料は残っていないのか? 少しでも情報があれば作戦の参考になる」

「残念だが、資料は残されていない。あるいは、残っているのかもしれないが、少なくとも私は知らない」

「……なら、どうしてここまで連れてきた? 俺だってさっさと部隊ごとの配置を決めなくちゃならないんだぞ」

「すぐに分かるよ」

 

 焦りからか、もはや詰問のような調子で問い詰めるヴァンゼに対して、はぐらかすように答えていると、ややあってから一人の武芸者が姿を見せた。

 ノックもなくごく自然に扉を開けたのは、

 

「――アルセイフ?」

「俺に、何やら訊きたいことがあるそうだな」

 

 やはり彼は汚染獣の襲撃にも一切動じていない。それどころか余裕すら感じられる。

 傍若無人とも見える様子にカリアンはある種の安堵の念を抱いていた。

 汚染獣との交戦経験を忘却の彼方に追いやってしまったツェルだけでは戦況の把握すらも困難だっただろう。このタイミングであることそれ自体が、不幸の中の幸いだ。

 どういうことかを伺うようなヴァンゼを敢えて無視した。その上でカリアンは両手を左右に広げ、

 

「よく来てくれた。ツェルニには君以上の汚染獣戦の経験がある者は居ないからね、いろいろと訊きたかったんだ」

 

 努めて笑顔を維持しながら、カリアンはこう言った。

 

「紹介がまだったね、ヴァンゼ。彼はレイフォン」

「そんなことは知って――」

「――レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。槍殻都市グレンダンにおいて最強の武芸者に贈られる”天剣授受者”という称号をその手にした武芸者だよ」

「――――」

 

 レイフォンに向けられたヴァンゼの表情はまさに愕然(がくぜん)といったものだった。

 無理もない、とカリアンは思う。

 レイフォンは新入生として入学して来ている。年齢も十五歳であることは疑いようのない事実だ。そんなにも若くして”武芸の本場”と称されるグレンダンの最高位に至る。一個人には想像もつかない世界だろう。

 そういった感情を向けられるのには慣れているらしく、レイフォンは何の反応も示さなかった。ただ淡々とした口調で、いいか? と聞いた。

 

「なんだい?」

「俺からも用件がある。ゴルネオを呼び出してくれ」

「ゴルネオ……、ゴルネオ・ルッケンスだね、武芸科五年生の。ここに呼べばいいかな」

「頼む」

 

 すぐに秘書を呼び出し、手早く指示を出す。

 

「念威繰者を通して呼び出すけど、彼が来るまで少し時間がある。それまで手短に訊ねよう。今、ツェルニを襲っている汚染獣は、どういった習性を持つのだろうか」

「あれは幼生体、汚染獣の赤子だ。それゆえに習性も何もない。ただ数で戦線を押し進め、餌を喰らう。それ以外にはしようとはせず、また出来もせん。愚鈍で単調な本能の塊に過ぎない」

「普通に戦って殲滅すれば問題はなさそうだね」

「いや。ひとつ、絶対に間違えてはならないことがある。母体となる雌性体を殺す前に幼生体を殲滅した場合、雌性体は周辺一帯に救援を求める。かなり広い範囲に渡って、な。強力な個体まで含めて無数の汚染獣が群がってくることになるだろう。そうなってしまえば……」

 

 レイフォンは最期まで言葉にしなかった。

 しかし、誰も何かを口にしようとはしなかった。食い荒らされる光景が、滅んだ都市の荒廃した姿を思い描いてしまったからだ。

 カリアンは意図して吐息をひとつ(こぼ)し、執務室に広がった痛いほどの沈黙を破った。

 

「――雌性体の殲滅が生き残るための絶対条件。地下から湧き出る幼生体から考えて、雌性体が居るのはおそらくその穴の奥深く。申し訳ないが、ツェルニは私が入学する前からしばらく汚染獣と遭遇しなかったらしくてね。それらの準備は整っていない。都市外戦装備もどれだけ残っているか……」

「都市外戦装備なら一式、グレンダンで作った物を持ってきている。都市外戦は可能だ。他に用意するのは一着で構わない。無いなら無いで、まあ、なんとかしよう」

「錬金科と連絡を取ろう。あちらになら少しは資料があるかもしれない。しかし、結局は母体が倒されるまで幼生たちを殲滅することなく、ひたすら耐えていなければならない訳か……」

 

 出来るのだろうか。

 ……そうではない。

 小隊長との会議で言った言葉は紛れもなく事実。出来なければ死ぬしか道は残らないのだから。

 

「それ以外に何か方法はないかな? 私は犠牲をゼロに近づける努力を惜しむつもりはないんだ」

「どうだかな……。考えるにしてもツェルニの戦力を知らねばなるまい」

 

 レイフォンはそう言ってあしらうと扉へと視線を向ける。

 直後。

 扉が押し開かれ、一人の男が姿を見せた。

 戦闘衣に身を包む銀髪で体格の良い大柄な武芸者だ。彼の表情は引き締まっていて、どちらかというと精悍という印象がある。

 

「ゴルネオです。失礼します」

 

 ゴルネオはそう言うと、執務机の前で歩みを止めた。

 直立不動の姿勢からは生来の真面目さがよく伝わる。そんな彼に向かって、カリアンは歓迎する様に笑みを向けると、

 

「ああ、待っていたよ。レイフォン君から呼んでほしいと頼まれたんだ。大変な時にわざわざ来てもらってすまないね」

「ヴォル……、レイフォンさんが?」

 

 カリアンは苦笑する。同じグレンダン出身の者として色々と思うところがあるのだろう、と。そして、レイフォンに視線を飛ばす。すると、釣られるようにしてゴルネオもそちらを見た。

 

「ゴルネオ。お前はツェルニの戦力を把握しているか?」

「え、ええ、ある程度は。ですが、それでしたらヴァンゼ武芸長の方が詳しいはずです」

 

 そうではない、とレイフォンは言った。

 

「知りたいのは学生の戦力そのものではなく、幼生体との比較だ」

「判断出来ません。私には幼生体との戦闘経験がありませんし、グレンダンでも見学まででした」

「では、ゴルネオ・ルッケンス。当時、グレンダンで汚染獣を撃退した武芸者と比べて今の貴様はどうだ? 戦えるだけの戦闘力があるか?」

「どう、でしょうか。戦えるとは思いますが……」

「ひとつ補足するが、今のお前なら幼生体に苦戦することはないだろう。少しばかり外力系衝剄を使えば甲殻を砕けるはずだ。その程度には鍛えた」

 

 ”少しばかり外力系衝剄を使えば”というレイフォンの言葉を吟味するように、ゴルネオは視線を泳がせた。

 ややあってから、

 

「……だとすれば、我々に幼生体の群れを撃退することは不可能です」

 

 カリアンは零れ落ちる吐息を抑えきれなかった。やはりそうか、と。

 汚染獣に武芸者の卵だけで立ち向かえるはずもない。たとえそれが赤子であろうとも、紛れもなく人類の天敵。世界の覇者なのだ。

 

「――ヴァンゼ。君はどう思う?」

 

 腕を組み、壁に背を預けるヴァンゼはゴルネオに対して疑問を投げかけた。

 

「確かにゴルネオは小隊員の中でも上位に位置するだろう。だが戦術や戦略ではなく、単純な攻撃力という点ならお前以上の者も居るな? どうしてそんな結論になった?」

「武芸長、今の私は以前の対抗試合の時よりも遥かに強くなっています。活剄のみでは砕けないほど幼生体が硬いのであれば、下級生だけではまともに戦えず、上級生であっても十分な連携が必要になると判断しました。そして何よりも、幼生体の脅威とは幼生体という個体ではなく物量なのです。今回も百や二百では済まないのは確実です。平均的な質で劣り、数すらも届かない我々に撃退は難しい」

「……ッ」

 

 並べられた言葉に、ヴァンゼは返す言葉もなく立っている。

 ヴァンゼが言い返さないのは、幼生体についての知識がないことと告げられた言葉に矛盾が見当たらないことが理由だ。

 知らないことを討論することは出来ない。

 ゴルネオと幼生体との比較が正しいか間違っているかという前提すら判別できない以上、言えることなどあるはずもない。

 ここはわずかでも得られた情報をある程度、正しいとして行動するしかない。

 一拍の間。

 それを置いた後、カリアンは確認するようにゆっくりとこう言った。

 

「……絶望的な状況ということか。レイフォン君はどうする?」

「言ったはずだ。俺が母体を殲滅し、貴様らは都市の防衛。それ以外に手などあるまい。カリアンと、そこの貴様」

「……ヴァンゼだ」

「貴様らは学生が耐えられるように可能な限り策を練っておけ。単純なものでいい。棘のある障害物でもあれば、勝手に刺さるのが幼生だ。上手くやれ。ゴルネオ、お前は念威繰者を連れて来い。最低でも一キル、可能であれば二キルまで広域探索可能なヤツだ。俺が担いで巣穴に飛び込んだ時、パニックにならないよう最低限は伝えておけ」

 

 ゴルネオが返事をするよりも早く、カリアンは声を割り込ませていた。

 

「待ってくれ。念威繰者ならフェリが居る。あの子ならツェルニからでも十分母体の位置を割り出せるだろう。最短で事を済ませられるはずだ」

「……フェリ・ロスか」

 

 フェリの持つ念威繰者として破格の才能。

 彼女の意志を無視してまで武芸科に転入させた理由は、その一点に尽きる。彼女の才能であればレイフォンと比較しても決して見劣りしない。

 念威繰者として十分に役立つはずだ。

 

「妹でね。自慢のように聞こえるかもしれないが、念威繰者としては君に匹敵するほどの才能を持つ子だ」

 

 告げた言葉に返ってきたのは二つの動き。

 呆れたという様な深い吐息と、

 

「――要らん。邪魔になるだけだ」

 

 あっけないほどに簡潔な拒絶だった。

 

 ●

 

 緊急避難令が発動され、その旨も都市中に放送で伝わっている。それでも万が一のことを考え、都市警察は使える人材を総動員して最後の見回りに骨を折っていた。

 ナルキ・ゲルニもその一人だった。

 

「はあっ……はあっ……!」

 

 可能な限り急ぎながら、残っているかもしれない人影を探していく。

 レイフォンに食糧を持たされたミィフィとメイシェンを無事にシェルターまで送り届けた後は、ずっとこれを続けていた。

 

「――誰か居ませんか! 都市警察です!! 避難命令が発令されています、すぐにシェルターに避難してください!」

 

 声を張り上げつつも、脳裏に浮かぶのは親友二人の姿だ。

 メイシェンは怯えていたし、ミィフィも気丈に振る舞っていても、やはり怖れを隠しきれていなかった。

 二人は紛れもない一般人なのだ。

 汚染獣の襲撃と聞けば恐れを抱いて当然だろう。

 嘘だとしても、”自分が居るから”などとは言えなかった。武芸者なのに、あるいは、武芸者だからかもしれない。

 汚染獣を漠然とした不安ではなく、明確な脅威として認識出来てしまう。

 未だ成人すらしていない半人前のナルキとは、比べ物にならない程に強く熟達した武芸者であっても、汚染獣戦では容易く命を落とすことがある。

 それが汚染獣という脅威。

 人類の天敵。

 むしろ誰も死なないで済む方が稀だ。学生しかいない学園都市にとって余りに重い現実だった。

 ……そういえば……。

 不意に思う。

 レイフォンはどうなのだろうか、と。

 彼は対抗試合で圧倒的な実力を見せつけていた。都震が起きてからも動揺することなく至って冷静に行動していたように思える。しかも、メイシェンたちに食事を持たせるなど、他人に気を回す余裕まであった。

 誰もが何が起こったのか分からずに混乱している中、彼だけは正確に”当然の様に”生き抜くための備えを口にしていた。ほとんど無意識に従ってしまう程に力強く、なにより信頼させられてしまう何かがあった。

 ……レイとん……。

 彼は決して、単なる学生に収まるような武芸者ではない。

 余りに違い過ぎた。

 

「……いや。たとえレイとんがどういう人間であれ、ツェルニのために戦おうとする武芸者には変わりないよな」

 

 ナルキは吐息する。

 むしろ頼もしいと言うべきだ、と。

 ひたすら走り回り、声を張り上げるだけの行為は、無辜(むこ)な時間となるらしい。つい無駄な事に思考が巡ってしまう。

 余計なことに気を回している暇があるなら、と身体を動かした。商店街全域を駆け回り、どこからも反応がないことを確認。

 身体ごと振り向き、

 

「誰も居ないな、よし……」

 

 そのまま駆け出した。

 商店街を来たときとは逆の方向。目指す先は都市警察の事務所だ。

 途中に行動を挟まず走り抜ければ、所要時間がかなり短縮されることになる。それなりに時間をかけたはずの商店街も武芸者の健脚ならば十分と必要としない。

 商店街を抜け、学校を右折して進み、しばらく走れば事務所に辿り着く。

 建物の中へと足を踏み入れ、最初に思うのは人気の無さだ。普段ならばそれなりに喧騒に包まれていたものだが、今は誰一人として見当たらない。

 吐息ひとつで複雑に絡まる感情を吐き捨て、奥の通路に行き、所長室の扉を(くぐ)る。

 

「――ナルキ・ゲルニ、ただいま戻りました!」

 

 都市警察は市民の避難誘導を担当する。だからこそ、一切の不備があってはならないと言ったのは目の前に座るフォーメッドだった。 

 彼には武芸の才はなく、当然、都市警察に所属する武芸者は先に避難させようとした。しかし、事務所に残るという意志を頑として曲げず、報告を受ける上司として最後まで居残った。

 普段こそだらしない態度だったりするが、自分の仕事に対して信念と情熱を持つ強い人だと行動が証明していた。

 

「商店街に市民は残っておりませんでした」

「ご苦労さん。お前は外縁部の防衛組と合流してくれ。あとはこっちでやっておく」

 

 相変わらずの投げなりな態度にやれやれ、という感想を抱くが、それ以上に、この人には死んでほしくない。得難い人だと、そう感じた。

 

「先輩こそ仕事を終えたらすぐシェルターに行ってください」

「分かってるさ。……お前こそ死ぬなよ」

「はい!」

 

 フォーメッドの激励を背に、事務所を後にした。

 向かうのは武芸者たちの集合する外縁部。

 行けば、汚染獣と戦うことになる。矢面に立ち、真っ向から立ち向かわなければならない。

 それを怖いと思う。

 だが、もう一人の自分が絶対に逃げるなと言っている。

 武芸者の義務だとかではない。自然と脳裏に浮かぶような誰かを思い描いて、その誰かが死んでしまう方がもっと怖い。

 だから、行った。

 外縁部に居る大勢の武芸者の中に飛び込んだ。

 いくつもの音が鼓膜を殴打する。

 上級生の張り上げる声だ。

 

「我々は小隊員を中心としてブロックごとに区切って防衛、撃退する! 人員の交代を頻繁(ひんぱん)に行って可能な限り戦線を維持するんだ!! 我々の後ろに居るのは一般人だということを忘れるなッ」

「一年のナルキ・ゲルニです。都市警での避難誘導を終えて合流します」

「よく来た。お前は、……そうだな、十七小隊の所に行け。あそこだ」

「分かりました」

 

 指示された場所に向かうと、ニーナ先輩が中心になって指揮を執っていた。

 彼女のことは対抗試合で見たので容姿に覚えがある。凛とした雰囲気に戦闘衣が良く似合う人だという印象が残っている。

 近づくと、彼女はこちらに気付いたらしく名乗った。

 

「ニーナ・アントーク、三年生だ」

「ナルキ・ゲルニ、一年です」

 

 自らも名乗り、周囲を見渡した。

 しかし、ニーナの他にこの場に居る七小隊員はシャーニッドだけだ。

 念威繰者であるフェリならともかくレイフォンが居ないのはどういうことだろうか。自分が質問してもいいのか判断がつかなかったが、結局は好奇心に負けて問いかけることにした。

 

「ニーナ先輩、レイとん……じゃない。レイフォンは居ないんですか?」

「ああ、レイフォンなら生徒会長に呼び出されたぞ」

「生徒会長?」

「別におかしなことじゃないさ。あいつはツェルニ最強の武芸者だ。別働隊でも任されたんだろう」

「……?」

 

 ニーナの発言には、何もおかしいところは無い。

 だが、ナルキはそこに違和感を感じていた。

 その”何か”を問いかけようとした、そのときだ。

 

「!」

「う、わ……ッ」

 

 都市が一際(ひときわ)大きく揺れ動いた。

 そして、巨大な震動が終わると、入れ替わりのように都市から脈動というべき音が伝わってきた。

 地鳴りの様な音は少しずつ大きくなっていき、遠かったはずの音は、もうすぐそこにある。

 

「どうやら、汚染獣が来たらしいな。すぐに開戦だ。お前も配置につけ」

「……はい」

 

 問答している暇などありはせず、一抹(いちまつ)の不安を残しつつも従うより他になかった。

 

 ●

 

 ぼんやりとした光の灯された地下空間がある。

 無数のパイプや建築材で固められた都市の下部ハッチの上だ。

 第五小隊の念威繰者であるサアラ・ベルシュラインは、そこで自分の命を預ける男と共に都市外戦装備の最終チェックを行なっていた。

 

「……問題はない。異常を感じた場合はすぐに言え」

 

 都市外戦装備のチェックには、必ず他人の眼を介在しなければならない、とレイフォンは言った。

 自分だけの確認では、思いこみに目を曇らせ、結果として汚染物質に焼かれることがあったりするらしい。確かに、背中などは他人に確かめてもらうのが確実だろう。

 そこに反論はない。でも、とサアラは思う。

 ……それ以前の問題かな……。

 

「レイフォンさんの方も問題ありません」

「よし。幼生体が外縁部に取り付くまでの時間は?」

「およそ四分で到達します」

「それまで待機。戦端が開かれると同時に降下、洞窟の奥に居る雌性体の討伐に向かう」

 

 本当にやらなければならないのだろうか、とサアラは内心で息を吐く。

 知らされた作戦は明解かつ単純で、単身で汚染獣の行軍する洞窟を逆走。どこに居るかも分からない雌性体を探し出して殲滅するというものだった。

 こんなものは特攻ですらない。ただの自殺だ。

 当然、そんな作戦未満の暴挙を平然と推し進めるゴルネオ隊長殿に猛抗議したが、彼は一切取り合わなかった。自分が感情を抑制しがちな念威繰者でなければ、そんなに私を殺したいのか、殺したいなら死ねと言えばいいじゃないか! と喚き散らしていたに違いない。

 

「あの、訊いていいですか?」

「好きにしろ」

「……どうして、この作戦に参加したんですか?」

「どういう意味だ?」

「だってこんなのただの自殺じゃないですか。……どうやったって無理に決まってます」

 

 そうハッキリと言ってやったのに、レイフォンはまるで不思議そうにこちらに視線を送っただけだ。まさか、この男は自分がどれだけ無謀な作戦を押し付けられたのか分かっていないのだろうか。

 だとすれば未来は暗い。いや、それどころかあと一時間もしないうちに人生が終わってしまう。ああ、故郷の両親に最期の挨拶すら出来ず、先に逝くことになりそうです……。

 

「聞かされていないのか? この作戦を立案したのはこの俺だ」

「貴方、が……?」

 

 何故、という疑問よりも先に思い出したのは、ゴルネオの言った言葉だ。

 この都市で最も安全なのは防衛線を構築する武芸者ではなく、シェルター内の一般人でもなく、レイフォン・アルセイフの傍に居ることだ、と彼はそう言っていた。

 本気で言ってる訳はないと思っていた。しかし、ゴルネオ・ルッケンスという男は、そういう冗談を言う類の人間ではない。ゴルネオに対する信頼と発言の内容とを比較して、精々が半信半疑という程だった。いや、ほとんど信じてなかったけど。

 

「まさか、本気で私を抱えたまま奥まで行けると思ってるんですか? 無数の汚染獣の中を!?」

「可能だ」

 

 レイフォンには緊張も興奮も恐怖も絶望もなかった。まさに自然体のまま、出来ると思っているのか、という私の質問、いえ、詰問に対して淡々と可能であると答えを返しただけ。

 何を馬鹿なことを、と喉元までそんな言葉が這い上がったくらいには腹が立つ。

 ……無責任な人ね、何が”可能だ”よ。いっぺん死ねばいいのに!

 

「どうしてあの子じゃなくて私を選んだんですか?」

「……何のことだ?」

 

 本気に分かっていない声だ。頭が痛くなってくる……。こんなのでも一応は年下。年長者として冷静に、平常心を失ってはいけないのよサアラ・ベルシュライン!

 サアラは大きく呼吸して自身を落ち着ける。そして、わざわざ覗き込むようにしてレイフォンと視線を交わらせた。

 

「隊長が、ゴルネオ隊長が教えてくれました。生徒会長の推薦したフェリ・ロスを選ばなかった、と。私は彼女の途轍もない才能の片鱗を目にしたことがあるから分かっています。これから先、ずっと努力し続けてもあの領域には届かない。……ああいう人を天才と言うのでしょうね」

 

 だからわたしじゃなくてあの子を連れて行きなさいよ! とか、あからさまに言う訳にもいかないわよね……。

 やれやれ、という感情を努めて堪える。おかげで口調が普段にも増して淡々としたものとなった。

 

「貴方もそちら側の人間なのでしょう? なら教えてください。どうしてロスさんではなく、私を選んだんですか?」

「お前が今ここに居るのはゴルネオの判断に過ぎない」

「そうだとしても、ロスさんを拒否したことまでは聞いています。その理由が知りたいんです」

「今、訊くべきことだとは思えんな」

 

 重要な作戦実行直前、と考えれば確かにそうかもしれない。しかし、死出の旅に逝くハメになった理由を知るチャンスは今が最後。これ以降に訊こうと思っても状況が許さないはずだ。というか返事が無いただの屍に成り果ててたりしそう……。

 そういうことになった原因である男が目の前に居て、見ているだけでムカつき、イラ立ち、大噴火とわたしの怒りが三段移行した。

 

「…………」

 

 たぶん、今の私はとても凄い眼でレイフォンを睨み付けていると思う。顔はフェイスマスクで隠れていても、きっと人様には見せられない顔になってる気がする……。

 すると、ややあってから、呆れた様にレイフォンが息を吐いた。

 

「これといった特別な理由なぞない。……が、強いて言うなら二つだな。単に俺が奴を信用出来なかったというのがひとつ」

「?」

「才能は間違いなく世界でも随一だろう。あれと同じ領域で語れる念威繰者は二人しか知らん」

 

 だがな、とレイフォンは言った。

 

「フェリ・ロスは念威繰者であることを忌避している。たとえ呼吸と同じく、ごく自然に念威を扱えたとしても、念威を嫌う念威繰者など信用に値せん。なによりアレは俺に恐怖を覚えている。戦場で”気まぐれ”でも起こされてはかなわん」

「それは……」

 

 確かにそうだ。

 都市の外は死の世界であり、そこに行く武芸者が都市の住まう市民の命を背負っているように、武芸者の補佐を行う念威繰者が武芸者の命を背負う。

 念威繰者も外に出ているなら互いの命を預ける戦友になるだろう。だが、フェリ・ロスは都市外に出る必要のない程の才能を持っていて、しかもレイフォンを恐れている。これでは、到底信用など出来るはずがない。

 

「問答は終わりだ。――始まったらしい」

 

 直後。

 汚染獣の不気味な鳴き声と武芸者の怒号が弾けた。

 ……というか、ホントに抱きつかなきゃダメですか?

 

 ●

 

 赤錆びた甲殻。

 赤い光を(こぼ)す二つの複眼。

 殻の擦れるギチギチという異音。

 

「これが、こんな物が……!」

 

 醜悪としか表現できないその物体は、地上の覇者。

 無数の蟲が悍ましく蠢く様なそれは、人類の天敵。

 

「――汚染獣」

 

 生まれたばかりの汚染獣、幼生体。

 胴体部の甲殻から生えた一対の翅が震えていた。小刻みの震動は空気を波打たせる。

 大群から届く震動の合唱はもはや濁流だ。

 背筋を凍らせる様な濁流と共に、赤黒い幼生体の津波が人間を飲み込もうと迫り来た、その時だ。

 

『俺たちの後ろに居るのが誰か、思い出せ!』

 

 誰かの声が通信機を通して絶叫した。

 

『逃げ場など無い! 逃げれば俺たちが守るべき市民が(むさぼ)り食われるぞ!! 戦え! 市民も仲間も自分のことも全部だ! ――戦って守り抜けェ!!』

 

 身体の震えは止まらない。

 だが、とツェルニの武芸者達は思う。

 身体は熱く、心に火が灯った。だからこれは武者震いだ、と。

 だから、という様に彼らの言葉は重なった。

 

(おう)!!」

 

 ●

 

「行くぞ」

 

 嫌です、サアラ・ベルシュラインはツェルニの外に行きたくないのです。そう言えたらどれだけいいか……。

 切なる願いも虚しく、レイフォンは背負った私ごと飛び降りた。

 その先は、赤い滝。

 夜の中に怪しく光る赤は幼生体の眼光だ。

 汚染獣についての情報だけなら集めていた。しかし、サアラは無意識に息を飲んでいた。

 ……なんて、(おぞ)ましい……。

 

「わ、わざわざ飛び込むんですか!?」

「避けていこうとも奴らが人間(エサ)の匂いを見逃すものか。第一、上の援護にもなる。黙って見ていろ」

 

 直後に青い光が縦横無尽に飛散する。

 

「な――」

 

 いつ錬金鋼を復元したのか、レイフォンは青石錬金鋼(サファイアダイト)を振り回していた。

 光は、青石錬金鋼が纏う剄の輝きだ。

 彼が一太刀振るうごとに、周囲の汚染獣は絶命していく。

 ……一太刀なんてものじゃ、ない!

 視覚には映らないほど高速の太刀筋を、サアラの探査子は正確に捉えていた。

 

「なんて、デタラメな……」

 

 一呼吸で足りるほどの時間に、手の届く範囲に居た汚染獣をひとつと残らず斬り捨てていた。それからは、まるで絶対不可侵の結界でもあるのかのように、近づく全てが血煙に沈んでいく。

 この場において、人類の捕食者であるはずの汚染獣の方こそがエサという圧倒的現実。異様な理不尽がまかり通っていた。

 そんな光景を片手間に作り出すレイフォンの実力は、サアラの想像を遥かに超えている――――。

 無意識に硬い唾液を飲み込んだ。

 この情報は己の知る常識を明らかに逸脱している……。

 具体的なことは分からない。あるいは、どんな都市でも強者として分類されるかもしれない。だが、確かなことがひとつだけあった。

 レイフォン・アルセイフという男は、今まで見たことのあるどんな武芸者よりも強い。

 

「決して手を放すな」

 

 そう言って、レイフォンは自由落下にを任せ、手の届く範囲の幼生体をひとつ残らず切り捨てていく。

 その姿は尋常ではない。

 もしもなにかが違えば、サアラも恐怖したかもしれないほどに。

 ここでの掃討が、上で戦う武芸者たちへの援護でなければ。

 都市外という絶望的な状況下におかれていなければ。

 ゴルネオが彼を信頼していなければ。

 自分が念威繰者でなければ。

 だが、現実にはそうならず、サアラはレイフォンに頼もしさを感じている。

 

「はい……!」

 

 応え、レイフォンの身体に回した手足により力を込めた。

 依然として落下速度は上がり続け、谷底の崖が高速で上に吹っ飛んでいき、自分達はどんどんとツェルニの都市灯りの届かぬ位置へと落ちていく。既に百メル以上も落下し続けているにも関わらず、谷の底は闇に包まれたままだ。

 レイフォン達の落下はもはや高速という言葉すら足りず、墜落という領域に突入していく。

 どうしようもない降下速度の中にあってなお、不思議と恐怖は生じなかった。尋常ならざる武芸者に命を預けているからだ。

 そして、期待する通りになった。

 間合いに入った幼生体を切り捨てるのは同じだが、真下に迫った幼生体だけは殴打で対応するようにレイフォンが動きを変えたのだ。

 打撃力と同等の反発力が落下速度に対するブレーキとなり、過剰な加速を制御下に置く。剄で作り上げた足場や壁、汚染獣すらも用いた巧みな荷重移動は見事と言う以外にない。

 とはいえ、それでも十分に速度が乗っている。すぐに暗い谷の奥底に闇以外の色が見えてきた。

 

(わずら)わしい蟲だな。さすがに数が多い……!」

 

 腹立たしそうに吐き捨てると、レイフォンが再び動きを変化。

 下方から食い破ろうと飛びかかる一体の幼生体を回避。壊さない程度に手加減した一撃をぶち込んだ。

 幼生体は鈍い打撃音と悲鳴をその場に残し、崖へと吹き飛んでいく。

 

「――――」

 

 レイフォンは耳障りな悲鳴から距離を離さない。

 壁との激突よりも早く幼生体の外殻を両の踵をこじって押さえつけ、腰を落としながらレイフォンは背中の私にこう告げた。

 

「これから着地する。備えろ」

 

 サアラの返答を待つことなく、レイフォンは蹴りつけた時に凹んだ幼生体の外殻に足を填め込んで身体を固定。続けてこう言った。

 

「かつての人間社会における遊戯のひとつだ。お前も楽しめ、――サーフィンだぞ?」

 

 直後。

 幼生体の身体が足から順に崖にぶつかり、そのまま、

 

「――――」

 

 悲痛な叫びをその場に残し、幼生体の身体がレイフォン達を乗せて断崖を滑り落ちていった。

 壁面の凹凸が幼生体の身体を削り取っていく度に衝撃が伝わり、それをレイフォンが力尽くで抑え込む。サーフボード以外の幼生体を蹴散らしながらのサーフライドだ。

 

「……ッ」

 

 サアラは口から漏れてしまいそうになる悲鳴を噛み殺す。

 死なないと分かっていても、もし手を放したら、と想像が脳裏に浮かんでしまう。”高所から下を覗き込んだとき”のような身も竦む感覚に晒され続けるのは耐えがたいものだ。

 必死になってしがみついていると、地面がすぐそこまで迫っていた。

 ……近い……!

 摩擦によって減速されたとしても未だ十分な速度で落下していて、かなりの衝撃が予想される。だから、というようにサアラはさらに抱きつく力を強くした。

 そして、次の瞬間だ。

 

「え……?」

 

 着地の反動は落下速度から考えれば余りに軽すぎるものでしかなかった。

 質量こそ()り減ったものの、サーフボードの残骸がそれでも地面を砕く程の落下エネルギーを発揮したの対して、レイフォンのそれは足跡すら残さず、軽快な音を響かせただけだ。

 念威が剄の発生を確認していない以上、これは剄技によるものではない。

 つまり、肉塊が地面を穿つほどの衝撃を体術だけで吸収しきったということ。それも、上半身に一人を抱えながらだ。

 他を圧倒する活剄と、それを余さず活用した極めて高度な体術。

 

「――――」

 

 否応なく理解させられた。

 ゴルネオの言った”この都市で最も安全な場所が彼の傍”という言葉はまったくの真実である、と。そして、

 ……ツェルニの全戦力でも彼には勝てないかもしれない――――。

 サアラがレイフォンに(おのの)いていた、そのときだ。

 

「!」

 

 崖を昇ろうとしていた幼生体、

 翅が乾くことを待っていた幼生体、

 目標をツェルニから目の前のエサへと変えた幼生体。

 全てがレイフォンとサアラを串刺しにせんと、殺到した。

 

「どうだった」

「……はい?」

 

 対して、レイフォンはジョギングにでも出掛けるような気軽さで跳躍をひとつ。

 直後。

 一秒前まで二人が居た空間を幼生体の突進が塗り潰す。

 だが、それは幼生体が幼生体を貫く事態を招くだけに終わる。そして、肉を穿つ湿った音が谷底で連続した。

 レイフォンが戦うまでもない。それどころか指一本触れることなく、幼生体は死体に成り果てた。

 ……ウソ……。

 サアラが絶句していると、レイフォンは再びこう言った。

 

「どうだったか、と聞いている」

「?」

「……サーフィンは楽しめなかったのか?」

 

 ……え、それをいま()くんですか?

 

 ●

 

「レイフォンさんって……」

 

 かなり長い沈黙があって、それから呟くような声を聞いた。

 サアラだ。

 彼女はちょっと驚きな新事実でも発見したかような雰囲気で、

 

「かなり天然入って――、いえ、なんでもありません」

「……」

 

 レイフォンは何も言えなくなった。

 以外と可愛いところがどうこうとか聞こえるが微妙に、いや、かなり気まずいから話題を変えよう。

 

「……雌性体の方はどうなっている」

「ふふっ、ここから()える範囲には確認出来ませんね」

 

 笑いを押し殺したような吐息が首筋に当たる。分かっていますよー、という雰囲気が忌々(いまいま)しい。

 返答せず押し黙っていると、彼女はもう一度笑った。クスクスと楽しそうな笑い方で、

 

「えっと、サーフィンでしたっけ。大丈夫と頭で理解していても怖いものは怖いですね。貴方みたいに身体を動かすのが得意な人と違って」

 

 単なる感想も笑いながら言われれば馬鹿にしているように聞こえてくる。出撃前とはずいぶん雰囲気が様変わりしすぎではないだろうか。

 レイフォンはやれやれ、と大きく吐息した。

 落下時の挙動によって三半規管がやられて酔っぱらったのか、あるいは態度を取り繕う余裕が無くなっただけか。それともまた別の要因か。いずれにしろ、

 ……随分と気安くなったもんだ。

 悪い事ではない。だからといって、それが良い事とは言わない。だが、懐かしいという感覚が無い、と自分を(だま)すことはできなかった。

 

「ふん。死ぬかと思った、くらいは言うと予想していたんだがな」

「貴方がデタラメな人だってことは十分に理解させられましたって」

 

 適当な話し方ではあるが、その方がよほど気安い。

 それは、ツェルニに来てからは無かったモノ。

 グレンダンに居た頃、一人の少女から感じていた”人らしさ”のあったモノ。

 数か月ぶりの他者との交流らしい交流。それを楽しいと思ったのはある種の必然なのかもしれない。

 だからだろうか。

 少しばかり口が軽くなったのは。

 

「……フェリ・ロスを拒否したもうひとつの理由を話していなかったな」

 

 谷底の横穴に突入してから、既に二十三キルメルを走破。

 生まれた幼生体は全てがツェルニへと猛進したらしく、周囲に敵性な気配が感じられない。念威による走査にも感知は未だみられないようだ。

 汚染獣の巣穴、と評していい場所のはずだが、今この瞬間だけは安全と言っても過言ではない。会話を否定する理由もどこにもなかった。

 

「お前は武芸や念威の才能があるなら……、戦うべきだと思うか?」

「そう……思います。私達が戦わなければ人類は汚染獣に対抗出来ないでしょうから」

 

 事実だ。

 都市の外には汚染物質が蔓延していなければ、あるいは武芸者でなくとも武装して戦うことも可能だったかもしれない。しかし、現実にはそれらの技術すらも失われてから(ひさ)しく、再び開発することは不可能に近い。

 念威繰者と武芸者が立ち向かわなければ死ぬだけだ。

 

「確かに一般人には武芸者が戦った結果を座して待つ以外に選択肢はない。信じて見送った誰かが、無事に生還することを信じて待つ以外に……」

 

 武芸や念威の才能が有るから戦わねばならない。

 武芸や念威の才能が無いから戦ってはならない。

 汚染獣に立ち向かうために人類が人類に課した義務は正しい。人類が滅びることなく生存し続けるためには必要なことだろう。しかし、レイフォンはこうも思う。

 

「過程や結果が目に見える形として示されるものだけが才能ではない」

「?」

「例えば、汚染獣が怖いと戦場から逃げ出した武芸者が居たとしよう。彼は武芸者としては普遍的で、汚染獣を目の前にすれば恐怖に足が竦む。――才能が有ると思うか?」

「無い、ように思えます」

「だが彼には驚異的な戦略眼があった。数百人数千人を指揮し、戦争させたのならば常勝無敗。これは才能とは言えないモノか?」

「……いいえ」

「彼が武芸者でなく、一般人だったとしても際立って影響力の大きい才覚だ」

「だから一般人でも才能があるなら戦場に立つべきだ、と言いたいのですか?」

「違う。武芸者でも意志が伴わぬなら戦うべきではない、と言っている」

 

 それは、

 

「戦いたくないと思う武芸者が居るならば、戦いたい、力があれば、と思っている一般人とて居るはずだ。才能じゃない。そいつがどんな力を持っているかでもない。

 ――意志だ。

 意志こそは全てに勝る。誰かに何を押し付けられるのでもない。自らの意志で、自らの感情で立ち上がる者には(つるぎ)を、戦う意志を持たぬ者には、立ち上がった者達の帰る場所であってもらう。そう在るべきだ」

「――――」

「戦場へと行く者に要求されるのは才気ではなく、――覚悟なのだから」

 

 死に満ち溢れた世界を戦場にしたときに、思い知った。

 何の覚悟もなく生きていられる甘い世界ではない、と。

 だから怖れた。陽だまりに居る(いばら)が求められる戦場を。

 彼女はいつだって――――。

 

「……居ました」

「雌性体か?」

「巨大な生命反応、一。雌性体だと思われます。一三○五の方向、距離九百五十メルです」

「おしゃべりは終わりだ。急ぐぞ、誘導を頼む」

「このまままっすぐ進んでください。七百メル先の横穴を左です」

 

 急ぎつつも慎重に進むという神経を削る作業は不要になった。

 ただ走っていく。

 

「そこです、次の横穴を左折してください」

「……あれか」

 

 言われた地点の先。

 視線を向けると、およそ百三十メルの空間を挟んで、奴はそこにいた。

 

「あれが、雌性体……!」

「そこに居たか」

 

 百三十メルという距離は、ギリギリ射程圏内だ。ゆえに最短で済ませるのに最適な技がある。

 外力系衝剄の化錬変化、『次元斬』

 神速の居合いが三度、連続して硬質な音響を響かせると、

 

「死ね」

 

 雌性体と重なる様に三つの球体が姿を現した。

 球体は空間を歪曲したかのようなズレとなり、汚染獣を一瞬にして斬殺していた。

 

「――――」

 

 背中から息を飲む気配がした。

 だが、その反応に付き合っている暇はない。

 ここからは時間との勝負になる。

 

「生存反応はどうなった」

「あっ、はい。……対象の生存反応をロスト。完全に沈黙、しています……」

「急いで帰るぞ。ツェルニを範囲内に捉えたら探査子を飛ばして殲滅と俺の帰還を伝えろ。いいな?」

「分かりました」

 

 レイフォンは、暗い穴を再び駆け抜ける。

 

 ●

 

 射撃部隊に叩き落とされた幼生体は再び飛ぼうとせず、這いずりまわって武芸者達に突撃していった。

 木材や鉄骨、高圧電線を巻きつけた柵。用意された物は単なる障害物に過ぎない。

 幾度にも渡る突進を喰らえば木材は砕かれ、鉄骨は折れ曲がり、柵には死体が溜まる。短時間で用意されたにしては多いと言えるが、幼生体を押さえつけるには純粋に数が足りていなかった。

 しかし、それらは十分な役割を果たした。

 砲撃部隊が打ち落とした幼生体の山の他に、もうひとつの山を作ったのだ。

 這い回ることが精一杯の幼生体には大きな障害であり、攻め寄せる幼生体を散発的なものにしていた。

 それでも、と鉄鞭を奮い、幼生体の殻を砕いたヴァンゼは思う。

 ……初めて目にする汚染獣を相手に実戦ともなれば、精神的な疲労が凄まじい。

 自分の様に身体の出来上がっている上級生ですら疲労の度合いが色濃く表れている。活剄もままならない下級生では既に限界すら超え、後方に下がらざるを得ない者も多い。

 脱落者が増えていけばその分だけ連携の数が減っていく。戦線の維持で手一杯になるだろう。

 多少あったはずの余裕は一切が消え去ることになる。このままでは、

 ……ジリ貧だ。

 だからといって解決に至る策は無い。思わず探査子に向かって言い放っていた。

 

「カリアン、奴はまだか? ここから先は死者が出るぞ」

『たった今、連絡があったよ』

「なに……?」

 

 残念ながら、という言葉を予想していたからこそ、この朗報は気力を充実させた。

 

「いや、そうか。俺たちはどれだけ耐えればいい?」

『……二分。あと二分で彼が戻る。二分後の時点で外縁部に居るのが幼生体だけならば、彼が全てを終わらせると言ってくれた。だからヴァンゼ、頼む。――――耐えきってくれ』

 

 二分間。

 百二十秒という時間は長いものではない。

 だが、今の自分達にとって決して短いとは言えない時間だ。

 

「……二分だな。二分を耐えきったら、もう俺たちには何も出来ないからな」

『しばらくは休校にせざるを得ないね?』

「手当も出せ、と言いたいが、武芸者の義務だから仕方ないな」

 

 息を吐き、

 

「任せろ」

 

 もう心は決まった。

 

「――ツェルニの全武芸者に告ぐ!」 

 

 ●

 

『――ツェルニの全武芸者に告ぐ』

 

 撃退を誓う全ての武芸者が、

 

『あと二分で汚染獣の撃退は最終フェイズに移行する』

 

 情報を精査する念威繰者が、

 

『まだ戦える者は後の事を考えなくていい。全力で目の前の汚染獣を叩き殺し、一気に戦線を押し上げろ』

 

 後方で彼らを待つ一般人が、

 

『だが、決して死ぬな!! 汚染獣と違ってお前達の代わりは居ないからだ。押し込んだなら即座に防護柵の内側まで駆け抜けろ、生き残ることが我々の勝利だと頭に叩き込め!!』

 

 都市に響く武芸長の声を聴いた。

 ゆえに、彼らの返すべき言葉はたった一言で済む。

 

「――――(おう)!!」

 

 ●

 

 数百メルの断崖絶壁を駆け上がっていくレイフォンは探査子から届くヴァンゼの演説を聞いた。

 ……ガキだとばかり思ってたんだけどなあ。案外、いい男じゃないか。

 後のことを考えないという宣言は、即ちレイフォンに対する信頼度そのものに等しい。これに応えることは、レイフォンが己に課した義務の範疇にある。

 第一、自分で言った二分という刻限に一秒でも遅れる訳にはいかない。

 

「少し速度を上げるぞ。ここから先はお前を気遣っていられない」

「リバースしても汚れるのは私だけなんで気にしなくていいですよ」

「その程度で済むはずがなかろう。(かか)えてやるから前からしがみ付け」

「冗談の通じない人ですね。というかそれ本気ですか?」

「その方が安定する。もう幼生体は全てツェルニに居るから遭遇もない。心配は不要だ」

「乙女の恥じらいってもの知ってます?」

「諦めるんだな」

 

 サアラは、はあ、と息を吐くと、もぞもぞと器用に動いて背中から移動した。

 正面から抱きつく形だ。

 高速移動中に行われたサアラの行動を見て、レイフォンは眉間に(しわ)を作ることになった。

 

「……随分と余裕があるようだ。抑えているとはいえ結構な速度で移動しているつもりだったが」

「ずっと抱えられてましたし、この程度は。さすがに慣れてきたという所です。それより女として多少は気になるんですが、反応したりしないんですか?」

 

 うん? と疑問に思った上でレイフォンは自分とサアラの状態を確認した。

 必死に崖を駆け上がる男と、男に両手両足を絡みつかせてしっかりとホールドする女。どこからどう見ても都市外遠距離活動に従事する武芸者と、その補佐を担う念威繰者の姿だ。

 ……都市外戦装備を着ていれば一目瞭然ではないか。

 念威繰者には違うなにかが見えているのだろうか。いや、さすがにそれはないと思いたい。あくまで情報の集積に特化した能力であってオカルトチックな能力ではないはずだ。だとすれば、他の可能性だが……。

 ……まさか頭になにか疾患が?

 いかんな、酷使せざるを得ない状況下であるというのに。作戦遂行後は病院に連れて行かなくては。自分でやる訳にもいかないし、戦後処理として誰かに押し付けるか……。

 

「よく分からないが、今は作戦に集中しろ」

「…………」

 

 妙にジト目で見られた。

 これは本格的に病症がヤバいのかもしれない。早急に病院に叩き込まなくては俺の責任問題に発展してしまう可能性がある。

 グレンダンの二の舞はごめんだ。

 

「もう(さえず)るな。舌を噛むぞ」

「――ッ」

 

 一気に速度が上がる。

 激しい挙動になり、大きな負担を掛けてしまっているだろう。

 しかし、急がなければならない。

 

「無様でもなんでもいいから耐えろ。意識を(たわ)めるな。あと、――七十一秒」

 

 眼前の光景が一気に下へと吹っ飛んでいく。

 風を巻き込み、足音すらも置き去りしていくレイフォンの視界には、ツェルニの都市灯りが捉えられていた。

 

 ●

 

 障害物の積み上がった幼生体の死体の頂上。

 戦場を俯瞰できる位置だ。

 そこでニーナ・アントークは静かに剄を練り上げる。

 彼女と並んで剄を練り上げているのが一撃で幼生体の殻を砕けた武芸者達、それ以外の者は連携を以て幼生体を翻弄し、可能な限り足止めしていた。

 ……体力や速度に不安の残る者は後方に下がらせたとはいえ……。

 防護柵までの撤退におよそ三十秒を要する。

 即ち、残り時間は実質四十秒ということ。

 射撃部隊の猛者も参加させたいが、飛行能力を持つ幼生体を見逃す可能性は潰したい。少数でも飛ばれてしまうと危険だ。彼らには後方からの援護に徹底してもらう必要があった。

 

「アントーク隊長、いつでも行けます」

「もう少し待つ。早過ぎても遅すぎても駄目だからな」

 

 ニーナの作戦は単純なものだ。

 その場の幼生体を一斉に殺しつくして戦場に空白を作る。一時的な空白でしかないが、結果として戦線を押し上げることになる。

 

「さっきは大丈夫かと不安に思ったものだが、新入生にもいい動きをする者が居るな。確か――」

 

 ……ナルキ・ゲルニ、だったか?

 彼女が修めているのは内力系だけのようだが、彼女と二人の上級生による連携は見事なものだと思った。

 ナルキがすばやく幼生体の側面に回り込むと比較的柔らかい足の関節に一撃を見舞う。痛みに吼える幼生体が彼女に向かえばすぐに後退し、左右を固めていた二人の上級生が衝剄を叩き込む。幼生が怒りにかられてそちらに迫ればナルキが再び気を逸らす。

 この繰り返しだけの単純な戦法だが、既に結構な数の幼生体を倒している。

 

「はは、耐えるだけでいいと言ったんだがな」

 

 きっと、何かをしたいという意志があるのだろう。

 この戦場に居る誰もが同じ想いを抱いているはずだ。

 耳に届くカウントダウンは既に五十秒を切っている。

 

「さて、残り四十七秒だ。殲滅班、そろそろ行くぞ」

「いつでも」

「よし。――――着いて来い!!」

 

 剄を練りに練り上げた約二十名が駆け出した。

 青、赤、緑、黄、紫。

 鮮やかな色彩を伴って幼生体に突撃していった。

 

「総員! 援護しろ!!」

『――了解!』

 

 戦場が胎動する。

 死体の山から駆け降りる彼らの邪魔をさせまいと、全員が動き出したのだ。

 

「迎撃班、奴らの意識を釘付けにする! 隊長たちの方に向かわせるな!!」

 

 応、という声と共に彼らは各々に出来る最大の攻撃を叩き込む。

 

「――――」

 

 幼生は奇怪な吼え声を上げた。

 そして本能の(おもむ)くままに進路を変更した。

 痛みの原因を突き殺すつもりなのだ。

 

「こっちだバケモノ!」

 

 彼らは注意を引きつける役割を分担し、神経をすり減らしながらも辛うじて幼生体の行動をコントロールしていた。

 このままなら残りの時間を確実にモノに出来る。

 誰もがそう感じていた。

 しかし、

 

『後続の汚染獣、戦域まで三秒! ――――来ます!』

 

 最後の波だ。

 翅を上手く扱うことの出来なかった幼生体の群れが、死体の山を乗り越えて前線に姿を現したのだ。

 他の戦域に現れた個体も含めれば、その数は四百を超えていた。

 

「な……! これだけの数がこのタイミングにかっ!?」

 

 ニーナは驚愕を言葉にしてから、失態を悟った。

 指揮官の動揺は一瞬にして全軍に伝播してしまう。故に指揮官たる者は決して揺らいではならない。

 ……だというのに……!

 ざわめきが急速に拡大していく。

 これを動揺した指揮官本人が収めることは不可能に近い。

 ましてニーナは三年生であり、他の小隊隊長と比べても明らかに求心力に欠ける。当たり前のことを言っても効果は見込めない。

 ……何を言えばいい?

 ニーナが思考に沈んだ、そのときだ。

 探査子から音が届いた。普段ならば腹を立てるであろう軽薄な声の主は、

 

『――ニーナ隊長』

「シャーニッドか!」

『命令をくれ。命令してくれれば、俺たち射撃部隊が外側の山ごと汚染獣を吹っ飛ばす』

 

 外側の山

 汚染獣の侵入に対して防波堤の役割を果たしていた死骸の山。

 その崩壊は侵入数の著しい増加を(まね)く。

 

「馬鹿な。そんなことをすれば戦線は崩壊してしまう」

『武芸長の言ったことを思い出せよ。あと三十秒ちょっとで全員が防護柵の内側に立て籠もるんだぜ? 目的は戦線の維持じゃない。都市外縁部に居るのが汚染獣だけって状況を作り出したいのさ。そんな状況をすぐに片付けられるような奴なんて普通は居ない。けど、俺達はそんな無茶をやれちまう後輩を知ってるはずだろ?』

「……レイフォン、か」

 

 ツェルニに現れた本物の武芸者。

 汚染獣と遭遇したのが、彼の在籍する年であったことは幸運に間違いない。それでも、とニーナは思考の中で一拍を置く。

 ……それでもレイフォンに(すが)る様な軟弱な真似は出来ない。

 彼が居るから、と簡単に頼っていいはずがない。

 彼が居たとしても自分の役割は果たさねばならない。

 やろうとする意志すら失ってしまったら、

 ……私は武芸者ではなくなってしまうだろう。

 

「総員聞け」

 

 息を吸い、念威に言葉を載せる。

 

「射撃部隊は五秒後に外側の山を、そのさらに八秒後に内側の山を破砕しろ。迎撃班、殲滅班は現在の行動を継続。あと十五秒で全て終わらせて戻るぞ。道が平坦になるんだ。防護柵まで走り抜けるのに十五秒も必要だなんてことはないな?」

『ニーナ!?』

「――命令だッ! 各員、作戦を続行しろ!!」

『ああクソッ! この頑固者め。戻って来たらぶん殴ってやるからな!』

 

 残り、三十秒。

 

 ●

 

「着いて来い!!」

 

 叫び、ニーナが突き進む。

 殲滅班の面々は文句のひとつも零すことなく彼女に続いた。

 ニーナ・アントークという女性は確かに三年生であり、指揮官としては若く、未熟。経験も十分とは言えないだろう。しかし、一時間にも満たない僅かな期間に彼らの信頼を勝ち取っていたからだ。

 純粋に強いという事も要因のひとつかもしれない。

 それ以上に彼女という人間が、命を預けるに値する人間だと感じていたのだ。

 

『残り二十五秒! 目標は外側の死骸、撃て――――!』

 

 直後。

 彼らの頭上を白光が貫いた。

 防護柵の更に後方から放たれた剄羅砲(けいらほう)の一撃だ。

 着弾の音は砲撃というよりはむしろ、液体が砕かれる音に近い。

 白光は死骸の山を溶かすように飲み込み、内包された力が逃げ場を求めて爆散した。

 そうしてニーナたちが得られたのはわずかな時間だ。

 殲滅班は数秒の距離を走り抜けると、最前線に居座る幼生体を射程圏内に捉え、

 

「お前達の全力を叩きつけてやれッ」

 

 ぶち込んだ。

 

「おおおお――――!」

 

 打撃音や肉を切り裂く湿った音が幾重にも重なり、それは成果としてニーナに伝わった。

 即座に指示を出す。

 

「総員反転! 走り抜けろ!!」

 

 命令を下した、その直後。

 

『障害物上の山を吹っ飛ばすぞ、備えろ! 照射範囲は絞ったな? 射撃部隊、撃て!!』

 

 再び後方から剄が(またた)いた。

 しかし、今度は頭上を通り抜けることはない。

 後方とニーナたちの間に積み上げられた骸の山を剄が打ち砕き、”通り道”が作り出されていた。

 ニーナは率先して飛び込み、声を張り上げた。

 

「遅れるな! ここを越えれば私達の勝利だッ!」

 

 一拍遅れて殲滅班と迎撃班が駆け込む。

 前線を保ち続けていた武芸者は疲労のピークにある。しかし一人として速度を緩めない。

 この道だけが、”生”へとつながる唯一の活路だと理解しているからだ。

 短くも濃厚な数瞬を駆け抜け、

 

「――――よく戻ってきた」

 

 彼らはついに防護柵の内側へと飛び込んだ。

 そんな彼らを迎えたのは、後方支援を担う仲間の快い笑みだ。

 だから、という様に笑みを以て無事を証明してみせ、各々が個人的に友誼のある面子と向き合った。ニーナもシャーニッドに笑いかけて、

 

「どうだシャーニッド。残り三秒もあるが、それでも殴るか?」

 

 はあ、とシャーニッドは大きく吐息した。

 

「ふざけんな。無茶すんじゃねえって意味だよそれは。絶対ぶん殴るからな」

「それは怖いな。お手柔らかに頼む」

 

 軽口の応酬を済ませると二人は視線を幼生体に向けた。

 すぐに起こるであろうツェルニと汚染獣による生存競争。

 その終わりを見る為に。

 

 ●

 

 二分という刻限を前に全ての武芸者が防護柵に(こも)った。

 しかし、僅かな時間を残していたが故に彼らは恐怖した。確実にやって来るであろう絶望に。

 甲殻を(こす)り合う不快音。

 地面を這いずる摩擦音。

 聞こえてくる不気味な音が、着実に大きくなっている。

 彼らの未熟な精神が未だかつてない恐怖の波に押し潰される、その前に。

 

「――――」

 

 全てを一斉にかき消すように、豪雨じみた”蒼”が幼生体を皆殺しにした。

 

「な――――」

 

 誰もが眼を剥き、呆然と立ち尽くした。

 (まばた)きほどの一瞬。たったそれだけの、刹那の中の出来事だった。

 津波の如く人間を飲み下さんと迫っていたはずの幼生体が今や死体に成り果てている。死因は誰が見ても明らかだ。

 降り注いだ”蒼”。

 一切を剄によって創り上げられた蒼々と輝く剣。

 蒼剣は幼生体の(ことごと)くを破砕していた。そして、

 

「……消えた?」

 

 雨の様に降り注いだ無数の蒼剣はあたかも白昼夢であったかのように消失した。

 しかし、幻ではないことは明らかだった。

 死体しか残されていないからだ。

 あれだけ脅威として存在していたはずの汚染獣は、もうどこにも居ない。

 

「…………」

 

 一瞬の激動が怒涛のように押し迫り、誰もが押し黙った。

 重苦しい静寂。

 そんな音のない状況だったから、ひとつの小さな音が確かに伝わった。

 汚染獣の死骸の中に発生したそれは、足音だった。

 

「!?」

 

 誰もが今度はなんだ、と思った。

 そんな感情を乗せた視線が集まる先。

 そこに居たのは都市外戦装備に身を包む男女だ。

 女の方が着ている戦闘衣にはツェルニのマークが描かれている。少なくとも女の方はツェルニに所属する人間であることが判る。

 しかし、男の方には何のマークもない。

 普通に考えれば男もツェルニに所属している武芸者のはずだが、肌を突き刺す圧倒的な存在感は学生と称することを躊躇(ためら)わせた。

 自分達とは余りに違い過ぎる。

 

「な、何者……?」

 

 恐怖を押し殺したような呟きは、この場に居る全員の想いを代弁していた。

 しかし、男は応えない。

 抱えていた念威繰者の少女を下ろすと、

 

「反応は?」

「ありません。汚染獣の生命反応、全て消失(ロスト)しました」

 

 女、というよりは少女という印象を受ける声だ。しかし、彼女の声からは感情というものが抜け落ちていた。

 すると男は(おもむろ)に少女のフェイスマスクを覗き込む。

 顎に手を添えて顔を近づけるその仕草は、甘い情事と見紛うほどに自然な動きだった。

 

「情報過多、か。……お前は役目を果たした。念威の使用を終了しろ」

「――はい」

 

 次の瞬間。

 少女の全身から力が抜け落ちた。

 正面に居た男に向かって倒れ込み、自然と男が抱き止める形になった。

 男は沈黙のままだったが、ややあってから、

 

「この場の責任者は誰だ。前に出ろ」

 

 ツェルニの武芸者たちの視線は一人の男に集まった。

 男は一瞬で青褪(あおざ)めた。視線に叩きのめされたかのような変化を誰もが哀れに思って、しかし、皆が目を逸らした。

 周囲を見渡して助けがないことを理解すると、彼は震えの止まらない身体を強引に進ませて名乗りを上げた。

 

「第十小隊隊長の、…………ディン・ディーだ」

 

 彼の蒼白になった顔とは逆に、心臓の鼓動は張り裂けそうになるほど激しい。

 対して男はゆっくりと歩を進め、ディンに近づいていく。

 

「!」

 

 ディンは一歩ごとに鼓動がうるさくなっていくのを感じた。

 そして、すぐ近くまで来た男は、失神した少女をディンに押し付けると、

 

「この娘を頼む」

「――――」

 

 消え失せた。

 蒼剣と同じ現象だった。

 まるで夢幻の如く消え去っていた。

 肌を指すような威圧感は既になく、腕の中で眠り続ける少女だけが、男がここに居たということを証明していた。

 

「だ、大丈夫か、ディン?」

「…………死ぬかと思った……」

 

 この日、幾人もの武芸者が小隊員になることを諦めた。

 

 ●

 

 目を覚ますと天井が見えた。

 高く、白い天井だ。

 

「ここは……」

 

 サアラは身体を起こし、室内を見渡した。

 ……病室、ね。

 安堵から吐息を零すと同時。

 声をかけられた。サアラが声の方へと顔を向けると、

 

「あら、お目覚めですか?」

 

 入口に白衣の女が居た。

 おそらくは医療系志望の上級生だろう。彼女は失礼します、と一言告げると慣れた手つきで眼球や口内の状態を確かめていく。

 

「問題はないようですね。丸三日間眠り続けていましたので体力が落ちてると思いますが心配ありません。一応、栄養剤の点滴は出しておきますが、しっかり食事を召し上がってください。その方が回復は早いです」

「……そうですか」

 

 返答に間があったのは、いろいろと訊きたいと思ったからだ。しかし、あの戦争で多くの怪我人が出たはずだと思い直す。きっと目の前で微笑む女医も忙しいに違いない。だからサアラは誰かに訊けば分かることは質問せず、自分の状態だけを問いかけた。

 

「私はこれからどうなりますか?」

「貴女の意識が回復するのを待っていた検査がいくつか残っている程度ですね。それさえクリアすればすぐにでも退院出来ます」

 

 もう一度サアラが、そうですか、と呟くように返答すると、彼女は思い出したようにこう言った。

 

「ああ、そうそう、脳にも異常は見られませんでした」

「脳の検査を?」

「ええ、貴方を訪ねてきた人が言うには、ええと、……天然がどうとか? まあ、言動に不審な点が見られるため、脳の検査をお願いしたい、とのことでして。先日の一件では念威繰者として酷使してしまったこともあって心配していた様子でしたよ」

「天然? ……まさか」

 

 嫌な予感がした。

 

「結果は伝えしましたが、その人も安心したご様子でした。”あいつ天然だったのか”なんて誤魔化してましたけどね、ははは」

 

 ブチ切れそうになったが、なんとか堪えた。

 念威繰者は怒らない。怒らない。怒らないのだ。

 目の前に居るのはあの男ではない。女医だ。そもそも”その人”とらが別人ということもあり得る。いや、別人のはずだ。そうに決まっている。

 

「一応お聞きますが。……その人とは、誰のことです?」

「アルセイフさんですよ、十七小隊の」

「鏡見ろぉ――――!!」

 

 つい大声で叫んでしまった。

 冗談じゃない、天然なのはあの男の方だ。そんな馬鹿なことばっかり言ってるから”天然だ”って言ったのに!

 

「あー……、これは再検査が必要かもしれない、かなあ?」

「アンタもか! 死ねっ! 死んでしまえ――――!!」

「あっちょっなにをしやがりますかっ!? 誰かっ、誰か来て――! 患者が暴れてるわ!!」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

 ●

 

 入院が三日延びた。

 絶対に一発ぶん殴ると心に誓った。

 

 ●

 




BGMとか今は考えられない。
昨日と明日なら考えてたかもしれない。メンゴ。

レイフォンだって真面目にやればできる子だって感じで書いた気がする。


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ザ・モーニング・スター編第八話:レイフォンという男 上

 ●

 

 今、学園都市ツェルニで最もホットな噂といえば、レイフォン・アルセイフだ、絶対の自信を持って言えるだろう。

 そんな人物についてほぼ独占的にニュースを手に入れられる立場を、数少ない友達という関係を築いたミィフィ・ロッテンをして色々と知らぬことはある。

 ましてミィフィは学生である現在から記者として活動し、将来もメディア関連の仕事に就くと決めている人間だ。好奇心は人一倍あるに決まっている。情報を収集し、それを組み立てて形にしていく作業が大好きで大好きで仕方がない。

 しかし、そんなキュートで素敵な(自称)ミィフィちゃんをしても扱いかねる情報というものがあったらしい。

 ミィフィは配達された手紙の中の一枚に視線を落とし、吐息。

 

「これ、どうみても女の人からだよねぇ」

 

 配送ミスによって自分が手にしてしまったらしい、レイフォン宛ての手紙。しかも、上品かつ達筆な文字で女性の名前が記されているとなれば、さあ大変。学園都市ツェルニで最高に熱いスキャンダルであり、同時に親友たるメイシェンの一大事でもある。

 数分の思案の後、大きく、そしてゆっくりと息を吐き出した。

 

「よし、ナッキと相談しよう」

 

 道連れ一丁上がり。

 

 ●

 

 空の下。

 商店街がある。学校へと走る中央通りだ。

 中央通りには休校明けの浮ついた様子で学生たちが歩いている。

 通りを抜けた先。

 広い土地を囲うセメントの塀を超えて進むと左手には土の地面のグラウンド、右手には緊急時の避難場所として利用されるシェルターが見える。

 正面突き当たりにあるのが授業の行われる校舎であり、門前から続く並木に挟まれた道路を歩く登校中の多くの人影に混じり、彼女たちはいた。

 

「……二人とも顔色悪い、よ? 寝不足みたいだけど大丈夫?」

「だ~いじょうぶダイジョウブ! ちょっと夜更かししちゃっただけだからさっ」

「うん。心配要らないぞ、メイ。少し活剄を使えば授業くらい乗り切れるからな」

「あっ、ナッキずっこい!」

「はっはっは、武芸者の特権だな」

 

 わざとらしく笑う浅黒の少女、ナルキ・ゲルニの腰には腰帯があり、錬金鋼が納められている。制服も他の二人とは異なり、武芸科のものに身を包んでいる。しかし、表情は疲労を感じさせるものであり、普段の凛々しさも半減していた。

 ナルキと同じく疲労を(にじ)ませる表情のミィフィと深夜まで話しこんでいたためだ。

 議題は二人の親友たるメイシェン・トリンデンの想い人への手紙。

 今回の件をレイフォンとの間で隠蔽したとしても、同じことが起きないという保障はない。万が一にでも手紙の主がレイフォンの彼女であったりしたのなら、メイシェンはドン底まで意気消沈してしまうだろうことは想像に難くない。

 だからといって盛大に暴いた場合においても、メイシェンの精神的ダメージは計り知れない。さすがに方法がよろしくないので報復措置も怖いかったりする。

 結局、出来ることはそれとなく聞き出すくらいだ、と結論した。

 

「だというのに……、ぐぬぬ」

「メイがレイフォンにお弁当を作ってくるなんてなあ。これで大当たりだったら気まずいなんてもんじゃないぞ。日を改めた方がいいかな?」

「うーん。メイっちのことだし、これで美味しいって言われたら毎日作ってきそう」

「…………ありそう」

「そうなったらそうなったでこっちが気まずくなっちゃうよ。早い方が傷は浅いって言うじゃん?」

「結論を急ぎ過ぎだぞ、ミィ。まだ()()と決まったわけじゃない」

 

 各々が答えの出ない思考を回しつつ並木を抜け、玄関口を通り、教室へと向かう。

 玄関口から向かって右の端に、彼女たちの教室がある。

 始業時間までは余裕があり、校舎の中はまだ人影は少ない。しかし、グラウンドから朝錬の掛け声や笑い声が響くため、寂しさは感じない。

 人影の(まば)らな廊下を進んでいると、不意にメイシェンの足音が止まった。

 

「メイ?」

「メイっち? どした?」

 

 当のメイシェンといえば、顔を赤く染めたり青ざめたりと、百面相に忙しい。

 勇気を出して弁当を作ってみたのはいいが、実際に渡す時のことを考えていなかったのだろう。

 処置なしだな、と息を吐き、ナルキはメイシェンの頭に手を置いた。

 

「ほらメイ。いまさらジタバタしてもどうしようもないぞ」

「……でも、やっぱり恥ずかしいよ」

「だから早く来たんだろう? 躊躇(ためら)ってると、登校してきた皆に見られながら渡すことになるよ。どうなるかなんて考えてても後の負担が増えるだけさ。だよな、ミィ」

「あー、うん、そーだねハイハイわかりましたよっと」

 

 考えても仕方ないから行け、という意味を正確に読み取り、ミィフィはにんまりと笑みの形に口を歪ませる。笑みのまま教室に先行。

 

「んーと……」

 

 覗き込めば、やはりというべきか。いつも通り、レイフォンとその他数名が居た。

 普段から仏頂面をしているレイフォンだが今日はいつもに増して、

 

「……難しい顔してる」

 

 レイフォンの雰囲気は普段から鋭い。というかちょっと怖い。しかし、それは誰かれ構わず襲いかかるような、危険を感じさせる、という意味ではない。

 なにせメイシェンが懐くくらいだ。人間的に器が大きいとか、そういう表現をするべきなんだ、とミィフィは思っている。実際に付き合いを持ってから、自分なりに彼の為人(ひととなり)を理解してもいる。

 彼は厳格なのだ。

 だからこそ、彼は困難であっても自分一人で解決しようとするだろう。レイフォンが険しい表情をしているなら、個人的な用件を除き、大きな事件の可能性が高い。

 ……スクープの匂いがする。

 続く動きは流れる様に行われた。

 

「武芸者のことは武芸者に。お願いね、ナッキ」

「……はあ、仕方ない。そっちも頼むぞ」

「もち。は~いメイっち! 緊張しすぎだよんっ。そんなんじゃちゃんと話せないよね! と、いうわけで息抜きの意味でもちょ~っとおいで? ね!」

「えっ? えっ、えっ~?」

 

 ナルキが教室に向かい、代わりにメイシェンを受け止める。

 やはりというか、メイシェンには緊張の余り、身体までカチコチになっている。頭の中は真っ白になっていることだろう。為すがまま、為されるがままという感じだ。

 ……いやあ、やっぱりメイっちは可愛いねー。愛され系だよね、うん。

 ずっと守ってきた”守ってあげたくなる親友”はやはり可愛らしい。

 後ろに視線を送ると、ナルキと視線が交わった。

 

「――――」

 

 一瞬の交叉。

 しかし、私たちの仲なら十分な時間だった。

 

 ●

 

「さて、と」

 

 ナルキはミィフィとメイシェンの二人を見送ると、息を吸う。

 そして、万が一にでも恋人であったのなら、と抱いた不安を抑えながら手を上げ、

 

「おはよう、レイとん。雰囲気が少し剣呑だぞ。なにかあったのか?」

 

 静かに着席するレイフォンは、ややあってから、こちらを見て、ゲルニか、と呟き、

 

「少し、考えなければならないことがある」

「うわさのこと、か」

「……うわさだと?」

「違うのか? あのとき外縁部に降り注いだ”剣の雨”のことだよ。あれがレイとんの仕業だっていう話だけど」

 

 どこからか始まったかは不明だが、いつの間にか都市に広まっていた(うわさ)だ。広まり始めた頃は汚染獣戦の影響を鑑みての休校時であったこともあり、確認は困難を極めた。

 なにせ対象はあのレイフォン・アルセイフ。

 気軽に話しかけられる人物などまずいない。ばったり街角で会ったから訊いてみました、というのはむしろ怖い。それでも偶然見かけた時に本人に訊こうと心を奮い立たせた極々一部の勇気ある者たちも居たらしいが、一瞬にして心が折れたというのも噂の一部だったりする。

 

「その手のことはミィが得意だし、私たちにできることなら力になるぞ」

「放っておけ。うわさなんぞすぐに消える」

 

 ナルキは思わず吐息する。

 普段から無愛想なヤツではあったが、いつも以上にトゲのあり、こちらを一瞥(いちべつ)するとすぐに机に視線を落とす。上の空といってもいいくらいだろう。

 これでは手紙の件を聞き出すのは無理かもしれない、とナルキが諦めかけた、そのときだ。

 

「他は?」

「?」

 

 レイフォンから問いが投げられた。

 

「用件を言え。用があるから話しかけたんだろう」

「――ああ、そうだった」

 

 ナルキは内心で、慣れない事をするもんじゃないな、と自嘲した。

 これまで聞きたいことをそれとなく訊ねるような行為をした覚えはない。それはミィフィの領分だろう。そういった行為を貶める訳ではないが、自分はいつでも真っ直ぐに生きてきたという自負がある。

 ……きっと挙動に不審な点があって、それを見抜かれたんだろうな。

 ”後ろめたさ”というものは、他人から見ればバレバレなことも多い。

 だから、という風に腹をくくった。

 そうだな、と机に両手を置いて、正面からレイフォンの眼を見据え、

 

「レイとん、正直に答えてくれ。……故郷に、グレンダンに恋人が残して来たか?」

 

 声を張ったつもりはない。しかし、静謐な空間には嫌になるほど大きく響いていた。

 間違いなく教室に居る全ての人間が、一音たりとも聞き逃すまいと耳を澄ませている。

 

「どういう意味だ? 貴様のことだ。単なる好奇心ではあるまい。まずは意図を説明しろ」

「先に答えてくれ。いるのか、いないのかを」

 

 強硬に聞き出そうという姿勢をどう思ったのか。レイフォンは眉を釣り上げ、沈黙した。そして、ややあってから、

 

「いない。いた、ということもない。……これで満足か?」

 

 ナルキは思わず、良し、とガッツポーズを決めてしまいそうになるのを堪えて、頭を下げた。

 身勝手にプライベートを衆目に晒す真似をしたんだ。誠実に、真摯に謝るしかない。

 

「ごめん、いきなり変なことを訊いて」

「……俺のことはいい」

「それでも、ごめん」

「頭を上げろ、鬱陶(うっとう)しい」

 

 不機嫌そうにレイフォンが息を吐き出した。次いで、言葉を作ろうと口を開いた直後。

 

「おっはよーう!」

 

 ミィフィの大きな声が割り込んだ。

 彼女はメイシェンと共に真っ直ぐレイフォンに近づきながら、一瞬、視線をこちらに寄越す。

 ……さすがだミィ、ナイスタイミング。

 ナルキは小さく頷いた。恋人ではない。大丈夫だ、と。

 

「やあやあレイとん、おはよう!」

 

 ミィフィの迫り方は強引だった。

 しかし、底抜けに明るく、茶目っ気はあっても邪気はない。

 だから、というように、レイフォンは深呼吸。吐息と共に怒気を吐き出した。

 

「……ああ」

「むー、どうした元気ないぞ~?」

「貴様には関係ない」

「ふ~ん、そんなこと言っちゃうんだ。へえー? ほおー?」

「うわ……」

 

 思わず呻いてしまうくらい、ウザったい絡み方だった。

 誰もが、お前は酔っ払いか! とツッコミしたくなるほどウザい。

 

「含みがあるようだが、面倒だ。はっきりと言え」

「ふふーん。これを見てもそんなこと言っていられるかなあ? これなーんだ♪」

 

 取り出したのは、(しな)びた手紙。

 一目で長旅を経てツェルニへと配達されたものだと分かる。

 

「いやー、何かの拍子にわたし宛の手紙に間にでも混ざったんだと思うんだけどね? レイとん宛の手紙があったんだ。はいコレ、どうぞ」

 

 手渡された手紙を見て、レイフォンは送り主の名前を読み上げる。

 

「デルボネ・キュアンティス・ミューラ」

「そうそう、それ。その名前だよ! 思いっきり女の人の名前だし、これもう訊くしかないよね! この人との関係はー? さあさあレイとん、返答や如何に!」

 

 レイフォンはヒートアップするミィフィを無視。

 落ち着いた動作で封を切り、手紙に視線を落とした。

 

 ●

 

 ……かなわないなあ……。

 レイフォンがデルボネからの手紙を読んでから最初に思ったことはそれだった。

 未来のことを知っていると”どうやっていくのが最善か”ではなく”どうするのが正解か”というある種、傲慢な思考に陥りがちだ。それを見事に叱られてしまった。

 もちろんレイフォンの知る知識を外に漏らしたことはない。そういった予備知識などはなく本性を知っている程度のはずだが、レイフォンの性格をきっちりと把握しているらしい。生きてきた時間、人生経験の賜物か。亀の甲より年の功とはよく言ったものだ。

 いずれにしろ、人間観察では到底及ぶべくもない。

 悔しいとすら感じさせない(ふところ)の深さは、老齢の人間特有のものだろう。あのように美しい歳のとり方をした老人は、そうは居ない。

 

「ねえ、なんて書いてあったの?」

「おいミィ……」

 

 内容にまで口を出そうというミィフィの態度に、ナルキが諌めに入る。

 先程までの気分なら間違いなく適当にあしらっていただろうが、そういった荒んだものは完全に吹き飛んでいた。

 

「たいしたことではない。ただ、……(たしな)められた、といったところか」

「レイとんがか!?」

 

 三人とも驚いていたが、ナルキが一番”ありえない”という感情を露わにしていた。

 ……そんなにおかしいかあ?

 疑問に思ったりもしたが、すぐ得心する。

 バージノレが素直に誰かの言うこと聞いてたら驚くに決まっている。そういう感情だと思えば、即座に納得できてしまった。やっぱ本物のバージノレは冷酷無慈悲の悪魔だよね、と。ただしダソテ限定の超絶分かりにくいデレがある可能性が微レ存。

 

「そこまで驚くことか」

「あ、あの!」

 

 呆けてみたら涙目のメイシェンが飛び込んできたの巻。

 すっかり忘れてたわ。いや、ごめんて。

 

「レイとんは……、えっと、その、デルボネって人のこと、……どう思ってるの?」

 

 ぷるぷる震えているの見てると本当に猫か何かみたいで可愛いよね、メイシェンって。

 しっかし、デルボネおばあちゃんか。

 頭はいいし知識量ハンパないし凄い人だけど、結構接しやすい人なんだよなあ。一緒にトロイアットを嵌めた共犯者だしな、ははは。

 公人としてなら、そうだな……。

 

「敬意を払うべき人物だと認識している」

 

 なにせ、

 

「なにせ、一世紀近く戦場を俯瞰し続けていながら未だに現役の念威繰者だ。永い年月で蓄えられた戦闘経験は他のどんな情報にも勝る。俺は、ヤツ以上の念威繰者を知らん」

「一世紀って……、百歳じゃん!」

「正確な年齢は知らないが……。公的な資料にも八十年ほど前から名前が残っているな」

「……百歳で現役か、凄まじいな。レイとんが敬意を払うべきと言うのも当然か」

 

 話す機会がある度に二言目には”孫を紹介してあげられます”って言われるのには辟易としてるけどな。トロイアット辺りは喜ぶんだろうけど。そんなんだから嵌められんだよ、と主犯が言ってみる。

 

「しかし、珍しいな。トリンデンが他人の評価を気にするとは」

「え、あ、その……!」

「女の子なら誰だって他人様(ひとさま)の恋愛模様が気になるに決まってんじゃん。レイとんが好きになりそうな人とか想像できないし、余計にそうだよ!」

「確かに。何と言ってもレイとんだからな。隣に誰かが立ってる所なんてちょっと想像できないよなあ」

 

 話題が恋愛になると、場が一気に華やいだ。

 こういうところはやっぱり女の子だなあ、と思う瞬間ですな。

 でもね、あることないこと適当に言いまくりやがるのは大きくマイナスでーす。

 女子三人、(かしま)しいのを内心では微笑ましく思って見ていると、ナルキが唐突に切り出した。

 

「そろそろ授業だな……。そうだ、メイ。レイとんに渡すものがあるんだろう?」

「ああ、そうだったそうだった。いやあ、これを一番楽しみにしてたはずなのにぃ」

「も、もう!」

 

 ミィフィに冷やかされて顔を真っ赤にしながら、メイシェンはレイフォンの前までやってきた。

 

「……えと、レイとん」

 

 すっごい真剣な空気だ。

 照れ顔の女の子っていいよね、とか考えてたなんて言えない。

 

「……お昼……お弁当作ったから、一緒に食べませんか?」

「――――」

「ひゅーひゅー♪」

「茶化すな。メイが気を遣ってくれたんだよ。ほら、あたしたちもレイとんもお昼は外食だからさ」

 

 思わず絶句していた。

 料理が出来ない訳じゃないけど、この一年二年で”決戦”が始まる以上、立ち止まっている暇はない。そう考えて、レイフォンはわずかな時間も惜しんで鍛錬に励んでいた。

 知識などではなく人間として、本来のレイフォンよりも武芸しかできない男になっていると思う。

 ……だってのに……。

 

「――物好きな女だ」

「いいんだよ、メイっちは料理するのが好きなんだから。ありがたく受け取りなさいっ」

 

 そりゃあ、貰えるってんなら嬉しいさ。それが食糧ともなれば尚更だね。だが、バージノレが施しを受け入れるとかありないんだ。素直に貰うわけには――――、

 

「そうだな。……ありがとう」

「!?」

「い、今っ、レイとんが()()た!?」

「あぅ……」

 

 ……あれ?

 

 ●

 

 グレンダンこそ武芸の本場。

 そのように噂する都市は多い。

 (おおむ)ね正しい認識だろう。強者でなければ存在意義を認められないグレンダンは、他の都市よりも間違いなく武芸者の質は高い。

 槍殻都市グレンダンの本質――、あるいは根幹ともいうべきは天剣授受者であり、彼らをまとめる王家にある。天剣は最強の象徴であり、人は彼らの流派に強さの源流を想う。栄える武門が天剣達の流派「リヴァネス」、「ルッケンス」、そして「ミッドノット」であることもそれを証明している。

 ではサイハーデンはどうだろうか、とクラリーベルは思案する。

 史上最年少にしてヴォルフシュテンを勝ち取ったレイフォン・アルセイフの流派、サイハーデン刀争術。若く才能に溢れる天剣を輩出したとして注目を集めたものの、長くは続かなかった。

 天剣を手にしたレイフォンがサイハーデン刀争術を使わなくなったことで注目は薄れ、入門した者達も剄技よりも基礎を重要視した鍛錬に耐えかねて去っていったと聞く。

 ……愚かしいにも程がありますね。

 ひとつの流派を修めたクラリーベルならば理解できる。

 武芸を修めるということは容易ならざる難行だ。だからこそ一度、高いレベルで修めた武芸は筋肉に、神経に、剄脈に根付く。あとから異なる戦闘方法を身に着けたとしても咄嗟のときは最初の”武”が顔を出す。天剣授受者であってもそれは変わらない。

 レイフォンの源流は間違いなくここにある。

 

「――――サイハーデン刀争術」

 

 小さな孤児院と隣接する道場を見上げ、看板に刻まれた文字を言葉に乗せた、そのときだ。

 

「クラリーベル様ですな」

 

 と、不意に横から男の声が届いた。

 振り向くと、孤児院側の扉を背に壮年の男が居た。

 デルクだ。

 

「ここで孤児院と道場を営んでおります、デルク・サイハーデンと申します」

「クラリーベル・ロンスマイアです。祖父からは個人戦・集団戦、どちらでもうまく立ち回れる有能な人物と聞いています」

 

 言うと、互いに手を差し伸べ、握り合う。

 デルクの手は引退した武芸者のものではない。幾度も手のまめを潰し、ごつごつとした武芸者特有の手。毎日の稽古を欠かさぬ武芸者にのみ見られる努力の(あかし)だ。

 

「個人戦と集団戦、どちらでもうまく立ち回れる有能な人物であったと聞いていますが、……なるほど。祖父が惜しむはずです。一線を退いてなお、現役の武芸者と遜色ありませんね。今日は是非、手合わせ願いたいものです」

「一武門の師範を務めているとはいえ、もはや老いた身。所詮は老兵に過ぎませぬ。過分な評価でしょう」

「それを確かめに、――――いいえ。正確には、レイフォン・アルセイフを鍛え上げた老練の武芸者に会いに来たのです。第一、私は当代ノイエランの孫娘ですよ? (よわい)八十を超えた祖父を間近で見ていますから、老いが衰えの理由にならないことは承知しています」

 

 クラリーベルは口の端を吊り上げ、かすかに剄を発することで好戦的な意思を表明。

 対するデルクは困ったように苦笑すると、吐息と共にこう言った。

 

「サイハーデンを知りたいとはサイハーデン刀争術そのものではなく、レイフォンの修めた武芸、という意味でしたか。あまり意味はないやもしれませんが……。まあ、話はあとにしましょう。教え子たちが待っております」

 

 レイフォンのことが話題に上がった途端、デルクが会話を切り上げた。素っ気無い態度は、

 ……積極的に話したいことではない、という意味でしょうね。

 例の事件の発端は自分にある。どのように思われているのか、と不安に思っていたが、やはりというべきか。快くとはいかないらしい。

 恐らくそうだろうという負い目もあったために、これまでサイハーデンの道場に足を運ぶことはしなかった。しかし、突然王宮に呼び出され、アルシェイラと――否。()()と対談し、その内容をデルクに伝える役目を押し付けられてしまった。

 女王として任命されれば、グレンダン三王家の一員として断れるはずもない。

 ……なにが、真実を教えよう、ですか。ぐうたら女王のくせに。

 確かに、告げられた真実とやらは負い目を吹き飛ばすに足るものだった。レイフォンやサイハーデンに対する複雑な感情は残らず吹っ切れたと言ってもいい。

 おかげで今やアルシェイラに対する感情は沸騰状態を一段飛ばしで大噴火。

 いつかカンチョーでもしてやりましょう。式典で。

 などと妄想で憤懣(ふんまん)を散らしていると、いつの間にか道場に入っていたデルクの声が届く。

 

「――お入りください」

「失礼します」

 

 一礼し、クラリーベルは中に一歩を踏み込んだ。

 道場内には改装の痕跡があちこちに点在していた。元は木造の家屋だったのか、コーティングが剥がれて木材が覗く箇所がある。天井までは五メルほどしかなく、一般的な道場と比べてかなり低い。

 その代わり、コーティング剤はクラリーベルでも知っているほど有名で、耐久性に優れるものだ。

 視線を道場から正面に向けると、十五メル四方に満たない小さな道場の中央に十人ほどの少年たちが正座。その正面にはデルクが腕を組んだ姿勢で立っている。

 彼は隣にクラリーベルがやって来るのを確認するとこう言った。

 

「今日の鍛錬に参加していただくこととなったクラリーベル様だ。お前たちの知っているだろうが、彼女はノイエラン卿の孫娘であり、最も天剣に近いと称されるほど腕の立つ武芸者だ。胸を借りるつもりで存分に挑むといい。――――では、クラリーベル様。よろしくお願いします」

「天剣に近いと聞いて目の色が変わりましたね。私もあくまで若い者の中では最も近いというだけで天剣には届いていませんし、皆さんと同じく挑戦する側ですが。まあ、今日は気楽に手合わせでもしましょうか」

 

 ●

 

 ハーレイは大荷物を抱え、午後の日差しに照らされた道を歩いていた。

 隣にはレイフォンが並んで歩いており、進行方向にある練武館はまだ遠い。単なる技術屋が運搬などするものではないと感じてきた頃、レイフォンが呆れたようにこう言った。

 

「上機嫌だな、サットン。やはり錬金鋼の開発は楽しいか」

 

 指摘されるまでもなく、ハーレイは浮かれていることを自覚。なにしろ、

 

「新型がいい感じに仕上がってきたし、余計にワクワクしてるよ」

 

 初期に作り上げた複合錬金鋼は複数の錬金鋼の持つそれぞれの長所を完全に残した形で合成することを目指していた。カートリッジ方式によって錬金鋼の組み合わせの変更を可能にしたのはいいが、機構が複雑化したことで巨大化を余儀なくされ、耐久性の問題が顕在化。

 レイフォンにも試してもらい、長時間の戦闘に耐えられないようでは危険すぎるという意見をもらった。

 そこで、長時間戦闘を前提とした複合錬金鋼として開発された新型が簡易(シム)複合錬金鋼(アダマンダイト)

 複合錬金鋼の改良版か、あるいは廉価版というべき性能でしかないが、量産性を度外視した一品物。

 耐久力の向上と小型化を両立するにカートリッジシステムを削除したことで、構造において安定性を発揮し、武器としての完成度は遥かに高まったと断言できる。

 

「もっと小型にして普通の錬金鋼よりちょっと大きいっていう程度にしないと一般化は出来ないね。課題は山積みだよ」

 

 小型化したとはいってもまだまだ巨大だ、とハーレイは思う。

 現状では生半可な武芸者では扱いきれず、しかも量産に向かないため特殊な事情でもなければ予算はおりない。その特殊な事情とやらには困ったものだが、半ば諦めていた研究を好きに出来る状況はありがたい。

 

「十分だと思うがな。少なくともは俺はこれくらいの方が手に馴染む」

「そうなの? 普通の錬金鋼よりかなり重いはずだよ、これ」

 

 簡易(シム)複合錬金鋼(アダマンダイト)は三種の錬金鋼を組み込んでいる。三倍とはいかないまでも、普通の錬金鋼と比較すれば倍近い重量がある。

 ハーレイには、それを”馴染む”と表現するレイフォンの考えが分からなかった。

 

「十年前、武芸を始めた頃から”普通の錬金鋼”を使っていたからだろう。複合錬金鋼はさすがに重いが、簡易複合錬金鋼の方は慣れ親しんだ感覚に近い」

「なるほどねぇ」

 

 十年前、つまりレイフォンは五歳の頃に武芸を始めたことになる。

 若いというよりは幼い。

 いくら都市ごとに文化や風土が大きく異なるとしても、早すぎるという印象は(ぬぐ)えない。

 ……そういえば、レイフォンって孤児院で育ったんだっけ。

 必要に迫られたとするなら、気軽に聞いていいことじゃない。それに、とハーレイは疑問を飲み込み、レイフォンを横目で見る。

 彼は凄まじく強い。今まで見たことのあるどんな武芸者よりも、強い。

 武芸を始めたのが一年前、二年前などと言われるより納得できる話だった。

 

「新型の調整はすぐにできるのか?」

「なんとも言えないかなあ。でも、一週間もあればレイフォンに合わせられると思う」

「そうか……」

 

 錬金鋼の技術や汚染獣との戦闘について話していると時間が過ぎるが本当に早く、錬金棟から三十分と少し歩いたという実感もなく、練武館に到着。

 入って右の廊下を奥まで進めば第十七小隊用の教室だ。

 レイフォンを連れ立ち、汚れたツナギ姿のハーレイはまっすぐ奥へ。

 扉を開けた先が男子用のロッカールーム。入って最初にダンボール一杯の大荷物を長椅子に落とし、一息。

 

「あー、重かったあ」

 

 ……やっぱり持ってもらうべきだったかなあ。

 肩と両腕が熱を帯びている。

 明日は筋肉痛だろうな、と思いつつ上半分を脱ぎ捨て、熱を帯びた部位を外気にさらす。

 

「だから預けろと言ったろう」

「いやいや、機材の運搬を任せる訳にはいかないって。これくらいは僕らの義務だと思うしさ」

「すでに限界にようだが。ここから野戦グラウンドまでは俺が持っていく。いいな?」

「あはは、ごめんね」

 

 誤魔化すように笑った。

 凝り固まった筋肉を手で揉み解しつつ、ロッカールームから教室への扉を通過。中に居るのは鉄鞭を振るうニーナと、壁を背にして座り込むフェリとシャーニッドの三人だ。

 いつものように軽薄な笑みを浮かべて、よう、と手を上げるシャーニッドに会釈しつつ、レイフォンとともにニーナのところへ。

 ニーナは向かってくる二人に気付くと素振りを止め、熱の籠った吐息をこぼす。彼女は構えを解いて二人へと振り返り、

 

「遅いぞ」

「ごめん、僕の方でレイフォンに用事があってさ。錬金棟まで来てもらってたんだ。先に伝えておくべきだったよね」

「まったく、昔から研究が絡むとそれ以外が見えなくなるな、お前は。悪い癖だぞ」

「あれ、そうだっけ……?」

 

 記憶を探りながら言うと、そうだ、とニーナは呆れたように言った。

 

「まあいい。とにかく全員揃ったんだ。連携から見直していくぞ!」

 

 気を取り直すと、彼女は叫ぶように号令をかけた。このときシャーニッドたちが呼応するよりも早く、レイフォンがこう告げた。

 

「新型錬金鋼の試験運用と調整が優先だ。訓練は貴様らだけでやれ」

「――なんだとっ!?」

 

 危険な角度で眉を立て、ニーナは怒りをあらわにした。これは彼女の中で(くすぶ)っていた憤懣(ふんまん)そのものだ。

 

「おい、分かって言っているのか? わたし達は対抗試合に負けたんだぞ!」

「うわぁ、やっぱりこうなっちゃったかあ……」

 

 ハーレイが頭を抱えながら思い出すのは、先日行われた第十四小隊との対抗試合。

 フラッグ前の守りにレイフォンを置き、ニーナとシャーニッドが攻め上がる布陣。たとえ複数人がフラッグに奇襲を仕掛けても彼なら防ぎきれるという判断だった。

 しかし、前線を担う二人が倒れた後。

 レイフォンは何もしようとしなかった。棒立ちのまま、第十四小隊がフラッグを倒すのを眺めていただけだったのだ。

 当然、試合後にニーナはレイフォンに詰め寄った。なぜ戦おうとしなかったのか、フラッグの防衛はお前に任せたはずだ、と。しかし、至近から怒声を浴びながらもレイフォンの反応は冷ややかなものだった。

 ――甘えるな。

 その一言を残し、彼はその場を去っていった。

 あのときと同じだ。

 ニーナが叫び、レイフォンは黙して語らない。

 

「なぜ何も言わないんだ、レイフォン! お前は――!」

 

 レイフォンは静かにニーナを見据えていた。そして、静かに息を吐くと、ややあってから、見下(みくだ)すようにこう言った。

 

「何も、……何も分かっていないのだな。愚かな女だ」

「――――」

 

 拙い。

 ニーナがこのまま感情の赴くまま何か言えば二人の関係は致命的に壊れてしまう。そう感じたハーレイが飛び出そうと一歩を踏み出す直前。

 声が飛んで来た。

 

「――少し、よろしいですか」

 

 フェリだ。

 彼女の言葉によってレイフォンとニーナの対立は止められたのは事実。しかし、(こじ)れずに済んでよかったという安堵よりも、何故、という疑問が先に立つ。

 彼女の介入はあまりに唐突であり、あのレイフォンですら無感動ではなく、

 

「ほう……? 言ってみろ」

「兄から貴方に話があるそうです。私と来てください」

 

 彼はフェリと視線を交わし、ややあってから、頷きをひとつ。

 

「――いいだろう。サットン、試験運用(テスト)はまたの機会にしてくれ」

「ああ、うん。分かった」

 

 ハーレイがそう答えると、レイフォンは先を行くフェリに続き、 二人は練武館を去った。

 待て、というニーナの静止も意味を持たず、

 

「…………」

 

 息苦しくて、逃げだしたくなるような雰囲気だけが(よど)む。

 静寂がこんなに嫌なものだと感じたのは初めてだ、とハーレイは固い(つば)を飲み込んだ。練武館に残る生暖かい空気の粘りつくような感触すらも気になって仕方がない。

 だから、というようにシャーニッドに視線を向けた。

 どうにかしてほしい気持ちを視線に乗せて見ると、彼はわざとらしく息を吐き出した。静かすぎる空間では、その音は大きく響いたように感じられた。

 当然だが、ニーナの耳にも届いている。彼女はシャーニッドを睨み付け、

 

「なんだっ」

「すーぐ熱くなりまっからなあ、俺達の隊長殿は。大体分かってんだろうよ? ニーナだけじゃねえ、俺もそうだし、多分、フェリちゃんもそうだ。漠然と思ってただろうが、”レイフォンが居るから負けない”ってな」

「それは……!」

「実際、一度はそうしてた。けど、あれは俺達に見せつけるためのモンだろ。どれくらい強いのか見当もつかないレイフォンって戦力を。だからもう、あいつが強いってことを知っている俺達は、絶対にあいつに寄りかかっちゃいけないんだ。……分かってたはず、なのにな……」

「…………」

「なんで、あんなにすげぇんだろうなあ」

 

 ●

 

 フェリは練武館からマンションへの途中にある休憩所に居た。

 休憩所は田舎の寂さびれたバス待合所のような木造。塗装の剥がれたベンチがあり、フェリが片方の端に座っていて、反対側ではレイフォンが沈黙のまま缶コーヒーを傾けている。

 時間の遅く、通学のコースから外れた場所のため、人通りはない。

 遠くから響く声を聞きながら、フェリは冷め切ったコーヒーを飲み干した。話そうという意欲が湧くのを待っていては埒が明かないようだ。

 一息ついて、レイフォンを盗み見ると、彼の視線は手に持つ冷めたコーヒーに固定されている。

 ……気に入りません。

 カリアンからレイフォンを呼び出すように頼まれたことが、ではない。それを”いい機会だ”と利用し、自分の彼と話そうという感情それ自体が不愉快なのだ。

 持て余し気味な感情を脳の片隅に押しやりつつ、言葉を飾らず訊ねることにした。

 

「”武芸者でも意志が伴わぬなら戦うべきではない”でしたか」

 

 言葉に、レイフォンは視線だけを動かし、フェリを見た。ああ、と頷くと缶を一気にあおり、再び缶に視線を落としてこう言った。

 

「それがどうかしたのか」

「驚かないのですね。私が知っていることに」

 

 反応を見るべく稚気を込めたはずなのに、レイフォンは淡々とした態度を崩さない。

 ……本当に、気に食わないヒトです。

 まるで、こちらの行動など全て想定しているかのような余裕。盛大に驚かせたいのではないが、都市外での会話を知っていることに対して反応ひとつ寄越さないことが腹立たしかった。

 

「貴様なら呼吸にも等しい行為だろう」

 

 指摘され、そうですね、とフェリは前置きすると、

 

「貴方の言ったことは、グレンダンでは一般的な認識なのでしょうか?」

「いや。あそこに意志薄弱な武芸者など存在しない」

「どんな勇猛な都市にも例外はいるものですよ。いかに武芸の本場であろうと、ついてゆけない者がいないなどありえません」

「個人の意志や認識の問題ではない。都市運営の段階で根本的に異なっている」

 

 それは、

 

「グレンダンでは、剄脈を持つ者は例外なく二度以上汚染獣戦の観戦を義務付けられている。さらにいくつかの公式な大会を経て初めて”武芸者”を名乗ることが許可される。そうして幾度かの汚染獣戦を経験し、ようやく周囲から武芸者と認識されるようになる」

「そんな条件が……」

「食糧危機の頃には目覚ましい活躍を見せた武芸者への配給が増えるなどの影響もあった。日常的に汚染獣と遭遇する都市だ。戦えない武芸者があの都市で生きていくのは難しいだろう」

 

 聞きしに勝る都市だ、とフェリは思う。

 戦うためためだけに存在しているかのような名称に誇張はない。槍殻都市で育ち、最強の称号を手にしたレイフォンは、どんな状況にあっても武芸者として何の翳りもない。決して揺るがぬ在り様はあまりに異質に映った。

 一体どんな生き方をすれば、十五の少年がこんな武芸者に成り得るのだろうか。

 そして、自分がグレンダンに生まれていたのならばという想像が、フェリにこう言わせていた。

 

「それは、……念威繰者もですか?」

「知らん。俺には関係なかったんでな」

「関係ない? 先日の汚染獣戦では都市外の母体の捜索は念威繰者によって行われていますし、貴方も都市外戦にひとり連れていったではありませんか」

 

 抑え込んだ感情を逆なでされた。母体の捜索やレイフォンの補佐を自分に依頼するまでもなく却下したのは彼自身ではないか、と。

 怒りを含むことで、自然と詰問するような口調になっていった。

 

「念威繰者が自身に無関係だと、よく言えたものですね」

 

 だが、レイフォンは呆れたように息を吐き、

 

「そういう意味ではない。グレンダンには念威繰者の頂点たる人物がいて、それは一世紀近く変わっていない。俺たち天剣をサポートする人間が変わらない以上、どこの誰がどうなろうと関係ない。俺の言っているのはそういうことだ」

「……すみません。少し、感情に流されてしまったようです」

 

 フェリは目を伏せ、謝意を示す。

 グレンダンとツェルニは完全に性質の異なる都市だ。そして、

 ……サントブルグとも違う。

 学園都市であるかどうか、ではなく、社会的構造として全くの異質。そこを混同した物言いは明らかに的外れなものだった。

 

「私は――――」

 

 言いかけ、しかし、言葉を選んでいるうちに、口は閉じていた。

 レイフォンとフェリ。

 槍殻都市グレンダンと流易都市サントブルグ。

 武芸者と念威繰者。

 出身も無関係なら性別だって違う。なのに、どちらも都市に才能を(たっと)ばれ、必要とされながらも都市を出ることを選び、いまでは同じ学園都市で同じ小隊に所属している。まさに奇縁だ。しかし、とフェリは思考を断ち切った。

 彼は武芸者であることを選び、

 ……私は念威繰者を拒絶しました。

 かつてレイフォンが言ったことだ。己が何者であるかを他人に決めさせるのか、と。

 フェリは念威繰者になることを当然だと周囲に言われ続けたサントブルグに嫌気が差して逃げ出した。同じように、彼も自分の生き方を他人に決められたくないから、自分で武芸の道に進んだのかもしれない。少なくとも、

 ……彼と違って、私は”選ばなかった”のでしょうね……。

 そこまで考えて、ふと思い出す。

 かつて、フェリがレイフォンに対し、なぜ武芸者で居続けられるのかと問いかけたときのことだ。

 

「くだらない、でしたね」

「?」

「私の問いを、貴方は”くだらない”と切り捨てました。ですが、それは質疑に対する意見であって回答ではありません。あのときは質問を質問で返されて終わりでしたから、ここでもう一度貴方に問います。今度は貴方の答えを聞かせてください」

 

 フェリは言葉を切り、息を吸う。

 

「貴方が当然のように武芸者で在り続けられるのは何故なんですか?」

 

 投げかけた問いは空気に溶けていき、沈黙が生まれた。

 周りの建物から漏れる人工的な灯りだけが足元を照らす。遠くにあった喧騒は消え去り、代わりというように来たのは静寂。耳に届く音はない。

 あるのは身体の内から響いてくる鼓動だけだ。それは一秒ごとに大きくなっていく静けさと緊張だ。

 そして、ややあってからレイフォンの口が開かれるのを、ようやく、という想いと共に見て、

 

「俺が”俺”であるためだ」

「――――」

 

 世間話でもするかのように軽い口調で放たれた言葉に一瞬、フェリは言葉を無くした。そして、悟る。

 始まりが、完全に自己で完結している、と。

 自分の内から生じる理由に身を委ねたがゆえに、その他一切の言動に惑わされることがない。

 貫くべき生き方を知らず、流されるまま生きてきた自分とはまるで違う、とフェリは思った。レイフォンには武芸者以外の生き方を選ぶ余地など無かったのだ、と。そして、その生き方を当然のものにしてしまったのだろう、とも。

 今度こそフェリは目を伏せ、口を閉じ、顔を伏せた。

 念威繰者であれ、という他者の想いを(おぞ)ましいと逃げ出し、(わずら)わしいと嫌いながらも念威繰者であることを止められない。なのに、自分と正逆の人を見つけたら勝手に騒いで、嫌って、――憧れて。

 そんな自分が矮小(わいしょう)でみじめで、情けなくて仕方がなかった。

 

 ●

 

 クラリーベルは首めがけて跳ね上がってきた斬撃を、わずかに下がることで回避。

 

「今のはなかなか良い一撃です。――が、踏み込みが浅い」

 

 言われ、サイハーデンの門下生は歯を噛む。そして彼が次の動作を作るよりも先に、首筋に冷えた木刀の感触が来た。

 

「感情のまま動いたのでは、粗がでます」

「――参りました」

 

 悔しさの滲む声音を耳にし、クラリーベルは微笑。

 

「ありがとうございました。下半身もきっちりと鍛え上げているようですし、あとは経験を積めばかなりの武芸者になれるのではないでしょうか。今はまだ太刀筋が素直ですが、何度か肝の冷えることもありました。これからも頑張ってください」

「はい、ありがとうございました」

 

 二人が互いに一礼し、一歩下がると見学者たちが一斉に拍手。

 現在、最も天剣に近いと評判のクラリーベルを称賛し、彼女に食い下がった門下生を褒め称えた。

 デルクも手を打ちつつ、称賛の言葉を口にした。

 

「お見事ですクラリーベル様。虚実の入り混じった動作が実に自然。観ているだけで勉強になります。外野で見ていたので分かりましたが正面から見切るのは困難でしょうな」

「またまたご謙遜を。祖父(ティグリス)に引退させるには惜しいとまで言わしめたデルク・サイハーデンさんなら容易いことでしょう?」

 

 デルクは苦笑。

 言外に、だから証明してみせろ、という願望のような挑発を聞き取ったからだ。

 稚気、と切り捨てるのは容易い。しかし、こういう手合いは試してみなければ納得すまい。戦うことを要求され続けるのは目に見えている。”仕方ない”という呆れと”やってみたい”という欲求を半々に、デルクは木刀を手に取った。

 

「衝剄や化錬剄は禁止。活剄のみでよろしいですかな?」

「もちろんです」

 

 獲物は互いに木刀。デルクは正眼に、クラリーベルは下段に構える。

 互いに口の端を釣り上げて微笑のまま、動きが止まった。

 

「――――」

 

 二人の雰囲気に飲まれるようにして道場の空気が重みを増していく。

 高まる緊張が静謐を強制。道場から音が消えた。

 そして、ややあってから、門下生の一人が重みに耐えかねて唾液を嚥下した、そのときだ。

 

「!」

 

 内力系活剄の変化『疾影』。

 強烈な発した気配は残像となり最短距離を駆け抜けていき、その軌跡を追うようにデルクは駆け出した。

 

 ●

 

 デルクは思う。

 彼女は強い、と。次期天剣と称されるだけのことはある、とも。

 門下生に試合させてみたものの、あれはもはや試合ではなく明らかに指導であった。

 彼女の剣術にも(つたな)い点はある。しかし、活剄の密度は高く化練剄を十全に扱う以上、武芸者としての技量に疑う余地はない。年齢を考えればむしろ賞賛してしかるべきだろう。

 デルク・サイハーデンという武芸者が数十年をかけて上り詰めた道筋を、たったの十数年で踏破する才能。

 ……感嘆の一語に尽きる。

 おそらく総合的な戦闘能力は自身と同等の領域にあるだろう。

 化練剄を扱う武芸者にとっては、幻惑に多用することで心の隙間を突き、伏剄によって死角から狙い撃つのが定石。活剄のみとはいえ、意識を逸らすことに慣れた者とまともに付き合うのは危険すぎる。思うがまま、好き勝手に行動させていてはいけない。

 だから攻めることを選択した。

 自らが攻めることでクラリーベルの選択肢を狭めることを優先すべきだ、とデルクは思考する。

 だから、とさらなる一歩を踏み込もうとした、そのときだ。

 先行する残像が駆け抜けていき、クラリーベルが呼応するように一歩を踏み出し、

 

「!?」

 

 残像を無視。彼女は勢いをそのままに疾駆。驚愕し、身を硬直させるデルクに肉薄する。

 

「それはもう知っているんです」

 

 言葉ともに横薙ぎの一閃が放たれた。

 だが甘い。

 『疾影』を無視されたことで一瞬、デルクが身を硬直させてしまったことは事実だ。しかし、疾走の慣性が消えた訳ではない。だから、というふうに脚に活剄を集中した。

 内力系活剄、『旋剄』

 大幅に強化された脚力をもって、再度加速。身体を前の空間まで強引に叩き込んだ。

 

「……っ!」

 

 急な加速により間合いが変化する。

 クラリーベルはわずかに目を見開くと、即座に活剄を脚部に集中。木刀の背に手を添えた。

 力尽くで押しとどめようというのだろう。

 しかし、彼女の身体は未だ成長の途上であり、今は小柄な少女にすぎない。活剄の密度に大きな差がない以上、デルクが身体を肩から叩きつければ体格差で押し勝てる。

 だからそうした。

 

「はあっ!」

 

 衝撃。

 直後。クラリーベルが浮きあがり、ふ、とも、く、とも取れる呻き声と共に後方へと弾かれていった。

 デルクは前傾した姿勢のまま猛進していく。そして、反撃と同時に咆哮した。

 

「――かあっ!」

 

 内力系活剄の変化、『戦声』。

 空気を震動させる剄のこもった大声を放つ威嚇術はその威力を発揮した。

 クラリーベルは着地の姿勢のまま、身体を硬直させる。硬直は一秒にも満たないわずかな時間でしかないが、デルクには十分な時間だった。

 一気に間合いを踏破し、逆袈裟の一撃をぶち込んだ。

 

「かはっ!」

 

 衝撃を受けて、クラリーベルの身体は虚空へと跳ね上がり、それだけでは止まらず、後ろに向かって縦に回転していく。

 それを至近で見たデルクは思う。

 彼女は平衡感覚を失っている、と。このまま床に叩きつけられるだろう、とも。

 ヒットした一撃は強打。胸部に鈍痛が発生し、筋肉は硬直しているはず。ならば、ここから立て直すことはできまい。

 そうして倒れた彼女の顔の横に木刀を振り下ろせば終わりだ。

 判断は一瞬。

 だから、というふうにデルクは一歩を踏み込む。そして、続く動作で木刀を上段へと構え、それよりも先に別の動きが来た。

 下だ。

 

「――がっ!?」

 

 顎がかち上げられた。

 なにが? という疑念を抱き、即座に氷解した。

 強制的に上へと向けられた視界に、下から現れた鈍器の正体は、

 ……脚!

 クラリーベルのやったことは単純なことだ。

 殴打されたポイントをを回転の中心にして上半身を下げれていけば、自然と下半身が上がっていく。ならば上がっていく勢いをそのまま蹴りに乗せればいい。

 なるほど理屈は分かった。だが、それを成すには尋常ならざるバランス感覚が必要となる。少なくともデルクには出来ない。なによりも叩き込んだ一撃を意に介さず動けていることが不可解だ。

 どうやったかは分からないが、

 ……仕留め損なったか。

 顎をかち上げられ、反らされた上体を強引に引き戻すと、クラリーベルは既に姿勢と整えている。

 

「――――」

 

 視線が交わり、悠然と笑みを交換し合う。

 直後。

 二人は同時に飛び出した。

 

 ●

 

 太刀と太刀。互いに木剣だが、斬線が交わる感触には本物同様の緊迫感が付きまとう。

 クラリーベルが踏み込み、連続して木刀を叩きつければデルクは柳のように受け流し、

 デルクが攻め、剛剣を振るえばクラリーベルは木の葉のように舞い、蜂の様な一刺しを突き入れる。間合いを探り合い、フェイントを織り交ぜ、ときに強引に斬りに行く。

 攻防は刹那のうちに入れ替わり、互いに主導権を握りきれずにいた。

 息もつかせぬ攻防の最中にありながら、クラリーベルは口の端が自然と釣りあがっていくのを止められなかった。

 ……すごい……!

 それは、最初の攻防で嫌というほど理解させられた。

 吹き飛ばしてからの、わずかに開いた空間と時間を無かったことにする戦声。単純な方法だが、タイミングが絶妙だった。(たい)を崩した状態では、剄に対する警戒より姿勢を整えることを優先してしまうからだ。

 その瞬間を狙い撃ち、強打。

 幸い女性特有の胸部装甲があったことで衝撃が分散し、身体の芯まで打撃が響いてこなかった。女でなければ、あの時点で負けていただろう。

 これほど強い武芸者と出会ったのは久しぶりだ。

 体格はデルクが勝り、剣術も彼の方が優れている。

 一方で初速はこちらが速く、体術も恐らく上回る。

 活剄の密度は同等であり、剄量にも大きな差は見受けられない。

 総合的には互角といえる。

 しかし、活剄のみのルールでは、化練剄に比重を置くクラリーベルの方がが若干不利。

 さすがはレイフォンの師匠だ。自分と比べれば才能はないかもしれない。しかし、剛柔併せ持った武芸の”深み”は決して侮れない。堅牢でありながらも鋭い牙が見え隠れする老練の手腕は、歴戦という言葉を思い起こさせる。

 

「やはり、強い……!」

「貴女ほどの才能はありませぬな……!」

 

 デルクが木刀を振り下ろし、クラリーベルは合わせるようにして右足から踏み込み、下段から切り上げと見せかけて受け流す。

 

「!」

 

 直後。

 デルクの振り下ろした一撃が床を激しく打ち据え、快音を走らせる。

 クラリーベルは木刀を床に叩きつけるようにして踏みつけた。これでデルクは武器を動かせない。

 だから、というように彼女は一撃を叩き込もうとして、

 

「おおおおっ!!」

 

 轟声(ごうせい)とともにデルクが身を反らし、力尽くで木刀を振り上げた。

 クラリーベルは上へと向かうベクトルに逆らわないように回転し、空中で姿勢を制御。()()なることは、

 

「――知っていました!」

 

 空中からでは威力が半減してしまうが、その余力を速度に回せば連撃となる。

 ぶち込んだ。

 木刀が交叉し、乾いた音が連続する。

 

「むう……!」

 

 デルクは身を反らしていて、十分な一撃を放てる体勢ではない。

 威力よりも速度を重視した連撃は怒涛の勢いでデルクを襲い、防戦一方の彼の動きを更に押し込めていく。

 純粋な剣術では敵わないのだから、正面からぶつかるよりも搦め手で攻めればいい。それがクラリーベルが下した決断だった。

 ……いける!

 クラリーベルは確信する。このまま推移するなら時を置かずに潰せると、と。攻勢を保持せんと回転を速め、デルクが引いた分だけ押し込んでいけばいい、とも。

 だから、と全力で連撃を叩き込もうとした、そのときだ。

 

「はーい、食事の時間ですよー」

 

 道場と孤児院を隔てる扉の方から女性の声が届いた。

 すると、デルクは即座に構えを解いて、

 

「ああ、分かっ、――はっ! ふぐぅ!?」

 

 クラリーベルの一撃が股間を強打。白目を剥いて真顔で、そのまま顔から崩れ落ちた。

 

「…………ええー……」

 

 あんまりな結末に、クラリーベルは呆然とするしかなかった。どうしてこうなったのか、と門下生に視線を向けると、彼らは、ああー、と頭を()いて、

 

「ここは孤児院ですから、そのー、なんと言いますか……。食料事情はそれほど豊かじゃあないんですけど、メシで呼ばれたのに稽古を続けてるっていうことがありましてね? そしたら――」

「――”そんなに稽古が大事なら食事は要りませんね”って言っただけですよ、クラリーベル様。こうしてお会いするのは初めてですね」

 

 割り込む声はさきほどの女性のものだ。彼女は笑顔とともに会釈(えしゃく)

 

「リーリン・マーフェスと申します。よろしくお願いします」

 

 ●

 




はい、遅くなりすぎてすみませんでした。執筆は意欲ですね。大量に書ける人はすべからく尊敬できてしまいまする。
ついでに投稿する!と表明したのに遅くなったのは、書き上げたらなぜか投稿もしたつもりになっていた。
な、なにを言っているかわからねーと思うが俺もわからねー。
ごめんなさいOTZ

作業用BGM アニメ「攻殻機動隊StandAloneComplex」垂れ流し。もはやBGMですらないw
作中BGM「俺はここだと」境界線上のホライゾンのBGMですな。


やはり待っていました、といってくださる方が居るという事実ひとつで感動します。可能な限り早く次を仕上げられるよう努力します。
……ここですぐにうpしますと確約できないところが私の限界ですねorz


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