やんでれかるであ! (織葉 黎旺)
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急にサーヴァントのみんなが病んだせいで夜も眠れない一夜目

 

 

  一本のダークな色の蝋燭(キャンドル)だけが照らす薄暗い部屋の中、妖しげな雰囲気に包まれて、それは行われていた。

 無機質な白い床に描かれた奇怪な紋様。その上に、試験管を悩ましげに見つめながら撹拌する白衣の男、露出の多い服を着た褐色肌で口元が布で隠された女、ギョロりと大きな目で魔導書を持つ色白の男、ローブに身を包みフードで顔を隠す女――などなど、数多の怪しい人物がそこにいた。そして彼等彼女らに囲まれた紋様の中心に、聖母のような微笑みを浮かべる女がいた。

 

「ありがとうございます。これでようやく、カルデアの皆様を苦しみの牢獄から解き放つことが出来ますでしょう……」

 

 尼服姿の女は慈悲深く、恍惚と笑う。

 

「さあ、宴の始まりですよマスター?」

 

 

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

 

「はあ、はあ……」

 

 肩で息をしながら、徐々に呼吸を落ち着かせていく。右見て左見て、追っ手がまだ追いついていないことを確認し、とりあえず安堵の息を漏らす。

 人類最後のマスター、藤丸立夏は今――追われていた。何に追われているのかといえば、己が使役するはずのサーヴァントにだ。語弊のないようにいえば、彼は十把一絡げの魔術師ではないのでサーヴァントを"使役する"などとは少しも思っていないが、そこは言葉の綾である。

 どうしてこうなったのか、そう頭を抱えるが心当たりは微塵もない。謀反、というわけでもないと思う。どのサーヴァントとも関係は良好なはずだ。そも、今は人理が燃え尽きるかどうかという瀬戸際である。悪に定義(カテゴライズ)される英霊だろうが、反逆などはしていられない状況だ。というか、あの追われ方は謀反というより――

 

「こんなところにいたのね、子イヌ!」

 

「エリちゃん……!」

 

 迂闊だった。いつの間にか前方に、エリザベート・バートリーが立ちはだかっていた。背中には壁。どう考えても、逃げ切れる状況ではなかった。

 

「ダメじゃない、逃げたりなんかしたら。子イヌは私のモノなんだから、大人しく飼われてなきゃ!」

 

「どうしたんだよエリちゃん……! 今日の君は……いや、今日のみんなはちょっと変だよ! 俺はエリちゃんの物じゃないだろ!」

 

「ふうん、私に口ごたえするのね……」

 

 ――こめかみを、鋭い何かが掠めた。壁の一部が崩れ、倒壊する音が響く。数秒して、それが竜骨槍であることに気づく。

 

「な……っ!」

 

「言うこと聞かない子には、お仕置きが必要よね……?」

 

 ハイライトの消えた瞳。歪む口角。それはさながら、獲物を狩ろうとする竜のようで。こちらに手を伸ばすエリザベート。スローモーションのような視界の中、立夏は、視界の端から何かが飛んでくるのを見た。それが牛若丸だと気づいたのはエリザベートが吹っ飛んだ後のことであった。

 

「大丈夫ですか、主どの!」

 

「う、牛若丸!?」

 

「話はあとです、一先ず逃げましょう!」

 

「えっ」

 

「待ちなさい! 逃がさないわよ子イヌー!」

 

 ひょい、と立夏は軽々抱え上げられ、牛若丸の八艘飛びにより遥か遠くのマイルーム、その前まで跳躍する。

 

「……ふう、何とか逃げられましたね」

 

「そ、そうだね……俺の体が少しも大丈夫じゃないけど……」

 

 抱えられながらとはいえ、唐突に時速数百キロという勢いで跳躍したのだ。体に負荷がないはずがない。「とりあえず、部屋に入ってお休みください」と、牛若丸が立夏を()()()。扉の指紋認証を解除するためだ。

 シュウウ、と近未来的な音を立てて扉は開いた。

 

「うう、運んでもらって悪いね……」

 

「いえ、貴方に負担をかけてしまったのは私の未熟さ故。お気になさらないでくださいな」

 

「いや、助けてもらったんだし気にしないで……あーもう、みんなどうしちゃったのかな……」

 

 昼下がり、食堂でお茶をしていた時に一部の女性サーヴァントがおかしくなった。立夏に攻撃的であったり、気味が悪いほど好意的にくっついてきたり。どさくさに紛れて退避したが、食堂は今もしっちゃかめっちゃかかもしれない。原因――と呼べそうなものに心当たりはないが、あの時――何か変な香りがしたような……?

 

 そんなことを考えている間に、牛若丸は立夏をベッドに優しく寝かせた。未だグロッキーな気分を変えようと、彼は目を閉じる。

 

「ほんとありがとね……ごめん、ちょっと疲れちゃったから、一眠りするわ……」

 

「それはいけませんね、今すぐ寝るべきです! そうだ、どうせならより効率的に寝た方がいいでしょう」

 

「効率的……?」

 

「ええ」

 

 人肌の温もりを感じた方が、安心して眠れますよ――そういって、牛若丸はベッドへと潜り込んだ。

 

「え……っ!?」

 

「僭越ながら私が、湯たんぽ代わりに貴方を暖めましょう――()()

 

「牛若丸……!?」

 

 グロッキーな気分は、吹き飛ばさざるを得なかった。隣に潜り込んできた牛若丸から離れようと、体を動かす――が。

 

「駄目ですよ、体調が優れないのですから……大人しくしていてください? 兄上は働き者ですから……休める時に休まなければ勝てる戦も負けてしまいます。まあ、私も人のことは言えませんが」

 

 彼女に背後から強く抱き締められ、引き止められる。もがくことは出来るが、サーヴァントの腕力にはとてもじゃないが敵わなかった。そしてこの部屋はオートロックである――中から開けない限り、外から開ける手段はほぼない。助けが来ることはありえない。

 

「違う……違うよ! 俺は、源頼朝じゃなくて藤丸……ッ!?」

 

「……何を言っているのですか?」

 

 ぐぐ、と抱き締める力が強くなる。息が、苦しくなるほどに。

 

「兄上は兄上です。それ以外の誰でもないでしょう……? ああ、少し記憶が混濁しているのですね……ふむ、接吻でもすれば、治りましょうか」

 

「ひ……ッ!?」

 

 体を無理矢理反転させられ、彼女の目を見てしまった。普段の凛々しい瞳とは違う、虚ろな、ここではない何かを見ているような――立夏ではない、誰かを見ているような目。

 

「大丈夫です。ふふ、これでも私は百戦錬磨の牛若丸なので……こちらでも、良い戦をしてみせましょう……」

 

「やめてくれ……! 牛若丸……ッ!」

 

 顔を抑えられ、あと数センチで唇が触れようかというその時。ゴーン、という強い衝撃音が聞こえた。目の前から。同時に、聞き慣れた声と荒い息が耳に入った。

 

「はあ、はあ……大丈夫ですか、先輩!」

 

「マ……マシュ!? どうしてここに……!?」

 

「先輩ならきっとここに戻ってくるだろうと推測し、シャワールームの方に隠れてました! 誰かと入ってきたのは分かったので少し様子を伺っていたのですが、牛若丸さんの様子がおかしかったので飛び出し――乱暴ですが、気絶してもらいました」

 

「ありがとう――助かったよ」

 

 マシュがいなければどうなっていたことか、と立夏。それを聞いて、マシュは照れたように笑った。

 

「やっぱりマシュが、一番頼れる相棒だよ」

 

「ありがとうございます、先輩――!」

 

「それにしても、何でみんなおかしくなっちゃったんだろう……うーん」

 

 ダヴィンチちゃんやドクターロマンに相談したいが、外の様子がわからないうちに出歩くのは危険だ。話が通じるか不安だが、まずは牛若丸から話を聞いて――その後に動くのがいいか、とこれからの計画を立てた。

 

「牛若丸さん、起きたらまた暴れ出してしまう可能性もありますよね――申し訳ないですが、拘束させてもらいましょうか」

 

「そうだね」

 

 立夏が頷くと、マシュは部屋に落ちていた縄で手際よく牛若丸を拘束した。サーヴァントであるが故、やわな拘束じゃ簡単に外されてしまうので、何度も強く強く厳重に厳重に縛っているようだった。

 

「…………ん……?」

 

 何か今、おかしくなかったか……? そう思ったが、既に手遅れだった。マシュは、振り返ってベッドに飛び込む。

 

「これで二人きりですね、先輩?」

 

「ま、まさかマシュまで……!?」

 

 今まで見せたことのないような艶やかな表情。色っぽい微笑みと共に、立夏を組み敷く。

 

「先輩、好きです……! 好き好き好き、大好き。炎に巻かれた私に、手を伸ばしてくれた、あの時からずっと――!」

 

「マ――ひゅ――!」

 

 マシュの手は立夏の首へと伸びていた。強く優しく、さながら掌の中の小動物でも潰すように――慈悲深く、力を強めていく。

 

「だから、今度は私が先輩を助けます。サーヴァントとして、先輩を――」

 

 息が苦しい。喉が痛い。呻いているうちに、徐々に思考もできなくなっていく。マシュの声が聞こえなくなった頃には、立夏は意識を手放していた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初回ですから、こんなものでしょうか」

 

 尼服の女は呟く。その言葉に、試験管を撹拌する長髪の男が頷いた。

 

「そうですね、初回としては得られた成果も大きかったですし、こんなものでしょう。ただ、このように派手にやってしまっては目立っていけない。これを繰り返していては、すぐに気づかれてしまう」

 

「では今回の結果を踏まえて、また近いうちにこの宴を開きましょう。やはり、一度につき数人が限度でしょうか……ゆくゆくはカルデア全域に張り巡らせたいところですが……」

 

「このまま()()を続けていけばいつかは可能でしょう。そのためにも、()()()()()()()()()()()()()()

 

 試験管の男と数人が部屋から消える。少し広くなってしまった部屋で、女は腰をくねらせた。

 

「ああ……なんて素敵なのでしょう。これからのことを考えるとそれだけで胸が高鳴り、昂ってしまいます……ふふ。どうか、ゆっくり楽しんでくださいね? ――マスター」



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夜な夜な一緒に訓練(意味深)してた師匠が襲ってくる二夜目

「はあっ!」

 

 不器用ながらも鋭い一閃が、心臓目掛けて一直線に繰り出される。その全力の一撃を軽く身を逸らすだけで難無く躱し、槍兵(ランサー)のサーヴァント――スカサハは、隙だらけになっている足を払って転倒させた。そのまま馬乗りになり、己の得物――真紅の長槍を、迷いなく突き立てる。

 

「うわたっ!?」

 

「ふ、まだまだだな――だが、以前よりは格段に良くなっている。精進している証拠だ」

 

「あはは……そういってもらえるなら、努力した甲斐がありました」

 

 そう答え、自分の数ミリ横に刺さった槍を見て、藤丸立夏は小さく息を吐いた。何度やっても慣れないなあ、と思う。この人に心臓を穿たれるまでもなく、いつか訓練のプレッシャーで心音が止まるんじゃないかな、と少し考えてしまった。

 

 

 いつの日からか、この訓練は習慣になっていた。彼女を召喚してすぐの頃だったようにも思うが、詳しいことはもう忘れてしまった。カルデアの少し広い一室を貸し切り、マンツーマンで鍛えてもらう。時には槍を放ち、時には剣を振るい、走り込みから筋トレに至るまで、色々とご教授頂いた。今の立夏の肉体を作り上げたのがスカサハであると言っても過言ではないかもしれない。第五特異点において長距離を歩き抜けたのも、彼女の指南あってこそのものだろう。

 

「この分だと、いつか本当に私の胸に届く日も来るやもしれんな」

 

「何百年かかるかわからないですけどね」

 

 スカサハは胸に手を当て、小さく微笑んだ。今日の師匠は機嫌がいいな、と立夏は思う。その辺は長い付き合いなので心得てきた。冗談を言ってくれる日は大抵機嫌がいい。しかもこちらを褒めてくれている。内容はまあ、少し物騒だが。

 

「まだまだ雛鳥だが、随分と育ったものだ。特に槍術に関しては中々筋がいい。最近は、突きに迷いがないしな」

 

「師匠を信頼してるからこそですよ。そうでなきゃ怖くて、あんな思いっきり打てませんって」

 

 かつて、その件で三十分くらい説教されたことを立夏は思い出す。いきなり槍を渡し、「殺すつもりでかかってこい」と言ってのけたスカサハ。何度も拒否したところ、むしろこちらが殺されかけた。「お主に儂を殺せるはずなどないだろう。安心して打ってこい」ボコボコにされた後、彼女は呆れたようにそう言った。その言葉のおかげで、立夏は迷いなく槍を放てるのだ。

 

「……あの、師匠」

 

「どうした?」

 

「その……そろそろ、退いていただけないかなあ、と……」

 

「ああ、すまない」

 

 未だスカサハは、立夏に馬乗りになったままだった。立ち上がった彼女はマスターの少し赤くなった頬を見て、クスリと笑った。

 

「何だ、照れているのか?」

 

「な……そりゃあ照れますって! 正直押し倒された時点でドキッとしてましたからね!?」

 

 余計に顔を赤くしてあたふたするマスターの様子が面白くて、スカサハはもう少し悪戯してやろうか迷ったが、やめておくことにした。

 

「私などに動揺するとは変なやつだ……ふう、少し休憩するか。何度も言うが、動くだけが訓練ではないからな」

 

「しっかり食べてしっかり飲んで、メリハリをつけることが大事……ですよね? あ、飲み物がない! ちょっと取ってきますね!」

 

 駆け出して出ていった立夏を見送り、「休憩で走っては意味がないだろうに……まったく」とスカサハは嘆息した。

 藤丸立夏。人類最後のマスター。自分を喚び、慕い、共に死線を越えてきた男。

 何故か師匠と呼んでついて回るので、「お前は私の弟子ではないだろう」と呆れた顔をすると、「じゃあ弟子にしてください!」と更に呆れ顔にさせてきた男。どうせ数度で音を上げるだろう、とかつての弟子と同じような特訓をさせたが、思いのほか筋が良かった。鍛えていくうちに絆も深まって、才覚もぐんぐん上がっていった。数々の特異点を共に踏破していくうちに、いつしか本当に弟子と認めるようになっていた。

 

「不思議な男だ」

 

 口元が、自然と綻んだ。影の国の女王にすらこのような感情を抱かせる、平凡な男。だがスカサハは、この想いを抱きかかえて過ごしていくと決めていた。愛おしいものを、眺めているだけでいいのだと。

 その時、珍しく警戒を緩めてしまっていたその時。妙に甘ったるい匂いが、漂ったような気がした。

 

「本当に――本当にそれだけで、よろしいのですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました、師匠!」

 

 スポーツドリンクを両手に持ち、藤丸立夏は戻ってきた。部屋の中心ではスカサハが腕を組み目を閉じて正座している。瞑想でもしていたのかなあ、と思いながらそちらに近づいていった。

 

「お帰り。ああ、そんなものはそこら辺に捨てておけ。お前が持つべきなのは()()でなく、()()だ」

 

 背後の壁に朱槍が突き刺さった。捉えることも出来ない速さで飛躍したそれを見て、立夏は力なく笑った。

 

「訓練の続きですか? 師匠は熱心ですね、でも折角持ってきたんですし一口くらい――」

 

 ボトルを持っていた手は、反射的に離すことになった。二本のペットボトルはそれぞれ、投擲された二本の朱槍に貫かれたのだ。精確に細いペットボトルを貫く上に、その先の立夏の胸へは届かない絶妙な力量。正に、神業であった。

 

「な――、なにするんですかっ!」

 

「……今のは、ほんの挑発だ」

 

 スカサハは平坦な声音で話す。よく見ると、その姿は口元を隠しており――一再臨目以前の姿であるようだった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()、というちょっとした証明でもある。――来るがいい、勇士よ。さもなくばその命――我が槍で摘み取ろうぞ」

 

「――ッ!」

 

 背後の朱槍を引き抜き、立夏はスカサハへと一直線に駆け出した。彼女は間違いなく本気だ。加減はするだろうが、己の想像以下の行動を取れば、即刻彼の身を穿つつもりだろう。となれば、訳も分からぬまま、迷いなく戦うしかなかった。

 早速動いたことに少し驚いた様子を見せるスカサハだったが、立夏の渾身の突きを軽く躱し、前のめりになった足を蹴り飛ばして払う。学習せぬ馬鹿弟子め――と槍を構えたが、立夏は倒れていなかった。突き出された槍をコンマのところで受け止め、そのまま無理矢理軌道を逸らして距離を置いた。

 

「ふむ、少しは学んだか――だが、距離を取ったのは失策だ」

 

 スカサハは槍を投擲することを得意としている。つまり、彼女の間合いは槍の届くところ全て。多少距離をとったことで、むしろ立夏は不利になる。

 篠突く雨が如き勢いで、スカサハは次々と槍を投擲していった。立夏はそれを、紙一重で躱しながら動いていく。

 

「何だ、私の目でも回すつもりか?」

 

 立夏はスカサハの周りを回るように逃げていく。全ての槍を躱すことなんて出来なくて、彼の魔術礼装と体は、掠った槍でズタズタになっていく。

 

「逃げてばかりでは勝てないぞ!」

 

 ここでスカサハは、戦術を変えた。槍の投擲を止め、立夏の元へと跳躍する。

 

「攻撃というのはな、こう行うのだ」

 

「――ッ!」

 

 容赦なく槍を打ち込んでいくスカサハ。立夏は辛うじて一撃目は防いだが、二撃目で左腕を。三撃目で右足を、それぞれ軽く貫かれた。力なく、膝を着く。

 

「――こんなものか。よく頑張ったな」

 

 ポンポン、と頭を撫でた。それは確かな、勝者の余裕だった。立夏は、安心したように顔を上げた。

 

「待っていろ、すぐに楽にしてやる――」

 

 スカサハは表情を変えぬまま、槍を構えた。驚愕の色を浮かべる藤丸。そのまま、彼の身は朱槍に穿たれ――――

 

 

「――――ッ!?」

 

「……はあ、はあ……!」

 

 ――なかった。そもそも、槍はその身に届かなかった。届くことなく、地へと落ちる。スカサハの身は、槍を放つ直前の姿勢で停止している。立夏は伸ばしていた手を下げ、力なく肩を落とした。

 

「あ……危なかったぁ……!」

 

「……これは……ガンドか……っ!」

 

「そうです、間一髪でしたよもうー……!」

 

 ――ガンド。立夏の魔術礼装、カルデア戦闘服に備わった基礎的魔術の一つ。流石に"フィンの一撃"と称される領域ではないが、正確に当てることが出来れば数十秒程度、動きを止めることは容易である。

 

「さあ、訳を聞かせてもらいましょうか? いくら俺と師匠の仲でも、今回は流石に怒りますよ?」

 

「――訳、か」

 

 この男は自分が本気で殺されかかっていたことが、分かっているのだろうかとスカサハは思う。そんなもの、分かっているに決まっている。分かった上で、自分を殺そうとした相手を許そうとしているのだ。何か理由があるのだ、と信じて。

 

「――そんなもの、あるに決まっている」

 

「一体、それは……?」

 

 それが――大変身勝手で独り善がりな理由だと知っても、彼は自分を許すのだろうか。

 

「――ふむ、そろそろか」

 

「え……?」

 

 止まっていたスカサハの体がぎこちなく動く。ガンドのダメージから回復してきているのだ。落ちた槍へと手を伸ばし、それを拾い上げる。

 

「お前が何と言おうと、私はどちらかが動かなくなるまでコレを続けるよ。……まあ、これ以上出来ることはないだろうが」

 

「なんで……なんでですか師匠!! 何か俺に至らないところがあったなら謝ります直します! だから、だから――ッ!」

 

「話すことなど、何もない」

 

 そんなもの――ないに決まっていた。

 

「止めたければ、儂を殺せ――尤も、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 いつかの台詞。それを聞いて、立夏も槍を掴み直す。――そうだ、止めるなんて思い上がっちゃいけない。殺すつもりで挑まなきゃ、この人は止められない――ッ!

 

 立ち上がったスカサハは、数歩後ずさった。その動きから、未だダメージが残っていることを察する。(とめ)るなら、今しかない。

 

 

「「おおおおおおおおおおおおお!!!」」

 

 同時に駆け出す。同時に突き出す。勝負は一瞬、一瞬のうちについた。槍がカランと力なく落ちる。立夏が、どさりと倒れる。スカサハは――胸を真紅に染め、立っていた。

 

「どうしてですか……! 今、あなたは、自ら俺の槍に――!」

 

 深々と、本当に深々と槍は突き刺さっていた。立夏の手がスカサハの体に触れるほど深く。そしてそれは、正確に心臓を穿っていた。

 

「ぐふ……っ」

 

「師匠! 師匠ぉ!!」

 

 力なく膝を着く彼女の体を立夏が抱き留める。目に涙をため、声を震わせ。虚ろな目のスカサハは、そんな彼の様子を嬉しく思ってしまった。

 

「すまなかったな――立夏。私の我儘に、付き合わせて」

 

「そんなのいつものことじゃないですか! すげーキツい訓練無茶振りされて、必死にそれを乗り越えて。これも、その一環ですもんね!? そうだ、ドクターたち呼んできます! 早く治療しなきゃ――!?」

 

 立夏は、動けなかった。重傷人とは思えない力で、スカサハに抱き締められたから。

 

「ししょ――、槍、が――!」

 

「ああ……もう、いいんだ。とうに手遅れだ」

 

 柔らかな女性の感触と、硬い鉄の感触が立夏の胸をついた。堪えていた涙が、どっと溢れてきた。

 

「なんで、なんでこんな――!」

 

「――何だ、泣いているのか……? 笑えマスターよ、お前は確かに……勝ったのだから」

 

「うわああ……うわあぁぁあん!!」

 

「まったく。どちらが勝者か……わからぬではないか……」

 

 ポン、と力無く、立夏の頭に手を置くスカサハ。だがその手が動くことはなかった。

 

「最後に――もう一つだけ、我儘を――聞いてくれるか」

 

「いくらでも、いくらでも聞きますから……!! 最後なんて、言わないで――!」

 

「――ああ」

 

 頷き、スカサハは言った。

 

「師匠、じゃなくて――名前で呼んで、くれるか」

 

「――スカサハ……!」

 

「ああ――ありがとう、立夏――」

 

 スカサハはゆっくりと、目を閉じた。

 



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ほのぼのしてたミドキャスさんがドルセントな三夜目

普通に真名バレするのでご注意ください


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で、そのお取引でこのくらいの利益が入ってきそうなんですよお!」

 

「そっか、それはよかったね」

 

 目を(ドル)色に輝かせるシバの女王に対し、立夏は微笑んだ。お金の話する時のこの人は子供みたいで可愛らしいなあ、なんて思って。

 

「うふふ、ラクダゲットまでもう秒読みですよ〜、その時にはマスターにも手伝って頂きますからね?」

 

「うん、俺も楽しみにしてるよ」

 

 立夏と彼女はこうして色々話すことが多い。というのも、以前彼女がラクダを欲して一騒動を起こした際に立夏が「ラクダは飼ってあげられないけど、その分俺に出来ることは何でもするよ」などという己とラクダを等価値に見た不思議な約束をした為であり、彼女がそれに対して「それなら臓器……じゃなくて、暇な時、お話にでも付き合って下さいますぅ?」と大変淑女的な平和的約束をしたからである。以来、このようにくだらない話を不定期的に二人で行っている。

 

「マスターはこういう動物が好き、とかないんですか?」

 

「んー、そうだな……動物なら大体好きだね」

 

 もー、なんですかそれ、とシバは笑った。

 

「本当にみんな好きなんだよね。でも敢えて言うなら……猫かなあ。昔、飼ってたことがあったからさ」

 

 懐かしいなー、と目を細める立夏を見て、シバの心に一つの興味が生まれた。

 

「マスターの小さい頃って、どんな感じだったんですか?」

 

「俺のちっちゃい頃かー……確か、ゆとり教育とか何たら政権とかが問題になってたような」

 

「いえ、そういう話ではなくぅ……」

 

 そこで立夏はようやく気がつき、自身を指さした。

 

「え、俺自身の話?」

 

 そうですよ、と答えるシバ。立夏は困ったように髪をかいた。

 

「そう言われても、俺の話なんて多分全然面白くないよ? 極めて普通だし」

 

「構いません。私は、マスターの話を聞きたいんです」

 

 真っ直ぐなシバの眼差しに立夏は嘆息し、細々と話し始めた。家族のこと、友人のこと、学校のこと、趣味のこと。口に出してみると、意外と色々話すことがあって、己の人生を振り返る意味でもいい機会だったかもしれない。こんな人生を過ごしてきてたのか、と立夏は他人事のように思った。もっとも、カルデアに入ってからの方が余程他人事じみているが。

 

「ありがとうございました、いいお話でした〜」

 

「はは、まあ楽しんでもらえたならよかったよ」

 

 少しぬるくなったコーヒーを口に運びながら、立夏は笑った。

 

「でも、まだ聞けてないお話があると思うんですよぉ」

 

「?」

 

 ニヤリと笑って、シバは続けた。

 

「恋のお話、とか……」

 

「!?」

 

 コーヒーを噴き出しかけたが、ギリギリで踏み止まった。あえて避けていたのだが、普通にバレていたらしい。逆に不自然だったのだろうか。

 

「それはほら、プライバシーの侵害なので話したくありません」

 

「プライバシー、おいくらなら売っていただけますぅ?」

 

「十万QPくらい……?」

 

 お買い得ですね〜、とシバが言うと、二人は笑った。その辺、この女王は弁えていた。

 

「でもでも、話したくなったらいつでも呼んでくださいね?」

 

 多分ないだろうな、と思いつつも、立夏はとりあえず「うん」と頷いた。コーヒーを飲み始めたシバのぴょこぴょこ動く獣耳を見て、立夏も一つの疑問を投げかけた。

 

「シバもそういう話、ないの?」

 

「……んー、そうですねえ」

 

 カップを置く音が静かな部屋に響く。別に強く置いたわけでもなんでもないのだが、何となく空気が変わったな、と立夏は思った。

 

「とは言っても、昔の話ですしぃ……」

 

 生前な上に二千年以上前なのだから、本当に昔の話である。

 

「それこそ、面白い話じゃないと思いますよ?」

 

「いや、面白いかどうかなんて気にしないよ」

 

 ただ、シバのことが知りたいんだ。そう言って、立夏は笑った。何処かで見たような真っ直ぐな瞳で。

 

「うう……どうしても知りたいですか?」

 

「知りたい!」

 

「……わかりました」

 

 シバは、立てた指を立夏へと向けた。

 

「一億QPで手を打ちましょうかぁ?」

 

「ええ、お金とるの!?」

 

「当たり前です。女性のプライベートな部分なんですから、しっかり料金いただきますよ?」

 

「い、一億……サーヴァント一人をスキルマレベルマにして聖杯五個捧げるくらいの衝撃だよな……」と懐との計算を始めた立夏の耳元で、シバは呟く。

 

「でも、()の話であれば別ですよぉ?」

 

「い、今?」

 

 ええ、と言ってシバはミステリアスな笑みを浮かべる。その頬は、少し赤くなって見えた。

 

「え、相手は? 職員、それともサーヴァント?」

 

「さあ、どうでしょう?」

 

「……おいくら万QP求められるんでしょうか?」

 

 む、とした様子で、シバは立夏を睨む。

 

「マスター……私、そんなにがめつく見えます……?」

 

「うん。……って冗談だよ、ごめんシバ。そんな悲しい顔しないで、ちょっとがめついけど、そこまでがめつくないってわかってるからさ」

 

「……本当ですか?」

 

「うん」

 

 立夏は優しく頷く。

 

「マスター……!」

 

「シバ……!」

 

「それはそれとして、深く傷ついたので損害賠償請求したいです」

 

「ウソ!?」

 

「ウソですよ〜♪」

 

 ニヤリと悪戯っぽく笑って、シバは目を細めた。立夏は、「くそー騙されたー!」と頭を抱えた。

 

「むむむ、とはいえどんな人なのか気になるなあ」

 

「ふふ、マスターにならヒントをあげてもいいですよお?」

 

「やった、どんな人なの?」

 

「とっても優しい人、ですかね〜」

 

「……ダメだ、それっぽい人が多すぎて特定できねー!」

 

「もうちょっと詳しいヒントが欲しいですか?」

 

「うん」

 

 顎に手を当て、そーですねー、と少し悩むシバ。しかしその耳はピクピクと、尻尾はブンブンと、足はパタパタと、全身余すことなく動いていた。その人のことを考えるだけで楽しいのだろう。そう思って、立夏は微笑ましく思った。

 

「気さくな人で、よく私の話に付き合ってくれて、とっても鈍感で、」

 

「ふむ、まるで俺みたいな人だね」

 

「…………」

 

「いや、ごめん、冗談です。冗談ですから、そんなに睨まないで」

 

 女王はふう、と嘆息して肩を落とした。申し訳なさそうな立夏は、やっちゃったなと思いながら様子を窺った。

 

「何で睨んでるかわかります?」

 

「俺がつまらない冗談を言ったからじゃ……?」

 

「まあ、確かにそれが原因ですね〜……本当に、鈍感なんですから」

 

「え……!? ってことは、シバの気になる人って……!」

 

 目を見開いた立夏に、シバはコクリと頷く。

 

「俺!?」

 

「そうですよ!」

 

 元気よくシバは肯定した。伝説の女王は案外ストレートである。対して、立夏は動揺した。激しく動揺した。

 

「お、おおおお俺なんかでいいの!? なんで!?」

 

「だから、とっても優しくてお話に付き合ってくれるからです。それだけじゃダメですかぁ?」

 

「だ、ダメじゃないけど……俺ごときじゃシバに釣り合わないっていうか……」

 

「じゃあ私に釣り合うような立派なヒトに、これからなりましょうよ? 貴方ならきっとなれます、このシバが保障しますよっ!」

 

 真っ直ぐな好意。そんなものをこんな美人に向けられて、動揺しない男がいるはずない。立夏の心は照れと喜びと懊悩で一杯だった。彼の様子を見て、シバは目を細める。

 

「急がなくてもいいので、答えを出してもらえたら嬉しいです〜」

 

「……うん、わかった。長くはしないから、少しだけ待ってて」

 

 嬉しいようで困ったような立夏の笑みに、シバはいつかの面影を重ねながら、ゆっくり瞬きをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とは言っても待ち遠しいですね……」

 

 アラビアンな雰囲気の部屋の中。豪奢なベッドの上で、シバはソワソワしていた。枕に飛び込み、クッションを抱えてゴロゴロ転がる。その姿はさながら年頃の少女であった。しばしそうしていたものの、唐突に起き上がり、部屋を出る。アビゲイルにお茶の誘いを頂いていたのを思い出したからである。

 

「部屋の中にいても落ち着きませんしね〜……」

 

 見慣れた廊下を進み、スタスタと食堂に向かう。珍しく誰ともすれ違うことなく入口に着くと、中から話し声が聞こえてきた。入ろうと動くが直前で踏みとどまる。立夏とアビゲイルの声が聞こえてきた。

 

「―――が、―――――ど」

 

「まあ、――――なら、―――――かしら?」

 

 距離のせいか、会話の詳しい内容までは聞こえなかった。一旦戻ろうかとも思ったが、どうしても好奇心に逆らえず、いけないことだと思いつつも、入口の物陰でシバは耳をすませた。

 

「――――断ろうと思うんだ」

 

 その一言は、はっきりとシバの耳に響いた。どきん、と心臓が締め付けられるような感覚がした。

 

「まあ、どうして?」

 

「受けてもいいと思うんだけど――何となく、今回はやめとこうかなって」

 

 立夏の声が脳内で反響する。淡々と三周ほどして、シバの脳は冷静に事実を受け入れた。ふう、と小さく息を吐く。

 

「私は……マスターがそうしたいなら、それでいいと思うわ」

 

「うん……ごめんね、アビー」

 

「もう。謝るのは私じゃなくて、あの方にでしょう?」

 

「そうだね」

 

 そこまで悲しくはなかった。何となく、断られるような気はしていた。彼が一人を選ぶようなことはないだろうし、選ぶとしても自分ではない。そんなことは、予知するまでもなく予感していた。

 

「…………ッ」

 

 悲しくない、悲しくはないはずなのだ――だが、目頭は熱くなった。本当に好きだったんだな、と他人事のようにシバは思った。

 悔しい気持ちは当然のようにあった。だけど、答えを塗り替える力をシバは持たなかった。

 

「……彼が直接伝えてくれるのを待ちますか」

 

 答えのわかっている問答は少し切ないが――ズルをした罰だと思って受け入れよう。そう思って、食堂を後にしたその時。

 

「嗚呼――そうすれば、いいんですね」

 

 結末をひっくり返す力に彼女は気づく。お香のような甘い匂いが、した気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、マスターがスカサハさんのケルト式合宿を断るなんて意外だったわ。クーフーリンさんやフェルグスさんたちと一緒に体を鍛える様子、好きだったのだけれど」

 

「受けようと思ったんだけど、最近疲れてたしなんとなく気がひけてさ。……って、それよりも告白の返答どうしよう……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シバー?」

 

 一週間後。藤丸立夏はカルデア内をさまよっていた。答えは出たのだが、肝心のシバの女王が何処にもいない。見たという話は聞くのだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()、惜しいところで入れ違う。

 

「まさか嫌われたかな……」

 

 仮にも告白してくれたのだし、それはないと思うが、明らかに避けられている現状に立夏は少し気持ち悪い感じがした。不気味というか、嵐の前の静けさというか。少なくともいいことが起きる気は、しなかった。

 

「……とりあえず今日は諦めるか」

 

 カルデアを一周したところで、今日は無理だろうと察し、立夏は部屋に戻ることにした。足取り重く自室の前に辿り着いた時、()()に気づく。

 

「ちょ、ちょっと! 何やってるんですか!?」

 

 閉まっていたはずの扉は開けられている。そして部屋の中は、屈強な見た目の黒服の男たちに荒らされていた。より正確に言えば、ほとんど全て運び出されていた。既に部屋の中は、ベッド以外何もない。

 

「藤丸立夏だな」

 

「そうですけど……ってそれよりも俺の質問に答えろ! 人の部屋に勝手に何やっ」

 

 言葉は続かなかった。男の一人の拳が、鳩尾に突き刺さる。そのまま首元に手刀をあてがわれ、なすすべなく立夏は倒れた。数々の死線を乗り越えてきたマスターだろうと、不意の一撃にはどうしようもなかった。

 

「……おい、大切な()()だ。丁重に扱え」

 

「ああ、気をつける」

 

 黒服たちのそんな会話とともに、立夏の意識はぼんやり消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 意識が戻った立夏が真っ先に感じたのは、優しく頭を撫でられる感触だった。次いで、嗅ぎ慣れてはいないが嫌いではない、そんな感じのお香の香り。最後に、後頭部に妙な柔らかさと硬さを感じて、ゆっくりと目を開けた。

 

「あら、お目覚めですね〜」

 

「し、シバ!?」

 

 立夏が目を覚ましたのはシバの部屋の中で、シバの膝の上であった。嬉しそうに、愛おしそうに頭を撫で続けるシバに、立夏は少し怒気を込めて話す。

 

「俺、シバのこと必死に探してたんだけど……ここ数日、絶対俺の事避けてたでしょ」

 

「ええ」

 

 隠す気もないようで、女王は即答で頷いた。

 

「会う訳には行かなかったんです、準備が終わってなかったので」

 

「……?」

 

 いつもと雰囲気が違う、と立夏は思った。そして、意識を失う直前のことを思い出す。

 

「そうだよ、それよりも俺はなんでここに……!? 黒ずくめの奴らに気絶させられたはずだけど……ッ!」

 

 視界の端に見慣れたクローゼットが映る。礼装を仕舞っているそれは、立夏の部屋に置いてあるものだった。続いて机、食器、ポット。いずれも部屋に置いてあったもの。彼は、全てを察した。

 

「まさか、シバ……!」

 

「ええ、買いました」

 

 女王は妖艶に微笑む。

 

「貴方の物、職、戸籍、個人情報――みんなみんな、もうこのシバの物です。契約書とかはちゃんと読んだ方がいいですよ? こんな風に、すげー取り返しのつかないことになりますからね?」

 

「そんな……!」

 

 シバが目を付けたのは、立夏とカルデアとの契約書だ。魔術協会から少し離れているとはいえ、このような怪しい施設なのだからもしかしたら、としっかり契約書に目を通すと、『尚、当施設職員の権利は、当施設内に限り、アニムスフィア家が管理する』という一文があった。後は簡単である。アニムスフィア家の遠縁から、藤丸立夏の権利を購入した。

 

「貴方はもう何も心配しなくていいんですよ〜。人理の為に働く必要も、私以外のことを考える努力も必要ありません。だってもう、頭からつま先まで全部、私のモノなんですから」

 

「シバ、俺は……ッ!?」

 

 反論はさせてもらえない。口は唇で塞がれた。魔術でも使っているのか、抵抗する力は全く沸いてこなかった。

 

「……答えなんて、もういいんです。塗り替える時間はたっぷりあります」

 

「シ……バ……」

 

 口の中で何かが溶けていく。さっきのキスで薬でも仕込まれたらしい。思考が、まとまらなくなってきた。ふらつく頭で必死に、答えを伝える。

 

「おれは、きみが――――」

 

「うふふ、眠くなってきちゃいましたか〜? いいんですよ、自分に素直になって。私が全て、満たしてあげますから」

 

 ベッドに沈み込むように覆いかぶさられる。言葉は雲散霧消した。そっと瞼を閉じる。

 

 

「――愛してます、所有物(マスター)



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召喚したての邪ンヌちゃんが妙に突っかかってくる四夜目

下準備フェイズ


 

 

 ──トレーニングルーム。

 

「ジャンヌ、宝具頼んだ!」

 

「……これは憎悪によって磨かれた我が魂の咆哮──『吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)』!!」

 

 燃え盛る怨念の炎が、犬型のエネミーを燃やし、焼き尽くす。その様子をつまらなそうな瞳で見つめるのはジャンヌ・ダルク・オルタ。エネミーの戦闘不能と共に立体映像(ホログラム)が解除され、先程まで見えていた森の映像は消える。無機質な白くだだっ広い空間に戻ったところで、藤丸立夏は彼女に歩み寄った。

 

「お疲れ、ジャンヌ。今日もキレキレだったね!」

 

「ふん、当然よ。まあ貴方の指示が足りてないせいで、全力は出せてないんですけど?」

 

 オルタは顔を歪めて笑う。それに対して、立夏はまっすぐに答えた。

 

「つまり、俺が頑張ればジャンヌはまだまだ強くなれるんだね? 気をつけるよ!」

 

「え、ええ……折角召喚に応じたのだから、精々私を上手く使うことね、マスター」

 

 それじゃあ失礼するわよ、とオルタは部屋を後にして歩き出す。「お疲れー」とそれを見送って、立夏は小さく息を吐いた。

 

「失礼します。ドリンクとタオルを持ってきたのですが、よろしければ如何ですか?」

 

「ん、ありがとうマシュ」

 

 オルタとほぼ入れ違いにトレーニングルームの扉が開き、タオルとドリンクを二個ずつ抱えたマシュが入ってきた。

 

「ジャンヌさんの分もお持ちしたんですが、今日もですか……」

 

「そうなんだよねぇ……」

 

 受け取ったタオルで汗を吹き、スポーツドリンクを飲む立夏。彼とジャンヌがこうしてトレーニングルームで訓練をするのはもう四回目。召喚してから毎日行っているのだが、どうにも彼女の心が読めない。別に指示を効かないとか反抗的だとかそういうことではなく、どうにも集団行動──というか、人との交流を避けているように見える。戦闘時以外どう過ごそうがサーヴァントの自由ではあるのだが、それでも、出来れば職業義務的な関係ではなく、真の意味での信頼関係を持って仲良くしたいなあ──と思う立夏なのだった。

 

「ありがと、マシュ。俺、ちょっとジャンヌに届けてくるよ」

 

「わかりました。よろしくお願いします、先輩」

 

 

 

 

 ジャンヌの部屋の前まで辿り着いて、立夏は小さく息を吐いた。一呼吸置いてコンコンとノックする。

 

「ジャンヌ、いる?」

 

 返事はない。はて、出かけているのだろうか。それなら仕方ないか、と思いながら、もう一度。

 

「ジャンヌー?」

 

 どうやら留守のようだ。出直すことにしよう──部屋を後にしようとしたその時、扉に鍵がかかってないことに気がつく。駄目元で一応、扉を開けてから呼びかけてみることにする。

 

「ジャンヌー!」

 

 やはり返事はない。立夏の声が消えて、後に聞こえたのはシャワーの音だった。それが消え、次いで、上機嫌そうな鼻唄が響いてくる。つまり今ジャンヌは──

 

「♪〜」

 

「ちょ、ちょっと待ってジャンヌ! 今来ちゃダメだ!」

 

「え」

 

 浴室の扉が開く。そこから、一糸纏わぬ姿のジャンヌが現れる。一瞬で顔を林檎にした二人はゼロコンマ三秒ほど固まって、立夏は目を背けて顔を覆い、ジャンヌは(たらい)を手に持って構えた。

 

「こ、このヘンタイっ!!」

 

「ぎゃあっ!?」

 

 盥は筋力Aの腕力で放たれ、正確に立夏の脳天を射抜いた。その衝撃に小悪党みたいな悲鳴を上げて、立夏は倒れる。薄れる意識の脳裏に、ジャンヌの姿が浮かんで──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

「………………ん…………?」

 

「……フン、ようやく気がついた?」

 

 側頭部に鈍い痛みを感じながら、立夏は目を覚ました。ジャンヌが不満そうに覗き込んできている。起きるのが遅かったことに対してか、さっき起きたことに対してかは分からなかったが。

 

「あ、そうだ……ジャンヌ、さっきはごめん! いくらノックしても気づかないから、鍵開いてたし一応中に入って声かけようとして、それで……」

 

「そんなこと言って、本当は私の部屋を漁ろうとしてたんじゃないの?」

 

 ジトーっ、と冷たい視線が立夏の心を刺す。軽蔑するような瞳が辛い。信頼関係を改善しようと来たのに、むしろ悪化しそうである。頭を抱えたくなった。

 

「違うよ、俺はただ、これを届けようと思って……」

 

「……スポーツドリンクとタオル?」

 

 差し出された二つを、目を丸くしたジャンヌが見つめる。

 

「ジャンヌ、いつもトレーニング終わるとすぐどこかに行っちゃうじゃん。だから渡しそびれてたんだけど、今日は絶対届けたいなって思って」

 

「……ハッ、わざわざ貰わなくても、そのくらい自分で用意してるわよ」

 

「……そっか、余計なお世話……だったかな」

 

 少し悲しそうに笑う立夏を見て、ジャンヌは目を逸らしながらチッ、とあからさまに舌打ちした。

 

「そうね、余計なお世話」

 

「…………」

 

「でも頂いておくわ。生憎、お風呂上がりだから喉が乾いてるの」

 

 ノールックで乱雑にボトルを取り、ごくごくと勢いよく飲み始めるジャンヌ。立夏は「あっ」と一言何かを言いかけて、しかし止めた。

 

「ご馳走様。量が足りてないんじゃなくて? 運動後に飲むなら、もうちょっと多い方がいいでしょ」

 

「えーっと……それは俺がさっきまで飲んでた方で、ジャンヌに持ってきたのはコッチなんだけど……」

 

 立夏が手に持つ、中身の入っていそうなボトルを見て、ジャンヌの表情が固まった。ついで、その意味を理解した頬が緩やかに紅潮していく。つまり今のは立夏の飲んでいたボトルで、それってつまり──

 

「ば……馬鹿っ! それ置いて早く出て行きなさいよ!」

 

「え、ええっ!?」

 

「紛らわしいところに置く方が悪いのよ! まあこの程度、別に私は気にしてませんけど!?」

 

 どう見ても気にしてない人間の発言ではなかったが、下手につついて蛇を出すのは立夏としても嫌だった。「あ、ああ。色々とごめんね」とだけ言って、そそくさと部屋を出ていった。

 

「……ふん」

 

 静かになった部屋の中。ジャンヌはベッドに寝転んだ。二つのボトルを照明に翳し、重力に任せて重い方を手放す。残った、まだ少し中身の入っているボトルの口を見つめて、そっと──



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お虎さんと呑んだくれる五夜目

 

 

「乾杯〜♪」

 

「うん、乾杯!」

 

 白を基調とした無機質な室内に、グラスを交わす音が響いた。並々と注がれた液体を半分ほど飲み下して、立夏の目の前のサーヴァント──長尾景虎は、流麗な銀髪を揺らし、満足気に頷いた。

 

「やっぱりお酒は最高ですね! おっと、大事なつまみを忘れてました」

 

「……あんまり舐めるとお腹壊すよ?」

 

 景虎が猫のように舌を出し、チロチロと舐めるのは白い粉末。怪しげなものではない、言うまでもなく塩である。マスターの助言にサーヴァントは「もう死んでるのでいいんですぅー! あー、サーヴァント最高!」と高らかに叫んで、残り半分を飲み干した。

 

「やっぱりお虎さんは酒豪だなあ、いい飲みっぷりだよね」

 

「あはははは! まあ、好物ですので! そなたのようにちびちびと飲む方が、酒の味を楽しめてよいとも思いますよ!」

 

「や、でも憧れちゃうよね。俺もそんな風に豪快に飲んでみたいよ! ちょっと勿体なくも感じるけど……」

 

 グラスの酒を飲む。とても飲みやすい日本酒である。口当たりがよく、一口ごとに米の香りが口内に広がり、飲み込むと優しく全身を火照らせていく。立夏に酒の知識はないし、景虎の持ってきたものだから詳細は知らないけれど、まあ間違いなく良い酒である。

 

「いつも晩酌に付き合ってもらって悪いですね、今宵はマスターのために梅干しを持ってきたのでよろしければどうぞ! 越後製ですよ!」

 

「いえいえ、酒なんて誰かに誘われないと飲まないし、俺も楽しいよ。いただきます!」

 

 梅干しを摘む。文字通りいい塩梅である。確かにこれは酒が進むなあ、とグラスを煽る。景虎ほど酒が強い訳では無いが、弱い訳でもないので丁度いい。だが今日に限って疲れているのか、少し酒が回るのが早い気がする。強い酩酊感に思わず目を擦る。揺れる視界の中で、景虎の口元が弧を描いた。

 

「お虎さん? どうかした?」

 

「ああいえ、幸せなものだにゃーと。こうして好きな人と盃を酌み交わし、同じ時を過ごすというのは」

 

「お虎さん……」

 

 一升瓶を抱え、二人分のグラスに注いでいく景虎。その様子を眺めながら立夏は声を洩らす。

 

「え、もしかして今あっさりと告白した?」

 

「はい? そうですけど」

 

 ごくごく、と何事もなかったかのように酒を飲む。こちらの不安や緊張、胸の高鳴りなんて露知らずと言った様子だ。立香は嘆息する。

 

「なんで、俺?」

 

「そりゃあもう、面白い人だからですよ。力はないのに傲慢不遜、その癖志は高く、意思は強く、信念は固い。特異点では滑稽とまで言いましたが、それでこそ人間。故に惹かれたのですよ」

 

 酔いが回ってきたのか、景虎の頬には朱がさしている。しかしその眼差しは真剣で、真っ直ぐと立夏を見つめていた。

 

「……お虎さん、変わったね」

 

「そうですか?」

 

「そうだよ」

 

 安心したように立夏は微笑む。

 

「前は少し怖かった、というか……なんかズレてる印象があったんだ。悪い人じゃないのはわかってたけどね。でも今は、そのズレの中に一本筋が通ってる感じだ」

 

「……だとしたらそれは────」

 

「ん?」

 

「いえ、にゃんでもにゃいですよー!」

 

 素直にならずに、誤魔化すように景虎も笑った。それを見た立夏は答えを出す。

 

「お虎さん、俺は────―?」

 

 座っていた椅子が倒れた。机の上の物も軒並みひっくり返って、グラスは手の先で割れた。指先を苛む痛みでようやく、視界が回っていることに気づく。そこまで酔ってんのか、と瞼を擦る。開いた目の先に、微笑む景虎の姿があった。

 

「ようやく効いてきたみたいですねえ、よかったよかった」

 

「おとら、さん……?」

 

「ああ、心配しなくて大丈夫ですよ! 恐らく、体に害があるものではにゃいので!」

 

 不安な前置詞は立夏の耳には届かない。分かったのは、目の前の彼女に自分が何かをされたということだけ。絞り出すように「なぜ……?」と問う。

 

「言ったじゃないですか。そなたは弱く、哀れな人間です。故に愛おしく、故にいじらしい。それ自体は悪いことじゃありません。()()()強者(ワタシ)の手元に置いておかなければいけない」

 

 安心してください、と。その一言は、まるで耳元で囁かれたように、甘く脳内に反響した。

 

「そなたはちゃんと私が守ります。だから、何も気にしなくていいんです」

 

 彼女の手が頬に触れる。その冷たさと、彼女の吐息の温かさで、おかしくなりそうだった。近づいてくるその淀んだ瞳は、翡翠のように見えて──美しいと、そう思った。



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