尻ぬぐいのエリダヌス~駆け抜けて聖戦~ (丸焼きどらごん)
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一章 白銀聖闘士編
1,前途多難という言葉を助走をつけてぶん殴りたい
聖闘士星矢、という漫画がある。
もしもその漫画の世界に転生し生まれ変わったという者が居たならば、ほとんどの者は一笑にふすだろう。何を馬鹿な事を言っているのだこいつはと。
しかし私は歓迎しよう。
_________________ ようこそ、同士よ。
まあ、今のところそんな奴と出会った事は無いわけだが。はよ来いやというのが本音である。
共に色々分かち合おう。主にストレスをなぁ!!
++++++++++++++
ヒマラヤ山脈……中国とインドの国境付近、その人里離れた場所にジャミールと呼ばれる険しい山岳地帯は存在する。空気が薄く険しいその場所へわざわざ立ち入る者など、現地人でもほとんど存在しない。
しかし現在その険しい山脈を力強く……あるいは荒々しく踏みしめながら進む者が居た。
その人物は長く癖の強い黒髪を無造作に束ねている一人の女だった。整えられていない前髪が、その白い面のほとんどを覆い隠している。その下から覗く眼光は鋭く、まるで鋭利な刃物のようだ。
元々の人相もあるのだろうが、現在その表情は苛立ちという感情によってよりいっそう凶悪さを増している。顔のパーツ自体は整ったものであるが、いくら美人であってもそんな顔をしていてはどんなナンパ男も道を譲るだろう。「殺されそうだ」と慄いて。
彼女はその華奢な肢体に似合わぬ巨大な箱を背負っていた。山脈を覆う雲の間から時折垣間見える太陽の光を照り返す、その箱が有する色は銀。身の丈の三分の一か半分ほどもあろうかというその大きな箱を、女は苦も無く背負い進む。迷いなく、息切れも無く、そして確かなバランス感覚でもって大地を踏みしめ揺らがず歩くその姿からは、体の強靭さが窺えた。
やがて彼女は目的地を目前にした場所へとたどり着く。そしてその場にて待っていたのは、傷つき破損した鎧を纏う数多の屍たち。白骨化したそれらが朽ちてから、おそらく短くはない年月が流れている。しかし彼らはゆらり、ゆらりと一体一体その身を起こしてゆく。もちろん生き返っただけではなく、その姿は正しく「亡霊」の名に相応しい。
彼らは女に語りかける。
『どこへ行く、女!』
『この先はムウ様の領域! 命が惜しくば帰れ!』
『だが! もしその命が惜しくないならば、我らを倒して進むがいい! それが出来るならなぁ!』
『しかし! お前が膝をついた時、お前は我らと同じモノになるのだ! 朽ちても彷徨い続ける、亡霊に!』
無数の亡霊の声がこだまする。しかし女は歩みを止めるどころかまっすぐ進み、しかもその速度は段々と早くなっていく。まるで助走でもつけているかのようだ。
さしもの亡者もそのあまりに迷いのない動きに一瞬戸惑うが、しかしそれもたかだが一瞬。すぐにこの無謀者の腕を試してやろうと襲い掛かる。
その瞬間、亡者の声をかき消すほどの女の怒声と共に銀色の光が空を割いた。
「亡霊のくせにやかましいわ馬鹿者ぉ!!」
『え?』
『え?』
『あれ?』
何が起こったかわからない。そんな間抜けな声をあげながら、亡者たちは遠く視界から離れた自らの胴体を見下ろす。そして仲良く吹き飛ばされた頭部たちは、一瞬空中浮遊を体験するもすぐに弧を描いて幽体ではなく本来の自分たちの躯が転がる幽谷へと落ちていった。さながらその様子は景気の良い……否、不景気極まりない亡者の雨である。もしこの光景を目にしたものが居たならば、思わず顔をしかめただろう。ちなみに女の顔はずっとしかめっ面だ。
そして行く手を塞ぐ亡者たちを薙ぎ払った女であるが、視界を埋め尽くす亡者の幻影が消えても一つ舌打ちしただけで、変わらぬ歩みで道を進む。今彼女が立っているその場所が、深く切り立った渓谷にかかる非常に細く頼りない道であってもお構いなしである。むしろ苛立ちが増したのか、早足になったくらいだ。
進むこと、少し。女の目的地である"塔"が見え始めた。五階建てのその石の塔は所々傷ついていたが、歴史を刻んできたその威容でもって女を出迎える。だが女は特に感慨を覚える様子も無く、ずかずかと無遠慮に塔に足を踏み入れた。
そして開口一番に叫ぶ。
「ムウ殿! あの鬱陶しいセキュリティラインはいい加減どうにかならんのですか!!」
■+■+■+■+■+■+■+■
「セキュリティラインと言っても、あれはいわば自然発生したようなものですからね。どうにもなりませんよ」
私の文句に対してしれっと答えたのは、何やら作業に没頭している様子の薄菫色の長い髪を束ねた幼い少年だ。しかし子供といえど、私が属する組織の中で彼は最高峰たる稀有な立場を擁する。それだけでなく希少な技術を継承している彼に敬意を払う事に、ためらいは無い。師亡きあともたゆまぬ研鑽を続けていることが、その身に宿る
特徴的な眉……ではなく眉墨は、彼が受け継いだ聖衣修復師としての証だろうか。詳しく聞いたことは無いが、彼の師であった教皇シオン様も"これから"弟子となるはずの貴鬼も同じ眉墨を入れていたはず。まあ、今それはどうでもいいか。
……それにしても、いくら作業に集中しているからといって遥々訊ねた者に視線も向けないというのはどうなのだろう。こちらとしてはテレポーテーションが使えなくなったがために、それなりに時間をかけてここまで来たのだが。久しぶりに会うとはいえ、少々寂しい。
しかし話を聞いてもらえるだけましか。彼が現教皇に不信を感じて……同時に彼の師であった前教皇がお亡くなりになったと察してからまだ数年しか経っていない。ムウ殿は出来た人物であるが、その身はまだ幼いのだ。心の整理がついていないだろうに、こうして聖域に属する私に対しても冷静に対応してくれているだけ、ありがたいと思わねば。
「……それは失敬した。このような事で文句を言うなど、お恥ずかしい。まだまだ私も未熟です」
「別に、気にしていませんよ」
「そ、そうか。いやはや、その、しかし、申し訳ない」
「だから、気にしていませんよ」
気にしていない、が興味ない、に聞こえるのは気のせいだろうか。ムウ殿とはそれなりに交流があると思っていただけに、そのそっけない態度が地味に心に刺さる。……いや、しょうがない。しょうがないのだ! まだ心の整理がついていないだろうに訪れた私がわる「ところで、仮面はつけなくてよいのですか? あなた程度では私に勝つことは不可能でしょうし、愛されても迷惑なのですが」
「……え」
自分に言い聞かせるような私の思考を割いて、ムウ殿の平坦な声が問いかけてくる。見れば作業に集中していたムウ殿がいつの間にかどことなく冷めた視線で私を見ていた。
そこでようやく私は少し前に身に降りかかった災難と、それを目の前の相手に説明していない事実を思い出す。思わず頭をかかえた。
「……重ね重ね、失敬した。いや、その、私は良いのです。仮面は不要。女ではありませんからな……」
「何処をどう見ても貴女は女性ですが。それにその聖衣箱を見る限り、聖闘士でしょう? つまりあなたは女聖闘士。ここにたどり着けた事に敬意を表して応対はしますが、あまり時間をかけないでいただけるとありがたい。私も暇では無いので」
頭を抱えた。
聖闘士はその大半は男であるが、少数ながら女の聖闘士も存在している。基本として、聖闘士とはアテナを守る「男子」。そのため彼女らは仮面を身に着け、女であることを捨てた証とするのだ。素顔を異性に見られる事は裸を見られる以上の恥辱であり、見た相手を口封じに殺すか、または愛するか……というのが女聖闘士にのみ適応される掟。掟といっても強制されるわけでなく、そうなった場合の裁量は女聖闘士個人個人に任される曖昧なものではあるのだが。
そして今現在の私は何処からどう見ても女だろう。見る分には目の保養だが、自分の胸にぶら下がるものとしては非常に忌々しい重い二つの塊がそれを証明している。長年よりそったもう一人の自分も何処かに家出してしまった。
……いかん、改めて考えると話すのが憂鬱になってきてしまった。いやしかし、話すしかあるまい。そうでなくてはムウ殿に目の前の女が知り合いだと気づいてもらう事も出来ない。……非常に、非常に憂鬱だが話そう。
………………ああ、嫌だなぁ……。
「……です」
「? 声が小さくて聞こえませんよ。先ほども言いましたが、私も暇ではないのです。用件があるならはっきりと喋ってください」
「リュサンドロス、なのです。私は」
「は?」
何言ってんだこいつと言わんばかりのムウ殿の声が、表情が痛い! ひ、怯むな私。こうなれば一思いに喋ってしまえばいいのだぁ!!
私は体中に駆け巡る羞恥心を振り払うように顔を左右にふると、背負っていた
「私は
一気に話そうとしたのに、私の声はだんだんと尻つぼみになっていく。しかしなんとか、最後まで絞り出した。
「このたびは…………聖衣のサイズ調整を…………お願いしに……。…………あまりにも……大きさが……ちがってしまったので……」
が、最後まで言い切ったところでガクンと膝をついてうなだれてしまった。……それなりに落ち着いたと思っていたが、知人にそれを話すとなると受ける精神ダメージが桁違いだ。くそっ、なんでこんなことに。
……どうしよう。顔をあげるのが怖い。
「……え?」
大人びたムウ殿にしては子供っぽい戸惑いの声が心に刺さる。思い切り困惑させているではないかぁぁぁぁ!!
「は……、え? リュサンドロス、殿? いや、でも多少変質していますがその小宇宙は……」
ムウ殿がまじまじと私を見る。そして納得したのかひとつ頷くと、呆れたようにのたまった。
「……あなた何やっているのですか」
「好きでこうなったわけではない!!」
「まあ、そうなんでしょうが」
思わず叫ぶが、ムウ殿は早くも困惑から立ち直ったのか冷静だ。ゆっくりと私を頭のてっぺんからつま先まで眺めると、顎に手をあてつつやはり呆れたような声色で言葉を続けた。
「また随分と奇妙な呪いを受けましたね。あの巨体がよくもこんなにしぼんだものです」
「し、しぼんだ?」
「ええ、その表現が相応しいと思いますよ? 二メートルを超えていた筋肉の塊が華奢な女性になってしまったのですから。初見で気づけというのは難しい」
「は、はは……。そ、そりゃあそうですな……ははっ……」
最早乾いた笑いしか出ない。ムウ殿が個人の小宇宙を読み取る能力に長けていたおかげですぐに信じてもらえたが、信じてもらったら信じてもらったでどちらにしろ羞恥心は湧いてくる。あああああ……!
おのれ、おのれおのれおのれあの神め……! 私には力が必要だというのに、まさかこんな形で力を失おうとは……!
「まあ、立ち話もなんです。お茶を入れてきますので、よかったら座っていてください」
「あ、ありがたく……」
ひとまず私が知人の「男」であると気づいてくれたムウ殿は、そう言って椅子を勧めてくれた。私はかつての私ならば座れば軋んだであろう椅子に、なんの問題も無く座る。……尻が椅子から飛び出なくて虚しい気持ちになる日がこようとは。もう、壊さないように恐る恐る座る必要もないのだな……。
ここに来るまで理不尽に身に降りかかった悲劇とも喜劇ともつかない深刻ながら馬鹿馬鹿しい問題に怒りを感じていたが、冷静になればなるほど無力感に襲われる。……"あの戦い"までの時間はもう決して長いとはいえない。だというのに、私は積み上げてきたものを失ったのである。この体で一から鍛え直して、果たして間に合うのだろうか。呪いが解ければ最良だが、呪いを受けた身だからこそ分かる事もある。……この呪いは、相当根深い。
……いや、こうなればなりふりかまってはいられんな。そもそも初めから一人でどうこうするには問題が大きすぎるのだ。なれば、私に足りない部分を補う人材を巻き込むまで、か。……どちらにしろ、すでに一人巻き込んでいるしな。問題あるまい。
私がふと脳裏によぎった案を咀嚼していると、ムウ殿が湯気の上がるカップを手に戻ってきた。
「お待たせしました。……それにしても、その呪いの本質はもしや力の封印ですか? ずいぶんと弱く、そしてお若くなられたようで」
「ああ、その通りだ。流石に察しがよろしい。相変わらずの聡明さですな」
「世辞は結構ですよ」
「本心です。……この通り、鍛えた肉体は失われ、封じられたのか燃焼させられる小宇宙も弱くなった。テレポーテーションも現状の不安定な小宇宙では失敗してしまうため、ここまで歩いてきたのですよ」
「そうでしたか……。聖域に報告は?」
「まだ、これからです。任務地からは聖域に帰るよりもこちらの方が近かったので」
「では彼もこの事を知らないのですね」
「……簡単に言えそうにはない」
ムウ殿に出してもらった茶を口に含みながら答える。……バター茶か。標高が高く気温が低い山道を歩いて冷えた体にはありがたい。前ならそんな事は無かったのだが、やはり女の体は冷えやすいのだな。胃からじんわりと体全体が温まるようだ。
「報告……はぁ……」
バター茶に緊張がほぐされたのか、つい情けないため息が出る。この間抜けな現状を報告せねばならんのか。嘘だろう。はぁ……。
何よりムウ殿が言ったように、可愛い息子にこの事実を伝える事が何よりの憂鬱だ。ああ、今は亡き愛しの妻よ。私はどうすればよいのだ。
「まあ、そう気を落とさずに。と言っても無理でしょうが」
「いや、気を遣わせて申し訳ない。ま、まあなんとかやっていきますよ! 弱体化したとはいえ、わ、若返ったのは儲けものですからな! わーはっは!」
「そう無理に取り繕っては逆に痛々しさが増すだけでは?」
「痛々しいって言いました!?」
「あ、いえ。お気になさらず。……では、聖衣の調整の件は承りましょう。これからすぐに作業に取り掛かるので、完成までお待ちいただけますか?」
「あ、はい。その、お願いする……」
私のせいではないのに痛い奴だと思われるのか、この姿は……。なんてことだ……。
って、ムウ殿ぉ!
「今、今笑いましたね!? 顔をそむけたからって見えないとでも思いましたか!」
「何のことです? ……ぷっ。おっと失礼」
「…………」
「そう恨めしい表情で見ないでください。もとの貴方を知っているだけに、つい。ああそうだ、いっそのこと恥ずかしいのならば別人を装っては? そこまで変わってしまっていては、言われなければ誰も貴方をリュサンドロス殿だと気づきませんよ」
「他人事だと思って……」
「他人事ですから」
……ムウ殿は確かまだ十二か十三ほどの
しかし、別人を装う……か。いや、これはなかなかいい案なのではないか? 弱体化した今、下手に実績のある立場でいるよりも新参者になった方が色々と動きやすいかもしれん。聖域へ帰るまでに決めておくか。
(……ずいぶん、遠くまで来たものだな)
ふと、考える。今こうして白銀聖闘士として「この世界」に足をつけて立っている自分の境遇を。
よくよく考えれば男が女になる程度、些細だと思える程度に私は奇妙な人生を送っている。通算二回目の人生だ。この時点で変だろう。
ああ、我が妻アナスタシア。君に出会ったからこそ今私はここに居る。だというのに君はもう居ない。その事実がひたすらに悲しく寂しい。そんな事を言ったら、君はまた怒るだろうか。それとも笑うだろうか?
「あなたは本当に臆病者よね。図体は必要以上に大きいっていうのに、まったく情けないわ。やっぱり私が居ないと駄目なのかしら?」と言って、目の前に現れてくれたらどんなに幸せだろうか。
……それが叶わないことは知っている。だが、せめて。君が住まう世界が少しでも幸せであるように、私は尽くそう。
世界のためでも自分のためでも、不敬ながらアテナのためでもなく。
君と愛しい息子のために。
だが、すまん息子よ。
父は女になってしまった。
………………ツライ……。
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2 ぐだぐだ身の上話
一人のつまらない男の話をしよう。
幼少期から青年期に至るまで、不幸でも幸運でもなく、平坦な人生を送ってきた何処にでもいるような男だった。それなりに幸せな人生なのだろうなと思いながら、何処かで常に不満を抱えているような。しかしその不満を解消するためにわざわざ必要以上の努力をしようとは思わない、つまらない男。
そんな毒にも薬にもならないような男だったが、人生の幕引きは存外早かった。しかし不幸で劇的な死にざまかといえば、そうでもない。いや、不幸ではあったかもしれない。より適切な言葉を探すなら、運が悪かった、と言えるだろう。
一人暮らしだった男は、正月に餅を焼いた。それを喉に詰まらせ、助けを呼ぶ前に呼吸困難になり意識を失いそのまま帰らぬ人となったのである。
聞く者からしたらまぬけだと思うだろうが、餅を馬鹿にしてはいけない。詰まると喉に張り付いて本当に苦しいのだ。あと熱かった。
……まあ、そのつまらない男というのがこの私ことリュサンドロスなのだが。
何故あの時の私は噛む前に喉の奥へと餅を誘ってしまったのか。ケータイ電話の充電が切れていたのは、まあ間抜けというよりこれも運が悪かったとしか……いや、もう考えまい。この事実を知るのは世界中で私一人だけなのだから、私が口を噤めば誰も知らない。
そう、誰も知らないのだ。少なくともこの世界では。
私は餅をのどに詰まらせ死んだあと、あの世と呼ばれる場所にはいかなかった。もしかしたら覚えていないだけかもしれないが、少なくとも私が次に意識を取り戻した場所はあの世ではなく現世だった。……漫画の世界の、という言葉がくっついてしまうが。
何を馬鹿なと一蹴出来ればよかったのだが、成長過程で目にするものは私へ確信しか与えてくれなかった。生まれた星は地球と呼ばれファンタジーチックな異世界では無かったが、まず時代が違った。私にとって、今の私が生まれた世は前世より前の時代だったのだ。2000年代が未だ遠い。
そしてこの世界は、私の常識の範疇外のモノがごろごろと存在する場所だったのである。
その常識の範疇外代表が何かといえば……聖闘士。
女神アテナに仕える闘士達。
私の父は聖闘士だった。そして私もまた、聖闘士である。
聖闘士という名称を聞いた時、嫌な予感と共に私の中でひとつの知識が掘り起こされる。それは「聖闘士星矢」という漫画のもので、前世の私が過去読んでいた作品。聖闘士とはその物語に出てくる、聖衣と呼ばれる鎧を身に纏い悪と戦う超人的な存在なのである。
作品で見知った顔こそ居なかったが、私が生まれた
父は厳しい男で、私に幼いころから聖闘士になるための訓練を受けさせた。同時に礼節も学ばされ、前世で「俺」だった一人称はいつのまにか「私」に変化する。……といっても、聖域がある場所がギリシャのため公用語もギリシャ語。一人称は前世での祖国、日本語ほど多様ではないためニュアンスの問題なのだが。
ともあれ、前世とはずいぶん違った口調になった。もし前世の私がそのまま口にしていればお笑いだが、父の厳しい訓練によって強靭な肉体を手に入れた私にはしっくりくる話し方だ。
しかしいくら変わろうと、人間の根本はそう変わらない。私はやはり、つまらない男だった。
いや、より悪化して可もなく不可も無かった者が、ろくでもない方に傾いてしまった気さえする。
幸いなことに新しい体にはそこそこ才能が備わっていたらしく、聖闘士になることは出来た。しかも聖闘士の位で言えば最高峰たる黄金の次、白銀聖闘士だ。聖闘士になること自体難しい事を考えれば、そこそこどころか前世では取り柄など何も持っていなかった私にしては十分な成果だろう。まあ才能よりも同じく白銀聖闘士であった父の指導のたまものであることは間違いないが。それでも快挙だ。
が、それが幸せかと言えばそうでもない。前世で大きな幸福や財産など無くても、そこそこの幸せを、楽な生活を手にしていた私にとって、価値観がまったく違う聖闘士としての生活はただただ苦痛でしか無かった。電気も通らず自給自足が基本の聖域では前世レベルの文明的な生活にありつこうなどと思っても不可能だし、あくせくと任務と訓練、生活のための雑務に追われる日々は精神に疲労を蓄積させた。
そんな生活は、確実に私の精神を鬱屈させていった。
誰が悪いわけでもない。
アテナの聖闘士として、邪悪と戦い世界の均衡を保つ。確かに崇高な使命なのだろう。しかし私はその崇高さに見合わない、俗物だった。ただ、それだけのこと。
それでも生まれ育った場所というものは、家族というものはやっかいで。どんな場所であろうと、心のよりどころとなるのだ。だから私は聖域から逃げ出して、普通の生活に戻るという選択肢はとれなかった。父と、聖域で女官として勤めていた母は厳しくも確かに優しかったのだから。……それを言い訳にしていただけかもしれない、というのもあるが。
結局、現状に不満を抱きつつも変えようと努力できないのが私だった、ということだろう。聖闘士としての厳しく苦しい訓練よりも、長く続けた生活を変化させる方がきっと私にとって苦労だ。……笑ってしまう。酷い矛盾だ。
とはいえ、逃げる事を選択しないからと言って苦痛と疲労がなくなるわけでは無い。
淡々と戦い方を、仕事のしかたを覚えながらも、心は常に虚空に浮いていた。しっかりと大地に両の足で立てていなかった。そのことについては、父に散々注意されたものだ。「お前は危うい。そのままでは、容易く生きる事を諦めてしまう」と。……図星だ。私は生きることに執着していなかったのである。おそらく自分が敵わない相手とのギリギリの戦いがあれば、容易に生と死の境界線を踏み越えてしまう程度には。
今考えても、そんな中途半端な精神でよくも小宇宙を燃やせたものだ。生まれ変わっても、どこまでもつまらない男だな、私は。ついには生きる事すら面倒くさくなったか。いったい私はこの世界で何をしたい。どうなりたいんだ。……それが分からないから、きっと疲れてしまった。聖闘士を目指しながらも聖闘士になれなかった他の候補生には申し訳ないが、私は本当に、そんなつまらない人間なのだ。
だから母が流行り病で亡くなり、父が任務地で殉職した時。……わずかに私を繋ぎとめてくれていたものがなくなった時期が一番、人として危うかったのだろう。静かな自暴自棄。そんな言葉が似合うような精神状態だった。
そんな時だ。私は運命に出会った。
……任務先で、私の人生を薔薇色に塗り替える太陽のような輝きを持った女性と巡り合ったのである。
そして恋に落ち、互いに愛し合う間柄になれた。今思い出しても奇跡としか思えない。彼女がこんな私を愛してくれただなんて。
当時の仲間には散々ベタだ単純だ心配して損したぞ馬鹿野郎などと言われたが、恋をした私はそれを愛に昇華させ、その時初めてこの世界を踏みしめこの世界の人間となったのだ。その時の感動は今でも鮮明に思い出すことができる。
……彼女のために世界を守ろうと、初めて自分の使命に、生きる事に意味を見いだせた。我ながら現金だが、人間欲あってこそだ。私の欲は自分のためや世界のためという言葉で飾るとお粗末な鍍金になるが、彼女が少しでも健やかであればその欲は黄金の輝きをもって満たされる。
恋とは、愛とは素晴らしい。そんな陳腐な言葉を本気で言えるくらいには、私の心は彼女によって満たされていた。
だが使命に意味を見いだせたとはいえ、聖闘士は危険な仕事。愛した相手であるその女性……アナスタシアは強い女であったが、いつ死んでもおかしくない私に縛られて彼女が不幸になることなど考えたくも無かった。
彼女が生きる世界を守りたいとは思ったが、現実的な生活という生々しいものが私にのしかかる。
だから物理的に距離をおいたのだ。
……教皇に歎願し我が妻だと言って聖域に迎え入れれば、私の母のように女官として働く道もあったかもしれない。しかしもし、私が死んだらその後は? ……天真爛漫で自由な彼女を、聖域に縛ってしまうような真似はしたくない。そんな私のわがままだ。
本当はキッパリ彼女を諦めればよかったのだが、それが出来るほど私の執着は弱くなく。……遠距離恋愛をするうちに、子供まで出来てしまった。必死に念力が得意なものにテレポーテーションを習い、白銀聖闘士としての活動と彼女と子供のための生活費を稼ぐアルバイトの二重生活の始まりである。
が、世界はそう優しくない。
母と同じくはやり病で、あっけなく彼女はこの世を去ってしまった。そして今までそばに居てやれなかった不甲斐ない父だったが、それでも父として。息子をひきとった。本当なら聖闘士としての生活に巻き込まないために今までのように距離をおいたまま過ごせればよかったのだが……。
『父さんが世界のために戦っていることは、俺はとっくに知ってる! 母さんに聞いたんだ! 父さんが戦っていると知って、このままあんぜんなところで過ごすなんて嫌だ! 俺もいっしょにたたかう!』
こんなことを息子に言われてしまっては、距離を置くことなど不可能だった。ああ、所詮私は俗物で甘ったれだとも。父だからひきとったなんて綺麗ごとだ。ただ、愛しい妻を失った心を癒すために、愛しい我が子とそばに居たかった。……そんなことで、あの子の主張だからと言い訳して、強く拒否すればすんだものを結局はあの子を戦いの世界に引きずりこんでしまったのだ。まったくお笑いだ。反吐が出る。
しかし、丁度この時期だ。ようやく。……ようやく私は、この頃からのろまで間抜けな自分を自覚し焦る羽目になる。
あれ、これまで原作知識だなんだと考えてこなかったけど、やっぱりここ聖闘士星矢の世界じゃね? いやいや、そう思って生きては来たけどストーリーこのまま進んじゃう? なんか見覚えある面々がそろってきたんだけど。任務であんま聖域帰れないうちに実写になっても分かるレベルに見たことあるような特徴の奴ら揃ってきてんだけど。
え、ちょ、待っ! 待ってくれ! このままだと、たとえ最終的に色々な敵に勝つにしても、ルートによっちゃ、世界やばくないか?
高い確率で私も息子も、死ぬくね? ばったばったと、色々死んでたよね?
というかこの世界の死後の世界じゃ、今のままだと俺の愛しのマイハニーが健やかに過ごせなくね?
すでに遠く、忘れていたはずの前世の私の口調で思考がぎゅるっとフル回転した。
結果、私は心の底から大絶叫することになる。
「もっと早く動いてろよ俺ぇぇぇぇぇぇ!!!!」
以上が、聖域に降臨したアテナを偽教皇ことジェミニのサガが暗殺しようとする前夜の私の叫びだ。
遅いわ! 前教皇もう殺されとるわ! 某海神を目覚めさせちゃう男すでに消えとるわ!! 色々思い出そうとしてる間に完璧にタイミング流れたわ!!
私はせっかく未来の知識を多少なりとも握っていたというのに、スタートラインでおもいっきりコケていたのである。
明日は何処だ。
++++++++++++++++
「リュサンドロス殿、終わりましたよ」
「! 申し訳ない、少し呆けていた。……おお、流石ですな。素晴らしい」
ふと過去に想いを馳せこれまでの出来事を振り返って追想していると、作業が終わったらしいムウ殿に声をかけられた。見れば私の聖衣であるエリダヌス星座の白銀聖衣が彼の前に鎮座している。
この聖衣の守護星座であるエリダヌスは"河"の星座だ。そのため蛇行する河をイメージしているのか、他の聖衣より曲線が意識されたようなデザインとなっている。
このエリダヌス星座だが、太陽神アポロンの息子が憧れの親父の馬車を貸してもらった結果、御しきれず結果周りに被害が出て大騒ぎ、最終的に雷で撃ち落とされて彼が落ちたエリダヌス河が彼ごと天に昇って星座になった……というのが、星座にまつわる神話だ。いちいち突っ込んでいたらきりは無いが、ギリシャ神話のとりあえず何かあったら天に上げて星座にしとけ感は何なのだろうな。この世界ではその当事者たちである神々が居る事は確定しているため、前世でぼんやり「ギリシャ神話ぶっとんでんな」とか考えていた時とは違った妙な気分になる。……我々がお仕えするアテナも、生まれる前に母親ごと自分を飲み込んだゼウスの頭部から全身武装で誕生! とかしてるしな……。…………ギリシャ神話、凄い。
聖衣はついでに小さな傷も直してもらえたのか、心なしか先ほどより輝いて見えた。試しに身に着けてみると、今の私にピッタリのサイズだ。うむ、これなら問題なく装着できるな。
聖衣という物は、修復師を頼らずともある程度ならば自分で状態を回復させることが可能だ。それは聖衣のサイズにおいても同じことであり、装着者にあわせた大きさに変化する。聖衣は今まで体験した戦いの記憶、装着者の記憶をその身に蓄積し、進化するいわば生きているとさえいえる特殊な防具だ。本来なら……そう、本来なら、ムウ殿を頼らずともよかったはず。しかし私の急激な体の変化に驚いたのか、どうも聖衣から怯えているような気配を感じ……待っていても変化してくれそうになかったのである。いつ変化してくれるかもわからないまま待つのも間抜けであるし、聖衣を着られねばいざという時に支障が出るためジャミールまで足を延ばしたわけだ。
だが聖衣よ! なぜ怯える!
堂々と言う事ではないが、一番自分の体の変化に怯えているのは私だぞ! お前が密着していた最高の筋肉がなくなって寂しい気持ちは分かるが、一番寂しいのも私だ! この細っこい体になってしまった時の虚無感を一番味わっているのも私だ!
背も縮み、視界すらも変わってしまった。女にしては高身長だろうが、もとの自分からすればずいぶん違う。……ああああああ、虚しい、虚しいぞ! 私には力が必要だというのに! なぜこのタイミングで呪われるのだ!
……ムウ殿に調整してもらって着た結果、問題なく装着できたので聖衣も私がリュサンドロスだということは分かっているのだろう。しかし相変わらず何か怯えるような気配は消えない。…………私は自分で受け入れるのと同時に、聖衣にもこの変化を慣れさせなければならんのか。流石に頭が痛いぞ。
まあ、ともあれ第一の目的は達した。
次はこの目の前の聡い少年に、ひとつ提案しようではないか。先ほど思いついたばかりの事ではあるが、もとよりいくら鍛えても私ごときが一人でどうあがいても世界など救えない。ならば世界を救ってくれそうな優秀な人間は積極的に巻き込んでいくべきではないか? ……うむ、性別が変わったせいか新たな視点を得た気分だ。よし、後で"彼"には一言くらい相談しろと怒られそうだが今言ってしまおう。
「ところでムウ殿。教皇とアテナ……それと今後の聖闘士の未来について、少々お話があるのですが」
+++++++++++++
私が非常に遅いスタートダッシュをきってから数年が過ぎた。現在私は日本に居る。そして現在
現在丁度試合が開催されており、生中継のそれに店内の客の視線もそちらに釘付けになっていた。今は
「ふむ、まだ未熟だが双方ともにいい拳を持っている。互いに聖衣を脱ぎ捨てて戦う潔さも、なかなか好ましい」
「ああ。しかし本当にテレビ中継されているとはな……。東京のど真ん中にコロッセオがあるなんていうのも冗談みたいな光景だが、それが許される財力とコネクションが私は恐ろしいぞ。まったく、どれだけ金がかかっているのやら。…………おお! このチャーシューは絶品だぞ! お前も麺ばかり突いていないで具も一緒に食べてみろ!」
「いや、私は麺は麺とスープのみで味わいたいのだ! そして存分に堪能してから、肉と煮卵に噛り付く。それこそが至福の瞬間たりえる。……それにしてもここまで堂々と今まで秘匿されてきた聖闘士という存在を晒されると、こう、成している相手がアテナご本人といえど複雑だな……」
「発案は城戸光正翁らしいがな」
ずるずると麺をすする私の横には、人相が分からなくなるくらい大きなサングラスをかけた男が同じくラーメンをすすっている。控えめに言って怪しいが、私も口元以外を仮面で覆い隠しているので人のことは言えない。むしろ私の方が怪しいだろうというのは分かっているが……この男、一応聖闘士の前では仮面をつけろと煩いのだ。他と違ってこいつは私が本来男であるという事情を知っているのだから、別にいいだろうに。柔軟な思考を持っているくせに、妙なところで頭が固い。
そして試合をだらだらとテレビ越しに観戦しつつ、私は今までの事とこれからの予定を改めて考えてみた。
とりあえず私の目的は、最終的に黄金聖闘士が全員生存した状態でのハーデス戦、からの平和な世界だ。
もし運命というものが決まっているのなら、私の行為はそれを捻じ曲げるものだろう。しかし、知った事ではない。私は私が愛する者のために、全力を尽くすまで。それが私が自分に課した私の存在理由。
途中呪いで女になるなどというふざけたアクシデントがあったが、それさえ些末な事だ。それのせいで鍛え上げた肉体は失われてしまったが、一応この呪いについても後々なんとか出来る可能性は残されている。そのため今はこの体のまま自分にできる事をするつもりだ。
しかし。
「まだ動くまでに時間があるな……。次は味を変えてさっぱり魚介出汁が売りの店に行くか」
「おお、それはいい! 白銀聖闘士達が来てからが本番だからな。それまでは日本の食事を堪能させてもらうとしよう。ムウのところの食事は、健康的なのだが少々薄味でな……。こう、ガツンとしたものが食べたくなるのだ」
「ムウ殿に怒られるぞ」
「何、お前が言わなければバレないさ」
そう言ってからっと笑う男の手にはすでにグルメガイドが握られている。付箋がびっしり貼られているあたり、どうもこの男相当日本の食事に興味があるらしい。まあ私もこの日まであくせく働いてきたのだ。仕事をバックレた解放感と共に、もうしばらく楽しむとしよう。
私がそう言うと、男はカラカラと笑った。
「そうだそうだ! どうせこれから嫌でも忙しくなる。…………互いに、向き合うべき者もいるしな」
向き合うべき者。その言葉に、一瞬互いの顔に影がさした。しかしそれもほんの一瞬。すぐに男の太陽の笑顔が返り咲く。
「だからせめて、今この瞬間くらいは楽にしていても構うまい! きっとアテナも許してくださる!」
この自信はどこからやってくるのかと思いつつも、私も拳を強く握って頷く。
「そ、そうだな! ふ、ふふ……。それに正体を偽ったとはいえ、今まで散々尻ぬぐいのエリダヌスなどと不名誉な二つ名で呼ばれてきたのだ。多少羽目を外したところで罰はあたるまい。奴らも少しは私が居なくなった不便さを思い知ればいいさ……!」
今まで地味に溜まっていた鬱憤が漏れ出ている私に、男はまあまあとばかりに声をかける。
「ま、まあ落ち着け。それだけお前がフォロー上手ってことだ。尻ぬぐいってのは、あれだ、人の不始末を後始末してやる事だろう?」
「日本語の字面で面白がってそう呼ばれてるだけで実質その意味は雑用係だ。クソッ、屈辱だ! 前は便利扱いはされた事があった気もするが見下されることなどなかったのに……! なんだ、やはり見た目か? 見た目なのか!?」
「いや、それだけじゃないと思うが……。まだ時間はあるし、愚痴なら聞くぞ」
「……いや、すまん。大丈夫だ」
肩を叩かれ、つい零れ落ちた愚痴を反省する。いかん、気を遣わせてしまった。
しかし残り少ない自由時間、愚痴で使うには惜しい。気を取り直して、無駄なく楽しむために行くか!
「では気を取り直して、次はこの店に行ってみるか! アイオロス!」
私が望む未来のために巻き込んだのは、射手に選ばれし黄金の一角だった。
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3,十三年前の分岐点
城戸財閥が聖闘士同士の戦い、
その日は一人の少年にとって、運命の分岐点であった。
冥王ハーデスとの戦いからおよそ二百年ぶりに、
そして、アテナ降臨から数日後。……あってはならない事が起きた。
アテナを補佐し、全ての聖闘士を統括すべき役割を持った聖域での実質的なトップ。……教皇が、黄金の短剣を未だ幼いアテナの胸に殺意をもって突き立てようとしたのである。
その事態に偶然気づき、直前でそれを防いだ少年。それが黄金聖闘士が一人、
アイオロスはアテナ暗殺を防いだ折に、仮面の下に隠されていた教皇の正体を知る。……自分たちの主を殺そうとした教皇は、少し前に行方をくらませていた自身と同じ黄金聖闘士、
いつ入れ替わっていたのか。前回の聖戦の生き残りである本物の教皇はどうしたのか。何故あの神のようだと慕われた高潔で心優しい男がこのような邪悪の所業に手を染めたのか。……アイオロスの疑問は尽きなかったが、ただ一つ分かった事はある。
この男から、
そして始まる逃走劇。追手には
なんとか追手をふりきり、満身創痍ながらアテネ近くの廃墟まで逃れたアイオロス。彼はそこで一人の老人に出会う。そしてアイオロスはこの見ず知らずの老人に、死にゆく自分の代わりに彼女を守ってほしいと、アテナと自身の黄金聖衣を託したのだ。その出会いを、アテナを生かすための運命だと信じて。
本来ならアイオロスの命はそこで終わるはずだった。
しかしアイオロスは現在も健勝であり、身を隠して生活してきたものの現在こうして成長したアテナの……アイオロスが彼女を託した城戸光政翁の孫娘、城戸沙織として美しく成長した姿を見る事が出来ている。
「アテナ……。ご立派になられた」
「感動している所悪いが、一応これは不法侵入だからな?」
「少しくらい構うまい。チケットは高いからな!」
銀河戦争が行われている場所は現代に蘇った闘技場ことグラードコロッセオ。満員御礼、チケットにはすでにプレミアがついており観戦が難しくなっているその会場で、現在タダ見をしている不届き者が二人。
隣の(元)男は呆れたようにアイオロスを見てくるが、キッパリとチケットが高いからという理由を述べたアイオロスに対して特に何か言うでもなく視線をそらした。彼も同じくチケットが高いと思っていることは明白。あまり懐事情が温かくないこの二人にとってチケットは高級品であるし、聖闘士として高い実力を有する彼らにとっては警備に気づかれぬよう会場内へ入るなど造作もない事なのだ。ちなみに完全に力の使いどころを間違っていることからは、都合よく目をそらしている。
アイオロスの命は十三年前、この共にタダ観戦をしている(元)男によって繋ぎ止められた。
エリダヌス座のリュサンドロスという男は、任務で若くして命を散らすことが多い聖闘士の中でも珍しくそれなりに古参の聖闘士だ。
鋭い目つきとあまり表情が変わらない鉄面皮、二メートルを超す鍛え抜かれ筋肉に覆われた体は威圧感を発していたが、恐ろし気な外見とは裏腹に意外にも面倒見は良い男だった。おそらく彼の後に聖闘士になった者は、多かれ少なかれ彼の世話になった事があるだろう。アイオロスを始め、黄金聖闘士の面々もまた例に漏れない。
というのも、聖域でも一部の者しか習得していないテレポーテーションが使えるため非常にフットワークが軽く、それを活かして世界各地で任務にあたる聖闘士のフォローをすることが多かったからだ。
時に直接助け、時に導き、時に単なる聖域からの連絡係となる。そんな事をする彼は、聖闘士の中でも珍しい存在だった。
実際のところ彼がそんな事をするようになったのは彼に息子が生まれてからであり、幼い後輩たちについ息子を重ねてお節介を焼き始めたらやめるにやめられたくなっただけなのだが。
ともかくアテナ降臨前の時代まで聖闘士の全体数は降臨後に比べて少なかったため、その存在は貴重だったともいえる。
前聖戦で深刻なダメージを受けた聖域は、教皇シオンが二百年という長くも短い期間で立て直した。しかしその中で人材を育て、任務に当たらせつつ生き残らせる……という事をするには、あまりにも人手が足りない。
そもそも聖闘士になること自体、たとえそれが青銅であろうと非常に低い確率なのだ。そんな中、後輩の聖闘士達の面倒を直接の弟子でない場合も見て回れる者というのは少ない。
そのためリュサンドロスは白銀でありながら、聖域ではそれなりに名を知られ、頼られる者だった。
そんな男が、命尽きる直前のアイオロスの元に現れた。『セェェェェェェェェッフ! ひとつ間に合ったセーェェェェッフ! すまん! 本当にすまん!! おい待て死ぬなアイオロス殿ー!』などと、普段の冷静なイメージとはかけ離れた様子で叫びながら。
そしてアイオロスが命を拾ったまではいいが、何故アテナをそのまま一般人である城戸光政に託し、聖域に帰還し聖闘士達に真実を伝え、偽教皇たるサガに反旗を翻さなかったのか。
その理由もまた、リュサンドロスだった。正確には彼が語る「未来の話」。
時は十三年前へと遡る。
「では十三年もサガを見逃しアテナを放っておけと言うのですか! リュサンドロス殿!」
「落ち着かれよ、アイオロス殿。傷にさわる」
寝台から包帯だらけの体を勢いよく起こしたアイオロスに対し、リュサンドロスはあくまでも冷静に言葉を返す。しかしその内心はといえば、けして落ち着いたものなどではない。彼は彼で目の前で激昂する彼とは別の意味で感情を波打たせていた。その波が何かといえば、動揺である。
「しかし! ……命を助けて頂いた事には感謝しますが、この事態を黙認しろとは……」
「黙認ではない。時を待たれよ、と申し上げているのだ」
「…………。正直、貴方のお言葉であろうともにわかには信じられん。この先の、未来を知っているなど」
そう。リュサンドロスは転生者としての知識をこの世界に生まれて初めて別の誰かに打ち明けたのである。
彼はこの世界に生まれる前の、もう一つの記憶を有していた。その中に紛れ込んでいた知識こそ「聖闘士星矢」。……まさかいきなり前世だの漫画だアニメだのと言っても信じては貰えないだろうと、リュサンドロスはそれを「予知」としてアイオロスに語ったのだ。超常的な力に接することが多い聖闘士にとっては、そちらの方がよほど信憑性がある。とはいえ、そう簡単に信じてもらえるかと言えばそうでもないが。
「……信じる信じないは、アイオロス殿の自由だろう。だが」
「! リュサンドロス殿!?」
「どうか私に、貴方の十三年間をあずけてはくれませんか」
突如目の前で膝をつき深く頭をさげた男にアイオロスは狼狽える。リュサンドロスはアイオロスをはじめとした黄金聖闘士に対して、年下であろうと関係なく常に敬意を払っていた。しかしかといって、世話になった記憶も多い年長者にこうして頭を下げられてはアイオロスとしても、どうにも居心地が悪い。
「……頭をあげてください」
「……まず、考えてみるだけでもいい。傷が治るまでの間に」
真剣な声色と相変わらず下げられた頭に、アイオロスは深くため息をついた。
「……分かりました。では、貴方が言う未来の話をもう少し詳しく教えてはくれませんか。それを聞いてから、考える事にします」
そして語られる未来の出来事。
「…………え、いや、ちょっと待ってくれ」
「ええ」
アイオロスはたった今ぶちまけられた話の内容を、「何を馬鹿な」と一蹴したい気持ちを必死に押さえつけながら話を咀嚼する。彼は未だ十四歳という若き身であるが、前教皇に次期教皇にと推奨された心技体を兼ねそろえた男なのだ。これしきで動揺してどうすると、アイオロスは自身に言い聞かせた。
「少し、その、理解が追い付かないというか受け入れられないというか……」
「そうでしょうとも」
しかしやはり、彼も十四歳の少年。たとえ大人のように立派な体を持っていようと、心はまだ繊細なのだ。今しがた聞いた話は簡単に受け止め切れるものでも無かったらしく、その声には動揺が現れていた。そしてそれと相対するリュサンドロスの声は落ち着いていたが、そこには冷静さよりも同情心がにじんでいた。「ああ、まあそうなりますよね。わかりますぞ」と。
「何ですか? このまま貴方が知る未来通りに進むとしたら、身内争いで白銀聖闘士と黄金聖闘士を多く欠いた状態で冥王と戦うことになると? 海王を相手にした後で? しかもアテナは二度も単身敵地に乗り込むと?」
「事実です。あ、いや冥界に行くときは確かシャカ殿が一緒に居たような……」
「それがもし本当ならなおさらアテナもサガも放っては置けないではありませんか!! 何のための十二宮なのだ! お守りするアテナを直接敵地に赴かせるほど窮地に陥るなどあってはならぬ事だろう! こ、こうしてはおられん! やはりすぐにサガを討たなければ! サガよ、お前がどうしてそのようになってしまったかは分からん。だが! アテナに仇名す結果となるならばせめてこのアイオロスがこの手で……」
「あ、アイオロス殿! 分かる! 言いたいことは分かる! しかし、少々落ち着かれよ! もう少し、その、話を聞いてくださいませんか! 詳しく私の考えを話させていただくゆえ! サガ殿の状態についても私が知る限り話そう!」
「これが落ち着いていられますか!」
アイオロスの怒声が空気を震わせた。
そしてその瞬間、ぷしゅっと赤い飛沫が飛び散った。
「あ」
バタンっと、糸が切れた人形のようにアイオロスはぶっ倒れた。顔面を蒼白にして、頭に巻かれた包帯を真っ赤な血で染めながら
「あ、アイオロス殿ーーーーー!」
その日二度目のリュサンドロスの野太い悲鳴が、ギリシャの地に響き渡った。
そして現在。
「おい、フェニックスと
「なに、これも青銅たちの試練よ。ここは静観しようではないか」
アイオロスとリュサンドロスは
ちなみに十三年の付き合いともなれば気安く話せる仲にもなろうというもので、堅苦しさはない。
十三年の間にリュサンドロスが女になるというアクシデントはあったが、アイオロスにとって彼が同志であることに変わりはなく、その程度些細な事だ。それを言えばこの(元)男は怒るだろうが。
ともあれ、十三年。共に息をひそめて生きてきた。それがこの先、運命は怒涛の勢いで加速していくだろう。何もかもを巻き込んで。
そして、つかみ取るのだ。
光に満ちた、"先"を。
そして現行のイベントは見逃すものの、始まりは目前に迫っている。
「とにかく今は英気を養っておくぞ! これから忙しいからな」
「ああ! 彼らに頼らねばならんのが少々不甲斐なくはあるが、万全を期すためだ。しかたがあるまい」
「そうだ。とにかく我らは裏方に徹するぞ。戦いの鍵となる青銅たちの成長を促しつつ、彼らに倒される聖域の戦力を可能な限り助け確保せねばならんのだ。地味だがなかなかに骨が折れる」
彼らの戦いが始まるまで、あとわずか。
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4,彼らの目的
射手座の黄金聖衣が
その間私とアイオロスは、
私たちがこれから何をしようと考えているかといえば、その内容そのものは単純である。
出来るだけ自身が知る「聖闘士星矢」の物語通りに話を進めながらも、その裏で主人公勢たる星矢達に倒される聖域の戦力を死なせない……というのが目的だ。
十三年前、
サガは現在表の人格で裏に抗いつつ、なんとか教皇として勤めている。己の罪に苛まれながら。
私は「聖闘士星矢」という漫画とアニメを知っているが、正直詳細まで思い出せるかと言えばそうでもない。前世の時点でさえ何年前に読んだ漫画なのだと思っている。転生してその記憶を何かに記す事も無く前世の年齢を超えるほど生きてしまったのだから、最早記憶はおぼろげだ。
だがインパクトが色んな意味で強い作品だったため、おおまかな流れとネタ的な部分、個性の強いキャラクター自身などはかろうじて覚えていなくもない。だからこそ実際にこの世界で生きてきた経験と合わせて、わずかな知識を活かして慎重に行動する必要がある。
そしてその結果出来るのが、聖戦へ向けての戦力の確保なのだ。
これから戦う神々、海王ポセイドンと冥王ハーデスはその配下含め強敵だ。その戦いは常に紙一重であり、たとえ運よく黄金聖闘士を全員生存させ戦いに臨んだとしても勝てるかどうかは未知数。それほどの敵だ。それは聖闘士星矢という作品の派生作品のひとつを読んだ時、前世の私が抱いた感想である。
その作品では黄金がそろっている状態でさえ戦いは厳しいものだった。更に補足するなら、実際にこの世界でも二百年前の聖戦でその事実は証明されている。以前教皇シオン様に前回の聖戦について聞く機会があったのだが、二百年前は黄金がちゃんとそろった状態でハーデスと戦ったそうだ。その結果が、壊滅的な被害を受けた聖域とたった二人だけ生き残れた黄金聖闘士。……個々の強さや運があるとはいえ、このことから容易に勝てる生易しい相手では無い事は理解できるだろう。
しかし私が知る物語では黄金や白銀をこれから起こる聖域内の身内争いで多く欠いた状態で、勝利するのだ。アテナが勝利の女神たるニケの黄金杖を所持しているとはいえ、奇跡のような確率で。
しかしその結果、冥界の王であるハーデスを討ったことで他の神々がしゃしゃり出てくる。これは劇場版の話だったか。
もしこのルートに進んだ場合、世界は一回滅び一巡する……そしてアテナと星矢が普通の少年少女として出会うみたいな終わり方だったはず。はっきり覚えてはいないが、ともかくだ。重要なのは、ハーデスを完全に倒してしまうと厄介極まりない他の神々が出て来てしまうということ。正直言って、戦いに終わりが見えない。
そのため最もベターなのは、アテナにはっきりと力を示してもらい冥王、出来たら海王とも互いに支配する世界への不可侵条約を結んでもらう事。そうしてもらえれば少なくとも私と息子が生きている間は世界の均衡は保たれるだろう。その後は知らんが。
ともかくそのためには、黄金や白銀連中にポンポンと死なれては困るのだ。戦力はいくらあっても足りない。
だがここで重要なのが、ただ彼らの死を未然に防ぐだけでは不十分と言う事。
言い方は悪いが、彼らには物語の中心である青銅たちが強くなるための踏み台になってもらいたいのだ。
主人公であるペガサス星矢を始めドラゴン紫龍、キグナス氷河、アンドロメダ瞬、フェニックス一輝。この五人こそ、聖戦を勝利に導くキーポイントとなる。そんな彼らが作中と同じ成長を遂げ、更に他の聖闘士も生き残っていたならば戦力だけなら十分だ。そこにアテナご自身が、最初からアテナの聖衣を纏って戦いに臨めば勝利は確実。…………そう、思いたい。
本来アテナご自身が身に纏う聖衣については、冥王編で死したはずの聖闘士が聖域を裏切り敵となったふりをして冥界の先鋒として送りこまれた際にアテナに伝えられる事。だが幸いにも私はアテナの聖衣の場所も、その入手方法も覚えているため必要ないだろう。折を見て前教皇に聞いたと、アテナにお伝えすればいい。
平和をつかみ取ってもらうために、アテナに完全なる勝利を。
私は愛する妻と息子のために、アイオロスは世界とアテナのために。そう割り切って、他の何かしらを切り捨てながらもここまで来た。あとは実行していくのみだ。
「まあ正直、ここからどう転ぶか分からんのだがな」
「おい、ここにきてそれを言うかお前は」
アンパンとパック牛乳を手に青銅たちの様子を窺いつつ、私はアイオロスにぼやく。
「だってだな、漫画だぞ。アニメだぞ。あまりにも知る通りに話が進むからそれ前提で動いているが、どこまで当たるかなど分からん」
「元も子もない事を……。ムウや老師とも話しただろう。我々が何か物語を読むように、我々の様子が書物になった観測世界があること自体はあり得ないことではないと。予知と言われた方が信じやすくはあるが、どちらも信憑性という面ではどっこいどっこいだ。一度信じると決めたのだから、今さら漫画だあにめだという知識の出所など関係あるまい。私達はなすべきことをするだけだ」
「肝が据わった男だ」
この十三年の中で、私は自分の前世や知識の出所について協力者たちに話していた。隠し事があっては、真の信頼関係は結べないと思ったからだ。最初から信じてもらえたわけでは無いが、しかし今はこうして受け入れられている。ありがたい事だ。
……けどなぁ……。
「しかしだな、聖闘士星矢という作品自体が派生作品多すぎて全てを把握しきれておらんのだ。そもそもお前らの髪の毛がカラフル過ぎるからアニメなのだか漫画なのだか判断がつかん。それぞれ話が相当変わってくるからな。まずここが重要なのだぞ」
「……たしかあにめ版とやらでは、北欧の神まで関わってくるのだったか」
「ああ。その場合カノンは二柱の神をたばかる欲張りセットになる」
「うわぁ……」
「素で引くな。まあその辺はサガにうまいことやってもらおう。せいぜい双子には生き残ったうえであくせく働いてもらおうではないか」
そう。聖闘士星矢という作品、原作である漫画とアニメでかなり話の内容が変わってくる。最終的に行きつく場所は同じだろうが、それによってこちらがかける労力も変わってくるのだ。一応サガは前教皇の弟アーレスとかいう謎の存在を名乗って教皇しとらんし、参謀長やらヘラクレス座でもないくせにヘラクレス猛襲拳なる必殺技を持つ聖闘士だかなんだかよくわからん奴も居ないから、多分近いとすれば漫画の方なんだろうが……。完全にそうだと思い込むのは危険だな。場合によっては戦うべき敵が増えるのだから。
とにかく今は、細心の注意を払い展開を見極めつつ、目的を遂行せねば。
そして戦いが終わった暁には聖闘士を引退して、いずれはその、息子とも穏やかな親子としての時間を過ごして、あとあと、息子にも嫁とかできたりして、孫とか生まれたりとか……!
「妄想している所悪いが、どうやら星矢達がいよいよ一輝達との戦いに向かう用だぞ」
「む、悪い。あと危なかった。この思考は完全に死亡フラグだった」
「不吉な事を言うな。我々が死んでどうする」
「あ、ああ。それにしても……いよいよか。たしかこの戦いの後で聖域からの刺客として白銀が来るはず。我らの出番というわけだな。……ないとは思うが、体はなまっておるまいな?」
私がにやりと笑いつつ問いかければ、アイオロスもまたニヤリと笑う。
「無論だ。では参ろうか、尻ぬぐいのエリダヌス殿」
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5,蜥蜴座のミスティ
富士山麓、青木ヶ原に存在する風穴の一つ。そこが星矢達とフェニックス一輝、暗黒聖闘士達との戦いの場だ。
しかし私とアイオロスは風穴の中へとは入らず、外から中の様子を窺うに留めている。……とはいえ、中の様子を把握できていないかと言えばそうではない。
ここ十三年で私は呪いで封印されたかつての力を取り戻すために、アイオロスは更なる研鑽を己に課してきた。その中でサイコキネシスやテレポーテーションなどの超能力に優れたムウ殿の世話になる事も多く、互いに小宇宙を用いた超能力に関しては以前より成長したといえよう。そのおかげで意識を研ぎ澄ませば、個人の小宇宙を探り中でどのような戦いが繰り広げられているかすら事細かに把握することができるのだ。テレパシーの応用で会話内容とて把握できる。盗み聞きのようで少々はしたないが。
…………しかし現在その少々はしたない行いのせいで、私とアイオロスは非常に気まずい思いを味わっている、
『い、一輝! お前右腕が……。そんな右腕でお前は今まで戦っていたのか……』
『フッ、関係ないさ。たとえ氷河に右腕を凍らされていなくても、この戦いはお前の勝ちだ星矢……』
『ちがう……。オレ一人じゃなく、みんなの友情が……』
『友情ではない。兄弟愛がお前に勝利をもたらせたのだ』
『え?』
『今こそ言おう。我が弟星矢よ!!』
「………………」
「………………」
私とアイオロスはそっとテレパシーをきった。そして落ちる重い沈黙。
「……いやぁ、光政翁は……凄いな……色々と……」
「稀代の精力を有している方だったな」
「みなまで言うな」
「すまん」
沈黙に耐えかねてごにょごにょと言葉を発すれば、アイオロスが言いにくい事をはっきりと言う。あ、アイオロス。どこまでも真っすぐな男よ……。恐ろしい子だ……。
「今さらだが、彼らには悪い事をしたな」
「それこそ言うな。我らが背負っている罪の一つだ」
「……ああ」
再び訪れる沈黙。……気まずい。
六年前、城戸光政翁がアテナのために集めた聖闘士候補生の孤児百人。それは無作為に選ばれたものではなく、彼らは母親こそ違うが皆、城戸光政の実子なのだ。つまりペガサス星矢もドラゴン紫龍もキグナス氷河もアンドロメダ瞬もフェニックス一輝も、実の兄弟。
この時点で普通「は?」となる。私も漫画を読んだ時言った。ちなみにアイオロスもムウ殿も言った。そして言った直後にそんな色ボケジジイにアテナを預けておいていいのかと大論争になった。今は懐かしき思い出だ。
実際のところ何故城戸光政がそんなに子供を作ったのか分からないが、彼はアテナのために己の実子達に父親として接することなく、過酷な聖闘士の世界に放り込んだ。光政翁の決断力そのものには感服するが、放り込まれた子供たちはたまったものではなかっただろうし、私にその選択は理解出来ない。
私も結局息子を聖域で引き取り聖闘士の道へと進ませてしまったため人のことを言えないが、それでも精一杯の愛情をもって接してきた。しかし光政翁は己が彼らの父親だという事すら知らせず、選択肢を奪ったうえで孤児として無慈悲に聖闘士の道へと進ませた。そのことで生じた憎悪は、フェニックス一輝が体現している。
全てはアテナのために。そう見ず知らずの男が思い我が子すら捧げてくれたのなら、本来ならばまさにアイオロスと光政翁の出会いは運命だったと言うべきだろう。実際彼の子供は青銅になり、そして青銅の力の域を越えて神に届くまでに成長するのだから。
しかし感謝はしても理解など到底できない。私には彼の選択が狂気にしか思えんのだ。
そしてそれを知ってなお、青銅になれた子供たち以外を切り捨てた私たちも狂っている。
きっと彼らは、我らが姿を現してアテナを光政翁よりあずかり「ここまで女神を育ててくれたことに感謝する。これからは自分の子供に愛情を注いでくれ」とでも言えば、もしかしたら死ぬようなことはなかったかもしれない。星矢達も聖闘士にならずにすんだだろう。
だが私たちは星矢達を物語の中心に引きずり込みアテナに勝利を勝ち取ってもらうために、その選択肢を捨てた。
背負わねばならない罪だろう。いずれこのことで星矢達に恨まれようとも、その時は甘んじてそれを受け入れるつもりだ。今さら何をしてやれるわけでもないが。
言い訳にもならないが、一応星矢達を始め孤児たちの様子を修行地に送られた当初は気にかけていた。しかし世界各国に散らばった彼ら全員をカバーできるはずも無く、私にも任務と修業があった。ひとつ探らねばならないこともあったしな。アイオロスに関しては死んだことになっているため、候補生の師匠たる聖闘士に見られる危険を冒せない。私も止めた。
そのため結局、彼らを生き残らせることは叶わなかった。もとより聖闘士を目指す過程で命を落とす者は多いが、だからといってそれを良しとしているわけではない。……不甲斐ない私の一人のあがきでどうこうなる問題では無かったが、そのことは未だ私とアイオロスの中にしこりとなって残っている。
が、そんな事を考えて感傷に浸っている時だ。
富士の風穴が崩れた。
「「あ」」
同時に言葉を発する私とアイオロス。
そして直後、ジャミールに居るはずのムウ殿からのテレパシーが私たちの脳を殴る様に飛んできた。
『何を呆けているのですか! 気が抜けていますよ!』
「む、ムウ! お前は確かジャミールに……」
『この大事な時にそのままジャミールで待機しているわけがないでしょう。今、聖域より刺客として差し向けられた白銀聖闘士が破壊した風穴より青銅達を救い出しテレポーテーションしている最中です。八人も私に運ばせておいて、あなた達は今何をしているのです? まさか白銀聖闘士の接近に気づいていなかったわけではありませんよね?』
声を荒らげているわけでは無いが現状をほぼ一息に事細かく伝え非常に冷ややかな響きを纏ったムウ殿の言葉に、私とアイオロスは顔を見合わせた。
「いや、気づいてはいたが……。その、てっきりこのままここで戦うものだと思ってな」
「まさか風穴を壊すとは思わなかった」
『これが元教皇候補と古参聖闘士とは嘆かわしい』
何も言葉を返せなかった。やはり感傷に浸ってる場合では無かったらしい。
くッ、死した星矢達の兄弟には申し訳ないが、悪いが今は忘れさせてもらおう! 我らの役目を果たさなければ!
「すまないムウ殿! すぐにあとを追う!」
『ええ、そうしてください。まったく……』
「す、すまんムウ」
『謝るのはいいですから、行動してください』
ぐうの音も出ない正論を突き付けられて、私とアイオロスは少々肩身が狭い心境でムウ殿の後を追ってテレポーテーションした。
そして白銀聖闘士の件で色々あった後、私は全裸の白銀聖闘士ミスティを殴り飛ばしに行こうとするアイオロスを必死に押さえつけていた。
+++++++++++
富士地底の決戦の地は、
そしてその後を追ってミスティは転移先の海岸へと現れた。彼を始め白銀聖闘士もまた、移動距離は個人個人違うもののテレポーテーションを使えるのだ。
彼は聖域より「みだりに私闘をくりひろげ聖闘士としての掟をやぶった」という名目で、ムウが連れていた星矢に制裁をくだす。とどめこそ星矢の師であり、ミスティと同じく白銀聖闘士の刺客として派遣された
しかしそれは、ムウが施した幻覚である。
青銅達の代わりに葬られた遺体は、富士山麓で瀕死となった暗黒聖闘士のもの。実は魔鈴も星矢にとどめなど刺してはおらず、青銅達は体の傷こそ深いものの未だ生きていた。白銀たちはムウの幻惑により、ブラックペガサス、ブラックドラゴン、ブラックスワン、ブラックアンドロメダにとどめを刺して葬っていたのである。
しかし他が聖域へと引き上げようとする中、リザドのミスティのみが星矢の生存に気づいた。そして再び繰り広げられる青銅と白銀の戦い。ムウはそれをともにジャミールより連れてきた弟子の貴鬼と静観しながら、ちらりと海岸の岩場へと目を向けた。正確にはそこにこそこそと隠れる二人組に。
(迅速かつ正確、白銀に気づかれぬほど静かにこの地まで降り立った洗練されたテレポーテーション。お見事と言う他ないが、それだけにあの有様が情けない……。昔のリュサンドロス殿は、もう少し落ち着きがあったはずだが。それにここ十三年でリュサンドロス殿に影響でもされたのか、あの仁・知・勇に優れたアイオロスまで妙に小物臭い動きをするようになってしまった。言う事も俗っぽくなってしまったし……。食べ物の味付けが薄い? 勝手にマヨネーズでもかけていなさい!)
つい最近言われた言葉を思い出し、ムウは若干イラっとする。直接言われたわけではないが、アイオロスがぼそっとこぼした一言を耳ざとく聞いていたのだ。
(……信頼していないわけでは無いが、あの二人はちゃんと計画通りにやってくれるのだろうか)
一抹の不安がよぎる。しかしそれを微塵も表に出すことなく、ムウは堂々とした面構えでペガサス星矢とリザドミスティとの戦いを見守った。
やはり白銀と青銅では地力が違いすぎるらしく、星矢は苦戦しているようだ。そしてミスティの必殺技「マーブルトリパー」で海に落ちてしまったが……。ムウの感知では未だその小宇宙は燃え尽きていない。まだ静観していても構うまい。
が、問題はその後だった。
「ちっ、返り血か。汚らわしい……」
そう言って一度も攻撃を受けたことが無く痛みも知らないことを誇りに思っているらしいミスティは、その汚れを落とすためになんと全裸になった。
全裸になった。
「海の水で洗い流そう。このミスティの体にホコリ一つ、ついてはならん」
ミスティは海の中に歩を進める。
「神よ、私は美しい」
「バッカじゃねぇのかお前」
「馬鹿者がぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「む?」
「え?」
聖衣も衣服も脱ぎ去り、産まれたままの姿で前を隠しもせず海に入り何やら自分の美貌に浸っているらしいミスティ。そんな彼に海に沈んだものと思われた星矢が苦しくも海中から身を引きずって再び戦うべく現れたが、その彼の言葉にかぶさるように特大の怒声が海岸に響き渡った。当然その声の主に向けて、ミスティと星矢の視線が向けられる。
ムウはそっと目を伏せ、額に手を添えた。
「おち、落ち着け! ちょっと待て!」
「離せ! 俺は男として、戦士として、あの馬鹿を殴らねばならん! 痛みを知らない? ならば私が教えてやろう! それがあいつの為でもある! 敵を前にしてなんて醜態だ!! いくら実力差があったとて、余裕と油断を履き違えている!」
「気持ちは! 分かるが!! でも落ち着け!!」
視線の先には巨大なサングラスで顔のほとんどが隠れ、あきらかに付け髭だと分かるうさん臭い髭をつけた、黒皮のライダースーツを身に纏った金髪の男。そしてそれを羽交い絞めにして押しとどめようとする、頭全体を覆い隠すヘルメットをかぶったトレンチコートの女。くぐもった声でもかろうじて女だと言う事は分かるが、こちらは見た目だけだと女か男かは分からない。
ムウの眉がぴくりと動いた。
(もっとましな変装はなかったのか……)
「ムウ様。あれって……」
「言うな貴鬼。見てはなりません」
「え、でも」
「見てはなりません。ないものとして扱いなさい」
「は、はい」
彼らを知る貴鬼が気づいたようだが、繰り返されるムウの言葉に大人しく引き下がる。それでも気になるのか、チラチラと視線は向けているが。
ともかくいきなり現れた怪い二人組を、ミスティとしても放っておけなかったのか声をかける。全裸のままで。
「おい、そこの君たち。一般人は速やかにこの場から去るがいい。運が悪かったと言う事で、命は見逃してやろう」
「貴様はせめて前を隠せ!! そして服と聖衣を着ろ!!!!」
金髪の男の怒声に、星矢も「だよな……。俺だって全裸の奴と戦って勝っても嬉しく無いぜ」と深く頷いていた。
「ほう? 聖衣を知っていると言う事は一般人ではないようだな。それともこの日本で行われていた銀河戦争とか言うくだらない催し物で知ったのかな?」
「だから! 何を言うにもまず服を着ろ!! 押さえているこっちの身にもなれ!!」
「……? ! その声は、まさか尻ぬぐいのエリダヌスか!?」
「嘘だろ」
あくまでも全裸のままで話を進めるミスティに女……リュサンドロスからも怒気を含んだツッコミが入るが、まさかの一発ばれである。ムウはそれに関しては少々感心した。「蜥蜴座のミスティは、星矢の事に気づいた事といい観察眼が優れているようですね。覚えておきましょう」と。
しかし正体を見抜かれたリュサンドロスはといえば、冷静でいられるはずも無く思わずサングラス髭男ことアイオロスを押さえていた腕を放してしまう。そしてヘルメットを砂浜に叩きつけた。が、すぐに駆け出したアイオロスの足元にスライディングキックをかまし足止めをしていた。冷静なのか慌てているのかと言われれば、混乱しているというのが正確なところだろう。
一連の動きに流石のミスティも困惑したようだ。全裸のままで。
ちなみに星矢は海からあがり蜥蜴座の聖衣とミスティの衣服を拾い集めると、「着ろよ」と言ってミスティに差し出していた。なかなか器の大きい男である。
ミスティは「ふん、大きなチャンスを逃したな。馬鹿な男だ」と言いながらやっと服を着始めた。拾っておいてもらって言える台詞ではない。彼もまたある意味で器の大きい男なのだろう。おそらく。
「エリダヌスのリューゼよ。聖域より突然姿を消した君も、場合によっては粛清対象だ。何故ここに居る?」
「え、リューゼさん?」
リューゼとはリュサンドロスが女になって以来名乗っている偽名である。それを口にしたミスティは厳しい視線をリュサンドロスにむけるが、星矢の方は聖域にて会った事のある相手の名前に反応する。そしてヘルメットの下に更に口元だけ見える仮面をつけていたリュサンドロスを見て、確かに自分が知っている相手であると納得し頷いていた。
そして仮面をかぶった顔が、ムウへと向けられる。
どうしましょう。
「知るか」
普段からの丁寧な口調を捨てたムウの無慈悲な声を、すぐ隣にいた貴鬼だけが聞いていた。
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回想録1
ひどい顔だ。
そうとしか思えない歪んだ顔が、粗末な小屋にそぐわない妙に小綺麗な鏡に映っていた。
この鏡はかつて妻に贈った思い出の品であり、形見でもある。そんな大事な鏡に映るのがこんな顔をした自分であることが腹立たしい。
数日前、私は聖域に別人として帰還した。白銀聖闘士エリダヌスのリュサンドロスは死に、その弟子であった自分が師の今際の際にエリダヌス星座を受け継いだと、そう報告したのだ。
通常聖闘士としての資格付与や聖衣の譲渡については、師である聖闘士が教皇にお伺いを立て、許可を得てから行われる。それに私ことリュサンドロスは後輩聖闘士達の面倒は見ても特定の弟子を持つことは無かったため、当然色々聞かれたし疑われた。どちらかというと腹芸など不得意で嘘が下手な私としては苦労したが、その辺はムウ殿が一緒に真実を織り交ぜた作り話を考えてくれたので、一応は信じてもらえたようでほっとした。
しかし信じてもらえたからといって、認められたわけでは無い。私が聖衣を纏えていることからエリダヌス星座の適性があることは認められたが、呪われ力を封印された今の私では、白銀としては実力不足だとみなされたらしい。まあ、当然だろう。
そのため現在私は相応の実力を身に着けるまで、という名目で聖闘士資格を一時剥奪されている。
しかしそんなことよりもなによりも、私の気を重くしている原因がある。それは……。
『貴様のような者が父の後継などと、俺は絶対に認めん!!』
「ぐうぅぅ!!!!」
思い出した瞬間胸を押さえて蹲った。体的には何もないが、心的には致命傷である。今の私は虫の息だ。むしろ私なんて虫だ。虫の域だ。ミジンコになりたい。あれミジンコは虫だったか? いや今そんな事はどうでもいいが。
……思い出すたびにこれなので、ここ数日気分は積尸気と現世の狭間をさ迷っている。
教皇への報告を行う際に、エリダヌスの聖衣を身に着けて現れた私を見て息子をはじめとした数名が謁見の場に同席した。その時私の報告を聞くなり、息子が物凄い勢いで近づいてきたかと思えば先ほど思い出していた言葉を私に叩きつけてきたのだ。事情を話していないため私を父だとは知らないのだから仕方が無いが、彼に強く掴まれた肩が痛い。おそらく手の形に痣が残っている事だろう。
だがそんな痛みよりも、言葉の方がもっと痛かった。
今まで親愛の情が宿っていた瞳に、憎悪のようなものすら浮かべられたのが辛かった。
……やはり私は、まだ未熟だな。自分で決めたことだというのに。
これから私は来たるべきに備え、存在感を薄くして活動する。リュサンドロスというある程度実績を積んだ古参聖闘士としてではなく、未熟なその弟子として。そうすることでシオン様とサガが入れ替わったことにより生じていた私の教皇への不信感を感じさせる行動も一度リセットされ、今後動きやすくなるだろう。……頭では分かっていても、端々から態度が出てしまっていたのかサガに時々探るような視線を仮面越しに向けられていたからな。場合によってはアイオロス殿のように罪をかぶせられ抹殺される可能性もある。次期教皇候補であり人望厚かった彼が貶められたのだ。私などサガの一言で容易く疑われ、葬られる事だろう。
そのため今回、ムウ殿が半ば冗談で言った「別人として帰還してはどうか」という案を採用したのだ。
これは万全を期すため最愛の息子をも謀ることになるが、それが息子の生存へとつながる布石になるのならば私はいくら恨まれようとかまわない。かまわない、ああ構わないとも。本当はせめて息子には話したかったが、話すことで彼の心の荷がひとつ下りるだろうことも知っていたが、しかし今後の流れを変えないために時が来るまで事実を知る者の数は最小限にしようと話し合いで決まってしまったからな。特に息子も物語にとって重要な立ち位置にいるから、おいそれと話せないのも理解している。私だって納得したさ。ああ、それにしても妻が名前を付けた時にまさかとは思ったが本当にあの子があの男となるとは不覚。余計に動き出すのが遅かった自分の愚かさが呪わしく思えてくる。けして死なせなどしないが、おそらくずいぶん危険な目に遭わせることになるだろう。愛する者のために動くと決めたというのに、その愛する者をも危険にさらさねばならないとは……! 本当に私は愚か者だ。もっと賢かったらよかったのに。
……などと色々思うところがないわけではないが、そもそもの発案者が私なのだから私のわがままで計画に支障をきたす可能性は出してはならない。ならないのだ。色々と心の中で矛盾と葛藤が荒れ狂っているが、頭ではなんとか納得したのだ。
けど……! だけど、なぁ!!
愛する息子に嫌われて悲しいって感情が消えるわけではないんだよぉ!!
わああああああ! 嫌われた!! 別人だと思われてるとはいえ、あの子に嫌われたぁぁぁぁ!!!!
「あああああ! すまない、すまないぃぃぃぃ!! 不甲斐ない父を許してくれ!! でも私だって寂しいんだ!! いつも私を慕ってくれたあの子が! 真面目で勤勉で優しくて言葉は少ないけど時々はにかむように笑う顔が本当に可愛くて本当に私の息子か? 天使か? ってくらい可愛いあの子が!! 蔑むような瞳で私を見る日が来るなんて!! 睨まれたのとか初めてだぞ! ツライ! 助けてくれアナスタシア! 寂しさとやるせなさで死にそうだ!! 私はどうすればいい!! わあああああ!!」
思わず頭を抱えて小屋の床を転がる。とんだ醜態だが、今ここには誰も居ないのだから問題ない。
どうにも朧げな記憶をかき集めるために前世の自分を意識しだして、前の性格にひっぱられたのか。それとも女になったからなのか。以前に比べて感情の抑制が出来ていない気がする。
昔から私は目つきが悪く表情筋が硬かったため鉄面皮などと言われていた。それは不本意だったが、同時に冷静で思慮深いなんて評価もされていた。だが今の私の様子を見てその評価を叩き出す者は居ないだろう。あの私は何処へ行ったのだ。股間のもうひとりの私と共に去ってしまったのか。
正直昔は生きる事すら億劫であまり感情が動かなかっただけだから、もしかすると今の私の方が本来の私なのかもしれんが……この醜態を考えるに、喜ばしい事ではない。逆に自分の駄目さが際立って羞恥心が凄い。恥かしい。息子だって頼もしい父を慕ってくれていたはずだ。もし元の姿に戻れたとしても、こんな姿を見せる事になってしまってはどちらにしろ嫌われるのでは……!? ああ! 私はどうすればよいのだ!! 見た目だけでなく中身まで変わりつつあるなどと、私はいったい何者だ!!
しかし考えたところで感情の制御はままならず、私はそのまま気がすむまで嘆き続けた。ここ数日間の日常である。
が、しかし。今日のその醜態は、思いがけない"変化"によって終わりを迎える。
「……え?」
突然、下腹部と下半身になにやらドロリとした感覚を覚えた。気のせいだと思い込もうとするも、下半身の衣服が湿り気を帯びたせいでそれは不可能だった。
私は恐る恐る、下穿きの中を確認する。
声にならない悲鳴があがった。
++++++++++++++
「おい、あんた。訓練にも出ないで何してるんだい! 遅刻だよ!!」
その日
シャイナに言い渡された任務……とも言えないそれは、一人の白銀聖闘士の修業の手伝いをする事。
何故同じ白銀聖闘士であるはずの相手の面倒を見るような真似をしなければならないのか。それはその白銀聖闘士が、正しくは白銀聖闘士になる素質は有しつつも実力不足の未熟者だからだ。それこそつい最近若くして白銀聖闘士の資格を得たシャイナよりも。
数日前エリダヌス星座の聖衣を纏って聖域に足を踏み入れたその者は、前任者であるエリダヌス星座の聖闘士の死と、その死した聖闘士……師であるリュサンドロスに聖衣を授けられエリダヌス星座を受け継いだと言った。
リュサンドロスは彼が自ら行っていた聖闘士や聖闘士候補生の指導及び補助という役割に加え、黄金に匹敵する実力者であるとすら言われていた古参聖闘士だ。白銀聖闘士の中には彼のように黄金に近い実力と呼ばれる者が他にもいるが、その者はまだ年若い。ゆえに彼の存在は貴重と言えた。
そのためその報告は、少なからず聖域に衝撃を与えたのである。
何故かリュサンドロスによって弟子であるはずの"彼女"の存在はそれまで聖域に報告されていなかったが、間違いなくエリダヌス星座の聖衣は彼女を主と定めていた。が、その実力はと言えば前任と比べるのもおこがましい。何故そんな者がエリダヌスの後継者として選ばれたのか、リュサンドロスの死についての情報含め報告の際にはずいぶん長いこと質問されたと聞いた。
しかしシャイナにとってそんな事はどうでもいい。問題はその新しい白銀(といっても実力不足で一時的に資格は無いものとされている)との訓練を自分が言い渡されてしまったことだ。他の数少ない白銀聖闘士は任務で忙しく、白銀聖闘士になったとはいえ未だ年若く経験の少ないシャイナは現在は聖域にて更なる研鑽をし実力を高めるのが役目。そんな彼女が訓練相手に選ばれたのは妥当と言えば妥当だが、ならば青銅の誰かか候補生に相手をさせればいいではないか、というのが本音である。早々に白銀たる実力をつけさせるためだと理解はするが、それでも面倒だという思いは消えない。シャイナとて白銀に相応しい実力を身に着けようと必死なのだ。格下相手を育ててやるような心の余裕など無い。
が、命令は命令だ。やらねばなるまい。
そう思って本心を押し込めてその任務を受けたシャイナであったが……腹立たしい事に、今日はいつまで経ってもあの未熟者は訓練に顔を出さない。そしてついに音を上げたのかと苛立ちのままにシャイナは彼女に与えられた小屋に訪れたわけだが……。
「………………」
「しゃ、いな……?」
勢いよく扉をあけ放った先で、死人もかくやというほど真っ白に血の気の失せた顔で助けを求めるような視線を向けられ言葉を失った。何事かとよくよく観察すれば、見れば腹をかかえて蹲った体勢の彼女の下半身、短い下穿きの隙間から太ももをつたって血が流れているのが見えた。狭い小屋の中にも生々しい血の臭いが充満しており、思わずシャイナは動きを止める。
しかし自身はまだ迎えていないモノとはいえ、それが何かはすぐに理解した。表に出すまいとするも、それに苦しむ先輩女聖闘士を幾度となく見てきたからだ。「女を捨てたとはいえ、体が女であることは捨てられない。いずれ経験することだから、あんたも早いうちに知っておきな」とシャイナ自身も色々教わった。
が、見るにこの馬鹿者はまったく"それ"に対する対処法を……処理する方法すら知らないらしい。
「私、死ぬ? 死ぬのか……?」
「馬鹿なのかい!? 死なないよ! ただの生理だ! わたしより年上のくせに何やってんのさ!」
そうだ。相手はまだ十にも満たないシャイナよりも年上なのだ。そんな相手から未経験の事で助けを求められても困る。
「いや、知ってる……。知っているのだが、こんなに苦しいものだとは……それに生理用品は、何使えばいいのか、さっぱり……。だ、ダメもとできくが、な、ナプキンとか、聖域に無いよな……?」
「無いよそんな上等なもんは! ああ、もう、何も知らないのかい!」
「す、すまない」
「……しょうがないね。今回だけだよ! 下半身にまく布は探してきてやるから、汚れの処理と痛みは気合でどうにかしな!」
「助かる……」
絞り出すような声で言われてはシャイナとしてもそれ以上何も言えず、仕方がなく目当てのものを手に入れるため年上の女聖闘士や聖闘士候補生のもとへ向かった。
その後、この時のことがきっかけなのか何かとエリダヌスのリューゼに女性特有の類の相談を持ち掛けられるとは、この時のシャイナは知るべくもない。
+++++++++++
生理痛きっつい。
その一言に尽きた。
まさか呪いを受けた弊害がこんなところでも発生するとは……。シャイナが来てくれて助かった。幼い彼女に助けを求めるのは情けなかったが、うろたえることなく私を叱責し面倒を見てくれた彼女は頼もしかった。将来が楽しみだ。
いやしかし、凄いな女性は。毎月こんな痛みと戦っているのか。大げさかもしれんが、内臓でも引っ張り出されてるのかと思ったんだが。生理痛でこれなら子供を産むときの苦しみはどれほどのものか想像も出来ん。改めて我が子を産んでくれた妻や、女聖闘士達への尊敬を抱く。……彼女たちは、私などよりよっぽど強いではないか。
貧血で目の前が真っ暗になる経験というのも初めてだな……。任務でいくら怪我で血を流そうと気絶などしたことは無かったというのに。痛み止めの薬草を這う這うの体で調合してなんとか事なきを得たが、毎回こうでは敵わん。今回は初めて経験する痛みという事もあってうろたえたが、聖闘士としてシャイナが言うように気合で我慢くらい出来るようにならねば。少なくとも呪いが解けるまでの間、付き合っていかねばならない問題だ。
「それにしても、少しぞっとするな」
思わず口をついて出た言葉は本心だ。
呪われて性別が変わった体に、生理が来た。つまりこの体は子供を産めるということだ。女性への尊敬の念が強まったとはいえ、それとこれとは別問題である。……あるわけが無いが、自分が子供を産むなどと想像しただけで血の気が下がる。
そして今回の件で、息子には元の姿に戻るまで絶対に正体を明かすまいと固く心に誓った。
絶対に、絶対にだ!! 絶対に元の姿に戻るまで言わん!! というか言えん!! それまで息子にどんなに恨まれても蔑まれてもかまわん! 父が女になってしまったなどという衝撃、あの子に与えるくらいなら!! その程度いくらでも我慢するわ!!
しかしそうとなれば、今の姿でも認めてもらえるよう修業しなければ。戦士として最低限の体と経験による小手先の器用さでジャミールにたどり着ける程度の強さは持ち合わせているが、それでは足りない。十三年後に未来をつかみ取るための実力としては、もっと足りない。このままでは駄目だ。強さを取り戻さねば。
そして目立たない程度に実績を積み、最低限でいいから認めてもらうのだ! 今の私がお前の父の後継に相応しい者であると!! ずっと嫌われるのは流石に私が辛すぎる!!
この日より決意をより固めた私は修行と共に今までの私が行ってきた聖闘士達へのフォローを自身への課題とするのだが、その結果便利扱いされ「尻ぬぐいのエリダヌス」などと呼ばれるようになることを知らない。
+++++++++++++++++
父は尊敬すべき男であり、自分の目標だった。
自我が芽生え始めたばかりの幼少期は、何故父はずっと自分と母のそばに居てくれないのだと憤りを覚えたこともあった。自分たちが暮らすスペインに父が訪れるのは、月に一度がせいぜいだったからだ。
が、そのたびに母は父の使命について話してくれた。
聖域。アテナの聖闘士。守るべき地上の平和。まるでおとぎ話のような内容だったが、時々訪れる父の立派な体躯と勇ましさはまさに伝説の中に存在する英雄のようで、その話を疑った事は無い。それどころか心の中で「いずれ自分も父と共に戦うのだ」という想いが芽吹き、育っていった。
やがて時が流れ、母が流行り病で亡くなった。父はそれまで時折浮かべるほほ笑み以外に表情を変えたことがなかったが、その時の天を、地を引き裂かんばかりの慟哭は強く記憶に焼き付くほどに強烈で。いかに父が母を愛していたのか思い知ったものだ。
しかし母の死は悲しかったものの、自分の強い希望によって父に連れられ聖域へと足を踏み入れた時は誇らしかった。これで自分も父と共に戦える者になれるのだと。
そして父に心配されるほど休む間もなく研鑽を続けた結果、自分と年が近い者達と共に一つの高みを手に入れた。地位だけで言えば、父以上の。しかしそれにおごる事などあり得ない。責任ある立場を得たからこそ、今まで以上の鍛錬が求められるのだ。
目標とすべきものに、実力の近い同世代。聖闘士としての才能を開花させるのに恵まれた環境だったのだろう。更にそこに責任が加わった。
このころからだろうか。自身の実力を更に研ぎ澄ませるべく、盲目的とすら言えるほど力というものに執着しだしたのは。
ある時、父と同じくらい尊敬していた一人の男を抹殺する命令が下された。迷いが無かったわけでは無い。後悔を抱かなかったわけではない。しかしそれを上回ったのは、尊敬していたからこそ反転した感情だ。何故あなたがそのような事をしたという怒りが、心を塗りつぶした。
そして今回も。
「父さん、何故貴方はあのような惰弱な者に後を託したのだ……。本当に貴方は死んだのか……?」
父の後継だと言って名乗り出た者は、父と比べるべくもなく弱い女だった。それだけなら自身もここまで怒りを抱かなかっただろう。しかし思わず激高した自分の怒りを受けて情けなくも顔を引きつらせた姿には、衝動的ではなく心の根本的な部分から怒りがわいた。それは目の前の女に対してもそうであったし、その女に後を託し勝手に死んでしまった父に対してもだ。
女聖闘士は顔全体を覆う仮面をつけるのが通常だが、何故だかあの女は口元だけ除く半端な仮面を身に着けていた。それだけに、恐怖にひきつった口元がよく見えた。
実力差や立場の差を考えれば、当然だろうという者がほとんどだろう。自分とて他の白銀の後継だというなら、その弱さに苛立ちを覚えはしても苛烈に怒りをぶつける事などしなかった。
だが!!
父の、あれほど強かった父の聖衣を纏うのがあのような弱者であることは到底許容できない!!
おそらくこれからも顔を合わせるたびにあの女に怒りを抱くだろう。
「ずいぶんと苛立っているようだね。気持ちを理解できなくはないが、君らしくもない」
「……アフロディーテか」
声をかけられて初めて気づくという失態に思わず舌打ちしそうになるが、指摘された事を裏付けるようで直前で思いとどまり首を横に振った。そして気を落ち着けるように、一度深く呼吸をする。
「リュサンドロス殿のことは残念だったとは思うが、彼を倒すほどの相手だったんだ。聖衣が無事に戻ってきただけでもよかったんじゃないか? たとえ息子の君ですらあずかり知らない、弱い弟子が持ってきたものであってもね」
「……俺の気を逆なでして、何が言いたい?」
「別に、そんなつもりはないんだが」
肩をすくめる女のように整った顔をした男は、次いで妖艶な、しかし確固たる意志の宿った強い瞳を向けてくる。
「まあ、あえて言わせてもらうなら……しっかりしろ、カプリコーンのシュラ。私の接近にここまで気づかなかった君に、はっきり言って私の下の宮を任せてはおけない。カミュは確か今……アイザックだったか? 弟子を取ってその修業のために不在だ。つまり宝瓶宮を除き私のすぐ下の宮を守護すべきはシュラ、君だよ。少しくらい活を入れさせてもらっても構わないだろう?」
痛い所をつかれたものだと、自嘲する。
「初めからそう言えばいいものを」
「それは悪い事をしたね。……では、私は自分の宮へ戻らせてもらう」
「わざわざご苦労な事だ」
皮肉気に言うが、目の前の男は気にした風もなく涼し気な表情で去って行く。それを見ると今の自分がひどく滑稽に思えた。
「……父さん。貴方の分まで、貴方以上に俺は強くなろう。必ず」
強く、強く。
迷いや疑念を抱くような、弱い自分を強く押さえつけてでも。
Q,何か言い訳はあるか?
A,主人公のTS容姿を考えた時何故かそれが完全に女体化シュラだった(この後エクスカリバーで両断の刑に処される
過去編挟んだら思ったより早く息子が出せました
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6,一人目回収
私とアイオロスは星矢達を助け富士からテレポートしたムウ殿と、その後を追った白銀聖闘士を更に後から追いかけた。
途中でムウ殿はテレポートの行き先を複数に分散させ、それと同時に彼は白銀聖闘士達にある幻覚を施した。それが何かといえば、富士で星矢達が倒した
だからこそムウ殿を
ムウ殿を追いかけていたミスティ以外の白銀たちは幻覚にまんまとはまり、瀕死の暗黒聖闘士達を葬って任務を達成した気になったようだ。まあ、おそらくこのままでは終わらんだろうが。人数的にも多分こいつらが青銅達の踏みだ……試練第一号だからな。青銅にはこいつらと戦って、強くなってもらわねば困る。
そして私たちの戦いも、ここからが本格的に始まるのだ。
私たちは青銅と白銀の戦いを見守り、決着がつく直前で白銀の命を助けなければならない。
そう思って気合いを入れていたというのに、まさかの同志の暴走である。
アイオロォォォォォォス!!
アイオロスと話し合い、最初は他の白銀と青銅の気配を富士の時と同じ要領で探り、場合によっては二手に分かれようという算段だった。しかしミスティ以外の白銀はまだ青銅とぶつかっていないようだったから、とりあえず現在戦っているミスティと星矢を見守って様子見していたのだが……。
ミスティあの馬鹿。あの馬鹿者め!! 血が体についたからと言って、生死の確認も出来ていない相手を前に全裸になって海水浴をする戦士がどこに居る!! いや居たな目の前に! だから馬鹿と言ってるんだったな私は! ああそういえば確かにこんなシーンはあったよ!! 一ページまるまるぶち抜きであいつの裸体だったな漫画だと!! あんなに嬉しくないサービスシーンは初めてだったぞ今思い出したわ!!
確かにミスティは訓練生の中でも優秀だったが、まさかその弊害がこんなところで出るとは。下手に今までの任務で敗北や苦戦を知らなかったばかりに、慢心が酷い。そしてその慢心でもって、一人の男をブチギレさせた。
結果としてミスティを殴らんと勢いよく飛び出したアイオロスを止めるために私まで隠れていた場所から出ていく破目になり、その上であっさり私の変装がミスティに見破られるというまさかの事態に陥ったわけだ。
…………私はあと何回、初動でコケればいいんだ? もうすでに教皇暗殺とカノンのスニオン岬大脱出を何もせず見送るという大失態を犯しているんだが。なんだ、女になるだけでは足りんのか。これも呪いだろう。むしろ呪いでなければなんなんだ。勘弁してくれ。
思わずムウ殿に助けを求めて視線を向けるが、鉄面皮と評判(?)だった昔の私以上に冷ややかな顔で一切こちらに視線を向けようとしてくれなかった。……分かる、分かりますとも。テレパシーなど使わなくても「自分達でどうにかしろ」という意思がひしひしと伝わってきますとも。そうですな! まったくもって正論です!
現在私が羽交い絞めにしている男、
だがそんな彼にも欠点はある。その一つが、真っすぐすぎるくらい真っすぐな性格と行動力だ。それは本来美点であるが人とは時に長所が短所に、短所が長所になる。今回は前者のパターンだ。
(だとしても、いよいよ我々の大事な任務が始まるぞって所でこんな暴走するような男でもないはずなんだがな本来なら!!)
ミスティめ、何て男だ。第一の踏み台のくせに我々の前に全裸でもって障害として立ちふさがるとは……! 私もまた、油断していたということか。
しかも奴め、私の変装まで見抜いてきた。これは完全に予想外だ。間抜けな格好であることを承知でフルフェイスのヘルメットを身に着けていたというのに。
そして私がアイオロスを押さえつける腕に力を込めて踏ん張っていると、ミスティがしびれを切らして再び問いかけてきた。
「黙っていないで答えたらどうだ? エリダヌス。もう一度問うが、何故君がここに居る。それと、その男は誰だ」
「やかましい!!」
しかし私としては、答える義理などありはしない。こっちは必死になって黄金聖闘士を押さえつけているというのに、なおも問いかけてくる
「えーっと……。リューゼさん? なんだよな」
「そして君は普通に話しかけてくるのだな!!」
何やら主人公が話しかけてきた。
こっちはもう一杯一杯なんだが、しかしかといって無視も出来んか……。む、むう……! 正直後で回収する予定のミスティだけでなく、彼に目撃された方が痛いぞ。どうしたものか。
しかし私の苦悩をよそに、星矢は訝しみながらも単純明快に自分の意志を伝えてきた。
「あんたも俺達を抹殺に来た……って感じじゃねぇよな、見た感じ。ならさ、戦いの邪魔しないでくれないか? そのいけ好かないナルシスト野郎をぶっ飛ばすのは、俺だぜ」
星矢の言葉を聞いて、ようやくアイオロスの動きがピタリと止まる。
そしてミスティもまた、星矢の言葉を聞いてこちらに向けていた意識を彼に戻した。
「フンッ、ボロボロの体でよくそんな大口を叩けたものだ。私に勝つつもりなら、奇跡でもおこさねば無理だぞ?」
「はん! だったらその奇跡って奴をおこしてやるまでだ!」
ミスティが言うように星矢は連戦に次ぐ連戦で立っているのもつらいだろうに、瞳に宿る力強い光はなおも衰えない。それを見たアイオロスは深く息を吸って吐き出すと、かすかな笑みを浮かべた。
「すまない、無粋だったようだ。この戦いは、君のものだったな」
「ああ。加勢してくれようとしたのは嬉しいけど、気持ちだけ受け取っとくぜ。誰だか知らないけどさ」
「そうか」
アイオロスは星矢の言葉をきくと、満足そうに頷いて未だ体を押さえつけている私を振り返った。そして悪びれなく言う。
「では岩陰に戻って見守るか!」
「何事もなかったかのように言うなお前!!」
おじさんビックリだ! ほんともう、お前。お前アイオロス!! 本当は内心「やってしまった」とか思ってるだろ! 自分への厳しさは何処へ行った! いや厳しいことは厳しいんだが、こういうところばかりちゃっかり者になりおってからに!!
「待て! 星矢を片付けたら次はお前たちに用がある。そのまま待つがいい!」
そしてミスティは頼むからもう放っておいてくれ! せっかく星矢が軌道修正してくれたんだから!!
しかし結果としてもう完全にバレてしまっているので、この戦いに限り私たちは正面から見守ることにした。私とアイオロスが仁王立ちする眼前で再び星矢とミスティの戦いが始まる。……私は知らんぞ。遠方よりムウ殿が発する威圧感など、知らん。少なくとも私は悪くない。だからムウ殿、後で怒るならアイオロスだけにしてくれ。
その後のミスティと星矢の戦いだが、まず星矢が一矢報いた。今までミスティが発生させた空気の壁で全て阻まれていたペガサス流星拳を、一発命中させたのである。その時の「男の体に傷一つないのは自慢にはならない。男にとって体の傷は勇気の証! いわば男の勲章だ! 傷の痛みを一つも知らないお前なんかに、勝利はありえないぜ!」という星矢の台詞には、アイオロスが「よく言った!」とでも言うように非常に嬉しそうに頷いていた。……なんというか、こいつとしては射手座の後継者になるかもしれない星矢が気になるのだろうな。なんとなく、彼に対するリアクションが大きい気がする。
更にはそこからの戦いでは星矢が巻き返し始め、流星拳を一点集中の技に昇華させたペガサス彗星拳を放った後、ミスティのマーブルトリパーをもはじき返すまでに至る。そしてミスティの後ろをとった星矢は、ミスティを羽交い絞めにすると「ペガサスローリングクラッシュ!!」と叫び自分もろとも宙に飛び上がった。
あれは自分ごと相手を地に叩きつける技だろう。今回向かう先は海だが、この周辺の海底は浅いし岩も多い。危険な行為だが、星矢は相手を倒さんと己の命をかけてその技を使ったのだ。
「これで決着だろうな」
「ああ」
私とアイオロスは言葉を交わすと、頷きあう。
この戦いで星矢が並の
「私が行こう。アイオロスは別の場所を見回って来てくれ」
「わかった。任せたぞ」
交わす言葉は短い。そしてアイオロスがテレポートで移動するのを見送ると、私は多量の血で水面が赤く染まる場所を目指して海に飛び込んだ。
視界の端で貴鬼が慌てたように砂浜を駆けてくるのが見えたが、彼が心配しているであろう星矢は無事だ。彼の小宇宙は海中に沈んだ今も未だ力強く燃えている。しかしもう一方……ミスティが発する気配はひどく弱弱しい。ずいぶん強いダメージを受けたようだ。
しかしそれでもなんとか体を動かし、ミスティの気配は海面へと向かっている。……これも奴なりの矜持か。無様に這いつくばったまま死ぬまいという。
星矢が言う通りナルシスト野郎ではあるが、そこまで貫けるなら立派なものだ。
そう思いながら海中をかき分けて進む私の前で、ミスティがついに海中から立ち上がった。その表情はどこか清々しい。
「星矢の言う通り、私は戦いにおいて傷つくのを恐れていたのかもしれない。しかし星矢は傷どころか、命と引き換えにしても勝利を求めた。……フッ、それが星矢の勝利につなが」
「何やらスッキリしている所悪いが、このまま死なれては困るぞミスティ!」
「あぶッ!?」
誰に向かって言っているのか知らんが、何やらいい表情で死にそうだったミスティ。私はそのミスティの前に姿を現すと、応急処置として血止めのツボである真央点を突く。からの間髪を容れずに顎へのアッパーだ。綺麗に決まった。
「よし!」
ミスティはうまいこと一発で気絶してくれたので、思わずガッツポーズをしてしまった。そんな私の脳内に、海岸の方でこちらを見ていたムウ殿の声が響く。
『助けているのか止めを刺しているのかどちらなのですか』
「わざわざテレパシーを使ってまで言わないでいただきたい。いいのです、今はこれで」
ムウ殿の言う事ももっともだが、とりあえず魂が体から離れない程度でいいのだ今は。
あとはこの後の処置でどうとでもなる。ほんの少しでいい、命が繋ぎ止められていればそれでよいのだ。
その後私は星矢が海中から上がってくる前にと、一瞬でミスティを抱えて移動し砂浜の岩陰に隠した。更に私はそのまま踵を返し再び海へ飛び込んで一直線に星矢の方へ向かう。幸い海から出てきた星矢は出血のためなのか、まだフラフラしているようで私に気づいてはいない。そして私はそんな星矢に近づいて……。
「!?」
「すまん!」
星矢の腹に重い拳を埋めた。
「星矢ー!? なにやってんのさリュサンドロス! 星矢が死んじゃうよ!」
駆け寄ってきていた貴鬼に突っ込まれるが、私としてはこれしか方法が思い浮かばなかったのだ。私はこちらもまたいい感じに気絶してくれた星矢を抱きとめると、困った時の真央点を突いてから、少々狼狽えつつ言い訳する。
「す、すまない。しかしやはり、今色々聞かれては困るのだ。すまんが星矢が気絶しているうちに、私は再び裏に潜まさせてもらう。悪いが彼には「ミスティは海底へ沈み、リューゼはいつの間にか姿を消していた」と伝えてもらえないか? あと星矢を殴り飛ばしたのは他の白銀聖闘士の仕業だとうまいこと言ってくれると助かるのだが」
「ええっ、オイラが言うのかい? というか、自分がしたこと白銀に押し付けるつもりかよ」
「それくらい構わんだろう。こちらは奴らの命を助けるために苦労しているのだから」
「……あなたまだ苦労らしい苦労はしていないでしょう。そんな調子でこれから大丈夫なのですか? たしか私の記憶違いでなければ、十二宮はともかく白銀に関しては自分達に任せろとアイオロスと共に豪語していたはずですが」
「ぐ……! それは、その。申し訳ない」
貴鬼の後ろからゆったりと歩いてきたムウ殿に痛いところを突かれてうめく。
確かに私とアイオロスは、十二宮の戦いまではムウ殿に力を借りるつもりはなかった。というのも、彼にはジャミールで生き残らせた白銀達の預かり先兼、説得、説明役になってもらう予定だったからだ。その負担を考えた結果、実働部隊は私とアイオロスの二人で頑張ろうという事になったのである。だというのにこの体たらくでは、苦言を呈されても仕方がない。なにしろふたを開けてみれば、初っ端からムウ殿に世話になってしまっているからな……。
無い物ねだりをしてもしかたがないが、私が完璧にストーリーラインを覚えていれば、もっと違っただろうか。
私が気まずくなって言葉を探していると、ムウ殿は深くため息をつく。
「……今回はまだ一人も引き取っていないからこそ来られましたが、あなた達が本当に無事白銀をジャミールに連れてこられたなら私も忙しくなる。手助けはしばらく不可能ですよ」
「ほ、本当に申し訳ない。肝に銘じておく」
「だといいのですが」
そんなムウ殿の手厳しい言葉に耳が痛くなりつつ、私はとりあえず星矢を二人に預け岩陰に横たえた瀕死のミスティのもとへ行く。このままでは死んでしまうからな。
そんな時だ。他の青銅の様子を見に行っていたアイオロスからテレパシーで連絡が入る。
『今そちらにキグナス氷河とケンタウロスのバベルが向かったぞ。まだ到着するまで少しかかるだろうが』
「! わかった。お前はどうする?」
『一回合流する』
「そうか」
私はテレパシーの声に頷くと、ミスティの前に膝をついて覗き込んだ。その顔からは血の気が失せて今にも死んでしまいそうだが、まだしっかりと生きている。
「さて、お前たちは若いんだ。まだまだ楽には死なせんぞ」
もしかすれば、今死んだ方が彼らにとっては楽なのかもしれない。しかしそう思わせないような希望のある未来が、私は欲しいのだ。
……そのために苦労を強いることになるだろうから、彼らにとっては身勝手で迷惑な話かも知れんがな。
私は自嘲の笑みを浮かべつつも、それでも亡き妻の死後の安寧と息子との未来が欲しい自分の欲のために勝手に、身勝手に。
ミスティへの治療を施すべく、小宇宙を高めるのだった。
聖闘士星矢のテレポートはトベルーラみたいな感じ
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回想録2
―――― 怖い人だと思った。
それが一番最初にアイオロスが抱いた、一人の男への印象である。
聖闘士になる者は世界各国から集まっており、ギリシャが故郷の者たちだけではない。そして他の地域出身の者達と違い幼いころから聖域で育ったアイオロスとサガは、おそらく黄金聖闘士の中でも一番リュサンドロスという白銀聖闘士に接する機会が多かった。
……だからこそ、昔の彼もよく知っているのだ。
他の黄金聖闘士が接する頃には「強面だが意外と面倒見の良い男」という評価を得ており、女性になってからは「尻ぬぐいのエリダヌス」などと呼ばれるくらいには、白銀にも関わらず雑用のような仕事まで文句を言いつつもこなすのがリュサンドロスという男だ。
しかし彼は昔、ひどく無関心な人間だった。
幼いアイオロスを見下ろすその瞳にはなんの感情も無く、それがひどく恐ろしかったのを今でも覚えている。好きの反対は無関心などとはよく言うが、まさにあれこそが「興味を持たれない」という事に対する恐怖だったのだろう。嫌われている方がまだましだと思うくらいには、薄気味悪かった。
温度のない目をしていた。温かくもなく、冷たくも無い。感情の色というものが無い無色の瞳。
冷たい色を湛えるよりも、何もない方が恐ろしいのだと……幼心に思ったものだ。
忙しなく世界をまわって後輩聖闘士の面倒を見始める前、リュサンドロスは任務が無い時は寝てるか訓練しているかのどちらかだった。
彼の実力は昔から高く、当時すでに黄金候補として目されていたアイオロスとサガは教皇の命によって彼に教えを乞う事が幾度かあった。しかしそのやりとりもひどく淡々としたもので、とても師弟と呼べるような間柄では無かった。
彼自身も「私の事は師などではなく、バッティングマシーンの類として考えろ」などと言ってきたくらいで、バッティングマシーンが何かは分からなかったがとにかく壁を作られた、という事は分かった。
それが一転したのはいつからだっただろうか。周囲に気を配るようになり、雰囲気も柔らかくなったのは。
その変化にほっとしたし、彼を頼りやすくもなった。人間とはどんなに強靭な意思の持ち主でも、楽な方へ流れやすいという性質をもっている。だからこそ安心したまま、アイオロスも昔の事などその内忘れていった。
……しかし、いざ"こんな事"になってから考える。彼の無関心は昔だけだろうか、と。
今も「亡き妻への想い」と「最愛の息子への愛」という皮をはぎ取れば、その下には黒く、深く、虚ろな……ぽっかりと口を開ける
そう考えてから、アイオロスのリュサンドロスへの疑念は生まれた。
数日前リュサンドロスに助けられ、アイオロスは未来を聞かされた。その内容はすぐに受け入れられるものではなかったが、聖闘士は超常的な力に接することが多く、実際に教皇などはスターヒルと呼ばれる場所で星の動きを読み今後の世界の流れを占ったりもする。だからこそ多少疑いこそすれ、全てを嘘だと断じる事は出来なかった。しかも実際に今までリュサンドロスが知る未来の通りに未来は動いているのだというし、そのおかげで自分は一命をとりとめたのだから無視出来る事ではない。
リュサンドロスの真剣な様子もあいまって、彼が積み上げてきた聖闘士としての信用と信頼を頼りにアイオロスも信じてみようと……そう考えた時だ。
ふいに心に引っかかるものを感じた。
死にかけてから数日が経ち怪我がある程度癒え、冷静に思考できるようになったアイオロス。その時改めてリュサンドロスの言動を咀嚼し、それについてよく考えた時……血の気の失せるような感覚を覚えたのだ。
リュサンドロスは未来を語った。そしてそれを希望をつかみ取るために変えたいと言った。しかしその彼が言うには、その未来の知識は突然知ったものではないらしい。
彼は知っていたのだ。ずっと。
知っていたにも関わらず、リュサンドロスは教皇の暗殺を、海皇ポセイドンを謀り聖域とアテナに仇成すであろうジェミニのカノンという男が居なくなるのを、何もしないまま見送った。
その後彼の未来の知識が予知ではなく前世の知識に基づく"物語"の記録という、もっと曖昧なものであると知る。だからこそ曖昧な知識に確証が持てず、それらの事件でやっと確信し辿る運命を認識したのだとしても。
知っていたならば、未然に防げたのではないか。…………アイオロスはそう考える。
そしてリュサンドロス……彼は言う。亡き妻の死後の安寧と、息子が生きて幸せになるための未来が欲しいと。
それはとてもまっとうで、他者への愛に溢れた感情なのだろう。
だが。
(ああ、この方にとって聖域もアテナも、世界の平和でさえも。単なるついで、おまけでしかないのだな)
そうだと言う事も、分かってしまった。
それが悪い事だとは言わないし、大切なものを守るために力を発揮する……それは実に正しい事だ。
でも、だとしても。その想いが強すぎるがために、彼は愛する者のために容易くそれ以外を切り捨てられる。もしこの先の戦いの中で彼が愛する者と世界の平和……その二つが天秤にかけられた時。おそらくリュサンドロスは迷うことなく前者を選ぶだろう。
そう考えだすと疑念の芽は育ち続ける。聞かされた未来の情報はそれが本当に全てか? 忘れてしまったという部分も本当は覚えていて、流れを自分の都合のいいように操るためにあえて黙っているだけではないのか?
一度抱いた疑いは簡単に消えるものではない。アイオロスは怪我を癒す間、病床で今後この感情を抱きつつも、隠していかなければいけないのだろうと溜息をついた。
(もともと私は複雑な事を考えるのは不得意とは言わないが、苦手なのだ。だからこそ、次期教皇は当然サガが選ばれるのだと思っていたのに……)
そこまで考えて首を振る。今そのもしもを考えても仕方のない事だ。
そして怪我が治るまでの間散々考えて考えて、考え抜き。
複雑に考えるのが苦手なら、とことんまで単純に、真っすぐに道筋を工事して整備して考えてやろうじゃないかと……アイオロスはありていに言って、開き直った。
「今は貴方を信じ、協力しよう。だけど安心してくれ」
決意を込めて、一人呟く。
「貴方が愛を言い訳に、道を踏み外そうとしたならば。……私が殺してやるとも」
言って、拳を強く握る。
紡いだ言葉の内容は殺伐としているが、これも一人の男へ向ける敬意なのだ。
尊敬すべき男が愛する者のために、愛する者の感情も考えずに行動する時が来たのなら……。アイオロスは男のために、世界の愛と平和のために、男を止める。
たとえ、殺すことになったとしても。
しかしそれから十三年。
「「あ」」
そんな間抜けな声と共に、これからの聖戦で鍵となる青銅聖闘士達が富士山麓の地下に生き埋めになりそうな場面を自分と一緒に見過ごしてしまったこの男は……本当に全部の情報を提示したうえで、覚えてない部分は本気で覚えていないのではなかろうか。
それに安心しながらも、少々不安も抱くアイオロス。しかしすぐに首を振る。その程度なら吹き飛ばせる不安だ。
十三年という長い時間の中で、気づけば悪友のような間柄になってしまったこの元男、今女を出来れば疑いたくなどない。なら共に全力で、未来をつかみ取るために駆け抜けてみようか。
(複雑に考えるのは、向いていないものな)
改めてそう考えて、アイオロスは笑う。
「すまないムウ殿! すぐにあとを追う!」
『ええ、そうしてください。まったく……』
「す、すまんムウ」
『謝るのはいいですから、行動してください』
二人して先んじて行動し青銅達を助けたムウに謝って、二人はすぐに後を追う。
「さあ、行くかリュサンドロスよ!」
「ああ! まったく、格好つかんな……。すまないな、情けない相方で」
「今さらかっこつけも何もあるか! 行くぞ!」
「お、おう!」
力強く頷きあって、テレポートで天を駆ける。その道が、希望の未来へ続くことを祈って。
その後すぐに複雑に考える事を投げ捨てた一時的な弊害として、少々暴走してしまうアイオロスが居たのはご愛嬌である。
ちょっと短いですがアイオロスサイドの心境にちょっと触れた回想録でした。
選択肢をミスると善意による黄金の矢でぶすりとやられるかもしれません
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7,回復作業
「う~ん、死屍累々って感じだな」
「いや、まだ死んでないからな」
「わかってるさ」
笑顔で不謹慎な事を言うアイオロスに突っ込んでから、私は目の前に転がっている回収済みの白銀聖闘士の面々を見渡す。
端から白鯨星座のモーゼス、猟犬星座のアステリオン、ケンタウルス星座のバベル。先にジャミールのムウ殿の元へテレポートで送ったミスティを除く、星矢達に最初にさし向けられた白銀聖闘士の刺客達だ。
モーゼスは星矢に、バベルは氷河に……そしてアステリオンは同じく刺客として差し向けられたはずの白銀聖闘士の魔鈴によって倒され、今ここに並んでいる。
魔鈴はアステリオンを倒すなり気絶した星矢に「アテナを守りなさい」と書置きを残して何処かへ立ち去ろうとしたが、そこは私とアイオロスで引き留めた。魔鈴は現時点でかなり聖域の真実に近いところまで感づいている。私の記憶違いでなければ、この後彼女はスターヒルに侵入し前教皇の遺体を発見するはずだ。しかしその件に関しては、すでに私、アイオロス。そして私から事実を話した老師……五老峰に座する
サガに怪しまれぬため前教皇シオン様のご遺体を長らく野ざらしにしてしまっているのは誰もが心苦しく思っているが、その真実は魔鈴が苦労してスターヒルに赴かずともすでに知られている事だ。わざわざそんな苦労をさせるくらいなら、人手不足であるしここは協力を求めた方がいいだろうという結論に至った。
星矢達と戦う予定の黄金聖闘士の面々にも今のところ事実を伏せている状態だが、魔鈴なら問題ないだろう。もともと彼女はムウ殿や老師のように星矢達を助けてくれる立場だ。物語が動きだした今、協力を求めるにはいいタイミングだろう。姿を現したら開口一番に「あんた今まで何処行ってたんだい!」と問答無用で頭をひっ叩かれたが、彼女が味方として動いてくれるなら心強い。
とりあえず魔鈴へ詳しく説明している時間もなかったので、彼女にもジャミールへ向かってもらった。申し訳ないが、説明役はムウ殿に丸投げだ。
事情を説明しながらさっそく一緒に行動してもらってもよかったのだが……それよりも、出来れば魔鈴にはムウ殿からの説明でしっかりと事実を把握してから聖域へ戻ってもらい、あちらの動きを探ってほしいのだ。スターヒルへ侵入してしまえるほどの立ち回りが出来る魔鈴なら、身を隠しながらもその程度可能なはず。
味方に引き込んで早々に危ない役目を背負わせるのは気が引けるが、私は私の曖昧な記憶を裏付ける、又は把握できていない分の生の情報を欲している。もしそれを魔鈴が果たしてくれるなら、これほど助かる事は無い。
魔鈴は大雑把な私の説明と要求に仮面の下で顔をしかめたような雰囲気だったが、最終的には深いため息とともに了承してくれた。あとで私の口からもしっかりと説明しろと釘をさされてしまったが……うむ……女になってから世話になることが多かった分、魔鈴とシャイナにはあまり頭が上がらんからな……。どこまで話していいものか決めかねるが、心せねば余計なことまで洗いざらい話してしまいそうだ。
ムウ殿に白銀達へ説明してもらう内容は教皇の正体とアテナ沙織に関してだけ。その情報の出所である私の前世だ漫画などのことは、話しても信憑性を揺らがせるだけなので話すつもりはない。無いが……ついぽろっと何かの拍子で言ってしまわないよう、気を付けねば。
さて、それでは実働部隊の私たちは残る白銀達の救命と確保に努めるとするか。
砂浜に横たわる三人の白銀聖闘士。浅いながらも呼吸を繰り返す彼らはまだ生きてはいるが、それもかろうじて、といったところ。早く手を施さねば命は無いだろう。
更にはその横に、もう四人。
「掘り起こしたはいいが、こっちはまだ生きているのか?」
「いや、もう死んでいるな。しかし今後のためにも出来れば助けてやりたい。試してみたいこともあるから、協力してくれるか」
「私は構わないが……。出来るのか?」
「どうだかな。駄目もと、くらいの確率だ」
言いながら視線を向けた先には、先ほどまで砂浜に青銅達の身代わりとして葬られていたブラックスワン、ブラックドラゴン、ブラックアンドロメダ。そして先に星矢本人がミスティと邂逅してしまったがゆえに、偽装が間に合わなかったのか埋められてこそ無かったが星矢の身代わりにと連れてこられていたブラックペガサス。その計四人。ちなみにブラックペガサスは少し離れた物陰に横たえられていた。
彼らの呼吸はすでに止まってから長いため蘇生は不可能に近いが、そこから生き返らせることが出来れば今後の選択肢は増える。言い方は悪いが、彼らには実験台になってもらおう。
「では、こちらからやるとするか。まだ息があるから、うまくいけばミスティみたいにすぐ目を覚ますだろう」
これを済ませたらすぐにグラードコロッセオに戻らねばならない。白銀の気配を感じ様子を見てきたアイオロスによれば、どうやら他の白銀聖闘士がグラードコロッセオの破壊活動を行っているようだからな。そうとなれば次の戦いの場はグラードコロッセオで、彼らと星矢達が接触した時。ここであまり時間をかけてはいられないのだ。
私は一瞬、意識を集中すべく目を瞑った。そして研ぎ澄まされた精神が、白銀達の体に存在する聖闘士の弱点ともいえる星命点の存在と、弱弱しくも未だ燃える命の輝きを……小宇宙を絡めとる。感知するだけでなく、細部まで把握し一本一本指を絡めるようにして捕捉するのだ。これがなかなか神経を使う。
以前はこの作業に半日ほどかかっていたが、十三年積み重ねた研鑽によってその時間はここまで短縮した。その過程で自身の聖闘士としての資質がワンステージ上がり、以前の私に劣るばかりだったこの体が、ある意味では前の自分を越えたのだから人生とはよく分からないものだ。
意識を深く、素早く、彼らの中へ無遠慮に踏み入れる。そして私は振りあげた拳を三人の腹部に叩き込むと同時に、自身の小宇宙を爆発させた。
瞬間、雷でも身に受けたかのように勢いよく跳ねるモーゼス、アステリオン、バベルの体。
「がっ、は!?」
「うぐっ」
「あぐぅ!!」
「おお、跳ねてる跳ねてる。打ち上げられた魚みたいだな」
「おい、少し静かにしてくれないかアイオロス」
「おっと、失礼した」
茶化すアイオロスを横目でじとりと睨めば、奴は悪びれなく笑って軽く両手をあげて降参の意を示す。……一応まだ技は完成しきっていないのだから、集中させてほしいものだ。
私は改めて気を取り直すと、三人の様子を窺った。
モーゼス、アステリオン、バベルの体内へ叩き込まれた私の小宇宙。それによって彼らの小宇宙が強制的に燃焼し始めた。そして私はそれを彼らの体外から操り、一気に全身へと巡らせる。
”ライフストリームエナジー”。
完全に語感と分かりやすさでつけた名前であるが、一応私の聖闘士としての必殺技だ。恥ずかしいので技名を叫ぶようなことは無いのだが、一応分かりやすいように命名だけしてある。
この技を使うためには、まず自身の小宇宙と対象の小宇宙をリンクさせる。その後自身の小宇宙を燃焼し爆発させ、リンクした相手の小宇宙を誘爆させ強制的に小宇宙を高めさせるのだ。
その後の使い方で効果は二つに分岐するのだが、今回使用した効果は強制的に燃焼させた小宇宙を激流のごとく星命点を起点として体内に巡らせ、それに伴い自己治癒能力を向上させる、というもの。
もともと小宇宙を用いた超能力としてムウ殿などがヒーリングを扱うのが得意だし私とアイオロスも使えるが、今後の救命活動にそれだけでは不十分だろうと考えた結果編み出した技だ。せめて私が聖闘士を回復させるという
ちなみに本当に一時的な効果ゆえに、高めさせた小宇宙をそのまま外因的な力で維持させることはできなかったりする。そのためこの技によるドーピングまがいの事は出来ないのだが、それは本来目的としている効果では無いから別に構わない。……構わないが、これをきっかけにセブンセンシズやらエイトセンシズに目覚めてくれたら味方の強化になって助かるんだけどな~と、考えたことはある。これもまた無い物ねだり、というものだが。
ちなみにこの技、第二の効果として攻撃に転じさせることもできる。だから私の"必殺技"なのだ。
「よし、大丈夫そうだな」
ライフストリームエナジーの効果で強制的に回復が施された三人は、先ほどまでの弱弱しさが嘘のように元気に体を跳ねさせている。ああ、とっても元気そうだ。
…………………。いや、これ痙攣だな。
白銀の三人は回復こそしたものの、白目をむいたまま体だけビクビクと動いているという見た目的に大変よろしくないことになっていた。先ほどのミスティもそうだったが、どうにも不気味だ。
しかし気絶したまま痙攣する三人と違い、ミスティはその痙攣からすぐに意識だけは目覚めさせたのだからたいしたものだ。実力だけなら、やはり白銀の中では突出していると言ってもいいのかもしれんな。実力だけなら。全裸は駄目だ。
「う~む、しかし死の淵からの回復となると、やはり反動が大きいようだな。これではしばらくまともに動けまい」
「おい、白目をむいている相手を面白半分に突きながら言うんじゃない」
「ああ、すまんすまん。つい」
悪びれなく笑ったアイオロスは、アステリオンの額を突いていた手を引っ込めた。……今度サトリの法とやらで、アステリオンにこいつの頭の中をのぞいてもらおうか。十三年前と比べて随分お調子者になったふしがあるが、それはもとから素養があったのか外の世界を知ったからか是非知りたいところだ。
先ほどは魔鈴に心を無にされることでその力を発揮できなかったアステリオンだが、日常の中で相手が油断してる時なら多分覗きほうだいに違いない。多分。
それにしてもアイオロスが言うように、これはしばらく思うように動けんだろうな。どうもこの技は私がいくら調節しようとも負傷の規模によって技を受けた後、体に返る反動が違ってくるらしい。
まあ当然と言えば当然だ。本来なら治癒するまでに長い時間をかけるべき傷を無理やり治すのだから、それなりにリスクはあるだろう。しかも強制的に小宇宙を燃焼させられた後では、特にな。ただの自然治癒とは疲労度が違う。
しかし今までは致命傷を負った相手に試す機会なんぞ無かったからなぁ……。まさかここまでとは。この技で致命傷を負った相手でも最低限命は繋ぎ止められるだろうと老師からのお墨付きは貰っていたが、こうなるとは思っていなかった。こいつら、しばらく戦力としてはあてにできんか。
……即座に回復させる技としては、あまりよろしくないのが惜しい所だ。これは今後戦いの中で使う場合は、ヒーリングと分けて使わなければ。
「さて、お次はこちらか」
そう言いつつ、視線を向けた先は四人分の遺体。こちらは本当に駄目もとだ。
「アイオロス。これから彼らにも技を叩き込むが、私が誘発させるべき彼らの小宇宙はすでに消えている。だからお前が彼らの代わりになってくれ」
「……うん? いまいちよくわからんのだが……」
「例えるならお前は止まった心臓を手動で動かす役目。私はそれで押し出された血液を全身に巡らせる役目だ。まあ心臓マッサージと人工呼吸を小宇宙でやろうって話だよ。先ほどまで似たような事をやってたわけだが、それは相手にわずかでも自力で心臓を動かす力が残っていた場合。完全に止まっているなら、他の誰かの協力は不可欠だ。……成功しても、経過した時間的に厳しいかもしれんが」
「なるほど、了解した。しかしこれが成功すれば、今後心強いな」
「ああ。だから私も成功することを願っているよ」
すでに体の機能が停止してから短くない時間が経過している。もし体の蘇生に成功しても、脳死している……という可能性が捨てきれないどころか大きい。だが普通の方法ではなく、我々が扱うのは小宇宙。願わくば奇跡でも起きてほしいものだ。
これから実際にその技を使う者としては無責任な考えかもしれんが、全てを救えるほど私の手のひらは大きくない。
……一番大切なものを取りこぼさないために、私は生きている。
とまあ、色々考えもするが下手に考え込むよりも行動した方がわりと結果は出るものだ。考え過ぎて身動き取れなくなってもかなわんし、私としてもそうなるつもりはない。
結果として蘇生の試みは半分成功した。
ブラックペガサスとブラックドラゴンの二名のみ息を吹き返し、残念ながらブラックスワンとブラックアンドロメダは蘇生が叶わなかったが……駄目もとの試みとしては十分な成果だろう。
ちなみに身代わりにとテレポートで連れてこられたブラックドラゴンは、どうやら盲目の兄ではなく弟の方だったようだ。遅くなってしまうだろうが、いずれ富士の地下に埋まってしまった彼の兄とブラックフェニックス達も供養してやらねばな。
しかしミスティたち以上に体への反動が強かったらしい彼らに関しては、蘇生以降の回復は望めそうになかった。今以上に体に無理を強いて小宇宙を燃やさせては、回復する前に燃え尽きてしまう。
そのため彼らに関しては病院に任せる事にして、先ほど急いで近くの病院まで搬送してきたところだ。奇跡の後は、現代科学に頼ったっていいだろう。
「しかし成功例が出来たとはいえ、確率が半分となるとこの方法は最終手段にするしかないな」
「ああ……」
アイオロスの言葉に深く頷く。つまり死ぬ直前での一本釣りはまだこの後も続くと言う事だ。白銀の後には十二宮で黄金に対しても同じことをしなければならないため、少々憂鬱である。
誰も死なせるつもりは無いし特に息子に関してはまず何があっても死なせるつもりは無いが、もしそれが成功したとしてその後の説明やらが……いや、これは今考えるべきことでは無いな。思考にとらわれ過ぎてはならないと、先ほども思ったばかりではないか。まずは行動だ。説明する際に他の誰に何を言われようが構わないが息子にこれ以上嫌われたらどうしようという考えなど今は考えてはならない。ならないのだ。
私は余計な考えを振り払うように首を振ると、アイオロスと共にグラードコロッセオに戻る星矢達の後を追った。
さあ、次の白銀共は誰だ! 片っ端から死なせんから覚悟しろよ!!
進まん……!
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8,烏星座のジャミアン
アイオロスはグラードコロッセオへ向かう途中、ふと隣を走るリュサンドロスの顔を伺う。仮面で顔半分は隠れて見えないが、その下にある表情は容易に想像出来た。
基本的にリュサンドロスは黙っているだけで機嫌が悪いのか? と聞かれるような強面だ。それは女になった今も変わらず、現在も他の誰かから見たら非常に機嫌が悪そうな美女という評価を受けるだろう。その場合、自分は恋人を怒らせた男にでも見えるのだろうか。遺憾である。
しかしその機嫌が悪そうな表情は、実のところ不機嫌なのではなく緊張と焦燥によるものだ。
(良かれと思ったんだが、逆に少しからかいすぎたか)
その表情を見て、アイオロスは少々反省の色を見せる。
先ほど白銀達を回復させる際、リュサンドロスは落ち着いているように見えて身に宿す小宇宙はわずかに緊張の色をはらんでいた。それは十三年間、テレポーテーションを利用して頻繁に集まり情報交換、鍛錬を共にし、彼の小宇宙、彼の技を熟知するアイオロスだからこそ気づけた、ささいな違和感だ。おそらく本人ですら気づいていまい。
しかしこれからの作戦で要となる回復の技を使うにあたって、わずかな緊張でもいつもと違えば支障をきたすかもしれない。ならばその緊張をといてやろうと、不謹慎と思いつつもからかうような、呑気な態度をとってみたのだ。
結果としては、怒られてしまったが緊張は緩和したようだった。しかしその後になって、その態度故に「自分がもっとしっかりしなければ」とでも思わせてしまったのか、再びリュサンドロスの強面は更なるしかめっ面に変化する。総合して考えて、プラスマイナスゼロ、といったところだろうか。
アイオロス自身としても、今後自分たちが果たすべき使命や十三年間苦境に耐えてきたであろう弟と再会することを考えると緊張しないわけでは無い。だがそのせいで、自分も相棒に対するフォローを少し見誤ってしまったようだ。
リュサンドロスという男は、その強面に反して意外と根暗で小心者である。
それが十三年間でアイオロスが得た、彼への評価だった。
自分達より長く生きた経験により表面上はそれを取り繕っているが、その本質は存外普通だしもろい。それは幼いころから聖闘士としての過酷な生活をあたりまえのものとして受け入れてきた自分達と、平和な生活を当たり前のものとして享受していた時間を持つ彼との差だろう。根本的に価値観が違うのだ。今思えば幼いころに怖いと感じた無関心さは、その脆さゆえに生じていたものだった気もする。
十三年前に抱いた疑念はつい先ほど少々晴れ、彼と共に運命を捻じ曲げるために駆け抜けようと改めて決意した。疑念自体は危機管理意識として捨てることは出来ないし、いざとなればリュサンドロスを自ら殺す選択肢も辞さない覚悟はあるが、それは紛れもなくアイオロスの本心だ。
だからこそ、そんな彼の本質を理解できるようになってしまったからこそ、うまい具合に自分がフォローしていかなければともアイオロスは考えている。それは十三年間その感性を持つ彼と接し、一時的に聖闘士という役割から外れて別の視点から世界を見た自分だからこそ十全に果たせる役目ではないかとも。
が、いざそれをやってみようとしてみたものの、今の所あまり上手く出来ていないようだ。これでは後でムウや老師にまで「しっかりしろ」と怒られてしまう。
「人生とは、難しいな」
「どうしたいきなり」
思わず内心が言葉として飛び出すと、リュサンドロスから即座にツッコミが入る。アイオロスは「いや、なんでもない」と曖昧に笑って誤魔化すと、事に集中しようと真っすぐに前を向いた。
(人生とは難しいな。これも耐えねばならんのか)
アイオロスはつい先ほど口に出した言葉を、苦々しい心境で再度心の中で呟いていた。ちなみにその表情は盛大に引きつっている。
現在彼らの眼前では、聖闘士を率いて地上の平和を守る愛と正義の女神の化身たるアテナが、カラスに紐で吊り下げられて空中浮遊の真っただ中であった。
冗談みたいな光景だが現実だ。
ちなみにアテナ沙織は純白のチュニックを身に纏っているため、手足を吊られた現在パンツが丸見えだったりする。正直怒りを覚えると同時に、居た堪れなくて仕方がない。何故自分たちはお仕えすべきうら若く清らかな女神のパンツがさらされる様を、黙って見ていなければならないのかと。
「流石に星矢達も助けるだろうから、我慢しろよ? ここからしばらくは女神と星矢達の信頼関係にとって大事な局面だ。本当に、押さえろよ?」
「ああ、分かっているとも」
ミスティの件があったからか念を押すように言うリュサンドロスに、アイオロスが笑顔でもって返す。しかしその額にはくっきりと青筋が浮いていた。
グラードコロッセオまで無事に帰還した星矢達を追って、アイオロスとリュサンドロスもまたグラードコロッセオに……白銀達の活動によってボロボロに破壊された闘技場へと到着した。そしてその地にて星矢達を待っていたアテナ、城戸沙織によって彼女自身の出生の秘密と聖闘士の使命が語られる事となる。ここで星矢達は、初めて城戸沙織がアテナの化身であると知ったのだ。
しかし実の父親によって過酷な運命に追いやられた星矢達がそれをすぐに納得できるかといえばそうではなく、幼い頃に自分達をさんざん奴隷か家畜のように扱った城戸沙織が女神と聞いて、はいそうですかと信じられるわけもない。その場で仲たがいするような形で、星矢達はもう城戸沙織に関わるのはごめんだとばかりに去って行った。城戸沙織も頑固なもので、ならば自分一人でも正義のために戦うとキッパリと言い切りそれを引き留めない。
その時点で両者の関係は、完全に拗れていた。
そんな時、城戸沙織の元へ聖域からの刺客が現れる。城戸沙織がアテナであると気づいた偽の教皇……サガが、彼女を攫ってくるようにと白銀聖闘士に命じたのだ。
その新たなる資格である白銀の一人、
「ええい! カラスではなく自分の肉体で戦わんか!」
「もっともだが声が大きいぞアイオロス!」
「すまん!」
そして現在、攫われた城戸沙織とカラスの後を追った星矢とジャミアンの戦いが始まっている。アイオロスはカラスを操り星矢にけしかけるジャミアンに、我慢できないと言った様子で憤りを口にしていた。
ちなみに他の三人、氷河、紫龍、瞬は射手座の聖衣を持ち去ろうとしたジャミアン操る他のカラスの対応のため、この場には居ない。だがジャミアン以外の白銀の気配もこちら側に集まりつつあるため、青銅もまたカラスの対処が終われば星矢を追って、その内この場へと集まる事だろう。
そうなれば複数の戦いが勃発。二人の回収、回復作業の第二ラウンドが始まるわけだ。
しかしそれまでは流れを見守るしかなく、現在こうして再び物陰にコソコソと隠れて戦いを見守っているのだ。
ミスティたちの時とは違い、アテナが直接危機に直面している現在の状況は、本来聖闘士として看過できるものではない。だがそこをあえて見過ごさなければならないというのだから、アイオロスとしては辛い所だ。
その戦いのさなか、ジャミアンだけでなく
「!」
流石にこれには黙っていられなくなったアイオロスだったが、リュサンドロスと共に念力を用い落下の速度を緩めるにとどまった。それはアテナを危険にさらす苦渋と、無謀ともいえる行為でありながらアテナを守るための選択をした星矢、その彼を信頼し飛び降りる事を是としたアテナの勇気に対する敬意との狭間での、ギリギリの選択である。
二人は怪我を負いながらも無事に崖下へ到達したが、心臓に悪い事このうえない。
「強いて、悪いな」
「……今さらだ」
そのアイオロスの内心を感じ取ってか、リュサンドロスが短く言う。それにこちらも短く返答するアイオロスであったが、この先も勝利のための布石とはいえ、仕えるべきアテナが危険に直面する場面を見続けなければいけないかと思うと気が重い。心配すべきは、パンツどころではなかったか。
幾度か行われた話し合いの中、ムウなどは多少の危機ならば乗り越えてこそ自分達を率いるにふさわしい、戦女神たるアテナの証拠ではないかとも言っていた。その程度やり過ごせないようならば、いずれにしてもこの先の困難に立ち向かうのは難しいだろうという彼は仕える主に対してもなかなか厳しい。
しかしアイオロスとしては城戸沙織がアテナである以外にも、赤ん坊のころから知っているだけに恐れ多くも庇護欲のようなものを多少抱いている。それだけに今のような場面があるとなかなかに辛い。
「お、覚えていない部分は難しいが、串刺しと水責めと生首はなんとかする」
「是非そうしてくれ。というか、するぞ」
気まずかったのか、この先城戸沙織を待ち構えている「黄金の矢で胸をぶっ刺され十二の火時計が消えるまでに助けなければ死ぬ」と「密閉された柱の中で全世界へ降り注ぐ災害級の雨を一身に受ける」と「
それらの過程が沙織を助けようとする星矢達の成長に関わってくるため難しい部分もあるが、流石にそれは知っていながら見逃すことなど出来ないだろうと話し合いの場でも満場一致で決定した。未来をある程度知っているからといって不確定要素が多いため、それらをよりよい形で実行できるかは今後の努力によるのだが。
そして空気が重くなったものの、現在裏方の彼らの回収、回復作業は再開する。
追撃を仕掛けてきたジャミアンを、気絶した星矢を庇ってアテナ沙織がその大いなる小宇宙でもって立ちふさがる。しかしそれに怯んだジャミアンがなんとか攻撃を仕掛けようとした時……あの男が帰って来たのだ。
「消え去るのはお前の方だカラス! この鳳凰の羽ばたきひとつでな!!」
力強い小宇宙がジャミアンを襲い、一瞬で致命傷となりうる一撃!
『鳳翼天翔!!』
フェニックス一輝が、その守護星座たる不死鳥のごとく富士山麓の地下より蘇り推参した。
「おーらいおーらい、っと」
「ぐふっ」
「……派手に飛ばされたな」
「ナイスキャッチだ。さあ、他の白銀も集まってきたようだし、作業が増える前にさっさと回復させてジャミールに送るぞ」
その陰で不死鳥の炎に焼かれたカラスは、ひっそりと回収されていた。
サブタイトルを女神のパンツと迷ったのは内緒
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回想録3:偽教皇の抜け毛
呪いで姿が変わってしまった事を機に暗躍のため正体を偽ろうと、エリダヌス星座の
余談だが、リューゼという女性としての偽名は単純に本名と響きが似ていれば馴染みやすいと思っただけであり、特に意味はない。呼ばれた時咄嗟に反応できないと怪しまれるからな……。
そして現在抱く複雑な感情の真ん中に鎮座しているのは、「裏人格のサガは結構アホの子ではないか」、という考えである。
「最終的にわざわざ自分で聖域中に自分の罪状を意気揚々と語るからなアイツ……。あれか? テンション上がっちゃったか? 」
思わずこぼれる独り言。秘密が多い身としては控えるべきだが、どうしても自室だと気が緩みがちなのだ。
今から五年前。前教皇たるシオン様を亡き者にし同じ
奴は神のようだと言われるほど清い表の顔と、地上をアテナに代わり支配しようと野望を抱く裏の顔を一つの体に秘めた二重人格者なのだ。聖闘士星矢という漫画において、星矢達の前に立ちふさがる強敵である。
でも、サガな……。あいつ十二宮編での最終決戦時、星矢との戦いの最中にわざわざテレパシー使って聖域中に教皇を殺したのは自分で、自分こそ地上に君臨する神だ! とか言ってしまう子なんだよな。
前世の私が幼心に「え、それ言っちゃっていいの?」って思ったからしっかりと覚えているぞ。……私は本当に肝心な時系列もろもろ忘れているくせに、ネタ的な部分はよく覚えているな。
あれはなんというか、表人格のサガにしてみれば「ちょ、おまっ」と言わざるを得ない状況だろう。私ならば言うぞ。
だってなぁ……もし勝ったとしても、その後は生き残った黄金、白銀、青銅に囲まれてフルボッコ確定である。まさかまさかでよしんばそれに勝ったとしても、そうなればVS冥王軍に対するのは自称神のごとき男サガ、ロンリーワン。……う~む。これは完璧に他人事だった場合、なかなか愉快な詰み具合。笑えないが。
更にもしもで力こそパワー! 的にゴリ押しで聖闘士達に認められたとしても、わざわざ人間の姿で降臨して現場で戦おうとしてくれていた
戦女神アテナと、錫杖に姿を変えたアテナの従属神、勝利の女神ニケ。その両方があってなお、地上を守るための戦いは常に薄氷の上にあるのだから。
まあサガのあの発言は私に一つの可能性を想起させ、その予想が外れたとしてもいい感じに利用できそうだから覚えておいてよかったと思える事の一つなのだが。とはいえそれを使うにしても、まだまだ先の事だから今は考えまい。
今問題なのは……いや私にとっては問題というほど問題ではないのだが、気になる事は別にある。
「日に日に増えているな……」
再びぼそっとこぼれ出た独り言。それが指すものは、机の上に広げられた布切れに乗っているキラキラ光る糸である。そしてそのキラキラした糸が何かといえば、サガの抜け毛だ。
サガの抜け毛だ。
現在偽の教皇として聖域に君臨しているサガは、アテナが成長し星矢達と共に聖域に乗り込んでくるまでは泳がせる予定でいる。しかしいざという時に備えて、教皇が偽物であるという証拠を突き付けられるように保険を得ようと思ったのだ。そしてその保険こそが、髪の毛。
もし十二宮の決戦前にサガを糾弾する必要性が出てきた場合、聖闘士達を無傷で奴から離反させる手段としての物的証拠。正直前世の私が生きていた時代より過去にあたる星矢世界では、DNA鑑定なんでものがいつごろから一般化されたのか分からない。しかしそこは天下の城戸財閥。アテナこと城戸沙織にちょちょっと化学部門的なところに命じてもらえば、なんとかなるだろうと踏んでいる。
とても文明的とは言えない旧時代の生活を続ける聖域では、まさかDNAがどうのこうのという発想は出てこまい。ゆえに、さしものサガも抜け毛程度気にしないだろうと見越しての事だ。他の証拠を押さえようとすれば私の命が危ないからな。このあたりが限界だろう。
……物的証拠としてつきつけるには、他の聖闘士にとっても馴染みが無さすぎて信じてもらえるかどうか、という問題はあるが。まあ、保険だ保険。保険は自分が安心するためのものでもあるのだから、無いよりあった方が私の精神衛生に良い。
ちなみに比較対象である前教皇のシオン様のDNAについては、未入手である。…………うむ、我ながらガバガバな保険であったわ。スターヒルに行けば余裕で入手可能だが、そもそも侵入が余裕では無い上に、その場合シオン様のご遺体というDNAなどよりよほど信憑性のある物的証拠があるしな。
まあ、それはともかくとして。
証拠用にとサガが政務のために教皇の間から十二宮の下へ降りてくる機を狙って、私は目を皿のようにして奴が髪の毛を落とさないかと観察した。がっちりとほぼフルフェイスの教皇の仮面をかぶり、常に清潔にしている教皇服をまとうサガからは髪の毛一本とはいえ入手するのは難しいだろう。……最初はそう思っていた。
だがふたを開けてみれば目の前の収穫量である。一本どころか、すでにちょっとした束になるくらいの量を入手済だ。
それを見た私はひとつ仮説を立てた。
もしかしてサガ、いや裏サガか。いやどっちでもいいんだが。とにかくあいつ、教皇の仕事の引継ぎというか……詳しい仕事内容もろもろを知らないまま、シオン様暗殺に踏み切ってしまったのでは?
………………うむ。
(アホかーーーー! その状態でバレずに偽教皇やってるのは凄いが、馬鹿か! さすがに表サガがちょっと可哀想だろうが馬鹿!)
机に額を叩きつけて叫びたい衝動を押さえた私偉いぞ。だが勢いをつけすぎたのか、ちょっとばかり額が割れて血が出てしまった。むぅ……まだまだこの体は脆弱だな。鍛えねば。
多分だが、この仮説はまんざら外れでもないはず。
サガは黄金聖闘士の年長者として、アイオロスと共に他の者より教皇の近くでその人柄や仕事を見てきているのだろう。それに教皇が残した手記や聖域の記録などを見れば知識の補完も可能だ。だが口伝で伝わる重要な情報、たとえばアテナの聖衣についてなど知らないだろうし、他の事についても知っているのと実際にやってみるのとでは訳が違う。しかも他人を演じながら全てをこなさなければならない。……いかに優秀な男とはいえ、かなり苦労しているだろうことは簡単に想像がつく。
だが、待ってほしい。
それらを全てこなすのは教皇暗殺に踏み切らせた裏人格のサガではなく、良心の呵責に苛まれている表のサガなのだ。
サガは確かに優秀な男だ。
だが突然本来の彼の意に沿わぬ形で尊敬する教皇シオン様を自分の手で殺した上に、そのシオン様……二百年以上生きた前聖戦の生き残りの元黄金聖闘士教皇という難しい役柄を演じながら、聖域のトップとしての仕事を全てこなす必要性が出てきた。
しかも近年は大きな聖戦が近づいている影響なのか、ピンからキリまで神々やその眷属の動きが活発化してきているため仕事量は増加傾向にある。聖闘士としての力を持ちつつも、力に溺れたり聖衣に選ばれなかったりで道を踏み外した聖闘士崩れの対処も聖域の仕事だ。……要は、対応すべき案件が多い。
だというのにサガが教皇になり替わったばかりの頃は、聖域の最高戦力である黄金聖闘士は実力はともかくまだ十に満たない幼い身がほとんど。経験が少なかった。
他の白銀や青銅も、またしかり。
……そんな中、ほぼ手探りで聖域の運営をしつつ聖闘士をまとめ上げ、修行地に送り出して成長を促したり、世界中に散らばる聖闘士や聖闘士候補を把握しつつ、更に世界中に散らばる聖域が対処すべき問題を精査したうえで仕事を振り分けてと……。
ちょっと考えただけでも、その仕事内容に私なら窒息しそうだが……さらに言うなれば当時サガはピチピチの十四歳。思春期真っただ中のティーンエイジャー。五年経った今でも十九歳。ギリティーンエイジャー。
……多感なお年頃である。
これはストレスでハゲても仕方がないだろう。いやまだハゲてはいないが、しかし目の前の抜け毛の量を見るとサガのあのふさふさした黄金の髪の毛の将来は危うい。
断言しよう。このままだと十二宮編後に生き延びたとしても、間違いなくサガは将来ハゲる。
「う~む……」
いかんな。あまり勘繰られたくないため基本的に教皇……サガとは極力距離を置くつもりなのだが、仕事をぶん投げられている表のサガが少々不憫に思えてきたぞ。
サガがシオン様を暗殺してから、私が呪いで女になってしまうまでのリュサンドロスとしての五年間。私が偽教皇に気づいていると知られる事を避けるため、教皇に対して表面上はこれまでと同じ対応をしてきたつもりだ。それでも距離をおくために、世界各国の聖闘士や聖闘士候補生の補佐をする時間を以前より増やしたが。そんな中シオン様の時のように多少書類関係の仕事を手伝う事もあったのだが……。サガはよくやっていたと思う。教皇としての執務を、真実を知らねば私とて騙されそうなほど完璧にこなしていた。
しかしそれが不憫な男の必死な努力の上に成り立っていたのかと考えると……うむ……あれだ……。ちょっと憐れではある。なんというか、サガは白鳥みたいだな。綺麗で優美な姿の水面下で、必死に脚を動かして水の上を滑っている感じが。
それに、もしかして……本当にもしかしてなのだが、多少仕事を手伝えていた便利屋こと、この私リュサンドロスが居なくなったことが彼の負担になって抜け毛が増えたのではないか? そう考えると、多少申し訳ない気持ちも湧いてきてしまう。
と。
抜け毛をきっかけに芽生えたその同情心が悪かったのだと、私はこの少し後に思い知る事となる。
「教皇。資料をお持ちいたしました」
「! ほう……。見つけにくい所にあったと思うのだが、早かったではないか」
「前任のリュサンドロスから引き継ぎがありましたので、多少は」
「…………ほう」
ある日の事。
珍しく人を通さず直接教皇に任務に関しての書類を提出する事になり、その時ついでとばかりに書庫から文献を探してくるように命じられたのだ。
一応私も古参聖闘士。単純に任務をこなす以外にも、書類仕事や文官まがいの仕事を割り振られた経験も多い。
そのため教皇……サガに命じられた雑用もさほど苦も無く終わらせることが出来たのだが、新参者が何故そんなに早く分かり辛い場所の資料を探して持ってこられたかと勘繰られるのが嫌で、咄嗟に「前任から引き継ぎがあった」と言ってしまったのだ。
これがまず初めの間違いである。
「そういえば、お前の報告書はリュサンドロスのように整っていて分かりやすいな」
「勿体なきお言葉です」
いきなり褒められたことに不安になる。……嫌な予感がするが、きっと気のせいだろう。
「……少々聞きたいのだが、リュサンドロスは自分がこなしていた職務内容を全てお前に教え込んでいたのか? 聖衣を受け継がせただけでなく」
「は? は、はあ。ええ。まあ……」
職務内容などという事務的な言葉が出てきた事に妙に不穏さを感じたものの、歯切れの悪い返事と共に頷いておく。
心なしかサガの雰囲気が明るくなった気がした。多分気のせいだろう。
「ふむ……。ではすまないが、こちらの報告書をリュサンドロスのようにまとめてみてはくれまいか」
「え」
そう言わればさっと手渡された、各聖闘士の手によって製作された任務に関する報告書の束。ずしりと重いそれは、ちょっとした山、と言ってもよいかもしれない。
「いや、その……。これは文官の仕事では……」
聖域には聖闘士と雑兵の他に、数は少ないが女官と文官がちゃんと存在する。
だというのに、何故私は今報告書の束を手に持っているのだ。
いや…………私は知っている。この後にくる言葉を。
「……文官は、他の仕事で忙しくてな」
それな! お前のそのセリフ、前にシオン様にも言われたやつではないか!!
分かっている。その忙しい内容は、分かっている。
……実は聖域は約二百五十年前の聖戦での被害で、歴史の中で積み重ねられた貴重な資料をいくつも失っているのだ。それを復元、再編するのが聖域での文官の主な仕事である。更に言えば、聖闘士がこなした任務からあげられた報告書をもとに新たな資料の製作もしなければならない。
言葉にすれば数行で済むことだが、これがとても簡単な仕事とは言えないのだ。しかも聖域という特殊な場所の都合上、文官は聖闘士以上に人手不足だったりする。加えて人材育成も難しい。
よって書類仕事は現場担当のはずである聖闘士も、自ら行わなければならない。専門職に丸投げなどという甘っちょろいことは出来ないのだ。「自分の事は自分でやれよな!」。……聖域の基本である。
……そして、それは教皇もまた同じ。
教皇は地味で地道で根気のいる作業が、実は多い。
だから出身地のお国柄色々、報告書の書き方もバラバラ。そんな聖闘士達からの報告書をすぐに読める形でまとめるだけでも、かなり助かるのだと。…………シオン様にも言われた事があったな、そういえば。
一応聖闘士になる時の各指導に置いては戦闘面だけでなく座学も師匠の仕事となる。だが子供のころから弟子を育成することが多いからか、どうしても生活面で必要な知識や戦闘面に関しての知識の習得が優先され……。結果として、仕事面での事務仕事は師匠に教わるよりも、聖闘士になってから現場で覚えていくことが圧倒的に多い。むしろやらない奴、出来ない奴も居る。
しかも修行して強くなるのに必死、任務で敵に勝つことで必死なため、それが終わった後の報告書となるとおろそかになりがちだ。しかたがない……で済ませられれば良いのだが、その仕方がないは最終的に上の統括者に重荷となって蓄積される。シオン様などは流石に経験豊富でうまく処理していたようなのだが、それでも時々古参とはいえ部下の聖闘士にぼやく程度には、面倒くさいものだったらしい。
教皇をも疲労させるアバウト文化。それが聖域だ。
まあそれを知っているからと言って、仕事を引き受けるかどうかは別の話だが。
私は女になった事で失った力を取り戻すための修業と、息子シュラに今の私を少しでも認めてもらうための作業もろもろで忙しいのだ。書類仕事などにかかずらってる暇は、ない。
「……………………」
「……………………」
数十秒、サガと私の間に沈黙が落ちる。
仕事を押し付けられたくない私と、少しでも仕事を出来るものに投げたいサガとの無言の攻防だ。
が、そこでふと跪く私の目の前に何かキラキラ光るものが、風に舞ってはらりと落ちてきた。
髪の毛だった。
「…………少々、お時間を頂きますがよろしいでしょうか」
「構わぬ」
これが二つ目の、そして致命的な間違いだった。
その後提出した書類がサガの満足のいくものだったのか、私は忙しい中、定期的に書類仕事を割り振られる事となる。
それをきっかけに、時に何故か他の聖闘士の報告書製作の代行までする羽目になり……私が「尻ぬぐいのエリダヌス」と呼ばれる事態に拍車をかけるなど。そんなこと、思いもしなかったさ。ああ、しなかったとも!!!!
私はアイオロスと時々話す未来の聖域についての改革案の中に、真っ先に文官の一定数確保と育成をねじ込んだ。
サガって抜け毛多そうだよねってだけの話が何故か6000字を越えました。
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9,獅子の来襲
一輝との戦いに敗れたジャミアンを回収した私たちは、その後も怒涛の回収作業に追われていた。何しろ
先ほどもミスティ、モーゼス、アステリオン、バベルを回収してジャミールに搬送したばかりだから、今日中で考えたら八連続で白銀聖闘士達の命をフィッシングしていることになる。順調なのは良い事なのだが、覚悟はしていたものの息つく間もない。
……襲撃を受けている側の青銅は、連戦にもかかわらずよくやっている。
回復作業に至っては特にカペラに関してが骨が折れた。一輝の奴が相手の精神を崩壊させる鳳凰幻魔拳を使ったからな。身体的外傷を回復させるよりも、よほど手間がかかる。とりあえず死なない程度の一時的な回復は望めたが、リハビリが必要だろう。彼らを見てくれているムウ殿には世話をかける。彼に報いるためにも、我々も頑張らねば。
それにしても。
「サガめ、ぽんぽんぽんぽん貴重な白銀を送り込んできよってからに!! いや青銅だったらいいというわけでもないが!! 現在の人数がそろうまで何年かかったと思っている!? 魔鈴とシャイナを含めれば十名? 十名だと!? それも身内相手に! ふざけるな!!」
「ま、まあまあ。落ち着けリュサンドロス」
小宇宙による回復を行い続けた疲労のせいもあって、つい声を荒らげて頭を掻きむしってしまった。アイオロスが背中を叩いて落ち着かせようとしてくれたが、どうにも腹の虫がおさまらない。分かっていた事実とはいえ実際に送り込まれた人数を見ると、どうしてもな……。
ただでさえハーデスの冥闘士百八人+神@に対して聖闘士は上限八十八人。それも全部の星座が埋まっているわけでもないのに、使い潰しすぎだ。サガとしては青銅ごときに白銀が敗れるはずもないと考えているのだろうが、彼らが対するのは同じ聖闘士。身内内での不毛なつぶし合いで消耗するなど本来あってはならない事である。
星矢達に成長してもらうための踏み台の役割を白銀達に求めている私たちが何を言えた事か、とも思うがこちらはしっかりアフターケアをしているのだ。……裏人格のサガに振り回されている表のサガには申し訳ないが、もうお前今すぐハゲろ!! と思うくらいは許してほしい。単に禿げただけではただのオシャレ坊主イケメンになるだけだから、もし禿げる場合は頭頂部だけ禿げ散らかってあとはふさふさに残っていたりしたら、ちょっと面白いなと思う程度には不満が溜まっている。
だが文句を言ったところで、私たちに休む暇はない。
ジャミアン戦後、一輝から戦いを引き継いだアンドロメダ瞬、キグナス氷河、ドラゴン紫龍が苦戦しつつも白銀三人を倒す事に成功したわけだが……。計十人もの白銀を退けたとして彼らは聖域に、サガにより脅威として認識されたことだろう。アテナ城戸沙織も未だ健勝であり、射手座の聖衣もアテナサイドにあることが奴に焦燥を覚えさせているはず。
そうなれば原作知識など覚えていなくとも、順当に考えて次に刺客として送り込まれてくるのは黄金聖闘士の誰かだと分かろうものだ。物語通りなら大丈夫だろうなどと信じて成長を促すばかりに、まかり間違って星矢達の誰かを死なせてしまうわけにはいかない。それほどに、本来青銅と黄金の実力差は天と地の違いなのだ。
……戦いを見守る私たちの緊張感も、自然と増してくる。
とはいえ、流石に連戦はここまでだったらしい。今日からしばらく、私たちは彼らの次なる戦いに備えて張り込みだ。
度重なる戦いに加え、崖の上から飛び降りたことで重症を負った星矢は入院。
ペルセウス座アルゴルとの戦いのさい、奴の石化の呪いを発するゴルゴンの盾を防ぐために自ら両目を潰した紫龍は療養のため五老鋒へ帰還。
一輝は星矢達との戦いで受けた傷の後遺症を癒すためにカノン島へ。
氷河は東シベリアに。
瞬は星矢を心配し残ったが、いずれ彼も兄を探して旅立とうと考えている。
……とまあ、彼らとしてはこれ以上城戸沙織に関わる気はなく、現在は解散ムードの中つかのまの休養、療養期間となっている。
いつ次なる襲撃があるか分からないため私たちは相変わらずストーカーよろしく陰から見守っているが、少しでも彼らが休めたらいいと、身勝手ながら願ってしまう。
ちなみにその見守り体制だが、現在アイオロスと私は二手に分かれてる。というのも、おそらく次に襲撃があるとすればアテナか黄金聖衣のどちらかだと思われるからだ。
聖域もこれ以上無駄な人員を割けないだろうし……割けないよな? ま、まあ普通に考えたら割けないだろうから、次の刺客は黄金一人か、多くても二人だと思われる。そうなれば旅立った他の青銅を狙う余裕はなく、アテナ抹殺か黄金聖衣奪還に目的は絞られるだろう。
その予想を元に私はアテナ城戸沙織に。アイオロスは入院中にも関わらず城戸沙織に一時的に黄金聖衣を預けられた星矢についているのが現状だ。
さて、襲撃はいつになる事やら。
『こちら城戸邸。変化なし』
『こちら病院。こちらも今のところ変化なしだ』
ケータイ、スマホは無くとも我々にはテレパシーがある! とばかりに、互いの状況を小宇宙を用いた通信で連絡をとる私たち。先の世の文明の利器を知る私としてはこの時代を不便に思う事が多々あるが、訓練された聖闘士において連絡手段はスマホに勝るのだ。
ちなみに白銀をあずけたムウ殿とも連絡はとっているが、どうやら目を覚ました白銀達はもれなくムウ殿の説得に応じたらしい。「みな聞き分けの良い方たちで助かりました」などとムウ殿は言っていたが……。その説明および説得に多少の物理が交えられただろうことは、一度様子を見に行った時の白銀達の様子で何となく察した。というか貴鬼からちょっと聞いた。
どうやら彼らの間では共通して「うろたえない」「逆らわない」「理解に努める」がジャミールで過ごす三原則として根付いているようだ。
……現場は見ていないが、ムウ殿の師匠の事を考えるになんとなく想像がつかなくもない。あれか。話を聞くようになるまで、理解するまで延々とサイコキネシスでぶっ飛ばされてもしたか……? ちゃぶ台返しのような勢いで。
ムウ殿はやはり味方だと頼もしいが、敵には回したくないお方だ。
そして見守る事、数日。
『リュサンドロス、リュサンドロス! 来た! 来たぞ! しかもアイオリアだ! 大きくなったなぁ……。あんなに小さかったのに。うむ、よく鍛えている。洗練された小宇宙、鍛錬を怠っていない屈強な肉体! 立派だ! 我が弟は苦境にも負けず、いい男に成長したようだな!』
興奮した様子がテレパシー越しでも丸わかりなアイオロスの通信に、いよいよかと私も身構えた。丁度黄金聖闘士の小宇宙を察したのか城戸沙織も星矢が入院している病院に向かうようだし、私も彼女を陰から護衛しつつ行くとしよう。
…………それにしても、実際に目にするのが十三年ぶりとなれば気持ちも分かるがアイオロスよ。兄馬鹿に過ぎるのではないか? 軽率に身内を褒めるような奴でなく、もっと厳しい硬派な男だったはずだが。べた褒めではないか。
しかしその嬉しそうな様子に、少々ほだされるのも事実。私だって十三年も息子に会わず久しぶりの再会をしたら、こんな反応になるだろうからな。…………私にとってもアイオロスにとっても、彼らはたった一人の血のつながった家族。大切な存在だ。
が、その微笑ましい気分も病院に向かう途中で耳にしたアイオロスの実況を聞いて吹き飛んだ。主にサガに対する怒りによって。
『リュサンドロス、アイオリアの監視だと言って白銀が三名追加で現れたぞ! ヘラクレス座のアルゲティと
(サガ!!!! 貴っ様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!)
十人でも多いというに、更に三人追加とか本当に貴様ふざけるなよ!! お前が一番人材確保の難しさを痛感しているだろう!? これ以上白銀を主人公たちにベットするのはやめろ!! リターンゼロの負の実績から目をそらすな!!
『それと、リュサンドロスよ。シャイナが負傷している。早く診てやった方がいい』
『! シャイナが?』
『ああ。すまん、アイオリアがな……。シャイナは星矢を庇おうとしたようなのだが、飛び出してきた彼女に気づかず攻撃をしたアイオリアの拳を受けたのだ。あいつは立派になったが、目の前の事に集中しすぎると周囲へ向ける意識がおろそかになるところは、まだ直っていないようだ』
『そうか……』
城戸沙織が乗った高級車を走って追いかけながらアイオロスとのやりとりを続けていると、友人の負傷を知らされる。友人……友人と言ってもよいのだろうか? 現在の私が聖域で最も親しい相手といえば魔鈴とシャイナだから、まあ間違いではないだろう多分。彼女たちは私をあくせく働く雑用係、というようには扱わなかったからな。他のクソガ……ごほんっ、奴らと違ってよい子たちである。
ともかく、そうなれば治療相手は少なくとも四人。シャイナは途中で何処に行ってしまったのか分からなかったから遅れたが、このあたりで彼女にも協力を求めるべきかもしれない。
しかしシャイナ負傷の連絡があってから、何故かアイオロスのテレパシーによる実況が途切れた。何か不測の事態でもあったのかと、焦燥にかられる。
焦る心を抱いたまま走っていると、ようやく城戸沙織の乗った車が病院へと到着した。そして今まさに星矢に止めを刺さんとしていたアイオリアに、城戸沙織がアテナとして制止の声をかける。
…………それを陰から見守っていた私は、同じく陰に潜んでいた一人の男の奮闘を見た。
「くっ、
なんとか真央点だけは突いて応急処置をしたらしい、すでに倒された様子の白銀三人(何故か工事現場などで見る一輪車に積まれている)を傍らに、アイオロス(何故か白衣を羽織っている)が何やら必死に聖衣に話しかけていた。ちなみにその話しかけているであろう聖衣は、今現在星矢が身に纏っている射手座の聖衣。アイオロスの聖衣だ。
なんとなくアイオロスの言葉の内容で彼と聖衣の間で揉めている内容は察したが……いや聖衣と揉めるってなんだ。分かる感覚なんだが、言葉にしてみると奇妙極まりない。
現在アテナ沙織がアイオリアに十三年前の真実を語っている、重要なシーンのはずなのだが……。アイオロスと聖衣との葛藤が気になってしまいどうも集中できん。
私は少々の頭痛を覚えながらも、アイオロスの隣に移動した。
「…………遅くなってすまない」
「いや、いい! とりあえずこいつらの回復を頼む! すまんが私は今忙しいからこの間のような協力が出来ん! それとシャイナだが、アイオリアの真横だったから流石に連れてこられなかった。すまん! だが見た目ほど重症ではなさそうだ!」
「あ、ああ。察する。シャイナも……うむ。小宇宙を感じる分には、こいつらほど早急な措置は必要なさそうだ。悪いが今は様子見させてもらおう。……なんというか、魔鈴といい白銀は女性陣のほうが強いな」
「ああ! アイオリアの拳を無防備な背中で受けて無事とは、感服する! 他の奴らはほぼ一撃で致命傷を負っているというのに」
あ、ああ。最もだ。状況もろもろ違うとはいえ、多分アイオリアの拳を受けたのが他の白銀だったら死んでいただろうという妙な確信がある。……白銀は戦闘能力よりも、防御力の向上を今後課題とすべきなのだろうか。
「それにしても、よく気づかれずにこいつらを回収できたな」
「問題ない! 病院から白衣を拝借して「大変だ怪我人が! 私は医者だ任せろ!」と言って運んできた。ああ、もちろん顔はこのサングラスで隠していたから大丈夫だ」
「正面から行ったのか!? よくそれで怪しまれなかったな!」
「あちらはあちらで立て込んでいるからな。気にする余裕など無かったのだろう」
「だとしてもあまりに……いや、いい」
話し込んでいる場合でもないかと、そこで言葉を切って私は白銀達の回復作業に入る。……本来命を失ってもおかしくない重傷だというのに、真央点を突いたからといって一輪車に雑に積み上げられた白銀達が少々憐れだった。
………………? いや待てこの一輪車はいったい何処から持ってきたのだアイオロスよ!
なかなかにツッコミどころの多い状況だったが、私は心を無にして回復作業にあたった。一応耳だけは、アテナ沙織とアイオリアに傾けておく。
「証明できますか?」
「え?」
「今あなたが話したことを信じるには、あなたがアテナだという事を証明しなければならない。あなたが真の女神ならば私の拳すら封じることが出来るはずだが……」
「いいでしょう、撃ってみなさい」
「な……ッ」
「え」
「え?」
アイオリアの驚愕の声に、耳を傾けていた私たち二人の声が重なった。
「お、大怪我をするか、下手をすれば死ぬことになるのですよ……。それでも……」
「かまいません。この戦いを始めた時から、私自身死は覚悟しています。さあ、アイオリア! お前の光速の拳で、見事私の胸を貫いてみなさい!」
我らが女神の思い切りが良すぎるのだが!? 勇ましいにもほどがある!!
「ちょ、待っ」
「あ、アテナ!?」
うろたえる私たちの前で、どこか追い詰められた様子のアイオリアが構えた。おいおい、まさか。
「う……うう……! 死んでも、後悔なさるな……」
「ま、待てアイオリ……」
流石にいけないと、思わず体が飛び出しそうになる。しかしそんな私の肩をぐっと押さえる手が一つ。アイオロスだ。
「なにを……」
「ここは私に任せてくれ」
覚悟を決めたような凛々しい顔で、アイオロスは真っすぐ前を見つめていた。そして彼は息を大きく吸い込む。
アイオリアの光速の拳が解き放たれた。
『ライトニングボルト!!』
「後で誠心誠意もって磨いてやるから頑張れ!!」
アイオリアの必殺技と、アイオロスの聖衣へのご褒美提示の声が重なった。
…………ん?
「…………………」
固唾をのむ私の前には、アイオリアのライトニングボルトを光球のような形で押しとどめた星矢の姿があった。……あれは、可視化されたアイオリアの小宇宙か。
(聖衣にも意志のようなものがあるのは知っていたが……。褒美で釣れるものなのか……)
心なしか、星矢が纏う射手座の聖衣の輝きが増しているように見える。……もとの持ち主に磨いてもらえると知って、喜んでいるのだろうか。……今この場には無いが、私も今度エリダヌス聖衣を磨いてやろう。
「星矢!」
「くううっ、いて~! こ、このわからず屋め! いくら衝撃の事実を聞いたからって、女にライトニングボルトはねぇだろ」
そう言いながら、星矢はアイオリアの小宇宙に負けずその場に留め続ける。
ふと横を見れば、何やらアイオロスが拳を握って踏ん張っていた。どうやら間接的に星矢と射手座聖衣のバックアップを行っているようだ。……器用な事を覚えたな、こいつ。
なんとも言えない気持ちでそれを見ていると、アイオロスが「よし、今なら不自然ではないはず……」とかなんとか呟いていた。その理由は、直後に知る事となる。
『アイオリア……。まだ分からんのか』
「うっ、な、なんだ!?」
こっちの台詞だ。
『アイオリアよ……。お前にはどちらが正義で、どちらが邪かの区別もつかないのか。それでも真の女神の聖闘士か! この私の弟か!』
「に、にいさん……」
兄さん、と呟くアイオリアだったが別にこちらに隠れている私たちに気づいた様子はない。おそらく彼は現在、星矢が纏う射手座聖衣の背後に兄の幻影を見ているのだ。……彼に語り掛ける
「おい、何やってるんだアイオロス」
「見てのとおりよ。この射手座聖衣が本気を出したシチュエーションならば、聖衣に宿った私の魂が力を貸しているように見えるだろう」
「……だから?」
「こうして語り掛けても違和感がないはずだ」
「……そうか」
……アイオリアがアテナに拳を向けた事、よほど腹に据えかねたか。どうしても、直接話し掛けたかったんだな。
先ほどは流石は我が弟だ! 立派になって! とべた褒めだった男の顔は現在とても険しい。……うむ。バレていないようだし、ここは何も言うまい。
言うまいと、思っていたが。
『しかもアテナに拳をむけるとは、お前の方こそ死をもってあがなえ! バカ者め!』
「な、なにぃ!? 俺の小宇宙が何か別の力によってさらに大きくなっていくのを感じる!」
「ば、馬鹿な! 星矢がライトニングボルトの威力を押し戻している!?」
「うっ、うおぉぉぉぉーーーーーー!」
「いけない星矢! アイオリアを殺しては!」
本当にな!!
「アイオロス、もう少し押さえろ! 小宇宙を高め過ぎだ! アイオリアが死んでしまうぞ!」
「む!? そ、そうか。よし、もう少し手加減だ射手座聖衣よ!」
「そんな感じでいいのか!?」
「ああ!」
「そうか!」
…………とまあ、先ほどまでこのような怒涛の展開があったわけだが。いや、なんかもうな。裏舞台でこんなバタバタしていて、恥ずかしいというかなんというか。
現在、空を見上げて迷いの晴れた顔で涙を流しているアイオリアにとても申し訳ない気分を味わっている。
「…………なあ、アイオロスよ」
「…………なんだ」
「おそらくアイオリアは今、「兄さん、あなたは逆賊などでは無く、死んだ後も正義のために戦ってこられたのですね……」みたいな事を考えているわけだが」
「………………」
アイオロスの沈黙が段々と重くなっていく。
「気まずくないか? 再会する時」
アイオロスが腰に手を当てて仁王立ちし、天を仰いだ。
「そんなことは、ない!!」
「開き直ったな!?」
「な、何が問題だというのだ! もとより再会の時に気まずいことなど承知の上だ。この十三年間、逆賊の弟という汚名で苦労させたのだからな!」
「でも今回お前がテレパシーなど使うから、あとできっとばれるぞ!? あの時の声は聖衣に宿った魂の物ではなく、コソコソ聖衣腹話術していた兄のものだったと! あんなに感傷に浸っているのに、当の本人はぴんぴんしていて腹話術だぞ!! なんかこう、別の意味で気まずかろう!」
「く……!? そ、その時はその時だ。私は男として逃げん! アイオリアからどんな目で見られようと、正面から受け止めてみせる!!」
な、なんて真っすぐな目をして言う男なんだ……。
「潔さは尊敬するが……! いや、もう何も言うまい」
この力強さは、私には無いものだ。少々振り回される事もあるが、この男の存在は何よりも心強い。
……いよいよ十二宮の戦いも迫ってきているが、思っていたより不安は小さくなっていた。
「さあ、気を取り直してこいつらをムウ殿の所へ運ぶぞ。アテナはこの後、ついに聖域に乗り込むご様子だ。我らも準備を進めねばならん」
十二宮の戦いは、近い。
白銀達とのバトルは聖闘士星矢原作漫画をチェックだ!(ダイマ
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10,沙織の回想
城戸沙織には両親が居ない。
唯一の肉親は祖父である城戸光政だけであり、彼からは両親は事故で亡くなったのだと聞かされ沙織は育ってきた。
しかし沙織はその事についてずっと疑問に思っていたのだ。亡くなったというならば何故両親の墓どころか、遺影ひとつも残されていないのか……と。
沙織をとても愛し可愛がってくれている祖父が、自分の子供を嫌っていたとは思えない。だがいつもは質問に対して明瞭な回答で応じてくれる祖父も、そのことに関しては毎回はぐらかしてばかり。使用人や祖父の側近に聞いたところで、返ってくる答えは存在しなかった。
そのうち沙織は自分の出自に関して、深く考えてはいけない事なのだと理解するようになった。というよりも、自分に言い聞かせ納得させた。何故なら沙織がその質問をすると、大好きな祖父が決まって困った顔をするからである。あんな顔をさせてしまうくらいならと、沙織は自分が疑問を飲み込むことを選択したのだ。
だが沙織には一年に一度だけ。……居ないはずの両親の気配を感じる瞬間があった。
それは毎年九月一日。沙織の誕生日である。
城戸光政の孫娘である沙織には、黙っていても誕生日にはいろんな人間から豪華なプレゼントが贈られる。だがその中に毎回ひとつだけ、他に比べてみすぼらしいともいえる質素な手作りの贈り物がまぎれていた。
最初の贈り物は不格好なぬいぐるみ。辛うじてユニコーンだと分かる、角のくっついた手作りの馬のぬいぐるみだった。幼いころ、それこそ赤ん坊の頃から沙織はそれに寄り添い、抱きしめながら眠っている。成長してからも「子供っぽいかもしれない」と恥じらいつつ、眠る時は手放せない。それはぬいぐるみから、自分を見守るような温かな気配を感じていたからだ。のちにアテナとして覚醒した折に、送り主の小宇宙の残滓を無意識に感じ取っていたのだと知ることになるが、とにかく沙織はその気配がとても好きだった。
毎年贈られる差出人不明の質素なプレゼントだったが、毎回決まって一枚だけカードが添えられていた。「九月一日。沙織ちゃん、誕生日おめでとう」。……たった一文だ。しかし「沙織お嬢様」や「沙織様」などと呼ばれることがほとんどだった沙織にとっては、沙織ちゃん、と書かれたそれが面はゆくも嬉しかったのである。
しかも、これは祖父が亡くなった後の遺品整理の時に偶然見つけたのだが……。一番初めのプレゼント、ユニコーンのぬいぐるみに添えられていたであろう最初のバースデーカード。そこには以降もらったものと同じ文面が書いてあるだけだったが、祖父の筆跡で受け取った日付がメモされており、更には「命名、沙織」と書かれた紙が添えられていた。つまり祖父はこのカードを見て、沙織の名前を決めたと考えられる。となれば、プレゼントの送り主は少なくとも沙織の名付け親。
だからこそ沙織は贈り物が両親からではないかと、密やかに考えるようになった。
きっとおじい様と両親は何かが原因で仲たがいをしてしまって、絶縁し離れて暮らしているのだろう。もしかすると両親は粗末な生活を送っているのかもしれない。そして孫だけはそんな生活環境に置いておけないと考えた祖父が、沙織だけを引き取ったのかもしれない。死んだと伝えられたのは、二度と会わないことが条件だったからかもしれない。それでも、せめて匿名での贈り物くらいは許してやろうと祖父は考えたのかもしれない。そして経済的に厳しいかもしれない両親は、沙織を想って毎年心のこもった手作りの贈り物をくれるのだ。……たくさんの"かもしれない"を、沙織は考えた。
しかし、その考えは祖父が他界する際に間違いだったと知る事となる。
沙織は現代に降臨した女神アテナの化身。……最初から、両親など居なかったのだから。
祖父が亡くなった後は
そして現在。沙織はこれからいよいよ、教皇との戦いを決意し聖域へと赴く。……しかしその大事な局面で。否、大事な局面だからこそ沙織はふと思いをはせる。
(贈り物の主は、誰だったのかしら。両親では無かった。では、誰が私にこんな慈しみの小宇宙を向けてくれたのでしょう)
沙織ちゃん。そう呼んでくれたのは、誰だったのだろうか。
++++++++++++++
一三年前、城戸光政にアテナを託した私とアイオロスはふと重大な事に気が付いた。それが何かといえば、城戸光政にアテナの誕生日を伝えていない、という事に関してだ。
おそらくこれからアテナは城戸光政翁の孫、城戸沙織としての戸籍を得るだろう。当然それには出生日が記されるが、城戸光政はアテナが誕生……もとい地上に降臨した日など知るはずも無い。もしかすればアイオロスと城戸光政が出会い、アテナを託された日……アテナが暗殺されかけた縁起の悪い日を誕生日にされかねないと焦った私たちは、すぐに対策すべく動いた。といっても、何をしたかといえば誕生日プレゼントを贈っただけなのだが。
……さすがに、預けたばかりで誕生日を伝えるためだけに直接姿を現すのは憚られたからな。きっと光政翁が察してくれるだろうと、希望的観測の元贈り出した。
うっかりアイオロスがもろにギリシャ語で「アテナ」と書こうとしていたのには焦ったな、そういえば。城戸光政以外の目に触れたらどうする気なのだ。小さい子宛ての誕生日祝いなら、まあちゃん付けでいいんじゃないか? ということで宛名はアテナでなく沙織ちゃん呼びに落ち着いたが。0歳児に様とかさん付けは堅っ苦しいしな。
ちなみに誕生日を記したカードに沿えたプレゼントはユニコーンのぬいぐるみだ。金が無いから不器用なりに作ったのだが、ユニコーンにしたことに特に他意は無い。ああ、無いとも。別に某ユニコーン星座の彼が不憫だったからとか、前世で読んだ別の漫画のパロディを妙に覚えていてそこに出てきた邪武……じゃなかった、ユニコーンのぬいぐるみが結構可愛かったから採用したとかではないとも。
ちなみにその後アイオロスが「私もアテナの誕生日を祝いたい!」などと言い出すものだから、毎年交代で贈り物を作ってこっそり贈るというのが習慣化してしまった。どうせ豪華なプレゼントに埋もれて、下手したら不審物として処理されて本人の手元には届いていないかもしれないが……。まあ、我々の自己満足だ。
しかし私とアイオロス……というか私が、あるミスをしていたことに十三年経ってから気づくことになる。
そしてそのミスと継続された誕生日プレゼントの因果が巡り巡って帰ってきた現在。……私たちはアテナ城戸沙織……胸から偽物の黄金の矢を引き抜いたまま握り締めている、沙織ちゃんに抱き着かれているわけで。
「お会いしたかったですわ! お父様に、お母様!」
「「違う!?」」
何がどうしてそうなったのか。
説明するためには、少々時間を遡る事となる。
ちょっと短め。次のお話へのつなぎ回
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二章 十二宮の戦い編
11,十二宮の戦い、序章
某日、夜。自家用のジェット機で
テイクオフを見送った私とアイオロスは互いの顔を見て頷きあうと、仕込みと最終確認のため先んじてテレポーテーションで聖域へと向かう。
ちなみにこのテレポーテーション、私とアイオロスは中継地点を介して複数回繰り返す必要がなく大抵の目的地までは一瞬だ。十三年、ムウ殿の指導の下で超能力関連の力を磨いた成果は伊達ではない。……いつか平和になって金でも出来たら、世界中仕事ではなく観光で巡ってみたいものだ。実質、前世で憧れだったどこでもドアを手に入れたようなものだからな。まあ全て不法入国になるわけだが。
そして移り変わった景色の中で、私たちを待っていたのは魔鈴だ。あらかじめ連絡は取っていたが、実際に無事な姿を見ると安心する。……どうやら、教皇ことサガにはバレずに行動出来ていたようだ。
しかし思いがけない人物が魔鈴の横に居たことに、私もアイオロスも一瞬動きを止めた。
「そう緊張してくれるな。僕はあなた方の味方だ」
「その通りだよ。安心しな」
魔鈴からのお墨付きをもらい、私たちは肩から力を抜く。……だが魔鈴も人が悪い。こんな頼もしい味方が出来たのならば、連絡した時に教えてくれたらよいものを。
「久しぶりだな、オルフェ。……君が味方になってくれると言うのなら、こんなに心強い事は無い。だが今までどこに姿を消していたんだ?」
そう。魔鈴と共に私たちを待っていたのは、白銀聖闘士……
基本的に聖闘士同士での私闘は禁じられているが、オルフェが伝説と言われるようになった話の元ネタに関しては……まあ仕方がないよなぁと、彼と同じく愛する者が居た私としては納得している。当時彼に下された私闘の刑罰に関して、ついついかばいだてしてしまったしな。
何があったかといえば、オルフェの恋人であるユリティースを馬鹿にしたというか、彼女をネタにオルフェを軟弱者だと罵ったとある黄金聖闘士がオルフェに完封されたのだ。その時垣間見せた彼の真の実力が凄まじいものだった、というのがオルフェが伝説と呼ばれるゆえんである。実際彼は地力もさることながら、有する技がとても強力だ。彼の奏でる琴の音色の前では、時に黄金聖闘士ですら抗うのが難しい。
そんな彼が味方になってくれるのはとても頼もしいのだが……。
実はこのオルフェ、数年前から行方知れずとなっていたのだ。
私が知る知識の中で彼が登場したのは冥界。……オルフェは亡き恋人のそばに留まるため、一度は冥界側についた聖闘士だったのだ。
オルフェに関してのエピソードは神話のオルフェウスと酷似していたため、前世の記憶を今世で思い出そうとしていた時に比較的容易に掘り起こす事ができた。そのため彼の恋人であるユリティースが毒蛇に噛まれて死ぬことが無いように、よくよく忠告していたのだが……。これは贔屓、と言われても仕方がないだろうか。
自分たちの都合のために、私たちは星矢達の兄弟を始めすでに幾人もの命を見捨ててきた。だが愛しい人を失い、冥界にまでおもむき恋人を取り戻そうとしたオルフェの気持ちを、私は痛いほど理解できる。私自身今こうして運命に抗おうなどと大それたことをしているのは、愛する息子と亡き妻のためなのだから。
だからこそ原作の流れを極力変えないという方針に逆らって、彼にだけは忠告をした。それでダメだった時は仕方がないと諦めるつもりだったし、それならそれで冥界の内部に先に強力な白銀聖闘士を送り込めるのだと……歯噛みしながらも打算的な事を考えた。
姿を消したと聞いた時、やはり駄目だったのかと悔しく思ったものだ。
だからこそ、こうして彼が目の前に現れたことが味方になってくれた以上に嬉しい。何故ならそれは、彼が愛しい相手を失わなかったことを示唆している。
私がゆるむ口元を隠し切れず問いかけたことに対し、オルフェはふっと息を吐き出しながら答えてくれた。
「それはこちらの台詞だ。リューゼ、君もだが……。隣の貴方。まさか逆賊と名高い
「これは、耳に痛いな。魔鈴。私の事もムウから聞いたのか?」
オルフェの言葉に隣のアイオロスが顔を隠していたサングラスを外す。ジャミールにてムウ殿からこちらの情報を聞いてオルフェに伝えただろう魔鈴は、アイオロスの素顔を見ると一瞬息をのむ。が、すぐに気を取り直して頷いてみせた。
「そりゃ、リューゼと一緒になって暗躍していた奴が誰だか気になるのはあたりまえさ。……本当にアイオリアそっくりだね。いや、アイオリアがあんたに似ているのかしらね」
「リューゼから聞いたが、十三年間……。私のせいで反感を抱く者が多い中で、君はアイオリアによくしてくれたらしいな。礼を言う」
「よしとくれよ。よくも何も、わたしは何もしちゃいない。……本人をよく見もせず兄と弟の事を切り離して考えられない馬鹿な連中には、ちょっと呆れていたけれど」
「それがきっと、アイオリアには救いだったはずだ。そう考えてくれる者が一人でも居るというのは、本当にありがたいことだからな」
「……こう、正面から妙な事で礼を言われると調子狂うね。さ、この話はここまでさ。本題に移ろうじゃないか」
アイオロスに礼を言われたのがむず痒かったのか、魔鈴は手をパンパンっと二度ほど叩いて仕切り直す。
「ふっ、魔鈴は照れ屋のようだな」
「煩いよオルフェ。それより、もう一人紹介する相手が居るんじゃないかい?」
不機嫌そうな魔鈴の言葉を受けて、オルフェは「ああ」と頷くと私を見た。
「僕が今まで何処にいたかと聞いたな? ……何のことは無い。教皇への不信は僕も年々強く抱くようになっていた。だからそんな聖域に、ユリティースを置いてはおけないと思ってね。安全に過ごせる場所へ彼女を住まわせるため、動いていたんだ」
「……じゃあ、ユリティースは元気なんだな?」
「ああ、お陰様でな。今はとある場所で預かってもらっている。リューゼ、君が何故予言するかのように注意を促してくれたのかは知らないが……。彼女は危うく強力な毒を持つ毒蛇に噛まれて死ぬところだった。それを未然に防げたのは、君の忠告のお陰だろう。だから個人的にも君には恩があるのだ。しかもこれから本物のアテナがご帰還されるというならば、僕がやることはひとつ。ユリティースとしばらく会えそうにないのは辛いが、役目を放棄してまで側に寄り添う事は彼女も望まなかった」
……きっとユリティースは本心ではオルフェに行ってほしくなかったのだろう。しかしそれを押し殺してオルフェを送り出した彼女の心に応えんとするオルフェの表情には決意が見て取れた。
「……だから僕も再び、聖域のために、
「……感謝する」
「いや、聖闘士として当然の事。そして、戦う決意をしているのは彼も同じだ」
「彼?」
オルフェが後ろを振り返ると、誰かが物陰から出てきた。怪我でもしているのか体を引きずっているその人物の顔が分かるほど近くまでやってくると、それが誰だか分かる。
「ダイダロス!? どうしたのだ、その怪我は!」
現れたのは、アンドロメダ島で聖闘士候補の師を務めているはずの……アンドロメダ瞬の師でもある、ケフェウス星座の白銀聖闘士ダイダロスだった。その体には無数の傷が刻まれており、一応包帯こそ巻いてはいるがそれでは隠し切れないほどだ。
「……実は、教皇に不信を抱いて長年聖域の招集に応じなかった事で反逆者とみなされてな。黄金聖闘士、
「なんと……。そんなことが……」
危ない。
危なかった。
ダイダロスは聡い男なので当然味方側に組み込めると思って後回しにしていたのだが、まさか黄金聖闘士が出向いていたとは。その辺まったく覚えていなかったから、本当に危なかった……!
私は全てを詳細に覚えているわけではないんだ。だからアイオロス、「お前マジかよ」みたいな目で私を見るのをやめろぉ!!
冷や汗をどっと流している私に幸いにも気づかないオルフェは、ダイダロスの言葉を引き継いで話を続ける。
「同じく教皇に不信感を抱く者として、姿を消している間もダイダロスとは時々会って情報交換をしていた。幸いアフロディーテが来た時にも訪ねていたから、僕のデストリップセレナーデで奴の意識を奪ってから、その間にダイダロスの死を偽装した。……ジュネという彼の教え子には心配させて悪い事をしたが、傷が癒えほとぼりが冷めるまでユリティースのところでダイダロスをかくまう予定だったんだ。そんな時に多くの白銀聖闘士が日本へ刺客として送りこまれていると知り、不審な行動に教皇の悪としての尻尾を掴むチャンスではないかと考え聖域に帰還したのだが……」
「ちょうどその時、わたしもジャミールを経由して聖域に帰って来ていたってわけさ」
「そういうことだ。事情を話したらダイダロスも怪我を押してでも
「……情けない事に、出来ることは少ないやもしれんが。少々事情があって、俺の聖衣は修復出来ておらんからな」
「いや、それでも助かる。心強い」
ダイダロスの聖衣……アフロディーテとの戦闘で破壊されたのだろうか? 彼ほどの男の聖衣、おそらく並大抵では破壊できんだろうからおそらくそうだろうな。アフロディーテと戦う前に聖衣が破損していたとしたら、ダイダロスは聖衣無しで黄金聖闘士と戦った事になる。もしそうなら大変な事だ。
ともあれ、聖域ですぐに動ける味方が三人もいるというのは本当にありがたい。
「……まあ、安心してくれ。直接戦う機会はおそらくほとんど無いだろうから、今のダイダロスにも出来る仕事をお願いすることになるだろう」
「何? 話によれば、これから
「いや、その件なんだがな。五老鋒におわす黄金聖闘士……
あらかじめ用意していた理由を述べると、怪我をしているはずなのにひときわ大きな怒声がダイダロスから発せられた。
「馬鹿な! 女神の命運を我々が試すなど恐れ多い上に……その聖闘士達は瞬達……
すぐに傷に響いたのか呻きながら体を押さえたダイダロスを、アイオロスが支えた。
「気持ちは痛いほど分かるさ。だが、これから女神にはより強大な敵が立ちふさがる。この程度の試練は越えてもらわねば困るのだ。……それにいざという時に取り返しがつくように、我々が居る。難しいだろうが、理解してほしい」
十三年前、逆賊の汚名を着ながらも女神を助け出した男の言葉にダイダロスも思わず黙り込む。
「それに、青銅達の力を信じて見てほしい。ダイダロス、君の弟子は瞬だろう? 彼の本当の力を一番よく知っているのも、君のはずだ。……どうか弟子を信じてみてはくれまいか」
「む、むう……」
「ダイダロス、その辺にしておいたらどうだ。もとより僕たちは出遅れている。十三年前から動いている彼らを信じてみてはどうだろう」
「オルフェ……」
アイオロスとは反対からダイダロスの体を支えたオルフェの言葉に、ダイダロスはようやく頷いてくれた。ずいぶんな葛藤があったようだが、それも彼の誠実な性格ゆえだ。申し訳ないが、我々と共に裏方に回ってもらおう。
「話はまとまったようだね。ところで、リューゼ。あんたが言っていた通り、どうやら女神を襲撃する一番手に選ばれたのは
「! そうか」
「ああ。……しかも、教皇から一本黄金の矢を賜っていた。あれは神殺しの道具か何かかい?」
「いや、正確なところは私も知らぬのだがな。そうかやはり……」
「……あんたさ、教皇の正体を知っている以外にもまだ隠していることがあるね? あとで洗いざらい喋ってもらうよ」
「うぐ!?」
ま、まずい。確かにちょっと情報を出し過ぎた。……しかもこの後、ちょっとした小芝居につきあってもらいその仕込みも手伝ってもらうから余計にいぶかしまれそうだ。魔鈴は勘が鋭い。
だ、だがもう時間もない。
ええい、ままよ! 後の事は後だ! 今は目の前の任務を遂行するのみ!
その後私たちは一通り仕込みを終えると、アテナ沙織と星矢達が聖域に到着するのを待った。
アテナ達を乗せたジェット機がコロッセオに降り立った後は、早かった。彼女らが到着するなり案内人のふりをしたトレミーが現れ、十二宮へ向かう途中で無数の幻の矢に黄金の矢を紛れさせてアテナ沙織を狙撃。本来ならここで女神は胸に矢を受け倒れ、その矢を抜くために十二の火時計に灯った火が全て消える前に教皇を倒すべく星矢達は教皇の間を目指す。しかしまさか女神に矢が突き刺さるのをみすみす見逃すわけにはいかないので、ここで私たちの出番だ。
一番目に活躍するのは、高速の動きを誇る黄金聖闘士であるアイオロス。
まず文字通り目にもとまらぬ速さでもって、黄金の矢を受け止める。すかさず振り向き、あらかじめ用意しておいた先っぽが吸盤になっている偽物の黄金の矢をアテナ沙織の胸に設置、そして退避。この間は一秒にも満たず、星矢達も気づくまい。というか私たちも見えなかった。流石だ。
すかさずそこにオルフェのデストリップセレナーデが奏でられる。するとアテナ沙織はじめ、側近の辰巳、星矢、氷河、瞬、紫龍、ついでに星矢のペガサス流星拳で返り討ちにあったトレミーもぶっ倒れ夢の中へ。……もしオルフェが居なかったら私が気づかれないように近づいてアテナだけを気絶させる予定だったのだが、彼のおかげで手間が省けた。なにしろオルフェのデストリップセレナーデは、相手に自分が眠っていたことなど気づかせないからな。相手はせいぜい一瞬意識が飛んだくらいに認識する程度。……うむ。改めて考えても、強力もとい便利な技だ。
アテナ沙織の胸に血のりをつけて、しばらく気絶していてもらうためにも眠りの効果のある薬草を嗅がせた。そうして偽装が完璧になると、オルフェの技が解除される。ぶっ倒れていた星矢達は私と魔鈴でもとの場所に立たせて配置し直しているので、たった今自分たちが気絶していた事など彼らは気づいていないだろう。そして星矢の反撃で早速死にかかっていたトレミーも応急処置を施した状態でもとの配置に。黄金の矢を抜くには十二の火時計が灯る前……十二時間以内に教皇をこの場に連れてくる必要があるという情報を吐かせた後、星矢達が去った後にフィッシング。回復処置を施す。
火時計に関しては実際にはアテナ沙織に黄金の矢が刺さっていないため、灯るかどうか不確定ゆえに実際に灯す役目はダイダロスにお願いした。この後、サガの演出の通り一時間ごとに火を消してもらう予定だ。
これで完璧。
……完璧な、原作再現のはず、だったのだ。
しかしここから誤算が始まる。
なんとしばらく気絶している予定だったアテナが、カッと目を見開いたのだ!
驚く側近、辰巳にかまわず彼女は胸に刺さった偽物の矢を引き抜くと身を起こしてキョロキョロと周囲を見回し始めた。そしてその視線が私たちが隠れていた場所に突き刺さると同時に、アテナがこちらに向かってチュニックの裾を翻して物凄い速さで駆けてきた。驚きのあまり、動けない私たち。
アテナ沙織が満面の笑みで、大きく腕を広げた。
「お会いしたかったですわ! お父様に、お母様!」
「「違う!?」」
抱き着かれた私とアイオロスは、とりあえずその盛大な誤解に否定の言葉を返すしか出来なかった。
オルフェ参戦にしたら連鎖して時系列的に無理だと思ってたダイダロス先生助かってしまった……。
ちなみに彼らはタメのぴちぴち19歳。
ダイダロス先生、19歳。
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12,女神さまのおねだり
女神に抱擁されるというご利益有りそうな、しかしあまり主要人物達にこちらの事情を知られたくない私にとっては、早速存在を捕捉されるというよろしくない事態になってしばらく。
「まあ冗談はさておき」
(冗談だったのか……)
(よく考えれば当然なのだが……父に母などと……。それにリュサンドロスの実年齢ならともかく、私はまだそこまで老けていない……)
硬直した私たちから腕を外し、上機嫌な笑顔を振る舞うのは女神アテナこと城戸沙織。鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌っぷりに怖気付きながらも、私とアイオロスは「どうする」とばかりに視線を交わした。
しかしそんな私たちを置いてけぼりに、アテナ沙織はぴしっと指を立てて胸を張りつつ話し始める。「沙織お嬢様、ご無事なのですね!? よ、よかったぁ~!」と駆け寄ってきておんおん泣き出した辰巳殿には女神然とした凛々しい表情で「辰巳、心配をかけましたね」などと言っていたが……。私たちに向ける表情は、どこか幼い。
「ですが、わたしにとってあなた方は名付け親! 両親としてお慕いするのも間違ってはおりませんわ!」
「ちょっと待ってください
聞捨てならないことをさらっと言われて、思わず再び動揺が走る。……鉄面皮などと言われていたリュサンドロスは遥か昔。今は主に慌てふためく様で表情豊かになった気がする。嬉しくはない。
しかし私の呼びかけに、アテナ沙織は眉尻を下げて寂しそうな顔になった。……それは庇護欲をそそる、"子供"の表情だ。
「沙織ちゃん、とは呼んでくれないのですか……?」
「え……」
こちらにトトトッと駆け寄ってきて私の胸に手を添えると、心なしか潤んだ瞳で私を見上げてくるアテナ。
こ、これは……! いったい私にどうしろというのだ!?
『た、助けてくれアイオロス! 私はどうすればいい!?』
困り果てた私はアテナの肩に手を添えてご尊顔を見つめ返しつつも、テレパシーでアイオロスに問いかけた。しかしアイオロスは先ほどまで私と同じく狼狽えていたくせに、何か考えるような間を置いた後に快活な思念で答えてくる。
『よかったなリュサンドロス。どうやら女神の好感度は高いようだぞ!』
『そんなこと今は聞いておらんわ! いや光栄ではあるが、方向性がよく分からん! 父に母!? 名付け親!? いったいどういう事だ!』
『簡単だろう。つまり我々は先走り過ぎたのだ』
『……え?』
『アテナの誕生日を伝えることを優先するあまり、うっかり日本人としての名前が決まる前に手紙を送ってしまったのだろう』
『…………。あ!?』
『おそらく城戸光政翁は、手紙を見てアテナの名前をお決めになられたのだろうさ。まあ、あれだ。正真正銘、お前はアテナの名付け親なわけだな』
『た、他人事みたいに言わないでくれ!』
『そうは言ってもなぁ……。お前の知識あってこそ、書いた名前であるからして』
『ぐ、ぐうう……!』
『丁寧にうめき声まで送って来なくてもよいぞ?』
『う、うるっさいわ!!』
わずか十秒ほどの間でやりとりされた会話に、私は頭を抱えたくなる。頭を抱えたくなるのは、もう何度目だろうか。そしてきっとこれからもこの機会は多く訪れるのだろうなという確信めいた予感がする。……頭だけでなく、胃まで痛くなってきた。そして後ろに居るだろうオルフェと魔鈴からの視線も痛い。くっ、あの二人め。自分達だけさっさと隠れおって……! もうここまで来たら隠れる意味はないではないか!
ともあれ、無言で私を見上げてくるアテナに何か答えなければ。
「………………」
「………………」
…………いかん。とても期待のこもったキラキラした瞳をしておられる。
結局私は、それに負けた。
「さ、沙織ちゃん……?」
「はい!」
とてもよい子のお返事だった。くそ、いかん! シュラの幼き日を思い出す……! しかしお仕えすべき上司、女神をそんな気安く呼ぶなど……!
「ところで、あなた方のお名前をお聞かせ願えませんか? そちらの方に関しては、少々察しがつきますが……」
そう言って私と、隣のアイオロスを見るアテナ。……まあアイオロスはアイオリアにそっくりだからな。素顔を晒している今、正体を気づかれてもおかしくない。
「さ、沙織お嬢様~! そんな得体の知れない奴らにくっついていては危険です! 早くお離れになってください!」
「黙りなさい辰巳! わたしは十三年間、この瞬間を心待ちにしていたのですよ!? いつ会いに来てくれるか、いつ会いに来てくれるかと……!」
「! わ、我らの存在にお気づきになっていたのですか……?」
「当然です! 毎年誕生日プレゼントを贈ってくださったではありませんか!」
どうやら我々の不格好な手作りプレゼントは、ちゃんと彼女の手元に届いていたらしい。ほとんど捨てられているだろうと思っていただけに、驚きは大きい。
「贈り物にこめられた、わたしを見守ってくれているような小宇宙。間違いようがありません。日本に居る時も、もしかして銀河戦争開催以降遠くから見守ってくれていたのでは? わたしもアテナとしての覚醒はまだ十分とは言えませんが……それくらいは察せられます。だって十三年も会いたくて仕方が無かった相手の気配ですもの」
きゅっと私の胸元に添えられた手が握られ、大事な宝物のように言葉をひとつひとつ噛みしめながら口にするその姿に……一児の父として、つい父性がくすぐられる。そのためか、自然と私の手は彼女の頭に添えられていた。
「……私はリュサっ……んっん゛ー! 失礼。リューゼと申します。あなたをお守りする聖闘士が一人。白銀聖闘士、エリダヌス星座のリューゼ」
「リューゼ……。それがあなたのお名前なのですね」
女神の艶やかな亜麻色の髪の毛を撫でると、彼女は気持ちよさそうに目を細めた。この方の髪の色は我々には時々不思議な光を帯びて見える。それはおそらく女神たる小宇宙の煌きなのだろう。神秘的なそれは、時々亜麻色の髪を赤みを帯びた紫色に染める。間近で見るその輝きにしばし見惚れるが、はっと我に返って慌てて女神から距離を置いた。
「し、失礼いたしました! とんだ御無礼を……!」
「まあ、もっと撫でてくださって構いませんのに!」
「い、いえ
「沙織ちゃん」
「え」
「沙織ちゃん」
「…………」
なおも、呼べと。そうおっしゃるのか。
私は天を仰ぐと、すかさず隣に居た男を目の前に押し出した。お前も当事者のくせに、傍観者に徹しようなどと許さんぞ!!
「な、リュサ……リューゼなにをっ」
「あなたは、アイオロスで間違いありませんね?」
「! し、失礼しました女神よ。ご挨拶が遅れましたが……私は
隣で事の成り行きをどこか面白そうに見ていたアイオロスは、表情をきりりと引き締めて片膝をつき
「あ、
困惑するアイオロスに、アテナ沙織……ちゃんはこてんと首をかしげてみせた。その様子は可愛らしいが、どうも謎の圧を感じる。
「あなたは沙織ちゃんとは、呼んでくださらないのですか?」
「そ、そのような恐れ多い事は出来ませぬ!」
「どうしても?」
「そ、それは……」
分かるぞアイオロスよ。私とて先ほど葛藤していたのだ。真の女神の聖闘士と誉れ高きお前ならば、なおさら女神をちゃん付けなど出来ようはずもない。だがそれを所望しているのも女神だ。……どう出る?
「……ご、ご勘弁を」
言えなかったらしい。
沙織ちゃんはそれに対して一瞬だけ不満そうに頬を膨らませるも、首を振ってから女神然とした表情を取り戻す。
「命の恩人を困らせるのは、本意ではありません。すみませんでしたね、アイオロス」
「いえ。私などに謝る必要はございません、女神よ」
…………。言わなかったら言わなかったで、一人だけ女神をちゃん付けで呼んでしまった上に頭まで撫でてしまった私の肩身が狭いではないか。
そう思って途方に暮れていると、そばで話を聞いていた辰巳殿が素っ頓狂な声をあげた。
「あ、アイオロスぅぅ? お嬢様、今アイオロスとおっしゃいましたか? 確かその者はお嬢様と射手座の聖衣を光政様に託し、十三年前に死んでいるはずでは……」
「ええ、わたしも今日までそう思ってきました。ですが彼はこうして生きて、わたしの目の前に居てくれています。……わたしを長年見守ってくれていた方の一人が、命の恩人だったのです。こんなに喜ばしい事はありません。アイオロス。よくわたしの命を救ってくださいました。感謝します」
「……そのような勿体なきお言葉を賜れたこと、このアイオロスにとって最高の誉れにございます」
感極まったように、再び頭を下げて跪くアイオロス。私も隣でそれに倣った。
「…………。無理を言ってすみませんでしたね。でも、時々でいいですから、沙織ちゃんと呼んでくれると嬉しいです」
どこか寂しそうな、拗ねたような声に私とアイオロスは顔を見合わせた。……私たちはもう少しアテナがまだ幼い少女であることを、よく考えなければならないのかもしれない。悲しい顔をさせることなど、本意ではないのだから。
だから対外的には無理な話だが、それを忘れないように私は心の中でくらい彼女を沙織ちゃんと呼ぼう。多分、それくらい許されるはずだ。
しかし見つけられてしまった今、これ以上なれ合っている場合でもない。
一応星矢達は本当に沙織ちゃんが射抜かれたと思って十二宮を上り始めた。彼らの成長こそが、我らの目的。彼らが必死にならざるを得ない状況はまだ幸いにもバレていない。十分にプランの修正が可能だ。…………この先々の事を考えると、少々不安ではあるが。
ともかく今は沙織ちゃんが星矢達を追って十二宮を上り始める前に、我々の考えに納得してもらわねば。
「時に、
「……聞きましょう。ですが、その前に言っておきます。わたしはあなた方がわたしを無意味に、あるいは悪意を持って欺こうと考えていたなどと思いません。あなた達はわたしを、黄金の矢から守ってくれましたもの。感謝こそすれど、罰など与えましょうか。…………星矢達をそのまま行かせたのには、なにか理由があるのでしょう? 今になって姿を現したのも、私が教皇との対決を決意したから。あなた達が私の味方で、協力してくれようとしていることに疑いはありません。ちゃんとお聞きしますから、安心して話してください」
その言葉に安堵するも、私とアイオロスは同時にピンっと背筋を伸ばした。
何故なら沙織ちゃん……否、神としての気高いオーラを身に纏った女神アテナが、真っすぐに私たちを見据えていたからだ。
「そのかわり、偽りなき真実を」
この時私たちは、彼女に嘘は通用しないであろうことを悟った。
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13,白羊宮
アイオロスは想定外の事態に少々狼狽えたが、もとより彼は後々まで女神に情報を秘匿し、謀るような真似をする事には難色を示していた。そのため早々に情報を話す機会に恵まれたことは、幸いと言えるだろう。
それにこれはチャンスではないか、とも考えた。
何がチャンスなのかといえば、リュサンドロスに万が一にもアテナを裏切ることが無いように。……少なくとも今後息子と妻を天秤にかけるような事があっても、躊躇が生まれるようにするための。
それもあって、自分は女神に求められても「沙織ちゃん」とは呼ばなかった。
恐れ多く思う気持ちはあるが、アイオロスは同時に赤子の頃から知る故にそれこそ親のような庇護欲をアテナ、城戸沙織に向けている自覚もある。そのため呼ぼうと思えば彼は女神の事を"沙織ちゃん"と呼べなくもなかったが、「自分だけが沙織ちゃんと呼んだ」という事実をリュサンドロスに強く印象付けたかったのだ。そのことがきっかけで、何か特別な感情が芽生えるのではないか。それをアイオロスは期待したのである。
具体的には、自分みたいに親が子に向けるような感情が芽生えたらよい。
リュサンドロスは実の息子にとても弱いのだ。だから女神に対しても、娘のように思う感情が育てばあるいは。……本当に万が一、彼の都合で彼が女神を害する必要が出てきた時。止まってくれるかもしれない。
……長年、志を同じくして共にここまで駆けてきた友だ。できればその相手を殺すような事態にはなってほしくない。
その可能性を極力少なくするためにも、今後も機会があれば積極的にリュサンドロスとアテナ沙織の疑似親子関係を深めさせよう。アイオロスは、ひっそりとそんな決意をしていた
自分の考え過ぎならばそれでよいが、楽観的に考え過ぎて友と女神、両方を失うなどごめんだ。策略とも言えないささやかな誘導くらい、罪にはなるまい。
しかし絆を深めさせようにも、現在少々頂けない事態になっている。それが何かといえば……。
「ふふふっ。星矢達には悪いですが、こういったことは初めてなのでちょっとワクワクしてしまいますね!」
「アイオロス、リューゼ。これはどういうことですか?」
「は、はは……」
「その……すまん」
星矢達が第一の宮、白羊宮にて。修復師であるムウにこれまでの戦いで傷ついた聖衣を修復してもらったのち、通過したその後……。彼らはやってきた。
その彼ら、リュサンドロスとアイオロスは、アイオロスのサングラスとリュサンドロスのトレンチコートで変装らしきものをした城戸沙織にそれぞれ手を繋がれた状態で、ムウに引きつった顔で曖昧な笑みを返した。
ムウは現在ジャミールで面倒を見ている白銀聖闘士と暗黒聖闘士二名の世話を、比較的動ける者と貴鬼にまかせて
だというのに、なぜ現在目の前の三人は仲良し親子のような様でのこのこと現れたのだろうか。それがムウには分からないし、出来れば理解したくない。
彼らの背後にひょっこりと顔を出した伝説の白銀聖闘士についても聞きたくはあるが、害は無さそうなので今は放っておこう。
「安心してください、ムウ。事情は全て聞きました。……こうしてわたしは元気だというのに、星矢達に命をかけさせてしまうのはとても心苦しいです。ですが今後の戦いのためとあらば、今回だけはわたしも目を瞑りましょう。ですが被害を減らすための尽力は、わたし自ら惜しまないつもりです」
女神……城戸沙織はそう言ってどこか浮かれた様子だった少女の顔を、高貴かつ気高い女神のものへと変えて宣った。
そう言われてしまえば、ムウにはどうする事も出来ない。
「……分かりました。ここは何も言わず、通しましょう」
「ムウ、ありがとうございます」
「いえ。……ひとつ伺いたいのですが、偽装は何かしているのですか? 矢に穿たれたはずの女神が消えたとあらば、教皇も黙ってはいませんよ。ただ座して各宮にて黄金聖闘士達に星矢達を迎えさせることなく、階下に戦力を差し向けてくるでしょう。彼の目的は、貴女を亡き者にする事なのですから」
「問題ありません。辰巳を身代わりに置いてきましたから」
「……………………………………………………。ん?」
やや長い沈黙をはさみ、発した疑問符。ムウは今しがた聞いた内容にひっかかりを覚えた。
はて、辰巳とはだれの事だったか。記憶違いでなければ女神の周囲をちょろちょろしていたハゲがいたはずだが、まさか彼ではあるまい。ムウはうっかりハゲの大男が女装している姿を想像してしまい「やれやれ、私の記憶力も衰えましたね。……きっと別の人間でしょう」と、その可能性を否定した。が、すぐにその否定は否定されることになる。
「女神。あのハ……ゴホン。剃髪の大柄男性に女装させるなど、あれで本当によかったのでしょうか?」
ハゲの大男の事だったらしい。ムウは軽く頭痛を覚え額を押さえた。
「あ、
「それでは彼女が自由に動けなくなってしまいます。彼女には邪武たちが来るまでの間、辰巳を雑兵から守ってもらわなくては。……心配ありませんよ、アイオロス。辰巳はこれまで最もわたしのそば近くで仕えてきてくれた人間です。立派にわたしを、城戸沙織を演じきってくれるでしょう」
ごく真面目な顔で宣う女神に、ムウは「これも女神のご判断だ」と納得することに決めた。言いたいことは色々あるが、きっとそれは目の前の三人が散々言ったのだろう。そして、その結果が今この場に居る女神ならば……ムウに言える事は無い。
それにムウには、先ほどの会話の中でより優先して聞かなければならない事があった。
ムウはテレパシーで胃のあたりを押さえているリュサンドロスに問いかけた。
『"事情は全て"の、事情とはどこまで?』
リュサンドロスはビクッと肩を跳ねさせたあと、先ほど以上の引きつり笑いで肩をすぼめると、体の前で小さく丸を描いた。
『ムウ殿、すまない。……まるっと、全部だ』
ムウの頭痛が、少しだけ増した。
一方その頃、白羊宮のすぐ下……闘技場にて。
「こ、この辰巳徳丸! 全力をもってお嬢様を演じさせていただきますぞー! なに、幼少のみぎりよりずっとそばで見守り、過ごしてきたのは俺なのだ。完璧に清楚で美しいお嬢様を演じきってみせてや……やるわぁン!」
美しい亜麻色の髪の毛……のカツラと、まさに神話の女神が纏うにふさわしき純白のチュニックを身に着けた一人の男、辰巳徳丸三十二歳が全力で十三歳の少女を演じようとしていた。
「だったらまず喋るんじゃないよ! あとその気味の悪い裏声は、今後一切聞かせないでちょうだい」
「お、おうすまんな。……でも気色悪いか? 案外いい線行ってたと思うんだがなぁ……。いや、お嬢様の鈴が転がるような可憐な声には遠く及ばないのは分かっているが」
(なんで私がこんな奴の護衛を……。他の
漢、辰巳徳丸。彼は自分が敬愛する城戸光政翁の孫娘……城戸沙織お嬢様を守るために、いざとなれば影武者も辞さない覚悟をしていた。しかしその影武者用に準備していた特注サイズのチュニックとお嬢様カツラが、本当に日の目を見るとは思いもしなかったのも事実。
そんな彼は現在、偽物の矢を胸にくっつけて矢に撃たれた城戸沙織として地面に横たわっていた。
……少々、この姿に妙な胸の高鳴りを感じているのは辰巳だけの秘密である。
そして魔鈴は辰巳を守るべく護衛として残っていたが、それも邪武をはじめとした
アテナ沙織いわく、彼らは銀河戦争後……自らの修業地へ戻り、再び修業を積んでいるのだという。きっともうすぐ成長し強くなった彼らが駆けつけてくれるだろうと、沙織は信頼のこもった瞳で言っていた。
しかしせっかく修業し直して駆けつけても、守るのはお嬢様ではなくお嬢様のコスプレをした辰巳である。
魔鈴はほんの少し、後から来る青銅聖闘士達が不憫になった。
(シャイナにも話を通しておかなくちゃね……)
シャイナは日本でアイオリアの拳を受けた後、そのアイオリア本人によって連れ帰られ現在療養中だ。弟子のカシオスが涙ぐましくも徹夜で看病を続け、遠目にだが大分回復した様子である。
……そしておそらく、彼女はカシオスによってアイオリアの事を聞かされるだろう。
(教皇め……。いや、双子座のサガ! 相手の精神をいじくる技なんて、やってくれるじゃないか)
現在アイオリアはサガの放った相手の脳を支配するという伝説の魔拳、
なにせ、シャイナは星矢に惚れているのだ。その星矢が戦意の塊、悪鬼と化した黄金聖闘士の前に行くとなれば黙ってはいまい。怪我を押してでも、星矢を守ろうと動くはず。
そのためリューゼからも、彼女に事情を話しておいてくれと頼まれている。
―――――― 私たちに任せてくれ。絶対に誰も死なせない。
十二宮を上る直前に、リューゼが言った言葉がリフレインされる。
(本当に、頼むよ。アイオリアに誰も殺させないでおくれ)
火時計の、一番目の火が消えた。
「クククク……。女神の命も、あと十一時間。それまでに青銅ごときが、果たしてこの教皇の間にたどり着けるかな?」
十二宮を抜けた先、アテナ神殿の前にある教皇の間にて。イスに深く腰掛けた男は、仮面の下でほくそ笑んだ。
ちなみに火時計を消したのは白銀聖闘士、ケフェウス星座のダイダロス。
手動である。
「ひっきし! くっ、瞬たちが頑張っているというのにクシャミなど情けない……! おっと、タイマーを一時間後にセットしなければ。怪しまれぬためにも、正確な時間に消さなければならぬからな……」
偽教皇サガ。
偽物の女神に、未だ気付かず。
火時計、一つずつ灯る方式ではなくついた火が一時間ごとに消えていく方式だったので修正しました。普通に間違えて覚えていた……(恥
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14,金牛宮
いよいよ始まった星矢達の十二宮での戦い。それを陰から見守るべく、白羊宮を抜け次に向かうは金牛宮。
彼は覚えている限り冥闘士と戦うまで生き残っていた貴重な黄金聖闘士だし、本人の実力と人柄もよく知っているためあまり心配はしていない。しかしかといって、油断は禁物だ。不測の事態というものは、いくらでも起こりうるのだから。
私とアイオロスは
「あの、重くはありませんか?」
「まさか。羽のようです」
背中から遠慮がちにかけられた可憐な声に、私は微笑ましさを覚える。おかげで緊張でこわばっていた顔に、笑顔を浮かべることができた。……はたから見たら大して変わっているようには見えんかもしれんが。シュラにも赤ん坊のころ、よく泣かれたものだ。
私は今、女神城戸沙織を背負って一二宮の階段を駆け上がっていた。その気配は温かい。
彼女の女神としての慈愛に満ちた小宇宙に癒しを感じる事も事実だが、それ以上に普通の少女のような姿が心を和ませてくれた。遠くで見守っていた限りでは、原作の通り毅然とした大人びた少女に成長していた沙織ちゃん。初めての接触で一気に距離を詰められたことに戸惑いもしたが、親愛の情を向けてもらえるというのは嬉しいものだ。……ここ数年、息子とまったく触れ合えていないだけに余計にそう感じてしまう。
……ううっ、シュラよ。この件が終われば呪いを解く目処はついているのだ。今しばらく待っていてくれ……! 父は必ずお前のもとに戻るからな!
男として! 男と、して!!
……まあ今現在は紛れもなく女の体なので、女神を背負って走る役を志願したのだが。
「な、なんといいますか……。背負われる事なんて初めてなので、少し照れてしまいますね」
「光政翁におんぶしてもらったことはないのですか?」
「おじい様も小さい頃よく抱き上げてくださいましたが、背中は初めてなのです」
まあ、言われてみれば上流階級の人と言えばおんぶより抱っこというイメージはあるな。子供を抱き上げる時、使用人がいるであろう彼らにとって両手をあける必要はない。
そういえば聖域に来てからは歳の近い聖闘士候補生の前だからか恥ずかしがってしまってなかなか機会が無かったが、よくシュラを背負って散歩したものだ。懐かしい。
…………背中、か。
私がリュサンドロスだったころ、シュラに立派な父としての背中を見せてやれていただろうか。今の彼が以前の私より強くなっている事は明白だが、もし自分の存在がその一助にでもなれていたなら誇らしい。
この十二宮を駆け上がる先、十番目の宮にあの子はいる。
……絶対に、死なせてなどやるものか。
愛しき息子よ。このリュサンドロス、お前のためにこの命と小宇宙を尽きるまで燃やしてみせる。必ず。
「女神、金牛宮です」
そう言って先に見えてきた神殿を示したのは、白羊宮から共についてきたムウ殿だ。「ここまできて、白羊宮で待っている必要がありますか?」とのことである。……まあすでに敵の正体がはっきりしている上に、女神自ら仲間たちの救命に動いてくださるのだからもっともだ。彼の超能力や強力な防御壁であるクリスタルウォールは、人命救助にあたっておそらくとても強力な助っ人となるだろう。ありがたい。
「お、やっているな。見事にふっとばされているぞ」
「星矢が?」
「星矢が」
小宇宙で感じ取ったのか、アイオロスが真っ先に戦況を把握する。どうやら青銅達は実質初めての宮にて苦戦を強いられているようだ。……もともと、青銅と黄金との間の実力差とはそう簡単に縮められるものではないから当たり前なのだが。
しかし彼らはそれをこれから幾度も覆してゆく。それを思うと、なかなかに感慨深い。
そして私たちが遠目に見守る中、星矢が石の壁を突き破って金牛宮内部から飛び出てきた。他三人の小宇宙は内部から感じるが、どうやら気絶でもしているのか動きが無い。
……むぅ、彼の成長にはなるだろうが、星矢にとってはなかなか厳しい状況のようだ。以前アイオリアと対峙したことがあるとはいえ、黄金聖闘士のプレッシャーはやはり大きい。
「星矢!」
沙織ちゃんが思わずと言った風に声をあげるが、ムウ殿が穏やかにそれをなだめた。
「女神、ご安心を。アルデバランは本気を出していませんよ。……彼が本気を見せたら、今頃この辺りは血の海です。そうでないところを見るに、彼もまた教皇に不信感を抱いているのでしょう。だからこそ、あなたが本物の女神かどうか星矢たちを通して見極めようとしている。真っすぐに向かってくる星矢達の姿を見て、何かしらを感じ取るでしょう」
「そう、ですか……」
一応の納得をみせつつも、本心ではやはり心配なのか落ち着かない様子の沙織ちゃん。彼女なりに女神として振る舞おうとしている部分はいくつも見受けられるのだが、こういうところを見るとやはり十三歳の少女としての繊細さを感じてしまう。
……何故女神アテナが他の神のように成長した依り代に憑依するのでなく、人としての生を受けて降臨するようになったのか、その経緯は知らない。だが矮小の身で想像するに、彼女は「人の弱さ」とそこから生まれる「人の強さ」と知ろうとしてくれたのではないか、と……そんな事を考える。
聖闘士星矢という物語では主人公である星矢達と共に、アテナ沙織もまた強く、気高く成長するのだから。
私はもともと全てが億劫で、聖域での不便な暮らしを疎ましく思っていた人間だ。だから聖闘士として、神としてのアテナにあまり信仰心を抱いているとは言いにくい。口に出せばアイオロスに怒られそうだが。
だがこうして「人」として。同じ目線に立ち戦ってくれる相手を、好ましく思わぬはずがないのだ。
女神でありながら、少女でもあるこの方を少しでも支えることが出来たらいいと思う。たとえそこに打算的な考えがあったとしても、それもまた紛れもない私の本心。
まあ私が一番に愛を向ける相手が妻と息子である以上、彼女には頑張ってもらわねばならないので必要以上に過保護になる事は出来ないが。その分今こうして体重を預けてもらえている分くらいは、支えになれたらいい。
ずるい大人の自己満足だと言われたらそれまでだが、結果的に全てまるっと収まればよいのだ。そのためなら、罪悪感などいくらでも飲み込むさ。
……そういえば、まるっと、といえば本当に先ほどは全て話してしまったな……。
すでに沙織ちゃんは私の正体も知っているし、その私が知っている未来の知識の内容も知っている。時間的に全てを事細かに話す暇は無かったが、少なくともこの世界で私の事を真に知る人間がアイオロス、ムウ殿、老師、沙織ちゃんの四人に増えたことになるのだ。
ちなみにオルフェと魔鈴には、沙織ちゃんに話す間席を外してもらっていた。あまり私だけの判断で知る人間を増やしたくはなかったからな。……あとで問い詰められそうではあるが、その時はその時だ。二人とも優秀な人材なのだし、いっそ引き込んでしまうのもありだろう。
多分この十二宮の戦いが終わった後は、完全に私が知る未来から外れる。主要人物が数人、不完全とはいえ未来の情報を手に入れた。その時点で未来が変わらぬはずがない。……しかし幸いにも、情報を知りえた人物たちは私などよりよほど情報を生かしてくれそうな相手だ。
これは不確定要素が増えたことを嘆くよりも、喜ぶべきことだろうな。
もとよりどこかで運命がずれてくるのは想定済み。ならばあとは、運命の渦中にある我々次第である。
「よし! 流石だ星矢!」
「!?」
つい思考の海に浸っていると、アイオロスの声に急に現実へと引き戻された。一応私も見てはいたのだが、それよりも考えるほうへ意識を割いてしまっていたようだ。
先ほどまで劣勢だった星矢だが、彼は今回も再び戦いの中で成長してみせた。本気を出してはいなかったとはいえ、それでも青銅を屠るには十分な威力を誇るアルデバラン殿の必殺技グレートホーンを弾いたのだ。しかもそのうえでアルデバラン殿の黄金聖衣頭部パーツの角をへし折った。
……たかだか角一本、などと思う者はこの場にはいまい。黄金聖衣を傷つける。それは星矢の実力がすでに青銅の域を超えている、ということを示していた。
金牛宮での成長も、無事成されたようだな。
どうやらアルデバラン殿は「角を折れたら敗北を認める」と星矢と約束していたらしく、呵々大笑すると気持ちの良い態度で星矢たちが金牛宮を通過する事を許可した。番人の役割を果たすものとしては褒められたことではないが、これは彼の柔軟性を表している。……きっとアルデバラン殿も、迷っているのだろうな。以前から噂がなかったわけではないが、魔鈴に聞いたところここ最近で特に教皇への不信感を抱く者が増えたらしい。となれば、教皇に近しい黄金聖闘士がそれを察しないわけがないのだ。聖域および女神への忠誠ゆえに、その狭間で動けないのもまた事実だろうが。
(でも、はて。ここ最近で……?)
はたと、思い至る。
サガは一見隙が無いように見えて、二重人格ゆえにその入れ替わりや悪の心を封じる際に隙が生じる。その隙を目撃してしまう可能性が一番高いのが教皇の側近や世話係の雑兵であるが、いくらなんでも正体を見た相手を殺めた後に適当に野ざらしにするのは処理が雑過ぎないだろうか。一度ならばともかく、それが何度も重なれば誰が疑われるかなどわかりきったこと。アナザーディメンションという、言ってしまえばどこでもゴミ箱があるのに何故……。………………。
いや、それだな。
アナザーディメンションだな。
敵をどことも知れぬ異次元へと吸い込むアナザーディメンションは双子座の黄金聖闘士、サガの技の一つ。しかしこの十二宮の戦いにおいて、その技は必殺となりえない。何故なら完ぺきに技にはめて異次元へ葬ったと思った相手が、まさかの近場……十二宮内へ出てくるからだ。
誰だったかはよく思い出せないが、おそらく次の宮でおこる出来事。倒したつもりが上の宮へのワープ装置代わりになってしまうところに、サガの運のなさがうかがえる。といっても、本来一丸となって進まねばならない星矢たちを分断したという点では戦略としての脅威だが。
そして本当に推測なのだが……。サガは始末した相手を、気づかれないようにアナザーディメンションで処理したはずだ。そして本当の本当におそらくだが、そのことごとくが聖域内に異次元の出口が現れてしまったのでは……?
…………いや、やめよう。この推測が当たっていたとしても亡くなった者を悼むべきであり、黒幕兼被害者を憐れむのは違う。断じて違う。だから私よ、「今どれだけ抜け毛が増えているんだ?」と考えるのはやめろ。この次は直接奴がいないにしても当事者の宮だぞ。余計なことを考えるな。だからやめろ。ここ最近と聞いて「書類仕事を振れる相手が減ってストレスが増えた結果、失敗が重なったのか?」などという推測まで引っ張り出すんじゃない。敵への憐れみなど不要だ!!
「では、女神よ。アルデバランへの説明は同じ黄金聖闘士のムウ殿に任せて先へ進みましょう」
ぶんぶんと頭を振ると、気を取り直して沙織ちゃんを促す。説明役をふられたムウ殿は「仕方がありませんね」と言いながらも、説明役を快く引き受けてくれた。多分それが一番早いと理解しているのだろう。アイオロスだと説明することが増えてややこしいからな。オルフェでもよいのだが、同格かつ知恵者のムウ殿がやはり適任だ。
そのあと「おい、ちょっと待、なんだゾロゾロと!?」と、いきなりの大人数で横を素通りしようとする私たちに当然待ったをかけようとしたアルデバラン殿をムウ殿に任せ次の宮……双児宮へ。
さあ、ここからは星矢たちが分断される可能性が出てくる。そうなれば、当然私たちも複数に分かれなければならない。正念場だ。
「絶対に見失うなよ」
「そっちこそ」
私とアイオロスは、互いに背中に張り手を食らわせ気合を入れた。ただその視線は、ひたすらに前へ。
「絶対に、誰も死なせんさ」
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15,双児宮
金牛宮の次に向かった先は三つ目の宮、双児宮。……本来ならば
といっても星矢たちをただでは通す気がないのか、双児宮は現在サガの小宇宙に満たされているわけだが。まったく、遠い場所から器用なことをするものだ。
「どうやらサガの意識は完全に星矢たちに向いているようだな。これなら俺たちが入っても気づかれることはあるまい」
アイオロスの言葉に頷くが、ふとあることに気付いて目を見開く。
「全員、伏せぇぇッ!!」
突然の私の大声に驚きつつも、すぐにその理由に気付いたのか全員がその身を地に伏せ階段の石に体を張り付けた。
ちなみに私は沙織ちゃんを背負ったままなので、私と沙織ちゃんで二段重ねの餅のようになっている。女神を地につけるわけにはいかないからな。
そして身を伏せてから、しばらく。
「出たぞ!」
「……いや待て。ここは元の場所だ!!」
双児宮の入り口からは、先ほど元気に中へ駆けて行った星矢たちがその勢いのままに飛び出してきた。会話の内容から、サガが何をしたのかは一目瞭然。幻覚を使い星矢達を宮の中でUターンさせたのだろう。
サガの小宇宙により星矢たちの小宇宙が覆われ気付きにくくなってはいたが、それでも早めに感づけて良かった。でなければ私たちは戻ってきた星矢たちと鉢合わせだ。宮の中ならともかく、この階段あたりだと身を隠せる場所が無いからな……。階段に伏せている現状なら、上からはギリギリ死角となって見えないだろう。ギリギリ。……傍から見たら間抜けなことこの上ないが、仕方があるまい。
そして星矢たちが再び中へ入って行ったのを見届けると、体についた埃を払いながら身を起こす。
「
「いいえ、気になさらないでください。不謹慎ですが、スリルがあってちょっと楽しかったですよ」
悪戯っぽく笑う沙織ちゃんにほっとしつつ、双児宮へと目を向けるとアイオロスに声をかけた。
「おそらくここから、サガは星矢たちの分断にかかってくるぞ。奴が直接手を出せるポイントはここしかないからな」
「ああ。となれば、我々も分かれるしかあるまい。……どうする?」
「私は……出来れば紫龍が居る方を追わせてもらいたいのだが……」
歯切れが悪くなるのは、これが完全に私情だからだ。
それでもばつの悪さを感じてしまい、うつむき気味に視線を合わせられずにいると……バシッと頭を叩かれた。
「痛ッ!?」
「もとより承知だ、気にするな」
「……すまん」
相変わらずのからっとした笑顔に、思わず苦笑した。一番事情をよくわかってくれている男に、無用の気遣いをさせてしまったようだ。
「では女神よ、ここから二手に分かれますが……貴女様はアイオロスと一緒に行かれたほうがよいでしょう」
「いいえ、リュサ……リューゼ。わたしはこのままあなたと一緒に行きます」
思いがけず一緒に来ると言われてしまい、少々困った。私もそこそこ強いとは思うが、黄金聖闘士であるアイオロスと比べればどうあがいても見劣りする。この二択ならば、アイオロスこそ女神の護衛に適任のはずだ。
「ですが……その、よろしいのですか? 黄金聖闘士であるアイオロスの方が、護衛にふさわしいと思いますが」
「……駄目、ですか?」
「う……!」
どういった理由で私の方についてくると言ったのか。それを問う前に上目遣いで小首を傾げるなどという技を使ってきた……だと!? け、けしからん。そんな愛らしい仕草をどこで覚えてきたのだこのお方は! 我が妻もたまに使ってきたが、どんな願いも聞いてしまいたくなる魔性の技ではないか……! 既婚者の私だったからいいものの、そこらの男ならコロッといくぞコロッと! それはそんな軽率に出していい技ではない!
「あ~、ゴホン! 女神よ、あまり男の前でそのような愛らしい仕草をですね……」
「ではオルフェ、お前もリュサンドロスと共に行動してくれ。女神をお守りするのだ」
「構わないが……。アイオロス殿、貴方は一人でいいのか?」
「問題ない。これでも、元黄金聖闘士なんでな」
「………………」
私が女神にお小言を言う前に何やらアイオロスがさくさくと進め始めた。ああ、いや時間がないことは分かっているのだが……。なんだこのやり場のない虚しさのような感情は。いや、時間がないのだ。ここはアイオロスへの感謝にとどめて口を噤もう。
胸を叩いて「任せろ!」とオルフェに示して見せるアイオロスの姿は堂々としていて頼もしい。しばらく彼一人の行動となるかもしれないので申し訳ないが、そこは友を信じよう。
……そうなると、後から追ってくるだろうムウ殿はどちらに来るだろうか。普通に考えたら女神をお守りする戦力としてこちらに来るだろうが、ムウ殿はあれで女神にも厳しい一面があるからな。シビアに人数を均等にするという意味で、アイオロス側に向かうかもしれない。戦力的には黄金×二となるので偏るが、こちらには黄金と同等の実力を誇るオルフェがいるしな。戦力を抜きにしても能力的なバランスを考えると、救命という目的において攻撃以外にも多彩な技をもつムウ殿はアイオロス側に行ってくれた方が良い。……まあ実際に二手に分かれるかはまだ分らぬし、その時の判断は切れ者のムウ殿本人に委ねるべきだろう。
そういえばアルデバラン殿だが、実は彼がムウ殿と一緒に登ってくる事は期待していない。それはアルデバラン殿を信用していないからではなく、その逆だ。信頼するがゆえに、彼は来ないだろうと思っている。
いくら教皇が悪と分かったところで、それと宮の守護とは話が別なのだ。本来十二宮は外敵を迎え撃ちアテナをお守りするためのもの。……原作では無かったが、このタイミングで海界勢力が攻めてきていたっておかしくはなかったはず。まだポセイドンの依り代であるジュリアン・ソロはポセイドンとして覚醒していないだろうが、それでもすでに
現状では他の宮がどれだけ防壁としての役割を果たすか怪しいだけに、アルデバラン殿こそが最初で最後の十二宮の番人と言っても過言ではないのだ。守るべき本物の女神が上階へ歩を進めていると知ればなおのこと、持ち場を離れることはできないだろう。
彼は守護という面において、物語の中でも一番の役割を果たしていた傑物なのだから。
さて、分かれた場合の方針も決まったことだし私たちも中へ……。
「ストリンガーフィーネ!!」
「「おぶふぁ!?」」
行こうと思ったらオルフェに琴の糸でアイオロスと二人して転ばされた。沙織ちゃんはいつの間にかオルフェに連れられ、私たちより下の段で身をかがめている。
「出たーーーー!!」
何をすると問う前に、星矢たちが再び双児宮から出てきたことで危なかったと冷や汗を垂らした。ううむ……いち早くそれを察知し、私だけでなく黄金聖闘士たるアイオロスまで容易く転ばせるとはオルフェ、流石は伝説の聖闘士と呼ばれた男よ……。
それにしても、サガめ器用なことを。どうやら青銅達の会話を聞く限り、現在の星矢達には双児宮が二つあるように見えているようだ。サガの幻覚の対象になっていない私たちにしてみれば双児宮は相変わらずひとつしかないため、堂々巡りを打破するため別々の双児宮に入っていった……らしい星矢たちを追うのは容易い。彼らは仲間たちを遠く離れたように思うだろうが、私たちには彼らが2メートルほど間をあけて並走しているようにしか見えないからだ。
しかしサガの強烈な小宇宙を感じるに、対象となっている星矢達は幻覚だけでなく実際に異次元を彷徨わされているのかもしれんな。
そしてどうやらサガは片方ずつ始末することに決めたのか、双子座の聖衣を操り先に
その後出口付近まで来た星矢と紫龍だったが、どうやらまた幻覚で惑わされているのか数十分ほど出口の前でぐるぐると円を描きながら走りまわっていた。そして止まったかと思えば「紫龍、どうやらこいつが双子座の聖闘士らしい」などと言い始めたので、今度は彼らの前に幻影の双子座の聖闘士が立ちふさがっているのだろう。
……非常に申し訳ないのだが、あれだな。幻覚に惑わされている者をしらふで遠くから見ていると、シュールだな。
しかし流石というか、その幻影は打ち破られた。現在失明している紫龍が、心の目でもって真実を見抜いたのだ!
(流石だぞ紫龍! それでこそシュラに聖剣を託される予定の男!)
まあ託されようともシュラは死なせんが! ……シュラを助けるのは大前提として、どうにか
まあダメだったとしても、シュラはきっと紫龍の事を気に入るだろう。のちのち弟子として指導し、正規の手段で技を伝授してもよいのだ。そのためにもまず生き残ることこそ重要である。
「さて、その前に他の奴らだな。……次は巨蟹宮か」
思わず独り言をこぼすと、おんぶしている沙織ちゃんが話しかけてきた。
「次の宮に、何か嫌なことでも?」
「ああ、すみません。声色に出てしまいましたか」
む、いらぬ心配をかけてしまったか。申し訳ないことをした。
……しかしなぁ、次の宮は宮の主含めて、あまり沙織ちゃんに見せたくないな。教育に悪い。
個人的に鬱憤がたまっている相手でもあるから、助けないといけないと分かりつつも若干気が進まないしな……いや助けるが。
(まあ、仕方がない。適当にさくっと助けてやるか)
気を引き締めねばならぬというのにこのような適当な考え不謹慎だが、この際だ。聖衣強制脱衣という恥ずかしい場面、しかとこの目に焼き付けてやるからなデスマスクよ!! ついでにカメラにも焼きつけといてやるわ!! お前のためにわざわざ持ってきてやったのだ。ありがたく思うがいい!
私はこれまた不謹慎にもにやついてくる口の端を抓ると、沙織ちゃん、オルフェと共に第四の宮。巨蟹宮へと向かうのだった。
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回想録4:蟹と二度目の初対面
古参聖闘士リュサンドロスでなく、リューゼという新米エリダヌス星座の聖闘士として実力をつける。それはいくら努力したところで簡単なものではなく、私は改めて身に受けた呪いの厄介さを思い知っていた。
呪いのせいもあるが、単純に女と男の体が違いすぎるのだ。前世を含めれば半世紀以上を男として過ごしてきた私にとって、その違和感は早々にぬぐい切れるものではない。しかしそれでも、息子に向けられた怒りとも軽蔑ともとれる憎悪の瞳が忘れられず、これまで白銀聖闘士として生きてきた中でも無かったくらい必死に鍛錬に打ち込んだ。
そしてなんとか白銀として再びエリダヌス星座の聖衣を手にすることとなったのだが……。
二度目の奴との任務時初対面は、とにかく最悪だった。
「待て待て待て貴様ぁぁぁぁ!! なんの、ために、私が、補佐に、来ていると!!」
薙ぎ払われるように一気に周囲へと広がった死の気配に、私は腕に抱えた一般人をその効果範囲内から無理やり遠ざける。思いっきり投げてしまったが、まあ少し怪我をする程度ですむだろう。
「フンッ、白銀ごときがオレに指図するか」
偉そうに、そしてこちらを見下すように鼻で笑う男は
現在私は黄金聖闘士の補佐としての任務を受けこの場に居る。が、何故私は味方からの攻撃で逃げ惑っているのだ!!
私はデスマスクが
……昔ほど周囲に興味が無いわけではないが、聖域に来る聖闘士候補生のほとんどに親がいないところから、過去はあまりほじくり返してよいものではないとも思ったのだ。その代わり、戦いばかりの過酷な道とはいえ……聖域で友が出来ればよいと心のどこかで願うようになっていた。これは我が妻アナスタシアと出会ってからの心の変化が大きいが、一応私にも友と呼べる存在はいたのだ。みな先に逝ってしまったが、彼らも地に足つかない私を繋ぎとめてくれていた大事な者たちだった。
そのため最初に教皇の命があったからとはいえ、以前の私の行動、聖闘士や聖闘士候補生の補助が役に立っていたなら今の私の心は少し救われる。
おっと、思考が逸れた。
まあ生い立ち諸々知らないデスマスクであるのだが、私が男だった頃……リュサンドロスとして聖闘士候補生の補助にあたっていたころから何かと相性が悪い。ある意味良いとも言えるのだが、良い方に作用したことがないのでやはり悪いのだろう。我ながら言っていることがよく分からんが。
デスマスクは要領が良かったが、常にどこか周囲に一線引いていた。
それは他の者にも多かれ少なかれ言えたことだが、彼の場合は壁を作るわけでなく、引いた線から一歩、二歩、三歩……後ろに下がった位置で、自分を含めて観察しているような子供だったのだ。その視線はひどく乾いて冷めたものであり、どことなく無関心だったころの自分に重なって見えたのをよく覚えている。
デスマスクという通り名がつくまで、誰も彼の名を知らなかったのも異様だろう。私も名を問うたことがあったが、「お前とか、どうとでも呼びようはあるでしょう。適当に呼んでくださいよ」などと返された。……訓練を抜け出すことも多い子で、探しに行ったとき墓場で「ここが落ち着く」とでも言いたげに寝転がって空を見上げていたのは印象的だったな、そういえば。訓練をさぼっても後れを取らない器用さが小憎たらしかったが。
そしてその乾いた空虚な心を埋めるかのように、黄金聖闘士となり任務をこなしだした彼のやり方は苛烈だった。
無関係な周囲を巻き込むこともいとわない、力こそ正義とばかりの信念。デスマスクはそれを己の体に刻むように、否、その信念を己の芯となるべき金属とし、熱し叩いて鍛えているようだった。……私にはそう見えたのだ。
一見歪んで見えてあまりにも純粋に自らを鍛え上げるその様は、諦念に支配されていた私とは真逆のもの。私は彼のやり方に眉を顰めつつも、似ていると思ったからこそ憧憬も抱いた。似ているのに、自分で地に足をつけた彼に。
まあそんな主観はともかく、ある種の同族嫌悪なのか嫉妬なのか、どうも相性が悪かったのが私達だ。
補佐として回る時いちいちやり方に小言を言う私をデスマスクは疎ましく思っていただろうし、私はやり方はどうあれ乾きを自分で克服し好きにやるデスマスクがなんとなく気に食わなかった。大きな衝突こそなかったが、互いに好ましい相手ではなかったのである。
そして私が女になりこれまでの関りがリセットされたところで、関係はあまり変わらない。
むしろ古参聖闘士としての立場がなくなった今、なめられて悪化したと言える。
「デスマスク殿! 効率重視も結構だが、もう少し周囲に気を配ってはいかがか! 子供もいたのですよ!」
今回私はデスマスクの補佐として派遣されたわけだが、いざ来てみると予想はしていたが案の定というか……。戦いのためのサポートでなく、被害を拡散させないための補佐だった。ついでに言えば後片付けも任務に入っているのだろう。
「知った事か。これも悪を倒すためと思えば、ささいなことだろう?」
私の言葉などどこ吹く風、肩をすくめてこちらを馬鹿にするような仕草までセットという丁寧具合だ。いらんわそんな丁寧さ。
確かに今回の任務、少々難しいものだった。デスマスクのおかげですぐに事態は収束したが、なんでも古の呪物を破壊したことが原因だかで蔓延した呪いによって、住民が次々に死霊に取りつかれ化け物と化していたようだ。そのさまは、正に地獄絵図。デスマスクの積尸気冥界波で死霊もろとも冥界に叩き落さなければ、被害は拡大していたことだろう。
だがそれはそれ。これはこれ。
まだ被害にあわず健常だった者まで巻き込んだことは看過できない。未熟だった昔ならばともかく、成長し更なる強さを得た今の彼なら余裕をもって避けられたことだからだ。
「……師匠が師匠なら、その弟子もやかましいな。鬱陶しいものだ」
「鬱陶しい……だと?」
ピクリとこめかみがひくつく。おいお前、私がリュサンドロスの時に何回後始末してやったと……。今回だとて私自身が積尸気冥界波に撃たれそうになりながら、それをかいくぐってどれだけ走ったと思っているのだ。敵を避け、一般人を回収したうえでだぞ。しかもこの後その生き残りに対して隠蔽工作もせねばならん。一応助けた側であるのに、逆に死霊を操っただとか誤解されたり家族を殺されたとかで恨まれては敵わんからな。
「クックック。死んだ師匠をけなされ一丁前に怒ったか? 新人」
「……別に怒ってなどいません」
煽るような言い方をするデスマスクに、いや私の方が大人なのだからと我慢する。だが何が気に食わないのか、デスマスクはなおも言葉を重ねた。
「ほう? ……それにしても、貴様の仮面はずいぶんと半端だな」
なんだか絡む方向変えてきたな!?
確かに私の仮面……女聖闘士がつけるべき仮面のデザインは奇妙だろう。通常は顔の全面を覆うが、私のは鼻まで。半分だ。これにはあくまで自分は男であるとひっそり主張する目的と、単純に飯が食いにくいという理由がある。
しかしそれをわざわざこいつにとやかく言われる筋合いはないため、自然と棘のある声が出た。
「それが何か?」
「なに、女を捨てた女聖闘士でありながら、捨てきれていない軟弱者の証拠かと思ってな」
言うなりいきなり硬い手で荒く顎を掴まれ、顔を仰向かされた。
「ぐ!?」
何をする。そう言う前に、先ほどの飄々とした態度から一転。非常に忌々しそうな、怒りを露わにしたデスマスクの顔がすぐそばにあった。なんだこいつ、情緒不安定か?
「そのような弱者が、このデスマスクに意見するなど百年早い! 身の程を知れ!」
「はああ!?」
弱者と罵られ怒鳴られ、それをきっかけにリューゼとして初めて聖域に来た時……息子に「父の後継として認めない」と言われた時のことを一気に思い出した。私にとって、非常に悲しく苦しい記憶だ。
そのトラウマが私の沸点を一気に下げさせ……爆ぜる。
私はデスマスクの手を振り払うと、逆にその胸倉を掴んで引き寄せた。
「貴様にこの仮面についてとやかく言われる筋合いは無いわ! 教皇にも許可は頂いている! それに、聞き捨てならんなぁ! 弱者? ああ、弱者だとも! 今はまだ! しかし私は常に黄金をいつか超える覚悟でもって鍛錬している! だから軟弱者と言われては黙ってられん!」
「はっ! このデスマスクに吠えたことは褒めてやろう。だが唾を飛ばすな! 汚いぞ! それに手を放せ無礼な奴め!」
「無礼は貴様だろう! それに黄金様なら私ごときの腕、さっさと振り払えばよろしい!」
しかし私にそう言われても、デスマスクは振り払わない。……これがガンの飛ばしあいだということを理解したのだろう。
現在私とデスマスクは仮面越しとはいえ真正面から相手の目を睨みつけている。この場合先にそらした方が敗者だ。何の敗者かなど当事者である私たちでさえ知らないが、ただ先に目をそらした方が格好悪い。そんな空気が、今この場にはある。ゆえに私はその挑戦受け取ったと、舌戦へと移行した。
「どうせだから今一度言わせてもらうが、きさ……ゴホン。貴方はもう少し周囲への配慮を考えてはいかがか! 補佐する身にもなっていただきたいものだ!」
「はっ、今更多少言葉遣いを取り繕っても滑稽なだけだぞ尻ぬぐいのエリダヌス!」
「その呼び名はやめろ! 馬鹿な、黄金にまで広まっているのか!?」
「ああ。まったく、後始末が得意な貴様にちょうどいいあだ名をつけられたもんだな? たしか、日本人の聖闘士候補生が言っていたのだったか」
「ぅぐっ」
胸倉を掴まれているお返しとばかりに、片手で両ほほをつぶすように掴まれる。しかしこの程度で黙らんぞ私は! この際だ。以前から貯めていた不満をぶつけさせてもらおうか!!
……ちなみに何故日本語である尻ぬぐいなどという呼び名で呼ばれているかというと、聖闘士星矢が主人公、星矢が原因だったりする。というか、魔鈴……か? そんな言葉を教えたのは。私はよく魔鈴に世話になっているものだから自然と弟子である星矢に会うことも多かったのだが、ある日言われたのだ。
『リューゼさんって、いつも誰かの尻ぬぐいしてるよな。疲れないの?』
と。
星矢よ……その気遣いは嬉しかったが、結果的に私は今猛烈に羞恥心を感じる羽目になっているのだがどうしてくれる。
いや、今はもうそれは置いておこう。
「〜〜〜〜! そんな事よりも、貴方の仕事の仕方ですよ! 話を逸らさないでもらおうか! いいですか? 力こそ正義、その考えもまあいいでしょう。だが避けられる実力がありながら面倒臭がってやらないのは怠惰でしかないだろう! 雑なんですよ仕事が! 雑!!!!」
雑、という部分に最大限力を込めて言ってやった。これで人の命がかかっていなければ、まだ話は別なんだがな!
「言ってくれるじゃねーか! そんな口を聞いてタダで済むとでも思っているのか!?」
「ああ、やだやだ小物っぽいなぁ言うことが! これが黄金聖闘士とは嘆かわしい!」
「弱いくせに口ばかり回る奴よりはマシだろう!」
「申し訳ない! 何分まだ弱者でしてね! そうだ、この際だから聞きますけど巨蟹宮のあの悪趣味な床や壁や天井、あれあのままでいいんですか? あれ貴方、普通に呪われてるだけでしょう! 恐ろしげな事言って自分の力を誇示するために使っているようだが、成仏できない魂が周りに溜まってるって、単純に呪われてるだけでしょう!! 自分で出来ないなら、シャカ殿に頼んで一掃されてはどうか! きっと清々して、その小物っぽい性格も少しは改善されるかもしれませんぞ!」
「言わせておけば……! ……いや待て、何故貴様ごときが巨蟹宮の中を知っている」
「師匠に聞きました! ちなみに師匠も同じことを言われていた!」
「あんのクソ親父……!」
「おい貴様誰がクソ親父だ」
……とまあこんな事があってから、私とデスマスクは会えば常に嫌味は言い合うようになってしまった。自重を忘れた自分が情けないが、過ぎてしまったものは仕方がない。
……だが!!
嫌味程度甘んじて受け入れてやるが、任務が重なるごとにわざわざ仕事を増やして嫌がらせしてくるのはどうにかならんのかあの男! くそっ、万が一シュラに何か言われたらと思うと手も抜けん! 忌々しい!!
件の最初の補佐任務の時、最終的に掴みあいになりうっかり今の実力も忘れて瞬殺されたのも気にくわない。もとより強くならねばならないが、一層モチベーションが増したぞ。
白銀聖闘士リュサンドロス改めリューゼ。いつかあの小僧に一発叩き込んでくれるわ!!
…………今度アイオロス殿に愚痴を聞いてもらおう。
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16,巨蟹宮
現在私たちは先へ進んだ星矢と紫龍を追って巨蟹宮へ向かっている。
アイオロスに瞬と氷河を任せてきたが……巨蟹宮に向かう途中で氷河の小宇宙が遠く離れた天秤宮にて現れ、そして消えたことで「もしやここでアナザーディメンションで飛ばされたか……?」と思い至る。まあサガがちょっかいかけてくる限り飛ばされるまでは予想していたが、問題はその後だ。氷河の小宇宙と同時に天秤宮に感じたのは本来
アイオロスがその場面でどう対処したかなど双児宮での様子も気になるが、ここまで来て引き返すわけにもいかんしな……。引き返した後巨蟹宮に戻ったらデスマスクがすでに死んでいた、ではかなわん。あんな奴でも一応黄金聖闘士なのだし、気は進まんが助けてやらねば。気は進まんが。
……私がリュサンドロスからリューゼとなり、修行のすえ白銀聖闘士としての地位を取り戻した後のことだ。デスマスクと任務で組んでからというもの、どういうわけか奴の任務のたびに私はサガにデスマスクの補佐として向かわされた。
デスマスクめ、わざとなのか原作を思えばいつものことなのか、任務のたびに周囲の被害をものともせず力を振るうのだ。そしてその被害の拡大を防ぐために私があくせく動き回っているのを見て指をさして笑う。……いちいち突っかかっていく私は、今思えはああいった気質の男にとっていい玩具だったのだろうよ。腹立たしい。
私としては力を取り戻すための良い訓練にもなったはなったが、それとこれとは別だ。私がリュサンドロスだった頃にもその
「あの、どうかなさいましたか?」
私が過去のデスマスクとのやり取りを思い出し眉間に皺を寄せていると、沙織ちゃんが気遣うように声をかけてきてくれた。おっと、いかんな……こんな私情で気を遣わせるなど。さっきも声をかけていただいたが、そんなに顔に出ているのか私は。
「いえ、この後の宮を思うと
「ああ」
私がごまかすようにもう一つ考えていたことを告げると、納得したようにオルフェが頷いた。そうか……彼も教皇の間に呼ばれることがあったから、巨蟹宮を通過したことがあったな。そうなればあの内装も知っているか。いや、あれは内装と言ってよいのか。
これから向かう巨蟹宮なのだが、その宮内はデスマスクが殺した者たちの成仏しきれない魂が
リュサンドロス時に何回か目にしたが、踏む感触が気持ち悪いのかあの場所を通る際は黄金ですら真顔による華麗なステップで顔達を避けるほどだ。シャカ殿に限っては気にせず踏んで歩いていたがな。そして彼が踏んだ顔は強制成仏させられていた。流石である。
まあ私が知る元の話と多少違いがあるとすれば、あそこにへばりついている顔のほとんどが敵や悪人のものであるという事だ。私が頑張って一般人が巻き込まれぬよう尽力したからな!
だがデスマスクが一般の人間、しかも子供までも巻き添えに攻撃を繰り出そうとした事実に変わりはない。フン、このあと聖衣に見放されてせいぜい反省するがいいわあの男め。
とにかく、年頃の少女に見せたくない光景であることは確かだ。
しかしそれを思って「目を瞑っていた方がいいのでは」と沙織ちゃんに提案したが、毅然とした表情で「視察も兼ねて全ての宮を把握しておきたいのです。わたしはどんな事実からも目を背けません」と言われてしまったので仕方がなくそのまま進むことを決めた。
そして巨蟹宮へ足を踏み入れた時の沙織ちゃんの反応だが……。
「
「あら、ごめんなさい」
宮内の魂を強制成仏させるつもりだったのか沙織ちゃんの小宇宙が一気に膨れ上がって焦った。ほら、宮内で「な、なんだこの強大な小宇宙は!」「これは、沙織さんの小宇宙!?」「沙織お嬢さんの身になにか……!? くっ、急ぐ必要がありそうだな。星矢、ここは俺に任せて先へ行け!」とか聞こえるでしょう! 幸い小宇宙が大きすぎて、こんな近くで発生したとは思っていないようなのが幸いだ。危うく尾行がバレるところだったぞ……。
なんとか落ち着いたのか、深呼吸をした沙織ちゃんが改めて宮の内部を見回し真剣そのものな声色で言う。
「これは、リフォームが必要なようですね……!」
「え、ええ。それについては同意見です……」
……十二宮の一件が片付いたら、シャカ殿あたりの最初の仕事が巨蟹宮のリフォーム作業(霊の浄化)になるかもしれんな……。デスマスクが自分でやればいいのだが。
とりあえずそれはひとまず置いておいて、どうやら先ほどのセリフを聞くにここで紫龍がデスマスクを引き受け星矢は先に進むらしいな。一瞬どうしたものかと考えていると、肩を叩かれた。オルフェである。
「星矢は僕が引き受けよう」
「いいのか?」
「ああ。アイオロス殿とのやり取りを見ていた限り、君は
「……すまない」
「どうということはない。事情は聞かないが、迷っている間に星矢も行ってしまうしな」
そう言って気負いなく笑い自分の役目として星矢を追う事を引き受けてくれたオルフェは、竪琴を華麗に奏でる。
…………うむ。星矢を追いかけるためにデスマスクと紫龍の前を通り抜けねばならないからな……。一度デストリップセレナーデで彼らの意識を奪う必要があるのは分かる。分かるが、一触即発のところを即気絶させられいびきをかくデスマスクと紫龍の間を悠々と抜けていくオルフェの姿がシュールだ。
しかもお前、さりげなくデスマスクの頭を蹴っていったな? オルフェが黄金をもしのぐ可能性のある伝説の聖闘士と呼ばれるようになった要因の一つに、このデスマスクを……オルフェと恋人のユリティースを馬鹿にしたデスマスクを完封してみせたというものがあるのだが、まだ根に持っていたのか。愛するものを貶された怒りは理解できるが、う~む。…………とりあえず、オルフェは怒らせないようにしておこう。
いやそれにしても、初手を許せばオルフェの奴、最強なのではないか? そして便利だ。心底味方に引き込めてよかったと、つくづく思い知らされる。
ともあれ、オルフェが去った後に目を覚ましたデスマスクと紫龍の戦いである。デスマスクが「一瞬忌々しい琴が聞こえた気が……いや気のせいか」などと言っていたのでひやっとしたが、私が寝転がっていた二人をもとの戦闘体勢に戻していたこともあって気づかれなかったようだ。……ちなみに今日二回目の作業のため、手慣れたものである。
そして二人の戦いであるが、私としてはあとあとデスマスクのやつを辱めてやろうと聖衣に見放される瞬間を写真に撮ろうと思っていたのだが……。戦いは予想外にも、この巨蟹宮でなく積尸気でのものとなった。
蟹星座の散開星団プレセべは中国では"積尸気"と呼ばれ、それは死体から立ち上る鬼火の
更には積尸気に存在する
紫龍はまず一度、その技を受けた。だが沙織ちゃんが「今度こそ、ここはわたしに任せてください!」と胸を張って言うなり紫龍の魂に語り掛けてその魂を体に引き戻す。……どうやらここにきて、女神としての覚醒が更に進んでいるようだな。いともたやすく魂への干渉をやってのけてしまった。
その後紫龍に警戒したデスマスクは、二度目の積尸気冥界波で紫龍を積尸気に送った後自らそこへ赴いて止めを刺すことに決めたようだ。ちなみにデスマスクの方は自在に現世と積尸気を行き来できるため、紫龍のように魂だけでなく生身での積尸気入りである。
こうなってしまうと私も魂で追うしかなくなるためカメラなど持参できようもない。……いや、やりようによっては生身でも行けなくはないが、何度か積尸気に落とされた経験を顧みれば逆に魂だけの方が動きやすいのだ。嫌な経験が活きるな。
「
「ではわたしも……」
「いえ、ここでお待ちください。ただでさえお一人にするのは不本意だというのに、魂が抜けた状態で残すのは流石に不安です。出来るだけ早く戻りますが、何かあればすぐお逃げください」
「……わかりました。ですが、積尸気まではわたしが送りましょう」
「! それは、助かります」
彼女の申し出はありがたく受けることにする。紫龍の体と魂を繋ぐ小宇宙を追えば自力でなんとか行けるだろうが、神である
そして沙織ちゃんの小宇宙に送り届けてもらい積尸気に辿りついたわけだが、ちょうどデスマスクが紫龍を黄泉平坂まで引きずっている場面だった。どうやら紫龍は現実世界で受けた肉体的なダメージと、冥界波による気力の消耗で思うように体を動かせないようだな。私もその後を気づかれぬようついてゆく。
そしていよいよ黄泉平坂に落とされそうになった場面で、デスマスクの動きを阻害するかのように強力な思念が入り込んできた。
(これは、五老峰の……!)
思念は老師が赤子の時に山で拾って育てたという、紫龍の幼馴染である少女が紫龍の無事を祈るもの。強い祈りがこの黄泉平坂まで届き、紫龍を守護しているのだ!
だがその奇跡も鍛え上げられた黄金の前では無意味。逆にその思念をたどり、デスマスクの攻撃的小宇宙が少女を襲う。思わずそれを邪魔しそうになるが、そんな私を新たに飛び込んできた思念が止めた。
『こちらは大丈夫じゃ! ワシがいる! デスマスクにはあとでたっぷり灸を据えてやるゆえ、おぬしは奴を死なせぬため尽力しろ!』
『! わかりました!』
老師だ。……当然か。可愛い孫のような少女を老師がみすみす死なせるような真似はすまい。
それより問題は、龍の逆鱗を踏んだデスマスクだ。……春麗が死んだと思い込んだ紫龍の小宇宙が、その怒りによって一気に燃え上がる。そこからは形勢逆転、紫龍が押し始めた。
しかしその猛攻もデスマスクが纏う黄金の鎧によって防がれる。やはり硬いな、黄金聖衣は。記憶のせいでよく破壊されるイメージがあるが、普通はそう簡単に破壊されるような代物ではない。
「この蟹座の聖衣を纏っている限り、お前が何千何万発の拳を繰り出そうと俺に止めを刺すことは不可能なのだ!」
そんな事を意気揚々と言って紫龍をふっとばすデスマスクだが……お前それ、聖衣が無ければ負けていたと自ら認めたようなものだぞ。
しかし実際鎧の防御は高い壁だ。紫龍は黄泉平坂に追い詰められ、危うく落ちそうになる。すでに私がそばに控えているためもし落ちそうになっても完全に落ちる前なら念力で引き上げてやれるが、なかなか肝が冷えるな……。
デスマスクの宮に
「な……な、なにぃ!? うぎゃあああ、馬鹿なぁ! 黄金聖衣のフットが自然に外れるとはー!?」
黄金聖衣に見放されるのは、「行き過ぎだからちょっと頭冷やせ」っていう冷静な聖衣の判断なのではなかろうか。
紫龍を穴に落とそうと踏んでいたデスマスクの足のパーツがはずれ、紫龍の手刀によって骨折し後ろに転げるデスマスク。次いで腕、全身と聖衣のパーツがデスマスクの体からはじけ飛ぶ。
「うびゃあ!?」
(くっ! これを写真に収めておきたかった……!)
聖衣が脱げ、半裸になるデスマスク。なかなか間抜けな姿であるだけに、カメラを持ってこられなかったのが悔やまれる。
にしても、あいつ聖衣の下の上半身は裸なのか……。着心地悪くないか?
「終わりだな、デスマスク! おそらくこれは聖衣の意志……。お前の悪の心に、聖衣がお前を黄金聖闘士だと認めなくなったのだ! 聖衣がない今、お前は丸裸同然!」
うむ……実際下履き以外裸だしな……。
「こ、こんなことが! ば、馬鹿な……!」
「オレはお前を許すわけにはいかない! この場で倒す! ……しかしいくら悪とはいえ、そんな無防備な相手に手を下すなどこの紫龍の誇りが許さない!」
そう言って、紫龍も聖衣を脱いだ。……以前も銀河戦争で見たには見たが、こいつも上半身裸か……。最近の若者の流行りだろうか。
ともあれ、これで勝負は純粋な小宇宙での戦いとなる。だがデスマスクよ、「自分に勝てる唯一のチャンスを無にした」とは言うが現状小宇宙の高まりで勝っているのは紫龍だぞ?
そして案の定というか、小宇宙を一時的にでも黄金以上に高めて見せた紫龍の廬山昇龍覇が決まりデスマスクの体は宙に舞った。誰がどう見ても、紫龍の完全勝利である。
(よし! よくやった! それでこそシュラの未来の弟子だ!!)
私は思わずガッツポーズを決めるが、デスマスクに死なれては困るので完全に穴に落ちていく前に念力でそれを止めると紫龍に見えないように穴の側面にデスマスクをへばりつけた。「へばぅっ!?」という声がした気がしたが、気にしてなどいられない。命が助かっただけましだと考え、せいぜいお前の宮の
とはいえ、多少慣れてるとはいえここでは私も制限をうける。まして魂のみという、むき出しの状態ではな。
……下手をしたら私まで穴に引きずられる。早く戻らねば。
私は紫龍の魂が体に戻ったことを確認した後、すぐに穴からデスマスクを引っ張り上げた。
「ぐ……く……!? き、貴様は……リュ」
「話は戻ってからだ」
もう敬語で取り繕う必要も無かろうと、ぞんざいに答えてからデスマスクを連れて
そこで戻ってから最初にデスマスクを襲ったのは、神の小宇宙を纏った沙織ちゃんの平手だった。
「あじゃぱァーッ!?」
「!?」
あまりにも突然すぎて私までも言葉を失っていると、沙織ちゃんがにっこりと笑いかけてくる。しかし次いでデスマスクに向けた瞳に宿る色は厳しい。……紫龍はもう先に進んだようだが、この音を聞きつけて戻ってきてはくれるなよ。
「今の戦い、全て見ていました。……デスマスクよ。あなたは力こそ正義であると信じ、教皇を悪と知りながらも彼についたのでしたね? ですが無力な相手や健気に祈りを捧げる少女にまで力を振るうのが正義であるというならば、わたしはそれを見過ごせません」
デスマスクについては、聖域に来る前に紫龍から多少話を聞いていたのだろう。老師を襲撃した際、奴が何か言っていたらしいからな。私は察してはいたものの、奴の口から直接教皇が悪と知りながらも従っていると聞いたことはない。
それにしても……。
「ですが言葉でいくら言おうとあなたのような方は納得しないでしょう。ならばこのわたし、
「女神よ。雄々しいのは結構なことですが……デスマスクは今の一撃で気絶しております」
「え? ……………………え?」
いや、そんなキョトンとされても。
「このままだと死んでしまうので、回復処理を施しても……?」
「え、ええ……。お願いします……。でも、今ので? 紫龍の一撃は、本当に強力なものだったのですね……」
感心したように頷く沙織ちゃんだったが、それは半分正解で半分不正解だ。
紫龍渾身の廬山昇龍覇で瀕死のところを、さらに神の小宇宙によって吹き飛ばされたデスマスク。沙織ちゃんとしてはまだ自分の小宇宙の覚醒具合を自覚していないのだろうが……。神の平手はさぞ痛かったことだろう。
私は体をぴくぴく痙攣させているデスマスクに、なんとも言えない気持ちで回復を施すのだった。
++++++++++++
一方、瞬と氷河を見守るために双児宮に残ったアイオロスだったが……。
「貴様は……!? 馬鹿な、お前は、死んだはず……!」
(……う~む……しまった……。氷河を異次元から十二宮に戻してやるまでは良かったんだが……)
何故か教皇の間で、偽教皇サガと対峙していた。
最初に書いたあとがきはアナザーディメンションされました
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17,教皇宮での邂逅
これはドラゴン紫龍が巨蟹宮にて
アンドロメダ瞬は困惑していた。それが何故かと言えば、正体不明の
(妙に重いと思ったら……)
最初その者こそが双子座の聖闘士かと身構えたが、どうにも様子がおかしい。異次元から出てくるなり着こんでいたシャツを脱ぎ顔に巻き付けるという不審極まりない行動に加え、まったく敵意が無いのだ。証拠に角チェーンは不審者を吊り上げはしたものの、現在反応をまったくみせていない。これは瞬が感じているだけでなく、アンドロメダ聖衣もこの不審者に敵意を見出していないということだ。
「あー、ごほんっ! 助かったぞ! 異次元を彷徨っていたところに偶然このチェーンが現れてな! 脱出のために掴ませてもらった!」
「は、はあ。ということは、まさかあなたも双子座の聖闘士に……?」
「まあ、そんなところだ」
シャツで顔を隠しているためどんな顔をしているかは分からないが、声は快活で嫌味が無い。話している内容は胡散臭いが。
(飛ばされた異次元で、偶然……?)
流石にその話を鵜呑みにすることは出来ない。だが男の鍛え抜かれた体躯を見るに、聖闘士かは分からないが戦う者ではあるようだ。もしや自分たちと同じように教皇に不信を抱き、十二宮に挑んた者が他にもいた、ということだろうか。
疑念を抱く瞬に、男は驚くべきことを言う。
「そういえば
「氷河を!? ……いやでも、あなた僕のチェーンに掴ったから脱出できたんですよね? なのに他の人間を、どうやって?」
「なに、白鳥座を呼び寄せるような小宇宙を感じたのでな。出口が十二宮だったから、そこに投げ飛ばしてやったまでよ」
答えになっているような、なっていないような。色々気になることはあるが、まずは根本的なことを確認しなければならない。
瞬は二本のチェーンを構えて男を見据えた。
「…………あなたは、何者ですか?」
(さて、どうしたものかな)
アイオロスは油断なくこちらの一挙手一投足を見逃すまいと緊張しているアンドロメダの聖闘士、瞬を見る。少女のような顔立ちだがその表情はまさしく戦士。本人の芯の強さが伺える、良い眼だ。
なぜアンドロメダ瞬と白鳥座氷河を陰から見守っていたアイオロスがこうして表に出てくることになってしまったかというと、原因はサガの必殺技アナザーディメンションにある。
基本的に今回自分たちはエリダヌス星座のリュサンドロスが有する、未来の情報をもとに行動している。だがその情報を知る者は本人含めて全員が、それを本当の意味で信用しているわけではない。
なにしろリュサンドロスの前世が由来だという情報はひどく断片的で曖昧、詳しく覚えているかと思えば大事なことを忘れている。つい先ほど十二宮を上る前も、オルフェがいなければダイダロスが自分たちのあずかり知らぬ場面で死んでいたかもしれないと肝を冷やしたばかりだ。ゆえにその厄介なほどに断片的で曖昧……だが的確に未来をなぞる、わずかな情報を頼りに各自が臨機応変に動くことが最重要。そのためアイオロスは先に可能性として聞いていたものの、氷河が異次元の闇に吸い込まれるのを黙って見過ごすことが出来なかったのだ。もしどうせ戻ってくるだろうと見過ごして、異次元の塵と消えましたでは洒落にならない。
アイオロスは瞬がアンドロメダチェーンに助けられ持ちこたえるのを見ると、すぐさま気配を絶ち氷河を追って異次元空間に飛び込んだ。
幸いすぐ追ったからか、氷河は発見することができた。更に都合の良いことに異次元の壁を越えて、氷河を引き寄せようとする思念を見つける。
(これは、カミュか。なるほど、私が要らぬ世話を焼かなくても氷河はきっと異次元を抜け出せていたな……)
アイオロスは納得したように頷くと、せめて手助けくらいしてやろうと異次元空間に翻弄される氷河の肉体を引き寄せ……おそらくカミュが待ち構えているであろう、十二宮へと続く異次元の裂け目へと空間の法則を無視して投げ飛ばした。氷河はこれで抜け出た先で師と対峙することになるだろうが、呼ばれているのは氷河だけ。今は共に時空を抜け出すことが出来ないため、ここはなんとか頑張ってもらうしかあるまい。一応、一度目の邂逅ではどちらかが死ぬことは無く氷河が氷漬けになるだけだと聞いている。異次元の塵になるよりは氷漬けの方がましだろう。
「!? あなたは、アイオリア……!? いや、違う。この小宇宙は……!」
投げ飛ばされる直前、アイオロスの小宇宙に保護された氷河が目を見開く。だがそれもすぐに次元の狭間に消えていった。今頃カミュが待つ十二宮のどこかに放り出されていることだろう。
「さて、何処に出るか」
一仕事終えたとばかりに一息ついたアイオロスは、うねり逆巻き流れ停止する、全ての感覚が狂ってしまいそうな異次元空間でも腕を組んで泰然としている。かつてのアイオロスならば彼とてこのアナザーディメンションに抗うのは難しかっただろう。だが十三年間、使命を胸に鍛え上げたアイオロスにとってこの空間はさざ波のようだ。受け入れて流し、帰るための
ただ元の場所に狙って戻ることは難しい。聖域という大きな範囲でならすぐにも可能なのだが、ピンポイントで双児宮……もしくは氷河が出た場所に出るとなると調整が必要だ。
そんな時だ。都合よくアンドロメダチェーンが異次元空間に割りいってきたのは。
「おお、よいところに! 氷河を探しに来たのか?」
つい反射的に掴んでしまったアイオロスだが、掴んでからチェーンに攻撃の意志を感じ、はてと「いや、このチェーンはサガの所に行こうとしているのではないか?」と思い至った。後の祭りである。
そして迷宮を作り出す双子座の聖闘士を追って空間を割いていくチェーンに連れられ、出た先は教皇宮。
……目の前にはかつて別れた友の姿があった。
「ば、馬鹿な! 次元の空間を飛び越えてこの私の体に直接攻撃してくると……は……」
チェーンの先端にある
「貴様は……!? 馬鹿な、お前は、死んだはず……!」
(……う~む……しまった……。氷河を異次元から十二宮に戻してやるまでは良かったんだが……)
現在アイオロスは変装のためのサングラスを沙織に貸し出しているため、顔を隠していない。奇しくも仮面を落とされたことで、互いに姿を偽ることなく十三年の時を超え……再び相まみえたのである。
とはいえ、時間がない。アイオロスはとっさに主人のもとに戻ろうとするチェーンを握って抑えていたが、このままでは逆に瞬が異次元に落ちてしまう。すぐに戻る力に任せ、自身も離脱を図らねば。
(それにしても、これが裏の人格か。以前はこちらも余裕が無かったが、実際に見てみると……ふむ、なるほどな。これはリュサンドロスの憶測も、間違ってはいないかもしれん)
冷静にサガを観察しながらも、アイオロスはこの場をごまかすために芝居を一つ打つことにする。この場で自分が生きていることがバレるのは、流石にまずい。
アイオロスは出来るだけ生身の気配を消し、自身を包み込むように黄金の小宇宙を揺らめかせ纏う。それに呼応したのか、飛行機内で待機していた射手座の聖衣が空気を読んで十二宮に飛んできたようだ。
瞬間、十三年ぶりに全ての黄金聖衣が十二宮でそろい聖衣が呼び合うかのように共鳴し合う。当然それを双子座の黄金聖闘士たるサガも感じ取るので、演出としてはバッチリである。
「ば、馬鹿な……!
アイオロスが「よくやったぞ、射手座聖衣よ!」と心の中で射手座聖衣に向かってサムズアップした。そして微妙に声色を変え、サガに語り掛ける。
『サガよ、時は来た。真の
「ぐ……く! 貴様、やめろ、出てくるな!」
『ど、どうかしたか?』
「ぐ……あ……! アイオロス、本当に、アイオロスなのか……!? わた、私は……! ぐうぅ……!」
急に苦しみだしたサガは、よく見れば髪の色が黄金に戻りかけている。瞳も片目だけもとの色に戻っていた。どうやら第二人格を押しのけて、本来のサガが出てきているようだ。
アイオロスは思わず演技を忘れて駆け寄りたい衝動にかられたが、ぐっと堪えて言葉を続ける。今の自分は青銅達を見守るアイオロスの魂のていで話しかけているのだ。日本で入手した私服のままのため違和感がすごいが、そこは雰囲気と射手座聖衣の演出でごり押して誤魔化すつもりである。なかなかに強引な男だが、人格の狭間で揺れる苦しみのせいなのか今のところサガはその雰囲気にのまれているようだ。
『……ッ! サガよ、安心しろ。いずれその悪はこのアイオロスの後継者たる男が打ち砕いてくれる。そして、お前は戻ってこい! 今度こそ、お前が信じる愛と勇気、正義でもって導くのだ』
「私に、そんな資格は……!」
『贖罪の念を抱くなら、それを力に変えて見せろ! かつて私が認めた男はそんな軟弱者だったのか!?』
「う、ううう……! ぐ、くぁ! え、ええい……! 忌々しい、魂の残滓めが……!」
再び苦しみだしたサガ。第二人格が元のサガを飲み込もうとしているようだが……潮時を感じチェーンに掴りアイオロスがこの場を去ろうとした時だ。
サガの手が、アイオロスにのばされた。
助けを求めるものではない。それは…………まるで何かを掴みたいかのようで。
「アイオロス、私は……!」
その言葉を耳に、アイオロスは教皇宮から姿を消した。
そんなことがあり双児宮に戻ってきたはいいが、流石にもうアイオロスの魂のふり作戦は出来まいと、瞬に顔を見られる前にとっさにシャツを脱いで顔を隠した。
だがそうして出来上がったのは何処に出しても恥ずかしくない不審者である。何者かと問われ、思いつく言葉が出てこない。
ただ一つ、言えることがあるならば。
「私は味方だ」
「信じられません」
バッサリと切られた。アイオロスは落ち込んだ。
「……あなたから敵意を感じないのは認めましょう。だからといって、信じられるかどうかは話が別です。氷河を助けてくれたことには、お礼を言いたいけど……。せめて顔を見せたらどうですか?」
もっともである。
だがここで馬鹿正直に話すことも出来ず、悩んだ末にアイオロスは……。
「うぶっ!?」
「すまんな、さらばだ! またいずれ会おう!」
…………………………………………黄金の光をも超える速度でもって瞬に自身のシャツを巻き付け視界を奪うと、何食わぬ顔で気配を消して物陰に隠れた。
「な、なんだったんだ!? いったい! ……いや、こんなことで時間を食ってる場合じゃなかった。先に進まないと」
アイオロスのシャツを床に叩きつけた瞬は腑に落ちない顔をしながらも、迷宮が晴れた双児宮を抜けていく。アイオロスもまた、そのあとを追うのであった。
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18,獅子宮
巨蟹宮。そこを未だ出ることなく、私は悩んでいた。早く紫龍と星矢を追わなければいけないというのに何を悩んでいるのかと言えば、アホ面でのびているデスマスクをどうするか、についてだ。
回復させはしたものの、よほど沙織ちゃんのビンタが効いたのかデスマスクが目を覚ます様子はない。瀕死から私の技による無理やりの回復で傷を治すと、対象者は反動でしばらく動けなくなってしまう。が、デスマスクは聖衣に見放されて丸腰とはいえ腐っても黄金聖闘士。白銀たちと同じように考えるのは危険である。聖衣に見放されたとしてもだ。
放置して肝心なところで邪魔をされても困るし、やはり気は進まんが連れていくか……。目を覚ましたらその場で再び大人しくさせればいい。聖衣も無いわけだし。
「女神、申し訳ありません。下手に放置するのは危険なので、こいつを連れていきます。オルフェに合流するまで、しばらく歩かせてしまいますが……」
「その必要はありません。デスマスクは私が持っていきましょう」
「! その声は」
思わず驚いた拍子に持ち上げかけたデスマスクを落としてしまった。……まあいいか。
声のした方を振り返ると、そこには一度金牛宮で別れたムウ殿がいた。それにアイオロスまでいるではないか! いつの間に!
「また、派手に吹っ飛ばされたな。ははっ!
「いつからそこに……」
「あなたが戻ってくる少し前に、瞬が紫龍に追いついたのです。それを追ってきた彼らとも、つい先ほど合流しました」
「お前の魂が戻ってきた時にはもういたんだが、よほど女神の張り手に面食らったようだな。回復作業にも集中していたようだし、終わるまでは声をかけなかったんだ」
「フフッ、瞬が来たときは何処に隠れようか焦りました。アイオロスとムウがそれぞれ高速でわたしたちを回収してくれなければ、見つかってしまっていたかもしれません」
アイオロスと沙織ちゃんの言葉に呆然とする。ま、まさかこれほど近くに居て気づかんとは……! 不覚……!
聖闘士にあるまじき感覚の鈍りに羞恥で顔が赤くなりそうになるが、そこは堪えて咳払いでごまかす。
「そ、そうか。待たせてしまったようだな。……紫龍と瞬は追わなかったのか?」
「なに、この距離ならすぐに追いつく。それなら先に合流しておいた方がいいだろう。……短い別れだったな」
「ああ、そうだな。ところでそちらは何か変わったことはあったか?」
私が問うと、アイオロスは一瞬目を泳がせてから「いや……」と言いかける。
「何かあったんだな」
「ま、まあそれは紫龍たちを追いながら話そうではないか! 星矢も、もう先に進んでいるんだろう? ……オルフェを信用していないわけではないが、次は獅子宮だ。出来れば早く行きたい。先を急ごう」
「…………わかった」
アイオロスの言う事はもっともだし、その心情もわかる。次の宮はアイオロスの弟、アイオリアが守護する宮だ。…………しかもサガに操られた状態の、な。アイオロスは聖域を探ってくれていた魔鈴からその事実を聞いたときは怒りに震える体も理性で抑えてみせたが、内心穏やかではないだろう。だから今はなぜ上半身裸なのかは聞かないでおいてやる。
魔鈴と言えばシャイナの説得を任せてきたが、果たして間に合っただろうか。沙織ちゃんに化けた辰巳殿の護衛は邪武たち他の青銅聖闘士達が到着せねば交代できんからな……。
「では、そろそろ無駄口を叩いていないで行きますよ。
ムウ殿に促され、私は再び沙織ちゃんを背負う。……それはいいんだが……。
「あの、ムウ殿。一応そいつも先ほどまで死にかけていたので、もう少し持ち方を……というかサイコキネシスを使えばいいのでは……」
デスマスクの運搬を引き受けてくれたムウ殿だが、どう見ても今のままだと十二宮を抜けるまでにデスマスクの顔が愉快なことになってしまう。何故ならムウ殿はデスマスクの両足だけを掴んだ状態だからだ。
……あれでは顔と上半身が地面についたまま引きずられることになり、階段ではあらゆる角にぶつけるだろう。ムウ殿、わざとか?
「ああ、それもそうですね」
思ったよりあっさり頷いたムウ殿がサイコキネシスでデスマスクを浮き上がらせるが、もし私が言わなかったらこの方はきっとそのままデスマスクを引きずっていただろうという確信がある。…………やはりムウ殿は絶対に敵に回したくないな。というか、怒らせたくない。
そして改めて先へ向かおうとした、その時だ。
「な、アイオリア!? な、何故。お前は教皇の幻朧魔皇拳に操られているはず……それに黄金聖闘士……!?」
宮の入り口から聞こえてきた声に振り返れば、そこには巨漢の雑兵服の男がひとり。片耳が無くモヒカンヘアーのその男は私もよく知っている。
「カシオスか。どうやら魔鈴の説明は間に合わなかったようだな……」
「あ、あんたはリューゼさん!? これはどういう事だ。説明してくれ! 星矢たちはどうしたんだ!?」
現れたのはシャイナの弟子であるカシオスだ。星矢とペガサス聖衣を巡ってこの聖域で競った相手でもある。
このカシオスはヒールのような立場で登場した上に、見た目通り乱暴者なのだが……幼いころから自分を指導してくれたシャイナへの親愛は本物だ。そのシャイナは幻朧魔皇拳に侵されたアイオリアに星矢が殺されると思い、怪我を押して駆けつけようとした。そしてシャイナを止め、彼女の代わりに星矢を守ろうと……自らの死をもってアイオリアの目を覚まさせたのがこの男である。初回登場時の印象を覆したその姿は、私の記憶にも強く焼き付いていた。
確かに伝説の魔拳、幻朧魔皇拳は誰かが目の前で死ななければ解けることは無いと言われている。だがみすみすこの少年を死なせることなどするものか。
「星矢たちは先に進んでいる。……お前は、シャイナの代わりに星矢たちを助けてくれようとここに来たのだろう? だが安心しろ。星矢達は死なせん。だからお前はここで戻るがいい」
「な、何がなんだか分からないのに戻れるか! というかその女、いや、その方は
……こいつ案外情報通だな……。それにここまでの宮がほぼ無人とはいえ、よく巨蟹宮までたどり着いたものだ。アルデバラン殿も通してやったのだろうか。
デスマスクが存命のため、この巨蟹宮には未だ亡者の死に顔が張り付いている。そこを通るのは流石に怖かったのか、微妙に腰が引けているがな。
「時間がありません。ここはカシオス……でしたね? あなたもわたし達と共に来なさい。説明はその道中で」
「は、はあ……」
気高い小宇宙を纏う沙織ちゃんに気おされたのか、段々と勢いがしぼんでいくカシオス。ともあれ沙織ちゃんの言う通りだ。そろそろ先に進まねば……。すでに獅子宮では星矢とアイオリアの小宇宙がぶつかっている。
「短い間だが、よろしく頼むぞカシオス! ちなみに私はアイオリアでなく、アイオリアの兄アイオロスだ」
「十三年前の逆賊の!?」
……いかんな。下手に情報通なだけに、カシオスに押し寄せている情報量が多すぎる。……まあいいか。
「今度こそ行くぞ!」
現在四時間が経過。
……火時計の四番目が、消えた。(※ダイダロスの手動で)
「遅かったな。もう戦いは結構進んでいるぞ」
オルフェの言葉に戦いを見れば、ちょうど星矢たちがアイオリアのライトニングプラズマで吹き飛ばされているところだった。アイオリアが悪鬼のごとき形相に染まり、一切の理性を残していないところを見るに一撃こそ決めたのだろうが……。三人がかりでもやはり、今のアイオリアは厳しいか。
私たちが獅子宮についたころ、戦いはアイオリア対ペガサス星矢、ドラゴン紫龍、アンドロメダ瞬という様相になっていた。それを追いオルフェと合流した私たちは、現在このエリダヌス星座のリュサンドロス、射手座のアイオロス、
ちなみにアルデバラン殿だが、ムウ殿によると私の予想通り金牛宮にて十二宮の守護を引き受けてくれたそうだ。これから他の宮の守備力ボロボロになるからな。頼んだぞ、アルデバラン殿。
「できれば私が目を覚まさせてやりたいところだが……」
「やめておけ。理性を失っているとはいえ、今お前が出れば余計にアイオリアが混乱するぞ」
「……お二人は幻朧魔皇拳の対処法を、何か用意しているんで?」
私とアイオロスの会話におずおずとカシオスが入ってくる。まあ自分の命すら捨てる覚悟で来た男だ……。当然気になるだろうな。
「リューゼ、本当にやるのですか? 一番確実なのはオルフェの技で意識を奪い、全てが終わった後にサ……教皇に直接技を解かせることでしょうが」
「我々の目的は星矢たちの成長ですからな。彼らには悪いしこちらも気分は良くないが、一人死んだ方が言い方は悪いがやる気が出る」
それにすでに他の精神支配を受けている相手にも、オルフェの技が効くか保証が無いしな。それにいくら技が優れていても、三度目ともなれば流石に星矢たちも気のせいでは済ませられないだろう。デストリップセレナーデは美しい琴の音を相手に聞かせて意識を奪う技。二度くらいなら空耳で済ませられても、多用すれば必ず怪しまれる。
カシオスを死なせないために、ここだけはどうしても私たちの誰かが代わりに死に役として出ていくしかないのだ。そしてそれは、一応彼ら全員と面識がありインパクトがありすぎない私が適任だろう。……インパクトが強すぎない、ここ重要な。
パンっと掌に拳を打ち付けて気合を入れる。
「では、逝ってくる!」
「これから死ぬ人間にしては随分と元気ですね」
ムウ殿に突っ込まれ思わず苦笑するが、その隙が良くなかった。
「…………ッ! 馬鹿言うな! 俺の代わりにあんたが死のうってのか!? あんただって俺より強いが女の人だ! シャイナさんの大事な人だ! ここで行かせたら俺ぁ一生、シャイナさんに顔向けできねぇ!!」
「!? ちょ、おま!」
何やら勘違いしたらしいカシオスが、私より先にアイオリアと星矢たちの前に飛び出してしまったのだ!!
おい待てカシオス! 私は本当に死ぬ気などありはしないぞ! ただ特別に調合した薬草で仮死状態を作り血のりとセットで演技をだな!? 万が一があっても回復が得意な私がその役をだな!?
ええい、ここで死なせぬ相手はお前だというのに何をしている!! このメンバーの不意をつけたのは凄いが、どうせならそのポテンシャルを生きて聖闘士になるため使わんか!
だが星矢たちに視認されたカシオスを追うわけにもいかず、歯噛みしつつその場にとどまる。
カシオスはアイオリアの前に立ちふさがると、星矢たちを背にかばいその狂拳を押しとどめた。
「お、お前はカシオス!?」
「ぬ、ぬおぉ~! 星矢、ここは俺が抑える! お前は早く先へ行け! アイオリアは教皇の幻朧魔皇拳にやられて洗脳された状態なのだ! 目の前で人が死なない限り、元のアイオリアには戻らん!!」
そして星矢たちに全部説明してくれた! アイオリアの拳を一瞬でも抑えながらそのセリフを言い切るとは見上げたものだが、まずい。このままでは……!
「私がシャイナに、顔向けできんだろうが……!」
カシオスは、躊躇なく自らの腹を貫いた。
「お前が死ぬと、悲しむ人がいるんでな……。俺にとって、女神とは、あの人のこと……だ……」
その言葉を最期に、カシオスはこと切れた。
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19 運命は変わりゆく
結果的に言えば、カシオスは死ななかった。
当然だ。私は以前
サガの幻朧魔皇拳にかけられた者は誰かの死を見なければ洗脳が解けることはない。私はそれを仮死状態で解決するつもりだったが……伝説の魔拳の原理が分からない以上、そんな仮初の死で欺けたのかは実のところ分からなかった。だからこそカシオスの真に体を張った行為には私もまた、心から敬意を表する。
その……どうにも私が代わりに死ぬと思ったこともあって、飛び出してくれたようだしな。一番は私自身でなく私と交流のあったシャイナのためだろうが。
それでもなかなか嬉しかったぞ。飛び出した直後は引っぱたいてやりたかったが。
シャイナめ、いい弟子を育てたじゃないか。
しかも九死に一生を得たカシオスなのだが……。
「なんだ、この内から湧き上がってくるような力は! まさか、
死に瀕した影響なのか、己の中の小宇宙を爆発させる感覚を掴んだようだ。
私の回復技であるライフストリームエナジーは確かに相手の小宇宙を無理やり燃焼させる技だが、一時的なものであるためこれをきっかけに小宇宙……セブンセンシズやエイトセンシズに目覚めるのは本来難しいはずだが……。
「もしやこいつ、天才か?」
「というより、もともとシャイナの指導で地力はあったのでしょうね。ただきっかけが無かった。その燻ってた力の蓋を無理やりこじ開けた状態が今というわけです。まあそれも、運がよかったとしか言いようがありませんが」
冷静に分析するのはムウ殿だ。まあ……これで未来の聖闘士候補が増えたのは良いことだな。
そう満足していた私たちだが、ぼそりと不満のこもったボヤキが部屋の隅から聞こえてきた。
「くッ、何故俺がこんな雑兵ごときを助けねばならんのだ……」
出どころは半裸男その一……デスマスクである。ちなみに半裸男その二はアイオロスだ。何故半裸の男が二人も居るのか……うら若き乙女たる沙織ちゃんがいるのだぞ。今さらと言えば、今さらだが。
実は体の回復自体は問題なかったものの、カシオスの魂が完全に体から抜け出てあの世に旅立ってしまっていた。このままでは生きていても植物状態だと、急遽デスマスクを叩き起こして協力させたというわけだ。最初は紫龍の時のように沙織ちゃんがやると言ったのだが、流石にそう何度も女神の手を煩わせるのはどうかと周りが止めた。
デスマスクは当然拒むものと思っていたが、ぐるりと自分を囲む面々を見回した奴は大きくため息をついただけで……思いのほかすんなりと、カシオスの魂を積尸気から連れ戻してくれた。
これには私も驚いたが、デスマスクのどこかゲームに負けた子供のような拗ねた様子を見て、すとんと腑に落ちるものがあった。
……変えたのは紫龍か、それとも沙織ちゃんか、蟹座の聖衣か。
いや全部か。相当手痛く鼻っ柱をへし折られたからな。
表面上はどうあれ、この男の中で何かが切り替わったようだ。昔から、どこか冷めた部分のあった子である。頭も悪くはないことだし、この場で勝ち目がないのを冷静に見極めたというのもあるだろう。……指をさして笑ってやりたいところだが、今は一仕事してくれたのだしやめておくか。
まあそれはそれとして、後で老師からのきつい灸が待っているだろうが。可愛い孫娘を手にかけようとした罪は重いぞ。
さて、少々時間をかけてしまった。カシオスが無事回復したことは喜ばしいが、我々は先を急がねば。
「ということで、アイオリアに説明を頼んだぞアイオロス」
「先に行っていますよ、アイオロス。十三年ぶりの再会です。兄弟水入らずで話してきてくださいね」
「デスマスクは邪魔なので置いていきますよアイオロス。貴方たちでこのあと連れてくるかどうか判断してください」
「先に行っていますよアイオロス殿。あと、カシオスだったね。君は十二宮を下って師匠に無事を知らせに行くといい。きっと心配している」
私、沙織ちゃん、ムウ殿、オルフェと続けざまに隠すことなくアイオロスの名を呼び、背中や肩を叩いてからぞろぞろと獅子宮を通過していく。
それをやや引きつった顔で見送ったアイオロスは……弔おうとしていたカシオスの遺体を生者に戻した一団を前に、らしくもなく呆然としている
私より先に唯一の身内と向き合うことになったわけだが……。それは最初から分かっていたことだ。
「頑張れよ、アイオロス」
処女宮への階段を上る途中、何故か獅子宮から「ライトニングプラズマー!」と聞こえたのはきっと空耳だろう。
…………私もシュラに真実を告げた時、エクスカリバーの一本も覚悟しておくべきだろうか。
そしてようやく半分。六番目の宮となる処女宮に到着したわけだが……その直前で私たちはまたもや隠れる羽目になる。何故かといえば階下から小宇宙を滾らせた
今度ばかりは階段に身を伏せて隠れることもできず、やむを得なくフィジカル任せに階段脇にある岩壁に各自飛びのいた。
「む? 今何かいた気がしたが……」
(い、いいからさっさと先に行け!)
多分弟たちがピンチだぞ! 相手はあのシャカ殿だからな!!
いや……それにしても、そうか。ここで一輝が来るのだったか。カシオスもそうだが、そりゃあテレポート不可能な十二宮だ。普通に下から登ってくるよな。これでもう心配は無いだろうが、前後で挟まれる分隠密行動は骨が折れるぞ。
というか獅子宮も……抜けてきたのか……。アイオロスとアイオリアが今どうなっているか知らんが、それを見ただろう一輝の反応が気になる。
幸いにもちんたらしている場合ではないと気づいたのか、訝しみながらも一輝は炎を発するがごとく小宇宙を纏い処女宮へ全力疾走していった。
「どうやら完全に怪我は治ったようだな……」
「確か彼はカノン島で療養していたのでしたか。あそこは昔から聖闘士が傷を癒す場所として知られていますからね」
「まあ、そのようなところがあるのですか」
へばりついていた壁面から階段に降りて一息つく。一輝が通り過ぎて行ったあとの空気が、心なしか熱く感じた。
私が背負っているとはいえさっきから幾度か無茶な動きに付き合わせているが……沙織ちゃんは案外ケロッとしているな。流石は戦女神と言うべきか、それとも光政翁の教育というべきか。とにかく逞しくお育ちのようだ。
むう……。そういえば、シャカ殿もまたこの十二宮では死ぬはずのない方だ。油断はありえぬが、ここでは誰かを助けることなく戦いの行く末を見守るだけになりそうだな。むしろ勘の鋭いシャカ殿に見つからぬよう、出来るだけ少ない人数で窺うべきか。
その懸念を述べるとシャカ殿が女神の小宇宙には特に敏感かもしれないという事で、処女宮での戦いを見守るため私とオルフェが行くことになった。処女宮での戦いが終わり星矢達が先に進むまでは、ムウ殿に護衛してもらいながら沙織ちゃんは待機だ。
十二宮突入から五時間が経過。獅子宮の火が消える。
…………このまま最後まで誰も死なせること無く運命を超え、駆け抜けてやるとも。
現在死者、零名。
ちょっと短め繋ぎ回。兄弟の邂逅は次回以降に
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20,処女宮
始めは鏡を見ているのかと思った。次いで先日のように、兄の魂が再び自分に語り掛けるべく現れたのかとも思った。
だが違う。自分より落ち着いた色合いの茶髪寄りの金髪はかつて追いかけた背中と重なるし、たとえ若々しく見えても……今のアイオリアよりも、そして記憶にある兄よりも確実に年月を重ねた顔立ちだ。
生きて、月日を重ねてきたのだと。
困惑するアイオリアの行動は、ただひとつ。
『ライトニングプラズマぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』
「いや待てアイオリア!?」
脳で受け入れようとも体が、心が素直にその事実を受け入れられない。となれば欲するのはさらなる確証。
結果アイオリアは「兄ならこの程度の攻撃、当然避けられるはずだ」と考え、迷うことなく小宇宙を高め技を放ったのである。病院で
しかしその行動が悲劇を生むことなく、彼が目した通り…………男は、自らの兄であるアイオロスはアイオリアが放った拳に無様に打ちのめされること無く対応して見せた。それも避けるという形でなく一秒間に一億発も放たれる閃光のごとき高速の拳を、全てその手で受け止め相殺してみせたのである。
一発だけ、アイオロスの頬を拳がかすめ血が流れた。アイオロスはライトニングプラズマの拳の嵐が過ぎ去ると、その血をぐいっと豪快にぬぐう。
そしてアイオリアにとって遠い記憶の中にあった……懐かしい笑みを浮かべてみせた。
「強くなったな、アイオリア」
「…………これだけ完璧に防がれては、説得力が無いな。形無しだ」
「ははっ、違いない。だがそれは私がもっと強くなったからだ」
「そう……か……」
間違いなく渾身の力で放った拳を真正面から受け止められ、これ以上出てくる言葉が無い。
本当は言いたいことが、問いただしたいことがたくさんある。普段見ないふりをしながらも、十三年間葛藤し続け渦巻いた様々な感情も胸に沈殿していた。
しかし目の前の男はそんなものを全て吹き飛ばしてしまうほどに、あまりにも自然体で。
理不尽なほどに大らかで、淀みを空の彼方へ連れ去るがような、風のような小宇宙はなんだ。この気持ちはなんだ。その姿に湧き上がる怒りも確かにあるのに、心は驚くほどに穏やかだ。
一瞬。青く澄み渡った空の下……草原で吹き抜ける風に煽られたようなイメージが脳裏をかすめた。
「ずるいな、あなたは」
「ん?」
「いや、なんでもない」
ぼそりと零れたのはあまりにも子供っぽい本音だった。聞こえなかったのは幸いだ。
だが何か勘違いしたのか、アイオロスは途端にばつの悪そうな顔になり頭部をかく。
「まあ、なんだ。……流石に今の技は受けるわけにはいかんが、それとは別に一発殴れ」
その言葉にわずかばかり逡巡するも、気づけば拳は握られていた。後の行動は早く、振りかぶった拳がまっすぐに自分と似た顔に吸い込まれていく。……拳に伝わってきたのは紛れもなく実体のない亡霊でなく、生身の人間の体温。
この瞬間十三年の時を経て、一組の兄弟の時間は再び動き始めたのだ。
ちなみに初手ライトニングプラズマに聖衣もなく無防備だった某蟹星座が余波を受け、獅子宮のすみに転がっていたのは余談である。
+++++++++
いざ見守り始めた処女宮での戦いであるが、私とオルフェがひっそりと宮に入ったころには戦況はそれなりに進んでいた。先ほども獅子宮にて似た様相を呈したものの……シャカ殿に歯が立たなかったのか、星矢、瞬、紫龍は床に転がって気絶している。自身を遥かにしのぐ強敵との連戦に次ぐ連戦なのだから、当然といえば当然の結果だ。
そして彼らを守るべく今シャカ殿と戦っているのはフェニックス一輝である。シャカ殿の攻撃は精神に影響するものが多いため一輝が一方的に攻撃し、いなされている以外は彼にどんな攻撃がされているか可視するのは難しい。だが着実に一輝は追い詰められているようだ。一度は聖衣も破壊された。
……不死鳥の聖衣は黄金聖衣にも備わっていない瞬時に完璧な状態に戻る恐るべき自己修復機能を備えてはいるが、いくら蘇ろうがそれもまた破壊される。
……話の内容を聞くに、シャカ殿の
「恐ろしい男だな、あのシャカという方は」
「ああ。もっとも神に近い男と言われているだけある」
共に様子を伺っていたオルフェも思わずと言ったように喉を鳴らして唾を飲み込む。その顔には冷や汗も見て取れた。……私も似たような顔をしているのだろうな。あの方は幼いころから浮世離れしていたが、成長するにつれそれに拍車がかかっている。正直今ここに隠れていることも見透かされていそうな気さえするぞ。
「あの方には僕のデストリップセレナーデも効果があるか怪しいな……。なんというか、かかってくれるイメージが湧かないんだ。見ているだけでこちらまで惑わされそうになる」
「確かにな。……それにしても、人の本質を見抜く力が逆に仇となっているとは……」
先ほど「お前ほどの男が何故教皇に加担しているのか、お前も悪の片割れなのか」という一輝の問いに対してシャカ殿は教皇の本質は正義だと答えた。
……確かに、それは正しい。だが間違ってもいる。何故なら本来のサガは間違いなく善性を持つ者でありながら、その裏に潜む人格は真逆の心を備えているからだ。
サガの体本来の持ち主は表のサガ。ゆえに真の心が正義だとシャカ殿は見抜いたのだろうが……それが逆に真実から遠ざける要因となってしまったのだ。
だからこそこの戦いが終わった後、説得自体は容易だろうが。その真実を見抜く目をもってすれば、
(それにしても……一輝め。大した男だ)
凄まじい小宇宙を使ったばかりにシャカ殿と時空の狭間に消えてしまったが、捉えにくいものの二人の小宇宙は健在だ。双方しぶとい男ゆえ、死ぬことはあるまい。帰還するためには誰かの手助けが必要だろうがな。
「その役目は私は引き受けましょう」
「ムウ殿」
一輝の犠牲(生きているのだが)を乗り越えて先へ進む星矢達を見送りつつ思案していると、宮の外で待機していたムウ殿と沙織ちゃんが中に入ってきた。
「シャカだけならば時空の狭間と言えど帰還は容易ですが、あれだけ小宇宙を燃焼しつくした今の一輝では難しい。私がサイコキネシスで出口まで誘導します」
「そうか……。ならば、頼みます」
やっと半分だ。一輝の……不死鳥の男の事だ。何もせずとも舞い戻ってくる気もするが、実際に視覚の範囲外に行かれてしまうと途端に不安になる。成長は促したいが、万が一があってはダメなのだ。ここはムウ殿に任せよう。
「では、わたし達は先に進みましょう。……消えた氷河の小宇宙も気がかりです」
「かしこまりました」
沙織ちゃんに促され、今度は私とオルフェ、沙織ちゃんの三人で次の宮へ。
命をつなぎとめるべき相手は残り四人。……先はまだまだ長そうだ。
決死の覚悟で戦う青銅たちを陰から見守るだけというのは彼らの頑張りが素晴らしいものであればあるほどもどかしいが、私たちには私たちの役目がある。それを忘れてはいけない。
緊張を緩めぬために気を引き締めなおしていると、背中を豪快に叩かれて前につんのめってしまった。痛いわ、この馬鹿力め!
「お、間に合ったか!」
「! アイオロス。アイオリアとは、もういいのか?」
「ああ。だいたいの説明はした後、宮の守護とデスマスクを任せてきた。流石に本来の十二宮守護の役割をアルデバラン一人に負わせるわけにはいかないからな」
天秤宮へ行く前に、どうやらアイオリアに説明を終えたらしいアイオロスが追い付いてきた。その表情は明るいのできっと再会は悪いものにはならなかったんだろうが……うむ。顔の片面が派手に腫れあがって一瞬誰か分からない感じになっているな……。やはり私もシュラの時を考えて覚悟を決めておくか……。
三人改め、当初の四人。
十二宮の階段はまだ長く遠く、続いている。
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21,天秤宮
私が救命用に作り出した技であるライフストリームエナジー……聖闘士星矢らしくするなら漫画の吹き出しの関係でLSEとでも略されていただろうが、自分の小宇宙を用いて相手の小宇宙を誘爆、無理やり燃焼させて回復を促す技である。
しかし今思えばこの技、瞬がイメージの元だったかもしれんな。
現在天秤宮に居るのは瞬と、先ほどまで氷漬けにされていた氷河の二人。星矢と紫龍は瞬に促され先に進んでいる。
瞬が今何をしているかと言えば、氷漬けにより著しく生命力が低下している氷河に寄り添い自らの小宇宙を激しく燃焼させ、体温を取り戻させようとしているのだ。
だがその燃焼は自分の命を顧みない、優しすぎるがゆえの自己犠牲ともいえる精神で行われている。瞬にしてみれば先ほど兄が死んだと思い込んでいるのだ。これ以上犠牲を出したくないのだろう。
師であるカミュ殿によって天秤宮にて……特大の氷の棺に納められていた氷河。現在
今は救出した氷河を瞬が助けようとしているわけだが……回復のために小宇宙を使った経験が少ないのだろう。見ていてその使い方があまりにも危うい。
「事が終わったら、私の技を教えてみるか……」
「相手を攻撃するのでなく、回復させるための小宇宙の使い道。瞬には相性がいいかもしれんな」
ぼそりとつぶやけばアイオロスが同意する。私も白銀連中から始まり、実戦で技の精度を磨いてこられたわけだしな。誰かに教えられる程度の練度は身に着けられたことだろう。
「そ、それにしても本当に見守るだけというのは歯がゆいですね……! リューゼ、ちょっとだけ。ちょっとだけですから、小宇宙を氷河と瞬に送ってはいけませんか?」
「私も出来ればそうしたいのですが、これも彼らの試練の一つです。今は抑えてください」
「でも……」
ハラハラと氷河と瞬を見ていた沙織ちゃんが私の服のすそを引っ張って問うてくるが、ここは間違いなく瞬と氷河の成長のファクターとなるため我慢していただこう。巨蟹宮の時、紫龍の魂を呼び戻すのには協力していただいたが……むう、難しいな……。
「いざとなれば私がどうにかしますから、
「自分たちの戦士といえば……魔鈴と辰巳殿のところに、そろそろ他の青銅達は到着しただろうか」
「む、そういえば」
そのころ、十二宮階下にて。
十二宮に挑む無謀な反逆者達の情報が広がったことによって、
そこにようやく、
「あんたたち、遅いよ! 事情は後だ。ここでお嬢さんを守りな」
「お、遅い……!? い、言われずとも! そのつもりで来たのだ! お嬢様の髪一本にも触らせんさ!」
来るなり「遅い」と言われ一瞬ひるむも、自分たちも覚悟をもってこの場に来たのだ。すぐさま邪武が言い返し各自表情を引き締める。
だが場を彼らに任せ何処かへ走っていく魔鈴を見送った後、改めて倒れ伏しているお嬢様を見て固まる一同。
「お前たち、護衛は頼んだぞ! 今は俺が……いや、わたしが城戸沙織ヨォ! これはお嬢様の命令でもあるワ! わたしをお嬢様というていで守るのですワヨ!」
「………………」
「お、おい邪武、しっかりしろ!」
「これはいったいどういう……!?」
「お嬢様が化け物になったぞ……」
「くッ、なかなか美しいじゃないか……!」
「市!?」
使命を胸に再び終結した銀河戦争経験者である青銅聖闘士達。
彼らは徳丸辰巳扮する巨漢お嬢様を前に約一名が気絶しかけたり、約一名が美しさについて新たな道を見つけそうになったりしていた。
もう一方、ところ変わってギリシャ
天秤座の聖闘士である童虎は、デスマスクの攻撃的小宇宙で危うく死にかけた春麗を寝台に寝かせてから再び滝の前に坐していた。
十三年前……共に前聖戦を生き抜いた教皇シオンが何者かに殺され、成り代わられた。それ以降童虎に幾度となく聖域から招集命令が下ったが、本物の教皇ならばそれが不可能であると知っているはず。……童虎が二百年以上もこの地で、ハーデスの魔星達の封印を見張っていることを知る本物の教皇ならば。
偽の教皇について、その正体を確信をもって知ったのが数年前。自身と同じく聖域の招集に応じず、ジャミールへと引きこもり聖衣の修復師としての役目だけを果たしていたムウの来訪がきっかけだ。
彼は二人の人間を伴っていた。一人は逆賊の汚名をかぶせられ死したはずの射手座のアイオロス。もう一人は見覚えのない女聖闘士であったが……事情を聞いて、その女がよく知る知人であることに驚いた。
エリダヌス星座のリュサンドロス。
彼はせわしなく他の聖闘士達を補佐しながら動き回る聖闘士であったが、ある時から年に一度ほど……この五老峰を訪れるようになった。丁度山で春麗を拾った頃だ。
二百年以上も生きているとはいえ、幼い聖闘士候補生を世話したことはあれど流石に赤子まで面倒を見たことなどなかった童虎。拾って育てることまでは決めたものの、当時はかなり苦労したのを覚えている。多少の移動は可能なれど、滝から遠く離れられないのも子育てには障害だった。
そんな時だ。聖域からの書状を届けに来たのがリュサンドロスであり、彼は春麗になんとか木の匙を使って牛の乳を与えようとしていた童虎を見て慌てて育児に必要な道具をそろえてきた。生まれたばかりの人の赤子に牛の乳は成分が違いすぎて駄目だと随分叱られたのは、今思い出しても笑ってしまう。とても助かったのだが、巨漢の
それから年に一度ほど、リュサンドロスは童虎に代わって生活に必要な道具を届けてくれるようになった。それまでも必要なものがあれば、シオンの指示もあったため時折訪れる使者に頼めば必要なものは手に入った。だがリュサンドロスが自主的にそろえてくれる品物は細かいところまで配慮が行き届いており、春麗を育てるのにずいぶん助けられたように思う。聞けば彼にも息子がいるようで、会える機会こそ少なかったが赤子の時よく妻に怒られながら世話をした経験があったらしい。
その知人が何故女の姿になっているのかと聞けば、任務先で古代の神に呪われたというのだから不憫なものだ。死に直結するような呪いでなかっただけ、運がいいのかもしれないが。
しかし彼らの本題はそのようなことではない。……驚くことに、シオンにとってかわった偽教皇の正体、そしてこれから起こりうる未来の可能性を話しに来たのだ。
信じるまでに紆余曲折はあったが、最終的にリュサンドロスがもたらした未来の情報を活かし地上にとっても聖域にとっても最良の未来をつかみ取るべく行動していく方針に決まった。……童虎に施された不死の秘法、
先ほど遠く離れた聖域から
自分はここから動けないが、今後の女神の戦いを支える若き聖闘士……彼らの戦いは成長を伴いながら中盤に差し掛かっている。
「頼んだぞ、アイオロス、リュサンドロス、ムウよ。内乱などつまらぬことで、誰も死なせてはならぬ」
天秤座の黄金聖闘士はそう祈りながらも、復活の兆しを見せ始めた遠方の巨塔……魔星の封印に鋭い視線を送るのだった。
春麗を育てる関係で流石に滝の前から一歩も動かないのはちょっと難しいかなと。多少の範囲内なら動ける、という解釈で書いています。
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22,天蠍宮
いい加減私たちの尾行も慣れたものになってきたところで、現在は
……実はこれについて嫌な予感がして、以前アイオロスに問いただしたことがある。まさか人馬宮地下に妙な施設を作っていないだろうな? と。これは否定されることを前提で問うたものだ。だが私の予想は悪い方向へ外れることとなる。
「何故そのことを!?」
当時返ってきた答えがこれだ! おい!
本来原作の漫画における人馬宮では、射手座聖衣を介して星矢たちがアイオロスが残したメッセージを受け取るだけだった。だが何故かアニメにおいては尺稼ぎなのか、人馬宮は謎の罠が多く仕掛けられた他の宮からして異色の仕様となっていたのだ。「何故こんなアスレチックに?」というネットか何かで見た感想文が印象強くて私もよく覚えているぞ……。この記憶は完全に「ネタ枠」というカテゴリーで覚えている。
ここまで漫画仕様で来たというのに何故そこだけアニメ仕様なのだアイオロスよ!!
「おい、本当に罠は作動しないんだろうな……?」
「あ、ああ。もちろんだ。あれはもともと私が自分のトレーニング用に作っていたもので、対侵入者用ではない。そもそも宮内に崖だの洞窟だの作るわけがないだろう」
念を押す私にアイオロスが少々目を泳がせながら言う。……"作れない"ではなく"作らない"というニュアンスで言うあたり、怪しい。天を裂き大地をも割る聖闘士の頂点に立つべき黄金聖闘士……作ろうと思えば作れるのではないか? 実際そこまでいかなくとも、トレーニング用の罠とやらは作っていたようだし。
疑わしい目で見る私になおもアイオロスは言い募る。
「じょ、常識的に考えてだな、神聖な宮をそこまで自分勝手に弄らぬわ!」
「もし地下にもとから鍾乳洞のような空間があったら?」
「………………………………………………………………………………。いや、作らん! 誘導するんじゃない!」
「沈黙が長いわ!」
「シーッですわ! お二人とも、お静かに!」
「も、申し訳ない……」
「すみません……」
怒られてしまった……。オルフェから突き刺さる「何をやっているのだこの人たちは」と言いたげな視線が痛い……。
「と、ともかくだな。お前は自分の宮に責任を持つべく先に行け。この戦いは私たちで見届けるから」
「この真剣勝負の間を抜けて行けと?」
アイオロスの言う通り、氷河は格上相手にも必死に食らいつき、ミロもまたそんな氷河の姿に心打たれたのか青銅とあなどることなく真剣に正面から相手をしている。その戦いは見事というしかなく、この中に水を差す行為など野暮でしかないが……しかたがあるまい。万が一特に成長にもつながらず、悪戯に星矢達の体力を消耗させるようなことがあっては困る。
「アイオロス、もしよければこれを……」
その微妙な空気を気遣ってか、沙織ちゃんが差し出したのは私が貸していた変装用のコートだ。それを受け取りながらもアイオロスは疑問符を浮かべる。
「これは……?」
「もしや……」
私はここに来るまでに少々煤けてしまったコートを見る。……色合い的に、天蠍宮の床の色に似ていなくもない。
「ご、ご厚意痛み入ります
ようやく沙織ちゃんの意図をくみ取ったアイオロスがぎこちない笑顔を浮かべ、コートを頭から羽織ると地に伏せた。そしてそのまま光速を誇る黄金聖闘士の力をもって……全力の匍匐前進を開始。
『ダイアモンドダストー!!』
『スカーレットニードル アンタレス!!』
佳境に入っていた戦い。互いにこれが決着の技になると分かっていたからか、幸いにも氷河とミロの注意は膝から下に向いていなかった。そのためアイオロスは無事に二人の横を通り天蠍宮を抜けていったのだが……。
その姿に哀愁を感じたのは、きっと気のせいではなかったことだろう。
氷河はミロのスカーレットニードルの止めの一撃、アンタレスを受けて倒れるも、ミロの星命点を見事について見せた。そのことで纏っていたのが黄金聖衣でなければ負けていたのは自分だったと、ミロは戦いには勝てど勝負に負けたことを認めた。そして氷河への敬意と教皇に向ける不信感が生じた結果、ミロは氷河の真央点を突き先へ進ませるという決断を下す。「お前たちがこの戦い、何処まで行けるか見てみたくなった」と……。
青銅聖闘士達は自身の成長だけでなく、その眩いばかりの若き小宇宙を燃やすことによって黄金達の意識も変えながら進んでいるようだな。
「まあ、それはそれとして……だ。おい、ミロ殿!」
「! お前は……! エリダヌスのリューゼか? 行方をくらませていたお前が何故ここに居る! それにそっちはまさか琴座……?」
「今から説明する。それよりもミロ殿……御前だ」
「……何?」
「女神の御前だと言っている」
「!!」
後ろにいた沙織ちゃんを示し、見本となるべく跪いて
「初めまして、蠍星座のミロ。わたしは城戸沙織……。あなた方が
「ど、どういうことだ……。城戸沙織は黄金の矢に倒れたと……」
「あれはわたしの影武者。わたしはこうして健在ですが……わけあって星矢たちの小宇宙の成長を見守りながら、わたしたちもまた教皇宮を目指しているのです。正義に仇なす偽の教皇を討つために!」
ぴしゃりとした言葉にミロ殿は思わずといった風に跪いていた。
「! お、俺は何を……」
「ミロ殿、それは恥ずべきことではない。我らが奉じ、仕えるべきお方の前だ。自然と体が動こうというものだろう」
オルフェの言葉にばっと顔を上げたミロ殿がまじまじと沙織ちゃんを見る。沙織ちゃんもまた、臆することなくそれを見つめ返した。亜麻色の髪は赤みを帯びた神秘的な色合いへと変化し、瞳もまた虹彩が神秘的な碧とも翠ともつかない光を帯びる。その神気にミロ殿は気おされたように一瞬言葉を失った。
数秒ののち、ミロ殿は絞り出すように苦し気な声を発する。
「…………! 貴女が、本当に
「ああ、アイオロスならさっきそこを通らせてもらったぞ」
「は?」
私の言葉にミロ殿が「何を言っているんだこいつ」という視線を向けてきた。いやしかし、一応言っておかねばならんしな……。
「アイオロスは生きている。今は女神をお助けするべく私たちと共に動いているぞ。今は人馬宮へ先に向かってもらった」
簡潔に述べればミロ殿は一度に押し付けられた情報量に頭を悩ませているのか、眉間に皺をよせながら目を瞑った。
「あ~……すまん。少々、追いつかん……」
「いいのですよ、ミロ。ゆっくり理解してくれたらよいのです。……どうやらわたしの事は信じてくれたようですしね。これも氷河のおかげでしょうか」
「それもありますが、こうも雄大な小宇宙を間近で見せられてしまいましては……ね」
ミロ殿は苦笑すると、改めて姿勢を正しきびきびとした動作で沙織ちゃんに頭を垂れた。
「蠍星座《スコーピオン》のミロ、ここに貴方様への忠誠を誓いましょう。十三年間騙されてきた無知なる我らへの制裁は謹んで受け入れる所存です」
「制裁など誰が下せましょうか。偽の教皇のもとでとはいえ、聖域を離れていたわたしの代わりにあなた方は
「なんと慈悲深い……」
感動したように沙織ちゃんを見つめるミロ殿。どうやらここは穏便に通過できそうだな。
「! そうだこうしてはおられん! カミュ達にテレパシーですぐこの事実を……!」
「わー! 待て待てミロ殿!」
「連絡はお待ちください! あのあの、事情があってですね! 星矢達にはこのまま戦いながら進んでもらわねばならなくて!」
肝心の偽教皇の正体など話を最後まで聞かないままにテレパシーを使おうとするミロ殿に、私とそれまでの神秘的な雰囲気を放り投げた沙織ちゃんが止めに入る。
「な!? そんな、無謀だ! 確かに俺は奴らが何処まで戦えるか見届けたいと思ったが、こうして迷いが晴れた今、一丸となって教皇を討つべきではないのか!? じゃない、ないのですか!」
「それもそうなんだがまず話を聞いてくれると嬉しいんですがね!」
ミロ殿の言うことももっともなんだがな! そりゃあ黄金一丸となってかかればいくら裏サガといえど勝つのは難しいだろうよ! だが今ここでそれはダメだ! 最低限、最低限この十二宮での成長を経てもらわねばこの先の戦いが危うい! ポセイドン、ハーデスとの戦いを盤石のものとするべくこうして歯がゆい思いをしながら見守っているのだから!
この後ミロ殿に説明、説得をしている間に天蠍宮の火が消えた。
残る宮は四つ! ……我が息子、シュラが待つ宮も近い。
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23,人馬宮
星矢達を追ってリュサンドロス達よりも先に人馬宮への階段を上ってきたアイオロス。
現在彼はとてつもなくいたたまれない気分の只中にあった。
──────── ここを訪れし少年たちよ、君らに
砕かれた壁面から出てきたその遺書を前に少年が四人、溢れ出る涙を抑えようともせず泣いている。体の底から溢れ出てくる熱い心と感動に動かされるままに流す涙。そこに女々しさなど欠片もなく、彼らの若き魂の雄々しさと純粋さが見て取れた。彼らの感情は一心に言葉を遺した"今は亡き"アイオロスに向けられており、小宇宙と感情の波はまるでテレパシーのようにアイオロスへと押し寄せる。わざわざ探ろうとしなくても、四人の少年が今何を考えているのか赤裸々に伝わってくるほどだ。
気絶するほど小宇宙を使い切っていた瞬が目を覚ましたことや、無事に天蠍宮を通過した氷河が合流できたことなどは喜ばしい。喜ばしいのだが……。
「
「オレ達にアイオロスは
「もっともかけがえのないものを託してくれた……」
「オレ達を本当の男と認めてくれたのだな……」
紫龍、星矢、瞬、氷河。続けざまに遺書の感想を述べられ、じわじわと顔に熱が集まってくる。
「アイオロスの熱い思いが、あのわずかな遺書から伝わってくるようだぜ」
(う、うおおおおおおおおおおお!!)
止めの星矢の一言に、たまらずアイオロスは頭を抱えてうずくまった。
この人馬宮には先ほど空気を読んで城戸家の飛行機から飛んできた、射手座の聖衣が待機していた。……思いがけず教皇宮にてサガと対面してしまったアイオロスがとっさに行った「これは生アイオロスでなくアイオロスの魂」という雰囲気作りを、黄金聖衣が全てそろった共鳴で演出したのである。主人のピンチに駆けつける、まさに聖衣の鑑であった。
しかしその射手座聖衣……星矢達が人馬宮に入ってきたことを察知して何やら気を利かせたようなのだ。何をしたかと言えば書いた本人ですら忘れていた十三年前の遺書を、星矢達に見せるべく壁を矢で居抜いて砕き、掘り起こしたのである。
薄い石壁のひとつ奥の壁面に刻まれたその遺書は、確かに逆賊の汚名を着せられ
神殿よりサガの魔手から幼い女神を救い出したものの、ほとんど直感で自分の命は助からないだろうと感じ取っていたアイオロス。ゆえに短いながら、最期にと自宮の壁へ後を託す者たちへ向けた言葉を遺した。
当時としては自分がいなくなっても
とにかく咄嗟のことだからこそ余計に、心に浮かんだ素直な気持ちを記した。赤子をかかえて逃げる途中でよく短いとはいえ遺書なんて書いていられたものだと……アイオロスは自分の事ながら感心する。
が、遺書を書いた本人は現在ぴんぴん生きている。
リュサンドロスに助けられなければ死んでいた可能性が大きかったとはいえ、とても元気だ。
そんな折に突然掘り起こされた過去の手紙を目の前で読まれ、あまつ感動され涙まで流される…………。さしものアイオロスも、それには羞恥心で身もだえそうになった。
(せ、せっかく隠されていたのに、射手座聖衣よ……! 何故わざわざ掘り起こした……! というかリュサンドロス! このことを教えてくれてもよかったのではないか!?)
リュサンドロスとしては人馬宮に万が一、アニメ版聖闘士星矢のように罠が仕掛けられていないかの方が気が気でならなかった。しかも書いた本人が忘れているとは思わず、伝え忘れていたのだ。
そのまま隠されていればいいものを、まさか聖衣が必要以上に空気を読むとはアイオロスとしては計算外である。心なしか褒めてほしそうな小宇宙を
(まあいい……。後で会った時、私が多少気まずい思いをすればすむことだ……)
どんな顔をして彼らの前に現れればいいのか分からないが、過ぎてしまった事、見られてしまったものは仕方がない。やや顔を引きつらせながらもそう割り切ったアイオロスは、改めて先へ進む星矢達を見守ろうと心を切り替えたのだが……。
キリキリキリ。
そんな弓の弦を引き絞るような音に「ん?」とアイオロスは顔を上げた。星矢達も音に気付いて振り向く。
五者の視線の先に鎮座するのは、矢をつがえた射手座聖衣。
矢をつがえた射手座聖衣。
「待ッ!?」
アイオロスが止める間もなく、聖衣は壁を壊した時同様に矢を放った。それは放射線を描き人馬宮の空を切る。そして進んだ先には遺書が残されていた壁とは別の壁があり……一部、不自然に盛り上がっていた部分を押した。
見間違えようもない。それはアイオロスがこっそりトレーニング用に人馬宮内に作った、罠を作動させるためのトリガーである。
(さ、
聖衣としては主人不在の宮をただで通すのに、しかもそれが自身を継ぐかもしれない相手であれば不満があったのかもしれない。乗り越えるべき試練だと、自分を纏う資格があるかを見極めようとしたのかもしれない。だが主であるアイオロスにとってそれはまったく望まない展開である。のちに彼は「聖衣が空気を読みすぎてツライ」と語ったとか語らなかったとか。
ともあれアイオロスの心の叫びも空しく、罠は作動した。
星矢達はこの後、天井から迫りくる鎖に吊るされた鉄球や、何処からともなく降り注ぐ矢の雨から必死に逃げ惑う事となる。
+++++++++++
嫌な予感とはそうであればあるものほど当たるものだ。ミロ殿に説明した私たちが人馬宮まで追いつくと、中には襲い来る罠に対応する星矢たち。そして神妙な顔でばれない程度に罠を念力で阻害するアイオロスの姿があった。
幸いアニメのようなバカげた規模の罠ではなかったが、感動していただろう少年たちを突如襲った理不尽な罠に同情心しか湧いてこない。ここまで勝ち抜いてきた星矢達にとってこの程度の罠なら命の危機とまではいかないだろうが……。
結果的には「教皇め! 亡きアイオロスの宮にこんな卑劣な罠を仕掛けるとは!」といい感じに解釈されて逆にやる気がみなぎったようでもある。だがそれでも、真実を知る方としては微妙な気分にならざるをえない。
「いや、あながち間違っておらんぞ。次代の射手座の聖闘士が決まるまで、防衛機能として元からあった罠を活かすことになってな。すぐ作動できるよう教皇が手入れを指示していた」
「! ……どうりで十三年も経っているのに動くわけだ……。矢の数も無駄に多くなっていた気もするぞ」
「白銀だけに女神の護衛は任せられない」と言って天蠍宮からついてきたミロ殿の言葉に、少しだけアイオロスがほっとしたような顔になる。……いやでも、罠をそのまま使うサガもサガだがもとを作ったのはお前だからな……。
「それにしても、本当に生きているとは……」
十三年ぶりに再会した、逆賊の汚名を背負いながらも女神の命を助けた聖闘士の中の聖闘士。
なんというか、こう言うのも変だが十三年前のほうが質実剛健を絵に描いたような男だったからなアイオロス。今も本質は変わっていないのだが……重ねた年齢と聖域外で生きた経験が柔軟さとして加わった分、受ける印象は違うだろう。特に十三年前などミロ殿は七歳。年長者であるアイオロスは一層頼もしく見えていただろうしな。
「リュサンドロス殿に助けられてな」
ミロ殿の視線に苦笑しつつアイオロスが答えれば、彼は納得したように頷く。……にしても久しぶりに「リュサンドロス殿」などと呼ばれるとむず痒いものだ。
「なるほど、エリダヌスのリュサンドロス殿か。それでリューゼが共に行動しているのだな」
どうやらミロ殿はエリダヌス星座の前任リュサンドロス……私が、死に際にアイオロスに関してのことも聖衣と共に弟子へ託したのだろうと推測したようだ。まだ私の正体に関しては話していないからな。そのまま誤解していてもらおう。
「それにしても、リュサンドロス殿がな……。これで真実を知っても、シュラの心の負担は軽くなるだろう。何故自分に真実を話さず弟子などに託して逝ったのだと、リューゼに対するあたりはまた強くなりそうだが」
「……!」
ミロ殿の口から出てきた息子の名前に思わず体が硬直する。
「ミロ。それはどういう……?」
「ああ、
オルフェの説明に沙織ちゃんの視線が私に向く。ここにきて私事で気持ちを煩わせては申し訳ないので笑って誤魔化せば、逆に気遣うような視線が強くなった。…………情けないな、私は。この世界で生を受けてからすでに半世紀も経つというのに、息子の事を思うと容易く心が揺らぐ。ただでさえ最近顔に出やすいようなのだ。気を引き締めねば。
「…………行きましょう、リューゼ。全ては"全員"生き残ってからです」
差し出された手。それに一瞬動きを止めながらも、自らの手を重ねた。
「ええ。急ぎますので、しっかり背中に掴っていてくださいね」
外を見れば八番目……人馬宮の火時計が消える。真面目なダイダロス殿のことだ。きっちり一分一秒間違えず消してくれたことだろう。
次に向かうは
……けして死なせはせぬぞ、我が息子よ。
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回想録5:そして想いはすれ違う
太陽が照り付ける晴天の下、闘技場……コロッセオには濃い影が落ちていた。
その中でおよそ人体から発せられたとは思えない破壊音に似た音が響く。
「がッ」
胃液と唾液を吐き散らかしながら吹き飛ばされたのは、顔の上半分を覆う仮面をつけた女。年のころはまだ十代のようで、少々背は高いが少女と言って差し支えないだろう。少女は受け身を取ろうとしたのか吹き飛ばされながらも身じろいだが、その体は数メートルもの飛距離を叩き出しコロッセオの壁に激突することで止まった。これでは受け身も何もあったものではない。
壁からずり落ちる少女を見て舌打ちするのは、たった今少女の体を壁に叩きつけた男。こちらも年若く、少年と青年の間くらいの年齢に見えるが、鋭い眼光を宿した顔立ちと苛立たし気な表情が外見年齢を押し上げて見せていた。
双方ともに黒髪。太陽の熱を十分に吸い取っただろうその色以上に、燃焼させた小宇宙の影響なのか闘技場内は熱気に支配されていた。
それを遠目で見学していた他の訓練生の内、誰かが言う。「相変わらず攻撃するほうも受ける方も化け物だ」と。
殴り飛ばされた少女は、エリダヌス星座の
殴り飛ばした少年は
現在彼らは
「弱い」
荒らげるわけではないが、吐き捨てるような一言。それに対してリューゼは腹部を押さえながらもフラフラと立ち上がり、口の端を伝う胃液と唾液の混じったものをぬぐいながらかろうじて言葉を発した。
「……ッ、申しわけ、あり、ません……。ご指導、感謝、いたします……」
その殊勝な言葉にもシュラは機嫌をよくすることなど無く、それどころかますます気に入らなさそうにリューゼを睨みつけた。リューゼは焼き付くような視線に身を震わせ体を小さくするが、その仕草は余計にシュラの中に燻る怒りを煽っては燃え盛る炎へと変える。しかし訓練以上に痛めつけるような八つ当たりに似た理不尽はせず、彼はただ怒りを胸に秘めたまま脆弱な父の後継に背を向けてコロッセオを後にした。
その背中を、仮面越しに揺れる瞳が見送った。
シュラの父……リュサンドロスは任務先で殉職した。父に指示を与えた教皇に問えばその任務先は、
聖闘士の中でも古参だった父は、丁度他の聖闘士とタイミングが合わず任務に一人で向かった。信頼され実力を認められているからこその采配だったが…………聖域に帰ってきたのは屈強で頼もしかった父ではなく、その弟子を名乗る脆弱な女であった。
父リュサンドロスは聖闘士や聖闘士候補生の面倒をよく見ていたが、直接の弟子がいるなど一度も聞いたことが無い。だというのに女は父の聖衣を……エリダヌス聖衣を纏った姿で現れた。巨漢だった父と華奢で未成熟な少女では聖衣の大きさが合うはずもないが、彼女は帰還する途中でジャミールに立ち寄り聖衣修復師であるムウにサイズ調整を依頼したという。その勝手な行動にもまた、シュラは苛立った。そのうえ父の遺体は本人の希望により燃やし、母が眠るスペインの地にて海へ遺灰を撒いたと言うではないか。
シュラは父の遺体に対面するどころか、それを弔う機会も何処の馬の骨とも知れぬ女に奪われたのである。
女……リューゼと名乗った父の後継者は、実力不足ゆえに一時的に父から託されたという白銀聖闘士の地位を剥奪された。だがそこからの研鑽と努力により、一年も経たないうちに実力を認められ正式に白銀聖闘士の地位を与えられた。
そのあとはまるで父の真似事でもするように、積極的に世界に散る聖闘士への連絡係やサポート役などの雑務、そして教皇宮で書類の整理まで手伝うようになった。
その行動すべてがシュラの気に障った。
父の聖衣を継ぐに値しない弱者が父を模倣するたびに、喉の奥が焼けつくような苛立ちに襲われる。
何故このような弱者に託した。何故この女はこんなにも弱い。何故偽物が父の真似をする。
亡き父とリューゼに向ける怒り。それを振り払うように己の更なる研鑽を続けたシュラは、ある日……デスマスクの任務について聖域を出ていたリューゼが帰ると、そこを捕まえて闘技場へ連れてきた。この怒りは自らを鍛えるだけでは消化できない、せめて父の後継にふさわしい実力をつけさせるべきであると思ったからこその行動だ。見ないふりをするだけでは、怒りと向き合わず逃げるようなことをしていては、この感情を捨てきれない。
だが己を前進させるべく起こしたシュラの前向きな行動は、結果的に悪手といえた。
とにかく、情けないのだ。リューゼが自分と対するときの態度が。
苛立ちが自分の勝手なものだと分かっていた。この怒りを向けられる方は理不尽だとしか思えないだろうことも、理解していた。
そのため自分の感情から切り離した頭の冷静な部分で、リューゼの向上心や努力だけは認めていたが……。いかんせん自分と対面するリューゼのおびえたような、顔色を伺うような態度が気に入らない。
他の者、特によく任務で組まされるデスマスクなどにはよく食って掛かる様子を見る。魔鈴やシャイナ、他の聖闘士や雑兵などへの態度も普通だ。だというのになぜかシュラにだけは必要以上に顔色を伺ってくる。……それは師匠の息子相手だからか、それとも初対面時に怒鳴りつけた影響か、あるいは両方か。
ともかくその気に入らない態度のせいで、時折訓練してやるものの関係は改善されることはなかった。
今日もまた苛立ちと怒りを消化できないまま、シュラは自宮へと戻る。
シュラはその後も八年間。まさか実の父が女になってしまったことなど知るべくもなく、感情を持て余したまま過ごしていくこととなる。
+++++++++++++
私に背を向けて去るその姿。私のようなうねりのあるくせ毛ではないが、私とよく似た黒髪が遠ざかる。それを見えなくなるまで見送ると、私は詰めていた息を吐き出して表情を極限まで緩ませた。
鏡はなく仮面で隠されてもいるが、おそらく人に見せられるような顔ではないだろう。現に遠巻きに私とシュラの訓練を見ていた聖闘士候補生と雑兵数人が気持ち悪いものでも見たような顔を向けてきている。
ええい、散れ散れ! 見世物ではないわ! 誰がマゾだ違う! 妙な誤解をするな!!
いかんな、シュラがいなくなった途端にこれだ。こんな表情を見られては舐めているのかと余計に怒らせてしまう。
せっかく訓練に誘ってくれるようになったのだ! それだけは避けたい。
「いやぁ……。それにしても、流石は我が息子。また強くなったか。ふっ、以前の私を追い越す日も近いな。まったく誇らしいものだ!」
自分の小屋に戻るなり盛大に独り言をつぶやいてしまうが、ここなら誰も見ていないし聞いていない。女に成るなどというふざけた現状に耐えているのだ。少しくらいよかろう。
父の後継者がこんなに弱くては情けないというのが、シュラが私に訓練をつけてくれるようになった理由らしい。これが無ければ黄金聖闘士である息子とは時々書類を届ける程度の接点しか無くなるので、私はどれだけぶっ飛ばされようと任務帰りで疲れていようと、この訓練を断らなかった。愛する息子との唯一のスキンシップだからな……成長も感じられることだし、拳などいくらでも受けてやろうとも。憎々し気な視線が毎回心をえぐってくるが、それも父である私を慕ってくれていた感情に由来するものと思えば耐えられるというものだ。
どうもリューゼとしての私はシュラに随分嫌われているようだが、無視されないだけましだろうと納得もしている。とても辛いが。とても辛いが。
それにしても、シュラ相手だとついぽろっとリュサンドロスとしての言葉を出してしまいそうで危ういな。この体になって一年ほど経つが、まだ慣れん。
常々緊張感をもって接するようにしているが、今日とて「実に素晴らしい拳だったぞ!」と素で褒めそうになってしまった。すんでのところでとどまって無難な言葉で返したが……いかん、女になってから本当に感情の抑制が以前より利きにくくなった。シュラには寡黙で頼りになるかっこいい父親だと思われたくて、常にそのキャラで通してきたというのに。これではもとに戻った時が思いやられる。
「それにしても、シュラも十五歳か。大きくなるわけだ」
言いながら自分の……修行によって厚い皮が張っているものの、以前とは比べるべくもなく小さくなった掌をぐーぱーと握って開いてみる。一応私もこの見た目に合わせて年をサバ読み十五歳だと周囲に説明しているが……四十三のおっさんが十五の少女のふりとは、改めて考えなくてもきついぞ。主に私の心が。
これをあと八年……いや、もうすぐ七年か……。
やることはたくさんあるため過ぎ去ればあっという間だろうが、長いな。
(絶対に、絶対にもとに戻ってやるからな! シュラよ、父は生きているぞ!!)
魂の慟哭を胸に今日も私はエリダヌス星座のリューゼとして生きる。
いずれ元に戻り、運命に逆らい息子の命をつなぎとめたうえで再会する日を夢見て。
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24,磨羯宮
星矢達の十二宮の戦いも、いよいよ終わりに近づいてきた。そして私たちの戦いも。
……しかしこの先こそ、最も油断出来ない場所だ。なにしろこの先の宮を守護する黄金聖闘士は、私が知る展開通りに進めば全員死んでしまうからな。
そして死した彼らはのちに前教皇シオンと共に、ハーデス軍の先兵としてこの十二宮に送り込まれる。我が息子シュラもその中の一人だ。
彼らは命欲しさに冥王に寝返ったふりをして、
それにもしも死んだ方が今後聖域や
…………私は大義だけのために戦えるほど強くない、普通の人間なのだ。
いま奔走しているのだって、結局は息子が、亡き妻が心穏やかに過ごせる未来が欲しいからだ。
まあ聖域と私の利は今のところ一致しているため、目的の齟齬によって苦しむことは無いだろう。
とにかくそういうわけで、私個人としても聖域と沙織ちゃんの今後を考えても、サガを含めた黄金聖闘士を誰一人として死なせるわけにはいかない。
全員生き延びてもらうぞ、何があってもな!!
…………だが改めて気合を入れてみるものの、
いい加減沙織ちゃんや周囲に感情を気取られるのもまずかろうと顔に出さぬよう心掛けるが、現在私の心には不安が渦巻いている。それはこれから向かう磨羯宮での戦いを考えてのことだ。
…………いや、だってだな…………。
(あの二人。宇宙、出てしまっていたなぁぁぁぁ………………)
ズンッと重くなる心。
それは自分の息子を助けつつ青銅達の成長を促すのが、なかなか難しいゆえに。
この十二宮での戦はしばし宮以外にまで戦いの場が広がる。それは異次元であったり、冥界への入り口だったり、次元の狭間であったり、精神世界であったり、…………そして宇宙であったり、だ。
物理法則? 知らんな、というような場所ばかりだクソ。
しかもそのラインナップの中、宇宙が適応されるのがよりにもよって次の戦いであるのだから頭が痛い。いや宇宙と言っても成層圏を抜けたかまでは分からぬのだが。漫画では地球が丸く見えるアングルだった気がするが、私の記憶違いかもしれないし、漫画的演出の一つだったのかもしれない。
というかそうであってほしい。楽観視できないため最悪に備えて、宇宙という前提で行くつもりではいるが。
この後、磨羯宮では山羊座のシュラとドラゴン紫龍の戦いが行われる。
そして最終的に決着をつけるのは、自らの死をも覚悟した紫龍の必殺技。技の名前は忘れたが、彼は自分ごと宇宙の塵となって消えると知りながら技を放つ。その覚悟や紫龍の心に感銘をうけたシュラは、自分の黄金聖衣を紫龍に着せて彼だけ地上に帰すのだが……うむ……。
あらかじめシミュレートしてはいたが、これだけはどうあっても決着がついた後にシュラを回収、回復するという手段が取れない。
私の一番大事な愛息子の命に関わることだ。こと磨羯宮の戦いについては、他の場面以上に必死になって魂の記憶を掘り起こした。そのためこの流れになることは、これまでの十二宮の戦いが私の知るものであったことからほぼ間違いないと思われる。…………思われるが…………よりにもよって何故宇宙なのだ……紫龍よ……。
異次元の方がまだましというのも変な話だが、実際そういった系統の方が帰還が容易なのだから仕方がない。
私は思わず出てしまいそうになるため息を押し込めると、並走していたアイオロスをちらと見る。
それに気づいたアイオロスもこちらに視線を向けてきた。
「すまんが、先に言っていた通りだ。私が言っていたような流れになった場合、次の宮では決着前に介入するぞ」
「それは先に聞いていた事だ。承知している」
「…………悪いな。ここまで極力変化させないよう来たというのに、私のわがままを通して」
「そうしなければ彼が死んでしまうんだろう? ならそれは、我がままではないさ。それに極力ばれないように行うことに変わりはない」
「おい、なんの話だ?」
私とアイオロスの会話を奇妙に思ったのか、ミロ殿が問いかけてくる。彼には他の聖闘士にも話した説明までしかしていないため、私の正体や前世の記憶については知らない。オルフェもそうだが、そんな彼らにしてみれば私たちの会話は妙に聞こえるのだろう。
少々ぼかしながら話しているが、私だってはたから聞いたら何のことかと気になるだろうしな。
はてどう答えたものか。そう考えあぐねていると、背中から可憐な声がミロ殿に向けられる。
「ミロ、今は時間がありません。今はずっと前から動いている彼らを信じて、ついてきてくださいませんか?」
「
驚いて沙織ちゃんを見ると、優しく微笑まれてしまった。
……彼女は私がリュサンドロスであることまで知っている。シュラが息子だと聞いたからか、また気を使わせてしまったか。ご本人の気質もあるのだろうが、名付け親というだけでこうも配慮していただくのは申し訳なく思う。
私の中での優先順位は変わらないが、直接接してみて彼女に好感を抱いているのも事実。……この先、シュラと共に支えて行けたらいいと思う程度には。
と、もうすぐ磨羯宮か。それならその前に……。
「! そうだ、オルフェ。ひとつ頼みたいことがあるのだが……」
そしてたどり着いた磨羯宮だが、宮内は無人。……どうやら戦いは外で行われているようだ。
磨羯宮の中を駆け、抜ける直前でとどまった私たちは中から外の様子を伺う。そこに居るのは紫龍と……シュラだけだ。
「シュラめ、あの階段の修理はどうする気なのだ」
磨羯宮と宝瓶宮を繋ぐ階段が切り取られたような絶壁になっているのを確認し、ぼやいたのは意外にもミロ殿だ。
直情的な部分はあるが、彼は意外と常識人なのかもしれない。黄金聖闘士の中では。
「星矢達は先に進んだようだな。……だが今度ばかりはこっそり横を通って先に進むのは無理だぞ」
(今度ばかりは……?)
「しかし小宇宙を感じ取る限り、階段を上る足は遅そうだ。これまでの疲労が蓄積されているのでしょう。戦いを見届けた後に向かっても、彼らが宝瓶宮にたどり着く前に追いつけるのでは?」
アイオロスとオルフェが会話する中、私の視線はシュラと紫龍の戦いに釘付けになっていた。
ドラゴンの聖衣をシュラの手刀によって引き剥がされ、無防備になってしまった紫龍だが、聖剣宿るシュラの手刀を真剣白刃取りで受け止めるという神業をやってのけた。
その小宇宙は徐々に高まりつつあり、紫龍の背中に龍の刺青が浮かび上がる。…………そういえば老師は確か虎だったか。あの二人の小宇宙が高ぶると浮かび上がる刺青の仕組みは、いったいどういったものなのだろう。
そのあとシュラを蹴飛ばして、その背に土をつけるにまで至った紫龍。猛攻は続き、シュラの表情から段々と余裕が消えていった。
そして紫龍は自身の必殺技、
「くっ、見事だ紫龍……。己の弱点にあえて誘い込み、このシュラの左腕を折るとは……。だが串刺しにならなかったとはいえ、お前の心臓も無傷ではあるまい」
シュラの言う通り、代償として受けた紫龍のダメージは大きい。
…………それでも紫龍は、動くことをやめなかった。
(少し、変わったか)
紫龍との戦いの最中、少しずつ変化していくシュラの心境がその表情から見て取れた。
敵は倒さなければならない。そういった確固とした意志を残しながらも、相手に敬意を抱き始めている。
…………少々、悔しいな。
七年ほど任務の間に訓練をつけられる事はあったが、その間私はリューゼとしてシュラの心をなにひとつ動かすことが出来なかった。彼の中で今の私は未だに「父の後を継ぐに相応しくない未熟者」だ。
しかし紫龍はその体で、心で、戦いの中でシュラの心を動かし始めている。……だからこそシュラも、死に際に紫龍に聖衣と技を遺したのだろう。聖剣を継ぐにふさわしい男だと認めて。
「よせ、お前の心臓は相当なダメージを受けている。これ以上動くと血が噴き出すぞ」
「…………」
「立ち上がって、何をするつもりだ……」
相手が格上だろうと曇ること無き信念によって突き動かされる紫龍を見て、シュラが折られていない方の腕を振りかぶる。その動作にこめられたのは、敵を屠る殺意ではなく介錯の意。しかし紫龍は這う這うの体ながら転がって避けた。
一見、勝利はシュラに傾いている。だが紫龍の高まっていく小宇宙を感じて私の緊張感は増すばかりだ。そして紫龍の尋常でない覚悟を秘めた小宇宙を、一番感じ取っているのは相対するシュラだろう。
紫龍が、シュラの手刀を再び受け止めた。
「我が大恩ある老師に禁じられていた、ただ一つの技……」
! 来る!
「な、なんだと? 天秤座の老師にか……」
「この技を使えばどういうことになるのか、オレには分からない。……ただ一つ、これだけは言える! それはオレもお前も、間違いなく滅ぶという事だ!!」
「何!?」
「さあ、約束通りお前も連れて行くぞ!! ……老師、お言葉に背いて申し訳ありません! 星矢、氷河、瞬……
紫龍の足にぐっと力が入り、天へ昇る龍がごとく上昇を続けていた小宇宙が最高潮に高まった!
『
シュラの背後に回った紫龍が羽交い絞めにしたシュラごと、燦然と星々が輝き始めた夜空へ飛び上が……らせるかぁぁ!!!!
「でぁあァァァァァァァァァッ!!」
『ストリンガーフィーネ!』
私は引き絞っていた弓を開放するように、体全体、脚全体のバネを開放し跳躍、恐るべき速度で上昇していく紫龍とシュラ……の足首を捕まえた。
この体では二人分の胴体に腕を回すことが不可能だからな……!
紫龍渾身の命をもかけた技だけあって、上へ向かう力は荒ぶる龍神のごとく。あっという間に掴んだ腕が引きちぎられそうになる。
かろうじてオルフェのストリンガーフィーネが私の足首と胴体につながっているため、すぐに持っていかれることはないが……。もともとストリンガーフィーネは攻撃用の技。先ほど本当に大丈夫かと確認されたが、やはり聖衣無しではキツイか……! 小宇宙で防御は行っているが、肌に琴の弦が食い込み血が噴き出る。
持ち運びと潜伏に邪魔だからとエリダヌス聖衣は置いてきたが、こんなことならば持ってくればよかった。
……いや、しかし今の私とは比べるべくもなく、身と魂を削り、血を噴き出しながら戦っている少年たちが居るのだ。むしろ成長のためなどと言って、彼らを戦わせている手前この程度どうということは無い……!
むしろ私は甘んじてこの痛みを身に受けるべきだろう!!
(これしき……!)
手首の骨が軋む。腕の筋繊維がはちきれんばかりに膨れ上がる。
龍神のごとき力は今にも私の腕を食い破りそうだ。
だが離してなるものかと、私は少年と青年の足首をぐいと引き寄せた。
……お前たちは両方とも、今ここで散るべき命ではない!! 自分の人生を最後まで生き抜いてゆけ! そして幸せになって出来れば私に孫を見せろ!!
引き寄せるのに成功した。
そう思った瞬間、落下が始まる。
「な!?」
「ぬお!?」
先に頼んでいた通り、半ば地面に叩きつける勢いでオルフェのストリンガーフィーネとアイオロスのサイコキネシスによって地に体をつけた私とシュラ、紫龍。
ここまで数秒に満たない出来事であり、幸いなことに砕け舞い上がった地面の残骸と土煙で視界が一時的にふさがれている。
ガードはした……ガードはしたが、私の分のサイコキネシスをシュラと紫龍が直接地面に叩きつけられない方に使ったからな……。自分の防御がおろそかになり、体の前面が余すことなく地に叩きつけられた。情けないが、正直かなり痛かったぞ。多分鼻血も出ているな。鼻と喉の奥が鉄臭い。
だが身もだえる間もなく、無様に地に伏せる私はぐいっと後方に引っ張られた。そして満身創痍の私は紫龍とシュラに存在がばれる前に、弦を手繰るオルフェにズリズリと引かれ回収される。
……投網漁の魚になった気分だ……。
「お疲れ様。リューゼ、大丈夫かい?」
「ずいぶん派手に叩きつけられていたな……。いや、やったのは俺たちなんだが」
「だい……じょうぶだ……」
磨羯宮の冷たい床に仰向けでぶっ倒れながら答えれば、慌てた様子の沙織ちゃんが駆け寄ってくる。
「どこが大丈夫ですか! 力技にもほどがあります!」
「リューゼお前……体の張りっぷりは見事だが……。他にもうちょっとやり方は無かったのか」
呆れた様子のミロ殿も倒れた私をのぞき込んでくるが、流石にさっき答えた一言が限界で返答する余裕が無い。喉に入った土を吐き出すようにせき込む。
あれだけ叩きつけられても割れなかった仮面については、製作者のムウ殿に流石と言わざるをえんな……。おかげで鼻が折れなくてすんだ。鼻血は出たが。
他にやりようが無かったのかと問われれば、まあ最初の予定は少し違っていた。なにしろオルフェが応援に駆けつけてくれるなど、聖域に来るまで予想していなかったのだからな。
最初はムウ殿仕込みで鍛えられた、私とアイオロスのサイコキネシスだけで上昇を抑える予定だった。オルフェの協力のおかげで、私の分のサイコキネシスを落下後の防御に使えたのは正直助かったな。そうでなければ今頃、私もシュラも紫龍もこの程度の怪我ではすまなかっただろう。
まあ当初の予定では、フィジカルのごり押しとサイコキネシスで上昇を抑えるのは最後の手段だったわけだが……。
本当はもっと近くに待機し、タックルか何かで彼らが天に向かう前に引き倒す予定だった。
だが紫龍とシュラの戦いを見て……気高き戦士の戦いを邪魔することに気が引けたのか、直前まで間に入れなかった。シュラの心を動かした紫龍に、憧憬のようなものまで向けてしまった私は彼らの戦いに見惚れていたのだろうな。
「ふっ、世話はない……」
最も救いたい命を前に、そんな感情で予定を狂わせるなどお笑いだ。これで失敗していたら私は自分を幾億と殺しても足りないだろうに。
そんな風に自嘲に浸っていた私だが、外から紫龍とシュラの会話が聞こえてきたので耳をそばだてた。シュラがこのまま紫龍を通してくれればよいのだが……。
+++++++++
「ぐッ、な、なんだったんだ……? 急に何者かに足を引かれたような気がしたが……!」
「ま、まさかこの紫龍渾身の亢龍覇が失敗した……だと……!? 馬鹿な、これでは星矢達に合わせる顔が無い……!」
恐るべき速度で地面に叩きつけられたわりに痛まぬ体を不思議に思いつつも、
……この少年、紫龍は先ほどの技を放つとき間違いなく、黄金聖闘士である自分以上に小宇宙を燃焼させていた。シュラの小宇宙までもを覆って飲み込むように立ち上っていたその小宇宙は、まさしく昇龍。
……正直な感想として、シュラは何故自分たちが生きているのか不思議だった。
「…………いや、お前の技は確かに完成していた。あのまま上昇を続ければ、摩擦熱に耐えきれず二人とも天空の塵となっていただろう。しかも黄金聖衣を纏う俺より、お前の方が先に死ぬのは明白。…………。紫龍よ、何故だ? 何故自分が死してまで勝利を求め、戦う。いったいそんな勝利になんの価値があるのだ」
「…………ふっ、無様に生き残り、もはや一歩も体を動かせないオレに問うかシュラよ」
「どうかな? 俺にはまだお前が動こうとしているように見えるが」
シュラの言う通り、もはや常人ならば……否。たとえ聖闘士であろうと動かすことが難しいであろう体に、紫龍は残った力を籠め立ち上がろうとしていた。
見かねて、シュラは折れていない方の腕を紫龍の脇に差し入れ抱き起す。
「! なにを……!?」
「…………いいから聞かせろ。何故、そうまでして戦う」
先ほどまでの熱気が嘘のように、聖域には夜の静けさが満ちていた。遠方でぼんやり揺れる火時計がやけに明るく浮き上がって見える。
間近で対する黄金聖闘士からはすでに殺意を感じない。紫龍はその様子に戸惑うも、何故そんなことも分からないのかと苛立ちも込めて答えた。
「
「!!」
実にシンプルなその答え。しかしそれだけに、紫龍の言葉はシュラの心に深く突き刺さる。
「俺たちは沙織さんを
「………………」
「
最後まで紫龍の言葉を聞いたシュラは一度大きく目を見開いた後、瞼を閉じ数秒かけて息を深く吐き出した。
一瞬磨羯宮の中から鼻をすするような音が聞こえたが、気のせいだろう。
「……お前のような男が世の中にいるとはな……。…………悪いが、俺の話も少し聞いてくれるか」
「あ、ああ……。構わんが……」
激情のままに言い切ったが、返ってきた語調はあまりにも静か。戸惑いが更に深くなるばかりの紫龍が思わず頷けば、シュラは星の輝く空を見上げた。
「俺は人間すべてが自分のために戦うのだと思っていた。自己の利益のためだけに、命を懸けるのだと。……いつからだろうな、こんな風に考えるようになったのは。俺の父は自己の利益など考えず、他者を助けるような人だったのだが」
これも、己の弱さか。
きっかけはおそらく十三年前。信頼し、尊敬していた黄金聖闘士が聖域を裏切ったという怒りのままに、下された命令を遂行した。
次いで八年前。同じく信頼し、尊敬していた父が死んだ。……形は違えど頼もしかった先人を失った中、それでも時間は進んでいく。
心が弱くて、何かしらの自己の利益を求め裏切ったのか。強さが足りずに死んだのか。そうした考えは自然とシュラを力こそ至上という考えに駆り立てた。どこで掛け違ったのか、もはや詳細には思い出せない。
聖域内で教皇に不信感が募り始めても、教皇は強い。力がある。……そう思えばこそ、従ってきた。今思えば盲目的だったと言えよう。心に生まれた自身の疑問にすら蓋をして。
「たとえ教皇が悪であれ、力をもって貫けば正当化されるのではないかと思っていた……。力ある者が、勝ったものが正義を名乗る資格があるものだと思っていた。ふ、そう思わねばやり切れんかったのかもな。……間違っていたのは俺の方だ。もし教皇を悪と認めれば、正義はアイオロスだったということになる。ならば俺は正義を殺した男。…………黄金聖闘士失格だ」
「シュラ……」
「……はっ。情けないうえに、いまいち纏まらぬ話を聞かせたな」
「いや……」
どう言葉を返せばいいのか分からない。そんな紫龍の心境を感じてか、シュラは笑った。自分もまた己の心をつかみ切れていないのだ。むしろ心を整理する目的もあって言葉にしたのだから、聞かされる方はいい迷惑だろう。
だが、これだけはハッキリと言える。
「お前に目を覚まされた、礼を言う。……紫龍よ、お前は死んではならん男だ。お前のような男こそ、生きて
「! なら、シュラ!」
「信じよう。お前たちが信じる城戸沙織が
「そう……か……」
限界だったのだろう。紫龍はシュラの言葉を聞くと、一瞬踏ん張ろうとしたが全身から力が抜けて脱力状態となる。
(無理もない。とっくに限界を超えている)
だがそれでも、シュラが敵対しないと分かった時。彼の視線が向いたのは十二宮の上だった。彼の仲間が進む先だ。
これほど身を挺してなお、まだ歩を進めようとした男にシュラは心の底から敬意を抱く。
何年ぶりかに抱く、実に清々しい気持ちだった。
「さて」
シュラは紫龍の真央点をついて止血すると、息を深く吸った。そして。
「いい加減出てきたらどうだ!!」
無人のはずの磨羯宮に向かって、静寂をつんざく怒声を解き放ったのであった。
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25,絡まる誤解
今心がとても痛いのだが、私はどうすればいいだろうか。
磨羯宮の中でシュラと紫龍の会話を、気配潜めて聞いていた私たちだったが……。聞こえてくるその内容に私の心は大きく揺れた。それは私の行動理念が大きく揺らいだからだ。…………かといって、私は方針を変える気はないのだが。それでもまったく動揺しないというのは難しかった。
私にとって優先すべきは、息子たちが生きて幸せになれる未来。……しかしシュラが発した言葉は、まっすぐに私の心に突き刺さる。
『俺は人間すべてが自分のために戦うのだと思っていた。自己の利益のためだけに、命を懸けるのだと。……いつからだろうな、こんな風に考えるようになったのは。俺の父は自己の利益など考えず、他者を助けるような人だったのだが』
と。
────息子よ。私は、父はそんな素晴らしい人間ではない。
少しでもシュラに父親として頼もしい姿を見せていたかった。妻と息子の住む世界を守りたかった。
そんな風に思えるようになるまでの私は使命こそ果たしても、ただただ無気力でどっちつかず。地に足がついていない根無し草だったのだ。そんな私を変えてくれた愛すべき者たちを、守りたかった。
だから私は今シュラが言ったように利害を考えずに、他者を助けるような男ではない。私は利益によって動いている。私が欲する未来のために。
他者を助けていたのだって、それに起因する感情の延長線上にすぎない。
…………それも聞きようによっては、己の利害でなく他者のためだと言われるだろう。対象が家族であるだけで、自分以外の者のために動く慈しみある行動だと、美談にでもなってな。が、私はこれが自分のわがままであることを自覚している。
なんといったって、もしシュラが望まぬとも私はシュラに生きていてもらいたいと……そう願い、無理にでも貫くつもりだからだ。
この先無事生き延びて、その中で命を懸けてシュラが戦うことがあれど……私はきっと、それの邪魔をする。
私がこの世界で生きるための
これは間違いなく、私のわがままだ。
……どうあっても、私は私が愛する者に生きていてほしいのだ。死した相手にも、安寧で居てほしいのだ。
(……チッ、五十代にもなって情けない。半世紀も生きて、これか)
割り切って、進もうと思ったではないか。なにをいつまでもグダグダと。
こんな時、妻がそばにいてくれたら私のケツを蹴飛ばして気合を入れてくれたのだろうな。「わがままで何が悪いの? 人はみんなわがままだわ。もっと自分の欲に胸を張りなさい! まったく、根暗なんだから」……とかなんとか、言われるのだろう。
こう言われるのだろうなと、それを想像しただけで私の背中を押してくれるのが妻だ。……彼女が冥界で心安らかにあるためにも、私は自分の欲を握りしめ進まねばならぬ。
…………シュラよ。こんな不甲斐ない父で、すまないな。
とまあ、色々と心に刺さる言葉が多かったのだが、これでも現メンバーの中では最年長。記憶の中の妻に頬を張り飛ばしてもらったつもりで気を取り直すと、紫龍の覚悟に感動したのか、少し涙ぐんでいる沙織ちゃんの肩を叩く。
「良い聖闘士に育ちましたな、彼らは」
「ええ。……ええ……! ねえリューゼ。わたしは……彼らの期待に応えられる女神になれると思いますか?」
「なれますとも。成長しているのはなにも星矢達だけではない。……陰ながら見守らせていただいた我らが保証します。貴女は立派に成長している。今も、これからも。なあ、アイオロスよ」
「ああ! もちろんだ」
「ふふっ、そう言ってもらえると嬉しいですね。……ごめんなさい、少し弱気なところを見せました」
言うと、沙織ちゃんはしゃんと背筋を伸ばしてシュラと紫龍の様子に目を向けた。その姿は十代の少女でありながら、立派に女神の風格を備えている。その様子をミロ殿とオルフェも眩しいものでも見るように眺めていた。
……そうだ、これが真にお前たちが仕えるべきお方だぞ。私のような半端ものに代わって、お前たちには心から彼女を支えてほしいと思う。勝手な言い分だがな。
そんな風に私が自嘲じみた感傷に浸っていた時だ。……叩きつけられた怒声に、思わず肩が跳ねた。
「いい加減出てきたらどうだ!!」
「ぅえあ!?」
お、驚いた。思わず妙な声が出たぞ。
シュラの声を聞いて外と私を見比べたミロ殿が腕を組んで息を吐き出す。
「流石にあんな派手なことをしておいて、完全に気づかれんはずはないな。どうする?」
「ふむ、そうだな。ここはリューゼに任せて私たちは先に行こう」
「ぇうぉ!?」
また変な声が出てしまったではないか!
「? 何か問題があるのか」
「い、いや。無い……」
シュラの命が助かったことで油断していたが、当然助かったなら助かったで事情を説明しなければならない。……そしてここでシュラに説明するのは、当然父である私の役目だろう。
星矢達はいくら進みが遅いとはいえ、もう宝瓶宮に近いはず。ならばアイオロス達に先に行ってもらうのが一番だと分かっている。分かっているが……!
(こ、この姿でシュラと話すのは苦手なのだ……!)
我ながら情けない心境であった。だがそれを見透かしているはずのアイオロスは容赦がない。
「ならば時間が惜しい、先に行くぞ。……僭越ながら女神、シュラが作り出した崖も飛び越えねばなりませぬゆえ、しばしリューゼの代わりに私がお運びいたします。お体に触れる許可を頂きたい」
「ええ、よろしくお願いしますねアイオロス。……ところでリューゼは大丈夫ですか? その、顔色が悪いですが……」
「奴も男です。問題ありません」
「いやリューゼは女だろう。……というか、こいつに任せて大丈夫か。なんなら俺が説明しておくが」
どうもミロ殿は私に対してシュラの当たりがきついことを気にしているようだな。まともに説明できるのかと。……いや、だがな。
「早く出てこないか! 貴様がそこにいることは分かっているぞリューゼ!!」
何故かばれているようでな! ここにいるのが私だと!
さっきの土煙で何故バレたのか分からんが……。いや普通に考えて小宇宙か……。この中で怪我を負った私だけが小宇宙が乱れているからな……。
まあ、そんなわけだ。ここは私が行く他ないのだろう。
「あ~……。まあ、頑張れよ」
「止血したとはいえ、傷も深い。星矢達と
どこか同情の籠った声で両肩をそれぞれミロ殿、オルフェに叩かれる。……なんというか、黄金、白銀共通した認識で私に対するシュラのあたりが強いことを知られていて辛さを覚えるのだが。好き好んで嫌われているわけではない。
「……私が出た後で、隙をついてシュラの横を抜けていけ。引き留められては面倒だろう」
「わかった」
項垂れた肩をなんとか気力を振り絞って元に戻し、背筋を伸ばす。
そしてちらと四人を見てから……私は磨羯宮の外に足を踏み出した。
++++++++++++
磨羯宮の暗がりから出てきたのは顔半分を仮面で隠した、癖が強くうねった黒髪を無造作にひとくくりにした見慣れた女。
予想した通り、それはエリダヌス星座のリューゼだった。
シュラは気絶した紫龍を横たえると、鋭い視線で女を睨みつける。
「やはり貴さ……」
貴様か。そう言いかけたところで、相手の惨状に思わず言葉を止めた。
全身に打ち付けられたような打撲痕が残っており、ところどころ膨れ上がっては青紫に変色している。それだけでなく足首と胴には何かに締め付けられたような痣と、引き裂かれた肌から流れる血液。
どうやら血そのものは止まっているようだが、土で薄汚れた体と相まって、夜目に見てもなかなか酷い有様だった。
シュラは先ほどまで何故自分と紫龍が助かったのか分からなかった。
しかし紫龍と話す中で心を落ち着け冷静さを取り戻した頭は、それが何者かの介入によるものだという当たり前の答えをはじき出す。それさえ分かればあとは介入者が誰であるか……ということになるが……。
先ほどまでシュラの小宇宙ごと飲み込むように膨れ上がり、高まっていた紫龍の小宇宙。それが無い今、落ち着いて探れば磨羯宮内から忌々しくも見知った小宇宙の揺らぎを感じた。シュラはそれが何者なのかをすぐさま理解する。
(何故、姿を消したお前がここに居る……!)
エリダヌス星座のリューゼ。父の後継者。
厭わしく思おうとも、任務を忠実にこなす部分だけは認めていた。だというのにしばらく前から、何の前触れもなく彼女は聖域から姿を消していた。そのことで唯一認めていた部分さえなくなり、シュラはリューゼを責任を放棄して逃げた逃亡者とみなしていたのだが……。
その女が、何故ここに。
命を助けられたのだろう。だが紫龍が決死の覚悟で放った技に無遠慮に立ち入った事が癇に障った。それに持て余した怒りの感情すらも加わって、口から飛び出たのは苛烈な怒声。
しかしいざ出てきたリューゼの姿を見れば、自分たちを助けるのに無傷ではすまなかったことを察するのは容易。さしものシュラも、流石に八つ当たりだったかと少々反省の色を見せる。これはリューゼを前にすると苛立ちが先立つシュラにとって、非常に珍しいことだった。
「…………この紫龍は、ここで死ぬべき男ではない。だから先に、助けられたことに礼だけは言っておこう」
先ほどの怒声との落差に驚きでもしたのか、リューゼから息をのむ気配が伝わってくる。
ほんの少しだけ後ろめたさがわいた。
「い、いえ。……あの、お体に障りはございませんか」
「貴様に心配されるようなやわな体のつくりはしていない!」
「し、失礼いたしました!」
つい反射の域で怒鳴り返せば、いつものようなおどおどとした態度が返ってくる。……やはりどうあっても、その態度が鬱陶しい。
しかし感情のままに話していては、まともに事情もきけまい。紫龍のおかげで清々しい気分を味わったばかりなのだ。ここは落ち着いて話をしよう……そう思った時だ。
「すまん、通るぞ!」
「な!?」
磨羯宮の中から矢のように飛び出てきた存在に対応できず、横を通り過ぎるのを硬直したまま見送る。その数は三人……否、隠す気が無くなった様子の小宇宙を感じるに四人!
すでに跳躍し宝瓶宮へ続く階段へ向かったその人影を追いかけようと、シュラが方向転換する。と、動く前に強く腕を引かれたたらを踏んだ。
見ればそこには一気に距離を詰めて、腕にしがみついているリューゼの姿。
「ッ、放せ!」
「待たれよ! 今私が説明いたしますので……! ぐぅッ!?」
筋肉質ではあるものの、女特有の生柔らかい肌。その両腕で挟み込むようにホールドされた腕を振りほどこうと、シュラは勢いよく腕を振るうが……思った以上に容易に拘束はほどかれた。
「!」
どうやら無意識のままに手刀を放っていたらしく、リューゼの体には先ほどまでは無かった鋭利な切り傷が腹部から垂直に刻まれていた。
シュラは思いがけず攻撃してしまった事にわずかに動揺するも、謎の侵入者をむざむざ放っておくことも出来ない。そのため再度方向転換し、宝瓶宮に続く階段へ跳ぼうとしたが……。
その時だ。肉声と精神、二種類の声がシュラに届く。
「ッ! 待て、シュラ! よく小宇宙を感じろ! 先に行かれた方々は敵ではないぞ!!」
力強く発せられた声には遠慮も怯えも感じられず、それが誰によるものか一瞬分からなかった。
振り返れば傷を押さえながらも、なんとか立ち上がって再びこちらへ近づいてくるリューゼ。……その顔から二つに割れた仮面が地に落ち、ガランと無機質な音を立てた。
「ク……ッ! まったく、お前たちは揃いもそろって人の話を聞かなさすぎるのだ……!」
額から流れ出た血で視界が潰れたのか、リューゼは仮面が取れてしまった事に気づいていないようだ。今までと打って変わって遠慮のない語り口の彼女に違和感を覚えつつも……その晒された素顔を見て、シュラは驚愕に目を見開いた。
「いいか。急く気持ちは分かるが、まず一度説明させてくれ。そのだな……」
「…………そういう、ことだったのか……?」
「……ん?」
何も説明しないうちから納得したような言葉が出たからか、リューゼは怪訝そうに眉根を寄せる。眉間に深く皺が刻み込まれた、その一見不機嫌そうな表情。それは男女という違いはあるものの、非常に懐かしいものであった。
確信を得ようとシュラはおぼつかない足取りのリューゼの腕を引き、目の前に立たせる。そして顔を上向かせ固定し、目を開かせるために乱暴に血をぬぐってやった。
「うお!? な、何を……! …………!? い、いや待て! 仮面は……」
「俺が切ってしまったようだ」
「何ィ!?」
血がぬぐわれ、ぱっと見開かれた目は限界まで開いているにも関わらず非常に切れ長で鋭い。全開でこれならば、普段はさぞ誤解を招くほど目つきが悪い事だろう。自分も人の事を言えないが。
先へ進んだ侵入者。しかし跳躍しようとしていたシュラに向かって飛ばされてきたテレパシーにより、そのうちの一人が同じ黄金聖闘士であるミロだと知った。「心配するな、敵ではない。詳しい説明はリューゼから聞け!」という非常に短いテレパシーは、奇しくもリューゼの呼びかけと重なりシュラの動きを止めた。
まだ完全には納得できていないが、度重なる珍事にシュラも多少混乱している。事情を説明するというなら、行動はそれを聞いてからでも遅くはあるまい。……そう思うことにした。
だが黄金聖闘士、山羊座のシュラとして本来優先すべき質問よりも。
突然降ってわいた可能性に戸惑った心は、その疑問を自然と吐き出していた。
「リューゼ……お前は……」
+++++++++++++
シュラに素顔が晒されたことで、体温がざあっと体の奥底に引いていくような感覚に襲われる。
今にもアイオロス達を追いかけてしまいそうなシュラを前に、もう構っていられるかと…………ついリューゼとしての口調をかなぐり捨てて素で怒鳴ってしまったが……。
そんなことより何よりも、仮面である。仮面が割れた。
別に私は素顔が晒されようと元は男、他の女聖闘士のように素顔を見た相手を愛そうだとか殺そうだとかは考えない。当たり前だ。
だがシュラをはじめとした聖域の人間に顔を見られるのは、別の意味で困る。アイオロスやムウ殿なら私の正体を知っているから問題ないのだがな……!
正直、シュラの容姿は私似だ。癖の強い私の髪質だけは継がなかったようだが、髪そのものの色と顔立ちは瓜二つと言ってよいだろう。今でも若いころの自分にそっくりだから、きっと年をとれば以前の私にもっと似る。
そして女になった私は年齢や男女の違いはあれど、顔立ちそのまま。
それを見られた。
(くっ……! 元の姿に戻るまでは黙っているつもりだったが、これは腹を括るしか……!)
どんな顔をして言えばいいのか、どんな顔をさせてどんな思いを抱かせてしまうのか。刹那の間に目まぐるしく様々な可能性が脳内を駆け巡った。
しかし高確率で……以前寄せられていた信頼を失ってしまうだろうことは感じられた。きっと何故話してくれなかったのかと、自分はそんなに信頼に値しないのかとシュラは憤るだろう。
……そうなれば私は父として……リュサンドロスとしても、以前のような親愛を向けられなくなる。それを思うと恐ろしく、心が引き裂かれそうなほどに苦しい。
だがバレてしまっては仕方がない! 私も男だ。女々しいことを言っていないで潔く腹を括ろうではないか……!
「リューゼ、お前は……」
私は裁きを受ける罪人の心境で、シュラの言葉を待った。
「まさか俺の、妹だったのか?」
…………………………………………………………。
…………………………………………………………………………………………。
………………………………………………………………………………………………………………………………。
シュラの言葉をゆっくりかみ砕き、脳内に浸透させる。
思考がはじけた。
(ですよねぇぇぇぇーーーーーーーーーーーー!!!!!! 俺が同じ立場でも自分の父親が女になってるとか思わんわ!! 似た顔立ちで年齢が近ければ普通に兄妹の可能性を思いつくわ!!!!!)
久しぶりに前世の口調がひょっこり顔を出し、その絶叫で体中が満たされた私は…………気づけば頷いていた。
我が妻アナスタシアよ。
どうしよう。息子の妹になってしまった。
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26,宝瓶宮
「一応シュラには一言かけておいたが、大丈夫かあいつ……」
「すまんな、ミロ。私や
「僕では咄嗟に彼を止められるほどの面識がありませんしね」
磨羯宮を通り過ぎ宝瓶宮へ向かう途中。通り抜けざまにここは一応同僚である自分から声をかけておくべきではないか? と思い至ったミロが、シュラへテレパシーを用い呼びかけていた。
これで残してきたリューゼも説明しやすくなっただろう、という彼の気遣いである。……しかしその親切心は功を奏したものの、その後リューゼことリュサンドロスが自分で自分の首を絞め苦しんでいることを彼が知りようもない。知ったところで「自業自得」としか言いようがないだろうが。
ともかく今はこの身内争いを死者無くして終わらせようという
「む……。どうも中に居るのはカミュと氷河だけのようだな。師弟対決、というわけか」
「ならばまた二手に分かれますか? 星矢と瞬はすでに先に向かっているようだ」
オルフェの問いにアイオロスはしばし逡巡したが、何か言う前にミロが軽く手を挙げた。
「ここは俺が引き受けよう。アイオロス達は先に行ってくれ」
「いいのか?」
「ああ。全員ここに留まっていても仕方があるまい? カミュは気配には敏感な方だが、今は弟子に集中してるみたいだしな。こうなった時の奴はある意味で俺より直情的というか……クールなくせに熱い男だ。俺が気を引いておけば隣を抜けていくことは問題ないだろう」
「そうか、なら……」
ミロの言葉に思わず頼んだと頷きそうになるが、はたと思考を止めアイオロスは考える。
宝瓶宮を抜けていくことに関しては良いが、自分たちの一番の目的は星矢達
ミロにはダイダロスやオルフェにしたように「教皇は討ち果たすべき悪であるが、此度の事態は女神に与えられた試練と捉え、女神の代行者としての役割を青銅聖闘士達に任せ、出来る限り戦いを見守る」という旨を伝えてある。だがその戦いの過程でまさか黄金聖闘士の方が死ぬ事態になると予見しているなどと、事情の全て知らない彼が察せようはずもない。
ミロはこれまでの戦いで常に限界を超え続けた青銅達に敬意を覚えているようだが、よもや黄金聖闘士ともあろう者が青銅相手に死ぬはずがない……そう思っているはず。彼としては青銅達の方が死なぬように見ていてやろう、という心積もりだろう。
その認識で一人だけ残していった場合、いざという時カミュの命を助けられるだろうか。最初から死ぬ可能性を認識していなければ、取り返しのつかない事態になりかねない。
かといってこの先に居る魚座のアフロディーテも、下手に遅れると死ぬ可能性が高い。……今さらながら息子相手だからと、リューゼを説明係に置いてきたことに少々後悔を覚えるアイオロスである。
しかしもたついている場合でもない。ここはリューゼが早く追いつきミロと合流することを信じ、先を急ぐべきだろう。
「どうした?」
「いや、なんでもない。ではここは任せるぞミロ」
懸念を振り払いミロに笑顔を向けるアイオロスだったが、対してミロは一瞬言葉に詰まった。その様子に首をかしげるアイオロスだったが、次の言葉で「ああ」と納得する。
「任せる……か。あなたにそう言ってもらえる日を、頼れる男になれる日を、幼いころの俺たちは目指していたはずなのにな……。こうしていざ言ってもらうと、どうも居心地が悪い。俺たちはずっと、十三年間もあなたを誤解していた」
「過ぎたことだ、気にするな」
「そうは言ってもな。俺でこれなんだ、シュラなんかはもっときまりが悪いだろうさ」
ミロはそう言って苦笑しながらも「ほら、早く先に行け」と促す。
(これは……私が思っている以上に、気まずい思いをさせてしまいそうだな)
この件が終わった後のことを想像すると、十三年間死人だった身としてはどう顔を合わせたものかと思い悩むが……今はまだそれは贅沢な悩みだ。まず"無事に"この件を終わらせなければならない。
アイオロスは気を引き締めなおすと、風邪をひかぬようにと念入りに埃をはらったトレンチコートで
++++++++++
「ミロ、状況はどうなっている」
「お、意外と早かった……な……?」
磨羯宮を後にし後を追った私たちを、宝瓶宮前で出迎えたのはミロ殿一人だった。宝瓶宮にはカミュ殿と氷河しかいないようだし、先に進んだ星矢達をアイオロス達は追ったのだろうな。
…………というか、こちらを見て言葉尻を疑問符と困惑に変えていくミロ殿の視線が痛い……何故こんな、こんな状況に……!
「シュラ殿……その、そろそろ下していただきたく……! 自分で歩けますから……!」
「その怪我では俺が抱えた方が早いとさっきも言っただろう。それと遠慮はいらん。兄と呼ぶがいい」
「は? 兄? ……どういうことだ?」
シュラの口から飛び出た単語にミロ殿が更に困惑を深める。
それもそうだろうな! 私の方が何故こうなったのか聞きたいくらいだ! 自業自得だとは分かってはいるが!
今の私がどうなっているかといえば……シュラに俵抱きで運んでもらっている状態だ。横抱きでないのがせめてもの救いである。
精神力を多大に消費しながら説明を終えたあと、宝瓶宮へ向かおうとした私にシュラが自分が運ぶなどと申し出てきたのだ。
思った以上に切り傷による出血と体全体を打ち付けた打撲が響いていたため、申し出そのものは非常にありがたく、それ以上に八年前から先ほどまで一度も軟化しなかったシュラの私への態度が柔らかくなったことに喜びは感じるのだが……。
私はそれと引き換えに、非常に重大な過ちを犯してしまっていた。
現在の私はシュラにとって「離れて育った一つ下の妹」ということになっている。
何故こうなったのか自分でも本当に訳が分からない。いや分かってるんだが、すでに取り返しがつかなくなっている事態について深く考えたくないのだ。
まず「自分の妹ではないか」というシュラの予想外の問いに、頷いてしまったのが最初の失敗である。貧血で頭に血が回らなかったことを合わせても、あれは無いだろう。そこで何故頷いた私よ。
その後「それで父さんはお前にエリダヌスを……。いや、しかしそうなると母さん以外に女が……!?」とシュラが言い出して、妻一筋の私としては不貞を疑われ非常に焦った。焦ってしまった。
私は妻と出会ってからは断じて他の女にうつつを抜かしてなどいない! …………と、一番誤解してもらいたくなかったことを繕うために、嘘を重ねてしまったのだ……。
いわく、自分はリュサンドロスとその妻アナスタシアの実子であり、シュラの一つ下の妹であること。
いわく、自分は生まれた時とても体が弱く、一歳のシュラを育てる妻にこれ以上負担をかけられないと思ったリュサンドロス(私)が引き取ったこと。
リュサンドロス(私)はひそかに小宇宙による治療を試みながらリューゼ(私)を育て、その過程で体を強く保たせるために小宇宙の扱いを覚えさせ、体そのものも鍛えた。しかしリューゼ(私)を聖闘士の世界に入れるつもりはなく、いずれ成長後は一般社会に送り出すつもりだった。だからこそ死の直前まで兄の存在も伝えず、シュラにも妹の存在を明かさなかった。しかしその途中でリュサンドロスは古の神に敗れ致命傷を負ってしまい、その場に居合わせたリューゼ(私)は反対する父(私)を押し切って、自分(私)が遺志を継いで聖闘士になると誓ったのだと…………。
まあ、こんなオールキャスト私で構成されるトンチキな即興の作り話をしたわけだ。そして何故かシュラはそれをすんなりと信じてしまった。死ねないが死にたい。
シュラよ、いくら顔が似ているからといってそんなすぐに信じてしまってよいのか……!?
しかし時間を無駄にするわけにもいかず、
非常にざっくりとした説明になってしまったが、細かいことは後で聞いてくれと言い残しアイオロスの後を追おうと……したら「その怪我では追いつけまい、俺が運ぼう。もとより体も強くないのだろう? ……今までの事は、すまなかった。色々話したいことはあるが、せめて今はお前を運ぶことくらいさせてくれ」と申し出られ、こちらが何か言う前に体は息子に抱えられていた。死ねないが死にたい。
下ろしてくれと頼んでも「先を急ぐなら俺が抱えた方が早い。自分の状態の確認も出来んのか!」と怒られてしまい、もとより息子に弱い私は黙るしかなく……現在こうしてミロ殿に恥をさらしているというわけだ。
私の正体を知るアイオロスに見られなかったのは救いだろうか。
ちなみに私の顔は現在布に穴をあけたもので隠されている。私の仮面を切ってしまったシュラが気にして巻いてくれたのだが、正直不審者度合いが増したぞ。今はそんな場合じゃないから気にしないと言っても頑として譲らなかった。私は素顔を見られようがどうしようが相手を愛しも殺しもせんというのに、何故周りの方がこうも気にするのだ!
「それで……中の……状態は……」
ぎりぎりと眉間に皺が集まり、羞恥で顔が赤くなることを自覚しながらも現在ここは宝瓶宮。場合によってはすぐカミュ殿の治療に入らねばならぬため声を絞り出すようにして問えば、ミロ殿はちらちらとこちらを気にしながらも宝瓶宮の中を指した。
「流石は氷河だ。カミュによく食らいついている。カミュのオーロラエクスキューションをくらったうえで立ち上がるとは驚いた」
ミロ殿は私たちの事情を知る前に自分が認め、先へと進ませた男が見事な戦いを見せていることが嬉しいのだろう。口の端がわずかに持ち上がっている。
「一度カミュの気を引くために中に入ったのだが……邪魔だと追い出されてしまった。奴も真剣に弟子と向かい合いたいのだろう。あれで情に厚い男だからな。一人の男と認め、立ちはだかることこそカミュなりの氷河への賛辞よ」
「紫龍もそうだったが……なるほど。女神がご自身の命運をかけた代行者に選ぶわけだ。見事に小宇宙を高めているな。氷河もまた究極の小宇宙、セブンセンシズを使いこなすに近い場所に居るという事か」
「……ちなみにシュラよ、お前どこまで話を聞いた? いや、俺も時間が無くてそこまで詳しく聞けたわけではないが」
ミロ殿の問いにシュラは眉間の皺を濃くし苦し気に顔をゆがめた。……シュラの心境を思えば、私が抱く羞恥など些末なことであったな……。
護りたいと思いながらも、この子には随分と背負わせてしまった。
「俺たちが……いや、俺が馬鹿だったということは、理解した。
「ふむ……だいたい聞いたようだな。まあ俺以上に思う事は多いんだろうが、馬鹿だったのは俺たち全員だ。まずは
「教皇……サガか。まさか、あの神のようだった男が女神に牙をむくとはな」
苦々し気にサガの名を口にしたシュラに、中の戦いを伺いながらもひとつ訂正を入れる。
「申し訳ない、言い忘れていた。そのことなのだが……サガ殿自身は昔の彼から変わっていない。問題は彼を野望に無理矢理駆り立て操っている裏の人格だ」
「何?」
「本来のサガ殿はその裏の人格を抑え、邪悪な野望を阻止している状態にある。私は……その、それをリュサ……父さんから聞いていてだな……」
「なるほど、監視していたわけか。そして父さんの代わりに父さんが助けたアイオロスと連絡をとり、今回満を持して
「あ、ああ。うん、まあそんな感じだ……」
全て理解したとばかりに納得顔で頷くシュラに、私が返す言葉は曖昧だ。もう……これは元に戻るまでこれで通すしかないが……アイオロス達に何と説明すればよいのだ……! 口裏を合わせてもらうためにどうあっても話さねばならんが、それを思うと気が重い。
「む、二人とも。どうも決着が近いようだぞ。……これは止めに入った方がよいか? 氷河の奴、聖衣が砕け散ってしまっている。どうやら師の技を真似て放つつもりのようだが、流石に勝てまい。このままだと死んでしまうぞ」
「!」
くッ、ええい! 今は私のことなどはどうでもよい! 救命こそが優先だ! つい考えにふけってしまったぞ!!
……二人は向かい合い、現在同じポーズで構えている。あれは
普通に考えればミロ殿の言う通り、勝つのは師であり技と経験に勝るカミュ殿だろうな。だがそこを超えていくのが彼ら、
安全性を考えればここで止めておきたくはあるが、氷河の小宇宙が十分に高まっているとはいえ……おそらくここは彼の成長の肝となる。きっと氷河はここで完全に師の技をものにするのだ。
(ふむ、そうだな……。ここはせっかく黄金が二人も居るのだ。協力を仰ぐか)
確か技を受けようとも即死ではなかったはずだから、私の回復手段でも間に合うだろう。が、出来ればリスクは最小限にとどめたい。
そうなればミロ殿の必殺技よりも……。
「シュラ殿。申し訳ないが、お力を貸していただきたい!」
時間も無いためシュラの腕をひき宝瓶宮内へ足を踏み入れようとするが、シュラはその場から動かない。や、やはり急すぎたか……!
そう思って手を放し私一人で行こうとすれば、今度は逆に腕を掴まれ後ろに引かれた。それと入れ替わるようにしてシュラが前に出てずんずんと中へ進んでいく。
「な、なにを!?」
「ここまで高まった小宇宙に横やりを入れるのだ、ただではすむまい。お前はここで待っていろ」
そう言い残すとシュラは氷河の横を通り過ぎ、丁度カミュと氷河の中間に位置する場所に陣取る。
「な、シュラ!? くっ! ……受けよ氷河! オーロラエクスキューションの神髄を!」
それに気づいたカミュ殿が驚きに目を見開くも、もう技は互いに完成している。
カミュ殿と氷河、二人の技が炸裂した。
『オーロラエクスキューション!!』
互いに重ね合わせ体の前に突き出した拳から凍気の嵐が吹き荒れる。その勢いはすさまじく、入り口付近に居た私の表皮までをも凍らせた。すぐさま小宇宙を高め凍結を防ぐが、思った以上に寒気が傷に響く。しかし事態から目をそらすわけにもいかず、凍気の勢いに転ばぬよう足を踏ん張りながら張り付きそうになる瞼を持ち上げた。
するとその視線の先でシュラが小宇宙を最大限まで高め……振り上げた手刀を振り下ろすさまを目視する。
途端、これまでの比でない暴風が宝瓶宮内で吹き荒れる。
当然だ。黄金とその黄金に迫り、超える小宇宙がぶつかるその中心点に……更に同等の力がねじ込まれたのだ。……これはシュラが止めてくれなければ、私など千々に引き裂かれていたかもしれんな……。治療どころではなかったぞ……。
それにしても、くッ……! これはさすがに、踏ん張りが……!
「うおぉぉぉぉお!?」
「おい、大丈夫か!? いやしかし、これは俺もキツイ……!」
吹っ飛ばされそうになった私を柱に手をかけたミロ殿が捕まえてくれるが、それでもすでに床から足が離れ体が宙を舞っているため気を抜けない。
あと少しで宮外へ吹き飛ばされると思った、その時だ。
『クリスタルウォール』
落ち着いたその声が聞こえた途端、暴風が嘘のようにおさまり浮力を失った私は床に落ち、腰を強かに打ち付けた。
「む、ムウ殿」
腰を摩りながら振り返れば、そこには先ほど分かれたムウ殿。どうやら処女宮から追いついてきたらしい。
そして腰の痛みに呻きつつもはっと我に返り宝瓶宮内を見れば、依然として小宇宙の嵐が吹き荒れている。どうやら現在私たちは、ムウ殿の技でその空間から保護されているようだ。
「やれやれ、ずいぶんと力技に出ましたね」
「は、はは……」
言えない。ここに来るまでほとんど力技でのごり押しだったなどと。
曖昧な顔で誤魔化すように頭をかいていると、ばんっと背中を叩かれた。
「お前の役割は回復なんだろ? ほれ、もうすぐ収まりそうだ。カミュと氷河、それと妹を気遣ってくれた兄の心意気に応えるよう、ここからはお前が頑張るのだぞ。俺も手は貸してやるから」
「ミロ殿!? それは承知しておりますがッ」
「妹? 兄?」
遅かった。
しっかり聞かれていた。
私は早くも我が身から出た錆の説明を、事情を知るものに話さなければならない悪夢に頭をかかえた。
そしてまずは自分のやるべき事をやらねばと切り替えると、心を奮い立たせ床に倒れ伏す三人の元へ向かうのだった。
…………ツライ。
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27,双魚宮
「本当にシュラの妹なのだな……。目元なんか特にそっくりだ」
「は? ……ああ、なるほど」
治療を終えて一息つくと、隣で氷河にヒーリングしていたミロ殿がそんなことを言うので顔を触れば、シュラが巻いてくれた布がいつの間にか取れてしまっていた。
……まあ、あの暴風で取れない方がおかしいか。
宝瓶宮で吹き荒れた三人もの
処女宮から追いついてきたムウ殿に問えば、シャカ殿と一輝は無事に異次元より帰還したらしい。そしてシャカ殿は事が終わるまで通常通り処女宮の守護……加えて、ムウ殿が先に進んだ後、タイミングを見計らって一輝を起こしてくれるとか。
どうもまだ一輝は元気のようだからな、目を覚ませば一目散に追ってくるだろう。……また隠れる準備をしておいたほうがよいだろうか。
そんな現状であるが、ここまでくればあと一息だ。気を抜くわけにはいかないが、少々感慨深いものがある。
そのため素顔程度今はどうでもよい。……もともと私は男だしな。これを言うとシャイナなどに怒られるが、女聖闘士の掟はどうも肌になじまない。
「妹……ですか」
「うっ」
いやどうでもよくなかった。ムウ殿がいた。
私とミロ殿の会話を聞いていたムウ殿の視線が、背後から突き刺さっていることには気づいたが……怖くて振り返れん。ど、どう説明すればよいのだ……!
などと私がもたついていたらミロ殿に先を越された。
「なんだムウ、お前はずいぶん前からリューゼ達と動いてるらしいのに知らなかったのか? このリューゼはな、なんとシュラの妹らしいぞ!」
「ほう」
「…………」
私は嫌がる気持ちを抑え込むと、なんとか振り返ってムウ殿に口パクで「合わせてください」と懇願した。……振り返りはしたが、彼の目は見られそうにない。
「……………………それは私も初めて知りました。随分と水臭いですね、こうして今まで同志として協力してきたのに」
「も、申し訳ない。無暗に私情を挟むのも良くないと思いましたので……」
私情優先で動いている身で何をと思いつつ、合わせてくれたムウ殿に感謝する。……声に込められた感情が冷ややかというよりも"無"に感じるのは、気のせいだろうか。
「まあいいでしょう。さて、星矢達も残すは双魚宮のアフロディーテと教皇の間のサガだけです。私たちも最後まで気を抜かずに行きますよ」
「ああ」
「ええ、もちろん」
三人で頷くと、シュラ達を宝瓶宮に寝かせたまま私たちは先を行く。
……そこそこ時間が経った。もう双魚宮での戦いも結構進んでいるかもしれんな。
「ダイダロス先生の仇! くらえ
双魚宮についた途端聞こえてきたのがアンドロメダ瞬のこんな声だったもんだから、一瞬固まってしまった。……今頃火時計のふもとにいるダイダロスの奴、くしゃみでもしているのではなかろうか。
ダイダロスは表向き、
師を殺した仇。争いを好まぬ瞬がいつになく闘争心を滾らせている理由はそこにあるのだろうが……なんというか、今さらながら少年たちの心を弄んでいるようで心が痛む。本当に今さらだが。
そう思って遠い眼をしていると、亜麻色の髪をなびかせて沙織ちゃんが胸に飛び込んできた。……むう、こういう時は女の胸も役に立つな。受け止める時、よいクッションになる。
「リューゼ、ムウ、ミロ! よかった、無事で……!」
「ご、ご心配をおかけしたようで不甲斐ないばかりです」
「いいえ。よいのです、貴方たちが無事なら。氷河たちの小宇宙も消えていない……成功したのですね」
「どうやら宝瓶宮の方はうまく行ったようだね。……それにしてもかなり強い小宇宙の暴発を感じたけど、大丈夫だったのか?」
「あ、ああ。しかしシュラとカミュ、氷河は負傷し気絶した。今は宝瓶宮で休ませている」
双魚宮で待っていたのはオルフェと沙織ちゃんの二人。アイオロスは星矢を追って行ったか……。護り手が一人の状態で沙織ちゃんを先に行かせサガに近づかせるのはよろしくないだろうから、彼女はここに残ってもらって正解だろう。
……それにしても、星矢達が火時計のタイムリミットに間に合うように一人が相手を引き留め仲間を先に進めるという方針をとっているため仕方がないが、よく分散するな私たちも。
宮内の様子を伺えば、丁度アフロディーテ殿が薔薇の花びらを用いた花吹雪で姿を眩ませているところだった。むせ返るような薔薇の香りに酔いそうだ。……いかんな、吸いすぎるとこちらまで毒をうける。
「ムウ殿、サイコキネシスで気流を変えられますか」
「ええ、可能ですよ」
ムウ殿が請け負ってくれた途端、薔薇の香気が遠ざかる。これで万が一にも沙織ちゃんが薔薇毒の影響を受けることはないだろう。オルフェが何もしていないところを見るに、もしかするとここに香ってきている分は毒気を含まないものかもしれんが。念には念を入れておいて間違いはない。
そして私たちが見守る中、瞬は薔薇の嵐に惑わされること無く
「ば、馬鹿な。ここまで
「ダイダロス先生……。先生を倒した
その言葉を皮切りに戦いはより激しさを増していく。
瞬を侮っていたらしいアフロディーテ殿も、瞬が相手をするにふさわしい男であると認めたことで一切の容赦を捨てたようだ。
会話を聞く限り瞬はすでにアフロディーテ殿のロイヤルデモンローズの毒に侵されているようだが、アフロディーテ殿は直接戦闘時に用いる黒薔薇、ピラニアンローズでの攻撃も始めた。すると瞬の攻撃と防御の要である
その攻防を息をのみつつ見守っていたが、瞬は聖衣を破壊されようとも諦めなかった。ついには優しい彼としては使いたくなかったであろう最終手段を開放し、瞬は更に小宇宙を高めてゆく。
その力……鎖を無くした瞬が自らの拳から放った星雲の気流、ネビュラストリームを受けアフロディーテ殿は身動きを封じられる。そしてアフロディーテ殿。彼もまた、自らの最終手段である白薔薇に手をかけた。
…………が、その途中のことだ。
二人の会話の中で、少々ひっかかるものを覚えた。
「他の黄金聖闘士はいざ知らず、少なくとも
シュラが教皇を悪と知りつつ、力ある者を正義として従ってきたことは知っていたが……その正体までは知らなかった様子だ。ならばなぜ、力ある者という理由だけで、正体も知らぬ相手にあそこまで付き従えた?
紫龍と戦った後の憑き物が落ちたようなシュラを見た後なだけに、どうも引っかかる。
"力こそ正義である。力ない赤子に何が出来たのか。教皇がいたからこそ今まで大地の平和は保たれた"……そうまで言い切ったアフロディーテ殿。
彼ら……デスマスク、シュラ、アフロディーテ殿の三人に共通して「力こそ正義」という概念が刻まれているようだが、それにしたって降臨時赤子であることは
憶測だが、万が一己の所業がバレた時のために、事実を知りながらも自身に忠誠を誓う手駒を教皇……裏人格のサガが、意図的に作り出したのではなかろうか。黄金聖闘士の中でも比較的、"力"に傾倒しやすい者を選んで。
(総合的に考えて、いよいよ例のことも憶測が確信めいてきたな。だとすればこれらを含めて列挙すれば、なかなかの説得力になるのではないか?)
正直その辺の真実自体はどうでもよいことだ。いや、どうでもよくはないかもないかもしれんが……。
こちらが考えている事態の畳み方として、都合がいいのは事実。これも一応頭の隅にとめておくか。
などとごちゃごちゃ考えていたら、決着間近だったようだ。
アフロディーテ殿が瞬に回避不可能な白薔薇……心臓に突き刺さり、赤く染まるブラッディローズを放ち、瞬はそれまでアフロディーテ殿の改心を信じて留めていたネビュラストリームの力を解き放つ。
その力は
一点集中型の必殺に、面で飲み込む必殺。……だが瞬の真の力の解放が見られた以上、このぶつかり合いをそのまま見ているわけにもいくまい。
私は戦況を見守る中で示し合わせていた通り、私とムウ殿、オルフェとミロ殿で別れそれぞれ動いた。
まず私とムウ殿のサイコキネシスで瞬の
これは先ほどのように小宇宙のぶつかり合いに力をねじ込むのではなく、力の方向性だけ変えてやるだけのため暴発はおきない。"だけ"とはいうが、これには非常に繊細で強力なサイコキネシスの技量が必要となる。……ムウ殿が追い付いてくれて助かった。私だけでは危うかったぞ。
方向性が変化し、強力な力を受けて双魚宮の天井がふっとんだが致し方あるまい。この程度の被害、黄金聖闘士が死ぬことに比べたら些事にすぎん。
そして白薔薇の方だが、回避不可能なら同等の力をぶつけて相殺してやればいいと言わんばかりにミロ殿のスカーレットニードルが炸裂する。
それで一度は弾かれた白薔薇だが、回避不可能と言うだけある。一回転した後、再度瞬の胸に吸い込まれるように心臓めがけて襲い掛かった。対して、今度迎え撃つのはオルフェのストリンガーフィーネ。琴の弦はまるで行く手を阻むトラップのように広がり白薔薇の前に張り巡らされ、動きを阻害した。
が、更にそれすらも突き破り前進する白薔薇。……だがそこにはもはや直前までの威力は無く、仕上げとばかりにミロ殿が踏みつけた。
ネビュラの嵐を抜け、真紅の輝きを受け、白銀の網目を貫きながらも進んだその恐るべき一撃は、敵に突き刺さることなく地に落ちたのだ。
「威力が弱まろうと敵の命を奪わんと突き進むさま、なかなか好ましい。が、まだ改良の余地があるのではないか? アフロディーテよ」
「ミロ!? どうして君がここに。それに、お前たちは……」
驚愕するアフロディーテ殿。力を使い切り気絶した瞬を抱え上げながら、さてどう説得したものかと考えていたが……。
誰かが口を開くよりも早く、ずんずんとアフロディーテ殿の前に進み出たお方が居た。
我らが女神、沙織ちゃんである。
「あ、
「お戻りください! 危険です!」
アフロディーテ殿はまだ明確に敵対の意志を残しているはず。今その前に出ては危険だ!
しかし狼狽する私たちの声を気にした様子無くアフロディーテ殿の前に進んだ沙織ちゃんは……その白魚のような御手で、ぱんっと小気味よい音を立てながらアフロディーテ殿の顔を挟み込んだのだった。
「!?」
これには不意をつかれたアフロディーテ殿も驚いた様子。ギリギリと挟まれているため美しい顔がへちゃむくれになっているところがなんとも笑いを誘うが、こちらとしては笑うに笑えな……いやミロ殿だけ噴き出しているな。顔だけは真顔だが、ムウ殿とオルフェの肩もわずかに振るえていた。
……悪い、実は私も少なからず笑いたい衝動をこらえている。
「初めまして、
「にゃに……!?」
「!!」
い、いかん……! アフロディーテ殿の妙な発音につい噴き出してしまった。申し訳ない、申し訳なく思っているからこちらを睨まないで頂きたい。
なんとか腹筋の痙攣をおさえようとしている中、沙織ちゃんは美しい笑顔を浮かべ話を進める。……いつの間にかアフロディーテ殿の顔に爪が食い込んでいる気がするが、気のせいだろうか。
……十三歳とは思えぬほど、圧が強い。
あれか、実際に自分のために戦ってくれる星矢達を見てきたことで、彼女の中でも何か滾るものが育まれたという事か。デスマスクへの一撃も見事であったし、女神としての成長の一助となっているならば共に十二宮を上ってきたかいもあったというものだが。
うむ、強く育つことはいいことだ。
「ところであなたは力で正義を示すことを良しとするお考えのようですね。……事実わたしが不在の間、地上の平和を守っていたのは教皇。それは認めましょう。ですが彼の掲げる従わぬものを排除するような正義で、果たして愛は育まれるでしょうか? 愛のない正義に、人は心安らかにあれましょうか」
一瞬苦悩するように瞼を閉じた沙織ちゃん。私たちは一過性の笑いの衝動を乗り越えると、いつでも彼女を守れる位置に移動し二人を見守る。アフロディーテ殿もまた潰された間抜けな顔を晒しながらも、まるで魅入られたように沙織ちゃんを見つめていた。……それだけ、彼女の放つ小宇宙は雄大で底がしれない。
「わたしは人の強さも、人の弱さも等しく愛しい。わたしはわたしなりの正義をあなたに示します。……これを否定したいのなら、わたしを倒してごらんなさい。受けて立ちましょう」
アフロディーテ殿の顔から手を放し、彼の前に堂々とした仁王立ちする沙織ちゃん。
その姿は気高くも、同時にとても力強いものだった。
「ここに来るまで星矢達は幾度も幾度も限界を超えてくれました。今度はわたしがそれに応える番です。どうしました? アフロディーテ。あなたの目には、彼らが弱く見えましたか? 力無き者に見えたのですか! 正義と力を捉えるならば、彼らに示す敬意は教皇への忠誠に劣りますか!」
「……すいぶんと、強かに育たれたようだ……」
半ば呆然と言ったのち、アフロディーテ殿はその優美な見た目に似合わず豪快な動作で床に腰をおろした。
そして深く息を吸い、吐き出す。
「その雄大な小宇宙も相まって、ずいぶんと大きく見える。……城戸沙織さん。あなたが真の
「アフロディーテ、お前この期に及んで……!」
「いいのです、ミロ」
沙織ちゃんは身を乗り出そうとしたミロ殿を手で制し、アフロディーテ殿に頷いてみせた。
「今はそれで充分です。では宮を通らせていただきますよ」
「ご随意に。……正直に言いますと、私は現在立つこともままならないほど消耗していましてね。黄金聖闘士が二人も居るこの面子を止めることなど、始めからできませんよ。貴女もそれは分かっていたでしょうに律儀な方だ」
目を伏せ静かに頷くアフロディーテ殿を確認すると、沙織ちゃんはきびすを返して宮を抜けるための道を進み始めた。
その背中に「この先は魔宮薔薇の園。星矢はその中で息絶えているかもしれませんよ」と、アフロディーテ殿が少し意地悪気に呼びかける。
それを聞いた沙織ちゃんはくるっと身をひるがえすと、再びずいずいとアフロディーテ殿のもとまで詰め寄ってきた。その勢いにアフロディーテ殿の肩が少しだけびくっとしたのは見なかったことにしてやるべきだろうか……。
「星矢がそれしきで死ぬとは思えませんが、それはそれとして解毒剤をお渡しなさい。もちろん瞬の分もです」
「え、ええ。どうぞ」
差し出されたのは小ぶりの桃色の薔薇。……解毒剤ひとつにとっても芸が細かいな。これも彼の美学か。
それを笑顔で受け取った沙織ちゃんは、瞬に解毒剤と治療が施されるのを待つと、今度は私の手を掴んでから歩き出した。
「さあ、行きますよ! 目指すは教皇の間です!」
一言に鼻息と言ってしまうには可愛らしいそれを荒くし、胸を張って進む姿。その様子からはどうも先ほどまでの女神としての威厳というよりは、人間として育ったゆえの強さを感じる。
神と人間の強さを併せ持つ姿は頼もしいが、その勢いの良さにはどうもハラハラさせられるな。……そうか、この行動力ゆえに敵の親玉のもとに二度も乗り込むのか…………なるほど……。
「それにしても、よく説得出来ましたね」
前半はともかくセリフの後半がどうもごり押し気味に聞こえたので、ついついぽろっとそんな言葉をこぼせば、沙織ちゃんはにっこりと笑いこう言った。
「すべて本心ではありますけれど、ああいった場合は相手に考える余地を与えず勢いで押した方がよいのです! おじいさまもそう言っていました!」
元気いっぱいに答えられてしまい、私もムウ殿もオルフェもミロ殿も、どう言ってよいのか分からず曖昧な笑みをかえすのみであった。
…………光政翁、あなたの教育は良くも悪くも沙織ちゃんの中で息づいているようです……。
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28,教皇の間
瞬がアフロディーテの相手を引き受けてくれたことで先に進むことができた星矢だったが、双魚宮と教皇の間を繋ぐ階段に敷き詰められた薔薇の中を進むうちに段々と五感が麻痺し、いつの間にか意識を失ってしまっていたのだ。
(お、オレはここまで来て何故気絶なんか! あの薔薇が原因か!?)
体は依然として麻痺状態にあり、意識だけが覚醒する。……しかし体が動かないにも関わらず、星矢の視界に映る階段は一段一段、確実に上へ向けて進んでいた。
それを疑問に思い何とか首だけ動かすと、どうやら自分は誰かに肩を貸されているらしい。色こそ視界がぼやけて定かでないが、癖の強い髪質だ。
そこでふと……星矢はこの相手が師である魔鈴ではないかと思い当たった。日本で別れて以来どこかに姿を消した師匠……そして、もしかしたら自分の姉かもしれない女性。
(いつも勉強を教えてくれた姉さん……遊んでくれた姉さん……オレを慰めてくれた優しい姉さん……まるで母親のようだった温かい姉さん……この世でたった一人の、オレの姉さん……)
寄り添う暖かな気配からは敵意を微塵も感じない。包み込むような大らかな気配だ。
「魔鈴……さん……?」
麻痺を押しのけてそれだけ口にすると、支えてくれる人物が星矢の顔を覗き込んできた。
そして星矢は体の不調も吹き飛ぶほどに仰天し叫ぶ。
「ぎええ!?」
「なんだ、ぎええとは失礼な! 魔鈴でなくて悪かったな!」
そう言って憤慨した様子を見せるのは、上半身裸で何故か布らしきもので顔を隠している謎の男。鍛え抜かれた肉体はただ者でないことをうかがわせるが、寝起きに見るものとしては遠慮願いたい。特に自分の先走った勘違いとはいえ、姉や姉かもしれない師匠を想像していただけに、受ける衝撃は大きかった。
しかしはっとなって周りを見回せば、先ほどまで階段を覆いつくしていた薔薇が花びらだけを残して綺麗さっぱり無くなっている。
この場に他の人影はなく、誰がやったかは一目瞭然だった。
「あ、あんたが助けてくれたのか……!?」
「む……まあ、な。出しゃばったマネをするようで気は進まなかったが、多分あのままだとお前は死んでいたし」
「いや、助かったよ……。ところであんた、何者だ?」
「黙秘する」
「なんでだよ!」
「ふっ、なかなか元気が出てきたようではないか」
覆面姿のため表情は分からないが、どうやら今笑ったらしい。怪しさ全開であるがそのどこか憎めない人柄や……師や姉のものではないにせよ、そこはかとなく懐かしく、安心する気配に星矢は知らず毒気を抜かれた。
(なんなんだこの人……。……? あれ、もしかしてこの人、日本でリューゼさんと一緒に居た人じゃ……?)
「さあ、行け。私はゆえあってここから先は助けられん」
星矢が気力を取り戻したことを確認すると、支えていた腕を外した男は階段の上を指さす。
「教皇は手ごわい。覚悟はできているか?」
「……! 当然! オレを先に進ませてくれた兄弟のためにも、
星矢の答えに満足したのか、男はひとつ頷くと星矢の背中を叩いた。
「では行け、
「お、おう! ……今は急ぐからこれ以上聞かないけどさ。全部終わったら、あんたの事教えろよな!」
「ああ、教えてやるとも。いくらでもな」
「その言葉、忘れるなよ!」
星矢の視線はまっすぐに教皇の間に固定される。
すでに十一番目の火時計は消えた……。残りひとつが消える前に、なんとしても教皇に
「首を洗って待ってろよ、教皇!!」
星矢は知らないことであるが、この世界とよく似た世界線ではこの場に現れるのは彼の予想通り師である魔鈴であった。彼女は教皇の正体を探るべくスターヒルと呼ばれる聖域に侵入し、その帰りがけに星矢を発見し助けてくれるのである。
しかしその魔鈴はといえば、現在白銀聖闘士の同僚であるシャイナと共に十二宮を上っている途中。当然彼女の助けが間に合うはずもなく……そこで星矢を陰ながら追っていた彼、射手座のアイオロスがやむをえず星矢を魔宮薔薇の園から救出したのである。
(サガとの戦いが控えているのだ……。この程度の手助けなら問題あるまい)
ちなみに肝心の未来の情報源たるリュサンドロスが詳しく覚えていなかったため、問題ないどころかファインプレイである。
「さて……私も行くか」
いよいよこの十二宮での戦いも終盤に近付いてきた。
数時間前に分かれたサガとの本当の意味での再会も……近い。
+++++++++++++
「ありがとう、本当にありがとう……!」
「今のを聞いて私もひやっとしたぞ……」
「すまん……」
双魚宮を出て教皇宮……教皇の間に到着した私は、真っ先にアイオロスに感謝し謝罪することになった。
いや……魔鈴がスターヒルに登らなかった弊害がこんなところに出るとは思わなかった……危うく主人公が死ぬところだったなどと、笑えない。これだから中途半端な知識というのは嫌なんだ。
幸いにも沙織ちゃんがアフロディーテ殿からもらってきた解毒剤を使わずとも、星矢はサガと戦えているようだ。瞬もそうだったが、どうも無意識のうちに小宇宙を燃焼させることによって毒を中和しているようだな。おそらく先ほど治療を施した瞬も、解毒剤を使わなくても死ぬことはなかっただろう。
そして教皇の間での戦いだ。
アイオロスに聞けばサガは始めこそ裏人格をおさえて、表の人格が星矢を女神神殿のアテナ像の元へ向かわせようとしたらしいが……。途中でサガの髪の毛は黒く、瞳は赤く染まり体は裏人格に乗っ取られたそうだ。現在星矢と交戦しているのは、当然そいつである。
そして奴は現在
「全裸だったな……」
「ああ、全裸だ」
「全裸でしたね……」
「二度と双子座聖衣に触りたくありませんね」
「気持ちはわかるがそう言ってやるなムウよ。気持ちはわかるが」
「金属に直接……擦れないのだろうか」
「オルフェ、あんたその綺麗な顔でそういう事言うのやめな」
「いや、それもまた奴の強靭さと思えば侮れないんじゃないかい」
ちなみにこの会話、私、アイオロス、沙織ちゃん、ムウ殿、ミロ殿、オルフェ、シャイナ、魔鈴である。先ほど邪武たちに辰巳殿の護衛を任せてきた魔鈴と、カシオス帰還後に今度こそ居てもたってもいられなくなったらしいシャイナが私たちに追いつき合流したのだ。…………恐るべき速度で十二宮を上ってきたなこの二人……。
そして星矢の危機に飛び出そうとするシャイナをなんとかなだめようとした時だったのだが、そのタイミングでサガの双子座聖衣の全裸装着である。
全裸装着である。
…………思わず反芻してしまったが、サガめ。まず教皇服の下が全裸なのはどうなんだ。しかもそこに直接聖衣を装着するなどと……オルフェの疑問に思わず「もっともだ」と頷いてしまった。あれで股間は大丈夫なのか、股間は。緊迫した場面だというのにこちらを困惑させるでないわ。
「……で? 星矢が勝つまで、このまま見守ろうってのかい。これだけ雁首揃えておいて」
真っ先に困惑から立ち直ったのはシャイナだ。
一応ここに来るまでに魔鈴から我々の事情を説明されていたらしいが、傷つき倒れる星矢を見ているのは気が気でがないらしい。恨めし気な視線をこちらに送ってくる。
「ああ。だが決して死なせない。そして私たちは星矢の勝利を信じている」
「……そうかい。というかあんたはあんたで顔!! 何普通にさらしてるんだい! 仮面はどうした!」
「そこか!?」
「そこだよ! 相変わらずそういうところ無頓着だね!」
「ちょっとあんたたち、静かにしな! 気づかれるよ」
まさか今そこをつっこまれるとは思ってなかったことを指摘され動揺していると、魔鈴に怒られた。な、何故だ……。
……とまあ、私たちがそんなことをしている中でも戦いは続いているわけだ。それにしても実際に目にするとものの見事に髪の色が変わっているなサガの奴。
聖闘士星矢はアニメ媒体と漫画媒体で髪の色が違ったりするが、サガの場合は漫画での髪色になっている。そのためアニメの青から銀髪への変化でなく、金から黒への変化のため印象の変わり具合がすごい。
「黙れーーーー! お前さえいなければ、私はとっくの昔に大地を支配していたのだ! いつも肝心な時に邪魔をした、それさえなければぁぁーーーー!!」」
どうやら表人格のサガが抗っているらしく、裏人格が攻撃に徹しきれず苦しみの声をあげる。……十三年もこの我の強い人格に呑まれず抗ったことを思えば、いかにサガが強靭な精神をもっているかがよくわかるな。四六時中あれと一緒か。抜け毛も増えるわけだ。
そして星矢を殺すための攻撃が出来ない裏人格は、その五感を奪い去り廃人にすることを選んだようだ。ひとつひとつ星矢から五感が奪われていくたびに、誰かしらが拳や歯を食いしばる気配を感じる。……見ているだけという、酷なことを強いていると改めて感じた。
しかし五感を奪われてなお、星矢の小宇宙は強く光り輝き……ついにはペガサス流星拳が光速の域に達した。魔鈴が「やれやれ、これは本当に追い抜かれたね……。よくわたしが教えた流星拳を、あの域にまで高めたものだわ」と、平坦な中に嬉しさをにじませて呟いていた。師匠としたらこの弟子の成長は、嬉しいだろうな。
だがたとえ光速拳といえど、サガはそう簡単に倒されない。
その後星矢が自分ごと、決死で放ったペガサスローリングクラッシュをうけてなおサガは健在だ。
……その時だ。
双子座聖衣のヘッドパーツ、正義の面が涙を流し始めたのが。
「ば、馬鹿な。何を泣く……! この私が大地を支配することがそんなにいけないことか!? 力ある者が大地をおさめて何が悪い!!」
(いや、全裸で装着されたから泣いているのではないか?)
(全裸のせいだなきっと……)
(全裸で装着されたら聖衣だって泣きたくなる……)
(全裸はあまりにも聖衣が憐れですね……)
(……前言を撤回しましょう。双子座聖衣よ、次に整備するときはちゃんと磨いてあげますから安心なさい)
(彼はあらゆる意味で自身を振り返った方がよいのではないか……?)
(全裸はない)
(全裸はないね)
…………うむ…………。
それぞれ言葉にせずとも、だいたい何を考えているのか伝わってくるこの空気感どうすればよいのか……。
これも全て全裸で聖衣を装着したサガのせいだ。せめて下着をはけ。
「城戸沙織のような小娘では守れん! 私こそがこの時代の救世主なのだ!」
サガは声高らかにそう言い……直後に制裁を受けることとなる。
「フンッ」
「おぐ!?」
「
「はっ! わたしとしたことが、つい……!」
今何が起きたのかというと、女神の小宇宙がこもった石がサガの顔面に投擲された。クリーンヒットである。
これは流石にバレるかと全員の緊張感が高まった……その時である。
「邪魔をしたのは貴様か……! フェニックス一輝!!」
「(まだ何もしていないが……)フン! 貴様の悪行もここまでだ教皇!」
処女宮から走ってきた、不死鳥の男が到着した!! ナイスタイミングだ!!
この瞬間、図らずして上司たちからの株が上がったことを一輝は知らない。
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29,決着!教皇の間~裏人格の正体~
アテナ神殿の前に存在する、十二宮を抜けた先……教皇の間。
ついに最終決戦であるが、現在五感を失った星矢は床に倒れ伏している。その星矢に代わりフェニックス一輝と
直接攻撃での戦闘に加え、双方が
そしてどうやらそれについての勝敗は一輝にあがったようで、戦いを見守る面々からも感嘆の声が出た。
「流石だな、一輝は」
「とはいえあれはサガが、術中にはまった一輝に最初に自身の腕を打ち抜く指示を出したからこそ正気に戻れたのだ。……サガめ、やはり恐ろしい男よ」
「アイオリアも先ほどまで幻朧魔皇拳の術中にあったしな。……シャイナよ、お前の弟子には助けられた。感謝する」
「……あの射手座のアイオロスにそう言われるとは、あの子もまだ捨てたもんじゃないね。小宇宙に目覚めたようだし、ことが終わったらまた一から鍛えてやるか」
黄金聖闘士をも惑わす魔拳の威力に眉根を寄せるミロ殿と、それに同意しながらもシャイナに礼を言うアイオロス。
……今さらだが、本当に大所帯だな。一応気配に気づかれぬよう小宇宙を用いて偽装は行っているが、この距離で気づかなくてよいのかサガよ。こちらとしてはありがたいが、そういうところが詰めが甘い。実に結構なことだが。
……さて、そろそろ仕込みを始めるか。
「ムウ殿、頼めますか」
「ええ。準備は出来ていますよ」
「? 何をするというんだ? 戦いは最後まで見守るのだろう? ……俺としては、今すぐにでも飛び出して奴にスカーレットニードルを撃ち込んでやりたいところだが」
「ああ、申し訳ない。ミロ殿にはまだ話せていませんでしたね」
あらかじめ決めていた作戦ではあるが、タイミングとしては戦いで奴が高ぶっている今しかないだろう。
途中から説明する暇が無くなってしまったが……いや、あるにはあったがシュラに妹と認識されたことで私の心の余裕が……いやよそう。
気絶している面々以外には口裏を合わせるようムウ殿やアイオロスから頼んでもらってある。あとは口達者なムウ殿と、彼から説明をうけているシャカ殿がうまくやってくれるはずだ。
シャカ殿が演技などしてくれるか不安であったが、そこは流石ムウ殿。うまく説得してくれたようである。
「なに、ほんのお芝居ですよミロ殿。高慢ちきな奴の背中をちょいと押してやるのさ」
夜のとばりが落ち無数に煌めく星の下。電気などない聖域にはぽつぽつと炎がともり始め、昼間動いていた動物たちの気配も静かになりをひそめて夜独自の静寂が聖域にも訪れた。
おそらく階下では
天に向かい聳える岩壁に這う白亜の階段と美しい宮。……その風景を割り、ひとつの思念が舞った。
『ムウ、君は知っているのか!?』
『何をだね、シャカよ』
『もちろん、今星矢達が戦っている教皇の正体だ……』
こんな内容で始まったムウ殿とシャカ殿のテレパシー。そしてそこに金牛宮のアルデバラン殿、獅子宮のアイオリア殿、急遽私から説明を受けて会話に入るミロ殿が加わって、離れた場所同士での会話が行われた。
いかにも教皇の正体もろもろを今知りましたと言わんばかりの会話内容。演技や嘘があまり得意でなさそうな面子からはどうしてもぎこちなさを感じるが、それをカバーして余りあるのがしれっと迫真の演技をしてみせるムウ殿とシャカ殿だ。
そしてこのテレパシーであるが、わざとサガにも聞こえるようにしてある。
奴の事だ、わざわざそんな配慮無くとも聞こえていたかもしれんがな。
『あ、あの消えたと思っていたサガが……』
『この十三年間、教皇に成りすましていたというのか……!』
『し、信じられん。で、では真の教皇はいったいどうしたのだ……』
段々と二人の演技に引っ張られてきたのか、アルデバラン殿、アイオリア殿、ミロ殿の演技もなかなかよくなってきている。……どうやらアフロディーテ殿は、黙って聞いていてくれてるようだな。
そして。
『殺したのはこのサガよ!』
釣れた。
「よし、テレパシーを聖域全土に拡散。……そんなことせんでも、サガの
アイオロスの言う通りこちらが何をせずとも、自らの強大な小宇宙を見せつけたいのか裏サガの声は拡声器でも使っているかのように聖域中に響き渡っていた。
うむ……そうだった。たしか漫画でもこんな感じだったな思い出してきたぞ。それにしても、自己顕示欲の塊かこいつ。憶測を立てている裏サガの"正体"がもし当たりであればそれも納得なのだが。
『あ、ああ……これはいったい……』
『ま、まるで神の声のような……』
おっと、拡散の影響かテレパシーを使っていない者の声まで聞こえてきたぞ。
『そうだ、俺は神だ!! これよりのち聖域はおろか地上の全てを支配する大地の神となるのだ! このサガがなぁ!!』
「律儀に拾うのだな……。さて」
アイオロスが私を見る。……説得力で言えば私などよりアイオロスか
ここは腹を括って、私が出しゃばらせてもらおうか。
「んん゛ッ! あ゛~あ゛~」
「おっさんみたいな咳ばらいをしていないで早く言え。何を言うかは知らんが」
せっかちなミロ殿にせっつかれ、喉の調子もろくに確かめられないままであるが私は緊張しながらも口を開く。どっちにしろテレパシーでは喉の調子など関係なかったが、ここで失敗は出来ないため張り詰めた気を多少緩めるためにそれくらい許してほしかったが。
……そして準備が整うと、私は頭の中で練り上げた台本を読み上げ始めた。
『ついに正体を現したか、
『誰だ? 神と崇めるのは許すが、この私を邪などと評する不届き者は』
一輝を相手取りながらだというのに、会話に応えるとは随分と余裕なものだ。
だがその余裕もすぐに狼狽に変えてくれる。
『私の名など、どうでもよいことだ。……聖域の者たちよ、今このサガを名乗るナニカは墓穴を掘ったぞ。声高らかにみずからの罪状をあらわにし、愚かな大望を宣言した。いくら力があろうとも、このような馬鹿についてゆく阿呆はよもやいまいな!?』
最初が肝心とばかりに、沙織ちゃんの勢いを見習って強い語調を使う。言う方としても勢いに任せてしまった方が言いやすい。
それに対し、裏サガは当然のごとく不愉快そうだ。
『ずいぶんと好き勝手言ってくれる。……思い出したぞ。この声、エリダヌスのリューゼだな』
『ふん、気づいたか。まあ気づいたところでどうという事もないが……どうせならば、名乗らせていただこうか。私の名はエリダヌス星座のリューゼ。先代リュサンドロスより、教皇の正体を探る任を引き継いだ者だ!』
『正体? ククッ、何を言うかと思えば。先ほど俺自ら教えてやったではないか。俺は
『それはその体、本来の持ち主の名前だ。軽々しく名乗らないでいただこうか! ……ふっ、見た目だけでなく言葉遣いも一人称も何もかも違うな。まったく、教皇としての実務はサガに任せておいて、こういう時だけ自分に酔いながら好き勝手振舞うなどと……よいご身分だな。貴様のせいでサガの毛根がどれだけダメージを負ったかわかっているのか!』
『も、毛根だと? ふ、ふん! この美しく豊かな髪のどこにダメージがあるというのだ!? でたらめを言うな!』
おい、自分でもなぜ今それを言ったと思ったが何故貴様少し動揺しているんだ。自覚あったのか。
それならそれで、もう少し言わせてもらうが。
『何ィ!? 気づかぬとはおめでたいな貴様は! もう少し宿主を労わらぬか!!』
「リューゼ、軌道修正なさい。サガの毛根については痛ましく思いますが、今は話の本題を」
裏サガがいちいち律儀に返してくるものだから、知らずヒートアップしていたようだ。ムウ殿に肩を叩かれてはっと我に返る。
……いかんいかん、本題を述べねば。脱線している場合ではない。
『と、ともかくだ。……サガは貴様の事を、二重人格のもう一人の自分だと思っているらしい。だが、それは違う』
『なにを言い出すのかと思えば……。では俺は誰だと言うつもりだ? …………ぐお! フェニックス貴様ぁ!』
『戦いの最中に悠長に話をしている方が悪いのだ! 舐めているのか貴様!! くらえ、鳳凰の羽ばたきを! 鳳翼天翔!!』
ナイスだ一輝。いちいち話に水を差されていては適わんからな。ここで一気に言わせてもらおうか。
私はここ一番の大勝負とばかりに、大音量でテレパシーを流すべく集中力を高めた。……さあ、言わせてもらおうか!!
『サガを名乗る邪悪の化身よ! 貴様の正体は、軍神アーレスだな!!』
『…………。は?』
心底、本心から困惑しているような間抜け声が聞こえた気がするが、すでに今口にした事実は真偽問わず黒にするつもりだ。白でも無理やり塗りつぶす!!
そして私が発した言葉に、聞いていた者全てに波紋が広がる。
『軍神……アーレスだって!?』
『た、たしか神話じゃゼウスを父に持つ
『そんな高位の神が!? た、たしかにサガといえば神のような男だと言われていたが……!』
『いやでも高位の神とはいえ、伝承ではわりと人間に負けてたりあまりいいところがないような……』
……うむ。聖域に属するだけあって、ギリシャ神話に詳しい者もいるようだな。ちょくちょく文献整理をしている文官の声も混じるため、なかなかよい塩梅で説得力が出てきたぞ。
それならそれでと、ここぞとばかりに畳みかける。一息に言い切ってしまえ!
『そうだ! 十三年前に神のように清らかだった双子座のサガに目をつけ依り代とし、アテナに代わり地上の支配を企てた神こそがアーレス! 我らは十三年ものあいだ、騙されていたとはいえ別の神を奉じていたことになる! この大罪を犯させた敵を断じて許すわけにはいかない! 証拠として奴の目と髪はもとのサガとは正反対の色に染まっている。これは文献に残されていた限り、二百五十年前にハーデスの依り代とされた少年の特徴と同じ! 二重人格の人格が入れ変わるだけで髪の色がそうコロコロかわってなるものか! 奴自身もまた、先ほど「自分は神だ」と証言した! これはもはや疑いようのない事実! この愚か者を倒し聖域を奪還すべく……そして高潔な聖闘士たる双子座のサガの肉体を取り戻すために、この度我らが
『ま、待て! 貴様何を言って……』
『ほら見ろうろたえているぞ! 正体を暴かれ動揺しているな馬鹿め!』
『だから違』
『鳳翼天翔ぉぉぉぉぉ!!』
『ぐわああああ!? くそ、一輝、この死にぞこないめ! ギャラクシアンエクスプロージョ』
『一輝、すまない待たせた! ペガサス流星拳!!』
『ぐおおおおお!? な、ペガサス貴様! 五感を奪ってやったというのにまだ動くか!!』
…………。すぐ近くに居るから全部見えているのだが、大分混戦となっているな。
ふと横を見ると、沙織ちゃんがさっと目をそらした。……
『ま、まあそんなわけだ。この度の戦いは
その
とりあえず言いたいことは言い切ったので、無理やりまとめてテレパシーを終了する。
大事な詰めだったため流石に緊張を強いられた。…………ふぅ。
「…………なあ、今のは本当なのか? サガに乗り移っているあの人格が軍神アーレスなどと」
「……あてずっぽうだ」
「はあ!?」
「今の話の目的は、奴を倒した後のサガのメンタルケアが目的だ」
一瞬話すかどうか迷ったが、下手に嘘を重ねるよりは巻き込んでしまえとミロ殿達にもある程度の裏事情を話しておくことにする。
まあサガの裏人格については十二宮編で消えてしまうのでその正体は定かではないのだが、これまで見てきたことを総合するとあながち間違ってはいないのではないかとも思うのだ。アニメでサガは教皇でなく、教皇の弟として"アーレス"を名乗っていたしな。
荒ぶる軍神としての小宇宙でシュラ、デスマスク、アフロディーテを力に固執するよう仕向けていた、とも考えられる。どちらかというと、これに関してはそうであってほしいという私の希望なのだが。
今後もしかすると本神が出てくるかもしれんが、どちらにしろその性質的に敵になることは間違いない。だったら今回の責任全部押し付けてしまえばよいのだ。
私たちは散々神々に迷惑をこうむっているのだから、こうしてたまには逆に利用したっていいではないか。でなければとてもじゃないが、やってられん。
「め、メンタルケア……だと?」
「でなければこれほどの大罪だ。周りはもとより、サガ自身が自分を許せるはずもあるまい。おそらく自ら命を絶つ。そういう男だ」
かつて次期教皇にも選ばれた、唯一サガと対等にあったアイオロスの発言にミロ殿も押し黙る。
……これについては、ムウ殿は複雑だろうな。本当に神が乗り移っていたのであればその支配に耐え、地上の侵略を抑えていたサガは称えられるべき英雄だ。だが裏人格がサガの心の弱い部分が露出して生まれたのなら、それはサガ自身の罪。これからの戦いにサガの力は必要ゆえにこんな作り話をねじ込んでみたが、師を殺されたムウ殿の心境を思うと申し訳ない。
そんな私の視線に気づいたのか、ムウ殿は笑みではないものの目を細め柔らかい表情を作る。
「ああ、ご心配にはおよびませんよ。その分たっぷり働いてもらうつもりですから」
あ、大丈夫だなこの方は……。ちゃんと自分の中で折り合いをつけている。頑張れサガ。
「一応信じるに足る根拠は示したつもりだが、決定的な証拠はない。だが、例えばだ。もし
「まるでそうなることが、はっきり分かっているような言いようだね」
どうも居心地が悪かったので捕捉して言えば、魔鈴が鋭く切り込んでくる。……女性の勘は時として非常に鋭いので恐ろしい。
「あんたたち、くっちゃべってる場合かい! それもこれも星矢達が勝たなくちゃ意味が無いだろう! あとリューゼ、腑に落ちないことは後でまとめて聞くからね! 覚悟しな!」
「お、おう」
星矢が心配でしょうがないらしいシャイナにまた怒られてしまった……。なんというか、彼女には怒られることが多いな私は……。
シャイナに言われずとも戦況には目を向けていたが、先ほどまで元気に動いてた一輝が倒れふすところだった。サガの必殺技……宇宙をも砕かんとする、壮大な名前にふさわしい威力を誇るギャラクシアンエクスプロージョンを二度も受けたのだ。無理もない。
しかしその一輝が必死になってかばった星矢は未だ五感を失いつつも、二本の足でしっかりと立っている。
『い、未だよくわからんところはあるが……星矢ぁ! お前は今も戦っているんだよな!? なら、オレの命をお前にやる!!』
『そうだ、オレたちの小宇宙を! オレ達の小宇宙を全部お前にくれてやる星矢ー!』
『だから勝て! 相手が神だろうがなんだろうが、お前なら出来る! だから、勝ってくれ!!』
そんな星矢のもとに最初に届いたのは、階下に居るユニコーン邪武、ライオネット蛮、ヒドラ市、ベアー激、ウルフ那智の声。
『そうだぞ星矢! お前が死んだら悲しむ人がいると言っただろう! 負けるなんてゆるさねぇ!!』
続いて、これはカシオスか。
『星矢……あなたは希望……。今全ての人々の。あなたは希望なのです……星矢……』
沙織ちゃんが下で倒れながらも意識だけ送っているていでちゃっかり混ざっている。
『星矢……。わずかに……わずかに? 残ったオレの小宇宙を……』
『星矢……消えそうなオレの命を……いや思ったより消えそうでないな……? いや、それならばその分のオレの生命力を……』
『そ、そうだよ星矢……。かすかに……でもないような気もするけど、残ったボクの命を……ボクの小宇宙を全て君にあげるから……だから……!』
これは紫龍に、氷河に、瞬か。それぞれ下の宮で倒れていたはずの三人から、星矢に小宇宙が集まっていく。
そして
『だからもう一度立ち向かえ! 正義のために、
全ての想いがこめられた小宇宙が、星矢に集った!
この瞬く星の下で、星矢は再び拳を握る。
「な、なにぃ!? なんだ、星矢の後ろに浮かんだあのオーラは……! むう、こ……これはペガサス!! いや、それだけではない! 星矢のうしろに無数の小宇宙が浮かんでいる!!」
可視化されるほどに高められた小宇宙を前にサガの顔色が目に見えて変わった。
……というか、その可視化されたオーラの中に射手と羊と蠍と鷹と蛇使いと琴まで混ざっているような……。
「最後くらい協力させろ。このくらい、いいだろう。大丈夫だ。ちゃんと死なないくらいにおさえてある」
アイオロスの言葉にため息が出る。……まあ、ここまで戦いをただ見守るだけではフラストレーションが溜まっていただろうしな。本当は全員、自分の拳で裏サガを殴ってやりたいところだろう。
それなら最後に星矢を支援するくらい、いいか。
「さ、サガよ……。確かに五感を奪われたオレは何も見えないし聞くこともできない……。だが見る以上にそれらの感覚を超えて、全てのものを感じることが出来るのだ…………え?」
一瞬星矢の顔がこっちに向いた。い、いかん!
「な、なんだと。それではお前は六感全てを超えたセブンセンシズに目覚めたとでもいうのか!」
「……!?!?!? あ、ああそうだ! 今みんな……みんなが? このオレに力と勇気を与えてくれた! オレの小宇宙よ、セブンセンシズよ! 今こそ究極まで燃え上がれ!!」
(終局だというのにものすごい困惑顔をさせてしまった……)
多分星矢は研ぎ澄まされた感覚によって、私たちに気付いたのだろう。気まずい……気まずいが!
どうせバレたなら、隠れている意味はもう無い!!
「ええい、ままよ! 頑張れ星矢!」
「星矢、頑張るのです!」
「悪を撃ち滅ぼすのだ星矢よ! お前の正義を示せ!」
「お前の活躍、このミロしかと目に焼き付けようぞ!」
「星矢、負けたら修行のしなおしだよ! きばんな!」
「星矢……! 頑張るんだ、あとちょっとだよ!」
ムウ殿とオルフェを除いた全員が、もう隠れている意味は無いと物陰から出て大っぴらに声援を送る。
すると星矢と裏サガがそろって目を白黒させるが、そこは流石主人公である。ごちゃごちゃ考えるのをやめたらしい星矢がいち早く立ち直り、拳を振るった。
「あああ、もう! よくわかんねーけど、とにかくこれで最期だ、邪神アーレス!!」
「な、なにぃ!? いやだからそれは違」
『ペガサス彗星拳ーーーー!!』
問答無用の天翔けるペガサスの一撃が、最強の男を吹き飛ばした。
それと同時にいつの間にか手に盾を携えていたムウ殿がそれをサガに向けてかざす。……え、いつのまに!?
「こうなっては、わざわざ星矢が盾を取りに行く必要はないでしょう。丁度幕引きです。……我が師の仇には、魂の欠片一つ残さず退場してもらいましょうか」
星矢の攻撃とほぼ同時に、全ての邪を打ち払う
高く天にむけて殴り飛ばされ、落下し派手に床に打ち付けられたサガ。……その髪色は眩い金色へと戻り、表情は元々の清らかな青年のものとなっていた。
ちょうど、十二番目の火時計が消えた。
こうして十三年に及ぶ
先日裏サガがクソかっこいいおニューの鎧を纏ってフィギュア化されてたので調べたのですが、セインティア時空では随分出世した様子。
私自身まだセインティアは読めていないので主人公も未読であることと、あらすじを見る限りセインティア翔はもしも聖闘少女という存在が居たら、という原作の再構成のようなので本作では完全に別の世界線として扱います。
セインティア可愛いし戦う女の子は大好きなので読む機会は狙っていますがね!
本作は派生作品知らなくても原作だけ知ってればOKくらいにしておきたいので。
なので本作では裏サガのジョブチェンジはありません。完全なる冤罪。アーレス冤罪。もしかしたら本当にアーレスだった可能性も捨てきれないけど基本的に冤罪。そのあたりはご想像にお任せします。
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30,
十二宮の戦いから数日経った今、私たちは事後処理に追われている……こともなかった。
いや、色々と大変ではあったのだがな。聖域の運営自体はサガがしっかりとやってくれていたので、あまり手を出すことがなかったのだ。これから変えていく必要はあるだろうが、それは大きな戦いを控えた今、急いでやるべきことではない。急いては事を仕損じる、というやつだ。
全てが終わり、余裕が出た時にやるべきだろう。小さなことからでも出来たら、それはいいことなのだがな。
ともかくそんなわけで、トップが正式に
そして私と沙織ちゃん、アイオロスは現在日本の城戸邸の目と鼻の先にある療養所で平謝りをしていた。
誰に謝っているかといえば……それは星矢達。今回の功労者である。
「ったくよー! やってらんないぜ! オレたちがさぁ、必死こいて戦ってるのにお嬢様は呑気に観戦かよ! 銀河戦争の続きのつもりかー!?」
「す、すみません星矢」
「星矢……
「嫌だね! というか、あんたもだぜアイオロス! 人馬宮でのオレたちの涙を返せ!」
「ぐ……! あ、あれのことは忘れてくれ!」
口をとがらせて文句を言う星矢は、病院のベッドの住人となっているものの元気そうだ。怪我や疲労は未だ抜けず医者には安静を厳命されているが、意識不明の重体だった原作に比べたら良い方なのだろう。彼らには多大な苦労をかけてしまったので、治療を恩に着せるつもりはないが。
「ま、まあまあ星矢。気持ちはわかるけど、こうしてお嬢さんも何度も謝ってくれているわけだし……」
「甘いぞ、瞬。この人にはいい機会だし、たっぷり反省してもらおうか」
「まあ、この戦いでオレ達がひとつ聖闘士としての高みに近づいたのは事実だが……」
優しい瞬は腕を組んでそっぽを向く星矢をなだめようとするが、氷河はなかなか手厳しい。紫龍に関しては師である老師……童虎殿も一枚噛んでいたとあって、どう反応していいのか未だ考えあぐねている様子だ。自分たちと
「いや、そのな……。
「そりゃ、あんたにも腹は立ってるけどさぁリューゼさん! 日本で会った時、変だと思ったんだ。妙な恰好してたし」
「そういえばオレ達が倒したと思っていた白銀聖闘士……。彼らも生きていると聞いたが、その後どうなったんだ?」
紫龍の問いに応えようとした時だ。病室の扉が開き、二つの人影が入室してくる。
「リューゼさん! 頼まれてたもの買ってきましたよ!」
「あ、ああ。ありがとう」
「む……。紫龍、起きていて大丈夫なのか?」
「え……。あ、あーーーー!? な、なんでお前らが!?」
「い、生きていたのか!?」
ハキハキとした言葉使いで頼んでいた買い物を私に差し出してきたのは、褐色の肌に白髪の少年……ブラックペガサス。そして紫龍を気遣って声をかけた長い黒髪の少年はブラックドラゴン。かつて……といってもそれほど前でもないが、一輝と共に星矢達の前に立ちふさがった、
私は以前、自分の技でどこまでの回復が可能かを彼らで試した。成功し生き返った二人は適当な病院に放り込んできたのだが……。動けるようになった二人は、なんと城戸亭の前で門前払いをくらいながらもずっと私たちの帰りを待っていたらしい。助けてやった時に意識があって覚えていたのかと驚いた。
「ふん、死にぞこないの情けない有様だなペガサス」
「なにおう!? ……いやそれより、お前ら白銀聖闘士に止めをさされたんじゃ……その、俺たちの代わりに……」
反射的に言い返そうとするも、彼らの最期を思ってか歯切れを悪くする星矢にブラックペガサスがくいっと顎で私を示す。
「この人に助けてもらったのだ。……他の仲間は無理だったが、富士の風穴に埋まった遺体を掘り起こし埋葬する手伝いもしてくれた。オレ達はその恩をかえしながら、仲間の分まで生きようと考えている。一輝様も今は見当たらんが、お前たちと共に戦ったんだろう? ならまた、オレたちもついていくさ。あの人はオレたちのリーダーだからな」
「暗黒聖闘士がなにを、と言われそうだがな。
「助けたことは、別に気にしなくていいと言ってるんだが……」
私としては蘇生可能なのか実験のつもりだったから、そう素直に感謝されてしまうと気まずくてならん。
埋葬については蘇生できなかったブラックアンドロメダとブラックスワン含めて、もともと供養してやるつもりだったしな。
「そういえばオレやカミュも、リューゼさんが治療してくれたらしいな」
「人を傷つけるためじゃなく、人を癒すための小宇宙の使い方か……。ボクやっぱり、リューゼさんに技を習おうかな」
「そのことについては是非検討しておいてくれ。お前の師であるダイダロスにはもう話はつけてある」
「は、はは。嬉しいけど、複雑だよね。死んだと思った人がみんな生きているんだもの」
苦笑する瞬に私も苦く笑い返す。……あの後、人間模様は色々あったものなぁ……。
そして私はひとつ絶望的な現実を知ってしまった。
どうやら私の呪いを解く手立ては、そう簡単には見つからないらしい……という現実を。
私は深く息を吐き出しながら、数日前の事を思い出していた。
+++++++++++++++
「
「
「
「…………
「
「
「
「
「
「
各自名乗りながら膝をつく黄金聖闘士が揃い並ぶ様は壮観と言うほかない。星とわずかな松明の炎しか明かりが無いというのに、彼らが纏う黄金聖衣は燦然と輝いて見えた。…………約一名、上半身裸で脇に聖衣を抱えている男がいるが。
シャカ殿、気絶してるところを無理やり起こして連れてきたのは我々なので「何故君まで並んでいるんだね?」と心底不思議そうな顔で問わないでやってくれまいか。聖衣に見放されたとはいえ、そいつ以外に今のところ蟹座の黄金聖闘士に適性がある者がいないのです。
「そして五老峰におられる
代表してそう言い切ったムウ殿の言葉に、全員が
……が、約一名名乗り出ないままに私の横で跪いている男が居たので肘でつついてやる。
「おい、お前は名乗らなくていいのか」
「気まずいなと考えていたら、向こうに交じるタイミングを逃した」
「行けこの英雄が!!」
締まらないことを言っていたので、十三年前に
「この私、
「あ、アイオロスだってぇーー!?」
アイオロスの名乗りに驚愕の声をあげたのは星矢。今まで階下から黄金達がぞろぞろ集まってくるのを目を白黒させながら見ていたのだが、ついに我慢できなくなったらしい。ずかずかと沙織ちゃんの横まで歩いてくると、沙織ちゃんとアイオロスを交互に見る。
「どうりでアイオリアに似てるはずだ! なあ、聞きたいことは一杯あるけど、これってどういう……」
そして、言いかけた途中で電池が切れたようにバタンと倒れた。正面に居た沙織ちゃんの胸に。
「せ、星矢!?」
「星矢貴様!
「いや無理もないだろう。よく意識を保っていたもんだ」
ひょいと気絶した星矢を抱えたのはアイオロスだ。見れば星矢は先ほどまで激戦を繰り広げていた男とは思えぬほどの、健やかな寝顔を晒している。……今は休ませてやった方がいいだろうな。
「アイオロス、貸しな」
「む、いいのか? なら、頼む」
「……あんたにしちゃあ、よく頑張ったね」
アイオロスから星矢を受け取った魔鈴が、いつになく柔らかい声で星矢をねぎらった。……星矢め、損なことをしたな。本人に聞こえていないのがもったいない。
サガの体から悪しき心が抜けたあと、各宮で待機してた黄金聖闘士達も集まり(幾人かはたたき起こされ)
そして星矢の気絶と入れ替わるようにして、あの男が目を覚ます。
「あ、
震える瞼を持ち上げた彼……双子座のサガは、沙織ちゃんを前にすぐさま自らの心臓をえぐろうとした。
「いや待て!!」
「こちらの苦労を無に帰すな馬鹿者!!」
当然すぐ止めたがな! ノータイムで自殺しようとするんじゃない!!
「サガ、お前も体の中で聞いていたのだろう! 此度の反乱はすべて軍神アーレスの謀略によるものだと!」
「そんなもの関係ない!! このサガの罪、死して詫びたくらいで許されるとは思わないが、生き恥を晒しては
サガの顔がアイオロスに向いた。
「いや、そのな。生きているぞ、私は。さっきぶりだな!」
その時のサガの顔はおそらく今度一生見れない顔だったろうな、とだけ言っておく。ちなみにシュラも先ほどから頻繁にアイオロスの顔を見ていた。話させてやりたいが、今は少し無理そうだ。
こうして戦いが終わった後もごちゃごちゃと色々あったのだが、大半が負傷者の上に夜遅くまでまだ少女である
無傷、軽傷の者は聖域に残り事態の収拾と事後処理を。傷の深い者はアテネにある城戸財閥管轄下の病院で治療を、という具合に沙織ちゃんとアイオロス、ムウ殿が中心になって采配をふるった形だ。
ちなみに戦いがあったばかりで損傷の激しい十二宮で沙織ちゃんを休ませるわけにもいかず、彼女本人も自分のために戦い傷ついた星矢達の側に居たいという要望があったので、沙織ちゃんもまた護衛として黄金聖闘士を何人かつける形でアテネに行くことになった。
せっかく真の主を取り戻した十二宮だが、まだしばらくその頂きに女神を迎えることはなさそうである。
…………そしてこの私、リュサンドロスなのだが。
「ふ、フフフフフフ……! ついに、ついに男に戻る時が来たぞ!!」
一応アイオロスにだけ声をかけこっそり抜け出し、今私は
この巨像であるが、アテナ自身の血を使うことによって
なにしろ、邪を祓うということは……この私の忌々しい呪いも消し去ってくれる、ということだからな!!
私は八年間、これをあてにして生きてきたのだ!!
(アイオロスのパターンがあるのだ。男に戻ったら適当に理由をでっちあげて、実は生きていたと言って再びリュサンドロスとして戻ればいい! リューゼは動けなかった自分に代わって立派に役目を務めてくれたから、普通の生活に戻してやったとかなんとか言ってな! この辺りは
一瞬のうちに心での葛藤を終えると、私はアテナの盾を掴んだ。
「さあ、聖なる盾よ! 私にかけられた古の神の呪いを消し去ってくれ!!」
私の願いに応えるように、盾から聖なる光がほとばしる。その光にさらされついに私は男に……。
【戻れないわ。その姿こそ、あなたの真の姿だもの】
ぞわりと、身の毛がよだった。
まるで女の柔い肌のような感触が私の首に絡みつき、目玉だけ動かせばそれが白い腕だと知れる。ほっそりとした華奢で優美な指を私の体に這わせ、いっそ優しいくらいに抱きしめてくる。
なんだ。
なんだ、これは。
身をいっさい動かすことが叶わず、体温は奪われ体に氷でも詰められたようだ。
だというのに脂汗だけ噴き出ている。呼吸は乱れ、自分が息を吸っているのか吐き出しているのかも分からない。
そして、視界が暗転した。
「!!」
はっと意識を取り戻した時は、すでに山脈から朝日が覗いているところだった。
黎明の空は美しく、白亜の宮殿たちを朝日で染め上げていく。吹き抜ける風に身を任せたまま、私は完全に世界が朝で満たされるまでその様を呆然と見ていた。
時間が経ち、ゆっくりと体を見下ろす。
「…………ついてるし、ついてない……」
胸には私には本来不要のはずの双丘がいまだ健在であり、股間に相棒が戻った気配はない。
「なんだったというんだ……! あれは……!」
私は拳を強く床に打ち付けて、未だ呪いが解けぬわが身を恨めしく思うのであった。
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31,インターバル
男に戻れなかった。
その事実は私を強く打ちのめしたが、それを思い悩む暇も多くは与えられない。
何しろ身内争いが終わった後は、いよいよ神相手の戦いになってくるからな。ちなみに当然のごとくアーレスはノーカンである。あれが本当にアーレスだったかなど私は知らん。
……悩む暇も無いとはいえ、呪いを解こうとした時の女の腕がなんだったのかは気になるがな。
一応無断で
八年あてにしてきた解呪法が失敗し、いよいよもって男に戻る方法が分からなくなってしまった。
だが、それを嘆いている場合でもないのだ。此度の戦いで死者こそ出さなかったが、次の敵も気を抜けん相手だからな。
…………いやアイオロスに愚痴をぶちまけてヤケ酒をかっくらう程度には荒れたが。……吐くまで飲んだのは久しぶりだ。安酒だったのもいかん。三日ほど気持ち悪かったぞ。
……ともあれ、次の戦いだ。
次に戦うべき敵は海王ポセイドン。だと思われる。
今までの事を総合すると、この世界は私が知る「聖闘士星矢」の漫画側の物語に沿って進んでいるようだ。
アニメではこのタイミングでシリーズ内でも人気の高い"北欧編"が入るのだが、今のところそんな様子は見られない。
だが油断もできん。一応アスガルドの民というのは居るらしいからな……これは北欧へ調査と監視に向かってくれた、カミュ殿の報告待ちだろう。
……カミュ殿と言えば、彼とシュラには驚かされたな。最近やっとジャミールから聖域に帰還したミスティ等白銀聖闘士達は、私の粗治療の影響がまだ完全に抜けきっていない者もいる。
しかし同じく私が治療を施した黄金聖闘士である二人は、目覚めてから間を置かずして動いていた。消耗度や怪我の度合いもあるのだろうが、これが格の違い、ということか。
まあ、原作と違って邪魔した甲斐があり、ほとんど死に直面するような傷を負ったものが居なかったのは幸いだ。私の技など使う機会が少ないに越したことはない。
…………ん? 多分だが、この戦いの中で一番危険だったのはカシオスなのではないか……?
……なんというか、奴には改めて申し訳ない気持ちが湧いてくるな。今頃シャイナのしごきにひーひー言ってる頃だろうから、折を見て何か差し入れのひとつでもしてやるか。
ポセイドンとの戦いの時期についてはおおよそ見当がついている。その日まで北欧に変化が無ければよいのだが……。
アスガルドまで巻き込んだとあっては首謀者たるサガの弟、カノンの罪が重くなるのであとあと面倒極まりない。奴にもハーデス戦ではキリキリ働いてもらわねば困るのだ。
沙織ちゃんの話では白銀聖闘士が完全に回復次第、カミュ殿の応援に数名北欧に送るらしいのでもし万が一があっても全力で阻止していただきたいものだ。予兆があれば私もすぐさま北欧に赴き何が何でも邪魔をするぞ。
……そしてもしアスガルド編が無い場合であるが、のんびりもしていられないがそこそこ時間の猶予もある。
(ジュリアン・ソロの誕生日まで、あと三か月弱か)
現在十二月。調査したジュリアン・ソロの誕生日は三月二十一日。
海王ポセイドンの依り代であるジュリアンが海底神殿に迎え入れられるのは、ジュリアンの誕生日パーティー後のことである。ジュリアンがそのパーティーの席で沙織ちゃんにプロポーズなんぞするシーンがあったから、印象が強くこれについてはなんとか覚えていられた。
この件については忘れていないで本当に良かったと思う。何故なら忘れていた場合、ポセイドン降臨後にかの神が引き起こす未曽有の大洪水が世界中を襲うからだ。我らが
時間はともかく津波のことは忘れないで本当によかった。ふざけるなよカノン及びポセイドン。
もちろんそんなことをさせてたまるかと、今からその時期が早まった場合も考えて対策に動き始めている。
ジュリアン・ソロの近辺にもすでに監視の目と、
例によって時系列はよく覚えていないが、十二宮での戦いの後本来ここまで時間の猶予は無かった気もするのだ。私が気付いていないだけで、もしかすると十二宮の戦いの時期が早まっている可能性もあるが……。そうなると誕生日だけを目安にしていると痛い目を見そうだからな。
十二宮の戦い後すぐに海界もといカノンが行動を起こさなかったのは、聖域がほぼノーダメージであることを知って様子見をしていたと納得できるが……アスガルドに工作をぶち込んでいないことを切に祈る。やめろよ貴様。その部分だけアニメサイドの動きをするんじゃないぞ。フリではないからやめろよ。
とにかく、だ。
おそらくこれらの動きによって、海王との戦いは十二宮の時と異なり確実に私の知る未来とはかけ離れたものになるだろう。
私の前世を含めた未来の知識と事情を知るものは現在四人。
未だ全てを知るのはこの四人のみであるが、その内訳がそうそうたる面々だ。これで未来が変わらぬはずがない。
だがけして、悪い方向へ行かせる気はなかった。
……そういえば変わった未来といえば、沙織ちゃんにいたっては私に聞くなりさっそく病院で血液を採取して、
長らくスターヒルに放置されていたシオン様の遺体は先日ムウ殿によって手厚く墓地に葬られた。今度供え物と花をもっていって、手を合わせておこう。
…………こうして私の知る未来からは徐々に外れていっているが、そもそもその知識はネタばかり強く覚えている、起こりうる事態の時系列も曖昧で中途半端なもの。
……………などと、これからのことに思いを馳せていると手から書類が滑り落ちる。
「おっと」
床に落ちきる前に掴もうと手を伸ばすと、それは私より早くのばされた手に捕まれた。
「ああ、申し訳ない」
「いや」
差し出された書類を受け取る。
目の前の豪奢な金髪の下で未だ複雑そうな……どう接していいかつかみ損ねているような顔をした男に、思わず苦笑が零れた。
現在ここは聖域の執務室の一つ。
私はここ最近は主に日本と聖域をテレポーテーションで行き来しながら、以前のようにサガの仕事を手伝っていた。
……全てが終わった後になるだろうが、早急に書類仕事が出来る人材の育成が求められる。何故当然のように私はここに配置されているんだ。
「サガ殿、いい加減慣れてはどうか。今までとやっていることは同じなのですから」
「そうは言うが……な」
とはいえこのまま継続してはどうかと
黒い執務服に身を包んだサガの表情からは、憂いが未だ抜けきらない。
というのも彼は自身が神に操られていたという私のホラ話に対し懐疑的だからだ。そんな都合のよいことがあるものか、あれは紛れもなく自分の弱い心に潜んでいた悪だったと……口にこそ出さないが、そう疑っていることが窺える。
例のホラはサガを働きやすくするための(サガが聖域の運営から外れたら真面目に痛手である)周囲の印象操作という狙いもあったが、主目的はこいつのメンタルケアだったのだが……人の心は、そう簡単に思うようにはいかないものだ。
……カノンのこともあるし、もう少し精神が安定したら私の知る未来に関する情報だけでも話したいんだがなぁ……。
優秀な男だ。是非とも巻き込みたい。
「慈悲深くも
「そういうものですか……」
まあ同情と言ったって、割り切れない者だってたくさん居るだろうし、恨みの籠った視線だって向けられるだろう。でもそれだけじゃ、この男には足りんのだろうな。
その真面目さは好ましくもあるが、それ以上に難儀なものだ。
「私などに接し方など迷われますな。今まで通り、仕事をするだけです」
そもそも事務的なことしか話さないのだから、会話など気を使わなくていい。そう言ったつもりなのだが……どうもサガの気配がしょぼくれた気がした。
…………あれか。愚痴でも聞いてほしかったのか。まあ同格の黄金相手では逆に言いにくいだろうというのもわかるが……。
聞いてもらいたいだけ、という気分の時は誰にでもあるものだ。
それは先日散々男に戻れなかったことをアイオロスに愚痴った私としてはよくわかる。
「ま、まあ黙々と仕事をするだけでも味気ないですね。私は今日は一日こちらの手伝いなので、よければ何か話していただけるとありがたい。武骨者ゆえ、気の利いた言葉は返せませんが」
先に慰めるようなフォローは期待するなよと予防線だけ張っておく。おそらく己の罪を誰かに断罪してほしいであろうサガにしたら、最初からそんなもの期待しとらんだろうが。ただ返しに困ることを言われた時、無言というのも居心地が悪いからな。それ用の予防線だ。
が、私の言葉にどこかほっとしたような表情をされてしまい、じわじわと罪悪感が湧いてくる。
いや本当、気の利いたことは言えんぞ。
……年長者としてここはフォローすべきなんだろうが、私は私のことで色々と精いっぱいでな……すまん……。色々とな……はぁ……。
仕事の手を動かしながらサガの独り言にも似た話しを聞くという、なんとも居心地の悪い時間を過ごした後。私は精神的な疲労を抱えたまま帰路についた。
そして小屋の前で扉を叩こうか叩くまいか迷っている人影を見つけてしまい、溢れんばかりの嬉しさと胃がきりきり締め付けられるような痛みを同時に味わう。地獄か。
それでも無視など出来ようはずもなく、諦めて帰ろうとする背中に声をかけた。
「どうしました。シュ……に、兄さん」
考えることはたくさんあるが……それらよりもなによりも、私が今一番悩んでいるのはこれである。
声が裏返ってしまったのは、どうか許してもらいたい。
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32,兄と妹(正:息子と父)
「ど、どうぞ……」
「ああ、すまん」
私が机の上に置いた安物のカップに入った茶をしばらく見つめたあと、シュラはそれを一気に飲み干した。淹れたばかりのため熱いはずなのだが、一気である。……一瞬動きが止まっていたが、大丈夫だろうか。
そして茶を飲み干してしまうと、特に何を話すでもなく沈黙が落ちる。……気まずいのは私も同じであるため、もう一杯茶を淹れた。
むぅ…………距離感を掴み損ねているのはありありと伝わってくるのだが、とても気まずい。
サガと二人きりで書類を片付けつつ愚痴というか懺悔もどきを聞いていた時の比ではないくらいに、気まずい。
沈黙に耐えかねて、先に口を開いたのは私だった。
「あの、妹だからと無理して距離を縮めようとしなくてもいいですよ」
本当はこんなこと言いたくないのだが……。シュラを困らせるのは、私の本意ではない。
私としては息子に嫌われなくなり、こうして訪ねてきてくれるようになったのはとても嬉しい。だがそれはこうして私が自分をシュラの妹だと偽っているからであるし、血のつながりを理由にシュラに無理をさせるのは忍びない。
今まで嫌っていた相手を、妹だからという理由で接する必要はないのだ。
(でも、真面目な子だからな。血のつながりがあると知って、放っておくことも出来んのだろう)
シュラは聖域がそこそこ落ち着いたころから、私がこちらに居る時はこうして訪ねてくるようになった。
かといって何を話すでもなく、ぽつぽつと「元気か」「無理はしていないか」などと短い質問を投げかけてくるのみ。顔が似ているからか、そのさまが昔の自分に重なってどうもむず痒い。
私も妻に初めて会ってからしばらくの間はこうして、当たり障りのないことを口にしてはもどかしい気持ちを味わったものだ。……当然、シュラが抱いている感情は私のように、照れからくる戸惑いではないだろうが。戸惑いのみが感情の大半を占めているに違いない。
……本当に、ごまかすためとはいえ何故あのような嘘をついてしまったのか。アイオロスには笑われるし、ムウ殿には心底呆れたといったような視線で見られるし散々だ。
「…………無理を、しているわけではない」
私が自身の過ちに眉間に寄った皺をほぐしていると、何か勘違いしたらしいシュラがうつむき気味だった顔を私に向けそう言ってきた。ああいや、これは自分の不甲斐なさに変な顔になっただけであってだな……! けして、お前に嫌な顔をしたわけでは!!
「ただ情けないが、何を話していいのかさっぱり浮かんでこんのだ」
「いや、それを無理している……と言うのですが……」
思わずつっこめば、シュラの声のトーンが落ちた。
「お前にしてみたら、この男は毎回何をしに来ているのだと……そう思っているのだろうな。このような兄、鬱陶しいだ」
「そんなことはない! あなたに会えるのはとても嬉しく思う。だが、あなたが無理をしている姿を見たくないのだ」
思わず言葉が終わる前に食い気味で訂正すれば、シュラは驚いた様子で目を見開いた。
「…………嬉しい? お前こそ無理はしなくていいのだぞ。これまで自分がどんな態度をとってきたかは、自覚している」
「え……」
どうもシュラは自分が嫌われている前提で話しているらしい。
普段は妻によく似て白黒すっぱりつける
しかしせっかくの機会だ。……せめて私が嫌っていないことくらいは、ちゃんとわかってもらおう。
「私はあなたを愛している」
「ぐほ!?」
ストレートに言ったら茶でシュラがむせた。
しまった、言い方がまずかったか!! え、ええい! 日本人でもあるまいしこの程度の言い回しで動揺するでないわ!
「か、家族としてですもちろん! 家族として!!」
「そ、それは、もちろん分かっている! だがそこまで盛らなくていいし嘘もいらん!」
これには少しピリッときた。
世界で一番愛している。
これは偽りなき、心からの私の気持ちである。妻亡き今、この世で最も愛しく大事な存在は間違いなく彼だ。私の大事な息子。
「嘘ではない! どうしたらあなたは信じてくれる!」
「俺がお前に今まで何をしてきたと思う!? 体の弱いお前を痛めつけ罵倒した! それのどこを好きになれる!」
「いずれも訓練の範囲内でしょう! それに私が弱く情けなかったのは事実です! あなたは私を強くしてくれようとしただけだ!」
「ああ、強くしようとしたさ! だがその訓練の中で、必要以上に辛くあたったのも事実! 本来聖闘士の世界に足を踏み入れるはずが無かったお前が、父の意志を継ぐために意を決して聖域に来たというのにだ!」
「きょ、きょきょきょ兄妹だと教えなかったのは私が臆病だっただけにすぎません! とにかく、私はあなたを嫌っていない! 訓練で接することが出来るのは嬉しかった!」
段々と互いにヒートアップしてきていたことは分かっていたが、双方が主張を譲らないため平行線だ。
どちらともなく、間にある机に激しく手をついて立ち上がる。
「ええい、頑固な!」
「どっちがだ!」
そのまましばらく睨み合い……頭に登った熱が冷めてきたところで微妙な空気が流れ始め硬直する。つ、次に何を言えばいいのだ……。ついけんか腰になってしまったが。
しかし意外にも、先に折れた? のはシュラだった。
大きなため息を吐き出すと、まっすぐに私を見る。私も仮面越しにシュラを見た。
「…………お前はいつも俺の顔色を伺うような情けない態度だったが、今は視線をそらさず見てくれるな」
「そ、それは」
シュラから嫌われている事実が辛くて、どうしてもオドオドした態度になっていたことは否めない。…………自分で言うのもなんだが、中身二メートル超えの五十代大男がオドオドなどと気持ち悪いな。
「リューゼ」
ふいに呼ばれた名前。流石にもう八年の付き合いともなればタイムラグなしに反応できるようになった女としての名を、シュラは自分の妹の名だと認識している。複雑だが、名前を呼ばれたのは嬉しかった。
「お前もまた、今まで存在すら知らなかった兄に戸惑っていたのだろうな。まったく、父さんも人が悪い。お前のこともそうだし……アイオロスのことだって、俺にも教えてくれてよいものを」
「それはっ」
「言わなくていい。事情があったのだろう? …………あの後から俺は教皇……アーレスの「力こそ正義」という考えに傾倒していっていたからな。父に信頼されなかったのは悔しいが、もしアイオロス生存を知ったら報告していたかもしれない。それでは
「それは違う。わた……と、父さんは真実を知ることで、に、兄さんが危険にさらされることを避けたのだ」
「…………!」
ぐ……! 自分のことを父と言ったり、シュラの事を兄と呼ぶのはどうもまだ慣れんな……!
実際は物語の流れを極力変えないために事実を知る人間は極力少なく、という方針のもとシュラには事実を伝えなかった。だが真実を知ってシュラが教皇こと裏サガに殺される危機を避けたかったのも事実であるし、なにより物語の流れを変えないと言うのはシュラの命を救うためでもあったのだ。
多少言い方を変えてはあるが、彼のため、という事実は私の中で揺るがない。
「まあ、その、あれだ。あなたも突然妹などと言われて、戸惑っているだろう。それはお互い様だ。……どうも私たちは互いに面倒くさい性格のようだし、ここは一回これまでのことを水に流すというのはどうだろうか」
「水に……?」
「あ、ああ。……これから新しく、兄妹として関係を築いていけたらと思う」
…………なにやら私は余計に自分を追いつめている気がしてならないが、愛する息子が私の事なぞで思い悩んでいる方が問題だ。
それに当面もとには戻れぬようだし、ぎこちない関係よりも少しでもいい関係でありたいと思うのは我がままだろうか。だが私は八年もよく我慢した方だとも思うのだ。
少しくらい、自分に褒美があっても良いではないか。そろそろ息子と仲良くしたいんだ私は。
その形に大いに問題があってもな!!
胸中で様々な思いを渦巻かせている私だったが、頬を緩ませわずかに笑んだ息子の顔で全部ふっとんだ。
「…………。そうだな。不甲斐ない兄だが、これからよろしく頼む。何かあれば、頼れ」
「…………はい!」
なにが「はい!」だと脳内で自分を殴り倒すもう一人の自分を感じたが、私は気づけばいい笑顔でそう答えていた。
「そうだ、この後予定はどうなっている。大したものは作れんが、夕食でも一緒にどうだ」
「是非! ならば私もなにか作りましょう。アテネまで走ってタコでも仕入れてきましょうか!」
「いや、今からでは店が閉まっているだろう。ある物で十分だ」
息子と夕食! そう思ったら妻が得意だったスペイン風のタコ料理でも作ってやろうかと考えたんだが……いかん……少々はしゃぎすぎてしまった……。
シュラもこんな落ち着きのない女が、よもや父だとは思うまいな……。
羞恥に項垂れていると、硬い皮膚の手のひらが私の頭にのせられる。撫でるでもなくただ乗せられた手のひら。……それは昔、私が息子にしていた動作によく似ていた。
「タコ料理はまた今度、ご馳走になろう」
何年も聞いていなかった息子の穏やかな声に私はただただ安心し…………とりあえず、もとに戻った時のことは考えないことにした。
今この時は、数年ぶりの家族との食事を楽しむことにしよう。
キリキリキリキリ(主人公が作者と自分の首を絞める音)
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三章 海皇ポセイドン編
33,対海界作戦会議!:序
「お母様ー!」
「あのですね
「いいではありませんか。今ここにはわたしとアイオロス、辰巳しかいませんもの。彼らにはすでに会議室で待機してもらっています」
日本の城戸邸に到着するなり沙織ちゃんに勢いよく胸に飛び込まれ、それを受け止めながらも訂正すればウインク付きで微笑まれてしまった。
…………おかしいな、十三年間見守って限りでも原作を思い返しても、こんな弾けた性格ではなかったはずなのだが。どこでタガが外れたのだ。
「ああ、リューゼだけでは不公平でしたね。アイオロスのこともお父様と呼ぶべきかしら?」
「やめてください
他人事のように私が困るのを笑って見ていたアイオロスが、今度は逆に狼狽してみせる。フンッ、自分は関係ないみたいな顔をしているから悪いのだ!
だ、だがここはちょっとしっかり目に訂正しておこうか。
「いや、でもですね。名付け親なのはいいとして、私とアイオロスをセットで父、母と呼ぶのは本当にやめていただけますか……? 特に十三年前はまだ私も男でしたし、そのように夫婦のような呼ばれ方をするのはそういう意味でないと分かっていても、ちょっと。私には妻も子も居ますし……」
まだ男だった、という言葉に自分でダメージを受けながらそう言えば、沙織ちゃんはしょんぼり肩を落とす。
それを見た辰巳殿がささっと背後に回ってきて私を肘でどついてきた。
「い、色々問題はあるがここは目をつぶってやる! だから、あまりお嬢様を落ち込ませるな! ここ最近は特に御多忙でお疲れなのだぞ! もう少し思いやりのある言い方は出来んのか!」
「いいのです、辰巳。これはわたしのわがままですから……」
この距離ではいくら小声でも沙織ちゃんに聞こえないはずもなく、辰巳殿の気遣いに沙織ちゃんは諦念をにじませ首を横に振る。…………もしやこれは、連携されているのか……?
しかしこうまでされて拒むわけにもいかず、"たまに"ならと、心の中でのみの呼び方を解禁することにした。
「沙織ちゃんは、よく頑張っているな。総帥としても、
少し身をかがめて顔を覗き込みながら言えば、美しい
「…………娘も、いいな」
思わずボソッとこぼせば、ますます沙織ちゃんが上機嫌になる。
し、しまった。つい……! どうして私の口はこうも自分で墓穴を掘るようなことばかり吐き出すのだ!!
「わたしのことは本当の娘と思ってくださって良いのですよ!」
「そ、そういうわけにはいきません!」
どうも
彼も百人の我が子を修羅の道に落としてしまったこともあって、いっそうの愛情を彼女に注いだのかもしれない。
考えてみれば十三歳の少女の肩に大企業総帥と女神というふたつの肩書は重すぎる。
その本質が神とはいえ、城戸沙織が一人の人間であることもまた、事実なのだ。
…………甘やかす人間が一人くらい居てもいいか。
まあ、たまにだ。たまに。
「…………私と貴女の間に聖闘士と女神という立場がある以上、線引きは必要です。ですが……。貴女の心が健やかであるならば、たまにでよければ実の娘と思って接しましょう。事実生まれた時から貴女を知る身として、子に向ける情に近いものはありますから」
たまに、という部分を特に強調して言ってみたが、沙織ちゃんとしてはその答えで満足したようだ。
「本当ですか!? だったらもっと褒めてください、頭も撫でてください!」
(ぐ、ぐいぐい来るなこの子……)
アイオロスが完全に線引きをした分まで私に来ている気がする……! くっ、情に流され最初の対応を間違ったか……!
たじたじになりながらも要望通りに頭を撫で、過剰な装飾語を無くし子供を褒めるように日々の疲れを労えば、目に見えて上機嫌になる少女。
……可愛いが、果たして自分はどんな立ち位置に向かっているのかという疑問に目が遠い場所を見つめる。
……ああ、日本は雪が降ったのか……庭木に積もる雪が美しいな……もうクリスマスも通り越して、新年だものな……。雪が降ろうが現実逃避しようが、現状は変わらんのだが。
「ふう、リフレッシュしました。では会議に向かいましょうか。時間を取らせて悪かったですね」
「い、いえ」
満足したのか、沙織ちゃんが女神としての表情に切り替えた。
……これから私たちは、対海界および海皇ポセイドンについての対策を話し合う。今日でやっと、会議をひらけるほどの材料がそろったのだ。
「では、行きましょう」
対策会議のメンバーが揃う会場へ、私とアイオロス、辰巳殿は沙織ちゃんの背中に付き従って足を踏み入れた。
「皆さん、お待たせしました。ではこれより、海皇ポセイドンへの対策についての会議を始めます」
まず初めに集めた情報を提示したのは、先日までアスガルドに赴いていたカミュ殿だ。
「アスガルドの民は伝え聞いた噂に違わず、敬虔なるオーディンの信徒として慎ましく祈りを捧げ暮らしていました。暮らしこそ質素ですが、指導者……オーディンの地上代行者である、ヒルダという少女が上手く民を纏めている様子。彼の地に伝わる
アスガルドのヒルダ。その名前が挙がるだけで私としては冷や汗ものであるため気は抜けないが、今のところ妙な介入はされていないようだな。
「そうですか。ご苦労様でした、カミュ。……ただ申し訳ないのですが、今後もしばらく警戒を続けてください」
「はっ! かしこまりました」
「ですが、気づかれずにずっと見張るのも大変でしょう。記録を見たところアスガルドと聖域は何百年も交流が無かったようですし、これを機に親交を復活させます。後ほど親書を用意するので、それを手に今度はギリシャ聖域からの正式な使者として、アスガルドを訪ねてください。友好を示せば、きっと町の中での滞在を認めてくれるでしょう」
沙織ちゃんのこの提案は、この場にはいないが老師……童虎殿の提案だ。
前聖戦より聖域の復興に力をかけてきたこともあり、いつの間にか途切れてしまった北欧の神の民たちとつながり。それを取り戻すことはけしてマイナスにはならないだろう、と。
今現在ポセイドン勢もといカノンの魔の手が伸びていないのなら、それから守り、牽制するためにも聖域の正式な使者としての滞在は有効だ。
「
流麗な動きで礼をしたカミュ殿だったが、ふと思い出したように顔を上げた。
「ところで、
「氷河を? 確かに彼らも回復してきてはいますが……」
「私は今後……氷河を正式な次代の
「まあ! それは、素晴らしい事です。一応健康状態の確認をしてからになりますが、問題なければ許可しましょう」
「! 感謝いたします」
カミュ殿の言葉に沙織ちゃんを始め、この場に集まった黄金聖闘士達が反応する。
アイオロスは星矢が居るからか余裕顔だが、早々に自分の後継者を定めたカミュ殿が気になるのか羨ましいのか……そんなところか。
現在この場に居るのは
黄金聖闘士が全員聖域を離れるわけにもいかないということで、残りのアルデバラン殿、アイオリア殿、デスマスク、シュラ、アフロディーテ殿は聖域で待機している。……まあ沙織ちゃんが聖域に帰って全員そろって会議すればいいだけの事なのだが、今回の会議では約一名にとってデリケートな話題も出るからな。それもあって、日本での対策会議となったのだ。内容はあとから聖域に残った者に伝えられる……というか、多分伝えるのは私か。
ちなみにデリケートな話題というのは、もちろん海界編の元凶たるカノンのことである。
あいつがポセイドンを復活させなければ、確かあの神はもう何百年か寝こけているはずだったからな。
根気よくサガの愚痴を引き出しつつ聞いては仕事を手伝い、ある程度落ち着いたところを見計らってサガにはカノンの事を先に説明しておいた。そのためサガは会議が始まる前から顔面蒼白。見てて可哀そうになるくらいだが……実の弟の不始末だ。これも償いと思って頑張ってもらわねば。
いや、それにしても本当に顔色悪いな……。一応胃に効く薬は渡しておいたのだが、効果は薄かったか。
サガの様子が気になりつつも、会議の次の進行に集中する。
カミュ殿の次に発言を求められたのは、ジュリアン・ソロの監視兼護衛に派遣されていたシャカ殿とミロ殿だった。
……最初はその役にアルデバラン殿が推されたのだが……。彼は強いのだが、どうも原作的に不吉な予感がしたので今回は聖域の守護の方をしていただくことになった。監視という面でも、あの巨体は目立つしな。
ともかく、彼らの報告だ。
「海皇ポセイドンの依り代と目されるジュリアン・ソロについてですが、聡明ではありますが今のところはただの子供。私の目から見ても、特に目立った変化は見受けられません。……ただ注意深く探ったところ、彼の奥底に底知れない小宇宙を感じました。目覚めてはいないようですが、彼にポセイドンの魂がすでに憑依していることは確かかと」
流石というか、こういう魂だのなんだのを察知するのにシャカ殿は優れているようだな。おかげで憶測が今この場で確信に変わった。自然と集まった面々の気配が引きしまる。
「それと周囲……ソロ家所有の屋敷近くの海にて、時折ジュリアンを様子を窺うような影を見かけます。そう大きな小宇宙ではありませんでしたが」
「そうですか……。もしかすると、戦闘能力の低い兵で監視しているのかもしれません。二人は引き続き、ジュリアン・ソロの監視を続けてください」
「は!」
「……ところで、
「なんでしょうか、シャカ」
ふいに、シャカ殿の閉ざされているはずの目がこちらを向いた気がした。
「此度の会議ですが……。海皇ポセイドン。これほどの強敵との戦いの予兆は、いったいどのようにして知られたのですか?」
「なにを言うのだ、シャカよ。
ミロ殿が「なにを当然のことを」とでも言うようにシャカ殿を見た。
…………一応先日の
そうなると前々から情報を共有していたアイオロス等はともかく、突然私のような白銀聖闘士が未来を知っているなどと言っても不審がられることは明白。それはおそらくリューゼでなく、リュサンドロスであったとしても同じことだ。
仕えるべき
かといって情報を秘匿しても、今後の動きに疑問が生じ連携に支障をきたす可能性がある。ならば情報をもたらす相手を信じやすい者に変えてしまえ、というわけだ。
…………これについては最高権力者である沙織ちゃんが私の話を信じてくれたのが本当にありがたい。ありがたいのだが……どうもシャカ殿は勘が鋭いのか、こちらの嘘に気付いているようなそぶりだな。
ややこしくなっても困るし、勘が鋭い彼にはあとで説明するべきだろうか。
「……シャカ。わたしは十二宮の戦いを経て、
「……そうですか。不躾なことを申しました」
「いえ、よいのです」
沙織ちゃんの言葉に、とりあえず引き下がってくれたか……。
それにしても今さらながら、十二宮では先代の意志を継いで
「…………さて。現状の報告を聞く限り、どうやら海界はまだ表立って動く気はないようです。わたしたちが彼らの存在に気付いていることすら、向こうは知りえないでしょう」
「先手を取れる、というわけですね。ですが向こうが手を出してきていない以上、迂闊にこちらから攻撃も出来ないと」
こういう時に打てば響くように物おじせず意見を飛ばすのはミロ殿だな。進行が早くなって助かる。
「攻撃を先に仕掛けたら、むこうに進軍の大義名分を与えてしまいますからね」
「ムウの言う通りです。……ですが放っておけば……。世界中が津波に襲われ、水没の危機となりましょう」
沙織ちゃんの言葉に場の全員が息をのむ。そして各自に順々と視線を送った沙織ちゃんが、ぱちんとひとつ指を鳴らした。すると隣にいた辰巳殿がすぐに大きなホワイトボードをガラガラと押してくる。
沙織ちゃんは辰巳殿からさっとペンを受け取ると、キュキュッと手早くホワイトボードに書き込んだ。
「さて、本題です!」
沙織ちゃんが今までの女神としての高貴さや威厳でなく、指令官のようなきびきびとした動作でもってホワイトボードを示す。張りのある声に、一瞬で会場内の空気が変わった。この緩急の付け方というか、メリハリの付け方は凄いな。流石は総帥。
沙織ちゃんの目くばせにより、今度は私が動いて各自に資料を配布していく。
「今回は対海界として……最終目標を、海界との平和協定に見据えて話し合っていこうと思います!」
場がざわついた。が、ここは沙織ちゃんの弁舌に任せよう。
ちなみにホワイトボードにでかでかと書かれていた議題は「海界篭絡! 論破! 巻き込み大作戦!」だ。……あれ、この子どこでそのネーミングセンス身につけた? 光政翁?? ちゃんと教育してくれてました???
「なにも戦いが全てではありません。そもそも今回の海皇復活は、わたし……
「おい、アイオロス。これは我々の責任か……?」
「むう……。ま、まあ無関係とは言えないだろうな……多分……」
資料を渡しながらこそこそアイオロスに話しかければ、彼も今の私と同じような曖昧な顔で頷く。
……こう、沙織ちゃんの話し方というかもろもろが、あけすけな物言いになってきていることなのだがな。もしかすると事前に話し合った時に、ちょいちょい「面倒な時期に」「そう短期間に幾柱もの神なぞ相手にしていられるか」的な発言をこぼしていた私達に影響されている疑惑が出てきた。
もっとオブラートに包んで話していたとは思うのだが、滝の前から動けない老師に合わせて五老峰の屋外で事前打ち合わせをしたからな。大自然の解放感に、ついつい口が軽くなってしまった感が否めない。
先ほどまで女神としての気高さを纏っていた少女の別の意味での圧の強さに、黄金の面々も大なり小なり圧倒されているようだ。
…………なんというか、すまない。
「そういうわけで、海界とは出来るだけ戦わないつもりです。ポセイドンとしてもハーデスと魔星の復活、地上進行が近いとなればわたしと争う事を躊躇するでしょう。もしわたしを倒し世界を手に入れても、消耗したところでハーデスと戦う事は不利と分かるでしょうから。さすがにそこまでボケてはいないはず」
「ボケ……ごほんっ。では、海皇ポセイドンと交渉を……?」
「ええ」
「ですが……たとえ海皇が引いたとして、ハーデスとの戦いで漁夫の利を狙ってくる可能性は? 彼の大神に戦力を温存させたままハーデスとの戦いに臨むのは、あまりにも危険かと」
カミュ殿の冷静な分析にも沙織ちゃんは動じない。ここまでの質問は想定済みだ。
ちなみにハーデスとの聖戦がもうすぐ始まるという情報は、すでに聖域全部で共有されている。その戦いを見据え、聖闘士だけにとどまえらず雑兵までもが一丸となって自身を鍛えなおしているところだ。人間、具体的に期限や目的が分かっていた方が何をやるにしても身が入るからな。
……にしても、原作から離れていくことは覚悟していたが、まさかこのような方向性に進むとは思わなんだ。
すでにこの後告げられる内容も、打ち合わせをしたメンバーとして知ってはいるが……。むしろ提案者の一人でもあるんだが……こうもぽんぽん決定されるとは思わなくてだな……。
沙織ちゃんはカミュ殿に「良い質問ですよ、カミュ」と、早く言いたくて仕方がないと言わんばかりのどや顔で胸を張る。
「問題ありません。何故なら今回の聖戦……海界にも、冥界との戦いに参加してもらうからです! 海界とはいえ同じ地球上の世界! むしろ陸地よりも面積が広いんです! 都合よくハーデスの地上進行を姪に任せてしらんぷり決めこもうだなんて、ムシのいいことはさせませんわ!」
「な!?」
「か、海界を!?」
「そんなことが可能なのか……?」
沙織ちゃんの言葉に流石に動揺を隠せない者が多いようだ。……あとで聖域に残っている面々に伝えるの地味にきついな……。
「ちなみに手始めとしてそのダシに、今回のポセイドン復活の黒幕と、ポセイドンの依り代であるジュリアンを使わせていただきます」
そしてその言葉にサガが死んだ。いや死んでないが、胃の当たりを抑えて机に突っ伏した。……全体に配布した資料の中には、そのダシこと彼の弟の名がでかでかと書かれている。
沙織ちゃんは椅子に座りなおすと、組んだ両手の上に顎をのせ堂々とした笑みで宣言する。
「今回はポセイドンに対してもハーデスに対しても、全てにおいて先手を取り、長く地上の平和をつかみ取るつもりです。各員、それを肝に銘じて行動してください」
十二宮ではハーデスを倒す可能性を秘めた星矢達の成長を促した。
そして海界編では戦いそのものでの消耗を避け、逆にハーデス、アテナと同格の神ポセイドンを巻き込む形で聖戦を万全の物とするべく。
わりと無茶ながらも、平和に向けてのストロングスタイルの舵取りはこうして始動するのであった。
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34,対海界作戦会議・完!海中神殿会議、始動!
静謐な海中神殿の中、カツンカツンと、石畳に硬質な金属が接触する音が周囲に広がり反響する。それはこの場の天に満ち満ちた世界全ての海のいずれかにて、大波となり沿岸を飲み込むかもしれない。まるで密林の蝶の羽ばたきが荒れ狂う暴風となり果てて、超自然の猛威として世界を襲うように。
そんなたわいもない想像に口の端を緩めた男……金と言うには赤みが強い、さながら熱帯に生息する美しい魚の鱗を彷彿とさせる色合いの鎧を身に纏った青年は更に歩を進める。向かう先は自らの主を出迎える場所だ。
しかし青年が浮かべた皮肉気な笑みからは、主を敬うような感情は見受けられない。
(
だが利用すべきお飾りとはいえ、一応迎える準備くらいは整えねばならない。今夜、男……
海皇の魂は現在代々依り代としての役目を持つソロ家の御曹司の体に宿り、眠っている。その依り代を人魚の海闘士テティスが出迎えに発ったのはつい先ほど。戻るまでにはまだ猶予があるだろう。
依り代の体が十六歳になるまで起こすなという海皇との約束を律儀に守ってやったのだ。これから自分の地上世界征服のための傀儡として、せいぜい役に立ってもらおうではないか。
依り代を迎えに行かせると同時に聖域の主、女神アテナの化身である城戸沙織を他の海闘士に襲わせるつもりだが、ポセイドンの化身、ジュリアン・ソロを連れ去る際の目晦ましにでもなればいいところだ。本当に攫ってこられるなどとは思っていない。
ものの見事に攫われてくれるならそれはそれで、聖域も堕ちたものよとあざ笑うのみだが。
(それにしても城戸沙織……現代のアテナ、か。女神も随分と俗世に近い存在となったものよ)
海商王ソロ家の息子の誕生日に、城戸財閥総帥として女神がこの地に訪れているというからおかしなものだ。これもかつて兄が女神抹殺に失敗したがゆえの巡りあわせだが、本来聖域の十二宮を抜けた先で一部の者しか謁見できないはずの女神さまがテレビ放送に出る始末。
銀河戦争などというお遊びを開催した時は、腹を抱えて笑ったものだ。
カノンはかつて聖域に属していた。双子の兄は黄金聖闘士、双子座のサガ。
聖人のような心の清さを持つ兄に対し、昔からカノンの心は真逆の悪に傾いていた。そしてその心をもって兄にアテナ抹殺をそそのかし、兄の怒りに触れスニオン岬の岩牢に幽閉されたのが十三年前。……サガはそのあとすぐにカノンが見抜いていた悪の心に飲み込まれ、教皇を殺しアテナをも殺そうとしたのだから様は無い。自分が言った通りではないか。
その無様な兄を尻目に、カノンは岩牢から運よくたどり着いたポセイドンの海底神殿で新たな称号を手に入れた。それがポセイドンの
しかしそれは神を欺いた偽りの称号である。カノンはアテナの封印から目覚めたばかりの海皇を謀り、従うふりをして自分こそが地上を支配しようと企てたのだ。
そのために準備を重ねた十三年間。
七大
「サガめ、反逆者でありながらもおめおめと生き永らえたらしいが……。ならばこのカノンが、貴様の息の根を止めてやろう」
海は飲みこむ、全てを飲み込む。そしてまっさらに均された世界の頂点に君臨するのは
海皇の魂にはそのまま眠っていてもらい、依り代であるジュリアンを利用してその力のみを使わせてもらおうではないか。
今夜から三日後程度だろうか。海皇復活の宴とばかりに、ノアの大洪水を彷彿とさせる荒波の猛威が世界に襲い掛かるだろう。それを止めるには聖域側からこの海底神殿に赴くほかない。
その時たっぷり料理してやろうと、カノンは笑みを深めた。
「あら、あなたがカノンですか。本当にサガそっくり。さすがは双子ですね!」
笑みが固まった。
「は…………?」
思わず零れた声は舌打ちしたくなるような間抜け声で、狼狽が隠しきれていない。取り繕おうにも、それを成すには混乱から抜け出せずにいた。
「君が海龍か……。ええと、初めまして? 私が君たちの主らしいポセイドンのジュリアン・ソロだ」
「あの、
力強くも優美な流線を描く神々しい鎧。片手には勝利の女神の化身たるニケの杖。
戦女神の名に恥じない姿で優雅に紅茶を嗜んでいるのは、見間違いでなければ
見れば周囲には気絶した海闘士が山積みになっている。治療なのか、それらを丁寧に一列に横たえて小宇宙を注いでいる女が一人。
九人。
待て。いずれこの海底神殿で黄金聖闘士達含む聖域の面々と戦うつもりではいた。だが待て。いきなり多い!!
(…………! 冷静になれ、カノンよ。この程度想定しないでどうする? 現状まったく、いっさい、地上に対してなにもしていない、まして海皇ポセイドンとしてジュリアンを覚醒させてもいない段階で女神が黄金聖闘士を引き連れて乗り込んでくる程度……程度…………)
いや、だから待て。冷静に考えれば考えるほど意味が分からない。そしてあの鎧はなんだ? あのすさまじく神々しくものすごい力を感じる鎧は。何故女神が聖衣のようなものを纏っているあんなもの知らんぞ。
ジュリアンも海皇の鎧を身に纏ってこそいるが、こちらはまだ神の魂が目覚めていないからかあれほどの力を感じない。というよりもそもそも何故十二宮で守られるべき女神が自ら鎧を纏って出陣してくる? 訳が分からない。十二宮の意味はどうした。いや攻めてくる聖闘士達をくびり殺した後にいずれ十二宮から引きずり出す算段ではいたが、まず間違いなくそれは今ではない。そして女神の言葉を顧みるに自分の正体はすでにバレている。一体どういうことだ。
一瞬のうちにして脳内を数多の思考が駆け巡ったが、それらは全て疑問と困惑へと帰着した。
しかしこれでも神を謀った男。その図太さをもって、カノンはなんとかしてわなわなと震える体をおさえて口を開いた。
「…………ッ、これはこれは、我が主ポセイドン様並びに女神アテナ……ご機嫌麗しゅう。よくぞおいでくださいました」
「聖域の裏切り者が、何をぬけぬけと!」
自分でもそう思う。
絞り出した言葉に投げられた怒声に思わず素で頷きそうになるが、なんとかこらえた。
(あれは……
海龍カノン。表面上は平静を装っているが、内心思考と自身その他へのツッコミで大忙しである。
「ふふっ、歓迎の言葉をどうもありがとうカノン。ところであなたには是非この話し合いのテーブルについてもらいたいのだけど、よろしいですか?」
「話し合い……とは」
「同盟の申し込みです。冥王ハーデスに対するための」
「なん!?」
さすがに表面上だけとはいえ、これ以上平静を保つのは難しい。カノンの口から飛び出た驚愕一色の声に、
「では、改めまして。ギリシャ
++++++++
ジャブどころか初手アッパーカットだよ。
そう思いつつ、私は少々の憐れみをもってカノンを見つつ海闘士たちに治療を施していた。ちなみにこの海闘士たち海底神殿につくなり果敢にも飛び掛かってきたのだが、護衛である黄金聖闘士が何かする前に沙織ちゃんが薙ぎ払っている。
本人としては女神の聖衣の"ならし"のつもりだったようだが、戦女神の力をもろにくらった海闘士たちは死屍累々の有様だ。申し訳なさそうにする沙織ちゃんに私が彼らの治療を申し出たのは、つい先ほどのこと。……今度実戦形式で女神の戦闘訓練に付き合う必要があるかもしれん……ご本人が身を守れることこそ第一だが、あんな申し訳なさそうな顔になるなら力加減を覚えていただかないとな……。(私が)死なんといいが……。
こうなるまでには少々時間を遡る。
海界に対する会議から数カ月余り、ついにジュリアン・ソロの誕生日である三月二十一日を迎えた。だがこの時点ですでに我らが主、
ジュリアン・ソロの動向を監視する中、同じくソロ家の血筋である彼の父にも監視の目を向けるのは当然であった。もしジュリアンに何かあった場合、ポセイドンの魂が父親の方に憑依する可能性もあるからな。……というか私としては原作知識のフィルターがあったせいかすっぱりその可能性を失念していたため、ムウ殿に指摘されるまで気づかなかったのだが。不覚である。
そしてその監視は、ソロ家の総帥と彼が乗っていた船の乗組員の命を救った。
突発的な海難事故に遭い死ぬ定めにあった彼らを、監視についていた白銀聖闘士の蜥蜴星座のミスティ、白鯨星座のモーゼス、烏星座のジャミアンらが救出したのだ。
復帰後の初仕事で成果をあげた彼らは女神直々に労われ、なかなかに誇らしそうだった。ミスティには無駄に自慢されたが。
そして命を救った事でいたく感謝してきたソロ家総帥を通し、ジュリアン・ソロと手紙で交流を始めた沙織ちゃん。
初めこそ自分が海皇ポセイドンの化身であるなどと突拍子もない話を信じるはずもなく「自分の気を引こうとそんなロマンチックな話をしてくれるなんて、ミス沙織はずいぶん可愛らしい方だ。どうでしょう、私の花嫁になってはいただけませんか?」などと恋文の様相を呈したジュリアンの手紙。それと根気よくやり取りをして先日ようやく信じてもらえたのだが、心なしか手紙を読んだり書いたりしたあとの沙織ちゃんは疲弊して見えた。
……ジュリアンめ、恐ろしい男よ。割愛した内容しか教えてもらえなかったが、いったいどんな濃厚な恋文を送りつけてきていたのだ。
まあ本当の意味で彼が話を信じたのは、テティスと名乗る人魚の海闘士が本当に自分を迎えに来てからだろうが。
その場に同席した沙織ちゃんが「ね! ね!? 本当だったでしょう!? ようやく信じてくださいましたか!!」とすごい勢いかつ満面の笑みで言っていたからな……。
そして信じたらば、ジュリアンという少年はこのまま自分がポセイドンとして覚醒すれば世界を洪水が飲み込むと知って良しとするような人間ではない。
その容姿と実力、家柄に見合った自信家ではあるが根は善良な人間なのだ。
そして海皇を迎えに来たはずが、何故かその場にいた女神とその聖闘士まで同伴させるはめになり涙目のテティスに案内してもらい、海底神殿にたどり着いたというわけだ。
…………まあ、しかたがあるまいよ人魚テティス。海皇の依り代自らと神、黄金聖闘士の圧を前に抗うすべなど無かろうよ。その心境を察するに同情だけはさせてもらうが。
ちなみに事態を速やかに終結させるため今回は黄金聖闘士の大盤振る舞い、サガ、老師、カミュ殿を除く全ての黄金が
老師は言わずもがな、五老峰から動けない。カミュ殿は直前まで念には念を入れてアスガルドで待機。サガは…………建前としては残った聖闘士をまとめ上げ女神不在の聖域の守護をする役目を仰せつかったのだが、最終的に弟の事は丸投げさせてもらうとして最初からこの場に居たら話がこじれそうなので留守番してもらっているというのが本当のところだ。オルフェにも残ってもらっているため大丈夫だとは思うが…………うむ…………。
逆にどうして私がこの場にいるのだ??
いや、事態を近くで見守れるためありがたいのだが……私の事情を知らない面々から「何故こいつがここに?」という視線が会議時の比でないくらいに痛い。ああ、そうだろうよ。この面子に白銀一人混じっているのは違和感だろうよ。我ながら場違い感が凄いぞ。
シュラが心なしか気づかわし気に見てくるものだからもっといたたまれない。簡単に終わる話でもないだろうが早く終わってほしい。
そんな私の身勝手な考えをよそに、沙織ちゃんがカノンと……ジュリアンの中に眠るポセイドンの魂を見透かすように視線を強めた。
「そして、海界の返答はいかに」
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35,海皇ポセイドン
世界の海を支える柱を有する海皇ポセイドンの居城……海底神殿。
数百年の時を超えて
私自身もまた緊張故に生唾を飲み込むが、視線だけ巡らせて周囲を確認する。緊張感は必要であるが吞まれてはならないのだ。視野を広く持ち、場の状況を正しく理解しておかねば。
この海底神殿という空間は神の恩恵なのか、本来は陽の光など届こうはずもない深海だというのに不思議な光で満たされていた。けして明るいとは言えないが、幻想的な光源はこの場所が
気まぐれに
海とは生命が生まれ
ポセイドンの戦士たる
いや、そう考えるのは危険だ。ギリシャ神話の神がいかに人間らしいというか結構俗っぽいとはいえ、神は神。逸脱したそれらの思考を読む気もしないし読めるとも思っていない。
ともかくどんな状況になっても対応できるよう、警戒だけはせねば。
さて、現状だ。
地上の女神たるアテナ……沙織ちゃんがポセイドンの依り代であるジュリアン・ソロと、私たち聖闘士を連れてこの場に現れてから一刻ほどが経過した。
現在この場には両陣営の戦士たちが揃い踏み、互いを視線で牽制しながら神々の話し合いのテーブルを囲っている。とはいえ、未だ依り代たるジュリアンの中でポセイドンの魂は目覚めていないのだが。
牡羊座のムウ、牡牛座のアルデバラン、蟹座のデスマスク、獅子座のアイオリア、乙女座のシャカ、蠍座のミロ、射手座のアイオロス、山羊座のシュラ、魚座のアフロディーテ。
……白銀はこの私、エリダヌス座のリューゼもといリュサンドロスだ。改めて思うが、なかなかの場違い感である。いや、経験者という面で見れば私が一番年長であるのだが……事情を知らない面々からすれば、経験の浅い女聖闘士だからな。その視点を踏まえると、やはり多少居心地が悪い。
それにしてもデスマスクめ、つい最近蟹座の黄金聖衣にお許しを頂いたばかりだからか心なしか着られている感があるな。少々この空気に息苦しくもなるが、奴の間抜けっぷりを思い出して心を落ち着かせておくとしよう。
蟹座の黄金聖衣も甘いものだ。もう少し反省させておいてもよかったものを。
そして対する海皇陣営であるが、こちらもそうそうたる顔ぶれだ。目にするのは初めてだが、彼ら……
そして当の彼らは、この世界では留守番だ。今回はあくまで話し合い。戦闘での成長は見込めないため、彼らには普通に修行にあたってもらっている。
海皇ポセイドン本神は未だ覚醒していないため、あちらの首領格はカノンとみていいだろう。
妻と出会うまで周囲への関心が薄かった私にとって、彼の存在は認識こそしていたものの直接の関りは無かった。教皇シオンにも「仮の双子座」としか聞き及んでいない。
紙面の上という非常に薄い情報しか知らない私にとって、厚みを持った実在の人間として生きている彼の事はほとんど知らないといってよいだろう。
そのため彼がこうして神をも謀り、世界を手に入れようとした心情の深いところなど知る由もない。ほとんどの者に認識されずサガの陰で生きてきたようなものだろうから、捻じれる要因くらい想像つくが。あくまで憶測だ。
カノンがサガにより岩牢に閉じ込められたのが十四歳の時で、現在二十七歳。実年齢五十を超えた私にとってまだまだ彼も若者。仕出かす内容が厄介極まりないが、実行に至っていない段階ではまだ若気の至りですむ。というかすませろ。
味方になれば冥界三巨頭が一人、ラダマンティスを討ち取るほどの頼もしい戦力なのだ。是非とも経歴的にも身体的にも無傷のまま仲間に引き入れたいところである。このさい海龍としてでも構わん。双子座はサガが健在だしな。
悲壮な過去があろうがなんだろうが、まだほとんど知らぬ相手。利己的な考えで悪いが、今は貴様の事情など知らぬ。まず対外的に穏便に、しかし確実に! 取り込むために全力で対応させてもらおうか! 今の私に何ができるわけでもないし細かい事は兄のサガに投げる気満々ではあるが!
……原作でカノンが改心するきっかけとなった、岩牢で生き延びることが出来た要因。それについては
そのカノンの背に控えるのは海皇にとっての黄金聖闘士と言うべき存在、
通常ならば各方位に対応する海を支える柱を守護している彼らだが、話し合いの場にこちらだけ戦力をそろえては不公平だと、沙織ちゃんが呼ばせたのだ。
すでにここは敵地。せっかく先手をとったとのだからそのような事をする必要はないという意見も出たが、今回沙織ちゃんは同盟締結という"交渉"のために来た。
護衛兼初回のインパクトとして聖域最高戦力をそろえ自身も完全武装してきたが、対等な立場でなければ交渉など受け入れられまい、という沙織ちゃんなりの誠意である。……原作で単身海底神殿に乗り込んだ胆力は伊達ではない。
とはいえ、それで相手側がほだされるかといえばそうでもない。
彼らも他の神が自分たちの主の依り代を人質のようにして乗り込んできたとあらば、黙っているはずもなく。カノンの招集にはせ参じた彼らは、敵意に満ちた視線をこちらへ向けてきていた。まあ当然だろう。
だが我らとて話し合いを重ねた末にこの決断をし、アテナについてきたのだ。どうあっても交渉のテーブルにはついてもらうぞ。
「…………」
(ん? あの青年は……)
自身を奮い立たせるべく改めて相手側を見るが、ふと一人の青年が目にとまった。
そういえばエピソードは微妙に思い出せないが、あの片目に大きな傷のある緑がかった髪色の青年……アイザックはカミュ殿の弟子だったか。気づかれないようにしていたのだろうが、敵意ではない視線で一瞬黄金の面々を浚っていた。おそらく師を探していたのだろう。
そしてミロ殿が視線に気づいてぴくりと反応していた。もしかしたら彼の修行時代、会ったことがあるのかもしれない。
……アスガルドに彼の師も弟弟子も残してきてしまったが、これは誰かと交代させた方がよかったか? いや、それが吉と出るか不可と出るかはわからん。今さらどうこうなるわけでもなし、考えまい。
ことが穏便に済んだら……今後のためにも、会う場くらいは整えるか。
「……では先ほどは回答を急くようなことを言ってしまいましたが、改めて話し合いをいたしましょうか」
「ああ、少しいいかなミス沙織」
「はい、どうぞジュリアン」
現在石のテーブルをはさんで沙織ちゃん、ジュリアンが向かい合って着席しているが、背後に控える戦士たちにジュリアンは落ち着かなさそうだ。
無理もない。信じたとはいえ、やはりまだ自分がポセイドンなどと実感が無いのだろう。原作ではポセイドンの魂が覚醒する前、結構ノリノリで神として振舞っていた気もするが。
「私としてはすぐにイエスと頷きたいところだが、私はポセイドンであってポセイドンではない……依り代なのだろう? ならばこの場には私でなく、私の中に眠るポセイドンの魂を呼び出さなければならないのではないかな」
その言葉に少々驚く。自分の中に神の魂……自分ではない意識が存在するなど恐ろしく思っても仕方がないのに、彼は交渉するならそれを呼び覚ませと言ったのだ。
こちらとしては最初からその気だったが、まさか彼が自分で言い出すとは。
「…………いいのですか? ポセイドンの魂が目覚めれば、あなたの自意識は一時的に魂の奥底へと沈みます」
「確かに恐ろしいが、自分が居ない場所で勝手に部下と交渉を進めたとあっては、神の機嫌を損ねるだろう。そうすれば私の意志など関係なく、きっと自我を奪われてしまう。ならばそうなる前に自分の意志で決めたい」
「ジュリアン……」
「……こんな場所に来たのです。私はミス沙織が今まで私に語ってくれた内容を信じましょう。なれば地上の平和のため、ソロ家の次期当主として、出来る限りのことはさせていただく覚悟だ」
「……わかりました」
……出来た子だ。それに沙織ちゃんに負けず劣らずの胆力じゃないか。キザったらしい印象を持っていたが、見直したぞ。
さてそうなるとここからが正念場だ。
海皇ポセイドン。奴は敗北した後ジュリアンの中で再び眠るのだが、作中でもうひとたび表層に出てきたことがある。……ハーデスおよび、その従属神である双子神との戦いの
ポセイドンはその時、敗北しそうだった星矢達に遠方にあった黄金聖衣を送っている。ハーデスに地上を奪われるのが気に食わなくて嫌がらせでしたのかもしれないが、まったく話の通じない相手ではないと信じたい。
そして私たちが固唾を飲み込む中。
神である沙織ちゃんが、ジュリアンの中のポセイドンへと呼びかける。
「海皇ポセイドン。あなたに、お話があります」
「話? ふっ、愚かなる女神よ。地上を汚す人間をのさばらせているあなたの話など、何故聞く必要がある?」
「!」
それは劇的な変化もなく、あまりにも自然に……ジュリアンの声でもって"別の誰か"が受けごたえた。
「何を驚いているのだ。あなたが呼びかけたのだろう? 我が姪よ」
「…………そうですね。では、あらためて。お久しぶりですわ、ポセイドン伯父さま」
オリュンポス十二神が一柱にして、女神アテナの父であるゼウスの兄。紛れもなく強大な神格を持つ海皇ポセイドンが、傲岸不遜とアテナに対面した瞬間である。
+++++++++
冥界。黄泉平坂の先、魂が行きつく場所。
つい数刻前に忌々しき二百有余年に及ぶ封印から解き放たれた冥界の神と、配下たる魔星達は……仕事をしていた。
なにしろ冥界は忙しい。一日にいったいいくつの魂がこの地に流れ着くというのか、数えるのも馬鹿らしいとは三途の川の渡し守がこぼした愚痴である。
封印されていたとはいえ、それはいわば戦うための機能を封じられていただけのようなもの。封印から魂が解放され現代における体と冥闘士としての自覚を得て集った魔星達であるが、冥界という世界を回していくために彼らを彼らたらしめる概念は封印中も粛々と働いていたわけだ。三途の川の渡し守しかり、裁判の館の裁判官しかり。
彼ら冥闘士は冥衣によって選ばれ、戦士に相応しい肉体と小宇宙を与えられるが……。まず復活後に最初に行ったのが、体になじんだ魔星の魂が行っていた業務の引継ぎだというのだから世知辛い。
もう一度念を押すと、冥界は忙しいのだ。
そして彼らの主。冥王はといえば玉座にその身を委ねているだけで、あまり仕事をしている風には見えない。というのも、彼の存在そのものが冥界を支えているからだ。そのため、居るだけで仕事をしているといってよいだろう。
未だ依り代を手に入れていないため仮初の外殻に、本来の体が眠るエリュシオンより意識を飛ばして宿している。
「ハーデス様」
神の名を呼び、御前に膝をつく少女が居る。艶やかな黒髪をもつ美しい少女は、名をパンドラといった。
「この度は御身の魂が解放されましたこと、誠に喜ばしく。……嗚呼。以前よりいっそう、ハーデス様の至高なるお力を感じることができます」
少女の言は滑らかに紡がれるが、端々に感極まったような色をはらんでいく。待ち焦がれていた、というにふさわしいそれに神……冥王ハーデスは淡々と尋ねた。
「パンドラよ。地上の動向はどうなっている?」
「は。聖域は内乱後……封印が解かれた海皇ポセイドンの軍勢と交戦。海皇こそ再び封印したものの、少なくない打撃を受けたようです。……攻めるならば、今がよろしいかと」
「それは余が決める」
「! 出過ぎたまねでございました。お許しを」
歓喜をにじませていた様子から一転、敬愛すべき神の機嫌をそこねたかと少女は震えながら
ハーデスは気だるげに玉座へ体重を預けると、一言。
「三巨頭をここに」
「は! かしこまりました」
二百年の時を超え、再び聖戦が動き出す。
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36,同盟の行方
「……何の用だ」
「…………。その言い草は感心しませんな、"使者"殿」
扉を開いた先で真っ先に私を出迎えたのは、眉間にマリアナ海溝のような皺を刻んだしかめっ面だった。
マリアナ海溝と出くわしてから、数刻後。
「おっ母様~!」
「だからですね
「んもう、
デジャヴである。というか最近このやり取り自体が多い気が。
辰巳殿……慣れたように見ないふりをしないでくださいませんか。少しはたしなめてください執事として。私からあまり言うと落ち込んでしまわれるのですよ。
「いや、あのですね。それは誰も居ない時の約束で……今ここには……」
ここは日本、城戸邸の一室。この平和なひと時は、数日前に海界との交渉を無事に終えた証拠である。
ぴょんっと跳ねるようにして抱き着いてきた亜麻色の髪の乙女が、そこで手腕を振るった女神様なのだからどうにも調子が狂う。……なんというか、他での毅然とした印象が嘘のように私の前では甘え上手なのだよな、この子は。
私としてはつい最近まで漫画原作かアニメ原作の城戸沙織を想定していたため、名づけがきっかけでここまで変わるものか? と困惑しきりである。これも蝶の羽ばたき、というものだろうか。
しかもこの少女、ここ最近はわざと甘えた上でからかっている節がある。年頃の少女らしいと喜べばいいのか、お戯れが過ぎると嘆けばよいのか。
現在下手に同性なものだから「女神とあろうものがはしたない真似をなさいますな」と言ってくっついてくるのを諫めることも出来ない。困った。
(まあこれで多少の息抜きになるのなら、それはそれでいい……のかもしれないが。まだこれからも戦いは控えているのだし)
そして確実に私も親しめる相手として認識し、ほだされているのだから苦笑するしかない。
……うむ、やはり娘も良いな。
思い起こすこと数日前。
我らが
しかしそれに慢心はせず、彼女はすでに次への布石をうっている。今ごろ冥界の者達にはフェイクの情報が流れていることだろう。
この情報操作であるが、同盟締結の恩恵とばかりにさっそく海界勢にも協力を願った。動いてもらったのは
ソレントが奏でる鱗衣のフルートは、海上をゆく数多の船をその美しい歌声で惑わせた海魔女……セイレーンの幻惑の音色。相手の脳に直接訴えかける攻撃は強力だ。その音色と「敵の心を読み取り、相手の最も愛するものの幻影を作り出す」という、これまた恐ろしい能力を備えた海の魔物リュムナデスの海将軍カーサの技を合わせ効果を調整し、偵察に来ていた冥闘士に強力な幻覚を仕掛けたのだ。
そこに畳みかけるようにして念話の得意なシャカ殿、ムウ殿が偽の情報を具体的に刷り込み幻覚に説得力をもたせた。
上位の戦士ならばともかく、偵察に来ていた下級の冥闘士には抗えまい。まんまと騙されてくれたわ。
幻覚だけでなく、実際に互いの力量を計るための模擬戦も交えたしな。その小宇宙がぶつかり合う衝撃は冥界の入り口……もとはハインシュタイン城と呼ばれていた、現在冥闘士達が地上の拠点としている場所まで届いただろう。
海将軍と黄金聖闘士の戦い……互いに必殺技を伏せてのものであったが、実に見事だった。
それにしても、今回味方に引き込めたからよいものの海将軍の力は恐ろしいな。いざ目の当たりにして、改めて実感した。
模擬戦にて知れた地の戦闘力に加えて、各自が有する能力。それを思うと冥界などに比べ上位戦士の数こそ少ないが、質に関してはまったく劣っていない。
特に偽の情報を掴ませるために奮ってもらった、セイレーンとリュムナデスの力……。個人の感想としては、あれらが特に恐ろしいな。サガが使う幻朧魔皇拳や一輝の鳳凰幻魔拳などもそうだが、幻覚というものはシンプルに強いのだ。
いかに屈強な戦士といえど、精神に働きかけられると弱い。これは原作で運が悪いことに搦め手の相手ばかりにぶつかってしまった、牡牛座のアルデバラン殿を例に挙げるとよくわかる。
……いや、例に挙げるには申し上げないのだがな。彼は悪くないのだ本当に。彼は強い。 ただ本当に対戦表に恵まれなかったというか……いや、よそう。
これはあったかもしれない、もしもの世界の話だ。
それにいざ敵対した時に厄介ではあるものの、相手の能力が「こういうものだ」と分かっていれば、受ける側の心構えも違うし対応も出来るというもの。知っている事自体が牽制にもなる。作戦を提案するとき「何故こちらの能力を知っているのか」と、ソレントとカーサを驚かすことが出来たのはよかった。
ともにひとつの作戦を実行した、ということで多少なりとも同盟関係を強く意識させられたのなら更に良いのだが……それは彼らの心がのみが知ることだ。
能力については、対外的には古代の戦いを記した書物に書かれていた、と答えた。……そんなもの、実際はほとんどがこれまでの聖戦の最中消失しているんだがな。
が、そもそも海界はポセイドンが封印されている間は無人に近かったであろう世界。情報量で優っていること自体は間違っていないし、せいぜい勘違いしてもらえたらありがたい。実際に失われた文章も文官たちが地道に修復しているわけだし。
まあ、彼らの能力に関しては私の記憶だ。最初思い出せるか危うかったが、鱗衣の冠する魔物の名前がわかれば、多少はな。
伝承を調べてそこから記憶を掘り起こした。オルフェといい、実在の伝説と符合しやすい能力だと助かる。埃をかぶっている私の記憶もこうしてなんとか機能してくれるというものだ。
ともあれ、女神アテナは知恵と戦の女神。沙織ちゃんはポセイドンの交渉からその後の作戦の立案に至るまで、その手腕をいかんなく発揮したわけだ。私が出来たことと言えば、ちょっとした材料の提供のみである。
……沙織ちゃんが本当に頼もしくてな。頼もしいうえに、逞しくなった。もうここまでくれば私の役目など大してないのではないか? と思いそうになる。
……私は何を馬鹿なことを。彼女が完全勝利をその手に収めるまで、気を緩めるなど愚の骨頂。
相手は強大な神、冥王なのだから。
ついつい沙織ちゃんが醸し出す平和な空気に気が緩みそうになるが、それを引き締めつつ、ちらと視線を部屋の中心へ向けた。
主従というには奇妙なやり取りをする私たちのすぐそばで、全ての気勢が削げたかのように机に突っ伏す男の姿がひとつ転がっている。
いや別に転がっていないのだが、その力が抜けたかのような脱力具合は転がっていると表現するにふさわしく思えて、ついな。魂が抜けているかのようだ。
男の名は
……現在名目上は「使者」。聖域と海界の中継役として駆り出されている男である。
さきほど私からとある話をしてから優に二時間は経つのだが……まだ再起動には至っていない。あまりの様子に私も話し終わってからこの場を離れられずにいたのだ。
しばらく呆けていたカノンだが、流石に気づいたか。沙織ちゃんが目に入ると、ばっと立ち上がり居住まいをただした。数日前まで考えられなかった態度だなと感心する。
……幸いなことに「お母様」は聞こえていなかったらしい。よかった。
「! あ、
「まあ、いらしたのですかカノン」
沙織ちゃんは今気づいたとばかりに声をかける。いや、気づいていたでしょうに。
無邪気な少女然とした様子から一変。慈愛の滲むそれは、まさに女神の微笑みだ。……切り替えが早いお方である。
カノンが何故このような態度になったかといえば、簡単な話。
かつて岩牢に閉じ込められていた自身の命が、当時まだ赤子だった女神の加護によって保たれていたことを知ったからだ。
記憶にあまり自信はないが、確か本来は戦いの中で一輝が伝えたものだな。何故一輝がそれを知っていたのかは知らん。
原作において彼はその事実を知った後、ミロ殿のスカーレットニードルを身に受け試されてもなお女神への忠誠を示し、冥界との戦いに加わった。なればポセイドンと盟約を結び仮初の仲間となった今……このタイミングで話さなければ嘘だろう。
戦いの最中で妙なことをされても困るからな。しっかりとこちらに引き入れさせてもらおうか。
彼と依り代であるジュリアンはポセイドンとの交渉の際に良い出汁にされたわけだが、まだまだ働いてもらわねば困るのだ。
今現在、カノンは何処に居ても肩身が狭い。
なんといったって未だ海龍の海将軍であることは許されているが、それも偽のものだとこの間の会議で海闘士たちに知られたのだ。その情報もしっかり交渉のダシにさせてもらったからな。
長年温めてきた作戦が瓦解した上に、海界からも聖域側からも裏切り者扱い。やけになって何かやらかしてもおかしくないだろう。
まあ沙織ちゃんに対してこの様子ならば、心配しなくてもよいのかもしれないが。
…………あとでもう少し話をしてみるか。共に戦う仲間となるならば、裏切り者扱いのままではまずい。橋渡しくらいはせねばな。サガに任せてしまいたい所だが、彼本人が未だ聖域では肩身が狭い思いをしているので(というかサガが一番気にしているので)難しいだろう。
それに打算ばかりで接して信用を得ようなどと、さすがに烏滸がましい。
どの口が言うのかと私の中で呵責の念が大きくなるが、それも今さらだな。私は愛する息子が生き延びた世界を見たいのだ。
「
「カノン」
狼狽するカノンがなにか言いかけるが、それを沙織ちゃんが柔らかい声色で制す。
「わたしは聖域で生まれ育ったわけではありませんし、まだ自分の事ですら手いっぱいで……あなたに言えることは少ないのです。ですがわたしたちはこうして、語り合える時間を得ました。冥界との戦いを思えばゆっくりともしていられませんが……」
「…………」
「あなたをこうして我が家に招けたことがとても……とても嬉しいのです。今はまだポセイドンがあなたを海龍として手放しませんが、あなたは
カノンは自然と片膝をつき、
意図してかそうでないのかはわからないが……今の沙織ちゃんは女神としての神聖で温かい神気を発している。かつて直にその気に守られていたカノンは、実際に感じ取ることで確信を得たのだろう。
自分は確かに女神の加護により、生かされていたのだと。
その後辰巳殿に次の予定があるとと呼ばれて沙織ちゃんは部屋を後にしたが、カノンはそれを跪いたまま見送った。うつむいているため表情は窺えないが、体が感極まったように震えている。
「…………お前の、いや。リュサンドロス殿の話は本当だったのだな」
数分してから口を開いたカノンに、私は黙って頷く。
「……。誰も見てなどいないと思った。いくら研鑽しようと才があろうと、俺はサガの代用品。しかし少なくとも……生まれたばかりの御身でありながら、女神は俺を自分の聖闘士だと認め守ってくれていたというのか……。俺は今まで、なにを……」
「カノン殿ばかりが悪いわけではない」
あまりに思いつめた声を出すものだから、つい口をはさむ。
「聖域の体勢は古めかしく、それによる弊害は多い。カノン殿の扱いもそのひとつだろう。むしろこの環境で不満をいだかない者のほうがおかしいのだ。……………と、父は言っていました」
とってつけたように父が、と強調する。
彼から見たら私は若輩者の白銀聖闘士。それにとやかく言われたくはないだろう。
私は少々の気まずさを覚えながらも、つい先ほどの出来事を振り返った。
カノンをほだすため、女神に救われていた事実を誰が伝えるのか。話す者によっては逆に疑心暗鬼を呼ぶだろうと、慎重を重ねアイオロスや童虎殿に相談したのだが……結果何故か私にお鉢が回ってきた。
私というか、正確には前の私……リュサンドロスだな。今の私ことリューゼは話の中継役である。
面識がないうえに当時まるっきりカノンを気にかけていなかったので非常に心苦しくはあったのだが、他の者など更に彼の事を知らない。アイオロスですら存在をわずかに知っていた程度だ。
ならば年だけはくっている私が作り話をするうえで適当だろう、と抜擢されたわけである。釈然としないが。
……これを顧みると聖域の年齢層はやはりとても若い。文官など戦闘に関わらぬ者ならばまた違ってくるが、聖闘士達はどうしても若くして命を散らすものが多いのだ。見習い達に関しては訓練段階で死ぬものが多い。かつての私がひとりサポートに入ったところで、それは大して変わらなかった。
やはり冥界との戦いに勝つことができたら、聖域の体勢は変えていくべきだろうな。特にこれから前の私が生きた時代と同じ巡りになるのなら、情報を得る手段も目まぐるしく変化していく……神秘を秘匿できないほどに。
時代に合わせて変わるべきなのだ、聖域も。
沙織ちゃんならきっとその船頭となれるだろう。なんといったって彼女は女神であると同時に城戸財閥の総帥。もちろん私やアイオロスも力を尽くすつもりだが、上司が世界的企業の総帥という点は実に頼もしい。
と、今はそれよりカノンだ。
今の私……リューゼはまず自分がリュサンドロスの娘(くっ)であり、エリダヌス座の後継者であることを名乗った。
そのうえで父から伝え聞いたことなのだが、というていでカノンに例の話を伝えたのである。
当然最初は「なんだ貴様は? さっさと出ていけ」と言わんばかりの、ものすごいしかめ面を貰ってしまったのだが……。不思議なことにリュサンドロスの名を出した途端に「手短に話せ」と態度が変わった。これについては謎である。
はて、本当に面識などなかったはずだが。
「父は声こそかけなかったが、ずっとあなたを見ていました。さすがに岩牢に閉じ込められたときは環境が環境。死ぬ前に出そうと思ったようですが……あなたは生まれたばかりの女神に加護を受け、生き延びていた。なればこれも試練かと、一日見送ることにしたようです。その間にあなたは消えてしまったらしいのですが」
…………作り話である!
まあ、あれだ。こんな内容から女神の加護の説明につなげたのだ。
面識なくとも、年長者として見ていたと言えばこういう時無駄に説得力が生まれるからな。私の実年齢様様である。
そしてそのまま何やら考え込み、魂が抜けたかのような呆け面を晒していたカノンだったのだが……やはり直接女神の小宇宙を感じたのが決定打だな。
あとで会ってもらおうとは思っていたから、沙織ちゃんの方から来てくれて助かった。
こうして私たちは無事、当初の目的を達成した。ポセイドンとの交渉の成功、カノンの確保。
あっという間に終わったな海界編……いや、よいことだ。
しかし油断は禁物。どこに落とし穴があるのかわからな……そういえば。
(万全を期そうと調べていたあの件も、結局分からなかったな。ポセイドンに尋ねたところで素直に答えてくれるとも思えないし……そもそも知っているかどうか)
かねてより冥界との戦いに備え、私はある神を探していた。神そのもの、もしくはその痕跡を。
冥王の妃、ペルセポネ。またの名をコレ―。
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37,ペルセポネの謎
冥界の女王と呼ばれるハーデスの妻、ペルセポネ。
ギリシャ神話における最高神もとい、だいたいの事件の元凶であるゼウスと豊穣と大地の女神デメテルの娘である。つまり我らがアテナとは異母姉妹という関係性になるわけだ。
それを言ったらギリシャ神話の主だった神々などほとんど親戚だがな。……デメテルやゼウスの正妻のヘラだって、あれだ。時の神クロノスと大地の神レイアを両親とするきょうだ……改めてギリシャ神話怖いな。まあ神話なんてどこもそんなものか。
彼女に恋をし妻にと望んだハーデスとの神話は、ギリシャ神話の中でも有名な方だろう。
ハーデスはペルセポネ……もともとは乙女の意であるコレ―の名で呼ばれていた女神に惚れ、その父であるゼウスにそそのかされて地上から強奪。自分の妻とした。
が、それに怒ったコレ―の母デメテルが地上に豊穣をもたらさなくなりさて困った……やっぱりコレ―返して? となったわけで。しかしハーデスもこれに「はいそうですか」とはいかない。帰りがけにコレ―に冥界の食べ物、柘榴を渡し、それを食べてしまったコレ―は、その食べた実の数に応じて一年の四分の一を冥界で過ごさねばならなくなったのだ。
で、彼女が冥界で過ごす時期はデメテルが悲しむので地上の恵は失われ……冷たく厳しい冬が来る。
諸説あるだろうが、まあざっくりまとめるとこんな感じだな。
神々が実際に存在すると分かっているこの世界において、冬の始まりともいえるこの話は結構重要だ。
だが不思議なことにその女神……ペルセポネについて、この世界では奇妙なことに関連する神話がほとんど確認できないのである。
前世の自分がそこまでギリシャ神話に明るくなかったというのもあって、元世界に現存していた話と照らし合わせができるのか……という問題もある。しかしミントの元となったニンフのメンテ―や、美少年アドニスの神話くらいなら軽く知っている。たまたまゲームか漫画か何かで題材にされてたのを覚えていたのだよな。
創作の題材に使われるという事は、この二つも有名な話のはず。それがなんとこの世界では確認できない。
ペルセポネ……冥王の妃という地位に対して、不自然なほどに彼女の逸話が少ないのだ。
聖闘士星矢は少年漫画だ。
読者として読んでいた時は「ハーデスを敵として書くにあたって神話の詳しいあれこれを盛り込みすぎてもテンポ悪くなるだろうし削ったんだろうな。もしくは続編で追加敵で出てくる」などと思って、軽く流していたのだが……。
今や私にとってここは現実。この違和感はひっかかる。
私はこの世界で自身の存在をやっと確立させて(というか動かないと世界やばいと遅まきながら気づいて)行動を開始してから任務などで各地へ赴くたびに、
というのも、ハーデスとの戦いにおいてペルセポネの存在はけして無視できないと判断したからだ。
作中でアテナに対し愛など人間が生み出した妄想発言をしたハーデスだが……これには非常に物申したい。
あのな、そもそも愛に振り回されてるのはお前たち神も同じだろうがと!! 愛やら恋やらが原因で空に星座が増えたりなんだのした数を数えてみろよと!! お前ペルセポネにべた惚れだろう! 世界中で有名だぞ!! 愛めちゃくちゃ知ってるだろ! 恋しちゃったんだろ!? かっさらいたくなるくらいに!! かまととぶってんじゃねぇ!! 本当は仕事疲れとかその辺が原因と違うのか、ええ!? ギリシャ神話の中では実は比較的まとも枠の冥王様がよ!!
…………と。
まあ愛を向ける相手はペルセポネだけ。人間など愛を向ける価値もない羽虫……とかいう価値観ならばこのつっこみは意味をなさないが、しかし愛は愛。
あのハーデスとて他者を愛する感情そのものは知っているのだ。そこが重要である。
要するに平和的解決の一つの案として、奴がべた惚れしている(はずの)奥さんの方を説得して穏便に冥界編終わらないものかと。そういう考えがあったのだ。
我ながら見通しの甘い案のためアイオロスに与太話程度で話したことしかないが、あれだ。妻に色々言われると強く出られないのは私もだからな……ハーデスとてペルセポネの言葉ならなにかしら耳を貸すだろう、という確信がある。男は妻に弱いのだ。
それ以前にペルセポネを説得できるのかという問題と、更にその問題の前の前としてその存在自体がはっきり確認できないがために、望みはスターヒルの酸素以上に薄いとしか言いようがないのだがな。いっそ大気圏突入直前の空気より薄い。
存在したとしても説得のために彼女の元へ行けるのか、と考えたらそれも難しい。そんな難しい尽くしのため、これに関してはほぼあきらめてはいる。
「しかし、やはり気になるな……」
愛を否定する神の側に、愛したはずの女が居ない。
勘でしかないが、そこに何か意味合いがあるのでは……と、喉に小骨のように引っかかる。
「…………何が気になるんだ?」
「ぅおあ!?」
「気にかかることがあれば、相談くらいにはのるが」
「い、いえ。シュ……兄さん、お気になさらず。些末な事です」
「……そうか」
し、しまった。口に出してしまっていたか! というか側にこの子がいるのに物思いにふけるな自分よ!! とっさに気にするなと返してしまったが、心なしか肩が落ちてしまったではないか! す、すまんシュラ! けしてお前を頼りないだとか思っているわけでなく内容が内容で……ぐうぅ!!
挙動不審になる私を覗き込むようにして見てくるのは、実の息子……今は実の兄という事になっている、山羊座の黄金聖闘士シュラである。
どうにも最近アイオロスとセットで沙織ちゃんの側付きのように扱われるようになってしまった私は、城戸邸に留まっている。つまりここは日本。……現在、本来聖域の守護に留守番させられているうちの一人であるシュラの方が、定期報告というていでこちらに赴いているのだ。
ちなみにシュラ、これが日本初上陸である。
時間もろもろの猶予があれば何か日本らしいうまいものでも食わせてやりたいのだがな……。心なしかゆったりした時間が流れているとはいえ、現在すでに戦いの最中といってもよい。冥界もいつ動くかわからんし、そんな状態で「ちょっと飯でも」なんて誘ったら真面目なシュラに怒られてしまいそうだ。
認識はともかく……認識はともかく!! 誤解されたうえではあるが、ようやく関係が改善してきたのだ。余計なことをして可愛い息子の好感度を落としたくない。
私は動揺しつつもシュラに「なんでもない」というように首をふると、遅くなっていた歩調を速めた。今私は定期報告に来たシュラを沙織ちゃんの元へ案内する途中なのだ。
そういえば冥界の動きだが……ハーデス……というよりは三巨頭かパンドラの案だろうか? 奴らはやはり死した教皇シオンを先兵に仕立て上げて、聖域に乗り込ませるだろうか。いや、確実に使って来るだろうな。
今代の黄金聖闘士は死していないため彼一人に元々の冥闘士をつけるのか、それとも他の……例えば先代の聖闘士の魂を冥闘士に仕立て上げるのかは分からないが。どちらにせよ攻めてくることは確か。
シオン様が冥界の先兵としての役割を飲み込むには理由がある。誰かに情報を引き継がせる前に死してしまったがために、彼は敵に身を堕としてでも女神の聖衣について
……そのため、それさえ知れたならシオン様は敵のふりをする必要もない。あの方は元々アテナのために行動を起こすのだから、敵として脅威とみなす必要はないだろう。
そのため冥界勢が攻めてきた場合、用があるのは共に来た冥闘士の方だ。
引きこもりのハーデスと決着をつけるためには、危険であっても冥界に乗り込むことは避けて通れない。
奴め、仮初の体までも冥界の最奥であるジュデッカに置いている上にさらに本体は嘆きの壁を越えた先……エリュシオンだからな。引きずり出すのは困難だろう。
なればいずれ攻め込むにあたって、冥界の詳しい地理などについて深く知らなければならない。となれば、良く知る者に聞くのが一番、というわけだな。
だからこそ誘い込み、捕らえる。今聖域に留守番に残っている者達の主だった仕事はそれに備えることだ。
……だから本来、伝令に黄金聖闘士という重要ポジションのシュラが来るはずないのだよな。たった今思い当たったが。たとえばミスティでも誰でも、テレポートを使える白銀聖闘士の誰かを遣わせればよい。なのに何故……もしや。
これは自意識過剰かもしれないが、沙織ちゃんあたりに気を遣われての采配か? 家族として会う機会を多くしていただいてるとか……いやいやいや、これは考えすぎというものだな。
と、そんなことを考えている時だ。案内の途中で奥の方から軽快な声がかけられる。
「お、兄妹そろってどうしたんだ?」
(アイオロス……! 貴様、私の複雑な心境を一番知っているくせに面白がるんじゃない!!)
かけられた言葉に思わず口に出しそうになるが、そこはぐっとこらえて睨むにとどめた。
現れたのは軽く汗をかいた様子のアイオロス。現在彼は私たちと同じく城戸邸に逗留している星矢達の指導にあたっている。
様子から見て、今はその訓練のあとだろう。……今頃星矢達、へばっている頃だろうな。
星矢達……彼らは十二宮でそのポテンシャルを発揮し、別の世界線ではハーデスを打ち倒した。そんな青銅聖闘士達は実に稀有な存在である。そのため海界編を力技ですっとばした今、海界分の成長をアイオロスが指導に当たることによって促しているというわけだ。
「! あ、アイオロス」
「……ああ、もしや定期報告か。邪魔して悪かったな。
快活に笑うアイオロス。こ、こいつめ。私が泣く泣く断念した飯の誘いをこうもあっさりと……!
しかし言われた方のシュラはといえば、ぱっと見分かりにくいが明らかに動揺の気配が大きい。……なんだかんだと慌ただしかったし、場所も離れていたからアイオロスと二人で話す機会などなかっただろうしな。これも当然か。
十三年前、教皇の命令でアイオロス抹殺に向かわされたのはシュラだった。私が介入せねば聖闘士星矢の漫画の通りアイオロスはそこで死んでいただろう。助けた時には瀕死だった。
当時、次期教皇に選ばれるほどの実力者だったアイオロス。それがアテナを守りながらだったとはいえ一方的に攻撃をうけて深手を負ったのは……本人は言わないが、真実を知らなかったであろうシュラを気遣っての事だと思っている。
それを今ならシュラも理解しているはず。一応謝罪はしたらしいのだが、それでは済まないほどに気にしているのはこの態度を見れば明白。……うむ。どうしたものかな。
いや、それでか。アイオロスが飯でもどうかと誘ったのは。
「アイオロス殿。食事なら私も同行してかまいませんか?」
「ああ、もちろんだ」
「だそうです。兄さん、一緒に行きましょう」
「!!」
我ながら棒読みだが、私とアイオロス両方から誘われれば断り辛いだろうという打算である。アイオロスもそれを分かっているのか、私の口調に特にツッコミもせず笑って快諾した。……シュラの目の前でいつも通りに話すのは、立場的にフランクすぎるからな。
シュラの心境はどうあれ、話す場は必要だ。美味いものを食って話す。まずはそこからでよいのではないか? 歩み寄りというものは。
そんな私とアイオロスに挟まれて、沙織ちゃんへの報告を終えたシュラを町に連れ出したのだが……後でそれを知った沙織ちゃんに「わたしも行きたかったですわ」と拗ねられたのは余談である。
ちなみに食った飯は
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回想録6:ぼやけたリンゴと燻製肉
ギリシャ______
鮮やかに晴れ渡るコバルトブルーの空の下、聖闘士候補たちは今日も訓練に精を出している。それを眼下に望む崖上の樹の上で器用に寝そべっていた少年は、冷めた目で彼らを見降ろしていた。深くフードをかぶっているために傍目から少年の表情は窺えない。が、機嫌が良いとは言い難い刺々しい雰囲気だ。
手には真っ赤なリンゴが一つ。
(そういえば、我らが女神にもリンゴの逸話があったな。一人の人間の男を巻き込み、三柱の女神で美しさを競った……とか、なんとか)
くだらん。そう一蹴すると、少年はがりっとリンゴに噛り付いた。
少年は名をカノン。現在ここ……聖域にて双子座の黄金聖闘士を務める双子座のサガ。彼の弟である。
その容姿は髪色に若干の差異こそあるものの、サガと瓜二つだった。
秘めたる才能も実際の実力も兄であるサガに劣らぬものをもっていたが、しかし彼が表舞台に出ることは無い。……サガに何かあるまでは。そうやって育てられてきた。
(……俺はこのまま何者にもなれず、若い時代を食いつぶすのか)
自分の歯形が刻まれた齧りかけのリンゴを見てさえそんな考えが脳裏を過り、流石に嫌になる。
リンゴは色こそ赤かったが、残念ながら味は堅いスポンジに申し訳程度にリンゴの甘みがついたようなボケたもの。それが余計に曖昧な立場に居る自分と重なり、うんざりした。これなら酸っぱい方がまだましだ。
「……ふんっ」
舌打ちして食いかけリンゴを放り投げる。腹は減っているが、どうにも苛立って食う気になれないのだ。
「おっと」
「!」
しかし思いがけず近くから声がして、ばっと体を起こす。すると樹の枝葉下からぬっと顔……それも非常に眼光が鋭い強面が出てきて、思わず動きが固まった。
(で、でかい。二メートルはあるんじゃないか……!? というか、この俺がここまで接近されて気づかないとは!)
現れたのは縦にも横にも大きい、筋肉の鎧を纏った巨漢の男。眼光は人を射殺せそうなほどに鋭く、うねりの強いくせっ毛の間から覗くそれにカノンは動きを止めたまま体を強張らせた。
だがそんな威圧感のある男から発せられたのは、意外と柔らかい声色である。
「なんだ、先客か。私もサボろうと気配を消してきたが……お前もなかなかだな。リンゴが上から降ってくるまで気づかなかったぞ」
「サボり……」
「任務から帰還早々、教皇に書類仕事を手伝わされそうになってな。今日はそんな気分ではないから、逃げてきたというわけだ」
見れば男の傍らには旅支度の詰まっていそうな背負い袋と、白銀の
(……思い出した。こいつ、エリダヌス座の白銀聖闘士リュサンドロスか)
エリダヌス。優美な響きの星座名とは裏腹に威圧感のある巨漢の男は、聖域でも古参に属する聖闘士だ。変わった男で、自分の任務以外にも世界に散って仕事をこなしている他の聖闘士のサポートも行っているらしい。
遠目に見たことはあるが、ここまで近くで見るのは初めてだ。そもそもカノンの存在は秘匿されているために、誰かをそばで見る……という事自体稀有ではあるのだが。
……確か山羊座の黄金聖闘士、シュラの父でもあったはずだ。
「訓練生か? なかなか将来有望そうだが……ならば体づくりは大事だ。それに自給自足の聖域では食料はどれも貴重品。無駄にせず、しっかり食っておけ」
そう言いながらリュサンドロスはカノンが捨てたリンゴを差し出すが、カノンは少々うろたえながらもそっぽをむく。
「……いらん。まずい」
「何?」
眉根をよせるリュサンドロスを見て機嫌を損ねたかと身構えるが、白銀聖闘士の男はリンゴをまじまじと見た後豪快にかぶりついた。そして納得したように頷く。
「確かに、はずれだな。すかすかで味もそっけない。それでも投げ捨てるとは感心せんが……まあいい。なら、ほれ」
「!」
背負い袋から出した何かを投げよこされる。反射的に受け取ると、油紙で包まれたそれは野趣あふれる燻製肉だった。香ばしい燻製の匂いに思わず喉がなる。
「出先で作ったが思ったより早く任務が終わったのでな。口止め料にくれてやる」
にやりと口の端を持ち上げた男はカノンの返事も聞かずに、どかっと樹の根元に腰をおろした。ここはカノンもよく使う場所だが、男にとっても休憩場所のようである。「今度から場所を変えるか……」そんなことを思いつつも受け取った肉を突っ返す気にもなれず、なんとなくもそもそと噛り付いた。
……そのままぺろりと平らげてしまったあたり、この白銀聖闘士はなかなか料理が上手いらしい。
「訓練に精を出すのもいいが、お前みたいに適度にサボってくれると助かるんだがな」
「…………白銀聖闘士がそんなこと言っていいのか?」
ふいに訓練生たちの様子を見ていた男に話しかけられ、肉を食い終わり手持無沙汰だったがために気まぐれに問い返す。
「白銀だからこそだ。……とはいえ、まあ私個人の意見だ。今は少々疲れているから口が軽い。戯言だと思って流してくれ」
相手もまた気まぐれなのだろう。さわさわと葉がこすれ合う音が響く中で正体を隠しているフードの少年と、巨漢の古参聖闘士の奇妙な語らいの場が形成される。
それはどこか現実味がなく、白昼夢じみていた。
「聖域に属した以上聖闘士にならぬ限り出られぬようなものだが、命を落とすまでやっては……な」
「だが俺たちにはそれしかない。他に選択肢もないのだから、力を求める他ないだろう」
……力を手に入れたところで、俺にはサガが死ぬまでその選択肢すら与えられぬがな。そんな言葉を飲み込んで、少し困ればいいと言葉をかえす。するとリュサンドロスはふっを息を吐き出す。
「だよな。そういう場所だ、ここは」
少し砕けた口調で肯定されてしまい言葉に詰まる。
「だがこれから時代は急激に変わっていく。それに合わせて、いずれ聖域自体が変わらなければならない時がくるだろう」
「変化? どうだか。カビがこびりついた聖域がそう簡単に変わるとは思えんな」
「ふっ、なかなか言う奴だ。嫌いではないぞ、お前のような奴は。……まあ、変化があることは確定だと思っていい。それが良いものであることを期待して、今は食って寝て訓練して生き残るんだな。適度なサボりは推奨するが、ほどほどに……とは一応建前として言っておこう」
「建前……」
「私もこうして休んでいる身だ。口止め料はしっかり食い切ったんだ、言うなよ? 教皇にならばれてもいいが息子にはあまり知られたくない」
「ふんっ、息子とはいえ格上の黄金聖闘士様相手だと気まずいか?」
「いや、単純に格好悪いところを見せたくない。私はかっこいい父でありたいのだ! シュラは優秀で真面目だからな。こんな姿を見せては落胆させてしまう」
「……………」
「……口が滑ったな。忘れろ」
「……親バカという奴か。初めて見たな」
「忘れろと言っている。…………はぁ、らしくないことを。やはり少々疲れているようだな。少し寝るか」
人を射殺せそうな眼光を持っているくせに肩をすくめて気まずそうにする様が滑稽で、カノンは少し笑った。
「はっ! 世界中を飛びまわる白銀様は大変だな。ご苦労なことだ」
皮肉のつもりで言ったはずが、思いがけず声が弾んでいて自分で驚いた。……そして心の奥で生まれたわずかな羨望には蓋をする。
屈辱なことに、わずかにでも山羊座のシュラに対して羨ましく思ってしまったのだ。「自分をこれほどに見てくれる身内がいたら、それはどんな感覚だろうか」と。
身内でなくてもいい。自分の存在を認めて、見ていてくれる相手がいたならば。
世界をひっくりかえせるほどの力の片鱗を身の内に感じている。
行き場のない野望と怒りが体の中で渦巻いている。それが発露する瞬間はそう遠くないだろうと自覚しているが……もし。誰かが見ていたら。認めていたら。この力を振るう先を示してくれたなら。
世界の見え方は、少し変わるだろうか。
この燻る思いは、憎悪とは別の何かへ昇華できただろうか。
(……何を考えているのだ、俺は。こんな戯れの時間で)
「……まあ俺は強いから、言われなくとも死なんが」
「大層な自信だ。いいぞ、そのまま力を磨け。……将来を楽しみにさせてもらおう」
リュサンドロスはそう言うなり大きなあくびを発する。どうやら本当に疲れているようだ。
カノンはぱっと樹から飛び降りると、軽く手をあげて振り返ることなくその場を後にする。リュサンドロスもまた引き留めず、結局名前すら問うてこなかった。聞かれたかったわけでもないが。
ただこのわずかな時間が、何故だろうか。
その後カノンの心の片隅に、長く留まることになる。
主人公は覚えてないけど実は顔隠したカノンとは会ってたよ、というエピソード。
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38,アテナとポセイドン
城戸邸の庭……朝露が光る色とりどりの薔薇に囲まれた噴水が、陽の光を受けてキラキラと水しぶきを輝かせている。鳥たちが囀り、空気は澄みながらも花の香りを含んでどこか甘い。
そんな爽やかな朝の景観に負けないほどの美しさを誇る、本から抜け出てきたような美青年が言葉を発した。
「そこの者。厠はどこだ」
「迷子ですか、海皇」
問いかけの内容が予想外すぎて思わず素で返してしまったが、許してほしい。どこの世界でついこの間まで敵対していた……いや、言ってしまえば今だって敵対している勢力の頭目に、トイレの場所を聞かれると思うんだ。
しかも律儀に日本語に翻訳するのはいいが何故古風にも厠……いや、古風どころか相手は太古の神だったな。いやしかしそれでも何故に。
私の返しに対して海皇……ジュリアン・ソロの体に宿るポセイドンは軽く眉根をよせた。
「このポセイドンに向かって迷子とは不敬な奴だ」
「事実でしょう。というか客人……いえ客神であるあなた様には、お付きのものをつけているはずですが? 聞くならその者に聞けばよいでしょうに。というか客室にトイレは備え付けられているはずです。海闘士も、確かソレントでしたか。彼も海界側の護衛としてあなたの側近くについていたはず。何故お一人で庭にいらっしゃるのか」
「…………。人の体とは不便なものだ。こうして直に香気を楽しむには良いが、それ以上に不自由が過ぎる」
優雅な動作で庭の薔薇に顔を寄せる様はたいへん絵になるが、私は察した。思わずこめかみをほぐす。
「トイレの場所をきくのが恥ずかしかったのですかもしかして。部屋にあるのも気づかないほどに。いいんですよ神だからってそんな意地張らなくて。どんな美女も美青年もうんこするんです。むしろ神だってうんこすると思ってますよ私は。ここ日本の神には姉の神殿で脱糞して罰を食らった神だっているんです。つまり自然の摂理ですから、恥ずかしがることないんですよ。こうしてどうせ聞くことになるのならば、最初から尋ねればよろしいのです」
「今この手に三叉鉾が無いのが口惜しいな」
刺そうとしている。この神、私を刺そうとしている。
だが朝っぱらから神にトイレの場所を聞かれた方の身のもなってみろ。むしろフォローしてやったくらいだぞ。ちゃんとトイレには連れて行ってやるからその物騒な考えをひっこめろ。
…………本当なら体の持ち主であるジュリアンにこのジジ……ごほん。神のお守りをしてもらいたいところなのだが、彼の意識は今現在体の奥底へ沈んでいるのだ。ポセイドン自身が起こそうとしたが、どうやら神が表層に出てきたことは依り代である彼に予想以上の負担を与えているようで。
現在、ポセイドンは
「そういえば昨日の朝に食した供物はなかなかの味だった」
「お腹もすいているんですね……」
さりげなく朝食の要求までしてきやがる。うんこして飯を食ってと健康的なことだな。ジュリアンの体なのだし、衰弱するよりよほどいいが。しかも昨日の朝食は確かメインはパンケーキ……食の好みが可愛らしすぎんか? ジジイにそんなギャップ萌えなど求めておらんわ。
いやだが、待て。もしかしてここにきて初めてトイレの場所を訪ねたという事は城戸邸に滞在して数日間、神の矜持にかけて排泄を我慢していたというのか? …………もしそうなら涙ぐましいが、これ以上考えるのはやめておこう。私とて朝食はこれからなのだ。
はあ……本当に何故、朝っぱらから神相手にこんな会話をせねばならないのか……。
数日前は数日前でカノンに十三年前のことを話して疲れたし、損な役回りばかりまわってくるな。いや、これも必要なことと思えば我慢できなくはないが。この間シュラと共に食事できた記憶が癒しである。
一応星矢達もこの邸にいるのだが……アイオロスの訓練にしごかれている彼らに、神の日常のお守りをさせるのは流石にかわいそうだしな。ソレントや一般人である城戸邸の人員がカバーできない部分は私がやるしかないか。はあ。
現在城戸邸には聖域と海界の間に位置する存在として中継役、使者の役割を担ったカノンが。そして……建前としては盟友をもてなし今後の話を詰めるため、こちらがわの本音としては監視も兼ねて海皇ポセイドンが滞在している。あとその護衛としてセイレーンのソレント、クラーケンのアイザックとスキュラのイオ。主にポセイドンの身の回りの世話をしているのは気配りが上手なソレントだ。
他の海闘士は海底神殿で留守番である。聖域側も似たようなもので、カミュ殿のようにアスガルドの監視に赴くなどの役割がある者以外は聖域で留守番がほとんど。
ここは
これもトップである神同士が納得し、部下たちに言い含めてあるからこそ実現しているのだ。
…………どういった話運びでこうなったのか。
この私、エリダヌス座のリュサンドロスはポセイドンをトイレに案内しながら、数日前の会合を思い出していた。
+++++++++
「では、改めまして。お久しぶり、そして今世では初めましてですね? ポセイドンおじさま」
「白々しいものだな、アテナよ」
「まあ、事実ではございませんか。だって貴方はわたしの神としての父……ゼウスお父様の兄上ですもの」
ぴりりとした緊張感が走る中、しかし双方ともに優雅な佇まいは崩さない。両者の間の石のテーブルに紅茶でも用意されているかのような錯覚さえ覚える。
その指の先まで洗練された動作は神の気ゆえか、それとも上流階級で育った生い立ちゆえか。
「して、ならば我が姪よ。古来より争ってきた我らの間に話し合いなど、どういった風の吹き回しだ?」
「いつもいつも戦いを仕掛けてくるのは"あなた方"の方ではありませんか。わたしはお父様に管理を託された地上を守っているだけ、いわば正当防衛です」
「防衛、か。甘いあなたが人間をのさばらせ腐敗した世界に、守る価値があるとは思えぬが。あなたが戦いを正当な防衛と称するのであれば、私の地上への侵略は好意から来るものだとでも言わせてもらおうか? 愚かな人間はいずれこの大地だけでなく、大いなる宇宙までをも汚すであろうからな。この醜い世は一度まっさらに均した方がよいのだ。そしてその後で再び海から新しい生命が生まれ、清浄な世界へと変わっていく。アテナよ、あなたはその美しい世界を再び守ればよいのではないか? 叔父からの贈り物は、喜んで受け取るべきではないかね。あなたも神ならば、考えを改めるのはそちらの方だ」
滔々と語るポセイドンに対し、沙織ちゃんの返しはシンプルだった。
「あ、そういう話は今いいです」
「………………」
受容も激昂もされず、あまりにもばっさりと切り落とされたからか……さしものポセイドンも少々言葉を失ったようだ。そこに
「問答の前にこちらの要件を述べさせていただきますわ。先ほどあなたが目覚める前に、海龍の彼には話してある内容ですけれど」
「……いいだろう」
せめてもの叔父としての威厳なのか、鷹揚に頷くポセイドン。そこで気のせいでなければきらりと女神の目が光った。そして唐突に名前を挙げられたカノンはびくっと肩を跳ねさせていた。
……これから出汁として使わせてもらうのだから、この程度で驚いていては心臓が持たないぞ? と、ついつい、いらぬ心配をする。
「ふふっ、ありがとうございます。さてポセイドン。先ほどあなたなりのご高説を拝聴させていただきましたが、今まさにあなたの支配する海をも含んだこの世全てが……冥界の侵略の危機にあることはご存知でしょうか?」
「…………ハーデスだろう。ちょうど二百有余年前にあなたが争っていた相手だ」
「話が早くて助かります。では単刀直入にお聞きしますけれど、今私たちが争った場合……どうなるかなんて、お分かりですよね? 戦いで弱った陣営を潰してらくらく侵略成功! の漁夫の利です!」
「ぎ、漁夫の利……らくらく……?」
「ああ、日本の諺なのでわかりませんよね。いえ……元は中国の古典でしたか。ふふっ、失礼いたしましたわ」
「いや、意味は分かる。分かるが……他に言いようはなかったのか? それにらくらくなどと、アテナよ。あなたは知恵の女神だろう。語彙力を何処に捨ててきたのだ。なにやら前に会った時と性格も違う気がするのだが」
「わたしは女神でありながら人間ですもの。人間は愛を得て日々成長するのですわ!」
「今度は愛と来たか」
「なにか?」
「いや……」
神々の話し合いを眺めていた私は、ついに我慢できなくなってつつつとアイオロスの側に移動すると、彼の脇を肘でつついて注意を促した。
「……なあ、アイオロス。気のせいでなければ、少々ポセイドンが押され気味ではないか?」
「ああ、流石女神だ。早くもペースを握っている」
「た、確かにさすがだ。だがな、気のせいでなければペースを握るというよりも……いや握っていることは確かなのだろうが、相手がちょっと引いているような……」
「アテナの熱弁と握り拳にこめられた情熱は海皇をも圧倒する、ということではないか?」
「その握り拳に並々ならぬ小宇宙が込められている気がするのだが……」
「あまりの圧に海闘士も動けぬようだな。我々もだが」
そう。いつの間にか沙織ちゃんの小宇宙が攻撃的でこそないものの、凄まじい高まりを見せているのだ。相手のフィールドであるはずの海底神殿に満ちるそれは、互いに警戒し牽制しあっている聖闘士と海闘士の注目を、完全に沙織ちゃんへと集めて余りある。
私はつい不安になってそのままこそこそ声でアイオロスに尋ねた。
「…………。あ、アイオロス! 女神は非常に頼もしいが、やはり私たちどこかで間違っていないか!? それか何もしなさ過ぎたのではないか!? もっと女神の教育と成長に関わるべきだったのでは……。あまりに、あまりに力押し。海皇に「知恵の女神だよね?」と確認までされているぞ!」
「なに、ここまで来たのだ。我らもアテナを信じてお任せすると決めただろう? これも話し合いの結果だ」
「確かに会議はしたものの、最終的な弁の内容は場慣れしている沙織ちゃ……アテナに委ねたが」
「そう心配するな。いざという時は私たちが体を張ればよいのだ。今は信じて見守るのみよ」
「……その胆力、羨ましいぞ。私はどうも肝が小さくて情けない。お前たちよりずっと年上のはずなのだがな」
「それがお前の良いところでもあるだろう」
「…………はあ。敵わんな。お前が居てくれてよかったよ、本当」
実に堂々とした態度で返されてしまった。
海界に来る前の会議では他黄金を圧倒した、沙織ちゃんのこれまた力押しな弁に共にうろたえていたはずだが……わずかな時間で成長する男だな。慣れたというのか……すでに……。
となれば自分も腹を括るしかあるまいと、私は丹田に力を入れなおす。
そしてその間にも沙織ちゃんの熱弁は続いていた。
「ともかくですね、わたしは今回あなたに対し同盟の申し込みをすべくこうして訪れたのです。海と陸地という違いこそあるものの、ハーデスの進行が叶えば海界とて無事ではすまないはず。協力し合うべきでは?」
「私がハーデスの軍勢ごときにどうにかされるとでも?」
「思ってますよ」
再びバッサリである。これには海界を舐めていると海将軍勢がいきり立ちそうになったが、沙織ちゃんは動じることなく人差し指をたてて左右に振ると続けた。
「だって、
ふっと息を吐く沙織ちゃん。
「わたしとしてはずっと封印の壺に引きこもってくれていて大変ありがたかったのですけれど、何千年も寝こけて偽の
ガタっと音がした。見ればカノンが顔色を悪くしたまま後ずさっている。そしてそのカノンにカッと目を見開いた海将軍達の視線が突き刺さっている。ついでに言うならたった今の発言でポセイドンの視線にも射られている。これは痛い。
こちら側としてはすでに共有していた情報だが、彼らにとっては寝耳に水だったろうな……うむ。
さてカノン、出汁としての出番だぞ。シードラゴン……丁度良い出汁が出そうな名前だなと、ついどうでもいい考えが過る。
「偽の海龍……だと?」
「まあ! まさかとは思っていましたが、本当に今気づかれたのですか? わたしより遥かに長き時を生きるおじさまが!?」
沙織ちゃんここぞとばかりに煽りよる! 手振り身振りをまじえたオーバーリアクションの完成度が無駄に高い。この子実はバラエティ番組とか見ているのではないか!?
「そこのカノンはもとは聖域に属する者。この場にはいませんが黄金聖闘士、双子座のサガの弟……双子座のカノンです。この事はわたしも最近知ったのですが……彼が以前幽閉されていたスニオン岬の岩牢には、かつての戦いであなたを封印した際に同じく封印した三叉の鉾が納められていました。そして岩牢からカノンが消えた時期、寝こけていたあなたが再び起きた時期を考えれば誰の手により聖戦が近い面倒この上ない時にあなたが起こされたのかは明白。もちろんあなたの復活はわたしの本意ではありませんし、復活させたカノンの思惑はここで問いただしませんが、ともかくあなたが何年も彼を自分の部下と信じて疑わなかった事実をここに提示したいのです。そんなうっかり屋さんが場慣れしたハーデス相手に勝てると、そうおっしゃるのですか? 繰り返しますが、わたしと戦ったあとで? ふふふふふ」
怒涛のセリフの最後はみなまで言わずに、笑い声にその意を含ませる。もともと聖域所属のカノンを野放しにした責任問題を問われたら面倒だし、ここまで言われては海皇とて激昂するだろうが……現在その注目は長年自分を謀っていた男へと向かっている。
「………………。
「…………はっ」
顔色を悪くして膝まづくカノンに、ポセイドンは短く述べた。
「今すぐにその肉体八つ裂きにして宇宙にばら撒いてやりたいところだが、あとで詳しく話を聞こう。沙汰を待て」
「…………ッ」
言葉もなく顔を伏せるカノンへの対応を意外にも寛容な態度ですませたポセイドンは、深く溜息をついた。
「……………」
「驚かれた事でしょう。わたしも少し言いすぎましたね、事実ですけれど」
言い過ぎたと言いつつきっちり止めを刺している。……い、今さらだがこの物言いでは交渉は決裂するのでは……?
だが私の心配をよそに、ポセイドンは沙織ちゃんにむけて煩わしそうに手を上下にふっただけだった。手にする
「…………。やはりもう少し寝ていればよかったか。起きてさえいなければ、こんな面倒な話も持ち込まれなかった。事が住んだ後に起きて、ハーデスとの戦いで疲弊したあなたを倒せば楽だったものを」
「ですがあなたは起きているし、わたしの話も聞いてしまいました。いかがなさいますか?」
「ずいぶん得意げだが、少々勘違いしていないか? ハーデスの鉾の先が向いているのはあなただ。海界ではない。私はハーデスとあなたとの戦いを静観し、もしハーデスが勝った上で地上を海界ごと冥界の支配下に置こうとすればその時戦えばよいだけのことなのだぞ。あなたは私がハーデスに勝てるのかなどと危惧しているが、可能だ。これは先ほどあなたが話したことと順番が代わっただけの事。私はあなたとの戦いで弱ったハーデスに勝てばよい」
「痛いところをついてくださいますね。ですがそれをどうにかできないまま、わたしがこの話をもってくると? もちろんそんな余力をおじさまに持たせる気などありませんわ。同盟が締結した暁には共に戦っていただきます。静観などさせません」
「………………」
その堂々とした態度に、ついに海皇ポセイドンが黙る。そして深い深いため息をついた。
「やっかいな性質を得たな、アテナよ。いや昔から面倒ではあったか?」
「あなた含め他の神々ほどではありませんわ」
きっぱりと言い切られたポセイドンは天を仰ぐ。その視線の先はオリュンポスあたりだろうか。
しばらく沈黙が場を支配する。その時間は優に数刻を超えたかのような錯覚をその場にいたものにもたらしたが……実際は数分。
沈黙を割ったのは、ポセイドンの諦念が滲んだため息だった。これで何度目のため息だろう。
「冥界との戦いが終わるまでだ」
「ぽ、ポセイドン様!?」
そこに含まれた了承の意に海闘士たちに動揺が走るが、ポセイドンはそれを一瞥で黙らせる。
「ありがとうございます! ではしばらくの間、よろしくお願いしますね? ポセイドンおじさま」
「あまり調子に乗るものではないぞ、アテナよ。全面的に協力するつもりはない」
「ええ、わかっておりますとも」
ポセイドンの答えに、しかし沙織ちゃんは満面の笑みで返す。強い。
しかし……ふとその表情を引き締めた。
「……色々言わせていただきましたが、別にあなたを侮っているわけではありません。そもそも聖闘士は、太古の昔……ポセイドン。あなたと戦うために生まれた存在なのですから」
「ほう。浮かれた小娘に成り下がったと思っていたが、覚えていたか。してやったと自信満々にしているところを小突いてやろうと考えていたのだがな」
「うか……こほん。もちろんです。こうして了承を頂きましたが、あなたの意志自体が変わったわけでないことも理解しています。あくまでこれは仮初の同盟」
「当然だ。呆れた姪の提案に、余興のごとく乗ってやったまでの事」
「……。改めて、感謝を。ハーデスとの戦いが終わったうえで、あなたが戦いたいというのならその時は受けて立ちましょう」
そこまでを凛々しい表情で言い終えた沙織ちゃんだったが、最後は再度愛らしい笑みを浮かべた。
「戦いが終わるまでに、あなたも人間の愛を理解して矛を収めてくれたらそれが一番良いのですけどね」
「ぬかせ」
「うふふ」
女神と海神は互いに食えぬ笑みを浮かべる。
……こうして非常に危ういバランスの上ではあったが、歴史上初の聖域と海界の同盟は締結したのであった。
+++++++++
……そんな様子だったのだが、やはり……うむ。力押し。圧倒的にごり押し。
それを思えばこそ、客として迎えているポセイドンには気分よく協力してもらうため、出来るだけ失礼が無いよう接するのが一番なのだが……。やはりどうにも慣れん。
「! ポセイドン様、こちらにおられましたか!」
トイレから出てきて当然のように手をぬぐう布を要求するポセイドンに渋々とハンカチを渡していると、真・お守りが来た。おお、ソレント殿! はやくこの神を引き取ってくれソレント殿!!
「あなたは……たしか白銀聖闘士のリューゼだったか」
私に気付いたソレントがわずかに目を細める。
「迷っていたようなのでな。僭越ながら案内させていただいた」
「それは」
ソレントはポセイドンの後ろのを見て黙った。……うむ。トイレ、だな。
「……ともかく、あとは頼みました」
私はそれだけつげるとさっさとその場を後にした。これ以上いまいち地雷の分からない神相手につきあってられるか。
それにしても、冥界との戦いで海界は本当に手を貸してくれるだろうか。不安だ。
挟む順番おかしくない?と思いつつ、テンポ重視で後回しにしていた神々のお話合いの内容でした。
ご、ごり押し……!
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39,黄金期の肉体
「さて……。どうしたものかのぉ」
実に二百四十三年ぶりに五老峰の滝の前から動いた天秤座《ライブラ》の黄金聖闘士……童虎は、竹林の中で顎に手を当て思案していた。その身は細い細い一本の竹の上に片脚だけで
「ろうっ……! あ……」
そんな彼に声をかける者が居た。艶やかな黒髪を編んだ美しい娘……幼き頃より童虎が育ててきた少女、春麗である。
呼び慣れた呼称を躊躇するその様に「まあ、当然じゃなぁ」と童虎は苦笑した。
「見た目は変わったが、いつも通りに呼んでくれてよいのじゃぞ? ワシは、ワシじゃ」
「で、でも。その若々しい見た目に老師と呼びかけるのは、少し抵抗が……」
自ら育てた赤子、最早孫のような存在である春麗がこの若い姿に戸惑うのも無理はない。遠慮がちなその様子に笑いながらも、童虎はしばし考え込んだ。
童虎は
(だが、本当に感心するべきは奴よの)
自分とは違い自らの力で二百年以上をも生きた戦友、前
だがその死に様こそ不本意なものであったが、経過した時間をこそ思えばこの時代にいなくて当然なのだ。
二百四十三年。それはけして軽い数字ではない。
童虎はふっと息を吐き出すと、顔を両手で張って一抹の寂しさを拭い去った。若い体に戻った影響なのか、どうも心が昔へと戻っていたらしい。
童虎がこの姿に戻ったのは、まだ昨晩のこと。封印されし魔星達が解き放たれたことを確認してからは、数日後であった。
本当はもう少し早く戻っても良かったのだが、そこは慎重をきした。急な戦闘でやむ得ず戻るのでなく、せっかく緩やかに封印を解く時間を得たのだから。
なんといってもメソペタメノスは神々の秘法。今までそれを実際に身に受けたものの話は聞かない。
解いた後で体にどんな反動がくるのかわからないため、万全の状態で戦うために時間をかけて封印を解いていたのだ。そのおかげもあるのか、若々しい十八歳の肉体の何処にも支障は無い。
馴染ませるために動き回ってみたが、絶好調だ。
「ほっほっほ。十八歳か。肉体的には、今のあやつより若くなってしまったな」
つい癖で今はもう存在しない長い顎髭を撫でる仕草をしつつ童虎は笑う。
「あやつ……ですか?」
「なに、そこそこ古い知り合いじゃよ。体は二十代半ばほどじゃろうが」
「はあ」
童虎の言い方に要領を得ないといった様子の春麗が呆けた返事を返すが、童虎は若々しい顔に悪戯気な笑みを浮かべるばかりだ。
……童虎の言うあやつとは、これもある意味神の秘法と言えばそうなのか。古の神の呪いによって女になってしまった男、リュサンドロスのことである。
白銀聖闘士、エリダヌス星座のリュサンドロス。これまで彼が記憶していた前世という非常に不安定で不確定な要素を利用し……
シオンという大きな犠牲が出てしまった以上、内輪もめという矮小な表現はいささか適切ではないが。同時に最も適切でもあるため、なんとも言えない。
聖域の者達には件の事件の元凶はサガに乗り移った軍神アーレスのものだと説明しているが、その真偽はサガの体から追い出されたアーレス(仮)しかわからないのだ。あれが外部のものでなく正しくサガの第二人格であったならば、やはり内輪もめという他ない。
色々と苦くは思うものの、しかしシオン以外の死者はゼロ。それどころか海界まで味方につけたのだから、おそらくこれまでの聖戦においてこれ以上ない状態で冥界に対抗する陣は整ったといえる。
その手を組んだ海界と後に改めて戦うことを考えれば双刃の剣とも言えるが……。今の
赤子だった女神もずいぶん頼もしくなられたことだ、と。
などなど、思考しつつ口を開いた。言葉を向けた相手は春麗ではない。
「のお、どうじゃデスマスク。今のあの方を見ても、以前のようなことを言えるか?」
「……お気づきで」
「え!? あ、あなたは!」
笑む童虎が林に向かって声をかければ、高い身の丈の影。その正体を見た春麗が狼狽しながら声を上げた。
どこか憮然とした声を辿れば、そこには以前も自分の元へ遣いとしてやってきた
以前は偽教皇をしていたサガの遣いで童虎を抹殺しに来たデスマスクであったが、今日は女神の遣いだ。一度蟹座の聖衣に見放されたらしいが、再び聖衣に認められてからは黄金聖闘士としてこき使われているらしい。機会があれば是非とも聖衣に許してもらえた経緯を聞きたいものだ。
それはさておき。
「招集の件でよいかな? 見ての通り、ワシの準備は整っておる」
「ええ。……しっかし、話には聞いていたが本当に若返ってますね。小宇宙は確かに老師ですが……」
普段粗雑なデスマスクも、童虎に対しては少し敬語を使う。しかしそれが今の童虎の姿を見て、ややぎこちなくなっているのがどこかおかしい。童虎は笑いをこらえながら気楽に答えた。
「ははっ、驚いたか。まあ若返ったというより、今までの姿が外装だったのじゃがな。あれの下はずっとこの姿のまま。……神の秘法とは、誠に摩訶不思議なものよ」
「俺としちゃあんたと同じ世代の聖闘士だってのに、サガに殺されるまで生きてた教皇の方が摩訶不思議ですがね」
「違いない」
丁度今しがた考えていた男の話題を出されて、童虎は目を細める。
デスマスクは前教皇を指してあっさりと「サガに殺された」と言ってのけた。そんな彼はリュサンドロスはじめ、自分たちが作り上げたサガ、アーレス憑依説を信じていないのか……それとも真偽など、どうでも良いのか。
おそらく後者だと思われるが、この男……浅慮なところがあるようでいて、その本質は一番ドライで自らのこだわり以外は平均的な視点をもっているのではないか、とはいつかリュサンドロスが述べていた感想だ。前に出ているようで、本当は一歩下がった位置で冷めた視線でもって周りを見ていると。昔の自分に少し似ているとも言っていたか。
「さてさて、もう少し話したいところじゃがそうもいくまい。さっそく聖域に向かうとするかの」
「さっきの質問の答えは聞かないので?」
「ほ? 意外じゃな。答えてくれる気があったのか」
自分としてはほんの揶揄のつもりで投げかけた言葉で、答えが返ってくるとは思っていなかった。童虎は片眉を上げてデスマスクを見る。
答えてくれるというならば、今の女神に対してどういった感想を抱いているか気にならないわけではない。そのまま童虎が促すように黙っていると、先ほど以上に憮然とした声でデスマスクは一言。
「図太い」
「こりゃ」
「って!」
あまりな一言につい光速でデスマスクの頭を小突いた童虎であったが、その実口元は笑っていた。
「まあ、否定はせぬが
「口の端が上がっているようですが?」
「おっと」
童虎はワザとらしく口を隠すが、今度は目元がにやついている。本気で隠す気はなさそうだ。
「ふふ……。なんというか、嬉しいものだの。こうしておぬしと軽口を叩けるというのは」
「軽口ぃ? 藪から棒になんだってん……ですか」
「そう中途半端に取り繕うくらいなら普通に話せ。いやなに……。長きにわたって続いた内乱、誰が死んでもおかしくなかったからのぉ。現におぬしとも敵対した。それが今、こうして年寄りの問いかけに答えてくれておる上に、正しき主を認めている。喜ばしく思えば顔もにやけるというものよ」
「認めるって、俺は別に」
「図太い。そう評したのであれば、少なくともひ弱な小娘とはもう思うておるまい。じゃろ?」
「…………」
さらに憮然として黙りこくってしまったデスマスクに今度は隠そうともせず呵々大笑した童虎は、不安そうに見守っていた春麗に声をかけた。
「では春麗、聖域の招集に応じてくる。……わしも紫龍もしばらく戻れぬが、おぬしなら大丈夫じゃな?」
「は、はい! ……老師、どうかご無事で。この五老峰で紫龍と老師の健勝と健闘を、心より祈っています……!」
「ほっほ。春麗の応援があれば百人力じゃ! なんといったって、黄金聖闘士との戦いに介入したくらいじゃからな!」
童虎が茶目っ気をにじませながら言えば、デスマスクが不機嫌そうに顔をそらす。そのどこか拗ねたような態度に、春麗は「怖い人だと思っていたけれど、意外と子供っぽいところもあるのかしら?」と首をかしげた。
そして数瞬迷ってから、おずおずと蟹座の男に声をかける。
「あの……。あなたも。どうか、ご無事で」
「!」
虚を突かれたようなデスマスクの顔に、春麗はしてやったりという気分になった。今はもう味方だというのなら紫龍たちのためにも無事を祈る言葉に偽りはないが、それでも思うところがないわけではない。どんな形でも驚かせることができたなら、少しばかり気分がよいというものだ。
「ははは! どうやら春麗の方が大人のようじゃな! いやまったく、よい娘に育ってくれたものじゃ!」
「まあ、老師。光栄ですが、それはわたしを育ててくれた老師のおかげです」
はにかむように笑った春麗の頭にぽんっと手を置いた童虎は、「では、行ってくる」と今度こそ背を向ける。
そしてデスマスクにテレポートを促しつつ、ぼそっと呟かれた一言はしっかり耳に届いていた。
「チッ。女ってのはどうしてこう、無駄に強かなんだ……」
童虎はそれに笑いをこらえつつ、その強かな女の中にはもしかして例の元男も入っているのだろうかと考え余計に笑いがこみ上げてきた。
しかし先ほどから笑みが絶えない気分とは裏腹に、その眼光はぎらぎらと猛る獣のごとく強いものへと変化していた。
(もしあやつの目論見通り、ここで長きにわたる戦いを断ち切れるのならばワシは……)
__________この場所に戻ってこられなくても構わない。
知られたら数名から怒られそうな気持を胸に秘め、童虎は最盛期の肉体を携え聖域に跳ぶ。
二百年以上の時を超え……童虎にとって二度目の聖戦が、幕を開けた。
同時刻、冥界。
『目覚めよ……』
深く暗い永遠の"はずだった"眠りの中、静謐ながら力のある声が彼の耳に届いた。うっすらと開かれた瞳の先には誰かいるようでいて、誰も居ない。……おそらく意識だけをこの場に顕現させているにすぎないのだろう。
(ふっ……他の者に比べ死の眠りもまだ浅い。この程度の事を考える頭は残っているようだな)
自嘲するように思考した男に、その世界の主の思念がふりそそぐ。その内容はといえば、誇りをかけて仕えてきた主に牙を向けというもの。
『かつて聖闘士であったお前ならば、十二宮もやすやすと突破できるであろう。もし
(馬鹿にされたものだ)
内心鼻で笑う。そのような甘言にのるほど馬鹿でも、提示された条件を信じるほど愚かでもない。たとえ条件を達成した後に本当に死から解き放たれようが、そこに自身の信念も、誇りも、願いも存在しないのだ。受ける理由が無い。
(いや)
そこでふむと思い至る。これはチャンスかもしれないと。
(私は例の事を伝える前に死してしまった。ならばこれは
彼は魂の寝床となっていた冷たい棺から体を起こす。そして己の誇りをねじ伏せ、表面上は実に優雅な礼をもって跪いてみせた。
「……寛大なるお心による大いなるご慈悲、ありがたく頂戴いたします。冥王ハーデス様」
肉体を見やる。その体はすでに死す直前の老いさらばえた二百六十一歳のものでは無くなっていた。死に疑似的な生命力が吹き込まれ、肉体の時を超え、体中に若々しかったかつての力が満ちていく。それこそ……人間が最も生命力に満ち溢れ最も輝く黄金期。
前聖戦を駆け抜けた、十八歳の肉体!!
彼はその姿を皮肉るように笑う。跪き
一瞬だけぎりっと唇を噛むと、彼は言葉を続けた。
「このシオンが、必ずやあなた様の前に
シオン。元教皇であり前
かつての戦友と同じく、若き肉体を手に入れたのだった。
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40,決戦前の正座(×2)
大きな犠牲が出るはずだった戦い。それを一つ避けたことにより、表面上はやや緩やかな期間が過ぎる。
しかし時は止まらない。
……いよいよ冥界との戦いが近づいてきた。
アスガルドに派遣されていたカミュ殿や氷河も聖域に戻り、五老峰に控えていた老師もデスマスクが迎えに行ったのでもうすぐ到着するだろう。
つまりこの聖域に、十二宮を守る全ての黄金聖闘士が集結するのである。
……いったいこれは、聖域の歴史の中でどれほど久しい出来事なのか。
少なくとも老師こと童虎殿はずっと五老峰の滝の前に坐していたわけだし、それを考えたら前回の聖戦時……二百五十年ぶりか? それを考えると、すごいな。
しかも白銀聖闘士も青銅聖闘士もかなりの数がそろっている上に、女神は女神の聖衣を手にしている。
更には仮とはいえ海界と同盟まで結んでいるのだ。
苦労はあったが、理想以上の体勢が整っているといってよいだろう。
これまですり減らしてきた心を思えば非常に感慨深い。
…………だが、そんな私の心は現在進行形ですり減っている。ついでに言うと私の隣で正座しているアイオロスの神経もすり減っている。多分。
ちなみに私も正座だ。
そしてそんな私たちの前には、並々ならぬ圧を発する一人の男がいた。
誰かと言えば、我が自慢の息子シュラである。
現在私たち二人は、よりにもよって女神神殿のど真ん中で。
…………仁王立ちシュラに見降ろされながら、正座していた。
何故こんなことになったかと言えば、原因はシュラの後ろで「てへっ☆」みたいなポーズをしている
あなたどこでそんな仕草覚えてきたんですか。
可愛いですが今は和みませんし騙されませんよ! 今シュラの前では何も言えませんがあとでお話しましょうか!!
「……それで?」
「「!!」」
シュラから発せられた一言に、私とアイオロスの肩が跳ねる。
い、いかん。別に何もやましいことは無いのだ。少し誤解を解いてだな、ちゃんと話せば済む話なのだ。無暗にビクついては無用の疑いを深めるばかりではないか!! 落ち着くのだ、エリダヌスのリュサンドロスよ!! 貴様それでも男か!!
心の中で自分を叱咤激励し、意を決してシュラを見上げた。
次の瞬間には視界に自分の膝が映っていた。
……シュラよ、成長したな。眼力だけでこの父を俯かせるとは……。
いや、だから俯いている場合ではない!
「それで、とは?」
私が自分の情けなさに打ち震えていると、隣からしごく落ち着いた冷静な声が聞こえた。
お、おお。さすがだぞアイオロス! それでこそ次期教皇に選ばれた心技体に優れた男の中の男! なおのこと自分が情けなくなるが親とは子に弱いものなのだ! 今は頼らせてもらうぞ!
心底年下ながら頼もしい相棒に感謝していると、シュラが重々しい小宇宙をまとった声を響かせる。
「白々しい。問いかけに問いかけで返すのか? あなたともあろう男が。俺が何を聞きたいのか分かっているだろう」
「それは、まあ……」
(アイオロス! もう少し頑張れアイオロス!!)
ふいっと気まずそうにシュラから視線をそらしてしまったアイオロスに頭を抱えたくなる。いや、内容が内容だ。お前ほどの男でも困ることはわかるのだが!!
しかし私たちがいくら困ろうとも、シュラには関係ない。だが頼むシュラよ。いつもの冷静さを取り戻してくれ。ここは女神神殿で、しかも最終確認の直前で、これからどんどん人が集まって……! というか、もう集まって……!
「あくまでとぼける気ならば再度問おう。分かりやすくな。……」
すぅっとシュラが鼻から息を吸い、ぷるぷると眉間の皺を震わせながら決定的な問いを口にした。
「
時は少々遡る。
もろもろの準備が整い黄金聖闘士も集結しつつある。場所は日本の城戸邸から移ってギリシャ
私の怪しい前世知識が幸いな事にここまで機能してきたが、現在置かれている状況はすでにそこから離れ未知の領域。私の本願は
神話の時代から争ってきた神々の戦いが、矮小な人間の知識ごときで本当にどうこうなるものか……。
「おい」
「わっ!?」
突然背を叩かれて、たたらを踏みながら振り返ればアイオロスだった。今日は射手座の黄金聖衣に身を包んでいるため、いつもより厳格に見える。
「難しい顔をしてどうした? 気になることがあるなら、私にくらい話せ」
「いや、大したことではない。気にするな」
「気になるから聞いているんだ。で?」
「くっ……!」
この男、相変わらず押しが強いな。しかも長年一緒に居たものだから、私がそういった態度に弱いのも知られている。良き理解者だが、時にその性質はやっかいだ。
……幼き頃が懐かしい。
立場だけなら以前より黄金である彼の方が上だが、それでも人生経験の差で少しばかりは大人の見栄を張れていた。それが今ではこの有様である。張れる見栄などあったものではない。
前世分を加算しなくとも、私の方がずいぶん年上なのだがな……。
これはわが身を情けなく思うべきか、年など関係なく人間として大きい男をたたえるべきか。おそらく両方だろう。
思わずため息が出た。ついでに留めていた弱音までも転がり出る。
「……。これから私の怪しい知識が通用しなくなることを考えていただけだ。最初から分かっていた事だというのに、今さらだろう? むしろ今までうまく進んできたことが幸運だったのだ。未来のことなど分からないのが普通だしな。そんなどうにもならないことで難しい顔を作っている私は、馬鹿みたいだろう」
「ああ、そういうことか。わかったから、そう拗ねるな」
「拗ね!? あ、アイオロス! 私はなぁ!」
一応年上なんだぞ! ……そう続けようとした時だ。
「まあ、お父さまにお母さま。今日も仲がよろしいですわね!」
ちゃめっけたっぷりに沙織ちゃんがいつものようにからかいに来たタイミングと。
「おと……おか……?」
バサッと手に持っていた書類を落としたシュラがここ……女神神殿に入ってきたのが同時だった。
……そして現在に至るわけだが。
とにかくタイミングが最悪なのだ!!
実のところ正座させられてから結構な時間が経っており、女神神殿には黄金聖闘士や海闘士達が集まりつつある。ジュリアンの体に入ったままのポセイドンまでもがすでに入室しており、奴は完全に見世物を楽しむ体勢に入っていた。あの野郎。すかした顔しよってからに……!
ちなみにシュラだが、何故ここまで怒っているのか分からないほどに周りが見えていない。驚くほどに見えていない。おそらく現在私とアイオロスしか見えていないのだろう。
どうしたんだシュラ。敬愛する女神に私たちが父母などと恐れ多い呼ばれ方をしている事がそんなに……気持ちはわかるが、しかし今は……!
だがいくら心の中で懇願しようと言葉にせねば届かないものもある。とりあえず、せめて時間を改めるか場所を改めるかしなければ色々な意味で恥だ。なんとかしなければ。
ここはやはり、年長者の私が頑張るしか……!
「あ、あのですね? シュラ、兄さん。だからこれは、その。
「何もないところに無意味なお戯れを仕掛けることなどないだろう」
「その、だな。まあ多少真実だがお前が思っているようなことでは……」
「真実!? なにが真実なのだ行ってみろアイオロス!! お前たちはどこまで親しいのかこの俺に教えてみろ!!」
「私にだけ勢いが強くないか!?」
「黙れ!」
「言ってることが無茶苦茶だぞシュラ! 私は喋ればいいのか? 黙ればいいのか?」
「喋りながら黙れ!」
「いや兄さん! 本当に言ってることが無茶苦茶なので! どうか一回落ち着いて!!」
「愉快なものを見せてくれるな。あれはどういう状況だ? アテナよ」
「うーん……なんといいますか……。とりあえず場の雰囲気も和ませたいところですし、もうしばらく見ていましょう」
「やはり貴女は性格が悪くなったな」
「強かになったと言ってくださいまし」
こうしてその後。
結局全ての戦士がそろうまで、その状況は続くのであった。
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