Re-incarnation (ミカヅキ&千早)
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第1話「Wの暗示」(ミカヅキ)

「ララちゃ~ん……、ゴメンちょっと、お水ぅ~……」

 

 酔い潰れた一子が、奥のカウンターで突っ伏す。

「……ったく。それほど強くないクセにいっつも飲み過ぎるんだから」

 そう言いながら、一子の前に水の入ったコップを置くララ。

 

 怪盗団騒ぎから三年が経ち、世間は元の落ち着きを取り戻していた。

 しかし、それは逆に言えば人々の心が再び『他人任せ』になっていく道へ徐々に歩み始めている…ということなのかもしれない。

 

 それはさておき、再び政治部に戻った大宅一子だったが、相変わらず週の半分はここ『バー・にゅぅカマー』で酔い潰れている。

 

「アンタさぁ、せっかく元の部署に戻れたってのに、真面目に仕事しないとまた飛ばされちゃわよ?」

「んも~うっさいな~、ちゃんと……やってるってば……」

 そう呟きながら、一子は睡魔に負けて動きを止めていく。

 

 と、出入り口のドアが開き、二人の男性客が入ってきた。

 

「あら、いらっしゃい」

 

 中年男性客二人は、カウンターの中央辺りに並んで腰掛ける。

「こういう店は、久しぶりだな」

「なかなかいい店だぞ? ララちゃん、ボトルまだあったっけ?」

「えーっと松っちゃんのは……、あーもう数滴って感じね」

「ちぇっ、じゃあもう一本。ロック二杯ね」

「まいど」

 

 常連らしい男の名は松下。

 そして今一人は、二年前の選挙で議員に返り咲いた吉田寅之助だった。

 

「松っちゃんのお友達? ……いや待って、アナタどこかで、あっ!」

「シーッ! 今夜はお忍びなんでね」

 ララに口止めのポーズをする松下。

 別に現役議員がオカマバーに出入りしようと犯罪ではないが、今はとかく週刊誌がうるさい。

 あることないこと書き立てられぬよう、一応注意を払ってく必要はあるようだ。

 

「……しかしまあ、お前はよくやってるよ」

 そう言いながら、松下はララから受け取ったグラスを寅之助とカチンと合わせる。

「いや、まだだ。世の改革は果てしない」

「相変わらず真面目だな、全く……。まあ、それがお前のいいとこなんだろうけど」

「フフ……。固い頭だからなあ。でもお前のおかげでここまでやってこれたんだ。ありがとう、松下」

「なーに言ってんだ。俺より、例の少年の力が大きかったんだろ?」

「ああ、あの少年か。そうだな……」

 そう言って、思わず遠い目になる寅之助。

 

「……あの少年、いい目をしてたな」

「ああ。私は彼に救われた。だから、私も彼を絶対に救い出さなければならなかったんだ」

「お、まるでお前が怪盗団みたいだな。ハハッ」

 

 と、松下の言葉に一子の身体がピクッと反応する。

「か……、怪盗団?」

 

「怪盗団か……。まさに義賊だったな、彼らは。そのヒーローに、私は彼を重ねていたのかもしれない」

 そして、バーボンをグイッと飲み干す寅之助。

 

「ねぇおじさん、ちょっとその話……」

 いつの間にか、一子が寅之助の隣の席に座っていた。

「その彼って……、え? あっ! ダメ寅!?」

「……はは、まだそのあだ名で呼ばれるわけだな」

「あーゴメンナサイゴメンナサイ! わ~るぎがあったわけじゃあ……」

「いいんだよ。そういう過去も全部、私は背負っていく義務がある」

 優しく微笑む寅之助だったが、一子にとってのツボはそこではなかった。

「それはともかく、彼って誰? 怪盗団と重ね合わせた彼って……」

「ん? ああ、あの頃演説の手伝いをしていたバイト君だ。とても一直線なコでねぇ。私は、彼の正義感に大層勇気をもらったんだよ」

「……して、その彼の名は?」

「プライベートな話だ。それは控えておこう」

「んもう、ケチ! いいいじゃん、別にぃ!」

 

 いじける一子をよそに、寅之助は再び松下と談笑。

 この辺りの交わし方は、既に一流の政治家だ。

 

 と、奥のテーブル席で何やら物音が。

「……え?」

 同時にテーブル席の方へ顔を向ける一子、寅之助、そして松下。

 そこには、一人の女性がテーブルにタロットカードを並べていた。

 その中の一枚のカードを見ながら、ワナワナと手を震わせている。

 

「……ララちゃん、あれ誰?」

「ああ、最近よく来る専門学校生ちゃん。あのテーブル席をいいチップで予約してくれるんで、まあまあのご贔屓さんよ?」

「へぇ……」

 

 その専門学校生の名は最上夢子。

 秀尽学園卒業後、モード系の専門学校に進んで今年成人している。

 その夢子が、暗い表情でタロットカードを見つめ、ひと言呟いた。

 

「これは……池杉くんじゃない……。誰か別の……、ハッ!!」

 

 目を見開いた夢子の手から、ポロリとカードが落ちた。

 それは、中央に『W』とだけ描かれた白紙のカードだった……。

 

 

(つづく)

 



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第2話「そして世界は輪廻する」(千早)

夢子の手から落ちたカード、それを拾ったのは寅之助だった。

思い出すのは彼女と同世代の、バイトとして自分を手伝ってくれた彼のことだ。

寅之助が自分が行っていることは本当に正しいのか、ただの自己満足ではないのか。

そう何度も自答自問していた時に勇気づけてくれた。

彼は今はどこで何をしているのだろうか。

選挙で寅之助が議員に返り咲いた頃、地元に戻って行ってしまった。

あれから一度も顔を見ていない。

そんな思い出を脳裏から振り払うと、寅之助は手にしたカードを差し出した。

「大丈夫かな、お嬢さん。具合が悪いのなら医者を呼ぶか病院に連れて行くが」

「違う、大丈夫、池杉くんじゃないなら……」

具合なんて悪くない、と夢子は首を振りかぶる。

だが手渡されるカードを夢子は震えて受取ろうとはしない。

「……これって、タロットカード?それにしちゃ地味ね」

寅之助が困って立ちつくしていると、背後から顔を出した一子が呟いた。

確かにタロットカードは描かれている絵で何のカードかすぐに分かるように作られていることが多い。

愚者のカードならば能天気に歩いている人間が崖に落ちそうになっていても気がつかない。

正義のカードならば真っ赤な服を身にまとった人間が右手に剣、左手に天秤を持って王座に座っている。

しかしこのカードは文字だけがシンプルに中央に描かれ、他は真っ白だった。

「……Wか、だとすると、World、世界……というやつかな」

寅之助はしみじみとカードを見詰める。

松下はタロットカードなんて分からん、お手上げだとテーブルに戻って酒のグラスを手に戻した。

別に寅之助も一子も占いに詳しいわけではい。

それでも立場上、寅之助は決断の材料として占い師に見て貰うこともあるので知識として知っている、その程度だ。

すると落ち着きを取り戻した夢子が小さな声で呟いた。

「そう、W、世界のカード。0から始まった愚者が、21までの大アルカナの旅を経て世界を知る、その終わりを示すカードでもある」

ひぇ、と一子が寅之助の背に隠れる。

終わり、という言葉がなんとなく恐ろしいものに感じられたのだ。

世の乱れは数年前に怪盗団によって正されたというのに。

あの時のそこはかとない恐怖がまだ体には染みついているのだろうか。

一子の反応にララは苦笑した。

店には彼ら以外の客はいない。

だからあえてカウンターの中で彼らのやり取りを見届けるつもりのようだ。

「旅の終わり、か。なかなかに感慨深いものがあるね」

「正位置ならば完成や成就を意味し、逆位置ならば調和の崩壊を意味する……」

「調和の崩壊?だから驚いたの?」

やっぱり怖いカードなのかしら、と一子が隠れたまま呟いた。

しかし夢子は机を叩きながら立ち上がり、首を左右に振って見せる。

「違う!だってこのカードは正位置だったもの!幸せな結末と、次のステップを意味する……自由のシンボルなのよ!」

「だったら、なんで驚いたのよ……」

そう一子に言われ、夢子は再び顔をひきつらせた。

そして恐る恐る寅之助からカードを受け取ると、裏、表、とよく確認する。

それからやっぱり、と呟いて机に放り投げた。

ぱさりと音がするとタロットカードの上を簡素なカードが滑って行く。

「……だってこのカード、もともとは他のカードと同じように絵が描いてあったのよ。ワンドを持って月桂樹に囲まれた人間が……それが、消えたの」

「消えた!?」

思わず一子も、寅之助も、そして静観するつもりだった松下とララまで驚きの声を上げた。

皆の視線が集まる中で夢子はカリ、と爪を食む。

なんと説明すればいいのか夢子も分からなかった。

分からない中で、こうとしか表現しようがないという言葉を言い放つ。

「そうよ……世界が、盗まれたの」

 

 

(つづく)

 



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第3話「選ばれし者」(ミカヅキ)

 その日、武見内科医院は患者でごった返していた。

 

「な……、何でこんなことに?」

 

 頭痛、眩暈、耳鳴り、吐き気、関節痛に胃痛に腹痛。

 症状は様々だが、患者の身体自体は皆健康体だった。

 しかし、これだけいれば仮病や悪戯とは決して思えない。

 武見妙は、何度も首を傾げながら緩和薬の種を患者に与え続けた。

 

「身体が正常だとしたら、やっぱり心の病? でもこの数……、伝染病じゃあるまいし」

 

 夜も更け、ようやく患者が引けた頃、妙はグッタリと診察用ベッドに横たわって考えを巡らせた。

「……疲れた。でも、これは異常すぎる。一体どこに原因が。……あ」

 何かを思い出し、ふと上半身を起こす妙。

「確か、あの文献にこれと似たような……。そうだ、あれは曽祖父の資料」

 そう言って奥の部屋へ駆け込んだ妙は、押し入れから古い資料類を引っ張り出す。

「えっと、確か……、ん、あった」

 妙が取り出した資料、それは1938年に書かれた医学報告書だった。

 そこには、放射線が人体に与える影響がまとめられていたが、妙が思い出したのはその中にある『集合的無意識が生み出す無気力症候群の可能性』という記述であった。

 

「これは、理化学研究所時代の曽祖父が記録したもの。ただ、公式には発表されていない。あくまでまだ若かった曽祖父が独断でまとめた記録……」

 妙は、真剣な表情で報告書をパラパラとめくる。

「……謎の放射線によって起こる無気力症、その前兆として頭痛や耳鳴り、吐き気などがまず起こる。あ、これだ。……そしてその要因は、テレビ?」

 思わぬ記述に、妙は目を見張る。

「MHKの実験放送を視聴した関係者が相次いで発症。しかし、この事実は闇に葬られる……。まあそうよね。でも、ということはテレビから原因となる放射線が出ていたってこと? 今回のことが、もしこれと同じ現象だったとしたら……」

 頬に冷や汗を感じる妙。

 暗い和室に、何やら陰謀の影が揺らめいていた……。

 

  * * * *

 

 その夜、一子はまたしてもバー・にゅぅカマーの店前にいた。

「うーん……、いよっし!」

 悩んだ挙句、勢い良く店内に入っていく一子。

 

「うわっ! やっぱいた……」

 一子がまず目を遣ったのは奥のテーブル席。

 昨夜、最上夢子がいたあの席だ。

 そして今夜も、やはりそこには夢子が陣取っていた。

 

「ちょっとララちゃん! あのコまた来てる~!」

「言ったでしょ? いいチップ払ってくれるって。お得意様は大事にしないとね」

「んんんん……」

 昨夜のカード騒ぎに結構恐怖感を覚えた一子は、夢子にも同様の恐怖を感じていた。

 案外怖がりさんである。

 

「……あ、あのさあ。なんで毎日ソコに座ってんのかなあ? あ、いや別に悪いとは言ってないよ? なんちゅうかその……、若いお嬢さんがその……」

「この場所が最適だからです」

 恐々尋ねる一子に、夢子は逆にスパッと答える。

「最適?」

「方位学の観点から、この場所が最もエネルギーを得やすいと分かったのです。だから通っています。いけませんか?」

 改心前、ストーカー行為を繰り返していた頃とは別人のようなしっかりとした口調で一子に説明する夢子。

 未だ池杉くんへの思いは成就していないようだが、自分の行動には信念を持てるようになったようだ。

 

「いやまあ、いけないなんて言ってないじゃん……。はぁ……」

 一つ溜め息をつき、夢子からできるだけ遠いカウンターへと移動して腰掛ける一子。

「ララちゃん! 今夜はストレートね!」

「もう、無理しちゃダメ!」

「だって~~~」

「酔って怖さ紛らせるくらいなら、仕事すれば?」

「今日はもう店仕舞いなの! 今あんまり面白いネタがないの!」

「ネタならあるじゃない、あのコのカードのこととか。気晴らしにオカルト記事もいいんじゃない?」

「ちょっ……、やめてよ!」

 

 ララと一子が話し込む中、夢子は問題のカードをジッと見つめていた。

「これは確かに『世界』のカードだった……。その絵柄が盗まれるということは、新たな『世界』が構築されつつある……ということかしら」

 そう呟きながら、夢子は白紙のカード以外のカードを左手でシャッフルする。

 と、そこからヒラリと一枚のカードが滑って飛び上がり、そのまま宙空を泳いで一子の頬へピタリと貼りついた!

 

「ひやっ!!」

 驚いて素っ頓狂な声を上げる一子。

「な……何なのよ!」

 一子は頬に貼りついたカードを剥がそうとするが、強烈な粘着力で剥がれない。

「もう! どうなってんのよ!!」

 その内、カードの輪郭が徐々にぼやけていき、一子の頬に溶け込むように消えていった。

「ちょっ!! 一っちゃん!!」

「う、うわああああああああああああああああ!!」

 

 悲鳴とともに、一子が昏倒する。

 

 そして、残りのカードを確認し終えた夢子がひと言ポツリと呟いた。

「悪魔のカードが……ない……」

 

 

(つづく)

 



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第4話「波紋」(千早)

「叫び声が聞こえたが、大丈夫か?」

にゅぅカマーの入り口を開いて姿を現したのは二人の女性だった。

一人は目にも鮮やかな赤い髪を巻いていて、もう一人は可愛らしいセミショートをしている。

二人は一子が昏倒しているのを見ると躊躇なく飛び込んできた。

「人が倒れている、救急車は?」

「まだ呼んでないわ、今さっき倒れたばかりで何がなにやら……」

赤い巻き髪の女性が脈を確認すると、これは、と喉を鳴らす。

「酒を飲みすぎたわけではないな?」

「え、ええ、ここに来る前にちょっとは飲んだかもしれないけど、うちに来てからはまだ一滴も飲んでないし、急性アルコール中毒になるほど飲みすぎる子でもないから」

だが皆の視線が集まる一子は身体から何かが抜け落ちたような、いや、抜けられないような、脱力をしたままだ。

脈も呼吸も正常、だが意識は昏倒していて呼びかけても答えない。

「ゆかり、これは無気力症患者に似ていると思わないか?」

「えっ!?待って、そんなこと……」

名を呼ばれた可愛らしい女性が救急車を呼ぶ電話をかけたまま一子を見下ろした。

そして否定できない、という表情でもう一人の女性を見詰める。

そんな二人にララは眉間を寄せた。

「無気力症患者って、たしか10年前にあった事件の……あら?ちょっと待って!」

はっとしてララは二人の顔に何度も視線を往復させる。

まだ若い夢子にはピンと来ていない様子だが、ララは驚いてハンカチで口を抑え込んだ。

「無気力症患者の時にスキャンダルになった、桐条家の一人娘、桐条美鶴じゃない!」

「ああ、そうだが、あまり騒ぎ立てないで欲しい」

綺麗な顔が困ったように苦笑を浮かべる。

すると今度は隣の女性にララのターゲットが移った。

「あなたは人気絶頂の特撮ヒロインの子よね、……そう、岳羽、岳羽ゆかり!」

「あ!私でも知っているわ、その名前!」

夢子の言葉に救急車に様子を伝えながらもう一人の女性がどうもー、と片手を上げる。

道を歩いているだけで男性は皆振り返ってしまいそうなほどの美人たちだ。

話を聞けばちょうど店の前を通りがかったところ女性の絶叫が聞こえてきたので、場所が場所だから事件や犯罪があったら大変と覗いてみたらしい。

なんとも正義感の強い二人にララが感心していると、外に救急車がやってきた。

まだ一子の意識は戻らない。

ふと、夢子がそういえばタロットの悪魔のカードはどこに行ったのだろうかと机に置きっぱなしになっていた厚みのあるカードに触れる。

するとその中の一枚がまるで意思を持ったかのように浮遊し、ララと話をしていたゆかりの頬に貼りついた。

「……、え!?」

驚くゆかりと夢子の視線がぶつかる。

自分ではない、と夢子は必死に頭を左右に振った。

そのうちにカードはゆかりの頬に溶け込むように消えていってしまう。

ララが目撃した一子と同じ状態だ。

そして次の瞬間、ゆかりの意識が混濁しその場に崩れ落ちた。

「ゆかり!?……ゆかり、返事をしろ!」

慌てた様子で美鶴が駆け寄る。

だが救急車に乗せられた一子同様、だらりと弛緩した四肢に力は戻らなかった。

「うそ、……そんな……」

慌てたのは美鶴だけではない、夢子も同じよう驚愕した表情でタロットを確認する。

そこからは恋愛のカードが消えていた。

 

  * * * *

 

放射線、といっても微弱なものから強力なものまでさまざまだ。

妙の病院でも滅菌に使われていたり、より一般的であるX線撮影機なども放射線を発する。

テレビから放出されるほどの強さともなれば、ガンマ線レベルの過剰なエネルギーが必要なはずだが、それほどの力をテレビから人体に影響させる技術など確立されているのだろうか。

いや、実際に試験的放映はされた。

しかも三四半世紀も前に。

その方法が何等かによって流出し、何者かが実際の電波に乗せたとすれば、被爆した患者はどれくらいいるのか想像もつかない。

「……それにしたって情報が曖昧すぎる」

妙はもう一度曽祖父の残した医学報告書を幾度も確認した。

集合的無意識といえばユングが提唱した民族や人類に共通する意識下にはない元型のことだ。

個人的無意識の自我とは相反するもので、何度も夢に出てきたり、遠い地の民族神話が似た話なのもこれに由来すると言われている。

つまり、人間という個体に左右されない、遺伝子レベルで組み込まれているような無意識のことを指すのだが。

祖父の残した資料によればその集合的無意識が無気力症候群を生むという。

無気力症候群はいわゆる鬱病とは異なり、言うなれば退却神経症の親戚みたいなものだ。

噛み砕いて言えば個人の意識レベルではない心の奥底の無意識領域に、放射能が被ばくすることによって、数年前に話題になった無気力症を発症する可能性がある。

そんなところだろうか。

余りにも影響力が大きすぎて妙一人でどうにか出来るものではない。

「……こんなとき、モルモットくんがいてくれたら……」

小さな溜息は患者の妙を呼ぶ声にかき消されてしまった。

 

 

(つづく)

 

 



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第5話「動き出すW」(ミカヅキ)

 深夜ということもあり、ひとまず都内の救急病院へ運ばれた一子とゆかり。

 二人とも呼吸はしているものの意識はない。

 ストレッチャーに乗せられた一子とゆかりは、そのまま慌ただしく院内の奥へと消えていった。

 

「一体、何がどうなっているというんだ……」

 

 美鶴が呆然とした表情で立ち尽くす。

 と、そこへスーツ姿の男たちが数人足早に近付いてきた。

「桐条……美鶴さんですね?」

「何だ? お前たちは」

「警視庁の者です。こちらにも犠牲者が出たと聞いて伺いました」

「こちらにも? どういうことだ」

 怪訝な顔で美鶴が刑事に問うと、後ろから聞き覚えのある声が。

 

「……数時間前、渋谷のスクランブル交差点で数十人もの人間が突如意識を失って倒れた。そして現場に駆けつけると、新宿の繁華街でも同じようなことが起こったとタレコミがあったんだ」

 現れたのは、現在警視庁で若くして警視正となった真田明彦であった。

 

「あ、明彦!」

「美鶴、久しぶりだな」

「何でお前がここに来るんだ」

「今言った通りだ。こっちの被害者は誰なんだ?」

「いや、私が言いたいのは……、まあいい。被害者は……ゆかりだ」

「何っ!?」

「そしてもう一人、バーで飲んでいた女性。……その女性の悲鳴を聞いて店に飛び込んだはいいが、そこでゆかりも倒れてしまったんだ」

「……原因は何だ」

「分からん。……だが、不可解な事実がある」

「不可解?」

「ああ」

 

 うつむき加減の美鶴が、悔しげな表情でにゅぅカマーでの出来事を説明し始める……。

 

  * * * *

 

 にゅぅカマー店内では、タロットカードを握り締めて震える夢子を、ララが腕を組んで睨んでいた。

「……アンタ、何者?」

 しかし、夢子は答えることなくただ震えている。

「信じられないことだけど、二人ともアンタのカードが顔に吸い込まれてって倒れたのよ? そのカードは一体何? ……アンタ、何を企んでるの!?」

 そう言ってドンとテーブルを叩くララ。

 そこで、ようやく夢子は口を開く。

「わ……私知らない。私のせいじゃない……。カードが……、カードが勝手に……」

「そんなわけないじゃない! なんか仕掛けがあるんじゃないの!? 白状しななさいよ!!」

 珍しく大声を張り上げるララ。

 それは、大事なお客を危険に晒してしまった自らの責任への怒号にも見えた。

 

「ホントに……知らないの!!」

 その場に泣き崩れる夢子。

 ララもどうしようもなく、溜め息とともにうなだれる。

 

 と、そこへ二人の女性が入ってきた。

「お邪魔します」

「……あの、悪いんだけど今夜は……」

 断りを入れようとしたララの前に、一歩進み出るショートカットの女性。

「少しお聞きしたいことがありまして……」

 そう言いながら、その女性が警察手帳を見せる。

「え? 刑事……さん?」

 思わず身構えるララ。

「はい。新宿署の里中と申します。……こちらはSSRIの白鐘です」

 

 女刑事は、今年になって稲羽署から新宿署へと異動してきた里中千枝だった。

 そして今一人は白鐘直斗、御存じ元・探偵王子である。

 現在直斗が所属しているSSRIとは特殊科学捜査研究所の略称で、官民出資の第三セクターである。

 各警察署および警視庁に属する科学捜査研究所とは異なる特殊な組織であり、警察組織の手に余る高度な科学犯罪が発生した際に警視庁から依頼を受け、その優れた科学力と洞察力をもって捜査に当たっている。

 その半官半民ゆえの柔軟性は、複雑化した現代の犯罪では大きな力となっているのだ。

 

「近所からの通報を受けて来ました。倒れたお二人は救急車で運ばれたんですね?」

「そうよ。……で、桐条のお嬢様が付き添ってくれたわ」

「桐条……、なるほど」

 ひと言呟いた直斗が、店内奥へと歩を進める。

 今では女性風体の直斗だが、そのボーイッシュな出で立ちは知性と行動力をダイレクトに表していた。

 

「二人が倒れる前、おかしな様子はなかったですか? 例えば頭痛や吐き気を訴えるとか……」

「そんなのないわよ。……このコのカードが二人を……」

 言いかけて、ララは突然嗚咽を漏らして泣き始めた。

 今になって、親しい一子が昏倒したことが実感してきたのだろう。

「……あ、すみません!」

 千枝が申し訳なさそうにララの肩に手を遣る。

 と、直斗の方は夢子の前に立ちはだかった。

「カードとは、それのことですか?」

 直斗が夢子の持っているカードに手を伸ばすと、ふいに夢子が立ち上がる。

 

「わ、私は……!!」

 と、勢い良く飛び出した夢子。

 そのまま駆け出すと、店から走り出て行った。

「ちょっと! 待ちなさい!!」

 千枝がその後を追って走る。

 

「……どういう、ことでしょうか?」

 残った直斗がララに問う。

「信じないだろうけど……、あのコの持ってたタロットカードが空を飛んで、二人の顔に貼り付いたの! そしたらカードが顔ん中に入っていって……、で……で……」

「ふむ……」

 神妙な顔つきの直斗が再び奥のテーブルの方へと向き直る。

 と、床にカードが一枚落ちていた。

「おや?」

 カードを拾う直斗。

 見ると、真っ白なカードの中央で『W』の文字が金色に光っている。

 

「これは……、この輝きは……?」

 

  * * * *

 

 武見内科医院の時計が、午前0時を告げる。

 

 と、待合室に一つの影が……。

 

 

(つづく)

 



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第6話「A(エース)とJ(ジョーカー)」(千早)

深夜の待合室に現れた男は、今ではすっかり慣れた伊達眼鏡の鼻あてを押し上げた。

「武見先生は、……ああ、いた」

「あなた……学生のくせにこんな時間に大丈夫なの?」

片手を上げるその姿に妙は軽く眉間を寄せる。

三年前に治験者としてよく足を運んでいた彼は来栖暁、近くの喫茶店ルブランで居候をしていた訳アリの男だ。

彼が冤罪で少年院にいれられた時は妙も治験で社会貢献をする彼の潔白を証明するため奔走した。

手先が器用で度胸もある、出来れば医学生になって医院を手伝って貰いたいとすら思ったくらいだ。

だが彼はコーヒーが好きだから喫茶店を開きたいと言って経済学部に進学してしまった。

妙の中で頼れる存在の一人である暁が来たことで少なからず彼女の表情は安堵している。

それくらい忙しかっただろうことが分かるせいか、暁は短く了承は得てる、とだけ答えた。

「大変そうだな……具合が悪くなった人がこんなに」

「そう、てんてこまいだったけど……だんだんと意識を失っていく人が増えて、だいぶ静かになっちゃったわ」

はぁ、と溜息と共に肩が竦められる。

開かれたままの診察室の扉からは彼女のデスクが見え、そこに古い資料が詰まれていることを暁は確認した。

そして妙の耳に唇を近づけると小さな声で囁く。

「人が昏倒してしまう、この症状……あなたならその原因と解決方法を知ってるんじゃないか?」

ぴく、と妙の指先が動くと大げさに溜息が吐き出された。

彼がここに来たのはその件だろうと予測はしていたが、手伝いもなしに話を切り出すくらいだから時間的余裕がないのだろうと妙は思う。

「……また無茶ぶりしてくれるわね。解決方法なんてわからないわ。ただ、その原因と思われる要因に見当はつけてるけど」

解決方法を知っていたらとっくにここの人たちを助けている、とほんの少し睨み付けながら妙は言った。

だが原因を特定しつつあるという妙の有能さに思わず暁の眼鏡が煌めく。

「やっぱり。それならここに呼びたい人がいるんです。いまルブランにいるんで、いいですか?」

「……え?」

唐突な申し出に驚きつつも、妙はこくりと頷いた。

 

 

  * * * *

 

 

話は前日の夜にさかのぼる。

暁の夢の中に見覚えのある青い部屋が現れた。

自分は囚人の服装をしていて檻の中に入れられていて、三年前に怪盗団として心を盗んでいた頃によく見たあの光景だ。

チャリ、とかけられた手錠が無機質な音を響かせる。

それすらも懐かしさを感じさせる中、暁は部屋の中央に佇む少女に視線を向けた。

「ラヴェンツァ……?どうしたんだ?」

「貴方に依頼をしに参りました。これは想定外の出来事。私たちが関与出来ない人々の心から生まれる虚無」

片手に大きな本を持って静かな口調で彼女は言う。

「依頼?……想定外の出来事?何か起きたってことか?」

暁の疑問にラヴェンツァは首を左右に振った。

「これから起こりうる可能性の一つです。打破するにはあなた以外のワイルドを探し出して下さい。共に協力し、断罪に囚われし魔を払って」

「ワイルド……?」

自分以外の、と言われて暁は鎖の音を響かせながら鉄格子に近付く。

「私のトリックスター、あなたと同じいくつものペルソナを従える力を持つ……その脈動はあなたの近くから感じられます」

しかし彼女は暁が近づけば近づいただけ遠ざかり、僅かに浮かんで仄かな光を纏った。

「待ってくれ、それだけでは分からない!」

「逢えば縁で繋がるよう標をつけました。相手も同じベルベットルームに繋がるお方……私の姉が導くでしょう」

まるで墨が水に滲んでいくように彼女の声がぼやけていく。

鉄格子を揺らしてもびくともしない牢屋の中では暁に止める術はない。

「警鐘が鳴り始めれば残された時間は両の指で数えられるほど。急いでください、でなければ世界は……」

ハッ、と目が覚めたらそこには普段通りの天井が見えた。

一度地元に戻った暁だったが、東京の大学に進学するため再びルブランに居候しながら時々手伝いをしている。

この日も佐倉家が出かけるため店を預かり夕方からのみ開店する予定だ。

そして日は落ち、数人の常連客が顔を見せた後、客足は途絶えた。

店がなければ同じワイルドという人を探しに行きたいのだが、何度も練習してやっと認めて貰い、信用して店を預けて貰っているため半端なことはしたくなかった。

だがそろそろ店も閉店の時間だ。

残り十五分ほどだろうか。

たいした片付けの準備もなく手持無沙汰になった暁はカウンターで一人、トランプをシャッフルして何枚か広げてみた。

「ワイルド……ワイルドカードといえば、カードゲームで特殊な役割を担う札。たいていは切り札に使われるものだ」

暁が独り言ちる間にカラン、と扉が開き、若い男が顔を見せる。

「カードゲームがどうかしたのか?」

「鳴上先輩……珍しいですね、こんな夜更けに」

その顔を見て暁は豆を選びカップを用意し始めた。

一年ほど前だろうか。

仕事帰りにルブランでコーヒーを飲むようになったこの鳴上悠という男は、暁が今通っている大学の卒業生だった。

そのため意気投合し、学生生活で悩みがあると悠に相談する仲でもある。

「いえ、ワイルドってどういう意味なのかと思って」

「ああ、それでカードゲームか。ワイルドっていえば、コンピューターの世界でいうところの全てのパターンにマッチする文字列らしいな」

「全てのパターンに……」

暁がコーヒーを用意している最中、今度は悠がカウンターに残されたトランプを手にした。

一枚、二枚。

捲ってお目当てのカードが出てくると束の中から引き抜く。

「ワイルドカードを言い換えれば、切り札。ポーカーで言うところの一番強い札、エースのことでもあり……ジョーカーでもある」

「っ、……?」

悠の持つダイヤのエースが微かに揺れると青い焔に包まれて燃え消えた。

その様子に暁は驚き、悠は目を細める。

「……ああ、やっぱり。君がマーガレットが言っていたもう一人のワイルドか」

「じゃあ、鳴上先輩が……?」

しばらく見詰めあった二人は扉にかけられた表示をCLOSEに変え、暁の淹れたコーヒーを囲むようにボックス席に移動した。

その間にも互いの身に起きた事件のことを掻い摘んで説明する。

三年前に世間を騒がせたあの怪盗団のリーダーが暁だということに、悠はへぇ、と告げ君なら納得できると微笑んだ。

「それで、俺は夢の中で協力して魔を払えって言われました」

「そうか、俺のほうはじきに事態は動き出す。盗まれた世界を取り戻せと」

「俺がもう一人のワイルドだって知っていたんですか?」

「いや?ただ、ヒントだってコーヒーを飲まされたからもしかして、と」

グフォ、と、暁がコーヒーに咽る音が響く。

悠が見れば暁はただでさえ大きな瞳を幾度も瞬かせていた。

「ヒント?……俺はヒントとかなかったし、先輩、あの部屋でコーヒー出されるんですか?」

「普通に出されるけど……」

「待遇が違いすぎる」

暁の拳がテーブルにダンっと押し付けられる。

「そうなのか?……じゃあ、その話はまた今度じっくりするとして、何か心当たりは?」

「ないですよ。ないからお手上げで……とりあえずニュースでも見ますか?」

ラヴェンツァはこれから起きるかもしれないことだと言っていた。

ならばまだ世界は盗まれていないのでは、と。

しかしつけたテレビは確実な異変を二人に伝えてきた。

『大変です!渋谷のスクランブル交差点、新宿、そして都心以外でも集団で意識を失う昏倒事件が多発しました!』

「……!」

「先輩、これ」

「ああ、俺が渋谷で乗換えた時にやけにざわついていると思ったが……」

二人の危機感が一気に高まったその瞬間、不意に屋根裏からバサッと音が響いてくる。

はっとして顔を見合わせると、悠は小さな声で暁に尋ねた。

「誰かいるのか?」

「いえ、今日は俺だけのはずです……ちょっと見てきます」

「俺も行こうか?」

平気ですよ、と答えて寝床にしている屋根裏へと上がる。

一緒に暮らしている猫のモルガナも今日は不在のはずだ。

窺うように室内を覗き込むと、本棚から一冊の雑誌が落ちていた。

なんだ、置き方がまずかったのかと思いながら床で広がった雑誌に手を伸ばす。

「……、これは」

暁の動きがぴたりと止まり、開いているページに視線が釘付けになった。

そこには画期的な治療法を確立した妙へのインタビューが掲載されている。

医学雑誌を読もうとしても素人には分からないだろうが、妙のインタビューは読みたいと本屋に予約してまで買ったものだ。

なぜこれが、これ一冊だけが本棚から落ちてきたのか。

そして妙のページがこれ見よがしに開かれているのか。

まるで意図して作られた構図に暁は苦笑しながら雑誌を掴み上げると、そのまま悠の待つ階下に降りていく。

自分にはヒントもコーヒーもなかったと待遇について文句を言ったことが効いたのだろうか。

「大丈夫だったか?」

「はい、雑誌が落ちただけだったので……ただ、これ。すぐ近くの武見医院ってとこの女医さんなんですけど」

「ああ、たまにここでコーヒー飲んでる人だね。目立つパンクスタイルだから覚えているよ」

「たぶんこの雑誌が落ちたのはあの部屋の住人による仕業で、武見医院に行ったら何か分かると示唆してるんじゃないかと」

暁の言葉に悠の眉が上がった。

「そうなのか?じゃあすぐに行こう」

「いや、外れの場合もあるので、先輩はここでテレビから情報収集して貰っていていいですか?」

「ああ、構わない。何かあったら俺からも連絡する」

エプロンを外した暁は悠に武見医院までの地図とルブランの鍵を渡す。

それから携帯で惣治郎に連絡を取った。

もう遅い時間だ。

居候している身であるし何事か起きて失踪したら心配するだろうと。

すると親代わりとなっている彼もテレビで事件を知っていたのか、理由は聞かずにただ「早く帰ってこいよ」とだけ言ってくれた。

さて、久しぶりのショータイムだな、と。

暁は夜も更けて人影のいなくなった商店街を歩き始めた。

 

 

そして話は冒頭に戻る。

武見の許しを得て、混雑する医院で話を聞かせて貰えることになったワイルド二人が肩を並べた。

忙しかった武見は同様の集団昏倒が多発していることを知らなかったので、まずはその説明から。

その間にも空では不気味に広がっていく雲が、ゆっくりと月の光を遮ってその輪郭を覆い隠していった。

 

 

(つづく)

 



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第7話「盗まれた世界」(ミカヅキ)

「……足が、足が勝手に!!」

 夜の街を走る夢子の足が、まるで意志を持ったかのようなリズミカルな動きで夢子の身体を誘導する。

「ちょっ……、何て足の速いコなの!?」

 足の速さには自信のあった千枝だが、追っても追ってもその距離は開くばかり。

「ダメだ! しょうがない」

 新宿駅前の交番に差し掛かったところで、今まさに警らに出ようと白バイに跨がる警官に千枝が走り寄る。

「先輩! すいませんソレ貸してください!!」」

「え、里中? ……うわっ!」

 先輩警官を突き飛ばすようにして白バイに跨がる千枝。

 そして、素早くエンジンを吹かせて発射する。

「ごめんなさ~~~い!」

 

 夢子が走っていった方向へ白バイを走らせる千枝。

 しかし、その視界に既に夢子の姿はなかった。

「くっそ、見失った!?」

 細かい路地を走り回り、大通りへと抜け出た千枝。

 その遙か前方に人影を見つける。

「……いた!」

 スピードを上げる千枝。

 しかし、夢子はバイク同様のスピードで前へ前へと走っていく。

「ええっ!? ……ったく。あ、直斗君? あたしまだあのコを追ってるから、とりあえずそっちよろしくね!」

 無線で直斗に連絡しつつ、さらにスピードアップして夢子を追っていく千枝……。

 

  * * * *

 

 武見内科医院の待合室では、妙、暁、そして悠が立ったまま話し込んでいた。

 

「ちょっと待って。頭がこんがらがってきた……」

 そう言って、妙が額に手を遣る。

 一夜にして世間を喧騒に陥れた集団昏倒事件のことはともかく、その後聞かされた二人の話には理解が追いつかなかった。

 暁による怪盗団騒動の告白。

 これはまだ予想がついていたことだ。

 しかし、悠の告白は常軌を逸していた。

 

「信じられないのは当然です。でも、俺たちは8年前、確かにテレビの中の世界でシャドウたちと戦い、この世界を救ったんです」

 悠が真剣な表情で妙に語りかける。

 そして、まるで観念したかのように薄笑いを浮かべながら、妙がそれに応える。

「……まあ、他人の心を盗むってのも考えてみりゃ現実離れしてるしね」

「そうです。実際、俺もイセカイでシャドウたちと戦ってたんですから」

「で、その時に必要だった薬を私から買っていたというわけね? ご立派ご立派」

 そう言いながら、妙が二人に背を向ける。

「武見先生……!」

「……暁君。アナタ、いやアナタたちの不思議な力で今回の事件を解決できるかもしれないってことは分かった。でもね、私はタダの人間よ? 何の力も無い一介の内科医。ま、ちょっとばかし変な噂は身に纏ってるけどね」

「いや、そうとは限りません。何故なら、解決の糸口を他ならぬ先生が握っているかもしれないからです」

「私が? ……確かに原因かもしれない一つの事実は確認してる。でも、あまりに突拍子もない話で」

 と、ここで悠が一歩前に出る。

「突拍子もない話なら、今俺がしたところですよ」

 そしてニヤリと笑みを浮かべると、妙もつられるように苦笑い。

 一瞬、暁が悠に嫉妬。

 

「大した自信ね」

「それだけが取り柄です。……で、貴女が突き止めた事実とは何ですか?」

「……コレよ」

 そう言って、妙は曽祖父の残した資料を二人に見せる。

「原因は……放射線?」

 暁が目を見張る。

「かもしれないってだけ。……それに、その出所が意味不明すぎる」

「テレビ……ですか」

 悠がそう呟きながら、待合室のテレビに近付く。

「あの時、俺たちはテレビの中に入ってシャドウたちと戦った。でも、それはテレビという媒介を通して別の世界へ入ったということで、厳密には『テレビの中の世界』というわけではない」

「……え?」

 妙が眉をひそめる。

「そうか。先生のひいおじいさんの時も、たまたまテレビを介していただけで……」

「それでもあり得ないことには違いない……」

 暁の言葉を、妙はあっさりと打ち消す。

 と、出入り口の扉がバタン!と開き、夢子が倒れ込むように中へ入ってきた。

 

「……あっつ! もう……ダメ……」

 バッタリをうつ伏せに倒れた夢子の両足は、酷使され尽くし赤く腫れ上がっていた。

 そこへ妙が駆け寄る。

「ちょっ……、大変。暁君、手伝って!」

「は、はい!」

 と、妙と暁が夢子に触れた瞬間、バチッと火花が飛び散り、二人はその場から弾き飛ばされた。

 

「うわあああっ!!」

 

 そして、夢子の鞄からタロットカードが3枚が飛び出し、それぞれ悠、暁、妙の額に貼り付いた!

 と、そこへようやく追いついた千枝もバタバタと入ってきた!

 

「……え? 何? え? 鳴上君!?」

 

 悠と暁の額には中央に『W』が描かれた真っ白なカードが、そして妙の額には死神のカードが。

 しかし、一子やゆかりと時とは違い、カードが身体に溶け込んでいく様子はない。

 それを見て、夢子の口が無意識に動いた。

「……コレハ……ショウチョウ」

 

  * * * *

 

 同じ瞬間、にゅぅカマーで直斗が持っていたカードも意志を持ったかのように天高く飛び上がり、店内の天井に貼り付いた!

「何っ!?」

 天井を見上げる直斗。

 ララも驚愕の表情で天井のカードを見遣る。

「……お店が、私のお店が……」

 腰を抜かしてしゃがみ込むララ。

 そして、直斗はポケットからペンライトのようなものを取り出し、天井のカードに向けて光を当てる。

 カード全体に光を当てると、スイッチを消し、そのカードを見ながら直斗が呟く。

「特殊物質の反応はない。とすると、あの輝きや浮遊の仕掛けは科学的なものではない……ということか。ならば残る可能性は……」

 直斗の目がギラリと光る。

 そして、ポケットからスマホを取り出し、誰かにメールを打ち始める……。

 

  * * * *

  * * * *

 

 ここは虚ろの森。

 人が『虚無』を願い否定した時、生まれ出る閉ざされた空間。

 この空間が生まれたということは、大衆の中で肯定と否定が渾然一体となり、巨大な『虚無感』が現出したということ。

 それが何を意味するのか?

 それによって何が起こるのか?

 全てを把握できる者は誰もおらず、全てを知る者は大衆そのものである。

 

 今、この空間に多くの人間の『心』が集結しつつある。

 そもそも、この空間が生まれたのはこれで何度目だ?

 いや、何箇所目かと言うべきか。

 人の心に虚無感が宿る時、世界は破壊へのカウントダウンを始める。

 しかし、『希望』と『絶望』がそのカウンターを止める。

 それが『人間の業』というものだ。

 

 では、『人間の業』は良きことなのか?

 否。

 人間が持つ業の心とは悪しき思想であり、自分本位の考えだ。

 しかし、その心があるから、人々にそれぞれの自我があるから、人間は人間でいられる。

 故に、人が誰しも陥る可能性のある『虚無』へのストッパーとして、現実的に必要な『心』があるのである。

 

 人の『心』を支配するのは『心』そのものであり、それを打ち消すのもまた『心』である。

 そのバランスが、今また崩れかけているのだ。

 

「どうすれば、この危機を乗り越えられるのですか?」

 牢獄のベルベットルームで、ラヴェンツァが遠い目をして問う。

 

「大きな力、大きな心を司る力があれば、或いは……」

 リムジンのベルベットルームで、マーガレットが答える。

 

 そしてエレベーターのベルベットルームでは、エリザベスが珍しく無言でタロットカードを眺めている。

 

「どうしたのですか? お姉様」

 テオドアがエリザベスの傍に寄り添う。

 と、エリザベスの瞳から色彩が失われ、無表情のまま昏倒する。

「ちょっ、お姉様! お姉様ーーーっ!!」

 

  * * * *

 

 ガバッ!とベッドの上で上半身を起こす茶髪の少女。

「……何!? 今の……」

 

 

(つづく)

 



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第8話「WM」(千早)

 

直斗がメールを送ったのは千枝だった。

マジックだとて種がある。

しかし種のない仕掛けがあるとしたら、それはかつて自身が体験した超常現象としか言いようがない。

非科学的なものではあるが実際に自分の目で、耳で、身体で確かめたことがあるのだから否定は出来なかった。

「……世界が盗まれた……いや、新たな世界が生み出されようとしている?」

直斗は顎先に片手を添えると、肌をトントンと叩いて眉根を寄せる。

そのすぐ傍へ長身の影が近寄った。

「世界が消される、というのも考えられないか?」

「貴方は……」

「警視正の真田だ」

短髪の精悍な男性に軽く頭を下げられて直斗も会釈を返す。

「SSRIの白鐘です。失礼ですが、世界が消されるというのは」

挨拶もそこそこに話は元に戻った。

天井に貼りついたままのタロットカードは小刻みに震えていて、胎動しているようにも見える。

事は一刻を争うのだと告げているようにも感じられ、直斗の眉間に皺を刻ませた。

「本来あるべき世界が盗まれたとして、その目的はいったい何なのか」

明彦は手を伸ばし天井に貼りつくカードを取ろうと試す。

だが一枚も剥がれようとはしない。

ふぅ、と両手を上げて降参ポーズを見せると直斗は少しだけ空気を和らげ表情を崩した。

「何者かが自分の都合のいい世界を生み出そうとしている、と考えるのが妥当では」

「勿論それも可能性のひとつとしてあると思うが、俺の考える可能性はまた別のものだ。理想と現実の狭間で虚無を感じた何者かが、何もかもを”いらない”、”不要なもの”、として消そうとしてるんじゃないか?」

まるでゴミ箱にゴミでも捨てるように、と。

告げる明彦に頷きながら直斗は夢子のいた椅子に腰を下ろした。

「……興味深いですね。もともと集団昏倒につけられた名称は”無気力症”です。退却神経症とも似たその症状は何もかもに嫌気がさして何もする気が起きなくなるというものです」

ララがハラハラと心配そうに二人のやり取りを見守っている。

椅子に座った直斗の身には何も起こらなかった。

「つまりは誰かがこの世界を消そうとして動いている」

シン、と店内を静寂が包む。

外の喧騒は相変わらずでまるであちらとこちらで別世界のようだ。

「誰か……いや、ちょっと待ってください。そんなことが出来るモノを貴方は知っているのですか?」

「君も世界が危機に陥る、そんな体験をしたことがあるようだな」

「君も、ということは……まさか」

「ああ、互いの手のうちは早いうちに見せたほうがよさそうだ」

明彦はカウンターから椅子を手にすると直斗の座る前に置き、ドスンと腰を下ろした。

 

  * * * *

 

一方で武見医院では発生した不可思議な現象を見て千枝が頭を抱え込んでいる。

「ショウチョウ、ってナニ!?やめてよ、考えるの苦手なんだよあたしは!」

「千枝、逃げたほうがいいっ……」

「逃げろったって、放っておけないでしょ!?」

額にカードが貼りついた三人は身動きが出来ない様子で唇だけが動いた。

そんな緊迫した状況で千枝の大好きなカンフー映画のテーマ曲が流れ出す。

同時に携帯が震えだして千枝はメールが届いたことを知った。

「ッ、こんな時にメールって……ええと、なに、タロットカードはその持ち主か宿主を探している……?何よこれ」

送り主は直斗だったが、急いで書いたのか結論だけが表示されていて千枝にはさっぱりわからない。

鳴上くん、分かる?とメールを見せようとするが、その間に夢子が立ちふさがった。

「ショウチョウ……アルカナ……21のセカイ……リンネとテンセイ、そのリングはメビウス……」

完全に光を失った瞳でぶつぶつと何かを繰り返している。

「こっわ!!なに、この子!!怖いよ!?」

せっかく近づいた悠から千枝は距離を取ってしまった。

夢子は二人の間で垂直に立ったままカチカチと歯を鳴らす。

威嚇だろうか。

完全に委縮した千枝の視界の先で、暁が少しずつ腕に力を込めて吹っ飛ばされた武見を抱き寄せようともがく。

「……っ、武見、先生っ……!」

「大丈夫、それより、その子足が腫れてるのに……!」

カチカチと鳴る夢子の歯の音はまるで時限爆弾のようにも聞こえた。

しかしその音がピタリ、と止められる。

夢子の頭がガクンと落ちて武見医院の小さな入口を振り返った。

おかげでその場にいた全員が同じように入口に視線を向ける。

そこには可愛らしいポニーテールの溌剌な女性が顔を覗かせていた。

「あのー、深夜に失礼しまーす」

「っ!?誰!?」

叫んだのは千枝だったが、その場にいた全員が同じ疑問を抱えている。

そんな注目を浴びた彼女は照れくさそうに後頭部を撫でながらおずおずと武見医院に入ってきた。

「え、えと、汐見琴音って言いまして……」

そこではっとして千枝が彼女の行動を咎める。

「だめよ、今入ってきたら……!」

三人に貼りついたままのタロットカードが何をするか分からない。

そもそもこの夢子の状態も不安定だ。

普通の女の子が太刀打ちできる現状ではない、そう、誰しもが思った時。

「えっ!?……ほんとだ、テオドアの言った通り、アルカナが暴走してる……!」

「君は……」

片手で口を押えて驚いた表情の琴音を悠が凝視した。

見た目は高校生のようにも見える。

ポニーテールの横の部分にはXXIIとも見えるようなピンがはめてあった。

華奢なその体が完全に武見医院に足を踏み入れると、もう誰も入れない、と言わんばかりに扉の鍵が自動的に閉められる。

夢子の仕業だろうか、二人のワイルドが歯ぎしりをすると、琴音は胸の前で両手で長方形を作り出した。

そしてそれを勢いよくくるりと回転させる。

「よくわかんないけど、世界をひっくり返せばいいみたいですよ!」

「世界を、ひっくり返す?」

僅かに汗ばんだ手をどうすることも出来ず白衣を掴んだまま、武見は言葉を繰り返した。

夢子は静かに琴音を睨み付けている。

「テオドアが言うには今世界を盗んだ犯人は、タロットの大アルカナを宿せる人間を抹消することでその意味を失わせるそうです」

「失わせてどうする」

「大アルカナは愚者の旅、人の心が成長していく物語です。その結末を滅却し人の心からやる気を奪い、無気力にさせ、破滅を望ませる」

暁の質問に琴音は朗らかだった表情から苦しそうな表情へと変わった。

破滅とは人が望むからこそ生まれる結末であり、世界の終末、Worldの逆位置を意味する。

「今が破滅を望んだ世界にすり替えられているのならば、一度愚者に戻してしまえばいい。世界をひっくり返して、アルカナの旅を逆戻りさせるんです!」

「そんなことが、出来るのか!?」

「んー、わからないけれど、やるしかないならやりますよ!」

頑張ります、と両手を握り締める琴音の姿はまるで希望の光にも見えた。

「テオドアの話では、その身に死の象徴を受け入れたワイルド、未来への希望を持ち続けたワイルド、絆の力で大逆転を成功させたワイルド、三つの力が虚無を払う鍵になるって言ってました」

「じゃあ、君もワイルドなのか!?」

「そうみたいですね、追加の参加枠っていうんでしょうか、まぁおまけみたいなものではありますが……」

琴音はガンホルダーから小さな銃を取りだす。

一瞬室内に緊張が走ったが、千枝にはそれが偽物だということが分かったし、暁も本物ではないことを見抜いた。

「私は世界を越えたIFの権現。XXII(22)のアルカナを背負うもの。……なーんて、恰好良すぎて恥ずかしいんですけど!」

えへへ、と笑って見せる彼女からは世界を背負っているような気負いは見えない。

きっとこの明るさが仲間を助けてきてのだろうと、暁と悠には感じられた。

そして彼女は銃の先端を己の額へと押し当てる。

「奪われたワールドカードの代わりに私が輪廻の懸け橋になって、世界をもう一度愚者のアルカナ、0に戻します」

夢子の口が、ヤメロ、と呟いたように見えた。

その瞬間、妙は床に散らばった計測器の一つが、彼女の身体から微弱の放射線が放たれていると示していることに気が付いた。

それはまるで無気力症を引き起こしたあの実験時の数値にも似ていて。

その妙が視線を琴音に向け直した矢先、額に当てられた銃の引き金が引かれた。

「……ペルソナッ!!」

 

 

(つづく)



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第9話「暴走するカードたち」(ミカヅキ)

「……ペルソナッ!!」

 

 琴音が自らのこめかみに向けて召喚器を撃った瞬間、世界は刻(とき)を失った。

 そして同時に色彩も失われ、モノクロームの世界に全ての人間が閉じ込められた。

 

 と、数秒後(時間が止まった世界で数秒後と表現するのもおかしいが)、武見妙だけがそこから抜け出て色彩と動きを取り戻した。

「……え? な、何!?」

 

 死神のカードが額に貼り付いた時から身動きが取れなくなった妙だが、今は自由に身体を動かせる。

 しかし、その額に依然カードは貼り付いたままだ。

 

「ちょっ……、これは? みんな……、止まってる?」

 周囲を見渡す妙。

 そこには、悠、暁、千枝、そして夢子がモノクロームの風景に溶け込んで固まっていた。

 と、妙の頭に少女の声が聞こえてきた。

 

「この混乱を収めるには……、あなたが必要です」

 声の主はラヴェンツァ。

 続いて、マーガレットが妙に語りかける。

「あなたが持つタロットの暗示、それは死神。死神は直接的に『死』を扱う特殊なカード。それはすなわち、『生と死』を操る存在なのです」

 

「ちょっ……何? 誰なの!? 私は妙な力を持った覚えは……」

「言い得て妙ね」

「……ちょっと、ヘタなダジャレはよしてよ」

 マーガレットの天然さが、妙の思考回路を正常に戻した。

「あの、誰だか知らないけど説明してくれる? 私に、いやみんなに何をしたの? 目的は何なの?」

「それは私にも分からないわ。ただ、この混乱は誰かが仕組んだ『虚無世界』への強制旅行。……でも、このままでは『強制』が『合意』になってしまう。それを阻むために、三つのワイルドを集結させたのです」

「ワイルド?」

「そう。あなたがよく知っている来栖暁、彼と一緒に現れた鳴上悠、そして……」

 そう言って、マーガレットは大きく息を吸って叫んだ。

 

「エリザベス! そろそろ起きなさい!!」

 

 マーガレットの声が届いたのか、床に転がっていたエリザベスの目がパッと開いた。

 そして起き上がるや、代わりにテオドアがゆっくりと目を閉じ、バッタリとその場に倒れ込んだ。

「……おっはよーでございます」

 

  *

 

 同時刻、バー・にゅぅカマーでも直斗、明彦、そしてララがその動きを止めていたが、天井に貼りついたタロットカードがその色彩を取り戻し、小刻みに揺れ始めた。

 そして、その内の1枚、中央に『W』とだけ描かれた真っ白なカードがヒラリと剥がれ落ちたかと思うと、そのまま消えた。

 

  *

 

 再び武見内科医院。

 見知らぬ声たちに戸惑う妙の眼前に、突如一人の男が現れた。

「えっ!?」

 現れたのは、青い髪で片眼を隠した、幸薄そうな細身の男だった。

「ちょっ……、誰? アンタ」

「……結城理」

「名前なんてどうだって……、ああゴメン。私が質問したのよね」

 軽く自戒した妙は、ここでようやく理の額にカードが貼りついていることに気付いた。

 それは、悠や暁の額にあるものと同じ『W』のカードだった。

「ちょっとそのカード……。ああなるほど。つまり、君も暁君たちと同類ってワケね」

「そうみたいだね」

 他人事のように答える理。

 ただ、理にはこれまでの事情が全て分かっているようだった。

 奇妙なことだが、理は琴音と記憶を共有しており、琴音が知りえたことは全て自身の疑似体験となっていた。

 ただ、二人は同時に存在することはできず、それはエリザベスとテオドアにもリンクしていた。

 

「僕たち3人のワイルドの力で、タロットの暴走を止めることができる……らしい」

「さっき、茶髪の女の子がそう言ってたね」

「ただ、それだけじゃゼロには戻らない。最後のひと手間、『死神』の力が必要……」

「ひと手間?」

 眉間に皺を寄せる妙。

 と、そこへ夢子がモノクロの世界から抜け出てきた!

 

「あ……、あなた!」

「ソウハサセナイ……、セカイハモウ、ウツロノモリヘトドウカスル!!」

 夢子が両手を高々と上げて叫ぶ!

 

  *

 

 時間は再び動き出した。

 

 そして、バー・にゅぅカマーの天井に貼り付いたタロットカードが次々と剥がれ飛んでいく!

 その内の2枚が、明彦と直斗の頬に貼り付いた!

「な、何だ!?」

「こ……、この感覚は!」

 明彦には『皇帝』のカードが、そして直斗には『運命』のカードが貼り付き、やがて粒子となって溶け込み、二人はその場にバッタリと倒れ込んだ。

 

  *

 

 親友・新島真の家で勉強中だっ奥村春の目の前に突如『女帝』のカードが現出した。

「……え? 何何?」

 そして、カードは春の頬に貼り付いてそのまま溶け込んでいく。

「ちょっ、春! 春ーーーーっ!!」

 真の叫びの中、春は意識を失った。

 

  *

 

 テレビで野球中継を見ている伊織順平。

 その画面から、突如『魔術師』のカードが飛び出し、そのまま順平の頬に貼り付いた!

「うわっ! な、何だコリャ!?」

 そして、カードが順平と同化するとともに、その身体は力を失った。

 

  *

 

 小西酒店で新酒の利き酒をしている小西尚紀。

 その眼前に『刑死者』のカードが現出し、尚紀の頬に貼り付く!

「えっ!? ちょまっ! えっ!?」

 そしてカードが頬に溶け込むや、尚紀は盃を持ったままその場に倒れ込んだ。

 

  *

 

 夜の教会で新手の研究をしている東郷一二三。

 その盤面から、突如『星』のカードが現出し、一二三の頬に貼り付く!

「なっ! これはフライングメタモルフォーゼ!?」

 と、カードはそのまま溶け込み、一二三は静かに盤面に突っ伏した。

 

  *

 

 自宅でゲーム中だった織田信也がふと振り返ると、空中に『塔』のカードが浮いていた。

「こ……、これは!?」

 そのままカードは信也の頬へと貼り付いて溶けていき、ゲームオーバー音とともに信也の身体も力尽きた。

 

  *

 

 ファッション雑誌のライターとなっていた海老原あいは、今宵も原稿の執筆。

 と、突如眼前に現れた『月』のカードに驚く。

「何なの!?」

 そして、カードはあいの頬に貼り付いて溶けていき、あいもまたその場に倒れ伏した。

 

  *

 

 残業続きの国語教師・川上貞代は、今夜も職員室でカップ麺をすする。

 と、積み上がった書類の中から『節制』のカードが飛び出し、貞代の頬に貼り付く!

「わっ! ちょっ、何!? お化けはやめて!!」

 そう叫んだ貞代だったが、あえなく気絶した。

 

  *

 

 今夜も男に振られ、居酒屋で一人ヤケ酒の西脇結子。

「男なんて……、え?」

 そんな結子の目の前に現出した『剛毅』のカードが結子には殊更イケメンに見えた。

「やっと来てくれたのね~~~!!」

 両手を広げる結子の頬に貼り付いたカードはそのまま溶け込み、結子は幸せな表情でテーブルに崩れ落ちた。

 

  *

 

 ホテルの一室で翌日の講演の準備をしている吉田寅之助。

 と、突如眼前に『太陽』のカードが現出し、寅之助の頬に貼り付く!

「ムッ!? なにやつ!?」

 必死でカードを剥がそうとする寅之助だったが、カードはそのまま頬に溶け込んでいき、寅之助の意識も飛んだ。

 

  *

 

 自宅で入浴中の新島冴。

 シャワーの湯しぶきの間から、そっと『審判』のカードが顔を覗かせる。

「え、ちょっと……、何!?」

 ピタッと冴の頬に貼り付いたカードはそのまま溶けていき、冴の身体は湯煙の中へと消えていく。

 

  *

 

「そろそろ寝るね」

「ああ。明日は俺も早いんだったな」

 堂島家では、遼太郎と菜々子が就寝準備にかかろうとしていた。

 と、二人の目の前に突如カードが現出!

 そして、遼太郎の頬には『法王』のカードが、菜々子の頬には『正義』のカードが貼り付いた!

「何だ!?」

「お、お父さん!!」

 そのままカードは二人に溶け込んでいき、親子は力なく崩れ落ちていった。

 

  *

 

 自宅でネットフレンドと文字チャット中の山岸風花。

 そのパソコンモニターから、突然『女教皇』のカードが飛び出して風花の頬に貼り付く!

「えっ! 何!? どうなってるの!?」

 

 同じ瞬間、そのチャット相手であった佐倉双葉の眼前にも『隠者』のカードが現れていた。

「カード? 何のマネだ?」

 そしてカードは双葉の頬に貼り付き、次第に溶け込んでいく。

 

「いやあああああああっ!!」

「なんなんなんなんなん!?」

 

 互いのモニターの前で二人は失神。

 

  *

 

 そして武見内科医院。

 一瞬時間が止まったことを、悠と暁は本能的に感じ取っていた。

「……今、何かあったな」

「そうですね……。あっ!」

 暁が叫んだ先には『戦車』のカードが浮かんでいた。

 そして、そのカードは空中を走って千枝の頬へと貼り付いた!

「えっ!? 何!? 何なの!?」

 驚く千枝だったが、瞬く間にカードは千枝の頬に溶け込んでいく。

 

「カードが……!」

「むぅ……」

 その様子を見て思わず顔をしかめる暁と悠。

 そして、千枝が気を失って倒れると同時に、二人の身体に自由が戻った。

 

「う、動いた!」

「……む、おい見ろ暁! あの奇妙な女がいない!」

「えっ!? ……あ、武見先生も!?」

 

 と、刻(とき)を止める原因となった召喚器を撃った琴音の姿が、青い髪の男に変わっていた!

 

「やあ。ここにいたんだね」

 そう呟いた理の指は、まさに『ひっくり返す』動作をしていた。

 

 

(つづく)

 



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最終話「To reverse」(千早)

 

唖然とする悠と暁の前で、理は静かに手を下ろした。

「時間がないから細かい説明は省くよ」

それは了承を得るための言葉ではない、それを知っている二人はこくりと頷いてみせる。

「僕たち三人がこれからすべきことはタロットカードの暴走を止めること、それから」

理はカウンターから空の小袋を持ち上げた。

そこには武見医院の文字が記載されていて、処方された薬を入れるものだと形状から理解出来た。

その小袋を理はひらりと床に落とす。

「奪われた”死”、すなわち死神のアルカナを象徴する武見妙を取り戻し、この世界を虚ろの森から引き剥がすこと」

「武見先生!?」

はっとした暁は武見がいた場所を振り返った。

だがそこに彼女の姿はなく、神経を研ぎ澄まして彼女の気配を探ってみても感じることはできない。

この場にもう一人いた夢子と共に消えてしまったのだ。

同時に悠も千枝の姿を確認したが、彼女は昏倒したままだった。

助け起こそうと一歩踏み出した時。

「それではイセカイに、いってらっしゃいませー!」

「うわぁ!?」

ぐにゃりと世界がねじ曲がっていく。

どこかで聞いたことがあるような、しかし知らない声のようなものが耳に木霊しながら三つのワイルドも武見医院から姿を消した。

 

  * * * *

 

ドスンと音がして三人はしこたま地面に叩きつけられた。

見たところ森のようだが、いくら特殊な能力を持っていようとも肉体は人間なのだからもう少し加減をしろと言いたくなる。

しばらく文句の声も出ないでいた三人だったが、ようやくそのダメージから立ち直ると泥を叩きながら立ち上がった。

「……ここは?」

「イセカイ、って言っていたようだけど」

理にも分からないようで疑問だらけの二人の視線に首を振って返す。

するとコツ、と足音がして三人は顔を前に向けた。

「そう、本来の世界にはあるはずのない森」

「ラヴェンツァ!」

声を上げたのは暁だった。

本を持った少女が大きな瞳を瞬かせながら立っている。

「今この世界は大衆が生きることに無意味さを感じ、拒否し、けれど生きることを止められない、その矛盾から生まれた虚無に吸収されそうになっています」

「その虚ろの森が恐れるのは、死神が与える”考え直す力”」

さらにその横には大人びた女性が優雅に佇んでいた。

「マーガレット」

反応したのは悠だ。

マーガレットは悠を見るとにっこりと微笑んだ。

その二人の間を割って入るように体をねじ込んできたのはもう一人のベルベッドの住人だった。

「ワイルドの貴方たちがクソのようなタロットカードの暴走を止め、世界と虚ろの森を引き剥がした時。他人任せにも程がある人々に考え直す力を与え、虚ろの森に終焉を与えるというわけでございます」

「エリザベス……」

独特な言い回しと登場の仕方に理が思わず頭を抱えてしまう。

それぞれが世話になった蒼い部屋の住人ではあるが、その個性の強さはワイルドたちに同情めいた共感を感じさせた。

そして再びラヴェンツァが口を開く。

「それが出来るのは死神のアルカナを宿せる武見妙だけ。だから彼女は攫われた」

「危害は加えられていないのか?」

「まだ虚無の森にそこまでの力はないはずです。しかし昏倒した人々の精神を貪り、確実に力をつけてきてはいます」

表情が曇るラヴェンツァの言葉を繋ぐように理が片手を上げる。

「その証拠に夢子って女の子の身体が乗っ取られた」

「夢子って、……まさか」

暁は三年前のおぼろげな記憶を辿った。

そう言われてみれば走り込んできた彼女にはどこか面影が残っていた。

彼女も秀尽学園に通っていたのだ、東京近辺に住んでいてもおかしくはない。

暁が記憶の引き出しを漁っている最中、悠がマーガレットに視線を向けた。

「それで、その虚ろの森の正体は?」

「推論ではございますが、ほぼ確定でよろしいかと。その名は水蛭子」

「水蛭子?」

聞き慣れない言葉に三人の声が重なる。

その通り、とマーガレットは頷いて両手を前に出し、そして重ね合わせた。

「日本神話におけるイザナギとイザナミの最初の子であり、不具の子として海に流されたと言われる神」

「今で言う水子でございますわね」

エリザベスが注釈をつけると、さすがに伝わったのか三人は、ああ、とそれぞれに頷く。

水子といえば主に生まれる前に死んでしまった、流産した子を指す。

その水子の語源がイザナギとイザナミの子であり、水蛭子だった。

「生まれるべきである新しい命が芽吹く前に死に至る。それは人間の希望と絶望にも似て、相反する存在をも意味しています」

ラヴェンツァの少し物悲しい声が響く。

「この世で生きる意味はあるのか、自答自問しながらも、死にたいわけじゃない。そんな現代の心の揺らぎが水蛭子に虚無を望み、この世界を飲み込む森を作らせたわけでございます」

マーガレットの淡々とした声音が説明を重ねた。

「赤子と言っても神のはしくれではございますので、思っているよりもつよーい力を持っているんですね、残念ながら。テレビを媒介し放射能によって昏倒した……つまり勝手に無気力症になられた人間は、多かれ少なかれ生きることに漠然とした不安を持っていたのではないかと。まぁ証拠も根拠も大してありませんけれど」

ほほほ、とエリザベスの笑い声が森を突きぬける。

三人のワイルドは再び互いを見合った。

「その不安を希望として考え直させる、生きる力に変える、それが死神の持つ秘められた力」

「僕たちだけでは水蛭子が世界を取り込むための、世界の象徴であるタロットカードの暴走を止めることしか出来ない」

「それでは水蛭子は消えない。再び力を蓄えて今度こそ世界は虚ろの森に取り込まれてしまう」

確認しあうように告げる三人の理解力にベルベッドルームの住人たちは満足げに口端を上げる。

これが私たちの選んだ切り札であると自慢げにも感じられた。

「死神の象徴である彼女には水蛭子に終焉を与え、新たなる生を吹き込んでその願いの意味を反転して貰わなければなりません」

「水蛭子への願いを、反転?」

「そう、蛭子(ひるこ)は蛭子(えびす)とも読みます。恵比寿は福を与えてくれる神。本来の水蛭子のイメージとはまったくかけ離れていますが、日本各地でこの信仰は根付いております」

「未来は不安なものではない、生きることは自分に福を呼び込むこと。そう、大衆に考え直させる。そうすることで蛭子は恵比寿に転生し、盗まれた世界は取り戻されるというわけでございますね」

なるほど、と頷いた悠が、それで俺たちがすべきタロットカードの暴走を止めるには……と質問をした時。

突然森の奥から分厚いファッション雑誌が鋭く投げつけられて地面に突き刺さった。

即座に臨戦態勢を取りながら三人が森を注視する。

するとそこから見慣れた顔が現れた。

「イラッシャイマセー、サッソクデスガ、シニサラセー」

そう言いながら先ほどのファッション雑誌を振り回しているのは海老原あいの姿だ。

「イブンシ ハ ハイジョ」

長い爪をまるで獣のように鋭く振りかざしているのは新島冴だった。

「カットバシテヤンヨー!オレサマガシュヤク、シュヤクナンダカラナー!」

帽子をくるくると指先で回しながらオラオラと歩いてきたのは伊織順平で。

理も悠も暁も、知った顔に思わず表情を曇らせた。

「……なるほど」

「これは骨が折れるな」

タロットカードを貼りつかせ、コピーロボットのように彼らの力を取りこんだシャドウを出向かせる。

大変底意地が悪い演出だ。

だが的確な戦法でもあった。

仲間や知り合いと戦わなければならないという状況は少なからず隙を生む。

それにタロットカードを象徴するほどの力を持つ持ち主たちで、ペルソナ使いまでもいるのだから戦力として申し分なかった。

「一人では知り合いに対して情が湧くだろうからね、他の二人がサポートをしろってことかな」

溜息は出るが悠は一度仲間の影と戦った経験があるため、その辛さは十分に理解していた。

だがそんな悠に以外にも理が不機嫌そうに口を開く。

「仲間を乗っ取られているんだ、情が湧くどころか怒りしか湧かない」

「なんだ、クールかと思ったけど意外な面もあるんだな」

「別に……彼らにだけは面倒だって言葉を使いたくないだけ」

眼鏡を外し笑いかける暁に理はわざとらしい溜息を吐きだした。

互いに間合いを模索するようにだんだんとシャドウが近付いてくる。

その間にワイルドたちの背後に回ったベルベッドルームの住人が一斉に本を開きぱらぱらとページを捲り始めた。

「貴方がたはそれぞれに旅路を経て世界を救ったヒーローたち」

「その力を再び我らが解放致しましょう」

「あらゆるペルソナを使役し従える”W”に蒼き炎の祝福を」

召喚器、眼鏡、そして仮面。

もう二度と手にすることはないと思っていた武器が再び彼らの手に収まる。

久々に感じる体の底から漲るエネルギーは心地よい高揚感に満ちていた。

そしてシャドウが飛びかかってくると三人は自分たちにしか扱えない人格の化身を呼び込む。

「「「ペルソナっ!!」」」

蒼い光が森の一角で煌めいた。

 

  * * * *

 

戦いは熾烈なものだった。

ペルソナ使いたちはペルソナのようなものを呼び出し、そうでないものも水蛭子の力で増幅したシャドウの力は強かった。

効率的に弱点となる属性を引き出して戦ったが、普段はアナライズを行ってくれる仲間も取り込まれたのは手痛い。

有利を取れるはずの戦闘でも先手を取られ、自分たちがどれほど仲間に助けられいたか、三人は痛感した。

そして何より仲間の苦痛の表情は胸を突いた。

それでもやらなければならない。

何よりもそれが仲間を救う術なのだからと。

今度は一人ではないワイルドの仲間がいることに勇気づけられた。

人は独りでも生きていける。

けれど独りでは知り得ないことが世には溢れている。

三人の結束が高まった時、手持ちの駒を使い果たした水蛭子が表に出てきた。

夢子の姿をしてはいるものの全体を硬い殻で囲まれた姿は未来を拒んでいるようにも見えて。

その殻をシャドウたちから奪い返したタロットカードが脆弱化していった。

そして露出したコアを破壊すると水蛭子は夢子の体内へと逃げ込んだ。

「お疲れ様です、ここからはワイルドの力だけではどうにもなりません」

「むしろ強すぎるワイルドの力では彼女自身をも壊しかねませんからね~!」

いつの間に戻ったのか、蒼い部屋の住人が告げてくる。

その姿に暁は小首を傾げた。

「それにしても、なぜ彼女が?」

戦闘を終えて、膝をつく夢子の姿で記憶がよみがえってきた。

暁は以前にもこうして彼女のシャドウを倒したことがある。

あの時とは理由がまったく異なっているが、こんなにも強い力を引き寄せるタイプではないように見えた。

しかしラヴェンツァは軽く首を左右に振ると本をぱらぱらとめくり小アルカナのタロットカードを一枚引き抜いて見せる。

「彼女はもともとアルカナの資質を持つもの。象徴に選ばれてもおかしくはない力の持ち主だった」

「その彼女がたまたまあの日、引き金となるワールドのカードを引いてしまったのですね」

掲示された世界のカード、過去にワイルドに関係したことのある、女性。

三つのWは理たち三人を暗示し、三つ重なったことで水蛭子が具現化する引き金となった。

逢魔が刻とでも表現すればいいのだろうか。

もともと芽吹いていた水蛭子への人々の他力本願な想いを、テレビという今では大多数に発信することが出来る媒介を使って、簡易的に叶えた。

人の願いを叶えれば神として力は増す。

不安ある未来から逃げ出すように無気力症となり昏倒した人間と、アルカナの象徴である人間をタロットカードを媒介して昏倒させることで水蛭子はさらに力をつけ、虚無の森を作り世界を飲み込ませようとした。

「つまるところ、運がなかったということでございます。妊娠しているわけでも過去に流産したわけでもございませんのであしからず~」

ほとんど動けなくなった夢子の体を拘束したエリザベスがあっけらかんと告げる。

しかし男性であるワイルド三人は微妙な空気になってしまった。

そこへマーガレットが妙を浮かせて運んでくる。

どうやら虚ろの森の巨木の中に閉じ込められていたらしい。

「ちょっと、どこ連れて行く気!?」

「武見先生、無事か!」

どこにも怪我がない様子と暴れる気概があることに僅かに暁がほっとした。

「暁くん!?どうしてここに……」

近付こうとする二人をベルベッドルームの彼らが制止する。

そしてマーガレットは恭しく妙にお辞儀をした。

「貴女のお力をお貸下さいな。秘めたる死神の力、存分に奮って頂きます」

「力、って言ったって……どうすれば……」

そういえば武見医院でも言われた覚えがあるが、自身に何か特別な力があるとは思っていない妙が困惑する。

するとマーガレットはその長い腕をまっすぐに夢子へと向けた。

そこには拘束に苦しむ夢子と、彼女を蒼い炎で捕えているエリザベスの姿がある。

「水蛭子の憑いているこの子を抱き締めてあげればいいだけのことでございます~!低コストでございますね」

「その子……彼女?」

妙の瞳に夢子の姿が映り込んだ。

足が腫れて痛々しい、まだ若い女の子の姿だ。

そこに水蛭子が入るこんでいるとは到底思えない。

だが夢子は嫌悪を露わにした表情で妙を睨みつけた。

「ヤ、メロ……」

喉から絞り出される声は地響きのように低く、最初に医院に飛び込んできた彼女の声とは似ても似つかない。

妙が戸惑っていると、その横にラヴェンツァとマーガレットがそっと寄り添った。

「母が子を慈しむように抱き締めることで虚無感という心の死は輪廻し、もう一度やり直すための生に変わる」

「虚ろに飲まれつつある世界も再び再生への道筋を辿る。この森は自然と希望の湧水になるでしょう」

「……輪廻、って……」

今までの人生で起こったことのない怪異に妙は少しだけ尻好みをした。

まだまだ医学や科学で解明出来ない謎は多い。

そんな世界の危機を、自分より若い三人の男の子たちは救ってきたのだろうと思うと、自分も何かしなければ、とも思う。

それでも一歩が踏み出せないでいると、夢子は髪を振り乱して声を荒げた。

「チガウ、ノゾムノハ、イノチノナイセカイっ」

拘束から逃げ出そうとする両手はぎゅっと握りしめられ食い込んだ爪から血が滲んでいる。

「”無”コソ、”至上の幸福”ダ!」

そう、それこそが大衆の望みであると。

その望みを叶えるのは神である自分の役目であると。

水蛭子はその想いだけで動いていた。

そんな彼女に妙の表情が辛く歪んだ。

「そうか……そうよね、貴方も被害者だもの。人の願望を押しつけられて、苦しかったでしょう」

一歩、一歩、と。

妙が歩みを進めていく。

その死神の力を感じ、夢子は恐怖に慄いた。

「ヤメロ、ヤメロォ……」

もがく体を両手を広げた妙が抱き締める。

ぴたり、と、夢子の体が動きを止めた。

人の体温に触れ、安心して力が抜けたようにも見える。

そんな彼女の後頭部を妙の掌がゆっくりと撫でた。

「おやすみなさい。次は元気な子に生まれて、私に会いに来て」

「……また、くりかえすの、こわい」

夢子が瞬きを忘れたように目を見開いて呟く。

「大丈夫よ、人間は痛みを忘れることが出来る。転んでもまた歩き出せる力を持っている。諦めさえしなければ……私もかつて、そう教わったわ」

「武見先生……」

思わず暁の頬が微かな赤みを帯びた。

三年前に築いた絆がまたここでも力を発揮するとは。

妙の腕の中で夢子がそっと目を伏せた。

「……あたたかい……」

微かな呟きと共に夢子の体がゆっくりと透けていく。

中で胎動していた水蛭子の気配も同時に消え去った。

その様子を見ていた悠は少し眩しそうに、しかし敬意を持って微笑する。

「敵わないな、女性には。俺たちではあんな風に慈しんで抱き締めるなんてきっと出来ない」

「そういうのは女の子の役目だから」

理も同意し、普段は動かない表情筋を微かに釣りあげた。

そんな二人の言葉に照れたのだろうか、妙が両腕を腰にあてて振り返ってくる。

「ちょっと、女の子なんていう年じゃないんだから、やめてよね」

まだ未婚だし子供もいないんだから、と妙は怒ったが、ワイルド三人にお疲れ様、と言われると、ふぅと息を吐きだし、お疲れ様と返した。

 

  * * * *

 

そして世界は0地点、愚者のアルカナの旅立ちへと戻る。

あの日世界が盗まれた、その現場へと。

「それはともかく、彼って誰? 怪盗団と重ね合わせた彼って……」

「ん? ああ、あの頃演説の手伝いをしていたバイト君だ。とても一直線なコでねぇ。私は、彼の正義感に大層勇気をもらったんだよ」

「……して、その彼の名は?」

「プライベートな話だ。それは控えておこう」

「んもう、ケチ! いいいじゃん、別にぃ!」

にゅぅカマーでは松下と寅之助、そして一子が膝を突き合わせていた。

そこに奥の席から大きな物音が響く。

思わず三人の視線がそちらに向けられると、一枚のタロットカードを握った夢子が震えていた。

その指先からテーブルへと滑り落ちたカードは恋人たちの絵が描かれている。

「こ、これは……恋愛の正位置……ま、まさか、私にも春が!?」

そんな、池杉くんったら、と顔を赤くして再びカードをシャッフルし始めた。

占いの結果が正しいのか、もう一度やり直そうとしているらしい。

そんな夢子からグラスに視線を戻すと松下は頬杖をついた。

「若いってのはいいねぇ」

「そうだな。我々は若者たちが将来を悲観しないでいられる世の中にしていかねばらならん」

「おっ、寅節炸裂か?」

「そうからかうもんじゃない」

照れ隠しのようにグラスを煽った寅之助に、一子が目を輝かせる。

「あっ、その話もっと詳しく聞きたいな!……ララちゃーん!お酒、お酒追加ー!」

揺らされるグラスの中で僅かに融けた氷がカラカラと音をたてた。

 

 

(了)

 



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