V's If-Story:ScalePowder of WhiteMoth (よしおか)
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第一章 はじまりの日
プロローグ 白のヴァルヴレイヴ


一号機のプラモデルを買う。

ブンドド言いながら弄って遊んでいるうちに改造したくなって色々考える。

ついでにそのオリジナル機体が活躍する話を書きたくなって更に色々考える。

似たような機体が公式外伝で登場して呆けた後、落ち込む。

周囲との相談の結果、開き直ってプラモの改造とSS発表に踏み切る。

大体こんな経緯で考え付いた話です。


「ふざけんなぁ!! 何でテメエ達にケータイ渡さなきゃなんねーんだ、あぁ!? 放せよ、この野郎ォ!!」

 全校生徒のうち、ほぼ半数以上の人間が集められた高等学校の体育館に、リーゼントの少年の怒号が木霊する。目の前の悪行を止めようと奮いつつも数人がかりで体を抑え付けられ、怒りに柳眉を逆立てる少年の視線の先では、彼と同じくこの学校に通う生徒達が、白い制服に身を包んだ男達に自分のスマートフォンを差し出していた。

 現代の若者にとって必須のツールである携帯端末を他人に差し出すという行為に誰も納得していないことは、一様に怯えの表情を浮かべる学生達の顔を見れば察することは出来るだろう。整然と居並び、学生達を威圧する白服の男達に強制されなければ、誰がそう易々と、個人情報の塊であるスマートフォンを見知らぬ他人に渡すものか。

 目の前で行われる不当で一方的な行為に、学園の番格を自称するリーゼントの少年は猛然と異を唱える。状況が見えていない故の蛮勇ではあったが、自分や友人達の通う学校に土足で踏み込んだ男達の所業を見過ごすなどということは、彼には到底無理な事であった。

 誰が屈しようと自分だけは屈するまいと抵抗する少年の行動は、讃えられて然るべきであろう。誰もが、この状況を打開してくれる“誰か”が現れることを期待していた。

 しかし、蛮勇は所詮、蛮勇なのだろう。

 何故なら―――

「この学校は俺がシメてんだよ……この、ドルシア野郎! テメエ達なんかに好き勝手させ―――がはっ!?」

 

 白い軍服に身を包んだ男達が、正式な訓練を受けて銃を携行する本物の軍人である限り、ただ喧嘩が強いだけの高校生が暴力に訴えて勝てる要素など、どこにも存在しないのだから。

 

「きゃああっ!」

「山田くん!?」

 兵士の一人が、少年……山田ライゾウの後頭部を背後から銃のストックで殴りつけ、ついでとばかりに背中を蹴って床に倒す。目の前で行われた暴力の行使に、周囲の学生達から悲鳴が上がる。

 完全に不意を突かれたライゾウは、打たれた頭を抱えながら視界を揺らす痛みに悶える。だが白服の兵士たちは、口元に嘲笑を浮かべながら倒れ伏すライゾウを蹴りつける。

「がっ、ぐ、ぅう……!」

「無駄な抵抗だ。ジオール本国は既に無条件降伏した!」

 硬い軍靴で背中を踏みにじられ、苦悶の声を漏らすライゾウの姿に、学生達は息を呑む。その注目の中、白服の兵士たちの中でも年配の男が、良く通る声で言った。

 自国の無条件降伏。その言葉に、体育館に集められた学生達の背筋を冷たいものが走り抜ける。それは即ち、彼らをこの暴虐の中から救い出してくれる筈の自国の国防軍が、既にその戦力と、それを行使するための全ての権利を失ったことを意味する。

 彼らを助けてくれる者は今、この世界のどこにも存在しなかった。

「降伏って……」

「攻撃はここだけじゃなかったのか?」

「私たち、どうなるの……?」

 最悪の現実にざわめく学生達を一瞥して、この学校を占拠した部隊の指揮官は大声で告げる。

「平和ボケした君たちにもう一度言おう! ジオールという国はもう無い。ここは、我が大ドルシアの属領なのだ!」

 一切の配慮も慈悲も無い言葉に、一部の生徒達からは不安と不条理に耐え切れず、啜り泣く声が漏れ始める。

「また、ジオールの秘密兵器と言う機動兵器についても、既に我々の本隊が鹵獲し、パイロットも捕えられている!この建物の調査と合わせて、今君たちの生殺与奪は我々が握っていることを忘れるな!」

「っぐ……ふざっ、けんな……! 誰が……テメエ達なんかに……」

 足元から聞こえてきた声に、指揮官の男は微かな驚きを抱く。視線を向ければ、痛みに歯を食いしばりながらも指揮官の男を睨み上げるライゾウの姿があった。

 一周回って感嘆すら覚えるその諦めの悪さに周囲の兵士たちは動揺するが、指揮官の男からすれば、未だ闘志を失う事の無いライゾウの瞳は、激しい苛立ちを覚えるものだった。

 

―――戦争も知らない国のガキ如きが、この状況でまだ無駄な抵抗を続けるか!

 

 苛立ちに任せて、指揮官の男はライゾウの頭を蹴りつけると、完全に沈黙して力なく横たわるその頭に銃を突きつける。

「……丁度いい。属領となった以上、君たちもこれからはドルシアの国民だ。国家の剣たる連邦軍に楯突いた国家反逆者がどんな末路を辿るのか、教訓としてその目に刻むが良い」

 周囲から、一際大きな悲鳴が上がる。しかし、それも一瞬のこと。騒げば次は、その銃が自分に向けられると本能的に悟ってか、学生たちはシン、と静まり返る。

 もはや恐怖で泣き声すら出ない学生たちに見せつけるように、指揮官の男がゆっくりと引き金を―――

 

 

「待ってっ、待って下さい!」

 

 

 引く寸前、学生達の中からその人影は飛び出した。

 何事かとそちらに目を向けた兵士たちが一瞬だけ、ほう、と間の抜けた吐息を漏らしてだらしなく鼻の下を伸ばしてしまったのは、致し方ないことだろう。

 そこに居たのは、シンプルながらも露出の際どい競泳用水着によってスタイルの良さを際立たせた、妙齢の女性だった。

 一瞬、女性の豊かな体のラインに目を奪われてしまう指揮官の男だったが、鉄の意思で己の職務を思い出すと、不穏分子の処刑を邪魔立てしたその女性に向かって怒鳴りつける。

「な、なんだ貴様は!貴様も我々に歯向かうのか!?」

 なぜ、捕虜の中に水着姿の人間が居るのかと一瞬混乱する指揮官の男。しかし考えてみれば、別働隊が作戦を開始した時刻は高等学校の放課後に当たる時間だ。大方、部活動か何かに参加していたのだろう。見れば、彼女が飛び出してきた辺りには、同じく水着姿の女生徒がちらほらと見える……高等学校の生徒にしては多少、この女性は肉付きが良すぎる気がするが……いかんいかん、誇り高き連邦軍指揮官の肩書きを忘れてはいけない。

 指揮官の男が内心で葛藤していると、先ほど怒鳴られた女性は、しかし気丈にも目を逸らすことなく男に訴えかける。

「その子に……生徒達には乱暴なことはしないでください! みんな、混乱しているんです。少ししたら落ち着きます、ちゃんと言うことを聞きますから……」

 言葉も身体も震えてはいるが、言葉だけはしっかりと言い切る女性。しかし言いたいことを口にして緊張の糸が緩んでしまったのだろうか、見る見るうちに顔を俯かせてしまう。

「その物言い、貴様はこの学校の教員か?」

「……はい、実習生ですけど……お願いします、私がそちらに行きますから、その子を放してください」

「七海先生!?」

 自分が身代わりになると女性が言い切ると、周囲の生徒達が息を呑んで女性の名を呼ぶ。

 なるほど、周囲の生徒達からも慕われているようだし、彼女が自ら人質になると言うのなら、未だざわめく学生達も抵抗する気は起きないだろう。

 それに……これだけ魅力的な女性が自らこちらの近くに来るのであれば、多少は“そっち”の方面も期待できる。なにも強制するわけではない。彼女が生徒の安全を願って、自分個人に交渉を持ちかけたことにでもすれば或いは……

 朧気ながらも脳裏をちらつく“戦利品”に自身の頬が緩むのを抑えつつ、指揮官の男はライゾウの背から軍靴をどけて、女性に向かって手を伸ばす。

「良いだろう。貴様が我々と行動を共にすると言うのであれば、こちらにも拒む理由は無い」

 言って、指揮官は女性の肩に触れようと手を伸ばす―――

 

 

 その、瞬間。

「てっ、敵襲!敵しゅ―――ぎゃああああああっ!!」

 体育館の外から聞こえてきた悲鳴から数秒遅れて、ズドォン! という轟音と共に、地面が大きく揺れた。

 

 

 

 揺れに足元を取られて数歩たたらを踏んだ指揮官の男だったが、すぐに慌てる部下たちに声を掛ける。

「何事だ!」

「て、敵襲です!外にあの“人型”が……特一級戦略目標、『ヴァルヴレイヴ』が!」

「んなっ……何だとぉ!?」

 部下の口から飛び出した有り得ない言葉に、指揮官の男は目を見開く。

 そんな馬鹿なことがあって堪るかと内心で零しながら、指揮官の男は蹲る女性を押しのけて体育館の外へ向かう。

「馬鹿な、あれはカイン大佐の特務隊が鹵獲したはずではなかったのか!?」

「ち、違います!特務隊で鹵獲したのは赤い機体で、今こちらに向かっているのは……っ!?」

 言いさした部下の兵士が、その言葉を半ばで噤む。爆発の熱風と砂煙に顔を撫ぜられた故のことだった。

 通用口から体育館の外へ飛び出した兵士たちは、自軍の装甲車両が上から押し潰され、爆発炎上する瞬間を目にした。

 砂煙が収まった時、燃え盛る装甲車両(だった物)が何かに掴み上げられる。一トンは下らないであろう重量のそれを軽々と地面から引き剥がした“それ”の姿を認めた兵士たちは、一様に動きを止めた。

「あ、ああ……」

 呆然と、指揮官の男は目の前に立つその姿を見つめる。

 さながらそれは、黒い着物の上に白い鎧を纏う、旧き時代の武者の姿。炯々と輝く緑のツインアイは、高い位置から兵士たちを睥睨していた。

 人のような四肢を持つそれは、淡い光を放つその右手で装甲車両の残骸を握り潰そうとしている。ギギギギギ、と鉄が軋む音に合わせて、赤黒い液体が残骸から滴り落ちる。

 一際大きな音と共に、巨大な『掌』で小さくプレスされた装甲車両が見えなくなる寸前、そこからはみ出していた物体が人の腕だったと理解した指揮官の男は、自身の死を予感する。

 

『お前ら……出て行けぇっ!』

 

 外部スピーカーから聞こえてきたのは、声変わりも迎えていない少年の怒号。その巨大な姿にはあまりにも似つかわしくない声が、兵士たちの恐怖を余計に駆り立てる。

 

『俺達の学校から、今すぐ出て行けぇえーーーーーーーーーっっっ!!』

 

 この場にある筈の無いジオールの兵器が、既に制圧したはずの場所で、厳しい訓練を積んだ自軍を蹂躙している。その現実が受け止められず、兵士たちは只々硬直するばかり。

 それは、白と黒のツートンカラーに彩られた巨大な人型兵器が巨大な拳を高々と振りかぶっても変わることは無かった。

 何故か唐突に、故郷の景色を思い出した直後。

 人の形を保つ事すら許されず、指揮官の男は巨大な拳に叩き潰された。

 




 物書きのリハビリも兼ねて久々に投稿です。よろしければ感想、評価等お願いいたします。


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第一話 草蔵ミツルの日常

 今回はアニメ1話のAパートに相当する話。オリ主の説明回も兼ねているので全体的に説明だらけです。


 地球。それは人類が生まれた、母なる大地。この広大な太陽系に於いて、唯一命を育むことのできる、水の星……などと言っても、最近はその言葉に首を傾げる人も少なくは無い。

 それは何故か? 人が生まれるのは地球上、という当たり前の認識が、そもそも当たり前ではなくなったからだ。

 人類が、二度の宇宙戦争を経験した頃。技術の革新と引き換えに自然を、資源を削り取られてきた地球には、既に100億を超える人類を育む力は残っていなかった。荒廃した大地から人々は離れ、それまで命を拒む死の領域でしかなかった宇宙へ新たな生活の場を求める。それは、旧世紀から人々が目指してきた、人の手による新たな世界の開拓だ。

 そうした事情の元、地球を離れた人々を受け止めるために開発されたのが、スペースコロニーと呼ぶには余りにも巨大な人工惑星『ダイソンスフィア』だ。

 中央で明々と輝く人工太陽を核として、その周囲を覆うように直径十キロメートルほどの六角形の建造物“モジュール”がハニカム状に並んで浮かぶ、人類が宇宙に創りだした擬似的な星。地球との違いを上げるとすれば、そこに暮らす人々が球体の内と外のどちらに向かって立っているか、ぐらいのものだろうか。

 やがて各国がダイソンスフィアの開発を進め、人類の総人口のうち、約七割が宇宙という新天地へ飛び出した頃。未知なる領域での開拓が未だ進む中、人々は大きく三つに纏まった。

 

 一つは、ドルシア軍事盟約連邦。人々の心を一つにまとめる政策と、それらを支える優れた軍事力の元、着々と宇宙にその支配地域を広げる、『武』の国。

 一つは、環大西洋合衆国ARUS。環大西洋条約機構とも呼ばれ、貿易協定で結ばれた国々が力を蓄え、ついに宇宙まで進出した、『商』の国。

 そして、中立国ジオール。二つの大国に挟まれる小国でありつつも、その中間で緩衝剤の役割を持つ事で世界の経済を支え、その恩恵に与る『和』の国。

 

 三つの勢力の間に小規模な諍いこそあれど、人々は宇宙という新天地で互いに助け合い、支え合い―――表層上の平和を謳歌していた。

 されど、小規模な争いは、やがて大きな争いに発展する。どんな大きな火事だって、火種はいつも小さなもの。そしていつの世も、平和の裏には争いを求める者は居る。そのことに人々は気付かない、否、気付きたくはないのだ。

 

 

 

 真暦71年。後に、第三銀河帝国発足の年として歴史書に刻まれる、激動の一年間。もうすぐ夏休みを迎える、とある高等学校から―――

 

 革命は、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「納得いかないっ!」

 だん、とテーブルを叩いて、指南ショーコは大いに憤慨した。

 そんな彼女の姿に、周囲に居る学生たちはやれやれ、と呆れたような視線を向けるが、彼女にとっては十七年間自身を形成してきたアイデンティティの危機なのである。拳と言葉には自然と力がこもり、幼馴染や親友から度々「勝気さが滲み出ている」と評される眉は見事な逆八の字を描いている。

 彼女と対面する形でテーブルに着いている少年、時縞ハルトはそんな幼馴染の少女の姿に、「サスペンスドラマに出て来る気難しい刑事みたいだな」と胸中で独りごちる。彼がそんな呑気且つ微妙に間違った感想を抱けるのは、刑事に尋問される真犯人と違い、彼の心に何らやましいところが無いからか、はたまた―――

「このイカしたシャツのどこがどうセンスが悪いってのよ!?」

―――刑事の怒りの矛先が非常に下らない部分に向かっているからだろうか。

「いやショーコ、ハルトの言う通りそのシャツ何だよ。女子高生が牛肉柄のシャツを着る意味がわかんねえ」

「犬塚先輩までそういうこと言うんですか!? デフォルメされた牛さんと漢らしい筆書きの“牛”の字と霜降り肉のギャップが最強に可愛いじゃないですか! ねぇねぇ、アイナちゃんもそう思うよね!?」

「……えっと、ごめんなさいショーコさん」

「謝りつつ目を逸らされたーっ!?」

 何故かこの「陸上部男女対抗大食い対決」の場に居合わせたバレーボール部の三年生男子と、放送部の一年生女子―――どちらも、ハルトとショーコの共通の友人だ―――に詰め寄って理解を求めるショーコであったが、二人は揃ってショーコの一張羅から目を逸らしたり扱き下ろしたり。

 味方だと思っていた二人の反応に、うぉおおお、と雄叫びを上げながらショーコは世の不条理を嘆く。年頃の乙女、というには少々元気の良すぎるその姿を見て、ハルトは大きな溜息を吐いた。

 服飾のそれに限らず、この活発な少女のセンスがどこか周囲とずれているのは、幼い頃に父によって引き合わされてからの十年近くの付き合いで散々解っていたことだ。

 今日だって、放課後のグラウンド使用の割り当てでブッキングが起こったことで口論になった陸上部の男子と女子の間に乱入し、「だったら昼休みに大食い勝負で決めようよ!」と、眩しい笑顔で宣言したのが始まりだ。どこから大食いが出て来たんだよ、というハルトの全身全霊でのツッコミは黙殺されたが、これに関しては何時もの事なので半ば諦めていた。

 そこから、男女で代表が決められて勝負が始まる。何時の間にやら昼練に勤しんでいた他の部の面々や暇を持て余したその他の生徒達が集まってギャラリーを形成していたことについてはもうツッコまないことにした。

 ハルトとしてはいつも通り、ショーコが巻き起こす騒ぎの火消しに回るべく待機していた……のだが、今回の騒ぎの犠牲者は、じゃんけんで負けて男子の代表としてショーコと大食い対決をする羽目になったハルトであった。

 結果は、ハルトの負け。周囲からの、「まあ、ハルトにしては頑張った方じゃないか」という嬉しくも何とも無いねぎらいの言葉が地味に心に刺さる。

 こういった勝負事にあまり精力的に取り組めないことはハルトも自覚しているが、それをショーコに指摘されて、ついつい負け惜しみ半分にシャツのセンスについて反撃したのが数分前。

 そして、話は冒頭へと飛ぶわけである。

「と、ともかく! これで今日の放課後は、フィールドもトラックも女子が先に使うからね! 男子は外周ランニングから!」

 誤魔化すように、びしっとハルトに指を突きつけるショーコ。それを言うべきは自分ではなく部長である三年生じゃないのかと首を傾げるハルトだが、言いたいことを言い終えたショーコは既に友人たちの方へと意識を向けていた。どうやら、同性の親しい女子にまで謎センス呼ばわりされたのが気にかかっていたらしい。

 勝負も終わったことだし、ぼちぼち解散するか、と残っていた学生たちが腰を上げた、その時であった。

 

 

 

「ハルせんぱーいっ! 追加の焼きそばパン買ってきましたぁっ!!」

 

 

 

 そう言って購買のある方向からグラウンドに姿を見せたのは、一年生の校章を襟元に光らせる少年だった。

 少年は息を切らしてハルトが座るテーブルに駆け寄ると、両腕に抱えていた焼きそばパンをテーブルの上にぶちまける……とうの昔に決着のついた大食い勝負に使用する筈の焼きそばパンを、である。

 少年はくの字に折り曲げた上体を大きく揺らしながら息を整えると、そこでようやっとテーブル周囲の人口密度が、予想よりも大幅に低いことに気が付く。

「あ、あれ!? もう終わってる!? 指南先輩は?」

 慌てて周囲を見回す一年生の少年。しかし彼の視線がとらえたのは、バツ悪そうに頬を掻くハルトと、やれやれ、といった表情で首を振るギャラリーの姿。そして、何やら遠くの方で拳を振り上げて何かを熱弁するショーコの姿だった。

 時折「私のセンスが悪いんじゃない、世界のセンスが悪いのよ!」「いや、どう考えてもショーコのセンスは壊滅してる」といったやり取りが聞こえてくるのは、この際横に置いておく。

「……この先輩にしてこの後輩ありっていうか……ミツル、お前って地味に間が悪いよな」

「とっくに終わったよ。もちろんハルトの負け。パシリ役ごくろーさん」

 先程ショーコに詰め寄られていた三年生男子と、野次馬根性で騒ぎの成り行きを見守っていた眼鏡の二年生男子のセリフから事の次第を察した少年は、がっくりと肩を落としてその場に座り込む。

「えぇー……ハル先輩、俺頑張って購買まで走ったんですよ……?」

「ご、ごめんミツル……」

 俺の苦労って、と言いながらげんなりと頭を垂れる部活の後輩―――草蔵ミツルの言葉に、ハルトはひたすら申し訳無さそうに手を合わせるのであった。

 

 

 

 

 

 月と地球の中継地点、ラグランジュ2。そこに、ジオールが唯一保有する“ダイソンスフィア”がある。

 このダイソンスフィアを各国がいくつ保有しているか。それは、ダイレクトにその国の国力を示す。二つの大国と比べてあまりにも規模の小さいジオールがこのスフィアを一つしか持っていないのは、別段おかしい事でもなんでもなかった。

 ジオールスフィアで77番目に建造されたモジュールは、表面上は何の変哲もない居住区画である。教育機関についても小中高と一通り揃ってはいるが、その中でも咲森学園は一際異彩を放つ学校だ。

 何せ生徒の殆どが、入学に際して地球から移住してきた者達ばかりなのだ。同じモジュールはもちろん、一つ隣のモジュールだって受験を控えた中学生は多く居るのに、である。

 どれほど怪しいかといえば、巷に流れる噂の中に「咲森学園はセレブ階級の良家の子女達が、身分を隠して通う学校である」だとか「非武装による永世中立を認められたジオールが秘密裏に運営している、国防軍の士官学校である」といった根も葉もない都市伝説が流れるほどだ。

 

 而して、その実態は―――

 

「なあミツルよ」

「んむ?」

「その机の上に積み上げられた焼きそばパンは、遅めの昼飯か? 早めのおやつか?」

 ぶっちゃけ割と普通の高等学校であった。

 時刻は午後二時を回った辺り。昼休みを終えて午後の授業の一コマ目である体育の授業が終了した直後、一年三組教室の廊下側にあるミツルの机には大量の焼きそばパンが鎮座していた。言うまでも無く、昼休みのハルトとショーコの大食い勝負で余ってしまったものである。一部はその場に居たギャラリーがちゃっかり持って帰っていたが、やはり運んできた人間の特権と言うべきか、十個近く余った焼きそばパンはめでたくミツルの物となった。

 昼休みが終わってすぐに体育の授業が控えていると知っていた為、ミツルはそれらに手を付けず、授業が終わってカロリーを消費し、ついでに小腹が空くまで取って置いたわけだ。

「……ってか、何でこんなに大量に持ってるんだよ、焼きそばパン」

「んぐ、ふぃうやふみにへんはいにぱひあはへはんはへぉ、あまっひはっへは。もっはいあいぁらもぁっへひは」

 (訳:昼休みに先輩にパシらされたんだけど、余っちまってさ。勿体ないから貰ってきた)

「食いながら喋んな」

 もっきゅもっきゅ、と口いっぱいに頬張ったパンを咀嚼しながらクラスメイトの問いに答えるミツル。一応、口の中が見えないように手で覆うという最低限の心遣いは忘れていないようだが、どちらにしても非常に見苦しい光景である。

「んぐんぐ……っく。いやホラ、昼休みにグラウンドで先輩たちが大食い勝負やったんだけど、追加分買って来いって言われて。そんでもって買ってきたらもう勝負終わってたんだよ」

「ああ、二年の時縞先輩と指南先輩か。あのドタバタカップル有名だよなー」

 口の中に残ったパンを飲み込み、口元に着いたソースを指で拭いつつミツルが口にした単語に、友人はすぐに合点がいったのかその場に居た二人の名前を挙げる。陸上部以外にもギャラリーは居たので、情報の伝播も早かったようだ。

 ただ、友人がハルトとショーコの二人を指して「カップル」と表現したことに、ミツルはきょとんと眼を瞬かせる。二人と特に親しい生徒達は彼らが男女の仲ではないことを知っていたが、それ以外の、ある程度知っているだけの生徒にとってはいつも二人一組と言っても良い彼らはそうとしか見えなかったのである。

「……え、あの二人別に付き合ってねーよ?」

「嘘ぉ!? 時縞先輩つったらいつも指南先輩の後ろちょこちょこくっ付いて歩いてるって話じゃん。これで付き合ってなかったら時縞先輩ってストーカーなんじゃないかって」

「いやー、どっちかってぇと指南先輩が行く先々で騒ぎ起こしてるから、ハル先輩が事後処理と関係各所への謝罪で忙しくしてるっていうか……なあ櫻井、だいたいそんな感じだったよな」

 遠い目をして同じ部の先輩二人を思い浮かべるミツルは、近くの席で次の授業の教科書を取り出していた眼鏡の女子生徒に声を掛ける。

 櫻井、と声を掛けられた少女は、すこしズレていた眼鏡を直しながら顔を上げると、苦笑しつつもミツルの言葉に首肯する。

「ああうん、そうだね。あの二人はいつもショーコさんが何かして、ハルトさんが怒ったり止めに入ったりしてる感じかな」

 この、眼鏡にツインテールの少女―――櫻井アイナもまた、ハルトとショーコと親しい人間の一人だ。

 先ほどの大食い対決の場では二人が喉を詰まらせたときの為に飲み物を持ってスタンバイしていたし、放課後や休日にはショーコの友人である女子生徒達と一緒に出かけることもあった……昼休みにショーコに詰め寄られた際にはついつい視線を逸らしてしまう辺り、さしもの彼女もショーコのぶっ飛んだファッションセンスは庇い切れなかったようだが。

「あれでハル先輩もお人好しってぇか……ぶっちゃけよくもまあ指南先輩に愛想尽かさないよなって思うわ、俺」

「う、うーん……でも、ショーコさんっていろんな人から人気あるんだよ? 体育祭の時とかもリーダーになって色々と提案したりするし……偶に暴走してるけど」

「ああうん、それは分かる。アホな事してるけど何故か毎度毎度、指南先輩が致命的に失敗することって無いんだよな。その場で文句が出ても何だかんだで終わってみれば皆『指南グッジョブ』だし」

「へー。櫻井さんは女子同士のつながりがあるから解るけど、ミツルもミツルで二人のことよく見てるんだな」

「二人とも、草蔵くんのこと可愛がってるんだよ。弟が居たらこんな感じかなって言って」

「ああ言ってた言ってた。ったく、二人して子ども扱いしやがって……そう言えば指南先輩、その後に『ハルトは何時の間にか可愛く無くなってたし』って言ってハル先輩キレさせてたな」

 その時の騒ぎ……別のモジュールで開催された陸上大会の打ち上げだったかの時にショーコが口を滑らした事件を思い出してミツルが笑う。尚、直後に『ショーコのやったことでいつも被害被ってんのは僕だからな!? どっちかといえば僕の方がお兄さんだろ!?』と反撃したハルトだったが、他の部員達に満場一致で『いや、ハルトの方が弟だ』と言い切られてあえなく撃沈したことを追記しておく。どちらかといえば陸上部員達には『奔放な姉に振り回される常識人の弟』という立場に見えたらしいが。

「ふーん……ところでさ、ミツル。お前時縞先輩のことハル先輩って呼んでんのな」

「え、だって言いやすいじゃん」

「可愛がられてるって言ってもお前、なんか妙に時縞先輩に懐いてるよな。ホモ?」

「誰がホモだ誰が!? ぶっ殺すぞコラァ!!」

 脈絡もなく失礼なことを言い出し始めた友人に猛然と抗議するミツル。目の前で突如始まった漫才に、アイナはまたしても口元を引き攣らせて苦笑いを浮かべるのであった。

 と、その時。ふと窓の外に視線を映したアイナの目に、件の二人―――時縞ハルトと指南ショーコの姿が見えた。

「あれ、ショーコさんにハルトさん?」

「へ?……あ、ホントだ。何してんだあの二人」

 先程自分をホモ呼ばわりした友人の襟首をぎゅーっと締め上げつつ―――その友人が顔色一つ変えていない事については考えないことにした―――ミツルはアイナと同じ方向に顔を向ける。渡り廊下でつながった校舎の、二年生のクラスがある辺りで、ハルトとショーコが二人揃って白衣に無精髭の物理教師に向かってぺこぺこと頭を下げていた。

「……何してんだあの二人」

 恐らくは先ほどの授業中に何かやらかして、二人揃って担当の教師に怒られているとかそんなところだろうか。二人の仕草と、遠目にも判るほど目が笑っていない物理教師の寒々しい笑顔で大体の事情を察したミツルは、先ほどの言葉に別のニュアンスを込めて呟く。

 アイナとミツルの視線の向こうで二年生二人が解放されてからしばらく経って、ミツルのスマートフォンにメールが届く。差出人はハルトだった。

「……ハル先輩と指南先輩、放課後に裏山の罰掃除することになって部活遅刻するってさ」

「あ、あははは」

 新人戦近いのに何してんだ二年生、と毒づくミツルに、自分も手伝うからきっと早く終わるよ、とフォローを入れるアイナ。

 咲森学園一年三組の教室は、概ね通常運転であった。

 

 

 

「……この様に旧ヨーロッパは現在、ドルシア連邦とARUSに分割された状態でそれぞれ別の国になっている。前の時間にやった通りヨーロッパからドルシアに加入したのは東欧、北欧、そしてそれに続いたのが中東の主立った国々だな。特に中東についてはドルシア連邦成立当初、ARUSから一方的に脱退する形になった為に火種になった訳だが、幸い『静かの海条約』以降各国は大きな戦争行動はとっていない。それじゃあ宍戸、この条約が結ばれたのは何年だっけ?」

「ええっと……」

 五限目の世界史の授業中。腹が満ちて瞼が重くなったミツルは、電子ノートへの書き込みもそこそこにスマートフォンを弄りながら眠気と格闘していた。

 ええと最新のスパイクシューズの情報は、と。学園のトラックは一般的なグラウンドだから気にしなくても良いが、競技場のトラックは合成ゴムだからシューズのスパイクについて規制があるから、それに抵触しないものを……などと眠気覚ましがてら、部活で必要なスパイクシューズを新調するべくネットのショッピングサイトを閲覧していると、不意にスマートフォンがブブッと短く振動した。

(メール……犬塚先輩から?)

 差出人は、アイナと同じく昼休みの大食い勝負を見物に来ていた顔見知りの生徒だった。

 何の用事だろうか、と考えながらマナーモードの設定を通常モードからサイレンスモードへと切り替え、ミツルはメールを開封する。

『自習中

 暇だから何か話そーぜー』

 シンプルかつ下らない文面を目にした瞬間、頬を支えていた左手が思わずズルッと滑って顔から机に激突しそうになるが、寸でのところで持ち堪える。

『こっちは授業中ッスよ

 先輩こそ受験勉強とかしなくて良いんですか』

『もうやってらんねえよ

 今月入ってから女の子紹介してくれってメールが五件目だ

 しかも殆どショーコかアイナ狙いとかいい加減にしろあいつら

 いつから俺の名前は犬塚キューツーになったんだよ』

『聞いてませんよンな寒いジョーク

 良いじゃないっすか別に、先輩他校の女子とよく遊んでるんだから』

 キューツー(Q2)……もとい、犬塚キューマは、ハルトとショーコの二人組と親しくしているうちに知り合った三年生である。

 面倒見がよく気さくな性格で、運動部に限らず学園の生徒からは頼れる兄貴、といった風に慕われる人物なのだがとにかく金にシビアで、「将来は世界一の大金持ちになる」と普段から公言して憚らない男だ。

 因みに女子生徒達からは同じく三年生の生徒会長と共に「咲森学園残念なイケメンツートップ」などと呼ばれている。

『そう言わずに聞いてくれよ

 ハルトもハルトで俺のメール無視しやがるし、せっかく人が警告してやったのにさ』

『警告って何すか警告って

 さっきハル先輩達、なんか物理の貴生川に怒られてましたけど』

 ひょっとしてこの人のメールが原因じゃないだろうな、と考えながら―――実際にはそれが大正解である―――ミツルはその言葉の真意を問う。

 しかし、キューマから返信されたメールはミツルの問いに半分しか答えなかった上、ミツルに予想外のダメージを齎すことになる。

『いや、さっきハルトに「誰かにとられてから泣いても遅い」ってメールで送ってやったんだけどさ、そういえばお前の方は七海先生へのアプローチどうなったんだよ?』

「ぶふぁっ!?」

 奇しくも、先ほど授業中にキューマからのメールを受け取ったハルトと似たようなリアクションを取るミツル。

 幸いにも教壇に立つ老齢の歴史教師は電子黒板の操作に戸惑っている最中であり、ミツルの方を向くことは無かった。

 が、教室内の生徒のうち何人かは、何事かと訝しみながらミツルの方を向く。その中には驚いた顔のアイナや、友人である男子生徒も居る。また、後ろの席であるために気付かなかったが、アイナの友人であるクラスのアイドル的女子生徒もミツルに冷たい視線を向けていた。

「あ、あの人は……っ」

 七海先生、というのは、今月に入って教育実習の為に学園を訪れた、別のモジュールの大学に通う女学生だった。確かにこう、やたらとスタイルの良い彼女の話題で一年生の男子で盛り上がった時に迂闊なことを口走った気はする。

 が、それをキューマに話したことは無い筈。知られたが最後、こういう時にからかってくるのが目に見えているからだ。

『なんで犬塚先輩がそのこと知ってんですか!?』

『金になりそうな情報は逃さず拾う主義だ』

『そ う じ ゃ な く て !

 っていうかそれは知ってますけど!

 どこで、誰から、どうやって聞いたんですか!!』

『一年の女子達が色々と噂してたんだよなー

 ハルトの方はまだ良いとしてお前はもっとハードル高いだろ?

 七海先生今週いっぱいで大学に戻っちまうんだから。

 なんなら格安で大人の女性の口説き方講座でも開いてしんぜよう^^』

(うっぜぇえええええええっ!!ってか金取るのかよあの野郎!?)

 隠していたつもりの自身の恋愛感情を知られていただけでなくからかいのネタに使われて、ミツルは相手が上級生だという事も忘れて反撃にかかる。

『俺が苦学生だって先輩も知ってるでしょ!!つーか大人の女性の口説き方なんて先輩に解るんですか!?』

『ふっふっふ、俺くらいになればその程度は造作も無い。ついでだし一人千円ぐらいで他に受講したい連中引っ張ってこれないか?』

『わーい講座の内容は一言一句漏らさずに櫻井に伝えておきますねー』

『俺が悪かったんでそれだけはヤメテクダサイ』

 人の色恋を知っているのが自分だけだと思うなよ、犬塚キューマ。

 スマートフォンを握っていない左手でぐっとガッツポーズをとりながら、二歳上の先輩をやり込めた自分に心の中で喝采を送るミツルであった。

 

 

 

 時間は、放課後へと移る。午後四時を過ぎて、咲森学園は夕暮れの赤に染まっていた。

 夕暮れと言っても、それすらも人工の物だ。二十四時間三百六十五日、モジュールの“上空”に固定されたダイソンスフィアの人工太陽には、モジュールに熱と光を届ける以外の気の利いた機能など搭載されていない。

 ダイソンスフィアに建造されたモジュールの天蓋は、高解像度のモニターにもなっているのだ。モジュールで暮らす住人達の生活リズムを崩さないよう、時刻ごとに地球上と同じような空模様を再現し、空調システムや天蓋付近の散水装置と連動して気候すら作り出せる。

 そして今「良く晴れた、しかし過ごしやすい気温の日」を再現した気候システムは、町を赤く、明るく染めていた。

 そんな作り物の夕暮れの中、学園の校舎から敷地内の各所に伸びる道路を裏山の方に向かって歩く人影があった。

 一人は、髪の毛をツインテールに結んで眼鏡をかけた女子生徒。日頃から付き合いのあるハルトとショーコが裏山の掃除をすることになったとミツルから聞いて、部活も無いから手伝おうと

申し出た櫻井アイナだった。

 もう一人は、制服を着崩して―――どころかブレザーもネクタイも着用せずワイシャツ姿というラフ過ぎる服装なのだが―――ポケットに両腕を突っ込んで歩く男子生徒。ハルト達の罰掃除の事を聞いて少々罪悪感に駆られ、手伝いに行くアイナに同行することを決めた犬塚キューマである。

「そういえば、犬塚先輩。さっき草蔵くんが先輩のこと『メールテロリスト』とか言ってたんですけど、なにかあったんですか?」

「ん、あー、いや大したことじゃないんだけどさ。新しい金儲けの方法を考えて、ついでにミツルも手伝わせようと思ったんだけど断られちまってな」

 肝心な部分はボカして、キューマは五限目のメールの遣り取りをかいつまんで説明する。

 学生の身で何を、と一笑に付されるような話も、アイナは決して馬鹿にしない。それが、日頃から商売の方法を真面目に考えているキューマ相手なら尚更だ。

「先輩ったら、いつもお金の話ばっかりです」

「おう、いずれは世界一の大金持ちになる予定だからな」

「夢は大きく、ですね」

 ともすれば嫌味にも聞こえるその言葉に、キューマは誇らしげに胸を反らす。何であれ真面目に何かに取り組んでいる人間に、この優しい少女が決して嫌味など言わないことを知っているからだ。

 ふふっ、と上品に微笑むアイナに、キューマの頬も自然に緩む。両親によって無理矢理進路を決められて、故郷どころか地球からも離れたこの学園に放り込まれた時には想像すらしていなかった、暖かくて、穏やかな時間。学園で学んだ知識で未来を想像しながら、将来の夢を語る自分。隣には可愛い後輩が居て、微笑みながら自分の他愛も無い話に相槌を打ってくれる。

 高校生の理想とも言える幸せな学園生活のワンシーンが、ここにあった。

「あ、そういえば、これも草蔵くんが言ってたんですけど」

「ん?」

「先輩の事、キューツー先輩って言ってましたけど、キューツーって何ですか?」

「…………アイナは知らなくて良いことだよ」

「ふぇ?」

 不思議そうに首を傾げるアイナに不審がられないよう意識して笑みを浮かべつつ、キューマは固く決意した。

―――ミツル、後でシバく。

(いや、今はあいつのことは良い。それよりどうする。他の話題、他の話題は……)

「先輩?あの、どうしたんですか?」

 可愛い後輩にダイヤルQ2の意味を尋ねられると言うレア過ぎる事態を乗り切るべく、持てる話術テクニックを総動員してキューマが自然且つ確実な話題変更の作戦を考えていると。

 

「おじょーうさんっ」

 

 不意に耳に入った軽薄そうな声に、アイナとキューマは揃ってそちらを振り向く。

 そこに立っていたのは、咲森学園の制服を身に纏う五人組の男子生徒。そのうち二人がアイナ達に近い位置に立っていた。

 アイナの顔を覗き込むように背を曲げる、明るい茶髪を逆立てた少年と、それとは対照的に背筋をピンと伸ばした眼鏡の少年。眼鏡の少年も茶髪の少年と同じくアイナに視線を向けているが、身長ゆえに見下ろす形になり、アイナにはどうもその視線が圧迫感を伴ってるような気がした。

「よろしければ、道案内をお願いしたいのですが」

「ねえねえ、名前なんてゆーの? そのスカート可愛いねー」

 清々しいほどに会話が噛み合っていない。というか茶髪の方は完全にナンパのノリである。

 会話の雰囲気から察するに、先ほどアイナに話しかけたのはこの茶髪の方らしいが、一体何だというのか。

「えっと、あの……」

「……黙っていろ、今は私が話をしている」

「いちいち硬いんだよ、お前は。舞踏会にでも誘う気か?」

「どんな時でも礼儀は忘れない主義だ」

 そういう割に、眼鏡に長身の少年も戸惑うアイナを放置して相方である茶髪の少年を窘めていたようだが。

 一方キューマは彼らの遣り取りを眺めつつも、その姿に違和感を感じていた。道案内を求めるということは校舎のことを知らない人物だ。それに、制服は着ているがこの二人にも、その後ろに居る三人にもキューマは見覚えが無い。ひょっとして転校生だろうか。

 ただ、彼らの視線から感じるなにやら不快な感覚が解らない。見下されているような気がするが、自分たちがそんな扱いを受ける理由が不明だ。

(何だ、こいつら)

 えもいわれぬ不穏な空気を感じて、キューマは自分でもそれと知らぬまま、アイナを庇うように前に出る。

「おい、お前ら―――」

「住民との接触は、最低限にするべきだ」

 キューマの言葉を遮ったのは、右目の横で髪の一部を小さな三つ編みに纏めた少年だ。三つ編みは眼鏡と茶髪のやり取りに呆れたような溜息を吐くと、そのまま校舎へと足を向ける。

 これまで会話に参加しなかった赤毛にバンダナの少年と、銀髪の少年も、彼に倣って校舎へと歩を進める。

「ってオイ待てよ!道分かんのか?」

 茶髪の少年が声を掛けるが、三つ編みの少年は足を止めない。すると、それまで一言もしゃべる事の無かった銀髪の少年が、ぼそりと言葉を吐き出す。

「スプリンクラーだ」

「はぁ?」

「13メートル単位で並べられたスプリンクラーが、あの建造物の手前だけ12.5メートル単位に変わっている。窓から見える教室の座席数は40。収容できる生徒数は480名……しかし、建造物は一般的な積層工法で建てられている。加重の問題から、余剰の施設人員が入る余地は無い。導き出される結論は、建造物の地下」

 銀髪の少年はそれだけ言い終えると、後は黙々と歩き続ける。流石だな、と呟いた三つ編みの少年も、薄く笑みを浮かべながらその後を追う。

 先ほどの長ったらしい解説だか分析だかに納得がいったのか、眼鏡の少年もすでにアイナとキューマから視線を外し、後に続いて歩き始める。

 茶髪の少年だけが、ウィンクを一つ飛ばしてアイナに別れを告げ、一団を急いで追い始めた。

「……なんだ、ありゃ」

「転入生……かな?」

 話しかけておいて会話らしい会話も無く、つむじ風か何かのように去って行った五人組を眺めつつ、キューマとアイナはぼんやりと呟く。

 と、そこに。

 

「あれ、櫻井に犬塚先輩?」

 

 五人組と入れ違いになるように姿を見せたのは、陸上部のユニフォームに着替えたミツルだった。

「あ、草蔵くん」

「ミツルか。これから部活か?」

「ええまあ……今校舎に入って行った人達、先輩たちの知り合いですか? なんか皆して難しそうな顔してましたけど」

 的を外したミツルの言葉に、キューマとアイナは揃って首を振る。

「いや、さっき話しかけられたんだけどなんか様子がおかしくてな。道案内がどうとかって話だったが、結局自分たちでどうにかしたみたいだ」

「ふーん」

「……ああ、それよりミツル」

「え、なんすか……ぐふぁっ!?」

 キューマの声が普段よりも微妙に冷たいことにミツルが気付いたのは、バレーボール部で鍛えた腕にがっちりと頭をホールドされてからのことだった。

「てめえ、アイナになに吹き込んでんだこの野郎……!」

「ちょ、あの駄洒落フッたのは先輩じゃないですか!? ギブギブギブ、絞まってる絞まってるっ!!」

「ほほーう、そういう生意気な事言うのはこの口かコラァッ!!」

「あがががががっ!?」

 お返しとばかりにミツルの頭を締め上げるキューマと、ぎりぎりと頭蓋骨が軋む音に悶えるミツル。そして、二人の漫才を止めた方が良いかと思いつつも、ついつい笑ってしまうアイナ。

 そのまましばらくの間、三人は先ほどの不穏な空気など忘れてしまったかのようにじゃれあうのだった。

 

―――確かに鳴り響いた、日常が壊れる音に気付くことも無く。

 

 

 

「大体、ハルトは気持ちが足りないんだよ。気持ちが」

「気持ちって……なんだよそれ」

 咲森学園の正門から見て裏手の、小高い丘に面した廊下。用務員室と空き教室しか無い為か極端に人通りの少ないスポットで学園の生徒である一組の男女が言葉を交わしていた。

 と言っても彼らは別に好んでこの場所に居る訳ではなく、自習になった授業中に騒いだために教員の怒りを買い、罰として学園の裏山にある祠の清掃を命じられて、その為の道具を取りに来ただけなのだが。

 掃除用具をロッカーから引っ張り出しながら、ショーコは眼前に立つ幼馴染に苦言を呈する。対してそれを言われたハルトは眉を顰めて、その言葉の意味を考える。

「勝とう、っていう気持ち。昼休みの勝負だってそうだよ。ハルト、本気で勝とうと思ってなかったでしょ」

「いや、だってさ……別に良いだろ、たかだか大食い勝負程度で」

「そりゃあまあ、それだけなら私だって何も言わないよ? けど、部活だってそうじゃない」

「うぐっ」

 できればあまり指摘されたくなかった事実にまで言及した幼馴染の言葉に、ハルトはぐっと言葉を詰まらせる。

「四月からハルト、短距離走のタイムが全然縮まってないってマネージャーの子から聞いたよ。長距離でのタイムは落ちてないらしいけど、百メートル走はこれじゃ新人戦までに目標まで届かない、って」

「いや、それはその……」

「あー良い良い、言い訳しなくて良いから。どうせハルトのことだから、一年生に気を遣って……あ、っと」

 言いさしたショーコの後ろから、制服を着た五人組の男子生徒が歩いてくる。彼らのお目当ては、この区画にだけ設置されたエレベーターだろう。老齢の教師向けに設置されたもので普段は「健康推進の為」という名目で生徒の使用を禁じているが、体育が終わった後に校舎の一階から四階まで登る時なんかには重宝するので、生徒達は揃いも揃ってこっそり使っていた。

 黙々と歩く彼らを避けてロッカーに寄ったショーコだが、話題が中断されたことにハルトが安堵の息を漏らす暇すら与えず、友人の一人のようにじとーっと半分だけ開いた目でハルトを睨む。

「で、話戻すけど」

「戻さなくて良いよ……」

「何か言った?……ハルトさ、一年生に気ぃ遣ってるんでしょ。特に、ミツル君に」

 今度こそ遮られずに放たれたショーコの言葉に、ハルトはぐっと口を噤む。その沈黙を肯定と受け取って、ショーコは大きな溜息を吐いた。

「あっきれた……四月のこと、まだ気にしてたの? あの事はもうミツル君とも仲直りできたって言ってたじゃない」

「別に、そういうんじゃ無いって」

「じゃあ何だってのよ。ミツル君だったらむしろ、『そんな理由で手ぇ抜くとか馬鹿にしてんですか!』って怒りそうな気がするけど」

「あーっもう、やめろよミツルの声真似するの。あいつ結構怒らせると怖いんだからな……」

 ハルトは耳をふさぐようなジェスチャーをしつつ、ショーコから視線を逸らす。

 ミツルが怒る場面を、ハルトとショーコは数ヶ月前に一度だけ目にしていた。というか、それが原因でミツルはハルトに懐いたのである。

 もっとも、怒ったミツルが怖いと言うのはその時胸倉掴んで怒鳴られたハルトの主観であり、直後に三年生に殴られて涙目になっていたミツルの姿は、ショーコからすれば「子犬が吼えてるみたいで微笑ましかったけどなぁ」という程度のものだったが。

「ミツルに限った話じゃないよ」

 ふと、ハルトは語り始める。

「誰かと争ったり競ったりするよりも、楽しく一緒に走る方が性に合ってる。僕が陸上部に居るのは、ただ自分を鍛えたいからだし」

 その言葉には、時縞ハルトという少年の穏やかな想いが込められていた。

「欲しい物があるなら、半分こにすれば良い。喧嘩して取り合うよりも、分け合えば誰も傷つかない」

 見方によっては弱気なその言葉。けれどそれは、自分が傷つくことも、自分以外の誰かが傷つくことも望まない、ハルトの優しさゆえの言葉だ。

 だから、勝負は勝ちに行ってこそ、というショーコも何も言わない。みんな仲良く。その言葉を口にするときにハルトが浮かべる穏やかな笑顔が、ショーコは決して嫌いではないからだ。

 そのせいだろうか。穏やかな雰囲気の中で笑い合う二人は、すぐに気付くことが出来なかった。

 

 

 

 

「―――下らない、子どもの理想論だ」

 先ほどエレベーターに向かった五人の男子の一人……整った目鼻立ちの、冷たい光を瞳に湛えた銀髪の少年が、ハルトを侮蔑の表情で睨みつけていたことに。

 

 

 

 

「え……」

「エルエルフ、どうした?」

 状況が理解できないハルトの口から間の抜けた声が漏れて、遅れること半秒。エレベーターを待っていた三つ編みにボブカットの男子生徒が、銀髪の少年に声を掛ける。エルエルフ、というのは彼の名前か、ニックネームだろうか。なんかファンシーな名前だ、とショーコはどこかズレた感想を抱いていた。

 銀髪の少年ことエルエルフがハルトを睨みつけている状況に驚いているのは、彼と連れ立って歩いていた四人の男子も同じなのだろう。目を見開いたり口を半開きにしたりと、それぞれが普段はやらないのであろう形に顔のパーツを変形させている。

 エルエルフは驚愕に固まる周囲に構うことなくショーコを指さし、更なる爆弾発言を投下する。

「その女を俺によこせ」

「………………はっ?」

「聞こえなかったのか? お前の後ろに居るその女を、俺によこせと言っているんだ」

 今度こそ、ハルトの思考は完全に停止した。

―――なんだ。このエル何とか君は何を言っている。彼はショーコに告白しているのか? こんなところで? 僕の目の前で? 僕が話していたのに?……いやいやいや最後の一つはあんまり関係ない。

 ハルトが混乱していると、まるで物のように扱われたショーコが険しい視線をエルエルフに向ける。あ、これはストレートに怒っているぞ、と幼馴染の勘で察すると同時、ハルトは咄嗟にショーコとエルエルフの間に割り込むように手を広げる。

「……い、嫌だ」

 訳が分からないながらもそれだけを短く、しかし強い口調で言い切ったハルトに、ショーコは驚きの目を向ける。しかしエルエルフは動じない。珍しく自分の意思で誰かの言葉を拒絶するハルトの姿はあまりにも弱々しく、エルエルフに何の感慨も抱かせなかったのだ。

「なら、半分にでもするか」

「…………」

「お前はハムエッグの黄身も愛した女も、ナイフで半分に切り分けるのか」

 比べるもののレベルが違い過ぎるだろう、とエルエルフの揚げ足を取ることは出来ない。彼がそんな下らない話をしている訳ではないのは、至極真面目なその表情を見れば誰にでも判るからだ。

 何も応えないハルトから視線を外すとその肩越しに、エルエルフはショーコに向かって手を伸ばす。

 

―――ショーコに触れるなっ!

 

 刹那。ハルトの胸の裡に、燃え盛るような激情が宿る。

 心の中で、爆発するように広がる“恐れ”のままに、ハルトは両手をエルエルフに突き出した。

「……ふん」

「うわっ、とっ、あだっ!」

 しかし、エルエルフは涼しい表情でハルトの腕を取るとそのまま振り回すように態勢を崩し、決して軽くは無いハルトの身体を廊下に引き倒す。リノリウムの廊下に背中を強かに打ち付け、ハルトは痛みに呻く。

「ハルト!? ちょっと、あんたねぇ!」

「止せ、ショーコっ!」

 目の前でハルトに手を挙げられて堪らずエルエルフに詰め寄ろうとしたショーコだったが、当のハルトに鋭く制されて、足を止める。ハルトに向かって伸ばされた、エルエルフの右腕。制服の袖口から、金属の冷たい光が覗いていた。

「来ちゃだめだ、僕は大丈夫だから……」

 制服にナイフを隠し持っているようなヤバい男に、ショーコを近付かせてはいけない。瞬時に判断したハルトは強打した背中の痛みに眉を顰めつつも、エルエルフから視線を逸らせないでいた。

 エルエルフは、依然として冷たい目でハルトを見下ろしている。

「本当に大事なものは、半分になんて出来ない」

 その言葉は、血が上っていたハルトの頭から熱を奪うには十分すぎた。

「お前が戦いたくなくても、向こうが殴ってきたらどうする。ヘラヘラ笑って、大事なものを譲るのか」

 それは、何時か誰かに言われた言葉。気弱な自分の性格のせいにして、いつも目を逸らし続けてきた可能性。

「譲れないのなら……戦うしかない」

 エルエルフはそれだけ言うと踵を返して他の男子たちのもとに向かって歩き出す。ちょうど、エレベーターの扉が開いたところだった。

「……ハルトっ、大丈夫!? ああもう、なんなのよアイツぅ!」

 エルエルフと、未だ戸惑った表情の男子たちが姿を消してから、弾かれたようにショーコがハルトを助け起こす。

 だがハルトはエルエルフの言葉の意味を、それに釣られるように思い出した後輩の言葉を、そしてキューマからのメールで送られてきた言葉の意味を考え続けていた。

 

『へらへら笑いながら走ってる時縞先輩に、何が解るってんですか!?』

 

『誰かにとられてから泣いても知らないぞ』

 

『譲れないのなら、戦うしかない』

 

 

 

―――確かに鳴り響いた、日常が壊れる音。それは何よりも早く痛みとなって、ハルトの胸を刺し貫いた。

 




○草蔵 ミツル
 咲森学園の一年生。陸上部所属。十月十四日生まれ、本編開始時点では十五歳。
 茶髪の癖っ毛に、太めの眉毛が特徴。目はハルトと同じく薄い青。
 眉毛を「オタマジャクシ」と言われたら問答無用でキレる。

 ミツルの容姿については、アニメ第五話に出て来たモブ生徒のビジュアルを参考にしています。
 第五話Bパート10分8秒の辺りの学園のPVの中で、「学生たちが廊下の窓から、空を飛ぶ一号機を眺める」シーンで、窓でなくカメラに顔を向けて歯を剥き出しにして「キラッ☆」のポーズをとっている、茶髪の眉の太い男子生徒がミツルだと思ってください。


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第二話 崩れる日常

※昨日、前話の後半を追加しました。よろしければご覧ください。


「咲森ーーーっ! ファイっ!」

『おーっ!』

「ファイっ!」

『おーっ!』

「ファイっ!」

『おーっ!』

 学園の外周をランニングしながら、陸上部に所属する男子生徒達は声を張り上げる。運動しつつ大声を出すと言うのは古来から用いられてきたトレーニングの方法であり、主に腹筋へのダメージが大きい。普段鍛えていない方がこれを突然やると次の日に腹部の筋肉痛で笑う事すら出来なくなるのでご注意されたし。

 また、そうなってしまった場合は無暗にそのことを喋らない方が良いだろう。こういう時に限って何人かがスマートフォンの面白画像やコントの映像で笑わせに来るものだ。

「ラスト一周! 腹から声出せーっ!」

『押ーー忍っ!』

「咲森ーーーっ! ファイっ!」

『おーっ!』

「ファイっ!」

『おーっ!』

「ファイっ!」

『おーっ!』

 先頭を走る部長の後に続いて、ミツルを始めとする部員達はそれまで以上の大声で叫ぶ。こんなに叫んで周辺住民に迷惑ではないのか、と普通なら考えるところだが、その心配は不要だ。ジオールの国立高校である咲森学園は、無駄に広い敷地と緩い校則が特徴でもあるのだ。

 二周もすれば3キロは走ったことになるだろうという広い外周を走る陸上部の部員達。その姿を、プールサイドから眺める者達が居た。

「おぉー」

「頑張れ頑張れー」

 体を冷やさないようバスタオルに包まりつつ、身を寄せ合っている水着姿の女子生徒達。病欠などで体育の授業を欠席した為に、水泳の補習授業に参加している生徒達だ。今も泳いでいる生徒は居るが、彼女たちは自分の番が終わって一休みしているところであった。

「あれ? 時縞君が居ないね」

「あ、ほんとだ。休みかな?」

「ハルトならショーコと二人で罰掃除中だよ」

 女子生徒の一人が漏らした疑問に答えたのは、補修に参加している生徒の中でもひときわ小柄な、瞼が半分しか開いていない少女―――ハルト達のクラスメートであり、ショーコの親友でもある野火マリエだった。

「ほら、午後の物理の時間に」

「あーそうだった。貴生川先生に二人で怒られてたね」

「罰掃除かぁ……全校のトイレとか?」

「うわっ、それマジ最悪じゃん」

 もとより交友関係が異常に広いショーコだ。この場に居る女子生徒のほとんどはショーコと一度は話をしたことがあったし、そのショーコと親しいハルトとも面識が無いわけではなかった。

「んにゃ、裏山って言ってたかな」

『え?』

 マリエがそれとなく漏らした言葉に女子生徒達は一瞬静まり返り、次いできゃあきゃあと騒ぎだす。

「えー!? 裏山って、あの伝説の祠の!?」

「もしかしてショーコ、今頃時縞君にコクってたりしてー!」

「絶対うまく行くっていうもんねー」

「ふーん……でも“あの”ハルトだよ?」

「甘いわ野火さん! 普段は頼りなくてもこういう時こそ女の決断を受け止められるのが男ってもんなのよ!」

「普段頼りない男の子が突如見せる『漢』の顔・・・そんなところに女の子はくらくらしちゃう!」

「野性が目覚めてビースト・ハイなのよね!」

「……なにそれ」

「あれ? マリエこのネタ知らない?」

 どうやら咲森学園の女子生徒達の中では、「時縞ハルト=ヘタレ」は共通認識となっているらしい。どうでも良いが「ビースト・ハイ」というのは現在世界中で広く販売されている炭酸飲料である。キャッチコピーは『君の中の野性が目覚める! 覚醒系飲料ビースト・ハイ!』。考えた人間はひょっとして徹夜明けか何かだったのではなかろうか。

 

 閑話休題。

 

 まあ、お約束というかなんというか。年頃の少女たちにとって、知り合いの恋愛話と言うのは三度の飯よりも優先すべきものなのだ。

 しかし少女たちは大事なことを忘れている。今は部活動の時間でも、まして自由なプール遊びの時間でもない。

「ほら皆っ! 私語してないで次々! 今は補習中!」

 ピーチクパーチクと盛り上がる女子生徒達であったが、彼女たちの補習授業を受け持つことになった女性教員―――実際には、未だ大学に籍を置く教育実習生なのだが―――が黙っていない。耐水仕様のタブレットコンピュータで生徒達の成績の管理をしつつ、女性教員こと七海リオンは、どうにも威厳や迫力の足りない体躯を怒らせて女子生徒達を注意する・・・が、しかし。

「あ、七海ちゃん」

「ねえねえ七海ちゃんさあ、ビースト・ハイってジュース知ってる?」

「っていうか七海ちゃんスタイルやばくない? なに食べたらそんなんなるのよ」

 女子生徒達は誰一人として、彼女に“先生”という敬称を付けることは無い。完全に舐められていた。

「も、もーっ! 今は授業中! 補習授業中だってばーっ!! っていうかちゃんと先生って呼んでよぉーっ!」

 上半身を突き出しながら握り拳を上下に振り、精一杯怒っていますアピールをするリオン。だがその無邪気にも見える仕草は、別方向へと影響を与えた。

 

「うぉっ!? お、おい、見ろアレ!」

「うっわ、七海先生すっげえ……ばいんばいんとか音しそー……」

「ちょ、ミツル!? 鼻血、鼻血出てるって!」

「誰か霊屋の奴呼んで来い! この学校で一番いいカメラ持ってるのはあいつだ!」

「あ、俺霊屋先輩の番号知ってます!」

「よっしゃあでかした!」

 

 視界に入ったなんとも眼福な光景に、丁度プールの近くを走っていた男子陸上部員達の動きが目に見えて鈍る。真面目に走ってこの場を離れれば見えなくなってしまうからだ。何がと聞いてはいけない。

 当然ながらこの阿呆な騒ぎはすぐに、プールに居た女子生徒達の知るところとなる。あちらが見えるという事はこちらも見えているのだから当然であろう。

「くぉら、陸上部っ! 前かがみになってんじゃなーーーいっ!!」

「やだもうサイッテー! やらしい目で見てんじゃないわよーーっ!」

「ミーツルー、鼻血は拭いとけよこのおっぱい小僧ー」

「野火先輩ぃぃいいいいっ!? 何で俺だけ名指しーーーーっ!?」

 結局、水泳の補習に参加していた三年生女子の陸上部員の命令で男子の外周ランニングが六周増やされ、ミツル達はウォームアップだけで都合15キロメートル走る羽目になったのであった。

 

 

 

 

 所変わって、学園敷地内にある裏山。「裏山の祠の前で告白すると必ず両想いになれる」というまことしやかな噂が流れる場所だが、その色めいた噂の割に、周囲には落ち葉やごみがちらほらと散らばっている。気候管理によって生まれた常緑林の弊害だろう。一年中木に葉っぱが付いているという事は、一年中落ち葉が落ちるということでもあるのだから。ハルトとショーコは本日、物理教師の貴生川教諭によってこの祠前の広場の掃除を命ぜられたのだが、真面目に掃除をしているのは手伝いに来たアイナだけであった。

「あぁ~~っもう、ホンットムカつく! だいたい私ハムエッグは完熟派だし、そもそも大事なのはハムじゃん!」

 ツッコむポイントのズレている文句をぶちぶちと言いながら乱雑に箒を動かすショーコと。

「うん、そうだね。ハムは大事だ」

 そこじゃねえよ、とこれまたツッコみどころに事欠かないことを言いながらも、どこか上の空で作業の手を止めているハルト。

 すでに箒を肩に担いで気怠そうに立っているキューマと、一人真面目に地面のごみを掃いていたアイナはその様子に顔を見合わせる。

「……なあ、押し倒されたのはハルトなんだよな?」

「そう聞いてますけど……ショーコさんの方が怒ってますね」

「だよなぁ……うぉ!?」

 視界の隅で動いた何かの気配に、反射的にキューマは身を捩らせる。直後、ちょうどキューマの頭があった位置をショーコが苛立ち任せに振りかぶった箒が薙ぎ払う。もう少し回避が遅ければキューマの横っ面に古めかしい竹箒がぶすりと突き刺さっていただろう。

「ハルトは良いこと言ったのにー! なんにも間違って無ーいーのーにー!!」

 ばっさばっさと両手を振り回し、既にこの場に居ない銀髪の少年を想像の中でしこたま箒で殴りつけるショーコ。当然、現実に被害を被りそうになっているのはすぐ傍に居たキューマなのだが。

「だぁあ、落ち着け! 俺達に言っても仕方ないだろっ!」

「でも!」

 憤懣やるかたない、といった風に、ショーコは地面と箒に八つ当たりを続ける。キューマがそれを宥めようと声を掛けるが、今の彼女に何を言おうと火に油を注ぐだけである。彼女がこんな風になったら、止められるのは一人しかいない。

「……ありがとう、ショーコ」

「え」

 そう、ハルトにしか出来ないことだ。

「僕のこと心配して、怒ってくれたんだよね。だから、ありがとう」

 どこまでも穏やかに、自分を肯定してくれるハルトの言葉に、ショーコは急激に落ち着きを取り戻す。出処を失くした熱はベクトルを変えて、代わりに彼女の頬を赤く染めた。

「そ、そりゃあ、ハルトが怒んないから私が代わりに怒ってるんだよ。だって、友達があんなことされたら黙ってらんないもん……」

「あはは、そっか……そうだよね」

 照れ隠しに放った言葉にも、ハルトはにこやかに笑うばかり。この分では、照れているのも見抜かれているのだろう。そう思うとますます照れくさくなって、余計に顔を赤くしてしまうショーコであった。

(何か、良い雰囲気だな)

(そうですね……私達、ちょっと向こうに行ってましょうか?)

(だな)

 そんな二人の微笑ましい様子に、にやにやと面白そうな笑みを浮かべたキューマはさりげなく祠の裏手に回って二人の視界からフェードアウトし、アイナがそれに続く。

 抜き足差し足忍び足。枯れた落ち葉を踏むことも無く、アイナとキューマは祠の裏へと回り込む。

 と、そこには先客の姿があった。黒いストレートヘアのその女生徒はそこらの大きな石に腰かけて、右手に持ったスマートフォンを弄っていた。

「……あれっ、流木野さん?」

 祠の裏手でピコピコとスマートフォンを弄っていたのは、アイナのクラスメートである女生徒だった。

 流木野サキ。ジオールのテレビ番組ではそこそこ名の知れていたアイドルタレントで、現在はアイドル活動を休止して、普通の高校生として咲森学園に通っていた。

……因みに彼女がここに居る理由については、人気の少ない場所で体育の補習をサボっているだけであり、先ほどプールで哀れな教育実習生が「補習対象の子が全員揃わない~……」と涙目になっていたことを追記しておく。

 サキはアイナの姿を認めると一瞬そちらに視線を向けるが、すぐに自身のスマートフォンに視線を戻してしまう。

 あまりと言えばあまりにも素っ気ない彼女の態度だが、それが芸能人という色眼鏡でちやほやされるのを好まない彼女の癖なのだと、アイナは知っていた。

 アイナが遠慮なくサキの手元を覗き込むと、スマートフォンには最近流行りのソーシャルゲームの戦闘画面が表示されている。

「あ、『パズル&ティアマット』……流木野さんもやってるんだね。私も一回やってみたよ」

「ふーん……櫻井さんもパズティアやってたんだ」

「うん、でもいつも2面でやられちゃって……結構難しいよね」

「そう? 私もう4面まで進んだけど」

「えぇー?」

「やり方が悪いのよ、やり方が」

 素っ気ない物言いとは裏腹に、サキの表情は柔らかい。恐らくこれもアイナの人格と人望の賜物なんだろうな、とキューマは一人納得しながら、うんうんと頷いていた。

 

 

 さて、置いて行かれたハルトとショーコはといえば。

「そ、それよりもさ。ハルトこそさっきからぼーっとしてるけど、どうしたの」

 どこかむず痒い雰囲気に耐えられなくなったショーコが強引に話題を変える。するとハルトの表情からは微笑みが抜け、先ほどまでの何かを考える顔つきに戻る。

「考えてたんだよ。あいつに言われたこと」

「……譲れないなら、ってやつ? 別に気にしなくてもいいと思うけどなぁ……」

「でもさ、ほら。なんていうか、どうにも気になるっていうか……あいつの目、怒った時のミツルに似てた気がしたんだよな」

 ハルトは、直感で思い当たったことを率直に口にする。しかしその言葉に、ショーコは疑問符を頭上に飛ばす。

「えぇー? ミツル君とあのハムエッグ男がぁ? ミツル君はあんなムッツリした顔してないって、もっと可愛いよー」

「いや、そういうことじゃなくて……」

 苦笑するハルトは、再びあの銀髪の少年……エルエルフの瞳の光を思い出す。

『譲れないのなら……戦うしかない』

 どこか冷めたような目でこちらを見ているような奴だったが、その言葉を放った時の彼は、何か、胸の裡に炎を燃やしているような印象を受けた。

 同時に、ハルトはその瞳に光に見覚えがあった。

 数か月前のこと。自分の不注意な一言で、同じ部活の後輩を―――ミツルを激怒させてしまった時のことだ。

『ヘラヘラ笑って走ってる時縞先輩に、何が解るってんですか!?』

 自分と違い、ミツルは陸上部の活動に明確な目的を持っている。そんな彼からすれば、誰かと競う事が苦手だ、などというハルトは、さぞ不愉快に見えたことだろう。

 今でこそショーコのおかげで親しくなったが、ミツルも嘗てはエルエルフのような目で自分を睨んでいたことがあったのだろうか。

「ハルトがそういうの得意じゃないって、みんな知ってるよ。それに、そもそも誰かと何かを取り合うなんて、ハルトはしないじゃない」

 ショーコの声に思考を遮られて、ハルトは現実に復帰する。けれど、決めつけるようなその言い方が、ハルトには面白くなかった。

「あのなぁ……僕にだって、譲れないものは……あっ」

 誤魔化すように両手で持った箒を動かし、掃除を再開するハルトだったが、箒の先が祠の近くの絵馬掛けを掠めて、そこに下がっていた絵馬の一つを弾いてしまう。

 慌ててそれを拾ったハルトは、絵馬が割れたりしていないかを確認し……その裏に書かれた願い事が目に入る。

 

『この恋が叶いますように!』

 

「っ……」

 それはつい今しがた脳裏をよぎった、ハルトにとって何よりも守りたい、譲れない想いだった。

「あー、それ? みんなやってるよね」

 ハルトの手元を覗き込んだショーコの何気なさに、う、とハルトは胸中で呻く。

(近いってば、ショーコ……)

 鼻先が触れるような距離に、ショーコは易々と入り込んでくる。鼻先を掠めた正体不明のいい匂いにハルトがどぎまぎしていると、ショーコはくるりと踵を返してハルトから体を離してしまう。

「この祠の前で好きな人に告白するとゼッタイに上手くいく、伝説の祠って話。出来て三年の新設校で“伝説”は無いよねぇ」

 なんの他意も無い、自然体の仕草。今までは、幼馴染の自分だけに向けられているものなのだと心のどこかで甘えていた。

 

『その女を、俺によこせ』

 

 けれど、そんなものは子どもの理屈だ。魅力的な彼女に好意を持っているのは、決して自分だけではない。

 もしもショーコが無防備に身を寄せるほど気を許しているのが、自分だけでは無かったら。

 いつか彼女とキスをするのが、自分以外の誰かだとしたら。

 

(……それは、すごく嫌だ)

 

「……僕にだって、譲れないものはあるよ」

 決心してからは早い。ハルトは一度、心を落ち着かせてショーコに視線を向ける。気を利かせてくれたのか偶然なのか、キューマとアイナは視界には居なかった。

―――夕暮れの、人気の少ない場所。掃除中という微妙な経緯ではあるが、想い人と二人で縁結びで有名なスポットに立って居る。

 今しかない。そう思うのは、自然な事だった。

「ショーコ」

「ん、なに?」

「君に、言いたいことがあるんだ」

 その時ハルトは、これまでになく真面目な顔をしていた。名を呼ばれて振り返ったショーコも、そのハルトにしては“らしくない”表情に、ついつい笑ってしまう。

「な、なになに。どうしたの急に改まっ……て……え?」

 シチュエーションがあまりにもコテコテだから、だろうか。ショーコは然して時間も置かずに、先程自分が言ったこの祠の噂を思い出す。

「僕は―――」

「わあーーーーっ!? ちょ、ちょっとタンマっ!!」

「え!? あ、う、うん……?」

「ちょ、待って。ほんと待って、そんな急に……わ、私にだってその、心の準備とか……あー、うー……」

 想定よりも若干出端をくじかれる形になったが、それでも台無しになった訳ではない。

 これは、自分が初めて仕掛ける“勝負”だ。絶対に“負け”られない、負けたくない勝負。ハルトは自分に言い聞かせて、努めて冷静に心を落ち着かせる。

 そして、ショーコもそれを察していた。人と競ったり、争ったりするのが嫌いなハルトが、大きな勝負に挑もうとしている。それは喜ばしいことだし、何よりも誇らしい。そして……きっと、自分にとっても、とても素敵なことだ。誤魔化したり、はぐらかしたりしてはいけない。

 呼吸を落ち着かせたショーコは、ハルトに向き直る。その視線が続きを促しているものだと判断したハルトは、震えそうな声を必死に落ち着かせて言葉を紡ぐ。

「ショーコ……僕は、君のことが―――」

 

 

 

 

 刹那。

 轟音と共に、大地が揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんだぁ!?」

 走り幅跳びのジャンプの態勢から盛大につんのめり、顔から砂場に突っ込んだミツル。口に入った砂をぺっ、と吐き出すと、彼は暗くなった周囲を見渡し……“周囲が暗くなっていること”に驚きの声を上げる。午後四時台の夕焼け空を映している筈の天蓋モニターは機能を停止して、学園は夜のような暗がりの中に在った。

「停電してる……地震か?」

「馬鹿言え、ここは宇宙だぞ」

「デブリにでもぶつかったんじゃ……」

 グラウンドで部活動に励んでいた学生たちが、一斉にざわめきだす。どうやら誰も、今の状況を把握できていないらしい。これじゃ埒が明かないと判断したミツルは、グラウンド脇のプールに走り寄るとその中に居るであろう人物に声を掛ける。

「七海先生ーっ! 七海先生居ますかー!」

「あ、えーっと……一年の草蔵君?」

 名前を呼ぶ前に若干空いた間に、名前だけでも覚えてもらいたいな、と考えながらもミツルは思考を切り替え、この非常時の指示を仰ぐ。

「これ、どうなってんですかね……」

「う、うーん……先生にも何が何だか」

「停電の放送とかは有りませんでしたよね? なんだろう、事故でも起きたのかな」

「どうなんだろう……まあ良いや、他の先生にも連絡取ってみるから、草蔵くん、陸上部の部長さん呼んできてくれない?」

「うぃーっす」

 リオンに返事をするや否や、ミツルは陸上部の部員達が集まっているグラウンドの方へ――ー

 

「きゃああああっ!? なにアレ!?」

 

 戻る前に、その悲鳴は響いた。

「アレ?……うわっ!?」

 何とはなしに上空を見上げたミツルは、視線の先で飛翔する物体を見て驚きの声を上げる。

 赤いマシンアイを持つ巨大な機械が、学園に向かって猛スピードで向かってきている。

 バーニアから炎を噴き出しながら空を飛ぶ、丸々とした巨体。足の無いゴリラのようなそのシルエットは、両腕に当たる部分から凶悪なガトリング砲をぶら下げている。

「なっ、なんだ!? なんだアレ!? せ、先生アレって……!」

「お、落ち着いて草蔵君! 皆、急いで校舎に入って!」

 パニックを起こすミツルに声を掛けて、リオンは集まっていた女子生徒達を避難させる。

 そこから、咲森学園の長い夜が始まった。

 

 

「おいユウスケ!あれって……!」

「ああ、間違いない!」

 正門の方から学校の校舎に向かって同じ部活の仲間と一緒に走りながら、霊屋ユウスケは手持ちのビデオカメラでその光景を撮影する。望遠レンズの先では、テレビや本で見覚えのあった機動兵器が縦横無尽にモジュールの空を飛び回っている。

「ドルシア軍の正式採用戦闘ポッド、バッフェ有人が、たはぁあっ!?」

 上空を目で追いながら走っていたユウスケと仲間たちは、突然傾いた地面に足を取られ、そのまま三人揃ってすっ転ぶ。彼らを押し退けるように地面を割って現れたのは、モジュールの構造ブロック内に設置された自動制御の対空機銃だ。

 凄まじい音を立てて打ち出される弾丸。鼓膜を破りかねないその音に頭を抱えながらも、ユウスケ達はその場を離れる。熱の籠もった機関銃の排莢に押しつぶされるなんて御免だし、この機銃は真っ先にあの戦闘ポッドに攻撃されるだろう。ミリタリーオタクの知識から割り出した答えから身を守るべく、彼らは撮影を断念して校舎に向かった。

 

 

「慌てないで! 順番に体育館に入りなさい! ほら、何をしているの!」

 逃げ惑う生徒達を誘導しつつ、二ノ宮タカヒはやや高圧的な口調で指示を飛ばす。パニックを起こす生徒達に対する口調が荒くなってしまうのは、彼女もまたこの状況に戸惑っているからか……いや、彼女は明確に目上の人間を相手にしない限り、普段から誰に対してもこの口調である。

 部活も無い日に学校に残っていたのは偶然だった。生徒会の仕事で忙しい友人を待って、彼の仕事が終わったら買い物に付き合わせてやろうと思っていたその時、学校を大きな揺れが襲った。

「タカヒ様!タカヒ様も早く避難してください!」

 自身の取り巻きである二人の女生徒がタカヒに向かって叫ぶ。しかし、今この場で逃げることはタカヒの流儀に反する。

「いいえ、まだ避難し終えていない生徒がいる筈だわ。わたくしが逃げるのはその後でしてよ」

 ジオールでも有数の名家である二ノ宮家の息女として、そしてこの学園の生徒会副会長として。他の生徒達よりも早く避難するわけには行かない。そんなことをすれば、自分は二ノ宮タカヒで居られなくなる。

 しかし、タカヒは自分が思っている以上には、二人の女生徒から慕われていた。

「だったら私達も、私達もお手伝いしますから……!」

「リリイ、エリ……解ったわ」

 涙目で懇願する学友に促され、タカヒはもう一度周囲を見回す。自分と一緒に逃げてきた生徒の、半数以上はもう避難できたであろうか。ここまでやれば、後は教員に任せて―――

「っ!? 二人とも伏せなさい!!」

 窓の外で校舎に向かって放たれた光を視界の端に認めると、タカヒは取り巻きの二人を抱きかかえるようにして廊下に倒れ込む。

 直後。轟音と爆風が、彼女たちの視界を覆い尽くした。

 

 

「げっほ、がはっ……何だってんだ畜生がっ!」

 背中に降り注いだ細かい瓦礫を腕で払いのけて、山田ライゾウは苛立ち任せに叫んだ。仲間と共に校舎に避難して、隙あらば有事に備えようと思っていた矢先。学校のあちこちに隠していた木刀・鉄パイプコレクションを回収しようと駆けずり回っていた彼らは、運悪く校舎に撃ち込まれたミサイルの着弾地点近くに居た。

 砂埃を含む風に煽られて痛む目を袖で擦り、ライゾウは仲間たちの安否を確認する。不良仲間の生徒達がそこかしこで呻いていたが、幸いにも皆、意識はあった。

「ノブ! 生きてっか!?」

 先ほど、窓の外から聞こえた飛翔音で危険を察してライゾウの背中を押した親友の名を呼ぶ。こんな時まで自分の命を救ってくれるとは、まったく出来た舎弟である。ライゾウはいつも通りに親友に礼を述べようとして……

「……おい、ノブ?」

 自身の隣に倒れ伏す、ぴくりとも動かない親友の姿を見た。

 まさか、と思ってその肩を掴んで上体を起こすと、大声で彼の名前を呼ぶ。

「ノブ。おいノブ! しっかりしろ、てめぇ何ノンキに寝てやがる!! おいっ、目ぇ開けろコラ! 起きろ! 起きろって言ってんだろーがぁっ!!」

 幾ら呼びかけても、親友は目を覚まさない。口元や胸に手を当てても、呼吸も鼓動も既になかった。

「……ん、だよ……!」

 中学校からずっと共にバカをやってきた、かけがえのない親友。その男が死んだ事実が理解できず、ライゾウは天に向かって力の限りに吼える。

「何なんだよ、畜生おおおおおおっ!!!」

 

 

 学園の体育館では、グラウンドに出ていた生徒達が続々と避難して来ていた。多くは部活動中に今回のパニックに巻き込まれた者達で、幸いにも各部の顧問や、校舎に残っていた教師たちの先導で何とか避難をしてきていた。

「先生、三組の点呼終わりました!」

 ミツルは一年三組の生徒達の中でこの場に居る者の確認を取ると、水着姿のまま一年生の担任教師たちの代理として点呼を受け持っていたリオンに声を掛けた。

「お疲れ様、草蔵君。それで、クラスの子たちは……」

「……やっぱ、何人か居ないです。連絡取ろうにも混乱してて電話が繋がりにくいとかで……」

 言いよどむミツルの表情は暗い。もしかしたら連絡の取れない数人は、もう避難が間に合わず、手遅れになってしまったのではないかと考えてしまったのだ。

 俯くミツルの頭を、リオンは優しく撫でる。

「大丈夫、大丈夫よ。きっと何とかなるって……ほらほら、シャキッとしなさい男の子!」

 ミツルを励まそうと笑顔を浮かべるリオンに、思わずドキリと胸を高鳴らせるミツル。場違いな、と思っても、リオンの笑顔はミツルの元気を取り戻すには一番効果があった。

「……はい。しばらくしたら俺、もう一回校舎の中見に行ってきます」

「あー、それは止めておいた方が良いかも。先生たちが行ってくるから、草蔵くんも着替えて休んだりしとかないと駄目だよ」

「え、でも先生たちも人手が……」

「あはは、まあ確かに。貴生川先生辺りが居ればいいんだけど、まだ連絡が取れてないのよ」

「そうっすか……ん、貴生川……?」

 貴生川。

 物理。

 午後の授業。

 罰掃除。

「あ……そ、そうだ七海先生! ハル先輩……二年の時縞ハルト先輩と、指南ショーコ先輩がどこにいるか知りませんか!?うちのクラスの櫻井と、三年の犬塚先輩も一緒にいる筈なんです!」

 

 

 

 

 

 混乱に飲み込まれる学園。裏山から急いで降りたハルト達は、戦闘ポッドにたかられて攻撃を受け、少しずつ崩れていく校舎を見た。

「どーなってんだよコレぇ!?」

 キューマの叫びに答える者は居ない。

 今も視線の先では、謎の戦闘ポッドとジオール国防軍の戦闘機「スプライサー」が空中でドッグファイトを繰り広げている。速力ではスプライサーに利があるが、戦闘ポッドの火力と、それを操るパイロットの腕前にジオール軍は足元にも及んでいなかった。

「戦争……」

 呟いたハルトの言葉に、全員が体を強張らせる。ハルトも、ショーコも、キューマとアイナも。そして、アイナに連れられて一行と共に逃げてきた、サキも。

「ともかく、校舎に急ごう。学校に残ってた連中はそこにいる筈だ」

 キューマの言葉に従い、第一校舎に向かって走り出すハルト達。戦闘の衝撃で地面が揺れ、プールの水が飛沫となって彼らに降りかかる。

「っ、待って!」

 その飛沫の奥に見えた物のシルエットに、ハルトは思わず声を上げる。

 プールの水を盛大に跳ね上げたのは、戦闘の衝撃などではなく、そこから現れた巨大な物体だった。

「これって……」

「ロボット……なのか?」

 まさか学校を襲っている連中の仲間か、と一瞬身構えるハルト達。しかしよく見ればそのロボットはケージで拘束されており、背中から何本ものケーブルを伸ばしている。

 何故、学校のプールからこんなものが出て来た? 逃げている最中だという事も忘れて、ハルトはそんなことを考える。

「ショーコさん!」

 呆けたようにロボットを眺めていたハルトは、アイナの悲鳴染みた声にはっと振り向く。視線の先ではショーコが、校舎前の道路に向かって走り出していた。見ると戦闘であちこち抉れた道路には一台の車がタイヤを取られて取り残されており、中では乗っていた人間が蹲っていた。

「あの車、まだ人が乗ってる!」

「ショーコっ、危ない! 戻るんだ!」

「だいじょぶっ、先に行って!」

 ハルトの制止の声にショーコは振り向かず、ドアの半分開いた車へと向かう。

 どうしたもんかと混乱するハルトの視界で、戦闘ポッドとスプライサーのドッグファイトに変化が起こる。急制動をかけてスプライサーをやり過ごす戦闘ポッド。後ろを取る形で位置の利を得た戦闘ポッドは離れていくスプライサーに向けて腹部に格納されていたミサイルを撃つが、スプライサーは間一髪のところでそれをかわす。

「あ……」

 獲物を仕留め損ねたミサイルは、そのまま地面に向かって進み―――ハルトとショーコの間に割り込むように、まっすぐに落ちてくる。

 

「だっ―――駄目だショーコっ、行くなあああああっ!!」

 

 ハルトの悲痛な叫びも空しく。

 道路に炸裂したミサイルの爆風が、ハルトの視界からショーコの姿を掻き消した。

 

 

 




 白ヴレイヴの登場までオリ主が空気なのは仕様です。


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第三話 火人 ―紅緋の鎧武者―

今回で第一話分のストーリー終わりです。


 ドン、という大きな音と共に地面が揺れて、体育館のそこかしこから悲鳴が上がる。

「うわっ!?……今の、結構近かったぞ……?」

「ミツル、やっぱりハルトとショーコは……」

「まだ判んないっす。さっきからケータイも通じなくて」

 水着の上にバスタオルを羽織った薄着のまま心配そうな顔で見上げてくるマリエに、ミツルは留守電に切り替わったスマートフォンの画面を見せながら言う。普段、感情を動かすところをあまり見せないマリエだが、二人の友人の安否が知れない事実に沈痛な面持ちを浮かべている。

 ツィッターのコメント欄を見てみればこの騒ぎに対する情報が出回っているが、そこにハルトやショーコの書き込みは無い。電波の繋がらない位置に居るのか、書き込む暇がないのか、或いは……

(えーいっ、考えるな! 暗いこと考えても気が滅入るだけだ!)

 脳裏を過る嫌な想像を振り払い、ミツルは再び情報システム「WIRED」に登録した自身のアカウントから、ハルトとショーコに関する情報を検索する。該当件数はやはりゼロ。

「少し、時間置いてみましょう。ハル先輩も指南先輩も、もしかしたら書き込んでるヒマが無いだけかもしれませんし」

「……だと、良いんだけど。ごめん、そろそろ戻る」

 言って、マリエはミツルから離れ、怪我をしている生徒達のもとへと向かう。リオンと手分けして、避難の途中で怪我をした生徒達の応急手当てに回っていたのだった。

 さて、何時までもスマートフォンと睨めっこばかりしては居られない。今も怪我人の手当てと生徒の点呼に奔走するリオンとマリエや保健委員会の手伝いに戻るべく、ミツルがスマートフォンをポケットにしまったその時だ。

「おーいっ!皆、ワイヤードのトピックスに上がってるライブ映像見てみろっ! そ、それと外! 第一校舎の方!」

 体育館二階のギャラリー席から外の様子を窺っていたユウスケが身を乗り出し、体育館に居る生徒達に向かって叫ぶ。その声に怪訝そうな表情を浮かべながらも、数人の生徒が自身のスマートフォンの画面を覗き込む。

 スマートフォンをもう一度ポケットから引っ張り出しながら、ミツルはギャラリー席への階段を駆け上がる。

「霊屋先輩、ライブ映像って……」

「あ、ミツル! これだこれ! これ、うちの学校だよな!? な!?」

 混乱して……というか、興奮しているのか、額に汗を浮かべつつ視線をぐりぐりと躍らせるユウスケの姿に若干引きながらも、彼をそこまで惹き付ける映像とは何だろう、とミツルはその画面を覗き込み……

「……は?」

 目と口で綺麗な丸を三つ、顔の上に並べるのであった。

 

 

 

 

 

 時間は、少しばかり遡る。

 

「……ショー、コ?」

 砂煙の晴れた、第一校舎近辺の道路。爆風で飛んできた瓦礫にでも当たったのだろうか、ずきずきと痛む左腕を押さえながら、ハルトは呆然と呟いた。

 

―――居ない。

 ショーコが、居ない。

 

 爆発の起こった道路は、大きく陥没して穴が開いており、アスファルトは軒並み吹き飛んで茶色の土が露出している。

 クレーターの周囲を見回しても、ショーコがどこにもいない。のみならず、彼女が救助に向かった車の影すら見えない。

「おい、ショーコ?……かくれんぼなんてやってる場合じゃないだろ。ふざけてないで出て来いよ」

 爆風に煽られて倒れ込んでいたアイナ達もハルトに続いて身を起こすが、その場に居る四人には、ついぞショーコの姿を捉えることは出来ない。

「そんな……ショーコさん……?」

 呆然と、ショーコの名前を呼ぶアイナ。痛ましげに口元を押さえ、見る見るうちに目じりに涙が浮かび、溢れだす。

 ハルトとアイナの様子に事態を察した……察してしまったキューマは愕然と目を見開き、アイナに寄り添うようにして座り込んでいるサキもまた、気の毒そうに視線を逸らす。

「どこだ……どこに居るんだよショーコ……なあっ、隠れてないで出て来いよっ! ショーコっ!」

「……行こう、ハルト。ここに居たら俺達までやられちまう」

「行けませんよっ! ショーコを置いて―――」

「やめなさいっ!」

 駄々を捏ねるようなハルトの叫びを遮ったのは、サキの声だった。

「受け入れるしか無いでしょう!? 彼女は死んだの!」

 活動を休止して久しいとはいえ、演技と歌で人を惹きつける術を知るアイドルの力というものだろうか。凛としたその声は、不思議とハルトの耳にするりと入り込む。

 それは即ち、必死にピントをずらして、焦点を合わせるまいとしている現実が、動かしようのない物だとハルトに知らせる言葉。

「しん、だ? ショーコが……?」

 

 

 ショーコが。

 ハルトにとって、半身とも呼べる少女が。

 いつか自分だけのものにしたいと願っていた、大切な人が。

 

 

 容赦のない事実は、ハルトの心をぎりぎりと締め付ける。忘我の境で、ふと、ハルトは空を見上げた。

 空中では、唯一抵抗を続けていたスプライサーが、二機の無人機を引き連れた戦闘ポッド「バッフェ」によってついに撃墜された。邪魔な“蠅”を振り払ったバッフェは、一度地上を見回して、その毒々しい赤色のマシンカメラを学園に向ける。

 人の目のように一対の瞳を思わせるその『赤』を、直視した時。ハルトの心の中で、何かが焼き切れた。

 

「―――ぅうぁああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」

 

 奪われた怒り。助けられなかった嘆き。不条理な現実への絶望と、何もできなかったやるせなさ。

 ぐちゃぐちゃにシェイクされた激情が、慟哭となって迸る。

「返せっ! ショーコを返せぇっ!! あああああああっ!!」

 骨折した左腕の痛みなど気にも留めず、ハルトは手近な石や瓦礫を掴むと、手当たり次第に空中のバッフェ目掛けて投げつける。

 当然ながら、上空数十メートルを飛行するバッフェにそんなものが届く訳も無く。そして、届いたところで何の意味も無い。

「馬鹿、やめろハルトっ! 殺されるぞ!」

「放せぇっ! あいつらがっ、あいつらがぁあっ!!」

 背後からキューマに羽交い絞めにされても、半狂乱になったハルトはじたばたと暴れて抵抗するだけだ。そもそも自分を押さえ付けているのがキューマだと認識できているのかどうかすら怪しかった。

 キューマの腕から抜け出し、手に持っていた石を投げつけたハルトは、次なる得物を探そうと地面に視線を向けるが、もう彼の右腕一本で投げることの出来そうなものは残っていない。

 上空では、未だバッフェが踊るように校舎の周囲を旋回している。

(駄目だ……こんなんじゃ、あいつらに全然届かない! 何か、あいつらに届く物……届く物は……!)

 その時。ハルトの視界に入ったのは、先ほど彼らの前に突如現れたロボットだった。

(……これなら、いける)

 咲森学園では、卒業後の進路の為に各種選択課外講義を開催している。その中に、航空機や船舶などの操縦、というカリキュラムがあった。

 ハルトは以前、キューマに誘われてミツルと三人でこの講座を受講したことがあった。結局本格的に免許を取得するには年齢も座学の経験も足りていなくて、ハルト達三人の中ではキューマが小型船舶の免許を取っただけだったが。

(船と飛行機の運転席は見たことがある。やり方も、一応知ってる)

 そして今。親しい人の死に正常な判断力を失い、その復讐をすること以外の何も考えられなかったハルトは、ひどく短絡的な思考に支配されたまま、ロボットに向かって足を進める。途中で石に躓いて転びそうになるが、ハルトは気にも留めずに歩くだけだ。

「お、おいハルト?」

「ちょっと、どこに行くのよ!……あ、ねえ! これ落としたわよ!?」

 転びそうになった時、ぼろぼろになったハルトの制服から生徒手帳が地面に落下する。それを拾ったサキが声を掛けても、ハルトが振り向くことは無い。常のハルトらしからぬその態度に違和感を持つキューマ達は、やがて彼がロボットの『胴体』から伸びるタラップに足をかけた時、何をしようとしているのかを悟り、再び愕然とした。

「ハルトさんっ!? 何を……」

「ハルトっ! やばいって、せめて大人が来るまで待とう!」

「許さないっ、よくも、ショーコを……絶対に許さない……!」

 うわごとのようにそれだけを繰り返しながら、ハルトはロボットのコックピットに体を滑り込ませる。

 

―――まともに動かせるかどうかなんてどうでも良い。これだけ大きなロボットなら、あいつらにだって手が届く。ショーコを奪ったあいつらを、まとめて叩き落としてやる……!

 

 コックピットに人間が侵入したことを感知して、コンソールパネルの各種センサーとモニターが自動でアクティブへと移行する。

 パイロットシートに腰かけたハルトの眼前にコンソールパネルがせり上がり、アームレストに配置されたレバーグリップがハルトの腕の長さに合う位置までスライドする。

「スイッチ……スイッチはどこだ……?」

 コンソールパネルのボタンを適当に触れていると、一つだけカバーに覆われたボタンがあった。そのカバーに「ENTER」の文字を認めると、ハルトはカバーを開き、スマートフォンのそれと同じ感覚で赤いボタンを押し込む。

 その瞬間、コックピットの壁に外の様子が映し出され、ゴォォ、という駆動音が響く。開いていたコックピットハッチは遮蔽され、ゆっくりとハルトの視点が持ち上がる。

「わっ、あ……」

 偶然にも、起動の為に必要な操作の手順を正しく終了したロボットが、ケージに固定された体を持ち上げようとしているのだ。

 背中から露出していたエンジン部からは、外部接続されていたケーブルが弾け飛び、腕を抑え付けていた固定具は正立の姿勢を取ろうとするアクチュエーターの出力に押し負けて甲高い音と共に捻じ切られる。

「やばい、離れるんだ!!」

 ハルトを呼び戻そうと声を掛けていたキューマ達は、巨大な人型ロボットが立ち上がろうとする度に破壊されるケージから慌てて距離を取る。

 崩れ落ち、ほとんど残骸しか残っていないケージに手をかけて、ロボットはゆっくりと立ち上がった。

 白と赤のツートンで塗装された、巨人。腰に懸架している細長い棒は、剣か何かだろうか。鎧武者のようなそのフォルムは、しかし鋭く、攻撃的だ。

「ハルトさんが……動かしてるんですか?」

 瞳に怯えの色を覗かせて、アイナが呟く。

 この、如何にもアニメや漫画に出て来そうなフォルムのロボットを、争いごとを好まないハルトが操作している。その異常な事態は、アイナを怯えさせるには充分であった。

「……こうなっちまったらこのロボットの近くに居る方が危険だ。俺達も離れよう……ハルトも、頭が冷えたら自分で逃げると思う」

 白と赤の巨人を見上げるアイナとサキに声を掛けて、キューマが避難を促す。正直なところを言えば、今すぐにでもあのロボットによじ登って、頭に血が上った後輩をぶん殴り、コックピットから引きずり出してやりたいところではあったが、それをする為に二人の女子生徒を危険に晒すわけには行かない。

 早まるなよ、と心の中で唱えて、キューマはその場を後にした。

 

 

 

 そして、立ち上がり、何をするでもなく屹立するロボットを見つめる『目』があった。

「…………」

 咲森学園の空き教室の一角。この非常時にあってその少女は、まるで自分の部屋でくつろぐかのような姿勢でスナック菓子をぱりぱりと齧っている。

 少女にとっては、外の喧騒も、自分が居る建物が襲われていることも、何もかもがどうでも良いのだ。

―――この自分以外に誰も居ない部屋で、自分だけがネットの海と繋がっていればいい。自分のことなど知りもしない学校の生徒達も、自分の体裁しか守ろうとしない兄も、いっそのこと皆死ねば良い。

 そんな事を考えながら、外部の状況を“ハッキングして自身の管理下に置いた”学校の監視カメラで眺めながら、少女は一つのカメラ画面に目を留めた。

「…………」

 そこに映っているのは、先程ハルトが乗り込んだロボットの姿。雄々しく立ち上がったその姿は、こんな時でなければ男子生徒達の微かに残った子供心を大いに刺激したであろう。

 しかし、ロボットは学校のプールの中央に立ったまま、ぴくりとも動かない。ロボットなら動けよ、と少女は心中でぼやくが、彼女の声なき声に画面の向こうの巨人が応える素振りは無い。

「…………、あ」

 そこで、少女は何を思ったか、スナック菓子を摘まんでいた右手をぺろりと舐めると、その手をキーボードに滑らせ、凄まじい勢いでキーをタイプする。

 やがて画面の別ウィンドウで、いくつもの網の目が光り、少女の操作するパソコンが「WIRED」の広大なネットワークにハッキングを仕掛けたことを示す。

「これで……拡散」

 少女の行動の動機を問うならば、面白半分、というのが一番正確だったのだろう。誰も彼もが死んでしまう前に、この動く事の無いロボットの映像を見たならば何を思うか。ツィッターの画面に吐き出されるそれを眺めてみたいと感じたのが、そもそものきっかけか。

 監視カメラからリアルタイムに映し出される映像は、広大なネットワークを通じて世界中のパソコン、スマートフォンの画面に、呼ばれても居ないのに登場する。

 普通の人間には到底不可能な、高度なハッキング操作。しかし、少女にとっては難しくも何とも無い。

 彼女のハッキングによって自身の端末に勝手に映像を配信された人々は、最初は戸惑い、訝しむが、それが現在臨時ニュースの画面を騒がせている「ある大国の軍隊によるジオール奇襲」の映像であることを知ると、神妙な顔で映像に見入る。

「……」

 これで、何が起こるか。自身の行動によって世界がどう反応するのか気になって仕方がない少女は、残ったスナック菓子を口に含み、ぱり、と軽快な音と共に噛み砕く。

 画面の中ではあのロボットが、校舎の上空を旋回していた戦闘ポッドに組み付かれていた。

 

 少女の名は、アキラ。後にこのロボットに深く関わる人間の一人であった。

 

 

 

「くそっ、なんで! なんで動かないんだよ!」

 ハルトはロボットのコックピットで、見える範囲のボタン、レバー、フットペダルを手当たり次第にがちゃがちゃと動かし、どうすればこのロボットが動くのかを必死に探っていた。

 先ほど彼が乗り込んだロボットはオートで立ち上がった後、一切の操作を受け付けなかった。コンソールパネルに表示された画面では、場違い極まりない3Dモデルの美少女キャラクターが能天気に笑うのみ。操作方法のガイドなどは影も形も見受けられない。

 代わりに表示されたのは、何とも不気味なテキスト表示。

 

『ニンゲンヤメマスカ? ― Yes/No』

 

 おそらくこれは、何かしらの暗号なのだろう。しかし、Yesを押すにはどうにも躊躇われるその画面に触れる勇気は、ハルトには無かった。

 そうこうしているうちに、バッフェの一機がロボットに組み付き、ハルトをコックピットから引きずり出そうと攻撃を開始する。

「なん……っが、ぁあっ!!」

 近付かれた次の瞬間、コックピットを襲った衝撃に、ハルトは眉を顰める。バッフェがクレーンゲームのアームのような右腕のマニピュレーターで、ロボットの頭部を殴打したのだ。

 振動がロボットの人型の身体を揺らし、骨折していたハルトの左腕に激しい痛みとなって走り抜ける。

「くそっ……動け、動けよ、動けっ!」

 万力で潰されるような痛みに涙を流しながら、ハルトは残った右腕で必死に、デタラメにレバーを操作する。しかしそんなハルトの叫びを嘲笑う様に、バッフェは次なる一手を打つ。

 先程頭部を殴打した右のマニピュレーターで頭部を鷲掴みにして身動きを(そもそも動きようが無かったのだが)封じてから、腹部に向けてビーム砲をゼロ距離で連射し始めたのだ。

「っぎ、あぁぁぁっ!!」

 再び襲い掛かる振動に、左腕をアームレストに強打するハルト。ががががが、と強烈な打撃音に混じって、耳障りなアラート音が鳴り始める。

 『装甲損傷値危険域突入』―――嬲られるがままのロボットの耐久力が、限界に達しようとしているのだ。

 そしてついに、マニピュレーターで掴まれた頭部に罅が入った。

「やられる……嘘だろ? こんなところで……」

 もはや指先の感覚すら失った左腕を押さえたまま、ハルトは項垂れる。このまま嬲り殺しにされる未来を、容易に想像してしまった故のことだった。

 情けなくて、涙が出て来る。

 勇気を出してショーコに手を伸ばせば、そのショーコは得体の知れない者達によって奪われ。

 怒りのままに瓦礫を投げつけたところで、それが何か意味を持つ訳でもなく。

 傍らにあったロボットは、自分の怒りにはついぞ応えようともしない。

「っはは、とことん勝負ごとには向いてないんだなぁ、僕は」

 こんな自分だから、大切な人を失ってしまったのだろうか。自嘲の笑みを浮かべたハルトの頬を、涙が一筋伝った。

「ごめん、ショーコ……僕はまた」

 勝てなかった、と。全てを諦める直前。

 

 

『本気で勝とうって、思ってなかったでしょ』

 

 

 何故か脳裏を過ったのは、穏やかに微笑む顔でも、頬を赤らめる顔でもなく。眉を吊り上げて自分を叱咤する、愛しい少女の声だった。

「あ……」

 そうだ。自分はこのロボットに乗り込んだ時、何を考えた。まともに動かせるかどうかなんてどうでも良い、ショーコを奪った者達を叩き落としてやる、と誓ったはずだ。

 ここで何も出来ずに死んだところで、到底死にきれない!

「そう、だ……っ、せめて……ショーコの仇、だけは……!」

 一度諦めた目的。けれど、思い出してしまえば、また諦めるなどという事は出来ない。

(何をすればいい。考えろ、どうすればあいつらをやっつけられる。どうやって仇を討てばいい!!)

 激情はそのままに。しかし、冷静に。皮肉にも、一度テンションが下がったことでハルトの頭は靄がはれたように、クリアな思考を取り戻していた。

(このロボットは何をやっても動かない。やっぱり、この変なガイドメッセージに答えないと動かないんだ)

 視線をコンソールパネルのモニターに向ける。そこに、相変わらず表示されている『ニンゲンヤメマスカ?』の問い。

 暗号にしても不気味過ぎるそれは、やはりハルトに恐れと、躊躇いを抱かせる……まるで、一度気を緩めたが最後、ハマってしまえば二度と這い上がることの出来ない違法ドラッグのようなものを感じるのだ。

(けど、これを選ばないと何もできない)

 その時。ひときわ大きな音に続いて、ぎぎぎ、と金属が軋む音が響く。

 メインモニターに目を向ければ、バッフェのクローアームがモニター越しに自分に襲い掛かるような形で止まっている。おそらく外部から、コックピットをこじ開けようとしているのだ。

 明らかな『死』に追われるハルトの前には今、二つの道がある。選べば、どうなるかわからない。けれど、選ばなければ、死あるのみ。

 

『譲れなければ……戦うしかない』

 

 事実を前に、次いで思い出したのは、いけ好かない銀髪の男。冷たい瞳の男が吐き出した、何よりも熱い言葉。

(そうだ……君の言う通りだ)

 既に自分は大切なものを傷つけられ、奪われた。話し合いは無意味。こっちに理由が無くても、あっちが先に殴ってきた。

「譲れない」

 そして、へらへらと殴られっぱなしで大事なものを差し出すほど、自分は大人しくなんかない!

「だからっ!」

 

 

 意を決したハルトは、眼前の悪魔の問いに『YES』と答えた。

 

 

 次に起こった変化は、ハルトにとっては不意打ちも同然だった。

 パイロットシートのヘッドレスト部分からアームが伸び、ハルトの首元に当てられる。何が起きた、と疑問に感じる間もなく、そこから飛び出した針が、ちくり、と鋭い痛みと共に左右から挟み込むように首筋に打ち込まれる。

「か、はっ……!?」

 瞬間。膨大な情報が、ハルトの脳内に直接流し込まれる。

「う、ぁ、がぁ……!」

 

―――当機はスリーヴイ計画の根幹を成す試作一号機である以下これを火人(ヒト)と呼称する火人のパイロットは『契約』完了後速やかにルーンの補給を行いレイヴエンジンへのエネルギー供給を行うことまた火人のパイロットは機関の選定した人員から指定されたカリキュラムを修了したものを選定することを原則として如何なる場合もこれ以外の人員が契約した際の補償ないし保障は行われない火人の武装はスリーヴイ機体の共通規格として腋下部フォルド・シックルと頭部バリアブル・バルカン及び手甲部ハンド・レイを基本としここにミッションに応じて兵装の選択を行うこれらは可及的速やかな決定が必要な場合及び指令の伝達が不可能な場合を除き機関の指令通達によって決定されるものとし―――

 

 長ったらしい文章を、読める筈も無いスピードで瞼の裏に無理矢理焼き付けられるような、ただただ暴力的な情報の“侵食”。その奔流に晒されたハルトは脳内を乱雑に飛び交う信号に刺激されて、自らの意思に関係なくがくがくと身体を揺らす。コックピット内の全周モニターには注意事項やチェック項目が次々にクリアになることを示すメッセージが表示されていくが、そんなものに目を向ける余裕は無い。

 やがて全てのチェック項目がクリアになった時、ショックに反り返っていたハルトの背がくたりと再び前のめりに丸くなる。

 荒い息を吐き出したハルトは、両手を―――何とも無かった右手も、骨折して動かなかった筈の左手も―――アームレストに載せると、一度手を離したレバーをもう一度しっかりと握り直し、無数の情報の中から辛うじて読み取ることの出来た、この巨大なロボットの名を呼ぶ。

 

「―――行こう、『ヴァルヴレイヴ』」

 

 言葉と共に目を見開いたハルトは、眼前に映るバッフェの『顔』を睨みつける。

 ここに、契約は成った。

 

 

 

 

 

 ミツルは一瞬、自分は間違えてゲームソフトのPVでも開いてしまったのかと錯覚した。

 咲森学園のプールから突如、鎧武者のようなロボットが現れ、謎の軍隊―――ユウスケの話では、世界を二分する大国の片割れ、ドルシア軍事盟約連邦の物らしいが―――の戦闘ポッドに攻撃されているのだ。

「アップしてるユーザーは……“Rainbow”? なんだこれ、いったい何が……」

 言いさしたミツルの見る画面で、変化が起こる。

「あ、色が……」

「変身した!?」

 ミツルの言葉を喰い気味に、ユウスケが叫ぶ。

 ロボットの足元から、蜃気楼が揺らぐように光の波が立ち上り、その波がロボットの白い装甲を黒く変色させていく。ほどなくして白と赤の巨人は、その体躯を黒と赤に変える。

 そして、人間で言うところの目に当たる部分を緑色に光らせた、次の瞬間。

 

 自分に攻撃を加えていたバッフェの頭部コックピットをがっちりと握り、そのまま押し潰した!

 

「っ……」

 居ても立っても居られず、ミツルは走り出していた。

 スマートフォンの画面なんかでは駄目だ。“あれ”は学校のすぐ近くで暴れている。校舎から、この目で見なければ!

 ミツルと同じ考えに至ったのだろう。気が付けば、いくつもの足音が、自分の後ろを追って来ている。その中にクラスの友人の名前を認めたミツルは、無我夢中で叫ぶ。

「あのロボット、なんだ!?」

「知るか! ミツルはなんか知ってるか!?」

「な訳ねーだろ! 知らないよ!……知らないけど……」

 そこで一度言葉を区切ったミツルは、階段を二段飛ばして駆け上がる。二階廊下の窓からは、仲間を撃墜されて混乱しているのか、地上に向かってビーム砲を乱射しながらも無人機を引き連れて未だ宙を旋回しているバッフェの姿が見えていた。

 

―――そこに、ごぉ、と大きな音。炯々と光るグリーンの腰部センサーユニットを羽のように広げたロボットが、赤い光を撒き散らしながらモジュール77の夜空へと躍り出たのだ。

 

「きっと、すげえことになる」

 その姿に、ミツルは半ば確信めいた予感を感じる。

 廊下にずらりと並んで窓から身を乗り出すミツル達の視線の先では、無人機を含めて3機のバッフェが赤いロボットに向かって銃撃を仕掛けている。

 しかし赤いロボットは防御するように両の手を交差させると、そこから深紅の光を放つ。

 ぶわ、と煙のように広がったそれはなんと、バッフェの吐き出すビームを弾き、ロボットの盾となっているではないか。

「すっげ……」

「かっこいー……!」

「あの光、武器になってるのか!?」

 赤いロボットが両腕を振るう度、空中に奔る赤い光。“硬質残光”の名を持つそれは生み出される傍から結晶化し、バッフェがばらまくビーム弾を防ぐ。無人機の動きが一瞬止まった次の瞬間、赤いロボットは左腕を大きく振るって放った硬質残光を、伸びた拳のようにバッフェに打ち付ける!

 気が付けば、生徒達は揃って子供のような感想を口にしていた。それほどまでに、赤いロボットの魅せる戦いは非現実的だったのだ。

 鎧武者のような赤いロボット―――ヴァルヴレイヴに乗っているのが、自分たちと同じ学園に通う、陸上部所属の気弱な男子生徒だと思う者など、ここには居ない。廊下に居並ぶ学生たちはただただ、ヒーローの登場に歓声を上げていた。

「頑張れぇ! そこだ、やっちゃえーっ!」

「行けぇええ! そんな奴らに負けるなぁああ!!」

 その歓声に応えるように。ヴァルヴレイヴは右肩の付け根から、棒状の武器を引き抜く。一見すると大振りのナイフに見えるそれは一瞬で展開し、鋭い片手鎌になる。

 フォルド・シックル。ヴァルヴレイヴの基本となる装備の一つで、最も使い勝手の良い鎌。透き通った刃は、超硬質のクリスタル『クリア・フォッシル』で形成され、見た目の美しさに比例した凶悪な切れ味を持っている。

 目にも留まらぬ速さで空を駆けるヴァルヴレイヴは一息で無人型バッフェとの距離を詰め、頭を持たない無機質なその機体を真っ向から叩き斬る!

 爆散する無人機。学生たちが歓声を上げる間もなく、ヴァルヴレイヴは続けてもう一機の無人機に向かって躍り掛かる。

 近づいて来る敵に、咄嗟にバッフェは両肩の大型盾『アイゼン・ガイスト』を構えて防御態勢を取る。

 しかしヴァルヴレイヴにとって、そんなものは何の意味も無い。曲芸のようにその頭上を飛び越えると、すれ違いざまに無防備なその背中に向けてフォルド・シックルを一閃。先ほどよりも切り口は浅かったが、推進剤が詰まった背部のタンクを傷つけられた無人型バッフェは、先程の僚機と同じ末路を辿った。

「残り一つだ、行っけぇえーーーっ!!」

 学生の一人が、興奮のままに叫ぶ。使役していた二機の無人型バッフェを撃墜されて、残った一機の有人型バッフェは猛然と反撃を加える。両腕のビーム砲を連射してヴァルヴレイヴの姿を追い、距離を詰められる前にバーニアを小刻みに吹かして一定の距離を保つ。

 充分に距離を取ったところで、バッフェの腹部ハッチが開き、四角形の砲口が露出する。バッフェの虎の子の装備、戦術レーザー砲『デュケノワ・キャノン』。戦艦すら一撃で轟沈せしめるその威力を以てすれば、如何にヴァルヴレイヴと言えどただでは済まない。

「あぁっ……」

 甲高い銃撃警告音と共に照射されるオレンジの熱光。

 学生達の中から、誰の物とも知らぬ、悲鳴のような声が漏れる。

 だが、それすらも赤い武者は意に留めない。

 これまた軽業のような身のこなしで空中に宙返り。その踵から尾を引いて打ち出された硬質残光の鞭を、バッフェは間一髪のところで両肩の盾で防ぐ。しかし、その時にはもうすべてが遅い。

 バッフェの周囲を飛ぶヴァルヴレイヴが放つ硬質残光は、繭のようにバッフェを包み込んでいく。気が付いたバッフェがその場から逃げようとしても、湧き出す傍から結晶化する光に機動を封じられて身動き一つとれなくなっている。

 赤い光の中でもがくバッフェ。空中でその機体を閉じ込めた光の繭に向かって、ヴァルヴレイヴはその腰に帯びていた『刀』……クリア・フォッシルで形成された直刀、『ジー・エッジ』を抜いて急速に迫る。

 哀れ、自由を奪われ狂乱の中でビーム・ガトリング砲を出鱈目に撃ちまくっていたバッフェは、左肩を、右腕を切り落とされ、止めとばかりに胴体を断ち割られて爆炎の中に消えた。

 

 

「…………」

 電気の消えた廊下を、沈黙が支配する。遠くに見える爆発の光が、何を意味しているのか解らなかったからだ。

 いち早く我に返ったのは、意外にも、ミツルであった。

「助かったん、だよ、な?」

 そうだ。学校を襲っていた謎の戦闘ポッドは、あの赤いロボットに成敗された。

 あのロボットが、学校を守ってくれたのだ!

「ぃやったぁあーーーーーーーーーっ!!」

「私達、助かったのよね!? 良かったぁ……!」

「生きてる、僕達ちゃんと生きてるよぉ!」

「おーい! ありがとー!」

 死の恐怖から解放されて、安堵の涙を流す者。自分たちを救ってくれたヴァルヴレイヴに喝采を送り、感謝の声を投げかける生徒。

 ミツルが握りしめていたスマートフォンの画面では、映像を見ていた世界中の人々のツィッターへの書き込みが一秒と時を置かずに更新され続けていた。

『すげえ、サムライだ!』

『いや、ニンジャだろ』

『撮影とかじゃないの?』

『ブラボー!』

『どこのロボットだ!?』

『ロボットと言う呼び方は正確ではない』

『写真アップしといたぞ』

『キタ来たきたキターーーーーーーーーー!!!』

 あっという間にサーバーの過負荷直前まで書き込みが行われる、『WIRED』のネット。

 そこに、更なる燃料が投下されることになる。

 戦闘を終えたヴァルヴレイヴが学校から少し離れた海岸に降り立ち、その胸部から一人の少年がひょっこりと姿を見せたのだ。

「あれ、パイロット……」

「え、あれって……」

 その姿を見た学生たちは、一瞬言葉を失う。そこに居たのは屈強な軍人でも、歴戦の有名パイロットでもなく―――

「……ハル、先輩?」

 

 咲森学園に通う二年生の男子生徒、時縞ハルトであったのだから。

 

「あ、あれって! ハルトだよな!?」

「え!? 誰? 誰なの?」

「二年の時縞ハルトだよ! ほら、今日の昼休みに大食い勝負やってた!」

 学園を救った謎のロボット。そのパイロットは、学園に通う気弱な学生であった。そのことに学生たちは沸き、三度、歓声の嵐が巻き起こる。

「おぉい、時縞ぁーっ!」

「ハルトくん、ありがとーっ!」

「かっけぇぞハルトーっ!」

 彼らの頭は、学園を襲撃した者達よりもモジュールの現状よりも、突如現れたヒーローのことで一杯になっていた。

 

 

 

「ハルト……」

「良かった、無事だったんですね……」

 二人で一つのスマートフォンを覗き込みながら、櫻井アイナと犬塚キューマは安堵の溜息を漏らした。アイナなど、緊張の糸が途切れてくりくりとした大きな目に、いっぱいの涙を浮かべている。

 ハルトがあのロボットに乗り込んだ時などはどうしたものかと思っていたが、なんと彼はそのロボットであの戦闘ポッドを倒してしまった。まさか、と思いつつも、学園を救った友人の活躍に、二人は知らず、笑顔を取り戻していた。

「でも、なんでハルトさんがあのロボットを動かせたんですか……?」

「さあなぁ……とりあえずは、あいつのこと迎えに行ってやろうぜ。さっきは怪我してたみたいだし」

「あ、そうですっ! ハルトさん、さっき腕を押さえてましたよね!?」

「しっかし、今から校舎に戻ってもそれどころじゃないだろうしな……そうだ、ミツルに連絡取ってみるよ。今から呼べば救急箱持ってきてくれるかも」

 キューマは、ようやっと電波状況が落ち着いたスマートフォンから後輩のナンバーを呼び出し、通話ボタンを押した。

 

 

 

『ウソだろ』

『乗ってんの子供じゃん』

『軍人じゃないの?』

『誰だコイツ』

 目の前を流れるツィッターのコメント欄を目で追いながら、流木野サキは何事かを考える。

 やがて、何かを企むような“悪い”笑みを浮かべた彼女は、先ほど拾ったあるもの……ハルトの生徒手帳をスマートフォンのカメラで読み込み、その情報を『WIRED』にアップロードする。彼女の目論み通り、その画像を添付した書き込みはあっという間にリツィートが数百件を突破する。

『高校生!?』

『なんでロボット乗ってるんだ?』

『顔は結構かわいいかも』

『これなんて読むんだ』

『“トキシマ”っていうらしいぞ』

 一分と経たずに増える書き込みの数々。その様子を見て、サキは笑みを深める。

 彼女が何を考え、そこからどんな未来を想像したのか―――それを知る者は、今はまだ、どこにも居なかった。

 

 

 

 熱限界突破/活動停止。そう書かれたコンソールパネルを見たハルトが我に返ったのは、『火人(ヒト)』と銘打たれた赤い鎧武者が勝手に砂浜に着地した時だった。

「止まった……?」

 バッフェを全機撃墜してから空中を飛んでいたヴァルヴレイヴであったが、やがて機体の熱量が『100/100』と表示され、機能を停止して自動で砂浜に着地したのだ。

 放熱で海水の一部が蒸発し、舞い上がった水蒸気が陽炎のように機体のシルエットを揺らす。

 完全に動きが止まったヴァルヴレイヴの中で、ハルトはコックピットシートにもたれかかり、大きく息を吐いた。

(夢じゃ……ないんだよな)

 不気味なメッセージに『YES』と答えた時のこと。

 首元に注入された妙な薬液の感触が―――そこから身体じゅうを“蝕む”ように広がった情報の残滓が、今も残っている。

 このロボットの動かし方を。敵の倒し方を。『ヴァルヴレイヴ』という、赤い巨人の名を。

 先程まで体を震わせていた、轟音と震動。それら全てが無くなり、夜の静けさを取り戻したコックピットから半ば無意識に這い出したハルトが見たのは、遠くに見える学園の廊下に居並ぶ生徒達が、皆一様に自分を讃える光景だった。

 戦闘の衝撃でポケットから飛び出していたスマートフォンに次々と表示される、ハルトへのフレンド登録メッセージ。世界では今、じつに三億人もの人々がハルトを称賛していた。

 勝利の栄誉。学校中からの歓声。世界中に知れ渡った名声。

 けれど、そのどれもが、ハルトの心には何の感慨も抱かせなかった。

 

―――僕が欲しかったものは、こんなものじゃない。

 

 ただ一人、あの少女が「頑張ったね」と褒めてくれれば、他のものは要らなかった。

 ただ一人、あの少女が笑顔を見せてくれれば後はどうでも良かった。

 けれど、本当に欲しかったものは……彼女の心は、永遠に失われてしまった。

 

「……っ、ひっく、えっ、ぅ……ショーコっ、ショーコぉ……う、ぁぁっ、ああああああ……!」

 

 月明かりの下。

 人々の喝采を一身に浴びる少年の静かな嗚咽が、歓声の止まない夜の闇に溶けて行った。

 

 

 

 

 

「ったくもー、犬塚先輩はホンット人使いが荒いんだからなぁ……」

 キューマから電話で連絡を受けて、十分ほど。

 興奮冷めやらぬ学園から一人抜け出したミツルは、救急箱を手に学校近くの海岸まで走っていた。

 応急手当を放り出してロボット見物に行っていたことで三年生の保健委員にたっぷりと嫌味を言われたが、体育館に居たリオンやマリエもその映像をスマートフォンから見ていたことで矛先がそっちに逸れたために強い叱りは受けなかったのは不幸中の幸いか。

 あのロボットのパイロットが怪我をしているかもしれないから救急箱を持っていく、と言えば保健委員たちも文句は言わず、さらに道中で「さっきのあれ見たかー!?」と絡んでくる友人達を華麗にスルーしつつ校舎の玄関を出たが、キューマの電話からしばらく時間が経ってしまった。

(櫻井の話だと、ハル先輩、腕に怪我してたらしいから早く行かないと)

 そんなことを考えつつ学園のある浮地の外縁部、市街地と学園を結ぶ橋の近くまで来たミツルは、不意にそれを耳にした。

 

「……エル……ル――ゥアアアアアアア!!」

 

 不覚にもその声を聴いたミツルは、びくり、と身体を震わせてしまった。

 臓腑の底から絞り出すような、というか、なんというか。何を叫んだのかはよく聞こえなかったが、何かすっごい感情の込められた絶叫である。

 声からすると若いが、ハルトやキューマがこんな声を出せるとは思わない。そもそも声が全然別人だ。

「おーい、誰か居るのかー?」

 警戒させないように、大声を出しながら近づく。

 建物の角を曲がると、暗がりで良く見えないが、大きなロボットが見える。恐らくこれが、先程ハルトが乗っていたロボットなのだろうと判断したミツルは、次いで、その周囲の人影を探す。するとロボットの足元に、四人の男子生徒が固まっていた。

「あれ? えーっと、学園の人達だよな」

 何をしているんだ、と訝しみながらも、救急箱を持って近づくミツル。

 声を掛けられた四人のうち、赤い髪をバンダナで巻いた小柄な少年が不機嫌そうに言う。

「はぁ? お前何言って―――」

「待て……ああ、そうだ。君は?」

 赤毛の少年のセリフを遮ったのは、その傍らに立っていた、眼鏡をかけた長身の男子生徒。

 誰何の声を向けられたミツルは、手に持った救急箱を見せながら答えた。

「保健委員だよ、保健委員。ほら、さっきのロボットに乗ってた先輩が怪我してるかもしれなかったから、救急箱持ってきてくれって三年の先輩に頼まれて……って、あれ。そっちの人、もしかして怪我してる?」

 言いながら四人の姿を見ていたミツルは、砂浜に座り込んだボブカットの男子生徒が左目を押さえて歯を食いしばっているのに気付く。

「っ、これは……」

「あーはいはい喋んなくて良いから。良かったらこれ使っ……あ、あれ!? ハル先輩!?」

 ボブカットの男子生徒に近付いたミツルだったが、その途中で彼らの後ろに倒れていた人物の顔を見て顔色を変える。血相を変えたミツルに、先程の眼鏡の男子生徒が声を掛ける。

「知り合いか?」

「ああ、部活の先輩で……っていうか、あんた達も見てたんじゃないのか?」

「見てた、というのは……?」

「このロボットだよ……あ、ごめん、こっちの手当、先にして良いかな」

 怪我人を前にしてこういうのは憚られるが、意識のある怪我人よりも意識の無い怪我人の方が怖い、と聞いたことのあるミツルは、呻きながらも意識を保っているボブカットの男子よりもハルトの方が気にかかっていた。

 幸い、眼鏡の男子が、治療はこちらでするから大丈夫だ、と言ったので、救急箱を預けてハルトの様子を見る。

「で、そのヴァ……ロボットがどうしたんだ」

 砂浜で仰向けに倒れるハルトの傍に座り込み、軽く腕に手を当てて脈を取るミツル。その手首から鼓動を感じ取り、大した怪我も無く、ただ気絶しているだけだと断じたミツルは、後ろから飛んできた問いに促されて口を開く。

「どうもこうも、この先輩が動かしてたんだってば。ドルシア……だかどこだかの戦闘ポッド相手に大立ち回り。まさかハル先輩があんなことできるなんて……がっ!?」

 そこまで喋ったミツルは、突如後頭部を襲った衝撃に短く悲鳴を上げる。

 四人の男子生徒に背を向けて、興奮のまま喋っていたミツルは気が付かなかった。眼鏡の男子生徒が音も無く自分の背後に近付き、手にした拳銃を振りかぶったことに。

「こちら特務隊。ヴァルヴレイヴとパイロット、およびパイロットの関係者を確保しました。すぐにそちらへ……」

(な、にが……)

 大きく揺らされ、急速に暗くなっていく視界。そして、眼鏡の男が携帯端末に向かって放った言葉。

 混乱の中で、ミツルは意識を失った。




イクスアイン「かかったなアホが!」

[捏造点①:ハルトが謎のロボットに乗れると思った理由]
 アニメではロクに描写されず、小説でもただ「ロボットだったらロボットに対抗できる、だから動かそう」としか表現されず、「何で自分がロボットを動かせると思ったのか」の説明がされなかった場面ですが、本作では後に明らかになる学園の実態や、キューマがレクチャーを受けただけで戦闘ヘリを操縦できたことなどから鑑みて「ジオールの飛行機や船の操作は授業で習った、だからジオール製のロボットだったら乗れる→これを動かせばショーコの仇が取れる→よし、やろう」とハルトが(正常な思考を失った状態で)判断したことにしました。


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第四話 邂逅

 オリキャラその2登場回。


 ワイヤーリフトを使って砂浜に降り立ったハルトを迎えたのは見知った友人ではなく、いけ好かない銀髪の男子生徒だった。確か彼の仲間には、エルエルフ、と呼ばれていたか。

 学校の友人達は遠くの校舎からハルトに称賛の声を浴びせてきたが、眼前のエルエルフはハルトに何の言葉もかけない。昼間と同じく、おおよそ温度というものを感じさせない視線がハルトを射抜くだけだ。その視線に侮蔑のニュアンスを見て取ったような気がして、ハルトは視線を砂浜へと逸らした。

「……笑えばいいだろ。君の言う通り、勝ち負けの無い世界なんて幻想だった」

 何故、彼がここに居るのか。ハルトには知るべくもない。けれど、彼が昼間、自分に向けて放った言葉は図らずも自分が戦うきっかけとなった。

「なんなんだよ、君は」

 吐き捨てたその言葉は半ば八つ当たりのようなもので、別段返答を期待したわけではなかった。

 だから、油断した。

 

 

「―――ドルシア軍特務大尉、エルエルフ=カルルスタイン」

 

 

 彼から返答があったことと、その言葉の意味に。

「え―――」

 ドルシア軍、というのは、あのドルシア軍事盟約連邦の軍隊? というか、彼は学生ではないのか?

 一瞬で、いくつもの疑問符を浮かべるハルト。

 その、わずかな隙に。

「……え?」

 間の抜けた声を漏らすハルト。しかし、それも無理も無いこと。

 制服の袖から銀光を閃かせたエルエルフが音も無く地面を蹴ったのは、彼が己の正体を口にした直後だった。

 気が付いたら、エルエルフが息がかかるほどの近距離に立っていて。

 彼の右手が、まっすぐハルトの左胸に伸びていて。

 その手にはナイフが握られていて。

 その切っ先は、ハルトの胸に沈み込んでいた。

(あ、れ……これ、僕、殺さ、れ……)

 胸に杭を打ち込まれるような、熱い痛み。半ば反射的にエルエルフの右手をどけようとすると、彼はその右手を回転させ、ぐっ、とナイフの刃を捻る。

 心臓を一突きされ、さらにその傷口を抉って広げられたハルトの左胸から致死量の血が溢れ出す。

 人間の身体というものは本来、少しでも空気が入れば心臓が圧迫されて死んでしまう。その心臓をずたずたに破壊されたハルトは、ショックでそのまま仰け反り、背中から地面に崩れ落ちた。

 ナイフに付着した血を振り払ったエルエルフは懐から拳銃を取り出すと、もはや物言わぬハルトの身体に銃口を向けて、引き金を引く。一発、二発。慈悲など欠片も存在しない銃弾が、右と左の肺を正確に貫いた。

(どうやって機体を奪うかと考えていたが……戦闘が終了していないのに自分からコックピットを開いて降りてくるなど。やはり間の抜けたジオール人か)

 ここまでやれば、まさか生き返るようなことはあるまい。ハルトの死体を踏み越えて、エルエルフはヴァルヴレイヴへと近づく。

 

 任務達成。パイロットを殺害し、特一級戦略目標を確保。

 

 その文言はエルエルフの功績となって、彼に更なる力を与えるだろう。そしていつか、彼が思い描く未来を現実のものとする為の一助となるのだ。

「俺は、また勝ったよ……リーゼロッテ」

 主君に勝利を捧げる騎士のように、自分にとって何よりも神聖なその名を呟く。そうすることでエルエルフはともすればくじけてしまいそうな日々を、胸に秘めた目標に向かって歩くことが出来ていた。

(……ここまでだ。今は、まだ)

 深呼吸を一つ。その一挙動で感傷を振り払ったエルエルフは兵士としての自分を思い出すと、図らずも労せずに確保できた目標……巨大なロボット『ヴァルヴレイヴ』を見上げる。確保したは良いが、この巨大なロボットの操作方法までは上官から教わっていない。どうも動かすには特殊な“資質”が必要らしく、上官からは『確保したら誰も近づけなければ良い。後から操作できる人間を向かわせる』としか聞いていなかったのだ。

(だが、あの性能……これさえあれば、或いは……)

 もしも、と。エルエルフは珍しく、可能性の低い未来を夢想する。

 ヴァルヴレイヴを上官に引き渡さず、自分がこの超兵器のパイロットになることが出来れば、どうなる。

 自分の目標を達成するための計画は、三年……否、五年は前倒しで実行できるのではないか。

(……いや、あまりにもリスクが高すぎる。今は余計な事は考え―――っ!)

 背後に人の気配を感じて、反射的に振り向くエルエルフ。

 先程殺害したパイロットの仲間が居たか、と胸中で毒づきながらその気配の正体に向かって視線を巡らせ―――

「なっ……!?」

 らしくもなく、彼は絶句する。しかしそれも無理からぬことだろう。

 そこに居たのは、彼が先程間違いなく命を奪った、ヴァルヴレイヴのパイロット。

 しかしそのパイロットは、強烈な眼光を瞳に湛えながら両足でしっかりと立ち上がり、エルエルフの背後を取っていた。

(まさか!? 確かにさっき、殺し……)

 エルエルフに思考の時間すら与えないまま、立ち上がったパイロット―――ハルトは、大きく口を開く。

「かぁああっ!!」

「っ、ぐ……!?」

 一瞬だけちらりと見えた、ハルトの口元。そこに、不自然に伸びた八重歯が、エルエルフの首に突き刺さる。

 その歯を引き剥がそうとしたエルエルフは、首元に走った不快な感覚に背筋を凍らせた。

 薬品に似た何かが、首元から全身に広がる。毒とは違う得体の知れないものが、この少年の“牙”から自身を侵食しているのだ!

「うぐっ、ぁ、あああああああああああああああ!?」

 おぞましいまでの勢いで以て意識を塗り潰され、蹂躙される未知の感覚。その強烈な不快感にエルエルフは絶叫し……その意識を、完全に刈り取られた。

 

 

 結果から言えば、この時。

 彼の夢見た“革命”は、五年どころか十年近く前倒しで、尚且つ彼の意志を完全に無視して開始されることになる。

 例えるならば、クラウチングスタートに備えてウォームアップしていた所を、背後から蹴っ飛ばされてスタートラインを踏み越える形で。

 

 

 

 眼鏡の男子生徒にいきなり殴り倒されてから、数十分後。

 腹部に蹴られるような衝撃を感じて、草蔵ミツルは意識を取り戻した。

「げっほ、けほ……」

「気が付いたか」

 咳き込むミツルに声を掛けたのは、能面のように怜悧な面立ちの男だった。

 意識を失う前に話した男子生徒と同じく飾り気のない眼鏡を掛けてはいるが、ミツルを殴打した男子生徒とは別人だ。あの男子生徒も冷たい印象を受ける顔立ちではあったが、髪型などから若者らしいファッションの意識が見て取れた。

 しかしこの男は金髪とも茶髪ともとれる不思議な色合い―――強いて言うならオリーブ色、だろうか―――の髪をかっちりと七三分けに固めており、武骨な印象を受ける口元は真一文字に引き結ばれている。

「あいっててて……ぁ、あれ……!?」

 痛む腹を摩ろうと腕に力を込めたミツルは、自分の両手が後ろ手に縛られているのに気付く。余程しっかりと縛られているようで、どれだけ腕を動かしてもその拘束は緩む素振りすら見せなかった。

 七三分けの男はそんなミツルに目を向けることも無く、手元の通信端末に向かって喋りかけていた。

「……はい、こちらの方は目を覚ましました。尋問にかけて例のパイロットの素性と、ヴァルヴレイヴの工房についての情報を……了解しました、一度学園の方へ向かいます……はっ、ブリッツゥンデーゲン」

 何やら聞き慣れない言葉で会話を締めくくった男はそのままミツルに向き直ると、ミツルの髪を掴んで乱暴に頭を持ち上げた。

「いぃだだだだっ!?」

「おい、貴様。ヴァルヴレイヴのことで知っていることがあれば速やかに話せ。でなければ命の保障はしない」

 藪から棒に、という形容がぴったりと嵌まるような問いかけ。尋問の相手が一介の学生だということを全く考慮していない七三分けの男は、飽くまで事務的にミツルを尋問する。

「いててっ、痛いっての!……っていうか、アンタ誰だよ!?」

 あまりにも酷い扱いに、ミツルが堪らず悲鳴を上げる。

 しかし七三分けの男は、その問いに答える事無くミツルの髪を放り出す。両腕を腰の位置で縛られたミツルは身体を支えることも出来ず、顔から床に突っ伏した。

「ぶっ……!」

「ふん、口を割る気は無いか……或いは末端か? どちらにせよ、大したものだ。カルルスタインの兵ならともかく、その若さでジオールに仕える気概を持つか」

 七三分けの男の言うことが理解できず、ミツルは目を白黒させる。

「か、かる……なんだって?……いやそうじゃなくて、何で俺縛られてるんだよ! 人攫いかアンタ!?」

 戦争を扱うマンガやパニック映画などに度々姿を見せるような、戦禍に乗じて悪事に勤しむ輩じゃあるまいな、と七三分けの男を睨むミツル。混乱を露わにしたその態度を見て、男は視線に込めていた疑念を、警戒、というよりは不思議なものを見るそれに変える。

 

―――この少年はまさか、この期に及んで自分のことに……白地に金の刺繍で彩られた軍服が、世界を二分する大国の兵士を示す物だということに気付いていないのか?

 

(特務隊の若造ども、まさか民間人を敵兵と間違えて拘束したと言うのか?)

 そもそも七三分けの男は当初、ミツルが只の学生だということを信じていなかったのだ。

 男は、今回ジオールを奇襲したドルシア軍に所属する尉官だ。同じく任務に従事していた若者ばかりの部隊から『特一級戦略目標のパイロットと、その関係者を捕えた』と連絡が入り、彼らの上官でもある本作戦の司令官によって、拘束された関係者の尋問を行うことになった。

 相手は非武装による永世中立を謳っておきながら、裏では軍人たちを教師に扮させ、教育施設の地下で兵器の建造をしていた外道な国家。その末端として動いている以上、学園の中にも兵士としての身分を隠した学生モドキがいるであろうと想像し、捕えられたパイロットの関係者の少年も、そう言った類の人間であろうと思っていたのだが……

 ふと、七三分けの男は背後から引っ張るようにミツルの腕を掴むと、おもむろに口を開く。まずは確かめるべきことがあるのではないか、と感じた故の行動だった。

「……貴様はこの学園の地下組織の者ではないのか?」

 その問いに対するミツルの返答は、男が半ば予想していた物ではあった。

「地下組織って……はぁ?」

 馬鹿じゃないのか、と男に白い視線を向けるミツル。『学園の地下組織』などと言われてもミツルが思い浮かべることが出来るのは、去年まで部活の設置申請を出さずに倉庫を勝手に使っていたという漫研ぐらいのものだ。そして、言うまでも無くミツルはそこと何の関係も無いし、この男から酷い扱いを受ける理由になるとも思えなかった。

 理解できない相手を見るような目を向けて来るミツルに若干の苛立ちを覚えつつも、七三分けの男は冷静に状況を整理する。

(脈拍は正常、瞳孔の揺れも見られず。発汗量の変化、体温の上昇も共になし……)

 掴んでいたミツルの腕から脈拍を測り、更にまだ幼さの残る顔にも注意深く視線を走らせる。

(確証は持てんが……この少年、どうにもジオールの軍属とは思えんな)

 男から見て、この少年―――先程取り上げた学生証には、クサクラ ミツルと書いてあったか―――は、どこまでもただの平凡な一般人だ。少なくとも、嘘をついているようには見えない。

 勿論、一定の訓練を積めば感情のコントロールや、それに付随する生理現象の制御は決して不可能ではない。ミツルが男の目をごまかせるレベルで『一般人の演技』をしている可能性も無いわけでは無いが……

(まずは様子見か。どちらにせよ特務隊の獲物だ、真偽はどうあれ私が勝手に判断するわけには行かん)

 戦時階級ではあるが、特務隊の少年たちは階級の上では自分の同僚だ。わざわざ余計な衝突の火種を作る必要もあるまいと判断した男はややあってミツルの腕を離す。身体を戒めていた軍人の屈強な手から無造作に解放され、ぶぎゅる、とかいう不細工な悲鳴と共にミツルは再び床にキスする羽目になった。

「グレーデン大尉っ!」

 暗くて狭い部屋の入口からやや強い口調で声を掛けたのは、七三分けの男と同じく白い軍服に身を包むドルシア連邦軍の男性軍人。

「捕虜の尋問を一人でやらんでくださいよ、万が一のことがあればどうするんですか」

 年若い部下の咎めるような言葉に、グレーデン、と名を呼ばれた男はひらひらと手を振って適当に答える。

「丁度私だけ手が空いていたからな。いやはや優秀な部下を持つと何かと楽で助かるよ……で、何の用だ?」

 男の態度に全く反省の色は無い。部下の軍人もそんな上官の態度に慣れているのか、やれやれと溜息を一つ漏らすと表情を改めて本題である連絡を行う。

「『デュッセルドルフ』のザッハ少将から通達です。『目標施設の上層部を制圧完了。グレーデン隊は捕虜の尋問を一時中断して現地に向かい、地下施設の検分を開始』とのこと」

「中断も何も、まだ初めてもいなかったんだがな……それにしても早いな、もう制圧できたのか」

「例の特務隊だそうです。一人負傷者が出たそうですが、残る数人で現地の歩兵部隊と連携し、制圧まで成し遂げたとか」

 部下が肩をすくめて放った言葉に、七三分けの男―――ドルシア連邦軍軌道突撃大隊第三小隊長リヒャルト・グレーデン大尉は感心したように溜息を吐く。

 命令は、今回の作戦で前線指揮を執っている上官の名前によるものだ。しかし、その命令が下る原因となった『特務隊』の活躍。作戦前のブリーフィングで彼らと顔を合わせた時には、随分若い特殊部隊もあったものだと半信半疑であったが、この数時間で彼らは噂に恥じない多大な戦果を挙げている。

(特一級戦略目標の確保から時間も置かず、敵拠点の制圧まで……恐るべきはドレッセル大佐秘蔵のパーフェクツオン・アミー。カルルスタインの子供達、ということか)

 まあ、よく見れば軍属ではなさそうなこの少年を自信満々に関係者だと言って捕まえる辺り、年相応に未熟な部分もあるようだが……と胸中で独りごち、リヒャルトは未だに床に張り付いているミツルに目を向ける。

 リヒャルトと部下の口から『学園が制圧された』という情報を漏らしてもミツルが取り乱す様子は無く、ただ痛みに呻くだけだ。この分では本当に何の関係も無い民間人かも知れない。

(すると後々になってから少し面倒臭いかもしれんな。紛らわしい場所に居たのは確かだが、我々は『民間人を不当に拘束して暴行を加えた』ことになるか)

 いっそ口を封じるか、とリヒャルトは投げ遣り且つ短絡的な後始末を一瞬だけ考えるが、それよりは別のことに役立てる手段を模索するべきであろう。ミスは戦功で帳消しにするのが、リヒャルト・グレーデンのやり方だ。

「致し方あるまい。この少年は学園に連行し、検分に立ち会わせる。吐けばそれでよし、シラを切るなら連れ回して精々疲れさせてやれ」

「はっ!」

 部下の男はリヒャルトに敬礼すると、狭い部屋を後にする。ほどなくして、ミツルとリヒャルトの居る部屋の床が、エンジン音と共に振動を開始する。

(車の中……?)

 その揺れ方とエンジンの音に馴染み深い物を感じたミツルは、自分が拘束されていた場所をようやく知ることが出来た。自分が居た狭い部屋は、車の中だったのだ。

 痛めつけられてようやくクールダウンした頭で、ミツルはもう一度、周囲に視線を向ける。

 先ほどのやり取りを見るに、この男達はどこかの軍隊に所属する軍人なのであろう。その挙措は、ミツルがイメージする『兵隊さん』のそれと完全に一致する。

 

―――では、彼らがユウスケの言っていた「ドルシア軍事盟約連邦」の兵士なのか?

 

 混乱の末に辿り付いた仮説は、只の高校生に過ぎないミツルの思考を凍り付かせるには充分過ぎた。

(こ、殺される……!?)

 軍人、ということは銃なんかも当然持っているだろうし、自分が逃げようが抵抗しようが殺すことなど造作も無いだろう。まして彼らは、現在自分たちの居るモジュールにいきなり踏み込んできた侵略者だ。何もしなくても、気まぐれ半分に自分に銃を向けることだって有り得ないわけでは無い。そんなことになれば……

(嫌だ、死にたくない! くそっ、なんで俺がこんな目に……)

 何とかして脱出せねば、と思考を巡らせるミツルだが、両腕を縛り上げられたこの状態で自分に出来ることは無いだろう。

 落ち着け、慌てるな、と自分に言い聞かせながら、結局ミツルは目の前の男―――リヒャルトに質問をすることにした。

「……あの、この車はどこに行……く、んでしょうか……」

 自分を散々に痛い目に遭わせたリヒャルトに対し、ミツルは控えめな態度で問う。立場を理解した故のものか、或いは痛覚に訴える対話の効果か。先程までに比べれば随分と大人しくなったミツルの態度にリヒャルトは苦笑しながら、その問いに答えた。

「この装甲車は、君たちの学園に向かっている。我々も次にやることがあるのでね」

「やること……?」

 ミツルの更なる問いに、リヒャルトがそれ以上応じることは無かった。

 

 

 ミツルは知らなかった。リヒャルトが気紛れに考えたアイディアが自分の命を救い、大きな力を自分にもたらす事など。

 リヒャルトは気付かなかった。ミツルがこの窮地を生き延び、自身の喉元に幾度となく迫り来る“仇敵”となる事など。

 ドルシア軍によるジオールスフィア奇襲から、時間にしておおよそ一時間。草蔵ミツルとリヒャルト・グレーデンの二人はこれ以降、奇妙な縁で以て度々銃を向けあうことになる。

 

 

 図体に似合わぬ加速性能を持つドルシア軍の装甲車に揺られること、二分ほど。腕の戒めを解かれたミツルは二人の兵士に銃を突き付けられながら装甲車を降りた。

 そこで彼が目にしたのは、見慣れない白服の軍人たちが闊歩する、そこかしこが抉れて崩れた学び舎。自動修復装置によって復旧した天蓋モニターは真昼の青空を映し出し、午後十時という時間に似合わぬ明るさで以て学園を照らしている。

 時間、空の色、闊歩する軍人たち。ありとあらゆるものが“ズレ”た学園は、ミツルの目には強烈な違和感も伴って見えた。

「なんで、学校にドルシア軍が……」

 半ば独り言であったその言葉に、しかしリヒャルトは律儀にも言葉を返した。

「この学校が、真っ当な教育機関では無かったからだよ」

「は?」

 素っ頓狂な声を上げるミツルに視線を向けることもなく、リヒャルトは歩きながら言葉だけで応じる。

「先程、我が軍の機動戦隊に属する小隊が、ジオール製のロボットによって瞬く間に撃破された。そして、そのロボットが出現したのはこの学校の地下からだ」

「あ、もしかしてさっきの……!」

 察しがついたミツルは、思わず、といった具合に声を上げる。

 おおよそ、一時間ほど前。咲森学園のプールから飛び立ったロボットがドルシア軍の戦闘ポッド『バッフェ』を屠る一部始終を目にしたのはミツルだけではない。

 だがミツル達は、そもそも何故あのロボットがプールに突っ立っていたのかを考えていなかったのだ。

「この学校は、ジオール政府が兵器開発の隠れ蓑にしていたカモフラージュ、ということさ。ひょっとすると、生徒達の中にもその兵器に関わっていた軍人が紛れ込んでいたかもしれないな?……君や、君の先輩のように」

「……俺は何も知らないし、ハル先輩だって、見た感じは普通の人だ……ですよ」

「確かに、君たちの国では平凡な少年がある日突然ヒーローになるコミックが好まれるらしいな」

 ミツルの言葉を、皮肉交じりに笑い飛ばすリヒャルト。実際、ジオールで出版されているペーパーバックには、自称“何処にでもいる高校生”な主人公がある日いきなり絶大な武力を手にするという展開のものが多かった。

 しかしリヒャルトはそれを鼻で笑い、所詮は架空の物語だと切り捨てる。何の訓練も積んでいない本物の民間人―――しかも、永世中立と戦争放棄などという理想を掲げた、戦いを知らない国家の出身―――が操る兵器が、熟練のパイロットが駆る戦闘ポッドを初陣で撃破せしめたなど、誰が信じるものか。おそらくネットに情報の出ていたあの高校生は、地下の施設で以前からあのロボット―――ヴァルヴレイヴの操縦訓練を受けていたのだろう。そうでなければ或いは、技術の変態国家と名高いジオールが作り上げたヴァルヴレイヴの操縦プログラムが、よっぽど優秀だったか。

「ま、それは良い。現在君はトキシマハルトと並んで、ジオール軍の重要参考人だ。この後の調査に同行してもらうぞ」

「なんで、俺が……」

 体育館の裏道を歩きながら、リヒャルトの言葉に言い返そうとするミツル。そのまま更に言い募ろうとして、ミツルは動きを止めることになる。

 

「草蔵くんっ!?」

 聞き覚えのあり過ぎる声が、ミツルの名を呼んだ。

 

 反射的に振り向くと、体育館の非常口から姿を見せた競泳水着姿の女性―――七海リオンが、ミツルに突き付けられた銃口を見て顔を青褪めさせていた。

「おい貴様っ! さっさと列に戻らないか!」

「な、なんで草蔵くんが!? あのっ、なんでその子に銃を!?」

 捕虜の誘導の最中だったのだろう。咄嗟にミツルに駆け寄ろうとしたリオンを、ミツルの近くに居た兵士が押し留める。

「奴はジオール軍の重要参考人だ。地下施設へ連行し、検分の補助をさせる」

「重要参考人って……その子は学生ですよ!?」

 リオンの叫びに答えたのは、問いを向けられた兵士ではなくリヒャルトだった。

「表向きの肩書に意味は無い。それを言えばあのロボットのパイロットも、身分の上では只の学生だったようだが?」

「そんな……」

「ほらっ、さっさと戻れ!」

 兵士がリオンを誘導の列に戻そうとするも、納得のいかないリオンは尚も食い下がる。

「ま、待って! あの、きっと何かの間違いです! だから……」

「いい加減にしろっ!」

「きゃあっ!」

 とうとう兵士がリオンの身体を突き飛ばし、尻餅をついた彼女に向かって銃を向ける。

「ひっ……!」

「七海先生っ!……おい、やめろっ! 先生は関係ないだろ!?」

 兵士の行動は、リオンを黙らせるための只の脅しだったが、銃を向けられたリオンは息を呑んで身を強張らせる。想い人に銃口を向けられて、ミツルは堪らず激発する。

 しかし、それは悪手だった。ミツルの取り乱し方を見たリヒャルトは、ミツルがリオンを慕っていることを―――流石に恋慕の情だとは思っていないようだが―――瞬時に見抜いた。

「そうだな。だが、もしかしたら彼女も軍の関係者で、責任を感じて君を助けようとしたのかもしれんぞ」

「ふざけたことを……!」

 飄々としたリヒャルトの物言いに声を荒げるミツルだが、リヒャルトの言う事は何も只の意地悪ではない。

 咲森学園が真っ当な教育機関ではないと知った今、学園に在籍する生徒と教員の全員が、かの超兵器との関与が疑われているのだ。先生、と呼ばれたリオンが軍人だったとしても、何処もおかしくは無い。

「彼女が無関係だと言い張るのなら、そう言い切れる証拠が必要なんだよ。そして、あのロボットに不用意に近づいておきながら、同じく無関係を主張する君の言葉は信用ならない」

「このっ……!」

 目の前の分からず屋にどう言って聞かせようかと考えあぐねるミツル。

 このままでは、自分が憎からず想っているリオンまでこの軍人たちに拘束されかねない。ましてリオンは女性だ、下手を打てば自分よりもひどい目に―――

「―――わかったよ! あんた達の調査に協力する! 協力するから、その人を放せ!」

 こうしてミツルは土壇場で、自身の身の安全よりも、淡い想いを寄せる年上の女性を選んだ。

 

 

 

 

 自分が差し出した握り拳と、目の前の少年が差し出した指を二本立てた拳。七回に渡ってじゃんけんに勝利した自分の右手と、七回に渡って敗北した相手の右手を交互に眺めた犬塚キューマは、信じられない、という視線を銀髪の少年―――エルエルフに向ける。

 否、眼前の少年は確かにエルエルフだが、今キューマが話しかけているのは“間違ってもエルエルフではない”。

 そもそも、じゃんけんとは人と人が争う手段の中では、世界一平等な競技だ。主義主張も老若男女も、思想や理念さえも問わず、どころかちょっと身体の形が周囲と違っていたとしても、自分の意志で石、紙、鋏の三つを表現することが出来れば、何をどう足掻こうと勝率は三分の一なのだから。

 しかしながらエルエルフと対峙するキューマ、アイナ、サキの前で行われたじゃんけんの連戦で、エルエルフはキューマに七回連続で敗北を喫している。逆立ちしたって勝率は三分の一から変動しようの無い勝負で、七連敗。いっそ清々しいどころか、勝利の女神から恨みを買っているんじゃないかという壮絶な負けっぷり。

 ここまで勝負運の無い人間を、キューマ達は一人しか知らなかった。

「……お前、本当にハルトなのか」

「……これで認識されるのはすっごく複雑ですけど……そうです」

 整った眉を八の字に曲げたエルエルフは―――“エルエルフの肉体に乗り移ったハルト”は、そう言ってぶすーっと膨れっ面を作った。

 

 

 ミツルに先んじること十分ほど前。学園の海岸にハルトを迎えに行ったキューマとアイナ、そして何故か付いて来たサキが目にしたのは、巨大なロボットの足元に倒れ伏すハルトと銀髪の少年の姿だった。血に染まった制服と血の気の失せたハルトの顔を見て三人は息を呑んだが、幸いにも大した怪我は見られず脈拍と呼吸も正常だった。

 気絶しているハルトをどうやって校舎まで運んだものか、何故銀髪の少年が一緒に倒れているのかと途方に暮れる三人の前に現れたのは、昼間、アイナとキューマの前に現れた五人組のうち、銀髪の少年を除いた四人。

 ここまでは、まだ良かった。問題はこの後。

 四人の男子生徒は懐から拳銃を取り出すと、アイナ達に向かって淀みの無い動作でその銃口を突き付けたのだ。

『ヴァルヴレイヴから離れてもらおう』

『ヴァル、ヴレイヴ……?』

 ボブカットの男子生徒が言った言葉の意味を、三人はすぐに理解できなかった。オウム返しに言葉を繰り返したキューマの言葉に答えたのは、ひときわ小柄なバンダナの少年の、どこか面白げな声だった。

『その笑っちゃうロボットの名前だよ。君達ジオール人が名付けたんだろう?』

 それは、バンダナの少年が―――いや、直ぐ傍に倒れている銀髪の少年も含めて、この五人がジオール人ではないという意味だった。

『咲森学園の生徒じゃないの……!?』

『ドルシア軍だってーの』

 何を馬鹿なことを、といった口調でサキの声に応え、ついでとばかりに銃の引き金に指を掛けるバンダナの少年。

 まっすぐ自分に向けられた銃口の意味を理解したサキが、ぎくりと背を強張らせた次の瞬間―――サキ達の足元から響いた銃声と共に、バンダナの少年が持っていた拳銃が弾かれた。

『なっ―――!?』

 素早く銃を構え直し、銃声の出元に照準を定める四人組。しかしそこで、彼らは驚愕に目を見開いて動きを止める。そして、思わずそちらに視線を向けたアイナ達も。

 

 バンダナの少年の手元から拳銃を弾き飛ばしたのは、彼らの仲間である筈の銀髪の少年―――エルエルフだった。

 

 それから、エルエルフの助けもあって三人は海岸に設置されていた換気ダクトから無事に逃げおおせることが出来た。しかし彼らは当然、エルエルフの行動に眉を顰めるばかりだった。

 彼は、あの四人の仲間だったはずだ。そして、あの四人は自らをドルシア軍の軍人と名乗った。ならば彼もまた他国の軍人なのだろう。

 彼が三人を助ける意味はどこにもない。その筈なのだ。

『何のつもり? さっきの四人はあんたの仲間じゃないの?』

『どうして俺達を助けた……おまえ、何者なんだ』

 サキとキューマから剣呑な視線を向けられたエルエルフは、しかし眉毛をへにゃりと情けなく八の字に曲げて俯くと、小さい声で言った。

『……僕は、ハルトです』

 その言葉に、はぁ? と素っ頓狂な声を上げたのは、サキだったか。目の前の少年が言ったことがあまりにも馬鹿馬鹿しくて到底信じられず、三人は顔を見合わせた。

 しかし、エルエルフは真剣な声で言い募るばかりだった。

 

『なんで、この身体なのかは解らないけど……でも、僕はハルトです。時縞ハルト、なんです……』

 

 

 そして、話は戻る訳である。『じゃんけんに負け続けたからハルトで間違いない』という、その判断基準はどうなのだろうかと常人ならば疑問に思わざるを得ない方法であったが、ひとまずエルエルフ―――ハルトは、自分が間違いなく時縞ハルトであることを証明することが出来た……普段の自分が周囲からどう思われているか解った気がして、少しばかり心に傷を負ったが。

「じゃあ、本当に……」

 あの場にハルトを置いてきてしまったことを気に掛けていたアイナが、幾分か声を弾ませる。ともあれ、自分たちの良く知るハルトと再会できたのが純粋に嬉しかったのだ。

「でも、どうして……」

「うーん、あのロボットから降りた時に、この身体の持ち主と話して……」

 そこから先を思い出して、ハルトは愕然と目を見開く。

「あ……え、な、なんで……」

「ハルトさん?」

 突然、何か悪い夢でも見たかのように口元を押さえるハルト。その腕は細かく震えている。何事かと案じたアイナがハルトに声を掛けるが、ハルトがその声に応じる様子は無い。

 やがて、小さな声でハルトは語り始めた。

「……あの時、あいつに……この身体の持ち主にナイフで刺されたんです。その時に一回、気を失ったんだけど……」

「ナイフでって……でもハルトさんの身体、どこにも怪我はありませんでしたよ!? ちゃんと息だって……」

「―――ひょっとしたらハルトの勘違いだったのかもしれないし、その話は置いておこう。それから、どうしたんだ」

 アイナの言葉に、気を失ったハルトの身体の脈と出血を確かめたキューマが頷いて話の続きを促す。現在進行形で自分の身体から抜け出しているハルトに、元の身体はもう死んでいるかも、と思わせるのは良くないと判断してのことだった。

「それから……確か、あいつに噛み付いたんです」

「噛み付いた……って、何でよ」

 胡乱な視線と声を向けてくるサキに、ハルトは言い訳をするように捲し立てる。

「僕だって解らないよ。ただあの時は無性に、こう……誰かに噛み付きたかったっていうか、そこにちょうどあいつが居たっていうか……」

 自分で言っておいてなんだが、完全に変態か不審人物の行動だった。段々と声が小さくなるハルトに、サキの視線はますます冷たくなるばかり。

 再び微妙なことになりかけた空気を振り払うべく、キューマはもう一度話題の転換を図る。

「い、いやーそれにしてもさっきのハルト、凄かったな! お前銃なんて撃てたんだなー」

「……初めて触ったんですけどね。どっちかっていうと、身体が勝手にっていうか……」

「記憶喪失と同じね」

「記憶喪失……え、つまりどういうことだ」

 ひとまずハルトの謎の行動については追及しないことにしたのか、先程までの胡乱な視線を引っ込めたサキが会話に加わる。

「エピソード記憶と手続き記憶……自分がどんな人間かを忘れても、シャーペンの使い方や靴下の掃き方は覚えている。思い出と常識は、脳の違うところに保管されるって言うから」

「この身体の持ち主は、銃を取り扱うのが日常茶飯事だったってことか……どういう奴なんだ、こいつ……?」

 キューマの問いに答えるサキの言葉から、エルエルフが戦いを生業としていたことを察したハルトは、自分の感覚では多少のズレを感じる、細身の割に鍛え上げられた身体をぺたぺたと触ってみる。運動部で日夜筋トレに励んでいた自分でも、ここまで筋肉の密度が高くは無かった筈だ。

 しばし、沈黙。ややあって、その沈黙を破ったのはサキ。そして、その言葉に存外に強く反応したのは、アイナだった。

「……で、これからどうするのよ」

「ハルトさんの身体、取り戻しましょう!」

 胸の高さで拳を握り、むん、と意気込むアイナ。意外そうな目でそれを見つつも、キューマもそれに同意する。

「だな。このままじゃ落ち着かないし。なによりしっくり来ねぇしなぁ……な、ハルト」

 元に戻れるかどうかはさて置き、抜け殻となっている身体が敵の手にあるのは宜しく無いだろう。そう、ハルトを気遣っての言葉であったが。

「……それだけじゃ、ダメです」

 歯軋りさえ聞こえて来そうな声音で言い切ったのは、当のハルトだった。

「あのロボットを……ヴァルヴレイヴを取り戻して、このモジュールからドルシア軍を叩き出します」

「え……ハルト?」

「身体を取り戻した程度じゃ、僕が失ったものと全然釣り合わないから……」

 ぎり、と皮膚が擦れる音を立てて、ハルトは拳を握りしめる。本来彼のものではない冷たい瞳は、怒りの炎を宿していた。

 事ここに来て、アイナ達は目の前の少年が本当にハルトなのだと確信した。そうでなければ、見ず知らずの銀髪の少年があの快活な少女の仇討ちに燃える理由など、どこにも無いのだから。

「あいつらは、ショーコを殺したんだ……!」

 ハルトの言葉に一行は再び沈黙する。あまりにも現実味に欠けたショーコの死を、否応なく認識させられてしまったからだった。

 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。アイナとキューマは沈痛な面持ちのまま、胸中で嘆く。

 ハルトとショーコが居て、二人を中心に自分たちが集まるのが普段の日常だったはずだ。マリエとアイナ、キューマとミツルが―――

「―――あ、そうだっ!? やべえ、ミツルが危ねえ!」

 キューマが思い出したように叫んだ一言に、同じく事態を理解したアイナが顔を青くする。

「え、ミツルがどうしたんですか?」

「く、草蔵くんに、救急箱持ってハルトさんの所に来てって頼んでたんです! もしかしたらさっきの人達と鉢合わせしたかも……!」

「えええぇぇっ!?」

「とにかく連絡……ってまた留守電かよっ!? メールだけでも―――」

 それから一行はスマートフォンの電波が届く場所まで移動し―――実際には場所の問題ではなく、モジュール77の通信局がドルシア軍に抑えられていた為だったのだが―――なんとかミツルに危険を知らせるべくメールを送ったり電話を掛けたりしたのだが、一向に通じることは無かった。

 最終的にミツルがその危険を知らせるメールを読むことが出来たのは、この後に起こるトラブルやら何やらに彼が巻き込まれるだけ巻き込まれた後であり、メールの内容に目を通したミツルは「遅ぇよ色々と!?」と叫んで力いっぱいスマートフォンを布団に叩き付けたのであった。

 

 

 

 

「……草蔵くん……」

 ミツルを伴う兵士たちが去って行った学園の校舎を眺めて、七海リオンはぽつりと呟いた。

 草蔵ミツルは、リオンにとって教え子の一人だ。実習中の未熟な身ではあるが、教職を志すリオンにとって咲森学園の生徒達は自分が初めて物を教える、大事な子ども達だ。

 リオンはふと、大学の恩師が口を酸っぱくして学生たちに言っていた言葉を思い出した。

 

『旧世紀、学校教育の場に危険が迫ることは幾らでもあった。子ども達は学校に居るから安全なのではない。『教師に守られているから安全』であるべきなんだ。君たちは万が一の時、命を懸けて子どもを守ることが出来るか?』

 

 教育に関する法律の講義中だった。旧世紀、ジオールがまだジオールという国になる前の事。己の苛立ちを拭う為という犯人の身勝手な目的の為に大勢の子どもが犠牲になった事件のことを聞いた。

 その場に居た教師たちの対応を責めることはいくらでもできたし、リオン自身も心のどこかで、自分ならもっと上手くやれる、と感じていた節があった・・・だが、実際には。

(何も、出来なかった)

 侵略者によって銃を突き付けられたミツル。その姿を見て、自分は何が出来たか。ただ、取り乱して、無様に叫んで。挙句、自分が守るべき子どもに守られた。

(なにも、できなかった……!)

 情けなさに、涙が出て来る。これでは何のために、自分は教師を目指したのか。

 

 この時感じた悔しさはリオンの心に深く刻まれ、やがてその後の彼女の在り方を決定づけるものとなる。




ハルト「オレサマ、オマエ、マルカジリ!」
エルエルフ「アッーーーーーーー!!!」

 水着姿でとっ捕まってたリオン先生があの場でよく『ピーッ!』で『バキューン!』で『それは禁則事項です☆』な目に遭わなかったなぁとか思っちゃう辺り、私はエロ同人にだいぶ毒されているような気がします。


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第五話 選択の時

 ようやくオリ機体の登場です。
 今回ちょっとグロイ描写を盛り込んだので注意。


 ドルシア連邦軍軌道突撃大隊第三小隊。

 リヒャルト・グレーデンが率いるその部隊は特務隊と同様、歩兵から機動兵器のパイロットまでこなせるエリート兵士の集団でもあった(流石に特務隊のように、高い隠密性の求められる潜入任務などは難しかったが)。

 長年対立してきた某国と比べて国力で劣るドルシアは、それに比例して従軍している兵士の数も少ない。故に彼らは、文武両道を求められる。事務員であっても有事の際には歩兵隊に加われるように。歩兵であっても敵陣での諜報活動を行えるように。諜報員であっても敵地からの脱出に戦闘機を使えるように。戦闘機パイロットであっても愛機の故障は自分で修理が出来るように。兵士一人一人が、全ての兵科をこなす事が出来るオールラウンダーなのだ。

 その中でも、連邦宇宙軍の軌道突撃大隊といえば戦闘の花形だ。宇宙というまだまだ未知の部分が多い場所で活躍する、第一線級の兵士たち。現政権の肝入りである特務機関のエージェントが台頭して来てこそいるが、リヒャルトが指揮を執る第三小隊もまた、新任の兵士たちが一度は目指す高みでもあった。

 そんな彼らが何故、今回のジオール奇襲作戦に於いては後詰の部隊となったのか。それは単純に、彼らの乗る機体がまとめてオーバーホール中だったからである。

 反政府勢力……十年前の政変によって祖国を追われた、旧体制派との戦闘が起こったばかりだったのだ。不満は第三小隊のみならず多くの部隊から出たが、そもそも今回の作戦は現ドルシア元首である総統の、直属の佐官からの情報を基に急に決まったものであると聞く。恐らくは、軍部の一部でも勢力を伸ばしつつある旧体制派への牽制の意味も兼ねているのだろう。

(おおよそ、総統直属の特務隊のデモンストレーションにでも使われたか)

 目的地への入り口であるエレベーターに向かって歩を進めつつも、口元に手を当てて考えるリヒャルト。彼の眉間には皺が寄せられ、手で隠れた口元は不満げに口角を下げていた。

 リヒャルトは、自他共に認める戦闘嗜好家(バトルジャンキー)である。流石に上級尉官に昇格してからは慎むようにはなったが、本来であれば彼の本分は機動兵器で戦い、敵を討ち果たすことにある。政治の都合によって闘争の機会を奪われるなど、真っ平御免なのだ。

(私の『イデアール』さえ修理が間に合っていれば、もっと暴れることが出来たんだが)

 そうすれば、こんな退屈な任務に着くことも無かったのに―――と、おおよそ模範的な兵士とは言い難いことを考えながら、リヒャルトはエレベーターの操作パネル……実際には、そこからケーブルでつながったハッキング端末を操作する。

 特務隊のある青年が残しておいたそれにリヒャルトが触れると、一階から下の階層が明記されていなかったエレベーターのゴンドラが降下する。咲森学園に隠されていた地下エリアへの入口だ。

「……本当に地下があったんだな」

 身体が人工重力に従って“下に降りていく”感覚を味わいながら憮然とした表情で呟くのは、この場に於いてドルシア軍でもなく、そもそも軍人ですらない少年―――ミツルだった。

 自分が通っていた高校が真っ当な教育機関ではなかった―――それも、よりにもよって政府と国防軍が新兵器の開発をしていた、と聞かされた時は何を寝ぼけたことを、と内心馬鹿にした気持ちで聞き流していたミツルだが、自分たちを救った赤いロボットの存在や、エレベーターの操作パネルに表示されない地下階層の存在に、リヒャルトの話が決して世迷言ではないと察し始めていた。

「君はこの施設の事は本当に知らなかったのか?」

「入学してここに住み始めて二ヶ月かそこらですよ。そもそも無駄にだだっ広いんだ、学校のどこに何があるかだってまだ把握できてませんでしたよ」

「どうだかな……着いたぞ。地下八階、君達ジオール人に相応しい悪魔の領域だ」

 体育会系の学生であるミツルがその意味を解することは無かったが、リヒャルトが口にしたのはある有名な長編叙事詩の一説―――悪意を持って罪を犯した者が送られる場所のことを示していた。

「……気障なオッサン」

 開いた扉から歩き出すリヒャルトに小声でこっそりと悪態をつきながら、その後に続くミツル。ほどなくして一行はその扉の前に辿り着いた。

 

――――[ Three-V development laboratory ]

 

「スリーヴイ、デベロープメント、ラボラトリー……」

 黒と黄の縞模様が描かれた鉄扉に記された文字を、信じられない、という思いで読み上げるミツル。“development laboratory ”は『開発研究所』という意味であり、工業系の大学ならまだしも、普通科の高等学校にある物としてはおおよそ似つかわしくない単語である。

(何でこんなものが学校の地下に……本当に咲森学園は、軍の施設だったってのか? 俺達は毎日、軍人と一緒に生活してたって? 冗談だろ……)

 呆然とその扉を見つめるミツルに構わず、軍人たちは先ほどと同じハッキング端末で以てその扉の施錠を無理矢理にこじ開ける。

 やがて鉄扉が開くと、それを追う様にがしゃがしゃがしゃん、と立て続けに重厚な金属音が響く。最初の扉の向こうにあった数枚のゲートが一度に開いたのだ。

「わ……」

「おお……」

 七枚の鉄扉の先にあった光景に、図らずも同じタイミングで間の抜けた吐息を漏らすミツルとリヒャルト。開いた扉に足を踏み入れた彼らが目にしたのは、先程ミツルをはじめ学園の生徒が見たものと似通った形状のロボットだった。

 人のような四肢は白―――寒色がかったクールホワイトで彩られ、触覚のような緑のセンサーが増設された額と、虫の口元に似た尖った顎はやや前面に張り出した形。左腕には頭部よりも濃い緑色の、透明な素材で形成された小型の盾が装備されている。胸と額には、ジオールの古めかしい字体で描かれた「捌」の文字。

 そして何より、ハルトが先程搭乗したものとの最大の違いは、腰部の形だろう。ハルトの赤い機体は頭部と同じ緑色のセンサーユニットが羽のように伸びていたが、この純白の機体の腰部からは、蝶のような羽を生やした大きな推進器がぶら下がっている。

 幾つかの部分と全身を彩るカラーリングに違いこそあったが、それは紛れも無く『ヴァルヴレイヴ』の一機だった。

「これが、ヴァルヴレイヴ……」

「ヴァル……?」

 思わず、と言った風にリヒャルトの口から洩れた単語。ミツルが聞き慣れないその言葉の意味を問う視線を向けるも、応える事無くリヒャルトは機体に近付く。普段は理知的なその瞳は、少年のような好奇心と、老練な戦士の闘争欲にぎらぎらと光っていた。

「素晴らしい。バッフェとはまるで形が違う……全領域対応型で、どうして人型なんだ。この腰のパーツはブースターユニットか? ……ああ、早くドルシアでも量産してくれないのか」

 リヒャルト達、特務隊とは別の一般将校は今回の作戦の目的が、このロボット……ヴァルヴレイヴの強奪にあると聞かされている。リヒャルトは、作戦成功の暁にはこの機体が祖国でも量産され、いずれは自身の闘争の手段の一つとして自分にも手に入るのだろうと思っていた。

 先ほど、自軍を相手に見せた圧倒的な性能―――早く自分もその一端を手にして、思う存分戦場を駆け巡りたい。リヒャルトの脳内では、早くもそのことが大半を占め始めていた。

「大尉、一人で盛り上がらんで下さい」

「おっとすまん」

 部下に声を掛けられ、リヒャルトは名残惜しげに鉄柵から離れる。どうでも良いがミツルはそんなリヒャルトの姿にどん引いていた。

「とにかく、さっさと検分を済ませてしまおう。上に残してきた連中をもう五人ばかり、技師と一緒に呼べ。その位居ればすぐに終わるだろう」

「はっ」

 リヒャルトの指示のもと、ミツルの傍に居た兵士の一人が通信機でどこぞへと連絡を取る。

(仲間を呼んでるのか……くそっ、俺はどうすれば……)

 どんどん不利になっていく状況を打開しようと、ミツルは周囲に視線を巡らせる。

 黙って大人しくしていれば何もしない、とは言われたが、ミツルは生憎、その言葉を毛ほども信用していなかった。実際の所、リヒャルト達にミツルを害することで生じるメリットは殆どと言って良いほど無く、精々が民間人の不当拘束の揉み消し程度のこと。ミツルが彼らに抵抗でもしない限り、リヒャルト達がミツルを殺すことは無かった。

 しかし、自分が加えられた暴行に、目の前でリオンに銃を向けられた事実は、ミツルの中からドルシア軍への信用というものを綺麗さっぱり洗い流していた。ミツルとしては、これ以上“銃で武装した強盗”と一緒に居るなど腹の底から御免であった。

 リヒャルトは再び自分から視線を外しており、兵士の一人は通信機に意識が向いている。残る二人の兵士もリヒャルト同様、この広大な格納庫のあちこちに視線を巡らせている。最早抵抗の素振りも見せないミツルは、彼らの中ではお荷物程度のものになっていた。

 しかしながら銃を持っているであろう四人の軍人を前にして自分は丸腰、武器を探そうにも足元にはごみごみとした工具や書類が散らばるばかり。ネジが数個入っただけの工具箱が一番近くにあったが、こんなものを振り回して喧嘩をするスキルをミツルは持ち合わせていない。

(打つ手が何も無ぇ!? ちくしょう、スパナの一つぐらい置いといてくれたって良いじゃないか! こんな奴らと何時までも一緒に居られるか、なんとかして逃げて……ん?)

 ふと、ミツルは何かを忘れているような気がして思考を練り直し―――目の前に鎮座するロボットの『首元』に目を遣る。

 リヒャルト以下、ミツルも含めた五人がゲートを潜って研究所内に入った時、彼らを真っ先に出迎えたのは、この白いヴァルヴレイヴの目つきの悪い顔面だった。どうやらあの扉は、この巨大な室内のかなり上の方に取り付けられていたらしい。

 現在彼らが立っている位置からはヴァルヴレイヴの首元……開いたハッチの中にコックピットが見えており、ミツルは今ちょうど、両手両足の戒めから解放されている。

 そう、そのまま走ってジャンプでもすれば、そのままコックピットに飛び込める位置に居るのだ。

(……さっき、ハル先輩はこのロボットを動かして、ドルシアの戦闘ポッドと戦った。“あの”ハル先輩が、だ)

 争いごとを好まない知人があっさり動かすことの出来たロボットが目の前にあって、搭乗者を待っている。

 そして、その目の前に立っている自分の周囲には、何時自分を殺すとも知れない“敵”が居る。

 

―――ひょっとしたら、俺にだって出来るかもしれない。学校の皆を、先生を助けられるかもしれない。

 

「……っ!」

 それは、悪魔の囁きだったかもしれない。死の恐怖に晒されて追い詰められた……とまでは行かないものの、侵略者たちに捕えられている現状は、ミツルから正常な判断力を奪うには十分すぎた。

 この状況から抜け出したい。そして、それが出来るかもしれない手段が目の前にある。だから、実行する。

 そんな単純すぎる思考のもとに、ミツルは―――

(……一か八か、やってみるだけだ!)

 足元の工具箱を後方へと蹴っ飛ばし、全力で走り出した!!

「なっ……あ、このガキっ!!」

 背後の方で響いた金属がぶつかる音に、咄嗟にそちらに銃を向ける兵士たち。しかしそこに転がる工具箱を見てミツルのやったこととその狙いを瞬時に悟り、身体を反転させてミツルの足元に向かって発砲する。踏み出した右足のすぐ傍で飛び散った火花にミツルは息を呑むが、それでも足を止めることは無い。

(早く、早く、早く! あのコックピットに飛び込んだら、どうにかして―――)

 次にとるべき行動を思考しながらも全力で走るミツル。アドレナリンが大量に分泌され、わずか十数メートルを走る時間がとても長く感じる。それでも実際には一瞬の時間だ。陸上部で日頃から鍛えた健脚で以て、ミツルは生存の為に走る―――しかし、コックピットのちょうど真上に立ったその時だった。

―――パン、と軽い音。兵士たちのもつサブマシンガンよりも軽い発砲音がえらく耳に響いた次の瞬間、ミツルの身体はぐらりと揺らぐ。

(え、待っ……)

 急に力の抜けた腹部を見ようとして前のめりに倒れる瞬間。天地がさかさまになった視界の隅で、ミツルは確かに見た。リヒャルトが、小さな拳銃の銃口をまっすぐ自分に向けているのを。

 ミツルがヴァルヴレイヴに走って辿り付くまでの、一瞬の時間。その一瞬は、リヒャルトが腰のホルスターから拳銃を引き抜くには十分すぎる時間だった。

「っあ、ぐ、」

 痛みに悲鳴を上げる暇も無いまま、身体を捻るように倒れ込んだミツルは―――そのままヴァルヴレイヴのコックピットに背中から落下した。

 銃口をコックピットに向けたままで走り寄るリヒャルト達。しかし、彼らを遮るように白いヴァルヴレイヴはそのコックピットのハッチを閉ざした。ミツルの侵入を感知したシステムが、オートでコックピットを遮蔽したのであった。

「ちっ……しくじったな」

「すみません大尉っ、自分のミスです……」

「いや、目を離したのは私も一緒だ……それよりも、面倒なことになったな」

 頭を下げてくる部下を手で制しつつ、拳銃を下げたリヒャルトは閉じられたハッチを見つめる。

 殺した、という手応えがあった。拳銃を握っていた手に殺す感触も何もあったものではないが、直感があった。

 リヒャルトが放った弾丸は、ミツルの背中から腹部を貫き、確実に臓器の一部に風穴を開けた。ミツルがどうなったのかリヒャルトには見えなかったが、銃で撃たれる痛みになど慣れていない学生が、腹部を撃たれたショックの後に冷静に動けるとは思えない。

 放っておいても狭いコックピットの中で失血死するだろう。

「……馬鹿な奴だ。大人しくしていれば死ななかったものを」

 年若い少年の、無鉄砲さが招いた死。その死を運んだリヒャルト自身も流石に哀れに思えてしまう、少年の最期だった。

 

 

―――少なくともリヒャルトとその部下たちはこの時、そう思い込んでいたのであった。

 

 

 

 

 

 

「……ぁ……」

 暗闇の中で、ミツルは呻き声を漏らした。

(痛い、痛い、痛い痛い痛い……)

 焼けるように痛む腹部から、止め処なく溢れる液体。それが自分の血だと気付くのに、然して時間は要らなかった。スタンバイからアクティブへと自動で移行したコックピットの照明が、ミツルの手を赤く照らし出したからだった。

(撃たれた、のか……あ、痛い、痛いぃ……!)

 少し力を抜けば、気が狂いそうな痛みの感触。半ば無意識に動かした右手が、せり上がっていたコントロールパネルを叩く。

 そこにあった、カバーを取り外されたままのスイッチが、何を示すのかも知らぬまま。

「い、っつつつ……う、ん?」

 数分の間、そうしていただろうか。痛みに慣れた……と言うにはもう少し時間がかかるだろうが、ミツルはなんとか痛みに耐えながら、ぎゅっと閉じていた瞼を開く。するとそこに、カタカナで表示された文字が不気味に点灯していた。

 

     [搭乗者の生命維持に甚大な障害を確認。速やかな契約を推奨します]

         [ニンゲンヤメマスカ? ― Yes/No]

 

「なんっ、だ、これ……」

(せーめーいじに、じんだいな……いや、契約って……?)

 そこに示されていた言葉を要約すれば、『死にたくなければ契約しろ』だ。現在自分が死にかけているのは確かだが、それが何を以て『速やかな契約』につながるのか。ミツルにはさっぱり理解できない。

 しかし。

(これを押せば、痛くなくなるのか?)

 最新鋭の宇宙船には、艦内で伝染病が発生した時の治療・隔離を可能とするメディカルシステムが搭載されていると聞く。ひょっとしたらこのメッセージは、このロボットに搭載されているメディカルシステムか何かかもしれない―――ミツルがそこまで考えたわけでは無かったが、可能性は確かにあった。

(死にたく、ない。まだ、やりたいこともできてないのに。言いたいことも、言えてないのに。ニンゲンヤメルだか何だか知らないけど……)

 死ぬよりはましだ、と。あまりにも安易に、しかし強い意志のもとに。

 ミツルは、【Yes】のボタンに指を乗せた。

 

 

 

 

 

 

「駄目です、外部にそれらしきものは見当たりません」

 コックピットによじ登った部下の言葉に、リヒャルトは顎に手を当てて思案に暮れる。

 ミツルがコックピットに姿を消してからおおよそ十分弱。そろそろ失血死していてもおかしくは無いだろうと踏んだリヒャルトは、コックピットを開けるように部下に指示を飛ばした。

 普通、こういった有人兵器というものはパイロットが負傷やパニックで外に出て来れなくなった時の為に、コックピットの出入り口付近にハッチの強制解放スイッチが存在する。レバーだったりボタンだったり、或いはその両方だったりするが、その手の物は得てして万が一の時の為に簡単に操作できるようになっているものだ。

 しかし、ヴァルヴレイヴのコックピットにはそのスイッチがどこにも見受けられない。

(単なる設計ミスか、或いはパイロットの脱落を許さないような脳筋な代物か……ジオールの気風からして前者だろうな。つくづく戦争を知らない国だ)

 仮に後者だったとしても、気概は買うがそんなものに乗せられるパイロットは堪ったものではないだろう。自分は大歓迎だが。

「……しょうがない、爆破するか」

「大尉、投げやりにならんで下さい」

「冗談だ」

 部下の一人と軽口を叩き合いながら今後の行動を考えるリヒャルト。口では冗談だと言ったが、このまま強制解放スイッチが見つからずコックピットを開けてミツルの死体を引きずり出すことが出来なければ、あながち冗談では済まなくなりそうだ。

「さっきの連絡に追加だ。上の連中に特殊工具を持ってきてもらおう」

「こじ開けるんですか? 可能な限り状態を維持したまま鹵獲せよとの事でしたが……」

「この状況では致し方あるまい。それとも、手っ取り早く本当に爆破するか?」

 その問いに、部下は黙って通信機のスイッチを入れて、ミツルの暴走の前に連絡を取っていた上層の同僚に再度、発信する。

 リヒャルトは、大人しく仲間と技師が特殊工具を持ってくるのを待つか、とばかりにヴァルヴレイヴから離れ……その時、“それ”は起こった。

「あれ、なんだこれ……表面が―――大尉っ!」

「どうした……なっ!?」

 振り向いたリヒャルトは、部下たちが居るコックピット周辺を見て絶句した。

 純白のヴァルヴレイヴの機体の一部が、蜃気楼のように立ち上る光を放ちながら黒く変色している。カメレオンの変化のようにゆっくりと。

(さっきの映像の通り―――マズイ!!)

 ここに来る前に見た映像資料では、棒立ちのまま嬲られていた赤いヴァルヴレイヴが同じように変色した後、バッフェ六機の部隊を一瞬で打ち破った。即ちこれは、この機体が本格的に稼働する予兆なのだ。この後に起こるであろうことに一瞬で思い至り、リヒャルトは鋭く叫んだ。

「すぐに離れろ! そいつが動くぞ!!」

 しかし、その言葉はあまりにも遅かった。

 部下達がリヒャルトの言葉を理解し、急いでキャットウォークへと飛び移ろうとした次の瞬間、白と黒のツートーンに変貌したヴァルヴレイヴは屈み込むように上体を曲げる。

 当然、今まで踏んでいた足場がいきなり傾いたことで、コックピット上部に居た二人のドルシア兵は二十メートル近く下のヴァルヴレイヴの足元へと真っ逆さまに落下していく。

「うわぁあぁぁ!?」

「ひっ、ひぃいいい!」

「マクシム、ダニエル!……くそっ!」

 仄暗い格納庫の下層へと落ちていく二人の部下の名前を呼ぶリヒャルト。しかし、二人が助かる筈がないのは誰の目にも明らかだった。視線を正面へと戻したリヒャルトの正面では、頭まで完全にツートーンカラーに変色したヴァルヴレイヴが緑色のセンサーアイを光らせて自分たちを見据えている。

(尻尾を現したか、クサクラミツル!!)

 胸中で悪態をつきながら、リヒャルトは白いヴァルヴレイヴを睨みつける。一人だけ残った部下と共に自分がするべきことは、生き延びてこの危機を上層の部下や同僚、そして指揮を執っている上官に伝えることだ。

「下がるぞジモン! 『デュッセルドルフ』にこのことを伝えんと……!」

「は、はい大尉―――うぎゃっ!?」

「うぉおっ!?」

 足元を大きく揺らした振動に、リヒャルトは数歩、たたらを踏む。咄嗟に状況と部下の安否を確かめるべくリヒャルトは視線を巡らせるが……言いさした部下の姿は綺麗に掻き消えていた。そちらに視線を向けたリヒャルトは、思わずもう一度見返してしまう。つい今しがた、残る一人の部下―――ジモン曹長が立っていた場所には、ヴァルヴレイヴの巨大な拳があった。

「ひ、ぎ……」

 その巨大な拳の隙間から、ジモンのか細い声が漏れ聞こえてくる。年若い部下は、白黒の巨兵の手に捕まり、握りつぶされようとしているのだ。

「ジモン!?」

 リヒャルトが驚きの声を上げた次の瞬間、ぶち、と鈍い音が響く。

 金属の軋む音に混じった悲鳴が、巨兵の拳の隙間から赤い液体と共に漏れた。

「……っ!!」

 三人の部下を立て続けに殺されたことを理解したリヒャルトは悔しさに歯を食い縛りながらも、ヴァルヴレイヴに背を向けて格納庫の出入り口へと急ぐ。

 部下たちの仇を取る為には、いや、下手を打てば自分たちの仇を取って貰う為には、この情報を母艦に知らせなければいけない。ならばどうにかして、この機体の存在を上に知らせねば。

 己の手で部下たちの仇を討とうにも、相手は20メートル級の機動兵器である。自らの無力感に嘆きながらも、リヒャルトは行動を止めようとはしない。

(ともかく、こいつから離れなければ! 何か、何か……!)

 部屋の外に逃げ出しても、あの巨大な腕で壁ごと薙ぎ払われたらおしまいだ。何か別の方法で、自身とこの化け物との距離を開けなければ。

 走りながらも周囲を見たリヒャルトは咄嗟に壁際の照明操作盤の下にあった、『緊急上昇』の文字が記されたボタンを押す。

「ままよ―――!」

 拳を叩き付けるようにしてボタンを押すと、想像通りに白いヴァルヴレイヴの足元がせり上がり、見る見るうちに上方向へと上昇していく。

 リヒャルトが直感で押したそのボタンは、緊急時にヴァルヴレイヴを地上へと射出するためのスイッチだったのだ。リヒャルトは知らなかったが、赤いヴァルヴレイヴが先程地下から学校のプールへと出現した時にも、実は同じようなボタンが使用されていた。

 見る見るうちに遠ざかっていく白いヴァルヴレイヴを見送り、リヒャルトはその場にずるずると座り込み……そして、直視してしまった。

 握りつぶされたジモンを。落下して首や腕をあらぬ方向へと曲げたマクシムとダニエルを。

 

―――戦いの中で死ぬならともかく、こんなところであんな子供に……!

 

 部下たちの無念を想うと、あまりの遣る瀬無さに叫びたくなる。しかしながら、ここでそんなことをしたところで何も意味はない。三度、歯を食い縛ったリヒャルトは拳を床に叩き付けた。がん、と固い音が響く中、リヒャルトは低い声で言葉を発する。

 

「……仇は必ず取る」

 

 リヒャルトとミツル。長く続く二人の因縁の、その始まりであった。

 

 

 

 

 

 

 エレベーターによって地上へと撃ち出された白いヴァルヴレイヴ―――八号機『火集(ヒダカリ)』は、咲森学園の裏山から飛び出すと、一直線に学園の校舎に向けて進路を取った。

(待ってろリオン先生、みんな!)

 ハルト同様、情報の“侵蝕”によって操縦方法を一瞬で身に着けさせられたミツルは、もう何年も操縦しているかのようにヴァルヴレイヴ八号機を操る。青空を飛ぶ八号機の姿は、腰部に装着されたブースターユニット―――特能装備『インゼクト・アクセル』のフォルムと相まって巨大な蝶のようだった。

 わずか十数秒で学園の体育館上空まで飛翔した八号機はそのまま、眼下に展開する装甲車部隊を踏み付けるように着地した!

「な、なんだ!?」

「馬鹿な、どうしてあれがここに……!」

「応戦しろ!」

 俄かに混乱しかけたドルシア軍だが、彼らはすぐに八号機に銃を向けた。

 装甲車に搭載されていた重機関銃に、兵士の数人が構えた携帯型の対戦車ミサイル。それらが一斉に火を噴き、八号機の真っ白い装甲に襲い掛かる。銃弾を受けて装甲からいくつもの火花が散り、更にミサイルが着弾した個所に爆炎の花が咲く。間髪を入れずにその煙の向こうへ追加のミサイルが叩き込まれ、二度三度、轟音が地面を揺らす。

 相手は関節構造が脆いとされる、時代遅れの人型ロボットだ。これだけの一斉掃射を受ければ、堪らず擱座するだろう……そんな、甘い思考によって、彼らは銃撃と砲撃の手を緩めてしまった。

 しかし。

「なっ……」

「む、無傷だと!?」

 バッフェのビーム・ガトリング砲の弾すら防ぐVLCポリマーの装甲には傷一つ付いておらず、ミサイルが効いた様子も見られない。最初のミサイルが着弾してすぐ、ミツルは八号機の左腕を前面に突き出して、そこに装備されたクリア・フォッシル製の盾『クォーツ・バックラー』でそれより後のミサイルを防ぎ切ったのだ。

「うぉおああああああっ!!」

 そのままミツルは八号機の手足で、目に入ったドルシア軍の車両を片っ端から叩き潰す。戦車も装甲車もトラックも関係なく、まるで赤子の癇癪のように。

 そうこうしているうちに体育館から、銃を持った兵士たちが姿を見せる―――が、圧倒的な“暴虐”をまき散らす八号機の姿に、現れた兵士たちは石のように固まるばかり。

(ビビるくらいなら、始めっから攻めて来たりするんじゃねえよ!!)

 人を殴っておいて、いざ自分が殴られるとショックで呆然とする……性質の悪いいじめっ子のような兵士たちの姿にミツルは苛立つ。こんな奴らに、俺たちの学校はめちゃくちゃにされたのか、と。

「出て行けっ! 俺たちの学校から、今すぐ出て行けぇぇぇーーーーーーーーっ!!!」

 怒りのままに振るわれた巨兵の拳は、狙い過たずに兵士たちを叩き潰す。

 

 

―――反撃が、始まった。

 

 

 




八号機「死にたくないかい? じゃあ僕と契約してパイロットになってよ!」
ミツル「ここから、出て行けーーーーーっ!!」
兵士達「出て行く前に殺されたんですがそれは」



Q:『白くてブースター積んだヴァルヴレイヴ』←これカゲロウのパクリじゃね?

A:弁明させて頂きますと、私がこの機体を考えたのは今年の六月前後で、その頃はまだ外伝小説の企画は発表されていませんでした。私がよく閲覧している個人の模型サイトで、六月九日にその旨のコメントした記録が残っております。プロローグの前書き部分にも記載しておりますが決して意図的なパクリではありません。どうかこの点についてはご理解いただければ幸いです。


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第六話 反撃の狼煙

 ヴァルヴレイヴアニメも無事(?)に終わり、これから二次創作も増えるかと思います。
 皆!小説版や各種スピンオフコミックも読もうぜ!(ステマ)


「―――待ってっ、待って下さい!」

 

 七海リオンは自分に向けられた銃口をまっすぐに見つめながら思案する。咄嗟に教え子を守ろうとしたのは、決して間違いではない筈だ、と。

「な、なんだ貴様は! 貴様も我々に歯向かうのか!?」

 突然自分が声を上げたことに驚いたのだろうか。銃を持っていた男性軍人は心持ち舌をもつれさせながら誰何の声を上げる。

 それでも、その様を笑う気にはなれない。彼の言う通り、自分たち拘束された一般市民の命は現在、彼らの掌の上にあるのだから。

(私は、教師だ。免状を持っていなくても、私は教師なんだ)

 自分に言い聞かせるように、胸中で呟く。リオンが好む旧世紀の映画に出てくる台詞の一節だった。

 大学生の身ではあっても、この場にいる“教師”はリオン一人。ならば自分は、持てる手段のすべてを以てして生徒たちを守らなければいけない。たとえ、それが原因で命を落としたとしても。

 兵士の銃は、変わらずリオンに向かって突き付けられている。やはりそれは、とてつもなく怖い。けれど、その銃口が生徒には向けられていないというだけで、どこか安心してしまったのも確かだ―――まあ、それでも怖いものは怖いのだが。

(本物の銃を向けられるって、こんなに怖いんだ)

 もしも目の前の男性軍人が引き金を引いたならば、放たれた銃弾はまっすぐリオンの胸を貫き、容易く命を奪うだろう。

 しかし、その恐怖に屈してはいけない、とリオンは思うのだ。

(草蔵くんは、もっとたくさんの兵隊に銃を向けられていた)

 思い返すのは、先ほど自身の目の前で連行された一年生の少年の姿。

『おい、やめろっ! 先生は関係ないだろ!?』

 いくつもの銃口を向けられた教え子の姿。それを止めさせたくて声を挙げて彼を解放してくれと願ったのに、そのうち一つが向けられただけで自分はあっさりと腰を抜かしてしまった。

『わかったよ! あんた達の調査に協力する! 地下だか何だか知らないけど、何処にでも連れて行け!』

 挙句、ミツルはリオンを庇って自ら軍人たちに着いて行ったのだ。

 仕方なかった、と言うのは簡単だ。実際リオンを責める者は居ない。戦争など経験したことも無いうら若き女性に、本物の軍人相手にもっとうまく立ち回れなど、どだい無理な話なのだ。

 けれども、去っていく軍人たちとミツルの背を見送ったリオンは、涙をこらえることが出来なかった。

 悔しかった。怯えてしまった自分が、只々情けなかった。教え子に守られてただ震えていただけの自分が、ひどく腹立たしかった。

 誰に責められるまでも無く、リオンは自分を責めずにはいられなかったのだ。

(草蔵くんのおかげで、今私はここに居る。だったら、草蔵くんが帰って来れるまでここにいる皆を守らなきゃ!)

 もう、教え子の危機を前にして何もできないのは御免だ―――確固たる覚悟の元、七海リオンは口を開く。

「その子に……生徒達には乱暴なことはしないでください! みんな、混乱しているんです。少ししたら落ち着きます、ちゃんと言うことを聞きますから……」

 言い切って、リオンはやはり俯いてしまう。

 今自分が言った事はなにもおかしくは無かっただろうか。余計な事をしたのではないだろうか。どうにも自分の行動に自信を持ちきれない彼女であった。

「その物言い、貴様はこの学校の教員か?」

「……はい、実習生ですけど……お願いします、私がそちらに行きますから、その子を放してください」

「七海先生!?」

 リオンの言葉に、周囲の生徒達が悲鳴染みた声を上げる。

 こう言ってしまっては何だが、生徒達にとってはライゾウが囚われるよりもリオンが囚われる方が余程の大事である。リオンにだってそれは分かっている。

 しかし、それでもリオンは言葉を撤回するようなことはしなかった。自分が行動を起こすことで、ライゾウも含めた生徒達が少しでも危険を避けられるのならば……と、リオンは思わずにはいられなかったのだ。

 学生たちの誰もが、心の底から願っていた。この最悪な状況を打ち破ってくれる“誰か”の登場を。

 

 

「てっ、敵襲!敵しゅ―――ぎゃああああああっ!!」

 そして、それは轟音と共に現れた。

 

 

 突如体育館の床を揺らした振動に足を取られて、リオンはその場に蹲る。そんな彼女を押し退けて、兵士たちは体育館から足早に出て行った。

「何事だ!」

「て、敵襲です!外にあの“人型”が……特一級戦略目標、『ヴァルヴレイヴ』が!」

「んなっ……何だとぉ!? 馬鹿な、あれはカイン大佐の特務隊が鹵獲した―――」

 そんな会話を頭上に聞き流しながら、リオンは呆然としていた。

(一体、なにが……)

 そして、兵士たちが走り去った方向へと目を向けたリオンは……いや、その場に居た生徒達全員が、“それ”を目にした。

 体育館の窓に映り込んだ、巨大なシルエット。窓から差し込んでいた光を遮り、館内に暗い影を落としたその物体がその巨大な腕を振るった時、体育館の外でいくつもの爆発が起こる。

 すぐに生徒達は、巨大なシルエットがドルシア軍の車両を攻撃しているのだと思い至った。

「な、なんだ、何が起こって……」

「あれ、さっきのロボットじゃない!?」

「時縞が助けに来てくれたんだ!」

 俄かにざわめきだした生徒達の中からそんな声が飛び出した辺りで呆然と座り込んでいたリオンに数名の生徒が駆け寄り、手を取って助け起こそうとする。

「先生、助かったんだよ! あのロボットが……!」

「あ……うん。そう、だね」

 しかし、緊張の糸がぶっつりと途切れたことでリオンの精神的な疲労は限界に達し、そのまま瞼ががくんと下がる。

 やがて意識を失う寸前、リオンの耳に、スピーカー越しのくぐもった声が届く。それは音も割れていてまともに人の言葉として聞こえなかったが―――

 

『―――俺…ちの学校……今……出て行けぇぇぇーーーーーーーーっ!!!』

 

 どこか聞き覚えの有るその声を聴いて、リオンは薄れ行く意識の中で呟いた。

 

 

 

 

―――また、助けられちゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 一方的な虐殺とも呼べる、蹂躙の後。体育館の表に、拳を振り下ろした姿勢のまま鎮座するヴァルヴレイヴ八号機の姿があった。

「はぁっ、はっ、はーっ……」

 コックピットの中で荒い呼吸を繰り返しながら、ミツルはモニターの外に広がる静けさを取り戻した体育館の周囲の風景を見て思考を巡らせる。

(なんでハル先輩の“ヴァルヴレイヴ”は来ないんだ……皆は無事なのか? まさか、もう連れて行かれたり、殺され―――)

「お、おい! やっぱりあのロボットだ!」

 そんな不吉な予想が脳裏を過ったのも束の間、体育館から見覚えのある制服を着た生徒達が現れた。

 大人しげな、しかし堅物の印象を受ける男子生徒に、その後ろに隠れるようにして現れたポニーテールの女子。そして、その後ろに続く数人の生徒。彼らの襟元には、ミツルのものと同じ一年生の校章が付いている。

(委員長に燦原、アリヒトまで……良かった、みんな無事だったんだ)

 現れた生徒達はいずれも一年三組に所属する学生達……ミツルのクラスメートであった。

 ポニーテールの女子生徒と、茶髪の頭に前髪だけ金髪という目立つ髪の男子生徒は周囲にドルシア兵が居ないことを確認すると、八号機の足元まで駆け寄り、その巨体を見詰める。

「でも、時縞先輩のは赤かったよね? このロボットは白いけど……」

「すげえ、こんなロボットがまだ他にもあったんだな……マジぱねぇわ」

「お、おい君達っ!危ないぞ、そんなに近づいたら!」

 二人を制止する堅物そうな男子生徒……一年三組の学級委員長の声も何のその。二人は八号機の足首に当たる箇所をバシバシと叩き、賛辞の声を口にする。

「ありがとーっ!」

「おーい、助かったぜー!」

 いつの間にか二人だけでなく、その場に居た一年三組の生徒達のほぼ全員が、八号機に向かって声を投げかけていた。

(へへ、何かこういうのも良いな……)

 大勢の生徒達に感謝されて少しばかり調子に乗ったミツルは、姿勢はそのまま、八号機の右腕を平手の形にするとそれを左右に振って見せる。

 巨大な人型ロボットが地上の人々に手を振り返すというシュールな光景にも、集まった少年少女たちはおぉーと歓声に沸く。

「……あ、そうだ! ミツルがどこに連れて行かれたかも知らないかな?」

(ん?)

 生徒の一人から出た言葉に、ミツルはおや、と眉を跳ね上げる。どうやら生徒達は、この機体に乗っているのがハルトと同じく学園の生徒だとは思っていないらしい。

「あ、そうだな……なあ! クラスの仲間が、どっか連れて行かれちまったみてぇなんだよ!」

 続いて足元に居た茶髪と金髪のツートーンが、八号機に向かって大声で問いかける。

 ミツルは知らなかったが、先程ミツルがリヒャルト達に連行された時の会話は、ちょうどリオンが引率として立っていた列に居た一年三組のほぼ全員が聞いていたのだ。

 彼らはミツルが連れて行かれるシーンと、その後悔しさに涙を流すリオンの姿を全て見ていた。

 それで、ここにドルシア軍の車両があったのなら、ミツルも救助されたんじゃないのか、と思ったのだ。

 一方、そんな彼らの心配など露知らず、先程までの流れで調子付いたミツルは、ひょっとして自分のことを言っているのかと思い立ち―――悪戯を考え付いた子供のようにほくそ笑む。

(良いタイミングで俺がヴァルヴレイヴを動かしてたってばらしたら、こいつらどんな顔するかな……)

 子供じみた発想をしつつ、ミツルは彼らの言葉を待つ……構図だけ見るとこの男、なかなかに最低な事をしている。

「えーっと、茶髪の癖っ毛で、目は青い色で―――」

(よーし、ここはひとつ、特徴を聞き終わった辺りで『それはこんな奴のことかい?』とでも言いながら……)

 

「―――オタマジャクシみたいな眉毛してるんだけど……」

 

 その瞬間、ミツルは外部スピーカーの音量を反射的にMAXまで引き上げ、コンソールのマイクに向かって声を張り上げた。

「誰がオタマジャクシだ、誰がぁ!?」

『しゃ、喋ったぁあああああああああ!?』

 草蔵ミツル。独特な形状の眉毛にコンプレックスを抱く十五歳であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 モジュール77の人工海岸にある、民間港。本来は水上船舶などが利用するその港に、赤と紫で船体を彩られた巨大な宇宙戦艦が停泊していた。

 ドルシア軍の主力艦“バァールキート級機動戦艦”の四番艦『デュッセルドルフ』。モジュール77奇襲作戦の前線指揮官である軌道突撃大隊の隊長、グスタフ・ザッハ中将の座乗艦だ。

 現在この船の医務室では、三つ編みにボブカットの少年が入院着に着替え、治療を受けていた。

 ジオールスフィア奇襲作戦にて、ヴァルヴレイヴの“工房”である咲森学園を占拠するという多大な戦果を挙げた特務隊の次席指揮官―――アードライ=カルルスタイン特務大尉だった。

 アードライの左目には消毒液のしみ込んだガーゼの上から何重にも包帯が巻かれ、彼の怪我の重さを物語っている。

 左眼球破裂と、幾つかの裂傷。

 迅速な治療によって、傷口からの細菌感染やそれによる腐食などには至らなかったが、アードライの表情は重い。

 アードライが横になったベッドの近くには、同じ特務隊の面々が沈痛な面持ちで腰かけていた。

 逆立てた茶髪に、耳元の五色のピアスが特徴的な長身の青年、ハーノイン=カルルスタイン特務大尉。

 緩いウェーブと青みのかかった黒髪に、眼鏡をかけた理知的な青年、イクスアイン=カルルスタイン特務大尉。

 そして、唯一暗い表情を見せずに手にした携帯ゲーム機でアクションゲームに興じるバンダナの小柄な少年、クーフィア=カルルスタイン特務大尉。

 同じ姓を持つ四人であったが、彼らに血の繋がりは無い。彼らは、同じ軍事教育施設で育ち、修練を積んだ仲間なのだ……この場に居ない、一人の少年も含めて。

 

 

 一時間ほど前。特務隊の面々は、ジオールの秘密兵器『ヴァルヴレイヴ』を何とかして鹵獲するべく、作戦を練っていた―――本来は起動する前に抑える手筈であったが、指揮官である少年のらしくないミスによって、地下施設から地上への射出を許してしまったのだ。

 事前に情報があったとはいえ、実際にはその戦闘能力は未知数。計四機のバッフェを瞬く間に葬り去った点だけで見ても慎重にかからねばならない相手である。

 しかし彼らが有効な手を思いつく前に、当のヴァルヴレイヴが学園からほど近い砂浜に降り立ったのだ。ひとまず、五人の中では一番能力の高い指揮官の少年が先行し、様子を見ることになっていたが、そのうちに同じ場所に三人の学生が姿を現した。

『エルエルフからの連絡は……!?』

『いや、まだだ……連絡があれば次の指示まで待機、何もなければ数分後に学生どもを排除、エルエルフと合流する』

 予め打ち合わせておいた通り、指揮官である銀髪の少年からの連絡が途絶えてから数分後、彼らは学生たちと対峙した。

 一応警戒はしていたが、パイロットの知り合いと思しきその学生たちの所作を見る限りどうやら軍属ではなかったらしく、銃を向けても抵抗する素振りすら見せなかった。

 排除、と言っても相手は所詮民間人。エルエルフと合流するまで拘束しておけば、後はどうとでもなるだろうと思っていたが……

『咲森学園の生徒じゃないの……!?』

『ドルシア軍だってーの』

 滑稽な質問を口走った女生徒を嘲笑う様にクーフィアが銃の引き金を引こうとした瞬間、発砲音と共にその銃が弾き飛ばされたのである。

『なっ―――!?』

 驚き、その音の発生源に目を遣って―――彼らは再び、愕然とした。

 

 クーフィアの手元から拳銃を弾き飛ばしたのは、彼らの仲間である筈の銀髪の少年―――エルエルフだった。

 

『向こうに換気口があります』

『はっ?』

『早く!』

 鋭い声で学生達に促すエルエルフ。その声に真っ先に反応したのは、先程クーフィアに銃を向けられていたストレートヘアーの女生徒だった。

『っ……』

『え、あ……!?』

 戸惑うもう一人の女生徒の腕を取って立ち上がらせると、エルエルフが示した方向の換気用ダクトに向かって一目散に走り出す。やや遅れて、長身の男子生徒がその後ろに続いた。

『ちっ……』

『放っておけ!』

 ハーノインが三人の方に銃を向けるが、アードライに制されて銃口をエルエルフへと戻す。

 一対四の構図で、砂浜で対峙する五人。四人の先頭に立つアードライが、混乱も露わにエルエルフへと問いかける。

『どういうつもりだ、エルエルフ! 何故我々に銃を向ける……!』

 対するエルエルフの返答は―――発砲。

『うぐぁあっ!』

 悲鳴と共に、アードライの左目が爆ぜる。エルエルフの指先に力が込められたのを見て咄嗟に身を捩ったが完全に避けることは出来ず、放たれた銃弾が眼球を掠めたのだ。

『アードライっ!?』

 イクスアインが、撃たれたアードライの名を呼ぶ。眼窩から夥しい量の血を流しながらアードライは銃を取り落として両手で目元を押さえ、眼球を失った痛みに悲鳴染みた呻き声を上げた。

『てめえ、何て事を……!』

『アードライっ!おい、しっかりしろ!』

 部隊の指揮官であるエルエルフが、同じ部隊の仲間を撃った。その事実に頭に血を上らせたハーノインは、咄嗟にエルエルフに向けて発砲する。

 そのハーノインの背に隠れるようにして、イクスアインが崩れ落ちかけたアードライを支えながらその容態を確認する。幸い、というべきか、アードライの怪我は眼球のみで、脳や神経に至った様子は無かった。

 クーフィアは咄嗟に砂浜に跳ぶようにして転がると、先程自分が取り落とした拳銃を拾いそのまま伏射の姿勢でエルエルフを撃つ。

 しかし、その銃弾はわずかにエルエルフの右腕を掠めただけで、彼の足を止めることは無かった。

『クーフィア、周囲の警戒を!』

 イクスアインの言葉に、クーフィアはつまらなそうに腕の力を緩め、空になった拳銃のマガジンを交換する。

『ぐぅうっ、う、ふうぅぅぅっ……!!』

 ともすれば、蹲って叫んでしまいたいほどの痛み。アードライはじくじくと痛む左目―――が、あった場所―――を押さえながらも、混乱と、憎悪に歯を食い縛る。

―――何故。何故、彼が自分を撃つ。裏切った? 共に誓った革命の約束は、嘘だったと言うのか!? 馬鹿な、彼はそんな男ではない! しかしそうでなければどうして彼は仲間に、自分に銃を向けた! 何故、何故、何故―――!!

『エ、ル、エルフ……エェルゥエルフぅぅぁああああああああああああああああああああああああ!!!』

 親友に裏切られたという怒りと、嘆き。咲森学園の人工海岸に、アードライの悲痛な叫びが木霊した。

 

 

『おーい、誰かいるのかー?』

 直後、色んな意味で一足遅く海岸に辿り付いた哀れな男子生徒が疑惑半分八つ当たり半分に酷い目に遭わされるのだが、その点についてはこの場では割愛する。

 

 

「……なぁ、イクス。エルエルフの行方は掴めたか?」

 ハーノインが苦い顔で発した問いに、イクスアインは眼鏡のブリッジを人差し指でくい、と持ち上げて答える。

「未だ不明だ。そもそも、奴が何故あんなことをしたのかも不明……洗脳でも受けたのか、或いは―――」

「最初っからこのつもりだったんじゃないの?」

 なんでもなさそうな調子で放たれた言葉に、俄かにハーノインとイクスアインは背を強張らせる。

「考えてみたらエルエルフの奴、なんか変だったじゃん。ジオールの学生に突っかかるわ、標的のヴァルヴレイヴも最初は逃がしちゃうわ。妙な事考えてて作戦に集中してなかったんじゃない」

「……クーフィア、まだそうと決まった訳じゃない。大佐も仰っていただろう。この件については当面のところ、調査は我々に一任すると」

「けど、結局は殺すんでしょ? だったらボクにやらせてよ、今回の作戦ではエルエルフにほとんど持って行かれちゃったから、つまんなかったんだ……退屈な任務かと思ったけど、最後の最後で隠しボスとか、最高だよ」

 まるで、この後起こることが自身の手にあるゲームの延長だとでも言わんばかりに、ニィ、と唇を下弦の形に歪めるクーフィア。

「だいたい、そのエルエルフ本人が言った事でしょ。『殺されるなら殺せ』ってさ」

 何を馬鹿なことを言っているのか、とあくまでも無邪気に放たれたクーフィアの言葉に、年長者二人は揃って目を逸らす。それはエルエルフも含めて、五人の足を等しく縛り付ける枷たる言葉。隊の中では一番の年少者であるクーフィアにその言葉を言わせる自分が情けないと思う反面、それでも、酸いも甘いも共にしてきた仲間を信じたいという気持ちが、確かにあったのだ。

「……駄目だ、クーフィア」

 クーフィアに待ったをかけたのは、アードライだった。

「えー? 王子サマまであいつの肩持つのー?」

「その呼び方は止せと言っている……そうではない」

 アードライはベッドに横になったまま、点滴の針が刺さっていた右腕を宙にかざす。

「エルエルフを……あの裏切り者を始末するのは、私だ」

 噛み締めるように言った彼の右手が、ぎゅっと握られる。エルエルフに片方を潰されて残った彼の右目には、昏い怒りの炎が渦巻いていた。

 と、その時。医務室の出入り口が開き、通路から恰幅の良い髭面の男性が姿を見せた。その姿を認めた特務隊の面々は咄嗟に姿勢を正す。アードライもベッドから立ち上がろうとしたが、髭面の男性に手で制され、上半身を起こすに留めた。

 特務隊の敬礼に、同じく右手で以て返礼した髭面の男性は、右手を腰の後ろに戻すとアードライに視線を遣る。

「傷の具合はどうかね、大尉」

「は、もうじき作戦に復帰できますが……このような姿勢で失礼します、少将閣下」

 少将と呼ばれた男性……戦艦『デュッセルドルフ』の艦長、グスタフ・ザッハ少将はアードライの返事を聞いてフン、と鼻を鳴らす。

「ならば構わん。それと、貴官らが制圧した目標施設の検分もこちらの部隊が始めているよ。当面のところは特務隊の出番は無い、そのまま養生するのが良かろう」

「はっ!」

 少しばかり棘のある物言いではあったが、グスタフ少将はひとまずアードライの傷が命に関わるほどでは無かったことを喜んでいるようであった……この辺りは、彼ら特務隊の直接の上官がグスタフと折り合いの宜しくない立場に居ることもあるのだろう。加えて、厳密に言えば話の順番が違うが、半ば彼らの“アシ”代わりになるために、グスタフの指揮する機動部隊が後詰の歩兵として作戦に参加する羽目になったのも、特務隊への大人げない態度の一因でもあった。

 特務隊の少年たちにしてもそこの辺りは弁えている心算なので表面上、グスタフの態度に眉を顰めるような真似はしなかった。

「しかし、付添は一人で充分だろう。イクスアイン大尉とハーノイン大尉はブリッジに戻り、カイン大佐の別命あるまで待機だ」

 言って、グスタフはイクスアインとハーノインを引き連れてブリッジへと戻る。医務室には、アードライと、その付添であるクーフィアが残った。

 しばし経って、再び携帯ゲーム機の電源を入れたクーフィアはアードライに話しかける。

「ねぇねぇアードライ。エルエルフ、どれぐらいで戻ってくると思う?」

「……戻ってくる、とは?」

「だーかーらー。こういう場合って、裏切った奴はすぐにこっちに攻撃しかけてくるじゃない」

「有り得んだろう。奴ならば直ぐにどこか別の場所へ移動し、潜伏する」

 動機は未だ不明だが、ともかくエルエルフはアードライを撃ってから現在逃亡中だ。すぐに姿を現すとは思えなかった。

「そーかなー。こういう時ってゲームだと、急に奴らと手を組んで反撃に協力するってのがセオリーなんだけど」

「クーフィア、現実とゲームは違う。貴様もカルルスタインの兵士ならば、堅実な戦略眼というものを―――」

 呆れたようなアードライの言葉に説教臭さを感じ取ったクーフィアは、続く言葉を遮るように言葉を紡いだ。

「けどさぁ、今起こってることだって十分に有り得ないっしょ。だったら、もう一つか二つぐらい、有り得ないことが起きてもおかしくないよ」

「……ふん」

 鼻を鳴らして、アードライは再び身体を横たえると、そのまま瞳を閉じる。その様子から小言を回避したと確信したクーフィアは、喜々として再びアクションゲームに意識を移すのであった。

 

 エルエルフが現れ、ヴァルヴレイヴとパイロットの身柄を奪還されたという報せが二人に届いたのは、それから数分後だった。

 

 

 

 

 咲森学園からモジュールの外縁部に向かい、およそ一キロメートルほどの地点。市街地上空を飛翔する八号機と、その八号機を追跡するバッフェ部隊の機影があった。

「くそっ、しつこいんだよっ!」

 苛立ちのままに叫ぶミツルは急制動をかけて、空中で最小限の動きでUターンする。そのまま頭部のバルカン砲からエネルギー弾を斉射しながらバッフェに肉薄すると、脇下から引き抜いた『フォルド・シックル』で掬い上げるようにバッフェを切り払う。防御プログラムに従って両肩のシールドを構えるバッフェであったが、間一髪、二枚のシールドの合わせ目を閉じ切る前にエンジン部を切り払われ、そこから爆発を起こす。

(ああもうっ! なんでこの機体、ハル先輩のみたいに刀とか持ってないんだよ!)

 ハルトが駆る赤いヴァルヴレイヴ……一号機と違い、八号機に装備されていた武器は左腕の楯を除けば、基本装備であるフォルド・シックルとバリアブル・バルカン、ハンド・レイのみだった。

 詳しくマニュアルを読んだ訳では無いので未だ機体の全容を把握しきれていないミツルではあったが、情報の“侵食”によって焼き付けられた操縦方法から、八号機の特徴を読み取ることは出来た。

 ヴァルヴレイヴ八号機『火集』。二号機『鉄火』の再設計機であり、安定した加速性能を持つ『高速侵攻型』の機体だ。その再設計のくだりで『簡略化』とか『攻撃能力を破棄』といった文字が見えた気がするので、おそらく元々のモデルと比べて火力は下がっているのだろう。

(つまり、素早さ最優先で造られたから火力は後付けのパーツで補えってことかよっ! しかもその後付けパーツも盾しか無いんじゃねーか!?)

 自分が陸上部所属だからこんな機体に当たったのだろうか、なんならスポーツ射撃部に居れば大火力の機体に乗れたのか……などと半ばやけくそになったミツルは、心の中で唱えていた開発者への文句もそこそこに、時折遭遇するバッフェ部隊を相手にしながらも目的の場所―――港湾部にある民間港を目指していた。

(ハル先輩……本当に捕まったのか? くそっ、せめてなんとかして合流できれば……)

 本来のミツルの思惑とはかなり違う形であったが一年三組の面々を大いに驚かせた後、その場に居た生徒から『ハルトが捕縛された』と聞いたミツルは再びヴァルヴレイヴに乗り込み、ドルシア軍の戦艦を探していた。

 ミリタリー事情に詳しい霊屋ユウスケ曰く、『二十メートル級のロボットを収容するには、戦艦の格納庫を用いる筈。モジュール防衛隊が使用する宙港は攻撃を受けて使用できないだろうから、戦艦クラスの宇宙船が停泊できるのは学園正門から十時の方向にある民間港のみ』とのことである。

(待ってろよ、ハル先輩……っ!?)

 そのまま暫くモジュール上空を飛んでいたミツルだったが、やがて目の前に見えてきた光景に驚き、しばし八号機の動きを止めた。

 ミツルの視線の先では、一機のヘリコプターが地上を走る装甲車から攻撃を受けていた。

「仲間割れか!?」

 何が起こっているのか一見しただけではミツルには解らなかったが、カメラを拡大してよく見ると、装甲車の他にもドルシア軍の白い軍服に身を包んだ数名の歩兵たちが、手にしたアサルトライフルや対戦車ロケット砲などでヘリコプターに攻撃を仕掛けている。

(じゃあ、こっちは“敵の敵”か!)

 ヘリコプターに乗っている者達が味方かどうか判断は付かないが、明確な敵であるドルシア軍に追われている以上、直に自分と敵対するようなことは無いだろう。そう判断したミツルはヘリコプターを庇うように躍り出る。

「そこのヘリ、下がってろっ!」

 外部スピーカーからヘリに向かって叫ぶと、ミツルは頭部のバルカンと両手甲の対人レーザーの引き金を一斉に引く。

 二機目のヴァルヴレイヴが現れたことで驚き、反応が遅れた装甲車は襲い来るエネルギー弾とレーザーの熱線から逃れられず爆散。地上に居た歩兵たちもまた、装甲車を瞬時に破壊した白の巨兵の威容に慄き、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

「っ、はぁぁーーーっ……」

 歩兵たちが逃げ出した後、バッフェが追撃してくる様子も無く、ミツルは操縦桿から手を離さないまま大きく息を吐いた。

(さっきのヘリ……勢いで助けちゃったけど、一体なにがどうなって……)

『ミツル! おい、さっきの声、ミツルだろ!?』

「……えっ?」

 外部から聞こえてきた声に、ミツルは大きく目を見開いた。

 何があった、と思いモニターに映った周囲の風景に目を遣ると、先程のヘリコプターが丁度八号機の近くに着陸しようとしていた。その操縦席のキャノピーを開けて中から姿を見せたのは、なんとキューマであった。

「い、犬塚先輩!?」

 思わずキューマの名を呼ぶミツル。更に着陸したヘリコプターの後部からは、クラスメートであるアイナまでもが飛び出してきた。

「櫻井まで!? ふ、二人とも何してんの!?」

 ミツルは慌ててヘリコプターの近くにヴァルヴレイヴを着陸させると、外部マイクからの声に耳を傾ける。

『お前こそ、なんでそのロボットに乗ってるんだよ!』

 外部マイクが拾ったキューマの問いに、ミツルは咄嗟に答えあぐねてしまう。ここまでの数十分間に自身の身に起こった出来事を、簡潔にまとめるのがとても難しかったのだ。

「なんでって言われても、成り行きとしか……」

『何だそりゃ……』

 呆れたような表情を浮かべるキューマ。次に問いを発したのは、アイナだった。

『草蔵くんも、そのロボットに乗れるんですか……?』

「あ、ああ。なんかよく解らないけど、乗ったらいきなり出来るようになって」

『ハルトと同じか……』

「そ、そうだっ! ハル先輩、どうなったんですか!? 捕まったって聞きましたけど……」

 その問いはキューマに向けて放った言葉だったが、それに反応したのはアイナだった。

『草蔵くん! お願い、ハルトさんと流木野さんを助けて!』

「流木野って…流木野サキ? あいつがどうしたんだ?」

 アイナの言葉に、ミツルは彼女と仲の良い同じクラスの寡黙な女子の姿を思い浮かべる。クラスに馴染もうとしない為にあまり良い噂は聞かず、何故アイナと彼女が親しくしているのかと以前から疑問に思っていたが、ふと思い出したミツルの疑問は続くアイナの言葉によって綺麗に吹き飛んだ。

『流木野さん、ハルトさんのこと追いかけてあの赤いロボットに乗っちゃったの!』

「…………はっ、はぁあああああああああ!?」

 顎も外れよとばかりに大口を開けて絶叫するミツル。さもありなん、あまりと言えばあまりにも予想外な内容である。何がどうしてそうなったのか、流木野サキに小一時間掛けて問い詰めたいところだった。

「ばっ、馬っっっ鹿じゃねえのか!? っていうか何がどうしてそうなったんだよ!?」

『えっと、最初に皆でハルトさんのこと助けに行ったの、そしたらハルトさんが起きなくて、それで、それで……!』

『アイナ落ち着け、俺が話すから……ミツル、今ハルトは流木野さんと一緒にあの赤いロボットに乗ってる! 俺達も助けようと思ったけど、ドルシアの戦艦が海に潜っちまったんだ。もしかしたら、宇宙に出たかもしんない!』

「宇宙って……あ、そうか! この先の港は、宇宙船も入れるから……」

 混乱でまともに話せないアイナに代わり、キューマが現状をかいつまんで説明する。ミツルはそこで、ユウスケから聞いた話を思い出した。海に潜ったと言うその戦艦はおそらく、海底のどこかにある通路から、宙港エリアを抜けて宇宙に出たのだろう。

『俺達も出来ることがあれば良いんだけど、戦闘ヘリじゃ何も出来なくて……ミツル、頼まれてくれるか?』

「……わかりました。先輩と櫻井は、このままヘリで学園に戻って下さい。俺が行きます!」

 ここに来るまで、遭遇したバッフェ部隊はあらかた叩き落としてきた。恐らくはキューマの操縦するヘリでも、無事に学園までたどり着けるだろう。

 踵から硬質残光の光を放ち再び八号機を離陸させたミツルは、二人に背を向けると足早に飛び立つ。

 後には、その加速が生み出した風に両腕で体を覆ったアイナとキューマが残った。

「わ、きゃ……」

「っ……すげえ加速だな。ハルトの赤いロボットとはまた別の機体なのか?」

 一瞬のうちに小さくなってしまった八号機の背を見送った二人は今更ながら、ミツルが乗っていた白いヴァルヴレイヴが、ハルトの赤いヴァルヴレイヴと形が異なっていたことに気付いた。

蝶々(ちょうちょ)みたいな形でしたね……あのロボットも、学園の地下から出て来たんでしょうか?」

「さて、どうだろうな。だがそうだとしたら、うちの学校は一体何なんだ……あれ」

 言いさしたキューマだったが、視界の隅になにか白く煌めく物が見えた気がして視線を上に持ち上げる。つられてアイナも、空を見遣った。

 二人が見上げたビル群の空の合間には、いつの間にか白い粉状の光がはらはらと舞い降りて来ていた。

 常であれば、それは雪を連想させるものだっただろう。しかし今は夏だ。雪が降るにはいささか季節が外れている。

 すると、それは何なのか。アイナは先ほど、自身が蝶のようだと例えた白いヴァルヴレイヴの姿を思い浮かべ、そこから連想した言葉を無意識に口にしていた。

「鱗粉……?」

「……おいおい、ホントに蝶々かよ」

 キューマの言葉に応じる者は、何処にもいなかった。

 

 

 




一年三組「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!!」

 一年三組メンバーの容姿や性格等の設定は、主にスピンオフコミック「流星の乙女」を参考にしています。
 次回、ようやくオリ主とハルトの共闘シーンです。


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第七話 紅白共闘戦

○お知らせ
 作品タグに「性格改変」タグを追加しました。序盤の方はまだそうでもありませんが、中盤以降のプロットを練ったり会話部分をだらだら書いているうちに「これ、原作キャラのセリフじゃねえな」と判断したためです。お気に入り・しおり等からご覧になられる方はご留意ください。


 モジュール77第三民間宙港ベイから、一機のロボットが宇宙空間へと飛び出す。すったもんだの末に本来の身体を取り戻した時縞ハルトと、何故か同行してきた流木野サキ。そして、混乱に目を白黒させるエルエルフの三人を乗せた赤い人型ロボット―――ヴァルヴレイヴ一号機だ。

「宇宙だ……」

「わぁ……!」

 入学のために地球から宇宙船でこのモジュールにやってきた時以来に目にする漆黒の空間と、そこに浮かぶ無数の星々の煌めき。とんでもない場所まで来てしまった、と半ば途方に暮れるハルトと対照的に、サキはといえば星の光と、その遥か向こうに見える青い星に目を奪われていた。

 そんな二人の姿を眺めながら、エルエルフは思案する。

(この男、何故生きている!? さっき、俺は確かにこいつを殺したはずだ。心臓を抉り、肺に穴を空けた……致命傷だ。生きていられる筈がない!)

 エルエルフが特務隊の指揮官に抜擢された理由の一つに、彼の優れた情報処理能力があった。身に付けた知識と周囲から集めた情報を組み合わせ、頭の中でコンピューター顔負けの統計処理を行う能力。彼の予測・見通しの力はもはや“予言”と呼んでも差し支えの無いレベルだ。

 しかしそんな彼をして、今の状況は到底理解の追い付かない代物だった。殺せと言われた対象人物を殺害したと思ったら、怪我も無くぴんぴんしているその人物に拘束されて揺れの激しい機動兵器のコックピットでもんどりうっていたのである。エルエルフからすれば時間が消し飛んだどころの話ではない。もしや、自分は幻覚でも見ていたのだろうかと思い至ったエルエルフは呼吸を整え、自身の脈拍、体温、周囲からの音の聞こえ方、五感で感じられるすべての情報に神経を集中させる。

 ズボンのポケットから拳銃の感触が消えているので、武器は取り上げられたとみて間違いない。が、幸いにもエルエルフの手首を縛るロープ―――サキが縛ったものだ―――は、がんじがらめに結ばれてはいたが、手触りから察するに素人が単調な結び方を幾重にも繰り返しただけのものだった。指まで拘束されたわけでは無いし、程なく解くことが出来るだろう。

 縄抜けの作業と並行して、エルエルフは二人と周囲の様子から、自身が今置かれている状況の把握を急ぐ。

 しかし、そんな暇など与えぬとばかりに、一号機のコックピットに大音量のロックオンアラートが響く。

「敵!?」

 しばし全天周モニターに映った宇宙の眺めに目を奪われていたハルトは、そのモニター上をあっという間に埋め尽くした敵性反応のシグナルに、慌ててフットペダルを踏み込む。

 だが先程までモジュールの中に居たハルトは一度動かした時と同じように、地面を踏み締める動作から実行してしまったのだ。当然、存在しない地面を踏み抜いた一号機はバランスを崩し、蜘蛛の巣に捕まった羽虫の如くばたばたともがく羽目になる。真空の海で溺れるヴァルヴレイヴに救いの手が差し伸べられることはなく、代わりとばかりにビーム・ガトリング砲のエネルギー弾が叩き込まれ、数発が命中する。

「だぁあっ!? とっ、うわ、ぁわわわわっ!?」

「ちょっ、なにやってるのよ!」

「じっ、地面が無いから……!」

「宇宙なんだから当たり前でしょう!?」

 ぐうの音も出ない正論である。

 阿呆な遣り取りをサキとしているうちに、さらに数発被弾する一号機。どう見ても素人同然のハルトの操縦に、このまま一緒に撃墜されてはたまったものではないとエルエルフが声を上げる。

「降伏しろ! たった一機で勝てる筈がない!」

「黙って!」

 捕虜である彼を黙らせようと、奪った拳銃をエルエルフに突き付けるサキ。しかしコンソール越しに身を乗り出してのその行動は、ハルトの視界を塞いでしまう。

「前に出ないでっ!……こ、のぉおっ!!」

 サキを押し退けてようやく視界が開けると、ハルトは両足のフットペダルを目一杯踏み込む。踵部の『クリア・フォッシル』から硬質残光が吹き出し、猛烈な勢いで加速したヴァルヴレイヴは光の帯を引きながら宇宙を駆け、バッフェ部隊による包囲網を強引に突破すると、急制動をかけてターンした勢いそのままに敵に向かって肉薄する。

「そこだっ!」

 一機目。脇下から引き抜いたフォルド・シックルを逆手に握り引っ掛けるようにして、無人機の赤いセンサーゴーグルを割り砕く。段違いの馬力を誇るアクチュエーターをフル回転させて、刃先を突き刺した個所から力任せに引き裂いた。

 二機目。先程の無人機の爆発に紛れて背後から接近していた有人機を、振り向きざまに下部バーニアから抉るように斬り上げる。この距離で対応できると思わなかったのだろう、両腕に構えたビーム・ガトリング砲を一射もせずに、白地に青ラインの有人機は四散した。

 三機目。真正面から急速に突撃して振るった一太刀目を防御されるとシールドの隙間から展開する砲身が見えて、残身を取らずにその場でくるりと宙返り。間一髪のところでデュケノワ・キャノンの砲撃をいなすと、その回転の勢いを殺さずに、有人機のコックピット目掛けて硬質残光を纏った踵落としを放つ。遠心力で威力を上乗せされたその一撃はコックピット内のパイロットを粉々に轢き潰し、燃料タンクを破砕して大爆発を引き起こした。

「すごいすごい! この調子なら……えっ」

 戦闘中だということを解っているのかいないのか……ハルトが魅せる怒涛の快進撃を無邪気に囃し立てていたサキであったが、新たな敵性反応のシグナルと共に現れたその敵影を見て、思わず絶句する。

「な……なんだアレ、目茶苦茶な大きさだぞ……!?」

「来たか……『イデアール』が」

 サキと同様、まるで“戦艦から戦艦が飛び出す”ように現れたその姿を見て言葉を失うハルトと、苦々しげな表情を浮かべるエルエルフ。

 三人の視線の先に現れた物体は、バッフェなどよりもはるかに巨大だった。

 

 

 モジュール77から出港した『デュッセルドルフ』の艦橋。

「まさか、イデアールを二機同時に出さねば勝てん相手とは……」

「カイン大佐の情報の通りです。ですがこれで、我らの勝ちは決まったも同然でしょう」

 艦長席に座るグスタフが呟いた一言に、手近な手摺に掴まっていたイクスアインは怜悧な言葉を被せる。彼らの視線の先には、縦横無尽に宇宙空間を疾駆しながら、驚くべき速度でバッフェの数を減らしていくヴァルヴレイヴの姿があった。

『こちら一番機、発進宜し』

『二番機もいつでもオッケー!』

 艦橋に表示された二枚の通信ウィンドウでは、アードライとクーフィアがそれぞれ自分の愛機のコックピットから、発進準備の完了を知らせてきた。

「アードライ、無理はするなよ。まだ傷は……」

『だから、私が行くのだ』

 イクスアインの言葉を一言で切って捨てるアードライ。傍目から見ても彼は冷静を失っていたが……彼とてドルシアで最高の軍事教育を受けたカルルスタインの兵士だ。感情の制御は出来るだろう。イクスアインは何も言わずに通信ウィンドウをオフにする。

『アードライ、イデアール、ボックスアウト!』

『クーフィア、ボックスアウトぉー!』

 出撃の合図と共に繋留索が外され、二人が乗り込んだ巨体が『デュッセルドルフ』からゆっくりと離れる。その悠然とした姿を見送るように、甲板にいた整備クルーたちが声を合わせた。

『ブリッツゥンデーゲン!』

『ブリッツゥンデーゲン』

『ブリーッツゥーンデーゲーン』

 律儀な声と間延びした声で整備クルー達に応え、戦闘宙域に向かって飛び立つ巨大な影。その背を見送るイクスアインが、艦橋で一人ごちた。

「我がドルシア連邦が誇る宇宙最強の機動兵器、『イデアール』……国力でARUSに劣る我々が、戦場でかの大国と同等に並び立つ理由を、存分に教えてやれ」

 自軍よりも人数の多い軍隊との戦闘に於いて、どうすれば戦略的な勝利ではなく誰が見ても頷ける“勝ち”を取れるか。その問いに、ドルシア連邦軍は幾つかの答えを示した。その一つを形にしたものが、全長100メートルを超える“単座型の独立戦艦型兵器”『イデアール級機動殲滅機』だ。ミサイル、拡散レーザー、粒子ビーム砲を搭載したウェポンベイから巨大な人型の上半身を生やした異形の兵器は、わずか一機で戦艦と互角に撃ち合いを繰り広げられる火力を持つ。

 『敵が多過ぎて勝てないのなら、多くの敵を打ち倒せる武器を兵士一人一人に持たせれば良い』。至極簡単な答えに基づいたその結果生まれたのがこの一騎当千の兵器、イデアールだった。

「君の言う通りイデアールを二機も出したのならば、如何に君らの裏切り者が優秀であったとしても何もできないだろう。最後に何か聞き出すようなことは無かったのかね?」

「お気遣いありがとうございます、少将閣下。ですが我らカルルスタインの兵士達にも、掟というものがあります……裏切り者には等しく死を、という、鉄の掟が」

 言って、イクスアインは戦闘宙域の様子を映し出すモニターを睨みつける。彼の傍らに立つハーノインも同様であった。

(ふむ……どうも脱走兵のエルエルフ大尉とは、ただ同じ隊の仲間だったというわけではなさそうだな。彼らも辛かろうが、これも戦争。割り切って貰わねば―――)

「……こっ、後方に新たな敵影を感知! ヴァルヴレイヴ型です!」

 索敵を担当していたブリッジクルーが悲鳴染みた声を上げたのは、その瞬間だった。

「二機目だと!」

「は、はい! 赤いヴァルヴレイヴの二倍……いえ、三倍の速度で現在本艦の……あれ?」

 言いさして、そのクルーは不意に言葉を止める。

「おい、どうした! 報告は最後までしっかりと―――」

 間の抜けたその態度に苛立ったグスタフが怒鳴ると、モニターから白い光が尾を引いて飛び去り……そのまま、何もしないで戦闘が始まった宙域へと飛び去って行った。

「……えっと、本艦艦底部を素通りしていきました……」

 狐に摘ままれたような表情のクルーの報告に、しばし『デュッセルドルフ』の艦橋には沈黙が下りた。

 

 

 

「あれかっ!」

 モニターの表示に『WINGMAN(友軍僚機)』の表示を認めたミツル―――ハルトとサキのことしか考えていない彼は、たった今自分がスルーした障害物が敵の艦船だとは毛ほども気付いていない―――は、その表示の示す方角へと全速力で向かう。視線の先では赤いヴァルヴレイヴ……ハルトの駆る一号機が宇宙船サイズの巨大な機動兵器と対峙していた。

(ドルシア軍は、あんな馬鹿みたいな兵器まで持ってるのかよ!)

 ユウスケ辺りが間近で見れば泣いて喜びそうな光景ではあるが、生憎ミツルにミリタリーの趣味は無い。

 一号機に殺到したミサイルの一部、その射線に割り込み、裏拳を振るう様に左手の盾でそれらを殴り飛ばした。

「ヴァルヴレイヴ!? もう一機あったのか!」

 突如現れた援軍、それも自分の物と色は違えども同じ人型のシルエットに、ハルトは瞠目する。しかしながら、彼を本当に驚かせたのは次にコンソールのスピーカーから聞こえてきた声だった。

「ハル先輩、何ともないッスか!」

「え……み、ミツルっ!?」

 あにはからんや、通信回線から聞こえてきた声はよく聞き慣れた後輩のものだった。二重の驚きに頭の回転が追い付かないハルトだが、再びモニターに現れたロックオンアラートにはっと息を呑むと、頭部のバルカンでそれらを撃ち落とし、現れた八号機と共に全速で後方へと飛び退る。

「ミツル、って……草蔵!? 三組の!?」

「あれ、流木野さんミツルのこと知って……いやそれより、なんでミツルがヴァルヴレイヴに!?」

「うぇ!? えーっと、話せば長くなるんですけど……」

 しばし肩を並べて飛んでいた二機であったが、いい加減聞き慣れてきたアラートに反射的にフットペダルを踏み込み、それぞれ左右へと大きく旋回。直後にそれまで彼らの居た場所を、アードライのイデアールが放った二条のビーム光が走り抜けた。

「聞いてるヒマは無さそうだね……」

「ですね……ハル先輩」

「うん?」

 声を掛けられたハルトはモニターの中で隣に並ぶ八号機を見遣る。その動きと連動して、一号機の頭部がパイロットの動きをトレースして傍らの僚機へと向けられる。緑のツインアイが、八号機のそれと交錯した。

「一緒に、あいつらをぶっ飛ばしましょう!」

「……ああ!」

 八号機が伸ばした右の拳に、ハルトもまた、一号機の左の拳をがしゃんと軽くぶつける。

「あの赤いやつは俺が相手します、ハル先輩は金色のを!」

「わかった、気を付けて!」

 通信を終えると、八号機は赤いラインの入ったクーフィアのイデアールに向かって猛突進を仕掛ける。これで1対1である。

(ミツルのおかげでなんとか1対1になった、後はこいつを倒せば……っ!?)

 コンソールに目を走らせたハルトは、今の今まで忘れていた情報を思い出して戦慄する。

 ヴァルヴレイヴの機体熱量が、いつの間にか『83/100』を示していた。

「しまったっ!? 熱量がもうこんなに……うぁっ!?」

 一瞬の隙。そこにすかさず、アードライ機が的確な射撃で以て一号機を追い立てる。

 咄嗟に手甲部から噴射した硬質残光で以て壁を作ると、まずはその場から距離を取る。

「この数字が上がるとどうなるの!?」

「オーバーヒートしてるんだっ!百を超えたら動けなくなる!」

「そんな……どうすればいいの!?」

「とにかく冷めるまで逃げる!」

 サキの問いにつっけんどんに答えると、宇宙空間を漂うデブリに身を隠そうと動き回る。

 何とか目に入ったデブリの陰に機体を隠し、機体の熱量が下がるまで待つことにしたハルトが深呼吸をした、その時だった。

「きゃあっ!?」

「なっ……流木野さん!?」

 隣に居たサキがぐい、と身体を引っ張られたかと思うと、ハルトの眼前に銃口が突き付けられる。

 縄を脱し、縛られていた腕の痺れが完全に消えるまで息を潜めていたエルエルフだった。

「お前っ……!」

「降伏しろ。武装解除信号を出すんだ」

 こんな時に、とハルトは奥歯を噛み締めて、身体を取り戻してすぐにこの少年をコックピットの外へ放り出さなかった自分を呪った。

 エルエルフは左腕でサキの首を絞めつけながら、右手に構えた拳銃の銃口をハルトに向けている。

「流木野さんを放せ!」

 しかし、ハルトがその銃口を恐れる素振りは無い。

 実際ここですぐにハルトを銃殺しても、特殊な素質を持つ者にしか動かせないヴァルヴレイヴをエルエルフが操縦することは出来ない。よって、エルエルフはハルトが降伏し、この機体をドルシアの戦艦に着艦させるまでハルトを殺すことは出来ないのだが……エルエルフは、それとは違う何かがハルトにはあるような気がしていた。 

(死ぬのが怖くないのか? だからあの時も、奇襲の危険を無視して、コックピットから降りて……っ!?)

 その瞬間までエルエルフが“それ”に気付かなかったのは……やはり彼もまた、普段の任務とは何もかもが違う今の状況に混乱していたのだろうか。

 捕縛されていた間、ハルトの胸には心電図や血圧計などに繋がれた電極パッドが張り付けられていた。エルエルフの身体に乗り移ったハルトが本来の身体を奪還した際に―――これは後でひりひりと痛むぞ、と余計な事を考えつつも―――それらを全て引っぺがしたのだが、その後改めて身形を整える間もなく、現在ハルトの胸元は大きくはだけていた。

 そして、エルエルフが目にしたのは、陸上部でそれなりに鍛えていたハルトの胸板……自分がナイフで刺した傷も銃弾を撃ち込んだ痕も綺麗に消えた、至って健康な人間の身体だったのだ。

(傷がない……!? そんな、確かにこの手で……!)

 彼の混乱は、それだけでは終わらない。

 そうして数秒間、拘束されたサキを間に挟んで睨み合っているうちに、再び大きな揺れが一号機のコックピットを揺らした。

 ハルト達がモニターに目を戻すと、至近距離まで迫ったアードライのイデアールが一号機の四肢を巨大なマニピュレーターで鷲掴んでいた。

 接触したことでオートで開いた通信回線から、アードライの悲痛な叫びが迸る。

『エルエルフ……何故私を撃った!』

「なに……!?」

 今度こそ、エルエルフの思考は停止させられた。

 

 一方、勇んで飛び出した八号機はといえば。

「あっはははは! ほらほらどーしたのさぁ!?」

「くっそぉおおおっ! あれに乗ってる奴、ぜっっってー性格最悪だっ!?」

 迫りくるミサイルとビーム光をいなし、撃ち落とし、防ぎつつ、赤いラインの入ったイデアールから距離を取って逃げ回っていた……奇しくもそれは、先程までハルトがやっていたこととほとんど変わらなかった。

(恰好付けて飛び出してきたのにこれかよっ……先輩に大見得切ったんだ、せめてこいつだけでも何とかしないと!)

 機動性では劣るが、大量のミサイルにいくつも装備された火器を持つイデアールに対し、驚異的な速度と機動性を誇る八号機は攻撃を避け続けることこそ出来ていたが、如何せん火力不足によって反撃に移ることが出来ずにいた。距離を取ってバリアブル・バルカンのエネルギー弾や鞭のように伸ばした硬質残光を撃ち込もうにも、戦いの素人であるミツルの挙動は予備動作だけで目的を看破されて分厚い弾幕に防がれ、かといって距離を詰めて至近距離から硬質残光を纏った拳打を見舞うには、これまた弾幕が厚過ぎて近付けない。

 遊ばれている、と言っても良いだろう。精神的な幼さはあっても、クーフィアはドルシアで最高の軍事教育を受けたエースパイロットの一人なのだ。

(このままじゃジリ貧だ、逃げ回ってるだけじゃいずれこっちがやられる!)

 もう何度目かもおぼろげになってきた攻防の最中、ミツルはフットペダルを放してその場に留まると相手の出方を待つ。急に動きを止めた八号機の隙をクーフィアが見逃すはずも無く、イデアールの左腕に装備されたミサイルランチャーから射出されたミサイルが八号機に向かって飛んで来る。

「―――今だっ!」

 その殺意の群れが自身に届くその寸前、八号機が急発進する。ミサイルの波を掻い潜った八号機は、そのままイデアールへと肉薄し―――

『見え見えだよ、ばーか!』

「っ、が……!?」

 巨大な右のマニピュレーターに足を捉えられ、加速の勢いを一瞬で殺されてしまう。激突の衝撃が凄まじいGとなってミツルに襲い掛かった。

 時速100キロオーバーの速度からの急停止に体が付いて行けずにミツルが咳き込んでいると、接触した機体からオートで音声が流れ込んでくる。

『んっだよ、つまんないなぁ……もう一機出て来たっていうから、少しは楽しめると思ったのに』

 もはや八号機への興味も失せかけているのか、心底気だるげな声を漏らすクーフィア。ミツルが不慣れなりに考えた作戦―――と呼べるものでもなかったが―――など、クーフィアには最初からお見通しだったのだ。

「ごほっ、けほ……こ、子ども!?」

『……そうだけど、お前らジオール人よりはよっぽどオトナだよ!』

「うわああっ!?」

 クーフィアの声の幼さに(ミツルも彼のことを言えたクチでは無いのだが)思わず口から飛び出したミツルの言葉が気に障ったのか、クーフィアは八号機を無造作に放り投げるとそこに向かって腕部のビーム砲を適当に連射する。不恰好な体勢のまま放り出された八号機には避けることなど出来ず、数発が八号機の白い装甲に着弾する。

「わ、わぁああっ!」

 コックピット越しに目にする爆発の光に、思わずミツルは操縦桿から放した両手で身体を庇うように覆ってしまう。ミツルがヴァルヴレイヴに乗り込んでから初めての被弾。新素材であるVLCポリマー製の装甲が砕かれることは無かったが、襲い掛かる爆音と衝撃は、ミツルに恐怖を与えるには充分だった。

(いやだ、嫌だ、死にたくない! あの眼鏡野郎からやっと逃げて来れたんだ、こんなところで死んで堪るか!)

 噛み締めたその言葉に呼応するように、八号機がオートで姿勢を制御し、クーフィアのイデアールから距離を取る。

(何だ? 機体が勝手に……って!?)

 その時ミツルの視界に入ったのは、先程の八号機の如くアードライの操るイデアールに捉えられた一号機の姿。

 マズイ、と思った瞬間にはミツルは全力で一号機のもとへと向かっていた。

「先輩っ!」

 突進の勢いを利用した飛び蹴りでマニピュレーターの拘束を緩めると、一号機を抱えてその場から飛び去る八号機。

「ミツル!? ごめん、助かった!」

「どうしたんスか、急に止まったりして……」

「今立て込んでて!」

「は?」

 なんだそりゃ、とミツルが声を上げる寸前、接触通信から聞き慣れない声が聞こえてきた。

「おい、どういうことだ! 貴様ら俺に何をした!?」

「今聞いた通りよ! あなたは仲間を撃った!」

「俺は撃ってない!」

 ハルトともサキとも違う、三人目の声。ミツルは今まで、エルエルフの存在を知らなかったのだ。他に二人も乗せた状態で一号機は戦っていたのか、と驚くミツルだが、そうしているうちに追いついて来た二機のイデアールから再びビーム光が放たれる。

 口を噤み、回避と防御に専念する赤と白のヴァルヴレイヴ。しかし、接触が離れた後も開いたままになっていた通信回線からは相変わらず喧々諤々と言い争う声が聞こえてくる。

「俺がアードライを撃った? 有り得ない!」

「黙ってて! 今やられたら君も死ぬんだぞ!」

「答えろ!」

「後にしろ、後に! 先輩、掴まって!」

 戦闘中だと言うのに途切れる事の無い言い争いにいい加減うんざりしてきたミツルはマイクに向かって怒鳴ると、ハルトの返事を待つことなく一号機の腕を掴み、一直線にイデアールから離れる。そのまま二機のヴァルヴレイヴは、宇宙を漂う隕石に姿を隠した。

「ミツル、そっちの熱量はどうなってる?」

「熱量……あ、これか。今は『37/100』ですけど……」

 ハルトに声を掛けられたミツルはコンソールの画面上に“HEAT CAPACITY”の文字を認めると、そこに表示された数字を読み上げる。

「こっちよりも大分低いな……僕の方はもう熱暴走ギリギリなんだ。冷めるまでじっとしてないと、次に攻撃を喰らったら動けなくなる」

「りょ、了解ッス……そっか、これって百を超えたらまずいのか」

 何故か一号機に比べて熱量の上がり方が緩やかな八号機は、これまでの戦闘で一度もオーバーヒートによる機能停止を起こしていない。ハルトの言葉で初めて知った事実にミツルは一人ごちた。

「……いつまで俺を無視するつもりだ! 答えろ! 俺が気を失っている間に俺の肉体に何があった、いや、お前は何故生きている!」

 二人の会話に割って入ってのは、相次ぐ不可解な事象に苛立ちがピークに達しつつあるエルエルフだ。しかし、答えろと言われて途方に暮れてしまったのは当のハルトだった。何せ彼自身、何が起こっているのかほとんど解っていなかったのだから。

「それはっ……」

 

『――――――♪』

 

 ハルトの声を遮るように。或いは、エルエルフの問いに応じるように……と言うには些か場違いではあるが、明るい調子の電子音が響く。

「これって……!」

 その音を聞いたハルトは、慌ててポケットに入れていたスマートフォンを引っ張り出す。色々と逼迫したこの状況で電話に出るという常識では考えられない行為にエルエルフが眉を顰めるが、ハルトからしてみればそれどころではない。

 何故なら、ハルトが一昔前に流行ったこのメロディを着信音に設定している相手は、この世に一人しかいないのだ。

 

 もういない筈の―――指南ショーコしか。

 

「ショーコっ!」

『あ、ハルト!? 良かったぁ……やっと連絡ついたよぉ』

 電話の向こうから聞こえてきたのは、ハルトにとって何よりも大切な人の声。

「ほんとに、ショーコだ……生きてたの!?怪我は!? どこかぶつけたりとかしてない!?」

『へ? あ、うん! ちょっとあちこち擦り剥いたりしちゃったけど、ぴんぴんしてるよ』

 先輩、心配の仕方が小学生レベルです―――そんな言葉を飲み込んだミツルであったが、なにもわざわざこんな時にかけて来なくても、とショーコのタイミングの悪さにエルエルフと同様に眉を顰める。

 だが、それはミツルが“爆発に巻き込まれるショーコ”というショッキングな映像を見ていなかったからこそ言えることでもある。

「ちょ、ハル先輩……呑気に話してる場合じゃな、」

「ミツル、うっさい! ちょっと黙ってて!」

「はいぃっ!?」

 呆れたように声を掛けるも滅多に声を荒げないハルトの怒鳴り声で一蹴され、解せぬ、といった面持ちでコンソールへと視線を戻すミツル。やはりこの少年にはどこか間の悪さがあった。

『ど、どうしたのハルト。っていうか、ミツル君も一緒なの?』

「ああ、うん……それよりショーコ、どこに居るの!?」

『土の中! 車ごと土砂に埋まっちゃったの! ひとりで閉じ込められた訳じゃないから何とかなると思うよ』

「そっか……そっか、ショーコ、生きてたんだ……!」

 奪われ、永遠に失ったと思っていた想い人の声。それを決して失ってなどいなかったことが、ハルトの瞳から涙を溢れさせる。

 また再び、生きてショーコに会える。会って、話をして、祠の続きを話すことが出来る。知らず、ハルトの心を抑え付けていた憎しみや怒りが晴れていく。

(そうだ……僕はまだ、戻ることが出来る。またショーコと会えるんだ!)

 こう言ってしまっては何だが、この時点でハルトは戦う理由を失ったと言っても良いだろう。ハルトにとって、ショーコが生きていることはそれだけの大きなこと……何を差し置いても優先すべき事柄なのだ。

……しかし、それを是とする者は、ここには居ない。そんな甘えを今更許すかと言わんばかりに……

「……やばっ、先輩! 避け―――どわぁあああっ!?」

 二機のヴァルヴレイヴを襲った爆発に、ミツルとハルトは悲鳴を上げた。

 

 

 

 

『わぁああっ!』

「わっ……は、ハルト!? ミツル君!?」

 スマートフォンのスピーカーから聞こえてきたハルトの叫びと耳障りなノイズに、指南ショーコはついついスマートフォンを耳から遠ざける。横倒しになったまま、爆風に巻き上げられた土砂に埋もれてしまった車に学園教師と一緒に閉じ込められてからおよそ一時間半。ようやく幼馴染と連絡が付いたと思ったらその幼馴染の電話口からは爆発音のようなものが聞こえてくる。

 一体どうなっているのか、もしや地上では未だ謎の軍隊との戦争が続いているのか―――とあまり考えたくない予想に思い至ったショーコ。

『くそっまだ熱量が……ごめんショーコ、一旦電話切るね』

「ハルト、大丈夫!? どうしたの、そっちで何が……」

『後で話す!』

 それは、普段のハルトからは想像もつかない強い口調。閉じ込められた不安と、何が起きているのか解らない混乱の中にあるショーコは、果たして電話口の相手が本当にハルトなのかとすら思えてしまう。

 しかし、そんなショーコの不安に気付いたかのように優しい言葉が聞こえる。

『生きてれば、また話せるから……ショーコ、帰ったら続きを話すよ』

「続き?」

『祠の前で』

「あ……」

 その言葉に、頬が赤く染まるのをショーコは感じていた。ハルトが言っているのは、あの伝説の祠での続きのことだ。

『約束する。必ずだ』

「うん……絶対、ぜったいだよ。怪我とかしないで帰って来てね! そしたら私―――」

 タイミングを見計らっていたかのように、ショーコのスマートフォンの電池が切れる。通話の切れてしまったスマートフォンを胸に抱いて、ショーコはハルトの無事を祈った。

(そしたら私、絶対にちゃんと、ハルトと向き合うから……!)

「連絡は付いたか?」

「あ、はい。なんかドタバタしてたみたいで場所を伝えたりは出来なかったんですけど……」

 一緒に閉じ込められていた教師……物理化学担当の教諭、貴生川タクミの声で我に返ったショーコは、スマートフォンをポケットにしまうと横倒しになってしまった車の中で身体の向きを入れ替える。

 ミサイルの爆発が起こった時、ハルトの声で危険を察したショーコは咄嗟にタクミの車の中に飛び込み、炎を伴う爆風から間一髪のところで逃れたのである。ただその後、車は横転した状態で埋まってしまい、更にその衝撃でタクミが足を負傷していた。追い打ちをかけるようにモジュール77の通信局がドルシア軍に押さえられてしまったせいで携帯電話が今まで通じず、救助を呼ぶことも出来なかったのだ。

「生きてるって知らせられたんならまずは上出来だ。よし、こっちもなんとかやってみるか」

「はい!」

 タクミの隣に寝転ぶように横になったショーコは、伸ばした手で運転席のブレーキペダルを押す。二人が乗っている自動車を何とかして動かし、タイヤの回転で少しずつ車を覆う土を掘れないか、と考えての行動だった。

「せーのっ……」

「よし、動いたぞ! しっかり掴まってろ!」

 タクミの声と共に、二人を閉じ込めていた車のモーターがかかる。これが一昔前のガソリンエンジン車ならば車内にガスが充満する危険があるが、幸いなことにモジュール77ではガソリン車の販売・持ち込みは制限されており、タクミのマイカーも例に漏れず電気自動車である。エアコンの電源をオフにしていれば窒息することは無いだろう。

 エンジンスタートの為に押し込んでいたブレーキから手を離してアクセルペダルを押し込んだショーコは、未だ再会できないハルトに心の中で誓う。

(ハルトが、ちゃんと帰って来るって言ってるんだ。だったら私が、お帰りなさいって言ってあげなきゃ!……頑張ってハルト、私も絶対に諦めないから。ハルトが帰って来た時に、ちゃんと迎えに行くから!)

 

 

 だが、ショーコはこの時気付いていなかった。いや、ドルシア軍を相手に戦うヴァルヴレイヴを、そのコックピットにハルトが居ることを未だ知らない彼女が気付くはずが無かった。

 最後に通話が切れるその瞬間、ビーム砲による攻撃を受けたヴァルヴレイヴ一号機がオーバーヒートによって機能を停止したことに。

 




サキ(私いつまで捕まってればいいんだろう……あ、酸素足りなくて意識が朦朧と……)
↑首元押さえて拘束タイム継続中

 今回の話を書くのに一番悩んだのが、「ショーコをさっさと退場させてしまうか否か」です。
 ハルトの性格を変える手段として有効的なものの一つは、“アニメ2話の時点でショーコを死亡させる”だと思います。ショーコを失うことによって純粋に復讐の為に戦うようになるハルトが、その後の戦いの中で仲間との交流やエルエルフとの契約を通して徐々に人間らしさを取り戻す、という展開もあったかもしれません。
 まあそれだけだと、おそらく『エルエルフすげー』で終わるでしょうからこうなりました。良し悪しはともかく、打算抜きで物語を引っ掻き回すキャラは必要だと思うんです。私にそんなキャラを書けるかどうかはさておき(オイ)。
 あと話の途中で八号機がドルシア戦艦を素通りするシーン。ミツル間抜け過ぎるだろと私も思いましたが、この段階でイクスアインとハーノインを退場させちゃうとそれはそれで話が成り立たなくなるので無理矢理ですが素通りしてもらいました。


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第八話 失われる日常

 お久しぶりです。期末試験とその後の課題提出がひと段落しましたので再び更新開始です。
 といっても筆が遅いので今まで通り不定期になりますが。
 今回で第一章は終わりです。


「っ……」

「……そんな」

 学園に架かる大橋のすぐ手前で戦闘ヘリから降り立ったキューマとアイナは、そのままヘリを使って学園に戻らなかったことをひどく後悔した。大橋の中央付近で二人の目に飛び込んできた光景は、あまりと言えばあまりにもショッキングなものだったのだ。

 最初に血の匂いに気付いたのは、キューマだった。もしや怪我人が居るのかと思った彼はアイナを伴って匂いのもとへ足を向けたのだが、その数分後にはアイナを同行させた自分を呪うことになる。

 近付けばその分濃厚になる血の匂いは、一人二人のものではなかったのだ。

「なんだよこれ……っ!」

 鼻先を殴打されるような……というのは大袈裟であるが、強烈な血の匂いに口元を押さえながら、キューマはその場に立ち尽くす。隣りに立っていたアイナは座り込んでしまい、今にも泣き出してしまいそうだ。

「先生方……なんで、こんなことに……」

 アイナがか細く洩らした声の通り、その場には咲森学園の教師たちが物言わぬ骸となって打ち棄てられていたのだ。

 その中には、数時間前にアイナとミツルが居る一年三組で授業をしていた、老齢の歴史教師の姿もある。キューマの進路指導を受け持っていた若手の教師も居たし、ハルトとショーコの担任である女性教師も居た。

 遺体は皆一様にズタズタに穴を開けられており、サブマシンガンやアサルトライフルで執拗に鉛玉を撃ち込まれた痕跡があった。間近でそれを見てしまったアイナは、喉元まで込み上げて来た酸っぱい感触を必死に飲み下そうとする。

「う、っぷ……す、すいませ……」

「いや無理すんな、その辺で吐いて来い……正直俺もキツイ」

「だ、大丈夫です」

 胸のあたりをとんとんと叩き、必死に吐き気を堪えるアイナ。無理に我慢しない方がとも思ったが、女性に嘔吐を勧めるのも何だかな、とキューマは敢えてそのことには触れず、改めて周囲を見回した。

 すると学園の方角から、彼らに声が掛けられる。

「誰だ!?」

 まさかまだドルシア兵が残っていたのか、と一瞬身構えるキューマとアイナ。しかし振り向いた彼らが見たのは、キューマと同じ学年の男子生徒だった。

「あれ……犬塚!? 無事だったか!」

「番匠! ああ、そっちもな」

「番匠先輩!」

 二人に声を掛けた体格の良い少年は、ラグビー部の主将を務める三年生、番匠ジュートだった。

「そっちは放送部の……えーっと、櫻井だったか? 行方が知れなくてみんなが心配してたぞ、何があったんだ」

「ああ、まあいろいろあってな。ところで番匠、これは一体……」

 キューマが視線を向けた先に広がる光景に、ジュートは糸のように細い目元から眉間にかけて、深い皺を寄せる。

「俺達にも理由は分からんが……学校が襲われてすぐ、先生方が外に出て行ったみたいでな。ドルシア軍の連中がさっき出て行ったから先生方を探そうとして皆で橋に向かったんだが……俺達が見つけた時にはもう、こんな状態だったんだ。で、いきなり見ちゃったもんだからリタイアする奴が多くてな」

「体調崩した奴らをいったん引き上げさせたって所か……サトミはどこにいるんだ? 色々と報告があるんだ」

 ジュートの説明から大体の現状を察したキューマは、一人の男子生徒の名を挙げる。サトミ、というのは、彼らが通う咲森学園で生徒会長を務める少年の名だった。

 だが、ジュートはサトミの名を聞いて、どうしたもんかと頬を掻く。

「あー……それがその、ここに来た時に真っ先に倒れてな。今は橋のたもとで生徒会の女子メンバー共々伸びてると思う」

「……あのお坊ちゃんには刺激が強すぎたか」

 良くも悪くも“純粋培養”という言葉がぴったり似合う生徒会長の為人を思い出して、キューマはそれもそうかと頷いた。

「どっちにしても、ここじゃ落ち着いて話も出来んだろ。学校が解放されて校舎を片付けてる奴らも居るし、そっちで話そう」

 ジュートに促され、二人は学園の校舎へと向かう。

 道すがら、ふとアイナが口を開いた。

「……先輩、後でスコップ借りましょう」

「スコップ?」

「せめて遺体だけでも見つけないと、ショーコさんが……」

「……ああ、そうだな。なあ番匠、体育倉庫にスコップとか、地面掘れる物ってあったか?」

 アイナが言っているのは、炎の中に消えたショーコのことだ。その意味を察したキューマは言葉少なに頷き、傍らのジュートに問いかける。

「スコップなら倉庫にあると思うが……二人ともどうしたんだ?」

「……ちょっと、な。遺体だけでも見つけてやりたい奴が居るんだ」

「っ……そう、か……よし、俺も手伝おう。二人だけじゃ大変だろう」

「ありがとうございます、番匠先輩……」

 結局三人の話題がショーコのことに移ったこともあって、彼らはここを離れた後にこの場所で見た教師たちの死をあまり考えないようにしてしまった。

 故に、誰も思いつくことが無かったのだ。

 

 何故、民間人である筈の学園の教師たちがドルシア軍と“戦闘”をしていたのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩っ!? 」

 八号機のコントロールパネルに表示された『僚機機能停止』の文字は、ミツルを戦慄させるには充分すぎる効果があった。

 しかし、一号機に近付こうにも先程から赤いラインの“デカブツ”―――クーフィアのイデアールは八号機を標的にしており、ミツルはそのビームの砲撃から必死に逃げ回るので手一杯である。ミサイルは尽きたらしく、攻撃が幾らか単調になってきたのが救いと言えば救いか。だがそれは、それだけの話だ。硬質残光の弾丸を幾ら放とうとも、頭部のバルカンを乱射しようとも、ミツルの拙い攻撃がクーフィアを捉えることは無い。

『雑魚のクセに、いつまでもうろちょろと……!』

「んなろ、舐めんなクソガキっ!!」

 既にクーフィアは八号機に飽きており、本気でミツルを殺しにかかってきている。それで未だ生き残っている辺り、ミツルも大分戦いに慣れてきた証拠であったが。

 そして、救援の見込めない状況で宇宙に浮かぶ一号機に、金色のラインが入ったアードライのイデアールがゆっくりと近づこうとしていた。

「っ、何でだよっ! 今止まったら意味ないだろ!? くそぉっ、動け、動けぇっ!!」

 アードライの攻撃によって機能を停止したヴァルヴレイヴ一号機。熱量の限界表示が『666』に変わってから、アラート音をけたたましく発する以外に何の反応も見せなくなったコンソールを睨みつけるハルト。がちゃがちゃとレバーやフットペダルを操作しても一号機が動き出す気配は無く、コックピットに同乗しているサキとエルエルフもまた、事態の深刻さに顔色を変える。

「絶対に帰るって約束したのに……おいっ、動けよ! 頼むよ! 折角ショーコが生きてたんだ、ちゃんと帰るって言ったんだよっ!」

(……こいつ)

 そんなハルトの様子を見て、エルエルフは普段の癖で思考を巡らせる。或いはそれは、ハルトの言葉に込められた意味を察した故の気まぐれだったかもしれない。

(先程までは否応なく戦っている様子だったが……あの電話の後は、回避運動の精度が見違えるように上昇した。何かしらの戦闘後の目的を得たと思って良いだろう。そして電話の相手に「生きてて良かった」と言っている……導き出される結論は)

 

―――この男は、大切な誰かの為に戦っていると言うのか。平和ボケしたジオール人が。戦いを嫌うこの腑抜けた男が、“自分と同じ理由で”戦おうとしているのか?

 

「41ヘルツ、30マイクロパスカル」

「え?」

「エンジン音は継続している」

 エルエルフの放った言葉の意味が咄嗟に理解できず、ハルトは素っ頓狂な声を上げる。しかし、固まるハルトに構わずにエルエルフは五感を総動員して集めた情報から考察した状況を、正確に披露していく。

「熱量の目盛りが100を超えた瞬間、上限値が666に切り替わった。統一されたフォントや左右対称のコックピットのデザインを見る限り、この機体の設計者はとことん几帳面な性格だろう。そんな設計者が作ったシステムの数値が666などという半端な数値になっていることに意味が無いとは考え難い」

「つ、つまりどういう事……?」

「熱量が666に達した時、おそらくこの機体の隠された機能が解放されるはずだ」

 ハルトがコンソールに目を遣ると、確かに熱量を表す数値は現在『231/666』を示しており、新たに表示された熱量限界のおおよそ三分の一程になっていることが分かる。だがそれでも、現在コックピットには大音量のアラートが鳴り響いていた。

「こんなに警告音が鳴ってるのに? 666に達したら、爆発でもするんじゃないのか!?」

「熱暴走による自壊・誘爆なら、その前にこのコックピットがまず影響を受ける。俺なら温度と気圧の変化を生身で感じ取ることが出来るが、今のところその予兆は無い」

「でも、隠された機能って……666の先に何があるって言うんだ」

「可能性だ。俺にだって判らん」

 暫し黙り込む二人。しかし突如コックピットに襲い掛かる振動に、揃って同じ方向に目を向ける。

『捕まえたぞ……まずは手足をもぎ取る』

 アードライのイデアールが巨大なビーム砲内臓クローで、ヴァルヴレイヴの上半身を鷲掴みにしていた。

「くっ……ど、どうすればいい! 熱量そのものがまだ全然足りてないぞ!?」

「あの白いヴァルヴレイヴを使え! 奴の背後に居れば熱量はさらに上がる筈だ!」

 エルエルフが示したのは、ハルト達から離れたところで赤ラインのイデアール相手に立ち回る八号機だった。

「白いヴァルヴレイヴの熱量が上がっていないことを考えると、あの機体には何かしらの排熱機構が備わっている筈だ! 自身の熱を周囲に放っている以上、奴の周囲は温度が高いと見るべき。なら奴を近くに来させろ!」

 エルエルフが最後まで言い終わるや否や、バキン、と金属が軋み、弾け飛ぶ音がコックピットに響いた。巨大なイデアールの腕に掴まれて負荷がかかっていた一号機の肩部装甲板が、とうとう圧壊したのだ。

『降伏してくれ、エルエルフ! 私は、君を……』

 接触回線から流れ込むアードライの声に、ハルトはふと思案を巡らせる。

(このパイロットは、こいつと親しいのか? じゃあなんでこいつは、理由を話そうとしない……こいつにも、戦う理由や目的があるってことなのか?)

 自分で言うのも複雑だが、エルエルフの裏切り者呼ばわりは、元を正せばハルトの仕業である。もしも自分が親しい人にあらぬ疑いを掛けられ糾弾されたなら、決して冷静ではいられないだろう。何が何でも親しい人にだけは身の潔白を信じてもらおうと、可能な限りの釈明をすると思う。

 しかし、エルエルフはそれをしない。接触箇所から空気の振動を伝わって流れてくる音声を聞き流し、ハルトの挙動とモニターの表示に注意を向けたままだ。

(親しい人に疑いを向けられて……それでもやることがこいつにはあって。その為に、僕を利用して生き延びようとしているのか―――)

 未だに、彼の言う事の全てが信用できるわけでは無い。けれどこの状況で一号機がやられれば、エルエルフだって命を落とす。

 ハルトは大いに悩んだが、この状況でエルエルフがハルト達を欺こうとしているとは考え辛く、結局ここは彼の指示に従うことにした。

(こいつの言う通りにするのは気が進まないけど、それ以外の方法は無い。そうだ、僕だってこいつと同じだ。何があっても生き延びるって決めたんだ!)

 栓無き思考の全てを切り捨てて通信機のチャンネルから白い僚機の回線を呼び出し、ハルトは怒鳴るような勢いで言葉を発する。

「ミツルっ!」

「先輩! よかった、無事だったんスね!?」

 ハルトの無事を確認できたミツルは一瞬だけ安堵の表情を浮かべるが、そんな暇など与えるかとばかりにイデアールの猛攻が始まる。

「これ、どうするんスか! このままじゃ嬲り殺しだっ!」

 二機のヴァルヴレイヴの周囲に居るのは、既にイデアールだけではない。アードライとクーフィアが暴れている間に態勢を立て直し、再び隊列を組み直したバッフェ隊までもが大挙して押し寄せて来たのだ。

「試したいことがあるんだ! 悪いけど、暫く一号機を守ってくれ!」

「はあっ!? ちょ、こっちもいっぱいいっぱいで……ええーいっ、解りましたよ! やってみますっ!」

 何やら文句を言いかけたミツルだったが、文句を途中で飲み込むと急加速でイデアールを振り切り、一号機へと向かう。

「お前ら、そこを退けぇぇぇーーーーっ!!」

 純白の硬質残光を踵とブースターから吹き出し、漆黒の宇宙を駆ける八号機。その両手に握られたフォルド・シックルが二度、三度と閃く度に、すれ違いざまに切り付けられたバッフェ達が次々と爆発する。

『アードライっ、そっち行ったよ!』

『何っ!?』

「先輩を放せ、このデカブツっ!」

 時速三百キロに達するか否かの突撃の勢いを進行方向へと突き出した両足に乗せて、金色のイデアールの腕部に蹴りを喰らわせる八号機。

 アードライ機の右腕部をひしゃげさせるついでに懐に潜り込んだ形になった八号機はそのまま至近距離でバルカンを乱射、更に両手のクリア・フォッシルから硬質残光を放つ。

『く、おのれ!』

『なーにやってんの、王子様!』

 咄嗟に距離を取るアードライのイデアール。そのまま距離を取った二機のイデアールは、ビーム砲の火線を八号機に集中させる。

「っ、ぐうっ!!」

 左腕の『クォーツ・バックラー』でその砲撃を防ぐ八号機。高熱のエネルギーである粒子ビームを受け止め続けることで機体の温度が上昇するが、そこで作動するのが八号機の腰のブースター・ユニット……冷却機構を組み込んだ特能装備『インゼクト・アクセル』だった。

 ヴァルヴレイヴ本体の熱を吸収し、外部へと放出する機能を兼ね備えた加速ユニット。その効果があって、今まで八号機は熱暴走を起こさずに戦ってこれていたのだ。

 そして、放出された熱は周囲にある物へと伝播する。戦闘による加熱で摂氏300度を超える機体熱量は八号機の後部から噴き出す冷却ガスを伝い、吹きかけられるガスをモロに食らう位置に浮かぶ一号機へと逃げ込む。

「機体温度473……この調子なら……!」

「先輩っ、あとどのぐらいッスか!?」

「もう少し! もう少しだ!」

「その『もう少し』がどのぐらいなのか聞いて……うぉお危ねえっ!?」

 危うく大型のミサイルによって盾を弾かれかけた八号機がその場で姿勢を整える。イデアールだけでなく、段々と距離を詰めてきたバッフェ達までもがビームやレーザーをヴァルヴレイヴに放って来たのだ。

「盾がっ……くそっ、もうちょっとなんだよっ! 負けねえっ、お前らなんかに負けねえぞっ!」

(ミツルっ……!)

 襲い来る光を一手に引き受ける八号機の姿に、ハルトは焦りを募らせる。

「熱量559……早く……早くっ……!」

 

―――エルエルフが何を考えているのかはわからない。だけど今、戦う力を持たないサキが同乗していて、ミツルが一号機を守ってくれている。そして、何よりもショーコと再び会うことが出来る。

 守るために。共に戦う為に。生きて再び言葉を交わすために……大切な人に、想いを告げるために。

 

「僕は……僕達は、生きるんだ!」

 思わず叫んだその言葉が最後の後押しになったかのように、熱量が一気に限界まで跳ね上がる。その瞬間、ハルトの視界が眩く輝く。

「これって……!」

「な、なんなの!?」

「来たか……!」

「先輩っ!」

 一号機の全身から噴き出した黄金の光に驚く四人の声と同時に、コンソールに表示された文字。それは正しくエルエルフが予見した通りの、“ヴァルヴレイヴ一号機の真の力”だった。

 

 

『HEAT CAPACITY 666% LIMIT OVER / RUNEBLADE STANDBY』

 

 

 予め脳裏に直接焼き付けられていた一号機の“情報”と、その一文が示す意味を一致させたハルトは、瞬時に“思い出した”ことを実行に移す。

「ミツル、下がって!」

「了解っ!」

 ハルトの指示で後ろに飛び退る八号機。

 ドルシア軍の前に露わになったその異変を最初に観測したのは、バァールキート級戦艦『デュッセルドルフ』のブリッジだった。

目標VR(一号機)、機体温度急速に上昇! 華氏3000度(1649℃)オーバーですっ!!」

 索敵の為に各種ソナー・レーダーに目を光らせていたクルーが急激に変化を示した温度探知機を見て叫ぶ。それは本来であれば有り得ない事象であった。

 そもそも宇宙とは、絶対零度より2℃か3℃ほど気温が高い、という程度の……要はほぼ温度というものが無いに等しい空間である。しかし現在、そんな宇宙空間の温度をサーモグラフィーで可視化してみれば、一号機の人型のシルエットがくっきりと赤く浮かぶであろう。

 華氏3000度。それは、鋼鉄すら溶かす温度だ。そんな温度で、熱の逃げ場が存在しない宇宙空間に浮かぶ機動兵器。そんなものはこれまで存在しなかった。その温度に達した時点で、機動兵器自体が溶けて崩れてしまうからだ。

 しかし彼らドルシアの将兵の前で、ヴァルヴレイヴ一号機は輝きを放ちながら、腰に携えていた刀を引き抜き、高々と掲げる。『デュッセルドルフ』のブリッジは、そして彼らよりも間近にそれを見るアードライとクーフィアは有り得ない存在を前にして硬直する。

「なんだ……なんなのだあれは……!」

 艦長席に腰かけていたグスタフが唖然としていると、通信士からマイクを奪ったハーノインが同僚達に向けて叫ぶ。

「何かヤバい! 二人とも、離れろ!」

 その声にはっと我に返ったグスタフは一拍遅れて、二機のヴァルヴレイヴを取り囲む軌道突撃大隊の隊員たちに退避命令を下す。

「総員退避!」

 しかし、それはあまりにも遅かった。

 二機のイデアールが、そしてバッフェ部隊が十分な距離を取る前に、ヴァルヴレイヴ一号機は高々と掲げたジー・エッジを逆手に持ち替えると、一息にそれを腹部に突き刺す!

『ハラキリ、だと……!?』

 アードライは、その行為がジオールの基になった旧い国家に伝わる、武人の自決に用いられる作法だという事を知っていた。

 唖然とする彼の前で、ヴァルヴレイヴの腹部……その超性能の源である原動機レイヴに刺し込まれた刀身を、うねり逆巻く黄金のエネルギーが包み込む。

 宇宙の闇を明々と照らす膨大な熱と光、その全てを宿した刀を、一号機は大上段に振りかぶり―――

 

 

「―――行っ……けぇぇぇぇえええええええええええええ!!」

 渦巻く熱の奔流を、敵陣目掛けて振り下ろした!!

 

 

「な……うぁああああああっ!?」

 不幸にも、振り下ろされた光の柱が最初に捉えたのはアードライのイデアールだった。

 直撃こそしなかったものの、イデアールの左腕部は肩から先を消し飛ばされバランスを大きく崩す。

 光を伴う熱波はイデアールの左腕を噛み千切り、その後ろに居たバッフェ隊を飲み込み、ついには『デュッセルドルフ』の船体までその牙を伸ばしたのだ!

 襲い掛かる熱波に機体を激しく揺らされながら、アードライは混乱のままに思考を散らす。

 

―――エルエルフは、やはり裏切った。そして自分に、同胞に二度も刃を向けた!

 

「エルエルフっ……貴様はぁああああああああっ!!」

 親友だと信じていた男からの、訣別の一撃。

 自身に振り下ろされた熱剣をそう解釈したアードライは、ただひたすらに、裏切り者の名を叫んだ。

 一方、直前の回避によって轟沈を免れた『デュッセルドルフ』の艦内でも慌ただしく報告と指示が飛んでいた。

「第五小隊壊滅!」

「第七小隊、通信繋がりませんっ!」

「先程の攻撃で計器類がやられましたっ、進路取れません!」

「艦のダメコンを急げっ!」

「カタパルトが熱で融解してっ……」

「全機動兵力を集結! 隊列を組み直して……っ!?」

 更に事態はそれだけに留まらない。残存兵力の結集を命じようとしたグスタフの視界をビームの光が掠め、『デュッセルドルフ』の船体を再び大きく揺らす。

「なんだ!?」

「ARUS艦隊ですっ!」

 イクスアインの問いに応じたクルーの視線の先には、この場にいない筈の戦艦が隊列を組み、一斉に砲口を『デュッセルドルフ』に向けていた。

 環大西洋合衆国、通称ARUS。ドルシアと並ぶ大国の宇宙艦隊が、同盟国であるジオールの危機に駆け付けたのであった。

「馬鹿な、もう来たのか!?」

「艦長、これ以上は!」

「解っとるわ! 全機後退、『デュッセルドルフ』を先頭に順次退却せよ!」

「クーフィアっ、アードライの機体を!」

『はいはい、っと!』

 倒せる敵が増えた、と喜ぶのも束の間、釘と水を同時に()されたクーフィアは大人しくイクスアインの指示に従い、アードライの救助に向かう。

 だがクーフィアよりも早く、ミツルの駆る八号機が擱座したイデアールに襲い掛かる!

「逃がすかよっ!!」

 一号機が放った攻撃の規模に暫し呆然としていたが、二機のイデアールをハルトの一撃で仕留めきれなかったと見るや再び両手にフォルド・シックルを構え、急加速でアードライのイデアールに迫る!

「しまっ……」

 身動きの取れないイデアールの中で、アードライは白いヴァルヴレイヴの狙いが自分であることを悟る。だが機体は碌に動かず、この図体では避けることすらできない。

 万策尽きたか、と諦念を抱いた時―――

 

「頭ぁ下げろ若造ーーーーーーっっっ!!」

 

 後方からエンジンの臨界ギリギリの速度で突っ込んできたバッフェの一機がイデアールの頭部脇を通り抜けると、そのまま八号機に体当たりを喰らわせた!

「がぁあっ!?」

「ミツルっ!?」

 衝突の勢いを殺さずに八号機に組み付いたバッフェが、そのまま炎を噴き出して破裂する。熱暴走でいつ誘爆してもおかしくは無かったエンジンは、衝突の衝撃であっさりと弾け飛んだのだ。寸でのところでバッフェの頭部コックピットブロックが分離・離脱するが、残った弾薬と燃料と引き換えにした超至近距離での爆発は八号機の足を止めるには充分だった。

「っとと、何とか間に合ったか……こちら第三小隊、リヒャルト・グレーデンだ。応答せよ」

「グレーデン大尉っ!?」

 アードライを救ったのは、八号機の起動後、何とか学園の地下から脱出し、別部隊からバッフェを借りてモジュール77から飛び出してきたリヒャルトだった。

「アードライ大尉、無事か!」

「は、はいっ! 助かりました!」

「ならば良し、尻捲ってさっさと引き上げるぞ! クーフィア大尉、回収してくれ!」

「ぶー、アードライばっかり楽しんでぇ……」

 八号機が爆発の衝撃で硬直している間に、不満げにぶーたれるクーフィア機がアードライとリヒャルトの乗ったコックピットブロックをそれぞれ掴み、そのまま最大速度で戦域を離脱する。

 後には、爆発で生じた煤に装甲を焦がした八号機が残った。

「ミツルっ、大丈夫!?」

「あいっててて……畜生、逃げられたぁっ!!」

「無茶はダメだよ、こっちだってもうボロボロだ」

 ARUS艦隊の艦砲射撃に追い立てられつつも素早く撤退するドルシア軍の背中を見送りながら、ミツルとハルトはお互いの状況を確かめる。

 一号機は左肩の装甲板が一部破損し、大熱量の放出によって再び強制冷却モードに入ってしまった。

 八号機は目立った損傷こそ無いものの、先程まで全て引き付けていた攻撃の爆風で機体全体が煤けていた。

「たはは、お互いズタボロですね」

「ああ……けど生きてるよ、僕達。これでみんなの所に帰れるんだ」

 通信ウィンドウ越しに笑うミツルの声に、失ったと思った日常がもう一度自身のもとに帰ってきたような気がして、ハルトは感慨深げに呟いた。

「ですね……あぁー疲れた。さっきから戦いっぱなしでもうへとへとですよ、俺」

「僕もだ……ああっ、そうだ、流木野さん大丈、ぶふっ!?」

 先程までエルエルフに捕えられていたサキのことを思い出し―――失礼な話だが、今の今まで本当に忘れていた―――ハルトは彼女の方へ視線を巡らせる。だがその瞬間、ハルトはサキに頭を掻き抱かれて驚きの声を上げる。

「あははっ、凄い凄い! 勝ったんだ!」

「うぶぶっ、うわ、わぁああっ!!」

 物語の怪物を見事撃退せしめた勇者を讃えるかの如く、サキは無邪気にはしゃぎながらハルトを抱き締める。まるで物語のヒロインが自分であるかのようなその振る舞いは残念ながらハルトの心に響くことは無く、彼は至って迷惑そうにその細い両腕を押し退けた。ショーコが生きていたと知った今、自分を待ってくれているであろう彼女と再会する前にそれ以外の女性に触れるのは、ひどく不誠実であるような気がしたのだ。尤も拒まれたサキはといえば、元芸能人故かある程度自分に自信を持っているので、鼻の下一つ伸ばさずに自分を押し退けたハルトに少々不満げな視線を向けていたが。

「流木野も無事、か。ハル先輩のこともだけど、櫻井と犬塚先輩が心配してたぞ」

「あ……そう。櫻井さんが……」

 ミツルの言葉に、はっとした表情の後考え込むような素振りを見せるサキ。何かあったのか、と疑問に思うミツルであったが―――それを口にする前に、ぐらり、と視界が揺れた。

「あ―――やべ、ねむ……」

「ミツル?……おい、ミツルっ!?」

 ミツルの様子がおかしいことに気付いたハルトが声をかけるが、その声すらもミツルには遠くに感じ始めていた。

(あ……そ、だ。リオンせんせい、だいじょーぶかな……)

 こうして。学園の地下での“契約”から連戦を重ね、精神的に張り詰め続けていたミツルは、戦いの緊張感から解放されるや否や、急速に眠りに落ちていった。

 

 

 

 

「ミツルっ! しっかりしろ、ミツルっ! おい、起きろってば!」

「気絶しただけだろう。特に外傷は見受けられない」

 モニターの向こうでがっくりとうなだれたまま返事をしなくなった後輩を案じてハルトは声をかけ続けるが、それを押し留めたのは意外にも、戦闘終了から沈黙し続けていたエルエルフだった。

「なんでそんなこと判るんだよ! もしかしたら通信じゃ見えないだけで、怪我してるかもしれないだろ!?」

 まるっきり他人事のようなエルエルフの物言いに憤るハルトだが、しかし返ってきたのは鋭い指摘。

「あのパイロットがお前と“同じ”であるのなら、少なくとも死ぬ心配はない」

「―――あ」

 それは、今の今までハルト自身、思考の外に追いやっていた事実だった。

「俺からも、お前に聞きたいことがある」

 生き延びるために一度共闘したはずのエルエルフの瞳に、ハルトへの気安さのようなものは一欠片も無い。彼はあくまで、後回しにしていただけだったのだ。目先の問題を解決するための手段として、ひとまずハルトを利用してその場を凌いだ、ただそれだけのこと。よって当面の窮地を脱した彼は、後回しにしていた問題に再び目を向けたのだ。

「お前は一度、俺が殺したはずだ。なのに何故お前は生きていて、俺が覚えのない傷を負い、仲間から裏切り者として追われている。俺にその記憶が無いのは何故だ……!」

「あ……うぁ……」

 エルエルフの詰問に、今更ながらハルトは自身の行動を顧みる。ヴァルヴレイヴとの“契約”によって得た力。そしてそれを用いて自身が行ったこと。エルエルフの右腕に傷をつけた特務隊との銃撃戦に、その後に仕掛けたヴァルヴレイヴ奪還のための奇襲。

 怒りに身を任せたハルトは、エルエルフの身体を用いて何人ものドルシア人を殺害した。彼の能力を以てすれば拳銃の一撃で脳天を射抜くことなど造作も無かったし、抵抗しない研究者など動かぬ的でしかなかった。

「……全部、お前がやったんだな」

 そして、それを成したのは、正しくハルトの意思だった。

「ぼ、僕は……!」

 違う、と叫ぶことは出来ない。我を忘れていたとはいえ、復讐の為に相手を殺したのは間違いなくハルト自身。それも、面識もない誰かの身体を用いてその人物に罪を擦り付けるという、外道極まる方法で。噛み付いた相手の意識を乗っ取るという、おおよそ人間には出来る筈の無い手段で。

 事ここに来てハルトは、己の所業に恐怖した。ショーコを失ったことで平衡を欠いていた精神が、ショーコが生きていたと知ったことで平衡を取り戻し―――その間の自分の行為に対する嫌悪感や罪悪感すらも、取り戻してしまったのだ。

(僕は……自分の我侭で人を殺した……しかも、彼の身体を乗っ取って。そんなの、人間のやることじゃない。僕は、僕は……!?)

 震える手で自身の頭を抱えるハルト。そんな彼の心中を知ってか知らずか、侮蔑と嫌悪の視線を向けるエルエルフは―――

 

 

「……化け物め」

 静かに、しかし確かに。言葉の刃でハルトの心を割り砕いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れに照らされる咲森学園の校舎。その校庭の一角で、櫻井アイナと犬塚キューマ、そして番匠ジュートの三人は黙々と土を掘り返していた。

「……この辺りの筈ですよね」

「ああ……なあアイナ、本当に無茶する必要はないぞ? 俺と番匠だけでも……」

「大丈夫ですっ! 私もやります、やらせて下さい……」

 キューマの言葉を遮り、アイナは手にしたスコップを地面に突き立てる。彼女とて学園襲撃からロクな休息を取っておらず、身体的にも精神的にも疲れている筈なのだが、それでも彼女は作業の手を止めようとはしなかった。

 儚げに見えて実は強い芯を持つアイナ。その為人をあまり知らないジュートは、死体を掘り出すなどという酷な作業を彼女が投げ出さないことに内心で驚いていた。

「女子同士の繋がりは解らんが……指南と櫻井って、そんなに親しかったのか」

「まあ、な。アイナが殊更に、こういうの放っておかない性格だからってのもあるが」

 小声で問いかけたジュートの声に、キューマは痛ましげに答える。

「そうか……しかし、指南がこんな事になっちまうなんて、な」

 ジュートもまた、運動部での付き合いでショーコと面識があった。決してキューマやアイナほど親しかったわけでは無いが、ショーコの快活な性格はジュートにとっても親しみを感じる類の物であった。

「俺も未だに信じられねえよ。今でもこうしているうちに、あいつがひょっこり帰って来るんじゃないかって―――」

 遣る瀬無さを腕に込めて、スコップを振り下ろすキューマ。自分でもそんなことはありえないと解りきった願望をついつい口にした、その瞬間。

 

 

「ぶっはーーーーーーっ!! 出られたーーーーーーーーー!!」

 三人の立っていた位置から少しばかり離れた地面から、見知った少女が元気に飛び出してきた。

 

 

『…………え?』

 思わずぽかん、と目と口を大きく開き、暫し固まる三人。そうしている間にも少女……指南ショーコは車のドアで土を掻き分けると、横倒しになったまま埋まっていた車から脱出し、大きく背伸びをした。

「っはぁー、疲れたぁ……あれ? アイナちゃん、犬塚先輩! 番匠先輩も……よかった、やっと会えたー!」

 ひょっこり生還を果たしたショーコはアイナ達三人の姿を見つけると、破顔しながら駆け寄ってくる。

「ショーコ、さん?」

「おまっ、生きて……」

「あ、先輩酷い!? ちゃんと生きてましたよ! まったくもう……うわっ、と」

 出会い頭に幽霊でも見るような視線を向けてきたキューマに抗議するべく頬を膨らませたショーコだったが、文句を口にする前に数歩、たたらを踏む。混乱しつつもショーコが生きていたことを理解したアイナに、一も二も無く抱き付かれたからだった。

「ひっく……ショーコさんっ、ショーコさ……ぐす、ふぇえええええええん!! よかった、良かったよぉ……」

「馬っ鹿お前なぁ、心配させんじゃねーよ!……ホントに無事で何よりだ……!」

 制服の襟元に広がるアイナの涙の温かさと、ずず、と涙を堪えるように鼻を啜ったキューマの震え気味な声に、ショーコもまた、自身が生還したのだと改めて思う。

「うん……心配させちゃってごめんね、アイナちゃん……」

 ぎゅう、とアイナの背を抱き締めてその感触を確かめるショーコ。そのまま三人はしばし、再会の喜びをただ噛み締めていた。

 

 

 

 

 因みに、三人のすぐ後ろでは。

「……なあ番匠よ、感動の再会は結構なことだと思うけど、怪我人放置してこれとか酷いと思わないか」

「諦めましょう貴生川先生。奴らと然程親しく無い俺達は今、完全に空気です」

 ショーコと一緒に閉じ込められていた某物理教諭が折れた足を引き摺って自力で脱出した後、感動のシーンに混ざるタイミングを逸したラグビー部主将に救助されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パイロットであるミツルが眠りに落ちたままではあったが、自動操縦で一号機に追従するヴァルヴレイヴ八号機『火集(ヒダカリ)』はモジュール77に帰還した。流石に港湾部の海面から一度浮上して再び着陸する際にはパイロットの操作が必要なので、サキが通信越しに呼び掛けることでミツルを叩き起こしたのだが。

 エルエルフはその後、先程までの態度が嘘のように大人しくなった。ドルシア兵であることからARUSの兵士に拘束された際にも慌てることも無く諾々と従い、手錠を掛けられていた。

 ハルトとサキ、そしてまだ眠気の晴れないミツルの三人は何の抵抗もせずに連行されるその背中を複雑な気持ちで見送っていたが、見知った声で名前を呼ばれて意識をそちらへと向けたのだった。

「ハルトーっ!」

「流木野さんっ!草蔵くんもっ!」

「三人とも無事かっ!」

 ハルト達がそちらに目を向けると、ショーコ、アイナ、キューマの三人が港に向かって走って来ていた。三人はタクミの手当てをジュートに任せた(押し付けた)後、ショーコに事情を説明しながらハルトとミツル、それと何故か一号機に同乗したサキを迎えに来たのだった。

 ハルトとミツルが謎のロボットに乗り込んで軍隊相手に戦闘を繰り広げた、と聞かされたショーコは仰天していたが、幼馴染と見知った後輩が協力して学校の仲間たちを守ったのだと知ると、自分のことのように誇らしく感じていた。

「ショーコ……」

「あ、指南先輩っ! そうだ、埋まってたって聞きましたよ!? 怪我とか大丈夫ですか!? 足は? 足はちゃんとある!?」

 何か気まずそうな態度のハルトをそっちのけで、先程ハルトからショーコがどうなっていたのかを初めて聞いたミツルは気遣わしげにショーコを見遣る。この男、とことん空気と間合いを読むことが出来ていなかった。

「はいはい良いからお前はこっちな」

「草蔵くん、ちょっと私たちは引っ込んでましょうね」

 空気の読めないミツルを横合いから押しのけて、ついでにハルトとショーコが二人で話せるように距離を取ったアイナとキューマ。サキもまた、ハルトとショーコの邪魔をするつもりはないのか三人の後ろに続いた。

 生き埋めになっていたという先輩を気遣っただけで何やら非難されるような視線に晒されたミツルは釈然としなかったが、ともかく他の三人と互いの無事を喜んだ。

「流木野さんっ! よかった、怪我とかしてない?」

「大袈裟よ、時縞先輩と一緒に居たから大丈夫」

 真っ赤になった目の端に涙を浮かべるアイナと、素っ気なさそうにしつつも笑みを浮かべるサキ。ミツルからすればサキの態度は多少冷ややかなのではないかと感じるのだが、それでもアイナがサキの態度に気分を害するような様子は無い。少女たちの友情を彼が理解するには、まだまだ時間がかかりそうであった。

「ミツル、お前の方は怪我とか無いか」

「ピンピンしてますよ。何回か戦ってて頭揺らされたけど、少し寝て起きたらスッキリしましたし」

 キューマに体調を尋ねられたミツルは至って軽い調子で、常の如く言葉を返す。物怖じしない小生意気な後輩の極めて“いつも通り”な声を聴いて、ハルトとミツルを案じ続けていたキューマもまた、自分の肩が幾らか軽くなったような気分を覚えた。

「寝て起きたら、って……帰って来る間にロボット乗ったまま寝てたのか? 肝が太いんだか馬鹿なんだか……いやうん、お前は馬鹿の方だな」

「ひっでえ!? 少しぐらい労ってくれても良いじゃないッスかー!」

 笑い合うミツルとキューマだったが、ふとキューマはミツルの姿に目を遣り……その視線を何気なく腹部の辺りに走らせて、ひゅ、と息を呑んだ。

「ミツルっ……その腹、どうした!?」

「へ?……あー」

 キューマが指差したのは、ミツルが着込んだワイシャツにべっとりと広がった赤黒い染み。暗がりの中に居たので近寄るまで気付かなかった―――先程まで共闘していたハルトも、通信画面では胸から上しか見えていなかった為に気付かなかった―――が、それは明らかに血液を吸った布が乾いた跡だった。キューマの素っ頓狂な声に気付いたアイナとサキも、ミツルの制服の染みに気付いてはっとする。

「草蔵くん、怪我して……!」

「ああ櫻井違う違う、いや俺も最初そう思ったんだけどさ」

 それはもう数時間も前にリヒャルトに拳銃で撃たれた際に飛び散った、ミツル自身の血液だった。

「いやそれが、このロボット……えっと、“ヴァルヴレイヴ”に乗る前に俺、ドルシア軍の奴らに捕まってたんですけどね。隙を突いて逃げようとしたんだけど、その時になんか、こう、『撃たれた!』って勘違いしたらしくて」

 だがその後、八号機に乗り込んだミツルが忘我の境でヴァルヴレイヴのガイドメッセージに応じた後、その痛みは綺麗さっぱり消えていた。それらの結果から……

「こいつのメディカルシステム、凄いっスよ。俺絶対撃たれたと思って痛い痛いーってなってたのに、なんか何時の間にか治ってたんです」

 ミツルは自身の痛みの原因であった傷を塞いだのが、ヴァルヴレイヴのメディカルシステムの効果だと思っていたのだ。しかも、さすがに銃で撃たれた傷がこの短時間で治る訳が無いから『銃で撃たれた』というのは自身の勘違いで、出血の割に浅い傷だったのだろう、というすっとぼけた解釈付きで。

 いやぁ恥ずかしい話だ、と朗らかに笑うミツルであったが、対してキューマ達の表情は暗い。

 ミツルを除いた全員が、実際に目にしたことで知っていたからだ―――ヴァルヴレイヴにメディカルシステムなどというものは搭載されていない。凄いことになってしまったのはハルトと同じく、ミツル自身の身体の方だ、と。

「あ、あのね草蔵くん、実は―――」

 アイナがおずおずと口を開きかけた、その時。

 

 

「―――馬鹿っ、最っ低!!」

 泣き出しそうな声と共に、皮膚に平手を打ちつける乾いた音が響いた。

 

 

 ぎょっと目を見開いた一同が声の出元に目を向けると、怒り心頭、といった表情のショーコが平手を振りぬいた姿勢のまま、頬を赤く腫らしたハルトの顔を睨み付けていた。

「いっててて……い、いきなり殴ること無いだろ! ったく、ちょっとした冗談じゃないかよ……」

「冗、談……? あれが!? あ、あんな場所であんな風に言ったことが、冗談!? 信じらんない! ハルトの……!」

 打たれた頬を押さえながらハルトが放った言葉に、火に油を注がれたかのようにショーコは激昂する。そのままもう一発ビンタを見舞ってやろうかと手を振り上げたショーコの姿に、ハルトはびくっと肩を震わせて一歩後退り―――

「っ……ハルト、のっ……ばかっ、ばかぁああっ!!」

 その手を振り下ろすことなく握り締めて、ショーコは踵を返して港から走り去ってしまった。

「あ、ショーコさん待ってっ!!」

 ショーコの背が震えていたことに気付いたアイナがその後を追い、サキもまたアイナを追って港を出る。

 後には、事態が飲み込めずに走り去った女性陣の背とハルトのむくれた顔を見比べるキューマとミツルが残った。

「えっ……な、何々、一体どうしたんスか?」

「ハルト、お前……」

 奇跡の生還を果たしたショーコと、戦場から帰還したハルト。一世一代の告白を邪魔されて互いに窮地を乗り越えた二人が再会すれば、自然と話題は告白の続きになるのだろう、とキューマは思っていた。それが一体全体、なにがどうなればこんなみっともない喧嘩をするような事態に話が転がるのか。

「……どうもこうも、いつも通りヘラヘラ笑ってみせただけですよ」

 そんな言葉を放つハルトは、誰がどう見ても涙をこらえているようにしか見えなくて、堪らず二人は問いかける。

「おいハルトっ、そんなんで良いのか!? お前、ショーコに告白しようとしてたんだろ!?」

「こ、告白って……ハル先輩、幾らなんでもダメでしょ!? あれ、指南先輩絶対泣いてましたよ!」

 

 

「―――仕方ないだろっ!」

 

 

 腹の底から絞り出されるようなハルトの叫びに、二人は思わず押し黙ってしまう。

 そのまま俯いたハルトは、頬に当てていた手をだらりと下ろす。女子の力とはいえ、運動部員であるショーコの渾身の力で打たれたハルトの頬は、腫れるどころか青白いままだった。

「自分の我侭で、勘違いで戦争に首突っ込んで、何人も人を殺して……その上こんな化け物になった僕に、誰かを好きになる資格なんて……!」

 俯いたハルトの言葉は、そのまま嗚咽に掻き消されてしまう。

 肩を震わせて立ち尽くすその姿にどう声を掛けて良いのか解らずにキューマは視線を逸らしてしまい。

(そ、っか。俺は……俺達は、人を殺したんだ……)

 ミツルもまた、己が成した『敵をやっつける』という行為の意味を今更ながらに正しく認識し、その言葉の重さに途方に暮れていた。

 

 

 

 

 ハルトは、そしてミツルは、ずっと考え方を間違えていた。

 一度手を離してしまったいつも通りの日常は、決して戻ってくることは無い。指の隙間から零れ落ちたそれを再び拾ったと思っていても、落下のはずみで潰れて歪んで、全く違う形になっていて。気付いた時には、強く握り締めることで自身の掌を傷つけていたのだ。

 こうして、咲森学園のもっとも長い一日は終わりを告げた。日常を失った少年少女の心に、大きな傷跡を残して。

 

 




エルエルフ「お前ら人間じゃねえ!」


 はい、という訳で第一章の最終話でした。
[原作からの変更点②:一号機の必殺技の名前]
 正式名称がハラキリブレードって酷過ぎるだろうと思っての『ルーンブレード』に変更です。
 友人からは『普通過ぎて逆にヴヴヴの必殺技っぽくなくなったな』とか言われました。解せぬ。

 どうでも良いですがここまで書いてからやっと気付いたことがあります。



 タカヒ以外の生徒会メンバー、影も形も出ちゃいねぇ……!




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第二章 あるきだす日
第九話 凱旋は暗い予兆と共に


第二章プロローグです。


 ドルシア軍の奇襲から一夜明けて、咲森学園の生徒達は一様にぐったりと疲れ果てていた。

 襲撃で負傷し、理不尽な痛みに歯を食い縛る者。自身は無事でも友人を亡くして悲嘆に暮れる者。先が見えないという不安に苛まれ、心を落ち着けることが出来ずにいる者。

 その姿に、昨日までの気楽さや健康的な印象は無く、じめじめと暗い空気が学園全体に蔓延している。しかし、若者が何を無気力な、と彼らを責めるのは酷な話だろう。

 もとよりジオールはその成立以来、戦争を経験した事の無い国家である。ドルシアのように軍事力を尊重する国とは違い、ジオールには一般人に軍事的な要素を持つ教育を行うことは無い。学力や運動の成績はともかく、精神的には何処にでもいる高校生である彼らがこの未曾有の事態を前に途方に暮れるのは、何もおかしくは無いのだ。

 

「……だから、生徒会は何してんだって聞いてんだよっ!」

 

 よって、咲森学園の生徒会長に向かって唾を飛ばしながら非難の声を上げるこの生徒の言葉は、心情は理解できるが些か的外れと言わざるを得なかった。

「我々も出来ることをやっている! 今は生徒同士でいがみ合っている時じゃない、教室に戻って先生方の指示を―――」

「その先生が軒並み殺されてたって聞いたぞ!? あの軍人たちも言ってただろ、ジオールはもう降伏したって! あんた、生徒会長だろ!? こういう時に率先して動くべきなんじゃないのか!」

「だからこそ、私は不用意な指示で君たちを危険に晒すわけには行かない! 良いから教室に戻りたまえ、情報と助けを待つんだ!」

 そう言って数人の生徒を生徒会室から追い出した金髪の少年……連坊小路サトミは、遣る方の無い思いで頭をガシガシと掻き毟る。普段ならば学園の“顔”として身だしなみには人一倍気を遣っているサトミだが、昨日から何度も冷や汗と脂汗に濡れた髪はお世辞にも清潔とは言い難い状態だった。

(私はまだ良いが、タカヒなんかは相当に堪えているだろうな)

 胸中で一人ごちて思い浮かべるのは、肩書の上では部下に当たる一人の女子生徒だ。

 学園生徒会の副会長である二ノ宮タカヒは、サトミにとっても良き友人である。襲撃の中、砂埃に塗れて気を失ったタカヒを見た時には肝が冷えたが、幸いにも彼女に目立った外傷は無かった。取り巻きである二人の女子生徒を身を挺して庇った際に爆風に煽られて、そのショックで意識を飛ばしただけだったらしく、数時間後には目を覚まして埃がどうの衛生面がどうのと元気に騒いでいた。どちらかといえばサトミはその間、タカヒに庇われたことで大いに取り乱す二人……亘理エリと山元リリイを宥める方が辛かったのだが。

(取っ付き辛い性格してる癖して、自分の仲間には甘いんだからなぁ。取り巻きの娘以外にも優しくなってくれれば、うちのメンバーとも仲良く出来るだろうに)

 タカヒ本人の前では口が裂けても言えないようなことを胸中でぼやきながら、サトミは生徒会室の議場でもある長机に目を向ける。

 二年生の生徒会役員である二人の女子生徒と、現生徒会では数少ない男子の役員。三人の部下が、事後対応に追われて精根尽き果てた後、仲良く机に突っ伏していた。

 疲弊しきった三人を起こすのも忍びなく、先程の生徒達にはご退場願ったわけだが、実際三人が起きていたとしても彼らの陳情にまともに取り合う余裕は無かった。

 自分たちに出来るのは、助けを信じて待ち続けることのみ―――結局、サトミは自分にそう言い聞かせながら、今のように不安に駆られた生徒達を追い返す事しかできないのであった。

(せめて、大人が居れば)

 先程の生徒が言っていたように、どういう訳だか学園の教員たちはその殆どが殺害、或いは連行されてしまった。現在咲森学園に残っている二十歳以上の成人は、教育実習生である七海リオンと物理教諭の貴生川タクミの二人のみ。そしてタクミは足を負傷して現在医務室で手当てを受けており、リオンも精神的な疲労から倒れてつい先ほど目を覚ましたばかりである。

(我々だけでドルシア軍に対抗するなど、どう考えても無理だ! 降伏するにしても、あの妙なロボットが派手に暴れ過ぎた……)

 サトミの実家である連坊小路家は、ジオール本国で代々に渡って国防に関わって来た名士の家だ。その後継者として期待されるサトミもまた、武と理、二つの方面から国を守ることを学んでいる。

 しかしそのジオールという国が地図上から消えた今、現状はサトミ一人の頭脳ではどうにもできないほどに悪化していた。

(恐らく降伏を申し出たとしても、ドルシアはあの二機のロボットとそのパイロットを差し出せと言ってくる。しかし、あれに乗っていたのは我が校の生徒だ……)

 襲撃の中で全校生徒を鼓舞した赤い鎧武者を、そして学校を解放させた四肢持つ白い蝶を、サトミもまたスマートフォンと肉眼で見ていた。ドルシア軍の機動兵器を相手に圧倒的な性能を見せつけ、あまつさえ撤退させるに至った謎のロボット。あれが自国の物であると言うのは俄かには信じがたいが、ひとまずそれは置いておいて―――問題は、それを操縦していたのが学園の生徒だという事だ。

 反抗の拠点と目される学園から降伏の申し出があったとして、自分がドルシア軍の将官ならどうするか。まず間違いなく、あのロボットとその操縦者の身柄を要求するだろう。現在この学園における最高権力者とも呼べる生徒会長―――即ち、連坊小路サトミに。

 

 

 つまりサトミは有事の際、全校生徒を守る為に二人の後輩を敵へと売り渡さなければいけないのだ。

 

 

(私は生徒会長として非常時には生徒達を守らなければいけない。ロボットのパイロット、ということはあの二人、実は荒事の経験なんかもあるのかもしれないし……いやでも、あの二人だって我が校の生徒だし、私が守らなければいけない対象には変わりないのであって……ぬああああああああ!!)

 交渉の為の人質。人道的な観点はさておき、この場合は最も有効かつ現実的な手段でもある。問題は、その為に背負う責任というものがサトミにとっては少々重すぎる、ということであった。

 どんな家に生まれてどんな肩書を持っていたとて、サトミもまた十八歳の少年である。人の生き死にに携わりたいなどとは思わないし、その判断の権利など頼まれたって持ちたくない。だいたいそれで平静を保っていられる図太い神経も、必要なことだと割り切れるだけの経験も、どちらも彼は持ち合わせていない。

(時縞ハルトと草蔵ミツル、あの二人を差し出せば、他の生徒達は助かるかもしれない。しかし二人を見捨てれば黙っていない生徒も居るだろうし―――)

 何より―――サトミにとって誰かを見捨てるということは、それはその誰かから恨まれるという事だ。その事実がどれだけの重さを持って自分に圧し掛かって来るのか、知らないわけでは無い。

 

 

『―――助けて……ねぇっ、お兄ちゃんお願い、助けてぇっ……!』

 あの(・・)、絶望の淵から懇願する瞳。

 そして正しい(・・・)判断の為に切り捨てた者から向けられる、失望の眼差し。

 サトミはそれが、たまらなく怖かった。

 

 

 不意に過去へと飛んだ意識を、頭を振って呼び戻す。サトミが今するべき事は、変えられない過去を悔いることではなくこれからの自分たちを守るために考えることだ。

 しかし一度悪いことを考えてしまった頭は、どうにも別の道を思い浮かべることが出来ない。ポジティブにものを考えるには、欠けたものが多過ぎたのだ。

(くそぅ……ジオール本国が既に降伏したという事は、本国の防衛隊が来てくれることは有り得ない。我々はこのモジュールに取り残されたと見て良いだろう。援軍だって……)

 有りもしないことを夢想する……というと聞こえが悪いが、サトミはついつい、あのロボットたちと同じく誰かが颯爽と助けに来てくれないか、と考えてしまう。

 

 

 果たして彼の読みは正確だった―――はたまた彼の祈りがどこかの誰かに通じたのか。

 

 

「ARUSだっ! ARUSのヘリが助けに来たぞっ!」

 誰かが校舎の窓から叫んだ言葉に続いて、やかましいローター音が窓ガラスを揺らし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 環大西洋合衆国、通称ARUS。北米を中心に発達した大企業の商業ネットワークが百年近い時を経て政治的権力を持つに至り、ついには国の形を成した『商』の国。

 GDP(国内総生産)世界一、経済的な面に於いてはドルシアすら凌ぐ国力を持つ、正しく現代の地球最大の国家。

 そしてジオールにとっては、旧世紀からの盟約によって力持たぬ自分達を庇護する、安全保障条約で結ばれた最強の同盟国でもあった。

『モジュール77の皆さん、こちらはARUS宇宙軍、月周回軌道艦隊です。繰り返します、こちらはARUS宇宙軍―――』

 スピーカーから所属を明らかにしつつ、実に十機もの物資輸送ヘリコプターが学園の正門付近に降り立つ。その後部からスロープが伸び、食料を積んだトラックや、瓦礫処理のための重機が姿を見せた。

 救援車両の展開から一拍遅れて、ヘリコプター本体のタラップから徒歩の人間も降りてくる。その中には、ARUS軍の保護を受けたハルトとミツル達の姿もあった。

「学校……すごいことになっちゃいましたね」

「だよなぁ。一日でよくもまあここまで……」

「なんか、俺達が知ってる学校じゃないみたいだな」

 半壊し、建物としては些か歪なシルエットへと変化した校舎を見上げて言葉を漏らすアイナに、ミツルとキューマが相槌を打つ。

 そしてその変化は校舎の破壊に止まるものではない。ドルシア軍の襲撃に、二機のヴァルヴレイヴがそれぞれ繰り広げた戦闘。遠目には判り辛い物ではあったが、焦げた道路やそこらに散らばる装甲車の残骸、グラウンドに出来たクレーターなど、戦いの痕跡は確かにあった。

『祠は……』

 ふと漏らした言葉が二重に聞こえた気がして、ハルトは思わずそちらに目を遣る。図らずも彼と同じ心配を口にしたのは、よりにもよってショーコだった。

「あ……」

「えっと……」

 ついつい視線を合わせてしまった二人だが、気まずさに耐え切れず、どちらともなく顔を背けた。

「祠がどうしたのよ?」

 そのどうにもぎこちない遣り取りが気になったサキが二人に声を掛けるも、二人は何でもないよと上の空で答えるばかり。

 結局サキがそれ以上突っ込んで話を聞き出そうとする前に、彼らは学園の校舎から姿を見せた生徒達に取り囲まれることになる。

「ハルトっ、ミツルーーーっ!」

 ヴァルヴレイヴのパイロット二人の名を叫びながら生徒達の先頭に立って走ってきたのは、霊屋ユウスケだった。その後ろから、学園の生徒達の中で比較的元気だった者達が次々と走り寄ってくる。

「ハルトだって!?」

「草蔵も居るぞっ!」

「良かった、二人とも生きてたんだぁ!」

「ありがとうな、時縞!」

「ミツルも、ありがとーっ!」

 口々に賛辞の声を挙げながら我先にとハルトとミツルに群がる生徒達。三年生の女子の一人がハルトに自分のスマートフォンのアドレスを書いたメモを渡したのをきっかけに、幾分か黄色い声が割合を増す。

「ミツルっ!」

「ごふぁ!?」

 苦笑を浮かべていたミツルの頭を背後からホールドしたのは、一年三組の仲間の一人である男子生徒だった。

「すっげえなお前! 何時の間にロボットなんて乗ってたんだ?」

「いてててっ、あ、アリヒトてめえ何しやがる!?」

 茶髪に金のメッシュを入れた目立つ髪型の少年が笑いながらヘッドロックを掛けると、がくがくと頭を揺さぶられたミツルが悲鳴染みた声を上げる。

「ねえねえミツル君ミツル君っ、あれどうやって動かしてるの!? 動力は? 馬力どのぐらい出るの? OSのフォーマットは!?」

 そこに続いて声を掛けるのは、同じく一年三組に所属するポニーテールの女子生徒。目をきらきらと輝かせてはいるものの、彼女の声に色気の類はない。自動車部に所属する彼女は、男よりも機械を愛するものづくり系女子であった。

 残念ながら彼女がミツルに聞きたいヴァルヴレイヴのスペック項目はミツルの頭に“焼き付け”られた情報の中には入っておらず、ミツルにとっては意味の解らない単語でしかなかったが。

「い、いや燦原、俺にも詳しいことは解んないんだって……」

「草蔵っ! 助けてくれたのはありがたいが、君はこの一大事になんで一人で行動したんだ!」

「うわあ一番面倒なのが来たっ!?」

 ポニーテールの女子に質問攻めされていると、生真面目そうな一年三組のクラス委員長が柳眉を逆立てて声を上げた。彼も同じクラスのミツルの安否を気にしていたのだが、如何せんクラス委員としての自負からくどくどと攻めるような口調になってしまっていた。鼻梁の上の何もない場所をぐい、と指で押すのは、つい最近まで着けていた眼鏡の弦を押し上げる癖か。

「なーミツル、あのロボット俺でも動かせるのか? ちょっと乗っけてくれよ! な?」

 がくがくがくがく。

「ああっアリヒト君ズルい、私も私も! これ本当にジオール製なの? どこのメーカーの?」

 きらきらきらきら。

「まったく、皆も七海先生も心配していたんだぞ! 団体行動から抜けるのなら委員長である僕にせめて一言ぐらい―――」

 くどくどくどくど。

「っだーーーーーー! お前らうるせぇええええええええっ!!」

 ノリの良すぎる友人に絞められ、機械好きの女子に呪文のような単語を羅列され、杓子定規な委員長に小言を頂戴し、混沌としてきたミツルの周囲。

 つい先ほどまで少し離れたところでクラスの女子と無事を喜び合っていたアイナは苦笑しながらそれを見ていた。

「人気者ね、草蔵」

「あはは……草蔵くんはちょっと困ってるみたいだけど」

 サキが漏らした言葉に苦笑を重ねながら言うアイナ。先程からミツルを取り囲んでいる三名は一年三組の中でも特に性格の“濃い”面子としてクラス内には名が知られており、一度に会話するとなるとアイナですら少々気疲れしてしまう相手であった。

 しかしサキはそんなことなど露知らず―――悲しいことに彼女はアイナ以外のクラスメイトと会話することがほとんど無い為、三人のことを本当に知らなかった―――素知らぬ顔で言い放つ。

「有名税って奴よ。人間騒がれてるうちが華なんだから、精々あたふたすれば良いんじゃないかしら」

「……そうかもね」

 多少のトゲを持つその言葉は、未だに元アイドルとして注目されるサキがこれを言うと皮肉以外の何物でもないのだが、転じて見ればサキだからこそ含蓄に富んだ言葉でもあった。

 そんな彼女の心を完全に理解は出来ずとも、何とはなしに分かるからこそ、アイナはその言葉に反感も持たず、サキの方が有名だろう、と言い返すことも無い。

 穏やかにその言葉に頷き、アイナはにこにこと微笑みながら普段通りに騒げるようになったクラスの仲間たちを見つめるのだった。

 

「草蔵くんっ!」

 

 その喧騒の中に割って入ったのは、一年三組が、いや全校の生徒達がこの三週間で聞き慣れた声だった。

「あ、七海先生……」

 そこに居たのは、ライトブルーのカーディガン姿に着替えた七海リオン。

 ARUSの代表者を迎えるため、負傷したタクミを除いて現在学園で一番の年長者である彼女が校舎から出てきたわけだが、しかし彼女にはこの場でそちらよりも優先すべきことがあった。

 先ほど自分を庇って連行されたミツルだ。

「良かった、先生も無事だったんスね」

「…………」

 首元にかかっていた友人の手を振り解いたミツルは努めてにこやかに笑ってみせるが、対するリオンは無言のままでミツルへと歩み寄り……

 

「―――よかった」

 誰に憚ることも無く、彼のことを抱き締めた。

 

 憎からず想っている相手からの突然の抱擁に、ミツルの頭は真っ白になる。

 周囲からは、おーとかきゃーとかあの野郎なんて羨ましい、といった冷やかしの声が上がり、誰かがひゅーひゅーと指笛を鳴らして囃し立てる。

「……せ、せせせせんせぇえ!? ぅあ、え、なになになに!?」

 周囲からの声が気つけになったのか、一瞬で頬を赤く染めたミツルが慌ててリオンに問う。が、リオンはミツルの肩に顔を埋めたまま何も語ろうとはしない。

「わ、七海ちゃんってばだいたーん」

「くっそぉ草蔵おまえ、何時の間に七海先生にフラグたててやがった!?」

「フラグって何の話!? いや俺にも何が何だか……」

「総員退避ーっ! 半径3メートルは爆風の範囲だぞーっ!」

「爆発か!? 爆発しろってかコラ!? ようやくロボットから降りれたのに何で生身で爆発しなきゃいけないんだよ!?」

「うるっせえ爆ぜろバーカ!!」

 クラスメイト達から飛んでくる好奇と嫉妬の入り混じる声に慌てるミツルはリオンの肩を軽く叩いて彼女を離れさせようとするが。

「よかった……草蔵くんが無事で、本当に良かった……!」

 ミツルの肩に顔を埋めたままのリオンから漏れ出した、くぐもった言葉を聴いて、ミツルの動きが止まる。

「先生すっごく心配したんだよ? あの時、生徒を守らなきゃいけないのは先生の方だったのに、草蔵くんに守られて、何も出来なくて……」

「それは……その、俺がやりたくてやったことで」

「うん……でもね、先生すごく悔しかったよ。私の方が大人なのに、子どもが命がけで私を守ってくれた時、ただビクビクしてただけで」

 実際には彼女はただ怯え続けていたわけではなく、銃を向けられたライゾウを庇い見事生徒たちを守り抜いたわけだが、それでミツルに庇われたことが帳消しになったとは露ほども思っていなかった。

 それを何とはなしに感じ取ったミツルは、自然とリオンの背に手を回して、まるで泣いている子どもをあやすように―――或いは、幼いころに彼が母にそうしてもらったように―――ぽんぽんと手を当てて、安堵に震える背を宥めるのだった。

「生きて帰って来てくれて、本当によかった……おかえりなさい、草蔵くん」

「……うっす」

 帰ってきてくれて嬉しかった。

 おかえりなさい、と言われたのが嬉しかった。

 今この時、ミツルとリオンは、互いが互いの無事を心から喜び、その感情を分かち合っていた。

 

 

 救助活動の陣頭指揮を執るARUSの上院議員との会談の為にリオンを呼び戻しに来た生徒会長が、一年三組の生徒たちから「空気読めよ」と批難の視線に晒されるまで、あと十秒。

 

 

 

 

 

 

 

「先程、軍司令部よりマスタープランが上がった」

 同時刻、地球。ARUS大統領府の大会議室。

 室内の壁一つを丸ごと埋めるような巨大なモニターに映し出された地図をレーザーポインターで指しながら、壇上に立つ男は現在最大の議題に触れた。

「開戦から半年間は我がARUSの国力と広い国土を活かしつつ、防御に徹する」

 レーザーの赤い光点がモニターをなぞると、地図上に映し出されたARUSの領土には機甲師団を示す“凸”の記号がずらりと並び始める。

 モニターに映し出されているのはただの地図では無く、国家間の戦争、その進め方をシミュレーションするために用いられる作戦展開マップだったのだ。

 続いてモニター上に映し出されたのは、インターネットに流出していたある映像。ドルシアが誇る戦闘ポッド、バッフェの部隊を一瞬のうちに鉄屑へと変えた赤い人型兵器、ヴァルヴレイヴ一号機『火人』。未だこの室内に居る面々はその超兵器の名を知ることは無いが、それでも彼らは、人型ロボットという時代遅れな代物が敵国の機動兵器を瞬く間に葬り去る映像に息を呑むばかりだった。

「その半年の間、ARUSの全勢力を以てこの兵器を調査、量産する」

 大会議室の檀上に立つ男―――ARUS大統領、ジェフリー・アンダーソンの言葉に、大会議室に居並ぶ各州の知事たちは俄かにざわめき始める。

「ジオールの兵器を?」

「ドルシアの艦隊を、僅か二機で倒したそうじゃないか」

「半年ならば……海岸線の守りを固めて、後は軌道上からの降下にさえ気を配れば」

「充分に持ちこたえられる。勝てるならば戦うべきだろう」

 知事たちの頭を占めているのは、兵士一人あたりの命では無く、戦闘機一機あたりを一の単位にしての算盤勘定。

 経済的な権力―――即ち金の力によって築かれた国を治める彼らは、政治家であると同時に、優れた商人たちの集団でもあった。

 現在『安全保障条約に則った同盟国への救援』の名目の元モジュール77へと赴いているのは、上院議員を陣頭に据えた二隻の宇宙戦艦からなる小規模艦隊。仮にそれらを全て犠牲にしたとしても、ドルシアの艦隊をたったの二機で撃滅せしめる機動兵器が入手できる、となれば。

 それぞれの机に設置されたYES/NOの二つのボタンのうち、彼らがどちらを押すのかなど、自明の理だった。

 モニターに表示される33-0の文字。この場に名を連ねる三十三人の知事たちが、全ての票を賛成へと投じたことを示すそれを見て、ジェフリー大統領は重々しく言葉を紡ぐ。

「ジオール機密兵器の奪取が確認され次第、我がARUSは対ドルシア全面戦争へと移行する」

 

 

 

 咲森学園の受難は、未だ始まったばかりであった。

 

 

 




 現在中盤以降のプロットを大幅に書き直しています。主に今月のアンダー・テイカーのせい。
 また、いくつかご要望を頂いていたサキのヒロイン化について活動報告の方に私の見解を載せておりますので、よろしければご一読ください。
 一年三組濃口三羽烏については、原作四話から五話の間に掘り下げようと思います。


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第十話 変わり行くもの、変わり果てたもの

 ショーコ&リヒャルト回。


 帰還を果たした二人のパイロットを迎え、俄かに賑わう咲森学園正門。その正門から離れた第一校舎の階段を歩く人影があった。

「……ハルトのばか。へたれ。よわむし。こんじょなし。かいしょなし。ばーかばーか」

 エメラルドの瞳を足元に向けて、常ならば快活に笑う表情を曇らせた少女は子どものような恨み言をぶつぶつと呟き続けながら、一年以上歩き慣れた階段を屋上に向かって足を進める。普段であれば他の生徒がゆっくり歩く彼女を迷惑そうに追い越して行きそうなものだが、現在学園の中で傷を負っていない者達はハルトとミツルを一目見ようと正門に向かうか、医務室で怪我人の手当てに当たるかしているため、現在第一校舎の階段の周囲を歩く生徒は他に居なかった。

 だからだろうか。普段ならば人目に付く場所では滅多に口にしないような、所謂“愚痴”に分類される言葉が自然と口からこぼれてしまったのは。

「冗談って何よぉ……」

 だが、ついつい漏れ出した心の声は自分で思っていたよりも覇気に欠けていた。

(ほんっっっと最低! 大体昨日からなんかおかしいわよ、ハルトの奴。授業には集中しないしハムエッグ男の訳分かんない台詞は真面目に考えちゃうし、挙句の果てには変なロボットで軍隊と戦ったりしてるし。っていうかあの祠の前で、あんな真面目な顔で話したいことなんて言うから、私てっきり―――)

 そこまで一人ごちて、少女は……指南ショーコは何とはなしに歩みを止める。

 ショーコにとって時縞ハルトという少年は、幼い頃から兄妹同然に育った幼馴染だ。幼くして母親を亡くした二人は親同士の繋がりもあってか、ショーコの父と三人で指南家で暮らしていたようなものなのだ。ショーコの父はハルトの父をあまり良く思ってはいなかったらしいが、それでも父は忙しい仕事の合間を縫ってショーコとハルトの面倒を見ていた。小さい頃など三人で入浴したり、川の字になって眠ることだってあった。ここ数年はショーコの父の仕事も忙しくなり、指南家には家政婦が常駐するようになっていたのだが、それでもショーコとハルトの距離が離れたことは無い。

 それだけにショーコは、ハルトのことを誰よりも近くで見て来たという自信があった。例えば口下手なハルトが言いたくても言えないことがあれば、自分がそれを察して言葉にするなんてことだって、ショーコにとっては至極当たり前のことだったのだ。

 だからこそ憎からず想っている彼が、あの伝説の祠の前で真面目な顔をしてみせた時。嬉しく思い期待してしまう反面、大きな驚きを感じていたのだ。

(ハルトが、私に告白してくれるのかな、なんて思ったのに)

 自惚れるようだが、ショーコはハルトに想いを寄せられているという自覚がある。ショーコ自身がハルトに向ける感情と、全く同じものだからだ。

 だけどハルトがそれを口にしたことは無い。それでもショーコは、その丁度良い距離感が心地よかった―――ショーコの方からそれを告げなかったのかと言われてしまえば、彼女としては「自分はここぞというところで男性を立てる古き良き大和撫子だから」と言い訳する他無かったのだが―――要は、二人揃って奥手だったのである。

 ハルトがショーコに告白しようとしていたとして。それは、今までのハルトを見てきたショーコからすればあまりにも“らしくない”行動だった。

(それに、あの後のことだって)

 それだけではない。

 

『ごめんショーコ、一旦電話切るね』

『ハルト、大丈夫!? どうしたの、そっちで何が……』

『後で話す!』

 

 こちらの話も聞かずに会話をどんどん進めてしまうなんて、口下手なハルトらしくない。

 

『ハルトならさっきまでドルシア軍と戦ってたから、港の方に帰って来ると思うぞ』

『た、戦ってたぁ!? なにそれ、何でハルトが!?』

『あー、まずそこからか。何て説明したものやら……』

 

 ロボットに乗って軍隊相手に戦うなんて、勝負事を嫌うハルトらしくない。

 

『君のことが、心配なんだ』

『……え?』

『ずっと気になってたんだけどさ、ショーコ、もっとお淑やかにしないと恋人できないよ?』

『はああああああ!? わ、わざわざそんなこと言う為に、あんな顔して見せたの!?』

『だってショーコ、幾らなんでもお転婆すぎるよ。黙ってれば可愛いのに』

『お、大きなお世話よ馬鹿っ! 最っ低!』

 

 冗談混じりに人を貶すなんて、優しいハルトらしくない。

(少しは期待したのに……あんまりじゃない)

 止めようにも止められない思考が、ついつい思い出したくない事まで頭の隅から引っ張り出してきてしまう。

(あんなの、私の知ってるハルトじゃない。ほんと、どうしちゃったの。ハルト……)

 昨日まで誰よりも近いと思っていたハルトのことが、何もわからない。下手をすれば、自分が引っ叩いたのはハルトによく似た別人なのではないか、とすら考えてしまう。

(ああもう、考えてたらなんかイライラしてきたっ! 大体なによ、お淑やかにしてないと私には恋人出来ないって! 大きなお世話通り越してセクハラじゃんセクハラ! もうっ、ハルトの―――)

 先程の遣り取りを思い出し、再び苛立ちを募らせていくショーコ。止めていた足を忙しなく動かし始めた彼女は、勢いよく階段を駆け上がると屋上へ続く扉を視界に収め、限界まで溜め込んだ怒りのボルテージに任せて、床を蹴った。

「ハルトのばかーーーーーーーーーーっ!!」

「みぎゃっ!?」

 陸上部で鍛えた脚力で以て蹴破るように扉を開けた時。ごすっ、という鈍い音と奇妙な悲鳴で我に返った彼女の足元には、友人である小柄な女生徒が後頭部を抱えて悶絶していた。

「……あれ?」

「しょ、ショーコぉぉぉ……アンタねぇ……!」

 目に涙を浮かべて恨めしげにこちらを睨む野火マリエの顔―――普段よりも幾分か鋭さを増したジト目が、「馬鹿はてめえの方だ」と語っている気がする―――を認識した瞬間、ショーコの顔からさーっと血の気が引く。

 指南ショーコ、十七歳。言葉の真意はどうあれ幼馴染の少年が案じる通り、花も恥じらう年齢にしては少々落ち着きの無い少女であった。

 

 

 

 ヴァルヴレイヴのパイロット二人とそれに関わった三人の一般人。帰還した五人が何をしていたかと言えば、まずはゆっくりと身体を休めていた。

 と言っても、現在学園のどこに居ても注目を集め、興味本位に話を聞きにくる生徒が後を絶たない状態では、彼らがくつろげる場所は学生寮の自室だけだったのだが。

「やーっと戻って来れた」

 おおよそ一日ぶりに自室へ帰ることが出来たミツルは、砂埃で汚れた衣服を脱ぎ捨てると、Tシャツにジャージの下履きだけの楽な恰好でベッドへ寝転んだ。そのままごろりと寝返りを打つと、窓から差し込む日の光がちょうどミツルの顔面に走る。

 眩しい、と思った瞬間に目元を反射的に手で覆い―――脱力した自分の手が酷く重い物に思えて、ミツルは目を見開いた。

(人を殺した……ん、だよな。俺と先輩は)

 確認するように淡々と、ミツルは己に向かって問いかける。指のあちこちに付着した赤黒い点は、確かに人の血液だ。だがそれはミツル自身が流した血であって、決して彼が手にかけたドルシアの兵士たちの物ではない。彼らの命を奪った時、ミツルが握っていたのは銃でもなければナイフでもなく、ヴァルヴレイヴの操縦桿だ。殺した相手の血はおろか、硝煙の臭いすらミツルの手には付着していない。

 これで、ミツルが戦闘を行ったことに誰かが非難の声を向けていれば、結果はまた違っていたかもしれない。

 だが、“人型ロボットで侵略者をやっつけた”ハルトとミツルは、英雄を讃えるかのような喝采を以て学生たちに迎えられた。目の前でミツルに仲間を殺されたリヒャルトもまた、ベテランの兵士として取り乱すことなく次の行動に移った。その場でミツルの殺人を騒ぎ立てることに何の意味も無いと判断した故のことだ。

 結果、誰に咎められることも無く称賛ばかりを受け取ったミツルは、人を殺めたという実感を未だに持てずにいたのだ。

 ミツルとて、殺人が悪だと考える程度の良識は弁えている。だがそれは、一度周囲に知られれば途端に村八分にされるような、もっと忌避されるべきものだと思っていた。

(だってぇのに、皆して俺達のこと手放しで褒めてくるんだもんな)

 数時間前のミツルも似たような意識であったが、それでも一度自覚してしまうと、学生達から熱狂的に称賛される自身の現状に、ミツルは違和感を感じずにはいられなかった。

 こんな時ハルトならば、どう考えるだろうか。ミツルがよく懐いているあの穏やかな気性の先輩ならば。

(考えるまでも無いか)

 先ほど、ミツルは間近で見た筈だ。人を殺めた自分に人を愛する資格など無いと、手に入りかけた幸せを投げ捨てたハルトが嗚咽を堪える様を。

 ミツルの常識と照らし合わせても、彼の反応こそが“普通”だと思える。

―――では、未だに実感を持てない自分は何なのだ?

(……止めよう。考えても気分悪いだけだ)

 それ以上の思考を巡らせる気分には、到底なれなかった。

『――――♪』

「あン?」

 聞き慣れた“アラーム2”の電子音が聞こえてきて、ミツルはベッドに放り投げていたスマートフォン―――つい今しがた、一昨日のキューマからのメールが届いており、遅すぎる警告に多少エキサイトしてしまったところであった―――を手に取る。

 メールの差出人は、時縞ハルト。

(ハル先輩?)

 噂をすれば影、とは言うが、これは相手のことを考えただけでも有効なものなのだろうか。出来れば相手は男では無く、意中の異性であった方が余程嬉しかったのだが。

 それはさて置き、ミツルはスマートフォンのロックを解除してハルトからのメールを開封する。

『今ARUSの人たちがお風呂を用意してくれてるらしいよ

 一緒に食事も配ってるって聞いた

 終わったら話があるから犬塚先輩やアイナちゃんと一緒に医務室に集合して』

(話ってなんだ?)

 それならば電話かメールで済ませればいいのではないかと首を傾げるミツル。

 返信のメールでそのことに言及してみるが、返事はこうだった。

『まだ確証が持ててないから迂闊に言えない

 ともかく大事な話だから、食事と風呂が終わったら医務室に来てね』

『了解です』

 スマートフォンを待ち受け画面に戻したミツルは溜息を一つ吐くと、食事の前に風呂に入るべく、洋服箪笥の上に置いてある洗面器に愛用の洗面用具と着替えを放り込み、寮の廊下へ―――

 

『あれっ、新聞部の先輩?』

『おぅ一年坊主、ちょうど良い処に居た。三組の草蔵見なかったか』

『草蔵ですか? あいつなら自分の部屋に戻りましたけど……』

『よし、サンキュー!』

 

 廊下へ出る事無く、自室の窓を開けるとそのまま雨樋に掴まって寮の外へとダイレクトに脱出した。

 これ以上の質問攻めは御免である。

 

 

 ARUSが設営した簡易浴場に辿り付くと、ようやく汗を流せることに意識が向いているのか、ミツルがその場に姿を見せても大抵の生徒は湯気を立ち上らせるテントに目を向けていた。テントの中にはビニール張りの簡易浴槽とシャワー、そして軍用の大型給湯器が運び込まれているらしい。

「ミツルも来たか」

「よっ」

 しゅた、と右手を立てて掛けられた声に返事をする。相手は先程ミツルにヘッドロックをかけてきたクラスメイト、護堂アリヒトだった。

「で、これは全部風呂の順番待ちか」

 言って、ミツルは目の前でごった返す人混みを見遣る。彼と同じように洗面用具を持った生徒達が群れを成してテントの前に並んでいる。

 一応、銃を装備したARUSの兵士が警護として立ち会っているのだが、彼らはドルシアの兵士と違い適度に気を抜いて立っており、人道支援の為に来ている為か生徒たちに対する態度も比べようがないほどにフレンドリーであった。

 どれぐらいフレンドリーかと言うと。

 

「はいっ、チーズ! よぉーしよしよし、あ、じゃあもう一枚お願いしまーす!」

「あ、ああうん」

「次! 次僕とお願いしますっ!」

「くっはぁぁ~~、この重剛炭素サーメット装甲の抱き締められるような感触……感動っ!」

「ははは……い、一応それ軍用車両だし、危ないから変なところには触らないでね……?」

 

 風呂そっちのけで軍用車両に群がる約三名(ミリオタ共)に引き攣った笑みと共に生温い視線を向ける程度には、ARUS軍は咲森学園の生徒達に友好的だった。

「……おいミツル、あれお前とナツキの知り合いの二年生だよな」

「知らん、俺は何も知らん」

 空気読むとか知った事かとばかりの勢いでARUSの歩兵に突撃アポなしインタビューを敢行する、『真歴における文化思想研究ならびに討論部』―――通称オタク部の面々から目を逸らしたミツルとアリヒトは、背後で起きている一切の事態を黙殺した。暴走気味な顔見知りの先輩を諌めるべきかとは思うが、見ず知らずの軍人たちから軍用車両に興奮する性癖を持つ人間と一緒くたにされたくは無かった。

「ま、ナツキ辺りが風呂上がったらどうにかするだろ。あいつ、オタク部からはアイドル扱いだし」

 アリヒトはそう言って、後の対処を全て、クラスメイトであるポニーテールの女子に丸投げすることにした。

「燦原って霊屋先輩達からそんな扱いだったんか」

「あの二年生達からすれば『自分たちの趣味を聞いてもドン引かなかった数少ない女子』らしいぜ」

「あー……まあでも、霊屋先輩もいつも通りで良かったよ」

 結局ミツルとアリヒトが簡易浴場の順番待ちをしている間、霊屋ユウスケ以下オタク部の面々は、初めて間近に見る同盟国の軍備と本物の兵隊を前に、水を得た魚のようにはしゃいでいたのであった。

 

 

 

 そんなミツル達の姿を一望できる、第一校舎の屋上。腕を組み、普段よりも四割増しでジトッとした目を眼前の友人に向けるマリエの姿があった。彼女に冷たい視線を向けられているのは、先程から十分近く屋上の冷たい床に正座させられてそろそろ足の感覚が無くなってきたショーコだ。

「……で、ショーコ。なんか私に言う事あるよね」

「ごめんなさい全面的に私が悪かったです」

 子どもと大人ほどに体格差のあるマリエとショーコが片や腕を組んでの仁王立ち、片や膝に手を置いての正座で向き合う様は中々にシュールであった。

 マリエの許しが出てようやく正座を崩したショーコは、いたたた、と声を上げて痺れた脚をソックスの上から揉み解す。

 ドアに強打した後頭部の痛みも引いたマリエは、ショーコの前にしゃがみ込むと三角座りになっていた彼女の脚を突っついた。

「うぁいたぁっ!?」

「うんうん、生きてるって素晴らしい」

 突かれた脛からビリリと左足全体に走った鋭い痺れに、ショーコは尻餅をついて後ろに転ぶ。その様を見て満足げに頷くマリエに、ショーコは恨みがましい視線を向けた。

「うぅぅ、マリエの意地悪……」

「心配かけた罰。騒ぎが起きてから全然連絡寄越さないわ、おまけに貴生川先生助けようとして一緒に埋まるわ、私もミツルも皆心配してた」

「う。それは、その」

「無茶し過ぎ。困った時は誰か呼ぶ。報・連・相は忘れずに、でしょ」

 しゃがみ込んで視線を合わせたまま、人差し指を立てて一つ一つ言い聞かせるようなマリエの言葉を聞いて、ようやくショーコは気付いた。マリエはショーコが無茶をしたことを、心底から怒っていたのだ。

「……ごめん、無茶して」

「ん。解れば良し」

 言葉は少なかったが、二人はその短い遣り取りで、互いの言わんとすることを正確に受け取った。

「でも珍しいね、ショーコがハルトにあんなに怒ってるの。何かあった?」

 マリエは思い出したように、先程ショーコが叫んでいた言葉を思い返す。高校入学を機に出会った二人だがマリエの覚えている限り、この一年と数か月でショーコがあそこまでハルトに怒りを露わにしたことは無かった。喧嘩をすることは勿論あったし、マリエはショーコからその愚痴を聞かせられたことだってある。だがハルトとショーコの場合大抵はその場の口喧嘩で収まる程度の物だったし、一度マリエに愚痴をぶちまけてしまえばショーコが怒りを引き摺るようなことは滅多にない。初めて見るショーコの怒り様に、マリエも少しばかり驚いていた。

 そして当のショーコはハルトの名前を聞いた瞬間にぎくりと肩を震わせて……起き上がろうとしたところで変に力が入ったのか、しゃがみ立ちの態勢から再び尻餅をつくと、そのまま地面に倒れ込む。

「……どしたの」

「何も、無いよ」

 マリエの問いを遮るように、ショーコは空を眺めて呟く。

 常ならば聞いてくれるかとばかりにマシンガンのような愚痴を捲し立ててくるのだが、今日のショーコはどうにも歯切れが悪かった。

「なんにも無かった。ただ私が、一人で舞い上がってただけで……」

 どうやらショーコは今回の喧嘩を、マリエにさえも話すつもりは無いようだった。コレは重傷だな、と結論付けたマリエは溜息を吐くと、食事の配給が行われている一階の食堂へと移動を促し、ショーコと二人で屋上を後にするのだった。

 

 

 

 

 ラグランジュ3周辺宙域。ヴァルヴレイヴの攻撃で船体を大きく破損したドルシア軍の宇宙戦艦『デュッセルドルフ』は、同じ型式の戦艦『ランメルスベルグ』と落ち合い、互いの情報を交換すると共に、クルー達に暫しの休息を取らせていた。

「少将閣下、失礼します。リヒャルト・グレーデン大尉、出頭しました」

 艦長室を訪れたのは、オリーブ色の髪を七三分けに固めた伊達眼鏡の軍人、リヒャルトだった。

 入れ、とインターホンの向こうから声を掛けられると同時に、部屋の主であるグスタフ・ザッハ少将の方からドアが開けられ、リヒャルトは艦長室へと足を踏み入れる。部屋の中央に置かれた執務机に向かうグスタフが机に肘を着き、眉間の凝りを揉み解していた。

「閣下、私にお話とは一体?」

「ああ済まんな、お前も忙しいだろうに呼び立ててしまって」

「予め始末書の類は全て片付けておきました、お気になさらないで下さい」

 冗談めかしてリヒャルトが言うと、グスタフもふっと小さく笑う。

 実際にリヒャルトは二機目のヴァルヴレイヴが起動する場に居合わせただけでなく、別部隊から借用したバッフェを大破・喪失した事でえらい量の調書と始末書を書かされていたのだが、それでもあわや艦を失いかけたグスタフが書くことになった書類に比べれば微々たるものだろう。

「つくづく要領の良い奴だ。どうだ、私の代わりに将官をやってみんか」

「ご冗談を。未だ若輩の身です、まだまだ閣下の代わりなど務まりませんよ」

「そうも言ってられんぞ、場合によってはお前に大隊を任せるやもしれん」

 言って、グスタフは先ほど届いた辞令―――電子データで送信されてきたものだが、形式として一度印刷する必要がある―――を机の上に出す。手に取った書面に目を走らせたリヒャルトは、その内容にはっと息を呑んだ。

「これは」

「リヒャルト・グレーデン大尉。本日付で貴官を軌道突撃大隊第三小隊長から解任、次いで、対霊長第零小隊長に任ずる」

 グスタフが見せたのは、リヒャルトの異動辞令だった。

「対霊長第零小隊、とは」

 聞き覚えの無い部隊名に、疑問の声を上げるリヒャルト。少なくとも彼の記憶の中にそのような部隊はこれまで存在しなかった。対霊長、という言葉そのものが、彼が学んだ軍学には無い言葉であったのだ。

「ジオールの秘密兵器、ヴァルヴレイヴ。あれらは四肢を持つその形から、“霊長兵器”と呼ばれているらしい」

「では、対ヴァルヴレイヴを前提とした新設の部隊でしょうか」

「その通りだ」

 グスタフは次いで、新設の部隊についての概要が書かれた書面を、部屋の壁に据え付けられた多目的モニターに映し出す。

「副隊長に第七小隊副長のクロコップ中尉、隊員に第四小隊のエクマン少尉、第五小隊のカレーリン少尉、第八小隊のカリャキナ中尉を付ける。お前も含めて、我が突撃大隊のエース達だ」

 誇らしげなグスタフの言葉だが、しかし声色には自嘲のようなニュアンスが込められている。その意味は、何時の間にか拳を握り締めていたリヒャルトにも解っていた。

「……つまり、軌道突撃大隊は、事実上の解散という事ですか」

 グスタフが挙げた名前は全て、昨日のヴァルヴレイヴとの戦闘で生き残った幸運なパイロット達のものだ。

 昨日の対ヴァルヴレイヴ戦での戦死者は、七十六人。軌道突撃大隊に所属するパイロットの、約半数が死亡したことになる。

 残った人員の中から新たな部隊の隊員となるのはリヒャルトを含めて五人。そして彼ら五人が搭乗する機動兵器の整備と運用には、二百人を超えるスタッフが必要だ。

 それだけの数を異動させて、元の大隊が維持できるとは到底思えない。

 それは、グスタフから直接指揮を執れる部隊を取り上げるという事に他ならなかった。

「良いのですか、少将。この辞令を、是としたのですか」

 一語一語を噛み締めるように、否、噛み千切るようにリヒャルトは問う。

 問いを向けられたグスタフは、リヒャルトから目を逸らさずに言った。

「将官として、この命令は従うべきだと判断した。そも、軍人は命令に従うべきもの。打撃を受けた部隊を再編し、次の作戦を練る。至極真っ当な命令だ、異を唱えるべくもない」

「―――その打撃とやらが、あからさま過ぎるでしょう!」

 堪え切れず、リヒャルトは机に拳を叩き付けた。

 軍人にあるまじき暴挙ではあったが、グスタフは表情を変える事無く、穏やかにその怒りを受け止める。

「ヴァルヴレイヴの情報がもっと揃ってから攻撃を仕掛けていれば結果は変わっていた! それか、大隊の補給を待っていれば! 貴方に解らない筈が無いでしょう!?」

 あくまで特定の個人を名指しすることはしない。すれば、グスタフがリヒャルトを罰しなければいけないと知っているからだ。肝心な部分はぼかした言葉ではあったが、リヒャルトはグスタフが追い込まれた現状に憤っていた。

 しかしいくらなんでもここまであからさまな処分が続けば、リヒャルトにだって解る。モジュール77奇襲作戦に於ける軌道突撃大隊の扱いと、その後の見計らったかのような部隊再編案。これらは全て、政治的な思惑が絡んでのことだと。

「この命令で何人死んだのか、提案したバカ野郎は解っていない! 何の為の無人機動兵器(バッフェ)だ、何の為の機動殲滅機(イデアール)だ! 兵を一人でも多く生き残らせるための優れた技術を、むざむざ捨て駒にしやがった!」

「それならば、儂を責めろ。変わる為の機を逃し、お前の部下を……いや、大隊の皆を死に追いやったのは、儂だ」

 そう言って、グスタフは椅子から立ち上がって窓の外……傷付いた『デュッセルドルフ』の船体に目を向けた。

「覚えているか、リヒャルト。丁度、お前を拾った頃だ」

 グスタフの言葉に、リヒャルトは十二年前に思いを馳せる。祖国ドルシア王国が政変によって混乱期に入った頃だ。

 政変に当たって、当時准将だったグスタフは旧体制派にも新体制派にも協力せず、中立勢力として事態の収拾、各地の治安維持に全力を注いだ。軍人は命令に従い、市民を守るべしという考えに因ってのことだった。

 そして、彼は時代の波に乗り遅れた。新たに実権を握ったドルシア総統の覚えは良くなく、グスタフにその後与えられたのは当時既に骨董品と呼べる代物だったこのバァールキート級戦艦の四番艦だ。

 同じ時期に、旧王都のスラムでストリート・チルドレンや孤児院の義兄弟と共に恐喝と強盗を繰り返していたリヒャルトを拾った。

 グスタフが治安維持部隊の指揮官だと知って襲い掛かったギャングたちの頭目は……当時十七歳のリヒャルトは、グスタフにこう吐き捨てた。

『あんたら軍人は、お偉いさんが決めた“敵”を殺せば食うものも寝る場所も貰えるんだろう!? 俺達と何がどう違う! いいや、殺しはしてない分だけ俺達の方がまだマシだ!』

 兵士たちに拘束されて尚抵抗しようと暴れるリヒャルトの言葉は、グスタフを打ちのめした。同じ国の軍人が味方同士で争い、国の経済も政治も麻痺していた当時。グスタフはその言葉を、子どもの戯言と切って捨てることがどうしても出来なかった。

「あれ程堪えた言葉もそうそう無いぞ。何がどう堪えたって、言い返すことが出来ないのが一番辛かった」

「は、その、申し訳ありません。当時は自分も井の中に居りまして……」

 気恥ずかしそうに言うリヒャルトに、グスタフはくくく、と意地の悪い笑みを飛ばした。

「さっきの啖呵で確信した。学を付け、部下を持ち、確かにお前は落ち着いた。だがその本質は、あのスラムの狂犬のままだ。仲間に仇なす者があれば、容赦なく牙を剥く。相手が鉄砲を持っていようが戦車に乗っていようが、自分の縄張りで勝手をした者には必ず噛み付く」

 そこまで言うとグスタフは表情を引き締め、真正面からリヒャルトを見詰める。

「だが、その先には儂と同じ末路しかない」

「それは……」

「変われ、リヒャルト。国が、世界が変わるように、お前もまた変わっていくのだ。それがお前を生かすことになる」

 言いたいことを言い終えて、グスタフは再び書面を手にすると、両手に持ったそれを大きな声で読み上げる。

「本日付でリヒャルト・グレーデン大尉を対霊長第零小隊長に任ずる」

「ハッ! 謹んで拝命いたします!」

「以降、貴官はカイン・ドレッセル大佐の指揮下に編入せよ。この辞令を受け取り次第、『ランメルスベルグ』へ異動すべし」

「ブリッツゥンデーゲン!」

 敬礼と共に、リヒャルトは艦長室を辞し、艦内の私物を纏めるためにその場を後にした。

 

 

 数日後。モジュール77から発せられた驚くべき声明に世界が沸き立つ中、リヒャルトの元に『デュッセルドルフ』の解体と、奇襲作戦の失敗によるグスタフ・ザッハ少将の不名誉除隊処分の報せが届く。

 

 

 

 

 

 

 順番待ちの末、簡易浴場での入浴を済ませたミツルは、食事として配給されたレトルトのカレーライスとペースト状のポテトサラダを平らげると、その足で医務室に向かった。

「失礼しまーす」

「あ、草蔵くん」

「遅いわよ」

 医務室の扉を開けたミツルに、アイナの声とサキの文句が順番に飛ぶ。

「仕方ないだろ、風呂も食堂も混んでたんだから……っていうか、なんで流木野も居るんだよ」

 言い訳がましくサキに言い募るが、あっそう、と軽くあしらわれる。結局彼女が何故ここに居るのかも教えてもらえず釈然としないミツルであったが、彼女に突っかかるよりも大事な話があることを思い出して意識をハルトに向けた。

「大事な話って何なんスか、先輩」

「ん……今からさ、医務室の設備使って検査しようって話だったんだ。流木野さんは僕が呼んだ」

「ハル先輩が? なんでまた」

「昨日僕の身に何が起きたか、流木野さんが一番知ってるから」

「ハルト、こっちは準備できたぞ」

 ハルトとキューマが机の上で用意しているのは、学園に準備されている血液検査装置だった。

 先輩どうも、とキューマに礼を述べて、ハルトはミツルに向き直った。

「ヴァルヴレイヴに乗った時、ミツル、どんなことが起きたか覚えてる?」

「いや、俺もちょっと、夢中だったもんですからあんまりよく覚えてないッス」

「そっか……じゃ、よく見てて」

 ハルトは用意されていた医療用のメスを右手に持つと、その切っ先を左の人差し指に当てた。何時になく真剣な表情を浮かべる彼に、心配そうなキューマが声を掛ける。

「良いのか、ハルト」

「良いんです。遅かれ早かれミツルにも言わなきゃいけない事だったし、もしミツルが僕と“同じ”になってたら、ちゃんと一緒に考えなきゃいけないから」

 どこか思いつめたような表情のハルトの言葉に、何のことだろう、とミツルが首を傾げていると、ハルトは自身の指先をメスの刃でなぞる。

 鋭い刃で切られた皮膚に赤い直線が浮かび、やがてそこから溢れた血液が、ぼたぼたとプレパラートの上に落ちた。

(うわ、痛そう)

 二滴三滴と滴り落ちる血を見て、まるで自分の指が切られたかのように眉を顰めるミツル。だがハルトは一瞬の痛みに呻くと、真剣な目で装置の蓋を閉じ、スイッチを入れた。

 途端、医務室の壁のモニターに血液検査の結果が表示される。

 結果は正常。血中に含まれる赤血球や白血球の数、水分濃度や細菌類の有無。最後に遺伝子データから紛れも無く咲森学園二年生である時縞ハルトの血液であり、検査項目のどれも健康体を示す数値であると表示が出て、ハルト以外の一同は安堵の息を吐いた。

「良かった、何とも無いじゃん」

「でも」

 キューマの言葉に、ハルトは先ほど切った左手の人差し指を皆に見せながら言った。

「普通とは、言い難いです」

 言い切るや否や。ミツル達の目の前で、ハルトの指の傷が一瞬にして塞がった。

「先輩、今の……!?」

「落ち着いて聞いて、ミツル」

 驚きに目を瞠るミツルに、ハルトはゆっくりと―――或いは、自分に言い聞かせるように―――言った。

 

 

 

「僕は……僕達はきっともう、人間じゃない」

 

 

 




ユウスケ「はぁはぁはぁこんな間近で複合高速戦闘車両たんの雄姿が拝めるとかご褒美以外の何物でもないやprprhshs」
ARUS兵(もうやだこの国……)

 やはり政治的なニュアンスを持たせた話は書くのが難しいですね。今回は特にお叱りが怖いです。
 ハルトが随分テキパキしていますが、ミツルという弟分が居ることで精神的に少し成長しているということでお願いします。


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第十一話 検証

 ハルトが放った一言を理解するのに、ミツルは数秒の時間を要した。

「にんげん、じゃない……って」

 つい今しがたハルトが見せた、異常な回復能力。指先の小さな切り傷から血が止まった程度ならば十分に有り得るが、その傷が瞬時に凝固し、切断された皮膚と皮膚の癒着までもが一瞬で終わるというその光景はどう見ても異常だ。

 人間本来の治癒力に頼るのであれば数時間以上の時間をかけて行われる筈のそれは、早送りのVTRでも見ているかのように一瞬の出来事だった。

 だがそれが何故、人間じゃないなどという突拍子も無い発言につながるのか。残念ながらミツルはこの時、言葉の意味を理解出来ても、その真意をすぐに察することは出来なかった。

「ミツル。ヴァルヴレイヴに乗った時、怪我してたって言ってたよね」

「あ、ああ、はい。でもあれは、ヴァルヴレイヴのメディカルシステムで―――」

「僕のヴァルヴレイヴには、そんなものは付いてないよ」

 追い打ちをかけるようなハルトの言葉に、更なる混乱がミツルを襲う。

「ヴァルヴレイヴと“契約”したら、首の所に変な針みたいなのが刺さって、それで僕達はヴァルヴレイヴの操縦を一瞬で覚えた。たぶんその時に、薬か何かを一緒に流し込まれたみたい」

「そのクスリってのが俺達の身体を治した……じゃ、じゃあ俺があの時『撃たれた!』って思ったのって」

「多分、勘違いじゃないと思う。僕も戦う前に左腕が折れてたんだけど、あのメッセージに応じたら……気が付いたら腕が治ってた」

「折れて……!?」

 絶句するミツル。

 そのまま何も言えない二人に、おずおずとアイナが話しかける。

「やっぱり、お医者さんに見てもらった方が良いんじゃ……」

「ちょうどARUSが怪我人の手当てをしてくれてるし、軍隊なら良い医者も設備も整って―――」

「止めた方が良いわ」

 アイナに同調したキューマの言葉を遮ったのは、腕を組んで立つサキだった。

「マンガなんかじゃよくある話よ。軍医に見せたりしたら、きっとモルモットにされる。捕まって利用されるのがオチだわ」

「……人道支援で来てる軍隊がンなことするか?」

「あんたが思ってるより汚いモノよ、大人って」

 自分たちを保護した軍隊に疑いなど微塵も持っていないミツルの言葉を、サキは一言で切り捨てる。ミツルからすれば腹の立つ物言いだが、その言葉を吐き捨てたサキの瞳があまりにも冷たい色を湛えているのに気付いてしまい、反論の言葉を飲み込んだ。

 ミツルだけではない。大人という存在を自分は憎んでいるのだと、隠すことなく蔑みの声を上げたサキの姿は、ハルトにも、アイナやキューマにとっても、何か底知れぬ“凄み”を感じさせるものだった。

「流木野さん、君は―――」

 どうしてそこまで、と。

 ハルトがその言葉を続けることは出来なかった。

(熱、い。のどが、かわいて……)

 急激に、身体を焼くような熱。

 立ち眩みを起こしたように視界がぐらぐらと揺れて、息が苦しくなる。

(なんだ、これ。あの時と同じ―――ー!?)

「が、っあ」

「ハルト?」

 呻き声を上げたハルトに声を掛けたキューマは、ハルトの瞳がぐるぐると揺れて額にじっとりと脂汗を浮かべていることに気付く。

「ハルトさん? ハルトさん、大丈夫ですか!?」

「はっ、ぁ、かひゅっ……」

 アイナが慌ててハルトの顔を覗き込むが、不規則な呼吸と共に荒い息を吐き出すハルトの瞳は焦点が定まらず、アイナが急接近していることにすら気づいていない。

「ハル先輩! うわ、すげえ汗だ!」

「ど、どうしちゃったの!?」

「ハルトっ、おいしっかりしろ! ミツル、そっち持て!」

 明らかに尋常でないハルトの様子にざわめく一同。ひとまずハルトを医務室のソファに寝かせるべきかと判断したキューマはミツルに指示を出し、二人掛かりでハルトを運ぼうとする。

 ミツルが異変に気付いたのは、キューマと共にハルトの肩を担ごうとしたその時だった。

「うぁ、う、う……!」

 苦しげに呻くハルトの額に、見慣れない物が浮かび上がっているように見えたのだ。

 

(バッテンみたいな、痣―――?)

 

 前髪の陰からちらりと見えたそれが何なのかをミツルが認識する前に。

「ふ、うぅ……がぁああああああああっ!!」

 ぎろりと目を見開いたハルトが、ミツルに襲い掛かった!!

「うぉわあっ!?」

「お、おいハルトっ!?」

 キューマの手を振り払い、犬歯を剥き出しにしたハルトは雄叫びを上げながらミツルに迫る。押し退けられようとお構いなしに首元目掛けて顔を伸ばすその様は、まるで吸血鬼が生者の血を求めるかのようだった。

「え? えっ!? は、ハルトさん、何してるんですか!?」

「噛み付こうとしてる……?」

 あっさり払いのけられたキューマと抑え込まれたミツルを見て、アイナは背筋を凍らせる。サキもまた、小さい頃に読んだ児童書の吸血鬼を再現するかのような狂態に言葉を失っていた。

「やめろハルトっ、何してんだよ!」

「ああもうっ、これじゃ本当にヴァンパイアじゃない!」

 一拍置いて我に返ったキューマとサキが腕や肩を引っ張るが、ハルトは二人を振り払おうとさらに暴れる。押し倒されたミツルも反射的に抵抗するが、見知った相手であることが無意識のうちに枷になり、殴って退ける、といった力任せの反撃に移ることが出来ずにいた。

「せ、先輩!? この、止め―――」

「がぁああっ!! ううぐぅぅあっ!」

「ちょっと、いい加減に――ーきゃっ!?」

 小さな悲鳴と共に、状態は急転する。ハルトをミツルから引き剥がそうとしていたサキが、足をもつれさせてしまったのだ。

 四人もの人間が密集しているその場ではよろけた身体を立て直すことも出来ず、サキはハルトとミツルの上に重なるように倒れ込んでしまう。

 結果、サキの体重を背中に受けたハルトはミツルを押しつぶすように密着し、ついでにハルトを押し退けようとしていたミツルの手もその勢いで払いのけてしまう。

「いづぁっ!?」

 伸ばした手を避けられ、とうとうハルトがミツルの首元に食らいつく。そこからは、エルエルフの時と同じである。

「ひっ、ぎ、あああああああっ!?」

 牙のように鋭く伸びた犬歯が食い込んだ首元から、ぞわ、と広がる不快な感覚。

 身体中の血管に冷水を流し込まれるように暴力的な“侵食”。

 蹂躙、と表現するに相応しい勢いで広まるそれは、ミツルの意識を容易くねじ伏せた。

 

 

 

 

 

 同じ頃、咲森学園の敷地内にARUSのトラックで運び込まれた二体のヴァルヴレイヴのうち、一体―――赤いヴァルヴレイヴ一号機『火人(ヒト)』に、ある変化が起きていた。

 無人のコックピットでコンソールの照明が灯り、その中央のモニター上でCGモデルの少女が薄く笑い、ペロリと舌なめずりをしたのだ。

 頬を上気させ、情事の後のように瞳を潤ませた『彼女』が艶やかに微笑んだ後、モニターには片仮名で記された文字が浮き上がった。

 

 

 『ゴ チ ソ ウ サ マ』、と。

 

 

 

 

 ミツルが悲鳴を上げ、その大声に驚きながらもサキが慌てて二人の上から身体を退ける。すると、それまで暴れていたハルトがどさっと医務室の床に崩れ落ちた。

「……は、ハルト!? ミツル! おいっ、二人とも!」

 しばし硬直する一同の中で、いち早く立ち直ったのはキューマだった。折り重なって倒れる二人の肩を揺らして声を掛けると、ハルトの下敷きになっていたミツルの口から、う、と呻き声が漏れる。

「ミツル、大丈夫か?」

「うぁ、犬塚先輩……?」

 呻きながら身体を起こしたミツルはその場に居た面々を見回し、小さく言葉を放った。

「僕は、一体……?」

 ぎくり、と。キューマ達三人は一斉に肩を強張らせる。

 彼らの知る草蔵ミツルは、自分のことを“僕”と言うような奴ではない。そしてそのおかしな事態が起こる要因を、彼らは良く知っている。

「草蔵じゃなくて……時縞先輩?」

「え」

 サキの問いに素っ頓狂な声を漏らしたミツルは、ようやく自身の足元に転がっているのが誰なのかを認識することが出来た。

 ミツル……の身体を乗っ取ったハルトの足元には、意識を失ったハルト自身の肉体が、力なく横たわっていた。

「僕が、いる……あ、ああああっ!?」

 自身が何を仕出かしたのか、ようやく正しく認識したハルトは、頭を抱えて絶叫する。

「あ、あの時と同じだ……エルエルフに、あいつに噛み付いた時と!」

 これで、ハルトは確信してしまった。自分がエルエルフの意識を乗っ取ったのは夢や妄想では無く、確固たる事実なのだと。人にあるまじきその力を、望まぬうちに手に入れてしまったのだと。

 いや、それだけならまだ良かった。エルエルフという“敵”だけならまだしも、渇きのような衝動に呑み込まれたハルトは見知った“仲間”であるミツルにすらその牙を向けてしまった。

 それは即ち、ハルトが手に入れた『化け物の力』はハルト自身の意思に関係なく彼の大事な人達にすら向けられる恐ろしい代物なのだという、何よりの証明だった。

「やっぱり僕は化け物なんだ! ミツルだけじゃない、皆にだって何をするか―――」

「止せハルト、落ち着け!」

 座り込んだそのままに、肩を震わせるハルト。恐怖と混乱の極みに居る彼を正気に返そうとキューマが声を掛けるが、自分の行いに慄くハルトにはその言葉も届かない。そんな彼の姿を見ていられなくて、堪らずアイナが涙ながらに訴える。

「そんな言い方しないで下さいっ! ハルトさんは、その力で皆を助けてくれたじゃないですか……」

「でも、僕は……」

 俯いてしまうハルト(ミツル)と、目を覚まさないハルト(ハルト)。そして、なんと声を掛ければいいのか解らない三人。重苦しい沈黙が、五人の生徒が集う医務室を支配する。

「……ひとまず、話を整理しましょう」

 ややあって、沈黙を破ったのはサキだ。或いは彼女自身も、次から次と問題が出てくる現状を少しでも整理したかったのだろうか。

「時縞先輩が草蔵に噛み付いたのは、先輩がやろうと思ってやった事じゃない。違う?」

「あ、ああ。なんかこう、急に目の前がぐるぐる揺れて……」

 サキの問いかけに応じたハルトは、ひとまず意識を切り替える。彼女が言った通り、先程の狂態は決してハルト自身の意思ではない。少なくともハルトは親しい人間に牙を突き立てようなどと考えるような人間ではない。

 しどろもどろになりながらも先ほどの状態を主観で語るハルトに、サキは顎に手を当てて思案する。

「衝動的なもの、要するに発作って訳ね。だったら多分、一定の周期だとか条件でそうなる筈よ。落ち着いてから調べてみれば、対策もとれるかもしれない」

 ハルトの二度の“乗っ取り”と、そこから元に戻る場面を見たサキは、人差し指を立てて自分の推測を語る。現在意識を封じられているミツルも含めて、襲撃の日からもっとも長くハルトと共にいた彼女の言葉には、不思議な説得力があった。

「ひとまずは元に戻ったら? あいつの時と同じなら、先輩の身体に噛み付けばまた元に戻るでしょ」

 ぐったりと倒れ伏したハルトの“抜け殻”を抱き起しつつ、テキパキと未知の事態に対処するサキの言葉を、ぽかん、と間の抜けた顔で聞くハルト(inミツル)。頼もしい後輩の女生徒の姿に有り難いやら申し訳ないやら色々と複雑な気分だった。

「流木野さん、なんていうか落ち着いてるね」

「さっきも言ったでしょ? マンガだとかライトノベルなんかじゃ良くある話……あ」

 アイナの言葉にしたり顔で答えるサキだが、不意に言葉を止めるとそっぽを向く。

「って友達が言ってたのよ。私は全然ちっともこれっぽっちも詳しくないけど、その子が言うにはそういうものらしいわよ」

 特に取り乱すような様も見せず淡々と告げるサキに、なるほどそういうものなのか、と納得するハルトとキューマ。しかしそんな三人を余所に、アイナは心中で乾いた笑みを浮かべていた。

 

―――流木野さん、私以外に友達居たっけ? と。

 

 アイナの素朴な疑問は、言わぬが華、という奴であろう。一年三組の孤高の少女は意外と俗っぽい趣味を持っているようだった。

 

 

 

 

「……ぁ……」

 暗闇の中で、ミツルは呻き声を漏らす。そこは、つい数時間前までミツルが乗っていたヴァルヴレイヴのコックピットの中だ。

 焼けるように痛む腹部から、止め処なく血が流れ出す。リヒャルトに撃たれた腹部に風穴が開いていたのだ。

(撃たれた、のか……あ、痛い、痛いぃ……!)

 少し力を抜けば、気が狂いそうな痛みの感触。半ば無意識に動かした右手が、せり上がっていたコンソールパネルを叩く。

「い、っつつつ……う、ん?」

 段々と痛みに慣れてきたミツルの視界に、コンソールパネルに点滅する文字が目に入り、数泊遅れてその意味を理解する。

 

[搭乗者の生命維持に甚大な障害を確認。速やかな契約を推奨します]

    [ニンゲンヤメマスカ? ― Yes/No]

 

(せーめーいじに、じんだいな……いや、契約って……? これを押せば、痛くなくなるのか?)

 痛みで朦朧とする意識で思考を練るには、成長しきっていない少年の身体はあまりにも脆く。結局ミツルは、その意味を十分に理解することなくその契約を結んでしまう。そうしなければ死んでしまうと、頭のどこかが本能的に計算した故か。

(死にたく、ない。まだ、やりたいこともできてないのに。言いたいことも、言えてないのに。ニンゲンヤメルだか何だか知らないけど……)

 死ぬよりはましだ、と。あまりにも安易に、しかし強い意志のもとに―――ミツルは、【Yes】のボタンに指を乗せた。

 瞬間。

 首元に走る小さな、しかし鋭い痛み。それはミツルの体組織を、遺伝子レベルで“革命”する。

「あ、あああぁぁぁぁぁ!?」

 首元から全身に広がる熱。

 ぼこぼこと身体が泡立つ感覚に身の毛がよだち、脳から乱雑に発せられる信号が全身を侵す。

 筋肉が収縮と弛緩を繰り返し、血液がその構造を変えて行く。

―――全身を侵蝕する“情報”に捻じ伏せられ、ミツルの身体がミツルの物でなくなっていく。

 痛みは無い。だが、強烈な不快感と嫌悪感を脳に叩き付けられるのと同時に、白の巨兵の操り方が、ミツルの全身に刻まれる。

 

 

―――当機はスリーヴイ計画における霊長兵器八号機である以下これを火集(ヒダカリ)と呼称する火集は一号機とのリンクによってエネルギーの供給を行うパイロットは『契約』時に一号機とのリンクを確認せよまた火集のパイロットは機関の選定した人員から指定されたカリキュラムを修了したものを選定することを原則として如何なる場合もこれ以外の人員が契約した際の補償ないし保障は行われない火集の武装はスリーヴイ機体の共通規格として腋下部フォルド・シックルと頭部バリアブル・バルカン及び手甲部ハンド・レイを基本とし腰部追加ブースターによる高速戦並びに一撃離脱戦を行う為に―――

 

 

 やがて脳裏に焼き付けられたそれを、ミツルが理解した時。

「やるぞ『ヴァルヴレイヴ』……あいつらを、やっつけるんだ!」

 コックピット越しに見えた“敵”を葬る為、ミツルは操縦桿を握った。

『―――!?』

『――、―――――!!』

 コックピットの外で何かを叫ぶ敵。しかしミツルはそれに構わず、少し離れた場所の敵へと巨兵の指を向けると、比べるのも馬鹿馬鹿しいその体躯を無造作に握り込む。

 なにかつっかえていた様なものが取れる軽い感覚と共に、標的はぷちっと潰れて簡単にひしゃげる。

 残る一人を“やっつけようと”した瞬間、がくん、と視界がせり上がった。

「何だっ!?」

 狼狽えるミツルだが、すぐに焼き付けられた情報から、緊急起動用のカタパルト・エレベーターが作動したのだと“思い出す”。

 上空に目を向ければ、地下八階から地上へ直結した縦穴の向こうに、太陽を模した光が見える。

 そのまま八号機の脚部アクチュエーターを動かし、ミツルはその光の中へ飛び込み―――

 

 

 

 

 目を覚ましたミツルの視界に入ったのは、医務室のソファの背もたれだった。

「俺は……」

「気が付いた?」

 自分の身体が横になっていたのだと気付くと同時に、ここ二日間で多少は聞き慣れてきたクラスメイトの声が耳に入った。

「流木野……そうだっ、ハル先輩は」

 何故自分の隣に流木野サキが、と疑問に思うのも束の間。ミツルはつい先ほど、医務室で何が起きたのかを一瞬で思い出す。

 飛び跳ねるように身体を起こすと、ぐら、と視界が揺れてそのまま前のめりに倒れかける。

「時縞先輩なら、七海先生に呼ばれたわ。ARUSのお偉いさんと面談だそうよ」

「あの後どうなったんだ。先輩は一体、ていうかなんで俺気絶して」

「落ち着けよ、ミツル」

 矢継ぎ早なミツルの問いを押し留めたのは視界の外から聞こえてきたキューマの声と、一緒に飛んできたペットボトルだった。

「うお、っと」

 放り投げられたペットボトルをあわや取り落としそうになりながらもキャッチしたミツルは、同じものを複数抱えているキューマと、その後ろに見える壁掛け時計に目を向ける。

「だいたい五、六分ぐらいだな、お前が気を失ってたのは」

「そうッスか……あれ、櫻井は」

「たった今全校に、自分の教室に戻れって連絡があったんでな。お前と、あと流木野さんが医務室で休んでるって伝えに行ってくれたよ」

 ミツルについては勝手にスマートフォンを弄って誰かにメールするわけにも行かず、サキの場合はそもそもメールを送れる相手がアイナしか居ないためであろう。

 ミツルが納得していると、キューマが腕に抱えていたペットボトルをサキにも渡して、ついでに自分が飲む分も一本開ける。ぷしゅ、と炭酸ガスが漏れる音と共に、『ビースト・ハイ』の柑橘系の香りがボトルから溢れる。

 とりあえず飲んどけ、とキューマに促され、投げて寄越されたボトルのキャップを捻る。柑橘の香りに喉の渇きを自覚したミツルは、どうも、とぶっきらぼうに応えると『ビースト・ハイ』を一気に呷った。

 グレープフルーツの香りと舌を潤す甘ったるい水分の感覚に一瞬遅れて、しゅわ、と炭酸の刺激が口いっぱいに広がり、爽やかなその感覚が喉を通り過ぎる頃には、起き抜けのミツルは完全に目を覚ましていた。

「……思い出しました。ヴァルヴレイヴに乗った時、何が起きたのか」

 上唇に残る水滴を指で拭い、ミツルはキューマとサキを見据える。

「さっき、最初に乗った時のこと夢に見て。勘違いじゃなくて、確かに俺、ドルシアの連中に銃で撃たれたんです」

「じゃあやっぱり、草蔵も……」

「ああ。先輩と同じで、ヴァルヴレイヴの変なメッセージに応じたら怪我が治った……首の所に、薬か何か流し込まれたせいだと思う」

 サキの問いに答えたミツルは机の上にあったメスを手に取り、ハルトがそうしてみせたように左手の指をなぞる。

 プレパラートの上に血を滴らせる指は、数秒もせず血が止まり、肉が蠢くこそばゆい感覚と共に一瞬で完治した。

「ハルトと同じって訳か……じゃあ、“乗り移り”も出来るのか」

「乗り移り?」

 首を傾げたミツル。その疑問に応じたのは、ハルトが二度に渡って噛み付いた相手の意識を乗っ取る様を目にしたサキ。

「あの銀髪の男、最初に時縞先輩がヴァルヴレイヴから降りた時、先輩を殺そうとしたんだって。でも先輩があいつに噛み付いたら、あいつの身体に乗り移ってた」

 サキの放った言葉は、これまで散々異常な事態に直面してきたミツルを以てしても、一度には理解しかねるものだった。

「……いや、待て、いやいやちょっと待て。乗り移るってお前……」

「だから、先輩が噛み付いた相手の意識を乗っ取って、そいつの身体を動かすことが出来たの。私だって俄かには信じがたいけど、実際に見ちゃったんだからそうとしか言えないわよ」

 何度も言わせるな、と頬を膨らませるサキだが、それにしたって、とミツルの脳は理解を拒む。いくらなんでも本当だとは思えなかったし、何より想像がつかなかったのだ。

 人格入れ替わりという現象を、ミツルは漫画の中でしか知らない。それも、ギャグ漫画の演出などで良く扱われる、人と人とが頭を打ち付けたら中身が入れ替わる、といった下らない類のものだ。

 だがそんな下らない状況が事実であると、然して親しくも無いクラスメイトが真面目に言っているのを聞くと非常に違和感があった。

 疑いの感情を隠さないその視線が癇に障ったのか、サキは眉間を一度ひくつかせると、はーっと大きく息を吐いた。

「……草蔵、ちょっと口開けて目を閉じなさい」

「え」

「早く」

 有無を言わせぬ勢いのサキに迫られ、ついついミツルは言われた通りにする。

 そしてサキはミツルの頭を右の手で押さえると。

「よっ」

「んぐっ!?」

「ちょっ流木野さ、うぉああああっ!?」

 一瞬で捕まえたキューマの手首を、あんぐりと開いていたミツルの口に突っ込んだ。

 

 

 

 

「……状況はわかった。お前が言った事も本当だった」

 数分後。何か目の奥がチカチカと光った次の瞬間、いきなり視界が高くなった事、いきなり自分の声が変わった事、足元に意識を失った自分が転がっていた事などにひとしきり驚き、騒ぎ終わったミツルは、深々と溜息を吐きながらサキに向かって恨めし気に言い募る―――キューマの声で。

「けどさ、もうちょっと他にやり方なかったか?」

「論より証拠って奴よ」

「証拠どころか実演したんだろーが!? 俺達に無断でっ!?」

 普段よりも視界の高い体躯で以てがーっと吼えるミツル(外見キューマ)だが、サキはそんな彼に怯む素振りすら見せず、再びソファに倒れ込んだミツルの肉体をしげしげと観察する。

「本当に時縞先輩と同じね。二人とも今は同じことが出来る、と思っていいのかしら」

「お前ね……いや、もう良い」

 こうも悪びれもせずに堂々とされると、いっそ清々しさすら感じてしまうから不思議なものである。この数時間で完膚なきまでに破壊された『クラスの寡黙な美少女』のイメージの破片を脳内から余所へと追いやり、ミツルは本日何度目か分からない溜息を吐いた。

「けど、本当に噛み付いた相手に乗り移る、なんて……益々以て人間じゃなくなったな、俺」

 体格の良いキューマの身体に意識だけ入り込んだミツルは自虐的な笑みを一つ浮かべると、拳を握って開いてを繰り返し、ついでに抜け殻となった自分の肉体(ミツル)を持ち上げてみる。脱力して重く感じられはしたが、バレーボール部のエースであるキューマの膂力を以てすれば、小柄なミツルの身体はあっさり持ち上げることが出来た。

「俺じゃ犬塚先輩の身体を自由に使えない、って訳ではなさそうだな」

「それも、先輩と同じね。あの銀髪を乗っ取った時縞先輩、跳ぶわ撃つわの大活躍だったわよ」

 なんだそりゃ、とサキの言葉に首を傾げるミツルだが、そのサキは怒りに我を忘れたハルトが殺人を重ねたことを言いふらすつもりはないと見えて、ミツルの疑問には答えずに思考に耽る。

 その様を見て、ぼそっと呟くミツル。

「なんか流木野、随分と楽しそうだな」

「そう? 自分ではそこまで顔に出したつもりはなかったけど」

 ミツル自身気付いていなかったが、サキとこうして長時間話したことなど今までには無く、というかそもそもサキとこうして向かい合って話すこと自体初めての経験だった。

「けど、目の前でこんなことが起きてるのよ。何が起きてるのか知った方が面白いじゃない」

「面白い、って……お前なぁ! こんな時にンなこと言ってる場合か!?」

 突如引き起こされた戦争と、祖国の事実上の消滅。偶然自分たちが手に入れた武力と、あまりにも大きすぎる代償。

 相次ぐ異常事態を楽しむようなサキの物言いに、堪らずミツルは激昂する。確かに漫画やアニメの中にしか有り得ないような事態が連続して起こってこそいるが、当事者であるミツルとハルトにとっては堪ったものではない。楽しげに相好を崩すサキの微笑は常ならば男としては惹かれるものであったが、正直なところ今のミツルにとっては不謹慎を通り越して不愉快極まりなかった。

「こんな時だから、よ」

 しかしサキはミツルの怒りにも揺らぐことなく、勝気な笑みで以て言い返す。

「何が起きてるのか分からない事には、解決する方法だってどの道分からないわ。だったら前向きに、もっと肩の力を抜いて取り掛かった方が良いわよ。有り得ない事態を楽しむようなつもりじゃないとやってられないでしょ?」

「……わぁーったよ」

 筋だけは通ったその言葉に更に何かを言い募ることは出来ず、ミツルはそっぽを向く。決して言い負かされたのが悔しいからではない。ないと言ったらない。

(そういえばこいつ、俺がヴァルヴレイヴに乗った時、ハル先輩の方に一緒に乗ってたんだっけ)

 普段、何事にも興味を示さずクラスの隅で静かにしている彼女の様子とは大違いだ、と考えた時、混乱するアイナから“サキを助けてくれ”と頼まれた時のことを思い出す。

(なんか変、つーか。そもそもこいつ、何で先輩に着いて行ったんだ?)

 ここまで熱心に事態を探ろうとしているサキが何を考えているのか気になって、彼女に問おうとした時。

「ミツル、居る?」

 医務室のドアを開ける音と同時に聞き慣れた声で名を呼ばれ、ミツルは口元まで出かかった問いを飲み下した。

「っとと、何すかハル先輩」

「あ、犬塚先輩、ミツルは……って、え?」

「あ」

 うっかりいつもの癖で応じてしまい、ミツルは自分がキューマの身体に乗り移っていたことを思い出した。

「……犬塚先輩、じゃなくて……」

「……中身、草蔵ミツルです」

「なっ、何してるんだよ!?」

 結局そこからハルトを落ち着かせ、更に何が起きたのかを説明しているうちにミツルは自分が抱いた疑問そのものを忘れてしまい、サキの内心を探ることはしなかった。

 

 

 数週間の後。彼女が引き起こした行動とその動機に、ミツルは呆れ、怒り、ハルト共々忙しなく振り回されることになる。

 

 




キューマ「うわっ、俺の最近の扱い、酷過ぎ……?」


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第十二話 逃避行に向けて

 お久しぶりです。
 ようやく更新できましたが今回短めです。うごご。


 時間を少しばかり遡って、咲森学園の校長室。襲撃の日から部屋の主たる人物が姿を消したその場所は現在、人道支援の指揮を取る為ARUS月周回軌道軍に同伴してきた、ARUS上院議会の議員を迎えるための応接室として使われていた。

 リオンに連れられて校長室を訪れたハルトは、入口に控えていた軍人によって室内へと通される。

 応接用のソファにゆったりと腰かけていた若い男はハルトの姿を見ると腰を上げ、にこやかに微笑みながら声を掛けてきた。

「やあはじめまして、君が時縞ハルト君か!」

「は、はい。初めまして……フィガロ、えっと」

 何と呼べばよいのか解らずに黙り込むハルトに、一拍置いてリオンが耳打ちする。

「……上院議員」

 のっけからやらかした、とぎこちなく笑うハルトに、名を呼ばれた上院議員……フィガロ・エインズレイは穏やかな笑みを崩さぬまま握手の手を差し出した。

「政治家と話すのは初めてかな? 君が戦ったドルシアの兵士に比べれば、私なんてかわいい物だよ」

 フィガロはあくまでジョークのつもりだったが、ハルトにとっては考えたくも無いことを的確に思い出させるキーワード。俯き、眉を八の字に曲げてしまったハルトをどう思ったのか、フィガロはテーブルに置いてあったパソコンを持ち上げてハルトとリオンに見せる。

「それに、注目度で言えば今の君の方が数倍は上だよ。これを見てくれ」

 ノートパソコンに映し出されたのは、『WIRED』のトップページ。検索バーのトピックスに並ぶ「ジオール ロボット 時縞ハルト」の三つの単語が太字で強調されていた。

 なぜ自分の名前が、とハルトが疑問を口にする前に、フィガロは画面上のハルトの名前をクリックし、動画検索を掛ける。

 ARUS国内の会社が運営する大手動画サイトに、ヴァルヴレイヴ一号機の戦闘映像がアップロードされていたのだ。

「あ、これって」

「角度からして恐らく、監視カメラの映像だろう。アップロードしたユーザー……『RAINBOW』は、この学園の防犯システムに関わりのある人物のようだね」

 思わず声を上げたリオンに応えるフィガロ。次に彼が指し示したのは、そのページの右側に位置するツィッターのコメント欄だ。

 

『そもそもなんでこんなロボットがジオールにあるんだ』

『ARUSもはやくこんなの作れよ

 ジオールが落ちたら次はアラスカかニューヨークがヤバいんだぞ』

『簡単に言うなよ

 こんなのほいほい作れれば今頃ARUSが世界統一してるわ』

『技術系の俺の見立てだと火力はともかく実は関節がヘボいと思う

 こんな変態機動するロボットを簡単に作れる訳が無い』

『↑ヘボ技術者の僻み乙』

 

 リアルタイムで更新されていくコメント欄では、この映像を見た世界中のユーザーが思ったことを各々好き勝手に書き連ねている。“呟き”の名が示す通り、深い考えも無く書き出されるそれは時に口論のもとになったりしながら、数秒と間を置かずに数を増やしていく。

 

『なぁやっぱりこれデマなんじゃね?』

『なんでだよ

 現に映像が出てるだろ』

『だってそうだろ

 こんなものがあるなら何でジオールは首都に配備してないんだよ』

『それにパイロットも結局音沙汰なしじゃないか』

『時縞ハルトだっけか?

 あの写真晒されてた高校生』

『ロボットのパイロットやりながら高校通ってたとかアニメの主人公かよ』

『しかもこの咲森学園って新設校だけど、国立のエリート校だぞ

 二年前から全国模試とスポーツ大会には必ず上位に名前が挙がってる』

『↑嘘つくな

 二年前って一年生しかいないだろが』

『↑だからおかしいんだって

 この高校、一年生に全国模試受けさせてる

 そんで上位に名を連ねてる』

『ちょwwwFラン高校の俺涙目過ぎるwwwwww』

『そんなパーフェクトな人間が居て堪るか

 やっぱり時縞ハルトは二次元の人物なんだ』

 

「……いや、そんなこと言われても」

「ネットって怖いねぇ」

 しばしツィッターの画面を目で追っていたハルトは、突如として火が付いた“時縞ハルト=非実在青少年説”に軽い頭痛を覚え、こめかみを押さえる。隣でそれを見ていたリオンは呑気に呟くだけであったが。

「良かったら何か一言、書き込んでみるかい?」

 フィガロの提案で、ハルトは自分のアカウントからツィートすることになった。といっても、普段からサイトを眺めることは有っても書き込みなど殆どした事の無いハルトは、どういうコメントをすれば良いのか悩んでしまう。

 結局無難に、自分の名前と無事であること、ARUSの艦隊に助けられたことなどを簡潔に纏めて書き込む。

 

―――すると。

 

『生きてた?』

『マジ? 本物!?』

『心配したよー!』

『SAMURAI is Back!(サムライのご帰還だ!)』

『やるじゃん、うちの国も』

 

 そこからはもう、所謂“祭り”状態である。通常の表示だけでは更新と表示が追い付かなくなったツィッターは雲状の(クラウド)表示に切り替えられ、ツィートの雲は見る間に拡大していく。

 同時刻に放送していた臨時ニュースではハルトの生存が特報として大々的に伝えられ、ワイドショーの番組スタジオに居合わせたタレントが歓声を上げる。

 遠く離れたARUS国内のサッカースタジアムではサポーターたちの熱狂の渦の中、著名な得点王がハルトの活躍に敬意を表し、是非とも自分たちの試合に招きたいと宣言した。

「わ、すっご……フレンド登録がこんなに」

 画面に表示されたハルトのアカウントには、先日と同じくフレンド申請のメッセージが次々と寄せられる。特に設定を弄ってもおらず、フレンド申請は自動で受理するように設定していたハルトは、今や世界人口の約3分の2と“友達”になったことになる。

「そら見たまえ。メジャーリーグの得点王にベストセラー作家、果てはうちの大統領ですらも君のフレンドだ。世界中が君の戦いに注目していたんだ」

「……だから、これからも戦えって言うんですか」

 人を殺して有名になるなんて、と自身の人気爆発を未だに喜ぶことの出来ないハルトは当て付けがましくフィガロに向かって問いかける。

 どうせこの人も、ロボットに乗って戦える自分を戦わせようとするのだろう。そう思っていた―――それだけに、次にフィガロの口から飛び出した言葉は、ハルトにとってはとても意外なものであった。

 

 

 

 

『逃げる?』

 時は戻って、再び医務室。元の身体に戻ったミツル、目を覚ましたキューマ、二人に睨まれても全く動じなかったサキの三人は、ハルトの言葉に声を揃えて問い返した。

「うん。フィガロさんが言うには、月の中立地帯まで逃げ込めばドルシアは手出しできないって」

「そっか、『静かの海条約』を盾にする訳だな」

 合点がいった、とばかりにキューマが挙げたのは、現在ほぼ全ての国家で締結されている平和条約だ。

 暦の名前が変わってから数十年。二度の宇宙戦争を経験した人類は本格的な宇宙開発を推し進める為、幾つかの約束事を取り決めた。

 ダイソンスフィアの配置・運用の条約。

 地球、スフィア間のスペースシップの行き来を管理する宙航法。

 そして、月面付近を対象とした戦闘行為禁止法。

 当時宇宙開発の最前線フロンティアであった月面都市で取り決められたこれらを総称して、『静かの海条約』と呼ぶ。

「中立国家にいきなり攻め込んでくる国が、そんなの律儀に守るかしら」

「考えすぎだろ。奴らだって世論は怖いんじゃねーの?」

「ともかく、その為にこれから全校放送で呼びかけて、避難の段取りを伝えようって話だったんです。ミツルには僕と一緒に、皆の避難指示をして欲しいって」

 言い合うサキとミツルに向かってハルトが言ったのは、先程フィガロから頼まれたことだ。

 現在、学園の生徒達から熱狂的な支持を集め、またいざという時に先頭に立って戦える二人が呼びかければ、避難に消極的な生徒達も納得するだろう、というわけである。

「避難は今から五時間後。今学園に残ってる生徒全員を、順番にARUSの戦艦に乗せるんだそうです。僕とミツルが戦艦の護衛をするってことで」

「俺とハル先輩で、ですか?」

「うん。他にもARUSの戦闘機部隊が支援してくれるって」

「それなら心強い。流石に二人だけじゃキツイですもんね」

 また二人だけであの大軍を相手にするのは御免だ、とミツルは胸を撫で下ろす。話がまとまったところで、声を上げたのはキューマだ。

「なら、それまでに寮の私物なんかは纏めておいた方が良いな。小さい物とかなら持ち込めるだろ?」

「……犬塚先輩、何持ち込む気ッスか」

「そりゃお前、通帳とか印鑑は大事だろうよ。俺のバイト代ようやく20万円溜まったところなんだぞ」

「……ジオールの通貨って、まだ使えるんですか?」

「あっ」

 ハルトからの鋭い指摘に、びしっと身体を強張らせるキューマ。

 高校生の身に20万円の損失はあまりにも大きい。膝から崩れ落ちたキューマに何と言って良いのか解らず、ミツルとハルトはひとまず解散することにした。

 保健室から廊下に出て、心なしか背中を煤けさせたキューマと、次いでハルトと別れ、ミツルは教室に戻ろうと踵を返し―――

「あれ、流木野?」

 隣に立っていたサキが、去っていくハルトの背をじっと見つめていたことに気付いた。

「ハル先輩がどうかしたか?」

「……ねえ、本当にドルシアから逃げるの? モジュール77を捨てて?」

 そう言いながらサキは、ミツルの顔を覗き込むようにして詰め寄る。

 つい先程言い負かされたとはいえ、容姿の整った女生徒にいきなり接近されたミツルは胸をどきりと高鳴らせるが、一歩後ろに下がって呼吸を落ち着かせると言い聞かせるように口を開いた。

「捨てるも何も、ここに居てもどうしようも無いだろ。さっきハル先輩も言ってたじゃねえか、ARUSが同盟国として助けてくれるんだったら、乗っかった方が確実にみんなが助かるんだ。そもそもここに残って何しようってんだよ」

「ARUSのスフィアに着いたら、保護だの研究だの言ってあのロボットも取り上げられちゃうかもしれないのよ? 成り行きとはいえあんたの機体じゃない。悔しくないの?」

「同盟国なんだからおかしくはないだろ。それに、元々俺のじゃなくて国の物だし、あんなのに乗ってたら命が幾つあっても足りないよ……お前さ、なんでそんなにヴァルヴレイヴにこだわるんだよ」

 サキの質問の意図が見えず、苛立ちを露わにしながら問い返すミツル。命が幾つあっても、というのは実際のところ今の彼には適用されない言い回しなのだが、それを考えないようにしていたミツルは自分の発言がおかしなものである事には気付かなかった。

「……なんだって良いじゃない」

「いや良くねーよ」

「もう良いわよ、私の見込み違いだった」

「はぁ?」

 素っ頓狂な声を上げるミツルに構わず、サキは髪を掻き上げるとその隣をすり抜ける。

 足早に去っていくその背から真意を読み取ることは、ミツルには出来なかった。

「ったく、意味わかんねー」

 サキに置いて行かれる形になったミツルは暫し廊下に佇んでいたが、ややあってぶらぶらとそこらを歩くことにした。好奇の視線にもいい加減飽き飽きしてきたところだったし、教室に集められて聞かされる話を、たった今ハルトから聞いたばかりである。わざわざ教室に戻る気にもならなかったのだ。

 窓から見える校庭には工事車両が何台も入っており、窪んだ地面や崩れた校舎を直すために作業を進めている―――と、そこで疑問が生じた。

(……あれ? モジュール77は捨てて逃げるんだよな。なんで校庭の工事なんてしてるんだ?)

 つい今しがたサキに詰め寄られた際の問答の通り、自分たちヴァルヴレイヴのパイロットはこれから、生徒たちを逃がすため、ARUSの宇宙船に彼らを誘導しなければならない筈だ。

 ARUSとて、今はその準備に追われているだろう。では何故、校庭に“クレーン車がアームを伸ばし、トレーラーが並んでいる”のだ?

 

『あんたが思ってるより汚いモノよ、大人って』

 

 脳裏を過るのは、つい先ほど言葉を交わした女生徒の、吐き捨てるような声。

 

「……まさか、な」

 なんとなく見過ごすことが出来なかったミツルは、一階の廊下から中庭に出ると、作業に当たっていた軍人たちに近付いた。

 すると、クレーンの先端からワイヤーが伸びたその先に、大きな穴が空いているのが見える。ミツルはその穴が、自分のヴァルヴレイヴが収まっていた地下施設の一部だと見て取ることが出来た。

「あの」

 なるべく普段通りの喋り方を心掛けながら、クレーン車に指示を飛ばしていた女性軍人に話しかける。

「ん? ああ君、ここは危ないからあんまり近付かないでね」

「これ、何してんですか。もうすぐモジュール77を離れるのに、工事なんかしても意味ないんじゃ……」

「ああこれ? 脱出の時に使うあのロボットの武器を探せっていう上からのオーダーよ」

「……ヴァルヴレイヴの、武器を?」

 初めて聞くその言葉に、ミツルは目を瞬かせる。

 ハルトが自分に伝え損ねたのだろうか? いや、その可能性は低い。ハルトと上院議員の会談は十分程度のもので、その内容も脱出作戦の際のハルトとミツルのやるべきことに終始していたという。そんな短い間に聞いた話を忘れるほど、ハルトは間が抜けた男ではない。

―――では、自分にもハルトにも知らされていない?

(流木野の話じゃないけど、何か引っかかるな)

 一方、“ロボット”と聞いただけでヴァルヴレイヴの名前を言い当てて見せたミツルに、作業の指示を出していた女性軍人は興味深げな視線を向ける。

「……そういえば、時縞ハルトくんと一緒にARUS(うち)が保護した生徒の中に、白い方のパイロットが居たって話だったけど」

「あ、ああ。一応俺が、あの白いヴァルヴレイヴのパイロットですけど……」

「へえ、君が!」

 言うや否や、女性軍人はミツルの小柄な体をしげしげと見回す。好奇の視線ともまた違う、品定めされるようなそれがむず痒く、ミツルは思わず数歩後ずさった。

「うーん、見た感じふっつーの男の子だけどねえ。ジオール政府の考えてることってのは解らないなぁ」

「政府の考えてること?」

「うん。だって君、まだ高校生でしょ? なんだってジオールはわざわざ、一般の学生から機動兵器のパイロットなんて選んだんだか」

 まともじゃないよねーなどと言いながら、女性軍人は手にしたクリップボードへと視線を移し、何事かをボールペンで書き込んでいく。

 ミツルはと言えば、政府から正式に選ばれたわけじゃないんだけどな、と胸中で呟きながら、目の前で行われる工事を何とはなしに眺める。やがて大穴から、クレーンのワイヤーで固定された大きな物体が姿を現した。

「なんですか、コレ」

「んー……デカくて解り難いけど、長物かね」

「長物?」

「銃だよ、長距離銃。ゲームとかやる子にはロングレンジ・キャノンって言った方が解りやすいかな」

「や、俺あんまりテレビゲームはやらないから……」

 全長十数メートルの細長い物体は、四角い機関部から丸い柱状の銃身が飛び出した長大な銃だった。先端である銃口の下には透き通るような刀身を持つ鋭利な刃が付いており、それが一号機の刀と同じく、ヴァルヴレイヴが持つ為に作られた刃物なのだと見て取ることが出来る。

 銃剣(バヨネット)のついた、狙撃銃。皮肉なことにそれは、ドルシア軍の歩兵部隊に支給される分隊支援火器をそっくりそのまま巨大化したような代物だった。

「形からして、相当初期に作られたみたいだね。さっき見つかったのに比べて随分と形状が野暮ったい」

「そんな事まで解るもんなんスか……っていうか、さっき見つかったの、って?」

「君が来る前にも別の銃が見つかったんだよ。あっちはもう、正しくトンデモ兵器だったね。拳銃を中心に、武器がいくつも合体するバカみたいな仕様の。作ったやつは絶対に、今でも休日のヒーロー番組を欠かさず見てるようなガキっぽい奴だよ」

「なんだそりゃ……」

 その言葉にミツルは、小さい頃母にいくらせがんでも結局買ってもらえなかったヒーローの合体武器の玩具を思い出した。先程の話題に出て来た武器を頭の中で勝手に五色に塗装しながら、うちの国の国防軍って随分カラフルなものを作るんだなぁ、と胸中でごちていると、ワイヤーを外された長距離銃が丁度、地面に下ろされたところだった。

「これ、俺か先輩が使うことになるんですよね」

「恐らくは君の方だと思うよ。さっきの合体銃は赤い方とカラーリングが統一されてたから、そっちに使わせるんじゃないかな」

「マジか……うっへぇ、狙撃銃なんて触るどころか見たこともねーよ」

 上手く扱えればいいのだが、とその巨大な塊を見つめるミツル。

 結局その直後、次の作業を始めるということでミツルはその場を追い出されてしまうのであった。

 

 

 

 

 同時刻、咲森学園の地下。モジュール77の宙港区画から、一人の少年が姿を現す。

 少年は学園の制服に身を包んでいたが、彼が決して一般人などで無いということは、袖口の返り血と、手にした拳銃が如実に物語っていた。

 頬に数滴着いていた血飛沫を拭った少年は、無重力エリアの床を蹴って目的地を目指す。

(接触すべきは赤いヴァルヴレイヴのパイロット、時縞ハルト)

 ARUSの拘束を脱した銀髪の少年―――エルエルフは、自身の現状について可能な限り情報を集めた後、新たな目標を定めた。

 その為にまず彼が優先したのは、二人のパイロット、即ちミツルとハルトのどちらかとの接触。

 戻れないから仲間にしてくれなどと請う心算はない。新たな目標を叶える為、あくまでエルエルフが彼らを利用するのだ。

 脅迫の手段はいくらでもあるが、最善なのは彼らがエルエルフに利用されるのを受け入れること。交渉を経ての契約が理想形だ。

 そして、その成功率が高いのは―――戦う理由や為人、そして胸の裡の葛藤をエルエルフに見せてしまった、時縞ハルト。

(あの男はごく個人的な理由で戦いに身を投じた。ならばその理由を、譲れぬものを守る手伝いをして見せれば、賢い選択をする)

 ショーコ、と名を呼んだ誰か―――恐らくは、異性として慕っている人間だろう―――を守るプランを幾つか示せば良い。

 エルエルフにとって、大義の為に戦う人間なんかよりも個人的な理由で戦う人間の方が遥かに判りやすく、御しやすい。

 何よりそういった手合の思考をコントロールしてやるには、“エルエルフが自分を律する方法”がそっくりそのまま適用できるのだから―――

(……今、俺は何を考えた)

 ふと脳裏を過った自嘲的な言葉を、苦み走った顔で噛み潰す。

 冗談ではない。平和を守るという曖昧な綺麗事を実践するため、戦うことを放棄した国の民が、自分と同じである筈がない。

 エルエルフ=カルルスタインという少年を構成するのは、幼き日の二つの誓い。自らに課した二つの戒め。

 

 生きる為に殺せ。そして必ず、“彼女”の許へ辿り着け。

 

 それがある限り、エルエルフは戦い続けることが出来る。

 ドルシアを追われたエルエルフにとって、ジオール人は未だ『仲間』でも、『敵の敵』でもない。“彼女”に捧げると誓った自分の命と同様に、目的を果たすための『駒』に過ぎないのだ。

(忘れるな、“ミハエル”。お前には仲間や友達なんて作る資格は無い。そんなものはあの時、俺達五人で捨てた筈だ)

 無重力エリアの壁を蹴り、天井近くのゲートへと向かうエルエルフ。一際強く壁を蹴ったのは、己の弱音を蹴り殺したかったからだろうか。それを知る者は、彼以外には居なかった。

 

 

 

 

「なんだアリヒト、おめぇも来てたのか」

 聞き慣れた声を背後から掛けられて、茶髪に金のメッシュを入れた少年……ミツルと同じ一年三組の男子生徒、護堂アリヒトは左胸に当てていた手を降ろした。

「ちっす、サンダーさん」

 振り返ったアリヒトが軽く一礼したのは、一学年上の先輩でアリヒト達のようなヤンキーを束ねる咲森学園の番格、山田ライゾウだった。

 つい先日ドルシアの歩兵たちによって散々に痛めつけられたライゾウだが、持ち前の体力故か既に体調は回復し、舎弟達を率いて犠牲者の埋葬に食料品集めなど、無計画ながらも彼なりに動いていた。

 アリヒトの隣に立ったライゾウは、その場に並ぶ石塔に向かって合掌し、静かに祈る。簡素ながらも彼らが心を込めて積み上げた石塔の下には、襲撃の際にライゾウを庇って命を落とした、二人の共通の友人が埋葬されていた。

「……やっぱ、納得いかねえッスよ」

 黙祷を終え、伏せていた視線の高さを戻したライゾウに、アリヒトは不機嫌そうな声で話しかけた。

「あのロボットがあればノブさんの仇だって取れるのに、時縞ハルトもミツルも、ARUSの連中と一緒に逃げようだなんてさ」

 ARUSの決定に、アリヒトを始めとした“サンダー組”の面々は納得などしていなかった。

 親しい友人を、同じ学校に通う仲間たちを何人も殺し、自分たちの学校に土足で踏み入ってきたドルシア軍。その仕打ちを忘れることなど出来ない。

 なのに彼らはドルシア軍に報復をする事すら許されず、難民としてARUSに保護されることになったのだ。

 冗談じゃない、ここにはまだあのロボットがある。ARUSに任せたくなどない、俺達が戦う。

 息巻く彼らであったが、それ以外の生徒達は戦地となったモジュール77から脱出できると知って大喜び。これで助かるんだと涙を流す生徒達を前にして、とてもではないが他の生徒達を巻き込もうという気にはなれなかったのだ。

 かといって、少々オツムの密度が残念なサンダー組は、自分たちだけで戦う為に何をすればよいのか皆目見当がつかず。結局アリヒトを始めサンダー組のヤンキー達は現状への文句を、こうして仲間内で話す事しか出来ないのだった。

「ああ、そーだな」

 憤懣を隠すつもりも無いアリヒトの言葉に適当な相槌を打つライゾウは、持参していた缶ビールの栓を開けて友人の墓に供える。学校の寮で教師たちに隠れて共に飲んだ、お気に入りの安酒だった。

「……サンダーさん、俺、やっぱりミツルのところに行って、話してみますよ。やられっぱなしで黙ってるなんて性に合わねえ、せめて一発ぶちかましてやらなきゃ―――」

「アリヒト」

 供え物を並べて腰を上げたライゾウは、子分の言葉を遮って口を開いた。

「その話、俺が行くわ。おめぇはあのロボットのパイロット二人に、渡り付けて来い」

 常以上に鋭く細められたその視線には、轟々と燃え盛る炎を宿し。血管が浮くほどに握り締めた拳からはギリギリと音を立てながら。

 山田ライゾウは静かに怒り狂っていた。




エルエルフ「アイルビーバック!(デデンデンデデン)」

 文中に出て来た狙撃銃はオリジナルの物ですが、実際にヴァルヴレイヴのプラモに持たせられるようにジャンクパーツから適当に組み上げて、どんなポーズ取らせるかとかモデル人形宜しく動かしながら書いております。本体の方も完成したらどこかで公開したいですね。
 これまた文中に書いておりますが、見た目と運用方法がどことなくSVDドラグノフに近い物になりました。多分私の趣味です(待て)。


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第十三話 避難誘導の陰で

 原作でさらっと流されたシーンがまだまだ続きます。


 その生物の存在を思い出したのは、一学年上の先輩が先ほど自分たちの前で狂態を見せた次の瞬間だった。

 

 流木野サキは自身が文学少女であると自負している。

 幼少の頃、アイドルとして大成する前。家庭にも学校にも自身の居場所を見出せず、落書きをされた教科書を手に泣きながら小学校の校舎を彷徨っていたサキは、偶然施錠されていなかった図書室へと逃げ込んだ。

 ゴミと空の酒瓶ばかりが転がる家で両親から隠れるように育ったサキにとって、本―――とりわけ童話や小説というものは未知の物体だった。

 ヒステリーを起こした母が自分に投げてきた古い電話帳などとは全く違う、高級感あふれる装丁。日本語の教科書以外ではあまり使われなくなった縦書きの文字の中には、ここではない遠い場所の景色が克明に描かれ、過去、現代、未来の違いはあれど語り手たる主人公が見る世界は、夢と希望と冒険に溢れていて。若干八歳にして『現実』というものにほとほと嫌気が差していたサキがそれに夢中になるのは、至極当然のことだった。

 それからサキは学校に居る間授業もそっちのけで図書室に通い詰め、童話や神話、伝記に小説といった『自分とは違う世界のお話』を読み漁った。

 その膨大な量の物語の中には、時たまある生き物が登場していたのだ。

 ある時は孤高の反逆者として、ある時は勇者の前に立ち塞がる外道として、またある時は生前の未練を捨てられぬ悲しき亡者として。有史以来、人の伝承に度々その姿を覗かせる、幻想の怪物。

 

 

 その名は、吸血鬼(ヴァンパイア)

 

 

 サキ達の目の前でミツルに襲い掛かった時、正気を失ったハルトは執拗にミツルの首筋を狙った。

 殺そうとしたのならば掴んでへし折れば良いだけのこと、しかしハルトが取った行動は、犬歯を剥き出しにしての噛み付き。明らかにそれは、皮膚の薄い場所へ牙を突き立てる為の行為だった。

(昔読んだ本、それに、この本の中で出てくる吸血鬼そのものだった)

 胸中で思案しながら、サキは図書館の本棚から見つけ出した本のページをぱらぱらと捲る。

 数々のファンタジーに曰く。夜明けと共に死に、夕暮れと共に蘇る彼らは、生者の血を啜ることで知識と経験、人格でさえも学習する。そうして得た知識は朽ちない美貌を実現し、眷属の身体を憑代とすることで永遠の時を生きる。

(時縞先輩はあの銀髪男に噛み付いた時、目の前に居た人間に噛み付きたくなった、って言ってたわよね。ならきっと、噛み付いて何かをしようとしたのは本能的なもの。食欲か性欲か、どちらかのものだわ)

 昨日からの二十四時間で見聞きしたものを冷静に分析しながら、サキは目を輝かせる。

 

 これが。

 これこそが、自分が求めていた“非日常(ファンタジー)”だ!

 

 図書館の閲覧机に積み重ねた本に目を通しながら、流木野サキは思案する。

(どうにかして、時縞先輩に―――ハルト先輩に、力を振るわせる方法がある筈)

 サキがハルトの身体のことを熱心に調べていたのは、決して彼の身を案じたからではない。

 現実では有り得ないオカルト染みた彼の力。それを制御する術を見つければ、自分は彼にとって無くては成らない人物になるであろう。そうすればさしずめ自分の役割は、優しくも強大なヴァンパイアを使役する巫女か魔術師か。どちらにせよ、“物語のヒロイン”としてはこれ以上ないポジションだ。

……そう思っていたのだ、つい一時間ほど前までは。

 だというのに、ハルトはARUSから提案された撤退の案をあっさり了承してしまい、ミツルもそれに異を唱える様子も無い。このままでは彼女の思惑なぞ知らぬ顔で、ヴァルヴレイヴはARUSに接収され、自分たちはそれに関わる機会を永遠に失ってしまうだろう。それは、サキにとって非常に面白くないことである。

 そんな身勝手な理由ではあったが、サキは何とかヴァルヴレイヴを明け渡さず、ハルトとミツルの手元に留める方法を考えていた。

「流木野さん、ここに居たんだ」

 そんな時。聞き慣れた声で名を呼ばれ、読んでいた本から顔を上げるサキ。視線を図書館の入口に向ければ、そちらから校内で唯一の友人である櫻井アイナが自分のもとに駆けてくるところだった。

 全校避難の放送が流されてから既に一時間。大半の生徒達は寮の自室へ引き上げて避難船に持ち込む荷物の支度をしているところなのだが、医務室から戻るなり図書館へと向かったサキは、それから未だ女子寮に戻っていなかった。

 心配になったアイナが様子を見に来てみれば、当のサキ本人は椅子に腰かけ寛ぎながら、傍目から見れば優雅に読書と洒落込んでいた訳である。

「櫻井さん、荷物はもうまとめたの?」

「あ、うん。私の部屋、元々大事な物は少なかったから……じゃなくて!」

 リュックサックの肩紐を握って荷物の小ささをアピールするアイナだったが、思い出したように大声を出す。高等学校の物としては大きな図書館は、二人以外に人が居ないことも相まってか、アイナの声を予想外に大きく反響させた。

 わっ、と木霊のように響いた自分の声に驚いたのか、恥ずかしそうに頬を染めるアイナ。小動物を思わせる仕草に思わず笑ってしまったサキは、机に積み上げていた本の山から一冊を手に取ってアイナに見せる。

「これを探してたのよ」

「えっと……『吸血鬼伝説』?」

 アイナが読み上げたタイトルの通り、それは現ARUS領であるヨーロッパの地域で旧世紀に出版された小説である。古典文学を通り越してもはや立派な古文書であるそれは、広い知識の宝庫と呼べる咲森学園の図書館に偶然にも保管されていた。といっても勿論原書では無く、写本のジオール語訳版を電子データで保管していた物を、貸出カウンターの機械でプリントアウトしたコピー用紙の束。レプリカのレプリカの、そのまたレプリカだ。

「ここの……このページ。これを見て」

 故に、それを扱うサキの手付きも多少乱暴というか、雑なものとなる。

 紙のたわみも気にせずばらばらと捲ったページを手で押さえると、サキはある一文を指し示した。

 そこに綴られていたのは、死者より生まれ、生者の血肉を喰らいながら知識と眷属を増やす、キリスト教の悪魔の在り方。実在した一国の君主、その苛烈な人生を悪意で歪めた情報を基に執筆されたというそれらを読むうちに、アイナは驚きに目を見開いた。

「これって!?」

「まさしく今の時縞先輩と草蔵のことだと思わない?」

 驚愕するアイナとは対照的に、サキの顔は明るい。気にかけていた事柄、その手掛かりが見つかったことが素直に喜ばしいのだろう。

「流木野さんは、ハルトさんと草蔵君が本物の吸血鬼になっちゃった……って言うの?」

「可能性としては、近いでしょうね。意図的に似せた存在だとかそんなところじゃないかしら」

 それは違う、と面と向かって否定したくても、アイナはそれを言葉にすることが出来ない。個人の感情はどうあれ、ハルトとミツルが人智を超えた力を手にしたのは事実なのだから。それでも、親しい二人を人外の者だと区別するような言葉に納得できないのが視線に表れたのか、アイナと目を合わせたサキは多少びくりと肩を震わせる。

「……あくまで事実の話よ、事実の。だからどうにかしようって話じゃないわ」

 誤解するな、と口先では言いながら、咄嗟に険しい視線に気付けた自分の観察眼に感謝する。非日常に惹かれるサキの心は本物だが、だからと言って数少ない友人に嫌われたいわけでは無いのだ。

 アイナの視線が緩んだと感じたサキは、けど、と前置きをしてさらに言葉を紡ぐ。

「草蔵にも言ったけど、事実は事実。有り得ないことを楽しむつもりで向き合わないとやってられないんじゃないかしら。私達も、あの二人も」

「それは、そうかもしれないけど……」

 サキの言葉に反論することが出来ず、言い淀んでしまうアイナ。その様子に、サキが何事かと様子を窺っていると、やがてアイナはぽつりと口を開いた。

「だからって、二人に全部任せちゃったら、いけない気がするの」

 その言葉にサキは、成程、と納得する。

 櫻井アイナという少女が大人しそうに見えて強い芯を持つ少女であることを、サキは良く知っている。そして打算や同情抜きに、困っている人物には手を差し伸べずにいられない人物であることも。彼女の為人はサキから見ても好ましい物であるし、何よりサキ自身、そんなアイナの優しさに心を救われた一人なのだ。

「そりゃまあ、私だって知っちゃった以上は私なりに二人のフォローはするつもりよ。バレないようにとか、先輩や草蔵が発作を起こさないように、とか」

 二人の為にというよりは、難しい顔をしたアイナに少しでも笑って欲しいからか。気が付けばサキは、先程まで自分が考えていたのと正反対の言葉を口にしていた。

 それを聞いて安心したのか、アイナはふわりと微笑んだ。

「えへへ……ありがとう、流木野さん。なんか、流木野さんってこんな時も落ち着いてて、すごいね」

「そうかしら?」

「うん。ハルトさんが草蔵君に噛み付いちゃった時も、冷静に色々調べてたし……それに、吸血鬼とかそういうのに詳しいんだね」

「嗜み程度には色々と読んでたもの。あ、他にもこんなのもあるけど、読んでみる?」

「ええっと……『ハクオーキ』? へえ、これ新撰組がモチーフなんだね」

 そのまま二人は、サキがチョイスした吸血鬼ものの書籍をライブラリから閲覧し始める。サキの好みと言うかなんというか、書架から見つけられたものは悉くライトな文体の物ばかりで、美麗なイラストで表紙を彩られたそれらはアイナにも気軽にページを開くことが出来た。

 すっかり盛り上がってしまい、荷物を纏めるのを忘れていたことにサキが気付くまで、あと一時間。

 

 

 

 

「うんうん、子どもは素直が一番だよ」

 窓から見える避難誘導の景色を見て、フィガロ・エインズレイは顎の無精髭を撫でながら、満足そうに頷いた。

 全校避難の放送から一時間半ほど。生徒会長である連坊小路サトミと数少ない成人である七海リオン、そしてヴァルヴレイヴのパイロットである時縞ハルトの三人の呼びかけは生徒達に効いたようで、表面上、避難に対する大きな不満は上がっていない。

「いやはや全く、先生の人心掌握術は老いて尚健在、という訳だ」

 この呼びかけの内容とそこまでの段取りは全てフィガロが考案したものだが、それを彼に叩き込んだのは政治家としての恩師である現ARUS大統領、ジェフリー・アンダーソンその人だ。かつて一介の州知事であったジェフリーの下で政策秘書として働いていた頃、フィガロはジェフリーからありとあらゆる“人気稼ぎ”の術と、そこから得られる権力の大きさを学んだ。

 そして今回ジェフリー大統領は、月面にある国連の中立都市へと視察に赴いていたフィガロに「ジオールの秘密兵器である人型ロボット」の奪取を要請し、フィガロはこれを快諾した。

 現政権の大統領に貸しを作れるのはもちろんのこと、嘗ての恩師に成長した自分を見せるいい機会だと思ったのだ。その手段にしたって、不安に揺れる未成年達を上手く丸め込み、ザルな警備状態で放置されている兵器を掻っ攫うだけでそれが功績と認められるのだ。喰い付かない筈が無かった。

「ま、彼が思ったよりも単純に動いてくれたのがこっちにとってもプラスに働いたかな」

 ぼやきながらフィガロはパソコンの画面に視線を向ける。ジオール強襲のニュースが流れてから十数回は見ただろうか、ドルシアの戦闘ポッドを相手にモジュール77の夜空を軽やかに舞う、赤いロボットの姿があった。

 大きな力を手に入れた人間というのは、総じて調子に乗り、周囲の声援がそれを助長することで下手な使命感や正義感というものを持ちやすい。思春期のカッコつけたがりな男子学生とくれば尚更だ。今回フィガロがARUSへの避難を提案するに当たって最も難しいと想定していたのは、ハルトとミツル、二人のパイロットの説得だ。

 もし仮に二人が避難を拒み、たった二機のロボットを頼りにドルシアへ徹底抗戦する意思を示していた場合。隣の部屋に潜ませていた陸戦隊が即座に二人を拘束、場合によっては殺害することも視野に入れていた。その点で、ハルトとミツルを呼び付けた際にミツルが保健室で眠っていて、フィガロのもとに来たのがハルト一人だったと言うのは誤算だったのだが。

(実際には、そこまで気にする程の子でもなかったか)

 ハルトと対面したフィガロは会話の中で幾つかのキーワードを出して、その反応を窺った。

 そして彼の性格を、フィガロはこう見定めた―――ノリと勢いでうっかり戦場に飛び出して奇跡的に生還を果たしたラッキーボーイ。しかも、戦う事への恐怖が拭えていない。

 ならば多少優しくして、戦争に否定的な態度を見せることで親しみを持たせた後、自分の意見を聞かせてやれば良い。もう戦いに駆り出されないと解れば、自分の言うことに疑問など持たないだろう―――実際その方法でハルトはあっさりとフィガロのことを信用し、“生徒全員で生き残る”ためにフィガロの指示どおり現在各所を走り回っている。

 政治に明るい生徒会長(サトミ)と、自分以外の頼れる大人の存在を求めていた教育実習生(リオン)もフィガロに逆らうようなことは無い。

(もう一人の方へも自分から説明してくれるんなら、僕がわざわざ出向いて説得する必要も無い)

 引率として着いて来たリオンから聞いた限りでは、時縞ハルトと草蔵ミツルの二人は同じクラブに所属する先輩後輩で、個人的にも親しいとの事。ハルトはフィガロの言葉を疑うことも無いし、ミツルもまたハルトに従うだろう。

(最悪、赤いロボットだけでも持ち帰ることが出来れば、と思ったのだが)

 現在世界中に注目されている“ジオールの秘密兵器”は、ハルトの駆る赤いヴァルヴレイヴだ。モジュール77の人工の夜空をバックに舞う姿は全世界に発信され、既にWIRED上では“レッド・サムライ”なる呼称まで付けられている。対してミツルの駆る白いヴァルヴレイヴはといえば、学校の監視カメラに映った映像では然程活躍しておらず、戦闘車両を何台か潰した後はさっさと宇宙に飛び出してしまった。更にハルトの方はツィッターに上がった生徒手帳の画像のせいで実名と顔写真まで周知されており、赤いロボットのパイロット・時縞ハルトの知名度は、ミツルと比べ物にならないくらい高いのである。

(この映像を流したユーザー……RAINBOW、だったか。恐らくは現在もモジュール内のどこかに潜伏して情報発信を行っているな。ジオールの情報部局の人間か、それともネットアイドル気取りの目立ちたがりか。なんにせよ、学校のセキュリティに干渉できるのなら早いうちに身柄を確保した方が良いかもしれないな)

 RAINBOWのハッキング能力は放置しておくには惜しい。すぐさまこの人物の身元を特定し確保するべく、フィガロはヴァルヴレイヴ用の武装を回収する作業に当たっていた女性兵士に連絡を取り始める。通信回線の逆探知装置は、確か彼女の指揮する工作班が持っていた筈だ。

 

 

「ひっ、くしゅん」

『だ、大丈夫かアキラ!? 風邪か、熱は無いか? すぐにそっちに行くからな! 部屋に毛布はあるか、飲み物は充分か、ああそうだ風邪薬と熱冷ましの常備は―――』

「……お兄ちゃんうっさい。電話切るよ。あと絶対来んな」

『え、ちょっ、待っ』

 校長室から数メートル直上、本校舎四階の空き教室でそんな兄妹の会話が成されたことを、フィガロは知らない。

 

 

 

 

 一年三組の生徒達が必要最低限の荷物を持って教室に再度集まった時、ミツルはハルトと共に教室の見回りを始めたところだった。

「おーい、ミツルくーん!」

 教室前の廊下を歩いていると、見慣れた少女が声を掛けてきた。茶髪のポニーテールと、きちっと切り揃えた前髪が特徴の快活な女子生徒、自動車部の腕利きエンジニアと名高い燦原(さんばら)ナツキだ。

「燦原、もう全員揃ったのか?」

「うーん、と……櫻井ちゃんと流木野さんが来てないや」

「そっか……流木野の奴め、またぞろ何処かで櫻井や先輩達のこと振り回してるな」

 この十数時間でサキに対する遠慮というものを空の向こうへブン投げたミツルは、あんにゃろー、と悪態をつきながら、鈍く痛む額に手を当てる。その様子を見て、ナツキは意外なものを見た、と目を瞬かせる。

「まあ良いや、全員揃ったら順番にモノレールに……なんだよ、その目」

「いや、ミツル君って流木野さんと仲良かったっけか?」

「良かぁねーよ別に」

「それにしては何かこう、遠慮が無いって言うか……ほら、流木野さんってあんな感じじゃない。うちのクラスだって櫻井ちゃん以外と話してるの見たこと無いし」

 ナツキはそう言って、数ヶ月前のことを想起する。

 

『全員、うるさい』

 

 入学式が終わって、ホームルームの為に担任が来るまでの待ち時間。元芸能人という物珍しさから入学したてのクラスメイト達に取り囲まれたサキは、サインが欲しいという好意的な声から週刊誌に載ってた記事ってホントなのかという不躾な質問までを、十把一絡げに纏めて切り捨てたのだ。

 あまりといえばあまりにもつっけんどんな態度とその後に起きた一悶着によって好奇心半分に言い寄られることは無くなったが、同時にサキはクラスのほぼ全員から距離を置かれることになった―――後にサキの過去と全く関係ないところ(食べ物の好き嫌い)で彼女に興味を持った、櫻井アイナを除いて。

 ナツキもその言い草に腹を立ててサキと距離を取った口だし、ミツルもまたその場に居合わせた一人だ。

「ひょっとしてアレ? 一緒にロボットに乗って、吊り橋効果で愛が芽生えるとかそんな感じ?」

「ねーよ。そもそもあいつが乗ってたのは俺じゃなくてハル先輩の方のロボットだよ」

 年相応の興味、というべきか。急に距離が縮まったように見える級友の関係にナツキはよくある想像を巡らせるが、何度も言う通りミツルはサキへの遠慮を頭の中から取っ払っただけである。故に、彼女について語る口も、自然と上品とは言えないものになる。

「あの愉快犯め、面白半分にロボット乗るわこんな時こそ楽しめとか偉っそーな言い方するわ、実際のところ碌でもないぞ?」

「え……あの流木野さんが?」

「ああ、櫻井が前にあいつのこと普通だとか言ってたけど、とんでも無い。ありゃ立派な悪党だよ。でなきゃトンデモ女」

 いきなり“乗っ取り”を強行させられた鬱憤も溜まっていたのだろうか、水を得た魚の如くサキの悪口を並べ立てようとするミツルだったが、不意に頭に軽い衝撃を感じて、その口が止まる。

「こーらっ、草蔵くん。女の子の陰口は感心しないわよ?」

「おわぁっ!? な、七海先生!?」

 水泳の補習でも出席簿として使っていたタブレットをミツルの頭に落としたのは、何時の間にかミツルの後ろに立っていたリオンだった。

「流木野さんのこと随分悪く言ってたけど、何でそんなに嫌ってるの?」

「いや嫌うもなにも、あいつホントにタチ悪いんですよ!?」

「何か考えがあるのかもしれないじゃない。ひとまず、あんまり人のこと悪く言うの、止めよう?」

「うっ、ぐ、ぅうう……!」

 訴えるような口調で言うミツルだったが、マイペースなリオンに逆に諭されてしまい、悔しそうに唸る。すると、話しかけるタイミングを窺っていたナツキが、多少申し訳無さそうにミツルに話しかけた。

「と、ところでさミツル君。見回りの途中だったみたいだけど、もう大丈夫なの?」

「ああ、草蔵くんはまだ見回りの途中だったのね。それじゃ教室の方は私が見ておくから、本校舎の三階から上の方、引き続き見て来てもらって良いかな」

「……へーい」

 毒気を抜かれてむくれながら、ミツルは元来た道を引き返そうとする。するとその背に、そうだ、と何かを思い出したかのようにリオンが駆け寄る。

「草蔵くん、草蔵くん」

「今度は何スか……っ!?」

 声を掛けられ、億劫そうに振り返ったミツルの頭にリオンの手が乗せられ、偶にマリモと評される癖毛の茶髪を優しく撫でる。

「さっきは叩いてごめんね。痛かった?」

「あ、い、いや、全然」

「そっか、やっぱり男の子だから強いんだねー。頼りにしてるわよ、私達のヒーロー!」

「っ、は、はい! もう全部俺に任せちゃってください!」

 満面の笑みを浮かべたミツルはリオンの言葉に力強く答えると、その健脚で以て階段を駆け上り、ナツキとリオンの視界から姿を消した。

 いやー危ない危ない、子どもを叱ったらちゃんとフォローしないと拗ねちゃうもんね、と大学で教わった“上手な子どもの叱り方”を実践して得意げに頷くリオンに、ナツキは何とも言えない表情を向ける。

「あのさ、七海ちゃんってもしかして、実家で犬とか飼ってた?」

「え? 別に飼ってないけど、どうして?」

「いや、うん。何でもない……」

 たった今走って行った級友とのやり取りが、どう見ても子犬と飼い主のそれだった、と。燦原ナツキはどうしても言葉にすることが出来なかった。

 

 

 

 

「はいこちら工作班六班……これはこれは、エインズレイ議員」

 クレーン車の陰に隠れるようにして、女性兵士は通信相手の名前を呼ぶ。先ほどミツルと短い会話をした後、引き続き武装の回収作業に当たっていた彼女は、全くタイプの違う二つの銃を残骸の中からサルベージしたことで非常に機嫌が良かった。安全保障条約によって手を結んだ同盟国、という建前の下、ARUSはこれらの武装を回収し、自国の戦力に組み込めるよう量産体制を整えよ、と上から命令されていたのだ。こそこそするのは性に合わないが、技術者としては冥利に尽きる話である。

 しかし、上機嫌だった彼女のテンションは、続くフィガロとの会話で急速に下降する。

「は、確かに自分の班で保管しておりますが……はっ? い、いえ可能ではありますけど、こちらもまだ作業中でして……え、優先って……解りました、現在の作業が終わったらすぐに取り掛かります。はっ、失礼します」

 通信機の電源を切った女性兵士は、はぁああああ、と大きな溜息を吐くと、ジオール(技術の変態国家)製の兵器を前に目を輝かせる部下達に怒号を飛ばす。

「野郎共ぉおおっ!! 上からのありがた~いお達しだ、今やってる作業マッハで終わらせなっ!」

 軍属の工作兵であると同時に心の底から“技術者”である彼女の部下たちにとって、その言葉の意味するところは宝の山を前にしての撤退。当然あちこちからぶーぶーと不満の声が上がるが、上官、ないしそれに当たる権力者からのオーダーに、軍人たる彼らが逆らう事など出来ない。

「マジかよ、まだ拾ってないパーツがわんさかあるのに」

「だから議員ってのは嫌いなんだよ、現場を知らない癖して口出ししてきやがって……」

「つべこべ言ってんなっ! 今回収してるのが上がったら、うちで持ってきてる逆探装置全機立ち上げるよ!」

「逆探? 班長、あのボンボン議員、何言ってきたんですか?」

「ネズミ取りだってさ。ったく、そーいうのはうちじゃなくて諜報部にでもやらせとけっての」

 口々に文句を言いながら、地下区画に潜っていた工作兵達もはしごを使って地上に戻る。

 侵入者の居なくなった地下区画には、未だヴァルヴレイヴ用の巨大な兵器が幾つか並んでおり、工作兵たちは名残惜しげにそれらに目を向けつつも、その場を後にする。

 

 

 そして、そんな巨大な兵器たちの陰に埋もれて、小さな箱が鎮座していたことに、結局工作兵達は気付かなかった。

 小さな、と言っても、人間よりは大きなものであるが、全長十数メートルの銃やらなにやらが並ぶ中では、やはり縦横三メートルほどのその箱は小さい。

 その箱には、ジオールの文字でこんな一文が示されていた。

 

 

『DRI-Ve遠隔操縦システム:レシーバーユニット』、と。




サキ「趣味は読書です(ラノベどっさり)」
ミツル「いやその本のチョイスってどっちかって言うと文学少女じゃなくてオタ―――」
サキ「せいやあっ!(無助走ドロップキック)」
ミツル「げふぁっ!?」


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第十四話 問題児の集い

 スマートフォンにプリセットされているアラーム音が鳴って、通信網の麻痺から配信が滞っていたメール―――モジュール77内部ならともかく、別のモジュールや地球からの通信は未だに復旧していなかったのだ―――に気付いたのは、ミツルが三階の教室の見回りを一通り終えた後だった。

「メール……あ」

 差出人の名前を見て、ミツルは階段を上ろうとしていた足を止める。

 メールの差出人は、草蔵ミホ。ミツルの実の母で、彼にとってはただ一人の肉親だった。

 

『ニュース見ました。母さんは大丈夫です。蕪辞だったら連絡してください。』

 

 その文面を見て、ミツルは思わずくすっと笑ってしまう。予測変換で現れた誤字を直す暇も無く、急いで送信したのだろう。

「普段どういう文章書いてるんだよ、母さん……」

 文字通りの蕪辞となったメールを見て、ミツルは今まで考えないようにしていた母の安否に考えを巡らせる。

 ミツルは、父親の顔を覚えていない。微かに記憶に残っている事柄といえば、物心つくか否かという時に両親が離婚し、母の故郷であるジオール東北部、旧日本領へ引っ越したことぐらいだ。

 物心ついた時には母の両親は鬼籍に入っており、長閑な田舎町で母と二人暮らし。片親という事で心無いことも言われたが、母はそれを気にするようなことは無かった。ただ一心に、一人息子であるミツルに愛情を注ぐ母の姿は、幼心にどこか危うげなものを感じさせた。

 己の全てを懸けてミツルを守るように生きる母に、息子として出来ることを何か一つでも探そうとしたミツルは、一刻も早く母に楽な暮らしをさせられないかと考え、やがて気付いた。

 

 

 おれが早起きして朝ご飯を作れば、母さんは仕事に行く前にゆっくりできる。

 おれが良い子で居れば、『片親の子は躾がなってない』なんて言った近所のババアが母さんに何も言えなくなる。

 おれがいっぱい勉強して学校に通うお金を浮かせられれば、母さんはもっと綺麗な服を買える。

―――早く、おれ一人で何でもできるようにならなくちゃ。

 

 

 その決意が、草蔵ミツルという少年のその後を決定づけた。

 幸い、身体を動かすのは得意だったし、成績だって悪い方では無かった。同年代の子ども達に比べて運動神経では頭一つ抜きん出ていたミツルは、中学への進学後、陸上部に入部。陸上記録会などで好成績を残し、地域のスポーツ協会で強化選手の枠を勝ち取った。このおかげで中学生の間、消耗品である陸上競技靴の購入費用に困ることは殆ど無かったのだ。

 そして、中学二年生の冬。受験を考え始めたミツルのもとへ、担任が持って来た話。

 新設の国営学校、咲森学園高校への奨学生推薦。

 スポーツ推薦枠と試験成績の奨学金制度を組み合わせれば、三年間の学費はほぼ無料。どころか、大学進学に於いても国の教育庁からお墨付きが貰えるかもしれないというその都合の良すぎる内容に、ミツルは一も二も無く飛び付いた。

 そして、三年生の引退試合となる全中総体で地区大会の記録を立て続けに塗り替えたミツルは、その成績と、十二月のペーパーテストを以て、学費七割カットでの推薦入学を見事成し遂げたのであった。

(あのときは母さん、盛大にお祝いしてくれたっけなぁ)

 思い出すのは七か月ほど前のこと。冬休みも開けた頃、結果を聞いて居ても立っても居られずに母の職場に電話をかけてしまったミツルが帰宅すると、生まれて初めて目にする特上のステーキが食卓に並んでいた。

 ミツルの母は涙を流して息子の快挙を喜び、母の職場である町工場に勤める人々も、それぞれ祝いの品を持ち寄ってくれた。

 努力は必ず報われるものなのだと達成感を噛み締めたミツルが、高校に進学してからもそれを怠ってはいけない、と再確認した日だった。

 

 

 話を戻すと、そんな環境で育ったミツルにとって、母親という存在は、それまでの行動原理のほぼ全てであった。

 故に、母に連絡が取れず、こちらの無事を知らせることが出来ないと思い至った時、リオンに頼られたことでそれまで好調だったミツルの気分は、急激にしぼんでしまったのだ。

……それだけなら、まだ良い。

(俺がこんな身体になっちゃったって知ったら……母さん、どんな顔するだろ)

 ヴァルヴレイヴに乗った時、打ち込まれた薬品。それによって、ミツルの身体は人間とは全く別のものに作り替えられてしまった。

 おかげで生き延びることが出来たと思う反面、親から貰った大切な身体を傷つけてしまった、という申し訳ない気持ちがあった。

 もしも、このことが母に露見したとして。

 誠心誠意話せば、自分は自分だと言ってくれるだろうか。それとも、お前のような怪物は息子じゃない、と言われるだろうか。

 優しい母が、自分を否定する。それは、想像するだけでミツルの全身を震えさせた。

(ハル先輩は、やっぱりそれが怖いんだ)

 あの時ショーコに想いを告げなかったハルトの気持ちが、今ならよく解る。

 大切な人に、変わってしまった自分を受け入れてもらえるか。そんな賭け、恐ろしくて到底する気にはなれない。

(とにかく、暫くは誰にも言わないで黙っておいた方が良い)

 実感が沸かないとはいえ、自身の身体が得体の知れないものになったのは紛れもない事実だ。まだ少し癪ではあるが、サキがいった通り、この状況を受け入れてどうするかを考えなければいけないのだろう。

「いろいろ考えたいことは有るけど、ちゃんと避難し終わってからだな……おーい! 誰か居るのかー!? 居ないよなー!?」

 手をメガホンの形にしながら、ミツルは人気のない廊下に向かって大声を上げる。確認をして、そろそろ自分も一階に下りてハルトとARUS軍の指示を待つか、と思っていると。

「あ、居た居たっ! 待てミツル、ちょっと!」

 名前を呼ばれたミツルは、声の聞こえた方向に振り返る。つい数時間前に簡易浴場でも話したアリヒトが、階段を駆け上ってきたところだった。

「アリヒト? お前、まだ逃げてなかったのか」

「ああ、ちょっとお前に話があってな」

「話?」

 はて、改まって彼と話さなければならない事とはなんだろうか、と首を傾げていると、アリヒトに遅れて見慣れない人影が階段から現れた。

 校章の色からして、二年生だろうか。未だ学校に在籍する生徒全員の名前を把握してなどいなかったミツルは、その人物の名前を咄嗟に思い浮かべることが出来なかった。

「草蔵ミツル、だな」

「えっと、そうッスけど……先輩、ですよね?」

 ミツルに誰何の声を向けられて、その人物―――オレンジ色のリーゼントが特徴的な大男は、鋭い目をミツルに向ける。

「俺ぁサンダーって(モン)だ。この学校シメてる番格よ」

 そう言って名乗ったのは、学園一の荒くれ者、サンダー。本名、山田ライゾウだった。

 

 

 

 

「ようこそ、グレーデン大尉。『ランメルスベルグ』は君達を歓迎しよう」

「は、恐縮であります」

 グスタフから辞令を手渡されて二時間後。元より少なかった私物を手早くまとめたリヒャルトは『デュッセルドルフ』から移動する兵士たちと共に連絡艇で『ランメルスベルグ』に乗り込み、艦長である隻眼の男―――カイン・ドレッセル大佐と面会していた。もっとも二人っきりという訳では無く、彼の秘書官である女性の佐官も一緒だが。

「対霊長第零小隊のことについては、先程ザッハ少将から連絡を頂いたよ。特務隊に加えて、軌道突撃大隊の精鋭たちがヴァルヴレイヴとの戦闘に参加してくれるのなら、これほど心強いことはそうそう無い。戦果に期待するよ」

「ドレッセル大佐ご自慢のパーフェクツォン・アミーと比べれば些か見劣りはしますが……ご期待に沿えるよう、全力を尽くします」

 毅然と言い切ったリヒャルトを、カイン大佐は興味深げに見遣る。値踏みするような視線ではあったが、その程度はリヒャルトにとって気にする程でもない。寧ろ、尊敬する上官を追い落とした総統派の先駆けである彼に相対し、その鋭い視線に呑まれてなるものかと気合を入れてさえいた。

「私は特務隊と艦全体の指揮を執らなければならない。よって第零小隊の戦闘オペレーターは、彼女が担当する。以降この艦に所属する間、大尉とその部隊への指示は全てクリムヒルトを通す。普段は私の秘書官などさせているが、指揮に於いても優秀だ、存分に期待してくれ」

 カインの紹介を受けた女性佐官―――クリムヒルトがリヒャルトの前に歩み出ると、リヒャルトに右手を差し出し、軽く微笑んだ。

「クリムヒルト・ツェルター少佐だ。宜しく頼む、グレーデン大尉」

「宜しくお願いします」

 差し出された手に握手で応じたリヒャルトは、その感触に驚いた。クリムヒルトの手から伝わる握力は喧嘩慣れしたリヒャルトから見ても強い方だ。親指の付け根の辺りに筋肉が付いたその手は銃やナイフを握り慣れた手で、自分よりも一回り程若いこの佐官が、決して座学の成績や“女の武器”だけで今の地位を手にしたわけでは無いことが解る。

(計算と教本の暗記だけが得意な頭でっかち、では無いな。立場や主張はともかく、背中を預ける分には心強い)

 戦闘に直接参加しないオペレーターとはいえ、実際の“殺し合い”を知っているのといないのでは部隊運用の柔軟性に雲泥の差が出る。ザッハに拾われてすぐの頃、士官学校を出たてで自信満々の新任CP(コマンドポスト)士官と組んだことがあるが、その結果は悪夢のような物だった。知識と経験を履き違えたオペレーターの指示で死ぬのは、本人ではなく前線の兵なのだ。その点リヒャルトから見て、クリムヒルトは信頼できそうな人物だった。

「さて、君の艦内での個人用スペース(コンパートメント)だが、三階の部屋を使ってくれ。必要ならクリムヒルトに案内をさせよう」

「いえ、艦内を散策がてら見て回ろうと思っておりましたので自力で向かいます。『デュッセルドルフ』と内装は似ているでしょうから、直に慣れます」

「む、そうか。それではいつまでもここに引き留めておく訳には行かないな……ご苦労だった、以降の指示は追って知らせよう。下がって良いぞ」

「では、失礼します。ブリッツゥンデーゲン」

 ドルシア軍の敬礼の口上を述べて、リヒャルトはその場を後にする。艦長室に残ったカインは、傍らに立っていたクリムヒルトに視線を向けた。

「どう思う?」

「戦闘に於いては、優秀なベテランと聞き及んでいます。特務隊との連携も問題なくこなすでしょう。ただ……」

「それ以外の部分に、不安要素があると」

 問いを向けられたクリムヒルトは、手に持っていたタブレット端末の画面に目を走らせる。総統派にも王党派にも属さない中立派から転属となったリヒャルトの為人について一通り調査せよとカインが指示を出していたのだ。

「リヒャルト・グレーデン。二十九歳。戸籍上はドルシアナ出身ですがストリートの出身で正確な血縁は不明、ファミリーネームも孤児院の名前です」

「グレーデン孤児院か。十二年前に事件になっていたな……確か当時の院長が、保護した子どもに犯罪を強要していたのだったか」

「ええ、ザッハ少将を襲撃したギャングに当時身を置いていたグレーデン大尉が拘束されて、孤児院の実情を軍にリークしたのが切欠だったと記憶しています」

 混乱期には珍しくもない話だったとはいえ、本来子どもを教え導く大人が、それも孤児院の院長が孤児たちに強盗や恐喝をさせて現金や高価な宝石をかき集めていたという事件。その醜悪さに、クリムヒルトは眉を顰める。祖国を守る軍人、という職業に誇りを持っている彼女からすれば、嘗ての王都で起こっていたその事件は、とても許しがたい物だった。

 同時にクリムヒルトは内心で、カインがこの事件のことを知っていたのを意外に思っていた。十二年前と言えば、この男は当時、現総統と共に革命運動の真っ只中に居た筈だ。王家が倒れた後ではあったが、各地で内戦の戦後処理に当たっていたカインが、別の管轄で起きた事件を気にする余裕があったのだろうか―――疑問に感じはしたが、その程度のこと。おおよそ新聞か何かで目にしたのが頭に残っていたのだろうと推測し、そこで考えを打ち切ってしまう。

「この後警官隊の捜査が入って孤児院は閉鎖、リヒャルト・グレーデンを始め、六人の孤児がザッハ少将に保護されています」

「では君は、嘗て一度軍に叛意を抱いたリヒャルト大尉が信用ならないと思うか」

「いえ、そこではありません。問題はその後です」

 クリムヒルトは溜息を吐くと、タブレットの画面をスクロールする。ついでに、先程までとは違う意味で眉を顰めた。

「……本人の志願での入隊後、訓練課程で様々な問題を起こしています。格闘訓練で同期の訓練生に重傷を負わせ、また教官との組手でも自身の怪我を無視して攻撃を仕掛け、倒れた教官を折れた腕で執拗に殴り続けるなど、“行き過ぎた戦闘への欲求と適性”があるようです。機動兵器の訓練課程でも、バッフェのシミュレーターの無断長時間使用などが。任官してからもそんな調子で、撤退命令の無視も幾度か見受けられます。上級尉官に昇格するまでに七度の重営倉入りを経験しており、付いた仇名が“流血主義者”……所謂、戦闘嗜好家(バトルジャンキー)ですね」

 そこに示されていたのは、今しがた顔を合わせたのと同一人物とは到底信じられないレベルの、問題児の個人情報だった。

 写真の中にあるリヒャルトの顔は今よりも若く、カメラを睨むような目は闘争への欲求でぎらりと光っている。

「中々やんちゃな子どもだったようだな、彼は」

「保護されて暫くの間、カウンセリングに当たったという療法士の見解が残っていました。体制や自身の現状への不満が他者への暴力という形で現れている、と。昇格してからは自制が効いているようですが、戦闘中には口が悪くなる、といった特徴があるようです。いつ何時、撤退命令や停戦信号を無視するか解りません」

 うんざりとしたようなクリムヒルトの説明を聞いて、くく、と笑うカイン。

「昇格してからはそういった事は一度も無いのだろう。なら、まずは使ってみよう。確かに警戒は必要だが、敢えて危険分子を使いこなして見せるのも戦術の一つだとは思わないか?……いや、部下から脱走兵を出した後に私が言っては、笑い話にもならんか」

「……そのことですが、大佐。お訪ねしても?」

 クリムヒルトはそう言って、笑えないジョークを飛ばす上官へ訝しげな視線を向ける。

「エルエルフのこと、大本営には報告しなくて良いのですか」

「今のところはな。ひょっとすると、あれに何かしらの意図があるかもしれん」

「味方を撃って、敵方に与したことにですか?」

 責めるような目で問いかけるクリムヒルト。実際のところエルエルフの離反はカインにとって、下手を打てば政治的な大ダメージになりかねない事件だ。

 現ドルシア連邦総統の肝入りとして有名な、カルルスタイン機関。そこで養成されたトップクラスのエリート兵士が、味方を負傷させて脱走、その上拘束した敵パイロットを奪還したなど、前代未聞のスキャンダルだ。現在はカインが各方面に圧力をかけて情報の統制を行っているが、もしもそれがカインと対立する将官達に知られれば、カルルスタイン機関そのものがその意義を問われることになる。ましてカインは、エルエルフが機関に居た頃の教官である。教え子可愛さに情報を閉ざしていたと判断されれば―――尤も、この男がそんな優しい人間でないのは秘書官であるクリムヒルトがよく知っているが―――総統の盟友として名を知られるカインと言えど、反逆罪の嫌疑は免れないだろう。

 だがカインは依然として、制圧作戦に参加した部隊に情報の統制を行っている。本来であればどこかでボロが出そうなものであるが、階級の上では上官に当たるザッハの部隊も、現在は政治部の干渉によってカインの影響下にあった。

「なにもエルエルフが裏切った訳じゃない、などと言う気は無いさ。ただ、奴の離反は完全にこちらにマイナスに働くわけでも無い」

「奴の動きを読み、利用することが大佐には可能だと?」

「エルエルフは私の教え子の中でも、最も優秀な生徒だった。逆に言えばそれは、最も私の教えたことに即して行動していると言っても良いだろう。故に、おおよその見当はついてしまうものさ」

「……解りました。ではエルエルフのことは、大佐のご指示通りに」

 結局、掴みどころのない上官に質問の答えをはぐらかされたクリムヒルトはそれ以上食い下がることも出来ず、飛び出していった問題児と新たに加入した元問題児の扱いを考えあぐねる。痛む頭で内と外の問題をどう片付けるかと考えながら、彼女は我知らず肩を落としていた。

 

 

 

 

 アリヒトとライゾウに呼びとめられたミツルは、そのまま手近な教室に案内された。

「アリヒト、おめぇはもう行け。後は俺からナシ付けとくからよ」

「え、でも俺も……!」

「数に物言わせるのは趣味じゃねえんだよ。良いからもう一人の方呼んで来いや」

「……うっす」

 何事かと首を傾げるミツルに構わずそんな話をして、アリヒトは教室の外に追い出されてしまった。

 もう一人、というのはハルトのことだろうか。すると彼は、“ヴァルヴレイヴのパイロット”に用があったのか?―――推測を重ねながら相手の出方を探ろうとするが、数秒後にミツルは、その必要が無かったことを悟る。

 ミツルに向き直ったライゾウは、二メートルに届くかという巨体で以て小柄なミツルを見下ろしながら言い放った。

「草蔵ミツル、あのロボットを俺によこせ」

「……はっ?」

 単刀直入に告げられた言葉の突飛さに、ミツルは素っ頓狂な声を上げてしまう。しかし、一瞬遅れてライゾウが何を言っているのか理解すると、そんな勝手な真似をさせるか、とばかりに反論する。

「で、できる訳ないっしょ、そんなの!?」

「なんでだよ、お前らはARUSにくっついて逃げるんだろ。だったら俺が使う。そんでドルシア野郎をぶっ飛ばす」

「俺たちはヴァルヴレイヴで、避難する船を守んなきゃいけないんスよ!」

「逃げたい奴は勝手に逃げさせておけば良いだろうが! そんなことより、俺ぁダチの仇を討たなきゃならねーんだよ!」

「何言ってんだアンタは!?」

 相手が土足で踏み込んできて、仲間を殴った。だから、殴り返す。逃げる他の者達を巻き込む気は無い。

 ライゾウとしては至極簡単かつ当たり前の、“ケジメ”の話。しかしそんなものと無縁の生活を送ってきたミツルにとっては、幾ら聞いても筋道の通っていない目茶苦茶な話にしか思えない。

 それに深くものを考えるのを好まないミツルとて、ヴァルヴレイヴが決してただの戦闘兵器では無いことを知ってしまった今、何も知らない人間を近づけてはいけない事ぐらいは理解していた。

「あ、あれは先輩みたいな人が、ほいほい乗れるモノじゃありませんよっ! それに相手は軍隊ッスよ!? 一人で勝てる訳が―――」

 とにかくライゾウをヴァルヴレイヴに乗せてはいけない、自分たちと同じく怪物になったりしたら、悩むのは彼自身だ。そう思って何とか説得を試みるミツルであったが、襲撃以来己の無力を噛み締めることしか出来ず、昏い怒りを胸の裡で燻らせ続けてきたライゾウにとって、怯懦に呑まれたともとれるその言葉は苛立ちしか生まない物であり。

「勝てる戦いしかしないような臆病モンはすっこんでやがれ! おめえらみたいにARUSの言いなりになって、有名になったらはいやめますなんて俺は御免なんだよ!」

 そして飛び出した言葉は、銃で撃たれると言う死の淵の恐怖を体験し、怪物へと変貌し、それを肉親にどう打ち明けるかで悩んでいたミツルにとっては聞き捨てならないもので。

「……ふ、ざっけんな、この野郎ぉおっ!!」

 激昂したミツルが次にとった行動は、全身を鞭のようにしならせてライゾウの顔面に拳を見舞う事だった。

「ぐっ!?……てめ、このクソガキぃっ!!」

「ぅがっ!」

 頬に突き刺さったミツルの拳にライゾウは数歩たたらを踏むが、鍛えていても所詮は喧嘩慣れしていない素人の拳。すぐにカウンターの一撃がミツルの小柄な身体を殴り飛ばす。相手はその拳と体格でこの学園のアウトロー達をまとめ上げるライゾウ。対してミツルは、不死の身体になったところで元は生真面目な運動部員。踏んだ場数というものが圧倒的に違っていた。

 学習机をいくつか巻き込みながら派手に倒れ込んだミツルの胸倉を、ライゾウが引っ張り上げる。余程頭に血を上らせているのか、力が込められたその手は自然とミツルの襟元を締め上げ、呼吸を妨げる。

「かっ、ぁ、このっ……!」

 しかし、頭に血が上っているのはミツルも同じ。掴み上げられて首元から吊るされたミツルは、自身を捕らえるその手を掴むと、そこから振り子の要領でライゾウの腹に蹴りを叩き込む!

「だぁあっ!!」

「げぶぉっ!?」

 拘束が緩んだその隙にライゾウの前髪を掴んだミツルは、そのまま滅多矢鱈に拳を振り下ろす。それはライゾウも同じで、自分に殴り掛かってくる後輩の顔面を鷲掴みにすると絞め殺す勢いで指に力を込める。

「ちょっ!? ふ、二人ともなにしてるんだよ!?」

「さ、サンダーさん!? ミツルっ!?」

 先程教室を出たアリヒトと、見回りの途中で彼に呼び止められたハルトが教室に現れ、二人の乱闘に絶句したのは、そんな時だった。

「この単細胞野郎、今なんつった!? あぁ!?」

「んの、上等だドチビがぁっ!」

「やめろってミツル! 今はこんなことしてる場合じゃないだろっ!」

「サンダーさんも落ち着けよっ! オイ時縞さん、あんたミツルの方押さえ……だあぁっ!?」

 ハルトに羽交い絞めにされ、強引にライゾウから引き剥がされるミツル。同じようにアリヒトもライゾウを背後から捕まえようとするが、如何せん体格の違いは顕著であった。

 腰のあたりにしがみついて来たアリヒトを力任せに払い除けたライゾウは、ハルトに抱えられる形になったミツルの襟首を再び捕まえると、怒りに歪んだその顔を覗き込む。下級生にいきなり殴られたことで完全に我を忘れたライゾウは、少し気の弱い人間ならそれだけで気絶しそうな恐ろしい形相を浮かべていたが、ミツルは一歩も引きさがることなく叫ぶ。

「俺達がどんな気持ちでアレに乗ったか知りもしないで、よくも言いやがるな! 仇討って自分さえスッキリすりゃ、他の連中は後回しでも良いってのか!?」

「てめえこそ、死んだ連中に同じこと言えんのか!? 戦う力があって、仲間の仇がすぐ傍に居て、それでも“危険だから何もしない”なんてそっちのが有り得ねえだろーが!? どんだけ悔しい思いしてもあいつらはもうやり返すことも出来ねえんだ! 生きてる俺達が……俺が、やるしかねえだろう!!」

「だからそれが単細胞だっつってんだよ!」

「んだとぉお!?」

 互いに自分の考えこそ正しいと信じる二人はもはや相手を説得する気など無く、ただただ思い違いをする相手を黙らせるために己の思いを叩き付ける。

 二人の間に割って入ろうとしながらも、そのどちらの言い分も理解できてしまうハルトは、力ずくで二人を押し留めるという事がどうしても出来なかった。フィガロの指示に従って、モジュールに残った学園の生徒達全員を避難させることこそが最善だと、理屈の上では理解している。けれどハルトが撤退の提案を受け入れることが出来たのは、結果として自身が大切な人を失っていなかったからだ。もしもあの時ショーコが本当に殺されていたら。今ミツルと殴り合いを演じていたのはライゾウでは無く自分だったかもしれないのだ。

 三者三様、それぞれの思いを持って繰り広げられる、不毛な仲間割れ。

 互いの主張が平行線のまま、いつまでも続くかと思われたそれを止めたのは―――有無を言わせぬ、物理的な衝撃。

 

 

 

 

 再び、轟音と共にモジュールが揺れた。

 

 

 

 

 咲森学園の廊下に立ったエルエルフは、足元を揺らした衝撃に満足気な表情を浮かべる。

 揺れの原因は、宙港に入港しようとしていたARUSの戦艦が座礁したこと。さらにその状況を作り出したのは、エルエルフが宙港エリアに仕掛けた爆弾。

 数十キログラムの火薬を三か所に分散して配置、咲森学園の制服に補強がてら仕込んでいた二百メートル分のリード線と、兵士の死体から拝借した三つの無線機から、簡易的な遠隔起爆装置を作ってそれぞれ繋ぐ。手元に残した四つ目の無線機から立て続けにコールすることで、宙港エリアの手作り爆弾に時間差で火花を走らせたのだ。

 一点に集中させて戦艦を沈める必要はない。爆弾の分量から見ても、大気の無い宇宙空間では不可能だ。

 戦艦の操舵主が爆発に驚いて舵を切る方向を間違え、港に突っ込んでしまえば良い。

(こうも簡単に引っかかるなど、普段から腑抜けた演習しかしてこなかった証拠だ。練度評価、判定E)

 憎き恩師の口癖を真似ながら、敵国の操舵主に辛口の判定を下す。普段通りの戦闘で、普段通りに圧勝し、普段通りに生存する。最早ルーチンワークとなりつつある戦闘のプロセスを踏むことで、冗談を言えるぐらいには心の余裕を取り戻したらしい。

 そう、ARUSの陸戦部隊から逃れてからここまでは、何もかもがいつも通りだ。自身の身体に不調は無いし、何時の間にか負っていた腕の傷も、すでに手当てを済ませて気になるような痛みは無い。

(唯一、あいつらだけがイレギュラーだ)

 思い浮かべるのは、赤と白の巨兵。そしてそれを操る、二人の男子生徒。時縞ハルトと、草蔵ミツル。

 未だに信じがたいが、時縞ハルトは心臓の損傷という致命傷から回復したのみならず、エルエルフの意識を奪って思うがままに操った。そして、草蔵ミツルも恐らく同レベルのことが出来ると見て良いだろう。

(だが、俺の前で弱みを見せた。感情がある以上、操るのは不可能ではない)

 エルエルフがこれまでの短い時間で見て来た二人の像は、ヴァルヴレイヴの操縦技能を除けばどこにでもいる民間人そのものだ。

 既に二人を“説得”する為の段取りは整った。後はそれを言葉にするのみ。

 意を決して、エルエルフは眼前の扉―――ハルトとミツル、そして見知らぬ二人の男子生徒が口論を繰り広げていた教室の扉を開ける。

 揺れに驚き動きを止めていた四人の視線が一斉にエルエルフに向けられ、そのうち二人が驚きに目を見開く。

 普通の人間となんら変わらないそのリアクションに、エルエルフは確信を強める―――こいつらは、決してただの化け物では無い。自分の“駒”に成り得る化け物だ、と。

 

(時縞ハルト。草蔵ミツル。何時の世も、怪物を利用し、打倒するのは人間だ。お前達が倒れるまでの間、その力、俺が存分に使ってやる)

 

 




リヒャルト「今日から高校デビュー! 中学までのやんちゃな俺とはオサラバして、理系の知的な男子として生きるんだ!」
カイン「ちょwww今日来たあいつ中学まで暴れ過ぎwwwwwブログに名前晒されてるwwww」
クリムヒルト「うわwwwツィッターでも厨二発言ばっかwwwwwww」
リヒャルト「おのれ情報化社会ィィィィィッ!!!」

 実は優秀だったミツルのスペックと、実は暴れん坊だったリヒャルトの恥ずかしい過去暴露回。
 こういうキャラの設定を煮詰めた部分は書くのがすごく楽しいです。おバカさんや俺TUEEE!なキャラだと特に。


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第十五話 平和のしるし

 ミツル君、残機-1。エルエルさんは容赦しません。


 教室の入り口に立つその姿を見て、ミツルは今度こそ思考を止めた。

 何故、お前がここに居る。捕まった筈ではなかったのか。

 何から言えば良いのか解らずに固まるミツルに代わって、口を開いたのはハルトだった。

「エル、エルフ……!?」

 そこに立って居たのは、紫の瞳に冷たい光を湛えた銀髪の少年、エルエルフ=カルルスタイン。

「お前っ……なんでここに、ARUSに捕まった筈だろ!?」

「あの程度、拘束にもならん」

 そう言ってエルエルフが手頃な机に向かって放り投げたのは、武骨な無線通信機。最初、ミツルもハルトもそれが軍用の物であると思い至らなかったが、机に落ちて一度バウンドしたその本体に刻まれた英語の文字、そして漏れ聞こえてくる軍用回線から、それがARUSの兵士が本来持っているべきものだと気付く。

 そこまで気付いたのならば、エルエルフの着用する制服、その袖口を赤く染める液体の正体に気付かない訳が無い。

 

―――この男は、自らを拘束していた兵士たちを殺害して、ここに辿り付いたのだ。

 

「てめえ……ドルシアの兵隊か!」

「な、こいつが!?」

 ARUSに捕まっていた、というキーワードからエルエルフの正体を察したライゾウ―――短絡にも程があるこじつけだったが、今回ばかりは正解だった―――が、遅れて気付いたアリヒトと共に肩を怒らせてエルエルフに向かう。

「駄目だ二人とも! 待っ―――」

 二人がエルエルフを捕まえる気なのだと察したハルトが、慌てて声を掛ける。彼の身体能力、何より殺人の技能がどれだけ優れているかは、ハルトが“身を以て”知っている。

 しかし、制止の声は一瞬の差で間に合わず。

 ごっ、と鈍い音を上げながら、二人は床に崩れ落ちた。

「あ―――アリヒトぉっ!?」

 悲鳴染みたミツルの声。目の前で級友を手に掛けられて思考が固まったその一瞬の後、教室に乾いた銃声が響く。

 その音にぎょっと身を竦ませたハルトが目を遣れば、エルエルフが構えた小さな拳銃から、硝煙が立ち上っている。

 まさか、と思った次の瞬間、傍らに立っていたミツルが膝から崩れ落ちた。

「ミツルっ、どうし……うっ!?」

 足を竦ませ動けないまま、ハルトはミツルを見遣り―――その光景に絶句した。

 教室の床に倒れたミツルは、喉元を手で押さえようともがきながら不規則に身体を震わせていた。成長期を迎えてようやく形が出て来た喉仏を銃弾で割り砕かれ、気道と食道を纏めて貫通した風穴から止め処無く血が流れだす。出血と、呼吸が出来ないショックで全身を痙攣させながら、その瞳孔がゆっくりと開いて行く。やがて力尽きて痙攣が収まった頃―――怪物となった彼の身体が、その驚異的な治癒能力を発揮した。

「か、はっ! げっほ、ぇほっ!」

 破損を訴える細胞から伝わる、焼けるような熱を伴う激痛。喉元でみちみちと肉が蠢く不快な感覚と共に細胞が癒着し、今しがた付けられた傷が瞬時に完治する。気管に溜まった血を咳と共に吐き捨てるミツルを見て、エルエルフは目を細めた。

「やはり、お前も不死身か」

「けほっ……お、お前……!」

 鉄の味がする液体を口から追い出し、荒くなった呼吸を整えながら、目に涙を浮かべてエルエルフのふてぶてしい顔を()め上げる。遅れて、自分がたった今一度殺されたのだと悟って、その恐ろしい感覚に肩が震えた。

(こ、この野郎、息するついでみたいに人の首を撃ちやがった……!?)

 常人の感性ならば考えられない行動。それ自体もだが、何よりそんなに簡単に人を殺しておきながら、動揺の一つも見せないエルエルフという人間に、ミツルははじめて恐怖した。

(ドルシア軍の兵士ってのは、こんなのばっかりなのか!? 俺達よりもよっぽど化け物じゃないか!)

 先日彼と対峙した七三分けに伊達眼鏡の軍人(リヒャルト・グレーデン)辺りが聞けば「あんな連中と一緒にするな」と憤慨しそうなことを考えながら、ミツルはハルトと共にエルエルフの挙動を注視する。何とか上体を起こし、座り込んだミツルの前に立つエルエルフは、冷徹な眼差しのままでそこに立っていた。

 そして、ようやく首の痛みが治まったミツルと、その流れるような殺しの(すべ)に圧倒されて動けないハルトに向かって―――

 

「時島ハルト、草蔵ミツル―――お前達のその力、俺に預けろ」

 

 エルエルフは、そんな言葉を投げかけた。

 

「な……何を、言って……?」

 その意味を理解できず、素っ頓狂な声で問い返すハルト。声こそ挙げていないが、膝をついて蹲ったままのミツルも似たような思いを抱いていた。

「俺の作戦に従って、ドルシアと戦えと言っている。そうすれば、お前達はARUSにも頼らずに生き延びることが出来る」

「ふ……ふざけんなぁっ! たった今、俺やアリヒトをっ……山田先輩を殺しておいて、どの口で言って―――」

「殺してはいない、そっちの二人は気絶させただけだ」

 堪らず激昂しかけたミツルだったが、続けて放たれた言葉に慌てて床に転がるヤンキー二人に視線を向けると、微かにその口から呻き声が漏れ聞こえる。倒れ込んだライゾウとアリヒトがただ意識を刈り取られただけだと気付いて、ミツルは些かの落ち着きを取り戻した。

 しかしミツルが落ち着くのも束の間、次の瞬間にエルエルフの口から飛び出したのは、突拍子も無ければ現実味も無い、とんでもない宣言だった。

「俺は、ドルシアを革命する。その為にはお前たちの力が必要だ」

 訊ねても居ない事を聞かされて呆気にとられる二人。だがそんな勝手な言い分に黙っているわけには行かない。

「だっ、誰がお前なんかに協力するもんか! そんなの、僕達の知った事じゃない! 革命だか何だか知らないけど、余所で一人でやれば良いだろう!」

「だが、この状況ではお前たちにとっても好条件だ。断言しよう。お前達は俺と契約しなければ、いずれ一人残らず死ぬ」

「お前の言う事なんか信じるかよっ! 敵の癖にっ……俺を殺した癖に!」

 理解できないエルエルフの言葉に反論を試みるハルトとミツル。特に、つい今しがた窒息と失血による死を体験したミツルが、それを齎した彼を信用できるはずがない。二人からすればエルエルフは、右手の銃口をこちらの頭に向けたまま、左の手で握手を求めて来ているようなものなのだ。応じたが最後、いつ何時(なんどき)片手の動きを封じられたまま頭を撃ち抜かれるか分かったものではない。

 いや、不死である自分たち二人だけならまだマシだろう。しかしその銃口は、他の生徒や、このモジュール77全体にさえ向けられているのだ。ましてエルエルフは、その為人を知らないハルトとミツルにとって、敵国ドルシアの兵士でしかない。どうして彼の手を取ることが出来よう。

「信じる信じないは勝手だ。それは俺達の協力には何の関係も無い」

 しかし、帰って来るのは氷のような声。

 エルエルフにとって、『協力』という言葉は決して感情が絡む単語では無い。もしそうであれば、わざわざ二人を巻き込もうとさえ()()()()()のだ。

 いくら魅力的な戦力であっても、『こんな簡単な状況ですら感情で判断を鈍らせる無能』など、存在するだけで虫唾が走る。

 エルエルフが差し出しているのは握手の手などという優しいものでは無く、あくまで頑丈な首輪。その手綱を握っているのは当然自分。そこにあるのは、埋めようも無い価値観の溝だ。相手の事を“信用”していないのは、エルエルフとて同じであった。

「第一、お前一人味方にしたところで、何が変わるっていうんだよ!」

「お前達二人がどう動くべきかを考えるのが俺の役割だ。まず俺にしたように、ARUSの議員の意識を乗っ取れ。そうすればARUSの軍隊を一部なりとも支配下に置くことが出来る」

 ミツルの問いに、エルエルフは考案していた作戦の一部を語る。だがそれは、未だフィガロの目論みを知らないハルトからすれば信用を踏み躙る行為だ。

「そんなこと出来るわけないだろっ! あの人は、全員で生き残ろうって言ってくれた! そんな風に裏切るようなことをしなくても、フィガロさんは元々僕らを助けるために来てくれたんだ!お前なんかに頼らなくてもどうにかなる!」

「『商』の国の政治家が、打算も無しに人助けなどする訳が無いだろう。それに―――」

 言いながら、エルエルフは窓際まで歩くと、嘲笑うように窓の外を指し示す。

 つられて窓の外から校舎の正門を見遣ったハルトとミツルは、そこで起きている光景を見て言葉を失った。

「そんな甘いことを言っているうちに、お前達の協力とやらも立ち行かなくなるぞ。見ろ」

 エルエルフが二人に見せたのは、先程までハルトの指示で動いていた避難の列。しかしそこには今、先程までの整然とした避難の様子はどこにもなかった。

 

 

「避難出来ないってホントですか!」

「救助艦が座礁したって聞いたぞ!?」

「おいっ、どうなってるんだよ!」

「ARUSは私達を助けに来てくれたんでしょう!?」

 

 

 学年と出席番号順に並ばせていた筈の生徒達は散り散りになり、三々五々に非難の声を上げている。

「みんな、落ち着いてっ! 列に戻って、ちゃんと並んで!」

「先程の揺れの原因は現在調査中です! 皆さん、落ち着いてください!」

 生徒達に取り囲まれるフィガロとリオンが一段高い所から皆を落ち着かせようと叫ぶが、その効果は薄い。先程学園内の全ての人間が感じた揺れは、正しく救助に当たる筈のARUSの戦艦が宙港で座礁したために起きたものだが、それがそもそも何故起こったのかを生徒達は知る術がない。結果、既にドルシアが態勢を整えて、再び攻撃を仕掛けて来たのではないかという疑念が広まっていた―――尤も、生徒達の中に紛れ込み、その疑念を最初に口にした“見慣れない銀髪の男子生徒”は、現在ハルトとミツルの目の前でいけしゃあしゃあと口上を述べているのだが。

「皆が……!」

「この学生たちの暴走。お前は、どう収める心算だ」

「それはっ、とにかくみんなを落ち着かせて―――」

「無駄だ。この状況で、確証も無くただ宥めすかすような言葉を誰が信じるものか」

 ハルトが咄嗟に出した解決策は、ばっさりと切り捨てられる。実際にエルエルフの言う通り、もしもハルトが生徒達を落ち着かせようとしたところで、正確な原因も解っていないうちに不安に揺れる生徒達に「大丈夫だ」「敵はまだ攻めて来ていない」と言ったところで、それを信じる者はごく一部だ。そのうちにハルトが取れる手段は、ヴァルヴレイヴを使って「良いから落ち着け、黙って指示に従え」と生徒達を脅す事しか出来なくなる。

 そうなれば最後だ。生徒達は自身を守護するハルトとミツルや、二人が協力するARUSを信じることも出来なくなるだろう。程なく内部から瓦解してしまうのがオチだ。

 無論、この時のハルトがそこまで先を見通せていたわけでは無い。しかし、先日の戦闘でエルエルフが見せた驚異的な洞察力と、状況判断の能力。ハルトはそれを目にしている。結果、ひょっとしたらエルエルフの言う事が全て正しいのではないか―――そんな風に、自信を挫かれる寸前にまで追い詰められる。

 しかし、それを信じない者も居た。エルエルフの予言染みた分析を見ていない、ミツルだ。

「船が座礁したんなら、ヴァルヴレイヴで引っ張れば良いだけだろっ!」

 エルエルフを信用しておらず、また先の戦いで彼がハルトと共闘した―――一号機の“必殺技”の存在に気付き、それをハルトが使えるようにミツルを利用した―――ことを知らないミツルは、そう言って教室を飛び出す。生徒達が言っている救助艦の座礁が本当ならば、帰還後に第一校舎の裏へ運び込まれた八号機でどうにかできるかもしれない。一瞬遅れてそれに気付いたハルトも、ミツルの後に続こうと体育館へ向かう。

「待っ、ミツル! 僕も―――」

「時縞ハルト」

 教室を出て行く二人を黙って見送るような素振りを見せていたエルエルフだが、不意にハルトに声を掛ける。

「お前の機体は第一校舎には無い。既にARUSの兵士が、体育館の方までヘリで移動させた」

「なっ!? な、なんでARUSがそんな事を……」

「決まっている。お前では無く、ARUSの兵士に使わせる為だ」

 解りきったようなその言葉に、ハルトは愕然とする。

「止めないと……あれは普通の人が乗ったら―――!」

「もしも俺の力が必要なら、指を二本立ててサインを出せ。その瞬間から契約は成立だ」

 ハルトが走り出す直前、エルエルフはそう言ってハルトにサインを示す。しかし、そのサイン―――人差し指と中指でブイの字を作った右手を見て、ハルトは馬鹿にされたような感覚を覚えた。

「何がピースだ、平和のサインなんて!」

 怒鳴るように吐き捨てると、ハルトは後輩を追って教室から飛び出した。教室に一人―――気絶しているサンダー組はカウント外とする―――残ったエルエルフは、自分が差出し、ハルトを余計に怒らせた右手のサインを見つめる。

 無論、指を二本立てたハンドサインが、ジオールという国で平和を示す“ピース”のしるしとして、或いは勝利を示す“ビクトリー”のしるしとして扱われることを知らなかったわけでは無い。だがエルエルフとしてはそういった意味を込めた覚えは無く、単に指一本では何かの拍子に間違えやすいので、目立つこのサインを選んだつもりだったのだ。

 しかしそれを見て、ハルトは直感的に平和のサインだと判断し、平和とは縁遠いエルエルフがそれを示したことに怒った。自分と彼らの間には、想定していた以上に大きな意識の隔たりがあったらしい。

「平和のサイン、か。つくづく合わないものだな」

 嘲笑するように、鼻で笑う。やはり、ジオール人は好きになれそうになかった。

 

 

 

 

 

「あっ! ハルトっ、ミツル君!」

 合流した二人は校舎から出ようという寸前、聞き慣れた声で名前を呼ばれる。ミツルはおや、と何の気も無く振り返り、ハルトはぎくりと硬直した。

 息せき切って二人のもとへ駆け寄ってきたのは、ショーコだった。

「指南先輩? あれ、さっき避難したはずじゃ……」

「大変、大変なのっ!」

 ミツルの問いを遮って、ショーコは二人に向き直る。切羽詰ったその様子に驚いたミツルは取り敢えず、彼女を落ち着かせる。

 はいしんこきゅー、すってー、はいてー、すってー。

 ふざけたノリではあったが、ショーコの混乱を収めることは出来たらしい。ついでに、自分よりも慌てふためく人間を見た故か、ミツルもまた先ほどエルエルフとの会話で覚えた苛立ちや怒りが幾分か和らいでいた。

「っとと、えーっとね……二人とも、さっきこの辺り、ARUSの兵隊の人達が通らなかった!?」

「ARUSの兵隊が?」

 ショーコの問いに、ミツルはハルトと共に頭上へと疑問符を飛ばす。

「俺達、今ここに来たばかりで……」

 ミツルの言葉に、ショーコはそんな、と俯く。何かあったのかと問いかけるミツルに、ショーコは至って真剣な表情で知らせる。

「女の子が、ARUSに連れて行かれちゃって……しかもその子、軍の回線から通信か何かのやり取りを聞いてたみたいなの!」

 本日何度目か解らない驚愕に、ミツルとハルトは揃って顔を見合わせた。

 

 

 話は、十数分前に遡る。

 正門から第二校舎の廊下に人の姿を認めたショーコは、それがハルトでは無いと正確に見抜いた。いつも見ていたハルトの姿は窓の上辺に届くほど背が高くは無かったし、ミツルならば逆にもっと小さい。故に、第二校舎の出入り口から反対へ進み、上の階へ歩を進めるその人影は、避難の誘導を任された二人以外の人物が、何か意図を持って校舎の奥へ向かっているのだと判断した。

 しかしそれは、ハルトとミツルの邪魔をする行為だ。せめてハルトの邪魔にならぬように呼び止めねば、と探しに戻ったのだが……果たしてショーコが見つけたのは、その長身の生徒では無く、空き教室の一角に設けられた奇妙なダンボールハウスだった。

「な……なにこれ」

 一見するとうず高く積まれた段ボール箱のお化けにも見えるその物体は、しかしよくよく見ればホームセンターなんかで売っているプラスチックのフレームに段ボール紙を張り付けた代物で、その隙間からはパソコンのディスプレイなどから発せられる青白い光が見えた。

(ひょっとして、誰かが隠れ家にでもしてる?)

 先程自分が見かけた人影は、この中に居るかもしれない。そう思い至り、ショーコはおっかなびっくりダンボールハウスに近付き、その様子を窺う。すると、下方に四角く切り取られた窓が開いており、その隙間は布製のカーテンで塞がれている。銭湯の暖簾のようなそれがこの巨大な段ボールの入口だと察したショーコは、四つん這いになってその中を覗き込んだ。

(……え?)

 その中に広がっていたのは、生活感溢れる―――健康的とは言い難いが―――雑然とした部屋だった。飲みかけのジュースが入ったペットボトル、空になったスナック菓子の袋、床に座るヌイグルミに、脱ぎ散らかされた下着。

 そんな中、一際ショーコの目を引いたのは、“田”の字の形に四つ並んだ大型のスクリーンと、それに向かう赤毛の―――マリエ程ではないが小柄な少女。背中が猫のように曲がっているので判り辛いが、座高から目測すると大体ミツルと同じくらいの身長だろうか。一心にキーボードをタップし、視線をスクリーンに固定しているので表情や顔立ちは見えないが、丁度自分の目の前であひる座りに畳まれている足は人形と見紛うほどに細い……部活動のせいか徐々に筋肉が目立ち始めてきて、最近ハイソックスで隠すようになった自分の足と比べてしまい、内心で少し落ち込んだのは内緒である。

(なんでこんな子が、こんな部屋の中に?)

 先程自分が見かけた長身の生徒とは別人だろう。そもそもこの少女は咲森学園の制服すら身に着けていない。

 様子を窺おうとしたショーコの耳は、少女の口から洩れた呟きを拾った。

「行ける……通った!」

 何を、と思った瞬間、少女が見詰めていたスクリーン上で、網の目のように張り巡らされた線の上を光が奔る。

 少女がアクセスしたのは、現在モジュール77の内部を飛び交っている通信電波の制御装置。即ち、ARUS軍の軍艦の通信システム。

 驚くことに少女は―――ネット上のアングラ界隈で“小さな魔女(リトルウィッチ)”の異名を取る天才ハッカーたるアキラは、その軍用通信にハッキングし、その情報を引き出そうとしているのだ。

 しかし、未だアキラの名を知らないショーコは名も知らぬ少女が何をしようとしているのか皆目見当もつかない。

 何をしているのか、と問おうとしたその瞬間、彼女たちが居る場所が大きく揺れた。ちょうどこの時、ARUSの宇宙戦艦が宙港で座礁したのだ。

「きゃ!?」

「ひぅ!?」

 小さな悲鳴が、連続して二つ。ショーコは突然の揺れに、アキラは自分以外の誰かがすぐ後ろに居たことに。

 そして二人は真正面から目を合わせる。息を呑むようなアキラの声に固まったショーコは、目を見開いてこちらを見ているアキラに話しかけようと口を開く。

「あのっ、あなた学園の生徒よね? ここで何して……」

 対するアキラの返答は―――

「あ、ぅあ、ひっ……きゃあああああああああっ!!」

 絹を裂くような絶叫と、全力投擲されたワイヤレスマウスだった。

 突如悲鳴を上げたアキラに驚いて身を竦ませたことで命中はしなかったが、ショーコの頭のすぐ上をプラスチック製のマウスが通り過ぎ、段ボールに当たってバゴッと鈍い音を立てる。

 それだけに留まらず、アキラはショーコに背を向けるとそこらにある物を手当たり次第にスローイングしてくる。

「やぁあっ、うわあああああん!!」

「ちょっ!? ま、待って待って落ち着いてっ! 話聞いて……あいったぁ!?」

 火が付いたように癇癪を起こすアキラが投げた小物入れが、ショーコの額に命中する。薄い皮膚を(とお)って頭蓋に響いた振動に、堪らずショーコは後ろに仰け反る。

()ぅうう~~っ、いったたた……うぅぅ、なんか私最近こんなのばっかり……!」

 貴生川と共に生き埋めになったり、マリエに痺れた足をつつかれたりと、この二日間ロクな目に遭っていない(二つ目については自業自得だが)ショーコは、新たに額に追加されたタンコブを押さえながら涙目で呻く。

 もんどりうって空き教室の床に倒れ込んだショーコが痛みに悶えている間にも、ダンボールハウスの中ではアキラがどたばたと暴れている。やがて投げられるものが無くなると、そこでようやくショーコがダンボールハウスの入口から強制的にイジェクトされた事に気付いたのか、叫び声は途絶え、代わりに聞こえて来るのは荒い息遣い。それを確認したショーコは、身元不明の少女にもう一度声を掛けてみる。もう一度物を投げられては堪らないので、念のためハウスの外から。

「えっと、うちの学校の生徒だよね? 皆もう避難してるんだけど、ここで何して……」

「言わないで!」

 次にアキラから発せられたのは、意味を成さない叫び声でも拒絶の言葉でもなく、必死の懇願だった。

「だ、誰にも、言わないで……あたしが、ここにいるの……!」

 泣きそうなその声に、ショーコはアキラが本気で怯えているのだと悟る。ショーコを、というよりは、人と接することを、だろう。どんな経験をすればここまで他人を恐れるようになるのか知らないが、だからといってこんなに弱々しい声で頼み込んでくる相手にずけずけと踏み込むのは流石のショーコも躊躇われた。

 しばし二人の少女は沈黙し、空き教室の中にはアキラのコンピュータから流れてくる音声だけが響く。

 そういえばアキラが何をしていたのか聞いていなかった、と気付いたショーコは、せめてその音声が何なのか解れば、と意識を耳に集中する。

『こちらA7小隊、目標のロストを確認』

『駄目だ、尋問官は全員殺されてる』

『艦体後方にて火災発生、消火急げ!』

『くそっ、せめてあのロボットだけでも―――』

『こりゃ学生の移送は難しいぞ』

 そこから聞こえてきた単語の幾つかが、ショーコの耳に引っかかる。

 尋問官? それは軍隊の仕事だ。しかし今このモジュールに居るのはジオールの国防部隊では無く同盟国であるARUSの宇宙艦隊だ。

 艦体で火災? 学園に残った生徒達を移送するために訪れていた宇宙戦艦の事?

 学生の移送は難しい? “せめてあのロボットだけでも”?

(これ、もしかしてARUSの―――)

 ショーコが胸中でその問いに答えを出す寸前。

 

「……逆探に反応アリ、発信元はここだ!」

 

 そう言って、ARUSの陸戦装備に身を包んだ数名の兵士たちが、空き教室の中に雪崩れ込んできた。




ハル「お前に頼らなくても僕らで何とかしてみせる!(ただし如何すれば良いのかは分かっていない)」
エル「お前らの頭では無理だ、大人しく俺に従え(最終的に得するのは俺だけだがな!)」
ミツ「あいつ怖いあいつ怖いあいつ怖い(パニック)」
 誰かこいつらの間に言語療法士を挟んでください。


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第十六話 裏切り

※今回の投稿後、一か月ほど確実に更新止まります。申し訳ありません。


「それでっ、その子、またパニック起こして気絶しちゃって……しかも入ってきたARUSの人達、『モジュール77の情報をドルシアに流したかもしれない』とか言って、連れて行っちゃったの!」

「そ、そんな目茶苦茶な話があるかぁっ!? 俺ら、そんなん一言も聞いてませんよ!」

 話は再び現在に戻って。ショーコの話によると、どうやらその女子生徒は、モジュール77への奇襲を手引きしたスパイであるという疑惑を掛けられてしまったとの事。

 ショーコも止めようとはしたのだが如何せん相手の言い分も百パーセントが嘘とは言えず、担がれるようにして連行される女子生徒を前に立ち尽くす事しか出来なかった。

「けど、こう……なんか、絶対に違う気がした。あの子、そんなことするような子じゃないよ!」

 ショーコの主張に、ハルトは一度信じると決めたARUSへの信頼が揺らぐのを感じた。

 そして、そこに追い打ちとなる情報が追加される。

「ホントに何考えてんだARUS軍は……あ、そうだハル先輩! ヴァルヴレイヴの武器の話、ARUSから何か聞いてましたか!?」

「武器?……いや、僕は何も……」

「それじゃあやっぱり、先輩にも俺にも内緒で―――!」

 顔色を変えるミツルに、ハルトは訝しげに何があったのかと尋ねる。何事かを逡巡したミツルの目は、次の瞬間には、何時か見た厳しい眼差しになっていた。

「先輩、やっぱりARUSの連中、俺達に何か隠してますよ。俺がさっき教室に戻る時、あいつらヴァルヴレイヴの武器を持ち出すって言って、校庭で何か作業してました」

「そんな……!?」

 モジュール77を捨てて逃げる以上、ヴァルヴレイヴの武器を持ち出すのは至極当然のことだ―――それが、パイロットであるハルトとミツルにしっかり伝わっているのならば。

 そんな大事な情報が伝わっていない現状がおかしいことぐらい、軍隊のすることに疎いハルトにだって判る。

(エルエルフの言う通り、ARUSが僕らを助けるのには他の目的があったって言うのか……? ああもう、何がどうなってるんだ!)

 思い返すのは、全員で生き残るために力を貸してくれと言って自分に握手を求めてきたフィガロの真摯な眼差し。この人なら信用できる、そう断じて手を取ったのはハルトだ。

「ショーコ、その無線、何て言ってたか覚えてる?」

「えっと……船が火事だ、誰か見失ったとか……あと、避難できないとか、ロボットだけでもとか……ねえハルト、もしかしてARUSの人達、私達を見捨ててあのロボットだけ持って行っちゃうのかな……」

「ロボットだけでも、って……!」

 だがそのフィガロが指揮を執る同盟国の軍隊は、自分たちの与り知らぬところで蠢いている。不穏な内容が飛び交う無線を聞いたと言うショーコが、今この場で自分に嘘を吐く必要性などどこにもないのだから。

 信じたいという思いと、疑うには十分な違和感だらけの行動。

 考えた末に―――

 

「ミツル、ショーコと一緒に生徒会の人達集めて。僕は直接、フィガロさんのところに話をしに行く」

 

 ハルトは、自分で直に確かめてから判断することに決める―――或いはそれは、問題を先送りにするための口実だったのかもしれないが。

 

 

 

 

 ミツルのヴァルヴレイヴは後に回し、まずはハルトが一号機を確保。その間に、ショーコとミツルで生徒会のメンバーや各クラスの級長といった、現在の学園幹部たちを集めて現状を報告する。ひとまずそう決めて解散した三人は、その場で別れて行動に移った。

 ショーコと共に生徒会室へ向かう途中で、ミツルはふと浮かんだ疑問を口にする。

「そういや指南先輩、何で電話とか使わないで、わざわざ直接俺達に話しに来たんスか?」

 ショーコとばったり出くわした時、避難指示の連絡の為にミツルとハルトは互いのスマートフォンで連絡を取り合うように決めていた。どちらも電話を持っていたのだから、連絡しようと思えば何時でも出来たのだ。

「……最初は、ハルトにも連絡するつもりじゃなかったの」

 少し間を置いて口を開いた時、ショーコは、ミツルが見たことも無いほど思いつめたような表情を浮かべていた。

「その女の子が連れて行かれちゃった時も、真っ先にハルトやミツル君に電話すれば良かったのに……怖かったんだ」

「怖い、って」

「もしかしたらハルト、電話に出てくれないんじゃないかなって。喧嘩して引っ叩くなんて、子どもの時以来だったから」

 そこまで聞いてミツルは、目の前の少女がハルトと口論の末に手を上げてしまったことをようやく思い出した。避難の為のゴタゴタや、先程ショーコの方からハルトに声を掛けたことですっかり忘れていたが、思えばあれ以来二人はまともに話をしていない。少なくとも、ミツルの知る限りでは。

「ね、ミツル君。昨日からハルト、なんか言ってた? 私のこと怒ってたりとか……」

 普段とは逆に、眉を八の字に曲げて不安げに問うショーコ。

 いくら心の機微に疎いミツルと言えど、その表情が何なのかは容易に解った―――つい先程、自分だって同じことを考えていたのだから。

(相手に嫌われるかもって思ってたのは、俺やハル先輩だけじゃない。指南先輩だってそうだ)

 ことハルトとショーコの仲について、親しいと言っても当事者でない以上、所詮自分は部外者だろう。けれど二人には仲良くしていて欲しい。思わずミツルは、ショーコの手を取っていた。

「指南先輩。ハル先輩のこと、信じてあげて下さい」

 キューマの身体を乗っ取った状態で、フィガロとの会談から戻ったハルトを迎えた時。そのことに気を取られてはいたが、ハルトはその後、自分に対して身体を乗っ取ったことを詫びた。

 サキから聞いた限りではハルト自身の意思はこれっぽっちも働いていなかったにも拘らず、ハルトは自身がやったことだと言ってミツルに頭を下げたのだ。

 今回の事だって、ハルトの本心では無い。時縞ハルトという少年が面白半分に誰かを傷つけるような人間でないことは、ショーコ程ではないにせよミツルだってよく知っているのだ。

「ハル先輩は指南先輩に怒ってなんか無いッス。確かに昨日からハル先輩らしくないこと言ってるし、俺はその理由も知ってます。ただその、俺らも今何が起こってるのかよく解ってないんです。先輩だってきっと、訳分からなくてどうすれば良いか掴めてないだけに決まってる」

 強く握り締められた手と、俯き気味な目から、ショーコはミツルが必死に言葉を探しているのだと察した。

 そして、この直情気味な後輩がこうも頼み込んできているのなら、現在ハルトは本当に真剣に悩んでいるのだと。決して自分を嫌ってあんなことを言った訳では無いのだとも。

(単純だな、私……ハルトに嫌われてないって分かったら、なんかいきなり気が楽になっちゃった)

 気付けばショーコの口元には常の笑みが戻っていた。一日下げていた口角が持ち上がると、どこか心も軽くなったような気がして、そんな単純な自分に呆れてしまう。

「だから、今の状態がどうにかなったら、ちゃんとハル先輩の話聞いてあげて下さい。お願いします……!」

「……うん、分かった」

 その言葉に、ミツルは下げていた顔をぱっと上げる。視線を上げた時に見えたのは、普段目にしている勝気な少女の笑みだった。

「そうだよね! ハルトは昔っからうじうじ考えてばっかりだもん。私が引っ張らないと!」

 そう言って握った拳を掲げるショーコの姿は、ミツルが四月から見て来た姿そのものだ。

 ショーコの方から歩み寄ろうとするのならば、後は自分が口出しすることではない。きっとこれで、ショーコとハルトは大丈夫だ。

 そう確信したミツルは、先程よりも幾分か前向きな心で、意気揚々と歩き出すショーコに続いた。

 

「いよぉーっし、待ってなさいよハルト! あのふざけた台詞の理由、包み隠さず吐かせてやるんだからっ!」

 

……きっと大丈夫である。うん、きっと。

 

 

 

 

 体育館裏にたどり着いたハルトが目にしたのは、図らずも自身の愛機となった赤の巨兵、ヴァルヴレイヴ一号機『火人』。

 そしてその周囲に立つ、フィガロを始めとしたARUSの大人たちだった。

「フィガロさんっ!」

「やあハルト君、ちょうど来たところだったか」

 ハルトの姿を認めると、フィガロはあくまでにこやかな笑みを以て出迎えた。

 しかし、頭上に見える一号機のコックピットに数人の人影があるのに気付いたハルトは、血相を変えてフィガロに詰め寄った。

「何をしてるんですか!? ヴァルヴレイヴはジオールの―――」

「だが、君をもう戦わせないと決めた以上は我々がやるのが筋というものだろう。大丈夫、彼はアンダマン戦役で七機撃墜のエースだ。腕前は折紙付きさ」

「やめさせてください、あれは危険なものなんです!」

「軍人なら、危険と隣り合わせなのは当然だよ」

「そうじゃなくてっ……!」

 なおも食い下がろうとするハルトだが、顔面に笑みを張りつかせたフィガロはハルトの言葉に耳を貸さない。

 そうこうしているうちに、パイロットスーツに身を包んだARUSの軍人―――数年前の戦争で敵を七機撃墜したというエースパイロットとやらが、一号機のコックピットへ身体を滑り込ませる。もう一人が検証用のカメラでその様子を撮影しており、その映像はフィガロの手元の通信端末にも表示されていた。

「これは……ガイドプログラムか? はは、ジオールらしいよ」

 パイロットの男がそう言って指し示したのは、コンソールパネルに表示されたCGモデルの美少女。彼らの国でも、エースパイロットや精鋭の部隊が自分たちの戦車や戦闘機に美女と部隊章を図案化したマークを描き込むのは珍しいことではない。特にサブカルチャーや所謂“モエ”コンテンツの元祖とも言えるジオールなら、このぐらいの遊び心は不思議でもなんでも無い。

 しかしハルトだけは知っている。

 それは美女の誘惑などではなく、甘い匂いで引き寄せた獲物を捕らえて逃さない食虫植物。悪魔の囁きに乗ったが最後、体の構造を作り替えられて戦うための部品にされる、得体の知れない物体なのだと。

「マズイ……それに触らないで! 応じちゃダメだっ!」

 ハルトの必死の叫びも空しく、画面の向こうの―――コックピットに陣取ったパイロットは、コンソールパネルの起動ボタンに手を掛ける。

 次の瞬間―――

 

 

―――ア ナ タ マ チ ガ エ―――

 

 

 馬鹿な男を嘲笑うように口角を釣り上げた画面の美少女が、パイロットを指さした。

「えっ?」

 思わず間の抜けた声を上げたパイロットの首元に、背もたれのヘッドレストからアームが伸びる。ハルトやミツルが乗った時と同じように首元に押し当てられた先端のギミックから、パイロットスーツを貫通して針が撃ち込まれ―――

「がはっ!……あ、ぁぁぎゃぁああああああああっ!?」

 ショックに仰け反るパイロットの身体が、グネグネとうねり始める。パイロットスーツ越しに身体が膨張と収縮を繰り返し、おおよそ人間の体の構造を無視して、粘土のように形を変えているのだ!

「ひいいっ!? お、おい……!?」

「ぐがぁぁぁぁ、ぁ、た、たずげ―――」

 傍らでカメラを構えていた同僚に救いを求めるその言葉を最後まで言い切ることなく、ヘルメットのバイザーが真っ赤に染まる。彼の頭があった位置が、ヘルメットの内側で弾け飛んだのだ。

「バカな!? い、一体何が起きた!」

「僕の時と違う……!?」

 凄惨、と言うにも生温い一部始終を画面越しに見て、驚愕の声を漏らすフィガロとハルト。

 二人は知らなかったが、古来よりヴァンパイアの伝承には必ず、その不死の力を手にしようとする人間の逸話が付き物だ。

 しかし彼らを待つのはいずれも破滅的な最期。力に選ばれなかった“成り損ない”は強大なヴァンパイアの力に体が耐え切れず、生きながらにして身体が崩れて朽ち果てるという、想像を絶する苦痛の中で心を毀され―――遂には、血と肉が詰まっただけの皮袋に成り果てる。

 ハルトとミツルは選ばれ、ARUS軍のエースパイロットは選ばれなかった。物語や言い伝えを再現するようなその光景は、既に古い伝統から離れた現代の人々には残酷過ぎた。

(僕らの時は平気だったのに……いや、僕らは“殺されなかった”のに!?)

 ハルトが視線を上げた先では、カメラや記録機器を持っていたARUS軍の兵士たちが混乱と恐怖に顔を歪ませながら、這う這うの体で一号機のコックピットから逃げ出してくるところだった。

 そこに、幾度目かの衝撃が彼らを襲う。

「うわああっ!?」

 先程までの小さな揺れとは明らかに性質の違う、一方向から横殴りにされるような大きな揺れ。その場にいた者達は、堪らず地面に膝をつく。

「おいっ、今の揺れは何だ! 敵が戻ってくるのはまだ先の筈だろう!?」

 手近な兵士に詰め寄り、余裕を失くした表情で怒鳴り散らすフィガロ。その言葉からハルトは、今の揺れがドルシア軍が再度、攻撃を仕掛けてきたことで起きたものだと悟る。

(もう敵が戻ってきたのか!? くそっ、今からモジュールの外に出て間に合うのか……!)

 今からでもヴァルヴレイヴで打って出るべきか。それとも避難に専念するべきか。どちらを選べばよいのか迷うハルトの耳に、信じがたい言葉が降りかかってきた。

 

「わかった、学生たちは置いて行こう」

 

 は、と思わず間の抜けた声を上げてしまったハルトは、傍らに立つフィガロに緩慢な動作で視線を向ける。それほど、フィガロの声で放たれたその言葉は、今のハルトには理解しがたい物だった。

 だがハルトの視線など構わず、フィガロは無線機でいずこかへと連絡を取り、早口で指示を出している。

「サブのゲートに高速艇を用意させろ。我々とロボットの分だけで……ああそうだ、学生たちの事は考えなくて良い」

「何を、言って……」

  驚きに目を瞠って言い縋るも、フィガロは知らない顔だ。計算の狂いによって余裕を失った“ARUS上院議員(政治的権力を持つ商人)”は、ついにその本性を現した。

「あなたはっ、僕らを助けに来てくれたんじゃなかったんですか!? 皆で生き残ろうって―――」

「良いかいハルト君、物事には優先順位というものがある。今回は君らよりもこのロボットの方が順位が高かったというだけさ」

 今度こそ、ハルトは言葉を失う。目の前に立つ男が何を言っているのか、理解できない。

 そんなハルトにフィガロは憐れむような目を向けて、冷酷に言い放つ、

「親切やボランティアなんてものはね、所詮道楽なんだ。時間と金に余裕のある人間が、余裕の無い人間に分け与えて満足するためのゲームに過ぎない。助けるかどうかは、僕達が決めるんだ」

 ようやく、ハルトは理解した。

 目の前に立つ男は。ついさっき真摯な目で協力を請うてきたこの男は。自分が信じようと決めた、フィガロ・エインズレイは。

 たった今、学園の仲間たちを裏切ったのだと。

「ふ……ふざけるなぁっ!!」

 頭に血が上った勢いそのままに、フィガロに飛びかかろうとするハルト。だがその意図を即座に見て取った兵士たちによって取り押さえられ、地面に頭を押し付けられる。鍛えていても所詮は民間人。ハルトが手に入れた超人的な再生能力は身体の力そのものを底上げしたわけでは無いのだ。

「このっ、卑怯者! 大人が子供に嘘をついて、恥ずかしくないのか!?」

「全然。大人だからね」

 ぎりぎりと押し付けられる痛みに耐えながら叫んだハルトの精一杯の罵倒の言葉は、涼しげな顔で流された。

「この―――ぐあっ!?」

 なおも抵抗しようともがくハルトの後頭部を、兵士の一人が銃床で殴打する。

 サンプルなんだから傷をつけるな、このまま本国へ移送しろ、といった聞きたくも無い会話が頭上で飛び交う中で、ハルトは幼馴染の少女と、戦友である後輩に胸中で詫びた。

(ごめんショーコにミツル、しくじった―――!)

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのねぇ草蔵君に指南さん。貴方達、一体全体何を言ってるの?」

 ため息交じりに放たれた二ノ宮タカヒの言葉に、その場に居合わせた生徒達の大半は、うんうんと頷き、ショーコとミツルに白い目を向けた。

 咲森学園の生徒会室に集められた生徒会役員、各クラブの部長、各クラスの級長を待っていたのは、現状を簡潔にまとめたショーコの言葉。

 

『ARUS軍は自分たちの知らない所で何事かを企んでいる。最悪、自分たちは見捨てられる。無線でそう言っていた』

 

「はい、会議終了ー。各自避難の列に戻りたまえー」

「ええええっ!? ま、待って! 待って下さいっ!」

 言い終わったと同時にこの場の議長であるサトミが解散を宣言したのも無理はなかった。

「軍の無線なんてどこから聞いたんだよ。軍隊の無線通信って、民間レベルじゃ太刀打ちできないレベルで暗号化されてて盗聴なんてどだい無理だぜ?」

 頬杖をついて得意げに語るのは、文化部長としてこの会議に参加したユウスケだ。彼のミリタリーマニアとしての名は学園に広く知られている。そのユウスケがショーコとミツルの意見を出鱈目と言い切ったことで、参加者たちもそうだそうだと同調する。

 元よりドルシア軍の暴力的な振る舞いを見た後にARUS軍の友好的な態度に触れて、生徒達はARUSを全面的に信用してしまっている。そんな状況で、傍から見れば唐突且つ突飛なその言葉は二人と特に親しいキューマですら、すぐさま信じるには難しかった。

「本当ですっ、現に生徒が一人、連中に連れて行かれてます!」

 先程ショーコから聞いた女子生徒の話を持ち出して、ミツルが反論する。

「調べもしないで、ドルシアのスパイかもしれないとか何とか言って―――」

「それこそ本当に、スパイだったんじゃなくて?」

 ミツルの言葉を遮って、再びタカヒが声を上げる。

 ハルトがドルシア軍に拘束された後、学園を制圧したドルシアの歩兵部隊の中に、カルルスタイン機関の特務隊―――咲森学園の制服に身を包んだ少年たちが居たのは周知の事実だ。

 自分たちと同じ制服を着ていた彼らが敵国の兵士たちの指揮を執り、自分たちに銃を向けたのは、体育館に拘留されていた全ての生徒達が目にしている。

 大方その中から今まで逃げ延びていた者が居たのだろうと決めつけて、タカヒはミツルの反論をばっさりと切って捨てる。

 実際、その特務隊に殴り倒されてこれまた捕まっていたミツルは、ぐっと言葉を詰まらせてしまう。考えてみれば十分にあり得ることだからだ。

「そんなことを言うのなら証拠を示したまえ、証拠を。まったくこの忙しい時に……」

 呆れたようなサトミの言葉を合図に、キューマを除く参加者たちは席を立つ。親しい人間以外に誰も自分たちを信じてくれないその状況は、ショーコを焦らせた。

(どうしよう!? このままじゃあの子が……それに、議員さんと話しに行ったハルトだって……!)

 自分がどうにかしなければという思いばかりが募り、ぎゅ、とスカートの裾を握り締める。

 だが信じて欲しくとも、ショーコとミツルが示すことのできる証拠は彼らの見たもののみ。物的なものはどこにもない。

(早く二人を助けないといけないのに……どうすれば良いの?)

 落ち着いて考えろ、と自身に言い聞かせながら、ショーコは急速に思考を巡らせる。

 現在自分がミツルと共にしなければいけないことは、ARUS軍の現状をこの場のメンバーに伝え、名前も聞いていないあの赤毛の少女を救出するための協力を得ること。しかも下手をすれば、そのために動いているハルトさえも救出の対象になる。そして、そうしなければ自分たちは見捨てられかねない。

(ともかくどうにかして信じてもらって、そうでなくても協力だけでもしてもらわないと―――あれ?)

 そこでふと、ショーコは気付く。

 

 今の今まで自分は、赤毛の少女を助けるために、ARUS軍が何かをたくらんでいることを知らせようとしていた。

 それがすぐには信じられないことだということは重々承知している。実際に耳にするまで、自分だってそんなことは露程も考えなかったのだから。

(だったら、私と同じものを見たり聞いたりすれば、信じてくれる)

 決して自分は嘘を吐いているわけではない。なら、見せることさえできれば、皆も否応なく学園を取り巻く現状を知る。

 自分が今しなければいけないことは、見聞きしたものを信じてもらうことではない。

 この場の主導権を握り、行動をさせることだ!

 

(その為には―――!)

 改めて目的を得たショーコの思考は、普段の彼女からは想像もできない速度で―――否、常の如く幾つかのプロセスをすっ飛ばし、“周囲からは逆に回っているようにも見える、誰にも追いつけない速度”で回転する。

 今この部屋にいるのは、生徒会役員を始めとした学園の幹部たち。

 そして議論を重ねる時間がない現在、ショーコが取れる手段は一つ。幹部の中でトップに立つ連坊小路サトミに、行動をとらせること。

 瞬間、ショーコは参加者が向かおうとしていた扉の前まで駆け寄る。

 そして出入り口を塞ぐと手近な棚にあったカッターナイフを手に取り―――迷うことなく自分に向ける!

「しょ、ショーコっ!?」

「指南さんっ!? いったい何を―――」

 突然の凶行に、キューマとタカヒが悲鳴じみた声を上げる。

 二人だけではない。傍から見れば、突然ショーコが凶器を手にして出入り口を塞いだのだ。一体何を、と驚きの視線を向ける参加者たち。

 突き刺さる視線に構うことなく、ショーコは至極大真面目な顔で宣言する。

 

 

「信じて貰えないなら、今この場で髪を切りますっ!」

「……は?」

 

 

 凍り付いたと思った室内の空気は、次の瞬間には緩んで霧散した。

 

 

 

 

 そんなことがあったのが、数分前の事。

『……まさか、あれで話が通ってしまうとは』

「言うな。俺もびっくりしてんだから」

 会議の場に呼ばれていた一年三組のクラス委員長、宍戸ケイシロウとスマートフォンで通話しながら第一校舎へこっそり入り込んだミツルは、人目に気を配りながら一階の廊下を小走りで進んでいた。

「いい加減慣れたと思ってたけど、俺が甘かった。ほんとあの人底が見えねえ」

『あ、あはは……』

 遠い目をしつつ、ショーコの凶行―――に見せかけた奇行を思い返すミツルに受話器の向こうで苦笑するのは、先程までの会議をこっそり生徒会室の外で聞いていたアイナだ。

 ショーコがキューマ達を集めたと聞いて内容が気になり、サキと一緒に聞き耳を立てていたのだが、しばらく立って聞こえてきたショーコの断髪宣言に思いっ切りズッコケた彼女は生徒会室のドアに頭からぶつかってしまった。

 そこから済し崩しに、生徒会室へ入ってきたアイナがショーコを止めようとしたり、普段何かと反りの合わないサキとタカヒが全く同じタイミングで呆れの視線を向けたりと騒ぎがあったのだが……

 

『わ、わかった! 信じるからやめろ指南!』

 

 悲鳴に近いサトミの声を聴いて、ショーコ以外の全員がぎょっと目を見開いた。

 その言葉を聞いた瞬間、我が意を得たりとショーコはサトミに詰め寄る。

『本当ですね!? 言質とりましたよ!?』

『あ、ああわかったから、だから女性が軽々しく髪を切ろうとするんじゃない!』

 サトミが大きく頷くのを見届けて、やったーと叫びながらミツルとアイナ、そしてキューマにハイタッチを仕掛けるショーコ。

 何やら訳が分からないうちに話が進んでしまった事しか理解できずに呆然とするミツルは、ひどく緩慢な動作でハイタッチに応じたことしか覚えていない。

「女子を人質にとれば生徒会長は嫌でも頷く……字面だけ聞くと完全に悪党の考えだよな」

『ま、まあ、それでもこうして、ショーコさんと草蔵くんの言う事も信じて貰えたんだし』

「解ってる……解ってるけどなんかこう、納得行かねえ……」

 初心な割に気障ったらしい側面を持つサトミに交渉を挑むとき、最も有効的な手立ては何か。

 答えは「女の武器」である。

 色仕掛けに泣き落とし、手段は様々あるのだが、今回ショーコはもっとも過激な行動をとった―――自分の命を質にかけての脅迫である。

 ショーコとしては、サトミの責任感と潔癖さからすれば、少しでも体に傷をつけるような素振りを見せれば慌てるだろうと思っただけだ。

 当然だがそんな意図は周囲には伝わらず、ミツルでさえしばし呆れて溜息を吐いてしまった程だった。

 だが大方の予想に反して、サトミは顔を青くしてショーコの意見を認めた。

 結果、生徒達のトップに立つサトミがショーコの告発を是としてしまったことで、その場に集められていた生徒一同は、赤毛の少女を救出し、ARUSの企みを白日の下に晒す為に働かざるを得ない状況になったのであった。

『しかし、本当なのか、草蔵? 未だに信じられないぞ』

「つったって、あいつらが俺達の知らない所でなんかこそこそしてるのは事実なんだ。俺だって信じたくないけどさ……」

 グループ通話システムで数人の生徒と同時に話しながら、ミツルは苦虫を噛んだように口元を引き結ぶ。

 未だハルトからの連絡はない。電話をかけても通じず、着信拒否になってしまうのだ。

(現に、あの議員と話しに行った先輩は連絡が付かない。絶対に何かあったんだ!)

 心中で広がる不安を抑えながら、ミツルは愛機のもとへ急ぐ。確保されていれば、奪わなければならないのだから。

「一階の端に着いた。委員長、そこから見えるか?」

 校舎の端に辿り付いたミツルは、そのままスマートフォンで数人の生徒―――第三校舎の上の階から、校舎を一つ挟んで向こうの第一校舎を双眼鏡で眺める者達に問う。

『ロボットは……あそこだ。ええっと、正門に近い方に、すこし頭のところが飛び出して見える』

『こちら第二校舎三階、ロボットの回り、やっぱり兵隊さんが居るよ』

「くそ、やるしかないか……!」

 双眼鏡はオタク部からの提供。連絡網はスマートフォンの通話アプリ。

 目指すは数時間前に第一校舎の裏へと移動させた、ヴァルヴレイヴ八号機。

 そして、実働部隊は不死身の肉体を持つミツルただ一人。

 

 有り合せの物と人員で、二度目のヴァルヴレイヴ奪還作戦が動き出した。




フィガロ「騙して悪いが、仕事なんでな」


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第十七話 二度目の奪還劇

※今回の内容について感想欄で、八号機と重機の力関係がおかしいと言うご指摘がありました。
 現在該当箇所を修正したものを書いておりますので、今回の話は近日中に内容を変更します。
 申し訳ありません。


(このタイミングで私の機体を持ってくるか。いよいよグスタフ閣下は謀られたと見るべき……なのか?)

 バァールキート級機動戦艦『ランメルスベルグ』の艦載機ハンガー。そこの小窓から見える外壁部に係留されたものを見て、リヒャルトは溜息を吐いた。

 整備兵達が急ピッチで最終チェックを行っている巨大な代物は、対霊長第零小隊の指揮官機―――即ち、リヒャルトの専用機としてチューンが施された、イデアール級機動殲滅機だ。

 オーバーホール中であったそれを、本来グスタフの後詰としてやってきたカインが支援物資と共にわざわざ運搬してきたということなのだが、些かタイミングが良過ぎるように感じてしまうのは流石に自分の考え過ぎだろうか。

 ドルシアが保有するモジュールの一つで起きた小規模戦闘。旧王党派の残存勢力とやりあった際に、モジュール外縁部に据え付けられた電磁投射砲で不覚にも持って行かれた右腕は、新品の複合武器腕が取り付けられている。技術局に押し付けられた癖のあるイロモノ装備だが、そのイロモノに慣れ親しんだリヒャルトにとっては無くてはならない物だった。

「隊長。第零小隊、総員出撃準備できました」

 リヒャルトの背中に声を掛けて来たのは、新たに副官となった男性軍人、マリオ・クロコップだ。

 振り返ったリヒャルトに、まだ若いマリオが向ける視線は険しい。

(無理も無いか)

 先程ブリーフィングルームで、初となる部隊の顔合わせを終えた時にも向けられた視線だ。そこに込められた感情は、不信。新たにリヒャルトの部下となった彼らは、戦場でヴァルヴレイヴの性能を目の当たりにしている。マリオが元々いた部隊の隊長も、あの忌々しい紅白の人型に撃墜され、戦死したのだ。

 そんな中、只一人あの戦場に居なかったリヒャルトが彼らの新しい上司となったのだ。参戦できない理由があったとはいえ、自分ならば理解できても納得はしないだろう。

 対ヴァルヴレイヴの特殊部隊とは言いつつも、その出だしは、確実に足並みが揃っているとは言い難かった。

(いや、だからと言ってへこたれている場合じゃない。ミスは戦功で帳消しに。不信は働きで以て拭う。今までもそうして来た筈だ)

 彼らが自分を信じないと言うのなら、信じたくなる働きをしてみせよう。嘗ての自分とて、己が持つ暴力を以てストリートで生き延びたのだ。

 実力無き指揮官に、ついて行く者は居ない。それは自分が良く知っている。ならばこの部隊を纏めるためには、まずは実力を示そう。

「第一陣の艦隊強襲が成功次第、我々も出るぞ。隊の総力を以て奴らの首を獲る。各員遅れるなと伝えろ」

 強く断言するリヒャルトの眼力に呑まれてか否か。マリオが多少、後ずさったように見えた。

 

 

 

 

 目を覚ましてからしばらくの間、自分が拘束されたと悟ったアキラは狂ったように暴れていた。

 年頃の少女が恥も外聞も無く、後ろ手に縛られているにも拘らず悲鳴を上げてばたばたと暴れるその姿はお世辞にも見ていて気分の良い物とは言い難く―――そんな事を本気で言う奴が居たらそいつは重度の変態だ―――彼女を監視していた兵士たちは途方に暮れてその姿を黙殺していたが、やがてアキラは不規則な音を立てながら苦しそうな息遣いを始める。ひっ、ひっ、と不安を掻き立てるその音が極度のストレスから起こる過呼吸だと悟った兵士たちは、慌てて一人の人物を呼んだ。

「はいはい一体どうし……オゥ、ノー。なんてこった」

 現れたのは、工兵部隊の第六班を纏める女性工兵。監視の兵士達から連絡を受けて持って来たビニール袋をアキラの口に押し当てて身体を起こすと、がたがたと震えるその背中を強めに擦る。本来過呼吸に対して紙やビニールの袋を用いた応急処置と言うのは窒息のリスクもあり決して正しくはないのだが、女性工兵はこの時に注意すべき『隙間を作って急激な二酸化炭素の吸引を防ぐ』というポイントをしっかり押さえていた。口だけを袋で覆われたアキラはぜーはーぜーはーと荒い息を繰り返すと同時に、鼻から新鮮な空気を吸い込む。

 五分ばかりそうしていただろうか。十数秒おきに袋を口から離し、ゆっくりゆっくりと呼吸を和らげて行ったアキラは、それまで見えていなかった周囲の様子に目を向け始めた。

 狭く、窓も小さい室内。学園の監視カメラをほぼ全て掌握するアキラですら見たことが無い場所……いや、足元にあるのは体育の授業で使うマットだ。ならばここは、体育館の用具室か更衣室あたりだろう。アキラがネットワークに精通していたとて、WIREDやデジタルなものと遮断された場所まで彼女の目が届くことは無い。

(し、知らない場所……知らない大人……やだ、やだよぅ……)

 きゅ、と目を瞑って恐怖に耐えるアキラ。不意に、震える背に手が添えられて、びくりと肩を強張らせる。驚いて視線を向けると、先程アキラの口に袋を当てていた女性工兵の笑顔があった。

「落ち着いたかい?」

 努めて優しい表情を浮かべる女性工兵だが、アキラはその問いに応えず、背中に当てられていた手を振り払う。

 つい今しがたARUSの工兵―――自分たちに拘束されたのだから当たり前だが、それにしたってこの怯えようは何だ、と工兵は未だに震える赤毛の少女に目を向ける。

 小柄で猫背。肌も白く、全体的に線の細い女の子だ。

 先程一緒に居た茶髪の女子とは全然違った印象だし、その前に少し話をした草蔵ミツルともまた違う。ここまで頼りなさげな少女に怯えの目を向けられると、不思議とこちらが悪者に思えてくるから不思議なものだ。

(こんな子が、うちの通信回線にハッキングだなんてね)

 果たしてこんな肝の小さな少女が、敵国と内通など出来るのだろうかと疑問を抱く。しかし、現在自分たちの指揮を執るフィガロと、その意を受けた艦隊司令が、彼女をスパイだと判断し、捕えるように命令を出した。この少女の正体を決めるのは自分では無い。

 女性工兵はそうしてアキラから視線を逸らし、室内には沈黙が降りる。そうこうしているうちに、扉の向こうからがやがやと喧しさが近付いて来た。

 何事か、と二人は歩哨が立つドアの方を見つめる。アキラは怯えた顔で、工兵は怪訝な顔で。

「ほらっ、大人しくしてろ!……おい、追加だ!」

 そう言って開いたドアから放り込まれたのは、監視カメラの映像やWIREDに流出した写真で、二人が既に何度か目にした少年。赤いロボットを駆るスーパー高校生、時縞ハルトだった。

 自分と同じ咲森学園の生徒がやってきたことに、普段の自分の人見知り具合も忘れてアキラは一瞬だけ安堵する。が、その両手が自分と同じく後ろに回っているのを見て安堵はそのまま落胆へと転じた。

 乱暴に突き飛ばされたハルトは受け身を取ることも出来ずに顔から床に突っ込み、うごふ、と不細工な悲鳴を上げる。敷きっぱなしになっていたマットに助けられて負傷はしなかったが、マットはちょっとかび臭かった。

「あいっててて……って、君は?」

 しばしの間痛みに顔をしかめていたハルトだったが、何とか態勢を立て直すと、その視界の隅にアキラの姿を捉える。

「あ、もしかして君が、ショーコが言ってた?」

 赤毛の小柄な女の子。ショーコから聞いていた特徴と合致するその姿に、彼女こそがARUSの通信にハッキングを仕掛け、さらわれてしまった女生徒なのだと察するハルト。

 問いを向けられたアキラはこくこくと小さく頷き、ハルトの声に答える。見たところ外傷も無く、特に乱暴に扱われていたわけでは無いことにハルトはほっとするが……

「はい、なーに普通に話してるのかなっと」

「んむっ!?」

 アキラの傍に居た女性工兵によって手早く猿轡を噛まされ、それ以上の会話は出来なくなる。

 むーむーとくぐもった声を上げながら抵抗するハルトであったが、噛まされた猿轡が外れる気配は無い。

「あの、曹長。そっちの女の子は口塞いでおかなくて良いんですか?」

 腕と足だけを縛られたアキラを見て歩兵の一人が訪ねる。先程金切声と共にばたばたと暴れられたばかりなので、せめて大声は出さないで欲しいなという気持ちからの質問だったのだが、女性工兵は歩兵に白い目を向けると、げんなりとした溜息を吐きながら答える。

「……猿轡つけて、また暴れて過呼吸起こさせろってか? あたしゃ御免だよ」

 そう言われると歩兵たちは何とも言えず、ドアの近くに戻るのだった。

(にしても、あのロボットのパイロットもこうなっちゃただの子どもか)

 拘束から逃れようと動き回っているうちにすっ転んだのだろうか。マットの上で芋虫のようにもぞもぞともがくハルトの姿はどう見ても年頃の少年そのもので、とてもあの超兵器の担い手だとは思えない。なんというかこう、覇気とか貫禄というものが決定的に欠けている。

 天才的なハッカー少女と、天才的なパイロットの少年。

 身の丈に合わぬスキルを持つ二人の姿に、女性工兵は先ほどミツルとの会話の中で抱いた疑念が大きく膨らむのを感じていた。

(ジオールの国防軍は、いや、ジオール政府は、何を考えてこの子たちに戦う力を与えたんだ?)

 彼女のその疑念に答えが示されるのは、もう半年ほど先の事である。

 

 

 

 

 学生たちに知られぬまま、ARUSの手に渡った二機のヴァルヴレイヴ。一号機はヘリによって体育館裏へと運ばれ、八号機は第一校舎の付近に吹き曝しのまま放置されている。もっとも吹き曝しと言っても、直径十キロメートルの巨大な天蓋に覆われたモジュールで、その言葉が正しく機能するのかは甚だ疑問ではあったが。

 八号機を監視するべく歩哨として立っていたARUSの兵士たちは、体育館側から聞こえてきた歌を聞いておや、と宙を仰いだ。

 古めかしい言葉遣いの詞と、伴奏を伴わないア・カペラで奏でられるそれは、咲森学園の校歌だ。

 一つ一つの声は小さくとも、そこに集まる学園の生徒数は、優に二千人を超えている。元々この学校は、嘗ての日本からオセアニアという広い地域の学生たちが厳しい試験をパスして進学してくる学校。襲撃で少なくない死者が出たとはいえ、本来ここに居た学生は三千人以上だ。故に、数百メートル離れた場所まで流れてきたその歌声は、十人や二十人が歌うような弱々しい物などでは無かった。

「校歌斉唱ねぇ。ハイスクールの卒業式以来だな。軍に入ってから地元にも戻ってないけど」

「お前、マイアミの出身だって言ってたっけか」

「ああ。エバーグレーズなんか夏場に行くと涼しいもんだよ。そういうお前はサルバドールだっけ?」

「おうよ、これでもガキの頃は未来のワールドカップ選手なんて言われてたんだぜ」

 若々しい歌声に感化されたのか、二人の兵士は自分の幼い頃と、短い休暇にも帰っていない故郷に想いを馳せる。

 軍人になってからというもの、来る日も来る日も訓練と任務の繰り返しでロクな休暇も無かったが、この辺鄙な場所で緊張感の無い任務に着いたのは休暇の代わりと考えても良いのだろう。

 これで美女とビールがあれば言う事無しなんだがな、とぼやいていた彼らに、校舎の方から現れた人影が声を掛けた。

「すいませ~ん、一緒に写真撮ってイイですかぁ?」

 育ち切っていない甲高い声で声を掛けられて、二人は年甲斐も無くどきりと胸を高鳴らせる。

 そこに居たのは、咲森学園に通う女子高生が四人。ARUSのハイスクールではほとんど見かけない『学生服』に身を包む彼女たちは、屈強な二人の兵士にも物怖じせずに近付いて来る。

「あっちで他の子たちが、ARUSの皆さんにありがとうの気持ちを伝えようって言って歌をプレゼントしてるんです」

「そんでぇ、私達もお兄さんたちに何かできないかなーって思って!」

 先頭を切って話しかけたのは、髪を派手な色に染めた二人の女子生徒。多少遊び慣れている彼女たちは、週末に街中でイケメンを漁る時のテクを駆使して二人の兵士にモーションを掛ける。

 本来であれば、こういった色仕掛けと言うのは危険が付き物だ。まして彼女たちは単なる学生。もしも相手の男が所謂オオカミさんだったりしたら、そのまま貞操の危機に繋がるのだが―――

 

「あ、ああ、そりゃ有り難いなぁ!」

「い、いやぁ~こんな可愛いお嬢さん達に労って貰えるんなら何でも出来ちまうぜ!」

 幸いなことに。

 夏場は人混みよりも静かな湿地の自然公園に足が向かう草食系フロリダ人と、三度の飯よりもサッカーが好きなスポ根少年だったブラジル人の二人は、『今時のギャル』にすっかり呑みこまれてしまっていた。

 プラス、軍に志願してからこっち事務方や参謀といった知的な部署とは縁が無かった為に、職場の異性と言えば息をするように罵詈雑言が口から飛び出す屈強な女性である彼らにとって、年齢よりも幼く見える傾向のあるジオール人の、それも成人していない少女たちというのは、アングラで出回っている下品で違法な雑誌でしか見た事の無い人種……下心と言うのは、持つなという方が厳しいもので、尚且つ休暇だなんだと気が緩んだ時にこそ、ついつい外に出てしまうものであった。

 

「何でもってそんな大げさな~!」

「えーでも包容力ある大人ってイイよねぇ」

「ふふん、サッカーで鍛えたからな。体力仕事なら任せておきたまえよ」

「きゃー! 素敵ー!」

「いやいやお嬢さん方、最近の男は体力だけじゃ駄目だぜ? やっぱ顔がよくないと」

「ってそこは知性じゃないのかよ!」

「あははは、お兄さんたちマジウケるー!」

 そして、でれでれと鼻の下を伸ばす年上の兵士を前に、きゃいきゃいと姦しく騒ぎ立てる少女たちが内心冷めた気持ちで『うわコイツラちょろ過ぎ』とか思っているうちに。

 

 

「第一関門クリア。何とか最初の監視は抜けた」

『そこからもう百メートルぐらいのところで見回りの人が歩いてるから、しばらく隠れてやり過ごして』

 

 四階の窓から外の様子を窺うアイナと小声で連絡を取りつつ、彼らの背後をミツルが忍び足でこっそりと通り抜けたのであった。

 

 

 作戦としては、至極単純である。

 タカヒと、彼女が率いるゼロGバレエ部のメンバーが先導して、ARUS軍の前で出し物を披露。バレエを演じるのも良いが、それよりは学園の校歌か応援歌でも歌った方が、周囲も乗って来るだろう。歳の頃も相まってノリの良い咲森学園の生徒達の事である。歌っているうちに次々と飛び入りで参加してくるだろう。

 そして、数百人を超える合唱でARUS軍の目を引き付けているうちに、ハルトとアキラの救出チームは体育館へ。ヴァルヴレイヴ八号機の奪還チームは第一校舎へと急ぐ。

 職業軍人を相手に高校生たちが駆け引きやスニーキングを挑むなど無謀も良い処ではあったが、失敗すれば明日は無い。作戦に参加した生徒達には自然と気合が入っていた。

「つっても、上手く行くのかな……」

『草蔵くん?』

「ああいや、なんでもない」

 ついついこぼれた胸中の不安を受話器の向こうのアイナに聞きとがめられ、ミツルは慌てて口を噤んだ。

 もとより八号機奪還の成否は自分にかかっている。それぐらいはミツルも弁えているつもりだ。

 しかし、ヴァルヴレイヴの操縦以外はただの高校生である自分にどこまで出来るか、と問われたならば、やはりミツルは首を傾げる他無かった。

(相手はマジモンの軍隊、対して俺達はどこにでもいる高校生……いや、勝てる要因があるとすれば)

 それは、ミツルの不死の身体だろう。

 万が一銃撃を受けたとしても、ミツルだけならば死ぬことは無い。先程撃ち抜かれた首元には、既に傷一つ残っていなかった。

 しかしそれは同時に、不死身の身体を仲間たちに晒すことに他ならない。色々な葛藤がまだ整理できていないミツルとしては、何としても避けたいところだった。

 嫌な事を思い出して眉を顰めるミツルだが、そこから一つの可能性を思いつく。

 少し前に自分の首を拳銃で撃ち抜いた張本人―――エルエルフ。

(あいつは、俺達に『自分に従え』って言ってきた。もしかして、あいつならこの状況を―――)

 不意に脳裏を過った答えを、慌てて打ち消すミツル。冗談ではない。自分を一度殺し、仲間に手を上げたドルシア人を、どうして信じることが出来る。

(確かにすごい奴かもしれないけど、それでもやっぱりあいつは敵だ、敵!)

 頭を振って思考を切り替えたミツルは物陰に身を隠しながら、ようやく見えてきた愛機に目を凝らす。

 八号機は軍用トレーラーに固定された状態から、荷台ごとリフトアップされて垂直に立った状態になっていた。これが横向きになって地上からの距離もなければまだ楽だったのだが、無い物ねだりもしていられない。ミツルは手早く足場になりそうなものを探すが、あいにくと周囲は作業中のクレーン車と、その隙間を縫って歩く工員たちしか見当たらない。

(ああもうっ、どうしろっていうんだよ!)

 身を隠しているコンテナを殴りつけたい衝動に駆られながら、打開策を探る。

 せめてそのクレーン車のアームを八号機に直付けすることさえできれば良いのだが―――と、そこまで考えたところで、ミツルはあることに気付く。

(あの“乗っ取り”を使えば、兵隊に紛れ込むことは……!)

 怪しまれずにクレーン車を操る方法を、自分は持っていたのだ。

 サキによって図らずも体験する羽目になった、怪物の力。それを行使すれば良い。

……とはいったものの、思いついた手段をすぐ実行するには抵抗があった。

 だが、他に方法はない。

(……もし上手く行かなかったら、俺が怪物だってバレるかもしれない。おまけにヴァルヴレイヴを取り返せなきゃ、俺もハル先輩も実験動物扱いだ)

 それは、とてつもなく怖い。だが、どんなに可能性が低くとも、やらなければ全員助からないのだ。

(しっかりしろ、草蔵ミツル!)

 握った拳を、自分の頭に打ちつける。余計な考えを追い出せば、上手く行くような気がした。

(そうと決まれば……!)

 アイナに連絡を取って一年三組の生徒達を校舎から遠ざけさせてから一人で歩いている工員を見つけると、その後を追った。

 

 

 

 

 ハルトとアキラのところから戻った女性工兵は、現場の風景に違和感を抱いた。ほどなくしてその正体に気付いた彼女は、手近なところにいた若い部下を呼びつける。

「ちょっと、三番クレーンの位置がおかしいよ!」

「えっ? あ、ほんとだ!?」

 彼女が三番クレーンと呼んだのは、白いヴァルヴレイヴのすぐ脇で展開しているクレーン車だ。伸びたアームがちょうどヴァルヴレイヴの目の前を斜め四十五度に横切っており、とてもバランスの悪い状態になっていた。

「動かしてるバカはどいつだ、すぐにやめさせろ!」

 女性工兵が怒鳴ると同時に、若い工兵がそのクレーンへ近付く。つられて目を遣れば、そのクレーン車の運転席に座る人間は、スマートフォンを手にしている。

(話しながら作業をしてたってのかい!? 何年あたしの班に居るんだ、グズめ!)

 走って駆け寄ろうとしたその時―――

 

 ブォ、と勢いよくクレーン車が倒れ、アームの先端が学園の校舎へと突き刺さる。

 のみならず、ヴァルヴレイヴを乗せていたトレーラーを巻き込んで、白の巨兵ごと学園の校舎へもたれかかるように突っ込んだ!

 

「なああっ!?」

「い、言わんこっちゃない!!」

 作業の現場で起きた大事故に、工兵たちから驚きの声が上がる。女性工兵もまた、しばし呆然としていたが、一瞬の後に顔を怒りで真っ赤に染めて怒鳴り散らす。

「負傷者の確認急げ! あんたは破損個所のチェック! ついでにバカ野郎を引きずり出せ!」

「あ、アイ・マム!」

 烈火の如き上司の剣幕に、若い工兵は顔を青くしながら倒れたクレーン車に近寄る。だが彼らが呆然としていたその一瞬のうちに、クレーン車の運転席に座っていた工兵は何処かへと駈け出していた。

 事故を起こして、やばくなったら逃げようってのか! 女性工兵は軍人に、いや、常識ある大人にあるまじきその姿に絶句しながらその後を追う。やがて学園の校舎に入ったところで倒れている工兵を見つけた。

「あんた、どういうつもりだい!?」

 胸倉掴んで引き起こした工兵に向かって怒鳴りつけるが、部下の工兵はぱちくりと目を瞬かせる。

「あれ……は、班長? 俺、いままで何を……」

「何を、ってのはこっちの台詞だ! 寝ぼけてないで説明しろ!」

 女性工兵からすれば白々しくすっとぼける部下に、思わず拳を振り上げたその瞬間。

 

「あっ、お、おいお前!?」

「返してもらうぞ!」

 

 背後で挙がった声に、女性工兵は思わず目を遣り、そして見た。

 学園の四階の窓から飛び出したミツルが、校舎にもたれかかるようにして倒れ込むヴァルヴレイヴに飛び移ったのを。

 

 

 

 

 ハッチを閉じたコックピットの中で、ミツルはガッツポーズを取った。

「よっし、上手く行った!」

 ヴァルヴレイヴに速やかに乗り込むためには、どうにかして足場を確保すれば良い。しかも、出来るだけ自分が目立たない方法でだ。

 作業を行う工兵に紛れてトレーラーの荷台を下げることができればよかったのだが、物陰でミツルがジャックした身体の持ち主は生憎とクレーン車の担当だった。担当が違う以上、怪しまれずにと言うのはこの時点で無理だ。

 クレーンのアームを上手いこと操作して橋を作り、それを駆け上ってコックピットに乗り込むことも考えたが、それには抜け殻となった自分の身体をクレーン車にまで運び込む必要がある。なによりそんな剥き出しの不安定な足場を丸腰で駆け上がるなど無茶も良い処だ。不死身の身体が露呈する危険の面でも、リヒャルトの時のように背後から撃たれるのはもう御免である。

 よってミツルが、ジャックした工兵の身体を用いてとれた手段は―――クレーン車を使って別の足場にヴァルヴレイヴを近づけることだった。

 幸い、狭い場所で作業していた為か別の足場はすぐに見つかった。

 五階建ての第一校舎。そこに何とかしてヴァルヴレイヴを近づけてやれば良い。その為にクレーン車で出来ることはと言えば。

 

 ミツルはクレーン車でヴァルヴレイヴを殴り倒し、直立するその機体を斜めに転倒させたのだ。

 

 事前に連絡を取り、アイナやケイシロウを始めとした他の生徒達は第一校舎から遠ざけてある。だからこそ、ミツルは校舎を破損するような方法に少しだけ迷ったものの、仲間の被害を気にすることなく遠慮なしにやらかすことができたのだ。

 クレーン車を操作してすぐにミツルは工兵の身体のままで校舎へと走り、あらかじめ玄関付近へ寝かせておいた自分の身体へ戻る。

 そして、陸上部で鍛えた健脚で以て校舎の階段を駆け上がり、ちょうど八号機の頭部がめり込んだ四階の窓から機体の方へ飛び移ったのだ。

「コックピットにさえ入っちまえばこっちのもんだ! 後は先輩達を……」

 二度目となる起動シークエンスの操作を、慣れた手つきで手早く終わらせる。トレーラーに固定された四肢を、桁違いの馬力に任せて引きちぎろうとしたその時。

「そこ動くな、クソガキっ!」

 スピーカーから拾った音声に一瞬気を取られた瞬間、八号機のコックピットを大きな揺れが襲う。

「うごぁっ!?」

 座席ごと揺らされ頭を大きくシェイクされたミツルが何事かと辺りを見回すと、コックピット内の全天周モニターに影が差しているのが見えた。

 黄色と黒の縞模様の入った巨大な鉄柱が、ヴァルヴレイヴのコックピットに押し付けられている。その根本に目を遣れば、鉄柱は工事用車両から一直線に伸びていた。

 先程ミツルがそうしたように、ARUS軍の工兵たちはクレーン車のアームで八号機を校舎に押し付け、その動きを封じようとしているのだ。

「んの、野郎っ……うぉあっ!?」

 力任せにそれらを押し退けようと操縦桿を握ったミツルであったが、そうは問屋が卸さない。

 ARUS軍の二台の工作車からワイヤーが放たれ、狙い過たず八号機の手首と足首を絡め取ると、急激に巻き取られるウィンチに引きずられた八号機は体勢を崩す。只の工作車と侮るなかれ、大破した戦車や戦闘機を牽引するためのワイヤーウィンチはヴァルヴレイヴを縛り上げることこそできないが、歩行、離陸、どちらの動きも厭らしいまでに阻害している。

「一番二番、全力で引っ張れ! あのロボットの推進器は両足についてる、そこさえ封じればただの馬鹿力の人型ロボットだ!」

 メガホンを持って工作車に指示を出すのは、先程ミツルと少しだけ会話した女性工兵。

「こっの……! あんた達、やっぱりヴァルヴレイヴだけ盗む気だったな!?」

 マイクへ怒鳴りつけるミツルの言葉は、外部スピーカーを通じてARUSの工兵たちに届く。しかし女性工兵がそれに応じることは無い。下手にメガホンを使って余計なことを言う気は無いのだ。

(これじゃあどうにもならないっ!? 畜生、動くことさえできれば……!)

 せめて動くことさえできれば、と歯噛みするミツル。

 すると―――クレーン車の根本が爆音と共に弾け飛ぶ。

「なっ!?」

 何が起きた、と思ったその時、硬い物がぶつかる音がコックピットに響く。

 そこに居たのは、ARUS軍の装備品であるロケット砲を肩に担いだ銀髪の少年―――エルエルフ。

「エルエルフ!? お前っ、何時の間に!」

「拘束は俺が壊す。時縞ハルトは体育館だ、さっさと行け」

 言うが早いかエルエルフはロケット砲を八号機の手足へと向けて引き金を引く。煙を引いて撃ち出された弾頭は右手首を戒めていた金属板を正確に吹き飛ばした。

「すっげー……」

 鮮やかな手並みに感嘆の声を漏らすミツル。張り出したコックピットの陰で爆風をやり過ごしたエルエルフは、接触通信を使って事も無さ気に言い放つ。

「この型のランチャーなら使ったことがある。それよりも、もう動けるだろう。後は自分でどうにかしろ」

「あ、ああ、わかった!」

 自由になった右手首で左手の拘束を殴り壊した八号機は、そのまま機体を起こす。胸部にエルエルフが乗ったままであったが、彼は言うだけ言った後、さっさと背後の校舎に飛び退っていた。

 上体の自由を手に入れた八号機は両手を地面に向けると、手甲部に装備されたヴァルヴレイヴの標準装備の一つ『ハンド・レイ』から熱線を放つ。

 破裂するかのように雑草交じりの土が弾け飛び、ARUSの工兵たちは驚きに動きを止めた。

「次は当てるぞ! 死にたくなかったらそのワイヤーを解け!」

 外部スピーカーから流れてきたミツルの怒鳴り声に、工兵たちは暫し動きを止め―――数瞬の後、班長である女性工兵は、二台の工作車両にワイヤーを解くよう指示を出した。

「よしっ、これで!」

 今度こそ自由になった八号機は、一足で地面を蹴ると校舎を超える高さまで跳び上がり、ハルトが囚われている体育館に向かう。

 途中、自分を援護してくれたエルエルフの事が気になったが……それよりもハルト達のもとへ急がねば、とフットペダルを踏み込んだ。

 

 

 

 五階建ての校舎の向こうへと消えた八号機を見送り、エルエルフは笑みを浮かべる。

 周囲にはまだARUSの工兵たちが居たが、残った相手がエルエルフであると悟ると蜘蛛の子を散らすように逃げ出していた。八号機を奪還された今、下手に自分の相手をして無駄死にするよりは、と考えたのだろう。

 

―――これで良い。

 

 胸中で呟いた言葉は、いつの間にか音を伴い、唇から滑り出ていた。

 逃げて行った工兵たちから、自分が白いヴァルヴレイヴの奪還に手を貸したことはほどなく知られるだろう。

 そう、ARUSの目の前でミツルは自分と―――“ジオールのパイロットは、ドルシアの軍人と協力した”のだ。

 どんな理由があろうとも、残る事実はその一言。それ故に、エルエルフは笑う。

 同盟国であるARUSに対し、ジオールの学生たちはドルシアの軍人と共に攻撃を加えたのだ。

 ARUSは学生たちを警戒し、難民として助けを求める彼らへの締め付けを厳しくする。

 これを知った学生たちが、ARUSに靡くのは抵抗があるだろう。或いは何故そんなことをしたのかとミツルを責め、仲間割れになるか。

 どちらに転んでも、エルエルフには学生たちをコントロールする術がある。

 程なくこの学園と、二機のヴァルヴレイヴは、エルエルフの手駒となる。

 

 

 

 慢心、と言ってしまえばそれまでであるが。少なくともこの時、彼は自分の計画が破綻するとは微塵も疑っていなかった。

 



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第十八話 箱舟は、星の海へ

 結局前話の修正は年内に間に合いませんでしたorz
 来年からもよろしくお願いします。


「人が折角助けに来たのに何してんの!? っていうかこんな時にそんな余裕あるんなら自分でどうにかしてよ!」

「いや、誤解だから!?」

 所変わって、体育館の器具倉庫。眉を吊り上げて非難の叫びを上げるショーコに、猿轡を外されたハルトはどうしたものかと困ったような表情を浮かべている。あまりといえばあまりにも通常運転な二人のやりとりに、ARUSの兵士をふん縛りながらキューマは内心で腹を抱えていた。その後ろでは、立て続けに起こったドタバタに理解の追い付いていないアキラがぱちくりと目を瞬かせ、本物の突撃銃に触れたユウスケが感動に肩を震わせていた。

 ショーコとキューマ、そして霊屋ユウスケの三人がハルトとアキラのもとへと辿り着いたのは、つい今しがたの事であった。

 良い侵入経路を知っていると言うユウスケの先導で体育館の裏手へ案内されたショーコとキューマは、通気口から体育館に潜入することに成功した―――どうやらユウスケは、昨年の文化祭で開かれたミスコンテストの折に文化部の先輩から『女子更衣室を除く絶好のポイント』を伝授されていたらしい。

 そうして、勘を頼りに通気口から倉庫へと近づいた三人だったが……倉庫の近くで、通気口が直角に曲がっており、足を滑らせて三人揃って落下したのである。

 もともと人間が通る事など考慮されていない通気口は、落下の衝撃で破損し―――運の良いことに、器具室に立っていた兵士の脳天を激しく殴打してその意識を刈り取った。

 そして、足場を失くして落下してきた三人は、自分たちが辿り付いた先でハルトが倒れているのを見つけたのだが……

『あ、ハルトっ! 良かっ……な、なにしてんのーっ!?』

 落下の衝撃から立ち直ったショーコが見たのは、アキラの上に―――彼女を守るような格好で―――覆い被さるように重なるハルトの姿だった。

「どんな目に遭わされてるのかって心配してたのにぃぃっ! あーもう、心配して損した!」

「ショーコが天井から降ってくるからだろ!? 危ないって思って咄嗟に……っていうか、そっちこそ僕やこの子の真上に落ちて来てたらどうするつもりだったんだよ!」

「よーし二人ともそこまでだ。積もる話は後にしろ」

 見張りの兵士を簀巻きにし終えたキューマが、がるるるる、と額を突き合わせる二人の頭を掴んで離す。喧嘩するほど仲が良いのは結構だが、これ以上の漫才は脱出してからにしてもらいたい。ひとまず二人を落ち着かせたキューマは、未だに混乱するアキラに声を掛けるが―――

「大丈夫か?」

「ぅやあっ!?」

 びくりと身を震わせたアキラは、後ろ手に縛られたまま器用に壁際まで飛び退ってしまう。そのまま壁を背にしたアキラは、ふーっと荒い息を吐きながら周囲に視線を巡らせる。

 助けに来たというのにあからさまにこちらを拒絶するその態度にキューマは戸惑い、ユウスケやハルトと顔を見合わせる。

「……俺、今なんか不味いことしたか」

「さ、さあ……」

 人見知り、というには少し過敏に過ぎるアキラをどうしたものかと頭を捻る男子三人。そんな彼らを尻目に、ショーコが一歩歩み出る。

 同性とはいえよく知らない他人に接近されたアキラは再度、身を強張らせる。そんなアキラの心中を知ってか、ショーコはアキラの前にしゃがみ込むと、くりくりしたその目を同じ高さから覗き込んだ。

 ひ、と息を詰まらせるアキラ。無言のままにじーっと見つめるショーコ。やがて……

 

「やっぱり、私より細い……!」

 

 謎の台詞と共に、がくっと膝から崩れ落ちた。

 

「……あの、ショーコ? 今けっこう事態が逼迫してるっていうか、僕ら地味に命の危機でそんなこと気にしてる場合じゃないんだけど……」

「だってだってぇ! この子の部屋、明らかに不健康な生活態度モロ出しだったのにそれでこのスタイルだよ!? 肩幅は仕方ないとして腕も足もこんな細いとか反則!」

 

 頬を引き攣らせるハルトに構わず、座り込んだショーコは身振り手振りを交えてアキラの体形を褒めそやす。健康的な印象から男子に人気の高いショーコだが、運動部の練習で筋肉が付いたことは地味に気にしていたらしい。

 当のアキラは外見を人から褒められた経験なぞロクになかった為か、ショーコの熱弁を前に呆然とするばかり。ポテトチップスの食べ過ぎで頬に浮いたそばかすの分を差し引いても、その仕草は確かに小動物のような愛らしさがあった。

 偶然にも、というかなんというか。この一連の馬鹿らしい遣り取りが一同の間にあった緊張感やらを和らげていた。

(変な、ひと)

 それは、いきなり小物入れを顔面にぶつけてしまったにも拘らずに助けに来てくれたショーコに呆気にとられていたアキラも同じだった。

 未だ、過去のトラウマによる他者への不信は拭えない。けれども、この謎の少女とその仲間について行けば、自分は助かるのだと。そう思えてしまう、理解できない雰囲気があった。

 こうしてアキラは学園に入学して初めて、久しく忘れていた他人への興味を思い出したのだった。

 

「くぅうっ、ま、まだ腰のくびれ具合まで負けた訳ではっ……そうだ、ちょっとシャツの裾めくっておなか見せ―――」

「いい加減にしろってーの」

 

 そろそろイラついて来たキューマに遠慮なく頭をはたかれ、ようやくショーコは沈黙した。

 

 

 

「―――道を開けろぉ! さもないと撃ち殺すぞ!」

 おっかなびっくりのアキラを伴ってギャラリーの非常口から体育館を出たハルト達が目にしたのは、装甲車の上でアサルトライフルを構え、声高に叫ぶフィガロの姿。そして、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う生徒達だった。

 おそらくフィガロは、既にその手に握る銃の引き金を引いたのだろう。遠目に見える装甲車の近くには、点々と零れ落ちた赤い水たまり。少し離れたところでは、肩を押さえたライゾウを支えながら歩を進めるマリエの姿があった。

「あいつ、本性表しやがった!」

 フィガロがライゾウを撃ち、生徒達の恐慌を引き起こした。サキが危惧した事態そのものになってしまったことを瞬時に察したキューマが吐き捨てるように言う。

「ショーコ、その子をお願い!」

「ハルトっ!?」

「ヴァルヴレイヴを取り戻す!」

 アキラの身をショーコに預け、ハルトは非常階段の欄干を飛び越えて眼下に表れたトレーラーへと飛び移る。

「動くな!」

「うっ!?」

 しかし、それは悪手だった。彼らにとって最も優先されるのは、ヴァルヴレイヴ一号機の強奪。そのヴァルヴレイヴに、警備の兵をを配していない筈が無かったのだ。

 トレーラーに飛び移ったハルトの鼻先に、ライフルの銃口が突き付けられる。

 ヘッドショットはマズイ。周囲の目がこれ以上無く集中している場所で頭を撃たれて蘇生なんてしてみれば、あっという間に身体の事を知られてしまう。

 服で隠れた身体なら誤魔化せるか―――いや、防弾チョッキと言い張るには無理がある。そんなものがどこにあったと聞かれても、ハルトは答えられないのだから。

 逡巡するハルトの内心を知ってか知らずか、ARUSの兵士たちはアサルトライフルのレバーを引き、セーフティを外す。万事休すか、と諦めかけた次の瞬間―――待ち望んでいたそれが現れた。

 

「てめえらこそ、全員動くなぁああーーーーーっ!!」

 

 スピーカー越しに、ごう、とハウリングを伴って大気を震わすその叫びは、上から降ってきた。

 思わず上空へ目を向ける者たちの目に映ったのは、落下してくる巨大な蝶。

 硬質残光の反重力作用を活かして減速しながらそれでも速度を殺し切れずに、八号機は轟音と共に着陸した。

 どごん、と大きく揺れた地面に足を取られて学生たちはその場でたたらを踏んだり転んだり。フィガロを含むARUSの面々も、乗り込んでいた車両を大きく揺さぶられて動きを止めていた。

「くそぉっ、な、なんだ……!?」

 揺れが治まり体勢を立て直したフィガロが憎々しげに上空を睨め上げた時にはもう、ミツルが乗り込んだ八号機が目の前にいた。

「ミツル!」

「お待たせしましたぁ!」

 装甲車の動きを止めるように直立するヴァルヴレイヴ八号機。その手には、先程ARUSの工作兵達によって発見され、移送の為に八号機とセットで保管されていた長大な銃が構えられていた。

「銃を捨てろ! 神妙にしやがれ、この嘘吐き野郎!」

 ヴァルヴレイヴ専用長距離狙撃銃『ピアサー・ロビン』。現ドルシアに当たる国でかつて生産されていた分隊支援火器『ドラグノフ』に酷似した巨大な銃の先端には、一号機の刀と同じ、クリア・フォッシル製の銃剣が取り付けられている。バッフェを易々と切り裂く鋭利な切っ先を向けられたフィガロは、手にしたライフルを置かざるを得なかった。

「トレーラーに張り付いてる兵隊もだ! 妙なコトすれば、今度はマジで撃つぞ!」

 周囲に散らばるARUSの兵士たちに向けて放たれた怒声。既にARUSを敵と断定したミツルは、もしも次に彼らが牙を剥いたならば手加減してやるつもりなど毛頭無かった。

 ミツルの宣告に従い、銃から手を離してホールドアップする兵士達。彼らは銃を捨てた後、フィガロと共に一箇所に固まる。

 地面に放られたライフルをキューマとユウスケが拾ったことで、学生たちはようやく事態が自分たちの有利になったのだと安堵する。

「よかった、これで……」

「なんとかなりましたわね」

 

「―――本当にそうかな」

 

 何も知らなかった他の学生たちと共に喜びの声を上げていた生徒会のメンバーに水を差したのは、低さの割に良く通る男性の声。自然と、その場に居た学生たちは声の主へと目を向ける。

 そこに立っていたのは、怜悧な表情を浮かべる銀髪の男子生徒―――エルエルフだった。

 安堵に沸き立つ学生たちの中で一人、冷たささえ感じさせる視線を周囲に向けるその姿は冷静そのもの。同じ地面に立っている筈なのに、彼の視線にはどこか学生達を睥睨するかのような圧力があった。

「なんとかなった、と言うが。果たして何がなんとかなったんだ? 相変わらずモジュール77は孤立したまま、外にはドルシアの大艦隊、内にはモジュールを見捨ててヴァルヴレイヴを盗もうと画策したARUS。ここは逃げ場のない宇宙の人工惑星で、お前達は国を失くした難民のまま。もう一度聞こう。この状況から、一体全体、なにがどう“なんとかなった”んだ?」

 問いを向けられた学生たちの答えは沈黙―――即ち、これ以上ない正論への、無言の肯定。

 彼の言う通り、咲森学園を取り巻く状況はただの一ミリも好転などしていない。否、フィガロの企みを暴いたことでARUSとの溝も浮き彫りとなり、むしろ悪化したと見るべきだろう。

(あいつっ……! 俺を助けたのは、この状況を作る為か!?)

 コックピットの中で一人臍を噛むミツル。その余裕綽々の態度が気に入らなかったのか、モニター越しに見える中庭では、一人の女生徒が彼を指さし、厳しい視線を向けていた。

「騙されないで! あいつ、ドルシアの工作員よ。適当なコト言って私達を混乱させる気だわ!」

 アイナやケイシロウ達、一年三組と共に第一校舎から避難した後、つい今しがたこの場に合流したサキが声を上げる。エルエルフに一斉に険しい視線を向ける学生達だが、当の本人はどこ吹く風と堂々としている。

「だが、事実だ。加えてジオール本国は既にドルシアに占拠され、お前らの家族は全員人質にとられている。これからどうするつもりだ」

「それは……」

 家族の安否。真っ当な感覚を持つ者ならば、それがどれだけ重要な事か理解できない筈も無い。途端に、学生たちの間には不安と悲嘆が広がっていく。母の安否を気にしていたミツルも、例外では無かった。

「どうすれば……」

「降伏しよう、俺達もう十分頑張ったよ……」

「けど、今からそんなこと言ったって」

「お母さん……」

 誰知らず、家族の名を呼んで涙を流す。しかし、果たして今から降伏したとして彼らはドルシアに受け入れられるのか。突然の強襲、そしてARUSの裏切りを目にした今、理屈よりも余所者への不信感が学生たちの心を大きく占めていた。

―――そんな時だった。

 

「ハルト。私のこと、あのロボットの手に乗せて」

 

 きっ、と前を見据えるショーコが、傍らのハルトに強い口調で声を掛けたのは。

 

 

 ごう、と音を立てて、赤の巨人が立ち上がる。巨大な掌に、一人の少女を乗せて。

 それに気付いたミツルは、少女の姿を見た途端、あ、と気の抜けた声を漏らしてしまう。

 指南ショーコの姿を認めた瞬間に、事態がどうにかなると経験則で気付いてしまったからだった。

「みんな、大丈夫だよ!」

 仲間たちを鼓舞するように、日の光を背負うショーコは大きな声で告げる。強い意志と、必殺の奇策を秘める翠色の瞳は、地上十数メートルの高みからでも見る者の心を捉えていた。

「私達の家族に手出しはさせない、ドルシアにも、ARUSにも!」

 ショーコのその言葉は、学生たちに戸惑いを持って迎えられる。いくら年若い彼らでも、彼女の言っていることが無理難題だと解るからだ。

「んなこと言ったって……」

「家族を人質にされてるんだぞ!」

「脅されたりなんかしたら―――」

 

「だったら私達も脅しちゃえば良い! 家族に何かしたら、“このロボットをARUSに渡す”って!」

 

 は、と素っ頓狂な声を上げたのは、それまで学生たちの視線を集めていたエルエルフと、今の今まで蚊帳の外に立たされていたフィガロだった。

 どよめく学生たちがその意味を咀嚼しようとする間に、ショーコはフィガロへと向き直る。

「というわけで、上院議員さん。今はARUSにロボットを渡すことはできません。その代わり、一緒に戦ってくれるんならもしも私達の家族に何かあった時には真っ先に貴方がたにこのロボットを渡します! これからも友好国として変わらぬ支援をよろしくお願いします!」

「な、そ、そんな話が通るかぁっ!?」

 流麗な所作で一礼するショーコに向かって思わず吼えるフィガロの怒りは、至極もっともなものだった。ショーコはフィガロに、ARUSに対して、『大した見返りは用意できないけど安全保障条約に則って自分達を助けてね』と超絶に図々しい要求をしているのだから。

「だったらこのロボットを、ドルシアに渡しちゃいます!」

「なぁあっ!?」

 あっさりと前言を翻したショーコに、今度こそフィガロは絶句した。

 一見すると、ショーコの言っていることは筋のまったく通らない暴論だ。味方をしてくれる方に靡くとこうも簡単に宣言したところで、靡かれる側にすれば信用も無ければ“うま味”も無い―――彼らが持っているものが、ただの人型ロボットであったなら。

 

 既存の光学兵器の概念を完全に破壊する、「硬化する光」。

 バッフェを容易く両断する、透き通った剣。

 イデアールのビーム砲を受けてもびくともしない堅牢な装甲。

 そしてそれらをフルに運用する、未知のエンジン「レイヴ」。

 

 二機態勢で運用されているとはいえ、やろうと思えばたった一機でも艦隊戦力と渡り合えるであろう超兵器、ヴァルヴレイヴ。それはただの一機であっても、戦局を十分に左右しうる要因となる。

 もしもドルシアにこれらが渡ってしまった場合、最悪のケースを考えるならばフィガロはARUS崩壊のきっかけを作った愚者として歴史に名を刻むだろう。

 いや、二機が一度にドルシアへ譲渡されるならまだ良い方だ。

「もしも片方だけドルシアに渡しちゃえば、ARUSはドルシアがこのロボットを量産するまでの間、私達と戦うことになりますよ!? それに―――」

 そして、ショーコが刻めるカードはこれだけでは無い。

「貴方がジオールの、友好国の難民に銃を向けた事実だって、私たちは握ってます!」

「で、でたらめを言うな! 第一そんなこと、映像が無ければ―――」

 先程の自分の行い―――裏切りを疑われて、どうせ学生たちは助からないと高を括ったフィガロが、学生たちを銃で排除しようとしライゾウを負傷させた事実を槍玉に挙げられて、目に見えて狼狽する。焦ったフィガロはついつい推理小説の真犯人のような言い訳を口走る……それこそが、ショーコの狙いだった。

「こっちには、ARUSの軍事回線にハッキングできるハッカーが居ます。その子が、“今この場にある監視カメラ”になんの細工もしていないと思ってるんですか?」

「―――!?」

 仄めかされた「RAINBOW」の見えざる手。それを嘘だと断じることが出来ないのは、誰よりもフィガロが知っていた。

「指南先輩……」

 ミツルは、熱に浮かされたようにショーコの名を呼ぶ。いや、ミツルだけでは無い。一瞬のうちにこの場を掌握し、解決の為の奇策―――実現できるかどうかはさておいて―――を示して見せたショーコ。その様は、超兵器に乗り込んだハルトとミツルをさしおき、誰よりもいっそう鮮烈に輝いていた。

「あのロボットは、たったの一機でも戦争の行先を決めかねない」

「それをちらつかせれば、俺達は中立地帯につくまで人質に手出しさせないで―――」

「―――ARUSにも、助けてもらえるってこと?」

 ショーコの言いたいことを理解した学生たちが、一瞬のうちに沸き立つ。

「ちょ、ちょっと待て! 手出しさせない、助けてもらえる、それは良い! けど、その後どうするんだ!?」

 堪らず叫んだのは、同級生や後輩たちのテンションについて行けずに一人蚊帳の外で絶句していたサトミだ。

「いつまでも状況を引き延ばす事なんてできない、いずれ我々は孤立するぞ! 第一我々は国を失った難民で、戦闘行為は国連条約で禁止されて―――」

「だったら、私達で国を作れば良い」

 力の限り放たれたショーコの叫びに、今度こそサトミは言葉を失った。

「もう誰かに頼って、助けられるのを待つのはやめよう。相手が一国の軍隊でこっちは難民? だったらたった今から、このモジュールが私達の国だよ!」

 否、サトミだけではない。

 キューマも、アキラも、ライゾウも、アイナも、サキやマリエですらも。

 ショーコの言葉に声を失い―――自分たちの前にもたらされた選択肢、その重さに、大きさに愕然とする。

 けれどショーコは揺らがない。

「く、国って言ったって、何をするんだよ!?」

「領土と憲法、それと国防を整えよう。政治コースの人達はその勉強をしてたでしょ? みんなで意見を出し合えば、きっと出来る」

「食べ物は!? ここ、宇宙なんだよ!?」

「モジュールの食糧生産設備を使おう。月に辿り付くまでもたせれば、あとは輸入でどうにかなる! なんなら、ドルシアの艦隊から迷惑料代わりに巻き上げちゃおう!」

 学生達から挙がる懐疑の声に一つ一つ答えながら、大袈裟な身振り手振りで心を引き付ける。その様は、平時であれば詐欺師のそれであっただろう。だがこの時、学生たちは確信していた。彼女の示す道こそが、唯一、自分たちの意志を押し通す道なのだと。

「皆で出来ることをやろう。戦って、交渉して、家族を、皆の国を取り戻そう!」

 高校生たちの、直径十キロメートルの独立国家。夢物語のような計画が、今動き出した。

「いけるぞ、やってやろうぜ!」

「で、でも本当に大丈夫なの……?」

「大丈夫だって、こっちにはあんな強いロボットが二つもあるんだから!」

「ぼく達の、国……」

「面白そうじゃん!」

 自分たちが選んだとてつもなく険しい道を前に、浮かれたように学生たちははしゃぐ。それは、無知ゆえの明るさ。誰もが皆、否が応にも上がったテンションに呑みこまれ、冷静な判断が出来なくなっていた。

 それは、自身の計画の破綻を知って愕然としていたエルエルフも同じことだった。

「なんだ……なんなんだ、あの女は」

 ショーコの登場によって、エルエルフが思い描いていたプラン―――モジュール77の住民たちを自身の駒として用いる作戦は、瞬く間に崩壊した。他ならぬ彼らがショーコの扇動によって、他者の手を取る道をつっぱねてしまったからだ。ドルシアの工作員であることを明かされたエルエルフの指示に従う可能性は、これで無くなっただろう。

 絶望に沈む学生たちに希望を示し、この熱狂の渦を巻き起こした未知にして未知数の少女、指南ショーコ。恐ろしいことに彼女は弱冠十七歳にして、扇動家としての才を開花させていた。

「く……くく」

 己のうちから込み上げる不可思議な熱に、エルエルフは笑いを漏らす。

 この、自身の理解を完全に超えた一般人たちを統御する術を再び考えなくてはと思い至った時、彼は一種の遣り甲斐を自覚した。

「久しぶりだ、笑ったのは」

 エルエルフはぽつりと呟くと、一号機の掌で凛然と前を見据えるショーコを睨み、胸中で嗤った―――

 

 

―――精々足掻け、みんな纏めて俺の革命の礎にしてやる―――!

 

 

 

 

 

 

 モジュール77外周に展開するARUS月周回軌道艦隊は、ドルシア連邦艦隊の猛攻を受けていた。

 ヴァルヴレイヴの攻撃によってほぼ壊滅した突撃軌道大隊を再編し、指揮下に置いた中央宇宙艦隊。カイン・ドレッセル大佐とその副官クリムヒルト・ツェルター少佐の指揮の基次々と展開する彼らは、順繰りに、そして正確に、ARUSの宇宙戦闘機部隊を追い詰めていた。

 砲火の間隙を縫って肉薄した爆撃機仕様のスプライサー部隊が、旗艦『ランメルスベルグ』にむかって対艦ミサイルを放つ。放たれた弾頭は、数秒後には旗艦を轟沈せしめるはずだった。

 その両者を分断するように、巨大な影が表れなければ。

「ぉおらぁあっ!!」

 裂帛の気合いと共に、リヒャルトが操縦桿をいっぱいに押し込む。その瞬間、彼の駆る『イデアール級機動殲滅機』の両腕に取り付けられた複合武器碗が唸りを上げ、四つの砲身を束ねたガトリング砲から、重さ3キログラム超の大口径ケースレス弾が続けざまに吐き出される。

 その勢いは凄まじく、真空の宇宙の中で伝わる筈の無い銃撃音が、火薬の爆発で放たれる衝撃を伝ってコックピットを揺らすほどだった。

 放たれたミサイルを全て迎撃したリヒャルト機はARUS艦隊へとその機体を向けると、イデアール級ご自慢の大推力で以て目標との距離を詰める。

「さっさと出て来い、ヴァルヴレイヴ……第零小隊、遅れるな!」

 部下たちに檄を飛ばし、リヒャルトは戦闘宙域に視線を巡らせる。未だその視界に、忌まわしい紅白の姿は見えない。

 現在、リヒャルト率いる対霊長第零小隊は、リヒャルトと副官マリオ・クロコップ中尉が駆る2機のイデアールと無人型バッフェ9機をアルファチーム、その護衛を務める3機のバッフェと、彼らが操る無人型バッフェ6機をベータチームとして、同じ隊をその場で二つに分けての運用を試みていた。

『各員に通達。特務隊が敵の最終防衛ラインを突破、モジュール77に接近。第零小隊は続いて進軍せよ』

「あァ!? ……ちっ、先を越されたか。第零小隊了解、これより特務隊に続く」

 クリムヒルトからの指令に、眦を吊り上げてリヒャルトは吼える。今度こそ戦う為に戦場に出ているという昂揚が、普段の飄々とした彼の態度を“狂犬”と呼ばれるそれに塗り替えていた。

「クロコップ、聞いての通りだ」

『了解、アルファチーム、ベータチーム共に、特務隊に―――』

『ねえ、グレーデン大尉』

 クロコップの声を遮って無線に割り込んできたのは、部下の一人だった。スピーカーから聞こえてきたのは、妙齢の女性の、艶やかなアルト。新たに部下になったジーナ・カリャキナ中尉のものだ。

『アルファチームとベータチームで競争しないかい』

「どっちが先に、奴らを仕留めるか、か?」

『どっちが先にくたばるか、サ!』

 悪趣味な台詞を吐いて、ジーナは自機であるバッフェを先行させる。彼女に続いて、ベータチームの隊員たちも我先にとスラスターを噴かした。

 長距離航行用に装備されたプロペラントタンクに充填された燃料を余計に燃やして、ベータチームのバッフェはイデアールを置き去りにする勢いで突撃する。

『おい、カリャキナ中尉!? 戻れ! 作戦行動から逸脱する気か!』

「放っておけ、クロコップ中尉。距離もまだ離れていないし、急げと言うのは上からのオーダーだ。チキンレースがしたいなら付き合ってやるさ」

『ですが』

「無論、無視する気は無い。たとえば―――」

 言いさして、リヒャルトのイデアールはその銃口を前方―――ジーナのバッフェに向ける!

 ガトリング砲の軸に当たる中央バレルから大振りの砲身がスライド展開し、そこからは放たれたグレネード弾はジーナの背へとまっすぐに伸びて……

 

「ジャック・ポット、ってな」

 ジーナの背後に割り込んできたスプライサー部隊を、三機まとめて火達磨に変えた。

 

『あ……い、今』

「後方注意だ、カリャキナ中尉。俺も若い頃には暴れたんで、作戦に絶対従えとは言わんが」

 通信越しに呆然とするジーナに向かって、リヒャルトは犬歯を剥き出しにしてニィと笑う。

「俺の邪魔をするのなら、奴らごと食い殺すまでだ。覚えておけ」

『……りょーかい』

 高速移動から一点に集中した正確な砲撃。比較的近い距離だったとはいえ高速で飛び交う敵に“予測狙撃”と言って良いほど精密な一撃を、グレネード弾で叩き込んで見せたリヒャルトの実力を、ジーナは同じエース故の感覚で思い知ったのだ。

 ましてリヒャルトのイデアールに装備されているのは、取り回しの極悪さから制式採用が見送られた試験兵装。厚さ4メートルのクロム・カーボン合金で作られたトンファーと、大量装弾(ハイサイクル)仕様のガトリング砲、そして連装グレネード砲を一体化したというバカげた重さの複合武器碗は、ジーナを始めとした軌道突撃大隊のエース達でも手足のように操ることは不可能だろう。もしも地上で運用すれば、関節部のロックを解除した瞬間に重さで自壊するような代物だ。

 面制圧に特化した、超重量級の実弾兵装。力押しをもっとも得意とするリヒャルトの戦闘スタイルに合致した複合武器碗は、競合コンペで不採用の烙印を押された後、奇しくも最高の担い手と巡り合っていたのだ。

『前方で戦闘の光! 特務隊の無人バッフェがやられました!』

「そぅら、おいでなすったぞぉ!」

 ベータチームからの報告に、リヒャルトは雄叫びを上げる。

 モジュール77が繋がれたダイソンスフィアの宙域に辿り付いてみれば、そこには異様な光景があった。

「なんだ!? あいつは何をしている!」

『解りません! 自分のモジュールを攻撃しているようにしか……』

 見覚えのある、赤の人型―――ヴァルヴレイヴ一号機が、手にした巨大な銃剣―――大型拳銃を中心に数種類の武器を合体させた特能兵装『ヴルトガ』で、モジュール77をスフィアに繋ぎ止めるアームを攻撃している。

「不気味な真似を――ーむっ!?」

 熱源レーダーから発せられた警告音に従って、リヒャルトは機体を小刻みに揺らし、そのまま勘を頼りに腕部のトンファーを打ち下ろす。

 イデアールの頭部と腰部を硬質残光のエネルギー弾が掠め、トンファーには透明な刃が食い込んだ。

「ここから先は行かせねーぞっ!」

 高速でモジュール77から飛び出し、そのまま第零小隊まで肉薄したのは―――白い、蝶の羽。

「白いヴァルヴレイヴ……クサクラミツル、貴様かああっ!!」

 身体を流れる血が全てニトロに置き換わったような怒りの感覚を覚えた刹那、イデアールの肩部アクチュエーターが唸りを上げてトンファーを振りかぶる。

 当たれば装甲がひしゃげるどころでは済まないであろうそれを寸でのところで避けると、八号機は手にした長物を槍のように振り回す。

「おりゃああっ!!」

「ぐうっ!?」

 逆袈裟に掬い上げるような一閃を、リヒャルトは何とか避ける。胴体への直撃は免れたものの、左のトンファーに噛み付いた刃がそのまま先端を食いちぎった。

(馬鹿な!? 端の方とはいえ、厚さ4メートルの合金を大した摩擦もなく溶断しただと!?)

 驚愕しつつも、リヒャルトは至近距離からガトリング砲の弾をばらまき、距離を取る。

 後方に一瞬だけ目を遣れば、相も変わらず赤いヴァルヴレイヴはモジュール77を攻撃していた。

(なんだ……奴らはいったい、何を企んでいる!?)

 狙いが読み取れない、戦術行動としての意味をなさない行動。もとより頭が働く方で無いリヒャルトは作戦の想定が外れるのを恐れる事は滅多にない。しかしこの時ばかりは、何やら胸騒ぎを感じていた。

『見つけた! 隊長の仇ぃいっ!!』

「!? カリャキナ、よせっ!」

 随伴する無人型バッフェと共に、ジーナが気勢を上げて突貫する。前の部隊の気の良いリーダー、その仇であるヴァルヴレイヴを砲撃圏内に捉えたことで、彼女もリヒャルト同様に頭に血が上っていたのだ。

 しかし八号機は『ピアサー・ロビン』を構えてそちらに向かうと、向かってくる二機の無人機を正確に射抜く。

『わあああっ!』

 先行していた無人機の爆発に巻き込まれ、ジーナのバッフェが体勢を崩す。すかさず、ミツルが操る八号機が肉薄する!

「させるかあああっ!!」

 その背を、イデアールがさらに追う。突貫の勢いのままに八号機の背を殴りつけるリヒャルトだが、またしてもそれは回避された。

 そのまま八号機は踵を返し―――第零小隊を置き去りに、モジュール77へと取って返す。

「畜生、また逃がしたかっ!!」

 毒づいたリヒャルトは、コックピットでその背を目で追いながらコントロールパネルを殴りつける。

 幸いにも、撃墜された者はいない。だが、結局こちらは良いようにあしらわれただけだった。彼らの狙いが見えなかったことも不気味だ。

『た、大尉、奴らは……』

「ああ、奴らいったい何考えてやがる。これじゃまるで、ただ出てきてこっちを引っ掻き回しただけ―――」

 まるで、時間を稼ぐように。そう言いさして、リヒャルトは口を噤んだ。

 時間を稼いでどうする気だ? 彼らが脱出の為の陽動だったとしたら、それらしき艦船がモジュールを出港していないにもかかわらずなぜ引き上げた?

 否、そもそも奴らに、モジュールを脱出する気はあったのか? ARUSの戦艦が攻撃を受けている中、モジュールに乗り入れることのできる船など高が知れている。いくら戦争を知らない学生たちとはいえ、そんな中にわざわざ飛び出してくる意味があるのか?

 そもそも赤いヴァルヴレイヴは、なぜ自分のモジュールを攻撃していた? あのアームは、モジュールをダイソンスフィアに係留するために必要な―――

「……まさか、あいつら!?」

 とんでもない発想にたどり着いたリヒャルトの目の前で。

 

 

 モジュール77が、ゆっくりと動き出した。

 

 

「ミツル、行ける!?」

「まっかせて! こういう力押しこそ八号機の十八番ッスよ!」

 モジュール77を覆う天蓋モニター。その中央部に、二機のヴァルヴレイヴが手を添える。

 そのままダイソンスフィアの内側に向けた脚部から、硬質残光の光が噴き出す。

『行っけえええええええええええっ!!』

 たった二機の機動兵器で、直径十キロメートルの宇宙コロニーを牽引する。その発想の馬鹿馬鹿しさは、二人だって承知の上だった。

 だが、それでも二人はできると信じていた。それ以外に方法がないことも。

 

 宇宙船を使ってモジュールから脱出することはできない。

 だったら“モジュールごと”逃げてしまおう。

 

 発案は、やはりというかなんというかショーコだ。だからこそ、ハルトは彼女の意志に応えたいと思ったし、ミツルもやってみせようと誓った。

 そんな二人に呼応するかのごとく、赤と白の硬質残光がその量を増す。両手両足のクリア・フォッシルからまばゆい光を放つ二機の巨人の推力に―――やがて、モジュールがスフィアの外側へと動き出す。

 六角形の箱舟は、三千人弱の学生たちを乗せて、宇宙の海へ漕ぎ出した。




 何とか年内に第二部終わらせることが出来ました。しかし駆け足でやったせいか粗が目立つ…ううむ、年空けたら修正が必要だ……


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第三章 おだやかな日
第十九話 無法地帯/ミツルの取引


 今回から第三章です。時系列的にはアニメ五話を文章で何万文字かぐらいに引き伸ばしていこうと思いますので、コメディタッチな描写も入れたいなーと考えていたり。どのみちここを逃すと段々とストーリーが鬱々としてくる時期ですので、少しぐらいは良いかなー、なんて。


 咲森学園の正門から八時の方向、西南西に一キロメートルほど。店を管理・運営するべき店員が連れ去られ、長らく無人になっているコンビニエンスストア。

 店内に残された食料、衣料、その他諸々の商品を学園に運ぶべく、ミツルとハルト、そしてショーコの三人は他の学生たちと共にそこを訪れていた。

「ミツル、どうだった?」

「駄目ッス、やっぱり冷凍食品は軒並み全滅してました。停電で一回解凍されたのが不味かったみたいで……」

 店舗の奥に設置された業務用の大型冷凍庫から出たミツルは、本来であればがちがちに凍っている筈の冷凍食品の袋を振ってみせる。結露の水を滴らせながら、袋の中で容器からこぼれ落ちたグラタンがぐしゃりと揺れた。

「大丈夫そうなのは袋から出して早めに食べて、他はもう一回冷凍。もう傷んだ食べ物はあとでまとめてダストシュートに運ぼう。放っておいたらカビとかガスとか出て病気のもとになっちゃうから」

「でもショーコ、袋で密閉してるんなら脇に寄せておくだけでも大丈夫じゃない? 今はゴミ捨てよりも別の作業もあるし……」

「ううん、食べれないならさっさと捨ててモジュールを幾らか軽くした方が良いよ。ミツルくん、頼める?」

「うぃーっす。んじゃ、あとはパンとかカップ麺とか、日持ちするのを学園に運ぶんですよね」

「そっちは僕が。トラックのコンテナとかに詰めてヴァルヴレイヴで運べばすぐだから」

「了解です……うわ、この鮭マリネとか結構高級な奴なのに」

 あーあもったいねぇ、と食べれた筈の物を食べずに捨てる罪悪感に多少胸を痛めつつも、ミツルは率先して作業を行っていた。

 店内では三人の他にも、手伝いを申し出た学生たちが異臭を放ち始めた食品をつまんでゴミ箱に放り込む傍ら、それぞれ持参した段ボール箱やカバンに日用品を始めとした使えそうなものを詰め込んでいた。

 本来であれば店員が、彼らの行為を万引きと言って咎めるのだろう。しかしそれを行う人間は既にモジュール内におらず、そもそも彼らにとっては戦時中だ。物資はなんだって使うべきだった。それでもミツルを始めとした数人が多少の申し訳なさを感じて、財布の中から取り出した小銭をレジに置く。経済が停止している以上は意味の無い行為だが、拭いきれない火事場泥棒の気分を押し込めるためには、どうしても欠かせない行動だった。

「あ、指南さん! ちょっとええか!?」

 作業を進める彼らに声を掛けたのは、手伝いに来ていた他のクラスの生徒。名前を呼ばれたショーコが振り向くと、慌てふためく金髪の男子生徒が駆け寄ってくるところだった。どうやら店舗の外で別の作業に当たっていたようだが……

虹河(にじかわ)くん? どうしたの」

「どうもこうも、ジンの阿呆がふらーっとどっか行ってもうたんやっ! おかげでクラスの連中から『とっととサボり野郎捕まえて来い』って電凸メル凸の雨アラレやねーんっ!」

「あぁー……陽本(ひのもと)くんはこういう作業嫌いだよねぇ」

 るーっ、と目の幅の涙を流しながらショーコに泣き付く金髪の男子生徒……虹河、と呼ばれた彼は、どうやら人を探しているようだった。

 耳元に掛けた多機能バイザーが先ほどからメールの着信をピコピコと告げ続けている辺り、彼の探し人は相当に迷惑なタイミングでエスケープしたらしい。

「この時間帯に人が居ない場所って言ったら……ここから南の商店街のあたりかなぁ。片付けは明日からの予定だったし、その辺りに逃げ込んでるかも」

「商店街やね!? さっそく探してふん捕まえてくるさかい、おおきにな!」

 聞くや否や、虹河はコンビニエンスストアを飛び出し、外に止めていた自転車でいずこへと去って行った。

(やっぱり、みんな落ち着かないみたい)

 作業を途中にして逃げたジンという生徒をはじめとして、学生たちがどこか足並みが揃っていないのを改めて痛感したショーコは店内を見渡す。

 片付け中に手に取った化粧品に気を取られて、作業そっちのけで物色を始める者。

 アルコールが並んだ棚をちらちらと気にする上級生。

 こっそりアダルト雑誌をカバンに詰めようとした男子が、それを見咎めた女子と口論になって恥ずかしそうにしている光景もあった。

 コンビニエンス(便利な)ストア()というだけあって、店内には青少年を誘惑するものが所狭しと溢れている。大変な時なんだから作業に集中しろと声を荒げたところで、効果は無いだろう。この状況に緊迫感を持っているのは生徒の中でもほんのわずかだ。

 復興作業の陣頭指揮に忙しい生徒会副会長のタカヒでさえ、休憩時間になれば取り巻きの女生徒達と共に街のブティックから持ち出したドレスを着回して遊んでいるのである。

 人海戦術で当たっていた瓦礫の撤去も、手作業ばかりでは遅々として進まない。一部が倒壊した学園の第二、第三校舎は、今も立ち入り禁止となっていた。

(国を作るなんて言ったのは私。皆を煽ったのも私……どうにかしなきゃいけない。お父さんみたいに、しっかり皆を取りまとめて……)

「ショーコ、大丈夫?」

「えっ、あ、ハルトっ」

 不意に、聞き慣れた幼馴染の声を聞いたショーコはふと我に返る。紙コップや歯磨き粉を両手に抱えたハルトが、八の字に眉を曲げた顔を心配そうにショーコに向けていた。

「あーごめんね、ちょっとぼーっとしてた」

 あははと笑って頬を掻くショーコだが、ハルトはそんな彼女に、心配の視線を向けたままだった。

「ぼーっとしてたんじゃなくて、何か考えてたでしょ。ほら左手」

「あっ」

 言われて目を遣った左手は、スカートの裾をぎゅっと握り締めている。悪戯がばれた時や提出するプリントが見当たらない時、ハルトと過ごした幼少の頃から変わらない、ショーコが考え込んだ時の癖だった。

 そのまま、うー、と唸って黙り込んでしまったショーコに、ハルトは優しく声を掛ける。

「とりあえず、好きなようにやってみようよ。まだ始めたばかりなんだし、ここは僕らの国なんだ。一人で考えるより、みんなに聞いてみよう」

 あえて、ショーコの悩みを問い質すことはしない。ハルトとて、未だ彼女に不死となった己の身体の事を打ち明けられていないのだ。隠し事をしたまま、誰かの悩みに踏み込むのは躊躇われた。

 ただそれでも、その一言がショーコの心を軽くする。いつだってハルトは、ショーコの傍で彼女の支えになっていた。

「そうだね。まずは私達の好きなように、か……よっし! 私もちょっと好きなことする!」

「あ、ちょ、ちょっとショーコ!?」

 言って、ショーコはハルトの腕を取り、店内の中ほどの棚の前に連れてくる。そしてハルトの前に買い物用のカート―――コンビニのものでは無く、別のスーパーマーケットから荷物運び用に拝借してきた―――を持ってくる。

 はいこれ持っててしっかり押さえててねー、と言ってカートのハンドルを無理矢理ハルトに握らせると、ショーコは足取りも軽く反対側の棚の端へと歩いて行き―――カップ麺の並ぶ棚に、ずぼっと腕を突っ込んだ。

 え゛、と名状しがたい声を漏らすハルトに構わず、ショーコは走り出す。棚に腕を突っ込んだまま。

 

「どぉりゃああああああーーーーーーーっ!!」

 

 雪国の除雪作業よろしくカップ麺が棚から押し出され、カートに注ぎ込まれて山を作る。棚とショーコの腕から零れ落ちた容器がいくつも床に散らばるが、腕を振り抜いたショーコはそれでも満足げに……いっそ、恍惚としたかのような笑みを浮かべる。

「一回やってみたかったの! 綺麗に棚に並んでるものをこう、がーって!」

「……ガサツな」

 突如感じた頭痛に、思わず眉間を押さえるハルト。小さな頃は好奇心が強いだけのお嬢様だった幼馴染は、いつからこんなにワイルドな性格になってしまったのか。いやガサツなだけならまだしも幼稚な部分が残ってはいけない所に限ってどうして残っている。何だか無性に泣きたかった。

「ちょ、なんで呆れてるのよ!? 誰だって一回はそう思うでしょ!?」

「いやそれショーコだけだから!」

「ええー!?」

「当たり前だろっ! 大体ショーコ、綺麗に並んだ棚とか言っても子どもの頃は片付けなんて全然―――」

 言いさしたハルトの声が段々と萎んでいき、見る間にその顔が蒼白に染まる。口元を引き攣らせ始めたハルトを訝しむショーコに、後ろからまた別の声がかけられる。

「……指南先輩、何してんですか」

「あ、ミツル君。もー聞いてよハルトって……ば……」

 背後から聞こえてきた後輩の声に振り返ってようやく、さしものショーコもミツルの異変に気付く。

 店内清掃用のモップを握りしめ、空いた手を腰に当てたミツルが文字通り仁王の如き形相で屹立していた。

 

「……俺としましては、外から食い物を仕入れることが出来なくなった今現在に於いて、何を考えて先輩がさっきの暴挙に及んだのかをじぃぃぃっくりと聞きたいんですがねぇ……?」

 

 怒っている。めっちゃ怒っている。

 

「え、えーっとミツル君、これはね……」

「こんっっのクソ忙しい時に何してんですかっていうかそれ今の学園では貴重な加工食品なんですよ食い物を粗末にしたらナマハゲに頭からバリバリ喰われるって親から教わらなかったんですか俺は教えられましたよそこんとこどうなんですか先輩!?」

「ナマハゲって何!? 頭から喰われるって何!?」

「あー、あのミツル、ショーコは別に悪気があったわけじゃあ……」

「ハル先輩も何ぼへーっと見てんですか! すぐ近くに居たんだから止めて下さいよ!?」

「ひぃ!?」

「ああもう人が折角掃除用具持って来たってーのにアンタ達ときたらぁぁ! 本当にもうちょっと二人ともそこに正座してください正座!」

「えぇ!?」

「み、ミツル落ち着いて……」

「せーーーーーーーーーざっっっ!!」

『はいっ! すいませんでしたぁっ!!』

 

 それから数分の後、無人コンビニの床に正座しながら下級生の説教を受ける、学園独立の立役者二人の姿が見られたとか何とか。

 苦学生の身の上故か、それとも女手一つで彼を育てた母の薫陶か。草蔵ミツルは、食べ物の大切さを海よりも深く知る男であった。

 

 

 

 

……なお、ミツルの故郷で語り継がれる民間伝承に登場する怪異『ナマハゲ』は、怠惰な者に恐怖をもたらすがそもそもは規律と節制を重んじる山の神(諸説あり)で、決して食人鬼の類ではないことをここに記しておく。どんな伝承も、時代が過ぎれば解釈が変わる物である。

 

 

 

 

「ったく指南先輩はー。俺が子どもの頃なんて食器を箸で叩いただけでお説教から晩飯抜きのコースが定番だったってのに」

 ぶちぶちと文句を言いながら、教室に戻ったミツルは持ち帰ったサンドイッチを頬張っていた。野菜の水分を吸ってふやけたパンはにちゃりと不快な食感であったが、普段から余り物のパンなどを購買から頂戴していたミツルがその程度の事をいちいち気にすることは無い。

「食べ物のことなんか然程気にしてないんじゃないの? お嬢様育ちの人って、『米は家の倉庫にあるもの』って考えの人が多いもの」

「さ、さすがにそれは偏見だよぅ」

 それは、ミツルと向かい合ってもそもそとパンをかじるサキとアイナも同じことであった。両親のネグレクトをモロに受けていた為に味気ない食事に慣れきったサキはちょっとやそっとでは不味いとも思わないし、人並みに舌が肥えているアイナにしたってそもそも食べ物に文句を言うような性格ではない。ひょんなことから行動を共にするようになった一年三組所属の三人は、地味に賞味期限が過ぎたコンビニ食を無心で咀嚼しつつ、今後の事を話し合っていた。

「それより草蔵。あのロボット、本当に学校の地下にあったのよね」

「ああ」

 サキが言及したのは、ミツルが駆る白の巨兵―――ヴァルヴレイヴ八号機のことだ。

「学園の地下かぁ……流木野さん、そんなの聞いたことある?」

「ないわね。時縞先輩の赤いロボットがプールから出て来なきゃ、誰も信じなかったでしょ」

「けどもしかしたらそこに、他にもヴァルヴレイヴがあるかもしれない」

 “八号”と銘打たれているからには、一から七までのナンバリングが成された同型機が存在することを意味している。

 ハルトの赤い機体が一号機であるとして、残る二から七まではどこにあるのか。そもそも、このモジュール77内に保管されているのか。済し崩し的にヴァルヴレイヴ運用チームとなったハルトとミツル、そしてアイナ、キューマ、サキの五人は、その全貌の多くが不明な超兵器をなんとか使いこなすべく、素人なりに考察を重ねていた。

「地下への入口は、あのエレベーターと裏山の大きな穴」

 アイナが指折り数えながら挙げたのは、ミツルがリヒャルト隊に連行された際に目にした学園のエレベーターと、格納庫から八号機で飛び出した際に通り抜けた緊急射出用サイロだ。

 ただ後述のサイロについては先日一度ヴァルヴレイヴで探索に向かってみたのだが、ミツルが正確な場所を覚えていなかったこともあってか発見できなかった。上空から目視で発見できない事を考えると、恐らくは既に自動で閉鎖してしまったのだろう。

「それと、ハル先輩の一号機が出て来たっていうプール……」

 ミツルの言葉に釣られて、三人は窓から見えるプールに視線を向ける。つい一昨日までは一号機のケージが破壊されて散乱していたそこは、襲撃の際に資料を求めるドルシア軍とARUSによって綺麗に片付けられ、学園独立の次の日には既に水泳部の面々によって水が張られていた。

 休憩時間に水着に着替えた生徒達が今も元気に泳いでおり、満員御礼である。

 中には学校指定のものでは無く私物の水着に着替えた女生徒もおり、非常にけしからん光景だった。

 いや、そうではなく。

「……誰だ、あのすげー重要そうな場所に普通に水張ったバカは」

「生徒会の縦ロールよ……夏なんだから涼む場所を作るべき、って」

 おーっほっほっほ、と高笑いのような幻聴が聞こえて、ミツルとサキは机を殴る。やっぱりブルジョワなんて嫌いだ。

 縦ロールことタカヒの名誉のために言っておくと、言いだしっぺは彼女であるが、他の生徒達が多数賛成したために多数決の原理で以て実行されただけである。あとタカヒはそんな高笑いをしない。

「ほんっとこれだから育ちの良い女なんてのはロクなのが居ないわ。“清楚なお嬢様”なんて居る訳ないじゃないの人間甘やかされれば増長するに決まってんでしょなによ取り巻き連れてぞろぞろと時代錯誤も良い処よバカじゃないの」

「……なあ櫻井、流木野の奴、副会長と何かあったのか?」

「えーっと、なんか顔合わせる度に服装とかサボりとか色々注意されるらしくて……」

 日頃の小言の恨みと言うかなんというか、あの縦ロール今度会ったら中にチョコ詰めてやるとか怨嗟の声を上げ始めたサキに聞こえないよう、小声でひそひそと話し合うミツルとアイナ。学園祭ミスコンテストの覇者と元アイドルの新入生、その確執の一端を垣間見たミツルだった。

 

 閑話休題。

 

「ともかくプールはダメ、裏山の大穴ももう塞がってる、となるとエレベーターか」

 気を取り直して、ミツルは本題に戻る。学園裏手のエレベーターは特務隊が使用したハッキングツールが既に持ち去られており、通常の操作ではどうしても地下へ降りることが出来なかった。そもそも地下を示すボタンが無いのだから、何をしたって一階から四階までを行き来することしかできなかった。

「何か鍵があれば入れる、ってことなのかな……草蔵くん、連れて行かれた時に何か見なかった?」

「いや、ドルシアの奴らはあの端末みたいなので動かしてたから……っていうかあの時は緊張してて何が何やら」

「使えないわね」

「んだとぉ!?」

 ぼそっと呟くサキ。キレるミツル。どうどう落ち着いて、とミツルを宥めてアイナは話を進める。

「と、とにかく地下に行くのは、今のところ難しいってことだよね」

「となると、次に考えるべきは一つね」

 その自信ありげな台詞に、ミツルとアイナは揃ってサキの顔を覗き込む。一つって、なに? と言わんばかりにきょとんと首を傾げる二人に、サキは自信満々に言った。

「あのロボットに使わせる武器よ」

 

 

 

 

 青みがかった髪をツンツンと尖らせた赤い目の少年が瓦礫を踏み締めて歩くたびに、彼の左耳で王冠を象ったピアスが揺れる。無言の歩みとは裏腹に、人造の日光に煌めきながら揺れるそれは、持ち主の苛立ちを如実に表していた。

 人通りのない商店街を歩きながら、少年―――陽本(ひのもと)ジンは、ここ二日で胸中に溜まった鬱屈とした思いを持てあましていた。

 ジオールの独立。それ自体は不満はない。モジュールが孤立した今、出来ることをやるべきだとは思うし、学生だけで国家を作るという途方も無い事をするのだって、内心では面白そうだと感じている。

 では何が不満かと言うと……その先頭に立つのが、自分では無いということだ。

「どいつもこいつも、トキシマクサクラトキシマクサクラって……」

 ち、と舌打ちを飛ばしながら、足元の小石を蹴っ飛ばす。かといって、脳裏で皆にちやほやされる気弱な同級生と煩い下級生が顔をしかめることも無く。飛んだ小石は電柱に当たって跳ね返り、ジンの頬を掠めて飛んでいく。

「うぉっ!?」

 風切り音と共に耳元を通り過ぎた小石に、ついつい素っ頓狂な声を上げてしまう。一拍置いて、格好の付かない自分に苛立った。

「あああちくしょうっ! せめて俺だって、あのロボットに乗れさえすればっ!」

 陽本ジンには、夢があった。

 いつか、ビッグな男になる―――具体的に何をすればよいのか、何をしたいのかを明確に思い定めているわけでは無い。ただ年相応に誰もが持つ名声への欲。それが、ジンは少しだけ周囲よりも強かった。

 学園に来てからも有名になりたいとは思ったが、既に学園ではサンダーこと山田ライゾウというアウトローの長が居た。幾度か喧嘩も挑んでみたが、二年生になってからは負け越しである。

 というか、別にアウトローのトップになりたい訳でもないし、まして“サンダー組”とか呼ばれる彼らの呼称を“陽本組”とかに改めたい訳でもない。

 だが授業の成績では生徒会長がトップを維持し続けており、そして生徒達の注目を集めるのは奇行を繰り返しつつも持ち前の明るさで人々に好かれるショーコが居た。

 拳では山田ライゾウが。知では連坊小路サトミが。人の輪では指南ショーコが“トップ”に立つ咲森学園で、ジンは己の理想とする居場所を見出せずにいた。

 そして今、ドルシア軍の襲撃という非常識な事態に学園全体が直面した時。ヒーローとなったのは、またしても彼では無かった。

 陸上部所属の気弱な二年生、時縞ハルト。その後輩である生意気な一年生、草蔵ミツル。攻撃的なフォルムの二体のロボットで軍隊を打ち倒して見せたのは、ジンの中では印象の薄い、それまであまり目立っていない二人の男子生徒だった。

(時縞は、指南の腰巾着呼ばわりされてた。あんなナヨナヨした野郎が、自分から戦争に首突っ込むなんて変だ。草蔵にしたって、年の初めに時縞とトラブったとか聞くけどそれ以降は目立つような真似はしてない)

 よくしゃべる友人から聞かされる学園の噂話の中に幾度か登場した彼らの姿は、ジンが想像するところのヒーローとは程遠い。二人がヒーローとなった契機。それは、間違いなくあの二体のロボットだろう。

(だったら、俺だってあのロボットに乗ればヒーローになれる)

 未だヴァルヴレイヴを正確に知らぬ彼は、その考えの軽率さに終ぞ気付くことは無い。ただただ苛立ちと、憧れにも似た嫉妬を募らせるばかりだった。

「ん……?」

 そんな風に考え込んでいた彼が、前方を歩く人影に気付いたのは全くの偶然だった。

 男子生徒が数人と、女子生徒が一人。全員、見覚えがある。

 連れ立って歩く数人の男子生徒は、自分と同じくライゾウに挑んで叩きのめされたヤンキーだ。自分とは違い、それ以降はライゾウに従っていたようだが、今彼らの付近にライゾウの姿は見られない。

 女子生徒の方も知っている。桃色の髪を腰まで伸ばしたゼロG読書部の二年生。クラスメイト達の話題によく上る、物静かで見目麗しい少女だ。もっともジンとしては、常に少女が浮かべている伏し目がちの暗い表情は、あまり好ましく思っていなかったが……この際、問題なのはそこでは無い。

(あいつら、こんなところで何してる?)

 クラスの作業割り当てを華麗にぶっちぎって逃走中である自分の事は棚に上げて、ジンは前方の集団に険しい目を向ける。

 自分とは縁遠い大人しい少女と、自分の同類であろうアウトロー達。この組み合わせがおかしいことなど、一目瞭然だった。

 ふと、良くしゃべる幼馴染がドルシア軍の襲撃の時に気にしていたことを思い出す。

『こういう時に一番気を付けなアカンのは、兵隊連中が女の子に手ェ上げたりせーへんかどうかや。なぁジン、僕らでなんとかクラスの女子だけでも守らなアカンよ』

 弱っちいくせに意地だけは一人前な友人に、斜に構えた自分はついつい「映画の見過ぎだ、今時そんなことをしたら世界中から後ろ指だろ」と適当に聞き流してしまった。

 だが、今目の前にある図は、まさしくその友人から聞いたそれだ。同じ学園の仲間が狼藉に及ぶとは考えたくないが、ライゾウに心酔する者達とは違い、彼らは放っておくと何をしでかすか分からない面もあった。

 もっとも、件の女生徒が実はチンピラたちとの交流があった、というならば話は別だが……

(あいつ、泣きそうじゃねえか)

 取り囲まれるようにして歩く女生徒は、常に伏せがちな瞳を弱々しくも周囲に向けていた―――まるで、誰かに助けを求めるように。

「……ちっ、ああもう胸糞悪いなぁ、オイ!」

 放っておけない自分に面倒くささを感じながら、ジンは一行の後を追って飛び出した。

 

 

 

 

 学園から叩き出されたARUS軍の兵士たちはその後どうなったかと言うと、少々ややこしいことになっていた。

 大統領府の思惑とフィガロの暴走があったとはいえ、大多数の兵士たちはそもそも、同盟国の難民達を助けるためにこのモジュール77を訪れたのだ。

 ところが艦隊司令部とフィガロ・エインズレイ上院議員は、末端の兵士達にも知らせぬままに難民達から兵器を取り上げ、あまつさえ見捨てようとした。命令に従っただけとはいえ、一般的な感性からすれば卑怯とも呼べるその作戦を実行しようとしたフィガロ、そして加担した部隊は、何も知らされていなかった兵達の不興を買った。

 無論、戦争なのだから仕方ないことだ。旧ジオールの難民たちを助けるためにARUSが共倒れになっては意味が無い。それは正しく、国を守るための最善の手であっただろう。

 しかし、それは可能性の一つに過ぎない。結果として、“ARUSの上院議員が同盟国の難民達の救助を放棄し、機動兵器だけを強奪しようとした”という事実だけが残ってしまった。

 そうなればどちらの印象がより悪いかの問題である。助けに来た筈の者達から裏切り者と罵られた彼らの不満は、その原因を作った自国の者達に向けられる。しかし、その部隊に罰は与えられない。何度も言うが、彼らは上層部が下した命令に従ったのみ。そもそも罰が与えられるようなことそのものが無いのだ。

 月周回軌道艦隊は、フィガロと艦隊司令部に従った者達、そして知らされていなかった者達の間で、軋轢が生じ始めていた。

「……というのが、あたし達がここに居る大きな理由だね」

 自分たちの状況をかいつまんで説明しながら、工作班六班を束ねる班長の女性兵士はじとっと不機嫌さがにじみ出た視線をミツルに向ける。

 要するに、自軍からの陰口に耐えかねた幾つかの部隊は、狭い戦艦の中に居るよりも生活環境の整ったモジュール内に居た方がまだマシだと考えて、『難民たちへの援助の一環として、復興に使用する重機の操作をレクチャーする』という名目の下学園の近くに逃げ込んできていたのだ。

 学園の敷地から少し離れたところでテントを張って陣取る彼女達のもとを尋ねる、とサキから聞いて警戒していたミツルだったが、予想以上に悪くなっていた班長とその部下達の立場を聞いて、何やら段々と申し訳なくなってきていた。

「おまけに、どうやら命令そのものが無かったことにされたようでね。おかげで公的にはあたし達は、命令系統の混乱から現地住民に乱暴をしたダメ部隊、ってな扱いだよ畜生。大抵の連中はとっくに気にしてないけど、事情を知ってる奴らの一部からは卑怯者呼ばわり、事情を知らない奴らからはチンピラ部隊呼ばわりさね」

「た、大変だったんですね……」

「何かその、とりあえずすいませんでした……」

 心なしか肩を縮ませるアイナとミツル。その隣では二人をここに連れて来たサキが、どこ吹く風で出された缶ジュースを飲んでいた。

「でも、軍人が戦艦を離れてこんなところにいつまで居座ってたら、余計に風当たりが強くなるんじゃない? 学園側だってまだあなた達を信用してないわよ」

「そう言う訳でも無いさ。実はそういった部隊の間で、ちょくちょくトラブルが起きててね。口喧嘩で済むうちはまだ良いけど、このままだと乱闘騒ぎにでもなりかねないから引き離しておこうって感じで、司令部も黙認状態なんだよ。あんた達学生からの反発にしたって、友軍からのよりはまだマシだからね」

 班長は溜息をつきつつ、やれやれと首を振る。

 実際のところ、班長が率いる工作隊は既に、復興への支援を申し出ていた。

 戦闘によって荒らされてしまったモジュール77の市街地では、破壊されたビルや横転した車両が今も放置されている。

 撤去するなり何なりして整えようにも、免許も運転経験も無い学生だけでは車も重機も動かせないしそれを教える人間が居ない。未だ溝こそあるが、彼らからの申し出が無ければ思うように作業が進まないのも事実であった。

「で、あんた達はその信用ならないあたし達に、何の用があってここまで来たんだ?」

 肩をすくめて問いかける班長に、ミツル達は一度顔を見合わせると、まっすぐに彼女の目を見て言った。

「ヴァルヴレイヴの武器を掘り出すのを、手伝って欲しいんです」

 その言葉に、班長は一拍の間を置き、ふーっと溜息をついた。

「嫌味としちゃあ一級品だよ。あたし達が今、自分の班に配備されていた工作車ひとつ持ち出すだけでも艦内警備隊がすっ飛んでくるって知ってて言ってるんなら尚更ね」

 現在、モジュール内に“一時的に滞在”している彼らは先のゴタゴタもあってか、軍用機材の使用を艦隊司令部から厳重に監視されていた。

 兵士と学生との衝突を危惧し、これ以上の失態を許せばいよいよ立場が危ういフィガロが―――原因の一端は間違いなく彼ではあるが―――厳命したもので、モジュール内に留まる部隊は学生達との衝突を回避するために、拳銃をはじめとする最低限の武装すら許されずにいたのだ。

 そんな状況で、いち学生との取引だけで本来計画されていない作業を行うことはできない。万が一軍の車両で事故など起きれば、ARUS軍は今度こそモジュール77の敵と断定されるのだ。

「クレーン車やブルドーザーなんかはこのモジュールの中にもあります。あなたはそれの使い方を俺達に教える為に、みんなの前で手本を見せるだけだ。勿論、俺もあのロボットで一緒に作業をする。それなら誰も心配しないし、そっちの復興支援の範囲内だ」

「言っておくが、実質的にそれは既に復興の援助では無く軍事的な協力だ。あたし達が自軍に隠れてあんた達に協力して、何の得がある?」

「俺から掛け合って、協力してくれる人達にモジュール内のマンションや家を使えるように学校の皆を説得します。いつまでもテント暮らしは辛いんじゃないッスか?」

「そうでもないよ? あたし達は軍人だ、この程度は全員が新兵時代にサバイバル訓練で体験してる。自炊に野宿なんてへっちゃらさ」

「朝起きて俺達が炊き出した飯を食ってる横でレトルトの飯を食って、昼に俺達が休憩してシャワー浴びてる時に自前のボイラーで湯を沸かすところから初めて、夜に俺達がベッドで寝てるすぐ近くで寝袋と保温シートに包まって寝るのにいつまでも耐えれるんなら、ですよね」

「だとしてもあんた一人の言葉を信用できるわけがないだろう」

「俺はヴァルヴレイヴのパイロットです。俺の機嫌を損ねればマズイことは皆知ってる」

 言葉を重ねるうちに、空気が鋭さを増していく。火花が散りそうなほどに圧力を高める両者の視線は互いに固定され、無言で事の成り行きを見守るサキや顔を青くするアイナは既に眼中に入っていなかった。

 やがて、折れたのは班長の方だった。

「……良い性格してるよ、あんた。親の顔が見てみたいもんだ」

「自慢の母親ッス。父親は顔も知らないけど」

 しれっとほざくミツルに、先程と同じく大きな溜息を一つ。

「まあ良いわ、こっちも一応準備はしておくけど、そっちのリーダーたちから要請が無いと正式には動けない。それだけは覚えときなさい」

「助かります」

 こうして議論は、一応の決着を見た。

 ミツル達は工作隊のテントを辞して、校舎に戻ろうと―――した辺りで、ミツルがふらっと崩れ落ちた。

「く、草蔵くん!?」

 慌てて駆け寄るアイナを手で制して、ミツルは大きく深呼吸をする。地べたに座り込んだ彼は息を整えると、蚊の鳴くような声でぼそりと漏らす。

 

 

「き、緊張した……!!」

 先程までの一連の交渉の中で、ミツルは精一杯虚勢を張っていた。

 

 

 ミツルの人柄をよく知る者が居たならば、交渉の中で彼が“自分のパイロットとしての立場”を笠に着た発言をした辺りで違和感を抱いたことだろう。運動部根性の染み付いた彼は、基本的に学校の先輩に逆らうことが出来ない。確かにパイロットとしての彼は学園の中でもかなりの発言権を持っているが、無理矢理に言う事を聞かせる、というのは、本来彼が考え付くような事ではない―――先程のお説教に関しては、そんな彼の数少ない逆鱗に触れてしまったということで、ひとつ。

 では誰が、彼にそんな入れ知恵をしたかと言うと。

「ほらしっかりしなさい、教えた通りに上手く行ったじゃないの」

「い、言うだけ言って全部俺に丸投げしやがって……」

 三人の中では最も他者を信用しておらず、また駆け引きの術を心得るサキだった。

 恨みがましげな眼を向けつつも、内心では彼女の見通しに目を瞠るミツル。実際、明確にメリットを示さない限り協力は得られないというのも、そのメリットが金品では無く衣食住といった生活的な面に偏っているのも、全てはサキの指示である。

 衣食足りて礼節を知る。その言葉に従って、サキは班長が部隊の取りまとめをしやすくするための手段を示して見せたのだ。

「良い性格だってよ」

「親の顔なら見せないわよ。私だって早く忘れたいんだから」

「……お前どういう育ちしたんだよ」

「アイドルに決まってるじゃない」

 この二日ほどで、随分ずけずけとものを言い合うようになった二人であった。




ミツル「食い物を粗末にするんじゃねえ―――殺すぞ」

 一話で片づけるにはイベント盛りだくさんだったアニメ五話です。
 オリ主が原作キャラにSEKKYOUする展開を書くことは少ないのですが、さすがにショーコのあれだけは物申そうと思いました。うちのオリ主のキャラ的にも見たら絶対怒ると思います。

 今回から外伝「アンダー・テイカー」のキャラをちょっと出演させてみました。ただし彼らはこの章が終わったら二部まで出番ありません(無慈悲)。あんまりキャラ増やしてもただでさえ複雑なストーリーが余計に複雑になりますし。



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第二十話 戦う意味/リオンの焦り

「まったくもう……自分から言っておいて、何してるんだか」

「北川さん?」

「なんでもありませんっ」

「あ、そ、そう……」

 不機嫌そうな会計担当の女生徒に声を掛けるもぷいとそっぽを向かれて、生徒会室の席に着くリオンは居心地悪そうに肩を縮こめていた。

 リオンは与り知らぬことだが、会計の女生徒……北川イオリの機嫌を急降下させたのは、コンビニに物資調達に赴いた班から送られてきた一枚の写真だった。

 エキサイトしたミツルが怒鳴り散らしているその先で、足の痺れに顔を歪めるショーコと、痺れはないものの(もちろん超回復能力フル活用中)衆目の中で説教されてこれまたバツの悪そうなハルトが揃って正座している。

 その場に居合わせたイオリの知人から進捗状況の報告として送られてきた写真には、気の抜けた文章で『リーダーがオイタしてお仕置き中!ちょっと作業遅れます♪』という一文が添えられていた。

 違う、そうじゃない。これは報告じゃなくて私信の書き方だ。写真の日付も見る限り一時間近く前に撮影されたものだろうが。

 遅れるにしても何分ないし何時間単位で遅れるのか報告しろ、ツィッターじゃないんだぞ。

 っていうかあの女(指南)何してる。

 メールの内容から添付の写真の何から何まで、生真面目なイオリの神経を逆撫でしていた。

 怒るべきはそんなメールを事務連絡として送って来た知人なのだが、イオリの矛先はそんな浮かれた生徒達を扇動した人物へと向けられる。

(いっつもそうだ。指南さんは、能天気な顔して会長を困らせる)

 イオリは、指南ショーコが好きではない。学園が平和だった頃からショーコがあちこちで起こすトラブルに、イオリが敬愛する生徒会長は頭を痛めてきた。モジュール77の独立の時だって、三千人に満たない未成年だけでの国家独立という成功率が限りなく低い夢物語を、まるでさも出来るかのように語って見せた挙句に、生徒達の代表であるサトミの意見を無視して何もかも決めてしまった。そのせいで今対応に苦慮しているのはサトミなのだ―――ショーコに自ら近づくことをしないイオリにはそうとしか思えず、ショーコなりの苦悩を知る由も無い。結果、努めて明るく振舞うショーコの態度を額面通りに受け取ったイオリは、楽天的な変人への不満を募らせていた。

 

 閑話休題。

 

 そんなイオリの八つ当たりの対象となったのは、不幸ではあるが必然的にリオンであった。

 一応この場では唯一の成人として、負傷したタクミに代わり生徒会メンバーの会議にも出席していたリオンだが、如何せん彼女は専門科目である保健体育以外に於いて、企画も立案も説明も今一つ。

 結果、もともと事務能力に優れた者が寄り集まった生徒会メンバーの話を聞きながら、彼らが決定したことをおぼろげに想像しながら頷くことしか出来ていない。言い方は悪いが、この場に於いて間違いなく「一番の役立たず」であるリオンは順調にイオリからの嫌悪(ヘイト)を稼いでいた。

「では明日から予定していた西区の瓦礫撤去ですが、七海先生からは何かありますか?」

「えっ? えぇーっと……ばーっとまとめて、ささっと除けちゃって……って感じで」

「……もう良いです」

 サトミが漏らしたでっかい溜息を合図に、つまらなそうに明後日の方向を向くタカヒと更なる険しい視線を向けてくるイオリ。リオンの居る場所だけ、重圧が増したような気がした。因みにリオンが今言おうとしたことを補足すれば、“重機か何かで一箇所にまとめて、ロボットにささっと片付けて貰ってはどうか”になる。片付けに使える重機もロボットのパイロット二人の予定も知らないために上記のような台詞になったが。

「手分けして一箇所に集めれば後はあのロボットに寄せて貰えるだろうから、今日のうちに使えるものをリストアップしておこう」

「スコップとかはあらかじめ玄関に置いておいた方が良いわね。それと、防塵マスクも……」

 職員室から持ち出した緊急時対応マニュアルを片手に、てきぱきと物を決めるサトミとタカヒ。非常時に慌てているのは彼らとて一緒だが、両者は共に咲森学園の運営を任される生徒会のツートップ。ことマニュアルを速やかに、正確に実行するという作業に於いて、二人の右に出る者は学園には居なかった。

「さすが生徒会長と副会長だねぇ」

「当然です」

「なんで貴女が偉そうなのかしら……」

 リオンの呟きをドヤ顔で肯定するイオリに溜息を洩らすタカヒだったが、ややあって、その冷たい視線の矛先をリオンへ移す。

「ですが七海先生、流石にもうちょっと積極的に話に入って頂かないと、我々としても困りますわ」

 タカヒの咎めるような声に、ぐっと呻くリオン。

「いくら七海先生がこういったことに不慣れと言っても、私達だって同じですのよ? 私達の取り組みに大人である貴女が参加しないのはアンフェアでなくて?」

「うぅ……ご、ごめんね、先生もこういうの、勉強しようとは思ってるんだけど……」

「思っても結果が伴わないのであれば、何もしていないのと同じですわ」

 自分にも他人にも妥協を許さないタカヒの言葉は鋭い矢となってリオンの胸にぐさぐさと容赦なく突き刺さる。流石に涙の一つも零れそうだった。

「ま、まあまあタカヒ、それに北川君も。こういった時こそ寛大に、多少の仲間のミスには目を瞑ってだな」

「あのねえサトミ、あなたがそうやって甘やかすから七海先生が何もなさらずに居るのでしょう?」

「下手に動いて事態を悪くするよりは、という賢明な判断だろう。先生が慣れるのを待とうではないか」

「そんな逃げ腰の判断は年長者がするようなものではなくってよ」

「……あの、二人とも。そろそろ先生泣いちゃいそうなんだけどなー……」

 何故四歳も年下の少年少女の口から、自分のことで実家の両親のような口論を聞かなければいけないのだろうか。しかも生徒会長(サトミ)の方も副会長(タカヒ)を宥めてはいるが結局リオンのフォローはしていない。

 いっそ怒りすらも湧いてこないほど清々しい戦力外通告に、リオンの頬を水滴が一筋伝った。

「副会長、もうその辺にしてください。会長がそうおっしゃるのでしたら、私は従います」

 つん、とそっぽを向いたままではあるが、イオリがそう言ってくれたことにリオンは胸を撫で下ろす。先ほどから彼女の視線がちくちくと痛かった身としては、この場の雰囲気が少しでも和らぐのは素直にありがた―――

「……貴女、こういう時は真っ先にサトミに従うのね」

 全く和らいでいなかった。

 突如、嘲笑うような視線をイオリに向けたタカヒに、流石に予想外だったサトミとリオンは背筋を走った悪寒に揃って肩をすくませる。何やらこう、滅茶苦茶嫌な予感がした。

 タカヒがいきなりイオリを嘲ったのは、単に気に入らなかったから、だ。先ほどまでリオンに露骨な悪意を向け、それを上役であるサトミの言葉で翻したのはまだ良い。

 問題は、その為にタカヒを引き合いに出したこと。言葉にしていないとはいえタカヒと似たような行動を取って置きながら、いざサトミがそれを諌めると途端に良い子ぶったようなイオリの態度は、タカヒには非常に腹立たしかった。

「私は生徒会役員です。会長の決定には従う義務があります。副会長はその辺りの自覚があまりないようですけど」

 一方、そんな視線を向けられた方のイオリも黙っていない。サトミを敬愛するイオリにとっては、普段から彼と対等の物言いをするタカヒもまた、気に食わない人間の一人だったのだ。

「貴女は一挙手一投足にサトミの許可を求めるのかしら。それが役員の仕事だと言うのなら、この会議の場自体に意味が無くなってしまうのでなくて?」

「決定権は生徒達の代表である連坊小路会長にあります。それに、会長は優秀な方です。副会長や指南さんと違って、みんなの事を考えて正しい判断が出来る人です」

「万能な人間なんて居る訳が無いでしょう。本気で言っているのだとしたら、貴女のその無思慮な考え方がサトミの判断を狂わせるわよ」

「……なんですって」

 数秒と経たぬうちに、議場の空気が絶対零度まで降下する。蛇に睨まれたカエルのように身動き取れないリオンとサトミは、助けを求めるように互いに視線を向けあう。

(れ、連坊小路くん!? なんとかして、二人を止めてぇえ!!)

(むむむ無理です! タカヒはこうなったら誰にも止められないし北川くんもここまで怒っているのは初めてで私もどうすれば良いのか……!)

 が、無意味。カエルが二匹でどうこうしたところで、蛇と蛇の睨み合いをどうにか出来る筈も無かった。

 おかしいなぁエアコンはしっかり動いている筈なのに何でこんなに寒いのかしらなんで汗が止まらないのかしらと混乱するリオン。そんな彼女に救いを齎したのは、生徒会室の外から聞こえてきたけたたましい足音だった。

「しっつれいしまーーすっ! 会長会長、ARUSの工作隊の人らが協力してくれるそうッスよ!」

 ごんごんがらぴしゃーん、とノックの直後に返事も聞かず扉を開けたのは、難しい交渉を成功させた疲労感と達成感に高揚するミツルだった。

 室内の重苦しい空気と、その場で繰り広げられていた舌戦に気付かないうちにそれらを壊して見せた空気詠み人知らず(エアブレイカー)ミツルは、無邪気にはしゃぎながら議場に足を踏み入れる。

「あ、え……あ、ああ草蔵か。それで、な、なんだね?」

 数瞬の自失の後、なんとか言葉を紡ぐサトミと、ぐったりと背を曲げたリオン。二人が同時に胸中で、ミツルを称賛したのは言うまでも無い。

 

 

 

 

「草蔵くん、本気で助かったわ……」

 針の筵、という言葉の意味を嫌と言うほど味わったリオンは、ミツルの報告を受けて一度解散された会議の場から学生食堂へと移動していた。この一時間ほどの間に一気に十歳ほど老け込んだような錯覚が、嫌に現実味があって怖い。

 地味にストレスによる白髪の発生を危惧するリオンに連れられて来たミツルはといえば、リオンが自販機のアイスを奢ってくれたことに胸を躍らせており、その言葉の真意を理解することは無かった。ちったあ空気読めやと彼を咎める者がこの場に居ないのが悔やまれる。

「そうっすか? 交渉っつっても話自体は流木野に助けられたんで、俺はただ言われた通りに喋っただけだったんですけど」

「いやそうじゃなくて……ああうん、なんにせよ先生すっごく助かったの。本当にありがとうね」

 リオンからの感謝を受けて、いやぁそれほどでもないッスよー、とニヤケながらアイスクリームにパクつくミツルの姿に、リオンも自然と頬を緩ませる。口では謙遜しつつも褒められて照れる年相応の姿は、彼が何処にでもいる高校生の少年なんだという事を改めてリオンに知らせた。

 だからこそ、リオンは疑問に感じたのだ。

「ねえ、草蔵くん。草蔵くんはさ、どうしてあのロボットに乗れたの?」

 何故、と問う声に、がちがちに固まったアイスと格闘中だったミツルはきょとんと目を瞬かせた。

 リオンにしてもそうだが、ミツルだってあの襲撃の日までは確かに、戦争など縁が無い一般人であった筈なのだ。

 それが今や、この学園に於いて知らぬ者はない有名人の一人。それも、武を以て仲間たちを守る、学園の守り人として。

「やっぱり、実は前々からあのロボットの訓練とかしてたのかな。それで、ジオールのピンチに秘密兵器と一緒に参上! って感じ、だったり……」

―――ひょっとして、ミツルとハルトは以前から内密のうちにロボットのパイロットとして選ばれていたのでは? と。ジオール消滅以来、WIREDの掲示板でも度々囁かれる疑念をリオンが抱いたのは、別段おかしなことでもなかった。

 が、しかし。

「いや、そういう訳では……ってか、ハル先輩が乗ってるの見て初めてヴァルヴレイヴ―――あのロボットのこと知った位ですよ、俺だって」

 そんな事実が無い以上、ミツルの口から出てくるのは否定の言葉ばかり。こればっかりは嘘ではないのだから、ミツルとて他に言い様がない。

 それでも、全長20メートル近いロボットを操って軍隊と戦うなどと言う真似をやってのけたミツルが「あれが初陣で、そもそもロボットの存在をその時初めて知った」などといったところで到底信じられるものではない。

「でも、初めて見た機械を触って動かすだなんてそうそう出来ることじゃないよ。草蔵くんってメカの取扱いの才能とかあるんじゃないかなぁ」

「……なんか七海先生、やけに喰い付いてきますね」

 興味本位で疑われるような言葉を向けられれば、いくらリオンを慕うミツルであっても面白い話ではない。険しくなった視線に気付いたのか、リオンは慌ててぱたぱたと手を振った。

「あ、ごめんね。やっぱりちょっと気になっちゃって」

「気になるって言われても、知らないものは知らないんだから―――」

「ううん、ロボットの事じゃなくて」

 ミツルの言葉を遮ったリオンはテーブルに肘を着く。組んだ両手で覆った口元から、ふーっと大きなため息が漏れた。

 ややあって、再びリオンが発した声は、自嘲めいた色を伴っていた。

「私が気になってるのは、草蔵くんのこと。私と草蔵くんの違いって、なんだろうなぁって思って」

「―――へっ?」

 今まさに右手のスプーンを運ぼうとした口から思わず上がる素っ頓狂な声。動きを止めたスプーンから、バニラ味のアイスクリームが溶け落ちた。

 

 

 

 

 不良学生たち数人を、瓦礫の中から拾った鉄パイプで撃退したジンは、逃げる彼らに置いてけぼりにされた女子生徒と二人で無人の商店街の適当な場所に腰を下ろす。ここは襲撃の前には若者たちのデートスポットとして賑わっていた場所で、開けたところにはテーブルやベンチが幾つもある。二人はその中でも、おしゃれなオープンテラスで注目を浴びていた喫茶店―――その跡地に居た。

「落ち着いたか?」

「は、はい……」

 ギャルソンもマスターも居ない以上、飲み物は自分で調達するしか無い訳で。道すがら自販機で購入したジュースを開けると、ジンは一気にそれを呷る。ごくごくと喉を鳴らして一息つくと、女子生徒が自分をじっと見つめていることに気付いた。

「……ビースト・ハイの方が良かったか?」

 既に半分ほど空になった人気の炭酸飲料が入ったボトルを軽く振って見せると、冷たいミルクティーを両手で持つ女子生徒は慌てて首を横に振った。

「い、いえお構いなく! ああっそうだわ、ミルクティーのお金……」

「要らねえよ。良いから落ち着けっての」

 思い出したように財布を取り出す女子生徒を宥めて、ジンはその表情に目を走らせる。ペットボトルのジュース一本に対するこの慌て様や一人だけ置いて行かれたことを考えても、やはり彼女が先ほどの不良たちとかかわりがある、という訳ではなさそうだ。

 その視線を誰何の物と感じたのか、女子生徒は居住まいを正して口を開く。

「改めてになるけど、さっきは助けてくれてありがとうございます。私は―――」

「二年五組の於保田(おおた)ナオ、だろ?」

 自己紹介の前に自分の名前を言い当てて見せたジンに、女子生徒―――ナオは呆然とする。

「え? な、なんで私の事……えっと、お話したことあったかしら?」

「いんや、無いけど知ってる。あんた、けっこう目立つらしいぞ」

 ジンの言った事は出任せでもリップサービスでもない。五組の於保田ナオといえば、咲森学園の女子生徒の中でも見目麗しいと―――それも、ショーコやタカヒのような「黙っていれば美人なんだけど」といった者達とは違う、所謂「正統派・深窓のご令嬢」系美少女だと言われていた。所属しているクラブが、モジュール内でも場所の限られた重力制御の解除区画をぜいたくに使う“ゼロG読書部”であるというのも、そのイメージに拍車をかける要因の一つだろう。

「そんな、私なんて全然っ」

 そんな自身の人物評を聞いたナオは、先程と同じくわたわたと慌ててその言葉を否定する。彼女としては自分がそんな高嶺の花扱いされているとはとても信じられないのだが、その態度が男共の目には「慎ましさ」「奥ゆかしさ」と映るのだろう。もっとも自尊心の塊とも言えるジンからすれば、「うじうじしてて鬱陶しい」としか思えないのだが。

「褒められたなら素直に頷いておけば良いだろうが。それとも、俺が鼻の下ァ伸ばしておべっか使ってるって言いたいのか?」

「はなっ!? そ、そうだったんですか!? や、やっぱり私どんくさいから皆してからかって……!」

「いや違うそうじゃねえ! 別に本当にそういうつもりで言ったんじゃねえ!」

 内心で、こいつ面倒くせえなと吐き捨てるジン。普段会話する幼馴染が何かとうるさい部類の人間であるだけに、ネガティブ且つ頭にドの付く天然という人種はジンにとっては未知の存在であった。

「あんたさあ、なんでそんな後ろ向きなんだ。ンな風におどおどしてるから、さっきみたいな連中に付け込まれるんじゃねーのか?」

 不良たちの去って行った方向を指で指し示しつつ言うと、ナオはやはり俯いて黙り込んでしまう。

 煮え切らないその態度がやはり気になって、ジンは苛立ちを飲み下すように、再び炭酸を呷った。

「……ようするに、あんたは―――」

 

 

 

 

「―――自信がない、ってことですか?」

 ようやく柔らかくなったアイスをたいらげたミツルが鋭い頭痛に呻いたのち、先程のリオンの言葉の真意を問う。年上の女性に言うには失礼かな、と躊躇いがちに放たれたその言葉に、しかしリオンは静かに頷いた。

「もしかしたらね。草蔵くんは特別な人だから、あんな風に活躍できたのかもしれないって思ってた。だから草蔵くんや時縞くんと違って、私は役に立てないんじゃないかなぁって……」

 言葉を切ったリオンの口元から、ふっ、と笑い声が漏れる。彼女にしては珍しい鼻で笑うようなその声は、誰でもない、リオン自身に向けられていた。

「言い訳だよ。さっきも会議してて、私だけなんにも出来なかったの」

 リオンの一人称が“私”となっていること―――教師としての自分を取り繕い、年長者としての態度を見せる余裕すらなくなっていることに、ミツルは未だに気付いていない。

 けれども、リオンがなにやら弱っていることだけは、その力ない声から察することが出来た……ミツルにしては、本当に珍しい話だが。

「でも、七海先生は頑張ってるじゃないッスか。そりゃあ俺達もそうだけど……それに、貴生川先生だって居るんだから」

「けど私、ホントになにも出来てないよ!」

 ミツルの声を喰い気味に、大声が上がる。言葉を遮られたミツルはもちろん、声の主であるリオン自身も、驚きの表情を見せていた。

「ご、ごめんね怒鳴ったりして」

「いやそれはまあ、別に……って気にしてません! 気にしてませんから顔上げて!?」

 呆然としていたミツルであったが、教え子に大声を上げてしまったと気付いたリオンの謝罪に我に返ると、頭を下げるリオンを慌てて手で制す。

 そのまま黙り込んでしまうリオンに、ミツルは何と声を掛ければいいのか皆目見当がつかない。

(参ったな……リオン先生、えらく弱ってるってのは解るけど)

 頬を掻きながら、ミツルはさてどうするか、と思案する。自慢ではないが、ミツルは十六年に満たない人生の中で、精神的に追い詰められた異性などという存在に触れる機会が無かった。咲森学園の推薦受験を視野に入れてからはなおのこと、恋に現を抜かす暇があるのなら少しでも長く走り込みをしなければ、と練習に精を出してきたミツルはその目標を達成してから初めて、自分以外の他者に異性としての目を向ける余裕を持ったのだ。この辺りは、ショーコがその立役者とも言えるのだが―――それはまた、別の機会にとして。

 話を戻すとミツル自身、何かショックを感じることがあっても、そもそも物事を深刻に考える性質では無い為に精神的に追い詰められるという経験が無い。

 結果として、今のリオンに「大丈夫だ」と軽々しく言ってしまうことになった。

(そういえば俺、七海先生のこと何も知らないよなぁ)

 ここにきてミツルは、七海リオンという女性のプライベートを全く知らない自分に気付く。教師としてリオンが上手く生徒との距離を保っていたというよりは、ミツルの幼稚さが原因だろう。事実、落ち込むリオンの気分転換になりそうなことをミツルは全く知らなかった。

(落ち込んでる人には気分転換が必要とか言うけど……)

 寝れば忘れるとでも言うべきか、それとも大人には酒を勧めれば良いのか。そもそもリオンの趣味とは何だろうか。

 これが陸上部所属のミツル自身であれば、いつもの休日の過ごし方と同じように学校のトラックを何週か走っているうちに気も紛れよう。だが、それがリオンも同じかどうかと言えば、ちょっと自信を持てそうにない。

(俺が先生に勧められるようなこと、かぁ……つったって、気分転換って言ったら普段やらないような事だろ? そもそも七海先生が普段やらない事なんて知らな―――)

 そこまで考えを巡らせたところで、ミツルの脳裏にふと閃く物があった。

 普段やらないどころか、今までにリオンが一度も体験してい無さそうな事を、自分は確実に一つ知っている。良かれ悪かれ、新鮮さという点ではこれに勝るものはないだろう。

「……先生、あのロボットに乗ってみませんか?」

 不敵に笑うミツルの言葉に、リオンはきょとん、と目を瞬かせた。

 



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第二十一話 闖入者達/ドライヴの意味

このままのペースだと伏線の回収が追い付かない

そうだ、説明回を捻じ込んで出したかった説明を一気にやってしまえ

以上、色々と最低な今回の執筆中の考え事です……


「せんせ、ご飯食べれる?」

「いやーどうせならマリエがあーん、ってしてくれれば食べれ待て待てちょっと待て俺が悪かったそれ熱い絶対熱い」

「はいあーん(棒)」

「あづづぐふぉげふっ!?」

 性質の悪いセクハラ教師こと貴生川タクミの口に出来たてホカホカの雑炊を捻じ込みつつ、マリエは保健室の一角で溜息を吐いた。

 ハルトとミツル、そしてショーコの手伝いをしたいのは山々なのだが、残念ながらマリエには足の骨折で半ば寝たきりとなった物理教師の看病をするという仕事があった。飄々として何を考えているか分からない胡散臭い男ではあるが、こんなんでもマリエの身元引受人―――言ってしまえば保護者である。放っておくのも流石に躊躇われた。

(身体が弱いんだ、せんせは。怪我が治ったら煙草やめさせよう)

「……マリエ、なんかロクでもないこと考えてないだろうな」

「せんせの肉体改造計画?」

「保健室で言うな保健室で。洒落にならんわ……いてて」

 小柄な少女にからかわれつつ、タクミは時折身体に走る痛みに眉を顰める。

 ショーコと共に生き埋めになった時、タクミの足は車ごと吹き飛ばされた衝撃で綺麗に折れていた。その後、丸一日近く放置せざるを得なかったことで患部がうっ血していたのだ。

 救助に訪れたARUSによって緊急手術を受け、折れた骨は接ぎ合わされて内出血も縫合されたが、溜まった血を取り除かれたタクミは暫し昏倒し、三日が過ぎた今も自力での歩行が難しい状態だった。

 タクミがそんな状態である以上、本来彼に割り振られる仕事は他の者に振り分けられていたのだが……

「……ところでマリエ、七海ちゃんの様子はどうだ?」

 その大部分を「教師だから」という理由で担当する羽目になったリオンをタクミが案じるのは、当然の流れだった。

 嫌な予感を感じつつも敢えて言葉に音を伴わせるタクミに、マリエはぶんぶんと首を横に振る。

「頑張ってはいるみたい。けど生徒会からはどーにも」

「やっぱそーなるよなぁ」

 すまんね七海ちゃん、とぼやきながら、タクミは頭を抱える。言ってしまっては何だが、今自分が動けるならば彼女に押し付けた仕事だけでなく、他の仕事も取り上げた方が良いかとすら思える。なにせ、その方が明らかに早く片付くのが目に見えているからだ。

 リオンは決して無能ではない。ただ、有事に存在感を示すタイプの秀才でないのは確かだ。それは指導教員の一人として、三週間で中断した彼女の教育実習を監督してきたタクミがよく知っている。そんな彼女に“戦災からの復興計画”、ひいては“数千人での国家の運営”などという話を押し付ける方がどうかしているだろう。タクミだって、そんな立場になれば裸足で逃げ出したくなるに違いない。

「七海ちゃんと生徒会がそんな感じじゃ復興そのものはあんまり進んでなさそうだな……流石にロボットに任せてって訳にはいかないか」

「今は皆の注目がロボットに行ってるけど、一週間ぐらいでライフラインやらなにやら整えないとそのうち口喧嘩が殴り合いの乱闘になるってショーコが言ってた」

「指南か。あいつ意外に頭良かったんだな、もうちょい馬鹿だと思ってたぞ」

「それは同感」

 ショーコ本人が聞けば烈火のごとく抗議しそうなことをのたまうタクミであったが、ぶっちゃけマリエもここ数日のショーコの働きぶりには目を瞠っていた。

 バカにするつもりはないが、マリエの知る限り指南ショーコという少女は、奇抜な感性と回転の速すぎる頭脳以外は年相応の女子高生でしかない。そんなショーコが戦争という一大事に真っ向から立ち向かおうとしているのが、マリエにはどうにも危うい物を感じて仕方なかった。

 別にショーコは一人ではない。ハルトとミツル、信頼できる二人の友人が、全長20メートル近い無敵のロボットで以て彼女の掲げた理想を支えてはいる。けれどそれはあくまでロボットの力であって、二人が本来持ち得た力ではないだろう。武を以て『学生たちの国』を支える二人は、皮肉にも『ただの学生』の枠を既に大きく逸脱していた。

「あのロボットがもっとあればジオールは無敵なんじゃないかっていう話もあるけどさ、せんせは本当にあれのこと知らなかったの?」

「知ってたら慌てて車で外に出ようとなんかして無いっての。俺だってびっくりだぜ? プールががばっと割れてあんな男の浪漫詰め込んだようなロボットが出て来たんだから」

 がしがしと頭をかきつつ、マリエの問いを否定する。実際のところ学園で教師として働いていたタクミも、地下に巨大ロボットがあったことは本当に知らなかったのだ。関与を疑う教え子の視線にも、肩をすくめて手を上げるしかなかった。お手上げである。

 その様子に嘘はないと感じとってか、手にした丼をベッドサイドに置いたマリエは包帯で吊るされたタクミの足を一瞥する。どうやら古き良き熱々鍋コントでタクミをいじめるのは飽きたらしい。

「あーあ、さっさと保健室ともおさらばしたいところだ。口も熱いしギプスも布団も暑いし、干物になっちまう」

「我慢してよ、お医者さんの話だとギプスはあと三日かそこらで取れるってんだから。そんじゃ私、七海ちゃんの手伝いしてくるね」

「あいよー。無理すんなって伝えてくれー」

「どうだろ、ミツルも居るし二人して無茶してそう。ほどほどにって言っとくね」

 ベッドからひらひらと手を振るタクミに苦笑しながら応えると、マリエは保健室を辞した。

(七海ちゃんもだけど、そういえばミツルもミツルで無茶するんだよね)

 現在のリオンはやるべきことを見定められないが故に何をするにもいまいち、と言った感じだが、そういう人間が一度目的を思い定めると脇目もふらずにのめり込むことをマリエはなんとなく知っている。マリエの親友である少女が今まさにそんな感じだし、一歳年下の生意気な後輩もつい数ヶ月前に似たような状態に陥っていたからだ。

(ミツルが七海ちゃんのこと好きになったのってあのデカい胸が理由かと思ってたけど、ひょっとしたら似た者同士だって本能レベルで感じ取ったのかな)

 ただのおっぱい小僧じゃなかったんだねぇあのエロ一年、と、これまた本人(ミツル)が聞けば激怒しそうなことを胸中で呟きながら、マリエは暑苦しい廊下を歩く。本来であれば真夏とも呼べるジオール本国の気候を再現して居るせいか、それとも人工太陽を擁するダイソンスフィアから離脱した影響か、モジュール77はここ数日空調設備が自動でフル稼働し、人工の“真夏日”が続いていた。

(只でさえ暑苦しいのに、人間関係まで暑苦しくされちゃ溜まったもんじゃないや)

 次にミツルとリオンが一緒に居るところを見かけたら思いっきり冷かしてやろう、と理不尽なことを考えながら、マリエはリオンが居るであろう場所を探してみることにした。

 

 

 リオンがミツルに連れ出されたと聞いたマリエが、後輩をからかう絶好の機会を逃して舌打ちを飛ばすのはこの数分後である。

 

 

 

 

 

「へっ、くしゅん」

「草蔵くん、風邪?」

 なにやら急に鼻がむずむずとしたミツルは、ずーっと鼻を啜りながらリオンに応じる。夏風邪、と問わない辺りはリオンの優しさだろう。

「っかしーなぁ、今日は寧ろ体調は良い位なんだけど」

「噂でもされてるのかもね。草蔵くん、今じゃ学園のトップスターだもん」

「い、いやいやそれほどでも無いっすけど……あ、先生ここです、この駐車場の中」

 二機のヴァルヴレイヴは現在、学園の敷地から離れた場所―――半壊したエレベーター式立体駐車場の中に置くことになっていた。八号機が叩き落としたバッフェの墜落によって丁度建物の半分が潰れるように倒壊したために、内部のエレベーターを退かせば二機のロボットを収める空間が出来ていたのだ。

 最初のうちは復興作業にヴァルヴレイヴを使ってからそのまま帰って来るミツルが、寮の近くの開けた場所に自転車のように乗り付けるようになり、流れでハルトも真似をしたのだが……

『なーハルト頼むよー! 一度でいいから、俺達にも操縦桿だけでも握らせてくれよぉ!』

『時縞先輩ねえねえお願いエンジンのところ見せてっ、せめてコンソール周りだけでもっ……あああやっぱり出来ればちょっと装甲部とか見せてえっ!!』

『だっ、駄目だよ霊屋くん!? ほら、燦原さんも危ないから……って登らないでーーーっ!? 燦原さんほんとやめて!? バールでつなぎ目の隙間こじ開けようとしないでえええっ!!!』

……ユウスケ率いるオタク部、並びにオタク部と交流のあるロボコン部や自動車部が機体を調べようとした他、物見気分で見に来る生徒が後を絶たず、止む無くミツル達は生徒達の目につかない場所にヴァルヴレイヴを移したのであった。主にあのままでは暴走したナツキに解体されるという不安が一番大きかったのだが。

「うっひゃー、こんなところに置いてたんだねぇ」

「本当なら七海先生にも秘密なんですけど、特別っすよ」

 リオンと共に学園を抜け出したミツルは、周囲に人影のないことを念入りに確認しながら、立体駐車場に足を踏み入れる。

 モジュールの気候管理システムが年間スケジュールに従いオートで作り出す“夏の日差しと蒸し暑さ”にたっぷりと晒された中を歩いてきたせいか、大きな建物の陰に入った二人の身体はひんやりと冷たい風に触れてぶるりと震えた。

「んー涼しー……あっつい中歩いて来たから天国だよぅ」

「そーッスねぇ……ここ何日か暑くて、ぶっ!?」

 何の気なしにリオンの方を向いたミツルは、思わず吹き出した。

 程よく冷えた心地よい風を服の襟元から取り込もうと、リオンは半袖シャツの襟ぐりをぱたぱたと広げていた。真横に立っていたミツルからは当然、その隙間からレースの生地が使われた何かがちらちらと見えている訳で。

(み、見えっ……!?)

 こっそりキューマに譲ってもらったRで18な雑誌でしか異性の身体に慣れていないミツルが、超至近距離でのチラリズムに耐性など持っている筈も無い。ほどなく、炎天下で炙られた健康な少年の鼻孔から、つつー、と赤い液体が一筋垂れ落ちた。

「わっ!? く、草蔵くん!?鼻血、鼻血出てる!!」

「……はっ!? あ、い、いやそのこれはええっと」

 ひょっとして胸元をじろじろ眺めていたのを見咎められたかと慌てて明後日の方を向くミツルだが、頬を掴まれぐいっと引かれ、視線をリオンの方へと固定される。

「もう、暑いの苦手だったら最初から言いなさい! ほら鼻のところ拭いちゃうからこっち見せて!」

(ちょっ、ああああ見える見える!? 谷間が、たにまがっ!?)

 ポケットティッシュ片手に詰め寄るリオンだが、そんな彼女の顔から視線を落とせば桃源郷が視界いっぱいに広がるか広がらないかというミツルには聞こえていない。必死に顔を逸らそうとするも、手当てをしようとするリオンがそれを許さなかった。

「こーらっ! なんで逃げるの!」

「い、いやいや大丈夫ですってば!? こんなんちょっと叩けば止まりまへぶっ」

「って首筋(そこ)叩いたらもっとダメでしょおおおおおおおっ!?」

 結局、ミツルの超回復能力によって出血が収まるまで、二人はぎゃあぎゃあと騒ぎ続けた……人気のない場所で二人きりだというのに微塵も色っぽい話に発展しない辺り、この後長きに渡ってミツルが味わう恋愛方面での苦労を如実に予見していたと言えなくもないが。

「……お騒がせしました」

「ホントだよー。恥ずかしいかもしれないけど、のぼせて熱中症なんて誰にでも起きることなんだから手当てを嫌がったりしたら駄目よ?」

 真剣な顔で暑さ対策の重要性を説いてくるリオンに、まさか貴女のブラチラで興奮して鼻血出しましたなどと言えるはずも無く大人しく頷くミツル。

「と、とにかく、ここまで来たんですからさっさと乗りましょうよ。俺が操縦しますから、先生はシートに掴まっててくださいね」

 多少強引にリオンの手を取ったミツルは八号機の足元まで駆け寄ると、コックピットから伸びるワイヤーリフトのスイッチに手を懸けようとして―――

「?……先生、ちょっと待った」

 微かな異変に気付き、ぴた、と動きを止めた。

「草蔵くん、どうしたの?」

 ミツルはリオンの問いに答えず、八号機の足元からその巨体を見上げる。

(……誰か、ヴァルヴレイヴに勝手に触った!?)

 はっと気づいたその答えは、ミツルを凍りつかせるには十分だった。

 先程ミツルは、ヴァルヴレイヴに乗り込むためにワイヤーリフトを起動させようと、外部のスイッチ……足首フレームの内側に隠されたスイッチに手をかけようとした。

“昨日ミツルが降りてから、垂れ下がったままになっている筈のワイヤーリフト”のスイッチに、である。

(俺は昨日、ここから降りてそのまま帰った。なのに、ワイヤーがしまわれてる。誰か勝手にいじったか、八号機の中に乗り込んでる!?)

「先生、そこの陰に隠れてて!」

「え? えっ、ちょ、ちょっと草蔵くん!?」

「早くっ! 俺が良いって言うまでここにいて下さい!」

 物陰にリオンを屈ませたミツルは、周囲の瓦礫から手ごろな大きさの石を二つばかり手に取って右手に握り込むと、乱暴にスイッチを押す。

 何事も無いかのように胸部からワイヤーが降りてきて金属の足掛け棒(ステージ)が展開した瞬間、そこに飛び乗ったミツルは端の方を片足で蹴った。ペダルスイッチが押されたことで、ワイヤーはすぐさま巻き取られ、ミツルの身体を持ち上げる。

(くそっ! こんなことならARUSからガメたライフル、一つぐらい持って歩くんだった!)

 胸中で吐き捨てながら、段々と近づくコックピットハッチを睨む。銃もナイフも無い中、拾った石程度で侵入した何者かを倒せるかは分からない。しかしいざとなれば、不死の身体をフル活用してでも敵を倒さなければいけないだろう。自分がここで倒されれば、建物の隅に隠れるリオンを守ることが出来ないのだから。

 もしも悪意を持つ誰かがヴァルヴレイヴに乗り込んでいるとしたら、一大事だ。ドルシア軍の兵士―――特に、未だ行方の知れないエルエルフに奪われようものなら目も当てられない。

(よし、肚は括った!)

 すぅ、と息を吸い込み、ワイヤーが上昇しきった勢いで以て、コックピットに飛び移る。

「誰だ!!」

 大声と共にダン、とハッチを踏み締める。

 その応えは―――沈黙。

 周囲を見回すミツルの目には、自分以外の誰かの姿を捉えることは出来ず。しばしその場にとどまっていたミツルは、開いたままのコックピットハッチの中に誰も居ないことを確認すると慎重にその狭い入口をくぐる。アームレストに手を置くと、両腕の静脈と指先の指紋からミツルを検知したOSがオートで起動し、スタンバイ状態からアクティブへと移行した。

(……パイロットの認証が書き換えられてる、とかは無いな)

 そのままコックピットシートに身を降ろしたミツルは、OSを立ち上げると、コンソールパネルに目を走らせ―――

「……おい、お前らそこで何してる?」

 センサー類をフル動員して見つけたお邪魔虫に、外部スピーカーから声を掛けた。

「い、いやーこれには色々と訳があって……」

「お、俺はべつに何もしてねえぞ? ちょっとナツキに頼まれてこいつのエンジンをだな……」

「あ、アリヒトくんずるいっ!? アリヒトくんだってこのロボットを運転してみたいって言ってノリノリで―――」

「ちょっ、てめっ!?」

 お邪魔虫は、ここにいる筈の無いミツルのクラスメイト二人だった。

(そういやこの二人、俺が帰って来た時にも自分も乗せろとか中身見せろとか好き勝手言ってたっけなぁ……)

 ほとんど足場も崩れているというのに根性と好奇心でここまで登ってきた二人は、ヴァルヴレイヴのエンジンが良く見えるであろう場所―――即ち、八号機の背中側にこっそりしがみついていたのである。

「……ほら、取り敢えずそこ降りろ。ヴァルヴレイヴの手に乗って良いから」

 色々と言いたいことは有ったが、足場の不安定な場所にクラスメイトを拘束しておく趣味も無い。ミツルは背後のコンクリート壁を壊さないように慎重に、背後に回した八号機の掌を二人のもとに近付けた。

「ええー!? せっかく最新技術の塊を間近で見れるのにー!!」

「けちけちしないで俺にも動かし方教えてくれってばー。せっかくここまで来たんだからせめて一回だけでも」

「このままハタき落としてやろうか」

『すいません今すぐ降りますっ!!』

 少々ドスを利かせた声で問いかけると、二人はあっさりと八号機の掌に飛び移った。

 

 

 

 

「あのね二人とも、確かに私と草蔵くんは学校抜け出してここに来たけど、午前中にやることは全部終わってるよ?」

「はい……」

「うっす……」

「今の時間はお昼休みだし、休まず働けーなんて言ったりしないけどね、今の時間に私達より先にここに居たってことは二人とも、午前中の片づけは終わってないんだよね?」

「はい……」

「うっす……」

「それに、草蔵くんはこのロボットに触っちゃ駄目ってみんなに伝えてたんだよね? 確かに護堂くんと燦原さんが興味持ちそうな代物だけど、駄目って言われてるのに触っちゃうのはどうだろう」

「はいぃ……」

「すんませんっした……」

 ヴァルヴレイヴと建物の隙間から引きずり出された後、二人仲良くミツルにグーで脳天を殴られたアリヒトとナツキは、現在リオンから懇々と説教を受けていた。

 そんな姿を眼下に収めつつ、ミツルはコックピットの中でむっすー、と膨れっ面を作っていた。

(ちっくしょう、せっかく七海先生と二人だと思ったのにさ)

 年頃の少年らしくそんなことを考えるミツル。もっとも彼とリオンが二人っきりでいたとして、ミツルの夢見るような展開が訪れたかどうかは甚だ疑問ではあるが。

(それにしても、うまく隠してたつもりだったのにこんな早く見つかるなんて。またハル先輩と相談して、こいつの隠し場所変えなきゃなー……)

 思案に耽りながらミツルはコンソールパネルをチェックする。二人の様子を見るにコックピットであの質問に―――『ニンゲンヤメマスカ?』の問いに応じてはいないらしい。

 しかし興味津々でここまで来た二人の事だ。コックピットが空きっぱなしになっていた以上、そこに入っていないとは考え辛い。どこか適当に設定やら何やら変えられていて、いざ次の実戦で前と同じく動かせずに撃墜、なんて間抜けなやられ方は死んでも御免であった。

「……よし、こんなもんか。先生、チェック終わりましたよ」

「あ、わかったー」

 言いながらミツルはワイヤーリフトで再度機体の外に降りる。

「まあ、特にどっか動かしたわけでもないみたいだし、アリヒトも燦原ももう戻れよ」

「動かすも何も、俺じゃ動かせなかったんだって。中の浮き椅子みたいなシートにも座ったけどどこ弄ってもうんともすんとも言わねえんだぜ?」

「……は? ちょっ、アリヒトお前っ、まさか八号機のコックピットに座ったのか!?」

 悔しそうにつぶやいたアリヒトの言葉に、一度安心していたミツルは再び血相を変える。

 ヴァルヴレイヴのパイロットシートに仕込まれたギミックには、人間を人外の怪物に変える力がある。だからこそミツルは、リオンを誘った時にも“コックピットシートにさえ座らせなければ大丈夫”と考えていたのだ―――この点については、ミツルもミツルで浅慮極まりないのだが。

 だがアリヒトがコックピットに座ったのなら話は違う。

「な、なんだよ急に……」

「良いから答えろっ! 」

 急に眦を釣り上げたミツルに気圧されてか、アリヒトはしどろもどろになりながらも答えた。

 

「の、乗ったよ! 乗ったけど、『DRI-Ve(ドライヴ)登録要員外』とか表示が出て、それっきりだったんだよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おかしい」

 仏頂面から吐き出される、疑問を示す簡潔な四文字の言葉。

 頭脳明晰なエルエルフをして、今彼が直面している情報には戸惑いを感じずにはいられなかった。

 咲森学園の地下に保管されていたヴァルヴレイヴ。それを、何の因果かその存在を知らずにいた二人の学生が動かしてしまった。しかも、その二人は完全なただの学生とは到底言えない、不死の肉体を持つ怪物であった。

 それはまだ良い―――いや、この時点でも人型の不死性生命体とか色々突っ込むべき点はあるのだが、論点はそこでは無い。

 問題は、その学生のうち片方―――ミツルのことだ。

(職員室から持ち出した資料には、確かに草蔵ミツルの名前がある。出席簿、中間テストの答案用紙、健康診断の書類。どれをとっても、草蔵ミツルは“確かに居る”)

 手に持った紙束をぱらぱらと捲りながら、胸中で独りごちるエルエルフ。一年三組の担任が使っていた机には、彼の受け持つクラスの資料がそのままに残されていた。おそらく殺害される寸前―――奇襲のその時まで、大量の書類の整理に追われていたのだろう。

 ドルシア軍が結論付けたように、エルエルフは、この学園が本当にただのエリート高校などとは、まして学園の生徒達は研究所の隠れ蓑に使われていただけなどとは毛頭信じていない。

 恐らく開発研究所の研究者たちは始めからこの学園の生徒達をパイロットにするつもりだった。その為にこの学園に、ヴァルヴレイヴの操縦に必要だという“資質”を持つ少年少女を集めた。その一人がハルトであり、ミツルだったのだろう。手にした書類の一つ―――今年度の入学願書には『スポーツ推薦特別枠』の但し書きと共に、確かにあの妙に印象的な眉毛の少年の写真が貼付されていた。

(だが……)

 次いで、視線を別の方向に移す。地下に広がる研究施設、その一端と回線で繋がるコンピュータ端末。学校の敷地内に隠されたそれの空間投影ディスプレイには、今年度の咲森学園の入学者の名前が表示されている。その中から『一年三組男子』の文字を見つけ、その下に羅列された数十の人名をあいうえお順になぞっていくとどうしても一つ、エルエルフの知る名前が足りないのだ。

『緒川 ショウ』

『小野寺 タケヒロ』

『加賀 リョウヘイ』

『護堂 アリヒト』

『宍戸 ケイシロウ』

(加賀(かが)の次が、護堂(ごどう)。本来あるべき“く”の文字で始まる名前が登録されていない)

 

 

 即ち―――ヴァルヴレイヴ開発研究所が記録する咲森学園の一年生の中に『草蔵ミツル』という生徒は、存在しない。

 

 

(本来パイロットとして数に数えられていない、完全な一般人……もしくはあの男も、俺達と同じく不正に学園に潜入した人間だというのか……?)

 咄嗟に浮かんだ二つの推論。だが即座にエルエルフは、そのうち二つ目の可能性を消去する。

 ドルシアか、ARUSか、或いはどちらにも属さない国家の人間か。いずれにせよ、ミツルが本来ジオールの学生ではないとしたら今ここに居る意味が無いのだ。ヴァルヴレイヴを奪ったならば、即座に自国に戻れば良い。それをしない以上、ミツルは自分の意志で学園に居るのだ。

(だとすれば本来想定されていなかったにも拘らず、ヴァルヴレイヴに乗るための資質があったからこの学園に誘導されたのか?)

 この学園でも珍しい、スポーツ奨学生。なるほど彼のデータを見る限り、頭の出来はともかく(本来全額免除だった彼の学費は、スポーツの成績に反してペーパーテストの成績があまり宜しくないという事で七割免除に留められていた)身体的には申し分はない。相応の訓練を重ねれば、エルエルフには及ばないまでも一端の兵士となっていただろう。

 ヴァルヴレイヴを操縦するための“資質”とやらを持たないエルエルフには腹立たしい話だが、陸上競技で頭角を表していたミツルは兵士としての能力、或いはその身体の頑丈さから「不死の怪物になれる資質」を見出されて学園に招かれたのかもしれない。

 だが、それはそれでまた新たな疑問が浮上する。

(ヴァルヴレイヴの研究は違法行為と人権侵害の見本市とも呼べる内容で間違いない。いくら資質に恵まれていたとはいえ、本来予定に無かったイレギュラーを引き込んだとは思い難い)

 エルエルフは未だに、二人が受けた人体改造の全貌を知らない。しかし情報が足りない今でも、ヴァルヴレイヴのパイロットとして生まれ変わることが、倫理の枷を無視して行われることだと理解できる。軍属という自覚の無い人間を兵器のパイロットとすることはもちろん、そのために薬品で肉体を改造することが、『和』の国ジオールでなくても許されるはずがない。

 生まれた時からその為に養育されていたとでも考えれば話は通るが、それならデータが残っていないミツルはなんなのだ?

「解らんことだらけだな……」

 ハルトの後輩としか見ていなかったもうひとりのパイロット、草蔵ミツル。調べれば調べるほどに謎の深まる存在に、エルエルフは警戒を募らせる。自分が言えたことでないのは承知の上だが、それでもミツルという存在は怪し過ぎた。

(どちらにせよ、俺のやることは変わらん。邪魔になるのなら消し、そうでないのなら利用する。今までだってそうして―――)

 胸中で自身のやり方を再確認しするエルエルフは、不意に感じた画面の違和感に思考を中断する。

「これは……データの一部に抹消された形跡がある?」

 エルエルフが見ていたのは、学園のデータベースに残る資料の中でも最も古いものだった。

 入学前健診と書かれたそこには、先程まで見ていた一年生の名簿と違い、ミツルのクラスメイトこと加賀リョウヘイと、アリヒトの名前の間に、ちょうど一人分だけ空欄があった。

 位置的に見ればちょうどそれは、かきくけこ、の『く』の位置。これがミツルの名前に当たる部分だとすれば、ミツルのデータ自体は入学前の段階ではあった事になる。

 しかしその空欄を最後に、学園の『表』の資料を除けば、『裏』の資料にミツルの名前は無い。

(何者かが『草蔵ミツル』にすり替わっている、ということか……)

 エルエルフはそのデータをコピーし、接続していた個人用の端末にペーストする。

(不確定要素として、草蔵ミツルの存在は大きすぎる。早急にこいつの正体を見極めなければいけない)

 こうして、本人の知らぬまま―――草蔵ミツルは、モジュール77に潜り込んだドルシア最高の工作員の頭の中で、ブラックリストに名を連ねたのであった。



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第二十二話 遊覧飛行/ミツルの浅慮

 マリエの姿が見えなくなった後、タクミはベッドの下に手を伸ばすと、隠していた煙草の箱を手探りで引っ張り出した。

 リモコンで空調の空気清浄機能をフルパワーにして、ついでに消臭スプレーも枕元に手繰り寄せておく。これでいつマリエや他の誰かが戻って来ても、保健室での喫煙に気付かれることは無いだろう。人の気配に神経を使うのはしち面倒だが、ここらでそろそろニコチンを体に入れておきたかった。

「マリエも小うるさくなったもんだ、引き取って暫くは俺がなにしようと興味なしだったってのに」

 鬱陶しそうに言いつつも、タクミの表情は明るい。嘗ては物言わぬ人形のようだったマリエが、この一年半で人間らしさを取り戻しつつあることが、単純に嬉しかったのだ。

 他者への興味……否、それ以前に感情が著しく欠落した少女の身柄を引き取ったのは、タクミがこの学園で教職に就くのと同時だった。

 “前の職場”で上司とトラブルを起こしたタクミは、新たに設立される国立学園で物理教師が足りていないと声を掛けられ、渋々ながら移動の辞令を受け取った。もっとも、受け取らなかったところで、翌日には自分のデスクが何事も無かったかのように片づけられていたのだろう。上の方針に反発したタクミの居場所は、その時点で前の職場に残されていなかった。

 再就職の代わりとばかりに押し付けられたのは、今まで極力見ないようにしていた子ども達と間近に触れざるを得ない立場。それだけでも気が重いというのに、自分が何者であるかの記憶と、感情の大半を失った少女……野火マリエの保護責任者と言う役職を押し付けられた時は、上司を殴ってやろうかとついつい拳を握り締めた。

(……ま、今一番殴りたいのは、何もできない自分なんだがな)

 吐き出す紫煙に、自嘲を乗せて。皮肉気に笑うタクミは、自分の舌から滑り出た台詞を思い出す。

 学園の地下であんなものが作られていたことなど知りもしなかった―――マリエに答えたその言葉に、嘘はない。

 タクミが“学園の地下で『ヴァルヴレイヴ』と呼ばれるものが作られていたこと”を知っていた以外は。

(よくもしゃあしゃあと言ったもんだ。確かに俺は、“この学園の地下でロボットが作られている事”なんて知りもしなかった)

 実際問題としてタクミは、ヴァルヴレイヴを新しいエネルギーに対応したエンジンだと思っていた。開発者である上司から、「ヴァルヴレイヴこそ、人類を新たなステージへ導くための道具。言わば神殿のようなものだ」と、耳にタコができるほどに言われていたのだから。開発者から“神殿”と称されたそれが全長20メートル級の人型ロボット……しかも、単騎で宇宙艦隊を相手取る、現状冗談抜きで“宇宙最強”の名を冠する機動兵器だなんて、夢にも思っていなかった。

 本来それを、知っていて然るべき立場にいたのだ。前の職場に―――ジオール国防軍の次世代技術検証機関、通称『第四研究所』に所属する修士研究員(マスター・フェロー)であったタクミは。

「どんな悪魔と契約して、あれを作っちまったんですか……時縞(・・)先生」

 動力源のレイヴ・エンジン、主装甲のVLCポリマーとクリア・フォッシル、そして全身から放たれる硬質残光。ヴァルヴレイヴの特徴であるそれら全てが、数世代先の技術……現状、人類が実現可能なレベルを大きく上回っていた。

 そんな夢物語を現実のものとしたのが、『RUNE(ルーン)』。現代生化学の権威たる一人の科学者によって発見された、神代の魔術の名を冠する全く新しいエネルギーだった。

(だが先生は、それこそ魔術に魅入られたように何でもやった。死人の出かねない危険な実験も、パイロット候補達をモルモット扱いすることさえも平気な顔をして……)

 恩師のやり方について行けずに左遷された時点で、タクミは『ヴァルヴレイヴ開発計画』の一切の情報から切り離された。嘗て自分が手がけた技術が、上司である恩師の手によってどんな形で完成するのかという事すら、タクミは知ることが出来なかったのだ。

(先生、あんたの思い通りにはさせない……俺が必ずヴァルヴレイヴのカラクリを暴く)

 胸中で言葉を噛み締めると同時に、手にしたスマートフォンを握り締める。それが今自分に出来る、生徒達への罪滅ぼしの一つだろう。

 決意を固めると同時に、タクミは煙草の火を消した。今しがた吸い尽くした一本の後は、怪我が完治するまで吸うつもりはない。

「さーて、ギプスが外れたらいっちょ真面目にリハビリに……うぉ!?」

 タクミの言葉を遮って、ごぅ、と空気が揺れる。一瞬遅れて、窓から見える空に白い影が横切った。

 学校を解放した白の巨兵、ヴァルヴレイヴ八号機。鱗翅目を思わせる羽を持つロボットが大気を震わせながら、校舎の近くを通り過ぎたのだ。

 呆然としていると、保健室の扉が開き、先程よりも幾分か眉を顰めたマリエが姿を現し、すんすんと鼻を鳴らす。どうやら火を消すのが少しばかり遅かったらしい。空気清浄器が逃した煙の残滓を嗅ぎ取ったマリエは、その発生元をじとーっと睨む。

「……せんせ、ひょっとして煙草吸った? 駄目でしょもー」

 が、そんな視線を向けられたタクミはと言えば、つい先ほど窓の外を通過した八号機に呆気にとられるばかり。

「お、おいマリエ、今、外……」

 上手く状況を説明できず、窓の外を指さしたままぱくぱくと口を開け閉めしていると、マリエがなんでもなさそうに答えた。

「あー、ミツルの白いロボット? なんか気分転換とか言って七海ちゃんと一緒に飛び出していったらしいよ」

「へっ……七海ちゃんも、一緒、なのか?」

「ん、なんか七海ちゃんが落ち込んでたから、それでミツルが連れて行ったんじゃないかって。あいつのことだし、空飛ぶデートのつもりなんじゃ……せんせ? 頭抱えてどうしたの?」

 噂好きの友人達が見聞きした情報を交えて話すマリエは、タクミが頭を抱えてがっくりと肩を落としているのに気付き、少し遅れて右手で覆われたその目元から額にでっかい青筋が浮かんでいるのを確かに見た。

 マリエの問いに応じる事無く、タクミはスマートフォンから呼び出した教え子の電話番号にコールし―――喉も裂けよとばかりに絶叫した。

 

「時縞ぁああああああ!! お前ンとこの後輩(バカ)を今すぐ校舎に呼び戻せぇええええっっっ!!!」

 

 

 

 

 続いて八号機が通過したのは、遅々として片付けの進まない商店街。建物を壊さない程度に、そして同乗するリオンに負担がかからない程度に高度と速度を調整するミツルは、その真下にサボタージュ真っ只中の少年少女が居たことには気付かなかった。

「きゃ!」

「どわぁ!?」

 ぶお、と巻き起こった風に驚くジンとナオ。上空を見れば、巨大な蝶か蛾を思わせる翼を広げて、白いロボットが空を飛んでいる。

「やっぱり、あんな風にはなれないですよね」

 重力なぞ知った事かと宙に舞う姿は、ナオからすれば只々羨望の対象でしかない。

 否、ロボットだけではない。

 咲森学園の校章が示す、羽ばたく鶴。その姿を体現するかのように、学園の生徒達は思い思いに羽を伸ばし、共通の夢である『新生ジオール』の建国に向かって羽ばたいている……実態はともかく、自分一人が皆と同じように羽を広げられていないと思うナオには、統制の取れていない生徒達の自由な姿でさえ、そんな風に見えた。

 それでも―――ナオの弱気な言葉を、ジンが肯定することは無い。

「……諦めれば、それまでだぞ」

 ジンの穏やかな、それでいて腹の底から絞り出すような言葉に、え、と思わずナオは素っ頓狂な声を漏らす。

 言葉の主に目を向ければ、変わらず空を睨み付けるジンの姿があった。

「おい於保田、さっきお前、自分に自信が無いって言ったよな」

「う、うん」

「だったらお前は、普通だ。どこまでも普通で、俺と何も変わりゃしねえよ」

 そう言いながらも、ジンは視線を降ろすことは無い。ただひたすらに高みを見詰め、いっそ()め上げるかのように、既に小さくなった白い巨兵の背に視線を投げ続ける。

 やがて空に向かって突き出した拳は、固く握り締められていた。

「最初っから自信のある奴なんぞ居るもんかよ。俺は、俺達は、まだ何もしちゃいねえ……何かしてから初めて、自信ってのは身に付くもんだろ」

 あるいはそれは、ジン自身に聞かせるための言葉。それでもその言葉は、雷光のようにナオの胸を射抜いた。

 何かをしたから、自分を信じられる。考えてみれば、それはとても筋の通った話だ。

 けれど、今までの自分が、弱気な自分が心の中で鎌首をもたげる。

「でもっ、皆が皆そんな風に自信を付けられるわけじゃないよっ!」

 彼女にしては珍しい、荒げた声。ジンの言葉を認めてしまえば今の自分が、何もしていない臆病者のように思えるからだろうか。

「時縞くんと草蔵くんはあのロボットに乗って敵をやっつけた! 指南さんは皆をまとめて、国造りなんて言ってみせた! だから自信があるんでしょ!? そんなんついていけないよ、私に同じことしろって言うの!? こんな時に、私が出来ることなんて……」

「なら俺がやってやる!」

 それでもジンは、叫ぶ。己の夢を。野望とも呼べるその意思を。

「良いか於保田! よーっく聞け! 俺はいつか、時縞や草蔵と同じようにあのロボットのパイロットになる!」

 ジンが思い定めた新たな目標。それは、学園の誰もが名前を知る、ヒーローになること。

「お前は俺の真似をしろ! 出来ないってんなら俺を手伝え! そんで皆に自慢してやれ、『あの陽本ジンを助けたのは自分だぞ』って!」

 力強いその言葉は、一句ごとに衝撃を伴って、ナオの心を打つ。

「手伝、う? 私が?」

「そうだよ、俺一人とかお前一人じゃ出来ない事でも、二人掛かりなら出来るだろ。落ち込むのはそれが失敗した後でも遅くねえ」

「二人で、って。でも私、ロボットとか戦争とか、本当に何も知らない……」

「だから、俺だってそうだっつってんだろ。知らなきゃやっちゃいけないなんて決まりは無え」

 なんの問題があるとばかりに断言するジンに、今度こそナオは何も言い返せない。

 自分の野望のためにナオを巻き込もうというジンの言葉は無茶苦茶だが、それでも彼は心から、野望に挑むための仲間を求めている。

 それが必ずしもナオでなければいけなかった必要はない。けれど、弱々しいその思考に苛立った勢いのまま、己の心を洗いざらいぶちまけたジンは決めた。

 自分に何もできないなどという気に食わないことを延々言い募るこの少女が、あっと驚く顔が見たい。そのためには、そのネガティブな思考を自分がぶち壊してやるのだと。

「だからよ、於保田。良いからお前は俺を見てろ。そんで俺を見習いやがれ。“けど”とか“でも”とか、もう俺の近くで言わせねーぞ」

 どこまでも横暴な言葉は、けれど不思議とナオの胸にすとんと落ちる。或いは自信を持てず、自分など居ても居なくても、と思っていたナオは、ストレートに“ナオ自身”に掛けられる言葉を求めていたのかもしれない。

 偶然出会い、助けてくれた同級生の少年の手を、ナオがおずおずと握ろうとした瞬間―――

 

 

「な・に・が・“俺を見習え”やボケぇえええーーーーっ!!!」

「うぉおおおおおお!?」

 

 

 腹の底からのシャウトと共に現れた謎のママチャリが、背後からジンに襲い掛かった。

 がっしゃがっしゃとペダルを漕ぐ音に気付いたジンが咄嗟に身を捻らなければ、今頃彼は自転車前面の荷物カゴに背中を強打されて景気良く吹っ飛ばされていただろう。或いは漕いでいる人間が然程体力自慢でもない、というのもジンが暴走自転車を避けられた要因の一つか(自転車による人身事故は立派な重過失致死傷罪です。本気で危険ですので絶対に真似しないで下さい)。

 ざっしゃあああ、と派手な砂煙を巻き上げながらキレの良いドリフトターンをキメたのは、先程コンビニでショーコ達と別れてからジンを探して二時間ばかり市街地を自転車で全力疾走していた彼の幼馴染、虹河ゴウだった。

「おっ! おまっ、ゴウ!? いきなりなにしやがる、っつーか殺す気か!?」

「ちぃぃっ! 僕としたことが()り損ねた!」

「無駄に()る気がハツラツしとるっ!? そもそもてめえ何でこんなところにいるんだよ!?」

「ジンこそ仕事サボってどこほっつき歩いとんのやコラァッ! しかも於保田さんも一緒やてぇ!? ふらーっと居なくなった阿呆をA地点からB地点までくまなく探し回ったら二年のマドンナといちゃこらしとったとか僕じゃなくても跳ね飛ばしたぁなるわっ!!」

 ぎゃあぎゃあと怒鳴り合いつつも両者は足が生まれたての小鹿のように震えている。さりげに命の危機を体験したジンはもちろん、暑さと怒りで上がったテンションに任せて炎天下の中を大爆走していたゴウも実は足が限界に来ていた。

「い、いちゃこらなんてしてねえだろ! っつかA地点からB地点って何の話だ!?」

「おっま、何年僕の幼馴染やっとんねん!? 恋のぼ○ちシート知らないとかモグリやろ!」

「俺に解る言語で喋れ!? ちょっ、落ち着けゴウ!? おい止めっ、うおぁあああ!!」

 疲労と怒りと熱中症で頭が熱暴走しているゴウはそのまま笑いの魂の何たるやを叫びながらジンに詰め寄ると、掴んだ襟首をがっこんゆさゆさがっこんゆさゆさと全力で揺さぶる。ヴァルヴレイヴと違い、人の頭には熱暴走による強制停止機能などというものは実装されちゃいねえのである。

 そんな二人の大乱闘に呆然としているうちに蚊帳の外へと押しやられてしまったナオは、先程ジンの手を握りかけた自分の手を見詰める。

(……なんだったんだろう、今の)

 自分を見ろ、と言われた瞬間、ナオは不意に胸が高鳴るのを感じた。

 もしもゴウが乱入してこなかったら、彼女はそのままジンの手を握り締めていただろう。

(陽元くん、か。不思議な人)

 その名の如く、陽の光のように眩く熱い言葉に、胸の裡で灯った小さな火。

 彼女がその火の名を知るのは、この出会いから数か月の後、モジュール77を取り巻く状況に一応の決着がつく直前の事だ。

 

 

 どうでも良いがそんなナオのすぐ近くには、キレたジンのアッパーカットによって見事な車田飛びを披露するゴウの姿があった。

 

 

 

 

 咲森学園に数々の混乱(?)を巻き起こしていることなど毛頭自覚していないミツルは、コックピットではしゃぐリオンの姿に頬を緩ませながらも、まるで何年も乗り込んでいるかのような操縦桿捌きで八号機を飛翔させる。

 重力制御材質によって1G重力下の重みが再現されたモジュール77を、それがどうしたとばかりに白の蝶が空を舞い、その度リオンが歓声を上げた。

「わ、わ、すごいすごーい! 私こんな風に空飛んだの初めてだよ!」

 初めて飛行機に乗った子どもの様に声を上げるリオンは、モニターに映るモジュールの景色とミツルの顔とを交互に見比べながら声を上げる。

 年相応かと問われれば首を傾げるだろうが、少女のようなその姿を見るミツルは、この人はこんな風に笑うんだな、としみじみ思うばかりだった。

「まだまだ行きますよー! 先生、しっかり掴まっててくださいね!?」

「あ、うん!」

「よっしゃ行くぜ横回転!」

「わひゃあああああ!!」

 ぐるりと天地が入れ替わる感覚に、リオンは悲鳴を上げる。遊園地の絶叫マシンでもなかなか味わえないスリルは、彼女を興奮させるには充分だった。

「ちょ、草蔵くん今のびっくりしたよー!?」

「あっはははっ! 下手なアトラクションよりドキっとしたでしょ!?」

「も、もーっ! もーっ!!」

 怒ったように抗議の声を上げつつも、ミツルに釣られてリオンも笑う。二人の距離は恋人同士とは言えないまでも、教師と生徒、と呼ぶよりは親しいものになっていた。

 そんな調子で能天気にはしゃぐ二人を乗せて、八号機は直径十キロ程のモジュール77を縦横無尽に駆け回る。

 途中、臨海公園で涼む生徒達に頼まれて人工湾に小さな波を起こしたり、頼まれていた瓦礫の山の撤去をしたりと寄り道もあったが、その都度感心するリオンの視線に張り切るミツルは、ここ数日の中でも特に働いていた。

「よっし、そろそろどっかに止めますか。ぼちぼち晩飯の時間だし、少し休んだら戻りましょう」

「そうだね。ああー、それにしても面白かったなぁ。あっという間にこんな時間になっちゃった」

 全面に映る空の色が赤みを帯びてきたところで、ミツルは八号機を郊外の港湾区画に着陸させる。偶然にもそこは、八号機が初陣から帰投する際にも着陸した民間の宙港への出入り口だった。

 リオンを掌に乗せて地上へと降ろした後、ミツル自身もワイヤーリフトで港に降り立つ。ヴァルヴレイヴの巨体では狭苦しいモジュールの空で、二時間もの間飽きる事無く空中散歩に勤しんでいた二人は一息つくと、ぐっと背筋を伸ばした。

「っはー、楽しかったー!」

「気分転換になったようで何よりッスよ」

 半分ほどはミツルが操る八号機の作業を眺めている、という状態であったが、そもそも空中散歩も物珍しさと言う点では一緒である。多少のイレギュラーはあったが、リオンの気分転換、という当初の目的は果たせたのでミツルとしても不満は無かった。

「気分転換、って……あ、もしかして草蔵くん」

「ええ、まあ……七海先生、俺の目から見てもかなり参ってましたから」

 教え子の言葉に、リオンは目元を覆ってあちゃー、と空を仰ぐ。どうやら年下の少年にも心配されるほど追いつめられていた自分の様子を客観的に思い出したらしい。

 やべえ余計な事言ったか、と慌てるミツルはそんな彼女に慌てて声を掛ける。

「や、でも仕方ないですよ。俺だって八号機(こいつ)に乗ってからこっち訳分かんないことばっかりで」

「それはそうなんだけど……お昼に大声出したの、完全に八つ当たりだった気がする……」

 ごめんね草蔵くん、と言ってリオンはまたしても頭を下げようとするが、ミツルはそれを制した。

「だから、謝らないで下さいってば。そもそも先生が悩んでることって、俺らも無関係じゃないんですから」

 言って、ミツルは背後にそびえ立つ八号機を示す。

「俺と先輩は偶然こいつに乗って、学園を守れた。けど、この先ずっとそのまま戦えるかどうかわからない。だってヴァルヴレイヴは……こいつはあまりにも訳の分からない部分が多過ぎる。このまま使い続けるなんて出来ないかもしれない。そうなったら俺だって先生と同じ、自分に何ができるか解らない状態に逆戻りだ」

 ハルトとミツルがヴァルヴレイヴを奪還してから、ユウスケやナツキといった機械に明るい生徒達が質問してきた時のことだ。

 

 このロボットはどうやってエネルギーの補給をすれば良いのか。

 万全の状態で運用するために、一体どういった“手入れ”をすればよいのか。

 そもそもこのロボットは、一体何を動力として動いているのか。

 

 それらの質問に、ミツル達は一切答えることが出来なかった。

 当然だ。偶然にもその力を手にした彼らは、その成り立ちなど知りもしなかったのだから。

 それから彼らは素人なりの考察を重ねるが、結論が出ることは無く。そのままなあなあで使っていたのだ。

 人の作った機械である以上、いつか限界は訪れる。その時までに仕組みや修繕の仕方がわかればよいが、もしも間に合わなかったら一巻の終わりだ。

 それだけに、やるべきことを見出せない、と焦るリオンの姿は、ミツルにとっても他人事ではなかった。ヴァルヴレイヴで戦うという大きな使命、それを果たし続けるためには、まだまだ知らなければいけないこと、確かめなくてはいけないことが多く、その方法はまさしく“どうすればいいんだろう”という状態なのだから。

「だから、何か困ったり悩みとかあったら俺にも相談してください。年上とか年下とか今はそんなの関係ないし、俺が困ったら先生に相談しますから。どうせもう、俺も先生も、一人で悩んでられるような場合じゃ無いでしょ?」

 もはや学園の教師と生徒というそれだけの関係でいられる時期は終わった。今やミツルもリオンも、このモジュールに暮らす少年少女の全てが、建国戦争という大きな戦いへと共に挑む仲間なのだから。

「俺たちはもう、新しいジオールを作るっていう無茶に挑む仲間です。だから、一緒に頑張りましょうよ。出来ないことは役割分担すればいいし、一人でやるよりは何人かでやった方が楽ですよ」

 精一杯、頼れる男のように振る舞おうとするミツルの言葉に、リオンは少しだけ、胸の閊えが和らぐのを感じた。

 役割分担、誰かへの相談。大人としての振る舞いを機に掛けるあまりそんな当たり前のことを忘れていたリオンは、会議室で慣れない話題に必死に答えようとしていた自分が急に馬鹿馬鹿しくなっていた。

「……そう、だね。必死になるのも良いけど、出来ることを探して着実に……うん、今の私は、まずそこからかな」

 それまでとは違う晴れやかな笑みを浮かべたリオンは、目の前の教え子の目をまっすぐに見る。視線を合わせるというただそれだけで、ミツルはきょとんと眼を瞬かせる。

(あ、照れてる)

 こうして見ると、リオンの目から見てもやはりミツルは普通の少年だ。確かに咲森学園に入学するに当たって相応の努力はしてきただろうし、巡り合せもあったのだろう。

 ヴァルヴレイヴについてもそうだ。その場にいたことや、どういう訳か操縦できたことは、少なからず彼の才覚や運勢、そして今まで学んできたこと体験したことが関わっては居るのだろう。

 けれどそれは、即ちスペシャルな存在であることを示してはいない。他者と多少の差はあれど、彼は年相応の人生経験を持つだけの少年だ。

 ミツルは特別で、自分とは違うから、と勝手なレッテルを貼るのはお門違いだろう。

 ならば自分は―――七海リオンは、七海リオンにしかできない事をすれば良い。

「ありがとうね、草蔵くん」

 立ち止まる自分を、前に進ませてくれた感謝を込めて。リオンは柔らかく微笑んだ。

 

 

 因みにそんな微笑みを……“元気な教育実習生”とも“年上の大人”とも違う、心からの感謝を伴う笑みを向けられたミツルはと言えば、耳まで真っ赤になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、リオンの気分転換という当初の目的を達成し、ついでに好感度も上げたミツルであったが、ここに来て彼は一つ過ちを犯した。

 元々彼は、ヴァルヴレイヴとの契約を交わした時点で知っていたのだ。

 人を怪物に変える薬液の仕込まれたそのコックピットシートが、危険であるという事を。

 それを、「シートにさえ座らなければ大丈夫」という認識でリオンを招き入れたことについて、ミツルはあまりにも事態を楽観視していた。

 ヴァルヴレイヴを警戒しつつも、ミツルは大きな力を手に入れたことに心のどこかで酔っていたのだろう。

 何時か支払わなければならなかったであろうそのツケは―――

 

 

「何考えてるんだ、ミツルっ!!」

 

 

 

 

―――ひとまずは、ハルトの怒声と鉄拳というとても解りやすい形で、彼に襲い掛かった。



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