IS-学園以外は危険がいっぱい-GPM (望夢)
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IS学園入学篇

何番煎じだかわからないオリ主が二人目で少しハードな世界でIS学園に通うカビの生えた設定だけど書きたかったので書き上げてしまった。

一応漫画1巻分の所までは進めたから次もまた同じくらいの長さかもしれんけど、分割する方が良いのだろうか?

年齢が千冬よりも上なのに学園に通えるっていう無理やり感。いや20代でいくつにするかサイコロにゆだねた結果だったんだよ。

見た目とかのイメージは名前でわかる人にはわかると思う。



 

 女子校。女の園。時として物語の舞台となる秘密の花園。

 

 男が居ないから貞操観念が弛いとかは所詮妄想でしかない。

 

 いや、それはある意味でこの学園が特殊であるからだろう。

 

 女性にしか扱えないマルチフォームスーツ。

 

 10年前に起こった白騎士事件によって注目された宇宙空間での活動を想定したパワード・スーツ。

 

 正式名称はインフィニット・ストラトス。

 

 無限の成層圏という名前を縮めてISと呼ばれている。

 

 というのが一般的なISの説明になる。

 

 だがこのISは何故か女性にしか動かせない。

 

 そのため、10年で世界には女尊男卑という風潮が渦巻いて、男としてはとても生き難い世界へと変わってしまった。

 

 それこそ就職に至っても女性であるから優遇される世界になっていたりする。

 

 ネットの掲示板を漁ればそんな社会に涙を呑むしかない男の悲しい現実が犇めいている。

 

 かく言う自分も、そんな負け組の男のひとりだった。ついこの前までは。

 

 女性にしか動かせないISをひとりの男の子が動かしたのだ。

 

 それによって世界中の男たちはお祭り騒ぎだ。

 

 ついに俺たちもISを動かせる時代がキターッって感じだった。

 

 そして世界中で男に対するIS適性検査が行われた。

 

 女尊男卑とはいえ、たかだが10年の歴史で男が回していた世界が崩れるわけでもなく、世の中を回しているのはやはり男の力が強いということなのだろう。

 

 老若問わずに行われた適性検査。

 

 自宅警備員兼主夫業を営む自分が世界で二人目のアタリを引いてしまった。

 

 その場で身柄を確保されてあれよあれよという内に、世界唯一のIS関連技術の育成機関であるIS学園に放り込まれてしまったのだ。

 

「速水さーん、速水さーん!」

 

「あ、は、はい…」

 

「ごめんなさい速水さん。自己紹介お願いします」

 

 目の前にドアップで写り込んだ巨大なモノから目を逸らして、眼鏡を掛けた童顔の女性の言葉を耳にして立ち上がる。

 

「あー、……えっと」

 

 正直自分がここにいるのが場違い過ぎる様な感じで物凄く居心地が悪かった。何故なら右も左も年下のJK女子しか居ない。もちろん後ろもだ。

 

 教卓の前も可哀想だが、教室のど真ん中もかなり辛い。

 

 四方八方、360度を囲まれ注目されるなんて人生に幾度あっただろうか。

 

 同い年とかならまだ高校生的なノリで済ませられただろうか。だが自分は彼女たちよりも10歳程歳上。というより、教師陣とほぼ同い年のはずの自分が教室のど真ん中に居る意味はもう語らずともよいだろう。

 

「は、速水(はやみ) 厚一(こういち)です。趣味は料理です。皆より歳上だけど、3年間よろしく、ね?」

 

 なるべくフレンドリーな感じで言ってみたものの、盛大に滑ったかもしれない。

 

「なんかフツーの人?」

 

「じみっぽーい」

 

「優しそうな人でよかったぁ」

 

「優しそうっていうか、なよっとしてる?」

 

「織斑君の方が優しそうじゃない?」

 

 恥ずかしさが込み上げてきてスッと席についた。最初の彼の時のような女子の超音波攻撃は放たれることはなかったので良かった。と思う。色々とダメージは負いはしたが。

 

 織斑一夏少年に引き続き見つかった男性適正者。

 

 家族関係にはISのアの字もない普通の一般家庭で育った成人男性。26歳。というには垢抜けしていない童顔を持つ速水厚一は、10年振りほどくらいに学生服に袖を通していた。

 

 それもこれもISの事をなにも知らない素人であり、最終学歴も高校中退という中途半端なもので終わっているからだった。故に特例で全日制のIS学園に放り込まれたのは、せっかくの男性IS適正者を他の国にちょっかいを出される前に治外法権区とも言えるIS学園の中に取り敢えず放り込む事を優先にされたからだと言える。

 

 というより、半ば強制であった。

 

 市の役所で行われた簡易適性検査にパスし、本格的にISを装着し、動かせた時点で周囲を数機のISに囲まれて銃を向けられて拘束。

 

 そしてISと関わるか否かと突きつけられたが、断ったらどうなるかなんて口で言わなくても察せられる程の重圧を浴びせられ。

 

 せめて人間らしく扱って欲しいと嘆願して手に入れたのが2度目の高校生活を10歳程年下の少女に囲まれながらISの事を学ぶという立場だった。

 

 断ったらそれこそ人権を無視されるようなことをされるかもしれないと思うとゾッとする。それこそ身体の至る部分をホルマリン漬けにされても不思議ではなかったかもしれない。

 

 だからといって安心して胡座を掻けるわけでもない。

 

 ここはIS学園。学校であり、義務教育の場ではない。当然考査の末に途中で退学も有り得る。

 

 なにがなんでも、机に齧りついてでも勉強に付いていかなければならない。でなければ、学ぶ必要もなしとされてモルモット扱いで一生日の光を見れないかもしれない。

 

 考えすぎだと思われるかもしれない。だが、今現在ISを動かせるのは自分と織斑一夏少年しか居ない。

 

 どちらも日本人だ。

 

 そして織斑一夏は織斑千冬先生を千冬姉ぇと呼び、姉弟の関係だと先程の彼の自己紹介の時に知れ渡った。

 

 織斑千冬の名は、ISで行う特殊競技大会。簡単に言ってしまえばISのオリンピックの様なもので、初代ブリュンヒルデの名を獲得した女傑だ。

 

 当時同い年の女の子が世界で活躍していて凄い娘だなぁっと、テレビ越しに彼女を応援していたので良く知っている。まさか教師と生徒として本物の織斑千冬を目の当たりにするとは思わなかったが。

 

 そんな実績を持つ逸材の弟。周囲の期待が目に見えるようだ。故に二人目の自分はおちおち止まったり躓いたりする事は出来ない。

 

 なにしろ自分はそういう後ろ楯がなにもないからだ。

 

 実績もこれから作っていかなくてはならない。

 

 正直胃が痛くて目眩がして布団の上で横になっていたいのだが、そんなことをしている間に目出度く人生が終了しそうなのであり、尻に火が点きっぱなしの自分は這ってでも前に進まなくてはならないのだ。

 

 1時限目の自己紹介のあとは普通に授業だった。

 

 分厚い参考書。電話帳と思ってしまいそうなそれは事前に読んでおくようにと渡されたそれを寝る間も惜しんで1度は目を通した。

 

 そこにさらに別に教科書がある。

 

「――であるからして。ISの基本的な運用は現時点で国家の認証が必要であり、枠内を逸脱したIS運用をした場合は刑法によって罰せられ――」

 

 教科書の内容を読み進めていく副担任の山田(やまだ) 真耶(まや)先生。

 

 童顔な顔つきは生徒として混ざっていても通用しそうな幼さを感じさせるが、確りと教鞭を振るっている姿はまさに教師だった。

 

 参考書は読んだ上に、ISというパワード・スーツは乗れなくとも男にとってもロマンを体現しているメカであるがゆえに、色々と雑知識は持っていたのが功を奏した。

 

「織斑くん、速水さん、なにかわからない所はありますか? わからない所があったら訊いてくださいね。なにせ私は先生ですからっ!」

 

 胸を張る真耶ちゃん先生である。頼りになりそうではあるが、一挙一動毎に揺れるあの凶器に目が行かないように彼女の眼鏡に視点を集中させる。……セクハラで追い出されたくないんです…。ここは、地獄だ……。

 

「取り敢えず今のところは大丈夫みたいです。またわからないことがあったら質問させてください」

 

「はい! 年下と遠慮せずにどんどん訊いてくださいね!」

 

 元気な人。というかささくれている心が癒されるというか。単なる配慮なのかもしれないがその気遣いだけでも厚一にとっては有り難かった。

 

 というよりも、厚一からして真耶が話し掛け易い相手でありそうなのは有り難かった。でなければ正直言って誰に頼れば良いのかという話だった。

 

「織斑くんも、わからない事があったら遠慮なくいってくださいね?」

 

 朗らかというか可愛くて癒し系女子が服を着てるのではないかと思うほどに、そんなイメージが湧く真耶を見ながら、一夏が席から立ち上がった。

 

「先生!」

 

「はい、織斑くん!」

 

 早速質問されて嬉しそうに笑顔を浮かべる真耶を真正面に見れる一夏少年を厚一は少し羨ましく思った。というよりも教室のど真ん中は本当にキツい場所だったのだ。出来れば一番後ろの窓側の席が良かったと考えていたらとんでもない言葉が一夏から放たれたのだった。

 

「殆ど全部わかりません……!」

 

 その瞬間、教室の空気が固まったのを確かに厚一は感じた。

 

「え……、ぜ、全部ですか……? え、えっと…、織斑くん以外で今の段階でわからないっていう人はどれくらい居ますか?」

 

 あんまりの一夏少年の言葉に真耶ちゃん先生も困惑気味に教室を見渡して、厚一に視線が止まる。不安げに見つめてくる真耶に厚一は苦笑いを浮かべるしかなく、教室の沈黙が重かった。

 

「……織斑。入学前の参考書は読んだか?」

 

「古い電話帳と間違えて捨てちゃいました。あだっ!!」

 

「必読と書いてあっただろうが馬鹿者」

 

 参考書を読んでいれば今のところはわからないというわけでもない範囲であるはずなのに、本気でわからないという様子の一夏を見かねた担任の織斑千冬が動いたのであるが、一夏の返答に間髪入れず出席簿を叩き込んだ。

 

 それは怒られて当然だ。なにしろこのIS学園に入学する全校生徒が必ず読んでいるのだからだ。

 

「は、速水さん、どうかしましたか? 具合でも悪いんですか?」

 

「い、いえ、大丈夫です」

 

 眉間を抑えて俯く厚一に真耶が慌てた様子で歩み寄るが、厚一は手で制した。ただあまりにも衝撃的な言葉に自分の努力がバカを見たんじゃないかと思って激しい頭痛に見舞われただけであった。

 

「後で再発行してやる。一週間以内に覚えろ、いいな」

 

「いや、あの厚さは一週間じゃ……!」

 

「〝やれ〟と言っている」

 

「……はい」

 

 有無を言わさぬ千冬の眼光に撃沈する一夏だったが、それは一夏自身の過失であるのでだれもフォローのしようがない。

 

 昼休みになって。栄養ドリンクとエナジードリンク、さらにエナジーバーで済ませた厚一は午前中の授業の内容を復習していた。

 

 受験勉強でもここまで真面目に反復してやっていた記憶がない厚一であったが、自分の生活が懸かっているのでやらないわけにもいかないのだ。

 

「見て、速水さんもう教科書開いてるよ」

 

「え? じゃあさっきのお昼ご飯なの? 身体大丈夫なのかな」

 

「思ったより真面目な人なのね。ちょっと良いかも…」

 

 そんな感じの会話も厚一には聞こえていない。授業中にレコーダーで録音していた真耶の授業内容をイヤホンで聴いていたからだった。

 

 しかしそんな厚一の集中を妨げる者が居た。

 

 肩を叩かれて視線を上げると、そこには申し訳なさそうに片手で拝みながら立っている一夏少年が居たのである。

 

「なにか用?」

 

「あ、や、ごめんなさい。俺、織斑一夏です」

 

「速水厚一。よろしくね、織斑君」

 

「よ、よろしくお願いします、速水さん。そ、それでなんですけど」

 

「さっきの参考書の事かな?」

 

「は、はい。それで、その…」

 

 同じ男同士で、今のところ授業に付いていけている厚一に教えを乞いたいという感情が剥き出しの顔を見て、厚一は一夏を嘘が吐けない実直な子なんだろうと思った。

 

 姉に似てイケメン男子の一夏ならば、さらに加えて織斑千冬の弟という肩書きがあれば大抵の相手には話し掛けて答えてもらえるだろうが、態々同性の厚一の所に来る辺りさすがに気まずいのだろう。

 

「うーん。正直おれもあまりまだISのことわかってないから教えられる事はないと思うけど」

 

「うっ。そ、そう、ですよね…」

 

 最後の希望が絶たれたとも言わんばかりに肩を落とされると、悪いことをした気分になってしまうもののその気になれば姉の千冬が居るから訊ね易いのではないかと思って、エナジードリンクに口をつけ、エナジーバーを齧る。

 

「もしかして。それお昼ご飯ですか?」

 

「そうだよ? 最近食が細いから」

 

 主にストレスの所為であるのは厚一自身良くわかっている。だから一応栄養だけは摂取している食事になっていた。

 

「お腹いっぱいになるんですか?」

 

「取り敢えず? あとは夕飯は普通に食べてるし」

 

 二本目のエナジードリンクを開けて、咀嚼したエナジーバーを胃に流し込む。

 

 さすがに夕飯は気合いで普通の食事をしている。でないと身体がもたないのがわかっているからだ。

 

 そろそろ復習に戻ろうかと思った時だった。

 

 視界の端から煌めく金髪が近づいて来るのが見えたのは。

 

「ちょっと宜しくて?」

 

「へ?」

 

「君は確か…」

 

 突然のことで気の抜けた返事になってしまう一夏と、流れるような金髪が印象深かった女子の名前を思い出していた。

 

「イギリスの代表候補生のセシリア・オルコットさん。で良かったかな? はじめまして、速水厚一と言います」

 

「あら。速水さんは良くわかっていらっしゃいますのね。そちらの失礼な態度の方とは違って」

 

 少し高圧的で高飛車なお嬢様な感じのセシリアを前にして名前を思い出した厚一は、彼女が自己紹介の時に言っていたイギリスの代表候補生という部分も加えて名を口にした。この歳から代表候補生という事はとても期待が掛けられているIS操縦者なのだと思いながら、自己紹介で自らの名を口にした。座ったままだと失礼かもしれないが、急に立てるような格好ではなかったので許して欲しかった。

 

「ですが。せっかくわたくしが声を掛けたというのに、座ったままでは失礼ではありませんこと?」

 

「ああ。ごめんなさいオルコットさん。ちょっと急に立てなかったから」

 

 そう言いながらボイスレコーダーとイヤホンのコードを膝の上から回収して胸ポケットに納める。

 

「なんですの? それは」

 

「ボイスレコーダー。山田先生の授業を録音して、お昼食べながら復習してたんだ。織斑君と話すのにイヤホンを外して膝の上に置いてたからね。まぁ、挨拶の前に片付けてからすれば良かったんだけど。そこまで気をまわせなくてごめんね」

 

「勤勉な方ですのね。その勤勉さに免じて、今回は赦して差し上げますわ」

 

「ありがとう」

 

「ですが! あなたはいただけませんわ」

 

「え? いやだって急に話しかけられた上に君の事知らなかったし」

 

「知らない!? イギリスの代表候補生であるこのわたくし、セシリア・オルコットを知らないですって!?」

 

「おう、知らない。というか代表候補生ってなんだ?」

 

「……論外ですわ。あのミス千冬の弟だからどのような方かと思いましたのに。失望しましたわ」

 

「勝手に期待されて勝手に失望されても困るんだけどなぁ」

 

 額を抑えながら肩を落とすセシリアに厚一も流石に擁護できなかった。とはいえ参考書を捨ててしまっているのだからわからなくても仕方がないかと結論付け、どうにかフォローにまわる。

 

「セシリアさん。そうは言っても織斑君は織斑君で、織斑先生は織斑先生だよ。間違えちゃったとはいっても参考書を捨ててしまったから初歩的な事から何も知らなくても不思議はないことも理解して上げて欲しいな」

 

「そうでしたわね…。速水さんは勤勉な方ですのに、あなたはここに居る事の自覚が少ないのではなくて?」

 

「いや、俺は――」

 

 一夏が何かを言い返そうとした所で丁度予鈴が鳴ってしまう。正直助かったと厚一は胸を撫で下ろした。それで一夏の言葉が途切れたからである。

 

「予鈴ですわね。これにて失礼いたしますわ」

 

「うん。また話せると嬉しいな」

 

「速水さんであればいつでも歓迎いたしますわ」

 

 そう厚一には微笑みながら言って優雅に踵を返し、一夏にはひと眼もくれずにセシリアは去って行った。

 

「なんなんだ、アイツ」

 

「織斑君、さっきオルコットさんに言おうとした事は言わない方が良いよ」

 

「えっ、どういうことですか?」

 

「さっきさ。織斑君は、自分は望んでここに来たわけじゃない。そう言おうとしたでしょ?」

 

「え、ええ。まぁ…」

 

 自分が思っていた続きを察して、厚一は気持ちはわかるものの、ここは敢えて気持ち顔を真面目にして一夏を見つめながら口を開いた。

 

「このIS学園はね。入ろうと思って入れるところじゃないんだ。入試の難易度も倍率も世界トップクラス。それに加えて世界中のエリートが集まって来る。だからただ男でISを動かせるだけでここに居るおれたちとは心構えからして違うんだ。そんな中で努力もしてないのに珍しいからという理由だけでこの学園に入れてしまった俺たちの立場は、正直危ういんだ」

 

「それは…」

 

 正直言って危ういのは厚一自身だけだと思っているが、周りの印象を悪くすることもないだろうと敢えて一夏にも実感を持たせる様に男子という括りにしたのだ。

 

「だから頑張らなくちゃならないんだ。それが望む望まないにしても、ISを動かしてしまった以上、ISと無関係ではいられないんだ」

 

 そこまで話して担任副担任のふたりが入ってきたために話は終わりとして厚一は一夏に席に戻るように告げた。

 

 あれが若さなんだろうなと思うと、自分が老け込んだような気がして若干気がへこみもした。四捨五入三十路が見えているとどうにも若さ故に出やすい感情や考える前に飛び出してしまう言葉というものの向こう見ずというのは羨ましくもあった。大人になると言葉を選ぶようになって素直な言葉が出てこないことが多いからだ。

 

「さて。再来週に行われるクラス対抗戦に出る代表者を決める。クラス代表者は対抗戦だけでなく生徒会の会議や委員会などにも出席してもらう。わかりやすく言うなら学級委員だな。自他推薦は問わない。誰か居ないか?」

 

 HRになって千冬のその言葉にそこらじゅうで近場の女子たちがどうするかを話し合い始めた。

 

 学級委員となると千冬が上げた通りに色々な会議にも出なければならないのだろう。そうなると勉強に振り向ける時間が減るかもしれない。そうなれば人生が危うい。内申点に影響がありそうな役職になるだろうが、見えてしまった地雷を踏みに行くこともないと思っていた厚一だったが、そうは問屋が卸さなかった。

 

「はい! 織斑君を推薦します!!」

 

「私もそれが良いと思いまーす!」

 

「お、俺ぇ!?」

 

 自分が推薦されるとは思わなかったのだろう。一夏は素っ頓狂な声を上げて自分を指さした。

 

 それも仕方ない。何しろまだ一日目の放課後。織斑千冬の弟というフィルターが入ってしまうのは仕方がない。何しろあのブリュンヒルデの弟。だから強い。或いは男性IS操縦者というもの珍しさというのもあるのだろう。

 

「な、なら俺は速水さんに一票入れます!!」

 

「こっちに飛び火するの!?」

 

 女子の賛成多数で決まるのだろうと高みの見物をしていた厚一も思わぬ攻撃に半腰が浮かぶ程度に椅子から立ち上がる。さすがにそれはないと厚一は一夏を睨みつけようとした所でガタリッと誰かが立ち上がった。

 

「ちょっと待ってください!」

 

 立ち上がったのは金髪で声の通りも良いセシリアであった。

 

「その様な選出は認められませんわ! 速水さんならばともかく、織斑さんでは些か実力不足ではないかと思います。実力からしても代表候補生であるわたくしがクラス代表を務めるのに相応しいと思います!」

 

「ではオルコットは自薦。そして他薦は織斑と速水だな」

 

「いや千冬姉ぇ、俺はやるとは一言も――」

 

「織斑先生だ、馬鹿者。それと自他推薦と言っただろう」

 

「横暴だって! 速水さんも何か言ってくださいよ」

 

「…授業の補習時間がちゃんと貰えるのなら」

 

「良いだろう。もとより生徒には皆総じて平等にそういう権利はある。他にやるものは居ないな? ならば来週月曜日放課後に第3アリーナにて織斑、速水、オルコットの3名のISによる模擬戦を行い、その結果によってクラス代表を決める。間違っても手を抜こうなどとは思うなよ? それくらいの見分けはつく」

 

「う、マジかよ…」

 

 話が纏まってしまった事で項垂れる一夏を見て、項垂れたいのはこっちだと巻き込まれた厚一は声に出して言いたかったが、自分は一応大人なのでぐっと堪える事で言葉を飲み干した。

 

 放課後、さっそく幾つか疑問点が浮上した厚一は真耶に頭を下げて質問していればいつの間にか補習授業の様相に変わってしまっていた。

 

「ありがとうございました、山田先生。お忙しいのに色々と」

 

「いいえ。私は先生ですからいくらでも頼っちゃっていいんですよ?」

 

 そうして得意げに胸を張る真耶ちゃん先生に癒されながら、厚一も帰り支度をしたところだった。

 

「それにしても良かったです。速水さんもわからないところがあって置いてけぼりにしちゃってないか不安で」

 

「織斑君の場合は少し特殊ですよ」

 

 ホッとした様子の真耶に、厚一も苦笑いを浮かべながら言うしかなかった。

 

 事前知識の雑知識のお陰もあって、更には寝る間も惜しんで参考書を読んだのだ。その成果は取り敢えず発揮されているので決して無駄ではなかったと少しだけ自信を取り戻した。

 

「そう言えば速水さんは寝泊りに関して政府から聞いていますか?」

 

「ええ。確か空いている宿直室に泊まるだとかなんだとか」

 

 怒涛過ぎてすべてを覚えている自信はないが、一応記憶の引き出しにはまだ残ってくれていたらしい。関連するワードを言って貰えれば記憶を引き出せはした。

 

「それで。その宿直室が数年物置になっていて、片付けるまでは、その…」

 

「まさか女子と同室とか?」

 

 まさかそんなぶっ飛んだことにはならないだろうなと怪訝な表情を厚一は浮かべた。そんなラブコメにありそうな展開があってたまるかと思う。それ以上にもし万が一にお風呂でばったりなどした日には此方が犯罪者扱いにされて社会的に死ぬ運命が垣間見えた。

 

「いえ。取り敢えずは今使っている宿直室で、織斑先生と…」

 

「あ、成る程」

 

 言い淀む真耶に皆まで言わずとも厚一は察した。確かに相手がブリュンヒルデならば護衛と自衛の両面で心配なことはないだろう。

 

「すみません。数日の我慢なので」

 

「山田先生が謝る事じゃないですよ。それにちょっと好都合かな」

 

「こ、好都合って、速水さん、は、ハレンチなことはダメですからね!」

 

「いやまだ死にたくないので大丈夫です。ただISの事を色々と聞けるかなって思って」

 

「あ、そ、そうですよね。やだなぁ私ったら、あはは…」

 

 何を考えたかまでは言うまい。取り敢えず顔は幼くてもちゃんと大人の考えをする真耶を見て厚一は苦笑いを浮かべるのだった。

 

「でも速水さんは熱心ですね。まだ初日なのに、もう少し肩の力を緩めても良い気もしますけど」

 

「ええ。まぁ、心配性なだけですよ」

 

 親身になってくれていて癒される笑みを浮かべてくれる真耶にあまり暗い話を聞かせるべきではないと思った厚一は当たり障りのない理由で誤魔化した。

 

 そもそも厚一の懸念も被害妄想と疑念が生み出している唯の自己脅迫観念かもしれないのだ。とはいえ一度考えてしまうと中々その考えが払拭できないのも人の性だ。

 

「ああ。それと山田先生。訓練用ISの使用申請書って貰えますか?」

 

「ええ、構いませんけど。今から申請しても一週間後にまで乗れるかはわかりませんよ?」

 

「それでも一応お願いします。少しでもISには触れておきたくて」

 

「わかりました。じゃあこのまま職員室にまで行っちゃいましょうか」

 

「わかりました」

 

 真耶の先導で職員室に連れた厚一は職員室中の教師の視線を向けられながらその場で訓練機の使用申請書を書き、その足で学生寮の宿直室に案内された。

 

「織斑先生。速水さんをお連れしましたよ?」

 

 ノックして真耶が要件を伝えてからどったんばったんと慌ただしい音が聞こえ、3分程してドアが開かれた。

 

「待っていたぞ。ご苦労だったな山田君。あとは私が受け持つ。入れ速水」

 

「あ、はい。それじゃあ山田先生、また明日」

 

「はい。また明日ですね、速水さん」

 

 手を振る真耶に別れを告げて宿直室に入る厚一を廊下の壁に追い詰めた千冬は逆壁ドンで厚一の逃げ場を無くした。身長としては厚一の方が高い筈なのだが、厚一は自分よりも身長の低く女性であるはずの千冬の放つ存在感に呑み込まれ、身動きが出来ないでいた。

 

「いいか? ここから見る事はすべて己の胸の内に留めておけ。長生きしたければ、な」

 

 ドスの効いた声に厚一はただ首を縦に振るしかなかった。

 

「少し散らかっているが、気にするな」

 

 宿直室に脚を踏み入れた厚一ではあったが。昔憧れたテレビの向こうのスターの現実の無情さに、ブリュンヒルデ織斑千冬像は木っ端みじんに砕け散った。

 

「これが…、ちょっと…?」

 

 ゴミは一応はゴミ袋に纏まってはいるものの、酒の空き缶の量が物凄い上に、服も散乱している。というかどう見繕っても汚部屋一歩手前だった。

 

「取り敢えず座れ。突っ立っていても始まらんだろう」

 

「あ、あぁ、はい」

 

 授業で着ていたスーツ姿から動きやすいジャージ姿に着替えていても、そのオーラはブリュンヒルデ。しかし部屋を見た後だと私生活は意外とだらしのない人なのではないのかと思ってしまう。というより人間完璧超人なんていうのは何処にもいないのだろうと思った。それもそうだ、アイドルだってトイレに行くのだから、目の前の人も普通の人間という事だ。それで納得する。

 

「取り敢えず片付けましょうか」

 

「別に構わんだろう。数日過ごすだけだ」

 

「それでも綺麗な部屋の方が気分も晴れるんですよ」

 

 換気扇を回して酒気を飛ばしながら空き缶を一つ確保する。

 

「織斑先生。ここの喫煙所ってどこですか?」

 

「そんなもの校内にあるわけないだろう。吸いたいなら換気扇の下だ」

 

「了解しました」

 

 持ち込んだキャリーバックからショルダーバッグを取り出して、咥えたタバコにマッチで火を点ける。煙を取り込んで、辛味を感じながら一本吸った事で気持ちを切り替える。

 

「ISに乗るならタバコはお勧めしないぞ」

 

「お酒は良いんですか?」

 

「体力と肺活量の問題だ。大成していく気があるのならな」

 

「わかりました。そうします」

 

 タバコをショルダーバッグにしまい直し、空き缶をゴミ袋に入れて行く。服に関しては本人にお任せするしかない。

 

「そう簡単にやめられるのか?」

 

「そんな吸う人間じゃないので。最近は少し多めに吸ってましたけど、自分の人生を終わらせたくないので」

 

 吸う時に吸うチェーンスモーカーではあるものの、常に吸ってないとダメというわけでもなく、ストレスを感じた時に吸っているくらいだ。だから今回吸っているのもタバコを買うのは2年ぶりくらいだった。

 

「食事は学食を使え」

 

「わかりました。お風呂はどのように?」

 

「私が入っていない時でならいつでも構わん」

 

「わかりました。それじゃあお先に貰っても良いですか?」

 

「いいぞ。それと食堂は8時には閉まるから注意しろ」

 

「はい。わかりました」

 

 片付けが終わったものの、身体がお酒臭く感じて一先ずシャワーだけでも浴びる事にした。

 

「はぁ…。なんとか1日目は乗り越えられた」

 

 シャワーを浴びるという最も個人が尊重される空間である所為か、緊張感も身体の疲れと共に流れ落ちて行く様だった。

 

「っ――」

 

 痛みだした胸を抑えて、深呼吸をして身体を落ち着かせる。

 

 1日中気を張り詰めているというのも結構久しぶりだった所為か、予想以上に疲れたらしい。

 

「というより、眠気が…」

 

 実は言うと、ここ何日もまともに寝れていなかったりする厚一。不安が募り過ぎて眠れないという不眠症を患っていた。エナジードリンクを飲んでいるのもその不眠症を誤魔化す為だ。

 

 鏡を見れば、ナチュラルメイクで誤魔化した目元の隈がハッキリと浮かび上がっていた。

 

「だめだ。お風呂入ろ」

 

 浴槽に座ってシャワーを浴びながら身体が冷えない様にお風呂に湯を張るという横着スタイルだが、体積が予め浴槽にある分必要な湯しか使わないという利点もある。

 

「あしたも、たいへn……」

 

 湯船の中で舟をこぎ始めてしまった厚一が、その後食事から帰って来ても姿はなく風呂場の電気がつけっぱなしで水の音がする事に疑問を持った千冬によって救出されるという事態になったのは余談である。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「まったく。湯船で寝るくらいならその前に布団で寝ろ。溺れたらどうする」

 

「すみませんでした」

 

 翌朝。起床時間にたたき起こされた厚一は千冬から説教を受けた。疲れていたとしても湯船で寝る事は溺れてしまう危険性が十二分に高い為だ。

 

 だが千冬もそこまで厚一を怒るようなことはしない。目元の隈を見れば厚一が不眠症に陥っているくらいは見抜けたからだ。

 

「まぁ、次は気をつける事だ」

 

「はい。ありがとうございました、織斑先生」

 

 助けて貰ったことのお礼を込めて頭を下げた厚一は、荷物からメイク道具を持ち出して、目元の隈を隠す作業に移った。

 

「手際が良いな」

 

「母さんに教えて貰ったんですよ」

 

 厚一は両親が離婚して母子家庭だった。幾度か働きに出ても上手くいかずに出ては引き籠っての繰り返し生活でノイローゼを患い、自殺未遂も何度しているかわからず、自分が生きている価値などない人間だと思いながら引きこもり生活を続けて、それでも何もせずに家に居るのも居心地が悪く、炊事洗濯に買い物と、主夫業に専念してはや数年。

 

 そして人生の転換期と、一寸先は闇という一度きりの片道切符を手にして半月。殆ど眠ることが出来ず顔色が酷くなる一方の厚一に、せめて顔色を誤魔化せる化粧の仕方を母が教えたのだ。

 

「よしっ」

 

 メイクが終わった厚一は、そういう背景を知らない人間が見たら瑞々しい柔らかな笑顔を浮かべる男性にしか見えない。本人の顔が若々しいので青年にも見えるだろうが。それが外行のメッキであるという事を知った千冬は気の毒に思えてならなかった。

 

 2日目の授業も何とか厚一は熟していった。引っかかりを覚えた部分は授業が終わった後に質問して頭に叩き込んでいく。

 

 昼休みも栄養ドリンクとエナジードリンクにエナジーバーをもそもそと食べつつ教科書の内容とノートと参考書。さらにノートPCまで広げてネットからも情報を拾って知識を蓄積していく。

 

 10年もあればネット社会でもISの基本的な公開されている機能に関しての質問というのは色々な掲示板でされていて、その答えも載っている。それがすべてではないのだが、男でISに関わるとなると、独学や高校や大学の専門校に通って知識を身に着け、技術者として関わる事になる。

 

 先達の男の技術者たちが後続の為に色々と親身になって教えてくれるのだ。そういうサイトを巡ることも厚一にとっては以前のライフワークだった。

 

 そのお陰もあって、ISの事を知っていたのだ。

 

「速水さん。今日のこの後は空いていますか?」

 

「ええ。空いてますけど」

 

 放課後。昨日に引き続き真耶に質問をしていた厚一に真耶が問いかけた。

 

「それじゃあ、少し付き合って頂いてもよろしいですか?」

 

「構いませんけど。…もしかして、デートのお誘い?」

 

「そうですね。ある意味デートかもしれませんね」

 

「え?」

 

 少しからかうつもりで言ってみたものの、素面で返された厚一は返す言葉がなかった。

 

 そんな厚一にくすくすと笑いながら先導する真耶に、今一腑に落ちなかった物の、その後ろを着いて歩くうちに到着したのはアリーナだった。

 

「本当はちょっとズルい方法なんですけど、頑張っている速水さんに私からの応援です」

 

「これは、ラファール・リヴァイヴですよね」

 

 真耶に案内されたのは幾つもISが鎮座する格納庫だった。

 

「教員用に確保されているISです。非常時の緊急対応用に、教師向けに専用に配備されているISがあるんです」

 

「なるほど」

 

 そういって真耶に見せられた一機のラファール・リヴァイヴの前に厚一は案内された。

 

「1週間の間でしたら、このラファールを特別に速水さんにお貸しできます。あ、一応オフレコでお願いしますね? 他のみんなも訓練機の使用を待って乗ってますから」

 

「はい。わかりました」

 

 こうして真耶の個人的にか、或いは学園側からのものか、どちらかはわからないものの。男性IS適正者のデータを取る為に国から専用機が用意される一夏と違って自分は本当に何も期待されていないのだと思い知らされる気分だった。それも仕方がない。何しろ厚一のIS適正は『D』。IS学園ではまずパイロットコースには進めない適正値だったのだ。この適正ランクであるとどうなるのかというと、乗れはするし動かせもするが、戦闘などとてもではないが出来ない程反応速度が鈍いという事らしい。実際その為にISに搭乗しての実技試験を厚一は受けることが出来なかった。

 

「ありがとうございます。これでなんとか頑張れると思います」

 

「はい。取り敢えずさっそく乗ってみますか?」

 

「お願いします」

 

 ロッカーでISスーツに着替えるものの、スウェットスーツの様な全身ぴっちりした格好というものは結構恥ずかしい物だった。

 

 格納庫に戻ると同じくISスーツに着替えている真耶が待っていたが、普段の服と違っていうなればスク水みたいな格好は凄まじい凶器だった。

 

「それじゃあ、ISに搭乗しますが、乗り方は大丈夫ですか?」

 

「えーっと、確か座るように背中を預けるんですよね」

 

「はい。あとはISの方でパイロットに合わせてくれますから、身体にフィットするまでは動かないでくださいね?」

 

「はい」

 

 カシュッという音がして、身体に機械が触れて行くのを感じる。そのまま数秒が過ぎると別のラファールを纏った真耶が歩み寄って来た。

 

「はい。もう大丈夫ですよ。ハンガーロックを解除しますね」

 

 ハンガーにロックされていた機体が自由になったことで、僅かだが身体に重心が寄ったのを感じた。

 

「これが、IS…」

 

 手を握っては開いてを繰り返して、自分の腕よりも長い機械の腕が自分の意思通りに動くという不思議な感覚を味わう。

 

 歩いてみても普段より高い視点に戸惑う者の、それすら新鮮な世界に見えて、心に湧き上がる高揚感というのを誤魔化す事は出来なかった。

 

「それでは、アリーナに出ましょうか」

 

 格納庫からピットに出て、真耶のラファールがふわりと浮き上がった。

 

「PICを起動してください。そうすれば浮き上がることが出来ますから」

 

「了解」

 

 パッシブ・イナーシャル・キャンセラー――通称PIC。

 

 イナーシャル・キャンセラーとは物体に働く慣性をコントロールする機能であり、慣性中和装置とも言われている。ISはそれを自分に向けて使う事で浮遊・加減速などを行うことができるらしい。

 

 これを外向きに使えば完全に皆がイメージする通りのイナーシャル・キャンセラーである。

 

 真耶に手を握られながら、PICを起動する事で、厚一のラファールも重力の枷という力から解放されて機体が浮かび上がった。

 

「凄い…飛んでる……」

 

 正確に言えば浮いてるだけなのだが、それでも人間が自らの力では出来て一瞬の浮遊という感覚を恒久的に感じるという事に感動して出た言葉だった。

 

「ではこのままアリーナに出てみましょう」

 

「はいっ」

 

 真耶に引かれてそのままピットからアリーナにでる厚一。さすがに出た瞬間は落ちるのではないかという恐怖があったが、そんなことはなく浮いたままアリーナの中央まで連れられて、そこで手を離されたが問題なくラファールは浮いていた。

 

「次はスラスターを使った空中機動ですけど、取り敢えず危なくない上に向かって飛んでみましょうか」

 

「了解」

 

 背中のカスタム・ウィング――バックパックに存在する巨大な翼型のスラスターと、PICによりISは飛行を行う。

 

 絞り出すようにゆっくりと浮かび上がるラファール。感覚的にはもう自分がゲームの中にでも居るような感覚を厚一は味わっていた。しかし肌に感じる風がこれは現実だという事を教えてくれる。

 

「直立降下はPICを使います。まだ空中機動での降下は危険がありますから」

 

 追いついてきた真耶に言われたように、今度はエレベーターで下に下がるように降下を始める。それもゆっくりとだ。

 

 そしてまた上昇をするという事を繰り返して、お開きとなった。

 

 始めてISに乗った興奮。そして空を飛んだという感激は厚一の心を渦巻き、顔に現れる程の物になっていた。

 

「なにか機嫌が良さそうだな。それくらい良いことでもあったか?」

 

 同室2日目。

 

 ビールを飲む千冬にそう指摘される程に厚一からはご機嫌オーラが滲んでいた。

 

「はい。まぁ。嬉しいことがあったので」

 

 ただオフレコという事でISに乗ったことは濁した。あれがまだ学園なのか、または真耶個人の判断なのかはわからなかったからだ。

 

「そうか。そうしている方が生き生きしていて好ましいな」

 

「そ、そうですか?」

 

 ここまで興奮しているのも久しぶりの上に、千冬のような美人に好ましいとも言われると自然と顔が熱くなるのが感じられた厚一は、まだ空いていないビールの缶に手を伸ばした。

 

「おい。ここは学校だぞ?」

 

「それを言うなら織斑先生もですよ」

 

「私は良いんだ。教師だからな」

 

「じゃあ自分は成人なので構いませんよね?」

 

「一本だけだ」

 

 それ以上は明日に響くからなという千冬であるが、既に500mlの缶で4本目を開けている彼女に説得力はなかった。というより千冬が酒豪であることを知って、こんな姿を生徒が見たらどうなるのだろうかと思ったが、そこは一応大人で出来る女性。そんな事は普段は一切表には出さないので心配ないのだろう。

 

 喉を抜ける炭酸と苦みと香りを楽しみながら、その日の厚一は久しぶりに良い気分で寝床に就くことが出来た。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ISに乗る上で重要になるのは技術もそうではあるが、知識というものもかなり重要なファクターとなる。どの機能がどう働いて動くのかという部分を熟知する事で、ISの機動というものは劇的に変わる。

 

 ただ、やはり動かすことが出来るのと、戦えるというのはまた別の問題でもあった。

 

 直線的に動けるのだが、滑らかに動くというのが厚一には出来なかった。

 

 カーブを曲がるにも一苦労であったりする。

 

 IS適正というものは、訓練や操縦経験の蓄積などで変化することもあるため、絶対値ではないとは真耶から教えられた事だ。

 

 故に厚一は毎日放課後になるとアリーナに赴いて真耶の教えを受けながらラファールに乗り続けた。

 

 授業での彼女とは違い、ISの指南をするときの真耶はとても厳しく声も張り上げるのだが、それもそれで新しい新鮮味があっていい刺激になっていた。

 

 綺麗に曲がれないならば多少無様でも直線で曲がれば良い。つまりゲッター機動のアレな感じである。無論身体に余計な負荷が掛かるので真耶からは控える様に言われてしまったが、1週間しかない期間で戦えるようになるには多少の無茶は承知の上だった。

 

 だが自宅警備員だった身体は物凄くひ弱であった為に、身体を鍛える様にもメニューが組まれた。体力があるという事はそれだけでISでの戦闘時間の延長になると教えられたからだ。

 

 早朝に起床し、その頃には既に千冬も起きているので彼女に連れられて学園の敷地内をジョギングする事になった。千冬自身も身体が鈍らない様にそうして身体を動かしているとのことだ。

 

 とはいえ早々に体力切れになってしまう厚一に千冬は呆れていたが。

 

 それでも歩いてでも2キロの道のりを踏破し、宿直室に戻れば既に千冬はシャワーを終えていたので、シャワーで汗を流して、まだ色濃い隈を隠すメイクを施して朝食を取りに食堂に向かう。

 

 元々女子校であるというか現在も例外2名除いて女子しかいない所為か、量が少ない食事に少々の物足りなさを感じつつ味は良いので文句はなかった。それでも腹6分目という所だった。

 

 やはり物珍しいものを見る様な視線を浴びせられるが、隣に千冬が居るからだろうか、声を掛けられるようなことはない。

 

「おはようございます、織斑先生、速水さん」

 

「おはよう山田君」

 

「おはようございます、山田先生」

 

 唯一の例外は1組副担任の真耶であった。

 

 食事を終えるとそのまま監督として残るという事で真耶と共に席を辞した厚一は前日のISでの動きに関する事での質問を軽く挟み、宿直室に戻った所で登校時間までは前日の授業内容の確認という物が待っていた。

 

 それでも身近にブリュンヒルデと教師が居る環境というのはとても恵まれていると考えられる余裕が出てきた。

 

 真耶は言わずもがな優しくも厳しいがそれでもそれは此方の想いに応えてくれているという事で苦には思わなかった。

 

 千冬も普段はクールビューティーで出来る女性ではあるが私生活は少しだらしがないところもあって、それでいても質問には真摯に答えてくれるところが教育者として尊敬出来る相手だった。何しろ今の女尊男卑という風潮を作ってしまうISに関わる第一人者。正直自分は避けられるのではないかと思っていたが、そんな感じは一切感じず親身になって接してくれることが安心できる事に繋がっていた。

 

 とはいえやはり年齢差と、教室にいる間は勉強ばかりで自発的に誰かと話すこともなく、また真剣な表情でノートや教科書に向き合っている姿を邪魔するわけにもいかないという周囲の気遣いもあるのだが、厚一はすっかり浮いた存在になってしまっていた。

 

「宜しいですか? 速水さん」

 

「ああ。オルコットさん。ごめんなさい、態々来てくれて」

 

 しかし声を掛ければ話すし、イヤホンを着けていても肩を叩けば反応して対応してくれる優しい人という印象は周りに存在していた。

 

「近頃放課後にアリーナへ向かう姿を見かけるのですが、なにかお困りのことはございまして?」

 

 そういわれて厚一はキョトンと僅かに目を見開いた。まさか代表候補生の彼女が態々自分に声を掛けて困っている事はないかと言ってきたのだ。それも今は対戦を控えた敵同士なのにである。

 

「わたくしが勝利するのは当然の事ですもの。ですが、努力を怠らぬ男性に手を差し伸べない程に狭量ではありませんわ」

 

 そこにはエリートというよりも生まれ持ったものの余裕というという物なのか、住む世界が違う人間というか、上手く言い表せないものの格の違いという物を素直に感じることが出来た。

 

「ありがとう。じゃあ、少し質問しても良い?」

 

「ええ。よろしいですわ」

 

 代表候補生という教師とはまた違った視点からの意見も聞ける機会に、厚一はこれ幸いにと飛び付いた。自分が生きる為には貧欲になるのは仕方がない事なのである。

 

 訪ねたのはISに関する空中機動の事だった。どうやれば上手く飛べるのかという事柄である。真耶はあれで厚一に無茶をさせないようにと慎重に教えてくれていることも有り難いのだが、それではどうしても数日後に控えている模擬戦には間に合いそうもないので、そういった事情を知らないセシリアに、あくまでも純粋な興味として訪ねたのだが、専門用語連発の上に彼女はどうも理詰めと高い計算の上でISを動かしている様であることを知れた。もちろん話の内容は3割程度しかついて行けなかったが、バッチリ録音はしているので後でその意味を調べて復習すれば良いだけだ。

 

 そしてまた1日が過ぎ、翌日は土曜日。そして日曜日を挟んで模擬戦が待っていた。

 

 午前中は授業のあるIS学園では放課後から本格的に銃器を実際に使用した実戦訓練に突入した。

 

「速水さん、本当に銃を扱った経験はないんですよね?」

 

「ええ。というより日本から出たこともないので銃なんて使ったこともないですよ」

 

 ターゲットドローンを使った射撃に、命中率は90%をキープしていた。それに真耶は純粋に驚いていたが、厚一からしてみれば足を止めて撃つという事はガンシューティングゲームをしている感覚で撃っていた為にそれほど自覚はない。敵が現れたら狙って撃つだけ。その動作で照準はハイパーセンサーが自動でやってくれる。武器の保持もパワーアシスト頼みだ。

 

 そして次のステップとして動くターゲットへの射撃も8割をキープし続けた。

 

 最後の自ら動きながら動くターゲットを撃つ射撃では流石に命中率は下がりギリギリで40%という所ではあったが、たった1日にしてそれだけの成果が出ているのだ。

 

 銃器の保持の仕方に、偏差射撃についても何度か修正を挟めば出来る様になった。教えれば教えるだけ覚えるというのは誰でも出来る事であって、しかしその速さという物は人それぞれで。

 

 厚一の場合は、やってみせ、言って聞かせて、させてみれば同じことが出来てしまうという覚えの良さに真耶もその手の才能があることを早々に見抜いていた。

 

 練度の関係で拙さや粗さもあるが、それも指摘すればすぐに修正して整える対応力の速さというのも高かった。

 

 日曜日は1日中ISでの訓練に当てたものの、やはり空中機動での難は拭えなかった。

 

 そして相手が高速のターゲットになればなる程に反応が付いて行かないという弱点も露呈した。

 

 それを踏まえての武装選択と対策。そしてセシリアのISに関する情報を頭に叩き込んでのイメージトレーニングなどであっという間に1日は過ぎていった。

 

「まさか速水さんにあんな才能があったなんて」

 

 人は正しく使わなければ動かないとでも言う様に、ちゃんと教えれば厚一はそれに応えるように動くのだ。ある種のロボットのように感じてしまうものの、言ったことをそのまま出来るというのはある意味でとても才能があるという意味でもある。

 

 それこそ真耶が教えた通りの動きを完璧に熟してみせるくらいには。

 

 最後の片付けとして毎日機体の簡易的な整備をしているものの、既にそれすらも覚えている。それでも不安なのか毎回毎回確認する様に工程を一つ一つ聞いてくるが、別に聞かなくても出来ているのに一つ一つ訪ねてくる厚一を真耶は、石橋を叩いて渡るタイプの人間なのだという風に位置づけた。

 

 それほどまでに一つ一つを呑み込み身に着ける厚一の、成長速度の速さには驚かされてばかりではあるのだが。

 

「なのにそれが正しく評価されなかった。もしくは今であるからこそ発揮されているのでしょうか」

 

 毎日貧欲に知識も技術も求める厚一のその必死さの理由というものも、真耶は子供でもないので察していた。

 

 だが敢えて口にしない厚一の気遣いを立てて、真耶もその話題には触れなかった。

 

 過負荷によって擦れているパーツを交換する。教えていないことまでは流石に出来ない様で、それが当たり前なのだからそれで良いのだが。それをサポートするのが教師としての役目だと真耶は思った。

 

「織斑くんは恵まれていますね」

 

 織斑千冬という世界最強の名を持った姉の庇護下に居る弟。確かに姉と比べられて苦労するだろう。しかし厚一のように死に物狂いで頑張らずともどうにかなってしまう立場にあるのも確かだ。

 

 大事な弟に手を出されて、あの千冬が黙っている筈もない。だから手荒な真似は一夏には降りかからないだろう。

 

 だからその分、何も後ろ盾もない正しく一般人の厚一にそういった災難は容赦なく降りかかるだろう。

 

 国からも支援はない。それは別にIS学園での成績も活躍も期待されていないという事だ。

 

「そんなの、勝手すぎます」

 

 しかし世の中の男性の権威が掛かっているともなれば形振り構わずという事だってあるかもしれない。

 

 保護という名目でIS学園に放り込まれはしたものの、政府の受け入れ準備が整えばどうなる事か。IS学園に入れられたのもその為の時間を稼ぐためだとすれば不憫すぎて仕方がないが。

 

 真耶は同情で厚一に訓練をつけているわけでもない。その熱意に応える為に教師として教えているのだ。

 

 そして見えてくるその才能の輝き。だからこそその輝きを曇らさないようにするのが教師としての務めだと思っている。

 

「出来るだけの事はしました。あとは速水さん次第です」

 

 1週間という付け焼刃にもほどがある時間でイギリスの代表候補生に勝てる見込みはゼロに近い。だがそれは実際に戦って見なければわからないのだ。

 

 もう一機のラファール・リヴァイヴ。そのシールドには焦げ跡があった。それは充分に厚一も勝算が生まれているという証だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 週が明けて月曜日。

 

 第三アリーナでは1組のクラス代表を決める為の模擬戦が行われるために、1年1組の生徒が皆集まっていたが、明らかに人数が合わない。他のクラスや2年生に3年生までもが集まっていたのだ。

 

 それこそ初の男性IS操縦者の戦いが見られるとあっては情報収集にやっけになるのも仕方がないというわけだ。

 

「大丈夫ですか? 速水さん」

 

「え、ええ。大丈夫、です」

 

 だがそんな状況に胃が潰れそうな男が居た。

 

 速水厚一である。

 

 別に注目されることに嫌悪しているわけではないのだが、相手はイギリスの代表候補生。一夏とも戦う予定も組まれているが、一夏のISがまだ届いていないので先に戦うのは厚一からだろう。

 

 そして無様に地に伏せる自らを想像してしまってから顔が青くなる一方だった。

 

「やる前から心配し過ぎだお前は。もう少し楽に考えろ」

 

「…はい」

 

 とはいえ、自分の不徳はそのまま人生終了コースまっしぐらになってしまう為に考えずにはいられなかったのだ。

 

「大丈夫ですよ速水さん! 今日の為に1週間頑張って来たんですから、自信を持ってください!」

 

「はい。ありがとうございます、山田先生」

 

 真耶の気遣いも有り難いものの、やはりどうしても思考にチラついてしまうのだ。

 

 やる前に既に心が負けてしまっている。心配性の極地のドツボに嵌ってしまっている様子の厚一に、千冬も真耶も気の良い言葉を見つけられないでいた。

 

「時間だ。速水、たとえどのような結果になろうとも悔いのない戦いをして来い」

 

「速水さんなら大丈夫です。私は信じていますから」

 

「…ありがとうございます。行ってきます」

 

 ラファール・リヴァイヴを纏い。カタパルトに脚を接続した厚一は射出に備える為に姿勢を低くして、決まり文句を口から発した。

 

「速水厚一、ラファール・リヴァイヴ、発進する!」

 

 カタパルトによってアリーナに射出されたラファールはそのまま地面に向かって落ち、アリーナの中央に土煙を巻き上げながら着地した。

 

「まずまずだな。接地も見事だ」

 

「代わりに頭を抑えられてしまいますけどね」

 

 土煙とはいえそれはただスラスターによって巻き上げられたもので、地表から数センチという辺りで滞空しながら着地したのが千冬には見えていた。

 

 1週間でどれほどの物に仕上がったのか、隣で生徒を信じる真耶の表情を見て、千冬もモニターに集中する事にした。

 

「速水さん、大丈夫かな」

 

「相手はイギリスの代表候補生だ。一筋縄ではいかんだろう」

 

 そして自分のISの到着を待つ一夏と、その付き添いでピットにいる篠ノ之 箒もまた、モニターに映る厚一に視線を向けた。

 

「あら。最初のお相手はあなたですのね、速水さん」

 

「うん。織斑君のISはまだ搬入に時間が掛かるってことでね」

 

「そうですの。とはいえあまり期待してはいませんが」

 

 そう言いながらセシリアは、下方に居る厚一に向けてスターライトMk-Ⅲを向ける。

 

「始めましょう速水さん。あなたにはわたくしもそれ相応に期待していますわ」

 

「なら、その期待に応えなくちゃね」

 

 厚一もその右腕に大型の実体シールドと、何故かハンドガンを構えた。

 

 そして試合の開始の合図とともに、セシリアのISが構えるライフルの銃口にエネルギーが充填されているのをハイパーセンサーで確認した厚一は、ラファール・リヴァイヴの機体に更に大型の実体シールドを展開した。元々のシールドに、更に機体の後方や前方を覆う様に肩のアタッチメントに装着されたシールド。

 

 機体の可動範囲を犠牲にしてまで防御力を高める。動けないのならば動かない戦い方をする。そんな単純な苦肉の策であった。

 

「いくら防御を重ねた所で、わたくしのブルー・ティアーズに撃ち抜けないものなどありませんわ!」

 

 引き金を引いたセシリア。そしてゼロコンマ数秒の内にレーザーはラファールに直撃するものの、それを厚一は腕のシールドで防ぎ、ただ防いだにしてはレーザーが妙な弾かれ方をしたのだ。

 

「対レーザー・コーティング!?」

 

「悪いけど、対策は出来るだけ取らせてもらっているよ」

 

 セシリアのIS。イギリスの第三世代ISであるブルー・ティアーズの主兵装はレーザー兵器である。

 

 それを知った厚一は、出来る範囲での耐レーザー・コーティングを真耶にお願いしたのだ。短い期間で出来たのは腕のシールドのみではあるが、十数秒の照射に耐えられる盾のお陰で防御力は保証書付きだ。

 

 そのまま地表から厚一はハンドガンを連射する。

 

「っ、正確な射撃ですわね」

 

 それを避けるセシリアではあるが、その狙いが思った以上に鋭く向かってきたことに内心厚一の戦闘能力を上方修正するものの、ミドルレンジからロングレンジでの戦闘で自分が後れをとるなどと言う考えは微塵も浮かばなかった。それほどに努力をしてきたのだから。

 

 機体を動かしながらライフルで防御の甘い個所を狙い撃つものの、厚一はその場をステップで飛び退いたり、僅かに身を捻って避けたり、スラスターを噴かして避け、最初の一撃以外の被弾を全て回避する。そして反撃にハンドガンを撃ち放ってくる。

 

 相手が動かないのでセシリアからは狙いやすいのだが、代わりに厚一も絶えずセシリアの方向を向いて対処していた。それを崩そうと真上から撃とうとすればそのまま地面に寝転ぶように相対し、地面と逆さまになってもそのままセシリアの動きを追っている。つまり厚一はPICでただ浮いているだけなのだが。地面から足が離れたことでステップが踏めなくなった所為か、実体シールドに阻まれたものの、漸くラファールが被弾した。

 

「まだ上手く空を飛べないご様子で」

 

「あいにくと、魂を重力に縛られている人間だからね」

 

 厚一の返しの意味は解らなかった物の、セシリアは厚一が満足に飛べないという予想を立てた。だから自分にもISでの空中機動制御に関して質問してきたのではないかと。

 

 飛べないISなど相手にしたところで勝利は揺るがない。IS学園に来て1週間と考えると良くISを動かして防いでいるとも思う。未だ様子見とはいえ自分の攻撃を上手く凌いでいるのだから。

 

 訓練期間を考えれば充分以上の成果であるとも言える。故に花を持たせるのはここまでで、これからは自分のひとり舞台の幕開けになる。

 

「そこですわ!」

 

「なんのっ」

 

 見つけた隙を的確についても、さすがにシールドが7枚も用意されてはいない。自由に動く側面のシールド。そして腕のシールドも身体の前面を良く守っている。肩に固定式の大型の実体シールドはそれこそマントの様に機体を包んでいる。固定式でも身体を動かせば即座に防御態勢を取れてしまう。

 

 身動きできなければしないと割り切って戦術を立てている。その思い切の良さを素直に称賛する。思っていた以上にしぶといものの。

 

「驚きましたわ。これほどまでにわたくしの攻撃を凌ぐISもなかなかございませんでしてよ」

 

「それは光栄だね。この1週間頑張った甲斐があるよ」

 

 そう余裕そうに返す厚一ではあるが、正直いっぱいいっぱいだった。

 

 それはIS適正の低さから来る反応速度の遅さだった。

 

 厚一はセシリアが銃口を向けた時点で既に防御か回避の選択をしなければならないからだ。でなければ間に合わない。実体弾よりもスピードの速いレーザーであるが故にである。

 

 その為、最終日の訓練では真耶にひたすら自分を撃って貰って最小限での回避や咄嗟での判断に磨きをかけた。

 

 絶えず銃口を見つめ続け、何処を撃たれるのかを判断する。動かないのは、動かない事で着弾点を把握しやすくするためだ。

 

「まさかな。1週間でこれなのか」

 

 厚一と1週間同室で過ごしていた千冬も口でのアドバイスという物はしていたが、それもこれも厚一の疑問や質問に答えるというくらいだった。

 

 基本的に人当たりも良く、しかしすこしぽやっとしているというかマイペースな部分もあるのはここ最近の私生活を共にして見えた部分である。

 

 それがたったの1週間で代表候補相手に防戦ではあるが付いていけている。

 

 モニターを見る真耶の顔はずっと厚一を見つめて不安もなく信じている。

 

「真耶、アイツに何をしたんだ?」

 

「特別な事は何も。ただ教えて、見せて、やらせて。ただそれだけの1週間でした」

 

 そう。それだけなら特別なことは何もないのだが。

 

「それだけでいくら代表候補生相手だからとはいえ、一度も相手を見失っていないという事になるのか?」

 

 いくらハイパーセンサーで見えているとはいえ、それを処理する脳は別だ。そして厚一のIS適正ではとても戦闘に機体が付いていくような反応速度は出せないはずだ。

 

「私はただ、速水さんのお願いに応えただけですから」

 

 ハンドガンからアサルトライフルに切り替えた厚一が空に飛び上がり、真っ直ぐセシリアに向かっていく。

 

 飛べると思っていなかったのだろう。一瞬セシリアのペースが乱れた所にアサルトライフルの弾丸が向かっていくが、代表候補生だけあって切り替えも速い。

 

 直ぐに射線から逃れて反撃する。それを厚一は実体シールドで受ける。

 

「だが制動が甘い上に軌道も直線的だな。いや、あの反応速度でここまで飛べているのだから相当気合を入れてきたな」

 

 実体シールドで受けた瞬間に機体が流れる。それを無理やり押さえつける様な流れで軌道を修正して逃れる厚一ではあるものの、その動きは直線的で読まれ易く。さらに厚一の反撃は全く当たらずにセシリアの後方を過ぎて行くばかりであった。

 

「高速で移動する相手になればなる程に機体が付いていかないのか」

 

 それでも真耶の顔に揺るぎはなく、厚一のラファールを見つめ続けていた。

 

「恐ろしく身持ちが硬いのですね」

 

「ガードは硬くしてきたからね」

 

 それでも反撃の瞬間の僅かな隙を突かれ、厚一のラファールのシールドエネルギーは削れて行っている。だが、セシリアのブルー・ティアーズのシールドエネルギーはほとんど減ってはいない。高速戦闘になればこうなる事はわかっていた事だが、敢えて厚一はこういう戦法をとった。

 

「それでも、この攻撃が捌ききれますか? お行きなさい、ティアーズ!!」

 

 そしてセシリアは素直に厚一の守りの固さを認め、そうであっても対応しきれない手数で攻めることを決める。

 

 機体から分離する機動砲台端末。ブルー・ティアーズの名前にもなっているビット兵器。第三世代武装が縦横無尽に駆け抜け、四基のビットから放たれるレーザーが四方八方より厚一のラファールを襲って来るのだが。

 

「なんですって!?」

 

 その瞬間に全ての実体シールドをパージした厚一のラファールがビットの猛攻の中を突っ切って、セシリアのブルー・ティアーズに向かって行った。

 

 さらに武装もアサルトライフルからショットガンに切り替え、散弾を放ちながらセシリアの回避行動を阻害する。

 

「ですが、ティアーズは4基だけではありませんわ!」

 

 ブルー・ティアーズの腰のユニットが前方を向き、そこからミサイルが放たれる。

 

 避けきれないタイミングで放たれたその攻撃は、厚一のラファールと正面から衝突し、炸裂した爆発は炎と黒煙を上げる。

 

「んなっ!?」

 

 だがその中を実体シールドで身体の正面を防御しながら厚一のラファールは突き抜けてきた。

 

 そしてその右腕を引き絞り、拳を打ち込むように解き放った。

 

 それでもただのシールドバッシュ。それくらいなら敢えて受けてその衝撃で間合いを開けて態勢を立て直す。

 

 そう次の行動を組み立てたセシリアの視界の正面で、実体シールドが爆砕ボルトによって分解し。その中に潜まされていた一撃必殺の武装が姿を顕した。

 

盾殺し(シールド・ピアース)っ!?」

 

「撃ち抜くっ」

 

 それでも無意識でセシリアの身体は動いていた。振り抜いたパイルバンカーは直撃せず、ブルー・ティアーズの左側の非固定部位を撃ち貫いて捥ぎ取って行った。

 

「躱された…っ」

 

「油断いたしましたわ。その様な隠し武器まで持ち合わせておりましたのね…!」

 

 一連の流れでセシリアは末恐ろしい相手だと厚一を評価した。最初からこの流れを作る為の作戦だったのだと思うと、見かけによらずエグイ性格をしていると思わずにはいられなかった。こちらの油断を誘い。そして実力を隠し、ここぞという所で牙をむく。まるで普段は大人しいのに急に危害を加える様な獣だ。

 

「それでも、もう手札はございませんでしょう!」

 

 ライフルからレーザー。そしてミサイルも放って通り過ぎた厚一の背中に向かって火力を集中するセシリア。

 

 その通り、厚一はすべての札を切り尽した。それで届くほどに代表候補生という存在は安くはないという事だった。

 

「ぐあああああっっ」

 

 背中から連続する衝撃にそのまま体勢を崩し、アリーナの地面に墜落する厚一のラファール。

 

 シールドエネルギーはまだ残っているが、それでも相当な高さから落下している。絶対防御があるから死ぬわけではなくても意識があるかどうかは別だ。

 

 土煙が晴れると、そこには俯せで倒れている厚一のラファールの姿があった。

 

「随分粘ったものだな。しかし此処までか…」

 

 たった1週間の、しかも放課後という限られた時間での訓練で代表候補生の第三世代ISに旧式の第二世代ISで傷を負わせた。結果としては大戦果であるが。さすがにこれ以上の試合をさせるわけにはいかないと判断した千冬ではあるが。

 

「いいえ。まだです」

 

 しかしそれを止めたのは真耶の言葉だった。

 

 モニターではゆっくりとだが、立ち上がるラファールの姿があった。それでも機体はボロボロだ。シールドエネルギーもだいぶ削れている。既に勝機は失せている状況であるのにも関わらず、速水厚一の目は、それを見守る真耶の目は、一欠けらも諦めてはいなかった。

 

「あれほどの攻撃を受けてまだ立ち上がれるなんて。驚嘆に値しますわ」

 

 100mは届くだろう高さで戦っていて、そこからの落下である。ISの絶対防御であれば死ぬこともない。シールドバリアもある為に大きなケガをする事もないだろうが、それでも衝撃まではどうにもならない。パイロットを保護するとはいえ、それは死なないように守る為で、そうでなければ強烈な衝撃で気を失うという事も充分にあり得るのだ。

 

 それでも厚一は立ち上がっている。ふらつき、中腰になって腕をだらりと下げているためにちゃんとした意識があるかどうかは疑問ではあるが、肩で大きく息をしているのならば意識はあるのだろうと判断する。

 

「ですが。これでフィナーレですわ!」

 

 ビットに命令を送り、厚一のラファールを撃たせる。それでシールドエネルギーを削り切る。

 

 だが厚一はステップで横に転げるように避け、地面に仰向けになると。ショットガンを二挺構え、更には肩のアタッチメントにもミサイル・ポッドを展開すると、それを一斉に放った。

 

 しかもミサイルの弾道は弾けて大量のベアリング弾を放つ散弾仕様だった。

 

「わたくしのティアーズがっ」

 

 その攻撃の嵐に2基のビットが巻き込まれた。

 

 そのまま厚一は撃ち切ったミサイルポッドをパージ。あとは両腕の武装。ショットガンをマシンガンやアサルトライフル、ハンドガン、マシンピストル、バズーカ、グレネードランチャーと様々な武装を次から次に撃ち尽くしては切り替えて次の武器を手に弾幕を張り、残る2基のビットまで破壊し、セシリア自身も回避行動に専念しなければならない程の行動を余儀なくされるのだった。

 

 更にはそこからハンドミサイルユニットでミサイルを次々と発射。

 

 それを迎撃する事をセシリアは選択する。さすがに誘導兵器を振り切れる程の広さはアリーナにはないからだった。

 

 ミサイルを撃ち落とすと当然生まれる爆発。そこから瞬時に離脱しようとしたセシリアはガクンッと機体が上昇できないという未知の感覚を味わった。

 

 それはブルー・ティアーズの脚部に巻き付いたワイヤーがその上昇を止めていたからだ。その先にはワイヤーの射出機を腕に装着する厚一のラファールの姿があった。

 

 そのまま思いっきり力任せにワイヤーを引く厚一。このワイヤーも災害救助時のIS仕様のワイヤーの為、パワー型ISが引っ張ったとしても千切れはしない強度があった。

 

 その引き寄せる力に僅かにセシリアの体制が崩れた時だった。一瞬で間合いを詰められたのだ。その加速力は普通のISの加速力では引き出せないものではあるが、とある技法を使えばその限りではないのだ。

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)――っ!!」

 

 ここまで、こんなにも魅せられる相手というのは初めてのことだった。これがたったの1週間、ISに向き合った人間が出せる実力なのかと。

 

「っ――!?」

 

 だが、間合いに踏み込み、腕を引き絞った厚一の背中で爆発が起き、やっと掴んだ二度目のチャンスをふいにしてしまう。

 

 厚一のラファールの背中。メインブースターのあるカスタム・ウィングが火を噴いて黒煙を上げていたのだ。

 

 背中からの猛攻と、落下の衝撃。それに機体が耐えられなかったのだろう。そうと、その場で誰が判断出来ただろうか。

 

 よろよろと厚一のラファールは地上に降り立ち、そして機体のシステムを通じて降伏を認めた。

 

 その隣にセシリアも降り立ったが、俯く厚一に何も掛ける言葉が見つからなかった。

 

「速水さん…」

 

「いやぁ。やっぱりオルコットさんは強いや。ありがとうございました」

 

「あっ…」

 

 PICだけで機体を浮かばせて、ピットに戻って行く厚一を見送るセシリアだったが、次の模擬戦が控えているのを思い出す。それでもその背中が見えなくなるまではその場を動く事が出来なかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 厚一がピットに戻ると、そこには白いISを身に纏った一夏の姿があった。

 

「お疲れ様です、速水さん!」

 

「あ、うん。ありがとう、織斑君」

 

「俺感動しました! 最後は惜しかったですけど、それでも男でもあんな風に戦えるんだって思うと胸に湧いてくるというか」

 

「そうだね。次は君の番だから、頑張ってね」

 

「はい!」

 

 とはいえ、ブルー・ティアーズのパーツ交換や補給にパイロットの休憩もあってインターバルもあるだろうとは思いながら、厚一は歩いてハンガーの方に向かって行く。

 

「速水さん」

 

「山田先生…」

 

 そんな厚一を迎えたのは真耶だった。

 

「ごめんなさい。負けちゃいました」

 

「お疲れ様です。でも、まだ終わりじゃないですよ」

 

「え?」

 

「オルコットさんの次は織斑くんとの模擬戦もありますよ? 今のうちに修理と補給を済ませましょう」

 

 そういういつも通りの笑顔で言う真耶に、厚一は自分の瞳から勝手に涙があふれて行くのを感じた。

 

「っっ、ごめん、なさいっ…」

 

 彼女の顔を見たとき、込み上げてきたのは悔しさだった。だからこれが悔し涙だと理解したのは涙を流して数秒経ってからだった。

 

「大丈夫です。速水さんは自分を出し切って、最後まであきらめなかった。悔しいと思うのは、そういう事なんですよ?」

 

「っ、ぅっ…っっ」

 

 それでも止まらない涙を腕で拭って、ISをハンガーに固定する。

 

「さ、次の模擬戦に間に合う様に修理を始めましょうか」

 

「…はい」

 

 悔しくて悔しくて溜まらない。だけども、まだ終わっていない。そう言い聞かせて、厚一はラファールの修理に取り掛かった。

 

「ご苦労だったな。速水」

 

「織斑先生」

 

 目元の涙を拭いながら、厚一は千冬と相対した。

 

「申し訳ありませんでした。織斑先生にもアドバイスを頂きながら負けてしまいました」

 

「悔しいのはわかる。だが落ち込むな。高速切替(ラピッド・スイッチ)瞬時加速(イグニッション・ブースト)。それが1週間の新人のいったい何人が出来ると思う。誇れ。それがお前に指導した山田先生への感謝だ」

 

「はい」

 

 それでも流れる涙の余りを拭う厚一を見ながら、実際目の前の男の才能の高さという物が計り知れなかった。

 

 それも、踏み込みのタイミングや敵の隙を作る戦術性はとてもではないがISに触れて1週間と考えればオーバー過ぎる物だった。そして動きの端々に見え隠れする物。タイミングを見切り踏み込みの呼吸は何故だか自分と重なり、多種多様な武装を駆使し、相手を追い詰める戦い方は代表候補生時代の真耶の戦い方に通じるものがあった。

 

 笑顔で和気あいあいとラファールの修理を始めた真耶と、その真耶を見てまた悔し涙を流す厚一を見て、いったい何を吹き込んだのかと千冬は気になって仕方がなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 一夏は興奮した様子でアリーナに浮いていた。

 

 手に汗握る勝負という物は正しく今さっきまで行われていた戦いの様なものだと言えた。

 

 モニター越しにもピリピリと闘気が伝わってきそうなほどの光景だった。

 

 だから、あの時、ISのスラスターがダメになって、それ以上は戦えないと判断して負けを認めた厚一の姿に、どうしようもなく悔しさというのが一夏にも込み上げていた。

 

 それでも少しでも元気になって貰えればとあまり言葉も考えずに話しかけてみたものの、既にその時には厚一の瞳は潤んでいた。

 

 男の悔し涙は決して恥なんかじゃない。

 

「お待たせいたしましたわ」

 

「ああ」

 

 目の前の蒼いISを睨みつける。

 

 自分が纏う白式の武装はブレードが一本だけだ。だが、その名は一夏にとってはとても重いものだった。

 

 姉の振るった剣。そして男として、仇を取る。

 

 そんな二つの想いを胸に一夏はセシリアと対峙した。

 

「わたくしはあなたにそれ程の期待はしていませんが、今は気分がとてもよろしいのです。なので、最初から全力でお相手してさしあげますわ!」

 

「上等だ! 速水さんの仇は俺が取ってやるぜ!!」

 

 試合開始と共に一夏は動いた。それはセシリアが既にスターライトMk-Ⅲを向けていたからだ。

 

「機動性はなかなか。初手は回避しましたのね」

 

「俺にだってこれくらいっ」

 

 1週間。一夏は箒と共に剣道の腕を取り戻す事に集中していた。というより体力トレーニングもやっていて、ISに関係する事はこれっぽっちもやっていなかったのだが、白式は思い通りに動いてくれているので正直助かったととも思う。

 

「ですが、これはどうでしょうか? ティアーズ!」

 

 早速セシリアはブルー・ティアーズ最大の兵器であるビット兵器を使用した。

 

 武器がブレード一本しかない一夏からすれば距離を開けられれば一方的にやられる未来しか見えていないのでどうにか接近しようともするものの、そうはさせまいとビットの攻撃が一夏に降り注ぐ。

 

「ブレードしか展開していないようですが。まさか武器がそれだけとは言いませんよね」

 

「あいにくさま。このブレードは世界最強の名を継いでるんだ。俺にはこれで充分だ!」

 

 そう返したものの、正直言うと結構つらいやせ我慢だった。

 

 ブレード一本で世界を取った姉。それと同じことを自分が出来るのだろうかと思ってしまう。それでも冷静に攻撃を見て身体が動くのは箒とのトレーニングのお陰だった。

 

「そうですか。では踊りなさい。わたくし、セシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でる円舞曲(ワルツ)で!」

 

「こなくそーーっ」

 

 セシリアの放つライフルのレーザーを一夏はその手の雪片弐型で斬り払う。

 

「っ、サムライの国の方は驚かせてくれますわね」

 

「そいつはどうも、もっと驚いてけ!」

 

 一夏は被弾覚悟でセシリアに接近する事を選んだ。先の試合を見る分に、一番威力があるのはレーザーライフルで、ビットは手数でダメージを稼ぐ武装だとアタリを付けた。何故なら厚一もビットの攻撃に関しては防御を捨てたからだ。その判断を信じて、ビットの攻撃は避けるだけで基本無視。レーザーライフルの攻撃に注力する。そして懐に飛び込んでも油断はしない。ミサイルが待っているからだ。

 

「ビットを見向きもしないなんて。あなた方は少々おかしいのではなくて!?」

 

「実力で劣ってるんだから一々気にしたってしかたねぇだろう!!」

 

 そしてビットは一夏にとって死角から襲って来ることも理解する。その上、セシリアがビットを操っている間、本人は動けないこともわかった。故にビットの攻撃を無視して、セシリアが動けない間に近寄るしかないと一夏は考えていた。

 

 だが接近を許して痛い目を見たのはセシリアも同じだった。故に一夏を近づけまいと一定の距離を保ち続ける。それこそ瞬時加速(イグニッション・ブースト)で懐に入られる可能性すら視野に入れて、徹底的に距離を稼ぐ。

 

 近付く一夏と、離れるセシリア。お互いの距離は一定になるが。アリーナという限定された空間であるとどうしても逃げ場がなくなってくるために一度距離を再び開ける為にクロスレンジに入らなければならない。

 

 そこは一夏の距離だった。

 

「もらったっ」

 

「っ、インターセプター!」

 

 接近戦用のショートブレードを装備し、一夏の握るブレードの一撃を受け止めるセシリア。

 

「わたくしに剣を使わせるなんて…っ」

 

「今だ、白式!!」

 

 その時。雪片弐型の刀身が展開し、エネルギーブレードが生成され、つばぜり合いからブレードの刃を巻き上げられたセシリアは無防備な懐を一夏に晒してしまう。

 

 巻き上げて隙を作ろうとしていた一夏の方が切り返しは速かった。何よりも剣の間合いで負けるつもりもなかった。

 

 流れる様な横一閃の一撃に、ブルー・ティアーズのシールドエネルギーがごっそりと持っていかれた。

 

「なんて攻撃っ」

 

 だがセシリアも無様に負けてやるつもりは毛頭なかった。

 

 腰の実体弾型のティアーズを起動し、その砲門を一夏の白式に向けて放つ。

 

 至近距離の爆発。自爆覚悟の一撃。だが、それをされる覚悟も一夏にはあった。

 

「はあああああ!!!!」

 

「やあああああっっ」

 

 爆炎から身を乗り出して雪片弐型を振るう一夏と、スターライトMk-Ⅲを向けてトリガーを引いたセシリア。

 

『織斑機、シールドエネルギーゼロ。オルコット機、シールドエネルギーゼロ。よってこの試合は引き分けとなります』

 

 先ほどの静かに終わった模擬戦とは違い、観客席からは大歓声が巻き起こった事で、互いに止まっていたセシリアと一夏の時間は動き出した。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 本日3度目の模擬戦にして、最後の戦いは。今現在確認されている男性IS操縦者同士の一騎打ちだった。それこそアリーナの観客席には入り切らない程の生徒の数が犇めいていた。

 

「さっきはおめでとう。君は強いんだね、織斑君」

 

「そんな。速水さんがセシリアと戦っている間にあいつの動きを見れたからですよ」

 

 厚一の称賛を、一夏は厚一が戦って情報を知ることが出来たからだと返した。それだけでふたりは身構えた。もとより歳が離れていても男同士なのだ。口で語るよりも手っ取り早い方法は血が知っていた。

 

「行きますよ」

 

「うん。お互い頑張ろうね」

 

 そうして試合が始まった。

 

 厚一はスナイパーライフルを装備し、一夏を狙う。レーザーに見慣れた一夏の目は実弾のスピードを如何にか見極める事が出来たが。それでも続けざまに放たれる弾丸に次々と被弾を許した。

 

 セシリアの正確無比の攻撃も脅威だったが、それに輪を掛けて厚一の射撃は強烈だった。

 

 実弾というエネルギー兵器には出来ない連射速度で弾丸を放ち、一夏の態勢を崩し、本命を打ち込んでいるのだ。

 

「まさかあのような射撃も出来るとは思いませんでしたわ」

 

 試合が終わって、ピットに居るセシリアが呟いた。自分の時とは違う戦い方。という事は先ほどの戦い方は本当に自分を想定して考えてきた必勝の策。そう考えると嬉しさが沸き上がって、光栄に思った。

 

「本当にどういう仕込みをした、真耶」

 

「別に。速水さんの射撃の腕は相当な物なんです。ああして動かなければ、動いている相手でも80%程の命中率を出せるんです。オルコットさん相手ならば難しいですけど、まだISに乗ったばかりの織斑君が相手ならそこまで速く動くことは出来ませんから」

 

 先ほどから千冬が見る厚一の光景は異様としか言えなかった。

 

 そして、自分の特性をよく理解して、戦っているのだともわかった。

 

 互いに動き偏差射撃する場合になるとIS適正の所為で反応できなくなってくるものを、自分は動かずに相手の動きの先を読んで、弾丸を置くような置き射撃をしている。それこそそうできる未来予測と高い計算が求められるのだが、ISに関してはズブの素人の一夏が相手であるから動きも読みやすくて誘導もしやすく、更に実弾兵器という弾丸と武器が持つ限り連射がエネルギー兵器よりも速い利点を生かして戦っている。

 

 そうした知識も真耶の入れ知恵ならば、とても1週間しかISに触れていない人間に教える知識量を遥かに超えている可能性もある。というより高速切替や瞬時加速を教えた時点で普通に超えている。

 

 モニターではこのままでは削り負けると判断した一夏が、ブレードで弾ける弾を弾きながら接近を仕掛けていた。

 

 間合いに入って振り下ろされる刃を、同じく近接ブレードで受け止めた。だがそこから厚一はもう片手で握っているショットガンを撃ち込んだ。

 

 セシリアの時はスターライトMk-Ⅲが長銃身ライフルであった為に出来なかった反撃であったが、その点厚一のラファールの握るショットガンは取り回しの出来るショートバレルタイプであった。

 

 至近距離でショットガンの直撃を許した一夏は堪らずによろけそうになるものの、それを踏ん張って白式の単一仕様能力である零落白夜(れいらくびゃくや)を発動して切りかかるが、それを厚一は腕に装備した大型の実体シールドで受け流した。

 

 それによって身を逸らされた一夏が振り向いた時には目の前にハンドガンの銃口が見えていた。

 

 立て続けに銃弾を浴びて、内心生きた心地のしない一夏ではあるが、後には退かずに踏み出し、雪片弐型を振るった事でハンドガンを切り裂いたが。そうして武器を振り下ろして切り返す所に空いた懐の隙間に、厚一のラファールはパイルバンカーを構えていた。

 

 振り上げられる腕と共に迫るパイルバンカーの一撃が一夏の白式の胸に刺さり、炸薬と共に一夏の身体が打ち上げられる。

 

 その勢いのまま厚一のラファールは瞬時加速(イグニッション・ブースト)で一夏の白式をアリーナの壁に打ち付け、パイルバンカーの弾倉に残った5発の弾丸を全弾撃ち切った。

 

『織斑機、シールドエネルギーゼロ。勝者、速水厚一!』

 

 弾倉の空薬莢を捨て、新しい薬莢を装填する厚一のラファールに向けて勝利者宣言が出されるのだった。

 

 その瞬間。先程の試合にも負けない程の歓声が上がり、厚一は静かにアリーナに広がる空を見上げた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「やりましたぁぁぁっ!! やりましたよ速水さん!!」

 

「や、山田先生!?」

 

 ピットに戻って来た厚一に思いっきり真耶は抱き着いてきた。とはいえケガをさせないようにラファールをしゃがませた結果。真耶の凶器に顔が包まれるという結果になってしまったのだが、気恥ずかしさよりも嬉しさが込み上げていた厚一はびっくりしたものの、気にはならなかった。

 

「すごいです、かっこよかったです、やれば速水さんは出来るんです!」

 

「…はい。先生のお陰です」

 

 1勝1敗。負けて勝った。戦績としてはペケであるが、それでも勝てたという嬉しさは引くことはなかった。なにより涙を浮かべるくらい喜んでくれる真耶の姿に、今度は厚一も嬉し涙が溢れてきたのだ。

 

 悔し涙も流したのは小学生が最後だったが、嬉し涙を流した記憶などなかった厚一からすればそれは未知の喜びだった。

 

「だーーっ、速水さんつえーっ!!」

 

 対する一夏は同じような期間で明確に勝敗を決せられた厚一に対して負けた悔しさが口を突いて出た。

 

「お前がオルコットの動きを速水さんとの試合を通して見た様に、逆もまた然り。だったようだな」

 

「それでも接近戦でKO負けだぜ? これが悔しく思わずにいられるかよ!」

 

「ならばどうするんだ? このまま負けたままで良いのか?」

 

「いいや。絶対次は勝つ!!」

 

「ああ。それでこそだ一夏」

 

「おう!」

 

 一夏も箒に励まされながらも、次なる目標が決まった。その光景をセシリアは静かに見守っていた。そして一夏への評価も改めざるを得なかった。

 

 見下した相手に引き分けにされた。ISに関わった時間で言えば負けたといっても過言でもない結果であった。何しろ本気でやって引き分けなのだ。それもブレード一本の相手に。これが負けでなくてなんというのか。

 

「織斑さん」

 

「ん? なんだ」

 

「謝罪いたします。あなたを見下していたことを。あなたはお強い男性だと、改めさせていただきますわ」

 

「え、あ、ああ。まぁ、俺もそう思われるようなことをしたからな。でも、速水さんに言われたんだ。俺たちみたいにただここにやって来たのとは違って、みんな努力してここに居るんだってこと。だから俺だってこれから頑張っていくつもりだ」

 

「そうですか。あなたがどれほど成長するのか、わたくしも楽しみですわ」

 

「おう。その時はお前にも勝つからなセシリア!」

 

「ええ。ではわたくしも鍛錬を怠るわけには行けませんわね」

 

 男は女の顔色を窺い、いつも頭を下げて機嫌を窺う様な弱い存在だと思っていた。だが、今日対峙したふたりの男はそうではなかった。

 

 自分と真正面から相対し、そして自分の勝利を信じて向かって来る強い心を持っていた。

 

 そして再戦を言い渡されて感じるのは高揚感だった。それは次が楽しみだという感情だった。本国では他の候補生と争っても感じなかった闘争によって感じた気持ち。そして自然と口にした更なる向上心。

 

「お疲れ様ですわ、速水さん」

 

「お疲れさまです、オルコットさん」

 

 涙の流れた赤い目元を拭いながら相対する厚一を、大人なのに情けないとは思わなかった。大人でも嬉しければ涙を流す事はあるのだから。

 

「先程織斑さんと再戦の約束を果たしてきましたわ」

 

「そうなんだ。じゃあ、おれもその再戦の約束を交わしても良いかな?」

 

「はい。喜んで」

 

 そしてたったの1週間の合間に高等技能を習得してきた目の前の男の成長もまた、セシリアは楽しみだった。

 

 それこそセシリアにとって男の価値観にヒビを入れたのは目の前の男なのだから。

 

 優しげで、それでいて最後の瞬間まで諦めなかった強い意志を持つ瞳に射抜かれたときはセシリアも心が高鳴った。ISで競う事がとても楽しかったのだ。

 

「次は負けないから」

 

 涙目ながらも、普段の人のよさそうな人畜無害の顔ではなく、キリッとした真面目な顔に、そんな顔も出来るのかと不覚にも少し思ってしまったセシリアは、その顔を見つめて返事を返した。

 

「ええ。次こそはちゃんとした決着を」

 

 そうしてセシリアは厚一に手を差し出していた。その意図を察した厚一も、セシリアの手に自分の手を差し出して強く握り合った。

 

 男の人なのにとても細くて柔らかい手だとセシリアは厚一の手を握って思うのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「で、結局真耶にどういう教育をされたんだ」

 

 その日の夜。宿直室でいつもの様にビールを飲む千冬に絡まれながら厚一は質問攻めにあっていた。

 

「どうって。ただ教えられたことをやっていたとしか…」

 

 何しろISでの訓練など体験はないので、厚一には何が違うのかという基準もないのでそう答えるしかなかったのだ。

 

 それを聞いて千冬は厚一から真耶が施した指導を聞くのは無理だと判断した。それでなのに真耶は頑なに厚一にはただ教えただけだというだけだ。あの真耶が珍しく頑固なのだ。気になって仕方がない上に、どう教えたら1週間で高等技術を˝3つ˝も教え込むことが出来るのかというのだ。授業が終わってから放課後は6時くらいには切り上げているのはアリーナの使用履歴でわかっているのだが、そうなるとたったの2時間ほどの平日と、土日で仕上げてきたという事である。出鱈目すぎるのも良い加減にしろと言いたいところだった。

 

「なにか真耶に見せられたりしたか?」

 

「いえ。ただ山田先生が動いたとおりにラファールを動かしたり、先生が教えてくれた通りに撃って、切って、動いてって感じでした」

 

「なんだそれは…」

 

 まるで真耶が見せた通りに動いただけだと言わんばかりの厚一の言葉に、訳が分からず千冬は追及を止めた。というより同居人の勝利を祝う祝賀会と評して酒の本数がいつもより多くても文句を言われないのだ。というより本人も少し酔っているのか、頬が朱いくらいにアルコールが回っているのだ。無粋だったかと話題を切り上げた。

 

 しかしまさかそれが言葉のままの意味だという事をこの時の千冬は知る由もなかったのである。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌日。興奮冷め止まぬ女子から昨日は凄かったとか、かっこよかったとかとちやほやされて、気恥ずかしながらありがとうと返し、赤くなる頬を誤魔化すように苦笑いを浮かべながら頬を掻く厚一の姿が目撃され、クラスの中でも浮いていた厚一も少しは受け入れられた様だった。

 

「先日の模擬戦の結果を踏まえた結果、代表者はセシリア・オルコットさん。に、なるのですが。ご本人より辞退するというお話が来ました」

 

「というわけで次点での戦績は速水だが。速水、お前はどうする」

 

「え? おれだったんですか」

 

「1勝1敗。負けたが勝っただろう。それで差し引きゼロだ」

 

「ちょっと待って千冬姉ぇ! 俺は!?」

 

「織斑先生だ馬鹿もん。そしてお前は1引き分け1敗。白星が一つもないお前がビリで確定だ」

 

「そ、そんな…」

 

 どうするのかという視線を千冬から受け取り、捨てられた子犬の様な視線も一夏から受け取る厚一だったが、答えは決まっていた。

 

「頑張ってね、織斑君」

 

「だと思ってましたよちくしょーーーっ!! いだっ」

 

「静かにせんか馬鹿者」

 

 無情な厚一の言葉に一夏が吠えたが、瞬時に千冬に鎮圧されるのだった。

 

「そもそもなんでふたりして断るんだよ!」

 

「わたくしは代表候補生ですもの。確かに実力から言えばわたくしがクラス代表選に出る事が勝利する上でも有利でしょう。しかし織斑さんや速水さんが成長できる機会を奪ってしまう事にも繋がりかねないので辞退させていただきましたわ」

 

「おれもほら。負けちゃってる上に勉強頑張らないとだから」

 

「俺にも同じことが言えると思うんですけどそれは」

 

「だって、一夏君に勝っちゃったから」

 

「あんた優しいくせに良い性格してると思うよ」

 

「そうかな? よくわかんないや。あははは」

 

 取り敢えず笑って誤魔化した。

 

 敗北者に権利などないのは世の常なので、結局一夏がクラス代表をするという事で話は決着したのだった。

 

「理不尽だぁぁぁ」

 

「若い時に苦労をしておけば損はないよ」

 

「速水さんも充分若いですよね」

 

「とはいっても、おれはおじさんに片足突っ込んじゃってるからねぇ」

 

「…速水さんって千冬姉ぇと同い年だよな」

 

「いや、織斑先生の方が2歳年下だったかな? 24歳かぁ。2年前。…何してたんだっけ、おれ」

 

 過去を思い出せない厚一ではあるが、まぁいいかと思ってその日の授業も難なくこなしたのだった。

 

 そしてお昼は珍しく厚一は席を立った。

 

「あれ、速水さんご飯は?」

 

「今日くらいは普通に食べようかなって思って」

 

 それを聞いて声を掛けた女子というか、教室中に居た女子が厚一を見た。

 

「あ、明日は、どうなんでしょうか?」

 

「うーん。どうしよう。買い物してないからご飯作れないし。また食堂かな?」

 

「そうですか。あ、引き留めたりしてごめんなさい」

 

「ううん。じゃ、またね」

 

 そう言って厚一が教室から出て行くと、教室では明日の昼食をどうするのかという相談会が繰り広げられることとなった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 IS学園に入学して半月も過ぎた頃。と言ってもクラス代表候補決定戦が行われてから1週間ほどが過ぎ、座学だけではなく実際にISに関する実技も入るようになった。

 

 その日は校庭に1年1組の生徒が集められていた。

 

「これよりISの基本的な操縦を実践してもらう。織斑、オルコット、速水。試しに飛んでみろ」

 

 あれから厚一は模擬戦で使用したラファール・リヴァイヴをそのまま使用の許可が下りたので、一応は専用機持ちの仲間入りを果たしていた。 

 

「え!? 俺も!?」

 

 自分が呼ばれるとは思っていなかったのか、一夏は自分を指さしている。その間にセシリアと厚一はISの装着を済ませていた。

 

「流石だなオルコット。それに速水もオルコットとほぼ同時とはな、良い傾向だ。織斑も早くしろ。熟練の操縦者なら展開に1秒もかからん」

 

「う、は、はい…」

 

 中々ISを展開出来ない一夏と、同じ期間でセシリアとほぼ同じくらいの速さで展開を終えてしまえる厚一の違いは練習量の違いやイメージトレーニングの差もあるのだろう。

 

 放課後に付きっ切りで真耶に指導を受けている厚一からすればこれでもまだ真耶に見せて貰った速度よりも遅くて満足できないくらいだった。なまじ同じラファールという機体を使っているだけに、そのイメージと実際の違いのズレが気に入らないという理由で少しでも近づこうと毎日努力を絶やさないのだ。

 

 そういった意味では、独学で努力している一夏よりも厚一は数段先んじて歩いているとも言えた。

 

 一夏は白式の待機状態のガントレットを掴んで名を呼ぶことで展開を完了した。

 

 そして3人同時に飛び立ったのだが、その先頭を行ったのは厚一のラファールだった。続いてセシリアのブルー・ティアーズ、そして一夏の白式が続いた。

 

瞬時始動(イグニッション・スタート)なんて、いつ覚えましたの? 速水さん」

 

 スタートダッシュは先頭に居た厚一ではあるが、直ぐにセシリアが追いついて横並びで飛びながら質問を投げた。

 

「この間かな。山田先生に覚えておいて損はないって言われて」

 

 瞬時加速よりも停止状態からの始動になる為、覚える難易度はそこまで高くはない。と言うより瞬時始動によって先ずは瞬時加速のやり方を教える場合もある。しかし1週間前の模擬戦では使っていなかったのでその後に身に着けたのだろうとセシリアは予測を立てた。

 

 言ってしまうと瞬時加速を覚えてしまえば無用の技術である上に、開幕で相手に一直線機動で突っ込むような軌道は誰もやらないのでそこまで重要視はされていない技術ではある。

 

『なにをやっている織斑。出力スペックでは白式が一番上なんだぞ』

 

「そんなこと言ったって、急上昇とか習ったの昨日だぜ? 昨日の今日で上手くやれっていうのは無理が…」

 

 そう言おうとした所で既にセシリアと空中機動で踊るように戯れている厚一の姿が一夏の目に映った。セシリアが厚一の手を引っ張ってリードしてはいるが、厚一の飛び方は少しぎこちないもののちゃんとしている。

 

 それを見ると出来ないとは言えなかった。

 

 地表から数百メートルは離れた地点で、一夏の到着を待ちながら空中で踊る二人に一夏が漸く追いついた所で次の指示が入る。

 

『今度は急降下と完全停止をやってみろ。目標は地表10センチだ』

 

「ではおふた方。先に下でお待ちしておりますわ」

 

 そう言って先にセシリアが先行した。ハイパーセンサーでそれを見ていたが、見事に目標の10センチで止めたのは流石は代表候補生と言ったところだと厚一は感心していた。

 

「じゃ、先に行くからね」

 

「あ、はい」

 

 そう一夏に言い残して、重力に従う様に厚一はラファールを落とす。

 

 重力に従って落ちて行く機体。数百メートルはあってもそこから落ちて行くのはISという鎧の重さのお陰であっという間だ。

 

 スカイダイビングをするように身体を広げて空気を掴み、落下速度をコントロールしながら、PICを起動して機体の態勢を立て直す。そして制止させるものの。

 

「32センチか。次はもう半拍遅らせてみろ」

 

「はい。頑張ります」

 

 少しタイミングが早かったようだ。思った瞬間に反応が帰って来ないというのはそれを加味して早めに反応するというまた別のタイミングを求められるため難しいのだが、そうも言ってられない。次は成功させると誓って上の一夏を見上げると――

 

 下に――どころか地面へと全速力で突っ込んできそうな勢いで、機体を動かしていた。

 

「イナーシャル・キャンセラー全開!」

 

 一夏の白式を受け止めながら、完全停止までを処理する。

 

「あ、危なかったぁ…」

 

「す、すんません。速水さん」

 

 背中に地面が当たっている感触を感じながら厚一は息を吐いた。

 

 助けられた一夏も厚一の腕の中で謝罪する。

 

「これはこれでアリかも…」

 

「速水さん優しいからやっぱり受けなのかな?」

 

「でも織斑くんからの誘い受けとか良くない?」

 

 一部に燃料を投下する事態にもなりつつ、近づいてきた千冬に厚一は軽く頭を叩かれた。

 

「他のISの前に飛び出すな馬鹿者。最悪あのまま地面に激突もあり得たぞ」

 

「はい。すみません」

 

「だが完全停止は見事なものだ。そのまま精進しろ。それと織斑は後で反省文5枚だ」

 

「うぐ、はい…」

 

 流石にあのままだと地面に突っ込む未来が見えた一夏も反論できずに素直に従うしかなかった。

 

 そして立ち上がった一夏に次の課題が言い渡された。

 

「織斑、武装を展開してみろ。それくらいは出来るだろう」

 

「は、はい!」

 

 ここまで良い所がない一夏は今度こそと意気込んで白式の武装である雪片弐型を展開した。

 

「遅い。それでは展開している間につけこまれるぞ」

 

「はい…」

 

 一夏からしても渾身の速さだったのだが、それでも数秒掛かっていた。それでも遅いと言われて一夏は肩を落とした。

 

「次はオルコットだ。織斑、良く見ておけ」

 

「はい…」

 

 肩を落としながらもセシリアに一夏は視線を向けると、一瞬で雪片弐型よりも大型のスターライトMk-Ⅲを展開した。

 

「1秒弱か。まあまあだな。だがそのライフルを横に向けるのは直せ」

 

「こ、これはわたくしのイメージを乗せるのに大切な」

 

「˝直せ˝と言っている」

 

「はい…」

 

 千冬に睨まれてセシリアも撃沈した。そうなるといよいよ残るのは厚一である。

 

「では速水、やってみろ」

 

「はい」

 

 そう返事して。厚一も武装を展開する。

 

 両肩の稼働シールド。機体の前面と後方を守る大型の実体シールド。右腕の耐レーザー・コーティング・シールド。更には腰のサイド・アーマーに二挺のリボルバー。空いている左手にもアサルトライフル。

 

 合計1秒半程で展開を完了した。

 

「フル装備で展開しろとは言わなかったが、合格だ」

 

「ありがとうございます」

 

 ホッと胸を撫で下ろす厚一。だがやはり真耶の手本の方がすべて一瞬で展開していたので内心ではまだまだだと思っていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「織斑くん、クラス代表就任おめでとう!」

 

『おめでと~!!』

 

 放課後に行われた一夏のクラス代表就任パーティー。いつもの様に真耶に放課後の訓練をしてもらおうと思ったものの、クラスでの祝い事という事で参加した方が良いという言葉を貰い、一応食堂の片隅でラファール・リヴァイヴのマニュアルに目を通しながら厚一も参加していた。

 

「いやー、やっぱ盛り上げていかないとねー」

 

「ほんとほんと。唯一の男子が居るクラスだもん。一緒になれて良かったぁ」

 

 という感じで盛り上がっている同級生の女子を見ていると今更嫌だとは言えないので、一夏は腹を括った。

 

「でも織斑くんで大丈夫かなぁ」

 

「あら? なんか不安なの?」

 

「不安というか、心配? 速水さんだって凄かったし」

 

「セシリアさんには負けちゃったけど織斑くん圧倒してたもんね」

 

「負けっていうか、あれISの故障がなかったらどうなってたかわかんないよ?」

 

「あの時の速水さんかっこよかったよね。普段は優しく笑ってるのに、あの時は獲物を狩る猛獣? みたいな顔しててカッコいいなって思ったよ」

 

「あたしあの時真正面の席に居たけど、こうビビッてなんか凄かったよ。だからゆっくり降りて行く速水さん見て泣いちゃった」

 

「あー、あれは泣くよねぇ。こう、イケるって時に不慮の事故でぽしゃる虚無感と悔しさってのはさ」

 

「でもあの時の速水さんやっぱり笑ってたよ。大人ってすごいよねぇ」

 

 一夏の話題で盛り上がる一方で、厚一に割と近い方の席では厚一の評判について盛り上がる女子も多かった。

 

 実際、あの中である意味注目度が高かったのも厚一だった。

 

 同年代で千冬の弟である一夏。イギリスの代表候補生であり専用機持ちのセシリアに対して、厚一は男で年上の男性という以外の特別さはなかったのである。ある意味平凡。であるから一番感覚的には大多数の生徒と同じ感覚だったのだ。

 

 それが蓋を開けてみれば、代表候補生に追いすがり、更にブリュンヒルデの弟には圧倒して勝利した。

 

 その上に高速切替と瞬時加速を披露していたのだ。1週間という準備期間でそんな技術を身に着けた。そんな非凡さに天才なのではという噂も独り歩きしているが。1組の女子からすると努力して身に着けたんだろうという想いが強かった。それくらい普段は勉強熱心な厚一が教室では目撃されているからだった。

 

 今も食堂の集まりの片隅で何かの本を熱心に読んでいる姿が映る。ちなみに本に指を添えて文章をなぞっている時はとても集中していて話しかけないのが暗黙の了解として1組では成立していた。

 

「というわけでして、今の速水さんはそっとしておいてくださいな」

 

「なるほど。わかったわ。またあとでコメント貰いに来るから、速水さんに名刺渡しといてくれる?」

 

「ええ。それくらいでしたらお受けいたしますわ」

 

 そういう暗黙の了解を知らずに突撃取材を敢行しようとした二年生の新聞部部長の黛 薫子をセシリアがブロックしていた。

 

 せっかくのお祝いの席で、輪を外れるというのは空気の読めていない行動といって遜色ないものだが、彼が見せる真剣さと勤勉さというのは1組にとっては最早日常だったので、殊更に悪感情を持たれるようなことはなかった。

 

「速水さん、記念写真を撮りますので、お時間よろしいでしょうか?」

 

「あ、う、うん。ごめんね、つい集中しちゃって」

 

「ふふ。一度集中してしまうと中々戻ってきませんものね」

 

「こ、声を掛けて貰えれば戻ってくるよ」

 

 指が本から離れたタイミングですかさずセシリアが声を掛けて、記念写真で専用機持ちで撮る事になったことを告げる。ついマニュアルに夢中になってしまった厚一は頬を掻いておじさんが映っても絵にならないと遠慮したが、セシリアが腕を引っ張って厚一を真ん中に左右をセシリアと一夏が固めたのだが、写真を撮る瞬間に1組のほぼ全員がフレーム内に押し寄せておしくらまんじゅうみたいな状態になってしまって憤慨するセシリアと、さすがに女の子の香りや軟らかさに包まれて気恥ずかしくなる厚一を目撃されて悪ふざけをした女子が引っ付いたり、それをセシリアがひっぺがえそうとしたり、巻き添えにあって一夏もひっつかれて箒が不機嫌になったりと。

 

 騒がしくも平穏な日常は続くのであった。

 

 

 

 



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クラス代表戦篇

取り敢えず書き上がったのでお試しを。

そして自分にはやっぱりグイグイ前に出るヒーローは書けないと悟る。

主人公の元ネタのキャラからしてそういう感じだから仕方ないとはいえ色々やり過ぎているかもしれないけれどごめんなさい。それが世界の選択なのかもしれない。

感想くれるとちょっと有り難かったりするかも。


 

「っ――!!」

 

 ガバッと掛け布団を蹴り飛ばしながら飛び起きる。

 

「ハァっハァっ…」

 

 まだ太陽が昇ろうとする早朝。薄暗い部屋で、布団の上で自分の肩を抱きしめる。

 

「っ、ぐっ…」

 

 苦しくなる胸を掻き抱く。

 

「最近は、平気…だったのに……っ」

 

 どうやら自分はそれ程にひとりという事が相変わらずダメらしい。

 

「……困ったなぁ」

 

 ごろっと布団の上に横になる。ひとりで寝るといつもこうだ。

 

 だからひとりになった最近は眠れない――深く眠らずに身体は休めても意識は起きる毎日を過ごしていた。

 

 それも織斑先生との同居が始まったお陰で少しはマシになって寝れるようになった。

 

 それでも今はまたひとりで部屋に居る。だから眠ってしまって見たくもない悪夢を見てしまう。

 

「誰かを連れ込むなんて、出来ないもんね」

 

 それこそ社会的に抹殺されそうなので論外である。

 

 身体を起こして電気を点ける。シャワーで寝汗を落として、鏡に映る自分の顔を見れば、魚の死んだ目の様に酷く濁っていた。目元にも最近は落ち着いていた隈がまた出来てしまった。能面の様に生気を感じない顔を数回叩いて気分を入れ替える。

 

「よしっ」

 

 シャワーを出た後はジャージに着替えて朝のジョギングである。

 

 少しずつ身体を慣らして2キロを走破する。また戻ってシャワーを浴びて、食堂に向かって朝食を取る。その次は部屋に戻って一通りの復習をする。あとは時間になって登校する。

 

 それが速水厚一の朝の基本行動だった。

 

 それがその日はちょっと違っていた。

 

 千冬との同居関係が終わると、生活リズムも少々変わった為にあまり朝から同じ行動を取ることもなくなり、フリーになった厚一にようやく朝から女子も話しかけられるようにもなった。

 

「おはようございまーす、速水さん」

 

「隣良いですか?」

 

「うん。いいよ」

 

「やった! 失礼しまーす」

 

「あ、ちょ、ズルいっ」

 

「へへーん、こういうのは早い者勝ちだもん。ねー? 速水さん」

 

「そ、そうかな?」

 

 厚一は苦笑いを浮かべながら隣に座ったりする女子に曖昧な返事をする。

 

 厚一は端の席を好むのでだいたい隣には一人しか座れない事が多い。その為、厚一の隣の席に座るには迅速な行動が必要になってくる。

 

 ただ中にはあからさまに身体をくっつけてくる娘も居るので気が気でなかった。いつポリスメンでも呼ばれるのかとヒヤヒヤしながら食事を終えた。

 

 先に食べ終えてしまう厚一は食堂を出て、思いっきり肩から力を抜いた。

 

「はぁぁぁ。女の子ってパワフル…」

 

 朝から精神的疲労を感じながら部屋に戻ろうとすると、ズイッと誰かが後ろから飛び付いて顔を出してきた。

 

「朝からモテモテで大変ですねぇ。でも、まだまだひよっこな子達で満足できますか? 速水厚一さん」

 

「うわわわわわわっ?」

 

 前に倒れそうな姿勢を保つために力を入れながらも急な事で驚き、更に肩から飛び出してきた綺麗な女の子の顔にも驚き更に気恥ずかしくなって二重の意味で軽いパニックになる厚一。

 

「間近で見ると綺麗な顔してますねぇ。それに、フフ、顔赤くしちゃって。テレてるんですか? かわいいなぁ…あなたみたいな人、わたしの好みなんですよねぇ」

 

「………………っっ!!」

 

 頬が触れる程に顔を近づけられ、蕩ける様な甘い声で耳元で囁かれ、更には身体も密着しているので背中に胸は当たっているし、足も何故か絡まされているし。動きたくても動けず。まるで蛇にでも絡まれたような気分で。それでいてそんなアプローチに厚一の頭は沸騰寸前だった。

 

「わたし、更識楯無。よろしくね、速水さん」

 

「更識さん…?」

 

 はて、どこかで聞いた覚えがあると記憶を辿ろうとした厚一だったが。

 

「何をしている小娘」

 

「あ、織斑先生」

 

「お、織斑先生!?」

 

 ドスの効いた声で厚一の思考を中断したのは青筋を立てている千冬だった。

 

「別に何もしていませんよ。ただ、無防備な速水さんにそれじゃあ悪い子に襲われちゃうって教えていただけですよ?」

 

「お、おそう…!?」

 

「ほう。悪い子というのは貴様の様な輩か?」

 

「いーえ。わたしなんかよりも、もーっと悪い子に、です」

 

「ふん。生徒会長ならばそれらしく振る舞え」

 

「了解しましたぁ」

 

 そう言って楯無が離れたことで自由になったが、千冬の言った生徒会長という単語で楯無の事を厚一は思い出した。

 

「あ、そういえば入学式で挨拶してたよね」

 

「あら、覚えていてくれたなんてお姉さん嬉しい」

 

 そう言って口元隠す楯無の扇子には「愛の力!?」と書かれていた。また濃いキャラの人が現れたと厚一は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「でも無防備なのは本当ですから、気をつけてくださいね? 親切なお姉さんからのご忠告です」

 

「うん。ありがとう、更識さん」

 

「楯無って呼んでくれます? 名字で呼ばれるのあまり好きじゃないんです」

 

「わかったよ。楯無さん」

 

「はい。それじゃあまた会いましょうね、速水さん」

 

 そう言って楯無は厚一にウィンクして去って行った。それを厚一は手を振って見送った。

 

「それで、奴に何をされた」

 

「ふえっ!? と、とと、特には…っ」

 

 千冬にそんなことを聞かれた厚一は先ほどまでの楯無との絡みを思い出して見る見るうちに顔を赤くしていた。

 

「やれやれ。女に耐性が無いのも考え物だな」

 

「そ、そういうわけじゃ…」

 

 普通に接している分にはなんともなく大人の余裕を持っている厚一ではあるが、楯無の様に身体を絡め合うスキンシップなどになるとどうしても気恥ずかしくなるのは仕方のない事であった。

 

「だが、急接近してくる女子には注意しろ。ここは様々な国の女が居る事を忘れるな」

 

「はい。それは大丈夫です」

 

 千冬は万が一のそういうことも考えておけという注意のつもりだったのだろう。だが厚一からすれば周りは10歳近く年下の女の子たちなのだ。普通に考えて犯罪である。

 

 だが何故20代や30代での歳の差結婚などは許されるのにこういう年代だと犯罪だという事になるのかは今一厚一にもわからなかったが、それが未成年保護という道徳なのだろうと納得する。

 

 そしていつも通りに授業が始まるのかと思えばそうでもなかった。

 

「そう言えば速水さん。2組に転校生がやって来たことはご存じでして?」

 

「転校生? ううん、知らないよ」

 

 始業前の朝の登校時間。教室にて厚一はセシリアと話していた。大抵はISの事に関する事なのであるが、今日は話題が違っていた。

 

「でもこの時期に珍しいね。入学式に間に合わなかったのかな?」

 

 何しろまだ4月なのだ。それなら何かトラブルでもあって入学式に間に合わなかったのだろうかと思った厚一ではあるが、それだと転校生という表現は使わないようなと首を傾げた。

 

「おそらく国から送られてきた斥候ですわね。お国は中国からという事ですが、途中編入となると先ず代表候補生という線が濃厚ですわね」

 

 ただでさえ入学基準が厳しいIS学園に途中から席を置くのだからそれ相応にまた厳しい基準がありそうなのは予想できる事だった。

 

 とはいっても2組ともなればお隣さんではあるが直接自分には関係なさそうだと判断して、ISの空中機動に関しての意見をセシリアに求めるのだった。それを聞いて仕方ないという表情を浮かべながらも、頼られているという嬉しさを滲ませながらセシリアも厚一の質問に答えるのだった。

 

 すると教室の出入り口、と厚一から見て前方の席が騒がしくなった。

 

「噂をすれば影、ですわね」

 

「かわいい女の子だね」

 

 そこでは一夏少年と、やや小柄でツインテールの勝ち気そうな少女が教室の入り口のドアに腕を組んで凭れ掛かっていた。

 

「鈴? お前まさか鈴か…!?」

 

「そうよ。中国の代表候補生、(ファン) 鈴音(リンイン)。宣戦布告しにやって来たわよ」

 

「なにカッコつけてるんだ? 全然似合ってないぞ」

 

「んなっ!? あ、アンタねぇ、人が折角カッコよく登場したんだから空気読みなさいよ!」

 

 そんなやりとりを見て、若いっていいなぁと爺臭いことを厚一は考えていた。

 

「おい」

 

「なによ!? って、ち、千冬さん…っ」

 

「織斑先生だ。それにもうSHRの時間だ。邪魔だから早くどけ」

 

「は、はい!! 一夏、またあとで来るから逃げるんじゃないわよっ」

 

「さっさとどけ馬鹿者」

 

「きゃんっ、っっぅ、し、失礼しましたぁ…っ」

 

 頭に出席簿を食らって退散する嵐のような少女。一夏の知り合いであるのなら千冬の恐さという物も昔から知っているのだろう。

 

 とはいえ、怒らせるようなことをしなければ厳しくも優しい先生だというのが厚一の織斑先生像である。なお私生活の千冬はカウントしないものとする。

 

 そうして午前中は普通に過ぎたのだが、一夏に誘われて食堂に赴いた厚一は再び嵐の様な少女と邂逅する事となった。

 

「待ってたわよ一夏!」

 

 ラーメンの入ったどんぶりをトレーに乗せて声を張り上げる鈴に、立ち止まった一夏であるが。その脇を通り過ぎて厚一は食券の券売機に向かう。

 

 最近は洋食周りをローラーしていたので偶には和食でも食べようかとアジフライ定食を選択する。

 

「あーっ、アジフライ定食売り切れかぁ」

 

 そんな声が厚一の背後から聞こえると、しょんぼりと肩を落とす一夏が目についた。

 

 どうやら厚一の頼んだアジフライ定食が最後だったらしい。

 

「はい、織斑君」

 

「え? 食券? アジフライ、って、良いですよ。悪いですって」

 

「いいからいいから」

 

 そう言っていつもの様に軟らかい笑みを浮かべながら一夏にアジフライ定食の食券を渡して、券売機の盛りそば大盛りを注文した。

 

「気分的に和食ならなんでも良かったんだ。だからそれは織斑君が食べてよ」

 

「速水さん…。ごちになります」

 

「うん。よろしい」

 

 ニコニコしながら頭を下げる一夏をみる厚一という一部女子の妄想を掻きたてる燃料になる光景を提供しつつ。一夏の隣に厚一が座し、一夏の隣に箒。厚一の隣にセシリアが座る。ここ最近の時間が合う時に同伴する定位置での座り方だった。 

 

 その反対側に鈴が座った所で一夏と鈴の会話が始まった。

 

「それにしても久しぶりだな。元気にしてたか?」

 

「普通に元気よ。アンタこそ、偶には怪我病気しなさいよ」

 

「どういう希望だよそれ」

 

 そんな風に互いに気心が知れている間柄の会話を展開する二人に箒が割って入った。

 

「それで。一夏、そろそろどういう関係なのか説明してくれるか?」

 

 それはそれはいつもよりも一段低い声で詰め寄りそうな勢いで箒は問う。

 

「どうって、ただの幼馴染だよ。お前が引っ越した後に鈴は引っ越してきたんだ。去年国に帰っちまったけどな」

 

 それを聞いて別の意味で厚一は鈴に興味が湧いた。少なからずセシリアも一夏の言葉に目を見開いていた。

 

「えーっと、凰さん、で良いかな?」

 

「ん? あぁ、確かもう一人の男のIS操縦者の速水厚一さんでしょ? 鈴でいいわよ。その方が呼ばれ馴れてるし」

 

 こうサバサバした子なんだと、普通の女の子よりも付き合い易そうだと思いながら厚一は鈴に質問を投げた。

 

「じゃあ鈴、もしかして去年1年で代表候補になったの?」

 

「ええ。まぁ、ちょっと大変だったけど」

 

「そうなんだ。凄いんだね、鈴って」

 

 代表候補生の凄さは身近にいるセシリアで痛感している。そんな代表候補生にたった1年で登り詰めたと聞かされては、素直に凄いとしか言葉がなかった。

 

「ありがと。でもどんなやつかと思ってたけど、案外普通…というか、なんか人畜無害そうな人ね。ケンカとかしたことなさそうな。それでISに乗るなんて災難ね」

 

「あはは、自分でもそう思うよ」

 

 思ったことが口に出る感情的なタイプなのだろう。それでも悪い気がしないのは彼女の人柄なのかもしれない。

 

「それでも速水さんは努力を怠らずに日々邁進しておりますわ。鈴さん、あまり人を見掛けで判断しない方がよろしいですわよ」

 

「あ、そう。ていうかアンタだれよ」

 

「申し遅れましたわ。わたくしはイギリスの代表候補生のセシリア・オルコットと申します。以後お見知りおきを」

 

「へぇ、イギリスのねぇ」

 

 にこやかながら笑っていないセシリアと、口元は笑っているのに目が笑ってない鈴の間で火花が散る光景を幻視しながら、厚一は苦笑いを浮かべた。

 

「でも、そこまで言うなら速水さんって強いんでしょ? どう、あたしと勝負してみない?」

 

 まるで獲物を見つけた獣のような眼光を向けられてビクッと身体を震わせる厚一だったが。いつも通りの苦笑いと頬を掻くコンボで鈴に口を開いた。

 

「あー、うん。有り難い申し出だけど、そんなに強くないから期待外れになるかもしれないよ?」

 

「なに言ってるんですか速水さん! 模擬戦でセシリア追い詰めたし、俺にだって勝ったじゃないですか」

 

「へぇ…」

 

 やんわりと断ろうとした言葉をぶち壊した一夏の言葉を聞いて、獲物を前に舌なめずりをするような声を漏らす鈴にどうしようかと本気で厚一は困っていた。ちなみにそんな一夏を咎める様なジト目でセシリアは睨みつけた。

 

「な、なんだよセシリア。なんで睨んで来るんだ?」

 

「…いいえ。なんでもありませんわ」

 

 肩を落として内心セシリアはため息を吐いた。しょうがない。一夏は良くも悪くも真っ直ぐなのだ。純粋で、それが良さであって悪さでもある。それが今は悪い方向に働いてしまったのだ。

 

 貴族として大人との腹の探り合いなんかもするセシリアからして、今の一夏の行動は完全に善意だろうがアウトだ。

 

 厚一の交渉の席を横からいきなり出て来てぶち壊してしまったのだから。

 

「と、取り敢えずお昼食べよう? 鈴もラーメン伸びちゃうよ」

 

「ま、そうね」

 

 取り敢えず話題は保留。そういう意図を込めて、というより話していると昼休みが終わりそうなので一時休戦という視線を込めて言葉を放った厚一に、それを汲み取った鈴も受け入れ、互いの箸が漸く進むことになった。

 

「お疲れ様ですわ、速水さん」

 

「うん。ありがとう、オルコットさん」

 

 肩を優しく叩かれながら気遣われるセシリアの優しさが胸にしみた昼食だった。

 

 その日の放課後である。職員会議で真耶の訓練が受けられない厚一は、普段の貸し切りになっている第二アリーナから、放課後には解放されている第三アリーナに向かった。

 

 第三アリーナでは訓練機を纏った女子たちが日本の第二世代量産型ISの打鉄と、ラファール・リヴァイヴを纏って訓練していた。

 

「見て、速水さんだよ!」

 

「アリーナに来てるところなんて初めて見た」

 

「あれ? いつもは第二アリーナに居るはずじゃ」

 

「え、そうなの?」

 

 という感じで、ほとんどは一年生の女子が厚一の事を話していた。

 

 最も、第二アリーナは厚一の訓練時間では立ち入り禁止になっている為、訓練風景を見る事は叶わないのでこういう風に人の目がある場所で訓練するというのも新鮮な気がしていた。

 

「あれ、速水さん!」

 

「む?」

 

「あら。今日は山田先生とのデートはよろしいのですの?」

 

「なっ、でで、デートぉ!?」

 

「うん。今日は山田先生、職員会議の準備で忙しいんだってフラれちゃった」

 

「ふふ。では、傷心の殿方をわたくしが癒して差し上げますわ」

 

「お手柔らかに。フロイライン(お嬢様)

 

 デートと言う言葉に驚いている一夏を置いてけぼりに寸劇の様な言葉の応酬で会話をする厚一とセシリアに箒もついて行けない世界に大丈夫かこのふたりはという視線を向けていた。

 

「は、速水さん、山田先生とつ、付き合ってるんですか!?」

 

「うん。毎日放課後にデートしてるんだよ」

 

「あれほどお上手なんですもの。きっと毎日激しいお付き合いをしているのでしょうね。わたくしの身体がもつかしら」

 

「あはは。もたないのはおれの方かもしれないけどね」

 

「まぁ。そんなにお早いんですの? それはわたくしもお慰めのしがいがありますわ」

 

「お前たち流石に私でもふざけているのはわかるぞ」

 

「あ、ぁぁ、ぁっ」

 

 箒がツッコミを入れて茶番劇を終わらせるが、一夏はわなわなと震えて顔が真っ赤で沸騰していた。

 

「いやぁ、織斑君の反応が面白くてつい」

 

「ふふ。速水さんと会話をしていると楽しくてつい」

 

「はぁ…」

 

 詫びれもなく言うふたりに箒はため息を吐いて諦めた。一夏が再起動するのはもう少し時間が掛かるであろう。

 

「しかし。織斑さんも純粋なお方ですのね。ご苦労お察しいたしますわ。篠ノ之さん」

 

「うっ。まぁ、そうだな」

 

 セシリアの言葉に一瞬赤くなるものの、普段の一夏を思い出して肩を落とす箒に厚一も苦笑いを浮かべて彼女に同情する。厚一も子供ではないので箒が一夏の事を好きなのは普段から見ていればわかる上に、おそらくは鈴もそうなのだろう。だが肝心の一夏が絵に描いた様な鈍感朴念仁である為にふたりの恋は無事成就するのだろうかと心配になった。その場合どちらかが涙を飲むことになるかもしれないが。

 

「それで、速水さん。如何なさいますか? 山田先生がどういう教練をしているのかわたくしは存じ上げていませんので、何を教えられるかはわかりませんが」

 

 そして漸く真面目な言葉で要件を話すセシリアに、最初からそう話せと箒は思わずにはいられなかった物の、あれはちょっとしたお遊びと狼狽える一夏が実際面白かったので興が乗ってしていたものに過ぎない。些か品に欠けるかもしれなかった物の、空気を合わせてくれた厚一の乗りの良さに少し悪戯心がくすぐられたというのもある。

 

「じゃあ、射撃を見て貰っても良い?」

 

「ええ。構いませんわよ」

 

 という事でスナイパーライフルを構える厚一をシューティングレンジに誘って、セシリアは先ずその射撃を見た。

 

「おい一夏、帰って来い」

 

「ぁぅ、ぁ、ぁあ……」

 

 一夏が鈍感なのはもしかしたら物を知らなすぎるからじゃないかと、箒は思わずにはいられなかった。

 

「命中率96%。また腕を上げましたわね」

 

「これ以上が無理なんだ。山田先生は今はこれでも良いって言ってくれるけど」

 

「ご納得がいかない様子ですわね」

 

「先生は目の前で99.89%を見せてくれたからね」

 

 ターゲットが表示されてからの反応速度。そして命中率。どれも一月で身に着けるのには無理ではなくとも、やはりオーバーペースではある。

 

 そしてセシリアは、厚一の感覚が少しズレていることに気付いた。それを真耶が気づいていないとは思えない。それを指摘しない理由でもあるのだろうか。

 

 もしくは指摘していても、厚一の設定している理想が高すぎるのだろうか。

 

 理想が高い事は何も悪くはないのだが、しかしそれに現実が追いつかなければ意味がない。

 

 それこそ教員と生徒を比べた所で仕方のない事なのだ。でなければ何のために教員が存在するというのか。

 

「回避のタイミングは悪くありませんわ。あとゼロコンマ3秒程早く回避すればレーザーのエネルギーの影響も受けずに避けられますわ」

 

「うん。ありがとう」

 

 射撃の後は回避行動も見て欲しいという事で、レーザーを完璧に避けられるようにと言われて、敵に塩を送るような事になるのだが。それでもセシリアは厚一の熱意に負けて回避行動を実際に攻撃を撃ち込んで問題を修正していく。

 

 気づけばアリーナの使用時間も終わりが迫っていた為にお開きとなった。ロッカールームの備え付けのシャワーを浴びて、新鮮な気分で厚一は寮に戻った。

 

「一夏のバカ!! 犬にかまれて死ねっっ」

 

 ほっかりぽかぽかで少し顔がぽやっとしている厚一の耳に物騒な言葉が聞こえて慌てて周囲を見渡したら後ろから誰かにぶつけられてしまった。

 

「うわわわわわっっ」

 

「きゃああっ」

 

 いきなりの事だったので反応も遅れてそのまま厚一は倒れてしまった。

 

「いたたた。な、なに?」

 

「ごっ、ごめんなさい…っ」

 

 顔を後ろに振り向ければそこには鈴が居た。ぶつかって来たのが鈴らしく、厚一の背中に倒れるような形で居た。

 

「ケガはない?」

 

「うっ、うん…」

 

 取り敢えず倒れた姿から向かい合う様に座り合ったものの、ケガはなさそうなので安心するのも束の間。

 

「……紅茶で良ければご馳走するよ」

 

「っ、……はい」

 

 涙を溜める鈴に、厚一は立ち上がって手を差し出した。

 

 物置だった宿直室を片付けた部屋であるから一通りの設備は揃っており、ひとつの部屋を誰かと共有して生活しなければならない寮での生活であれば厚一はプライバシーが一番守られている生活を送っていた。

 

 泣いている鈴をあのまま返してもルームメイトにその理由を話さなければならないだろうと思い至った厚一は、鈴をお茶をご馳走するという名目で部屋に連れて来たのだ。

 

 なんだか犯罪を起こす一歩手前な状況推移であるが、純粋に鈴を心配しているのであって決して疚しい事はないと結論づけて紅茶の入った湯呑をお盆に乗せ、テーブルの前に座る鈴の所に戻った。

 

「はい。どうぞ」

 

「…いただきます」

 

「熱いから気をつけてね」

 

 湯呑に紅茶という紅茶の愛飲家にはバカにされるかもしれないものの、あり物の道具はこれしかないので仕方がないのだが。茶葉に関してはセシリアから貰った物なのでとても美味しいのは確かだった。ダージリンティーの香りを楽しみながら、ちびちびと飲んでいくと、コトリとテーブルに湯のみを置く音が聞こえた。そして鈴が立ち上がった。

 

 口に合わなかったかと、香りを楽しむために瞳を閉じていた。という事にして涙目の鈴を見ないようにしていた厚一が薄目を開けて彼女を見ると、何を思ったのか、制服の上着のボタンを外し始め、そのまま上着を脱ぎ捨てたのだった。小柄でもちゃんとある胸は最後の布によって守られているが。いったい何が起こっているのか厚一には理解が追いつかなかった。

 

 そのまま鈴はゆらりと幽鬼の様な足取りで厚一の前に来ると、そのまましゃがんで厚一の胸に凭れ掛かって来たのだった。

 

「り、鈴…?」

 

「やっぱりあたしって、魅力ないのかな……」

 

 耳を凝らしていても聞こえるかどうかという程の声量で放たれた声に、厚一は紅茶の入った湯呑を取り敢えず脇に置いて、鈴の頭を撫でながら、背中を優しくぽんっぽんっと、泣いている子供をあやすように叩いてやると、次第に肩を震わせた鈴は声を押し殺して厚一の服にしがみついてその胸に顔を押し付けながら泣き始めてしまったのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 たっぷり30分は泣いた鈴が落ち着いたころに厚一は鈴に何があったのか訊き始めた。

 

「一夏が、約束を覚えてなかったの」

 

「約束…?」

 

 それはまだ一夏も鈴も中学生の頃の、小さな女の子の精一杯の勇気を振り絞った。

 

 ちいさくてとてもたいせつなおはなし。

 

 その頃の一夏はよく鈴の親が経営していた中華料理店に通っていたらしい。

 

 そして一夏の事が好きだった鈴は勇気を出して、料理が出来る様になったら毎日酢豚を作るという約束をしたという事だ。

 

 だが、今日。つい少し前。厚一の背中に鈴が追突した原因はそこに在った。

 

 鈴のそれはある意味一生分の勇気を振り絞っただろう告白。

 

 だが一夏はご馳走してくれるという意味で受け取ってしまっていた事だ。しかも、奢ってくれるとまで鈴に言ってしまい、内容まで若干覚えていなかったというのがトドメだった。

 

 つまり味噌汁を毎日作ってくれと言う告白の変化球だが、それでもその時の鈴にはそれで精一杯だったんだろう。

 

「じゃあ、もう鈴はどうすれば良いか、わかってるよね?」

 

「…うん」

 

 厚一の胸から膝に頭を移してうつ伏せになっている鈴の頭を絶えず撫でたり手櫛で髪を梳いたりして、背中も一定のリズムで変わらずに叩いていた。

 

 それはとても心地が良くて、色々な感情でぐちゃぐちゃになってしまった鈴の心を温かく包んでいた。

 

「一夏がああなのはもうすぐにはどうにもならないから、はっきり言うしかないよ」

 

「そうね。あいつ、中学の頃だって告白してきた女の子に、付き合ってくださいって言葉を買い物に付き合ってくださいって意味に曲解したのよ!? あり得ないってば! どんだけバカなのよっ」

 

「でも好きなんでしょ?」

 

「うっ、う~~~~~っっ」

 

「あはは」

 

 横に向いた顔で厚一を見上げていた鈴はその返しに恥ずかしくなって厚一の膝の間に顔をうつ伏せに埋めて唸りだした。

 

 そんな姿が可愛らしくて、厚一は笑った。

 

「さ、いつまでもこんな格好してたらダメだよ。こういう格好は、好きな相手の前でして上げないとね」

 

「……いいもん」

 

「え?」

 

 耳を赤くするくらい恥ずかしかったのか、それとも自分の恰好を指摘されて恥ずかしくなったのかわからないが、それでもまた顔を半分だけ横にして鈴は厚一を見上げた。

 

「…速水さんなら、いいって、言ったの」

 

「はい?」

 

 流石に何を言われているのか言葉は理解できても意味がわからなかった。

 

「速水さんなら大丈夫ってわかるから」

 

「おれも一応男なんだけど…」

 

 苦笑いを浮かべながら今一言葉の意味が見えてこずに頬を掻く厚一。つまりどういうことなのだろうか。

 

「いいじゃん。現役女子高生に甘えられてるんだから…」

 

「そこは普通おれが甘える立場とかじゃないの?」

 

「速水さんってロリコン?」

 

「鈴ってコンプレックス抱くクセに確信犯だよね?」

 

「そりゃ、一応自分の身体の事くらいわかってるもん」

 

「そう。でも魅力は大きさだけじゃないと思うけどね。バランスが大事だし、控えめな方が好きな人も居るよ」

 

「でも大抵は大きな方を向くじゃない」

 

「あれは母性回帰と目立つ部分だからしょうがないんじゃないかな。でも鈴は小柄でも可愛いんだから大丈夫だよ」

 

「ほんと? あたしでも魅力ってある?」

 

「あるよ。元気な所。サバサバしてるから付き合いやすい所。こんな風に甘える所。ツインテールもポイントは高いと思うよ」

 

「じゃあ、どうやったらあの朴念仁落とせると思う?」

 

「織斑君の好みはわからないけど、いっそストレートに結婚を前提に付き合ってくださいって言わないとダメだと思う」

 

「うっ、やっぱりそこまでやらないとダメか…」

 

「やっぱり恥ずかしい?」

 

「そりゃあ、まぁ、うん」

 

「くすくす、大胆なのにやっぱり女の子だね」

 

「なによ! どうせあたしは感情がコントロールできないガキよっ」

 

「ごめんごめん。でも、そういう所も含めて、おれは鈴が好きだなぁ」

 

「ありがと。アイツも速水さんみたいに察しが良いやつならこんなに苦労しないのに」

 

「でもそれが織斑君だからね。だからこんなところでも上手くやって行けてるんだと思う」

 

「速水さんだってそれは同じじゃん」

 

「おれはホラ、一応大人だから」

 

「大人ねぇ。…大人なら、なんで相手が好きなのに別れたりするんだろう」

 

「大人の世界も色々あるんだよ。好きでも自分が身近にいたら相手を不幸にしてしまうかも知れない。已むに已まれない事情があるのかもしれない。相手が好きだから、大切だから、遠ざけるってこともあるのが人だからね」

 

「速水さんにもそういう事があったの?」

 

「んや。おれは恋愛処女だよ。これは友達とか少女漫画とかの受け売り」

 

「ぷぷ、なにそれ、ちょっとカッコイイと思ったのにがっかり」

 

「まぁ、最後まで格好がつかなくても構わないよ」

 

 厚一は鈴の頭から手を放して自分の制服の上着を脱ぎ、鈴の身体に掛けながら肩を掴んで身を起させた。

 

 涙で目元が赤くなっているが、それでも元気な鈴の顔がそこにはあった。

 

「鈴が元気になったら、それでね」

 

「…一夏が好きじゃなかったら速水さんに惚れてたかも」

 

「あはは。おじさんには光栄な言葉だね。さ、お風呂貸してあげるから顔とか洗ってきなよ。もう良い時間だからね」

 

「うん。…ありがと」

 

 そう感謝しながらはにかむ鈴を見て、厚一も笑顔で返事を返した。

 

「どういたしまして」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌朝。クラス対抗トーナメントの対戦相手が発表され、申し合わせたかのように1組代表の一夏と、2組代表の鈴の対戦カードが組まれていた。

 

「よかったの? 鈴の事探してたみたいだよ?」

 

「いいの! 女の子との約束を覚えてない男の風上にも置けないバカ一夏はしばらくムシしてやるっ」

 

 その日の厚一は昼を屋上で食べていた。鈴が誘って、彼女の手料理の酢豚を食べていた。甘辛で丁度良い酸味か箸を進ませた。肉も軟らかくて、なのに野菜類はしゃきしゃき感が消えていない。

 

 作り方を教えて貰いたいくらいだったが、花嫁道具のレシピを教えてなどとは言えなかったので断念した。

 

「ご馳走さま。美味しかったよ」

 

「お粗末様。当然よ、一夏に目に物見せたくて必死で練習したんだもの」

 

「なのにおれに食べさせちゃって良かったの?」

 

「いいの! 速水さんは別だから」

 

 そう言って弁当箱を片付けた鈴は、屋上の芝生の上で正座で座っていた厚一の膝に寝転がって頭を乗せた。

 

「鈴?」

 

「頭、撫でて」

 

「あはは。りょーかい」

 

「んっ」

 

 酢豚をご馳走になったお礼にこれくらいならば構わないと、厚一は鈴の頭を撫でた。撫でるだけでなく手櫛で髪を梳く。これが好きなのは昨日の時点で厚一は見抜いていた。

 

「んー…。気持ちいい。速水さんの手ってヤバいわね」

 

「そうかな? 普通だと思うけど」

 

「気持ちよくて溶けそう……」

 

 まるで猫みたいだと思いながら、昼の予鈴が鳴るまでそのまま海から吹く風を感じながら静かな時間を過ごすのだった。

 

 その日の放課後。訓練を終えて部屋に戻って来た厚一だったが、部屋のドアがノックされて開けてみれば、物凄い不機嫌で今にも泣きそうな鈴が立っていたので、また紅茶を淹れる事になった。

 

 一夏に反省の色なし。さらには鈴を貧乳呼ばわりしたらしい。

 

 いや鈴はこの身体にして丁度良い大きさの胸だと思う厚一だったのだが。

 

「あの箒だかモップだか知らないけど、あの子見れば足りないって思うじゃない!」

 

「あー、うん。まぁ…」

 

 と言われて箒の事を思い出す厚一。確かに箒も普段の制服姿や、先日のISを纏っている時のISスーツではっきりした大きさを見ると高校生であれは大きすぎるとも思わなくもない。それを言うならセシリアくらいの大きさで充分であるとは思うし、人それぞれの身体にあった大きさという物はある。

 

 その中に一部例外として真耶を思い浮かべたが、それは仕方がない。あれは凶器だ。

 

「速水さんも大きい方が好きなんでしょ?」

 

「好きというか。目は行くけど、相手それぞれだからどうとも。もし鈴と付き合うことになったとしても今のままでおれは構わないと思う」

 

「やっぱ速水さんはあのバカと違って乙女心がわかってるわね」

 

「主夫だからね」

 

「関係ある? それ」

 

「さぁ?」

 

 取り敢えず喋る事でささくれた乙女の心は元気になったらしい。

 

 そしてクラス対抗戦当日。一年生の全生徒がアリーナに集まっていた。

 

 厚一は専用機持ちという事で特等席であるピットの中のモニターで観戦する事が許された。それは同じく専用機持ちのセシリアや、一夏に着いてきた箒もピットに入っていたが。

 

 厚一は一夏の側のピットではなく、鈴が待機してる方のピットに姿があった。

 

「あれ、速水さんじゃん。どうしたの? もしかして敵情視察?」

 

「まさか。ただ今日は恋する女の子の味方なんだ」

 

「ぷっ、似合わないセリフ」

 

「うん。自分で言ってみてそう思った」

 

「そっ。でもありがと。ここで一夏の奴をギャフンと言わせるところ見ててよ」

 

「うん。行ってらっしゃい、鈴」

 

 タッチを交わしてISを纏って飛んで行く鈴の背中を、その勝利を信じて見送った。

 

 1組の厚一が2組の鈴を応援するのは裏切りなのだが、それでも個人的に応援するくらいの自由はあってしかるべきだ。

 

「こちらにいらっしゃいましたのね。随分と探しましたわ」

 

「オルコットさん? どうかしたの」

 

「いいえ。あちらのピットに速水さんの姿が見られませんでしたので」

 

「そう。なんだか悪いことしちゃったね」

 

「構いませんわ。速水さんが何処に居ようともそれは速水さんの自由ですもの」

 

「うん。ありがとう」

 

 何処に居ても自由。

 

 何気ない言葉だったのかもしれない。だが、果たして自分に自由などあるのだろうか。

 

 IS学園という如何なる国の干渉も受けない場所であるからこうして自由に過ごせているのだろう。

 

 だが、この学園から一歩外に出た時は?

 

 そこには唯の速水厚一という無力な人間が居るだけだ。

 

 国が本気になれば一個人の人生など簡単に消せるのだ。

 

「…申し訳ありません。失言でしたわ」

 

「そんなことないよ。ごめんね」

 

 そんな事を考えてしまった厚一の内心を察したセシリアが謝罪するものの、そういう事を察せさせた自らの脇の甘さこそ過失であったと謝る。

 

「速水さんはこの試合をどう見ますか?」

 

「能力的には鈴が上だろうね。単純なISの搭乗時間に1年で代表候補生になった才能と実力。たぶん鈴は感覚でISを動かしてるタイプだ。それでもって近接戦闘型。属性が織斑君と丸被りだ。一撃必殺の刃も当たらなければどうってこともない」

 

「あれを捌いた方の意見は説得力がありますわね」

 

 実際捌けずに大ダメージを負って引き分けたセシリア。自分の身に触れさせなかった厚一。実感の籠った分析だった。

 

「オルコットさんはどう見るの?」

 

 先日の放課後に一夏と共に居る光景を目の当たりにしたので、少なからず一夏にも何かしらの指導をしているのではないかと厚一は見ていた。

 

「一応隠し玉は用意してありましてよ。ただあとはタイミングですが」

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)かな?」

 

「あら、わかっても種明かしが早くては面白味が欠けてしまいますわ」

 

「あはは。ごめん。でもそうなると5分ってところだね」

 

 瞬時加速と零落白夜の組み合わせはそれこそ国家代表時代の千冬と同じ組み合わせである。

 

 あとは使うタイミング次第で勝ちを拾える可能性はある。

 

 モニターでは既に一夏と鈴による試合が始まっていた。

 

 ブレードと青龍刀が激しくぶつかり合って火花を散らしていた。

 

「なかなかやるわね。反応速度は悪くないみたい」

 

「当たり前だ。剣の間合いで負けられるかよ」

 

「そういえばそうね。千冬さんと同じステージだもんね。でもチャンバラやるだけがISじゃないのよ!」

 

 幾度か打ち合い反応速度を計った鈴は次の行動に移った。

 

 鈴のISである甲龍(シェンロン)に搭載されている第三世代兵装――両肩の非固定部位から放つ衝撃砲が一夏の白式を吹き飛ばす。

 

「今のはジャブだからね」

 

「っ、なんだ今の…」

 

 一夏からすれば見えない何かにいきなり殴られて吹き飛ばされた気分だった。

 

「衝撃砲?」

 

「空間自体に圧力をかけて砲身を生成。余剰で生じる衝撃それ自体を砲弾として放つ。わたくしのブルー・ティアーズと同じく第三世代兵装ですわ」

 

「砲身どころか砲撃が見えない。クロスレンジじゃ相手にしたくないなぁ」

 

 とはいえ見えないのならば見えるようにする方法はある。

 

 そう考えている厚一の横顔を見るセシリアは既に鈴を攻略する方法を考えているのだろう。気が早いかもしれないが、それでも仮想敵としてイメージトレーニングをする事は大事なことだ。

 

 ISに乗る事で開花する才能。もし厚一が女であれば苦労する事もなく気楽なぽやっとスクールライフも送れたのだろうが。それはもしもの話。故に獲物を狩るような獰猛さの見え隠れする表情でモニターを観戦する厚一を痛々しくも思う。

 

 何せ、厚一は戦わなければ生き残れないのだから。生き残る為に戦わなければならないのだから。

 

 試合は鈴がクロスレンジでの衝撃砲を放つことで優勢に進み、一夏は劣勢に進んでいた。

 

 どうしても近づかなければ攻撃が出来ない一夏であるが、攻撃を受け止められ、そして受け流され、衝撃砲を撃ち込まれる。なんども攻めても最終的な運びはその様に反撃されてしまう。

 

 どう攻略すれば良いのかという物が一夏には思いつかなかった。タイミングを計ろうにも、零落白夜は諸刃の剣だ。相手のシールドエネルギーを直接切り、絶対防御を発動させ、シールドエネルギーを大幅に消耗させる代わりにその発動中は自らのシールドエネルギーも消費するのだ。

 

 故に使いどころが難しいが一撃必殺なのは間違いない。

 

 それで天下を姉は取ったのだ。

 

 同じ血が流れている自分が出来ないはずがない。千冬に比べて自分は遥かに劣っていても、条件は同じ。あとはその瞬間まで粘り続けて絶対に勝つという想いだけは負けない事だと一夏は考えていた。

 

「…一夏の空気が変わった。仕掛ける気だね」

 

「え?」

 

 鈴の攻略法を考えながらも、厚一は一夏の動きも見ていた。クラス代表決定戦で戦った時よりも格段に動きにキレがあった。そして瞬時加速を手に入れたのなら、タイミングさえ合えば試合をひっくり返せる可能性は充分にある。そして一夏の顔が変わったのを厚一は見逃さなかった。

 

 そして、仕掛けようとする一夏を制止する様にアリーナに大爆発と振動が響き渡った。

 

「なっ!?」

 

「なんですの!?」

 

 その光景とピットにまで響いた地響きに、セシリアと厚一は座っていた待機用のベンチから立ち上がった。

 

「織斑先生」

 

 緊急事態だと把握した厚一はすぐさま管制室の千冬に通信を入れた。今日のクラス代表選で監督として管制室に詰めているのは知っていた。

 

『此方でも把握している。侵入者だ、それとアリーナの遮断シールドが最大レベルで設定されてここは陸の孤島になった』

 

「加えて緊急用シャッターも降りてますね。これじゃあ逃げられない」

 

『そういう事だ。今現在上級生と教員で解除を試みているが時間が掛かる。制圧部隊の投入もまた然りだ』

 

「ピットはおっぴろげですけどね」

 

『なんだと?』

 

 厚一の言う通り、ピットは遮断シールドも緊急用シャッターも降りていない。ただし、アリーナの中に向かうのにはという条件が付いているが。

 

「中に入ってふたりを援護、回収。或いは制圧部隊突入までの時間稼ぎを提案します」

 

『ダメだ。最悪の場合援護に向かう側をも危険に晒す可能性も高い』

 

「とはいえ自分の方が織斑一夏よりも動けるのは確かです。さらに言えば白式は致命的に遅延戦闘には向いていません。それでは凰 鈴音も危険に晒すことになります。そうなれば日本の国際情勢的によろしくないのではありませんか?」

 

『速水、きさま…』

 

「速水さん…っ」

 

 厚一の言葉を聞いていた千冬とセシリアにはなにを考えているのか充分に理解できた。

 

 日本の立場を守り、更に有益な存在を守る為にも、無価値な自分を投入して制圧部隊到着までの捨て石にしろということなのだ。

 

『バカなことを言うな。お前もひとりの生徒だろうが』

 

「二兎を追う者は事を仕損じますよ?」

 

 既に厚一はラファール・リヴァイヴを展開し、機体を包む大型シールドまで展開している。

 

「待ってください! わたくしも共に」

 

「オルコットは待機。要救助者収容と同時に追撃者への警戒を厳に」

 

 ただ冷たく厚一はセシリアの言葉を遮り、瞬時始動(イグニッション・スタート)でアリーナに飛び出した。

 

 その背を直ぐに追いたかったセシリアであるが、足が床に貼りついたように動かなかったのだ。気づけば胸の前で組まれた手がカタカタと震えていたのだ。

 

 まるでいつもの厚一などはじめからどこにもいなかったかのように、能面の様な表情とどす黒い闇を携えた瞳に恐怖してしまったのだ。

 

 アリーナに入った厚一はすぐさま地表で空に向かってドカドカビームを連射している侵入者に向けて突進した。

 

 黒く、両腕が異様に太く、頭部も複眼カメラという異形のISに向かって。

 

「速水さん!?」

 

「え? なんで速水さんが居んの!?」

 

 謎のISに向けて一直線に向かって行くラファール・リヴァイヴ。それの操縦者が厚一だと表示されると直ぐに一夏と鈴のISに通信が入った。

 

『お二人とも、速水さんが時間を稼いでいる内にこちらのピットに逃げ込んでください!』

 

「な、セシリア!? 速水さんを置いて行けってのかよ!」

 

「…それしかないって事ね」

 

「鈴!?」

 

「よく考えなさい! あんたのエネルギーはほとんど残ってないんだから足手まといでしょうが」

 

「それでもエネルギーが無いわけじゃない!」

 

「そんな状態でどう戦おうっていうのよ!」

 

『言い争いをしている場合ではございませんでしてよ! ここは一度戻って態勢を立て直さなければなりませんわ』

 

「だからって速水さんだけ置いて退けるかっ」

 

 頑なに退こうとしない一夏に鈴は怒りが募っていた。

 

 正面からミドルレンジで次々と武装を展開して弾丸嵐を浴びせているものの、シールドバリア―を貫通できていないのか謎のISはビクともせずに厚一のラファールに向かってビームを浴びせている。

 

 その間にも視線がチラチラとこちらを向いているのをハイパーセンサーで確認している。

 

「ここは逃げんのよ! あたしたちが居るから速水さんも気になって集中して戦えてないのわかんないの!?」

 

「っ、くっ!!」

 

「あ、ちょっと待ちなさいってば一夏!!」

 

『織斑さん!?』

 

 鈴の制止を振り切って、一夏は厚一のもとに向かった。

 

 なんで同じ男で、同じ期間しかISに乗っていなくて、それでいて第二世代のISで戦っている厚一を置いて、どんなISでも一撃で斬り伏せられる自分が逃げなければならないのか。

 

 確かにシールドエネルギーは鈴との戦いで消耗している。そう長くは戦えないだろう。それでも戦えなくなる前に相手を力を合わせて倒せば良いはずだ。一夏はそう考えていた。

 

「うおおおおおっ!!」

 

「一夏!?」

 

 謎のISに切りかかる一夏だったが、間合いに入る前にISが気づき、その砲口を一夏の白式へと向けた。

 

 攻撃をギリギリで回避し、零落白夜を叩き込む。

 

 その為に加速した一夏の目の前に割って入る影があった。

 

「速水さん!?」

 

 ビームがISから放たれ、それを腕のシールドで受ける。

 

「っ…」

 

 そのまま厚一は一夏に目もくれずにISに向かって瞬時加速で間合いを詰めた。

 

 再びビームが放たれるが、それをまたシールドで受けるものの二発目には耐えられずに、腕の実体シールドが砕け散り、さらに直撃を受けたビームの爆発の中に厚一のラファールが消える。

 

「速水さん!!」

 

 叫ぶ一夏であったが、爆煙の中を肩のシールドをパージした厚一のラファールが突き抜けて行く。

 

「でええええええあああっ!!!!」

 

 そして砕け散ったシールドの内部に伏せられていたパイルバンカーを、ISへと突き刺し――。

 

「っ――!!」

 

 ISの巨大な腕が木端の様に厚一のラファールを撲り飛ばした。

 

 地面を転がり、アリーナの壁にぶつかって漸く止まるラファールは遠目から見ても火花を散らしていた。

 

「あっ…」

 

「一夏!!」

 

 ラファールを撲り飛ばしたISが、一夏の方へ向き直る。

 

 一夏の頭で再生される、撲り飛ばされるラファールの姿。そして壁に激突し、火花を散らす機体。

 

 自分より強くて、目標で、いつか戦って今度こそは勝つと決めていた男が、あっさりとやられた。

 

 その現実を、一夏は受け止められなかった。

 

 呆けている一夏の前に出る鈴だが、ビームの直撃を受けてどうなるのか想像はしたくなかった。明らかに競技用の威力ではない。それに当たれば絶対防御があるとはいえ、生きた心地はしないだろう。

 

「なにぼさっと突っ立ってるのよ!! はやく逃げなさいよっ」

 

「っぁ、ぇ、ぁ…」

 

 ショックで戦意が喪失するのはまだ良い。だが受け入れがたい現実に意識が受け止めきれずに身体が動きを止めてしまっているという最悪の状況だ。

 

「っ――!?」

 

 ロックオン警報。狙われている。わかっていても動けば一夏が危ない。

 

 青龍刀である双天牙月(そうてんがげつ)をクロスして盾にする事で少しはマシになる状況を作り出す。

 

 ビームが放たれる瞬間。ISが爆発し、よろけてその狙いがズレる。

 

 大型のロングレンジカノンを構えた厚一のラファールがISを撃ったのだ。

 

「鈴!!」

 

 厚一は一言叫んだ。その意図を理解して一夏を担ぎ上げて指定されたピットにまで飛ぶ。するとピットの射出口にも非常用のシャッターが降ろされた。

 

「そんな……」

 

 ISを展開して待機していたセシリアの呟きが静かに響いた。

 

「ちょ、なんで閉まっちゃうのよ!!」

 

「わたくしにもわかりませんわ!!」

 

 一夏を担ぎ込んだら戻ろうとしていた鈴と、せめてピットから援護射撃しようと思っていたセシリアもアリーナから締め出されてしまった。

 

「…速水さんは……」

 

 そうぼそりと呟いた一夏の言葉に、鈴とセシリアはアリーナを移すモニターを見た。

 

 そこにはビームの弾幕を回避し続ける厚一のラファールの姿が映し出されていた。

 

(ようやく、か…)

 

 これでどこに攻撃が飛ぶのか集中することが出来る。地面を蹴り、レーザーよりも速度は避けやすいビームを回避するものの、威力が高い証拠に内包する熱量の多さに機体の装甲が焦げて行く。それと同時にシールドエネルギーも減る。

 

「読まれてる…」

 

 此方の回避行動が読まれている。回避した先に厭らしくビームが飛んでくる。

 

 高速切替(ラピッド・スイッチ)で集中砲火を浴びせてもビクともしなかったが、さすがにパイルバンカーを撃ち込まれるのは困るのだろう。そう判断してどう近づくかタイミングを計るが。

 

「此方の呼吸も読まれてる…」

 

 行けると思った瞬間に踏み込もうとすると的確にビーム攻撃で邪魔される。

 

 間違いなく相手は此方のデータを持っている。いったいどこから漏れたのか。無人機が賢いAIを積んでいたとしても、蓄積データがなければこちらの動きにすべて的確に対処して来るわけがない。

 

「…違う。読めないパターンがある」

 

 此方は人間だ。その場で即座に動きを変える事も出来る。いくつかの回避パターンが読まれていないのを確認する。

 

「織斑先生の動きはダメだ。山田先生の動きも読まれてる…。でも」

 

 読まれていないのは鈴とセシリアの動きだ。

 

 それも先日セシリアとの訓練で見た動きは反応が鈍る。鈴の動きも少し反応が鈍い物の、対処が早いのはおそらくサンプリングは試合が始まってからされていた可能性があること。

 

 相手は学習型のAIで、此方が手数を見せれば見せる程に対処して来る。既にセシリアの動きにも対応し始めた。

 

 使える動きを掛け合わせても対処されるだろう。

 

 となると、今自分はここから自分だけの戦術で、しかも一発でキメてあのISを黙らせなければならないというのだ。

 

 ハードモードもいい加減にしろと言いたくなるが。

 

 やらなければ死ぬのだ。ならやるだけだ。

 

 いつだってそうだ。生きる為には戦わなければならない。でなければ待っているのは死だ。

 

 切り刻まれるのも、

 

 焼かれるのも、

 

 潰されるのも、

 

 折れるのも、

 

 すべて経験してきた。

 

 生きる為に――。

 

「おれの死はお前じゃない」

 

 地面を蹴ってアリーナを駆け抜ける。脚部駆動系にイエロー・アラート、無視――。

 

 右カスタム・ウィング破損、無視――。

 

 右腕装甲破損、無視――。

 

 リボルビング・ステーク、残弾6。予備弾倉2。

 

 不安と恐怖でいっぱいだった。

 

 いつお払い箱にされるのかという恐怖。

 

 いつ自分は連れていかれるのかという不安。

 

 だから生きる為に求めたのは、地位――。

 

 簡単には手を出せない様な功績。名誉。名声。何でもいい。

 

 あぁ、自分が酷く厭になる。

 

 平凡でいたかった。でも唯の平凡では本当に意味がない。

 

 非凡な才能を持つ凡人。

 

 そんな矛盾した存在が普通に生きていられるのか。

 

 ただ生きたいだけなのに。

 

 でも、やらなければならない。

 

 安らかに、穏やかに、不安もなく生きる為に。

 

 どんな権力でも叩き潰せる様な地位を、権力を。

 

 その時こそ、本当に生きる為の未来が保障される。

 

 だから男性IS操縦者というスタートはとても未来がある。

 

 だから、だから、だから――。

 

「お前を殺すのは僕だ――」

 

 今は生きる事だけを考えよう。

 

 近接ブレードを左手に装備し、懐に入り込んで刃を振り上げる。下からの切り上げだ。

 

 それによってISの体勢を崩す。

 

 パイルバンカーを突き刺す動作を見せると反応して身を逸らす。やはりこちらの動きを学習している。厄介なAIだが。

 

「食らって貰うっ」

 

 パイルバンカーを装備した右腕の内側に装備していたウィンチ・ユニットからワイヤーを射出してISの首に巻きつけると、ワイヤーを高速で巻き取り無理やりにその頭部へパイルバンカーが食い込む状況を作り出す。

 

「全弾もってけぇぇぇっ!!」

 

 一発撃ち放ち、体勢が崩れた所に機体を組みつかせて地面に押し倒すようにスラスターを噴かしながら再び頭部に二発目を放つ。

 

 その勢いで完全に地面に倒れたISに向けて続けて三発目を放つ。四発、五発、六発。

 

 動かなくなったISの胸部装甲を無理やり引き千切る。

 

 露わになった内部にスピードローターで装填したパイルバンカーを撃ち抜く。

 

 内装部品が一発ごとに弾け飛ぶ。

 

 また六発全弾撃ち込んだところで、ISコアを見つけ、それを手に取り引き摺りだす。

 

 すると今まで動かなかったISが急に暴れ出した。じたばたと、まるで大切な命が取られることを嫌がる生き物の様に。

 

 暴れる四肢を、こちらも両腕と両脚で抑えつけ、コアが配線に引かれて戻ろうとするのを口で噛みつく。

 

 口の中までISが守ってくれるかの保証などないが、それでも配線に噛みついて力尽くで引き出す。まるで心臓の血管の様に絡むコード類を引き千切り、ハイパーセンサーでISが完全停止したのを確認して。

 

 アリーナの地面に仰向けに寝転んだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「っ――ぐっ」

 

 また、悪夢を見た。

 

 それで飛び起きようとした所に身体の彼方此方が痛んだ。

 

「……知らない天井だ」

 

 そんなことを呟いて、自分に何が起こったのかを思い出す。

 

 侵入したISを単独で迎撃した。

 

 結果的に倒せたとはいえ、命令無視に無断でのISの使用だ。

 

 緊急時の対応事項に当て嵌まるとはいえ、さすがに教員の指示を無視したのは始末書ものだろう。

 

「それでも……生きてる」

 

 右腕を伸ばせば包帯が巻かれていた。痛みから火傷の類だと見当がついた。

 

 クラス対抗戦から三日が経っていた。そこまでの深い傷だったのだろうか。

 

 身体を起こすと医務室の先生がびっくりした様子で検診を始め、どこかに連絡した。

 

 すると数分して千冬がやって来た。

 

「気分はどうだ?」

 

「…どうでしょうね」

 

「そうか」

 

 そのまま頭部に重い拳を頂いた。

 

「っ˝、お˝お˝お˝お˝っっっ」

 

 あまりの痛さに今まで出したこともない呻き声を出せてしまった。

 

「教師の指示を聞かんからだ馬鹿者」

 

「あ、あははは」

 

「笑って誤魔化すな」

 

 頬を掻いて誤魔化していると、パタパタと忙しく走るような音が聞こえてくる。そしてガラッと医務室のドアが開かれ――。

 

「速水さん!!」

 

 スッと身体を退けた千冬の影から飛び出してきた凶器に呼吸器官が塞がれてしまう。

 

「よかったぁぁぁ、よかったですよぉぉぉっ。とおおおっっっても、心配したんですからあああっっ」

 

 声からして涙でぐしゃぐしゃなのだろう真耶の姿を簡単に想像出来る厚一であるが、さすがに口まで塞がっているとどうにも出来ないので、頭を抱きしめている真耶の腕をタップする。

 

「ぷはっ。はぁ、…。おはようございます、山田先生」

 

「はい。おはようございます、速水さん。って、そうじゃないですよ! いったいどれだけ心配して気が気でなかったか――」

 

 そのまま30分程説教をされた。気づいたら千冬はいなくなっていた。

 

「――というわけですから、次からはあんな無茶はしてはいけませんっ。いいですね?」

 

「はい…」

 

 泣きながら説教されるという忙しくも心に響く言葉にダメージを受けながらどうにか返事を返せた厚一の鼻孔を、ふわりと軟らかい香りが包んだ。

 

「本当に、よかった…」

 

 それが真耶に抱きしめられている事を理解するのに2秒の時間を要した。

 

「ごめんなさい」

 

 だから心配させた真耶に謝る事しか厚一には出来なかった。

 

「それは私よりも、心配させて待たせたクラスのみんなに言ってください」

 

「はい…っ」

 

 目元を腫らしながら笑顔を作る真耶に、厚一も笑顔を作って答える。

 

 大きなケガは右腕の火傷であるらしく、その他にもISに殴られた胸に青あざが出来てしまっているという事だった。さらしみたいに包帯が巻いてあったのはそういう事だったのかと納得する。

 

 一応立って歩く分には問題ないので、腕の保護を兼ねて右腕は暫くは吊り下げて生活する事になりそうである。骨折したわけでもないのに大げさなのだが、擦れると痛いので確かに庇うのに気を使うよりもわかりやすい処置だった。

 

 なんでも肉が焦げてISのパーツに貼り着いていて外すのに苦労したのだとか。

 

 一応ダメな部分は切除して人工皮膚を移植されたという事だった。消えない傷になるそうだが、元々腕を出すようなファッションは好まない質なのでひと肌に晒すこともないだろう。

 

 真耶に付き添われて、教室に向かった厚一は休み時間になったと同時に教室のドアを開けた。

 

 そうすると教室中の注目を浴びる事になる。

 

「…た、ただいま」

 

 沈黙が流れ、最初に反応したのは一夏だった。

 

 ゆらりと席を立ち、うつむき加減で厚一に近寄ると、ガバッと抱きしめられた。

 

 正直腕がこすれる上に胸が圧迫されて悲鳴を上げたい程に痛かったのだが。

 

「っ、っぅっ、よかった、…よかったっ」

 

 自分の周りの人間はいつから涙脆くなったのだろうかと思いながら、左腕を背中に回しながら、後頭部を撫でる様に抱きしめてやる。

 

「ケガはない?」

 

「っ、けがをしているのは、どっちですかぁぁ」

 

「うん。でも、織斑君が無事ならよかった」

 

「ほんとうに、もうすこしじぶんのしんぱいをしてくださいよぉっ」

 

「うん。大丈夫、生きてるから」

 

「そうじゃないでしょぉ…っ」

 

 肩に顔を埋めて泣いている一夏の頭を撫でながら、そのまま泣き止むまで待つものの、次の授業の予鈴で肩をビクつかせて跳ねた一夏が今度もガバッと身体を離した。

 

「っ、本当に、すみませんでしたっ」

 

 そして綺麗に90度の角度を描いて頭を下げてきた。

 

「責任取って看病しますから、なんでも言ってください!!」

 

「あ、うん。ありがとう」

 

 左手を両手で握りしめられて、ズイっと顔を近づけられてそんなことを言われた。

 

 いつ織斑弟√なんて開拓したのだろうかと、厚一は首を傾げそうになった。

 

 そして特別措置として、厚一の席は教室の中央から最前列の一夏の隣になって、机もくっつけるという事にまで発展するものの、ものの一時限で一夏は勉学方面では役に立たないことが露呈し、結局はセシリアの隣に移動する事になった。

 

「腕の方はよろしいのですか?」

 

「うん。火傷だからね」

 

「そうですか。そして、申し訳ございませんでした。あの時無理にでもわたくしも随伴していればこのような事には」

 

「あの時待っててって言ったのはおれだもの。オルコットさんは悪くないよ」

 

「ですが…」

 

 この三日間。セシリアも気が気ではなかった。表面的にはいつも通りだったが。それは演じていた事で、本国での外行の仮面を被っていた事でどうにか平静を保てていた。

 

 しかし一夏は酷いものだった。心ここにあらずというという程に半分生ける屍だった。

 

 自分が意固地になっていう事を聞かなかった所為で厚一がケガを負ったと思い込んでしまい、周りがどう励ましても反応が薄かった。

 

 それが厚一が戻ってくるとウソの様に元気になった。

 

 だが現金なのは自分もそうだとセシリアは思っていた。

 

「本当に、心配いたしましたわ」

 

「うん。ごめんね、オルコットさん」

 

 いつも通りに笑顔を浮かべながら謝る厚一。右手が自由ならば頬でも掻いていただろう。

 

「織斑さんではありませんが、わたくしに出来る事がございましたらなんでも申してくださいまし。オルコット家の誇りに懸けて遂行させていただきますわ」

 

「あはは。ありがとう、オルコットさん」

 

 そして笑って、軟らかく温かい笑みを浮かべてくれる厚一の存在が何よりも心を満たしてくれる感覚をセシリアは味わっていた。

 

 昼休みになって、今度は嵐のような少女が噂を聞きつけて1組にやって来た。

 

「速水さん帰って来たって!?」

 

 ばたばたばたと厚一の席にまで駆けて来て本人を目の前にしてペタペタと身体中を触って満足したのか、ホッと息を着いた鈴。

 

「取り敢えず無事そうで安心したわ」

 

「うん。心配かけてごめんね、鈴」

 

「まったくよ。一夏をボッシュートしたら戻るはずだったのにシャッター降りちゃうし、結局アリーナ出れたの夜よ夜! それも深夜! ホントもうまいっちゃったわよっ」

 

「それは災難だったね」

 

「だから無事に帰って来てくれて良かったってことよ」

 

「うん。ただいま」

 

 タッチを交わして、そのまま昼食に食堂へ向かう事になった。メンバーは一夏、箒、セシリア、鈴、そして厚一といういつもの顔ぶれだった。

 

 慣れない左利きに悪戦苦闘する厚一に一夏が昼食のドリアを食べさせたり、食器の片付けにはセシリアが動いたり、鈴は世間話に乗せてこの3日間の状況を厚一に伝えたりした。そんな中でひとりだけ箒だけは居心地が悪そうにしていた。

 

 それも仕方がない。箒は一夏の付き添いであって、厚一との絡みはそこまであるわけではないのだから。

 

 しかも今回厚一が大けがを負った理由はISなのだ。箒にとって身内の作った機械で他人が傷ついた事に等しいのだ。そんな負い目から端の方で遠慮していたのだが。

 

「篠ノ之さんも、お見舞い来てくれてありがとう」

 

「いや。私はただ、付き添いで」

 

 厚一がケガを負って手術を終えた次の日に面会自体は可能だった為に、休み時間や放課後も厚一の見舞いに当てた一夏に付き添いで箒も医務室を訪れていたのだ。

 

 その時に、事の重さと現実味を感じてしまって、厚一の顔がまともに見れなかったのだが、話しかけられれば相手の顔を見ないわけにはいかないというのは箒の性分だった。

 

 そこには朗らかに笑う厚一の笑顔があった。

 

 あんなことがあったのに何故笑っていられるんだと。問うことが出来るのならば問いたかったが、そんな空気ではなかった為、箒は言葉を呑み込んだ。

 

 放課後。

 

 厚一の姿は整備科にあった。例のISとの戦いで損傷したラファールの修理を依頼する為である。

 

 整備科では学園の管理している訓練機を教材にして実習をしているのだが、厚一のラファールは教員カスタム仕様とはいえ基本構造は同じなので、修理はそこでされることになったのだ。

 

 ちなみに寝ている間に修理に出されなかった理由としては、ISは操縦者の生命維持を第一として機能に組み込まれているために、そこらの計器よりも正確にバイタルチェックが出来る上に、容態が急変する様な場合でも搭乗者の健康を維持するからだ。その辺りは元々宇宙空間という過酷な環境で活動する為に開発されたために便利な機能として使われ続けている物だった。

 

 そして厚一も退院し、漸く修理が出来るという事だった。

 

 さすがに個人レベルで修理できるレベルではない為、更には派手にぶっ壊したという事もあって良い教材になるというのは千冬の言葉だった。

 

 というわけでボロボロになったラファールを改めて前にしてしょんぼりする厚一を上級生になる女子たちが元気づけながら、折角なので修理風景を見せて欲しいと頼み込まれ、俄然やる気になった彼女らの作業効率はいつもより3割ほど向上したとかなんとか。

 

 とはいえ放課後の短い時間で直ぐに修理できる損傷ではないので、数日は預けなければならないことを言われて物寂しくなるものの大切な相棒を綺麗にお色直しする為だとグッとこらえた。

 

 そうして整備科という普段なら立ち寄る機会もまだないので見学している時だった。

 

 薄暗い部屋で手元のディスプレイの灯りだけで何やら作業している女の子を発見した。

 

「こんばんわ」

 

「っ、ひゃ、っひゃい!?」

 

 いきなり声を掛けたからだろう。女の子はびっくりして厚一を振り向いた。

 

「あ、ごめんね。驚かせちゃったね」

 

「あ、いえ。…速水、厚一、さん?」

 

「う、うん。そうだけど」

 

 知らない女の子に名乗る前から名前を知られているという未だに慣れない事に、生返事になってしまう庶民の辛さであった。

 

 ただ、女の子の見た目のイメージがどこかで見たような印象を蘇らせた。

 

「なにか、用ですか?」

 

「えっと、暗い所で何してるのかなぁって。それに目が悪くなっちゃうよ?」

 

「これくらいの光源があれば平気です」

 

「そう? なら良いんだけど」

 

 どうもあまり歓迎されていないような様子だったので立ち去ろうと思ったものの、暗がりに慣れた厚一の目に映ったのは、ハンガーに固定されたISだった。

 

「IS? 見たことない機体だけど。もしかして専用機?」

 

「…ええ。打鉄弐式っていいます」

 

「打鉄の後継機かぁ。なんかカッコいいね」

 

 そう厚一が言うと照明が点いて打鉄弐式の全容が露わになった。

 

「色は打鉄と同じなんだ。背中の非固定部位のあれってミサイルポッド? 6基8門の48? うわぁ、火力凄そう」

 

「でも、未完成…です、から」

 

「未完成? なのになんでここに…」

 

「……もう、良いですか?」

 

「あ、うん。ありがとう、見せてくれて」

 

「いえ…」

 

 とはいえこれ以上は邪魔かと思って、厚一は踵を返した。

 

「あ、あの!」

 

「ん?」

 

「私、4組の更識(さらしき) (かんざし)、です」

 

「1年1組速水厚一です。よろしくね、更識さん」

 

「…苗字では、呼ばれたくないので。名前で呼んでください」

 

「うん。わかった。じゃあまたね、簪さん」

 

 自己紹介をして、いつもの様に笑顔を浮かべてから整備科をあとにした厚一。

 

 そして更識と聞いて生徒会長の楯無を思い出したものの、帰る所に質問に戻るのも気恥ずかしかったのでまた今度でいいかと判断して寮に戻るのだった。

 

 

 

 

 



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日本の代表候補生篇

今回は短め。

この作品にヒロインは一人だけだから迷わずに突き進められる。

愛と、勇気と、友情はある。でも恋はたぶん無い。


 

 片腕生活という物は厚一にとって未知の物で、移植した人工皮膚が癒着するまでの間は激しく動かすことも出来ないので訓練自体もすることが出来なかった。

 

 その時間を代わりにラファール・リヴァイヴの修理に当てることが出来た。

 

「ソフトウェアが未完成ってこと?」

 

「はい。ハード面は9割程どうにか完成しているんですけど、一度も動かしたことがないこの子は何も知らない状態で、稼働データすらないんです」

 

 放課後のラファールの修理時間を終えた後の厚一は毎日ひとりで打鉄弐式を弄っている簪のもとを訪ねていた。

 

 最初は見ているだけの関係だったものの、数日通っていると話もするようになった。

 

 簪の打鉄弐式。

 

 日本の代表候補生である彼女の為の専用機で、現在の日本の量産型IS打鉄の後継機でもある。

 

 だが開発委託を受けていた倉持技研が一夏の白式のデータ収集や解析に人手を取られてしまい開発計画が事実上の凍結になってしまったという事だった。

 

 第三世代として開発が進んでいたものの、政府からの依頼と一夏の特異性。どちらが利益があるのか計られて切り捨てられたという事だ。

 

 今はIS学園機体開発計画の先駆けとして簪が引き取り細々と開発を行っている状態だった。

 

「でもそれなら学園の優秀な人とか手伝ってくれると思うんだけど」

 

「…いいんです。私が、自分で仕上げたいって、我が儘を言っているんです」

 

 その言葉に並々ならぬ決意めいたものを感じて、厚一はその手の話題は避けようと決める。

 

 しかしそれも良くない傾向であるとも分析していた。自分一人でやらなければならないという強迫観念に近い何かが簪にはあるようなのだ。

 

 他者を遠ざける傾向があり、人を寄せ付けない雰囲気さえある。厚一がこうして話せているのもファーストアタックで図らずも打鉄弐式に興味を示し、その外見から武装を言い当てたからという所が大きかった。

 

 メカ好きな所と、幾度もの戦闘映像での厚一の動き方から簪が話題を振ったのは機動戦士の量産型特務仕様機がビットによるオールレンジ攻撃を切り抜けた部分の話題や、そもそもの戦闘スタイルとして第二世代で扱いにくい物の、威力は折り紙付きのパイルバンカーを撃ち込みに行く光景。さらには機体を包むように展開されているシールドの配置に関しては機動戦士の海賊機体がモデルなのではないのかという話に発展し、互いに同志であることを確認したことから会話が成立する関係になったという事だ。

 

 ちなみに簪は勧善懲悪もののアニメが好みだという事だ。

 

 厚一はその辺りは見境が無いのだが、そのお陰で簪の話題には大体ついて行くことが出来る。

 

 やはり好きな趣味の事になると饒舌になるのは誰でも言えることで、その手の話題を話す時の簪は言葉が止まる事が無い。それも普段では話せる相手が居ない事での反動だろう。

 

「でもそれなら実際に動かしてデータを取って行けばいんじゃないかな? データ取りなら手伝うよ」

 

「そうですね。…そう、しましょうか」

 

「じゃあ、明日の放課後なんてどうかな?」

 

「はい。わかりました」

 

 人に見られたくないという事ならば、真耶に事情を話せば第二アリーナを使わせてもらえるかもしれないし。その分ラファールの修理に立ち会えないのではあるが、私情よりも優先するべき事であると決め、内心で相棒に謝罪した。

 

「どうして、速水さんはそう親身になってくれるんですか?」

 

「それはほら、頑張ってる女の子が居るんだもん。応援してあげたくなるでしょ?」

 

「やっぱりそういう感覚なんですか?」

 

 いつもの様に笑顔で言う厚一に、疑うような視線を向けて簪は返すものの、それには特に何も思わずに、本心を口にする。

 

「というのもあるけど、友達の事だもん。友達を助けたいって思う事はいけない事かな?」

 

「……いいえ」

 

 26歳と16歳という歳の差男女で友情が生まれるのかと言われたら疑問なのだが、それでも厚一はセシリアや鈴、簪の事をそう思っている。

 

 頼りになるしっかり者のお嬢様。勝ち気であるが甘えっ子。そして素直になれない内気な女の子。

 

 そんな友人が出来たことに感謝したかった。

 

 だから大人の身勝手な理由で苦労している女の子の背中を支えてあげたいと思ったのだ。

 

 片付けをして整備科から簪と並んで帰るのもここ最近の厚一の帰宅コースだった。

 

 明日の放課後にまた会う約束をして簪と別れる。

 

 そして自室に戻ってしばらくすると訪ね人がやって来る。

 

「こんばんわー、速水さん」

 

「いらっしゃい、鈴」

 

 沸騰したお湯で急須と湯呑を温めていると、ラフな格好をした鈴がやって来た。

 

 整備科に居ても帰りは訓練時と同じ6時には部屋に居る為、それを見計らって鈴がやって来るのだ。

 

 セシリアから貰った紅茶が美味しかったことを伝えると茶葉がなくなりそうなタイミングで新しいのをくれるので紅茶が切れる事はないのだが、少し申し訳なく思いながらも受け取り、その代わりセシリアの望むお願いを時々聞いているのだ。

 

 イギリスの代表候補生で貴族でもあるセシリア。IS学園に通うために日本語も勉強しているが、漢字の読み書きに関してはまだ弱い部分があるらしく、そういう部分で役立てるのは嬉しかった。

 

「お邪魔致しますわ、速水さん」

 

「いらっしゃい、オルコットさん」

 

 そして今日は丁度茶葉が切れそうなタイミングだったのでセシリアも態々部屋まで茶葉を持ってきてくれたのだった。

 

「んげっ。今日はセシリアが来る日だったかぁ」

 

 厚一の膝の上に座って凭れ掛かっていた鈴が露骨に邪魔された事に顔を顰める。

 

「あらあら。お下品ですわよ、鈴さん」

 

 普段から厚一の隣には大体セシリアが居る。

 

 ケガを負ってからは左手という利き手ではない方の手しか使えないために、ノートが取れない厚一の分までノートを用意して放課後前には内容を纏めて持ってきてくれる彼女には一生頭が上がりそうにないと思う。

 

 そしてなんだかんだでほぼ毎日厚一の部屋に入り浸っている鈴。

 

 その日に2組で起こった事や、更にはまた一夏が一夏がと、色々と報告して来る姿は妹が居たらこんな感じなのだろうかと思う程だった。

 

 そういうわけでタイミングが被れば厚一の部屋で鉢合わせはするし、厚一からして世話を焼こうとする一夏の所に鈴がやって来るので普段からこのふたりは顔を合わせるのだ。

 

 3人分の湯呑を用意して、紅茶を淹れると、セシリアがキッチンにやって来てお盆に乗せた湯呑を運んでくれる。配膳関係に関してはすべてセシリアが先んじて行動する為に暗黙の了解の様になっていた。

 

「ありがとう、オルコットさん」

 

「これくらいの事ならば構いませんわ」

 

「ねー、速水さん。これ開けても良い?」

 

「そうだね。持ってきて貰えるかな?」

 

「はーい」

 

 キッチンの収納棚を漁っていた鈴がクッキーを見つけたのでそれを持ってきてもらう。茶菓子にしたら甘いだろうし、高級感のある紅茶に申し訳ないかもしれないが、厚一は悲しき庶民の舌なのでどちらも美味しく楽しむだけだった。

 

「それで、ラファールはいつくらいに修理終わりそうなの?」

 

「今週末か来週かな。結構ボロボロにしちゃったから」

 

「寧ろあの程度で済んだことの方が幸運ですわ」

 

 ラファールのダメージランクはD判定。中破ではあるがほぼ大破というありさまだった。

 

 装甲はすべて交換。内装系も交換が多く、先輩女子たちでもこんなに壊れた機体を修理するのは初めてだと言われたほどだった。中には新造したほうが安上がりなのではないかという意見もあったのだが。

 

 それでもあのラファールだけは直してあげたかったのだ。

 

 自分の無茶に付き合わせてしまった相棒が自分の所為で廃棄されるのは後味が悪い。だからどうにか直してほしいと頭まで下げるくらいに愛着が湧いていた。

 

 それこそ最初は真耶の気遣いから生まれた出逢いで、一時的な相棒になるはずだったのかもしれない。

 

 でも、学園側の配慮とはいえこの2ヶ月肌身離さず身に着け毎日身を預けた翼に愛着を持つなと言うのは無理な話だった。

 

「しかし。結局あのISを送り込んだ相手もわからず、調べようにも箝口令が出されてしまっては下手に手を出すことも出来ませんね」

 

「それで良いんじゃない? また同じことが起これば今度はあたしがぶっ飛ばしてやるわよっ」

 

 余程戦えなかった事が悔しいのだろうか、手のひらと拳を打ち合わせる鈴に、厚一は苦笑いを浮かべながら口を開いた。

 

「でもひとりじゃ危ないと思ったらちゃんと逃げてね?」

 

「速水さんが言えるセリフじゃないでしょ」

 

「まったくですわ」

 

「あれれ?」

 

 そんなこんなでお茶会は一時終了し、夕食の為に食堂に向かう。

 

「あ、速水さん!」

 

 すると今度は一夏がやって来る。一応7時半には食堂に来るようにしているので、最近ではそれを知った一夏が時間を合わせて10分前には厚一を待っている光景が目撃された。

 

 まるでご主人様を見つけた犬みたいだと言われていることを一夏は知らない。

 

「や、織斑君。先に食べてて良いのに」

 

「いいえ。速水さんの食事が大事ですからっ」

 

 そして食事を食べさせるのがいつの間にか一夏の仕事になっていた。その隣で控えている箒に申し訳なく思いながら笑いかけると、それに気づいた箒も会釈する。なんとも絶妙なバランスで保たれている光景だった。

 

 翌日。

 

 やはりひとりでは眠れない厚一はシャワーを浴びて、腕の包帯を取り換える。元々の皮膚と人工皮膚の境目がむず痒いが我慢して、薬を塗り、ガーゼを当てて包帯を巻き直す。

 

 首から吊るす作業にも慣れた。癒着部分がずれない様に今月はこのままの恰好が暫く続きそうなのが少し不自由だった。周りの手を借りっぱなしの上に、そうでなくてもISの訓練も出来ないのだ。

 

 メイクにも倍の時間が掛かってしまうのもいただけない。だがこれをしておかないと不眠症で出来ている隈が誤魔化せないのでやらないわけにもいかないのだ。

 

 その気になれば寝れるのだが、その時は決まって悪い夢を見る。

 

 情けない話だが、この歳にもなって未だに母親に添い寝をされていたのだ。

 

 人肌の温かさという物が悪い夢を見ない為に必要だった。

 

 千冬との同居時は布団がひとつしかないのと数日間と言うだけもあって背中合わせで寝ていたので悪い夢を見る事もなくぐっすり眠ることが出来たのである。

 

 それでも流石に心に負荷が掛かり過ぎていると人肌があっても眠れなかったりするのだが。

 

 少し早めに食堂に向かい、真耶を捕まえた厚一は第二アリーナの使用許可を貰いに行った。理由も説明すれば真耶は快諾してくれた。それと教員用の打鉄を一機使用する許可も貰った。さすがにケガ人である厚一をISに乗せる事に難色を示されたものの、ISに乗っていればケガが酷くなることはないという事を押し通して説き伏せた。

 

 そして放課後。先に整備科に赴いた厚一は事情を今日は立ち会えないという断りを入れて、打鉄弐式の前で簪を待った。

 

「お、お待たせしました…っ」

 

「ううん。今来た所だから」

 

 そんな事をやって来た簪に告げながら、第二アリーナの使用許可が下りたことを告げ、打鉄弐式をアリーナに搬入し、フォーマットとフィッティングを済ませた簪の前に、打鉄を纏った厚一が現れたのだった。

 

「は、速水さん、それ…」

 

「ここって教員用のISの格納庫もあるからね。借りてきたんだ。データを取るなら相手が要るでしょ?」

 

 右腕にもアーマーは装着しているが、機能ロックして動かないようにしているため負担は最小限だ。

 

「そこまでしてもらう資格なんて、私には」

 

「資格とか関係ないよ。友達なんだから遠慮しなくていいんだからさ」

 

 そう言って厚一は、真耶が自分にしてくれたようにPICで浮きながら簪の打鉄弐型の手を取った。

 

「じゃあ、先ず浮くところから始めようか」

 

「はい…っ」 

 

 ISの稼働データの取り方は真耶から聞いている。ほとんど自分が初日に真耶にやって貰った通りの事だった。

 

 真っ新な状態のISは巣から飛び立つ雛を導く様に飛び方を教えていく作業になるのだとか。

 

 他のISの稼働データを使えなくもないのだが、専用機ともなると一から機体に教えてデータを蓄積する方が搭乗者の思う様に動かせる様になるのだとか。

 

 だから手を引きながらアリーナの中央まで先導して、上昇と下降移動から始める。動くだけなら基本的な動作機動で充分なので数日あればデータは集まるだろうという事だった。さすがに戦闘ともなると数を熟さないとならないらしい。

 

 ISと搭乗者はパートナーの様な関係だと授業で言っていた真耶の言葉を厚一は身をもって実感していた。

 

 打鉄は日本の第二世代量産型ISで、初心者にも優しい操作性が売りでもある機体なのであるが。

 

 ラファールの様に機体を動かそうとすると反応がすこぶる鈍いのだ。それを踏まえて動けばいいのだが、例えばラファールなら動こうと思って1拍の間があってから機体が動く感覚ならば打鉄はその倍の反応速度に差が出る。

 

 ゆっくり動く分には問題はないのだが、とてもではないが高速機動をする勇気はなかった。

 

「…本当にIS適正Dなんですか?」

 

「うん? うん。そうだけど」

 

 打鉄弐型に稼働データを蓄積させながら、厚一の動きを見ていた簪はとてもではないが信じられなかった。

 

 IS適正はそのままISの反応速度に影響して来る。

 

 専用機持ちの最も多い適性Aランクで、一秒に10個の命令をISに行えるとしたら、厚一の場合は同じ一秒に命令できるのはどう頑張っても4個程度の命令が限界の適正だった。

 

 歩いたり動いたりという単純な命令ならば大丈夫でも、空を飛ぶとなると処理する情報や命令する場面は飛躍的に増大し、高速機動戦闘ともなれば更に命令は増える。

 

 厚一が綺麗に曲がれないのも、綺麗に曲がる為の命令の数を行えないからだ。

 

 だがそれを厚一は命令できないなら出来ないなりに、命令できる部分だけで機体を動かし、更には命令の先行入力という形で処理していた。

 

 それは相手がどう動くのかという未来予測。更に命令処理後に自分がどうあるのかという未来予測。かなりの計算を必要とする物だった。

 

 厚一の纏う打鉄はそういった命令に慣れていない為に戸惑ってしまい機体の動きが悪いのだ。しかしそれを踏まえて最適化し、見た目には直ぐに滑らかに動く様になっていた。

 

 そんなことをしていると知らない簪からすれば、D適正でA適正の代表候補生並のマニューバーを出来てしまえる光景が信じられなかったのだ。

 

 それでも未だに高速戦闘時における命中率は5割に届くかどうかだった。それは速ければ速い相手に追いつこうと機動側に命令のリソースを割くために、照準補正の命令にまでは比重を寄せることが出来ないからだ。

 

 被弾覚悟であれば、直線的な軌道になる代わりに命中率は高くなるのだが。ままならず自分を指導してくれる真耶には毎度申し訳なさが込み上げる程だった。

 

 そういうわけで放課後を使って打鉄弐式の稼働データ取りは始まった。

 

 その日の夜。

 

 厚一の携帯電話の着信音が鳴り響いた。

 

 日本政府から支給されたもので、以前まで使っていたものは保安上の理由から取り上げられてしまったのだ。

 

 なんでもいいからどうして厚一がISを動かせたのかという理由を知る為だろう。それこそ私用のパソコンも持ち出せず、今使っているノートPCも政府からの支給品だった。それでも最高性能の物を用意する辺り少しでも印象を稼ごうという気が見えて来て萎えるのだが。それでもISに関しては一夏で充分なのだろう。特にこれと言った接触はされる事はなかった。

 

「もしもし」

 

『もしもし。元気でやってる?』

 

 聞こえてきたのは母の声だった。

 

「母さん!?」

 

『久し振り。って言う程でもないか』

 

 厚一の母親は、厚一がISを動かせることが判明した時に政府に保護されていた。今は要人保護プログラムに従い、厚一でさえどこに居るのかわからないのだ。

 

「いきなりどうしたの? 今どこに居るの? 元気なの?」

 

『それはこっちのセリフ。ちゃんと寝れてるの?』

 

「う…っ」

 

 厚一がひとりで眠れない事を知っているのは母親だけだ。さすがに26で添い寝をしてもらえないと眠れないという事を他人には言えない。

 

『こうちゃんなら可愛いし、彼女のふたりや3人くらい直ぐできるから心配ないと思ったんだけど』

 

「そこは普通ひとりとかじゃないの?」

 

 どうもこの母親も少し常識とはズレているので何とも言えなかった。

 

『そりゃ、お母さんの学生時代は恋人が21人居たもん』

 

「良く刺されなかったね、それ」

 

『いや、ひとり嫉妬深い子が居て何回か刺されたことある』

 

「刺されたの!?」

 

『あははは。でもみんな良い子達だから』

 

 そんな事は知らない。何しろ母親の知り合いには会ったことがないからだ。

 

「でも、もう速水としては生きられないんだよ?」

 

 要人保護プログラムによって母は名を変えて今は日本のどこかに居るのだろう。そして転々と日本中を根無し草の様に移動するのだ。

 

 速水厚一の母親という人間は、その記録の足取りを全て途切れさせることになったのだ。

 

 転勤とは訳が違う。

 

『それが世界の選択だから。厚一が幸せなら、それでいいの』

 

「母さん…」

 

 自分がISを動かさなければ、あの時母さんに勧められてISの適性検査など受けに行かなければ、母さんの人生は壊れる事にはならなかった。

 

『こうちゃん。あなたには幸せになる権利がちゃんとある。だから母さんの事は気にしないで、自分の人生を精一杯生きなさい』

 

「そんな権利、僕にあるのかな…」

 

『人は幸せになる為に生まれてくるんだもの。だから厚一にもちゃんとその権利がある。だから前を向いて、自分の事が許せないのなら、誰かの未来の為に頑張れる子になりなさい』

 

「誰かの未来の為に…」

 

 思い浮かんだのは簪だった。今、自分は彼女の未来の為に手を貸している。まるで見透かされている様な言葉だったものの、不思議と心に温かく響く言葉だった。

 

『それじゃあ、またね』

 

「うん。また…」

 

 電話が切れ、携帯を強く握りしめる。

 

 今更番号を確認してみるが公衆電話からの着信だった。

 

「母さん…」

 

 その日の厚一は携帯を胸に抱きながら布団に横になった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「彼がかんちゃんに接触した、か…」

 

 生徒会室でIS学園生徒会長にして簪の姉である楯無は厚一に関する報告書を読んでいた。

 

 他人とは分け隔てなく接する人間と評判な厚一だが、積極的に関わっているのは代表候補生ばかりというのは単なる偶然なのだろうか。

 

 イギリスの代表候補生のセシリア・オルコットは能力は高い物の貴族であること、そして若干男性を見下している部分があるはずだったのだが、それが今では見る影もなく厚一の傍に控える騎士(ナイト)の様な淑女っぷりを発揮している。

 

 中国の代表候補生の凰 鈴音に関しても、一夏の事が好きなのにも関わらずにある意味一夏に対する以上に自分を曝け出させている。一夏の居ない前ではダダ甘えの唯の女の子にまでなっている。

 

 元日本代表候補生だった山田真耶も、他人を傷つける事を恐れて日本代表の座を自ら手にしなかった人物がスパルタ教育を施すまでになっている。

 

 そのお陰もあってか、第二世代量産型ISであるラファール・リヴァイヴで正体不明のISを単独で撃破するほどの戦闘能力を発揮している。性能的には第三世代ISでも苦戦する程のスペックを有していたという謎の無人IS相手にである。

 

 そして今度は日本の代表候補生であり、楯無の妹の更識簪とも交流を持ち始めた。

 

 それこそ人を寄せ付けずに整備科の生徒にも全く見向きもしなかった簪が、出逢って1週間程の相手と楽しそうに話して、更には打鉄弐式の開発にも関わらせた。

 

 IS学園に入学して2か月でこの動きと人脈構築。

 

 末恐ろしすぎて接触を避けていたほどである。

 

「彼は本当に厄介だわ」

 

 織斑一夏が実直さの中にある固い信念で人を魅了する人間ならば、速水厚一はそのおおらかさと柔軟さと包容力で他人の心にいつの間にか自分を住まわせるという魅了よりも質の悪い人心掌握術の持ち主だ。しかもそれを天然で発揮しているのでなお質が悪い。

 

 それでも、それがわかっていても、速水厚一を逃がさない為の一つの楔として妹を利用しようと画策しているのだから嫌なものだ。

 

「…青の息子、ね」

 

 かつて10年前の、最初のIS学園の一期生。

 

 その中に居る女生徒が、速水厚一の母親だった。

 

 クラスの21人全員を虜にして、恋人にした女性。その能力は織斑千冬よりも優れていた。だが卒業後は行方をくらましていた存在。

 

 速水(はやみ) 舞一(まい)

 

 厚一と同じように朗らかな笑みを浮かべた青い髪の女性。

 

 人は彼女を青の速水と呼んだ。

 

 10年前ともあってその名を知る者は学園には居ない。いや、初めから学園には居なかった様に扱われる程になにも残ってはいないのだ。

 

 その頃のIS学園は学校というよりも研究施設の色が濃く、今とは違う空気を持ち、生徒の笑い声が聞こえてくるような女子校ではなかった。

 

 ようやく見つけた資料も写真も数少ない。何故なら一度施設の一角が吹き飛んでいるからだった。

 

 実験の失敗という事になっているそれが当時の資料や記録の悉くを吹き飛ばし、当時かなり日本の裏は荒れたらしい。更識もかなり苦労したというのを聞いている。

 

 そんな幻想の様な女性と、親子の厚一。

 

 …年齢が合わないのである。

 

 当時18歳の少女が、10年で28歳の女性が、どうやって26歳の息子をこさえるのだ。

 

 しかし政府はそこを気にしない。何故なら厚一には利用価値も宣伝効果もないとして、最低限の融通と、母親の身柄を保護という名の人質にして日本に縛り付けるのには充分だと判断しているからだ。

 

 速水厚一の世界は母親だけが隣人だった。

 

 家から出ずに過ごすような引き籠り。

 

 だがそんな引きこもりの男があのようなコミュニケーション能力を持ってるものなのか。

 

 他の経歴を調べてみたものの、学籍はあれども、速水厚一は小学校や中学校に通った人の記録がないのである。

 

 それ以上は更なる報告待ちではあるが、速水厚一が普通でないことは確かである。

 

 そして先の無人機相手に見せていた顔は、真っ当な人間の出来るようなそれではなかった。

 

 そんな経歴の持ち主の厚一を大切な妹に関わらせるのは言語道断であったのだが、それでも何年も笑っていない簪が、厚一の前では笑うのだ。

 

 更識としては監視し、必要ならば処分する。

 

 甘い姉として、更識の人間としての折を合わせられたのがそのラインだった。

 

「だからわたしを裏切らないでね、速水さん」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「うーん…」

 

 その日、厚一は首を傾げていた。

 

「やっぱりなくなってる」

 

 厚一の私物はすべて政府によって与えられている物だった。

 

 それこそ歯ブラシの一本から最新式デスクトップPCまで。

 

 初回生産限定盤のDVDボックスまで取り上げられた時はしょんぼりした。代わりに限定生産BDボックスを与えられたが、SEがまったく違うのでその辺りを抗議したら音沙汰は帰って来ないので結構御座なりである。

 

 故に衣服類も当然政府から与えられたものだ。

 

 なのですべて卸した時の記憶もつい最近。

 

 だが、足りないのである。

 

「靴下の数が、合わない…」

 

 どこかに忘れたのだろうかと思ってアリーナのロッカーや、寮のランドリーも見て回ったのだが、それでも目ぼしい場所には落ちていなかった。落とし物が無いか千冬に聞いてみても空振りだった。

 

 一応困るわけでもないのだが、特に忘れ物をした記憶はないので腑に落ちなかったのである。

 

 ラファールの修理が漸く終わる嬉しさから小さなことが気にならなかったという事もあった。

 

 その日も特に変わりはなく授業を終えて、昼休みの昼食でも一夏に食べさせられ、午後の授業を終えて放課後になる。

 

「そういえば今日でしたよね。ラファールの修理が終わるの」

 

「うん。だから今日からはラファールでのお手伝いになっちゃうんだけど」

 

「構いませんよ。慣れている機体の方が厚一さんも良いでしょう」

 

「簪ちゃんがそう言ってくれるのなら、そうさせて貰うよ」

 

 互いに名前で呼び合う程、厚一は簪とも親しくなっていた。アニメ好きの簪だったが、最近は特撮もイケる事を知った。厚一としてもこういったアニメや特撮などの話が出来る相手というのは貴重であった為に、両者の仲が縮まるのは物凄く早かった。

 

 ちなみに厚一が特に好きな特撮は高校生の電磁戦隊と燃えるレスキュー魂を持つスーパー戦隊や平成の一号ライダー、光の巨人の平成三部作である。光の巨人はその後の優しい心を持つ巨人も好きだったりする。

 

 厚一がラファール・リヴァイヴではなく打鉄に乗っていたのは簪の打鉄弐式に合わせての事だった。

 

 後継機であるのなら大本の機体の方が合わせるのには丁度いいのではないかと思ったからである。

 

「今日は荷電粒子砲の試験だよね?」

 

「はい。でも態々すみません」

 

「良いって。簪ちゃんはデータが取れるし、おれはエネルギー兵器が使える様になるんだから」

 

 打鉄弐式の武装はミサイルポッドの他に荷電粒子砲が搭載されているのだ。

 

 そのデータを取る為に、厚一は自前の荷電粒子砲を用意する計画を立案した。

 

 幸い設備は整っているIS学園。IS学園機体開発計画の為の実証評価試験の備品という事で認証され、荷電粒子砲が用意された。

 

 第二アリーナへ修理の終わったラファールを搬入し、久しぶりの相棒に身体を預ける。

 

「うん。やっぱりしっくりくるこの感じ」

 

 ハンガーロックを解除し、ピットに赴けば打鉄弐式を纏った簪が待っていた。

 

「お待たせ、簪ちゃん」

 

「いえ。それじゃあ今日もお願いします」

 

「うん」

 

 ラファールと共に搬入した荷電粒子砲を担ぐ厚一。

 

 荷電粒子砲といっても打鉄弐式のものより大掛かりで大型であった。威力は競技レベルでの使用限界ギリギリで撃てる代物で、リミッターを解除した時は目標を原子レベルで分解させる程の威力になるものだった。

 

 それ故に使用する時はエネルギーチャージを必要とし、機体のエネルギーをバカ食いするという欠点も抱えている。一応補助に空気中の静電気を取り込み、エネルギーに変換する事で機体のエネルギー消費を抑える設計にもなっている。

 

 例の無人機襲撃によって有事の際の一撃の火力が求められた結果である。

 

 とはいえ今回はそんな最大出力で撃ってはデータの基準にならないので、荷電粒子砲本体の動力のみでの低出力モードで射撃する。

 

 此方は威力が最低限である代わりに連射も出来る為、こちらを打鉄弐式のデータに使う予定である。

 

 厚一の立案で始めた稼働データ採取は初めの1週間で終わってしまった。そこは技術のある代表候補生である。更にメカに強い簪本人の力もあった。

 

 故に今は戦闘機動テストとその稼働データ採取の段階になっている。

 

「それじゃあ、始めるよ」

 

「はい!」

 

 互いに向かい合って動き出す。

 

 簪はミサイルポッドの山嵐(やまあらし)から大量のミサイルを放ってくる。

 

 其々が独自の機動を描く独立稼動型誘導ミサイルは避けるのに苦労する。実際厚一は打鉄で相手をした時はこれを使われると手も足も出ないのだ。

 

 これも第三世代兵装の一つで、マルチロックオン・システムによって6機×8門のミサイルポッドから最大48発の独立稼動型誘導ミサイルを発射するものだった。

 

 だがこの部分が一番の難関で、とても簪ひとりでどうにか出来る範疇を超えていた。何しろ日本が国力を注いで作っていた機能だったのだから。

 

 それをハイパーセンサーの網膜認証システムと火器管制システムを合わせ、さらにISには量子コンピューターが使われているのだからという理由で、個別にロックオンしたミサイルの誘導を全部機体側に処理を丸投げする形で一応の形を完成させた。

 

 考えたのは厚一だった。しかしとは言ってもその連動プログラムを組んだのは簪であったが。

 

「凄い……」

 

 ラファールを身に纏った厚一の動きは、打鉄を纏っていた時などとは比べ物にならない程の物だった。

 

 瞬時加速によってミサイルとの距離を開けたと思えばスプリットSで機体を捻って、機体を包むように大型のシールドを肩のアタッチメントに装備し、更に右腕にも大型のシールドを装備してミサイルの中を物ともせずに向かってきたのだ。

 

 ミドルレンジの距離に入って、背中に搭載された2門の連射型荷電粒子砲である春雷(しゅんらい)で迎撃するものの、荷電粒子が機体のシールドエネルギーに干渉するギリギリでバレルロールでの回避をして向かって来る。

 

 近接武器である対複合装甲用の超振動薙刀である夢現(ゆめうつつ)を抜き、振り下ろすが。

 

 そこの一撃はいつの間にか握られていた近接ブレードで防御された。超振動刃がブレードを切り裂く前に瞬間にハンドガンを撃たれる。

 

 至近距離で銃弾を浴びるのは一端不利だと間合いを開けた途端に今度は再び近接ブレードで切りかかって来て、受け止めようとするとハンドガンで撃たれる。

 

 斬り合っていたかと思えばいきなり銃に持ち替えての近接射撃、間合いを離せば剣に変更しての接近格闘。押しても引いてもダメージを簪は受けた。

 

 砂漠の逃げ水(ミラージュ・デ・デザート)と呼ばれる攻防安定した高等戦法のひとつである。

 

 高速切替によってブレードを持っていたのに次の瞬間には銃を握って撃っているという中々えげつないコンボも可能であるものの、厚一にとってはラファールでないと出来ない攻撃だった。

 

 そのまま簪は反撃するものの、鉄壁の防御と的確な攻撃と次々と切り替わる武器の応酬に対応しきれずに削り負けてしまった。

 

「ご、ごめんね。つい、熱くなっちゃって」

 

 途中からは稼働データ集めではなく普通に戦闘をしていた厚一は、両手を顔の前で合わせて拝み倒すように簪に謝罪した。

 

「いいえ、大丈夫ですよ。お陰でこの子も良い経験になったと思います」

 

 最近はISで戦う事をしていなかった所為で思ったよりも動けていなかった。それでも代表候補生でいられる程度には腕を落としていなかった自分が勝てなかった。それどころか後半はすっかり厚一にペースを握られ続けていた。

 

 それでも悔しいという前に、微笑ましいと簪は思ってしまった。

 

 まるで子供の様にキラキラした晴れやかな顔で向かって来る厚一に見惚れていたからだ。

 

 打鉄で戦っている時はいつも窮屈そうだった。基本的にそんなマイナスな顔を見せず、見せても苦笑いしかない厚一であるが、それは簪だから見る事の出来た顔だった。慣れたラファールと同じ動きが出来ないもどかしさが自然と出てしまっていたのだ。

 

 だから、ラファールで晴れやかな顔で向かって来る、それこそ同じ人間が操っているのかと思えるほどに別の動きになった厚一を見続けていたから最後まで戦ってしまったのだった。

 

「やっぱり厚一さんにはラファールが似合うみたいですね」

 

「うん。でも、この子だからかな。一緒に飛んでて楽しいんだ」

 

「楽しい? 戦う事がですか」

 

「ううん。一緒に飛んで、この子はおれに生きる為の翼をくれるんだ」

 

 それは少し悲しげで、でも嬉しさもある切ない笑顔だった。

 

「あれ?」

 

 そんな時、厚一のラファールが光に包まれたのだった。

 

「え? まさか…」

 

 光はラファールの姿を変えて行った。

 

 胸を包むロボットの様な装甲。

 

 カスタム・ウィングも背中の高さから腰程の高さにまで下がり、新たに肩に直接、ハードポイントとスラスターのある装甲が装着され、腕の装甲も肩から手首までをすっぽりと包み、頭のヘッドセットも耳を包み顎に沿って伸びたヘッドギアになった。後頭部まで包み、機械の耳が兎の様に後ろに向かって伸びた。更に角の様にもパーツが生えた。脚も装甲に殆ど包まれ、脹脛の部分にもハードポイントが増えていた。

 

 全身装甲という顔が露出していなければ普通にロボットに見えてしまう程にISとしては重装甲の機体に変化したのだった。

 

「一次移行したの!? 学校の訓練機は不特定多数の人が使うからフィッティングもパーソナライズも出来ない様になってるはずなのに」

 

「お前……」

 

 試しに飛んでみると、今まで感じていた重りがすべて無くなった様に思い通りに機体が動く。カーブも綺麗に曲がれるようになった。完全停止も思ったタイミングに止まる。

 

「そっか。そうなんだ…」

 

 今までは借り物で、でも今は、自分専用のISに生まれ変わったラファールに、厚一はただ胸の装甲を優しく撫でた。

 

 一度データ収集は中断し、真耶に連絡を取ってアリーナまで来てもらった。

 

「これは、見事に形が変わってしまってますね」

 

「あはは。どうしましょう」

 

 機体のシステムにアクセスしたところ、形状制御のリミッターがすべてオフになっていた。

 

 いくらなんでもこの部分を生徒には弄れない領域の技術の話であり、これを操作するにはメーカーにまで持っていかなければならないのだ。

 

 考えられるとすればIS側からリミッターがオフにされたというくらいである。

 

 ISの自己進化機能が機体のリミッターを超えた。

 

 そうとしか考えられなかった。

 

「こうなってしまってはおそらくこのラファールは速水さん専用のISとして正式登録されることになると思います」

 

「そうですか。良かった…」

 

 そう聞いて厚一はホッと胸を撫で下ろした。勝手に一次移行させてしまったので機体を取り上げられて初期化されてしまうのではないかと思ったからだった。

 

 しかしそうまでして一緒に飛んでくれるという相棒の存在が厚一には嬉しかったのだ。

 

「良かったですね、厚一さん」

 

「うん。驚かせてごめんね、簪ちゃん」

 

「別に良いですよ。珍しい物も見れましたから」

 

 ラファールが個人に合わせた変化の一例というのは目の前で滅多にみられるものじゃない。

 

 貴重な瞬間に立ち会えたことだけでも簪にとっては良い時間だった。

 

 そして次の日の翌日に、一次移行したラファールは厚一の専用機として認められることになった。

 

「まさかISまで口説き落としてしまうとは、さすがですわね。速水さん」

 

「うん。おれもこの子と飛び続けられるのは嬉しいよ」

 

 待機状態で今までは認識番号を刻まれたドッグタグだったのだが、指輪に変化したラファールを厚一は左手の人差し指にそれを嵌めた。というかそこにしか嵌められなかったのだった。

 

 右腕も私生活をする上では問題なくなってきたのでノートも自分で書ける様になったために席が元に戻るのかと思うと少し寂しい気分もあった。

 

 なお一夏の食事補助は朝食をひとりで食べる事が出来たので終了となった。その時物凄く寂しそうにしながら、何かあったらいつでも言ってくれと両手を握りしめながら言われた。

 

 その日のISの実技授業にも参加出来た厚一は皆の前で新生ラファールをお披露目する事になった。

 

「うわぁ、カッコいい。なにあれ、本当に元々ラファール・リヴァイヴだったの?」

 

「もはや別物というか、ロボットみたい」

 

「でも基本的な部分は変わってないからラファールだっていうのはわかるね」

 

 そんな感じで新生ラファールのウケは良かった。

 

 そんな今日は1組と4組の合同授業だったので、もちろん簪も専用機持ちとして参加していた。

 

「やっぱりみんなもカッコいいって思うんだ…」

 

 新しい厚一のラファールは一見すればリアルロボットに見えるデザインに変わった。特に搭乗者を守るように胸やお腹といった前面に露出は一切なく、腕も肩も太腿も装甲に覆われ、唯一の露出は顔とうなじだけという物だった。

 

 さらにそれによって増加した重量でも機動性が下がらない様に背中にもスラスターユニットが増設されている。元々あったカスタム・ウィングのメインブースターと合わせて20%の機動性が向上している程だった。

 

 色も深緑だった装甲が緑色になって少し明るい色の印象になった。

 

 別物の機体になった機体に、エスポワールと名付けた。

 

 ラファール・エスポワール――希望の風という意味を持たせた名前だった。

 

「今日はISでの連携行動を実践してもらう。織斑、オルコット、速水、更識。お前たちに先ず見本を見せて貰う」

 

「はい! 織斑先生」

 

「何だ更識」

 

 千冬が名を呼んだのは専用機持ちの名前だった。そして好都合に代表候補生2名と、素人2名という組み合わせに気付いた簪は手を上げた。

 

「私は厚一さんとペアを組ませて貰っても構わないでしょうか」

 

 その簪の言葉に二クラス分の視線が注がれた。内気な簪には少々キツイものだったが、メンバー構成を考えたらここで引くわけには行かないので気丈に腕を上げて千冬を見続けた。

 

「まぁ、良いだろう。速水、お前は更識と組め。オルコット、織斑とペアを組め」

 

「かしこまりましたわ」

 

「よろしくな、セシリア」

 

「ええ。ISでの連携という物をわたくしが織斑さんにご教授致しますわ」

 

「よろしくお願いします、厚一さん!」

 

「よろしくね、簪ちゃん」

 

「はいっ」

 

 其々がペアのもとに向かうのだが、厚一が簪の名前を呼んだことに更に周りの視線が向くが、千冬の目があるのでだれも己の中の言葉を口にする事は出来なかった。

 

 空に飛びあがる4機のIS。先頭は白式だった。

 

 漸く思う様に空が飛べるようになってきた一夏は、あとから向かって来る3人を見る。

 

 セシリアはすぐ後ろに居る。その少し後ろを簪の手を引いて厚一のラファールが続いていた。

 

 すると一気に加速して一夏を追い抜いた。

 

「うえっ!?」

 

「まさか同時に瞬時加速(イグニッション・ブースト)を…!?」

 

 その加速力は瞬時加速の物であることは、それを一番の武器にして磨いている一夏にもわかったのだが。

 

「驚くというか、余程互いを信頼していますのね。これは強敵ですわよ、織斑さん」

 

「ど、どういう意味だ?」

 

「一歩間違えれば衝突してしまう様な事を、相対速度を合わせ、そして同じ加速力で瞬時加速を使ったのです。互いの機体の性能を把握し、更に互いの呼吸を合わせ、そして互いを信じなければ成し得ないということですわ」

 

「いつの間にそんなことを。あの子4組だろ?」

 

「更識簪。日本の代表候補生の方ですわ。先程のやり取りの様に、交流は深そうですわね」

 

 そんな会話をしながら、厚一に合わせる代表候補生の簪が凄いのか、簪に合わせる厚一が凄いのか訳が分からなくなったものの。

 

「速水さん、やっぱスゲー」

 

 という感想しか一夏は出せなかった。

 

「見ましたか厚一さん、あの呆けた顔」

 

「あはは。あとで怒られないと良いけどなぁ」

 

 むろん同時に同速度での瞬時加速という一歩間違えれば衝突事故を起こす事をした自覚のある厚一は千冬の雷が落ちないか心配するが、簪の気持ちもわからなくもないのでとことん付き合う事は最初から決めていた。

 

 地表から数百メートルに達して停止すると、次の指示が来る。

 

『よし、それでは両ペアで模擬戦だ。一発当てたら降りてこい』

 

 という事なので後衛が一撃でも被弾したら負けというルールにして模擬戦を始める事となった。

 

「速水さん、私に前衛をやらせてください」

 

「いいよ。存分にやってきて」

 

「はい!」

 

 本来ならば後方支援向きである武装をしている打鉄弐式だが、セシリアと一夏がペアではどうしても一夏が前衛になってしまう。

 

 だから簪は一夏と一戦交える気持ちを厚一に伝えた。それを了承し、武装を展開する。

 

 武装は荷電粒子砲――パーティクル・ランチャーである。

 

 一夏が飛び出したのを合図に、簪も一夏に向かって行く。それをセシリアは援護する様に簪を牽制する。が、それを厚一の狙撃が許しはしなかった。

 

「熱反応!? エネルギー系で来ましたか」

 

「いつもセシリアを見てたからね。これくらいの距離なら」

 

「光栄ですわね…!」

 

 そのままセシリアと厚一の撃ち合いが始まるが、完璧にセシリアの射撃を避ける厚一と、厚一のまだエネルギー系兵装での射撃での不慣れと経験の差が、セシリアにも被弾を許さなかった。

 

「せやあああっ」

 

「くっ」

 

 ブレードを振り下ろす一夏に、簪は薙刀の柄で受ける。

 

「1組の織斑一夏だ。よろしくな」

 

「っ、私はっ、あなたを…、殴る権利がある!」

 

「は? おわっ」

 

 一夏の勢いを押し返し、荷電粒子砲で弾幕を張って一夏を近づけないようにする。

 

「っ、たああああ!!」

 

「んなくそっ」

 

 体勢を崩された所に薙刀を振り下ろす簪。獲物のリーチの差で受けるしかなかった一夏はブレードで防御する。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! いったいどういう事だよ」

 

「何も知らないで。あなたが居たから私のISは見捨てられた」

 

「はあ!?」

 

「倉持技研はあなたのデータを欲しいから、私のISを切り捨てた。でも感謝もしてる。お陰で厚一さんと逢えたから。でも、それとこれとは話が別!!」

 

「わけわかんねーって、ぐっ」

 

 そこから蹴りを入れられ、一夏は後退する。もう一度間合いを詰めようとした所で、ビームが一夏の白式に撃ち込まれた。

 

「うわああっ、は、速水さん!?」

 

 ランチャーを連射しながら突っ込んで来る厚一に、セシリアはどうしたのかと思えば、今度は簪がセシリアに向かって荷電粒子砲で牽制を加えていた。そして厚一が手を伸ばすと、簪も手を伸ばし、互いが手を掴むと背中合わせになりながら回転して、大量のミサイルを放ってきたのだ。その数は80発以上と確認された。

 

「いいいっ!?!?」

 

「織斑さん! っ、このミサイルは…!」

 

 其々が別々の機動をする特異なミサイルの嵐に迎撃をするセシリア。一夏もセシリアをミサイルから守る盾になったり、ブレードで切り裂くのだが。

 

 それによって生じた大量の爆煙に厚一と簪を見失ってしまう。

 

「どこだ!?」

 

「こう視界が悪くては…」

 

 そして、爆煙を一筋の眩い閃光が引き裂き、セシリアのブルー・ティアーズを直撃したのだった。

 

「くっ、今の攻撃は…っ」

 

 煙が引き裂かれた先、そこにはパーティクル・ランチャーを構えた厚一の姿と、自分たちよりも上空で空間投影端末に指を置く簪の姿があった。

 

「やれやれ。なんとか当たった」

 

「ナイスですよ、厚一さん。ちゃんと当たりましたもん」

 

 爆煙の中。見えない場所への攻撃を成功させたのは爆煙を上から見下ろす簪の測距データがあったからだ。

 

 爆煙に紛れて上昇した簪は、煙の切れ目からセシリアの座標を厚一に送り、その座標に向かって高出力のビームを放ったのだ。

 

 結果煙を引き裂き、ビームはセシリアのブルー・ティアーズに直撃したのである。

 

「でも良かったの? 織斑君との勝負」

 

「今は授業ですから。あれは宣戦布告です」

 

「そっか」

 

 取り敢えず連携という意味では合格点を貰った厚一と簪だったが、軽めの拳骨は頂戴する事になった。やっぱり怒られたのである。

 

「まったく。速水さんも人誑しよねぇ」

 

「そんなつもりはないんだけどなぁ」

 

 放課後。厚一の部屋には、厚一の膝に座って凭れ掛かる鈴と、優雅にお茶を愉しむセシリア、そして――、

 

「オールハンデットガンパレード! 全軍突撃っ」

 

 厚一の背中に寄りかかりながらゲームをしている簪の姿が増えた。

 

 

 

 

 



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速水厚一の帰宅篇

今回はまた短いのです。

最初はここまでするはずではなかったのですが、何故かガンパレ成分が滲み出てきてしまっているというか。戦友たちに怒られないか心配です。


 

 梅雨の時期になる6月。

 

 入学から3か月目にして、厚一はIS学園の外へ久しぶりに踏み出すことが出来た。

 

 とはいえ人目に速水厚一だと悟らせないために、ベーレ帽にサングラスを着用してウィッグまで着けてそれをうなじで一つ結びで纏めるという変装をしている。

 

 この為、一目では速水厚一とは気づかない様にはなった。さすがにサングラスを外せばバレてしまうので、移動中は外せないだろう。

 

 モノレールに乗ってIS学園から出た厚一、電車を乗り継ぎ向かう先は自分の住んでいた家だ。

 

 あれよあれよとIS学園に放り込まれた厚一。ISの適性検査を受けた日から家には帰れなかったので、4ヶ月ぶりの我が家への帰路を歩く。といっても、住んでいたのは自分と母親だけだ。だから家が残っているのかという不安もあった。

 

 家の最寄り駅に着いた厚一は久々の地元に少しだけ顔が綻んだ。

 

 自分の生活環境が劇的に変わり、さらに濃密な3ヶ月はもう何年も地元を離れていた感覚を厚一に味合わせた。

 

 駅の近くのベーカリーでお気に入りのサンドイッチを買った厚一は、それを食べながら歩いて家に向かう。バスでも良かったのだが、折角の地元なので歩いて行くのも良いだろうと思ったのだ。

 

 最近まで引き籠りをしていたものの、厚一もずっと引き籠りをしていたわけではない。

 

 中途退学だが地元の高校にも通った。アルバイトをして母を助けようとも思った。どこにでもいる普通のひとりの平凡な人生を送って来たのである。

 

「うっ…」

 

 目にゴミが入ったので、歩道の端に設置されているベンチに腰掛けて、サングラスを外して目を擦る。

 

「あっれぇ、誰かと思ったら泣き虫こうちゃんじゃん」

 

「ホントだ。奇遇だねぇ」

 

「っ――!?」

 

 そんな自分のあだ名を呼ばれて、ガバッと顔を上げると、そこには厚一と同年代の女性がふたり立っていたのだ。

 

 見かけは余り悪くないふたりの女性だが、そのふたりを見た厚一は、顔を真っ青にしてカタカタと震え始めてしまった。

 

「でも奇遇だねぇ、IS学園って所に行ったんじゃなかったの?」

 

「あ、わかった。またイジメられて逃げてきたんだよこの子。よしよし、お姉さんが慰めてあげますよー」

 

「っ――!」

 

 女性が手を取ろうとするのを厚一は払いのけて、触られそうになった手を胸に掻き抱いた。

 

「ふーん、昔に比べてちょっとは抵抗するんだ」

 

「わっかってないねぇ。抵抗したらどうなるか、忘れちゃったのかな?」

 

「っぅ――!」

 

 逃げようとする厚一を、その腕を空かさず女性が掴んだ。

 

「い、痛いっ!」

 

 しかもそこは、一応動かしても問題なくなってきたとはいえまだ治りかけの火傷の跡の残る右腕だった。

 

「なにこれ? すごい包帯」

 

「アレじゃない? 案外ヘマして退学させられたんだよ。こうちゃん鈍くさいから」

 

「ち、ちが――っ」

 

「うわっ、これズラじゃん。有名人は変装しないと大変なんだねぇ」

 

「か、返し――っ」

 

「髪なんて長くしてきもーい。それに相変わらずオカマなんでしょ?」

 

「お人形こうちゃんはみんなのアイドルだからねぇ。IS学園でも人気だったのかな?」

 

「や、やめて――っ」

 

 グッと、厚一は胸の締め付けられるような痛みを堪える。腕も容赦なく掴まれたままだ。女の握力とはいえ、今の厚一には絶えず激痛が走る拷問の様な状況だった。

 

「だ、だれか――っ」

 

「だれも助けになんか来ないって。この時間帯歩く人少ないし」

 

「駅前でもこっちは住宅地の方だから尚更だよね」

 

 昼の住宅地方面は恐ろしく人の通りが少ないのは厚一も覚えていた。先程から視線で誰かいないか探すものの、だれも通行人はいない。車は時折通るが、今厚一が動けばふたりが何をしてくるのかわからないので動きたくても動けなかったのだ。

 

「それでさこうちゃん、世界でふたり目の男のISパイロットなんでしょ?」

 

「あら、相変わらずダサい財布」

 

「か、返し――っっ」

 

「ほらほら、抵抗すると潰しちゃうよー?」

 

「もしくは潰して女の子になれば女子校でも違和感ないんじゃないかな?」

 

 財布を取られて、しかも腕を怪我しているのも目聡く見つけられ、傷をわざと痛くなるように力を込め、更には急所にすら手を伸ばされて。もう厚一は抵抗という抵抗が出来なかった。

 

「あは、万券12枚とか小金持ちだねこうちゃん」

 

「やっぱりISのパイロットって儲かるの? あたしもなろうかな?」

 

「ムリムリ。あんたの頭じゃ」

 

「わかってるよー。だからこうちゃんにバッグ買って貰っちゃおうかなぁ?」

 

「あ、あたし新しいヒールが欲しいのよ」

 

「いっっ!!」

 

 右腕と急所を同時に力を込められ、痛みを耐える厚一。

 

「なに? こうちゃん指輪してるの?」

 

「さっすがこうちゃん。女子力高いー。だれからもらったの?」

 

「っっっ、触らないでっ!!!!」

 

「きゃっ」

 

「いたっ」

 

 左手の人差し指の嵌まる待機状態のラファール・エスポワール。

 

 それに触れられそうになった厚一は腕を振りほどく。その時、指に触れようとした女性の手を叩いてしまう。

 

 厚一も力ずくで右腕も振りほどいたために右腕に相当の痛みが走ったが、奥歯を噛んで堪えながら指輪を守るように右手で隠して左手を胸に抱く。

 

「なぁに? もしかして彼女から貰ったのかなぁ」

 

「綺麗なエメラルドの宝石が着いてたもんね。売ったらいくらになるのかな?」

 

 お金を抜かれた財布は捨てられ、厚一ににじり寄る女性たち。厚一も下がるものの、下がり方が悪く後ろには家のブロック塀が聳えていた。

 

 一般人相手にISを使用するかどうかの究極の選択を迫られる時だった。

 

「昼間からカツアゲなどとは。恥ずかしくないのか? おまえたち」

 

「だれよあんた」

 

 厚一と女性たちにも聞こえる。静かにだが透き通るような声で言い放ったのは、つり上がった瞳が意志の強さを感じさせる女性だった。後ろに纏められた細く長い髪の毛を靡かせながら、まるで刀の様な、千冬に似ている印象を、厚一はその女性から感じた。

 

「フッ、下賤なものに名乗る名などない」

 

「うわ、なにあのイタい喋り方」

 

「ヒーロー気取りならやめておいたほうが良いよ。ケガしたくないでしょ?」

 

「あ、あの…」

 

 その言葉には長年使ってきたのだろう自然さと、何よりも厚一は目の前の女性が強者であると見抜いた。だからそれに絡もうとする女性たちを止めようと思ったのだが。

 

「速水の子は私の子も同義だ。ふむ、つまり今の私は子のカツアゲ現場に居合わせた親の立場という状況か」

 

「なにぶつくさ言ってんのよ」

 

 そういって、声を掛けた女性に厚一の腕を掴んでいた女性が近付いて行ったのだが。

 

「フッ」

 

「いぎっ、いたいいたいいたいぃぃっっっ」

 

「痛いか。速水の子はこの何倍もの痛みに耐えていたぞ?」

 

 声を掛けた女性は腕を取って流れる様に関節を締めあげて、組手で身動きを封じた。鮮やか過ぎて厚一もまるで舞を踊ったようにしか見えなかった動きだった。

 

「さあ、我が子に血を流させたのだ。腕の一本くらいは覚悟しろ」

 

「きょ、きょうこっ、警察呼んで! この女ヤバいっ、いぎいいぃいいっっっ」

 

「ま、まさこ…っ」

 

 携帯を取り出そうとした女性も、その携帯を厚一の手刀によって落としてしまう。その携帯が勢いで声を掛けた女性の方に滑って行くと、容赦なく踏み砕いた。

 

「な、なにすんのよっ。弁償してよ!」

 

「ふん。人のものを盗む下種のくせに、自分のモノを奪われると一人前に憤慨を露わにするのか。盗人猛々しいとはこのことだな」

 

「きゃ!」

 

「いたっ」

 

 声を掛けた女性は締めあげていた女性をもう一人の女性に向けて突き飛ばし、厚一の方へと歩み寄った。

 

「ケガはないか?」

 

「は、はい。あの…」

 

「私は芝村(しばむら) (こころ)だ。芝村と呼ぶが良い。速水の子よ」

 

「芝村さん? 速水の子って、母さんの知り合いなんですか?」

 

「それは後で話そう」

 

 そう言って厚一の手を握って連れていこうとする志であったが、その背中に怒声が飛ぶ。

 

「なにしてくれんのよっ。膝擦りむいたじゃない!」

 

「慰謝料払いなさいよ! 名前と連絡先、教えなさいよっ」

 

「下賤な人間に名乗りたくはないのだが仕方がない。私は芝村 志だ。文句があるのならば国会議事堂でも最高裁判所にでも訴えるが良い。最も、貴様らになんら後ろめたい事がなければの話だがな」

 

 そう言い捨てて、志は厚一の手を引いて歩き出した。途中でやって来たリムジンに乗って、辿り着いたのは田んぼの中にある一軒家だった。

 

「あ、あの、どうして…」

 

 辿り着いたのは厚一の家だった。

 

「速水に頼まれてな。家の管理は我が芝村がしている。とはいえお前の家だ、遠慮する事はない」

 

「母さんの知り合いって、言っていましたけど」

 

「私と速水は恋人同士だ」

 

「…………え?」

 

 女性の恋人?

 

 厚一の母は間違いなく女であり、こんな綺麗な女性が恋人と真顔で言ったので、訳がわからなくなった。

 

「故に私はお前を庇護するものでもある」

 

「えーっと」

 

「今宵は私を母と思って眠るが良い」

 

「っ、母さんのバカーーっ」

 

 親に添い寝されないと寝れないという、厚一でも誰にも話してない事柄を、目の前の助けられた恩人の女性に知られた事に顔から火が出そうな程の羞恥心を味わうのだった。

 

「あっ…」

 

「見せてみろ。手当をしなければな」

 

 そう言って厚一の右腕を取った志は服の袖をまくると、赤く出血している包帯を取り始めた。

 

 癒着していた人工皮膚が浮き上がって肌から少し血が出てしまったのだ。

 

「どちらが慰謝料を払うべきなのだろうな」

 

「あははは…」

 

 優しい手で血を綿で拭き、傷口に薬を塗って包帯を巻き直してくれる志に、厚一は苦笑いを浮かべた。

 

「そういう所は母親に似ているな。ああまでされて恨んでいないのだろう?」

 

「それは、自分が悪かったことですから」

 

「顔を晒し、速水厚一だと相手に知られる状況を作った自分の落ち度だと? お人好しが過ぎる。そこも速水に似ているな」

 

「そうですか? なら嬉しいかな」

 

「まったく…」

 

 少々呆れながらも包帯を巻き直してくれた志に感謝した。

 

「にゃー」

 

「あ、ブータ」

 

 家の中に入った厚一の脚に、家の奥からやって来た猫がじゃれついてきた。

 

 しまトラで、1mくらいの巨大なネコ。赤いどてらを身に着けている速水家のネコである。

 

「くっ、私には近寄りもせんというのに」

 

「ただいま、ブータ」

 

「にゃ」

 

 ブータを抱き上げて肩車をすると、ブータも厚一の頭に身体を乗せてそのまま移動する。

 

 その光景を志は羨ましそうに見つめた。

 

「あれ? おにいちゃんだ~れ」

 

「こども?」

 

 今に入るとテレビを見ていた小学生くらいの女の子が居た。いつの間に我が家はこんな小さな女の子まで住むようになったのかと思いながら、しゃがんで自己紹介をした。

 

「速水厚一だよ。よろしくね」

 

「ののはののなの! よろしくね、こーちゃん!」

 

「うん。よろしくね」

 

「えへへ~」

 

 良く自己紹介が出来ましたと厚一はののの頭を撫でた。

 

「速水よ。麦茶があるが飲むか?」

 

「あ、いただきます」

 

「では寛いでいるが良い」

 

 そう言って台所に向かう志の言葉に甘えて、今のテーブルの前に腰かけると、ののが厚一の組んだ胡坐の中にすっぽりと入って来たのだ。

 

「ののちゃん?」

 

「いたいのいたいのとんでけーなの」

 

 そう言いながら、ののは厚一の右腕を優しく撫でると、不思議と痛みが引いて行く気がした。こころもほっこりして来て、いつもの様に笑顔を浮かべられるようになった。

 

「ナーウ」

 

「ぶーたもいたいのとんでけーって」

 

「ののちゃんはブータとお話しできるんだねぇ」

 

「うん。だからこーちゃんのこともいっぱいしってるの。でもこーちゃんやさしいからののもうれしいのよ」

 

「そっかぁ」

 

 厚一はののとの会話で癒された。

 

「そのゆびわ、きれー」

 

「これ? うん。でもこれは普通の指輪じゃないんだ」

 

「そうなの?」

 

 首を傾げるののに、厚一は部分展開でラファールの腕を纏った。

 

「わー! すごい、あいえすなの」

 

「ののちゃんもISに興味あるの?」

 

「うん。いーっぱいべんきょうしたの」

 

「そうなんだぁ」

 

 鈴とはまた違う妹タイプのののに、厚一もいつもよりも顔が緩んでいる自覚がある。だがそれを指摘する人間はいなかった。

 

「待たせたな。少々手間取ってな」

 

「サンドイッチ?」

 

「速水の子なら好物かと思ってな」

 

「こころちゃんのさんどいっちはおいしいのよー。さんどいっちとくっきーしかつくれないけど」

 

「余計な事を言うでない! 極めているだけだっ」

 

「あはは。じゃあ、いただきます」

 

 テーブルに置かれたサンドイッチはなんの変哲の無いたまごサンドだった。

 

「っ…!」

 

 それを一口含んだ厚一の手が止まり、肩が震え始めた。

 

「ど、どうした速水!? 口に合わなかったか? たまごアレルギーか!?」

 

 あたふた心配する志に、厚一は小さく首を振った。

 

「こーちゃん、ないてるの」

 

「なに…?」

 

 サンドイッチで泣かれるとは思わなかった志は怪訝な表情を浮かべた。

 

「母さんの味だ……っ」

 

 志の作ったサンドイッチは、厚一の母が良く作ってくれるサンドイッチの味だった。

 

 お昼に必ずサンドイッチを作るくらいサンドイッチ好きの母を持った厚一も、サンドイッチは好物の食べ物だった。

 

 母の味で母を思い出し、学園ではない自分の家という環境で味わう母親の味は、今まで溜め込んでいた母への申し訳なさを浮き彫りにさせるのには効果抜群の代物だったのだ。

 

「こころ、さん…?」

 

「辛い時には泣け。ここはお前の家なのだ。遠慮などするな」

 

 志に抱きしめられた厚一は、その胸に顔を埋めて、声を上げて泣いた。ひたすらごめんなさいと謝罪しながら啼く厚一を、母親の様に優しく抱きしめる志の優しさに更に涙腺が決壊し、しばらくの間厚一は泣き続けた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「こーちゃんのこころがいたいいたいって、ないてたの」

 

「仕方がないだろう。こやつは速水の子で、速水だけが頼りなのだったからな」

 

「まいちゃんもつらいの」

 

「それが世界の選択だ。地に希望を、天に夢を取り戻すために、こやつは生まれた」

 

「でもこーちゃんはこーちゃんなの」

 

「ああ。だから、家に居る時くらいは悪しき夢を見ぬ事を祈るだけだ」

 

 泣き疲れて眠ってしまった厚一の両脇に横になりながら、志とののは話していた。

 

 厚一がひとりで眠れない事を、ふたりは厚一の母である舞一(まい)から聞いていた。

 

「10年程度では、無意識下での悪夢はどうにもならんか」

 

「いっぱいこわかったのね」

 

「だからこやつを連れだした。まぁ、だれが養うかでモメたがな」

 

「まいちゃんのあかちゃんだからしかたがないの。ののもこーちゃんをそだてたかったのよー」

 

「それは私もだ。結局は鞘に収まったわけだがな」

 

「でもみんなしらないの」

 

「速水のうかつさだったな。知識があるとはいえ、知恵が無い者をいきなりコミュニティーに放り込めば、周囲につけこまれる事位考えつくだろう」

 

「そこがまいちゃんのうっかりやさんなの」

 

 おかげで負いもしなくても良い傷を負って人間不信になる程だったのだ。そのせいで見に行きたい我が子の姿を見に行けない状態が10年も続くとは思わなかったのだ。

 

「こーちゃんとあいえすがくえんにいってあげたいの」

 

「無理だな。さすがにそれは更識が許さん。こうして速水の家を管理するので精一杯だ」

 

「うん。だからいーっぱい、いたいいたいのとんでけーするのよー」

 

 そう言いながら、言葉では子供のような舌ったらずでも。厚一を撫でるののの表情はとても大人びた女性のそれで、子を見守る母親の様でもあった。

 

 翌朝。厚一はIS学園に戻る為に駅のホームに居た。

 

「それでは、あとをお願いします」

 

「ああ。任せておくが良い」

 

「いってらっしゃーいっ」

 

「ミャ」

 

「いってきます」

 

 無断外泊してしまったので早く帰らなければ千冬の雷が落ちそうだとヒヤヒヤしながらも、厚一は暖かくて優しい1日を過ごせた時間から、自分が生きる為に戦う戦場へと戻る覚悟を胸に決める。

 

「速水」

 

「なんでしょうか?」

 

「自分を偽るな。そなたはそなたらしく生きろ」

 

「ど、どういうことですか?」

 

「そのままの意味だ。その意味は己で考えるが良い」

 

「芝村さん……」

 

 そうして、厚一の短い里帰りは母親の恋人という女性と、また新しく妹と呼べる女の子との出会いと別れによって締めくくられた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 目の前にはくつしたがある。

 

 靴下というのはたとえどんな人間であろうとも、1日中の汗を吸い込んだそれの香りは強烈だ。

 

 人間によっては嗅いだだけで意識の絶頂を迎える程の威力があるとも言える。

 

「時価末端価格、120万円のくつした…っ」

 

 それを手に入れるのには大きな出費である。そしてまた、手に入れるのも容易ではない。

 

 何故ならば彼彼女らの行為は決して褒められるものではない。だが、そこにくつしたがある限り、それに金を出す客が居る限り、彼彼女らはくつしたを求める。

 

 金の為だけに動く物は二流三流だ。一流という物は、くつしたを愛してこそ。

 

 その芳醇な香りに虜になってしまった者達。

 

 自らの欲望と、ほんのちょっとした幸せのおすそわけをする為に、彼彼女らは、全国の風紀委員と日夜過激な闘争を繰り広げているのだ。

 

 なお値段はピンからキリ。しかし今、たかがくつしたでも巨万の富が手に入る程の存在が居るのだ。

 

 故に、彼彼女らは動く。相手に疑いを持たせぬ様に。

 

 逸ってしまった物も居たようだが、それでもそのものは今や界隈では伝説としてもてはやされている。

 

 故に、そんな名誉を求める。いや、それ以上に。

 

 欲しいのだ。欲しくて止まないのだ。

 

 くつしたを寄越せと魂が叫んでいるのだ。

 

 そんな者達の名を、人は靴下の狩人(ソックスハンター)と呼んだ。

 

「おかしい。また減ってる気がする」

 

 部屋で首を傾げる厚一を不思議に思った鈴が声を掛けた。

 

「どうかしたの?」

 

「うん。なんか時々靴下がなくなってるみたいで」

 

「靴下? どっかに忘れたわけじゃなくて?」

 

「うん。まぁ、穴が空いちゃいそうなものばかりだから困るわけじゃないんだけど」

 

「誰かに盗まれていると?」

 

「捨てた記憶がないからね」

 

 優雅に紅茶を楽しむセシリアも会話に加わった。

 

「しかし普段は鍵掛もちゃんとしているのですよね?」

 

「うん。だからいつの間になくなってるのかわからないんだ」

 

 なくなるとすると、お風呂に入っている間くらいしかない。部屋に居る時は基本的に鍵を掛けないからだ。

 

「織斑先生には相談いたしましたの?」

 

「ううん。でも、する気はないかなって」

 

「どうしてよ。いちおうドロボウよコレ」

 

「でも、一応、ほら。魔が差しちゃっただけかもしれないし」

 

「鈴さんではありませんが、窃盗は犯罪ですわ。お優しいのも速水さんの魅力ですが、それでは悪しき道に踏み出してしまった少女を救うことなどできませんのよ?」

 

「なら捕まえて、返してもらえば良い…」

 

 厚一の背中に寄りかかりながらゲームをしていた簪も話に加わった。

 

「そうね。くつしたドロボウで退学なんてかわいそうだし」

 

「仕方がありませんね。それが速水さんの願いならば」

 

「いや、別に大丈夫なんだけど」

 

 別にもう捨てようかと思っている靴下がなくなっているので厚一からすれば実害は余りなかったりする。ちなみに厚一の靴下は毎朝のジョギングと放課後の訓練でのメニューに最初にジョギングがあるので消耗効率はとても高く、速い時は1週間でダメになる。政府への陳情目録も靴下が結構な数を申請されていた。

 

「だめですわっ。そのようでは靴下だけでは済まされない可能性もあります」

 

「パンツとか減ってたらアウトよね」

 

「ギルティ、ターミネート…」

 

「お、お手柔らかにね」

 

 やる気に燃える乙女たちに、厚一は苦笑いを浮かべた。

 

「まず…、風紀委員に、相談…」

 

「風紀委員? 生徒会とかじゃなくて?」

 

「ソックスハンター…、かもしれない、から…」

 

 厚一相手になら饒舌であるが、それ以外の相手だとまだ内向的な部分が顔を出してしまうのは致し方が無い。それでも厚一の為に頑張って簪は言葉を紡ぐ。

 

「ソックスハンター?」

 

「なんなんですの? それは…」

 

「取り敢えず、これ見て…」

 

 流石にソックスハンターの事を一から説明するほどの会話力は簪にはなかった為、ネットで調べたソックスハンターに関する記事を鈴とセシリアに見せた。

 

「なにこいつら。アホじゃないの?」

 

「世界はとても広いのですねぇ」

 

 ソックスに命を懸ける男たちの一つのドラマを見た鈴とセシリアの感想だった。

 

「でもこれゲームの話よね?」

 

「実際にいるの…、ちなみに、厚一さんの靴下なら120万くらいする、かも」

 

「アホくさ。靴下にそんな金額だす人間いんの?」

 

「ですが実際に速水さんの靴下はなくなっていますわ。それをお金儲けに使おうなどとは。必ず見つけ出し更生させなくてはなりませんわっ」

 

「それは賛成。でもだからって風紀委員に駆け込んでも意味ないんじゃない?」

 

 なにしろゲームなんだし。という鈴だったが。

 

「風紀委員に、あるの…。対ソックスハンター対策委員…」

 

「なんであんのよ……」

 

「ソックスハンターは、実際に…いるから…」

 

 鈴は頭が痛くなった。

 

「では決まりですわね。速水さん、少し席を外しますわね」

 

「すぐ帰って来るから」

 

「いってきます」

 

「いってらっしゃーい」

 

 朗らかな笑顔に見送られ、乙女たちは各々のクラスの風紀委員のもとへと向かった。

 

 その間にお風呂に入ってしまおうと思った厚一は、脱いだ靴下の匂いを嗅いでしまった。

 

 土埃と汗の匂い。例えるなら香ばしさ。

 

 洗濯かごに靴下を投げ入れ、シャワーを浴びた。

 

 そんな脱衣所に忍び寄る影があった。

 

 バンッとバスルームのドアを開けた厚一。

 

「誰だっ」

 

 だがその影は一瞬のうちに脱衣所から出て行ってしまう。

 

「待てっ」

 

 身体にバスタオルを咄嗟に巻きつけながら、開かれた部屋のドアを追って廊下に出るが、そこにはもう誰も居なかったのだった。

 

「いったい、だれなんだろう」

 

 ソックスハンター。

 

 靴下を盗まれるのは致し方のない環境に身を置いている自覚が厚一にはあった。

 

「きゃーーーっ、速水さんだいたーん!!」

 

「うわぁ、えっろいよアレ…がはっ」

 

「清香!? 傷は浅いわ、しっかりしてっ」

 

「速水さんお肌キレー、なにかケアしてるのかな?」

 

「まだ包帯取れないんだ。大丈夫かなぁ」

 

 そんな感じでバスタオル1枚でうら若き女子高生の前に飛び出している現状を理解し、部屋の中に飛び込んだ。

 

 そして戻って来たセシリア、鈴、簪によって、対ソックスハンター対策班が始動する。

 

 洗濯かごの中のくつしたは、盗まれていた。

 

 

 

 

 

 



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織斑一夏の1日

一夏の1日を切り取ってみました。だから短い。

もうわけわかんなくなってきた。

ハーメルン界隈もガンパレ好きな戦友が多くて嬉しいから突撃行軍歌歌いながら一筆仕上げてみた。


 

「おはようございます、速水さん」

 

「おはよう、織斑君」

 

 今日も朝の食堂で一夏は厚一に挨拶をする。

 

 厚一がケガで腕を使えなかった間、一夏が厚一へ料理を食べさせていた。そんな生活の間に一夏は大体厚一がどういうタイミングで朝食を食べるのかというのを把握した。

 

 ちなみにお昼に関しては時々鈴や簪に誘われることもあるのでまばらである。

 

 夕食に関しては食堂に来ない事も多いので会えればラッキー程度の認識である。

 

「「いただきます」」

 

 厚一は朝は和食を好む。昼は中華系、夜はイタリアンという比率が多い。

 

 今日は鮭の定食だった。ちなみに一夏はひとくち牛ステーキ定食だった。

 

「織斑君、ひとつ貰っても良い?」

 

「ええ、どうぞ」

 

「ありがとう。うん、美味しい」

 

「鮭ちょっと貰ってもいいですか?」

 

「良いよ」

 

「あむっ。んん、中々キレる塩味ですね」

 

「ご飯進むよねぇ」

 

 そんな風に互いのおかずを食べ合うのもいつもの光景だった。

 

 ちなみに誘い受け速水と肉食系一夏という禁断の書物が有志のマンガ研究会により裏で取引きされていたりする。

 

「あ、織斑君ご飯粒ついてるよ」

 

「え? どこですか」

 

「ちょっと待ってね」

 

 そういって向かい側に座る一夏に身を乗り出して厚一の人差し指が伸びて、口の端に着いていたご飯粒を取ると、席に座り直して一夏に見せる。

 

「ほら」

 

「あははは。ありがとうございます」

 

 ご飯粒を着けたまま教室に行ったら笑われていただろうなと思った一夏は厚一に礼を言った。

 

「別に良いよ。んっ」

 

 厚一も大したことはしていないと思いながら人差し指のご飯粒を口に運んだ。

 

 一部始終を見ていた女子の何人かが倒れた。

 

「今日は篠ノ之さんは一緒じゃないの?」

 

「あいつ、剣道部の朝練だそうです」

 

「部活かぁ。青春してるねぇ」

 

「速水さんは高校の頃どんな部活やってたんですか?」

 

「ん? 僕は文化部だったよ。織斑君は、部活は何してるの?」

 

「俺ですか? 実は部活にはまだ入っていないんです」

 

「入らないの?」

 

「なにに入ったらわからなくて。速水さんは?」

 

「僕も。部活やってる暇が出来たら考えるかな」

 

「やっぱそうですよねぇ」

 

 食後の茶を飲みながら部活について話す二人に、まだチャンスはあると聞いていた女子たちは思ったとか。

 

「おはよー、一夏。速水さん」

 

「おう、鈴。おはよう」

 

「おはよう、鈴」

 

「あれ、ふたりとももう食べ終わってるの?」

 

「うん。鈴が食べ終わるまで待ってるよ」

 

「じゃあ速攻で食べるから少し待っててください」

 

 そう厚一に言った鈴は券売機にダッシュで向かった。選んだのは出てくるのが速いラーメンだった。

 

「速水さんって鈴とも仲良いですよね」

 

「うん。鈴は結構付き合いやすい子だよ」

 

「あ、わかります。アイツ遠慮なんてしないから」

 

「そこが良い所なんだよね」

 

「でもアイツ初めて会った時は日本語がカタコトだったから周りと衝突しまくりで大変だったんですよ」

 

「へぇ」

 

 思わぬ鈴の過去を知れそうなので、厚一は一夏の話に興味を持った。いつも共に居てもその辺りの話は訊かないからだ。

 

「男子にイジメられたりして、助けに入って来た俺までど突かれて」

 

「元気なのは昔からなんだね」

 

「いやあれは元気だとかそういうんじゃないような気がします」

 

 だがそれで鈴が一夏を好きになったのだろうと、厚一は分析した。

 

 慣れない異国で、頼れる他人も居なくて、しかもイジメられていて、颯爽と現れて自分を助けた王子サマ。

 

 落ちたな。

 

 落ちないわけがない。

 

 何しろ子供の頃でもカッコいい顔だっただろう一夏を思い浮かべてみれば尚更女の子なら落ちる。

 

 ラブコメかな?

 

「なになに? なに話してんの」

 

「鈴が昔から元気っ子って話だよ」

 

「俺と会ったばかりの時は周りの奴とケンカばっかだったて話だ」

 

「なっ、なんてこと話してくれてんのよ!!」

 

「いや、速水さん知りたがってたし」

 

「あはは。なんかごめんね」

 

「良いんですっ、バカ一夏が悪いんだから」

 

「なんでそうなるんだよ…」

 

 ドカッと厚一の隣に座った鈴はずるずるとラーメンを高速で食べ始めた。

 

「速水さんは子供の頃ってどんな感じだったんですか?」

 

「ん? さぁ、昔のことだから殆ど覚えてないんだよね。ただお利口さんだったのは母さんが言ってたかな?」

 

「母さん、か。俺には両親が物心着いたときから居ないんで良くわからないですけど、速水さんのお母さんならきっと優しい人なんですね」

 

「うん。母さんはとっても優しいよ。でも天然ボケで偶にポンコツなところもあるけど。いつも笑顔は絶やさない人だよ」

 

「そうですか。速水さんを女の人にした感じの人なんですね」

 

「それは僕が母さんみたいにポンコツってこと?」

 

「ち、違いますって、速水さんは普段からしっかりしてますから」

 

「ホントかなぁ?」

 

「ホントですってば」

 

「うん。なら信じてあげる」

 

 そう言って厚一はデザートを取りに行くと言って席を立つ。

 

 厚一にジト目で睨まれた一夏はホッと肩を撫で下ろした。憧れの人物に睨まれるというのは心臓に悪かったのだ。

 

「そう言えば話は変わるけど、蘭のやつ、来年ここ受けるってさ」

 

「なに、あの子IS学園に入学するつもりなの?」

 

 一夏の言葉に五反田(ごだんだ) (だん)という共通の友人を思い出した鈴は、その妹の(らん)がIS学園に入学するという事で、目の前の一夏を睨んだ。

 

「で、入学した時は俺が面倒を見る事になったんだよ」

 

「ふーん…、はぁ!? なんでそんな話になったのよ」

 

「いやだって、来年なら俺も先輩だろ? 後輩になるし、知ってる顔なら蘭だって安心だろ?」

 

「あんたねぇ、そうホイホイ簡単に女子と約束するのやめなさいよ」

 

「え? なんでだ」

 

「ちゃんと約束も覚えてなかったあんたに責任取り切れるのかって言いたいのよ! だいたい中学の時からそうよ、安請け合いバッカリして、それであたしや弾がどんだけ苦労したと思ってんのよバカ一夏っ」

 

「お、おう。な、なんか悪かったな」

 

「ふんっ」

 

 中学の頃の一夏の数々の女子泣かせ伝説の影でフォローを入れ回ったのは弾もであるが、同じ女子で一夏とも近しかった鈴は大層な苦労をしたものだった。中には嫉妬の目や恨み言を向けられたことも一度や二度ではないのだ。

 

「お。おーい箒」

 

「むっ。一夏か」

 

 一夏がトレーに食事を乗せた箒に気付いて声を掛けた。

 

「隣座るぞ」

 

「おう。でも速水さん遅いな。なにか悩んでるのか?」

 

「あの人甘いの大好きだからねー」

 

 という鈴の話では、甘いのも辛いのも酸っぱいのも苦いのも一通りの味覚が好きという普通に聞こえるのだが、ピーマンの苦みは平気でも魚の肝の苦みはダメだとか、お酢の酸っぱいのは良いものの果物の酸っぱいのは苦手だとかいう物だった。

 

「なんでそんなこと知ってるんだ?」

 

「別に良いじゃない」

 

 自分よりも別のクラスの鈴がそんなことを知っていることに疑問を持つものの、一夏は話す気がなさそうな鈴に一旦退くしかなかった。

 

「それでだけどさ。今度の学年別個人トーナメントで優勝したらアンタと付き合えるって、ホントなのアレ?」

 

「なっ、なんで鈴まで」

 

「女の噂って広まるの速いわよ? 箒」

 

「むぅ…」

 

「ま、優勝できるならって話だけどね」

 

「なんだとっ、勝つのは私だ!」

 

「今年の一年生に既に5人も専用機持ちが居るのよ? 訓練機のISで勝てると思ってるの?」

 

「ふんっ! 道具に頼るなど二流のする事だ。そんなものに頼らなくとも実力で勝ってみせる!」

 

「ふーん。ちなみに箒はISの搭乗時間ってどれくらいなの?」

 

「じゅ、18時間程だが…」

 

「それで専用機持ちに、代表候補生にも勝とうって言うのが無理な話よ」

 

「なんだと!」

 

「おいおい、やめろってふたりとも」

 

 なにやら不穏な空気になって来た鈴と箒に仲裁に入ろうとするが、それで止まるほど熱くなった女性は易くはないのだ。

 

「あたしでもその数十倍の時間はISに乗ってるの。しかも箒が使うのは訓練機のIS。それで負けてたら代表候補生なんてなれっこないのよ」

 

「しかし速水さんも条件は同じだろう」

 

「それも甘いわよ。学園のISの運用データって、教員に言えば見せて貰えるんだけど、時間はともかく蓄積データと戦闘データが中々エグい数値出してるのよ速水さんって。あれでIS学園に来て3ヶ月しかISに乗っていない人のデータなんて言われたら正直コワいくらいよ」

 

「どういうことだ」

 

「少なくとも今の箒が戦っても瞬殺される相手だってことよ」

 

「なっ、やってみなければわからんだろう!」

 

「無理ね。高速切替(ラピッド・スイッチ)砂漠の逃げ水(ミラージュ・デ・デザート)瞬時加速(イグニッション・ブースト)。どれか一つでもあんたに出来る?」

 

「わ、私には剣があればあとは何もいらん!」

 

「引き撃ちされて終わるわよそれ? それが嫌なら少しは銃を撃てるようになりなさい。でなければ瞬時加速だけでも覚えて一夏みたいに懐に飛び込む練習でもしなさい。ま、今からじゃ間に合わないとは思うけど」

 

「っ、良いだろう。絶対に身に着けてやるぞ」

 

「そっ。期待しながら待ってるわよ」

 

 そう不敵に笑う鈴と、そんな鈴を闘志を燃やした目で睨む箒。

 

 一夏はいつの間にか落ち着いた空気にホッとした。

 

「おまたせー。みんなプリンでも良かった?」

 

「あ、お帰りなさい速水さん」

 

「むっ。すみません…、頂きます」

 

「速水さん、アンタは神だ」

 

「んん?」

 

 一夏の言葉に頭に?マークを浮かべながら首を傾げる厚一。プリン1個で和やかな空気を作れる人間は早々居ないだろう。

 

 食事が終わって授業が始まれば頭を悩ませつつどうにか一夏は授業に着いて行く。

 

 そしてISの実技授業では高速機動を実践する事になった。

 

 直線であれば一夏の独壇場であった。それ程に白式の出力は高いのだ。

 

 だがその後ろにぴたりと着いてくる厚一のラファール・エスポワールがカーブを描く瞬間にアウトからインコースで一夏の白式を抜き、瞬時加速で一気に距離を離した。さらにセシリアも一夏がカーブで開けてしまったインコースを最小限で曲がり追い抜かした瞬間に瞬時加速で距離を離した。

 

 最終的には殆ど横並びでそのままグラウンドのトラック一周という高速機動実践は終了になったが、機体出力で勝るはずの白式でそんな結果に千冬の小言が降りかかるのはいつもの事だった。

 

「織斑さんはカーブを曲がるときに制御が甘くなるのですわ。ですから先程の様にインコースで抜かれてしまうことも起こり得てしまうのです」

 

「とはいってもなぁ」

 

 理屈はわかっているのだが、その通りに機体を動かす感覚が追いついていない事は一夏にもわかっていた。イメージが固まらないのでどうやって綺麗に曲がるのかという問題だった。

 

「僕は身体を倒して曲がるような感覚だったかな。ほら、競輪とかサーキットを走っているバイクがカーブする様なあの感じ」

 

「イメージも人それぞれなんだな」

 

「本人に合うイメージというのは千差万別ですもの。織斑さんも自分に合うイメージがあれば自然と滑らかに曲がれるようになりますわ」

 

 そんな感じで意見を貰いつつ、放課後の訓練は珍しく厚一も一緒だったのだ。

 

 真耶が書類仕事があるという事で今日は自主練だったのだ。

 

 その中で自分はアドバイスをもらう側だけというのが少しだけ一夏の中で焦りを生んでいた。

 

 セシリアは代表候補生なので自分より凄い事は良いとしても、自分と同じスタートラインだった厚一が既にセシリアと同じレベルで話しているという事だった。

 

 厚一もセシリアに対する質問はするものの、ほとんど聞く側になってしまう一夏とは違い、普通に会話をしているのが知識面での差も見せられている様で悔しさを感じたのだ。

 

 だから、消灯時間間際になると、一夏はとある場所を訪れた。

 

 ノックして許可を貰うとドアを開けた。

 

「そろそろ来るころだと思っていたぞ。愚弟め」

 

「あー、おりむらくんだぁ」

 

「なにやってんだアンタらあああっ」

 

「なにって、酒を飲んでるだけだろう」

 

「そうだよぉ~」

 

「そうだよって、あーあ、一体何本空けたんだよ。速水さんもまだ今日平日でしょ? 明日授業あるんですよ」

 

「だいじょうぶだよぉ、ちゃんとかんがえてのんでるからぁ~」

 

 頬まで真っ赤にした厚一の言葉を一夏は信じられなかった。

 

 厚一も心配だが、今はやるべき事を先に済ませたかった。

 

「織斑先生、お願いがあってやってまいりました」

 

「ほう。良いだろう、聞いてやる」

 

「はい。俺を鍛えてください」

 

「ふむ。何故だ?」

 

「何故って、強くなりたいからですっ」

 

「強くなってどうする? だいたいお前はまだ入学して3ヶ月めだぞ? まだ3年もある内から根を詰めてどうする」

 

「それでも、俺は強くなりたいんだよ千冬姉!」

 

 ちゃぶ台に腕を着いて身を乗り出す勢いで一夏は千冬に詰め寄った。

 

 色々と考えたのだ。千冬は忙しい身だ。しかしこのままでは共に飛ぶことが出来なくなる日が目前に迫ってくるかもしれない。そう思うと怖いとも思ったのだ。

 

「何故速水が強いか、お前にはわかるか?」

 

「なんでって、そりゃ、俺よりも努力してるから…」

 

「それもあるが、お前との差は意志力だ。何故お前は強くなりたい」

 

「俺はただ…」

 

 一夏が強くなりたい理由は、強くなって今まで守ってくれた千冬を守れるようになりたかったからだ。

 

 そしていつか再戦する時に、セシリアや厚一に勝ちたいからだった。

 

 だが同じ教室で同じ勉強をしているのにも関わらずどんどん置いて行かれている感覚が一夏には募っていた。

 

「オルコットもまだ代表候補生だ。あれで良くやっているがまだ経験が足りん。篠ノ之は論外だな。お前と同レベルの話だ。速水の場合は入学当初から真耶の指導を受けている。つまり教師の違いが第一だ」

 

「第一って事は、第二もあるのか?」

 

「ある。が、これは私の口からは言えん。自分で訊くことだ」

 

 そう言われて、頬を酔いで赤くしながら二マニマしている厚一に一夏は視線を向けた。今ならお酒で酔っているし、教えてくれるだろうかと思って口を開いた。

 

「速水さんはなんでそんなに強くなれたんですか」

 

「…明日死んじゃうかもしれないって思ったら、織斑君はどうする?」

 

「え、いや。まぁ、悔いのない様に過ごします」

 

 一瞬で酔いも引かせて、真顔になって一夏に言葉をぶつけた厚一。その切り替えと、今まで見たことのない真剣な表情に一夏は少し驚いてどもりながらも言葉を返した。

 

「僕は母さんの人生をめちゃくちゃにしてまでここにいる。母さんはそれが世界の選択で、僕は悪くないって言った。でもそれが赦せないのなら誰かの未来の為に頑張れる様になれって言った。だから僕は今を生きて、明日を生きて、そして誰かの為に差し伸ばした手を離さない様に強くなろうと思ったんだ」

 

 それは一夏自身と同じような理由だった。だが、厚一のその理由は守護ではなく救いだった。

 

 しかしそれは目標で、心を支えている強さの根源ではない。

 

 だがそれが一夏にはわからなかった。

 

「まぁ、それがわかれば私の問いの答えもわかるだろう。とはいえそれは別だ。私も仕事がある。多くの時間は割くことは出来ないが、その分地獄を見ても良いのなら引き受けよう」

 

「っ、お願いします!」

 

 間髪入れず一夏は千冬に頭を下げた。

 

 それを見る千冬の顔は少し悲し気だったが、それは頭を下げている一夏には見えず。厚一だけがその顔を見ることが出来た。

 

 まだ飲むというダメな大人を説き伏せた一夏は厚一と並んで廊下を歩いていた。

 

「でも、わからないんです。なんで速水さんはそんな必死で強くなりたいのかって」

 

「さっき応えてあげたと思うんだけどなぁ」

 

「だれか助けたい人が居るんですか?」

 

「いけない事かな?」

 

「もしかして速水さんってマザコンですか?」

 

「織斑君はシスコンでしょ?」

 

 互いに答えを言い当てられた男たちは拳を撃ち合わせた。

 

「でもそれだけじゃないんだ。織斑君、僕はこの手に掴んだ手を決して離さない様に強くなりたいっていうのも、ホントの事なんだ。母さんを迎えに行けるのはそれこそ当分先の事だから。だから今の僕は目の前の手を離さない様に頑張ってるんだ。運命に打ち勝つために。未来への階段を駆け上がる為に。闇をはらう剣と翼と共にね」

 

「速水さん……」

 

 まるで歌うような言葉を聞いて、厚一は自分と違って大人なのだと思った。

 

 子供の自分は家族を守れるようになりたいから、もう一度戦う時に勝てる様になりたいから、置いて行かれたくないから。

 

 その想いで強くなろうとしている。それが間違いだとは思わないし、自分も本気だ。

 

 だが、厚一の想いと比べて自分の想いが勝てる部分がいったいどれだけあるというのか。

 

 参考書は間違えて捨ててしまう。そのお陰で開いた差を縮める間に厚一は先を行った。そして心構えからして違ったのだ。

 

 最初は自分が何故ここに居るのかという不満があった。

 

 白式の雪片弐型を手にしたことで初めて抱いたのは姉の誇りを守れるようになりたいと思ったこと、そして強くなって姉さえ守れる男になりたいと思った。

 

 だが厚一はISに乗る前からISに乗った後の事を考えて、辿り着くべき場所も最初から見据えていた。

 

 自分が歩いている先を全力疾走で走り続ける人間に簡単に追いつけるわけがない。それこそ置いて行かれても仕方がないのだろう。

 

「速水さんは…」

 

 だから気になる。自分はどうなのだろうと。

 

「俺の手も、取ってくれますか?」

 

 そう言って、一夏は僅かに震える手を厚一に差し出した。

 

 そんな一夏を、厚一はいつの朗らかな笑顔を浮かべながら手を取った。

 

「離したりなんかしないよ。いつだって一緒に走り出せばいいんだから」

 

 そう言って厚一は手を引いて歩き出した。その笑顔は朗らかさの中に心を温めてくれる思いやりがあって、そして、恐怖を忘れさせてくれる希望(ひかり)があった。

 

 

 

 

 

 



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サムライガール決起!

お待たせしました。

ちなみにうちのこーちゃんはあっちゃんの石田さんの声ではなく、もう少しなよっとしてて高めの声のイメージなので緒方さんのイメージで書き進めてたりします。

しかしこの主人公は一体何処まで行くのだろうか?


 

 その日、1年1組には新たな仲間が増えた。

 

「皆さんにお知らせがあります。なんと、転校生を紹介します。それも2名です!」

 

『えええええ!?!?』

 

 その時、1組の女子たちが皆一斉に驚きの声を上げた。

 

 女子というコミュニティーは情報伝達が速く、どこに耳があるのかわかった物じゃなく、にも関わらず二名の転校生の情報がなかったのである。

 

 そういうこともあるだろうと思うが、もう一度言う。女子のコミュニティーというのは情報伝達が早い。

 

 それは教師も生徒も上級生も下級生も関係がない。

 

 故に、教師側からも情報が漏れないように徹底されていたのだろう。

 

 真耶に呼ばれ教壇の前に並んだ二名の転校生を見て、どちらもズボンを履いている。だが片方は慎ましいものの胸の輪郭が確認できるが、もう片方は男子の制服を身に纏っていた。それを見て、これは確かに噂が行き渡らない様に注意するわけだと厚一は思った。

 

「シャルル・デュノアです。フランスから来ました。こちらに僕と同じ境遇の方が居ると聞いてやってきました。この国では不慣れなことも多いかと思いますが、みなさんよろしくお願いします」

 

 背中に掛かる程の金髪を後ろで一つ結びにした中性的で軟らかい笑みを浮かべる美男子に、教室中の視線が降り注いだ。

 

「男の子…?」

 

 誰かが言ったその声が静まり返っていた教室に響いた。

 

「男!男子!? 3人目!!!?」

 

「美形だ!」

 

「しかも守ってあげたくなる系男子!!」

 

「お母さん生んでくれてありがとおおおっ」

 

「速水さん2号よ!速水さん系2号!!」

 

「僕っ子男子のツイン連動システムだと!? ぐはっ」

 

「清香!?」

 

 そんな感じで一気に感情が爆発した女子たちであった。

 

 男子生徒の追加という事で一夏は嬉しそうな視線をシャルルに向けていた。

 

 男友達が増えそうな予感に嬉しさが込み上げているんだろうと厚一は思いつつ、妙な引っ掛かりを覚えた。

 

 それこそ3人目の男子のIS操縦者の発見ともなればニュース位になっても良いはずなのに、それがない。

 

「ねぇ、オルコットさん。フランスでデュノアって」

 

「速水さんの使っているラファールシリーズを生んだIS企業ですわね。偶然の一致、にしては出来過ぎてますわね。おそらく親族の方なのでしょう」

 

 となれば同じラファール乗りとして話が合うと良いなと厚一は思った。

 

 次は物静かに直立不動で居続ける眼帯をした銀髪の女の子に視線が向かう。

 

 その佇まいから、少なくとも普通の一般人とは思えなかった。

 

「挨拶をしろ、ラウラ」

 

「ハッ、教官!」

 

「はぁ…。ここでは織斑先生と呼べ」

 

「了解しました」

 

 千冬に呼ばれた少女は身を正して返事をした。まるで軍人の様だ。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

 あまりにも簡潔。というより、最初の一夏の自己紹介は名前以外になにを話せばいいのかという悩みがあったのに対し、きっぱりと名前しか告げないラウラの姿に教室中の女子たちも困惑気味だった。

 

 そんな空気を物ともせずに、ラウラは一夏のもとに歩み寄った。

 

「貴様が織斑一夏だな」

 

「そ、そうだけど…」

 

 パン――ッ。

 

 あまりにも突然かつ素早いビンタに、誰もが何が起こったのかを把握したのは音が鳴ってしばらくしての事だった。

 

「私は認めない。貴様があの人の弟であるなど――認めるものか!」

 

 それは怒りだった。蔑むわけでも見下すわけでもなく、純粋な怒りに一夏とラウラの間に、というよりも千冬とラウラの間に何かがあるのだと厚一は睨んだ。

 

「いきなりなにしやがる!」

 

「フン!」

 

 一夏の憤りも無視して、ラウラはそのまま厚一のもとへ向かって歩み寄った。席を立ち、セシリアが厚一を背に庇った。

 

「退け、私はその男に用がある」

 

「いきなり人を叩くような野蛮な方を速水さんに会わせるわけにはいきませんわ」

 

騎士(リッター)のつもりか? 面白い」

 

 一食触発の空気に、厚一の手がやんわりとセシリアの方を横にズラし、厚一はラウラと相対した。

 

「速水さん…!?」

 

「大丈夫だから」

 

 そう言いながら厚一はセシリアに笑いかけて、ラウラに向き直った。

 

「速水厚一だな」

 

 バシィン――ッ。

 

 2度目の、しかし先程よりも大きな音に教室の時間が止まった。銀髪の髪が揺れ、教室の床に広がる。教室中が信じられないものを見たと視線が集中する。セシリアでさえ、目を見開いていた。叩かれたラウラも床に尻餅をつきながら一瞬顔が呆けていた。

 

「なんで僕が君を叩いたか、わかる?」

 

 あの厚一がいきなり人を叩いたからだ。しかも年下になる女の子をである。さらに知らないだろうが、厚一が使ったのは利き腕の右ではなく左手での平手打ちだった。腕の力も関係ないだろうが握力も強い左での一発というのは厚一なりに本気のビンタだった。

 

「君は織斑先生を教官と呼んだ。ドイツで1年ほど教官をしていた織斑先生と君がどういう関係だったのか僕は知らない。それでもその呼び方と君自身の態度から、君は軍人かそれに連なるものだと仮定した。それに何の意味はないけれど、君にわかるように言うのならば。戦友を叩かれて黙っていられなかったからだ」

 

「戦友など。その様なものは足手まといだ! 貴様もつまらん男の様だな」

 

「つまらなくていいよ。君に好かれようだなんて思わない。でも織斑君には謝って貰う」

 

 一触即発の空気に教室が沈黙したままになるが、SHRの終わりを告げるチャイムが鳴った事で厚一が再び口を開いた。

 

「ここは軍じゃない。学校だ。そこに属するからには君にもその組織の決まりに従う義務が生じる。席に座れ、ラウラ・ボーデヴィッヒ」

 

「く――っ」

 

 叩かれて切ったのだろうラウラが口の端から一筋の血を流し、腫れる頬を抑えながら席に座った。

 

「勝手な事をして申し訳ありませんでした。さらにクラスメイトに対する暴行及び傷害。謹慎も覚悟しております」

 

 そう厚一は身体を千冬に向けて告げる。

 

「今回は不問とする。次の授業では2組との合同でIS模擬戦闘を行う。そのアグレッサーを務めろ」

 

「了解しました」

 

「解散!」

 

 その言葉と共に教室の時間が再び動き始める。千冬が一夏にシャルルの面倒を見る様に告げるのを見て、厚一もISスーツを制服の下に着ていたので、その場で制服を脱ぎ捨てて教室から出て行った。

 

「速水さんも怒るんだ…」

 

「ちょっと不謹慎だけどかっこよかった」

 

「あんな感じで蔑まされたらどうにかなっちゃいそう…」

 

「というか普通に私たちの前で着替えちゃったよあの人」

 

「相変わらず脚きれーだったね」

 

「お尻もちょっと丸くて軟らかそう…」

 

「お腹もスラッとしててヤバいよね」

 

 そんな会話があったとかかんとか。

 

 第二グラウンドに集まった1組と2組。

 

 その話の内容はふたりの転校生と速水厚一ビンタ事件で持ち切りだった。

 

 学園では朗らかさと優しさが服を着て歩いているような人という印象がすっかり定着した厚一の新たな一面。友達を殴られて赦せなかったという理由で人を殴る様なアツい面もあるのだと人物像が改められるのだった。

 

「では本日から格闘及び射撃を含む実戦訓練を開始する。凰、オルコット、速水に実践してもらう。前に出ろ」

 

「「「はいっ」」」

 

 名を呼ばれた3人が列の前に出ると、厚一だけは更に前に出て千冬の後ろに控えた。アグレッサーをやることは既に先程伝えられているため、その為の位置取りだった。

 

「それで、お相手はどちらからすれば良いのでしょうか?」

 

「あたしは速水さんとやってみたいわね。姿の変わったラファールの性能にも興味あるし」

 

「そう急ぐな小娘ども。もう一人参加者が居る」

 

「「もうひとり?」」

 

 その時、ISのスラスター音が頭上から聞こえてくる。

 

「お待たせしました~!」

 

 そう言って降下してきたのは教員カスタム仕様のラファール・リヴァイヴを身に纏った真耶である。

 

「あれ、真耶ちゃん先生だ」

 

「く、なんというボリュームっ」

 

「ISスーツの所為ですっごくエロくみえるよね」

 

 出席簿が3発落ちた。

 

「凰とオルコットはペアで山田先生と速水ペアと戦って貰う」

 

 それを聞いて納得したのは2組の生徒たちだった。

 

 代表候補生のふたりならば即席の連携も組めるだろうし、厚一は一次移行したとはいえラファールであることに変わりはなく経験もまだ浅い。教師である真耶がフォローに回るというのも理解できたが。

 

 既に一度連携訓練を見ている1組の生徒からしたら鈴とセシリアが気の毒でならなかった。

 

 なにしろ万能型二機の連携と、近接格闘型と遠距離攻撃型の連携勝負の焼き増しに見えたのだから。

 

「まさか授業で先生と飛べるとは思いませんでした」

 

「はい。今日は遠慮なしに思いっきり飛びましょうね♪」

 

「はい!」

 

 表情の硬かった厚一も真耶と授業で飛べるという事で軟らかい笑みに代わりつつあった。

 

 ISを展開し、並び立つラファールの姿はどちらも緑系統の色なので絵になっていた。

 

「なんかうれしそうね、速水さん」

 

「普段では山田先生と飛ぶ機会はございませんからね」

 

「あぁ。確か速水さん鍛えてるのあの先生なんだっけ?」

 

「ええ。これは一筋縄ではいきませんわよ?」

 

「上等! 相手が強い方が燃えるってねっ」

 

「準備は良いな? では、始め!!」

 

 千冬の合図と共に上空へ先んじて飛び出したのは厚一と真耶のラファールコンビだった。瞬時始動(イグニッション・スタート)で飛び出し、高度優勢を得る為でもあった。

 

 初動が落ち着いた所で武装を展開。そのままインメルマンターンで機体を翻した厚一が右腕にシールドを装備して鈴の甲龍と相対する。

 

 真耶とセシリアはそれぞれのパートナーの後ろに控えている。先に動いたのは鈴だった。

 

 セシリアが牽制射撃をスターライトMk-Ⅲで加えて行くが、それは厚一のラファールの右腕に装備されている大型シールドによって防がれてしまう。例によって耐レーザー・コーティングは変わっていない。

 

「相性が悪いですわねっ」

 

「だったらあたしが――」

 

「私だっていますからね♪」

 

 厚一に切り込もうと双天月牙を構えた鈴の甲龍に向かってライフルを撃つ真耶。それをバレルロールで避けて間合いを詰めるものの、今度はシールドを構えて突っ込んで来る厚一を相手に一閃を振るうが、それを厚一は受け流して鈴を通り過ぎた。

 

「ちょ、待ちなさ――きゃあっ」

 

「ダメですよ? 相手に背中を向けちゃ」

 

 鈴が厚一を眼で追った一瞬。真耶の射撃が鈴の甲龍を直撃した。その瞬間にグイッと何かに後ろへ引っ張られた。

 

 甲龍の非固定部位に巻き付いたワイヤーアンカー。それによって厚一に後ろへ引っ張られた。しかも真耶の射撃によって体勢を崩した瞬間、着弾した衝撃をも利用して。

 

「く…っ、きゃあっ」

 

「あ…っ」

 

 しかも鈴を抜けてきた厚一に対する牽制としてセシリアの放ったレーザーの盾として使い。レーザーは鈴の甲龍に直撃する。

 

 ワイヤーを切り離した厚一は反時計回りに移動し始める。

 

「こんのォっ、やってくれたわねえ!」

 

「鈴さん、あまり熱くなられては」

 

 衝撃砲を連射する鈴であるが、砲身も弾も見えないそれを厚一は腕のシールドと、カスタム・ウィングから伸びるフレキシブル・アームに接続されている二枚の大型シールドの三枚のシールドで機体の全面を防御して耐え凌ぐ。

 

「ああんもうっ!! ヤドカリかっ」

 

「あの防御は中々抜けさせてくれませんわよ」

 

「みりゃわかる!!」

 

 甲龍とブルー・ティアーズの集中砲火をすべて耐えている鉄壁。しかも厚一が反撃せずとも、その直ぐ後ろに控える真耶が、空間圧縮やエネルギーのチャージサイクルの一瞬の隙を的確に狙い撃つ。

 

「次は?」

 

「カウント10で仕掛けます。LP3で凰さんから落とします」

 

「了解」

 

 ほぼ毎日放課後に厚一は真耶からの教練を受けている上に、休日は時間と予定が許す限り缶詰なのだ。

 

 指導する側とされる側。指示を聞いて動くという事は日常的に行ってきた事なので、真耶の指示に厚一はすぐさま動くことが出来るのだ。

 

「おいきなさい、ティアーズ!」

 

 ここでセシリアが切り札であるビットを投入した。正面から撃ち合っても厚一のラファールの防御力の高さというのは身に染みている。シールドの数が減っていても以前と変わらない鉄壁の防御力に、セシリアは多方向からのオールレンジ攻撃で無理やり厚一の防御を崩す作戦に出る。

 

 さらにその間厚一と真耶のどちらでも相手に出来る様に鈴が接近する。

 

「こちらの手は読ませません。機動パターンを変えます! LP1!」

 

「了解。仕掛けますっ」

 

「なに、はやっ!?」

 

 鈴の甲龍へ向けて飛び出す厚一のラファール。その速度は瞬時加速よりも速いスピードだった。それに一瞬気を取られた鈴に向けて接近しながら真耶がアサルトライフルの弾幕を浴びせる。

 

「ティアーズ!」

 

 なにかする気だと直感で悟ったセシリアは厚一に向けてビットを向かわせたが、シールドを機体の前面から退かした厚一のラファール・エスポワールの両肩は見掛けからして硬く重いアーマーに包まれていた。アーマー自体にもスラスターユニットが内蔵されていて、それが速さが変わった理由だろう。

 

 その肩の前面がハッチの様に開いた瞬間、退避行動をティアーズに出すが遅かった。

 

 そのハッチの裏側と肩のアーマーから大量のマイクロミサイルが放たれたのだ。しかも一発一発の機動が違う独立稼動型誘導ミサイルだった。

 

 それによってビットが悉く撃墜される他、すべてのミサイルが個別にセシリアと鈴を襲うという状況を生み出し、セシリアは回避と迎撃によって鈴を援護するという所まで手が回らなくなり、更に鈴も足止めを受ける事となる。

 

 その合間にライフルに持ち替えた真耶の射撃が鈴の甲龍に突き刺さる。

 

「ぅぅ、動けないっ」

 

 ミサイルとライフルによる同時攻撃で機体が揺らされ、爆煙の中でもミサイルは容赦なく鈴の甲龍を襲い続けた。

 

「やあああっ」

 

 そして真耶のラファール・リヴァイヴが爆煙を引き裂いて現れ、鈴の甲龍に向かって左腕をアッパーの様に振り上げた。その左腕のシールドが後ろへスライドし、姿を顕したのは69口径のパイルバンカー灰色の鱗殻(グレー・スケール)

 

 その杭が甲龍のボディを突き刺し、炸裂と共に強い衝撃が鈴を襲った。

 

「まだだ!」

 

 さらにパイルバンカーによる攻撃の衝撃で吹き飛ばされた甲龍の背中に回った厚一のラファールが荷電粒子砲パーティクル・ランチャーを構えながら現れ、その砲口を甲龍の背中に突き刺し、トリガーを引いた。

 

「あうっ」

 

「鈴さん! きゃっ」

 

 援護しようとスターライトMk-Ⅲを厚一のラファールに向けるセシリアに、真耶のライフルから放たれた弾丸が突き刺さる。

 

 そしてそのままセシリアを撃ちながら厚一の押し出した鈴の甲龍の懐に入った真耶はもう一度パイルバンカーを撃ち込み、その背中からも厚一はゼロ距離で甲龍をパーティクル・ランチャーを撃ち込んだ。

 

 甲龍に接近した勢いを殺さずに厚一と真耶は交差し、シールドエネルギーがゼロになった鈴を厚一が回収した。

 

「コンマ02、遅れてましたね」

 

「先生が突っ込みすぎなんです。というか、途中から急にLP0に変えないでくださいよ」

 

「でもちゃんと合わせてくれたので合格です♪」

 

「でなければ先生に申し訳が立ちませんから」

 

 肩を落としながら抗議する厚一であったが、真耶の笑顔と称讃を受けて、更には連携攻撃も見事に決まった為に、そして真耶に時間を割いてもらっている自分が合わせられなければ申し訳が立たないという事で話を締めた。

 

 相手が専用機や第三世代機でも連携を駆使すれば攻略できる。その為の連携フォーメーションがLPと呼ばれる機動パターンであった。他にもいくつかまだ考案中であり、それが出来る様になれば有事の際でも或いは敵を退ける助けになるだろう。

 

 今はこのLPをベースに汎用兵装の練習機でも使用可能なフォーメーションを製作中である。

 

「あーあ、負けちゃったぁ」

 

「まぁ、今回は山田先生が居たからね。1対1ならまだどうなるかわからないよ」

 

「むぅ、なら個人トーナメントで勝負です!」

 

「うん。楽しみにしてるよ」

 

 厚一に抱っこされている状態で降下する鈴は負けた悔しさもあるが、まるで長年連れ添ったパートナーの様に息がぴったりである厚一と真耶を相手に、自分たちの得意な距離で戦う事で役割を固定してしまった事が敗因の一つだろうかと分析していた。

 

 特化型は確かに己のフィールドに持ち込めば強い反面、苦手な距離がどうしても出てしまう。第三世代機が開発され、各国で特色のあるISが生まれつつある今日で第二世代最後発であるラファール・リヴァイヴが世界第三位のシェアを獲得する機体である理由がわかった気がした。

 

 マルチロール・ファイターであることと、その特性を最大限に発揮し、遠近を瞬時に切り替えられるパイロットが組んだ時の恐ろしさという物を身に染みたのだった。

 

「さて、これで諸君にもIS学園教員の実力は理解できただろう。以後は敬意をもって接する様に」

 

 そう締めくくった千冬。ある意味真耶の普段のほんわかさと親しみやすさで友達感覚の生徒を引き締める言葉でもあった。

 

「完敗ですわ。少し自信を無くしてしまいそうです」

 

「今日は山田先生が背中に居てくれる分後ろを気にしないで前だけ守っていればよかったからね」

 

 それでも完璧にセシリアの攻撃には対応している厚一の言に、慰めにもならないのだが。その成長速度の高さに加え、機体相性が致命的なのも、もどかしい所だった。鉄壁の防御を破るだけの突破力をセシリアのブルー・ティアーズは持ち合わせていないのだ。

 

 厚一のラファールは最高強度を誇る大型の実体シールドを装備する鉄壁の防御を主体にして、当然重量が増える事で機動性や運動性に影響が出るのにも関わらずに繊細な操作で攻撃を回避する。または防御する。

 

 一次移行を終えたことで反応速度が劇的に改善されたラファール・エスポワールであるからこそ、三枚のシールドだけで以前と変わらぬ防御力を発揮し、さらに軽量化された機体に推力を強化。機体性能も20%向上しているとあって、その戦闘能力は第三世代機とも引けを取らないものになっていた。

 

 国の特色を出すために実験機としての側面が強くなり、高性能であるが特化型の機体が多くなる傾向のある中で、『兵器』としての完成度が高かった第二世代機の性能がそのまま第三世代機に据え置きともなれば、相手の苦手な分野で即時対応できるラファール・エスポワールは高レベルで高いバランスを持つ柔軟性が高い機体となっていた。

 

 もちろんそれを発揮し切るだけのパイロットが乗っていなければ話にならないのだが、それは厚一の師である真耶もラファール・ユーザーであり、距離を選ばずに全領域で戦えるパイロットであったからこそだろう。

 

 機体・パイロット・師がかみ合った結果、厚一はここまでラファールの性能を引き出せているのだった。

 

「まだまだ細かいところが甘いが、呼吸の合った良い動きだった。連携も良い模範だった。そのまま精進を続けろ」

 

「はいっ。ありがとうございます」

 

 千冬にも言葉を貰った厚一はいつもとは違う真剣なキリッとした顔でそれに返した。

 

 誰かが変装して入れ替わっているのではと思う程の真剣さを感じさせる顔に、何人かの女子生徒はハートを撃ち抜かれたとかかんとか。

 

 その後の授業は専用機持ちが班長となり、二クラスの女子を班分けするのだが生徒に任せるとものの見事に一夏やシャルル、厚一のもとに殺到する十代女子に額をひくつかせながら千冬の怒声が飛び、出席番号順で分かれる事となった。

 

「じゃあみんな。今日はよろしくね」

 

『はーい!』

 

「ラッキー。今日は速水さんに教えて貰えるんだぁ」

 

「速水さん教えるの上手いもんね」

 

「教え方も優しいし」

 

「わからないところもちゃんと教えてくれるし」

 

「この前は至近距離で密着しながら教えてくれた…あうっ」

 

「あれは本人親身になって無意識でやってくれるから悪気がないんだよねぇ」

 

「首筋に光る汗がエロかった……ゴフッ」

 

 そんな感じで授業は過ぎ、シャルルの歓迎をするという一夏の言で屋上での昼食になった。

 

 急な話だったのだが、その日は示し合わせた様に全員が弁当持参だったのだ。

 

 厚一は簪も誘おうか迷ったものの、やはり一夏が傍にいる事は嫌らしく。食堂で見かけても軽く会釈して行ってしまう為に誘う事を思い止まった。

 

「速水さん、良かったら食べます?」

 

「うん。ありがとう、鈴」

 

 そう言って鈴が箸で掴んで差し出した酢豚を口に入れて貰う。相変わらず甘辛で美味しかったものの、いつもより少し酸っぱい気がした厚一は鈴に訊ねた。

 

「鈴、お酢の分量変えた?」

 

「うん。ちょっと酸っぱい感じの気分だったから」

 

「へぇ。僕はこっちの方が好きかな」

 

「じゃあまた今度作ってきますよ」

 

「ほんと? 楽しみだなぁ」

 

 そう言いながら厚一もサンドイッチが入ったバケットを鈴に差し出した。

 

「酢豚貰ったし、鈴もひとつどうぞ」

 

「マジ? いただきまーすっ。んんー、美味しい」

 

 普通の食パンの1/4程度の大きさに切られているサンドイッチは女子の鈴でもぺろりと平らげられる大きさだった。

 

 半分はたまごサンドで、あとはハムチーズサンドとツナサンドだった。鈴が取ったのはたまごだった。

 

「それにしてもみんな自炊出来るなんて、すごいね」

 

 そう言ったのはシャルルだった。転校初日とあって、シャルルの昼食は食堂で買ってきたパンだった。

 

「今日はたまたまよ。普段は学食で済ませちゃうし」

 

「わたくしも、今日はなんとなくお弁当の気分でしたから」

 

「私も特になんとなくだな」

 

「僕もだね」

 

 そう鈴とセシリアと箒と厚一が返事を返した。

 

 普段厚一は学食派だ。だが今日は天気が良いピクニック日和だとニュースで見たので、なんとなく屋上か外の庭で食べようかとサンドイッチを用意していたのだ。

 

 それを聞きつけたセシリアが同じようにサンドイッチを作り、そこから鈴にも話がながれて鈴も酢豚を作った。

 

 完全に偶然だったのは同じように天気予報を見てお弁当を作った箒であった。

 

「学食のも悪くないけどな。速水さん、ひとつ貰ってもいいですか?」

 

「いいよ。はい、どうぞ」

 

「いただきます」

 

 厚一からたまごサンドを貰って口に運ぶ一夏。その味は何の変哲もないたまごサンドなのだが、僅かにコショウの香りを感じる物だった。

 

「コショウ入ってるんですね」

 

「うん。母さんの作り方。母さん香りにもこだわる人だったから」

 

 味を妨げずに香りを感じる様にコショウをミルで挽いてその場で粗びきにする。母親の仕込みのお陰で幸一の部屋のキッチンには調味料が一般家庭の倍以上の量があったりする。それでもまだ母には届かず、母の味を完璧に再現した芝村 志の腕に厚一は涙を流してしまったのだったが。

 

 そんな感じで手作りの物を食べると、買ってきたパンが味気なく感じる一夏だった。

 

「ん、甘い。トマトってこんなに甘いのもあるんだ」

 

「フルーツトマトですわ。これならトマトの酸味が苦手な方でも美味しく食べることが出来ますわ」

 

「加工されていたりするトマト缶とかならいいんだけど、生のトマトって酸味と独特の苦みがあるから苦手なんだけど、これは美味しいよ」

 

 セシリアからもサンドイッチを貰った厚一はたまたま貰った中身がトマトに驚いたが、味はトマトだとわかるのに甘いトマトに舌鼓を打つ。

 

「ねえ、一夏。あの三人って付き合ってたりするの?」

 

「ん? いや、セシリアも鈴もそんなはずないと思うぞ。セシリアは面倒見がいいやつだし、鈴の場合はなんでか懐いてるって感じかな」

 

「ふーん、そうなんだ」

 

 それでも仲が良い三人に目を向けるシャルル。

 

 セシリアも鈴も共に代表候補生だ。

 

 そして午前中での厚一の動きを見た時、シャルルは驚くしかなかった。

 

 同じラファール系列の機体のカスタム機とは言え、高いレベルで機体を操っているのがまだISに来て3ヶ月の人間。いったいどういう訓練を積んだらあんな動きが3ヶ月で出来る様になるのだろうかと首を傾げる程だった。

 

 朗らかな笑顔を浮かべ、人付き合いも良く、軟らかい雰囲気は大人であるからなのだろうか。覚えが良いのも年齢が違うから理解力の違いがあるのだろうか。その謎が、シャルルは気になった。

 

「ほら、一夏。あんたそれだけじゃ味気ないでしょ? 良かったら食べなさい」

 

「おお。酢豚だ! 俺の分も作ってくれたのか。ありがとなっ」

 

「別に。足りないと思った時に食べる用で持ってきたやつだから」

 

 そう照れ隠しをする鈴ではあるが、厚一が誘えば一夏も屋上に来るだろうと思ったので一夏用に別に用意したものだった。ちなみに味は普段たべている味で、酢を足したのは厚一に食べさせて今自分も食べているものだけだったりする。

 

 台所を漁ることが良くある鈴は、厚一がお酢のストックを結構確保していることと、普通のお酢に米酢と寿司酢まで分けて用意しているのを見ている。お酢の酸っぱいのが好きなのかと思って試しに少しアレンジしたのが厚一の舌にマッチしたのだった。

 

「私のもあるぞ。良く味わって食べろ」

 

「お。サンキューな、箒」

 

 箒も一夏に自分のモノと同じお弁当を渡した。箒も最初から一夏を誘ってふたりで食べる気だったためだ。

 

 その約束も先程の授業中にしたのだが、それを一夏はシャルルの歓迎会にしてしまったのであった。

 

 屋上に来た箒のそんな顔を見て、ご愁傷さまと、厚一は心の中で合掌した。

 

「午後はISの整備実技だからちょっと食べ過ぎても問題ないよ」

 

「そうですか? まぁ、残すの勿体ないしな」

 

 箒にもお弁当を貰った所で少々顔が悩みそうだった一夏に、厚一がフォローを入れた。実際整備で授業は潰れてしまうだろうという事で、食べても大丈夫だと告げた。何より好きな相手に作って来たお弁当を残される方が嫌だろう。

 

 一夏も出されたものは全部食べる派であるが、さすがにISでの高速機動が午後に控えているなら考えてしまうくらいには量が多そうだったのだ。

 

 放課後。

 

 学年別個人トーナメントが近いという事もあって真耶はそちらの準備で忙しい為、しばらくは自主練になった厚一に箒が声を掛けてきたのだ。

 

「少しよろしいでしょうか、速水さん」

 

「篠ノ之さん? うん。いいよ」

 

 そういって厚一は席を立って歩き始めた。態々自分に声を掛ける理由が思いつかないものの、何か思いつめた様子の箒を見て、人の少ない場所で話そうと思った為、教室を出てアリーナまで向かう道すがらのベンチに座った。

 

「それで、なにか用があるから僕に声を掛けたんでしょ?」

 

「はい。無理を承知でお願いします。私に瞬時加速(イグニッション・ブースト)を教えてくださいっ」

 

 腰が90度曲がる程の角度で頭を下げる箒。

 

 正直これはどうしようかと厚一は思った。教える事に問題はない。しかし厚一は一般生徒扱い。代表候補生ではない。だから他人に教える権利があるのかどうかという事だった。

 

 勉強を教えるのとは違う。ISという特殊なものを自分が教えても良いのだろうかという事だった。

 

 さらに言えば瞬時加速は高等技能なのだ。もちろんそれを扱う為の基礎がなければならない。

 

「篠ノ之さんはどうして瞬時加速を覚えたいのかな?」

 

「そ、それはっ」

 

 その返答に言い淀む。頭を上げた箒の目に映るのは、真剣な表情で箒の目を見る厚一の姿だった。

 

「強くなりたいから? 自分だけ置いて行かれるから? このままじゃ織斑君の傍に居られないから?」

 

「私はっ」

 

 動機は不純であるかもしれない。トーナメントに優勝して、独り歩きしてしまっている噂の責任を取り、そして一夏に――。

 

「私は、一夏を取られたくないと、そう思ったからです」

 

「優勝したら織斑君に告白できるって噂だよね?」

 

「はい。あれの出どころは私です。個人別トーナメントに優勝したら付き合って貰うと言ったんです」

 

「それがどういうわけか聞かれていて、そのまま広がったわけか」

 

「はい。自分の迂闊さが招いた事です。しかし私は、一夏を誰かに取られたくはないっ」

 

 その言葉の後に、しばらくの沈黙が続く。厚一がベンチから立ち上がった。

 

 ダメだったかと、不純過ぎる理由で勉強熱心の厚一が自分に時間を割いてくれるはずもなかった顔を俯かせた箒の頭に、ポンと人の手が触れた。

 

「じゃあ、色々と準備しないとね。今月末だからあまり時間もない。教えられる事は最低限になると思うけど、その代わりに突貫工事だ。血反吐吐くことになると思うよ」

 

「…もとより覚悟の上です!」

 

「うん。わかった。じゃあ、少し待ってて」

 

「はいっ」

 

 恋する乙女には弱いなぁと、心の内で思いながら厚一は真耶に連絡を取った。

 

 教えるのならば訓練機の使用順番を待っている時間はない。これもかなり卑怯かつズルい方法であるが、自分の要求はある程度通るだろうし、何しろ篠ノ之 束の妹である箒がISを使いたいという時に使えず、それが開発者の姉に知れたらどうなるかわからない学園側からしても、厚一の要求を断る事で生じるだろうリスクを計れないはずもなく。

 

 教員用の打鉄の使用許可が降りたのは10分程度経ってからだった。

 

 アリーナに関しては今日は教師陣の訓練があるという事で借りられなかったので、ISだけを借りて第三アリーナに到着し、箒は打鉄を纏った。

 

「き、機体の反応が、こうも違うものなのかっ」

 

「教員用って生徒用の練習機よりも遊びが無い設定になってるからね。その分思った通りに動いてくれるでしょ?」

 

「し、しかし、私には過敏すぎて少々恐ろしいくらいだ」

 

「それくらいじゃないと、第二世代機で第三世代の相手は出来ないよ」

 

 そう涼し気に言う厚一に、同じような立場になって目の前の人間がどれほど努力して先んじているのかという片鱗を見た気がした。

 

 同じスタートでも、速さが異なる。箒自身訓練用ISの使用許可待ちで乗っていたのだ。そうなれば早々にラファールを専用機として与えられ、毎日乗り続けていた厚一の上達速度は他の一年生の一般生徒とは比べ物にならない程でも無理はないのだ。

 

「今日は基礎の確認からするからね」

 

「はいっ」

 

 PICで浮き上がった厚一のラファールに手を引かれて、箒もPICで浮いてみるものの、反応が敏感すぎて同じ打鉄であっても訓練機とではまるで別物の印象だった。

 

 そのままアリーナに出ると、あちこちで訓練している生徒の姿が見える。皆、訓練機の使用の順番を守って乗っているというのに、自分はズルをして乗っている。そこに後ろめたさを感じる。

 

「ダメだよ、集中して! でないとコントロールが乱れる!」

 

「はい!」

 

 しかしすぐさま飛んでくる厚一の声に、そんな事を考える暇は一切なかった。

 

 授業で習っているだけの知識はまだまだ表のほんの表層なのだというのを箒は思い知った。

 

「ダメ! まだ反応が2秒遅れてる。シールドがあるんだから多少ぶつかってもケガはしないから恐がったらダメだ!」

 

「はいっ」

 

 そして血反吐を吐くという程でなくとも、厚一の指導は厳しかった。

 

「そこで切り返すと撃たれるよ! ハイパーセンサーは前を向いていても後ろの相手が見えるんだからもっと意識を向けて!」

 

「はいっ」

 

 基本的な動きを確認した後、すぐさま高速機動の確認になった。

 

 箒からすると、普段の練習用の打鉄は本当に練習用の機体なのだと思う程に教員カスタム仕様はじゃじゃ馬だった。

 

 機体を思う様にコントロール出来ると厚一は行ったが、その加減が掴めない箒からすれば繊細さを要求されるばかりで神経が擦り減りそうな感覚だった。

 

 それでも2時間という短い時間が何倍にも感じられる程の濃い時間を過ごした感覚があった。

 

 部屋に帰った箒は身体が鉛のように重かった。精も根も尽き果てんばかりであった。

 

 おかげで、自分がどれほど甘い訓練をしていたのか分かった。

 

 一夏の訓練に、ISに乗れる時は付き合っていたし、セシリアにもアドバイスは貰った事はある。

 

 だが厚一の教練は、自分が微温湯に浸っていたのかを突き付けられるのには充分だった。

 

 あれほどの内容を毎日続けていれば強くなれるというのもわかる話だった。

 

「2週間、か…」

 

 カレンダーには個人別トーナメントの予定日まではそれだけの時間があることを示していた。

 

 速水厚一は1週間で瞬時加速(イグニッション・ブースト)高速切替(ラピッド・スイッチ)を習得した。

 

 自分にはその倍の時間がある。

 

「…………」

 

 首から下げられている認識番号が書かれたドッグタグ。それは今日使った教員カスタム仕様の打鉄が待機状態となった姿だった。

 

 篠ノ之 束の妹であるから学年別個人トーナメント終了までの期間限定での専用機として所持を認められたものだ。それもどう説得したのか鶴の一声の様に厚一が連絡を入れると承認されたのだ。今度は5分も掛からなかった。

 

 専用機を持つことの注意事項も厚一から再度復習と称してマニュアルを貰った。更に打鉄のマニュアルも熟読して置く様にも言われたのだ。

 

 重い身体を動かし、マニュアルに目を通す。

 

 ISを動かす上で大切なのは実際に動かした時間は経験と確認。才能や適正を省けは残るのは知識だと教えられた。

 

 どうすれば機体が動き、システムがどのような働きで使われるのか。

 

 各部位のPIC制御をマニュアルでやるという変態的な課題に、それでも国家代表はISのPICの自動制御は使っていないという事だった。でなければ世界レベルの舞台では通用しないとも。

 

 箒が身につけたかったのは瞬時加速だったのだが、いつの間にそんな世界レベルの話にまでなってしまったのかとも思う。だが、厚一の熱意に応えないわけにはいかない。なにしろ自分は頭を下げた側で、貴重な厚一の時間を割いて貰たのだ。

 

「必ず、ものにしてみせるぞ」

 

 ドッグタグを握りしめ、箒はマニュアルの続きに目を走らせたのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 箒と別れ、自室に戻ってシャワーを浴びた厚一はドアのノブに外出中という掛札を掛けて教員寮に向かった。

 

 生徒であっても成人の厚一が教員寮に立ち入るのは余りよろしくないのだが、それでも今日は向かわずにはいかなかった。

 

 とある部屋の前で立ち止まり、部屋をノックする。

 

「はーい、どちらさまですか?」

 

「こんばんは、山田先生」

 

「は、速水さん!?」

 

 ドアの前から厚一の声がして、慌てて真耶はドアを開けると、そこにはいつものように朗らかな笑みを浮かべている厚一が経っていた。

 

「ど、どうしてここに居るんですか!? ダメですよ生徒さんが教員寮に入ってきちゃ」

 

「あはは。でも規則には立ち入り禁止って書いてないですよね」

 

「それでもダメなんですぅ。生徒さんには見せられない資料とかもあったりしますし」

 

「なら5分だけ時間を貰えますか? 今日のお礼がしたくて」

 

「お礼ですか?」

 

「篠ノ之さんの件で動いてもらいましたから」

 

「そんな、良いんですよ。生徒さんの頼みですから」

 

「それでも忙しいのに余計な仕事を増やしたのはこっちですから」

 

 そんな感じで部屋の前で話していれば、しかも女の園である、――男日照りな教員寮では高めの厚一の声でもやけに響くのだ。

 

「あれ? あの人1年に入った噂の」

 

「え? 真耶ちゃんのお部屋よねあそこ」

 

「まーちゃんまさか男を連れ込むなんて大胆過ぎない!?」

 

「真耶ちゃん先生モテるもんねぇ」

 

「ちくしょーっ、胸か!? おっぱいなのか!? その殺人兵器で悩殺したのか!?」

 

 そんな感じで教師の方々も部屋から出てきてしまうのだった。

 

「あ、あのあの、はやく要件をっ」

 

 このままここに居させると色々な意味でマズいと判断した真耶は先を促した。本当は部屋に引き入れる方が良いのだが、そうしたら明日がどうなるかわかった物じゃないので、公開処刑に耐える事を選択したのだった。

 

「これ、夕飯にどうぞ。時間がなくて簡単なものしか作れなかったんですけど」

 

「これは…」

 

 厚一が差し出したのはバスケットだった。中にはサンドイッチが詰まっていた。

 

「それじゃあ、僕は戻ります。おやすみなさい、山田先生」

 

 そう言って頭を下げて踵を返した厚一は何げない顔で廊下を歩いて去って行った。

 

 サンドイッチ。綺麗に作られているものの、手作りの、男の人の手料理。

 

『よこせーーーっっっ』

 

「だ、ダメですーーーっっっ」

 

 すぐさま真耶は部屋に引っ込み、鍵とチェーンを掛け、更にテーブルをつっかえにして入り口のドアにセットする。

 

 外からは阿鼻叫喚とも言うべき勢いでドアを叩く音が聞こえるが、ヘッドホンを着けて無視する。

 

「速水さんの、手作りサンドイッチ……えへへ~」

 

 普段は真面目に授業を受ける年上の生徒。放課後はどんなにきつい教導にも食らいついてくる教え子。

 

 普段朗らかで、ぽやっとしていて、和やかな人。しかし、訓練の時は普段見せる事のない真面目さと必死さを見せる顔は、ギャップもあって未だに思い出すと顔が熱くなってしまう。

 

「だ、ダメですよ、速水さんは生徒さんなんですから!!」

 

 そう自分に言い聞かせるようにして、サンドイッチを一つ摘まむ。食べやすいサイズのそれを口に運び。

 

 真耶は膝から崩れ落ちそうになった。ギャグマンガならば眼鏡が砕けていただろう。

 

「負けた……」

 

 どうにか耐えるものの、心は完全敗北、白旗を上げた。

 

 優しくて強くて料理まで上手いなんていう超優良物件がまさかの生徒。

 

「うぅ、美味しいですよぉ…」

 

 敗北の味を噛み締めながら、真耶は涙を流し、厚一のサンドイッチを平らげるのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「今のもダメ! 反応が2呼吸遅い! 軌道の頭を読まれて撃たれるよ!」

 

「はいっ」

 

 翌日の放課後も厚一の教導は続いた。

 

「やってるなぁ…」

 

 その光景を一夏はアリーナの地上で目撃した。

 

 千冬は平日は基本的に時間が取れない為、その指導を受けるのは土曜日の半日授業のあとや日曜日の休日だった。

 

 箒の背後や側面に並走し、箒の機動を一つ一つ修正していく。あの厚一が声を張り上げている光景など中々見られないのだ、少し夢中になってその後を追いかけてしまう。

 

「一夏?」

 

「おお、悪い」

 

 その為、一夏は同性で専用機を持つシャルルにISの事を教わっていた。男同士遠慮なく出来る一夏からすると、セシリアや箒よりもやり易い相手だった。

 

「ターンの時に右に20度流れる。それだと次の行動をする時に余計な力が掛かってバランスがズレるから直して!」

 

「はいっ」

 

 そんな光景は当然他の生徒たちにも目撃される。第二アリーナが暫く教員の訓練で使えないからだ。クラス代表戦で侵入者が現れた影響で、教師陣も個別トーナメント合わせて調整と訓練を行う為だった。

 

「あと降下する時の反応速度が比較的に遅い。地面が近付く恐怖がまだ残ってる」

 

「という事だから、それも直していくよ!」

 

「はいっ」

 

 更に厚一はメカに強い簪にも声を掛け、箒のデータの収集を行って貰ったのだ。さすがに厚一は真耶の様に教師でもない為、見て直すべきところはわかってもデータで比較検証出来る技術にまだ疎い。故に簪に協力を依頼したのだ。後継機で第二世代と第三世代とはいえ同じ打鉄ユーザーである簪からのフォローに期待しての事でもあった。

 

 2日目はひたすら降下機動とターン、カーブとまだまだ高速機動の調整と訓練であった。

 

「篠ノ之箒を2週間で代表候補生と戦える程に仕上げる、ですか?」

 

「うん。出来ると思う?」

 

「普通なら無理です」

 

 その日の昼食。4組に出向いて簪を昼食に誘った厚一は、屋上で厚一が作ったサンドイッチを分け合いながら簪にそんな話をした。

 

「プランは山田先生がしてくれた教導をそのまましようと思うの。篠ノ之さんの成長に合わせて適時判断するけど、見えない部分での補助をお願いしたいんだ」

 

「稼働データでの比較ですか?」

 

「うん。他のクラスで、この時期に頼むのは不躾なのはわかってるんだけど、やるからにはこっちも出来る事はして上げたくて」

 

「それ、私が断ったらどうするんですか?」

 

 もちろん断るわけがない。厚一のお陰で自分の打鉄弐式は完成したのだ。そんな厚一からの助力要請は、受けた恩を返したい簪からすれば願ってもない事だった。

 

「そのときはそのときかな?」

 

 おそらく教科書を片手に稼働データの比較検証を独学で覚えるつもりなのが目に浮かぶ様だった。

 

「別に良いですよ。厚一さんの頼みならなんだってしてあげます」

 

「ん? 今なんでもするっていったよね」

 

 そんな感じで数々のプレイ…ではなく、普通に稼働データの採取と比較を任された簪ではあるが。

 

「(稼働データの更新量が比較にならなくてヤバい…)」

 

 物凄い勢いで稼働データを蓄積していく箒の打鉄は簪の処理速度でもかなりギリギリの頻度でデータを送ってくるのだ。

 

 結果指が引き攣りそうな限界手前まで本気でデータを処理するというある意味拷問の様な状況だった。

 

 それをおそらく厚一はわかっていない。そして箒も必死に食らいつくのに集中していて他を気にする余裕もない。

 

 地獄の耐久レース。簪の指が悲鳴を上げて折れるのが先か、箒の体力が尽きて休憩を挟むのが先か。

 

「っ、ストップ!」

 

「っっ!!」

 

「あぅ…」

 

 その厚一の言葉に急停止する箒と、漸くひと息吐けそうな簪は空間投影端末から指を離せた。

 

「どうかしたんですか?」

 

「あの子…」

 

 急にどうしたのか近づく箒に、厚一は目も向けずに呟くのでその視線を追うと、そこにはISを纏ったラウラの姿があった。

 

 その視線を追えば、一夏とシャルルが居た。

 

「篠ノ之さんはここに居て。簪ちゃんもありがとう、少し休んでて」

 

「あ、はい」

 

「え? 厚一さん…?」

 

 厚一は二人に言い残して降下していく。

 

 そこはラウラと一夏の直線上だった。

 

「また貴様か、速水厚一」

 

「軍人が民間人に一方的に銃を向けるのは感心しないね」

 

「ふん! 邪魔をするというのならば貴様から墜としてやるぞっ」

 

「やれるものならばっ」

 

 大型レールカノンを向けるラウラのシュヴァルツェア・レーゲンと、シールドを展開する厚一のラファール・エスポワール。

 

 互いに臨戦態勢。両者の闘気がぶつかり合い、息が張り詰めそうな空気が漂う。

 

「ッ――」

 

 先に動いたのはラウラだった。

 

 大型レールカノンから放たれる砲弾の直撃を受けるが、砲弾は物理シールドに衝突すると無残にも砕け散る。

 

 瞬時加速で懐に入ろうとするが、その動きが一瞬止まりかけるのを感じて、PICと脚部、機体前面のバックスラスターで後方に向かって瞬時加速をする事で未知の感覚から離脱するが、瞬時加速中に無理やり後方にバックするという荒業に、厚一の顔は青くなっていた。

 

「ほう、我が停止結界を察知し、そこから逃れるとはな」

 

「はぁ、はぁ、…ごふっ」

 

 胃から込み上げて来たものを反射的に手で受け止めた厚一の、ラファール・エスポワールのマニピュレーターが赤く染まり、続けて胸に激しく鈍い痛みを感じた。それでもラウラから視線を外さずに相対する。

 

「しかし、その程度のGに身体が耐えられんとはな」

 

「くっ、僕は、人間だからね」

 

 PICでも相殺が間に合わなかったGが身体を痛みつけたのだ。

 

「まぁ、良い。楽しみは後日に取っておくとしよう。貴様は私の敵になる存在だと認識した」

 

「光栄だね。それでも負けるつもりはないから」

 

「…ならば医務室には寄れ。つまらんことで私を失望させてくれるなよ?」

 

 そう言ってラウラは踵を返して去って行った。

 

 厚一も痛む胸を押さえ…たいのだが、胸の装甲があるのでグッと堪えてその後姿を見送り、見えなくなったところで戦闘態勢を解除する。

 

「速水さん!」

 

「ああ。大丈夫だった? 織斑君」

 

「いや、俺は。ていうか血が出てませんか!?」

 

「あはは。口の中切っちゃっただけだから気にしないでよ」

 

 幸い吐いた血は少量で、手を握っていればバレない。さりげなくだが腕のシールドの影に隠せば問題ないだろう。

 

「厚一さんっ」

 

 そう見えたのは背後に居た一夏とシャルルだけで、上から見ていた簪はそうもいかなかった。

 

 しかし近寄って来る簪の頭を撫でて、意味深に笑いかけることで厚一は簪を黙らせた。箒にもウィンクを送る事で黙らせる。

 

 取り敢えず解散にしたのだが、厚一は簪によって医務室まで運ばれた。箒もついて行こうとしたが、厚一に今日の復習をするように言われて、大人しく従うしかなかった。

 

 肺胞の毛細血管をGで痛めたための喀血だったらしく、安静にしていれば治るという事だった。

 

「もうっ、なんであんな無茶をするんですか!」

 

「あははは。ごめんね」

 

「あははじゃないですよ! ISで高G障害で喀血なんて見たことも聞いたこともありませんよっ」

 

「いやぁ、なんか危ないかなって思ったら咄嗟に」

 

「治るまではISに乗るのは禁止ですっ」

 

「そういうわけにもいかないよ。篠ノ之さんとの約束があるんだから」

 

「約束したのは瞬時加速を教えるという事だけでしょう! 何故彼女を鍛える必要があるんですか?」

 

「鍛えておいて損はないよ。彼女は篠ノ之束の妹だ。弱ければ何も守れない」

 

 そういう厚一の顔は少し陰りを見せた。自分の所為で母の人生をめちゃくちゃにしてしまった。

 

 だから誰かの未来の為に頑張れる存在になることを決めた。

 

 ならば彼女の手を離すわけにはいかないのだ。差し出された手を掴んだものの責任なのだから。

 

「あなたはバカです」

 

「そうかなぁ」

 

 廊下を歩きながらそう会話をしつつ、いったん部屋に戻るという簪と別れ、厚一も自分の部屋に入った時だった。

 

「っ、ぅぅっっっ―――ッ!!!!」

 

 今まで我慢していた痛みが、ひとりになったことで襲い掛かり、胸を鷲掴みにして耐える。

 

 外傷と違って内臓的なダメージは我慢できる様に人間は出来ていない。

 

 今までとなりに簪や、目の前に一夏たちも居たために我慢していたが、ひとりになって緊張感も解れ、我慢も限界だったのが一気に襲ったのだ。

 

「はぁ、はぁっ、くっ…」

 

 制服が皺になるのも構わずに胸を握りしめ、痛みを耐える。

 

「この程度の痛みに、身体が耐えられないなんて…っ」

 

 しばらく痛みから遠ざかった所為だろう。

 

 切り刻まれる痛みの方が余程痛かった記憶がある。

 

「…………よしっ」

 

 痛みを閉じ込めて立ち上がる。もうそろそろ鈴が来てもおかしくはないし、簪も来るだろう。或いはセシリアがお茶を飲みに来るかもしれない。

 

 その時部屋のドアがノックされた。しかし今までに聞いたことのないノックだった。

 

「はい」

 

 返事をしてドアを開けると、銀髪の髪が映った。視線を下げれば黒い眼帯と、切れ目の瞳。

 

「君は」

 

「医務室に行ったらしいが、まともな治療も出来んのかこの学園は」

 

 そこには厭きれと怒りが見え隠れした。

 

 そして何かの錠剤が入ったプラスチックの箱を渡された。

 

「治療用ナノマシンの服用剤だ。あの程度ならば2錠服用すれば治るだろう。それはお前にくれてやる」

 

「なんで…」

 

「私の顔を殴る者は居たが、引っ叩いた奴はお前が初めてだ。つまらんことで勝負が預けられるというのは癪に障る。万全の状態で私はお前を倒す。ただそれだけだ」

 

 そう言い残して、ラウラは去って行く。

 

「待って」

 

 その背中を、厚一は呼び止めた。

 

「この借りは、トーナメントで必ず返すから」

 

「ああ。楽しみにしている。速水厚一」

 

 振り向いたラウラと厚一の視線が交差し、数秒間見つめ合うものの、その間に剣呑な空気はなく、今度こそラウラは去って行き、その背中を厚一は見送った。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 くつしたは至高である。

 

「ビバクツシタ、ビバクツシタ!」

 

 パンストなど足元にも及ばぬ。

 

 くつしたはその耐久性によって蓄積される潜在的な香りを内包し、それが使用済みの直後に盗まれることによって永遠の芸術へと昇華するのだ。

 

「まいったわね。最近委員会の監視が厳しくなってる」

 

「速水さんの部屋はともかく、織斑君の部屋は生徒会も見張ってるから無理だよ」

 

「だからこそ盗む価値があるのよ。だれも破ったことのない包囲網を破り、そして至高の靴下を手に入れるのよっ」

 

「ソックスリバー…」

 

「はい。残念でした。ご愁傷さま」

 

「っっ、生徒会!?!?」

 

「逃げるよ、ソックスホーク!」

 

「あ、待ってっ」

 

「お姉さんから逃げられるかしらねぇ」

 

 水蒸気爆発によって行く手を遮られるふたりのソックスハンターであるが、ソックスリバーはその走る勢いのまま跳躍し、人が触れれば火傷では済まされない程の水蒸気を飛び越えた。軽く10mくらいの高さである。

 

 そしてソックスホークは壁を斜めにとはいえ駆け上がり、更には壁に突き出ている照明を足場に跳躍し、十数mの高さを物ともせずに着地し、暗闇へと姿を消した。

 

「なにをしているの! 呆けてないでハンターを追いなさいっ」

 

 その号令と共に風紀員会の精鋭が飛び出していく。

 

 今日もまた、世界の暗闇ではソックスハンターと風紀委員会の闘争は人知れずに繰り広げられた。

 

 

 

 

 



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ブルーへクサ

今回はガンパレ要素が全面的に出て来たリ、ディープな内容なのでご注意ください。


 

 体力作りの為に、一夏は毎朝走るようになった。

 

 朝なら千冬も付き合えるため、姉弟で走るのだが、少しでもペースが落ちると後ろから蹴られるのだ。

 

 都合5キロを毎朝走る。朝一番で長距離走というのも何気にキツイものだった。

 

「速水もお前もだらしがない。それでも男か?」

 

 途中で合流した厚一も5キロを走り抜け、荒い息を吐きながら地面に横たわっていた。

 

 千冬は更に走るという事で行ってしまう。

 

 その日の一夏は悩みを抱えていた。

 

 それは同室のシャルル・デュノアの秘密。

 

 実は彼は彼女であり、男性IS操縦者のデータを取る為に男としてIS学園に入学させられたのだ。

 

 IS学園に居れば3年間の猶予があるといっても、その3年間を過ぎてしまうとシャルル――シャルロットはどうなってしまうのか。

 

 たとえ自分が黙っていたとしてもフランスという国が気づくだろうという事はシャル本人が言っていた事だ。

 

 それでもどうにかしてやりたい。親の都合で子供が振り回されるなんて間違っている。

 

 しかし一夏にも直ぐにはどうすれば良いのかなんてわからない。3年間なんてあっという間だ。

 

「どうかしたの? 織斑君」

 

「い、いえ、なんでも」

 

 ひとりでこの問題を抱えるのは難しすぎる。だから一夏はなにかヒントにならないかと厚一に事の次第を打ち明けようか否かを迷っていた。

 

 この場合、シャルロットにも確認してから厚一に相談するべきなのだろうが。それではシャルロットが遠慮しそうなので、彼女には内緒で一夏は相談するかどうかを悩んでいたのだ。

 

「それじゃあ、僕は先に行くね」

 

「あ、はい」

 

 後から追いついてきて自分よりも先に走り終わっているからか、回復も早く厚一は立ち上がって寮の方に向かっていった。

 

 一夏はもう少し身体を休めてから動こうと決めた。

 

 何気なく仰向けで空を見上げていた一夏の近くに近寄ってくる足音が聞こえた。だれか来たのだろうか。

 

 まだ身体が動かせそうにない一夏は視線だけでも誰が来たのかと把握しようとして、顔を向けた。

 

 そこにはペンギンが居た。

 

 スーツに中折れ帽を被るペンションである。

 

 その羽が、嘴に伸び、口から白い煙を吐いた。

 

 タバコだ。

 

 ペンギンがタバコを吸っている。

 

「なにか言いたそうな顔をしているな。なんだ、言え。いや、なぜペンギンなのかは、ナシだ」

 

「…………なんでペンギンがここに…」

 

 もうタバコを吸っているとか喋ったとかそんな事で頭がぐちゃぐちゃだった一夏は最初に思った疑問をぶつけるだけで精一杯だった。

 

「仕事だ」

 

「仕事……?」

 

 ペンギンが仕事をするようになったのか。

 

「探偵だ。軍人のように命令で誰かを傷つけるのは嫌だった。警官になるほど勤勉じゃなかった」

 

 一服する為に言葉を切り、吐き出した煙が空に昇っていく。

 

「正義の味方って奴があれば、喜んでそれを選んだろう。だが、世の中にはそんなものはない…」

 

 そのペンギンの言葉に、一夏は聞き入っていた。自分とは積み重ねてきた時間の違う深い重みを言葉から感じていた。

 

「だから探偵だ。なければ代用で満足するしかないのさ。大人の世界はな、坊や」

 

 そこでペンギンが一夏に視線を寄越した。

 

「……悩んでいる事があるんだ」

 

「悩み、か。若いときの悩みって奴は、今思い返せばなんであんな小さなことに悩んでたんだと時折思うもんだ。だがそれは答えを知らないからだ。その時その悩みの答えを出した結果がわからない。だから想像して足踏みをする。それで取り返しのつかないことになるくらいなら、悔いのない選択を選べ。そうすればどんな選択でどんな結果が待っていようと、思い返せば笑い話になるってもんだ」

 

「悔いのない選択……」

 

 このまま自分達だけで考えて事が進展するだろうか。それはわからない。

 

「坊や。お前に戦友は居るか?」

 

「戦、友……」

 

 戦友。共に戦う仲間。厳しい競争を共にする仲間。

 

「居るよ。ひとりだけだけど」

 

 戦友と考えて思い浮かんだのは、いつも朗らかで優しく軟らかく笑っている同級生の姿だった。

 

「まだ坊やは孵っても居ない卵だ。産めば落ちて割れちまう様な卵だ。そんな奴がデカい山をひとりで抱えた所で潰れるのが関の山だ。だがひとりでダメでもふたりでなら出来るかもしれない。仲間に頼るような奴は弱いという奴も居るが、それは群れることの出来ない一匹狼の遠吠えだ。戦友(とも)に頼ることもまた、ひとつの強さだ」

 

 再び煙が空に昇っていく。まるで空に浮かぶ雲の様に。

 

「俺達は天才じゃない。そんなものは一億に一羽の話だ。俺もお前も、産めば落ちて割れるのが関の山だな。それが嫌ならば、だったらいっそ、固茹で卵にでもなるか。落ちても割れない、ハードボイルドに」

 

「ハード…ボイルド……」

 

「そうだ。それで幸せになるとは思えないが、割れて台無しになるよりは、少しはマシになるだろう。俺達が、死んだ後の世界が」

 

 そう言って、ペンギンは帽子を祈りを捧げるように胸にあてた。まるで、死者に祈りを捧げるように。

 

 そんなペンギンの邪魔をしないように、一夏は静かに立ち上がって、そっとその場を離れた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 誰かが祈っている。

 

 死すらも超え、時をも超える祈りを捧げている。

 

 勇気と優しさに満ちた祈りだった。

 

 その祈りがどうか届きます様にと祈った。

 

「どうか致しましたの?」

 

「ううん。ただ、ちょっと祈りたかったんだ」

 

「祈り?」

 

 対面に座るセシリアに声を掛けられて、厚一はそう返した。

 

「なんでだろうね。わからないけど、そう思ったんだ」

 

 食堂の窓から空を見上げる厚一の視線の先には、空を漂う雲が見えていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 職員室で真耶は最終的な報告書を纏めていた。

 

 クラス代表戦に乱入した謎のIS。

 

 わかった事は強力なビーム兵器を搭載していた事と、無人機であった事。そして使われているはずのISコアが依然として不明ということだった。

 

「おはよう、山田先生」

 

「あ、おはようございます、先輩」

 

 千冬がやって来た事で、出来上がった報告書を真耶は千冬に見せた。

 

「例のISの解析が終わりました。幸い損傷度合いに関しては修復可能ではあったのでデータを調べる為に必要な部分のみの修復となりました」

 

「ご苦労。それで、わかったことは?」

 

「わかった事は独立稼働型の無人機で、使われていたコアは登録されていない未登録の物でした」

 

「そうか…」

 

 その報告を聞いて、千冬は内心で苦い顔をする。何故なら未登録のコアに独立稼働出来る程の無人機を造れる技術を持つ人間などひとりしか思い当たらなかったからだ。

 

「ログが辿れたのはアリーナ乱入直後の記録からで、それ以前のものはありませんでした。誰が何処で造り送り込んできたのかもわかりません。すべてにパーツを調べましたが、製造番号もなにも書かれていない部品で構成されていました」

 

「だろうな」

 

 千冬の思い当たる人物でなくとも、IS学園にケンカを売るという事は世界を敵に回すのも同義なのだ。敢えて痕跡を残すことで辿らせた先の組織を攻撃するという方法もあるが、それだと入手経路で辿られる場合もあるのでハイリスク・ハイリターンの方法だ。

 

 それがないという事は自前の組織だけで造り上げたという事だ。とはいえ恐らくは個人の方だ。

 

「機体は解体しました。武装面や各種スラスター類の技術に関して強力なものである為、IS学園開発計画にデータが開示されることになりました」

 

 それもまた順当な処理だろう。ああしてアリーナのシールドを破る程の強力な攻撃力から生徒を守る為には此方もそれを短時間で制圧出来る火力という物は必要だ。

 

「ここからはオフレコになるんですけど」

 

 そう声を細めて言う真耶に、千冬は顔を寄せた。

 

「例の無人機のエネルギー伝達系の回路構造が速水さんのラファールとほぼ同じ回路形成をしているんです」

 

「なんだと?」

 

「その所為で速水さんのラファールだけ、エネルギー効率も機体出力も元量産機とは比べ物にならない程の物になっているんです」

 

「それが速水の強さか」

 

「白式よりも機体出力で勝っていますからね。スラスター関係が汎用性の高いバランス型なので瞬発力や直線速度では白式に劣りはしますけど」

 

 出どころ不明の無人機と機体の内部構造とほぼ同じ形となった専用のラファール。

 

 考えられるとしたらコア・ネットワークで何かの情報がやり取りされたか。

 

「このことを知るのは?」

 

「直接解析に携わった私と織斑先生の他には学園長のみです」

 

「よし。ではこのことに関しては他言無用だ」

 

「はい。わかっています」

 

 ただでさえ速水厚一の立ち位置という物はいつでも切り捨てる事の出来る交渉材料という側面でしか見られていない。政府からも他国の代表候補生と積極的に関わらせる様にという打診が来ている。

 

 厚一を使って他国の代表候補生からデータを吸い出させる気なのだろう。そしてそれが知れればトカゲの尻尾切の様に速水を見捨てても痛む懐は最小限で済む。

 

 そういうふざけた輩の考えなどわかりたくもないが、教師として生徒を守る事は千冬の責務でもある。

 

 真耶も、このことが知られれば厚一を事情聴取と称してどう扱われるかわかったものではないので固く口を紡ぐ決意をする。あの朗らかな笑みが曇る事を、真耶も由とはしない。

 

「それと別件なのですけど、速水さんに面会を求めている方がいらっしゃるそうなんですが」

 

 それを聞いて千冬は憂鬱になりそうだった。入学したての頃より比べて減ったとはいえ、世界で2人目の男性IS操縦者の厚一も、様々な面会を申し入れられているのだが、勉学への集中を理由にしてすべて突っぱねているのだ。現に厚一の1日の予定という物はどこかで時間を取れる様な余分な時間が一切ないのだ。

 

 早朝からジョギング。朝食の後は前日の授業の復習。近頃ではISの武装開発もこの時間にやっているらしい。そして授業が始まり放課後は6時まで訓練か自主練。今はどういうわけか篠ノ之箒にスパルタ教育をしているらしい。そしてそのあとは夕食の後に幾人かの友人と就寝時間まで過ごしている。

 

 相変わらず殆ど寝れていないらしいが、それでも精神的に満たされているのだろう。入学したての頃よりも顔色は良い。それを崩すようなことは厳に慎むべきだと千冬は考えていた。

 

「今度は何処だ? 企業か?自称親戚か?それとも国か?」

 

「芝村だそうです」

 

「……なんだと?」

 

 芝村と聞いて思い当たるのは芝村一族の事だ。日本の政治と経済を裏から操る一族だと言われている。

 

 芝村が厚一に何の用があるのだと千冬は考えたが、これは他の案件の様に勉学という建前が通用しない相手だ。何しろIS学園の運営費も芝村一族が大きく関わっているのである。所謂上客なのだ。

 

「…日程は?」

 

「はい。個人別トーナメントの開催日と重なっています」

 

「見物序につばでもつけて行こうという魂胆か」

 

「如何しましょう」

 

「どうも出来ん。芝村が相手ではな」

 

 此方で拒んでも学園長が拒み切れないだろう。ならば承諾するしかない。何しろ厚一の陳情する品物を揃えているのも芝村なのだ。これを断って厚一の私生活に支障を来すわけにもいかない。

 

「難儀だな、お前も」

 

 本人からすれば難儀どころの騒ぎではないだろう。自分を偽るのを止めた代わりに生まれた余裕の中に焦燥感を隠して過ごすようになった生徒が不幸を見ない様に祈るだけしか出来ない。

 

 弟ならば守ってやれる。それだけの実績を積んできた。血の繋がりという物はそれ程に重い。

 

 だが厚一には血の繋がりはなく、学校の教師と生徒という繋がりだけだ。その部分で動くことが出来る範囲で守ってやることは出来ても、個人的に守れるほどの余裕が千冬にはない。

 

 他人か弟か、どちらかしか織斑千冬というブリュンヒルデという称号を持つ人間には守れないのだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 学年別個人トーナメントまで残り数日。

 

 毎日を教練に当て続ける箒だったが、このままで瞬時加速(イグニッション・ブースト)が習得できるのかという焦りが生まれ始めた。

 

「太刀筋が乱れてるよ、集中してっ」

 

「っ、はい!」

 

 思考が一瞬逸れても身体は問題なく動く。連続での剣戟を放つものの、それを全て厚一は近接ブレードで受け流している。

 

 ISでの扱いならばいざ知らず、剣の道に生きて来たような自分が攻めきれないでいる。

 

 いくら早く、強く、流れる様に連続で打ち込んでも受け流される。

 

 それを仕返しと言わんばかりに更に速く重く強く打ち込み返される。しかも篠ノ之流の動きでだ。

 

 自分の動きをまるで見て覚えるかのように、完璧な流れて同じように打ち込まれる。

 

 同じ動きならば対処は出来る。だが速さが違う、力が違う、重みが違う。

 

 ISの性能差ではない。受けてわかる芯に響くような手応えは確実に剣をやっている人間の打ち込みの重さだった。

 

「速水さんは剣をやっていた事があるのですか?」

 

「ううん。ないけど、それがどうかしたの?」

 

「い、いえ。それにしては芯が入った打ち込みだと思いまして」

 

「ああ、うん。一応山田先生に教導されてるからね」

 

 また山田先生である。いったいあのほんわか先生がどのように厚一に教導をしているのか、箒は気になって仕方がなかった。

 

「厚一さんは普段どんな感じで訓練してるんですか?」

 

 それを気になったのは簪も一緒なのだろう。解析で酷使している指をマッサージしながら、厚一に尋ねた。

 

「別にこれといって特別な事はしてないと思うけど。ただ先生のいう事に必死になってついて行ってるだけだし」

 

「厚一さんが必死って。そんなに厳しいんですか?」

 

「もう終わった直後は足腰立たないくらい」

 

「えぇ……」

 

 それを聞いて簪はどれだけスパルタなんだと想像するのが怖くなった。

 

 ただでさえ厳しい厚一の教導でも、箒の体力には余裕を残している。それは学校生活に支障が出ない様にでもあった。本気ではあるが全力ではない。それが厚一の教え方だった。真耶に教えられるときは常に全力全開で臨むために、さらに体力が増えた分上乗せされる課題故に、真耶と教練後の厚一は動けるまで体力が回復する10分程度は死んだようにピクリとも動きはしない程なのだ。

 

「あの山田先生が、信じられないですね」

 

「でも山田先生って前回のモンド・グロッソでの日本代表の最終選考まで残った人なんだよ。つまり最も日本代表に近かった先生なんだ」

 

「代表候補生止まりだとは聞いていましたが。よもやそこまでとは」

 

 そんな相手に教えられれば急激な急成長の絡繰りも見えてきそうな感じだった。

 

「速水さん、私にも」

 

「うん。明日は土曜日で、日曜日になるからね。血反吐を吐くのはそこかな」

 

「はい」

 

 それは以前厚一も通った道だ。土日を使っての最終調整と追い込み。それに箒が耐えられれば確実に強くなるだろう。

 

 その日の教導が終わり、アリーナでシャワーを浴びた厚一は学生寮が慌ただしいのを感じ取った。

 

「何かあったのかな?」

 

「あれ、知らないんですか? 厚一さん」

 

 その厚一の謎に、同じく帰路を共にする簪が応えた。

 

「学年別個人トーナメントが学年別タッグトーナメントに変わったんです」

 

「つまり個人じゃなくてペアで戦う事になったからみんな血眼になって相手を探していると」

 

「織斑一夏への告白権が掛かっていますからね」

 

「うっ…」

 

 恋に恋する10代乙女、ミドルティーンの彼女達からすれば譲れない戦いがあるのだ。

 

「ふーん。なるほどね」

 

 厚一は計画性の非常に高い誰かのようなぽややんな笑顔を浮かべて笑った。

 

『速水さん!!』

 

 そうこうしている内に、厚一を見つけた女子たちが一斉に向かって来る。

 

 その光景にただ苦笑いを浮かべる。

 

「お願いします、私とタッグを組んでくださいっ」

 

「いいえわたしと!」

 

「今ならJkの使用済み靴下が着いてきますよ!」

 

「なら私は使用済みのパンティで!」

 

「甘いっ! 男性なら黒パンストですよね!」

 

「白い靴下が至高ですよね!!」

 

「な、なら、私は、その、はじめてを…」

 

「あ、きたね!」

 

「それは反則!!」

 

 そんな感じで女子に群がられるのだったが。

 

「ちょ、皆の者落ち着け。速水さんが困ってしまうだろう」

 

「そ、そう、よっ。んぎゅっ、みんな落ち着いてっ」

 

 身長が高い箒は大丈夫だが、平均的な簪はもみくちゃにされながら女子たちを抑えようとするが効果は今ひとつである。

 

 バァン――ッ

 

 そんな喧騒を鎮めたのは、一発の銃声だった。

 

 その砲口を見れば、銀髪の少女が腕を天井に向けていて、その手にはハンドガンが握られていた。

 

 静まり返った所で銃を腰のホルスターにしまった銀髪の少女は何事もなかったかのように厚一に歩み寄って行く。その前に居る女子たちは道を開ける様に分かれて行く。

 

「ラウラ…」

 

「単刀直入に言う。速水厚一、私と組め」

 

「え、あ、うん」

 

 あまりにも突然のこと過ぎたので思わず返事をしてしまう。それを聞いたラウラは不敵な笑みを浮かべた。

 

「ならば早くしろ。手続きを済ませる」

 

「あ、ちょっと」

 

 そう言ってラウラは厚一の手を引いて寮から出て行った。

 

 その後を追う勇気は誰にもなかったのであった。

 

「ラウラ、さっきの」

 

「安心しろ、唯の空砲だ。ああでもなければ止まらんだろう」

 

 確かに空砲とはいえ銃を撃った衝撃という物は音と視覚的な効果は絶大だ。

 

「でもなんで」

 

「学年別でのタッグトーナメント。1年生で私の実力に見合うのはお前だけだ。他の者と組むくらいならば貴様と組む方が勝利する上で最も戦力となる。貴様が壁で、私が砲だ」

 

「僕は弾除けってこと?」

 

「いや。お前の実力ならば共同戦線を張るというのもやぶさかではないという事だ。他の者はISを使う事の自覚が足りん。ISをファッションか何かだと勘違いしている。その点お前はISの事を理解している人間だ。故に自発的に組むのならばお前以外はありえんという事だ」

 

 そういうラウラは酷く怒っている様に厚一には見えた。

 

「そうだ。この様な認識の甘く危機感もない所で教官が教鞭を振るうべきではないのだ――」

 

「ラウラ…」

 

 その言葉を紡ぐラウラが、今にも泣きそうな唯の女の子に厚一は見えた。

 

「……速水厚一」

 

「なに?」

 

 立ち止まり、厚一に振り向くラウラの顔は既にいつもの彼女の顔に戻っていた。

 

「ドイツに来い。そして、私の部下になるが良い」

 

「え…?」

 

 いきなり何を言い出すのだと厚一は首を傾げる。

 

「お前の様な人間がこの様な微温湯で腐っているというのも我慢ならん。ドイツであれば貴様の能力も十二分に生かすことが出来る。この様な地で終わらせるには貴様は惜しい人間だ」

 

「それは国からの命令?」

 

「私個人の意思だ。伝えれば我がドイツも動くだろう。各国は喉から手が出る程に男性IS操縦者という存在を欲している。だが私は軍人で、政府の人間ではない。政は私の管轄ではない。それを抜きにしてお前という人間を私が引き抜こうというのだ」

 

「それは何故?」

 

 自分はまだIS学園に来て数か月の人間だ。そんな人間に態々国がスカウトに来たとしても、それは自国の発言力を高める為にしか聞こえない。今はまだそういった話は聞かない。今、ラウラに勧誘されるまでは。それは一重に自分はなにも期待されてはいないからだと厚一は考えている。

 

「世間は織斑一夏を評価する。それは認めたくはない事だが、世間一般常識として、織斑一夏が教官の弟であるからだ」

 

 後半は絞り出すように、一般常識としてという部分を強調してラウラは口にした。

 

 IS学園でどのように生活しているかなど、世間は知らない。未だに話題のバラエティなどでは一夏と厚一のどちらが優秀であるかなどが議論されているが。

 

 織斑千冬――ブリュンヒルデの弟と、ただの一般人。

 

 年齢は10歳違いで、将来性を考えても一夏の方に注目が殺到するのは火を見るより明らかだ。

 

「だがそれは世間のなにも知らぬ人間の戯言だ。私はお前にこそ価値があると見ている。私が後れを取る速さの平手打ち、そしてシュヴァルツェア・レーゲンの砲撃にも耐える防御力。初見で停止結界を察知する洞察力と対処能力。ISのPICで相殺しきれん高G負荷によって内臓を傷めようとも敵を前にしてのた打ち回る様な痛みを精神力で捻じ伏せ闘志を維持する芯の強さ。それがあの男に備わっているとは私は思わん。速水厚一、お前はこの私が教官以外に欲しいと思った初めての人材だ。我が軍の末席に加えたいと思う程お前は優秀な人間だ。誇れ。お前が欲しい物を私が与えよう。富み、名声、力、そのすべてを我が国が叶えてみせよう」

 

 自分が欲しい。自分は優秀な人間だ。

 

 目の前の少女が、ある意味一夏と同じように嘘を言えるような人間ではないという事を感じた厚一の耳に入る言葉はすべて彼女の本心なのだろう。

 

「お前が欲するものは先ず自分の身の保証だろう。織斑一夏とは違い、日本政府の援助もなにもないお前は政治の道具として利用されるか、その前に徹底的に調べられ二度と日の目を見る事は叶わんだろう」

 

「でもそれはドイツだって」

 

「確かに我が国でもそれがないとは言わん。だが、その一切から私がお前を守ってやる。我が部隊がお前を守護する。我が軍が城壁となる。お前だけではない。お前の家族も守ると誓おう。それでも足りんというのならば、私がお前のモノになっても良い」

 

「えっ? えええっっ!?!?」

 

 厚一の手を取り、自分の胸に押し付けるラウラ。その目は真っ直ぐ厚一を射抜く様に向けられている。

 

 初対面でひっぱたいて、剣呑だった筈の相手。そして一度撃たれた相手。自分を心配して薬をくれた相手。そして今、自分を欲しいと言い、満足できないというのならば己を捧げても良いという軍人少女に。

 

 厚一はどうすれば良いのかわからなかった。

 

 いきなり色々と言われすぎてどこから手を着ければ良いのかということで頭がいっぱいで。

 

 先ずは目の前の事から片付ける事にした。

 

「と、取り敢えず。ペアの申し込みからしようよ」

 

「フッ、まぁ、良いだろう。だが私は本気だぞ」

 

「何処からどこまで?」

 

「むろん全部だ」

 

 ドヤ顔で胸を張るラウラに、ISの代表候補生は個性豊かじゃないと生き残れない役目なのだろうかと本気で考えそうになった。

 

 ただ、女の子に告白紛いに自分を欲しいと言われてしまった所為か、自分の胸が煩い事をラウラに聞かれないように祈る事で精いっぱいだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「それで、小娘に口説かれた事にどうすれば良いのかわからんから私の所に来たわけだな」

 

「はい…」

 

 手続きを済ませた厚一は夕食を取り、そして消灯時間になったのを見計らって千冬の宿直室に足を運んだ。

 

 缶チューハイをちびちびと飲みつつ、ビールをぐいぐいのむ千冬に先程のラウラに言われたことを説明して意見を求めたかったのだ。

 

「お前は初告白を受けてどうすれば良いのかあたふたする中学生か」

 

「だ、だって。…はじめて、…なんですもん」

 

「純粋培養かお前は」

 

 互いに酒の入って頬を赤くする二人ではあるが、そこに男女の遠慮という物はなかった。飲み友である上に同年代の人間なのだ。それくらいの事で間違いを起こすようなバカはしない。

 

「しかしドイツに行ったからとはいえ、全く政治の道具にされないというのは無理だぞ?」

 

「プロバガンダぐらいは引き受けますよ」

 

「研究されんとも言えん。お国柄だからな」

 

「それはどこの国でも同じだと思います」

 

 確かに第三帝国時代から色々としているドイツという国だが、その面はISが登場してからの日本も変わらないと厚一は知っている。

 

「……先生、僕は普通の人間じゃないんです」

 

「どういうことだ?」

 

 確かに普通の人間からすれば数か月で一級品の人材になるというのは余程の努力と才能も必要になるだろう。

 

 才能は別として、厚一は師に恵まれた。本人の性格と政治的な面でなる事は叶わなかったが、最も日本代表に近いと言われたISパイロットであった真耶に師事を受け。そして厚一の感覚に馴染んだラファール・リヴァイヴの存在。同じラファール・ユーザーであるが故に教導のしやすさ。

 

 それら様々な要素があり、厚一は数か月で代表候補生レベルの実力を身に着けている。

 

 あの一匹狼のラウラが認める程なのだ。実力は本物である。それを分かっている人間が果たしてどこまで居るのか。

 

「10年前。僕はこのIS学園で生まれました」

 

「なに、どういうことだ?」

 

「当時のIS学園は学園というよりも研究施設としての側面が強かった。そこで研究されていたのは、最強の遺伝子を使って、最強のISをパイロットごと開発する計画が進行していました」

 

 厚一の口にする内容に、千冬は一気に酔いが醒めた。

 

 確かに当時、IS学園に在籍した千冬も学園というよりは研究所という方が手っ取り早いと思う程に堅苦しい場所だったのを覚えている。そして三年を過ごし、千冬は日本代表として第一回モンド・グロッソに出場したのだ。

 

「ISとの同調率を人工的に高める研究。当時の最強存在の遺伝子を使って、生まれた被検体の51番目が僕だったんです」

 

「51…、厚一…、そういう事か」

 

「母さんネーミングセンスが壊滅的だったんで自分でつけたんです」

 

 それこそ厚子(あつこ)だとか付けられそうだったので、厚と一で厚一と名乗る事にしたのだ。その時の母が少し悲しい顔をしていたことが、今でも厚一は覚えている。

 

「様々な実験をしました。それまでの50人の被験者で同調実験は安定していたので、次は男でもISを動かせるようにという実験をするのは当然の事でしょう」

 

「それが、お前だったと」

 

「実験は取り敢えず成功しました。身体に過剰な量の女性ホルモンを打ち込んだり、同調率を高める為に改造手術や薬物投与。普通なら壊れているような実験でも、人類の最高の肉体を目指して作られましたから、ちょっとやそっとの無茶でも死ぬことがないんです。そんな自分がどうして生まれたかもわからない毎日を変えてくれたのが母さんだったんです」

 

 真っ白な実験室で喉が裂ける程叫んでも実験は終わらない。ISを動かすのに必要な知識と、それに付随する最低限の一般常識だけしか与えられなかった。

 

 来る日も来る日も投薬に実験に手術の連続。自分なんて初めからどこにもいない、ただ生きているだけのパーツ。

 

 そんな日常を変えてくれたのが、自分と殆ど変わらない顔をした女の人だった。

 

「母さんは僕を助けたあと、僕を高校に入れました。人を隠すのなら人の中だって。でもそこでいじめられちゃって、結局は家で引き籠ってました。ほぼ10年もの間」

 

「速水、まさかお前…」

 

「僕は実年齢で言えばまだ10歳ですね。身体は当時ISに乗せる理想の年齢が10代中ごろの人間だったので、そこまで色々されて育ちました。毎日腕や足が焼ける様に痛くて。内臓も成長に追いつく様に手を加えられました。人工的にISを操る最強の存在を作る『ブルーへクサ』計画の生き残りが僕なんです」

 

 そんな事がこのIS学園で行われていたことに衝撃を隠せないでいた。だが当時の先見的な人間からすれば、女だけが動かせる最強の兵器となったISの存在で今の世の中になるだろうという可能性を考える人間が居てもおかしくはない。

 

 そしてその頃、IS学園の敷地内で建物が吹き飛ぶほどの大規模爆発があったのを千冬は思い出した。

 

 おそらくそれが、速水厚一という存在が世に産み落とされた産声だったのだろう。

 

 自分たちの作ってしまった世界の歪みを背負わされた存在が、千冬の目の前に存在した。

 

「だから織斑君がISを動かせたときは、自分以外の子が生まれてしまったのかという心配もあったんです。そして母さんがISの適性検査を受ける様に勧めたのも、きっと僕に織斑君の様子を見に行くように仕向ける為だったのかもしれません。でも織斑君は普通の男の子だったから安心したんです。代わりにどうして織斑君がISを動かせるのかは本当に謎なんですけどね」

 

 苦笑いしながら頬を掻いて厚一は言った。自分と同じ存在ならばわかるはずだと思ったからだ。母を見た時に、直感的に確信して母親だと思ったように。

 

「今でも僕はその時の事を夢に見ます。でも母さんが一緒に居てくれると不思議と夢を見ないんです。それは織斑先生の時も一緒でした」

 

「…私と同室だったときに一時的に顔色が良くなったのはそのためだったか」

 

「はい。背中合わせでも、織斑先生が居てくれたから悪夢を見ませんでした」

 

「…今はどうだ?」

 

「変わりません。誰とも添い寝はしていませんから。僕は壊れているんです。でもそんな僕でも母さんをもう一度日の光る世界に取り戻すためには力が必要なんです。僕や母さんを害する理不尽を跳ね除ける力。権力を叩き潰す権力が。自分と母さんが安心して生きられる世界がっ」

 

 その選択肢は目の前にある。だがその手を取るべきか否かを厚一は決められないでいた。

 

 それは他人が決めるべき事ではないが、それを選ぶヒントを…、きっかけが欲しかったのだ。

 

「……実はな。日本政府からお前に専用機を持たせるという話が上がってきている」

 

「日本が?」

 

 沈黙を破るように紡がれた言葉に、厚一はなぜ今更になってと首を傾げた。

 

「でも自分にはラファールがありますけど」

 

「だが第二世代の量産機。しかもフランスの機体だ。日本国籍であるお前がラファールを使い、更には形状制御のリミッターを超えて一次移行させた。それだけでも日本政府からすれば目玉が飛び出すニュースだが。同じ男子でもお前は織斑に比べて優れている。教員用とはいえ量産型のISでイギリスの代表候補生に迫り、そして織斑に勝利した。それだけではない。日本が放棄した第三世代ISを完成させた。先のクラス代表戦では侵入者の単独撃破。教員とのコンビとはいえ中国とイギリスの第三世代に打ち勝った。ISに関わり三ヶ月の人間が3つも高等技能を有し、かつ優秀な戦績と実績を積み重ねた結果だ。それによって、日本政府もお前の才能に危機感を持ったという事だ」

 

「ですが自分は」

 

「生まれ持った能力は知らぬ人間からすれば同じスタートラインから始まったものの競争にしか見えん。それにお前の事だからIS適正検査で細工したとは思えん。カーブを曲がる事すらままならなかった時の表情は本物だ。今もそのラファールであるから飛べているのだろう?」

 

「はい。自分はこの子以外ではやはり上手く空を飛べません。この子だから一緒に飛べるんです」

 

 そう言って厚一は指に嵌った待機状態のラファールを胸に抱く。

 

 そうしてISを大事にする人間だからこそ、機体も応えているのだろう。

 

「だがそれも知らぬものから見ればという物だ。政府は身勝手すぎる」

 

「そういう物ですよ。個人の人生で国が有利になるなら迷わずに国の利益を優先します」

 

「……入学当時はお前を研究室に入れるという声が大きかったそうだ」

 

「そうだったんですか」

 

「それがIS委員会からの介入でお前の身柄がIS学園預かりとなったのは、お前の出生と関わりがあるやもしれん」

 

「そうかもしれませんね」

 

「IS委員会はお前が無能ならば身柄を引き渡すように要請していた。それをお前は実力で跳ね除けた」

 

「山田先生のお陰ですよ…」

 

「だが、国家代表レベルの教導に食らいつき物にしたのはお前の実力と努力だ」

 

「それは自分がここに居る為に必要な事だったからです」

 

「私はお前を守ってはやれなかった」

 

「充分に守って貰っていますよ。山田先生と一緒にね」

 

 そう言った瞬間、厚一の見る光景がテーブルから天井に代わり、そして目の前には千冬の姿が広がった。

 

「織斑先生?」

 

「…すまん。…すまない、速水っ。私は、お前は…っ」

 

 あのいつも厳しい千冬が涙を流して泣いている。押し倒されて馬乗りになって、そして泣かれるという状況に、本日二回目の混乱が厚一を襲った。

 

「泣かないでくださいよ。困ります」

 

「っ、すまん…っ」

 

 制服の胸ポケットからハンカチを出して、厚一は千冬の涙を拭った。そしていつもの様に優しく笑みを浮かべて、千冬の背に腕を回すと、そのまま抱きしめる様に腕を引いた。

 

「お、おい…っ」

 

「大丈夫です…。大丈夫だから……」

 

 頭を撫でて、背中を軽く叩いて。落ち着くような抱擁。泣いている子供をあやす母親の様な言葉。

 

 それに千冬は安心感というものを感じてしまった。

 

「人を子ども扱いするな」

 

「だって、僕の方が年上ですよ?」

 

「中身は子供だろうが…」

 

「さて、どうでしょう? 知識だけなら、色々と知ってますよ」

 

「ぬかせ。経験もないくせに」

 

「先生も同じでは?」

 

 あのブラコンっぷりを見れば、千冬にそういう経験もあるようには。失礼だが厚一は思えなかった。

 

「してみるか?」

 

「織斑君に怒られそうなので遠慮します」

 

「アイツは関係ないだろう」

 

「織斑君シスコンですから。千冬姉が欲しければ俺を倒していけーって言うタイプですよ。きっと」

 

「なら、問題はないな」

 

 身体の上に覆いかぶさる千冬の顔か近づき、厚一の唇を奪った。

 

「レモン味だったな」

 

「缶チューハイでレモン飲んでましたからね」

 

「たわけ。ファーストキスの味はレモン味というのが通説らしいぞ」

 

「それは初恋が甘酸っぱいからだそうですよ」

 

「可愛くない奴だな」

 

「そうですね、酔っている所為かもしれません」

 

「なら酔いの所為にするか?」

 

「そうですね。そうしましょうか」

 

 そしてもう一度、千冬と厚一は口づけをした。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌日。いつも通りに起きる千冬だったが、頭が二日酔い並に酷い頭痛に苛まれているのを額を抑えて我慢する。

 

 横には静かに寝息を立てている少年が寝ている。そう表現するのには細い身体ながらも良く鍛えられた四肢をしていて、スラリとしながらも軟らかいお腹も、筋肉質な自分よりも女性の様な軟らかさがあった。

 

 涙の痕を流すその頭を優しく撫でてやる。

 

 ある意味、異母兄弟かもしれない間の相手と夜を過ごしてしまったのは酔っぱらった勢いとして片づけられるだろう。

 

 それくらいは安い物だと思う。それでひとりの生徒の心が救えるのなら。

 

「いかんな…」

 

 弟とはまた違う犬属性持ちの男の顔を見るとニヤケてしまう。

 

「んっ、……っ、いたい……」

 

「お目覚めか?」

 

「ちふゆさん…?」

 

 寝ぼけ眼を擦りながら身体を起こす厚一に声を掛ける千冬。

 

 そして徐々に頭がハッキリしてきたのだろう。みるみる内に顔を赤くする初心な少年の肩を叩く。

 

「先にシャワーを浴びてこい。着替えは、スーツは貸してやれるから早くしろ」

 

「は、はい……」

 

 そう言って、立ち上がった少年の背中を見送り、千冬はテーブルの上にあった飲みかけの缶チューハイに手を伸ばした。

 

「ファーストキスか。中々悪くはなかったぞ」

 

 そんな呟きは既に脱衣所に入ってしまった少年には聞こえなかったのである。

 

 交代でシャワーを浴びた千冬が風呂を出ると、鼻孔に食欲をそそる香りが直撃した。

 

「あ、もう少し待ってくださいね。ごはん出来ますから」

 

 エプロンをして、出しておいたワイシャツとスラックスに着替えていた厚一が振り返って千冬に言葉を投げる。

 

 忙しくて殆ど自炊することをしない上に出来ない千冬であるが、定期的に一夏がやって来ては食材を置いて行くのだ。そして定期的に夕食を用意してくれるという出来た弟は千冬のささやかな自慢で楽しみだった。

 

 そんな料理を作る男子を見ているから、厚一が料理している様子も別におかしくはないのだが。

 

「まだ酔っているらしいな…」

 

「はい?」

 

「いや。なんでもない」

 

 その後姿の破壊力に、思わず背中から襲ってやろうかと思ったくらいだった。

 

 くびれのある腰。丸く張りのある尻に、撫で肩で幅の狭い後姿。そこにエプロンが加わるともう女にしか見えないのだ。

 

 そうして用意された二人分の食事は卵焼きと味噌汁に白米という質素な物だった。それでも弟と味付けが違うものも新鮮だった。

 

「そういえば伝え忘れていたが。学年別トーナメント当日に面会がお前に一件あるぞ」

 

「面会ですか?」

 

「相手は芝村一族だ。相手に弱みを見せるなよ?」

 

「芝村…」

 

 芝村と聞いて、厚一は母の恋人である芝村を思い出した。偶然同じ名前なのかもしれないと思いながら、朝食の箸を進めたのだった。

 

「服のサイズは平気か?」

 

「はい。自分は千冬さんみたいに胸はないですから」

 

「生意気だな。弱いくせに」

 

 千冬からスーツを借りて、今日は1日この姿で過ごすことになるだろう。何故なら一張羅の制服は酒やら何やらでとても着れる状態にないからである。

 

 今からランドリーをまわしても乾くまでに授業には間に合わないからである。

 

 制服の予備くらい持ち合わせておけと千冬に怒られながら、次の陳情リストに予備の制服を付け加える事を決める厚一だった。

 

「それじゃあ、千冬さん。またあとで」

 

「ああ。またあとでな」

 

 そう言って部屋を出て行く厚一は、入り口で千冬に振り向いていつも通りの笑顔で笑った。

 

「ありがとうございました。織斑先生」

 

「ああ。また授業でな、速水」

 

 そして今度こそ厚一は千冬の部屋を出て行った。

 

「バカだな。私は」

 

 振り向いて、窓から照らし込む太陽を見上げて、今日も良い天気になりそうだと思う千冬だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「みんなおはよう」

 

「おはようございますちふ――あれ? 速水さん???」

 

「え? なになに、なんで?」

 

「スーツ姿の速水さん!? 写メ、写メ撮らなきゃっ」

 

「もしかして速水先生とか?」

 

「わからないところがあったら、遠慮なく言ってくださいね?」

 

 そう言って厚一は笑顔を浮かべて笑うのだが。いつもとは少し違う、ほんわかさ二割り増しの笑顔だったのだ。

 

「きゃーーーっ! よろしくお願いします速水せんせーっ!!」

 

「真耶ちゃん先生とはまた違うほんわかさ。なにあの人、食べても良いの!?」

 

「お、おちついて。確かに襲っちゃいそうになるくらい無防備過ぎるけど落ち着こう? ね?」

 

「りこりん欲望がダダ漏れになってるよ」

 

 そんな今日も元気いっぱいの少女たちに囲まれながら、自分の席に座ると、横のセシリアに声を掛けられた。

 

「そのスーツ、織斑先生のですわよね?」

 

「うん。制服汚しちゃったから借りたんだ」

 

「予備の制服はお持ちでないのですか?」

 

「うん。いつも着てるあれ一着だけ。あ、でもちゃんとクリーニングしてるから汚くないよ」

 

「それはいつも隣に座っていますからわかりますが。いったいどのような経緯でそうなりましたの?」

 

「昨日先生の所で飲んでたらお酒零しちゃって。ランドリーはもう閉まってた時間だし、朝一番で放り込んでも間に合わないからスーツ借りたんだ。レディーススーツだからおかしいと思うけど」

 

「そうでしょうか? ジャージで授業に出るよりかはお似合いかと思いますが」

 

「……そうか。ジャージで来ればよかった」

 

 セシリアに指摘されてなんでスーツを貸りて来てしまったのかと厚一は天を仰いだ。

 

「それよりも聞きましてよ? あのボーデヴィッヒさんとタッグを組んだそうですわね」

 

「うん。いきなり来ていきなり口説かれちゃった」

 

「あなたはそういう所の無防備さと人の疑いの無さをもう少し見直すべきですわ」

 

「あははは。気をつけるね」

 

 そうして授業が始まるのだが、朝に現れた一夏が厚一のスーツが千冬のものであると気付き詰め寄るのであるが、セシリアと同じ様に事情を説明して回避すると、なら自分の制服を貸すと言い出したのだが、授業は半日で終わる為に遠慮した。それでも少ししつこかった一夏の頭に出席簿が炸裂し、渋々一夏は引き下がったのだった。

 

「すみません先生。もう少し早く気づけばよかったんですけど」

 

「いや。別に構わんだろう」

 

 その日の放課後。クリーニングが終わった千冬の制服を返しに厚一は宿直室を訪れた。

 

「それにしても、随分と熱心に指導していたな」

 

「大詰めですからね。少なくとも今の織斑君と正面から戦えるぐらいには仕上げてあげたかったんです」

 

「それで? 物になりそうなのか」

 

「本人の剣の腕は織斑君よりも上ですから。あとは切り込むタイミングの計り方ですね。そこは織斑君が経験が上ですから、見た感じ五分五分でしょうかね」

 

 今日の第三アリーナは正しく怒号が飛び合う地獄だった。

 

 一夏と箒に対する千冬と厚一の指導が反響する程に響き、その光景に他の生徒は身動きできずに足を止めてしまう程だった。

 

 一夏は打鉄に乗る千冬にひたすらボコボコにされ。箒もラファール・エスポワールを纏う厚一にボコボコにされ続けた。

 

 とにかく今日は上級者と戦う事を厚一は想定して本気で箒と模擬戦を行ったのだ。シールドエネルギーがゼロになると補給の間はダメだった点や甘い点を指摘する。

 

 一夏の場合は基礎からの叩き上げという作業になったらしい。機体の動き自体はセシリアが教えていた上にシャルルが加わった事で良くなって来ていたので、そのレベルを上げる作業となったのだ。

 

 しかし鬼教官がふたりも居る上にどちらの声も聞こえるので二重の意味で一夏と箒の心はボロボロになったのだとか。

 

 しかし負けず嫌いの似た者同士故にくらいついて行くところもそっくりな男女であるが。息がぴったりの鬼教官相手に同時に撃沈させられてアリーナの地面を何度も舐める羽目になったのだ。

 

 そのあと教え子がダウンしてしまったので軽く流す様に打ち合ったあと、復活した教え子をまたボコボコにしてその日の教導は終わったのである。

 

「もうだめ……しぬ…」

 

「大丈夫? 一夏」

 

 自室で口から魂が抜けそうな一夏を心配するシャルロット。

 

「ぅぅ、ま、まだ…」

 

「もう寝たほうが良いよ篠ノ之さん」

 

 自室で船をこぎながらも、今日の反省点のレポートを書く箒を心配する同室の鷹月静寐。

 

 明らかにもう頭が眠っていて気合で身体を起こしているような状態の箒を見て、それでも机に齧り付く箒に、まるで先生に似ちゃってと苦笑いを浮かべた。

 

 翌日は日曜日とあって、数々の生徒が最終調整に勤しんでいた。

 

 箒は簪と組んでもらい、最終調整は任せる事にした。

 

 厚一もラウラとの連携訓練をする事になったのだ。

 

「この場合は私が前に出る。そうすれば立て直しと援護を同時に出来るだろう」

 

「そのまま切り替えずに火力で面制圧を掛けてトドメは任せる感じでいいのかな?」

 

「ああ。それで構わない」

 

 最初の出会いから考えれば険悪になってもおかしくはないのだが、そこはラウラが軍人だからだろう。それはそれとして、これはこれという考え方なのかもしれない。それでも未だに一夏には謝っていないそうだ。

 

 自分が一夏を認める程になれば謝らんでもないという事だった。

 

 そして自分は借りがあるのでラウラに合わせる事に異論はない。

 

 基本戦略は速攻。前衛で鉄壁の防御を持つラファール・エスポワールが突っ込み敵を分断し、その隙をシュヴァルツェア・レーゲンが仕留める。

 

 万一にラファールが止められた場合は瞬時に前衛と後衛をシフトし、面制圧火力に富むラファールが援護し、シュヴァルツェア・レーゲンがトドメを刺していくという基本的な部分を決め、あとは戦術単位やアドリブで対応するという方向性に固まった。

 

 一夏はシャルルと組む事になるのは当然と言えた。同室で男同士なのだからそうなるだろうと厚一は考えていた。

 

 セシリアは鈴と組む事にした様だ。以前の連携で思う所があったのか、その雪辱を晴らす為に燃えている様子だった。

 

 一日中を最終調整に使い果たした各々はピットに戻って行くが、厚一だけは箒を伴って最後にアリーナに居残った。

 

「それじゃあ、最後。瞬時加速(イグニッション・ブースト)の説明と、実践に入るからね」

 

「よろしくお願いします」

 

 時間は6時。いつもならばもう上がる時間だが、今日は一時間だけ長く使わせて貰えるように厚一が予め申請していたのだ。

 

「原理はそれ程難しくないんだ。スラスターから放出したエネルギーを再び取り込み、都合2回分のエネルギーで直線加速を行う。感覚で言えば吐いた息をまた吸って口の中で貯めた2呼吸分の空気を勢いよく吐き出す感じなんだ」

 

「イメージとしてはわかります」

 

「ならさっそくやってみようか。といっても先ずは瞬時始動(イグニッション・スタート)からだね。PICで浮かない分制御系に気をまわさなくて良いからね」

 

「わかりました。行きますっ」

 

 そして箒は最後の詰めを行い。7時ジャストでアリーナから上がった。

 

 既に誰も居ない帰路を厚一はひとりで歩いた。シャワーを浴びたりするので先に上がっていても良いと箒には伝えたからだ。

 

「いよいよか」

 

 この学年別トーナメントで自分の価値が決まるのかもしれない。それ程来賓が多く来るイベントの一つなのだ。

 

 そう思うと俄然やる気が湧いてくるのも現金な話だった。

 

「お疲れ様です。速水さん」

 

「織斑君?」

 

 厚一が部屋に辿り着くと、そこでは一夏が待っていた。物凄くフラフラだが。

 

「実はお話したいことがあって」

 

「うん。良いよ」

 

 食事は部屋で食べればいいかと思いながら、厚一は一夏を部屋に招いた。

 

 紅茶を出してひと息吐いた所で厚一は話を切り出した。

 

「それで。話って、何かあったの?」

 

「実はですけど」

 

 そうして一夏はシャルルが性別を偽ってIS学園に転校してきたデュノア社の社長の娘であるシャルルの話をした。

 

「なるほどねぇ」

 

 シャルロットがシャルルとしてやって来た理由。

 

 デュノア社の経営の傾きと存続の危機。

 

 最後の賭けとしてハイリスク・ハイリターンを狙ったわけ。

 

 もしそれが暴露された場合にはとてもではないが一企業の話だけで済む話ではない。

 

「シャルルを庇う事は出来なくもないね」

 

「ど、どういう事ですか?」

 

「シャルルは親の命令。逆らえない命令を受けて仕方がなく従うしかなかった。そうすれば最低限シャルルの身柄は守れる。ただ本国に返すのはお勧めしない。なにをされるかわからないから。最悪は身柄をIS学園で保護してもらう可能性も出てくる。ラファールは返却するか学園の物を一機フランスに譲るかどうかはわからないけど、少なくとも専用機持ちで代表候補になっていて書類審査が通っているという事は、国も関与している可能性も充分にある。一個人で首を突っ込むのは無謀過ぎる問題だね」

 

「っ、でも!」

 

「だから見捨てるってことが出来ないのはこの数か月の君を見ていればわかるよ。それで、君の目の前には誰が居る?」

 

「だれって、速水さんですが」

 

「その使用ISは何でしょうか?」

 

「ラファールですけど…。まさか速水さんのデータを渡すんですか?」

 

「稼働データだけじゃ足りないなら戦闘記録もあげるよ。欲しいのは第三世代のデータだろうけど、自社製品が男性IS操縦者に愛用されているって宣伝になれば少しは状況もかわるかもしれない。僕もこの子と飛べなくなるのは嫌だからね。その為にはどうにかしてデュノア社にはこれからもISを扱って貰わないとならないからね」

 

「速水さん…」

 

「さ、今日はもう戻って寝たほうが良いよ? 明日から大変なんだからね」

 

「はい。ありがとうございますっ」

 

「あはは。おやすみ、織斑君」

 

「はい。おやすみなさい、速水さん」

 

 そう言って一夏は厚一の部屋から出て行った。

 

「そっか。女の子だったんだ。ちょっと残念かなぁ」

 

 割と本気で3人目の男子だと思っていた厚一も驚きとショックは隠せなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「うぐ……」

 

 どさりと、身体が崩れ落ちる。

 

 そして箒の脚から引き抜かれるくつした。

 

「これで1日のくつしたの香りなんて。篠ノ之さん結構ハードな訓練してるのね」

 

 その香りにうっとりしつつ。くつしたで意識を刈り取った箒をベットに寝かせるソックスハンター。

 

 ソックスハンターはソックスを盗むが、ほんのちょっとの幸せも分けてくれるのだ。

 

「伝説の速水さんくつしたか、はたまた市場に出回っていない幻の織斑くんくつしたか」

 

 2枚のくつした。好きな相手のくつしたか、それとも師と仰ぐ人物のくつしたか。

 

「ならば両方試すまで。前代未聞のダブルソックス!!」

 

「ふぎゅ…っ」

 

 その日、新たにソックスハンターが増えるとか増えないとか。

 

 

 

 

 



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開幕! 学年別タッグトーナメント

いよいよタッグトーナメント戦なのだが。

ヒロインは何処に居るんだろう。なんで女子たちがヒロインじゃないんだろう。おかしいな、これISの小説なのにね。

という感じで書き上がったのですが。もうむちゃくちゃである。


 

 学年別タッグトーナメント当日。

 

 この日のIS学園は例年以上の注目を浴びていた。

 

 各国の政府関係者、研究員、企業のエージェント等々。様々な来賓がやって来る。

 

 厚一はそんな来賓のひとりに指名されて面会をする事になったのだ。

 

「失礼します。速水厚一、ただいまやってまいりました」

 

 来賓室に入室して名を名乗る。それを受けて立ち上がり、振り向いた女性は厚一の知る人物だった。

 

「呼び出してすまんな、速水」

 

「芝村さん。IS学園にようこそ」

 

「もうすこし驚いてもよかろう」

 

「あはは。自分の様な人間に面会を希望する人はあまり居ないと思っていましたし。芝村と聞いたときに知り合いと言えば芝村さんしか思い当たらなかったので」

 

「そうか。だがお前はもう少し自覚というものを持ち合わせるが良い。お前の実績は聞いている。随分と優秀な成績を収めているともな。誇るが良い。それはお前自身の努力の結果だ」

 

「ありがとうございます」

 

「うむ。それでだが、お前を代表候補生として任命するという話が出た。これを受け入れれば晴れてお前の身は日本国内において不動のものとして保障されるわけだ」

 

「自分が、代表候補生?」

 

「そうだ」

 

 何故母の恋人である芝村(しばむら) (こころ)がその様な国家クラスの話を自分にしているのかという疑問はある。だが正式な来賓として来て居る以上、彼女の身は相当偉い人間であるという事を物語っている。

 

「もしそれを受け入れたとして、母さんはどうなりますか?」

 

「速水は速水の人生がある。そなたはそなたの人生を行くが良い。速水、そなたは速水を助けたいと思っているようだが、それを速水は望んだか?」

 

「っ――!?」

 

 志の言葉が厚一の胸に突き刺さり、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を味わった。

 

「そなたはまだ幼い。親の事を考えるには若すぎる。それは我々の務め故、そなたはそなたの道を征くがよい」

 

「いけない事なんですか? 子が親の心配をしたら、いけない事なんですか!」

 

 つい感情的に言葉を荒げてしまう厚一だが、志は小動もせずに厚一を見つめている。

 

「アレは子に心配されるような程弱い女ではない。それこそお前が現を抜かし、ケガをする方が余程心配だと言っていたぞ」

 

「母さんが?」

 

「速水。お前の剣は何処にある?」

 

「僕の、剣…?」

 

「闇を払う銀の剣。だがそのままではその銀もくすむだろう。速水、己の戦いを見つけよ。己の意思で戦場を駆けよ。己の生き様で戦え、速水」

 

「僕の、生き様…」

 

 志は厚一に、自分の為に戦えと言っている。厚一は母を救う為に強くなろうとした。自分がこの国で生き、母を救う為、国に自分の利用価値を示す為に戦っていた。

 

 誰かを守りたい。どこかのだれかの未来の為に戦う人間になる。ならば母の為に戦う人間になっても良いのだろうと考えていた。

 

「決して折れぬ己の誇りだ。それがあればどのような戦場であろうとそなたは戦い抜けるだろう。己の証を先ず示せ。そこに居ると吼えてみせろ。速水。お前という戦士がここに居ると証明せよ」

 

「僕が……」

 

 自分が戦う理由はすべて母の為。それを自分の為の戦いを見つけろという。

 

「己に自信がないのならば腕を磨けばいい。今までの様に、これからも。そして自らの道を選べ。日本に残るのも良い。ドイツに渡るのも良い。イギリス、中国、今はあまり勧めんがフランスも良い。織斑一夏とは違い、そなたには世界を選択する権利がある」

 

「芝村さん…なんで」

 

 自分がラウラに勧誘されていることを知っているような口ぶりに、何故知っているのかという疑問が厚一の胸に湧く。だがそれを見て志は笑みを浮かべた。

 

「私はそなたの親だぞ? 子の事くらい把握している。速水の子ならばどう考えているかもわかる。お前は速水に似過ぎているからな。だが速水は速水、そなたはそなただ。己の後悔のない選択をするが良い」

 

「僕の、後悔のない様に…」

 

 自分が後悔しない道。それを果たして正しく選べるのだろうか。

 

「ひとつ教えておこう。己が戦う時にこれを歌うが良い。そなたが戦うその時に歌を歌えば、人はただそれだけで心を揺さぶられよう。歌はただの歌だが、重要なのは聞き手の心だ」

 

「戦う歌……」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「自分がまだ夢でも見ている様だ。簪、私は何をしていたんだ?」

 

「普通に戦って、普通に勝っただけだけど」

 

 第一試合。箒は簪とペアを組んで、無傷で勝利した。

 

 相手は同じクラスの相川 清香と鷹月 静寐ペアだった。

 

 戦術は近接戦闘主体の箒を前線に、後方支援向きの簪がその制圧火力でダメージを与えるという戦法だった。

 

 その為に大型の実体シールドを装備するという厚一と似たようなスタイルとなったのだが。

 

 ただ攻撃を受け止めるだけではシールドは直ぐに消耗するという事がわかった。

 

 結局シールドが破壊されてから箒は機動力で相手の攻撃を避け、そこに簪のミサイル弾幕が突き刺さり、トドメは箒の一太刀であった。

 

 だがその合間、一発も被弾するようなことはなかった。

 

 2週間という期間で会得した自身の力が信じられなかったのだ。

 

「厚一さんの訓練は、代表候補生のさらに上の物だったの」

 

「代表候補生の、さらに上?」

 

 厚一が箒に行った教導。その苛烈さにデータを取っていた簪は、その師である真耶を直撃した。

 

 自分も代表候補生だ。だがそれでも厚一の教導は度が過ぎていた。

 

 故に真耶は厚一に何を教えているのかを問いただし、結果厚一は国家代表クラスの教導を受けていることを簪は知った。

 

 それを公言するつもりはなかった。そうなれば真耶が教えれば、厚一が教えれば、誰もが箒の様に強くなるだろう。勿論その教導に耐えられるかどうかは別ではあるが。

 

 今は箒という個人が厚一を説得したから築かれた師弟関係だ。

 

 しかしそれが周りに知れ渡った時、厚一は自分の時間をどれほど過ごせるのだろうか。

 

 教導風景を見ている生徒は良い。恐らく自分には着いて行けないと判断するだろう。

 

 だがそうではない生徒はどうであろうか。

 

 興味本位で教えを請われるのは、それだけでも厚一の限られた時間を削ってしまうだろう。だから簪は基本的に放課後の訓練が終わった後の時間くらいしか自分から厚一には近づかないようにしている。他のクラスだからという事もあるが、それでも少しでも、自分の為に時間を使って欲しいのだ。

 

「次は厚一さんの試合だね」

 

「う、うむ」

 

自分たちに近しい人間の試合は厚一とラウラ、そしてセシリアと鈴の試合だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「第一試合がイギリスと中国の代表候補生が相手だとはな」

 

「連携力はきっと向こうの方が上だ。機体相性も前衛と後衛でハッキリしてる」

 

「だが問題ない。個人の技量ではこちらが上だ。そして量産型ISに負ける程度の相手に後れを取る程、私もお前も軟ではない」

 

「それでも代表候補生だ。その過信は足元を掬われるよ」

 

「良いだろう。覚えておこう」

 

 ピットから出た厚一とラウラ。そしてセシリアと鈴。

 

 第三世代機同士の一戦。そして3人が代表候補生。その中で男性とはいえラファールのカスタム機である厚一の姿は浮いていたとも見えるだろう。

 

 来賓席には志も座っていた。無様な姿は見せられないと、厚一も腹を決めた。

 

「まさか1戦目で速水さんと当たるなんてね」

 

「それはこっちもだよ。あれから何処まで強くなったか、少し楽しみだよ」

 

「今回は前回の様な無様は晒しませんわ」

 

「お前たちの御託などどうでも良い。さっさと始めるぞ」

 

 全員が武装を展開する。そして試合開始のカウントダウンが始まる。

 

 4人の闘気がアリーナに広がって行く。それを受けて先ほどまで喧騒に包まれていたアリーナが一気に静かになった。聞こえるのはカウントの電子音のみだ。

 

 誰かが固唾を飲む音さえ聞こえそうな程の静けさの中で、カウントのブザーが鳴り響いた。

 

「っ――!!」

 

 最初に動いたのは厚一のラファール・エスポワールだった。瞬時始動(イグニッション・スタート)による直線軌道は開幕で行うのには些か危険な物である。だが誰よりも機先を制し、更に鉄壁の防御を誇るラファール・エスポワールであるからこそ、それは奇襲となり得た。

 

「させませんわ!」

 

 セシリアのブルー・ティアーズからミサイルが放たれる。

 

「絶対止めてやるっ」

 

 そして鈴の甲龍からも衝撃砲が放たれる。

 

「く――っ」

 

 鉄壁の防御を超えられずとも、爆発と衝撃は厚一でも防ぎきれない。装甲は厚くともそればかりはどうしようもないのだが。

 

「止まるなっ」

 

 さらに瞬時加速(イグニッション・ブースト)でそのままラファール・エスポワールは駆け抜ける。

 

 腕のシールドとフレキシブルアームに接続されている二枚のシールドで前面を防御してふたりの視線を釘付けにする。

 

 ミサイルの着弾を受け流し、衝撃砲が当たった瞬間にその衝撃を最小限に留める様にシールドで防御する。ただ防御するのではなく、上手く装甲を使って防御するのだ。

 

「私が居るのも忘れて貰っては困るな」

 

 そうしてラウラのシュヴァルツェア・レーゲンの大口径レールカノンから砲弾がセシリアと鈴を襲う。

 

 それでもそれをすぐさま察知して両者は回避するが、セシリアのブルー・ティアーズの脚にワイヤーが絡みついた。

 

「なっ」

 

「どっせいっ」

 

 ワイヤーを引き絞り、力任せに引く厚一は、機体の加速力も合わせてセシリアを鈴から引き剥がす。

 

「させるかっ」

 

「こちらがな」

 

 セシリアを助けに向かおうとする鈴に、ラウラがレールカノンを放ち足止めする。

 

「こんのぉっ」

 

 青龍刀を構えて切りかかる鈴の甲龍の動きが止まる。

 

「きゃっ、な、なによ!?」

 

「これくらいで捕まるのか。やはり貴様は優秀な人間だ、速水厚一」

 

 ラウラはアクティブ・イナーシャル・キャンセラーで動きを止めた甲龍に冷めた視線を飛ばしながら、一瞬だけブルー・ティアーズを相手にするラファール・エスポワールに目を向ける。

 

 初見で停止結界を見抜いた男。そしてその特性を理解し、エネルギー兵装を持つブルー・ティアーズへ真っ先に自分から攻撃を仕掛けたこと。

 

 その対応能力の高さ。そして戦闘分析能力の高さも、代表候補生でも上位の能力を持っている事は想像に難しくはない。

 

「貴様をいたぶるのは後だ。ここで仲良く見物と行こうではないか」

 

「冗談じゃないわっ。こんな恥ずかしい格好を晒せるもんかっての!」

 

 どうにか動こうとする鈴であるが、機体の動きを止められてしまっていては身動きが取れない。

 

「早く鈴さんを助けなければ」

 

「そうはさせない」

 

 それはセシリアも考えていた事だ。

 

 厚一が必要に自分を狙い、ラウラのもとに行かせない。

 

 機体特性を考えれば遠距離攻撃が得意な者同士で撃ち合い。その合間に近接型が勝負を決め、あとは2対1に持ち込むほうが戦術的にはスマートだ。

 

 だが、それを厚一は態々遠距離タイプのブルー・ティアーズに向かってきた。

 

 鈴を相手にするよりも自身に対する対策が出来ているからだと思っていたが、ラウラを攻撃できる隙が出来ると多少強引にでも厚一は射線に入って来る。

 

「あのカラクリは、わたくしには余り効果がないのではなくて?」

 

「さぁ、どうかな」

 

 そう言いながらパーティクル・ランチャーでブルー・ティアーズを撃つ厚一だが。エネルギー兵装に一日の長があるセシリアは難なく避けてみせる。互いに動きながらの高速機動。その射撃に関しては未だ厚一の一つの課題として残っていた。それを調整する合間を箒の為に使った。

 

 だがそこに後悔はない。それは自分が選択して決めた事だからだ。

 

「ティアーズ!」

 

 ブルー・ティアーズから2基のビットが射出される。そしてセシリアは機体を動かしたまま、ビットとスターライトMk-Ⅲによる射撃でラファール・エスポワールの防御を崩しにかかる。

 

「さすが。ビットを動かしながら自分も動く様になるなんて」

 

「いつまでも以前のわたくしではありませんわ!」

 

「上等っ」

 

 ハンドガンを装備し、ビットを狙う。だがそうすると他への注意が薄れる。

 

「右足、いただきましてよ!」

 

「なんのっ」

 

 その場で宙返りをしてセシリアの放ったレーザーを避ける厚一だったが、そのレーザーはラウラの方へと向かって行く。

 

「しまったっ」

 

「くっ」

 

 AICを解除し、回避したラウラに鈴が切りかかった。

 

「せいやぁぁぁっ」

 

「フッ」

 

 だがラウラはそれを両腕手首から出現するプラズマ手刀で斬り払う。

 

 そしてレールカノンを向け、甲龍の非固定部位を撃ち貫く。

 

「きゃあああっ」

 

「甘いな」

 

 体勢を崩した甲龍にワイヤーブレードを巻き付け、ワイヤーを引くことで甲龍を投げ飛ばす。それで位置的にはラファール・エスポワールとシュヴァルツェア・レーゲンがブルー・ティアーズと甲龍の連携を引き裂いた形になった。

 

「ごめん」

 

「目の前に集中しろ」

 

「了解…っ」

 

 うまく誘導され、ラウラに攻撃が向かってしまった事を厚一は謝罪した。だがその程度でどうなるわけでもないラウラは厚一に集中する様に言い放つ。

 

「やはり実力ではそちらが上の様ですわね。相性も悪い」

 

「互いに得意な相手と当たるのは基本だからね。僕たちの相性はジャンケンみたいなものだよ」

 

 厚一が鈴と当たれば恐らくセシリアを相手にする様に食い止め切るには些か苦労をするだろう。

 

 そしてラウラのAICはエネルギー兵装には効果が薄い。物体の慣性を止めているAIC。質量のあるものに対して絶大な効果はあるが、熱エネルギーに対して効果がないのだ。

 

 故にブルー・ティアーズを抑えられるラファール・エスポワールが相手をするのは相性という面で必然だった。ブルー・ティアーズにラファール・エスポワールの防御を抜く突破力がないからだ。

 

 そして近接戦闘主体である甲龍と、AICを持つシュヴァルツェア・レーゲンは相性が最悪である。

 

 相手を入れ替えて戦わなければ負ける。だがそれは厚一もラウラも承知している。セシリアと鈴をそれぞれ合流させないような立ち回りを意識して戦っている。

 

 防御力に秀でる機体で初手の奇襲からの連携を崩し。さらに互いの最も得意とする相手、或いはパートナーが苦手とする相手を引き受ける。

 

 連携確認は一度しかしていないとはいえこうもパートナーの特性を理解し、それに合わせた戦術を取る。

 

 ISを操って数か月の人間という認識はセシリアの中には既に存在してはいない。目の前の速水厚一という人間は自分たち代表候補生レベルの人間であると認識していた。

 

「それでもっ」

 

 さらに2基のビットを展開し、オールレンジ攻撃で四方から攻撃を加えつつ、自身もレーザーを撃ち込むセシリア。

 

 流石に防御が間に合わなくなった厚一は近接ブレードを抜き、レーザーを斬り払うという芸当まで見せ始めた。

 

「むちゃくちゃしますわね!」

 

「負けられないからねっ」

 

 バレルロールでビットの攻撃を回避し、手に持つブレードを投げる厚一。その回転する刃がビットの1基を切り裂いた。

 

「なんですって!?」

 

 まさか投げつけたブレードでビットを破壊するなどと言う珍事を目撃してしまったセシリアは一瞬ビットの制御が甘くなった。

 

 その隙を見逃さずに瞬時に両手にハンドガンを握った厚一は空かさず他のビットを撃ち落とす。

 

「まだですわっ」

 

 ミサイルを発射するセシリアであるが。それを厚一はシールドで防御する。

 

 爆発する煙に包まれ、ラファール・エスポワールの姿が見えなくなる。そしてその爆煙から飛び出す影があった。それに照準を合わせるセシリアだったが。

 

「(盾のみ!?)」

 

 慌てて視線を戻すセシリアであるが、煙を閃光が引き裂きそれを回避する。だが避けたレーザーは先に飛び出したシールドに当たり、あろうことかレーザーを弾いて射線が変わり、スターライトMk-Ⅲに直撃した。

 

「きゃああああっ」

 

 手もとで爆発する勢いに耐えられずに体勢を崩したセシリアの目の前にラファール・エスポワールは既にその右腕のパイルバンカーを振り上げていた。

 

 感じる身体への衝撃と、訪れるのは敗北感。

 

 吹き飛ばされて手を伸ばすセシリア。

 

 その胸に渦巻くのは悔しさとは無縁の虚無感。

 

「はやみ、さん……」

 

 そのまま落ちて行くブルー・ティアーズを回収するラファール・エスポワール。

 

 そのパイロットの顔を、セシリアは間近で見つめた。

 

「お強く、なられましたね」

 

「セシリアだって」

 

 ビットを4基も操りながら自分も攻撃に加わる。以前の彼女には出来なかった事を目の当たりにして少なからず厚一は驚いていた。だがセシリアならやって見せるだろうという信頼が、その驚きを最小限にしたのだった。

 

「完敗ですわ。ですが、清々しいとも思います」

 

「僕も。素直に嬉しいかな」

 

 それはある意味リベンジマッチでもある。敗北を喫したセシリアに勝つ。あの時とは比べ物にならないくらい強くなった実感が、セシリアに勝つことで厚一の胸に去来した。

 

 そんな厚一の頬に触れる軟らかい感覚があった。

 

 一瞬の事でわからなかったが、僅かなリップ音、そして頬が少し赤いセシリアを見て、自分が何をされたのかわからない程厚一は察しが悪い人間ではない。

 

「勝利したあなたへのご褒美ですわ。そしてこの後も勝ち進められる様にご武運をお祈りしています」

 

「うん。セシリアの分も絶対優勝するから」

 

「はい」

 

 そうして笑顔を浮かべたセシリアを、厚一はとてもキレイだと思った。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「相性は最悪。どうしろっていうのよ」

 

「その程度か。つまらん男を追うから自らも弱くなる。いや、そうでなくとも数しか能がない国ではその程度でも代表候補が務まるという事か」

 

「っ、アンタねぇっ」

 

 自分が弱い。そう言われるのにはまだ耐えられるが、一夏の事をバカにする様な口ぶりを鈴は許せなかった。

 

「他の人間も甘すぎる。教官の弟だからと持て囃す。真に能力のある人間が無碍に扱われる。それに胡坐をかき、微温湯に浸っている男に、自らを地獄の釜に擲った人間が何故劣るものか」

 

「あんた…」

 

 そしてラウラが口にするのはおそらく厚一の事だろう。そこには哀れみと怒りとが渦巻く様な色があった。

 

「故にこの程度では負けていられん。このトーナメントに優勝し、そして奴を倒し、ドイツに連れていく」

 

「っ、他人の人生を勝手に決めてんじゃないわよっ」

 

 衝撃砲を撃ち放つ鈴であるが。空間を圧縮して作る砲弾ですら質量を持つために止められてしまう。

 

 どういう原理のものかわからないものの、厚一が必死にブルー・ティアーズを止める様に戦っている光景に、おそらくエネルギー兵装に弱いのだとアタリを付ける。だから先程のセシリアのレーザーも避けたのではないかと。

 

「速水厚一が日本に居てどうなるというのだ。政府は織斑一夏を贔屓し、実績も何もないうちから専用機を与えた。そして速水厚一には支援もロクにはなく、故に奴は現地で用意できる戦力で戦った。その戦果に今更手を翻したように専用機の開発を打診しているそうだ。恥知らずとは思わんか?」

 

「だからって、速水さんをドイツに連れていく理由にはならないでしょ!」

 

「いいや。我がドイツでならば奴は正当な評価を受けられる。そして、私ならば奴を守れる。あらゆる魔の手から。他国の追求すらも干渉させん。我が部隊であれば奴を守護することも納得しよう。いや、させる。私が法だ。そして我がドイツ軍が奴の居場所を作り守るのだ。この国に出来ん事を私がしてみせる」

 

 それを自信満々に言い放つラウラに、鈴は声も出なかった。いったい誰が戦っている最中にそんな事を言い放つのかと想像できるのか。

 

「謀ったわね……」

 

 しかしこの場ではそれが有効になる。各国の来賓が居る中で、厚一を連れていくと豪語するラウラの姿は一瞬で注目の的になるだろう。そしてその口ぶりからして正しく厚一を評価して肯定している。

 

 そうなれば厚一を万が一にドイツに連れて行っても政府は非道な真似ができなくなる。軍も厚一を守る為に必死になるだろう。何より男性IS操縦者という政治的に優位に立てる存在を引き込みたいのはどこの国も同じだ。

 

 織斑千冬の弟というネームバリュー。そして一人目の男性IS操縦者という知名度。

 

 悪い意味で一夏にはそれしかなく、実績はISを纏って1週間にしてイギリスの代表候補生と引き分けたという事だけだ。それだけでも快挙であるが、それを成せる特殊性が一夏の白式にあったからだろう。

 

 それを日本政府はブリュンヒルデの再来として大いに喜び一夏への支援を贔屓した。

 

 厚一の陳情した品物も、陳情から数日経ってから納入されるのに対して、一夏の場合は望めば早くてその日に納入される違いっぷりだった。

 

 だが実際戦えば厚一が一夏を降すのは想像に難しくはない。接近戦しか出来ない一夏と、全領域に瞬時に対応できる厚一とでは選べる戦術の幅が違いすぎる。一方的に削られて終わってしまうという事もあり得るだろう。

 

 鈴もクラス代表決定戦の映像を見たが、高速切替(ラピッド・スイッチ)で瞬時に武装を切り替え、さらに一夏の一太刀を受け流して近距離で射撃戦をしてでも勝った厚一の実力を見て、それがISに触れて1週間の人間だと言われても信じられなかった。自分が同じ期間で瞬時加速(イグニッション・ブースト)が習得出来ただろうか。さらに高速切替を必要とする程の多種多様な武器を扱えるだろうか。

 

 すべて答えはNO。

 

 ISを勘で動かしている鈴には厚一と同じ事は出来ないと悟っている。

 

 自分は速水厚一ではない。そしてそれほどまでに武器を搭載するISではない。故に必要はないと思う。だがそれを習得した努力のほどは想像出来る。

 

 自分も1年で代表候補生になった。その為に努力を重ねた。勘では補いきれない部分を。

 

 だが厚一の箒への教導を見て、厚一は一から努力をした人間だとわかった。

 

 それがどれだけ大変なのかを鈴にはわからない。だが血反吐を吐くような事をして来たのだろうというのは伝わって来た。でなければISを纏った千冬と互角に打ち合えるような状況が理解できない。

 

 一夏と箒がダウンする横で、ブレード同士で斬り合う千冬と厚一を見たとき、目を疑った。

 

 ハイパーセンサーでも捉えきれない速度でぶつかる厚一の姿。その速さでも対応する千冬を見たからだ。

 

 それ程までの人間が正しく評価されない。それに鈴も思う所はあるものの、それでも本人の意思を無視して連れていく道理は通らない。

 

「向こうも終わった様だ。こちらもケリにしよう」

 

「くっ」

 

 見ればセシリアが空中で厚一のラファール・エスポワールに抱きかかえられていた。少し羨ましいと思ってしまう。

 

「どっちつかずにふらふらしている女だからこそ、貴様は弱い」

 

「なんですってっ」

 

 一夏の事が好きなのは譲れない。そして厚一に向けている好意は一夏に向けている物とは別だ。

 

 別にしなければ、自分は最低の女だとわかっているからだ。

 

「二兎を追う者は一兎をも得ず。貴様にはそれが似合いだ」

 

 レールカノンを撃ち放つラウラ。それを回避するが、左の非固定部位を撃ち抜かれた甲龍のバランスは悪い。

 

 回避先に砲弾を撃ち込まれ、止まった所にワイヤーが飛んでくる。

 

「早々何度も!」

 

 ワイヤーを打ち払った瞬間だった。シュヴァルツェア・レーゲンが懐に飛び込んできたのだ。

 

「墜ちろっ」

 

 プラズマ手刀を叩き込まれ、反撃に青龍刀を振り下ろそうとすれば身動きを止められ、衝撃砲を撃とうとすればレールカノンで撃ち貫かれ、そのままシールドエネルギーがなくなるまでレールカノンを機体に撃ち込まれた。

 

『シールドエネルギーゼロ! よって勝者、速水ボーデヴィッヒペア!』

 

 そのアナウンスと共に静まり返っていたアリーナが爆発した様に歓声が響き渡った。

 

「く…っ」

 

 地面に倒れ伏しながらも、鈴はラウラを睨みつけた。だが勝者の余裕でその睨みを涼しくラウラは受け流して口を開いた。

 

「純然たる実力差というのもだ。速水厚一は我がドイツが貰っていく」

 

 そう言って踵を返し、ラウラは去って行った。

 

「……悔しいっ」

 

 噛み締めた唇から血が流れる。

 

 今までこんなに悔しいと思ったことはない。それこそ日本に来てから男子にイジメられてもここまで悔しくはなかった。

 

 それが今、そう感じるのは。あのひだまりの様な優しい時間がぽっと出のドイツに奪われようとしているからだ。

 

 強く手を握りしめ、鈴は暫く俯くのだった。

 

 

 

 

 



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絶技 突撃行軍歌

もうガンパレ要素を前面に押し出しつつ。

既に一夏の出番喰いすぎて怒られそうなというか普通のSSになってしまっていてどうしようかと考える次第。

突撃行軍歌が運対食らってしまった。いやこれ歌詞扱いになるのかと思いつつ、難しいなぁと思った。というか世界から絶技の使用禁止を出された!?


 

 一年生の専用機持ちであり第三世代ISであるセシリアと鈴の敗北はそれこそすべての要素を見抜ける人間が見ればそれぞれの役割を果たし切った厚一とラウラの作戦勝ちであるとわかるだろう。

 

 イギリスと中国の政府関係者は苦い顔をしているが、果たしてそれに気付いているか否かは別である。

 

 そして話の盛り上がりは各国の厚一への注目度だった。

 

 代表候補生を量産型の第二世代ISで下し、さらにはドイツへの勧誘。

 

 ドイツの政府関係者は周囲へ余裕の笑みを浮かべていた。

 

 最大の障害とも言える一角を崩し、順調に勝ち進んだふたりは準決勝にて一夏シャルルペアと戦う事になった。

 

 既に箒と簪はその快進撃で決勝に駒を進めた。

 

 織斑一夏を始め、更識簪、篠ノ之箒、そして速水厚一という今大会で注目株となった人材を有する日本政府関係者は態度が見るからに大きかった。

 

 それを芝村志は冷たい目で見ていた。

 

「やっとこの前の借りを返せるぜ」

 

「フン。吠えるだけなら誰にでも出来るな」

 

「なんだと!」

 

「一夏落ち着いて」

 

「速水。私はあのグズとやる。露払いは任せるぞ」

 

「了解、少佐殿」

 

「なんでそんなやつと組んだんですか、速水さん! ドイツに行くって、お母さんの事は良いんですか!?」

 

「貴様が口出しするな」

 

「お前こそ速水さんの事を何も知らないくせにっ」

 

 勝手にヒートアップしてしまう白と黒を横目に、ラファール・ユーザーのふたりは苦笑いを浮かべながら武器を構えた。

 

「速攻で潰す!」

 

「出来るものならばな」

 

 そして開始の合図と共に動いたのは一夏だった。

 

 瞬時始動(イグニッション・スタート)による開幕突撃。

 

 白式のブースターは並のISとは比べ物にならない加速力を有している。同じ戦法でも厚一のそれよりも遥かに早く接近して来るのを、間に入った厚一がシールドで防御する。

 

「なっ」

 

「せいっ」

 

 そのまま近接ブレードで横凪ぎを放つ厚一の攻撃を一夏は飛び退いて回避する。

 

「速水さんっ」

 

「気を取られ過ぎだ」

 

「うおっ」

 

 厚一のラファール・エスポワールが飛び上がり、射線が通った所でラウラのシュヴァルツェア・レーゲンからレールカノンが放たれ、一夏の白式に着弾し、シールドを削る。

 

「一夏さがって!」

 

「そうはいかないっ」

 

 今度は一夏とシャルルの間に降り立った厚一がシールドでシャルルのラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡのアサルトライフルの攻撃を受け止め、反撃にハンドガンを撃ち返す。

 

「分断された!?」

 

「ちゃんと手綱は引いておかないとね」

 

 開幕で一夏が動くかどうかによったものの、おそらくわかっていてラウラは一夏を挑発したのだろうと厚一は考えつつ、その内心は少し楽しみにしていた相手との邂逅に集中する。

 

「あまり話す暇がなかったけど、同じラファール乗りとして見せて貰おうかな。代表候補生の乗るラファールの実力をね!」

 

「く、僕と同じタイプかっ」

 

 間合いによって最適の武装を選び、攻撃し合う2機のラファール。

 

 その攻撃をシャルルは回避し、厚一はシールドで受け止める。

 

「スクエア・クラスター!」

 

 両肩の装甲のハッチが開き、大量のマイクロミサイルがシャルルのラファールに向かっている。

 

「なんて数!」

 

 悪態を吐きながらもシャルルはマシンガンとショットガンの弾幕でミサイルを迎撃する。

 

 だがそれでも警戒を解かない。厚一は煙幕からの奇襲戦法を得意としているからである。

 

 それこそ煙幕の中から飛び出してくる。或いは狙撃。何方の手で仕掛けてくるのかわからないからだ。

 

 爆煙の中から現れたラファール・エスポワール。だがその機動は直上へと昇って行く。

 

「いったい何をする気かは知らないけど」

 

 それを追ってシャルルも上昇する。

 

 ラファール・エスポワールが反転し、太陽を背にパーティクルランチャーを構える。

 

「キャパシタ、開放! インサイト!」

 

 パーティクルランチャーの荷電粒子コンバーターが唸りを上げてエネルギーをチャージする。

 

「メガ・バスターキャノン、シュート!」

 

 引き金を引くと同時に空中でスラスターを全開にし、反動に耐える。

 

「っ――!!」

 

 シールドを掲げて防御姿勢を取るシャルルであるが、パーティクルランチャーから放たれた荷電粒子砲の威力はこれまでのデータには無い程の威力だった。

 

 シールドが徐々に融解していく。このままではマズいと理解しているものの、眼下には一夏の白式が戦っている。

 

 ラウラならば避けるだろうが、自分が避けると一夏に直撃するだろう。

 

「頑張って、ラファール!」

 

 シールドが融解する直前でどうにか耐え切った。シールドを強制排除するシャルルだったが、再び荷電粒子砲が放たれる。

 

「また!?」

 

 新たに予備のシールドを装備して耐えるシャルルだったが、シールドの消耗スピードが先ほどよりも段違いに早かった。

 

「荷電粒子コンバーターは銃身本体のみじゃないんだ」

 

 ラファール・エスポワールの背中にも荷電粒子コンバーターを内蔵するバックパックを装備し、連射を可能とする。

 

 隠し玉の一つを切る事になったものの、ここでシャルルを仕留める必要があると踏んだ厚一は出し惜しみをせずに2射目の荷電粒子砲を放った。

 

「うぅ、くっ」

 

 その威力に耐えられないと判断するシャルルであるが、自分がここで引き下がると一夏が危ない。もしその時は容赦なく厚一は一夏をためらいなく狙うだろう。

 

 しかしこのまま耐える事は出来ない。ならば耐えられる装備を使うまでだった。

 

「ガーデン・カーテン!」

 

 実体シールド2枚、エネルギーシールド2枚により防御機能を向上させるラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの防御パッケージを装備する。切り札はシャルルにも存在した。

 

 それは防御型ながら火力を有する厚一のラファール・エスポワールを見て、一夏の白式とタッグを組むことになった時に急遽本国から取り寄せた物だった。鉄壁の防御で後衛を守り、そして敵の視線を釘付けにし、味方にチャンスを与えるという厚一の立ち回りをみたシャルルが同じように自身が前に出て敵を引きつけ、一夏に一撃必殺を決めてもらう為に用意したのだ。

 

「防御力を高めた!? 同じ土俵でも、こちらには荷電粒子砲がある!」

 

 第2射を防ぎ切ったシャルルは瞬時加速(イグニッション・ブースト)で一気に厚一のラファール・エスポワールの懐に入った。

 

「瞬時加速!?」

 

 今まで使っている所を見たことのないシャルルの行動に、一瞬気を取られてしまった厚一にパイルバンカーが突き刺さる。

 

「うがっ!!」

 

「うおおおおおおっ!!」

 

 そのまま全弾叩き込んだシャルルのラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡに吹き飛ばされ、厚一のラファール・エスポワールは落ちて行った。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 地上付近で戦っているラウラと一夏にも、空から落ちてくるラファール・エスポワールの姿は捉えられていた。

 

「流石シャルルだ。まさか速水さんに勝っちゃうなんてな」

 

「くっ、だが貴様とてもう終わりだ!」

 

 AICによって捕らえ続け、更にはレールカノンでの引き撃ちに従事していたラウラの前に、一夏は一方的に撃たれ続ける事になった。

 

 地表に激突するラファール・エスポワール。あれではもう戦えないだろう。

 

「一夏!」

 

「くっ、雑魚が来たか!」

 

 ラファール・エスポワールのシールドエネルギーはまだ残っているものの、落下した衝撃で直ぐにパイロットである厚一が動けるとはラウラも考えてはいない。

 

 シャルルのラファールが放つ銃撃を回避しつつ、ワイヤーブレードを射出する。

 

「くそっ」

 

「任せて!」

 

 一夏の白式の前に立ち塞がるシャルルのラファールのシールドの前に、ワイヤーも弾かれてしまう。

 

「防御型にシフトしたか。敵に回すとその手の機体は厄介だな」

 

「それはどうも」

 

 厚一のシールドに比べてシャルルが装備するそれはまだ小さく、だがエネルギーシールドも装備しているとあれば物理兵器とエネルギー兵器のどちらにも対応できるバランス型だ。

 

 とはいえ、シャルルも実はあまり余裕がなかったりする。荷電粒子砲の直撃は防御していてもその余波でシールドエネルギーを削って行ったのである。もう一度荷電粒子砲を受けていればシールドがゼロになっていたのは自分の方だった。

 

「一夏。エネルギーはどれくらい残ってる?」

 

「零落白夜一回分って所だな」

 

「なら、僕が引きつける隙に叩き込んで」

 

「…ああ」

 

 作戦は決まった。シャルルが前に出てその後ろを一夏が続く。

 

「防御型を前にして、私に確実にトドメを刺すつもりか!」

 

 レールカノンを放ち、防御を突き崩そうとするが。

 

「まだだ、耐えきって。僕のラファール!」

 

「ええい、墜ちろっ」

 

 ワイヤーブレードを放ち、体勢を崩させようとするラウラであるが。シャルルは意地でも一夏を送り届けるまでは倒れないつもりでいた。

 

「今だっ」

 

 シャルルの背中から躍り出る一夏。

 

「なっ、まだ早いよ一夏!」

 

「うおおおおお!!」

 

 だが一夏はシャルルの言葉も聞かずに瞬時加速で一気にラウラの懐に飛び込み、零落白夜を発動する。

 

「バカが、功を焦ったか!」

 

 ラウラがAICを発動する。その間合いでならば使って来ると一夏は思った。だから。

 

「いけぇっ! シャル!!」

 

「ああんもうっ」

 

「なにっ」

 

 その一夏の影から躍り出たシャルルがパイルバンカーを構え、ラウラに迫った。

 

 避けきれない。そう判断するしかラウラには出来なかった。

 

 直撃コースを辿るパイルバンカー。

 

「かはっ」

 

 直撃を受け、身体が浮く感覚をラウラは感じ取った。

 

 連続で衝撃を受け、急激に減って行くシールドエネルギー。

 

 吹き飛ばされたシュヴァルツェア・レーゲンがアリーナの壁に激突する。

 

 静寂がアリーナを包むが、まだ試合終了のアナウンスは鳴っていない。

 

「っ、一夏避けて!!」

 

「んなっ」

 

 高熱源体が接近しているのをシャルルは反射的に叫んでいた。

 

 エネルギーシールドを展開するが、そのシールドを貫通して機体本体にダメージを与えたエネルギーの塊は荷電粒子砲だった。

 

 その閃光の先には地面にワイヤーを撃ち込み、さらにスラスターの噴射で反動を耐えるラファール・エスポワールの姿があった。

 

「シャル!」

 

 荷電粒子砲の直撃を受けたシャルルのラファールはシールドエネルギーがゼロになってしまう。

 

「このままじゃ」

 

 機体のシステムがダウンしたシャルルはまさか厚一が復活して来るとは思わなかった自分の詰めの甘さを呪った。高高度から落下すれば気絶することはほぼ間違いなく、気絶していなくとも衝撃で起ち上れる様な状態でもないはずだった。

 

 それでも厚一は立ち上がっているものの、その機体の動きが何処かおかしいことに気付く。人が動かしているのとは違う機械的な動きだった。

 

「まさか、機体側から身体を無理やり動かしているの!?」

 

 ISはパワードスーツであるが、機体側から動かすことも可能である。それは精密作業などの場合に人間の手ブレなのどを抑える機能や、自動帰還プログラムも初期の段階では組み込まれており。

 

 ハイパーセンサーで機体を動かすというのはISの機動関係すべてに使われている。

 

 身体が動かないのであれば機体側から無理やり動かすという荒業。それならダメージも関係ないものの、とてもそれを思いついて瞬時に実行出来るかどうかという話だ。今頃身体は激痛に苛まれている筈なのではないかと思いながら、一夏に視線を向ける。

 

 シールドエネルギーも殆ど残っていない状態で2対1はどうにもならない。ラファール・エスポワールは荷電粒子砲を放つことなら出来る。固定砲台として戦う事はまだ可能なのだ。

 

「なに、あれ…」

 

 そしてシュヴァルツェア・レーゲンにシャルルが視線を向けると、その姿が全く別物に代わっていた。

 

「あれは、暮桜!?」

 

 それを見て一夏が叫ぶ。

 

 シュヴァルツェア・レーゲンがドロドロに溶けてラウラを包み、姿を変えたIS。

 

 そのパイロットも、ISの形も、握るブレードもすべて。第一回、第二回モンドグ・ロッソで最強の名を欲しいままにしたISだった。

 

「どういうこと。なんでシュヴァルツェア・レーゲンが暮桜に変わったんだ」

 

 一夏の隣に降り立つ厚一も、暮桜を警戒してパーティクルランチャーを構える。

 

「そんなの俺にもわかんねぇけど、向こうはやる気みたいですよ」

 

「エネルギーの残りは?」

 

「正直一発もくらえないくらいだ。そっちはどうですか?」

 

「こっちも似たようなものだよ」

 

 唯一荷電粒子砲は2基の荷電粒子コンバーターのお陰で本体のエネルギーを消費せずに撃てるものの、その隙をどう作るかである。

 

 牽制で一発を放ってみるものの、瞬時加速と同等の速度で踏み込まれながら回避され、パーティクルランチャーを切り裂かれる。

 

「くっ!!」

 

「なっ」

 

 直ぐにブレードを装備し、暮桜の一閃を捌く厚一。

 

「このっ」

 

 その太刀筋の速さに驚いた一夏だったが、直ぐに雪片弐型を振り下ろす。だがそれも受け流され、返す刀で腕を切り裂かれ、ISが解除されてしまう。

 

「このやろうっ」

 

 その一太刀を受けた一夏は頭に血が上った。その太刀筋は姉の千冬の物だった。

 

 姉の剣が穢される。それが我慢ならなかったのだ。

 

「っ、くぅ」

 

 ISが解除された一夏を庇う為、厚一はラファール・エスポワールの背中の荷電粒子コンバーターから伸びる可動アームに装備されているシールドを展開する。

 

 そのシールドから巨大なクローを展開して暮桜を捕まえる。

 

「ラウラ! 返事をして、どうなってるの!!」

 

 呼びかけても答えは帰って来ない。

 

「ぐあっ」

 

 そしてボディに蹴りを入れられ、拘束を解いてしまう。

 

 振り下ろされる一閃をブレードで受け流す。

 

「(この太刀筋は織斑先生のっ)」

 

 攻撃を何回も受けていると、その動きが千冬の物であると厚一は見抜いた。

 

 一度大きく攻撃を弾き、離脱する。

 

 それを暮桜は追って来るような事はない。

 

「どうなっているんだ…」

 

 暮桜と千冬の動き。それをラウラがやっているのだろうか。

 

「なに? メール?」

 

 そんな時にラファール・エスポワールのシステムにメールが届いたと知らせが入る。

 

 この非常時に何だと苛立ちそうになるが、勝手にメールが開き、シュヴァルツェア・レーゲンにVTシステムが搭載されているという事が書かれていた。

 

 Valkyrie Trace System(ヴァルキリー・トレース・システム)

 

 過去のモンド・グロッソ優勝者の戦闘方法をデータ化し、そのまま再現・実行するシステム。パイロットに「能力以上のスペック」を要求するため、肉体に莫大な負荷が掛かり、場合によっては生命が危ぶまれる。

 

 現在あらゆる企業・国家での開発が禁止されているシロモノだという事だ。

 

 つまり期間限定ではあるが、本物のブリュンヒルデがそこに居るのと変わらないという事になる。

 

 今の攻防でその攻撃が千冬の物であるとわかったのは、実際に千冬と打ち合い、そして真耶との教導でも千冬の動きを何度も見せられたからである。

 

「一夏。ここは僕に任せて下がって」

 

「速水さん、俺は!」

 

「ISも纏えない君が居たところで邪魔なだけなんだ。巻き込みたくないし気を使ってる暇もないから下がって。でないとケガじゃ済ませられなくなるよ」

 

 厚一の言葉に反論しようとする一夏に正論をぶつける。

 

 ISのエネルギーが無い今の一夏は逆立ちしてもISには敵わない人間なのだ。

 

 それにパイロットに負荷を掛けるシステムならば早く助けなければ中のラウラも危険だ。

 

 機械が動かしていても、人間には勝てない部分がある。ハイパーセンサーでも捉える事の出来ない動きならば行けると、考える。

 

 千冬はそれを長年の経験と気配を読んで自分の攻撃を受け止めていた。だが、蓄積したデータでの計算で未来予測くらいするだろうが、機械に勘や気配を読むという人間と同じことは出来やしない。

 

「コアとの同調を優先。同調率120%にまで上昇。PICマニュアル制御、駆動系に直結。全装甲パージ」

 

 ラファール・エスポワールに装備されているすべてのパーツが外されていく。残ったのは手の部分と、脚部、そして腰のカスタム・ウィングという最低限の装備だけだ。

 

 重火器もすべて拡張領域から投棄し、処理能力を限界にまで上げる。

 

 武器は近接ブレードのみだ。

 

「速水さん!」

 

 そんな一夏の言葉に耳を傾けずに、ラファール・エスポワールは瞬時加速で踏み込む。最大限の軽量化を施した今のラファール・エスポワールは白式の加速にも匹敵する踏み込みがあった。

 

 だがそれを暮桜は受け流し、反撃に逆手に持ち替えたブレードを振るって来るが、それを身を仰け反らせて回避し、再び間合いを開ける。

 

「な、なんだったんだ、今の…」

 

 一瞬の出来事過ぎて、ハイパーセンサーの無い肉眼の一夏に見えたのは。ラファール・エスポワールが掻き消えたと思ったら連続して金属音が鳴り再びラファール・エスポワールが姿を現したという光景だった。

 

「っっ――!」

 

 厚一の左腕から血が流れ出る。今の攻防での合間に一太刀を浴びせられたのだ。

 

「まだ届かない」

 

 10手程打ち合ったのだが、すべて対処された。もっと速く、鋭く、強く打ち込まなければならないという事だ。

 

 正直両腕が今の攻防だけで筋肉が千切れて内出血でもしていそうな程痛みを感じそうになっている。筋肉の疲労が一瞬で限界だった。

 

 だが自分でもこう感じるという事は、小柄なラウラもさらに酷い事になっているかもしれない。

 

 この刃を届かせ、ラウラを救う。

 

 その為にはまだ足りない。

 

 ラウラには借りがある。だから必ず助ける。そう厚一は胸に誓う。

 

 共に戦った戦友を救う為。真っすぐに自分を見てくれた子を救う為。

 

「絶対に、助け出す――!」

 

 機体のエネルギー経路をスラスターと腕部駆動系に集中。

 

 脚部は最小限。シールドエネルギーをカット。

 

 演算処理能力を全て機体追従性に。

 

「っっっ――!!」

 

 先ほどよりも更に速く打ち込む。こちらの一太刀も暮桜と同じもの。箒と千冬を相手にしたからだろう。ある程度の暮桜の動きが先読みできる。しかし推し切れない。

 

 それが第二世代ISと第三世代専用機ISの限界の違いからなのだろうか。

 

「うっ」

 

 バギンッと音を立ててブレードが折れ、突きを放つ暮桜の刃を脚部の装甲を犠牲に受け流す。

 

 間合いを開けて、さすがに武器がないと戦えないという状況になって。

 

「速水さん!」

 

 その一夏の声と共に投げられたのは白式の雪片弐型だった。

 

「お願いします!!」

 

「…うん」

 

 一夏の目には力強い信頼があった。自分の剣を預ける程に、おそらく暮桜を真似られているのが許せないのだろう。しかし自分には何もできない。だから出来ることを、せめて剣と共に戦う事を選び、厚一に自分の刃を託した。

 

 それが一夏の選んだ戦い方だというのならば。

 

「僕も、僕の戦いをする」

 

 すっと、雪片弐型を握りながらも、無防備に厚一は立つ。

 

 そして、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

 

「どこかの誰かの未来の為に

地に希望を、天に夢を取り戻そう

我らは そう 戦う為に生まれて来た」

 

 ラファール・エスポワールが青い光に包まれていく。

 

 雪片を構え、加速する。瞬時加速。身体もエネルギーも、これで限界だ。

 

 更に加速する。

 

 更に加速し、風景を感じる感覚がマヒする。

 

 全てがゆっくりと流れ始める感覚の中で、さらに加速する。

 

 雪片がぶつかり合う。

 

 返す刃で暮桜の雪片を巻き込み打ち上げる。

 

 雪片弐型が変形し、光の刃を形成した。まるで白い炎が渦巻く様に光が立ち昇る。

 

 厚一はその刃を横に振るい、暮桜を両断した。

 

「この刃は、僕の望む限り誰も傷つけない。ただ、悪だけを滅ぼす」

 

 両断された暮桜はその中からラウラを解放し、かつてのブリュンヒルデの姿はドロドロになって溶けた。

 

「はやみ…」

 

「よかった」

 

 薄く瞳を開けて、厚一の名を紡いだラウラに微笑みながら肩を撫で下ろした。

 

 システムエラーを大量に吐き、ISから強制排除されながらも、腕に抱えたラウラを落とさないように地面に着地した厚一の背後でバチバチと火花を散らせるラファール・エスポワール。

 

 その姿を振り向いて、厚一は申し訳なく瞳を伏せ、自分に力を貸してくれた戦友に礼を言った。

 

「ありがとう、ラファール」

 

 事態を収拾は着いたが、このトラブルによって試合もトーナメントも中止となり、回収されたラファール・エスポワールはそのすべての電装系回路が焼き切れてしまい修理は不可能となってしまった結果となった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 そこは白い部屋で、幾人もの子供が悲鳴を上げていた。喉が裂けても叫び続けても実験は終わらない。

 

 そして真っ白な世界に色が生まれた。それは青。

 

 世界が色に包まれ、色彩を放ち、やがて青い空に変わった。太陽の日差しが温かいひだまりの世界が、広がって行った。

 

「ぅ……」

 

 ラウラが目を覚ました時、夕方の日差しが自分を照らしていた。

 

「起きた?」

 

「はやみ…か…」

 

「うん。でも全身打撲に筋肉疲労の満身創痍状態だから動かない方が良いよ」

 

「わたしは……」

 

 ラウラは思い出す。

 

 シャルルのラファールによって吹き飛ばされた後、声を聞いたのだ。

 

 力が欲しくはないかと。

 

 敗北するという事は再び築き上げた物を失ってしまうと思ってしまう程の恐怖に耐えられなかったラウラは、その力を求めてしまった。

 

 圧倒的な力だった。力に自分が殺されそうだった。

 

 だがそんな中で、歌を聞いたのだ。

 

「良い歌だった…」

 

「え?」

 

「あの歌だ。まるで祈りが込められたような、自分はひとりでも独りではない。そう思わせる歌だった」

 

「うん。自分の戦いをするときに歌う歌なんだって」

 

「自分の戦いか。お前の戦いはなんだ、速水」

 

「誰かの未来の為に頑張ること。だからラウラを助ける事が、僕の戦いだった」

 

「そうか。目の前の戦いに全力で当たる。兵士としてはそれでいいが、指揮官には向かんタイプだな」

 

「あはは。僕は人を使うタイプじゃないからね」

 

「だが、何があっても生き残るタイプだ。そして周囲の者を鼓舞する存在だ。部隊の生存率を上げられる存在というのは貴重だ」

 

「そうなのかな?」

 

「ああ。だから私の部隊に来い。損はさせん」

 

「うん。個人的には嬉しいよ。だけど今、ドイツは色々とてんやわんやなんだって。ラウラも動けるようになったら話を聞くって織斑先生が言ってた」

 

「だろうな」

 

 あの時、シュヴァルツェア・レーゲンに何故か搭載されていたVTシステム。身に覚えがなくともドイツの威信を傷つけるのには充分な材料だ。

 

「お前の機体は無事か?」

 

「…ダメだった。電装回路が全部ダメで、修理できる範囲を超えているって」

 

「そうか。すまなかった」

 

「良いんだ。ラウラが無事だったから」

 

 そう言う厚一の顔に後悔はなかった。ただいつもの様に、でも少し寂し気な雰囲気を漂わせる顔を浮かべていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

『はーい♡ 久しぶりだねぇ、ちーちゃん』

 

「その名で呼ぶな。まぁいい。今回のVTシステムの件、あれに一枚噛んでいるのか?」

 

 千冬が電話している相手は気安く千冬のあだ名を呼ぶ。最も、そう言うあだ名を言う相手はひとりしかいないのだが。

 

『ああ、あれ? あんなブサイクなシロモノ、この私が作ると思うかな? それよりさ、ちょーっと気になってることがあるんだよね』

 

「なんだ?」

 

 一応関与がないという事はドイツだけの問題だという事で動きやすいと思っていた千冬の思考をその言葉が遮った。

 

『彼、面白いね。どんな子なのかな?』

 

「なんのことだ?」

 

『ノンノン、とぼけたって無駄だよ。まぁ、ブルーへクサなのは知ってるから、なんでISに乗れるのかもわかってる。でも今回は流石の束さんもちょっと気になったからねぇ』

 

「なにをだ」

 

 あの束に興味を持たれるという時点である意味災難である。これ以上危害の加わらない内に要件を聞きだして話をはぐらかそうと千冬は考えた。

 

『あの量産型のISの回路マップはコアを通して強くしてあげておいたんだけど、それがこんがり焼けちゃうほどのエネルギーがあの子から検出されたんだよねぇ。いくらISとの同調を人工的に高めたからって、一応彼も人間のはずなんだよね。だから一回解剖させて♪』

 

「だれが許すかばかもん」

 

『えーっ、なんでよちーちゃんのけt――ブツッ』

 

 途中だったが話はもういいだろうと電話を切る。

 

「……はぁ」

 

 ひと息吐いて、あのぽやっとした笑顔を思い浮かべて憂鬱になる。

 

 せっかく心を休められる場所が出来たと思ったらそれを取り上げられる。その不憫さを思うと胸が痛かった。

 

「今夜は飲みに誘ってやるか」

 

 そう思いながら千冬は今回の事後処理の続きに向かうのだった。

 

 

 

 

 



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選ぶ道は…

脚の上に包丁落として右足の中指と薬指を盛大に負傷してしまい、痛みよりも大量の血でパニック障害を引き起こしたので更新速度が低下しました。

しばらく歩くのに苦労しそうだよ。というかコワくて傷口が見れない。人体の血とか傷口とかダメなんよ私。

今更だがアニメのガンパレ見てるんだけど瀬戸口君もパイロットやっていてびっくりしました。というか一話からきたかぜゾンビでハチの巣ってエグイっすね。

あとガサラキも十何年ぶりに見直していたりもしてます。日曜日朝九時半。当時小学生の私にはTA目当てで見ていました。


 

 整備科で解体作業を行われているラファール・エスポワール。

 

 その光景を厚一は眺めていた。

 

 電装系回路が焼き切れてしまったラファール・エスポワールは修復不可能という状態となり、解体され、解析に回されるそうだ。

 

 男性IS操縦者の駆ったISというのはそれだけで研究材料になる。そして、シュヴァルツェア・レーゲンを切り裂いたときの発光現象や白式の零落白夜を使用した経緯を調べる為だという。

 

 ただ、いくら調べた所でおそらくその光の正体も、雪片弐型が光の刃を作った原因はわからないだろう。

 

 とはいえ専用機を無くしてしまった厚一に日本政府はアプローチを掛けているが、今のところ返事を保留していた。

 

「やあやあ、どうしちゃったんですか速水さん? そんな辛気臭い顔をしちゃって」

 

「うひゃあっっ」

 

 背中から腕を回され、耳元に息を吹き掛ける様に囁かれて、厚一は飛び跳ねる。

 

「た、楯無さん…? な、なんの用ですか?」

 

「あら。用がないと会いに来ちゃいけないのかな? お姉さん、寂しいなぁ」

 

「そんなわけじゃないですけど。というか近いですって」

 

「傷心中の男の子を慰めてあげてるだけだぞー。うりうり」

 

 背中に感じる軟らかい感触をさらに押しつけて来る楯無に厚一は離れようとするが、楯無は離れない。

 

「やめてください。恥ずかしいですからっ」

 

「難しい顔しちゃって。お姉さんはいつものぽややんとしてる速水さんが好きだけどなぁ」

 

「…………」

 

 そうは言われても、自分の所為でラファール・エスポワールは壊れてしまったのだ。

 

 それで落ち込むなという方が難しい話である。

 

 楯無が離れ、バッと扇子を開いた。そこには「朗報」の文字が書いてある。

 

「実は学園でも速水さんの専用機を造ろうかっていうプランが出てるの」

 

「学園が?」

 

「今年は事件が多い上に、そして速水さんがどこかの国に頼れないならいっそのこと学園で専用機を造ればいいということなのよ」

 

 何処にも所属できないのなら、何処にも所属しない組織でISを用意するのなら文句はないだろうということなのか。

 

 つまりその場合は身柄がIS学園預かりになる事になるのだろうか。

 

「その申し出を受けた場合にはどうなりますか?」

 

「そうね。国籍は日本のままだけれど、どこにも所属せず、出来ず。一生IS学園に身を捧げる事になるでしょうね」

 

 先ずはデメリットの説明だった。人間というのはデメリットを最初に聞いて、メリットを話される方がそのメリットが印象に深く残るものだからだ。

 

「逆にあらゆる国や企業の干渉を受けなくなる。国の代表になるよりは楽で安全な生活も出来る様になるわ」

 

 だがその代わりに鳥かごの中の鳥として一生を終える事になる。

 

 ここ数日ラウラも休んでいるため、ドイツがどうなっているのかもわからない。そして日本も専用機を作る為に売り込みが激しくなってきている。何故なら他のクラスの女子などに、ラファールの代わりの専用機は日本で作るのかどうかを訊かれるのだ。

 

 自分のクラスの女子は全然そんな話題を出すこともないので、最近は昼休みを教室で取る程だ。つまりそれくらいに煩わしさは感じられるという事だ。

 

「まぁ、お姉さん的にはあまりお勧めしないわ。学園で保護すると言っても、実質はIS委員会の預かりで、国の法律も適応されないから、何をされても自分の身を護る権利が無いの」

 

「でしょうね」

 

 治外法権区であるIS学園の中だからこそ、その中で何をしていても国の法律は適応されないのだ。

 

「というわけで、ロシアに来る気はない?」

 

「どういうことですか?」

 

「わたし、実はロシアの国家代表なの」

 

「楯無さんが? え、でも日本人ですよね?」

 

「そうだけど、国籍はロシアなの。だから、速水さんがロシアに来てくれるとお姉さんはとっても助かるんだけどなぁ」

 

「それは強制ですか?」

 

「ううん。ただのお願い」

 

 そう言って楯無は真っ直ぐ厚一を見つめてくる。

 

 にこやかに、優し気な表情と声には、しかしどこか粘り気と不穏な空気があった。その瞳は妖艶な雰囲気が僅かに感じられた。

 

「それ、選ばせる気がありませんよね?」

 

「さて、何の事やら」

 

 「黙秘」と書かれた扇子で口元を隠す楯無に、国家代表も大変だと厚一は苦笑いした。

 

「でも速水さんが欲しいと思っているのは何処もそう。IS学園に居るからそうとは思わないだろうけど、普通に外を出歩けるような身分じゃなくなってきてるのよ。あなたは」

 

「この間のトーナメントですか?」

 

「ええ。VTシステムの再現とはいえ、ブリュンヒルデを打ち負かしたジークフリート。界隈だとそう言われてるわ」

 

「大げさですよ」

 

「でも事実なのよ。あの日、あの場に、どれだけの国の重要人物が集まっていたか。そしてだれもが見ていた。青い光に包まれたラファールが暮桜を斬り伏せたのを」

 

 故に日本政府にはあらゆる方面から厚一の身柄を引き取りたいという要請が出てきている。勿論日本政府もそれを簡単に首を縦には振るわない。何故ならブリュンヒルデに匹敵し得る強さを持った人間をおいそれと他国に引き渡す様な国の利益を損ねる様な事はしない。故に専用機を造り、名実ともに厚一を日本の代表候補生に仕立てる準備が水面下で行われているのだ。

 

「あなたは実績という誰が見てもわかる結果で世界に認め始められた。だから今から腰を据えるべき場所を考えておかなければ不要な争いを生む事にもなる」

 

 何処に所属するのかを決めてしまえば不用意な争いは突発的に起きたりはしないだろう。少なくとも表向きにではある。

 

「ドイツがダメなら今のところはイギリスが最も損はないでしょうね。代表候補生のオルコットさんとも懇意なのだし」

 

「オルコットさんとは別に、そんな関係じゃないですよ」

 

「まぁ、日本でも構わないけどね。速水さんがこの国を信じられるというのなら」

 

 そこに関しては色々と疑問が生まれてしまう。何故なら自分の出生や、IS学園に入ってからの一夏との扱いとの違い。それらを踏まえて日本に腰を据えたところで万が一に、自分は二人目で一人は自国に居るからという理由で切り捨てられかねないからだ。

 

 そう言った点をふまえてしまうと、やはり日本に居るよりかは他国の援助を取り付けるほうが身柄の安全としては保障されるのだろうかと、厚一は考えてしまうのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「……どういう状況なんだろう。コレ」

 

「すぅ…すぅ…」

 

 余程疲れているのか、最近は気づいたら寝落ちしている事が多くなり、そしてそれは必然的に悪夢を見るという事だ。魘されて起きるというのは精神衛生上よろしくない。かと言って肉体的に休息は取れても精神的に休まる事が無いというのもあまりよろしくない。

 

 だが今日は寝落ちをしても悪夢を見なかった

 

 そして目覚めると、何故か目の前にラウラの顔があったのだ。しかもシャツの中に彼女の身体が入って来ている。寝間着はタンクトップで緩いとはいえ、その中に入ってくるとはどういうことなのか。

 

「しかもこの子裸だよ…」

 

 寝る時は服を着ないという人間は居るものの、感触的に本当に素っ裸であるらしい。

 

 仰向けの自分の上に俯せで眠っている銀髪の女の子。こんなところを見られたら社会的に死ぬ。或いはそうする事で日本での居場所を無くしドイツに連れていくという魂胆なのだろうか。

 

「んっ、…ぁあ。なんだ、起きていたのか」

 

 此方が起きた気配に気づいたのか、ラウラが目を覚ました。

 

「お、おはよう、ラウラ」

 

「…ん、…あぁ。おはよう」

 

 まだ眠そうに目を細める彼女は普通に可愛いと思った。

 

 なので頭をなでなですると、ポフっと胸に顔を押し付けられた。

 

「ら、ラウラ?」

 

「……なんで襲わん」

 

 重なり合っている肌から感じる鼓動。しかし何を言っているのか訳が分からなかった。

 

「男はこうされると無性に女を襲いたくなるというのを聞いた。やはり私の身体が貧相だからか?」

 

「あー、えっと…」

 

「だが貧相でも胸はちゃんとあるぞ!」

 

「ああ、うん。そうだね」

 

 そうして身体を起こして、と言ってもタンクトップで包まれているためにあまり動けないのだが。それでも身体を動かして顔を抱きしめられる。確かに貧相であるが、軟らかいとはわかる程度にはあった。

 

「ど、どうだ…?」

 

「えっと、軟らかいです」

 

「そ、そうか。で?」

 

「…状況が上手く飲み込めないんだけど」

 

 いったい何故自分は起きたらラウラが密着した状態で、しかも今はその胸に抱かれているのかという理由がわからなさ過ぎて混乱する厚一だった。

 

「男はこうされたら獣になるらしい」

 

「あー、うん。たぶん普通は?」

 

 とはいえこの状況でそういうムードでもないのに自分は興奮しないと思考する。

 

「なに? では速水は普通ではないのか!?」

 

「どうなんだろう…?」

 

 ラボ生まれで、色々と弄りまわされているこの身体が普通とは言い難いだろう。

 

「ともかく、取り敢えず。お帰り」

 

「う、うむ。ただいま」

 

 身体を起こすとストンとラウラが落ちる。まるでコアラの様に子供を抱っこする様な感じになる。

 

「…ど、どうした?」

 

「いや、キレイだなって」

 

「っ、そ、そうか…」

 

「うん」

 

 白い肌に赤い瞳。そして光で煌く銀髪は綺麗だとおもった。

 

「それよりどうだったの? 何日か学校休んでいたけど」

 

「うむ。機密なのだが、当事者のひとりだからな。知る権利はある」

 

 そうしてラウラはここ数日本国のドイツに帰り、徹底的にシュヴァルツェア・レーゲンを調べたそうだ。VTシステムは破壊されていた上に機体も破棄する事になったので補修パーツで機体を再構築したということだ。

 

 そしてドイツ軍もVTシステムに関しては女性権利団体との繋がりがあった研究部の一部で進められていたらしい。パイロットの能力に関係なくブリュンヒルデを量産する事で地位を向上させようとしたらしい。

 

 むろん研究所は既に破壊され、データもすべてドイツ政府に公表されており、その混乱の収拾と、VTシステムに関わっていた人間の逮捕によって忙しかったのだとか。

 

 それに関してはドイツは本気で膿だしを行ったらしい。男性IS操縦者を受け入れる為に国が全力で自浄をした結果だと言える。

 

「というわけだ。我がドイツはいつでもお前を迎え入れる準備は出来ている」

 

「うーん…」

 

 そこまでお膳立てされてしまうと断りづらいというのも出てきてしまう。自分一人の為に国が受け入れに動いた。そういう実感を聞くとドイツを選ぶことの方が少なくとも命の保証はあるのだろう。

 

「心配せずともお前の身柄は私が守る。軍と国からも正式な命令としてお前を守るように言われている」

 

「ラウラは真面目だね」

 

 ただ、ラウラは軍人だ。軍人であるなら命令は絶対である。もし命令で自分を差し出すように言われれば彼女はどうするのだろう。

 

「私は軍人だ。だが、戦友を命令で易々と引き渡す人間ではない」

 

「戦友?」

 

 ラウラが戦友という言葉を使ったことに厚一は驚いた。ついこの前は戦友など要らないと言っていた彼女にいったい何があったというのだ。

 

「お前は優秀な人間だ。お前なら私の戦友として認めてやるという事だ」

 

「前は戦友なんて要らないって言ってたのに」

 

「優秀な人間であれば別だ。能力があり、覚悟もある。そして何より強い。私が認めてやるのだ、何か文句があるのか?」

 

「じゃあなんで一緒に寝てたの?」

 

「うむ。助けて貰った礼だ。故に遠慮する事はないぞ? 私は戦うしか能がない。くれてやれるものは私自身だけしかない。という事で遠慮せず受け取れ」

 

「えっと、気持ちだけ受け取っておくよ」

 

「そうもいかん。それでは私が納得できない」

 

「でもこういう事はちゃんと好きな人としないと」

 

「ならば問題はない。私の嫁になれ速水。そうすればただドイツに来るよりもお前を守ってやれる」

 

「話が飛躍しすぎだよ」

 

「そうでもないだろう。私も女だ。嫌いな相手に肌を見せる様な人間ではない」

 

「それも光栄だけど」

 

 嫌われるよりも好かれていることは良い事だと思うものの、ラウラの価値観が普通の一般的な感覚とずれているので説得の糸口が掴めなかった。

 

「国は関係ない。軍人としてもこの際は無関係としよう。そういう私個人の意見として速水厚一、お前を私の嫁にする!」

 

「だからなんで」

 

「お前は放っておいたら死ぬ。誰かが守ってやらなければならない。私ならお前を守ってやれる。それでは不服か?」

 

「そうじゃないけど、なんでまた」

 

 そこまでされるような事を自分はした覚えがない。なのに何故、こんなにもラウラの好感度が高くなっているのだろうか。

 

「お前は弱かった。だが自分の脚で這い上がった。私は自分の力では同じことが出来なかった」

 

 そう言ったラウラは自分の事を語り始めた。

 

 もともと遺伝子強化試験体の試験管ベビーとして生み出された自分。

 

 戦うための道具としてありとあらゆる兵器の操縦方法や戦略などを体得し、好成績を収めてきた。

 

 しかしISの登場後、ISとの適合性向上のために行われた手術の不適合により左目が金色に変色し、能力を制御しきれず以降の訓練では全て基準以下の成績となってしまう。このことから「できそこない」と見なされて存在意義を見失っていたが、ISの教官として赴任した千冬の特訓により部隊最強の座に再度上り詰めた。

 

「私たちは同じだ。だがお前はそうして自分の脚で立っている。教官が居なければ立つことも出来なかった私とは違う」

 

「それは違うよ。僕だって、山田先生が居たからここまで強くなれた。剣と翼をくれた子が居たから飛ぶことが出来たんだ」

 

 自分も真耶の教導があればこそセシリアに勝つことが出来る程に強くなれたのだ。自分一人で強くなったわけではないと説く。

 

「僕たちは似たもの同士なんだね」

 

 互いに作られた存在だからこそ、何か感じあえるものがあるのかもしれない。

 

「そうだな。だが私ならお前を守れる。お前とは違って」

 

「あはは。そこは流石にね」

 

 軍人であるラウラと自分との最大の違いは権力の差だ。国が保証人となってくれているかどうかの違いだ。

 

「…そろそろ食堂にいかなければな」

 

「あ、ホントだ」

 

 話し込んでいたらそんな時間になっていたようだ。

 

「だがこの中から抜けるのも惜しいな。実に惜しい」

 

 そういってラウラがぴったりとくっついてくる。

 

「でもご飯食べないと。朝ご飯は一日の栄養の資本だし」

 

「うむ。仕方がない。起床するか」

 

 するりと抜け出したラウラは脱ぎ散らかした服を身に纏っていく。

 

「では行くぞ速水!」

 

「待ってよ、まだ着替えてないから」

 

 タンクトップの他にはパンツしか身に着けていないのだ。最低限半ズボンくらいは履いて行かなければダメだ。

 

 制服に着替えてラウラに引っ張られて厚一は朝食を取る事になった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 その日の朝はまだ序の口だった。シャルルがシャルロットとして正体を明かすという本当は女の子だったという事を暴露したのだ。

 

 その昼である。

 

「速水さん、お昼行きませんか?」

 

「うん。でもいいや。行ってきて良いよ」

 

 一夏に誘われるものの、教室の外に出るとまた色々と追及されるので朝以外に厚一は食堂を利用したがらなくなった。

 

「いいや、行くぞ速水」

 

「ら、ラウラ? ちょっと」

 

 だがラウラが強引に厚一の腕を取って連れ出そうとする。

 

「お待ちになってください。ボーデヴィッヒさん、速水さんは教室で昼食を取られようとしているのを無理やりに連れ出すのもいかがなものかと」

 

 それを止めるのはセシリアであった。セシリアも厚一が最近食堂を利用したがらない理由を知っているからだ。

 

「問題ない。私が傍に居れば如何様な輩であろうとも速水は守り通そう。速水は私の嫁だからな」

 

 胸を張って厚一を嫁扱いするラウラに、セシリアの視線が細まる。

 

「どういう意味でしょうか。速水さんが嫁と言うのは」

 

「そのままの意味だ。速水厚一は私がもらう!」

 

 教室が気まずい雰囲気に包まれた。

 

「ドイツはいつからその様に人をモノ扱いする様になったのでしょうか?」

 

「奥手のお嬢様には出来んだろうな。安心しろ、速水の騎士(リッター)は私が勤めよう。今までご苦労だったな」

 

「横からしゃしゃり出て来て身勝手な方ですわね。それでは振り回される速水さんが可哀想です」

 

「別に振り回してなどいない。私はただ嫁と食事に行くだけだ」

 

「その嫁と言うのも速水さんご本人が承諾している様には思えませんが?」

 

「負け犬の遠吠えだな。私は既に速水と床を共にしている仲だ。速水の胸は暖かいぞ?」

 

「くっ、いつの間にそのような事を」

 

「精々身辺警護に努める事だな。さて、待たせたな速水。行くとしよう」

 

「や、だからちょっと待って」

 

 だがラウラは聞く耳を持たぬと言わんばかりに厚一の腕を引いて食堂に向かう。

 

「お、お待ちなさい!」

 

 その後をセシリアが速足で追う。

 

「なぁ、箒」

 

「なんだ?」

 

「男なら普通婿だよな?」

 

「そうだな」

 

 何かを盛大に間違えてそうなラウラだったが、何故か本人は堂々としているし、嫁扱いされる厚一も何故か違和感がなかった。エプロンを着けてキッチンで料理に勤しむ厚一を想像して、何人かの女子は萌えたそうな。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 放課後に厚一の姿は整備科にあった。

 

 ラファール・エスポワールのISコアを移植し、機体を再建する為だった。

 

 しかしそれに待ったが掛かる。

 

 ラウラがシュヴァルツェア・レーゲンをハンガーに展開して、厚一にこう言った。

 

「ドイツは先の事件での功労を労う意味も込めてお前にこの機体を譲渡する事を決定している。シュヴァルツェア・レーゲンならば、お前の適正にも合うだろう」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンはその武装から砲撃戦用ISに見えるが、それは武装でそう見えるだけで、砲撃戦が出来る汎用機と見るべき機体なのだ。

 

 第三世代ISではあるが、装備によって自在に戦闘領域を選べる第二世代の特徴も色濃く残している。軍事利用はしないものの、軍隊で扱う上で装備の多様性という物は必要である。

 

 故にラファールの様に特徴を自分で選べる機体として、シュヴァルツェア・レーゲンは厚一の特性にも則している機体だった。

 

「これって暗にドイツに来いって最後通告だよね?」

 

「いや。これは別件だ。勿論メンテナンスをする代わりにデータは取らせてもらうが」

 

 とは言うラウラだが、実質的にドイツが厚一の為に専用機を用意するという事に等しい処置である。それでやっぱりドイツとは違う国を選びますという恩知らずな事を出来る程、厚一の顔の皮は厚くはない。

 

 外堀を埋められたと感じた時には既に遅いというのは世の常だ。

 

「まだ不服ならばそうだな。なんでも欲しい物を言うと良い。大抵のものは揃えられるだろう。私で満足できないというのならば、我が隊の副隊長でもあるクラリッサならば紹介できる。私と違い身体も女性らしい。それくらいは許そう。私は寛容だからな」

 

「そういう意味じゃないんだけど」

 

 第三世代ISというのは今現在でどこの国でも漸く実用に漕ぎ着けている最先端の技術が詰まっているISだ。

 

 それを一個人に渡そうというのだから色々とこのまま素直に受け取ってしまっても良い物かと思う。そういう部分も含めてメンテをする代わりにデータは寄越してほしいという事なのだろう。

 

 第三世代IS一機で世界中が喉から欲しがる男性IS操縦者のデータが得られるのだから、その対価に見合う身の入りという判断なのだろう。

 

さらにスラリと複数の女性と関係を持つことも推奨されているのもなんだか生々しくて気が引けてしまうというのもある。そもそもまだ自分はドイツを選ぶとも言っていないのだが。

 

「ではどういう意味なのだ?」

 

「それは。別に今はラウラが居るならそれでいいというか」

 

「そうか。うむ。そうか…」

 

 取り敢えず目の前のラウラならば信じられるのは確かな事だった。

 

「取り敢えず、このシュヴァルツェア・レーゲンはお前のものだ」

 

「ええっと…」

 

「遠慮する事はない。それに身を護る手段は必要だ。私が居るとはいえ万が一があるとも限らないのだからな」

 

「うん」

 

 確かに身を護る術という点では、ドイツからの提供は有り難い物だった。

 

 コアを移植し、新しい愛機に身を委ねる。

 

 同調率を弄る前に機体に変化が起きる。

 

 ラファール・エスポワールの様に機体が全身装甲型に変化し、こんどは顔まで装甲に覆われたのだった。

 

 黒と赤と金に彩られ、ゴーグルアイの顔はロボットそのものだった。非固定部位も固定式に肩に装着されている。胸もラファール・エスポワールよりも更に分厚い装甲に代わっている。

 

「こんなにも速く一次移行をするのか。驚いたな」

 

 パイロットのパーソナルデータを機体に入力していても10分程は一次移行に必要だと思っていたラウラだったが、まさか乗って直ぐに変化が起こるとは思わなかったのだ。

 

 一次移行をしてしまっては返却するという事も出来ないだろう。

 

 腹を括るしかないかと、厚一は覚悟した。

 

 ISを解除して降り立った厚一はラウラに向き直って頭を下げた。

 

「不束者ですが、よろしくお願いします」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 厚一がラウラを介してドイツ政府に身柄を引き渡すことに決め、その日の厚一の部屋にはセシリアと簪も押しかけた。

 

「お決めになったのですね」

 

「うん。積極的に口説かれちゃった上に貰う物も貰っちゃったからね」

 

 日本からもそれはそれで色々と言われているようなものだが、やり方が陰湿でまどろっこしい上に自分は予備扱いされそうで保証が何処まで確約されるかなどの信頼もない。さらにこの間、千冬の話も聞けば到底身を預けようなどとは思えなかった。

 

「日本は織斑一夏が居れば良いみたいだからそれでいいと思う」

 

 簪からもその様な肯定の言葉が飛んでくる。打鉄弐式の件で簪の日本に対する信用度は地に堕ちている。政府からも厚一に接近する様に再三の要請は来ているが、簪はそれを無視している。と言うよりプライベートの私人として放課後に厚一と会っているので、それを邪魔されたくないというのが本音だった。ただでさえ4組なのに厚一と接する機会が多いので周りから白い目で見られているのだ。

 

 だがそれも構わないと思っている。返しきれない恩を受けたのだからせめて自分に出来る範囲で厚一の生活が穏やかであれば良いと思っていた。

 

「ドイツは大丈夫なのですか?」

 

「安心しろ。今回の件は軍部とは直接的に関係はない」

 

 そうコーヒーを飲みながらセシリアに答えるラウラ。

 

 セシリアとしてはこのまま成長を続ける厚一を陰日向に支える方針だったのだが、それがドイツの介入で崩れてしまった。だが事態は思ったよりも急変している。本国からも更に厚一との接触を強くする様に言われた。

 

 つまり世界的に厚一は自らの力をトーナメントの場で示したという事になる。

 

 国家間の暗闘に興味はなくとも、それによって厚一の生活が脅かされるのならば一時的にでもイギリスで保護しようかとも思い、いつでも動けるように準備は進めている。

 

 ある意味そういう事とは無縁な一夏とは違い。速水厚一という人間を守る為にこの場に居る少女たちは各々の手で動ける範囲の事をしているだけだ。

 

「今回の件で軍内部にも一定数の女性権利団体が入り込んでいる事がわかったからな。ああいう声だけはデカい輩を私は好かん」

 

「女性権利団体ですか」

 

 女性権利団体とはISが世の中に進出なかで現れ急激に勢力を広めた組織であり。

 

 その行動理念も、ISの搭乗員の全力的なサポートをする為に存在していたのだが。近頃では女尊男卑の温床とも言える団体であり、男がISを操る事を毛嫌いしているコメントも数多く出している。ニュース番組やバラエティーでも一定数の有識者として出演しては少々過激なコメントをしている。

 

 曰くISは女性の物であり、男が乗る事でその神聖さが穢れるという。

 

 女性の権利が世界で拡大しているのもこの権利団体の働きによるものが多く、そのネットワークは世界規模で把握しきれない程なのだ。

 

「奴らは乗れもしないISをまるで自分の力であるかのように振る舞う。それで私の嫁を害するのならば即座に殲滅してくれる」

 

「あははは。お手柔らかにね」

 

 確かにそういう人間をラウラは嫌うだろうと思う物の、相手は人間なので優しくしてほしいと願うばかりであった。

 

「そう言えば鈴が最近顔を出していないけど、何かあったのかな?」

 

「学校も休んでいる様ですわね。まぁ、乙女には色々とあるものなのですわ」

 

「うーん。そう言われちゃうとなんとも言えないから仕方がないのかな」

 

「はい。悪いようには転びませんとも。ですのでこの件は気にせずにいてください」

 

 鈴が休んでいる理由を知っているセシリアはやんわりと厚一にこの件に関わらないように言うと、厚一もそれを察して引き下がった。

 

「それにしても、フランスの代表候補生が女だったとは驚いたな」

 

「そうだね。びっくりしちゃった」

 

「……気づいていなかったのですか?」

 

「男装女子はいくらなんでも無謀過ぎ」

 

 気づいていたらしいセシリアと簪に、ラウラと厚一の純粋培養コンビが揃って首を傾げた。

 

「でも大丈夫なのかな」

 

「大丈夫でなければ本当の姿を晒せませんわ。個人的に調べてみましたが、どうやらデュノア社の株価が現在急激に値上がりしている様ですわね」

 

「あれだけ活躍すれば当たり前」

 

「まぁ、VTシステムとはいえ。教官を倒せてしまったのだからな」

 

 厚一がラファール・エスポワールに乗ってトーナメントで準決勝に進出し、さらにラファール・ユーザー同士の戦いや第三世代に引けを取らない戦闘力。そして暮桜を打ち降した件は世界中で轟き、信頼を置ける機体としてラファールは現在量産型ISとしてトップの注目を浴びている。

 

 そのお陰で株価は上昇。経営難は一時盛り返せるだろう。だがそれでシャルロットが正体を晒せることの真相には辿り着かない。

 

「イグニッション・プランも見直そうという意見もあるそうだ。確かに第三世代は強いだろうが、安定した戦力ともなると第二世代の存在は欠かせん。そういう意味では速水とセシリアの試合は大いに宣伝になっただろうな」

 

 今だ実験兵器の域を出ない特化型の第三世代よりも安定力がありバランス型ではあるが装備によって如何様にでも戦局に対応する高い汎用性は戦力構築の上でも重要であると示したのだ。器用貧乏も極めればそれも武器となる。

 

 最新型故に強いという価値観を厚一は崩してみせたのだ。

 

「だとするとこの子を貰っちゃって良かったのかな」

 

 そう言いながら指輪に赤いクリスタルが埋め込まれたそれを人差し指に嵌めている厚一は呟いた。

 

 自分がドイツのISを選んだことでまたデュノア社に影響が出るのではないかという懸念だった。

 

「それ以上は速水さんが気にする事ではありませんわ。チャンスをものにするかふいにするかは、あとはあちらの問題ですもの」

 

「厚一さんはもう少し自分の身の回りの事を気にしても良いと思う」

 

「そうかな? 充分気にしてると思うけど」

 

 とはいえ充分気にしているのならこうして乙女たちが集う部屋にはならなかっただろうという自覚が厚一にはなかった。

 

 目を離してしまうと消えてしまいそうなひだまり。そういう温かな心を持ったものが傷つけられ、その笑みが曇らないようにという想いが彼女たちの共通認識だった。

 

 

 

 

  



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その名はフリューゲル

突撃行軍歌で歌詞規約に引っかかり運対を食らいまして、ちょっとだけ文章を短くして対応してみました。これでもダメならどうしようかと思いつつ書き上げました。今回セカン党に怒られそうなんですけど、ちょっとした実体験混じりである為におkかなぁと思いながら書いてみました。


 

 ラウラの厚一嫁発言は瞬く間にIS学園に轟いた。

 

 結果日本政府絡みの追求は声を潜めた。これが一時的なのかどうかはわからないが。

 

 日常生活にラウラが加わり、大抵の時間を一緒に過ごすことになった。

 

 それこそ同じクラスであり、席が離れているので授業中は仕方がないのだがそれ以外の時間は常に厚一の居るところにラウラは居た。

 

 朝も昼も夜も四六時中行動を共にする中で就寝まで共にするようになった。

 

 そのお陰なのか、厚一は悪夢を見る事がなくなった。

 

 代わりに毎朝ラウラが布団の中どころか服の中にまで入ってくるので少し困る。意識はせずとも身体の生理現象はどうにも出来ないのだ。

 

 シュヴァルツェア・レーゲン改め、シュヴァルツェア・フリューゲルと名付けられた厚一の新たな専用機。

 

 各種装備によって戦局に対応する高性能汎用型の機体故に標準装備はシュヴァルツェア・レーゲンと同じくワイヤーブレードとプラズマ手刀、右肩の大口径レールカノンだ。流石はドイツというべきか。大口径であるレールカノンの射撃も安定していて精度も高い。

 

 ただラファールにあった一撃必殺の武装がなくなってしまったのは手痛い所だった。そこは安定した大口径火力に頼るしかないのだろう。

 

 第三世代IS。名前を変えただけで実質的にシュヴァルツェア・レーゲンとまったく代わりのないシュヴァルツェア・フリューゲルもAICを使用可能な機体である。

 

 防御寄りの汎用型という機体コンセプトは打鉄に通ずる部分がある。

 

 ただやはり砲打撃力はラファール・エスポワールより上であっても面制圧力や防御力、近接戦闘での一撃必殺の切り札がないのは悩み処だ。

 

 というわけで、ラウラの協力を得つつシュヴァルツェア・フリューゲルの装備を吟味する放課後の時間が始まった。

 

 そこには箒と簪、セシリアも加わっていた。

 

 トーナメントは終了したものの、最重要保護対象の自衛手段ということで教員カスタム仕様の打鉄を箒は引き続き専用機として所持している。

 

 簪とセシリアも合わせた専用機持ちとの模擬戦を繰り返し、左肩にはカウンターウェイトも兼ねた大型シールドを装備し、さらに新たに高出力スーパーバーニアを内蔵するスラスターユニットを増設することで防御型の装甲装備を持つシュヴァルツェア・フリューゲルを無理矢理高機動型にするというロマン仕様に仕上がってしまうのだが、大口径レールカノンが高機動型ISの機動性で動き回り撃ち込まれるというヒット&アウェイ戦法が単純に強いという結果が出た為であった。

 

「なんという特攻強襲仕様…」

 

 そう呟いたのは簪であった。

 

 エネルギーロスを防ぐためにプラズマ手刀に変わる物理攻撃用の近接戦闘装備として槍が推奨され、その槍の完成をもって一応シュヴァルツェア・フリューゲルの標準装備はワイヤーブレード、プラズマ手刀、大口径レールカノン、大型シールド、ランスというラインナップに落ち着いた。

 

 シュヴァルツェア・フリューゲルの調整が一段落着いた頃、鈴が1組に顔を見せた。

 

「久し振りだな鈴! って、どうしたんだ? 髪なんか切って」

 

「別に。ただのイメチェンよ。イメチェン」

 

 教室に入ってきた一夏に近寄る鈴はあのトレードマークとも言えるツインテールが無くなっていたのだった。

 

 女の子が髪を大胆に切ってしまうというのは何かがあった証拠だと昔から言われているが、セシリアの言葉もあった為に厚一は敢えてなにも聞くことはしなかった。

 

 シュヴァルツェア・フリューゲルの慣らしも済めば再び真耶による教導が厚一には待っていた。

 

「今です!」

 

「っっっ――!!」

 

 元々の機体出力が劇的に向上した上での連続した瞬時加速(イグニッション・ブースト)は身体が軋む様な感覚を覚えた。

 

 音速の壁を突破し、その中で狙いを定めるという行動は中々に難しいものだった。

 

「まだ制動が甘いですね。もう少しキツめでも良いかもしれませんね」

 

「はいっ」

 

 ラファール・エスポワールとシュヴァルツェア・フリューゲルは同じ汎用型とはいえ世代も違えば細かな気質も少々異なる。

 

 ラファール・エスポワールが本当に高いバランスの汎用型だった機体に対して、シュヴァルツェア・フリューゲルは装甲の厚い防御寄りの汎用型だ。

 

 機体の出力と防御力が高い分、動きが固く感じるシュヴァルツェア・フリューゲルに対して、ラファール・エスポワールは素直すぎる柔軟性を持っていた。

 

 それに関しては乗り回して粗を取るしかないと真耶に言われた為、厚一は時間さえあればシュヴァルツェア・フリューゲルに乗り続けた。

 

 合わせて高速機動戦闘の訓練も始まった。というよりも、そうする必要があるほどにシュヴァルツェア・フリューゲルの機動力は高くなっている。

 

 スーパーバーニアの製作は簪が中心になって行ったもので、重たい機体を素早くするのには丁度いい装備なのだとか。

 

 お陰で課題として残っていた高速戦闘時における偏差射撃は直ぐ様ものにしなければ攻撃が当たらなくなった。

 

 さらに制動を掛けるタイミングもすべて一から身体に覚えさせ直しであった。

 

 その為に近接戦闘装備も機動力を最大限に活かすために刺して削るという装備が最も有用であるということになった。

 

 しかもただの槍ではなく、パイルバンカー機能を有する槍となっている。

 

 作動時に伸びる槍の先端が突き刺さると気化炸薬を槍の先から噴射し、断続的な爆発と衝撃が大ダメージを与える必殺の武装が完成した。

 

 ちなみにこれも簪がスーパーバーニアと合わせて作った武装だった。

 

「漢のロマンは強い…」

 

 というコメントを貰っている。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 

「お疲れ様です」

 

「え、あ…、鈴」

 

 ロッカーのベンチで横になる厚一に、タオルを持って現れたのは鈴だった。

 

「高機動戦闘訓練ですよね?」

 

「うん。この子のスペックを完璧に引き出すには必要だからって」

 

 訓練項目はすべて真耶に言われたことを消化しているだけだが、高速戦闘は通常戦闘よりも集中力を使い、更には繊細な操作を求められる。それに対する精神的なストレスもあって余計に疲労を感じていた。

 

 アリーナの広さでは一瞬の判断の遅れで壁に激突してしまうからだ。だがその極限状態の訓練をする事でシュヴァルツェア・フリューゲルの性能を100%引き出すことができるのだから、やらないという選択肢はない。

 

「本当に勤勉ですよね。速水さん」

 

「勤勉じゃないと生きていけないからね」

 

 ドイツの計らいでシュヴァルツェア・フリューゲルに乗ることが出来る厚一は、ラウラを信じて自らの身柄をドイツに委ねることにした。VTシステム関連で不安がないと言えば嘘になるが、その本気度をシュヴァルツェア・フリューゲルの譲渡ということで示されているのだ。

 

 他に頼る所もない厚一からすればラウラの申し出に縋るしかないとも言えた。

 

「訊かないんですか? 髪の毛を切ったこと」

 

「オルコットさんから女の子には色々あるって聞いたからね」

 

 だから訊かない。

 

 最後まで言う前に、鈴が身体の上に倒れ込んできた。

 

「鈴……?」

 

「なんでそんなに優しいんですか……」

 

 厚一の身体の上に俯せになりながら鈴はそう言った。

 

「あたしはただ、こんな風に甘えられてれば良かったのに。嫌な女ですよね、こんなの」

 

「そんなことないと思うよ」

 

 そんな鈴を、頭を撫でて、背中を叩いて、手櫛で髪を梳く。

 

「誰だって甘えたくなる時はあるし、別に構わない」

 

 甘えに愛情で応えるからこそ、鈴も厚一には一夏には見せない自分を曝け出せる。だが、そうして甘え続けた今。自分の愛情が行き場に迷ってしまっているのも確かだった。

 

 恋心は一夏に。しかし愛情が厚一に向かっている。

 

 甘えさせてくれる。自分の想いを汲んでくれる。

 

 いくら気持ちを伝えても伝わらない。その徒労と傷を癒してくれる。

 

 恋とは違う愛を自覚して、そしてそのどちらも選べない。選ばずに心地の良い場所に自分を甘えさせていた。

 

 そんな自分が厭になって髪の毛を切った。

 

 しかしそれでもどうすれば良いのかわからなかった。

 

「あたし、自分がどうしたいのかわからなくて。でもこんな風に速水さんには甘えていたくて」

 

 両親が離婚して、中国に帰る事になった。好きだった一夏と別れなければならなかった。母は毎日申し訳なさそうにしていて。

 

 そんな風にされるのが嫌で偶々受けたIS適正検査で適正が高かったからISに乗り始めて代表候補生になった。

 

 一夏がISを動かした事をニュースで知って、IS学園に転入して。

 

 1年前の約束を覚えていなかった一夏には正直そういう奴だとわかっていても傷付いた。

 

 そんな自分を優しく慰めてくれて、甘えさせてくれる。背中を押してくれる速水厚一という大人に甘えている自分は、もうダメなのかもしれない。

 

「ねぇ。あたしが速水さんを好きって言ったら、どうする?」

 

「それは、まぁ、嬉しいかな。鈴はかわいいから」

 

 そんな風に言われても、一夏にするみたいに照れ隠しとかはしないで、嬉しさが熱と共に身体に染み渡っていく。

 

 自分の好意にもまったく気付かない一夏と、そんな好意を知っていても受け入れてくれる厚一との差なのだろうか。

 

「鈴……?」

 

 厚一の胸から顔を上げた鈴は、その手を掴かんで身動きを封じると、不思議そうな顔を浮かべるその唇を奪った。

 

 驚きで身体が硬直するのが伝わってくる。それでも直ぐに身体から力が抜けてまったく抵抗という抵抗をしない。

 

「……どうして」

 

 唇を離した鈴は小さく呟いた。その瞳からは涙が零れていく。

 

「少しでも拒んでくれたら、それでいいのに…っ」

 

 拒んでくれたら自分はきっぱりと今の甘えている自分を切り捨てられるのに。

 

 だが厚一はそれを汲み取っても鈴を拒まなかった。

 

「拒めないよ…」

 

「なんで…っ」

 

「だって。鈴が泣いてるんだもん」

 

 そこにはいつもの朗らかで優しさを携えた笑みを浮かべる顔があった。

 

 拒むことが確かに今の鈴にとっては必要だったのかもしれない。だが、彼女の顔はそう言っていなかった。

 

「誰も甘えちゃダメなんて言わないよ。それで鈴が少しでも元気になるなら、僕は構わないんだ」 

 

 自分の心がわからなくて、不安になることは誰にでもあることだ。その時に必要なのは正論ではなく、何もかもを優しく包む存在だ。

 

 そう言った厚一の胸に、鈴は顔を埋めた。 

 

 その小さな身体を子をあやすように優しく包む。

 

「こんなあたしでも、いいの?」

 

「いつもの元気な鈴も、甘えんぼな鈴も、鈴は鈴だから良いんだよ。そんな鈴が僕は好きだよ」

 

「ぅっ…」

 

 邪気もなにも混じりっ気のない純粋な好意というものは時としてどんな言葉よりも胸に突き刺さる刃である。

 

 無自覚の一夏に言われるのと、自覚していて言う厚一の言葉は後者の方が毒であった。

 

 鈴はぎゅーっと厚一へ抱き着く力を強めた。厚一もにこにこしながらぎゅーっと鈴を抱き締めた。

 

 心が温まる雰囲気になった。

 

「まったく。誰彼構わず優しいのは構わないが、少しは場所を考えたらどうだ?」

 

「あ、ラウラ」

 

「んにゃあああああ!!!!」

 

 厚一に甘える事に夢中だった鈴はここがアリーナのロッカールームだとすっかり忘れていた。呆れた感じで入ってきたラウラに厚一が名を呼び、鈴は跳び跳ねてネコの様な悲鳴を上げた。

 

「ほらどけ、速水は私のものだ」

 

「なによ。あとからポッと出てきたクセに!」

 

 フシャーっと威嚇せんばかりにラウラを睨む鈴。厚一は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「その間にアプローチもなにもせん方が悪い。私は考え得る口説き文句を並べ立て、正面から打って出たぞ。結果、速水厚一を攻略したまで」

 

「うぐっ」

 

 そう言われてしまうと、ただ甘えていただけの鈴はなにも言えなくなってしまう。

 

「で、でも、速水さんとキスしたもん!」

 

「私は床を共にした。無論、裸でだ」

 

「は、裸ぁ!? あ、あんたなにしてんのよ!!」

 

「無論。夫婦の営みだ」

 

 胸を張るラウラと、それを歯軋りして睨む鈴に、会話を聞いている厚一は恥ずかしくなってきた。

 

「だっ、だったらあたしだってやってやるわよっ」

 

「ふん。望むところだと言わせて貰おう」

 

「ふたりともやめようよ。ね?」

 

 何故か服を脱ぎ出すふたりを止めようとする厚一だが、女の戦いを口で止められる男は居ない。

 

「あたしの方がおっぱい大きいもん!」 

 

「たいして変わらんだろう。大事なのは愛とテクニックだ」

 

「少なくともあんたよりも速水さんの事は好きだって言えるわよ!」

 

「だがそれは男女間のものではないのだろう? 私も今はまだ完璧とは言えんが、学園を卒業すれば籍を入れて夫婦になれる様に愛というものを育むつもりだ」

 

「いつのまにそんなことに」

 

 身柄をドイツに移し、ラウラの庇護下に入る所までは決まっているが、結婚する等とまでは決めてはいない。

 

「言っただろう速水。お前は私の嫁だ」

 

 そう言ってラウラは厚一の顎を人差し指と親指を添えて持ち上げると、唇を奪った。

 

 それもただ唇を重ねるだけではなく、重なった隙間から水音のする深いキス。

 

 離れた唇から銀色の橋が繋がり、ぷつりと途切れ。そんな光景に流石の厚一も恥ずかしくて顔を赤らめた。

 

「フッ、これで私と速水が夫婦だと証明されたな」

 

「だっ、だったらあたしはこうよ!!」

 

 そう言って鈴がISスーツのアンダーを脱がそうとしてきたので厚一も流石に抵抗した。

 

「ちょ、待って鈴! 流石にそれは」

 

「あたしだってもうオトナの女だもん! 取られるくらいなら速水さん相手だったらいいっ」

 

「お待ちなさい、鈴さん」

 

 少々暴走気味に陥った鈴を止めたのはセシリアだった。

 

「鈴さん。どう言おうと今のところはわたくし達が遅れを取っているのは事実ですわ」

 

「だからあたしが先に進むって言ってるのよ!」

 

「ですが。速水さんの意思を無視してはいけませんわ。互いに心を通わせてなければそれは犯罪となにも変わりません。それはエレガントではありませんわ」

 

 鈴を厚一から引き剥がしたセシリアは足元に跪き、その手を取った。

 

「速水さん。わたくしの至らなさであなたを不安にさせていてしまった。それを言い繕う事は致しません。なのでわたくしは宣誓致します。わたくし、セシリア・オルコットは全身全霊を賭して、あなたを御守り致しますわ」

 

 そう言って、手の甲にキスをするセシリアの姿は実に絵になっていた。

 

 良きライバルであり、そしてその成長を楽しみにしていた。一夏と比べて厚一の立場が危うい事も知っていたが、少なくともIS学園に居る間は平気だろうと楽観していたのも事実だ。

 

 だがドイツは先んじて厚一の身柄を引き取り、更に専用機まで用意し、それは正式にドイツが厚一のバックに着いたと言うことに他ならず。そして最近の厚一は以前にも増して軟らかく微笑む様になった。不安がなくなった事で本当の速水厚一という人間を見れる様になったということだろう。

 

 厚一の身を案じ、その身を守っていたが、それでも心までは守ることが出来ていなかった事を恥じた。

 

 故に改めてセシリアは誓いを立てた。ドイツも本気ならばイギリスの本気を見せる。

 

 英国貴族として騎士となる誓いを新たに宣誓するセシリアに、もうどうすれば良いのか厚一には判断しようがなかった。

 

「と、取り敢えず。よろしくお願いします」

 

「はい。承りましたわ」

 

 出来る事はセシリアの厚意を受け取る事だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「というわけですので。わたくしも本日より速水さんの部屋で就寝させて頂きます」

 

「なにがというわけだ。いくら愛人でも夫婦の床に侵入する許可を与えた覚えはないぞ」

 

 素っ裸のラウラと、ネグリジェ姿で色々と透け透けのセシリアが言い争っていた。

 

 セシリアの厚意は嬉しい物の、それが国家間争いに発展しそうな勢いに、厚一は選択肢を間違えたかと背中から聞こえるBGMを聞きながら、次の日の昼食の下拵えをしていた。

 

 サンドイッチはセシリアの得意料理なので偶には他の弁当を作ろうと包丁で食材を切っていた時だった。

 

「あっ」

 

 まな板の上に置いた包丁に手がぶつかり、落ちた包丁が床に転がる。

 

 それを拾い上げてまな板の上に戻した厚一が何やら自分の足から水っ気を感じて視線を下に移すと、何故だか真っ赤に床が染まって行く。

 

「っ、あ˝あ˝あ˝ーーーーー!!!!

 

 轟いた悲鳴にセシリアとラウラは硬直する。

 

「どうしたんですか!?」

 

 空かさず動いたのは簪だった。

 

 キッチンに駆け込むと、足を抑えている厚一と、床に広がる赤い水たまりが見えた。

 

「非常事態! 医療キットっ、メディック!!」

 

 キッチンペーパーを素早く破り、血の出ている右足の指を押さえて止血する。

 

「こちらに横になってくださいっ。足を胸よりも高い位置に」

 

「傷はどうだ? 動脈を押さえて止血と縫合だ」

 

「包丁を落としたんですね? 傷を見ますよ」

 

「まっ、待って! 今は触らないでっ」

 

 粗い息をしながら、痛みに耐える。血が溢れ、その血を見た事で軽度のパニック障害になっている。さらに止血の為に押さえた傷口を触られることも嫌がった。

 

 セシリアの膝枕に横になりながら、手を掴んで痛みを我慢する。突発的な痛みという物は、心構えが無い分普通よりも大分痛い物なのだ。

 

 呼吸が落ち着いてきたところでゆっくりと、真っ赤に染まったキッチンペーパーを退ける簪。だが見た目よりも深い傷なのか、再び血が溢れて来てしまう。

 

「どけ、私がやる」

 

 簪と代わり、ラウラは厚一の足を持ち上げながら、血の出ている指を舐め始めた。

 

「い˝っっっ」

 

「少し我慢しろ」

 

 自身の唾液には微量ながら医療ナノマシンが含まれているラウラは、傷口を舐める事で殺菌と止血を行う。

 

「ほら、これを飲め。一日もすれば治るだろう」

 

 そう言ってラウラが取り出したのは医療用ナノマシンの服用剤であるが、その錠剤をいやいやと首を横に振って厚一は拒否した。

 

「いま、ちょっと、ムリっ」

 

 物凄く顔色を悪くしながら、厚一はとにかく今は無理だと告げた。パニック障害の所為で胃と喉がどうやっても受け付けなさそうだったからだ。

 

「そうか。ならば仕方がない」

 

 ラウラは口に水と錠剤を含むと、そのまま厚一の唇を奪って無理やり流し込んだ。

 

「なっ」

 

「ラウラさんっ」

 

 それを見て固まる簪とセシリア。まさかこの様な強硬手段に出るとは思わなかったのだ。

 

「大丈夫だ。何も怖がるな。私が付いているだろう」

 

 厚一の頭を撫で、安心させる様に自分に出来る精一杯の優しい声を掛けるラウラ。そうする事で少しずつ厚一の顔色も戻りつつあった。

 

「血は止まったが、傷口の保護は必要だな」

 

「簪さん。絆創膏を」

 

「う、うん」

 

 足の人差し指と中指と薬指の傷口に絆創膏を簪が貼った所でひと段落するものの、胃の中から込み上げる嘔吐感が苛むのを落ち着くまでセシリアに膝枕をしてもらった。

 

「安全対策にスリッパが必要だな」

 

 そういうラウラに次からはスリッパを履いてキッチンに立つように心掛けようと決める厚一だった。

 

 次の日は朝から厚一は注目の的だった。

 

 何しろラウラに背負われて教室に現れ、さらには右足には何も履かずに晒され、絆創膏を貼られていれば気になって仕方がないだろう。

 

「速水さんがケガしたって!?」

 

 ドタバタとやって来たのは一夏だった。

 

「落ち着け織斑一夏。傷に障ったらどうする」

 

「わ、悪い…」

 

 そうラウラに止められた一夏であるが、大げさだと厚一は苦笑いを浮かべた。

 

「包丁を足の上に落としちゃってね」

 

「それって、一歩間違えたら大惨事じゃないですかっ」

 

 それこそ指がなくなってしまっていたのではないかという状況に、一夏は血の気が引いた。

 

「でも大丈夫。ラウラが治療してくれたから」

 

「嫁の身体を気遣うのは当然の事だ」

 

 そう胸を張るラウラはどこか誇らしげである。

 

「でも病院とか行った方が良いんじゃ」

 

「明日には治るだろう。だから心配はいらん」

 

「いやそんな早く治るわけが」

 

「魔法の薬を使ったから大丈夫だよ」

 

 一夏を安心させる為に厚一はいつもの様に朗らかな笑みを浮かべた。実際医療用ナノマシンのお陰で既に傷口は塞がっている。後は傷の中が治れば完治するので二、三日の辛抱である。

 

 その日はISの実習も見学で、合同だった二組の女子も不思議にISスーツではなく制服のままである厚一を不思議がったが、ケガをしたと聞いて鈴も一夏と同じように血の気が引いて過剰に心配したものの、同じように宥めて落ち着かせた。

 

「それにしても、なんともなくて良かったわ」

 

「ごめんね、心配かけて」

 

 昼休みは屋上で昼食だった。簪を除いた一年生の専用機持ちが集結するいつもの光景である。

 

「ホント。聞いたときは背筋が冷たくなったぜ」

 

 箒が作ったお弁当を食べながら、一夏も鈴に便乗した。

 

「そういう事だから今日は訓練してあげられそうにないんだ。ごめんね」

 

「いえ。速水さんの身が第一ですから」

 

 そう言って謝罪する厚一に、箒も身体を第一に考えてほしいと口にし、絆創膏を貼られた脚の指に思わず視線が行って、自分の足の指も痛くなる幻痛を感じた。料理する手前、指を切る経験はあるものの、故に包丁を足に落とすというリアルに想像できる状況を想像してしまいさぞ痛かっただろうなと顔を顰める。

 

「でもそうすると買い物とかどうするの? 臨海学校も近いし」

 

「心配ない。私がおぶっていく」

 

「社会的に死ぬからヤメテ」

 

 7月初旬。既に臨海学校を控え、準備もある為に必要な物を買い揃える必要がある。

 

 その買い物をする休日は丁度迫っている。傷は治る予定であるが、それで歩いて問題ないかというのも別である。突っ張る傷跡を庇って変な歩き方をしてしまうというという事はよくあることだ。

 

「車イスというのは如何でしょうか?」

 

「いや別に陳情すれば良いだけだと思うし」

 

 とはいえ現在未だ身柄は日本政府扱いなので、今から陳情して間に合うかどうかという疑問が浮上してしまった。

 

「折角の休日のお買い物ですもの。ここは楽しまなければ損ですわ」

 

「でも迷惑かけるわけにはいかないし」

 

「少しは迷惑を掛けろ。その程度で見捨てもしない」

 

「でも」

 

「デモもストライキもありませんわ。ここはわたくしたちにお任せくださいませ」

 

 一対一でなら朗らかオーラでどうにか推し切れる厚一であっても、二対一の上にラウラもセシリアも朗らかオーラで押される女子ではない為、厚一はふたりには基本的には逆らえないのだ。

 

 という感じで買い物当日はやって来た。

 

「大丈夫か? 痛みはないか?」

 

「うん。大丈夫」

 

 右足に真新しい皮膚の色が見えるが、傷自体は塞がっていて問題はない。ただ少し突っ張る感じは真新しい皮膚が馴染んでいない為だろう。

 

 ラウラに手を引かれながら、サンダルで厚一は歩いていた。

 

 その周辺警戒をセシリアは務めていた。

 

 セシリアと簪が外周警戒。直掩にラウラが着いている。さらに伏兵として鈴が潜んでいた。

 

「な、なんか。物々しくない?」

 

「必要な事だ。変装していてもバレないとは限らないのだからな」

 

「でもみんなの買い物だってあるし」

 

 今の厚一はサングラスもしていない。顔は曝け出し、だが誰も厚一を厚一だと気づかない。

 

「というか、いっぱい見られてるよ…」

 

「素材が良いからだろう?」

 

 ショートパンツ姿で曝け出されている白い足。編み上げのサンダル。上着は半袖のパーカーをシャツの上から羽織っている姿で、火傷の跡を隠すように右腕には包帯を巻いたままにしているが、それも一つのアクセントになっている。頭には白のベレー帽。ウィッグで髪も伸ばしていると男には見えなかった。

 

 格好からして女性物を着ている所為か、気が気でない厚一ではあるが、周りにはラウラに簪、セシリアという一線級の美少女が居るので、だれも厚一を男だとは思いもしていなかった。

 

「こうすれば外も気兼ねなく出かけられますわね」

 

 そう言ってレディースファッションを進めた張本人のセシリアは一仕事終えた良い笑顔だった。

 

「違和感仕事してない」

 

 顔も中性的な厚一は普段は男物を着ている上に、男だと意識しているから男だとわかるものの。そう言った先入観がなければ女の格好も充分に行けると簪も判断して、ノリノリでメイクに参加した。

 

 そうして女装紛いの事をして、ラウラに手を引かれてショッピングモールのレゾナンスまでやって来た。ここでなら大抵のものが揃うと場所を決めたのは鈴だった。

 

 必要な小物類を先に買い。次は水着になるのだが、そうなると厚一は男物の水着を買わなければならない。

 

 この格好で男性用の水着コーナーに行く勇気はなかった。万が一バレたら変態扱いだ。さらにだからと言って女性陣の水着コーナーにも着いて行く勇気はなかった。

 

 故に水着コーナーから離れたベンチで休憩していた。

 

「女の子はパワフルだなぁ」

 

 厚一を一人にする事を最後まで渋ったラウラだったが、早く選んで帰ってくればいいと厚一に押されて、渋々離れる事になった。

 

 厚一としてはもう少し年頃の女の子としての体験も大事にして欲しかったので、他の三人に目配せして連れていって貰ったのだ。

 

 しかしひとりになると自分の恰好が変ではないかと心細くなる。

 

 しかもショートパンツにサンダルなので脚が丸見えという前代未聞の格好。良く女性はこんな姿で街中を歩けると感心する。

 

「ホント、女の子ってすごい」

 

 自分の為に色々と骨を折ってくれている女の子達を思い浮かべて、厚一はスッと軟らかな笑みを浮かべた。

 

「お姉さん、ひとり?」

 

 そんな厚一の耳にそんな言葉が聞こえた。

 

 やっぱりこう色んな人が居るならナンパもあるんだなぁと思いながら上の空でいると、視界に手を振られた。

 

「あ、よかった。気づいてくれた」

 

「はい?」

 

 厚一が顔を向けると、そこには男の自分でもカッコいいと思うイケメンの男の人が立っていた。年頃は真耶と同じころだろうか。

 

「待ち合わせしてるの? 良かったら一緒に遊ばない?」

 

「え? あ、えっと…」

 

 まさか自分に声を掛けられているとは思わず、どうすれば良いのかと混乱してしまう。

 

 こんな格好だから間違われても仕方がないとはいえ、実際相手は厚一を女性だと思って声を掛けてきている。騙している様で申し訳なく思いながら、どう断る事が相手を傷つけないで済むかと考える。

 

「と、友達も、居ますから…」

 

 という当たり障りのない理由で引いてもらおうとする。

 

「じゃあその友達も一緒にどうかな? 一応こっちに女の子も居るし」

 

 とはいえ相手もその程度では引き下がってくれそうにない。

 

 弱ったと思いながら、しかしみんなを呼び戻すのも折角の女の子同士の買い物を邪魔してしまいそうで気が引けてしまうので助けを呼ぶという発想も却下して、どうにか自分で乗り切ろうとする。

 

「え、えっと、その。と、友達は、人見知りの子も居るので」

 

 実際簪はそういう子なので説得力はあるものの、それは相手が簪を知らなければ意味がない。

 

「大丈夫だって、変な事はしないから」

 

 そういって軟らかな笑みを浮かべる相手に、自分でなくとももっと普通に可愛い人に声を掛ければ良いのにと思わずにはいられなかった。

 

「ちょっと待てよ! その人困ってるだろ」

 

 そう言う聞きなれた声がして視線を向けると、そこには一夏が居た。

 

「織斑君…!」

 

 知り合いが助け船を出してくれた事に安堵して、厚一は一夏に駆け寄った。

 

 一瞬誰だと思った一夏ではあるが、いつも聞いている声を聞き間違える事はしない。髪の毛は長いがそれ以外の特徴は自分の知る人物だと気づいた。

 

「速水さん?」

 

 厚一の腕を引いて後ろに庇う一夏。すると声を掛けて来た男はバツの悪そうな顔を浮かべて、謝罪して去って行った。

 

「ごめん。ありがとう」

 

「いいえ。というか、なんでそんな格好を」

 

「うぅ…。これはオルコットさんが、変装するにはこれが良いって」

 

 窮地を脱したが、ある意味知り合いの同性に女の格好をしているのを見られて却って恥ずかしさが急激に込み上げてきてしまう。

 

「ま、まぁ、似合ってますよ?」

 

「ごふっ」

 

 同性の一夏にまでそんなことを言われてしまうと、頭に金鎚でも受けたような衝撃を受ける厚一だった。

 

「それにしても、ひとりなんですか?」

 

「ううん。ラウラとオルコットさんも居るよ。でも水着を買いに行ったから」

 

「あぁ…」

 

 流石に自分が女の格好をしていても女性の水着コーナーには入れないなと一夏も察した。

 

「でもそうすると速水さんの水着は?」

 

「この格好で男性の水着コーナーに入れると思う?」

 

「ごもっともで」

 

 しかし一夏は良いことを思いついて、厚一の腕を引いて歩き出した。

 

「ちょ、織斑君?」

 

「速水さんがひとりじゃ入れないなら、俺が一緒に居れば良いじゃないですか」

 

「なるほど」

 

 確かにそうすれば男の一夏に付き合って男性の水着コーナーという場所に居るという構図が成り立つ。

 

「でもどんな水着が良いんですかね?」

 

「うーん。実は言うと海に入るかどうかも悩んでるんだよね」

 

「え? 何でですか」

 

「だってほら、周りは女の子だらけだし。こんな腕を見せるわけにもいかないでしょ」

 

 そう言って厚一は自らの右腕を指し示す。傷は完治しているが、明らかに不自然に色が違う肌を見せたいとは思わないのだ。

 

「そんなこと。それはみんなを守ったから」

 

「だからだよ。折角の海で気分も良い時に、そんなことを思い出したくもないでしょ?」

 

 別に子供でもないので海に入ってはしゃぎたいとも思わない。だから水着も要らないかと改めて思っていたのだ。

 

「ちょ、ちょっと、織斑君!? 待って、止めて」

 

「止めません。これは速水さんが皆の為に頑張った証なのに、そんな風に隠す必要なんてないんですっ」

 

 そう言って一夏は厚一の腕の包帯を取った。白い肌にピンク色の肌が目立つ部分がある。何かの傷跡だと一目でわかる肌の質感が違う部分がある。

 

「だから胸を張ってください。それでも変な目で見る奴が居たら俺がぶっ飛ばします」

 

「織斑君……。相手は女の子なんだからそんなことをしちゃダメだよ」

 

「男も女も関係ありませんよ。それは誰だって言っちゃダメなことだってあります」

 

「強情だなぁ。でも、そういう真っ直ぐな所は僕も好きだよ」

 

「俺も。速水さんのそういうなんでも優しい所は好きです。でもちゃんと自分の事でも怒るときは怒ってください」

 

「はいはい。気をつけるよ」

 

「ホントですか?」

 

「なるべくね」

 

 そんな感じで会話を交わし合うふたりを、物陰からこっそりと見つめるのは英独中仏日の5人だった。

 

「なんか、同じ男性同士だからか。会話が弾みますわね」

 

「うぅ…。一夏のバカ」

 

「く、これが性差の壁かっ」

 

「なんで普段からあれくらい気の利いた会話が出来ないのよバカ一夏っ」

 

「よし。殲滅しよう」

 

「なにをしている小娘ども」

 

 だがそこにラスボスが現れた。

 

「織斑先生!」

 

「こ、これは別に」

 

「あれ? あれは織斑くんと、何故速水さんがあんな格好を?」

 

「ほう。良い趣味をしているようだな。お前たち」

 

 真耶や一夏と厚一に気付いた。普段から厚一を一番見慣れているといっても過言ではない真耶は厚一が女物の服に身を包んでいても気づくことが出来た。

 

 それに気付いた千冬もまさか自分から厚一があのような服を用意するわけもないと思っているので、その仕掛け人が厚一の周囲に居る人物であると当たりを着ける。

 

「あ、あのですね。これは」

 

「速水の安全を考慮しての作戦行動であります。織斑教官」

 

「そ、そうですよ! 速水さん有名人ですし」

 

「い、一夏も有名人だけど速水さんと並べば普通の買い物してるカップルだよね?」

 

「決して厚一さんを女装させて恥じらう姿を可愛いなどとは思っていません」

 

「なるほど。オルコット、ボーデヴィッヒ、凰、更識。あとで話がある」

 

『は、はい…』

 

 名指しで呼ばれたシャルロット以外の乙女たちはただその命に従うしかなかった。

 

「あれ。織斑先生に山田先生」

 

「あ、ホントだ」

 

 少女たちを黙らせて一夏と厚一に近寄る教師ふたりに厚一が気づいて、一夏も続けてその姿を認めた。

 

「水着選びか。丁度いい、織斑を借りて行くぞ」

 

「は、はい。僕もそろそろ連れと合流しますから」

 

「速水さん、良かったら水着を選ぶのを手伝ってくれませんか?」

 

「良いんですか? 僕、あまりセンスはないですけど」

 

「はい。自分の眼で見るより他人の意見も欲しいので」

 

 一夏を連れていこうとする千冬に、姉弟の水入らずという雰囲気を察した厚一も、真耶の申し出に乗る形で一夏と別れた。

 

「それにしても、かわいらしくていいですね」

 

「やめてくださいよ。男なんですからこれでも」

 

「でもかわいい服が似合うのもいいじゃないですか」

 

「そうですか?」

 

 とはいえ一応男なので、かわいい服が似合うと言われても腑に落ちないのだ。

 

「速水さんはどっちが良いと思いますか?」

 

 そう言って厚一に水着を見せる真耶。片方はワンピースでフリルが着いている少し子供っぽい感じの物だった。片方はビキニであるが少しトップの布面が少ない様に思えた。

 

「え? 本当に選ぶんですか?」

 

「そうですけど? やっぱり夏ですし。海に入りますから新調しようと思って」

 

「あまりこういうのは経験がないんですけど」

 

 とはいえ普段からお世話になっている真耶の為に水着を選ぶのも吝かではなかった。

 

 昼になってそのまま別れた皆と合流して、女子7人に男2というメンツになるものの、そこは普段から顔を合わせているメンバーなので特に何という事は起きなかったのだが、簪がずっと厚一の背に隠れて一夏の視線に入らないようにしたというくらいだった。

 

 水着も買って、ついに夏はやって来る。

 

 

 

 

 

 



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少年よ、火となれ

私の頭上にWTGでも開いたのだろうか? 急に古本屋巡りをして榊ガンパレをかき集めたGWを送り、取り敢えず集めた分を読み漁る日々を送っていました。

取り敢えずひとこと。待たせたな戦友たち。


 

 IS学園に通う一人目の男子学生、織斑一夏の朝は早い。

 

 時計のアラームで起床する時間は朝の5時。

 

 寝間着からジャージに着替えて部屋を出ると、同じくジャージ姿で、幼馴染の箒に遭遇する。

 

「よ、おはよう、箒」

 

「ああ。おはよう、一夏」

 

 まだ朝が早い為、小さな声で挨拶を交わす。

 

 そのまま無言で向かうのは生徒寮の玄関だ。

 

「「おはようございます、速水さん」」

 

「うん。おはよう、織斑君、篠ノ之さん」

 

 寮の玄関で体操をしていたのは二人目の男子学生、速水厚一である。

 

 いつもの様に朗らかな笑顔を浮かべている背中にはラウラの姿があった。

 

「なにやってんですか?」

 

「え? 柔軟だけど?」

 

 背中合わせになり腕を組み、相手を背中に乗せて腕を引き締め相手の背筋を伸ばす。それを交互に行うのだが、子供体型のラウラと一夏とほとんど同じの背丈である厚一がやっていると酷くシュールである。厚一を背負うラウラの負担がとんでもなく見えるが、ラウラは厚一を背負ってもへっちゃらな力持ちなのでその辺りは問題ないのである。

 

「さて、身体も温まった。行くとしよう」

 

「うん。それじゃあ二人とも、先に行くね」

 

 そう言って厚一とラウラは走り出していく。軽快に走っていく様を見るに、足のケガは治っている様だ。

 

 料理をする人間だからこそわかる、足の上に包丁を落とすという恐怖。一夏自身もケガはしなかったが経験はある為にわからなくもない出来事だった。

 

 しかし2、3日で包丁の切り傷の治る薬というのは、一夏も興味を引かれるものだった。

 

「俺らもさっさとやって行くか」

 

「そうだな」

 

 基本的な柔軟体操をして、一夏も箒と共に走り出す。

 

 朝のランニングは基礎体力を鍛えるという面で非常に重要なトレーニングであった。

 

 一定のリズムで走るのだが、まだまだペース配分にムラがある上に体力も10キロを走るにはまだバテる。

 

 走り終わる頃には体力を使い切り、バテバテで地面に横たわる一夏。

 

 厚一とラウラの姿がないのは既に走り終えて寮に戻っているからだろう。

 

「ぜぇ…ぜぇ…ぜぇ…、きっつ」

 

「考えて走らないからだ」

 

 横たわる一夏に遅れて走り終わった箒も汗だくではあるが、一夏の様に地面に寝転んだりはしない。

 

「先に帰るぞ」

 

「おお…」

 

 汗を流さなければならないので箒も一夏を待つことなく寮に戻る。と言うより流石に好意を寄せている相手に汗だくの自分の匂いを嗅がれるというのは嫌だと思い早くシャワーを浴びたいと思うからこそであった。

 

 そうして体力が回復するのを待っていると、誰かが近付いてくる気配があった。

 

「お疲れ様、一夏」

 

「鈴…?」

 

 見れば最近髪の毛を切った凰 鈴音がやって来た。

 

 そして顔にタオルが被せられた。

 

「サンキュー」

 

「別に。というかタオルくらい用意しなさいよ」

 

「いや、なんというか。動けるようになるころには汗も引いちまってるからな」

 

「もう少し考えて走んなさいよ」

 

「お前も箒とおんなじこと言うのな」

 

「当たり前でしょ。考えなしに走るから体力全部使っちゃうんじゃない。それじゃあISに乗ってもあっという間に体力切れするわよ」

 

「わかっちゃいるんだがなぁ…」

 

 体力を残して走るというのは一夏自身も出来るのだが、そうすると一緒に走る箒にまで置いていかれるのを知れば、意地でも前を走っていたいというのが男の子というものだ。

 

「まぁ、あんたの事だからどうせ箒に追い抜かれるのが嫌でペース配分考えずに走ってるんでしょうけど」

 

「うっ」

 

 図星を突かれてぐうの音もでない一夏だった。

 

「じゃ、あたしは戻るから。遅刻しないように動きなさいよね」

 

「わかってるって」

 

 去っていく鈴の言葉を聞きながらも、ボーッと寝転がったまま心拍が落ち着くのを待つ。

 

「なんか最近、優しくなったな。あいつ」

 

 髪を切ってから少し態度がやわらかくなった様な気がしないでもない。

 

 なにかあったのだろうかと思いつつ、藪を突いて蛇を出したくないと思った一夏はその思考を放棄した。

 

 そのままもう少し身体の熱を逃がす為にゆっくりしていると、また何かか近づいてくる気配があった。

 

「恋と愛の間で揺れる想い。若いってのは良い事だな」

 

「……ペンギン」

 

「よう、坊や。お前も青春しているか?」

 

 やって来たのはペンギンだった。タバコを嘴に咥えながらどこか遠くを見ているような雰囲気をしていた。

 

「青春っていうのは夢みたいなものさ。喜んで悲しんで、思い出だけが残る。そういうものだ」

 

「ペンギンにも青春ってあるのか?」

 

「あるさ。生き物にはなんだってある。振り返ったときに、苦さも甘さもあるのが青春ってものだ。今を精一杯生きてみろ。そうすれば、大人になったときに俺の言ったことがわかる時が来るだろうさ」

 

 去ろうとするペンギンを一夏は呼び止めた。

 

「待ってくれ! ……俺は、強くなりたいんだ。誰かを守れる強さが欲しい! その為に俺は強くなろうとしている。でもどうしたら、どうやったら強くなれるんだ?」

 

 何故かその問いをペンギンへ投げ掛けた。

 

 何故かはわからない。ただひとつ言えることは、ペンギンならば答えをくれる。そう思ったからだ。

 

「そうだな。先ず、今のお前に足りないものを自覚することだ。それがわかればあとは簡単だ」

 

「俺に足りないもの?」

 

 何が足りないのか。それを知りたくて先を促す様に起き上がってペンギンと向き直り、その目を見詰める。

 

「情熱・思想・理念・頭脳・気品・優雅さ・勤勉さ。挙げていけばキリがないな」

 

「……それって、なにもかもって事じゃないか」

 

「そうだ。今のお前には何もかもが足りていない。お前の目指す強さはそう言ったものの上に成り立つものだ。自分の身を守れない者に他人を守ることなどできない。自分の身を守れずに他人を守ろうとすれば、その他人を殺すことになるぞ」

 

「っ……」

 

 そう言われて思い起こしたのは、クラス代表戦の時のことだった。

 

 乱入したISと戦おうとした。

 

 逃げるのが嫌だった。戦っている仲間が居るのに、自分だけ逃げることに納得がいかずに、結局足を引っ張ってしまった。

 

「自分を鍛えろ。今以上に」

 

「今以上に……」

 

 ISについては千冬にシャルロット、セシリアという教師がいる。だが千冬もセシリアもISの基本的な事を反復させる事くらいで、実践的な訓練もシャルロットとの訓練くらいだ。強くなりたくとも、今以上に誰に教われば強くなる事が出来るのか。

 

「でも、どうやったら」

 

「俺が鍛えてやる」

 

「ペンギンが……?」

 

「ISの事はよくわからん。だがな坊や。お前はそれ以前の問題だ。やりたくないのならば構わない。嫌々やる奴に教える程、俺も暇じゃない」

 

「ペンギン…」

 

 ライターに火を点け、その揺れる炎を一夏に見せてペンギンは嘴を開いた。

 

「今のお前は、こんなライターの火だ。小さくて吹けば消える、そんな小さな火だ」

 

 ペンギンは翼をライターに寄せる。風から守るように。そして揺れていたライターの火は燃え上がる。

 

「だが、人の手がそれを包めば、消える事なく燃える事が出来る。火は燃え上がれば炎になり、暗闇を照らす光になる」

 

 そしてペンギンは力強い視線で一夏を射抜いた。

 

「弱くて小さいからと言っても、炎は炎だ。どんなに小さくても、闇を照らし光輝く炎である事は間違いない」

 

 そしてペンギンはライターを閉じ、しかし代わりに嘴を開き続ける。

 

「坊や。誰かを守るというのならば、その誰かを苛むモノを焼き尽くす炎になれ」

 

「守るために、炎に……」

 

 まるでおとぎ話の様な例えだ。だが、一夏は不思議とそのペンギンの言葉がただの言葉には思えない重さがある事を感じていた。

 

「……あなたは、なんなんだ?」

 

「ペンギンだ。どこにでもいる、おっさんの」

 

 ペンギンはライターをしまい、帽子に翼をやって続けた。

 

「だが、自分の仕事に誇りを持っている。誰よりも誰よりも誇り高い。俺は一羽のハードボイルドだ」

 

「…ハードボイルド……ペンギン…」

 

 ペンギンはニヤリと笑った。帽子から覗く目は、動物とは思えないほどに情熱に燃えている様に見えた。

 

「強くなりたいのならば立て。休んでいる暇などないぞ。坊や、お前は良い男になるやもしれんが。まだ反吐が吐き足りん。血反吐を吐くまで己を鍛えろ」

 

「っ、ああ!」

 

 体力は殆ど底をついているが、それでもペンギンの言葉を信じて立ち上がる。

 

「走れ。泥沼に腰まで浸かったその後でも、己が信じるソレを遂げる為に、魂を鍛え上げろ。走ったくらいでソレに近づくとは思わないが。俺はこの他に育て方を知らん。俺の教えはただひとつ…。笑って死ぬ為には、誰かを守って自分が傷つけ。それだけよ…」

 

「誰かを守って自分が傷つけ……」

 

 なら、自分もいつかそんな風になるために、今は走り出す。

 

「そうだ。早く走れ。世界(じぶん)は待っても時間(たにん)は待ってはくれんぞ」

 

「はい。行きます!」

 

 一夏は走り始めた。

 

 その目指す先にある朗らかな笑みを浮かべる背中に追いつくために。

 

 学校をサボって50キロをひたすら走り、ふらふらになった一夏の頭に出席簿が落ちるのはもう少し先の事だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 臨海学校に備えて、1組でもバスの席決めと部屋割りを決める事になった。

 

「あの織斑さんがサボタージュをするなんて思いませんでしたわ」

 

 セシリアから見て右前方にある教壇の目の前の空席。

 

 そこにあるはずの背中がなかった。

 

 体調不良等で授業を休んだ風でもなく、千冬も一夏の不在に対して何も言わないため、憶測は飛び交うばかりだ。

 

「まさかあのまま寝たというわけではないだろうな……」

 

 そんな憶測は箒の耳にも当然届いていた。

 

 汗を流すためにひとり置いてきてしまったのが不味かったかと思うものの。ランニングを共にするのは別段初めてではなく、いつもちゃんと朝食には間に合うように動いていた一夏を見ている。

 

 だから少し不安になってしまう。

 

「朝部屋を出て行ったきりで帰ってきた様子もなかったよ」

 

 一夏と同室のシャルロットも、なにかあったのではないかと心配していた。

 

 教室がなんとなく不安な空気に包まれそうになる。

 

「まぁ、大丈夫じゃないかな」

 

 そんな声が不思議と教室に響いた。

 

「何故そう言えますの?」

 

 大丈夫だと口にした厚一に隣に座るセシリアが訊ねた。

 

「小さな火を見守る鳥が居るからかな」

 

 窓の外を、何処か遠くを見詰める厚一の瞳に、僅かにだが青い光が見えていた。

 

 火を想う意思が見守っている。だから心配は要らない。

 

 それを言葉にすることはないが。それでも朗らかな笑みを浮かべる厚一を見て、クラスの雰囲気も軟らかくなった。

 

 昼休みになってへとへとのふらふらになった一夏がやって来て出席簿が唸りをあげた。

 

「聞いたわよ。あんた午前中の授業サボったんだって?」

 

「ん? まぁ、うん…」

 

 昼休み。いつものメンバーで食事をしに席に着いた所で鈴が切り出した。だが一夏の反応はいまいちだった。

 

「でも本当に心配したんだから。今度はちゃんと連絡入れてね?」

 

「お、おう…」

 

 シャルロットの言葉にも反応が薄い。

 

 それを見て何があったのかは知らないが、想像以上に一夏が疲労していることを箒は察した。

 

「一夏。午後の授業は休め」

 

「な、なに言ってるんだよ」

 

 鍛えるためとはいえ午前中の授業をすっぽかしてしまったのだ。その分の遅れをこれ以上増やすわけにはいかない。

 

 だがそんな一夏を箒は睨み付けた。

 

「その様なふらふらの身体で午後の授業が頭に入るものか」

 

「それでもやる。少しでも前に進まないとならないんだ」

 

 固い決意を決めている様子の、真剣な一夏の表情に揺らぎそうになる箒だったが、それでも念を押そうとした所に声が掛かる。

 

「良いんじゃないかな」

 

 そう言ったのは厚一だった。

 

「しかし速水さん」

 

「男の子はね、やらないとならない時があるんだ」

 

 言葉は箒に向けられていたが、その視線は一夏に向けられていた。

 

 良い感じに男の子の顔をしている一夏の身を立てる様な言葉は、男同士だから通じる言葉の色があった。

 

「あとでボイスレコーダー貸してあげるから、それで午前中の授業は取り戻せると思うよ」

 

「ありがとうございます」

 

 故に一夏はただ頭を下げる事で厚一の気遣いへの礼とした。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 放課後。厚一の姿は整備課にあった。

 

 IS学園開発計画に参加している厚一は臨海学校の二日目に備えて準備をする必要があった。

 

 シュヴァルツェア・フリューゲルに使われているオプションはIS学園開発計画の一環として造っている装備になる。

 

 未だ国という国からの支援を受けていない厚一は自らのISの装備を整える為には自前で用意するしか無かった。

 

 最初は汎用装備の有り合わせだったが、専用装備を用意したり簪の打鉄弐式の開発を手伝う内に一年生のIS学園開発計画副主任の立場になっていた。その方が効率良く作業が進むし、一介の学生の身分であるよりも要望を通しやすい。

 

 もちろんそれはドイツへ身柄を移す事にした厚一を日本に引き留めようとする日本政府と、あくまでも生徒の自主性を守りたいIS学園の妥協案としての立場だった。

 

 ともかくそんな役割に収まった厚一には二日目の実習で生徒たちが試す各種機材の用意をするのは仕事の内だった。

 

 学園開発計画で試作されたものや企業からも試作品のテストの要請もあり、それらをリストアップして当日のテストする順番も決める。

 

 生徒にそこまでの裁量権があっても良いのだろうかと思いながら、こういうことは例年整備科の生徒が受け持ってきたということで。厚一には与えられた役目を果たす以外の権利は持ち合わせていなかった。

 

「厚一さん。お手伝いに来ました」

 

「ありがとう、簪ちゃん」

 

 打鉄弐式の整備を終えた簪がやって来た。

 

 一年生の開発計画主任である彼女も、臨海学校の二日目に備えて打鉄弐式の最終調整をしていた。

 

 打鉄弐式はIS学園開発計画の第一号機として登録されている関係で、簪も厚一と同じ仕事が発生するが、現在打鉄用の装備はなくラファール用の装備が大半の為に、簪が用意する事は殆どなかったりする。故に作業の多いだろう厚一を手伝いにやって来たのだ。

 

 さすが世界第3位のシェアを持つIS。乗り手を選ばないラファールはIS学園の生徒たちの受けが良い。更には厚一の専用機であった事もラファール人気に拍車を掛けていた。打鉄ユーザーである簪も、量産兵器感のなんとも言えない、言葉に表せない良さは好きだったりする。

 

 特撮好きの簪ではあるが、ロボットものも行ける口だ。そんな男の子の様な趣味を気恥ずかしく思っていたが、その趣味のお陰で厚一と気軽に話せるのだから今はこの趣味も恥ずかしさは無かった。

 

「弐式の調子はどう?」

 

「極めて良好ですよ。システムに関しても殆ど完成していますから」

 

 マルチロックオンという第三世代技術を完成させられたのは間違いなく厚一の力があったからだ。

 

 自分にどうして厚一が話し掛けてきたのかという裏の計算をすることもあった。

 

 結果として自分は速水厚一という異性の友人を得られた。

 

 クラスには未だに溶け込めていないが、それでも厚一を通してイギリス、中国、ドイツの代表候補生との繋がりを持てた。

 

 優秀で、才能もあって、ひとりでISを組み立ててしまう生徒会長の非凡な姉が居る。

 

 だからこそ、どうして速水厚一は自分を見てくれたのだろうかという思いを抱えていた。

 

 イレギュラーがあったとはいえ、専用機の開発を見限られてしまうような。非凡な姉とは違う自分の何処に速水厚一は期待しているのだろうか。

 

 それを訊いてみたいという思いはある。だが臆病な自分は、その事を厚一に訊く事で今の関係が崩れてしまう事を怖がっている。

 

「なにか悩みごとでもあるの?」

 

「い、いえ、なんでもないですよ」

 

 顔は心配気に、しかし視線を送る瞳だけは鋭く自身を射抜く厚一に簪は首を横に振る。

 

 普段は軟らかくぽやっとしていても、人の顔色を必要以上に気にしている厚一を前にして隠し事をするのは難しい。少しでも悩む素振りを見せると、こうして直ぐに察してしまうのだ。

 

「そっか。なら良いんだけど」

 

 簪の言葉に頷く様に瞳を閉じて笑って見せる厚一はいつも通りの柔らかい笑みを浮かべていた。

 

 察する程鋭いが故に、簪がそれほど大きな悩みを抱えていないのだろうと判断して引き下がる。深刻であれば簪も話してくれるだろうと思うからだった。

 

「簪ちゃん、ちょっと付き合って貰えるかな?」

 

「え、あ、はい」

 

 既に放課後も夜に差し掛かりつつある時間。

 

 付き合ってと言われても、別に男女のそれという雰囲気は一切ない。そもそも簪と厚一の関係というのはそこまでの深い付き合いではない。だからといって相手を全く意識していないかと聞かれれば簪は返答に困る。そういう微妙な、それでいてなんとなく居心地の良いと思える距離感だった。でなければいくら友人とはいえ、異性の部屋に入り浸ったりはしない。

 

 整備ハンガーに固定されているのは一機のIS――ラファール・タイプのISで、それは厚一が専用機としていたラファール・エスポワールだった。

 

 先のタッグマッチの折に不思議な発光現象を引き起こし、VTシステムの搭載されていたシュヴァルツェア・レーゲンを打ち倒したものの、伝送系が尽く焼き切れてしまい解析後に廃棄処分となる予定の物だった。

 

 IS学園開発計画の1年生の開発主任を担当している簪も、ラファール・エスポワールの惨状については解析結果を見ている。再建不可能なまでに焼き切れてしまった内装系に、駆動系も辛うじて無事だったというだけで総入れ替えが必要な程のもので、一から新規製造する方が時間もコストも安上がりという結果に廃棄処分が決定されたのだ。

 

 貴重な男性専用機体だったとはいえ、データは取り尽され、更には量産機であるラファールであったことが研究資料としての価値がほぼ皆無になった要因だった。謎の発光現象に関してもエネルギーのオーバーロードによるものとして概ねの結果として確定している。現に電装系を中心にエネルギーを機体に循環させる内装系が焼き切れているのだからそうとしか考えられない。

 

 そんな廃棄処分が決定していたラファール・エスポワールを厚一は引き取ったのだった。

 

 シュヴァルツェア・フリューゲルという新たな翼を持っている厚一であるが、ラファール・エスポワールという翼があればこそ、今の自分は此処にいる。自分に希望の風を運んでくれた機体をどうにかして修理したいという思いは強かった。

 

 その思いは簪にもわかるものだった。

 

 倉持技研で開発されていた打鉄弐式。

 

 しかし織斑一夏と白式のデータを取る為に開発を凍結されてしまった機体を引き取った身としては。

 

「でも、わたしで良かったんですか?」

 

 打鉄に関してならば整備科の学生よりも詳しい自信があるものの、ラファールとなると異なって来る。もちろん基本的な整備や修理程度なら出来るものの、これはもう一から新造するのに近い大仕事だ。

 

 自分よりもラファールに詳しい人間に聞いた方が余程助けになるだろう。例えば同じクラスにはデュノア社の人間が居るのだから。

 

「うん。というより僕の我が儘に付き合わせるから簪ちゃんの迷惑にならないかの方が僕は気になるかな」

 

「そんな。迷惑だなんて思いませんよ」

 

 むしろ簪からすれば望むところだ。自分の力が頼りにされている。必要としてくれている。それはとても嬉しい事だ。

 

 姉と比べるような事はなく、更識簪という個人の力を必要としてくれる。

 

 だから困っているのならば友人として助けたいと思うのは間違いではないと簪は思っていた。

 

 

 

 

to be continued…



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