虹色のアジ (小林流)
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第1話

 

 目覚めると目の前で海藻が揺れていた。

 エラ呼吸に慣れて何年も経つが、揺れる海藻の不気味さにはなれないと阿字平鱗(あじひらうろこ)は思った。海中に潜む彼は揺れる海藻が、人間の髪の毛のように見えるので嫌いだった。

 

 阿字平、皆からはアジと呼ばれていた少年は、もう何年も人の目を避けて生きていた。理由はその姿、今のアジの体は人間とは似ても似つかないものだった。

 

 

 龍のような頭部、アザラシのような体、背中にはサメのような背びれがいくつも並び、体の至る所からはタコの触手のようなモノが伸び蠢いている。

 全長は100mを超えていた。まさしく怪物だ。

 

 

 

 そんな怪物アジの巨体の後ろに小さな影が動く。せわしなく泳ぎまわる小魚だ。瞬間、小魚のその体がブレる。蠢く触手が一瞬にして小魚を捕まえたのだ。触手はその至るところに口のようなものを作ると、小魚をボリボリと咀嚼した。海中に血と食いちぎれた肉片が漂った。

 

 

 触手がもとの位置に戻り海中の流れに任せて蠢めくと、先ほど喰らった小魚のヒレや顔が一瞬、アジの巨体の表面に現れ、徐々に体に取り込まれた。

 これが彼の能力だった。

 喰らったものを無尽蔵に吸収する力だ。

 巨体もいくつもの海洋生物を取り込んできた結果だ。彼は元人間にして、大洋を支配する怪物になった。いや、なってしまったのである。

 

 

 龍のような顔、その鋭い牙の隙間からボコボコと空気が漏れる。泡は流れに揺られて海面へと向かっていった。アジはそれを見ながら普段と同じように心中で口癖を漏らした。

 

 おなかすいタナ

 

 

 アジは口を大きく開けてあくびをする。

 先ほどよりも大きな泡がいくつも飛び出していった。

 

 

 アジは最初から怪物になろうとしたわけでも、そういった能力を持っていたわけでもなかった。元々アジは変哲のない人間だった。とある不幸な事件によって、今の姿に変貌してしまったのである。

 

             ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 アジが生まれたところは至って普通の町だったが、彼の家族、家族が属する集団が異様だった。

 

 まず服装のセンスが独特だった。体の二回りも大きなTシャツ、靴紐が長すぎる靴、ダメージジーンズの上からあえてガムテープを貼り付けるなどの多様で奇抜なファッション。それらを堂々と着ていた。個人的なオシャレという割には気安さがなく、物々しい雰囲気があった。

 

 

 さらに週に何度もある会合では、小難しい模様を書いたり、現代社会ではお目にかかれない様々な武器の手入れをしたりしていた。

 終いには、その武器の先から炎を吐き出させたり、武器を振って水を蛇のように操ることもしていた。

 

 

 本来ならばあり得ないことが数多く起きている環境だった。アジが物心ついたころ、両親は何でもないように「私たちは魔術師だ」と彼に説明した。

 

 

 魔術、人が様々な方法・理論、信仰や聖書、伝説をもとにして異世界の法則を用いて神秘を発生させる手段。それが魔術だそうだ。要するに色々なことができるトンデモ技術である。

 

 少年アジはその説明を聞いて、ひっくり返るほど驚き、そして体が震えるほど喜んだ。彼は魔術なんてものが実在し、自分も使えるようになるかもしれないという現実が、嬉しくて仕方がなかった。夢のようだとすら思った。

 

 

 それもそのはずで、彼はいわゆる前世の記憶をもっていた。魔術などというものが眉唾で、平々凡々ながら刺激のない生活をしてきた前世の記憶をもっていたのである。

 

 

 だから魔術の存在が大いにアジを興奮させた。これまでにない刺激はアジを魔術にのめり込ませるのに充分だった。アジは両親や仲間の魔術師から様々な秘術、魔術を学んでいった。彼らは自分たちを天草式十字凄教だと言った。人目を忍び、弱きを救う魔術集団、それが彼らだった。

 

 

 

 アジは幼少の頃から、両親が舌を巻くほどの勤勉性をもって魔術の勉強に取り組んだ。同年代が遊んでいるときや親に甘えているときもひた向きに、魔術の鍛錬を行った。そして、アジの理解力は同年代に比べると群を抜いていた。一つのことを教えると、それを理解したうえで六つは質問を返した。それに両親は、自らの息子を天才だと抱きしめ頬にキスをした。

 

 

もっともアジは前世の記憶をもっているために、その辺の子供などより知識も理解力もあるのは当然だったのだが。

 しかし、それを両親に言えるほどアジは両親を信用しきれていなかったし、何より喜ぶ親を困惑させるのは申し訳ないと思い、言うことができなかったのである。

 

 

 両親は天草式の中でも優秀な部類であり、特に天草式の神髄である偶像崇拝を用いた魔術霊装制作能力が高かった。そのためにアジもそれにならって、魔術霊装を作ることに力を入れた。

 両親の説明をかみ砕いて、アジはカンタンに偶像崇拝の魔術を理解した。要するに伝説や伝承に出てくる武器やアイテムを真似て創ると、それっぽい力と能力が込められるのである。

 

 

 そしてアジは、幼い身でありながら様々な霊装を作り上げていった。日本古来から存在する天狗の扇を模した扇子を作成すると、凄まじい風を生み出せる武器を作ることができた。妖猫の毛を使って作った猫耳は、つけるだけで足音を消し数倍の運動能力を得る霊装になった。

 

 

 アジにしてみれば前世の漫画やゲームの知識やらをぶち込んで作ってみただけだったが、効力はアジが驚くほど素晴らしいものになった。

 

 そんなだから、アジは天草式の中でも一目置かれることになった。

 いつしか彼は「虹色のアジ」という二つ名を貰うまでになっていった。

 彼は生まれつき瞳が魔術の発動により様々な色に輝いた。それが二つ名の由来になった。

 



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第2話

かなり独自設定が入ります。
よろしくお願いします。


 

「女の子?」

 アジの言葉に両親は頷く。

 アジが10歳を超えた頃、とある少女と会ってほしいと両親は言った。すでに天草式の面々とは何度も会っているのに、面と向かって頼まれるのは珍しいことだった。つまるところ、その少女は特別ということなのだろう。興味があったので、アジは二つ返事で了承した。

 

 

 数日後、少女はアジの家にやってきた。

 キリリとした瞳に整った目鼻立ち、髪は艶やかで黒々としている。着ている着物が淡い桃色。まるでお姫様のように非常に可愛らしい少女にアジは思わず見惚れた。この世界に転生してきて、周囲には美男美女が多い環境だったが、目の前の少女は別格だ。それに体からは何もしていないのに雰囲気というかオーラというか、とにかく常人ではないモノがあふれている。

 

 

「神裂火織です」

 凛々しく彼女は自分の名前を言った。緊張からか、性格か。表情は硬かった。

アジはニコリと笑って阿字平鱗と、自分の名前を伝えた。

 自己紹介を終えると両親は今日一日、神裂を預かると言って出かけていった。少々気まずい思いをしたアジだったが、そこは転生者。精神年齢的に少女と歩みやろうと努力した。少女は両親が連れてきたこともあり、当然のように魔術師のようだった。アジの作った霊装はもとより、彼が洒落や遊びで作ったようなガラクタ然としたモノにも興味津々といった様子だった。自分が作ったものに興味を持たれたことで、アジは嬉しくなり品々の説明を始めた。

 

 

 すると神裂は非常に聡明だとわかった。霊装に使っている魔術を悉く看破し、少し教わるとその場にあるもので簡単な代用品を作ったりもした。アジは驚き、そして喜んだ。彼女がどうやって代用品を作ったのか、まるで見当がつかなかったからだ。転生者のアジにとって魔術に関する未知はすべて輝かしい宝だった。

 アジはウキウキしながら説明を求めると、神裂は一度面食らったような表情を作ったが、おずおずと説明をしてくれた。その後も、二人はいろいろな話をしたり、一緒に霊装を作ってみたり、徐々に話も弾んでいった。

 

 

 にこやかに魔術に関してグイグイ聞いてくるアジと、聞かれたこと以上の知識をもつ神裂との相性は悪くなかった。神裂もアジの態度に軟化されたようで、少しずつ表情が柔らかくなった。

 その過程で、神裂は自分が聖人だと説明した。アジが聞いた説明をかみ砕くと、とにかく魔術師としてすごく強い人、ということだった。「すごい!羨ましい!」と思うアジだった。というか実際に叫んでいた。

 

 

 どうやって成るのか、どうやって成れるのかと興奮して神裂に問い詰めるアジ。どうやら生まれつきだそうだ。じゃあいいや、とアジは納得して、他のさらに気になることについて神裂に話をふっていく。魔術はまさに神秘にあふれているもの。思い通りにいかないのが当たり前だとアジは常々思っていたので、できないもの、なれないものは仕方がないとすぐに割り切れることができた。

 神裂は面食らったような顔になったが、少し笑って魔術の説明を続けた。

 

 

 アジと神裂は一日の中で随分と打ち解けた。今や庭に出て一緒になって作った霊装をためしている。それは龍の形をした杖のようなものだった。単純な作りになっていて、龍の口の部分から水を吐き出す霊装だった。この霊装はカンタンにまとめると、いちいち補充する必要がない水鉄砲のようなものだ。もちろん零から水を生み出すことは相当に難しいので、アジ宅の水道とパスと呼ばれる魔力的な繋がりを作ってある。こうしておけば水道の水を直接転送することができた。

 

「さっそくやろう」

「ええ」

 アジと神裂は一つずつ霊装を手に持ち、魔術練習用の的の前に立つ。二人はそれに向かって龍の口を向ける。

 

 アジはもう何度も練習したように、体の中から暖かいものを引っ張り出すようにして魔力を生成する。そして手の中にある霊装へと送り出す。霊装はその機能を果たして水を勢いよく噴射させた。水は的を外れて奥へといってしまう。外れだった。

 

 神裂も同じようにして、的に狙いを定める。瞬間、水がアジよりも勢いよく飛び出し、的へと見事命中した。

「神裂!すごい!」

 アジは手のひらを神裂に差し出した。どうすればよいのかわからず、神裂は頭をかしげていたので、アジは彼女の手を取ってハイタッチをした。

「いぇい!」

「………いぇい」

 二人は笑い合って、再び的当てを続けた。

 両親が帰宅すると庭が水浸しになっていて、二人は霊装を握ったまま部屋の中で昼寝をしていた。微笑んだ両親だったが、二人が起きると拳骨を落として説教をした。

 

 後片付けはちゃんとしろ、魔術師として霊装で遊ぶな、とのことだった。アジは謝罪し終わり、両親が離れると神裂に近づいて、「またやろうな」と呟いた。

 神裂は困ったようにキョロキョロとしたが、阿字平夫妻が見ていないことを確認すると、「ええ」と笑顔で頷いた。

 

 その日から、アジと神裂火織は交友を深めていった。

 二人で魔術・肉体の鍛錬を行い、時には食事や遊びを共にした。アジは気にしていなかったが、どうやらこの隣の神裂という少女。天草式の中でかなり重要視されているようだった。明らかに年上の魔術師たちが彼女には敬語を使い、様々な気を使った。神裂はそれを微妙な表情で受け止めていた。嬉しさと困惑だったら、困惑のほうが勝っている。そんな顔だった。

 

 前世の記憶を持ち、魔術師はすべて尊敬できると考えているアジには持てない感覚だったが、それが聖人というものだ。他者を引き付けるカリスマ性を持ち、あらゆる術者を凌駕する魔力を宿し、そして常人では行使できない魔術を使いこなす存在、それが聖人だ。

 

 一般的な感覚をもつアジにとって神裂は超すごい人というバカみたいな感想しかないし、最初に会った時と態度も変えていないが、これまでの人生を魔術にささげてきた魔術師にとってはまさに伝説のような存在だ。自分たちでは決して手の届かない雲の上の御人だ。そしてそんな聖人という自分を、神裂は鼻にかけることなく天草式の一員として活動している。羨望のまなざしを向けざるをえなかった。

 

 

 他方で天草式が作った、自分たちと神裂という明確な区分は神裂を少し孤独にさせていた。天草式の面々は誰も対等に彼女と接することができなかった。それは悪気がないものだったし神裂も天草式の考えは理解できたが、少女にとって居心地のよいものではなかった。

 

 だからこそ神裂とアジはどんどん仲良くなっていった。神裂にとってアジは天草式の中で、唯一、何の気兼ねもなく関われる稀有な存在だ。楽しいことや困ったことがあると、真っ先にアジに会いにいくほどの信頼を神裂はもっていた。

 もっともアジはそんな風に思われているなど、露ほども知らなかったのだが。

 

          ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

  

 二人がであってしばらくたった後、阿字平家の庭で二人の声が聞こえた。

「その術式は、もっと曖昧でいいです。何から何までやろうとすると術の暴走を招きます。」

「おおっ、ありがとう神裂!」

 キラキラとアジの瞳が光った。魔術を使う度にアジの瞳は様々な色に輝く。神裂によると、この特異体質は中々珍しいものらしく、常人よりも魔力が高いことを示すものだった。それを聞いてアジは喜んだ。目の色が変わるなど、まさに能力者のようで痛快だった。この世界にやってきてアジは幸運続きだった。

 

 

 二人はいつものように魔術の鍛錬をしていた。アジは貪欲に魔術について学習していった。特に神裂には前世で見た漫画やアニメの技ができないか、聞きまくるのが常だった。ほとんどは再現できず、また再現しても威力が足りなかったりするものばかりだった。しかし、今練習中のものはかなり良さげだった。

「よし、もう一回やるから見てて」

 

 

 アジはそう言うと手にはめた手袋型の霊装に魔力を流す。

アジが手を伸ばすと目の前の的がスパンと子気味の良い音を立てて両断された。

凄まじい切れ味である。

 見えざる刃は庭の土に跡をつけながらアジの手袋に収納されていった。

 

 

 それはワイヤーだった。手袋型の霊装は単純な魔術的な命令を組み込んだもので、ワイヤーを射出しそして引き戻すだけだ。しかし、これを勢いよく行えば刃のようにモノを両断できた。当初は、吸血鬼の出てくる漫画の執事や、二つの里の殺し合いの漫画に出てくる忍のように、無数の糸を操る魔術を考案していたが、技術的にまだまだ厳しいということで一本で試しにやってみたのだ。

「やった!」

 アジは神裂に向かって手を差し出す。神裂はもう慣れた様子で、ハイタッチしてくれた。

 

 

 アジは未だに魔術の影響で輝く瞳を神裂に向けた。

「カッコいいでしょ!」

「ええ、まぁ。カッコイイかは置いて。流石ですねアジ、これを戦闘で使われたら脅威ですね」

 アジは神裂に褒められて嬉しそうに微笑んだ。アジにとって魔術をほめられるのは何よりも嬉しいことの一つだ。転生して最も打ち込んできたのが魔術なのだ。魔術を肯定されることは、転生した新たな人生そのものを肯定されるようで、なんともいえない安心感をアジに与えた。

「しかしアジ。一つ気になっているのですが。」

アジがニコニコしていると、神裂は続けて口を開く。

 

 

「貴方はこれまでも色々な珍妙というか、独創的な魔術を考案してきましたが、本か何かを参考にしているのですか?中には、まるで見てきたかのように説明するものまでありましたし」

 アジは神裂の疑問に、アハハと笑ってごまかした。流石に前世の記憶ですとは言えなかった。魔術的に前世などを話に持ち出すとロクなことにならないことは容易に想像がついたからだ。もちろん、天草式の人たちは仲間意識が強いので大丈夫だろう。しかし他はそうではない。狂気的な魔術師の耳に前世の記憶を持ち少年阿字平の噂が入ったら、開頭されあらゆる魔術拷問をされる………かもしれない。アジはそこまで想像して、話すのを控えていた。

 

 

 アジが笑ってごまかすと、神裂は頭をかしげる。納得はしていないようだが、しかしこのままいけば有耶無耶にできるだろう。アジはそう勘定して手袋に魔力を込めていく。神裂がその様子をじっと見ていたので、アジは神裂にもワイヤーの術式の鍛錬を勧めた。神裂はそれに承諾し、隣り合って鍛錬を始めた。

 

 

 アジも上達は早いほうだが、神裂のそれは次元が違う。二、三度ワイヤー術式の具合を確かめると、彼女は一瞬で的を十字に両断して見せた。二つの意味で目を輝かせて驚くアジ。それもそのはず、アジは未だ一本のワイヤーしか扱えないが、この数十分で神裂は二本のワイヤーを自在に操って見せた。

「すごいすごい神裂!流石!神裂!!」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 アジがどんなに努力しても、神裂はその努力を超えてするすると術式の質を向上させていくのが常だった。本来ならば、ここでアジは少女に対してコンプレックスの一つでも持ってもよいはずだった。実際、本当の子供同士ならばアジ少年のプライドはズタズタなはずだ。けれどもアジは転生者である。精神年齢でいえば自身の両親すら超えているのだ。何十歳も離れている子供に嫉妬することは、幸いなことにアジには皆無だった。

 

 

 それに、自分の考えた魔術を喜んで使いこなしてくれる少女は、アジにとって妹や、はたまた教え子のようにすら思えている。だから神裂が様々なことで成功するたびに、アジは純粋な好意のみを向けるのだ。

 

 

 しかし傍から見れば、アジはまだまだ幼い少年だ。アジの心情をカンペキに理解できるものなどいるはずもない。アジの神裂に対するその暖かな好意は、アジという少年の心がどれほど純粋で美しいものなのだろうかと、天草式の面々を感動させていたことは、アジが知る由もないことであった。

アジは自分の評価も知らずに笑う。アジは楽しいなぁと改めて思う。転生してからの日々をアジは謳歌していた。

 

 だが、ときに悲劇は訪れるものである。

 練習をしている二人の前に、現れたのは天草式の魔術師の一人だ。歳の頃は中年、実力は年相応に優れている男だった。そんな男が脂汗をかき、息を切らしながら登場した。

男はアジに向かって、半ば叫ぶようにして言った。

 

「ご両親が、亡くなった」

 アジが構築していた魔術が霧散した。魔力の影響で彼の瞳はゆらゆらと揺れている。

 



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第3話

 天草式は魔術師として非公式ながら、悪さをする魔術師や魔獣と戦う仕事をしている。いわゆる正義の味方を生業にしている集団だ。だからこそ魔術によって悪に害をなし、悪の反撃によって傷つくことがある。そして時には最悪の結末を迎えることもあった。

転生してから戦死者を見るのはこれで三度目だ。埋葬される両親を見てアジは、呆然とそう思った。アジの両親は仲間たちから慕われていたことが良く分かる別れだった。涙と後悔にまみれた時間を終えて、アジは家に帰ってきた。もう自分以外、誰も帰ってこない家だ。

 

 

「..................ふぅ」

 アジは重い鉛のような息を吐いた。両親の死はアジにとって堪えるものだった。転生し、前世の両親との思い出をもつアジだったが、それでも生まれてからずっと共にいた存在の消失は苦しく、悲しいものだ。それは純粋な肉親の喪失ほどの苦しみには劣るものだろう。本来ならば泣きわめき、死ぬ原因となった術や術師を恨むのが普通なのかもしれない。けれどもアジはそうした気持ちにはなれなかった。それよりも思ったことは、もっと自分にできることはなかったのか、という「自身に対する不甲斐なさ」だった。

 

 

 生まれてから、アジが考案した術式・霊装は両親も扱うようになったものも少なくなかった。それは相手を捕縛するもの、相手を昏倒させるものなど、様々だ。けれどもその中に、安全に逃げることができるものは一つもなかった。

アジはぼうっと夜空を見上げ、立ち上がる。そして家の中に入り、多様な材料を用意し始めた。

 

 アジにとってきっと両親に対する想いは、本来の少年がもつ親愛ではなかったかもしれない。しかし両親は共に生きる仲間という認識と、そうした関係に対する暖かい想いは確かにもっていた。

「もうこんなことは、起きてほしくない」

 

 

 アジは後悔を原動力に手を動かした。黙々と術式を構築し、誰もが扱えるように改良を重ねていく。必要があれば外に出て、さらなる材料を調達していく。納得がいく完成品ができたのは、数日後の朝だった。

 

 

 

 

 

 阿字平家の前に一人の少女が立っている。

 聖人、神裂火織だった。神裂は、アジの様子を見に家の近くまでやってきた。他の仲間たちは、そっとしておいてやるべきだと言う。自分で現実を受け入れて、出てくるのを待とうと言う。確かにその意見ももっともだろう。しかし、神裂は居ても立っても居られなくなりここに来ている。

「.........アジ」

 

 神裂はあのほがらかな少年を想う。両親が亡くなったあの日、涙をついぞ流すことのなかった少年の気持ちを想う。阿字平夫妻には自分もとても世話になっていた。アジと共に鍛錬し、共に阿字平家で食事をしたのは、もう数えきれなかった。そんな相手が悲しみに耐えているのを知っていて、待ち続けられるほど神裂は成熟していなかった。

 

 神裂は玄関に向かいながら、会ってどうすればよいか、何と声をかけていいか考える。しかし、答えは一向に出てこない。

(どうすればアジを元気づけられるのでしょうか)

 

 神裂は自分に愛想がないことを悔しくてたまらなくなった。霊装に対する知識、戦場を駆け知恵ならば少女の右に出るものは、すでに天草式の中にはいないと言ってよい。幼い身でありながら魔術の申し子である神裂だが、人の心情を解きほぐす術は持ち合わせていない。彼女は、玄関の前で立ち扉に手をかける。

 

 だが、そこから先。一歩が動けない。様々な思いが彼女の中を駆け巡り、体を縛った。

 そんな中、奥の方から、ゴトンという何かが倒れる音がした。

 ちょうどそれは人が倒れるような音だと神裂は思った。顔が冷たくなったように感じた。次に心臓が燃えるように熱くなった。神裂は考えるよりも先に、部屋の中に体を滑り込ませた。

 

「失礼します!」

 

 あまりの焦りに彼女は土足で走り出す。アジの安否のみが彼女の頭を支配した。すぐさまアジの部屋までたどり着き、乱暴に押し入る。

 

 目に入ったのは横になっている少年の体。机の上にはいくつもの材料があり、倒れた時にぶつかったのか、同じものが体の近くに散乱していた。

「アジ!!」

 神裂は叫び、アジを抱き上げる。焦りだけが募る。手のひらで必死にアジの口元や胸に触れる。呼吸、心音の確認だ。丁寧に、祈るように確認する。どちらも正常のようだ。次に、簡易的な術式を使ってアジの体を調べていく。魔力が少なくなっているが、それでも命に別状はなさそうだ。神裂はよかったと、長い息を吐いた。改めてアジの顔を見てみる。

 そこにはくっきりとしたクマ、青白い唇が見える。神裂はそれらをすぐにどうにかする術はない。アジの体を抱きしめておくことしかできなかった。

「ううん?」

 閉じていたアジの目が開かれる。直前まで魔術を使っていたのだろう。瞳がキラキラと輝いている。アジは、神裂の顔を見て抱きしめられていることを確認した。どうも要領を得ないような表情で神裂に話しかける。

「あれ、神裂?どうしたの?」

 神裂の中で様々な熱が噴出しそうになった。しかし、アジの煌く瞳と目が合うとその熱はどんどん穏やかになっていった。神裂はまた長い息を吐いて「心配しました」と言った。

 

「そっか、ごめんね」

 アジは神裂に謝罪をすると、身を起こす。未だ心配する神裂は無意識に体を密着させたままだ。アジは机の上に散らばる材料をどかしながら、ある首飾りを手に取る。それは実に珍妙な形としている。茨の輪のようなもの、翼のようなもの、小さな仏像のようなものが絡まった形状のものに紐が通してあった。

 

 アジはこの首飾りのことを説明する。これは逃走専用の霊装だという。魔力を流すと、障害物をすり抜けながら、同じ首飾りの近くまで高速移動するものらしい。神の子が復活した際に弟子たちに瞬間移動で会いに行った逸話、他神話の俊敏な神々の利点を上手いこと練り込んだものだそうだ。これを天草式全員がつければ、例えば仕事先から高速で隠れ家まで逃げることができるし、迷ってしまった場合にも一か所に集まることができる、とアジは力説した。

 

「お守りみたいにみんなにもっていてほしいんだよね。そしたらもしもの時、みんな逃げることができるからね」

 アジはそう言うと、あくびをしてちょっと眠ると言った。神裂の手をやんわりとほどいて、そのまま横になると規則的な寝息が聞こえてきた。アジの言ったことが神裂の中で何度も響いていた。目の前の少年は、両親の死でへこたれず、今度は皆を守るために行動していたのだ。彼女は目の前の首飾りに目を凝らす。そして緻密な術式構造、吟味された材料に驚く。

 

 おそらく正式な十字教の魔術師が見れば卒倒しそうな造りだった。この霊装は悪く言えば、宗教のごった煮だ。どの宗教も平等に利用している。そこに尊敬の念は見られない。敬虔な信者には到底受け付けられないものだろう。

しかし、神裂は決してこの霊装を否定しようとは思わなかった。これほどのものを創り上げる労力と思いの深さを知ったからだ。神裂は寝ているアジを見て、ため息をついた。

「お守り、ですか」

 神裂の声は部屋の中に溶けていった。

 

 

 少しして天草式の仲間たち全員にアジ特製の霊装、首飾りが配られた。数十の霊装を量産したアジの技量に皆驚き、霊装の機能に再びに驚いた。皆はアジにお礼を言い、その仕事ぶりを労った。

 

 アジの労力によりただでさえ優れていた天草式の隠密性は完璧に近いものとなった。怪我を負う前に霞のように消え、闇から這い出たように奇襲する天草式は、世の魔術師を震撼させた。天草式を危険視した少数の魔術結社による討伐作戦も実行されたが、その力の入れようも空しくただの一人の捕縛も敵わず、ただの一つの隠れ家を暴くこともできなかった。

アジがさらに魔術に励み、少年と青年の境目に達する頃には天草式の名声は確かに世に轟いていた。

 



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第4話

 神裂火織は術式を展開する。専用霊装である長刀「七天七刀」を抜く.........ふりをして柄に細工したワイヤーを展開。縦横無尽に動くワイヤー型霊装、七閃はその切れ味をもって敵へと殺到した。

 

 

 

 彼女がいるのはとある人工島だ。魔術によって海底の岩や砂を固めたもので、大きさは数キロほどの小さな島だった。しかし、その小ささゆえに長きに渡って様々な監視の目から逃れ、科学・魔術どちらのサイドにも気づかれなかった。魔術師は誰もが秘匿を心がけるが、ここまで念を入れたものは珍しい。

 

 

 そしてその念の入れように比例して、そこにいる魔術師とその研究目的は外道になるのが常だった。人目から極限まで離れた環境は、そこで生活する魔術師の人間性も失わさせていく。神裂が聖人の御業をもって島に潜入した時に、まず目についたのは大量の人骨だった。そして異様だったのは数だけではない。

 頭蓋のほとんどは歪んでいる。眼窩の数は一定でなく三つや四つのものがあり、腕や脚も数も多すぎるか、はたまた少なすぎるかのどちらかだ。

 

 

 そしてなによりも大きさがおかしい。どう見積もっても幼児よりも小さく、縮尺自体は成人と変わらぬ人骨の山。神裂はその異常な人骨を見て、数分でその研究の内容を暴く。

 

 

 ここは人造人間、ホムンクルスの魔術研究島だ。成長しきれずに死んだホムンクルスの骨が至るところに散乱しているのだろう。濃厚な死の匂いのする島だった。

 

 

 神裂が到着したことに、島の持ち主は気づいたようで、すぐに島にある唯一の小屋から飛び出してきた。魔術師は女だった。頬はこけ、目は血走っている。彼女は、聞き取れないことを喚き散らしながら魔術を発動させた。

 彼女が出てきた小屋にいくつかの文様が光る。

 直後、小屋は崩壊。瞬間、再構成した。しかし、新たな形を得た小屋は最初とは形を大きく変える。

 

 

 一言でいえば歪な巨人。ホムンクルスの術式を応用、いや雑に転用して生み出されたゴーレムともいえぬものだった。ゴーレムもどきは、歪な体に似合わず俊敏に神裂へ迫った。

 それがどれだけ無謀なことか、判断する脳がない人形には決してわからない。

 

「七閃」

 そうつぶやいた時には、敵はバラバラに砕けていた。ワイヤーによって描かれた文様はすべて破壊されている。再生能力があったのだろうが、これでは魔術を再び使うことは不可能だろう。

 

 

 神裂は女魔術師の元へ歩く。魔術師は、なおも泡を飛ばしながら叫ぶ。手から黄色の光を輝かせながら、神裂へむかって抵抗用の魔術を使用する。しかし精神的にも、そして実力的にも、その魔術はおざなりだ。黄色の光は、何とか球体になると神裂に突撃する。

 

 

 神裂は気にせずそのまま進んだ。体力と魔力の消費を最小限に抑えるために、ぎりぎりで避けようとしたのだ。もっとも、例え直撃したところで、何のダメージもないことは明白だった。

 

 

「あぶないよ」

 そんな神裂の思考を中断させたのは少年の声だった。神裂の視界に七色の輝きが入ってきた。次に聞こえたのはパシャンという水がはじかれるような音。目の前の少年の霊装の一つ、巨大化した楯が女魔術師の攻撃を防いだのだ。

 

「大丈夫?」

 キラキラとした瞳が神裂の目とあった。彼の名はアジ、天草式の魔術師である。

 彼は天草式の全員が持つ「首飾り」の効果によって即座に神裂の前へ転移したのだ。

「問題ありませんよ、アジ」

「攻撃がきたらすぐに避けなよ。できるでしょ?」

「もちろんです。しかし最小限の移動で攻撃を避け、迅速に術者を拘束しようとしたのです」

「それもわかる。でも見ていたら当たりそうで冷や冷やするから、やめて」

 アジは少し困った顔をして神裂に言った。

 神裂は、注意されていながら、そうした少年の表情が嫌いじゃなかった。アジは、自分がどれだけ正当なことを言っても、ちょっとでも危ないと思ったら注意してくる。聖人という半ば怪物染みた力をもつ自分を、危ないからダメと言ってくれるのだ。それは神裂の力を侮って言うのではない。純粋な心配と愛情。神裂はアジが常に浴びせてくれるそうした態度や言葉を好ましく思った。

 

 

 アジが巨大化した楯に魔力を流して、小型化する。まるでキーホルダーのような大きさにして、無造作にポケットに突っ込んだ。そして次にポケットから取り出したのは、10センチにも満たない小さなチェーンだ。

 

 アジがチェーンに触れると、チェーンは巨大化。1メートルほどに膨れ上がり、形を整えていく。出来上がったのは蛇。脚が四つある不思議な蛇だ。蛇は俊敏な動きで女魔術師に近づくと腕に噛みついた。女は瞬間、倒れた。

 

 

 七歩蛇という妖怪がいる。それは龍にそっくりな小さな蛇で、人が噛まれれば七歩も歩く内に死ぬ強力な毒をもっていた。アジがその伝承をもとに霊装を作ったと得意げに、神裂に自慢してきたことがあった。しかも伝承の七歩蛇から龍の角や牙を除くことで、致死性の毒ではなく気絶する効果にしたとも言った。

 

 

 だから女魔術師は死んだわけではなく、昏倒したのだろう。アジは人を殺すような真似はしないからだ。神裂はアジのことをいたく信頼していた。彼はその蛇を解除し、小さくするとまたポケットに無造作にしまう。そして、今度はさらに違う霊装を用いて、女魔術師をあっという間に捕縛した。彼は、常に数十もの霊装を持ち歩く恐るべき魔術師だった。

 

 

 アジは、霊装を日々量産している。偶像崇拝系の術式が活用しやすいといえど、ここまで多種多様の霊装を創れるのはアジだけだ。

 神裂をはじめとする天草式のメンバーや、世間の魔術師たちは、そのアジの魔術師としてのスタイルに驚嘆している。仲間は羨望の眼差しを向け、敵は畏怖の念を抱いた。すでに「虹色のアジ」という二つ名を持つ彼だったが、世間はさらに彼を「霊装屋」とも呼び、恐れた。

 

 

 神裂はアジを見る。自分のような生まれつきの幸運ではなく、不断の努力によって力を得てきたアジ。近くで見続けてきたゆえに、神裂はアジの名が魔術世界で、良くも悪くも知られることが喜ばしかった。

 

 そして彼はそんな評価を鼻にかけることがない。アジはあの「首飾り」を創ったころから何も変わっていない。仲間のために魔力が無くなるギリギリまで様々な霊装を造り、ときにはそれを何ともないように仲間に配り歩く優しさ。

 

 聖人である自分も、不要ではあるだろうが、それでも守ってくれようとしてくれる彼の暖かさ。そのどれもが神裂にとって好ましいものだった。

 

 

          ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 

 最近、みんなの雰囲気がおかしいとアジは思っていた。

 今もそうだった。自分などでは到底、敵わない超天才和風女剣士系女子の神裂。そんな彼女だが何故かアジが霊装を使う度に「ほう」や「なるほど」と呟く。おそらく神裂でも、やろうと思えばできると、アジは考えていた。

 

 

 天草式の仲間たちも同様に、アジがなんかイイ感じの霊装ができたので試しに使ってほしいと言うと、大げさに喜んだり「流石よな」などと言ったりするのだ。そして日々の反応、年上からは顔を合わせるたびに微笑みをプレゼントされ、数年上の先輩には肩を組まれ、年下からは魔術の稽古を頼まれる。なんだかとてつもない信頼をアジは感じていた。

(なんか、みんなにしたっけ?)

 アジは神裂の顔を見て頭を傾げた。

 

 

 実のところ、みんなが考えているほどアジは勤勉ではなかった。彼は単に、霊装を創るのが好きなだけだった。術式をいじくって不可思議なものができるのも楽しいと思っているだけだった。それによって誰を助けられるとか、役に立つとかはあまり考えていないのだ。楽しいから作っているのである。唯一、明確な願いを込めて作ったのは「首飾り」ぐらいだった。その最初の優しさが、天草式がとらえるアジの人物像の地盤となっていた。

 

 

 実はアジが、その他の霊装を創るモチベーションは非常に子供っぽい。妖怪とか怪物とか作ってみたいなぁとか、口や剣からビームだしたいなぁとか、適当なことを考え、それができそうな魔術を探し、作ってみたら、たまたまできちゃったものがほとんどだった。無論、あの七歩蛇もそのたぐいである。

 

 

 偶然できたものが多いので、アジは面白い霊装ができたら自分がまず試したいと思うより、仲間が使ったらどうなるのかと好奇心で話しかけていた。しかも先ほども述べたように、研究を重ねてできた霊装じゃなく、基本的にアジの霊装はたまたまできちゃったものである。仲間が使いこなせたなら、あげた方がいいかなぁと考えられるのだ。不断の努力の末、頑張った成果としての霊装はマジでほとんどなかった。

 

 

 これは目的があって魔術を志す、この世界の魔術師からは理解できない思考だろう。

 魔術が一切ない前世の感覚が強い、いわゆる小市民的精神のアジにとって魔術で遊び、霊装をいじることがすでに目的になっているのだ。だからアジは皆が持つような、信念をあらわす魔法名などももっていなかった。

 

 加えてアジは自分が世間からどんな風に見られ、また仲間たちからどれだけ評価されているのか未だに把握していなかった。近くには最強の聖人がおり、仲間も戦場を駆ける百戦錬磨の猛者ばかりで、自分を高評価できる環境ではない。

 

 アジを恐れる他の魔術師に聞こうにも、基本的に魔術師たちに横のつながりもなく、特に天草式は密教すぎて、全然外の意見を聞けないのだ。

 

 だからアジは仲間たちと任務に出るようになっても、自分のことをまぁ初心者よりは魔術知ってるよね?くらいの気分でいた。

 

 アジは神裂と捕縛した魔術師を連れて帰還する。首飾りを使えば一瞬である。二人はすぐさま仲間が集まっている隠れ家の一つに転移した。

 

 

 仲間たちは二人を労う。仲間たちは、秘密にまみれた島へ単身潜入した神裂に尊敬の眼差しを向け、それにすぐさまついていったアジに優しく微笑む。アジにしてみれば、(神裂についていけば心配ないじゃん、なにかあっても絶対助けてくれるじゃん?)などと考えていたにすぎないのだ。

 

 アジも神裂を含む天草式の面々も、互いに相手を大切な仲間だと思っているが、その中には微妙なズレがあったのだ。

 



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第5話

「うん、術の調整終わったよ。これならバラしておけば単なる鉄の棒にしか見えないし、よほどじっくり観察しなければ魔術に関係してる霊装とはわからないよ」

 アジはそう言うと、目の前の少女に霊装を返した。分解されたそれは組み立てれば強力な武器、海軍用船上槍に早変わりする霊装だ。威力は強く、ブロック塀くらいなら粉々にできる。そんな危険極まりない霊装を受け取った少女は、ありがとうございますと丁寧にお辞儀をして帰っていく。

 

 

「なぁなぁ次は僕の霊装を調整してくれよ」

「はぁ!? 俺なんてさっきから待ってんだぞ!?次は俺だろ?な?な?」

「まぁ、私は今日中ならいいわ。でも絶対に見てよ?」

 アジは自分に詰め寄る数人に、わかったわかったと返した。アジは今、片田舎の廃校にいた。ここは天草式の隠れ家一つである。周期やタイミングをみて、何度も入れ替わる集会所だったが、最近はここで依頼の確認や、情報交換を行うことが多かった。

 

 

 

 アジにそう言われて、天草式のメンバーは詰め寄るのをやめた。両親の死から数年後。アジは、天草式の霊装の調整、開発、改良のスペシャリスト的な立場にいた。幼少時より貪欲に、楽しみながら霊装をつくりまくり、魔術をいじりまくっていた彼の実力はかなりのものになっていた。それにアジの首飾りのおかげで死亡率はかなり少なくなり、ワイヤーを用いた魔術を皆が学んだことでかなりの応用性をメンバー全員が得ることができていた。

 

 

 さらにそうした活動は確固たる信頼につながっている。仲間たちは自分の武器をアジに調整してもらうことが多いが、まさにそれは信頼の表れの一つだった。

 魔術霊装はその魔術師の実力の結晶であり、命を預ける大切なものだ。その霊装をみれば持ち主の得意魔術、不得意な属性だってすぐにわかってしまう。要するに弱点がまるわかりになる危険性があった。

 そして調整に失敗し壊れてしまった場合。すぐに直せる、ということはほとんどないのだ。場合によっては二度と同じものが創れないことだって珍しくなかった。

 

 

 それを天草式のメンバーは、ぜひ見てくれとアジに依頼する。アジが調整を失敗するとか、他の仲間に霊装の詳細をバラシてしまうとか、そういった思いは露ほどももっていないのだ。そればかりか、アジが見てくれたのだから安心だといって、彼らはその武器を背負って戦場に向かうのだ。もっともアジはそんな風に彼らが自分のことを評価しているなんて全く思っていなかった。

 

 

 むしろアジにとっては漫画やゲームの予備知識なく、伝承などを核にして魔術や霊装を創る魔術師のほうがすごいと常々思っていた。前世の知識をもつアジには参考にしているが、天草式メンバーたちには祖先から脈々と受け継いできた術式を核にして様々な魔術を作っていく。

 

 

 そんな秘術を使いこなす彼らのほうが、自分よりもよほど勤勉であり、なによりカッコイイとアジは思っていた。

 

 だからこそアジは、自分の能力を過信せず仲間たちと接するし、なんなら魔術教えてください!この世界の先輩たち!といったように関わっていった。その傍からみれば驕らない能力ある少年の様子は、さらに天草式の中の評価を上げている要因になっている。

 

 

 アジは他の霊装に丁寧に手をかざしていく。天草式の霊装は非常に多様だ。古今東西の様々な武器を中心に、時には生活で見慣れている口紅や皮財布、携帯電話まで何でも霊装にしてしまう。けれどその能力は折り紙つきだ。鍛錬を欠かさない彼らの霊装は完成度が高く、威力も申し分ない。アジは自分の魔力を霊装に少しずつ流していく、変調がないか効果は通常通り現れるのか、などを確認する。時折、不具合を見つけては非常に細い針などを使って術式を整える。

 

 

 まるで回線をいじるみたいだなぁとアジは考える。しかし、回線はミスをしても上手く機能しないだけだが、霊装はミスをすると時折暴発したりするので兎に角慎重に調整していく。以前、アジはふざけて霊装を作ったときに暴発、炎上したことがあるので、肝に銘じているのだ。アイデアはふざけてもいいが、術式はふざけてはいけないと、よく学んだのである。

 

 

 アジはどんどん調整を終えていき、仲間たちに武器を返していく。全部を調整し終えアジはググッと伸びをした。携帯電話を取り出して時間を見ると、およそ一時間程度かかったようである。今回の依頼まで、まだ時間がある。アジはウキウキしながらもってきたリュックから弁当と飲み物を取り出した。

 

 

 商品名は「IQがグングン上がる!合成肉弁当」と缶ジュースの「ヤシの実サイダー」である。ふざけた名前の弁当だったが、むしろそれを嬉々としてアジは購入していた。理由は、その商品のどちらにも「今、学園都市で話題!」と書かれていたからである。

 

 

 学園都市、それを聞いてアジはさらに喜んだ。なんとこの世界は魔術だけでなく、超能力もあるという。学園都市という日本中の学生を集めた研究機関では、脳の開発を行い超能力を発現できるというのだ。実際にアジはネットに上がっている動画を目にしたが、手から火や雷やビームを出すわ、テレポートはするわの大祭りであった。

 

 

 この世界最高、アジはニヨニヨしながら動画を漁った。いつか必ず学園都市にも行きたいなと、呑気に考えたアジである。魔術師としての意識の低さが垣間見れた。

 アジ個人の最近のトレンドは学園都市であり、色々その情報を探していた。すると学園都市の外、つまり他の地域でも中で売られている弁当や飲み物が購入できることを知ったアジ。これは買わざるを得なかった。アジは食べるだけで霊装を体内に生み出すトンデモ魔術ももちろん好きだが、こうしたSFチックな合成肉弁当なんてものも、もちろん好きなのだ。

 

 

 アジは今や天草式はみんな使っているワイヤーを使い、簡易的な熱の魔術を使う。要するにお弁当の温めである。同時にぬるくなった飲み物には冷凍の魔術を使って冷やしていく。魔術は非常に便利である。アジのように余りにも世俗的な使い方をする魔術師はほとんどいないが。

 

 

 ちょうどよい加減で、アジは弁当を開き食事を開始した。

 すごい触感であった。ポロポロと崩れる肉、多様な味のする肉汁。シリアルのごとき米は、12種類の素材を合成して創られているようで、米本来の味は皆無。ぶっちゃけると微妙、もっと言うとおいしくないのだ。しかし、嫌いにはならない限界ギリギリを突き詰めた味は、映画で見る未来人の食事のようでもあった。くやしいが、でも新感覚だった。

 

「これが、未来.........」

「何を言っているのか、たまに分からなくなるのよな、おまえさんは」

 

 

 アジが訳の分からないことを言っていると、黒々とした髪が視界に入った。天草式の中でも屈指の実力者、建宮斎字だ。たぼたぼのTシャツに不敵な笑みを浮かべるこの男、不良のように見えるがその実、誰よりも実直な男だ。

 

「建宮、食べる?すごいよ、このお弁当は、未来って感じで」

「美味いのか?」

「いや、すごい未来って感じ」

「じゃあ、いらねぇよな」

 

 

 建宮は気だるそうにアジの近くに腰を下ろした。アジは建宮という男が好きだった。変な意味ではなく、単純に深く信用・信頼していた。アジの両親が亡くなったとき生活を助けてくれたし、魔術もいろいろ教えてくれたし、任務の度に助けようとしてくれる。まさに兄貴のような存在、それが建宮だった。

 

 

「あ、もしかしてフランベルジュの調整?任せてよ、建宮の武器なら出力を3倍にするよ」

「おまえ、それやったら殴るからな」

「えっ、なんで?建宮の使う魔術なら出力があがれば、それだけ攻撃力もあがるのに?」

「使いこなせなきゃ意味ねーのよ。俺はお前さんみたいに、どんな霊装でも器用に使いこなせるわけじゃない、威力が高すぎて敵の目前で自爆、なんて目も当てられん」

 

 

 アジは建宮が自分を過大評価していることにむず痒さを感じる。

 実際は、様々な霊装を使うスタイルのアジが異様なだけである。

 

 

「でだお前さん今朝の話、覚えてるか?」

「今朝の話?」

「俺たちのリーダー、つうか教皇を決めるつー話しよな」

 

 

 天草式は正義の魔術組織だが、一応十字教の流れの宗教流派である。だからその教えを広める指導者が不可欠なのだ。今代の教皇は引退を考えているため、新たなリーダーを決める必要があった。選ばれるのは仲間の魔術師なので、アジにとってある意味でどうでもよいことだった。誰が教皇になったとしてもその人物を信用できると、アジは断言できた。簡単に表現するなら、これまでとやること変わらないし誰がやってもよくね?ぶっちゃけ、誰がなっても大丈夫っしょ、という軽いノリだった。

 

 

「誰だと思うよ?お前さんは」

「誰でもいいよ」

「いや、まぁ、きっとお前さんならそう言うと思ったけどな.........そういうわけにもいかないのよ。教皇ってのは、教えにひた向きであり、判断力・決断力に優れ、魔術の腕もなきゃならんのよな。そうじゃねぇと、みんなついていくのが不安になるってもんよ」

 

 

 大変な仕事だなぁとアジは適当に思った。一緒に過ごし、天草式を信用し、信頼するアジだったが、やはりいくつかの場面、事項で微妙に思想もズレる。

 おそらくそれが、現代人の感覚が抜けきれないアジと秘密に生きる魔術師たちとの違いなのだろう。

 

 

 アジは建宮の言うことを考えて、ちょっと真剣に教皇を考えてみた。もぐもぐと弁当を食べるのも勿論忘れてはいない。その上で頭の中で天草式のみんなの顔を浮かべていく。あいつはちょっとスケベだし、あいつは子供すぎるし、あいつは怒ると怖いし。徐々に候補を減らしていく。そして、妙案が浮かぶ。ごくんと飲み込んでアジは口を開いた。

 

 

「建宮がやればいいじゃん、建宮ならさっきの条件全部クリアでしょ?」

建宮はアジの意見を聞いて、一瞬ポカンとしてゲラゲラと嬉しそうに笑った。ありがとうな、とアジの背中を強めに叩く。痛いのでやめてほしい、アジは思った。

 

 

「いやいや、俺じゃあ荷が重い。もっと相応しい人物がいるのよな、皆が納得する人物が」

 建宮は勿体つけながら言った。アジは察しが悪く、誰だか悩んでいる。その様子を見て、建宮はまた可笑しそうな顔をして、続けた。

「我らが天草式、最強の魔術師、神裂火織よな」

「あ~、神裂か~、確かに神裂は超強いし、優しいし。いいかもね」

 

 

 アジは最近の神裂の様子を思い浮かべる。一緒に鍛錬していた時に比べ、その実力はトンデモナイものになっていた。自力の魔力を纏うだけで自動車で野球ができるほどのパワーを持ち、走りはチーターよりも速い。そして極めつけは二つの霊装「七閃」だ。ワイヤーを七本同時にしかも自在に操る技で何でも切り刻んでしまう。そして奥の手の唯閃を使うために研究に研究を重ねて生み出された七天七刀だ。絶対に壊れないように、創り上げた霊装であり、神裂が全力で振るえる唯一の武器だ。全力を出せば、冗談抜きで地形が変わってしまうのだ。実力はまさに最強だった。

 

 

 それに神裂の優しさは、今やまさに聖人級であった。女の子を助けるために滅茶苦茶でかい龍と戦ったり、村の中で死にたいと願う人のために骸骨みたいな兵士の軍勢と戦ったりするのだ。誰かを護ること、それを何よりも大事にする神裂の在り方に、天草式では密かにファンクラブができていることをアジは知っていた。そして、アジ自身も洒落で入会もしていた。

 

 

 妹のようだった神裂の成長に思わず笑顔になってしまうアジである。

「本当にお前さんは、わかりやすいのよな」

 建宮は笑うアジの頭を一度くしゃりと撫でた。どういうことか、イマイチピンとこなかったが、まぁいいかとアジは捨て置くことにした。冷えているヤシの実サイダーを飲んでいると、仲間たちから連絡があった。仕事の時間である。ちなみにヤシの実サイダーは、結構おいしかった。またどこかで買えないかなと、アジは思った。

 



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第6話

 建宮斎字は愛刀のフランベルジュを手に、山道を駆ける。正確には特殊な術式を用いてスケートのように滑るようにして高速で移動していた。理由は逃げる眼前の男を追うためだ。名も知られていない小規模の魔術結社を率いていた男で、長命を求めて魔術の探求を行っていた。一人で研究しているならばなんら問題ではない。しかし、この男。その研究のために周辺の人々をさらっては、魔術の実験体にしていたのだ。

 

 

 依頼主はその被害者だった。自分の子供を無残に殺され、命を弄ばれた母親だった。

外道よな、建宮は歯ギシリをする。その所業もさることながら、この逃走行為も許せないものだ。なにせ、この男。天草式が自分の隠れ家に奇襲した際に、自分の仲間を見捨てて真っ先に逃げ出したのだ。

 

 

 自分の考えに賛同し、共に研鑽を積んできた仲間を何でもないように切り捨てた。近代の魔術師たちが個人主義に傾倒していようとも、情のひとつも持つものだ。仲間意識の強い天草式の建宮にとって、眼前の魔術師の在り方の何一つも肯定できなかった。

 

 

 タイミングを見て建宮は右足に力を入れる。大きく跳躍した彼の体は容赦なく、逃げる魔術師を踏みつけた。ぐえっと男は唸り、何かを喚いていたが首筋に突き付けられた波打つ刃に押し黙った。

「もうちっと抵抗してくれても構わんのよな。そうすりゃ、お前さんを切り殺す言い訳がたつ」

 

 

 半ば建宮は本気だったが、裏腹に魔術師の体から力が抜けていく。無言の降伏だった。

建宮は息を吐いて、ポケットの中からある霊装を取り出した。それは頼もしい仲間からの贈り物、首飾り型の霊装だ。

 

 

 天草式の面々はこれを「虹色の絆」と呼んでいる。移動、奇襲、帰還など応用力に長けた万能霊装だ。製作者に言うと恥ずかしがるので彼の前では単に「首飾り」と呼んでいた。建宮は魔術師の服を掴んだまま、その霊装に魔力を流した。

 

 

 直後、二人の体は消え失せる。先ほどまでの建宮のたちの逃走劇が児戯に見えるほどの、凄まじい速度で移動したのだ。瞬間移動ともいえるだろう。目的地は、同じく首飾りが密集している場所。天草式が奇襲を仕掛けた魔術師の隠れ家だ。

 

 

 移動は数十秒ほどだった。建宮は掴んでいた魔術師を離す。男は何が起きたかまるで理解できないようで目を見開いていたが、建宮が手を首にかけると昏倒した。建宮の魔術によって意識を刈り取られたのだ。そのまま建宮は男を捕縛して、肩に担いだ。

隠れ家は変哲もない田舎の民家だった。建宮が到着したのはその二階で、彼は一階に移動する。リビングでは男同様に捕縛された魔術師たちが転がされていて、仲間の天草式のメンバーが佇んでいる。建宮は手を上げて合図を送り、肩に担いだ男を乱暴に転がすと、そのまま歩みを進めた。

 

 

 向かうは庭先、そこの地下に魔術師たちの工房があった。魔術によって小学校の体育館くらいある空間に、いくつもベッドがおかれている。その上には何人もの人が寝かされている。空調設備などないのだろう。中は薄暗く、生臭い匂いが嫌に鼻をついた。

 

 

 その中に二人の人影が見えた。建宮に気が付いたようで、二人は顔を向ける。

一人は着物に2メートルほどもある長刀をもった少女、そして瞳を虹色に輝かせる少年だ。

 

「お帰り、建宮」

 少年、阿字平鱗が言った。先ほどまで魔術を使っていたようで、暗闇の中でその瞳がキラキラと光っている。

「今、あと二人の治療で終わりだよ」

 アジは魔術実験をされていた人々の治療を行っていたようだ。隣に立つ神裂の表情に少しずつ硬さがなくなっていく。憂いが溶けていく様子がよくわかった。

 

 

 天草式の最大戦力である聖人も少年も、本当に優しい心を持っていた。その力を使えば好き勝手に、自由気ままにすることなど容易いのに、二人は誰かのためにその力を振るうのが常だった。建宮はその様子を見て微笑む。だからこそ、この二人の背中に付いていきたいと思うのだ。

 

「アジ、ありがとうございます。私では細やかな術式を発動できないので」

「しょうがないよ、みんなできるものと、できないものがあるもんだよ。僕には神裂みたいに山を更地にしたり、湖を水たまりにすることなんてできないし?」

「.........私を怪獣か何かと勘違いしていませんか?」

「うん?褒めてるんだけど?」

「そうは聞こえませんでした」

 

 

 キョトンとするアジに、神裂はしかめっ面を作った。誰にでも優しく、そして平等なアジは神裂に対しても仲間たちと同じように接する。天草式のメンバーは神裂の精神とその実力、なにより聖人という性質に敬意を表するあまり、どこか一歩引いた関わりをしてしまいがちだ。そうした雰囲気をアジは見事に打ち砕いてきた。仲間同士で食事をするときや何か遊ぶ時、アジは神裂を普通に誘ってきたし、仲間の前で彼女に普通に接してきた。アジと神裂との会話、二人でいるときの様子は、神裂がいかに聖人といえども、普通の少女であることを知るには十分だった。

その甲斐もあってか、彼女に対する距離をおいた関係は薄くなってきていた。

 

 

 二人のやり取りを見て建宮はさらに笑みを深くし、次にニヤニヤというちょっぴりいやらしい顔をした。アジと神裂の関係は非常にいじらしく、仲睦まじく見える。幼いころから二人を知っている建宮は、二人の家族のような様子を見るのが好きだった。しかし、最近ではもっと進展があってもいいだろうと思えてならなかった。

 

 

 要するに、二人の関係はもっと親密でもいいじゃないの、ええ?好きなんだろう?もうガッとやっちゃえよー、という年上の特有のメンドクサイおせっかいだった。

「なんですか、建宮?」

神裂は建宮の顔を見て、むっとして口を開いた。小馬鹿にされたと思ったのだろう。実際はそんなことはないのだが、神裂もアジも恋やら何やらに疎い。建宮の心情を読み取ることはできないようだ。建宮は、「別になんでもないのよな」と言いつつ謝罪した。

 

 

 会話を終えるとアジは治療を再開した。治療方法は、彼がもつ角のような霊装を使う。伝説の幻獣ユニコーンの伝説を使った偶像崇拝系魔術だ。効果はテキメンで寝ている人物の血色は良くなり、呼吸も安定した。

アジはよしと言って、最後の被害者の元にむかった。

 

 

 ベッドで寝ていたのは少女だ、苦悶の表情で息も荒い。魔術実験でかなり酷使されたのか、体の至る所にはアザが見られた。建宮の立つ後ろからは二人の顔は見えないが、その心情は痛いほど理解できた。アジはすぐさま治療を開始した。霊装と瞳が輝き、薄暗い空間が照らされる。神裂はベッドに近づき、被害者の肩に手を置いた。それに魔術的意味などない。優しき聖人の心がそうさせただけだ。

 

 

 しかし、それが不運な事態を招くことになる。

 

 

 アジの治療を終えたかに見えた瞬間、被害者の体の一部、胸の部分が急激に膨らんだ。そして、腕のようなものになり襲い掛かったのだ。俊敏なその怪腕は、もっとも近くにいた神裂へと突撃する。

 

 

 神裂は迎撃しようとして、すぐに自分の体を硬直させる。神裂の術式・体術、そのどれもが威力が強すぎるあまり辺りを巻き込んでしまう。神裂は聖人がもつ驚くべき動体視力によって少女の様子を確認した。苦悶の表情になった少女、息はあり、そして何より魔術の被害者だ。傷つけることはできない、そう判断した時には、神裂の眼前に怪腕が迫っていた。

 

 

 ドンッと神裂の体に衝撃があった。アジの手だった。神裂は横によろけ、目撃した。

あの怪腕がアジの体に食らいつく様を。

 

「アジ!!」

 神裂は叫んだ。建宮は武器を構えて神裂のすぐそばまで駆けつける。

 アジに喰らいついた腕は、驚くべきことにアジの肩の付近に接合していた。まるっきりくっついている。建宮は、ここの研究を思い出していた。この魔術結社の目的は長命だ。命を長らえるもっともポピュラーな方法、それは命の結合、体の融合だ。

吸血鬼、人食い鬼などの怪物たちは人を食らい、強靭な生命力を得ている。その伝承を応用した魔術、自分のために他者を食いつぶす外法を研究していたのがこの工房だ。

 

 

 しかし目の前の現象は、完成された魔術などではないことが、神裂、建宮の目からは明白だった。端的に言うならば、偶然の産物、魔術の暴走だ。だからこそ厄介だった。この魔術は明確な術者も核となるものもない、あやふやなもの。迂闊に手を出せば、その魔術や刺激に反応して更なる暴走を招く可能性すらあった。

 

 

 怪腕だったものは、徐々に形を変える。まるで肉の塊のようになるとさらに膨張を続けている。アジの体の上で蠢き震えるナニカ、不気味な光景だ。肉片は咀嚼する口もないまま、アジを取り込もうとしていた。

 

「アジ!」

 神裂には叫ぶことしかできない。自分のせいだ、神裂は後悔する。あそこに私がいたからだ、判断を誤ったからだ。本来ならば、あの腕に喰らいつかれていたのは、私のはずだったのに。なぜ私ではなく、彼らなのだ。なぜ、なぜ。神裂の体が急激に冷えていく、あの時と似ていた。アジが家で倒れていた時と。視界が徐々に暗くなっていく。

 

「大丈夫」

 神裂の耳をアジの声が揺らした。アジは、少々汗をかきながらも建宮と神裂を見て微笑んだ。

「大丈夫だよ、二人とも。でもちょっと助けて」

 

 

 アジはそう言うと右腕の霊装を二人に投げる。それは男女の巨人の絡まった小さな刀のような形をしていた。北欧神話の天空の神と大地の神、その伝承を利用した霊装だった。回数制限があるものの、使えば何でも分断できる。物質でも特性でもなんでもだ。

アジはその霊装を使って、少女の体とそこから伸びる肉片を分解してくれと建宮に頼んだのだ。

「その後、お前さんはどうする気だ」

「なんとかするよ」

「信じていいのよな?」

「うん!だからはやくやって!」

 

 

 急かされて建宮は霊装を発動する。小さな刀の切っ先が煌き、数メートルの刃となった。刃は蠢く肉に突き刺さると、十全に効果を発揮した。少女の体から肉片はずるりと外れた。

 「ありがとう、建宮」

 「次はどうする、アジ?お前さんに食い込んでるそれに、この霊装を使っちまえば.........」

そこまで言って、建宮は自分の手に違和感を覚える。見てみると件の霊装にヒビが入っている。そして直後、霊装はバラバラに砕け散った。回数制限、それが建宮の頭の中を駆け巡った。

「くそっ!おい、アジ!」

建宮がアジを見ると、彼はまだ微笑んでいた。少し苦しそうにしながらも、それでも微笑んでいる。まるで自分を、となりにいる神裂を心配させないように気遣う様子で。

 

 

「大丈夫だよ、建宮。なんとかするから」

「アジ.........」

 果たしてそんなことができるのだろうか。それを判断することは、建宮にはできなかった。神裂はなんとか精神を持ち直して、アジに近づく。肉片は未だ蠢き、活動は停止していない。神裂が術式の解析のために手を触れようすると、アジは飛びのいた。

「触ったら危ない。神裂まで取り込まれちゃう」

「しかし!」

アジは神裂の顔を見つめて言った。

「とにかく神裂が無事でよかったよ」

「な、なにを」

「神裂、僕はこれから―――」

 

 

 アジが何と言おうとしたのか、わからなかった。体にまとわりついた肉塊は彼の口にまで伸びたからだ。そればかりか、肉塊はどんどん大きくなった。アジは焦ったように、右ポケットから小さな霊装を取り出して砕く、それが魔術を発動させるキーだった。肉体の硬質化と高速移動用の術式、壊すことですぐさま使えるものだった。

 アジはその場で大きく跳躍し、天井を破壊。落ちてくる破片を避けながら上を見ると彼はすでに地上に出たようだ。神裂はアジの名前を呼び、持ち前の身体能力でその後を追い、建宮は舌打ちをして階段へ向かった。

 

 

 

 夜空には月が登っていた。凄まじい速度で移動するアジに神裂はすぐに追いついた。しかし打つ手がなく、アジがなぜ移動しているのかも掴めていなかった。アジは迷うことなく、一直線に進んでいく。

(いったい、どこへ)

 そこまで考えて、神裂の頬を風が凪いだ。疾走して受ける風とは質の違う風だ。ここは海近くの田舎だ。海風が近くから吹いていた。

 まさか、と神裂は思いつく。最悪な結末を思い描いてしまう。

 その場所へはすぐに到着した。そこは崖だ。荒れた海を臨む崖に神裂とアジは立っている。

 

 

 神裂は焦った顔でアジを見る。アジは対照的にとても落ち着いているように見えた。しかし、体の異変がとどまらない。すでにアジの全身の半分は取り込まれているのだ。その姿をみて神裂は確信する。なんとかする、その言葉の真意がこれ以上被害を拡大しないようにする、というものだとしたら。

 

 これから彼が何をしようとするかが、すぐにわかった。神裂はアジの体に一気に手を伸ばした。けれども、手は空を切る。彼女よりも先に、アジは崖に向かって飛び出していたのだ。

 

 落ちていく体を神裂は見続ける。聖人の眼は、残酷なまでに鮮明に、少年が落下し海に飲み込まれていく様子を神裂に伝えていく。崖の高さ、海の水温、あの暴走した魔術の危険性、あらゆる情報が、優秀な神裂に非常な結論を導き出す。

 彼は、おそらく助からない。

 彼女の慟哭は、波が崖にぶつかる音でかき消されている。

 

 

 建宮たちが神裂にたどり着いたとき、彼女はもう立ち上がっていた。

 瞳は赤く頬には涙の跡があった。しかし、その顔はどこまでも無表情で、肩からは怒りがにじみ出ていた。それは魔術師に向けられたものではなかった。不甲斐ない自分に対する凄まじい感情の爆発だ。

 

「いきましょう、あの捕らわれた方々の救助が優先です」

 神裂はそう言って、天草式のメンバーを引き連れていく。

 

 

 

 

その後、天草式に新しいリーダーである女教皇が誕生した。

天草式はこれまでと同じく正義の魔術集団としてあり続けたが、誰かを助け続ける度に、少しずつ仲間たちと女教皇は悲劇を体験していった。それに疑問を感じた女教皇は、天草式から姿を消すことになる。しかし、その首元にはあの首飾りがかけられたままだった。

 



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第7話

 ぼこぼこぼこぼこ。

 海中の中で泡を出していたのはアジである。アジは大量の霊装を持ち歩いているので、水の中で息をするのも可能だった。そして、彼の体を侵食してきたあの肉塊。その姿は今やどこにもなかった。

 

(やっぱり備えあれば憂いなしだよ、もってきておいてよかった)

 

 アジはポケットからある霊装を取り出す。それは口、鼻、尻から五穀が伸びているファンキーな形の霊装だ。これはウケモチノ神という日本書記に登場する神様で体中から食べものを出すことができる。その伝承を利用して、食べるものを生み出し、またそれを食べることができるという概念だけを抽出したものだ。簡単に言うと物事や性質を曖昧にする霊装である。魔力、毒などの持ち主の体に害をなすものと、持ち主の体との境目を曖昧にすることで進行を抑え、なおかつ取り込むことができるのだ。

 

 

 アジ自身、あんまり理論がわかっていないが、作ってみたらできたので重宝しているのだ。そんな感じで使う霊装の数が、めちゃくちゃ多いアジである。まぁ、そんなわけで今回の何でも吸収しようとする遊星からの物体X的な肉は、逆にアジに取り込まれたわけである。

 

 

 安心できる霊装があり、大丈夫だという確信があったから、アジは建宮と神裂の前でもいつも通りののほほんとした態度だったのだ。最後は、その霊装と作戦の話をしようとしたのに、肉片が口にへばりつき話せなかっただけである。海に飛び込んだのにも当然理由があり、それはアジ自身は絶対に安全だったが、周りの被害を抑えられる確信がなかったからである。簡単に言うと、あの肉塊が誰にぶつかったらまた誰かを吸収しようとする可能性が高かったのである。

 

 

 しかし、ここまで時間がかかるとは思わなかったと、アジは嘆息する。おそらく二日ほど経過しているだろう。 

 きっとみんな心配しているはずだ。早く会いたいな、アジはそう思った。

 

 

(しかし、どこまで流されたんだろう。とりあえず陸地に.........ッ?)

 そこまで考えたアジを襲ったのは、空腹感だ。具体的に言うとお昼ごはんを抜いた後ぐらいお腹が空いている。なんだこれ?とキョトンとするアジに、今度はより強烈な空腹感が襲った。まずい、なんだこれ!?

(も、もしかして吸収した肉片の、何でも取り込もうとする性質も体の一部になっちゃった?やべぇ!)

 

 

 焦るアジだったが、遅かった。空腹にアジの思考はまとまらなくなり、知らず知らずのうちに近くにある砂を口に入れ始める。ジャリジャリしてまったく美味しくない。アジは急遽、様々な術式を適当に使い、自分の味覚を一度封印する。他の感覚にも影響を及ぼしそうだが、仕方がない。緊急事態だった。

 

 

 その判断は正しく、アジは最早無意識に、術式をつかって辺りの魚や甲殻類を口に運んでいく。もし口の中の感覚を残していたら、棘や骨、海水の塩気などが一気に流れ込むところだった。くそう、でも止められない。アジはしばらくの間、海中にて捕食活動を続けた。

 

 

 どれくらいたったのか、アジが落ち着き思考ができるようになった頃。彼は食べられるものを求めて海遊していたらしく、どこに自分がいるのか見当もつかないことになっていた。

 加えて異変は体にも如実に出ていた。

 喰らっていた魚のヒレが体から生え推進力として機能し、腕はクラゲの毒針と触腕、顔は人ではなくサメのようになっていた。

 

 

 ぼごぉ!?アジは海中で叫び、泡を大量に噴き出した。困ったことに、アジは人間を大きくやめたらしい。まるっきり怪物だった。しかも、最悪なことに空腹の意識は少なくなっているものの、完全に無くなることはないようで、常に食べ物のことを考えていかなくてはいけないようだ。

(な、なんでこんなことに........)

 しばし落ち込むアジ。だが彼は、非常に前向きだ。というか魔術があれば何とかなる、体も直るだろうと考えているため、すぐに、まぁいっか、と思った。単純な奴である。

 

 

(おなかすいたなぁ、これが一番満腹の状態か.........うーん、でもこれくらいならなんとかなるかも)

 アジは落ち着きを取り戻し、その興味を体に向けた。せっかく得てしまった能力、使いこなしてみたいと思ったのだ。アジは自分の体の内に意識を向ける。するとどうだろう、これまでよりも心なしか、魔力の総量が増えていたのである。おそらく食事はそれだけでは栄養を体に取り込むだけだが、この能力は生き物をその生命力、つまり魔力ごと吸収してしまうのだ。どんな小さな生き物でも、生きているならば生命力があり、イコール小さいなりの魔力をもつ、それを足し算のように自分に付け加えていける。

ぼご!(つまりそういうことなのだ!)

 

 

 アジはそのように適当な結論をつけて、さらに体を確かめる。すると、これまで吸収した生き物の体も使えることがわかってきた。サメの顔を解除して、背中から尾を伸ばすこと、クラゲの触腕を背中に集中、人間の脚は引っ込めること。様々な形態の変化が行えたのだ。

 これは、むしろ便利かも。そう考えるアジであった。

 

 

 アジはその能力を少しずつ使いこなしながら海中を進んでいった。途中に見つけた魚や蛸などを捕食しながら、泳ぎ続ける。生き物を殺す嫌悪感の意識はもちろんアジの中にも存在していた。しかし、体の変質が進むにつれてより彼はどこか本能的になっていった。

食欲、睡眠欲、そういったものに抗いづらくなっていった。

 

 

 

                ○○○○○○○○○○○○

 

 さらに時は流れるとアジの体は捕食量に合わせて巨大化していた。加えて能力も十全に使いこなせるようになっていった。

 そのため、現在もっともアジの頭を悩ませているのは、どうやってこの空腹と効率よくつきあっていくか、であった。それを常に考えて続けたアジ。クジラやウツボ、ダイオウイカなどを食べながら、ある時ふと頭に浮かんだものは、二つのアイデアだ。

 一つは今みたいにたくさん食べること。

 もう一つは質のよいものを食べること。

 

 

 前者はもうやっていることであり、もう片方こそが新しい試みである。質の良いものを食べる、というのは魔力量が高いものを食べることだ。つまり霊装とか、結界、術式なんかを食べてしまうのである。最初は本当にそんなことができるのかと、思いついたアジ自身も半信半疑だった。しかし、手持ちの霊装を口に含んだ時に、その憂いは一掃された。

 

 

 すぐさま体に流れ込んでくる魔力の迸りに、これまでない満腹感を得ることができた。もっともそれでもやはり、少しすれば空腹の波が襲い掛かってくるのだが、贅沢は言わないとアジは考えた。

 

 

 喜ばしいことはもう一つあった。取り込んだ霊装は、捕食した生き物と同じく、その特性を使いこなすことができた。手にもったり、それに魔力を流したりという手順を踏むことなく、何でもない魔術を扱う感覚で霊装の能力だけを使うことができる。もし戦闘になったとき、手ぶらにも関わらず高威力の術をいきなり使うことができるのだ。霊装が格段に使いやすくなったと言えるだろう。

 

 

 アジは自身の仮説が正しいことを証明し、手持ちの霊装をすべて取り込んだ。様々な魔術特性を得た巨体は、もはや単なる海洋生物の寄せ集めではない。どれほどアジの意識があろうと、それはもはや怪物だ。人間以上に魔に精通する魔獣に他ならないモノだった。

 

 

 意識せずに人間をやめてしまったアジは、巨体をくねらせて海を泳ぐ。探しているのは魔力の流れだ。世界には龍脈や地脈という地球が元来持つエネルギーの通り道がある。その通り道を辿ると、どこかに魔術的な穴が開いているのだ。それを龍穴と言ったりするが、その穴からは莫大な魔力が溢れているものである。だからこそ、その真上には魔術世界の名だたる組織の総本山や、聖なる協会やお寺などが建っているのだ。アジが、そこへ向かおうとしていた。

 

 

 だが、そうした建造物を直接、喰らいにいくわけではない。狙うのは龍穴付近の木々や野生動物だ。その付近に生きる生命体は、龍穴からあふれる魔力をモロに影響され、体内に持つ魔力は高い。それらを取り込むのである。そこで大量の魔力を吸収すれば、アジのつたないどんぶり勘定でも三日は強烈な空腹に悩まされずに済むことが判明した。その三日間で天草式に連絡を取り、体をなんとかしてもらおうと、アジは考えた。

 

 

 実におざなりな作戦だったが、これはアジの希望になった。誰にも相談できず、知らず知らずのうちに空腹で精神も消耗していたアジ。そんなアジは、人に見られる可能性が高い陸地、しかも魔術の匂いがする龍穴という場所に怪物が現れることの異常性、危険性を気づくことができなくなっていた。

 

 

 明確な希望が見えた瞬間だった。アジはその希望の力強さに後押しされ、龍脈を辿っていく。100mを超える巨体は、移動速度を重視した体形に変貌。頭部は抵抗を抑えるためにシャープに、体全身を推進力にするため長くくねらせ、魚やシャチのような尾を生やす。

もし目撃した者がいればこう言うだろう。各国にある力強き幻獣ドラゴン、もしくは天を操る龍神だと。

 

 

 巨体の移動スピードはすさまじい。どんどん海中を突き進む。その中でアジは、徐々に海面が近づいてきていることに気付いた。おそらく陸地に近づいているのだろう。少ししてアジの体が砂浜に触れた。目的地まではもうすぐだが、この体で陸地を這うのは一苦労だ。アジがそう思うと、すでに巨体は無意識のうちに陸上に適した体へと変わっていく。

 

 

 幸いなことにその場所に人気はない。時刻は深夜の砂浜、さらに天候は雷雨。横殴りの雨をアジは全身で感じている。これであれば、人知れず行動できそうだった。

 

 

 アジは久しぶりに両足で大地に立った。呼吸もエラから肺へと変更。立ち上がったことで、視線は人の体だったころの何十倍にもなる。下を見ると近くには海の家があった。まるでミニチュアのようだ。アジが一歩踏み出すと、巨体ゆえに大地が揺れた。直後、空は輝き雷鳴を轟かせた。

 

(近ッ!?)

 

 アジは思わず、ギャと叫んだ。しかし、そんな小さな叫びでも巨体を通すとどうなるのか。

 

 まるで爆発だ、暴力的な音の塊を辺りにまき散らす。叫び声は怪物の咆哮へと変化した。

 直後、また雷が迸った。

 一瞬の光がアジの全身を映し出す。ゴツゴツとした表皮、力強い両脚と腕。頭部は爬虫類と哺乳類の猛獣が混ぜ合わさったようで、鋭い牙が見えた。背にはヒレやいくつかの触腕が伸び、腰からは巨体に違わぬ長く太い尾が伸びている。

 

 

 怪獣、怪物、魔獣、魔王。見た人間によって感想は変わるだろうが、その誰もが命の危険を感じる圧倒的な力の塊。それが今のアジの姿だった。

(俺の声でカッ!?)

 心情はアジ少年のままだったが、それは凶悪な面構えからはとても想像できない。

 アジは巨体で歩くという感覚に困惑しながら、龍脈を辿っていく。目的地はもうすぐだった。



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第8話

 寝ているところを叩き起こされたイラつきはすでに無くなった。横殴りの雨の冷たさと、落雷の音で意識を覚醒させたからではなかった。

 

 

 男はイギリス十字清教、必要悪の教会に所属する魔術師だ。今は敵である科学サイドの総本山の「学園都市」を監視するために多くの仲間たちと日本に潜入している。仕事がら様々な神秘に関わってきたし、危険な任務もこなしてきた。魔術師として機転が利き、有能であると自他共に認められる男。そんな彼だが、今はただ立ち尽くしている。近くには同じように組織の同僚が何をするでもなく、ただ立っている。その場の全員が、眼前の光景にただ圧倒されていた。

 「............なんだあれ?」

 

 

 男の隣で同僚が呟いた。男だって知りたかった。目の前の存在が何なのか。

 男たちの1キロ先に蠢く巨体があった。

 おそらく100mは超えているだろう。黒い体表はゴツゴツとしていて、恐ろしい頭部と巨体を軽々と支える強靭な手足をもっていた。その姿は伝説のドラゴンにも見えるが、その存在はおそらくもっと邪悪なものだと、男は思った。

 

 

 正体不明の怪物がいるのは小山。巨体からまるで山が増えたように見えるありさまだった。怪物は体をよじりバキバキと辺りの木々をなぎ倒す。そして手を使ったり、直接口を山に近づけたりして、喰らっていた。山の木々を、土を、山を削るように鋭い牙を使ってバリバリと咀嚼している。地鳴りのような音をたてながら、山を飲み込んでいく。そのたびに怪物の瞳はキラキラと輝いた。

 

 

 「どうしますか?」

 他の同僚が男に話しかけた。上からの指令は、対象を観察しその戦力及び目的を掴むこと、そして場合によっては無効化することだ。簡単にいえば、悪さをするようなら殺してでも止めろというのだ。普段ならどうとでもなる仕事だが、今回は別だ。

 

 

 仲間と魔術的な観察をしたところ、目の前の怪物は行動・見た目だけでなく性質も異常そのものだった。巨体からは荒れ狂う魔力が常に渦巻き、その総量は魔術師何百人分に匹敵した。巨体の術式の解析を行ったものの、様々な術式が混ざり合い、上書きをし続けているため正確なものは不明。ただ唯一、わかったことといえば様々な生命の痕跡だ。様々な生命体を吸収して、あの巨体になっていることだけが判明している。

 

 

 行動については明白だった。奴は、魔力を喰らっているのだ。龍穴から山にしみ込んだ魔力を山ごと喰らって吸収している。裏付けるように観測される魔力量はどんどん増えていった。

 

 

 さらに最悪なことは、怪物の行動に騒めく人間がいないということだ。あれほどの巨体が大地を揺らして歩き、電線や道路を破壊しながら進んだことに、だれも気付いていない。いくらは今が雷鳴轟く豪雨で、深夜で、場所がどんな田舎でも、問題が起きれば動きがあるのが常だ。しかし、それがない。

 

 

 理由はカンタンで、怪物が人払いの魔術を使ったからだ。目の前の人にはとても見えない存在が魔術を使用したのだ。馬鹿げていると男は思う。それでも現実を見なければいけない。

 

 

 目の前の存在をまとめると、人外の魔力と巨体を持ちながら、魔術を扱う知性をもつ怪物である。神話の魔獣、英雄に討伐される邪悪なる存在。思考を放棄してとっと帰って寝たい。というか本国に帰りたい、そう考えてしまいたくなる男だった。

しかし、このままにすることはできなかった。怪物がいる目と鼻の先に、必要悪の教会の拠点の一つがあるのだ。普段は通常の教会だが、龍穴の真上にあるため魔術的要塞としても機能する重要拠点だ。男と同僚がすぐに駆け付けられたのも、そこに寝泊まりしているからだった。

 

 

 魔力を吸う怪物にとって、龍穴の魔力を直接転用する教会は格好の獲物だろう。あの怪物が、教会を襲撃することは明白だった。よって彼らはなんとかして、あの怪物を撃退しなければならなかった。やるしかないのだ。男は仲間たちに指示を出す。

 

 

 まず行うのは怪物への牽制だ。いくつかの遠距離用術式を使っておびき寄せること。その上で罠の設置だ。罠は強制転移術式を使う。どんなに強大な存在だろうが、遠くに飛ばしてしまえばいいのだ。倒せそうにないので目の前から消えてもらう、男はそう結論づけた。

 

 

 決まったら魔術師たちの行動は早い。死ぬ気はないが、それでも命をかけることには慣れていた。十人ほどの仲間と共に男は疾走する。移動術式を使えば、怪物まで数分もかからなかった。

 

            ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 アジがバクバク食事をしていると、突然体に何かがぶつかった。

 体をみてみると、巨体にいくつかの炎や雷、槍や剣、緑や青に光る水晶などがぶつかっていた。攻撃魔術だ。アジはすぐに気づき、誰が使用したのか探す。近くに魔術師らしき人影が見えた。

(まズイ)

 

 

 アジは自分の迂闊さを呪う。いつの間にか夢中で魔力吸収をしていたようだ。本能が強まっているアジとはいえ、流石に長居をして魔術師に発見されることは望んでいなかった。それがこのザマである。

 

 

 見たところ統制された魔術師たちのようだ。個人主義の強い魔術師が、ここまで連携をとれることは、その組織力の高さを物語る。組織に狙われること、マークされることの危険性をアジは知っていた。自分が組織の中で生きていたからこそ、現状がどれほどヤバい状態かすぐにわかった。

 

 

(逃げなキャ!?)

 アジは焦りながら踵を返す。

 しかし、今の体がどんな状態かを、アジは失念していた。巨体が方向を変えることで長い尾も当然つられて動く。その尾はまるで魔術師たちを撃退するように、弧を描いた。巨大な尾は、その質量だけですさまじい風を生み出し、地面や岩を削りながら破片や塊を飛ばしてしまう。

 

 

 アジの視界に、ちらっととらえた。

 偶然にも尾で飛ばしてしまった土や岩が、まるで攻撃のように魔術師を襲うのを。

ごめんなサイ!そうアジは思わず叫んでいた。それも当然、裏目に出る。巨体で叫ぶという愚行はすでに体験済みだった。

 

 

 情けないアジの謝罪は、大地を震わす咆哮となって辺りにまき散らされた。先ほどまで喰らっていた魔力の残滓もオマケして、凶悪な威嚇行為へと変貌を遂げた。

 アジの行動に、魔術師たちの行動は変わる。恐れ、戦き、それでも震える体を意思で押さえつけて攻撃魔術を行使した。先程までの組織だった連携は姿を消し、決死の覚悟で戦う者たちの気迫が顔を出している。

 

 

 最悪だ。アジは項垂れる。組織に強敵認定をされると、魔術世界では指名手配のような扱いになることがほとんどだ。巨大怪物となったアジの状況は転がり落ちるように悪化していった。

 

 

 (落ち込むのはあトダ、とにかく逃げなイト)アジは意識を切り替えて逃げようと体を動かした。巨体ゆえに一歩一歩を踏みしめるようにして移動する。思うように進めないアジに、魔術師たちの猛攻が襲った。先ほどの比ではない魔術の爆撃。アジの左右を疾走しながら、アジの真上を飛びながら、全方位からの魔術攻撃にアジはたじろいだ。

 

 

 しかし、同時に困惑が彼を襲う。

(アレ?あんまり、というか全然いたくナイ?)

 アジは攻撃してくる魔術師の方を見る。魔術には何の問題もない。相手を殺傷するためだけに調整された魔術だ。見ていた魔術師の手から爆炎が生まれアジの顔に直撃した。肉体を焼き焦がすほどの熱量だ。そのはずなのに、アジは全く痛みを感じなかった。神経に対する魔術攻撃をされて無痛症になった、というわけでもなさそうだ。

 

 

 あれほどの攻撃を受けて、アジの巨体には何のダメージも残さないのは、単純にその体が堅牢であっただけのことだ。いくら様々な生き物の体を固めて創ったと言えども、この巨体にはそこまでの防御力はないはずだった。

アジは、そこで思い出す。自分が魔力を吸収するために、喰らってきた霊装。その霊装のほとんどはアジの得意とする偶像崇拝の理論が使われている。アジは喰らったモノの特性を引き継ぎ、行使できる。

 

 

 ということは、つまり今のような怪物の姿になれば、その姿に応じた力を得ることができるということだ。単純にサメの尾びれで泳いだり、タコの脚で獲物を捕らえたりできるだけでなく、体で偶像崇拝魔術が使えるようになったと、言える。

 

 

 伝承のドラゴンの姿になれば、空を自由に飛び回り炎を吐き出す。

 伝説の悪魔の姿になれば、人を呪い大地を枯らす。

 すべてがそのまま再現できるとは思えないが、しかし似たことができてしまうはずである。だからこそ、怪物の姿をした今のアジにとって通常の魔術程度では傷一つつかないのだ。

 

 

(すゴイ!?.........けど、どんどん普通の魔術師から離れていくよウナ.........)

 アジは力なく笑った。もはや笑うしかないのである。

 

 

 アジが笑っていると、魔術師の一人が何かを叫んだ。凄まじい怒気だった。魔術師は個人での魔術詠唱をやめて、何人かで集まった。そして魔力を練っていく。力を合わせた魔術は、その集中力と詠唱の困難さに比例して強力だ。

 詠唱で生み出されたのは光る巨大な剣だ。剣は轟音を立ててアジの体に肉薄。ブズリと音を立てて、アジの体に突き刺さった。

(ッッ!?)

 

 

 アジは痛みで悶える。アジの体に比べると小さいが、それでもその剣は10mはあった。人間ならナイフで刺されたような尺度である。

 アジの硬化している体を切り裂いたのは、簡易的な対人外霊装の一種である。伝説や伝承では、聖人が怪物・悪魔退治する物語はポピュラーであり、それを利用することで人外に多大なるダメージを与えることができるのだ。それこそ邪龍と呼ばれる存在が、この剣を喰らえば肉は蒸発し、死に絶えるほど強力である。

 

 

 しかし、アジは腕で器用に剣を抜き、投げ捨てる。

 驚く魔術師。虎の子の一撃があまりにもカンタンに扱われて驚愕したのだ。理由はカンタンで、今のアジ怪物形態には怪物的特徴だけでなく、人間的特徴と海洋生物的特徴も混じっているのだ。純粋な怪物でなくては、霊装の効力も弱まるのは必定だ。

 

 

(痛かったケド)

 アジは痛みをこらえる。だが、またもや驚くべきことにアジは痛みがドンドン引いていくことに気付いた。見てみると傷がすぐさま治っていたのだ。喰らった霊装や喰らった生き物の生命力によって、傷は異常なほど早く修復した。

 

 

 アジは魔術師を思わず見て、魔術師がしばし放心しているのを確認すると急いで海へ向かって進むのを再開した。まだまだ浜辺は遠かった。

 



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第9話

ストックがきれてしまいまして、更新頻度が落ちると思います。
すいません、よろしくお願いします。


 少し離れていた場所で一連の動きを見ていた魔術師の男は歯噛みする。

 怪物は想像を遥かに超えていた。

 動くだけで大地を揺らし、咆哮は大気を震わした。

攻撃部隊の魔術のすべてを直撃しても、平然とした様子で歩いていた。

 最も攻撃に秀でた対人外霊装をもってしても足止めにもならない。牽制攻撃は上手くいっているとはとても言えない。怪物の進行方向は幸いなことに必要悪の教会の逆だったが、しかし依然として楽観視はできなかった。怪物の気が少しでも変わってしまえば、蹂躙されることが目に見えていたからだ。当初の計画通り、強制転移術式で飛ばしてしまわない限り、安心はできそうになかった。

 

 

 

男は通信術式で指示を飛ばす。

「諦めるな。いいから、このまま攻撃は続行しろ。狙うのは顔だ。集中的に攻撃し視界をふさいでしまえ、このまま海の方へ行くならばそれでもよい。」

 男はとにかく怪物を遠ざけつつ、強制転移術式の完成を急がせる。手練れ数人での同時詠唱で創り上げる強制転移術式は、規模・偽装の両方も抜群だったが、素早い展開ができないのが欠点だった。

 

 

 

 同僚たちの攻撃により、怪物の頭部から上半身にかけて爆炎に包まれる。少なくない衝撃波が生まれ、木々が揺れた。吹き上がる黒煙が徐々に霧散していく。出てきたのはやはりというか、凶悪な顔。無傷の巨躯は、無傷のまま進んでいく。魔術師は怪物を睨む。ダメージは全くないが、視界を防げたことで進行をある程度操作できそうだった。このまま怪物の手の届かない上空からの攻撃を続行する、それが最も効果的に思えた。

 

 

 

 

 しかし、恐るべき怪物にその手は通用しなかった。

 突如一人が視界から消え失せる。魔術師は見た。同僚の一人が怪物から伸びる触腕に連れ去られるのを。全くの不意打ちだった。怪物は魔術師たちの方を見向きもしないで、軟体動物のごとき触腕を動かしたのだ。

 

 

 

 捕まった同僚はもがき、魔術を行使して抵抗をする。だが、そんなことが無駄であることは誰もがわかった。大木ほどもある触腕がぎちぎちと人間を締め上げる様を見せられて、希望的観測を持てる者は皆無だ。捕らわれた魔術師の動きはすぐに鈍くなった。そしてついには脱力した。皆が息をのんだ。

 

 

 「喰われた。」

 

 

 あの怪物は無理やり魔術師の魔力をひっぺ返して、吸収したのだ。魔力は、生命力を司るものでもある。急激に喪失した場合、命に関わることもあった。距離をとれ、そう叫ぼうとしたが、遅すぎた。

 一人、また一人と蠢く触腕に捕らわれていき、その全員が脱力。時折、痙攣する者もいた。

 

 

 

 上空で一人指示を飛ばしていた男は、仲間たちが喰われる様子を見ているしかなかった。まるで樹木に果実がなるように、怪物から人間が垂れ下がっている。目を背けることもできない、最悪の光景。

 

 

 ふと怪物は、首を回して垂れ下がる魔術師を見る。ギョロリと目玉が動かして、咆哮を上げる魔物。世界を切り裂くような叫びが男の体に殺到する。魔術的なものは一切ない、音の襲撃。男の体は宙に縫い留められてしまう。

 

 

 

 怪物は巨体を揺らして男を見据えた。

 喉が干上がる。逃げなければ、そう思っても体が動かなかった。

怪物が首を揺らすと、背からあの触腕が伸びた。軟体動物のようなあの触腕。それはアンバランスなほど伸び、上空にいる魔術師の目前にすぐさま迫る

俺も喰われるッ、男は目を見開き、そして目撃した。

 

 

 それは煌きだった。

 雨を飛ばしながら、触腕を切り伏せる刃の煌きだ。

 

「大丈夫かい、お前さん」

 

 男は東洋人の顔をしていた。英語だったが、どこか特徴的な発音はおそらくは日本人だろう。切り伏せた刃は波打つ大剣、フランベルジュと呼ばれる珍しいものだった。

「あんたは?」

「こういう時は、先に礼を言うものよな。まぁ、いいか。俺、いや俺たちも魔術師だ。天草式十字凄教、お困りならば助太刀するのよ」

黒髪を揺らして男は笑った。

 

 

 

               ○○○○○○○○○○○○○○

 

 アジは申し訳なさで泣きそうになった。怪物の姿で上陸し、なおかつ土地を食べていた自分が全面的に悪いことを彼は承知していた。魔術師たちが自分を攻撃することは何も悪くなく、多少の痛みもしょうがないと考えている。だから急いで海に出ようとしたのだ。アジには魔術師を攻撃しようなどという考えは微塵もなかった。

 

 

 しかし、アジの腹ペコ巨体は全く空気が読めなかった。

 最初に感じた違和感は、魔術師たちの攻撃が一気に少なくなったことだ。諦めたのかと思ったが、違った。後ろを見てみると体から生えた触腕で、魔術師たちを拘束。それだけでなく、なんと触腕は魔力を吸いあげていたのである。

 

 

 そりゃアジは驚いた。思わず叫んでいた。吸収する魔力で腹が膨れる感覚を無視して、すぐさま触腕を操作し、魔術師の拘束を解こうとするものの焦りのためか中々うまくいかない。ヤバイヤバイとアジは悶えて、何とかしようとキョロキョロしてしまう。その中で、もう一人浮遊する魔術師を発見した。魔術師は遠かったが、驚愕しているのがよくわかった。

 

 

(あアア!ごめんサイ!)

 アジは消沈して内心で謝罪するが、それが伝わるわけもなく。そして空気の読めないこの体。また新たな触腕を生やしながら、魔術師に向かっていった。アジは息をのんだが、そこで現れた人物に触腕は切り裂かれる。痛みはほとんどなく、とにかく魔術師が無事であることを喜ぶアジ。

 

 

 続けざまにアジの触腕に異変が起きる。アジは少しの痛みを感じ、首を回してみると、すべての触腕が斬られ、千切られている。拘束されていた魔術師たちはすべて救出されていた。いくつかの煌きが見えた。おそらくは様々な武器だ。それらによってアジの触腕を切り裂いた、いや切り裂いてくれたのだ。

 

 

 アジは喜んだ。どこの誰だか知りませんが、ありがとう。アジはそう考えて人影を思わずのぞき込む。見えてきたのは日本人の集団だ。魔術とは無縁そうな私服や、どこかパンチの効いた服を着た老若男女の集団。あれ?アジは、その集団にものすごく見覚えがあった。

 

 

 直後、顔に衝撃。斬りつけられたのだとわかったのは、眼前に不敵な笑みを浮かべる男がいたからだ。黒々とした黒髪にダボダボのTシャツ、手に持つは170cmもある大剣、フランベルジュ。我らが天草式の兄貴分、建宮斎字であった。

 

 

(建宮!?)

 アジは驚くが、同時に合点がいく。あの集団はやはり天草式だ。天草式は正義の味方。怪物が暴れていると知って、駆け付けたのだろう。アジはすぐにそこまで察して、ふと思う。

(アレ?天草式は怪物退治にやってキタ。それって、つマリ.........僕を討伐しにキタッ!?)

 

 

 アジは叫び声を上げた。

 近くにいた建宮が腕をクロスして耐えているが、それにアジは気づけない。そんな場合ではないからだ。

 アジは彼らを近くで見てきたから知っている。天草式は、それはもう強い集団だ。そんな天草式の面々と戦ったらどうなるのか、間違いなく殺される。今まで同じようにしてきたアジだから確信できた。それに、神裂がここに来ていたら最悪だ。マジで一撃で、ヤラレル。

 

 

(待ッテ!みンナ!僕ダヨ!)

 アジは賢明に叫び腕を振るうが、傍から見たら臨戦状態になり威嚇する魔獣にしかみえなかった。天草式の面々は、すぐさま散開。そのチームワークをもってアジへ攻撃を開始する。アジは体を揺らしながらとにかく走った。いや、走れてないけど、気分的には全力疾走である。

 

 

(今は逃げヨウ!!!)

 アジは体中に感じる衝撃を無視して移動する。斬撃、爆撃、打撃のオンパレードだったが、アジの強固な体を削ることまではできていなかった。しかし、このままでは確実に攻略されるとアジは思った。それだけのことは、いつもしてきたからだ。アジは急ぐ。これまで以上に急いだ。流石に顔への攻撃や足元への攻撃はよけたり、腕で防いだりしながら、一目散に海を目指した。

 

 

 しかし、中々目的の海岸まで行けない。天草式の連携によって真っすぐ進めないのだ。くそう、早くしないと。どんどん焦燥感を高めるアジの顔の前に、またもや建宮が現れる。フランベルジュの斬撃と、その形状をもとにした炎の連撃によって、ついにアジは苦悶の声を上げた。建宮は先ほどの魔術師たちが誰も傷つけることができなかった、怪物アジの顔に一閃。右目を抉る一撃だった。

 

 

(いッ、タイ!?)

アジは叫んだ。そして思わず建宮を睨む。くそう、治ったらで覚えててよ、と唸る。とりあえず今日の補給によって空腹感をある程度満たせたのだ。すぐに連絡して、あれは僕だと伝えて、怒ってやる。アジはそう考え、とりあえず顔の回復につとめる。魔力をともなった回復になった影響か、アジの瞳がキラキラと虹色に輝いた。それを見て、建宮の攻撃が一度ピタリと止まる。アジはその意味を理解するまでもなく、光がその巨体を包んだ。

 

 

 アジが見てみると幾何学模様。踏み入れた場所が大規模な魔方陣になっていることがわかった。アジは驚いていると、景色が引き延ばされる。これは強制転移術式だと、アジは看破した。次に見えたのは白と水色の輝き。感じるのは凍えるような寒さ。体は上手く動かせない。

 そこは地球の中でももっとも過酷な場所。南極だった。

(............寒イッ)

 アジはぼこぼこと泡を出して、また唸った。

 

 

                   ○○○○○○○○

 

 

 建宮は強制転移術式を見つめ、消え失せた怪物を思い出す。

 今回、天草式は暴れ狂う怪物の情報を得るとともに、必要悪の教会の魔術師の苦戦を確認。目的は当然、救われぬものに救済を。敬愛する元女教皇の思想を未だに信じる彼らは、すぐさま助太刀に参上した。必要悪の教会の魔術師だけあって優秀であり、突如現れた建宮に動じることなく、強制転移術式の設置場所を伝えるなど怪物撃退の道筋を示してくれた。

 

 

 怪物は天草式に気付くとすぐさま咆哮をあげた。それは世界を切り裂くような音撃。百戦錬磨の天草式を震え上がらせるものだったが、なぜか怪物は背をむけて移動を開始。様々な攻撃を仕掛けても防御はしても、触腕やそのほかの攻撃は一切行わなかった。

 

 

 建宮はそれを見て、チャンスと感じ、顔面への攻撃を行った。あわよくば、始末しようと考えた行為である。だが、それをして見たもので建宮の表情は驚愕に染まっている。

 ある考えが、建宮の心を貫いている。

 

 

(ありえないのよな)

そうありえないことだった。かつて弟のように接していた仲間は、弱いものを救うためにその身を犠牲にした。そんな存在が、あんなものになって甦るはずがないのだ。しかし、建宮の心には、もしかしたら、という疑念のトゲが刺さる。

もしかしたら、生きていたかもしれない

もしかしたら、理由があってあんな風になったかもしれない

そして、もしかしたら、自分たちは仲間に刃を向けたのかもしれない。

 

 

 

「教皇代理~、魔術師たちの回復終わったぜ、みんなギリギリ死んでなかったぞ」

仲間の声が後ろから聞こえた。建宮は片手を上げて返事をした。

(仮に)

建宮は思う。考えられる最悪の形を。

(仮にあいつが怪物になって、人を喰らうようになってしまったら............果たして、俺はあいつを殺せるのか。)

建宮は手にもつフランベルジュを見る。ここにはあの聖人も、霊装屋ももういないのだ。今は、自分がまがいなりにも教皇代理だ。皆を混乱させるのは得策ではなかった。

 

 

 建宮は海を見る。雨はあがっていた。闇の中、波の音だけが聞こえた。

 建宮は思い出す。あの怪物の虹色の瞳、そして悲しげな唸り声を。

 



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第10話

(おなかすいタナ)

アジは泡を吐き出しながら呟いた。場所はおそらく太平洋のどこかだ、アジですら把握しきれていない。それも仕方がないといえた。あの日、数年以上前に南極に飛ばされてからアジは地球の海を彷徨いながら空腹に耐える日々を過ごした。南極という過酷な環境は、アジがせっかくため込んだ魔力をかなり消費しなければ活動できなかった。なんとか北へ向かい、事なきを得た頃にはすぐに強烈な空腹が彼を襲っていた。ほとんど無意識に捕食を繰り返し、小康状態に落ちついたと思えば、また強烈な空腹の繰り返しだった。

 

 

 深海に入り、図鑑では見たことがない巨大生物を喰らうことで今はなんとか落ち着きを取り戻したというところだった。龍の頭にずんぐりとした体で海中を漂う、この状況をそろそろ脱却したいとアジは考えた。無論、天草式と連絡を取りたいとも常に考えている。アジは前のような攻撃的な再会はもう御免だと思った。友好的に接触し、協力し合えばこの術式を解除できるはずだ。特に神裂に会いたいとアジは思う、あの聖人の魔力を使えば大きな術式も展開できる。そうすれば様々な手段とアプローチで、魔術の解除に迫れるはずだ。

 

 

(でもそのためには陸地に行かないトナ)

アジはそこに頭を悩ませていた。あの南極転移のあった日から、実は何度か上陸を果たしたアジだったが、どうにも巨体は目立ちすぎるし捕食を優先しがちになる。魔術結社からの攻撃も苛烈になっているところを見るに、やはり指名手配されているだろう。最悪だ、アジは白目をむく。

 

 

 本来ならそうした捕食活動ではなく、探索を目的にした上陸をしたい。だが、この巨体のままではとてもできそうにない。完全なる手詰まりだったが、なんと最近、光明が見られたのだ。この状態を打破する希望がチラついたのだ。

 

 

 それはあの南極に飛ばされた日に、仲間たちが切り裂いてくれた触腕だった。あの触腕は、体が南極に飛ばされた時、あの海近くで切断され置き去りになっていた。あの触腕は、なんとあのまま朽ちることなく、海へ移動し、本体であるアジを求めて移動していたのだ。そして最近になって、アジ本体とその触腕たちは感動の?再会を果たしたのである。

 

 

 触腕はサメやイルカなどに体を変異させ移動していたようで、移動中は普通に食事をしていた。さらにその触腕の中には人からエサをもらったり、一緒に写メをとったりしたようだった。なぜ、こんなことをアジは知ることができたのか、それは元触腕達と合体し、一体化した時に、彼らの経験が流れ込んできたからである。

 

 

 これにアジは驚愕した。現在のアジの異体は、体を分裂させればある程度自立し、そしてそこで見聞きしたものを共有できるのである。言うならば使い魔を使っての偵察などが、自分の体だけでできることを示していた。

 

 

(どんどん人間じゃなくなルナ)

 流石のアジもしばし落ち込んだが、そこは魔術大好き男子にして好奇心の塊である。すぐに自分の体に備わった新たな能力を試し、そしてその成果にニンマリと笑う時間を数日過ごすと、彼の憂いはすぐに霧散した。そして、その過程で件の希望を見つけたのである。上陸しても騒ぎにならず、なおかつそこまで空腹に襲われない希望を。

 

 

(ヨシ、これができタラ、すごイゾ)

 アジは満を持して、自身の能力を使いこなそうと体を変異させた。背から伸びるのは一本の触腕。そしてそれはアジの鼻先まで伸びると停止し、途中から細くなり、ブチンと切れる。切られた触腕は塊になると、アジの目の前で蠢き、形を整えていく。

 

 

 細い手足に目鼻、そして腰から伸びる2mほどの尾。それは、人型をしていた。尻尾は余計だったが、しかしそれでも人間に見えた。そしてパチパチと目を開き、手足と尾を動かす。異体アジは喜びの声をあげ、巨体は咆哮に変換する。さらに、その人型もアジの咆哮で生み出された音撃に吹き飛ばされつつバタバタと手足を暴れさせて喜んでいる。

 

 

((成功ダッ!!!やッター!!!))

 怪物と人間が海中で言った。

 アジはなんと、自分の体を分裂させ、それを操る術を手に入れたのである。しかも単なる操作術式ではない。どちらもアジ本体であるという解釈と、他宗教の神が人間に化けて地上の民を導いた伝承を利用することで、アジ分裂体もアジの意識をバッチリ持っているのである。そればかりか、アジ分裂体とアジ本体は意識だけでなく、魔力的な繋がり、通称パスも接続されている。つまるところ、本体や分裂体が捕食活動をしたら、それらはすぐに共有され魔力を分け合うことができるのである。

 

 

 アジはこの術式を使って、巨体である本体をこれまで通りに海中に潜伏させ捕食に専念、分裂体を地上に派遣し天草式の仲間と連絡を取ろうとしたのである。

(よしヨシ!これでみんなと連絡できルゾ!!!)

 アジは喜び、海中で暴れる。分裂体も尻尾を自在に動かして喜ぶ。どちらも動かしている感覚があるため、少々違和感があったが、アジはすぐに慣れてしまった。

 

 

 一通り感情を爆発させた後、アジ本体は潜水。しばし深海にて捕食を行いつつ休眠することにしたのだ。感覚は分裂体に集中させ、体力・魔力共に省エネすることにしたのだ。こうすれば空腹もある程度抑えられるはずだ。本当にある程度だが。

 

 

 

 

 分裂体アジは、久々の手足に感動しつつ長い尾で大海を泳いでいく。以前、龍脈を感知していたことが幸いし、彼は陸地への方向を完璧に掴んでいた。体が圧倒的に小さくなったことで、移動速度は大きく減退したがそれでも二週間も泳げば陸地に着けるはずだ。

 

 

 二週間も泳ぐことがカンタンに思えるほど、水中での生活に慣れてしまった憐れなアジ少年。しかし、海中ゆえに誰もつっこんでくることもない。アジが泳ぎだして一日が経過したが、アジは本体の位置と流れてくる魔力を感じ続けることができた。しかし、順風満帆に見えてもアジに耐えがたい感覚が襲う。

 

 

(お、おなかすいタナ)

 アジ分裂体にも空腹が襲った。アジは手ごろな生き物を探すが、中々見つけることができない。魔力補給を受けているが、やはりこの魔術的特性はきちんと引き継がれしまった。空腹のまま進むこともできなくはないが、精神的に辛すぎる。

 

 

 アジは海中でよだれを垂らしながら進む。ギリギリ陸地に向けて泳いではいるが、もし近くに魚でもいたなら、それに突進してしまいそうだ。

なにか、なにかいないのか。アジは泳ぎながら体を変貌させる。推進力である尾はそのままに、背中からいくつかのタコのような触腕を生やし、その先に目玉や感覚器を創る。視覚を増大させながら泳ぐアジ。少しして彼は、海中に不確かな波を感じた。風ではない、何かが動いたからできる波。小さいものだったが、海中生活の長いアジにはすぐに感知できた。これは、小魚の群れが出した微小な波である。

 

 

 アジの予想は当たった。視界の端に、魚影が見える。アジはすぐさま方向転換、すべての触腕と尾を蠢かせ肉薄。いたのはイワシの群れだ。アジは、自身の口と触腕から生やしたギザギザの牙でイワシを喰らっていく。ばりばりばりばり、非常に恐ろしい光景だったが、そこでふとアジは違和感を覚えた。

 

 

 捕食者であるアジからイワシが逃げ出さないのだ。そればかりか群れはアジの体にまとわりつき、体にぎゅうぎゅうと密集してくる。不思議に思っているアジだったが、その思考を遮ったのは機械の駆動音だ。ロープを引き上げる音と、スクリューの音。気づいたときには、アジの体は重力を感じていた。

 

 

 見えたのはクレーンを積んだ船だった。船は大きく傾きながらも、ギリギリのところで沈まない。アジは強化性特殊金属の網の中にいた。船は回収した量を確認し、帰港していく。船内にはだれもいなかった。いる必要がないのだ。高性能AIには漁業が可能なのかを確かめる試験運用型の船だったからだ。無論、そんな船がそう簡単にあるはずもない。現在の科学力の数十年以上先を行く、科学技術をふんだんに組み込んだ未来船。側面には大きく、「学園都市製」と書かれていた。

 



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第11話

感想を始めていただきました。
嬉しすぎて部屋で踊っています。


「都市伝説?」

「そうそう、最近流行ってるみたいですよ?」

 

 

 ここは学園都市のとあるビル、警備員(アンチスキル)第七三支部の詰所だった。警備員とは学園都市の治安部隊の一つで、学園の教員の志願者で構成されていた。詰所で話していたのは二人の女性だ。ちょっとした空き時間にお茶を飲む程度には、本日は平和なのだ。

 

 

「どんな都市伝説じゃんよ?」

髪を後ろでとめ、化粧っけのない顔。黄泉川愛穂は適当に聞き返した。脱力した体をソファに預けている。彼女に話しかけているのは眼鏡の同僚、鉄装綴里だ。鉄装はゴシップ記事を手に黄泉川に書いてあることを言う。

 

 

「なんでもここ数年のうちに謎の巨大生物の目撃情報が何件もあったとか。実際にニュースにもなったみたいですよ?」

「巨大生物って、クジラとかじゃん?」

「いえいえ、謎のですってば。ここに書いてあるのだと、南極で目撃された黒い怪物、中国に上陸した龍、太平洋に現れたいくつもの触手を生やしたクラーケン、みたいな感じですね。怪獣映画みたいで面白くないですか?学校でも生徒たちが盛り上がってましたよ」

 

 

「怪獣映画って.........流石にそんなヤツいないだろ。いたら誰かが動画でもとってニュースになってるじゃんよ」

「だから都市伝説なんですってば、まぁここにはさらに「学園都市から逃げ出した生物兵器の成れの果てでは!?」なんて書かれてますけどね」

「そんなの作ってたら世界中の動物愛好家が殴り込みにくるじゃんよ。ただでさえ、どの部位を食べてもカルビ味の牛とか作ろうとして、生命の冒涜とか言われて科学者が何人か怒られてたじゃんか」

「まぁ、実際いたら巨体を維持するエネルギーとか大変そうですよね、いっつもお腹空いてて、一日の大半を食事に使わないと体がもたなそうですもんね」

 

 

 鉄装はむにゃむにゃと適当に考えを言った。そしてまたパラパラとページをめくる。黄泉川は大きく伸びをしてあくびをした。伸びによって豊満な胸がさらに強調されるが、意識してやっているわけではなかった。いいことだけど、暇じゃんねー。黄泉川は思った。

鉄装は、また黄泉川に話しかける。今度は別の都市伝説らしく、ここ学園都市に直接関係あるものらしい。「ごみ処理場の怪物」の見出しがデカデカと書かれたページを見せてきた。黄泉川が興味なさげに斜め読みすると、要するにごみ処理施設で夜な夜な徘徊する怪物がいる、ということらしかった。

 

 

「怪物ねぇ。いたとしてもゴミ捨て場じゃちょっとかわいそうじゃん」

 黄泉川がそう言うと、詰所に連絡が入った。

 どこぞの馬鹿(不良)が喧嘩を始め、ヒートアップしてカーチェイスにまで発展しているとのことだった。二人はすぐさま仕事モードに意識を切り替えると、装備を着て駆けだした。向かうは第十九学区。学園都市の中でも廃れ始めた場所だった。

 

               ○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 第一九学区の街並みは暗い。再開発事業に失敗した影響か、住人もほとんどいない。いくつかの研究所も存在するが、何世代も前の火力発電や蒸気機関等の古臭いモノをメインとしたものばかりだった。その他では、廃工場やゴミ処理施設が適度にあるのみである。そんな半ばゴーストタウンと化した高速道路を猛スピードで走る車が数台。

 一台は学園都市製の中古の電気自動車、その他は警備員御用達の強化型トラックだった。

 

 

 

「やべぇ!?なんだあの女!!?」

 電気自動車を運転しながら、一人の不良は涙目で叫んだ。

 喧嘩は日常茶飯事だったが、ここまでヒートアップしたのは初めてのこと。売り言葉に買い言葉で、どんどん引っ込みがつかなくなり、近くにあった車を強引に盗み出してレースで勝負を決めるなんて珍妙なことになってしまった。それがいけなかった。学園都市には警備員と呼ばれるクソ面倒な警察みたいなことをするセンコーの集まりがあることは知っていた。しかし、しょせんはセンコー。こっちが暴れれば、なんとかなると数十分前までは、この不良は本気で信じていた。

 

 しかし、現実はそうではなかった。

 

 

「ほらほら車の運転に自信あるんだろ!?ちゃんと気合いれて逃げてみるじゃん!?」

 真横にべったりと警備員のトラックが疾走し、なおかつ時折ガンガンぶつけてくる。そして恐ろしいのは助手席から顔を出すこの女だ。速度は百キロを超えている中、自身のヘルメットや楯をすごい勢いで投げてきやがったのだ。その衝撃によって車がスピンしそうになり、窓ガラスは粉砕した。本気で命の危険を感じる逃走劇になってしまった。

 

 

「むちゃくちゃしやがる!おい!これ盗品車だぞ!?持ち主がいる車をこんなに傷つけていいのかババア!?」

「必要な犠牲じゃん。それよりほらほら!止まるなら早くした方がいいぞ!まだ、予備のヘルメットあるから」

「おいおいおいおい!もうやめろ、ババア!わ、わかった!わかったから!」

 不良はついに降参して、車を急停止。泣きながら両手を上げて車外へ出てくる不良をみて、黄泉川は笑う。「うんうん、最初からそうすればいいじゃんよ」などと言いながら、ヘルメットを手で遊ばせる。

 

 

「暴走行為で強制連行じゃんよ!」

 黄泉川の言葉に仲間の警備員たちは、不良をトラックへ連れていく。不良は、連行されながらも、なんだんだ、あの女。あんなのありか、ありなのか。と話し、警備員たちに同情されていた。黄泉川は非常に優秀な警備員であったがその解決方法は荒っぽく、捕縛した不良たちは黄泉川の名を聞くと震え上がるのが常だった。どんな危険な事件であろうと、コミカルかつ暴力的に解決してしまう彼女に、不良に心はポッキリと折れてしまうのである。

 

 

 黄泉川は現状を、他の不良たちを捕縛しに向かった同僚へ連絡する。今回の不良たちは車を盗んでレースをしていたために、どうしてもチームを分ける必要があった。黄泉川の言葉に別チームになっていた鉄装が反応する。鉄装は盗品車は確保し、その運転をしていた運転手の不良は黄泉川と同じく捕縛したらしい。

 

 

 しかし、その後部座席に乗っていた仲間は悪あがきをして、逃走。今は、哀れにもゴミ処理施設内に逃げ込んだらしい。そんなところに逃げても、袋のネズミである。

 入り組んだ施設内で不良を探し出すのには人手がいるだろう。加えて時間がかかるほど、焦った不良が施設内の機材などで怪我をする可能性も増える。問題行為をしていようが相手は子供だ。その身は守る必要がある。黄泉川は鉄装といくつか言葉を交わして通信を切った。そしてトラックを運転する同僚に、先ほど捕まえた者を搬送するついでに自分を降ろせと伝える。

 

 

 車通りがほとんどない高速道路を進み出口へ、そのままいくつかの道を進むとすぐに目的地へ。ゴミ処理施設に到着するまで数分ほどだった。黄泉川はすぐに施設の入口付近にいた鉄装と落ち合う。他の同僚はすでに施設内に入ったとのこと。

 

 懐中電灯を片手に持ち、支給品である予備のシールドを背負って黄泉川も中に入っていく。職員は全員退勤済みとのことで施設内は暗かった。彼女は1階から虱潰しに確認していく。すると地下へ進む階段が見え、一瞬チラリと動く影が見えた。同時に、やべっ!?という分かりやすすぎる声まで聞こえてくる。

 

 

 黄泉川は「あんまり、めんどうかけさせるもんじゃないじゃん」と言いながら追いかけた。すぐさま先ほどの声の主とそのツレを発見。髪を金髪に染めた細見の男、もう一人は手にジャラジャラとアクセサリーをつける恰幅の良い男。二人組は黄泉川と目が合うと、脱兎のごとき俊敏さで逃げ回り、黄泉川は走り出す。逃走劇を繰り広げる三人は、知らず知らずのうちに施設の外へ。

 

 側面には縦7メートルほど巨大な扉がいくつか並んでおり、近くには人サイズの小さな出入り口が扉の隣にそれぞれ存在している。焦る不良、二人組はその小さな出入り口のドアを勢いよく開け放ち、中へ駆ける。

 

「あっ!?バカ!!」

黄泉川が思わず叫んだ。自分たちの居場所に見覚えがあったからだ。三人がいたのは、ゴミ収集車がゴミを直接投げ入れるためのプラットホームである。当然、扉の先はゴミ溜だ。人間大の出入り口の先もゴミ溜を確認するための、手すりがついたベランダのようになっている。しかし、暗い中で焦ったまま走るとどうなるか。

 

 

 案の定、不良二人の叫び声が聞こえた。黄泉川は血相を変えて不良たちが飛び込んだドアに走る。暗闇を照らすと巨大な空間があり、下の方へライトを向けるとゴミが溜まっているのがよく見えた。下まではおよそ11メートル。ここを落ち、かつ当たり所が悪ければ命にも関わる事故になる。

 

 

「おーい!無事じゃんか!?」

 黄泉川は叫びながら、懐中電灯を下へ向ける。すると斜面にカエルのようにへばりつく不良の姿。ズリズリと下に落ちている。どうやら落下の瞬間、うまいこと側面に足から接触し勢いを殺せたようだ。不良たちの無事を確認し、安堵する黄泉川。同じように、ゴミの上まで降りきった不良たちもホッとしたような顔をした。

 

 

 黄泉川は不良たちに怪我の有無を聞きつつ、もう一度バカと叫び、そこでおとなしくしてろ!と言った。そしてすぐに彼女は同僚たちへ連絡。バカ野郎どもはゴミの上にいると伝え、はしごを持ってくるようお願いする。不良たちも観念したようで、諦めたように斜面に腰を下ろしている。

 

 

 此度のバカ騒ぎもようやく終わり、そう黄泉川が思った時、異変が起きる。

 座り込む不良がいきなり、叫びだしたのだ。黄泉川はそこで目撃する。

 不良の一人の脚に何か、タコかイカのような足が絡みつき、そのまま宙づりにしているのを。不良は叫び続ける。黄泉川はすぐに手すりを超えて、斜面に背中に背負っていたシールドを置く。そしてまるでボードのようにして下まで一気に滑り落ちると、宙づりの不良の元へ駆けつけた。

 

 

「なんだ!?これは!?」

黄泉川はそう言いながら、懐中電灯でその触手を殴りつける。触手は驚いたように震えると不良の脚から離れゴミの中へ潜った。黄泉川は警戒を解かず、不良二人を自身の後ろへ誘導。先ほどのシールドを回収して、守りの形をとった。

 

「なんなんだくそ!?ありえねぇぞ!」

 不良が喚く。ぼこりとゴミの一部が盛り上がった。見えたのは先ほどの触手だ。しかし、一つではない。全部で四つの触手が這い出て蠢いている。衝撃的な光景に、黄泉川と不良たちは冷や汗をかく。

 

 

「怪物だ」

 恰幅の良い不良が口を開いた。

「あれだよ、あれ!都市伝説の、ゴミ処理場にいる化物!こいつがそうだ、きっとそうだ!」

「馬鹿野郎!そんなもんがいるわけねぇだろ!ふざけんな!」

「でもよ!」

「二人ともうるさい!黙るじゃん!!!」

 

 興奮する不良を、黄泉川は怒声でおさえる。暗い中、パニックになるのは危険だ。正常な判断が下せなくなる。黄泉川の声に不良たちは押し黙った。四本の触手は未だに蠢いているものの、三人のそばには来なかった。触手は先端をゴミの上に乗せると、まるで蜘蛛の脚のようになった。すると、触手の中心から這い出てくる影が見えた。黄泉川が目を凝らすと、それは小さな人影だった。

 

 

 それは子供だった。

 背中から触手を生やす子供だ。見てみるとほとんど裸だった。首から汚い布をかけているだけで、他には何も身に着けていなかった。子供は素足でゴミの上に立つと、三人の方を見た。そして両手で顔を隠す。黄泉川の持つ懐中電灯を眩しがっているようだった。

 

 

 尋常ではない事態に黄泉川の表情が鋭くなる。そして意を決して、その子供の元へ近づいていく。様々な憶測が黄泉川の脳内を駆け巡るが、それ以上にまず行わなければならないことは、子供の保護だった。こんな不潔な場所に裸でいていいわけがない。

黄泉川が近づくと子供は一歩下がった。その様子を見て、彼女はできるだけ優しく話しかける。

 

 

「こんにちは」

 その言葉に子供は、ピクリと体を震わせて反応した。そして、また一歩下がった。

「ごめんごめん、びっくりさせちゃったじゃん?よいしょっと」

 黄泉川はしゃがんで子供の方を向く。懐中電灯はできるだけ子供の脚元へ向けた。これならば眩しくないはずだ。彼女は微笑んで、子供をみる。歳はおそらく12歳前後。目は大きく、手足はほっそりしていた。近くで見てわかったことだが、男の子のようだった。

 

 

「私の名前は黄泉川愛穂。君の名前は?」

 彼女がそう話しかけたところで、いくつものライトの光が注がれた。強烈な光が闇を照らし出す。驚いたようで少年は、聞き取れない言葉を言いながら飛びのいた。そして触手を使ってゴミをかき出してその体を潜り込ませた。黄泉川は、「あっ」と声に出し駆け出すがもう遅い。手探りで辺りを捜索してみても、少年がいた痕跡も発見できなかった。

 

 

 上からは同僚の心配する声が響き、ロープが投げられる。警備員に連れられて二人の不良は登っていく。暗いゴミの山を見て、黄泉川は息を吐いた。黄泉川の本職は教員だ。子供を導き、守る職業だ。そんな彼女にとってあの少年は放っておけなかった。

黄泉川が仲間たちに顛末を話し、明日また少年を捜索するように進めていく。辺りが暗闇ではとても少年を探し出せそうになかった。

 

 



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第12話

たくさんの方に見ていただけて、感謝の言葉もありません。
喜びのあまり部屋で叫びました。

本当です。


 (不幸ダ)

 とある場所でアジは心中で呟いた。

 そこは暗く、何より不潔だった。

 時は、1時間ほど遡る。

 

 

 あの漁船に捕まってからというもの、状況はめまぐるしく変化していった。漁船の向かう先は関東のとある港。最新鋭の船は不可思議な変形を遂げると、アジとイワシの群れがはいった水槽を港の上へ移動させた。水槽はこれまた変形し、四足で立ち上がると近くにあったトラックまで進み、荷台にくっついた。ヘンテコ水槽に押し込まれ、そのままトラックで輸送されるアジとイワシ。揺れる水槽の乗り心地は最悪であり、アジは酔わないように体を貝のように変化させ、その場をしのいだ。トラックは目的地に到着すると水槽を傾け、海水とイワシとアジを流し出した。場所はどうやら食品を扱う場所のようで、新鮮なイワシはそのまま別の水槽に移された。

 

 

 アジを運んだトラック以外にも複数の水槽がどんどん運び込まれていく。アジはようやく振動が止まったことで変身を解く。辺りにはいくつものクレーンやドラム缶のようなモノが動き回っている。ドラム缶はアジに気付くと、「不衛生デス、退出シテクダサイ」と言ってくる。中々、失礼な奴だなぁ。とアジは思った。

 

 

 アジはその場所から迷いつつ、ドラム缶から逃れるように移動。体を蛇のように細長くしたり、置物のようにしたりしながら進むと扉を見つける。勢いよく開けて飛び込むと、アジはようやく外に出ることができた。

 

 

 久々の街並みだった。灰色のビル群がここまで感動を与えるのかと、アジは不思議に思いつつ嬉しくなった。人の体で上陸したから喜びを体中で感じるアジ。そして一息つくと、今の場所がどこだか調べようとした。天草式のみんなに連絡するのにも、現在位置がどこかわからなければ意味がない。

 

 

 アジはテクテクと街を歩いた。少し進むと大通りに出た。エンジン音のほとんどしない車が時折、道を走っている。アジはそれを見て電気自動車だと思った。都会のようだった。進むアジは、今度は空飛ぶ飛行船を見た。側面には巨大な画面がついており本日の天気をニュースキャスターが笑顔で映っていた。ニュースキャスターは地図を示しながら「関東そして学園都市の最高気温は23度です」と言った。

 

 

 彼はその言葉を聞いたことがあった。

 学園都市、そうニュースキャスターは言った。字幕を見てみても学園都市の文字がきちんと書かれている。まさかここが、能力者を育てる超絶未来都市「あふえんホヒ」なのだろうか。アジは思わず呟いてしまう.........呟いて?うん?アジは自分の口を触る。あれ?今、僕は何て言った?

 もう一度、やってみよう。

「あひふんホヒ」

 あれ?アジは今度こそ意識して口に手を触れる。下を出したり口を大きく開けたりする。なんどか繰り返して、もう一度。アジは息を吸って声を出す。元気よく、さんはい。

 

 

「おふえんホヒィ!」

 アジは目を見開いて混乱する。一体どうしたことだろうか。口が回らない。痺れもなければ痛みもないこの口。不明瞭な音を出すだけで、何一つ言葉が出てこない。アジはそのまま舌を出してみたり、逆に触ったりしながら何度かチャレンジするが全くの無駄に終わる。アジはそこで思い出す。そういえば前に声を出したのはいつだっただろう。アジは渋い顔をして考えていると、ふと後ろの方で声が聞こえた。

 

 

「ちょっとごめんね、君どうしたのかな?」

 振り向いてみると、声の主はスーツ姿の男性だった。優しげな瞳でアジを見ている。

アジはそこで自分の周りに人がザワザワとしているのに気付いた。久しぶりの喧騒だった。だが、なにか様子がおかしかった。みんなアジの方をみて、怪訝なもしくは心配そうな顔をしているのだ。

 もしかして先ほどまでの声出し練習、もとい奇行を見られていたのだろうか。なんと恥ずかしい。アジは羞恥から下を向く。アスファルトと自分の足が見える。足?そういえば靴なんて履いてなかったな。そこまで思うと、目線は太ももや腹に進む。

 

 

 アジは自分の姿に気付いた。

 すっぽんぽんである。

 精神年齢的に「露出」の二文字が脳を貫く。

 そういえば今まで海で生活していたから忘れていたが、服など持っていないアジである。その股間は実に清々しい有様だった。

 

 アジは焦った。脳には警報が鳴り響いた。思わず少し震えるアジである。男性はアジを心配し、声をさらにかけたが、焦燥するアジには届かない。アジは焦りながらも、腰から生える長い尾で体を隠そうと努力する。しかし、中々うまくいかない。

 

 その動きでさらに騒めく人の気配を感じると、なんとかしようとさらに焦る悪循環。それに体は反応してしまう。体は明確なビジョンなく変身してしまった。するとどうだろうか。いくつかの触腕、ウツボのような頭部に長い首、腕と脚は甲殻類のようになった。

 完全無欠の怪物である。

 

 

 

 

 叫び声があがるまで、一秒もかからなかった。

 

 

 

 

 アジは人々の声に驚き、またもや焦燥で体を変化。混沌と化す怪物に人々は逃げ惑う。アジはとにかく人から離れようと疾走。いくつかの裏道を進み、車と接触しながら動き、見つけたのは巨大な扉。アジはその扉に隙間を見つけ、すぐさま体をさらに変化。極限まで体を細くさせ隙間を通り、闇の中へ。アジは暗闇の中を進み続けると、一瞬の浮遊感ののち、落下。凄まじい音を立ててひしゃげるゴミの山。アジは気づけばゴミの上に大の字で転がっていた。

 

 

 

 場面は戻る。アジは肩を落として心中でまた呟く。

(不幸ダ)

 イワシを食べていたら、露出狂になり、ゴミ捨て場にいた。そんなことそうそうないだろう。アジは何とかして出ようとするが、暗すぎて出口がわからない。アジは長い尾を四つの触手に変化させ辺りを捜索するが、辺りに散らばるのは当然ながらゴミばかりである。

 

 

「おうウア」

 この口は未だに言葉を出せないらしい。仕方がないとアジは座り込む。またゴミがつぶれる音がした。暗闇の中、とりあえず静寂を手に入れたアジはいろいろ考える。まず、声。これは実はカンタンだとアジは思う。要するにこの体を作ったときに、本体があまりにも声を出していなかったから声を出す機能がちゃんとできなかったのだろう。手も足も顔も、本体が意識して作った今の体、その感覚や経験はすべて本体とつながっている。当たり前に声を出せると思っていたが、たしか声を最後に出してからおそらく何年も経過しているのだ。出せなくなることもあるだろう。

 

 

「おエオ、えんうううえあウア」

(これは、練習するしかなイナ)

 前途多難である。アジはさらに疑念を感じて顔をペタペタと触る。そして表情を作ってみる。怒り顔、泣き顔、笑い顔。予想通り、全くうまくいかない。無表情ではないが、非常にぎこちない顔になった。これも声と同じだ。怪物に表情などほとんどないのだ。硬質化した角や鋭い牙を持つ怪物は、笑っても怒っても嘆いても大口を上げて吠えるしかないのである。これも練習するしかない。

 

 

 現状をまとめると。アジ少年は全裸で、話せず、表情もほとんど変えられない、ということだった。天草式への連絡はかなり難しそうだ。しかし、諦めないアジである、天草式はすごい集団なのだ。仲間や神裂、建宮に会えれば魔術でなんとかなるはずだ。仲間たちへの信頼が、アジの希望になった。

 アジはとにかく適当な服を手に入れて、隠れ家まで行こうと模索する。だが、悪いことは続くものである。

 

 

「.........おああうイア」

(.........おなかすイタ)

 強烈な空腹だ。アジはよだれを垂らして唸った。ここは都会だ。海中のように魚がいるわけでもなく、龍脈や地脈を利用したものがあるわけでもない。アジは遂にうずくまった。空腹が彼の思考を支配しつつあった。辺りはゴミの山だ。人として、口でゴミを喰いたくなどない。

 

 

 アジは消え入りそうな理性で触手を動かしてかき出し、探る。幸運なことに触手は何かを発見したようで、それを包み込む。硬い容器に入った何かだった。アジは包み込んだそれを触手の粘液で溶かし、中身を確認しきる前に吸収する。驚くべきことに、空腹はそれだけで大分回復した。アジはそのまま触手を蠢かせて先ほど同じものを探す。触手を枝分かれさせクラゲのような無数の細い触腕に変貌。ゴミの山全体を探し出す。

 

 

 同じ容器は三つ見つけることができた。アジは先ほどの満足感に抗えずそのうちの二つを同じように吸収した。空腹状態から脱したアジはよだれをぬぐい一息つく。

落ち着いたアジは手にその容器をとってペタペタと触る。振ってみるとチャプンという液体の音がした。吸収できたことから毒ではなさそうだ、たぶん、とアジは結論を出す。容器を握りしめながらとりあえずアジは上を見上げる。一筋のオレンジ色の光が見えた。扉の隙間からごみ溜めに入る陽光だろう。色からしてもう夕方に差し掛かるようだった。

 

 

 アジは、騒ぎが起きてからすぐに動くのは良くないと判断。アジは休眠のための体を変貌させる。まず触手の一本で容器を持ち、手足をカエルやヤモリのようにして、壁にへばりつく。ほとんど直角の壁面を進むアジ。ゴミの上で寝るのはごめんだと、アジは思った。

 

 ちょうどよい高さを見つけるとさらに体を変質。できるだけ平べったく、そして色は灰色。海でイカが色を変化させるように、体色を変えるアジ。そのままメンダコのようになったアジは目を閉じる。そのまま体温をできるだけ低くして、呼吸回数も減らした。野生動物の冬眠と同じである。分身体だからこそできる体の酷使の一つだった。もはや人外すぎるアジ。そのことを考え出すと泣けてくるので、彼はすぐに意識を闇の中に放り込んだ。

 



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第13話

本当にたくさんの方が見てくださっていて、感無量です。
感想もありがとうございます。

皆さんがもっと楽しんでいただけるように頑張ります。



  翌日、機械の駆動音がする中アジは目覚めた。微震が体を揺らすがメンダコのように張り付く彼が落ちるような問題は起こらない。どうやらこのゴミ処理施設は未だに現役のようだった。アジは体をズリズリと動かしながら、清掃車がゴミを投げ捨てるタイミングを見計らって天井を進んで外へ出た。

 

 

 アジは器用に体を変化させながらプラットホームの上へ。窓がないことを確認してアジはようやく人間体になれた。太陽を直接浴び、ぐぐっと伸びをするアジ。爽やかな風を感じる。全裸だから感じすぎてしまうのが玉に瑕だった。

 

 

 アジは気を取り直してとりあえず昨日、空腹から救ってくれた液体を見てみる。スポーツ飲料によく似たパッケージで、成分表には見たことがない名前がずらりと書かれ、下には研究機関の名が連なっていた。中身はどうやらピンクの液体。ヤバそうな感覚がしたものの、吸収してしまったものは仕方がない。アジは、意識を切り替えてこれからの行動を考える。最初の目的はずばり服の入手だった。股間が爽やかすぎるのは、もう嫌なのである。

 

 

 アジはそのまま動くのではなく、反省を踏まえて小柄な犬の姿になった。空腹になったもしものために容器を体内で保管するアジ。まこと便利な肉体であった。アジは人の目を避けて、プラットホームの上から飛び降りた。鈍い音と若干のアスファルトのひび割れと共にアジは着地、そのまま道を進んだ。

 

 

 アジは道を歩く。しかし、昨日の人の数が嘘のように街中は廃れていた。どう見ても無人のビルが立ち並び、車通りもほとんどないのだ。時折白衣姿の人々を見かける程度で、全くと言ってよいほど活気がない。そういえばあのゴミ処理施設の清掃車も異様に少なかったと、アジは思い出した。焦ったときの暴走によって、辺鄙なところまで走ってしまったのだろうか。これではマズイ、と犬アジは唸る。

 

 

 アジは住宅近くにある場所へ向かいいらなくなった服ないし布を見つける算段だったのである。しかしこれでは無駄骨になりそうだ。アジは犬の姿でため息をつくとトボトボと当てなく歩いた。空を見上げるとまたもや飛行船。側面にはニュースが流れている。犬アジの姿では移動距離もかせげず、正午になっても辺鄙な雰囲気から抜け出せずにいた。

 

 

 しかし、大通りに出るとアジは目撃する。それは若者たちが運転する数台の車だ。赤信号で止まる車は曲を車外まで響かせ、窓からはいくつかのピアスを揺らして煙草を吹かせるドライバーが見えた。車は乱暴な運転でアジの横を通り過ぎ、そのまま狭い路地へ入っていく。

 

 

 アジはせめて人の会話からでも情報を得ようと駆け出した。小さな足で懸命に走ると、奇跡的に車を見失うことなく追うことができた。車は廃ビルの横に3台止まっていた。アジはコソコソと廃ビルに入っていく。廃ビルの一角で8人の若者たちは座りケタケタと笑いながら酒を飲む、お菓子を食べ、煙草を吸っている。様式美のようなサボりだった。若者たちは新作のゲームの話だったり、学校の話だったりで盛り上がっている。

 

 

「お前それやめろって」

「やっぱりそうかな」

 その中の二人の会話を聞くアジ。緑色の奇抜な髪型の男が非常に筋肉質な男に話した。どうやら飲み物を飲むか飲まないか、という話しだった。男は毒々しいピンク色の液体の入った容器を見る。それはアジが持っているものと同じものだ。アジは食い入るように見つめ、話を聞く。

「そうだよ、悪いこと言わないからよ」

「でもなぁ」

「もう十分マッチョになったんだからいいだろ?学園都市専売のプロテインってのがもう胡散臭いだろ。それ一滴で、みるみる筋肉がつくのはいいけどよ。いくらなんでも急激すぎるわ。飲んでどれくらいだ?」

「............2ヵ月」

「デブがゴリラになるまでの期間じゃねーって!?クソ頑張っても一年ぐらいはかかるだろ!」

 緑髪は筋肉男の肩をバシバシ叩く。体の大きさと性格は正反対のようだ。

 

 

 

「あ、あとその、黙ってたことがあって」

「なんだよ」

「これもう売ってなくて、だから、こ、これだけでも飲みたいっていうか。飲まないにしてもす、捨てるのももったいないっていうか」

「............なんで売ってねぇんだ?」

「研究してた博士が逮捕されちゃって。なんか、あんまり使っていい薬じゃなかったみたいで、回収になったみたいって、やめてやめて!!投げようとしないで!」

「うるせぇ、ダチの体が大事じゃい!」

 緑髪男はひったくるとそれを思い切り投げる。すると、それは不運にも犬アジに直撃。衝撃に驚きながらもアジは無傷。だが、無情にも容器はそのまま落下。破片が飛び散り中身が零れる。あアッ!もったいナイ!犬アジは唸った。この液体どうやらヤバい液体のようだが、アジにとっては空腹時の心強い味方になりそうだからだ。

 

 

 やべぇ!緑髪の男は眉間に皺を寄せて、すぐさまアジに近づいた。他の若者たちもアジに近づいてくる。そして触って怪我がないことを確認すると息を吐いて安心した。優しいやつらだなと、アジは思った。緑髪の男はすごい勢いで謝ってくると、お菓子をアジの目の前に置いたりして、犬アジを歓迎してくれた。アジは久方ぶりの人の優しさに本当に泣きそうになった。

 

 

 若者の中の女子は犬アジの小ささにときめいたのか、抱っこしようとする。

 しかし、

「やっべ!?なにコイツ全然持ち上がんない」

「ほんとだ!?デブすぎだぞ!おまえ」

 ギャーギャー騒ぐ女子二人を見ながら若者は大笑いした。酔いすぎだぞと、一番赤い顔をした男が言った。じゃあ、やってみろし。と女子がいい何人も犬アジ抱っこチャレンジをしたが、だれも持つことはできなかった。アジは頭をかしげる。僕ってそんなに重いかな?

 

 

 アジは囲まれながらもあの気弱マッチョを見る。どうやら彼のカバンの中に、まだあの容器が入っていたようで、緑髪の男に怒られていた。容器は残り一本だけ、それを緑髪はまたもや投げようとしている。

 

(やメテ!もったいないカラ!いらないならちょうダイ!)

 アジは緑男の近くまで駆け出した。しかし、間に合わない。容器は窓の外へ、アジの体は瞬間変貌を遂げる。小さな犬の背からは、アンバランスなほど長い触腕がいくつも伸び、容器を掴んだ。しかし、触腕を伸ばしすぎた結果、犬の体では引っ張られてしまう。アジは犬の体を解除。顔は犬のまま、甲殻類の足を生やして体のバランスをとった。

 一安心である。アジは唸った。

 

 

「「「............」」」

 若者たちは唖然とした顔でアジを見ていた。飲んでいた酒をこぼすものもいた。笑い声はかき消えて、静寂が一角を支配した。アジは、そこでようやく気付く。自分の変化を人はどう見るのか。やってしまった。アジは周りを見回して、アハハと笑った。実際には、グルルと唸った。

 完全無欠の化物である。

 悲鳴が上がるまで一秒もかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 アジは体を犬に変化し治してトボトボとゴミ処理施設に向けて歩いている。せっかく優しい人々だったのに悪いことをしてしまった。あの後、若者たちはすぐさま走り出して車へ。何度か車をこすり、ぶつけながらすごい勢いでその場を離れた。優しくしてくれたお礼も言えぬまま、驚かせた謝罪も伝えられぬまま、アジは白目を剥いてため息を吐く。はやく、話せるようになろう。アジは心に誓った。

 

 

 アジは身を寄せる場所などないのであのゴミ処理施設の屋上で過ごすことにした。朝は犬や猫になり町を散策し情報を集め、夜な夜な迷惑が掛からないように人語の練習をする。職員による不気味な声が聞こえたという鉄板怪談ネタを提供しつつ、日々を過ごした。

 

 

 アジはその期間の中で、自分がいるのが第一九学区と呼ばれる一番人気がない地区であること、アジが怪物になってから8年もの月日が経過していたこと、もうすぐ夏休みであることなどを仕入れてきた。8年もの月日の経過は一時、アジを絶望させたものの、成長した天草式の仲間たちを妄想することで何とか持ち直した。

 

 

 言葉はというと、ようやく「アジ」「まじュツ」「ごハン」「おなかすイタ」が言えるようになった。語彙の少なさにこれまた絶望するアジである。しかし、なにより彼が危惧したのは空腹だ。あの容器二本は早々に吸収してしまった。夜になるとアジはゴミの中にもぐり、あの容器を探すことを日課にしていたが、見つかることはなかった。

 

 

 本来ならばすぐさま移動し、学園都市から違う町にでも行けばよかったかもしれない。しかし、空腹がいつ来るのかわからないことや、出るために学園都市を覆う巨大な壁を超える必要があることが彼の動きを制限していた。怪物になり強行突破も可能だったが、あまり騒ぎを起こすのも躊躇われたのだ。判断を先延ばしにして、動かなかったツケをアジはすぐに支払うことになった。

 

 

 

 

 

「おなかすイタ」

 アジはゴミの山の下で呟いた。口からはよだれ、手足に力は入れられない。気合でゴミを食べることはやめているが、いつまで理性が保てるかわかったものではない。あの容器の一滴すらもう残ってはいなかった。くそう、アジは唸るが、どうしようもなかった。おそらく理性を失えばゴミを喰らい散らし、人をも襲ってしまうかもしれない。その時は素直にパスを切ろうとアジは思った。今のアジは本体と共通の意識こそあれど、本体の分裂体だ。

 

 

 分裂体は本体からの魔力の供給で動いているので、そのつながり、パスを切ってしまえばアジは単なる肉の塊である。意識がなくなれば体が動かなくなるのも当然だった。だからアジは今の体にも、実はそんなに思い入れはないのだ。保険がある、そう考えるだけでアジは少し安心した。

 

 

 そんな中、アジは感知する。ゴミの上を歩くなにか。おそらく生き物である。アジは無意識に触手をそれを掴んでしまった。吸収しそうになった寸でのところで、衝撃。アジは触手を蠢かせてゴミの中にひっこめた。どうやら生き物をつかんだ触手に、別の生き物が体か何かをぶつけたようだった。

 

 

 しめたと思った。もし生き物がネズミでも、なんでも腹の足しになるはずだ。アジはゴミの中を進んだ。夢中なアジは途中でぼろ布が引っかかるのも、無視して移動を続ける。ようやく体をゴミの外に出したアジが見たものは、強い光だ。思わず後ずさりをしてしまう。

 

 

「こんにちは」

 急に声が聞こえてアジは驚いてしまう。見てみると、警察の機動隊員のような恰好をした女の人がいた。女性は謝りながらさらに近づき、しゃがんでアジの顔を見た。アジは女性と共に後ろにいる人影を見た。そこで気づく、やべぇ。ぼく、人間を捕まえてた?アジの心臓がバクバクと高鳴った。というか、なんでこの人はこんなところにいるんだろう。アジは高速で考えていく。警備隊のような恰好、そして後ろの二人組。二人組は若者のようだった。

 

 

 もしかして、アジはある結論を導き出す。街中で怪物になったり、若者の中で化物になったりしたから、調査に来たのではないだろうか。学園都市は科学力がすんごいことになっているそうだし、怪物を捕まえて調査・研究をしていてもおかしくない。アジは冷や汗をかいた。女性が何か言ったところで、アジの視界が光に食いつぶされる。

 

 

「おうあうウア!!おうああういおおいぇあいエウ!!!」

(ごめんなサイ!!ぼく悪いものじゃないデスッ!!!)

 アジは謝罪しながら脱兎のごとく逃げ出した。アジはゴミの山の下でガタガタと震える。ちくしょう、巨体じゃなくてもお尋ねものかよ!?アジは頭を抱えてイヤイヤと振った。なんとかしなければ。とにかく逃げなければ。アジはそう考え、とりあえずゴミ溜の下へ下へと移動した。こうなれば仕方がないと、アジは決意する。翌日になれば、機械が動き出すはずである。クレーンが動き出しゴミを掴み上げて、隣の大穴へ入れ細かく粉砕し、炎で塵にする。せっかく作った分身体だが、この体は燃やしてもらおうと決意した。

 

 

 すぐさまパスを切ろうとしたが、空腹ゆえにうまくできない。くそうとアジは唸った。こうなればヤケである。体が燃やされ無くなれば、流石に意識も保てないだろう。こんなところで疑似的な死を体感することになろうとは、アジは滂沱の涙を流し、よだれも流す。

(くソウ、おなかもすいタシ、よいことなイナ)

 アジはそう考えて目を閉じた。このまま眠ってしまえば、そのまま処理してくれるだろうから、痛みも怖いこともないはずだった。アジは、深い休眠状態になった。ちょっとやそっとでは起きないように。

 



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第14話

魔術を度外視してアジを見ると、こんな感じになります。


 第一九学区で謎の少年をゴミ処理施設で発見した黄泉川愛穂は、すぐに警備員本部に連絡をした。日々の黄泉川の活動から彼女の発言が信用できると上層部は判断。彼らは勤務時間を過ぎている中、迅速に行動してくれた。施設の管理者に顛末を伝え、一時施設の運用を停止。加えてゴミに潜んでいる彼を探し出すための特殊探索機材の手配を行った。

 

 

 黄泉川を含む警備員第七三支部のメンバー、そして救急車に救助隊とゴミ処理施設の職員が少年の保護のために集まった。彼らは子供を助けるために全力になれる大人達だった。到着した職員は施設の電源を入れていく。もちろんゴミ処理用のクレーンや粉砕機を除いてである。

 

 

 明るくなったゴミ溜めの上に黄泉川と数人、そして特殊探索機材を装備した駆動鎧(パワードスーツ)が降り立った。駆動鎧というのは、簡単にいうとロボットのようなもので、人間にはできない重労働や逆に繊細な動きを可能にする。見た目はドラム缶頭のずんぐりボディといったところである。

 

 

 黄泉川たちは警戒を怠らない。重装備で辺りを見回す。能力者の子供は、その身を守るために攻撃的になるのが常だった。こうした隠れ潜んでいる子供の十中八九は非道な研究の被害者である。救いにきた大人だろうが、彼らからすれば実験で酷いことをしてきた科学者との見分けがつくはずもない。

 

 だから善意も悲劇につながる。罪のない子供が、罪のない大人を害し時に殺してしまう最悪のケースもある。そんなことは許さないと警備員のほとんどが思っている。だから警備員は自分の命を全力で守る。自分が無事でなければ、子供に手は差し伸べられないからだ。

 

 

 

 駆動鎧は数メートルはあるパラボラアンテナのようなものをゴミ溜全体に向けた。これこそが特殊探索機材である。それは主に災害救助用の装置であり、瓦礫や土砂の中から人間の呼吸、体温、心音など、生きた人間が発しそうなものを全て解析するトンデモ装置である。この機材の導入により人命救助の確率は飛躍的に上がっていた。

 

 

 特殊探索機材はすぐさま少年の姿をとらえた。心音、呼吸ともに非常に小さく、体温は驚くべき程低いことがわかった。まるで冬眠中の野生動物レベルであるらしく、このままでは命の危険もあるとのこと。どうやら一刻を争う事態だということで、警備員たちはすぐさま行動する。

 

 

 少年の位置はごみ溜めの最下層。そのためクレーンを動かし、ギリギリまでゴミを除去することからスタートした。クレーンは慎重に何度も往復してゴミを減らしていく。その後は人力で、手分けしてゴミを端に寄せていった。

 

 

「いたぞ!」

 警備員の一人はゴミの中から伸びる少年の腕を発見。すぐさまゴミをかき出して彼を救出しようと皆が一丸となった。彼の周りからゴミが無くなるまで数十分、探索から2時間は経過していた。

 

 

 黄泉川と救助隊はすぐさま脈拍や呼吸を確認したが、その冷たさに驚愕する。低体温症がかわいく見えるほどの体温だった。ショック症状を起こしていても不思議ではなかった。すぐさま彼を病院に移送しようとして、全員が困惑した。

 

 

 重いのだ。彼は12歳程度の少年だったが、大人が数人がかりでもまるで動きそうになかった。しかし、手をこまねき驚いている時間はない。駆動鎧は装備を外して、特殊探索機材をプラットホームに一時放置。駆動鎧は腕を彼の体の下に慎重に入れ、そしてそのまま持ち上げる。

 

 駆動音は悲鳴のように音を立てて軋んだが、なんとか移動は可能だった。すぐさま少年を地上に運び、そのまま彼を救急車で移送した。黄泉川と数人はその車に付き添った。目的の病院は決まっている。どんな能力者であろうと、命の危機に瀕する子供であろうと、必ず救う名医のいる病院だ。救急車は第七学区へ向けて走り出した。

 

 

 

               ○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 様々な検査を終えて、件の少年は透明な液体で満たされたカプセルの中にいた。口元にはガスマスクのようなものが取り付けてあって、そこから伸びるチューブがカプセルの上部に繋がっている。酸素だけでなく、場合によっては鎮痛剤や様々な薬を直接流し込める医療機器だった。暴れる能力者も珍しくないため、よく使われる機器の一つだ。

 

 

 それを見つめる黄泉川ともう一人。どこかカエルの様な顔をしている白衣の男だった。男はどんな病魔もどんな大怪我も治しきってしまう「冥土帰し」とあだ名される名医中の名医だ。そんな彼は少年を見ながら、彼の状態を黄泉川に話す。

「まるで人間じゃないみたいだね?」

「どういうことじゃん?」

 

 

「なんて言えばいいのかな?体は人間そっくりな別の生き物、そんな印象をうけるよ」

 彼はこれまでの検査結果を黄泉川にデータと共に伝える。身長は145cm前後、体重は670キロ前後。その時点で黄泉川は医者の顔を見たが、医者の表情は真剣だ。さらに詳しく見ていく。彼の口を見てみると食事をした痕跡はあるが胃で消化した形跡はなく、胃液も確認できない。内臓はすべて存在するが、それがきちんと活動しているかは不明。心臓は動き、血液も問題ないがその成分は異常。間違いなく人間の血液成分ではない。さらには細胞も、人間のほかに、甲殻類、魚類、爬虫類など複数のデータが混ざり合っている。きっと海鮮丼を食べた人の胃の中を調べると彼の細胞に近づくだろう。最後まで見ていくと、さらに人体に有害な物質が大量に発見されている。

 

 

 

「この子はね」

 カエル顔の医者は言う。

「おそらくは、最悪の生み出され方をしたんだと思うよ?僕の予想では、人間をベースにした合成生命体(キメラ)だと考えるね?」

「そんなことが」

「可能かだって?やる奴はいるだろうね?医者として、いや、人として怒らざるをえないよ。きっとこの子を創った者は、命をデータでしか見ないような人でなしだよ。生命の冒涜を突き詰めた最悪の実験だろうね?」

 

 

 カエル顔の医者はさらに続ける。彼の体にある様々な生物の細胞はその原型をとどめているものが多い。だからこそ体の質量が異常になる。人の体に見えて、少年はサメの牙もカニの甲羅もイカの触腕も持っている。無理やり偽装しているということだった。

 

 

 さらにと彼は続けて、

「この子の体から大量の有害物質が見つかったよ。以前に流行ったプロテインの中にも入っていたものだけどね?飲めば数日は活動可能な大量のカロリーやたんぱく質で隠された成分の一つに、肉体を急速に破壊しその後すぐさま修復する薬が入っていたんだ。それは簡単に言えば切れた筋肉が治る過程で太くなるのを、無理やり促す。この子は様々な細胞を混ぜられている、そんな子が成長するのは難しい。拒絶反応もあるだろう。きっとこの薬で、一度体をボロボロにしてすぐさま修復、それを繰り返して無理やり成長させ、体を慣らしたんだね?痛みは想像を絶するだろう」

 

 

 他にもカエル顔の医者は説明を続けていくが、基本的に聞いていて気持ちのよいものはなかった。唯一、喜ばしいものは今の状態のこと。呼吸と心音と体温の低下は少年が自分で行っているだろうということだった。ということは健康に害はなく、眠っているに等しいそうだ。

 

 

 すべての説明を聞き終えた黄泉川は沈痛な面持ちで少年を見る。どうしようもできない思いが彼女の中に渦巻いた。彼女は子供を守りたいと思って警備員をしている。そんな彼女からすれば、少年の置かれた立場や過去や未来を想うだけで、胸が抉られるように辛かった。

 

 

 液体の中にボコりと泡が見えた。体温心音共に急速に回復したことをカプセルに接続している機械が伝える、少年が目を覚ましたのだとすぐにわかった。

 

 

 カエル顔の医者は、迅速に対応した。まず精神安定剤の投与を行う。酸素と同時に気付かれないように煙を混入する。起きてみると液体の中では、パニックになることは容易に想像がつくためである。しかし、いくら注入しても少年が落ち着く気配がなかった。口からは大量の空気が漏れているのか、泡がおさまる気配がない。腕で何度かペタペタとカプセルを触り、少年は背から複数の触腕を伸ばす。触腕の動きによってカプセルは徐々にヒビ割れていく。

 

 

 瞬間、カプセルは破壊された。中から液体と少年が流れ出した。少年は唸り、触腕を蠢かせた。

 

 

               ○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 起きてみると水の中でした。思わず叫びそうになるアジである。アジはゴミ捨て場にいたことを思い出し、自分の目論見が失敗したことを悟った。加えて彼が戦慄したのは目の前にいる女性だ。眠る前にみたおそらく自分を捕まえにきた女性である。隣には白衣を着た初老の男性がいた。以上のことを踏まえて、液体の中の自分の立場を考えていくアジ。

 

 

(やばいやバイ!実験体にされルゥ!!)

アジは遂に叫んだ。なんてことだとアジは思う。流石は優秀な学園都市の調査隊だ。アジはカプセルをペタペタと触りながら、自分は悪いやつじゃないです、そもそも化物じゃないんです。魔術師なんですってば!などと叫ぶが、伝わるはずもない。そこでアジは決心した。

 

 

(逃げヨウ)

 決めたのならばすぐ行動である。アジは背中から触腕を生み出して少しずつカプセルを押して壊していく。勢いよく壊すと二人が危ないと考えるあたり、彼はお人好しである。アジの努力の末、カプセルの破壊に成功した。流れ出る液体とアジ。アジは二人を見て、怪我がないことと、女性が武器を持っていないことを知り安堵の声を出す。もっともそれも声にはならず、唸り声に変換するのはご愛嬌だ。

 

 

 アジは触腕を蠢かしながら出口を探す。見たところ扉は二人の先だ。窓はなく、そこへ行くしかないだろう。天井も低くジャンプしてあっちまで一飛びもできない。アジは二人から目を離さず、半ば四つん這いのような姿勢で移動する。変身して移動や攻撃をするアジにはそっちの方が都合がよいのだ。背中から伸ばす触腕はすぐに動かせるようにしておき、ジリジリと弧を描くように動く。しかし、二人はその場から一歩も動かない。いや、どいてください。マジで。ほんとに。

 

 

 アジはちょっとビビらせるために、触腕の一つで床を叩く。バシャンという水がはじけ、床が少しへこんだ。やばいやりすぎた。アジは思ったが、それでも二人に変化はない。アジの方を向いて動かない。助けを呼ぶわけでもなく、武器を持っているわけでもない。

 

 

(こ、こワイ!?いったいなんなのこの二人!?)

 アジは心底ビビっている。もしかしてすごく強いのか、この二人は。そこまで考えてアジは思いつく。ここは学園都市、能力者を開発研究機関でもあるはずだ。もしかしたら二人もなんらかの超能力をもっている可能性を考えていくアジ。学園都市に来てから未だ能力者と一度もであっていないアジに、その威力をきちんと把握するのは不可能。もちろん天草式と一緒に生活していたので、戦闘経験はアジにもある。しかし、一人で戦ったことなど皆無だ。心細い。アジは神裂や建宮や他のみんなのことを思い出す。ああ、なんでこんなことに、早く会いたいよ、みんな。思わず情けなさと心細さでホロリと涙が流れるアジである。

 

 

「.........大丈夫」

 見てみると、そこには女性が両手を上げているではないか。しかも、じりじりと近づいてくるではありませんか。アジはさらにビビる。下がるが、後ろは壁。触腕で攻撃もできるが、それでは女性に怪我をさせる可能性が高い。悪い魔術師ならば、いくらでもタコ殴りにできるが、そうではない者を叩くのはアジにとってハードルが高かった。

 

 

 アジは触腕を女性の目の前に移動させ、さらに変化せる。触腕の先端、そして側面に大量のサメの牙や魚の目玉を形作る。醜悪であり狂気的なその触腕。アジだったら気持ち悪くて触ることなどできない最強の視覚武器である。

(さぁびっくりシロ!その間にぼくはにゲル!!)

 

 

 アジはそう考えたが、甘かった。女性はそれにピクリと体を震わせただけで前進してくる。アジは驚愕し、焦燥する。まるで効果ゼロである。アジはキョロキョロと周りを見るが、どうにかできるものなどなさそうである。気づけば女性は眼前に迫っている。女性はしゃがみ、アジと視線を合わせてくる。アジは両手を前に出して防御するが心もとなかった。女性はアジの手を取ると、もう一度「大丈夫じゃん」と言った。アジは全然大丈夫ではなかった。しかし、女性はさらに進んでアジを抱きしめた。

 

 

「えアォ?」

アジは思わず気の抜けた声を出してしまう。抱擁、久しぶりの人の体温であった。女性はそのまま手をアジの頭にもっていき撫で始め、もう一つの手は背に回しポンポンと叩いてくる。触腕が生える背中がむずがゆくなってきた。

「大丈夫じゃん、ここには君に怖いことをする人はいないよ」

 

 

 抱擁を続ける女性はそう言うとアジの頭を撫で続ける。アジは久々の感触を感じつつ、困惑する。どういうことなんだろうか。この人はぼくを捕まえてレッツ解剖タイムとかしないのだろうか。信じても大丈夫なのか。アジは不安に思いながらも、女性に敵意がないことを知り、徐々に触腕を体に収納していく。すると女性は抱擁をやめてアジに向かい合った。

 

 

「私の名前は黄泉川愛穂じゃん........っていうか、私の言葉はわかる?」

アジは怪訝に思いながらも頷く。表情はほとんど変わらないアジ分裂体だったが、意思は通じたようだ。

 

 

「よかったじゃん。じゃあ君の名前を聞いてもいい?」

女性は話を進める。アジはようやく練習した言葉を披露する機会に恵まれた。

「アジ」

「そっかアジって名前なのか。よろしくじゃん、アジ」

女性、黄泉川愛穂は手を伸ばした。アジはそれを見てじぶんもおずおずと手を伸ばす。黄泉川は笑顔で握手をした。アジは無表情で、なんだこれ?と思った。

 

 

 しばらくそうしていると、突如アジを襲うものがある。

 空腹だ。

 アジは唸り出して口から涎が零れる。アジの異変に黄泉川は焦ったように声をかけた。「どうしたじゃん!?」これまたアジは久しぶりに会話をする。

「おなかすイタ」

「おなかが空いた!?」

「おなかすいイタ!!」

 

 

 アジの焦りが通じたようで黄泉川はすぐさま部屋から飛び出して行った。白衣の男はそんなアジの様子を確認すると、何かを思い立ったように壊れたカプセル近くにあった袋をいくつか取り外していく。

 

 アジの空腹がいよいよまずい状態になりつつあった。昨日からまったく補給ができていないのだ。なんでもよいから吸収しなければ理性が削り取られてしまうだろう。アジの触手が辺りを叩き、部屋を少し破壊し始めたこと。白衣の男はアジに近づき、袋にストローを突き刺して渡してくれた。アジはほとんど無意識にそれを触手でひったくる。確認もせずに触手はストローと袋ごとそれを包むと一気に吸収する。袋は近くにペッと吐き出した。

 

 

「そういうことかな?」

 男は合点が言ったようにいくつもの袋をアジに放り投げた。アジはそれらをすべて触腕で掴むと一気に吸収する。

 少し落ち着いてきたアジの前に、今度は黄泉川が汗をかきながら駆け寄ってきた。そしてビニール袋の入ったパンや缶詰などを渡してくれた。アジは触腕でビニール袋をひったくり、中身を吸収していく。

 

 

 その後、さらに白衣の男から袋をいくつか貰ったところでアジは空腹から脱した。アジはかなり肝を冷やしていた。それほど強烈な空腹だった。アジは立ち上がって二人を見る。二人はアジを心配そうに見つめていた。

 

 

(な)

 アジは思う。

(な、なんて良い人たちなンダ!?)

 アジは思わず手を振り、尻尾を生やしてぶんぶんと振った。表情以外で感情を発露し始めているアジ少年。彼は感激していた。先ほどまで彼らを恐れていた自分が馬鹿らしく感じ、心底申し訳なくなった。アジはなんとか気持ちを伝えようと声を出す。

 

 

「あうあとういえうイア!あんいあうあうあいあイア!」

(ありがとうございマス!本当に助かりまシタ!)

 意味不明な言葉を投げかけるアジに、二人はしかし微笑んでくれていた。

 アジ、8年ぶりに会話成功の瞬間だった。

 



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第15話

すいません、来週はあまり投稿できないと思います。
よろしくお願いいたします。



 空腹状態から脱したアジは久しぶりの対話に興奮し、喜びを隠せないでいた。しかし、やはり自分の口から出る言葉は意味不明であった。そのため徐々に先ほどの奇行を恥じるようにして落ち着いた。そんなアジの様子を見て、黄泉川とカエル顔の医者は彼を連れて移動。今、アジがいるのはとある病院の一室だ。そこで彼は、先ほど食べ物を恵んでくれた黄泉川と会話をしている。

 

 

「アジは、どこに住んでたか覚えてるじゃん?」

「おいおんえウオ!アゥ、おんあおおああおんえいアオ.........」

(もちろんでスヨ!まぁ、こんな言葉じゃわかんないだろうど.........)

 

「そっかぁ、すごいじゃん。アジは」

「イア、あぁいぅえあいルウ」

(いや、まだ言ってないッス)

 

 

 アジは無表情ながら黄泉川の言葉にきちんと反応し、なんとか真意を伝えようと努力した。今アジはあの医者が持ってきた入院服を着ている。ようやく股間の清々しさがなくなったことで、アジは一時さらにテンションが上がっていた。小さな少年の姿でたいそう喜ぶので、黄泉川は心開いてくれたと思い嬉しく思った。そのため黄泉川は、アジの言葉を聞くというよりはその反応を見て喜んでいるといえる。

 

 

 その状況と、黄泉川の接し方がまるっきり子供へのそれと同じため、流石のアジも恥ずかしくなっていった。それよりもアジは親切にしてくれる黄泉川に、きちんと目的を伝えたかった。アジは覚えたての言葉と、体の変化能力と、身振り手振りでなんとか、自分の今の状況と、目的を伝えようと腐心した。

 

 

 アジは自分を指さしながら、「アジ」そして「まじュツ」と言い。自分が魔術師であることをアピール。手だけをウツボに変化させ、海に落ちそしてそこで過ごしたことを表現。さらには時計を差しながら「おなかすイタ」を言い、自分の空腹のデメリットを話し、また「まじュツ」と自分を指さし、「あえいアイ(帰りたい)」と伝えた。

説明は10分以上もかかったが、黄泉川の表情を見るに全く伝わっていないことはすぐにわかった。

 

 

 (くソウ)

 アジはグルルと唸った。埒が明かなかった。アジが困っていると黄泉川はあの医者に呼ばれてしばし部屋を離れた。その間、アジは部屋を見回すがベッド以外なんにもないので、すぐにやめてしまった。アジは自分が重いことを最近知ったので、ベッドにゆっくりと座る。軋んだが、ベッドは頑丈だった。アジは、8年ぶりにベッドのやわらかさを堪能した。

 

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 別室、と言ってもアジのいる部屋の真横にカエル顔の医者はいた。彼だけではない。鉄装や他の第七三支部の面々も同じように神妙な顔で椅子に座っている。部屋の壁は透明になっており、今の部屋のアジの様子が映し出されていた。学園都市はより上等なマジックミラーともいうべき透過する壁を創り上げていた。プライバシー保護の観点から、完全に伏せられたこの発明を、カエル顔の医者は時折使用する。

 

 

 学園都市には置き去り(チャイルドエラー)と呼ばれる被害者がいる。彼らは学園都市に預けられたまま保護者が失踪ないし、彼らの養育ができなくなることで保護する施設で生活する羽目になったりする。そして中にはそれを利用して実験に利用され、使い捨てられることが少なくない。そうした子供の様子を見たり、本音を聞きだしたりするための医療目的の部屋。それがここだった。

 

 

 黄泉川はアジの印象を皆に話す。

 「言語能力の大幅な欠如が見られるじゃん」

 アジはまともな言葉を話すことができない。しかし、ある程度は黄泉川の言葉にきちんと反応している。そのことから、意思疎通のアウトプットの能力が未発達であることがうかがい知れた。そして出てきたキーワードの一つが「まじゅつ」である。

 

 

 同僚の一人は話す。

「クソみたいな研究する奴は、たまにこれは魔法使いの訓練だとか、魔術のための練習だとか言って子供を誑かすことがある。以前保護した置き去りは自分は魔法使いで、親を生き返らせるための儀式として体を弄繰り回されたと本気で言っていた。クソ野郎の実験の口実に魔術という言葉があるのは確かだ」

 

 

 同僚は歯噛みして黄泉川を見た。アジはもしかすると自分の変質する能力を魔術だと信じているのかもしれない。さらに他の同僚も意見を述べる。

彼女はズレた眼鏡を直しながら、私物のPCのデータを見せた。

「彼のAIM拡散力場の調査ですが、全く反応がありません。彼は能力者ではないことは確実です。人体のスペシャリストであり医者である貴方の意見通り、彼は厳密には人間ではない、もしくは人間と何かの合成生物、ということになります」

「なんだと!?あの子が化物だとでも言うつもりか!?」

 

 

 彼女の言葉に先ほどの同僚がくってかかった。

「そんなことは言っていません!彼が被害者なのは間違いないことです!しかし、DNA的には間違いなく人間ではないんです。それを言いたかっただけで.........でも、彼は絶対に子供です。救われ笑顔で過ごすべき、子供です............」

「......すまん」

 

 何度も言うが警備員は基本的に全員が教員だ。しかもこの活動はほとんどがボランティアである。そんな彼らだからこそ、子供を守ろうという意識は高い。熱き想いをもつ彼らにとって少年アジの案件は辛いものだった。

 

 

 アジは被害者だが、人間ではない。人間にどれだけ近くてもそれは確実だという。そして彼の能力はその人間ではないが故に扱えるものだと、同僚は断定する。魔術などがこの世にない以上。彼の変化する能力は、人間が歩くのと同じく、生物的特徴としか表現できなかった。

 

 

 そうなってくると問題は山積みだ。彼の戸籍はなく、通うべき学籍もなく、保護すべき理由も存在しなくなる。人間ではないことは、人間社会において生活するのに致命的な弱点になってしまうのだ。

 

 

 さらに問題は続く。アジは話すキーワードの最後の一つ「おなかすいた」だ。鉄装はあくまで予想ですけど、と前置きしておずおずと手を上げた。

「例えば体重が3トンある野生の象だと、一日で150キロの食料と100リットルの水が必要です。彼の体重は700キロほどですけど、何度も体を変異させていますよね?それって想像を絶するエネルギーが必要になるのではないでしょうか?」

それについて冥土帰しも同意した。

 

 

「彼が空腹を訴えた時、もしやと思いかなり高カロリーの液体を与えたんだ。体を作り替えるタイプの能力者専用の点滴でね、それでも本来は希釈が必要なものをだ。最初はきちんと問題ない程度の希釈をしていたが、途中から原液を渡したんだね?すると効果は絶大でね?」

 

 

 アジはその体の特異性ゆえに多量の食べ物が必要であると、彼のお墨付きを得た。それだけでなく、おそらくアジは食事を味わった経験がないだろうことも冥土帰しは伝える。彼の胃は使われた形跡がないこと、触腕が吸収したことから彼はそう考えた。

 

 

 おそらくアジはこれまで口で食事をする経験はさせてもらえず、体表部分から直接エネルギーを補給させられたことは容易に想像がついたと言っていた。これは蓄積した彼の有害物質の発見場所が内臓ではなく、体の皮下脂肪にあったことからも断言できた。

 

 

 増々普通の学生のように保護施設で育ててもらうことは不可能になった。空腹時のエネルギーの件は、冥土帰しが用意できると言うが、彼の住居が問題だった。いったいどこに住まわせられるのだろうか。アジはベッドの上で寝転がりながら、手を触腕に変えて、おそらく遊んでいたのだろう。突然、アジの目がキラキラと発光しているのを警備員たちは見た。まるで虹色のようだった。鉄装はたぶん、オキアミなどの発光能力のある生き物の力も持っているのではと、言った。

 

 

 皆がアジの様子を見ながら思案する。

 冥土帰しはその中でまず口を開いた。

「............僕がこの病院で面倒をみることもできるね?」

それは事実だった。空き部屋に余裕はないが、それでも雨風から身を守ることはできる上、何よりも近くにこの冥土帰しがいるのである。彼が実験によって生み出された生命体だとしても、何かトラブルが起きれば即座に対応できるだろう。

しかし、そんな彼の言葉を遮ったのは、アジを眺めていた黄泉川だった。

「いや、あいつは私が引き取ろうじゃん」

 全員の視線が黄泉川に集中した。

 

 

              ○○○○○○○○○○○○

 

 

 一人残されたアジは、この状況を打破したいと思っていた。黄泉川や医者は良い人だったが他の住民の様子がまだかわらない以上楽観視はできないだろう。なにせ自分は怪物に変身できるのだ。やはり研究されそうな気がしてならなかった。そして、何よりも自分の意志が伝えられていないため目的である天草式の面々と連絡をとることができない。天草式との連絡は、魔術を使いたいのだが材料を集めようにもゴミ処理場では朝は人の目があり、夜は暗すぎて無理だったのだ。

 

 

 アジ本体であれば、様々な霊装を喰らったことですぐに術式を創ることが可能だった。しかし、あの巨体ではやはり繊細な術式は構築できず、通信術式は諦めていた。分裂体にも、霊装の一つでも盛り込むべきだったとアジはため息をついた。

 

 

 ここも何もないのであれば魔術の発動は難しそうだ。アジは腕を変化させてウダウダ悩んだ。ああぁ、この腕を魔術素材の代わりにできないだろうか。アジは内心絶対無理だろうと思って腕をさらに変異させ、細い六芒星などを作ってみる。

 

 

 これで、できたら苦労はしな.........イッ?

アジは自分の体に違和感を覚えた。体の中から熱が生まれるような感覚だ。これは魔術発動によく似ていた。もしやと思い、アジは顔を動かして腕を見ると、腕に影ができている。まるで近くで光を当てられているかのような影だ。よく知っている影である。自分の特異体質で魔術使用の際に瞳が光っている証拠である。

 

 

 魔術が発動しテル!?アジは興奮して腕の触手で作った六芒星を見た。ビリビリと魔力を感じた。き、きタッー!?アジはバタバタと脚を暴れさせる、喜びで頭が沸騰しそうだったがなんとか冷静になろうとつとめる。これで魔術が途切れればパァである。

 

 

 アジはすぐさま、本体のパスとのつながりを強める。するとかなりの魔力量が流れ込んできた。魔力はこれで充分である。その後、すぐにアジは本体の体に取り込んだ首飾りの自身の魔術と接続した。

 

 

 首飾りは転移霊装だが、仲間たちの元へ移動するという効果を拡大解釈すれば声だけ転移させる、つまり通信も可能であるはずだった。アジはすぐさま全ての首飾りに自身の声を通そうとする。8年も前の霊装を持っていてくれるかはわからない。けれど、一人でも持っていれば。もしくは最悪でも小屋に放り込んであっても連絡した履歴のように、魔力跡が残るはずだ。

 

 

 アジは祈るように連絡した。誰か気づいてくれ。しかし、無情にもその連絡は凄まじい雑音が生み出されるだけだった。まるで多量の生命体の鳴き声のような、鼓動のような、どこか不気味な音の集合体だった。

(な、なんだコレ!?)

 

 

 アジはすぐに原因を探る。もしやとアジは雑音に耳を押さえながら考える。アジ本体は様々な生命体を混ぜ合わせた巨体。その中心にいる当時の人間体の首に首飾りは掛けられている。その首飾りから発せられる通信術式は様々な生命体の鼓動がジャミングしてしまっているのだろうか。電話を人込みでかけても周りの音を拾いすぎてしまうのと、同じだった。

 

 

 アジはすぐさま本体の意識を呼び起こし、深海から浮上させようとする。海中に出て、体を大きく変異。アジの人間部分を大きく外に出せれば通信ができるはずだ。まだ、まだ希望はアル!アジは決意を新たにしたところで、扉が開いた。

 黄泉川だろう、しかし、今は無理だ。

 何を言われてもこちらを優先である。

 少しでも気を抜けば魔術は消えてしまうだろう!!

 

 

 黄泉川が近づきアジに話しかける。

「アジ!そろそろお昼だから最近できた話題のラーメンでも食べるじゃん!」

「あーエン!?あ、あえルゥ!!」

(ラーメン!?た、食べるぅ!!)

 

 

 アジはずっと味のしない、いや味覚を感じないようにエネルギーや魔力を吸収してきた。そこにきて8年ぶりのラーメンのお誘いである。美味しいという感情など、すでに忘れた彼にとって、その誘いは魅力的過ぎた。心を乱しまくったアジの魔術は当然霧散する。

 

「ア!?」

 アジは間抜けな声を上げた。

 

 

                ○○○○○○○○○○○○

 

 

 今から少し前、建宮をはじめとする天草式のメンバーは謎の頭痛に悩まされた。時間にして20秒程度だったが、まるで生物の大群が耳元で蠢くような不快感を全員が覚えていたのだ。魔術的攻撃を考えたものの、音沙汰はなく、先ほどの混乱が嘘のようである。

「な、なんだったんでしょうか?」

 

 

 近くにいた少女、五和は仲間たちに話しかけるが皆頭をかしげるばかりである。彼らがいるのは隠れ家の一つ、とある田舎の廃校である。以前は、ここであの霊装屋が仲間の武器を点検したこともあった。彼が死んでから8年ほど経過したが、建宮はここに来るたびにそれを思い出していた。

 

 

 武器を構えていた建宮だったが、本当に何も起こらないこと、新たな魔術を全く感知できなかったために、座りなおす。そして彼らはお昼ご飯を再開した。本日のメニューは女性陣が料理したカレーライスである。味もボリュームも最高の出来だった。

 

 

 もぐもぐもぐ、建宮がカレーに舌鼓を打っていると、仲間の一人が声を上げた。

「あれ?絆がなんか光ってる?だれか使った?」

 その言葉に皆は自分の絆を見る。絆とは、天草式秘伝霊装「虹色の絆」である。戦闘部隊を始め、多くの天草式が装備しており、転移の効果は絶大である。絆に魔力を流すと、光を放ち呼応する絆の近くに転移できるのだが、だれも転移していないことから、なぜ光ったのか、全員またもや首をかしげるばかりだった。

 

 

 ただ一人、建宮だけは首飾りをにぎりしめると虚空を睨んだ。

「............動き出したのかもしれんのよな」

「はい?建宮さん、何か言いました?」

「何でもないのよ。ところで五和よ、お前さん、さらにカレーの腕を上げたのよな。特にこのニンジンを星形に切るあたり、あざといというか、かわいいというか。なに?お前さん誰かのために、料理でも振舞おうって魂胆なのよ!?」

「で、でたー!!建宮のおせっかいオッサンモード!!」

「に、にげろ五和」

「うえええ!?にげるってどこにですか?というか早く食べないと、冷めますしこの後も仕事ですよ皆さん!?」

 

 

 建宮がおどけると、仲間たちもまたつられておどけた。笑い声が絶えない仲間たちを見て、建宮は一人、絆を握り込んだ。幾度となく大陸に上陸する、あの目を虹色に輝かせる怪物のことを考える。そしてすぐにその考えを脳から追い出して建宮は仲間と共に笑った。不穏な予感から逃げるように。

 

 

 

               ○○○○○○○○○○○○○○○○

 

「大丈夫かい?急によろけたみたいだけど」

 ロンドンの鉛色の空の下で長身の神父が呟いた。口には煙草を揺らし、顔にはバーコードのタトゥーが見える。とても聖職者には見えない。男は魔術師だった。必要悪の教会の中でも天才と呼ばれる炎を操る魔術師だ。

 

 

 そんな彼は目の前で突然、片手で頭を押さえた同僚に声をかけた。

 同僚は長い髪をポニーテールに括り、Tシャツに片方の裾を根元までぶった切ったジーンズの姿をしている。随分とセクシーな恰好だった。

 

「.........いえ、大丈夫です。少し不快な感覚がしただけです」

「悪寒か、もしくは魔術的な精神攻撃かい?」

「それはないでしょう。単純にちょっとした眩暈かと。すいません、心配させました」

 

 聖人である彼女に魔術的な攻撃をするものは、狂人か愚者のどちらかである。しかもここは必要悪の教会の膝元であるロンドンだ。そんな無謀なことをすれば炎の巨人に焼かれ、きらめく刃に両断される運命が待つだけだろう。聖人の言葉に魔術師は肩をすくめて歩き出した。

 

 

 二人は任務のためにとある島国へ向かう途中だった。ある少女の保護、それが彼らの任務だ。「じゃあ行こうか、神裂」魔術師は言った。神裂は歩き出して、ふと首元を見た。それは形見だ。大切な仲間の形見である。それが、キラキラと光っていた。まるで彼の瞳のようにキラキラと。神裂は様々な考えを振り切って同僚についていった。

 



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第16話

もし先にラーメンを食べていたら、漁師たちは全員、大変なことになっていました。


 黄泉川がアジを連れてきた例の話題のラーメン屋は混雑していた。二人は列になった客の後ろに並ぶ。黄泉川はすぐに食べることができないことをアジに謝罪したが、彼は全く気にしていなかった。

 

 

 そんなことを気にするよりも、魅力的なものが溢れ退屈する暇がなかったためだ。アジの周りには大勢の学生がいたが、彼らの持つ携帯電話一つとっても、アジにとって神秘だった。スマートフォンのような形ももちろんあったが、中には球体型でありそこからホログラムが飛び出し操作するものや、完全に無音でありながらプロペラで宙に浮く小型の鳥のようなものまであった。何世代も先をゆく学園都市は実験品という名目で次々と新作を発売し、学生たちはそれを、外に比べればありえないほどの値段で購入できるのだ。

 

 

 もっとも、機能的で利便性に富んでいるかはかなり微妙である。しかし、アジはそんなことを知る由もなかった。他にもビルに取り付けてある大型の画面には、新発売のゲームや最新のテーマパークなどが流れている。どれもアジが持つ前世ではお目にかかれないものばかりである。好奇心旺盛なアジ少年はキョロキョロと顔を動かして、時折感情の発露からか、腰の下から伸びる尾を揺らしながら、未知の情報を楽しんでいた。

 

 

 ちなみにアジは、とりあえず病院に常備していた適当なTシャツとズボンを着ているので全裸でも患者服でもなかった。例の病院は、様々な患者が日々利用するために、本来ならば取り揃えていないようなものも置いている。その一つが学生用の服だ。様々な理由で、服が調達できない患者のためにカエル顔の医者が用意させたのだ。患者に必要なものは全て揃える。それが彼のポリシーだった。

 

 

 Tシャツの隙間から短くない尾を左右にゆらゆら揺らす彼の姿を黄泉川は見る。

その様子に黄泉川は微笑みながら、同時に彼の過去を想像する。

おそらくは実験室のようなところから一切出ることができなかったのだろうと。学園都市の学生にしてみれば、今アジが見ているものは見慣れた物ばかりである。次々と新作は発表される様々な品々だったが、よほどそれが好きなものである以外は、学生の反応は淡白なものだった。外の数十年先をゆく科学力も慣れてしまうものである。黄泉川にしたってそうだった。駆動鎧も当初は顎が外れるほど驚いたものだが、今や新たにバージョンアップしたものを見ても驚きよりも、冷静に使えるかだけを考える。

 

 

 今のアジのようになるのは、たまに外から来場する観光客か、新たに学園都市に入学する新入生ぐらいのものだ。慣れていない、それがアジの過去を表現する重要な証拠である。

 

 黄泉川は、相も変わらずアジの認識をズラしながら、アジのことを見ていた。

 

 

 店内にようやく入る二人は食券を購入した。黄泉川は、件の話題のラーメン「ミドリムシ入り鳥白湯ラーメン、煮卵セット」のボタンを二度押す。アジに選ばせたいのもあったが、そもそもアジがこうした制度を理解しているとは思えず、彼女は配慮したのである。

 

 

 アジは人知れず、自分で選びたかったと肩を落としている。だが彼の表情は未だに硬く、それを看破できる者はここにはいないのである。店員に通されたのは奥の座席。二人は座って料理が運ばれてくるのを待った。アジが座ると、椅子は苦しそうな声を上げたが、どうやら耐えたようである。

 

 

 お冷が運ばれるまで数秒、黄泉川は並んでいた時に体に蓄積した熱を追い出すように水を飲み干した。さらに机にあるピッチャーから水を注ぎ、さらに半分まで一気に煽った。アジはそれを見る。確かに暑かったもンネ、とアジは言いたかっただけなのだが、黄泉川は違うとらえ方をする。

 

 

「こう手で持って口に運ぶじゃん。そんで中の液体を飲むんだ、こう、ごっくんて」

 アジは、流石にいや知ってますよと思った。どうもこの黄泉川という女性は、ものすごく世話好きというか、相手を子ども扱いしすぎるなぁとアジは思った。見つめる黄泉川の優し気な視線は好ましいが、こうした言動や対応はそろそろ恥ずかしいなとアジはさらに考える。とはいえ、それを伝えるのは言葉ではない工夫が必要だった。しかし現状、意思疎通は困難であるから、アジは黙っていた。

 

 

 アジは黄泉川と同じように水を飲もうとして、そこでふと思った。そういえば折角、何年かぶりの食事なのに味覚がないのは勿体ない。というか味覚がなければ全くの無駄である。アジは自分の喉に手を当てながら、本体とパスをまたつなぎなおす。本体は今、海上に浮上中のはずだった。距離が近づいたためにパスがつながるのがさらに早くなったとアジは感じた。

 

 

 アジは集中しながら、本体の巨体で味覚回復の術式を発動する。何年もまえに、しかも焦りながらかけていた術式だったので、すぐに回復した。これでこのアジが食事をすれば味がわかるはずだ。パスで本体とつながっているので、栄養の共有もばっちりである。

 

 

 アジは、コップを掴んで水を飲んだ。

 とはいえ、所詮は水でショ?とアジは思う。久方ぶりのラーメンの前の味覚のウォーミングアップその程度の簡単なものだと思っていたのである。

 

 しかし、アジは舐めていた。8年というブランクが味覚の素晴らしさを忘れさせていたことを。水を口に含んだアジは目を見開いた。その冷たさはなんとも爽快。ゴクンと飲み込めば、冷水は食道に冷たさを感じさせながら胃に落ちていく。体の中に物を取り入れる感覚。すっかり忘却していた感覚に、アジは言葉を一時失う。気づけば夢中で水を飲み干した。

 冷たく、そしてなんとも気持ちが良い。

 

 

 生きるために、生物は食欲があり、睡眠欲がある。それらは本能的に好まれるよう、快感が付随する。寝ると気持ちがいいし、食べると幸せに思うのは、生きるための脳が、本能がそれらの行動を肯定するためである。

アジは味覚を封じ、ある意味で禁欲的な生活を強いられてきたのである。

 

 

 まぁ、ぶっちゃけ、要するに

「うぅあイッ!?」

 (うっまイッ!?)

 のである。

 美味しすぎるのである。

 ただの水が美味すぎるのである。

 アジは思わず声を出してしまう。普段、何気なく行ってきた食事。それが封じられ、久方ぶりに再開すると、これほどまでに感動的になるのか。アジは興奮した。黄泉川と同じように、ピッチャーから水を注ぎ、また一気に飲み干す。

 う、うますギル。水に感動する少年アジ。

 当然、黄泉川はその光景を、彼女なりに受け止めていることは言うまでもなかった。

 

 

 

               ○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 とある海上に、漁船がいくつかあった。彼らは生活のために魚をとっている。しかし、この日は全くの不漁だった。いつもなら網いっぱいになる魚が、影一つない。というよりも、近くには普段ならばわらわらと湧いている厄介者のカモメなどの鳥やクラゲの姿さえなかった。まるで先に誰かに取りつくされたみたいだなぁと、漁師の一人が言った。

 

 

 そんな中、その漁師を含む、すべての漁船の乗組員は少し先の海上に奇妙なものを発見する。それは大量の湯気だった。まるで海中が凄まじい勢いで熱されたような湯気、そしてボコボコという泡。瞬間、その部分が爆発した。いや、それは正確ではない。海中から赤黒い何かが飛び出したのだ。それは火山の噴火のようにも見えた。赤黒い火柱、そう表現せざるを得ない何かだ。

 

 

 その場所から火柱が止むと、次に見えたのはうねる波だった。あの下から、あの海中から何かが浮き上がってくる。そう漁師たちが感じた時には、その姿は海上に現れていた。

 

 

 最初は島のように見えたが、違う。あれには、角があった。瞳があった。牙があった。腕があり、いくつものヒレと触腕があった。その大きさは、おそらくは100メートルを大きく超えている。見えている以上の体は未だ海中にあることを考えるならば、全長は数百メートルはあるだろう。

 

 

 漁師たち全員は誰もが呆然としてそれを見る。脳が、心が、それを受け止めることができない。さまざまな伝説の存在、映画の中の存在を総動員すれば、きっとあれにぴったりの名前が付けられるかもしれない。しかし、その余裕はなかった。

 

 

 それは大口を開いた。瞬間、音が消し飛んだ。それも違うだろう。あれの口から放たれたのは咆哮。その莫大な音の衝撃が、漁船を殺到した。漁師たちは本能で知る。あれは我々の考えられる存在ではない。そういった存在は、こう呼ばれている。

 化物である。

 

 

 化物は再びは咆哮を上げた。巨体からあふれる何かを外へ吐き出そうとするように、空を仰いで叫んだ。その凶悪な瞳には似合わない虹色の煌きが見えた。

 

 

(水ッ!!!!!うますぎルゥ!!!!!!!!!)

 

 

 漁師たちはすぐさま船を進ませた。神よ、神様、どうかお助けください。あの怪物から我らをお助けください。彼らは体の震えを打ち消そうと懸命に神へ祈った。

 

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

(水ッ!!!!!うますぎルゥ!!!!!!!!!)

 アジは、目を物理的に輝かせて水を堪能している。今や、三杯目である。叫ばないようにするので精一杯だった。味覚とは、かくも素晴らしいものであった。アジの感情は当然、本体と共有しているので、本体もどこかで叫んでいるだろうとアジは思った。思ったというのは、意識が分裂体にかなり集中してしまったからである。ゲームで熱中しすぎて、母親の声が聞こえない子供のようなものである。本来は本体の感覚、分裂体の感覚は共有し続けているものだったが、分裂体の方の刺激が強すぎると、本体の感覚は鈍くなるのである。

 

 

 それもこれも水がアジを感動させてしまったので、仕方がないのである。

「お待たせしました~」

 アジと黄泉川の前に例のラーメンが置かれた。立ち上る湯気、アジは当然のように嗅覚も解禁しており、その匂いにだらだらとよだれを垂らした。黄泉川は苦笑して、近くにあった紙を使い、よだれを拭いてやった。

 

 

 アジの心臓はうるさいほど鼓動している。

 ラーメンの味に自分はどうなってしまうのだろうと、アジは表情が変えられない分、グルルと唸った。

 



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第17話

遅くなりました。

たくさんの感想とアドバイスありがとうございます。
今後の展開に役立てていきたいと思います。

それでは、よろしくお願いいたします。




 アジの体が震えた。あまりの衝撃に彼の頭は使いものにならなくなった。暖かい白いスープは鳥の旨味を凝縮しており、濃厚でありながらさっぱりとしている。これならばいつまでも飲んでいられるとアジは思った。スープの中で踊る細麺の色は黄金、歯ごたえはモッチモチ、のどごしはつるっつるであった。

 

 

 アジは手に持つフォークを乱暴に持ちながら、ラーメンを夢中で食べる。浮かぶ少々の野菜とチャーシュー、煮卵は味わいを広げ、味覚の荒波がアジを飲み込んだ。アジの手は休むことはない。ムシャムシャ、つるつると口も休まらなかった。

 

 

 美味しいという感情が彼の中で暴れ狂った。長きに渡る味覚の封印は、美味しいという思いを何百倍にも倍増させている。しかし、今の凝り固まった表情や要領を得ない言葉ではその感情は上手く出力しない。彼の人外生活8年間の負の集大成であった。では、体の変異で表現するのだろうか。ちがう、そんな暇はない。一口、一飲み、一嗅ぎするだけで、味覚の喜びが体を駆け巡ってしまう。体内にあふれ出るそれを何とかして放出しないと、体が爆発しそうだった。

 

 

 そしてその想いの放出は突然やってきた。

 最初は湯気だと思った。視界が歪み、よく見えなくなるのは湯気のせいだと。それは違った。頬に違和感、アジは自分の顔に触れる。

 それは涙。

 大粒の涙である。

 少年アジ、美味すぎて号泣である。

 

 

 アジは涙を止めようと顔に手を触れたり、目をこすったりしたが無駄だった。アジの感じる、美味しさビッグバンはそう簡単にはおさえられないようである。アジは、とうとう自分の制御できないほどボロボロと泣き出した。もちろん、悲しいわけではない。むしろ嬉しいのである。心はどこまでも満ち足りて、理性はどこまでも冷静に今の状況を鑑みることができたが、涙は止まらなかった。

 

 

(このままジャ、せっかくのラーメンが食べられナイ)

 ラーメンはまだ半分は残っている。このまま最高の状態でアジは完食したいと思った。時間が経てば経つほど麺は伸び、スープは冷える。それは許されざることである。

 

 

 しかし、自分の涙が器に入ることで味の調和が乱されるのも論外だ。完全なる膠着状態である。アジは悲しみで唸った。はヤク、はやく食べタイ。

 

 

 アジが食べるのを一時ストップしていると、突然の感触。見てみると黄泉川がアジの頭に手を伸ばしている。そして撫で始めた。片手では紙ナプキンでアジの涙をぬぐっている。アジは突然、泣き出した自分のことを思い出し、気恥ずかしくなった。それゆえ自分で、処置できますと彼女の手を優しく払いのけようとする。しかし、そこは体格差と黄泉川のなぜか慈愛に満ちた笑みによって失敗した。

 

 

(そこまでやらなくて大丈夫でスヨ、本当ニ)

 アジの気持ちは、当然のことながら届かないのである。

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 少年アジは味覚というものを知らなかった。カエル顔の医者は口で咀嚼した形跡があると言っていたが、おそらくそれはごみ溜めで、生きるために何かに齧りついたためだろうとも説明した。純粋に、人が食べるための物を、彼は口に入れたことがなかったのだ。

 

 

 水を飲んだだけで彼の瞳は物理的に輝いた。彼の瞳は感情によって発光するのかもしれない。嬉しさ、リラックス時に彼は表情ではなく、瞳や体で感情を表現するのだ。アジは夢中で水を飲んだ。数杯、飲み干して言葉ならざる言葉を言っていた。食べることにアジは感動しているようだった。

 

 

 次にアジは運ばれてきたラーメンを凝視した。湯気、匂い、見た目に至るまでおそらく初めてみるものばかりだろう。テーブルの端にある割り箸を割って、ラーメンをすする黄泉川。

「おっ、けっこう美味しいじゃん」

 

 

 その言葉が終わるとアジは水を飲んだのと同じように、黄泉川の動きを真似した。割り箸を割って、ラーメンをすすろうとする。しかし、彼の手はどうも箸がうまく握れないようで、ふるふると震え四苦八苦していた。そうだ、と黄泉川は気づく。これまで使ったことのない箸だ。急に使えと言う方が無理がある。コップで水を飲むのとはわけが違うのである。

 

 

 黄泉川はすぐに店員にフォークを借りて、アジに渡す。アジはまじまじと箸とフォークを見比べていたが、すぐにフォークを選んでラーメンを食べた。一口、二口とアジはラーメンを食べていく。彼の瞳は見開かれて、無表情ながら驚いていることがすぐにわかった。水とはレベルの違う味の変化、歯ごたえに彼は夢中になって、ラーメンを食べているのだろう。

 

 

 アジの瞳がキラキラと輝いた。よかったじゃん、と黄泉川は息を吐く。どうやら彼はこの料理を気に入ったようである。黄泉川もさらにラーメンをすすった。話題であるこの「ミドリムシ入り鳥白湯ラーメン、煮卵セット」は、学園都市にありがちな実験的嗜好品と思いきや、中々に美味しい仕上がりだった。40種類以上の栄養素を持つ健康食品ミドリムシをふんだんに使いつつも、化学調味料によって緑色を消し、驚きの白さを生み出したと口コミで書かれたこのラーメン。よもやここまで美味しいとは。黄泉川は久々の当たりの店を開拓でき、ニコニコと笑った。

 

 

 さてアジはどんな様子だろうか、教員にありがちな早食い体質によって、すでに一通り食べた黄泉川は彼の方を見た。泣いていた。彼は、涙を流しラーメンを食べていた。彼自身、どこかキョトンとした顔で自分の顔に触れ、目をこすっている。自分の状況が把握できていないのだ。苦しいわけでも、悲しいわけでもないだろう。彼の生活の一端しか知らない、黄泉川でさえも彼の心の中に渦巻く感情は理解できた。一言では表すことができないあたたかな気持ちに、彼は涙を流している。

 

 

 黄泉川はしばしそれを見つめ、そして思わず彼の頭を撫でた。彼のこれまでを労うように、これからを想うように、優しく彼の頭に触れる。そしてもう片方で、紙ナプキンをとって彼の涙をぬぐってやった。アジは黄泉川に触れられて、身をよじっていたが、途中から脱力した。傍から見れば彼女に心開いたようであった。

 

 

 アジの涙が止まると、彼は食事を再開した。スープの最後の一滴まで完食すると、アジは大きく息を吐いた。満足したようである。そして、彼の瞳はキラキラと光っていた。黄泉川は思う。これまでは確かに暗く冷たい世界に彼はいたのだろう。しかし、これからは違うものになるはずだ。食事ひとつとっても、光の中を生きる人たちと同じように、食べたいから食べる、美味しいから食べるという当たり前の生活を彼は歩み始めるだろう。そして、そうなるように自分も、彼に協力しようと改めて思った。

 

 

               ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 二人は食事を終えると、一度病院に戻った、黄泉川はカエル顔の医者に再び話をする。

「本当にいいんだね?」

「もちろんじゃん」

 黄泉川は快活に笑うと、近くにいたアジにこれからの話をした。彼女はアジを一時的に自分の家に住まわせることを伝えた。アジは驚いたように目を見開いた。彼の住居についてカエル顔の医者の提案を遮り、黄泉川が自分の家に居候させようと思ったのには理由がある。

 

 

 まず病院という環境にアジがどのように感じるのかを、黄泉川は考慮した。アジの今までの扱いを見るに、彼を創り育てていた機関はロクなものではないことは確実。そしてそこで彼に接していたのは、十中八九、白衣を着た科学者だろう。白衣を着た集団を見て、アジは気を休めることができるだろうか、おそらくは難しい。

 

 

 次に、黄泉川宅へ住まわせるメリットは、アジに人の生活を学ぶ機会を与えられるためである。アジは普通の学生や社会人の生活を知らない。ついこの間まで、ゴミ捨て場で生きていたことからも明白だ。病院で生活した場合、普通の人間生活と同じとはいえない。何もない簡素な部屋で寝て起き、点滴バッグのようなものを食べ、働きまわっている大人の中で生活する。それでは今後アジが自分の部屋をもったり、生活したりする上で戸惑ってしまう。少しでも誰かが生活している部屋に一緒に住む方が、そういったことに慣れるだろう。

 

 

 だから黄泉川は自分の家に居候させようと考えたのだ。幸いなことにアジは黄泉川を信頼し始めている。大人は怖い人だけではなく、優しい人もいると伝えていきたいと彼女は思う。アジが大人や他人とどんどん関わり、信頼できるようになれば、彼の生活はよりよいものになるはずだ。

 

 

 当然だが、黄泉川がここまでやる必要はない。けれども関わった子供をそのままにしておくことを黄泉川は良しとしない。自分が救ってやるなどと、傲慢は言うつもりはない。だが、自分ができる範囲で、救えるのなら努力は惜しまないと彼女は言う。それが黄泉川愛穂という人間の生き方だった。

 

 

 黄泉川の突然の同居話にアジは混乱したようだ。アジは不明瞭な何かを言って頭を左右に振った。黄泉川はその反応に快活に笑って話をしてやる。気にする必要なんてない。部屋は自慢ではないが広い。それにあんなごみ溜めに住むより、何倍も良いと言った。アジは少し唸る。考えているようだ。しばしの沈黙のあと、アジは小さく頷いて黄泉川を見た。そして深々と頭を下げてくる。

 

 

「オッケーじゃん、今日からよろしくなアジ」

 黄泉川はそう言って手を伸ばし、アジと握手する。そうと決まれば買い物もしつつ、家に帰るじゃんよ、言いながら二人は病院から外へ出た。

 

 

 

 

 手を握る二人は仲の良い姉弟にも見えた。カエル顔の医者は、また一人患者が退院するのを見届けると院内に戻っていく。途中で受付に備えついているTVがついていたので、彼は何気なく見る。

 

 どうやら太平洋で謎の爆発があったようである。

 旅客機からスマホで撮影した提供者映像には、海上から天を貫く赤黒い閃光が捉えられている。

 映像が切り替わる。

 今度は近くの島にいた旅行者からの提供映像。笑顔で海で遊ぶ子供の後ろ、地平線で赤黒い爆発が数回あり、海から水蒸気が立ち上っていた。

 さらに関連して、先ほどその近海に漁に出ていたいくつかの漁船との連絡が途絶えているようだった。その安否が心配され、救助隊はすでに向かったとのこと。

 爆発の原因は不明だが、海底火山の爆発にも見えると専門家は指摘していますと、キャスターは説明した。

 

 カエル顔の医者はしばしニュースを見て、そして歩みを進めた。少し興味を覚える内容だった。しかし目の前に患者に関係あることを重要視する彼にとって、患者とはなんら関係のない、はるか遠くの太平洋での爆発騒ぎは、彼の頭からすっかり抜け落ちていった。

 




漁船が心配です。


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第18話

遅くなりました。
感想、本当に嬉しいです!
活力になります。



 アジが黄泉川の家に居候してから四日がたった。

 アジは慣れたようにリビングのソファに腰を下ろしつつ、いくつかの触腕をだらりとフローリングに垂らしている。行儀が悪いように見えるが、こうでもしないと体重が重すぎてソファを壊してしまいそうだったためである。アジは、窓から見える青空を眺めながら居候開始日のこと思い出す。

 

 

 アジは黄泉川に連れられて買い物を終えると、彼女の家に向かった。そしてそこで彼は度肝を抜かれた。未だに独身でもなんらおかしくない年齢の彼女の家は、驚愕の高級マンション4LDKであった。フローリングは磨かれ光沢があり、洋酒の瓶やグラスなどが飾られえており非常にオシャレだった。アジはこの今世に生まれてからずっと畳の和風な家に住んでいたので、フローリングのペタペタ感は久しぶりだ。ペタペタと床を踏むアジ。そうして視線を動かしていると部屋の中には大型テレビがあり、近くには机とソファ。壁には最新式のエアコンも完備されている。

 

 

「ようこそ我が家へ」

 アジは黄泉川を尊敬の眼差しで見た。彼女はどうやら高給取りのようだ。でなければこんな場所に住むことは不可能だろう。アジは黄泉川を学園都市の機動隊みたいなものだと考えていたが、もしかすると本職は別なのかもしれない。もしくは機動隊の仕事は危険手当もついて月収がすごいのかもしれない。

 

 

 しかもアジは買い物に付き合ったことで、黄泉川のこんな良いところに住めるほどのお金があるのに、それに甘んじずに安いスーパーで肉や野菜を購入する節約の気持ちがあることも知った。加えて素性の知れない自分にこんなにも親切にしてくれる彼女。さらには化粧をほとんどしていないのに、いやしないからこそ映える美貌と隠しようがない巨乳をもつ彼女。

 

 

 まさにスーパーウーマン。現代社会の成功者。アジの瞳に尊敬の熱がこもったが、黄泉川には伝わっていないようである。彼女はアジの視線に少し首を傾げるだけで、そそくさと購入した品物を冷蔵庫に入れていく。

 

 

 そしてアジは心の底から黄泉川に感謝していた。まさか家に居候させてくれるとは思わなかった。本来ならば、食事をごちそうになった時点で充分世話になったのである。ここまでしてもらう義理など一切ないはずだ。しかし、彼女の誘いにアジは乗ってしまった。悩んだけれども、乗ってしまったのだ。

 

 

 理由はカンタンで、もう独りは正直辛すぎたのだ。誰とも話せず、関われず、空腹に耐える日々はやはり孤独である。アジは魔術という逃げ道があったが、それでも寂しさはぬぐえなかった。そんな中、助けてくれた黄泉川とあの医者である。8年ぶりの会話、8年ぶりの善意に、アジはすっかり甘えたくなってしまった。

 

 

 もちろん、この恩には必ず報いる覚悟をアジはもっている。そのために天草式の仲間とはやく合流し、この魔術から自由になり、たくさんのちゃんとしたお礼の言葉と、きちんと金銭などの代価を返さねばとアジは決意していた。とりあえず手伝おうと黄泉川の近くまでいくものの、背丈が足りず袋の中がよく見えなかった。それを見た彼女は勘違いしたのか、紙パックのジュースを一本袋から出すと、それをアジに渡す。

 

 

「さっき食べたばかりだから、ジュースで我慢するじゃん」

「いあ、おえうあいおいおおあお」

(イヤ、お手伝いをしようカト)

 当然のようにアジの言葉は通らず、黄泉川は彼をリビングへ促した。アジは申し訳なく思ったものの、ジュースをまじまじ見てしまう。それは変哲もないぶどうジュースであるが、はて、ぶどうってどんな味だっけ?アジは慎重に紙パックの飲み口を裂くと、中身を堪能する。

 

 

 もう、おわかりだと思うが。8年ぶりの甘味はアジの脳をふにゃふにゃにするのには十分であり、またもや彼の意識は分身体に集中した。本体が、今どこにいるのか。何をしているのか。アジ自身、全くわからなくなっていた。黄泉川が彼を呼びに来るまで、アジは飲み終わったジュースの口を全開まで開封して中の匂いまで堪能していた。黄泉川に、もう入ってないじゃん?と指摘され、アジは死にそうになった。情けなすぎる。アジの恩返しの一歩は遠い。

 

 

 その直後、黄泉川はアジに各部屋を紹介した。今いるリビング、電子ジャーが異様に多いキッチン、寝室、使っていない洋室が複数、そしてトイレとお風呂である。見れば見るほどすごい家である。お風呂は学園都市製のようで、ミストサウナもついているようだった。壁についている操作パネルは多機能すぎて、絶対に高齢者は混乱するだろうなとアジは思った。そうこうしていると、黄泉川はアジに突然バンザイするように促した。

 

 

 はて?どういうことですか?

 アジが頭は傾げつつもバンザイする。すると泉川はアジの服をすぽんと脱がせた。驚くアジに黄泉川は、「もう出かけないし、お風呂入っちゃうじゃんよー」などと言いながらアジのズボンやらパンツをグイグイ脱がせていく。流石に少々、抵抗したアジだったが力の加減を間違えて黄泉川が怪我などしないようにしていると、案の定すっぽんぽんにされた。女性に裸にされる羞恥に、アジは震えたが、それを寒いからと思った黄泉川はアジを風呂場に連行する。

 

 

 浴槽にはすでにお湯が張られている。アジは黄泉川に頭からシャワーをザブザブかけられ、全身を簡単にお湯を流される。まるで介護かとアジは思い、自分でできますと言いたかったが、伝える手段がここにはない。抵抗できぬまま、アジは気づけば浴槽につかっていた。もやもやを心に抱えていたアジだったが、その気持ちよさにどうでもよくなった。

 

 

 海は基本的に冷たく寒い。ときたま海底火山などで暖もとったが、襲い掛かる空腹ゆえにその場に居続けることは難しく、ついぞ堪能はできなかった。

しかし、今は違う。温かいお風呂につかることができる。温かいという思いは素晴らしい。思わずアジはため息をついた。超絶リラックスタイムである。さらに黄泉川への恩返しはハードルが上がっていくのを感じるアジ。こうなれば特性の運気上昇霊装でもプレゼントしなくてはいけないかもしれないと、アジは思った。

 

 

 お風呂の湯気でアジの視界が少々ぼやける。ならばいいかとアジは目を閉じた。気を抜けばこのまま眠ってしまいそうである。風呂場で眠ると溺れる危険性があることはアジも承知していた。しかし今世の人生の半分ぐらい水中で生きているアジが溺れる心配などない。ふと、そこで音がした。扉が開く音である。アジは黄泉川が着替えを持ってきてくれたのだと思った。お礼を伝えようと目を開き、首を回すと、全面に肌色。次に見えたのは豊満な乳。

 

 

「アジ、お風呂の使い方を説明するじゃんよー。まず、これがシャンプーって言って.........おい、お風呂にもぐって遊ぶのはあとにするじゃん。楽しいし気持ち良いのはわかるけど」

 黄泉川が何かを言っているが、アジは今彼女の顔を見ることができない。8年ぶりの女性の裸体の威力は、まさに一撃必殺であった。

 

 

 その後、アジはあんまり覚えてないが黄泉川に頭と体を洗われ、ドライヤーで髪を乾かされ、食事をして、添い寝されて朝を迎えたのだ。黄泉川よりも早く目を覚ましたアジはベッドから抜け出して震える。

 

 

 ここまで甘やかされるとは、誤算。たしかに今の姿はチンマイだろうが、ここまでやってもらうほど幼くないはずだ。甘えてしまった自分も悪いが、黄泉川はもっと男子との関わり方を学んでほしいと本気で思った。自分は大恩人に対してそんなことはしないが、男は全員がオオカミを腹に住まわせているのである。自分は治ったら、そこも含めて恩返しをしようと、アジは真剣に思った。

 

 

 様々な意味で衝撃的な初日を体験したアジ。翌日は寝る場所もお風呂も一人でよいと、なんとか伝えることができた。もちろん言葉でも格闘したが、それよりも良かったのが筆談である。8年ぶりということで、繊細な文字は書けないものの、なんとか(一人でやらせてください)と書けたのである。これにはアジ大満足だった。いずれは彼女に天草式のことを伝え、外に出してもらえるだろうと、彼は本気で考えていた。

 

 

 

 

 そして現在、アジはリビングでボケっとしている。黄泉川への恩返しをしようとしたのだが、やはり基本的に彼女の日中は仕事であり、お助けすることがない。帰宅した彼女のために、せめて食事の支度とお風呂の用意、掃除などをしているが、こんなもので大恩に報えているとも思えないアジである。アジは若干の空腹を感じ、カエル顔の医者からもらった飲み物を飲む。凄まじい高カロリー輸液らしく、味は無味だが通常の人は飲んではいけない代物だそうだ。

 

 

カエル顔の医者にもお礼をしなくてはいけないのである。そう思い立って、この数日の間に会いにいったアジ。最近、話すよりも効果的であると知った筆談を使って、恩返しをしたい旨を伝えたところ。

 

 彼はまずアジの頭を撫で、微笑み、薬を飲み元気でいることが恩返しだね?などどいってそそくさと仕事に向かってしまうのである。困った。これではダメだとアジは思った。

 

 

 この体ではロクなことができないと判断したアジは、本体を何回か浮上して変異。またもや天草式の仲間たちと何度か通信をしたものの、そのどれもが不発。やはり生き物の鼓動のせいで、凄まじいノイズが走ってしまうのだ。何度か工夫したものの、まるで効果がなかった。

 

 

 これでは手詰まりである。今のところアジはそろそろ黄泉川にきちんと魔術と天草式のことを伝えようと思っている。つたない筆談だが、丁寧に書けば数枚で全部の情報が入りそうである。その上で助けてもらおうとアジは考えた。魔術は一応秘匿しなくてはいけないが、黄泉川なら言っても黙っていてくれるだろうと、アジは呑気に思った。

 

 

 アジはカエル顔の医者からもらった液を飲み終わると体を伸ばして、ソファから立つ。家にずっといても仕方がない。町の探索でもしよう。アジは(ちょっと出かける)と置手紙を残して、家を出た。

 

 

 

 

 

 

 黄泉川の住んでいるところは第七学区と呼ばれる場所で、大勢の学生が住んでいるところだ。高校生や中学生、不良やお嬢様など色々な学校があるようだった。実際に不良同士の喧嘩も見たことがあったし、お嬢様がお茶をしているとこも見たことがあった。流石は学園都市。多様な学生を見ることができる。今日アジはプロペラが多い地域へやってきていた。どうやら発電用であるらしくかなりの電力が賄えるとのことだ。アジは落ちていた学園都市のパンフレットを読んで、それを知った。ドラム缶のような、憎き清掃ロボから守り抜いたパンフレットはボロボロだが彼の宝になった。

 

 

 アジがベンチで一休みしていると、学生が下校しているのが見えた。もう少しで夕方になる。アジが何となく学生の動きを見ていると、途中の自販機で飲み物を買っていた。そこでアジは発見する。実に懐かしい飲み物を見つけたのだ。アジがダッシュして見に行ったのは、あの(ヤシの実サイダー)であった。

 

 

 そうだここは学園都市。ここならば普通に売っているのだ。アジは歯噛みした。今はお金を持っていないからだ。黄泉川は小遣いのようなものをアジに渡そうとするのだが、彼はそれだけは流石に、本当に流石に!と表現してもらっていなかったのだ。しかし、飲みたい。懐かしきあの味を感じたい。アジはキョロキョロして、自分の指を触腕に変化、その後伸ばし。そして少し千切る。指は元に戻り、千切られた指はさらに変化。六芒星の形になった。これは術式なんて大層なものではない。単なる印にすぎない。しかし、一応アジの一部であるために、アジにしかわからない微弱な魔力が出ている消えない目印だ。

 

 

 今度、黄泉川に頼み200円ほど貰おうと考えたアジである。アジは一日の収穫に満足して、帰ろうとする。そこへ影が走っているのが見えた。それは不良の喧嘩だった。二人が一人を追いかけている。

「不幸だッー!!」

「待ちやがれこのウニ野郎!」

「出しゃばりやがってこの野郎!」

 

 

 頭がツンツンしている少年をガラの悪い二人の若者が追いかけていた。若者は何かを喚きながら火の玉を少年に向かって放つ。ギリギリ当たらないが、直撃は時間の問題に思えた。アジは体を変異させて三人を追った。流石に2対1はかわいそうだなぁと思ったからである。いってアジの能力でビビらせれば、喧嘩がおさまるのだ。もうすでに2回成功させたアジである。共通の恐怖は、不良同士のいさかいなど、一瞬で吹き飛ばしてしまう威力があった。

 

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 その日も上条当麻は不幸だった。登校中に鳥の糞が肩に落ちるし、担任には夏休みの補習が確定したと告げられるし、昼食の総菜パンは売り切れて新発売の「痺れ山椒香るメロンパン」とかいう絶対に地雷でしかないパンしかなく、なくなく購入し、実際に不味いという半日だったのである。

 

 

 そして下校中も不幸は止まらない。二人組の男が、どう見てもカツアゲをしていたので、上条はその間に割って入ったのである。カツアゲ二人組はそれに怒り、片割れが手から火を出して上条を威嚇。

 

 

 しかし、上条はそれにとっさに反応。

 右手が火に触れると何かがはじけるような音と共に、火がかき消えたのである。カツアゲ組の片割れは、それを見てキョトンとした。そして、目の前の男が自分の火を消したと気づき、大いにむかついたようである。二人はカツアゲをやめて、ターゲットを目の前のムカつくやつ(上条)へ変更。追いかけっこの始まりであった。

 

 

「しつこすぎんだろ!?なんだよもうすぐ夏休みだろうが!?気分を切り替えていけよ!!」

「お前をぶっ飛ばした後、切り替えてやるよ!この野郎!」

「そうだ!バカ野郎!」

 会話は成立しない。上条は目の前の男たちの半ばチンパンジーじみた様子に焦った。そして焦りは、彼の逃走経路を大きく見失わせた。気づけばゴミ袋の転がる路地裏、そして行き止まりであった。

 

 

「ふ、不幸だ!?」

 上条は奥にあるフェンスにガシャンとぶつかり、叫んだ。まことツイてない男だった。不良二人は追いつき喚いた。そして、火をまたもや上条に放つ。今度は走っていないために、狙いは正確だ。上条の顔面を狙った火の玉は、上条が突き出した右手に増えると、一気に消える。

 幻想殺し(イマジンブレイカー)、彼の右手はそう言われている。

 彼の右手に触れると、どんな異能もすぐに消え失せてしまうのだ。

 不良は馬鹿の一つ覚えのごとく、火を連射するが上条には一撃も入らない。

 

 

「今度は俺がやる」

 もう一人はそう言うと近くにあったゴミ袋を浮かせた。念動力の一種だろう。ゴミ袋はそこそこの勢いで上条に迫り、右手に触れると一気に失速して上条の頭へぶつかった。瞬間、袋は破れて生ごみが上条へかかる。上条が消せるのは異能のみである。だから、ゴミ袋を飛ばした念動力の効果は消せても、ゴミ袋自体は消せないのだ。

 

「不幸すぎる............」

 上条が呻くと、それを余裕と勘違いした二人はさらに攻撃を続行した。ゴミ袋と火の同時攻撃である。上条はそれにビビり、目を閉じて右手を出した。

だからだろう。そこに火とゴミ袋を叩き落とそうとした触腕が入り込んだことに気付けなかった。何かがはじける音がした。火は消え失せ、先ほど同じようにゴミ袋だけは無事で、なおかつ中身がぶちまかれる。生魚の臭いが鼻をついた。料理に失敗したのだろうか、ずいぶんと大量の生ごみだった。

 

 

 不良二人は、上条がゴミまみれになったことで、大笑いした。

 ぶちん、そこで上条の頭から切れる音が聞こえた。上条は腕を回しながら不良二人に近づき、持ち前の右手で打ち消し、殴りつけた。二人に辛くも勝利した上条は帰ろうとする。それにしても不幸な一日だった。特に、魚の臭いがきつすぎる。上条はため息をついてトボトボと帰っていった。

 

 

 不良たちが伸びている近くで、小さくない肉塊が蠢いたが、すぐに動きは鈍くなり、とうとう動かなくなった。

 

 

 

 

 その日、アジは黄泉川の家に帰って来なかった。

 




そげぶ回でした。


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第19話

遅くなりました。
感想を書いてくださる皆さま、何度も同じことを言ってしまいますが、本当に嬉しいです。
皆様のおかげで、楽しく書くことができます。

これからも楽しいと感じてくださるよう、頑張ります。
よろしくお願いいたします。



 目を開けると暗闇だった。太陽の光が届かない闇の中。地球でもっとも未知が溢れる場所、深海。そこで全長数百メートルもある巨体が動き出す。その動きを察知して近海の生き物は全て逃げ出した。本能で察したのである。どちらが捕食者であるのかを。

 巨体は浮上する。徐々に視界が明るくなり、10分程度で水面が見えた。

 

 

 爆発的な音を立てて巨体は、海上に姿を現した。ゴツゴツとした冷えた溶岩のごとき体、鋭い牙と眼光、頭部には角が生え、いくつものヒレと触腕が伸びる背面。

 この世ならざる怪物は咆哮する。世界が割れると勘違いするほどの、音の衝撃に雲と海が揺れた。

 

 

 (ビ、びっくりしタッ!?)

 怪物アジは先ほどの衝撃に思わず戦慄の声を上げたのだ。アジが不良の喧嘩に割って入ろうとした時、彼が感じたのは右手の感触。直後に襲う消失感。高いところから落下したような血の気が引くような気分になったのも束の間、分裂体は瞬く間に消滅した。正確に言うとアジ本体と分裂体をつなぐパスがブチ切られ、分裂体を形作る魔力が一気に拡散した。

 

 

 アジはその異常性を認識する。あの学生に触れた瞬間にすべての魔力・術式がかき消された事実は、魔術師である彼を驚嘆させる。あの頼れる最強の仲間、神裂でさえ術式を破壊することができても、完全に消滅させることはできない。それからもあの学生がとんでもないことがよくわかった。

 

 

 しかし、ここまで考えた怪物アジの思考から飛び出したのは、(すごい人もいるものだナァ)というバカみたいな感想だった。実にのんびり、実にのほほんとした様子のアジ。本来のこの世界の魔術師であれば、あの少年の行った魔術消滅現象は、魔術に捧げてきたこれまでの人生を真っ向から否定されるようなものである。

 

 

 他者よりも時間をかけ、自分の限界を超え、それでも届かぬ理想を追い求めて創り上げてきた自分だけの術式であったり、自信作の霊装が一瞬で打ち消される事態。打ち立ててきた経験と魔法名に込めた願いを無下にする一撃。それに直面した時、ほとんどの魔術師は焦燥し、混乱するはずだ。それだけ魔術に懸ける情熱と思いこそが彼らの強みでもあり、弱さでもあった。

 

 

 けれども、アジにはそれがない。そもそもアジにとって魔術とは、自身が扱う法則というよりも掘れば掘るほど湧き上がる神秘のようなものである。不思議が当たり前で、不条理が当然である。だからこそ魔術をまるごと消失してしまうような事態も、めっちゃすごいけど、まぁあるだろうな、という認識だった。

 

 

 アジは自身に起きた現象に驚き、やはり魔術って楽しいものだなぁ、不思議なものだぁと思い、長い息を吐いた。傍から見れば、怪物が思案し地鳴りのような唸り声を上げたようにしか見えないのはご愛嬌である。

 

 

 アジはしばし巨体で大空を見た。次に周りをぐるりと見回した。うむ、完全なる迷子、いや迷い怪物であった。深海で捕食に専念し、休眠していた本体だったが、アジ分裂体時の想いや思考によって移動していた。しかし何よりも、分裂体の度重なる分裂体の驚愕と喜びと感動に、無意識のうちに予想よりも大きく移動してしまったようだ。

 

 

 アジは今、自分がどのあたりの海にいるのかよくわからなくなったのだ。しかし、心配はいらなかった。龍脈を探れば陸地までの距離もだいたい把握できる。なによりも、アジ分裂体が施した目印、あれがあるので、アジはいつでも「ヤシの実サイダー」が販売されている自販機まで向かうことができる。

 

 

 アジはとりあえず黄泉川の家まで戻ろうと思った。まだまだ恩は返しきれていないし、急にいなくなったら迷惑をかけてしまいそうだからだ。そして、なによりもアジは学園都市に戻らなくてはいけない理由ができた。

 

 

(あの学生、もしかして能力を無効にする能力者なのかもしれナイ)

 なにせあの学園都市である。様々な学生が開発を受け、多様な能力を得ている科学の都だ。そんな場所ならば、あの学生のような力もあり得るだろう。能力無効化の力。いや、能力消失系の力を持つ少年だ。きっと優秀で、あの町の中でも上位の強さをもつ能力者なのだろうと、アジは思う。

 

 

 そして、そんな強力な少年がアジ本体にその力を使ったらどうなるか。

 きっとこの巨体は、一瞬で消滅だ。だからこそアジは思う。あの力でこの巨体の魔力・魔術を消してほしいと。そうすれば巨体の暴走した魔術を一つ一つ解除するよりもカンタンかつ、すばやくアジは本来の体を取り戻せると考えたのだ。アジは咆哮を上げた。喜びの咆哮である。傍から見れば破壊神の怒りの発露に見えるが、そうじゃないのだ。

 

 

(お願いして助けてもらオウ。魔術のことも素直に話シテ、彼が使えるようなカンタンな魔術や霊装も上げヨウ。ちゃんとお礼を用意シテ、きちんとお願いすれば伝わるはズサ) 

 

 アジは前向きに考えて移動を開始した。彼が巨体に触れられるように、日本の近くまで進むためである。その後は、また分裂体を創り事情を話しに行こう。アジは希望に向けて泳ぎ出す。るんるんと鼻歌さえ飛び出しそうなほど上機嫌なアジは、体を移動に適した形に変異させた。

 

 

 推進力を得るための巨大な尾、いくつもの長大な触腕。いくつもの大波と衝撃波をまき散らしながら彼は潜水し、巨体を進めていく。途中で深海の中の生物を捕食し、クジラの群れを食べながら、陽気な怪物の旅は進んだ。

 

 

 

 

            ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 「動きがあった」

 ある男が言った。

 場所はとある廃屋だ。普段は不良のたまり場になっているその場所には、普段とは違う人種が多数詰めている。ある者はローブを着ていて、ある者はスーツ姿、そしてある者は大剣を携えている。人払いの術式によって、どんなに彼らが奇抜な恰好をしていようが危険物を見せびらかしていようが、問題になることはない。

 

 

 辺りには関係者しかいなかった。人の世には決して出回っていない魔術の関係者たち。彼らに共通しているのはそれだけだった。誰もが違う組織であり、信じる神すら違った。

 

 けれども稀有なことに、彼らはいがみ合わず一応ではあるが協力体制をとっている。その理由は部屋の中央。床に置かれた水晶から投影される一つの映像だ。

映っていたのは海、見えたのはクジラの群れだ。だが専門家が見ればわかっただろう。その群れが、ばらばらに逃げ惑っているのを。

 

 

 群れの中、クジラの一頭の体が宙に浮いた。正確な種類はこの場にいる誰もわからなかったが、それでもそのクジラの大きさは十数メートルは確実にあった。その大きな体が宙に浮いている。いや、そうではなかった。より大きな巨体の口にそれが喰いついたのだ。

 

 

 海から突如として現れた怪物がそのクジラ体に噛みついていた。クジラの体が小魚に見えるほどの巨体だった。怪物はさらに背から触腕を伸ばして、周りのクジラを捕らえ、食いつぶしていく。喰うものと喰われるもの、自然の摂理と言うにはあまりにも異様で圧倒的だ。

 

 

「少し前の映像だ。この海魔はクジラを捕食したのち再び潜水、移動速度をあげながらある場所に向かっている。おそらく方向から考えるにアジア、それもここ日本である可能性が高いと上は考えている」

 ローブ姿の男は言った。男は必要悪の教会所属の魔術師だ。必要悪の教会は、件の怪物、海魔を警戒していた。もう何年も前に必要悪の教会の日本支部の一つを襲われかけたことがあった。彼はその場にいた。仲間と共に海魔に喰われかけた男だった。

 

 

「これが、海魔ですか.........」

 スーツ姿の男が言う。彼はまた別の組織の男だった。彼は海魔を見るのは初めてだったが、その名はすでに知っていた。海魔の名は魔術世界に轟いていた。海に潜む怪物、魔を喰らい人を脅かす化物。海から現れ、海に去っていくそれを、魔術世界は海魔と呼称している。

 

 

 今や皮肉なことに、本来ならば刃を向け合う者たちが、海魔撃退という同じ方向を向いている。それほどまでに、件の海魔は恐ろしい存在だと思われている。必要悪の教会を震撼させた最初の海魔上陸、一般人に目撃された中国大陸への上陸、そして巨大魔術霊装を輸送していたタンカーを襲ったあの大事件。海魔はこれまでも魔術世界との攻防を行ってきた。

 

 

 そんな怪魔が最近になって再び頻繁に活動を開始した。この状況を魔術世界全体が危険視した。

 赤黒い閃光を吐き出していくつかの小島を破壊した海魔。その姿はすでに数人の一般人にも目撃されている。海魔は魔術に関係する化物である。海魔の露呈は、魔術の露呈に繋がる。よっていくつかの魔術結社は、その大小に関係なく手を組むようになったのだ。

 

 

「海魔、ね」

 大剣を携えた男、天草式十字凄教、教皇代理、建宮齋字は映像を睨んだ。建宮もまた、最初の海魔上陸に居合わせている。その後の襲撃には間に合うことはなかったが、今回は必要悪の教会の要請もあり駆けつけることができた。日本を拠点とする魔術結社、天草式は魔術世界においてその強さは認められていた。

 

 

 様々な武技を駆使した攻撃的術式、加えて影から現れ闇に消える転移術式。世間は天草式からあの霊装屋が消え、女教皇の聖人が去ったことで一時侮っていた。しかしそれが間違いだと訂正するのに時間はかからなかった。それを証明するように彼らはここにいて、貴重な戦力に数えられている。

 

 

「おそらく決戦は一週間後だ」

 必要悪の教会の魔術師は言う。

「でかくなりすぎて、前よりもかなり移動速度が落ちている。この間に各々、調整しておいてくれ。もちろん、全員が仲良く連携することは期待していない。それぞれがベストを尽くそう。ではまた」

 魔術師がそういうと、廃屋にいた面々はそれぞれ去っていく。歩くもの、転移するもの様々だ。あらかた消えたところで、必要悪の教会の魔術師は建宮に頭を下げて転移した。彼にとって、建宮と天草式は命の恩人だ。

 信じる道や信念は少し違うかもしれないが、それでも男にとって建宮たちの生き方は素晴らしいと本気で考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 建宮は男が消えるのを確認して、ため息を吐いた。水晶は天草式のものなので、建宮は回収のために近づいた。海魔はクジラを捕食し終え、唸ると潜水していった。

 

 

「アジ.........」

 建宮は呟く。彼は仲間の誰にも伝えていないが、海魔の正体が大切な仲間の成れの果てであるだろうという予感をもっていた。建宮はポケットからとある霊装を取り出す。

「虹色の絆」だ。最近、この霊装に対して生き物の鼓動のようなノイズが混じることが頻発した。仲間たちは心配し、何度も霊装を確認、調整したが結果はわからずじまいだった。一人を、この建宮を除いては。

 

 

 アジが海に落ちた時、彼の絆はどこにあったのだろう。最後まで彼の首にかかっていたはずだ。体を蝕まれ、変異していく中にあっても絆はアジと共にあった。最後まで天草式の仲間でいたのだ。

 

 

 そんな彼の体は卑劣な魔術研究が作り出した暴走に未だ蝕まれ、そしてあの崇高な信念を穢されている。アジの霊装を何度も見てきた建宮だからこそわかったことがある。絆に届いていた魔力は、まるで電話の通信履歴のように残っていたのだ。

 

 

 発信先は、やはり海魔の体内であった。

 建宮は怒りに震えた。あの優しき少年の死が、身勝手に貶められている現状に歯噛みした。無論、海魔にアジの心など一切残っていないだろう。暴走する肉塊がアジの体を使って、暴れまわっているのだ。ふざけやがって、建宮にとってその事実は許せるものではない。その気持ちを隠しながら過ごしていると、この海魔撃退の招集がかかったのだ。

 

 渡りに船だと思った。

 建宮は決意した。

 優しき彼に引導を渡そうと決意した。誰よりも仲間を想い、他人を想い、あの聖人を想った少年が、こんな目に遭うなど許されることではない。そしてその仲間を、どんな形であれ討ち滅ぼす咎は自分だけが背負うべきだとも思っていた。仲間たちは何も知らない。全力で倒そうとする化物が、あの少年の成れの果てであることなど、想像もしていないだろう。

 

 

 それでいいと建宮は笑う。あの時、無様にも少年を守れず。そして日々の中で聖人の心を救えずここを去らせてしまった。そんな自分ができる罪滅ぼしができるなら、喜んで剣を振ろうと思った。

 

 

 建宮は水晶を回収してその場から去った。転移した隠れ家では仲間たちが建宮を迎えた。笑いながら皆の元に歩く建宮の心情を知るものはどこにもいなかった。

 




建宮は本当にかっこよくて好きなキャラクターです。


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第20話

 とある路地裏で大量のごみが散乱していると警備員に通報があった。駆けつけた警備員の一人は眉をひそめて見回す。散乱する生ごみ、特に魚介系の生臭さがひどい。なぜか腐乱してはいないものの、その量が異常だった。水族館をひっくり返したような多様な海洋生物の破片が散らばっていたのだ。

 

 

 警備員はすぐさま清掃用ロボを収集して、片付けの準備に入った。

ふとそこであるものを目にする。それは生ごみにしては大きい塊だ。

まるでハンバーグのような、肉の塊だった。警備員を悪寒が襲った。それはまるで、一人の子供がうずくまっているように見えたからである。彼はさらに別に救急車に連絡した。考えすぎだろうと、彼は不安をぬぐうように肉塊に近づいた。そして触れて、動かしてみる。

 それは、生ごみではありえないほどの重量だった。

 そして警備員は見てしまった。肉塊の下に隠れるように、子供服が落ちているのを。

 

 

             ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 連絡を受けてカエル顔の医師は分析を行っている。目の前には一つの塊。食肉店で見られるような肉の塊だ。肉にはいくつものチューブがつながれていて、多様な機材に連結されている。機材は様々なデータをモニターに映し出す。肉塊の質量、血液量、生体電流、そしてDNA。

 

 彼はそれらのデータを全て見たうえで、総合的に判断を下した。

 これはあの少年の体に間違いないと。彼は神妙な表情で、部屋を出た。向かうのは受付だ。そこに少年を助けた警備員たちがいる。医師の顔を見ると、数人の警備員たちが駆け寄ってきた。彼らは移動する。とても人前で話せる内容ではなかったからだ。

 

 

 移動してきたのは空いている病室。冥土帰しは、自分の判断を伝えた。屈強な体つきの警備員は歯ぎしりをして床を殴った。鉄装は頭を押さえてベッドに腰かけ、その他の同僚たちも消沈していくのがよくわかった。

 

 そして彼女。

 黄泉川は呆然とした表情で、ただ立っていた。普段の快活さなど、一切感じさせずにただ立っている。天井からワイヤーで吊られた人形。そう表現した方がよいと感じるほど、生気が急激に失われている。

 

 

 黄泉川たち第七三支部は、アジ少年の保護から彼の情報を集め続けていた。

キメラ研究をしている科学者をピックアップし、これまでの研究データを虱潰しに確認した。けれども、アジのような人間のDNAを混ぜ合わせるような実験のデータはどこにもなかった。無論、アジに対する過激な研究ゆえにおそらくは秘密裏の実験だということは全員がわかっていた。しかし、それにしても、全くというほどにアジに関するデータは存在しなかった。影すらない、全くの0だった。

 

 

 どれほど、アジには深い闇が関わっているのか。黄泉川たちは戦慄すると共に、だからこそ決意したのだ。彼を守ろうと。なんとしても救おうと動いていた。

 

 教員としての信念と持ち前の善性から、彼のことを日々見守っていた。保護した黄泉川だけに負担はかけられないと、持ち回りで彼の様子を見ていたのだ。黄泉川と彼が出かけるときには、一人は怪しい人物・機械・カメラがないか確認してきた。

 

 

 それでもだ。そこまでやってもアジに関わりそうな人物どころか、悪意らしいものすらなかった。誰が、どのように切り取っても平和なひと時だった。無論、ずっと監視ができるわけでもない。それができるほどの人員も余裕もなかった。彼が黄泉川の家に住むようになって三日目に、彼女は上司に直談判して最新鋭の発信機を入手。アジの着ている服に毎回つけることができるようになった。

 

 

 それゆえに第七三支部は一時、アジの監視を緩めた。たった一日、発信機のチェックもかねて誰も近くにつかなかった。

 その結果がこれなのか。その場の全員が同じことを思った。

 

 

 現場に駆けつけた警備員は、発信機が子供服についていたこと、異様な重量のある肉の塊があったこと。事件の可能性が高いことがすぐわかり、救急車は一番近くのカエル顔に医師のいる病院へ向かい。

 あの警備員はその発信機の電波から、第七三支部へ連絡。放課後の職員室で仕事をしていた黄泉川にもすぐに連絡がきたのだ。

 

 

「なんで」

 黄泉川は言う。

「なんで、あいつがこんな目に遭わなくちゃいけないじゃん」

 彼女は誰に問うわけでもなく言う。ふらふらと少し歩き、崩れ落ちるように床に座った。

 

 

 共に住み黄泉川はアジのことを深く知った。彼は非常に優しく聡明だった。アジは黄泉川が彼に住むところや食べるものを提供していることに気付いたようで、黄泉川に事あるごとに感謝を表した。黄泉川が帰るとすぐに出迎えてカバンを運んだ。部屋を片付けておき、風呂の用意をしておき、食事の用意すらしてくれていた。

 

 

 アジが初めて見るものばかりだというのに、電化製品等をすぐさま使いこなした。好奇心も強く、外の世界や科学、黄泉川とカエル顔の医師以外の人間にも興味津々といった様子になった。

 

 

 特に食べ物に関しての意識は高かった。色々なものを夢中で食べた。無表情だったが、目は輝き伸びる尾をふるふると振っている姿は、とても可愛らしく見えた。

それは人間だとか、そうじゃないとか。そういう問題が小さいように感じられた。

 

 

 黄泉川は思う。彼は他の子供たちと何も変わらなかった。彼には子供たちと同じように未来があり、笑顔で生きる権利をもっているはずだ。なのに、なぜ。

 黄泉川の様子を見て、カエル顔の医師は口を開いた。

 

 

「彼を襲ったのが、どんな組織で誰が裏で糸を引いているのかは一切不明だね?でもね、今回の調査でさらにもう一つ不可解なことがある」

 医師は説明する。それは小さな砂粒のような希望の言葉である。今回調べたあの体、そこからは間違いなくアジのDNAが発見された。その量からも彼の体であることは明確だ。しかし、同時に足りないと彼は言う。

「足りない?」

 鉄装は聞き返した。

 

 

 あの体、そして散乱していた海洋生物たちの破片、サメ、タコ、小魚、ウツボ、甲殻類等の数を見てみても質量が足りないとカエル顔の医師は言うのだ。少なく見積もっても何十キロも足りない。それはアジを害するものが、彼を持ち帰った可能性を示した。同時に、襲撃にあった彼が変異して逃げた可能性もあると、医師は説明した。

 

 

 彼らが気付けるはずもなかったが、その重さはアジの体内にあった魔力量である。多様な生物の体を無理やりつなぎ合わせるための魔力の量が、それだけ必要だったのだ。しかし、その事実は科学的に見れば、足りないと表現せざるを得ないし、とある右手によって消し去ったとは想像もできないので仕方がなかった。

 

 

「楽観できるようなものでない。けれど彼が今日この時、死んだとは僕には思えないね?あれほどの能力を秘めた存在をそう簡単に始末するなんて馬鹿げているし、行動があまりにおざなりだ。わざと彼が死んだように見せつけたようにすら思えるね?」

 医師の言葉に、警備員たちの顔に少しずつ血の気が通ってきた。

 彼の言葉がもたらした小さな火が、警備員の胸に宿った。それは黄泉川も同様だった。彼女は立ち上がる。悲しみに涙を流していれば誰かが助けてくれるような歳は過ぎていた。

 

 

 

 

 

             ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 

 深海で尾をうねらせた巨体アジ。彼はもうすぐ日本海だと気づいた。自分が付けた印から距離を逆算したのである。しかし、そこで思ったのは時間がかかりすぎることだった。このままでは黄泉川を心配させてしまう。もしかしたら捜索願を出されてしまうかもしれない。それは不味いことだった。事件に巻き込まれたわけでもない、単なる偶然の遠出みたいなもので警察の方々にまで迷惑をかけるわけにはいかないと、アジは思った。

 

 

 そのためアジは分裂体だけでも先に向かわせることにした。アジは浮上する。島のごとき巨体を海面に出したときはすでに夜だった。アジは唸り声をあげて体を変異させた。背から伸ばすのはトゲにも似た砲身だった。弾はもちろん、彼の分裂体である。

 

 

 アジは魔術に集中して分裂体を創っていく。以前と同じようにアジの人間体を模したものだ。そして今回は以前とは違って、霊装も分裂体に組み込んでいく。

 

 

 まずは「首飾り」だ。分裂体に持たせれば通信がうまくいくかもしれないためだった。他には以前作成した天狗の扇を模した霊装、他にいくつか。これらを体内から移動させ分裂体へ。分裂体の魔力量が跳ね上がった。

 

 

 アジ本体は唸り声をあげて、背に魔力を集中。砲身が脈動し、瞬間、分裂体を射出した。分裂体は凄まじい勢いで上空へ、そして変異する。人型の背から触腕が複数伸びて、その間に膜が張られる。透明な翼だった。天狗の扇の効果によって到底、飛べないような形態の翼が、少年の体を宙に舞わせる。

 

 

(うおおオッ!すゴイ!空飛ぶのってやっぱり速イナ!)

 アジ分裂体は高速空中散歩を楽しみながら学園都市へ向かっていく。アジ本体も分裂体と共有する視界、上空の景色を楽しみながら海中に潜っていく。これならば分裂体は明日中には学園都市にたどり着くだろう。アジは、黄泉川へなんと言い訳をすればよいか頭を悩ませながらスピードを上げていった。

 



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第21話

アジが戻るまで時間がかかりました。


 昼頃、アジ分裂体は上空にいた。途中で航空機などにぶつからないよう、かなり高いところを飛んでいる。下を見てみれば親指よりも小さな学園都市が見えた。アジは、翼をたたんで降下していく。勢いが強すぎると危険なので慎重にかつ大胆に翼を動かした。

 

 

 アジは全身から触腕を生やして着地に備え、場所を調整しながら降りていく。

 バシリとアスファルトの砕ける音がしたが、それ以上の被害はないようである。アジが地面に立ったのは、あの自販機の近くである。アジは自販機に近づいて自分の一部を発見する。よしよし、まだ無事なようだ。

 

 

 アジは触腕を全てしまい体を整えていく。手足や体の調子、大きさや見た目なども以前と変化はなさそうだった。しかし、一つまた問題が起きている。大きな問題である。

 股間の清々しさは振り出しに戻っていた。アジはため息をついた。服を作り出す霊装は今後、必ず創るべきだろうと強く思った。

 

 

 アジは自分の肩を変異。クラゲの頭部を生み出して広げていき、全身を包んでいく。見た目はレインコートのようである。晴れている夏場にレインコート。全裸よりマシだが、奇怪な姿に変わりはない。すぐさま黄泉川の家へ帰ろうとアジは急いだ。空には、相変わらず飛行船が飛んでいる。ニュースキャスターは本日の天気を言った。

 

 

「本日7月24日はまさに夏の日差しです。熱中症にはお気を付けください」

アジはビクリと体を止めた。今、あのキャスターは何と言ったのか。気になってじっくりと見てみる。すると日付は7月24日とばっちり書かれていた。

 

 

 アジは思い出す。自分があの少年に触れられてから何日ぐらいたったのか。結果はすぐに出た。10日ほど、アジは学園都市からいなくなっていたことになる。アジはうずくまって唸った。失敗したと思った。アジ本体の空腹によって獲物を喰らった時間を差し引いても、まさかこんなにも日が経っているとは。

 

 

 10日は家出にしては長すぎる期間。いなくなったアジを黄泉川が心配し、捜索しているのは確実であった。まさか自分が不良少年のようなことをしてしまうとは。アジは悩んだ、なんと言えば黄泉川が許してくれるのか、まるで思いつかなかったからである。けれども彼はトボトボ歩くことにした。どんなに怒られても恩返しはしたいと考えていたし、何よりも帰りたいと思ったからである。

 

 

 彼が俯いて歩き、大通りにたどり着くと街中が少し騒がしくなっていた。携帯電話の画面を見る若者たちの話を聞いていると、どうやら高速道路で事故があったようだ。警備員と呼ばれる能力者の治安部隊が出動し、悪さをする能力者を捕らえようとしているらしい。加えて、その戦闘には超能力者(レベル5)が救援に入ったとのこと。

 

 

 若者たちが見ているものはニュース番組ではない、学生が書き込んだSNSだ。空を飛んだり、瞬間移動したりする能力者が普通に生活する学園都市では、SNSの情報が馬鹿にできない。能力があれば、記者が見られないような事件も見れてしまうのだ。

 

 

 そしてレベル5というワードに若者たちは色めきだっていた。アジは黄泉川との生活で知った情報の中に能力者にはレベル0~5までのランクがあることを知った。レベル5はその中でも最高ランクで、学園都市の中でもあんまりいないらしい。

 

 

 アジはそこで思いつく、あの自分を消した少年のことだ。能力を消失させてしまう能力をもつあの少年。おそらくすごいレベルのはずである。であるならば、もしかしたらその事件の救援に向かったレベル5とは、あの少年かもしれない。またもし違っていても、そんな強い能力者ならば、同じ強者である能力消去の力を持つ少年と交流があってもおかしくない。

 

 

 アジは若者の近くまで気配を消して進み、手を伸ばして触腕にして、その先を小さな目に変質させる。目は若者のもつ携帯電話の画面を映した。場所はすぐにわかった。アジはググッとしゃがみ、そして大きく跳躍すると触腕の翼を広げ飛翔した。

 

 

 もちろん事件のあった高速道路へ向かうためである。そこにいるレベル5の顔を覚え、もしくは少しでも話(筆談)をして、あの少年の情報を得ようとしたのだ。すぐに黄泉川の家に帰りたい気持ちももちろんあったが、自分を治せる可能性にまず飛びつきたかったアジである。

 

 

 触腕の翼と霊装の力によって、アジの体は風を切って進む。この速度ならば現場まですぐである。アジの想像通り、現場はすぐに見えてきた。噴煙があがる高速道路を視界におさめ、アジは降下しながら飛んでいく。

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 幻想御手(レベルアッパー)という音声ファイルがあった。そのファイルを聴いた学生は、能力が飛躍的に向上した。スプーンを少しだけ動かせるのが限界だったものは、大岩を軽々浮かせた。マッチ程度の火を生み出せる者は、火炎放射器のごとき炎をばら撒くことができるようになった。

 

 

 能力に伸び悩んだ学生は嬉々としてそのファイルに手を出した。そのファイルを聞けば自分がどれほど努力しても届かなかった能力が手に入るのだ。ものすごい速度でそのファイルは使われた。

 

 

 しかし、脳を開発して生み出した能力がそう簡単に強化されるわけもなかった。 

 幻想御手には副作用、というよりも本来の目的があった。それは脳波の共有。使用者全員の脳波で一つのネットワークを作り出すことだった。

 

 

 能力向上は脳波を共有することで処理速度が向上、その幅と演算能力が一時的に上がることで能力が増大するのだ。しかし他者の脳を使うということは、他者からも脳を強制的に使われるということだ。常に脳を酷使されるために、脳は徐々に疲弊していき、最終的に意識不明となってしまう。

 

 

 現在、幻想御手によって繋がった脳は1万ほどにも及んだ。そのネットワークを生み出し、とある目的のために使おうとしたのが、木山春生という科学者である。

今、彼女はそのネットワークを利用し、つながった脳の持ち主の能力を使用できた。火や水や金属を操り、様々な攻撃手段を得た。

 

 

 幻想御手の黒幕であることが露呈し、高速道路を逃げていた彼女は警備員に包囲された。しかし、多様な能力を操る彼女に警備員はなすすべもなく倒れていった。

彼女は無敵に見えた。だが、そんな彼女が今や窮地に立たされている。

学園都市最強の七人の一人。超能力者第三位の電撃使い。超電磁砲(レールガン)。多くの異名をもつ能力者、御坂美琴に敗北しようとしていた。

 

 

 美琴は木山に抱き着き放電。木山は耐えきれず地に伏せた。なんとか持ち直そうとしたものの、能力の副作用か頭痛に苛まれ、身動きがとれなくなった。彼女はその信念を吠えた。かつての教え子に行ってきた罪と、彼らの救済を求め喚いた。

 

 

 しかし突如。さらなる頭が割れんばかりの痛みが木山を襲った。叫ぶ彼女の頭部より、何かがずるりと飛び出した。

 不気味な胎児のような姿。

 それは産声を上げた。不快な声をまき散らす化物。幻想猛獣(AIMバースト)と呼ばれた1万人の思念の集合体だ。

 

 

「は?なに、あれ.........?」

 御坂は驚愕する。目の前の存在がまるで理解できなかった。不気味な胎児は宙に浮き、肉体を変質、巨大化させながら移動する。御坂は迎撃のために攻撃を開始、電撃に苦悶の悲鳴を上げる幻想猛獣。しかし、致命傷にはならなかった。

 幻想猛獣は悲鳴を上げてさらに動いた。

 

 

「なんだありゃ!?」

「生物兵器か!?」

「動ける奴でやるしかないじゃんよ!!」

 高速道路にいた黄泉川を含む警備員は暴れる怪物を迎撃するために、発砲する。実弾の威力をもってしても有効打にはならず、逆に巨大化させてしまう。幻想猛獣の触腕が何人もの警備員を吹き飛ばした。その魔の手は黄泉川に迫った。

 

「や、ばッ!?」

 黄泉川は思わず目を閉じたが

 衝撃は来なかった。

 おそるおそる目を開け確認する。見えたのは少年だ。少年はその小さな口で巨大な触腕に喰らいついている。触腕はまるで釘で撃たれたように、その場に固定されていた。

 黄泉川は目を見開いて叫んだ。それは突如、目の前から消えてしまった居候だった。

「アジ!?」

 

 アジと呼ばれた少年は触腕を、どういう原理か噛み切った。そして憤怒の咆哮を上げた。小さな体から飛び出したとは思えないその声に大気は震える。幻想猛獣はギギィと悲鳴をあげる。怪物同士が今、相まみえた。

 

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 怪物が警備員たちを攻撃しているのを目撃したアジの血液は沸騰しそうになった。アジは温厚だったが、一つだけ我慢ならないことがある。それは仲間が怪我をすることだ。神裂が危ないことをしたとき、建宮が単身で突っ込んだ時、仲間たちが攻撃されたとき、アジはいつも不機嫌になった。今回も同じだ。大恩人である黄泉川の身が危ない。

 

 

 そう考えるだけでアジの体は変異した。触腕の翼はたたまれ落下するように黄泉川の前に到着すると、様々な攻撃的な部位を集めた口で受け止め、そして喰いちぎる。捕食を8年も続けてきたアジは目の前の存在が異常だと看破した。

 

 

 異常な存在に、魔術師は容赦しない。

 アジは体を変貌させていく。眼前の存在を喰らいつぶせるような、攻撃的な姿に変異しつつ、幻想猛獣に突撃した。砲丸のごときアジによって幻想猛獣は後退する。二体は高速道路から落下。アジの変異は止まらない。

 

 

 アジは20メートルほどの巨躯に膨れ上がった。背から複数の触腕を伸ばして長尾を振り回す。黒きゴツゴツとした体に強靭な手足を持ち、頭部は獣と爬虫類を混ぜたようになった。頭部から伸びる数本の角は、彼の怒りを表すように赤熱している。

 

 

 アジは戦闘に入る前に、本体と連携をとった。本体は分裂体の戦闘に集中するために深海にて貝のように変化、そして休眠した。魔力を分裂体に集中できるように、パスは太く変化。準備が整ったことを示すようにアジは咆哮を上げる。狂暴という文字を獣にしたら、きっと今のアジができるだろう。そう思えるほど、凶悪な有様だった。

 

 

 怪物アジは駆け出し、幻想猛獣へ飛びついた。幻想猛獣は巨大な氷を飛ばし、触腕を鞭のように振り回して迎撃する。氷はアジの頭部と腹を抉り、触腕はアジの右腕を切り飛ばした。   

 

 

 しかし、無駄である。怪物アジの目が輝き、欠損部分はすぐに膨れ上がり元通りになった。怪物アジの強靭な口が幻想猛獣の首元に喰らいつき、触腕は体に突き刺さった。幻想猛獣は悲鳴を上げ抵抗するが、アジの両腕からは逃れられない。

 

 

 アジの牙が幻想猛獣の肉を裂いた。触腕から生えた蟹爪のようなものが幻想猛獣を寸断していく。どちらが捕食者なのかは一目瞭然だった。体がどんどん千切られていく幻想猛獣だったが、回復力はアジにも負けていなかった。ぼこぼこと泡立つように体を修復させると、喰らいつくアジの口内へ輝く光線を放つ。

 

 

 アジは飛び退いた。顎が砕かれ、胸には大穴、背は裂けた。しかし、アジもすぐさま修復してしまう。

 人外同士の挙動はそのどれもが空間を揺らし、地を砕いていく。二体は転がるようにして近くの施設へ近づいた。接触した壁が破壊されていく。このままでは二体の攻防によって施設は完全に崩壊するだろう。

 

 

「ちょっとまちなさい!まちなさいってば!」

 可愛らしい声とは裏腹に、二体の体に強力な電撃がぶつかった。ぶすぶすと火傷をする二体は、それぞれ体を修復させて近くにいる人影に顔を向けた。アジは怒りに燃える思考の中でそれが女の子であることに気付いた。しかし幻想猛獣にそんなことは関係ない。攻撃に対する反撃を即座に開始する。水のレーザー、氷のつぶてが小さな体に迫る。アジのやることは決まっている。

 

 

 アジは全身の触腕を広げながら、女の子の前に移動。すべての攻撃を受け止め、怪我を修復して幻想猛獣へと唸り声を上げる。後ろ脚や尾で彼女に怪我をさせないように注意しながら、少しずつ後退していく。その様子を見て彼女、「超電磁砲」御坂美琴は驚いた顔をして呟いた。

 

「アンタは味方ってのは本当みたいね」

 その声に、アジはピクリと反応する。しかし、視線は幻想猛獣に向けたままだ。警戒を怠る理由にはならない。その時、アジの耳に何かが聞こえた。音楽のようなものだった。アジは凶悪な顔を一度振る。そんなことに注意をさいている場合ではないのだ。アジは御坂を早く安全な場所へ移動させるためには、ここを離れず目の前の化物を倒す必要があった。

 

 

 アジは飛び道具を使おうと考える。アジの背中にいくつもの背骨が飛び出したようなヒレが生える。そこに溜まってきたのは赤い稲妻のようなモノ。パスによって本体から流れ込んでくる魔力だった。

 何年もの間ため込んだ膨大な魔力だ。アジ分裂体の中で暴れまわるそのエネルギーにアジの体は少し膨らんだ。そしてアジは大口を開ける。

 

 

 水道で言えば、蛇口を回すようなものだった。

 膨大な魔力は口に殺到して、外へ飛び出した。圧倒的な力。赤黒い火柱が幻想猛獣の半身を千切り飛ばした。巨体にそれは火柱は逸れ、施設のギリギリ横を通って空に消えていった。

 

 

「あっぶなぁ!!!怪獣映画かっつーの!?」

 少女は何か叫んでいる。

 アジは口から煙を漏らしながら敵を見る。まだまだあの程度の火柱、名付けるなら放射魔炎は、いくらでも放てる。

 

 

 アジが二発目を放とうとしていると、目の前に御坂美琴が飛び出してきた。どういうわけか全高10メートルはあるアジの頭部に乗っている。驚くアジ。

「やめろって!アンタの攻撃だと、目の前の原子力施設がぶっ壊れるでしょうが!?」

 

 アジは怒れる少女の勢いにたじろいだ。

 美琴は、自分の声でアジの動きが止まるのを確認すると、幻想猛獣を見る。するとどうだろうか、損壊した巨体は蠢くものの、その体を修復していない。

「初春さん成功したみたいね!よし!」

 

 

 美琴は喜びの声を上げた。そしてアジに命令する。

「アンタ!できるだけアレを施設から移動させなさい!.........早く!」

 アジはびくりと体を震わせて、迅速に動いた。背からいくつもの触腕を伸ばして、巨体を突き刺し、掴み、捕らえると、持ち上げる。そして真後ろへ投げ飛ばした。地震のように大地が揺れた。

 

 

 それを見て御坂はアジの頭から飛び降りると、黒い靄のようなものを展開し怪物を引きちぎり、迸る電撃で怪物を炭化させていく。知識があればわかることだが、それは砂鉄で創り上げた剣であり、電撃は彼女の十八番であった。

 

 

 アジはドン引きだった。自分などより、よほど強力な力をもつ少女に心底驚いた。そこまでしても幻想猛獣は死ななかった。突然、近くに満身創痍そうな白衣姿の女が走ってきた。木山春生だ。彼女は、御坂となんどか大声でやり取りをした。御坂は合点がいったようでさらに強力な電撃を放ち続ける。

 

 

 アジは余波で危険を察知。触腕を伸ばして木山を掴むと、自分の後ろへ移動させる。

そのためよく聞いていなかったが、御坂が幻想猛獣にいくつか語り掛けていたようで、その表情は優しげだった。和解できたのかと、アジは思ったがそうではない。

 

 閃光。

 そうでしか表現できないものが御坂から放たれ、幻想猛獣の中心が爆散。爆音と共に強風が吹き荒れ、幻想猛獣は崩壊した。

 一撃で、あの怪物をぶっ倒したのである。

 

 

 

 怪物アジは顎が外れそうになるほど口を広げた。

 

 

 

 くるりと御坂はこちらを向く。その表情は笑顔だった。あの幻想猛獣をぶっ倒したように。アジは唸り声をあげて、逃げようとしたが後ろにはあの白衣姿の女がいる。急に動くと危険であった。せっかくまた分裂体を派遣できたのに、消滅は勘弁してほしかった。アジは体を変異させていく。攻撃性を示さず、仲間であることを伝えられるように、元の人間体になっていく。

 

 

 そして御坂に対して両手を上げて跪く。頭をグリグリと地面にこすって、敵ではないことを伝える。もう何日も学園都市から離れるのは嫌なのである。これ以上、黄泉川に怒られる可能性は減らしたかった。そう考え、アジは必死になった。彼は無表情だが、瞳から涙を流して感情を示す。貴女の方が強いノデ、どうか攻撃しないでくだサイ。

 

 

 御坂はそれを見て、驚嘆し焦燥する。

「な、何してんの!?つーか、あんた能力者だったの.........って、なんで土下座してんのよ!なんで泣いてんのよ!?ちがうって私はあんたに攻撃しないってば、味方だってば!」

 御坂は自分よりも小さな少年の涙に困惑した。

 



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第22話

 アジは今、液体の中にいた。以前にも経験したことがあるカプセル型の治療器具の中にアジはいる。アジの視線の先には、カエル顔の医師がいた。液体の中のアジと目が合うと彼は微笑んだ。

 

 

 

 

 時間は遡る。

 幻想猛獣との戦闘後、地に伏せて御坂に降伏していたアジの元に黄泉川を含む警備員たちは駆けつけた。黄泉川はアジの体に触れ、怪我の有無などを簡単に確かめた後、安堵のため息をついた。その様子にアジはおずおずと頭を下げると、黄泉川は彼を抱きしめた。

 アジには見えなかったが、彼女は気丈な顔を崩して涙を浮かべていた。

 

「よかった。本当によかったじゃん.........」

アジは腕と硬い装備に頭を押さえつけられたが、それ以上に心配させていたことがわかった。

 

 

 なぜここまで。アジは嬉しさと同時に困惑する。見ず知らずの者を、なぜこの人はここまで想ってくれるのか。アジにはわからなかった。

 

 

 黄泉川からすれば、アジは研究の末に生まれた悲惨な被害者。しかもそうした過酷な現状でありながら、健全な心をもつ子供だ。彼女の生き方からすれば、なんとしても守るべき者だった。けれどもアジには、自分がどう見られているかなど知る由もない。

 

 

 分からなくともアジは彼女の善性に心底感動し、彼女に恩返ししなければとさらに決意した。その上大恩人などでは到底おさまらない括りに黄泉川がカテゴライズされた。アジは黄泉川に抱きしめられながら、この人のためにどんなことでもしていこうと頷く。

 

 その様子は、全く二人の関係性を知らぬ御坂ですら、それぞれにどれだけ信頼し合っているのか鑑みることができた。無論、心情のズレは凄まじいものだったが。

 

 

 再び保護されたアジは、疲弊し傷を負った御坂たち同様に病院へ。警備員用の移送車に黄泉川たちは乗り込んだ。黄泉川はずっとアジに付きっきりだった。全裸のアジに積んであった毛布を掛けてやり、数度頭を撫でた。アジは流石に構われすぎていると感じてちょっと居心地が悪くなった。アジの計算では8年をプラスすれば、すでに成人しているのである。お酒だって飲めてしまうのだ。もっとも彼の姿でアルコールを購入できる日はいつ来るのか不明である。

 

 

 隣り合う二人は姉弟のようにも見え、近くに座る初春飾利などは黄泉川に対して「弟さんですか?」と聞いた。黄泉川は曖昧な表情をして、「似たようなもんじゃん」と答えた。

 アジの説明をするのは、黄泉川にとって非常に難しいことだった。深く闇に関わることであるので、目の前の学生たちに聞かせたいとは思わなかった。

 

 

「ねぇ、アンタ」

 今度は御坂が近づき、話しかける。アジが幻想猛獣と戦闘したことで、生傷の多い彼女だったが電池切れには至っていない。そこそこ元気な様子で、アジの方を向く彼女。アジは無言で両手を上げた。全面降伏状態である。その様子に御坂は、「だから味方だって!」と焦った。

 

 

 見るからに年下の少年に恐怖されるのは、いくら超電磁砲とはいえ堪える。彼女は、トンデモ能力者でありつつも、少女である。口が悪く、自販機を蹴り飛ばし、とある少年に本気の電撃をお見舞いするが、それでも少女である。御坂の言葉を、その表情からアジは警戒を解く。というか、黄泉川が話している時点で良いやつに決まっているのだ。

 

 

 そこでアジは思い出した。自分の目的は、レベル5を見つけることであったのだ。御坂はその強さからおそらく件の超能力者に違いない、そう考えアジは御坂と交友を結ぼうとする。幸いなことに、御坂はアジに興味を持ってくれたようである。

 

 

「アンタっていったいどんな能力者なわけ?肉体変化(メタモルフォーゼ)にしちゃ規模が大きいし、レベル4は確実だと思うんだけど」

 御坂はアジのことを能力者、それも大能力(レベル4)だと考えていた。学園都市に住むすべての学生が、アジをみればそう結論づけるはずである。しかし、アジはそうではない。

 

 

 アジは頭を傾げて小さく唸った。自分は能力者ではない。この力は魔術であり、自分は魔術師であると彼は伝えたかった。アジは周りを見る。車両には、黄泉川と御坂、初春、その他の警備員がいる。こんなに大勢には魔術師であるとは言いづらかった。アジが答えずにいると、黄泉川はアジに助け舟を出した。

 

「ごめんじゃん、この子ちょっと訳ありでさ。うまく話せないんだ」

「話せないって」

 黄泉川の表情を見て御坂は口をつぐんだ。彼女は聡明だ。それだけで色々察することができた。目の前の少年は、あまり良い境遇ではないのだろう。御坂はそんな環境に置かれながらも戦った彼を良いやつだと思った。そっか、と御坂は呟いてアジのグリグリと少々乱暴に、頭を撫でた。

 

 

「アンタもけっこうやるじゃん」

 自分の能力を自負する御坂にとって、この言葉はそれなりに意味のあることだった。アジは、かなり年下の少女に撫でられ、やはり居心地が悪くなる。この学園都市の良い人たちは、みなどうも自分を子ども扱いするようだ。アジは頭を傾げて小さく唸った。

 御坂はそのまま座ろうとしたので、アジはついていき。自分の方を指さして「アジ」と名乗った。御坂は黄泉川を見ると、彼女は頷いている。

 

 

 御坂は微笑んで「御坂美琴」と自分の名を言った。続けてその交流に初春も入り込み、自分の名前を伝える。初春は御坂と同じようにアジを撫でる。アジはまた表情が変わらないものの、居心地を悪くした。

 

 

 アジはここで御坂と縁をつなげておきたかった。あの能力消去の力をもつ少年とコンタクトをとるためだ。御坂の能力ももちろん凄まじいが、自分の体を治すのには向かないだろう。アジは右手を出して指を五本立てる。御坂と初春はきょとん顔。

 

 

 アジは御坂を指さして、その次に右手を開いた。御坂は片眉をあげたまま頭を傾げるが、初春は合点がいったようだ。

「そうです、ここにいる御坂さんは、学園都市最強のレベル5です」

 その言葉にアジは「おオォ」と歓声を上げた。その後も初春と御坂はアジとしばし話していく。

 

 

 

 黄泉川は三人の交流を笑顔で見ていた。アジも子供同士の交流をするべきだと考えていたために、良い機会になったと喜んだ。そしてなによりも、またアジの元気な姿を見れたことが嬉しくて仕方がなかった。よかったじゃん、黄泉川はまた呟いた。

 

 

 

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 病院につくと御坂たちとアジは別れた。アジはすぐさま黄泉川と共にカエル顔の医師の元へ。医師は安堵して、すぐに驚嘆した。彼はすぐにナースさん達に連絡をしてアジを移動させ精密検査を行った。あれほどの肉塊を残しておきながら、これまでと同じ姿で生活していることが異常だったからだ。

 

 

 アジは様々な検査を行っていき、以前入れられたカプセルの中に入っている。その中でアジは指示があるまで待つことになった。今度はカプセルを壊す必要がないので安心して液体の中にいることができる。液体は心地よい温度に保たれており、体が非常に楽だった。アジはやることもないので、しばし目を閉じることにした。人外の身になったものの睡眠は、昔から好きだった。

 

 

 

 

 カエル顔の医師は神妙な顔で検査結果を警備員たちに話す。

「おそらくだが、今いる彼は以前の彼とは微妙に違う存在だ」

 アジのDNAはこれまで通り検出されたが、その量が異なっている。他にも彼を構成する他のDNAの中には同様に海洋生物のものが多量に含まれているものの、以前の検査結果と微妙に異なった数値を示した。それにだ。それに、彼の体の中には、複数の異質な者が見つかった。鎖のようなモノ、扇のようなモノ、そして精巧な造りの首飾り。どれも世に出回っている金属のようでありつつ、未知の部分がある。正体不明の電波のようなものが出ていた。

 

 

 そしてあの幻想猛獣との戦闘形態。あそこまで急激な変異が果たしてこれまでもできたのか。判断に難しいものの、新たに獲得した能力であってもおかしくない。

 以上のデータから、カエル顔の医師は彼を、研究者が回収したのちバージョンアップされた個体であるだろうと話した。ゲームやフィギュアと同じように、より良いものへと改良された存在だと言った。

 

 

「命をなんだと思っているんだろうね?」

 彼は普段の温厚な雰囲気を殺して、目を細めた。要するにアジは更なる実験によって体を作り替えられたということだろう。あの黄泉川たちが一時的に目を離した瞬間を見過ごすことなく、彼を捕まえ、またもや被害者にしたのだ。おそらくは、あの路地裏にあった肉片は捨てられたものだ。彼を持ちやすく、運びやすくするために、余分な肉を切り取って、研究所で新たな肉を付け足した。

 

 

 黄泉川は射殺さんばかりにデータを睨む。ひいてはその数字の向こう側にいるであろう黒幕をだ。安堵していた自分はなんと間抜けなのだろう。問題は全く解決していなかった。

 

 

 さらに腑に落ちないこともある。どうしてアジは再び黄泉川の前に現れたのか。鉄装は思案顔で話す。何かに耐えるように、自分の思いついたことを口から漏らす。

「バージョンアップ.........新しい能力の試運転?」

全員が鉄装を見た。彼女はその視線に自信なさげに、あくまで仮定ですよと付け加えて話す。もし、新しい能力を与えたならそれを試したくなるはずだ。そしてあの戦闘形態が新能力ならば試運転は、強力な相手との戦闘が必要。今回、アジの介入ができすぎているように感じたと鉄装は思った。黄泉川が危険なときに偶々現れ、しかも眼前には怪物。アジは、能力を使わざるを得なかっただろう。

 

 

 黄泉川はありえないと言った。

「今回の木山春生の発覚、逃亡は今日偶然起きたことじゃん。特に幻想猛獣は暴走によって引き起こされたものだ。それを予測することなんてできるわけがないじゃん」

「その偶然が肝というか、研究者は別に木山春生でなくてもよかったんじゃないですかね。他の場所にいる暴走能力者でもいいし、武装したスキルアウトでもいい。近くに黄泉川さんがいて、危険に晒されれば」

「彼は戦闘形態になり、守ろうとすると?」

 

 

 もしそうならばどこまでが黒幕の手の上なのだろうか。黄泉川は警備員であり、これまでも学園都市の中だけでなく外でも修羅場をくぐってきた。そうした危険な状況に、黄泉川はいることが多い人物だった。加えて子供のために必死になれる人物でもある。

そんな人物がアジを見たらどうするか、暴れる彼を見ても救い出そうと足掻き、最後は信頼を勝ち取るのでないだろうか。そしてアジという少年は、その信頼にたる存在を守るために行動するのではないだろうか。

 

 

 ちょうど、今のアジと黄泉川との関係そのもののように。

「私がアジを保護したことが、そもそも計画の内?」

 黄泉川は足元が崩れ去るような気分になった。自分の信念、仲間たちの献身、そればかりかアジの想いすら踏みにじって、自分たちの計画を進めていく連中の存在。

 許せるはずもない。

「クソッ!!」

 黄泉川は吠えた。周りの同僚たち、医師も声に出さないが気持ちは一緒だった。

このままにしておく訳にはいかなかった。思い通りになると考えるなと、その場の全員が未だ見えぬ黒幕への激情を募らせた。黄泉川たちは、これからどうするべきかを話し合った。アジが未来を生きられるように、そして、黒幕を打ち滅ぼすために。

 




みなさん、泥沼です。


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第23話

シリアスになってしまいました。


 アジはその日、検査目的でそのまま入院することになった。警備員やカエル顔の医師は、アジのより精密な肉体の検査を考えていた。その理由が彼の体内にある異物。地球上の金属でありながら、カエル顔の医師にも首を傾げる部分のある異物だ。現状、アジ自身の不調もなく、肉体は平常に活動できているが、油断はできない。

 

 

 学園都市にはまことしやかに、ナノサイズの反射合金によって人間の細胞をむしり取る技術や、人間の脳を分割して生き永らえさせる機材の存在が語られている。

もし、アジの体内にある異物が彼の思考を操作するものだったら。

そればかりか、彼をいつでも始末できる毒や爆弾だったら。

カエル顔の医師たちは、今度こそ自分たちを許せなくなるだろう。

 

 

 そのための精密検査だ。これまで一度たりとも、アジに対する真相にたどり着いたことはない。だが危険かもしれないものを放置するなど。彼らが許すわけがなかった。

そのためアジは今もまだ、液体の中にいる。目を閉じ、眠る彼の体を切り開くことは流石にしない。学園都市の未来的技術には、ナノマシンを用いて体を切らずに体内を探し回ることを可能にした。

 

 

 医師は慎重に彼の異物を、再び確認していく。いくつかある異物の中で、彼が特に注意を注いだのはアジの心臓付近にある精巧な造りの物質だ。金属を削ったようにも見えるが、ナノマシンの調査では金属だけでなく、植物や動物の骨などが混ざっているようだった。

 ありえないものだと医師は思った。

 

 

 彼は人体の専門家であり、化学に秀でているわけでない。しかし、全く異なる物質をこれほどまで結合させることは可能なのだろうか。何度調べても接着剤のようなものは出てこなかった。不気味だと、医師は思った。形状も、意味不明だった。それは、茨の輪のようなもの、翼のようなもの、小さな仏像のようなものが絡まった形状であり、先には穴が開いており紐が通してあった。

 

 

 紐は、物質に比べると平凡だ。単なる植物性、絹でできた紐だった。まるで首飾りのようだ。

 

 カエル顔の医師はその後も調査を続けたが、成果は芳しくなかった。しかし、一点だけわかることがある。異物の用途は不明だが、これらが毒物である可能性は低いこと。またこれらが爆破やその他の殺傷する性質を持っている可能性も低いことがわかった。断言はできないが、カエル顔の医師のこれまでの経験から、そうした用途に変換するのは無駄が多すぎると判断したのだ。

 

 

 カエル顔の医師は額の汗をぬぐった。長丁場になったことで、流石の彼も疲弊した。警備員たちは、黄泉川を残して全員が帰宅した。黄泉川にも、この病院の防衛システムの強固さは説明したが、彼女は帰ろうとはしなかった。カエル医師は、黄泉川にわかったことを伝えつつ、いくつかの話しをしながら廊下を歩く。

 

 

 

 

 彼らがいなくなった病室。カプセルの中で、アジの口から泡が漏れた。彼は夢を見ている。懐かしい夢だ。彼は天草式と共にあった過去の映像の中にいた。アジの目は少し輝いた。

「あんアイ.........」

(神裂.........)

 誰も彼のつぶやきを聞いてはいなかった。

 

 

 

             ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 学園都市は総人口230万人。その八割が学生だが、その他は勤務している大人である。だからそれなりに夜遊びする者も多い。真面目な学生であろうと、夜中にコンビニに出かけることだってあるだろう。だから、上条は違和感にすぐに気づいた。

 

 

 時間はまだ午後8時だった。それなのに自分の周りに誰もいない、という違和感。周囲は街頭やデパートなどがある。そうした店内にも人影は皆無である。世界に取り残されたかのような状況。上条は息をのんだ。こういう異質なことを仕組む相手を、最近知ったのだ。

 

 

「ステイルが人払いの刻印を刻んでいるだけですよ」

 上条の耳に声が届いた。見てみるとそこには女が立っている。キリリとした意志の強そうな瞳が上条を射抜く。彼女は、ヘンテコな恰好をしていた。長い髪をポニーテールに括り、Tシャツに片方の裾を根元までぶった切ったジーンズ、 腰のウエスタンベルトには2メートル以上もありそうな日本刀がぶら下がっている。

 

 

 奇抜な女だった。彼女は口を開いた。

「神裂火織と申します」

 上条は、人生で二回目の魔術師との邂逅を果たした。

 

 

 自身が不幸であることを自認する上条当麻。右手は触ればどんな異能も打ち消す幻想殺しが宿っているが、普通の高校生である。彼は、夏休みに入りとある純白のシスターと出会い、彼女の危機を知り、助けようと足掻き、火を操る魔術師と交戦後に撃破。シスターの傷をいろいろやり癒して、今現在に至っているのだ。

 

 

 そのため上条は少しだけ楽観視していた。魔術師といえども無敵ではなく、攻略する隙があるものだと考えた。その希望的観測が霧散するのは早かった。

 

 

 神裂の動きによって、風力発電用のプロペラは両断された。街路樹がすべて短く切り揃えられた。見えざる七つの刃が彼の周りを破壊していく。それでも上条は折れなかった。それがよくなかった。

 

 

 虎の子の右手は血まみれ、全身打撲の重傷になるまで数分とかからなかった。

 しかし、それでも。

 上条当麻は折れない。自身の信念を貫き通そうと吠える。神裂もそれに応える。応えてしまう。彼女も本質は彼と似通っているのだから。呼応して当然と言えた。

 

 

 

 

 純白のシスターは、上条にとって守りたい存在だったが、それは神裂も同じことだった。むしろ神裂にとって、シスター、「インデックス」は親友だった。

 

 12歳で単身ロンドンに渡り、紆余曲折を経てできた親友だった。彼女は10万3千冊という膨大な魔導書を記憶によって保管している彼女は、代償として1年間で記憶を失う。どれほど仲良く過ごしても、一年で終わり。リセットされ記憶の持ち越しはされない。アルバムや約束で、希望を紡いでも、必ず別れが来てしまう。

 

 

 神裂にとって、それは地獄だった。

 爛漫で純粋で、聖人である自分を本気で心配してくれる彼女。

 

「かおり!強いからってムリはダメなんだよ」

(神裂、危ないから無理はダメだよ)

 そう話しかけるインデックスは、彼に似ている。見た目はまるで似つかないが、性質だけみればどうしもようもなく、彼を幻視してしまう彼女が、一年経てば他人のように振舞う。耐えられるわけがなかった。

 

 

 上条は、それでもと唸った。

「てめぇらが嘘をつき通せるほど強かったら!次の一年にもっと幸せな記憶を与えてやれば!記憶を失うことが怖くなくなるくらいの幸せをが待ってるんだとわかっていれば!もう誰も逃げ出さずにすんだことだろうが!」

 上条が怒る。これほどの強さがありながら、なぜ逃げるのか。自分などよりも神裂は何倍も、何十倍も強いくせに、逃げるなと喚いた。上条は満身創痍の身で、激昂する神裂の額をなぐりつけた。

「テメェは何のために力をつけたんだよ!テメェは何を守りたかったんだよ!」

 

 

 上条はその後も、いくつか叫んで地に伏せた。

 神裂は額を触る。痛みなどない。むしろ叩いた上条の右手が裂けている。しかし神裂の心は衝撃を受けた。私は、何のために力をつけたのか。誰を守りたかったのか。

魔法名を名乗らせないで下さい、などと神裂は言った。しかし、その言い回しは正確ではない。名乗らせないで下さい、ではない。今、自分にあの魔法名を名乗る資格などなかっただけだ。

 苦しんでいる友の、救われぬ者に手を伸ばせない自分には、名乗ってはいけない。

 

 

 神裂はこれまでの数年の、そして今の自分を鑑みる。一体自分は何をしてきたのだろうか。目の前の少年に良いように言われても、反論もまともにできないのだから。

 これが建宮だったら、不敵に笑いながら少年に噛みついただろう。

 これが野母崎だったら、へらへらしながら返しただろう。

 これが諫早なら余裕綽々で、これが対馬なら舌打ちも入れて反論しただろう。

 

 これが、これが彼だったら、なんと言うのだろうか。

 神裂は首飾りを握る。強く強く、壊れないように大切に、握りしめる。

「貴方がいなくなってから、辛いことばかりです.........」

 神裂がそういうと、ふと声が聞こえた。

 

 

 か............ザキ.........

 

 

 神裂は息をのんだ。

 目は見開かれ、頬には冷や汗が垂れる。

 周囲を捜索する。聖人の五感を総動員して、声の主を探そうとする。まさか、ありえない。神裂は自分の心臓が高鳴っているのを感じた。息は上がり、背はゾクゾクした。

 しかし再び、その声が聞こえることはなかった。

 

 

 神裂はもう一度、首飾りを握った。そして震える声を出した。

「.........アジ?」

 それは友の名だ。自分のせいで、もう二度と出会えない最愛の友の名だ。神裂は頭を数度振って自身を落ち着かせた。血みどろの彼をそのままにして、闇夜を駆けた。同僚と落ち合うことはすぐにできたが、神裂はしなかった。

今日は考えることが多すぎる。

とあるビルの屋上に飛び乗ると、神裂は月を悲しげに見上げながらもの思いにふけった。

私はどうすれば。

 その問いに答えてくれる仲間は、いまここにはいない。

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

「見てみるのよアジ!神裂の創った霊装!!いくらなんでも長すぎなのよな。ほれ、俺よりも大きのよ。たぶん2メートルはあるぞ!こんな長い得物を振り回すなんて、流石の聖人にも、それも9歳の誕生日を迎えたばかりの女の子には無理なのよ!?まさに背伸びのしすぎッボッダ!!!?」

「やめて神裂!建宮の頭がへこんじゃう!」

「うるせぇ!いっぺんへこんじまえばいいんだよ!せっかく最初にアジと建宮に見せたのにコイツなんだ!?ええ!?」

「神裂、怖いよ。最近の怒ったときの口調が怖すぎるよ?」

「怖くてもいいですよ!怒ってるのですから。それよりも建宮、何か言うことはないのですか!?ええ!?こらッ!?」

「ダメだよ神裂。建宮はあまりの痛さにゴロゴロ転がってるから、神裂の声が聞こえてないッて神裂、鞘の先で建宮の腰をつつくのはやめなよ。ゴスゴス言ってるから!?息できなくなっちゃうよ!」

 

 今から9年以上前のとある日の記憶を、アジは夢として見ていた。あれは、あぶなかったなぁとアジはしみじみ思った。アジと神裂の交友をみて、建宮も彼女の思想や能力を尊敬しつつ深い関りをするようになった。しかし、建宮は仲良くなった相手をおちょくることも少なくなく。それは神裂とあまり噛み合うことはなかった。

 

 

 彼女のツッコミは、マジで洒落にならないからである。

 アジは昔の、騒々しい日々の夢を見ながらむにゃむにゃと寝言を発する。カプセルの中にまた泡が出た。近くの大通りで神裂が、めちゃくちゃ悩んでいることなど、知る由もないまま。アジは、口から涎を出してぐぅぐぅと寝た。首飾りを通して、術式を微妙に発動させながら。

 




アジがいたので、神裂と天草式のみんなは中々仲良しです。


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第24話

 アジが再び、黄泉川の家で居候を始めて数日。アジは自由に外に出かけることができなくなった。黄泉川に単独行動を禁じられたためである。10日も家出してしまったアジは、強くでられるわけもなく、その提案に従った。けれども黄泉川はアジの外出について、同僚の警備員と交流をさせることでその日数を増やしていった。

 

 

 ある日は黄泉川が、またある日は大柄な男性と眼鏡の男性、またある日はさらに別の者がアジと共に外出して、彼に様々なものを見せ体験させた。黄泉川たちはアジが多くの警備員たちと触れ合う機会を増やして、彼が信頼できる大人を増やそうとしたのだ。アジに何かあったときに、頼れる大人が多くいるに超したことがないからだった。

 

 

 そして大勢の人間がアジの周りにいることを黒幕に見せるためでもある。数が多ければそれだけ牽制でき、相手にプレッシャーを与えることができるだろう。以前の黒幕の動きから考えて、アジを回収し更なる改良を加えたいと考えるはずだった。

 

 

 そんなことさせてやるものか。

 現在はちょうど夏休みだ。教職の仕事は、ある程度自由になった。実験ばかりで外の世界を知らないアジにはたっぷり夏休みの雰囲気を楽しませ、そして怪しい存在は見逃さないようにした。

 

 

 

 一方アジは、最近知り合いが増えたことを本当に喜んだ。

 こんなに交流できたのは天草式以来である。ああ、そう天草式である。はやく、本当にはやく会いたいとアジは考えている。黄泉川との再会を果たした今、それ以上の目的はなかった。

 

 一応、あの首飾りのおかげで通信は行えており、すでに何度かトライしている。しかし上手くいっていない。分裂体でさえも大分マシになったものの、やはりノイズが生まれてしまうのだ。伝わる言葉もぶつ切りになっているはずだ。体を構成する海洋生物たちが、分裂体でもまだ多すぎるのだ。きちんと通信をしようとするならば、海洋生物の数を減らすしかない。

 もしくは数キロとか、すごく近くで通信すれば、あるいは鮮明に声が聞こえるかもしれない。

 

 

 希望であった消去能力者の少年の探索も滞っている。なにせ、一人で出歩けないのだ。探しようもない。そのため、なんとか黄泉川の協力を得ようと、それを筆談で伝えようとしたが、上手い言葉が見つからず「強い人」という謎解きのような言葉しか書けずじまいであった。

 

 

 一応、その言葉を読み込んだ鉄装によって、御坂美琴たちとの再会は果たしていた。しかし、やはりというかその場でも筆談は上手くいかず、消去能力の少年とはつながりを持つことができていない。アジはモヤモヤとした日々を過ごしている。

 

 

 しかし、また同時に今の生活を楽しいと感じていた。これまでの孤独とは無縁であり、興味を引くものに溢れた生活の中で「このままじゃいけなイッ!」と思いつつも思い切った行動を起こすことができなかったのである。魔術について、黄泉川に伝えようにも、彼女は彼女で忙しいようであり、また共に出かけてくれる日がある場合にも、黄泉川以外の大人が一緒になることがほとんどだった。あのカエル医師と黄泉川以外には、流石にすべてを伝えることはできないとアジは感じていたのである。

 黄泉川たちとアジの思惑は、やはりというか、ズレているのである。

 

 

 

 

 

 とある日。うだるような暑さの中、黄泉川、鉄装、アジは歩いていた。

「暑すぎるじゃんよ」

黄泉川は汗だくで呟く。非番ということもありノースリーブ姿の黄泉川の色気はすさまじいが、それ以上に表情が悲惨すぎて誰もナンパなどをすることはなかった。鉄装も私服かつ軽装だ。しかし同様に暑すぎて表情はヘロヘロだった。アジは二人の姿に少々ドギマギするのだが、表情の変化が少ないために悟られることはない。ないのだが、8年間なかった女性という存在にアジはタジタジである。

 気付けば目で追ってしまいそうだった。何を、と問うのは野暮というものである。

 

 

 三人は買い出しのために出かけていたのだが、どうにも暑すぎるということでデパートの途中にあるファミリーレストランに入ることにした。店内に入ると清涼感溢れる風が三人を包んだ。思わず笑顔になる二人。アジも暑さから逃れられて心なしか喜んでいるように見えた。

 

 

 店員に促され三人は移動し、席に座る。時間は15時を過ぎていた。がっつり食べるのには時間が過ぎている。そのため三人が頼んだのは、夏の定番。かき氷だった。

それぞれ違うシロップのかかったかき氷が机の上に並んだ。黄泉川と鉄装を食べるのを見て、アジも食べだす。

 

 

 いつもアジはこういう外食の時、最後に食べ始める。それは単におごってくれる人物が食べる前に口をつけるのは、いかがなものかと感じていただけである。しかし警備員たちはそれを見て、これまで食べてこなかったために食べ方を知らず、こちらの真似をしていると考えた。小さなことでも認識のズレが積み重なっているのであった。

 

 

 アジは久々の直接的な冷たさを堪能している。彼が食べたのはブルーハワイ味のかき氷である。甘く、冷たい。シンプルゆえに、暑いときには最強である。二人はアジに自分たちの味も少し分けてくれた。レモンとイチゴだった。基本でありながら、その二つも美味しかった。アジは小さな尾を無意識に生やし、それを左右に振った。

 

 

 アジは食べながら、考える。

(毎日ガ、楽しすギル)

 これではダメだ。ダメ人間まっしぐらだ。食べて、遊んで、また食べての繰り返し。サイコーだが、ダメなのである。アジは前世でも今世でも、楽しいことを優先しがちで、問題を先伸ばしにすることはあった。その都度、神裂に小言を言われたものである。このままではいけない。小言をいう仲間に会うためにも、かき氷に舌鼓を打ち続けるわけにはいかんのである。

 

 

 進展させねばとアジは強く思った。

 そのため新たな試みをスタートさせる。それは実にシンプルである。もう一体、分裂体を創って学園都市に潜入させることだった。アジはもぐもぐ食べながら、本体の視界と感覚を手に入れる。本体はすでに関東近郊の海に潜んでおり、すぐさま上陸すら可能である。もちろんしないが、久々の陸地に本体も歩きたいとムズムズするのは致し方ないだろう。

 

 

 感情は体に伝わる。浮上したアジ本体はその凶悪な巨体を海上に現し、ムズムズ感を巨体を震わせることで表現した。怪物の挙動では、不穏な気配のみを見る者に与えるのだが。

 

 アジ本体は、以前と同じく背に巨大な砲身のような棘を生やす。すでに複数の分裂体の意識共有は実験済みである。まさか、暴走などするわけもない!アジ本体とアジ分裂体は余裕綽々といったように小さく笑った。

まぁ、そのどちらもが唸る以外の表現はできていなかったのだが。

 

 

 ふと突然、黄泉川の携帯電話がなった。

 耳に感じる異音に視界が分裂体に集中した。アジは黄泉川を見ると「またあのバカか」と言っていた。顔なじみのアホがなにかをやらかしたのだと、電話との会話だけでわかった。

 夏休みで羽目を外した学生や、調子に乗りすぎた科学者をぶっ飛ばすのも彼女のしごとだった。黄泉川は不敵に笑うと、日差しに文句をつけながらすぐさま駆けていった。

 

 

 残されたのは鉄装とアジの二人である。黄泉川の残したレモン味のかき氷は半分以上もあり、鉄装とアジは半分こしようと、鉄装は提案する。冷房が効いているとはいえ、早くしないと溶けてしまう。アジは、勢いよく頷いて、パクパクと素早くかき氷を口に運んでいく。そして黄泉川の残りにもすぐに手を出していく、溶けるからと急いでパクパクと.........。

 

 

 

             ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 男は仲間に目配せした。答えはすぐに返ってきた。人払いはすでに済んでいる。音や衝撃波等の障壁も万全だった。それを聞き男は腕を振り上げた。

 「今だッ!」

 叫んだのは必要悪の教会の魔術師だった。彼の怒号によって、様々な魔術が放たれる。狙いは、日本近海に浮上している海魔だった。海魔は計算通りの日数で日本近海に到着、そのまま上陸するかに見えたが、違った。突如浮上し、背から巨大な棘を生やしたのである。そして、そのまましばし硬直したのだ。魔術師たちはその行動に疑問を感じつつも、好機と判断した。

 

 

 総攻撃が開始された。

 様々な魔術師が集った海魔撃退連合。空を舞い、海に立つその軍勢。その人数は数百人にも及んだ。そしてその数百人の魔術爆撃が、海魔に殺到した。炎が、氷が、雷が、輝きが、闇が、呪いが、刃が、銃弾が、海魔に向かっていく。爆音が轟き、爆風が生まれ、噴煙が立ち上った。

 

 

 小さな島程度ならば跡形もなく消滅させるほどの威力だった。

 だが、魔術師たちの攻撃の手は緩まない。緩めるわけがなかった。眼前の怪物は常識の枠では捉えられないからだ。案の定、今も海魔は健在のようである。

 

 

 時折、噴煙の隙間から牙と眼が見えた。凶相が魔術師たちを貫いた。体が震えそうになるのをなんとか、おさえつけて術式を使い続ける。

海魔と彼らはキロ単位で離れているが、その巨体からあふれる暴力的な魔力の嵐は、彼らを圧倒するのには充分だった。

 

 

「いけぇ!」

「攻撃の手を緩めるなッ!」

 魔術師たちは叫び出した。戦場の高揚からではない。これは鼓舞する言葉だった。勇気づける行為だった。でなければ、眼前の異常の塊である化物に飲まれてしまいそうだったからである。

 

 

 続けざまに数十人の魔術師が海魔を中心とする多重魔術結界を展開。半径5キロを覆う巨大結界である。これで海魔の動きは大きく抑制された。例え、潜水し海中に逃げようとしても結界は行く手を遮る。作戦は手筈通りだった。

 

 

「準備できました!」

「よし、放てッ!」

 十数人がかりで編み込んだ魔力で射出されたのは、巨大な霊装。それは巨大なハンマーだ。25メートル以上、数tもあるそれは、雷となって海魔に突撃、閃光、爆発した。世界を覆うほどの怪物蛇を打倒した雷神のハンマーを模した戦術霊装だった。その威力は驚嘆に値する。他にも、様々な魔術結社の秘匿ともされる超攻撃的霊装が海魔へ放たれる。

 

 

 魔術師たちの世界から音と光が消失する。そう勘違いしそうな威力だった。

 爆音の中で、ついに海魔は咆哮を上げた。おそらくはダメージを与えられているのだ。しかし、海魔は態勢を崩しつつも、背の棘から何かを勢いよく射出した。多重結界をやすやすと突破したソレは、魔術師たちの軍勢に向かってきた。魔術師たちは散ることで、それを回避。ソレは空の彼方へ消えた。

 

 

 海魔の多様な攻撃方法に魔術師たちはまたもや戦慄したが、そこでふいに海魔は潜水し始める。逃がすものかと、全員が思った。潜水したということは、多少なりともダメージがあるということだ。

 

 

 潜水する海魔に空や海からの攻撃は決定打にはなりづらい。

 しかし、魔術師たちはそこも織り込み済みだった。海の中へ逃げたのならば、海戦に特化したチームを置けばよいのだ。それは、必要悪の教会を救い、世の魔術師たちの中でも一目置かれる存在である。

「頼むぞ、天草式十字凄教」

 必要悪の教会の魔術師は祈るような声を上げた。

 




アジが食事をすると基本的に大変なことが起きます。


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第25話

 建宮たち、天草式十字凄教は海中で海魔を待ち受けていた。

 彼らが最も得意とするのは海戦だった。彼らは、「船は木からそしてその木は紙を造る。」という関連性を利用し、和紙一枚で様々な船を創りあげる術式を有している。そして、今回は特に機動力のある術式である、小型の個人用上下艦を全員が装備している。艦と称するものの、片腕を差し込んで扱うほど小さいそれは、水中スクーターのようでもある。これさえあればマグロ以上の速度で泳ぐことができる代物だ。

 

 

 天草式の作戦は、実にシンプルだった。海魔が操る触腕やその他の攻撃方法よりも素早く動き回り、武技を用いた攻撃術式で巨体を削り取っていこうとしたのである。

 前回の邂逅から、天草式は海魔の体表強度を確認済みである。それの情報に加え、さらに各々の武具に対人外用攻撃術式を組み込んだ。建宮たちは群れで狩りする獣のように、なんども海魔の巨体に迫り、ダメージを蓄積させ数日以上の時間をかけてその頭部を破壊する心算だった。例え規格外の魔術的怪物、海魔といえども生物だ。頭部を破壊されて生きていくことなどできるはずもないだろう。

 驕りはなく、油断もなかった。

 

 

 けれども彼らは、海魔を前にして未だに攻撃を開始できずにいた。

 予想外の事態に、全員が困惑していたのだ。

 彼らただ目を見開いて、海魔を見ていた。クジラよりも巨大な腕で頭部を押さえながら、身悶えする海魔から目が離せなかった。

 海魔は目から、どこかで見たような輝きを放ちながら、唸り声をあげている。

 何かに耐えるように、何かにこらえるように、苦しそうに泡を吐き出して尾や触腕を振り回した。天草式はそれが生み出す荒波を受け流しながら、ある声を聴いていた。

 それは絆から聞こえる、不明瞭な声だった。

 

 

(.........あタマッ.........イ....いたイッ.........だれ....いタイ......)

 

 

 建宮の喉が干上がった。そしてわかってしまった。

 自分の勘違いを恥じ、そしてすぐに行動できなかったことを酷く後悔した。

 あの時、肉塊に取り込まれた仲間の意識は死に切れていなかったのだ。

 必要悪の教会の拠点を襲った時も、

 海洋生物を食いつぶした時も、

 魔術師たちから追われている時も、

 そして今のように仲間たちに囲まれ刃を向けられているときも、アイツは、アジの意識は少しだろうが残っていたのだ。心優しき少年はその事態に苦しみながら、耐えようとしている。これまでも何度も自分の体で勝手に暴虐の限りを尽くそうとする巨体を必死に、抑えようとしていたのだろう。考えてみれば不自然なことも多かった。

 

 

 これほどの怪物が暴れていたのに、死人がでなかったこと。そして都市などの生活圏が破壊されずに、山や無人の船などだけが狙われたことだ。

 アジは、ずっと抗い続けてきたのだ。

 

 

 建宮は思い出す。数年前のあの時、海魔の頭部を斬りつけ眼をつぶした感触を。自らに向けられる眼の輝きを。

「.........ずっと苦しかったのか」

 建宮は呟き、フランベルジュを握る手に力をこめる。そして仲間たちとの打ち合わせもなく動いた。建宮は海魔の巨体に肉薄する。苦しむ仲間を救いにいくのではない。苦しむ仲間の命を絶つために、建宮は突撃したのだ。

 

 

 海魔にアジの意識が残っている、だが、だからどうしようというのだろうか。これほどまでに膨れ上がった怪物から、人間の肉体だけを拾い上げる術式など建宮は知らない。8年もの間、人ならざる身になった体を都合よく人に戻す術式など存在しない。

魔術は万能ではない、建宮は神様ではない。仲間を想う、一人のたんなる人間だ。

だからこそ建宮は口に端を噛みきるほどの激情を抱えながら、決意を新たにする。

 

 

 これ以上、仲間を苦しませるわけにはいかなかった。

 

 

 建宮のフランベルジュが海魔の頭部を薄く切り裂く。水の抵抗がないかのように大剣は振るわれ、海魔の体を削りとっていく。

 海魔は苦しみながらも、本能からか触腕をつかい建宮を追撃する。建宮は舌打ちをして、触腕のいくつかを斬り飛ばしていく。建宮の独断と異変を感じて、天草式の仲間たちも近づいてきたが、建宮の怒号によってその動きを止める。

 

 

「手ぇ出そうとするんじゃねぇのよ!」

 通信用術式を使っているのにも関わらず、彼は海中で大量の泡を吐き出して吠えた。大剣で触腕を斬りつけ、千切りながらメンバーを睨みつける。

 

 

「いいか!絶対に手ぇ出すんじゃねぇ!こいつは俺がやるッ!教皇代理の初めての命令だ!テメェら全員聞きやがれッ!」

 五和などの若いメンバーはビクリと肩を震わせ、古参メンバーも驚愕した。建宮は口や態度こそ善良とは言えないが、仲間たちに対して当たり散らすことなど一度もなかったし、命令などと偉ぶることなど皆無だったのだ。建宮はポケットに入れていた様々なキーホルダーのようなものを取り出した。

 

 

 それはアジの置き土産だ。霊装屋と呼ばれた彼が、生前に創りそして天草式のために倉庫に大量に置いていってくれたものだ。建宮は手のひらから魔力を流して、それらを全て一気に砕いた。それらは壊すことですぐに発動できるタイプの霊装だ。効力は身体能力の向上、魔力増大等の戦闘の底上げをするものだった。武具による直接戦闘を中心とする天草式にはおあつらえ向きの霊装だ。実際に、建宮も何度も使ってきた。

 

 

 しかし、今回は勝手がまるで違った。本来は一つで充分な霊装を、十数個同時に発動させたのだ。一つでさえ、翌日筋肉痛と虚脱感に悩まされることがある霊装だ。同時に扱えば確かに効力は飛躍的に高まるだろう。だが、その代償は計り知れない。

 

 

 ブチンという音がした。建宮の膨張する筋肉が千切れたのだ。加えて建宮の視界が徐々に赤くなっていく。眼球の毛細血管が切れ始めているのだ。その他にも様々な不調が建宮を襲った。

(それがどうした)

 建宮はすぐさま痛覚無効化の術式を発動させる。体の悲鳴を無視して、彼はフランベルジュを構えた。切っ先を海魔の眼に向け、動いた。

 瞬間、仲間の天草式も押し流されるほどの海流が生まれた。

 大剣が光り輝き、軽車両よりも大きな眼に向かう。すぐにズグリという感触が建宮の手に伝わった。フランベルジュは海魔の眼に深く突き刺さった。

 

 

 海魔の咆哮が轟いた。暴れ狂う海魔に振り回されながらも、建宮はより深くフランベルジュを突き立て、刃に炎を纏わせた。肉を超高熱で焼き、水中で数回爆発が起きた。人を大きく超える力だった。当然、聖人でもない人間の体が耐えられるはずもない。

 

 

 耳や鼻から血が噴き出したのがわかった。寒気を感じた。痛みのない肉体の奥底が崩れさるような悪寒が駆け抜けた。調整に調整を施した相棒のフランベルジュが壊れ始めた。

(それがどうしたッ!)

 

 

 自分の体など、どうでもよいと建宮は思った。例え死んでも構わないと、彼はすでに覚悟を決めていた。

 建宮は思う。あの日、あの時、アジが肉塊に喰われた時。なぜ自分ではなく、アジが犠牲にならなくてはいけなかったのか。なぜ神裂が泣いているときに自分は間に合わなかったのか。

 

 

 あれからすべての歯車が少しずつ狂いだしたような気がすると、彼は思った。そしてせめて、この役目だけはきちんと終えたいと、建宮は願った。体中の骨にひびがはいり、筋肉が千切れはじめた。体内の臓器もおかしくなってきた。そして、人を超えた術式の行使に頭に穴が開いたような頭痛が始まった。

(それがどうしたのよッ!!)

 

 

 建宮は叫んだ。全身を一つの刃のようにして、海魔の頭部を破壊せんと術を使い続ける。その威力はすさまじく、海魔はついに動きを鈍くした。凶悪な頭部は半壊し始め、顔中に雷のようなヒビが入っている。これで最後だと、建宮はすべての魔力をフランベルジュに流す。この波打つ大剣を爆弾のように爆散させようというのだ。

 

 

「アジィィイイッ!!!」

 建宮は吠える。このまま友と一緒に海に沈むために、指の骨が砕けるほどの力を込めてフランベルジュを握る。刃が強烈な光を生み出した。爆散までもうすぐだった。

それなのに、建宮の口から少なくない血が溢れ出した。

 

 

 眩暈がした。腕が動かなくなってきた。もう少し、もう少しなのに。建宮の視界が黒くなってきている。命を懸けても、思い一つ貫けないのか。建宮は遂に、全身を弛緩させる。力なき体は、悶える海魔の頭部からフランベルジュごと吹き飛ばされた。

 

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 

「アジくん、大丈夫ですか!?ごめんね!知らなかったよね!」

 かき氷を勢いよく食べたアジが頭を抱えて悶えているのに、気づいた鉄装は頭を撫でまわした。少年に言うのを忘れていたのだ。夏場の悪魔の一つ。かき氷頭痛。急いで食べると襲うキーンというあの痛み。ソレに襲われているであろうアジ少年は、苦しそうに唸りながら涙目になっていた。やってしまったと、鉄装は思った。

 

 

 彼女はとびきりの善人だったが、中々おっちょこちょいな人物である。だから焦るとロクなことにならないのが常だった。彼女は頭を痛がるアジ少年をさらによしよしと撫でつつ、彼の苦しみをどうにかしたいと行動した。

 

 

「冷たいモノで頭が痛いのだから、暖かいスープでも飲めば少しは楽になる?」

 鉄装は冷静なときは才女だが、それ以外はポンコツだ。ポンコツ眼鏡は、勢いで店員さんを呼んで注文した。体がすぐに暖かくなるスープをください。メニュー表も見ないでそんなことを言うものだから、混乱するのは店員さんである。店員さんは困ったように微笑んで、鉄装にすぐに暖かくなるスープでいいんですね?と確認をとった。鉄装が勢いよく頷いたので、じゃあと店員さんは今フェア中のスープを注文票に書き加えた。

 

 

 話は変わるが、夏場こそ辛い物を食べて飲んで、汗をかこうという文化を行う人たちがいる。夏場にこそチゲやスンドゥブを食べたりする人たちのことだ。そういう人たちは一定数以上いるので、時折ファミリーレストランでは辛いモノフェアを行うのである。

焦る鉄装の横にはメニュー表が置いてあった。

 そこには「夏を辛さでぶっ飛ばせ☆激辛スープフェア開催中☆」と書かれていた。

 



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第26話

建宮をはじめ、天草式の話し方やキャラがかなり独自のものかもしれません。
よろしくお願いします。


 アジはかき氷を勢いよく食べたのは久しぶりだった。だからすっかり忘れていた。あのキーンという痛みを。思わず唸ってしまうほどの痛みがアジの頭を襲ったのだ。途中から、「まるで頭に剣でも刺さってる?」というぐらい痛かったのだが、今はなんとか落ちついてきたのである。冷静を取り戻しはじめたアジは、ものすごい勢いで頭を撫でられているのに気付いた。

 

 

 黄泉川の仕事仲間である鉄装が、いつも以上に困った顔でアジの頭を撫でていた。眼鏡の奥の瞳がアジを心配そうに見ている。大げさである。黄泉川の同僚は皆優しく、尊敬できる人たちばかりだったが、とにかく過保護というか、子ども扱いが激しいのだ。

 

 

 特にこの鉄装はとびきりだった。いつも手をつなごうとするし、話すときはイチイチしゃがんで目線を合わせようとしてくれるのである。心遣いには感謝しかないが、それでももう今世でも成人しているアジにとっては、モヤモヤが募った。

 

 

 一応、筆談にて「大人」と、自分のことを伝えたのだが、どうにも曲解されているらしく、それをみた黄泉川は大笑いして、結局頭を撫でるのである。体が治ったら、お礼もきちんと伝えるが、成人しているとも伝えよう。そう心に決めたアジだった。

 

 

 アジが自分の考えに頷いていると店員さんがスープを一つ、テーブルに持ってきた。アジは頼んでいないので、鉄装かと思ったが彼女はレンゲでスープをすくい、フーフーを途中で挟んで、アジの前に差し出した。

 

 

 アジは恥ずかしく思った。恋人とだって、そんなことやったことはないのだ。いや、今世ではいないけれど。前世でも、モテた記憶はないけれど。とにかくこんな恥ずかしい体験はしたことはない。

 

 

 アジは非難気味に鉄装を見た。彼女は心配そうに、早く飲んでとアジに言った。意味が良く分からない。しかし、これもまた好意である。アジは好意には弱いのだ。

アジは彼女をレンゲからスープをズズッと口に含んだ。冷たくなっていた口に温かなスープが流れ込んでくる。悪くはなかった。冷えすぎて味はすぐにわからなかった。どんなスープなのだろう。

 

 

 アジは机の横にある調味料入れの近くの箱から、レンゲをとる。鉄装を見ると頷いたので飲んでもよいのだろう。アジは再びズズっとレンゲでスープを飲んだ。

 少しして、違和感。

 唇がピリピリしているような感じがした。頭を傾げながらも、アジはもう一度スープを飲んだ。瞬間、原因がわかった。喉がものすごく熱くなっている。いや、口全体も同じように熱かった。アジはたまらず、舌を出した。そして大きく唸って、思わず言った。

 

 

「あアイッ!?」

(辛イッ!?)

 

 

 再び、悶えるアジ。

 原因に気付いた鉄装はさらに焦って、よくわからない注文を続けた。

 

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 天草式の戦闘によるものか、海面が数回大きく爆発した。流石は手練れの魔術集団だと、海魔撃退連合の面々は考えた。ついに、あの海魔を葬ることができるかもしれない。希望が彼らの心の中に芽生え始めた。

 

 

 少しして、海中が静かになった。海魔、天草式共に反応がなくなった。必要悪の教会の魔術師は、警戒を解かずに戦闘地帯だった海面を睨みつける。すぐに、攻撃を再開できるように指示を飛ばした。考えたくはないが、天草式が全滅した可能性もあったからだ。

 

 

 すぐに海面に異常が現れた。高熱で沸騰したように蒸気が立ち上った。

 ゆっくりと巨体がその姿を見せた。その凶悪な顔は、おそらくは天草式との戦闘により、片目がつぶれ雷のようなヒビが半分以上も入っていた。これまでとは違う、明確な傷だと、全員が色めきだった。

 

 

 しかし、彼らの喧騒は徐々に小さくなっていった。

 海魔の顔のヒビは、そのまま全身に走り始める。まるで生まれようとする卵のように、全体に満遍なく広がっていった。そこで、さらなる変異が始まる。

 

 

 海魔の黒くゴツゴツとしたその肉体、ヒビから見える内側が淡く光り出した。色は赤黒い。吹き上がる蒸気。内側の赤黒い光が、どんどん高熱を帯びていくのはわかった。そしてつぶれた片目、その眼窩が赤熱する。その様子は体の色と相まって溶岩のように見える。噴火直前、爆発直前の活火山だ。

 

 

 すべての魔術師は本能的に防御結界を展開した。すでに転移術式で逃げ出したものすらいた。それを魔術師たちは笑わない。賢明な判断だとすぐに理解したからだ。

 

 

 赤黒い光がさらに強くなった。

 海魔のヒビ割れた部分から莫大な閃光が迸ったのだ。正体は濃縮した魔力のかたまりだ。膨大な魔力の閃光が背から、胸から、肩から、腹から、ヒレから、尾から、触腕から、眼から、一気に放出される。赤黒い無数の魔力の塊は、その一筋一筋が超電磁砲をしのぐ威力だった。名をつけるならば、拡散型放射魔炎だろう。全身から、これまで貯めてあった膨大な魔力を炎か雷のように吐き出していく。

 

 

 結界など、もはや無意味だった。戦闘機の積んでいるミサイル程度ならびくともしない、魔術世界の英知の一つが、引き裂かれ、消滅していく。結界を突破してきた爆音と閃光が魔術師たちを襲った。

世界が引き裂かれたようだった。

 

 

 海魔のもたらす死の閃光は、阿鼻叫喚の地獄を生んだ。海面は熱量で爆発し、雲は霧散していく。魔術師たちは必死に逃げていく。光に直撃し、飲み込まれれば骨も残らない。

 必要悪の教会の魔術師は全軍に退避命令を出し、すぐさま転移した。

 

 命からがら逃げだしたのは日本の海岸だ。息を荒くして脂汗を垂らしながら倒れ込んだ。土が顔や服に付くが、そんなことを無視して、彼は海を見た。視線の先には数十キロ以上先にいる海魔だ。数百メートルもある巨体だろうが、見えるはずがない距離だった。そこでさらに魔術師は恐怖する。

 

 そこには赤黒い雷の花が咲いていた。死をまき散らす魔の花だ。

 地鳴りのような、雷鳴のような音が魔術師まで届いた。海魔の咆哮だと、すぐにわかった。

 

 

 

 その日、魔術世界は敗北した。一体の怪物を、数百人の魔術師の連合軍が打ち取ることができなかったのだ。その事実に、数多くの魔術結社は恐怖した。さらにはイギリス清教、ロシア成教、ローマ正教といった宗教機関は、海魔の存在を危険視することになった。

 

 

 今後、これまで以上に海魔に対する攻撃は激化してくことになることは、誰の目からも明らかだった。

 海魔は、今も咆哮していた。自身の現状を知ることもなく、ただスープの辛さに悶え苦しんで、叫んでいる。

 

 

                ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 激痛で目を覚ますと、風に揺れる緑のカーテンと零れる陽光が見えた。建宮は苦悶の声を上げながら、身を起こす。彼はここが天草式の隠れ家の一つの廃病院だと気づき、すぐに自分の失敗を知った。

「.........クソッ!」

 

 

 建宮は激情に任せて声を荒げるが、それにより激痛が再び体中を駆け巡った。彼の声を聴きつけて、天草式の面々が8人ほど入ってきた。他のメンバーはどこかで待機しているのだろう。

 

 

「1週間です」

 8人のうちの一人、五和が言った。

「1週間も、建宮さんは寝ていました。それぐらいの重傷でしたし、今もまだ完治には程遠い状態です、咳をしただけでも激痛が走ると思います。でもですね、それでも私たちはやらなくてはいけないことがあるんです」

「.........なにが言いたいのよ?いつワッ!!?」

 五和は建宮の頬を思い切り平手打ちする。ビンタなんて可愛らしい表現は到底できない威力である。建宮は手で頬を押さえつつ、驚愕した表情で五和を見る。彼の頬には見事な紅葉が咲いていた。

 

 

 五和は後ろの大男、牛深とバトンタッチした。牛深はまさに牛のように鼻から一気に息を吐いて、建宮の頭に拳骨を落とした。

「おおおおおッ!!?」

 建宮の災難は続く、牛深はフンと鼻を鳴らしてさらに背後の女性、対馬にバトンタッチ。対馬は包帯の上からわき腹を思いっきり抓った。

「ぎゅあッ!?」

 次にポニーテール女子の浦上はチョップを脛に、小柄な香焼は耳を引っ張り、古参の一人諫早は鳩尾に拳をぶち込み......全員からの突然の攻撃に建宮は虫の息であった。

 

 

「お、お前ら......な、なにをするのよ?.........」

「わかんねぇのかよ」

 牛深は建宮を睨みつける。建宮はすでに涙目である。

「勝手に憤って、勝手に盛り上がって、勝手に死にかけて、仲間に散々迷惑かけた教皇代理サマは、俺たちが何にムカついてるのか、本気でわかんねぇのか?もう一回ぶん殴るか?ああ!?」

 建宮は本気で殺されると思って、ひぃと小さな悲鳴を上げた。興奮してきた牛深を片手で制した対馬は建宮を睨んだ。

 

 

「一人で終わらせようとしたんでしょ?アジのこと」

 建宮は対馬を剣呑な雰囲気を見て、態度を変えた。そして周りを見回す。建宮は息をのんだ。その場のメンバー、そしておそらく天草式全員が海魔のことを、アジのことを知ったのだとわかったからだ。海中で響いていたアジの苦しむ声、自分の迂闊な叫び声が、彼らに海魔の正体を伝えてしまったのだろう。

 

 

「アンタ、知ってたわね?いつから?あの大雨のとき、海魔が必要悪の教会の拠点をつぶそうとしたとき?」

「.........そうだ」

 建宮は苦しそうに、観念するように言った。

「なんで、すぐに」

「言えるわけがないのよ!?」

 建宮は大声を出す、痛みで咳込み、その咳でなおも苦しみながら、それでも絞り出すようにして吠える。

 

 

「アイツは他人や仲間を救うために死んだ!皆がアイツの死を苦しみながらも受け入れた!神裂の抜けたことにも耐えて、それでも前を向いて歩きだしたところに、そんなことを知って良いことなんて一つもないのよ!アイツが、アジが他人を襲い、大地を侵し、生物を食い殺す化物になったなんて何で言えるのよ!?言えるわけがない!!そんなの皆が辛くなるだけだ!!!」

 建宮は守るべき仲間を睨みつけて続ける。

 

 

「あの時、アイツが肉塊に喰われた時、俺は目の前にいたのよ!?何もできず、指くわえて突っ立てた!海に身を投げた時も間に合わず、神裂が泣いているときも駆けつけられず、今日までノウノウと生きてきたのよ!?アジが、今も苦しんでいることなんて知らずに!今日も誰かを助けられたと、少し喜んで酒飲んで寝て、莫迦みたいに過ごしてきたのよ!許されるわけがないのよ.........俺だけが知ったのには意味があったはずなのよ、神様がくれた愚かな俺への罪滅ぼしチャンスだと思ったのよ」

 だから、と建宮は絞り出すように言う。

 

 

「だから、俺がアイツへ引導を渡さなくちゃいけないのよ。今回は失敗した、それは謝るのよ。でも、俺の刃は海魔の肉を絶ち、効果的なダメージを与えられていたのよ。次は、もう失敗なんてしないのよな。まだ、倉庫には置き土産の霊装がある、傷を癒して、それさえ使えれば今度こそ」

「ふざけんな!」

 

 

 対馬は建宮の胸倉をつかんでキレる。勝手なことばかり言う、目の前の男に、ついに我慢ができなくなったのだ。

「さっきから聞いてれば!なんなのアンタ!?うぬぼれてんじゃないわよ!」

「何を」

「悲劇のヒーローにでもなったつもり!?ふざけんじゃねぇよ!辛いのはアンタだけだと思ったら大間違いだ!!」

「だ、だから俺が一人で」

「全部間違ってんのよ!クソ野郎!」

 

 

 対馬は建宮を殴りつけて、さらに感情を爆発させた。

 「アンタだけが後悔してるような口ぶりが!その独りよがりが!本当に頭にくる!ハラワタが煮えくりかえるって言ってんのよ!どうして私たちが、全員が、後悔してるって考えない!?アジが死んだときも、神裂が抜けた時も、私たちも一緒にいただろうが!?」

 

 

 対馬は言った。お前がアジを殺したのか。お前が神裂も追い出したのか。そんなわけがなかった。すべては不幸が原因だったし、スレ違いが原因だった。対馬の言葉にその場の全員が頷いた。天草式のメンバー、その誰もがアジの死を彼を救えなかったことを後悔し、神裂の悲しみと苦しみを受け止めることができなかったことを悔やんでいる。全員の気持ちは一緒だった。

 

 

 それなのに、建宮は一人で抱え込んで、死ぬことも恐れずに行動したのだ。対馬にとって、そして仲間たちにとって、それは許されないことだ。それは裏切りだ。仲間たちに何も言わずに、苦しむなど、仲間の信頼に泥を塗る行為だ。もっとも恥ずべき裏切りだ。

 

 

「なんで、勝手に悩んでんのよ、なんで勝手に一人でやろうとしんのよ。神裂みたいに抱え込むんじゃねよ、クソ野郎。おいクズ、私たちはなんだ?鼻たれのガキの集まりで、お前は親か?ちげぇだろ、全員同じ仲間でしょ、どっちが上とかじゃない。仲間でしょ。なんで、言わないのよ......なんで頼らないのよ.........そんなに信....よう......できないの?」

 建宮を殴り続けていた対馬は、ついに声を上げてボロボロと泣き始めた。

 

 

 建宮が泣きじゃくる対馬を見て思う。自分の想いが、どうして仲間を苦しめてしまうのか。自分のやろうとしたことは、間違っていたのか。呆然とする建宮に、諫早は近づいた。

 

 

「お前の気持ちはわからないでもない。でもな、勝手なことばかりするな。教皇代理に、いや、ちがうな。お前の身に何かあったら苦しむのは天草式全員だ。アジや、神裂がいなくなったのと同じように、お前も仲間の一人なんだよ」

「.........」

「お前が、仲間のため考えてくれたのはわかる。でも、もういいんだ建宮。これはお前だけの問題か?違うな、私たちの問題だ。じゃあどうするか?もうわかるだろ?」

 建宮は見回す。仲間たちは建宮を見ている。

 何だクソ、と建宮はまたもや自分の愚かさを嘆いた。

 建宮は聖人でも、神様でもない。たんなる人間だ。だからできることは限られている。

 

 

「俺が悪かったのよ.........みんな、助けてくれ」

 

 

 その場の全員が頷いた。対馬はのそのそと建宮から離れ、五和に抱き着いた。建宮は、対馬に、もう一度謝罪したが睨まれるばかりだった。

「ぶふぅ.........ギザギザ頭の、クズ…ウッ.........見んな、カス......」

「そうですね、建宮さんはクズですね。はい、うんうん」

 対馬は五つ以上も歳の離れた五和に慰められていた。流石に今、これをネタにできるほどの度胸と無謀さは建宮にはなかった。

 

 

 牛深は鼻を鳴らして、口を開いた。その場のメンバーは思案する。

「んで、どうすんだ?」

「.........そうなのよな、まずはアジをどうするかってことよな」

「本当に、殺す以外の手はないのか」

「.........人外化してしまった者を治す術式は、天草式には伝わってなかったと思うのよ。」

「ふむ、まぁ早急に解決策を導くのは難しいだろう。このバカのように自爆など御免だしな。この場だけではなく、すぐに天草式全体で策を練ろう。場合によっては、元女教皇にも連絡をする必要があるだろうな」

「そ、それは」

 焦る建宮に諫早は言う。

「確かに、元女教皇がアジのことを知れば後悔するだろう。でも後から知れば、さらに後悔するはずだ。あの海魔の影響力から見て、次に迎撃があるなら聖人である彼女は必ず投入される。その時、あの目の輝きや通信でバレた方が厄介だ。彼女が海魔を殺しても、海魔が彼女を喰っても悲劇しかうまれん」

 

 

 諫早の言葉に建宮は納得した。仲間たちは話し合いを重ねていった。建宮は横になりながら思う。問題は全く解決していないが、それでも胸を締め付けるような苦しみはもうなくなっていた。

 



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第27話

アジもいろいろ考えて行動しています。
それが良い方向へいくとは限りませんが。


 うだるような暑さも冷房の効く部屋の中までは届かない。窓から陽光が部屋の中に注がれている。フローリングの床をキラキラと照らし、あるものを映し出す。それは白い尾のような物体だ。4つ以上もあるそれは、ソファに座る少年へと続いている。

 

 

 アジの触腕である。アジは軟体動物然とした触腕が、黄泉川や他の警備員から当然のようにウケが良くないことに気付いた。そのため、少しでも不快感を軽減するように体表をすべすべにして、色も清々しい白にしたのである。白蛇のように見えるそのウケは半々といったところであり、反応はマシになったといえるだろう。居候というのは気を使うものである。

 

 

 そう居候だ。アジが黄泉川宅へ居候してから、すでに一月以上も過ぎてしまった。時はすでに8月の半ばをすぎ、学生ならば夏休みの宿題に追われるような日付だった。

 アジはリビングにいた。ソファの上に深く体を預けている。

アジはもう一度家の中に誰もないことを確認すると、大きく口を開いた。そこからベロンと出したのは舌と、もう一つ。彼が創った首飾り型の霊装だ。

 

 

 中々、グロテスクな光景だった。体内に収納している霊装を取り出す方法は複数あるが、やはり口等の外へ通じる器官から取り出す方が早く、変異させる魔力消費が少なく済むのである。

 

 

 アジは霊装を手に取ると、目を閉じで集中する。自身の声を霊装に乗せて、同調する他の首飾りへ届けようと魔術を使った。だレカ、応答してくだサイ。ぼくデス、アジデス。そんなような言葉を発し続けること10分。

「あぁアイ、あエア」

(やっパリ、だメカ)

 

 

 もう何度も挑戦し続けている霊装を介した通信だったが、結果はやはりというか実っていない。体内から取り出しての通信は、感度は以前と比べものにならないが、それでも連絡はつくことはなかった。現在のアジは残念ながら人外であり、体を構成する物質は海洋生物が混じり、それらがノイズになっている。それでも、通信を続けるのは「もしも」を期待してのことだったが、無理のようである。

 

 

 アジは小さく唸る。上手くいかないものだと、ため息もおまけについた。

上手くいかないといえば、もう一つの分身体のこともあった。少し前に、彼は新たな分裂体を創り、本体から射出したのだが、その分裂体とのパスは切れてしまっていた。

おそらく「真夏の悪魔・かき氷頭痛」と多分辛党の鉄装の「サプライズ、スパイシースープ」のダブル味覚攻撃によって、集中力がなくなってしまったことが原因だった。

 

 

 あの海面からでた本体で中途半端に創られた分裂体は、中途半端な意識のまま、中途半端な場所へ射出されてしまった。まぁ、以前の触腕と同じように帰巣本能のようなものがあるはずである。いずれ本体に戻ってくるだろうとアジは楽観視していた。まさか暴走をするはずもない。それは大丈夫なのである。

 

 

 もう一つアジの上手くいっていないものは本体であった。やはりアジ分裂体の頭がキーンの後、舌がビリビリしたので本体も苦しんでいたのだろう。気づけばなぜか、体内の魔力をかなり消費してしまっていたのだ。このままでは分裂体の意識を保つのも難しいほどの空腹に襲われそうだったのである。

 

 

 そのため本体はせっかく学園都市に近づいたのに、また大洋に向かったのである。目的地は深海だ。時折、深海には当たりが泳いでいる。図鑑には載っていないような巨大なサメや、ワニにカメの手足をつけたような奴らだ。そいつらを食べると一気に空腹がおさまるのである。

 

 

 本体はまた様々な海洋生物を喰い荒らしながら、急ピッチで深海へ。今は、またもや休眠に近い状態で深海を漂っているだろう。動かなければ魔力の消費も抑えられ、空腹も抑えることができた。なんとか危険な状態からは脱したが、これで本体から新たな分裂体を射出することも、霊装を補充することもできなくなってしまった。アジは思う。まこと運がない。

 

 

 けれどもアジはへこたれない。前向きだったのには理由がある。

 新たな策はすでにできていたのだ。アジは白い触腕の一つを、アジの腰元の根本から千切る。そして集中して形を変えていく。気づけば、アジが二人、リビングにいた。一人は裸で床に寝転んでいる。

 

 

 アジは残りの触腕をブンブンと振って喜んだ。アジはこれまでずっとこの新技を練習してきたのだ。新技とはアジ分裂体がさらに分裂する技である。

 アジはこれを分裂使い魔(アガシオン)と呼んだ。

 

 

 使い魔は当然、質量の少ない分裂体から生み出すのでさらに質量は減るし魔力も少なくできることは限られる。加えて本体から創ったわけではないので、意識の共有もできず今は単なる肉塊である。動かすにはアジが集中して、使い魔を操るしかない。

 

 

 しかし、それらのデメリットを覆すほどのメリットが使い魔にはある。

 それが自由行動だ。アジは今、親切な黄泉川たちのおかげで楽しく過ごしているが、個人での外出を禁じられていた。彼女たちにこれ以上迷惑をかけられないし、何より嫌われたくないアジは誰かと一緒でなければ、家で過ごすしかないのだ。だからこその使い魔だ。アジが部屋で眠るように集中し、使い魔を操ればいい。アジは家に居ながら、外を探索できるのである。

 

 

 アジはさっそく使い魔を起動させる。アジはまず怪しまれないように、ソファに横になった。そして目を閉じて、魔術を行使する。意識と魔力のパスを使い魔につなげる。アジと入れ替わるようにして起き上がった裸の使い魔は、少し伸びをする。

 

 

 手足は動くし、分裂体より劣るものの触腕や他の変異もお手のものだった。自分の肉体を操るのに違和感がないように、使い魔を操るのは実にカンタンだとアジは思った。使い魔アジは、部屋を歩いて服を着る。そして黄泉川の部屋の窓を開けて変異した。分裂体の中から移動させた霊装はいくつかある。それらを利用して、アジは触腕を生やす。そしてそれぞれ半分に分断し薄い膜を張る。触腕の翼でアジは飛んだ。

 

 

 久々の飛行は中々うまくいったようで、彼は勢いよく飛んでいく。まず向かうのは自動販売機だった。あの辺に目的の消去能力の少年がいることを願った。

分裂体は、傍から見れば熟睡しているように見えたので、心配はないとアジは思った。

 

 

 これで学園都市にアジの姿は二つ、そして学園都市の外に分裂もどきが一つ、深海に本体が潜んでいることになった。使い魔アジは気づけないことだが、人間の意識には限界がある。どれほどの天才でも並列処理をし続けることはできないのだ。

 

 

 ただでさえ分裂体時でも本体へ意識が向かわないことが多いアジの意識は、今や本体のことは全く認識できなくなっている。彼は問題ないと考えているようだが、この判断が今後どうなるのか、まだ誰にもわからないことだった。

 

 

 

 

 のほほんと飛行を続けアジは自販機に到着した。近くの道に降り立ったアジ。約束のようにアスファルトにはヒビである。アジが自販機に近づくと、ベンチに座る影が二つ。

そこには腕と額、他にもいくつかの場所に包帯をしている少年と白い修道服を着た少女がいた。少年は疲れたように笑って少女に話しかけていた。

 

 

「散歩にしてはちょっと暑すぎませんかね、インデックスさん?」

 インデックスと呼ばれた少女は、これまた暑さでとろけそうな顔で少年に返す。

「むぅ、でもでもずっと病院に居たんだし、ちょっとは外にでなきゃいけないだよ」

「その日は今日じゃなくても良かったのではないかと、上条さんは思うわけです、ハイ」

 最高気温38度は死ぬってと上条と呼ばれた少年は言い、すぐにしおれて「不幸だ」と言った。二人はだらだらと汗をかいていたので、少年は飲み物を買うようだ。財布から小銭を取り出して、封入口に入れようとし、流れるようなしぐさで硬貨を落とす。

硬貨は転がって、近くの路上排水口へ落ちていった。

 

 

「ふふふ、わかっていたけど不幸だ.........叫ぶ元気もない」

 少年はグシャッ!と勢いよく膝をついて天を仰いだ。額から流れる汗が涙のように頬を伝った。アジはなんだか彼がとってもかわいそうに見えて、さらに近づいた。

 

 

 アジは未だに消沈する彼の横を通って、先ほど落ちた排水口へ。少年はアジの姿に気付いたようでアジの方を見た。アジは自分の腕を細く変化させて、細い排水口に入れる。雨は最近降っていないので乾いていた。そのまま伸ばし、硬貨を掴んで引き上げる。上条はアジに近づいてきた。アジは手を元に戻して、少年の方をみる。

 

 

 アジは手に持った五百円を彼に差し出した。少年は喜んでありがとうと勢いよくお礼を言って、アジの手に触れようとする。彼の右手で。直後。

「まって!?とうま!」

 白い少女が叫んでいた。

 




ようやく会えました。


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第28話

そろそろ最終章です。
お待たせしました。
頑張りますので、よろしくお願いいたします。


 上条当麻はインデックスの声を聴いて動きを止める。目の前にはおそらく小学生ぐらいの少年が、500円硬貨をもったまま固まっていた。

「とうま、すぐに離れるんだよ」

 インデックスの声は硬い。上条は彼女がこんな声を出すときは一つしかないことを知っている。科学では説明できないもう一つの異能の力、魔術に関係するときだけだった。インデックスは小声でつぶやく。肉体変化の魔術、それもそこまで体を弄るなんて正気じゃないんだよ。上条はそれを聞きとり、少年から距離をとった。

 

 

「あなた、所属は?魔術師がとうまに、わたしに何のよう?」

上条はインデックスの言葉を聞きながら警戒を露わにした。炎を操る不良神父や錬金術師など、上条にとって魔術師は厄介な事を連れてくる奴らの総称みたいなものだからだ。上条は拳を握る。もしも、危害を加えるつもりなら、そしてインデックスを攫おうとするならば容赦はしないと身を固くする。

 

 

 だが、目の前の少年はインデックスの言葉を聞くと予想外な行動を起こした。

 背から白くて長い物体、おそらく尾を生やしてブンブンと振ると、自分のことを指さして「まじュツ!まじュツ!」と言った。表情にほとんど変化はないが、間違いなく喜んでいることがわかった。上条は無邪気な少年の姿にしばしキョトンとしてしまった。

 

 

 少年は、上条とインデックスを指さしてまた「まじュツ?」と言った。言い方からして、疑問形だ。意味もなんとなくわかった。インデックスは未だに警戒をといていないものの、上条は少年の反応から敵意を感じなかったので、力を抜いていった。

 

 

「いや、俺は魔術師じゃねーよ」

「とうま!?相手は間違いなく魔術師だよ!?なんで普通に会話しちゃってるの!?」

「いやこいつが本気で攻撃してくる気なら、もうしてるんじゃねーの?って思ってさ」

 それに、と付け加えて「500円拾ってくれたしな」と言った。

 

 

「とうま、いくらなんでものんきすぎるんだよ。とうまは500円あれば買収できる安上り男なの?」

「なんだか不名誉な言いがかりが聞こえるな」

 二人が会話をしていても、少年は首を傾げて待つばかりだった。その様子をみて、インデックスもようやく毒気が抜けたようである。彼女もため息をついて少年を見た。少年は、なおも尾を左右に振っている。

 

 

 少年の名は多分アジというそうだ。多分というのは、アジがあまりにも言語に不自由していたからだった。アジは自分の名前と魔術という単語しかはっきり話さなかったのである。おそらく、上手く日本語が話せないのだ。証拠にときおり唸り声や不明瞭な言葉をむにゃむにゃと発していた。

 

 

「で、おまえは俺たちに何のようなんだ?もしかしてマジで500円拾ってくれただけ?」

 上条がそう言うと、しばし考えてアジは一度頷き、その後首を横に振った。親切心以外にも、彼は何か上条たちに伝えたいことがあるらしい。上条はどことなく微妙な顔をしてインデックスを見る。彼女は彼女で警戒を解いたものの、神妙な顔でアジのことを見ていた。まるで、アジの扱う魔術を観察しているように思えた。

 

 

 アジはインデックスの視線には、気づいていないのか特に反応していない。彼は上条に対して、人差し指を立てる。瞬間、その指は変化、いや手全体が鋭い甲殻類のようなものに変異していく。上条は思わず、うぉ、っとビビってしまう。なんでもありだな魔術はと感心してしまう。

 

 

 アジは、アスファルトから少し移動する。そして、土の上に文字を刻んでいく。ミミズがのたくったような文字は決して上手ではないが、とりあえず読むことができる。そこには、(たすけて)と書かれていた。どうやら目の前の少年もまた、上条に厄介事を呼び込む存在のようである。

 

 

「不幸だ」

 上条はとりあえずお決まりのセリフを呟いてみる。

アジは聞こえていないのか反応せず、さらに文字を刻んでいく。(けすちから)(さがす)(おねがい)と書かれたその言葉を上条はかみ砕いていく。そしてふと、自分の右手をみる。消す力、それはもしかすると。

 

 

「それって俺の幻想殺しのことを言ってんのか?」

 幻想殺し(イマジンブレイカー)。それは上条当麻の右腕に宿る力のことだ。触れれば、それが異能であれば3000度を超す炎も、世界をゆがめる錬金術も、超電磁砲も、最強のベクトル操作能力も、すべてを打ち消す力だ。目の前のアジは、それを求めているのだろうか。

 

 

 アジは上条の言葉を聞いて、興味がわいたのかさらに尾を左右に激しく振った。表情が動かない分、彼は体で感情を表現するのかもしれない。

 

 

 アジは、先ほどの自動販売機に近づき側面に触れる。そして彼は何かをつかみ取った、それは蠢くスライムのようだった。気持ち悪ッ!と思った上条である。スライムは、アジの手のひらの上で、姿を変えた。先ほどの手の変異と同じものに見えた。スライムは、小さな蟹の姿をとると上条に近づいていく。蟹は小さな体の小さな鋏を上条に向けている。ちょっとかわいかった。

 

 

 アジは上条の方をじっと見ていた。どうやら幻想殺しを見せてみろ、ということなのだろう。上条は小さな蟹に、ちょっぴりの罪悪感をもちつつも、右手で触れる。

瞬間、蟹は弾ける。少量の魚やエビの残骸がその場に現れた。少々、グロテスクである。

それを見たアジは、今度は尻尾をペシペシと叩きつけて喜んでいる。またもや不明瞭な言葉を言い、ゴロゴロと楽しそうに唸るアジ。打ち消されて面と向かって喜ばれたのは、そういえば初めてだなぁと上条は思った。アジは笑顔のまま、さらに言葉を大地に刻んでいく。

 しかし、それは上条の表情を硬くさせるものだった。

 

 

(うみの)

(ぼくを)

(けして)

(おねがい)

 

 

 つたない言葉を刻み続けたアジの顔は少しだけ微笑んでいるように見えた。迷子がようやく家を見つけたように、安心したような雰囲気が出ている。剣呑な言葉からは想像もつかない様子だった。

「.........どういうことだ?」

 上条はアジに話しかけるが、そこにインデックスが割って入る。その表情は驚愕に彩られている。

「あなた、その体.........」

 

 

 アジはさらに首を傾げ、そして

 突然、

 がくんと体を震わせた。

 震えはおさまっていったが、アジは力なく地面に倒れてしまう。人形のように手足を投げ出して。上条は慌てて近づくが、インデックスに遮られてしまう。

 「ダメだよ!とうま、この子に触れちゃダメ!」焦燥が伝わってきた。

 「触れたら、この子の体が崩壊しちゃう」

インデックスはギョッとする上条に説明を始めた。

目の前の少年の、おそらくは最悪な、現状を。

 

 

           ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

「アジ、こんなところで寝るんじゃないじゃん」

 アジが使い魔の操作をしていると、肩をゆすられた。黄泉川が帰ってきたのだ。アジは一時、体を起こす。黄泉川への返事も少なく、すぐさま彼はソファから自室の部屋に移動する。なにせ、あの消去能力者に出会ったのだ、このチャンスを逃すことは許されない。アジは自室に移動するや否や、ベッドにいくのも惜しんで床に寝転がる。目を閉じて、自分の使い魔とパスをつなぎなおしていく。場所は正確にわかっていたので、意識をつなげるまで5分もかからないはずだ。焦らず急ぐと彼は決意する。アジは深呼吸をして集中し、再び目を閉じた。

 

 

           ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 二人は倒れる少年の前で話す。

「この子の体、変なんだよ。全身に魔力が通い続けてる。非効率すぎるんだよ、普通の魔術師がやってたらすぐに調整に不具合が出て自滅しちゃうはず」

 

 

 人間でいえば全身を力み続けているようなものらしい。そんな状態では、歩くことも呼吸することもままならないはずだ。でも、目の前の少年はそれを行っている。人間では不可能なことをし続けている。

「ちょっと待て、じゃあなんだ?こいつは人間じゃないってことか?」

「.........そういうことになるね」

 インデックスは倒れているアジの手に触れ、さらに詳しく魔術の解析をしていく。みるみるうちにインデックスの表情が青くなっていった。

 

 

「こんなことって」

「おい、ちゃんと説明してくれ」

インデックスは話す。今倒れている少年の体には、人間の部分がほとんど残っていないという。体を構成しているのは魚や蟹などの生き物たち。イワシが群れで大きな魚の真似をするように、膨大な魔力で無理やり体を人間にしているに過ぎないとのこと。魔術世界でも、肉体をここまで大幅に変化させるなんてことはしない。

 

 

 そもそも意図してできるようには、人間の精神はできていない。自分の腕を切り裂いて、代わりに魚を移植するような精神は常人には持てない。まるで拷問のようだとインデックスは言った。

上条は自分の手足が無理やり魚や蟹に置き換わっていく様子を、思い浮かべる。正気でいられるとは思えなかった。

 

 

「魔術系統もめちゃくちゃなんだよ。パスのつながりから遠隔操作型の使い魔の術式と、偶像崇拝の理論を応用しているのはわかるんだけど、後は混ざり合いすぎて判別できない。多分、意図した術式じゃない。魔術暴走の結果、この体を維持しているだけってことかも」

「待て待てインデックス、急に専門用語を並べられてもわからないって」

「つまりこの子本人は、どこか遠くにいて、人型にした肉体を操っているってことだよ。今はその意思も途切れちゃってるみたいだけど」

「ラジコンみたいなもんか」

「.........らじこん?」

 インデックスは科学用語に顔をキョトンとしながらも解説を続ける。

 

 

 アジの本体は身動きが取れない。しかし、離れた場所へ意思疎通を図る必要があった。地面の文字を見るに、助けを求めてのことだ。そして彼は非常に非効率な使い魔を生み出した。いや、ちがう、おそらくは生み出すしかなかった。

 

 

「この子の体から伸びる二つのパス、そこから流れる魔力量は異常なんだよ。普通の魔術師、千人が生み出せる魔力量よりも多い。そしてそんなことは普通の人間にはできない、聖人だってこんな無暗に魔力を練ったら、すぐに体が弾けて死んじゃう」

 そのことからもアジ本人の体も、人間ではない別のナニカになっている可能性が高かった。インデックスの見立てでは、魔術の暴走に巻き込まれた子供の魔術師だろうと見ている。人型の使い魔が少年の姿をしており、わざわざ大きく本人の体を変えることはないからだ。

 

 

 そして、そんな人外の身では、人間の魔術は上手く機能しない。魔術は人間が扱う技術だ。それ以外の存在は上手に扱うことができない。だから彼は人外の術で使い魔を用意した。人間の部分を混ぜ、他の生物の肉を使って非効率な使い魔を創るしかなかった。人間の部分を混ぜたということは、自分の体を千切って人形を作ることと同義だった。どれほどの痛みと硬い意思があったのだろうか、上条には想像もつかない。

 

 

「とうま、人間には人間の魂がうまく入るようになってるんだよ。だから人間じゃない体には、人間の魂は上手くはいらない。入ったとしても、その体に合うように少しずつ変異してしまうの。多分、この子の体はもう人の姿をしてないんだよ。だから言葉も上手く話せない、人間としての自我が崩壊してきてるんだと思う。使い魔を十分に操ることもできないほどに」

「だから助けを求めてきたってことか、自分の体を治してもらうために」

インデックスは上条の言葉を否定する。

 

 

「賢明な魔術師ならわかるけど、たぶん彼の体を完全に元に戻すことなんてできないんだよ。自分の体が核として残ってるならいいけど、望みは薄いと思う。魔術の暴走なら、人間の体も他の生き物の体も完全に混ざり合って、めちゃくちゃになってるはず。仮にとうまが彼の人外化した体に触れちゃうと、体のつなぎ目を全部ほどいてしまうんだよ。さっきの蟹みたいに弾けてしまう」

「え?じゃあこいつは何のために?」

「.........死ぬためだと思う。人外の体に精神が飲み込まれる前に、人外の身で暴走する前に、人として死ぬために、彼は助けを求めたんだよ」

 

 

 上条当麻はその言葉が飲み込めずインデックスを見る。彼女の悲しそうな顔が、その言葉が嘘ではないことを彼に伝えた。

 目の前の少年は、魔術の暴走によって人の姿を失い、その体に飲み込まれないように足掻いた。足掻いて、出した結論が死ぬためだといった。インデックスは補足するように言った。魔力量が魔術師千人分の人外の身は、身じろぎ一つで様々な影響を及ぼすはずだと。彼にその気がなくとも、移動するだけで小島程度であれば破壊されるだろうと。

 それは魔神ならぬ、魔獣だ。

 生きているだけで罪深いとされる、悪を振りまく怪物。

 

 

 こいつは上条の力を見た時に、どんな様子だったか。安心した様子だった。まるで、これ以上苦しまないで済むことを知ったかのように。

「なんだよ、そりゃ」

 上条は歯嚙みする。目の前の少年がそんな目に遭っていいようにはみえなかった。

アジは、また体をピクリと震わせた。意識がもどったようで、二人の方を見た。彼はふらふらと立ち上がり、先ほどの言葉を指さす。

 

(うみの)

(ぼくを)

(けして)

(おねがい)

 

 そして懇願するように、彼は頭を下げた。 

 上条は何も返せなかった。

 

            ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 とある場所、その部屋には扉も窓もなかった。部屋中を駆け巡る大量のチューブは部屋の中央の筒のようなものに向かっている。筒の中は赤い色の液体で満たされ、中には人影が一つ。緑色の手術着を着て逆さに浮く人間だった。

 

 

 アレイスター・クロウリー。学園都市統括理事長、科学の都のトップだった。彼は部屋に浮かぶいくつもの映像を見ていた。そこにはツンツン頭の少年と、白い尾を生やす少年が話しているのが見えた。

 彼の近くにはサングラスに金髪、アロハシャツ姿の男がいる。アレイスターは男に話しかけた。

 

 

「君たちの世界の怪物が紛れ込んでいるようだ」

「入れたのは、お前だろう。アレイスター」

「入れただと?アレが勝手に入ってきただけだよ」

 

 

 アレイスターはどこか楽し気に言った。他にもいくつかの画面が映し出されている。それは様々な時期、様々な媒体の映像だった。

 

 

 一つは、ニュース番組、とある事故で奇跡的に全員救出された漁師のコメントだ。

助かった後も、顔を恐怖に歪ませる漁師の一人は語る。「夢だったのかもしれません、集団催眠だったのかもしれません。むしろ我々はあれが現実であったと、信じたくないのです。あんな、化物がいるなんて」

 

 

 一つは、SNSに投稿されたいくつかの映像。海辺で遊ぶ家族の後ろの水平線に見える赤黒いナニカ。旅客機の横を通り過ぎる赤黒い火柱。

 

 

 一つは、学園都市制の衛星が映し出した写真。太平洋、そして日本近海に見える赤黒い雷撃のようなもの。続けて映し出されているのは潜水艦のカメラ映像。海中に見える、あり得ないほど巨大な移動物体、ライトに反射する目玉と牙のようなもの。

 

 

 そして最後、海上にいる怪物から射出された棘が、形を変え人型になる場面。その人型が学園都市に降下する映像だった。

 

 

「海魔と、君たちは呼称している巨大生命体。私が観測したものによると、全長はもうすぐ千メートルに達し、さらにその巨体維持のためか様々な海洋生物を喰い荒らしている。この都市の科学者数名はあの生命体に気付いたようで、嬉々として無人機を差し向けたが.........」

「前置きはいい。ハッキリ言ったらどうだ、アレイスター」

 

 

 サングラスの男はいら立ちを隠さずに言う。彼、土御門元春は学園都市のスパイとして活動しているが、雇い主に対する忠誠心などこれっぽっちもない。あくまでギブ&テイクの間柄だ。むしろ土御門はアレイスターのことが嫌いだった。何を考えているのかわからない、目の前に漂う人間を、心底嫌悪している。

 

「ふむ、そうかね」

 他方でアレイスターには何の感情も浮かんでいないように見えた。土御門に対して興味がないのか、それともそもそも感情がないのか、判別できない。

 

 

「では単刀直入に命令しよう。いくつかの人員を貸し与えるので、海魔から分裂したあの個体を始末してくれ。頭部を銃器で打ち抜けば死ぬだろう。それでも死ななければ、適当な施設に放り込んでおいてくれ。科学の領土で、神秘の怪物が動き回るのには、時期が悪い。イレギュラーなことをされては少々プランに関わってくるのでな」

 

 

 アレイスターは薄く笑っている。その真意を掴めるものはいない。

 



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第29話

物語の都合上、色々な事件が前倒しになっています。
よろしくお願いいたします。


 アジは二人の前で、説明を続けた。

 尾でゴリゴリと簡単な地図を描き、学園都市と自分の本体の位置を示していく。時には体全体を変異させ、海にいる本体が怪物であることもなんとか伝えることができた。

 

 

 しかし、上条たちからの返事は色良いものではなかった。

「悪いけど、すぐにこの場所に行くことはできない」

 上条が説明したのは、学園都市を囲む外壁のことだった。超能力開発を進める学生が外にでるためには、体のなかにナノマシンをいれる必要があるらしい。そして白いシスターのインデックスも彼に力を貸してくれるとのこと。何でも必要悪の教会に伝手があり、アジのことを連絡してくれるとインデックスは言う。

 

 

 アジは親切な二人に感謝した。喜ぶアジに二人は微妙な顔をしているのだが、それに気付けないほどアジは達成感を味わっている。

 

 

 喜ぶアジに上条は話す。

「つーか、お前帰るところとかあんの?」

 アジは小さく唸った。確かに考えてみれば使い魔アジを保管しておく場所はなかった。黄泉川宅へ帰ることも可能だったが、感づかれるリスクがある。黄泉川だけならば良いだろうが、頻繁に出入りするようになった警備員にまで、魔術が露呈するのは防ぐ必要があるだろう。アジが考えを巡らせている様子を見て、上条は言う。

「あー、なんだ。とりあえずウチに来るか?」

 アジには知るよしもないことだが、困っている人間を助けてしまうのが彼の性質だった。

 

 

 

 

 

 3人は歩いてとある学生寮へと到着した。上条の住む部屋は正直散らかっているが、普通の男子学生であればおかしくない範囲である。それよりもアジが驚いたのは、全くよどみなく白い修道服の少女、インデックスも「ただいまなんだよ」と言って入ったことだった。

 

 

 まさかの同棲である。アジは最近の進んだ若者の恋愛事情に度肝を抜かれている。

「あ、そうだ」

 上条はそう言うと、夕食の買い物を忘れていたといった。彼はインデックス共に再び出かけようとした。アジも買い物ぐらい手伝おうと、立ち上がったものの留守番を頼むということで再び座り込む。二人はそそくさと扉を開けて出ていった。

 

 

 まさか家にまで招いてくれるとは、アジは二人の優しさに胸がいっぱいであった。とにかく消去能力者である上条当麻と出会い、コンタクトがとれたことは大きいとアジは喜ぶ。彼にも予定があるだろうから、すぐに自分と共に海まで行くのは難しい。それは仕方がないことだと、アジは納得していた。いつ行ってもらえるかは予定を立ててもらおうと彼が考えていると、扉からガチャリと音がした。

 忘れものだろうか。アジは警戒もせずに扉の方を向く。

 

 

             ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 夕方になり、西日が上条とインデックスの影を引き延ばしている。

 二人は少し嘘をついた。

 彼らはすぐに買い物へ向かわず、上条の学校へと向かった。

 夏休み中とはいえ、教員は休みではない。というか逆に新学期も近いということで忙しなく働いている大人たちが職員室にはたくさんいた。そんな中に、声をかけるのを上条は躊躇している。忙しいのに邪魔すんなよという、声なきプレッシャーが上条を襲っている気がした。

 

 

 上条が職員室まえの扉で立ち往生していると、近づいてくる影が見えた。

 非常に小さなその影、見た目小学生の幼すぎる担任、月読小萌である。

「上条ちゃん、どうしたんです?もしかして自習ですか?それなら私が付きっきりで教えてあげますよー」

 青髪ピアスあたりなら泣いて喜びそうな提案を、上条は断ってあるお願いをする。

 

 

「先生、外出許可の書類ってもらえませんか?」

「外出許可ですかー?立て続けですねー」

 小萌は首を傾げて上条を見た。上条はつい先日も外にでたばかりなのだ。学園都市最強のレベル5を殴り飛ばした彼は、後処理の邪魔なので一回出てけと言われ、海へ家族旅行に出かけていた。もっとも、そこでも彼は「天使」と「入れ替わり」の厄介事に関わっていたのだが。

 

 

 あの外出と、今回は事情が違うのである。本来ならば書類三枚、体内への注射、保証人が必要なほど、学園都市から出ることは難しい。

 上条は焦りつつも、順当な手続きを踏むしかないのだ。

 

 

 小萌はそんな上条の様子をみて、察する。

「きっと人助けなのですねー」

 上条はぎくりとした。この自分よりも小さく、幼く見える担任には一生頭が上がらないと上条は思った。インデックスはインデックスで、なんでわかったの?と可愛らしく首を傾げている。

 

 

「わかったのです、用意しておくのですよー。でも今日中は厳しいですね、明日また取りにきてくださいねー」

 上条にできることはとりあえず一段落だ。彼らはアジ本人に触れて、彼の自殺を手助けする気などなかった。けれども、彼らには具体的なプランはない。だからこそ助力を乞うのである。外の教会に、魔術を領分とする組織であり、インデックスも所属する必要悪の教会に連絡をとるためには、外に出るしかなかった。

 

 

 上条が外に出れると知ったアジが、自分に触れてくれないと知り、ぬか喜びさせないために、二人は嘘をついたのだ。

また、隣には土御門元春という魔術師がいるにはいるが、彼はスパイだと言うし、頼みごとをして彼の存在が公になるのは不味いだろうと上条は考えていた。

 

 

「これで、なんとか.........できんのか?」

 上条は似合わぬほど弱気だ。彼は誰かを救い出すことにためらいはないが、彼にできることは限られている。右手は幻想を殺すが、今回はそれだけでは救えない。

 

 

 インデックスは優しい同居人を見て、表情を曇らせる。彼女は、上条以上に、いや世界の魔術師の中でも指折りの知識をもつ、10万3000冊の魔術書はアジの救出が絶望的であることを、すでに導き出している。酷な話だが、必要悪の教会には、安楽死の術式もある。上条が苦しまず、そして彼が知らぬうちにアジを殺す(救う)こともできるだろう。

 

 

 インデックスはそれでも構わないと思った。上条が苦しまない結末があるのなら、それに越したことはないのだ。いつだってその右こぶしで魔術師と戦ってきた彼にだって、知らなくてもよい悲劇があってもいいはずだ。

 そこで、ふと、彼女はあることに気付いた。

 

 

「ねぇ、とうま。どうしてアジは異能を消す力が学園都市にあるって知ってたのかな?」

「あん?どうしてって.........あれ?」

 思えばおかしい、なぜアジは魔術を打ち消せるものがあることを知っていたのか。いや、あらかじめ知っていたのにしては、上条の右手に感動しているようだった。つまり、どんなものが消す力を秘めているのかまでは、把握できていなかった、ということだろうか。

 

 

 では、いったいどこまで彼は知っていて、いつ知りえたのだろうか。

 なぜわざわざ、魔術とは畑の違う学園都市に、潜入してきたのか。

 上条とインデックスの間に異様な空気が流れる。疑念は、様々な予想を生み出していった。とにかく聞かねばならないことがアジにはあるようだ。上条はインデックスを連れて家に急いだ。

 

 

             ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 アジが見たのは清掃業のような恰好をした男たちだった。彼らはアジの姿を見るや否や、手に持ったサイレンサー付きの銃器で発砲する。アジはとっさに触腕を出したが、間に合わない。腹に複数の銃弾が命中し、彼の体はその場に倒れた。

知る者たちが見れば、彼らに戦慄するだろう。

 

 

 彼らは学園都市の中でも暗部中の暗部。統括理事長が動かす、闇の掃除屋の一つ。猟犬部隊だった。清掃業者に変装した猟犬部隊の隊員は、土足で上がり込み乱暴にアジの体を踏みつける。死んだのだと、隊員はそう思った。しかし、すぐに違和感をもつ。一滴たりとも血が出ていないのだから。

 

 

 ギュルンと近づいた隊員の足に大蛇のような触腕が絡みつく。隊員はひるまずアジを撃ち続けるが、まるでダメージがないようでアジは頭を軽く振ると立ち上がった。

そして、そのまま走り出す。玄関で待ち受けていた猟犬部隊は彼を迎撃しようとして、無残にも吹き飛ばされた。体の質量が桁違いなのだ。人間の筋力では、人外のアジの動きを止めることはできない。

 

 

 呻く、隊員たちを尻目にアジは触腕を伸ばす。

 隊員の数は今アジが拘束している人員を入れて3名、アジは全員に触腕を伸ばして、骨が折れぬように、殺さぬように動脈を締め上げた。くぐもった声を出した隊員たちはすぐに脱力する。いかに訓練を積んだ殺し屋集団といえでも、体の機能までは向上できない。

 

 

 アジは、息を吐いて頭を傾げた。なぜ、自分が狙われたのかまるで理解できないからだ。上条当麻が狙われたのかもと思ったが、それにしてはすぐさま発砲してきたのが引っかかった。今までの自分の行動を振り返っても、アジにはこんな連中に狙われるようなことは思い当らな.........あれ?

 

 

 アジはそこで懐かしきゴミ捨て場生活時代を思い出す。たしか、あそこで怪物騒ぎを起こしたような気がする。加えて、先ほど上条に説明するときに、怪物化したような気がする。

 

 

 アジはダラダラと汗をかく。もしかして黄泉川たちとは違う部隊に目をつけられていた?ありえるとアジは考える。学園都市の組織だって一枚岩ではないだろうし、未確認生命体を研究する部署があるという噂もテレビでやっていた。

 つまり、アジは研究目的で追われているのだと確信する。

 

 

 そう考えている内に、さらにアジは体に衝撃を受けた。いくつもの弾丸が体にめり込んだ。アジは呻きながら触腕の翼を広げて、飛翔した。

(とにかく逃げなイト)

 焦燥する彼はとにかく逃げ出した。落ち着いていれば、それがどれほど迂闊なことかわかるだろう。怪物である自分が唸り声をあげて飛び回れば、さらに騒動になることは明白であったのに、彼は気づかない。

 

 

            ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 風紀委員第一七七支部。

 夏休み中でも風紀委員の仕事はあるものだ。パソコンのキーを叩いているのは頭に比喩ではない花畑を形成する少女、初春である。書類作成も風紀委員の重要な仕事だった。彼女がキリの良いところまで作業を進め、一息つくのと同時に来室してくる人物がいた。 

 

 

 警備員の一人である鉄装である。何かと事件を通して初春や同僚の白井黒子とも顔見知りになった彼女は、差し入れを持ってきてくれることが多かった。

 

 

「お疲れ様、暑いと思ってアイス買ってきたわよ」

「わぁ!ありがとうございます!!」

 初春は目を輝かせて、鉄装の手からひったくるようにしてアイスを食べ始めた。どうやら白井や固法などの他の人員は出払っているようだった。鉄装はガメツイ初春に、苦笑いをしてソファに座った。冷房が外回りでため込んだ殺人的な熱を浄化してくれる。

 

 

「はぁ、本当、平和でいいわね」

「そうですね、最近は犯罪も少ないですね」

 鉄装の言葉に初春は同意する。彼女たちが知る由もないことだが、このひと夏で魔術師が学園都市に侵入したり、錬金術師が塾を占領したり、最強の超能力者がぶん殴られたり、入れ替わりが起きたりしていた。ぶっちゃけイベント過多にもほどがあり、世界の危機がもうめちゃんこ起きていたのだが、彼女たちは気づくことはなかった。

 ハハハと笑う二人は実に幸せそうな顔をしていた。

 

 

 ふと鉄装は部屋にある監視用カメラの映像を見る。夏休みも終盤だ。まるで爪痕を残そうとするかのように遊ぶ学生たちの姿が映っていた。楽し気な様子を見て、鉄装は微笑んだ。彼女は生粋の善人であり、根っからの教師である。子供の笑顔を活力にできる稀有な人材の一人だった。

 

 

 そして、彼女は自分が世話をするクラスや、知り合いの子供の顔も完璧に覚えているのである。だから、監視カメラのような不鮮明な映像でも誰だかわかってしまう。

 

 

 触腕を使って歪な翼を創り出している少年の顔を、彼女が見逃すはずもない。

 

 

 鉄装は息をのんだ。心臓の音がバクバクとなっている。ありえない存在が、見えたからだ。鉄装の雰囲気が変わったことで初春はキョトンとするが、彼女の心情まではわからない。鉄装は急用ができたと彼女に伝えて、部屋から出た。

 

 外に出て、鉄装は走る。監視カメラのポイントまで、全力で駆ける。同時に、彼女は携帯電話を取り出して連絡した。すぐに相手に繋がった。

「どうしたじゃん?」

 鉄装は息を切らしながら、言う。今すぐアジの姿を確認してくれと。

 



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第30話

 黒塗りのワゴン車が路地裏に数台止まっていた。中には黒塗りの装備で身を包む集団、猟犬部隊が乗り込んでいる。そのワゴンには様々な機材と武器が積んである。本物の警察犬と同じように対象の臭いを記憶し、その位置情報を把握できる嗅覚センサーなどが常備されていた。

 

 

 隊員の一人は、その嗅覚センサーを用いて海魔分裂体の位置を隊員に転送している。どうやら海魔分裂体は現在第七学区の路地裏に逃げ込んだようである。人目を避けようとする知能があるのは厄介だった。

 

 

 しかし、もうじき夜になる。そうなれば、猟犬部隊の独壇場だ。様々な戦闘用の装備が、人目を気にせず扱えるのだ。いかに人外の化物といえども、猟犬部隊には敵わないだろう。

 

 

「あー、了解」

 ワゴン車の助手席に乗っていた男は電話を終えると、気だるそうに足を組んだ。白衣と顔の奇抜な入れ墨。彼の一挙一動に隊員は体を固くする。彼の一声で自分たちはカンタンに使い捨てられるからだ。彼の名前は木原数多、猟犬部隊のリーダーだ。

 木原は笑う。本人にはそんな気はないが、歯をむき出しにしたその笑みは威嚇行為にも見える。

 

 

「めんどくさくなってきたなぁ、オイ」

 木原は言った。彼は適当に隊員に説明した。警備員が動き出し海魔分裂体を追っているとのこと。例のサングラスの協力者は、隣人との対応で動けないらしく結局木原が部隊を動かすようになったらしい。それもこれも、最初に突入した奴らが使えないからだ。木原は静かにイラついていた。自分が尻ぬぐいをしている事実は、確実に短気な彼を逆撫でている。

 

 

 ワゴンに取り付けられているカーナビは特別製だ。木原が携帯電話を高速で弄ると、画面が暗転しすぐに監視カメラの映像に切り替わる。見えたのは忙しなく動き回る警備員の姿だ。木原は舌打ちする。

 

 

 いったいどこから情報が漏れたのか?いや、単純に飛び回るアレを見て保護しようとしたのか。こんなにもタイミングよく、動き出して?

 木原は考える。アレイスターはおそらく情報をすべて掲示してはいないのだろう。よくあることだった。とりあえずあの警備員が邪魔すぎる。アレの近くの警備員ごとぶっ殺すことも可能である。そこまで思案して木原は命令を飛ばした。

 

 

「まぁ、流石に堂々とカタギのセンコーぶっ殺すのはやべぇよな。おい、あーあれだ、あれ。部隊の中で一番射撃が上手い奴らでアレを狙撃してこいよ、見られたりミスったりしたら、腕ブチ折るからよろしくな」

 指令と表現するのには、あまりにもザックリとしている。だが、それに意見を述べる者は皆無だった。

 

               ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 黄泉川愛穂は部屋の床で寝ているアジを確認すると、タオルケットをかけてすぐに家を出た。床で寝ていることを、怪訝に思ったもののそれよりも重要なことがあった。ジャージのままの彼女は通話しながら疾駆する。警備員全員に送られてきた画像を見ても、黄泉川はにわかに信じることができなかった。

 

 

「間違いないじゃん!?見間違いとか!?」

『ありえません、間違いなくあれはアジくんでした!』

 鉄装たちはすでに監視カメラのポイントへと急行しているようで、そこから本部の警備員と連携をとり、アジと思しき少年の足取りを追っていた。場所は第七学区、黄泉川の足ならばすぐだった。いったいどういうことなのか、現段階ではまるでは把握できない。電話越しの鉄装が言うには、路地裏の方へ少年は向かっていったとのこと。

 

 

 

 

 

 数分後、全力で走ったおかげで、黄泉川は汗だくになりながらも鉄装と合流することができた。鉄装と二人の警備員は現状と端的に説明する。路地裏に入り込んだ少年は、監視カメラの映像を頼りにすれば動いた形跡はない。そのため警備員たちは虱潰しに路地裏を探索している。

 

 

「いったい何がどうなってるじゃん?」

「わかりません。........アジくんは間違いなく黄泉川さんの家で寝ているんですよね?じゃあ、考えらえるのはアジくんが、いやアジくんの姿をした子供がもう一人いるってことです」

 黄泉川たちの脳内に嫌な予想が這いまわった。そこには噂に聞く、量産型能力者計画がチラついた。それは能力者のクローンを作り出す計画だった。アジのように命を弄ぶ非道の計画だ。あくまでも噂話だと思っていたが、ここに来て現実味を帯びている。

人間をあそこまで作り変える連中だ。クローン技術をもち運用していてもおかしくなどないのだ。

 

 

 鉄装はさらに慎重に言葉を選びながら自分の考えを話した。

「監視カメラの映像では、その少年は何かから逃げているような印象をうけました。人通りの多い繁華街を通って、路地裏に向かうなんて、追手がいるようにしか思えません」

追手。その言葉は、黄泉川達、警備員が怒りをぶつける黒幕を連想させる。アジの姿をした少年は逃げまどい、身を隠しているのならば、彼女たちの行動は決まっている。困っている子供を助けるのが、彼女たちの仕事だった。

 

 

 黄泉川はそのまま鉄装たちと共に路地裏を探索することになった。武器を持たず装備をしていない黄泉川は、ある意味ではその少年の警戒心を解くカギになるかもしれない。鉄装たちがどんなに優しい言葉をかけても、黒塗りの機動隊のような恰好では子供も刺激してしまう可能性があった。

 

 

 いくつかの路地裏を見て回っていると、鉄装のトランシーバーに連絡が入った。内容は路地裏でスキルアウト達が喧嘩をしているとのこと。日常茶飯事の出来事だが、現状ではヒントになるかもしれない。黄泉川たちはその現場に急行する。

 

 

 場所は今いる道から目と鼻の先だった。

 横に二人の大人がギリギリ通れるほど狭い道を進むと、先から髪を染め逆立てているいかにもな不良たちが、必死の形相で走っていた。「なんだあのバケモン!?」そう口々に言いながら黄泉川達の横を走り抜けていく。黄泉川たちは確信する。この先に、件の少年がいるはずだ。室外機やいくつかの水道管などが見える道を曲がり、そして黄泉川たちは目撃する。

 

 

 海洋生物のような触腕を背や腕から生やして、一人の不良を締め上げている少年の姿を。少年が着ている服は汚れ、ところどころ破れていた。中には銃撃を受けたように焼け焦げたような穴も開いている。その顔を、黄泉川たちはよく知っていた。

この夏に出会った少年そのものだ。

 

 

 不良たちの首に触腕が迫った。不良たちは、罵詈雑言を並べて懐から拳銃を取り出した。そして触腕を生やす少年に躊躇なく発砲する。少年は腕で銃撃から頭部を守ると、唸り声を上げた。それに合わさるように触腕が不良の首に伸び、動脈を圧迫。不良は苦しそうな喘ぎを漏らして、すぐに昏倒した。少年は不良をじっくりと見ている。まるで、これからとどめを刺そうとするかのように。

 

 

 ザリッと、黄泉川たちの靴が路地裏の地面をこすった。その音に少年は気づいたようで、黄泉川たちの方を向いた。少年は驚いたのか、触腕を不良からほどくと大きく唸り声を上げた。その姿は出会って間もないアジにそっくりだ。他者に恐怖し、威嚇しているのだと黄泉川たちは思った。

 

 

 黄泉川は思わず歯噛みした。未だに姿の見えぬ黒幕に対して苛立ちを隠せずにいた。アジのような被害者は一人ではなかった。同じように、体を弄られ怪物に仕立て上げられた子供が、もう一人そこにいた。クローンなのかどうかは定かではないが、命を蔑ろにした研究が黄泉川の目を掻いくぐって行われてきた証拠が、目の前にいる。黄泉川は怒りをなんとか押さえつける。

 

 

 今はそうした時間ではない。一刻もはやく子供を助ける時だった。

黄泉川は手で鉄装たちを制して少年に近づいていく。優しい笑みを浮かべながら、一歩一歩近づいた。アジによく似た少年は、両手を前に出して顔を隠す。自分の顔を隠すという行為は、不安の現れだ。断じて、正体を隠そうとする行為ではないだろう。

 

 

「こんにちは、君の名前は?」

 黄泉川は穏やかな口調で話す。しゃがんで、視線を合わせようとする。未だに少年は顔を隠しているが、それでも触腕で攻撃しようとはしてこない。そこもアジと似ていた。彼は攻撃しないものに対しては、とても寛容だ。不良も、彼の姿をみて攻撃したから反撃をうけたのだと黄泉川は思った。黄泉川と少年の距離はもう1メートルもなかった。もう少しで、彼に触れることができるが、焦ってはいけない。

 

 

 黄泉川はさらに少年の警戒心を解こうと、自分の名前を言おうするが、突如、弾けるような音が響く。彼女は、瞬時にそれが学園都市制のスナイパーライフルの着弾音だと看破した。だが、黄泉川の体には衝撃も痛みもなかった。

 

 

 弾丸は、目の前の少年の頬を抉っていた。

 

 

 少年はよろけると、自分の頬に触れる。血は一滴も出ていないその傷を触る、そして瞬間、人型が膨れ上がった。服は無理やり引き延ばされビリビリと破けていく。4メートルはあろうかという獅子や狼のように変貌した彼は、怒りの咆哮を上げる。

 

 

 彼は近くにいたしゃがんだ黄泉川を腹で押さえつけるように移動、後ろにいた鉄装や警備員をその怪腕で掴み、黄泉川の近くに転がした。

 

 

 攻撃に対して、興奮していることがすぐにわかった。このままでは、黄泉川たちはいとも簡単に殺されてしまうだろう。そうはさせない。被害者の子供を、加害者などには決してさせてはいけない。黄泉川は身をよじり脱出を試みるが、さらに破裂音。

 

 

 彼に向けていくつかの銃弾が発射されているのだ。彼の巨体が、偶然にも、覆いかぶさるようになっているため、黄泉川たちは銃弾が当たらない。彼は威嚇のためか、背からいくつもの触腕を伸ばして動き出す。銃弾が飛んできた方へ、怪物に変貌した彼は駆け出していく。

 

 

 残された黄泉川はすぐに立ち上がると、鉄装の元へ。半ば彼女をもち上げるかのようになりつつ、鉄装の胸の辺りから伸びるトランシーバーを掴み上げて、叫んだ。

 

 

「誰が実弾の使用許可をとった!?子供を撃ちやがったのは誰だッ!?」

 彼女の怒りは収まらない。血管が破裂しそうなほど、力が入った彼女によりトランシーバーにひびが入る。どこかのクソ野郎のせいで、彼は怪物になってしまったのだ。怒らないわけがない。しかし、そんな怒れる彼女の肩を押さえつけるようにして、鉄装も叫ぶ。

 

 

「待ってください!今回の私たちの装備にはシールドのみです!ゴム弾すら持っている隊員はいませんッ!」

「なんッ!?」

「撃ったのは私たち、警備員ではありえないんです!」

そこまで叫びあって、黄泉川達は少しずつ落ち着いていった。息を荒くさせながら、少年を撃ったのは誰なのかを考えていき、思い当る。

「アジを研究してた奴ら、黒幕の手足が近くにいる?」

 

 

 そう呟いて、すぐさま黄泉川たちは彼を追いかけた。本部には、怪物化した彼が暴れる映像が流れ始める。クソッタレが、黄泉川は腸を煮えくり返して、走る。

彼女たちは、学園都市の暗部の一端に関わろうとしていた。

 

 

             ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 上条たちが部屋の前にもどると、そこには土御門がいた。

「いよー、カミやん。」

 彼はいつものように楽し気に、友人に話しかけた。上条たちも、何ら変化のない彼らのドアを見ながら、土御門に挨拶をする。上条が続けて何かを言う前に土御門は話す。

 

 

「あっ、そうそう!カミやんの部屋にちっこい子供の魔術師いたと思うんだけどニャー。 あいつは俺たち必要悪の教会が、保護したからもうダイジョブだぜい」

「あん?どういうことだよ土御門?俺たちはまだアイツに聞きたいことがあるんだけど」

 上条の言葉を聞き土御門はまた笑う。彼の魔術名は、背中を刺す刃。たった一人の命を守るために、魂に刻んだ魔法名である。

 




上条さん
早く気づいてください


追記、すいません、少し修正しました。


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第31話

遅くなり申し訳ありません。
感想、評価ありがとうございます。
本当に励みになっています!

時間がかかっていますが、かならず完結させますのでもうしばらくお付き合いください。


 アジは怒りながら、四足で走った。

 自分が狙われるのは理解できた。自分のような怪物を研究したいと思う科学者がいて、そのために自分を攻撃するのはわかる。そしてこの体は単なる入れ物だ。最悪、何かがあっても死ぬ心配などはないし、肉体を運ばれたとしてもパスを辿れば回収することだってできるのである。だから実際のところ、自分を撃った相手にも怒りこそすれ、恨んだり憎悪するようなことはない。

 

 

 しかし、黄泉川や他の警備員に危害を加えようとするならば話は別だ。ほんの数秒、ほんの数センチズレていれば、彼女たちに弾丸は命中していた。彼女たちは、自分のように頑丈でもすぐに怪我が治癒するわけでもない。一つの弾丸が、取り返しのつかない事態に発展する。

 

 

 だからこそ、アジは咆哮している。彼らの行動は断じて許せるものではない。街中で狙撃を行った不埒者どもは、もうすぐそこにいる。

 

 

 彼は獅子のような体から触腕の翼を生やして、飛翔。通行人の悲鳴をよそに、先ほどの路地裏から1キロも離れていないビルの屋上にたどり着いた。アジの視界に数人の機動隊員のような恰好をした連中がいる。手には銃身が長く、スコープのついたライフル。銃に疎いアジにさえ、それらがスナイパーが扱う類のものだとすぐにわかった。現行犯である。

 

 

 アジは低く唸り、攻撃を開始する。もちろん殺すなんてことはしない。驚かせて、首を絞めて昏倒してもらうのだ。それも十分にデンジャラスな行動だったが、人を撃ち抜いた者への慈悲は薄らいで当然だ。

 

 

 背から伸びる触腕はのたうちながら隊員に迫った。彼らは短い悲鳴を上げながら逃げようとするが、人間の速度では逃げきれない。触腕はすぐさま隊員を締め上げた。先ほどの不良と同じく、捕まりながらも発砲する度胸が彼らにはあった。無論、人外であり、怪物化したアジには無意味である。

 

 

 ギリギリと首、胸、腹を締め上げられ、暴れる隊員たち。少しずつその行動が少なく小さくなり、ついには脱力だ。そのまま昏倒する隊員たちを見て、アジは息を吐く。とりあえずはこれで黄泉川達に危険が及ぶことはないだろう。隊員たちから触腕を離し、そのまま放置するアジ。一応、息の確認のために凶悪な顔を気絶した隊員に近づける。

おそらくは、すべての目撃者は怪物が人間を喰らおうとしていると思ったはずである。

 

 

 しかし、アジの行動は中断される。こめかみに再び衝撃がはしり破裂音が響いたからだ。更なる狙撃だった。アジが首を向ける。人外化し巨大化した眼は容易に、狙撃手の姿を視界に収める。彼は向かいのビルの三階にいた。フロアは無人であり、一般人の影もなかった。アジが無傷であることを確認するや否や、狙撃手は駆け出した。

 

 

 アジは、あの男をこのままにしておけば近くにいる黄泉川達を危険に晒し続けると判断した。そのため、彼は三度咆哮をあげた。追いかける準備はばっちりである。

男は三階の非常階段を転がり落ちるようにして下っている。

 

 

 アジは、再び触腕の翼を使い突撃する。飴細工のように非常階段が歪み、男は今度こそ階段を転がる。這うようにして地上に辿りつくものの、目の前には異形の怪物だ。男は覆面の奥からこもった叫びをあげる。アジがその怪腕で、男の体を押さえつけようとする。

 その瞬間。

 

 

 アジの体に大きな衝撃。

 前足の一つを上げていたので、ついよろけてしまうアジ。見てみるとそれは黒塗りのワゴン車だった。狭い道を猛スピードで、車体を削りながらアジに突貫してきたのだ。

ひるんだアジの隙をつき、狙撃手はワゴンに乗り込んだ。ワゴン車はギャリギャリと破片をまき散らしながらバックし、アジから遠ざかっていく。

 

 

 アジは思案する。もしも、彼らが逃げ帰りより多くの未確認生物捕縛部隊を組織したら厄介極まりない。もしかすると黄泉川宅にいる分裂体まで調べ上げられて、強襲されるやもしれない。そうなれば、アジは黄泉川の家にはいられない。

もっとも、上条の力を借りて体を取り戻せた場合でも黄泉川達とは別れることになる。アジは天草式十字凄教の魔術師であり、学園都市に住まうことはない。けれども、アジは思う。

 

 

 ギリギリまで一緒にいたイナ。

 

 

 アジはワゴン車を追った。相手の研究所かもしくは残りの部隊数を把握し、できれば気絶させる。研究すべき危険な未確認生命体にやられたという認識を相手の科学者に与えることができれば、もうチョッカイをかけられないかもしれない。

 

 

 独りきりが長すぎた怪物は、わがままのために街並みを駆け飛翔する。相手がアジが考えているようなモノではないことに気付かぬまま。夕日が沈みかけ、街の電灯が光を放ち始めていた。

 

            ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 髪はポニーテール、シャツに片方の裾を根元までぶった切ったジーンズ姿。腰にはウエスタンベルトがあり、そこに2メートルを超える日本刀が差し込まれている。実に不可思議な恰好をした彼女。魔術師、神裂火織は日本にいた。

彼女は山の木々の間を天狗のような動きで、移動していた。

 

 

 イギリス清教、必要悪の教会のトップである最大主教から直々の指令が下されたからである。内容は魔術世界の汚点、海に潜む海魔の撃退だ。つい最近、多種多様な魔術結社が手を組み、件の化物へ一斉攻撃を仕掛けた。しかし、結果は敗走。否、惨敗と言い換えてもいいだろう。数百もの魔術師の攻撃に耐えきるばかりか、赤黒い魔力の塊を叩きつけてきた海魔。その戦力は通常の魔術師では荷が重いと、イギリス清教は判断した。

 

 

 そのため通常ではない、尋常ならざる魔術師である聖人神裂が招集されることになったのである。それだけで彼女が、数百人以上の戦力であることがうかがえる。科学の最終手段が核兵器ならば、魔術の最終手段の一つは間違いなく聖人であった。

 

 

 また次の海魔討滅作戦には、英国が誇る騎士団も投入される。その肉体のみの能力で一騎当千の強者達だ。その剣から逃れられる怪物は皆無だ。悪龍を滅した聖人の伝説は枚挙にいとまがない。ただでさえ凄まじい力を持つ彼らは、そうした伝説を模した武器・技巧により人外に対して無類の強さを誇る。威力はこれまで海魔に挑んだ魔術結社なぞ霞んでしまうだろう。

 

 

 他にもローマ正教・ロシア成教が独自に部隊を編成し討伐に向かうとのこと。決戦のその時は近い。知らぬうちに魔術的怨敵として認識されている海魔。ここにとある少年がいれば卒倒するのは確実であった。

 

 

 魔術的探査により、海魔は太平洋に潜んでいることがわかっていた。神裂は日本の必要悪の教会の拠点で指示を待ち、命があれば動く手筈だった。

しかし、彼女はすでに戦闘態勢を整えて、高速で進んでいる。

 

 

 理由は群馬の森林にて異様な魔力を感じたためだ。それは人間のようにも、獣のようにも、怪物のようにも思える魔力の波をまき散らしながら動いていた。ゆえに神裂は超人的な速度でそれを追う。そのようなモノが人に害成す前に、討伐しようとしたのだ。

 

 

「むっ」

 神裂は追っていた魔力が立ち止まったことを確認し、スピードを緩め地上に着地する。夕闇の中でも聖人の視界は良好だ。彼女が慎重に進むと、見えたのは血の跡だ。幸い人間ではない、立ち上る獣臭さがそれを伝える。

 

 

 さらに進むと周りよりも一回り大きな木が見える。その根元で、血を噴き出し事切れていたのは野生の鹿だ。死んでいる鹿の体が揺れている。その腹に喰らいつく影のせいだ。神裂が追っているものの正体であろう。

 

 

 背中から触腕を蠢かすそれは人外そのものだ。どこかの魔術師が召喚した使い魔のようにも見えるし、魔術暴走の産物の怪物にも見える。

(どちらにしても滅する必要がありますね)

 

 

 神裂は決意した顔で、影に近づいた。影をそのまま放置すれば近隣の住民になんらかの被害がでることは確実だった。しかし、なんであれ生き物を殺めるのだ。優しい聖人には堪える仕事の一つだった。神裂はせめて痛みなく始末するために、日本刀の柄に手をかけた。一瞬で7回以上の必殺を繰り出す彼女専用の術式「唯閃」。

 

 

 それを放とうとして、ほんの少しカチンと神裂の日本刀、七天七刀の音が鳴る。

影が敏感にそれを感じ取った。

 動きをピタリと止めて、背の触腕も木の枝のような形のまま静止。

 

 

 神裂は見る。瞬間、影の体が一気に膨れ上がった。

 同時に振りぬかれる刃。

 唸り声、切り飛ばされる肉塊。

 スローモーションのような引き延ばされた時の中、再び刃を煌かせようする聖人。だが、二の刃は放たれない。切り離された肉塊、それは頭部ではなく腕だった。膨れ上がった肉が剣筋を微妙に変えてしまったのだろう。

変貌途中のその腕は、どう見ても子供のものだ。おそらく小学生ぐらいの子供の腕。

 

 

 神裂の脳裏に様々な考えが浮かぶ。子供の姿に擬態していた怪物、もしくは実験体にされた子供が怪物にされたモノ、はたまた死んだ子供の体を使ったブードゥー教を含んだ術式。神裂は誰かを救うために刃を振るう。そのためにできた隙だった。

 

 

 影がついにその姿を現した。

 全長は4メートル程度。龍のような角を生やした凶悪な顔、前傾姿勢の巨体に強靭な四肢、右腕だけは先ほど断ち切られたようで肘から先がなかった。そして大蛇のような尾、背中からはいくつもの触腕と背骨がそのまま飛び出したような背ビレが並んでいた。怪物は叫び声を上げながら、赤黒い稲妻のようなものを迸らせる。口内からは莫大な光が生まれ火柱が神裂に殺到した。

 

 

 神裂はそれを避けない。避けられなかったのではない。後ろの森林等に被害があると思い、そしてその被害により魔術の露呈の可能性を鑑みて、彼女は火柱を素手で受け止める。聖人の膂力により、赤黒い火柱は難なく握りつぶされる。

「迂闊です」

 

 

 神裂は思わず、呟いてしまう。火柱で視界を遮られた時、怪物はすでに疾走し逃げ出している。神裂はまず、切り飛ばした腕を見る。それによって怪物の正体を突き止めようと言う腹だった。その腕を持ち上げ解析術式をかけていくうちに、彼女は悪寒に襲われた。

 

 

 それは怪物が人間を含んだ様々な生命体を混ぜ合わせた体だったからではない、その腕に蠢く魔術に覚えがあったからだ。それはもう8年以上も前。最愛の仲間を失った日に見た実験体に施された術式と似ている。これは命の結合、体の融合の術。命を弄ぶ外法ではなかったか。あの事件の当時の実験体は自分たちによって全員が救われているはずだ。仮に同じような研究をしている魔術師がいようとも、ここまで酷似する術式を使う可能性は低いだろう。

 

 

 様々な思考が彼女の心に浮かんでは消えていく、最後に現れた考え、それは信じたくないものだった。

「............アジ?」

 神裂は絞り出すように声を出した。そして、続けて腕にさらに解析術式をかけていく。怪物の腕が未だに蠢いているということは、怪物の体と魔術的につながっていることを示す。よって怪物の動きを知ることができた。

怪物は真っすぐ進んでいた。

 

 

 先には、あの科学の街がある。超能力を研究するあの街が。

 そして自分がツンツン頭の少年を切り伏せた時に、聞こえたあの声は果たして幻聴だったのか。神裂は冷や汗をかく。あの街に自分は向かわなければならない。

 それは逃亡する怪物を追うためでもあり、自分の疑念を晴らすためでもあった。

 神裂は必要悪の教会への連絡も忘れて駆けていく。彼女の胸には冷ややかな動悸があった。

 

 

             ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

「ああぁ?追ってきてる?ならとっとと捕まって喰われろよ。失敗したお前らが悪いんじゃねーか」

 木原はワゴンの中で電話している。相手は切羽詰まった声を上げているが、彼は気にしない。猟犬部隊の隊員は全て屑であり、自分の使い捨ての部下であり、死んだところでいくらでも替えがあるからだ。彼は人員の損害なぞどうでもよいのである。だが、彼が適当に会話しているのには、別の理由があった。木原は焦り電話先の声を聴き流しながら、モニターを見る。そこには暴れ狂う怪物の姿が映っている。それに彼は釘付けになっていた。

 

 

(銃弾をものともしてねぇのは、まだいい。だが、なんだこの変異のレベルは。それにあり得ない形態での飛行。構造上不可能な速度での追走。裏の情報にもこんな肉体変化の能力者はいねぇだろうし。新種の原石なら木原の俺に情報が入ってきてねぇのも不可解だ)

木原数多は、科学の街に巣くう集団、木原の一族の一人だ。彼らは各分野の科学を究め、様々な功績と被害者を生んでいる。そうした背景から、その一族の彼が知らない情報は少ない。科学的なモノであればあるほど、木原数多は知っていなければならない。

 

 

 それがどうしたことだろうか。

 ここまでまるで取っ掛かりのない未知は久々だった。まるで解析できない事象が、怪物に巻き起こっていた。

(おもしれぇな)

 

 

 木原は凶悪な笑みを浮かべた。科学者にとって未知との遭遇は、なによりも代えがたい興奮である。そんなモルモットが目の前にいて、手を出したくならない(実験したくならない)木原はいない。

 

 

(もしかすると、こりゃオカルトか?)

 木原数多は科学以外も許容する。理論を超えるデータは時折見られるものだ。それらを彼は誤差とはみない。誤差が数回続けば、それは一つの別の理論があると彼は考える。科学では導くことのできない理論。すなわちオカルトだ。

 

 

 木原はアレイスターの言葉を思い出す。対象を始末しろ、できなければどこかへ閉じ込めておけ。木原はさらに笑みを深める。怒り狂うように歓喜している。

「あっ、わかったわかった。そうだよな、喰われるなんていやだよな。よしッ!てめえら、こっちの部隊も使って援護するから死ぬ気で逃げろ。いいか、いまから言うところへ突っ走れ」

 

 木原は彼らに伝える。

 目的地は第二一学区。

 ダムの多いその学区に木原の研究所が一つあった。

 




神裂さんのメンタルをようやくイジれそうです。


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第32話

 高速道路を傷だらけのワゴン車が走っていた。120キロ以上もの速度で走る車体は、風圧によって破片をばら撒く。いつ事故が起こってもおかしくない危険運転だが、警察や警備員等の治安維持部隊は駆けつけない。情報が錯綜し、隠蔽されているからだ。ワゴン車に乗り込み運転している暗部である猟犬部隊の行動が明るみになることなどない。

 

 

 だが同時に、猟犬部隊のメンバーに何が起ころうともそれが公に晒されることがないのだ。例えメンバーの誰かが死亡しようとも、学園都市の日常は変わらない。それが暗部のルールだ。

 彼らは今、必死に逃げている。空を飛ぶ異形の怪物から、少しでも距離を稼ごうとさらに速度を上げた。

 

 

 

 

 

 

 分裂使い魔アジは獅子のような体を変異させていた。より飛行に適した体へと変貌する。その姿はどことなく絶滅した翼竜のように見える。凶悪な顔はそのままに、枝分かれした触腕がより長く伸びる。翼長は10メートルほどもあった。対照的に胴体は小さくなり2メートルもなくなっている。しかし尾だけは長いまま不気味に空をのたうっている。

 

 

 アジの眼は、ワゴン車が高速道路から降りるのを目撃した。すっかり暗くなってきたが、アジは鳥目ではない。片方がつぶれた赤いテールランプの光は、どんどん人気のない道を進んでいく。

 

 

 アジは知らないことだが、第二一学区は学園都市の水源であるダムを中心とした地帯だ。さらに平坦な地形を基本とする他の学区とは違い、例外的に山岳が多い。そうした関係上、様々な設備や研究所は地下に建造されていた。山道を行くワゴンは案の定トンネルへ、そしてオレンジ色のライトが続く地下へと進んでいった。

 

 

 アジは翼を瞬時に収納、落下しつつ飛行形態から四足獣形態へ変貌する。ズドンと巨体の強靭な四肢がコンクリートを砕くが、怪物アジの体にはダメージは全くない。人外の身を十全に扱うアジは、ワゴン車を追った。地下道はなぜか他の車両が走っていなかった。どんどん側道を進み、地下へ潜っていく車両と怪物。

 

 

 十数分ほどすると、アジはワゴン車が停車するのを見る。トンネルの先がシャッターで閉ざされており、それ以上進めないようだった。扉を乱暴に開けて飛び出してきた隊員たちはシャッターを叩きながら喚き散らしている。「おい!話が違うじゃないですか!?」等と聞こえてきた。

 

 

 アジはちょっぴり不憫に思いながらノソノソ隊員たちに近づく。隊員たちは短い悲鳴を上げて体中をシャッターに押し付けている。少しでも怪物から離れるように。

 

 

(もしかしてこの人たちは見捨てられタノ?)

 アジは恐れおののく眼前の大人たちを見て、そう思った。もしかしたらここには研究所などもなく、単に時間稼ぎとして誘い込まれただけなのだろうか。それならばここにいる意味はない。せめてもの情けとして、すぐに意識を刈り取りこの場を離れようとアジは思った。その上で、学園都市からこの分裂使い魔を本体に向かわせればよいのだ。そうすれば、とりあえずアジ分裂体の居所はわからなくなるはずだった。

 

 

 思考をまとめたアジは唸りながら隊員たちに肉薄する。触腕はプロボクサーのジャブのような素早さで隊員に迫った。その刹那、背後から聞こえる音。何かが動く音だ。

アジは隊員たち全員を締め上げながら振り向く。すると見えるはずの道がない。正面のシャッターと同じものが、後方にも表れたのだ。

 

 

 アジは閉じ込められたとすぐに納得する。しかし、それでもアジは冷静である。彼は人外ではあるが、ケダモノではない。知識ある魔術師だ。アジは後方のシャッターに近づき怪腕で殴りつけてみる。コンクリートを易々と抉るほどの力がある四肢だったが、シャッターは表面が傷つくばかりだった。

 

 

 おそらく学園都市の得体のしれない技術が使われているのだろう。アジは自分が殴りつけた力が滑るように分散されたと感じた。四肢での破壊は困難のようである。では、とアジは背に生える背ビレから赤黒い稲妻を生み出した。

 

 

 本体から流れこむ絶大な魔力量。アジは放射魔炎をシャッターにお見舞いする。粉塵と衝撃がトンネルに響き、シャッターに穴があいた。けれどもアジが脱出するには小さい。アジは立て続けに放射魔炎を吐き出していく。

三度目の攻撃により、シャッターはようやく喰い破られる。アジはどんなもんだいと、咆哮した。そして一歩、近づく。

 

 

 キラリと何かが向こうで黒光りしている。

 

 

 アジは疑問に思いながらも近づき、聞く。

 空気を切り裂く発射音。携行型対戦車ミサイル。本来は生き物に向けるようなものではない、兵器を破壊する武器だ。莫大な衝撃と炎がアジを襲った。アジは生きてきた中で最も強い閃光を浴びる。目は焼かれ、皮膚がただれていく。さらに立て続けに爆音と爆炎がアジを包んだ。二射三射、それ以上の数のミサイルがアジに向けて放たれている。

 

 

 密閉された空間が熱と炎に包まれた。あの頑強なシャッターは熱量に溶け始めていた。さらに今度は背後、猟犬部隊のワゴンのガソリンに炎が引火。さらなる衝撃がアジを叩く。

 目と耳は最早利かない。無音暗闇の中で痛みだけが続いた。アジはたまらず走る。頭部、尾、四肢を全て振り回して暴れまわった。放射魔炎を吐き出し、触腕を増やし叩きつける。トンネル内が崩壊しないのが不思議なほどだ。

 

 

 アジは体に何かがぶつかるのを感じた。ようやく再生し始めた眼が、シャッターの外へ体が出たことを伝える。眼を虹色に輝かせて、急速に回復していく人外の体。見えたのは、笑う男。入れ墨のある狂笑に白衣が全くあっていない男だ。

 

 

「ひゃははは!!!すげぇすげぇ!!」

 その男はアジに近づいてくる。アジは立ち上がり男へ咆哮する。いくらなんでもやりすぎダロ!。こいつは死なぬ程度に痛い目に合わせると決意。背に赤黒い稲妻を生み出し吹き飛ばそうとしたところで、感じるのは空腹感。やべぇ、こんな時ニ!?

 

 

 突然の腹ペコ人外ボディに慄くアジ。分裂した体で分裂しても、この特性から逃れられないらしい。もはや急激な飢餓感にすらなった異変に、先ほどまでの仕打ちの悲惨さは薄らいでいく。それほどまでにペコペコなのだ。

 アジの体はそれゆえ、大顎が火柱を吐き出すのを無理やり抑え込む。触腕は焼けただれていながらも喰えるものをさがし這いまわる。口も同様だった。

 

 

 目の前には肉がある。アジの怪物の体は目の前の男を喰らおうと近づく。しかし、彼の方が上手である。彼は怪物のような能力者の開発者なのだ。もとより化物の相手など手慣れていた。

 

 

「あ?」

 男は何でもないように一歩下がり、あるものを投げつける。それはピンを抜かれた手榴弾だ。アジの大顎は、それを飲み込んでしまう。体内に取り込まれた爆発物は、その役割を果たして腹の肉を爆散させる。血肉を吐き戻す感覚に苦しみながらアジの耳に届いたのは、男の「あーあー」という気の抜けた声であった。

 

 

             ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

「............ああァウ」

 アジはふらふらと起き上がった。二度目の体の消失体験だったが、これがまた強烈だった。最初の上条に消された時は一瞬だったが、今回はそうではない。全身を焼かれ腹が抉れたのである。気分が悪くなって当然だ。アジはリビングへ行く。空腹を抑えるカエル印の液体を飲むためだ。味のしないその液体は水のようだった。今の気分にちょうどよい。アジはぐでんぐでんになりながら、ソファに体を預ける。彼は自分の体が科学サイドに捕らわれる危険性をあまりよくわかっていないようで、焦ることはなかった。まことバカ者である。

 

 

 精神的疲労感がピークに達しそうなアジ。今日はもう、何もする気が起きなかった。もう一度、上条の家に行きたかったがムリそうである。アジはため息をついた。明日、また行こうと心に刻みつつ、さらにソファに体を預けつつ思い出す。

 あの笑いながら迫るあの男。

 めちゃ怖いあの男。

 服装は白衣ってことは、もしかしてあれが未確認生命体を研究する科学者なのだろうか。

 

(学園都市の科学者って怖イ.........)

 アジは学園都市のスタンダードを、トンデモ暴力入れ墨男に設定しようとしていた。

 

 

            ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 黄泉川達、警備員は詰め所で情報を集めていた。怪物化し走り出した少年は、そのまま狙撃した男たちを襲った。男たちは死んでおらず意識を失っており、黄泉川達の通報で病院に移送。回復次第、尋問する手筈になっている。

 

 

 だが、それだけでは足りない。もっとも優先すべきなのは少年の保護だ。アジの事例にあるように彼もまた純粋な人間ではないだろう。であるならばアジと同様に狂うほどの飢餓感に悩まされるはずだ。アジの場合は暴走前に保護できたものの、彼をこのまま放置してしまえば人を襲ってしまう可能性があった。それは阻止しなくてはならない。

 

 

 怪物化した少年はさらに暴れまわり、空へ。形態を変化させて翼竜のようになりながらどこかへ消えてしまったことは確認済みだ。しかしそこからあの少年の足取りがつかめないままだ。

 あれほど目立つ姿になりながら、監視カメラのどれにも映っていない。

 それはあり得ぬことだ。

 隠蔽と情報の錯綜、虚偽のデータ。様々な妨害が少年に足取りを消している。

 

 

 黄泉川は舌打ちをする。彼女はその正義感で様々な学園都市の暗部に接触した過去を持つ。特例能力者多重調整技術研究所、通称「特力研」と呼ばれる研究施設がある。そこは多重能力者の研究を行っており、一人に複数の能力を発現させる研究をしていた。今でこそ不可能とされた多重能力だが、それを不可能と断ずるまでに何人もの子供を犠牲にしてきた地獄の底がそこだった。黄泉川が所属する部隊がそこを制圧した時には、死体が散乱する有様だった。その「特力研」でさえ、少しは情報が集まったものだ。

 

 

 今回はさらに暗く深い学園都市の闇が関わっているとでもいうのだろうか。それほどまでにアジのような子供たちを研究する黒幕は権力をもっているのだろうか。

だが諦める気などさらさらないと彼女は決意する。一人の人間、否、子供たちを救わんとする者たちの想いの強さと執念は凄まじいものがあるのだ。彼女たちは黒幕への手がかりを探し続ける。噂話、SNS、聞き込み。様々な手を講じていった。

 

 

 するとそこで一つの車が浮かび上がってきた。

 以前、黄泉川が(乱暴に)保護した暴走カーチェイス少年たち。彼らはあれから悪さをしていない。夏休みの最後に、健全なドライブをしていたところだった。聞き込みの途中で不幸にも彼らは再び、黄泉川と顔を合わせたのである。

 

 

 黄泉川は自分が捕まえた学生たちの顔も名前も忘れない。彼女にとって彼らは更生させるべき大切な若者だからだ。あっちからすれば恐怖の対象でしかないのだが、今は置いておこう。

 

 

 黄泉川と出会い、顔を引きつらせる彼らからの証言にこんなものがあった。今から3時間以上前に、ボロボロの黒いワゴンが滅茶苦茶なスピードで走っていたらしい。あまりの速度に度肝を抜かれつつ、その車から飛んでくる破片が気になったとのこと。

 

 

 彼女たちは車でその場所へ急行した。そして発見するいくつかの金属片。それは証言のワゴン車に間違いないだろう。それほどのスピードで走る暴走車が警備員や警察に通報されず、また高速道路のカメラに映らないなんてことはないのだ。その映らなかった時間帯と場所こそ、重要な手がかりである。

 

 

 鉄装たち本部の人間は、すぐさま高速道路のデータを収集する。

 今から三時間前のカメラの映像だ。ほんの一瞬、ブレが映像にあった。それは映像が差し替えられていることを示す。ブレのない本来の映像など必要ではない。そのブレの映像はそこからどこの場所まで続き、そしてどこから普通の映像に戻っているかを調べていく。そうすることで、その暴走車の移動距離がわかる。最後にブレがあったカメラの位置の先の出口から下りたことがわかるのだ。

 

 

 結果はすぐに出る。

 その車はどうやら第二一学区へ向かったようだ。山岳地帯へ向かく道を黄泉川は虱潰しにあたっていった。深夜から早朝、そして昼前まで時間が進む。それほどの時間をかけた黄泉川達は見つける。それはとあるトンネル前。きちんと整備されたコンクリートのはずが、左右の草むらに破片が飛んでいるのだ。

 

 

「ようやく尻尾を見つけたじゃん」

 黄泉川は笑う。この先に、黒幕たちに繋がる何かがある予感があった。

 彼女たちはその優秀な力と、子供を想う執念で学園都市の暗部の入り口に自力で近づいてしまった。その先で、悲劇を見ることになるなど、まだ彼女たちは知る由もなかった。

 




次回、木原くんの実験タイムです。


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第33話

遅くなりました、33話です。
アジの精神年齢ですが、たしかに急に幼い感じになりすぎているので、完結後に本文を調整していこうと思います。(最初からIQ低めに?)
よろしくお願いいたします。

後、木原くんの独自設定がちょっと出ますので、それもお願いします。



 木原数多はここ数年で最もハイな気分だった。最高の実験動物(おもちゃ)だと目の前の怪物の成れの果てを見て思う。いや、成れの果てなどという表現は適切ではないだろう。そんな代物ではない。もっと歪な、それでいて進化した肉塊の変異後の姿だ。

「すげぇすげぇ!!ほんとなんなんだこりゃ!!調べれば調べるほど、ぶっ壊せばぶっ壊すほど訳がわからねぇぞ!!」

 

 

 第二一学区の地下道から車で数十分、ダムの中央に沈んだ場所に木原数多の個人的研究所はある。その内部は水底ゆえに窓はなく、多様な機材が雑多に並び、様々な巨大ガラスケースがあった。設備は全てが最新式であり空調設備も万全だ。良質な酸素が一定時間ごとに送り込まれておりまるで山荘にでもいるかのような一種の爽やかさすらあった。

 

 

 だからこそ、ガラスケースの向こう側の悲劇がより鮮烈になる。

 それは蠢くいつかの影。内臓が混ざったようなスライムの如きモノ、ウツボや甲殻類などの海洋生物の混合生命体、背から触腕を伸ばしながら蠢く少年。そうした明らかな異質なものがガラスケースの向こうにいる。液体に漬かるモノ、拘束されるモノ、今も刃で寸断され続けているモノなどの多種多様な実験体たちだった。

 

 

 強化特殊素材でできたガラスケースの向こうと、研究施設はまさに違う世界だった。支配と隷属、命と死といったものが、そのガラス一枚で隔たっている。 

 隊員の一人は思わず震えてしまう。自分の上司の一言で、自分たちも立場もカンタンに反転してしまうことが再び実感できたからだ。自分たちも十分に悪人だろう。だが彼はもっと質が悪い。好奇心と探求を至上とする狂人は、その価値観がズレすぎている。

あれほど残虐な実験をし続ける木原数多と言う男は、今も笑っているのだから。

 

 

 

 

 実験の数時間前、幾度となく爆炎で焼かれた怪物は、一矢を報いるように木原へ噛みつこうとした。けれどもそれは悪手だった。木原はそれをいとも簡単に避けて、手榴弾を代わりとばかりに口へ放り込んだ。さしもの怪物も体内からの衝撃に対して耐性はなく、ハラワタをまき散らしながら悶え動かなくなった。それでも木原は楽しそうだった。死体ならば死体で、弄りまわす術がたくさんあるのだ。

 

 

 木原は怪物の重量を考え、移送用の機材をいくつか用意していた。しかし、それでも怪物が一度に運べないと知ると、隊員たちに指示を出した。

「お前の班は内臓を運べ、お前の班は頭を切り落とせ、お前のところは腕な」

 木原は怪物の解体と輸送を部隊に命令した。肉の焼ける臭いと、死体をいじる行為に嘔吐感を覚えた隊員たちもいたが、逆らうものはいない。彼らは迅速に命令を達成。木原が乗る車を先頭に、複数の車両がトンネルを進んだ。

 

 

 そこで異変が起きる。なんと怪物の死体が、動き出したのだ。それも一つではない。寸断した腕や内臓まで、すべての部位が蠢いたのだ。それらは形を成したり、あるいはそのままの肉塊のまま近くの隊員に襲い掛かる。咀嚼する口や牙もないままに、その肉塊たちは表面を隊員たちに擦り付ける。阿鼻叫喚の事態だが、木原の怒号により一時収束。

 

 

 襲われる隊員をそのまま犠牲にしつつ、車は研究所に到着した。

 犠牲となった彼らは死んでおらず気絶か、はたまた虚脱状態になっていた。まるで体中の活力か生命力と呼ばれるものが吸い取られたようだった。

 木原はそんな怪物をさらに気に入り、強力な電流が流れる棒や火炎放射器などを嬉々として扱いながら一体、また一体とガラスケースに入れていった。

 

 

「これなら一気にいろんなコトができるな?」

 そんなことを呟きながら、彼は準備に取り掛かった。数分で実験準備が完了した。すぐさまガラスケースの中の壁面から複数の機能を持つアームが飛び出した。そこからの行為は悪逆非道に尽きる。

 

 

 動くものを焼いてみたり、切り刻んでみたり、放射線を当ててみたり、動くものを同じケースに入れて様子をみたり、動くものと動くものをミキサーで混ぜてみたり、とにかく人間が思いつくことを可能な限り行った木原。彼は実験中も、そしてその結果のデータを確認するときも本当に楽しそうだった。わかったこと、わからなかったことをメモしていく様子は、まるで小学生がカブトムシの観察記録をつけるかのように目を輝かせていた。

 

 

 そんな木原研究所に、一人の男がやってきた。

 場に不釣り合いなアロハシャツにサングラス姿の金髪の少年だ。けれども隊員たちは体を固くする。暗部に年齢は関係ない。むしろ若い子供のほうが危険だ。能力者であった場合、自分たちは一瞬で殺されてしまうからだ。

 

 

 「なぜ連絡をしなかった」

 金髪の少年、土御門は不機嫌そうに言う。それだけで彼の力量がわかるというものだ。木原数多にそんな口を利けるものは限られている。

「あん?細かいこと言ってんじゃねーよ。お前が対応できねぇから、俺が代わりに動いたんじゃねーか、ああ?」

 木原は一度、土御門を睨むがすぐに笑う。それよりも聞けよと言いながら話し出す。

 

 

「おいお前、プラナリアって知ってるか?」

「.........なんの話だ?」

「プラナリアってのはおもしれぇ生き物でよぉ。千切った部分から再生するんだよ、頭をぶった切ればその下から体が再生する。でもそれだけで終わりじゃない。残った体も再生を始めて頭ができちまうんだな。つまり、二匹のプラナリアになるってわけだ。アレイスターがぶち殺せつったこのバケモンはそれを超えておもしれぇ」

 

 

 木原は、ガラスケースの中を土御門に示した。彼の表情がどんどん歪んでくが、話に夢中な木原は気づかない。いやもしかしたら気づいていて無視しているのかもしれない。

 

 

「このバケモンも千切れば千切るほど増える!そんだけでもイカレてるが、コイツのすげぇところは千切った個体同士が再融合することだ。再融合の時にゃ、嫌がるそぶりも見せねぇ。だからコイツは現状は群体に見えちゃいるが、実は個体の特性を持ったまま分裂できる能力をもってるんだろうと思うね、俺は!」

 

 

 木原は自分の発見を思わず話してしまっているようだ。その発見までの過程で、どれほどのことが起きていたのか、目前の惨状以上のことがあったのだろうと土御門は想像する。科学的、そして魔術的な視点をもつ彼は怪物と呼ばれた少年の現状を考える。木原の講釈はまだ終わらない。

 

 

「だ、が!不思議なことに全部の肉を集めてもあの気色悪いライオンにゃ、ならなかった。もっと蛇みてぇな形態に変異して、ガラスケースへぶち当たりやがった。それがこのヒビだが、まぁ、もっかいバラシて処理したから問題ねぇ。肝要なのは、変異の差じゃなくて行動の差だった。あれほど猟犬部隊や俺に対して攻撃してきたコイツの意思がすっかり消えていたんだよ。今もそうだ、千切った肉片はバラバラに変異しやがったが、向かう方向はガラスケース。だが、個体ごとに微妙に右の方へズレていやがる。なんでそんなことが起きるのか!?調べるしかねぇよなぁ!!んで、考えられることは全てやった!!」

 

 

 土御門はもう木原の話を聞いていなかった。神妙な面持ちで、ガラスケースの中の少年を見ている。彼はうつろな瞳で、強化ガラスにぶつかっている。体を変異させ何度も何度も体をぶつけ続けていた。

 

 

「そんでわかったんだよ。多分こいつの中の意思みたいなもんは、脳を破壊したせいで消失しちまった。だから俺たちを敵とは認識していない。じゃあ、こいつらが無意識化に同じ方向へ移動している理由は何だ?それは再融合時の行動で説明できる」

 木原は一呼吸して話す。存外、彼はお喋りなのかもしれない。もしくは科学者にありがちな、自分の研究に対しては饒舌というやつなのだろうか。

 

 

「分裂した個体は、再融合しようと近づく特性があるのはもうわかってた。だが、それなら壁に向けてぶつかるはずだ。ガラスケース側じゃあ真っすぐ進んでも他の分裂個体とは接触できない。それなら簡単な推理でよ、こいつらの進行したい方向に再融合したい肉があるってことだよな?じゃあ、なんだそりゃあってことで考えたり、調べたりしたんだけどよ一向にこれってヤツが出てこねぇ。本当、弄れば弄るほど新しい問題が出てくる!最高の実験動物だぜ、コイツ。科学じゃわからなぇことも、ゴロゴロ出てきやがる。調べ続ければ、科学じゃ推し量れない新たな理論、オカルト的なナニカにもたどり着けるかもしれねぇな!」

 

 

 木原はそう言うと、手持ちの携帯電話にものすごい勢いで何かを打ち込んだ。おそらくは、血みどろの実験データに違いない。近くの機器の一つが、彼の携帯電話と連動するように光り、音を上げた。

 

 

 土御門は最後の木原の言葉を聞き、ピクリと体を震わせた。木原数多という男の経歴は、土御門はすでに調べあげていた。けれども、まさかここまで狂気的であり、また優秀な存在だとは知らなかった。

 

 

 この男は、たった数時間のうちに目の前の少年から魔術世界の片鱗を覗きみようとしたのだ。科学だけではないナニカ、魔術の存在を否定せずに追い求め続けることのできる木原という男を、土御門は危険視する。木原は、その探求心だけで世界のバランスを崩しかねない。それは何としても阻止しなければならないことだ。

 

 

 木原は携帯電話の操作を終えると、チラリとあるガラスケースを見る。それを見て彼は楽しそうに近づいた。

「見ろよ!オイ!またわけわからねぇ現象が始まってんぞ!」

 木原が見ていたのは、肉のスライムのようにされた肉片の一つ。液体の中を蠢いていたそれは、いくつかの口のようなもの創り出しその液体を飲み込んでいる。すでに液体はガラスケースの半分もなかった。木原は携帯電話を弄る。するとそのケースの天井に小さな穴がいくつか空き、さらにその液体を流し込んだ。

 

 

「この液体なんだかわかるか?ホルマリンだよ、生き物に有害なホルマリン!漬け込んで観察しようと思ったらこれだよ!すげぇ勢いで呑み込みやがるんだなこれが、すでにプール一杯分は飲んじまったよ!!だがしかしだ、この肉はデカくもならないし、死なねぇ。まるで吸い上げたホルマリンをどっかに送っちまってるみたいだよな!?」

 

 

 木原は楽しそうに笑った。

「酒じゃねーんだから、バカスカ飲むんじゃねーよ」

 時間はもうすぐ日の出。木原数多の実験はもうしばらく続いた。

 

             ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 早朝になり、アジは自身の体に不調を感じた。気づいたのは起床してすぐ。昨晩、帰らなかった黄泉川のために湯舟でも張ろうと布団から這い出た時だった。アジも黄泉川も風呂好きであり、真夏日であっても湯舟につかりたいと思うタイプだ。特に夜通しの仕事の後などは、風呂を浴びた後に冷えたビールを飲むのが黄泉川の日課だ。アジは家主が少しでも過ごしやすくなるために努力を惜しまない。

 

 

 体を伸ばして、リビングに向かおうとしてアジはこてんと転んでしまった。体重故に、部屋が少し揺れる。アジは不思議そうに頭を傾ける。そして手をつき起き上がろうとして、また転ぶ。上手く歩行ができない。

 

 

 けれど同時に、それに対して不快感も少なかった。おかしい、なんだかわからないが上手く動けないのに、なんだか楽しくなってきた。

「うんあ~うあ」

 もはや意味不明な音を吐き出しながら、上機嫌で動き回るアジ。いつものように背から触腕を生やすと、まさにタコのようにグニャグニャと廊下を進む。風呂場にたどり着き、いつもの倍以上の時間をかけて風呂のスイッチを押して、今度向かうのはリビング。

 

 

 テレビのリモコンを数度落としつつ、電源を入れる。ニュース番組を流しながらアジは考える。黄泉川が帰ってこないこと、自分の分裂使い魔が倒されたこと、上条当麻のこと、天草式のことなど様々なことが浮かんでは消えていく。支離滅裂な思考の中で、アジは何を思ったか、ふにゃりと立ち上がりると「あいおうあんいあおう」(上条さんに会おう)などと、誰かに宣言して家を飛び出してしまった。

 

 

 彼の分裂使い魔、その肉片の一つが吸収し続けた液体。ホルマリンではアジの特異な肉体を傷つけることはできない。彼の肉体はその辺は優秀であり、体をすぐさま有害になったり、崩壊させるような物質はシャットアウトするのである。以前に喰らったラーメンやプロテインも一度は構成物質を自身の体で無意識化に分解、後にパスから必要な栄養素などを取り入れるのである。

 

 

 けれどもそれも完璧ではない。ホルマリンを分解していくうちに、少量ずつあるものが彼の体の中に蓄積していった。アルコールの一種、メタノール。通常のアルコール飲料にはエタノールが含まれ、本来ならば体内にメタノールを入れることはない。

けれども密造酒などが横行した時代にはメタノールを含んだ酒が造られた。実際、それによって酔うものの、中毒死も報告されている危険なものであった。

 

 

 つまり、なんというか。アジは酔っ払っているのである。

 木原数多のホルマリン漬け実験によって。

 

 

「あうおあああ~」

 アジは顔を赤く染めながら、ふらふらと進んでいく。ちなみ方向は上条宅へと逆であった。

 




酔っ払いって厄介ですよね。

更新が遅くて、すいません。
来週も週に一度のペースになってしまうかもしれません。
ご了承ください。


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第34話

遅くなりすいません。
必ず完結させますにで、よろしくお願いいたします。


「あウン、うーあオー」

 アジはふらふらと踊るように歩く。まだ時間帯も早く夏休み中なので人通りは少ない。けれども完全に無人というわけでもないので、すれ違う人々は彼の異様な行動に怪訝な表情で通り過ぎていった。

 

 

 アジは背から四つほど触腕を伸ばして、それを使って歩いたりふらふら振り回したりもしている。ぶつかったら彼の質量的に大変危険であるが、酔っ払いの彼には気づけないのである。

 

 

 ガゴンという鈍い音がした。彼が街灯にぶつかったのである。アジは慌ててペコペコと謝るが、それは他人ではなく金属製の棒である。少々曲がったそれを労わるように撫でまわすアジ。ぐでんぐでんである。

 

 

 確か、こっちだったはずだという普段以上に頼りにならない記憶でのそのそ歩く。アジは気づけば、例の自販機の場所にたどり着いていた。

「アエ?」

(あれ?)

 上条宅へ直接向かったはずだったのに、はて?酔っ払いらしく実に能天気だった。アジはその自販機を見て、あるものを見つける。それはもう何年も前に飲んだ、懐かしき炭酸飲料。「ヤシの実サイダー」であった。アジはそれに心を奪われて、自販機にべっとりと貼り付いた。

 

 

 ああ、懐かしき味の愛しき炭酸飲料。そういえばここで飲み物を買ってもらってはいなかった。アジは服をまさぐるが当然のようにお金などないのである。アジは困った、なぜかわからないが、今朝から喉が渇くような気がしていた。この状況で、ヤシの実サイダーが飲めたらなら、最高だろう。

 

 

 アジは自販機の下やコイン返却口を探すが見つからない。アジは触腕を振り回しながらなおも探し続けるが、それがよくない。案の定、触腕は自販機の側面にぶち当たる。アジは何か当たったかな程度の認識で触腕の方をみる。触腕の一撃は、どこぞの女子中学生の回し蹴りよりも強力であり、その威力を喰らった例の自販機は当然のように、ガタンと飲み物を吐き出した。

 

 

 アジはすぐには気づけず、再び自販機の下を探ろうとした辺りで取り出し口に缶ジュースが落ちているのを発見した。この酔っ払いは、自分の一撃で飲み物を盗んだことを知らぬまま、よだれを垂らしながら意気揚々と缶ジュースに頬ずりした。

 

 

 そしてそれはまさしくお目当てのヤシの実サイダーであった。アジは行儀悪くも地べたに座り込み、それを開けようとして、何度か落とす。上手く開けられずにガリガリとプルタブを弄るが、どうにもうまく開かない。

 

 

 握力は強まったり弱まったりして安定せず、体がぽかぽかと温かくなってきた。アジはとうとう、いい気分になってヘタンと地べたに横になってしまう。時間が経てば経つほど、アジの思考は単純化している。アジは横になってなお、缶ジュースを開けようとモソモソと手を動かしていた。

 

 

 

 

 そんなことをしていると、ふとアジの体に影ができた。

 何かと思い顔を動かす。

 そこには数名の男や女の姿があった。陽光がその一人の髪を照らす。

 黒髪なのに、さらに上から黒い整髪料を使っているようで黒い光沢がみえる。ダボダボの大きなTシャツを着て、片手には大剣フランベルジュを握った男と多様な武器を携えた魔術師たちがアジを見つめている。

 

 

「そんで、お前さんはどっちだ?」

 

 

 神妙な顔で、天草式十字凄教、「教皇代理」建宮斎字は口を開いた。

 

 

 

 

 アジの思考は全て停止した。

 まるっきり白紙の想いの中に、インクがにじむようにして様々な感情が湧いてきた

 アジは涙ぐみ、ふらふらと立ち上がる。

 生まれたての鹿のような危うさで、アジは思わず建宮に抱き着いていた。

 身長差から親子にすら見える二人だった

 彼にとって建宮との再会は念願であった。めそめそと泣きながら、何かを喚いて建宮の顔を見るアジ。なんでここにとか、どうして場所がわかったのかとか、そういう疑問は、喜びで霧散している。

 

 

 一方、建宮は未だに眉間に皺を寄せたままである。建宮は耐えるようにしてアジの顔を見返した。フランベルジュを持つ力が少し弱まり、長い大剣の刃が地面に接触。甲高い音が聞こえ、アジはそちらを見る。

 

 

 これが一日早ければアジの行動は変わっていただろう。言葉が通じずとも、通常の思考ができるアジと彼らが邂逅したならばスムーズに喜びを享受し合えたはずだった。

しかし、そうはならなかった。

 

 

 アジの体はそこでぐらりと揺れる。

 自分の意思とは無関係に、倒れそうになる体をアジは抑えるが上手くいかず、倒れてしまう。アジの様子に建宮は今度こそ、表情を崩してアジを抱きとめようとするが無理だった。

 人外である彼の体重を支え切れる人間は、魔術師と言えでも稀有である。

 アジがばたりと地べたに倒れた。

 

 

 アジは倒れたものの、未だに感動しめそめそしている。

 ようやく会えた念願の相手を前に、より一層自分の状況を鑑みることができなくなっていた。

 上気した頬、荒くなる息、不自由になっていく体。

 要するに酔っ払いであるが、傍から見れば少々違うニュアンスであった。

 そんな状態であるから、起き上がろうと触腕を生やしても上手くいくわけがないのである。

 

 

 べそべそと泣いているアジは、背中の触腕を使い立ち上がろうとして、滑る。

 触腕はまるで駄々っ子の地団駄のように振り下ろされた。

 

 酔っ払いアジは人外であり、その威力は折り紙つきである。

 案の定、背後の固いコンクリートの地面をバキバキに砕かれた。

 

 

 それにより天草式の面々の表情は暗く、凍っていく。

 それにより建宮は一度目を閉じ、そして決意を灯した瞳をアジに向けてくる。

 それによりアジはチラリとそちらの方を見て、「アッ、おメン」(アッ、ごメン)と言ってさらに触腕をゆらゆらと揺らした。

 

 

 建宮の口からギリギリという歯を食いしばる音がした。口の端からは血がにじんだ。

「.........覚悟を決めるのよな」

 建宮はそう言ってフランベルジュを強く握り直した。涙を流し顔を赤くするアジは、建宮たちに微笑んだ。

 心情としては、「大丈夫大丈夫!すぐに立ち上がるから」程度の酔っ払いの言い訳ぐらいのものであるが、その様子は仲間たちの心をこれ以上ないくらいめった刺しにするのである。

 

 

 建宮の心は、彼らの想いは決定した。

 せめて我らの手でと、何度も話し合い、知識を出し合い、後悔と悲哀の果てに決めたことだった。

 

 

 建宮が息を吐いた瞬間。いくつもの刃がアジに迫った。それらの攻撃をアジは思考する前に魔術師の、そして人外の本能で避ける。ごろんと転がりながら、刃をかわしていく。苦しそうな表情で攻撃を続ける天草式メンバーたち。

 

 

「あんエッ!?」

(何デッ!?)

 そうした伝わらぬ言葉を聞く天草式の面々は、肩や顔を固くしていく。アジは困惑の極みである。せっかく再会した仲間たちの突然の攻撃の理由が全くわからなかった。何か、今の一瞬でしてしまったのだろうか。

 アジはない頭を捻るものの答えは出てこない。

 これまでのすれ違いを理解できていないので、それは当然であった。

 

 

 アジは焦りのまま弁明しようと、そして身を守ろうとして触腕をいくつも生やす。追い詰める建宮は滑るようにして触腕をかわす。そしてすぐさまアジの矮躯に肉薄した。彼の波打つ刃はアジの胸に迫るが、ギリギリのところで触腕に阻まれる。

 いくつもの触腕を斬り飛ばされるアジ。

 

 

「あアウ」

 痛みがアジを襲った。酩酊状態でさえこれは痛い。銃弾などよりも強力な手練れの魔術師の一撃にアジは呻いた。人外の身はその程度では破壊されないが、心は消耗した。

 

 

 アジは建宮を見る。未だに神妙な顔でアジを睨みつける彼は、そのまま進み、転がっているアジが飲もうとしていたヤシの実サイダーの缶に足をかけた。建宮はふと戦闘の邪魔になると思い、その缶ジュースを何らかの術式を使って踏みつぶす。案の定、中身は悲惨にもすべて流れ出る。

 

 

「あアア!?」

 アジは思わず叫んだ。せっかく再び出会えたヤシの実サイダー。飲みたかったのに。しょんぼりとするアジの心に芽生えてきたのは、イラつきだった。

 せっかく出会えたのに切りかかってくる建宮たち、飲めないジュース。

 それだけでなく、上手く話せない自分の言葉や、自分を狙った未確認生物捕獲チーム、自分に手榴弾を喰わせた入れ墨の科学者、急にお腹がすく今の人外ボディなど、これまでのイラつきが沸々と彼の混乱する思考ににじんでくる。

 

 

 酔っ払いにありがちな、嫌な酔い方。

 悪酔い状態にアジは移行していく。

 なんだよ、ぼくだって一生懸命にやっているのに、なんでこうなるの。イライラはどんどん大きくなった。アジは涙を流しながら吠えた。

「あんアオ!!おう!!!」

(なんダヨ!!もう!!!)

 

 アジの体は怒りに呼応するように変貌していった。

 

          ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 元女教皇が学園都市の方へ駆けている。

 その情報を天草式の仲間から得た建宮たちはすぐさま学園都市に向かった。理由は明白。アジの現状を知らせるためだった。必要悪の教会の魔術師である神裂は多忙であり、中々その行動を知ることができなかった。今回は、なぜか焦るようにして駆ける彼女を見つけることができたので、たまたま捕捉することができたに過ぎない。

 

 

 しかし、好機には違いない。

 スムーズに話すためには、魔術の世界から外れる学園都市はおあつらえ向きだ。

 聖人と魔術結社が接触するのは、それが元々の仲間であろうとも憶測が生まれてしまう。学園都市ならば接触した事実を確認する魔術師がほとんどいないため、そうした憶測が最小限で済むと建宮たちは考えている。

 

 

 もっとも学園都市には様々な派閥の魔術師のスパイがひしめいているので、逆に噂になってしまう可能性のほうが高いのだが。ある意味で正義のために暗躍する真っ当な(?)魔術師である天草式には知る由もなかった。

 

 

 建宮たちは複数の手段を用いて、迅速に学園都市に潜り込む。天草式特有の移動術式等を用いることで、彼らは神裂よりも早くに学園都市に到着した。ひとまずはここで一般人と紛れて潜伏し、神裂と接触しようと考えたのだ。

 

 

 だから、彼を見つけたのは全くの偶然だった。

 最初に気付いたのは対馬だった。公園で朝早くからいる少年、ふと見た彼女はすぐさま息を飲んだ。あまりに似ていた。対馬は建宮の肩を叩き、それを知らせ他のメンバーにも伝えていく。茂みの奥から見える少年は間違いなく、あの夜に海へと消えた仲間の姿をしていた。

 

 

 8年前から変わらない姿に、建宮たちは様々な憶測を巡らせる。本来ならばすぐにでも飛び出して抱きしめたかった。

 よく、生きていてくれたと泣いて話を聞きたかった。

 けれどそれは叶わない。

 

 

 仲間、アジの背からいくつもの触腕が伸びたからだ。建宮たちは知っていた。アジはすでに人ならざるモノへと変貌し、意識を飲み込まれまいと抗っていることに。

そして観察していると、そのアジの様子もおかしかった。

 ふらふらと動き回り、足取りはおぼつかず、何をしたいのかはっきりしなかった。

 

 

「いったいあれは?」

 誰かが呟いた。しかし答えられるものなどいない。太平洋へ消えた巨大な怪物が上陸したという話も聞かない。正体不明の存在が、動き回っている。

 アジの姿をした、ナニカはそのまま倒れてしまう。建宮たちは心配のあまり助けようと動き出しかねない体を押さえつける。

 あの姿で動かれると、どうしようもなく建宮たちの心は掻きむしられるのだ。

 

 

 建宮たちは一度、目の前のアジの誕生原因については保留にしつつ彼の動きを観察する。もし、アジがアジではないナニカであれば、やることは決まっている。

それはこれまでの天草式の話し合いによって決めたことだ。

アジの意識が飲み込まれ、暴虐の限りを尽くすのであれば、その前に自分たちの手でケリをつける。

 

 

 アジの姿をした少年は、倒れたままジタバタと地べたを動いている。このままでは判断がつかないとして、彼らは行動を開始。建宮たちは、一度気持ちを落ち着かせたすぐさま戦闘できるように術を調整して、アジの前に飛び出した。

 

 

 泣きながら自分に抱き着く姿、上気し息を荒くしてナニカに耐えようとする姿、言葉すら忘れ、けれども最後まで微笑んだ姿。あんまりではないか、アジが何をしたというのだろうか。自分たちが何をしたというのだろうか。

 

 

 アジの姿をしたナニカの中には、確かにアジの意識らしきものはあった。けれども、それは削り取られる寸前であることが、触腕がもたらす破壊と上気した頬と脱力した体が証明していた。だから建宮たちは決断する。自分たちの手で、アジが怪物になってしまう前に。

 

 

 建宮は体を変貌させるアジを泣きそうになりながら睨んだ。そんな彼の肩に対馬の手が置かれる。もう一人では抱え込まないと決めていた。

 

 

「行くのよな」

 アジの姿は本来の彼とは似つかない怪物になったのを確認し、建宮たちは突撃する。

この場に神裂がいなくてよかったと天草式のメンバーは思った。彼女がいたならば、一人で片をつけて、一人で傷つき、一人で去ってしまうことが目に見えていたからだ。

 

 

 怪物は全長10メートルほどもあった。恐竜にも似ている。黒い表皮、頭部は龍と獣を合わせたようで角がいくつか伸び、背からは背骨が飛び出したようなヒレと触腕がいくつも生えて、尾は鞭のようにしなった。二足で立ち上がると5メートルほどもあった。怪物は咆哮した。それを合図に怪物の触腕が、辺りを滅茶苦茶に破壊していく。

 

 

 だがそんな破壊の嵐を、建宮たちは難なく突破する。虹色の絆により、立ち位置を瞬時に移動し、個人の術式を行使し、複数人での術式を連発し、刃での追撃を行う。怪物が反応しきる前に、攻撃と離脱を完遂している。

 

 

 そんな状況にあっても怪物は力任せにコンクリートや街頭ばかりを殴りつけるばかりだった。まるで天草式の位置とは違う場所を狙っているようにしか見えず、怪物の体は損壊しダメージをいくつも負った。けれども、怪物の再生能力は半端ではなく、斬りつけた傷も燃やした火傷も立ちどころに再生していく。ただ完全に元通りというわけではない。損壊した部分は徐々に歪に膨れ上がるようになっていった。

 

 

 建宮はそれを見逃さない。歪なまま体を変化させないということは、それだけ消耗していることを示している。この怪物を滅することで、太平洋の怪物にどのような影響があるのかは不明だが、建宮たちは攻撃の手を緩めない。

確実に怪物の体は、崩壊に向かっていた。

 

 

 天草式のメンバーに油断はなかった。だから怪物がひときわ大きく咆哮し、背から赤い稲妻のような重厚な魔力を迸らせたことにも瞬時に反応して距離をとった。

怪物の体が一回り膨れ上がる。口の隙間から禍々しい赤黒い魔力が漏れていた。怪物がそのまま大口を開こうとしたところで、建宮たちはある人影を見つける。

 

 

 それはツンツン頭の少年だった。

 少年は、怪物を視界に収めたことで驚愕している。間違いなく魔術師ではない。動きも素人そのものだ。おそらく少年は、不幸にも戦闘の現場に居合わせてしまったのだ。

 

 

「マズイッ!」

 建宮は叫んでいた。このままでは一般人を巻きこんでしまう。

 焦燥する中で思いがけず動いたのは長いスピアを持った少女、五和だった。

 五和は瞬時に術式を行使し、疾駆。風のように少年の前に躍り出た。

 

 

「逃げて!!!」

 五和が叫ぶと、少年の表情が変わる。意を決したような顔だ。素人ができるはずもない、戦いの中で覚悟を決めた顔だ。なぜ、そんな表情ができるのか、五和が少年に問う前に前方から赤黒い輝きが迫った。防御術式は、もう間に合わない。

 

 

 怪物が放つ魔力の塊、放射魔炎は二人の人間を消し飛ばすことなど簡単だ。五和は最後まであきらめず少年を横へ突飛ばそうとするが、できない。

 なんと少年は逆に五和をかばうように、前で出たのだ。

 右腕を突き出しながら前へ。

 

 

 彼の右腕と、赤黒い炎が激突する。

 奇妙な甲高い音が響いた。五和は理解できない。なぜ、まだ自分の耳は聞こえているのか。なぜ、まだ自分の目は少年の背中を見ているのか。なぜ、まだ五体満足のまま無事に生きているのか。

「なにすんだてめぇ」

 少年、上条当麻は目の前の怪物を睨み言った。

 



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第35話

すいません、前回からだいぶ時間が経ってしまいました。
時間がかかりますが、なんとしても完結させますので、お付き合いしてくださる方はよろしくお願いいたします。



 

「.........消えた?」

 建宮は思わず戦闘を一時中断して呟いた。一瞬響いた甲高い音、少年の右腕の手のひらから立ち上る煙のようなもの。あの莫大な魔力の塊が直撃して生きているばかりか、無傷であるという異常な状況。魔力を打ち消した、そうとしか考えられなかったのだ。

しかし、その手段がまるで見当がつかなかった。

否、今はそのようなことを気にしている場合ではない。

 

 

見たところ、少年は学生だ。一市民であることは明白である。どのような力が彼にあるかどうかはわからないが、この怪物との戦闘に巻き込むわけにはいかなかった。建宮は、すぐさま彼を抱き上げ離脱しようと考える。考えるが、驚くべきことに少年は走り出していた。拳を力いっぱいに握りしめ、鋭い眼光で怪物へと一直線。まるで、そのまま殴りつけようとするかのように。

 

 

「ッあ!?」

建宮のその声に反応するように仲間たちも動き出すものの、まるで間に合わない。少年と怪物との距離はもう1メートルもないのだ。

少年は体を引き絞り、体重をかけた右こぶしを放とうとする。てんで素人の攻撃だ。あの怪物ならばすぐさま反撃をするはずだ。数秒後には引き裂かれた人肉が辺りに撒き散らされてしまうだろう。

 

 

だが、そうはならない。

 

 

少年の拳は空を切ったからだ。外れたのではない。怪物が跳躍し、避けたのだ。避ける、あれほどまでに天草式の攻撃を喰らい続け、暴れまわっていた怪物が警戒を露わにしている。怪物は明確にあの少年の攻撃から身を離そうとしている。

 

 

跳躍し後方へ飛んだ怪物は吠えた。まるで喜ぶような、悲しむような様々な感情を内包したかのような叫びだった。建宮はすぐさま術式を使って仲間へ指示を飛ばす。怪物を滅するのを一時中断、最優先は拘束へ変更。あの少年には聞かねばならないことがありそうだと、建宮は思った。それがアレを滅するのを後回しにする言い訳だけではないと、建宮は信じている。

 

 

                  ○○○○○○○○

 

 

 上条は目の前の存在を見る。これまで何人かの魔術師と戦ってきたが、これほどまでに分かりやすい異常な存在を見るのは初めてだった。一言で言うなら歪んだドラゴン。まさに映画や漫画、RPGゲームの世界から飛び出したかのような姿だった。

 

 

 それだけではない。怪物の周りには様々な武器を構える年も性別もバラバラな集団がいる、上条は短く息を吐いた。どこからどう見ても危険である。まさに厄介事の見本市。今すぐにでも逃げ出したいところであったが、そうもいかなった。

 

 

 彼らの仲間の少女。彼女は上条を守ろうとしてくれた。そして少女の声やその表情から、まさに決死の覚悟であの怪物が吐き出した炎が当たらぬように自分を突き飛ばそうとしてくれたのだ。そこまでされたなら、多少の困惑があれど加勢せざるをえない。それが上条の性格というか、特性であった。

 

 

 そしてまた同時に、上条には速やかに眼前の怪物を追い払う必要があった。その理由が後ろから駆けてきた。彼の背後から声が聞こえる。

「とうま!」

 声を上げたのは来たのは彼の同居、純白大食いシスターのインデックスだった。二人は学校へ、担任の小萌先生に学園都市の外へ出るための書類について話しに行く途中だった。

 

 

「ちょっと飲み物買ってくるっていったと思ったら!とうまはもう!ほんとうにもう!!すぐに騒動にまきこまれるんだから!」

インデックスはブツブツと文句を言いながら上条の後ろへ走る。彼女はなんとしても怪物から護らねばならない。だからこそ上条は危険を冒してでも、怪物を殴りつけようと駆けたのだ。

 

 

 上条は反射的に来るなと叫ぼうとするが、その声は怪物の咆哮にかき消されてしまう。まるで喜ぶような、悲しむような様々な感情を内包したかのような不可思議で、そして不気味な咆哮だった。数回、咆哮を続けた怪物の口内が赤黒く光る。

すぐに上条めがけて、赤黒い炎が吐き出された。

 

 

 上条は息を飲んで右腕を押し出すように構える。大丈夫なはずだと心ではわかっているが、その考えを砕かんばかりの禍々しい炎だった。瞬間、右腕に衝撃が走る。手首がゴリリと不気味に鳴った。甲高い音が響き、炎は消え去り手のひらから煙のようなものが立ち上る。

 

 

 上条が安堵の息を吐いたのと同時に、インデックスが上条の背に貼り付いた。

とうま!と小さな悲鳴を上げ彼女は上条の体を確かめる。その行為に上条は心配された嬉しさよりも、苛立ちが勝ってしまう。眼前の怪物から、彼女を守るのは至難の業だとわかっているからだ。上条は思いを吐き出すように声を荒げた。

 

 

「馬鹿!来るなよ!」

「なっ!!ばかとはひどいんだよ!魔術のことでわたしに頼らないんて!とうまこそばかなんだよ!ばか!ばか!!」

「今、言い合ってる場合じゃねーだろ!?」

上条とインデックスが言い合いを続けようとしたところで、耳をつんざく怪音が轟いた。それは怪物の咆哮だ。苦し気に腕や触腕をめちゃくちゃに振り回し、泡を飛ばしながら悶える怪物に上条はギョッとする。

 

 

 全くの未知。推し量ることのできない怪物の行動に上条は恐怖した。怪物はまるで後悔するように頭を抱えたかと思うと、一度脱力。そして怪物は上条へと視線を向けた。上条はその眼を見てしまう。獲物を狙うホオジロザメのような真っ黒な眼だった。

怪物は警戒するようにじっくりと、上条を観察していた。

 

 

 上条は体を固くして、右腕を構える。考えての事ではない。触腕や炎での攻撃を本能的に恐れた結果だった。背中にいるインデックスも上条の服を掴む力がどんどん強くなった。加えて彼女は、怪物だけでなく周囲の集団にも警戒を示すように、キョロキョロと顔を動かしているらしかった。彼女の長い髪が、上条のズボンに何度も当たっている。

 

 

「あれは…………まさか? ……でも」

 インデックスは何か思うところがあるのか、神妙な声を出している。

 直後、炸裂音が聞こえた。怪物が跳躍した音だった。今度は逃げるためのものではない。怪物は触腕を振り回しながら、上条へと迫った。

 

 

 上条は幾つかの考えを放棄し、自分を奮い立たせて怪物を待ち受けた。その右手はどんな異常存在でも消し去ることができる。むしろ怪物が突っ込んで来てくれるなら、それこそ一撃で勝負は決するはずである。なによりも後ろにはインデックスがいるのだ。逃げ出すわけにもいかなかった。

 

 

 上条は視線を怪物に固定。迫りくる怪物を睨みつけようとするが、そこで目撃するのは跳躍した怪物にあの集団が立ち向かう光景だった。

 集団は怪物の体を切り裂き、炎で燃やし、石の弾丸で穿つ。

 怪物は声一つ上げないが、その巨体は宙でバランスを崩し、上条のいる場所とはてんで違う方向へ落下する。頭から落ち、受け身すら取れなかった怪物。

しかし怪物の動きは止まらない。生き物とは思えぬ体勢のまま触腕を震えさせると、弾丸のような速度で怪物の触腕が上条に向かわせた。

 

 

 一瞬の煌きが上条の視界を通り過ぎる。

 それはいつの間にか上条の隣に出現した集団の一人。

 上条と似たツンツンとした髪、手に持つのは2mはある剣。不思議にうねるその剣は、素人の上条から見ても異様な迫力があった。男が剣を振るうと、怪物の触腕が千切れる。

怪物は悲鳴を上げていた。

 

 

 勢いが著しく失われた触腕は、それでもなお上条の位置まで届いた。上条はその右腕で、飛んできた触腕片に触れる。再び、一瞬の高音が辺りに響いた。それだけで触腕はボロボロと崩れる。上条の足元には、カニや魚などの破片が散乱する。

「ほう」

 男は、呟き言った。

「消せるのは炎だけじゃねーみたいだな」

 

 

「た、試したのかよ!?」

「ああ、悪かったな。ただもちろんお前さんたちに危害がないように調整したのよな。最悪の場合は、飛んできた触腕は俺が受けて止めてやるつもりだったのよ」

 男が話しているうちに、他の集団は怪物へと近づいた。そしてものすごい勢いで術式を展開。陽光に照らされているのは、おそらくはワイヤーだ。上条は学園都市ならではの特殊な授業で金属製のワイヤーを見たことがあった。ワイヤーは生き物のように蠢くと瞬時に怪物を拘束してしまった。ものの数分での出来事だった。

上条は集団の能力の高さに、素直に驚いている。大剣を担いだ男は、思うところがあるのか上条に声をかけようとする。しかし彼が何かを言う前に、「やっぱり!」インデックスの声が聞こえた。

 

 

「とうま!あの怪物は昨日あった子供の魔術師なんだよ!」

「!?」

 その言葉に上条ののどが干上がった。そして昨日の少年、アジの言葉や彼の表情が頭に浮かび上がってきた。二人が驚いていると辺りの空気が変わる。集団、全員の眼が上条とインデックスに注がれいた。おい、と大剣を担いだ男の声が聞こえる。

「ちょっとお前さんに聞きたいことがあるのよな」

それは怒りに燃えるようにも、悲しみに震えるようにも見える表情だった。

 

 

 

 

 

 味方じゃねーのかよ!?と焦る上条だったが、男の迫力に押し黙る。大剣の男は建宮斎字と名乗った。そしてその所属は天草式十字凄教と話す。かの聖人、神裂火織をリーダーとする魔術集団とのこと。そんなことを言われても上条は全くピンとこなかったのだが、インデックスは非常に驚き、そして彼らならばまずは話を聞くべきだと、上条に話した。

 

 

 何が何だかわからない上条は、不承不承といった様子で話を聞くことにした。

「まさかこの目で天草式の魔術師に出会えるなんて………」

インデックスは天草式について知っていることを披露する。

「天草式十字凄教っていう魔術結社は、本当に謎が多いんだよ。近代魔術師の中でも抜きんでた実力をもっていることは確実なのに、扱う術式や霊装のほとんどが全然わかっていないんだよ。闇夜に紛れ、一撃で敵対する魔術師を屠り、再びその姿を消してしまう。そのあまりの神出鬼没な在り方に、一時期魔術世界の中でも天草式は畏怖の対象だったし、なによりも優先的な討伐対象になってたんだ」

 

 

「討伐対象?」

「うん。誰だって自分の魔術探求中の工房で、寝首をかかれたくないでしょ?だから協力してそんな怖い相手は倒しちゃおうっていう暗黙のルールができたんだよ。もっともすぐにそれはなくなっちゃったんだけどね」

 

 

「どうしてだ?」

「俺たちが、だれかれ構わずに闇討ちしてるわけじゃねーからだ」

建宮は上条の質問に答える。インデックスもその言葉に頷いた。

「魔術師といっても当たり前だけど色々な人がいるんだよ。小さな魔術結社なら惚れ薬を完成させるためとか、ゴーレムの研究をしている結社なんかもあるね。そうしたように本当に千差万別な魔術師だから、中には非人道的な人たちもたくさんいるの」

 

 

 人の欲望に際限がないように、魔術の目的も際限がないとインデックスは言う。自分の子供を生き返らせるために、100人の他者の心臓を集めるもの。合成生命体(キメラ)を生み出すために、見ず知らずの集落の住民の命を弄ぶもの。自身が永遠の命を得るために、何人もの他人を実験体にするもの。上条が聞いていて、胸糞が悪くなる話ばかりだった。そしてそういった残虐非道な魔術師を、天草式は屠ってきたのだと言う。

 

 

「救われぬものに、救いの手を」

 建宮は言う。

「それが俺たち天草式の、そして女教皇の願いだ。誰かのために俺たちは刃を振るい魔を滅する。まぁ、つまるところ俺たちは正義の味方なのよな」

上条は笑う建宮を見る。その表情に嘘はみられなかった。こんな連中もいるのだと、上条は感動すらしてしまった。上条が出会ってきた魔術師など、不良神父や嘘つき陰陽師、立て籠もり錬金術師など、誰もが勝手気ままな奴らばかりだったからだ。

 

 

 上条たちがそこまで話すと、怪物の咆哮が轟いた。無理やりワイヤーの拘束を破ろうと身をよじっていが、ワイヤーが食い込むばかりだった。上条はその様子をみて、やはり話している場合ではないと拳を握った。そして建宮に懇願するように話す。

「なぁ建宮!多分、天草式はアイツをやっつけようとしてると思うんだけど、アイツは悪い奴じゃないんだよ!今は魔術の暴走でああなっちまってるけど、なんとかして………」

 

 

「アイツじゃねぇのよ、アイツの名前はアジっていうのよ。」

「ちょ、ちょっとまってくれよ。お前アジの知り合いだったのか?」

「知り合いも何も」

 建宮は悲しみに顔を歪ませて続ける。

「元々アジ。本当は阿字平鱗っていう名前なんだがな。まぁ、アジって皆が呼ぶ魔術師は、俺たち天草式の仲間だ。」

 建宮は上条とインデックスに話し出す。

 事の発端はもう8年も前の事件のことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話を聞き終えた上条もインデックスもやるせない表情のまま、今度は昨日あったアジという少年のことを話した。

 それを聞いていた天草式のメンバーの表情は驚愕に彩られ、そして陰りを見せていく。持っている斧で道路を砕いてしまう男、下唇を噛む女性、眼尻に涙をためる少女、そして眉間に深く皺を刻みこむ建宮。その誰もがアジを大切にしているのだと、上条は思った。そしていま怪物になってしまったアジを捕えているという行為に隠された想像を絶する覚悟を上条は知った。

 

 

 だからこそ上条は言う。

「なぁ、なんとかできねぇのかよ?」

 彼はこのままアジが死ななくてはいけない状況には我慢できなかった。アジが何をしたと言うのか、仲間をかばい魔に侵されながらも、これ以上被害を出さないようにと自らの死を望んだ少年アジ。そんな存在が、ただ殺されなくてはいけないのを、黙って見ていることなど上条にはできない。上条は自身の右腕を見る。その魔を何もかも打ち消すこの右腕では、怪物を一撃で消し去ることができるだろう。

 

 

「最初は」

 建宮は重々しく口を開いた。

「俺もお前さんの打ち消す力を何とかして使えないかって思ったのよ」

あの怪物の炎をそのまま消してしまうほどの力を使えば、彼を蝕む魔術だけ消し去ることができんじゃないかと、どこかで期待していたと建宮は言った。

 

 

「それは………」

 インデックスは言い淀むが、それを建宮は薄く笑ってわかっていると返した。

「そんな都合のよい力なんてないのよな。確かにお前さんの力は絶大だ。俺たちがひっくり返っても、あれほどの魔力を一切合切消す、なんてことはできないのよ。けれど同時に、何かを残しつつ、選んで消すなんてことはその力にはなかった。それだけのことだ。勘違いしてほしくないのは、お前さんは何にも悪くない」

 むしろと続けて建宮は上条に頭を下げる。それに合わせるように、他の天草式のメンバーも頭を下げていく。

 

 

「すまなかった。魔術と何も関係のないお前さんを巻き込もうとしてしまったことを」

「やめてくれ」

「そして、ありがとな。アジのことを考えてくれて」

「やめてくれって!俺は、なにもできて………」

上条は頭を下げる男たちには歯噛みする、なぜ諦めるのかと吠えたくなる。そして同時に、なにもできない自分に馬鹿やろうと言ってやりたくなった。建宮たちが顔をあげる。そこにチラリと見えたのは虹色に輝く首飾りだ。思わずインデックスは見たことのないその霊装に目を奪われる。

 

 

「それは?」

「これか、これはな。虹色の絆っていうのよ」

 建宮は説明する。それは我がアジが創った最高傑作であり、天草式が名を上げた理由でもあると。インデックスはその造りをみて驚愕する。あまりにも様々な神話、物語、神々が入り混じった形。十字教のシスターであるインデックスは、建宮たちをじっとりと見てしまった。これは言うならば神を信じる者たちにとって、ある意味で冒涜的なものであった。

 

 

「韋駄天、ヘルメース、神仙伝、ソロモンの72柱、エノク.........よくもここまで混ぜこぜな霊装を創れたものなんだよ」

「ま、まぁそうなのよな。正直、俺たちもちょっとやり過ぎだと思ったんだが、それでも術式は素晴らしいのよ?」

「ウチ(必要悪の教会)でそれを使っている魔術師がいたら、すぐに拘束からの尋問コースだね」

 困ったようになる建宮に、少しだけ落ち着きを取り戻した上条は聞く。

 

 

「……なにかおかしいのか? それ」

「おかしいなんてものじゃないんだよ!いい、この首飾りは古今東西あらゆる神話からいいとこどりをしたような霊装なんだよ!ここまで神を蔑ろにする霊装も珍しいかも」

インデックスが言うには、霊装を創るにしても一応の暗黙のルールがあるらしかった。いわゆる神様へのリスペクトが必要とのこと。何でもかんでも便利だからと言ってくっつけたり、改造したりすると信仰を疑われることもあるのだという。この霊装はそうしたルールは完全度外視、実用性のみを追求したトンデモ霊装だと話す。

「俊足の神々、瞬間移動の神々、悪魔から難を逃れた逸話、たくさんある移動する、動かす、逃れるという術式がここに内包されているんだよ」

 

 

 インデックスが少々、興奮気味に話しているのを上条は聞いている。詳しく知らない上条は、ゴテゴテに飾り付けたプラモデルみたいなものだろうか、程度の認識であった。上条は生徒が教師に問うように、首飾りについて聞いていく。

 

 

「なぁ、アジもその首飾りはつけてたんだよな」

「ああ、そうだ。この首飾りのおかげでアジの現状を知ることができたんだからな」

「わかんねぇんだけどさ、その首飾りを使えばアジの体の位置ってわかんねーのか?」

「……そのアイデアはすでに、話し合い済みなのよな。例え絆で位置が分かったとしても、それは絆の位置であってアジの体の場所じゃない。あいつの人間だった体は、巨大な海魔の中に分散しちまってる。たとえ絆の位置だけがわかっても、アジの体を全て見つけることなんてできないのよ」

 

 

「じゃ、じゃあその首飾りの位置にアジの体を引き寄せるってことはできないのか?アジの人間の体をその首飾りに集めるってのは?」

「それこそ無理な話よな。絆の術式は、逃げること、転移すること、逃れることだ。一応、絆同士を集合させることはできるが、それをしたところで海魔の体の中から、絆だけ取り出せるだけだ。肝心のアジの肉体は置いてきぼりなのよな。アジの肉体だけ、集めることなんてことはできないのよ」

 

 

「集める?」

 インデックスはその言葉に引っかかったようで、唇に指をあてている。

「その絆ってすべてアジが創ったんだよね?誰かが教えられてたくさん作ったとかではなく」

「あ、ああ。それは間違いない。すべての絆はアジが一つ一つ作ったものだ。調整もアイツしかしていない。」

「……集める……逃げる。怪物から逃れる」

 

 

 インデックスはブツブツ呟きながら、首飾りを見る。彼女の頭の中にある、無数の術式と見比べ、そして解析を進めていく。首飾りに込められた逃れるという術式は、そもそも蛇や翼などの象徴(イコン)を偶像崇拝の理論に当てはめて発動している。本物に似ているものを創ることで、本物の力を少しだけ使えるのが偶像崇拝の理論を応用した術式だ。彼女の頭の中では、そうした術式の説明、概要が現れては消えていく。

 

 

 建宮たちもプロの魔術師だ。それどころか長い歴史をもつ天草式の知識は他の結社を凌駕している。そんな彼らでさえ、アジを救い出す糸口すら掴むことができなかった。

 しかし、彼女の脳に保管されている10万3000冊の魔導書は、彼らにすら辿りつくことのできない理論をいくつも内包していた。

 そんな魔の知識の中を総動員して、インデックスはある結論に辿りつく。

 

 

「もしかしたら……できるかもしれない」

 インデックスは建宮を見る。その瞳には力が宿っていた。自身の中にある知識に裏付けされた自信による、確信めいた瞳だ。

 

 

                 ○○○○○○○○○○

 

 

「アアアアアアァァァアア!!!!」

 アジは喜びで吠え、そして後悔で唸っている。

 喜びは単純である。ようやくあの上条さんに出会えたからだ。昨日は結局、あの入れ墨科学者のせいで上条さんの元へ帰ることができなかった。ようやく出会えたこのチャンスを逃す手はない。このまま上条さんを、海にいる自分の本体へ連れていき魔術を消してしまおう。そうすれば天草式のみんなも、自分のことに気付くだろう。

 

 

 しかし、同時にアジは自らの行いを酷く後悔していた。なんとこれから助けてもらおうとしている上条に対して二度も攻撃をしてしまったからだ。消す力という、おそらくは学園都市でも有数の能力者であろう上条。そんな彼が、まさか怪我などするはずもないがそれでも攻撃してしまったという無礼は中々許されるものではないだろう。だからこそアジはとっととこの拘束から抜け出して、上条に謝らなくてはいけないのだ。先ほどは仲間たちが、自分を拘束したために、できなかったが、今度こそはきちんと謝罪をしなくてはいけない。

 

 

 だから早く、早く。

 ここから抜け出さなくては!

 しかし、そうした前向きな決意すらも現在の体で意思表示すれば、

「グルゥゥゥラァァアアアアア!!!」

 咆哮として現れてしまうのは明白であった。

 

 

 人間ならば、ウザい酔っ払いの奇声。しかし、怪物アジのその行為はまさに悪夢。見る者が見れば、封じられた恨みを爆発させる怪物にしか見えないのである。

今や、酔いと激しい動きによる興奮によってアジの思考はかなり単純なものになってしまっている。

 

 

 先ほど、なぜこれほどまでに悲しく、イラついていたのかさえアジは思い出すことができないほどの、へべれけ状態である。

 彼は何とか動こうと、体をよじらせるがそのたびにワイヤーが体にめり込んでいくものだけだった。アジの体は数十のワイヤーによって完全に拘束されている。金属製のワイヤーは、天草式秘伝の術式によってより強固なものだ。ちょっとやそっとでは抜け出すことなどできるわけもない。だが酩酊アジは構いもせずに無理やりに動こうとしてしまう。

 

 

 みンナ!!ほどいテェ!

 アジの言葉を理解できるものなど、ここにはいない。天草式も上条も、インデックスの話に聞き入っているからだ。憐れアジは放置であった。

 

 

 アジはギョロリと瞳を動かして、なんとか逃れるヒントになるものを探す。

破壊された電灯、破壊された自販機、破壊されたベンチ、破壊された道路。全く役に立ちそうになかった。まだ何かあるはずだと、何か何か。

 

 

 そこでふと、アジの視界に見慣れぬものがあった。

それは空に浮かぶ黒い影。カラスや雀にしては大きすぎるそれは、徐々にアジの元へ近づいていた。幾つかの触腕に膜を張った異形の翼、龍のような頭部と蛇のような尾。まるっきり怪物の姿をした何かが、ものすごい勢いでアジの近くに落下した。

 

 

 その衝撃に、ワイヤーを固定していた道路そのものが破壊される。緩んだそのすきにアジは体を歪に膨張させて抜け出す。アジは驚きの声を上げた。眼前の怪物にアジは見覚えがあった。それは少し前に、アジ本体が射出した分裂体の一つであった。思いもよらない魔術結社の攻撃によってパスが途切れていた個体である。懐かしき体の一部との再会にアジが喜びを表そうとした瞬間、バクリ。

 

 

 アジはあっけにとられて目の前のもう一つの分裂体。わかりづらいのでアジBとするが、Bはアジの体に噛みついた。アジにとって知る由もないことだが、Bはすでに神裂との邂逅を果たしており、聖人の一撃を喰らっていた。そしてアジとは違い魔力や食欲を満たす方法を持たず、聖人と死の追いかけっこを繰り広げてきたのである。

 

 

 分裂したアジの行動パターンは非常に単純である。

 喰らい続けて本体へ帰ることだ。

 Bにとってパスとつながっている本体以外は全てエサである。アジは喰われた衝撃に咆哮を上げ、その場を逃げ出す。まさか自分の肉片に喰われそうになるなど思いもよらなかったからだ。もし、アジが酔っていなかったらBを逆に吸収してしまうこともできただろう。落ち着いて相手を喰らうだけでよいのだから。だが、今の混乱し焦燥するアジには暴れながら逃げることしかできないのである。

 

 

 それはつまり、

「怪物が二体!?」

 上条の大声が響く。

 

 

 本体が全く意図していない事態である。

 怪物アジ、そして怪物Bが学園都市に放たれたのだ。

 




ぶっちゃけ、楽しすぎて風呂敷を広げすぎましたが、なんとか〆に向かっていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
なかなか、定期的に書くことはできず、すいません。


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第36話

感想を書てくださる方々、本当にありがとうございます。
とても嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。


 

 それは土御門が去ってから1時間ほど経過した時だった。

 

 

「あぁ?」

木原数多は猟犬部隊の報告を聞き返す。場所は木原個人所有の研究所。木原は今もなお、アジの肉片たちに拷問の如き実験を続けていた。そんな楽しい楽しい時間に水を差す部下の報告だった。聞き返すのも無理はなかった。

部下によると、現在この研究所の入り口付近に十数人の警備員がおり、突入の準備を進めているとのことだ。

 

 

「なんで?」

木原は部下に詰め寄る。そんなことを聞かれたところで彼には、木原を納得させるだけの理由など持ち合わせていなかった。というよりも、どんな理に適ったことを伝えようとも木原の得心はおそらくは得られないだろう。彼の爛々と光る眼がそれを表している。一言でいうならば、怒りだ。自身の探求を阻害されるという、どうしようもない感情の荒波が彼の中で渦巻いている。

 

 

木原は大きく大きくため息をつき、すぐさま部下の一人を殴りつけた。不気味な音をさせて倒れる男に、木原は一瞥もくれない。彼の前に立ってしまったことが、否彼とかかわりをもってしまったことこそが運の尽きだった。

 

 

「ああ、おい、撤収準備だ。どうせここまでワレちまったんなら、機材もその肉片も放棄するぞ。持っていくには、数が多すぎるしなぁ」

木原の一言に猟犬部隊は迅速に行動を開始した。木原はバタバタと動き回る猟犬部隊に一度、舌打ちをして携帯電話を持つ。そして乱暴に弄ると、液晶に外の様子が映し出された。フル装備の警備員たちが、装甲車に乗り込み研究所へと通じるトンネルへ走り出していた。

 

 

 木原のもつ携帯電話がミシミシと軋んだ。彼は、その優秀な頭脳を用いて考える。なぜ警備員などがココに突入してくるのか。様々な可能性、状況を整理していく木原はふと、ガラスを見る。知性のない瞳で蠢く、少年のような肉片を見る。

 

 

 そこで木原は理解する。あの警備員たちは、この肉片を助けようと動いているのだ。昨晩、化物に近づき、銃撃戦に巻き込まれそうになっている警備員がいた。加えてアレイスターや土御門とかいうガキの話では、この怪物の類似個体と共同生活をしているバカも警備員にいるとのことだ

 

 

 なるほど、であるならばココへ必死こいて向かってくるのも納得できた。猟犬部隊や暗部の隠蔽も完全完璧というわけではない。極々小さなカスのような材料をかき集めて、アイツらはココを突き止めたのだろう。暗部にとって素人はカモだ。だが際限なく頑張っちゃう素人はその逆。自らを省みることもなく、危険を承知で首を突っ込み続ける連中だ。厄介極まりない人種である。

 

 

 クソが、木原は呟く。化物を助けるなどというくだらない理由。おそらくは正義感などという人間の思考のバグのようなものが根底にある。そんなもののせいで自身の実験時間を削がれたことに本当に腹が立っていた。木原のさらなる怒りを感じ取って猟犬部隊の動きがさらに素早くなった。

 

 

 木原が見ている映像には、警備員たちの動きがライブ中継されている。彼らはもう研究所の入り口まで辿り着いていた。あの怪物をはじき飛ばした現場の近くにある、トンネルに偽装した搬入用の入り口だった。

 

 

 木原は意識を切り替えていく。幸い逃げるのは難しくない。敵対組織の潜入があった場合を考え、当然のように逃走経路はいくつも用意していた。しかし、猟犬部隊の装備は、研究所ということもありそのほとんどが近くのワゴンに投げ入れてしまっている。そのため警備員全員をブチ殺すことは難しい。だがそれでも彼らは防弾チョッキは着ているのだ。弾避けとしてあらば有用だ。それにと、木原はポケットに突っ込んでいた手榴弾を触る。木原は目を細めて一度笑うが、すぐにギョロリと扉を睨みつけた。足音がすぐそばまで聞こえてきていた。

 

 

 

                  ○○○○○○

 

 

 黄泉川たちは、警備員たちへ支給されているハンドガンを構えながら扉の前にいた。当然ながら実弾ではなく特殊強化ゴム弾が装填されている。ゴム弾と言えどのその威力は申し分なく、当たり所が悪ければ死傷させることもある危険な代物だ。そんなものを装備しているこの状況が、彼らの覚悟を示している。

 

 

 黄泉川がドアを睨みつけていると、ポケットに入れていた携帯電話が震えた。表示されているのはカエル顔の医師だった。すぐさま出たくなるが、この状況で話すことは難しい。黄泉川は後で必ずかけなおすと、ここにいない医師へ謝罪し携帯電話の電源をオフにしてしまう。

 

 

「ここに」

 黄泉川が携帯電話をしまい直すと、鉄装が誰に向けたか呟いた。黄泉川はそれに「ああ」と返す。この先に、何かがあるのは明白だった。巧妙に隠蔽されていた道路がそれを示している。加えて移動途中に見つけた消し残された血痕。誰の血なのか、考えたくもなかった。

 

 

 黄泉川たちは目配せを行い、扉を開く。続けて流れるように素早く中に入ると、構えをとる。無駄を省いた、経験者がなせる技だった。

「警備員じゃん!手を上にあげて、その場から動くな!」

 黄泉川の怒号が響く。見えてきたのは広い通路のような場所だった。左右はガラス張りになっており、何か水族館のようにも思える。奥には銃をもつ黒い装備の男たち、そして顔に入れ墨をいれた白衣の男がいる。

 入れ墨の男は、こちらを見て舌打ちをしため息をついている。まるでこちらを何とも思っていないかのような態度だった。

 

 

「聞こえなかったのか!?さっさと手を上げろ!」

再びの勧告を受けても、黒装備の集団も白衣の男も反応しない。

黄泉川が警告として天井に向けて発砲する。ゴム弾が鈍い音を立てた。天井を歪ませたゴム弾だったが、そのままめり込むことはなく、落下。

ころころと転がり、

一枚のガラスの近くへ。

 

 

バゴン

 

 

 ガラスケースから音がした、警備員の一人が、そちらを見た。

 彼が息を飲むのがわかった。黄泉川はそちらを見る。見てしまう。そこには蠢く何かがあった。タコやイカのような触腕を振り回すナニカだ。黄泉川はその触腕に見覚えがあった。触腕がガラスをまた叩いた。外へ出ようともがくように。

 

 

 黄泉川が視線を動かす。

 隣のガラスには赤黒いスライムのようなものが身を震わせていた。

 その向かいには蛇のような生き物が力なくぐったりとしている、

 そしてその隣には、

 さらには、

 くわえて……

  徐々に黄泉川の息が荒くなっていく。ハンドガンをもつ手が震えていた。

 

 

バガン

 

 

 今度は黄泉川に近いガラスが揺れる。もう見るなと、どこかで聞こえる気がした。彼女は顔を動かして、そのガラスも見てしまった。向こうにいるのはモゾモゾと動く小さな影。腹ばいになる子供のようなソレの背や脚に当たる部分は、人間ではない。代わりに魚や蛇の尾のようなものがいくつか生えていた。ソレは口を動かしている。言葉ではなく、不鮮明な音だった。彼女は幻視する。あまりにも似ているソレは、彼女の心に噛みついた。

 

 

「お前か」

 黄泉川は呟いた。その言葉はじわりじわりと胸に広がった。肺が重くなり、腹の中に鉛が流し込まれたような倦怠感と、脳の奥で火花が散るような怒りが彼女を貫いた。

「お前かッ!!!」

 彼女は爆発した。

 

 

 気付いた時には発砲していた。近距離で撃てばプロボクサー以上の威力のある塊が、一人に命中する。グッと苦し気に呻く彼だが、倒れることはなかった。

彼女は、彼女たちは確信する。これまで探っても見つけることができなかった研究施設、そしてアジを苦しめ続けている存在。その正体が目の前にあるのだと。黒幕、これまで何度も探し出そうとしても尻尾すらつかめなかった存在。それがあの男たちなのだ。でなければ、これほどの施設とこれだけの被害者がいるわけがないのだから。

 

 

 仲間の一人が撃たれたことで、初めて白衣の男は意外そうな顔をした。

「へぇ~撃てんのか」

 神経を逆なでするかのような声だった。黄泉川の感情がさらに荒波を立てる。他の警備員もそれは同じようで、熱気のようなものが部屋に充満していくのが分かった。

 

 

「お前が、こんなことをしやがったのか!?」

 黄泉川は考えなしに叫んでいた。

 その様子に、白衣の男は何でもないかのように返す。

「そうだよ」

「なんで、こんな」

「はぁ?」

 白衣の男は言う。

「そんなもん、面白そうだからに決まってんだろ?」

 

 

 今度はその場の警備員全員が一度震え、そして全員が発砲した。白衣の男はケタケタと笑うと、手で黒装備の男を押す。それだけで彼らは生ける壁となってしまった。彼らは呻き声と悲鳴を上げていた。徐々に動きを鈍くする彼らを見て、黄泉川達は撃つのをやめる。怒りは収まらないが、それでも生きてもらわなくてはいけない。

 

 

 温情ではない。生きていなければこの研究のことを聞き出すことができないからだ。研究の内容を知ることができれば、アジの体について様々なデータが手に入るだろう。その上で、コイツらを裁くのは法でなくてはならない。警備員たちはあくまでも一市民だ。私刑など、認めるわけにはいかなかった。

 

 

 男たちが倒れたのと同時に白衣の男が動いていた。彼は何かを一人の男に乱暴に渡し、そして背中を蹴りつけた。男は先ほどの銃撃で倒れている彼らに足を取られバランスを崩していた。男が持たされたものがチラリと見える。

 

 

 黄泉川の喉が干上がった。

 それはピンの抜かれた手榴弾だった。黄泉川は構えろと叫んだ。訓練の賜物か、瞬時に背負っていた強化プラスチックの盾を持つ警備員たち。時間が引き延ばされる感覚を黄泉川が味わっていると、手榴弾が爆発する。爆炎と、そして何かが吹き飛んできた。

 

 

 轟音と衝撃と熱波が警備員たちを襲った。

 少なくない噴煙が充満したが、頑強な研究施設は崩壊しなかった。左右のガラスにはヒビが入ったものの砕かれておらず、天井も崩壊していない。憎々しいことだが、それは白衣の男の仕業に違いなかった。あの笑みはもろとも自爆という感情はなかった。安心感のある笑みだった。ギリギリの威力に調整し、そして部下であろう男に持たせて起爆させることで警備員たちの視界を防いだのだ。

 

 

 「無事か!?」

 常人であれば恐怖と驚愕のあまり固まり続けているはずの状況。だがその中においても、黄泉川たちはすぐさま動き出す。それは正義感と興奮がもたらすアドレナリンによるものだ。黄泉川は何かの破片でこめかみを切ったのか、少なくない血が流れている。

 結論からいって、警備員たちは無事だった。黄泉川のように怪我を負ったものが大半だが、それでも動くのに支障はない。

最も被害があったのは彼らではなかった。

 

 

 警備員たちが視線を落とす前方に、焼け爛れた何かが転がっている。

 爆炎を近距離でモロに受けた男たちは、その原型をとどめていなかった。黄泉川は歯噛みする。彼らは一応、同じ組織に所属しているはずだ。それをいとも簡単に切り捨てたのだ。外道。その言葉すら生温い。男たちだったものたちのずっと先に、光る扉が見えた。形状からしてエレベーター。それに乗るあの男と残った数人の部下たち。男の軽薄な表情が、扉がしまったことで消失する。

 

 

 黄泉川たちはすぐさま発砲を再開したものの、扉をへこませただけだった。

「クソが!!」

 警備員の一人が叫んだ。このまま逃がすわけにはいかない。警備員たちは、潜入のために電源を切っていた通信機器を手に持つ。スイッチを押し再起動して、応援を要請しようと支部へ連絡を入れる。だが、こちらが何かを話す前に、聞こえてきたのは怒声だった。

 

 

『お前ら、今まで何をやってたんだ!?』

 焦燥するのは他地区を担当する警備員。普段の温厚な人柄が感じられないほどの怒号が聞こえてきた。他の警備員たちの通信機器も一斉に、同僚たちの大声を彼らに送り届ける。彼らは口を揃えて話す。第七学区で化物が二体、大暴れしていると。

 

 

「いったいどういうことじゃん!?」

『こっちが聞きたいくらいだ。ついさっき大量の通報があったんだ。化物が争いながら街中を暴走してるって、今は警備員と風紀委員で対応しているが、手が足りない!至急戻ってきてくれ!』

「こっちもこっちで立て込んでる!」

 黄泉川が言い合っていると、ピシリという音がした。その場の全員が悪寒を覚えた。見やるとそれは左右に張られているガラスが壊れゆく音だった。ガラスの向こうにいるナニカがそれに勢いよくぶつかった。遂にそれを閉じ込めていたガラスが粉砕した。

 

 

 それを皮切りに、ガシャンガシャンと連続でガラスが壊れる音が黄泉川たちの耳をつんざいた。ハンドガンを構えながら鉄装は目を見開く。ガラスから這い出てきたのは先ほども見ていた赤黒いスライム、触腕を生やす獣のようなモノ、蛇のようなモノ、そしてよく知る少年のようなモノだった。

 

 

 そのうちの一体が、金切り声を上げる。するとそれに連鎖するように口があるものは叫び、ないものは床や壁を叩き鈍い音を出した。その様子に黄泉川たちは対話は不可能と悟り、すぐさま出口を目指して駆け出した。転がるように状況は悪化している。

 

 

               ○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 学園都市の至るところにはドラム缶のような形の警備ロボットがいる。清掃から迷子への対応、避難誘導など様々な機能を備えた最新鋭の機械だ。そんな警備ロボットがランプを赤く光らせ、けたたましい警告音を上げている。

≪ここから離れてください、避難してください≫

 

 

 ココは学園都市、第七学区の一角。他の学区へとつながる高速道路へとつながる大通りだ。そこへいくつもの警備ロボットが集まり、音声を再生している。地鳴りのような音が遠くで聞こえた。噴煙が上がり、何かの爆発音が響いた。その中でも警備ロボットは職務を全うしようと音声を再生し続ける。

 

 

≪ここから離れてください、避難して――≫

 再生は途中で途切れてしまう。巨大なナニカがぶつかったのだ。全長は、頭部の鼻先から尾の先まで入れて15mにもなった。背にはサメのような背びれが並び、いくつかの触腕が揺れている。頭部は獣と龍と鮫を混ぜたような、恐ろしいものだった。怪物だ。化物だ。そうとしか表現できないものが、四足で駆けぬけた。

 

 

 それも一体ではない。四足で駆けた怪物を追うように、宙から落下した怪物。こちらは先を駆ける怪物に比べるとやや小柄で、頭部には歪な角や棘がいくつも生えている。怪物たちは悲鳴を上げながら、学園都市を突き進む。

 

 

 アジは時折ぶつかる車両や警備ロボットを無視して走った。アジの分裂体であるBも、多彩な変身が可能だった。丸太のような太さの触腕はしなやかに振るわれ、その質量がもたらす威力は絶大だった。Bが跳ね回り移動するだけで街中のあらゆるものが半壊していった。

 

 

 Bが追い続けるアジも似たようなものだった。逃げることに特化しようが、元来の質量は桁違い。走り、何かにぶつかるだけでも危険である。もし人に当たろうものなら、どうなるか考えたくもなかった。

 

 

 再びBはいくつかの触腕を伸ばしてアジを捕えようとする。アジは跳躍し、建物に貼り付くことでそれを回避。そのまま壁沿いを駆け、窓ガラスや壁面を粉砕しながら唸り声をあげた。

 

 

「きゃあああ!」

 不運にも、大通りに面したビルの一階に人影があった。アジのまき散らしたガラス片に、夏の終わりを謳歌していた学生が叫び声を上げた。それにBは気づく。のそりとその学生へと近づき大口を開けながら触腕を伸ばした。Bの現在抱える魔力の枯渇感と飢餓感は想像を絶する。動くものは全てエサでしかない。悪夢のような光景にその学生は逃げ出せない。恐怖で腰が抜け、地面にべたんと尻もちをついた。その隙をBは逃さない。Bは極めて迅速に触腕で学生を捕えることに成功、そのまま喰らおうとする。

 

 

 だが、それは叶わない。

 Bを襲ったのは赤黒い炎。アジが放った放射魔炎だ。Bの触腕は千切れ、学生は解放される。アジはBへ突進し、反撃を受ける前に再び跳躍した。

アジの思考は、未だに混乱の極致だった。いらぬ破壊を防げず、逃げるためになりふり構わずにいた。だが、それでも一般人が傷つくのは良くないことぐらいはわかった。だからBが誰かを襲おうとした時には、必死で止めようと動いた。しかしその行為の結果が被害を拡大し続けているのも事実だった。

 

 

 怪物の体を持つ、二体が這いずり駆けまわるだけであらゆるものが破壊されていく。

 その上、アジの行動を善意として受け入れる者は皆無だ。アジの今の姿を見れば無理もないことだった。人間体であれば、住民や警備員たちの誤解を解くことができたかもしれないが、今はただ怪物同士の殺し合いに人が巻き込まれているようにしか見えない。

 助かった学生が地面に倒れる。千切れた触腕はまるで蛇のようにBの体に取りつき、欠損部分を補った。

 

 

 着地したアジは高速道路の入り口にいた。アジは追ってくるBを見た。その棘や角がもたらす狂相にアジは身震いし、つたない思考を最大限使い逃げおおせる方法を考えていく。

(下は物がこわれルシ、いったいどこに逃げレバ)

 そこまで考えてアジの視界にキラリと光が映り込む。見てみるとそれは反射した陽光だ。アジのいる場所から200m以上離れた建物の屋上に、ヘルメットや防弾チョッキで身を固めた人影が見える。そのヘルメットに太陽が反射したのだ。アジは思わずそちらを向いて大声を上げた。つい昨日の騒動から、機動隊のような恰好は好きではないアジ。

 

 

 彼はその人影にまるで威嚇するように吠えてしまう。もっとも彼の心情としてはヤバイ、スイマセンと言った感じである。アジが遠くの人影に気を取られていると、遂にBはアジへと急接近。その顎で再びアジに喰らいつこうとする。

 

 

 迂闊なアジは思わず左腕を構える。ガジリと牙が食い込み、Bの触腕がアジの足を絡めた。巨体はバランスを崩し転倒。地が揺れた。好機とみたBはさらに残った触腕をアジに絡めていく。烏賊や蛸に似た触腕についた吸盤、それら一つ一つに牙や舌、口を形成していく。全身を食いつぶされそうな痛みと恐怖がアジを襲った。

 

 

(イタイイタイ!!!!?)

 アジはたまらず本能的に放射魔炎を吐き出す。Bの顔を焦がすものの放射魔炎は直撃しなかった。避けられた破壊の塊はそのまま建物を抜けて、青空へ消えていった。アジはそこで気づく。そウダ、空ダ。思い立ったのなら彼の動きは速い。

 

 

 変異の速度には経験によってアジに利があった。アジはBの頭部へ触腕を叩きつける。その衝撃にBは噛みつきと魔力の吸収を中断。抉られた肉片の痛みに耐えたアジは全身を細長い蛇のように変化。肉が千切れるのを無視して、Bの拘束を無理やり抜ける。

 

 

 痛みに顔を歪ませたアジだが、すぐさま変異。

 複数の触腕の間に膜を張り翼へ、頭部には曲がり角。

 その姿はこれまでよりもずっと龍に近くなった。アジは飛翔する。彼は形を細長くしたことで、まさに泳ぐように舞い上がることができた。ただBから離れるために全速力で空へ逃げ出しただけだったが、風を受けることでアジは少しだけ落ち着きを取り戻すことに成功する。

 

 

 アジは長い体を翻して、Bの様子をうかがった。あれはあのままにしていては危険だ。元は自分の分裂体である。互いに吸収し合えるのだから、こちらが主導権をもって行動すれば問題はないはずだ。Bはアジから奪った肉片と魔力を吸収、全身を一度震えさせて空を舞うアジを見ていた。

 

 

 Bはアジと同じように触腕で翼を形成するが、変体はアジには及ばない。追いかけてくるその速度はアジに比べると遅かった。アジはそれを好機と捉え、分裂体を吸収しようと旋回する。今度はアジの攻撃のターンだった。アジが空中から数発放射魔炎を放っていく。落下し、体を砕くB。敵わないと考えたのかBは大きく跳躍した。逃がすものかと、アジはBを追いかけ、何度も放射魔炎を吐き続ける。

 

 

 Bに命中するものは問題なかった。しかし、外れたものはどうだろうか。道路を砕き、街灯を破壊し、車両を破壊してしまう。アジはそれこそ必死に周囲のためにBを追い詰めようとしていたが、彼らの闘争劇に対して人々が何を思うのか。それをアジは冷静になって考えなくてはいけなかった。先ほど、アジが大声を上げていたフル装備の男たちが、連絡を取り合っている。

 

 

 

 

 

 

 

 怪物が二体暴れている。アレは人間のことを鑑みていない。本部の情報データにはあのようなことができる能力者はいない。であるならば、結論は一つだった。警備員は子供を守るための組織だ。彼らは子供を守るためならば容赦しない。全武装をもって怪物を排除するために、警備員は動き始めた。

 



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第37話

遅くなり申し訳ございません。
よろしくお願いいたします。


 

 突入のために用意した装甲車は4台あった。装甲車は外部からの衝撃に強い反面、出入口は重い。警備員たちは渾身の力を込めてドアを開いて体を車内に滑り込ませる。黄泉川が乗り込んだのは助手席。装備している防弾チョッキや銃器が体に擦れて痛むが、気にしてはいられない。

 

 

「急げ!早くしろ!!」

 誰か車内で叫んでいた。運転席に座った警備員は慌ててキーを回す。エンジンが唸り、装甲車は急発進した。あわや仲間の車両に激突しそうになりながらも、四台はトンネルの出口に向かって走りだす。アクセルをベタ踏みにして、速度をどんどん上げていく装甲車。

それでも後方から聞こえてくる不気味な音からは、未だに逃げ出せていない。

 

 

 

 黄泉川は助手席の窓を全開にして、乗り出すように後方を見やる。おぞましい音がトンネルで反響していた。人の出せるものではなかった。のたうちながら追いかけてくる赤黒いスライムのようなもの、いくつもの脚が生えた鮫のようなもの、そして背から伸ばした触腕を使って這いずる少年。そのどれもが口や不可思議な穴を持ち、悲鳴を上げている。黄泉川をはじめ警備員たちには、それが怨嗟の声に聞こえていた。

 

 

 

 装甲車へ追いすがろうと蠢く彼らを見て黄泉川は歯を食いしばる。恐るべき速度だった。今は逃げるほかなかった。助けにきておいて、逃げるしかないのだ。

彼女の腹の底に烈火のごとき激情がたまっていった。自身に対する不甲斐なさと、彼らをこんな目に遭わせた入れ墨の男に対する怒りだった。

 

 

 

「クソッ!」

 黄泉川は車体を右手で殴りつけた。叩きつけた右手が痛んだ。黄泉川は這いずる少年の姿を見る。やはりアジに瓜二つだ。昨日の少年も、後ろにいる子も同一の技術が生み出した存在なのだろう。非人道的な科学が生み出した被害者。それも科学の進歩だとか、目的があってのものではない。あの入れ墨の男は言った。面白そうだからやったのだと。

なんだそれは。黄泉川は再び車体を殴りつけた。

 

 

「黄泉川さん!」

 怒れる彼女の耳に声が届いた。鉄装は通信機を片手に再び通信があったことを知らせた。通信機から、先ほどの同僚の声が聞こえてきた。

 

 

 

 今、地上は大混乱だという。出自不明の怪物が二体、暴れまわりながら移動を続けている。当初は暴走能力者の犯行かと思われたが、本部の情報データにはそのような能力は記録されていないため、警備員はこれを『学園都市外部からの襲撃』と断定。ゆえに警備員たちは子供たちの安全を守るために、武力をもってコレを排除するために動き出している。すでに武装の準備も終えているという。

 

 

 

 データにない能力、怪物。それが何を示しているのか。答えは一つしかなかった。

『お前たちも早くこちらの――』

「待ってください!それは化物じゃありません!!おそらく彼らは被害者です!!」

『………なんだって?』

 鉄装は叫ぶように同僚の言葉を断ち切ると、黄泉川と共に、これまでの顛末を説明していった。黒幕と邂逅したこと、そして現在の状態を踏まえ、もはやアジという秘匿情報の洩れなどを気にしていられなかった。もはや猶予はないのだと黄泉川たちは悟った。幸いにして通信先の同僚も知らぬ仲ではない。こちらの話を信じてくれるはずだ。加えて、黄泉川は懇願するように言った。その作戦はやめてくれと、他の方法を模索すべきだと。

怪物と呼ばれているその『二人』も、守るべき子どもなのだと。

 

 

 

『すまない、この作戦はすでに開始されているんだ。』同僚は苦しそうに説明した。

 

 

 怪物たちは都市部を抜け、第21学区の山岳部に向かった。21学区に居住地域はほぼなく研究施設もまばら。そのため警備員たちは今が攻撃のチャンスだと判断。もう数分としないうちに三機の六枚羽と十数の駆動鎧が怪物を捕捉するとのことだった。

 

 

 六枚羽、その性能は警備員なら誰もが知っている。あれは暴徒鎮圧などでは使わない。武装は全て殺傷を目的とする正真正銘の兵器だ。駆動鎧にしても同様だ。十数という出撃数は尋常ではない。

 

 

 加えて黄泉川は聞き逃せない言葉を聞いた。第21学区に怪物たちは向かっている。それはまさしく自分たちが突入したこの学区に他ならない。

 

 

 「どうする、どうすれば」

 黄泉川は思わず呟くが、当然答えなど返ってくるはずもなかった。爆走する装甲車は間もなくトンネルの出口を駆け抜けた。陽光が目をくらませるが気にしていられない。トンネルの暗がりから抜け出しても、後方を追いすがる『彼ら』は依然として興奮状態のままだ。いったいどこまで車を走らせればよいのか、誰にもわからなかった。

 

 しかし、その逃走劇は突如として終わりを迎える。

 

「あ、あれは」

 黄泉川の隣、運転席から呻き声が聞こえた。

 少し先にあるものを見つけて顔をこわばらせている。

 

 

 それは黒く、巨大な影。サメのような頭部と、異形の四肢をもった不確かな影。通信口からは聞かされていた怪物。その一体だ。

 

 

 黄泉川は何かを叫んだ。

 装甲車はそれぞれハンドルを切った。

 舗装された山肌に突っ込む車体、ブレーキに耐えきれずに横転する車体、そして黄泉川たちの乗る装甲車の回避は間に合わず影に衝突した。

 

 

 

 

 

 

 

 全身を殴打されたような衝撃が黄泉川を襲った。車体から投げ出された体は痛めつけられ、息ができない。それでも彼女は懸命に、這うようにして体を動かす。

酷い有様だった。近くには鉄装を含む同僚たちが倒れている。

 

 そして近くにいる巨体。異形の存在は、装甲車との衝突によって体をひしゃげさせてしまっている。それでも「それ」は絶命していない。体を不気味に震わせて砕かれた体を再生させていった。体が十全でないのにも関わらず、その巨体から伸びる触腕があった。

 

 

 先端だけでなくあらゆるところに不気味な口がある異形なる触手、それが黄泉川の前に突き出される。不揃いな牙が粘液に濡れている。人間の肌など、容易く喰い破るだろうその触腕が黄泉川に覆いかぶさった。肌が燃えるかと思った。こめかみから流れている血、その傷口から体中の肉がすべて吸い尽くされそうな不快感が走った。ただでさえ意識がもうろうとする中、黄泉川は懸命に逃れようと足掻いた。

この怪物に喰われるわけにはいかない。

「この子」を怪物にさせてなるものか。

 

 

 

 黄泉川が声ならぬ叫びを上げると、のしかかる重量が消えた。触腕はいつの間にか黄泉川の遥か上へ移動している。いや、そうではない。あの異形の触腕は強引に千切り飛ばされていた。数秒、宙にくねらせていた触腕は落下する。黄泉川がそれを目で追っていると、陽光を遮る影。眼前に現れたのは、これまた巨体だった。

 

 

 長い体と短いながら強靭な四肢、雄々しき角を生やした正しく龍神ともいえる姿。

龍神は咆哮する。瞳をギラギラと七色に輝かせながら、黄泉川を守るように躍り出た。その輝きを見て黄泉川は気づく。

 

 

「ア、アジ!?」

  

 黄泉川は驚愕する。自身が守られたことをまるで喜べなかった。ここにアジがいるということ自体が最悪だと感じた。話に聞いた暴れまわる怪物。そのうちの一体がもしアジであったとしたら、もし学園都市がアジを敵として排除しようとしているとしたら。兵器が彼に牙をむくことになってしまう。

 

 

 黄泉川の悲壮な考えを強引に遮断するように不気味な音が鳴った。肉が蠢き、グチャグチャと形を変えていく音だ。

 体の再生を続ける怪物は幾重もの触腕を黄泉川に伸ばす。アジはそれに喰らいつき、腕を振るい、尾を薙いで、それらを切り裂いた。怪物達は唸り声をあげながらぶつかりあっていく。アジは、黄泉川をかばうために巨体を軋ませた。

 

 

 アジの口内が赤黒く輝き、黒炎が放たれた。その熱量に黄泉川は目を背ける。肉が焼ける臭いとともに、怪物からは煙が立ちのぼる。それを好機と見たのかアジは、その長い体を怪物に巻き付かせた。蛇が獲物をしとめるように、ゴリゴリと肉をつぶしながら怪物を締め上げていく。そしてその勢いを殺さず、アジは巨大な顎で怪物に喰らいついた。

 

 

 アジの眼が強く輝くと、怪物は不気味に体を震わせる。体が徐々に軋み、縮んでいく。黄泉川はそこで理解する。アジは怪物をまさしく喰らっているのだ。

 黄泉川はやめてくれと叫びたくなった。

 

 

 怪物はアジのクローンである可能性もあった。そうでなくとも出生は同じだろう。二人とも被害者なのだ。そんな彼らが喰い合うことは悲劇だった。

「アジッ.........!」

 黄泉川は力の限り声を上げるが、アジには届かない。

 アジの顎がどんどん怪物の首を砕いていく。間もなく喉笛は裂かれ、怪物は絶命するように思われた。

 

 

 ぐちょり。

 

 身の毛もよだつ音がした。アジがとうとう怪物の首を喰い千切った、というわけではなかった。アジの頭部に何かがのっかっている。赤黒いスライムのようなナニカだった。スライムはこれまた不気味な牙を全身に生やして、アジの頭部に喰らいついた。ゴリンと、骨が軋む鈍い音がしてアジは咆哮する。

 

 

 耳をつんざく音撃に耐えながら黄泉川は見る。続々と得体のしれない者たちが、怪物同士の闘争に割って入っていった。トンネルの奥底から、様々なモノたちが次々と殺到しているのを黄泉川は目撃した。

 

 

 アジは再び叫び、一時喰らいつくのを止め、体をよじってそれらを吹き飛ばし、爪で裂き撃退していく。悶えるアジの真横にいる黄泉川の体にもいくつかの肉塊が襲いかかった。蛇のような、虫のようなそれらはビッシリと生えた牙を剥き出しにして殺到する。

 

 

 すんでのところでアジの長い尾が伸びて、肉塊たちの猛攻を防いだ。しかし、その肉塊たちはこれ幸いという様子で、アジの尾や体に牙を立てる。蟻が獲物を集団で襲い掛かるように、アジの巨体の肉をこそぎとろうとしている。

 

 

 アジが肉塊たちの対応に追われる中、捕らえられていた怪物はアジの拘束から抜け出した。怪物もアジ同様に襲われていたが、アジよりも一枚上手だった。

 

 

 触腕を伸ばして、怪物は逆に襲い掛かってきた者たちを呑み込み、吸収していく。アジが黄泉川や他の倒れている者たちを救わんと暴れまわるのを尻目に怪物は、乱入者たちをバリバリと喰った。瀕死であった怪物の体は喰らった肉の質量からはあり得ないほど、みるみるうちに大きくなっていった。

 

 

 もはや獣の様相はなくなっている。

 数多くの肉を取り込んだことで不揃いに膨れた肉塊は、まさしく蛸のようだった。マグマが冷え固まった黒くゴツゴツとした質感に、赤い稲妻のような線の走った巨体が脈動している。気づけばアジと怪物蛸との体格差は逆転している。見上げるほどに大きくなった怪物蛸は、あらかた乱入者を喰らいつくしたようで、満足したように地鳴りのような音を鳴らした。

 

 

 黄泉川はあまりに巨大化したその怪物に息を飲んだ。その威圧感にではない、その怪物が何を狙っているかわかったからだ。未だに不甲斐ない警備員たちを肉塊から護るアジに影がさした。

 

 

 もはや大木だ。怪物から伸びる触腕の一つ一つは、アジの体に匹敵した。アジは肉薄する触腕をすんでのところで避ける。標的を失った触腕は巨大さに比例して愚鈍。けれども威力は計り知れない。振り回された触腕はそのまま森林を破壊し、大地を砕いていく。

 

 

 アジは逃げ続けたものの、怪物の生み出す触腕の数に徐々に追い詰められていき、とうとう捕らえられてしまった。アジは悲壮に吠え、狂ったように魔炎を噴き出した。頭部がただれ口が裂けるほど、何度も何度も攻撃を続けるが、怪物の幾重ものうねる肉がアジを飲み込もうとしていく。

 

 

 黄泉川は叫ぶ。いや、きっと声すら出ていないのかもしれない。けれども吠えずにはいられなかった。

 誰か、誰でも、お願いだ、助けてくれ。

 黄泉川は縋った。現実は無情だ。そもそも近くには誰もいない。いや、たとえ能力者や同じ警備員がいたとしても怪物を食い止めることなどできるわけもない。そんな簡単なことすら想像できないほど黄泉川の思考は低下していた。徐々に意識ももうろうとしてきている。彼女の願いは怪物の脈動する肉の音に消えていくだろう。

 

その刹那。

甲高い音が鼓膜を震わせる。

 

一閃。

怪物の触腕が、「切断」されていた。

 

 絡みつかれていたアジは重力に任せて落下、アジの巨体が地に着く前にさらに瞬く煌きが見えたかと思うと、怪物の体が切り裂かれていく。

 

 

 気絶する直前に黄泉川が見たものは、一人の女性。長いポニーテールと体を強調するようなファッション、そして手に持った2メートルはあろうかという太刀をもった姿だった。

 

 

 




本当に遅くなりました。
頑張りますので、よろしくお願いします。


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第38話

 

 

 山道を駆け抜け、科学の城壁を超えた先に見えてきたのは、学園都市に似つかわしくない魔の怪物だった。神裂は速やかにその怪物に七閃を放った。聖人たる彼女の一撃は怪物の体を容易く切り裂いた。怪物は不気味に体を蠢かせ、再び体の肉を変化させようと試みる。

 

しかし、

 

 

「遅いです」

 神裂の腕が一瞬ぶれると、巨体は静止した。

 怪物の体が真ん中からズレた。数十メートルはある怪物はまさに両断される。左右に分かれた肉塊はゆっくりと倒れた。大地を揺らして沈黙した怪物を見て神裂は小さく息を吐いた。

 

 

 神裂は倒れている人々を、人外染みた眼や耳で観察していく。小さいが呼吸をしているのを確認し安堵する。これほどの惨状でありながら幸いにして死者はいないようだった。

 科学が支配する街でまず目にすることのない魔術を見て、神裂は自身が感じている恐ろしき予感を再確認した。

 

 

 神裂は嫌な考えを追い出すように頭を振って、すぐさま人払いの術式を唱えた。このおぞましき肉塊を調べる必要がありそうだった。

 

 

 神裂が巨体に触れようとするところで、彼女は背後に蠢く気配を感じ取った。

 龍神に蛸のような触腕が喰らいついた姿。アレも魔術の生み出した怪物に間違いなかった。その龍はひどく興奮した様子で、体を翻すと一人の倒れている女性に肉薄した。

 

 

 

「七閃」

 神裂は怪物が人を喰らおうとしていると判断。龍の体は中心から裂かれるが、しぶとく女性に近づこうとしている。神裂は少々焦り、怪物と女性の間に割って入ると手に持つ七天七刀で怪物を切り裂いた。もはや顔だけになった龍はそれでも女性に近づこうとする。どういった魔術でどのような性質なのか、神裂にはまだ理解できていない。

 

 

 龍の頭部を神裂は七天七刀の鞘で押さえつけた。するとなぜか龍はその眼を一度大きくさせ、徐々に力を抜いていく。まるで安堵したかのような、不可思議な仕草だった。力の抜けた龍の頭部は少しずつ変化していった。

 

 

 突如、神裂の鼓動が速くなった。冷や汗すら流れ始めている。息苦しくなった。それは予感だ。今、この龍を見続けてはいけない。そう彼女の聖人所以の未来予知のごとき感覚。戦場で何度も命を拾ってきた、自身を守ってきたその感覚が、神裂の脳内で警告している。

 

 

 見るな。

 龍の頭はいつしか角が落ち、鱗や毛も抜けて地肌が見えていた。

 

 見るな。

 長く突き出た牙や舌は引っ込み、人の鼻や口が現れる。

 

 見るな。

 頭部だけになり力の抜けた眼は暗くなっている。魔術世界では珍しくない。死体の顔を見るのも慣れたもののはずだった。しかし、その顔は見覚えがあった。今その顔は見たくはなかった。

 

 

「あ、あ、あ」

 基本的に魔術は術者の意識がなくなれば解けるものだ。それが肉体変化であれば術者本人の体に変化することが多かった。アジも同じだったようで、神裂の目の前には仲間の頭部が残されることになってしまった。

 

 

「............これ......は」

 絞り出すような声が口からこぼれる。胃や内臓を直接つかまれたような不快感が彼女を襲う。首の後ろは氷のように冷えているが、心臓は燃えるように熱かった。

 自分がこれを斬ったのだ。アジの姿をしたものを徹底的に切り裂いたのだ。

 胃液がせり上がっていく感覚に苦しむ彼女の頭に、これまで感じてきた違和感が駆け抜けた。

 

 

 切り裂いた異形、シカを喰った怪物、学園都市で聞こえた声。

 神裂は自身の考えがまとまらぬ中、半ば無意識の状態で七天七刀を振り回した。

 何かが彼女に飛び掛かったのを、迎撃したのだ。手ごたえと共に、ぐちゃりという粘液が落下する音が聞こえた。

 まただ。

 神裂は、見るな、という予感を無視して自身が吹き飛ばしたものを見る。

 

 

 それはアジによく似た何かだった。少年の下半身は、内臓がそのまま零れだしたような触腕が蠢いている。それが神裂の方を見た。七天七刀で砕いた頭部もそのままに、神裂に牙をむいている。立ち上がる力はないのか彼女に再び飛び掛かることはなかったが、その眼は血走っている。それは、まるで神裂への怒りを燃やしているかのように思えてしまう。

 

 

 神裂はふらふらと後退りして、切り裂いた巨体に近づいた。これが一体なんなのか。神裂は様々な術式を用いて怪物を解析していく。様々な海生生物の名残、肉体を変化・融合していく術式、莫大な魔力とそれをつなぐパス。そのパスがつながっているのは日本近海だ。それは自分が駆り出されている討伐対象が潜んでいる場所ではなかったか。

 

 

 さらに彼女は思い出す。異形に編み込まれている術式には覚えがあった。否、術式などとはとても言えぬ代物だ。これは呪いだ。肉体に融合し貪欲に膨れあがるおぞましき呪い。

 目の前でアジを飲み込んだ肉塊が帯びていたものと同じものがここにある。

 

 

 ふと神裂は未だ脈動する肉塊の中に、腕をねじ込んだ。掴み上げたのは10cmにも満たない小さなチェーン。あの少年が好んで使っていた七歩蛇を模した霊装に他ならない。霊装には微かだが、間違いなくアジの魔力と人間の肉の痕跡があった。

 

 

 まるで脳が弾けたような感覚に彼女は襲われた。

 動悸が止まらない、息が上手く吸えない。

 あの夜は終わっていなかったのだ。

 自分が勝手に絶望し、勝手に諦めている間も、アジは蹂躙され続けていたのだ。

 今まで、私は何をやってきたのか。神裂の心は悲鳴を上げた。

 

 

 無防備になった聖人の周囲に、ワラワラと動くものがあった。アジの肉片はしぶとかった。肉片は建宮たちのように連続して攻撃し魔力を枯渇させるか、本体とのパスを断ち切ればすぐにでも物言わぬ死体になるだろう。それは聖人、神裂にとってどちらもたやすいものだ。

 

 

 バグンと神裂の足に喰いついたのは先ほど切り捨てたアジの頭部だ。続けて肩や腰にも不気味なものが牙を立てて張り付いた。痛みはなかった。ただ力が抜けていく感覚だけがあった。聖人の皮膚は邪悪なものたちに対して、その防御力を十全に果たした。彼女の肌には傷ひとつ付くことはなかったが、魔力は少量ずつ貪られていった。神裂は一度腕に力を込めて、肉片たちをはじき飛ばした。

 

 

 彼女の体は無傷そのものだ。これから先の肉塊との戦闘でも外傷を負う心配はなかった。真っ二つにした巨体の異形の脈動はいつしか大きくなった。彼女を襲うための変異が始まっている。

 

 

 この戦闘で彼女は確実に勝利を収め、倒れ伏した人々を救い出すだろう。

 その結果、彼女の心が砕かれようとも。

 

 

 

 

                  ○○○○○○○○

 

 

 

 光すらまばらな深海。そこに沈んでいるのは、あまりも大きな影。神話の海龍か悪魔のごとき異形。その怪物の眼がゆっくりと開かれた。そして体に比例した巨大な顎からブクブクと泡を吐き出す怪物。アジの本体だ。

 

 

 アジは数回、頭を振った。それだけで莫大な水の流れができ、海底が悲鳴をあげるように揺れている。アジは酩酊していた思考が徐々に元に戻っていくのを感じていた。彼には分らぬことだったが、木原の実験が中断したためにアルコールの吸収が止んだのが理由である。

 

 

 アジは再び巨大な口を開いて唸る。彼は、良かった!と言っていた。

 怪物アジは心底安心していた。分裂体がこれ以上被害を出さぬように追いかけた先に黄泉川たちがいたのは、まさしく誤算であり、彼女たちが傷ついたのには腸が煮えくりかった。分裂体がなぜか複数現れ、黄泉川たちに襲い掛かったのは実際ピンチだった。

 

 

 けれども颯爽と現れた人影をみて、もう心配はないと心のそこから安堵した。

 非常に際どい切込みのデニム、胸を強調するような着こなしのシャツには驚いたが、あの華憐な顔には覚えがあった。少女の面影のある凛とした目元と、何よりもあの大太刀。あれはまさしく七天七刀だった。あれを操る人物は一人しかいない。

 

 

 聖人、神裂火織である。

 天草式一の魔術師だ。アジが知る中で最強の魔術師。神裂が刃を振るったのなら分裂体など粉みじんだろう。黄泉川たちの命は助かったも同然だ。

 

 

 喜ぶアジだったが、すぐに血の気が引いていった。あれほどの被害を出し、なおかつ他の天草式から攻撃された事実を思い出したからだ。なぜ、彼らは唐突に自分を猛攻撃してきたのかは、定かではないものの、アジは自分が反撃してしまったことを後悔している。なぜかあの時、上手く体を操ることもできず、思考もまとまらなかった。その理由もまるでわからない。すぐにでも再び学園都市に向かう必要があるだろう。

 

 

 謝らなくてはいけない。全身全霊で弁明しなくてはいけない。

 そして天草式の皆と上条さんに協力を仰いで、すぐにもこの体ともおさらばしなくては。分裂体との戦闘に夢中になっていたが、学園都市の被害も心配だ。黄泉川たちの怪我の具合も気になる。あの分裂体の体内には回復を促進する霊装もあったはずだ。

 

 

 アジは逸る気持ちを抑えることなく、全速力で巨体を動かしていく。今度こそできるだけ本体を学園都市に近づける必要もあった。上条さんに学園都市から外に出てもらうのであれば、せめて彼の移動距離は少なくしなくてはいけない。

アジが巨体をくねらすたびに、体の周りには小さな光が揺らめいていた。

それはイギリス清教の魔術師や騎士を含む手練れたちの魔術による、監視術式だった。

その術式は海魔の様子を逐一知らせていた。日本海沿岸では、続々と海魔を滅する準備が進められていた。

 

 

 




ようやく神裂を合流させることができました。
短くてすみません。
よろしくお願いいたします。


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第39話

動きの少ない回になってしまいました。
よろしくお願いします。


 

 

 学園都市には巨大モニターを搭載した飛行船が飛んでいる。普段であれば街ブラ番組でも流れている時間帯だが、今回は違った。

 上空を飛ぶヘリからの中継。細い伝説上の龍のような怪物と、強靭な四肢をもつ巨大な獣がビルや車両を巻き添えにしながら疾走する映像が流れ続けていた。

 

 

「繰り返します!これは映画ではありません!これは映画ではありません!!現実です!各避難地域に指定された皆さんはすぐに避難してください!!予測被害地域に指定されたみなさんは戸締りをして屋内に避難してください!繰り返します!これは!」 

普段は爽やかで通している男性キャスターの切迫した声が事態の深刻さを表していた。

 

 

 上条とインデックス、そして天草式のメンバーは人通りの少なくなった道でニュースを見ていた。先ほどの戦闘で絡み合うように移動したアジ達。怪物たちを追ってすぐさま駆けだした上条たちだったが、人間と人外との性能差は埋められず初動は後手に回ってしまった。

 

 

 建宮は画面を睨みつけている。隠しきれない焦燥を噛み殺してじっくりと怪物たちの闘争を見続ける。

 魔術を使ってアジを追跡、撃破することは難しいことではない。しかし、あれほどの大通りでしかも中継の繋がれた状態で魔術を隠蔽し続けるというのは、隠密に長けた天草式でも不可能だった。

 

 

 ここは科学の支配する街だ。そんな街でもっとも恐ろしいのは魔術が露呈することだ。加えて、この騒動の発端が、そもそも魔術の暴走であったなどと周知されたなら目も当てられない。それは明確な魔術サイドからの攻撃と受け取られる。比喩でなく、戦争を仕掛けたのと同義だ。それだけは阻止しなくてはならないというのが、天草式とインデックスの見解だった。

 だから建宮はチャンスをうかがっている。アジを追いかけ、そしてインデックスの語る作戦を遂行するチャンスを。

 

 

 

 ふいに、ヘリの映像の中継に変化があった。怪物たちは市街地を抜けてもなお暴走し、突き進んでいた。方向からして第21学区に向かったようだ。そこでヘリも一時的に追いかけるのをやめた。どうやら学園都市側で大規模な迎撃作戦が行われるとのこと。それに巻き込まれぬように離脱したのだと、ニュースは伝えている。映像には一瞬、人っ子一人いない山道が映り込んだ。

 

 

 

 今だ。

 誰かが言うと天草式は尋常ならざる速度で駆けだした。

 インデックスや上条を背に担ぎ、アジたちが進む山道へ。建宮たちは車よりも速く走り、バッタのように跳ね回った。

 

 

 

 

 

 

 数十分ほど進んだところで、建宮たちの視界に緑豊かな木々が広がった。奥へ進めば進むほど、砕かれたコンクリートや、折れた木々が転がっている。

「まって!」

 インデックスが声を上げると、天草式の面々は一度立ち止まる。彼らも違和感に気が付いたようだ。なぜか近づきたくないような、ここから離れたくなるような感覚が内から湧き出てくる。人払いの魔術だった。暴走するアジやあの怪物が展開したとは思えぬほど精密で強力なものだった。

 

 

 

 建宮は嫌な予感がした。インデックスはまだ何かを話しているが、彼はそれを聞き流しながら進んだ。辺りはひどい有様だった。転倒した装甲車、倒れている人々、そして飛散している無数の肉片。建宮はそれらに視線を動かしつつも、さらに奥に進んでいく。先にあるものが見えたからだ。

 

 

 

 それは不気味な蛸のような怪物だった。大きさはおそらく成人男性ほどもあるだろうか。巨大には違いないが、先ほどの戦闘でみたアジや怪物からすれば小さい。その怪物は、ある人影を襲っている。女だった。彼女は怪物の攻撃を避けようともせずに立っており、怪物に噛みつかれていた。けれども血の一滴たりとも彼女からは流れない。

 

 

 彼女は噛みつく異形を掴み、なんと無理やり投げ飛ばした。鈍い音を立てて地に叩きつけられた怪物は痙攣。彼女はその怪物を手に持った長大な大太刀を鞘に納めたまま殴打する。怪物は潰れていき、とうとう動かなくなった。

 

 

 ザリッ、と音がした。建宮が砂利を踏んだ音だ。彼女は建宮の存在に気付いて、振り向く。

 建宮は思った。最悪のタイミングだと。

 聖人、神裂火織はとぼしい表情で建宮を見やる。

「神裂!」

「.........建宮、ですか?どうしたのですか。こんなところに」

「そんなこと言っている場合か、お前」

「.........ああ、あの倒れている方々なら......心配ありませんよ。確認しましたが.....死者も出ていませんし、ここにいる、アレらは、大概たたき潰しました」

 

 

 

 建宮は顔を歪ませ彼女の姿を見る。素肌は傷一つなかったが、身に着けている服やブーツには細かい傷や泥がついている。元々ポニーテールだった髪も髪留めが切れ、まとまりがなく乱れていた。建宮を胡乱げに見る瞳は暗く淀んでいる。

 

 

 それだけではない。彼女の右肩から首にかけて蠢く何かが見えた。

 それは少年の頭部から臓物の如き触腕を生やした異形。アジ少年の面影を強く残すそれは神裂に背に抱き着くような形で取りついていた。異形は牙を剥き出しにして、彼女の肩に噛みついている。

 

 

 彼女が怪物の存在に気付かぬはずもない。彼女の様子は異常だ。建宮は歯噛みする。もっと早く彼女にコンタクトを取るべきだった。こんな惨いことがあるだろうか。彼女にさせてよい表情ではなかった。

 

 

「少しその場で止まれ神裂。すぐに取ってやる」

 建宮が相棒のフランベルジュをどこからともなく取り出して構えると、神裂の表情が険しくなった。建宮はその表情の変化に気付き、一歩下がる。

 

 

 ヒュン、と空気を切り裂く音がした。建宮のほんの数十センチ前の大地が抉られる。それは七閃だ。天草式の魔術師なら誰もが知る、ワイヤーを用いた攻撃用の術式だった。

 

 

「神裂?」

 建宮は呟くと、再び無表情になる神裂。

 彼女は七天七刀を手に彼とは対照的に一歩踏み出した。

「ここで刃を振るうのは私です。私だけなのです」

 その声には激情が込められている。

 

 

 建宮が何かを言う前に、背後から天草式の面々と上条たちが駆けてきた。天草式の面々はまず神裂がいたことに驚愕し、口々に言葉をかけようとする。特に対馬はすぐにでも彼女の元に走り出そうとしたが、その体はびくりと震わせて止まってしまう。彼女に組み付く怪物を見て躊躇したのではない。神裂のもつ雰囲気の異常性に気付いたからだ。

 

 

「.........みな、久しいですね」

 神裂は平坦な声で言う。それは再会を喜ぶ物言いではなかった。バランスの欠けた体勢と力なき表情に反して、七天七刀を握る拳は白くなるほど力が入っている。怒っているのか、嘆いているのか、それともそのどちらもだろうか。

 

 

 建宮は息を深く吐き出して、振り向かずに言う。

「お前たちは、倒れてる連中の手当てを頼むのよ。あいつは、俺がなんとかするのよな」

「建宮ッ、私たちも......」

 対馬が焦燥した様子で何かを言おうとするのを建宮は手で遮った。それは以前のアジを目前にした破れかぶれの行動ではない。対馬は大きく、そして悲しそうに舌打ちをして「任せた」と言って走り出す。他の面々も同様だ。建宮に一言ずつ投げかけて、救助に向かっていく。

 

 悔しいが、今神裂と対面できるのは実力的にも立場的にも建宮だけだと皆は理解した。

 神裂は危うかった。戦場でああいう状態に陥った魔術師は珍しくない。

 恐慌し、暴走する。思考が正常でなく、何をするかわからない。

 そういう状態に、神裂は陥っているのだろう。

 

 

「神裂、お前がそうなっちまった理由はわかる。アジだろ?」

「......知っていたのですか?」

「ああ、そうだ。天草式は全員アジのことを知っている。この怪物たち、そして海魔の中にアジがいることもな」

 建宮は一歩、神裂に近づく。慎重に、少しずつ。

「なぁ神裂、きつかったな。わかるのよ、だから一度落ち着いて話そう。これからどうするべきか、実はな――」

 

 

 

「これから?」

 

 

 

 神裂の持つ七天七刀がギシギシと軋んだ。聖人用の霊装、その頑強さをもってしても耐えきれぬほどの力が加えられている。

「これから、なんてものはないのです。もう終わりなんですよ、終わりです」

「神裂」

「ええ、ええ終わりですよ。バカみたいに刃を振るうのも、もうお仕舞です。ここで、これらを叩き潰して、それで終わりですよ。アジのことを知っているのでしたね?.........なら大丈夫ですよ、ここにいるあれらのほとんどは、こ、殺しましたから。私が、ころ、殺しましたから」

 建宮は無言で近づく。彼女を止めなくていけない。とても見ていられなかった。彼女は自分の心を自身の手でズタズタにしようとしている。

 

 

「これらを、こ、殺しきれば、ここの安全は保障されます。広範囲の索敵も行いましたが、おそらくは他の、脅威になるものはいないでしょう」

「神裂!」

「大丈夫です、あと少しです。私がやるんです、私が」

 建宮は飛び出した。混乱する神裂のその背後に飛び掛かる影が見えたからだ。それは軟体動物と鮫を合わせたような見た目をしている。1メートルほどの怪物は、鋭利な刃を剥き出しにして獲物を喰らおうとしていた。フランベルジュの一撃ならば、容易に撃退できる。

 

 

「やめろ!」

 神裂は泡を飛ばす勢いで叫び、歪んだ体勢のまま強引に七天七刀を振るった。波打つ大剣と鞘に収まったままの太刀がぶつかり合う。彼女は人外染みた膂力で建宮を押し返すと、怪物をかばうように体をずらした。するとこれ幸いといった様子で異形鮫の牙が彼女の腹周りに喰いついた。

 血は一滴も出ていない。表情を見ても痛みを感じているようには見えない。

けれども、それでも、建宮は目の前の光景を容認できるわけがなかった。

 

 

「これは、私が、こ、こ、殺します!手を出さないでください!さっきからそう言っているでしょう!?」

 神裂は肩で息をしながら吠えた。ガチガチと歯を震わせて、定まらない眼で建宮を射抜く。まさに圧倒的な威圧感を建宮に叩きつける彼女に、建宮は渋面を作る。

「神裂、そいつは」

 

 

「そいつはアジじゃねーぞ」

 建宮と神裂の間を割るように、少年は口を開く。

「おい神裂、そいつはアジなんかじゃない。インデックスから聞いたけどよ、ここにいる化物たちは全部暴走した魔術なんだろ?ただ生き物に反応してるだけの、意思もなにもないただの魔術だ」

 神裂は乱入してきた上条を見る。

 

 

「さっきから殺したって言ってるけど、お前は誰も殺してない。いいか、お前はここにいる人たちを助けたんだよ」

 上条当麻には戦場での経験などない。だから焦燥し破れかぶれになった魔術師の危険性など知る由もない。いや、それ以上に、彼は救うのに遠回しな方法はとらない。

 

 

「お前と建宮の話は、聞こえてた」

 上条も建宮と同様に一歩足を踏み出した。魔術師ではない、素人の歩みだ。

「お前が急に焦ったのはさ、建宮に化物を斬ってほしくなかったんだろ? お前たちとアジのことも聞いたよ。何があったかもさ。俺はさ、アジのことはほとんど知らない。でもそいつはアジじゃないことぐらいは素人の俺でもわかる。そいつらは似ているだけの化物だ」

「知ったようなことを言うんじゃねぇよ!!!」

 神裂の腕がブレると、奇怪な切り傷が地面に走った。七閃の一撃は我を失っていても健在だ。命中すれば人肉なぞ容易く刻んでしまう。

 

 

「そんなことはわかってんだよ!!それでも、それでも感じるんですよ!微かだけど!!構成する肉の中にも、アジが、アジだった部分があるんだよ!!そんなモンを他の奴らに斬らせてたまるか!?もう仲間が傷つくのは、嫌なんだよ!!」

「そりゃ、ちょっと見くびりすぎよな」

 

 

 今度は建宮が神裂に噛みついた。

「言ったろ?アジのことは知ってるって。俺たちはすでに海魔やその分裂体であるソイツらと交戦している。アジだってことに気付かずに切り裂いた.........知ったうえで殺そうとしたことさえあるのよ。神裂、お前だけがそんなことする必要も、抱え込む必要もないのよ」

 建宮は続ける。

「俺もお前と同じようなことをしたよ。それで何があったと思う?バカみてぇに自分を傷つけて、仲間に心配かけて、良いことなんて何一つなかったのよ」

だから、一人でやろうとするなと建宮は言う。

 神裂は俯く。そして七天七刀を思い切り叩きつけた。巨大な鈍い音はまるで爆発のようだった。その威力に、噛みついていた異形鮫は逃げ出し、肩に喰らいつく分裂体はより一層神裂に組み付いた。

 

 

「うるさい! うるさいんですよ! 言ったでしょう!? もう終わりだって! もう全部、無駄なんですよ! これから!? そんな先のこともうどうでもいいんだよ!!」

 連続して大太刀を振るいながら彼女は叫ぶ。体の中身を全部吐き出すように、苦悶しながらも彼女の言葉は止まらない。

 

 

「今、イギリス清教をはじめとする手練れの魔術師と騎士団が海魔殲滅のために集結しています。一人一人が怪物退治の専門家だ。そんな連中が束になって、海魔を、あ、アジを滅しようとしてるんだよ!今さら、抱え込むとか、そんなものどうでもいいんだよ!もうアイツは、アジは、し、死ぬんだよ」

 

 

 ビキリと七天七刀の鞘にヒビが入った。

「わ、私が、弱かったから」

 神裂の太刀が手から零れ、地に落ちた。

「私が殺したようなものじゃないですか」

 

 

 神裂は絞り出すように話し出した。

 もしも、私が怪腕を避けることができていたら。

 もしも、崖に飛び込む彼に手が届いていたら。

 もしも、もっと早く海魔が彼だと気づいていたら。

 もしも、もっと私が強くて魔術師から海魔を守ることができたら。

 私はアジを救えたかもしれない。

 

 

「何が聖人だ、何が女教皇だ!アジじゃないとわかっているのに、この怪物たちを滅することも上手くできない!!!もう終わりじゃないですか!アジがいなくなって、私はただ、馬鹿の一つ覚えのように刃を振るい続けた。少しでも誰かを救えるように、でも、肝心の仲間は救えない。助ける方法すらわからない!!私は弱く脆い!アジに救われたはずなのに、私は、私は、あまりにも………無力です」

 

 

 建宮たちと対面してから、神裂が発する言葉は支離滅裂だ。混乱し焦燥した彼女からは理性的な言葉は出てきていない。すべて破綻した言葉だろう。

 しかし、それこそが彼女の心の悲鳴だった。長年、天草式から離れ戦ってきた孤独、そしてアジのことを消化しきれぬまま一人でずっと押し殺していた後悔。そうしたどす黒い感情がないまぜになって生まれた苛烈な濁流の如き叫びだった。

 

 

 神裂はぶつぶつと続ける。

 私ではなく、彼が生き残るべきだった。

 

 

 それを聞き、建宮は無造作にフランベルジュを投げた。馬鹿野郎、と言いながら。

 その言葉は誰に向けられたものだろうか。彼はズンズンと荒々しく神裂へ近づいていく。攻撃される危険性など度外視して、建宮は神裂へ歩みを進めた。そして彼女の胸倉を掴んで強引に顔を上げさせる。

「ちがう!」

 建宮は神裂に言葉を叩きつける。

 

 

「お前が弱かったんじゃない、俺たち全員が弱かったんだ」

 怒れる建宮の腕に痛みが走った。神裂の肩に巣くう異形が、近づいてきた彼を捕食対象にしたのだ。アジによく似た怪物は、牙をびっしりと生えた歪な触腕を建宮の手に喰いつかせた。飢餓状態になっていた怪物の牙は異常な力を発揮し、彼の肉を容易に切り裂いた。

 

 

 血が流れ落ちる彼の腕を見て、神裂は目を見開いた。

 建宮は神裂の驚きを無視する。

「あの時、あの夜、アジを助けられなかったのは俺たち全員の責任だ。お前の手が届かなかったからアイツがこうなった?断じて違う!さっきも言ったが、お前だけがアイツのことを背負うなんてお前だけが苦しむなんてことはしなくていい。アジは、俺たち全員の問題だ。俺たち全員で何とかするんだよ」

「た、建宮、血が……」

「アジを助ける方法がある」

「え、あ」

「でもそれには俺たち天草式、全員の協力が不可欠だ。神裂、アイツを助けにいくぞ」

 

 

 神裂の眼に光が戻りはじめる。

「ほ、ほんとうに、たすけ」

「そうだ。ここにいる禁書目録の知識と――――」

 話す建宮に、先ほど逃げ出した異形鮫が近づいてきた。獲物を捕捉したバケモノは建宮に飛び掛かろうとするが、彼は異形鮫を一瞥もしない。甲高い音が鼓膜を揺らす。鮫の頬に、上条当麻の右拳が突き刺さっていた。幻想殺しは化物に流れる魔力を一瞬で霧散させる。魔力なき怪物の肉体は崩壊し。辺りにバラバラになった海洋生物らしきものをまき散らす。

「―――なんでも消しちまう幻想殺しも協力してくれる。そこに天草式の力が加われば必ずアジを助けられる。だから、いこう神裂」

 

 

 神裂の瞳からポロポロと涙が流れ落ちていた。それは絶望の涙ではない。あの夜の続きが、今始まった。今、アジに手を伸ばす者たちは大勢いる。

 

 

 

 



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第40話

 

 

 

 新潟県は栗島。8月も終わりが近づき、島内の子供たちは最後の休みを謳歌していた。もう飽きるほど遊んだ海辺で老人たちに交じって釣りをしている。しかし、成果は芳しくない。老人たち随一の釣り名人、八百屋の亭主も珍しくオデコだ。

「釣れんな~」

 誰かともなく呟いた。

「そういや漁でも何も引っかからなかったんだと」

「雑魚の一匹も捕れんのか?」

「そうらしい。いつもは喧しい海鳥すら影も形もなかったそうだ」

 老人たちは口々に話し出す。そういえば昼すぎから海も空も山も静まりかえっていたなと、少年も老人たちの会話に入ってくる。山道で遊んでいても小鳥やセミの鳴き声も聞かない。バッタやテントウムシなども見ていない。

 

 

 

 それに、いつもなら道端で昼寝している呑気な飼い猫も、今日は家に引っ込んでしまっていると話す。この陽気なのに寒いのか震えて祖母の膝から下りようとしないのを少年は不思議に思ったとのこと。

 ふと風が彼らの頬を薙いだ。雲も心なしか速くなっている。雨でも降るのだろうか。

「ねぇ」

 最年少の幼児が海を指さして老人に聞く。小さな麦わら帽子が似合っていた。

「なんかあそこにいるよ」

「あん?」

 幼児の声を聞き、海岸線に視線を動かす。穏やか海が広がるばかりのように見えた。けれども何だろうか、微かに歪んでいるような気もする。蜃気楼のように海の向こうが揺らめている。

 

 

「なんも見えんぞ?」

「さっきまで、いたよ、くろくてでっかいの」

「黒くてデカい?もしかすると、そりゃ浮き物かもな」

「うきもの?」

 島内に昔から伝わる巨大な妖怪のようなものが浮き物だ。誰も信じてなどいないが老人たちは伝承としてそれを知っていた。幼児はその説明を聞き、得心を得たようだ。可愛いものだと老人は思った。自分たちも昔は、ありとあらゆる不可思議な存在を信じていたものだ。

 

 

「うきものって、こわいの?にんげんたべちゃう?」

「そうさな、そういった話は聞いたことないな」

「じゃあよかった」

「うん?」

「だってうきもの、さっきこっちをみていたもん」

 

 

 不規則な風が吹き込んでくる。徐々に強まった風は幼児が被っている帽子を飛ばした。あっ、と驚く幼児に反応し、老人は慌てて立ち上がりその帽子を捕まえた。風はどこか生暖かいように思えた。老人は海を見る。そこには静かな、そう不気味なほど静かな海が広がっている。

 

 

「今日は、もう帰るぞ」

 その場の全員が頷き、いそいそと準備を始める。その場に妖怪などという存在を信じているものはいないだろう。けれどもその胸騒ぎだけは本物だった。風は強まっている。唸り声のような音を奏でて、老人たちの鼓膜を揺らしている。

 

 

 

 

               〇〇〇〇〇

 

 

 

「見られたか?」

「いえ、結界は一瞬で展開できていました。おそらくは大丈夫でしょう」

 ローブを纏った男にスーツ姿の男が話す。日本海沿岸、日本列島までおよそ100キロ地点で海上に姿を現した影。それに合わせるように超大規模な魔術結界が展開された。それは認識阻害の結界であり、触れるだけで肉が焼けただれる程度の迎撃結界でもあった。魔力供給は苦労するが、人の眼はもちろんのこと衛星等の科学的なものですら欺くことができる。

 

 

 男たちがいる場所はまるで古代の城のようだった。重々しい石造りの部屋には古風にも蝋燭に火が灯っている。窓にはガラスなどはなく、陽光が差し込み、風も入り込んでいる。中央には高級感のある長机が置かれ、その中央には輝く球体が置かれていた。球体は映写機のように映像を流していた。

 

 

 映像は道具の古臭さに反して、さながらSF映画のように複数の映像を宙に飛ばしている。

「化物め」

 ローブの男は、その映像の中の一つに侮蔑の眼を向けた。神の子の教えを冒涜するかのような歪な存在を、熱心な信者である彼は嫌悪する。

 

 

 海中から伸びる影。それは蠢き、身をよじらせて鎌首をもたげている。冷え固まったマグマの如き黒くゴツゴツとした体表。背からはいくつもの触腕と棘が伸びている。さらに恐ろしいのはその頭部だ。巨大な角を生やし剥き出しの牙、そしてその眼は複数あり、血か炎のように真っ赤だった。

 地鳴りのような音がした。怪物の不規則に並ぶ不気味な歯の隙間から、唸り声が漏れ出した。大気が震えている。

 

 

 海魔。それはそう呼ばれている。幾重にも吸収した海洋生命体と途方もない魔力により神話の怪物の特徴をもつ化物だ。正体は未だ不明だが、その存在は脅威に他ならなかった。その体長はあまりにも巨大。記録上、初めて魔術世界と邂逅を果たしたときは100mだった体は、今や数キロ以上もあり、動くだけでその場所を破壊し、海中の生き物を喰らいつくす。

 

 

 何よりも、その派手な行動のせいで魔術の存在が露呈の危機に瀕している。魔術とは秘匿すべきものである。神秘の力は、信徒だけに許された神の子からの贈り物だ。断じて異教徒が知るものではない。

 

 

 それが彼ら、この作戦に参加するイギリス清教「必要悪の教会」の魔術師たちの考えだった。長机の周りにいる多種多様な人種、統一性のない服装の人々は全員が魔術関係者だ。彼らは組織だって動くことは得意としない。魔術は自身の想いと研鑽によって形作られるものだ。神の子の教えは守るが、統一した思想は持ち合わせていない。よって簡単な上下関係は存在するものの、巨大な組織の一員という認識は彼らには薄かった。

 

 

 そのためこの海魔殲滅作戦においても、様々な派閥が揃って共に戦う必要があった。ローブを着た男は、必要悪の教会の中でも古株で今回の大まかな指揮権を最大主教ローラ・スチュアートの命で賜っている。

 長机の周囲にいる者たちも、それぞれの派閥のトップである。ここで彼らと作戦を検討しながら部下へ指示を送って、海魔へ攻撃するのだ。

 

 

 ローブの男は当初の予定通り、各トップへ指示を出していく。巨大霊装の準備、遠距離魔術の開始時間、結界への魔力供給。指示は迅速に進められたが、映像の中の海魔に異変があった。

 見てみると、海魔の体が変貌していく。蠢いていた無数の触腕が左右にドンドン伸びていく。海魔の上半身も薄くなっていき、側面の肉は木々が成長するように枝分かれしていく。伸びた触腕と枝分かれした肉の間に薄い膜が覆っていく。それは不気味で奇妙な翼だった。

 

 

「まさか、飛ぶ気か!?」

 誰かが言った。本来ならばとても飛翔などできる質量ではないが、海魔に流れる大量の魔力とその姿がもたらす偶像崇拝を用いた術式は、海魔の巨体を浮かせ始める。翼を動かすたびに暴風が吹き荒れる。海魔は胸を震わせて大きく呼吸すると、大口を上げて咆哮した。

あんなものが空を飛ぶ姿は、まさに悪夢だろう。それは神話の悪龍に他ならない。

 

 

 ローブの男は攻撃を早めろと怒鳴った。その声に反応するようにガシャンと音がした。それは鎧のプレートがぶつかる音だ。彼は英国が誇る騎士団の老兵だ。通常の騎士が装備する剣よりも巨大な大剣を背負っている。彼は、諍いのある魔術師が所属する清教派とも上手く付き合える人格者であり、指折りの実力者でもあった。

 

 

「我々がいこう、速さならばこの中で一番だ」

「いや、しかし騎士団がいる中に霊装や魔術をつかったら同士討ちの―――」

 老兵はしゃがれた声で笑う。

「案ずるな、我々はその魔術よりも速い」

 

 

 老兵はそれだけ言うと、なんとその部屋の窓に足をかけて飛んだ。騎士団に詳しくない魔術師の一人は思わず、飛んだ老兵を追うように窓をのぞき込んだ。

見えたのは海だ。老兵は海へ頭から落ちていった。そのまま視線を浮かせると見える。黒き翼を伸ばした海魔が。

 

 

 彼らがいるのは、海魔殲滅作戦本部。空に浮かぶ魔術要塞だった。いくつもの要塞が海魔を取り囲むように浮遊し、戦闘用の飛翔魔術機体が旋回し、そして海上にも巨大霊装を装備した魔術戦艦が陣形をとっている。イギリス清教の戦力は強大だ。霊装、兵器も潤沢に準備している。その規模は戦争といっても差し支えない。

 

 

 

 

 

            ○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 

 当初は海中を移動していたアジだったが、やはりどうしても時間がかかることがわかった。何せ今アジが泳ぐのは日本海だ。学園都市は太平洋側に位置している。まるで正反対だ。そのためアジは空路を使って向かうことを思案していた。以前も飛行経験はあったし、障害物のない空は移動にうってつけである。もっとも空腹を我慢できる範囲での移動にかぎるのだが。

 

 

 アジは海上へ浮上していく。久々の巨体だ。細心の注意をもって動かそうとアジは意識している。勢いあまって飛び上がると海上が爆発したようになるので、ゆっくりと頭から出していく。

 

 

 

 これまでにないほどの高度に視線があるのを感じる。すぐ近くに小島があるのが見えた。

 とても人が住めるほどの大きさはないだろう。巨大になりすぎた彼の感覚は面白いくらい狂っている。アジは大きく息を吸って体全体の触腕を意識して少し唸る。

 

 

 

 そして触腕だけでなく、体の肉自体も変異させていく。巨体を飛ばすには相応に巨大な翼が必要だ。アジはイメージ通りの翼を形成していく。禍々しい翼はすぐに出来上がった。鏡があれば、アジも自分で引くこと請け合いの異形の翼が四対も生えている。

 

 

 アジは気合を入れる。怪物の体では、それは叫びになっていた。徐々に羽ばたいていくアジ。偶像崇拝の術式によりふわりと巨体が宙に浮いていく。悪夢のような邪龍はもう少しで飛び立とうとしていた。

 

 

 

 けれども、ぶちぶちという肉が引き千切られる音が聞こえた。アジは慄く。まさか自分が重すぎたのだろうか。などと呑気に捉えていたが、そうではない。1キロにも及ぶ八枚もの翼はあろうことか、断ち切られているのだ。

 

 

 宙に浮いていた巨体と、翼は落下する。アジは思わず驚きの声を上げた。

 大質量の着水によって爆音、巨大な水柱が立った。アジは混乱する中、千切れた羽を吸収しながら蠢く。再び、ぶちぶちと肉が切られる感覚が彼を襲う。

 

 

 焦燥したアジの赤い眼はほんの小さな煌きを捉えた。それは海中にも関わらず燃え盛る大剣を携えた騎士だ。それも一人ではない20人以上の兵団がアジを取り囲んでいる。アジの岩の如き体表を騎士たちの刃はいとも簡単に切断する。

 

 

 英国の騎士たちは、聖人たちの伝承を元にした術式や霊装を扱う戦闘集団だ。戦闘集団、それこそが騎士派と清教派の大きな違いの一つである。

 魔術師は自身の探求の成果を攻撃魔術に転用するものがほとんどである。そのため威力にはバラつきがあるし、そもそも戦闘そのものが行えない魔術師など珍しくもない。

 

 

 しかし、騎士団は違う。彼らの役割は教えを守り、国を守るために悪を挫くこと。全員が一騎当千の実力をもつ。攻撃と防衛に関して、彼らはプロ中のプロであった。  

 さらにアジにとって相性も最悪だ。騎士の伝説に、怪物退治の逸話など枚挙にいとまがない。そのどの術式も、怪物アジにとって致命の一撃になりえた。

 

 

 そんなことなど露知らぬアジはたまらないと叫び、巨体を変異。もちろん交戦する気はないが、このまま斬り裂かれ続ける気もない。アジは翼ではなく幾重もの尾ヒレを生やし、高速で泳いでいく。さらには無数の触腕を生やして騎士たちに応戦。触腕の先に口を出現させ、そこからアジの体内にある海水を勢いよく放出した。

 

 

 大出量の水の噴出と、巨体のうねりによって海中は嵐を超える勢いでうねり荒れている。海中にはいくつかの渦巻きすら生じた。その勢いは騎士団の動きを鈍らせるのに充分であり、アジはそのまま巨体を翻して移動を続ける。ふと先回りするように、眼前に一人の騎士が現れた。先ほどの騎士たちより巨大な剣。間違いなく格上だ。

 

 

 巨大な剣をアジの頭部めがけて薙ぐ。

 アジはとっさに頭を捻って大角で応戦した。硬質化した大角は一度剣とぶつかり合い、騎士を吹き飛ばしたが、同時にアジの大角を砕く。

 アジはグングンとスピードを上げていく。騎士たちから逃れようと彼も必死だった。しかし、アジの悲劇は続く。巨体に走る衝撃。最初は海底か岩にでも乗り上げたのかと思ったがそうではない。

 

 

 それは不可視の壁だ。

 次にアジは巨体に熱が走りはじめる。いつしか体表は燃え、焦げついていた。アジは何事かと再び海上へ巨体を出して確認する。アジは目の前の不可視の壁に触腕を伸ばす。触腕は壁を突破できず、触れた部分が燃えている。

 

 

 それは結界だ。高威力で大規模な、これまでに見たことのないような強力な結界だ。

アジの血が引いていく。巨体を翻して後方を見やる。視界に魔力を流した虹色に輝く瞳は、空に浮かぶいくつかの城のようなモノ、飛行船のようなモノ、そして巨大な船の一群を目撃する。アジは察した。これは自分を狙った一団だ。それもこれまでの比でない。凶悪なまでの戦力を投入した作戦だ。

 

 

 アジは虹色の輝かせたまま、悲鳴を上げる。

(な、なンデ!?!?!?)

 彼は気づいていないが、それは自業自得ではあった。

 怪物の悲鳴は、大気を切り裂く音撃である。眼窩を輝かせて大口を開く化物を見て、誰もが威嚇だと判断。準備は整った。以前の魔術連合の総攻撃の数十、数百倍の威力の霊装兵器が撃ち込まれていく。

 海魔殲滅作戦が開始される。アジの視界は白く染まった。

 

 

 

 




以前と同じような展開になってしまいました。すみません。
そろそろクライマックスになったら良いなと思ってます。


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第41話

魔術の説明は、あっているかわかりませんがよろしくお願いいたします。



 

 

 

 落ち着きを取り戻した神裂は対馬や五和などの女性陣からは抱擁と涙の歓迎を受け、男性諸君からは笑顔で迎えられた。建宮は、ほぼ半裸に近い神裂の胸倉を掴んだことを、なぜか対馬に知られており、拳骨を喰らわせられていた。

 

 

 倒れている警備員たちには簡易的だが、回復魔術を使用。出血や骨折程度であれば回復しているだろう。上条はその辺の石や携帯電話等で魔術を行使する五和などを見て、すごいなぁと呟き、なぜかインデックスに頭を齧られていた。神裂が彼を見てみると、納得していない顔をしていた。

 

 

 未だ上条におぶさるようにしてインデックスは話す。どことなく幼児が親に甘えるように見える。天草式の面々はそれに突っ込まなかった。

 「まずは、ここにある全部の肉片を集めるんだよ」

 彼女の指示の元、怪物達はその状態を問わず集められた。幸い魔術のスペシャリスト揃いの天草式は危なげなくそれを回収。集められた怪物たちは自然と一体化し、巨大な肉塊へと変化する。最後に残ったのは先ほど神裂に触腕を絡めていたアジの面影のあるモノだけだった。

 

 

 しかし、流石にそれを滅することはできず、昏倒と魔力低下の術式を用いてソレを眠らせた。眠ったソレはアジにしか見えない。神裂は一度それを撫でるように触ると、巨大な肉塊へ押し込んだ。まるで繭か卵のような肉塊に少年の頭だけがちょこんとくっついている。

 

 

 インデックスの指示のもと、神裂は肉塊の周囲に天草式製のワイヤーを展開していく。それは結界であり術式の準備でもあった。用意を終えたのを見届けると、インデックスは上条から下りて話し出す。

 「その虹色の絆、それを上手く使えばアジの人間の部分を集めることができると思うんだよ」

 彼女の中の英知、様々な秘匿されてきた魔導書の知識は霊装の転用方法を導き出した。

「その霊装に込められた意味は、逃げることと仲間と集合すること。多種多様に神話を乱用した霊装だから、その解釈を分解できるはず」

 

 

 これが単なるロザリオであったなら、ここまで強引な解釈の変更はできなかったと彼女は話す。ごちゃまぜになった混沌とした霊装だからこそ、その解釈は幅を持たせやすい。加えて天草式の術式自体が多様な神話を混ぜたものが多いのも追い風だった。天草式というだけで魔術の基盤の拡張が容易くなるとのこと。

 

 

 インデックスはその術式の結論から言う。

「簡単にいうと、怪物の肉体を悪いモノとして見て、アジの人の肉体を味方と定義するんだよ」

 怪物の肉体は海洋生命体のDNA、細胞だ。その細胞の一つ一つを敵として認識。その敵の細胞から逃れるように人の肉体を集合させる。それが今回の案だと、インデックスは語った。

「あの恐縮なんですけど」

 五和がおずおずと手を上げた。

「理屈はなんとなくわかるんですけど、ここから遠く離れた海魔の巨大な体から、人の肉体だけを集めるなんて繊細な術は不可能ではないでしょうか」

 

 

 

 建宮や神裂、そして魔術に詳しくない上条もそれに同意した。インデックスが言っているのは、砂山に交じった砂を種類別に分けるようなものだろう。それは途方もない作業になる。手元にピンセットがあったって何時間、いや何年単位での作業になるかもしれない。

 加えて今回はその砂山はまさしく山のごとき大きさだ。さらにそれは蠢き、形も変化するのだ。できるわけがない。

 

 

 

「うん、普通にやったら絶対に無理だね。だから天草式みんなの力と、全員の虹色の絆が必要なんだよ。そして不幸中の幸いっていうのかな、ここにある怪物の肉塊も活用するの」

 インデックスは巨大な肉塊を見て言った。

「この肉塊は魔力で海魔とつながってる。これだけ大きいと海魔から流れる魔力の流れもわかりやすい。その流れを使えば海魔にここからでも十分に干渉できるはずだよ。そしてその海魔の中に人型、アジの細胞が逃げ込める型を作るの」

 

 

 

 遠くから霊装を動かす術式は無数に存在する。関わり合いをもたせ、適切に処理すれば難しいものではない。教会で遠くにいる家族のために祈りをささげると、ロザリオを持つ家族に作用するのも、そして藁人形に相手の髪の毛を仕込んで釘を打つと不幸を与えるのも、この理屈だそうだ。

 

 

 

「この肉塊は海魔の体の中を操作するリモコンになるってことか」

「り、りもこん?」

 上条の言葉をインデックスは上手く飲み込めないようである。脱線しそうになるインデックスはこほんと可愛らしく咳ばらいをして話をつづけた。

 

 

「でもその人型を作るのに問題になるのが、イメージなんだよ。その人にはその人の魂の形がある。だからあまりにも乖離した人型だと、アジの細胞を集めたとしても魂や意思は定着しないの。変なものが創られたら、その中に別の存在が生まれてしまう。ホムンクルスの実験がそれに近いと思うよ。人に似た、しかし別の存在が新たに海魔の中に生まれてしまう。だからそうならないように、できるだけ正確なアジの姿を作る必要がある」

 

 

「どうすれば?」

 神裂が結論を急かすように言った。

「みんなの想いを合わせるの、虹色の絆を使って」

 

 

 虹色の絆は全て、アジが制作した。その部品、工程、調整には彼の魔力。海魔と混ざり合う前の人間としての魔力の残滓が残っている。建宮たちの話によれば、海魔との交戦中に絆と交信し思考が流れ込んだそうだ。そのことから、アジの絆は海魔の体内にあることがわかっている。その絆を依り代にするとインデックスは続けた。

 

 

「海魔の中の絆を核として、そしてその他の絆にみんなの魔力を通して、肉塊の魔力の流れに乗せる。そして海魔の中にアジの姿を創り上げる。一人のイメージだとアジの姿形が偏るかもしれない、でも天草式全員の絆を使えばその思いはより強いものになる」

 

 

 神裂はインデックスの話を聞き、自身の絆を見る。一人では無理でも、仲間となら彼を救える。彼女は思い出す。いつも自分を気にかけてくれた彼の姿を。聖人ではなく一人の仲間として声をかけてくれた姿を。

 「みんなのアジを思う願いは必ず届くはずだよ。願うこと、それこそが魔術の本質なんだから」

 

 

 

 天草式、全員の想いの力でアジを人の姿にする。

 それは仲間として生きていた彼らだからできることだった。神裂は建宮たちを見た。皆、インデックスの話を聞き、その表情が変わっていく。その眼には絶望の色はなかった。燃え上がる意思の炎が灯っている。

 

 

 

 上条は魔術に精通するインデックスを見て、心底驚いたように、そして嬉しそうに口を開いている。

「すごいぞ、インデックス!」

 思わず褒めちぎる上条にインデックスはニヘラとだらしなく笑った。しかし、次の瞬間。彼女の表情は曇り始める。

 神裂はどことなく予想がついた。どんな作戦にも完璧なものはない。どこかしら穴があるのだ。

 

 

 「でもね。この作戦には問題点もあるんだよ」

 インデックスは眉を寄せて口を開く。虹色の絆を核とするために、他の絆は作戦後におそらく砕けること。そのため一瞬で転移する術式は失われてしまう。今世紀に入り天草式のような少数の魔術組織が台頭できたのは、その術式によるものが大きい。それを手放すことになってしまう。

 

 

 次に、海魔に起こる変化について。

 海魔は魔術暴走によって生じた、本来形のない存在だ。そのため常に依り代が必要になる。それは当初はアジが助けた少女だった。それが現在はアジに憑りついている。今回の作戦ではアジを無理やりその呪いから離す方法をとる。おそらく依り代をなくした海魔の肉体は崩壊へ向かう。ちょうど宿主を失った寄生虫のように、自分だけでは生きていけない。

 

 

 

「作戦でできるアジの人型を保つ魔力は、この肉塊を使って海魔の体から直接供給できると思う。だから海魔が再びアジを吸収することは難しいはずだよ。海魔の魔力が尽きないかぎりは、アジの人型を崩すことはない。でも、その分呪われた肉体は依り代を求めて.........これまでの比ではないほど大暴れするはずなんだよ」

宿主から追い出された寄生虫はただでは死なない。命ある限り、その息の根が止まる寸前までのたうち回る。そして件の海魔の不安定な肉体は、再び依り代を求めて変異し続けるはずだ。その脅威は計り知れない。

 

 

 

 その話を聞き神裂は俯く。自分は勝てるだろうか。聖人は邪を滅する特性をもつが、観測された海魔は強大。自分の刃は、海魔を討つ力があるだろうか。それに海魔殲滅のために集まった魔術師たちの戦術霊装。それらの間を縫って、アジを救えるだろうか。絆が失われれば転移術式も失われる。ここから日本海まで向かうのにだって時間がかかる。まるで肺の中が黒い煙で満たされたような息苦しさがした。意識しなければ呼吸ができないような、そんな妄想に憑りつかれ始める神裂。

 

 

 

 そんな神裂の耳に驚くほど能天気な声が聞こえた。建宮は不敵に笑って自身の絆を手で遊ばせる。

「ここまでお膳立てされれば、楽勝よな」

「なんでそんな自信満々なの?また勝手に突っ走ったら私が殺すからな」と対馬は彼を睨む。それをまぁまぁと宥めるのは五和だ。

 

 

 

「流石に建宮さんもそんな馬鹿なことはしないですって!.........多分」

「いや、逆に海魔にたどり着く前に建宮が海中に没する可能性がある」

 牛深は思案する。続けて香焼も乗ってきた。

「建宮さんが海に落ちるなら囮にしましょうよ、一回海魔ボコってるから狙われるかも!」「確かに、それはあるな。建宮、お前は海中から攻めろ」既婚者、野母崎はふむと同意した。

「こらこら」と年長、諫早は困ったように笑っている。

 

 

 インデックスは呑気な彼らに目をシパシパさせた。神裂もそれは同じだった。なぜか笑い合っている彼を見て、目を大きくさせている。

 建宮は生意気を言った香焼の頭をグリグリとし始めたので、インデックスはとうとう戸惑いの声を上げた。

「ちょ、ちょっと」

「確かに、海魔はとんでもない相手よな。だが俺たちは一人じゃねぇ。天草式は全員そろった時が一番強いのよ。一人の刃が届かなきゃ、後ろからその刃を押してやればいい」

建宮は、いやその場の天草式のメンバーは神裂を見た。まるで彼女の悩みをたちどころに察したように。

 

 

「ようやく、ようやくアジに手が届くんだ。その程度の問題なんて気にならないのよ。そうだろう、神裂?」

 神裂は、なんて自分が単純なのだろうと思った。肩が軽くなっていく感覚がした。冷え切った体温が上昇する。笑う皆を見ていると本当に何とかなってしまうような気がしてくるのだ。もう陰鬱とした悩みはなくなっていた。

 

 

 

「でも、いいの?絆は、その霊装は無くなってしまうんだよ」

「構いません」

 今度は神裂が答えた。

「.........わたしたち、天草式にとっては最も重要なのは貴重な霊装でも、受け継いできた術式でもありません。......仲間と共にあること、それが一番大切なことです」

神裂はどこか自分に言い聞かせるように言った。彼女は仲間を守るために天草式から離れたが、それは間違いだった。それは傲慢でよこしまな考えだった。彼女は薄く笑った。彼女の瞳にも決意の炎が灯った。

 

 

 

 彼らの様子を見て上条は思わず呟いた。

「なんだ、俺いらなそうじゃん」

「ちがうんだよ、とうま。多分、この作戦の最後にはとうまが、必要不可欠になると思う」

 作戦の流れをインデックスは改めて説明する。

 まず、海魔の中にアジの肉体を生み出す。

 次に、海魔殲滅包囲網を抜けて海魔へ向かう。

 最後には、アジを救い出して海魔を打ち倒す。

 暴走する海魔の肉体はいくら海魔殲滅包囲網が強力であろうとも、完全に破壊するのには難儀するはずだ。しかし、上条の右腕はそれを一気に解決する。魔の塊である彼の幻想殺しは、海魔を一撃で滅するだろう。

 

 

 

「本当は、とうまには行ってほしくないんだよ。でもきっと、とうまは聞かないだろうから、今回は私も付いていく」

「えっ!?」

「そもそも巨大な海魔の中から人間体のアジを見つけ出すなんて芸当は、私にしかできないんだよ。肉塊の魔力の流れを目印にして私がアジを見つけて、みんなが救出、最後にとうまの右腕の出番。この作戦は誰一人欠けても上手くいかないと思うよ」

 

 

 上条はワタワタと慌てた様子で、インデックスに考え直せなどと言っているが、彼女は聞く耳を持たず受け流す。とうとう上条は「不幸だ」などと言って大きくため息をついた。

 

 

 そのやり取りを見終えると、神裂たちは一歩前へ出て全員が礼をする。

「インデックス、そして上条当麻。どうか、アジを私たちを助けてください」

 頭を下げる神裂たちに上条は当たり前だろと、優し気に笑って返した。

 

 

 

 

 

 術式の準備はすぐに整った。建宮は通信術式を用いて、この場にいない天草式のメンバーに作戦を説明する。そして各々が絆を手に持ち、魔力をリンクさせていく。

神裂のもつ絆へ徐々に全員の魔力が集まってきた。その魔力をワイヤーで囲んだ肉塊に流していく。

 

 

 神裂は手で眠るような形をとるアジの分裂体に触れる。

 神裂は目を閉じた。そして思い起こす。自分よりも小さな少年の体躯、少し長めの黒髪、きれいに光る瞳、そしてあの笑顔を。絆は虹色の輝きを放った。それは徐々に大きくなり装飾の部分が罅割れていく。魔法陣が全員の絆に浮かびあがり、肉塊も発光する。

 

 

 ついに眩いほどの光源が辺りを照らし出すと、瞬間。バキリと虹色の絆は砕けた。肉塊は一段と光り迸り、まるで光線のようなものが一直線に伸び雲の先へ消えていった。その先には海魔がいるのだろう。海魔と肉塊はこれまで以上に密接な関係へと昇華した。

絆はさらさらと粉塵になって神裂の手から滑り落ちる。

 

 

 

「成功だよ!今、海魔の肉体に変化が起き始めてる!!」

 インデックスは叫ぶと、皆は霊装部分が消え去り、麻紐だけになった絆を腕に巻き始める。例え形が消え失せようとも絆は不滅だった。神裂はふと思い立って、その麻紐で自身の髪を結った。トレードマークのポニーテールに自身を整えると、息を吐く。

 

 

「行きましょう」

 神裂の快進撃が始まった。建宮はここにいないメンバーに向けて指示を飛ばし、日本海で落ち合うことを決める。そして神裂たちは術式を展開、一刻も早く海魔の元へ向かい始めた。神裂の背におぶさったインデックスは、指を差して導いていく。

彼女たちが去るときには、日は落ちはじめ夕焼けが差し込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 だからだろうか。

 肉塊にある変化が起きているのに誰も気づかなかった。いや、そもそも巨大な海魔の魔力に阻害され、インデックスすら気づかないことが起きている。

 

 

 

 虹色の絆が海魔の体内にあったのは、少し前のことだった。今は、分裂体が持っているのだ。そんなことは誰も露にも思わないだろう。今回の作戦は絆を核にして人型を生み出す作戦だった。ということは分裂体の中に、人型が生まれつつあるということだ。

 

 

 ちょうど、アジの面影をもった少年の瞳が虹色に輝き始めた。

分裂体に中にあったアジの細胞を集め、足りない部分は喰らった猟犬部隊の細胞が入り、さらに足りない部分には異形のモノが混じっていく。魂は、それに応じたものしか受け付けない。人型をもったならば、相応の存在が生まれていく。

 

 

 

「ウゥ、ウゥゥ」

 得てして生まれようとする新たな存在は、苦し気に唸っている。巨大な繭を破って外に這い出そうとする蛾のようだった。

 

 

 

 




説明が分かりずらかったら申し訳ありません。


科学サイド側のラスボスも生まれましたので、最終決戦がスタートします。
今後もよろしくお願いいたします。


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第42話

正直、これを書きたいがためにやってきました。


 「撃ちまくれ!攻撃の手を休めるな!!」

 ローブの男は檄を飛ばした。攻撃が始まってどれくらいたっただろうか。聖書に描かれたあらゆる破壊の描写を体現する霊装兵器は複数用意していた。40メールを超える兵器の数々は専用の魔術戦艦に装備されている。その砲撃の威力たるや、目や耳に防護術式を施していても完璧には防ぐのが難しいほどだった。

 

 

 

 空に浮かぶ要塞にも砲撃に余波が伝っていた。砲撃によって黒煙が立ち上り、水上爆発が何度も起きた。それだけではない。飛行艇からは遠距離の術式が絶え間なく降り注いでいる。まるで天から降り注ぐ炎と硫黄の嵐だ。魔術師たちの連続した魔術は、溶けあい変容している。混ざり合った魔術は都市すらも壊滅させる性能まで高められている。

 

 

 

 それでもなお。海魔の巨体は砕かれていない。最初の砲撃によって、頭部の半分を吹き飛ばしたものの、それ以降奴は体を絶えず流動するように変異させている。ときに幾重にも首を生やした巨龍、ときに触腕に覆われた怪物、ときに内臓や骨を剥き出しにした悪魔。霊装兵器が破壊した上から変異を繰り返し、傷跡は瞬く間にふさがっていく。

 

 

 

 長机の中央に置かれた球体から移される海魔の映像に、通信がいくつも入った。

「日本支部部隊の魔力が尽きかけています!」

「北米支部も同様です!人員が間に合いません!」

「結界維持部隊の交代完了しました!あと数時間は待ちます!」

 ローブの男は冷や汗をかきながら、それらの情報を処理、そして指示を飛ばしていく。海魔の耐久力は予想をはるかに上回った。攻撃するこちらの魔力も無限ではなく、いくつかの部隊は魔力切れを起こし結界の外へ退避。そして代わりの部隊を入れ替えたりしている。

 

 

「とっとと死ね、化物が」

 また海魔の肉が波打つように変異した。どろどろと溶け出す肉は、おぞましい姿へと変わっていく。今度は軟体動物の頭部に蝙蝠の羽が伸びたような姿だった。その変わり続ける海魔の不気味さに、皆恐怖を覚え始めている。

 

 

 このまま攻撃し続けなくては、ローブの男は歯ぎしりしながら思う。この攻撃が止めば、あの怪物の牙がこちらへ向いてくる。霊装兵器をもしも喰われたら、その分やつの魔力は回復され、一気に敗北へつながるだろう。このまま押し切る。それが最善だと男は信じていた。

 

 

 再び霊装兵器の雷が海魔の頭部に直撃した。黒煙が立ち上り海魔の巨体が不自然に揺れた。そして異変に皆が気付く。海魔の変異が起きない。

「勝機だ!」

 男は思わず立ち上がる。変異が起きないということは、魔力切れの可能性があった。もしくは体内の魔力循環が狂ったのかもしれない。何よりもここが正念場だと判断。霊装兵器を全て頭部に狙いを定めさせる。一気に肉を吹き飛ばすのだ。

 

 

 

 時間にして1分に満たない修正。すぐに一斉砲撃が行われる。雷、炎、光、極大の十字架、などが海魔に届き、一際巨大な爆発が起きた。衝撃波で大気が揺れ、結界がビリビリと波打つ。男たちが乗る要塞、そして包囲する飛行艇が大きく揺れた。

男が見たのは、頭部を完全に失い沈黙する海魔の姿だった。海魔は静止したまま変異を起こす気配がない。男は、それを見て勝ったのだろうかと思った。しかし、男は攻撃の手を緩める気などなかった。あの怪物の体を一片でも残すなと、攻撃を続けろと指示を出した。

  

 海魔の体は砕かれ、そして炎に包まれていく。巨体は真っ黒に焦げ始めていた。

 

 

 

 

                 ○○○○○○○○○○○○

 

 

 オレンジ色になった陽光が眩しかった。黄泉川が目を開けると自分は、道の端に寝かされているのに気付いた。しばし放心していた黄泉川だったが、何があったのかすぐに思い出した。

 

 

 全身を打ち付けた痛みをなぜか感じず、彼女は勢いよく立ち上がる。そして周囲を確認した。転倒する車両に変化はないが。警備員の全員はなぜか集められていた。皆、息をしている。無事なようだ。一体何があったのか、答えてくれる存在はいない。彼女は警戒しつつトンネルの方へ歩く。それでもアジの姿は見つけることはできない。そればかりかアジ以外のモノも一切見つからなかった。

 

 

 混乱する彼女にあるものが聞こえた。それは頭上。西日に照らされた灰色のボディには身に覚えがある。それは六枚羽だった。六枚羽は全部で三機。陣形を組んで飛んでいた。黄泉川は怒りに震えた。

「馬鹿野郎」

 アレに銃を向けるなどあってはならない。黄泉川は走り出す。六枚羽のことは黄泉川も知っている。あれは遠隔操作可能な自動自立型の兵器だ。非常に優秀なAIも搭載しており、味方と敵の区別も付けられる。最悪の場合は、自分が間に入れば一時的にでも攻撃を止められるはずだ。

 

 

 

 黄泉川は六枚羽の様子を伺いながらその後を追っていく。どうやら六枚羽すらもアジたちの行方を掴めていないらしい。一体どこへ行ったのか。

 

 ドクン

 

 黄泉川に耳に何かが届いた。それは腹の底を震わせるような音だ。

 

 ドクン

 

 まるで巨大な心臓の振動。規則正しく聞こえる音は公道の横。木々が茂る山の方向から聞こえている。あちらには学園都市の水源を支えるダムがあったはずだ。そこまで黄泉川が考えていると、六枚羽が急旋回する。どうやら搭載している機器もなんらかの振動をキャッチしたようだ。黄泉川は焦った。まず間違いなく、何かがいるのだ。

 

 

 

 黄泉川は半ば崖のような山を登っていく。黄泉川は肩で息をしながら、必死にもがくように進んだ。見えてきたのは灰色の巨大な壁のようなダムだ。貯水池もこの猛暑で水量が少ないような気がした。黄泉川は首を回して、探す。

 ドクン

 

 再び聞こえた音は反対。大雨などの時に水を流すクレストゲートの下。黄泉川がいる場所からおよそ縦に20m。そこに隠されるように巨大な肉塊が鎮座していた。

 

 

 それは間違いなくアジに関係するものだったが、それが何なのか黄泉川にはまるでわからない。巨大な肉塊はどこか卵か繭のようにも見え、規則的に脈動している。

 

 

 六枚羽は速やかに肉塊へ攻撃する。学園都市の演算システムを搭載したミサイルは周囲の被害を最小限に抑えた上で、怪物を爆撃した。

 巨大な爆発が起こり、黒煙が上がる。黄泉川の叫びは続けざまに行われる爆撃で打ち消されてしまう。そして火柱が上がった。

 

 

 黄泉川は肉塊を見る。燃え盛る肉塊は半ばから千切れ、焦げている。だが、それでも肉は蠢いていた。半ばから裂けた肉塊は急に変異を始める。続けて行われる爆撃と重機関銃の嵐を受けていながら、痛みに悶えるように動いた。それは苦しむ二匹の大蛇のようだった。皮膚は焦げ黒く染まっている。

 

 さらにドグンと、脈動がした。六枚羽は全ての武装を使って最後の爆撃を行った。その威力に黄泉川は後ろへ倒れてしまう。クソ!黄泉川は地面を叩きつけた。見殺しにしてしまった!死ななくてよかったはずだ!なぜ、こんなことに!後悔が彼女を支配する。思わず涙すら零れた。救えなかった。俯く黄泉川だが、異変に気付いた。

 

 

 バギンという鈍い音が「上」から聞こえたのだ。重くなった体を上げてみると、六枚羽の一機が何かに捕まれている。いや喰われていた。

 

 

 黒く巨大な龍のような蛇のような顎が回転する翼をものともせずに、バキバキと学園都市最強の兵器の一つを喰っている。鈍い音がする。凄まじい圧力がかかっているのがわかった。その一機はとうとう爆破し、破片が落下していく。

 

 

 落下する破片の中に何かがうずくまっている。それは人のようだが、大きすぎた。黒く巨大な怪物、そうとしかいえない存在が立ち上がる。龍の如き双頭を持ち、禍々しき腕と力強い脚、背には膜の無い蝙蝠の羽のようなものが生えている。見ようによってはマントにも見えるだろう。腰の辺りからはしなやかな尾が生えていた。

 

 

 立ち上がった怪物は、なんとダムより遥かに高い。50メートルはあるだろう。黄泉川は声が出ない。圧倒されているからではない。双頭の龍が生えるその付け根。そこにあるものが見えたからだ。それは少年の上半身だ。虹色の瞳を輝かせた眼からは恐怖からか、涙を流している。 少年が泣くと、龍も咆哮を上げた。

 黄泉川の声は再び爆音にかき消された。

 

 

 

 ゾロアスター教というものがある。炎を重要とする最古から続く教えであり、聖書にも影響を及ぼすほどの存在だった。その中にとある王と怪物が描かれている。

 王は肩からは双頭の黒き蛇を生やした暴君、ザッハークといった。

 魔術関係者が見たら卒倒する、比喩でなく太古の神話の顕現であった。

 

 

 偶像崇拝の術式は上手くいって、本物の何万の一程度の出力しかでない。しかし、海魔が内包する魔力は異常だった。龍脈という地球のエネルギーを吸い、生命の魔力を吸い貯めに貯めてきた魔力は、ワイヤーで封印していたという状態、周りに巻かれた炎の海という魔術的属性、偶然出来上がった形から、神話時代の怪物を甦らせたのだ。

 

 

 さて、ザッハークはとある怪物の化身ともいわれる。魔力のつながりが強固になった本体にも当然、変異が起ころうとしていた。

 

 

                   ○○○○○○○○○○

 

 

 突如して海魔の巨体は海へ崩れ落ちた。炭化したように真っ黒の巨躯はしぶきを上げて海中に没していく。ブクブクと泡を立てながら沈んでいく海魔を見て、魔術師たちは歓喜した。ローブの男もようやく張り詰めた気を緩め始める。

 

 

 終わった、誰もがそう思った。だがそこであるものを見つけた男がいた。

「なんだあれは?」

 騎士団の老兵は海魔との海中戦を終えても健在だった。大角を折ったものの、流石に力の押し合いには負け撤退していたのだ。老兵は映し出される映像の拡大を要求した。

 

 

 海魔が沈んだその場所の泡が途切れない。いやそればかりが大きくなっているではないか。それだけではない。その場所から海の色が変わっていく。まるで重油をこぼしたかのように黒く重くなっている。

 

 

 

 皆が映像に釘付けになった瞬間。爆発が起きる。黒い海は巨大な水柱を上げ、海中からは虹色の閃光が迸った。爆発は数回続き、そして一気に静かになった。暗黒の海が気付けば結界内の海域を広く汚染していた。

 

 

 その海の中から、何か伸びていくのを皆は目撃する。

 大洋からその巨体がゆっくりと這い出てくる。あまりにも巨大な影に感覚がおかしくなった。先ほどの海魔の形態のどれでもない。天を衝くような細長いものが伸びあがる。その大きさは島か山に例えられた海魔とも一線を画す。長大なものだった。

 

 

 灰色と黒と紫を混ぜあわせた不気味な体表には稲妻のような真紅の模様が走る。体から泥のような重い黒海水が流れ落ちていく。鎌首をもたげて空に咆哮するソレの顔が、映像に映る。

 

 

 複数の歪に曲がる赤熱する角、左右非対称の不気味な赤き眼はいくつもあり、裂けたような口からは重厚な魔力が迸っている。

まさに魔獣、世を喰らわんとする怪物の姿は龍によく似ていた。

 

 騎士は、魔術師は、その場にいるすべての人間が覚悟を決め、今、再び怪物へと攻撃を開始しようとした。海魔は死力を尽くし黒龍へと変貌を遂げたのだと、そして最終決戦が始まるのだと、皆が思った。

 

 しかし、彼らは勘違いをしていた。

 怪物の全貌を掴んだのだと、傲慢にも思ってしまったのだ。

 

 ふと、さらに辺りが暗くなった。ズッと巨大な何かが空を覆ったからだった。それは凶悪な顔。もう一つの首だった。そしてさらに、もう一つの巨影が蠢き、露わになるさらなる首。

 

 龍の首は一つではなかった。

 赤熱した角、複数の眼を持つ頭部は三つあった。

 三ツ首は再び咆哮する。怪物の背から闇の如き双翼が伸びた。その長さは片方で十㎞は下らない。背からはいくつもの触腕を蠢かせ、双翼の表面にはいくつかの眼の文様が見て取れた。

 

 魔術師たちは、驚愕する。眼前の存在が、いったい何を模したモノなのか。ハッキリと分かったからだ。

 

 

「ば、馬鹿な!」

 老兵は狼狽して叫ぶ。

「あらゆる悪の根源を成すモノ!?古き神々の一柱だぞ!?人間が対面できるものではない!」

 あれほど落ち着き払っていた老兵が震えている。

 

 

 彼らの前に顕現したのはアジ・ダハーカ。最凶最悪の邪龍だった。

 

 

 邪龍の一つが咆哮すると辺りが暗雲に変貌した、もう一つの頭が叫ぶと赤き稲妻が落ちた。そして真ん中の顎から怨嗟の声がもたらされた時、その場が異界へと変貌を遂げる。魔術、科学そのどちらのルールも歪んでいく。人知のまかり通らぬ空間が、世界を侵食していた。

 

 

 邪龍は身をよじる。そして双翼が淡く輝いた。瞬間、いくつもの小さなものたちが空に舞い上がった。それは泥のように黒い小さな飛竜に見える。かの邪龍は体から無数の眷属を生み出す術があったと、魔術師は思い出していた。

 邪龍の瞳は、煌々と虹色の輝きを放っていた。

 

 

 それはもはや悲鳴だった。あらゆる攻撃が再び邪龍に発射されたが、誰一人として希望を見出すことができなかった。黒い群れがこちらに飛んでくるのを魔術師は充血した目で見ていた。

 

 

 




アジって名前を付けたかいがありました。


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第43話

たくさんの感想、本当に嬉しいですし、やる気が湧いてきます!!
頑張りますので、よろしくお願いいたします!!


 

 駆動鎧に乗り込んだ警備員たちはようやく第21学区の山道に入ることができた。なぜだか駆動鎧の突入が遅れてしまった。それは実に不可解だった。駆動鎧に搭乗する全員が向かうべき方向を認識できなくなったからだ。電波の通りすら急速に悪くなったその地点で彼らは虚を突かれていた。

 だが、同時に突入していた六枚羽は無人機でありその関門を突破した。遠隔操作はできなくなるが、電波の通りの悪いところを重点的に移動することで目的地に到達。

 

 

 

 つい数分前には攻撃が開始されたようだ。

 すると突然、一気に山道を進むことができた。脳内のノイズが消えたというか、何かが変わったのを彼らは気づいた。彼らは飛び跳ねるようにして進んでいく。駆動鎧の運動能力は非常に高く、その重そうな風体に反して機敏だ。

 

 

 

 獣道のような整備されていない林の中ですら、容易に踏破してしまう。彼らの手には巨大なショットガンが握られている。その威力は大岩すら砕く。どれほど怪物が頑丈でも連続して発砲すれば、その肉を穿つのは簡単だとその場の全員が考えていた。

 

 

 

 六枚羽が発するGPSを確認しつつ、彼らはダム付近に到着した。そこで爆発音を聞く。攻撃が始まったのだと思った。そんな彼らの眼前に影が差した。雲が西日を遮ったのだろうか。いや、違う。

 

 

 山の向こうに陽光を遮る何かが生えている。黒いそれは天を突くように伸びあがっていく。

 

「なんだ?」

 

 駆動鎧の面々はその存在を見てもすぐに処理することができなかった。感覚が狂いそうだった。山の向こうから巨大な蛇や龍のような顔が生えている。その体表は影になっていることを差し引いても黒く暗い。大蛇が身をくねらせると、さらにもう一本、顔が伸びてくる。

 

 

 双頭の大蛇は咆哮した。それは宣戦布告にも聞こえたし、泣き叫ぶ赤子のようにも聞こえた。

 

 

 怪物は山を這うように進んでいる。夢でも見ているのだろうか。報告と何もかもが違った。その巨体はまさに小山。50メートルは超えている。

 プロペラの駆動音が聞こえた。六枚羽だ。なぜか二機しか存在しない。二機は巨体を揺らしながら進む怪物に銃撃と爆撃を行っていく。怪物からすれば実に小さなその二機に二つの首がそれぞれ喰いつこうとしていた。

 

 

 駆動鎧の部隊はあっけにとられたままだったが、そこで気づく。怪物は攻撃されつつも歩みを止める気配がない。その方向には街があった。街にこの巨体が入り込んだらその被害は計り知れない。

 

 

 駆動鎧たちは叫びながら、怪物を止めようと攻撃していく。再び、双頭の大口から悲鳴が放たれた。学園都市を代表する兵器の数々は、とても心もとなかった。

 

 

                  ○○○○○○○○○○

 

 

 

 空は暗雲が立ち込め、海は泥のようになっていた。空からは紅い雷が立て続けに落ち、周囲には翼を生やした奇怪なものたちが跋扈している。

 「おおエオ?(ここドコ?)」

アジはポカンとして呟いた。

 

 

 様々な攻撃を受け続けたアジの体は破壊され続けていた。だが反撃する意思はなかった。怪物の体で攻撃すれば怪我をさせてしまうからだ。同時に攻撃されてしまう理由くらいはアジの足りない脳味噌でもわかる。化物退治は魔術師たちの仕事のうちの一つだからだ。

 

 

 しかし、死ぬわけにはいかないとアジは思った。そのためアジは巨体を変異させ続けて攻撃を受け流し続けることにした。幸いなことに巨体の中の魔力総量はえげつなく、数日は攻撃をしのげるだろうとアジは思った。

 

 

 けれども、そこで巨体に不調が起こる。なんといきなり体が動かなくなったのだ。正確にいうならば自分の意思で巨体が一時的に操れなくなったのだ。まるで卵や繭にでもなったかのように巨体の外部は硬くなり、内部は凄まじい勢いで変異した。

 

 

 体内をかき乱す状態は初めてのことであり、アジは吐き気すら覚えた。変異の速度はもはやアジの知覚を超え、いつしか体内の魔力が爆発し、より超大な存在へと変わっていった。

 

 

 そして今にいたるわけである。

 アジは眼前に広がる光景を見て、思わず白目を剥いた。理解が追い付かない。アジの心情を表すように左右に龍は唸り声を上げた。なんとこの龍。触腕とは違って、簡易的な脳でも搭載されているのか、自律的に動くのである。それは過去に創ってきた分裂体と似ていた。

 

 

 巨体の中に、分裂体が生えたようなものだ。アジは全く嬉しくなかった。分裂体は実に本能的で、動物的だ。敵と認定すれば攻撃し、獲物はどんどん喰らってしまう。

 

 

 さらに不運は続く。

 なんと今、アジの上半身は人の形に保たれてしまっている。真ん中の龍の頭部からちょこんと少年の上半身が生えている、そんな形になってしまった。なんど体をひっこめようとしても巨体の肉の変異は起こらない。まるで外部から無理やり型に入れられたように三つ首の邪龍のまま変異しないのだ。

 

 

 アジには到底予測できないことだったが、それは虹色の絆を核に生まれた学園都市の怪物、アジによく似たホムンクルスのせいであった。片方の性質が片方にも影響してしまっているのだ。

 

 

 そしてアジの人間の部分が巨体からはみ出しているのは、アジ・ダハーカという規格外の存在によるところが大きい。神話時代の邪龍は悪の属性を持とうとも、神性を持つ。人は神にはなれない。なれたのは唯一、神の子だけ、ということになっている。そのため神であり悪の邪龍の肉体の中に、人間のいられる場所はなく、外に放り出されてしまったのだ。

 

 

 もっとも此度のアジ・ダハーカは本物ではない。本質はアジを核とした呪いである。よってアジの肉は完全には分離できなかったのである。

奇しくもインデックスの作戦によって、理由は違えど人間の姿をとっているアジ。だが人の体というのは非常にもろいものである。

 

 

 邪龍に向けて、いくつもの霊装兵器が再び光を放った。それを三つ首は容易に避ける。怪物にとってちょっと避けた程度の距離も、人からすれば一瞬で何百メートルと横に動かされるものだった。

「ジョッ!?(ちょっ!?)」

 

 

 邪龍はお返しと言った様子で、口内から莫大な黒き炎を吐き出した。その炎は人界のモノではなく、凶悪な熱量と光を放つ。そんなものがアジの目の前に展開される。

「バッツア!?アブッ!?(熱ッ!?眩ッ!?)」

 

 

 霊装は直撃し、一瞬で灰になった。アジはそれを見ることも敵わない。アジの人型の肉体は膨大な魔力で守られているので、死ぬことはないが、ただ怪物の挙動の一つ一つがめちゃくちゃキツかった。

 

 

 アジは思わずしくしくと涙を流してしまう。

「いアイ、うもいあウイ(痛い、気持ち悪い)」

 世界を腐らせる怪物の核は、実に情けない有様だった。

 

 

 

 アジが吐き気に悶えている間に、邪龍の眷属たる小さな怪物たちは、空と海から魔術師たちを襲撃。様々な霊装を腐らせ、喰っていく。しかし、未だ魔術要塞には歯が立たぬようだった。指揮の要であり、結界の維持補給もこなす要塞は堅牢な防壁で守られいる。

 だがそれすらも破られるのは時間の問題である。人の魔術に、モドキとはいえ神が負けるわけがないのだ。

 

 

 徐々に防壁は消耗していく。防壁が消えれば邪龍を囲んでいる結界も消える。そうなれば邪龍は世界に解き放たれるだろう。アホなアジは、その時世界がどうなってしまうかなど理解もできていなかった。

 

 

                 ○○○○○○○○○○○○

 

 

 

 黄泉川は走った。

 爆風と爆音が轟く中、山道を転がるように駆けていく。向かうべき方向は見失うわけがない。あれほどの巨体は、どこにいようと目に入る。

「アジ!」

 

 

 あれは彼女のよく知る少年だった。その巨体は見たこともないほどだったが、あの虹色の輝きと少年の顔はアジそのものだ。なぜ他の怪物が姿を消したのか、定かではない。しかし、黄泉川には予想できることがあった。

 

 

 自分たちを最後に襲った巨大な蛸のような怪物、あれは同じように暴走する肉塊を喰らっていた。そしてその肉を吸収し、より巨大になっていた。おそらくアジもその肉を吸収したのだろう。最後にはアジが全部を喰らいつくしたのではないだろうか。あの場にあった肉塊がすべてアジと一つになったと、黄泉川は考える。

 

 

 そして彼女は知っている。あの少年は自分から攻撃することはない。彼がその力を振るうのは反撃だけだ。だからこの、兵器での攻撃行為は無意味どころか火に油だろう。

黄泉川は思い出している。アジは泣いていた。

 

 

 あの涙が示すのは恐怖だ。訳も分からず攻撃される恐怖。学園都市の闇によって生み出されたアジだ。武装した人間がどれほど恐ろしいのか、知っているだろう。そしてそれを向けられる悲しさを彼は知っているのだろう。

 

 

 あんな非道な科学者の元で生み出され、学園都市の大人に銃撃される。

 ふざけるなと黄泉川は思う。だから彼女は走った。駆動鎧と六枚羽を止めるために、怪物が動き回る戦場へ向かっている。

 

 

 転げ落ちるように進んでいく黄泉川はついに一人の駆動鎧を見つける。彼女は激情のまま駆動鎧に飛びつこうとするが。視界に映ったのは黒いナニカ。とっさに伏せると、彼が巨体の尾になぎ倒されていた。

 

 

 

 追いついた。

 黄泉川は銃撃音の中を突き進んでいき、闘争の現場を目撃する。

 

 

 

 また一つ、六枚羽から不気味に軋む音がした。怪物の背から生えるナニカが六枚羽を絡めとっている。宙に繋ぎ止められたヘリに大蛇の顎が迫った。大口をあけてそれを喰うと、バキバキとかみ砕いていく。咀嚼するように口を動かす怪物に、最後に残された一機が攻撃をしかけていた。

 

 

「狙え!!脚だ!この化物を止めろ!!!」

 駆動鎧の一人が叫ぶ。手に持つショットガンで集中的に脚部を銃撃する。怪物とはいえ、構成部分は肉である。銃弾は足の肉を千切りとばしていき、怪物はよろけた。

だが、それも一瞬だ。怪物の肉が蠢き傷跡が修復していく。

 

 

 蛇は鎌首をもたげてヘリではなく、駆動鎧を見ている。大口が駆動鎧へ迫った。慌てて高速移動する駆動鎧だったが、バキンという音がした。アンバランスなほど伸びた蛇の首は、獲物を逃すことなく咥えこんだ。ヘリすら喰い破る圧力が駆動鎧にかかっていく。バキバキと鎧にひびが入っていった。

 

 

 バタバタと暴れるその駆動鎧はとっさに引き金を引いた。その弾丸は蛇の頭部、ではなくその付け根。涙を流す少年にぶち当たった。

「アジ!!!!!!」

 黄泉川は喉を裂くように叫び、さらに怪物へ走る。

 

 

 

 少年の頭部の半分が千切れた。その瞬間。怪物の動きは静止する。蛇の口から駆動鎧は零れ、仲間たちが駆け寄ってきた。動きを止めた怪物を見て、ひとりが言った。

「あそこだ!」

 彼らは、怪物の弱点を見つけたと思った。

 しかし、それは悪手である。

 

 

 

 少年の頭部は立ちどころに修復した。少年は自分の顔をペタペタと触っている。瞳から涙を流しているのは変わらない。しかし、その表情は悲しみから憤怒へ変化した。

 

 悲鳴ではなく、怒れる叫びが少年から発されると、蛇にも変化が起きる。

 黒い体表に赤い稲妻のようなひび割れが起き、空気が歪んだ。それは熱だ。

 

 

 そして口内から灼熱の炎が噴出された。

 怪物の怒りを体現するように双頭の口から吐き出される炎は、木々を焼いている。

 炎の手は駆動鎧と、そして駆けていた黄泉川に迫っていた。

 

 

 



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第44話

短くてすみません。
よろしくお願いいたします。


 

 

 上条たちは天草式の魔術によって学園都市を抜け、県を跨ぎ、日本海は新潟県へ辿り着いた。上条の右腕の影響で瞬間転移等の移動はできなかったため、時間がかかってしまった。空は鮮やかなオレンジ色から紫に染まっていた。

 

 

 日本海を望む砂浜。そこに沈んでいく太陽を見て、一同は目を見開いた。光輝く太陽はその姿を徐々に暗く変質させていた。夜が近い、というわけではなさそうだ。

 インデックスは太陽が黒く染まるという魔術的意味を考え、唸った。 

「日食? まさかね。時期外れにもほどがあるんだよ、いったいこれは?」

 

 

「大規模結界の中では、必要悪の教会が率いる部隊が海魔へ攻撃をしかけているはずです。霊装兵器の砲撃と連続した何百を超える魔術によって、見えている景色に影響を与えていることは考えられませんか?」

 

 

「違うと思う」

神裂の考えをインデックスは否定する。その表情は徐々に困惑から焦燥に変わっている。

「必要悪の教会の魔術の基本形は神の子の教えなんだよ。どんなに魔術が混ざり合ったとしても、黒にはならないし、太陽に影響を及ばすなんておかしい」

 インデックスは右手で頭を撫でながら続ける。

 

 

「イギリス清教においても太陽は重要だからね。一時的に太陽を止めて夜を先延ばしにする話もあるくらいだから、輝く太陽を黒に染めるなんて性質にはなりえない」

「じゃあ、なんだよあれ?」

「多分、海魔だよ。暴走した海魔の影響が結界の外に漏れ出してる」

 それを聞き、天草式の面々の顔つきも変わった。

 

 

 必要悪の教会が全力をもって展開する大規模結界。それを超えて太陽にまで変化を与えるほどの海魔。それが何を示すかなど言うまでもない。

 

  

 想像を超えて強くなっている。建宮を始め、海魔との交戦経験があるメンバーは思った。建宮が決死の覚悟で挑んだ海魔。あの時ですら内包する魔力を体から放出するだけで莫大な破壊をもたらしたのだ。それでもあの結界を破れるほどの威力はなかった。

それを超えたナニカ。今、結界の中で暴れ狂っているのはどんな存在なのだろうか。

 

 

 

「その通りだにゃー」

 一同の後ろから軽薄な声が聞こえた。短パンにアロハシャツが海によく似合っている。もっとも彼は常にその恰好なのだが。ヘラリと笑う土御門を見て上条は驚き、声をかけた。知り合いということで、一瞬で剣に手をかけていた建宮たちの殺気は霧散した。もっとも、その殺気を正面から受けても平然としている男に対する警戒度は上がっていた。

 

 

 

「土御門?なんで?」

「それなんだが。実験大好きな仕事仲間の見通しの甘さ、のせいでここまで駆り出されたという感じですたい」

「あん?」

 上条は要領を得ずに片眉を上げた。

「土御門、あなたは何を伝えに来たのですか?」

 神裂は彼に近づいてゆく。何の意味もなくこの男がしゃしゃり出てくるわけがないのだ。

 

 

「おっと流石、ねーちん。話が早いぜい。あの結界の中、そこにいる化物についてちょっとな」そういって土御門元春は、どこからともなく小さな水晶玉を取り出して、砂浜に投げた。砂の上を転がる水晶玉は輝き、映像を流している。

 

 

 

 見えてきたのは夥しい翼をもった怪物たち。一つ目の翼竜、翼の生えた蛇など多種多様でグロテスクだ。皆、コールタールのようなドロドロとした黒い粘液のようなものを垂らしている。その悍ましき群れは、空に浮かぶ古城のような魔術要塞や飛行船のようなもの、そして海に浮かぶ魔術戦艦に殺到し、喰らい、腐らせている。結界にも頻繁にぶつかり、その身を燃やして海中に没している。しかし特攻は無駄ではなく、透明な結界の至るところに墨が入ったようにじわじわと侵食していた。

 

 

 

 一同は愕然とする。その群れにはではない。

 黒き海の真ん中に居座る巨体。

 禍々しき赤眼は複数あり、赤熱する曲がり角、裂けた口にびっしりと不揃いの牙。蠢く首は三つあり、背からは闇のような巨翼が伸びている。それは咆哮する。世界を裂く音撃だ。

 

 

 「なん、だ」

 魔術に疎い上条ですら、その存在に戦慄した。デカい怪物などという簡単なものではない。世界にあだなす存在。人知に及ばぬナニカ、そうとしか言いようのない恐怖が上条の腹の中に蠢いている。

 

 

「うそだ!」

 純白のシスターは思わず叫んだ。彼女の脳内の魔導書にとっては、眼前の存在を認めることなど到底できなかった。

「千の魔術を操る蛇龍!?悪の根源にして神の敵対者!?あんなもの、どうして!?」

 

 

「必要悪の教会の見解では、たまりにたまった魔力と膨大な生物たちの死骸、そして何らかの感情がトリガーになって奇跡的に生まれたんじゃないかってことだ」

 土御門は普段の飄々とした態度を崩して冷徹に話す。

「元々、海魔の属性は呪い。そこにいろんなものをミックスして生まれちまった邪龍モドキ。それがアレだ」

 

 

「もどき、だなんて言っていられない。あれが結界から這い出てきたら世界が狂ってしまうんだよ!邪龍が生み出す魔力に世界が耐えられない!」

「ああ、だから俺たちで何とかするしかない」

 土御門いわく、すでに魔術要塞の司令部は部隊のコントロールを失い、それぞれの魔術師が決死の覚悟で戦闘を続けているそうだ。しかしながら、それすらも焼け石に水だ。あとどれほど結界がもつかもわからない。

 

 

 

 状況は切迫している。今すぐにでも結界へ向かう必要があった。しかし、一同は沈黙している。無理もない。百戦錬磨の魔術師でも、いやだからこそ邪龍の脅威がわかるのだ。勝つなど、滅するなど、到底不可能だと。誰もが心の底に絶望が芽生えそうになる。

 

 

 

 

 だが、彼らはあるものを目撃する。

 邪龍の頭部。その巨大さゆえによく見えなかったが、それは人の姿に見えた。少し長い黒髪が生え、少々幼いその顔は歪んでいる。涙を流して、口を動かしていた。

 きっとそれは、助けを求める声だった。

 

 

 

 土御門は口を開く。

「邪龍になった感情のトリガーは恐怖、だそうだ。誰のか、なんて言うまでもないな」

 上条は右腕を力強く握った。恐怖は大いなる感情の前に消え去った。

 ふざけるなと、上条は思う。アイツがあんな目に遭うなど許せるはずがない。

 

 

 上条は宣言するように言った。

「いくぞ」

「ああ、世界を救うぞ」

「ちげぇよ、アイツを、アジを助けに行くんだ」

 

 

 彼の言葉を聞いて、天草式の面々は頷く。そうだ。ようやく彼を助けるチャンスが来たのだ。邪龍の一匹や二匹、喜んで相手にしてやろう。

 

 

 

 

 

 建宮は懐からとある和紙を海に投げる。和紙は凄まじい勢いで変化、巨大化し一隻の船が姿を現す。それは天草式の得意魔術の一つ。彼らは海戦を得意とする集団だ。海上の魔術において彼らの右に出るものは少ない。

「行くのよ」

 

 

 全員はすぐさま乗り込み、結界へ突き進んでいく。建宮一同、以外の天草式の魔術師たちも海上で続々と集合していった。船の数は全部で九つ。船はグングン勢いを増し、海上を駆けていく。建宮たちの船の船首に土御門は札を出して立った。

 

 

「水、そして結界。こいつらは陰陽博士の土御門さんにお任せなんだぜい。上やんが結界に触れただけでゲームオーバーだからな。船が通る分だけ穴をあけてやるにゃー」

「おい、お前、魔術使うと体が」

「なぁに、天草式の連中の回復術式も中々だし、倒れた俺をすぐに介抱してくれりゃあ、大事にはならないぜ、それに」

 これはちょっとした罪滅ぼしだしな。と土御門は続けた。あの少年をクソ科学者に任せたのはこちらの落ち度だ。そのせいでこの様。なればこそ、多少の無茶は仕方がない。

 

 

 

 その意図を読めぬ上条を置いてきぼりにして、船は結界にたどり着く。土御門が詠唱を開始、すぐさま血管が千切れ内外から出血していく。だがその効力は抜群だ。

透明な空間に、亀裂が走った。空間が破れ、向こう側とつながっていく。土御門が倒れたのと同時に、九つの船は結界の中に突入した。

 

 

 

 空には化物の群れ、海は黒く、正面には邪龍が身をくねらせている。化物の群れは船の存在にいち早く気づくと、金切り声をあげて殺到する。

 

 

「七閃」

 

 

 瞬間、それらは肉片へと姿を変えた。

 神裂は静かに宣言した。それは言いたくて、言いたくて仕方がなかった言葉だ。

「今、助けます」

 更なるグロテスクなものどもが彼らに肉薄していった。

 

 

 



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第45話

毎回の誤字脱字のご指摘、本当にありがとうございます。
今まできちんとお礼を申し上げずに大変失礼いたしました。


 

 木々の隙間を縫うように炎の波が黄泉川の眼前に押し寄せた。灼熱の壁に激突した彼女の体は吹き飛ばされる。背から地面に叩きつけられた衝撃に肺が潰れ、息が止まる。あえぎながら何とか息を吸おうとして、黄泉川はせき込んだ。ふと異臭が鼻をつく。長い髪は焦げ、着こんでいたボディアーマーは溶けていた。黄泉川はふらつきながらに立ち上がった。

 

 

 

 炎は木や草を焦がしていたが、そのまま燃え移った様子はなかった。ブスブスと煙を上げる中、赤熱する双頭の蛇は咆哮を続けている。そしてその心情を表すかのように荒れ狂い、周囲を破壊している。先ほどまでの、ヘリや駆動鎧を狙った正確な攻撃はなく、腕や尾を使って木々をなぎ倒し大地を掘り返している。

 

 

 

 土埃が舞う中、いくつかの影が動いているのを黄泉川は見つける。駆動鎧たちだ。学園都市製の特殊な外装は、先ほどの炎にも負けなかったらしい。駆動鎧は暴れ狂う怪物の様子を観察しながら、後方へ飛び退いている。あのまま攻撃し続けても意味がないと判断したのかもしれない。最後の一機になってしまった六枚羽もその場から離脱し、怪物だけが残された。

 

 

 

 黄泉川は痛む体を無視して、駆動鎧たちを追った。怪物の唸り声に後ろ髪を引かれながら、走った。

 

 黄泉川は焦る。時間がないのだ、あのままアジが暴走を続ければ今度こそ街へ進んでしまうかもしれない。今度は、六枚羽だけでなく光線兵器などによってより苛烈な攻撃を開始される可能性も高い。今しかないのだ、あの少年の顔が外に出ているのなら、まだきっと間に合うはずだと、自分を鼓舞し続けていく。

 

 

 不幸中の幸いか、黄泉川が追いかけると駆動鎧たちの一団はすぐに見つかった。暴れる怪物が俯瞰できる高台で彼らは話し合いを始めている。その中心に彼女は飛び込むようにして体を滑り込ませた。

 

 

 

 突然現れた彼女に驚く面々に、黄泉川は口を開く。

「私は、第17学区の警備員、黄泉川愛穂!この作戦について話すことがある!!」

「第17学区?無事だったのか!」

 駆動鎧を装備しているのは黄泉川と同じ警備員だ。そのため彼らが黄泉川を受け入れるのは早かった。彼女は、その流れに乗じてこれまでの経緯を口早に伝えていく。その話を聞き、面々は各々の反応を示した。

 

 

 正直なところ、いきなりやってきて彼は少年であり、被害者だと言われても納得できないという雰囲気が充満した。しかし、黄泉川の表情や様子を見て皆、理解する。至る所に傷を負い鬼気迫る表情を見て、どれほどの想いがあるのかがわかった。

 

 

 

「なるほど、お前の話はわかった。だが、あれほど暴れ狂う彼をどう止める?とてもじゃないが言葉が通じる状況とは思えん。山を下りてきたクマのように麻酔銃を撃ち込めば止まるか?」初老の隊員が言った。

「.........いや、麻酔や薬の効果は薄いはずじゃん」

 

 

 彼女はアジの体を考える。彼は自身の体を維持するために以前、劇物の入った薬品を吸収していた。しかも胃や内臓は通常の生き物とは違い、様々な体組織で消化・吸収を行う。そのため対生物用の薬が彼に効くとは思えなかった。

 その後もいくつかの案が出るが、どれも上手くいきそうにないものばかりだった。

 

 

 

 皆の考えが尽きかけたとき、黄泉川は一つだけ考えがあると話す。

「私が説得するじゃん」

 彼女の考えはこうだ。アジの人の体、それに銃弾がぶつかったとき、彼はひどくショックを受けていた。巨体や蛇に攻撃された時にはなかった反応だ。あの少年の体こそ、巨体の核だと彼女は話す。そして少年が落ち着きを取り戻せば、暴走は止まるはずだと伝える。

 

 

 黄泉川は思い出す。それは最初に出会った時と同じことをするだけだ。恐怖し威嚇する彼のそば、巨体に飛び乗り少年の前まで行き、そして無害だとここには怖いものはいないのだと伝えるのだ。

 

 

 

 「危険すぎる」

 駆動鎧のメンバーの誰もが彼女の意見に反対した。そもそもあの暴れ狂う少年の近くまで黄泉川を近づける方法もないのだ。残された武装も心もとなく、あの六枚羽ですらすでに二機も撃墜されてしまった。この状況でどうやってあの怪物の動きを止めればよいというのか。

 

 

 

「さっきみたいに脚を狙う。それでアジがよろけた時に私が飛び乗る」

 黄泉川が一言いうと、反論がいくつも飛んでくる。

「無茶苦茶だ。そもそも脚の損傷はたちどころに修復していた。そう簡単にいくとは思えん」

「もし怪物がよろけたとしても、どんなに小さく見積もってもあの少年までは30m以上はある。もし彼に飛び乗るつもりなら怪物を完全に転ばせるしかない」

「仮に六枚羽での集中砲火を脚部に集中して転ばせたとしても、あの黒い蛇に捕まる方が早いはずだ」

 

 

 話し合いはまとまらない。彼らが顔を突き合わせている間に、徐々に一対の蛇頭の赤熱がおさまってきていた。怪物がもし狂乱を終えて、街へ進みだしてしまえば、今度こそ怪物と学園都市との戦闘が始まってしまうだろう。

 

 

 

 

 「黄泉川さん!!」

焦る黄泉川の背後に大声がぶつかった。それは気絶していた鉄装の声だ。振り返ると見た影は一人ではない。突入した部隊が何人もこちらに走ってきた。

 

 

 

 黄泉川と駆動鎧は、集合した彼らに顛末を迅速に伝達した。ここにいない突入部隊のメンバーを加えればかなりの人員になっていた。しかし状況は好転しない。むしろ時間をかけ過ぎた。怪物はとうとう暴れるのをやめて、ゆっくりと歩みを再開した。地鳴りのような音を立てて怪物が歩く。何か、目的地があるのではと思ってしまうほど、一直線に怪物は進む。

 

 

 

 怪物の脚は、その巨体を支えるためか太く、そして指の形も見慣れないものだった。歪なほどの指があり、どこか木の根のようにも見えた。それらがしっかりと地面を掴むように動いている。

 それを見て鉄装はブツブツと呟き、もしかしたら、とその場で考えを話した。その作戦は決死の覚悟が必要なものだったが、時間も選択肢も彼らには残されていなかった。

 

 

 

 

                  ○○○○○○○○

 

 

 

 双頭の蛇は山道を抜け、公道を突き進んでいた。日は陰り暗くなる中、怪物の眼が一層輝いているように見えた。根本の少年の涙は枯れることなく、唸り声を上げながら両手で顔をぬぐっている。怪物の尾が街灯をなぎ倒し、踏みしめたコンクリートにヒビが入った。

 

 

 破壊を伴った移動を続ける怪物に、突如、強力な光が浴びせられた。それは六枚羽に装備されたサーチライトだ。光に目を焼かれた怪物は当然のように興奮した。

 怪物は蛇の首をグングン伸ばしながら前のめりになっていく。六枚羽は近づいてくる狂相にガトリング砲を浴びせる。先ほど同様に、効果は薄いが問題はなかった。六枚羽に蛇が注意を向けること、それこそが狙いだ。

 

 

 ガトリング砲の掃射音が響く中、怪物の後ろから猛スピードで近づく影。黄泉川たちが乗ってきた装甲車だった。数台の装甲車のエンジンは唸りを上げて突き進んでいく。

 

 

「流石、学園都市製じゃん!!」

 山道に乗り上げ、横転し、怪物に砕かれてもなお装甲車の馬力は健在だった。今度はしっかりとシートベルトを締め、ヘルメット等で完全武装した黄泉川は、アクセルをベタ踏みしている。外装は剥げている装甲車の上には数体の駆動鎧が乗っている。装甲車は怪物への距離が縮まっても速度を落とさぬまま、その巨木のような脚に激突した。最早割れるフロントガラスもなく、鋼鉄の塊と化した装甲車は怪物の脚にめり込んだ。

 

 

 

 ガクンと怪物の体勢が崩れた。その隙を彼女たちは見逃さない。ぶつかった衝撃で抉れた肉に駆動鎧はさらに一斉射撃を続ける。修復しようと不気味に盛り上がる肉の勢いを削ぎ、銃弾によって骨が見えていた。

 

 

 

 装甲車の中から這い出した黄泉川や、隠れていた警備員たちは手に持った防御盾や自身のヘルメット、警棒などを肉の中に無理やり押し込んだ。

 その様子を見て一斉に銃撃を止め退避する一同。

 

 

 

 砲撃が止んだ瞬間に、脚部の肉はすぐさま治癒を開始。瞬時に元通りの脚部になったかに見えたが、違う。

 銃撃などの攻撃が一切ないのにも関わらず、脚は勝手に断裂し、肉が抉れていく。それは内部に残された異物が原因だ。巨体を支えようと脚に力が入れた部分から盾や警棒が不気味に生えていた。

 

 

 

 怪物は再びバランスを崩して、今度こそ耐えきれずに這うような形になった。

 

 

 鉄装いわく、これは怪物の修復能力を利用する作戦だという。怪物の脚への集中攻撃は、損傷を与えることが可能。その剥き出しになった脚に、異物をねじ込んでしまうというのだ。

 

 

 黄泉川は動きを封じられた怪物を見ながら、鉄装の言葉を思い出していた。

『あんな巨大なものが二本足で立ち上がるには両脚の力だけでなく、絶妙なバランスを保つ力があるはずです。そしてそれを幾つも生えている指で補っている。その部位に硬い異物を混入させたらどうでしょうか』

 

 

 いうなれば関節の中に鉄の棒が突き刺さっているようなものだ。本来曲がる部位に硬い棒が入っているのだから、当然通常通りの動きはできなくなる。抉れた肉が修復するその瞬間に、異物である武器やヘルメットをねじ込めば肉の中に置いてくることができる。

 

 

 這うような形になる怪物の動きは急速に鈍くなっていた。黄泉川は駆け出した。ヘルメットや防具を脱ぎ捨てて軽装になって、巨体の隙間を縫うように進んだ。駆動鎧たちや鉄装たちは、持てるすべての武装を使って彼女を援護する。

 

 

 倒れる怪物の腕に集中砲火するもの、六枚羽と共に蛇頭の注意を引くもの。そして、決定打の欠ける鉄装などの突入部隊は大声を上げたり石を投げつけたりして、少しでも黄泉川の存在を隠そうと動く。

 誰もが必死だった。泣く少年を助けるために、自身を顧みないで叫んだ。

 

 

 

 身震いする怪物の異腕に黄泉川は手をかけた。そしてするすると登っていき、遂に少年めがけて飛んだ。彼女の腕が少年に巻き付いた。

 

 

 少年は驚いたように目を見開いた。そして獣のように唸り声を上げる。細いその両手に黄泉川を押しのけようと力が入った。

 離すものか、黄泉川は奥歯を砕きそうなほど食いしばる。

 

 

 

 少年はさらに混乱した様子になった。それは怪物の体にも変化をもたらす。蛇頭はまるで鞭のようにしなって大地を叩き、異物を含んだ脚部はぶちぶちと肉を裂きながらも強引で巨体を持ち上げた。

 背から生える骨の如き触手が地面に突き刺さり蜘蛛の脚のように巨体を支えた。

 

 

 

 巨体は少年の恐怖に応じて変異していく。

 蛇頭は赤熱しつつ、もはや蛇の頭部は溶け出してイソギンチャクのようなものになった。腕や脚も体を支えるために幾重にも裂かれて、今度こそ大木の根のように大地を悶えるように潜っていく。

 

 

 近くにいた警備員、駆動鎧たちは吹き飛ばされ、蠢く肉体の変異に巻き込まれぬように離れていく。

 

 

 

 黄泉川は宙ぶらりんになった足をなんとか動かした。そして変異する怪物に足をかけて、先ほどよりもしっかりと少年を抱きしめる形になる。

 

 

 慄く少年はさらに叫び、巨体はさらに激しく暴れた。振動に振り落とされそうになりながらも黄泉川は少年の方を向く。彼女の顔が濡れる少年の瞳に映された。目があった少年は、顔を真っ青にして、自身の体を作り替えていく。

 

 

 

 少年の瞳は虹色に輝き、鮫のような鋭い牙、猛禽類のような鋭い爪を生やして、なおも抱き着く黄泉川の腕に思い切り喰らいついた。防具のない彼女の腕は容易に裂かれ、少なくない血が噴き出す。

 ゴリリという音がした。骨に牙か爪が達した音だ。グチグチと凄まじい力が入っている。

 

 

 

 少年の輝く瞳が黄泉川を射抜く。一気に力が弱くなる黄泉川の体は、ずり落ちそうになった。激痛により気力はみるみるうちに減退した。

 

 

 

 

 それでも彼女は決してあきらめない。

 彼女は残された片腕を少年に伸ばして、爪や牙には一切触れずに彼の涙をぬぐった。

 

 

 

「大丈夫じゃん」

 黄泉川の表情が少年の瞳に再び映る。血色こそ青白いものの、それは痛がるそぶりも見せない、優しい笑みだった。彼女はゆっくりと言い聞かせるように話す。

 

 

「怖かったな、びっくりしたな」

 指は少年の頬から耳、そして頭へと続きゆっくりと撫でていく。少年は困惑するように体を震わせ、縮こませている。少し噛む力が弱くなった。

 

 

「お前は、悪くない。大丈夫、大丈夫、少しずつでいいから落ち着こうじゃん」

 少年の耳に、声が届き始めた。輝いていた瞳の光が徐々に小さくなった。

 暴れ狂っていた怪物の体の動きも明確に鈍っている。

 

 

 大丈夫、大丈夫と続ける黄泉川だったが腕の絶え間ない激痛は無視できず、出血と疲労によって彼女の精神も肉体も限界が近づいていた。

 とうとうガクンと、黄泉川の膝の力が抜ける。あわや落下しそうになる彼女。しかし、そのとき瞬時に怪物の体から伸びた触腕が黄泉川の体に巻き付いた。

 

 

 触腕はおっかなびっくりといった様子だったが、彼女の体を十分に支えることができていた。少年は牙と爪を縮めていき、出血する彼女の腕を見た。

 裂かれた肉と噴き出した赤色に少年の表情が変化する。

 

 

 彼は天草式の願いが形になった存在だ。例え人でなくとも心は存在している。彼の中には見た目通りの幼さがあり、そして同時に最低限の知恵もあった。

 その傷がなんなのか、少年にははっきりとわかった。

 

 

 再び彼の瞳から涙があふれ始めたが、その意味は先ほどまでとは大きく異なっていた。それを見て黄泉川は息を大きく吐き出して、彼を抱きしめる。少年の嗚咽はどんどん大きくなっていた。

 

 

 黄泉川は泣き続ける彼をずっと撫で続けている。

 怪物の体は、溶け出すようにゆっくりと弛緩した。

 

 

 

 




また投稿が遅れてしまいました。
よろしくお願いいたします。


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第46話

 

 

 夥しい量の肉が海中に落ちていった。煌く七閃と唯閃の一撃で、黒雲のごとき異形の大群は蹴散らされていく。聖人、神裂の扱う魔術はまさに怪物たちにとって天敵だった。魔を払う聖なる導き手の物語はそれこそ腐るほど存在し、怪物たちの姿は悪魔としても扱うことができる。邪な存在を討ち滅ぼすのに、聖人という性質はうってつけだった。

 

 

 

 だが、同時に彼女の内包する魔力は怪物たちにとって垂涎ものだ。それまで霊装や魔術要塞に喰らいついていた怪物たちも、彼女たち天草式の進軍に気付いたようで、神裂の乗る船へ一層激しく襲い掛かった。

 

 

 

 斬っても斬ってもキリがなかった。流石の神裂も舌打ちをするが、そこに憂いはない。彼女は一人ではないからだ。

 

 彼女の剣戟の隙間をついて、40cm程度の小型の怪物が矢のように肉薄した。蝙蝠のような翼とシュモクザメのような頭部をもつ不気味な生物だった。彼女はそれを無視して眼前の大群だけを見据えている。あわや彼女の顔に怪生物がたどり着こうとした瞬間、うねる大剣がそれを切り刻む。

 

 

 建宮の持つフランベルジュによって怪生物は不可思議な傷口と火傷を負い、船上にボトボトと落下した。未だ這いずるそれを貫くのは海軍用船上槍。長大な槍を軽々と振り回す五和の背後に、今度は海中から襲い掛かる影。

 

 

 コールタールのような海水をまき散らしながら飛び出てきたのはアンコウのような頭部をもつ化物。彼女はそれに槍を振ろうとするが、直後、少年が飛び出した。

 

 

「あぶねぇ!」

 上条の右拳によって怪物は内部から爆発するように、霧散する。

「大丈夫か?」

 上条は五和を見て話す。戦場にあてられたのか目つきの鋭い彼とは対照的に、五和はドギマギとしていた。上条はそれを見て頭を捻り、後ろでガシャガシャと歯を鳴らすインデックスが二人を見つめている。

 

 

 

 戦況は目まぐるしく変化し続けている。神裂の大規模な一撃、上条の拳による必殺と天草式のチームワークによって大きな被害は未だないものの、異形の大群は大小様々な形態を取り空と海から息つく間もない攻撃を続けている。彼らがいかに一流であろうとも疲労は確実に蓄積していった。

 

 

 

「くそ!まだ遠いな!」

 上条はインデックスに顔を向けた怪鳥を殴り消しながら吠えた。海上に鎮座する邪龍の大きさが規格外のため、距離感がおかしくなってしまっている。突入からすでに数十分経過したが、近づいている感覚がまるでなかった。

 

 

 上条が邪龍を睨む。虹色の輝きが迸っている頭部はゆらゆらと動いている。長大な大翼が震えると目玉のような文様が幾つも浮かび上がる。そして翼から、夥しい数の怪物達が放たれていく。まるで無限の軍勢だ。邪龍の眷属は斬っても滅してもいくらでも生み出されていく。上条が舌打ちをすると、ふとインデックスが彼の服を掴んだ。

 

 

 

「おかしい、魔力の流れが変わって………とうま!!!」

 彼女が叫ぶのと同時に、あれほど眩かった虹色の輝きが消え失せる。暗くなった邪龍の首の一つ。その頭部の大顎を開いた。不揃いで歪みきった牙の並ぶ口内に赤黒いナニカが蓄えられている。

 

 

 

 上条の全身が粟立つ。見ているだけで心臓の鼓動が弱まるような、腹の底から冷え切っていくような感覚が彼を襲った。それは死の気配そのものだ。

 瞬間、眼を焼く閃光が煌き、おぞましき黒炎が彼らの乗る船へ放たれた。

 

 

 

 あまりに巨大なソレを見て、竦んでしまった足を無理やり動かして上条は進む。右腕を黒炎に伸ばす。接触はすぐだった。体が粉々になったかと思った。上条の右腕はその効力を発揮したものの、莫大な量の黒炎の奔流は船を後方へ吹き飛ばす勢いがあった。その力のすべてが彼の腕にかかっている。

 

 

 黒炎を完全に消し去ることはできておらず、何度も何度も奇怪な音が響いていた。

 上条は咆哮する。そうしないと自分の存在が消え去ってしまうと思ったからだ。

 

 

 右腕から鈍く不気味な音がした。腕が千切れていないのが不思議なほどだった。気を抜けばすぐにでも腕が曲がってしまいそうだった。しかし、曲げてなるものかと上条は力を入れる。もし刹那でも黒炎を防ぐのを止めれば、全員が消し炭になるとわかっている。

 

 

 

「とうま!!!」

 膨大な炎の前に諦めていないのは上条だけではなかった。インデックスは少しでも彼の右腕が耐えられるよう、彼の手を掴む。

「上条!」

「上条さん!!」

「上条当麻!!」

 彼女だけではない。建宮、五和を含む天草式の面々も続々と彼の腕や体を支えていく。そして最後には神裂が彼の右腕をしっかりと掴んで固定する。傍から見ればそれは焼け石に水かもしれない。しかし、上条の心は燃えあがった。眼前の炎などもはや怖くはなかった。

 

 

 

 拮抗していた数十秒後、上条の限界のすんでのところで、黒炎は突如として消え失せた。勢いがなくなったことで、彼らは後ろに倒れてしまう。肩で息をする上条は邪龍を見た。なんと中央の頭部が黒炎を吐いていた首に喰らいついていた。

 

 

 まさか仲間割れの訳もない。小さく見えるものがある。中央の頭部に生えた少年の姿だ。いつの間にか幾重もの触腕に捕らわれて苦しそうにするアジの姿が見える。彼が助けてくれたのだとすぐにわかった。

 

 

 

 だが、安心したのも束の間。

 邪龍はこちらを見やると、おどろおどろしい叫び声をあげた。それは怒りか、恨みか。上条たちを見ながら首がうねり眼がぎょろぎょろと動いた。そして翼が脈動する。

 まさかと上条は思ったが、予想は的中した。

 

 

 

 邪龍の巨体がふわりと浮かぶ。長大な邪龍はその身をくねらせながら宙を泳ぎ、船を飲み込まんと口を開いていた。すぐさま巨影が彼を覆い隠す。

 闇が降ってきたようだった。

 

 

 邪龍からすれば船は小さすぎたのか、狙いは正確とはいえなかった。そのため奇跡的に複数ある船のどれもが喰われてはいなかった。けれども超巨大な体積が降ってきた影響で黒海に生まれた大波に船は飲み込まれていく。重く冷たい海水を浴びながら、不気味に光る眼が上条を貫いた。そして細く長い触手が彼に伸びてきた。

 

 

 

 体勢が整わない上条はいとも容易くそれに絡めとられてしまう。彼の体は乱暴に振り回され、上条の体は唐突に解放された。浮遊感があり、少なくない衝撃が彼の背を襲った。

 

 

 ゴツゴツとしたゴムか岩の中間のような感触がする。なんとか体を起こして周囲を見渡すと黒と紫と赤が混ぜ合わさったような不気味な色合いが飛び込んでくる。平坦でなくいくつかの隆起したものがあり、海水に濡れ、蠢く触腕が海藻のようにぽつぽつと生えていた。そして見えてくるのは巨大すぎるナニカ。赤黒い水晶のようなものがギョロリと動く、先ほどまで上条を貫いていた眼だとすぐにわかった。

 

 

 

 上条が今いるのはまさに邪龍の頭部の上だった。

 グチャグチャと怖気走る音がした。左右の眼のその間。そこに見える幾重もの触手の中心に、少年の姿があった。彼は両腕を広げて上条を見ていた。アジは目に涙を流しながら懇願するようにこちらを見ている。

 上条は右腕を見る。これで自分を終わらせてくれと、彼は言っているのだ。

 

「馬鹿野郎」

 上条の全身に震えるほどの力が入った。

 

 

 

 

    ○○○○○○○○○○

 

 

 

「いおうあウイ………(気持ち悪い………)」

 ゆらゆらと自分の意思に反して動きまわる体は、これまでに感じたことのない揺れをアジに与えた。いつもならば人外の体ゆえ、多少の揺れなどへもなかったのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。

 

 

 完全に人の体だ。体からは触手を伸ばすことも正確に操ることも難しい。変異できる大部分が邪龍に移ってしまったようだ。完全に分離しているわけではないので、体は動かせないわけではないのだが、あまりにも勝手が違った。

 

 

 酔いと吐き気を我慢しながらアジは少しずつ今の体のことを理解していった。そのおかげで徐々に自分の状況、もとい、やらかしの惨状が見えてくる。

 

 

 邪龍の体は独自行動をとった。魔力補給のためか様々な分裂体を生み出しては霊装などから吸収し、魔術師に対しても死なない程度に魔力を奪っては無力化していった。正直なところこれでは魔術世界に戦線布告しているようなものだ。アジは白目を剥いて、絶望する。

 

 

 彼らの攻撃は耐えて耐えて耐え抜けば、それで終わるはずだった。隙をついてこれまで同様に逃げ出せばよいはずだった。それなのにこの体ときたら余計なことをしやがってと彼は怒り唸った。

 

 

 しかし、同時に困惑するのは時折左右に生える二つの首が、アジのことを見つめ舌を出したり、体に擦り付いてきたりすることだ。自分の生える頭部もそれは同じようで、攻撃を黒炎で防いだ際にはどうだとばかりに喉を鳴らした。

 

 

 おかしなことだが、自分の体なのに独自の思考をもつこの首と体はアジの機嫌を気にするような態度をとっているようだ。以前にも勝手に触腕が伸びたり、分裂体が長い時間をかけて本体に合流したこともあった。それでもここまで露骨ではなかった。これまで分裂体を作り続けてきた弊害か、それとも突然生まれた偶然か。とにかく邪龍の体はこれまで以上に難儀なものだとアジは思った。

 

 

 自身のこれからのことを考えると涙すら零れるアジだったが、ふと視界の先に猛スピードで近づいてくる何かが見えた。なぜか空を覆って眷属たちがソレを狙って突撃し、続々と消滅させられている。

 

 

 何事かと目を凝らしてみれば、それはまさしく天草式秘伝の海上霊装であった。その船首に乗るのは我らが聖人、神裂火織だった。その表情は決意に満ちている。怒りを隠そうともしないで、こちらを見ている気がする。

 

 

 アジはそこで思う。もしかして、今回のやらかしを彼女はめちゃくちゃキレているのではないかと。

 アジの額から冷や汗が噴き出した。

 ちょっとまってほしい、アジは誰もいないのに言い訳がましく手を伸ばす。これまでのことを彼は考える。

 

 

 魔術に無関係な人々からの援助、学園都市での戦闘と破壊活動、そして現在の魔術関係者へと攻撃。果たしてそれらは正義の味方たる天草式の一員として許されるものだろうか。もしかして建宮たちが怒っていたのも、恩人黄泉川を守るためとは言え、学園都市の怪物とレベル5の電撃使いとの戦闘に加担したのを知っていたからではないだろうか。

 

 

 

 アジは、思い出す。魔術は秘匿すべきものだったはずである。

 今の自分はどうだろう。魔術、大公開祭りじゃないだろうか。

 

 

 アジは再び突撃してくる面々を見る。攻撃の一つ一つに熱い思いが感じられ、その瞳は燃えていた。加えて船には化物を殴りつけて一撃粉砕する上条さんと、こちらを指さすインデックスさんも乗っていた。

 彼は確信する。やべぇ、これはヤベェ。彼の眼には全員がアジをボコボコにするぐらいブチ切れているように見えた。

 

 

 アジは涙を流し、届かないだろう仲間たちに謝罪していた。

 

 

 

 その声を聞いた首の一つも、上条たちの乗り込む船を発見。

 どうやら本体は困っているのだと感じたようだ。

 そしてガバッと大口を開けて魔力を練り込んでいく。

 本体が困らせるものはとりあえず吹き飛ばせばよいのだと、感じたようだった。

 

 

 

 莫大な黒炎が船に伸びていった。

 アジは突然の攻撃に何事かと驚き見る。

 「あうあオウ!!(馬鹿野郎!!)」

 アジは思わずそう大声をあげて、自身が操る頭部の口をがぱっと開く、そして巨体に生える首に一つに喰いついた。その首は驚いたように目を見開いた。

 

 

 なんじゃその顔ハ!?アジはさらに叫んだ。くそう、この体もう嫌ダ!とアジは頭を抱えている。ブチ切れた仲間たちも恐ろしいが、この体の勝手な行動も恐ろしい。あっちには魔術ならすべて一撃粉砕する上条さんが乗っているのだ。さらに怒らせてどうするというのか。彼にはこの体を治してもらうお願いがあるノニ!!

 

 

 怒ったアジを見ても三つ首はゆらゆら揺れ頭を捻っている。くソウ!とアジは吐き捨てて船を見ると、上条さんがこちらを睨んでいるように見ていた。

 アジは後悔に震えた。声も出ていただろう。本当に何してくれてンダ、とアジは思った。もはや一刻の猶予もない。

 

 

 この惨状をすぐさま収めなくてはならない。このままだとさらに良くないことが起こりそうだった。早くこの体を治して天草式のみんなに、た、例え怒らせてでも助けてもらわなくてはいけない。とりあえずこの体を、上条さんの能力によって消し去ってもらえれば、大群や勝手に動く首はなくなるはずだ。

 

 

 

 そう考えたとき、邪龍の翼が震えた。

 まさかと思ったが予想は的中した。アジの心を雑に汲んだ邪龍の巨体はふわりと浮かんで、船の方にひとっ飛びした。そして彼らの船の目と鼻の先にザブンと海中に身を落とした。

「あんえあオォ!(なんでダヨォ!)」

 

 

 あまりに雑すぎるだろとアジは泣く。グワングワンと人間の体が揺らされ千切れそうになったので、自身の周囲に無数の触手でクッションを作り、なんとか耐えたアジ。アジは焦燥しつつも、ここまできたら勢いにまかせようとも思っていた。

 破れかぶれであり、軽い自暴自棄であった。

 

 

 

 アジは泣きながらグルグルと周囲を見渡して、件の少年を見つける。

 そして触腕を伸ばして彼を掴みとると、自分の近くに強制的に連れてきた。ゆっくり降ろそうとして、勢い余って少しばかり落としてしまったので、アジはさらに泣いた。

 

 

 

 目の前にいる上条さんに、アジは両手をあげて、頭を下げて謝った。言葉にできずとも態度や気持ちは伝わるはずだ。アジは泣きながら彼を見る。

 彼は俯き、力の限り拳を握り締めていた。

 

 

「馬鹿野郎」

 これはもうダメかもしれない。

 アジの瞳からさらに涙が零れ落ちた。

 

 

 

 



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第47話

 

 蠢く触手の中で儚げに泣く少年がいる。上条は犬歯を剥き出しにして彼を睨んでいた。それは決して、この状況や彼から被った痛みから来る表情でない。普段から不幸なれしている上条からすれば、そんなものは些細なことだ。それにアジは憐れな被害者であり、なんとしても救われるべき少年だ。

 

 

 だからこそ上条は怒っている。

 救いを自ら手放そうとするアジに対して、烈火の如く怒っている。

 

 

 上条とアジの目が合った。彼の涙にぬれる瞳は、微かに虹色に光っている。アジは必死に言葉を紡いだ。時にぎこちない笑みのようなものを浮かべ、ポロポロと涙を流し続けながらも口を動かしている。

 おそらく呪いに長年蝕まれた舌や口は、不明瞭な音を吐き出すことしかできないのだろう。けれどもその秘められた感情は痛いほど伝わってきた。

 

 

 

 ごめんなさい、許してください、と彼は言い続けている。

 蠢く触手が彼の頬や腕に這いずっている。彼の体の異常も、そしてこの戦場の惨状も、邪龍の攻撃も、それら全てに対して、彼は謝罪し続ける。

 

 

 

 そうじゃねぇだろう。

 上条の腹の中に膨大な熱が溜まっていく。右腕には万力のように力が込められた。この右手は断じてアジを滅するものではない。ギョロリと未だにこちらを観察する邪龍を殴りつけてやるためにあるのだ。

 

 

 

「ふざけんじゃねーよ!!」

 とうとう上条は激昂した。彼の声を聴いて、アジはびくりと体を震わせ、触腕は一斉の動きを止める。

 

 

「ここまで、ここまで仲間が来ていてまだわかんねぇのか!!」

 言ってやらねばならない。上条にはこの場をすべて解決できる力などなかったが、それでも目の前の大馬鹿者に伝えてやることぐらいはできる。上条が一歩、近づく触腕がアジに絡みついた。核を守る呪いの防御反応だろうか。触腕の海に捕らわれようとしても、アジは未だに謝っていた。まさに小さな子供のように、なんどもなんども許しをこう。

 

 

 

「みんなお前のために命を懸けてここにきたんだ。建宮も五和も神裂も、どんなに絶望的な目にあってもあきらめず、小さな希望をかき集めて、想いを一つにして、ここにいる」

上条の背後で音がした。自分などよりも頼もしい魔術師たちが怪物に乗り込んできた。

 触手はさらにアジを取り込まんとしている。もはや顔だけしか見えないほど、触手は不気味に蠢いていた。

 

 

 

「それなのに、お前があきらめてどうすんだ」

 大太刀を構えた聖人が、うねる大剣を背負った男が、槍を、メイスを、様々な武器を手に持った魔術師たちが続々と歩いてくる。最後には純白のシスターが胸を張って上条の隣に並んだ。

 

 

「この光景を見て、まだお前が自分が死ぬことが最善だと考えているなら、そんな下らない幻想は俺たちがぶち殺す!!」

 上条は右腕を前に出して宣言した。それに合わせるように魔術師たちはそれぞれの得物を構えた。それを見たアジは、一層大粒の涙を流した。そして、ぶちぶちと触手を千切りながら手を伸ばした。必死に、もがく様に、彼はその身を動かした。

そして口を動かす。これまでの中で、一番明瞭な音を出した。

「た、すけ、えうアイ………」

 

 

 

 「当たり前だ!」

 その声が合図になったように魔術師たちは弾けたように動く。同時にアジは触手の海の中に一気に引きずり込まれた。邪龍は咆哮する。怪物の体表が蠢き、巨大な触腕や不気味な眷属たちが生まれ、上条たちを襲っていく。

 ここが正念場、ここが最終決戦だと誰もが理解した。

 

 

 

 「唯閃!」

 上条の横から凄まじい勢いの風が吹いた。開幕の一撃に神裂が触手の海を斬り飛ばしたのだ。その威力によってアジの顔が一瞬に露わになった。あわよくばすぐさまアジを救出したかったが、流石にそう簡単にはいかないようだ。次々に生み出される触手はまさに無尽蔵のようで、アジの体を見る前に新たな触手が覆い隠す。ゴリ押しでは効果は薄い。唯閃を放った彼女は邪龍にとって天敵と判断されたのだろう。幾重もの怪物たちが彼女に突撃してくる。

 

 

 

 「とうま!」

 インデックスの声を聞き、上条は神裂に飛来する怪鳥を殴り消した。邪龍には右腕を触れないように気をつけながら、大小様々な怪物を屠っていく。インデックスはつぶさに怪物の動きを観察している。彼女の探知能力はすさまじく、魔力の流れから眷属が生み出された瞬間には上条に、巨大な触腕が生えた際には天草式に指示を飛ばした。

 

 

 

 彼らの連携は海上戦からさらに洗練されたようで、有象無象の怪物や触腕の攻撃では傷一つ負わなくなっている。インデックスは攻撃の途切れた瞬間を見計らって話す。

「この怪物にとってアジは大切な核なんだよ、そう易々とは外には出さないはず。でも私たちの魔術の効果で深い体内までは移動できないんだよ。すぐそこにアジの体はある。問題はどうやって動きをとめるかだね」

 

 

「唯閃の手ごたえから、直接的な攻撃の効果は薄いようですね」

「なんか肉体の動きを弱める術式とかねーのか?それこそ封印とか何でも」

 「この戦場で、そんな緻密な術式は難しいのよな。それに相手は伝説の邪龍だ。生半可な術式は意味がねぇ。それこそ、この怪物の伝説から弱点を見つけ術式を構成せにゃらなんだろうな」

 

 

 伝説、その言葉を聞きインデックスはハッとしたように手を口元に運んだ。

「もしかしたら」

 その続きをインデックスが言う前に、上条は彼女を突然、抱えた。そして一気に踏み込んで前に倒れるように移動する。

 

 

 三つ首の内の一つが、突っ込んできたのだ。

 幸いにして誰も飲み込まれてはいないようだが、その威力は巨体ゆえに規格外だ。上条たちが乗る体表を削り飛ばし、再び鎌首をもたげている。

 

 

 「無茶苦茶しやがる!!」

 邪龍にとって傷はなんの支障もないようだ。すぐさま肉は蠢き、修復していく。インデックスと上条の周囲に再び神裂が集まってきた。皆が無事なのを確認すると、インデックスは再び口を開く。

 「あの首、利用できる。それを使えば、一気に邪龍の動きを止められるかも!」

 インデックスが指さしたのは建宮がもつ大剣フランベルジュだった。彼女は口早に作戦と扱う魔術を伝えていく。それは危険な賭けだったが、しかし建宮と天草式は喜んでその作戦を了承した。

 

 

 突如、地割れのような音が響いた。それは邪龍の唸り声だ。先ほどとは違うもう一方の首がこちらを見据え口を開いている。幾重にも生えた牙と血のように真っ赤な舌が見えた。死の大顎はすぐさま迫ってきた。

 

 

 

 

            ○○○○○○○○○○○○

 

 

 建宮は自身のフランベルジュを見て笑う。この土壇場に来てまさかのご指名だった。自分の刃でなければ不可能な作戦。アジを救い出す最大の一手が自分に託されたのだ。嬉しくないわけがなった。

「ちょっと、アンタ一人じゃないでしょ?」

  笑う建宮を見て、隣の対馬が小言を言った。周囲の天草式の面々も浮かれる建宮に一言ずつ罵倒する。それが建宮には心地良かった。こいつらといれば、伝説の怪物など雑魚だと、心の底から思えた。

 

 

 

 歪みきった龍頭が突撃してきた。

 今だ、と建宮が叫ぶと、メンバーたちは手に持つワイヤーを展開。一人では耐えきれぬものも、全員ならば時間は稼げる。まるで漁師の扱う網のようになったワイヤーは開かれた大顎を覆った。不揃いの牙ゆえに絡まり開閉の邪魔をする。邪龍は鬱陶しそうに唸った。

 

 

 なんと建宮はその開かれた口内へその身を滑り込ませた。凄まじい熱気だった。一呼吸で肺が焼かれるかと思った。しかし、建宮は笑う。額から大粒の汗をかこうが、手が火傷しようが関係なかった。このクソ化物に一泡吹かせてやれるからだ。

 

 

 彼は大剣を舌に突き刺して落下速度を緩めると、術式を練り上げる。

 口内に自ら飛び込む行為自体に「勇敢さ」という魔術的意味を織り交ぜていく。波打つフランベルジュは燃え盛る火を表し、彼の身に着ける服に描かれたオレンジの十字架は火力を示す。そもそもフランベルジュは炎を意味する大剣だ。よってこの術式との相性は抜群だった。

 

 

 

「やれ!!!」

 彼の声かけで網のようになっていたワイヤーは口内に侵入。フランベルジュに巻き付くと、その場の天草式全員の魔力が注がれ、フランベルジュは巨大な火柱をたてて燃えあがった。その勢いに建宮は口外へ吹き飛ばされる。体を焦がしながらも、投げ出された体は仲間たちが受け止めてくれた。

 

 

 

 邪龍は怨念のこもった瞳で建宮たちを射抜く。今だ落下中の彼らはまさに餌のようだ。再び飲み込もうとして口を開いた邪龍だったが、その瞬間、さらに炎は勢いを増した。もはやそれは爆発だ。炎は遂に邪龍の顔を貫き、頭部を焦がしながら燃えている。

 

 

 

 邪龍は唸り、咆哮するがその動きは鈍っていく。焦げた頭部はすぐさま修復するが、その動きは鈍っていき、巨体全体へ伝播。神経締めした魚のように痙攣する怪物を見て、建宮は中指を立てた。

 

 

 

 本来、アジ・ダハーカは龍ゆえに炎や火はほとんど効果がない。龍は火を噴くものだ。しかし、アジ・ダハーカにはとある伝説がある。火の神アータルとの逸話だ。アータルは襲い掛かるアジ・ダハーカにこう告げた。

「口の中で燃え上がり、お前が世界を破壊できないようにする」と、その言葉にアジ・ダハーカは萎縮し退散したのだ。この術式はこの物語を利用したものだった。当然、人間が火の神の炎など扱えるわけはない。しかし、建宮のもつフランベルジュやワイヤーにより補強によって増強された魔術は、数分は邪龍の動きを止めることに成功したのだ。

 

 

 

              ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 一切の動きの止まったのを見て、神裂は駆けた。触手の海にたどり着くと、彼女は聖人の怪力でそれらを強引に引きちぎる。早く、早く、彼女の手はどんどん深くかき分けていく。

 

 

そして遂に、

「アジ!」

 彼女は少年の手を掴み上げた。ぶちぶちと強引に引き上げていく。アジは目に涙を浮かべて神裂の顔を見ていた。

 

 だが、怪物はしぶといものだ。

 

 

 

 急激に邪龍の体はクズクズと溶けるように形を変え、異形へと変貌していく。インデックスは魔力の流れが変化したのを看破した。学園都市から伸びる魔力のつながりが変異している。

 

 

 彼らは知る由もないが、学園都市の怪物の体が徐々に変化した影響で、邪龍の体を保てなくなっていたのだ。アジ・ダハーカでなければフランベルジュの炎の拘束は意味をなさない。龍とはとても言えぬ姿へと変貌を遂げていく。海洋生物をごちゃ混ぜにした存在、純粋な魔力の怪物、海魔へと巨体は変化した。

 

 

 

 アジを取り囲む触手が暴れ狂った。

 アジを体内へ引き込もうと凄まじい力が込められている。さしもの聖人といえども化物との綱引きに勝てるわけがない。幾重もの呪いの腕が彼を再び闇の底に落とそうと絡みつく。

 

 

 それでも彼女は決してあきらめない。

 今、掴んだその手はあの夜、掴み損ねた手だ。

離せるわけがない。離してなどやるものか。

 

 

 

「絶対、絶対に離しません!!!」

徐々に引き込まれていく少年の体。もう手だけが触手から見えるだけになっている。おびただしい触手は掴む神裂をも取り込まんと巻き付いてきた。ふざけるな、ここまで来て、そんな、神裂の心が悲鳴を上げ始めたところで、ガシっと彼女を掴む腕が幾つもあった。

 

 

 

 それは先ほどまで空に投げ出されていた天草式だ。

 神裂が必死に繋ぎ止めていたおかげで、間に合ったのだ。

 

 

 「アジ!」五和が叫ぶ。

 

 「アジ!」浦上が、牛深が、諫早が吠える。

 

 「アジ!」野母崎が、香焼が、対馬が咆哮する。

 

 「アジ!!!」そして建宮が焼け焦げた手でアジの手をさらに掴んだ。

 

 

 

 神裂は怒鳴る。

 脚や手からブチブチと何かが千切れる音がした。痛みが全身を走った。だから何だというのだ。神裂はさらに力を加えた。蠢き続ける触手の海に神裂は言う。

「ア、 アジィィイイイ!!!!」

 

 

 

 ブチブチブチと千切れ飛ぶ音がした。それは神裂の肉が千切れた音、ではない。触手を千切り飛ばしてアジを救い出した音だった。少年はようやく神裂の胸の中に抱かれている。仲間たちの手の中にいた。背や脚は未だに変異したものが張り付いていたが、気にするものか。

 

 

 

 

 ドグンという脈動がした。核を失った呪いの異体が激しく痙攣している。安定を失った巨体は狂ったように悶え、巻き付き、分裂を繰り返している。邪龍の首だったものは、ミミズのようなモノへと変質。最早、ナニモノでもなくなったその肉塊はそれでも宿主を見つけようと抱き合う彼女たちに肉薄した。

 

 

 

 山の如き肉が彼女たちを飲み込もうと近づくと、それに飛び込む影。

 甲高い音がして、肉塊はさらに悶え苦しみ、ボロボロと崩れていく。

「再会に水さしてんじゃねーよ!!!」

 幻想殺しは、ついに呪いを遠慮なく殴りつける。その影響で上条たちが乗っていた巨体も遂に崩壊を始め、彼らは落下していく。そこに再び突撃してきたのは超巨大な肉塊の荒波だ。ドロドロに溶けた異体が彼女たちを襲わんと最後の力を込めて集合している。

 

 

 

 上条は落ちながらも拳を握った。

 抱き合う彼女たちを守るように身を翻すと襲い掛かる肉の大波に向き合った。

 肉塊は恐ろしき音を発している。

 それは唸り声だろうか、いや違う。

 単なる大出量の肉がぶつかりあう音だ。生き物ですらない、死骸の集まりに、少しだけ本能が混ぜられたもの。おそらくは呪い、としか表現できぬもの。それだけでは存在できないもの。怪物にも成れない憐れで悲しいものだった。

 

 

 

 

 上条は弓を引くように右腕を引き絞る。

「お前がまだアイツを引きずりこもうっていうのなら」

 

 肉が上条を飲み込んだのと同時に、彼の右拳が勢いよく突き出された。

「その幻想をぶち殺す!!!」

 

 

 

 甲高い音が響いた。

 あれほど蠢いていた肉塊の動きは突如として止まる。

呪いといわれた肉塊は、その力を全て失い。海へ落下していった。黒く淀んでいた海は青さを取り戻し、暗雲は消え去った。空には星々と月が顔を出していた。

 

 

 

 



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第48話

 

 

 アジは弁解した。それこそ零れる涙を無視しながら、身振り手振りを交えて「ごめんなさい」「本当にすいません」「許してください」「わざとじゃないんです、この体が勝手に!」と何とか許してもらおうと努力した。

 

 

 しかし、アジが言葉を紡ぐたびに目の前のツンツン頭の少年の形相は恐ろしいものになっていく。まさに怒髪天。握る拳の震えがその激情を示していた。

ここに来るまでの道中か、もしくは最後の攻撃が切っ掛けか、理由はともかく彼がブチギレているのだけは間違いない。

 

 

 

(ど、どうしてこんなコトニ………)

 アジはこれまでのことを思い出す。実に迂闊なことばかりしてきたのだと、今更ながらに後悔していた。けれども過去は変えられない。今、アジにできることは許しを請うことだけである。

アジは再び言葉を紡ぐ。言葉として伝わなくとも思いは伝わるはずだと願いながら、彼は必死に彼に訴えかけた。

 

 

「ふざけんじゃねーよ!!」

 どうやらアジの願いは砕かれたらしい。一歩こちらに近づいてきた上条さんの迫力にアジは縮こまった。

「ここまで、ここまで仲間が来ていてまだわかんねぇのか!!」

(アア!すいまセン!!本当ニ)

 普通の男子高校生が出せる威圧感ではなかった。流石は学園都市の能力者だ。アジが心底ビビってしまった。彼の怯えを表すように続々と触手が彼を守ろうと動き出した。触手の束はアジの全身だけでなく顔にまで及び、耳まで覆い隠してしまった。

マズイとアジは思った。上条さんの声が触手のせいできちんと聞こえなくなっていったからだ。焦る気持ちは触手にも伝わってしまい、上手く操ることができない。

 

 

 

 

「みんなお前の―――――ここに――――。建宮も五和も神裂も、――――あっても―――――――集めて、――――一つにして、―――――」

(ヤバイヤバイ!!!聞こえナイ!!!)

 ボロボロと泣くアジの瞳に映り込むものが見えた。

 続々と上条の横に並んでいくその面々。フランベルジュを構える建宮を筆頭に武器を構える天草式の魔術師たち。そして遂に七天七刀を構える神裂。全員が揃い踏みだった。

上条さんが、さらに何を叫んでいる。もはや聞こえないし、正直聞くのも怖かった。どれほど彼らが怒っているのか、そう考えるだけのアジのメンタルはやられていく。

 

 

 

 アジは懇願する。もはや許してください、という言葉では意味がないことに彼も気付いたのだ。彼は波打つ触手を押しのけて腕を出す。本当は拝むような形にしたかったのだが、震えと彼を防御しようとする触手のせいで上手くいかない。

 

 

 せめて、それならせめてと、彼はこれまで以上に、丁寧にゆっくりと話そうと心掛けた。せめて命だけは、

 「た、すけ、えうアイ………(助けて下サイ)」

 

 

 

 瞬間、彼らはアジに向かって走り出した。アジは恥も外聞もなく泣き出して、できるだけ触手の内部へ入っていった。その後すぐに巨大な衝撃が走る。神裂の唯閃が触手を斬り飛ばしたのだ。何とかしのいだものの、マズイ。怒れる彼女は誰にも止められないのである。

 

 

 続けて何度も轟音が響いているのをアジは感じていた。何かが削れる音、砕かれる音、甲高い音、爆発する音など、物騒なものばかりだった。怯えるアジはこのまま引きこもっていても、さらに彼らの怒りを買うだけだと知っていても、中々外に出る踏ん切りがつかなかった。手をこまねいているアジだったが、唐突に体の痺れを感知する。

 

 

 

 まるで全身が石になったかと思うほど関節が硬くなり、瞬きすら困難になった。息をするのがやっとというありさまだった。もしかすると直接的な魔術でなく、封印などの絡め手を使ったのかもしれない。

 

 

 アジが動けない体で四苦八苦していると、触手でできた暗がりが突如として暴かれる。見てみるとそれは強引に触手を引きちぎる影。長いポニーテールをはためかせ、食いしばるように力を込める神裂だった。

 

 

 

 終ワッタ!!アジはそう思った。神裂はアジの手を力強く掴むと動けぬ彼を引きずり出そうとした。抵抗することはできなかった。同時に、恐怖からアジは吐き気や倦怠感に襲われる。高熱にうなされる風邪のような症状に、彼の意識は混濁していった。

 

 

 アジにとって知る由もないことだったが、学園都市で生まれたアジモドキが変異したことで巨体の邪龍化がリセットされていたのだ。しかし凶悪な存在がいきなり変質したこと、そしてアジの人間部分の多くが外部に晒されたことで、アジは魔力酔いともいえる症状になっていた。

 

 

 

 気持ち悪イィ。呑気に苦しむアジは手を掴む力が強くなっていくのを感じた。そして一気に体が外に引きずり出されたのを知った。素肌が外気に晒される感覚を味わったと思ったのと同時に、アジの瞼がグッと重くなった。これまで規格外ともいえる膨大な魔力が絶えず循環していたのに、それが急遽遮断されたのだ。体は魔力切れのような症状も併発した。

 魔力酔いと魔力切れによってアジはすっかり気絶してしまった。時折体が揺らされる感覚を味わいながらも、とうとうその日のうちに起きることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おぉん、ういあえん。うういえうあああいぃ(うぅん、すいません。ゆるしてうださい)」

 アジは苦しそうに唸りながらあるものを抱きしめていた。それは非常にやわらかくどこまでも腕が沈み込んでいきそうなものだった。

ふと彼の鼻を何かがかすめた。ムズムズとしてアジはくしゃみをする。

 

 

 

 自身のくしゃみの音でビクンッと体を震わせた彼は目を覚ました。どうやら抱きしめていたのは布団。道理でやわらかいわけである。布団の端が彼の鼻を刺激したのだろう。

 

 

 

 目覚めたばかりのアジは混乱しつつも視線を動かす。

 見えてきたのはまず窓。キラキラとした陽光が差し込んでおり、小鳥の鳴き声が聞こえた。ここはどこだろう。アジはぼやける頭で考えるが、まるで身に覚えのない場所だった。

 

 

 

 彼が頭を動かすと、ギシリと軋む音がする。寝ていたベッドが鈍い悲鳴を上げている。アジは移動しようと抱きしめていた布団から手を放して、体をよじった。ベッドはさらなる苦悶の声を上げた。

 

 

 

 アジがベッドから下りようと上体を起こしたのも束の間。腕や足に力が入らず上手く動かせないことに気付く。案の定、アジはバランスを崩してぶちゃと床に落ちた。

 

 

 いアア、と彼は呟いた。床にへばりついたままではいけないと、膝に手を当て、足に力を入れようとするが、再びずるりと倒れてしまう。

 やはり力が入り切らない。痺れているのとも違う。アジはどうしようかと思ったが、別に足だけで立たなくともよいことを思い出す。

 

 

 

 背から触腕を二本ほど伸ばして、足の支えにした。だがその触腕はどこかおぼつかない。これまでにない感覚だった。ノソノソ、ふらふらと彼は部屋を歩く。ここはどこかの寝室のようだ。随分質素だとアジは思った。彼が寝ていたベッドとその近くにある棚が一つ、備えつけの鏡と扉ぐらいしか物がない。

 

 

 アジはふと鏡を見る。いつの間にか簡単な服を着ている。誰かが着せてくれたのか。

 

 

 誰か?

 そこでアジの記憶が一気に蘇る。

 

 

 

 巨体での戦い、そして迫りくる上条さんと神裂たち。あの後どうなったのだろうか?アジはそこで気づく、本体との魔力のつながりが無くなっていることに。それはつまりあの巨体から解放されたことを意味していた。

 

 

 あれだけ怒っていた上条さんたち。アジは仲間たちの怒髪天の表情とその魔術攻撃の勢いを思い出して震えつつも、巨大すぎる体から解放された喜びを噛みしめる。しかし、あのまま怒れる仲間たちを放置するのもいけない。はて、彼らはどこにいったのだろうか。

 

 

 

 

 ガチャリと音がした。アジは扉の方を向いて、再び足をもつれさせた。長き海中生活の名残か、人間体を動かすことが少なかった弊害か、アジの体は衰えているようである。少年の体は後方に倒れゴトンと頭を打つ。目に星が飛んだ。

 

 

 アジの倒れた音に気付いたのか、扉を開けた人物は倒れたアジを見つけると慌てて駆け寄った。

 彼女はアジを抱き起して頭や体などを触っていく。少し冷たい指先がアジの頭を撫で、頬に触れた。アジは唸って目を開く。神裂火織がほっとした顔でアジを見つめていた。

 

 

 

「大丈夫ですか」

 神裂が自身を抱きかかえているのに気付くと、アジは身をよじる。それは羞恥よりも単純に驚いているからである。彼が最近見た彼女はといえば、鬼も逃げ出す激昂聖人、太刀で何でも切り結ぶ最強の魔術師としての姿である。そんな彼女がなんとも優しい表情をするではないか。アジはどういうことかイマイチわかっていなかった。

 

 

 ともかくアジは神裂に大丈夫だと言葉で返そうとする。だがやはりというか、人外生活が長すぎたゆえか、彼の口からは舌足らずというか不明瞭というか、不可思議な音が漏れるばかりであった。

 

 

 

 自分の口から飛び出す音を聞いて、アジは無意識に口に手を当てる。これでは会話もできないと再び焦るが、神裂はその手を優しく包み「いいんですよ」と言った。

 いったい何がいいの?アジは視線で訴えるものの、ただ微笑む彼女を見て伝わっていないことを察した。神裂はそんなアジを見て、今度は思い切り彼を抱きしめた。

 

 

 

 高身長の神裂が彼の胸に顔をうずめるようにして、両腕を回す。アジは突然の彼女の行動にドギマギする。どうしたのか、アジには本当によくわからなかった。

 一方で神裂はアジの心音を聞いているようだった。それが聞こえることがどれほど彼女を救っているのか、少年には理解できないだろう。トクントクンと脈動する音は命ある証拠である。

 「よかった、ほんとうによかったです」

 

 

 アジを抱きしめる彼女の体は徐々に震え、そしていつしか瞳から涙があふれていた。泣き出した神裂。アジは変動の激しすぎる彼女を見て、困惑しつつも何かあったのかなぁと思って彼女を抱きしめ返してやる。胸にある彼女の頭を優しく撫で、もにゃもにゃと何かを言うアジ。彼女は一度そんな彼の顔を見るなり、さらに勢いよく涙を流して彼の胸に顔を擦りつけた。

 

 

 わんわんと泣く神裂と、傍目には優しく彼女を受け止めるアジを見て、ドアから続々と顔を出す面々がいた。それは男泣きする牛深であったり、抱き合う五和と対馬であったりした。その後ろで建宮は辛抱たまらんといった様子で皆を押しのけるように駆け出すと、神裂と同じくアジに抱き着いた。

 

 

 その勢いに各々の天草式もアジの元へ向かい、抱き着いたり、撫でたり、泣いたりとそれぞれが自分の感情を吐き出していく。アジだけが皆の様子に驚き、どこかきょとんとしていたが、徐々に彼らの優しい空気に触れ自然に瞼を閉じた。彼らがもたらした熱をアジは感じながら、息を吐いて本当に安心した様子で神裂の頭を撫で続けた。

 

 天草式とアジはこうしてようやく再会を果たした。思考のすれ違いは相変わらずだったが、それぞれが持つ親愛の情は確かだった。

 

 

 

                 ○○○○○○○○○○

 

 学園都市のとある病院。その待合室のモニターにはニュース番組が流れていた。爽やかで通している男性キャスターが流暢に原稿を読んでいる。

 

 

『今朝、栗島や新潟県笹川海水浴場に流れ着いた奇妙な黒い物体ですが、専門家の話によるとクジラや様々な海洋生物の死骸の塊だということです。なぜそんなものが流れ着いたのか。原因は未だ不明とのことで、現在でも調査が続けられています』

 

 

 その内容を聞いて大柄なコメンテーターがニヤリと笑った。そしてちょっと不謹慎ですけど、と前置きをして楽しそうにしゃべりだした。

『最近、未確認生物や謎の赤い閃光の目撃情報がありましたよね。そしてこの謎の物体!夏の終わりにワクワクするニュースがあっていいですよね。ロマンがあるというか』

『ロマンですか』

 

 

 

『そうそう、こう謎とか神秘とか、そういうのって年くっても楽しいものだと僕は思うけどなぁ。流れ着いた物体もバカでかい怪物の食べ残しだったりしてね』

コメンテーターがそう言うと、キャスターはハハハと愛想笑いをした。彼がコメンテーターをいなしていると、新たな原稿が入ったらしく。雰囲気が変わった。

 

 

 

『速報です。四日前、学園都市内で暴れ回っていた未確認の怪物ですが、どうやら学園都市内の大学で制作した最新式のアニマトロニクスだったと、学園都市側から正式に発表がありました。怪獣映画用のサンプルとして作り上げたもので、内蔵していたAIに映画のシーンを組み込んだところ目を離した隙に起動。プログラム通りに行動し、ロボット同士が争ってしまったと説明しています。なお、そのロボットですが学園都市内の治安部隊によって制圧され処分されたとのことです。』

 映像が切り替わり龍のような怪物と街を走り回る怪物が争う場面が映し出される。

 

 

 

「あれをロボットね~、大分強引じゃん」

 黄泉川は待合の椅子に座りながら呟いた。その体は万全とは言い難い。右腕を肩で吊っており頬や体にもガーゼが幾つか張り付いていた。先の戦闘で特に彼女の怪我はひどかった。その時は夢中でアドレナリンが大放出だったのか痛みなどなかったのだが、いざ事態が収束すると彼女の意識は一気に遠のいた。気が付けば病院のベッドの上である。

 

 

 

 しかし幸運なことに第17学区の名医は彼女の怪我を瞬く間に治してみせた。裂傷の酷かった右腕でさえ傷一つ残らないらしい。医学の進歩、というよりは彼の腕のおかげなのだろう。黄泉川自身はこんな活動をしているために傷の一つや二つは諦めているものの、右腕の傷跡がなくなることに心底安心した。

跡が残ると彼は酷く気に病みそうだから。

 

 

 

「黄泉川さ~ん」

 看護師に呼ばれ黄泉川は移動する。通路を通って白い扉の前へ、開けると見えて来たのは頼もしきカエル顔だ。

「痛みはどうかな?」

「もう大丈夫じゃん」

「それは良かった、明日には退院できるね?飲み薬を一週間出すから、飲みきったらもう腕は普段のように使ってもいいね。ただ君は仕事柄無茶が多いからね、いきなり防護ヘルメットを投げつけたりはお勧めしないね?」

 

 

 医師のジロリという視線を黄泉川は乾いた笑いでいなして、話題を強引に変えた。

「というか先生、あのニュースってどうやったの?」

「こう見えて伝手は広くてね、以前大学での事故の際に助けた患者が力を貸してくれたんだね?患者に必要なものを揃えるのがボクの仕事だから。彼が日常生活に戻れるための事前準備(カバーストーリー)は用意しないとね」

 

 

 

 簡単に言うなぁと黄泉川は感心した。言うは易く行うは難し、と言葉にあるように、医師がどれほどの根回しをしてあそこまで漕ぎ付けたのか。黄泉川は一生、目の前の医師には頭が上がらないだろうと思った。

 

 

 

 「さて君の経過は順調なようだし、もう一人の患者を見に行こうか」

 黄泉川の診療を終えて、カエル顔の医師と黄泉川は別の病棟へ移動する。階段を上り細長い通路を進むと一気に人気が無くなる。そこは訳ありの患者が多く入院する病棟だ。置き去りや犯罪者など、少々問題のある患者が治療を受けている。幾つかのベッドを抜けて、さらに奥に進むと目的の部屋にたどり着く。

ドアを開けると、そこにはガラス張りの部屋だ。向こう側にはキョロキョロと何かを探すように動く少年がいる。少年からはこちらの部屋は見えない仕組みになっていた。

 

 

 

「体内にある原料不明のアクセサリーは間違いなく彼の体内にあったものだ。そこから察するにあの場にいた彼らの中で最後まで生き残ったのはアジだと判断できるね。もっともその過程で多くの新たな細胞の産生と変異を繰り返した。きっとこのアジは、これまで一緒に生活したアジとも少し違う存在だろうね?」

彼は黄泉川を見つめる。彼女がアジを大切にしていることを知っているから、彼は問いかける。

 

 

 

「その違いはきっと君を傷つけるかもしれない。共に過ごした時間が長い君だからこそ微妙な違いを彼から感じるだろう。それは些細な仕草かもしれないし、もしかしたら性格や根本的な部分まで大きく変わっているかもしれない」

それでも、君は彼と共に過ごせるかい?彼は真剣な眼差しで黄泉川を見つめる。それを見て黄泉川は笑った。

 

 

「当たり前じゃん」

 黄泉川は断言する。迷いはなかった。どんな変化があろうともアジはアジだと彼女は言った。そして迷わず隣の部屋のドアを開ける。ガチャリと開いた扉に当初は驚いていた少年だったが、入ってきたのが黄泉川だとわかるやグルルと唸って近づいてきた。黄泉川はそんな彼の頭を撫でてやる。少年は安心したように目を細めた。

 

 

 

 それを見てカエル顔の医師はポケットに入れていた院内用携帯電話の番号を押す。電話は速やかに目的の人物へつながった。

「今日、一人退院だね」

 ガラスの向こう側の少年にはまだまだ問題が山積みだ。研究所の記録や彼の体質が抱える闇は途方もないだろう。しかし、彼の未来には希望があると医師は思った。

 

 

 



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エピローグ

一応、これで完結です。
色々と至らないことが多くすみませんでした。
読んでくださった方々、感想を書いてくださった方々、誤字脱字の報告をしてくださった方々、本当にありがとうございました!!



 

 

 必要悪の教会の本拠地の一つ、イギリスは聖ジョージ大聖堂。その地下には様々な施設が備え付けられている。例えば所属する魔術師たちの簡易的な寝床や会議室、さらには談話室に食堂。それはまさに秘密基地のようでもあった。

 

 

 そんな地下にアジはいる。腕には巨大な手錠、爆破術式の埋め込まれた特殊な首輪をさせられて、様々な魔術師たちの眼光が彼を射抜いている。

施設の中でも血なまぐさい異端審問所。捕らえた他宗教の魔術師や悪事を働いた魔術師の処分を下す、表の法では御しきれない者たちの裁きの場だ。

 

 

 此度の海魔騒動の元凶にして首謀者。人ならざる怪物。神に歯向かう獣。邪龍の再現。等々、彼の悪名はとどまることを知らない。審問の場に集まる魔術師たちにとってアジは怨敵と言えた。

 

 

 

 審問所は円形になっていて、下層部は罪人の出入り口と簡素な証言台のようなものがある。そして上層部にはいくつもの椅子があり多くの魔術師たちが腰かけていた。また上層部の正面には書記や進行役などの席がある。周囲の魔術師はいわゆる聴衆であり、処分の決定権を持つ者は少なかった。

 

 

 アジはまさに被告人のようにその下層部の中心に立ち、ふらふらする体を触腕で固定している。並みの魔術師ならば術の一つも行使できない妨害術式の中においても、彼は平然と触腕を操っている。それは魔術師としての腕前の表れなのか、それとも最早人ではないことの証明か。魔術師たちはアジの一挙一動に眼光を光らせた。

 

 

 萎縮し恐怖するアジは落ち着かない様子で視線を動かすが、ふと周囲の魔術師の中で唯一微笑んでいる存在を見つけた。正面にある豪奢な椅子に座る優雅な女性。長大な金色の髪をボリュームたっぷりにまとめ上げ、その場所にそぐわぬ随分と年若く美しい人。

 最大司教、ローラ・スチュワート。その人だった。ローラとアジの目が合う。アジは恐縮し頭を下げ、彼女はその様子をみてクスリと笑った。

 

 

 

「この場で殺すべきだ」

しゃがれた英語が聞こえる。アジはびくりと肩を震わせて声のした方を見る。顔は傷だらけ、長いひげを蓄えた老人だ。見るだけで歴戦の魔術師だとわかった。

 

 

「賛成ですな」

 今度は甲高い声がする。続けて聞こえてくる様々な声。そのどれもが同じ言葉を発していた。徐々に大きくなっていく声量と過激になっていく表現。正義を執行せんとする魔術師たちの熱気が場を支配していった。そんな中でもローラの表情は穏やかなままだ。彼女はアジを観察していた。ここまで呪いに蝕まれた存在は必要悪の教会でも前例がない。ゆえにローラは彼に興味をもった。悪意に晒された彼が一体何をしでかすのか、どう出るのか楽しみで仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暴言の嵐を一身に受けるアジはふらふらと体を揺らして周囲を見る。

 アジは思った。

(やベェ、英語わかんナイ)

 

 

 日本生まれ、海中育ちの彼にとって言語の壁は強固にそびえ立つ。

 本来、アジに取りつけられた首輪には他宗教の「人間」の魔術師にも審問がわかるように翻訳の術式も埋め込まれている。だがとんと彼には作用しないらしい。悲しき人外少年アジである。しかし流石に、周囲の人間がブチギレていることは痛いほどわかった。恐らくは自分がしでかしたことの数々であろう。

 

 

 イヤ、でモサ。

 よってたかって兵器まで出して襲うこともないのではないかとアジは思っていた。確かになぜか体が暴走して攻撃しちゃったかもしれんけど、ちゃんと神裂にも怒られたし、上条サンにも怒られたのである。死ぬほど怖かったのである。許してくれんだろうか。

 

 

 アジがそんなことを考えていると、バゴンと地を打ち鳴らす音が聞こえた。興奮した魔術師の長い杖が地を叩いたのだ。思わずびくりと震えるアジは冷や汗をかいた。

 

 

 すいませんでシタ。

 一転して内心では平伏状態であった。

 僕が悪かったデス。本当にすいまセン。

 彼の手のひらはクルクル回った。

 そしてアジは何とかなんとか周囲の雰囲気を和らげようと、日本人特有の愛想笑いを行った。四面楚歌の状況において、力なく笑うことしか彼にできることなどなかったのである。

 すると、なんだか良く分からないが、暴言の勢いが少しずつおさまっているようにアジは感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 腕を封じられ、首輪をする小さな少年。貶され罵倒を受け、それでも彼は笑っている、と周囲は思ったようである。力なく歳不相応に見える笑み。それはアジの肉体年齢と精神年齢のバグみたいなものだったし、元来の呑気な彼の生活がもたらしたものだった。

 

 

 けれども、大人たちの正義という熱狂を一身にぶつけられた小さな体を見て魔術師たちは罪悪感をもったようだ。一応は人助けも行う魔術師たちである。少なくとも子供を思いやる程度の倫理観は失っていない。

沈静化していく魔術師の中で、未だに声を荒げている者もいたが、その声も次第に小さくなっていった。少年を見てほだされたわけではない。

 

 

 視線はアジ少年の、ずっと奥。コツコツと甲高い足音が響く。

 下層部の出入り口から出てきたのは長身の女性。長い髪をポニーテールにまとめ、腰には大太刀を携えた、魔術世界の切り札の一人。聖人、神裂火織だった。

「アジの処分を決めるのは、貴方方なのですか?」

 彼女はぐるりと首を回した。黙っていろと、怒りが滲み出ていた。

 神裂はアジの隣に歩みを進め、彼の頭を一撫でした。

 神裂は言葉を話せぬアジの代わりとしてその場に招集されたようだが、その腹積もりはまるで違った。

 

 

「最大司教」

神裂が問いかける。

「アジの処分はどのようになりますか?」

 アジがこれまで行ったことの数々、特に邪龍に変貌したのは魔術世界においても異常の一言。怪物であるアジに寛大な処置が下る可能性は、かぎりなく低い。アジに仲間として接し続ける神裂の立場は、どう転ぼうが大きく揺らぐだろう。聖人といえども唯一無二ではない。替えはきく。

 

 しかし、最早神裂はそんなことは気にしない。イギリス中を敵に回そうとも彼を守ろうと動くだろう。これはそれを示す意味もある。

 小さな怪物少年と、そして聖人の女。二人の視線とローラの視線がぶつかった。彼女は本当に面白いものを見つけたように笑った。

 

 

 

 

○○○○〇○○〇○○〇○○

 

 

 

 

「よかったのですか?」

 魔術師たちのいなくなった異端審問所に残っているのは二人だけだった。長身、赤髪、頬にはバーコードの入れ墨をした男、ステイル=マグヌスは未だに楽しそうに微笑むローラに話しかけた。

 

 

 ローラがアジに下した処分は、必要悪の教会に所属し命ある限りイギリス清教に仕えること。要するに明確な罰則は存在せず、飼い殺しにするということだ。

 あれだけのことをしでかしておいて、あの少年は生き長らえる。多くの魔術師たちにとって、それは許しがたいものだ。当然、審問所は荒れた。

しかしそれでもローラの権力は絶大。結果は覆らぬと悟った魔術師たちは、せめて大声を出して発散すると、すごすごと去っていった。

 

 

「ええ、これ以上ないほどに良き選択にありけるわよ」

「正直なところ、納得できませんね。神裂をつなぎとめるだけなら彼を幽閉すべきだったのではないですか?」

「神裂をつなぎとめる枷の役目も当然ありけるわ、でもそれだけじゃ勿体なきよ」

 

 

 ローラは片目を閉じてステイルを見ている。その瞳は澄んでいるようで、とても暗い。

「魔力を喰らいて蓄える礼装は数あれど、あれほど溜め込みて爆ぜぬ存在はこの世に二つとてありはしない。敵にぶつければ魔力を無限に喰らう怪物、味方にすえれば無尽蔵の魔力袋。まさに生きた霊装と呼ぶにふさわしきよ。運用しないなんて、勿体なきことしてはいけぬというものよ」

 ローラはいつものように、なんのこともなさそうに微笑んでいる。その笑みが決して善性ではないことをステイルは知っている。

 

 

 

○○○○〇○○〇○○〇○○

 

 

 

 アジは手錠を外されて実に晴れやかな気分で神裂とともにロンドンの街を歩いている。ヨタヨタと体を左右に揺らして、何ともおぼつかない足取りで歩みを進めるアジ。時折倒れそうになるため今は神裂と手を繋いでいた。はたから見れば仲の良い姉弟のようである。

 

 

 

 なんだか許さレタ。

 アジは直前まで行われていた審問を思い出す。

 判決が決まったとき、何人かの老練の魔術師たちは大声を上げていたものの、あの超ロングヘアのお姉さんをチラリと見て去っていった。あのお姉さんはアジを守ってくれたらしい。きっと言葉は通じずとも謝罪のまなざしが通じたのだ。本当によかったとアジは能天気に考えている。隣を歩く神裂の表情がどこか硬いのにも気づかずに、アジは洒落た首飾り(爆破装置付き)を揺らしてご機嫌だった。

 

 

 

 

 彼らが向かっているのは神裂が住まう女子寮。本来は男子禁制であるものの、有事の際に神裂がそばにいられるように特別に許可を得ていた。有事の際とはつまり彼が暴走した場合である。あってはならないことだが、しかし暴走の可能性は高いのも事実だった。

 

 

 

 大部分の呪いから解放されたアジだったが、長年連れ添ってきたソレを完全に拭うことはできなかった。呪いとアジの境界線は混ざり合っており、飢えも消えてはいない。現在は神裂や天草式の力をかりて魔力を補給し、飢えをしのいでいる。アジが魔術を使わないかぎりは飢えの現状維持は可能だ。

 

 

 

 だがローラの決定は「必要悪の教会に所属し、尽くすこと」である。遠くない未来、アジは魔術師として任務に就くことになる。そうなれば暴走の可能性は大きく引きあがるだろう。

 (そんなことにはさせません)

 神裂は隣を歩くアジを見ながら思う。

 あの最大司教の思惑なぞ知ったことか。神裂は、いや天草式は一丸となって仲間を守る。もう彼女は一人ではない。仲間のことも、必要悪の教会のことも、そして救われぬ人々を助けるのも、自分だけの問題ではないのだ。皆の力を借りて前へ進む。借りていいのだ。

 だから神裂は悩みこそすれ、絶望などしてはいなかった。

 

 

 

 二人が道を進んでいくと、人影が見える。

「おお、帰ってきたのよな」

「おかえりアジ、神裂さん」

 出迎えたのは建宮をはじめとする天草式の面々であった。彼らは海魔騒動の処理の際にちゃっかり必要悪の教会に所属してしまったのである。

神裂は彼らを見て優しく笑うと「ただいまもどりました」と言った。どうやら昼時ということで彼らは二人のために昼食を作ってくれていたらしい。食堂は普段とは違い味噌汁や焼き魚の良いにおいが漂っている。その香ばしいにおいに外国暮らしの長い神裂は普通に感動していた。

 これも仲間たちの努力とインデックス、それにあのツンツン頭の少年のおかげである。

 

 

 

 

「この大恩、どのように返せばよいのでしょうね」

「大恩?」

隣に座っていた五和が神裂の言葉に反応した。

「ええ、上条当麻にです」

「あっ、えっえ、か、上条さんですか」

五和は上条の名を聞くと、なぜかほほを赤らめて狼狽している。神裂はその様子に首をかしげるが、対面に座る建宮はニヤニヤといやらしい顔をして笑っている。

「そうよな、上条には恩返しせにゃならんよな。例えば体で返すとか?」

「か、か、か、体~」

「う~ん?五和よ、何を想像しているかは知らんけど、俺が言っているのは有事の際に助太刀するって意味なんだが?あれあれ~五和さんは一体、どんな意味で、とらえ………おい!ここは食堂だぞ!?槍を持ち出すな!おい五和!」

少々騒がしい食堂。牛深や浦上は暴れる二人を囃し立て、諫早は肩で息をする乙女をいさめている。

野母崎と香焼はもくもくと食事を続けて、対馬に至ってはスマホをいじりながらお茶をすすっていた。

もう二度とこないと思っていたその団欒に思わず笑顔がこぼれる神裂である。

 

 

 

 

 となりを見ると不慣れな手つきで食事をするアジの姿があった。自分とさほど年齢が変わらないはずなのに、小さく幼く見える彼を見て彼女はアジの頭を思わず撫でる。

「うアゥ?」

 食事に夢中だったアジはキョトンとした顔で神裂を見た。ああ、本当に良かった。神裂はよくわかっていないだろうアジを見て一層笑みを深くした。

 

 

 

 アジは撫でてくる神裂に困惑気味であったが、微笑む彼女を見るとまぁいいかと思った。アジはまだ違和感を感じる自分の体を見る。触手は自由なのに腕や足がうまく動かせないとはこれ如何に。

 

 仲間と念願の再会を果たしたのだ。今度はこの体を何とかすることを目標にしなくては。「新しい霊装」を作るのもいいかもしれない。この体になってから霊装づくりはしていなかったので、「いろいろと試してみる価値」はありそうだとアジは思った。

 

 それにアジは黄泉川さんたちのこと、そして上条さんのことも忘れてはいない。受けた恩は必ずお返ししなくてはいけない。できるだけ早く自分が無事であること彼女たちに伝え、「一度、学園都市に戻らなくては」。アジは思いを新たに食事を噛みしめた。

 

 

 アジが一人で不穏なことを考えていることはその場の誰も気づいていなかった。

 天草式の食事には、使う材料の順番や箸やレンゲの材質、食べる順番などで回復術式になるものも多い。

 今回もそれに漏れず、魔力を回復させる作用があった。食事をしているアジの瞳はキラキラと虹色に輝いていた。

 

 




一応、ここで完結です。
本当にありがとうございました。


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嘘予告

完結しましたが、もしかしたら外伝的なものも書くかもしれません。
多分、書くかも、です。
ちょっと自信ないですが、もし書きましたらよろしくお願いいたします。


嘘予告 1

 

 

 

 学園都市最強の超能力者である少年は入院中であった。とあるクローンの少女のために、銃弾をその頭部で受けたのだ。脳の大部分にダメージを受けた彼は、妹達と呼ばれるクローンに脳の演算処理を補助してもらってようやく生活ができている状態だった。

 だからといって彼の恐ろしさは変わらない。数分しか能力が行使できずとも、彼が学園都市で最強であるのは変わらない。

 

 

 

 そんな彼、一方通行(アクセラレータ)だったが、今やピンチに陥っていた。

「なンだよ、お前は!?」

 彼の頭部はガッチリと固定され、濡らされている。

 正確には巨大な狼の如き存在に頭を甘噛みされて、ペロペロと舐められているのだ。

 

 

 

「すごいすごい!映画の山犬そっくりかもって、ミサカはミサカは食べられそうになるあなたを尻目にはしゃいでみる!」

 打ち止め(ラストオーダー)と呼ばれる少女は一方通行の頭を咥える狼の背に乗って笑っている。

「黄泉川アァ!!!?コイツを何とかしろォオ!!!」

 一方通行がなんとか頭を動かして助けを求めた女性、黄泉川愛穂はケラケラと楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 入院中の一方通行はリハビリの途中、打ち止めがある少年と遊んでいるのを見つけた。定期的に検診を受けているその少年はアジという名前らしく、打ち止めは友達だとない胸を張って彼に紹介した。背中から伸びるタコのような触手に持ち上げられている打ち止めを見て、コイツ捕食されそうだなと思ったものだ。そこから彼の保護者である黄泉川と知り合い、今ではアジを連れて見舞いに来ることが多くなっていた。

 

 

 

 

 ペロペロと嬉しそうになめるアジに、一方通行の怒りのボルテージが上がっていた。イライラする彼の耳に、着信音が聞こえてきた。どうやら黄泉川の電話らしい。彼女は少し会話をすると、仕事じゃんと言って一方通行の病室から出て行った。

「あんまりうるさく遊んで看護師さんに怒られないようにするじゃんよ~」

と付け加えて。

 

 一方通行の怒りの咆哮が響いたのは言うまでもない。少しして解放された一方通行は肩で息をしており、打ち止め、アジの頭にチョップを何度も何度もお見舞いした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘予告 2

 

「馬鹿な!?」

ローマ正教の司教ビアージオは怒声をあげた。海に眠る巨大霊装「アドリア海の女王」を使い、学園都市を崩壊させようする彼の目論見はなぜか居合わせた天草式の魔術師とツンツン頭の少年に妨害されていた。

 いや、それならばよい。異教のサル共が少々群れたところで多勢に無勢。一発の砲撃でも命中すれば、鎧の氷像で囲んでしまえばどうとでもなるはずだ。

 問題は突然現れた巨大な影だ。

 

 

 

「撃て!撃ち続けろ!くそ!なんなんだアイツはぁぁあああ!!!?」

ビアージオが乗り込んでいる戦艦の目と鼻の先に現れたモノ。いくつもの爆炎をともなった砲撃がいくつも命中したが、黒煙が晴れてみれば見えてくるのは受けてもびくともしない巨体。ゴツゴツとした皮膚、暗がりの中で輝く眼、伝説の龍か怪物の如き姿。

 

 

 

 知っているものがいたならば叫んでいただろう。

海魔。魔術社会を脅かす怪物の名である。

 海魔は咆哮を上げて女王の艦隊にその牙で食いつき、触腕で拘束する。莫大な魔力を使った霊装であるアドリア海の女王は、彼にとってごちそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘予告 3

 

 破壊された自動車から火が上がっている。その中を悠然と歩くのは白髪の少年、一方通行である。彼の反射は強力無比だ。炎の熱も銃弾の一撃も、彼を傷つけることはできない。彼を取り囲む車の一台から白衣の男が降りてきた。顔には刺青を入れた凶相。一方通行は彼を知っている。

 そして笑った。

 

 

 

「木原クンよォ!ンだァ、その思わせぶりな登場はァ!?」

「俺だってテメェみたいなクソガキと会いたくなんてなかったぜ」

 木原数多はやれやれと肩をすくめている。

「でも上が手が回らないらしくてな、俺が駆り出されたってわけだ。だからさ悪いんだけど、ここで潰れてくれや」

「イカレちまったのかな、木原クン。お前が俺をどうこうできるわけねぇだろう」

 

 

 

 一方通行は余裕の面持ちで木原を睨みつけた。木原は無謀にも彼に向って走り出す。木原は大振りの一撃を一方通行の顔に打ち込んだ。馬鹿かコイツ?一方通行は笑った。

 

 

 

 

ズドンという鈍い音が、一方通行から聞こえた。拳は彼の顔面に突き刺さったのだ。

「い………がァ……ッ?」

何が起きたのか一方通行にはわからなかった。

反射が突破されたのだ。すぐさま指でチョーカーの電源を確認するが異常はなかった。混乱する一方通行と対照的に目を細め、顔を歪めて木原は笑っている。

「驚いたかな?このクソガキ、テメェみたいなゴミに時間をかけたくねぇんだよ。なにせ、テメェを殺したらあの化け物を自由にしていいってお達しだからさ。速攻でぶち殺してやるよ」

 

 

 

「な、なにを言ってやがる」

「わからなくていいぜ、お前も、あのガキも、あの化け物も今日で仕舞って話だよ!」

 また実験ができる。そう考えただけで木原は喜び震えていた。

 

 

 



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