噛ませ犬のクラフトワーク (刺身798円)
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使い捨てのクラフトワーク

小雨が、降っていた。 静かな夜に、息を潜めている。

ここはイタリアのシチリア島。

 

ソフトマシーンのスタンド使いマリオ・ズッケェロは、仲間のサーレーと共にかつて敵対してしまった組織(パッショーネ)のボス、ジョルノ・ジョバァーナに忠誠を示すために麻薬チームの〝追跡〟と〝暗殺〟という密命を帯びてこの地へと赴いていた。

 

ーーやきが回ったな。

 

ズッケェロもサーレーも優秀なスタンド使いであり、組織ではそこそこ上手く立ち回って甘い汁をすすっていた、はずだった。

組織の幹部ポルポが死んだ時、彼らはポルポの隠し財産を懐に入れるためにイタリアのカプリ島でジョルノ・ジョバァーナに敵対行動を起こした。本来誰の物でもない死人の遺産を巡った組織の下っ端同士のいざこざのはずが、なぜかボスに対して弓を引いたことになっている。

ズッケェロとサーレーは禊のために組織に反逆心を持たないことを示す必要があり、麻薬チームの処分をすることになっていた。

 

ーーそれにしても……チンピラの下っ端がいきなりボスだって?どういうこった?

 

危険な思考であっても疑念は拭えない。恐らくはサーレーも口にしなくとも同じことを考えているだろう。ボスはまさか別人なのではないか?

だがそれを口にしてしまえば間違いなく消される。

ズッケェロもサーレーも 麻薬チームが強いという噂だけは聞いている。ただ、誰の物でもないはずの隠し財産を巡っての下っ端同士のいざこざにしては、あまりにも割に合わない。

 

たまたま敵対したチームの下っ端にボスが身分を隠して潜んでいただって?そんな訳はないだろうが!

 

ーーボスにとって、疑念を感じている俺とサーレーは邪魔者だろうな。

 

状況は、詰んでいる。ズッケェロはそれを正確に把握していた。

ボス(ジョルノ)にとってズッケェロとサーレーは邪魔で、二人は組織に忠誠を示すために禊を行わなければならない。

麻薬チームは強力なスタンド使いで、ジョルノはさらに強力なスタンド使いである。カリスマを持ったジョルノは組織を強固に纏めており、麻薬チームと戦っても組織に逆らってもズッケェロもサーレーも生きて逃れる確率は甚だ低い。

 

ズッケェロは、任務にかこつけて自身とサーレーが邪魔者として処分される予感を感じていた。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

スタンド使いは、能力を知られることを嫌う。当たり前だ。能力の詳細を知られてしまえば戦闘で甚だ不利になるからだ。

特に、パッショーネのような非合法組織に所属するスタンド使いは後ろ暗い者たちが多く、親兄弟にも極力能力を秘密にしておきたいという人間が多い。そうなると必然的にスタンド使いは個人プレーに寄りがちになる。強力なスタンド使いは自尊心が高く、共闘を嫌う者が多いという理由もある。そもそもスタンドが無差別攻撃の場合すらある。とりあえず理由は様々だが、彼らはあまり共闘しない。

そしてその御多分に洩れず、サーレーとズッケェロも協力関係は結んでいるものの戦闘は個人で行なう取り決めとなっていた。

ズッケェロが先行して、サーレーと無線で連絡を取り合う。攻撃的なズッケェロと慎重なサーレーは比較的いい組み合わせとして、これまでやってきた。

 

シチリア島のとあるホテルの一室。

サーレーは考える。

 

ーー麻薬チーム、強い奴らだとは聞いてはいるが、組織を敵に回すよりは遥かにマシだ。それに部下の前で公言した以上、たとえ俺たちが邪魔であっても麻薬チームの処分さえ成功させればボスは俺たちを許さざるを得ない。

 

結局、どれだけ危険であっても任務を成功させることだけがズッケェロとサーレーが生き残れる道だった。

逃げても、ボスに不信感を抱いている二人をあのジョルノ・ジョバァーナという恐ろしい男が見逃すとも思えない。

第一にズッケェロもサーレーも、裏社会にしか居場所がないから組織の一員なのである。

 

しかし、組織でも多大な利権を上げている麻薬チームのメンツが弱いはずがない。噂によれば、あの悪名高い暗殺チームよりも実力が上だという話もある。とは言っても暗殺チームは現在壊滅状態ではあるのだが。こちらも噂なのだが、暗殺チームはジョルノに逆らって処分されたという話がある。幹部のブチャラティが死んだ話といい非常にきな臭いのだが、この辺りの話はきっと知らない方が長生き出来るだろう。

それよりもまずは自身のノルマだ。

 

サーレーは暗い現状を前にため息をつく。

 

ーーそろそろズッケェロに定期連絡を行うか。

 

サーレーはシチリア島のホテルの一室で、無線機を手に取る。

 

「ズッケェロ、そっちの様子はどうだ?敵の確認にはまだ時間がかかるか?」

『ら、れらろら、ららら、ろれろら、、』

「ズッケェロ?、、、ズッケェロ!」

 

唐突に起きた異変にサーレーは慌てた。

受信機の向こうから、調子っぱずれの不吉が聞こえていた。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ら、らら、ろらろれら、、」

「ああん?」

ソフトマシーンのマリオ・ズッケェロはペラペラになって隠れていた港のコンテナから身を乗り出した。

ズッケェロのスタンド、ソフトマシーンは、敵や味方をレイピアのような剣で突き刺して厚みをなくすというものだった。厚みをなくして死角に潜む。故にズッケェロは隠密行動や暗殺に向いている。

ズッケェロは組織のメッセンジャー、カンノーロ・ムーロロから敵はヴィラ・サン・ジョバンニの港にいることを伝えられていた。

港にたどり着き、密かに敵がいると思しき場所に近づいていると、唐突に得体の知れない歌が聞こえてきた。確かイタリアの民謡〝しゃれこうべの歌〟だ。

 

ズッケェロは唐突に現れた調子が外れたまま歌い続ける得体の知れないものに注目する。

 

ズッケェロのスタンド、ソフトマシーンは隠密行動に向いている。そう易々と敵に見つかるとも思えない。

しかし、ならばあれはなんなのだ?

空からは小雨が降っていて、夜空には雲が出ている。謡っているものの正体は判然としない。 うっすら空に輪郭が認識できる程度。小さな物体だ。

しかし、確実にスタンドであることはわかる。夜空を謡いながら飛んでいるのだ。あんな得体の知れないものが自然に存在するはずがない。

だがそれにしてもなんのために?

 

ズッケェロに浮かんだ疑問が氷解した時には、すでにことは終わっていた。

 

「うぐっっ」

 

ズッケェロは唐突に吐き気と目眩を感じ、理性が吹き飛んだ。

意識が混濁し、その隙に何者かの攻撃を受ける。

 

「こいつが追手か。殺すか?」

「今近くにいたのはこいつだけよ。」

「殺すべきだろ。あんたを狙ってたんだろ。」

「いやこいつはもう私のスタンドに囚われている。せっかくだから次の追手の時間稼ぎに使おう。」

 

ヴラディミール・コカキはマッシモ・ヴォルペに告げる。

今この場に、まともに喋れるのは四人。

 

麻薬チームのリーダー、マッシモ・ヴォルペ。チームの相談役、ヴラディミール・コカキ。メンバーのビットリオ・カタルディ。同じくメンバーのアンジェリカ・アッタナシオ。

 

ズッケェロは、アンジェリカのスタンド、ナイトバード・フライングの攻撃により麻薬の末期症状を起こしていた。

ナイトバード・フライングは敏感に周囲に存在する魂の匂いを嗅ぎ取り、半ば無差別に攻撃する。アンジェリカ自身が麻薬の末期中毒者であるために対象の区別がつけられないからである。ズッケェロのソフトマシーンで薄くなって閉所に潜んでも、ナイトバード・フライングは正確に居場所を把握していた。相性が最悪だということもあったのかも知れない。

そして、末期の麻薬中毒者にされたズッケェロにマッシモのスタンド、マニック・デプレッションがさらに麻薬を打ち込み、理性を失ったズッケェロの行動をヴラディミール・コカキのレイニーデイ・ドリームアウェイが固定する。

 

ズッケェロはヴィラ・サン・ジョバンニに訪れた人間を自動で攻撃するだけの機械にさせられた。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「オイオイオイ、確かカーレーだったか?ハーレーだったか?あんた。で、どうなんだよ?コカキの爺さんはオレのことを馬鹿にするけどよおー。オレだって鳥葬?蝶々?」

「……諜報。」

「そうそう、それだよ。物知り博士さんよおー。オレだって敵のことを調べるために相手を締め上げてゲロさせてやろうっていう意思はあるんだよ。まあオレのスタンドは爺さんが言うには拷問向けらしいんだけどよおー。ついついウッカリやッちまうんだよなー。んでホーレーさんよおー、死ぬ前に喋んなよ。そっちの方が痛い思いをしなくて済むぜ?まあもっとも、オレは痛みを感じて生を実感してるんだけど。」

 

そう言いながらビットリオは自身の体を短剣で傷つける。

ヴィラ・サン・ジョバンニの倉庫の一室、ここで今、サーレーはビットリオ・カタルディと対面していた。

ビットリオの後ろにはアンジェリカ・アッタナシオもいる。やんちゃな少年と華奢な少女の組み合わせだ。

 

サーレーにはすでに、ナイトバード・フライングによる禁断症状が出ている。二対一で形勢は甚だ悪い。背後にはコカキとマッシモも控えている。万一ここで勝てても奴らが間違いなく出てくる。サーレーは知らないが、ビットリオとのスタンドの相性も最悪だ。

 

サーレーは無線でマリオの異変を受け取って、ヴィラ・サン・ジョバンニの港へ向かってきた。

慎重に行動していたつもりが即座にナイトバード・フライングに捕捉され、敵勢力に囲まれた。

サーレーの物体を固定する能力はマッシモ・ヴォルペの物理偏重のマニック・デプレッションとウラディミール・コカキの感覚を固定するレイニーデイ・ドリームアウェイに対して相性がいい。対してビットリオの能力とは相性最悪である。

 

サーレーと拳を交えて即座に能力の概要を把握したコカキは、サーレーをビットリオ達に任せてマリオの〝処置〟を行なっていた。

 

「んでどーよ?あんたの他に誰がオレたちを追ってるんだ?それともあんたたちは二人きりなのか?仲良しなのか?ッてゆーかよーく考えりゃーさ。オレたちをたった二人きりで追ってるってバカなんじゃねーか?捨て駒なのか?うはははははははははははははははははははははははははッ。オレってやっぱ頭いいんじゃねーか?こんなことに気づいちまうなんてよー。そりゃ捨て駒に情報なんて持たせねーわな。」

 

上機嫌のビットリオに対してサーレーの顔色は優れない。

目の前の頭の悪そうな少年はサーレーを捨て駒だと看破した。それはサーレー自身も理解していたことである。

そして、目の前の少年は莫大な利益を上げる麻薬チームの一員として組織でも特権を得ているはずである。

それにも関わらず短絡的で、愚かしく、未来になんら展望を持たない。会話の端端から隠しきれず駄々漏れている。空洞のような人生。恐ろしい。今も笑いながら持った短剣で自分の体に傷をつけている。

どうやったらこんな人間が出来上がるのか、サーレーには理解できなかった。

 

相手が特権を享受する人間であるにも関わらずの愚かしさ、不明な相手のスタンド能力、そして愚かしいと嘲っているはずの相手に捨て駒だと見抜かれている。サーレーの精神は散々に揺さぶられている。

サーレーは本来慎重な男である。 強力な自身の能力に溺れたりはしない。本来であれば、ズッケェロを見捨ててでも逃走して相手の出方を伺うはずだった。

 

ーーらら、ら、ららら、ら

 

サーレーはビットリオの後方に控えるアンジェリカのナイトバード・フライングの影響下にあった。

頭の悪いガキに挑発され図星を突かれたサーレーは、本人が自覚していない内に短絡的な怒りに囚われていた。

未来の価値を理解しようとしないガキと、後ろに控える今にも死にそうな末期の麻薬中毒者の少女。そんなカスに精神的にも肉体的にもどうしようもなく追い詰められようとしている。サーレーはその事実に言いようもなく不快感と憤りを感じている。

 

「なあ、シャーレーさんよお。さっきから黙っているけどなんか言いたいことはないのか?どうせあんたもうすぐ死ぬんだから最期くらいは好きに喋った方がいいぜ?例えば気になるあの娘とかよー。ほら、誰にも言わないからよお。」

「黙れッッッッッッ!」

「なんだ?ずッと黙ってたから置物かと勘違いしちまってたぜ。いいぜ。だったら来いよ。俺の〝ドリー・ダガー〟とあんたの〝クラフト・ワーク〟、どっちが強いか教えてやろーじゃねーか。」

 

ビットリオの手にした短剣のピカピカに磨かれた刀身にはサーレーが映り込んでいる。

 

ーーそうだ、奴が持っている短剣はスタンドだろうが、俺がこんなクソガキに負けるはずがないッ!後ろの女は死に掛けていてものの数に入らない!俺はコイツらを消して戦果を持ち帰らないといけないッ!

 

サーレーが冷静であったのならば、ズッケェロを無傷で〝処置〟した彼らがビットリオ一人にサーレーを任せた意味に思い当たっていたであろう。しかし夜の鳥の狂気は、どうしようもなくサーレーを蝕んでいた。

 

「〝心臓〟をッ!固定するッ!喰らえッ!クラフトワークッ!」

 

クラフトワークとサーレーが力強く地面を蹴った。クラフトワークがビットリオの心臓部に拳を当てる。

 

ーードンッ!

 

「痛えええええええッ!チクショウ!三割でも死にそうなほどに痛えッッ!クソ!ガアアアッ!」

 

ビットリオのスタンド、ドリー・ダガー。それは短剣の刀身に映した相手に攻撃の七割を反射するというもの。三割はビットリオが負担している。クラフトワークの衝撃の七割がサーレーの胸部に向かっている。それは、致命の一撃だった。

ビットリオが叫ぶのを遠くで聴きながら、サーレーは自身の目前にある赤黒い若干ピンクがかった物体を見ていた。

 

「ああ……。」

 

胸部から噴水のように血液が流出し、サーレーの体は急速に熱を失っていく。

 

ーー死にたく……ない。

 

サーレーは冷たい倉庫の床に横たわる。死に臨むサーレーの思考はシンプルに、ただ生に対する執着であった。

床に横たわるサーレーを、クラフト・ワークがその無機質な目でいつまでも見つめていた。

 

サーレーのポケットが、仄かに黄金に輝いていた。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

カンノーロ・ムーロロ。

パッショーネの一員でスタンド使い。スタンド名は暗殺団〝見張り塔〟(オール・アロング・ウォッチタワー)。53枚のトランプのスタンド。薄く小さく、どんなところにも入り込み諜報や暗殺を行える。

ムーロロはかつては物事に興味や執着がなく、ボスであったディアボロと暗殺チームの反目を外野から眺めて嘲っていた。

そもそもムーロロのスタンドは有能過ぎたのだ。コウモリの真似事をして争いを誘発しても、バレないしバレてもどうにでもできる。

ムーロロは世を嘲笑い、組織を馬鹿にしていた。

 

そんなムーロロに転機が訪れる。ジョルノとの出会いである。

ジョルノはムーロロの内心を完全に看破し、ムーロロに恥ずかしいという気持ちを思い起こさせた。お前の自尊心はつまらない無意味なものなのだと。恥を知ったムーロロは自身の恥を何よりも大切にし、それを思い出させたジョルノに心酔した。

 

スタンドは、本人の精神の成長次第で成長する。

ムーロロのスタンド、暗殺団〝見張り塔〟は、群体と呼ばれるタイプのスタンドである。群体のスタンドを持つ人間は、心に空洞を抱えていたり社会不適合者であったりする場合が多いと言われている。ムーロロも例にもれず、心に大きな空洞を抱えていた。

ならばもし、その空洞を埋めるものがあったのならば?

 

ムーロロはジョルノと出会い、 ムーロロの空洞は黄金の太陽によって暖かに満たされた。それはかけがえのないもので、ムーロロはそれが何よりも嬉しかった。

ムーロロは精神的に成長し、スタンドも進化した。ムーロロはただ、己に大切なものを与えてくれたジョルノの役に立ちたかった。

 

全にして一の暗殺団〝見張り塔〟(A・A・W・オール・フォー・ワン)

 

スタンド自体はほとんど何も変わらない。たった一つの変化。

ジョルノのためだけに役に立ちたい。それだけに拠った進化。

 

暗殺団は成長し、バラバラな心は明確な方針のもとに一つに纏まる。

独立した個々であるにも関わらず記憶や意識などをリアルタイムで共有できるようになった。

 

たったそれだけなのだが、もともと有能なスタンドが輪をかけて馬鹿げた使い勝手を誇ることになった。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

『ボス、大変だあ!サーレーが心臓を吹き飛ばされたあ!』

「ああ、ありがとう」

 

ジョルノにスペードの3が報告を行う。ジョルノはそれににこやかに返答した。

イタリアのローマのパッショーネの本部私室で、ジョルノは椅子に腰掛けていた。

サーレーが敗北したのは予定通りである。そのくらいは強い相手でないとフーゴ達の試練にならない。

 

ーーそれにしても心臓が吹き飛ばされたというのは予定外だ。さて、間に合うか?

 

ズッケェロとサーレーが禊を行う必要があるのは予定通りだ。部下に示しを付けないといけない。

しかし、ジョルノにはジョルノの考えがある。

 

ジョルノは、密かにムーロロに指示をしてサーレーに持たせていたテントウムシのブローチにスタンドエネルギーを送りこみ、ブローチは急造で心臓を象った。

 

ジョルノの手が黄金に輝く。

レクイエムを経験したジョルノのゴールド・エクスペリエンスもまた、成長していた。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「シーラ・E、仕事だ。フィレンツェの病院に寝たきりで組織の金を食いつぶしている奴らがいる。叩き起こして来てくれ。」

「消せばよろしいのですか?」

「いやいや違うよ。起こして来て欲しいといってるんだ。」

「しかし奴らは裏切り者ではありませんか?よろしいのですか?」

「ああ、僕にも考えがあるんだ。」

「出過ぎた真似をいたしました。」

 

パッショーネの本部、ネアポリスの図書館でシーラ・Eはジョルノの指示を受けた。

 

シーラ・Eはジョルノの腹心で、ミスタと並ぶほどに信頼を置く部下である。彼女は仲間を率いて、サーレーたちが失敗した任務の引き継ぎを行なった。

シーラ・E達はすでに麻薬チームの処分を終えていた。任務をこなす際彼女もひどい傷を負ったが、傷を治すとすぐさま復帰した。

それにしてもシーラ・Eは信じられないくらい頑丈で、使い勝手がいい。

いい部下に恵まれたとジョルノは一人ごちた。

 

「しかしジョルノ様、起こして来いとは一体どうすれば……。」

「ケガはもう治ってるはずなんだよね。外から刺激を与えれば起きないかな?シーラ・Eのスタンドとかちょうどいいんじゃあないか?」

 

まあそれで起きても自殺しそうだな、ジョルノは内心で不謹慎なことを考えた。

シーラ・Eのスタンドは、相手のトラウマを掘り起こすものである。眠っているサーレーの精神に与える刺激としてはちょうどいいかもしれない。

 

「それで起こせるかは確約できかねますが……わかりました。」

 

シーラ・Eは病院へと向かった。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは、港から海を眺めていた。

空には鳥が飛んでいる。カモメか、ウミネコか?サーレーにはわからないしどっちでもいい。

ーーここは……。

 

なぜ自分がここにいるのか?理由が分からずサーレーは困惑した。

記憶を辿れば、見覚えがある。ここは確かカプリ島の波止場。ミスタに敗れてサーレーの運命の分岐点になった地である。

しかしサーレーはシチリア島にいたはずだ。どうしてここにいるんだろう?

サーレーは海を眺めながらボンヤリと考えていた。

 

「よう、サーレー。お前もいたのか。」

「ズッケェロ……。」

「お前ここがどこかわかるか?」

「ああ、ここはカプリ島だ。ポルポの隠し財産が隠されていた場所だ。」

「チッ。なんだってそんなところが夢に出て来やがる。それともここは天国か?俺はてっきり地獄に落ちるもんだと思っていたがよ。」

 

ズッケェロは夢だと思い込んでいる。無理もない。覚えている限り最後はシチリア島にいたはずだ。サーレーも目の前が理解できない。現実感もない。

 

「ずっとここにいれば組織に始末されることもないのかもな。」

「ああん?確かにそうかも知れないが……。」

 

ズッケェロはそこまで言って辺りを見回す。

なぜか誰もおらず、とても寂しい。

 

「こんな人っ子ひとりいないところにいてどうするよ?こんなところにいるくらいなら追手に恐怖しながらでも女がいるところがいいぜ。」

「ああ、まあそうだな。冗談だよ。」

「ツマンネー冗談言いやがって。」

「まあお前たちにはそんなに悪くはないかも知れんぞ。」

「「誰だっ!」」

 

唐突に得体のしれない第三者が二人の会話に割って入る。

 

「誰だ、か。無意味な質問だ。俺は社会のつまはじき者で、俺を知る仲間たちももういない。俺の名前にもう価値はない。」

「テメエっ!何者だ!いつの間にそこに居やがった!」

「ズッケェロ、落ち着け!そいつから離れろ!」

 

唐突に男は、サーレーの目の前に現れた。

高身長に黒い髪、落ち着いていながらも相手を威圧する空気を纏っている。

 

「何者、何者か。そうだな。俺は過去の亡霊であり、お前たちの未来だ。」

「何を訳のわかんねえこと言ってやがる!ハッキリと分かりやすく言いやがれ!」

 

慎重なサーレーは距離を取り、ズッケェロは相手に突っかかる。

 

「思い出は遣る瀬無い、社会に馴染めない、人生に意味を見出せない。」

「だから何をっ!」

「分かりやすく言っている。俺という存在の自己紹介で、お前たちの未来の自己紹介でもある。お前たちに希望はない。せっかく似た者同士だから一緒に連れて行ってやろうかと思ってな。」

 

ーーロオオオオオオド、、、。

 

「連れて行くって、どこに!」

「オイ、アレ!」

 

ズッケェロが波止場の一角を指差す。そこには一艘のボートが置いてあった。

ズッケェロはそれに見覚えがある。

 

「どういうことだ?なぜあのボートがここにある?アレは確かもう沈んだはずだ!」

 

それはズッケェロがブチャラチィたちを襲撃したはずの、、、。

過去の亡霊、、、、。

自分たちの最後の記憶、、、。

 

ーーマジかよ!黄泉の水先案内人ってことか?チクショウ!

 

「お断りだぜ!俺は生きる。俺は戦う!」

「何を言ってるんだサーレー?」

「どういう理屈かは知らねーが、奴はおそらく死神!敵だ!」

「貴様らはそう言うであろうことは理解していた。メタリカッ!」

「ウッ、グッ。」

「どうした、ズッケェロ!」

 

突然マリオ・ズッケェロの左太腿が膨れ上がり、体内から血管を突き破ってハサミが出てきた。

 

「ヤロウッ!」

 

サーレーは相手を敵とみなして攻撃を仕掛けようとするも、敵はすでにどこにもいない。

敵の名はリゾット・ネエロ。リゾットのスタンド、メタリカは鉄分を操る。

今のリゾットは砂鉄を体に纏い、周囲に同化している。

 

「どこだ!どこ行きやがった!」

「フフフフフ。お前たちに勝ち目はない。」

「何を馬鹿げたことを!」

「向かうなら遊んでやろう。」

 

リゾットの近くにいたズッケェロはたちまちにうちに体から何本もハサミが飛び出していく。

ズッケェロは瞬く間に血だるまとなった。

 

「ところでお前は神を信じるか?」

言葉とともにサーレーの右腕の中に異物(ハサミ)が出来上がり、サーレーは慌てて体内のハサミを固定してダメージを防ぐ。

 

「出てこい!訳わかんねーこと言いやがって!」

 

ズッケェロは言葉のするあたりに闇雲に拳を突き出す。

拳は虚しく宙を切り、流血しているズッケェロの体力は無くなっていく。

 

「こんな考え方があるそうでな。神は人の心の中に住むらしい。俺はその時思ったよ。スタンドの目指す先は神なんじゃないかと。」

「何を馬鹿げたことを……。」

「馬鹿げてなどいないさ。お前たちのボスのジョルノは生命を創り出す。正しく神のごとき所業ではないか?噂によると時間すら止めることが出来るものもいるらしい。スタンドの最終地点は、きっと神なんだ。」

 

ーーロオオオオオオド、、、。

 

「うぐあっ!」

「ズッケェロ!」

 

サーレーと違い敵の攻撃を防御するすべを持たないズッケェロは、右足もハサミに貫かれて波止場に倒れこむ。リゾットの声だけが波止場に響く。

 

「神はいつも俺たちのそばに居た。しかし神は俺たちの苦境をお救いにならない。俺もお前も神に嫌われて、疎まれている。」

「グッ!」

 

メタリカの攻勢は増している。

サーレーは固定する能力で防御するも体の中の違和感が拭えない。

ズッケェロは見えない敵に打つ手がない。血まみれで地に落ちている。

 

「俺もお前も居なくなるべきだ。俺たちは嫌われている。自分からすらも愛されない。」

「それでもッ!俺は俺のために戦うッ!」

「慈悲をやろう。ジョルノ・ジョバァーナは強大だ。あいつに疎まれたお前たちに居場所はない。お前たちはボロ切れのように酷使され、やがて使い潰されて死ぬことになる。」

 

手足はひっきりなしに体の内部から生えてくるハサミに針のムシロにされ、サーレーに打つ手はない。

体から流血が増え、どんどん体が気だるくなって行く。

 

「諦めろ。疲れるだけだ。お前たちは何も出来ずに死んで行く。」

 

リゾットは哀れむように二人に声をかけた。

 

「いやいやそれが、案外とそうとも限らねーぜ?」

 

ーーら、らら、れらろら、らら

 

突如なにかを理解したズッケェロは地に伏したまま不敵に笑う。

 

「何だと?」

「スタンドは成長する。先に一度死に、ここで今またお前のような敵わない相手に出会ったことで、俺のスタンドはどうやら出来ることが増えたらしい。」

 

ズッケェロはしてやったりと笑う。

周囲の空間に大量にシャボン玉が浮かんでいた。

 

「これは!」

 

ーーバチン、バチン。

 

気付いたらリゾットの周囲にも隙間なくシャボン玉が浮かび、リゾットに触れたものから破裂する。

 

「うぐっ!」

 

シャボン玉が割れた瞬間、リゾットは強烈な目眩と吐き気を引き起こす。

 

「ソフト・マシーン。どうやら俺はヤク漬けにされて死にかけたことで、薬の中毒症状を理解したらしい。」

 

リゾットはズッケェロが食らったナイトバード・フライングと似た症状を引き起こしていた。

唐突に引き起こされた精神の異常にリゾットはスタンドの操作を誤り、透明化が解かれて本体が露出する。

 

「オラ、お膳立てはしたぜ。これは一回こっきりの奇襲だ。スタンドパワーも使い切っちまったし俺は動けねーしお前の方がパワーがあるんだからお前が決めな。」

 

露出したリゾットへとサーレーが殺到する。リゾットのメタリカは近距離格闘には全く向いていない。

 

「うおおおおおおっ!」

「クッ、メタリカッ!」

 

ーー俺の方が早い!こうなったらスタンドパワーを全開にして心臓にハサミを突き立ててやる!

 

「勝ったっ!即死だ!……何?」

 

リゾットは口から血塊を吐く。

サーレーの心臓部に ハサミを創り出した手応えがあったにも関わらず、クラフトワークの拳はリゾットを貫いていた。

サーレーは心臓をハサミでぶち抜かれながら攻撃をしていた。

 

「……どうして?」

「スタンドは成長するんだよ。」

 

クラフト・ワーク、物体を固定する能力。

クラフト・ワークはビットリオとの戦いを経て、死を経験した。

死にたくないという必死の願いと追い詰められた状況からクラフト・ワークは成長した。かつてジョルノがベイビィ・フェイスとの戦いで追い詰められて成長したように。

 

「、、、どうやら貴様はまだ自身の神に見捨てられていなかったようだな。」

 

リゾットの亡霊は笑いながら消えていく。

追い詰められたクラフト・ワークは、物体のみならず生命や精神といった曖昧なものすらも固定した。

 

 

◼️◼️◼️

 

「やあ、随分と眠ってたね。残念だけどパッショーネに有休はないよ。実はブラックなんだ。」

「ボ……。」

 

サーレーは病室のベッドに寝かされていた。

体がうまく動かない。ずいぶん眠ってたようだ。

ベッドの横にボスが座っている。サーレーは体を起こそうとする。

 

「ああ、いいよ。横になったままで。まだ病み上がりなんだから。まずは任務ご苦労様。大変だったみたいだね。いきなり心臓を吹き飛ばされたって聞いて少し焦ったよ。」

 

その言葉にサーレーは胸部に手をやる。

死の恐怖。喪失感。文字通りポッカリと空いた空洞。あまりに生々しい感覚がまだ残っている。

それが今は塞がっている。

溢れ出す黄金の生命エネルギー。

 

ジョルノの強大さを感じ取って、サーレーは自然とこうべを垂れる。

 

「これは……ボスが?」

「ああ、それはちょっと待って。まだ決まってないから。」

「決まってない?」

「君たちのことさ。シーラ・Eは任務を果たせていないから処罰すべきだって言ってるよ。君たちはどうしたい?」

 

それを聞いてサーレーは青くなる。反逆者を見せしめに公開処刑するために生かされたのだろうか?

 

「ウフフフフ。ごめんごめん。ちょっと意地悪だったね。僕個人としては君たちは組織のために忠誠を尽くしたと思ってるよ。」

 

サーレーはひとまず安堵する。とりあえず最悪は避けられたらしい。

ジョルノは続ける。

 

「ここからが本題なんだが、実は僕は今困っててね。」

「……。」

 

このボスが困ることなんかあるのだろうか?この全てを見通す全知のような印象を受ける少年が。

「合法、非合法に限らず、組織には武力が必要だ。会社にだって警備員というものが存在する。ましてや非合法組織の僕たちは特に、ね。組織を乗っ取っていい暮らしをしたいというはねっかえり、罪のない市民の命を侮辱するゴミにも劣る輩、敵対組織。僕たちはそういったものと渡り合う必要がある。」

「はい。」

「それで困ったことというのは旧暗殺チームが丸々全滅してシーラ・Eやムーロロのような有能な部下の負担が増えているんだ。特に暗殺チームは危険が大きく損耗が激しく、技能が必要な割には誰もやりたがらない。」

 

暗殺は危険の大きい汚れ仕事だ。よほど奇特な人間でない限りは誰も自分からやりたがらない。さらにスタンド使いである必要もある。

ジョルノは息を止め、正面からサーレーを見つめる。

 

「君に就任しほしい。君が危険な部署を自身で志願したとなれば、組織の君への風当たりもよくなるだろう。」

「……一つ聞かせてください。」

「なんだい?」

「俺は使い捨てですか?」

 

サーレーは夢で男が言った言葉を思い出していた。

サーレーはジョルノを見つめる。ジョルノは目を逸らさない。

 

「せっかくの部下をなるべくなら消費したくない。だが、必要があれば死んでもらう。」

きっと嘘はないだろう。どうせ一度死んだ身だ。

自身の置かれる現状は良くない。でも最悪ではない。なぜなら今サーレーは生きている。

どこへいってもまともな待遇が望めそうにない以上、どうせいつか使い捨てられるのなら大事に使ってくれるところで使い捨てられたい。

 

「わかりました。その話、お受けします。」

「君のスタンド、いいスタンドだね。君のスタンドが必死に生にしがみ付いたから僕の救援が間に合った。」

 

ジョルノは笑った。

ジョルノには人誑しの才能がある。サーレーはそれを痛感していた。

 

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「まあ、死人がそれ以上死ぬわけないわな。」

 

リトル・フィートのホルマジオが笑う。

ここは船の上。行き先も現在地もわからない。

 

「本当に。リゾットは案外と人がいいんですね。」

 

ベイビィ・フェイスのメローネも笑う。

 

「……なんのことだ?」

 

メタリカのリゾット・ネエロは仏頂面をしている。

 

「なんのってお前そういうところあるよな。人がいいっつーか。」

 

ザ・グレイトフル・デッドのプロシュートは微妙な顔をしている。

ソルベとジェラートは船の隅でニヤニヤし、ビーチ・ボーイのペッシはみんなの分の飲み物を運んでいる。

 

「あいつら俺たち(暗殺チーム)の後釜になるんだろ?後輩に対する叱咤激励、だろ?しっかりしろって。お前は昔から先輩風を吹かせたがった。」

 

ホワイト・アルバムのギアッチョが言った。

 

「俺はあいつらが羨ましい。あいつらは〝赦された〟。俺たちは・・・赦されなかった。」

 

マン・イン・ザ・ミラーのイルーゾォが悲しそうな顔をする。

 

「お前はパッショーネの敵というだけでなくシーラ・Eにも恨まれていたからな。どうにもならんよ。」

「……そうだな。」

船の舳先でカモメが鳴いている。陸はまだきっと遠いのだろう。

 

「俺たちは皆運命の奴隷だ。俺たちは役割を終え、舞台を降ろされた。もう誰かに思い出されることもないだろう。……………しかしあいつらは赦されて助かった。あいつらにはまだなにがしかの役割が残されているのだろう。ならば俺たちはただ祈ろう。我らの後輩に幸あれかし。」

 

船の行き先は地獄だろうか?まさか天国ということはあるまい。

彼らは輪廻から外されてしまったのだろうか?

 

答えも意味もなく、ただ船は進んでいた。

 

◼️◼️◼️

 

クラフト・ワーク・〝boia〟・・・成長したクラフト・ワーク。従来の物体を固定するクラフト・ワークに加えて、精神や生命といった曖昧で不定形なものまで固定出来るようになった。ただし、短時間でも恐ろしくスタンドパワーを消費する。何が固定できるのかは、本体であるサーレーのさじ加減次第。一見いい加減なようだが、これは必要に迫られたら空間や時間すらも固定できるようになる……かもしれないということである。ちなみにサーレーはジョルノを全知と表現しているが、これはサーレー自身があらゆるものことを深く理解して固定できるようになる可能性を示唆している。

 

ソフト・マシーン・〝drogato〟成長したソフトマシーン。長時間薬物中毒に陥っていたため、麻薬の中毒症状に対する理解を深めたためにこのように進化した。従来のソフトマシーンに加え、生物が触れたら破裂して麻薬の症状を引き起こすシャボン玉を飛ばせるようになった。ただし症状はまだ比較的軽度。ちなみに本体のズッケェロは未だ病院で麻薬の禁断症状と戦っている。



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孤独 前編

この話は創作物で、実在の人名地名団体等とは一切関係ありません。


金曜の夜、サーレーはイタリアのミラノのとあるスポーツバーで遅めの晩飯を摂りながらテレビを眺めていた。

テレビの内容はフットボール。今日の昼間に行われた試合の再放送。サーレーが見そびれていた、ミラノのクラブチームとナポリのクラブチームの試合だ。最近ミラノのクラブチームはオーナーが変わったという噂がある。試合内容も以前より良くなっているかもしれない。

試合は今は前半で、アウェイチームのナポリのチームが今のところ2ー1で優勢だ。だからサーレーは今少し、機嫌が悪い。サーレーは地元のミラノのクラブチームを応援していた。

 

サーレーはビールを喉に流し込み、食事をとる。サーレーの今日の晩飯はスパゲティ・アッラ・ナポレターナで、ミラノクラブチームのライバル、ネアポリスが発祥の地だが、美味いものは美味い。スパゲティ・アッラ・ナポレターナは連綿とイタリアの労働者に愛され続けてきた。

 

ヨーロッパ圏内の人間にとって、フットボールは国技のようなものだ。彼らの多くは地元のチームを応援し、休みの日には金を払って試合を観戦しに行ったりする。人生のささやかな喜びだ。サーレーだって贔屓のチームが勝てば、機嫌が良い。

居心地の良いバー、美味い食事、ラジオからはとても上手な女性歌手の歌声が流れてくる。最近デビューした歌手だ。これで応援しているフットボールチームが勝てば最高なのだが。

 

サーレーが暗殺チームに所属して変わったことといえば、今のところ生活水準が若干向上したくらいだった。もちろん必要となれば命がけで仕事を行う必要がある。しかし基本的にボスのジョルノが幹部に比較的穏健な人間を取り揃えていたために、幸運にも今のところそれはまだ行われていなかった。

直近で行った仕事といえば、国外に移動するvipの護衛を行ったくらいである。たまたま今観ているテレビと関係するのだが、イタリアのクラブチームに所属する有名なフットボール選手をスペインまで送り届けたのである。

そもそも、暗殺チームは今現在サーレーしかいない。チームもクソもない。相棒はよほど凶悪な薬を注入されたらしく、まだ病院でヤクを抜いている最中だ。ボスからは必要になったら人員を回して指示を出すとだけ告げられている。

サーレーはジョルノからジョジョと呼んで欲しいと言われていたが、以前の癖が抜けない。ついボスと呼んでしまう。

 

サーレーがビールを飲みながらいい気分になっていたところに、向かい席にあまり会いたくなかった人物が現れた。

 

「仕事よ。」

「……わざわざお前が出張ってくる必要があるほどのことなのか?」

 

いい気分がぶち壊しだ。

向かい席に座ったのはシーラ・E。ボスの親衛隊で限りなく幹部に近い立ち位置だ。もともとボスと裏切り者の旧暗殺チームの橋渡し役だったため身の潔白を示すために麻薬チームの暗殺に同道したが、彼女に関しては誰が見てもシロである。サーレーと違って、ボスも本気でシーラ・Eに禊を行わせたわけではあるまい。

 

年齢は16〜7くらいだろうか?黒髪で160センチ前後の女性というより少女といった方がしっくりくる相手だ。綺麗な見た目をしているが顔に多少傷があり、相対していると変に威圧感を感じる。

 

一体何があって裏社会の親衛隊なんぞしているのだろうか。気にはなるが不用意に相手の過去を詮索すると思わぬ虎の尾を踏むことになるかもしれない。知らぬが華だ。性格は負けん気が強く、サーレーは苦手だ。どうせなら新進気鋭の歌手、トリッシュ・ウナのような女性がサーレーは好みである。落ち着いた見た目の女性だ。きっと性格的にも落ち着いた女性に違いない。

 

彼女がわざわざ来るということはまず間違いなく厄介ごとだ。

 

「というよりももしかしたら危険になるかもしれないから私が来たのよ。」

「チッ。」

 

シーラ・Eは強力なスタンド使いだ。彼女がフォローで来たということは、つまりそういうことだろう。

 

「ああ、敵がヤバいとかじゃないわ。アンタ今ひとりだから、どっちかというと私は念のためってことよ。」

「ムーロロのやつはどうした?」

 

カンノーロ・ムーロロ。暗殺と諜報に特化したスタンド使い。サーレーと仕事で組むなら彼の方が適任のハズだ。

なぜ情報部のムーロロを寄越さずに親衛隊のシーラ・Eを寄越したのか、サーレーは疑問だった。

 

「ああ、アンタが知る必要はないわ。ただの仕事よ。」

「お前は親衛隊だろう?ボスのそばに居なくていいのか?」

「副長のミスタ様がいらっしゃるわ。」

 

ムーロロは新たにパッショーネと友誼を育む予定のフランスの組織、【ラ・レヴォリュシオン】との折衝のために、パッショーネの幹部の護衛としてフランスへと赴いていた。ジョルノはムーロロを情報部の人間というよりむしろ、なんでもこなせる便利屋として扱っている。

 

ラ・レヴォリュシオンは命名をフランス革命にあやかった地域密着型の組織で、名門だ。パリに本拠地を持つ。さすがにフランス革命の頃から存在するわけではないが、それでも100年の歴史を持つ。歴史は宝だ。

ラ・レヴォリュシオンは過去の戦時中に、一般人の避難誘導を積極的に行っていたり、沈む市民を元気付けるためにフットボールの試合を主催したりといった実績を持つ。地域の人々はそれを忘れられない。組織に感謝して、いい感情を抱いていた。しかしいくら評判が良くてもパッショーネにとっては敵地だ。用心の為にジョルノは最もその能力を信頼するムーロロを向かわせていた。ムーロロであれば万一敵地で囲まれたとしてもどうにでもできるであろう。

 

知能の高いパンナコッタ・フーゴも幹部候補生としてムーロロに付き添っていた。パッショーネの同盟組織は、ヨーロッパ圏内に他にもそれなりの数点在する。

もともとIQが152もあるフーゴは、破綻している人間性さえ治せれば組織にとってこれ以上にない有意義な人材になり得る。裏切り者のレッテルを貼られた人間に対して性急ではあるが、幹部にして重要な仕事を任せることができれば組織の財政面での多大な貢献が期待できる。大学に通わせて組織の専属弁護士として活躍させるのも選択肢として悪くない。

利益が全てではないかもしれないが、利益を産まない組織など脆く、求心力を持たない。組織にとって利益を生み出す人物というのは重要だ。たとえスネに傷を持つ人材であっても。

 

「それで、俺は誰を消せば良いんだ?」

「ああ、まだそんな段階ではないわ。とりあえず調査を行う。相手はスタンド使いじゃないかって疑いがある。だから私が付き添いに来たというわけ。」

「どういうことだ?」

 

シーラ・Eの言うことはいまいち判然としない。

 

「ジョルノ様の意向よ。今まで諜報はムーロロが一手に行ってきたけど、他の人員も育てる必要があるって。なんでもムーロロに任せるのは良くないっておっしゃってたわ。」

 

実際のところ、ジョルノはムーロロを若干酷使していた自覚があったため、慰安旅行も兼ねて国外の仕事を任せていた。

それにあまりに一人に仕事を任せきりでは、いざという時に替えが効かない。組織として弱点を抱えることになる。

 

「解せないな。お前一人でも出来そうな仕事だが?」

「あのねー、アンタそれで良いわけ?これはジョルノ様の御慈悲よ?今のままじゃアンタが任される仕事は少ないままよ?そんなんじゃ近々首を切られるわよ?」

「……それは……困る。」

 

組織に捨てられたらサーレーに行くあてはない。困る。

そうなってしまえば住所不定無職の行き倒れか犯罪者に身を落とすのががオチだ。どちらにしろ半年も経たずに、組織の刊行するミラノの新聞に三面記事として小さく載ることになる。

 

サーレーは仏頂面をする。さすがにそれは御免被りたい。

 

「じゃあアンタ私について来なさい。」

「オ、オイ。今からか?」

「今すぐよ。」

「待って、待ってくれ。まだ飯も食ってない。」

「そんなん後にしなさい。行くわよ。」

 

シーラ・Eは席を立ってさっさと店を出て行く。

テーブルの上には食べかけのスパゲティ・アッラ・ナポレターナとビールが残っている。

フットボールの試合はミラノのクラブチームが点を返して2ー2になって面白くなったところだ。ミラノのクラブチームは逆転するかもしれない。

 

サーレーは後ろ髪を引かれながらも、会計を済ませて慌ててシーラ・Eを追いかけた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「オイオイ、どこへ向かうんだ。」

「トリノよ。」

 

唐突にサーレーがシーラ・Eに連れられて辿り着いたのは、ミラノ中央駅だった。

薄暗い夜間のミラノ中央駅は、多少人が少なくてもそれでも活気がある。

「マジかよ。そんな遠くに向かうのか。」

「パッショーネはイタリア全土に根を張っているわ。これくらい当たり前よ。」

トリノはミラノの西方約130キロメートル。特急でも1時間弱はかかる。

サーレーとシーラ・Eは料金を払って高速列車のイタロに乗り込んだ。一人当たりだいたい25ユーロだった。

組織から手当は出るのだろうか?サーレーは貧乏だ。

 

「それで?対象はどいつなんだ?」

「こいつよ。名前は、フィガロ・ジョコヴィッチ。名前からしてスカンジナビア半島あたりからの移民かしらね。」

 

シーラ・Eはサーレーに写真を渡した。

写真にはメガネをかけた冴えない若い男性が写っている。年齢は25〜30くらいだろうか?中肉中背で特に特徴もない。

サーレーは高速列車の座席に座り込んでシーラ・Eに問いかけた。

 

「それで……こいつは何をやって組織の不興を買ったんだ?」

「こいつは無法者(フーリガン)よ。トリノのクラブチームで問題視されてるわ。」

 

無法者(フーリガン)

フットボール界の頭痛の種だ。集団で暴れ、多くはクラブチームに脅迫などを行い甘い汁を啜ろうとする。

彼らの暴力行為に一般の人々は嫌気がさし試合会場から足を遠のかせ、彼らが暴れることでときおり死人が出る。

 

「それはわかったが……何故それをパッショーネが対応する必要があるんだ?クラブチームがやるべきだろ?」

「なんというか……それがアンタとフーゴの差よねえ……。」

 

シーラ・Eは哀れむように何も知らない子(サーレー)を見つめる。

幹部候補生(フーゴ)下っ端(サーレー)、差は如実に現れている。

 

「あのねえ、考えてもみなさい。なぜパッショーネはこんなに強大なの?麻薬チームがなくなって組織の規模が縮小したかしら?」

「いや……それは……。」

 

サーレーは考える。

麻薬を禁じ手にしたにもかかわらず、パッショーネは依然強大だ。麻薬は組織に莫大な利益を産んでいたはずだった。しかしむしろジョルノが姿を現して、パッショーネは余計に権勢を誇っているようにも思える。麻薬の利権とは一体何だったんだ?

 

どこから金が出ているかなど、下っ端のサーレーには知る由もなかった。しかし現実的に、どこかからは金が出ていないとおかしい。まさかスピードワゴン財団のヒモをしているなんてことはないだろう。

 

「近年積極的にヨーロッパ内の組織と同盟しているのは知っているでしょう?それも組織の業務の一環よ。アンタがさっきまでバーで見ていたミラノのフットボールチームのオーナーは、パッショーネ大幹部のペリーコロさんよ。」

 

サーレーは目玉が飛び出そうなほどに驚いた。

ああいったクラブチームの経営者は現実の超vip で、サーレーが考えるにどこかの王族のように四六時中セキュリティポリスに護衛されているような人物だ。多分。サーレーとはまるで縁がないと思っていた。

実はその考えは案外的外れではない。事実、組織運営の要となったペリーコロは、組織からガチガチのスタンド使いの武闘派護衛集団をダース単位で派遣されている。地位はパッショーネ内でも副長ミスタのすぐ下、ジャン・ピエール・ポルナレフを除けばナンバー3だ。

 

ミラノのクラブチームの資産価値は安く見積もって5億ユーロ(日本円換算、650億前後。)と言われている。

以前にサーレーが命懸けで奪おうとしたポルポの隠し財産の価値は約6億だ。二桁違う。サーレーが先ほどまで食べていたスパゲティ・アッラ・ナポレターナに至っては、約5ユーロだ。5億ユーロあればスパゲティ・アッラ・ナポレターナが1億食も食べれる。あまりにも絶望的すぎる格差だ。

おのれ、セレブめ。これが格差社会か。

 

「以前から行なっていた業務に加えて、ボスはフットボール産業にも力を入れているわ。これがパッショーネの資金の出所よ。」

「そんなこと俺に話してしまっていいのか?」

「問題ないわ。後ろ暗いこともないし乗っ取りも不可能よ。」

 

ジョルノを中心としたパッショーネの首脳陣は、麻薬に代わる組織の新たな資金源を模索した。以前のみかじめ料や旧態の利益だけでは巨大な組織は運営できない。協議の結果、組織の重鎮ジャン・ピエール・ポルナレフのツテを使い、スピードワゴン財団から資金を借りてフットボール産業に介入した。

経営の思わしくないクラブチームの安価での買い取り健全化、代理人業務(クラブチームの資産である選手のマネージメント、移籍、その際にかかる諸々の手数料)、フットボール賭博などだ。そしてそれは、大当たりした。

 

そしてそれらをジャンルッカ・ペリーコロ、以前に組織に忠誠を示して自殺したヌンツィオ・ペリーコロの息子だ。彼に任せた。

彼は子供の頃に組織に命を救われた過去を持つ。組織に絶対の忠誠を誓っており、ジョルノに心酔していてジョルノが姿を現した時他の幹部にジョルノを認めるように積極的に働きかけた功績をもつ。その功績の見返りだ。

彼はパッショーネ幹部でありながら表社会の名士で、真っ当な生業で組織に金を収めていた為に表社会にも顔が効き、クリーンなイメージを持ちながらフットボールクラブ経営を任せるのにもうってつけだった。

 

「フーゴはそれをすぐに看破したわよ?」

 

以前パッショーネはフーゴたった一人への対応のためにジュゼッペ・メアッツァを貸し切ったことがある。本来ならばフットボールの試合が行われているはずの日時だ。

パッショーネが平然と試合当日のジュゼッペ・メアッツァを貸し切っているのであれば、フーゴほどの知能があれば当然何かのカラクリがあることに気付く。ジュゼッペ・メアッツァとは先ほどまでサーレーがバーのテレビで見ていた試合が行われている競技場だ。本来ならばそんなこと有り得ない。

ジュゼッペ・メアッツァはミラノ市所有の競技場で、イタリア中の人間がそこで行われるフットボールの試合を楽しみにしているのだ。特に本来ならばその時、ジュゼッペ・メアッツァではミラノダービーが行われるはずだった。ミラノダービーとはミラノに本拠地を持つ宿敵のクラブチーム同士が火花を散らす特に人々が熱くなる試合だ。

 

フットボール産業は、年々肥大化している。フットボールは多くのヨーロッパに住む人々の、生き甲斐だ。

彼らは日々を働き、週末の試合を日々のささやかな楽しみにしている。少年達の多くは、幼い頃にフットボール選手になることを夢見る。

フットボールの試合を見るために小遣いを叩いてチケットを買い、お気に入りの選手のユニフォームを購入する。

地元の企業も文化であり歴史であるフットボールを守るために積極的にスポンサーを名乗り出る。

近年はヨーロッパだけでなくアジアの市場開拓も進んでおり、中国あたりは巨大なお得意様になってくれそうだ。

 

毎年のように選手の移籍にかかる金だけで兆を超える金が動き、選手に払う給与やその他諸々様々な諸費用は想像もつかないほどに莫大な額だ。サーレーがつい先日護衛したフットボール選手も、スペインのカタルーニャのクラブチームに5年契約で3000万ユーロ(日本円換算、およそ40億円。)という莫大な額で買われていった。

ヨーロッパ圏内の他の組織と積極的に同盟を行うのも、そこに理由がある。他の組織は成功を収めたパッショーネをフットボール産業介入のモデルにしその手練をこい、パッショーネは国外のクラブチームの入手と選手の移籍をスムーズに行うツテを得る。ウィンウィンの関係だ。

 

「トリノのクラブチームもパッショーネのチームよ。だから私たちの仕事になるの。」

 

いつのまにか信じられない程に巨大化していたパッショーネに、サーレーはめまいを感じた。

組織は非合法なので一応表社会に対しては存在しないという体裁になっているはずなのだが……とても秘密にしてるとは思えない。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

トリノはイタリア共和国のピエモンテ州にある都市で、今は衰退しつつあるがそれでもイタリア有数の大都市である。イタリア国内でもミラノに次ぐ工業都市で、自動車産業と共に発展してきた。地理的にはすぐ西方にアルプス山脈を控えており、フランスとの国境に近い場所に位置している。

ヨーロッパの大都市の多くは複数のクラブチームを国の一部リーグに持ち、トリノも例にもれず今現在セリエAに二つのクラブチームを保持している。そのうちの片方がパッショーネのクラブチームだ。

 

「ミラノほどじゃあないが、なかなか巨大な都市だな。」

「アンタ仕事で来てるんだから緊張感を持ちなさい。」

 

ミラノからの高速列車、イタロから降りた二人はトリノ・ポルタ・スーザ駅に降り立つ。

時間帯はすでに夜の11時を回っている。街には灯りがともり、トリノの雑然とした街並みは味わいがある。

 

「明日から行動するわ。とりあえずパッショーネの幹部が経営しているホテルに向かうわよ。」

「おい!明日から行動するんなら明日来てもよかったんじゃあないか?」

「アンタ時間にルーズだし携帯もまだ持ってないじゃない!わざわざ探すのは非常に手間なのよ!さっさと携帯を買いなさい!」

 

サーレーはマリオ・ズッケェロと組んでいた時からずっと無線機を使って行動をしてきた。わざわざ携帯に変える意味が見出せない。

古い考えと言われようと使い慣れて信頼しているものを手放すには抵抗があった。

 

二人は雑談をしながら夜のトリノを歩く。

サーレーはシーラ・Eの後を追い、やがて駅の近くにあるホテルに二人はたどり着いた。

 

「とりあえず明日の行動を説明するわ。」

 

シーラ・Eはロビーで受付を済ませると近くのソファーに座り込む。

サーレーも付き添ってシーラ・Eの正面に座った。

 

「対象はさっき説明したコイツ。どこかの組織の息はかかっていない。トリノの製薬会社に勤めているわ。」

「ああ。」

「明日はコイツが贔屓しているフットボールチームの試合が行われる。コイツはそこに毎回顔を出すわ。」

「それで話を聞くわけか?」

「そう……そうなんだけど……。」

「なんだ、随分歯切れが悪いな。なんかあるのか?」

「そうね。クラブチームからコイツの情報は入ってきているわ。でも腑に落ちないことがあるの……。」

「腑に落ちないこと?」

 

そもそも相手がスタンド使いの可能性が高いというからサーレーたちに白羽の矢が立ったのである。

しかしシーラ・Eは奥歯にものが挟まったような言い方だ。何か気になることでもあるのだろうか?

 

「ええ。最近トリノのクラブチームでフーリガンの暴動が起こることが多いの。それで毎回のようにこの男が目撃されているのだけれど……。」

「それで?」

「この男自身は暴動には参加していないのよ。周囲で暴れる人間がいるにもかかわらず、毎回無傷で帰宅しているらしいわ。」

「じゃあ何かの間違いじゃないのか?たまたまとか。」

「警察に捕まったフーリガン達は決まって、急に訳もわからず怒りがこみ上げてきた、何でこんなことをしたのかわからない、と言っているらしいわ。全員よ。」

「罪を逃れるための常套手段じゃないのか?」

「そういった捕まった人間達の身辺調査や背景の洗い出しなども済んでいるわ。特に不審な点は見受けられない。」

「なるほど。」

 

サーレーは考える。

たしかにそれがスタンドによる現象だったら説明がつくかもしれない。

だがそうだとしてもそんなことをする理由がわからない。その男は暴動を起こして何かの得をしているのだろうか?何かの利益を?

世を恨んでのテロ行為にしては、ショボくて非効率な感が否めない。その予行練習にしても見つかってしまっては意味がない。やっていることがチグハグだ。

 

「製薬会社に勤めてるんなら、なにかの薬物の可能性は?」

「その可能性も調査済みよ。現場からはなんの薬物も検出されてないわ。」

「なるほど。いずれにせよやってることの意味がわからないな。お前は何かわかるか?男からクラブチームに脅迫でも来たか?」

「脅迫とかは一切ないらしいわ。そうね。これはスピードワゴン財団の超自然現象部の受け売りだけど……。」

 

シーラ・Eは少し考えて、前もって情報として仕入れていたスピードワゴン財団の見解をまとめた。

 

「スタンドの形は基本的に本体の精神の影響を受けているわ。私にしても、あなたにしても、必要だからその能力が発現したわけだし。でもそれはあくまでも基本。何事にも例外はある。実際に戦う意志を持たない一般人にスタンドが発現して本体の命を脅かした前例もあるらしいわ。」

「じゃあそいつはシロで、スタンドが勝手に暴走しているということか?」

 

それにしてもどっちにしろ危険なスタンドが暴走しているのであれば、残念だが暗殺対象だ。

サーレーはそう考える。

 

「それはわからない。さっきの例も、身内のような人間にスタンドが発現した影響だという話だし。でも……そうね。コイツが仮に悪意を持った犯人だとしたら、やっていることの意味がわからない。」

「……どうするんだ。」

「結局調査を行うしかないわ。危険はあるし、対策も何ができるかわからないけど……。」

「手っ取り早くそいつを暗殺すればいいんじゃないか?」

「それはダメよ。」

 

シーラ・Eが眉を顰めて、苦しそうな顔をする。

最悪、たとえ悪意のない人間だったとしても、社会に害をばら撒くならその判断を下す可能性はつきまとう。そしてそれはシーラ・Eの役割だが、それは今ではない。

シーラ・Eは裏社会に所属しているものの、感性は真っ当な人間だった。一般人の暗殺などしたくない。

 

「ジョルノ様はおっしゃったわ。裏社会は表があるから生きられる。裏は表の上澄みのようなおこぼれをいただくことで、かろうじて存在できる脆いものだと。だから暴力に頼る裏の人間であろうと、むしろだからこそ……表の人間の生命と生活を守らなくてはいけない、搾取ではなく共存を目指すべきだと。暗殺は最後の手段だわ。」

 

シーラ・Eは一息をついた。

彼女は真剣な様子で、サーレーを見つめている。

 

「アンタの人生を否定するつもりはないわ。私も裏の人間だし。でも筋は通さないといけない。それを踏み外せば、外道に落ちるわ。暗殺をするにしても、きちんと調査してどうしてもその必要があるという判断を下さざるを得ない時だけだわ。」

「……俺は下っ端だ。ボスがそういったんなら従うよ。」

「明日の試合は昼からよ。10時前にはホテルを出立するわ。」

「了解した。」

話が終わった二人は、各々の個室に向かって行く。

 

 

◼️◼️◼️

 

窓の外はトリノの夜景が一望できる。悪くない。

さすがはパッショーネだ。格式高くてとても居心地のいいホテルだ。

 

ホテルの個室でシーラ・Eは考える。今回の件とは無関係なことだ。

 

シーラ・Eはもともと、組織に姉の復讐のために入団した。彼女の本名は、シィラ・カペッツート。

彼女はもともと気立てのいい普通の人間で、クララという名の優しい姉と暮らしていた。

それがどうして今現在裏社会にいるのか?どこにでもあるような話だ。

ある日、その大切な姉が何者かに殺された。姉は彼女にとってかけがえのない人だった。

彼女は何を捨てても復讐を果たすことを誓う。

 

シーラ・EのEはエリンニ(復讐)という意味で、敵に対してはどこまでも無慈悲であることを誓った名だ。

 

彼女がパッショーネに入団して姉の復讐相手を探しているうちに、ジョルノがパッショーネのボスとして姿を現した。それは唐突でセンセーショナルだったが、シーラ・Eの目標とは無関係だ。

さらに調査を続けているうちに、対象が暗殺チームのイルーゾォという男だったと判明する。スタンド使いで、罪のない一般人を死に至らしめるゴミ以下のゲス野郎だ。

それが判明した時には、すでにイルーゾォは死亡していた。

 

『彼はこの世で最も無惨な死に方をしたよ。』

 

目標を失い宙ぶらりんな彼女にそう伝えて、安らぎを与えてくれたジョルノにシーラ・Eは心酔した。

彼女は強靭な精神を持つ人間だったが、長年復讐を考えて疲れ果てていた。

復讐のことを考えなくてよくなったシーラ・Eだが、肩までドップリ裏社会に浸かってしまっては抜け出せないし、今更抜ける気もない。

それまでと同じように組織に仕えていたのだが、つい先日彼女に匿名の手紙が届けられる。

 

『サーレーは、真実に気付いている。』

 

ただ、それだけだ。たったの一文。匿名の手紙になんて信憑性はないし、意味もわからない。真実?

ただ、妙に気にはなる一文だ。

 

これまで通り、ジョルノに尽くせばいいという思いとは裏腹に、時折その一文が頭をよぎる。

仮に手紙の内容が事実なら、真実とはなんなのだ?都合の悪い真実だったとしても目を背けるべきなのだろうか?

 

今回はたまたま、サーレーとチームを組んでの調査だ。それを知るにはうってつけなのかもしれない。

彼女がトリノに前乗りしたのは、衝動的なものだった。迷っていたのだ。前日から来ればサーレーから話を聞き出す時間が取れる。

しかし、シーラ・Eの本能は彼女に危険を呼びかけていた。

 

これまでのようにただ任務をこなせば良いのか、危険な匣に手をかけてこじ開けてみるべきなのか、、、。

 

任務に集中すれば気にならなくなると、シーラ・Eは降って湧いた懸念に頭を振った。



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孤独 後編

「ふざけやがってッ!このクソヤローがッ!パッショーネを舐めてんのかッッッ!ぶっ殺してやるッッッッ!」

「待てッ!俺が悪かった。反省する。反省するから。」

 

イタリアの人々は時間にルーズな傾向がある。定説だ。

翌日の朝というより昼時。シーラ・Eはキレていた。

 

シーラ・Eもサーレーが時間にルーズであることを考えて、余裕を持って朝の10時という遅い時間の待ち合わせをした。まあそれでも試合開始の時間には余裕を持たせているのだが。さすがにこれだけ遅い時間であれば、サーレーだろうときっと間に合わせるだろう。

そのシーラ・Eの目論見は、当然のように裏切られた。

ちなみにシーラ・Eは最悪戦闘が起きる可能性を考えて、朝の5時半に起きてスタンドを使う準備運動のようなものまで済ませている。体を動かせば脳が活性化してスタンドの動きも滑らかになりやすい……気がするからだ。さすがにそれにサーレーを付き合わせる気はなかった。

 

そして肝心の翌日、シーラ・Eが朝の運動を終えてシャワーを浴び、朝食を摂る。

時計をチラリと横目で見る。まだ大丈夫だ。気が早い。9時半だ。まさかいくらサーレーといえどパッショーネの仕事を軽く見てるなんて有り得ない。ジョルノ様の強大さを理解しているはずだ。

昼時はフットボールの試合会場にいることになる。どこかの店で軽食でも買って試合会場で食べるとしよう。シーラ・Eは部屋を出て買い物に向かう。買い物はスムーズに終わり、部屋に据え付けられた時計を見る。9時50分だ。まだ大丈夫だ。慌てる時間じゃない。

部屋に立って戦闘をイメージする。スタンドを動かす。興が乗ってしまった。時計を見る。10時5分、アウトだ。そろそろ起こしに行こう。

 

シーラ・Eが自室を出てサーレーの部屋に起こしに行った時、サーレーの部屋から厚化粧の見知らぬ女性が出てきた。香水のにおいがキツイ。まあ部屋に女を呼んだのだろう。仕事に差し支えなければ問題ない。落ち着け、シーラ・E。

それだけならまだしも、部屋の扉を何度も叩いても起きる気配がない。シーラ・Eのコメカミに血管が浮かび上がる。そろそろ限界は近い。

今借りている部屋のチェックアウト時間は10時だが、ホテルの人間はパッショーネの人間だ。おそらく無駄に気を効かせてモーニングコールをかけることもないだろう。シーラ・Eはため息をついて、合鍵を借りるためにホテルのロビーに向かった。

 

「グガアアアアア、フゴ?」

 

シーラ・Eはロビーで合鍵を受け取ると、サーレーの部屋に侵入した。酒臭い。サーレーはベッドで気持ちよさそうに寝ている。

部屋のベッドで顔を赤くしたままグッスリ眠るサーレーを拳で叩き起こした。部屋はキツイアルコールの匂いがする。部屋のテーブルには飲み散らかしたワインの空き瓶が複数本散乱していて、叩き起こされたサーレーは寝ぼけ眼で目をこすっている。

 

「フゴ?じゃねえええ!!この役立たずのイ○ポヤローがあッッッ!テメエ、パッショーネ舐めてんのかあッッッッッッ!」

 

そして、今に至る。サーレーは部屋に商売女を呼んでいたのみならず、深夜まで深酒をして顔を赤くしたままアルコールの匂いをプンプンさせている。

ある程度サーレーの人となりを理解していたはずのシーラ・Eも、さすがにキレた。

 

「テメエッッ!仕事で来てる自覚あんのかッッ!うまい酒飲んで、女を抱いて、いい旅夢気分かッッッ!!アアン!?少し寛容にしてやったらどこまでも付け上がりやがって!!」

「わ、悪かったよ。ほ、ほら時間、急がないと。」

「ふざけんなッッ!誰のせいでこんなことになったと思ってるんだッッ!」

「ま、待てッ!スタンドはヤメロ。ホテルを壊したらまずいだろうが!」

 

フットボールの試合開始の時間は1時半だ。シーラ・Eがキレたため今11時半。

サーレーの準備や移動時間も考えるともう試合開始に間に合いそうもない。

 

「マジでなんでジョルノ様はこんなゴミのような人間を部下にしたんだか……。」

「オイッ!言い過ぎだぞ!」

 

サーレーとシーラ・Eは言い争いをしながらホテルを後にする。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

スタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノ。二人が向かう先の競技場名。トリノ市の所有物である。

パッショーネの所持するトリノのクラブチームも、100年の歴史を持つ。

かつてはグランデ・トリノ(トリノの偉大なチーム)と呼ばれるほどのチームで、その最期は事故による黄金期の終焉という悲惨なものであったものの、今なおトリノのオールドサポーターには素敵で切ない思い出として心に残っている。

近年は成績を落としがちでセリエBにも頻繁に落ちていたが、世界的にはともかく地元のサポーターにはもう一つのトリノのメガクラブよりも人気が高い。単純に愛されているのである。長い年月を人々の心の糧として貢献してきた。

 

トリノの2つのクラブは因縁が大きく、敵対意識が強い。

パッショーネは片方を秘密裏に入手した。歴史のあるチームをマフィアが牛耳っていると知られれば、市民は拒否反応を起こすかもしれない。

シーラ・Eとサーレーは競技場のあるサンタ・リータ地区へと向かう。

道中、昼飯用にサーレーは大手チェーン店のバーガーを買っていった。照り焼きのいい香りが食欲をそそる。

散々寝坊したにも関わらず、図々しい奴だ。いっぱしに腹は減るらしい。

 

「もう落ち着けよ。チケットの入手は済んでるんだろ?試合終了には間に合うだろう?」

「そういう問題じゃあないわよ。調子乗るんじゃないわ。」

 

サーレーとシーラ・Eは競技場へと入っていく。会場は熱気に包まれている。

シーラ・Eから渡されたチケットはかなりいい席で、試合が間近で見れる。

 

「奮発したな。これダフ屋で買えば1000ユーロくらいするんじゃあないのか?」

 

今日はトリノダービーだ。トリノ市が1年で最も熱くなる日の片方で(同じ組み合わせの試合は、年に二回ある)、欲しい人間は大枚を叩いてでも入手したがる。ツテでもない限り、入手はかなり困難なはずだ。

とっくにチケットも完売している。

サーレーとシーラ・Eはチーム関係者からチケットを譲ってもらっていた。

 

「アンタ寝坊しといてよくもまあヌケヌケと言えるわね。」

 

シーラ・Eの返答はトゲトゲしい。

 

「……それで標的は?」

「そうね。ここからだと左前方の方かしら。ネット裏のスペースの席を取ったみたいね。」

 

シーラ・Eは素の肉体スペックも高い。

40ヤード離れたゴールネット裏の席に、すでに標的を見つけている。フィガロ・ジョコヴィッチだ。

 

「そんで、どうするよ?」

「とりあえず観察をするわ。スタンドは一般人には見えないから、私たちが標的がスタンドを使うか確認する。」

「スタンドを使わなかったら?」

「帰りに対象を捕まえて質問を行うわ。相手の出方次第ね。」

「了解。」

 

サーレーは返事をすると、試合に見入る。応援しているチームでなくとも、こんないい席をもらったなら集中しなければフットボールに失礼だ。

シーラ・Eは相棒を任された男の呑気さにため息をついた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「やれッッッ!そこだっ!あー。」

 

惜しいところだった。

試合はすでに後半。トリノダービーは前評判で有利な方がすでに得点を3つ決めていて、試合の大勢は決まりつつある。今の9番のシュートが決まってれば4点差だ。惜しくもシュートはポストを掠めていった。

クラブの所持する負けている方のチームも、当たり前だが勝負を投げずに必死に食らいつこうとする。フットボールはいい。

 

どうせなら勝った方が気持ちいい。特に応援しているチームにこだわりのないサーレーは勝っている方のチームを応援していた。

 

「……アンタねえ。ハアー。」

 

シーラ・Eはため息をつく。

サーレーはまじめに仕事をしないだけでなく、組織のチームでない敵のチームの応援をしている。いつのまにか片手には売り子から買った紙コップのビールも持っている。こいつはマジにパッショーネの任務を舐めてるんだろうか?

 

というよりも、サーレーはダメ人間だから裏社会の下っ端にしか居場所がなかったのである。

サーレーは典型的なダメ人間思考、そばにしっかりもので頼りになるシーラ・Eがいるから全部任せればいいか、を遺憾無く発揮していた。サーレー一人ならもっと真面目に任務に取り組んでいたはずである。多分。

ーーもし泥酔するようだったら始末してやる。

 

シーラ・Eの目が鋭く光り、不穏なことを考える。その時。

 

「オイ、あいつ帰っていくぜ?」

「なに!?」

 

シーラ・Eは慌てて標的のいたはずの場所を見る。

標的はすでにそこにはおらず、いたはずの場所には白い靄のようなものが漂っている。

 

「アンタ、奴がスタンドを使っているのを確認した?」

「いや、確実には見ていない。だが、アレ……。」

「ええ、そうね。」

 

サーレーとシーラ・Eは白い靄を注意深く観察する。

去っていった本体も気になるが、まずは目の前の現象に対応しないといけない。

 

「さて、どうなるのか……。」

 

シーラ・Eは眉を顰めて靄のある席の付近を注意深く眺める。

 

「テメエッッ!さっき俺の足を踏んだだろうが!」

「アンタの体臭がキツイのよ!あっち行きなさい!」

「クソッ!!応援してるのにしっかりしやがれ!ぶっ飛ばしてやるッッ!」

「お前らみんなムカつく顔しやがって!クソどもが!」

「ふざけんな!簡単なシュートを外しやがって!テメエら給料いくらもらってやがるッッッ!」

 

白い靄のある座席の付近で揉め事が起きる。観客たちが取っ組み合いの諍いを起こしている。

 

「確定ね。標的を追うわよ。」

「オイ!アイツらが揉めているのは放っておいていいのか?」

「人には領分があるわ。アレは競技場の警備員に任せた方がいい。」

 

シーラ・Eはそれだけ言うと、サーレーをひっ連れて競技場の外へと向かおうとする。

まず間違いないだろう。あの白い靄が周りの人間の怒りを誘発している。

 

「オイ、待てよ。席を立つなんてもったいない。まだ試合は終わっていない。負けてる方も試合を投げてないぜ。こんないい席で試合を見ることなんて、そうそうないぜ?」

「ふざけんな!クソ下っ端が!!テメエなんのためにトリノまで来たと思ってやがるッッッッッッ!!!」

 

シーラ・Eの絶叫が、スタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノにこだました。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「そこのアンタ、ちょっと待ちなさい!そこのメガネをかけたアンタよ!」

「あーあ、試合見そびれちまった。」

 

愚痴るサーレーとシーラ・Eはティッレーノ通りでフィガロに追いついた。

念のため、クラブ関係者にフィガロの後をつけるように指示を出しておいたのが功を奏した形だ。

 

フィガロは突然声をかけられてビックリして振り返る。

 

「そう、アンタよ。ちょっと話があるわ。」

「……私になんの用でしょうか?」

 

フィガロはサーレーとシーラ・Eをまじまじと見る。近くで見ると神経質そうな男だ。ビクついている。

シーラ・Eは顔に傷があり、サーレーは洋服を着崩している。とてもカタギには見えない。フィガロは、二人をひどく警戒した。

 

「アンタ、これが見えてるでしょう?」

 

シーラ・Eはそう告げると、彼女のスタンド、ヴードゥーチャイルドを彼女の前に現した。

 

「ッッッッ!」

 

その瞬間、男の警戒は頂点に達して、あたりを男から噴出した白い靄が覆った。

 

「チッ。スタンドを使いやがった!」

「クソッ!マズイ!軽率だったかッッ!」

 

靄が二人を覆った瞬間に、シーラ・Eを怒りの感情が支配した。

親衛隊の私がなぜサーレーのようなだらしがない男とチームを組まされないといけないのだ?今朝もパッショーネを舐めたような態度を取りやがってッッ!組織の役立たずの穀潰しの寄生虫がッッ!始末してやるッッ!

 

シーラ・Eは怒りのままヴードゥー・チャイルドを具現化させる。

シーラ・Eが振り返ると、サーレーも憤怒の形相でシーラ・Eと同じようにスタンドであるクラフトワークを構えていた。

 

「このションベンたれの小娘がッッッッ!!親衛隊だなんだと偉そうにしやがってッッ!どうせなら歌手のトリッシュのように色気を付けやがれッッッ!!テメエに年上の威厳てモンを教えてやるよ!!!」

「威厳もへったくれもない人間のゴミが!!カニみたいな髪型しやがってッッ!!どうせかっこいいとか勘違いしてわざわざスタンドで〝固定〟してるんだろ!そのおかしな笑える髪型をッッ!!帽子をかぶる時は一体どうやってるワケッッッ?アンタなんか路地裏で野垂れ死にがお似合いよッッ!!!」

「ウラウラウラウラッッッッ!!!!」

「エリエリエリエリッッッッ!!!!」

 

シーラ・Eのヴードゥー・チャイルドとサーレーのクラフトワークがぶつかった。

近距離のパワーとスピードではシーラ・Eのヴードゥー・チャイルドが圧倒的に上だが、サーレーはうまく固定する能力を使ってくる。

シーラ・Eはスタンドを固定されるたびに力任せに拘束を振りほどき、体勢を崩したシーラ・Eを追撃するクラフトワークを持ち前のスペックの高さでいなしている。

 

「ジョルノ様ジョルノ様言いやがってこのボスの金魚の糞が!!テメエみたいな鬱陶しいストーカー女、ボスもうんざりしてるだろうよッッ!!」

「組織の癌が!!言わせておけば調子に乗りやがってッッ!ジョルノ様に変わって私が始末してやる!!」

 

ヴードゥー・チャイルドの拳がサーレーの肩を擦り、能力が発動する。サーレーの肩に唇のようなものが生まれた。

シーラ・Eのヴードゥー・チャイルドの能力は思い返したくないトラウマを掘り返すものである。

 

『乱暴者のサーレー、お前はみんなに嫌われている。お前の考えは自分本位で独りよがりで、お前は敬遠されている。お前は永遠に掃き溜めの住人だ。』

 

中学時代の教師の言葉だ。このあとサーレーはカッとなって教師を痛めつけてしまった。

これがサーレーの人生を決定的にした転機だったのだろう。組織に身を置く人間はだいたい、似たり寄ったりだ。

 

サーレーはみんなと馴染まず、短絡的ではないものの怠け者で、裏では暴力を振るっていた。

悪童同士でつるみ、カツアゲをして、易きに流れ続けた。

結果、みんなから弾かれ疎まれ、こんなところにいる。勉強もあまりできない。慎重なのは、根が臆病だからだ。

自分には無理だと思いながらも、心の中では普通の人生に憧れている。

普通に勉強して、どこかの企業に勤め、家族をもって、日々のささやかな幸せを謳歌する。そんな人生にだ。

 

「黙れッッッ!!俺の人生だッッ!!俺の勝手だろうがッッッ!!!」

「ハッ!情けないわね。狼狽えて。喰らいなさいッッ!!エリエリエリエリッッッッ!!!」

 

二人は際限なくヒートアップしていくように思えた。

しかし仲間割れの終わりは唐突に訪れた。

 

「クッ!なんだ!?」

「痛っ!」

 

サーレーとシーラ・Eは首筋に痛みを感じて攻撃していた手を止める。

シーラ・Eの携帯が鳴っていた。我を取り戻したシーラ・Eは携帯の通話ボタンを押して、耳に当てる。

 

『オイオイ、テメエらいつまでやってんだ?本体はとっくに逃げちまってるぜ?』

 

フランスにいるカンノーロ・ムーロロからの電話だった。

シーラ・Eは性格的に危なっかしいために、ムーロロは念のためにオール・アロング・ウォッチタワーをシーラ・Eに潜ませていた。先程はトランプに短剣で二人を刺させて、正気に戻させていた。

靄のスタンドの本体は、互いを罵り合うために二人が向き合った瞬間に脱兎のごとく逃げていった。

 

「アンタ一体どうやって!?」

『あーあー、それは別にいいだろうが。そんなことよりお前ら、任務はどうすんだよ?』

「奴を追いかけるわ!」

「おい、待てよ。あの能力に対策はできるのか?」

 

サーレーも復活して会話に混ざってくる。

 

「相手がスタンドを発動する暇なく気絶させて拘束する。」

「……いや、それはやめたほうがいい。」

 

シーラ・Eの弱点は引き際に疎く、しばしば視野狭窄に陥りがちなところだ。組織のためとなると猛牛みたいになる。

実力はともかく、サーレーはスタンド使いとしての年季がシーラ・Eよりも上である。シーラ・Eの案の危なっかしさに気づいていた。

 

敵のスタンドはまず間違いなく無差別型である。対象を定めず条件を満たした相手に無差別に襲いかかる。ただ今回の相手を見る限り、その効果は本体だけには例外で効かないようだ。スタンドパワーは強力で、対応に困る厄介なものが多い。

このタイプは、成長する以前のフーゴのパープルヘイズウィルス、チョコラータのグリーンデイのカビ、カルネのノトーリアスB・I・Gなどが挙げられる。

このうちグリーンデイのカビは本体の死亡とともに解除されたが、パープルヘイズウィルスは本体やスタンドが死んでも猛威を振るうだろうし、ノトーリアスB・I・Gに至ってはそもそも本体が死んでから発動するタイプである。

能力解除条件が曖昧である場合が多く、気絶させて敵の靄が解除されないようだったら最悪であるし、その可能性は否定しきれない。怒りに任せて何をしてしまうかわからない。さらに言うと本体がスタンドを御せていない可能性も高い。気絶させて能力が暴走したら手に負えない。

 

「それじゃあどうするって言うの!?」

「スタンドには相性がある。相性がいいスタンド使いをぶつけるのが一番なのだが……。」

「わざわざパッショーネに戻って連れて来るってワケ?」

『・・・。』

 

サーレーとシーラ・Eはティッレーノ通りの路上で話し合い、電話先のムーロロは静観している。

 

「いや、とりあえずアレだったらなんとかなりそうだ。打ち合わせをするぞ。」

「アンタがどうにかするってわけ?」

「ああ。だがそのためには俺のスタンドを信頼してもらう必要がある。」

「……とりあえず聞かせてちょうだい。」

 

 

 

◼️◼️◼️

 

翌日の午前6時、サーレーとシーラ・Eはトリノのグルリアスコ地区でフィガロを待ち伏せていた。

フィガロの家はこの近くにあり、通勤路を確認してここを通ることは調査済みだ。

 

「オイオイ、さみーしねみーよ。まだ朝早くじゃあねえか。」

「黙りなさい。穀潰しが組織の役に立てるんだからアンタは喜ぶべきよ。」

 

サーレーは愚痴り、シーラ・Eは相変わらずの組織の狂信っぷりだ。

サーレーが道端にしゃがみ込み身を震わせていると、やがてそいつは現れた。

 

「アンタ昨日は逃げ出したわね。話があるんだからとりあえず落ち着いて聞きなさい!」

 

サーレーは考える。

シーラ・Eは理解していないのだろうか。彼女のような人間に威圧感タップリで上から言われると……。

 

「ヒィッ!」

 

ほら、悲鳴を上げて逃げ出した。やっぱりこうなるんだなぁ。面倒だ。

サーレーは内心で愚痴りながら、逃げるフィガロを追うシーラ・Eを追いかける。

シーラ・Eは足も早く、あっという間にフィガロに追いついた。

 

「な、やめてくれっ!ヒッ!」

 

シーラ・Eが逃げ惑うフィガロの背広の襟首を掴む。

怯えるフィガロの体から白い靄が噴出した。

 

「ハアーやっぱやんねーといけねーか、気が乗らねーが。ほらやるぞ、シーラ・E。覚悟はいいか?」

「ええ。」

 

シーラ・Eの後から追いついたサーレーが彼女の頭に手を置いた。

 

「『感情』をッッッ、固定するッッッ!クラフトワークッッッ!」

「エリィッ!!」

 

白い靄が二人を覆いきる直前に、サーレーはシーラ・Eのフラットな感情を固定し、シーラ・Eはスタンドでサーレーの両足の骨を叩き折った。

 

「グウウ、痛え……よくもやりやがったなこのクソアマがアアアアッッッ!」

「サーレー、アンタに感謝するわ。アンタのクラフトワーク、案外使えるじゃない。」

 

サーレーは、シーラ・Eの感情を固定して、彼女が怒りに飲み込まれることを防いだ。サーレーの新しい能力はまだ発現したてで燃費が悪い。サーレーとシーラ・E、二人分の感情を固定するスタンドパワーはなかった。

シーラ・Eがサーレーの両足を破壊したのはサーレーを動けなくするためではなく、痛みでなにかをする余裕を与えないためだ。クラフトワークであれば、両足の骨が折れても固定して行動できる。だがそれは少なくとも痛みが引いてからだ。

サーレーの能力は固定するもので、一度能力で固定されたものは痛みくらいでは解除されない。それはすでにミスタとの戦いで証明されている。

 

怒りを誘発する、単純だが対応が難しく、暗殺するならともかく無力化するのは難しい。一つ対応を誤れば大惨事が待っている可能性が高い。相性がいいスタンド使いをぶつけるとサーレーは言ったものの、実際は難しいだろうと考えていた。ゆえの対応である。

 

サーレーが痛みから復帰する前にこちらをさっさと終わらせないといけない。

シーラ・Eはフィガロの背広を掴んだままだ。ここで逃がすつもりはない。

 

「アンタ、自分のやってることがわかってるの?白い靄が自分の体から出てるのわかってるでしょう?」

「ヒィッ。た、助け……。」

「ほら、しっかり話しなさい。さもないとアンタの人生ロクでもないことになるわよ。」

「見えてはいる、見えてはいるけど私にはどうしようも出来ないんだあッッ。」

「アンタに選べる道は二つよ。テロリストとして始末されるか、ソレを乗り越えるか。ソレは他人の感情を刺激して怒りを呼び起こすものだわ。放っておくと被害は拡大する一方よ。」

「乗り越えるって言っても、どうすればいいか……。」

「私のツテでソレを研究している機関に声をかけることができるわ。スピードワゴン財団という名称なんだけどもアンタそこに行って、ソレを制御出来るようになって来なさい。悪いことは言わない。協力してくれるはずよ。さもなくば社会の害悪として暗殺されるか、良くても私たちみたいに裏社会に身を落とすか。アンタみたいな人間に裏社会が向いてるとも思えないわ。」

 

シーラ・Eは後ろで痛みで蹲るサーレーを振り返る。

 

「クソガアアアッッ、痛えッッ!テメエの五体をバラバラにしてやるッッッ!」

「そこの男は社会のゴミだけど、拷問されても組織のことを喋らないくらいの覚悟はあるわ。今回はアンタへの対応をするためにわざわざ自分から提案して両足の骨を砕いたのよ。アンタには多分それは無理ね。せっかく表で生きてるんだし、財団に行って来なさい。」

「し、しかし自信が……。」

「自信があろうがなかろうが、アンタは自分のソレと向き合わないといけないのよ。戦いなさい!アンタの応援しているフットボールのクラブチームも戦ってるわ!アンタが応援をやめて諦めて帰ったあとも戦い続けて一点返していたわよ!」

 

フィガロは衝撃を受けたように目を見開き、項垂れる。

シーラ・Eはフィガロにスピードワゴン財団の知り合いの携帯の電話番号を差し出した。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「そんで結局どうしてそいつはそんなことをしたんだ?」

 

ムーロロはシーラ・Eに聞いた。

 

あのあと、フィガロはおとなしくシーラ・Eの忠告に従った。本質的にはただの善良な人間なのだろう。

フィガロのスタンドは本人の防衛本能に反応していたようで、フィガロの精神が落ち着くとともに収まっていった。

 

今は、帰りの列車の中だ。ムーロロとフーゴとも申し合わせて、同じ便で帰っている。フランスからトリノを経由している列車だ。

サーレーは窓際の席で新聞を読んでいた。スポーツ新聞だ。足はまだ折れたままだがシーラ・Eが力任せに駅まで運んで来た。相変わらずの猛牛っぷりだ。もしかしたら骨折による熱が少しあるかもしれない。だがまあ斬った張ったは慣れっこだ。

結局試合はあのあとさらにパッショーネのチームが一点を追加して3ー2で終わったらしい。新聞の一面の見出しに大きく書いてある。いい試合をしても、負けたらポイントはもらえない。世知辛いものだが、だからこそ彼らは必死に戦うし、その姿が胸を打つのかもしれない。八百長はクソくらえだ。

 

「そうね。本人に聞くところによると、職場であまり人間関係がうまくいってないみたい。地域にもあまり馴染めず、疎外感や孤独を感じるって。そんな彼が唯一元気付けられるのがあのクラブチームが活躍していたときみたいね。だからチームがこっぴどく負けたりすると、能力が発動していたようね。ストレスでスタンドが発現したのかもしれないわ。」

「なるほど。世の中に不満や怒りや寂しさを抱えている。だけど本人はそれを世の中に向かって発散する度胸もない。ストレスは溜まる一方。防衛本能みたいなものか。ありがちな話ではあるが。」

 

フーゴが考えて、彼なりの見解を纏めた。

 

「虐げられている弱い自分の立ち位置をなかなか勝てないクラブチームに重ねていたのかもな。」

 

最近は成績が安定してきたが、以前のトリノクラブチームはなかなか勝てなくて1部2部間を行き来するチームだった。

とはいえ、そもそものセリエのレベルは高いのだが。ムーロロがそう述べた。

 

サーレーはトリノの駅構内で買ったスパゲティ・アッラ・ナポレターナを食べながら考える。駅弁もなかなか美味い。

サーレーはフィガロの気持ちにイマイチ共感できない。カタギに憧れようと、当然カタギにはカタギの苦労がある。嫌な人間に頭を下げる必要も時にはあるし、勝手なことをしたら批難を浴びることになる。それに耐えられないからサーレーは今ここにいる。

家庭に憧れるし、仕事帰りに仲間内で飲む酒は格別に美味いのかもしれない。でもそれはサーレーにとっては青い鳥のようなものだ。

 

どうやっても手に入らないものをねだるより現状から幸せを探すことが、建設的なのかもしれない。

5ユーロのスパゲティ・アッラ・ナポレターナには5ユーロの幸せがある。サーレーは5ユーロの幸せのために戦っている。

 

サーレーはボンヤリと列車の窓を流れ行く景色に目をやった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

結局スピードワゴン財団に丸投げしてしまった形にはなったが、ひとまずは事件は片付いた。

さっそくパッショーネの本部で報告を行わないといけない。

サーレーは翌日、シーラ・Eに連れられてネアポリスに向かった。ミラノの南方、およそ800キロ近い場所に位置する。急行列車でも5時間近くかかる。

非常に遠くて面倒だったが、ボスには逆らえない。生きていけなくなる。

 

うっかり車内で食事をし過ぎたサーレーは、乗り物酔いをして危うくゲロを吐きそうになった。

 

「今日は本部に来客があるわ。粗相が無いようにおとなしくしていなさい。」

「俺まで本部に報告に出向く必要あんのか?」

 

実際のところ、サーレーまで本部に来る必要はない。

サーレーをシーラ・Eが連れてきたのは、功労者であるサーレーの両足の治療を考えていたのである。サーレーは普通に歩いているが、スタンドで誤魔化しているだけで完治しているわけではない。

サーレーの功績を報告すれば、ジョルノは治療することに嫌な顔はしないだろう。

 

「本部っつーかよー、大学の図書館じゃねーか。」

 

もともとジョルノの前のボス、ディアボロは幹部であろうと人前に一切姿を見せなかったため、パッショーネは本拠地というものが曖昧だった。

今もボスと顔を合わせられる人間はさほど多くない。ペリーコロやミスタ、ポルナレフといったごく一部の人間だけだ。そのごく一部にシーラ・Eは含まれている。それはジョルノが隠れているわけではなく、ただ無意味に人と会うのが煩わしいという理由だ。

ジョルノはネアポリスの中学、高校、大学共通の図書館に頻繁に身を置いていた。当然そこを管理する人間にも組織の息がかかっている。シーラ・Eは平然と公共の建築物、図書館をパッショーネの本部扱いしている。

 

「ここにジョルノ様がいらっしゃるのだから、ここがパッショーネの本部よ。」

「メチャクチャ言うなあ。」

 

サーレーは自分の常識のなさを棚に上げて、あきれ返った。

 

図書館の本の匂いを嗅いでると眠くなるな、サーレーはそんなことを考えながら館内を歩いている。

その時、女性が二人とすれ違う。

 

「あら、シィラじゃない。久しぶりね。」

「トリッシュさん。お久しぶりです。」

 

見たことある女性だ!……間違いない。新人歌手のトリッシュ・ウナじゃねーか。まさか彼女がボスの客なのだろうか?

 

サーレーは興奮する。ボスの顔の広さに感服した。是非ともお近付きになりたい。ほら、ここに俺がいるだろ?

 

「それでそちらが?」

 

そうそう、ソレだよソレ。

 

「はじめまして、歌手のトリッシュ・ウナさんですよね。いつも雑誌で拝見しております。わたくし、サーレーと申します。」

 

サーレーは誰だお前はというほどに礼儀正しく挨拶した。ただしシャツのスソがズボンからはみ出ている。

 

「ああ、あなたがサーレーさんね。シーラ・Eからお名前を聞いたことがあるわ。」

「ええ、そのサーレーです。」

「役立たずのイ◯ポヤローのサーレーさんね。」

 

シーラ・Eは一足先に電話してトリッシュにサーレーのことを伝えておいた。本部に今日ジョルノの客として彼女が来ることは知っていたからだ。

年が比較的近く女性が少ない職場上、彼女たちは仲が良かった。シーラ・Eは失った姉とトリッシュを重ねているのかもしれない。とは言え、トリッシュはパッショーネの人間というわけではないが。

 

初対面の憧れの女性に罵られたサーレーはガックリと、膝を折ってネアポリスの図書館の床に崩れ落ちた。

 

◼️◼️◼️

 

本体

フィガロ・ジョコヴィッチ

 

スタンド名

アングリー・ソサエティー

 

能力

靄のようなもので、吸い込んだ人間の不平不満を肥大化させて感情のままに行動させる。靄は実際は生物で、小さな生物の群体。影響を及ぼすのは本体のみで、スタンドに対する攻撃能力はない。



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相棒の復帰

「ふざけんなッッ!!今のはシミュレーションだッッ!!!」

「いいや、今のは足が掛かってたね。PKが妥当な判断だ。」

 

フットボールの判定は、判定基準が曖昧だったり誤審が起こることが結構多い。

走行距離が多く、試合展開が早いために審判にも非常に高い身体能力が要求されるのである。だから近年VAR判定が導入された。

疲労もするし、試合によっても人によっても国によっても判定の基準が微妙に違う。

 

未成熟と言うなかれ。

それを楽しむのも、フットボールの醍醐味だ。

 

「アイツにシミュレーションでイエローカードが出されるはずだッッ!」

「いや、ほら見な。PKだ。審判はわかってる。」

「ちくしょう!審判、金もらってるんじゃないのか?」

「見苦しいぜ。選手も自分でわかってるから審判に抗議しないだろ?」

 

今日は、病院に長期間入院していたマリオ・ズッケェロの退院日だ。ズッケェロは、半年以上入院していた。

ズッケェロは荷物をトランクに詰めて、病院からミラノの街に帰ってきた。

 

「ふざけんなッッ!!今のは演技だッッ!!!!審判はどこ見てやがる!」

「見苦しいぜ。ほら、これで2点差だ。今日の試合はもらったな。」

 

今日は、今年の下半期のミラノダービー。

ズッケェロの快気祝いに、いつものスポーツバーでミラノ風ドリアを食べながら試合観戦をしていた。ズッケェロの好物だ。ちなみに試合結果にお金も賭けている。サーレーの応援するチームとズッケェロの応援するチームは同じミラノの街でも別のチームで、今現在はズッケェロの応援するチームが2ー0で勝っている。試合時間はあと15分とロスタイム。ここから逆転するのは少し厳しいかもしれない。

 

「あの、お客様……。」

 

ーーだよなあ。

 

店員がズッケェロにおずおずと声をかけてきた。サーレーはフットボール熱で茹だった頭を冷やし、冷静にまあそうだろうなと納得する。サーレーもずっと気になっていた。

別にズッケェロがうるさいとか、マナーが悪いとか、そんなんじゃあない。

 

「あン?何の用だ?」

「あの……。」

店員がどう切り出そうか迷っている。まあそうだろう。

サーレーだってどう反応したものか困っている。いつまでもスルーするわけにもいかない。

 

ズッケェロの荷物のトランクが頻繁に動いているのだ。

ガサゴソだとか、小さくてよく聞こえないが生き物の鳴き声らしきものだとかがしている。

 

「ああ、どうしたんだ?」

「あの……その……そちらのトランク……先程から動いているような……。」

「ああ……すっかり忘れてたぜ。」

 

ズッケェロはそういうと、トランクの留め金を外した。

中から焦げ茶色の毛玉が出て来た。

 

『ニャー!』

「お客様!!困ります!!」

「あん?なんでだ?」

 

ーー当たり前だろうが!!飲食店に生き物を持ち込むな!!

 

マジかよというサーレーの心の声とともに、猫がズッケェロのトランクの中から勢いよく飛び出した。

雑種だろうか?茶色くて毛の長い猫だ。猫は店内を勢いよく逃げ惑っている。

 

「つ、捕まえろーー!!!」

「あん?俺のトリッシュちゃんに文句あんのか?」

 

大有りだ!というよりも突っ込みどころが多すぎる。

店内は軽くパニックに陥っている。

 

なんでトランクに猫を入れてるんだ!、とか。

猫を飲食店に持ち込むな!、とか。

なんだ猫のその名前は!、とか。

その猫オスだろうが!、とか。

そういう突っ込みをひとまずはサーレーは飲み込んだ。

 

「〝猫〟を、固定しろ。クラフトワーク。」

『フニャッッ!』

 

サーレーはボソッと呟く。サーレーの背後から幽鬼のようにスタンドが現れ、猫を突っついた。

猫は四足を固定されて、店のテーブルにへばりついている。

 

「ああ!?テメエ、俺のトリッシュちゃんを固定しやがったな!?動物虐待だ!!動物愛護団体にチクって、暗殺してもらうぞ!?」

 

……動物愛護団体は暗殺稼業なんて多分請け負っていない。

 

パッショーネですらそんな危険な業務、最近廃業したはずだ。金目的で行う殺しは短期的な実入りは良くても、長期的に見れば金の卵を産むガチョウを殺す行為だ。他人に恨まれる人間ほど付け入りやすく、組織としては金にしやすい。

それに、そんなことしてては必ず誰かにいつかは恨まれる。非常に危険だ。

 

一体なんなんだろう?ズッケェロは馬鹿だが、別に動物が好きとかはなかったはずだが?

ズッケェロは固定された猫をそっと抱えてトランクにしまう。

しまうな!そっちの方がよほど動物虐待だ!

 

店の店員はどう対応するべきか困っている。サーレーもズッケェロもカタギではない。あまり関わりたくはないのだろう。

これから店は保健所に連絡して色々面倒を行わないといけないのだろう。サーレーは米粒のようなわずかな良心が痛んだ。

 

「あ、サーレー。テメエその目つき……仕方ねえ。話してやるよ。」

 

何を言ってるんだろうコイツは?サーレーは白い目でズッケェロを見ているだけである。

 

「辛かったぜェー。病院での生活は。メシもまずかったし。あの麻薬ヤロー、キッツイの打ち込みやがって退院するまで苦しくて苦しくて仕方なかったぜ。はじめのうちは暴れるし自傷するからって拘束衣だなんだで身動きも取れねえしよォー。そんでよォ、俺が苦しい時にいつでもそばにトリッシュちゃんがいてくれたんだよォ。」

 

何言ってんだコイツ?まだ脳内が麻薬漬けのままなのだろうか?

あまり詳しくないのでわからないが、病院は衛生管理が大切なんじゃあないのか?

それとも最近の病院では麻薬中毒の患者に、アニマルセラピーとかを行っているのだろうか?

 

「いやマジで今回の任務死ぬところだったろ?助かったけど病院の見舞いにほとんど誰も来てくれなくて、麻薬は苦しいは誰も見舞いに来なくて寂しいわ時間を持て余して退屈だわで、そんな時病院の窓からコイツを見かけたんだよ。そんでコイツ痩せて寂しそうだったし、俺はずっと見舞い客もいないのは寂しかったから、捕まえて来て病室で俺の飯を食わせてやったんだよ。そんでこのまま俺は誰にも気に止められずにいつか死ぬのかなぁって思ったらさ……。せめてコイツだけでも食わしてやりてえなって。」

 

サーレーは今度こそ卒倒しそうになった。

孤独な老人のようなことを言っているが、ズッケェロの話に共感できる点がないわけではない。サーレーも社会不適合者だ。

 

しかしそれとこれは別問題だ。どうやら病人の沢山いるところに不衛生な野良猫を勝手に連れ込んだらしい。いくらチンピラといっても、やる事に限度がある。

非常識が止まるところを知らない。糞尿は撒き散らすし、ノミも病原菌もいるだろう。体毛も散らしているはずだ。鳴き声だって嫌がる人間はいる。これは相当病院に迷惑かけているはずだ。パッショーネ関連の病院でなければいいのだが……。さもないと二人は、パッショーネで余計肩身の狭い思いをする事になる。今度からズッケェロが入院したらもう少しお見舞いの頻度を増やそう。

 

サーレーは怠惰でダメ人間だが、身の回りに彼以上のダメ人間がいると不思議としっかりするものである。

まあ実際は、目くそと鼻くその差程度であるが。

 

「んでよー、俺がいない間はどんな感じだってんだ?」

「……ああ、それは河岸を変えて話そう。とりあえずお前は猫を家に置いてこい。」

 

サーレーたちの話は後ろ暗い裏社会の話だ。時間もかかるし人目のあるところではあまり話すべきではない。

第一に、猫を置いてこい。

 

「ああ、それがよー、俺が住んでるアパート、動物禁止なんだ。」

 

……コイツはどれだけイラつかせれば気がすむのだろうか?

サーレーもズッケェロも身元が不確かな人間だ。住んでる場所はパッショーネの息がかかっている。

ズッケェロも流石にパッショーネに喧嘩を売る気はないのだろう。

 

……その気遣いをもっと早めに示してほしいものである。

 

「……お前それ、どうする気だ?」

「なあー頼むよー、お前俺のトリッシュちゃんを預かっててくれよォー。」

「ふざけんな!もといた場所に捨ててこい!」

「そう言うなよー。お前も歌手のトリッシュ・ウナ好きだったろ?トリッシュ本人だと思えばいいんだよ。」

 

ーー役立たずの、イ◯ポヤロー。

 

猫を見るたびに、脳内を罵倒がリフレインすることになる。

ここで預かるワケにはいかない。そのいわれもない。

第一、オスのペットに好きな歌手の名前を付けてる変態なんて誤解されたら、もともと地の底のサーレーの評価が地球の裏側のオーストラリアあたりまで突き抜けてしまう。それはズッケェロの性癖だ!!!

 

「ふざけんな、捨ててこい。」

「そう言うなよ。これからも組むだろ?長い付き合いのよしみで預かってくれよ。なるべく早くペット可の物件探すからさー。」

「おい待てお前!組むって。」

「さっさとその話もしないといけないだろう?」

 

サーレーはしばらく考える。

こんな常識のない男でも、長年手を組んでお互いのことをよく理解している。なるべくなら相棒を変えたくない。

 

「……チッ、仕方ない。俺の住居で話をするか。さっさと食って移動するぞ。」

「助かるぜ!」

 

サーレーはミラノ風ドリアをかき込む。猫の毛は混じってないだろうな?

試合は結局2ー0で、残念ながらサーレーの応援していたチームは負けてしまったようだ。

賭けの負けは猫を預かることでチャラにさせよう。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「真面目な話をする前に、お前に最低でも一つは言っとかないといけないことがある。」

「なんの話だ?」

 

ここはサーレーの住む共同住宅。ミラノのバローナ地区郊外。ズッケェロの住居と違い、ペット可の物件である。

独り身の部屋で物が少なく、小ざっぱりしている。

 

サーレーは帰りにペットショップに寄って、猫の飼育グッズをズッケェロに揃えさせた。

猫のエサ、猫のトイレ、猫の爪とぎ、猫の遊具。当然サーレーが費用を捻出するいわれはない。

 

ズッケェロは出されたお茶をのんきにすすっている。

 

「まあ長い付き合いだ。今回に限り猫は預かってやる。お前に常識がないのも昔からだ。今更どうこう言わん。だが……猫をトランクに入れるな!!!今回はたまたまなんとも無いみたいだが、長時間入れとくと窒息死しかねん!!専用のケージで運べ!!!」

 

当たり前である。

ズッケェロはサーレーの怒りの剣幕に気圧された。

 

「オ、オウ。そうか。悪かった。」

「とりあえずペットとして飼うつもりならかわいそうだからトランクから出してやれ。」

「ああ。」

『フギャッ!』

トランクから出されて固定を解除された猫は、勢いよく部屋の隅に逃げていく。当然だ。

……面倒だが早いうちにトイレのしつけと、病院に連れて行って去勢や体を洗ったりもしないといけない。

これからは以前より頻繁に部屋の掃除を行う必要もある。アタマが痛い。

 

サーレーは降って湧いたいわれのない謎の任務に天を仰いだ。

 

「ま、まあ悪かったよ。お前の言う通りにする。それで、俺のいない間の話を聞かせてくれ。」

「ああ。」

 

ここからは多少真面目な話だ。サーレーとズッケェロは居住まいを正した。

 

「そうだな。俺が引き続きパッショーネの任務を請け負っているのは聞いてるな」

「ああ。」

「俺はボスの鶴の一声で暗殺チームに異動になった。一応それから半年経つが、まだ実際に暗殺は行われていない。」

「それで?」

「お前が帰ってくるまでに俺が行った仕事は、今まで行なっていた店舗回りからのみかじめ料の回収、複数回の要人の護衛任務、社会で起きたトラブルの解決……あとは、オランダの組織の奴らがヤクの売人を送り込んできやがったからパッショーネの人間として警告に向かった。その際はそいつらは素直に頭を下げて逃げて行ったから戦闘にはならなかった。まあこんなところだ。しかし……。」

 

オランダの売人は、パッショーネの暗殺チームの恐ろしさを聞き及んでいた。前任者の遺産と言えるかもしれない。

サーレーの目つきが少し鋭くなる。

 

「ボスとの口約束だが、俺は必要となったら組織のために真っ先に捨て駒になる。鉄砲玉のようなものだ。ただの下っ端でいた以前よりも若干危険性が高い。」

「なるほどな。まあ仕方ねえのか……。」

 

ズッケェロは上を向いて少し考える。

嫌な役割だが、誰かはやらないといけない類の汚れ仕事だ。ジョルノに一度背を向けたサーレーにお鉢が回ってくるのも仕方ないのかもしれない。

 

それとは別に、ズッケェロは自身の身の振り方も考えるべきだ。ズッケェロは今まで通りパッショーネに所属したままでいれば楽かもしれないが、簡単に片付けていい問題とも思えない。何しろこのままだとまず間違い無くズッケェロもサーレーと同じ鉄砲玉だ。

 

サーレーについていくのか、ほかに糧を得るのか。しかし、ほかに糧を得るにしても組織にどう筋を通すかと言う問題がつきまとう。ズッケェロの今回の入院費は、パッショーネから出ているのだ。地に足がついてないズッケェロに払うあてはない。問題は山積みだ。

 

「ああ、それと、少し話を変えるが今後は戦い方を変えようと思う。お前の身の振り方の参考にしてくれ。」

「どういうことだ?」

 

唐突にサーレーがズッケェロに告げた。

 

「今まで俺たちは好き勝手にバラバラに戦ってただろ?その戦い方を変更する。流石に死にかけて懲りたんだよ。もうあんな思いはしたくない。命あっての物種だ。だから俺の能力をお前に詳らかにするから、お前の能力も教えてほしい。まあ今までの考え方と相反して抵抗があるだろうが、前もって連携した戦闘手段を構築することには意味があると思う。」

「まあなー。ま、確かに俺ももうあんな苦しい思いはしたくねえしな。」

 

サーレーはシーラ・Eとの共同任務で、少し考え方が変わっていた。

ズッケェロはズッケェロで入院中のことを思い出す。つらくて苦しくて、退屈だった。もうあんな思いは二度としたくない。

 

「まあそれはどっちにしろお前がパッショーネに残ってくれるという判断をしたらの話だがな。」

「うーん、それにしてもボスとの交渉、もうちっと上手くやれたんじゃねえのか?」

「仕方ねえだろ。ほら、口には出せねえが、お前もあん時のことを思い出せばわかるんじゃねえか?」

「あーー。」

 

ズッケェロは納得した。

口には決して出せないことだ。

二人はボスに不信感を抱いていた。ボスが本物では無く、組織を乗っ取って台頭した強力な若いスタンド使いなのではないかと。

だが、これは考えるべきではないし、考えてはいけないことだ。突き詰めたらほぼ間違い無く変死することになる。わずかでも疑いを抱いていることを悟られるべきではない。

さもないと、ムーロロのような恐ろしい男が処分のために際限なくサーレーの下に送り込まれることになる。

 

ジョルノのスタンド使いとしての強大さと、パッショーネの組織としての堅固さを、サーレーは身をもって感じていた。

知りすぎた人間は早死にする。

 

ズッケェロはジョルノとサーレーの交渉する姿を思い浮かべる。

わずかでも疑いを抱いているサーレーに、何もかもを見通すような雰囲気を持つ少年、ジョルノ・ジョバァーナ。

とてもサーレーに交渉なんてできる精神的な余裕は無かっただろうと、ズッケェロは納得した。

 

「ま、いいさ。なっちまったモンは仕方ねえ。ボスはボスだわな。俺も付き合うぜ。」

 

ボスはボス。

一見意味のない言葉だが、ズッケェロなりのサーレーに対する今後ジョルノを一切疑いませんという宣告だった。

ズッケェロだって死にたくない。

 

「……構わないのか?」

「ああ、長年の付き合いだろ?今まで生死を共にしてきたんだから、大して変わりゃしねえよ。」

「そう言ってくれると気が楽になるよ。」

『ニャ〜。』

 

こうして、暗殺チームの二人目が誕生した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

トリッシュちゃん

概要

茶色の長い毛を持つ、ただの猫。多分雑種。スタンドを使いそうな気配は今の所、ない。歌手のトリッシュ・ウナとは一切関係ない。



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処刑執行人

「サーレー、君は少し誤解をしている。」

 

図書館に少年の声が静かにこだました。

図書館の本のにおいが若干鼻につく。

 

「君がぼくを恐れているように、ぼくも君を恐れている。同じなんだよ。立場はぼくのほうが上だけどね。」

 

 

 

◼️◼️◼️

 

水曜の午前中、暇を持て余したサーレーは自宅でトリッシュちゃんと遊んでいた。

いい大人が昼日中から自宅で猫遊びである。

 

「ホレ、ホレ。」

『フニャッッ!フギャッ!』

 

右に左に振られる猫じゃらしに合わせて、トリッシュちゃんの体も右に左にと揺さぶられる。

トリッシュちゃんは猫じゃらしに飛びついた。

 

『ニャアッ!』

 

なるほど、これが猫か。

今まで当たり前に知っていた生き物だが、実際に触れ合ってみると違うものだ。

面白いというかなんというか……猫の動きも面白いし、サーレー自身の体の動きも新鮮だ。

 

『フニャアッ!』

 

今度は腹を向けてひっくり返った。面白い。

猫のお腹は洗ってあって、以前よりも綺麗になっている。

サーレーは猫のお腹を撫でる。

 

『ニャアン。フミャ。』

 

猫は気に入ったのかゴロゴロとフローリングを転がる。毛が床に少し落ちたのが気になる。

 

なるほど。

世間一般のペットを飼っている人間は、猫のこういうところがきっと気に入って飼育しているのだろう。

 

……お酒を飲ませたらどうなるのだろうか?

 

サーレーの不穏な好奇心が鎌首をもたげてしまう。

猫を飼育している方なら知ってらっしゃると思うが、猫にアルコールは絶対に与えてはいけない!これは決して冗談ではない。

猫はアルコールを体内で分解できず、アルコールの致死量が少ないのである。

 

ワインを片手にサーレーが思案していると、サーレーの携帯電話が鳴った。

最近組織に命令されて入手した新機種だ。費用もバカにならない。

電話には着信先に情報部のカンノーロ・ムーロロの名前が表示されている。組織の任務だろう。

サーレーはワインをほっぽって、かかって来た電話を取った。

 

「……仕事だ。」

 

ムーロロの声は若干低い、機嫌が悪そうだ。何か良くないことでもあったのだろうか?

 

「了解。仕事内容は?」

「お前の()()だ。火急の案件だ。会って詳細を話す。いつもお前がたむろしているスポーツバーに向かう。3時間後だ。ズッケェロも呼んである。」

「わかった。」

 

それだけ話すと、ムーロロからの通話は途切れた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーが時間通りにいつものスポーツバーに向かうと、そこにはすでに情報部のムーロロと相棒のズッケェロが席に着いていた。

時間帯は昼日中で、当然バーは本来こんな時間には開いていない。組織の力を使って、ムーロロはバーを貸し切っていた。

 

「さて、いきなりだが本題だ。お前ら世間には疎いだろうが、当然最近世間を賑わせている首切り《Decapitazione》の話くらいは知っているな?」

 

ムーロロが到着一番、口を開く。不穏な単語が彼の口を吐いた。

首切りは、名前から連想できる通りの犯罪者だ。無差別殺人鬼で、最近新聞を賑わわせている。

すでに四人被害者が出ている。ミラノに一人、ジェノバに一人、フィレンツェに二人、だ。イタリアを南下していっている。

遺体は四つがほぼ同時に発見され、死亡推定時刻から犯人はフィレンツェの殺人を最後に行ったと判断されている。

イタリアの市民はひどく恐怖している。

 

被害者は、首を持ち去られていた。

 

「これだけ話せば仕事内容は理解できるな?」

 

サーレーとズッケェロはうなずいた。

「犯人の犯行は荒く、現場に犯人を示唆する遺品はたくさん残されている。被害にあった人間は皆、若い女性だ。」

 

ムーロロは帽子をかぶり、マフラーを巻いている。

ムーロロは頭に手をやって、かぶっているボルサリーノ帽子の位置を直した。

 

「犯人は思慮の浅い若造だ。年齢的にではなく精神的にな。自分のやったことの意味や、社会に与える影響。他人への優しさや思いやり。そういった人間ならば当然持ち合わせているはずの大切なものを見失っている。唐突に降って湧いた力に溺れて、全能感に酔いしれていやがるんだ。他のことなどどうでもいいと思うほどにな。」

 

ムーロロは一旦、言葉を切った。テーブルに置かれた水差しから水をあおる。

 

「当然、地元の警察も気付いている。ソイツが犯人だってな。状況的に確定だし、なによりも俺のスタンドが犯行現場を押さえている。反吐が止まらなくなるような犯行の現場を、な。同族に興味本位で手をかけてしまった以上、もうソイツは決して赦されることはねえ。」

 

ムーロロは話を続け、サーレーとズッケェロは真剣に聞き入っている。

 

「本来ならば、表で裁かれるべき案件なのだが……証拠がねえ。首を刈った凶器というなによりも大切な物証がな。被害者の頭部でも見つかればまた話は別だが……現状では証拠が足りてねえ。表では物証がないと罪人を裁けねえ。証拠を固めるのにも時間がかかるし、何より対応に当たる奴らの命が危険だってこともある。このままでは被害者は増える一方だ。それで俺たちにお鉢が回ってきた。ヤツはスタンド使いで、スタンドを使って犯行を行なっている。元はミラノにあるとある組織の下っ端、俺たちの競合者だな。チンケなところだが。だったが、組織にそいつをかばう気はねえ。むしろ早く処分して欲しがっている。」

 

ムーロロは一息に喋り、 サーレーとズッケェロは頷いた。

 

「対象の潜伏先はフィレンツェだ。すでに地元のサツや政治家にも話は通してある。……だが、一つだけ問題がある。」

「それはなんだ?」

 

サーレーがムーロロに尋ねた。

 

「これは俺のミスなんだが……俺が現場を押さえたとき、どちらにしろ組織で処分が下される対象だと考えてつい逸って独断で暗殺を行っちまった。だが、ソイツのスタンドは皮膚が昆虫のように固く、俺のスタンドの刃が通らなかった。それ以来ソイツは、用心してこもっちまってやがる。今は危険を感じてこもっちゃあいるが、またすぐにでも動き出すかも知れねえ。業腹だが、お前たちに任せる。これがソイツの今の潜伏先だ。」

 

フィレンツェのシエチ地区のはずれに、その人間の潜伏先は存在した。

ムーロロは懐から写真を取り出し、二人に差し出した。若い男で痩身で高身長、派手な金髪をしている。

「コイツが標的だ。名前はラグラン・ツウェッピオ。スタンドは金属のような灰銀の鈍い光沢を持った、メタリックな昆虫みたいなやつだ。コイツを消せ。情け容赦は一切必要ない。」

「了解した。」

 

サーレーとズッケェロは一通り詳細を聞くと、席を立った。

 

二人が去った後、スポーツバーにはムーロロ一人が残される。ムーロロは懐から電話を取り出し、番号を打って耳に当てた。

 

「ええ。言われた通りにしました。ええ。ハイ。しかし、よかったんですか?こんなことを言うのもアレですが、シーラ・Eに任せた方が確実だったんじゃあ?」

 

電話の向こうから声が聞こえてくる。若い少年のような声だ。

 

『ムーロロ、勘違いしているよ。これは彼が適任だ。彼以外に任せるべきではない。』

 

デカピタツィオーネはイタリア語で罪人の首を落とす行為を指す。本来ならばどちらかというと、その異名はサーレーにこそ相応しい。

ジョルノはそう考えている。

 

「そうですかい。ジョジョ、アンタがそう言うのなら俺は従いますぜ。」

『ムーロロ、君とミスタとポルナレフさんだけだよ。ぼくの考えた〝ジョジョ〟って愛称を呼んでくれるのは、さ。フーゴも最近はなんか遠慮しちゃってるんだ。』

 

ジョルノは受話器の向こうでため息をついた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

出発は一時間半後、ミラノを発って、フィレンツェに向かう。

 

サーレーは今、ミラノ中央付近に存在するサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で神に祈りを捧げていた。隣でズッケェロも同様に、黙って目を瞑っている。

 

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は由緒正しいカトリック教会の聖堂で、ユネスコ遺産に登録されている。長い長い歴史を持ち、幾度か焼失し幾度か再建されている。敷地内の修道院にはレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の壁画が飾られている。

 

最後の晩餐ーーーサーレーの仕事内容を考えれば、これ以上なくそのタイトルは合致している。

ダ・ヴィンチはそれを描いた時何を考えていたのだろう?サーレーはボンヤリと考える。

 

教会は裏社会の組織の処刑執行人の依頼で、特別に短時間貸し切ることを許された。

 

サーレーに信心はない。

神は信じていないし、物事をこなすのはいつだって自分だ。問題はいつだってサーレーのものだし、神はお呼びでない。

しかし、物事に形から入るのも重要だ。サーレーはそう考えた。

 

裏社会の組織の汚れ仕事とはいえ、人間の命を扱い神の代行者として同胞に裁きを齎すのである。

大袈裟かもしれないが、スポーツ選手の瞑想にも近い。自身が特別な何かを行うという使命感は、サーレーに高い集中力を齎した。

ーーこれから私は罪深い行いをします。神よ、どうか私をお許しください。

 

20分ほどで祈りは終わって、サーレーは一斤のパンとワインを口にした。今現在の時刻は昼の2時。フィレンツェに到着するのは夕方頃になるだろう。

今日は昼食を取っていないから物足りないが、これで我慢しないといけない。飽食は集中の妨げになる。

シャワーを浴びて身を清めて静かな心持ちで外出する。

 

サーレーのクラフトワークは、断頭台の刃となった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「サーレー、オメエよお、以前はこんなに時間をかけて面倒なことをするんなんて無かったろうが?一体どんな心変わりだ?」

 

向かいの急行の座席でズッケェロがサーレーに問いかけた。

リクライニングシートは倒してある。

 

「まああんま気にすんな。ゲン担ぎみたいなもんだ。せっかくパッショーネが全面的に協力して便宜を図ってくれるんだから、出来る限り失敗の可能性は無くすべきだろう。万が一トチったりしたら、役立たずとして組織に処分されちまうかもしれねえ。」

「ま、そうだな。それより俺のトリッシュちゃんは元気にしてるか?」

「ああ。元気にしてるよ。案外と可愛いもんだな。お前の気持ちが少しわかったよ。今度酒でも飲ませてみようかと思ってる。」

「テメエ、ふざけんな!酒をトリッシュちゃんに飲ませたらぶっ殺す!!!」

 

ズッケェロはあの後、サーレーに怒られたことをチョビッとだけ反省して、新たに手に入れた携帯で猫の飼育方法を検索していた。

当然そこには、猫にお酒はNGだと書いてある。

 

「お、おい。悪かったよ。猫に酒は飲ませねえ。誓う、誓うよ。」

「テメエ、絶対だからなッッ!!!」

「あ、ああ。一体どうしたってんだ?」

「猫に酒は毒なんだよ。飲ませたら死んじまう。やるんだったらマタタビにしろ!」

「ああ、わかった。わかったって。悪かったよ。そうするよ。」

「フン!」

 

ズッケェロはソッポを向く。

その間にも列車は進み、フィレンツェが近付いてくる。

 

「んでよーー?実際のところどうすんだ?」

ズッケェロがサーレーに問いかけた。当然仕事のことだ。

 

「ああ、問題ない。暗殺は確実に成功する。」

「いや、そうじゃなくて……作戦だよ。俺たちでどうやってヤるかだよ。」

 

ズッケェロの疑問は至極当然である。

暗殺の極意は、いかに自分たちに危険を犯さずに一方的な殺害を行うかにある。当然の話だが、相手に反撃や逃走の余地を与えるだけ成功率が下がり、危険性は上がる。

相手を舐めて手を抜けば、今日は問題なくてもいつかはヘマをやらかして路地裏でのたれ死ぬ事になる。

その証拠は、 その実力をヨーロッパの裏社会全体に大々的に恐れられていたパッショーネの前任の暗殺チームが全滅したことからも明らかであると、ズッケェロはそう考えていた。

 

ズッケェロがその疑問を発すると同時に、サーレーの瞳に漆黒の意思が宿った。

 

「簡単な案は考えてある。ズッケェロ、お前に確認をとるがお前のスタンドのシャボン玉の効果を教えてくれ。」

「ああ。まあ簡単に言うとシャボンに触れた生物に軽微な麻薬の中毒症状を起こす。とは言っても実際に麻薬を打ち込むワケじゃあねーから、効果はさほど大きくないし、効果時間も短い。幻覚みたいなモンだ。」

「わかった。作戦はシンプルだ。凝りすぎると失敗の元になる。お前のシャボン玉で対象の気を引いて、俺が処分を行う。近づきさえできれば、確実に処分できる。」

「とは言ってもよー、敵は硬い皮膚で覆われてんじゃねーのか?」

「関係ない。俺のクラフトワークの前に、防御は無意味だ。」

「そうかよ。ま、長い間一緒に戦って来たしな。信じてるぜ。」

「ああ。」

 

急行列車は、音を立ててイタリアを縦断している。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーとズッケェロが急行を降りてフィレンツェの地に降り立った時、すでにあたりは夕暮れ時だった。

これからよりあたりは暗くなることだろう。

 

暗殺を警戒している対象に、時間帯は関係ないかもしれない。

向かう先はシエチ地区にあるホテルの一室。

余計なことはせず、手っ取り早く終わらせてしまう予定である。

 

「っと、ここだな。」

「ああ。」

 

サーレーとズッケェロは対象が潜伏しているホテルを見上げた。

ホテル・フィレンツェ・グランデ。年季の入ったホテルだ。

 

「標的の居場所はこのホテルの6階。602号室。パッショーネの幹部がホテルに声をかけて、秘密裏に宿泊客はすでに避難を済ませている。ホテルにもすでに話を通して、全面的な協力を取り付けている。」

 

ズッケェロがパッショーネから得た情報を復唱する。

 

「さて、どうやって鍵をかけているだろう部屋に忍び込む?」

 

ズッケェロがサーレーに質問する。

 

「簡単だ。どれだけ警戒しようが生物は食事なしには生きられない。恐らくはそいつはホテルのルームサービスを利用しているのだろう。お前の能力で厚みを無くして、ルームサービスのワゴンに紛れ込めばいい。もしそうではなく外出するようなら、なおさら話は簡単だ。」

「なるほどね。」

 

ズッケェロは感心した。

 

スタンド能力がバレることは、実は必ずしも全てが悪いことではない。

本人が気付かなかった新たな使い道が判明することも、しばしばある。

ズッケェロはソフト・マシーンの厚みを無くす能力を頻繁に罠のように待ち伏せで使用していたが、不自然でないカタチで誰かに運ばせるという発想はなかった。

 

「あとは時を待つだけだ。対象が腹を空かせて行動を起こす時を、な。」

 

サーレーは静かに、時を待つ。

 

 

◼️◼️◼️

 

ラグラン・ツウェッピオは、憤っていた。

ラグランはミラノの小さな組織のうだつの上がらない下っ端だ。一生底辺の人生だろう。若くしてそれは決定づけられていたと言っていい。組織の金を着服した嫌疑もかけられている。(事実である)

それだけでも腹が立つのだが、輪を掛けて不愉快なのが最近勢力を増しているパッショーネだ。

 

もともと奴らの方が組織の規模が圧倒的に上なのだが、最近頓に勢いを増している。

同じ社会不適合者の集まりのはずだが、この差はなんなんだ!

女はロクにモノにできず、金はない。上の人間からは不当に当たり散らされ、ラグランは憤っていた。

非合法組織に入って成り上がるはずだったのだが。

 

そんなある日、ラグランの憤りに呼応するように、ソイツは現れた。灰銀の甲虫のような不可思議な生命体。彼は気付いていなかったが、彼の手にはどこで出来たのかわからない、引っ掻いたような傷があった。

 

体は彼より少し大きく、手足に節がある人間大のカナブンのような生き物。

ラグランはソイツを自由に操れたし、ソイツはラグランの言いなりだった。

ソイツはラグランの暴力を信奉する思考に呼応するように、頑健な体躯を持っていた。

その口は鋭く強靭で、いとも容易く人間の頭部を刈り落とした。

 

ラグランはソイツを理解して手始めに、彼を冷たく扱った女を処分した。頭部は記念に保管した。

味をしめた彼は続けてジェノバ、フィレンツェで見た目の気に入った女に同じ行為を繰り返す。

ラグランはなんでもできるとそう、錯覚した。

 

しかし、そんななんでもできるはずのラグランの前に、ある日奇妙な物体が現れる。

フィレンツェで四人目を処分している時だった。

 

トランプの一枚が肩に張り付いていたのだ。なぜ?いつの間に?

トランプはよく見ると短剣のようなものを持っている。

驚いたラグランは、慌てて身を守ることだけを考えた。

 

気付いたら、甲虫がトランプを握りつぶしていた。

ラグランはトランプが彼を始末しに来た超常の何者かだと判断し、自分の行った行為を反芻して自身の命が狙われていることを推測した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ふー、どうすっかな。取り敢えずあのトランプがなんなのかわからないことには、なあ。」

 

時間帯は一般家庭の夕食を少し回った頃、ラグランはお腹を空かせていた。

彼は部屋の外にルームサービスのワゴンを置かせて、中に自分でそれを持ち込んでいた。

警戒しないとどこかからまたあの短剣を持った変なトランプが紛れ込んでくるかも知れない。

ラグランはさっさとトランプの問題を解決して、またあの快感に浸りたい。でもアレがなんだったのかわからない。

 

ラグランの精神状態は尋常では無い。

もともと殺人鬼の素養はあった。暴力を信じ他人を蹂躙することが生を感じることだと、そう思っていた。

そして彼はスタンドが常人に見えないことがわかるや否や、己の殺戮衝動を抑えるつもりが毛頭なくなった。

快感と興奮はあっても、怯えは無い。罪悪感もない。だって誰にも見えないのだから。誰にも裁けないのだから。

 

同類に会うまでスタンド使いは、時に自分を無敵だと誤解を起こす。しかし、それは長くは続かない。なぜならスタンド使いは引かれ合うのだから。

 

近年忘れ去られつつあるが実は、昔からこの手のスタンド使いによる犯罪は後を絶たず、パッショーネのような裏の組織はそのための処刑人として社会に必要とされ続けて来た。パッショーネの本質は、社会の防衛機構なのである。

矢はディアボロが発掘したものがこの世の全てではないし、石仮面も秘密裏に人々の手を渡ってきた。まれに生まれつきのスタンド使いも存在する。彼らは決して、聖人などではない。

 

ディアボロは麻薬をばら撒いて社会をかき乱したが、裏社会の組織のそもそもの成り立ちは表社会を守るためなのである。間違えて目覚めたスタンド使いを正しく導き、どうにもならない因子を秘密裏に処分する。そして、暗殺チームは汚れ仕事でありながら神職である処刑執行人として、組織の多大な敬意を受けて来た。

4部に出てくる片桐安十郎や音石明、吉良吉影などに対抗するための組織だとイメージすれば納得しやすいかもしれない。

 

ラグランに怯えは無い……それは暗殺者の可能性が高い不気味なトランプが現れるまでだった。

今のラグランは僅かな高揚の残滓と、ソコソコの怯えと、思うままに行動できないイラつきに支配されている。

 

部屋の扉を少しずつ開けて、最大限あたりを警戒する。辺りにはトランプは見当たらない。

中に引き込んだワゴンは、やっぱりトランプが忍び込んでいないか最大限警戒を行う。

 

「まあパッと見る限りは居なそうだが……。チッ。」

 

ワゴンにクロスはかけるなと、電話でホテルのフロントに命令したはずなのだが?

トランプはワゴンのクロスの下にだって忍び込めるだろう。まさかホテルも敵なのか?

退去するときそいつらも血祭りに上げてやろう。ラグランはそう決意した。

 

油断はできない。食事を退けて、ワゴンにかけられたクロスを持ち上げてその下を調べようとした時……。

 

ーーパチン。

 

変な音が聞こえて、ラグランは自分の意識が一瞬ブレるのを感じた。目眩を感じ、少し気分が悪くなる。わずかな間、彼はトリップした。

 

「何が……?」

 

驚いたラグランがその言葉を発したときは、すでに処刑執行人は彼の背後に立っていた。

 

「お前はもう終わりだ。なんら与えられる慈悲はなく、なにかを言い遺すことも赦されない。お前には最後の晩餐は、与えられることはない。」

 

ラグランにとってはゾッとするほど冷たい声だった。

本能で危険を感じるも、彼がなにかをできる余地は存在しなかった。

 

サーレーはそれだけ告げると、ラグランのスタンドの背後から背中にソッと静かにクラフトワークの拳を当てた。

心臓から全身に廻る血流が止まり、ラグランの意識は急速にブラックアウトする。

糸を失った操り人形のように、床に不自然に崩れ落ちた。

 

「心臓の鼓動を〝固定〟した。もうお前の心臓は永遠に脈打つことはない。」

「完璧だな。任務完了か。」

 

スルリとズッケェロがワゴンにかけられていたクロスの下から現れ、サーレーの横に並び立った。

 

「これで終わりか。明日には新聞に載るのかね?」

「今の時点ではただの変死事件だ。載るにしても小さくだ。コイツが連続殺人鬼だという証拠が出れば、ミラノの新聞でも大々的に報じられることになる。」

 

ズッケェロの疑問に、サーレーがそう答えた。

 

「まあ、とは言ってもコイツが犯人だということは確定してるからそれもそう遠くはないだろう。」

「じゃあ仕事も終わったしせっかくフィレンツェまで来たことだし、なんか食って帰るか?夜の街に繰り出すのもいいな。」

「ダメだ。トリッシュちゃんが家で待っている。」

「ああそうか。なら俺だけなんか……。」

「それもダメだ。ズルい。お前の猫だろう?」

「チェッ……。」

 

ズッケェロは不満そうだが、人に面倒を押し付けて自分だけ祝杯とか許せない。

任務を終わらせたサーレーとズッケェロは帰りの列車に乗った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

後日、サーレーはジョルノに呼び出された。ネアポリスは遠いけど当然ボス直々の呼び出しを無視するわけにはいかない。

なにか不興を買っただろうか?戦々恐々とするサーレーは連絡を寄越したシーラ・Eに問いかけるも、要領を得ない。

 

『なんでジョルノ様がこんなカスなんかに謁見を……。』

 

謁見て、、、王族か!

サーレーはツッコミを心の奥底に仕舞い込んだ。沈黙は金だ。

謁見は下の人間が身分の高い人間にお目にかかることである。間違いではないが、若干大げさだ。

 

ミラノから列車に揺られてネアポリスに到着した。しばらく移動して、サーレーは以前来た図書館へとたどり着いた。

館内は静謐で、若干薄暗い。本の匂いを嗅ぐと、サーレーはいつだって眠くなる。

 

「ボス、到着しました。」

「できればジョジョって呼んで欲しいんだけど。」

 

ジョジョは馴れ馴れしすぎる。周りに聞かれたらなんて言われるやら……。

特にシーラ・Eなんか所構わずに暴れるかもしれない。

 

ジョルノは図書館の奥で、長机に座りながらダ・ヴィンチの絵画集を眺めていた。

サーレーが到着して、ジョルノは絵画集を閉じた。

 

「ゴメンね。本来なら話がしたいぼくが君の下に向かうのが筋なんだけれど……まあ立場的に、ね。」

「いえ、お気になさらずに。」

 

穏やかに、会話は切り出された。

どうやら不興を買ったわけでもなさそうだ。サーレーは安堵した。

 

「仕事の方の報告は入ってるよ。どうやら君は有能なようだ。ぼくも安心できる。」

「恐れ多いです。」

「ああ、硬くならないでいいよ。ミスタは君を知ってるようだが、ぼくは君とマトモに話をするのは初めてだ。会うのは初めてじゃあないけどね。ああ、病院ではチョコっとしか喋ってないから、ノーカウントだよ。実は君を組織で使いたいと言い出したのは、ミスタなんだ。」

「ミスタ副長ですか?」

「ああ。君と直接戦ったミスタは、君の能力は結構やっかいで、君がパッショーネで部下を続けてくれれば組織の役に立つと言ってたよ。ぼくは迷っていたんだけどね。」

「迷って、ですか?」

「ああ。君は今、ぼくを恐れてかしこまっているけども、ミスタから君のスタンドの話を聞いた時、実はぼくも君が怖かった。」

「ボスのスタンドは強力です。今も俺の胸にボスのスタンドの生命力の残滓が残されている……。」

「ほら、またボスって言う。……ねえ、突然だけど、生きることってなんだと思う?」

「生きること……ですか?」

 

唐突にジョルノから投げかけられた質問に、サーレーは意図が読めずに困惑する。

 

「うん。哲学的なことじゃあなくって、生きる事そのものの定義さ。どういう状態を生きていると表現するか。」

「ムズカシイですね。思考することとかですか?」

「簡単なことだよ。生きることは、動いていることだ。常に泳ぎ続けるマグロじゃあないけど、生き物は常に動いている。寝てても心臓は脈打つし、肺は酸素を求めて呼吸する。植物だって常に茎を水が伝ったりほんの僅かでも成長したりしおれたりしているんだ。」

「なるほど。」

「種明かしをすると、大体は知っているかもしれないが、ぼくのスタンドは生命を創り出し、生命力を操ることだ。」

「ええ。」

「サーレー、気付かないかい?君とぼくの能力はコインの裏表なんだよ。君の能力は物体を固定して強制的に運動エネルギーをゼロにすることができる。生命の運動が停止したら、それは死と同義だ。……だからこそぼくは怖かった。君に任務を言い渡した時、君がもしも死という絶対的な試練を乗り越えるようならば、君はぼくの対になる存在に覚醒するかもしれない、とね。スタンドは試練を超えた時、成長する。」

「……。」

「だからぼくは迷っていた。君のスタンドはその実、君が考えているよりも多分はるかに恐ろしい。君を任務にかこつけて〝処分〟するか、もう一度〝拾い上げる〟か。結果はミスタの助言に従って正解だったようだ。君は天性の〝処刑人〟だ。パッショーネに対する一層の忠勤を期待するよ。」

「俺の命はボスのためにあります。」

「だからジョジョだって。」

 

ジョルノは苦笑いした。

 

ボスが姿を現してまだ1年経ってない。

いつの間にだろう?サーレーはいつの間にか、ジョルノに仕えることになんの違和感も覚えていない。ボスが強力だとか、かないっこないとか、そんな理由じゃあない。サーレーは頭をヒネる。サーレーは気付かない。

 

精神が成長すれば、スタンドは成長する。それは裏を返せば、スタンドが成長したということは本体の精神が成長したという証拠でもある。死を身近に感じてその一端を理解したサーレーは、同時にその裏にある人間の生への理解も深まっている。

憧れていた普通の人間に近付き、ジョルノの言う人間が何かを築きあげることの意味に彼なりの答えを出しつつある。

組織の仲間を守り、平穏を愛し、日々の幸せを楽しむ人生。サーレーは自然と、ジョルノの組織の理想に共感していた。

 

サーレーはパッショーネに仕え、いつの日にか決定的な敗北を喫するか、必要となった時に命を燃やすことだろう。

その時まではパッショーネの下っ端兼処刑人として自分なりの人生を楽しむのも悪くない、サーレーはそう感じていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

本体

ラグラン・ツウェッピオ

スタンド名

アイアン・アニメイト

能力

暴力を信奉する本体の影響を色濃く受けて、強靭な体躯を誇る。特殊な攻撃には弱い。なにか特殊な能力を持っていたのかもしれないが、すでに死亡してしまっているために不明。

 



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万能のクラフトワーク

その日、サーレーは自宅でなんとも言えない空虚さを感じていた。

 

いや、違う。断じて気のせいだ。

サーレーはそれを断固否定する。

 

以前のように広くなった部屋、静かで落ち着きを取り戻した空間で、サーレーはテレビを眺める。

手元の氷の入ったグラスから、麦茶をすすった。

 

『フィレンツェのホテルで心臓麻痺で変死体として発見された男の部屋から、複数の女性の頭部が見つかりました。警察は、死体遺棄の容疑で捜査を進めておりーーーー』

 

ニュースだ。つまらん。チャンネルを変える。

 

『ミラノクラブチームの中盤の選手が試合を支配していると言ってもいいでしょうね。ローマクラブチームは手も足も出ていない現状です。これはすごい若手選手が出てきたものです。来季の移籍市場が楽しみですね。ーーーー』

 

フットボールの試合だ。つまらん。チャンネルを変える。

 

『あなたは私の下に帰ってきてくれた。おお、◯◯よ。あなたはなんて素晴らしいのーーーー』

 

歌番組だ。つまらん。サーレーはテレビを消した。

 

トリッシュちゃんが、引っ越しを済ませたズッケェロのクソヤローに引き取られていった。ほんの少し、つま先の先っぽくらいは、寂しい。

あくまでもほんの少しだ。ズッケェロが引き渡しを要求してきたとき、ウッカリ全力で拒んでスタンドバトルに発展してしまったことなど、断じて気のせいだ。そんなことなど、絶対に有り得ない。

 

サーレーは自分の若干腫れ上がった顔面を、撫でた。

 

穏やかな日曜日の昼下がり。こんな時は、ファーレ・ラ・シエスタ(昼寝)でもして、気分がムシャクシャするのを忘れてしまうのがいいかもしれない。サーレーは床に横になり、ウトウトと微睡んだ。

 

ーープルルルル……。

 

チッ。電話がかかって来やがった。ムーロロからのようだ。無視するわけにもいかない。

 

「……何の用だ?」

『アン?どうしたオメー?また随分と不機嫌だな?』

 

電話口のサーレーの声は低い。

 

「気のせいだ。それより何の用だ?」

『仕事以外にねえだろ?今度、パッショーネの外交部門の幹部、ロッシさんがイングランドに飛ぶことになった。お前はロッシさんに付き添って、護衛を行え。』

 

イングランドとは、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国のうち、グレートブリテン島の南部凡そ3分の2を占める地域である。当然フットボールが盛んで、これから先々の時代、イタリアよりも伸びていくだろうと目されていた。パッショーネとしては、なんとしても現地のチームと友好関係を築きたい。

 

「まあそれは構わんが、なぜその仕事が俺のところに来たんだ?」

 

サーレーもチョコチョコ護衛任務をこなしてはいるが、基本的には畑違いである。

 

『ああ、それはちょっと面倒でな。シーラ・Eがいるだろ。』

「あいつがどうしたんだ?」

 

ムーロロの話は未だ要領を得ない。

サーレーは首を傾げた。

 

『それがよお。ちと面倒な話なんだが……アイツが伸び悩んでいるんだよ。カラを破れないっつーか。』

「意味がわからんぞ。もうちょっとストレートに言えんのか?」

『まあわかりやすく言うと嫉妬して、劣等感を感じてるんだよ。』

「ハア?」

 

意味がわからない。

よしんばシーラ・Eが嫉妬しているとして、なぜそれがサーレーに護衛任務が回ってくることになるのだろうか?

 

『お前らだよ、サーレー。アイツはまだ伸び代があるのになかなかカラが破れない。一方下っ端のカスだと蔑んでいたお前はどんどん成長している。ああ、首切りの件の仕事は見事だったぜ。』

 

ムーロロは彼のスタンド、オール・アロング・ウォッチタワーでサーレーの仕事ぶりを観察していた。

 

「仮にそうだとして、なぜ俺を?」

『お前は察しがワリーなあ。シーラ・Eがロッシさんの護衛に立候補したんだよ。自分も組織の役に立つんだと、功を焦ってるんだ。今のアイツは危なっかしいが、逆に言えばアイツが成長するチャンスでもある。人間の成長とは、その多くを人との〝出会い〟が占めている。俺はジョジョと出会って成長したし、フーゴの野郎やお前だってそうだ。だからお前なんだよ。シーラ・Eをフォローして来い。場合によっちゃあ、あいつの成長に繋がるかも知れねえ。それがジョジョからの指示だ。』

「そんなこと言われても、俺は英語が喋れんぞ?」

 

頭の悪いサーレーは、当然語学に疎い。

英語?なにそれおいしいの?状態である。

 

『構わん。付いていって、お前のやれるようにフォローをして来い。それと簡単に仕事の背景を説明しておく。』

「ああ、頼む。」

『仕事内容は、当然パッショーネの利益のための外交だ。パッショーネのフットボール部門にイングランドの橋頭堡を築く。交渉相手は、ロンドンの【クイーンズ・ロンドン】というチームなんだが……。』

「なんかあるのか?」

『ああ。現地のチームでもどうやら意見が割れているようだ。パッショーネと協力するべきだと言う意見と、これまでのようにするべきだと言う意見がある。』

「敵か?」

『いいや、そいつらは決して敵じゃあねえ。そいつらはそいつらで現地のフットボールクラブと長年宜しくしてきたという歴史があるんだ。パッショーネと手を組んでも利益を吸い取られるだけだと、恐らくはそう考えている。そいつらはパッショーネより先に、フットボールでメシを食ってた奴らだ。先達には敬意を示さないといけねえ。だが、先々のことを考えるとイングランドはパッショーネとしても外せねえ。護衛チームには幹部候補生としてフーゴの野郎も付いていくが、俺たちはそいつらを虐殺したいわけじゃあねえ。共に未来を築いていくのが目的だ。だからフーゴにスタンドを使わせるつもりは、微塵も無え。フーゴのスタンドは加減が効かねえんだ。』

 

サーレーは頭の中で簡易の構図を纏める。

パッショーネはイングランドのチームと手を組みたい。

イングランドのチームはパッショーネと仲良くするべきだと言う派閥と、そうでないと言う派閥に割れている。

シーラ・Eは功を焦っている。

 

「なるほど、理解した。ズッケェロも連れていく。いつからだ?」

『来週の木曜にミラノ・リナーテ空港を発つ。幹部のロッシさんの電話番号を教えておく。今日中に連絡を取っておけ。』

「了解した。」

 

さて、ズッケェロのやつに話をしないといけないが、まだちょっと顔が合わせづらいな。

サーレーはそう、考えた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

『了解だ。今度こそロンドンの夜の街を堪能してやるぜ。』

「長期間イングランドに滞在する可能性があるぞ?トリッシュちゃんは大丈夫なのか?」

『なんだ?やっぱテメー、トリッシュちゃんの素晴らしさに気付いたんじゃあねーか。問題ねーよ。となりに住んでるババアが家を長期間空ける時は預かってもいいって言ってくれたんだ。ババアも猫を飼ってるみたいだしよー。そのババア、俺がファーストフード食ってたら栄養が足りて無いとか怒ってメシを作って勝手に置いてくんだよー。』

 

いつの間に?

ただのチンピラだったはずの相棒(ズッケェロ)は、いつのまにか隣近所とコミュニティを形成していた。

サーレーは謎の敗北感に襲われる。いっそ俺も何かペットを飼ってみようか?

 

相棒との電話が終わったサーレーは、さらに幹部のロッシに電話をかける。

 

「もしもし、今回護衛を指示されたサーレーです。」

『ああ、君がサーレーくんか。シーラ・Eから話は聞いてるよ。今回の護衛は、頼むよ。』

 

電話口の声は好々爺としている。恐らくは年配の方だろう。

 

結局のところ、世間でも裏社会でも真っ当に地位を築くには長期間の努力と忍耐が必要なのである。

サーレーはこの世の真理をひとつ、理解した。若くして成り上がりは甘い夢に過ぎない。

ジョルノは若くして成り上がったのだが、それはサーレーには秘密にしておきたい。

 

「ええ、お任せください。何か必要なものとかはありますか?パスポートとか?」

『いや、いらんよ。パッショーネ専用のプライベートジェットで行くからの。空港も組織の息がかかった人間はたくさんおるし、パスポートも必要ないわい。ジョルノ様はすごいのお。私らが今後の組織の要じゃとかおっしゃって、ポンと買ってくれたわい。』

 

マジか。

プライベートジェットをポンとって……。まあ今さらそれくらいで驚いても仕方ない。

 

「わかりました。それでは木曜日に、ミラノ・リナーテ空港に向かいます。」

『出発は午前11時からじゃからの。遅れてはならんよ。』

「はい。」

 

サーレーは、電話を切った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ジェット旅客機じゃねーかッッ!!」

「うるせーぞ、サーレー。ちったあ静かにしやがれ。」

「恥ずかしいわね。旅客機も見たことないの?」

 

木曜の麗らかな午前中、ミラノ・リナーテ空港にサーレーのツッコミがこだました。

リナーテ空港にあるパッショーネ専用のジェット機は、100人くらい乗れそうな大きさのジェット旅客機である。嘘だろう?

ズッケェロとシーラ・Eは平然としている。

 

……コイツら、わかってねーのか?あれが一体いくらすると思ってんだ?

そもそも百人も、一体誰を乗せるんだ?ランニングコストもバカにならないんだぞ?

サーレーの心のツッコミに、幹部のロッシがサーレーの疑問に答えた。

 

「ああ。まあこれは私も疑問だったんじゃが、これは経営の悪化したとある航空会社からの払い下げ品らしい。パッショーネの経理が予想以上にうまくいっていて、ジョルノ様がおっしゃるには富めるものの義務(ノブレス・オブリージュ)で、航空会社の経理を助けるという意味合いを込めて購入したものらしい。私にはわからんが、色々と上の人間には上の人間同士のつながりがあるんじゃろう。」

 

ヨーロッパでは長年社会を上手に形成するために、特権を持つ人間は模範的に振る舞い、社会に金銭的な貢献を行うようにするという習慣を大切にしている。

法的な強制力は一切持たないが、これを無視すると大勢に後ろ指を指されることになる。これは案外、馬鹿にできない。

いざとなったら捨て値でリナーテ空港に入っている航空会社にでも売り払えば良い。

 

「アンタ下っ端なんだから、細かいことは気にしなくていいわ。」

「そうだぜサーレー。」

 

ズッケェロは相変わらずだ。

 

コレを買わなければ、組織の人間の給与に回す金が増えるかもしれないんだぞ?

こんなものを買うくらいなら、給料を上げてくれないだろうか?

サーレーは心の中で、そっと願った。

 

残念だがそういうことにはならない。

パッショーネはサーレーたちの給料を削って組織を運営することはあっても、組織の資産を削ってまでサーレーたちの給料を上げることはよほど貢献度が高くない限りあり得ないのだった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーの右隣の席には、パンナコッタ・フーゴが座っている。

広い機内に座っているのはたったの12人。サーレーとズッケェロ、シーラ・E、フーゴ、ロッシ、彼の部下の外交部3人、あとはサーレーの知らない護衛が4人である。

 

サーレーの左に座っているズッケェロはすでに寝こけている。

サーレーは右隣のフーゴの表情をチラリと伺った。無表情だ。なにも読み取れない。

 

フーゴは、大量虐殺の能力を持っているという噂がある。詳細は知らない。あくまでもただの噂だ。

しかしそれが事実だとしたら、ボスはなぜ彼を幹部候補生にしたのだろうか?

使用もしていないスタンドの能力が判別できるとは思えない。事実であれば、フーゴはきっとどこかで大量虐殺を行った過去があるはずだ。

無差別の大量虐殺なんて、パッショーネの理想からは最も程遠いところにある。

 

「さっきから僕を眺めているようだが、なんか用でもあるのかい?」

「いや、たまたまだ。外が気になるんだよ。気に障ったようなら謝罪するよ。」

「外の風景を見たいんだったら、乗り込んだ時に窓際に座るべきだったな。」

「ああ、その通りだ。」

 

かつてパッショーネ幹部のポルポは『矢』を使って入団試験を行っていた。

実はヨーロッパには矢の本数は多い。一介の幹部が矢を与えられていたくらいである。

若い頃のディアボロはエジプトで矢を発掘して力を得たが、実は矢はそれだけしか存在していなかったわけではない。

 

矢がパッショーネだけの特権だったのならば、パッショーネはヨーロッパ全土で傍若無人に振る舞っていただろう。だがそうではない。

パッショーネはヨーロッパで強力な組織だったが、実は他の国にも同じような組織があり、そこにも少数ながらスタンド使いは所属している。彼らはパッショーネがやり過ぎないようにする対抗力だ。

 

フーゴは組織の入団試験でスタンド使いに目覚めたのか?それとも生まれつきなのか?噂は事実なのか?

なぜ彼をボスは重用しようとしているのか?

 

サーレーは生きているうちに覚えていたら、いつかボスに聞いてみようと思った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

【以上に説明したのが私たちの新たな形です。我々としてはあなた方の利権を侵害するつもりはない。うまく共栄できると確信している。】

【そうであれば良いのですが。私たちにしても、パッショーネの話は無視するというわけにはいかない。だが下の人間に不安を感じている人間が多いことも理解してほしい。】

【それは当然の話だ。不安は軽く見るべきではない。しかし時勢というものもある。】

【それは確かにそうでしょう。しかし老害と言われようと、革新的なだけでは組織は運営できない。慎重に吟味することも必要だ。】

 

「オイ、話し合いはどうなってるんだ?」

「またかッッ!僕は君の専属の通訳じゃあ、ないんだぞッッ!!」

「そういうなよお。どうせお前も暇だろ?」

「僕は交渉のやり方を見習いに来たっっ!決して暇じゃあ、ないッッ!」

 

話し合いはロンドンにあるクラブを貸し切って行われた。

交渉の席にはパッショーネ側にロッシを中心として4人、向こうからも4人。

周囲に互いの組織の護衛が交渉の席を見守っている。

 

柄じゃあないが、正式な交渉の席に普通の服では当然、相手組織に対する敬意が足りない。そのあたりの配慮が足りてないのも、サーレーとズッケェロの二人がチンピラたるゆえんだった。

今日は珍しくサーレーとズッケェロも黒いスーツを着ている。さすがにシーラ・Eが予想して、前もって用意していた。

 

ズッケェロはさっきから頻繁にフーゴに交渉の内容をコソコソと問いかけている。退屈なのだろう。相手に舐められないといいが。

交渉の手応えはあまり感触はよろしくないらしい。

 

サーレーは相手の護衛を見た。きっと皆スタンド使いだろう。

ヨーロッパで歴史のある組織の多くは、秘密裏にどこかから矢を入手し、代々保管してきた。

矢は本来ならば、スタンドの才能がある人間を自分から選ぶ。

 

パッショーネにスタンド使いの数が多いのは、ディアボロが誰彼無く節操無く矢を使用したせいである。

 

ーーアイツが護衛のリーダーかな。

 

ひときわ体のデカイ男がいる。短髪でなかなかコワモテの男だ。一見すると軍人に見える。

スタンド使いの実力に体の大きさはあまり関係ないが、他の護衛がそいつに気を使っているようにも見える。

 

【ふー。とりあえず今日はここまでですかな。続きはまた明日話し合いましょう。お互い若くはない身です。あまり無理はいかんし、明日にはいい案が思いつくかもしれない。】

 

ロッシが笑いながら言った。

 

【ホテルまで送りましょう。】

 

相手の護衛の一人が言った。

ホテルは相手の用意したものだが、断って気分を害するべきではない。パッショーネ側としては何としても上手く行かせたい交渉の席だ。

万が一罠が仕掛けられていたとしても、そのためにサーレーたち護衛チームはいるのだ。

 

【お願いしましょう。】

 

パッショーネの面々は、クイーンズ・ロンドンの出した車に乗った。リムジンだ。

二台に分けられ、こちらの車にはロッシとその部下の一人、シーラ・E、サーレー、ズッケェロ、知らない護衛の男が乗った。

車はロンドンの一等地にあるホテルの前に停められる。高層の立派なホテルだ。相手チームの持ち物らしい。

 

「アンタらには縁がない立派なホテルね。最初で最後よ。交渉について来てよかったわね。」

「事実だろうけどよォー。わざわざ言うことか?」

 

サーレーは黙っている。シーラ・Eは嫌味を言って、ズッケェロがそれに反応した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「しっかし、これって退屈だな。どうにかならんのかね?携帯ゲーム機でもありゃあ、時間が潰せるんだがね。」

「……静かにしろ。ゲームなんぞしていたら、護衛にならんだろうが。」

 

サーレーとズッケェロは外交部の人間の部屋の前に立っていた。

護衛だ。何か異変があったら渡された無線でチームの仲間に連絡する。

 

外交部の人間は、二人ずつ二部屋に別れた。

護衛も一部屋に二人ずつ。常時四人の二交代制だ。だから護衛を八人連れて来たのかと、サーレーは納得した。

交渉の期間が長引くほど、この退屈で面倒な任務の期間は長くなっていく。勘弁していただきたい。

せめてあと四人護衛がいたら三交代制にできたのに。パッショーネは変なところでケチでブラックだ。労災保険も、多分ない。そのくせに人件費の概念だけは、いっちょまえだ。

フーゴも幹部候補生ながらまだ下っ端なので護衛を兼ねている。

 

まさかパッショーネを襲撃するようなバカはいないとは思うが、、、。

まあ自分の役目はとりあえずあと8時間くらいある。はっきり言ってかなり退屈だが、文句を言っても始まらない。

交渉の席は昼の12時〜16時。その時間帯を全員で護衛して、残りの時間を二交代制だ。

16時〜2時と、2時〜12時だ。サーレーたちは2時〜12時まで護衛してそのまま交渉の席に同行する。

シーラ・Eやフーゴなんかは、交渉の席を護衛したあとそのまま部屋の護衛を行う。

 

サーレーは手持ち無沙汰を思考で潰した。

サーレーとズッケェロは、もともとはローマのチンピラだ。

いまミラノにいるのは、ボスの指示である。暗殺チームでイタリア全土、場合によっては国外にも派遣するというその特性上、ローマよりも交通の便がいいミラノに拠点を移ることを指示された。ミラノはイタリアの交通の要所だ。現在、組織の暗殺チームはサーレーとズッケェロしかいない。

ボスはどう考えているのだろうか?とりあえずはおっかなびっくり指示されたことに従ってはいるが、、、。

 

サーレーは知らない。

前任の暗殺チームがボスのディアボロに反旗を翻したのは、暗殺チームが冷遇されていたことが原因である。

裏社会の組織の起こりがスタンド使いの犯罪者への対応のためであり、表社会の安定のためだということは以前説明した。

 

裏社会の組織は、フーゴやナランチャのような表社会で足を踏み外した人間たちの救済を行い、麻薬チームのマッシモ・ヴォルペや、グリーンデイのチョコラータのような危険な人間を抑え、なにかの手違いでスタンド使いに覚醒した人間を導いてきた。

刑務所の本質は、犯罪者に罰を与えるものではなく、犯罪者を社会に適合できるように矯正するためのものである。裏社会の組織の理想も、実は似ている。しかし長い年月を経ると、現実の前に理想は忘れ去られてしまう場合が多い。

 

ジョルノは核心を突いている。ジョルノに暗殺チームを軽く扱うつもりはない。彼らはパッショーネの〝処刑人〟だ。

しばらく前までのディアボロが治めるイタリアでは、抗争という形で問題のあるスタンド使いの命は消費されてきた。彼らの多くは顕示欲が強く、勝手に似た者同士で問題を起こし、己の実力を過信して自分から死地へと飛び込んでいった。かつてのサーレーやズッケェロも、そちら側だったのだろう。

だが、パッショーネはイタリアの裏社会を安定させた。抗争は起こらず、スタンド使いは死なない。処刑場の執行人チームは壊滅している。

 

だから、パッショーネが裏社会の浄化を行なってもそれだけでは実は問題は解決されない。逆だ。

以前から社会で、パッショーネが必要とされ続けてきた根拠である問題が表面化することになる。

 

4部の杜王町、虹村形兆と吉良吉廣のたった二人が矢を持っていた時でさえ、杜王町で毎年行方不明になる人間は他の都市に比べてはるかに多かった。

冷酷なスタンド使いの殺人鬼が複数潜伏し、吉良吉影や片桐安十郎などは更生のしようがなかった。平穏とかうたっておきながら趣味の殺人を繰り返したりしている。そうでなくとも人間的に問題があった間田敏和や虹村形兆など、彼らはそのことごとくがスタンド使いである。

 

ヨーロッパは杜王町より矢の本数が多い。石仮面という脅威も存在した。悪魔の手のひらによって目覚めるスタンド使いもいる。

たとえそれらをどれだけ厳重に管理したとしても、水は何処からかは漏れるものである。いつの時代もどこからともなく不穏因子は現れ、彼らは社会を掻き乱す。

 

組織には、武力が必要である。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

【ふざけんなッッ!テメエッッ!表に出ろ!!】

【アン?本当のことを言って何が悪い?】

 

「アイツらなんて言ってるんだ?」

「多分、概ね君が予想している通りだよ。」

 

シーラ・Eが、相手の護衛チームのリーダーらしき男に突っかかっている。

遠巻きに両組織の護衛チームが呆れるように眺めている。まさか、本気で抗争するつもりでもあるまい。

フーゴはズッケェロの通訳を断った。

 

ことは単純である。相手の護衛チームがパッショーネの護衛チームのリーダーであるシーラ・Eを弱そうだと侮辱した、それだけだ。シーラ・Eが流せばそれまでの話である。

だが、彼女は焦っている。自分の立ち位置を確保しようと躍起になっている。自身の立っている場所が、今の彼女にはひどく脆く不安定に思える。下に見ていたはずの人間の猛追され、本人の判断が必要とされる難しい任務もあまり任されない。

 

シーラ・Eはジョルノの信奉者であるが、相手がジョルノの敵であっても彼女は自分より正しいと感じてしまった人間と戦えない。

彼女の心には〝矛盾〟がある。それが彼女の枷となり、成長を妨げてきた。

 

彼女は普通の感性の人間で、殺人に忌避を抱いている。本来ならば平凡に人生を過ごして、どこかできっと幸せになっていただろう。

それがパッショーネにいるのは、殺された姉の復讐を決意したためである。正しいことを信じながら、彼女自身は正しくない復讐殺人を行おうとしていた。社会の平穏と安寧を願いながら、それを乱そうとしていた。

 

それは矛盾だ。だが、殺人鬼のイルーゾォはスタンド使いで、表社会では裁かれなかった。苦渋の決断ではあった。しかし、それは決して正しいとは言えない。彼女の心を正しいこととそうでないことがかき回した。

 

シーラ・Eは矛盾に気付かない。彼女が復讐を決意したのは、彼女が自分の憎しみと姉への愛という感情に素直に従ったためである。感情と理性は、しばしば相反する。彼女は感情に従っておきながら、表向きは理性を己の感情の上位に置いている。理性では社会の正しさを信じながら、その実は己の感情に従って動いている。なにが自分の本音と建て前なのか気付いていない。

 

そのせいで、相手がそれらしい正論を振りかざせば相手は自分より正しい人間なのだと感じ、尻込みをしてしまう。相手に精神的に負けたら、スタンド使いは勝てない。

 

ジョルノを信奉してはいるのだが、ジョルノは姉を殺した憎いイルーゾォの所属していた暗殺チームを復活させようとしている。そればかりか暗殺チームの所属者の、サーレーはスタンド使いとして目に見える成長を遂げている。

 

シーラ・Eは悩み、苦しんだ。いっそジョルノにぶち撒ければ解決しただろう。

なぜ暗殺チームなどパッショーネに必要なんだ!!ジョルノはきっと、その疑問に丁寧に答えただろう。

だが彼女はソレをしまい込み、我慢した。ボスは偉大だ。ボスの行動にはボスの、彼女の想像つかない理由があるはずだ。

そしてそれは、彼女の精神を不安定にさせた。

 

「オイ、どーするよ?」

 

男とシーラ・Eは揉めた末、外へと向かっていく。時間はもうすぐ、交渉が開始される時刻だ。

交渉の護衛にもかかわらず交渉の席を離れるのは護衛失格だろうが、そこは裏社会、このテのトラブルは昔から付き物だ。

ズッケェロはサーレーに問いかけた。

 

「仕方ない、か。俺が念のために見ておくよ。お前らは護衛をしといてくれ。」

 

サーレーはパッショーネの他の護衛たちに告げた。

 

「そうするか。じゃあ任せるぞ。」

 

護衛の名も知らぬ男が言う。

重要なのは、交渉の席が守られることだ。シーラ・Eは捨て置いても構わないかもしれないが、仮にも親衛隊でボスのお気に入りだ。一人くらいは付けておいた方がいいかもしれない。

サーレー一人を残して、他の護衛たちは交渉の席へと向かう。サーレーはシーラ・Eと男が向かった場所へと赴いた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

男の名はジャック・ショーン。クイーンズ・ロンドンの親衛隊長で火炎放射(パイロキネシス)のスタンド使いである。

モハメド・アブドゥルのマジシャンズレッドに似たタイプだが、シンプルなこの手のスタンドはシンプルに強い場合が多い。

 

ホテルの近くにある倉庫で、二人は向かい合う。

 

【テメエッッ!訂正しろッッ!テメエらごときに私が侮辱されるなんざ、許せないッッ!】

【なにマジになってやがる?落ち着けよ。弱い犬ほど吠えるモンだぜ?】

 

ジャックはニヤニヤ笑って挑発している。

ジャックは、仕込みだ。

 

クイーンズ・ロンドンはパッショーネと抗争するつもりはこれっぽっちもない。相手の総合力は理解している。クイーンズ・ロンドンよりも上だ。

だが、尻尾を振る犬のように素直に従うつもりもない。交渉をなるべく有利に進めるために、仕込みを行う。それがクイーンズ・ロンドンの親パッショーネ派と反パッショーネ派が話し合った結果出した結論だ。

 

護衛チームのリーダー、ジャックはクイーンズ・ロンドンの虎の子のスタンド使いだ。彼らが絶対的に信頼を置いている。

スタンドは強靭で、忠誠も厚い。

 

これはあくまでも私闘で、組織同士の戦いではない。結果いかんに関わらず、組織とは一切関係ない。それは建て前だ。

相手に彼らの強さを見せつければ、彼らの交渉は有利に運ぶ可能性が高い。相手の護衛チームのリーダーを軽くあしらったとなれば、パッショーネの外交部はクイーンズ・ロンドンのスタンド使いの強さに尻込みするかもしれない。

 

ジャックは長くクイーンズ・ロンドンの一員で、組織に強い忠誠を誓っている。

彼は若い頃、軍関係の学校で誤って同僚を殺害し、人生がどうにもならなくなっていた。

年齢は30前半で、もう組織に在籍して20年近くにもなる。家庭もあるし、子供もいる。

彼はその人生の長い時間を、組織に支えられ続けてきた。彼は組織に恩を返したい。

 

【吐いた唾は飲み込めないわよッッ!】

【なんだ?結局やるのか?口だけだと思ったぜ。】

 

激昂気味のシーラ・Eに対し、ジャックは一切泰然とした様子を崩さない。スタンドは本体の精神状態に左右される。

サーレーはそれを離れて眺めている。

 

【ブードゥー・チャイルドッッ!!】

【ラフィング・プレイヤーッッ!!】

 

二人のスタンドが可視化された。

シーラ・Eのスタンドは人間大のトカゲに若干の動物味を加えたような見た目をしている。ジャックのスタンドは鎧を着たしなやかな曲線を描く人間のような姿で、色は全身が赤、口元は不思議な国のアリスのチェシャ猫のように笑いが象られ、目に縦縞が入り、頭髪が炎のように逆立っている。

 

ーー典型的な近距離パワー型。男のスタンドはシーラ・Eのスタンドをパワーとスピードで上回っている。能力は、炎を口から吐く能力か。

 

戦いが始まり、サーレーは冷静に戦いを分析している。

相手はパワーが強く、頻繁に口から放射される火炎にシーラ・Eは手こずっている。シーラ・Eは劣勢だ。

 

【エリリィッッッ!!!!】

【フンッ。】

 

シーラ・Eのスタンドの拳がジャックの肩を掠めた。相手の肩から唇が浮かび上がった。

 

ーー悪手だな。

 

シーラ・Eのブードゥー・チャイルドは唇を作り出し、陰口を聞かせる能力である。

人間に使えば、相手に唇が浮かび上がり、深層心理の罵倒をする。精神の弱い者は、己の汚さを直視させられて耐えられずに死亡する。

 

しかしそれは、実は格下相手にしか効果がない。

真に強いスタンドの本体は、精神的な強者である。精神的な強者は、ヴラディミール・コカキのようにとっくに自身の試練など乗り越えている。

 

『お前は人殺しだ。組織以外に居場所がなく、みんなから嫌われている。社会の害で、消えてしまうべき存在だ!』

【これがお前のスタンドか?つまらん能力だな。それくらい自分で理解している。人殺しの俺が今生かされているのは、組織の御慈悲だ。組織のおかげで、俺はしあわせな人生を歩めているッッ!俺はクイーンズ・ロンドンのために戦うし、家族さえ守られるのならば何ら問題ない。未練がないわけではないが、組織のためになるのならば死んでも本望だ。】

 

ジャックは僅かも揺るがない。シーラ・Eは勝てないだろう。

ジャックの精神は岩のように強固で、突き崩す余地がない。スタンドの基本スペックも相手が上。

 

【この程度かッッッ!】

【チッ、クショウ!!!】

 

シーラ・Eは押されている。相手の拳を防御し、丸くなっている。打ち崩す策もなさそうだ。敗北は時間の問題だろう。

相手のスタンドの拳で吹っ飛ばされて、二人のスタンドの距離が開いた。

 

サーレーは考えた。

相手は、シーラ・Eの命までは奪うつもりはないだろう。まさか大規模な抗争を起こす気でもあるまい。ほっといてもいいのかもしれないが……。

 

「だが、断るッッッ!」

「サーレー!アンタなんでッッ!?」

【なんだテメエは?】

 

サーレーは二人の戦いに割り込んだ。シーラ・Eとジャックの中間地点に立つ。

サーレーは大きな声で宣告した。

 

「単純にッッッ!!気に喰わないッッ!!パッショーネの仲間が負けるのもッッッ!!舐められるのもッッ!!仮にも上司であるシーラ・Eが痛めつけられるのもッッ!!」

「これは私の戦いで、組織とは関係ないわ!組織に泥は塗れない。アンタは引っ込んでなさい!」

「断るッッッ!!理屈の問題ではない!」

【なんだテメエは?】

 

ジャックのスタンドは息を吸い込み、割り込んできたサーレーに火炎を放射した。

 

サーレーはそちらに目をやった。

サーレーは以前より、クラフト・ワークを深く理解していた。理解することはスタンド使いの最大の強みだ。スタンドはできると理解すれば、それはできることになる。

HB のエンピツを片手で折ることができるのが当然だと理解するように。

スタンドに必要なのは、理解である。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ーーチッ、ヤっちまった。

 

ジャックは、失態を犯したと思った。

サーレーはスタンド使いだと判断して攻撃したが、炎に飲み込まれていった。護衛任務を任されるくらいだから、避けるか防御するかくらいはできる使い手だと判断したのだが。

私闘とはいえ殺害するのはやりすぎだ。下手をしたら相手組織との抗争になるかもしれない。そうでなくとも、交渉は有利に運べないだろう。

交渉とは、相手の弱点を突いて有利に運ばせるものだ。自分たちに失点を作るべきではない。

予定外の事態にどう行動するべきか考えあぐねる。

 

しかし、ジャックをさらに予想外のことが襲った。

 

「周囲の外気温を〝固定〟した。侵食する炎は周囲の空間と熱平衡を起こしても、気温は変わっていないという矛盾を引き起こす。スタンド同士が矛盾を起こした場合、勝つのはスタンドパワーの強い方だ。」

【ナニッッ!?】

 

サーレーは、燃え盛る炎の中から平然と出てきた。火傷ひとつない。

ジャックは驚愕して固まった。周囲の炎はサーレーに吸い込まれるように瞬く間に消えていく。

サーレーはシーラ・Eの火傷跡に手を当てた。

 

「周囲の水素と酸素の原子を〝固定〟した。」

「サーレー、アンタ……。」

 

空気中を動き回る酸素と水素の原子は固定され、結合し、凝結し、凝固した。

シーラ・Eの火傷痕を薄い氷の膜が覆った。

 

「アイツのスタンドが周囲の酸素を食いつくしたせいでこの程度しか出来ないが、あとは自分で処置しろ。さて。」

 

サーレーは固まっているジャックへと振り返った。

 

「シーラ・E。通訳してくれ。『俺たちは敵じゃあないから、ここまでだ。俺たちは護衛に戻る。あとは上の人間同士の戦いだ。』」

「……嫌よ。」

「オイ、それじゃあ締まらんだろうがッッッ!」

 

二人は交渉の会場へと戻っていく。

しばし唖然としていたジャックは、慌てて二人の通った後を追いかけた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

それからさほど日数を経たずして、交渉は終了した。

パッショーネ側の落とし所としては、ソコソコの結果だということだ。

 

サーレーたちは今、イングランドからの帰りのジェットに乗っている。コレ、誰が運転してるんだろ?

サーレーは今更ながら、疑問に思った。

 

「サーレーッッ!アンタなぜ私の戦いに割り込んだの!!」

 

シーラ・Eはうるさい。無視。

 

「答えなさいッッ!」

 

耳栓があればよかったのに。ヘッドフォンで音楽でも聴いとこうか?

周囲の人間は我関せずだ。正しい。ズッケェロに至ってはイビキをかいている。

 

「ヘッドフォンを取りなさい!アンタなんで……。」

「だから答えたろうが。単純に俺が気に食わなかっただけだよ。組織のメンツとか私闘だとか、お前は理屈を大切にしすぎだ。」

 

ヘッドフォンを奪われた。つくづく面倒なやつだ。

 

シーラ・Eの問題が大体理解できた。正しさにこだわりすぎだ。自分の正しさに自信がないから、劣等感による裏返しなのかもしれない。スタンドはそれを強く反映している。

そして自分よりも正しいと感じた人間には敵わない。

たしかに正当性があれば心強いだろうが、それがなくても人間は生きていける。

 

だから、相手の正当性を攻撃するスタンド能力なのだろう。それを使って姉を殺害した相手を見つけ出せたのは、むしろきっとそっちの方が副産物だ。

そして相手の正当性を揺るがせば勝利できると考えている。

 

実際は、そんなのは無関係に強い人間は強い。シーラ・Eがそこを開き直れれば、成長できるのかもしれない。

 

「私の問題よッッ!」

 

ヒステリックだ。

 

「あのなあー、お前、そもそも裏社会の人間に正しさを求めてどうすんだ?表の正しい社会に馴染まなかったから、俺たちは今ここにいるんだぞ?表じゃあ俺たちが不適合者だが、裏じゃあどっちかというとお前が不適合者なんだ。ゴミのような俺たちだって、生きてるんだぞ?」

「うッッッ!!」

「俺たちは気分で生きてるんだよ。なにかを築いたり出来るとも思えないし、明日の生も定かではないけれども、幸せだとか好き嫌いはあるし、気に食わなければ戦いで決着をつけたりする。お前もある程度は馴染むべきだぞ?テキトーに生きろ。paese che vai,usanza che trovi .(郷に入っては郷に従え)」

 

窓の外では雲が流れ、眼下には壮麗なアルプス山脈が見える。帰りは窓際の席だ。

帰ったらワインの香りを楽しんで、美味いもんでも食おうか?

 

サーレーは目を閉じて、ヘッドフォンから聴こえてくる美しい旋律に身を委ねた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

本体名

ジャック・ショーン

スタンド名

笑う祈り女(ラフィング・プレイヤー)

能力

口から火炎放射を操る典型的な近接パワー型。単純だが故に強い。本体は長年、クイーンズ・ロンドンの親衛隊長としてイングランドの平穏に貢献している。



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アンダー・ワールド

月曜日の午前中、サーレーは珍しく……本当に珍しく、勉強をしていた。

英語の勉強だ。明日は雹が降るのかもしれない。

学生時代から彼は一度も、一秒たりとも勉強なんてしたことがない。

何しろ彼は社会不適合者、勉強をするくらいならカツアゲでもしていた方が、有意義だ。

 

サーレーの行動の理由は簡単だ。

前回のイングランドでの護衛任務が終わった後、シーラ・Eからサーレーたち暗殺コンビに助言があったのだ。

 

『組織の中でもっと重用されたいのなら、せめてどこか他の国の言語を喋れるようになりなさい。フランス語やドイツ語やスペイン語なんかでもいいけど、英語をオススメするわ。それがアンタたちが下っ端を抜け出せる一番の方法よ。』

 

サーレーは、メンドくさかった。そんなもの時間の無駄だ。

わざわざ勉強するくらいなら組織の下っ端でも別に構わないと思ったのだが、相棒のズッケェロが乗り気になってしまった。

 

『トリッシュちゃんに、いい暮らしをさせてやるぜ!』

 

万が一、相棒が組織でももっと良いポストについてしまったら、サーレーは一人ぼっちで下っ端として置いていかれるかもしれない。それは嫌だし、自分よりダメ人間だと思っていたズッケェロに負けたくないという思いもある。

非常に面倒だったが、焦りがサーレーを追い立てた。

This is a pen.I am bob.

 

しかし、もともと乗り気でないサーレーの集中力は長く続かない。

サーレーの思考は徐々に他の事へと移っていく。

 

ーーあの時の正解は、なんだったんだ?

 

サーレーとズッケェロが決定的に敗北した戦い、麻薬チームとの戦闘にサーレーの思考は飛んだ。英語の勉強とは比べ物にならないほど、高い集中力だ。

 

麻薬を自在に生成し強靭なパワーを持つスタンド、マニック・デプレッション。

感覚を定着させるスタンド、レイニーデイ・ドリームアウェイ。

生命を探し回り無差別にヤク中にするスタンド、ナイトバード・フライング。

攻撃を七割反射するスタンド、ドリー・ダガー。

 

何がダメだったのかで言えば、スタンド使いを四人も同時に敵に回したのが最大のミスだが、それはこの際置いておこう。

あの時のサーレーたちは追い詰められていて、とても任務を断れなかった。

 

まずこの四体のうちで彼らにとって最も厄介なのが、予想外かもしれないがナイトバード・フライングだ。

ナイトバード・フライングさえいなければ、せめてまともな戦いになった可能性は高い。

 

ナイトバード・フライングがあたりの生命を探知してしまうせいで、ズッケェロのスタンド、ソフト・マシーンの厚みを無くして潜む能力がまるで意味を為さなくなる。探知タイプのスタンドは潜伏が生命線であるソフト・マシーンにとって天敵に等しいスタンドだ。麻薬の中毒症状を移されてまともな思考を奪われたのも致命的だった。

ドリー・ダガーも非常に厄介だが、能力さえ割れてしまえば対応のしようは実はいくらでもある。最も簡単で確実な対応法は、サーレーのクラフト・ワークで動きを制限してそのまま放置してしまえば良い。あのドリー・ダガーにはクラフト・ワークの固定を破るスタンドパワーはない。

たとえば、倉庫の扉を〝固定〟して倉庫に閉じ込めてしまえば、ビットリオ・カタルディは無力化できる。

 

結論から言えば、今のクラフト・ワークであればズッケェロと二手に分かれたりしなければ、あの時の絶望的な戦いでもどうにかなる可能性がある。

ナイトバードに麻薬漬けにされる前に冷静な自身の思考を固定して、囲まれないように退避しながらどうにかしてナイトバードさえ陥せれば、サーレーとズッケェロにも勝ち筋はある。ヴラディミール・コカキとマッシモ・ヴォルペは強力なスタンド使いだが、サーレーたちはスタンドの相性自体はさほど悪くない。ズッケェロのスタンドが対人の暗殺特化であることも大きなプラス要因だ。

 

それが今のサーレーが出した結論だ。

 

ーーまあ、無意味か。

 

もしもも何もない。あの時二人は致命的に敗北を喫した。

二人は死んでいないのが逆に不思議で、今二人が生きているのはボスの慈悲と僅かな幸運のおかげだ。

敗北を反省することも大切だが、今の生活も大切だ。今は英語の勉強をしよう。

 

サーレーは目の前の語学の本に没頭するように努めた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「わざわざ来てもらって済まないね。実は君たちに個人的に頼みごとがあるんだ。」

 

ボスにまた呼び出された。ネアポリスの薄暗い図書館でジョルノと向かい合う。ズッケェロも一緒だ。

まだボスが姿を現して一年経っていないのだが、呼び出されるのはこれでもう二回めだ。

組織の任務だったら人を通して指示を出せば良いはずなのに。

 

……ボスは案外、人を呼んでおしゃべりをするのが好きなのだろうか?

 

「ああ、違うよサーレー。ぼくの方にもイロイロあるんだよ。今回君たちお願いすることはぼくの個人的なことで、組織とは関係ない。だからぼくが直々にお願いしてるんだ。だから断るのも自由だし、受けてくれるんならぼくのポケットマネーから特別にボーナスを出してあげるよ。」

「マジかよ、最高だぜボスッッ!俺はアンタに死ぬまで着いてくぜ!!!」

 

……思考を読まれてしまっている。

ズッケェロのアホは依頼内容を聞く前から任務を受けてしまった……。

 

「……君たちが組織に戻って来てくれて、ぼくは案外と助かっているんだよ。」

 

ジョルノが僅かに物憂げな表情をする。それは事実だった。

サーレーとズッケェロがさまざまな任務や雑用を担当したおかげで、有能な情報部のムーロロの手が空くことが多くなった。

そのおかげで、ジョルノは以前から懸念していた問題に着手することができた。

気にはなるものの、忙しくてなかなか手が回せなかった問題だ。

 

「さて、肝心な依頼の内容だが、君たちには別々の問題を担当してほしい。サーレーのほうには危険性がある。ズッケェロの方は、不明な点が多い。ムーロロとしばらく組んでくれ。ムーロロ。」

「ああ、ジョジョ。」

 

図書館の薄暗がりに、いつのまにか男が立っている。

形から入るタチなのか、古いマフィア映画のような格好をしている。相変わらずだ。

その男は、被っているボルサリーノ帽をキザったらしく指で押し上げた。

 

「ズッケェロ、仕事の内容は飛行機の中で話す。さっそく向かうぞ。」

「向かうって?」

「……アメリカだ。」

「マジかよッッッ!」

 

ズッケェロは大慌てで、となりの家に住んでいる年配の女性に電話をかけた。

アメリカに飛ぶんだったら、どう考えてもそれなりの日数になる。猫を放置するわけにはいかない。餓死してしまう。

 

「ああそうだよッッ。鍵は窓枠のところにおいてある。どうせとるモンなんてねーしなっ。帰れるのはいつになるかわかんねーから、トリッシュちゃんのこと頼むぜッッ。」

「さて、サーレー。君の方に任せたい案件のことだが。……ぼくは以前サルディニア島の近海に落し物をしてしまってね。」

 

ジョルノがサーレーに向き直った。

 

「落し物ですか?」

「ああ。出来ればさっさと片付けてしまいたかったのだが、手のほどこしようが無くて、仕方なく放置していたんだ。ティレニア海に魔の海域があるのは知っているね?ティレニアの胃袋と呼ばれている。」

「ええ。」

「あれは実はスタンドの仕業だ。本体が存在せず、スタンドだけが暴走している。」

 

ジョルノはサーレーの胸の中心を指差した。

サーレーは指さされた自分の胸を見た。そこはジョルノに治された箇所だ。

 

「敵は強力なスタンドだが、今のクラフト・ワークを理解した君だったらどうにか出来るだろう。それを片付けて来てほしい。やり方はわかるかい?」

「ええ、ボス。あなたの言うとおりに致します。」

「まあ、君のスタンドパワーを感じる限り間違いは起こらないと思うけど、万が一の場合に、極力被害を抑えないといけない。だから君は一人でやってもらうことになる。お願いしたよ。」

 

ジョルノは依頼の内容の詳細をサーレーと詰めた。

サーレーは、サルディニア島に飛んだ。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは、ソレに慎重に近付いていた。

近くまで船で送ってもらい、そこからはボートでやって来た。

念のためにパッショーネで最も広域の探知能力を持つスタンド使いを伴い、ソレの居場所を探ってもらった。

 

サルディニア島は、地中海に位置している。

目的を考えれば、海はなるべく荒れている方が好ましい 。

ボートが食われてしまえば、サーレーも危険に晒されることになる。

なるべくゆっくり、ゆっくりと、目標に近付いた。

 

『GYYYAAAAHHHHHHHHッッ!! !』

 

ソレは、海の上で行き交う波を相手に荒れ狂っている。

本体が存在せず、恨みのパワーだけで動く強力なスタンド、ノトーリアス・B・I ・G 。

ジョルノも手のほどこしようがないと言って放置したスタンドだ。サーレーはそれの処分のためにここまでやってきた。

 

サーレーは、目標の前でクラフト・ワークの拳を横に振った。

『WOOOGYYAAAAA ッッ!!!」

 

ノトーリアス・B・I・Gは周囲で動くもののうち、最も素早いものに無差別に襲いかかるスタンドだ。

ノトーリアス・B・I・Gは、形態を変化させてクラフト・ワークの拳へとからみつく。

サーレーはクラフト・ワークの拳にスタンドパワーを送り込んだ。

 

「貴様の外殻を〝固定〟した。貴様はしばらく動けない。俺のスタンドパワーでは長くは保たないが、別にソレでいい。」

 

サーレーは懐よりナイフを取り出した。

ナイフでノトーリアス・B・I・Gの侵食して来た場所を深く刮ぎ落とす。

出血を血小板を固定して処置を行った。

 

「貴様が再び動き出すとき、貴様は海の底だ。そこでカニとでも戯れてるんだな。」

 

サーレーは念のためにノトーリアス・B・I・Gに重しを乗せ、〝固定〟した。

海底で巻き上がるヘドロを追いかけ続け、そのうち堆積する土砂に埋もれていくことだろう。

ノトーリアス・B・I・Gは、冷たく暗いティレニアの海の底へと静かに、静かに沈んでいった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「んでよォー。俺の任務はなんなんだ?」

「俺たちの、だ。任務の大部分は俺が行うことになる。お前を連れて来たのは、用心のためだ。相手の詳細がわからねえ。」

「危険なのか?」

「それもなんとも言えねえ。相手を見てみねえことにはな。」

 

リナーテ空港を出立した二人は、雲の上で話をしていた。雲上人という意味合いではない。物理的に、だ。

ズッケェロはムーロロに問いかけた。

 

「俺は何すりゃいいんだ?」

「俺から指示を出す。基本は俺の護衛だと思ってくれりゃあ、いい。」

 

調査を行う対象の名前は、ドナテロ・ヴェルサス。

情報部のムーロロの手が空いたおかげで、ジョルノは長い間気にかけていた対象を探し出すことが可能となった。

 

ジョルノ・ジョバァーナは、ディオ・ブランドーという名の男の息子である。

ジャン・ピエール・ポルナレフからの情報だが、ディオという男は冷酷で、極めて危険な男であったらしい。その血を引くものも、危険な因子を宿している恐れがあると、ポルナレフはジョルノにそう伝えていた。

そもそもスピードワゴン財団がジョルノの調査を行ったのも、ジョルノがディオの息子だったからであり、スピードワゴン財団とポルナレフからディオの情報を得たジョルノも独自にパッショーネの情報部に指示を出して調査を行わせていた。

 

ドナテロ・ヴェルサスはジョルノと同様に母親がディオの食料とならずに済んだ稀有な例であり、存命中の彼の母親からパッショーネの情報部はドナテロという人物に行き着いた。

ジョルノはドナテロの人物像などの調査をとり行おうと考えたが、さすがにムーロロのオール・アロング・ウォッチタワーでもアメリカまでは独立して動けない。仕方なしにムーロロにはアメリカのフロリダ州に飛んでもらうこととなった。

 

因縁ーーー因果は巡るものだと、ジョルノ・ジョバァーナは考える。

ムーロロたち情報部の人間が対象を見つけ出すことができたのは幸運だし、サーレーとズッケェロが手下になったのも僥倖だ。

 

サーレーとズッケェロがパッショーネの仕事をいくつか担当してくれたおかげで、高い諜報能力を持つムーロロの組織内の仕事の負担が軽くなり、運命はジョルノに因縁の相手を探し出すことを可能にした。運命は巡りうねって、マリオ・ズッケェロをアメリカの地へと導いた。運命とは強大なものである。

人は、運命の奴隷である。

 

しかし、そこに人の意思が介在する余地がないわけではない。

人は運命の奴隷であるが、それでも時にソレに逆らって何らかの爪痕を残すことができる。

 

ブローノ・ブチャラティ、ナランチャ・ギルガ、レオーネ・アバッキオらが命を賭けてジョルノに意思を遺してくれたように。

ジョルノ・ジョバァーナがディオという悪鬼の息子にも関わらず、黄金の精神を宿しているように。

死を運命付けられていたはずのサーレーが、死という絶対的存在に逆らったように。

 

「着いたぜッッ!」

「はしゃぐんじゃあねえ。みっともねえ。」

 

ムーロロとズッケェロが、運命的にアメリカのフロリダ州に降り立った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ドナテロ・ヴェルサスは子供の頃を思い出していた。

ドナテロは社会の裏側で、隠れ潜むようにして生きている。

こんなはずではなかったのだが?

ドナテロは裏社会に憧れていたわけでも、社会不適合者だったわけでもない。

 

彼の人生のケチのつき始めは、一足のスパイクシューズだった。

彼は子供の頃に両親に反発して家出を起こし、その時にスパイクシューズを球場のそばで拾った。それはピカピカでカッコよく、太陽のような香りがした。

 

『この盗っ人の、クソガキがッッ!』

 

それは有名な野球選手の私物で、少年時代のドナテロは窃盗を起こしたとして更生施設に送られることとなる。

それを皮切りに彼の人生に覚えのない不幸な出来事が立て続けに起こり、心身ともに疲れ果てた彼は社会の裏側へと身を落とすことになる。しかしそこでも不幸な出来事が彼を待っており、馴染めなかった。

 

ドナテロは、考える。

自分の人生とは一体何だったのだろう。どんなに努力しても報われない、何をやっても上手くいかない、ことごとく裏目にでる人生。幸福とは、天国とは、一体何なのだろう?

疲れ果てた彼は、やがて健常だった精神を失っていった。

 

ーーヤッてやるッッ!

 

ドナテロは、彼の冴えない人生のために、強盗を決意していた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「対象はブラッドフォードに住んでいる。」

 

アムトラックの駅の購買で新聞を買いながら、ムーロロが言った。

アムトラックとは、アメリカの鉄道旅客輸送の公共団体である。

 

「んでどうするんだ?ソイツと直接接触するのか?」

「まだだ。すでに俺のスタンドを先行させた。そいつの接触を待つ。」

 

フロリダの駅近くの路上喫煙所で、ムーロロはタバコをふかした。

 

「フーン、じゃあしばらくは俺のやることもなさそうだな。」

「……緊張感は持っておけ。何が起こるかわからん。」

ムーロロはタバコを灰皿に捨てた。

何事かあったのか、唐突に眉をしかめる。

 

「……妙なことになった。動くぞ!」

「妙なこと?」

「対象が強盗事件を起こそうとしている。」

「ハア?」

 

意味がわからない。

アメリカまでわざわざ飛んだと思ったら、調査対象が強盗事件を起こそうとしているそうだ。

刑務所に入所でもされたら、調査が長引くことになる。非常に面倒だ。

二人はフロリダのブラッドフォードに急行した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ブラッドフォードにある借家が、ドナテロの住処だった。

ドナテロはこのままでは家賃も払えない。それどころか明日の食費にも事欠く始末。

何ヶ月か忘れたが家賃の滞納もしているし、いつ追い出されるかわからない。

頼りにできる人間はいない。両親はドナテロに無関心だ。金の無心をしてもどこかでのたれ死ねという答えが返ってくることだろう。兄弟はいないし、親戚はいるのかどうかすらも知らない。

 

ドナテロは強盗を決意していた。持っているところが少しくらい恵んでくれてもいいだろう?

用心して、ポケットにナイフを忍ばせた。銃は高くて買えない。

 

ドナテロはヤケクソだった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「バカなやつだ。コソ泥くらいにしておけばいいものの、よりによって銀行強盗なんぞ決意しやがった。銀行強盗なんぞ、まず成功しねえ。」

「マジかよ。」

 

ムーロロとズッケェロはレンタカーを借りて、ブラッドフォードに急行していた。ムーロロが運転をしている。

銀行強盗なんぞ、スタンド使いでもそうそう成功しない。

 

「前情報で、社会の底を這いずっていると聞いてはいたが、こんなに早くことを起こそうとするほど切羽詰まっていやがったとは……。」

車はアメリカの広大な道路を速度を出して進んでいく。やがて車は、ブラッドフォードにある通りの前に停められた。

対象が借家から出てくる。

ムーロロは小走りで男の元へ向かい、ズッケェロはムーロロを後から追いかけた。

 

「間に合ったかッッ!オイ、そこのお前、待て!少し話がある。」

 

ドナテロは、テンパっていた。

強盗を決意して精神が昂ぶり、彼に声をかけてきた男を確認する前から敵だとそう思い込んだ。

 

「な、なんだキサマらッッッ!ちっ、近寄るなあああッッッ!!!!」

 

ドナテロはポケットに隠し持っていたナイフをその場で振り回した。

ズッケェロがムーロロの前に出て、ナイフを持ったドナテロの手を取り押さえた。

 

「オイ!どーする。」

「とりあえずソイツの家に入るぞ。気絶させろ!一旦冷静にさせてから話し合いを行うッッ!」

「ウグッ!!」

 

ソフト・マシーンでドナテロに当身を入れて、二人は気絶したドナテロの家に侵入した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「お、オイ?これは一体どういうことだ!?」

「チッ。どうやらソイツは当たりだったようだな。」

 

ムーロロは舌打ちをする。

辺りは暗い。土の匂いがする。どこかの洞窟だろうか?

ひなびた借家に入ったと思ったら、そこは洞窟のような場所に通じていた。出口のドアを見ると、なぜか土砂が崩落している。

辺りには亡霊のような生気のない人々がたむろしている。彼らはムーロロたちに、まるで関心を持たない。

 

ムーロロは即座に決断した。

 

「どうやらソイツは危険な奴だったようだ。処分を行う。」

ムーロロのウォッチタワーがナイフを構えた。

ドナテロの首を刺そうとして近付いていく。

 

「待てよ。殺すのか?」

「ああ。さっさとココを出るぞ。」

「オイ、そこまでしなくても起こしてコイツにスタンドを解除させればいいだろう?」

「ソイツは気を失っているだろう?だがスタンドが発動したままだ。これは非常に危険な兆候だ。本人がスタンドを制御できていない可能性が高い。」

 

そう告げるとムーロロのウォッチタワーはドナテロに近づいていく。

敵スタンドの詳細もわからないのに後手を踏んでいる、これは長年暗殺を生業にしてきたムーロロに言わせれば、非常に危険な現状だ。いつ敵のスタンドに致命的な行動を取られるかわからない。

 

「ヤメろッッッ!」

「どうした、ズッケェロ?」

 

薄明かりの洞窟内で、二人は向き合った。

ズッケェロは気を失ったドナテロを抱えて、ムーロロのウォッチタワーから距離をとった。

ムーロロは暗殺を阻止したズッケェロの真意を測りかねた。

 

「どうした?ソイツは今日会ったばかりの奴だろう?」

「生かしておいたら危険だから消すというなら、俺もパッショーネに消される寸前だった。俺もだったんだ……。」

 

ムーロロはジョルノの腹心であり、組織の前ボスのディアボロのこともジョルノの戦いのことも知っている。

ズッケェロが何を言っているのか理解できていた。

 

「俺たちもイロイロと知りすぎて危険だからって、消される寸前だった。ただ、生かしておいたら危険だからって……それだけの理由で……消される寸前だったんだッッッ!!コイツは俺だッッ!俺なんだッッ!本人がどういうやつなのかもわからないのに、スタンドを制御できなくて危険だからって、それだけで殺したりすんなよ!」

「なるほど。お前の言いたいことはわかった。だがな……。」

 

ムーロロは鼻をヒクつかせた。

息苦しさを感じる。辺りには僅かな鉄錆たような匂いと、剥がれて落ちた爪が散乱している。

 

「現状はお前が考えているよりも、多分良くない。お前はここから脱出する方法が思いつくか?」

「コイツを起こして制御させりゃあ……。」

「スタンドが一朝一夕で制御出来るとは限らねえ。情が移る前にヤるのが一番だと思ったんだが……。」

 

その時、あたりをウロついていた男の亡霊がムーロロに近付いた。目が虚で、感情が読み取れない。

 

「なんだ、テメエ?」

 

危険を感じたズッケェロが護衛としてムーロロの前に出る。

 

「待て!」

『アンダー・ワールド。俺たちは地面の記憶だ。1950年代、フロリダ州のとある炭鉱で崩落事故が起きた。死者は126人。崩落事故に爆薬で対応するわけにはいかない。当然手作業での救出作業だ。多くは落盤に巻き込まれて命を失い、多くは酸欠か喉の渇きで気が狂って自分で命を絶った。』

 

男の亡霊の爪は剥げ、指は血まみれになっている。

生々しい、とても生々しい記憶だ。あたりの鉄錆の匂いも、きっと人々が助かろうと必死に落盤を掘り返そうとした血の痕跡なのだろう。

 

『俺たちは、ドナテロが小さな頃に読んだ本の知識を元に再現されたものだ。スタンドは〝公平さ〟がパワーになる。だから教えておこう。凄惨な事件ではあったが、生還者が全く存在しなかったわけではない……。』

「お、オイ。待てッッ!」

 

それだけ喋ると男は二人に背を向けて、その場に座り込んだ。

 

「ヤメろ、ズッケェロ。……それよりツイてたな。」

「ツイてただと?」

「ああ、ツイてたよ。俺たちも、気絶したソイツもな。どうにかなるんだったらソイツを今ここで無理に殺さなくても済む。」

 

ムーロロは手のひらをヒラヒラと振った。

 

「これだけ大規模なスタンドだからな。能力を発動した際に詳細を巻き込まれた人間に説明するのは必須なんだろう。生還者がいたというのなら、ソイツのマネをすりゃあ、いい。俺のスタンドがすでにフロリダ州立図書館に向かっている。」

「スタンドが?」

「ああ。俺のスタンドは群体だ。一つ所に全てを纏めるなんて危険なことはしねえ。すでにソイツらが図書館で起きた事故の詳細と生還方法を検索している。」

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「助かったな。」

「ああ。」

「オイ、コイツどうする?」

 

ズッケェロがムーロロに問いかける。調査対象はのんきに寝こけている。

 

「チッ、のんきな奴だ。コイツのせいで死にかけたってのによ。」

 

例の事故は、人命救助が遅くなったせいで多くの人間の命が奪われた。

意識のある人間たちはパニックを起こし、気が狂い、場合によっては殺人や自殺などを行い、そうでないものも刻々と失われ行く酸素に慌てて行動を起こしたせいで酸欠で苦しんで死亡した。殺人を犯した人間たちの弁によると、生きている人間が減れば、酸素消費量が減るという理屈らしい。これもカルネアデスの板の適用案件なのだろうか?まあ、そいつらも結局は死亡したのだが。

さらに加えていうと、洞窟内には空気より比重の軽い微有毒ガスが充満しており、最初の崩落に巻き込まれて意識を失って、生命維持活動が弱って横たわっていた人間たちだけが生還を果たしていた。

 

腹立たしいことに、ムーロロたちを巻き込んだ張本人だけがちゃっかりと生還の条件を最初から満たしていたことになる。

ムーロロたちはズッケェロのソフト・マシーンで厚みを無くして、仮死状態になって生命活動を抑えて、生還を果たした人間たちの体に念のために巻き付いておいた。彼らが次に気付いた時、彼らはドナテロの部屋の中と思しき場所で横になっていた。

 

「んでコイツどうするんだよ?」

 

ズッケェロがムーロロに問いかけた。

 

「まあ、スタンド使いだということは判明したが……。」

 

ドナテロは気絶する前、極度の緊張と恐怖、同類のスタンド使いに始めて出会ったことにより、朧げだった自身のスタンドを明確に形にしていた。

ムーロロは考える。ドナテロはアメリカの社会で上手くいっていない。このままではどんなスタンドの使い方をするか、わかったものではない。

 

「オイ、起きろ!」

 

ムーロロが台所から水をコップに入れて持ってきて、ドナテロの顔面にぶち撒けた。

どうしたものか、正直ムーロロにも決まっていない。ジョルノの異母兄弟ではあるが、ムーロロは処遇についてジョルノから全権を任されている。

これがイタリアだったなら、要警戒対象ということで監視くらいで済むのだが、ここはアメリカだ。

迷ったが、こういう答えの出ない時は馬鹿になった方が手っ取り早い。何しろメンドクサイ。

 

【ヒッ!!】

【オイ、お前……社会で上手くいってないようだな。なら……俺たちのところに来るか?】

【ハァ!?】

 

ドナテロは目を丸くした。当然だ。これほど怪しい勧誘もない。

相手はわかりやすいマフィアの格好だ。どう見てもうさんくさい。

たとえ相手の身なりがしっかりしていたとしても、まともな人間ならついていかないであろう。

 

【俺たちはイタリアの裏社会の人間だ。……ちょうど今、組織の暗殺チームの人間の人手が足りてねえ。】

「オイ!ちょっと待て!!!」

 

ズッケェロが慌ててムーロロに詰め寄った。

こんな人間をいきなり押し付けられても、使い道があるかどうかわからない。

 

「何だ?」

「何だ?じゃあねーよ!!いきなり変な奴を押し付けようとすんなよ!!!」

「お前が自分で言ったんだろうが。コイツはお前だって。だったら自分の面倒くらい、自分で見ろや。」

「言葉の綾だよッッ!!!」

 

ズッケェロとムーロロは揉めて、ドナテロは目を白黒させている。

場には英語とイタリア語が入り乱れていた。

 

【まあどっちにしろ最初は完璧にスタンドを扱えるようになるところからだな。安心しろ。組織にはお前の異母兄弟だっている。】

【は?】

 

ドナテロはもうわけがわからなかった。

強盗を決意したら、わけのわからない二人組がやってきて気絶させられて、イタリアにドナテロが知らなかった兄弟がいるらしい。

そしてイタリアに勧誘されている。もしかしたらこのまま臓器とかを売り飛ばされるのかもしれない。

 

【どうせ銀行強盗を決意していたくらいだろ?人生なんざすでに捨てたようなもんだ。なら俺たちのところに来い。アメリカに未練がありそうでもないし、アメリカの社会からお前一人くらい消えたってどうってことねえ。俺たちがお前を導いてやるよ。】

「だからッッ!面倒ごとは全部俺たちに来ることになるんだろうが!!!」

 

フロリダの気候は暖かく、比較的過ごしやすい。イタリアに移住したとしたら冬の寒さに慣れるだろうか?

ドナテロは的外れに、そんな事を考えた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

スタンド名

ノトーリアスB・I・G

概要

サルディニア行きの飛行機の中でジョルノたちを襲ってきたスタンド。本体のカルネはすでにミスタに射殺されている。恨みだけで動くスタンドで、倒すのは不可能に近い。

 

本体

ドナテロ・ヴェルサス

スタンド

アンダー・ワールド

概要

ストーンオーシャンに出てきたスタンド使い。地面の記憶を掘り起こして、再現する。再現された記憶は覆らない。飛行機事故などで墜落時に死亡、などカウントダウンでハメ殺す。今回はスタンド自体はドナテロの精神として体の中にいて、アンダー・ワールドは自意識を持っていて本体の防衛のために勝手に能力を発動させた。



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嘆きのクラフトワーク

アメリカに行ったマリオ・ズッケェロが、現地から得体の知れない男を拾ってきた。

いまいち理解できない。なぜコイツを拾ってくる理由があったのだろうか?

 

『サーレーのアニキ、お待ちしていました。』

 

犬猫ではあるまいし、相手は仮にも人間だ。どういった理由で、どんな意図でわざわざアメリカから拾ってきたのか、全く理解できない。……これは人さらいではないのか?ズッケェロのエラーがちな頭の中身を最新式にアップデートする必要がありそうだ。そうすれば少しは世間の常識に馴染むことだろう。

 

挙句に新たな人員にかかる人件費とかで、サーレーのボーナスの話は無しになった。

ボーナスは組織の金ではなくボスのポケットマネーから出るんじゃなかったのか?パッショーネはどこまでブラックなのだろうか?

……金が入ったら、今度の土曜にでもジュゼッペ・メアッツァにミラノクラブチームの応援に行こうと思っていたのだが?

 

サーレーは男の顔を見て、贅沢なひと時がこの鬱陶しい男に変わったのを、ひどく嘆いた。唯一の利点は、喋る言語が英語で勉強になることくらいだろうか。

サーレーはその落とし穴に気付いていない。英語ということ自体は共通だが、イングランドとアメリカでもまた微妙に言語自体に差はある。このままでは上手くなってもそれはイギリス英語ではなく、アメリカ英語である。

 

『俺が肩をお揉みしますよ。』

 

名前はドナテロ・ヴェルサス。年齢はサーレーたちより少し下くらいだろうか?

イタリアに来てしばらくはズッケェロの家に厄介になっていたようだが、自身のスタンドを制御できるようになると同時に一人暮らしを許されたようだ。

 

『オラ、サーレーのアニキが道を通るぜッッ!道を開けやがれッッ!』

 

しばらく接してみてわかったが、このドナテロという男はなかなか卑屈で、ゲスい。口調も慇懃無礼な印象を受ける。

一般人に凄むし、上の人間には見ていて清々しくなるくらい頭をヘコヘコ下げる。下っ端の見本のような動きだ。サーレーは見ていて感心した。

挙句に、視線が怪しい。未成年と思しき少女(シーラ・E)に欲情しているのではないかとサーレーは推測していた。邪推であればいいのだが。

手の打ちようがない、と言うよりもあまり知り合いだと思われたくない。

ただでさえ低いサーレーの信頼が、地の底を突き破ったオーストラリアを超えて地球の裏側の成層圏まで到達してしまいそうだ。

 

「似た者同士じゃあない。アンタらもはたから見たら、だいたいそんな感じよ。」

 

シーラ・Eの痛烈な皮肉が、サーレーの胸に深く深く突き刺さる。

彼女は容赦しない。歯に絹を着せない。隙を見逃さない。刺せる時は確実に刺してくる。

さすがは裏社会で丁々発止してきた人間だ。もう少し手柔らかにしていただけないものか?

 

「ここまでひどくはないだろう!」

「……アンタらチームでしょ?仲良くしなさい。」

「そうですよアニキ。」

 

ズッケェロは相変わらず人の話を聞いてない。会話には加わらず、通りの向こうに新しく出来たピッツァの店に興味津々だ。

 

……馬鹿なやつだ。見習いを脱出したら、組織の暗殺者である。

出来ればどっかのチームが引き取ってくれるか、一生下働きが本人にとって幸せのはずだ。

〝アンダー・ワールド〟戦闘においてはそこそこ使える能力だが、どちらかというとどこかの拠点の防衛のために役立てた方が良さそうにも思える。正直、本人もいまいち人間的に信用しきれない。根拠はないが、いつか裏切りそうな予感がする。

 

組織が何のためにドナテロを暗殺チームに所属させたのか、サーレーにはさっぱり理解できなかった。

真実は、ムーロロが対応に面倒くさくなっただけだということを、サーレーは知らない。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

『仕事だ。』

 

家で英会話の勉強をしていたら、ムーロロから電話が入ってきた。サーレーは少し緊張する。

だいたい理解が出来てきた。重要な任務は、ボスの懐刀であるムーロロを通じてサーレーたちに言い渡される。

 

「詳細を。」

『厄介な仕事だ。国の公安からパッショーネに協力要請がきた。東の方から終末思想に傾倒した過激な宗教団体がイタリアに入国しようとしているらしい。』

「それで?」

『奴らそこそこいいパトロンを見つけたらしく、イタリア本国も入国を拒めなかった。他の国の組織からの確認も済んでいる。恐らく奴らの狙いはカトリックの総本山、バチカンでのテロ行為ではないかと推測されている。世界で最も教徒が多いカトリックに、自分たちの宗教の教義を広めようという意図なのではないかということだ。』

「続きを。」

『証拠さえ見つかれば、あとは国の公安の仕事だ。恐らくは内乱未遂罪が適用される。しかしそいつらは入国に際して危険物を所持していなかった。だからパッショーネで行動を起こす。作戦はこうだ。奴らの入国と同時に、イタリアの各地の空港で大規模なショーペロ(ストライキ)を扇動する。空路が不通になれば、奴らは陸路を伝うしかなくなる。列車を秘密裏にパッショーネの人員で占拠する。すでにそいつらを組織の人員が見張っている。大規模な作戦だ。』

「陸路は封鎖しないのか?」

『陸路まで封鎖しちまったら、そいつらが次に取る行動が読めなくなる。今度はベネツィア近郊が被害を被る可能性が出てくる。』

「概要は理解した。俺の仕事は?」

『そいつらは俺が調べた前情報ではスタンド使いはいねえはずだ。だが万が一という話もある……。』

「それで?」

『危険物が見つかり次第、そいつらを拘束してイタリア当局に引き渡す。お前の仕事はその際の拘束だ。それが基本だ。だが、用心は怠っちゃいけねえ。絶対に相手にスタンド使いが紛れ込んでねえとは、俺でも言い切れない。対応を間違えれば、ローマ駅かバチカン市国か列車に乗ったパッショーネの人員、そのいずれかが吹っ飛ぶことになる可能性は高え。わかるな?』

「……ああ。」

『お前は今すぐベネツィアの駅に向かえ。俺は奴らの行動の精査を行わないといけねえ。危険物を探すことが俺の仕事だ。時間はいつまでもあるわけじゃねえ。理解できたのなら、もう切るぞ?』

 

ムーロロは通話を切った。

パッショーネは国のテロ対策まで行っているらしい。……厄介な仕事だ。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

処刑執行人は神の代行者であり、組織から多大な敬意を受ける。

彼らは社会的に高い地位を与えられ、お前は必要な人材だと、お前の居場所はあるのだと社会に肯定される。

お前は、神の代わりだ。お前は、間違っていない。お前は、立派な行いをしている。

 

それらには意味がある。物事には、全てに意味があるのだ。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

土曜日の午前中、サーレーは相棒のズッケェロを伴ってベネツィアの駅にいた。駅構内には人がごった返している。

新入り(ドナテロ)にはミラノでお留守番をしてもらっている。

 

「すげえな。これのほとんどがパッショーネの人員なのか。お前、わかるか?」

「キョロつくな。対象に怪しまれたらどうする。時間まで静かに待っておけ。」

 

過激宗教団体の連中が駅に到着するまでさほど時間はないはずだ。

サーレーたちはパッショーネの人員からすでに行動の指示を受けている。指示を出してきたのはパンナコッタ・フーゴだ。彼も最悪を想定した保険として駆り出されているらしい。

 

パッショーネの作戦は、シンプルだ。

イタリアではパッショーネと言えば、子供でさえもその名前を知らないものはいない。特権を持つ。

乗ってきた危険な奴らを一つの車両に集めて、他はパッショーネの人員で占拠する。間違えて乗った人間は秘密裏に降車を促す。あるいはそれが叶わなければパッショーネの人員が保護する。

 

あとは、列車が動いているあいだにムーロロたち情報部が危険物を探し出して、それが見つかり次第相手人員を拘束する。そのあとは国の公安の仕事だ。

どうしても危険物が見つからない時は、列車を停車させることも視野に入れている。

 

「奴らだな。」

「ああ。」

 

サーレーはズッケェロにしか聞こえないように、小声で囁いた。

似たような格好の人間が20人前後、駅の構内に現れた。年齢や人種には若干のバラツキがある。

格好にそこまでの不自然さはないが、組織の仕入れた前情報と団体というだけで丸わかりだ。20人が似たような格好というのもわかりやすい。宗教の正装かなんかだろう。

 

サーレーとズッケェロの二人は駅構内の、コンクリート柱に寄りかかっている。

 

『ただいま、ベネツィアの駅に到着致しました。この列車はローマへの直行便となっております。』

 

列車はフィレンツェからローマへの直行便だ。所要時間はおよそ三時間半。

その間にムーロロたち情報部は、爆弾を探し出してパッショーネの人員に指示を送ってくるはずだ。

 

「乗ったな。行くぞ!」

「ああ。」

 

一切のミスは許されない。

ここでミスを犯せば、サーレーたちの組織内での立場が悪くなるだけでなく、社会的にパッショーネの存在意義が問われることとなる。

 

サーレーとズッケェロは用意されていた車両の席に座る。

ローマ行きの急行列車は、やがてゆっくりと動き始めた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

情報部のムーロロは、若干焦っていた。

危険物が見つからない。相手集団の足跡を辿ったのだが、それはどこにも見つからなかった。ムーロロは探し物に関してはエキスパートだ。

最もわかりやすい列車の貨物には水と食料が載せられていたし、他にもいくつか囮らしき行動として荷物が各地に発送されてはいたものの、それらは全て危険物とは無縁のものだった。しかしまさか観光での入国とも思えない。裏は取れている。

ムーロロたち情報部が外れを引いているうちにも、凄まじい速度で列車はローマへと近づいている。

 

ーー視点を変えるしかねえか。

 

ムーロロは相手の足跡を追うのは部下に任せて、集団にスタンド使いが紛れ込んでいる可能性を視野に入れた。

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは、若干不穏な空気を感じ始めていた。相棒のズッケェロも、同様だ。

列車はすでに、走り始めて二時間以上が経っている。すでにフィレンツェは通り過ぎた。フィレンツェはベネツィア、ローマ間の半分の目安だ。

 

最悪列車を止めるとは言っているものの、あの有能なムーロロがこんなにも探し物に長時間手間取っているのは不自然だ。

 

「オイ、どーするよ?」

「落ち着け。」

 

相棒のズッケェロは若干、焦っている。

 

特に接触をしたりはしないが、周りの人間もパッショーネの人員のはずだ。

列車に乗車した際、サーレーたちも確認を行っている。

周囲の人間は間違いなくパッショーネの人間で、上からはまだ指示が来ていない。

時間とは、必要な時に限って過ぎて行くのが早い。

この辺りはもうオルビエトで、ローマまではせいぜいあと100キロ。特急だともう4〜50分程度しか時間はない。列車を止めると相手方に間違いなく怪しまれる。パッショーネの負担することになる経済的な損失も大きい。

サーレーは心配し、その時サーレーの携帯電話が鳴った。

 

「どうした?」

 

僅かな焦りを感じながらも、サーレーは電話を取った。情報部のムーロロからだった。

念のために周囲に会話を聞かれないように、電話を取ると同時に車両の後部にある列車のトイレへとこもる。

たとえ周りがパッショーネの人間であっても、聞かせていい話とは限らない。

 

『……予定が変わった。』

「何?」

『納得できるように、最低限の説明は行う。奴らにスタンド使いが混じっている。急遽お前の()()に変わった。』

「マジか。」

『ああ。間違いねえ。お前らの列車の上空、およそ20メートルの地点に爆弾がある。盲点だった。スタンドは網のようなスタンドで、それで爆弾を空輸しているようだ。だからお前の仕事になった。気付かれないように、静かにヤれ。』

「……爆弾が落下の衝撃で爆発する可能性は?」

『対策は済んでいる。パッショーネとしても絶対にヘマするわけにはいかねえ事態だからな。もともと使えそうな組織のスタンド使いは念のために全員ローマに集めていた。標的の位置を割り出して、五分後に列車が通過する地点付近に対応可能な組織のスタンド使いを人海戦術で最大限派遣している。そこは抜かりねえ。安心しろ。』

「空で爆弾を爆発させてしまうわけには?」

『詳しい炸薬量は確定してないが、大きさから推定しておそらく列車が爆弾の爆破有効半径に入ってる。爆発させたらお前ら全員、ぶっ飛ぶぜ?だからそいつらをヤれ。』

「ぜ……全員か?」

『ああ。わかっているだろう?上空のスタンドは今は沈黙して輸送を行っているだけだが、どんな能力を持っているかわかったもんじゃあねえ。いつ発火するかこっちとしちゃあ、ヒヤヒヤもんだ。本体がどいつか見分けられねえし、下手な追い詰め方をしたら今度は列車ごと爆破しようとしてくる可能性は高え。気付かれないように、静かに全滅させろ。すでに車内の奴らには連絡が行っている。後片付けはそいつらが全部行う。行動は五分後だ。』

「……気絶させるだけではダメなのか?」

『ああ、ダメだ。気絶させただけじゃあ、確実性にかける。本体を拘束しただけではスタンドによっては使えるだろう?間違えて爆発したら、それがどこであろうとも損失は計り知れねえ。その列車だって、パッショーネの人間が一体何人乗ってるか、お前だってわかってんだろ?そいつらはお前の良き隣人で、お前と同じようにフットボールクラブを愛したり仕事後の一杯を何より楽しみにしている奴らだ。サーレー、大切なものを見失うな。』

 

サーレーの背中を冷たい汗が流れた。20人という大人数の虐殺はさすがにサーレーの精神にも負担になる。前任の暗殺チームであれば、顔色を変えずにそれを実行していただろう。サーレーはまだそこまで割り切れていない。もともとは彼は、大金に目が眩んだだけのただのチンピラだ。

しかし、彼は目を閉じて自身の精神を落ち着かせる。電話を切って、トイレの中から車内へと戻った。

 

サーレーと入れ替わりに、少年がトイレに入ってきた。年齢は七歳前後だろうか?恐らくは小学校に上がったくらいだろう。手にはイタリアのアニメーションのヒーローのフィギュアを持っている。

 

懐かしい。サーレーも子供の頃よく見たし、応援していた。テレビの中の正義の味方はカッコよかったし、サーレーも幼い頃は立派な人間に憧れていた。それを思い返したサーレーの心の中に、僅かに温かさが生まれた。

それなのになぜ、今サーレーは人を殺す決意を固めているのだろう?

 

サーレーは首を振った。こんな感情にとらわれるべきではない。失敗の元だ。

サーレーは多くの人々を守るために行動するのだ。

 

サーレーは若干の懐古とともに、僅かな清涼な感情を感じた。自分が悪を懲らしめる正義の味方だと思い込めば、行動に迷いもなくなる。

相棒のズッケェロの下に戻り、告げた。

 

「仕事が変わった。仕事の性質上、俺が一人でやるのがやりやすい。俺は五分後に動く。お前はここで待っていてくれ。」

「ああ。」

 

サーレーは集中して、瞑想を行なった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

五分後、正確には四分三十五秒後、サーレーは閉じていた目をゆっくりと開けた。

すでに目的の車両からは気付かれないように、関係のない人間の退避は済んでいる。

気付かれないように、怪しまれないように、そっと、ゆっくり、パッショーネの人員を避難させていた。

結果、今の当該車両には宗教団体の人員しか残されていない。処刑人の前にお膳立ては整った。

 

サーレーは席を立ち上がり、静かに車両の扉に手をかけた。扉を開け、車両を自然に横切っていく。

 

一人目、年配のご婦人だ。目を瞑っている。寝ているのだろうか?そのまま永遠に目を開けない。

二、三人目、食事をする女性とその隣の若い男性。彼らは唐突に静かに目を閉じる。

四人目、壮年の女性だ。恰幅がいい。本を読んでいる。女性は本を取り落とす。

 

彼らは一見しただけでは普通の人間と区別がつかない。彼らにも日常があり、彼らの生活や人生があったはずだ。日々のささやかな幸せで満足できなかったのだろうか?

彼らは何を考えて過激な宗教団体に所属したのだろう?

……つまらない感傷だ、サーレーは首を横に振った。

 

サーレーのクラフト・ワークが座席に座る誰かとすれ違うたびにそっと触れて、死神に触られた人間は次々と眠るように去っていく。

ほとんど時間がかからずに、車両内の宗教団体の人間たちは全滅した。

 

「やったぞ、ムーロロ。」

 

サーレーはムーロロに車両内で電話をかける。どうせもう生きている奴はいない。

サーレーの息は、若干荒い。

 

『……まだだ。まだブツは落ちてこねえようだ。まだ生き残りがいるはずだ。』

「バカな!全員始末した!!もうここには俺以外に生きている奴はいない!!」

『いいや、どこかにいるはずだ。探し出して確実に始末しろ!』

「いない!」

 

その時、車両内の今現在サーレーがいるのとは反対側の扉が音を立てて開いた。誰かが侵入してきたようだ。

サーレーは今開いた扉から入ってきて、反対側の扉の近くでムーロロと通話している。

おかしい。今現在ここの車両内には誰も入らないように、パッショーネの人間には通達がいってるはずだが?

 

サーレーは顔色が土気色になり、呼吸がひどく荒くなった。

 

無意識では、理解していた。あるいは考えないようにしていたのか。

パッショーネの人間が、テロリストがいる危険な列車内に子供を連れ込むわけがない。

 

『対象を見つけたようだな、ヤれ。』

 

携帯からムーロロの声が聞こえてくる。現実感がない。サーレーはどこか他の星の人間が喋っているように感じた。目の焦点も合わない。

どうやら扉の開いた音は、電話の向こう側にも聞こえていたようだ。ぼんやりとそんなことを考える。

 

「ま、待て、ムーロロ。」

『躊躇するな。お前の判断に大勢の命がかかっている。』

「子供だ……相手は……まだ……七歳くらいの……子供なんだ……。」

 

サーレーがトイレですれ違った少年だった。手にはフィギュアを大切そうに抱えている。

少年はまだ、車両内の惨状には気づいていない。母親のいる席の近くに戻ろうとしている。

 

『……お前は執行人だ。ヤれ。』

 

ムーロロの無慈悲な宣告に呼応して、サーレーの脳裏に自身が死にかけた記憶が鮮明に蘇る。

 

あんな寒くて苦しくてどうにもならない閉塞感と絶望を味わわせるのか?年端もいかない子供に?嘘だろう?

クズの俺でさえ生かしてもらってるのに、先がある、同じヒーローを応援していた少年を処刑しろと?

何度でも言おう。

サーレーはあくまでも金に目が眩んだだけのただのチンピラだ。子供に手をかけることに抵抗を覚えないほどの破綻者ではない。

 

「た、頼む!話を聞いてくれ!」

 

サーレーの苦悩は死刑執行人の葛藤(ジレンマ)だ。

執行人は、いつか必ずと言っていいほど、囚人に同情する。感情を移入して、心を痛めることになる。

刑に服している人間は、必ずしも救いようのない人間の集まりだというわけでもない。

 

赦されざる者というのは、いつの時代も存在する。ゆえに執行人の起源は、遥かにさかのぼる。

歴史の中では、時に権力者に理不尽とも言える刑罰を受けさせられた人間もいるし、時には冤罪の人間だって存在した。

そうでない罪人の多くも、嘘をつき、同情を乞い、文字通り命がけで命乞いをする。

戦時の倣いでは、生かしておいては危険という理由で権力者の年端のいかない子供もしばしば殺害される。

邪悪な人間はどこまででも邪悪で、大人の凄惨な戦いに子供を利用して相手の戦意を削ごうと画策する。

 

「子供だ……ヒーローのフィギュアを持っていた。俺も子供の頃テレビで見ていたやつだ……俺も大好きで、毎朝楽しみにしていたッッッ!相手は、子供なんだッッ!!!!」

 

執行人は己を神の代行者として意識する。

周りも高い地位を与え、敬意を払い、それが意味のある行為だと本人に意識させる。

それらには、意味があるのだ。

 

ーーお前は神の代わりだ。立派な行いをしているし、お前は何も間違えてなどいない。

 

「俺も見ていたんだッッッ!!あのヒーロー、小さい頃、応援していたんだッッッ!!!」

 

そうしないと、健常な人間の多くは心が持たない。

いつか刑囚に同情して、心を病むことになる。場合によっては、死に魅入られる。そして自殺を考えたり、周囲に不幸を振りまく存在へと成り下がる。

だからと言って、それを人格破綻者に任せるわけには当然いかない。

チョコラータのような人間に任せてしまえば、当然惨状が待ち受けている。罪人を殺す行為に恍惚や快感を覚えて、興味本位の拷問や無許可の解剖を行うだろう。相手が罪人であっても拷問を行うような社会は、遠からず必ず破綻する。

 

社会の矛盾のごく一部だ。

 

『わかっているよ、サーレー。お前の悩みは分かっている。お前が苦しんでいるのも理解できる。だが仲間の身の安全のほうが優先だ。お前が〝執行人〟だ。お前がやらないといけねえ。ヤれッッ!!!』

 

サーレーの精神は追い詰められる。

少年の持ったフィギュアがやけに大きく見えて、動き出しそうな錯覚を覚えた。額から脂汗を垂れ流し、奥歯の震えが止まらず、自身の鼓動がひどく大きく聞こえる。サーレーの脳内を自身の幼少の頃が走馬灯のように過ぎった。それは場違いに楽しい記憶だった。

クラフト・ワークで自身の鼓動を止めれば、少なくともこのいやな任務はやらずに済むし、悲惨な結末だったとしても知ることはなくなる。不穏な考えがサーレーの頭の中を占め始めた。

 

「七歳くらいなんだッッッ!!!!自分が何に巻き込まれているのかもッッッ、何をさせられようとしているのかもッッッ、きっと理解していないッッッッッ!!!!!!!」

『サーレーッッッ、ヤれッッッッッッ!!!!!!!』

 

逃げ道はない。大切な相棒のズッケェロに自分のやりたくない仕事を押し付けるわけにはいかない。

やりたくない。やりたくない。やりたくない。

 

でもやらないとサーレーの存在する意義は組織に認められない。きっと組織は役立たずのサーレーに二度目の情けはかけないだろう。

でもやりたくない。やりたくない。やりたくない。

 

「ああああああああッッッッ!!!」

 

少年は、車両内で突然叫び出した大人の男に驚いた。顔色も悪い。土気色をしている。

車両内の大人たちは皆寝こけている。

 

「あの、大丈夫ですか?顔色もあまり良くないですし。」

 

少年は男を心配して近寄って問いかけた。

サーレーの瞳孔が散大し、もともと荒かった息がより一層荒くなる。

ーーもう他人を疑いません!貶めません!嘘もつきません!清く正しく生きます!だから……だから……神さま……。お願いです……。救いを……。奇跡を……。

 

都合の良い時だけ祈っても、そうでなくとも、神は何も答えない。

神は常に絶対で、神はいつだって公平だ。神は人の心の中にだけ存在する。

 

辛い時も苦しい時もいつだって、サーレーの前にある問題はサーレーだけのものなのだ。

 

「この辺にいる人はみんな寝てますけど、ほかの車両から大人の人を呼んできます!大丈夫ですから、安心して待っててください。」

「あ、ああぁ……ああ、ぁ……。」

 

サーレーを心配した少年は、大人を呼ぼうと列車内のほかの車両に向かおうとした。

サーレーの右腕が力なく上げられ、背中を向けて遠ざかろうとする少年に向けて伸ばされた。

 

 

 

その直後、上空を運ばれていた爆弾は地表に落下した。

 

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……さすがに今回はサーレーのやつに同情するぜ。後味の悪い事件だ。」

 

暗い図書館で、ムーロロがポツリと呟いた。

 

「……しかし彼以外に任せるわけにはいかない。執行人を明確に取り決めておかないと、社会のモラルの低下を招く……。」

「ああ、分かってますぜ、ジョジョ。世の中は割り切れねえな、ってだけの話だ。」

「……そうだね。」

 

ジョルノが答えた。

何も無いのが一番だ。サーレーが引き受けている仕事は、本来なら存在しないほうがいい。

しかし生きている以上は綺麗なことばかりでは無い。

 

社会の裏側に住む彼らは、しばしば表の人間の嫌がる仕事で糧を得ている。

それは時に苛烈な行為を意味し、人知れず社会の不穏因子を取り除く。

必ずしも納得できる行為とは限らないし、絶望を感じても進まなければいけない時もある。

たとえ悲しくても苦しくても、彼らだって生きているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、そこに全くの救いが無いわけではない。

 

「サーレーは減給だろ。明確な命令違反だし。推薦した俺の顔に泥を塗りやがって。」

 

グイード・ミスタがムーロロの近くで銃の手入れをしている。

ミスタはほんの少しだけ、笑っていた。

 

「それはかわいそうでしょう。これ以上給料を減らしたら、アイツら餓死しちまう。」

「そうだね。」

「しょうがねえな。」

「ところでムーロロ、君はサーレーを命令違反者として処分しないのかい?」

「勘弁してください、ジョジョ。アンタが面白そうに笑ってんのに、俺が勝手は出来るわけないでしょう」

 

ジョルノとミスタとムーロロは、笑った。

 

サーレーは明確に組織の命令に反抗したが、それは執行人には必要不可欠なものでもある。

ジョルノ・ジョバァーナはそう考える。

 

誰かに死を齎らす人間が、心無い何者かであるのはあまりにも酷い。それはただの天災だ。

執行人は厳格であることも必要かも知れないが、それは表で罪人に裁きを与える人間たちに任せればいい。パッショーネ専属の裏社会の処刑人は()()でいい。

 

自身の精神を守るために自身が神の使いであると錯覚することも重要かも知れないが、せめて赦されざる大罪人であっても同じ人間同士。裁かれるのであれば得体の知れない大きな何かなどではなく、ましてや神などという虚像でもない。

心ある人間に裁かれたいものだ。

 

ジョルノはただ、ただそう感じていた。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名前

アルベルト・レベーノ

スタンド

サンウェブ

概要

空間に網を張る能力。攻撃能力はないが、網の強度は極めて高い。本体は七歳前後の少年で、サーレーは組織の殺害命令に違反して気絶させた。クラフト・ワークは血流を固定する時間に加減をつけることによって、自在に対象を殺害したり気絶させたりの加減が可能。これは以前の固定の解除が精密に出来なかったクラフト・ワークに比べて、一つの成長した点である。

ちなみに彼は、イタリアのパッショーネの息がかかった孤児院に組織に緩い監視を受けながら入院した。幼いスタンド使いが変調をきたして社会に害を為さないようにという意味合いも込めて、周囲の大人で親を亡くした彼をフォローすることを取り決められた。

列車の事件に関しては、テロリストが所持していた危険な薬物が車両内に漏れたと嘘にほんのわずかな真実を混ぜて世間には公表されている。アルベルトは何をやるのか聞かされておらず、親の命令を聞いていただけに近い。

親はイタリア在住の宗教信者で、イタリア国内での爆弾の輸送を請け負っていた。

 

事件補足事項

今回の件に関しては、命令指揮系統の混乱が致命的な事態を誘発する可能性が存在するために、ジョルノの判断で情報部のカンノーロ・ムーロロにその全権を委譲されていた。ゆえにジョルノを筆頭として幹部連にも事態は全て事後承諾となっている。

本来であれば、指揮官に逆らったサーレーは厳罰の対象である。

全てが終わった後、車両からは泣きながら気絶した子供を抱えるサーレーが発見された。



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クラフトワークとスパイスガール

感想欄にて、ナポリタンはイタリアには存在しないという目から鱗の有難いご指摘をいただきました。不勉強で申し訳ない。スパゲティ・アッラ・ナポレターナに修正しました。
それとたくさんの誤字報告、くださった方々ありがとうございます。


ーーやった。……完全に、言い訳しようもなく、やらかした……。やっちまった……。

 

月曜の朝、サーレーは自宅で毛布にくるまって、震えていた。顔は真っ青で、歯がカチカチなっている。目にはクマが出来て、もともとあまり健康そうではなかった頬もこけている。

 

土曜日の任務で、サーレーはパッショーネから下された命令につい逆らってしまった。

組織から下された危険な子供を抹殺しろという命令にサーレーは真っ向から逆らってしまい、子供を殺せなかった。子供はヒーローのフィギュアを持っていて、サーレーに未来に希望を持っていた己の幼い頃を思い出させた。サーレーは子供に同情してしまった。

 

その後のことは定かではない。頭の中が真っ白になり、いつの間にどうやって自宅に戻ったのかも記憶にない。覚えているのは、記憶のある限りずっとこうやって自宅で毛布にくるまって震え続けていたことだけだ。昨日の夜は、何度もトランプのカードに襲われる幻覚を見た。サーレーはその度に発狂し、隣の家からうるさいと壁を叩かれた。

 

昨日は寝てない。一昨日も寝てない。眠れない。いつ冷酷無比なムーロロのようなスタンド使いが100人くらい送り込まれてくるかと考えると、眠れるわけがない。目を離すと、いつ室内に暗殺者のトランプが短剣を持って侵入しているかわからない。これほど恐ろしいことがあるだろうか?

一度寝てしまったらもう、二度と目覚めることのないような気がした。お腹も空いているが、外に出たらいつどこで刺されるかわからない。

このままでは、よくて衰弱死、最悪で拷問死だ。いずれにしろせっかく死を免れたと思ったら、まだ死線は超えていなかったということのようだ。

 

相棒(ズッケェロ)は無事だろうか?自分は処分されるにしろ、せめて相棒だけでも助かっていてほしい。連帯で責を負わされていないといいが……。

 

……いや、よく考えたら死ぬ時にまで格好つけていてもしょうがない。

処分されそうになったら、ズッケェロとドナテロもどうにかして一緒に巻き込もう。一人で死ぬの怖いし。

相棒とは、きっとこういう時のためにいるのだろう。今までずっと一緒に戦ってきたわけだし。アイツもきっとそう思ってくれているはずだ。そうに違いない。うん、よし。一蓮托生だ。

 

サーレーは死を目前にしてクソみたいな悟りを開き、心にはほんのわずかな毛先ほどの安らぎが生まれた。

サーレーの思考が、ゲスい方向に流れていたら、自宅の呼び鈴が鳴った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「サーレーの兄貴、一体どうしたんでしょうねえ?」

「さあな。ムーロロの旦那の口ぶりからすりゃあ、なんか訳ありって感じだったけどな。」

 

ドナテロ・ヴェルサスとマリオ・ズッケェロは、カンノーロ・ムーロロの電話を受けて、サーレーの自宅を訪れていた。ミラノにある築年数の経ったアパートだ。

ドナテロは英語を喋っているが、ズッケェロは英会話がだいぶ上達していたため、特に不自由は感じない。ドナテロもイタリア語を勉強中だ。

ズッケェロは、サーレーの部屋の呼び鈴を連打する。

 

「ズ、ズッケェロの兄貴!呼び鈴を連打しちゃあいけませんよ。」

「アン、なんでだ?」

「迷惑ですよ。今時借金の取り立てでもそんなことあまりやりませんよ!?」

 

ズッケェロが呼び鈴を連打している間、サーレーは部屋の中の魚眼レンズから恐る恐る訪問者の確認を行っていた。

どうやら、ズッケェロとドナテロがサーレーの家を訪れたようだ。

 

ーーマジかよ!?パッショーネは選りに選って、俺への刺客にあの二人を選びやがったのかッッっ!!チクショウ!血も涙も、ねえッッ!!

 

「……クラフト・ワーク。扉を固定しろ。」

 

こうなってしまってはもう、致し方ない。組織がサーレーの暗殺のために刺客を送ってきたのであれば、必死に抗う他はあるまい。いつまでもつかわからないが。それでもせっかく拾った命、座して死を待つつもりもない。

とりあえず敵は勝手知ったる二人のようだ。少なくとも初戦はまともな戦いになりそうなことに、サーレーはわずかに安堵した。

戦いを目前に、サーレーはひとまず扉を固定して心を落ち着かせる。

 

「出ねえな。一体どうしたってんだ?まあ、どうせ相棒の考えることだ……。」

 

ズッケェロはそう呟くと、部屋の前に置かれた植木鉢をどかした。

 

「ほら、ここに鍵がある。多分これが部屋の合鍵だろ。」

「……サーレーのアニキ……そんな不用心な……。」

「まあ俺たちゃあチンピラだからな。どうせ家には盗られるものなんて、置いてねえよ。」

 

ズッケェロはそう話すと、サーレーの部屋の鍵穴に鍵を差し込んだ。鍵を回してドアを開こうとするも、ドアがなぜか開かない。

鍵が外れた手応えはあったのだが?

 

「うん?開かねえぞ?建て付けが悪いのか?しょうがねえな。」

 

ズッケェロはそう呟くと、ソフト・マシーンを実体化した。ソフト・マシーンはスタンドの中ではパワーは大したことないが、それでも人間よりは力がある。

 

「ブチ破れ、ソフト・マシーン!」

「わあああ!ダメっすよっっ!」

「アン?なんでだ?」

 

なんでもクソもねーよ。常識を考えろ、とドナテロは叫びそうになる。月曜の午前中で、周囲には人目もある。

ドナテロは魂の叫びを飲み込んだ。その瞬間。

 

「うおおおおおおお!!!!ただではやられねえッッ!!!テメエらも道連れだッッッ!!!ヤれ!クラフト・ワークッッッ!!!!」

 

唐突にドアが中から開いて、サーレーがクラフト・ワークを構えて出てきた。

目が座っているし、痩せて不健康だ。少しすえた臭いもする。足取りもかなり怪しい。

サーレーの表情は、ズッケェロにはまるで麻薬の末期患者のように見えた。

心なしか、クラフト・ワークの表情も少し萎びて見える。

 

「オ、オイ!?どうした相棒?落ち着け!」

「黙れッッ!俺はただでは死なねえッッ!たとえ世界を敵に回しても、最期まで抗ってやるッッッッ!!!!」

 

サーレーのクラフト・ワークが玄関前で拳を振り回した。

 

しかし、サーレーは二日間飲まず食わず、さらに不眠である。

いくらクラフト・ワークがパワータイプでも、ズッケェロのソフト・マシーンに簡単に押さえつけられてしまった。

 

「オイ、いきなりどうしたんだよ、相棒?」

「わあああああッッッ!!!やられるくらいなら、ヤッてやるッッッ!!!」

 

サーレーは力の入らない体で暴れた。

ズッケェロは相棒の必死さに気圧されるも、油断せずに離さない。二日間食事を抜いていても、必死の人間は案外と厄介だ。

 

「オ、オイ!?落ち着けよ?何があったか話せよ。」

「うるさい、黙れッッ!!!!この組織の回し者がッッッッ!!!」

 

意味がわからない。ズッケェロは困惑した。

たしかにズッケェロは組織の回し者だが、組織の回し者と言うのならサーレーだってパッショーネの人間だ。

 

「何言ってるんだ?お前だって組織の人間だろうが。」

「うるさいうるさいうるさいッッッッッッッッ!!!!俺は死なない!!!!クラフト・ワークでこの世に固定して何が何でもしがみついてやるッッッ!!!!」

 

理解の出来ない相棒の反応にズッケェロが困惑していると、ズッケェロの携帯電話が鳴った。着信はムーロロからだ。

 

「もしもし、どうしたんだ、ダンナ?」

『……サーレーの携帯の電源が切れていたが、やっぱりこうなってたか……。ズッケェロ、サーレーとちょっと変われ。』

「あいよー。」

 

ムーロロはスタンドで彼らの様子見をしていた。

ズッケェロは持っていた携帯を体の下で押さえつけているサーレーの耳に当てた。

 

『オイ、聞こえるか?サーレー。』

「ヒィッ!!」

 

サーレーは電話口から聞こえてきたムーロロの声に恐怖し、頭を振った。

 

『落ち着け、サーレー。組織からお前に対する処罰はねえ。』

「嘘だッッッッッ!!!そうやって油断させておいて、俺を暗殺する気だろう?この人でなしッッッ!!!」

『オイオイ、俺だって怒るぜ?サーレー。お前の行動は、ボスのジョジョが支持したんで不問になったんだよ。ジョジョに感謝しな。』

「へっ?マジで?」

『ああ。マジだ。』

「絶対?」

『絶対だ。』

「ああ、よかった。よかったああァァー。」

 

サーレーは安堵し、弛緩し、放心し、緊張の糸が切れた。

涙と鼻水が垂れて、急激に睡魔と空腹感が襲ってくる。

 

『ただし、組織に逆らったわけだから当分は昇給はないものと思え。お前らの暗殺チームにはタダ飯ぐらい(ドナテロ)もいることだしな。』

 

ムーロロはドナテロを勝手に暗殺チームに押し付けたにも関わらず、平然と告げた。

 

「構いませんッッッ!!それでッッ、構いませんッッッ!!!ああーっ生きてるうぅぅぅ!!!!よかったよォーーッ。ボス、死ぬまでついて行きますッッ!!!」

『それでお前に任せる次の仕事の話だ。明後日にお前たちに護衛任務を任せたい。』

「やったーやったよォォォ!クラフト・ワークの力で、この世にしがみつくことができたあぁぁぁ!最ッ高だああぁぁぁ!」

『……お前ちょっとズッケェロに代われ。』

 

サーレーは若干ヘヴン状態で話を聞かなそうなため、ムーロロはズッケェロに電話を変わるように指示を出した。

 

「変わりましたぜ、ダンナ。」

『お前らに次の仕事を言い渡す。とは言っても、どっちかと言うとサーレーの慰労みたいなもんだ。明後日、ミラノの街のビルで、トリッシュ・ウナのスタジオ収録が行われる。それの警備を行え。場所は追って連絡する。』

「慰労、ですか?」

『まああまり気にすんな。それよりも仕事内容は理解したのか?』

「ああ、了解です。」

『任せたぜ。』

 

それを告げると、ムーロロからの電話は切れた。

ズッケェロは、サーレーを見る。サーレーは地面に倒れ伏しながら恍惚の表情を浮かべている。

相棒に何があったのだろう?ズッケェロは疑問に思ったが、それは放置して地面に寝転ぶサーレーに部屋に戻るように促した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「護衛任務?」

「オメー、やっぱり聞いてなかったな。おととい説明したろうが。早めに来といてよかったぜ。」

 

水曜日の昼前、ズッケェロはサーレーの家を再び訪れていた。傍らにはドナテロも伴っている。

サーレーは昨日は一日中、疲れ果てて寝こけていた。

サーレーはズッケェロに、覚えのない護衛任務の仕事の迎えに来たと言われて首を傾げていた。実際はズッケェロはキチンとサーレーに説明していたのだが、サーレーは極限状態だったため全くこれっぽっちも記憶にない。

 

「ミラノ市の中央付近にあるラジオ局で、トリッシュ・ウナの収録の護衛を任されたって言ったろうが!早く行くぞ!」

「うん?ああ。そうだったか?」

「オイ、相棒よー。しっかりしてくれよ。」

 

今更なぜそれが暗殺チームの仕事に回ってくるかなど無粋なことは聞かない。ただでさえ少ない給料が減らされたら堪らない。

サーレーたち暗殺チームは、本業がさほど多くないためにどちらかというと何でも屋という立ち位置だ。

 

「ホレ、行くぞ。」

「兄貴、しっかりしてくださいよー。」

「うん?ああすまん。じゃあ行くか。」

 

サーレーは道行くタクシーを止めた。

三人はタクシーに乗り込み、向かう先を告げた。

 

「ミラノ・セントロ・エディフィシオまで頼む。」

「あいよー。」

 

三人を乗せたタクシーは、ミラノ中央の市街地へと向かった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「やっぱこの辺りは、なんつーかオシャレだな。俺たちじゃあ似合わねえ。」

 

ズッケェロがつぶやいた。あたりには巨大な建物がそびえ立っている。

ミラノ市の中心街。ミラノはヨーロッパでも有数の都市で、イタリアで最も大きな都市であり、人口も130万人を超える。

近くには世界的に有名なドゥオーモが存在する。ドゥオーモとは神の家を意味し、カトリック教徒が500万人在籍するミラノ大司教区の司教座聖堂だ。とても荘厳で、美しい建物だ。

チンピラのサーレーやズッケェロ、ドナテロには明らかに場違いだ。金の匂いはするのだが。

 

「……まあ俺も、きらびやかすぎてあんまり長居してー場所じゃあねえな。だが、仕事だ。」

「パッショーネの幹部の方は、結構この辺りに住んでる人が多いらしいっすよ。」

 

ドナテロがどこからか仕入れてきた豆知識を披露した。

 

ミラノ・セントロ・ディフィシオ。

日本語に直せばミラノ中央ビルとでも思えばいい。そこの3階のラジオ局で、トリッシュ・ウナのラジオ収録は行われる。

サーレーたち三人が到着してから間も無くして、ビルの前に高級そうな黒塗りの車が横付けされた。

 

「あら、今日の護衛はあなたたちなの。」

「ハイッ!」

 

車から時の人、トリッシュ・ウナが降りてきた。

芸能人を前に、ドナテロが興奮する。サーレーは若干彼女にトラウマがある。

 

「よろしく頼むわね。あなた本当に役立たずだったりしたら、許さないわ。」

 

トリッシュが綺麗に笑った。

サーレーは胃が跳ね上がるような甘酸っぱい感覚を覚えた。

サーレーは単純だ。サーレーの頭の中から、トラウマがどこかへと吹っ飛んでいった。

 

 

◼️◼️◼️

 

「……なんで俺たちはここなんすか?」

「今日は相棒の慰労だ。ムーロロのダンナがいうにゃあ、サーレーのやつ精神的にダメージを負っているみたいだからな。俺たちは脇役だからここでこうやって目立たないように護衛するんだよ。あんまり俺たちみたいなのがたくさんウロついたら、カタギを威圧しちまうだろうが。」

 

ラジオ局のスタジオの中で、収録は行われている。

サーレーが中で彼女の護衛を行い、ズッケェロとドナテロは外で不審者がいないかの見張りを行なっていた。

 

「そもそもよォー。パッショーネとしてもあまり本気で護衛任務を行なっているわけじゃあないんだろう。多分サーレーのフォローが本筋でやってることだと思うぜ。」

「うーん、でも俺も生でトリッシュさんの歌を聞きたかったっすよ。」

「まあ俺もそれはそうなんだが……。」

 

ズッケェロとドナテロは局に用意されていたパイプ椅子に座り、毒にも薬にもならないようなことを駄弁りながら時間を潰していた。

無為に費やす時間は長い。

すると、彼らの目の前を一人の男が横切った。

 

「オイ、兄さん。ここは今使用中だぜ?何の用があるか知らねえが、来る場所を間違えてるぜ。」

 

男の見た目は30過ぎだろう。見た目はほぼカタギに間違い無いと思うが、トリッシュの収録が行われているスタジオに一体何の用があるというのか?

男はチラリとズッケェロを見たが、無視をして行動を続けた。トリッシュの歌の収録が行われている扉に手をかけている。

 

「オイ、テメエ聞いてんのか?ここはお前が用がある場所じゃあねえっつってんだろ!」

 

ズッケェロが不審感を感じて立ち上がった。しかし、なぜか彼はそのまま床に倒れ伏した。驚いて立ち上がったドナテロも引き続いて床に倒れ臥す。

男は床に倒れたズッケェロのポケットから、スタジオの扉の鍵をまさぐった。

 

「オイッッッ!テメエ何もんだ!俺たちがパッショーネだと知ってやってんのか!」

 

ズッケェロが凄むが、彼は床から立ち上がれない。目の前がグルグル回り、天地が判別付かず、伸ばした手は明後日の方向に向けられて空を切った。

「フンッッ!」

 

ズッケェロは男に顔面を蹴られた。

明らかに敵だが、行動がマトモにとれない。蹴られた鼻から血を流した。

 

「オイ待て!待ちやがれッッ!!」

 

男はズッケェロを無視してスタジオの中に侵入した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは、パイプ椅子に腰掛けてスタジオで歌うトリッシュを眺めていた。

彼女の収録が行われている現場は、サーレーのいる場所からは防音の壁で区切られている。

そのために残念だが彼女の歌は聞こえない。だが、ガラス越しに彼女の表情は見える。

 

しかし彼女が真剣に歌うその表情は、とても艶っぽく美しい。人気が出るわけだ。

あの真剣な表情と綺麗な歌声で切ないバラードなんかを歌っていると考えたら、、、それだけでサーレーは身震いした。役得だ。パッショーネに入ってよかった。

 

サーレーが目を細めてトリッシュの歌う表情に見惚れていたら、唐突に彼のいる部屋の扉が開いた。

 

ーーなんだ?ズッケェロの野郎問題でも起きたか?せっかくいいところなのによぉ。

 

「どうした?ズッケェロ?何か問題か?」

 

サーレーはトリッシュから視線を逸らし、立ち上がってズッケェロに対応しようとした瞬間、床に倒れた。

 

おかしい?地面が回っている。

意識ははっきりしているし、記憶もある。

ただ、立ち上がろうにも変な方向に力を入れてしまい、何回も床を滑る。立ち上がれない。

なんとか顔だけを動かして状況を把握しようとする。

 

男がいた。そこそこの年だろう。風邪を引いたときにつけるようなマスクをしている。

今ここにいるということは、あからさまに不審者だ。

男の後ろにはスタンドと思しき存在がいる。

能面のような表情、鼻と口はなく、背中にパイプのようなものがついていてそこから蒸気みたいなものを発していた。恐らくはあの蒸気を吸い込んだから今現在の状況に陥ったのだろう。

 

スタジオで収録中のトリッシュも異変に気付き、こちら側へと来ようとしている。

彼女は仕切られている扉に手をかけた。

 

「ダメだ!!トリッシュ!!こちらに来るな!!鍵をかけて籠城しろッッ!!!」

 

残念ながら、サーレーの声は防音の壁に区切られてトリッシュには届かない。

サーレーの目の前の男は不気味に微笑んだ。サーレーは嫌な予感を感じた。

 

「何があったのッッ!あなたは……!!!」

 

トリッシュが不審人物に詰問しようとした瞬間、彼女も床に崩れ落ちた。

スタジオで収録のための人員もことごとく地に伏している。

 

「うっへ。やっぱトリッシュまじ色っぺーなぁ。」

 

確定した。変質者だ。しかもスタンド使い。

パッショーネが護衛している対象を平然と襲おうとしている、プッツンしているやばい類の。

 

「エッヘッヘ。本物の方が、テレビで見るよりキレーだな。ウヒヒヒヒ。」

 

男は徐々に床に倒れたトリッシュの方へ向かっていく。

 

マジかよ。なんでこんないい時に変なトラブルが起きるんだ?

サーレーはため息をついた。

護衛対象が変質者に襲われたとなれば、まず間違いなくサーレーの首は飛ぶ。

 

しかし一見危機のようなこの状況で、サーレーは決してあわてない。前回の任務に比べたら屁でもない。

この程度であれば、サーレーが今まで潜ってきた修羅場に比べればぬるい。笑わせる。

 

「オイ、テメーわかってないようだから言っておくが、もうすでにあたりはパッショーネに包囲されているぞ?」

 

サーレーが男に宣告した。もちろん大嘘である。

 

「ハン?嘘をつくなよ。オメーらがいつ仲間に連絡を取る暇があったってんだ?」

 

交渉の第一歩は、まずはなんとしても会話を成立させることである。

相手の興味のある話題を振って興味を持たせることが最優先だ。相手に聞く耳を持たせなければ、ともかく始まらない。

この場合は、何もできないサーレーがむやみに凄んでも相手はまず聞く耳を持たない。

まずは嘘でもなんでも相手に興味がある話題を振ることが、先決だ。

 

「嘘じゃねえよ。もともとお前が今日ここを襲撃する情報は組織で共有されている。お前、パッショーネの恐ろしさ知らないんだな?」

 

サーレーは真っ赤な嘘を平然とつき、男を鼻で笑った。サーレーは続ける。

 

「すでに沢山の殺し屋がこの部屋に向かっている。お前の人生はもう終わりだな。」

「嘘をつくんじゃあねえ!!」

 

サーレーのあまりに荒唐無稽な宣告に、男はサーレーが嘘をついていると判断した。

襲撃がバレてる?そんなわけねえだろうがッッッ!しかし万が一事実だったらという恐怖心だけは、どうやっても拭えない。そのせいで男はついサーレーの口車に乗ってしまった。

サーレーはここで、会話の切り口を唐突に変えた。

 

「世間に馴染まない。親しい友人はおらず、だから情報を得るツテもない。ゆえにパッショーネの恐ろしさも知らない。平然とパッショーネの護衛対象に手を出そうとして、ゴミのように死んでいく……。お前の5分後の未来だ。」

 

サーレーが静かな声で男に告げた。

執行人の言葉は、静かに男の心を抉った。

 

「テメエ!ふざけんじゃあ、ねえッ!」

 

男は激昂してサーレーの顔面を蹴り飛ばした。サーレーの鼻の骨が折れ、鼻から止めどなく血が流れてくる。

サーレーは鼻から血を流したまま男になおも冷酷に告げた。

 

「荒事の経験もロクにないから、激昂して不用意にスタンド使いに手を出す。お前のそれは、間違いだぜ?」

 

サーレーはダメージを負いながら平然と笑っている。

男の足は、サーレーのクラフト・ワークによってサーレーの顔面に固定されていた。

 

「テメエ!?なんだこれはッッ!?」

 

男はくっついた自分の足を剥がそうと慌ててサーレーの頭に両手の手のひらを置いた。当然両手もそのまま固定される。

 

「オイ、テメエ!!なんだこれはッッ!離せ!ブッ殺すぞ!!」

「お前は話す言葉も軽い。俺はパッショーネから送られた護衛だ。どちらにしろ護衛対象になんかあったら俺は組織に確実にブッ殺される。となりゃあ、死んでも離すわけねえだろうがよッッ!!!」

「離しやがれッッ!!!」

「好きに抵抗してみればいい。疲れるだけだがな。諦めろ。お前に打てる手はない。」

 

男はパニクっている。

男は左足以外の四肢をサーレーに強力な磁石のように吸いつけられてしまっている。スタンドも一緒にだ。理解ができない。

できないが、さすがにここに来て自分の置かれている立ち位置に恐怖しないバカはいない。

四肢の三つが拘束されて動けないのだ。しかも手を出そうとしたのは裏の組織の関係者だ。

男は念のためにポケットにナイフを忍ばせていたが、両手を塞がれた状況ではそれも意味がない。

挙句にクラフト・ワークは自身を床に〝固定〟していて、微動だにしない。

 

これは以前はサーレーがあまり意識していなかった、クラフト・ワークのあまりにも強力な利点である。

ジョルノのゴールド・エクスペリエンスやブチャラティのスティッキー・フィンガーズなどの近距離タイプの多くのスタンドは、両腕で攻撃することによって、その能力を発動する。

翻ってクラフト・ワークは、実はスタンドの全身でその固定の能力を発動できる。殴るというプロセスを踏む必要がない。その証拠が、ミスタの銃弾を頭部に喰らってなおも固定して防いだという事実である。

 

「テメエッッ!チクショウ!離せ!離してくれ!!!」

 

男は焦り、ついに命令口調が懇願に変わった。

 

「俺から連絡がなけりゃあ、組織はそう遠からず異変を感じて人員を送り出す。残念だったな。もう時間の問題だ。お前ごときに俺が根気勝負で負けることなんざ、ありえねえ。」

「いいえ、その必要はないわ。」

「トリッシュ?」

 

トリッシュ・ウナは鮮やかに笑った。

床に倒れてなおも、彼女は美しく気品高い。

 

「本当は私がその男をボロ雑巾のようにしてやりたかったのだけれど、あなたのタンカがほんのちょっとだけかっこよかったから特別にあなたに華を持たせてあげるわ。まあジョルノほどじゃあないけどね。スパイス・ガールッッッ!!!」

『イイノデスカ?トリッシュ。アナタハゴ自分デ、アイツヲボロ雑巾ニシタイトカンガエテイタノデハ?』

 

トリッシュ・ウナもスタンド使いだ。能力はスパイス・ガール。

自我を持っていて、スタンドエネルギーを送り込んで自在に物体を柔らかくする能力を持っている。

 

「いいのよ、スパイス・ガール。いい女は、気に入った男には華を持たせてあげるものよ。あなたも覚えておいて損はないわ。」

『ワカリマシタ。WAANNNAABBBEEEE ッッ!!!』

 

スパイス・ガールは平衡感覚を失った状態で拳を滅法に振った。

そのうちのいくつかは床に当たり、床にスパイス・ガールのスタンドエネルギーが流れ込んでいく。

 

「うわあぁッッ!!!なんだこれ!!!!」

「トリッシュ、アンタスタンド使いだったのか。」

「せっかくのプレゼントなんだから、きっちり締め上げなさいよ?」

 

トリッシュはジョルノの大切な仲間だ。トリッシュとジョルノとミスタの間には、強固な絆が存在する。

彼女はスタンド使いであり、護衛として送り込まれる人材の能力は組織から綿密に報告されている。トリッシュはサーレーの能力の報告を思い出していた。

 

サーレーと男が固まって一箇所になっている場所の床が、重みで沈んでいく。

床は重みでどこまでも柔らかく引き伸ばされていき、サーレーはクラフト・ワークで薄くなった床を硬く固定した。

 

「了解だ。トリッシュ。キチンとカタにハメてくるぜ。」

「ボスのジョルノが舐められないようにキチンとやりなさいよ。」

 

トリッシュがサーレーにウィンクを飛ばした。サーレーのテンションがまた一段と上がった。

 

サーレーのクラフト・ワークは拳をやたらめったらに振った。

クラフト・ワークの拳は薄くなった床を突き破って、二人の男は階下へと落ちていった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「さて、と。テメエ、覚悟は出来てんだろうな?」

「ううっ。」

 

階下もラジオ局の持ち物で、男性の4人組のシンガーが歌を録音しようとしていた。

彼らとその関係者は、唐突に上から降ってきた闖入者に驚いて目を見張っている。

 

サーレーのクラフト・ワークの右腕は男の顎を掴んで宙吊りにしている。

男のスタンドは部屋に充満していた蒸気を吸い続けなければ効果を発揮しない。落下したサーレーはさっさとまともなうちに己の平衡感覚を〝固定〟した。男はサーレーが蒸気を吸い込んでもなんともないことにひどく恐怖している。

 

「………さっさと済ませちまおう。トリッシュの収録がまだ残っている。まずは俺がやられたぶんだ。」

 

サーレーはそう告げると、クラフト・ワークの左手が男の鼻を捻じ曲げてそのまま鼻の骨を折った。

男は鼻の骨を折られ、あまりの痛みと流血で呼吸もままならないことにひどく驚いた。男は荒事に慣れていない。スタンドが発現して何人か痛めつけたが、彼らはこんな苦しい思いをしていたのかと少しだけ後悔した。そして、この痛みを感じているにも関わらず平然としているサーレーにさらなる恐怖心を覚えた。

 

「次は俺の同僚のぶんだ。部屋の前にいる同僚が不審者を黙って部屋に通すわけがねえ。お前どうせ、なんかしたろ?」

 

サーレーは怒り、三白眼が男を睨みあげる。男は恐怖で震え上がった。

クラフト・ワークは蒸気を発する男のスタンドのパイプを左手で握りつぶし、その形状のままで〝固定〟した。

 

「これでテメエのスタンドのその厄介な能力はもう使えねえ。テメエのスタンドはさほどパワーはなさそうだな。」

 

サーレーが男の顎を掴む腕に一層の力が込められた。

 

「特別に、トリッシュに粗相をしようとした件は見逃してやる。床に伏しただけだからな。だが、テメエには一番の罪が残っている。それはパッショーネを甘く見たことだ。裏社会の組織を甘く見ることは、社会の基盤を揺るがす事態に繋がる。ボスはそうおっしゃった。テメーみてーな跳ねっ返りどもが好き勝手に出来ないのは、パッショーネが裏に睨みを効かせているからだと。」

「ヒ、ヒイイッッ!」

 

サーレーの頭の血管は膨れ上がり、その忿怒の形相に男はついに涙目になる。

 

「安心しろ。命までは取らねえ。だが、痛い目にはあってもらう。二度とパッショーネ相手に上等をこけないくらいにはな。やれ、クラフト・ワークッッ!!!」

『ウラアッッ!!!』

 

サーレーは固定せずに男の顔面にラッシュを叩き込んだ。

 

クラフト・ワークの固定する能力は、本気で使用すれば近接戦限定で無類の強力さを誇る。

あまりに強力すぎて、相手を簡単に死に至らしめてしまうのだ。

 

心臓をはじめとした重要な臓器を固定したまま殴れば相手は簡単に即死するし、そうでなくとも固定された状態で人間が殴られたら、運動エネルギーを逃がせずに全部もろに食らってしまう。その衝撃は凄まじい。

ボクサーがコーナーに追い詰められて袋叩きにされるようなものだ。しかもレフェリーストップもない。

スピードに関しても、スタンドパワーが弱い相手だったら、動くことさえもできなくなる。

 

「特別にお前に一つ、教えておいてやる。美しい花は、目で楽しむものだ。それがイタリアの男の粋な楽しみ方だ。俺たちみたいなゲスが、みだりに汚そうとするもんじゃあねえ!」

 

今回の件に関して言えば、殺害まではするつもりはない。だから固定しなかった。

男は窓を突き破って、無様に階下へと落下した。

 

「あら、サーレーさん。私のやられた分でビンタ一発くらいかましておいて欲しかったのだけれど?」

 

トリッシュが上階の窓から外に吹っ飛ばされた男を見て、綺麗に微笑んだ。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「どう思う?ムーロロ。」

「俺の意見もアンタと同じです。ちょっと多過ぎますぜ。」

「だよね。何事も起こらなければいいけど……。」

 

ネアポリスの図書館で、ジョルノとムーロロは情報の分析を行っている。

サーレーの報告によれば、トリッシュの収録スタジオがスタンド使いに襲われたらしい。

前回はテロリストにスタンド使いが混じっていた。その前はスタンド使いの連続殺人鬼が暗躍していた。トリノクラブチームの件もある。

 

約一年間に四件だ。

社会にスタンドを使用する不穏因子が存在して、その対策にパッショーネが存在するのは織り込み済みだが、ちょっと件数が多すぎる。

 

「それに、今回の相手がどこからトリッシュの非公開収録の情報を仕入れたのかも気になる。……なんていうのかな、意図を感じるんだよね。威力偵察というか……パッショーネの対応力を測ってきているような感じがさ。」

「なるほど。しかし俺も一応その可能性は考えて、裏を洗ってはみてますぜ。」

「ムーロロ、もしもだ。もしも敵がいて、そいつが君の監視の目さえも欺くような相手だったら……。」

「……。」

「可能性はいくつかある。そいつが隠形に長けたスタンドを持っていて、恐ろしく用心深いか……。」

「または、俺の能力を知っているか。ですね。」

「……考えすぎだといいけど、有事に対する備えは必要だ。」

「ええ。引き続き不穏な動きがないか探ってみます。それにしてもジョジョ、ここ一年のトラブルの件数を考えれば、アンタがサーレーたちを手懐けたのは、案外と鬼手だったのかもしれやせんね。」

「彼らが活躍するような事態は、なるべくなら起こらない方が好ましい。」

「……そうですね。」

 

若干、社会に不穏な気配を感じる。何事もなければいいが……。

 

それにしても、サーレーはツイてない。面倒ごとにまた巻き込まれている。

特別手当のつもりでトリッシュの護衛に向かわせたはずなのだが……?

ジョルノは心の中で、少しだけ笑った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

本体

ジュゼッペ・サニーニョ

スタンド

ロスト・アンド・ロール

能力

背中のパイプから出す蒸気で、吸い込んだ相手の平衡感覚を失わせる。密閉した空間でないと作用が薄い。

スタンドは実は近距離パワータイプだが、本体に闘争心が弱く荒事に慣れていないためあっさりと敗れた。ちなみにスタンドには専用のマスクが一つ存在し、本体はそれを被ることでスタンドの影響を防いでいた。

もし仮にあのままクラフト・ワークとガチの戦闘になっていたら、クラフト・ワークもそこそこまともに対応せざるを得ず、本体のジュゼッペの惨状を引き起こしていた可能性は高い。そういう意味では彼はツイていたと言えるかもしれない。



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閑話、ウォッチタワーの休日

ーーそれにしても、暇だ……。

 

カンノーロ・ムーロロはその日、パッショーネから休日を言い渡されていた。

彼は今、ローマの街並みを歩いている。並木がならび、ベンチが点在する人の往来がそれなりにある表通りだ。

彼は普段はボスであるジョジョの腹心として、あちらこちらにせわしなく飛んでいる。

 

ムーロロはスタンドを手に入れて以来、今まではずっと自分の欲求に従って精力的に動いていた。

しかしボスがジョジョになって以来、ムーロロは時折休暇を言い渡されるようになった。なったのだが、、、ムーロロはこの休暇というのはあまり慣れない。

理屈ではわかっている。スタンド使いであっても、精神的に休養をとることは必要だ。作業は能率的になるし、スタンドも動きが良くなるし、新鮮な気分で組織に戻れる。それはあくまでも理屈だ。

 

ーーやることがねえ。世間一般の奴らは、どうやってこの無為な時間を過ごしてるんだ?

 

酒や女で無聊を慰めても退屈なだけだ。ムーロロはそっちの方にはさほど興味がわかない。

 

ムーロロは無意味に空を見上げた。雲が流れている。

空は少しの雲が流れているだけで、あとはどうしようもなく青い。

 

ムーロロはなんとなく、本当になんの意味もなくその空が血に染まる風景を想像した。

 

ーーうーん、なんていうか以前のクセが抜けきっていねえな。

 

ムーロロはジョルノと出会う以前は騒乱を楽しみ、他人の狂態を嘲笑う悪癖を持っていた。

彼のスタンドは暗殺に特化していて、相手が誰であろうと遅れはとらないと、そう考えていた。

しかし彼はジョルノと出会い、成長し、悪癖はなりを潜めていった。

 

『君の無敵さは無駄だ。君の強さに意味はなく、君は生きることになんの意義も見出せていない。君は確かに有能で優秀だが、制御不能な力は誰も信用しない。実のところ君は他人に価値の無い存在だと、そう思われている。君が他人をそう考えているようにね。君は外と繋がらず、災禍を振りまく厄介者として社会から弾かれて、いずれ一人で寂しく朽ちていく。誰からも顧みられることはない。君の存在は、無駄だ。無駄無駄。』

 

ムーロロの宝物だ。

ジョルノのあまりにも痛烈な言葉は、ムーロロの心を強烈に射抜いた。ジョルノの言葉は否定のしようもなく正論だった。

自分の生き様に恥じ入り、心の中で生まれた恥という感情はムーロロに生まれて初めて強烈な生を実感させた。ムーロロは、己に生まれた恥という感情に生きる喜びを見出した。

それ以来、ムーロロは自分の感じたものに素直に従った。ジョジョは彼の絶対的なボスだ。

 

ーーうーん、世間一般の奴らは雲を見て何を考えているのだろう?ピッツァとかか?

 

ムーロロは上空を見上げ続けた。もう空は赤くない。雲は立体的で、ピッツァを連想するには少し無理がある。

 

唐突に道で止まって上空を流れる雲を見上げる人間。格好はコテコテのマフィア映画のようなボルサリーノ帽子にさほど寒くもないのにマフラーを巻いている。周囲の人間に避けられないわけがない。道行く人々はムーロロを遠巻きに避けて通っていく。

 

ーーなんかあの雲はサーレーのヤロウの髪型に似てるな。なんとなくカニが食いたくなってきた。

 

流れる雲の一つに、丸い形に何本かカニの足のように細い切れ端が横に伸びているものがある。

ムーロロはそれを見て、サーレーを連想した。

 

ーー……なんで俺は休日にあのヤロウのことなんか思い浮かべてんだ?

 

ムーロロは頭を振った。

さて、何をするんだったか?

 

ーー違う!何をするかじゃあなくて、何もすることがないからこんなわけのわからないことを考えていたんだった!

 

ムーロロは自分が何をやっていたか思い出す。

それにしても寂しい、実の無い休日だ。

いっそ自分のスタンドを使って一人でトランプ遊びでもしてみようか?ムーロロは自虐した。

 

『ニャアア。』

 

ローマの静閑な街並みを一匹の黒猫が横切った。

そういえばズッケェロのヤロウは猫を飼いだしたんだっけか?

 

「チッチッチッチ。」

 

ムーロロはなんとなく、猫の前で指を振った。

 

『ニャアア。』

 

……逃げて行ってしまった。ムーロロは動物にあまり懐かれない。

ムーロロはなんとなくへこんだ。ひょっとしたら、死臭が染み込んでいるのかもしれない。

 

黒猫が横切るのはイタリアでも不吉の暗示だが、ムーロロは迷信など信じない。

 

ーーなんなんだ、これは!俺は一体、何をやってるんだ!

 

自身の休日のあまりの無為さにムーロロは目眩を感じた。

こんなことなら趣味の一つでも見つけておくんだった。

 

やることが思いつかない時は、他人を手本にして真似てみるほかはない。

 

ーーそういやあ、サーレーのヤロウはフットボール観戦が趣味とか言ってやがったな……。ちと試しに足を運んでみるか?

 

今現在、ムーロロが歩いている通りは、ローマのパンテオン近郊だ。パンテオンとは全ての神を奉納する神殿の意味で、ほかの国にも似た意図の建物は存在する。ここからローマクラブチームの本拠地であるスタディオ・オリンピコ・ディ・ローマは北北西の方角にある。

 

ーーまあやることがねえしな。思い立ったが吉日だ。ちょっと行ってみるか。

 

ムーロロはローマの街並みを、思いつきでぶらついた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ーーすげえな、これ。一体どうなってんだ?

 

ムーロロは幸運だった。

その日はたまたま、スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマではローマに2つあるクラブチームのうちの片方が、ボローニャにあるクラブチームを呼んで試合を行う当日だった。シーズンは佳境に入っており、試合結果がダイレクトに順位に影響しだす頃だ。1つでも上の順位で終わるように、人々は熱狂的に我がチームを応援している。スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマの収容人数は7万人を超えており、そのほとんどの座席が埋まっている。

 

ムーロロは組織からそこそこ金をもらっていて、余らせ気味だ。ダフ屋を捕まえていい値段を出してチケットを買い取っていた。組織の名前を出せばタダで入るのは簡単だが、金でカタがつく話でパッショーネの名前を軽々と使用するつもりはない。

 

ムーロロは生まれて初めて、人数の入ったフットボールのスタンドに入って競技を観戦した。

ムーロロは実は、フットボールのルールもろくに知らない。ただただ人々の出す熱量に圧倒された。

 

ーー確かあのネットにボールを放り込みゃあ、いいんだったか?

 

試合はすでに始まっていた。

ムーロロは目を皿のようにしてグラウンドで行われていることに見入っている。

いまいち行われていることがわからないせいで、余計に彼は集中した。

グラウンドでは選手同士がぶつかり合い、お互いのチームが試合を有利に運ぼうと必死になっている。

 

ーーオイオイ?アイツら何やってんだ?体なんかで戦わず、ナイフとか拳銃とか使って戦えば、話は簡単じゃあねーか?

 

ムーロロも実は基本は常識のないアホである。どこの世界に凶器を使用するスポーツがあるというのか?

ムーロロは今まで興味がないことはスルーしてきたために、それが表面化しなかっただけだ。

 

ーーよくわかんねえな?なんで今までボールを蹴り続けてきたのに唐突にボールを手で投げるんだ?ルールはどうなってやがるッッッ!

 

グラウンドの範囲を外に出たボールは、ゴールラインであればゴールキックかコーナーキックに、それ以外ならばスローインでグラウンドに戻される。ムーロロはそんな当たり前の知識も知らなかった。

 

ーーオイ!なんで急に笛が吹かれたんだッッ!なんでボールを止めて蹴ってるんだ!意味がわからねえ!欠陥競技じゃあねえか!!

 

皆さまご存知、フットボール初心者の頭を散々悩ませてきたオフサイドルールである。初めてフットボールを観戦する人間は、なぜ笛が鳴ったのか理解できない場合が多い。これのおかげでフットボールは戦術幅が広がり、これのせいで初心者は長年頭を痛め続けてきた。

 

これは言葉では非常に説明しづらい。まあ平たく言えば相手選手より深く敵陣に入り込んでパスを受けてはいけないというルールなのだが、自陣には適用されないだとか、スローインは例外だとか、マイナスのパスであればオッケーだとか、プレーに関与したらボールに触れなくてもオフサイドだとか、とにかく例外となる局面が多い。

フットボール観戦初心者の方は、とにかくよくわからない理由で笛を吹かれたら大体オフサイドだと考えるのがもしかしたら一番簡単かもしれない。

 

ーーオイッッッ!今ネットにボールが刺さったろうが!!なんで点が取り消されるんだッッ!!なんで観客は抗議せずに納得してるんだッッッ!!まさか……競技場のどこかに幻覚を操るスタンドでも潜んでやがるのか!?ネットにボールが刺さったのが幻覚だと思わせているのか!?あのグラウンドに一人だけいる変な格好したやつが怪しい……。あのさっきから頻繁に鳴らしている笛が音波攻撃、なんらかのスタンド能力ということか?これは……ジョジョに連絡して報告を行うべきか?それとも問答無用で攻撃してみるか?

 

やめてください。

当然オフサイドによる得点取り消しである。一人だけいる違う格好の人間は審判だ。

 

今回の試合はローマの競技場で行われているので、ローマ市民のサポーターが多い。取り消されたのはボローニャクラブチームの点だ。だから本拠地のローマクラブチームのサポーターに特に文句はない。プレー自体も明確にオフサイドだった。

そして、審判がいないとそもそもスポーツの試合は成立しない。

 

ーーアイツら、あれで真面目にやってんのか?チンタラしやがってッッッ!

 

ロングから見ると、選手のパスはあまり早く見えない。だが実際は、選手の反応できる結構ギリギリの速さで行われている。敵は一瞬の油断を逃さずボールを掻っ攫おうとしてくる。

試合の点数差やチーム同士の実力差次第では、攻めずに時間を費やそうとパス回しが主体の試合になることも多い。

ムーロロは完全に、フットボール初心者だった。

 

ーーオ、オイ?選手がどこか行っちまうぞ?試合はもう終わったのか?でも誰も観客が帰ろうとしやがらねえ?……まさかあの一人だけいた違う格好のやつが、何かやったのか?

 

フットボールの試合は、前後半に分かれて行われる。大概のスポーツは、試合の最中に休憩を挟む。

ムーロロは、そんな当たり前のことさえも知らなかった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーはその日、下っ端のドナテロに仕事を教え込んでいた。いわゆるミラノ近辺のみかじめ料の回収のようなものである。

サーレー自身も下っ端なのだが、それは言ってはいけない。

サーレーははじめての後輩にわずかに胸を高揚させていた。たとえ鬱陶しい相手だったとしても、だ。

 

「次はあのパスタ屋だ。結構味がいい。値段もあまり高くないから、今度連れてきてやる。」

「マジっすか!?サーレーのアニキ、最高です!」

 

鬱陶しくて信頼できない男でも、懐かれれば悪い気はしない。

サーレーは、頬を綻ばせた。

 

「それにしても、ズッケェロのアニキはどうしたんですか?」

「ああ、アイツはなんか英語の検定のために家で勉強しているらしい。なんでも、国際的に通用するナントカの試験を受けるんだと。」

 

サーレーもさすがにこれは予想外だった。相棒はどうやら、本気で英語の勉強をしているらしい。

ズッケェロはパッショーネに休暇申請を出して、恐るべきことにそれは受理された。

 

「ま、相棒が向上心を持ってるってんなら、応援せざるを得ねーな。」

「そうっすねー。」

 

サーレーとドナテロがミラノ裏通り界隈を歩いていると、突然サーレーの携帯電話が鳴った。

 

「誰からですか?」

「ムーロロだな。組織の情報部の人間だ。なんかまた仕事の要件かもしれない。」

 

サーレーは口に指を当てて静かにしろのジェスチャーを行い、電話口に出た。

 

「もしもし、なんか仕事か?」

『……潜入任務だ。あたりに人気は、ないな?』

 

どうやら口ぶりからして対外秘の任務らしい。

サーレーはドナテロに離れるように指示を出した。

 

「今なら、大丈夫だ。一体なんの案件だ?」

『ああ、違う。お前への指示じゃあ、ねえ。俺は今極秘の潜入任務で、スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマに忍び込んでいる。』

 

パッショーネはフットボール産業に手を出している。その関係だろうと、サーレーは当たりをつけた。

 

「……それで?」

『俺はもしかしたら今、スタンド攻撃を受けているのかもしれねえ。周囲には試合の観客がいるんだが、選手がどこかに引っ込んじまいやがった。にも関わらず、誰も観客が帰ろうとしやがらねえ。』

「……続きを。」

『続きは、ねえ。』

「は?」

『恐らくはスタンドによる集団幻覚の類じゃあねえかと、俺は踏んでいる。客は全員幻覚のスタンド攻撃を受けてるんじゃねえかとな。しかし、俺自身にスタンド攻撃を受けた感じはしねえ。』

「……。」

『サーレー、癪だがお前の意見を聞きてえ。お前はどう思う?』

「……それは試合のハーフタイムとかではなくて?」

 

試合のハーフタイムとは、当然試合の前後半の間にある休憩時間のことである。

いくら選手たちがタフでも、一時間半ぶっ通しで給水無しでの試合は負担が大きすぎる。

 

『ハーフタイム?』

「……試合中の選手たちの休憩時間のことだ。……自分に当てはめて考えてみてくれ。あんたは一時間半ぶっ通しで、全力でスタンドを運用できるか?」

 

サーレーは〝マジかよコイツ〟と思ったが、態度にはおくびにも出さない。

 

『フン、なるほどな。休憩はたしかに必要なのかも知れねえ。じゃあ選手が時おりボールをグラウンドに手で投げ込んでいるのはなんでだ?ああ、本当は理由はわかってる。わかってるんだが、あくまでも確認のためだ。確認は大切だ。決して怠っちゃあ、いけねえ。』

 

……すごいな。まさかヨーロッパに在住する大の大人でマトモにフットボールのルールを知らない人間が存在するとは。普通子供でも知ってるぞ?

サーレーはいっそ、感心した。

 

「それは、スローインだな。ラインを割ったボールは、選手が手で投げ入れる。」

『ああ、そうだ。スローインだ。もちろんわかってる。サーレー、お前が忘れていないようで、安心したぜ。』

 

マジかよお前!お前それで誤魔化せるとでも思ってんのか!?

 

『他にもいくつかお前を試させてもらう……。お前が忘れていないかの確認のためだ。選手がファールを受けた感じがないのに、頻繁に試合が止められるんだ。さあ、答えろ、サーレー。』

 

〝さあ、答えろ〟じゃあねーよ!なんでそこでカッコつけてんだ!フットボールをまるで知らないのはバレバレなんだよ!

 

「……恐らくはオフサイドルールが適用されたんだろう。説明が難しいからそれは勘弁してくれ。なんかよくわからないけど試合が止められたら、大体オフサイドだと思えばいい。」

『ああ、そういえばそうだった。もちろんわかってる。オフサイドだ。そういえばサーレー、試合会場にたった一人だけ存在する、他とは違う得体の知れねえピッピピッピ笛を吹く存在は、何者だ?』

「審判に決まってるだろーが!!」

 

ムーロロのあまりにあんまりな質問に、サーレーはつい地が出てしまった。

 

『……当然だ。わかっている。審判に決まっている。俺はパッショーネの情報屋だ。……俺にわからねえことは、ねえ。ああ、ちなみにこの会話内容はパッショーネの秘匿事項、ジョジョにすら秘密の案件だ。誰かに喋ったりしたら、ただじゃあおかねえ。』

 

それだけ告げるとムーロロからの電話は途切れた。

……パッショーネにボスにまで秘密の案件って存在するのか?もしもそんなものが存在するのだとしたら、普通は組織に対する背信行為くらいなのではなかろうか?ムーロロの秘匿事項はそれに比べたらあまりにもショボい。

 

サーレーはなんだか、ムーロロを今までよりも少しだけ身近に感じた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

試合の後半が始まった。

サーレーから最低限の情報は得た。さて、これでもう障害は存在しない。

ムーロロはパッショーネの能力の高い情報部の人間だ。

 

フットボールの試合を分析して、丸裸にしてやろうか?

ムーロロは前半に引き続いて、目を皿にして試合を凝視し続ける。

 

試合は、静かな立ち上がりで始まった。

ボローニャクラブチームがボールを持って始まり、自陣でパス回しを行う。

幾度かパスをやり取りした後、敵の右側のサイドから攻め込んだ。

 

ーーなるほどな。ゴールはグラウンドの中央に存在する。つまり中央で敵にボールを持たれると危険だということか。だから必然的にどちらのチームも中央の守備を固めることになる。結果として、脇のスペースの人員が足りなくなって、そっちの方から攻められることが多くなるというわけか、、、。相手の弱点を突く、戦いの常道だな。

 

ムーロロの分析は概ね正しい。

 

ーーフム、なるほど。パス回しが急に早くなるタイミングがあるな。相手からボールを奪った瞬間、そのタイミングで鋭いパスを出しがちだ。なるほどな。ピンチの後にはチャンスあり、相手の隙を逃さず刺せる時に刺せ、ということか?戦闘にも言えることかも知れねえ。フットボール、こりゃなかなか侮れねえ……。

 

いわゆるカウンター戦術、その中でもショートカウンターと呼ばれる戦い方だ。

敵にボールを奪われた瞬間、攻守の切り替えにおいて、選手たちは対応に迷ってしばしば大きな隙が出来やすい。その隙を逃さず攻める戦い方だ。

 

ーー選手が変わったな。なるほど。交代もありなのか。つまり、フットボールも損耗率や摩耗率といった概念を重要視しているということか?俺たち裏の組織だって兵隊の損耗は常に考えている……。

 

まあ、これは当たり前だ。

どんなスポーツでも選手の怪我の対策として交代制度は存在する。

 

ーーなるほどな。こうやって見ると、俺たちパッショーネの人間にも考えさせられることがないわけでもない。フットボール……見直したぜ。

 

ムーロロは帽子の下でニヒルに笑った。

ムーロロが自分の出した結論に満足していると、唐突に試合に異変が起こった。

 

ーーフム、あれはあれだな……確か……PK!そう、ペナルティーキックだ。これは俺にだってわかる。ガキの頃、近所の奴らがよく遊んでやがった。懐かしいな。

 

グラウンドでは攻めていた選手が倒されていた。そこはゴールの間近だ。

多分PKだろう。ムーロロは珍しく懐古を感じていた。しかし、事態はムーロロの予想を裏切った。

 

ーー何ッッ?どういうことだ?なぜ倒れた方のやつに黄色いカードを提示してるんだ?黄色いカード……確かイエローカードとやらか?二枚でレッドカードになるとかいう噂の……。だがなぜそれを倒した方ではなく、倒されている方に?

 

当然PKになるものと思っていたが、そうはならなかった。むしろ、倒れた人間になんらかのペナルティーが課せられたようである。

ボールは倒れた人間の敵チームのボールで始まり、観客に特に動揺もない。

 

ーーなぜだ……。わけがわからねえ。フットボール……どういうわけだ?

 

しばし考え込むムーロロに、唐突に天啓のごとく納得できる理由が舞い降りてきた。

 

ーーそうだ!!思い出したぞ!サーレーのヤロウが、理解できない理由で笛が吹かれたらオフサイドだって確か言ってやがった。つまり今のはズバリ、オフサイドだ!

 

残念ながら違う。

シミュレーションである。

主に敵陣の深くで行われる行為であり、接触が無かったり大した接触でもないにも関わらず、大袈裟に痛がる演技をして審判の目を欺こうとする行為である。これが成功すれば、審判を騙して有利な判定、PKなどをもらって高確率で得点に繋げることができる。

多くのスポーツ未経験者にはこのような発想が存在することすら思いつかない。

 

賛否両論のある行為だ。

狡くて上手いプレー(マリーシア)としてアリとする人間と、卑怯なプレーで無しとする人間がどちらも相当数存在する。

やられた方はたまったものではないが、選手たちも栄誉を得るために必死だ。どちらの意見も理解できる。

ただいずれにせよ、VAR判定が浸透するにつれて淘汰されていくプレーであろうことは想像に容易い。

そして一つだけ確実に言えることは、演技に熱中するあまりフットボールそのものを疎かにするようなことはあってはならない。

 

ムーロロが見当はずれの結論に納得している間も、試合は進んでいる。

試合は80分をまわっている。もうさほど時間は残されていない。

 

ーーなかなか点が入らねえもんだな。一見ではそこまで難しそうにも見えねえが、プロと呼ばれる奴らが戦ってるんだ。きっとこんなもんなんだろう。実際は相当難しいんだろうな。

 

ムーロロが試合の終盤に彼なりの結論を出していると、ローマクラブチームの出したパスが前線に通った。

パスを受けた選手はカットインで敵陣の深くに切り込み、マイナスのパスを出す。それを受けた選手がかかとでボールを横に受け流して、後ろから走り込んできた選手がゴールの右隅に強烈に蹴り込んだ。初心者のムーロロでさえわかる、一連の美しい流れだった。

 

ーー点は……今度は間違いなく入ってやがる!1ー0だ!

 

競技場の電光掲示板に1ー0の文字が示された。

そのプレーから程なくして、点を決めた選手はベンチに下げられた。

素晴らしいプレーを見せてくれた選手に対して、観客は敬意を示して総立ちで拍手を送った。

 

ーーなんだコリャ?慣習かなんかか?俺も立って拍手を送るべきか?

 

ムーロロも周囲を真似て立ち上がって選手に拍手を送った。どうやらムーロロの知識はまだ足りないことがあるようだ。

今度はサーレーを連れて来て解説させねえといけねえなぁ、ムーロロはそう思った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

後日、ムーロロはネアポリスでジョルノと対面していた。

ムーロロは、フットボール観戦の後何か一つの結論を出したようだ。ジョルノに少しだけ話す時間をもらっていた。

 

「ジョジョ、俺はアンタが俺に休暇を言い渡した理由が理解できましたぜ。」

「へえ。どういう?」

 

ジョルノは笑っている。

 

「アンタの理想の話だ。俺たちパッショーネが何を目的にしているか。」

 

実はジョルノが前々から考えていたことだ。優秀なムーロロは、キチンとジョルノの意図を汲み取ってくれたようだ。

 

「俺はこのあいだの休み、生まれて初めてフットボール競技場に足を運んだ。俺はそこで熱を感じた。周りの人間たちが応援しているチームの勝利を祝う時、俺は周囲の人間たちの強烈な熱を感じたんだ。」

「それで?」

「あれはきっと、生の実感だ。俺が恥という感情に強烈に生を実感したのと同様に、喜びという感情がアイツらに生を実感させている。それは俺がアンタから感じたものと似たものだ。周りの人間たちも裏社会の俺たちも大して変わらない存在だと実感させて、パッショーネが社会を守るというアンタの理想に俺を共感させようとしたんでしょう?」

 

心に空洞が存在する人間は、周囲と自分に差異を感じている。

人間は相手が自分と違うから残酷に、冷酷になれる。ムーロロはそれまで熱を帯びない冷めた心で周囲を眺めていた。

その差異が本当は存在しない錯覚だと理解すれば、心に熱を感じれば、ポッカリ空いた心の空洞を周囲の人間が埋めてくれるものだ。

 

「効果はどうだい?」

「抜群ですよ。俺はあの時の感情のためならなんだってできる。他の奴らも俺と同じことを感じてるんだったら、俺がそいつらのために戦うことに心からの納得が出来る。」

 

ムーロロはそれだけ告げると、自身の職務へと向かった。次の休みが楽しみだ。

休みのためには、普段しっかりと働かないとならない。

 

さて、次の休みはサーレーを連れ回さねえといけねえな。

ムーロロは、マフラーの下でニヒルに笑った。

 

◼️◼️◼️

 

名前

カンノーロ・ムーロロ

スタンド名

オール・アロング・ウォッチタワー

概要

パッショーネ所属のジョルノ・ジョバァーナの有能にして忠実な部下。スタンドは五十三枚のトランプで、射程が非常に長く、情報収集、暗殺などの適性が非常に高い。以前のボス、ディアボロには一切の忠誠を誓っておらず、スタンドを使用してブチャラティチームと暗殺チームとボスの三つ巴の戦いを嘲笑って眺めていた。そのためにジョルノが前ボスを武力で打倒した偽りのボスであることを知る、パッショーネでは数少ない人物である。ジョルノがボスの座についたのちに、ジョルノと直に接して己の浅はかさを看破されたことにより、彼に心酔して忠実なしもべとなった。



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亜空の瘴気

サーレーはその日、ミラノのスポーツバーでボンヤリとテレビを眺めていた。

気の抜けたというか何というか……。周囲にいる人間たちも彼と同様に、唖然としたような微妙に誇らしいというような、複雑な表情をしている。

 

今日は、イタリアのセリエAで年間を通した戦いの勝者が決定した日だった。

残念ながら、それはサーレーの応援していたミラノクラブチームではない。

 

「いいとこまでは行ったんだけどな。惜しかったな。」

 

となりのズッケェロがサーレーを慰める。

ズッケェロの応援していたチームは、サーレーのチームより一つだけ順位が下で、先々週にはすでに優勝の目が潰えていた。

ミラノの両方のチームとも順位自体は悪くない。むしろ上々だと言える。サポーターたちがクラブチームに望んでいたノルマとも言える順位よりも上だ。

しかし、サーレーの応援していたチームは最後までセリエAの優勝戦線にもつれ込んでいたので、残念感もひとしおだ。来年は胸にスクデットを増やしたチームを応援できるかもしれないと期待していたのだが。

スクデットとは、セリエAのその年の優勝チームに与えられる盾の形をした栄誉のワッペンのことである。

 

テレビの試合ではミラノクラブチームが対戦相手に勝利しているが、ラジオで聞いた結果優勝の最前線を走っていたチームも勝利を収めていたので残念ながらもう優勝の可能性はない。もしも相手が今節引き分けもしくは敗北だったら、決着は最終節である次節までもつれ込んでいた。優勝チームの地元では今頃祝杯が挙げられていることだろう。うらやましいことだ。

しかし、期待以上の活躍をしてくれた選手たちに拍手を送りたい。これから彼らはしばしの休暇に入って、他のチームに移籍したり来年も同じチームで戦ったりする。戦いはいつまでも終わらないのだ。

 

「ミラノクラブチームの9番、移籍の噂がありますね。マドリードのクラブチームに行くんじゃないかって言われてるけど実際はどうなんすかねー?」

 

ドナテロがサラミの乗ったピッツァを食べながら、サーレーに問いかけた。

最近はドナテロも慣れて来て、口調が馴れ馴れしくなって来ている。

 

「うーん、あの9番を手放したら来年のミラノクラブチームは厳しくなるんじゃないのか?」

 

選手は役割によって番号で呼ばれる場合も多い。

9番とは主にチームの点取り屋のことで、9番の優秀さは試合の結果とダイレクトに結びつく。

サーレーの応援するミラノクラブチームの9番は、世界的に評価が高い。選手側の意向もあるが、ミラノクラブチームが簡単に手放すとも考えづらい。

 

有力なフットボールクラブチームには新聞社などがついていて、専門の雑誌や新聞などを刊行する。

彼らは自分たちのクラブチームの後押しをするために、うまく情報を操作しようと画策している。

 

「噂の出元はたぶんマドリードクラブチームの飛ばし記事じゃないか?ミラノクラブチームは経営に困ってなさそうだし、アイツを手放したらサポーターからバッシングをされるだろ?」

 

サーレーは考えた末にドナテロに返答した。

 

「でも選手はマドリードに行きたがってるって噂もあるっすよ。」

「マドリード側の策略じゃないか?まあなんとも言えないが……。」

「移籍はわからねえからなあ……。イタリア出身の選手だけど、名誉を求めて国外に移籍を志願する可能性も高いしなあ。」

 

三人は食事をつまみながら喋っている。

来年の選手の動向を予想するのもフットボールファンの楽しみの一つだ。

特に選手の移籍市場は摩訶不思議で、予想を全く裏切った動きをする場合も多い。

 

「移籍で言えば、ズッケェロの応援しているチームの若くして台頭してきた才能ある選手の動向の方が注目されてるんじゃないか?」

 

サーレーはズッケェロに話を振った。

ズッケェロのチームで注目されている若い選手は、10番と呼ばれるエースナンバーを背負った、チームの攻撃の中心を担う選手である。

点取り屋の9番とエースの10番は、優秀な選手同士が揃うとしばしば強力な攻撃力を発揮する。

 

「向こう10年くらい活躍してくれそうな選手をそうやすやすと売るわけがねえだろうが!」

「まあなー。若いし当分は活躍してくれそうな選手だしな。」

「今売ったら5000万ユーロくらいにはなりそうっすよ。イングランドのチームが興味あるって話を聞きますけど?」

「それでも売らねーよ!あのオーナー、そんな馬鹿げたことしねえよな?」

 

ズッケェロは心配そうな顔をした。実際のところは、なんとも言えない。

選手に才能があっても伸び悩んだり、怪我に悩まされたりする場合も多い。同じチームに長く所属することで仲間との連携を深める選手もいるが、マンネリでモチベーションを落とす選手も存在する。選手の変化がないと、対戦するチームも対応がしやすい。

選手を育てて高い値段がついているうちに売るという、育成とそれに付随する利益を目的にするクラブチームも結構存在する。

移籍市場とはわからないものだ。

 

「それにしてもお前馴染むの早いな。アメリカでもフットボールは盛んだったのか?」

 

サーレーがドナテロに話を振った。

 

「アメリカではフットボールは主にアメフトのことを指しますよ。でもメジャーリーグサッカーと呼ばれるリーグが発足されて、少しずつヨーロッパのフットボールの人気も高まってますよ。」

「ふーん、そうなのか。じゃあこの先パッショーネは、アメリカの組織とも手を組んでいく可能性があるってことか。」

 

三人がスポーツバーで話し込んでいると、サーレーの携帯電話が鳴った。

 

「すまねえ、電話だ。上からのようだ。ちょっと出てくる。」

「オウ。」

 

サーレーは若干騒がしい店内を出て、電話を取った。

 

「どうしたんだ?」

『ああ、サーレー、君に用事があってね。電話をかけさせてもらったよ。』

「ボ、ボスッッ!すみません!」

 

サーレーは慌てて電話の番号を確認した。

シーラ・Eからの番号のはずなのだが、電話口からはボスの声がする。ひどいサプライズだ。

 

『済まないな。ぼくの番号は知らないだろうから、たまたま近くにいたシーラ・Eの携帯を借りさせてもらったんだよ。今近くに誰かいるかい?』

「い、いえっ。俺一人です。」

『そうか、ならばそちらの方が都合がいい。明日一人でネアポリスまで来て欲しいんだ。簡単に旅行用荷物の用意をしておいて欲しい。重要な任務を言い渡す。それとこれは可能であればズッケェロにも内密にしておいて欲しい。』

「わかりました。早朝の列車で向かいます。」

 

それだけ告げると電話は切れた。

サーレーは店内へと戻り、ズッケェロとドナテロがいる席へと着いた。

 

「済まん。今日は俺はここまでだ。明日ちょっと急用が入っちまった。悪いが先に上がらせてもらう。」

 

サーレーはポケットから飲み食いした分の紙幣を取り出してテーブルに置いた。

 

「うん?どうしたんだ?珍しいな?」

「ああ、気にするな。野暮用だよ。ちょっと朝が早いから早めに寝ようかってだけだ。」

 

サーレーはそれだけ告げると席を立った。

去っていくサーレーの後ろ姿をズッケェロが訝しげに見つめている。

 

「どうしたんすか?」

「いやまあちょっと、な。」

 

若干おかしな反応をしているズッケェロにドナテロが声をかけた。

 

「まあ、気にすんな。それよりサーレーのヤロウが帰っちまったんなら、俺たちもあまり長居しても仕方ねえ。テキトーなところで切り上げて帰るぞ。」

 

ズッケェロはそう言うと、テーブルの上にある食事を胃袋に片付け始めた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

次の日の早朝のミラノ、ネアポリス間の直行便で、サーレーは自分の荷物の点検を行っていた。

わざわざサーレー一人を指名して、ボスが内密に呼び出すほどの任務である。何を言い渡されるかわからない。

サーレーは準備を念入りに行っていた。

 

ーータオルよし、着替えよし、何を任されるにせよ旅費はパッショーネから支給されると信じよう。さてとあとは……。

 

サーレーは自分の荷物を開いて持ってきたものの確認を行っている。

 

ーー歯ブラシもあるし、洗顔料もある。キチンと折り畳んだペラペラのズッケェロも入ってるし、念のための救急箱も持ち合わせている……ん?

 

……今、あからさまにへんなものが混じっていた。ペラペラのズッケェロ?

 

「よ、よぉ。相棒。」

「ズッケェロ!!テメッッ!」

 

サーレーは思わず大声を上げてしまった。

 

「テメエ、なんでついてきやがった!!!」

「あー、昨日お前がさっさと帰ったろ?そうなったらまあほぼパッショーネの任務だわな。俺にさえ詳細を話さないんだから、なんかそーとーやばい任務なんだろうなって思って。」

「テメッッ、それがわかってんならなんで……!!!」

「まあそう言うなよ。俺たちはずっと相棒としてやって来ただろう?本来チームに任せられるべき任務を個人に任せてるんだから、ボスに上申くらいは許されてしかるべきだろう?」

「……俺が暗殺チームのリーダーとして上に怒られるんだぞ?」

「そう言うなよ。叱られるってことは生きてるってことだ。何をするにも生きてこそってのは、俺たちが()()()に得た人生哲学と教訓だろう?」

 

あの時とは、もちろん麻薬チームとの戦いで一方的に虐殺されかけたことである。

暗殺チームの哲学としては若干おかしな気もするが。

 

「……まあそうだが。」

「秘匿案件は暗殺チーム共有の秘匿案件だ。個人の秘匿案件にはさせねえ。俺たちはずっと相棒として戦って来ただろう?俺のためにボスに怒られるくらいは納得しなよ。」

「チッ。」

 

癪ではあるが完全にズッケェロに言い負かされてしまった。ドナテロはまだ見習いだから暗殺チームの人員に含まない。

仕方あるまい。ボスにはサーレーがコメツキバッタのように頭を下げまくる他はないだろう。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「サーレー、君はズバリ、調子に乗っているなッッ!!!」

 

ネアポリスの静かな図書館に、ジョルノ・ジョバァーナの厳かな声がこだました。

 

調子に乗っている……覚えはない。ないが、どうやらボスの不興をかってしまったようだ。

ズッケェロを連れて来てしまったのがまずかったのかもしれない。とりあえず首が飛ばないように謝る他はない。

 

「す、すみません。ボスッッ!ズッケェロのやつが勝手に俺の荷物に紛れ込んでしまいまして……。」

「君は、ミラノクラブチームがネアポリスクラブチームより実力が上だとか、ネアポリスクラブチームはミラノクラブチームに勝てないだとか、調子に乗っているだろう!!今年はたまたまミラノクラブチームの後塵を拝しただけで、ネアポリスクラブチームの方が実力は上だッッ!!!ネアポリスクラブチームこそ至高だッッッ!!!!」

 

?ネアポリスクラブチーム?何を言ってるんだ?

まさかこんなことを言うためにわざわざ4時間半もかけてミラノからネアポリスまで呼び出されたのだろうか?サーレーは首を傾げた。

 

「何を言ってるんですか?ジョジョ。」

 

ムーロロが口を挟んだ。彼はジョルノの背後に控えている。

どうやら本題が始まるようだ。

 

「至高はッッ。ズバリローマクラブチームだッッッ!あの時に俺が感じた熱は本物だったッッッ!!!ジョジョ、いくらアンタだろうとそこは譲れないッッッ!!!サーレー、お前は以前はローマに住んでいたはずだっっ!!なぜローマクラブチームを応援しないッッッ!!」

「ム、ムーロロ!!!」

 

唐突に離反を起こした腹心の配下に、ジョルノは慄然とした。

……もう帰ってもいいだろうか?

 

「ああ、済まない、サーレー。君の緊張を紛らわそうとしただけのただの冗談だ。実は今回は本当にやばい案件なんだ。……ズッケェロを連れて来てしまったのか。」

「済みません、ボス。コイツ言っても聞かなくて。」

「まあいい。ならば一緒に説明を行おう。そのかわりほかの人間には一切、話を漏らしてはいけない。」

「……ジョジョ、俺は本気でローマクラブチームを至高だと思ってますぜ。」

「ムーロロ、話が進まないだろう。」

「すいやせん。」

 

ムーロロが奥へといって、しばらくして戻って来た。

手には一匹の亀を持っている。なぜ図書館に生き物を持ち込んでいるのだろうか?

 

「話はこの中で行う。」

 

ジョルノはそう告げると亀の上に右手を置いた。

ジョルノは亀の中に吸い込まれるように消えていった。

 

「な、何が!?」

「気にすんな。危険はねえ。ジョジョの真似をしろ。」

 

サーレーが亀に指を置くと、中へとめり込んでいく。

サーレーも亀の中に吸い込まれていった。

 

「オイ、大丈夫なのか?」

「いいからヤレッッ!!!」

 

続いてズッケェロ、ムーロロと亀に吸い込まれていく。

亀の内部は快適な個室のようになっていた。

個室のソファーにはサーレーの知らないひとりの男が腰掛けていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「紹介しよう。ポルナレフさんだ。本名はジャン・ピエール・ポルナレフ。フランス人だ。」

「ポルナレフだ。よろしくな。」

 

ジョルノがサーレーたちに目の前の人物を紹介する。

サーレーはまず彼のその髪型に目がいった。スゴい。派手に逆立てている。重力に真っ向から喧嘩を売りにいっている。その髪の屹立する様はまるで、神々に逆らう叛逆者(バベル)の塔の如しだ。きっと、なんらかの譲れない主張があるのだろう。

彼のステキな髪型の前にはサーレーのしょっぱい髪型の個性などあってないようなものである。

まあそれはいいのだが……。

サーレーには他にもどうにも気になることがあった。

 

ーーなんかポルナレフさんとやら、体が透けてないか?気持ち存在感が薄い気がする……。

 

なんか薄くない?

亀の中に住むポルナレフさんに出会った誰もが一度は感じる疑問である。

 

「ボス、ポルナレフさんの体、透けてませんか?」

 

ズッケェロを連れてきて良かった。

ズッケェロはストレートにサーレーが感じた疑問をボスに問いかけてくれた。

 

「ああ、説明が面倒だから省いてたけど、ポルナレフさんは幽霊なんだ。」

「「幽霊ッッ??」」

 

サーレーとズッケェロの疑問の声が重なった。

 

「まあそれはいいだろう?それよりも任務の話をしたい。」

「……かしこまりました。」

 

気にはなるがこれ以上突っ込んでも仕方ない。ズッケェロも今度は黙ったままだ。

 

「それではポルナレフさん、話を。彼が今回派遣を考えている人物です。」

「ああ。わかった。何から話したものか……。」

 

ポルナレフは頭の中で概要をまとめた。

 

「……事の発端はつい先日、承太郎が俺の下を訪れた事だった。承太郎というのは俺の昔馴染みだ。スタンド使いでスピードワゴン財団に海洋学者として所属している。」

 

ポルナレフはゆっくりと話し始めた。

 

「……そいつが俺に質問をした。ディオ関連の人物で、空間をえぐり取るような攻撃をするスタンド使いの話が詳しく聞きたい、と。」

 

空間をえぐり取る、ボスが結構ヤバイというのはそのあたりの話なのだろう。サーレーは予想した。

 

「俺には昔、かけがえのない仲間たちがいた。空条承太郎もその一人だ。俺たちはディオ・ブランドーと呼ばれる危険なスタンド使いと雌雄を決するために旅をしていた。旅は戦いの連続だったが、比較的順調で、俺たちはやがてディオの下にたどり着いた。」

 

ポルナレフはそこでひどく悲しそうな顔をした。

 

「あっという間だったよ。俺の仲間のモハメド・アブドゥルという男が死亡した。続いてイギーもやられた。俺たちはそいつに三人がかりで立ち向かったんだが、生き残ったのは俺ひとりだった。それまでは誰一人として仲間が欠けなかったのに、だ。」

「それが……?」

「ああ。その時に戦った相手が空間をえぐり取る恐ろしい能力を持った男だった。しかしそいつは間違いなく死んだはずだ。不審に思った俺は、パッショーネの情報部に頼んで調べてもらうことにした。」

「そこからは俺が続けましょう。」

 

ムーロロがポルナレフの話の後を継いだ。

 

「俺がスピードワゴン財団の動向を探った結果、今月の頭に4人組みのスピードワゴン財団所属のスタンド使いの調査隊が失踪していることが明らかになった。彼らはエジプトに赴き、なんらかの調査を行なっていた。さらに調べた結果、エジプトのカイロの一部の地域で行方不明者が多数出ていて、秘密裏に戒厳令も敷かれている。付近の建物にはえぐられた跡が残っていて、その中心にはディオの館と呼ばれる建物が存在した。」

 

だいたい話の概要が見えてきた。

ジョルノがサーレーに告げた。

 

「空条承太郎氏は一人でカイロの異変調査を行おうとしている。だが、ハッキリ言って非常に危険だ。」

「承太郎は無敵と言えるほど強えが、相手が万が一俺たちが戦ったあの危険な男だと考えたら、、、。」

 

ポルナレフは苦しそうな表情をした。

空条承太郎には東方仗助や広瀬康一、虹村億泰と言った非常に信頼できる友人が存在するが、今回の件は危険度が非常に高くもともと彼らとは一切関係のない案件だ。空条承太郎は彼らは巻き込めないと考えていた。

 

「だからサーレー、君がパッショーネの人間として空条承太郎氏のフォローを行って欲しい。パッショーネはスピードワゴン財団とポルナレフさんに友情と恩義を感じている。……しかしハッキリ言ってしまえば今回は命の保証は出来かねる。行ってくれるかい?」

「……ボス、違うでしょう?」

 

サーレーは静かに、だがハッキリとジョルノに指摘した。

 

「何?」

「あなたは俺に行ってくれるかい?とお願いをするのではなく、行け!と命令する立場だ。俺はあなたの組織のために命がけで尽くす契約だ。そうでしょう?」

「……その通りだ、サーレー。君が正しい。サーレー、行くんだ。」

「ボス、俺は?」

 

今まで黙っていたズッケェロが口を挟んだ。

 

「君は悪いが留守番だ。」

「そんな……俺も……。」

「ぼくは君と戦ったことがあるから言わせてもらう。君の能力は非常にトリッキーで強力だが、初見殺しの上にあくまでも真価を発揮するのは対人戦限定だ。使い道が限定されていて、応用力が高いとは言えない。何があるかわからない今回は、様々なことに対応力のあるクラフト・ワーク一人に任せたい。」

「俺はずっと相棒と戦ってきた……ずっと一緒だったんだ……。」

「君の気持ちは理解できるが、残念だがそれは認められない。サーレーに何かあった時は、君が新たに暗殺チームのリーダーになるのだから。」

「そんな……。」

「大丈夫だ、ズッケェロ。大丈夫だ。」

 

ムーロロが咳払いをした。

 

「さて、これから詳細を詰めていく。ズッケェロ、お前はもう帰れ。サーレーの相棒であるお前にはせめてもの誠意として任務の内容を聞かせただろう?本来であれば、これは極秘事項だ。サーレー、いいか?」

「ええ。」

 

ズッケェロは肩を落とした。しかし彼に任されることは何もない。

ムーロロが話を続ける。

 

「俺たちは粘り強くスピードワゴン財団に交渉してなんとか人員を送ることを認めさせることに成功した。いくら空条承太郎であっても一人では危険だと。出発は明日になる。敵がポルナレフさんの想像通りならば、敵の能力は口の中に暗黒空間を作り出して、そこに潜んだまま不可視のまま周囲をえぐり取る能力だ。これほど恐ろしい能力はそうそうねえ。考えてみろ。目に見えない削岩機が命を削ろうとどこかから襲ってくるんだ。」

「そんな相手にどうやって勝てと……!」

 

ズッケェロが叫んだ。

 

「……そいつだって完全無欠ってわけじゃあ、ねえ。暗黒空間に潜んでいる間は周囲の確認ができねえはずだ。そいつが顔を出した瞬間が攻撃するチャンスだ。」

「実際に戦った俺からも多少補足させてもらう。」

 

ポルナレフが会話に割って入る。

 

「そいつは吸血鬼だった。そいつがもしも以前のままなら日光に弱いはずだ。あとは……そいつはスタンドだけでなく本体もやばい。ディオという男を盲信していて、何をするかわからない危険人物だ。……初見の人間に大切な友人のスタンド能力を勝手に教えるわけにはいかない。だが、助言はできる。チャンスがあれば承太郎を全力でフォローしろ。承太郎のスタンドはまさしく最強と呼ぶにふさわしい。本気でスタンドを運用すれば、どんな相手でも瞬きの間に塵にすることができる。……本来であれば俺が出向くのがスジなのだが……。こんな体だ……。」

「お任せ下さい。ボスと以前交わした契約の下、パッショーネとしてしっかりと仕事を果たしてきます。」

 

サーレーはその場で宣告した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

今日はネアポリスにあるホテルに泊まることになった。かなりいいホテルだ。

さすがにボスの勅命ともなると、ボスのメンツのために高待遇が用意されるらしい。

 

ズッケェロはもう帰った。荷物にこっそりと潜んでいないかの確認も済んでいる。

ネアポリスの夜、さてどう過ごそうか?明日は相当ヤバイ任務を受け持つことになりそうだ。

サーレーは人々の住む建物の灯りを見上げた。暖かな建物の光の中では、きっと人々が穏やかな生活を過ごしているのだろう。

 

「羨ましいわね。特級極秘任務を任されるなんて。」

「お前、いつの間に?」

 

サーレーのそばにはシーラ・Eがいつのまにか立っていた。

街灯の明かりの下で、二人は向き合った。

 

「アンタはきっと知らないんでしょうね。アンタが任されたのはパッショーネの特級極秘任務。〝可及的速やかに解決の必要があり、かつ対外的内外的を問わずその一切を秘匿される事態〟。親衛隊の私にさえ、その内容は知らされないわ。以前の麻薬チーム撲滅と同等級の任務。ボスのジョルノ様がその実力を信頼された人物にしか任されない。麻薬チーム撲滅の時のリーダーは私じゃあない。実はカンノーロ・ムーロロだった。」

 

麻薬チームの壊滅の裏で、ムーロロは石仮面の破壊という重要な密命を帯びていた。日頃のジョルノのムーロロの重用っぷりから、シーラ・Eは何らかの密命がムーロロに秘密裏に下されていたことを薄々感じ取っている。

今回の件に関しては、ディオという男はボスのジョルノの出自と密接に関わっている。

ジョルノが無慈悲な吸血鬼の息子だと知られるわけにはいかない。それが知られる事はパッショーネという組織の屋台骨をぐらつかせかねない事態だ。当然石仮面の破壊と同等の最上級の秘匿事項である。

 

「……命の危険がある任務だと聞いている。」

「アンタはジョルノ様にその実力を買われているわ。前回のテロリスト殲滅だって、実はパッショーネの上級極秘任務にあたる。〝可及的速やかに解決の必要があり、かつ内部の一部の人間を除き秘匿がなされる事態〟。おそらく今後暗殺チームに任される任務は、結構そういうのが増えるのでしょうね。」

 

シーラ・Eは羨ましそうな、寂しそうな顔をした。

 

「何もない平穏な人生が一番だ。人殺しなんざ、ロクデナシにも劣る。」

 

サーレーは理想だけでは生きていけないという言葉を飲み込んだ。本来ならば、暗殺チームなんか存在しない方が好ましい。

 

「そうなのかもしれないわね。任務頑張んなさい。」

 

サーレーは用意された寝室で、夢を見る。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ポルナレフ、俺はたしかにお前に友情を感じちゃあいるが、コイツで本当に大丈夫なのか?」

 

空条承太郎はサーレーを睨んだ。サーレーは強い圧迫感を感じた。

空条承太郎は日本人にしては身長が高く、非常に体格がいい。

学者と言われるよりも軍人と言われた方がしっくりくる。

 

「ジョルノの人を見る目はたしかだ。コイツが適任だっていうんなら、コイツ以上の適任はパッショーネにいないんだろうよ。」

 

ポルナレフは承太郎にそう答えた。

ジョジョと読んだら、ジョルノと空条承太郎が被ってしまう。

 

「そうか。お前、名前は?」

「サーレーと言います。」

「俺は空条承太郎だ。はっきりと言っておくが、今回の任務は命の危険がある可能性が高い。一応はポルナレフの顔を立ててみせたが、足を引っ張る人間を連れて行くわけにはいかねえ。降りるんならさっさと降りろ。」

「いえ、お断りします。俺はボスの指示でアンタのフォローを言いつけられている。アンタだけを死なせたりしたら、俺はボスに顔向けができない。」

「フン、いっちょまえに吠えるじゃねえか。その威勢が嘘じゃなきゃあいいけどな。」

 

会話はイタリア語で行われている。空条承太郎は、語学も堪能だ。

 

「先に言っておきます。俺のスタンドは〝固定〟する能力だ。固定する対象は融通が利き、結構色々な使い方が可能だ。」

「フン。それがどうした?お前が能力を明かしたからといって、俺がお前を信用するとは限らない。」

「知ってますよ。ただ、俺のクラフト・ワークは他人に能力が割れたところで応用が利くためにさほど痛手ではない。アンタが上司で俺はアンタの指示を聞きながらの戦いになる。アンタは最低限俺の能力を知ってた方が、戦いやすいでしょう。」

「……さっさと向かうぞ。」

 

今現在のエジプトはスピードワゴン財団とパッショーネの圧力により、外国人の入国を受け入れていない。必然的にエジプト行きの便は全て一時停止されている。

二人はスピードワゴン財団所持のプライベートジェットでエジプトへとフライトした。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

昼日中のエジプトはかなり暑い。イタリアと比べることの出来ないくらいに。

サーレーはイタリアの気候に慣れているために、はやくもへばり気味だ。

 

「やれやれだぜ。」

 

そんな情けないサーレーを横目に、承太郎はため息をついた。

カイロの昼日中は一見、いつもと変わりないように思える。異変が起こるのはいつも夜だ。

しかし、わざわざ夜に調査を行う必要はない。異変が起こるのが夜だとしても、先に昼中に館の調査を行う意義は存在する。

 

「ここっすね。」

「ああ。」

 

カイロを進むと立ち入り禁止テープが貼られている一角が存在した。その先を進むとディオの館へとたどり着く。

その一角は不自然に静かで、不気味な雰囲気を醸している。周囲の建物にはたしかに、何かに抉られたような無惨な跡が残されていた。

 

「進むぜ。」

「ええ。」

 

承太郎とサーレー、二人は進んでいきやがて、ディオの館と呼ばれる建物へとたどり着いた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

本体

ヴァニラ・アイス

スタンド

クリーム

概要

ディオの腹心中の腹心。ジョジョ三部に出てきたキャラクター。ディオが非常に高い信頼を置いていた。スタンドのクリームは暗黒空間を口の中に展開し、そこに触れたものはその一切が崩壊する。スタンドが口の中に裏返ることで、周囲に暗黒球体とでも呼ぶべき空間を展開して無敵状態となる。ただし外の様子は伺えない。

ポルナレフに敗北して死んだはずなのだが……?



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亜空の狂気

「今回の相手は、恐らくは尋常ではない。できることなら、ぼくたちもサーレーをフォローしたかったが……。」

 

ジョルノ・ジョバァーナがポツリとつぶやいた。

静かなネアポリスの図書館だ。

 

「信じて待つしかないでしょう。俺のウォッチタワーも、アンタのエクスペリエンスも、さすがにエジプトまではカバーしきれねえ。」

 

カンノーロ・ムーロロが答えた。

ムーロロのウォッチタワーは恐ろしく射程距離が長いが、それでもイタリア国内が限界だ。

ジョルノがムーロロをサーレーの補佐としてエジプトに送らないのにはワケがあった。ムーロロのウォッチタワーは、こと情報収集において凶暴な有能さを発揮する。彼をうまく扱うことは、組織を盤石に運営する肝だと言っていい。

 

「ここ最近、イタリアの国内に不吉な風を感じる……。今はムーロロ、君であっても、ミスタやぼくも動けない……。シーラ・Eは残念ながら絶対的に信頼を置けるまでには成長していない……。ほかの人員を送っても、彼らの足を引っ張るだけに終わる可能性が高い。サーレー、残念ながら今回は君が一人でなんとかするしかないんだ……。」

 

ここ最近でパッショーネが対応したスタンド使いたちの出所がわからない。それがここ最近で起きた事件の裏側を精査したパッショーネの見解だった。

パッショーネという強大な組織が力を入れて調査を行ったにも関わらず、結果としてのこれは異常だ。なんらかの意図が裏で動いている可能性が高い。それが判明しない限りは彼らはやすやすとイタリアを離れられない。彼らが散開すれば、敵はその隙を付け狙う可能性がある。

 

ジョルノ・ジョバァーナはネアポリスの図書館で執行人の幸運を祈った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「これ……絶対やばいやつですね。」

「……ああ。」

 

空条承太郎とサーレーは、ディオの館の扉を開けて慎重に館内を進んでいる。扉は重厚な造りで、細やかな装飾が施されている。値段がとても高そうだ。サーレーはこんな時にさえも貧乏性だった。

館の中は明らかに日中にしては薄暗く、外気温と比べて圧倒的に寒い。中は外の世界から隔絶されていた。

 

「……承太郎さん。恐らくはこの館、スタンドです。」

 

サーレーは壁に寄り添って慎重に屋敷を進んでいる。

壁には模様が彫られ、時折誰が火を点けたのか理解できない蝋燭も存在する。灯りが灯してあるにも関わらず、炎は不自然な暗色だ。ここまでわかりやすいのもそうそうない。

 

「……根拠は?」

 

サーレーに聞き返しはしたものの、承太郎も恐らくは間違いないだろうと予想していた。

それでも情報を共有することは大切だ。スタンド使い同士の戦いでは、しばしば得た情報が勝敗の鍵を握る。承太郎が気付いていないことにサーレーは気付いていて、それが何かの足がかりになることも可能性としてはありえる。

 

承太郎が館に最初に感じた違和感は、外装が綺麗すぎる。

周囲の建物がことごとく得体の知れない何かにくり抜かれているにも関わらず、この建物のみ外観に傷一つない。

加えて言うと、内部の気温や内装に対しての照度も異常である。

 

「さっき館の中で、何かに使えるかと思って内装をちょっと破壊してみました。そしたら、破砕した破片が勝手にもとの場所にはまって館の修繕を行なっていました。間違いありません。」

「なるほどな。まあ間違いねえだろうな。今のところ館そのものが俺たちに攻撃を加えてきそうな気配はないが……。」

 

承太郎は薄暗い廊下の先を見た。

まだ先は長く、階層もいくつも存在する。それでも進む速度を上げられない。サーレーも同様だ。

ここまでほとんど距離を歩いていないが、可能な限り警戒して進まないとヤバイと二人の本能が喚き散らしているのだ。

 

館は進むにつれて、寒く、暗くなっていく。悪寒も強くなっていく。

 

「……承太郎さん。ポルナレフさんから聞かされた相手の弱点は日光だということですが、、、。」

「……なるほどな。だからこの屋敷はこの暗さと、勝手に自動修復する能力を持ち合わせていると言いたいわけか。」

「符号が一致しますね。この屋敷は、恐らくはその日光に弱い邪悪な存在を守護するためのスタンドということでしょうか。」

「……さっさと本体を仕留める、と言いたいところだが……。」

「まず隠れているでしょうね。」

 

二人がそうこう話しているうちに、やがて分岐点がやってきた。

上階に登る階段と降る階段が存在した。そこは階段のある、ひらけた場所だった。大広間とでも呼ぼうか。

サーレーは上階を仰いだ。

 

「……わかりやすいですね。これは助かりますね。」

「やれやれだぜ。」

【オオオオヲヲヲヲォォォォォォォンンン。】

 

上階層に向かうにつれて、得体の知れない音が聞こえてきた。

啼き声がする。寒気のする啼き声だ。静かな館に魂を凍らせる絶望の啼き声が響いている。

どうやら上が当たりらしい。

 

「どうしますか。」

「待て!!」

 

承太郎がサーレーの前方に手を伸ばして制止した。

 

【ディ、ディオサアアアアアア、イイイイズコニオアエエエエウオアアアアアアアアアアッッッッッ!!!】

「近付いて来てるぞ!」

「……どうしますか?一旦館を退散しますか?」

 

不気味な啼き声がどんどん近付いてくる。そして、その啼き声は唐突に消滅した。

危機感を感じたサーレーが承太郎に指示を仰いだ。

 

「いや、奴は暗黒空間に隠れている間は姿が見えないらしい。ここで一目散に背を向けて逃げちまったら、背後から追って来た不可視の死が俺たちの命をこそいでいくかも知れねえ。スピードワゴン財団のスタンド使いも複数人、やられちまっている。そこそこ手練れだったはずだ。そいつらがなんら手がかりを残せずに、な。」

「……まずは相手の確認をするということですね。……来ます!!」

 

ガオン、ガオン、ガオンと館の中を凄まじい音が幾度も鳴った。響くその音だけで敵のヤバさがうかがえる。

承太郎とサーレーは上階の挙動を集中して凝視している。

その直後、二人のいる大広間の天井の一部が消滅した。

 

「引くぞッッ!近くの部屋に一時待機する!」

「はいッッ!」

 

二人は致命の一撃を警戒して現在地から一時退避を行い、直後に二人のいた地点の大広間の床がこそがれた。

得体の知れない敵は、なおも止まらずにあたりの壁や床を手当たり次第に抉り取った。

 

「チッ、俺たちが侵入したのに気付いたらしいな。」

「厄介ですね。ポルナレフさんの話と総合すると、あの状態になっている敵は逃げる他に打つ手はなさそうです。」

 

承太郎とサーレーはえぐられる床や壁から敵の位置を推測する他はない。

えぐられた床は、恐るべきことにどんどん修復されていく。この館は、完全に目の前で飛び回る不可視のタチの悪いスタンドのために存在するスタンドだ。

二人が部屋に隠れて待機して様子を伺っていると、やがて敵の攻撃は止んだ。

 

【ヲエエエエエエディオサアア、イズコニ、イズコオアアアア。】

 

敵は啼きながら意味のわからない言葉を発している。気持ちが悪くなる啼き声だ。二人は隠れている部屋から少しだけ顔を出してその姿を確認した。どう見てもスタンドだ。本体は見当たらない。

 

「承太郎さん、奴のスタンドパワーは異常です。あれだけのパワーを持つ敵だったら、絶対に近くに本体が存在しないとおかしい!」

「一理あるが、そもそも奴の本体は死亡しているはずだ。ポルナレフの奴が間違えたり嘘をついてる可能性は考えづらい。なんらかのおかしな力が働いている事を想定したほうがいい。最悪、本体は存在しない事を想定しておけ。」

「アレを仕留めるのか……厄介極まりないッッ!!!」

 

筋骨隆々で体躯が大きい割には、非常に血色が悪い。本来なら眼球があるべき眼窩は窪んでおり、奈落を連想させた。眼窩から血のような赤い液体を垂れ流しにしている。口は歯茎がゾンビのように露出しており、唇は存在しない。頭部に二本のツノが生えていて、それらは傷だらけだった。それは、可視できるほどに強力なスタンドパワーを内包している。

それは、クリームと呼ばれるスタンドだった。

 

【イ、イキエル、イキエルモオオオオオ!!!コオシテヤウウウウウ!!】

「ヤバイ!気付かれた!」

「チッ!」

 

敵の存在しない眼球が二人を射抜いた。サーレーはそれだけで臓腑の奥まで氷を突っ込まれるような寒気を覚えた。

今のクリームは視覚が存在せず、生命力を探知して手当たり次第に相手を襲っている。クリームは見えざる暗黒球に形態を変化させた。あたりをこそぐ前兆である。

二人の背筋を悪寒がつたい、敵に気付かれたと判断した二人は、さらなる移動を判断した。

 

「アレは非常に厄介だ。少なくとも狭い部屋じゃあ、戦いにならねえ。チッ。」

「承太郎さん、今奴のいる階段前の大広間に戻りましょう!」

「……とりあえずはそれしかなさそうだな。やれやれだぜ。」

 

二人は階段のある大広間に戻った。クリームは二人が部屋を出たのと入れ替わりに暗黒球として最短距離で壁を抜いて突貫した。しかし二人はすでにそこの部屋にはいない。階段のある大広間であれば、こそがれる壁や床を見ることで相手の移動の軌跡を距離をもって判断することができる。

しかし承太郎には、一縷の懸念があった。

 

ガオンという音がして、再び壁がくり抜かれる。抜かれた壁は瞬く間に再生していく。

クリームは一旦暗黒空間を解除して、二人の生命反応を探知する。まだ二人とは少し距離があいている。

 

【アアイイイイイアイアイアミウエア!ミウエアオオオオ!!!】

 

クリームはなおもわけのわからない啼き声を発しながら、筋肉が付いているものの脂肪の一切ない骨張った右腕を二人の方に向けて差し出した。左手首をクルクル回し、舌のない口を開けて体液らしきものをダラダラと垂れ流しにしている。

そしてまたもや暗黒球へと形態を変えて、二人をこそごうと突貫してくる。

 

「チッ!直線的な最初の一撃は避けられるかも知んねえが、敵に不規則な動きをされたら厄介だ。攻撃が見えなくなる!敵の攻撃が必ず床や壁を巻き込むとは限らねえッッ!!」

「任せてください!ウラッッッ!」

 

サーレーはクラフト・ワークで床を砕いて、周囲に細かく砕いた瓦礫片をばら撒いた。

ばら撒かれた瓦礫片はクラフト・ワークによって、空中に〝固定〟されている。

 

「この館、修復力は異様に高いようですが、巨大なためか部分的に込められているスタンドパワーは強いとは言えません。」

 

サーレーは、敵のスタンドが館をえぐって移動しているのを見て、クラフト・ワークで瓦礫を固定することが可能ではないかと予想していた。敵がえぐった部分は、自動的に無尽蔵に修復されている。

クラフト・ワークが破壊した屋敷の床は、空中に瓦礫が浮いたまま勝手に修復されていった。

 

「承太郎さん、空中に細かい瓦礫片を置いておけば、奴が向かってくる方角がわかります。」

「……俺のスタンドはパワー型だ。スピードも自信がある。たしかに避ける事は可能だ。持久戦になりそうだが、お前は大丈夫か?」

「問題ありません。」

 

クリームの暗黒球の初撃を二人は横っ跳びに避けた。

暗黒球はそれで止まらず、弧を描き、円を描き、上下動し、不規則に周囲をえぐり取る動きをする。

床が音を立てて喪失し、天井は穴が空いて、壁は瞬く間に蜂の巣のようになっていく。そしてそれらは見る見る間に気持ち悪い速度で元どおりに戻っていった。

承太郎とサーレーは、暗い館でそれでも自分を攻撃範囲に巻き込んでいる軌道のものをうまく見極めてことごとく避けていく。

相手のスピードは決して遅くはないが、承太郎もサーレーも共にスタンドは近距離パワータイプで極めて速いスピードを持っている。

 

「コイツ……スピードは避けるのに問題ない程度ですが……この攻防一体の状態はどうにもなりませんね。」

「くっちゃべってないで仕事しろ。」

「了解。」

 

クリームが空間を通過するたびにサーレーの固定した瓦礫片が消滅していく。サーレーと空条承太郎は敵の軌道を避ける。

瓦礫が消滅するたびにサーレーは床を砕いて瓦礫片を再び空中にばら撒いている。

そして、穴の空いた床はさほど経たずに修復されていく。現状は千日手だ。サーレーのクラフト・ワークのスタンドパワーが切れたら、かなり危うい戦いになる事は想像に容易い。

しかしそれでも今はクリームが再び顔を出すまで我慢するしかない。

 

「クソ、面倒な奴だ。オイ、サーレー。テメエのその能力で壁に穴を開けてそのまま固定する事は出来んのか?」

 

承太郎はサーレーに問いかけた。

相手が日光に弱いなら、弱点を突いた攻撃をするのが手っ取り早い。

言葉足らずだが、サーレーは承太郎の言いたい事を正確に汲み取った。

 

「この館のスタンド……非常に厄介なことに外壁と内部の床や天井は異なる法則で運営されている可能性が高いです。さっき外で館の外壁にスタンドを試してみましたが、俺のクラフト・ワークのスタンドパワーを吸い取られただけでした。恐らくはあのえぐるスタンドが間違えて日中に館の外に出て消滅しないための防御柵のようなものだと思われます。」

「チッ……つくづく面倒な敵だ。」

 

二人が会話している間も戦闘は続いている。

サーレーの上方の瓦礫片が削れて、縦に弧を描いて暗黒の削岩機がサーレーの命をこそごうと獰猛に襲いかかってくる。

 

「サーレー!!!」

「大丈夫、問題はありません。」

 

サーレーは相手の円を描く動きを床を横っ跳びに蹴って避けた。

空条承太郎と合流し、二人は背中合わせで周囲を警戒する。サーレーは再び床を砕いて周囲に瓦礫片をばら撒いた。

暗黒球は空間に斜めに無限大を描いて二人の周囲を飛び交っている。二人は次々に消滅していく瓦礫片を見て軌道を予想した。

 

「チッ、我慢比べというか……ジリ貧というか……。本当に馬鹿げた相手だ。」

 

承太郎のスタープラチナも床を砕いて破片を宙にばらまいている。

宙に浮いた破片をサーレーのクラフト・ワークが固定している。

 

ようやく敵の攻撃が止んで、暗黒空間から敵のスタンドが姿を現した。

承太郎は、ずっとその時を待っていた。相手の速度が落ちた瞬間に、相手が顔を出す可能性が高いと判断して下肢に力を込めていた。

 

『オラアッッッ!!!』

 

承太郎のスタープラチナが躍動する。

スタープラチナは誰も反応できない速度でクリームに殴りかかった。

スタープラチナの拳が、敵の頭部を打ち抜いた、はずだった。

 

「なにッッ!?」

 

スタープラチナの拳は宙をかすめていく。敵の頭部に当たっているはずなのだが、クリームは煙のように揺らめいただけで攻撃が当たらない。

クリームの口もとは邪悪に歪んだ。その意図は理解できない。

しかし承太郎も、彼の攻撃を目視していたサーレーにも冷たい汗が流れた。

 

【キサアアアア、ディオサアヲイスコ、イスコヘヤッアアアア!!!カッカッカッカエセエエエエエエ!!!】

 

敵の吐く荒々しい息遣いが聞こえてきた。

理解ができない。辺りを消滅させる存在に、なぜ攻撃が当たらない?なんらかのスタンド能力の特性なのだろうか?

クリームは再び暗黒球へと形態を変化させた。

 

「チッ。オイ、サーレー。今のままじゃあ攻略法が見つからねえ。癪だが、一旦退散するぞ。コイツはそーとーやべえ。」

「了解!」

 

唯一幸運なことに、クリームは暗黒球の形態では敵の居場所を察知することができない。

承太郎とサーレーは、部屋の中で無敵状態で好き放題に暴れまわるクリームを一旦放置する事を決定した。

この敵を倒すには、ドイツ在住の知人に頭を下げるのが手っ取り早い。彼らは吸血鬼に効果がある紫外線照射装置を保管していたはずだ。

 

「廊下に出ろ!館の入り口に向かうぞ!」

「ええ!」

 

承太郎とサーレーはディオの館の一階の廊下を入り口に向かってひた走った。

遠くであのガオン、という削れる音が聞こえている間は問題ない。スタープラチナは視覚だけでなく聴覚も超人だ。

二人は入り口の大扉の前に戻った。承太郎は扉に手をかけた。

 

「クソ!やられた!」

「どうしたんですか?」

「扉が開かねえ。恐らく日中は外からは開くが、中からは開かねえようになっていやがる。食虫植物の罠みてえなもんだろう。出口のない迷宮の彷徨える怪物(ミノタウルス)だとでも言いてえのか?やはり館はアレを補助することに特化したスタンドのようだ。オラアッッッ!!!」

 

承太郎がスタープラチナを発現させて、扉を力任せに破壊しようとした、が、扉にスタンドパワーを吸い取られるだけで亀裂も入らない。

スタープラチナの拳を受けたにも関わらず軋む音一つ立てない扉に、サーレーも館のスタンドの特異性を理解した。

 

クリームがエジプトで暴れ回るのは夜間だが、館自体は実は夜間よりも昼間の方が圧倒的にヤバい。昼間は扉が外からしか開かず、退避することが不可能なのである。

 

「……やられた。俺たちは閉じ込められている。これがコイツらの戦い方だ。つくづく厄介な敵だ。俺のスタープラチナはパワーとスピードに絶対の自信を持っている。これでも開かねえんなら、開ける事は不可能だと考えた方がいい。」

「どうしますか?」

「ここじゃ狭え。とにかくもう一度さっきの広い場所に戻る以外に取れる手立てはねえ。」

 

スタープラチナの聴覚は、敵が壁をえぐり抜いてどんどん近付いて来る音を捉えている。

 

実は先に調査を行なっていたスピードワゴン財団の調査隊も、敵に対応のしようがないと判断してなんとかこの大扉の前までは戻ってきていた。そして、開かずの扉に立ち往生している間に狭い空間を凶悪に無軌道に暴れ回るクリームの暗黒球体に巻き込まれて消滅していた。

承太郎の頭を素早くいくつもの選択肢が横切った。ここでの決定が二人の先行きを大きく左右する。クリームに襲われている間は避けることに集中する必要があるため、ろくに思考できない。

 

考える時間はさほどない。二手に分かれて本体を探すか、二人であのスタンドをなんとかするかが現有の最有力選択肢だ。

どちらにもメリット、デメリットはある。しかし脱出が不可能な現状、戦力を分散させる方がより悪手に近いように思える。

敵がその全てを見せているとは限らないし、そもそも本体が存在する保証もない。バラけて各個撃破されるのも馬鹿げている。

総合的に考えて、二人まとめてやられるリスクよりも二人でフォローしあえるリターンの方が大きいと、承太郎はそう判断を下した。

 

スタープラチナは目を閉じて敵と自分の現在のおおよその距離を推し量る。

しかしなぜか、直後にスタープラチナの聴覚はクリームの壁や床をえぐる音を見失った。

 

「やべえぞッッッ!!!警戒しろッッッ!!敵の攻撃の音が聞こえねえ!新たな攻撃を繰り出してくる可能性がある!」

 

承太郎とサーレーは慎重に元来た階段前の大広間に戻ろうとする。

一切の違和感を逃さないように最大限集中して、背中あわせで廊下を静かに歩いている。

 

「承太郎さんッッッ!!!!こっちだッッッ!!!」

 

サーレーが承太郎の肩に手をかけた。サーレーの眼前の館の壁からクリームの頭部の上半分が生えている。

クリームの頭部は館の壁へと一体化して沈んでいった。

 

【オオオオオオオオオオヲヲヲヲオオオオオオンンンンッッッッッ!!!!】

 

「グッ!」

「コイツ、、、!!!」

 

直後に、館が吼えた。壁が音を立てて揺れ、天井から埃が落ちてくる。

鳴動し、共振し、振動が承太郎とサーレーの鼓膜を直撃し、承太郎はあまりの騒音に耳を押さえた。

 

「コイツッッ……!館と一体化も出来るってことか?」

 

音波を受けて承太郎の視界はぐらついている。頭が痛く、吐き気を感じる。

直後、クリームは壁からぬるりと姿を現して、暗黒球に変化した。

 

「おい、サーレーッッッ!!!」

 

サーレーは唖然とした様子で突っ立っている。承太郎の声はサーレーに届いていない。

承太郎よりもクリームに近い位置にいたサーレーは、振動が鼓膜を直撃して脳を揺らしたせいで立ちくらみを起こしている。

 

「クソッッ!!!」

 

暗黒球体の軌道は瓦礫が浮いてない今は見えない。

承太郎は意識が半分飛びかけたサーレーを掴んで勘で横っ跳びに逃げた。球体は承太郎の足を掠めていった。

承太郎のふくらはぎから出血する。

 

「すみません。」

 

サーレーは床に横っ跳びに倒された時、衝撃で意識を取り戻した。

サーレーはそっと承太郎の足に手を置いて出血しないように血小板で傷口を固定した。

 

「謝るより今はお互いやることをやるぞ!」

「はい。」

 

クリームが暗黒空間から顔だけをのぞかせる。相手の生存を確認したクリームはやはり球体に変化した。

暗黒球体は周囲をやたらめっぽうにくり抜き出した。いよいよもって相手の殺意の凶悪さがうかがえる。

 

「単純極まりないが、とにかく厄介だ。広間に逃げるぞ!走れ!」

「はい!」

 

えぐられる床と壁と天井からなんとか相手の軌道を予想して二人は狭い廊下を大広間の方へと走っていく。

今のところ暗黒球体はさすがに慣性を無視した動きなどはしていない。さすがにそれは不可能なのだろう。それを無視して速度を保ったまま直角行などをやり出したら絶望的だ。そうでなくとも現状は十分悪い。

暗黒球体はサーレーの右を掠めていった。ギリギリだったが、狭いここでは余裕がない。ここでは瓦礫片を浮かせても、早いタイミングで相手の軌道を見切ることが出来ない。さほど長時間は避け続けられない。

 

「どうしますか?もう本体をなんとか見つける以外に手立てはないんじゃあ?」

「しかし、この館は広大だ。見つけようにもまずアレがどこまでもしつこく追ってくるはずだ。狭い廊下で唐突に床や天井に穴が空く状態でいつまでも避け切れるか疑問だし、さっきの咆哮を使ってきやがったらそーとーやべえ。しかも、仮にあいつをスタンドとして使役している本体がいるのだとしたら、恐らくは俺たちの居場所も把握しているはずだ。俺たちが追っていっても逃げられるだけに終わる可能性が高い。」

「八方塞がりじゃないっすか。」

「なんとかして奴を倒す方法を見つけ出すしかねえ。さもないとこの陰気な館でお陀仏することになる。」

「……生きているうちは足掻く他はないですね。」

「違いねえ。」

 

承太郎とサーレーは今一度、階段のある大広間へと戻った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

マリオ・ズッケェロは、家で一人で苦しんでいた。

相棒として長年ともに戦ってきたサーレーが今、死地に赴いている。にも関わらずズッケェロはなんの手助けも出来ない。任務はボスの勅命で、あのボスがヤバイと言っていたほどの相手である。サーレーが帰ってくる保証はどこにもない。

 

ズッケェロに出来ることはせいぜい、祈ることくらいだ。

 

ーークソッッ!落ち着かねえ。サーレー……。

 

ズッケェロは、膝に乗っている猫の背中を撫でながら猫用のチーズを与えた。

猫は鳴き声をあげてズッケェロに頭をすり寄せる。テレビがついているが、そんなものズッケェロの頭に一切の情報は入ってこない。

 

ーー俺も……もっと戦えるようになる必要がある。スタンドには応用力が必要だ。サーレーはクラフト・ワークの万能性をかわれて、そのせいで俺を置いて死地に送られることになった。俺は……。

 

マリオ・ズッケェロは、サーレーに置いていかれたことに忸怩たる思いを抱いていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

【オオアアオアアア……オオッッオンンンン!】

 

敵スタンドは相変わらず時折不気味な声で啼いている。

 

相変わらず状況は好転せず、サーレーの体をゆっくりと疲労が蝕み始めている。

階段のある大広間での長時間の一方的な防戦、サーレーの動きは精彩を欠き始めていた。

承太郎の額にも汗が玉になって浮き上がっている。

 

ーークソッッ!これは、パッショーネに特別手当をもらわねえと、割に合わねえ。

 

サーレーは虚勢をはる。

サーレーは心が折れたら、集中力が切れたら、跡形もなく消滅するのみだと理解していた。

 

「チッ、すまねえ。お前の言う通り、本体を探しに行った方が良かったのかも知れねえ。」

 

承太郎が一向に改善されない現状に、わずかな弱音を吐いた。

承太郎は背後にステップを踏んで、床下から襲い来るクリームを避けた。

下からの攻撃が一番厄介だ。進み来るわずかな振動と床がこそがれる音を頼りに避ける他に方法はない。それは気を抜いたらあっという間に二人を消失させる。いつまでも緊張感を緩められない状況は、加速度的に二人の体力と心を削っていく。

 

「焦っても承太郎さんの言った通り本体が見つかるとも思えませんよ。結果論を嘆くよりも、まだお互いに生きていることを喜びましょう。」

 

サーレーは意識して笑った。床を砕いて承太郎の周辺に瓦礫片をばら撒いて補充した。

 

「……焦りが出るとまずい状況で、お前は案外と我慢が効くんだな。」

「以前調子に乗ったせいで、マジで死にかけたんですよ。あの絶望は二度と味わいたくない。本当に怖かった。もともと小心者でしたが、それ以来さらに臆病な性格になっちまいました。」

「……臆病さと、我慢強さはまた別だ。」

 

承太郎はただのチンピラだと思っていたサーレーの我慢強さに感心していた。サーレーが本当に臆病なだけなら、パニックになってておかしくない。最悪パニックを起こすようなら見捨てることも視野に入れていただけに、これは予想外の僥倖だ。

今のこの現状、普段冷静な承太郎でさえもしびれを切らして本体を探しに向かうことが脳裏をよぎり始めていた。

 

しかし、それは賭けだ。うまくいく可能性もあるが、その実割に合うのかと聞かれると首を傾げざるを得ない。

今現在拮抗している天秤を大きく傾ける行為であるが、賭け金は二人の命になる。そして、館の住人でもない二人は館の構造など当然理解していない。承太郎が以前この館に来たのは、もう十年以上昔のことである。偶然首尾よく本体を捉えるよりも、袋小路などに追い詰められてのっぴきならない状況に追いやられる可能性の方が圧倒的に高い。そしてそもそも本体が存在する保証すらない。

 

「フン、やるじゃねえか。」

「まだ何もやっていませんよ。」

 

サーレーの冷静さに引きずられて、承太郎の思考も普段に近い状態に落ち着いた。

 

「この一歩間違えれば消滅する状況で、なおも冷静に敵を観察してどうにかする手立てを探し出せってことか。やれやれだぜ。」

「見つかるといいですね。」

「……テメエも他人事じゃあねえだろうが。」

 

承太郎とサーレーは背中を互いに預けあう。

承太郎は絶望の館で、静かに笑った。



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永遠の五秒

クリームは、ヴァニラ・アイスという名の男のスタンドだった。

 

ヴァニラ・アイスはディオ・ブランドーという名の吸血鬼を盲信していて、彼のために行動することだけがヴァニラ・アイスにとっての全ての存在意義だった。ディオ自身も彼には珍しく、ヴァニラ・アイスという男を全面的に信頼して腹心として手元に置いていた。

ディオ・ブランドーはかつて、承太郎たちが旅をした目的の相手である。彼らは死闘を行い、結果として死者を出しながらも承太郎たちはなんとか勝利した。

 

ヴァニラ・アイスはディオの忠実な配下で、今現在彼のスタンドのクリームはディオの住んでいた館で暴れ狂っている。クリームに理性はほとんどない。

彼の主人であるディオ・ブランドーは吸血鬼で、十全に活動するために人間の血液を必要としていた。しかし、今のクリームはなぜかあたりの人間を消滅させてまわっている。

 

ディオのために存在したクリームの怨念は、ディオのために生きている人間を消滅させてまわっている。彼はすでに自分の主人がこの世に存在しない事を知らない。それでも彼の行動の全てはディオ・ブランドーのためにある。

本来であれば、人間を生かしたまま血液を献上するのがスジのはずであるが、妄執であるクリームには理性がほとんどなくそこまで思考が及んでいない。普段はディオが館にいないことさえ気付いていない。時折、思い出したように主人のディオを探し求めるのである。彷徨う怪物は夜のエジプトで住民を虐殺して周り、朝が近付くと本能で館へと逃げ帰るのだ。

 

クリームの思考は短絡されて、人間をディオに捧げる、ではなくディオのために人間を殺す、に間違ってインプットされてしまっている。クリーム自体が見境なく相手を殺すことに適したスタンドだという理由もあった。

 

今のクリームはただ、生きている人間を見境なく虐殺するだけの機構に成り下がってしまっている。

それはなぜなのか?彼は生きている人間に用はない。彼にとって生きている人間に価値はない。

 

なぜなら彼の主人のディオは吸血鬼であって、生きている人間ではないのだから。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

戦いは佳境を迎えている。

承太郎、サーレーコンビも、クリームも、共に相手に対する決定打を欠いた状況だった。

クリームは暗黒球体で屋敷内を暴れ回り時折インターバルを挟み、承太郎とサーレー側は時折際どい攻撃を受けながらもなんとか相手を捌ききっていた。そして承太郎、サーレー側は幾度も攻撃を試みるが、やはり敵に攻撃が当たらない。それでも彼らは忍耐強く相手を探っていた。

 

このような過程を辿ったのも、全ては空条承太郎、サーレー共に戦闘の経験が幾度もあり、ジリ貧の現状に決して焦れることがなかったためである。

一見保守的にも思えるが、こと戦いにおいて十分な勝算がないにもかかわらず簡単に命をかける人間は、必ず早死にする。命をかけるならば、敵を打ち破る十分な勝算を見つけ出してからだ。

彼らは焦らず、我慢強く、必死に相手の攻撃を避けながら決定打になるものを探し続けていた。

 

クリームは一見無敵のようにも思える。しかし決してそうではない。無敵のスタンドなどこの世に存在しない。二人はそれを知っている。

その証拠に、館のスタンドという存在がクリームに対する保護とフォローを行なっている。それは少なくともクリームが日の下に出たら消滅してしまうことの極めて信頼性の高い根拠だと言えた。ならば弱点がそれだけだと決めつけるのは早計だ。まだ相手のメカニズムも判明していない。

 

「ハア、ゼエ……。」

「おい、そろそろへばったか?」

「ご冗談を。嘘でもなんでも動かなきゃ死んじまうでしょう?」

「まあ、その通りだ。」

 

相変わらず暗黒球体は、階段前の大広間を無節操に宙を乱舞している。

承太郎とサーレーは、長時間の防戦の末に無駄にクリームの攻撃をかわすのが上手くなってしまった。ほかに使い道はないのだが?

効率的に動いて体力を多く温存できれば、まだしばらくは避け切れる。少なくともサーレーのスタンドパワーが切れるまではなんとかなりそうだ。さすがに館の扉が解放されるであろう夜までは持たないが。

 

だが戦闘の経験が豊富な二人は、その落とし穴と真実に気付いている。

相手の攻撃を余裕を持って避け切れるということは、裏側では相手への危機感が薄れるということである。決して忘れてはいけない。一手遅れれば、彼らはこの世から跡形もなく消失するのである。危機感が薄れた状態で、相手が不意をつくようなことをしてきたら非常に危険なのである。

 

二人は未だ乱舞する脅威から身をかわし続けている。

背を預け、時にカバーし合い、一見、時間はさほど意味を持たずに刻一刻と過ぎていくように二人には思えた。

しかし、実はそれには意味がある。

 

そしてやがて、二人の忍耐が効果を発揮する。時間は無意味に過ぎていたわけではなかった。

いつまでも変わらないように思えた戦闘に唐突に変化が訪れた。クリームが焦れたのである。

いつまでも消えない生命反応に、焦れたクリームはその薄い理性でもっても禁じ手としていた手段を使うことになる。

 

「ハア、ハア……止まった……どうしますか?」

 

唐突に停止して館に立ち竦むクリームを前に、サーレーは承太郎に指示を乞う。

サーレーの顔は真っ赤になり、疲労で息はかなり上がっている。

 

「……まだ動くな!絶対に奴から目をそらすんじゃねえ。何が起こっても対応できるように、集中しろ!」

【オアアアア、ディ、ディ、ディ、ディオサアアアアアア!!!】

 

得体のしれない叫びと共に、クリームの体は館へと沈んでいく。

館と一体化したクリームのあの咆哮が来るかと二人は身構えた途端。

 

ガオン!

唐突にあの暗黒球体の攻撃が二人の眼前の館の床をえぐった。前兆は一切なかった。

 

「こ、これは……!!!」

「奴はいよいよもって切り札を切ってきたようだ!逃げるぞ!!走れええぇぇぇぇ!!!」

 

承太郎の判断は極めて早かった。これは間違いなく危険な攻撃が来る。

 

承太郎とサーレーのいる部屋の付近の壁や床、天井が次々に歯抜けになっていく。

まるで何かの噛み跡のように連鎖的に音がなり、見えざる牙が承太郎とサーレーの近辺を次々と抉り取っていく。

 

「ここから離れるぞッッッ!奴はやたらめっぽうに俺たちを攻撃することに決めたようだ!」

 

走りだす承太郎とサーレーの後ろの壁から音がなり、館が盛大に抉り取られる。

所構わず牙は辺りを噛み散らし、承太郎とサーレーはなりふり構わずにその場を逃げ出した。

 

「なんでッッ!!!今になってこんな攻撃をッッッ!!!」

「……考えられる理由は二つある。この攻撃を受けて逃げる俺たちが間違ってコイツの本体と鉢合わせしないようにするため……。」

「もう一つはッッ?」

「こっちが本命の理由だ。この攻撃は精密性が薄い。雑だ。俺たちが敵の攻撃をまだ食らっていないのがその証拠だ。恐らくは間違えて館のどっかしらにいる本体を巻き添えにしないためだろう。いずれにせよ、コイツに本体が存在する可能性が高くなったということだ。」

 

二人は広大な館の中をはぐれないように逃げ回っていく。敵の攻撃はランダムのようだが、明確に攻撃密度の薄い場所と濃い場所が存在する。当然密度が濃いのは二人のいた階段前付近である。承太郎たちのいた階段前を遠くに離れれば、敵の攻撃密度は薄くなり避け切れる可能性が高まるはずだ。

 

「グッッ!」

「サーレーッッッッ!!!」

 

サーレーのかかとを唐突に現れた暗黒空間が掠めていく。サーレーは左足のかかとを大きくえぐられた。

足の一部を欠損して速度の落ちたサーレーを承太郎は抱えてなおも走って逃げていく。

 

「……テメエのスタンド便利だな。出血も止められるのか。」

「出来るようになったのはつい最近です。俺は以前は自分のスタンドをろくに理解していなかった。」

 

現在地が館のどこかわからない。とにかく二人は必死で敵の攻撃から逃げ回ってきた。

しかしたとえもとの階段前に戻れたとしても、また敵の同じ攻撃が待っているだけだ。サーレーを抱えた承太郎がいつまで逃げ切れるだろうか?時間を稼いだ結果、状況はなお悪くなっただけだ。

それでも。たとえ現状がどうあろうと、二人は決して生を諦めない。

 

「チッ、やれやれだぜ。敵がこっちに向かってきているようだ。」

「どうしますか?」

「ここは地理的に不利だ。とにかく逃げれるだけは逃げるよりほかはない。」

 

逃げ回っている間に敵の無差別攻撃は止んだようだ。今の承太郎たちはどこともわからない廊下に立っている。

承太郎のスタープラチナは、遠くから敵が館の壁をえぐって近付いてくる音を敏感に聞きつけていた。

承太郎は敵に対応がしやすいひらけた場所を探してなおも移動する。

 

「チッ……。」

 

やがて承太郎は廊下の行き止まりに着いてしまった。狭い廊下で周りは壁に囲まれている。

クリームは一度暗黒空間から身を出して、二人の位置を確認する。すでに彼我の距離は目と鼻の先だった。

 

「クソッッッ!」

 

クリームは暗黒球体へと変化し、二人を襲おうとしている。

右か左か下か、いずれかの壁か床をぶち破って逃げることを承太郎は思索した。後ろの行き止まりは恐らくは館の外壁だ。攻撃は効かないだろう。

どんどん訳の分からない場所に、二人は追い詰められていく。サーレーは走るのに支障をきたすダメージも負った。いずれどうしようもない袋小路に追い詰められてしまうことは、想像に難くない。

 

「いいえ、上ですッッッ!!!承太郎さん、俺を上に投げてください!」

「なんだと?」

 

クリームはすでに球体へと変化している。二人をこそごうと、最短距離を突っ切ってきた。

考える時間はほとんどない。承太郎は一瞬迷ったが、共に戦ったサーレーを信じることを決定した。

 

上に放られたサーレーは天井に手をついて固定させ、体を回転させ足を天井に固定した。そのまま天井に立って承太郎に手を伸ばして、承太郎を上へと引き上げた。暗黒球体は何もない場所を素通りする。袋小路へと到達した暗黒球体はクリームに形態を戻した。館の外壁にスタンドパワーを吸い取られたためである。

 

「承太郎さん、来た道を戻りましょう!」

 

二人に行く宛はない。少しでも延命するためにせめて構造のわかっている来た道を逃げようとサーレーが提案しようとしたその時。

 

【キサア、イイーア?】

 

クリームの口調が変化した。

 

それは記憶だ。理性が薄く、記憶もほとんどないクリームに残された僅かな、しかし確かな記憶。

クリームの本体ヴァニラ・アイスは、ポルナレフをイギーが天井にかばったために敗北した。

視覚の存在しないクリームは、天井に逃げたサーレーの位置を生命力で判断している。

 

天井に仲間を連れて避けたのは、ポルナレフの仲間のイギーだったはずだ。その時とはまた微妙にシチュエーションが異なっているが、理性の薄いクリームはそのことに思いあたらない。

 

……そうか……貴様は、イギーか。イギーだったのか!!!

 

【キサア、イイーアァァァァァ!!!コオ、トチクショオアアァァァ!!!!】

 

理性の薄いクリームの脳裏に、己の主人の形をしたものを攻撃させた憎い敵の記憶が鮮明に蘇る。

クリームは暗黒球体にならず、地面を蹴って上空のサーレーに殴りかかった。

 

「ウグッ!!!」

「サーレーッッ!!!」

 

サーレーは唐突に殴りかかってきたクリームに虚を突かれて、対応しきれない。両手も承太郎を抱えて塞がっていた。

サーレーはクリームに殴り飛ばされた。相手の強烈な膂力とあまりに予想外の行動に驚きのあまり天井から足の固定が解除され、床を転がされた。承太郎はサーレーが手を離したために館の床に着地した。

 

【ドウア、ドウア、ドウア、ドウア!!!!コオ、トチクショオアアァァ!!!】

「グッッ!ウグッ!!」

 

激昂したクリームの口角から液体が周囲に飛び散った。

クリームは地を転がるサーレーを何度も何度も蹴り飛ばした。

サーレーは肋骨がいくつも折れ、床を転がされ、口から血反吐を撒き散らした。サーレーはそれでも転がされながら必死にクラフト・ワークで体内を固定して、ダメージを最小限度に抑えようとした。

 

「サーレーッッ!!!」

 

承太郎のスタープラチナが、サーレーを救出するためにクリームに近付いて殴り飛ばした。

クリームはスタープラチナの拳に殴られて、遠くの床へと吹っ飛んだ。

 

「オイ、大丈夫か?」

「グッ、も、問題ありません。外表を固定して防御するのが遅れましたが、なんとか戦えます。それより……。」

「ああ。」

 

サーレーはダメージを受けて血反吐を吐きながらも勝負どころが来たことを理解していた。

承太郎もサーレーが言いたいことを理解していた。

 

スタープラチナの攻撃が当たった。

値千金の情報である。これは承太郎にとっても予想外であった。

 

「……奴は一見理性がなさそうに見えますが、何か激情のスイッチがあるってことです。奴が激情に駆られてこちらを攻撃している間、俺たちは奴に攻撃を与えることができる!」

 

サーレーが折れたあばらを固定して承太郎と情報をまとめ合う。

 

「ポルナレフによると、奴はディオ・ブランドーという男の忠実な部下だったらしい。恐らくはその関係だろう。」

 

ここでクリームがなぜこんなことになっているのか、クリームの真相を記しておこう。

クリームはスタンドではあるが、同時に怨念でもある。普通のスタンドとは微妙にカテゴリーが異なる。クリーム自体を誰かが使役しているわけではない。

スタンドは、その地に潜む怨念や悪霊を具現させるスタンドであり、その特性は、悪霊が殺意を抱いた時にこの世に干渉する権利を与えるというものであった。

 

クリームが殺意を抱けば相手を消滅させる無敵の暗黒球体となり、実体化しているが攻撃を加えることができない。殺意が収まって感情がニュートラルになったら、クリームはこの世に干渉できなくなる。クリームに攻撃は当たらない。それが無敵のクリームの真相だった。

 

クリームは、ヴァニラ・アイスがこの世に遺した怨念だ。ヴァニラ・アイスは、この世のありとあらゆる人間に殺意を抱いている。彼らは皆すべからく、主人のディオに捧げられるべき供物である。

 

お前ら、皆殺しだ。ディオ様の糧となれることに感謝しろ。

 

【オオアアアア……。キサアア、セッアイニコオシエヤウウウウウウウッッッッ!!!!!!】

 

クリームは感じた激情のままに暗黒球体へと変化していく。

 

「……承太郎さん、作戦を思いつきました。」

「勝算は?」

「あなた次第です。ポルナレフさんに聞かされた、あなたが瞬きの間に敵を塵にするというのが事実であれば、どうにかなるはずだ!」

 

空条承太郎は最強のスタンド使いであり、その速度があまりに早すぎて光速を超えてしまったために時間すら止めることが可能になったスタンド使いである。瞬きを出来るほどの猶予を与えられれば、スタープラチナはあらゆるものを塵にする。

 

「やれやれ、たしかに自信はあるが、お前は俺を信頼できるのか?」

「できるも何も、しないと二人とも消滅するだけです!あなたが俺を信じてくれるのなら、あなたの為に俺の血を以ってして道を拓くッッッ!!!」

「……いいぜ。やるか。俺の命、お前の作戦に預けたぜ。」

「とりあえず奴が次に顔を出した時が、最大の勝負どころです。」

 

暗黒球体は二人が先ほどまでいた周辺を狂ったように乱舞している。承太郎とサーレーは、相手の攻撃範囲から距離をとった。

やがて怒りが収まったのか、暗黒球体はクリームの形態へと戻ることになる。そこが最大のチャンスである。

 

すでにサーレーの覚悟は決まっている。

何が何でもこの敵を消滅させる。サーレーは敵の攻撃を受けて手酷い痛手を負っている。あばらが複数本折れ、左のかかとは抉られて欠けている。もうさほど戦闘を長続きさせられない。勝算がありスタンドパワーも残されているここでどうにもならなければ、おそらくはもう勝ち目は存在しない。

 

サーレーの漆黒の殺意が、覚悟と呼応した。

サーレーの瞳が一瞬、奈落よりもなお昏く、しかし最上の宝石のようにとてつもなく美しく煌めいた。それはまるで全てを内包する無間の宇宙のような輝きだった。

サーレーは静かに、しかしハッキリとクリームに告げた。

 

「貴様の敬愛するディオ・ブランドーはすでに死亡している。ディオはこの世に害なすものとして、怒りを買って虫けらのように無様に消滅した。貴様もパッショーネの名の下に、俺が処刑を宣告する。」

【グガッ!!!!ガガガガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッ!!!!!!】

 

クリームに理性はほとんどない。しかしクリームはディオという言葉には何があっても反応する。

今コイツ、なんて言った?ディオ様が虫けら?ディオ様が死亡した?

 

クリームは激情に駆られてサーレーに殴りかかった。

クラフト・ワークが具現して、クリームの右の拳が突き刺さった腹部を固定する。サーレーは、またあばらが複数本持っていかれた。しかし、ここが勝負どころだ。

全身を痺れる電流のような痛みが流れ、サーレーはその痛みを必死に覚悟でねじ伏せる。

 

「うグッ!!!」

【アアアアアアアアアアア!!!!】

 

クリームは刺さって動かない自身の右手を放って、左手でサーレーの首をつかんだ。

不愉快な相手を己が暗黒空間に消滅させようと口を大きく開いた。

 

「グウッッ!!!」

 

サーレーはクラフト・ワークの左手の〝存在〟そのものをこの世に固定して、自分からクリームの口腔内に突っ込んだ。

サーレーのクラフト・ワークとクリームの暗黒空間のスタンド能力が互いに矛盾を起こし、スタンドパワーを侵食し合う。クリームの暗黒空間のスタンドパワーは尋常ではなく、瞬く間にサーレーの固定されているはずの左手は侵食されてボロボロに崩れていく。

しかし、僅かに猶予が与えられた。左手がこの世に存在している間は、それが捨て石となってつっかえ棒の役目を果たしてくれる。

 

「承太郎さんッッッッ!!!」

 

意図を汲んだ承太郎はサーレーのすぐ近くに存在する。

近付いてくる承太郎は強大なスタンドパワーを内包していて、それに本能で脅威を感じとったクリームは床と一体化して逃げようとした。

 

「無駄だッ!もう遅い!お前の〝存在〟をこの世に固定したッッ!!!お前は危険すぎる!絶対に逃さない!!!!!」

 

すでにクラフト・ワークの空いた右腕がクリームの首元を掴み返している。

クラフト・ワークはクリームにスタンドパワーを送って、強制的に実体化させている。

クリームの右腕はクラフト・ワークの腹部に、左腕はサーレーの首元に。クラフト・ワークの右腕はクリームの首元に、左腕はクリームの暗黒空間に。それらは互いにせめぎ合った。

 

そしてクリームとクラフト・ワークが互いの首元を掴んで拮抗している中、サーレーの眼前を光速のスタープラチナが横切った。

 

クリームのスタンドパワーは強大だった。以前サーレーが対応したノトーリアス・B・I・Gさえもはるかに上回るほどに。サーレーがクリームのスタンドパワーに対抗できたのは僅か五秒。

しかしこの五秒はこの場の誰にとっても永遠と同等の意味を持つ。

 

サーレーはこの僅かな時間の間で、永遠かと間違うほどの苦痛を相手によって与えられた。クリームのスタンドパワーはあまりに強大で、サーレーは僅かな時間すら拮抗するために死力を振り絞らざるを得なかった。

承太郎にとってのこの僅かな時間は、永遠と同等の価値を持つ。時間すら止める承太郎に与えられた五秒はあまりに価値が高く、ここを逃して二人まとめて生還できる可能性は極めて薄い。

 

そして、、、クリームにとってこの僅かな時間は、処刑台に送られる猶予だ。この時間が過ぎた後、クリームは永遠に目覚めない。

 

『スタープラチナ、〝ザ・ワールドッッッッ!!!〟』

 

瞬間、世界が色と音を失った。

動くもののない灰褐色の世界で、たったひとりの例外である空条承太郎は絶対の暴君と化す。

 

「サーレー、ただのチンピラかと思いきゃあ、ほんのちょっとだけ気に入ったぜ。根性あるじゃあねえか。その名前、覚えといてやる。」

 

空条承太郎のスタープラチナが時間を止められるのはたったの二秒である。

しかし、光速のスタープラチナにとってその二秒という時間は、あまりにも長い。

 

『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!!!!!!!!!』

 

スタープラチナの超光速の拳は最初の0、1秒で百発を超え、次の0、1秒で千発を超え、次の0、1秒で一万発を超える。

 

『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!!!!!!!!!』

 

スタープラチナは静止した時間の中で際限なく加速した。

止まった時の中で数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの拳がクリームに叩き込まれ、やがて世界は色と音を取り戻す。

 

「やれやれだぜ。」

 

承太郎はかぶっている帽子のつばに手をやった。

 

「処刑完了、固定を解除する。」

 

戦いは終わった。

サーレーは固定しているクリームに、尋常ではない負荷がかかっていることを瞬時に理解した。

今のクリームが形を保っているのは、サーレーがクラフト・ワークでこの世に固定しているためである。固定を解除するとともに、クリームは砂となって宙に消えていった。

 

それにしても……サーレーは考える。

承太郎さんはたしかにポルナレフさんの言った通り瞬きの間に敵を塵にした。間近で見ていたはずのサーレーに理解できない間に。

というか、瞬きすらしていなかったはずだが?どういうことだ?

そういえばどこかで時間すら止めるスタンド使いの噂を聞いたことがあるな。

 

サーレーは戦いが終わった安堵とともに、どこで聞いたのか思い出せないどうでもいい与太話を思い出した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「いでええええええええ!!!チクショウッッッッ!!!クソッッ、いでえええええッッッ!!!」

「……やれやれだぜ。」

 

サーレーがディオの館の床を転がりまわっている。

戦いが終わってアドレナリンが切れたサーレーは、左手の崩壊とともに猛烈な痛みを感じて床を転がりまわっていた。残った右拳で床を叩いている。

幸運なのは、クラフト・ワークで出血を抑えていたために、出血で死ぬ可能性はほとんどないことだろう。

 

「どっちにしろ、この館を解除しないことには出られねえ。ほら、あと少しだ。」

「うう、すみません。でもいでえええええッッッッ!!!」

 

痛いのは当たり前だ。左腕が消滅して左足のかかとがえぐられてあばらも何本も折られている。痛くない方がおかしい。むしろ痛くなかったらそれは死の前兆だ。

承太郎は早い所館の調査を行いたい。しかし怪我人でもある戦いの功労者を置いていくのもはばかられる。

 

「ほら、我慢しろ。」

 

承太郎にしてはものすごくソフトにサーレーの尻を叩きながら探索は進み、やがて二人は館の最上階に到達した。

承太郎はそこで、誰が黒幕だったのかを理解した。

 

「……すまねえ、サーレー。これは俺の落ち度だ。まさかこんなことになるとは……。死んだスピードワゴン財団の人間にもエジプトの住人たちにも申し訳が立たねえ。」

 

そこにいたのは、精神が崩壊して干からびたヌケサクとケニー・Gだった。

ヌケサク、ケニー・G共にディオの配下だった男である。以前ディオと戦った承太郎は、この二人は明確な脅威になり得ないと判断して放置してしまったのだ。

 

ケニー・Gは相手に館の幻覚を見せる攻撃能力のないスタンドで、ヌケサクはただの吸血鬼だ。

ケニー・Gは再起不能で、ヌケサクは輪切りにされたはずだった。本来であれば、この二人はディオのいない今さら邪な何かが出来るはずがなかったのである。

 

顛末を記しておこう。

ケニー・Gは、承太郎たちとの戦闘においてイギーの攻撃を受けて気絶した。彼が再び目覚めた時、屋敷内での戦いは終わった後だった。

彼は館で何が起きたのか訝しみ、明らかに異常な館内部の探索を行った。何しろ彼が気付いた時はヴァニラ・アイスが暴れ回ったあとで、館内部は荒廃していたのである。そして探索を続けるうちに最上階で輪切りにされたヌケサクを見つけることになる。

見下していた相手だったが、それでもケニー・Gは同じ存在を崇拝していた相手に情けをかけた。館を探索して、吸血鬼であるヌケサクの養分になりそうなものを探し出した。やがてそれを見つけ出し、ヌケサクに与えた。それが全ての間違いだった。

ケニー・Gが見つけ出したものは、ヴァニラ・アイスがディオに忠誠を示すために差し出した、首を落とした時の出血を収めた甕だったのである。知らずにヴァニラ・アイスの血を与えられたヌケサクは、ヴァニラ・アイスの妄念に取り憑かれた。

常にヴァニラ・アイスの妄念に取り憑かれ、脅迫され続け、やがてヌケサクの精神は崩壊する。ケニー・Gもヌケサクに吸血鬼にされ、一緒に地獄を見ることになった。

やがて二人の精神の崩壊と共に、二人はヴァニラ・アイスの妄念にとって都合の良いスタンド使いに無理やり仕立て上げられる。

都合のいい彼らを生かさず殺さず。二人はそのための吸血鬼化であり、死んではいないものの干からびている。

 

「……コイツらにも哀れなことをしちまったな。」

 

承太郎はポツリと呟くと、スタープラチナは拳を振るった。

辺りはじょじょに綻んで行き穴の空いた壁から光が差し込んでくる。

跡には崩壊した館だけが残った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「オイ、相棒大丈夫かッッッ!!!」

 

全てが終わったあと、承太郎はパッショーネに連絡してサーレーの迎えを頼んだ。

エジプトまで迎えに来たのは、彼の相棒のマリオ・ズッケェロだ。ズッケェロは片腕を失っている相棒に驚いて近寄った。

 

「……いでえええッッッ!!!触るな!!!いでえいでえいでえッッッッ!!!」

「ああ、済まねえ。」

「……済まない。お前たちに預かった人員をひどく傷付けちまった。治療費と慰謝料は俺たちが持たせてもらう。出来る限りの補償はしよう。」

「ああ、気にしなくていいっすよ。なんとかなるあてはあるんで。」

「……オイ!くれるってんなら慰謝料は貰っておけよ!」

 

ズッケェロは軽い。サーレーは貧乏を拗らせ気味だ。

今回はボスの勅命だ。サーレーがどれだけ怪我をしようと、生きてさえいればボスは何も言わずに治療をしてくれるだろう。

やはり、ジョルノ・ジョバァーナの能力は反則だ。死にさえしなければどうにでも出来る。あながち神のごときというのも、もしかしたら大袈裟ではないのかもしれない。

 

「……ふん。今回はお前らの組織にでけえ借りをつくっちまった。この借りは、いつか必ず返すぜ。」

「俺たちはあんたらスピードワゴン財団と、いい関係を築くことを望んでるよ。」

 

サーレーは痛みを堪えて空条承太郎に告げた。

今のサーレーはジョルノの狗だ。

 

「ふん、チンピラ風情がいっぱしに生意気な口を聞きやがって。……オイ、サーレーとか言ったな。テメー覚えとけ。もしテメーが今の組織をクビになるようだったら、俺たちスピードワゴン財団が使いっ走りとして雇ってやる!」

「残念ながら、俺たちはボスの手駒なんです。首輪をかけられちまってる。」

 

ついてるなぁ。万が一の時の再就職のアテが出来た。これで餓死する心配は無くなるかもしれない。サーレーは笑った。

空条承太郎とサーレーは、静かに笑ってエジプトの空港で別れを告げた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

本体

ヌケサク

スタンド

エンドレス・ナイトメア

概要

もともとスタンドを使えないただの間抜けな吸血鬼だったが、ヴァニラ・アイスの妄執に取り憑かれて脅迫され続けたせいで精神の崩壊と引き換えにスタンド能力を得た。その能力は、その場に存在する悪霊を具現化させるものである。

 

本体

ケニー・G

スタンド

ティナー・サックス・〝マッドネス〟

概要

もともとは屋敷の幻覚を見せる攻撃能力を持たないスタンドだったが、ヴァニラ・アイスの妄執に取り憑かれて脅迫され続けたせいで精神の崩壊と引き換えにスタンド能力を強制的に成長させられた。成長させられたにも関わらず相変わらず攻撃能力は皆無である。その能力は、クリームをサポートすることに特化したものである。ちなみに館内部に僅かでも光源があるのは、館が獲物を誘き寄せる罠も兼ねていて、真っ暗だと誰も侵入しようとしないからである。

 

クリーム・〝エンドブリンガー〟

概要

スタンドでありながら悪霊でもある。ヴァニラ・アイスのスタンド。ヌケサクによって具現化されている。ヴァニラ・アイスはヌケサクの精神に憑依していたが、クリームの消滅とともにこの世から消え去った。

生命力を探知して、生きている人間を手当たり次第に消滅させる。暗黒空間にいる間は探知不可能。防衛本能は存在して、本能で危険を感じたら逃げる習性を持つ。視覚が無くなったのは、生きているものを手当たり次第に消滅させるために生命力を探知することが可能になったからである。今回の戦闘に関して言えば以前にも増して非常に対応が難しくなっており、承太郎とサーレーを繋いだポルナレフが影のMVPである。

 

本体

空条承太郎

スタンド

スタープラチナ

概要

最強のスタンド使いと名高く、スタンドのスタープラチナは尋常ではないパワーとスピード、それに精密性を併せ持つ。その速度はあまりにも早すぎて、ついには光の速度を超えるに至ってしまった。そのために時間すらも停止させる能力を持つ。現在は、海洋学者としてスピードワゴン財団に所属している。



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休日デートと回転木馬

「俺のそばに近寄るなぁぁぁーッッッ!!!」

 

ミラノの広大なファミリー向け公園に、サーレーの悲鳴がこだました。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

先日のエジプトへの派遣から帰還してサーレーが痛感したことは、イタリアに無事帰ってこれたことへの喜びと生への感謝であった。

もちろん、死ぬつもりでエジプトに向かった訳ではない。しかし、あまりに緊張の続く時間と初めてと言える程に常に死と隣り合わせの戦い、なかなか敵を打倒する手段が見つけられなかったことによりサーレーは常に最悪の事態を想定しながら戦闘を行っていた。最悪の事態とはもちろんなんの役にも立てずに亡き者となることである。

そして、その最悪の事態がいつでも起こりうるという緊張感が彼の集中力を高め、彼を生きながらえさせた。

 

生きて帰れたことは喜ばしいものの、その極度の緊張感と多大なダメージは彼を凄まじく疲労させ、サーレーは帰還してジョルノによる治療を行ってから丸二日間家で寝込むこととなった。家に帰ってからぶっ倒れるように寝込んだサーレーを、相棒のマリオ・ズッケェロは心配して彼の家に付き添った。

 

そして後日、サーレーはその貢献を認められてパッショーネから特別手当が贈られた。

 

『ポルナレフ、あのチンピラを寄越してくれて、助かったぜ。』

 

サーレーは知るよしもないことだが、共闘した空条承太郎からポルナレフへの口添えがあってのものであった。

ポルナレフは、普段はどちらかと言うと辛口な承太郎のその言葉がどれだけ高評価なのかを知っていて、ジョルノにそれを正確に伝えた。そして、その功績に対してパッショーネからサーレーに特別に褒賞金を贈られることになった。

特別手当を送られたサーレーは、使い道に迷った末に彼を心配してくれた相棒、マリオ・ズッケェロと喜びを分かち合うことに決めた。

 

それがつい先日のことだった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは今日は特別に何か行うことがある訳ではない。パッショーネからも休養を言い渡されている。

……とはいっても、いつもさほど忙しい訳ではないのだが。

 

まあ、とにもかくにもそのへんは置いといて、今日はサーレーはミラノの街を相棒のズッケェロとブラついていた。特別に目的地を決めていたわけではない。

せっかく臨時ボーナスが渡されたのだ。単純に、いつも共に戦ってきたマリオ・ズッケェロに日頃の感謝の気持ちを込めて、褒賞金で何かを奢りたいと考えていたのだ。

 

「とはいっても、お前なんか行きたいところとか食いたいもんとかあるか?」

 

サーレーがズッケェロに問いかける。

 

「うーん。特になあ。」

 

ズッケェロも特に思いつかない。

二人は基本的に、金のないチンピラだ。昔から収入が安定せず、詳細は省くがあまり褒められたやり方ではない方法で収入を得た時なども、金を雑に消費してきた。

そしてジョルノが組織のボスとして姿を現して以来は、その褒められないやり方の収入も得られなくなり、ここ最近は赤貧の生活が板につきつつあった。持ち物の車は金に困って売り払って、少ない貯金も早い段階で切り崩してしまっている。いきなり臨時ボーナスを渡されても、今更パーッと使う気にもなれない。

 

「以前は金をどう使ってたんだっけか?」

「女と酒と……あとは賭けポーカーとかじゃなかったか?」

「そうだっけか?じゃあ俺たちはもしポルポの遺産を手に入れてたとしても、賭けポーカーで散財してたってことか?ろくでもねえなぁ。」

「多分、だろうなあ。あとは株とかFXとかか。俺が思うに一年くらいで全部すってたと思うぜ。お前は組織に金を納める的なことを言ってたが、俺たちがそんなに組織に従順だったら組織からもっとマシな待遇を受けてたはずだし。事実俺たち今までそういう金の使い方をし続けてきたわけだし。そう考えたらあそこで負けてて良かったよ。もし金を得てたら全部あっという間にすって、それだけでは我慢できずに組織の金に手をつけたり麻薬チームの乗っ取りなんかを考えて、多分死んでたぜ。」

 

サーレーとズッケェロはミラノの街並みをぶらりと歩いている。

二人は目先の快楽に溺れ続けてきたからチンピラなのである。6億もの大金を素直に組織に差し出すとも思えない。

サーレーは組織に金を納めて甘い汁をすする的なことを言っていたが、ブローノ・ブチャラティは日頃の信頼と貢献あってこそ金を収めてパッショーネの幹部に昇進したのである。二人のようななんの功績もないチンピラが大金を組織に納めたところで、出どころを怪しまれるだけでいきなり組織の幹部というのは無理がある。せいぜい与えられても木っ端程度の利権だろう。それを考えれば、二人が金を組織に素直に納めていたか甚だ疑問が残る。

 

二人の脳裏には組織に捕まって拷問される姿がありありと浮かんだ。そちらはものすごくリアルに想像できる。

二人の背筋に冷たいものがつたった。

 

俺たちに勝ってくれてありがとう、ボス。もうホント、死ぬまでついていきます。

 

「うーん、でもどうする?せっかくここまで足を伸ばしたわけだし……。」

 

サーレーがズッケェロに問いかけた。

 

「そういうのはお前が決めておくべきだったんじゃねえか?」

「そうか?」

「だろ?お前が感謝の気持ちで俺に奢りたいって言ったんだから。」

 

そうか。俺が決めておくべきだったか。

サーレーは何をするか考えた。なかなかこれといった案が思いつかない。

 

「ちょっといい店になんか食いに行くか?」

「悪くはねえがメシ時までまだ時間がねえか?」

「じゃあそれまでなんか映画でも見るか?」

「面白いのやってるか?」

「まあ、何をやってるのかだけ確認をしてみようぜ。」

 

二人は話し合った末、ミラノの表通りの映画館へと足を運んだ。

ミラノの街の大きなビルの一階層に映画館は存在した。

 

「ズッケェロ、お前どれか見たいのあるか?」

「そうだなあ……。」

 

二人は映画館のラインナップを見上げた。

アクション映画が三本にホラー映画が二本、あとは恋愛映画をやっているようだ。

 

「俺……実はホラー映画ダメなんだ。」

「お前その顔で?嘘だろう?」

「オイ!その顔ってなんだよ!」

 

ズッケェロはサーレーのあまりの失礼さに憤慨した。

いくら相棒でも言っていいことと悪いことがある。

 

「じゃあアクション映画か?でもどうなんだ、これ?」

 

サーレーはアクション映画の概要を読んだ。

スパイものとチンピラが不思議な力を得て闇の力と戦い抜く話、あとは青年が地球滅亡を回避する内容みたいだ。だが食指がまったく動かない。

 

スパイものに関してはパッショーネでリアルなスパイを何人も見てきている。二人も組織に言いつけられて簡単な諜報活動の経験は幾度かある。今更創作のスパイなんかに興味を持てない。

 

チンピラ奮闘記に関しては、リアルチンピラの二人にとってタイトルがどうにも不愉快極まりない。なにせ『ふたりはチンピラ Max Heart 』である。どうも何かのパクリっぽい。キャッチコピーは、〝ふたりはチンケでピラッピラ!〟だそうだ。まったく意味が理解できない。

まさかピラッピラというのがズッケェロのソフト・マシーンの能力を暗喩しているのだろうか?じゃあクラフト・ワークがチンケだとでも言いたいのだろうか?

 

地球滅亡を回避する映画はポスターからしてどうにもB級臭が拭えない。青年がイマイチ緊張感のない表情で宇宙から青い地球を指差している。なんであんな緊張感のない男に地球の命運を託してしまったのだろうか?もっとマシな人材はいなかったのだろうか?気になるのはその一点だけだ。

 

「お前見たいか、コレ?」

「……全然。」

「となると……。」

 

サーレーとズッケェロは黙って残りの映画のポスターを見た。若い男女が顔を近づけて抱き合っている。

 

「……どうするんだ?男同士でコレを見るのか?」

「なんか他に案あるか?」

「……ない。」

 

二人は今までの自身の人生の実の無さを痛感させられた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……。」

「まあまあだったな。」

 

映画館から退出しサーレーは無言だった。ズッケェロは気にしていないようだ。

なんというか、サーレーのなかではやらかした感がハンパない。

男二人で何も考えずに恋愛映画を観るとこんなにも気まずい感覚を覚えるのか。サーレーは痛感した。

 

画面の向こうでは若い男女がイチャコラ付いていて、周りも大半が男女の組み合わせかそうでなければ女性が観覧している。

映画を観ている間、サーレーは二人が周囲にどんな目で見られているのかを考えると肩身が狭かった。恐らくは男性同士の組み合わせ(カップリング)と見られていたのではなかろうか?事実がどうあれ、サーレーにはそうなのではないかと感じられた。

そのせいで映画自体はつまらないことはなかったが、内容はまるで頭に入っていない。

 

「……どうする?ちょっと早いがメシにするか?」

「そうだな。することもねえし。」

 

ふたりはミラノの街をのんびりと歩き、雑誌に載っていた有名な高級リストランテへと向かった。

ミラノの裏通りに高級そうな店が立ち並び、その中のビルの一室にそれは存在した。

 

「お客様がたはご予約はなさってますか?」

 

ーー……そうきたか。

 

高級で人気のある店である。予約制ということは十分に考えられる。

チンピラのサーレーは考えが及んでいないが、二人は実はドレスコードも明らかに店の基準を満たしていない。

 

「……予約がないとダメなのか?」

「申し訳ございませんが。」

「オイ、あっちのテーブル空いてるじゃねえか!」

「すみません。あちらはご予約のお客様がいらっしゃいまして……。」

 

ズッケェロがゴネてみるが相手方の対応はにべもない。

まああまり店側としてもチンピラ然とした二人組を中に入れたくないのだろう。

サーレーは早々に諦めた。

 

「ズッケェロ、行くぞ。」

「オイ、サーレー。こいつ絶対俺たちのことを舐めてるぜ?」

「……いいじゃあねーか。なんか適当に買って、その辺のどっかで食おうぜ。」

 

表の人間とトラブルを起こしたとなれば、組織の二人への心象も悪くなる。

サーレーは納得いってなさそうなズッケェロを諌めた。

 

「チッ。」

 

二人は内心で毒づきながら、近くのファーストフードの店へと向かった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「んでよオー、宅配のダンボールの蓋の裏側にくっついてプレゼント(フォー)ユーってのはどうだ?」

「アリだな。他にもピッツァの宅配とか、天井からズドンってパターンも効果的だろう。」

 

二人は近くのファーストフードの店でバーガーを買って、近くの公園のベンチで頬張りながら駄弁っていた。

いま話しているのは、二人の能力の協力した有効的な活用方法である。

ズッケェロの能力で厚みを無くして、いかに相手の想定外の方法で攻撃を加えるかが話の肝となっている。

 

「天井か。なるほどなあ。お前のクラフト・ワークで建物の天井にくっついて上からズドンか。」

「まあ、そこそこ敵の意表はつけるだろうな。まるでジャッポーネ・ニンジャだ。とは言ってもやはり俺たちには探知タイプが天敵なんだよなぁ。特にお前がさ。」

「そうなんだよなあ。それをどうにかして克服できればなあ。」

 

マリオ・ズッケェロは前回のエジプトの一件で相棒の役に立てなかったことをひどく悔いている。

それをなんとか克服したくて、相棒のサーレーに話を持ちかけたのである。

 

ナイトバード・フライングだけでなく、ナランチャ・ギルガのエアロ・スミスやサーレーがエジプトで戦ったクリーム。そういった視覚に頼らないで戦うスタンドは接近戦があまり得意ではないソフト・マシーンにとって天敵に等しい。

 

「うーん、じゃあいっそのこと逆転の発想をしてみたらどうだ?もう弱点は克服しないでいいや、って。」

「オイ!俺は真面目に相談してるんだぞ?」

「俺も真面目に答えてんだよ。弱点を克服せずに、相手がお前の弱点をつけないような戦闘方法を考えればいいんじゃあないか?」

「んなモンあるか?」

「さあ?」

「さあじゃねえよ!」

 

二人は食事が終わって出たゴミを、公園に設置されていたゴミ箱へと放り込んだ。

 

「まあでも、いい気分転換にはなったよ。スマンな。お前への感謝の気持ちでの奢りのつもりだったが、俺もリフレッシュできた。」

 

サーレーはズッケェロにお礼を言った。

サーレーの精神は疲弊していた。

何も考えずに出かけたことは、彼にとって非常にいいリフレッシュになっていた。

 

「そうかい。」

「ああ。今まで気付かなかったが、どうやら俺はまだ気を張っていたようだ。お前と出かけて丁度よく緊張がほぐれたよ。」

「んでもよォー。」

 

ズッケェロが公園にいた周囲の人間たちを見回した。周囲には男女のペアが多数存在する。サーレーは、ズッケェロのその様子に若干の不穏な空気を感じ取った。それは多分、、、あえてサーレーが考えないようにしていたことである。

オイ、待て、バカ、ヤメロ。

 

「なんかアレだな。俺たちの今日の一日はまるで映画館で見た男女のデートみたいだったな。」

 

サーレーの嫌な予感が見事に的中した。ズッケェロのバカが唐突にとんでもない爆弾をぶっ込んできた。やはりズッケェロはどうしようもないバカである。

 

サーレーもそれは実は薄々感じてはいた。

サーレーはズッケェロに二日間も献身的に看護されていた。さらに今日の二人の行動は恋愛映画を見た後に食事である。この後にどこかのホテルにでもシケ込めば、完璧だ。なにがとは言わないが。

 

だが、世の中には感じていたとしても言葉にしてはいけないことって、あるだろう?まさかこいつわざと言ってんのか?

そういえば、思い当たる節がないわけでもない。確かズッケェロはオスの猫に人間の女性の名前をつけていたはずだ。ひょっとしたらサーレーには理解できないそっち方面のなんらかの特殊な性癖をお持ちなのかもしれない。

 

そっちの方に偏見があるわけではないが、それは友人として付き合うまでである。ノーマルなサーレーは深いお付き合いする気はない。もしかしたらズッケェロは、ずっと相棒のフリをしてサーレーのナニかを付け狙っていたのかも知れない。このままでは、気付いたら朝帰りしているなんて事態も起こりうるのかもしれない。

サーレーの頭を唐突に不穏な妄想が過った。

 

サーレーはゾッとした。サーレーはズッケェロから目を離さずに後ずさる。もしかしたら背を向けたら飛びかかってくるかもしれない。

 

「オ、オイ?相棒?なんで俺から距離を取ってるんだ?」

 

ズッケェロが心底理解できないといった様子で距離をとって警戒するサーレーへと近付いていく。

疑心暗鬼な今のサーレーにはその様子がどうにも演技くさく見えた。

 

「……ズッケェロ、それ以上こっちに来るんじゃあ、ねえ!」

「な、なんだ一体?どうしたってんだ?相棒?敵か?」

「相棒って呼ぶんじゃあねえ。俺はノーマルだ!敵はお前だ!来るな!それ以上俺に近寄ったら、敵対行為とみなす!!!」

「オイ、待てよ!相棒!」

「俺のそばに近寄るなぁぁぁーッッッ!!!」

 

ミラノのファミリー向けの公園に、サーレーの悲鳴がこだました。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

シーラ・Eはその日、パッショーネの書類業務を行っていた。

彼女はパッショーネにとって非常に使い勝手の良い人材である。表の業務も裏の業務も共にソツなくこなす。

 

その日、彼女は普段よりも若干帰宅が遅くなっていた。

彼女は普段はジョルノの親衛隊として、ネアポリスに在住している。

 

普段のように帰り道を帰宅している最中に、彼女は唐突に覚えのない場所に出た。あまりにも突拍子のない場所だ。

彼女はそこそこ場数をこなしたスタンド使いであり、それがなんらかのスタンド攻撃であるとすぐにそう判断をした。

 

ーーここは……なに?

 

得体の知れない。理解が出来ない。

彼女が帰り道に行き当たったのは、回転木馬だ。木馬が回転している。夢のようだ。足が地につかないような感覚を覚えた。視覚のピントが合わず、グラデーションがかったように周囲の景色がハッキリしない。現実感がなく、意味もわからない。当然彼女の帰り道にこんなものがあるわけはない。

 

それは一瞬、彼女に遠い昔の姉との遊園地の記憶を思い起こさせた。

なぜこんなものがこんなところに?どんな能力を?

 

「待っていた。シーラ・E。」

 

男がいた。年齢は30〜40くらいだろうか?そこそこ体格がいい。

グラデーションがかった景色の中で、その男だけが唯一存在感を放っていた。

男は回転木馬の外周の支柱の一つに背を預けて寄りかかっている。

回転木馬はほぼ間違いなくスタンドだ。彼女は警戒した。

 

「あなたは誰?……私になんの用かしら?」

「お前の引き抜きにきた。」

 

決まった。奴はパッショーネの敵だ。

シーラ・Eは飛びかかろうと身構えた。

 

「落ち着け、シーラ・E。お前にとって悪い話ではない。」

「一体なにをッ!!!」

 

男は右手の平を前に差し出した。シーラ・Eはその行動を警戒した。敵はおそらくスタンド使い、なにをしてくるかわからない。

飛びかかることはやめたが、シーラ・Eは最大限に相手の警戒を行なっている。

 

「お前はパッショーネに居るべきではない。俺の下へ来い。」

「……レディをエスコートしたいのなら、最低限自分の素性を明かすべきではないかしら?」

 

シーラ・Eは男を睨んだ。

 

「レディ?お前のような小娘がか?」

 

男は余裕ぶった表情を崩さない。シーラ・Eの言葉を鼻で笑った。

 

「俺の下に来い。ジョルノ・ジョバァーナはお前が敬愛すべき相手ではない。」

「なにをッッ!!!」

「やはりか。お前は俺からのプレゼントレターを放っておいたようだな。」

 

男は少し残念そうな顔をした。

プレゼントレター、覚えがあるのはアレだけだ。

『サーレーは真実に気付いている。』

シーラ・Eが以前どうするか少し迷った末にイタズラと判断して放置していたものだ。

 

「フン、まあいい。しかしお前は使い勝手の良い手駒だ。だから俺の下へ来いと言っている。お前は生かして俺の部下として使ってやろう。」

「私はジョルノ様の親衛隊ッッ!!!ほかの人間の手駒になるとでも……。」

「……なぜお前はジョルノ・ジョバァーナの手駒なんだ?お前はなぜジョルノ・ジョバァーナに忠誠を尽くす?」

 

男は本当に意味がわからないといった様子で、首を傾げた。

 

「ジョルノ様は私の仇を……。」

「わかっているのだろう?ジョルノ・ジョバァーナはたまたまお前の復讐相手と敵対しただけだ。そしてたまたまその過程でお前の復讐相手は惨死した。全ては偶然だ。」

「それでもッッ!私はジョルノ様に恩を返さないといけないッッッ!」

「それだよ、シーラ・E。」

 

男は楽しそうにニヤついている。

 

「ジョルノ・ジョバァーナはお前に全面的な信頼を置いてない。お前は使い勝手はいいかも知れないが、ジョルノ・ジョバァーナの心中の序列としてはあの暗殺チームの二人組よりも下だ。」

「なにを根拠にッッ、そんなことッッ!!!」

 

シーラ・Eの呼吸は若干荒い。頬が上気し、汗をかいている。

 

「やはり、自分でも気付いていたか。お前のその反応が何よりの証拠だ。」

「そんなはず!!!」

「教えてやろう。シーラ・E。なぜお前の序列があの二人よりも下なのか。お前はさっき、『ジョルノに恩を返したい』ではなく、『ジョルノに恩を返さないといけない』と言った。……一体それは誰から押し付けられた義務だ?」

「い、いや、そんなこと……。」

 

男は依然楽しそうにしている。シーラ・Eは相手に心理的に優位に立たれているのを感じた。

 

「言ったんだよ。お前は。お前の行動は全てお前自身の義務感から出たもので、本心からのものではない。だからお前は有能にもかかわらず、心からの信頼をされていない。」

「黙れっっ!!!」

「お前は嘘つきではないし、お前はまじめだ。お前はしっかり仕事をこなすし、周囲の役に立つ。だが、お前は本心を明かしていない。お前は得体の知れない義務感、強迫観念に突き動かされて行動している。本心からの行動をしない人間は、平時にどれだけ役に立っても戦場ではギリギリで迷い、周囲の人間の足を引っ張ることになる。お前は精神的に脆いんだよ。お前は体が頑丈なせいでそれでも生き残り、組織の役には立つと重宝はされている。しかしお前の傷は決して誉ではない。敗走の逃げ傷だ。」

「私はッッ!」

「お前はなんのためにパッショーネにいるんだ?すでに本来の目的の復讐は終わった。ジョルノ・ジョバァーナには本心を明かさない、ゆえに信頼されない。周囲はお前とウマの合わないロクデナシの巣窟だ。……はっきり言おう。お前がパッショーネにいる意味は無い。」

「うわあああああッッッッッ!!!」

 

シーラ・Eは激昂してスタンドを発現させて相手に殴りかかった。

 

「……だから俺の部下になれと言ってるんだ。お前は役に立つ。俺がお前を導いてやろう。お前にとっては悪い話では無いはずだ。」

 

相手は動くそぶりはなかった。にもかかわらず、シーラ・Eのスタンド、ブードゥー・チャイルドの攻撃は相手に当たらなかった。

 

「な、なぜ?」

「なぜ、なぜか。疑問があるのなら自分で明かすべきだ。それがスタンド使い同士の戦いの醍醐味だろう?」

 

男は余裕を崩さずに笑っている。

シーラ・Eはわずかに間迷いながら、それでも決心して宣告した。

 

「……アンタはジョルノ様の敵ねッッッ!!!」

「……否定はしない。」

「私はアンタになんと言われようと、パッショーネの人間だわ!」

「だから?」

「アンタのツラは覚えたわ。覚悟なさい!パッショーネがどれだけ強大か……。」

「クッ、まるで悪役の三下のようなセリフだな。俺がなんの対策もしてないわけがなかろう。」

 

男はそう喋ると、笑いながら親指で後ろの回転木馬を指差した。

 

「ラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンド。俺の配下のスタンド使いのスタンドだ。攻撃能力は一切無いが、これを一度目にしてしまえば、これのそばにいる間は楽しかったという感情だけが先行して、一切の記憶も意識も残らない。まるで子供の頃遊園地に行って、楽しすぎて具体的になにをしたか思い出せないようにな。これはあの厄介極まり無いカンノーロ・ムーロロの目さえも誤魔化すことさえできる。非常に重宝している。」

 

男は続けて喋った。

 

「とは言っても、俺もパッショーネと全面戦争するつもりは無い。ここでお前を消すのは簡単だが、それをしてしまえば奴らは一層警戒することになる。本気で守りを固めてくるだろう。それは俺にとっても非常に面倒だ。」

 

男はそれだけ告げると、回転木馬のスタンドと共に姿を消した。

後にはシーラ・E一人が残された。

 

さて、私はなぜここに突っ立っていたんだったか?もしかしたら疲れているのかもしれない。

……帰ろうか。少し遅くなってしまった。なにやら理由はわからないがいい気分だ。

明日は休みだからトリッシュ姉様でも誘って休日デートでウィンドウショッピングでも楽しもうか?

 

シーラ・Eは足取り軽く自宅へと帰って行った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

本体

不明

スタンド

ラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンド

概要

子供が遊園地に行っても楽しかったという感情だけが先行して具体的な内容をハッキリ思い出せないように、スタンドを目にしたものは夢見心地になってそばにいる間の記憶や意識が一切残らなくなる。あくまでも目にすることが発動条件のため、男は自分に効果が来ないように回転木馬に背を向けていた。隠密行動に特化したスタンド。カンノーロ・ムーロロのオール・アロング・ウォッチタワーとは互いのスタンド同士で矛盾を起こし、群体であるために一体あたりに込められたスタンドパワーの弱いウォッチタワーは敗北して記憶や意識を共有できなくなる。ムーロロのウォッチタワーの天敵。



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天国

「ボス、お帰りなさいませ。結果はいかがでしたか?」

「フン。予想通りだ。」

 

男が彼の本拠地に帰還した。オランダ、ハールレムの片隅にある田舎町の一角だ。周囲を草花に囲まれた長閑な風景にポツリと一棟の家屋が建っている。、、、周囲は一面のケシ畑だった。

帰還した男に、彼の腹心の部下が問いかけた。

回転木馬のスタンドを操っていた男とはまた、別の人物である。

 

「……しかし、ボス。シーラ・Eを配下に引き込む意味はあるのですか?わざわざ危険を犯して?あの程度の人物であれば他の人員で補充が効くのでは?」

 

腹心は己のボスに恐る恐るといった様子で問いかける。

今回のシーラ・Eとの接触は、男にとっても危険を孕んでいた。

 

「奴はあれでもパッショーネの中枢に入り込んでいる。」

 

男は近くにあったテーブルの椅子に座り、配下が彼のためにショットグラスにウォッカを注いだ。

男はウォッカの入ったショットグラスを一息にあおった。

男は言葉を続ける。

 

「俺はパッショーネを潰したいのではない。パッショーネが欲しいのだ!今のパッショーネは金!女!権力!この世で手に入るあらゆる利権が詰まっている宝石箱だ!帝王にこの上なくふさわしくきらびやかな、な。であれば、パッショーネの内情を理解しているシーラ・Eは手駒として役に立つ。」

「ボス、申し訳ございません。おっしゃる通りです。出過ぎた真似をいたしました。」

 

腹心は彼のボスにかしこまった。

 

「構わん。俺は貴様に告げたはずだ。貴様は俺の腹心で、同時に貴様もまた俺が認めた帝王だ。全面的に信をおいている。なんでも俺に質問をする権利を与えた。」

 

男はしばし思案したのち腹心に告げた。

 

「しかし、パッショーネは予想していたよりも強大だ。特に不愉快なことに、ジョルノ・ジョバァーナは組織をカリスマ性をもってして強固に纏め上げている。……今のままではパッショーネには風穴は開けられん。組織内部で精神的にもっとも危ういシーラ・Eですら籠絡能わなかった。時間をかけた策略が必要だ……。暗殺チームの二人が俺の手駒になれば俺の策も楽に運んだだろうが……不可能だった。あの二人、特にサーレーのクラフト・ワークはなにをしてくるか油断ならん。俺ですら警戒の必要がある……。」

 

忠誠の低い下っ端であれば籠絡できるかもしれないが、そんな人材を籠絡したところで男にはなんの役にも立たない。手駒に籠絡するならば、せめてジョルノの信を得ている人物かパッショーネの中枢に入り込んでいる幹部、あるいはそれに近しい人物である必要がある。

しかしその類の人物は皆、ジョルノ・ジョバァーナに極めて高い忠誠を誓っている。

 

男がパッショーネの戦力を偵察するために送り込んだ手駒は、なんの偶然か全てサーレーとマリオ・ズッケェロが対応を行なった。他の人員の偵察も行いたかったが、これ以上偵察を送り込めば間違いなくパッショーネは怪しんで対応に本腰を入れてくる。今でさえ危うい状況だ。ラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンドは強力な隠密スタンドで今の男の生命線だが、戦闘力はない。スタンドの本体が倒されてしまえば、男の策の全てが水泡と帰す。

 

幸か不幸か今までの偵察でパッショーネの全体の戦力を確認することは能わなかったが、暗殺チームが極めて厄介だという情報だけは男の元に入ってきた。特にサーレーの能力を確認するに至って男が下した判断は、恐るべきことにサーレーのクラフト・ワークは非常に応用力が高く、天敵というべきスタンドが存在しないということだった。攻防ともに優れ、特殊な戦闘にも対応できる非常に攻略しづらいスタンドだった。

 

あの厄介極まり無いカンノーロ・ムーロロのウォッチタワーにすら天敵が存在しているというのに!

 

ジョルノ・ジョバァーナはとにかく厄介だ。今の男であっては、無策で挑んでもことはうまく運ばないだろう。あの何者にも靡かない厄介者と考えていたカンノーロ・ムーロロを籠絡し、ただのチンピラに過ぎなかったはずのサーレーとマリオ・ズッケェロを万能の猟犬として高みへと導いている。

 

男は目を細めて虚空を睨んだ。

 

「まだ……策を実行に移すには時間がかかる……。」

 

建物の中には、人影が一つしかなかった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「オイ、テメエ!ちょっとこっち来い!」

「あ、アニキ?」

 

マリオ・ズッケェロがドナテロ・ヴェルサスの手を乱暴に引いてミラノの街の薄暗い裏通りへと引っ張り込んだ。ここなら人目もない。

ズッケェロは怖い顔をしてドナテロを睨んでいる。

二人は護衛任務を行なった帰り、サーレーと別れた後だった。

 

「いいか!冗談でも二度というんじゃあねえ。さもないと俺たちがお前の始末に送り出されることになる。」

 

ドナテロはこともあろうかズッケェロに、ボスを倒せばいい生活がおくれるのではないかと唆そうとした。

無知とは恐ろしい。ズッケェロは戦慄した。

 

「そ、そんな。でも多分誰でも一度は考えますよ。ボスを倒せばパッショーネの利権が乗っ取れるんじゃないかって。きっとすごい額が転がり込んできますよ。」

 

ドナテロは組織に入って日が浅く、パッショーネの内情をまだ詳しくは理解していない。末端の末端だ。

パッショーネの乗っ取りを行おうなんぞ、どう控えめに考えても自殺志願者だ。もしかしたら凄惨な拷問を望む、ワールドクラスのマゾヒストなのかもしれない。

 

「……そう言えばお前は外からきた人間だったな。馴染むのが早いから忘れてたぜ。」

 

ズッケェロは舌打ちして、ドナテロに高圧的に警告を行なった。

 

「いいか?絶対に二度と言うな。絶対に、だ。イタリア人なら誰でも知っている。子供でも知っている。お前はパッショーネの恐ろしさを理解してねえ。さっきの会話だって、上に筒抜けになっていた可能性がある。」

「まさか……。」

 

ドナテロはズッケェロのただならぬ剣幕に顔がやや青くなった。

 

「まさかもクソもねえ。だからパッショーネは恐ろしいんだよ。いつ、どこで、会話が漏れてるかわからねえんだ。第一お前、ボスを倒してどうするよ?」

「そ、そりゃあボスの立場に……。」

「今の幹部は皆、全面的にボスに忠誠を誓っている。万が一ボスを倒せても、キレたそいつらに囲まれて袋叩きがオチだ。それに、パッショーネの運営はボスだからこそ上手くいってるんだ。ボスだからこそ皆傅き、顔を立てて利権を譲る。知恵もツテもノウハウもない俺たちがパッショーネを乗っ取ることが奇蹟的に可能だったとしても、嫌われた挙句に他の奴らに搾取されて潰されるのが関の山だ。」

 

ズッケェロは辺りを見回した。釣られてドナテロも辺りを見回す。当然誰もいない。

にもかかわらず、この会話がボスの耳に入っていないという保証はない。上の人間がズッケェロがしっかり下っ端を教育できているか監視していない保証はない。

ズッケェロは、ジョルノが姿を現した後のパッショーネの恐ろしさを骨身に染みて理解していた。

 

「お前は今の生活に納得がいってないのか?」

 

ズッケェロがドナテロに問いかけた。ボスを倒そうなどと考えるのは、日常に不満があるからなのかもしれない。

ズッケェロにもドナテロの考えが全く理解できないわけではない。彼らも以前は、ドナテロと似たような考えをしていた。

 

「以前よりは全然マシですよ。アメリカで地べたを這いずっている頃に比べたら。でも、ボスだったらどれだけ幸せな生活を送っているのかと思うと……。アニキ、天国ってなんでしょう?」

 

ドナテロは少し思い詰めた顔をしたかと思うと、ズッケェロに唐突に得体の知れないことを問いかけてきた。

ズッケェロはドナテロの質問の意図を掴みあぐねている。

 

「アン?なんでいきなりそんな話になるんだ?」

「俺の生活は以前から不幸続きで、最近スタンドを自覚してからは収まりましたが以前は身に覚えのない不幸が立て続けに起きてたんですよ。」

「それで?」

「物語の話も、宗教の教えも、その教訓の大概は生きているうちに真面目にしていれば最期には天国に行けるって言ってるじゃないですか。幸せになれるって。それで俺は俺なりに出来るだけ真面目に生きてたんですけど、じゃあ死んで天国に行けるのかと言われたら……。俺にはとても信じられなかったんですよね。真面目に生きてもどうやってもなにかの不幸が起きてたし。だから俺は強盗をしてでも自分の人生を豊かにしたい、幸せにしたいって。」

「……。」

 

ズッケェロは腕を組んで裏通りの壁に寄りかかってドナテロの話に耳を傾けている。

 

「それでボスのようにいい生活をしてるんなら、きっとそれが天国なんじゃあないかって。」

「……ナルホドなあ。まあ境遇には同情するが、パッショーネに楯突くのだけはやめておけ。俺は見知ったお前を始末したくない。お前の将来も、暗殺チーム以外の安全な他のチームの人員に出来ないかいずれなんとか上に渡りをつけてやるからよ。」

 

ズッケェロとサーレーはすでに一度致命的なチョンボをしでかしたために暗殺チームから抜けれるとは思えないが、ドナテロはまだ不始末をしでかしていない。他のチームに移籍できる余地はあるだろう。

さっきのドナテロの会話がもし上に漏れていたら危ういが……。

 

「……わかりました。」

 

ドナテロはミラノの薄暗い裏通りでズッケェロに背を向けて、己の住処に戻ろうとした。

ズッケェロはドナテロのその背中に唐突に声をかけた。

 

「天国とは、日々のささやかな幸せの中に存在する。」

「え?」

「……俺たち暗殺チームの教訓だよ。俺もサーレーもちょっと前にマジで死にかけた。その時に俺たちが感じたことは、ただただ死にたくないってことだけだった。俺は麻薬漬けにされて思考も朧だったが、それでもただ死にたくないって必死に願ったのだけは覚えている。……だからきっと、人の生の中に至高の幸福は存在する。それだけ死にたくないって一心に願ってたんだからな。死後に幸福があるのなら、死にたくないって願うのはおかしいだろ?真っ当に生きてる奴らのことはよくわからないが、俺たちのような人間にはきっと死後の天国なんて存在しない。」

「……。」

「普通のやつらが死にそうになるときは、何気無い日常の思い出が走馬灯のようによぎるって言うだろ?きっとそれが、天国だ。きっとそいつらは間際になによりも大切なものを思い出してるんだ。普段の何気ない日々の中に天国は存在する。俺たちは走馬灯がよぎるほどに何かを築けていなかったんだ。だからとにかく生きたかった。生きて日々に幸せを感じることが、きっとお前の言う天国だ。まあ人殺しの暗殺チームの教訓だとは、とても思えないがな。」

「……。」

「それが俺とサーレーが死にかけた結果出した結論だ。……まあ俺たちの勝手な考えで、なんのアテにもなんないだろうけどな。」

「……いえ、非常にためになりました。」

 

ズッケェロの言うことがもしも事実であれば、スタンド被害の収まった今であればドナテロもいずれ彼の天国に気付けるのかもしれない。

ドナテロは、ほんの少しだけ納得したような顔をしていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ジョルノ・ジョバァーナとカンノーロ・ムーロロは困惑していた。

年に四回もスタンド使いが社会で問題を起こすのは不可解だと考えて、彼らは情報部でスタンド使いの出所を探っていた。

彼ら四人のスタンド使い、うち一人はサーレーが内々に処分したために不詳になってしまったが……残った三人に共通することは、気付いたらスタンドが使えるようになっていたということだった。やはりどうしてもその詳細がわからない。

 

パッショーネ、ネアポリス支部。

ネアポリスのとあるオフィスビルの一室にある情報部で、ムーロロとジョルノ・ジョバァーナは話し合っていた。

 

「ムーロロ、どう考える?」

「考えれば考えるほど奇妙ですね。奴らは全員に矢に貫かれたような形跡がある。しかし奴らは皆全く覚えがないと。」

「……恐らくは何者かの意図が働いている。裏側になんらかのスタンド使いがいる可能性は高い……しかし現状、日常業務を停滞させてまで背後を洗うべきか……。」

 

ジョルノ・ジョバァーナはどう手を打つべきか考えあぐねている。

仮に敵がいるとしても、現時点では雲を掴むような話だ。敵の足跡が掴めない。恐らくは用心深い相手である可能性は高い。もし敵が存在するのであれば、たとえ力を入れて調査を行なったとしても警戒して行方をくらましてしまうだろう。

今現在は、問題を起こしたスタンド使いたちに黒幕からのなんらかの接触がないか秘密裏に監視を行なっている最中である。

 

ラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンドは、その能力を深く知るほどに有用性の高いスタンドだということがわかる。

男は社会に対して不満を抱いてる人物を幾人か探し出し、裏で接触を行なった。

回転木馬の前で彼らと話し合い、才能のある者に矢で力を与える。そうすれば彼らは勝手に社会で問題を起こし、社会の防衛機構であるパッショーネと衝突をすることになる。当然彼らに男との接触の記憶はなく、洗い出しをしてもなんの痕跡も出てこない。

忌々しいムーロロのウォッチタワーと万が一出くわしても、相手はなんの記憶も残せない。

男の策略は今のところ、完璧である。……しかし、想定外の事態とはいつだって起こるものだ。

 

「ジョジョ、変なことになりましたぜ。」

「……どうしたんだい?」

 

ムーロロは奇妙な顔をしている。ジョルノは良くないことが起こったのかとムーロロに問いかけた。

 

「スピードワゴン財団のイタリア支部が騒ぎになっていまさあ。」

「一体、何が?」

 

ムーロロは念のために、スピードワゴン財団の内部にもウォッチタワーを忍び込ませていた。

スピードワゴン財団はパッショーネの良き隣人ではあるが、同時にパッショーネと比肩するほどに規模の大きい団体でもある。ゆえにこれは相手を信頼していないとかそういう問題ではなく、必要な措置なのである。万が一スピードワゴン財団内部の乗っ取りなどが行われたら、最悪の場合ヨーロッパにひどい戦火が訪れかねない。

 

それは、国防の一端を生業にする者たちの共通意識である。常に万が一の有事に対する備えは必要だ。最悪の事態は起こらないなんて楽観的な考えは、彼らには存在しない。

彼らの双肩には、五千万を超えるイタリア人の平穏がのしかかっているのだ。彼らが用心を怠れば、悲劇はいとも容易く無辜のイタリア市民に襲いかかることとなる。

 

なぜこの世から反社会勢力が居なくならないのか?真に恐ろしい敵とは用心深く、用意周到で、社会に紛れて周囲に自分が敵だということを容易く悟らせたりはしないのである。彼らは市中に潜み、時期を計り、ある日唐突に爆弾は炸裂する。パッショーネの本質は、彼らへの対抗勢力なのである。

 

実は、スピードワゴン財団側も同様にパッショーネに諜報員を送り込み、彼らの内部の実情を把握している。パッショーネはそれを知っていて、黙認している。

 

「どうにも、スピードワゴン財団所属の空条承太郎氏の娘、空条徐倫嬢がアメリカで殺人の容疑をかけられているみたいで……。詳細は引き続き調査しましょう。」

 

時にはおかしなことが立て続けに起こる時もある。気を抜いて対応を遅らせれば、あらゆる物事に対して後手後手に回ることになる。

現在のパッショーネ首脳部はイタリア国内で不穏な動きを感じている。時同じくして、パッショーネの盟友スピードワゴン財団の重鎮の娘がアメリカで轢き逃げ殺人の嫌疑をかけられている。

 

ジョルノ・ジョバァーナは思考する。

さすがにイタリアの異変とスピードワゴン財団の件が繋がっている確率は極めて低いだろう。

だが、有事に備えることは必要だ。万が一ことが起こった時に、イタリアの社会になるべく影響を及ぼさないように収束させるのがパッショーネの存在意義だ。それを怠れば、パッショーネの存在そのものの意義が社会に問われることとなる。パッショーネに与えられた特権とは、社会に対する貢献という明確な裏付けがあってこそのものなのである。

 

空条承太郎氏はスピードワゴン財団の重要人物で、なんらかの策謀に巻き込まれていないという絶対の保証はない。空条承太郎氏に何かがあれば、スピードワゴン財団を揺るがす事態を起こしうる。

スピードワゴン財団にはパッショーネとしては恩がある。ジョルノ個人としても、財団と深い仲のポルナレフに対して恩義を感じている。受けた恩は必ず返すし、仇は百倍にして返すのが裏社会の組織の流儀である。

 

「わかった。引き続きの調査を任せる。場合によってはパッショーネもなんらかのアクションを起こす必要があるかもしれない。有力なスタンド使いたちには内々に通達しておいてくれ。警戒しておくように。」

「……わかりやした。」

 

ムーロロのウォッチタワーはフィレンツェ支部、ミラノ支部、ジェノバ支部、ローマ支部などの有力なスタンド使いが複数存在する支部へと通達を行なった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……ハアハア。アンタそれ、かなりタチが悪いわよ。」

 

シーラ・Eは疲弊している。息が上がって、肩で呼吸している。

 

「……すまんな。前々から技のアイデアだけはあったんだが、スタンドパワーと精密動作性が足りてなかったんだ。」

 

サーレーも疲弊している。

パッショーネの所持する空き倉庫で、サーレーはクラフト・ワークの新しい技を試していて、その相手をシーラ・Eに頼んでいた。

残念だが相棒のズッケェロのソフト・マシーンではスタンドパワーが弱く、新技の威力の参考にならない。近距離パワータイプのシーラ・Eのブードゥー・チャイルドに通用するのであれば、その効果は本物だ。

 

「ナルホドね。スタンドの使い方はアイデア次第ね。それにしてもアンタのスタンド、応用の幅がちょっと広すぎるわね。」

 

シーラ・Eはそう呟くと考え込んだ。

サーレーの新技ははっきり言ってかなり厄介だ。どんな相手でもその大体はそこそこに効果が見込める。実際に、シーラ・Eはサーレーに上手くあしらわれてしまった。

有用性が高いその分、スタンドパワーを多く消費するのは仕方ない。

 

「まあ、パッショーネのために研鑽することは悪いことではないわ。」

「お、珍しく褒めてくれるのか?」

「……調子に乗らないで。」

 

サーレーは笑った。シーラ・Eは少しムスッとした表情をしている。

しかし残念ながら、これはシーラ・Eの言うようにパッショーネや社会のためというよりも、どちらかというとサーレー自身が長く生き残るためのものだ。

今はまだ、それでいい。

 

サーレーは以前にも増して慎重になっている。怠惰な彼が研鑽を怠らないほどに。

前回のディオの館のような任務が、また上から言いつけられないとも限らない。手札を増やすことは、サーレーが長生きすることに直結する。前回のクリームとの戦いは、一つ何かが違えば空条承太郎氏共々無惨に消滅していても何らおかしくなかった。

 

「助かったぜ。それじゃあな。」

 

とりあえず新技の効力の確認を終えたサーレーは背を向けて倉庫の入り口に向かって去っていく。

シーラ・Eのブードゥー・チャイルドよりもサーレーのクラフト・ワークの方がさまざまな状況に対応可能だ。

シーラ・Eはサーレーの後ろ姿を羨ましそうに眺めている。シーラ・Eは劣等感を抱いていた。

サーレーの方が彼女よりパッショーネに貢献ができるのかもしれない。

 

人間の成長には、時には劣等感や批判も必要だ。

彼女は、自分より上だと認めた人間には劣等感を抱かない。

ジョルノ・ジョバァーナがどれだけ強力なスタンド使いだろうと、それは彼女の絶対のボスだから当たり前だ。

しかし、下からの突き上げは堪える。

下から猛烈な勢いで突き上げをくらっている彼女は、強い劣等感と焦りを感じていた。

 

シーラ・Eはブードゥー・チャイルドを眺めた。

彼女のスタンドは忠実な犬のように、彼女の命令を待っている。それは彼女の具現だ。シーラ・Eもまた組織の忠犬である。

 

「……どうすればいいのかしら?」

『……。』

 

忠犬は答えない。当たり前だ。それは彼女自身なのだから。

 

現状に文句があるわけではない。彼女はそこそこに豊かで、実のある生活を送っている。組織にほどほどに信頼され、そこそこに重要な仕事を任されている自負がある。

 

しかし、下からの突き上げに笑っていられるほど余裕があるわけでも、達観しているわけでもない。

組織に明確に貢献をしているサーレーが下っ端で、使えないシーラ・Eがヌクヌクと生活を送っている。それはさぞかし真面目な彼女にとって、肩身が狭く苦しいだろう。

 

実際は、彼女は組織に十分な貢献を果たしているのだが、こういうものは本人の受け取り方次第である。シーラ・Eは組織で実力的な信頼がないと任されないような任務をこの先回されるであろうサーレーたちに、強い劣等感を抱いている。それはパッショーネの本質が国の防衛機構で、重要な任務のそのほとんどが心理的な負担を強いる過酷な戦場であろうことが原因だった。

 

シーラ・Eは、真に過酷な戦場には向かない。戦場では、時には矛盾していようと間違っていようと苛烈な判断を下す必要性が出る事態も頻繁に存在する。彼女は、社会の矛盾を許容できるほどに大人では無いのである。

 

テロリストの一件で、頭脳のムーロロはイタリア市民を守ることを最優先に考えて子供を殺害する判断を下し、現場のサーレーは罪なき子供に慈悲を覚え生かす判断を下した。

彼女であればきっと、どちらの判断も下せない。その場で流されるまま、職務を放棄してその場に立ち尽くしていただろう。それは過酷な戦場においては、最悪の選択なのである。

それが彼女が未だジョルノに全幅の信頼を置かれていない最大の理由だった。

 

シーラ・Eがしばし考えに耽っていると、彼女は唐突に声をかけられた。

 

「よお、シーラ・E。久々だな。」

「ミ、ミスタ副長!」

「おいおい、俺は副長じゃないっていつも言ってるだろう?」

 

組織の大物、グイード・ミスタだ。人懐っこく笑っている。シーラ・Eはミスタのお気に入りでもある。

シーラ・Eは緊張した。横には帰ったと思われていたサーレーを連れている。

 

「なぜここに?お供も連れずに!」

 

ここはミラノにある埃っぽい空き倉庫だ。こんな汚いところに裏社会のナンバー2が顔を出すのはおかしいだろう?

 

「お供っつーならコイツがいるだろう?」

 

ミスタは厚かましくも横にいるサーレーを指差した。

……そういうことではない。その男はたった今、倉庫を出て行ったはずだ。それまでを誰が護衛としてそばに居たというのか?

 

「一人ではお危険ですッッ!なぜこんなところに!」

「お前は相変わらず……なんというか忠実なのはいいけどよォ……。」

 

ミスタはシーラ・Eの顔を見る。

 

「ジョルノのヤローがよ。情報部に入り浸って最近のイタリアの異変の調査をしてるからよォ。俺も現地に独自の目線で調査しにきたんだよ。チンピラとかを使ってよ。その帰りだ。俺もたまには動かねーと鈍るしな。さて。」

 

ミスタの視線が傍にいるサーレーへと向いた。

 

「ここにきたのはついでだよ。コイツが最近成長してるって耳にしたからよ。」

 

ミスタはサーレーに向けて顎をしゃくった。

ミスタの目は若干剣呑な光を帯びているように、シーラ・Eには思えた。

ミスタはサーレーに告げた。

 

「……さて、サーレー。せっかくだからどの程度成長したのか、()()()みるか?」

「……望むところです。」

 

ミスタもサーレーも不敵に笑っている。二人が何を考えているのかわからない。彼らに通じ合う何かがあるのだろうか?

シーラ・Eはどう応対するべきか判断に迷った。

 

「さて。」

 

ミスタは懐から拳銃を取り出し、弾を一発込めた。シーラ・Eはミスタの唐突な行動に緊張した。

サーレーは静かに目を瞑り、集中をして、自然体で佇んでいる。ゆっくりとクラフト・ワークのスタンドパワーがサーレーの全身に行き渡った。

 

「いいか?」

「ええ。」

「ミスタ様ッッ!!何を!!」

 

ミスタの拳銃がサーレーの頭部に狙いを定め、サーレーは静かに目を開けた。

ミスタは拳銃の引き金に手をかける。

シーラ・Eは焦った。

サーレーはミスタの持つ銃口から目を離さない。

 

サーレーの佇まいは安定していて、不敵な笑みを浮かべている。それは鋼鉄のような強靭な印象をシーラ・Eに与えた。

だがそれはあくまでも印象だ。人間は決して鋼鉄ではない。

 

「サーレーッッッ!!!防御しなさいッッッ!!!」

 

クラフト・ワークは近距離パワータイプのスタンドだ。防御をすれば、拳銃の弾くらいなら弾けて当然である。

しかし今のクラフト・ワークは防御を行なっていない自然体だ。シーラ・Eはクラフト・ワークが以前ミスタの銃弾にどう対応したのか知らない。シーラ・Eはサーレーの脳漿が飛び散る様を想像した。

 

倉庫に乾いた炸裂音が鳴り響く。シーラ・Eは耳を塞いだ。ミスタの拳銃から、弾丸が発射された。

 

【イエエーーーイッッ!!】

 

拳銃から発砲された弾丸をミスタのスタンド、セックス・ピストルズが蹴り飛ばす。セックス・ピストルズは六体のスタンドで、銃弾の軌道を自在に変化させ威力を増幅させる力を持つ。

弾は六体のスタンドに蹴り飛ばされ、加速して、曲がり、威力を増幅させてサーレーの右側頭部に命中した。シーラ・Eは惨劇を想像した。

 

「……フン。なるほどな。やるじゃねえか。ま、俺も本気じゃあねえけどな。」

 

倉庫の中で甲高い金属音が響いた。ミスタは笑い、シーラ・Eは安堵した。

銃弾の命中したサーレーの右側頭部は僅かな傷がついただけで、ミスタの放った銃弾はひしゃげて宙に浮いている。

 

「ベネ。(良し。)そうだ、それだ。それだよ、サーレー。俺たちがお前に求めているのはそれなんだ。お前のクラフト・ワークはそうやって使うんだ。お前はパッショーネが新たに選んだ社会の守護者なんだから、それをゆめゆめ忘れるな。以前のような防御方法は、危なっかしくてしょうがねえ。」

【ウエエーン、オレタチノジュウダンガハジカレタア。】

【ナクナヨ。ボウギョサレテトウゼンダッタミタイダゼ。】

【デモホトンドムキズッテ、チョットムカツカネーカ?】

「……お前らちょっと静かにしてろ。話が進まねーだろうが。」

 

サーレーはクラフト・ワークのスタンドパワーを全身に行き巡らせて、外皮の形状を強固に固定して銃弾を防いでいた。クラフト・ワークの固定はセックスピストルズの銃弾に込められたスタンドパワーを凌駕して、弾き返した。

 

以前のようなくらった後に防御するやり方は、間違えて重要な血管や臓器を傷付けかねない。サーレーの任される任務はこの先も危険なものが多い可能性が高く、場合によっては長期に渡る可能性もある。以前の余裕ぶっこいたような防御方法をさせていては、長持ちしない。

 

「ミスタ様ッッ!!なぜこんなことを!!!」

「アン?ああ、確認だよ。以前のコイツの防御法は危なっかしくてよォ。自分のスタンドの防御を過信してやがったんだ。たしかにコイツのスタンドは防御に優れたスタンドだがよォ。まあ、緊張感が足りねーっつーか。」

 

ミスタは自分のスタンドにサラミを与えている。彼はそこまで喋ると詰め寄ってくるシーラ・Eの方へ向き直った。

ミスタはサーレーの横に並び、サーレーの肩に手を置いた。

 

「コイツのスタンドなら本来、こんくらい出来て当たり前なんだよ。コイツはイタリアの有事に最前線に立つ尖兵なんだからな。油断や過信はコイツを殺し、常に死が隣にあるという緊張感や集中力がコイツを生き残らせる。いつも真面目で緊張感のあるお前には理解できねえかもしんねーけどよォ。俺たちの組織の下っ端にはこうやって誰かがケツを叩かねーといけねーだらしねー奴だってたくさんいるんだ。ま、コイツはもう問題無さそうだけどな。」

 

ミスタはシーラ・Eに向けて笑った。

 

「お前も組織で人の上に立ちたいなら、ダメなやつも上手く扱って行けるようにならねーといけねえぞ。」

 

ミスタは片手を上げて笑いながら倉庫から立ち去った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

本体

サーレー

スタンド名

クラフト・ワーク

概要

何やら新技の特訓をしていたようだが?

 

本体

グイード・ミスタ

スタンド名

セックス・ピストルズ

概要

六体のスタンド。拳銃に取り付き、銃弾の威力を強化したり軌道を変化させたりする。ミスタの口ぶりでは、もしかしたらもっと強力な攻撃が可能なのだろうか?

 

 

 

詳細は秘密にしておくが、実はグイード・ミスタのセックス・ピストルズは、クラフト・ワークの天敵だ。



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ソフトマシーンとパープルヘイズ

月曜の朝、パンナコッタ・フーゴはミラノにあるとある有名大学の講堂にいた。彼は学生で、講義を聴講している。

月曜はいつだって憂鬱だ。それは学生も、会社員も、誰しもが月曜日なんて存在しなければいいのにと思っている、みんなの憎まれ役だ。

フーゴはノートを取りながら、カバンから水筒に入った紅茶を取り出して、口に含んだ。

 

「えーというわけでして、ここの意訳は【とっととしてくれ。】とでもすれば正しいと言えるでしょう。現地の言語は相手の表情なども見て判断するのが正しい意図を導き出すコツと言えるのかもしれませんね。」

 

英語の講義だ。壇上では年老いた教授が、なおもかくしゃくとした口調で講義を行なっている。

周囲には沢山の受講生がいる。若い彼らが少しだけ羨ましい。フーゴは彼らよりも年上で少しだけ浮いていたが、パッショーネが講義料をわざわざ彼のために払ってくれたのだ。恥ずかしいだなどと言ってられない。フーゴは集中して講義を聞いていた。

 

「ねえ、帰りにあの新しくできたカフェに寄っていかない?」

「いいね、近くにあるブティックも気になるし、のぞいてみたい。」

「じゃあそうしよ。他には誰呼ぶ?」

「あ、じゃあせっかくだし私が連絡しとこうか?」

 

フーゴの左側に固まって座っているのは年若い女学生たちだ。人生を楽しんでいるようで何よりである。

フーゴは勉強しにここに来ている。フーゴが今ここにいるのは、社会に馴染めなかったフーゴへのパッショーネの慈悲だ。かけられた恩は返さないといけない。

フーゴは、講義に集中するように努めた。

 

フーゴは以前も大学に通っていた。彼は知能指数が高く、以前は若くして飛び級をしていた。

しかし彼は社会に馴染めずに、結局は教授を厚みのある図鑑で殴って大学をクビになってしまっていた。

今のフーゴは成長した。彼は以前と同じ轍は踏まない。そうでありたい。

 

「なあ、今のなんて訳するんだ?チョットアイツラがうるさくて聞き逃しちまったんだ。」

「うわぁ!」

 

……思わずフーゴは変な声を上げてしまった。今まで右隣には誰も座っていなかったはずだが?

フーゴの右にはいつのまにかマリオ・ズッケェロが座っていて、フーゴのノートを馴れ馴れしく覗き込んでいる。

 

「き、君はッッ!いつに間に……!」

「俺のソフト・マシーンに忍び込めない場所はねえッッ……!」

 

ズッケェロがドヤ顔で言っているが、フーゴが言いたいのはそういうことではない。

 

「違う!!そういうことが言いたいんじゃあ、ないッッ!君はなんのために、ここにいるんだッッッ!」

「アン?そんなの英語の勉強のために決まってんだろーが。」

 

本人曰く、英語の勉強に来たらしい。

 

本当か?フーゴは怪しんだ。

……コイツはキチンと受講料を払って来てるんだろうか?

 

「……君は本当に英語の勉強のために来てるのか?受講料は?」

「ああ、ここの学生で講義をサボってる奴なんてやまほどいるからよォー。代返の代わりに俺が勉強させてもらいに来てるんだよ。」

 

ズッケェロ曰く、彼は真面目に勉強しに来ているらしい。フーゴにはそれが疑わしく思えた。

ズッケェロはフーゴのノートを覗きながら、自分のノートに何やら書き込んでいる。顔が近い。

 

「あまり馴れ馴れしくするな!僕は君にやられたことを忘れてはいないッッ!」

 

フーゴは以前、船でマリオ・ズッケェロに襲撃されてペラペラにされている。

 

「そう言うなよォ。たしかにあん時は俺がお前を攻撃したけどよ、俺だって反省してるんだぜ?今は同じパッショーネの仲間じゃあねえか。」

 

ズッケェロは笑い、フーゴは一考した。

 

【フン、君が真面目に講義を受けているか疑わしい。第一、君の相棒のサーレーはどこにいるんだい?】

 

フーゴは英語でズッケェロに問いかけた。真面目に英語の勉強していると言うのなら、この程度は答えられて当然だ。

 

【サーレーは上にいるよ。】

【上?】

 

ズッケェロは上を指差した。この建物の上階にいると言うことだろうか?フーゴは意図を掴みかねて困惑した。

 

【サーレーのヤロウはスタンドの特訓とかで、この建物の外壁を登っているよ。俺だって組織がマトモに扱ってくれるってんなら、真面目に勉強しようかなと考えることだってあるんだぜ?】

 

フーゴはこれには驚いた。ズッケェロは案外と流暢に英語を喋っている。

どうせ真面目に英語の勉強なんてしていないと思っていたんだが……ってチョット待て。コイツ今、なんて言った?

 

「なあ、フーゴ。最近この講義でお前を見かけるが、お前一体組織でどう言った立ち位置を目指してるんだ?俺にも今後の参考のために教えてくれよ。」

 

フーゴはパッショーネの幹部と親和性の高い、スポーツ医学者の道を目指していた。

幹部の道ではないが、スポーツ医学者として権威を得れば、組織の先々の運営に役に立つ。

フットボール選手の怪我や管理に対応する、いわゆるフットボールクラブチームの専属のスポーツドクターである。

 

「今はそれはいいッッ!それよりもサーレーのことだ!君は今、サーレーは何をしてるって言った?」

 

フーゴの聞き間違いであれば良いのだが。慣れない英語でズッケェロが表現を間違えたのかもしれない。

 

「アン?だからこの建物の外壁を登ってるんだよ。スタンドの固定と解除の訓練のためにさ。」

 

……コイツらはバカじゃなかろうか?

万が一誰かに建物の外壁を登っているところが目撃されたら、どこかの映画に出てくる蜘蛛男がミラノにリアルに出没したと新聞で大騒ぎになるに決まっている。

 

「オイッッッ!なんてことしてるんだ!今すぐやめさせろ!」

 

フーゴは思わず声を上げてしまい、周囲に注目されてしまった。周囲の咎めるような視線が痛い。

 

「オイ、静かにしろよ。講義が聞き取れねーだろうが。サーレーが外を登り始めたのはもうだいぶ前だから手遅れだよ。人目につかないところを選んだから多分、大丈夫だよ。」

 

マジかよコイツら。なんで選りに選ってこの建物を選んだんだ……。

フーゴはそこまで考えて理解した。サーレーの訓練で人目を避けて手直に登れる最も高層の建築物は確かにこの大学だ。この大学だが……。何というか……。

 

「そんなんだから君達はチンピラなんだッッッ!」

 

フーゴの声が、無意味に講堂にこだました。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「フッ、風が気持ちいい。」

 

サーレーは目を眇めて遠くを眺めた。高所からミラノの街を眺めるのは絶景だ。

サーレーは頬で、ミラノに流れる風を感じていた。

 

「アレがミラノの大司教座、ドゥオーモで、アレが歌劇で有名なスカラ座だ。アレが世界遺産のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会……。素晴らしい。イタリアの街並みは実に、美しい。ベネ《良しッッ》!!」

 

サーレーはミラノの街並みの絶景に感じ入っている、、、フリをしている。実際は光景など目には入っても、頭に入ってこない。

サーレーのこれは、実は現実逃避だ。目の前の現実を直視できず、無意味にかっこつけてしまっている。いずれは目の前の現実と戦わないといけない。

サーレーの眼前には、難敵が存在する。非常に厄介な、避けては通れない敵だ。

 

「……俺たちは戦士だ。俺たちはイタリアを害する敵たちと戦わないといけない……。」

 

サーレーはチラリと眼下を眺めた。

サーレーはイタリアの外敵と戦う前に、目の前の現実と戦わないといけない。

 

ーー高い……。

 

大学の建物は、七回建ての高層の建築物だった。一階層が五メートルだと仮定すると、サーレーの立ち位置は地上三十五メートルにもなる。フィート換算すると、だいたい百十フィートだ。この高さで足の竦まない人間など、そう多くはいない。

 

「風が……少し寒い。」

 

サーレーは身震いした。

 

いわゆるアレである。

猫が好奇心で木に登って、降りられなくなった状態である。

サーレーはスタンドの訓練のために高層の建物を選んで登ったはいいものの、降りる時のことを全く考えていなかった。登ってはみたものの、あまりの高所に足が竦んでしまっている。行きはヨイヨイ、帰りは怖い。登るときは集中していて全く気付かなかった。

このままいつまでもこうしているわけにもいかず、消防などに出動されて救出されてしまったら、末代までの恥である。組織に何と言われるかわかったもんじゃない。なぜそこにいたのかの言い訳を考えるのも一苦労だ。

サーレーはイタリア、ミラノの街を一望した。

 

「ミラノの町並みはとても素晴らしい。……さて、どうしようかな?」

 

サーレーは高層の建築物の屋上で、困り果てていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

英語の講義が終わった。

フーゴは次の講義場へと足早に向かう。

 

「なあ、教えてくれよ。お前はパッショーネのどこを目指してるんだ?」

 

しつこい……。ズッケェロが後を追ってきた。いつまでも付き纏われるのは勉学に差し障る。

 

「……君は面倒だな。あとで答えてあげるよ。僕は今は勉学に励まないといけない。」

「絶対だぜぇー。」

 

マトモに答えた方が手っ取り早かったかもしれない。でもまあ構わないか。どうせ少ししたら忘れているだろう。

フーゴは高をくくって、次の講義へと向かった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……クシュン。」

 

サーレーの鼻から水っぽい鼻水が流れ出た。

サーレーは未だ建物の屋上で立ち往生している。こんなことになるのだったら、もう少し厚着をしておくべきだった。

 

サーレーは屋上の端っこで身を抱えてしゃがみこんだ。

相棒のズッケェロは今頃英語の講義を終えたくらいだろう。そろそろサーレーが戻っていないことを不可解に感じて、なにかの助け舟を寄越してくれるに違いない。サーレーには具体的な方法は思い付かないが。

ズッケェロは長く付き合ったサーレーの無二の相棒だ。きっとあとちょっとの我慢のはずだ。あとちょっとすれば、きっとなんとかなる、はずだ。

 

「クシュン……うー、さみぃ。」

 

サーレーは鼻の頭を赤くしながら建物の屋上の端っこにしゃがんでじっと救助を待ちわびていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ズッケェロは、フーゴの講義の様子をジッと観察していた。

講義の内容はズッケェロには具体的にはわからない。専門用語が出てくる。講義によっては実践のようなことも行なっていた。

医学関係だろうか?

 

ズッケェロのソフト・マシーンは潜入、潜伏に関してはお手の物だ。探知タイプのスタンドでもいない限り、誰にも気付かれずに行動することが可能である。

ズッケェロは、フーゴはどうせ何をやっているのか教えてくれないだろうと予想して、勝手にフーゴの後をついて回っていた。

 

「ふう、今日はここまでだな。」

 

フーゴは手に嵌めた腕時計に目をやる。当初の予定通り、今の時刻は夕方の六時だ。

フーゴはカバンを持って、家に帰ろうとした。カバンの中には、実はズッケェロが潜伏している。ソフト・マシーンは非常に便利である。

フーゴは気付かずに家路へと着いた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは覚悟を決めていた。いつまでもこうしているわけにはいかない!

覚悟が道を切り拓くッッッ!

 

サーレーはずっと、寒風吹き荒ぶ屋上で相棒の救助を待ち続けていた。もうかれこれ六時間ほど。

しかし、いつまでたっても何らアクションは起こされない。

 

サーレーの体は屋上を吹く風に晒されて、非常に体温が低下していた。このまま夜を迎えれば体調を崩すことは明らかだ。今でさえもちょっと熱っぽい。

このままでは、サーレーはマヌケな蜘蛛男として誰にも気付かれずにこんな訳のわからない場所で凍死してしまうことになる。断じてそんなマヌケな最期は認められない。組織の人間も、呆れ返るに違いない。

 

サーレーはクラフト・ワークを見つめた。

 

ーー……ヤレるか?

 

クラフト・ワークはジッと静かにサーレーを見続けている。

サーレーは己のクラフト・ワークがとてつもなく頼もしく見えた。

 

サーレーは気づかないフリをしている。クラフト・ワークはサーレーの精神の具現だ。

実は、クラフト・ワークの足もちょっと震えていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

大学からの帰り道、パンナコッタ・フーゴの携帯に電話がかかってきた。パッショーネ関連からの電話だ。

フーゴの記憶が正しければ、それはミラノにあるパッショーネ経営の裏賭博場からの電話だ。

 

ミラノ在住のパッショーネの下っ端は、持ち回りで組織の所有物件のトラブル対応を担当している。

フーゴは今日は、賭博場のトラブル担当だったはずだ。面倒ごとが起きたのだろうか?

根が真面目なフーゴは、このトラブル担当という仕事が非常に苦手だった。

 

「もしもし、なんかあったのかい?」

『ああ、フーゴさん。ちょっと店の中でゴネている客がいるようでして……。対応をお願いします。』

 

裏賭博場ではバカラ、ルーレット、ポーカー、ブラックジャック、トトカルチョなどを扱っている。

フーゴはため息をついて裏賭博場へと向かった。トラブルの処理をしないといけない。フーゴは組織に生かしてもらっている。

フーゴはタクシーに乗って程なくして裏賭博状に到着した。

 

「何かトラブルがあったみたいだが?」

 

建物の入り口付近には裏賭博場の従業員がフーゴを待っていた。

 

「ええ、中でゴネているお客さんがいるんですよ。まあ、いつものことです。中に入ればすぐにわかります。」

 

従業員はため息をついた。フーゴの顔見知りだ。若くて真面目な好青年である。

彼もまた、パッショーネの人間だ。確か彼は親のネグレクトが原因でここにいる人員だったはずだ。ネグレクトとはいわゆる、育児放棄である。

彼はまだ今より幼い頃、ネグレクトされて行く宛もなく夜のミラノの歓楽街をさまよっていたところを、組織の人格者の幹部に保護された。以来彼がどうしようもない時に、パッショーネは度々彼に居場所を提供していた。彼を拾ったパッショーネの幹部は、彼を我が子のように可愛がった。

ゆえに彼もまた、ペリーコロのように組織に温情を感じている人間だ。

 

賭博場ではトラブルはありがちなものだ。

このテの遊技場では、ちょっとツケば大金を持ち帰ることが可能だが、負けが込んで熱くなると思わぬ大金を落とすことになる。

短期的に見れば勝つことも可能だが、長くやればどうやっても胴元に金が転がり込むことになる。

 

世間ではもめた客を事務所に連れ込むようなイメージがあるかもしれないが、事務所の内部構造を赤の他人に教えるようなことは、普通はまず有り得ない。強盗や窃盗を主体とした、犯罪のもとになる。従業員は当然通常業務も行う必要がある。

そのために、フーゴのような人間がトラブルの対応を行なっていた。

 

「わかった。あとは任せといてくれ。」

 

とは言ったものの、対応は面倒だ。時間も取られることになる。家で講義の内容を復習する予定だったのだが?

フーゴは店のドアを開けて中に入った。

 

「違法だッッ!警察に言いつけてやるッッッ!!!」

 

なるほど。いつものことで、実にわかりやすい。

パッショーネの力は社会に強く根を張っている。賭博場はたしかに違法だが、警察に連絡しても賭博場が各所への根回しという多少面倒な手続きを踏む必要ができるだけだ。

フーゴは中央のルーレットの近くで従業員ともめている男に近付いた。

 

「お客様、お話をお伺いします。あちらへとどうぞ。」

 

フーゴはゴネている客に丁寧に接した。手を差し出して、ソファの置いてある休憩所を指し示した。

組織所有の裏賭博場では、紳士の遊び場として相応の格好が義務付けられている。

ゴネている男も、身なりは立派でそれなりにいい恰幅をしている。もしかしたら、社会的に立場がある人間なのかも知れない。

 

「なんだ、キサマは!俺をどうしようってんだ!」

 

フーゴはため息をついた。どうするもこうするもない。

同業者ならともかく、恐らくは相手は一般人だ。大人同士の話し合いを行おうというだけだ。別に高圧的にことを運ぶつもりはない。

 

……つくづく面倒な仕事だ。これからさんざんこの男の文句に付き合わされないといけない。

男は何をされるかと怯えている。お前がゴネたから僕が呼ばれたんだろーが。

フーゴはグッと文句を飲み込んだ。

 

「別にとって食おうってわけじゃねーよ。ただ、アンタが言いたいことがあるみたいだから、お互いのためにもしっかりと話し合おうってだけじゃあねーか。」

 

……お前は、どっから湧いて出た?

フーゴは思わず叫びそうになった。いつのまにかどこからかズッケェロが現れて、勝手にゴネていた客の対応を行なっている。

 

「なんだ、このチンピラがッッ!キサマ、肩を組むな!」

「まあまあ、そう言うなよ、オッサン。ほら。あっち行こうぜ。」

 

ズッケェロは初見の人間に馴れ馴れしい。

男はズッケェロに肩を組まれたまま店の外へと連れ出されていく。

フーゴは言いたいことはあったが、黙ってズッケェロの後を追った。

 

「おッ、いたいた。オーイ!!」

「あら、どうしたのマリオちゃん。」

「今からこのオッサンとそこのイケメンのニーチャンと飲みにいくからよ。お前も来いよ。金はイケメンのニーチャンが出してくれるからさ。」

「キャッ。ステキ。」

「オイ、一体なんなんだ!?」

 

ズッケェロは街角に立っていた扇情的な格好をした妙齢の女性に声をかけた。どうやら顔見知りらしい。

肩を組まれたままの男は困惑している。ズッケェロはフーゴを指差した。おい、ちょっと待て!

 

「おい、ちょっと待て。飲みに行くってどういうことだ?まさかイケメンのニーチャンとやらは僕のことかッッッ!」

 

フーゴはズッケェロの唐突さに困惑した。

まさか今から僕がコイツらに酒を奢らないといけないとでもいうのかッッッッ!!!

何故?なんの理由で?そこの女は誰だ!?

 

「ほら、オッサン。いつまでもゴネてねーで行くぜ!」

「ヤメろ!!チンピラが!!引っ張るな!!」

 

フーゴと男と謎の女は、ズッケェロに連れられて強引に近場の酒場に連れ込まれた。

 

 

◼️◼️◼️

 

「俺だってそりゃあわかってるよ。こんなことをしても何もならないってくらい。」

「わかるぜぇ、オッサン。ムカつくよなあ。」

「大変なのねぇー。はい、お酒。」

 

パンナコッタ・フーゴは意表を突かれていた。

ズッケェロが酒場に男を連れ込んでさほど経たずに、男は大人しくなり愚痴を吐き出した。

ズッケェロと女は男の両脇に座って酒を注ぎながら男の話を聞くことに集中している。

フーゴの予想よりも、ズッケェロのコミュ力が高い。少なくともフーゴよりは。

 

「まあ、だからってもうあそこでゴネちゃダメだぜ?パッショーネの息がかかってるって、わかってんだろ?ものを知らない下手なチンピラが駆り出されてたら、オッサンにとってもいいことになんねーからよ。話があるなら俺が暇なときにでも聞くからよぉー。」

「……ああすまん。恥ずかしいところを見せた」

 

男はしばらく酒を飲んで一通り愚痴を吐き出すと、やがて大人しくなって帰っていった。

どうやらへんな客というわけではなく、たまたま虫の居所が悪かっただけらしい。

 

「……ここの飲み代は誰が持つんだい?」

「そんなんお前に任せるに決まってんだろ?俺は今、手持ちが大してねえ!」

 

偉そうに言うな!フーゴはため息をついた。

トラブルに効果があったのは確かだが、毎回これでは費用が嵩みすぎる。

 

「……どうしてこんなことを?」

「お前もよー、あのオッサンも、遊ぶのが苦手そうだったからよぉ。」

 

……このチンピラは何が言いたいのだろうか?

 

「あのオッサン、ミラノにあるそこそこ立派な会社の重役なんだとよ。家族もいるし、今まであまりこういう遊び場に繰り出すこともなかったみてーだ。部下や取引先の重役なんかと何度か来たことがあるくらいらしい。でもまあ、たまには一人でこういうところに足を運びたい何かがあったんだろ。その何かは俺にはわかんねーけど。順風満帆な人生なんてないだろ?人生月夜ばかりじゃあねえ。」

 

ズッケェロはそこまで喋ると、酒場の従業員を呼んで新たにツマミを注文した。

オイ、ちょっと待て!それ誰の金だと思ってるんだ?フーゴは念のために財布の中身の確認を行った。

 

「ボスが以前言ってたんだよ。俺たち裏の人間は表で真っ当に稼いでいる奴らがいるから存在を許されてるって。なら俺たちなりにそいつらの愚痴を聞くぐらいはしなきゃあダメなんじゃねーかって。」

「……僕の金で好き放題してくれるな!」

「まあ、そう言うなよ。これもお前の好きな勉強の一環だよ。勉強には金がかかるもんだが、真面目にやればあとでキッチリもとが取れるだろ?あーゆー場所でゴネている人間が何を考えているのか、知るのも勉強の一環だろ?そうすればトラブルの処理が上手くなるぜ。仮にもショバのトラブル担当なんだからさ。」

 

……言ってることは理解できる。パッショーネは社会の潤滑剤でもある。

たしかに全く理がないわけではない。ないわけではないが……。

 

「オイ、ちょっと待て!お前僕の金でどこまで好き放題飲み食いするつもりだ!」

 

ズッケェロはまた従業員を呼び止めていた。メニューを指差している。今度はピッツァが食べたいようだ。

 

オイ、待て!トラブルを起こしていた男はもう帰っただろうが!ヤメロ!

僕の今月の生活が苦しくなるだろーが!

 

「ヤーン、オニィちゃん、怖いわ。」

「女性を怖がらせるのはあまり褒められた行為ではないぜ?」

 

ズッケェロは笑いながらフーゴにウィンクを飛ばした。とてもイラつく仕草だ。

フーゴはいっそパープル・ヘイズを使ってしまおうか、ほんのすこしだけ迷った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ハア、ゼエ、ハア。」

 

時刻はもう夜の八時だ。かれこれサーレーが建物に登り始めてから、すでに十時間が経過している。体は外側が冷えて、内部は若干熱っぽい。

サーレーはクラフト・ワークの顔を見つめた。クラフト・ワークはかすかに頷いたように、サーレーには思えた。

 

ーーああ、そうだ。俺たちは、やり遂げた!

 

サーレーとクラフト・ワークの間には、以前よりもたしかな絆が生まれていた。彼らはともに、試練を乗り越えた。

倒せないかと思われていた難敵を、見事に打ち破ってみせたのだ。

 

ーー今までで最悪の、マジでヤバイ相手だった。ヤバかった。だが、俺たちは乗り越えた!

 

ヤバイという表現の大安売りだ。

サーレーはクラフト・ワークの新技をフルに使い、スタンドパワーを使い切って試練に挑んだ。見事クラフト・ワークはサーレーの覚悟に答えて、彼らは試練を乗り越えた。

サーレーは踏破した憎い怨敵、大学の校舎を勝者の眼差しでもって勝ち誇った。

 

ーーフッ。敗者は語らず、ただ去るのみか。今の俺たちに敵はないッッ!どんな高層の建物だって、俺とクラフト・ワークで乗り越えてやるッッッ!!

 

サーレーは若干趣旨を見失っている。

この後日、サーレーはミラノの高層ビルの上で立ち往生する羽目になるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「じゃあな、フーゴ。楽しかったぜ。今日はごっそさん。」

「フーゴちゃん、ありがとねー。」

 

ズッケェロと謎の女はフーゴの金で好きに飲み食いして去っていった。

フーゴはミラノの歓楽街で一人取り残された。フーゴは少しだけ、トラブル担当に対する苦手意識が薄れていた。財布の中身は軽くなってしまったが。

 

ーー立派な人間や真面目な人間でも、月夜ばかりではない、か。

 

パンナコッタ・フーゴは考える。

裏社会の賭博場は、社会に対する不満を持った人間の息抜き場という側面も果たしている。社会に全く不満がない人間などほとんど存在しない。多くの人は日常を騙し騙し、適度で満足し、上手くやっている。

賭博場は、もしかしたら社会の犯罪に対する抑止となっているのかも知れない。そうでないのかも知れない。

その存在意義は知らないが、少なくともパッショーネの明確な資金源の一つとなっている。

 

マリオ・ズッケェロは不真面目で愚かな人間だが、彼は彼で似たような人間の心情を深く理解しているようだ。

社会に真面目な人間ばかりでは、一度起きた争いは止まらなくなってしまう。お互い自分のやっていることの正しさを信じているのだから。

 

ズッケェロのようないい加減な男も、もしかしたら社会に緩衝材として必要な存在なのかもしれない。

いつかフーゴが社会に不平不満を感じたら、ズッケェロを愚痴に付き合わせてやろう。ただし次の飲み代は割り勘だ。

 

フーゴは、笑った。

 

ーースカラ座か。今日はオペラをやっているのか……。

 

フーゴは近場にあったミラノ・スカラ座の建物を眺めた。

スカラ座とは、世界的に有名な歌劇の舞台である。フーゴは、どっちかというと裏賭博場よりもこっちの方が好みだ。

 

ーー今度久々に見に来てみようかな?……今月はあのバカのせいでもう金に余裕がないけど。

 

フーゴは様々な分野で高い才能を持っている。

芸術も堪能だったが、以前の彼はそれらは先人に極められていて学ぶことに意義を見出せなかった。

 

ーー今の僕なら、以前とは違う感想を得られるだろうか?

 

それはわからない。

スカラ座では、日々客に素晴らしいものを見せるために演者たちがたゆまぬ鍛錬を行なっている。

それに対して以前と同様に、なんら意義を見出せないかもしれないし、もしかしたら全く違う感想を持つかもしれない。

ただ一つ言えることは、フーゴの精神は以前よりも成長しているということだけである。

以前よりも少しだけ、フーゴはイタリアの国と街並みが好きになっている。次の給料日が楽しみだ。

 

フーゴは薄暗いミラノの街並みで、一際明るく輝くミラノ・スカラ座の建物を静かに見上げていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「オイ、オメーが俺を置いて行ったせいで、俺が酷い目にあったろーが!クシュン!」

「知るかよ!てめーが自分で特訓するって言ったんだろーが!」

 

ミラノの静かな夜の裏通りで、どっかのアホなチンピラたちが二人で騒いで喧嘩していた。



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レクイエムは、静かに奏でられる

スタンド名はオリジナルが好ましいのではないかという御指摘を頂きましたので、1話目に載せたクラフト・ワークとソフト・マシーンの名称を若干変更いたしますね。新しい名称はイタリア語と英語が混在してますが、語学の苦手な作者ですのでどうか許してください。内容には変更点はございません。
イタリア語でboiaは処刑人、drogato は麻薬中毒者のような意味合いです。

変更点
クラフト・ワーク・ディストーション→クラフト・ワーク・ボーイエ
ソフト・アンド・ウェット・マシーン→ソフト・マシーン・ドロガト


ジョルノ・ジョバァーナは、ヨーロッパの裏社会で誰よりも優先的にナプキンを取ることを許されている。

ジョルノがテーブルに座って右のナプキンを取ったら皆それに倣って右を、左のナプキンを取ったなら左を。

ジョルノはヨーロッパ裏社会の帝王であり、下の者は皆彼に傅いている。

 

それは、この世の超越者の特権だ。

権力をどれだけ持っていようとも、無礼者や暴君にそれは許されない。

ジョルノは裏社会で多大な敬意を集め、誰であろうと彼よりも先にナプキンを取ることは許されない。

イタリアの裏社会でジョルノはまるで、無敵の全知の帝王のように扱われている。

 

しかしジョルノ・ジョバァーナは無敵ではない。

ジョルノ・ジョバァーナは全知ではないし、何もかもを手中に入れた帝王でもない。

 

パッショーネだけでなくヨーロッパの裏社会全体で、ジョルノは最強の帝王のように恐れられているが、それは等身大のジョルノ・ジョバァーナではない。

そういったフリをしているだけだ。ジョルノは、イタリア裏社会の帝王のフリをしているだけである。

 

ジョルノ・ジョバァーナはそう考える。

 

パッショーネは強大な組織だが、当然それはジョルノ一人の力で運営されているものではない。

副長のグイード・ミスタ、ジョルノに忠実なカンノーロ・ムーロロなどの有能な部下たち、取り巻きのシーラ・Eを筆頭とした武力集団、商才のある頼りになる老獪な幹部連、組織でいいポストに就こうと日夜努力を続ける下っ端構成員、友誼を育むヨーロッパ圏内の友好的組織、組織に庇護を求める一般人、そういったパッショーネとそれを取り巻く社会の環境に支えられて、ジョルノはイタリア裏社会の帝王の役割を果たすことを許されているだけだ。

 

そしてジョルノがそこに至る過程で、彼の仲間であるブローノ・ブチャラティ、ナランチャ・ギルガ、レオーネ・アバッキオという彼にとってかけがえのない友人たちの命は失われた。今の住みやすいイタリアは、彼らの血の結晶である。イタリアの平穏を軽視することは、ジョルノにとっては命を賭してくれた彼らへの裏切りにも等しい。

 

ジョルノ・ジョバァーナはそれを知っている。それを決して忘れない。

そして、それはパッショーネが社会に盤石たる最大の理由でもある。

 

ジョルノは日々への感謝を忘れず、彼に油断や慢心はない。ただでさえ盤石な組織の長が、付け入る隙を一切見せないのである。

彼は全知ではないゆえに、仲間が命懸けで遺してくれたイタリアの平穏にかけがえのない価値を見出し、それが失われることを恐れている。

恐怖とは決して悪いものではない。仮に恐怖を持たない種が存在したのなら、彼らはどれだけ強靭な肉体を持っていてもあっけなく絶滅するだろう。例えば屈強な肉体と明晰な頭脳を持った歴代の石仮面の戦士たちが全滅したように。

 

社会とは、矛盾を含んでいる。

裏社会とは、表から脱落した人間の集まりであるにもかかわらず、表の人間の支持を集めないと強い組織になれない。裏であるにも関わらず表に気に入られないとやっていけない。なぜなら、裏よりも表の人数の方が圧倒的に多いから。

裏社会はあくまでも社会という大きな一枚のコインの裏側にあるだけで、それは決して反社会ではない。

 

無い方がいいにも関わらず、裏は存在する。誰にも否定できない。

裏が表のおかげで存在できるのと同様に、表とは裏の存在によって成立しているのである。

 

誰もやりたくなくても、やらないといけない仕事は現実的に存在するのだから。

やりたく無い仕事というものは得てして、多くの場合放置すれば社会に悲劇を生み出すことになる。例えばチョコラータを生かしておいたせいで、罪なきローマの市民が大勢亡くなったように。

表社会においても、テロリストなどの危険度が極めて高い相手に対しては多くの場合苛烈な決定を下される。

 

殺人とは反社会的な行為でありながら、それをチョコラータに対して行っていれば大勢のローマ市民は亡くならずに済んだはずだった。そこには決定的な矛盾が生じている。

 

社会とは、いつも矛盾を抱えて運営されている。その矛盾をうまく処理するのが裏社会の存在意義なのである。サーレーがパッショーネに任された職種は、その最たるものである。

 

どれだけ声高に理想を叫んで裏社会を糾弾しようとも、〝じゃあ嫌なこと全部お前がやれ〟この一言で大概の人間は沈黙する。

それらの仕事を表の人間に任せてしまえば、しばしば汚れ仕事をする人間が表社会の差別や糾弾の対象になり、社会全体のモラル低下の原因となる。モラル低下は、社会に犯罪が蔓延る最大の原因だ。

 

裏ゆえに表よりも緩いところもあるが、裏であるがゆえに表よりも厳しい点も多数存在する。

裏社会にも関わらずジョルノ・ジョバァーナのパッショーネがイタリアで絶大な支持を受けているのは、ジョルノの理想が大多数の表の人間にも共感できる理想だからである。

 

ジョルノは全知ではない。彼はそれを知っている。

ゆえに実は、パンナコッタ・フーゴの処遇に非常に苦慮した。

以前フーゴの処遇にほとんど迷わなかったと言ったな。スマン、ありゃ嘘だった。麻薬チームのマッシモ・ヴォルペの処遇を決めるのは簡単だったのだが。

 

帝王は周囲に威厳を示すために、たとえ偽りだとしても毅然とした態度をとることも時には必要だ。

本当はジョルノにだって迷いや悩みはある。むしろ地位や立場のある人間の方が、社会に対して背負う責任は大きいと言ってもいいだろう。ゆえに迷いや悩みも大きい。

 

ジョルノ・ジョバァーナはパンナコッタ・フーゴの人物像を掴みきれていなかった。

彼がフーゴと過ごした期間はあまりにも短く、ジョルノはフーゴをどういった扱いにするか非常に悩んだ。

フーゴのスタンドは危険極まりない。万が一パッショーネの敵として現れた場合、極めて高い確率でパッショーネの貴重な人員の命が多く喪われることになる。ジョルノにとって、フーゴは扱いが難しい問題だった。

 

しかし、それでも問題をいつまでも先延ばしには出来ない。日々は緩やかでも確実に過ぎていき、問題というものは後回しにするほどに得てして、より致命的になるものだ。

矛盾や苦悩を抱えても、間違えを犯したとしても、それでも先へ進まないといけないのが人間なのである。

 

迷い自体は悪いことではない。人間はいつだって迷うものだ。迷うということは、少しでも良い未来を目指すために必要な過程である。

そして、迷いなき帝王とはそれすなわち傲岸不遜な独裁者である。

 

迷うことは悪いことではない。迷って歩みを止めることこそが、人生の成長の妨げになる。

ジョルノはそう考えている。

ジョルノは対外的にはあたかも全てを理解しているかのような毅然とした態度をとるが、それはあくまでも組織の下の人間の求心力を維持して彼らの不安を取り除くためである。

 

答えのない問題に悩み果てた末に彼が出した解答は、問題の先延ばしによる細やかな経過の観察だった。

パンナコッタ・フーゴは危険な人物ではあるが、ジョルノが最も信頼していたブチャラティチームのリーダー、ブローノ・ブチャラティが守りたいと願ってチームに引き入れた人物でもある。死者の思いを正確に汲み取ることは不可能だが、それでも想像することは可能だ。

 

ブチャラティはきっと、フーゴはイタリアの社会でやっていけるように成長すると考えていたのかもしれない。そうでないかもしれない。

あるいは、ブチャラティはこの上なく優しい人格者でもあった。フーゴがどれだけ危険であっても、彼の庇護をしたいと願ったのかもしれない。そうでないかもしれない。

結局は、わからない。それでも確実に言えることは、ブチャラティにはフーゴを懐に入れる彼なりのなんらかの理由があったということだ。

 

人間の人生には、大切なものに序列がつけられている。

フーゴはもしかしたら過去に凄惨な事件を起こしたことがあるかもしれない。社会の敵なのかもしれない。

ジョルノにとって世界は大切だが、世界よりもイタリア、イタリアよりも地域、地域よりも仲間、そして家族。

多くの人間は大切なものにはそういった序列がつけられている。例えばシーラ・Eにとって姉への愛が最上位に存在したように。そして、本当にそれが大切ならば自分で守らないといけない。

 

それならばジョルノも、わからないなりに彼が信じた人間の判断を尊重することに決めた。

ブチャラティにフーゴを生かすだけの理由があるなら、ジョルノもフーゴに時間を与えてそれを見極めようと。

イタリアの社会は大切だが、仲間はもっと大切だ。ジョルノは決断した。

 

『いいんじゃあねーか?お前がボスだ。俺はお前の判断を尊重するぜ。』

 

悩んだ末に相談したミスタも、ジョルノの判断を尊重してくれた。ジョルノは帝王であり、悩みや弱みを見せることができる人物はほとんどいない。ジョルノにとってミスタは数少ないそういった人物だ。

そしてパンナコッタ・フーゴにはその人物像の予想を立てたジョルノによる試練が与えられた。そしてジョルノの判断の正しさを証明するかのように、フーゴはムーロロのサポートを受けて成長した。ジョルノにとってそれは、望外の喜びだった。

 

フーゴを生かすことに決めたからには、使える人材を最大限に活用すべきだ。

フーゴは賢く、どのような分野もソツなくこなす能力を持っている。幹部候補生にしたのはただ単にフーゴの能力が高かったからであり、それが彼を最大限に活かすことが可能だというそれだけの理由だった。フーゴの組織内での立ち位置自体はジョルノにとって些細なことだった。

今のフーゴは成長し、組織のために役に立ちたいという意志が明確に見受けられる。

 

「もう……今年もこんな時期か。」

 

ネアポリスの図書館で長机に座りながら、ジョルノはつぶやいた。外は小雨が降っている。

珍しく今日のジョルノは、物憂げな気分だった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

珍しくジョルノ・ジョバァーナは、黒のスーツを着こなしている。

普段彼は忙しいが、今日だけは特別だ。毎年この日は、彼は欠かさずに休暇を取っている。

ジョルノは、プライベートジェットでサルディニア島に飛んでいた。

 

「お久しぶりです、ボス。」

「やだなあ。ジョジョって呼んでくれと言ったはずだろ?君が元気にしていることは聞いているよ。是非ともパッショーネのために研鑽を積んで欲しい。」

 

ここには今四人の人物がいる。皆、黒いスーツを着ていた。

サルディニア島の海が一望できる海岸線、波の音が耳に心地よい。

 

今ここにいるのはパッショーネのボス、ジョルノ・ジョバァーナ。パッショーネ副長であり凄腕の拳銃使いと名高いグイード・ミスタ。新進気鋭の歌手、トリッシュ・ウナ。

そして、今年から増えた一人。パッショーネの下っ端であり将来性を見込まれた新人、パンナコッタ・フーゴである。

かれらは裏社会の要人だが、護衛を必要としないほどの実力者でもあり、それが四人も揃っている。

 

「……ジョジョは馴れ馴れしすぎます。僕が今人生を楽しめているのは、あなたの御慈悲だ。」

「君は真面目すぎるな。真面目に日々を過ごすのは素晴らしいことだけど、今日は()が見てるんだ。こんな日くらいは昔に戻ってもいいだろう?」

 

ジョルノは親指を立てて指差した。

周囲に目立たないように、石がおいてある。そこにあるのは墓標だ。

 

『オイ、フーゴ。ジョルノはお前の後輩だろうがッッ!ヘコヘコせずにちったあ威厳ってもんを見せやがれッッッ!』

 

フーゴは、幻聴を聞いた気がした。相変わらず無茶を言う。

今のフーゴとジョルノの立ち位置は、天と地ほど乖離している。フーゴはもう一生ジョルノに頭が上がらないだろう。

フーゴは少しだけ、苦笑した。

 

今日は、命日だ。ここに眠っているのは、レオーネ・アバッキオ。フーゴがパッショーネとの入団の渡りを付けた人間だった。

すぐ後日には、ナランチャ・ギルガとブローノ・ブチャラティの墓参りも控えている。

彼らは前ボスとブチャラティチームが対立した際に、命を落としたブチャラティチームの仲間たちだ。

 

「菊、カーネーション、グラジオラス……。」

 

ジョルノがゴールド・エクスペリエンスで墓に備える供花の花束を創り出した。

トリッシュがそれを受け取り、しゃがんで墓石に添えた。

 

「久しぶりね、フーゴ。少し痩せたかしら?」

「ああ、まあね。気にするほどではないよ。」

 

トリッシュ・ウナが立ち上がりフーゴに微笑みかけた。彼女も以前に比べると随分丸くなったと言えるかもしれない。

フーゴの健康に気をかけている。フーゴはしばらく、パッショーネの追っ手に怯えていた時期があった。

トリッシュは以前は、出会ってすぐのフーゴの洋服で洗った手を拭いていたはずなのだが。

 

「ま、ジョジョは普段はパッショーネのボスだが、裏では普通のガキっぽいトコだってあるんだぜ?」

「まあまあ、ミスタ。そんなことを言ってもフーゴがかしこまるのも仕方ないわ。ジョルノだってボスとしての体裁があるんだし。」

 

ミスタがフーゴの肩を叩き、トリッシュが軽く諌めている。

 

彼らが生きていれば最高だったのだが。ジョルノは墓前に目をやった。

ナランチャがバカを言い、アバッキオが呆れて、ブチャラティがナランチャをからかうミスタを諌めている。それを自分は遠巻きに眺め、フーゴはブチャラティの対外的な体裁のために勉強に励んでいる。テレビには、歌手のトリッシュが映っている。

それはどこまで行っても幻想だ。しかしジョルノは彼らのことが忘れられないし、忘れるつもりもない。

 

「じゃあ、黙祷を捧げようか。」

 

四人はレオーネ・アバッキオに黙祷を捧げると、次の目的地であるローマへと飛んだ。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

夜には、仲間内だけのささやかな宴会が開かれた。

ナランチャが亡くなったのは後日であり、サルディニアからローマに直行すると若干日数が余る。

彼らはローマのそこそこ値の張るホテルに泊まっていた。外が展望できるvip専用のテラスで、彼らは酒の入ったグラスを傾けている。ローマの夜景は美しく、四人は観葉植物の置かれたホテルの屋上でテーブルを囲んでいる。

 

「ギャハハハハ。オメーあの映画見てねえのか?アクションにしては内容はくだんねーけど、コメディーとしてみれば見れねーことは無かったぜ。」

 

ミスタが度数の強い酒を飲みながら、ジョルノに話しかけた。

最近巷で話題になっている映画だ。ジョルノは忙しくて、見ていない。

 

「たまにゃー外で何をやってるのか、見るのも悪くねーぜ。なあ、フーゴ。」

「そうですね。僕も今度スカラ座に歌劇を見に行こうと思ってます。」

 

フーゴはツマミにチーズを食べながら、ワインを飲んでいる。

 

「オメーは相変わらず、なんてゆーかお上品だな。まあそれが悪いってわけじゃねーけどよォ。」

「残念ながら私も忙しくて見逃したわ。その映画、話題になってるから気になってたんだけど……。」

 

トリッシュがジョルノの横に来て、酒をそそいだ。

歌手の彼女は本来ならばクリーンなイメージを保つために裏社会と関わりを持たない方がいいのだが、当人が一向に気にしない。

 

「ま、肩肘はんのもわかるけどよォ、たまにゃ部下に仕事をほっぽり出して外出してもバチはあたんねーぜ。組織にゃ信頼できる人材もたくさんいるだろ?お前はちょっと、働きすぎだな。」

 

ミスタはジョルノに笑顔を向けた。

彼はいつも、ジョルノにとって頼りになる兄貴分だ。サボりすぎる癖があるのがほんの少しだけ玉に瑕だが。

 

「ミスタ、あなたがもっとしっかりジョルノをフォローするべきなんじゃない?」

「おい、そりゃないぜ。俺はしっかりとやってるよ。なあ、フーゴ。」

「フーゴに聞いても彼に分かるわけないでしょう!」

 

ミスタが話題を振り、それにトリッシュが反応して、フーゴはどう答えたものか戸惑っている。

完璧ではない。ブチャラティたちはもういないが、これはこれで幸せな光景だ。

ジョルノは今彼に与えられているものを、感謝して享受した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

次は、ナランチャの墓参りだ。

アバッキオもナランチャもブチャラティも、パッショーネで葬儀を行い墓自体は別の場所にある。

しかし彼らにとってはここが死者の墓前である。

ローマのコロッセオ近くにある裏通りの一角、そこにジョルノの創り出した花束が置かれた。

 

フーゴは当然彼らの最期を知らない。彼らがどこでどうやって死んだか知る由もない。フーゴはその前にブチャラティのチームを離脱した。

今日ここにフーゴが連れて来られたことの意味を、賢いフーゴは当然理解している。

 

これはジョルノからの暗黙の、お前は仲間だというメッセージである。

 

フーゴはパッショーネに逆らうことを恐れて仲間を捨てて逃げたが、実際はジョルノたちが叛逆者で、ブチャラティチームはボスのディアボロに負ける可能性は高かった。職業軍人でもあるまいし、下っ端のチンピラが自分の命が惜しくて敵わない敵から逃げるのは普通のことだ。結局はフーゴにとって、大切なものの序列の一位が己の命だったという、ただそれだけのことなのである。フーゴ個人が責められるのは、本来ならばおかしな話である。

しかし、罪悪感というものは己から出るものだ。それはなかなか拭えない。

 

「ナランチャは、大学に行くことを望んでいた。」

 

ミスタがつぶやいた。

ナランチャの間際の言葉である。それはフーゴの心に突き刺さった。

フーゴはナランチャの行けなかった大学にパッショーネに通わせてもらっている。

 

チームのために戦ったナランチャは死に、チームを逃げたフーゴは安穏と大学に通って人生を謳歌している。しかもフーゴが大学に通うのは表社会にいた頃とあわせれば二度目だ。

もしこれでまた癇癪を起こして大学を辞めるようなことがあれば、フーゴはきっと自分に絶望して死にたくなる。

 

「……フーゴ、お前を追い詰めるつもりはねえが、お前はそれを知っておくべきだ。」

「……ええ。」

 

ミスタは静かにフーゴに告げた。

賢明なフーゴは、ジョルノの意図もミスタの言う意味もしっかりと理解している。

フーゴを墓参りに連れ出したことはジョルノ・ジョバァーナの慈悲であり、厳しさでもある。

 

フーゴを置いていけば、フーゴは何も知らずに日々を謳歌していただろう。そしてそれを後日知っても、そんなものだときっとそう考えていた。

フーゴを連れていけば、フーゴの罪悪感が刺激される。アバッキオ、ナランチャ、ブチャラティの死がリアルに、身近に感じ取れる。そしてフーゴ自身の彼らへの罪悪感からジョルノやミスタから責められているような感覚を受けるが、フーゴ個人を蚊帳の外にせずに仲間として尊重しているという彼らの明確な意思表示も同時に感じ取ることができる。

 

知らない方が幸せなことであっても、知っておけば未来に対する備えや成長の糧にできるものだ。

少なくともそれを覚えている間は、フーゴは自分が何のために大学に通っているかどうやっても忘れようがない。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

最後に、ブチャラティの亡くなった場所である。そこは、ナランチャの亡くなった場所のすぐ近くだ。

ジョルノが創り出した花束が道端に添えられ、四人は黙祷を行った。

 

ジョルノは今でも時折考える。

彼らを死なせずに済む方法はなかったのか?もっといい戦い方はなかったのか?戦いをやめた方が良かったのではないか?

 

部下には見せられない、これはミスタにさえ見せられないジョルノの弱い一面だ。ミスタはジョルノ以上にブチャラティに近しかったというのに、ブチャラティが死んだ原因であるジョルノが一体どんな顔をしてミスタに相談するというのだ?

いくら考えても明確な答えは出ない。あの時ジョルノは社会に麻薬をばら撒き娘を殺害しようとした顔を知らないボスに憤慨したが、それはブチャラティチームというかけがえのない友人たちの命を犠牲にしてまでも行う価値のある行為だったのか?

 

何回考えてもいつも結局同じ答えにたどり着く。

結局、ジョルノはあの時イタリアの社会に納得が行ってなかったし、目の前で命を奪われようとするトリッシュを助けたかった。

ブチャラティはジョルノのその考えを理解し、賛同して、命を預けてくれたのだ。それはジョルノにとって、何よりの救いでもある。

ならば、悩んでも迷っても矛盾を抱えても、立ち止まっていられない。得た平穏を何よりも大切に扱い、死んだ彼らに恥じないようにその時その時で最善を尽くしていく生き方をするしかない。ジョルノはそう考えている。

 

「それにしてもトリッシュ、ちょっと見ねえうちにずいぶんと綺麗になったな。」

「あら、私は以前は綺麗じゃなかったと?デリカシーが足りてないわ。あなたは相変わらず変な爪の形なのね。」

「そんなことを言ってねえだろうが!ちょっと褒めるとすぐこれかよ!?」

 

黙祷が終わり、彼らはいつも通りに戻った。

ジョルノとミスタはパッショーネの重鎮として、フーゴはパッショーネの下っ端として、トリッシュは有名歌手としての日常が戻ってくる。

ミスタはトリッシュに上手くあしらわれ、フーゴはまだ慣れないのであろう、肩身が狭そうだ。

 

それにしても。

ジョルノ・ジョバァーナには今なお気がかりなことがある。今を以っても解き明かせていない疑問だ。

ポルナレフの入れ替わりのレクイエムが発動した時にブチャラティの体に入っていて、ブチャラティの体の死とともに引き摺られていった人間はいったい誰だったのだろうか?

ポルナレフはディアボロが二重人格だと言っていたが、明確な証拠はない。

 

あの時近くにいた人物は、完全に誰がどこにいたのか把握している、はずだ。

ジョルノはナランチャになり、ナランチャはジョルノ、ブチャラティはディアボロ、ミスタはトリッシュ、トリッシュとディアボロはミスタ、ポルナレフは亀で、亀はポルナレフだ。だれか近くに一般人がいたとも思えない。ならば誰がブチャラティの体と一緒に引き摺られていったのか?ポルナレフの言葉が正しければ、ボスの二人目の人格ということになるが。

気にはなるが、今となっては解き明かしようもない。

 

四人は一通り墓参りが終わると、それぞれの日常に戻った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「やあ、ムーロロ。今日は変わりはないかい?」

 

ジョルノは携帯を手に取り、腹心の部下へと電話をかけた。ジョルノは組織の長として、部下の報告を受ける義務がある。

今はミスタと二人で、空港のネアポリス行きのプライベートジェットに向かっている。

 

『特に何もありませんね。だいたいいつも通りです。』

「そうか。すぐに戻るよ。」

 

ジョルノは返事を受け取ると、通話を切ろうとした。

 

『あ、ちょっと待ってくだせえ。だいたいいつも通りなんですが……。』

 

何やらムーロロの言葉の歯切れが悪い。何かあったのだろうか?

……もしかしたらジョルノに言いづらい、重大事があるのかも知れない。ジョルノは緊張した。

 

「……一体、どうしたんだい?」

『あ、その、えと、なんて言うべきか……。』

「はっきり言ってくれ。問題は対応が遅れると、被害が拡大することになるだろう。」

『……サーレーのアホがなぜかミラノの高層ビルの上にいて、国の消防に救出されたようで……。すいやせん。俺にもなぜそんなことになってるのか……。取り敢えずパッショーネに国から救出費用の請求書が来ていますが、これ、どうしやしょうか?』

「……彼の給与から天引きしておいてくれ。」

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名前

ジョルノ・ジョバァーナ

スタンド

ゴールド・エクスペリエンス

概要

イタリア裏社会の帝王。パッショーネのボス。下っ端のチンピラの間では、彼は生命を司る神のようなスタンド使いだと神格化されており、彼の身の回りは幾人もの死神のようなスタンド使いが彼に心酔して護衛しているとまことしやかに噂が流れて恐れられている。



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逆さ天秤のメロディオ

「うーん、確かにこの辺りのはずだけどなあ。」

 

女性が、携帯を手に持って弄っていた。携帯は、イタリアの地図のアプリが開かれている。イタリア、ミラノの地図だ。

 

「えーっと、ここがこの食堂で、駅から真っ直ぐ歩いてきたから……。あー、もう。タクシーにでも乗ってればなんとかなったのかしら?でも、タクシーに乗る余裕は無いし……。」

 

女性の年齢は20台の前半といったところだろうか?身長は170センチを少し超えたくらい、中性的な顔立ちで化粧は薄い。目は青くアーモンド型、鼻筋はくっきりしている。茶色いセミロングの髪が肩口まで伸びていて、銀のイヤリングが陽光を反射してきらめいている。スレンダーな体格で、ヘソを出した白いTシャツに紺のタイトなパンツ。カバンを肩にかけ、足元には動きやすそうなスニーカーを履いている。半袖の左腕からは炎を模したタトゥーがのぞいている。

 

「……地図はいつ見ても慣れない……。金もあんまり持ってないし、この辺りの人たちにでも聞くしかないかあ。」

 

彼女は、地図を読むのが苦手だった。

ミラノまで来てみたはいいものの、目的地の所在が曖昧だ。

 

「オーイ、そこのオジサン!」

「オジッッッ!!!」

 

サーレーは、固まった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

木曜の午後の昼下がり。辺りには暖かな陽光が照っている。

サーレーはズッケェロとドナテロの三人で組織のショバの見回りを行なっていた。ミラノにもたくさん、パッショーネの所有物件や庇護を受ける店は存在する。彼らが普段通り商売を行えているか確認するのも、パッショーネの大切な仕事の一環だ。

 

「オッサン、商売はどうだい?」

「ああ、ズッケェロさん。ボチボチですよ。あんたたちがウチにメシを食いに来てくれたら、ウチの商売ももっと楽になるんですがねえ。」

 

ズッケェロは50代の男性と親しげに話している。ミラノにあるシーフードピッツァが美味しい食事どころの店主だ。イタリアでトラットリアと呼ばれる大衆食堂の部類に入るお店である。

男性は商魂たくましく、ズッケェロに店の売り込みをしている。

 

「勘弁してくれよ。俺たちゃ下っ端のビンボー人だよ。オッサンの店のメシはウメーけど、毎食ここでメシ食ってたら、財布があっという間に干上がっちまうよ。」

 

ズッケェロは案外コミュ力が高い。上手くオッサンとの会話を弾ませている。

ズッケェロより口下手なサーレーにはああいった切り返しは不可能だ。

 

「でも時々くらいは食いに来てくれたっていいでしょう?ウチは安価な大衆食堂ですよ?いつもスポーツバーばかりでは食生活が偏っちまいますよ。」

「ああ、最近は自炊もしてるんだよ。やってみると料理って案外オモシレーのな。でもそうだな。俺の後輩をたまにはなんかうまい店にでも連れて行くのも悪くないかもな。」

 

ズッケェロはそう言ってドナテロを指差した。

羨ましい。サーレーは先週うっかり消防を出動させてしまって、その費用のせいで給料が減額されてしまった。当分素寒貧生活だ。

 

「おい、相棒。そんな恨めしそうな目で見るなよ。俺が相棒を置いていくわけねえだろ。たまにゃあ俺が奢ってやるよ。」

 

ズッケェロは太っ腹だ。しかし、どこからそんな金が出てるのだろうか?

サーレーは疑問に思って、ズッケェロに問いかけた。

 

「おい。お前なんでそんな金持ってるんだ?」

「アン?そんなん家計簿をつけて節約すりゃあ、これくらいの金は簡単に捻出できるだろ?」

 

サーレーはこれに衝撃と、凄まじい敗北感を覚えた。

サーレーには家計簿をつけるなんていう発想は存在しなかった。まさに革命だ。まさか相棒に先を越されていようとは。

 

「オメーも金銭管理はもう少ししっかりした方がいいかも知んねーぜ。家計簿をつけりゃ、案外無駄な費用がたくさん見つかるもんだ。」

「そうっすねー。確かにパッショーネから支給される金額は決して多くないけど、人一人が不自由しないくらいの額はもらってますよ?」

 

ズッケェロの言葉にドナテロも乗っかった。サーレーの敗北感が加速する。

クソが!下っ端風情が調子乗りやがって!

 

「……言われなくても来月からつける予定だったんだよ。」

 

サーレーの精一杯の強がりを、ズッケェロとドナテロは生暖かい目で見ていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

三人が一通り組織のショバの見回りを終えて、帰還している最中にその女に声をかけられた。

元気のいい、ハスキーな声だった。

 

「オーイ、そこのオジサン!」

「オジッッッ!!!」

 

俺はまだ20代だ!誰だ、俺のことをオジサン呼ばわりする不届き者は!

サーレーは勢いよく振り返った。彼に声をかけたのは、さほど年が変わらないと思しき女性だった。

茶色い髪が肩までかかっている細身の女性だ。

 

サーレーとズッケェロは彼女を一目見て、即座に臨戦態勢を取った。

「あれ?なんか私敵視されてる?」

 

女性はサーレーとズッケェロの表情を見て、すぐに彼らの意図を理解した。

女性は何故だか声をかけた相手方に警戒されてしまっている。

 

女性の左腕に彫ってあるタトゥーが問題だった。

近年、ヨーロッパではファッションとしてタトゥーを彫る人口が増加している。ゆえに腕にタトゥーをしているくらいなら本来ならば問題ではない。その模様が問題なのだ。

 

裏社会の組織では、組織の人間をわかりやすく区別するために独自の文様のタトゥーを彫ることが珍しくない。その模様の多くは特徴的で、攻撃性をイメージするものが多い。危険な生物が毒々しい色をしているのと同様だと考えればよい。多くの場合は模様の意匠で、裏の関係者か区別ができる。彼女はほぼ間違いなく裏の人間だ。

 

サーレーとズッケェロも、情熱の炎を示すタトゥーが左腕の長袖の見えないところに彫られている。それはパッショーネの関係者専用のタトゥーで、パッショーネ専属の彫り師が彫っている。パッショーネ以外の人間に彫られることはない。必要なときに、互いが組織の人間であることを確認するための証拠のようなものであった。

 

女性のタトゥーの意匠はパッショーネの模様と少しだけ似ているが、明確に異なっている。恐らくはどこか違う組織の関係者だろう。組織の関係者があからさまにそれをひけらかしているその意図はわからないが、彼女が敵対組織の人間でないとは限らない。

 

「……俺たちに何の用だ?」

 

サーレーが警戒したまま慎重に女性に問いかけた。

 

「ああ、それはちょっと地図がわからなくて。場所を聞きたいの。」

 

サーレーはなおも警戒する。一般人を装ってはいるが、相手はどこかの組織の人間である可能性は高い。

 

「私イタリアに来るの初めてなのよ。パッショーネのミラノ支部って、どこにあるのかしら?」

 

前言撤回。全然一般人を装っていなかった。裏丸出しだった。

表現に物凄い違和感を感じる。まあそれはいい。

 

パッショーネの支部の所在を尋ねるなんざ、裏社会の人間だと名乗っているようなものだ。よく考えたら堂々とタトゥーもひけらかしている。

 

……一体何を考えているんだろう?

サーレーはあきれ返った。ズッケェロはサーレーの出方を伺っている。

 

「アレ?私のイタリア語通じてるわよね?オーイ!」

 

女性はサーレーに向けて手を振った。サーレーはどう対処したものか判断しかねて、黙りこくっていた。

 

「……ああ、お前のイタリア語に問題はない。それよりもパッショーネに何の用だ?」

「あっ!あなたもしかしてパッショーネの人?はじめまして。私はジェリーナ・メロディオ。スペインの灼熱《アルディエンテ》という組織の人間よ。」

 

なるほど。灼熱か。道理でタトゥーの意匠がパッショーネと似通っているわけだ。パッショーネのタトゥーの意匠も情熱の炎を象っている。

サーレーは納得した。が。

 

「……裏社会の組織の人間が道端で堂々と他の裏社会の組織の所在を尋ねるな!」

「えーっ。どうせバレてるでしょ?パッショーネの規模なんて滅茶苦茶大きいんだから、一般人に所在がバレてないわけないじゃない。パッショーネよりも規模の小さいウチだって、一般人の目を誤魔化すのに苦労してんのに。」

「そーゆー問題ではないッッ!!!」

 

そういう問題ではない。裏の人間ならそれらしく、表にバレないようにするべきだ。

アレ?でもよく考えたら確かにパッショーネもイタリアで公然の秘密になっている。パッショーネを知らないのはヨーロッパの外から来た旅行者くらいだろう。ならいいのだろうか?

サーレーは混乱している。

 

「まっ、とにかく。私はパッショーネの同盟組織のアルディエンテの使者ってわけよ。」

「使者?」

「アレ?もしかしてこれ言っちゃマズイのかな?」

 

メロディオは何やら考え込んでいる。

……言ってはいけないことを考えもせずに口にするような迂闊な人間を使者にするなんて、ありうるのだろうか?

 

「まっ、いーや。オジサンも組織の人間なら聞かなかったことにしといて。」

「オジさんではないッッ!!!俺はまだ20代だ!お前とそう変わらんだろう!」

「えー、でもなんかくたびれた感じの雰囲気が出てるよ?若者だって言いたいなら、もっと元気よくいこー!」

「余計なお世話だッッッ!!!」

 

メロディオは片手を上に上げて元気を示すようなジェスチャーをしている。

……よくわからん奴だ。

 

「そんで私が今ここにいるのは、パッショーネのサーレーって人に会いに来たんだけど。ミラノ在住ってことは調べられたんだけど、パッショーネのミラノ支部にいるのかな?」

 

サーレー……。

出来るならそんな人知りませんと言いたい。……うん、知らない。

 

「サーレーならコイツだぜ。」

 

相棒に裏切られてしまった……。

 

「あ、オジサンがサーレーさんだったんだ。ならちょうどいいや。」

「なんか相棒に用があるみたいだな。俺たちは行くか。」

「そっすねー。」

 

ズッケェロとドナテロは、面倒の予感を感じていち早く退散して行った。素晴らしい逃げ足だ。拍手を送りたい。

……アイツらずるい。

 

「……俺に一体何の用だ?」

 

バレてしまっては仕方ない。俺もさっさと用件を終わらせて退散しよう。

 

「オジサン、ジャックさんと戦ったんでしょう?」

 

ジャック・ショーン。イギリス、ロンドンのスタンド使いの名前だ。

 

「ジャック?」

「イングランドのロンドンのさ。あのオジサン、強いよ?」

 

サーレーはそう言われて思い出した。

サーレーがしばらく前にクラフト・ワークで戦いをうやむやにした相手だ。

あの時は、確かに相手はあからさまに加減をしていた。シーラ・Eを相手に加減して痛めつけすぎないように戦える人間が弱いわけがない。本気で戦えばおそらくは強いのだろう。

 

「それはわかったが……なんの話をしてるんだ?」

「それよりもお腹すいたな。オジサン、なんか美味しいもの食べれるところ知らない?」

 

話題が飛んだ。なんともマイペースな相手だ。どう対応したものか。

サーレーは困り果てた。

 

「あっ、わかった。オジサン、美味しいものあまり食べてないからそんなくたびれた顔してるんだよ。」

「余計なお世話だッッッ!!!」

 

なんとも失礼な奴だ。顔は生まれつきだ。

この女の言動は奔放で、要件の着地点がどこに落ち着くのか全く予測が出来ない。

 

「ほらほら、話があるんだから、行くよ。」

 

メロディオと名乗る女性はとにかくマイペースだ。

サーレーは仕方なしに、行きつけのスポーツバーへと向かった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

スポーツバーはサーレーが唯一ツケを効かせられる店だ。行きつけで、本来店を開けていない時間でも最近はなぜだかサーレーたちに融通を利かせてくれる。

サーレーは知らないが、実はスポーツバーはパッショーネからの裏の根回しでサーレーたち暗殺チームに便宜を図るように頼まれていた。店は組織からそれなりの金ももらっている。

 

二人は店の中にあるテーブル席の一つに腰掛けた。

 

「へえー。落ち着いたいい店だね。フットボール専門のスポーツバーか。オジサンもフットボールが好きなんだ。ねえ、どこを応援しているの?」

 

メロディオと名乗る女性は馴れ馴れしい。いきなりサーレーにフットボールの話題をふってきた。

彼女は一体何しに来たのだか?

 

「……ミラノクラブチームだ。俺は基本的に根無し草に近いからな。いつも自分が住んでるところのチームを応援しているよ。」

「地元は?」

「……さあな。」

 

地元はローマの近辺にある田舎町だ。

サーレーは今よりも若い頃、そこからローマに出てきて組織に所属した。実家は問題児のサーレーを歓迎しないだろう。

 

「私はずっと生まれた地元のチームを応援してるよ。スペインのフィゲラスにあるクラブチームで、スペインの三部リーグに所属してるんだ。」

「三部リーグより一部リーグの方が観ていて面白くねーか?」

「あっ、それ差別だよ。三部だってレベル高いし、みんな必死で戦ってるよ。」

「差別してるつもりはねーよ。ただ一部の方がレベルたけーだろ?」

「……まあそりゃ否定しないけどさ。三部だって魅力的なフットボールしてるチームだってあるし。」

 

メロディオは若干拗ねたような表情をしている。

女性の機嫌を損ねるのは、イタリアの紳士失格だ。

 

「ああ、悪かったよ。喧嘩を売るつもりは無い。お前の言う通りだ。……ところでお前は一体なんの用事で俺に声をかけたんだ?」

「ああそうだ!すっかり忘れてた。」

 

忘れるな!サーレーは心の中で突っ込んだ。

二人の前に料理が運ばれてきた。リゾットやカルパッチョ、パスタ類がテーブルに並んだ。

 

「そうそう。私は、スペインからパッショーネとの外交の使者でやって来たんだけど、ジャックのオジサンと戦ったサーレーさんを見ときたくてさ。」

「……なんのために?」

 

メロディオはカルパッチョに口を付けた。満足のいく味だったようで、頷いている。

 

「うーん、そうだねー。まあ言ってしまってもいいかな。もう同盟組織だし。パッショーネはさ、以前は麻薬をヨーロッパ全土で手広く扱っていたんだよね。」

 

メロディオはいきなり麻薬の話題を口にした。

サーレーはなんか話がきな臭い方向へ飛びそうな予感を感じた。

 

「まあ私たちも裏の人間だし。国外のことや麻薬のことをどーこー言えない同じ穴の狢なんだけど、パッショーネの麻薬は国外にもちょっと見過ごせない被害を出してたんだよね。ウチの組織は放置が方針だったけど、実際いくつもの組織はパッショーネと敵対することを選んでたし。でもパッショーネの力は強くて、ボスの所在も定かではない。多くの組織がパッショーネを恨んでたと思うよ。」

 

これはかなりまずい話の流れだ。

今は厨房にこもっていて聞こえていないようだが、万が一にもスポーツバーの店主に聞かせるわけにはいかない。

 

「まあそんで、不愉快なボスをやっつけたパッショーネの勇者の顔を見に来たってわけよ。」

 

完全にアウトだ。

サーレーはメロディオの口をクラフト・ワークで摘んで固定して、閉じさせた。

サーレーは急いで席を立ち、即座に店のマスターに少しの間外に出るようにお願いという名の命令をした。

 

「プハっ、レディーに何すんのさ。」

「……お前がいきなりぶっこんでくるからだ!」

 

メロディオは当然のようにサーレーのクラフト・ワークに目をやっている。

 

「そんなこと言っても、国外でちょっと目先の利く奴らや、イタリア国内でもちょっと頭のキレる奴は大体気付いてるよ。だっていきなり所在不明のパッショーネのボスが姿を現して、利益の大きい麻薬に関する方針を180度転換したんだもん。誰だっておかしいと思うよ。でも、気付いてても何も言わない。」

「……なぜだ?」

 

サーレーは緊張して、女性の話に耳を傾けた。

 

「だって今のパッショーネになんの不満もないから。誰も無用に争いたくない。だから、気付いている人間の中でも特に賢い部類の奴らは、積極的にパッショーネに何事もなかったように周囲の思考を密やかに誘導して戦火の火種を潰している。対岸の火事が自分の家に飛び火しないとは限らないから。真実や正しさなんて、平和な社会に比べたらクソみたいな価値しかないわ。裏社会の組織の多くはメディアを抑えてるし、恐らくはパッショーネ側も現地メディアの僅かな反応から穏健派の同盟を組めそうな友好組織を見極めてたんだと思うわ。きっと情報部が優秀なのね。私は所在不明の前ボスを倒した勇者と、その腹心でジャックのオジサンをあしらうほどの猛者の顔を見にきたのよ。」

 

メロディオは明るく笑った。魅力的な仕草だ。仕草だが、こいつは油断ならない奴だ。

頭がキレる人間が一番厄介だ。彼女は、サーレーも気付いていて口にしないパッショーネのボスの代替わりを明確に口にしている。恐ろしく危険な話題だ。恐らくは彼女も、パッショーネには何もなかったと周囲の思考を誘導している側なのだろう。

 

「ふざけるな!それは危険な話だ!パッショーネ内部でも知っている人間は恐らくは極めて限られている!!!場合によっては組織の人間の首がいくつも物理的に飛ぶことになる!俺だって確証があったわけじゃない!」

「えー。現ボスが姿を現した当初ならまだしも、今さら誰かが喚いたところで盤石なパッショーネの土台は覆りはしないわよ。それにオジサンは、パッショーネの現ボスの腹心の部下でしょう?」

 

……なぜそうなるのだろうか?過大評価されている。

そんなにあのジャックという男をあしらったのが問題なのだろうか?

 

「……あのジャックという男は本気ではなかった。」

「まあそーだろーね。あのオジサンは私の友人なんだ。だから知ってるんだけど、ジャックのオジサンは基本優しい人間だから、本気で戦うのは本当にヤバい相手だけだもん。私だって見たことないよ。優しい性格にも関わらず、裏社会で暴君(タイラント)と呼ばれて恐れられている。そういう意味では、パッショーネはツイてたよ。」

「……ツイてた?」

「クイーンズでも本気でパッショーネと戦争するか悩んでたみたいだよ。イングランドでも麻薬被害は大きかったみたいだし。でもパッショーネは強くて、軽々とは決断できない。大々的な戦争になったらイングランドの一般人にも大きな被害が出る。クイーンズにも盟友がたくさんいるし、もし本気で戦争したらパッショーネが勝ってもまずイタリアは焦土となることになる。まあその前にパッショーネのボスが姿を現して方針を転換したからさ。クイーンズは基本は穏健なチームで、ジャックのオジサンも真面目で優しい人間だからパッショーネが方針を改めるなら友誼を結ぼうかって。クイーンズの反パッショーネ派の裏側にはそういう事情もあったんだよー。」

 

……決まりだ。

この女、一見若くて間抜けた喋り方をするが、頭がキレて情報にも精通した裏社会の要人だ。だから彼女はパッショーネとの外交の人事に選ばれたのだろう。

サーレーは緊張した。

 

「……俺はボスの腹心ではない。ただの暗殺者だ。」

「あら?あなた、本気で言ってるの?」

 

メロディオは依然として笑っている。少し楽しそうだ。

さっきからメロディオのフォークは止まったままだ。お腹が空いたと言っていたはずなのに。

 

「最初はシーラ・Eって娘かと思ったけど、彼女はまだちょっと精神的に若過ぎたしね。ジャックのオジサンをうまくあしらえる人間なら、組織に重宝されないわけがないわ。ボスが代替わりしたことを知ってるのに生かされてるみたいだし。そういう人間は処分しないんだったら普通、籠絡して腹心として懐に抱き込むわよ?危険な爆弾は処分するか、処分するのが惜しい程に強力で役に立つものなら不満を抱えこんで爆発しないように大切に管理するものだわ。」

 

前ボスのディアボロは愚かにも危険な爆弾、暗殺チームを雑に扱って爆発させてしまった。暗殺チームがディアボロに忠実だったなら、ジョルノたちの戦いの結果は変わっていたかもしれない。それほどに彼らは強力なスタンド使い集団だった。指揮を出す者もいないまま彼らが好き勝手に行動した結果は、ご存知の通りだ。暗殺チームはブチャラティチームに個別撃破され、そのリーダーもディアボロに歯向かって処刑された。

 

メロディオ自身も、以前は彼女がアルディエンテのボスに〝大切に管理〟されていたことを理解している。

ジョルノ・ジョバァーナは前任者と同じ轍は踏まない。

 

「……俺はボスに逆らえないだけだよ。まあそれはともかく、お前どこででもそんなにヤバいことペラペラ喋んなよ。」

「わかってるわ。あなたがボスの腹心だから喋っただけよ。」

「だから俺はそんな大それたもんじゃ……。」

 

サーレーの言葉は唐突に途切れた。メロディオはどこから出したのか天秤を手に乗せている。

恐らくはスタンドだ。サーレーはそれを警戒して、天秤を注視した。

 

「人がルールを守るのではない。ルールが人を守るのだ。ルールとはそのためにある。そして限定的に、ここではルールは私のためにある。重力は、斥力になる。」

「うおおおおおおッッッ!!!」

 

メロディオが唐突に宣告し、天秤はその秤を逆に傾かせた。

サーレーは天井に引きずられる感覚を覚えて、反射で足を床に固定した。

 

「ほら、あなたはやっぱりパッショーネ実動部隊の腹心だ。咄嗟に私のスタンドに対応できるほど対応力の高い人間が、組織に重宝されないわけがない。あなたは自分で気付いていないだけで、パッショーネの忠実で有能な猟犬だよ。」

「テメー、いきなりスタンド使うんじゃねーよ!!」

 

メロディオは天井から笑いながらサーレーを指差している。彼女の背後には天秤を持った人型のスタンドが浮かび上がっていた。帽子を被った気怠げな、道化師のような見た目のスタンドだ。

 

彼女と一緒にテーブルと食事の乗った皿も天井に吸い込まれていった。食事がもったいない。どうやら彼女のスタンドは、本体も巻き込むタイプのようだ。

スタンドの効果範囲は、彼女とテーブル席とサーレーだったようだ。半径1メートルくらいか?加減したのかもしれない。まあ当然だ。これが広範囲に及ぶスタンドだったら、世の中が大変なことになる。人々が空に吸い込まれてしまう。

 

サーレーは床に立って天井にいる彼女を観察した。

天秤の秤が逆に傾く時、世の中の摂理を支配しているのかもしれない。世の法則を支配しているのだとしたら、それは非常に恐ろしいスタンドだ。下準備をして本気で運用すれば、極めて危険度の高いスタンドだと容易に想像がつく。

サーレーの思考が纏まった直後に、メロディオとテーブルは音を立てて天井から落ちてきた。

 

「いったー。そこはレディーを受け止めるところでしょうが!」

「ふざけるな!自分でやったことだろうが!」

 

サーレーは落ちてきたテーブルを受け止めた。メロディオは放置だ。

割れた皿はこのアホ女に弁償させよう。サーレーが弁償させられてはたまらない。

 

「まっ、というわけで今後ともヨロシクね。私はこの後でパッショーネとの同盟交渉のためにネアポリスに向かわないといけないから。」

 

彼女はそう告げると店を出て行こうとした。

 

「オイ、待て。お前割れた皿の弁償せずに逃げるつもりか?せっかくマスターが作ってくれた食事も無駄にしたのに?」

「ギクッ!」

 

……コイツ今、口でギクッと言ったぞ?さては……確信犯だ。

 

「……お前、勝手に押しかけておいて、食事代も皿の弁償代も俺に押し付ける気だったのか?」

「ま、まあそこはホラ。オジサンが若い娘と食事デート出来た必要経費ってことでどうか一つ……。」

「ふざけるな!何が若い娘だ!誰がオジサンだ!俺の食生活が一層貧相になるだろうが!」

「私だって貧乏なのよ!ボスが私はスタンドを使うときに周りを巻き込むから物品破損の弁済の金がかかるって、怒って給金を減らされてんの!パッショーネは金持ちなんだから、客人の私の費用くらい持ちなさいよ!」

 

サーレーは声を荒げて、メロディオは開き直った。

メロディオの言葉は一見筋が通っているようで、自業自得の上にそれは自分から相手に請求するものではない。対応する側の常識による相手への誠意あるいは好意のはずだ。

 

「あ、あのー。」

 

店の主人がおずおずとサーレーに声をかけた。どうやら思わず上げてしまったサーレーの大声に反応して戻ってきたらしい。

 

「パッショーネの方から言伝をいただいてますよ。女性と男性が来る可能性が高いから、かかった費用はパッショーネに請求してくれ。女性はパッショーネの賓客だから、丁重に扱ってくれって。」

「ほえー。あなたのトコのボスは、目先が利くのねえ。私がここに来るのも、どうやら予想されていたみたい。」

 

メロディオは感心した。

 

「ふ、ふん。ウチのボスはすげーんだ。」

 

サーレーの語彙力は小学生並みだ。

サーレーもボスの予想外の行動に度肝を抜かれている。

 

「まあ、だったらちょうどいいからミラノ中央駅まで案内をしてちょうだい。私地図が苦手なのよ。」

「……お前、図々しいのな。」

「エスコート、任せるわ。私はパッショーネのお客さんなワケだし。」

 

サーレーはため息をついた。彼女は一向に悪びれる様子がない。恐ろしい女だ。

……仕方ない。パッショーネの客だというのなら駅ぐらいまでは送ってやろうか。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「おっ、サーレー。」

「あっ、アニキ。」

 

サーレーがスポーツバーから出てメロディオに道を案内していると、大衆食堂からズッケェロとドナテロが出てきた。二人とも満足げな表情だ。

サーレーはため息をつく。こいつら、厄介ごとを丸投げして二人して呑気に大衆食堂でメシを食ってやがった。

 

「……コイツはパッショーネの客だそうだ。俺が今からミラノ駅に送ってるところだ。」

 

サーレーがズッケェロたちに説明した。

 

「ヤッホー。あなたたちはなんてお名前?」

「俺はマリオ・ズッケェロだ。お前は確かメロディオとか言ったか?」

「俺はドナテロ・ヴェルサスです。」

「うん、私はジェリーナ・メロディオだよー。ヨロシクね。」

 

メロディオはズッケェロたちに明るく笑いかけた。

ぱっと見は明るい普通の一般人の女性だが、その実は裏社会の組織の恐らくは要人だ。裏社会をその知能と悪辣なスタンドで上手く乗り切っているのだろう。恐ろしい女だ、詐欺も甚だしい。

 

「サーレーのオジサン、さっきまでの話の内容は誰にも話さないから、代わりに私の()()も誰にも話さないでね。」

 

メロディオは手に何かを持つような仕草をした。

サーレーはそれで理解した。天秤を手に置く仕草だ。ズッケェロたちにも彼女のスタンド能力をバラすなということだろう。引き換え条件にパッショーネのボスの代替わりの秘密を平気で用いるあたり、やはりおっかない女だ。

 

「なんだよ?なんの秘密だ?」

 

ズッケェロは興味しんしんだ。だが、さすがにボスの秘密をバラすと脅されてはサーレーも教えるわけにいかない。

 

「ああ、コイツがパッショーネに来た理由だよ。なんかコイツのいる組織がパッショーネの上の人間と密約を結ぶんだと。その関係だよ。」

 

サーレーも仕方なしにメロディオに合わせて、デタラメな話をズッケェロに聞かせた。

 

「ふーん、パッショーネもいろいろやってんのな。」

「俺たちも上にいってそういう話が出来るようになりたいっすねー。」

 

ズッケェロとドナテロはサーレーの言葉を信じ切っている。仲間に嘘をついてしまったサーレーは少しの罪悪感を感じた。

四人は他愛ない会話をしながら、ミラノ中央駅に向かって歩いて行った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「じゃあねーオジサンたち。」

「誰がオジサンだ!」

 

ここはもうミラノ中央駅だ。彼女は駅の構内へと入っていく。

メロディオは、最後までサーレーをオジサン扱いして去って行った。自分もほとんど年が変わらないはずなのだが?

まあ、女性に年のことを言うのは野暮だと相場が決まっているか。

サーレーは苦笑した。

 

「変な女だったなー。」

「そうっすね。まあ明るい人でしたけど。」

「……お前ら、騙されんな。あいつは見た目にそぐわぬ、恐ろしい女だぞ。」

 

サーレーは二人に忠告した。

 

「アン?どうしたんだ、相棒?そんな短期間であいつのことがわかんのか?」

「ああ、わかるよ。なるべくアイツは関わらないがいい。厄介極まりない相手だ。」

 

ズッケェロとドナテロは不思議そうにサーレーを見つめている。

頭のキレる奴は本当に恐ろしい。スタンドの強さの基準も、本体の精神力とあとは頭を使った使い方次第だ。下手したらあの一連でサーレーのクラフト・ワークの能力を見破られた恐れまである。

 

「あっ。わかりましたよ。アニキ、あの女が気に入ったんでしょう?さては俺たちを近付けたくないからって。」

 

ドナテロが見当違いの呑気なことを言っている。

 

「マジかよ相棒。お前ああいう細っこいのがタイプだったっけか?」

 

ズッケェロもドナテロの言ったことに乗っかった。

 

この二人はあの女には近付けられない。相手を低く見誤ってうっかりどんなことを言ってしまうかわからない。

恐らくはあの女は、スペインの組織でパッショーネにおけるカンノーロ・ムーロロのような立ち位置なのだろう。強力なスタンドを操り、さほど多くない情報から正確な答えを導き出している。

サーレーは知らないが、実はカンノーロ・ムーロロもイタリアのメディアを秘密裏に操り、パッショーネの代替わりが世間に漏れないように密かに世論の思考を誘導していた。

 

世の中は広い。

サーレーの与り知らぬところに、予想もしない恐ろしい人間が存在する事を、サーレーは痛感させられた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名前

ジェリーナ・メロディオ

スタンド

ルール違反の道化師(ヴァイオレーティブ・ジェスター)

概要

道化師のスタンドを操るスタンド使い。天秤を持ち、秤が逆になると彼女が宣告した通りのルールが施行される。スペインの裏組織、アルディエンテのボスの子飼いで、他の誰よりもボスに信頼されている。スタンドの効果範囲は、本気で使用して彼女を中心に半径十メートルほどである。特殊な能力に全振りしているために接近戦はぶっちゃけめちゃくちゃ弱い。実は、短時間であれば時間を逆行させて皿やテーブルも元通りに出来るのだが、彼女のスタンドがどこまでできるのか易々とサーレーに見せたくなかったために秘匿していた。

彼女はサーレーと同じく怠け者で、なまじっかどこででも上手くやれる才能を持っていたために比較的容易に怠けられる裏社会で自由に過ごしている。スタンドは、自分の周りだけでも思い通りにして楽したい、という彼女の願望の具現である。



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石作りの海 その1

この話は、あくまでも創作です。


ここはフランス、パリの中心区から少しだけ外れた人気の無い通り。

男が、二人いた。

 

一人は、パッショーネにちょっかいをかけようとしていた30〜40歳くらいの男。

もう一人は、20代後半と思しき男だ。

区別をつけるために、二人の身体的特徴をあげつらってみよう。

 

二人は共に、がっしりとした非常にいい体格をしていて高身長だ。共に寡黙で、理知的な印象を受ける。ぱっと見で受ける雰囲気自体は似通っていると言えた。

わかりやすい身体的な特徴の違いを挙げるなら、比較的に若い方の男は赤い短髪で年上の男は長い金髪ということだろう。

服装に関して言えば、若い男はまだそんな時期でないにも関わらず、なぜか厚手のロングコートを纏っている。年上の男は普通の長袖だ。

 

この裏通りはなぜか低空に雲が渦巻いており、体感温度が非常に低下している。

金髪の男は、赤髪の男に告げた。

 

「何を迷うことがある?お前は自分の職責を忘れるほど愚かではないだろう?フランシス。」

 

赤い髪の男の名は、フランシス・ローウェン。フランスの裏社会の関係者で、非常に強力なスタンド使いである。

二人は戦いをしていた。フランシスは若干疲弊している。

 

「……。」

「誰しも、大切なものには順番が付けられている。お前は隣人の平穏に価値を見出しているが、それは自身の家族の平穏には変えられない。そうだろう?」

 

金髪の男が続けて告げた。

赤い髪の男はスタンドを現出させており、スタンドが体表から白いものを噴出した。それは雲だ。

高みの雲(ハイアー・クラウド)、赤い髪の若い方の男のスタンドで、自在に雲を生成して操る。

パッと字面で見た印象は、ウェザー・リポートのスタンドの下位互換のような印象を受ける。しかし彼はフランスの裏社会に名高いスタンド使いで、その実力は決してウェザー・リポートにひけを取るものでは無い。

 

「ハイアー・クラウド、高みに存在する上層雲!」

 

赤い髪の男が宣告し、周囲に上層雲が撒き散らされる。

それは高度10000メートルをはるかに超える上空にある雲で、その雲頂の温度は大体、そこの気温に雲の高度1キロメートルあたりー6、5℃をかけたものを足したものである。雲は氷の粒で生成されている。この場合は周囲の気温の低さも相まって、およそー60℃にも達する。

赤い髪の男が生成した雲が、周囲を長時間覆った。通常であれば氷漬けになるか、生きていてもまともに動けないほどに体温が低下しているはずである。

「……そろそろ気は済んだか?」

「くっ……。」

 

金髪の男の声は、極寒の攻撃を受けて平然としている。

あたりを極低温の雲に覆われた中で彼はフランシスに告げた。

 

「さて、お前に残された選択肢は二つだ。なおも逆らってお前の大切なもの、フランスの社会を戦火に晒すか、俺に従うかだ。わかっているだろう?強者には敬意を払う。俺が勝てばフランスの安全は保証しよう。俺が負けても、お前は自分の独断として相手にその首を差し出せばいい。それも守護者の役割の一環だ。どちらにしろ俺に従えば、お前が仮に命を落としたとしてもお前がその全ての愛を捧げたものは守られる。」

 

男はフランスの各所に配下を配置している。男の圧倒的な暴力に抑え付けられている彼らはフランシスに比べれば圧倒的に弱卒だが、一般人を害することに躊躇がない。

フランシスはフランスの裏社会の人間だ。組織に認められた処刑人、社会の守護者で、フランスの街並みと人々の営みの安寧を何物にも代え難く愛している。

やがて雲は晴れて、金髪の男は不敵に笑っている。

フランシスは、決断した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「どうだった?」

 

女性が話しかける。貫禄があり、そこそこの年齢だ。

その容貌からは、女傑であるのではないかときっと誰もが推測するだろう。

ここはスペインのマドリード市内。スペインの裏組織、アルディエンテの本拠地だ。

 

「だいたい予想通りですねー。ボスのジョルノって人は、そこそこいい男でしたよ。まあボスほどじゃないけど。実動のサーレーさんもちょっと戦いたくないですね。けっこう厄介そう。パッショーネは予想通り、代替わりしてました。サーレーさんの反応からして間違い無いです。サーレーさんは実働一辺倒らしく、情報に関しては脇が甘い人でしたー。ちょっと突いたら面白いようにボロボロ失言してくれましたよ。麻薬チームもキッチリ処刑したみたいだし、あれだったら手を組む価値はあると思いますよー。」

 

メロディオが女性に応えた。女性は、アルディエンテのボスだ。

 

「フーン、あんたがそう言うのならそうなんだろうねぇ。なら最初の予定通り手を組むことにするかい。」

「それをオススメします。そうすればみんなハッピーです。仕事をキッチリこなしたんで、いつも通り私を褒めてください。」

「はいはい。よくやったね。全くあんたは、そろそろいい年なんだから男を捕まえてきなよ。」

 

女性はメロディオを撫でた。メロディオは嬉しそうな表情をした。

 

メロディオは、かつてパッショーネを嫌悪していた。彼女もまた、スペインの処刑人だ。

彼女はパッショーネを毛嫌いしていて潰したかったが、パッショーネはボスの所在もその能力も定かではない。暗殺しようにも不可能で、組織同士の真っ向からの戦争では勝ち目がない。各国の裏組織は、周到にことを進めていたディアボロに初動で遅れをとっていて、気付いたら手出しのできない状況に持っていかれていた。

彼女は勝算のない戦いで命を落とすつもりはない。そうなれば、彼女が守るべきスペインは一層ひどい状況に陥ることになる。

 

彼女はサーレーには何も嘘をついてない。言っていないことがあるだけだ。

アルディエンテはパッショーネを放置していたし、パッショーネを嫌う組織がヨーロッパにたくさんあったのもまた事実だ。

ただし……彼女自身がパッショーネを毛嫌いするその筆頭で、隙さえあればパッショーネのボスを暗殺しようと目論んでいた。

 

イタリアから流れてくる麻薬によってスペインの社会が荒廃するのを見ながら、彼女は内から湧き上がる灼熱の怒りを唇を噛んで耐え忍んだ。裏社会からは、社会の腐敗がよく見える。

麻薬を買う金欲しさの強盗殺人、重度の麻薬中毒者の妄想による突発的殺人、麻薬の幻覚により引き起こされる学校や会社や駅前などでの銃乱射事件。イタリアから麻薬が大量に流れてくるせいで、死ななくても良かったはずのスペインの人間がさまざまな犯罪被害により数多く犠牲になった。メロディオにとってそれは、赦されざる行為であった。

 

彼女は怠け者であっても、自分のボスとスペインを愛している。サーレーたちは少し例外だが、本来ならば社会の守護者、処刑人は本人が自分たちの社会を心の底から愛していて、彼らの社会を本人の序列の最上位に置いていることがその就任の一つの絶対条件なのである。なぜなら、処刑人が社会を心の底から愛していれば、処刑人は絶対に自分の守るべき社会を裏切ることがなくなるからだ。

そしてそれは、戦時下の義務感や洗脳による愛国心ともまた違う。義務感による愛国心では、難しい局面の判断を間違えてやり過ぎる人間が続出することになる。

 

特権とは、貢献に裏打ちされたものである。

社会を裏切るような人間や金で転ぶような人間に、絶対に殺人許可証という特権を与えるわけにはいかない。社会にその心を捧げてこそ、初めてそれは与えられる。

裏社会の組織も彼らを、社会にその心を捧げた神職として扱っている。

 

パッショーネが台頭する以前にも、スペインの社会に麻薬は当然存在した。いくら彼女がスペインを愛している処刑人であったとしても、当然、麻薬を所持する人間を片っ端から虐殺するつもりはない。やりたい奴は勝手にやればいいが、それは表の健全な社会に被害を及ぼさない程度にであるべきだ。彼女たちが本業で動くのは、本当にどうしようもないと判断した最後の手段としてである。社会には時に麻薬がないと生きられないような人間すら存在し、彼女はそんな人間であっても愛していた。

 

彼女たち処刑人が本業で動く条件を具体的に言えば、だいたい二通りに分類される。

表社会で対応が困難かつ放置することで同胞の命が極めて高い確率で脅かされ、本人になんら行動を改める意思が見られない場合。そして、表社会で対応が困難かつ対象の行動から推測される精神が普通の人間から著しく乖離していて、ただの人間社会の害敵でしかないと判断された場合。

サーレーが行った暗殺は、宗教団体が前者にあたり、ラグランは前後者両方にあたる。

 

彼女は社会の矛盾を理解しながら、彼女なりの理想と温厚な性質でスペイン社会の日々を過ごしていた。そしてそんな彼女の理想をあざ笑うかのごとく、イタリアから大量の麻薬が流れてくる。パッショーネから流れてくる麻薬量の多さは段違いだった。メロディオはパッショーネのボスの暗殺を目論むも、敵の所在が定かではなく、やり方を間違えて組織同士で全面戦争になったらスペインの社会は壊滅的な被害を被ることになる。パッショーネはきっと、戦争に何も知らない下っ端を使い捨ててくるだろう。何ら事態は好転しない。メロディオは耐え忍んだ。

 

そして不愉快極まりないパッショーネの所在不明のボスは打倒され、代替わりした。

ゆえにメロディオはジョルノを勇者と評したのである。

 

彼女はパッショーネの麻薬に関する方針とそれを打ち出した人間を憎んでいるのであって、イタリアやパッショーネ所属でも何も知らない人間まで憎んでいるわけではない。ましてや内部で自浄作用を起こし、革命を果たした勇者には好感さえ抱いている。彼女はパッショーネが方針を転換したことを、心の底から喜んだ。

 

実はパッショーネの各組織への同盟内容は、パッショーネから彼らに結構な金が流れるような内容になっている。同盟交渉は彼らに対する前任者がしでかしたことの慰謝料と、パッショーネが麻薬で得た利益の返還という意味合いが大きいのである。

 

今回のパッショーネとの友誼に、アルディエンテでメロディオが駆り出されたのには理由がある。

メロディオはアルディエンテの切り札で、万が一パッショーネが再び麻薬を節操なくばらまくつもりならそのボスの暗殺を視野に入れての行動だった。アルディエンテはもっとも信頼するメロディオに、新たなパッショーネのボスの人となりを見極めさせたのである。

 

そして実はジョルノも、以前のボスの行動がヨーロッパ各地で恨みを買っていたことを理解している。パッショーネ側でもメロディオがスペイン裏社会の切り札だと理解している。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()それと同盟交渉の重要な席を任されているという二つの理由により、彼女のその正体が浮き彫りになっている。彼女はおそらくはスペイン裏社会の切り札、処刑人だ。

 

そしてジョルノはアルディエンテが、パッショーネとの折衝に懐刀のメロディオを持ち出したその意味も理解していた。それはアルディエンテによる、《お前たちにはスペインの社会を乱した前科がある。万が一再び調子に乗るようならば、お前を消すぞ。》という暗黙の脅しを兼ねているのである。

 

アルディエンテのボスはメロディオに絶対的な信を置いている。メロディオは情報さえあれば、それを分析して今までどんな相手でも暗殺してきた。彼女のために命をかけることを躊躇わない部下も多数存在する。

 

そしてもちろん、サーレーも可能な限り分析されている。

彼女にわかったことは、サーレーのスタンドはとっさの反応の良さから恐らくは近距離パワータイプの可能性が高いこと。そしてサーレーのスタンドは足の裏からエネルギーを発して磁石のように床に吸い付いていたことだ。能力の詳細までは当然不明だが、そういうことができるのなら他にも多様な使い道があることが推測できる。メロディオの口を閉じさせたことや、ジャックをあしらったことなんかも合わせて考えればもしかしたら磁石に近い性質を持っているのかもしれない。能力を発動するのが拳に限定されていないということも貴重な情報だ。

それらを総じて、応用力の高いスタンドだと判断できた。メロディオも手の内を多少晒すことになったが、それで得た情報としては上々だ。

 

それらは念を入れての行動だったが、杞憂に終わって安堵している。

 

「でも、イタリアでスタンド使いのトラブルが最近複数件起きてるみたいなんですよね。あの温厚なボスのお膝元で、なんでそんなことになるんだろ?ボスの代替わりから時間も経ったハズだし。」

 

メロディオは、首を傾げた。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

パッショーネ情報部に、不穏の訪れを予感させる報せが齎された。

スピードワゴン財団の空条承太郎氏が何者かによる襲撃を受け、記憶喪失の仮死状態になっているという情報だった。

それは財団のイタリア支部に知らされ、財団上層部はアメリカという遠い地で起こったそれにどう対応するか考えあぐねているらしい。

 

「……どうしやすか?」

 

パッショーネのネアポリス支部。

椅子に座った情報部のムーロロが、背後に立つボスのジョルノに指示を仰いだ。

情報の詳細のわかる限りはすでに入ってきている。

 

空条承太郎氏が襲撃を受けた地点はアメリカの州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所。彼は轢き逃げ殺人・死体遺棄の嫌疑をかけられた娘の空条徐倫嬢に面会に行った際に、刑務所に潜伏すると思しき何者かによる襲撃を受けた。氏は今現在仮死状態で、財団の庇護下に置かれているということだ。

 

空条承太郎氏は凄腕のスタンド使いと名高く、そう簡単にやられるようなヤワな男ではない。承太郎氏は歴戦の戦士であり、彼がやられるのはあからさまな異常事態である。彼を陥れたものは相当の下準備と実力を持ち合わせていることが伺える。彼がなんらかの陰謀に巻き込まれた可能性は高い。

 

「……少し考えさせてくれ。」

 

ジョルノは情報部の椅子に腰掛けて、天井を仰いだ。

ムーロロの言いたいことは理解している。それはジョルノとムーロロの共通見解だ。

 

州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所は厳重な警備であることが推測される。何しろその名称に重警備と名付けられているのだ。恐らくは所員は機関銃などの武装を所持しているだろうことはその想像に難くない。普通の人間であれば、武装をほどこした刑務所をどうこうしようなどとは考えない。スタンド使いであっても、普通ならば同様だ。

 

しかし彼らは実は何もできないわけではない。彼らは手札を持っている。

 

潜入、潜伏、隠密行動に恐ろしく高い適性を持ち、暗殺に特化したスタンド、ソフト・マシーン。

様々なことに対応できる高い応用力を持ち、近接戦で強力な実力を発揮するスタンド、クラフト・ワーク。

 

彼らは相互の補完性が高く、お互いの弱点を補って戦い抜ける才覚を持った人材だ。ジョルノはそう考えている。

ソフト・マシーンであれば警備の厳重な刑務所に忍び込むことすらも可能であり、彼らを送り込めばスピードワゴン財団の苦境の裏側で暗躍するスタンド使いを暴いて打倒してくれるであろう期待度は高い。

 

パッショーネは社会に強大な影響を持つが、さすがにそれはヨーロッパまでで海を隔てたアメリカの刑務所をどうこうできるほどの権力はない。

並みのスタンド使いが送り込まれても、重警備刑務所の武装に蜂の巣にされるのがオチである。

しかし、彼らはなまじっか手札を与えられてしまっている。サーレーとマリオ・ズッケェロという手札がなければ、ジョルノが迷うこともなかっただろう。

 

パッショーネはスピードワゴン財団の盟友で、財団はパッショーネの恩人でもある。しかし、サーレーとズッケェロの二人はイタリア裏社会の処刑人だ。短期間であればともかく、いつまでかかるか定かでない危険度も不明な任務に二人揃って送り込むことには抵抗がある。

 

できることなら盟友の苦境を助けたい、しかしイタリアの社会を危険に晒してまで行うべきことかと言われると首を傾げざるを得ない。

特に最近は、イタリアでスタンド使いがらみの不穏な事件が複数起きている。

 

「ムーロロ、君はどう考える?」

「……難しいところですね。動かせる人材があの二人きりってのが……。」

 

仮に刑務所に潜入して友人の苦境を助けると決断した時、先も言った通り弱兵は送り込めない。

潜入、潜伏が可能なスタンド使いは他にもいるが、あの二人組ほど連携を深めて様々な事態に対応できるスタンド使いはパッショーネにも存在しない。

まさにあの二人にうってつけの任務なのである。

 

だが、あの二人はパッショーネの伝家の宝刀、手札は手札でもいわゆる実動面での切り札だ。ムーロロも切り札になり得るが、彼はどちらかというと指示を出す側の方が適正が高い。ムーロロという優秀な頭脳さえつければ、彼らは実動で高いパフォーマンスを発揮する。

 

ジョルノはこれまでの暗殺チームの任務の成果の報告を鑑みて、そう判断している。出来ることならあまり長期間手放したくない。

 

「……ミスタの意見も聞いてみようか。」

 

ジョルノ・ジョバァーナは席を立ち、グイード・ミスタの元へと向かった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「いいんじゃねーか。お前の好きに判断しろよ。」

 

ミスタは相変わらずだ。

グイード・ミスタはこの日、パッショーネネアポリス支部の支部防衛チームの戦闘訓練を受け持っていた。

 

「下のやつらも育ってきている。俺だってヌルい仕事ばかりじゃあ、なまって仕方ねえ。」

 

ミスタは好戦的に笑った。

 

パッショーネは前ボスとの騒乱の最中に、暗殺チームが全滅した。

暗殺チーム全滅からサーレーとズッケェロの就任の間には空白の期間があり、その期間は現情報部のカンノーロ・ムーロロと副長のグイード・ミスタが共同で穴を埋めていたという実績が存在する。

 

その時期は、ジョルノがパッショーネのボスとして姿を現して間もない時期であり、ペリーコロの誠意ある説得に納得した多くの幹部がジョルノに恭順を誓ったが、少なくない数の思慮の浅いはねっかえりの下っ端が若いボス、ジョルノ・ジョバァーナを甘く見て社会で好き勝手しようとした時期でもあった。パッショーネにはスタンド使いが多く、その多くは超常の力を得た自身の力を過信している。その最たる原因は前ボスのディアボロが自分を過度に保護し、比較的危険度の低いスタンドを持つ下の人間に対する管理を杜撰にしていたことによるものだった。

彼らを処分していたのはグイード・ミスタとカンノーロ・ムーロロである。

 

苛烈な対応ではあったが、言って聞かない人間に甘く接してのさばらせてしまってはパッショーネはなめられることになる。ジョルノを甘く見るはねっかえりが後を絶たず雲霞のごとく無数に湧き出て、調子に乗った彼らが好き放題することにより社会が乱れる原因となる。

 

そしてそれは裏だけでなく表の社会にも影響することになる。裏とは関係ない一般人にも被害が及ぶことになる。そうなれば、パッショーネはイタリアの社会の嫌われ者になって弾かれる。パッショーネに関わる多くの人間が路頭に迷い、防衛機構の無くなった社会にはさらに性質の悪い悪がのさばることとなる。その悪がスタンド使いだった場合表の人間に対応は困難で、イタリアの社会は荒廃することになる。ゆえに処分は必要不可欠な処置だった。

はねっかえりはサーレーやズッケェロともまたちょっと違い、ジョルノがパッショーネのボスと理解してなおも敵対した奴らである。

 

ミスタとムーロロは相手に何が起きたかすら悟らせず、組織の人間で特にたちの悪いやつらを処分し続けた。たちの悪い人間の中には、パッショーネの禁止事項を無視して勝手に金目当ての暗殺を請け負う外道なども存在した。情報収集特化のウォッチタワーと暗殺に適したセックス・ピストルズ。彼らはイタリアの裏社会で猛威を振るった。

 

そして組織の下っ端の間で凄腕の拳銃使いの噂がまことしやかに流れることになる。たちの悪い人間はいつのまにか社会から消え続け、やがてその都市伝説のような噂が事実だと広まると同時に、下っ端のはねっかえりは沈静化することとなった。

ゆえに拳銃使いのグイード・ミスタは、パッショーネの下っ端のトラウマの象徴だ。

 

つまりサーレーとズッケェロは、パッショーネに最も必要とされた時期は執行人ではない。それを彼らは知らない。

 

彼らはミスタとムーロロが組織内部の危険人物を一掃した後に、そのスタンドが処刑人の適性が非常に高いという理由で、パッショーネからその前任者のムーロロを通じてイタリア裏社会の処刑執行人として精神性を大切に育てようという意図で接されていたのである。これは、語られることのないはずのジョルノのサーレーたちに対する密やかな優しさと、必要な過程だった。彼らに精神が未熟なまま殺人を繰り返させていたら、社会を守る処刑人ではなく社会を害する殺人鬼になってしまう可能性が高い。

 

何をするにしても生きていればこそ。これは一見暗殺チームの教訓にしては矛盾しているようにも感じられるが、処刑人に必要不可欠な意識なのである。矛盾を抱え、迷い、悩み、それでも社会を愛する彼らは社会の矛盾を処理するために行動を起こさねばならない時がある。

 

これらは、社会の暗部の恐ろしい話だ。たとえばの話であるが、歴史上でも暗殺されてその詳細が明かされない有名人や権力者は枚挙にいとまがない。

彼らはなぜ暗殺された?国が総力を挙げて調査を行って、なぜその詳細が明かされない?国の世間に対する公式な発表は本当に正しいのか?そして、得体の知れない大きな力。

 

もしも彼らの正体が実は社会の害敵で、裏社会全体でその暗殺の総意が取れていたのだとしたら?

有名人や権力者というのはメディアに守られて手が出しづらく、社会に与える発言力が大きい。

 

明確な敵という名札を付けず、上手に味方に擬態して潜伏して秘密裏に策を進める破綻者というのは社会にとって非常に対応に困り、厄介なのである。吉良吉影やエンリコ・プッチも、その部類に入る。

それらに対してウォッチタワーというスタンドで正確な情報を入手可能なムーロロが、国の防衛の要としてパッショーネに重用されるのもあまりにも当然の話だった。わかりやすくはっきりと言ってしまえば、パッショーネはカンノーロ・ムーロロという人材に金銭換算で一千億を優に超える価値を見出している。

 

一見眉唾な話だとしても、反社会組織もどこからかは金が入らないと活動できないのだ。それが裏社会の金なのではないかと考えられがちだが、裏社会の怪しげな金の流れなど真っ先に国に精査されている。

裏社会も処刑人も、死者の尊厳と社会の安寧を守るために沈黙する。

 

……口にしない方がいいことも存在する。

とにかく社会の暗部の最奥は、裏にも関わらず表社会以上に厳格に運営されているのである。

 

パッショーネとしてはサーレーとズッケェロが処刑人として相応しい精神を持つと認めたら、首輪を外して重用することを考えている。すなわち今現在はまだ、処刑人見習いという扱いなのである。

本来ならば、処刑人は組織のボスと対をなすほどの最重要職である。なぜなら、裏社会の組織の持つさまざまな特権や利権は、彼らが社会を守るという暗黙の裏付けにより与えられているのだから。それが裏社会の暗殺チームの正体なのである。パッショーネは黄金の魂を持ち人を生かすボスと、漆黒の殺意で隠密に外敵を殺害する暗殺チームの二枚看板で運営されている。

サーレーたちに今までそれを伝えていないのは、単純に伝えてしまうとチンピラの彼らが調子に乗って台無しになってしまう可能性が高かったからである。

 

「お前が財団のやつらを助けたいんなら、俺が一時的にパッショーネの暗殺チームに復帰する。かつてそれを請け負っていた俺が再び請け負うんだったら、ほかのやつらも納得する。社会の秩序は守られるだろ?」

「ミスタ……しかしあなたに汚れ仕事を任せるのは気が進まない。」

「そう言うなよ。たしかに汚れ仕事だが、これはこれで社会を守っているんだという実感と自負を感じられるもんだぜ?」

 

ミスタはいつだってポジティブだ。ミスタは常にジョルノに元気を与えてくれる。

彼がジョルノの仲間であることは、ジョルノにとって何にも代え難い価値がある。仕事に関しては手を抜きがちだが。

 

「ミスタ、あなたは彼らを送り込むことに賛成してるんですね。」

「財団にどデカイ貸しを作れりゃよぉー。パッショーネだって当面は安泰だろ?裏社会の組織の立ち位置は表よりも不安定なんだしよぉ。組織の上に立つんなら未来のことも考えなきゃな。」

 

ミスタは明るく笑った。

ジョルノ・ジョバァーナは決断した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「サーレー、マリオ・ズッケェロ。君たちに任務を言い渡す。」

 

パッショーネ、ネアポリス支部。

ネアポリスにあるビルのオフィスの一室で、その打ち合わせは行われた。

ジョルノ・ジョバァーナが長机に座り、その両脇にはムーロロとミスタが列席している。

彼らの眼前に座るサーレーとズッケェロは緊張した。

 

「はじめに言っておこう。この任務は、期間も難易度もその全てが不明だ。敵の存在が定かではなく、パッショーネ側としても何が起こっているのかほぼ把握できていない。」

 

サーレーは息を飲んだ。

強大なパッショーネが把握できていないということは、相当ヤバい任務である可能性が高い。

ジョルノが続けて喋った。

 

「つい先日、スピードワゴン財団の空条承太郎氏が何者かに襲撃された。」

「承太郎さんがッッッ……?」

 

サーレーは思わず声を上げた。信じがたい。

サーレーはつい一月ほど前、パッショーネから承太郎との共同任務を言い渡されたばかりである。

 

「空条承太郎氏は亡くなってはいないが、どうやら今現在仮死状態になっているらしい。……ほぼ間違いなく、なんらかのスタンド攻撃によるものだろう。」

「そんな!あの人がやられるなんて……。」

「落ち着いてくれ、サーレー。順を追って、君たちに必要な情報を開示していく。まずは、なぜ君たちが呼ばれたのかだ。空条承太郎氏が襲われた場所は、アメリカのフロリダ州にある州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所。」

「……フロリダ?」

 

ズッケェロがフロリダという言葉に反応した。彼がドナテロ・ヴェルサスを拾ったのも、アメリカのフロリダ州だった。

 

「空条承太郎氏はどうやら、刑務所に彼の娘の面会に行った際に何者かによる襲撃を受けたらしい。敵の所在は定かではないが、刑務所には彼の娘、空条徐倫嬢が囚人として服役している。まずは彼女から情報を得るのが最優先だ。」

「ってーと、ボス、俺たちの次の任務はアメリカってことですか?」

 

ズッケェロがジョルノに問いかけた。

 

「ああ、その通りだ。君たち二人が呼ばれたのはズッケェロ、君のソフト・マシーンであれば厳重な警備の刑務所にすら侵入、潜伏することが可能だからだ。」

「ええッッッ!?マジすか!?」

 

さすがに常識のないズッケェロでも、それがどれだけ無茶苦茶言ってるかくらいは理解できたようだ。

 

「ああ、マジだ。正攻法での面会ではまず間違い無く黒幕に気付かれて、後手を踏むことになる。ゆえに隠密の接触を行う。わかっているとは思うが、刑務所の警備は厳重だ。見つかったら武装した看守に囲まれることになる。絶対に見つからないように行動してくれ。さて、続きを話そう。パッショーネが独自に情報を集めた結果、刑務所建物の内部構造を把握することが可能だった。ムーロロ、地図を。」

「ヘイ。」

 

ムーロロが脇に置いてあるカバンから、建物の構造見取り図を取り出した。

 

「これが州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所の見取り図だ。残念ながら、建物の監視カメラなどの位置までは特定できなかった。この地図を得るためにも、パッショーネの情報部は大きなリスクを負う必要があった。刑務所だからね。警備が厳重なのは当然だ。」

 

ジョルノはしばし思案する。

 

「さて、君たちになぜパッショーネが行動を起こすことにしたかの理由も伝えておこう。空条承太郎氏はサーレーが知っているように凄腕のスタンド使いだ。下手人も手を出すのに大きなリスクを負ったはずだし、リスクに見合うなんらかのリターンがあると考えているはずだ。つまり僕たちは、空条承太郎氏を陥れることによるスピードワゴン財団の乗っ取りを警戒している。彼らは僕たちの友人で、苦境に陥っているのなら助けたいし、ヨーロッパの争いの火種になるのなら早めに潰したい。ゆえに君たちが最初に行うのは、徐倫嬢から少しでも多くの情報を引き出すことだ。」

 

ジョルノはそう告げると、刑務所の見取り図の一箇所を指差した。

 

「ここが、徐倫嬢が収監されている個室だ。刑務所に潜入できたら、隙を見てここに向かってほしい。彼女から聞き取るべき情報は、承太郎氏に起こったことの詳細、敵の有無、敵が予想通りスタンド使いであれば可能な限り情報を得てほしいし、敵の狙いも聞きだせるようなら聞いておいてくれ。とにかく、必要そうな情報を片っ端から聞き出してくれ。」

「ハイ!」

 

これは相当にヤバい任務だ。

サーレーはボスの懐刀として扱われているというメロディオの言葉が事実だったと理解した。

 

「基本、現場でのことは君たち暗殺チームの判断にその全てを任せよう。承太郎氏を助けられそうなら助けて欲しいし、その危険度があまりにも高すぎるようなら得た情報を持ってイタリアに逃げ帰ってもいい。ただし、生存報告としてムーロロに定期連絡だけは怠らないでほしい。そして君たちには、僕たちがこの任務を言い渡したその意味を理解しておいてほしい。」

「意味、ですか?」

 

ズッケェロが疑問に思って、聞き返した。

ジョルノは真面目な表情で、ズッケェロに答えた。

 

「これは、パッショーネの特級極秘任務だ。この任務を知っている人間は、今この場にいる人間以外には存在しない。海外の刑務所に無断侵入して極秘裏に囚人との接触を試みたとなれば、それが相手国にばれてしまえば現場で射殺されてしまっても文句は言えない。君たちの素性がバレてしまえば国際問題にもなる。アメリカの国家の力は強大だ。それを任せ、あまつさえ現場の判断を一任している。僕たちが君たちをどれだけ頼りにしているか、君たちにも理解ができると思う。僕たちの信頼を裏切らないでほしい。わかるかい?」

 

サーレーとズッケェロはジョルノの言葉の意味を頭で噛み砕き、身震いした。

 

「さて。わかってくれたようなら質問を受け付けよう。」

「ボス、刑務所内に敵がいた場合はどうしましょうか?」

 

ズッケェロが手を挙げて元気よく質問した。

 

「それを含めて、君たちに全ての判断を任せる。さすがに僕たちでも、アメリカまではサポートできない。」

「ドナテロやトリッシュちゃんは?」

「トリッシュちゃん?」

 

ズッケェロの質問にジョルノは困惑した。

トリッシュ・ウナはジョルノの仲間だ。なぜそれを今?

 

「ああ、すみません。俺の飼ってる猫の名前です。長期間任務なら、誰かに世話を任せないと。さすがに近所の人間にあまり長期の世話を押し付けるのは……。」

「君たちのところのドナテロは、一時的にミラノ支部防衛チームの預かりにしておこう。話を通しておく。ズッケェロの猫に関しては、預かってくれる人間をパッショーネで見繕っておく。他に質問は?」

 

サーレーがおずおずと、情けない様子で手を上げた。

 

「どうしたんだい?サーレー。」

「……ひが。」

 

サーレーの声は蚊の鳴くような声で聞き取れない。

 

「聞こえない。はっきり言ってくれ。」

「……すいません、ボス。アメリカまでの旅費も、国際電話できる金もありません。それどころかパスポート代を捻出する費用も……。アメリカでの滞在費も……。明日の食費さえも……。なにぶん給料前で……。」

 

サーレーがしょんぼりとした情けない顔で言った。

最近給料を減らされたサーレーは、実はネアポリスまでの旅費もズッケェロへの借金だ。

ジョルノはテーブルでズッこけた。ミスタとムーロロは微妙な表情をしている。

 

「……金の問題なら心配いらない!アメリカ入国まではパッショーネでなんとかするし、電話費用もなんとでもしよう!それとは別に、アメリカドルもそれなりに用意する!危険な任務だから、僕たちの納得できる成果を出せたら報奨金も渡そう!……これで満足かい?」

「何も問題ありません!敬愛するボスのために、全力を尽くす所存ですッッッ!!!」

 

サーレーはキリッとした表情で、とても元気よく返事した。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

エンリコ・プッチはディオ・ブランドーの友人だ。

 

「2、3、5、7、11、13、17………。」

 

素数はいい。孤独な数字だ。素数は彼に力を与えてくれる。

エンリコ・プッチは州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所の教誨師だ。

プッチは刑務所内の彼に与えられた個室で、ソファーに深く腰掛けてリラックスしていた。

 

彼は、天国を求めている。天国とは、彼の友人ディオ・ブランドーが彼に残した人生の道しるべだ。

彼は、その道程の最大の障害を取り除いたことに安堵していた。

 

エンリコ・プッチが彼の目的を達するにあたって、その最大の障害となるのが空条承太郎だった。

エンリコ・プッチは友人のディオ・ブランドーの宣う天国への道筋を行くために承太郎の記憶を奪う必要があり、それが計画の最大の難所だと、そう考えていた。何しろ相手は、彼の友人ディオ・ブランドーを打倒した男である。

プッチは入念な下準備を行い、作戦を練りに練り上げて、ツテでその場限りの仲間を引き込み、最大限の緊張をして奇襲を行なった。

 

そして、それは達せられた。

あとは承太郎の記憶に沿って行動を起こすだけであり、そこに至る障害はさほど多くないはずだ。

プッチは満足げに笑った。祝杯をあげよう。勝ったも同然だ。エクセレント!

彼はグラスにワインを注ぎ、口に含んだ。

 

エンリコ・プッチにイタリアから得体の知れない二人組が向かってきていることを、知る由はない。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名称

州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所

概要

ジョジョ6部、ストーンオーシャンの舞台。何かの手違いで、イタリア在住のチンピラの二人組が送り込まれてしまった。

さて、得体の知れない二人組はここで一体どんな経験をするのだろうか?

 

名前

エンリコ・プッチ

スタンド

ホワイト・スネイク

概要

対象の記憶とスタンドをディスクにすることが可能なスタンド能力者。ディスクは本来の持ち主でない他人に差し込んでスタンド能力者に仕立て上げることが可能。ディオの友人で、彼の言う天国を目指している。ぶっちゃけ、めちゃくちゃ敗北フラグが立っている。

 

補足事項

ドナテロ・ヴェルサスの強盗事件に関しては、本来この時期に起こるはずだった。それがなぜ早い段階で起ころうとしていたのかを補足すると、テンパったドナテロがあまりに怪しかったために警官に職質されて、ドナテロが一度は強盗を断念していたためである。



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石作りの海 その2

「んでよォー、この厳重な警備の刑務所にどうやって潜入するよ?」

 

マリオ・ズッケェロがサーレーに問いかけた。

 

「あんましジロジロみんな。今日は取り敢えず潜入先の下見だけだ。変に見て周囲の人間に不審者だと怪しまれたら元も子もないだろが。」

 

サーレーがズッケェロに答え返した。

 

州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所、別名水族館。刑務所は、アメリカのフロリダ州にある島の敷地を丸々買い取って存在した。二人の目前には、その広大な敷地につながる道路がある。

この刑務所に、目標の空条徐倫は殺人と死体遺棄の容疑で十五年間の刑期で収監されている。

 

パッショーネとスピードワゴン財団は盟友で、スピードワゴン財団所属の最強のスタンド使い、空条承太郎氏がグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所に娘に面会に行った際に何者かによる襲撃を受けた。承太郎氏は極めて戦闘能力の高い歴戦の戦士であり、氏に何かが起こったのであれば、それはあからさまに異常事態である。何者かの意図が働いているのであれば、それは相当な下準備と実力、そして事を起こしたことに対するなんらかの見返りが存在するのだと考えられる。

その陰謀を暴くのは、非常に危険な任務だと推測される。

 

「んで、どうするよ?」

「侵入は明日の夜間に行う。パッショーネからの情報によると、徐倫嬢は今現在刑務所の懲罰房に入れられているらしい。」

 

サーレーは刑務所への潜入の方法をいく通りかシミュレートしていた。

所内に搬入される食材等の貨物にソフト・マシーンを使用して紛れ込む。下水管を伝って所内にソフト・マシーンで潜入する。クラフト・ワークで小石を宙に固定して、上空から中庭に侵入する。そこからソフト・マシーンを使用して鉄格子を抜けて所内に侵入する。

いずれにせよ、ズッケェロのソフト・マシーンありきの潜入方法である。

 

所内には各所至る所に監視カメラが設置されている。しかし、ズッケェロのソフト・マシーンであれば監視カメラは誤魔化すことができる。

 

夜間に厚みを無くしたズッケェロとサーレーが所内の床の模様を模した迷彩を使って移動すれば、監視カメラはそれを正確に捉えられるほどに精度が高いものではない。夜間であれば所内の照度は落とされ、少人数で複数のカメラを監視する側の人間の注意力も低下する。

先がけて今日の夜に所内に潜入して、デジタルカメラで所内の床模様を撮影しておく。床模様と同じ色紙を用意する。薄っぺらになった二人が色紙を被って所内を移動する。いわゆる昔のテレビでよくある古典的なニンジャスタイルである。一見馬鹿馬鹿しいやり方にも思えるが、パッショーネで前もってさまざまなタイプの監視カメラに試してみた結果、照度が低いとこれが案外と馬鹿にできない効果があることが発覚した。

加えて言えば、二人の最も大きな強みは万が一看守が監視カメラで違和感を感じたり、二人が所内の何らかのセンサーに引っかかったりして刑務所側が捜索を行ったとしても、ズッケェロのソフト・マシーンであれば普通の人間なら考えないような場所に隠れ潜むことが可能だということであった。

 

「それにしてもよぉー。人生って何が起こるかわかんねーな。まさかアメリカで刑務所の潜入任務を行うことになるなんてよぉ。英語の勉強をしといてよかったぜ。」

「全くだな。シーラ・Eさまさまだ。おかげで英語の教材を刑務所に持ち込まずに済んだぜ。」

「じゃあ、取り敢えずホテルで段取りでも打ち合わせるか。」

「そうだな。今日の夜間から長期の任務になる可能性がある。覚悟をしとかないとな。」

 

二人は刑務所から離れ、パッショーネに用意されたフロリダ州の高級ホテルへと向かった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

空条徐倫は、懲罰房に入れられていた。

 

彼女は恋人と悪徳弁護士に殺人の罪を着せられ、刑務所に十五年間収監されることになった。

そこでずっと会わなかった父親からペンダントを渡され、徐倫はスタンド使いとして目覚めることになる。刑務所行きのバスで相乗りしたエルメェス・コステロという名の女性と友人になり、刑務所内で同室のグェスという女性との戦闘を経てスタンドの使用法を理解し、彼女は自身のスタンドにストーン・フリーという名前をつけた。そしてやがて徐倫に面会が来ることとなる。彼女はてっきり自身の母親が面会に来るものだと考えていたが実際に面会に来たのはずっと会うことのなかった父親であり、父親もろとも徐倫は何者かの襲撃を受けることになった。襲撃を行った何者かは、彼女の父親である空条承太郎が狙いだった。承太郎は何者かに得体の知れないディスクを奪われ、徐倫はそれが承太郎のスタンドであることを推測した。

 

ストーンオーシャンは、そこから始まる。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「んで、結局どうやって侵入するか決めたのか?」

「そうだな。侵入の決行は明日の夜だ。先駆けて俺が今日の深夜に敷地内の偵察を行う。今日はお前は好きに過ごしといていいぜ。シャバで最後の夜だ。」

 

フロリダの高級ホテルの一室で、サーレーがズッケェロに冗談めかして告げた。

時刻は今現在夜の十一時、サーレーがじきに動き始める予定の時間帯だ。

サーレーの緊張感は高まり、集中した。

 

「オイオイ。怒るぜ?俺たちは一蓮托生だろうが。お前一人で仕事させて、俺だけ呑気に遊んでられるわけがねえだろ。」

「ああ、すまん。じゃあ分業だ。お前は、明日の昼間にどっかのショッピングモールででも高性能なプリンタとスキャナを買っておいてくれ。それでスキャンして刑務所の壁や床と同じ色の色紙を印刷する。今日の夜は俺が単体で仕事を行う。潜入方法はどっかの鉄格子からお前のソフト・マシーンを使用してすり抜けて潜入する。今日は俺が所内の壁の撮影と、監視の薄いところを確認しておく。」

「了解。下見で見つかったら台無しだからな。注意しろよ。」

「ああ。」

 

刑務所でなんらかの陰謀を企む人物が存在すると仮定して、今の二人の最も大きな強みは二人の存在がほぼ間違いなく敵にバレていないことである。下見で見つかって警戒されたりしたら、それが台無しになってしまう。

 

「それで、今日はどうやって下見をするつもりなんだ?」

 

ズッケェロがサーレーに問いかけた。

 

「刑務所は高い壁と高圧電流を流した有刺鉄線に囲まれている。恐らくは夜間も重装備をした連中が周囲の見張りを行なっているだろう。まあ、適当に近付いたら小石を空中に固定して階段を作って監視の薄そうな中庭にでも侵入するよ。」

「問題なさそうだな。」

「誰に言ってるんだ。」

 

サーレーとズッケェロは笑った。

サーレーは立ち上がる。

 

「行くのか?」

「ああ。」

 

サーレーは、グリーン・ドルフィン・ストリート刑務所へと下見に向かった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは、用心深く刑務所の遠巻きから侵入した。

彼の持つ刑務所の見取り図には次々とペンでばつ印が記入されていく。それは、所内の監視カメラの配置図だった。刑務所の屋外でも、塀に備わった監視カメラが複数確認できた。サーレーはそれらに引っかからないように、上空を慎重に進んでいく。監視カメラは普通の人間を想定して、そのほとんどが下を向いている。気を付けるべきは監視塔のようなところから周囲を警戒している人間だが、彼らもまさか人間が空を歩いて侵入してくるとは考えない。距離をとって光源にさえ気を付ければ見つかることはまず無いだろう。

サーレーのクラフト・ワークは、固定の能力で三次元の移動も可能であることが一つの強みだった。

 

「なるほど。これは前もって下見をしておいて正解だったみたいだ。所内では猟犬も飼っているのか。」

 

サーレーは上空から中庭に設置された犬小屋を確認した。あまり近付くと犬に気付かれてしまう。

猟犬を飼っているという情報は、値千金だ。ズッケェロのソフト・マシーンは犬の嗅覚までは誤魔化せない。十分に警戒する必要がある。

 

「ここは……農園か。周囲に耕作した跡が見受けられる。……あれは!」

 

サーレーは何かに気付いて、急いで地上に降りて近くの茂みへと隠れ潜んだ。

スタンドだ。仮面にも見える王冠のようなものを頭に被った、体に奇妙な文様のあるスタンドをサーレーは見かけた。

スタンドは、農園の沼のほとりでなんらかの行動をとっている。不用意に近付けば気付かれる可能性が高く、動けない。

 

ーーうおお……。マジか!?いきなり大当たりじゃあねえか!チッ、いきなりスタンドに遭遇するなんざ、想定外だ。どうする?アイツが完全に敵と決まったわけじゃねえし、能力も未知数だ。いきなり戦いを仕掛けるべきか?

 

【ヤハリココニ置イタディスクニハ使イ道ハナサソウダ。引キ続キ、キミニココノディスクノ監視ヲ任セヨウ。】

 

ーー……ボスは徐倫嬢から情報を得ることが最優先とおっしゃった。奴が黒幕の可能性はあるが、まずは確実に情報を得ることを優先するべきか。

 

サーレーは未知のスタンドの対応にしばし迷った。先手を打てば、戦闘は有利に運ぶ可能性が高い。

しかし仮に相手が黒幕であっても、倒しただけで承太郎氏が元に戻るとは限らない。奴が黒幕ではなくその手先に過ぎない可能性もある。戦いを仕掛けて敗北したら、パッショーネになんら情報を遺せずに任務は失敗に終わってしまう。総じてデメリットの方が大きい。

サーレーは戦いを見送る決断を下した。

 

ーー刑務所の建物の方へと向かっていく。やはり、敵は刑務所内に潜伏しているということか、、、。

 

サーレーはスタンドの向かう先を確認した。

 

ーー取り敢えず今日行うべきことは、刑務所内部の壁の模様の確認と外部監視カメラの大まかな配置図だ。スタンドを使用する敵が刑務所内部に確実に潜伏していることがわかったことも、値千金の情報だ。

 

サーレーは引き続き慎重に己の任務を遂行していった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「よお、どうだった?」

「お前寝とけよ。お前は明日必要なものを用意するという重要な仕事があるんだからよ。」

 

サーレーがフロリダのホテルを出立したのは深夜十一時半くらいだった。すでに時刻は朝方の四時近い。

ズッケェロは起きて、部屋でサーレーの帰りを待っていた。

 

「疲れて帰ってくる相棒をほっといて先に寝るなんてできねえよ。それよりどうだった?」

「ああ。いくつか気付けたことがあった。先に下見に行っといて良かったよ。まずは内部の監視カメラの配置と大まかな監視予想図だ。」

 

サーレーは洋服にしまっていた刑務所の見取り図を取り出した。

 

「これに俺が確認できた監視カメラの位置を書き記している。まあわかっているとは思うが、この地図を過信はするなよ。見つかったら作戦がオシャカだ。次に、刑務所内では猟犬を飼っていた。これは当たり前のことだったのかもしれないが、俺たちの前々の予想には組み込んでいなかったことだ。鼻の効く猟犬はお前のソフト・マシーンにとっては天敵に等しい。」

「……確かにな。なるほど。刑務所は犬を飼ってんのか。それは十分に注意しねえといけねえな。」

「最後に、刑務所内でスタンドを見かけた。これでこの件の裏でなんらかのスタンドが暗躍してることの裏付けになったということだ。これは明日ムーロロに電話で報告を行う。」

「ソイツとの戦闘は?」

「見送った。能力もわからないし、ソイツが黒幕だって確証がねえ。まずは徐倫嬢から情報を得るのが最優先だ。」

「まあその通りだわな。じゃあ俺はそろそろ寝るとするぜ。」

「ああ。俺は体が汚れたから落としてから寝るとするよ。」

 

ズッケェロはベッドに横になり、ほとんど間をおかずにイビキをかきはじめた。

 

「さて、と。この先、どうなることやら。」

 

サーレーはシャワールームに入りながら、今日遭遇したスタンドのことについて思考した。

現状、敵についてわかることは姿以外はほとんどない。

 

ーー強いて予想するのであれば、何かよほど特殊な能力を持っていることが想像される。接近してのガチンコの戦いでは、承太郎さんが負けるとは思えない。恐らくは対処の難しいなんらかの能力で先手を取り、嵌めたんだろう。

 

サーレーの冷えた皮膚を、暖かいシャワーがつたっていく。フロリダはイタリアに比べたら温暖で湿潤だが、さすがに深夜の時間帯の長時間行動は疲弊したし、体が冷えた。

サーレーは、ベッドで横になった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「潜入は今夜から開始する。先駆けて昨夜、単体で偵察を行ったのだが、刑務所内でスタンドと遭遇した。その際は情報を持ち帰ることを優先して見つからないように立ち回った。やはりこの件、あんたらが推測した通りに何らかのスタンド使いが裏で暗躍しているようだ。」

『……ご苦労だ。引き続き偵察を任せるぜ。』

「ああ。」

 

今は昼日中の三時くらいで、相棒のズッケェロはショッピングモールに潜入用の物資の買い出しに向かっている。

サーレーは知らないが、すでにサーレーの携帯電話はムーロロの判断で傍受不可能な専用線に切り替えられていた。

サーレーは組織への定時連絡を終えた後、この先のことをシミュレートした。

 

ーーさまざまな事態に咄嗟に対応するためには、可能な限り予想できる状況への対応を前もって考えて打ち合わせておくことが必須だ。侵入先は警備レベルが高い刑務所。夜間の見回り等も想定されるし、下手したら最悪ばったり暗躍するスタンド使いと遭遇、なんて事態まで考えられる。俺たちの敵に対する優位な点は敵にその存在がバレていないだろうということであり、まかり間違えて何者かと遭遇するなんて事態は避けたい。用心深く、聴覚を研ぎ澄ませて先へと進む必要性がある。

 

ーー仮に敵方に探知タイプのスタンドが存在した場合、ソイツを墜とすことは俺たちにとって最優先の必須事項だ。それは俺のクラフト・ワークでどうにかしないといけない。たとえ相手に俺たちの存在がバレたとしても、探知タイプさえ墜とせればそれはそれで割に合う。いないならそれに越したことはないが。敵方に探知タイプが存在する可能性を想定すれば必然的に、俺とズッケェロが二手に別れるわけにはいかなくなる。ズッケェロのソフト・マシーンはあくまで奇襲、暗殺用のスタンドであって、近接戦はハッキリ言ってしまえば強くない。

 

サーレーは思考を続けた。

サーレーとズッケェロの二人で話し合って出した結論は、結局ソフト・マシーンの弱点である探知タイプに対する対応は、二人が離れずに行動することによりサーレーのクラフト・ワークで補うしかないというものであった。

 

ーー俺が新しく生み出した新技や、二人で互いの利点を活かし合う戦法などもすでに話し合っている。相棒が帰ってきたらそこを詰めて行かなきゃならねえ。時刻は現在昼の十五時、俺たちが潜入に動き出すまではおよそあと八時間てとこか。とりあえず段取りは後回しにして、なんか腹拵えでもしておこうか。

 

サーレーは部屋を出てホテルに入っているビュッフェ形式のレストランへと向かった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ーーうーん。やっぱり、俺はあまりここのメシに合わねえな。個人的には、イタリアのメシの方が美味い。

 

サーレーはレストランに入っていた食料から、パンとソーセージとスクランブルエッグにコーヒーを取って食していた。

 

ーーフロリダは景色はいいし、気候も温暖で過ごしやすいのかもしれないけど、やっぱり俺はイタリアの方が好みだな。

 

「よお、相棒。」

「お前も今からメシか。目的のものは見つかったのか?」

「ああ、問題ねえ。作業もすでに終わらせといた。あとでお前も確認をしておいてくれ。」

「了解。」

 

ズッケェロもビュッフェから好きなものをとって、皿に乗っけていた。

 

「さて、メシを食い終わったら一眠りする。二十三時前に起きて行動を開始する。その先はアドリブで、何が起きるか未知数だ。覚悟はいいか?」

「まっ、やるだけやってみるしかねーな。とりあえず最初の行動は確か懲罰房に向かって空条徐倫嬢に接触することだったな。」

「ああ。囚人に対する懲罰房だから、そこの警備レベルも軽視できねえ。今から一眠りして、起きたらもう集中力を切らすことはできねえ。最悪、道中で何者かと鉢合わせるようだったら戦闘が勃発する可能性もある。その場合は仮に相手に勝利できても所内になんらかの痕跡を残してしまう可能性が高く、ただでさえ厳重な警戒態勢の刑務所内の警備レベルが跳ね上がる可能性が高い。最大限に集中しないといけねえ。」

 

サーレーは口にコーヒーを含んで、目を閉じてしばし刑務所内の警備を想像した。

至る所に鉄格子が存在し、所内を武装した所員が忙しなく捜索をしている絵図の想像だ。

そうなればソフト・マシーンで隠れ潜むことは可能だろうが、移動するとたやすく見つかってしまうだろう。所内不審者探索のために猟犬を持ち出されても、非常に困ったことになる。

 

「なるほどな。そうなってしまえば俺のソフト・マシーンだったとしても所内をバレずに動くのがなかなか難しくなるわな。」

「侵入がバレるのであれば、せめてお前の天敵である探知タイプのスタンドは最低でも墜としたい。まあ敵方にそれが居ないのが一番いいが、楽観はしない方がいい。」

「……ああ。」

 

ズッケェロは麻薬チームに殺されかけて、天敵という存在の恐ろしさを身に染みて理解している。

探知タイプのスタンドが存在したら、二人の優位性が存在しなくなってしまう。敵の数も能力もわからない現状、最悪のケースは想像し尽くしてもしたりない。

 

「……しかし、必要以上に今から警戒して、本番で集中を切らすのは愚かな行為だ。とりあえず今は腹が満たされたら、部屋に戻って眠ることを考えよう。」

「そうだな。」

 

人間の体力や集中力には限りがある。それらは相互に密接に関わっており、当然の話、体力が低下すれば疲労がダイレクトに頭脳に影響して相乗的に集中力も低下する。現在の時刻が十七時。動き出す二十三時までにはあと六時間ほどの余裕がある。

食事を終えた二人は、部屋のベッドで横になった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ここから先は無駄話は厳禁だ。俺たちの命運、お前に任せたぞ。」

「ああ。」

 

サーレーとズッケェロの二人は、州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所の所内潜入経路の鉄格子のそばまですでに辿り着いていた。これから二人が行うのは刑務所の潜入任務、しかも警備レベルはアメリカ最高レベルの刑務所だ。普通に考えたら自殺志願の人間の所業である。

 

サーレーはズッケェロの攻撃を受けて平たくなり、ズッケェロも平たくなってサーレーを運びながら刑務所内の潜行を行う。夜間といえども所内では警備が行われていることが想定され、足音やなんらかの異変を感じたらズッケェロはすぐに閉所に隠れることに取り決められている。その他も、スタンドと鉢合わせたりしたら即座にサーレーに使用した能力を解除する手筈だし、なんらかの想定外の事態が起こったら日を改めて出直すことも前もって取り決めてある。

 

ーーまあとりあえず……今のところはなんら想定外な事態は無さそうだ。さて、と。

 

ズッケェロはゆっくりと刑務所の床を這いずりながら先を進んでいる。時折ソフト・マシーンが床の色紙から顔を出して辺りを用心深く伺っていた。

刑務所の床に足音が響いた。ズッケェロは、近場にあった鉄格子のある通路へと隠れ潜む。

 

ーー機関銃を持った見回りか。あんなんを乱射されたら相棒のクラフト・ワークならともかく、俺のソフト・マシーンじゃああっという間に蜂の巣にされちまう。

 

ズッケェロは緊張した。用心深く長時間潜伏し、やがて足音は遠ざかって行った。

 

ーーふう。気を使うぜ。とりあえず地図によると、懲罰房棟の場所はこっちの方角だったな。

 

ズッケェロは慎重に、刑務所内を這って進んでいった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

空条徐倫は、刑務所の懲罰房に入れられていた。

彼女は父親の承太郎と面会室にて面会し、そこでジョンガリ・Aと得体の知れないスタンドの二人組に襲撃された。

彼女の父親の承太郎は得体の知れないスタンドの攻撃を受けて記憶とスタンドを奪われ、仮死状態でスピードワゴン財団所持の潜水艦へと逃がされた。彼女は父親が奪われたものを取り戻すためにここに残っている。徐倫は面会室を勝手に抜け出した責を問われ、懲罰の対象になっていた。

 

徐倫は手足を手錠で拘束されたまま、懲罰房内の床に突っ伏している。

 

「空条徐倫だな。」

「誰ッッッ!!!」

 

唐突に声がして、懲罰房内の徐倫は緊張した。父親を襲撃した人物が、彼女を亡き者にしようと襲撃しに来た可能性が高い。

 

「待て。俺は敵ではない。バレないように静かにしてくれ。話を聞いてほしい。」

 

声は部屋の外から聞こえてくる。徐倫は転がって体勢を変えて部屋のドア上部に取り付けられた鉄格子に目をやった。

そこから、男が房内を覗いていた。

 

「アンタ何者よ?私に何の用?」

「俺の名前はサーレー。スピードワゴン財団の盟友、パッショーネという組織に所属する人間だ。お前の親父さんとも面識がある。」

「……証拠は?」

「ない。しかし、俺たちはここまで忍び込むためにもリスクをはらったし、お前を問答無用に攻撃していないことからも信じて欲しい。」

「……簡単には信用できないわ。」

 

徐倫は男が告げた内容を頭でまとめた。

 

「俺たちがわざわざここまで侵入した理由は、俺たちの組織と財団が盟友関係にあることと、この件の背後で何らかの邪悪な意思が動いている可能性を感じたためだ。そのために、情報を持っているであろうお前に接触を行なった。」

「邪悪な意思?」

「承太郎さんは、ある一部の界隈では非常に有名人だ。尋常ではない実力者だと。」

「それって!」

 

徐倫にも心当たりがあった。彼女は最近、スタンド能力を身につけたばかりだ。もし彼女の父親が実力者として有名だということが事実なら、それと無関係であるとは思えない。

サーレーと名乗る男の脇にも、亡霊のようにソイツが立っている。

 

「やはりお前にも見えるのか。」

「アンタもそれ、使えたのね。」

 

サーレーは徐倫の視線が、彼のクラフト・ワークの方へと向いたことに気付いていた。

 

「これは俺たちがスタンドと呼ぶ存在で、俺はその能力を使用してここまで潜入してきた。信じてほしい。俺たちが能力を使用すれば、お前に気付かれずに問答無用での攻撃も可能だった。しかし俺は、今危険を犯してお前の前に姿を現している。」

「……アンタたちが私に接触した理由は?」

「承太郎氏の身に起きたことの詳細、敵の正体、敵の狙いなど、その場にいたお前に知っていることを教えて欲しい。」

 

徐倫は少し悩んだが、相手の言に筋が通っている上に相手の言葉の端々に外国人らしい訛りがあったために、男の言うことをある程度は信用することに決めた。

 

「私の父さんが実力者だと言うのが事実だと仮定して、それが邪悪な意思とどう関係するの?」

「スタンドを得てそれで邪な行為を行おうとする者が、昔から後を立たないと言う話だ。承太郎さんはそういった奴らの、対抗力として有名だったらしい。俺は直接それを知っているわけではない。これは、組織から俺に与えられた情報だ。邪悪な奴らが承太郎さんを目の上のタンコブとして始末しようとしたり、あるいは財団を乗っ取って世を乱そうとしているのではないかというのが、俺たちの組織の見解だ。」

「……なるほど。」

 

徐倫にその話の裏付けは不可能だが、男の話の筋自体は通っている。

彼女に与えられたストーン・フリーも常人には不可視で、いくらでも悪し様な使い方が考え付く。

 

「だから俺たちは、お前から何らかの情報を得るためにここに来た。財団が乗っ取られでもしたら、ヨーロッパで俺たちの組織と財団の戦争が始まるかもしれない。俺たちは財団と深い仲だし、俺個人としても承太郎さんとは知り合いだ。……再就職先の問題もあるし……。」

「再就職先?」

「いや、何でもない。聞かなかったことにしてくれ。とにかく徐倫、お前が知っていることを教えて欲しい。」

 

徐倫はしばし瞑目して、決意した。

 

「私の父さんを襲ったのは、あなたのいうスタンドよ。二人組で、一人はジョンガリ・Aという名の男。もう一人が、正体不明の体に文様のあるスタンド。」

「それは!」

 

恐らくはサーレーが昨夜遭遇して、戦闘を見送ったスタンドだ。

 

「どうしたの?」

「……そいつは昨晩、刑務所内の中庭の倉庫近辺で見かけたぞ。」

「……何ですって?」

「まあとりあえず、昨晩刑務所の偵察の際に偶然見かけたというだけだ。それよりも話の続きを聞きたい。お願いできるか?」

「……わかったわ。そのスタンドは父さんの頭部からディスクを奪って行ったわ。恐らくはスタンドと記憶を奪われたのではないかしら?敵の目的は不明だし、どいつが操っていたかもわからないわ。」

「それが全てか?」

「ええ。私が今わかっている全てよ。」

「わかった。ありがとう。……ところで徐倫、話は変わるが、俺たちのスタンドを使用すればお前をここから逃がせるが、どうする?まあ、俺たちを信用してもらってのことになるが。」

 

敵の目的は不明であるが、今後刑務所内では戦闘が起こる可能性は高い。

その時、空条徐倫という存在をどうするかは、サーレーたちも頭を悩ませていた問題だった。最悪戦闘に巻き込まれて命を落とされるくらいなら、いっそのこと刑務所から逃がしてしまった方がいい。

 

「俺たち?アンタ一人じゃあないの?」

「ああ。もう一人は周囲の索敵と警戒を行なっている。ところで、どうだ?」

「そうね。気持ちは有り難いけど、私は自分の手で黒幕をぶちのめさないと気が済まないの。父さんも助けてぶん殴ってやりたいし。遠慮するわ。」

 

敵意が氷解したとしても、それと感情は別物だ。

徐倫はこれまで母親と彼女を放置した承太郎を、絶対に殴ってやることを決意していた。

 

「……刑務所内で恐ろしい戦いが起こるかもしれないとしてもか?」

「そうだとしてもよ。」

「……そうか。俺たちはもうしばらくは刑務所に潜伏して事件の裏側の詮索を行うつもりだ。俺の顔を覚えといてくれ。それと気が変わって逃げたくなったら、俺にいつでも言ってくれ。」

 

それだけ告げると、男は懲罰房棟から去って行った。

 

男たちが懲罰房棟に潜入するところを、一人の少年が目撃していた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名前

空条徐倫

スタンド

ストーン・フリー

概要

空条承太郎の娘。承太郎と彼女の母親は離婚しており、徐倫は承太郎にいい感情を抱いていなかった。スタンドは糸を束ねたようなスタンドで、しなやかさと強靭さを併せ持つ。



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石作りの海 その3

ここから二、三話は整合性のために比較的原作に近しい展開が続きます。そこから先は、、、。どうなるんでしょう?
それと、今朝方操作ミスで違う投稿をしてしまいました。見た方がもしいらっしゃったら、本当に申し訳ありません。見なかったことにしておいてください。


「それでそのジョンガリ・Aという男をこっちで調べてみた結果、そいつはグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所の男囚で、徐倫たちとの面会の直後に行方不明になっているらしい。」

『わかった。こっちでもそのジョンガリ・Aという男の詳細を調べておこう。報告ご苦労だ。引き続き調査を頼んだぜ。』

「おい、オメーちっとは喋んなよ。」

「おい、新参者がでかい顔をしてんじゃねー!ウェザー、テメーもちったあ怒れよ!」

「…………。」

 

エンポリオ少年は、困惑していた。

 

彼の母親は刑務所で少年を産み落とし、少年の母親はそこに潜む邪悪な意思に殺害された。

少年は邪悪な意思に目をつけられた空条徐倫を影からフォローしたいと考えており、懲罰房に収監された徐倫が黒幕に手出しをされないように、彼女を影ながらにひそかに護衛していた。いざという時は音楽室に住み着いたアナスイとウェザーに頼み込んで、黒幕と戦うことを決意していたのだ。それが彼らが二人の侵入者と接触を行うことが可能だった経緯だった。

 

少年は刑務所内に存在する音楽室の幽霊のスタンドに、ウェザー・リポートとナルシソ・アナスイという男たちと三人で住み着いていた。

 

「次の連絡は新しい情報が入ったタイミングか、もしくは遅くとも三日後には連絡をする予定だ。それにしても、ちっ。遭遇したのが黒幕だったんなら、その時に仕留めておくべきだったぜ。」

『もういいか?サーレー。お前は気付いてなさそうだが、この世には時差ってもんが存在するんだぜ?俺はもう眠くって仕方ねえ。次からはちったあ人のことも考えろってんだ。お前の報告はもうわかったから、電話はもう切るぞ。』

「なあ、どうしてそんなに喋んねーんだ?なんかの病気とかか?」

「ヤメロ!テメー勝手にウェザーの帽子を撫で回してんじゃねー!ウェザー、何とか言ってやれよ!」

「…………。」

 

……はっきり言ってしまえば非常に鬱陶しい。

徐倫おねえちゃんに接触した存在が気になってコンタクトを取ってみたところ、エンポリオ少年のお家に新しく二人のオジさんが勝手に住み着くことになってしまった。

……なぜこんなことになってしまったのか?少年は非常に困惑している。

 

オジさんは、すでに少年の家に勝手に住み着いていたウェザー・リポートとナルシソ・アナスイの二人きりでお腹いっぱいだ。

それを四人に増やして、一体少年に何をしろと言うのだろうか?バンドを組めとでも言いたいのだろうか?少年にプロデューサーをしろとでも?

 

「じゃあそっちは任せたぜ!チクショウ、それにしても仕留める絶好の機会だったってのに!俺としたことが、ミスったぜ!なあ!ムーロロ。」

『……zzz。』

「へー、これ暖かくて、フカフカで触り心地もいいんだな。どれどれ。いいな、これ。」

「おい、何やってんだ!持ち主の許可なしに勝手にウェザーの帽子をかぶってんじゃねーよ!テメーには常識ってもんがねーのか!」

「…………。」

 

……勝手に住み着いてしまった。少年の許可無しに。

どうやら彼らも徐倫おねえちゃんの手伝いに刑務所に侵入したようなのだが……。

家主の意向を無視して勝手に住み着くなんて、もしかしたら彼らは全員揃って台所の黒い悪魔の親戚なのかもしれない。道理で少年に家賃を払ってくれそうな気配がないわけだ。彼ら全員一応人の見た目をしているのだが?

 

「こっちにきて思ったんだが、やっぱりイタリアが一番だよ。こっちのメシはあんまり俺に合わねー。イタリアが一番だ。」

『……zzz。』

「なあ、これどこで買ったんだ?カッコいいな。俺にも買ったメーカーを教えてくれよ。」

「おい!なにオレの肩組んでんだ!なんでウェザーだけでなくオレの帽子まで勝手に奪おうとしてるんだ!テメー昨日の深夜に会ったばかりじゃあねーか!どうしてそんなに馴れ馴れしくできるんだ!?常識を考えろ!ウェザー、オメーもちったあ反応しろ!」

「…………。」

 

新たにやってきた二人組は、常識が怪しいアナスイに常識を説かれている……。ひどい……ひどすぎる……。

エンポリオ少年は、ひどく困惑していた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「んでよぉー。マジメな話、お前らどうすんだ?」

 

ズッケェロが比較的会話の通じそうなアナスイに問いかけた。

 

「アン?なにが言いたいんだ?」

「お前らのこれから、特にこのガキのことだよ。お前らだってわかってんだろ?こんなところにいつまでもガキを閉じ込めておくべきではないってことくらい。」

 

ズッケェロはエンポリオの頭を軽く叩いた。

サーレーは急に真っ当な人間のようなことを指摘した己の相棒に困惑した。

 

「僕はおねえちゃんをッッ!!!」

「まあ待て待て。とりあえずはこの場にいる大人の意見を聞きたいんだ。お前の話は次にキチンと聞くからよぉー。」

 

会話に割り込んできたエンポリオ少年の頭をズッケェロは優しく撫でた。

 

「それは……。」

「いつまでもここにいるべきじゃあねえ。しかし真っ当に戸籍があるとも思えねえ。養育する大人もいねえ。三人まとめて抜け出しても、大人のお前らはお尋ね者だ。少年一人外に出てこの音楽室のスタンドが無くなれば、お前たちは刑務所の脱走未遂かなんかで良くて刑期の延長、最悪の場合射殺される可能性まであるってわけだ。」

「テメー!!何が言いてえ!」

 

痛いところを突いてくるズッケェロに、アナスイは憤慨した。

アナスイは自分の監房に長いこと戻っていなかった。仮に外に逃げることが可能だったとしても、ズッケェロの言葉は否定しきれない。

 

「何って、建設的な意見だよ。こいつは徐倫嬢を助けたいんだろ?んでそれが終わってもお前らには行く宛がねーわけだ。お前だって、罪のない少年がいつまでも刑務所に閉じ込められていることに思うところがないわけじゃねーだろ?」

 

ズッケェロは笑っていた。

 

「それは……。」

「だからそれを全部解決するちょうどいい案が俺たちにあるんだよ。お前ら俺たちに全面的に協力しろ。そしたらお前ら全員まとめて、身柄をイタリアで引き取ってやる。少年の戸籍もキチンと用意する。少年だけ先にイタリアに送ってもいいが、それでは少年は納得しねーんだろ?」

「……そんなことが可能なのか?」

 

寡黙なウェザーが口を開いた。

 

「もちろん大人のお前らは最低限組織の言うことには従ってもらう。俺たちはヨーロッパの裏社会の支配者の勅命で動いている。ことが上手く解決すりゃあ、お前たちの貢献を上に報告して俺がボスに土下座でもなんでもしてやるよ。大人のてめえらには組織の仕事が回されるだろうが、少年の大人になるまでの快適な生活は保証できる。」

「……わかった。受けよう。」

「ウェザー!!!」

 

ウェザー・リポートが肯定の返事をして、ナルシソ・アナスイは相棒の意図を掴みかねた。

 

「落ち着け、アナスイ。こいつが言うことは一理ある。エンポリオの将来が確約されるのなら、俺たち自身の不満は受け入れるべきだ。」

 

ウェザー・リポートは記憶を失っているが、もともとは真っ当な精神をした普通の人間である。

無実の少年が刑務所に込められていることに思うところが無いわけでは無かった。

 

「まっ、先に言っておくが俺たちの組織では指示なしに犯罪行為を行うのは控えてもらう。それとボスの指示は絶対だ。その二つだけ覚えておいてくれ。」

「ズッケェロ!」

 

勝手にことを進める相棒に、サーレーは困惑気味だ。

 

「大丈夫だ、サーレー。ボスは直接殺し合いをした俺たちでさえ救ってくださった。子供を見捨てるとは思えねえ。」

「……それはそうかも知らんが……お叱りは多分俺に来るんだぞ?」

「まあいいじゃねーか。多分そいつらもスタンド使いだろ?だったら使い道は組織でどうにでもなるだろ。」

 

ズッケェロのソフト・マシーンが手を振っていて、その動きをアナスイとウェザーは目の端で追っていた。

一方で、ウェザー・リポートとナルシソ・アナスイも話し合いを行っている。

 

「……しかしウェザー、こいつらが敵でない保証は………。」

「もともとエンポリオは徐倫という女性を助けたいって言って聞かなかっただろう。敵はおそらく非常に邪悪な存在で、放っておいたらエンポリオの命も危険に晒されることになる。音楽室が無くなってしまえば、お前だってどうにもならないだろう?将来も含めて救いの手を差し伸べたいと言ってくれるなら、俺たちの多少の危険は飲み込むべきだろう?」

「……ちっ。」

「話は纏まったようだな。それじゃあお前たちのスタンドを見せてくれるか?」

 

ズッケェロが二人に言葉をかけた。

 

「ふざけんな!なんで昨日今日会ったばかりのやつにスタンドを……。」

「そんなんじゃあお前、負けて死ぬぞ?」

 

ズッケェロが恐ろしく低い声でアナスイに宣告した。

 

「ッッ!テメエッ!!!」

「わかってねーみてーだから言っとくが、ここから先はそう遠からず形振り構わない殺し合いに発展する可能性が高い。相手は最強と言われる空条承太郎さんに手を出すマジにイかれたヤローだ。イかれてるにも関わらず、キッチリ承太郎さんをカタに嵌める計算高さも持ち合わせている。俺たちの組織の見解じゃあ、敵にはよほどの実力と目的があるんだと推測している。多少のリスクを伴おうとも、手札を隠して出し惜しみする局面じゃねーんだよ。それに互いにスタンドを見せ合えば、黒幕のスタンドの姿だけはわかっている今、少なくともお互いが黒幕でないことの証明だけはできるだろうが。」

「……俺のスタンドは天候を操るスタンドだ。」

「ウェザー!!どうしてそいつに素直に従う!そいつが敵にウッカリ能力をバラさねーとも限らねーだろーが!!!」

 

ウェザー・リポートの横に雲の形を模したスタンドが浮かび上がった。

 

「その承太郎さんとやらは俺は知らないが、そいつの話にはそこそこの説得力がある。エンポリオが敵に怯えているのも事実だ。しかし、自分の能力は自分が一番よく知っている。ある程度お前の指示には従うが、自分の判断で動く局面があるのを認めてもらおう。」

「オーケーだ。」

「……オレのスタンドはダイバー・ダウン。物体に潜行する能力だ。」

「了解。俺のスタンドは厚みをなくす能力と、薬物の幻覚を引き起こすシャボンだ。」

 

ズッケェロの横に細い剣を携えたソフト・マシーンが浮かび上がった。

 

「クラフト・ワーク。固定する能力だ。」

 

サーレーのとなりにクラフト・ワークが浮かび上がる。

 

「これで戦闘ができるスタンドは出揃ったわけだ。指示は俺の相棒が出す。」

「オイッッッ!!!」

「アン?どうした?相棒?」

「……お前が勝手に会話を進めていくから、てっきりお前が指揮官の役目をやるもんだと、、、。」

「お前がリーダーだろ?ま、指示はよろしく頼むぜ。」

 

……ここまでの流れに特に異論は無いが、ここ一番で丸投げするのはやめてくれないだろうか?

 

「……そんで?お前らはどう動くんだ?」

 

アナスイがズッケェロに問いかけた。

 

「差し当たってはどっかから囚人服を盗んで、昼間は気付かれないように遠巻きに徐倫を警護するよ。敵が徐倫になんらかの接触をしてくる可能性は高い。そのほかは……まあ臨機応変だな。その時その時で思いつく通りに動く予定だ。」

「看守にお前たちの正体がバレたらどうすんだ?」

「俺のスタンドは潜伏に特化してるからな。少しでも危険を感じたらどっかに隠れるよ。」

 

アナスイの疑問に全てズッケェロが答えている。

……もう俺じゃなくて、お前が指揮官で良くないか?

 

「俺たちはどうすればいい?」

 

ウェザー・リポートがズッケェロに問いかけた。

 

「必要を感じたらサーレーが指示を出す。大人数で動けば、トラブルも多くなりがちだ。基本は俺とサーレーで動き、万が一夜間に俺たちがこの部屋に帰還しなかったら俺たちは敵にやられたモンだと考えてお前たちで動いてくれ。」

「了解した。」

「あの……ちょっといい?」

 

エンポリオ少年が遠慮がちにズッケェロに話しかけた。

 

「どうした?」

「徐倫おねえちゃんには仲間が必要だ。あなたたちが仲間になってくれるというのなら、それはとても嬉しい。でも、他にも希望があると思う。」

「希望?」

「徐倫おねえちゃんにはエルメェスおねえちゃんという友人がいる。彼女もきっと、スタンドに目覚めていると……思う。」

「ふんふん、それで?」

「エルメェスおねえちゃんと接触して、徐倫おねえちゃんの助けになってくれるようにお願いしたい。きっと彼女は、助けになってくれるはずだよ。」

「なるほど。んでどうすんだ?」

「僕がエルメェスおねえちゃんをこの部屋に呼び込んで説得してみるよ。」

 

 

 

◼️◼️◼️

 

エルメェス・コステロは刑務所の医務室で寝込んでいた。

彼女は空条徐倫が落としたペンダントを拾い、手に引っ掛けてしまっていた。その晩から四十二度の高熱を出してダウンし、六日間も寝込むハメになっていた。

彼女は何者かに体を弄られたことにより目覚め、手のひらから得体の知れないシールが生えてきていることに気付いた。剥がしても剥がしても無数に生えてくる得体の知れないシール。

そして彼女はシールの特性に気付く。それは一つの物体を二つにする特性を持つシールだった。

 

それは、キッスと呼ばれる彼女のスタンドの目覚めだった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

エルメェス・コステロはトイレでサンダー・マックイイーンと言う名の男囚と向かい合っていた。

エルメェスはマックイイーンの記憶のディスクを持っている。それは彼女が、マックイイーンを攻撃した時に入手したものだった。彼女は、ディスクをトイレの便器に落っことしていた。

 

「あんた、俺のことを嗅ぎまわってるって聞いたぞ。女に付き纏われるのは、生まれて初めてだァァ。」

 

エルメェスは相手を警戒した。彼女には、今起こっていることをがなんなのか判然としない。

彼女にかろうじてわかっていることは、彼女の手のひらから物体を二つにするシールが出てくることと、手に入れたディスクが恐らくは目の前の男の記憶だということの二点。

 

なぜ記憶がディスクになっているのか?目の前の男が何者なのか?なぜ自分の周りで急に超常の現象が発生するようになったのか?それらは全く以って不明である。

つまり、現実に起こっていることを何とか飲み込んでいるだけで、肝心なことは何もわかっていないも同然なのである。相手を警戒して当然だ。相手がなにかの情報を持っているなら、聞き出したい。エルメェスはマックイイーンに高圧的に問いかけた。

 

「オイ、テメーなんなんだ!テメーの頭から出てきたディスクは一体なんなんだ!答えろッッ!」

「ディスク?……うっ、えっ、うわああぁぁぁん。」

 

マックイイーンはエルメェスの質問に対して、いきなり泣き出してしまった。理由のわからないエルメェスは困惑した。

 

「お、オイ?どうして突然泣く?どうしたんだ?」

「思い出せねえんだよォォ。ディスク……大切なものだった気がするのにィィィ。俺はゴミ人間だぁぁぁ。大金を隠していた気もするんだが、それも忘れちまったぁぁぁ。うわああぁぁぁん。」

「お、落ち着けよ。悪かったよ。アンタ、大丈夫なのか?」

「あんた、俺のことを心配してくれんのか?俺みたいなゴミを?あんたはマジで天使のような人だ。聖人だ。いいなあ。アンタのような優しい人と結婚して、二人で一緒に人生を過ごしてえなあ。」

 

……キモい。なんなんだコイツ?

情緒不安定過ぎる。泣き出したと思ったら、いきなりわけのわからないことを口走り始めた。

エルメェスは引いている。

 

エルメェスは喉から出かかった言葉を飲み込んだ。うっかり口にしたら、また泣き出してしまうかもしれない。せっかく会話が成立しているなら、情報を得るのが最優先だ。

マックイイーンは夢見心地にトイレの中をフラついている。せっかくだから、このまま優しくして知ってることを洗いざらい喋らせてしまおう。エルメェスはそう考えた、矢先だった。

 

「でも、そんなこと有り得ねえんだよなあ。どうせ俺は女に好かれねえ。ああ、そうだ。死のう。」

「オイ!!!テメー、何やってんだぁああぁぁぁッッッッ!!!」

 

マックイイーンは唐突にトイレの配管にベルトをかけて首を吊った。

マックイイーンのいきなりの行動と同時に、エルメェスの首が得体の知れない力で締め付けられる。

 

なぜ?どうして?なんなんだ?

鬱血し朦朧とする頭で、エルメェスは自分に何が起こったのか必死に考える。

 

ーーもしかしてこの得体の知れない男が首を吊ったから、あたしも死にかけているのか?あたしの手に現れたシールと同質の得体の知れない力、、、?

 

『シールッッッ!!!』

 

エルメェスがシールをマックイイーンが首を吊っている縄がわりのベルトにひっつけて、それを剥がした。

ベルトは破壊されて、マックイイーンは地面に落下して、エルメェスの苦しさも無くなった。

 

「ゲホグホ、ゴホッッ。オエっ。」

「ゲホ、ゲホ、テメーふざけんな!何やってんだ!」

「アンタ……ゲホ、助けてくれたのか。ありがとな。」

 

マックイイーンは目に涙を溜めて感謝の意を表している。

 

「テメー、いきなりなんで首吊ってんだ!何がしてーんだ!」

「すまねえ。俺には面会人もいなくて、寂しくて、生きてても意味なんて無えのかなって思ってつい衝動的にやっちまったんだ。でももうやらねえよ。あんたは命の恩人だ。あんたのような素晴らしい人間に救ってもらったんだから、命は大切にしねえとな。命はたった一つしかねえんだから。」

「……衝動的なのか?つまり万引きのようについ手が出ちまったみてーに、他に意味は無いのか?」

「意味?」

 

エルメェスはマックイイーンが何らかの超常の力で、エルメェスを意図的に攻撃したことを疑っていた。

マックイイーンは意味がわからないとばかりに首を傾げている。

 

「オイ、テメーマジで何者だよ?なんか能力、持ってんだろ?」

「何のことだ?それより、俺が間違ってたよ。あんたを見てたら、生きる勇気が湧いてくる。元気が湧いてくるんだ!きっと立派な人生を送ってみせると誓うよ。あんたは素晴らしい人間だ。あんたに出会えてことは、俺の人生の誇りだッッッ!!!」

「お、オイ!べた褒めはやめろよ。素晴らしいって……。」

 

普段はヤンチャであまり褒められることのなかったエルメェスは、マックイイーンの絶賛に顔を赤くした。

キモい男だけど、褒められるのは嫌いじゃない。自分の生き方が肯定されるのは、誰だって嬉しいものだ。

 

「そ、そりゃあたしは確かに素晴らしいし、いい女だろうけどさ……ま、まあ、アンタもあたしみたいに立派な人生を……。」

 

エルメェスはそこで気付いて辺りを見回した。あのマックイイーンという男がいない。どこへ行った?

ドボドボドボと水の流れる音がして、猛烈に嫌な予感がする。エルメェスは近くの水道をのぞいた。

 

「テメー、ふざっけんな!!!!何やってんだぁぁぁッッッッ!!!」

 

マックイイーンは水を張った水道の貯水槽に頭から突っ込んでいた。なんかのコントみたいでシュール極まりない。

絵面はシュールだが、やってることは笑えない。きっと溺死するつもりだ。

直後にエルメェスは口と鼻周りを水に覆われ、エルメェスはマックイイーンの腕にあるリストカット跡に気が付いた。

 

ーーこっ、こいつ、常習者だ!こいつはしょっちゅう自殺未遂を起こして、今あたしはこいつのなにかの能力で攻撃されている。こいつ、関わったらヤバい。

 

エルメェスは慌てて自分の鼻にシールを付けて二つにして、新しく作った鼻で呼吸をした。

 

「うおおおおおおぉぉぉぉぉ!」

 

エルメェスは必死に近くに置いてあったモップをつかみ、マックイイーンを貯水槽から掻き出した。

 

「テメー、ふざけんな!反省したフリをしてまた自殺しよーとすんじゃねー!」

「辛いんだよー。死なせてくれよー。」

「ざっけんな!二度とあたしに関わんな!」

 

エルメェスはマックイイーンの記憶のディスクを拾ってトイレから逃げ出した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「おねえちゃん、こっち。部屋で話そう。」

 

エルメェスはトイレから監房へと戻る最中だった。

少年がいる。なぜこんなところに?少年はエルメェスを引っ張って、謎の部屋へと連れ込んだ。

 

「こんにちは、エルメェスおねえちゃん。僕の名前はエンポリオ。こっちの彼らはアナスイとウェザーに……。」

「マリオ・ズッケェロだ。よろしくな。」

「俺はサーレーだ。」

 

部屋の中には色々なものが置いてあり、特にピアノが目に付いた。

エンポリオ少年の他におっさんが四人もいて、非常にむさ苦しい。

 

「ここは音楽室の幽霊。僕のスタンド能力だ。僕たちはここで敵を探しているんだ。」

「敵?」

「うん。いきなりこんなことを言っても信じられるかはわからないけど、この刑務所には非常に邪悪な意思を持った敵が間違いなく存在する。徐倫おねえちゃんはその敵に襲撃されたんだ。さっきエルメェスおねえちゃんは掃除人となんかあったでしょう?あいつは多分邪悪な黒幕の手先だ。あいつについて教えて欲しい。もしかしたらあいつから黒幕にたどり着けるかもしれない。敵の名前はホワイト・スネイク。」

「……ディスクならあるけど。」

「それはッッッ!!!」

 

エンポリオ少年がエルメェスに詰め寄った。

エルメェスがディスクをエンポリオ少年に渡した直後、なぜかエルメェスの手から血が流れ出した。

 

「あ、あいつ……。バカな……。」

 

エルメェスは顔色が悪い。少年は何が起きたかわからずに困惑している。

 

「あいつ……電気を流してやがるッッッ!道連れにするスタンドだッッッ!自殺するつもりだッッッ!」

「電流……それならきっと医務室だ!そこには食塩水があるッッッ!電気を流して自殺するつもりなら、電気抵抗を減らすために食塩水を体にかけているはずだっっ!」

 

エルメェスは急いで医務室へと向かった。

彼女は慌てていたため、彼女の上着がほんの少しだけ重くなっていたことに気付かなかった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

マックイイーンは医務室で椅子に座って電気コードを巻きつけていた。左手に食塩水が入ったビーカーを手にしている。

エルメェスは慌てて声をかけた。

 

「ま、待て。落ち着け。お前が自分を傷付けると、あたしにもダメージが来るんだ。やめろ。」

「……。」

「い、生きてりゃいいことある。」

「俺は、ただ掃除してただけなんだ。部屋でショットガンの掃除をしていた。そしたらそれが暴発して、なぜか中に入っていた弾丸が飛び降り自殺の女に当たった。どうやら世間では、俺が女を射殺したことになっているらしい。俺のやったことは悪魔の所業だと裁判所で罵られたよ。」

「……マジ?」

「マジだよ!俺の人生の集約だ!!どうせそんなことばっかりだッッッ!生きててもロクなことがねえ!」

 

マックイイーンは声を張り上げると、体に電流を流すスイッチを入れようとした。

 

「ま、待てッッッ!……頼む、少しだけ待ってくれッッッ……そうだ!あたしが今持っている金を、全部お前にやるッッッ!」

「いや、別にいらないよ。」

「なら、パンティーでどうだッッッ!!!」

 

マックイイーンの動きが止まり、興味を示した。

 

「……本当?本当にくれるの?」

「あなたに特別にあげちゃう。あなたにだけ。毎日が辛いことばかりではないわ。みんな土曜日を楽しみに、憂鬱な月曜を過ごしてるのよ。あなたにも、きっといい日がやってくる。」

「……俺は土曜日に逮捕された。……あんた、自分が助かりたいために適当こいてんだろ。」

「……ああ、そうだよ。誰だって自分の命が一番だ。……それに第一、あたしはあんたの言ってることを疑ってる。あんたは邪悪で、世の中には息を吸うように嘘をつくことができる人間だって存在する。たまたま銃に弾が入ってて、たまたま掃除中に自殺者を射殺した?そんな事ありえねーだろーが!あんたが嘘を言ってるって方が、よっぽど信頼できる!」

「……あんた素敵だな。俺みたいなゴミに本音を喋ってくれている。あんたと一緒に死ねるんなら、それは本望だ。ギャハハハハハ!」

「やめろ!クソがあぁぁぁッッッッ!!!」

 

マックイイーンは体に食塩水をぶっかけて、電流のスイッチを入れようとしている。

慌ててエルメェスはマックイイーンのもとに駆け寄り、シールを投げつけようとした。

その瞬間彼女の背後から突然手が伸びて、細剣がマックイイーンを突き刺した。マックイイーンは電流のスイッチを押すことができずに、ペラペラになってしぼんでいった。

 

「よっ。すまねえな。念のために勝手にフォローさせてもらったぜ。」

「あ、あんたは……。」

 

エルメェスの背後から出てきたのは、部屋にいたマリオ・ズッケェロと名乗る男だった。

 

「それにしてもスタンドって変な能力も多いよなあ。こいつ、ペラペラになったのに、それに関してはあんたにはなんの影響もないんだもんな。道連れは自殺限定なのかな?」

 

ズッケェロはマックイイーンの体を拾ってヒラヒラとたなびかせている。

 

「あんた、どうやって……?」

「ああ、俺の能力と相棒の能力の合わせ技だ。俺がペラペラになって相棒が俺をこっそりあんたの背中の上着に勝手にくっつけたんだ。そこから上着の裏側に忍び込んだ。勝手にくっつくのはまずいかもしれねえが、命の危険があるかもしれないと思って万が一を考えてフォローにな。ま、能力の詳細は追い追いだな。」

 

それは探知タイプが致命的に苦手なズッケェロが、ない頭をひねった末に出した新しいソフト・マシーンの活用方法だった。生物の共生のように、苦手があるのなら克服できずとも他者に守って貰えばいい。

 

ソフト・マシーンとクラフト・ワークのどちらも実は他者との補完性が高く、集団戦に向いている。彼らは今までそれを理解していなかった。彼らはジョルノのパッショーネで過ごして社会の一端を理解し、他者との協力を学ぶことにより進化する。

 

「……。」

「なあ、エルメェス。敵がいることに納得出来たんならあんたも俺たちと一緒に戦ってくれないか?」

「……とりあえずまずは徐倫に会ってからだ。しかし、あたしをこんな目にあわせた奴が存在することは理解できた。」

 

エルメェスはマックイイーンの攻撃を受けて、少なくない血を流していた。

 

「オーケー。待ってるぜ。」

「……そいつ、どうすんだ?」

 

エルメェスはペラペラになったマックイイーンを指差した。

 

「こいつ?あんたすでに記憶の方のディスクを抜いてたろ?それと同じ要領でスタンドのディスクも抜けるんじゃねーか?まあもしもそれがダメなら、このまま下水管にでも流してしまおうか?」

「オエっ。」

 

エルメェスは下水管を流れるマックイイーンを想像して、吐き気を催した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名前

エルメェス・コステロ

能力

キッス

概要

シールを貼って、物体を二つにする。シールを剥がして一つに戻る際、それは破壊を伴う。

 

名前

サンダー・マックイイーン

能力

ハイウェイ・トゥ・ヘル

概要

本体が道連れたいと思う人間を、一緒に死に引きずりこむ。あくまでも死限定なので、ズッケェロの能力はエルメェスには影響を及ぼさなかった。

 

名前

エンポリオ・アルニーニョ

能力

バーニング・ダウン・ザ・ハウス

概要

刑務所の女囚が産み落とした子供。物体の幽霊を操ることができる。

少年であるにも関わらず、なぜか縁もゆかりもないスタンド使いのオッサンを四人も囲って養っている。オッサンたちはエンポリオに頭が上がらず、彼らはエンポリオに家賃を払ってくれそうな気配が無い。実は刑務所内で一番の大物なのかもしれない。



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石作りの海 その4

『ジョンガリ・Aという男の身元が判明した。お前にも伝えておこう。そいつは、ディオ・ブランドーと呼ばれる男の手下だったようだ。』

 

カンノーロ・ムーロロが電話口でサーレーに告げた。

 

「ディオ?」

『そうだな。お前ももう知っておいてもいいかも知れない。俺たち裏の住民の界隈では、知る人間は知る有名な話だ。その男は以前エジプトに住んでいて、非常に危険な存在として有名だった。俺たちヨーロッパの組織の多くもそいつを危険視していたが、そいつがあまりにも強大なせいでどこも手を出せない状況だったようだ。』

「ディオってこの間俺たちがエジプトで戦った?」

『そうだ。その男の上司に当たるのが、ディオという名の男だった。空条承太郎氏は、そのディオを倒したことでも裏社会にその名を知られている。』

「……それではそいつの敵討ちに空条徐倫は巻き込まれたということか?」

『……そこまでは俺にもわからねえ。ただ、気掛かりなことがある。』

「気掛かり?」

『なぜ空条承太郎氏をはめて仮死状態にしたのかだ。そこまで出来るんなら、恐らくは暗殺も可能だったはずだ。そいつには優先的に承太郎氏の記憶を入手する必要があった可能性がある。』

「なるほど……。」

 

サーレーは手を顎に置いて相手の思惑を推測したが、特に大したことを思いつかない。せいぜいサーレーに思い付くのは、ディオとやらの隠し財産とかである。相手の必死さを考えれば、もしかしたらそれは十億円くらいあるのかもしれない。

 

「おのれッッッ!!!悪党めッッッ!!!十億円は渡さん!」

 

サーレーたちもポルポの隠し遺産を狙ったはずだが?

チンピラは、自分のやったことを棚にあげるのが十八番である。

 

『十億円?テメエいきなり何言ってんだ?』

「す、すまん。間違いだ。」

『まあいい。これはオフレコだが、そのディオという男は俺たちのボスのジョジョとも深い関係がある。それについては組織でも秘中の秘だ。絶対に誰にも喋るんじゃあねえぞ。この件を担当しているお前にだから伝えてるんだ。……引き続き事件の背景、敵の思惑を探ってくれ。』

「ああ、わかった。任せてくれ。」

 

サーレーはそれだけ告げると、話は終わったとばかりに電話を切ろうとした。

 

『ああそうだ。伝え忘れたが、お前の応援しているミラノクラブチームの9番はスペインに移籍したぜ。』

「なんだと!?」

 

予想外のショックにサーレーは思わず大きな声をあげてしまった。

ミラノクラブチームはチームの中核の有力な選手を手放して、今シーズンを一体どうやって戦い抜くというのか?

 

『他にもヨーロッパフットボールの移籍市場にはいろいろな動きがあった。トリノクラブチームは大型補強をしたし、ローマクラブチームもいい金を出してベルギーから有力若手選手を引っ張ってきている。お前は応援しているミラノクラブチームの新しい9番が誰になったのかも気になるだろ?パッショーネ所有のチーム所属の選手も結構動いたぜ。そうだな、例えば……。』

「待て!待ってくれ!」

 

サーレーは辺りを見回した。

ズッケェロとアナスイとエンポリオがこちらを白い目で見ている。ウェザーは今現在は刑務所の自分に与えられた監房に戻っていた。

 

『どうした?』

「そりゃ俺だって移籍市場は気になるけど、今の時間を考えてくれ!夜間の長電話はみんなの迷惑になる!」

 

なぜムーロロはこんな非常識な時間に電話をかけてきたのか?

もっと明るい昼日中にかけてくればいいのに。

 

『……サーレー、これはお前もやったことだ。これでちったあ俺の不快さも理解したか?この世にゃあ、時差ってもんが存在する。こっちではまだ昼間なんだ。お前がキチンと現状を報告するのは大切だが、深夜に長々と愚痴を聞かされるこっちの身にもなれってんだ。』

「わかった!わかったから!悪かったよ。」

 

……どうやらムーロロは前回長々と深夜に電話したのを未だに根に持っているらしい。

サーレーは深く反省した。

 

『……それじゃあ引き続き調査を頼んだぜ。次からの電話は要件を手短かにしろよ。』

 

それだけ告げると、ムーロロは電話を切った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「今日は、空条徐倫嬢たちの護衛を行う。」

「了解。」

 

エンポリオの音楽室でサーレーがズッケェロに告げて、ズッケェロはうなずいた。

 

空条徐倫とエルメェス・コステロはサンダー・マックイイーンの記憶のディスクを入手して、刑務所農園そばにある倉庫のトラクターに黒幕がディスクを隠しているという情報を手に入れていた。

サーレーは黒幕と遭遇した夜以降も敵がまた倉庫近辺に来るのではないかと、農園の近くを夜間幾度も遠巻きに徘徊していたが、再び敵と遭遇することはなかった。サーレーは敵がそんな近くにディスクを隠していたとは、思いもしなかった。

 

農場では二人の囚人が行方不明になっており捜索隊が組まれ、それに空条徐倫とエルメェス・コステロは志願していた。

 

「基本の方針の確認を行う。ズッケェロ、俺たちはどう動く?」

「俺たちは基本周囲に潜伏して索敵を行う。敵と遭遇した場合、俺たちは徐倫嬢とエルメェスのスタンドの戦闘力の確認とその向上のためになるべく手出しを控える。徐倫嬢たちが敗北しそうな場合や監視続行が不可能になった場合は、戦闘のフォローを行う。」

「オーケーだ。」

 

これは、二人が前もって話し合って決めた取り決めだった。

 

敵の数も実力もわからない。徐倫とエルメェスにはスタンドがあり、戦えるのであれば戦力は大いに越したことはない。

サーレーとズッケェロはまだ敵にその存在を知られていないだろうという利点も存在し、なるべくならそれを放棄したくない。

 

スタンド使い同士は引かれあい、この先徐倫たちが強力な敵と戦う機会がないとも限らない。スタンドは生死をかけた戦いを繰り返す中で使い道を理解し、成長する。

サーレーたちの本分は暗殺チームであり、真っ向からのガチンコは可能であれば避けたい。徐倫という若い女性たちを囮のような扱いにすることに抵抗がないわけではなかったが、敵の実力が未知数であり、結局は使えるものは使って手段を問わず敵に対処することとなった。

 

それら複数の理由により、彼女たちが敵と遭遇した場合はなるべくなら手出しを控えようというのが二人の方針だった。

 

「……よし、行くぞ!」

 

サーレーは眠気まなこを擦ってあくびをした後にズッケェロに告げた。

 

「……相棒、もちっとシャキッとしろよ。俺たちは戦う可能性が高いんだぜ?」

「昨日の夜間のムーロロの長電話が……。」

 

サーレーは、再び反省した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

グリーン・ドルフィン・ストリート刑務所中庭にある倉庫。その中に納められているトラクターの車輪の中に敵黒幕の奪ったスタンドのディスクは保管されている。徐倫とエルメェスは囚人のサンダー・マックイイーンの記憶のディスクによりそれを読み取り、徐倫の父親である承太郎のディスクを奪い返そうと目論んでいた。彼女たちは刑務所から腕輪を嵌められ、それは引率者である看守から一定の距離を離れると警告を発したのちに爆発する囚人を管理する手錠だった。

 

サーレーとズッケェロは徐倫たちが出発するのを確認したのちに、ズッケェロのソフト・マシーンを用いて徐倫たちの後を追うことにした。黒幕がディスクを厳重に保管している可能性は高く、ディスクを奪う際に何者かとの戦闘になる可能性は高い。

二人は、その場で起こりうる考えつく事態を可能な限り想定した上で、徐倫たちの後を追った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……オイ、なんか囚人の数増えてねーか?」

 

ズッケェロがサーレーに問いかけた。サーレーは囚人の数を指差して数えてみた。

 

「1、2、3、4、5……増えてるか?」

「確か刑務所を出発した時は囚人は5人だったろ?今は6人いるぜ?」

 

サーレーは目を瞑って記憶を辿った。どうにも思い出せない。

徐倫とエルメェスは間違いなくいた。看守も1人。ここまでは問題ない。

残りは4人。気の弱そうな女とカリアゲと黒髪と日焼けだ。4人とも最初からいたような気がするし、そうでないと言われればそういう気もする。

 

「確かなのか?」

「うーん、そう言われると俺も少し自信が無くなってくるんだよなあ。」

 

ズッケェロは自分の頭を掻いた。

二人は中庭の倉庫のそばにある、樹木の生い茂った茂みに潜んでいた。

 

「まあいい。引き続き俺は周囲に他のスタンドが現れないか索敵を行う。お前は注意深く徐倫たちの成り行きを見守っていてくれ。」

「了解。」

 

二人は役割を分業している。サーレーが動きを見せた徐倫に対して黒幕が何らかのアクションを起こすかどうかの周囲への索敵、ズッケェロが徐倫たちの行動に対して目の前で起こることの確認。もしも本当に人数が増えていたのならば、敵がなんらかの行動を起こした可能性が高い。

 

敵が目前に現れたとしてもそれが敵の全てだとは限らない。暗殺チームの二人の認識だ。目前の敵の行動に気を引かれた隙に背後からブスリというのは暗殺の基本戦術であり、暗殺という役割を求められた二人にとってそれを警戒するのは至極当然だと言えた。

ズッケェロは、注意深く徐倫たちの成り行きを見守っている。

 

「オイ、こっちの雲行きが少し怪しくなってきたぜ。」

「……。」

 

ズッケェロの言葉につられて、サーレーも徐倫たちの行動に意識を割いた。

女囚の一人の腕輪が突如爆発し、看守の姿が見えなくなった。恐らくは敵の襲来だ。

彼女らは揉めた末に空条徐倫が女囚の一人を殴り、三人の女囚はその姿を崩して一つの生命体に変化する。

 

「チッ。アイツらすでにやられてたのか。どうするよ?」

「……まだだ。徐倫たちの戦闘力の確認と周囲の索敵が優先だ。まだ俺たちは動かない。観察を継続する。」

 

生命体は己の名をフー・ファイターズと名乗り、徐倫たちとの戦闘が開始された。

 

「オイ……アレ。」

「ああ。」

 

ズッケェロは彼らの戦闘を食い入るように眺め、サーレーは周囲の警戒を怠らないようにしながらも戦闘に意識を割いた。

 

「空条徐倫、あの糸のスタンド……。お前のクラフト・ワークに少し似ているな。おもしれえ。ありゃ結構強えぞ。」

「ああ。戦闘に関して言えば、さすがは承太郎さんの娘だと言ったところか。」

 

空条徐倫は糸を編んでしなやかに沼の上を走っている。敵に水場に引きずり込まれたエルメェス・コステロを助け出していた。

徐倫のストーン・フリーは敵に対する柔軟な強さを持ち、様々なことに対応が可能だということがサーレーのクラフト・ワークに少しだけ似ていた。

 

「敵は水場での戦闘に特化したタイプのようだ。アイツら水の中に引きずり込まれたら瞬く間にやられるぜ。まだ様子見か?」

「ああ。徐倫嬢たちには申し訳ないが、ギリギリまでは戦ってもらう。」

 

二人の至上目的はイタリアとパッショーネの安寧である。空条承太郎と徐倫は出来ることなら助けたいが、それに傾注して本来の目的を忘れるつもりはない。少し危険になったからと言ってすぐに乱入してしまっては、承太郎を陥れた目的も実力も未知数な黒幕に先手を取らせてしまうという最悪の失態に繋がりうる。

 

「……不気味なスタンドだ。周囲に本体も見当たらねえ。恐らくは一体のスタンドだと思うが、、、徐倫とエルメェスを同時に相手取っていやがる。」

 

敵はすでにフー・ファイターズと名乗り、徐倫たちに自分の出自を明かしていた。

ズッケェロはそれを確認していたが、サーレーは周囲の警戒を兼ねていたためにそれを聞き逃していた。

 

「お、おい、相棒。お前頭大丈夫か?アイツさっき自分で正体を明かしてたじゃねえか。」

「……動くぞ!」

 

彼らがしばらく戦った後に、戦局が動いた。

敵は唐突にどこかへ向かって走り出し、敵本体を追う徐倫と敵分体に捕まったエルメェスは分断された。

戦局が二手に分かれてしまっては、観察は続行不可能である。周囲に他の人間の気配も感じない。

サーレーはこの辺りが潮時だと判断を下し、ズッケェロに指示を下した。

 

「俺が徐倫側のフォローを行う。お前はエルメェスのフォローをしろ。観察はここまでだ。」

「了解。」

 

サーレーとズッケェロは二手に分かれて、敵と対峙する。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

徐倫の監視用の腕輪は警告音を発し、フー・ファイターズと名乗る敵は倉庫へと向かって走りディスクを別の場所に隠そうと目論んでいる。ここで敵を逃してしまえば、恐らくは彼女の父親のディスクはもう二度と彼女の元へ戻ってこない。徐倫は腕輪が爆発するリスクを覚悟で、敵の後を追っていた。

そして、唐突に彼らの進路に男が躍り出る。

 

「この先は、通行止めだぜ。」

【なんだキサマはァァァーーーッッッ!!!】

「アンタは……。」

 

彼らの戦闘に何者かが割り込み、徐倫は即座にその男が以前懲罰房で彼女に接触した男だと気が付いた。

フー・ファイターズと倉庫を結ぶ進路にサーレーが立っている。サーレーは自分に向かって走ってくるフー・ファイターズを指差して、カッコよく(あくまでもサーレーにとってはであるが)ポーズを決めた。

 

「喰らえ!これが俺のクラフト・ワークの新しいわ……。」

【邪魔だッッッ!!!どけっ!】

「グエェェッッッ……。」

「何がしてえんだテメエはぁぁぁぁッッッッ!!!」

 

サーレーの新技初お披露目は不発に終わり、フー・ファイターズに思いっきり顔面をブン殴られたサーレーはカエルが潰されたような悲鳴とともに畑に突っ込んだ。

徐倫は何のために乱入したのかわからないサーレーに激しくツッコミを入れた。

 

これはサーレーが後に気付いたことだが、フー・ファイターズが細かな生物の群体であること。そしてフー・ファイターズに本体が存在しないことがサーレーの新技が不発に終わった原因だった。サーレーは相手の正体を聞き逃している。

 

「クソが!テメエ!よくもやりやがったな!!!」

 

サーレーはフー・ファイターズに殴られて鼻血を出したまま急いで立ち上がり、なんとかフー・ファイターズの進路に割り込んだ。

 

【なんだキサマはッッッ!!どけっっ!】

「ウラッッ!」

 

サーレーのクラフト・ワークとフー・ファイターズの間で拳の応酬がなされる。

フー・ファイターズは気付かない。

フー・ファイターズにとって……否……スター・プラチナのようなごく少数の例外を除く多くのスタンドにとって、クラフト・ワークに接近戦を挑むのは愚かなことである。

 

「なんだ、こりゃあ……?」

 

サーレーは困惑した。

サーレーがクラフト・ワークで拳を交わして固定するたびに、サーレーの拳には得体の知れない物体がくっ付いてくる。

サーレーは相手がまさか微生物の群れだとは想像もしていなかった。

 

【キサマ……。】

 

困惑しながらも、サーレーは相手の反応から相手にとって戦闘がよろしくない方向に向かっている事を理解した。

クラフト・ワークとフー・ファイターズの拳が交わされるたびに群体であるフー・ファイターズの微小な個体がクラフト・ワークの拳に固定されてゴッソリ削り取られ、フー・ファイターズはその体積を減らしていく。すぐ背後には追ってきた徐倫も存在し、フー・ファイターズは水の無い陸上で挟撃されている。

 

「諦めな。お前に勝ち目はねえ。」

 

サーレーは鼻血を流したまま、懲りずにポーズをとってフー・ファイターズに宣告した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「知性があることがよォ……。戦闘において必ずしも有利に働くとは限らないぜェェ。」

 

沼のほとりにはシャボン玉が浮かんでいる。幻想的な光景だ。幻想的な光景だが、そのシャボンは他者に麻薬の中毒症状を引き起こすタチの悪いものだった。

敵に沼に引きずり込まれかけているエルメェス・コステロは辺りを見回し、そこにサンダー・マックイイーンとの戦闘で彼女を手助けをしたマリオ・ズッケェロと名乗る男がいることに気が付いた。

 

「ああ、お前はそれには触れんなよ。それはそいつへのプレゼントだ。」

「何を……。」

 

周囲を漂うシャボンはエルメェスを引っ張るフー・ファイターズの分体にぶつかり、破裂した。

 

【グ、グギャオァッッッッッッ!!】

「初めてだろ?何が起こったのか理解できないだろ?知性が無けりゃあよォー。きっと本能で戦闘を続行できただろうによォー。」

 

フー・ファイターズの分体は初めて感じる麻薬の中毒症状に驚いて、エルメェスを掴んでいた手を離してしまった。

 

「よっ。今のうちに向こうと合流しようぜ。」

 

ズッケェロが沼のほとりで横たわるエルメェスの手を引いた。

 

「……待ってくれ。そいつがいないと腕輪に内蔵された爆弾が爆発しちまうんだ。」

「ああ、なるほど。」

 

エルメェスが看守の死体を指差した。ズッケェロは一考してサーレーの様子を伺うために振り返った。

 

「あっちも決着がつきそうだぜェ。ま、アレなら問題ねえだろ。」

 

その言葉にエルメェスもつられて徐倫の様子を眺めた。倉庫に向かう進路上でサーレーとフー・ファイターズが対峙し、周囲に水の無いフー・ファイターズの体積はだいぶ少なくなっている。徐倫があそこにいるのであれば、距離的に腕輪が爆発することはないだろう。

 

「じゃあ俺たちはここであっちの決着を眺めるとするか。」

 

ソフトマシーンのシャボンに本体よりも知性が劣るフー・ファイターズの分体は麻薬の中毒症状に対応しあぐねて、その隙にエルメェスが看守の遺体を回収した。沼から少し離れた地面に座りながら、二人はサーレーたちの戦いの決着を眺めていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

【キ……キサマァーッッッ!】

「お前の負けだ。もう諦めろ。」

 

フー・ファイターズの本体はクラフト・ワークに削がれ続けて、すでに当初の十分の一ほどまでに体積を減らしていた。体高も三分の一ほどしかない。残り少ない体積で、フー・ファイターズはろくに戦えず縮こまって自分に与えられたディスクを必死に守っている。

 

【わ、私はディスクを守るッッッ!ディスクは、私に知性を与えてくれたッッッ!!】

「残念だが……アリーヴェデルチ(さよならだ。)。」

 

戦闘は終始クラフト・ワークに有利に進み、すでに決着はついたも同然だった。

得体の知れない敵にとどめを刺そうと、クラフト・ワークがその拳を振り上げた、その時だった。

 

「……待って。」

「どうした?徐倫。」

 

徐倫の声に反応してサーレーは振り向いた。

 

「そいつは黒幕に騙されているだけよ。そいつは自分に知性を与えた確かな恩があるディスクに恩を返したいと考えているだけ。殺害すべきではないわ。」

「……しかし、コイツはすでに囚人をたくさん殺してしまっている。」

「確かにそれはそう。確かにそいつは法に照らせば死刑になるほどの殺人を侵しているのかもしれない。でも法律とは人間に適用されるもの。そいつは人間ではなく、敵の存在を考えれば仲間は多いに越したことはない。そうでしょう?」

 

サーレーは少し考えた。

確かに仲間に引き込めるのであれば、戦力は多いに越したことはない。そして殺害せずとも今後危険がないのであれば、生かしておくことに文句はない。さらに言ってしまえば、せっかく手を組めそうな空条徐倫という強力な戦力と仲間割れをすることは、現状で最も愚かしい選択である。

 

「……それがお前の選択か。なるほどな。確かに一理あるかも知れねえ。だがお前がそいつを懐に入れるってんなら、そいつが人間に馴染むまではお前が責任をもってキチッと管理しろよ。じゃないと俺が処理する必要性が出てくるかもしれないからな。」

「……そんなことはわかってるわ。」

 

……コイツは本体が人間ではなかったのか。道理で周囲に本体が見当たらず、殴るたびに手にもれなく変な物体がくっついてくるわけだ。

サーレーは本体が人間でないスタンドと初めて出くわして、世界は広いものだと感心した。

 

「ねえあんた、聞いて。私たちはあんたのディスクを奪わない。あんたにディスクを与えた人間は、それを使って邪悪なことをしようとしているの。私は奪われた父さんのディスクを取り返したいだけ。あんたには、私を手伝って欲しい。」

「……オイ、テメー。テメーみたいななんなのかよくわからない存在は、正体が人間にバレたら敵視されて襲撃されることになる。徐倫の言うことに従って俺たちの仲間になるってんなら、その功績をもって俺たちもお前の正体がバレないようにお前に対して色々便宜をはかってやれる。今起こってる事件が終わっても、お前の生は続くんだ。お前は俺たちの配下に付け。」

【……私にはもう勝ち目がない。こんな私に情けをかけるというのであれば……。知性のない生命は決して敗者に情けをかけたりはしない。それは知性を持つものの特権だと言える。空条徐倫、お前はどうやら高い知性を持った人間のようだ。いいだろう。私はお前の知性に敗北した。お前の部下になろう。】

 

フー・ファイターズは敗北を認め、非情に徹さずに情けをかけた徐倫に感銘を受けて傅いた。これより空条徐倫は、フー・ファイターズの絶対のボスとなる。その様は、サーレーがジョルノに傅いたのと似ていた。

 

「一件落着みてえだな。」

「徐倫……そいつを仲間にするのか……。」

 

そこに別れて戦っていたエルメェスとズッケェロも合流した。

 

「さて、ここは終わったみたいだが……相棒。俺たちは次はどう動くよ?」

 

ズッケェロがサーレーに問いかけた。

 

「……ここで戦闘が起こったことは、すぐに黒幕に伝わるだろう。俺はここの近くに潜伏して、ここに近づく怪しい奴を探る。同時進行で承太郎氏のディスクを外に持ち出すのも俺たちの仕事だ。」

 

同時進行で行動を分業する理由は、迅速にディスクを刑務所の外に持ち出すためであった。迅速に行動を起こせば黒幕側に倉庫で起きた異変が伝わらず、ディスク持ち出しに対して黒幕から何らかの邪魔立てをされることを防ぐことができる可能性が高い。

 

「……父さんのディスクを外に持ち出せるの?」

 

徐倫がサーレーに問いかけた。

 

「ああ。問題ねえ。俺たちが外から来たってのは話しただろう?同じようにやりゃあ、ここの外にディスクを持ち出すのは容易だ。」

「わかったわ。それはあんたたちに任せる。」

「俺たちを信用してくれるのか?」

「私たちはどうやったってどこかでリスクを負わざるを得ない。ならばあんたたちを信用するのが、私たちにとって最も手っ取り早い。」

 

徐倫がディスクを所外に持ち出すのであれば、まずはどうにかして財団に連絡を取らないといけない。よしんばそれが上手くいったとしても、今度はディスクを外に持ち出す際のリスクが発生する。外への電話が刑務所に内容を録音されているであろうことは確定的だし、徐倫たちがどうこうしようとしたらどうやっても黒幕側に筒抜けになる。

サーレーとズッケェロは素性が不確かではあるが、徐倫は結局はどこかではリスクを負わざるを得ないのである。

 

「……さすが承太郎さんの娘だ。肝が大きい。」

「……父さんのことを詳しく知っているの?」

「俺が知っているのは少しだけだ。承太郎さんがもとに戻ってから自分で話せばいい。」

 

ズッケェロが徐倫と会話するサーレーに声をかけた。

 

「じゃあ具体的にこれからの行動内容を詰めるとするか。」

「ああ。ズッケェロ、お前がディスクを外に持ち出して、パッショーネに連絡を取ってくれ。俺がここの監視を受け持つ。」

「お前が監視すんのか?俺の方が適任じゃねえか?」

「いや。万が一敵が探知タイプや犬を駆り出してきたら、そのまま戦闘に突入せざるを得なくなるかもしれない。悪いがお前では若干近接の戦闘面で不安が残る。……スマンな。」

「……いや、気にすんな。俺たちが負けたら俺たちはおそらくその場でそのまま死ぬことになる。お前がそれで少しでも勝率が上がるって判断したんなら、それでいいよ。」

 

サーレーとズッケェロは、役割を分担した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

【……ナンダ貴様ハ?】

「さあな。なんだと思う?」

 

狭くて薄暗い倉庫の中で、サーレーと黒幕のエンリコ・プッチのスタンド、ホワイト・スネイクは向かい合っていた。

戦闘が終わった後、中庭の倉庫に到着したのは刑務所の捜索隊だった。サーレーは犬を警戒して倉庫の風下に陣取り、彼らを倉庫から遠くの茂みに隠れて注意深く長時間観察し、やがて彼らの中にスタンドが混じっているのを確認した。

サーレーはそれを絶好の機会だとみなして、サーレーたちの存在がバレるのを承知の上で新技を使用して敵を隔離し、捜索隊に混じっている誰だかわからないそれの本体は捜索を終えてすでに刑務所に向かって帰投しようとしていた。

 

徐倫が敵の目的を知らなかった以上、サーレーたちは敵の黒幕と対峙せざるを得ず、次に黒幕がその姿を見せるのはいつになるかわからない。エンリコ・プッチは刑務所でことを起こそうとしているのであるが、それは読者方の視点だからこそわかる事である。サーレーたちは敵のその目的を一切知らない以上、敵がいつ刑務所から行方をくらますかわからないと、そのことをかなり警戒しているのである。

それならば敵がその姿を見せた時に先手を取って仕掛けてしまった方が、いくらか目的達成確率が高い。サーレーはそう判断した。

 

「問答は無用だ。お前は承太郎さんのスタンドと記憶を奪った薄汚い盗っ人だ。捕らえた後に目的を洗いざらい吐いてもらおう。」

 

サーレーとクラフト・ワークは走ってホワイト・スネイクに近付き、拳を握った。

 

「ウラッッ!!!」

【クッ!】

 

クラフト・ワークの右拳がホワイト・スネイクの左方から襲い掛かり、ホワイト・スネイクは左腕でそれをガードする。ホワイト・スネイクの左腕はそのままクラフト・ワークの右拳に磁石のように吸い付き、クラフト・ワークは続いて左拳で殴りかかった。クラフト・ワークの左拳もホワイト・スネイクの右腕に吸い付いた。

 

ホワイト・スネイクはクラフト・ワークの能力の対処に迷い、困惑した。相手の得体の知れない能力によって両腕が塞がれてしまっている。クラフト・ワークの新技も発動したままだ。クラフト・ワークの新技は著しくサーレーに有利に働き、ホワイト・スネイクに甚だ不利な効果をもたらしている。

 

クラフト・ワークの膝がホワイト・スネイクの腹部に突き刺さった。衝撃で腹を折り曲げて頭部が下がったホワイト・スネイクの後頭部に鋼鉄に固めたクラフト・ワークの頭突きが炸裂する。脳を揺らされホワイト・スネイクの動きが鈍った隙に、クラフト・ワークは右拳の固定を解除してホワイト・スネイクの頬を殴打した。

 

【グウッッッ。】

「ウラッッ!」

 

固定と解除を近接で繰り返すクラフト・ワークは、至近戦においては空条承太郎のスター・プラチナのような異常とも言えるほどに強力な例外のスタンドを除けば、攻防共に優れた強力な部類のスタンドに分類される。

サーレーは以前グイード・ミスタに敗れたが、スタンドのクラフト・ワーク自体は強力で有能なスタンドの部類に入るのである。

 

身近にズッケェロという一刺しで相手を行動不能にする初見殺しのスタンドがいて、ミスタのスタンドの特殊な能力を必要以上に警戒してしまったこと。

怠け者のサーレーが研鑽を怠って、己のクラフト・ワークがどういったことができるのかいまいちよく理解していなかったこと。

ただのチンピラに過ぎないサーレーが、大金の奪い合いの過程で殺し合いになるのは仕方ないにしても、命を奪う際に相手の体温や血肉のこびりつくスタンドの拳を直接振るうことを嫌ったこと。

 

ミスタ戦でサーレーが敗北した事実の裏側には、そこにそういったさまざまな要因が存在したということを無視するべきではない。これらの要因が取り除かれれば、クラフト・ワークが強力なスタンドとして猛威を振るうのは至極当然でもあった。

 

スタンドの成長性の項目はあくまでも目安であり、鵜呑みにするべきではない。そもそも本体の人間の成長が一定ではないのである。

何かのきっかけで精神的に大きく飛躍することもあるし、成長性が低いということはそれは最初からスタンドとしてほぼ完成しているという言い方もできる。そこから先は、扱う本人次第。

 

クラフト・ワークの能力の本質は、地に巣を張り獲物を絡め取る悪辣な蜘蛛に酷似している。

クラフト・ワークの肘がホワイト・スネイクの腹部に突き刺さり、たて続けにホワイト・スネイクの頭部にクラフト・ワークの蹴りが入った。

 

ーーナンダ、コイツハッッッ……ツヨイ!!!クソッッ!!!

 

ホワイト・スネイクはクラフト・ワークのラッシュにさらされながらも、必死に空いた腕をサーレーの頭部へと伸ばした。

クラフト・ワークは先程から、ホワイト・スネイクを至近距離から逃さないように左手で固定して触れ続けている。それにより、サーレーのスタンドと記憶がディスクに変化して頭部から排出されようとしていた。

 

「成る程な。こうやって承太郎さんの記憶とスタンドを奪ったというわけか。」

 

ホワイト・スネイクはディスクを奪って敵を無力化しようと試みた。しかし、サーレーの頭部から排出されかけたディスクは、手を伸ばすホワイト・スネイクから逃げるようにサーレーの頭部へと戻っていく。

 

サーレーの目玉がギョロリと動き、ホワイト・スネイクを鋭く射抜いた。

 

【ナニッッッ!!!】

「無駄だ!他人の大切なものを掠め取る薄汚い盗っ人風情に、固定された俺からは何も盗めないッッッ!」

 

クラフト・ワークはホワイト・スネイクの天敵だった。クラフト・ワークの固定する能力はスタンドと記憶をガッチリと固定して、ホワイト・スネイクの相手からスタンドと記憶を奪う能力を無力化した。

クラフト・ワークの拳がホワイト・スネイクの右胸を穿ち、ホワイト・スネイクは急所だけは避けて必死に防御する。

蜘蛛の巣に絡め取られたホワイト・スネイクに、為すすべはない。

 

「どうしたんですか、神父様!」

「神父様!」

 

遠くから声が聞こえてきた。何を言っているかまでは聞き取れないが、恐らくは本体がスタンドを救出するために戻ってきたのだろう。重火器で武装した看守を複数連れているはずだ。サーレーは新技も使用して疲労している。

仕留める絶好の機会だったのだが、残念だがここまでだった。

 

「チッ。テメエを仕留めきれなかったのは残念だが、覚えておけ。俺がいる限りテメエの目的は達成されない。」

【……。】

 

サーレーはホワイト・スネイクにそれだけ告げると、敵に手も足も出ずに精神的にも肉体的にも痛手を負ったホワイト・スネイクをおいて中庭の倉庫から逃げ出した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名称

フー・ファイターズ(エートロ)

概要

知性を与えられた微生物の群体。水場では強いが、水分が少なくなると戦闘能力が著しく低下する。徐倫の仲間になったあと、エートロという名前の女囚の死体を乗っ取って徐倫の仲間として所内で生活する。



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石作りの海 その5

細かいところの設定を捕捉しておきますね。
現時点のクラフト・ワークの固定する能力は、近接タイプの力のあるスタンドには行動の阻害にはなっても完全な拘束にはなりません。ヴァニラ・アイスの怨念のように固定を力任せに引き剥がそうとしてくる相手も存在するということです。そして固定することだけに専念したり、直接触れてスタンドエネルギーを流し込み続けたりする方が効果が高くなります。ミスタはスタンドにパワーがなかったために拘束されたという設定です。


「2、3、5、7、11、13、15……は違う……。」

 

エンリコ・プッチは、彼に与えられた部屋でソファーに座って素数を数えていた。まずは、気持ちを落ち着かせないといけない。

 

エンリコ・プッチは忸怩たる思いで爪を噛んでいた。彼の目の前のテーブルには中身のこぼれたワイングラスが倒れて、カーペットにシミを作ってしまっている。テーブルの下には、敵に喰らったダメージによる吐血で汚れたタオルが打ち捨てられている。今の彼は痛みと不愉快極まりない思いに苛まれ、それらを戻すのすらも億劫だった。

 

彼が奪って使い道のないスタンドのディスクは、刑務所中庭の倉庫のトラクターの車輪の中に隠してあった。そこにはディスクを守る番人、フー・ファイターズが存在し、そこになんらかの異変を感じ取ったプッチは刑務所の看守たちを引き連れて事態の確認を行っていた。そこでプッチは隠しておいたはずのディスクが無くなり、フー・ファイターズが失踪していることを確認する。

 

一通り確認を終えて帰投しようとしたその際に、彼のスタンドのホワイト・スネイクは急激に体に異常な負荷を感じ、動きが重くなった。そこを得体の知れない敵が襲撃してきて、ホワイト・スネイクは戦闘を敵に終始有利に運ばれて軽くないダメージを負うこととなった。はっきりと言ってしまえば、敗北寸前だった。

 

エンリコ・プッチは慌てて理由をでっち上げ、重火器を装備した看守を引き連れて倉庫へと引き返すこととなる。倉庫に戻る理由をでっち上げるのにも一苦労だった。空条承太郎さえ打倒できれば先行きは安泰だったはずなのだが?

エンリコ・プッチは、急激に己の計画に暗雲が立ち込めてきたことを理解する。

 

「……なんなんだ、アイツは!!クソッッ!落ち着け。落ち着け。まだ手札はある。落ち着け、私。」

 

エンリコ・プッチはソファーに座って貧乏ゆすりをしている。気が気ではない。

彼を近距離で完膚無きまでに打ち負かしたあの謎の男がプッチの計画を破綻させるのではないか?プッチはそんな風に妄想した。

 

エンリコ・プッチは知らない。彼は計算高く今まではずっと狩る側の存在であり、今彼が感じているそれは狩られる側の心境だった。

 

「落ち着け。切り札を切るのはまだ早い。私が動くべきではない。刑務所内にはまだたくさん私の手駒がいる。彼らに任せるべきだ……。落ち着け、私。落ち着け。天国は、目前だ。」

 

部屋で落ち着きなく貧乏ゆすりを続ける彼のもとに、さほど間を置かずにさらなる凶報が齎される事となる。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

それはサーレーとエンリコ・プッチのホワイト・スネイクが接敵をして戦闘を開始する少しだけ前。

 

マリオ・ズッケェロ、空条徐倫、エルメェス・コステロ、エートロ(中身はフー・ファイターズ)の四人は刑務所に帰還していた。ズッケェロはそのまま行方を眩ましエンポリオ少年の音楽室に帰還し、徐倫、エルメェス、エートロは中庭で起きた出来事に対する刑務所側の査問会を開かれていた。

 

マリオ・ズッケェロは一時的に刑務所を脱獄し、承太郎のスタンドのディスクをスピードワゴン財団へと送り届けようとしている。ズッケェロは天敵の探知タイプのスタンドを警戒して、脱獄の際の護衛をアナスイかウェザーのどちらかに頼もうかと思案していた。

そして今現在ズッケェロは、エンポリオ少年の音楽室で脱獄の共同作戦に穴が無いように行動を厳密に練り上げようとしている。そこへエンポリオ少年が三人の会話に慌てて割って入っていた。

 

「ズッケェロさんッッッ!!ダメだッッッ!」

「アン?急に血相変えてどうしたんだエンポリオ?」

 

刑務所には都市伝説のような噂がある。それは以前、エンポリオ少年が耳にした噂だ。スタンドというものがこの世に存在する以上、与太話で済ませることの出来ない噂だった。

エンポリオは視線を伏せがちにして、ズッケェロに恐る恐る告げた。

 

「このグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所にはたくさんのスタンド使いがいる。そのほとんどがホワイト・スネイクによる急造のスタンド使いなんだけど………。」

「なるほど。それで?」

 

ズッケェロはエンポリオ少年の話に耳を傾け、ウェザーとアナスイも少年の話を聞き逃さないようにしていた。

 

「……この世にはさまざまな用途を持ったスタンドが存在する。それこそズッケェロさんのように警備の厳重な刑務所にさえ潜入、潜伏することだってできるスタンドさえも。でも、今までこの刑務所は一度だって受刑者の脱獄をゆるしていない。どんなスタンドだって!闇のスタンドが刑務所を守護してるって噂があるんだ。そいつは面会室の先に存在して、それこそ時間を止めるようなスタンドでもない限り脱獄なんて不可能なんだって!」

「なるほどな。でもよォー、エンポリオ。面会室以外のとこから外に出たらなんとかなるんじゃあねえか?」

「……それはわからない。今までそれを試したことのある人間がいるのかもわからないし、敵のスタンドがわからない以上、実際にどうなるのかは見当もつかない。」

 

ズッケェロは急に降って湧いた難題に口を噤んで押し黙った。

明確な敵の存在が明かされ、晴天の霹靂とも言うべき想定外の情報に、彼は対応に頭を悩ませることとなる。

 

「……おい、どうすんだ?」

 

アナスイがズッケェロの判断を伺った。

ズッケェロはしばらく考え込んだのちに、口を開いた。

 

「……とりあえず俺たちが取れる選択肢を羅列してみるか。まずは俺たちで敵を打倒して強引に刑務所から外に出る。」

 

ウェザーが頷いた。

 

「次に、相棒の帰還を待つ。電話を使用してパッショーネ側のアクションを期待するか、相棒も含めた四人で話し合ってどうにか外に力ずくで刑務所を抜ける方法を模索する。」

「……それが現状の最有力候補か。」

「……なんとも言えねえな。これが一見一番理に適っているようにも思えるが、時間と共に状況というものは刻一刻と変化する。敵に俺たちが承太郎さんのディスクを入手したことが筒抜ける前に、こちらで先手を打ってなんらかのアクションを起こした方がいい可能性も存在する。情報が伝わっていないであろう今だったら、おそらくは俺の脱獄に際しての黒幕の介入を防げる。」

「……それもそうだな。」

 

ズッケェロは頭を悩ませて知恵を振り絞り、なんとか現状の妙手を模索する。しかし、こっちが優位性を保てている時間は有限だ。さほど時間を置かずに黒幕に中庭で起きた事態は伝わるだろう。そうなれば、黒幕は何らかの対応策を練って来る可能性がある。

やがてズッケェロは諦めたようにため息を吐き、二人にある提案をする。

 

「なあ、いいか?」

「どうした?」

 

ズッケェロの言葉にウェザーが反応した。

 

「……一つだけ効果的な案がある。あんまり気乗りはしないんだけどよォー。お前らの意見も聞きてえ。」

「言ってみてくれ。」

 

アナスイが会話を成立させ、ウェザーが頷いた。

 

「結局のところ、最大の問題点は相手の能力の詳細がわからないことに尽きるんだ。俺たちにはまるで情報が足りてない。だったら、解決策は単純だ。敵の攻撃を喰らってみればいい。」

「オイ、どういうことだ!」

 

不穏なことを言い始めたズッケェロに、アナスイが声を荒げた。

 

「結局俺たちはいつかはここを出て行くしよぉー、きっと俺たちもいつかはそいつと対峙しなきゃあなんねえ時がくる。見えている厄介な敵は、余裕があるうちにさっさと片付けておくに限る。相棒が戻っても、どうせ相手の能力がわからない限りは俺たちは迂闊な行動が取れねえ。なら、時間と人数の利を生かさなきゃよ。」

「……続きを。」

「誰かが単体でわざと相手の攻撃を喰らって、残りが敵の能力の分析と本体の洗い出しを行う。シンプルだろ?」

「そ……れは……。」

 

アナスイがズッケェロの提案に頷くことに躊躇した。相手の能力如何によっては、攻撃を喰らうことがすなわちそのまま致命の事態に直結する可能性も存在する。

 

「……ならば、俺が敵の攻撃を喰らうのに適任だろう。」

「ウェザー!」

 

ウェザー・リポートが自分から危険な囮役を志願した。

本体の洗い出しを行うならば、あらゆる場所に潜行するアナスイのダイバー・ダウンとあらゆる場所に潜伏できるズッケェロのソフト・マシーンはこの上ない適任だ。周囲に潜んで警戒、捜索を行うことができる。

 

「あんがとよ、ウェザー。だがそれはお前の役目じゃあねえ。」

「なに?」

 

ズッケェロの瞳に仄かに覚悟の焔が宿った。

 

「……それは俺の役割だ。俺が攻撃を喰らってお前らがそれに対応を行う。」

「馬鹿な!指揮官自らが最前線に立つ奴がいるか!」

 

荒唐無稽なズッケェロの指示に、冷静なウェザーでさえも思わず声を荒げてしまった。

 

「……俺のスタンドが敵から隠れて逃げ延びるのに一番適している。俺だったら銃火器による斉射を喰らっても、隠れて逃げ延びられる可能性が一番高え。ウェザー、お前にゃあ無理だろ?……それにこれは俺がやるべきなんだよ。」

「なぜだ!」

「俺たち暗殺チームはよォー、イタリアの社会とパッショーネのために存在する。」

「暗殺チーム?」

「ま、それの詳細は追い追いな。リーダーの相棒(サーレー)はイタリアの社会のために命の限り尽くすのが職責だ。なら暗殺チームの部下の俺は、リーダーのサーレーに命をかけて尽くすのが道理だろ?」

「それが俺たちと何の関係が……!」

「お前らは未来のパッショーネの一員で、いつかはイタリア市民だ。俺たち暗殺チームがイタリアの市民のために体を張るのは何らおかしなことじゃあねえ。ようやく俺にもそれがわかってきた。暗殺チームとは、そのために存在する。」

 

天国は人々の日々のささやかな幸せの中にあり、神は人の心の中にのみ存在する。

暗殺チームは人々の社会の安寧を社会の裏側から密やかに守るために存在し、矛盾と苦悩に苛まれながらも必要に迫られて刑を執り行う。

 

それが、裏社会の暗殺チームの在り方であった。

暗殺チームとは平和のために真っ先に捨てられる社会に身も心も捧げた捨て駒であり、だからこそ敬われ畏れられる神職なのである。ジョルノが彼らにも麻薬チーム暗殺の試練を課したのは、実は捨て駒が力を付けて少しでも長く生き残って欲しいというジョルノなりの親心であった。

 

「……お前が脱獄の要のはずだろう?」

「徐倫とエルメェスとフー・ファイターズ。それにサーレーとお前たち。これだけ多様なスタンド使いの人員が揃えば、俺抜きでも脱獄自体はなんとかなるだろう。戦場のその全てが己にとって都合良く、万全なことはほとんどありえねえ。戦いとは、どこかでリスクを負う必要がある。」

「しかし……。」

「アナスイ、お前が現場で俺に起きたことの確認をしてくれ。承太郎さんのディスクはひとまずエンポリオ少年に渡しておく。サーレーへの伝言とこの先のお前たちへの指示も伝えておく。ウェザー、アナスイ、攻撃を喰らったあとの俺に不自然に近づく奴を洗い出して、気絶させて確保しろ。万が一敵の攻撃で俺が死んだら、それも含めてサーレーに伝えておいてくれ。お前らは敵の攻撃を喰らわないよう、絶対に面会室に近づくな。出来うる限り看守と囚人の動きに目を光らせろ。」

「……お前はそれでいいのか?」

 

ウェザーがズッケェロに問いかけた。

 

「いいもクソもねえ。こちらから先手を打てるうちに仕掛けるべきだ。兵は神速を貴ぶが常道だ。相棒の帰還を待っていたらどちらが囮をするかで揉めて、無為に貴重な時間を浪費することになる。俺たちは目的を持って戦いをしていて、戦場では時間とは何物よりも価値がある。ここで戦いを見送って、次にそいつと対峙せざるを得ないときの状況が今よりもいいとは限らねえ。奴らは承太郎さんに手出しをするほどに必死で、場合によっては仲間内に死者が出ることも視野に入れとかなきゃあならねえ。だからこそ人員が豊富な今のうちに、先手を打って敵の頭数を削るんだよ。」

「……わかった。」

「チッ。」

「アナスイ、任せたぜ。お前のダイバー・ダウンが頼りだ。不用意に敵に近付き過ぎて攻撃を喰らうなよ。」

「……わかってんよ。」

 

ズッケェロはアナスイの肩に手を置いた。

こうして、エンポリオ屋敷の三人組は行動を開始した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ミュッチャー・ミューラー、通称、ミューミューはグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所の女性主任看守である。

彼女は刑務所所属の教誨師のエンリコ・プッチのスタンドであるホワイト・スネイクの依頼で囚人の脱獄を防止する職に就いている。スタンド使いだがプッチの思想に賛同しているというわけではなく、ただ単純に彼女のスタンドがそれに非常に高い適性を持つ天職だったからという理由である。別段ホワイト・スネイクの本体の思想になんざ興味ないし、金が入って人並み以上の生活が出来るならならばどうでもいい。

 

その日の夕方、彼女は刑務所面会室の先に潜ませていた己のスタンドになんらかの反応があったことに気が付いた。

 

ーーまた脱獄を試みたバカがいるようだ。

 

ミューミューは溜め息を吐く。無駄なことをするものだ。

たとえスタンド使いであろうとも、彼女の無敵の牢獄から逃げる事は能わないというのに。

 

「どうしました?ミューラー看守長?」

「ああ、少し外から物音がしましてね。念のためです。武装した人員を連れてきてください。」

 

彼女は銃火器で武装した部下とともに、脱獄を試みた愚か者のツラを拝みに看守室を後にした。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

エンリコ・プッチのホワイト・スネイクとの戦闘が終わった後、サーレーは外から監獄へとつながるカードロック式の鉄格子へと戻ってきた。サーレーはポケットから鉄格子をロックをしているカードキーを取り出して、カードリーダーに通した。扉の開閉の記録は残るだろうが、刑務所側にその理由はわからないだろう。カードキーは、ズッケェロが所内のどこかの看守室から盗み出したものである。盗まれた看守は厳罰ものだろうが、まあ手早く返しておけばバレずに済むかも知れない。

サーレーはエンポリオ少年の音楽室へと帰還した。

 

「……どうした?」

「それが……。」

 

音楽室に戻ると、エンポリオ少年が暗い顔をしている。音楽室の隅で誰かが横になっていた。音楽室の人員を確認して、即座にそれがマリオ・ズッケェロだということにサーレーは気が付いた。

アナスイがサーレーに近寄って、サーレー不在の間に起きたことを告げた。

 

「ズッケェロが刑務所の外に脱獄を試みたが、敵のスタンドの能力を喰らって負傷した。」

「ズッケェロ……!!!」

 

サーレーは音楽室の隅に寝かされたマリオ・ズッケェロに近寄った。

 

「どうやら、脱獄防止のためのスタンドがここには存在したらしい。」

 

ウェザーがズッケェロの手当てをしていた。サーレーもズッケェロの近くによって、スタンドでズッケェロの出血を一時的に固定した。

 

「詳細を。」

「ああ。ズッケェロは余裕のあるうちに敵の頭数を減らそうと、見えている敵の情報を得るためにわざと敵の攻撃を喰らった。ズッケェロは攻撃を喰らった後に所内を逃げ回り、俺たちがフォローしてなんとかここに帰還した。今は手当てして薬で眠らせている。」

「それで?」

「ズッケェロはどうやら、どこかで看守の短機関銃による射撃を喰らったらしい。体内に残った弾はアナスイのダイバー・ダウンが潜行して取り除いてある。俺たちはズッケェロの指示で本体を探すように言われていた。」

「ズッケェロのダメージは?」

「重要な器官などの、致命的なダメージはなんとか避けたようだ。右肩に一発、脇腹部に一発、左足太腿の付け根に一発。」

 

サーレーは床に眠るズッケェロの傷を確認した。

 

「わかった事は?」

「……脱獄しようとしたズッケェロに近付いたのは看守だけだった。ズッケェロの隠密行動の能力と看守の対処の速さを合わせて考えれば、看守の中に敵の本体が混じっている可能性が高い。それと脱走者が出ようとしたことで、所内の警備レベルが少し引き上げられている。」

「わかった。ありがとう。」

「……すまない。」

「なぜ謝る?」

「危険な仕事をしようとするコイツを止められなかった。俺たちのスタンドの方がパワーがあるというのに。」

 

ウェザーが申し訳なさそうに、頭を下げた。

 

「気にするな。それよりお前たちにはこれから先、ズッケェロの穴を埋めてもらうことになる。覚悟しろよ?」

「ああ、任せてくれ。」

「チッ、仕方ねえな。」

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……お前か。ズッケェロを撃ったのは。」

 

ミュッチャー・ミューラーは恐怖していた。

彼女の体は突然動かなくなり、彼女の背後には一人の囚人が立っている。振り返るのが怖く、体は金縛りにあって動かない。

囚人を拘束するはずの地獄の門番は、刑務所に潜伏する蜘蛛の糸に絡め取られていた。

 

「う、撃ったのは私じゃないッッ!」

「命令を出したのはお前だろう?お前は看守長だったはずだ。もう喋るな。お前の尋問は別の場所で行う。」

 

サーレーはクラフト・ワークを使用して、ミューミューが大声を出さないように口を閉じさせた。

 

看守の中に本体が混じっていることに気が付いた彼らの行動は、迅速で的確だった。看守の前でウェザーがスタンドを発現させ、それに反応した人間をサーレーが襲撃する。スタンドは、スタンド使いにしか見えない。ウェザーが判別し、アナスイが周囲の人払いを行い、サーレーが攫うという連携した三位一体だった。

 

ウェザーのウェザー・リポートの動きを思わず目で追ってしまったミューミューは、自分がスタンド使いであると相手にバレてしまったとそう判断し、今現在起こってることは慌てて看守室に逃げ帰るその道中での出来事だった。

 

「黙って俺についてこい。少しでも抵抗するそぶりを見せたら、その場で暗殺する。」

 

サーレーはミューミューの腕を掴んで、エンポリオ少年の音楽室へと連れ込んだ。

 

「さて、まずはズッケェロにかけている能力を解いてもらおう。」

 

サーレーの頭の血管が膨れ上がったことに危険を感じたミューミューは、急いでサーレーの言う通りにした。

 

「解きました。もう、解きましたッッッ!!!」

 

ミューミューは大慌てでズッケェロにかけてある能力を解いた。ズッケェロが誰かは知らないが、十中八九昨日の脱獄未遂者のことだろう。

ミューミューのスタンドは相手をはめれれば強力だが、戦闘力が低く本体が割れてしまえば脆いという特性を持つ。

 

サーレー、アナスイ、ウェザー。周囲には屈強な男三人とエンポリオ少年だ。少年はともかく、他の三人はとてもではないが戦闘タイプでないミューミューに勝ち目はない。彼らに逆らったら、どんな目にあわされるかわかったものではない。ミューミューは自分が金髪美人だと認識している。とても口では言えないようなことをされるのかもしれない。

 

「んでコイツ、どうすんだ?」

 

アナスイがサーレーに問いかけた。

 

「どうするかなあ。とりあえず本体はわかったものの、コイツの能力の詳細もわかんねえしなあ。」

 

サーレーは悩んだ。

ズッケェロに能力がかけられていたが、それがどういうものか検分する前に本体を捕らえてしまった。ズッケェロは大きなダメージを負い、まだ薬で眠らせたままである。この女を解放してしまったらまたなんらかの能力でサーレーたちをはめようとしてくるかもしれない。

 

「ズッケェロの能力でペラペラにして手出しできないように下水道にでも流すか?」

「そ、それだけはご勘弁をッッッ!」

 

ミューミューは大慌てで制止した。ペラペラが何のことかはわからないが、下水なんぞに流されてしまってはたまらない。

 

「でもなあ。お前信用できないんだよ。噂によると能力自体はそーとー厄介みてえだし。解放したところでまた俺たちの邪魔をしないとも限らない。こっちとしてもどうにもできずに持て余してんだよ。」

 

本当に厄介者だ。どうしてくれようか?

 

「お前、敵の正体知らねえか?なんか体に模様があるスタンドの本体。」

「い、いえ。おそらくそのスタンドと接触したことはありますが、本体が誰かまでは……。」

「……本当に使えねえな。解放しても人間的に信用できねえし、しょうがねえからもうお前、行方不明になっちまえよ。」

 

ミューミューは頭から血の気が引いた。

行方不明になれ、つまりお前はここで消すと相手が言っているとそう判断してしまった。ミューミューは目の前の男の仲間を短機関銃で撃ち抜く指示を出してしまっている。相手はミューミューの知らない能力で逃げたが、現場には血痕が残っていた。その復讐で殺すと言われたとしても何ら不自然なことではないように思えた。何しろ相手は脱獄を目論むような凶悪犯の仲間なのである。

 

「ご勘弁をッッッ、ご勘弁をッッッ!!!命だけはッッッ!!!何でもします。何でもしますからッッッ!!!」

「ああいや、落ち着け。何もお前をここで消そうとしてるわけじゃねえ。一時的にここで過ごして俺たちの監視下に置かれるか、仕事をバックれて広大なアメリカのどっか遠くに行っちまえってことだよ。お前じゃあここにいても、首謀者のスタンドに上手く扱われて捨てられるのがオチだ。恐らくはいま刑務所内で水面下で進行している陰謀はお前の想像よりも深く、恐ろしいものだ。市民の安全を守ってるはずの刑務所看守長のお前が、気付いたらテロの片棒を担がされてたなんて事になりかねねえぞ?この程度で泣きを入れるぐらいなら関わんねえ方がいい。さてお前、どっちにする?」

 

ミューミューは悩んだ。

仕事をバックれてもここに隠れても、いずれにせよ仕事を干されてしまっては生活ができない。たしかに所内に残ったままでは、いずれホワイト・スネイクが接触してきてミューミューに無理難題を押し付けようとするのが目に見えている。コイツらに逆らうのも、ホワイト・スネイクに逆らうのも、どちらもあまりいい手だとは言えない。こいつらも次に逆らえば、さすがにもう容赦しないだろう。ミューミューは両方ともに本体がバレてしまっている。

 

「……ひが。」

「アン?」

「仕事を干されてしまってはッッッ!生活費が!車のローンが!家のローンが!カードローンが!支払えませんッッッ!」

 

ミューミューの魂の慟哭に、サーレーは衝撃を受けた。生活に苦慮しているのはサーレーだけではなかった。

 

ミューミューはグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所の主任看守であり、社会に出すわけにはいかない危険な人間の管理の職責を負っている。ホワイト・スネイクに協力してはいるが、それは刑務所内に存在する危険なスタンド使いを外に出さないためなのである。ミューミューは、彼女に指示を出すホワイト・スネイクが所内で急造のスタンド使いを増やしている元凶だとは知らない。その事について深く考えたりもしていなかった。

 

ミューミューも、サーレーと同じように刑務所の看守長という日々の仕事をして生活の糧を得ている。それはサーレーと同じで、きっと決して余裕のあるものではないのだろう。サーレーは彼女にも生活があり、ホワイト・スネイクから金は受け取っているが、彼女自身はアメリカ社会のために仕事をしていることを理解した。

 

「……わかった。お前はしばらくここで暮らせ。生活費は、ボスからもらった金から支給してやる。お前は怪我をしたズッケェロの看病をしろ。それの対価で金を支払う。」

「……看守長の仕事は?」

「それに関しては、ここで進行している陰謀の首謀者に責任を全部なすりつけてしまえ。黒幕に監禁されていたとでも言やあ、周囲はお前に同情してくれるだろう。それでも健気に仕事をしようとしてるとなりゃあ、むしろお前の株は上がるだろ?俺たちはそいつを探し、陰謀を暴こうとしている。お前が接触した体に模様のあるスタンドの本体だ。そいつが刑務所内で、スタンド使いを量産している。正体が分かり次第お前に伝える。」

 

サーレーはメチャクチャなことを言い出した。

エンリコ・プッチにはいずれ、身に覚えのない婦女暴行の罪がなすりつけられるのだろう。

 

「そ、それでは看守室に化粧品や着替えを取りに戻っても?」

「……わかってるとは思うが、逃げたら即敵対行動とみなすからな。その時は容赦するつもりはねえ。どうせ逃げるのなら、刑務所の外のどこか遠くに逃げろよ。」

「ハッ、ハイイイイイッッッ!」

 

ミュッチャー・ミューラーのスタンド、ジェイル・ハウス・ロックは闇のスタンドだが、本体は根性無しである。

ミューミューは怯えながら大急ぎで看守室に私物を取りに戻った。

 

「もしもし、俺だ。」

『どうした?』

 

サーレーはムーロロに電話をかけた。

手元にある承太郎のスタンドのディスクの回収を依頼するためである。

 

「こっちでは空条承太郎氏のスタンドのディスクを手に入れた。しかしズッケェロが負傷し、回復するまでは隠密での脱獄が難しくなった。そっちでなんとかディスクを回収する手立てを思いつかないか?」

『……それはご苦労だ。しかしこっちも今ちょっと動けねえ。俺が財団に連絡を入れておくから、そいつらからの連絡を待ってくれ。そっちの夜間の時間帯に電話が行くようにそいつらにも因果を含めておく。』

「動けない?そっちで何かあったのか?」

『……ヴェロッティがやられた。昨日の朝、ローマで遺体となって見つかった。遺体には何者かの攻撃を受けた痕跡が遺されていた。』

「……何があった?」

 

ヴェロッティは、パッショーネローマ支部、支部防衛チームに所属するスタンド使いだ。サーレーがノトーリアスを処分する際に協力を頼んだ、スタンドエネルギーを探し出す広域探知タイプのスタンド使いである。

 

『こっちでもまだはっきりしていねえ。だが、イタリアでも何かの不穏な陰謀が水面下で動いている可能性が高え。お前はまだしばらくはそっちに専念しろ。俺たちはそっちの調査を行うが、お前もそれを覚えておいてくれ。』

 

パッショーネ所属のスタンド使いが何者かの襲撃を受けて死亡した。

イタリアでも、なんらかの不穏な事態が起こっている。

 

遠いアメリカの地で、サーレーは帰るべきパッショーネとイタリアの平穏を願った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「2、3、5、7、11、13、17、19、21……違う。23、27……も違う、クソッッ!」

 

エンリコ・プッチは私室でイラつき爪を噛んで体を震わせていた。

大変なことになった。グリーン・ドルフィン・ストリート刑務所の防衛の要、ミュッチャー・ミューラー看守長が失踪したのである。

 

彼女のスタンド、ジェイル・ハウス・ロックはこのグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所においてエンリコ・プッチが気兼ね無くスタンド使いを増産できる根拠であり、彼女が居なくなったと知られれば刑務所から脱出を試みるスタンド使いが後を絶たなくなるだろう。そうなれば所内はそっちの対応に追われ、所内の警備レベルが最高レベルにまで引き上げられてしまって目的を達成することに甚だ支障を来すこととなる。

 

そして実は他にも、ミューミューの失踪にはプッチの計画にとって致命的な問題がある。

ミューミューは、実はプッチの計画に必要不可欠な手駒だった。

 

ホワイト・スネイクを蹂躙した得体の知れないスタンド使いの問題もある。

エンリコ・プッチは手の内にある二枚のディスクを見た。

 

「……いや、まだだ。まだ、所内には私のいうことを聞く手駒が存在する。これから空条承太郎の記憶に沿って行動を起こさねばならない。今はまだ、これを使うべきではない。」

 

手の内にある二枚のディスクは、エンリコ・プッチの切り札だった。切り札だが、使わずに済むのならば使いたくない。使うには問題が多過ぎて、使うのは本当にどうにもならないギリギリまで控えたい。

 

「クソッッ!一体何が起こっている!私の計画を邪魔立てしようとする人間は、一体何者だ!」

 

エンリコ・プッチはイラついて、私室のテーブルを蹴飛ばした。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

本体

ミュッチャー・ミューラー

スタンド名

ジェイル・ハウス・ロック

概要

金髪で色白のグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所の女性看守長。スタンドは闇のスタンド()だが、本体は根性無し。金に釣られてホワイト・スネイクの協力をしていた。現在刑務所では行方不明扱いとなっている。

 

名前

マリオ・ズッケェロ

概要

刑務所看守所持の短機関銃に撃たれて負傷。命に別状はないが、当面の戦闘は不可能。のちにフー・ファイターズの細胞で傷を埋めて治療した。



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石作りの海 その6

1は素数では、ないッッッ!!!
これは、、、恥ずかしい。報告くださった方、ありがとうございます。


ミュッチャー・ミューラーのスタンド、ジェイル・ハウス・ロックは、エンリコ・プッチにとって代えの効かない重要な駒だった。

 

エンリコ・プッチが天国を目指すに当たって必要なものは、ディオの骨と三十六名の極罪を犯した者の魂。他にも必要なものは存在するが、それらはとりあえず刑務所内で行う直近の計画に必要なものである。

 

スポーツ・マックスとミュッチャー・ミューラーは、プッチにとって刑務所で必要な物を集めるために必要不可欠な二枚の手駒だった。スポーツ・マックスのリンプ・ビズキットがディオの骨に生命を与え、ミューミューのジェイル・ハウス・ロックが三十六名の罪人を集めて拘束する。

 

懲罰房に存在した三十六名の極罪を犯した者たち。

なぜ彼らは都合よく懲罰房に一所に纏められていたのか?理由は簡単である。

 

ホワイト・スネイクが刑務所で看守長ミューミューの協力のもとに罪人の罪状の調査を行い、ホワイト・スネイクが秘密裏に極罪を犯した人間にスタンドを与える。

そうすれば、決まって彼らは天から湧いた超常の力でなんとか脱獄できないものかと試みるのである。

 

脱獄を試みた囚人は看守長のミューミューのジェイル・ハウス・ロックに捕まり、脱獄未遂の罪状により自然な形での懲罰房送りとなる。誰も疑わない。ホワイト・スネイクは囚人の記憶をいじる事ができる。罪人に与えたディスクは懲罰房棟に閉じ込めた後で回収すればいい。

いくらエンリコ・プッチが教誨師で地位の高い人間だとは言っても、強権で罪人を懲罰房送りにする事は出来ないのである。

 

このシステムからミューミューが欠けてしまえば、エンリコ・プッチの計画は甚だ支障を来す。

ミューミューが居ないとプッチは罪人を集めることが出来ない。ミューミューのスタンドがあるから罪人を安全に一か所に集めることができ、ミューミューの権限があるから罪人を懲罰房送りにする事が可能なのである。承太郎の記憶を得てからプッチが事態を起こすまでに間が空いていたのは、極罪を犯した罪人たちを懲罰房棟の一か所に纏めるために時間が必要だったからであった。

 

ミューミューはプッチにとって必要な駒であると同時に、致命的な弱点であった。

プッチにとって最も想定外だったこと。それは、ミューミューのその存在が刑務所内で都市伝説として知れ渡ってしまっていたことだろう。プッチの考えではミューミューはその存在さえ隠蔽されていれば、無敵のはずだったのである。

 

しかし刑務所内は閉鎖されているとは言え社会であり、人の噂とは千里を走るものである。プッチの与り知らぬところで、ミューミューの存在は所内の都市伝説と化してしまっていたのだ。矛盾を承知で敢えて言うが、とどのつまりこの世に無敵のスタンドなど存在しないのである。無敵かと勘違いするほどに強力なスタンドはそれなりの数存在するのだが。

 

プッチの目的である天国、未来を知る人類が生まれる世界。

果たして一体どこの誰が、自分に似てはいても自分とは全く違う人間が生きる世界を喜ぶというのだろうか?

たとえ未来を知ることができたとしても、生命は未知への探究心や未来への希望といった生への強い意欲を失い、衰退するだけである。生命とは、刺激がなくわかりきった行動を繰り返させられると飽きるのである。

それは皮肉にも、ミューミューのスタンドの本質である同じ行動を繰り返させて相手に無力感を刷り込む行為に似ている。

 

結局はプッチの理想とは誰も理解も賛同もできない異質なものであり、プッチの正体とは社会や他人を全く理解しようとしない破綻者だったのである。社会を理解できないから、社会にミューミューの噂が広まる可能性を想定できない。プッチなりに行動を起こすに足る正当な理由があったのだとしても、それは全てのテロ行為に同様に言えることなのである。誰だって、自分の行為が正しいと信じているのだから。

 

まだ計画に必要な人数には十名程足りない。しかし刑務所内にプッチの反勢力が存在する今、ここであからさまな行動を起こせば彼がホワイト・スネイクの本体であるとバレてしまう。敵はホワイト・スネイクよりも強く、今度こそ天国への道は閉ざされてしまうだろう。

 

エンリコ・プッチは自室でソファーに座り、必死に苦しい現状をひっくり返す打開策を模索している。

プッチは刑務所側に体調不良を申し出て、自室にこもっていた。体調不良は決して嘘ではない。

 

エンリコ・プッチは指折りで彼に残された手駒を数えた。ミラション、ラング・ラングラー、ヴィヴァーノ・ウェストウッド、ケンゾー、グッチョ、DアンG。これ以上手駒を増やせば、看守であるウェストウッドは別にしても、彼らはホワイト・スネイクに従わずにむしろ協力して脱獄する方向に向かっていくかもしれない。刑務所の防衛の要のミューミューが失踪した今、それは非常にマズイのである。脱走者を出せば周辺の地域に厳重警戒体制が敷かれ、刑務所内では警備レベルが最高まで引き上げられる事になる。そうなれば外部からの圧力もかかり、罪人を秘密裏に集めるどころではなくなる。

 

「41、43、47、53…………クソッッッッッ!」

 

エンリコ・プッチが現状取れる選択肢は二つ。

計画の要であるミューミューを何としても手元に取り戻すか、対象を選ばずに骨を使用して所内で災害(ハザード)を引き起こすか。

所内で災害を起こしてしまえば、恐らくはそれをテロ行為だと判断してアメリカ政府が動く事になるだろう。骨は見境なく人を喰らい、災害は止まることなく極罪を犯した三十六名の魂を内包するまで続くことになる。災害が懲罰房限定であれば、その責任の所在を管理者である看守たちになすりつけることができたはずだった。

 

所内全域で人が消えれば、生き残って姿を眩ましたエンリコ・プッチはテロの重要参考人として国家に追われる事になる。恐らくは広大なアメリカに複数存在する裏社会の処刑人たちも動き出すだろう。刑務所で起こった出来事の精査も入ることに間違いない。

国家が本気で動いてしまえば、さすがのプッチと言えども次に計画を行動に移す時期まで逃げ果せる自信がない。

 

エンリコ・プッチは震える手で二枚のディスクを握っている。プッチはディスクに目を落とした。

 

「……ディオ、私に力をくれ。計画を完遂する力を……。天国へと歩き続ける勇気を……。」

 

 

 

◼️◼️◼️

 

『やあ、ディオ。どうしたんだい?今日の君は不機嫌そうだ。』

『ああ、わかるか。嫌な事があった。誰だって不機嫌になる。恐らくは君だって不機嫌になる。』

 

それは在りし日の記憶だ。ディオがまだ生きていて、プッチがエジプトに住むディオの元を訪ねていた時の記憶。

ディオはソファーに横になっている。

 

プッチはそれを思い返していた。

 

『一体何が?』

『食卓を荒らされたのだよ。……君だって、食事をしようとする時にテーブルをひっくり返す無作法者がいたら腹が立つだろう?』

『食事……。それはつまり?』

『ああ、君の考えている通りだ。』

 

ディオは吸血鬼で、食事とは人間の血液のことである。

ディオは気だるげにソファーから身を起こした。

 

『……それは!』

『ああ。私としたことが噛み付かれてしまった。』

 

ディオの頭部の眼窩から右上半分が消滅して、ソファーにはベットリと血液がこびり付いていた。

 

『君をそんな目に合わせる事が出来る奴が?』

『……私としたことが、見誤ったよ。もともとは私が矢でスタンド使いにした奴らなのだが、私の下に付くのを嫌がった。そいつらは私の手元を離れて、エジプトで無意味に人間を虐殺して回っていた。何も特別な思想に傾倒しているわけではなく、ただ殺したいから殺すという生粋のシリアルキラーだ。そういう奴らは、時折存在する。しかし何者とも相容れない。私の目的は無意味な人間の虐殺ではなく、支配だ。人間は私にとって食事であり、家畜に過ぎない。家畜を無意味に殺して回る害獣がいたら、誰だって腹が立つだろう?私だって腹が立つ。そいつらのスタンドはそこそこ有能で、私に従うのなら生かしておいてやると言ったらこの有様だ。』

『……そんなに強いのか?』

『強いのもあるが、なによりもタチが悪い。漆黒の殺意……目的のためなら手段を選ばない、殺人者の精神性を持った奴らだ。それは正しく扱わないと非常に危険で、社会に破滅を齎すものだ。本来ならばその精神を持つのは裏社会の処刑人にしか許されない。そいつらは私に従うフリをして、平然と寝首を掻きにきた。私は寝入った隙を襲われてこのザマだ。スタンドで言えばそうだな……私の配下でもヴァニラ・アイスに次ぐくらいの実力はあるだろう。』

 

ディオは億劫そうに再びソファーに横になった。今は配下のヴァニラ・アイスに食料の調達を任せている。

ディオは動くのも苦しいほどに疲弊していた。

 

『まあ、普通に戦えばスタンド自体は私の敵ではない。私のザ・ワールドは無敵だ。だが、私以外の存在だったら手に余すだろうね。今は屋敷の地下牢に痛め付けて閉じ込めている。欲しいならディスクにして持っていけばいい。使うのなら本当にどうにもならないときにしておいたほうがいいが。』

『なぜ処分しないんだ?』

『惜しかったからさ。その能力は強力で、その殺意は何者をも喰い殺す。肉の芽を埋め込めばそいつらの支配はできても、最も強みである殺意が失われてしまう。この私に従順でさえあればどれだけ役に立つことか。でも彼らは残念ながら、他者の破滅のみを願う破綻者だった。いわばこのディオ専属の処刑人の、なりそこないだ。』

『……。』

『持って行ってもいいぞ。だが注意しておいた方がいい。そいつらは平然と弱者を装い、同情を乞い、きっと手段を選ばずに君からディスクを取り返そうとする。ウッカリ返してしまったが最後、君はそいつらに喰い殺されることとなる。そいつらは、誰の言葉にも耳を傾けない。』

 

今、エンリコ・プッチの手元には二枚のディスクがある。それは強力すぎて、本来の本体以外の人間には扱えない。

 

メイサ・レイナードとヴィエラ・レイナードのレイナード姉弟、破滅の願いを持つ二人の破綻者。

このグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所では毎年複数の人間が不審死や失踪しており、姉弟は事件の裏で暗躍する最悪の囚人だった。

 

ディスクは本当にどうにもならないときのために、エンリコ・プッチが最終手段として隠しておいた切り札だった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ウラアッッッッッ!!!テメエ、嘘ついてんじゃねえだろうな!」

 

サーレーがエンポリオのおうちのテーブルを蹴っ飛ばそうとした。テーブルは幽霊で、エンポリオにしか扱えない。

サーレーの蹴りはマヌケにもテーブルをすり抜けた。

 

「サーレー、ぬるいわよ。こういう舐めた奴は、体に分からせてやらないと!」

 

徐倫がストーン・フリーで目の前で正座している女性の首を絞め上げる。

正座している女性の顔は鬱血して青くなった。

 

今現在エンポリオのおうちでは、サーレー(チンピラ)徐倫(ヤンキー)が奇跡のコラボレーションを果たしていた。チンピラとヤンキーは、一人のぱっと見か弱そうな女性に寄って集って締め上げている。

 

絵面が、通報案件だった。

 

「ヒイイッッッッッ!」

「……なあ相棒、もう少し声を落としてくんねえか?傷に響くんだよ。」

 

エンポリオ少年のお家で、サーレーの必殺技のチンピラ式開口術が火を吹いた。チンピラ式開口術とはいわゆるチンピラの得意技、恐喝である。

 

サーレーの目前には黒髪の女性が正座し、サーレーと徐倫が挟み込んで女性を脅している。彼らの背後でウェザー・リポートとフー・ファイターズが仲良くキャッチボールをしていて、屋敷にサーレーの怒声が響くたびにズッケェロを看護してるミューミューがビクついている。

 

今このおうちには、エンポリオ、サーレー、ズッケェロ、ウェザー、アナスイ、ミューミュー、徐倫、エルメェス、フー・ファイターズ、黒髪の女性、合計なんと十名もの人間が存在する。大家族だ。少年は以前は三人暮らしだったはずなのだが?

 

どうしてこんなにおかしなことになっているのだろう?なぜこんなにも人間が増えてしまったのか?

エンポリオ少年は首を傾げた。

 

それは、彼らがこうなる少し前の話。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「すまない、徐倫。こちらで少々計算外のことが起きた。お前の親父さんのディスクはまだ俺の手元にある。今は受取手の連絡を待っている状態だ。」

 

サーレーが背中越しに、ベンチに座る徐倫に言葉をかけた。サーレーはベンチの後ろで、地面に座っている。

 

「……何があったの?」

「俺の仲間が負傷した。俺たちの入監を請け負った奴だ。そいつが脱獄の際に、脱獄防止のスタンドとかち合ってしまった。脱獄防止のスタンドの本体はもう捕らえて、手元に置いてある。」

 

今は刑務所の昼休憩の時間だ。ベンチの前ではエートロ(フー・ファイターズ)とエルメェスがキャッチボールをしている。

 

サーレーは刑務所の囚人服を着て、普通に所内をうろついていた。刑務所には千二百人を超える囚人がいて、日夜囚人は入れ替わっている。その全ての人間の顔を覚えた看守など恐らくはいないだろう。万が一看守に囚人でないとバレてしまっても、クラフト・ワークを使用して看守が硬直してる隙に逃げてしまえばいい。

 

「……どうするの?」

「とりあえず向こうと連絡を取る手立てはある。向こうの判断待ちだ。」

「そう……。」

 

予定外の悪い知らせに、徐倫は顔をしかめた。

 

「それで徐倫、一つ提案がある。向こうのアクションを待つ間、お前は戦闘訓練を行わないか?」

「どうやって?」

「俺との実戦訓練だ。お前たちの刑務所の作業の休憩時間に、エンポリオの音楽室で行う。」

「……必要なの?」

「お前には間違いなくスタンドの才能がある。お前の親父さんも、歴戦の戦士だった。スタンドを理解するのには、実戦が一番手っ取り早い。」

 

徐倫は目の前で行われるキャッチボールを眺めている。エルメェスは知らない女と何やら賭けをしているようだ。

 

「……そう。わかったわ。よろしく頼むわね。」

「俺もできればこっちの事件をさっさと片付けてえ。どうにも、きなくせえ。」

 

昨夜イタリアのムーロロに電話した際に、イタリアでパッショーネの人員が不審死したとの報告があった。パッショーネ側で異常があるのなら、サーレーはアメリカにいつまでも滞在しておくべきではない。心配だ。

 

「じゃあ、暇を見つけたら向かうことにするわ。今日はもうすぐ昼休みが終わるから、明日からでも迎えに来てちょうだい。」

 

徐倫の足元にボールが転がってきた。エルメェスかエートロが落としたのだろう。

徐倫はそれを拾って投げ返そうとした。

 

「ああ。じゃあまたな。」

 

サーレーは声をかけて立ち去ろうとした。しかし、サーレーが背を向けている間に異変が起きていた。

 

【金歯カ。セイゼイ、三十ドルトイッタトコロカ。ノコリ五百九十ドル、ドウヤッテ支払ウ?】

「何があったエルメェースッッッ!!!」

 

徐倫が叫び、サーレーは驚いて振り返った。

キャッチボールをしていたはずのエルメェス・コステロの目前には唐突にスタンドが立っていた。それは取立人マリリン・マンソンと呼ばれるスタンドだった。取立人はエルメェスと賭け事をしていたミラションという名の女のスタンドで、ミラションはプッチの依頼で奪われた承太郎のディスクを取り返すためにエルメェスたちに賭け事を申し出ていた。ミラションはエルメェスに千ドルの賭けを持ちかけ、エルメェスはその賭けに敗北したところだった。

徐倫は驚いてストーン・フリーでスタンドに攻撃を仕掛けるが、取立人は取立の最中は無敵である。ストーン・フリーの拳は宙を切った。

 

【足リナイ五百九十ドル、オマエノ肝臓デ支払ウカ?他ニ金ヲ支払ウ方法ガナイナラ、コレヲイタダイテイク。】

 

取立人はエルメェスの腹部にその鉤爪を当て、ピンク色に蠢く肝臓を取り出した。

肝臓を奪われれば、当然生命活動に支障が出てしまう。

 

「ま、待てッッ!それはやめろ!五千ドル、隠してあるんだッッ!」

【ソレハ、サンダー・マックイイーントイウ囚人ノ金ダロウ。他ニ支払イノ方法ハナイカ?】

「ま、待てッッッ!やめろぉぉぉーーッッッ!」

【支払エナイナラ、肝臓ヲイタダクコトニナルガ?】

「五百九十ドルならここにあるぜ。」

 

サーレーは取立人の前に立ち、ポケットから百ドル紙幣を六枚取り出して地面にばら撒いた。

 

「ほら、それを拾ってさっさと消えなよ。」

【……ソレハオ前ノ金ダロウ?エルメェス・コステロノ金デハナイ。エルメェスハ納得シテイナイ。】

「だから俺がたった今この場で、エルメェスを六百ドルで買うって言ってんだよ。ごちゃごちゃつまらねー御託を言ってねーで、それを拾ってさっさと消えなよ。」

 

サーレーは取立人に近付いてメンチを切った。

 

【……イイダロウ。エルメェスモソノ理屈ニ納得シタヨウダ。オツリハ十ドルダ。領収書ハイルカ?】

「いらねーよ。消えな。」

 

取立人はエルメェスに肝臓を返し、十ドル紙幣を残して去っていった。

 

「さて、エルメェス。あいつの本体わかるか?」

 

サーレーは地面に倒れたエルメェスに振り返った。

 

「ああ、なんか黒髪のミラションとか名乗る女が……ってちょっと待て。あたしを六百ドルで買ったってどういうことだ!」

「そのままの意味だ。」

「ふざけんなッッッ!!!勝手なことをすんじゃねェェーーッッッ!!!あたしは売ってねえッッッ!!そーゆーのは、まずは清いお付き合いからだろうがッッッ!段階をすっ飛ばそうとすんじゃねえッッッ!」

 

エルメェスは自分の体を守るように抱いた。これから彼女はきっとサーレーに六百ドル分のサービスをしないといけない。

 

「ちげーよ。お前という戦力を金出して買ったってことだよ。金で済むならそれが手っ取り早い。お前のキッスを傭兵として六百ドル、変なことじゃねえだろ?そんなことよりもさっさとあいつの本体を捕らえに行くぞ。黒幕と繋がってるかも知れねえ。」

「捕まえてどうすんだ?」

 

エートロがサーレーに問いかけた。

 

「お前は確かフー・ファイターズだったな。あの手のスタンドは嵌めれれば無敵だが、普段はほぼ無力だ。捕まえて知ってる限りの情報を吐かせる。そのまま行方不明になってもらう。」

「行方不明って、殺すの?」

 

徐倫がサーレーに質問した。

 

「いいや、殺しはしない。ちょうど今エンポリオのところには、捕らえた他のスタンド使いもいる。そいつは開放する際に黒幕に監禁されていたと告げるように因果を含めている。どうせならそいつも排除を兼ねて俺たちの監視下に置く。」

「……そいつ、女性よ。捕まえて変なことするんじゃないの?」

「しねーよ。尋問するにも場所が必要だろう?」

「……まあいいわ。」

 

徐倫、エルメェス、エートロの三人はミラションを追い、サーレーが三人の後を少し離れて付いていった。

そして、先の場面へと戻る。

 

「だから知ってることをさっさと吐けと言ってるだろーがッッッ!!!チンタラして、すっとぼけてんじゃあねぇッッッ!」

「ヒ、ヒイイイイイッッッ。ごめんなさい、ごめんなさぁいッッッ。何も知りませんんんん。」

「サーレー、そいつが泣いてるからって、手加減をするべきではないわ。そういう奴は平気で嘘を吐く。私がそいつを締め上げて、体にきっちりと聞いてやるわ。」

 

普段は無力なミラションは、追い付いた彼らにアッサリと捕まった。今はエンポリオの音楽室で絞め上げて、知っていることを洗いざらい吐かせている最中だった。

アナスイがソワソワして、横になっているズッケェロに問いかけた。

 

「……なあ、あいつが空条徐倫か。」

「ああ、そうだ。それがどうした?」

「……祝福しろ。」

「オイ、オメー突然何言ってんだ?頭大丈夫か?」

 

アナスイにとって、徐倫はめちゃくちゃ好みだった。アナスイは徐倫の親父の恐ろしさを知らない。

 

「それじゃあ私たちは刑務所の作業に戻るわ。何か進展があったら教えてちょうだい。」

「ああ、了解した。」

 

人知れず密かにテンションが上がったアナスイをよそに、徐倫たちは監獄での作業へと戻っていった。

 

「んで相棒よォー、俺たちは次はどう動くんだ?ムーロロの旦那によりゃあ、イタリアでも事件があったんだろ?あんまこっちでチンタラしてるわけにもいかねえんじゃねえか?」

「……そうだな。」

 

サーレーは悩んだ。ミューミューもミラションも黒幕に繋がる有力な情報を持っていなかった。

 

その目的の一切を隠しているからこそわかることもある。

黒幕は、その手先の誰にも自身の計画の内容を話していない。よほど根が深くて恐ろしい陰謀だということが推測される。目的を誰にも教えていないということは、裏を返せば誰の理解も賛同も得られない計画だということである。

 

現状、刑務所内を徘徊して偶然黒幕とかち合うくらいしか手立てが思い付かない。最悪の場合はこちらの事件を中途で放置して、イタリアにとんぼ返りしないといけない。そのことを考えれば、徐倫を黒幕と渡り合える戦士に仕上げることが現状の最重要事項のように思えた。

 

「焦れるのは分かるが、とりあえず今まで通り所内でスタンド使いを探し出し、そいつらから情報を搾り取る以外に手立てはねえ。ただしイタリアでも状況が動かないとも限らねえ。ズッケェロ、お前は戦闘できそうか?」

「戦闘自体はなんとか可能だが、普段よりも動きはずっと落ちるぜ?脚を撃たれてるしまだ熱もあるし。まあ正直なところ、正面からのガチンコは勘弁願いてえなあ。」

「わかった。これからの方針を告げる。一先ずは夜間の財団からの連絡待ち。所内の警戒と索敵。それと空条徐倫たちの戦闘教練だ。今までとあまり変わらないが、黒幕に繋がる情報が得られなかった以上、仕方ない。」

「了ー解。」

 

ズッケェロは、あくびをした。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「オラァッ!」

「いいぞ。想像以上だ。承太郎さんの絶対的な強さともまた違う。相手によって対応を変化させるしなやかな強さだ。」

 

空条徐倫のストーン・フリーの糸を束ねた拳がサーレーに襲いかかり、クラフト・ワークに固定される前にバラけてサーレーを拘束しに襲いかかった。サーレーはそれを後方に跳躍して回避する。立て続けに徐倫はサーレーを追いかけ、ストーン・フリーの分厚く束ねた拳を叩き込もうとした。サーレーは背後の壁を蹴り、天井を登って上方から徐倫本体を奇襲する。徐倫は糸になって解けて、別の場所で再生した。

徐倫とエルメェスとエートロは、刑務所の休憩時間にサーレーたちと戦闘訓練を行っていた。

 

「ウラッッ!」

「クッ、ハッ!」

 

サーレーのクラフト・ワークが地を蹴ってストーン・フリーに肉薄した。クラフト・ワークのラッシュをストーン・フリーはバラけて避けた。敵の攻撃が少しでも触れたら、そこを固定されて戦闘が甚だ不利になる。徐倫はすでに幾度かサーレーと戦闘を行い、クラフト・ワークの能力の概要を理解していた。

 

「徐倫、お前は強い。お前のスタンドは変幻自在で、お前の発想の速さと理解力は非常に戦闘向きだ。しかしスタンドには相性があり、長所と短所は表裏一体だ。」

「ハッッッッ!」

 

徐倫がクラフト・ワークのラッシュを躱して、糸を回収しようとした。しかしサーレーのクラフト・ワークの足が回収が遅れた徐倫の糸を少しだけ踏んづけていて、そこからクラフト・ワークのスタンドパワーが流れ込んでくる。徐倫はクラフト・ワークに固定された。

 

「オイ、ズリィだろ。なんであいつが徐倫担当なんだ?」

 

アナスイはチラリと自分の教練の担当を確認した。エートロ、見た目が女性でも中身はプランクトンの集合体だ。ヤル気が全く起きない。

アナスイは徐倫を担当することを強く主張したが、サーレーが徐倫の担当を望んだために却下されていた。ちなみにウェザーがエルメェスを担当している。

 

「あんた、なにごちゃごちゃ言ってんの?」

「……いいや、こっちの話だ。」

 

エートロの圧縮水鉄砲をダイバー・ダウンで弾きながら、アナスイが返答した。

 

「長所と短所は表裏一体、お前の糸は束ねれば頑強だが、融通が効かない。ばらければしなやかだが、強度に不安が残る。俺以外の相手であれば、お前はそれを上手く使い分けて戦えただろう。しかし俺には通用しない。ならばそれをどう克服する?」

「くっっ。」

 

徐倫は歯噛みした。

癪だが、年季を重ねた相手の方がスタンド使いとして格上だ。束ねた糸一本一本の細部まで固定エネルギーを流されてしまえば、徐倫のストーン・フリーはバラけた状態ではパワー負けして動けなくなる。糸を束ねて纏めても、相手に自分の糸の一部を確保されている現状ではまともな戦闘にならない。相手が固定と解除を繰り返せば、徐倫のストーン・フリーは戦闘の要所で動きを阻害されて相手の為すがままにされ敗れてしまう。

 

徐倫のストーン・フリーは、サーレーのクラフト・ワークに対してあまり相性が良くなかった。変幻自在に糸を操るストーン・フリーの強みを、相手の固定する能力により潰されてしまっている。

 

「これが本気の戦闘だったら、お前が今覚悟したようにダメージを承知で捕まった糸を引きちぎるしかない。」

 

サーレーが徐倫の糸から足を退けた。

 

「ただしお前一人だったら、だ。」

「私一人だったら?」

 

徐倫はサーレーの言葉の意味を理解できずに、聞き返した。

 

「お前のストーン・フリーも俺のクラフト・ワークも、その真髄は仲間との共闘にある。俺のスタンドもお前のスタンドも応用力が高く、仲間と組み合わせることでどこまででも強くなる。」

「……例えば?」

「お前の絡みつく糸は、俺のクラフト・ワークの固定する力を組み合わせれば相手を雁字搦める鋼鉄の拘束衣と化す。他にもお前が敵の攻撃に晒された時、俺がとっさにお前の糸の一部からでもクラフト・ワークの固定エネルギーを流せばお前の防御力は飛躍的に上昇する。ウェザー・リポートの天候、雨と組み合わせれば、水の染み込んだお前の糸は重量と強度が増し敵の骨を砕く鞭になる。糸を上手く編み込んでハングライダーにすれば、ウェザーの突風と合わせて空を飛ぶことさえも可能になるだろう。」

「……なるほど。」

「訓練とイメージトレーニングを甘く見るな。お前は本番に強いタイプだが、ぶっつけ本番を繰り返していたら早死にすることになる。仲間を大切にしろ。エルメェス・コステロとフー・ファイターズは、連携を深めることでお前を強者たらしめる。」

「……。」

「さて。それでは最後にお前に俺の切り札を見せてやる。スタンドを極めれば、どこまで強くなれるのかだ。俺はまだ半端者だが、お前の成長の目安程度にはなるだろう。」

 

サーレーはそう告げると、クラフト・ワークを具現した。

徐倫は格上の男の切り札と聞いて、どのようなものか見逃さないように注視した。直後に、なにをされたのかわからないうちに徐倫の体は硬直した。

 

「こ、れはッッ……。」

「これが俺の必殺、蜘蛛の巣(ラニャテーラ)だ。俺のクラフト・ワークは、全身から固定のエネルギーを発することができる。原理は簡単、あたり一帯の地面にクラフト・ワークの足の裏からスタンドエネルギーを流し込んだだけだ。それだけだが、非常に使い勝手が良く強力だ。」

 

サーレーの新必殺技のラニャテーラは、非常にタチが悪い。

その能力の効果は敵の行動の阻害であり、効果半径はおよそサーレーの周囲5メートル前後。その能力の概要は自身に有利な土俵を展開して、相手に不利な決闘を強いる短期決戦の必殺技である。

 

クラフト・ワークの周囲の地面に触れれば遠隔のパワーが弱いスタンドは地面に固定されて動きが鈍くなり、近接のパワーのあるスタンドは高確率で本体が巻き込まれる。一旦力で固定を引き剥がしたとしても、サーレーが技を発動している限りは着地すれば再び固定されることになる。

半径5メートルという効果範囲に関しても、クラフト・ワークの精密動作性の苦手さから綺麗な円ではなくいびつな楕円の形をしていて、効果範囲を見切るのが非常に困難である。挙げ句の果てに、技を発する特別なモーションが一切存在しない。

効果が見込めないのは、フー・ファイターズのような特殊極まりないスタンドや、空に浮かぶスタンドくらいである。

 

悪辣な蜘蛛は地に不可視の巣を張り、掛かった獲物を捕食する。

 

「これを最初から使えば、スタンド初心者のお前は俺に手も足も出ずに敗北していただろう。だが俺も所詮は道半ばでしかない。お前の親父さんの承太郎さんは、全てのスタンドの頂点に立つ存在といっても過言ではなかった。お前が今立ち向かっている敵の恐ろしさと普段の訓練の必要性、そして仲間の大切さを忘れるなッッッ!」

「ハイッッ!ありがとうございましたッッッ!」

 

徐倫は、フー・ファイターズに殴られて無様に鼻血を流して倒れた男の真の実力に感服した。

 

ズッケェロは横になりながらサーレーを眺めている。

ズッケェロは看護するミューミューに話しかけた。

 

「信じられないだろうがよぉー、あいつつい最近まではただのチンピラだったんだぜェ。なんかあんな偉そうにしてるけどよォ。」

「は?」

 

 

 

◼️◼️◼️

 

本体

ミラション

スタンド

取立人、マリリン・マンソン

概要

スタンドは取立専門のスタンド。取立中は無敵。本体は今現在、エンポリオハウスでミューミューと仲良くしている。

 

本体

空条徐倫

スタンド

ストーン・フリー

概要

なにかの間違いでチンピラ(サーレー)に弟子入りしたヤンキー兼本来の主人公。

 

本体

サーレー

概要

グイード・ミスタの薫陶を受けることにより、下の人間を育成する能力を密かに受け継いでいた。



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石作りの海 その7

作者の疑問なんですが、リンプ・ビズキットで蘇った死者は本体のスポーツ・マックスも食料とみなすのでしょうか?
まあ、いいか。


「うーん、臭いがする。棒で打たれて逃げ回った、負け犬の臭いが。」

 

姉のメイサが呟いた。

 

「ヒャハハハ、それ、どんな臭いだ?俺も嗅いでみてえぇぇーーッッッ。」

 

弟のヴィエラが馬鹿笑いをする。

 

夜間に刑務所の食堂席に座る彼らの名はレイナード姉弟。周囲の人払いはホワイト・スネイクがすでに済ませている。彼らは本来ならば、プッチが己の計画の完遂の過程のどこかでどさくさに紛れて処分しようと考えていた駒である。それを今、プッチはリスクを犯して秘密裏の夜間の接触を行うハメになっていた。

 

彼らは生粋の殺人鬼であり、プッチがスタンドを奪った後も精神の箍が外れた彼らはアメリカで殺人を犯して回り、プッチの根回しでここグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所に収監されていた。

死刑制度の存在するフロリダで彼らが死刑を宣告されていないのは、プッチが姉弟が犯した殺人の死体の隠匿を行なったせいだ。プッチは彼らを有事の最後の切り札として確保しておきたがり、最悪の二人はそれを知っていて好き勝手に殺人を犯していた。

 

「ねえ、プッチ。私たちの仲じゃあない。どう?私にスタンドを返す気にならない?いいじゃない?アンタがスタンドを返してくれるなら、私がアンタの敵を始末してあげる。私たち、ずっと一緒だったじゃない?私、どうしてもあなたの役に立ちたいの。無力なままあなたの役に立てないのが苦しいのよ。」

「おお、姉ちゃんの心を射止めるとは、神父様やるねえ!結婚式はいつだい?神サマとは離婚しちまいな。こりゃもうスタンドを返すっきゃねえだろう。」

 

ーーコノクソドモガッッッ、ダカラコイツラニ会イタクナカッタンダッッッッッ!!

 

メイサがホワイト・スネイクにしなだれかかり、ホワイト・スネイクは内心で罵った。

メイサには今現在水をお湯に変えるほぼ無力なスタンドを与えてあり、それにより姿の見えるホワイト・スネイクが会話を行なっている。ヴィエラも同様だ。

 

「コーヒーを飲むのには便利だけど、やっぱり元のスタンドを返してほしいわ。」

 

メイサが水をお湯に変え、刑務所の厨房から盗み出したマグカップのコーヒーに口をつけた。

 

姉のメイサと弟のヴィエラのレイナード姉弟。

彼らはホワイト・スネイクの仲間のフリをして、虎視眈々とプッチを喰い殺す機会を狙っている。決してプッチの仲間などでは無い。

プッチがここまで二人を生かしておいたのは、空条承太郎を陥れ損ねた場合にスター・プラチナに対する逃亡の捨て駒にするためだった。彼らであればきっと、空条承太郎相手でも時間稼ぎが可能だっただろう。

 

彼らはホワイト・スネイクの本体がエンリコ・プッチであることを知る唯一の人間であり、それを隠匿する代わりにホワイト・スネイクは二人が直接喰い殺した死体の後片付けをさせられていた。彼らの記憶を弄る事も下手だ。下手にホワイト・スネイクの本体の正体を隠蔽したら、知能の高い彼らは独自にプッチの正体を嗅ぎつけてそれをバラしてしまう。言い含めておかないとプッチの手駒も彼らの殺意の標的にされてしまう。

リスクを犯してでも手綱を握っておかないと、彼らは何をしでかすかわからないのである。

 

危険を承知で彼らをここまで生かしたのも、今回のような非常事態に対応するためである。

ためであるのだが、、、なるべくならやはり使いたくない。プッチは彼らの本性を知っている。彼らはディスクを返した途端嬉々としてプッチに襲いかかり、プッチの計画が失敗に終わったことを死体を指差しながら嘲笑うだろう。そして二人は刑務所を脱獄して、アメリカで無数の死と凄惨な戦いの狂宴が待っている。

 

真に恐ろしい敵は敵だと悟らせない。味方だと擬態する。例えば吉良吉影が、杜王町で平然と一般人を装っていたように。

姉弟はパッと見はモデルのような外見で、姉のメイサは黒髪ショートに褐色の肌、艶やかで男好きのする体型をしている。弟のヴィエラは金髪高身長、引き締まった体つきで少しディオに似た精悍なイケメンだ。

真っ当な人間の多くが彼らのその外見に好感を抱くが、一皮剥けばその下には悪魔も裸足で逃げ出す残虐性を秘めている。

 

彼らはプッチが何らかの計画を進行している最中だと理解しており、その高い知能からプッチの計画に支障が出ていることを理解していた。さもなければ、プッチが嫌っている彼らを訪ねることは有り得ない。

 

「ねーえ、プッチ。わかってるでしょう?私に任せてくれれば、全てが上手くいくわ。私がウブなあなたをリードしてあげる。計画を全て、私に委ねてしまいなさいな。私は尽くす女よ?」

 

ホワイト・スネイクは首を振った。

危なかった、気の迷いだ。姉のメイサの言葉は甘い蜜のようにホワイト・スネイクの耳朶に絡みつく。

しかしそれは失策だ。そこまであからさまに誘惑してしまっては、自分が危険な生物だと自白しているようなものだ。神の法を尊ぶプッチに、誘惑は通用しない。

 

もともとプッチは二人をまだ使うには早いと判断している。プッチに手駒はまだ残されている。今日ここに呼んだのは、姉弟が使えるかの確認のためだ。

 

【……オ前タチノ出番ハナイ。】

「わかっていないのねえ、プッチ。あなた、計算が出来るだけの馬鹿なのかしら?あなたは最強の空条承太郎を倒してしまった。次に現れるのは、()()()()()()()()()()()()()?」

 

メイサの視線が真正面からホワイト・スネイクを射抜き、その瞳の昏さにホワイト・スネイクは寒気を感じた。

 

【……馬鹿ゲテイル。ソンナ奴ハ、コノ世ニ存在シナイ。】

「真っ向な戦いならね。だから、あんたが自分でやったんじゃない。空条承太郎に真っ向からは敵わないから、策を練って陥れて。次はあんたがそれをやられる番なのよ。猟師が罠を張って鉄砲を持って危険生物のあんたを狩りに来たわ。山狩りの時間よ。バァン!だからホラ、ヤられる前にヤらないと。ホラ、ホラ。私たちならそれが可能よ。」

 

メイサが手を上下に動かしてホワイト・スネイクを煽った。

ヴィエラはその様子をニヤつきながら見守っている。

 

本当に不愉快極まりない奴らだ。

こいつらは、的確にプッチの不安を嗅ぎつけてエグってくる。不安に駆られたプッチが彼らにディスクを返せば、二人はプッチを頭から丸齧りにしてくるだろう。計画は台無しだ。それどころかプッチは間違いなく殺される。

 

【何ト言オウガディスクヲ返ス気ハ無イ。計画モ順調ダ。オ前タチヲ呼ンダノハ、久々ニ確認ノタメニ顔ヲ見タカッタダケダ。】

「はい、ウッソー。私たちが使えるか確認に来たの丸わかりなんだけどー。ねー、ヴィエラ。」

「ああ、バレバレだぜ。あんたは自分のことと計画のことだけを考えている。計画が上手くいっている間は、俺たちのことを気にも止めないだろう。最近コソコソしてると思ったら急に会いに来て、わかりやすいったら無いぜ?神父様、そんなんで罪人たちの告解を秘匿できるのかよ?あんたがコソコソと隠して可愛がっている、スポーツ・マックスってチンピラを消してやってもいいんだぜェー。」

【キ……サマッッッ……!!】

 

スポーツ・マックスとの接触も見られていた。最悪だ。

リンプ・ビズキットが骨に力を与えなければ、全ての計画がおじゃんだ。スポーツ・マックスはスタンド使いだが、ガチンコの戦闘向きのスタンドではない。コイツらに命を付け狙われてしまっては堪らない。先行きに不安は多いが、早急に骨にリンプ・ビズキットのスタンドパワーを流し込むしか無い。

 

「ホラホラァーッッッ、怖い顔をして。この世は天国よ、神父様。計画を失敗することばかりを考えないで、仲間を信用して協力することが大切だわ。私たちが力を合わせれば、乗り越えられない困難なんて、無いッッッ!!!」

「イエスッッッ!俺たちはずっと仲間だ。俺たちはアンタの忠実な部下だし、俺たちの間にはなんでも乗り越えられる絆が存在するッッッ!三人の信頼パワーで、非業の死を遂げたディオ様の敵討ちをしよう!」

【ヤメロッッッ!キサマラガ天国ヤ私ノ友人ヲ騙ルナッッッ!クソッッッ……。】

 

姉弟はホワイト・スネイクを左右から挟み込み、親しげにホワイト・スネイクの肩に手を置いた。

本当にふざけた奴らだ。彼らの言葉には嘘しかなく、彼らの言葉はプッチの神経を逆撫でする。そしてその裏には、ドス黒い殺意が渦巻いている。

エンリコ・プッチは長年の付き合いでそれを痛感させられていた。

 

ーークソッッ……確認ノタメトハイエ、コイツラニ会イニ来タノハ間違イダッタッッッ!!!

 

悪魔の囁きは人を堕落させ、破綻者の嘯きは人を破滅させる。

二人の破綻者は不安を自在に操り、プッチを破滅のレールに乗せようと嘲笑っていた。

しかし、そっちに進む先は奈落の底だ。エンリコ・プッチは今までの彼らとの付き合いでそれをよく理解している。

 

【計画ガ上手クイッテイナイコトハ認メヨウ。ダガ、オ前タチニ出番ハ来ナイ。】

「あら、すぐに来るわよ。」

「そうだぜ。アンタそんな簡単な事もわからないで、陰謀を完遂させられるとでも思ってんのか?」

【何ヲ……。】

「膵臓付近、右肩、左眼窩下。」

 

メイサ・レイナードはホワイト・スネイクを指差して、その言葉は今度こそエンリコ・プッチの心胆を寒からしめた。

見破られてしまっている。

 

「アンタ、敵に負けたんだろ。痛みを明確に庇ってる。歩き方に違和感があるぜ。本体が来ずに回りくどいやり方をしたのも、万全で無い今、スタンドを持っていても俺たちに殺されるって不安があったからだろう?」

 

ヴィエラ・レイナードの言葉が、用はここまでと去り行くホワイト・スネイクの心に突き刺さった。しかし、それは失策だった。

ホワイト・スネイクは、彼らの能力を見誤っていた。二人の破綻者は刑務所に最近唐突に現れた新顔が空条徐倫と時折接触を取っていることを知りながら、肚の中でほくそ笑んでいた。

 

プッチは理解していない。

実はプッチも彼らも、己の理想や欲望のために他者の存在を無視する同じ穴の狢(破綻者)だ。プッチの目的は、言うまでもなく先人が築き上げた社会を崩壊させる行為である。

 

彼らは社会を育めないから、同じ穴の狢同士であっても手を取り合えないのである。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

一方でサーレーは、エンポリオの音楽室で思考を重ねながらスピードワゴン財団の連絡を待っていた。

サーレーは思考が苦手だ。頭が痛くなる。サーレーは、策を練り彼らに指示を出すムーロロの偉大さを痛感していた。

 

現状手詰まりで敵の行動待ちのように思えるが、実はそうではない。一つだけ、敵を炙り出せる策が存在する。

それは捕らえたミラションに偽の承太郎のディスクを渡して解放して、ミラションへの黒幕の接触を待つという、いわば囮捜査だ。偽物はトラクターから入手した適当なスタンドのディスクを使えば良い。

 

しかし、この策には難点がある。ミラションの身の安全の保証が難しく、ディスクに恩義を感じているフー・ファイターズが恐らくはいい顔をしないのだ。敵のその全貌がわからない状況で、仲間割れは最悪の事態に繋がりうる。そのリスクを考えれば、この策は見送る他にない。

 

ーーどうする?ムーロロに電話して事件の黒幕を炙り出す知恵を拝借するべきか?

 

しかし、イタリアのパッショーネ側でも異変が起こっている。ムーロロは決して暇ではないだろう。

敵の目的も朧な現状、向こうの人間の予測に頼るのはあまり良い手立てだとは言えない。目的がわからない以上、敵の次の手の予測がつかないのだ。的外れな推測に頼ることは非常に危険である。こっちで起こることはこっちにいるサーレーたちがその場その場で柔軟に対応するしかない。

 

サーレー側は彼らの本拠地のイタリアで異変が起っていて、プッチ側は計画の要であるミューミューが失踪しスポーツ・マックスは存在が危険人物に漏れてしまっている。

サーレー側は黒幕の正体を掴みあぐね、プッチ側はプッチの暗躍のさらに裏で彼に敵対する得体の知れない天敵との遭遇を嫌っている。

サーレー側もプッチ側も手詰まりに近いにも関わらず、時間に追い立てられている状況だった。

 

そんなサーレーをよそに、携帯の着信音が鳴り響いた。

それはサーレーの見覚えの無い着信で、スピードワゴン財団からの接触だった。

 

『もしもし、パッショーネ所属のサーレーさんの携帯でよろしいですか?』

「ああ、アンタは財団の関係者か?」

『ええ。パッショーネからあなた方が承太郎氏の精神のようなものを取り返したという報告を受けて、連絡させていただきました。』

「ああ。それはディスクで、俺の手元にある。俺は今刑務所内で、承太郎さんの娘も所内にいる。」

『ええ、こちらでもそれは把握しています。そちらの状況をお伝え願えますか?』

「潜入を請け負った人員が負傷している。あまり無理をさせたくない。どうにかなるか?」

『……分かりました。明日どこか中庭などの空の開けた場所に出てください。回収はこちらで行います。……可能ですか?』

 

 

◼️◼️◼️

 

「15673……は違う。7の倍数だ。素数じゃあない。15677も……61の倍数だ。クソッッッ!!!!」

 

エンリコ・プッチは、自室で焦っていた。先程から爪を噛みすぎて、手からは血を垂れ流している。

 

「15679……は素数だ。15683は……。」

 

プッチの目的である天国へ行く手段、それの過程に必要な極罪を犯した三十六名の魂。

 

エンリコ・プッチはミューミューとの接触によって囚人の罪科の情報を得ており、ミューミューのジェイル・ハウス・ロックの協力は彼の最終目標への過程において必要不可欠なものだった。ミューミューとスポーツ・マックスは計画の最重要人物だった。

今現在、懲罰房に存在する極罪を犯した者は二十五名。それは、プッチの手駒であるはずのケンゾーとDアンGも含めた数である。プッチの部下のラング・ラングラーとレイナード姉弟(ラング・ラングラーもレイナード姉弟も部下とは言っても一切プッチに忠誠を誓っていないが)とスポーツ・マックスを含めても、二十九名。残念ながら、必要数に足りてない。

 

重警備刑務所と言っても、中に閉じ込められている囚人全員が殺人を犯しているわけではない。ホワイト・スネイクで殺人を犯した者の調査自体は可能だが、時間がかかる上に彼らを捕らえて懲罰房に閉じ込める権限をプッチは持ち合わせていない。重罪人にスタンドのディスクを与えて逃亡を唆しても、ミューミューがいない現状、刑務所側が敗北して罪人の逃走を許す可能性は高い。それどころか、プッチ自身がスタンドを与えた者に敗北する可能性すらも。

 

そして刑務所にはプッチの強力な敵対勢力が存在し、プッチはつい最近そいつらに手酷く敗北したばかりである。

スポーツ・マックスの存在は配下の危険人物にバレていて、早急に行動を起こすかリンプ・ビズキットのディスクを回収しないと危険な状況だ。そしてリンプ・ビズキットのディスクを回収しても、次にいつリンプ・ビズキットを操れるプッチに従順な部下が現れるか不透明だ。

 

ミューミューは失踪し、スポーツ・マックスは破綻者に付け狙われている。ミューミューとスポーツ・マックスの二人のスタンドさえ確保出来ていれば、プッチには一旦逃走してほとぼりが冷めた頃に他の刑務所で行動を起こすという選択肢も有り得た。

 

破綻者は不安を操り人間を追い詰め、判断を誤らせる。

レイナード姉弟と接触したプッチは二人にこれでもかと現状を突き付けられ、先に何が起きるかわからない道を選択してしまった。プッチにはつい先日ミューミューに引き続きミラションまでもが失踪したという不安もあった。

 

懲罰房棟には今現在、二十六名しか極罪人の魂が存在しない。増えた一名は、役目を終えたスポーツ・マックスである。

 

ミューミューとミラションの失踪を受けて、プッチは今朝方早急なスポーツ・マックスとの接触を行なった。それはプッチにとって、予定外のことだった。

本来ならば、プッチは三十六名が懲罰房棟に集まってから骨に生命を与える予定だったのだ。本来の予定よりも先倒しで生命を与えられてしまったディオの骨は、今朝方それを持て余したプッチによって懲罰房棟に放たれた。今現在懲罰房棟がどうなっているのかプッチにもわからない。魂が足りない骨がどういった行動を起こすのかも。

 

スポーツ・マックスについては、その役目を終えたために足りていない骨の定員数を少しでも満たすためにホワイト・スネイクが懲罰房に呼び出して捨て置いていた。リンプ・ビズキットは戦闘力がないために敵への刺客にはなり得ない、そう判断したプッチの苦し紛れの行為だった。

 

リンプ・ビズキットは死者を蘇らせるが、スタンド自体に戦闘力が存在しない。その真実は本体の死後も発動を続ける凶悪極まりないスタンドなのだが、それは本体のスポーツ・マックスが死なない限り判明しないことなのである。ゆえにプッチはそれを知らない。

 

リンプ・ビズキットというスタンドはゾンビを蘇らせることができるが、本体のスポーツ・マックスがやられてしまえばそれは何の意味もなさない。そして蘇ったゾンビは血と肉に飢えておりその標的は見境がなく、プッチが襲撃される可能性も十分に存在する。こんなスタンド、普通は使い道があるとは思えないのである。

 

敵に関する現状は、敵対勢力と繋がっている可能性が高い空条徐倫にラング・ラングラーを刺客として焚き付けたところだ。ラング・ラングラーはプッチに従順ではないが、二人の破綻者と比べれば圧倒的に扱い易い。

ラング・ラングラーが一人で勝利を収められるのなら、それに越したことはない。が、、、正直、あまり期待は出来ないだろう。ケンゾーとDアンGも骨への生贄に使ってしまった。プッチに残された手札はもう残り少ない。

 

プッチは手から流れる血を気にも止めずに、部屋を立ってうろつきながら必死に何が起こるかわからない先々の思考を行なった。

 

エンリコ・プッチは不安で先のことを考えるあまり、現状において一つ大切な可能性を見落としてしまっている。先のことに腐心しすぎる人間は、多くの場合目の前の現実に足下を掬われるのだ。

 

この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ。

地獄の門番であるミューミューの失踪は、地獄の釜の蓋を開けることだった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「太陽は、暖かい。レロレロ。」

【ハア、、、ハア、、、。赦さねえ、赦さねえ、赦さねえッッッ!!!ホワイト・スネイクッッッッ!!!俺をこんな目に合わせやがって!!!絶対に赦さねえぞッッッ!!!闇より、、、、生まれし、、、リンプ・ビズキット、、、。ホワイト・スネイクを、噛み殺せッッッ、、!】

 

 

◼️◼️◼️

 

「ふーん、じゃあ私が、ディスクを持って中庭に向かえばいいの?」

「ああ、お前に任せたい。先方に確認を取った結果、承太郎さんの娘であるお前の顔は知っているとのことだ。」

 

サーレーがスピードワゴン財団と連絡を取った結果、ディスクはなんらかの手段で財団側が刑務所の中庭から回収するとの返答をもらっていた。そしてサーレーは刑務所の囚人ではないためにチェックを行う中庭への経路を通過することができず、それを正式な囚人である空条徐倫に任せる運びとなっていた。

 

今現在は刑務所の休憩時間であり、サーレーは運動場のベンチの前で徐倫と接触を行なっている。サーレーの顔はすでに黒幕に割れており敵に襲撃される可能性も存在したが、敵が襲撃してくる危機は同時に敵を倒す好機でもある。制限時間が不透明な現在、サーレーは事態を動かすためにリスクを飲み込むという判断を下していた。

 

「わかったわ。任せてちょうだい。」

 

サーレーは懐から承太郎のディスクを取り出して、徐倫に手渡そうとした。

 

「危ない!サーレー!」

 

その瞬間に徐倫が何かに反応し、サーレーを突き飛ばした。サーレーはとっさの徐倫の言葉に反応し、急いでクラフト・ワークで自身の防御を行なった。サーレーは衝撃を受けることを覚悟した。

ネチョッ。

 

「なんだ、コリャ?」

「あ、ゴメン……。」

 

サーレーは何かが付いた頭部に触れた。……なんかネバネバしてる、変な液体。なにこれ?

サーレーは何となくそれの匂いを嗅いだ。クンクン、臭い。

 

「クセエッッッ!これ、ツバじゃあねえか!徐倫、テメエなんのために俺を突き飛ばしたんだ!」

「いや、なんか、ホント、ゴメン。なんか飛んできたから危ないと思ってとっさに……。」

 

徐倫は、可愛く舌を出した。

それはラング・ラングラーが能力を発動するために飛ばしたツバであり、本来ならば徐倫のズボンについていたはずのものだ。徐倫はとっさにサーレーを突き飛ばし、彼女のズボンにそれが付くのを防いでいた。

 

「誰だ!俺にツバを飛ばした奴は!」

「なんか四つん這いの変な奴。あっちに走って逃げてったよ?」

「ヤロウ!誰にツバを飛ばしたか思い知らせてやる!十倍返しにしてやる!」

「……それって相手に十回ツバを吐きかけるってこと?」

 

徐倫が呆れながらラング・ラングラーが逃げた方向を指差し、サーレーはツバを吐いた相手を走って追いかけた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ーーなんだこれはッッッ!?剥がれないッッッ!

 

接近戦が苦手で嵌め手で相手を絡め殺すラング・ラングラーは、ツバを吐いた後能力が効果を発揮する時間を稼ぐために逃走を試みていた。

しかし、どうにもおかしい。ラング・ラングラーの逃走する先の扉が頻繁に開かないという事態に陥っている。挙句に足には何やら強靭な糸が纏わり付いており、それは硬くて引きちぎれない。重力を奪ったはずの相手はなぜか平気で走って追いかけて来ている。敵にスタンドで金属片を打ち出しても、そのことごとくを無傷で弾き返されてしまう。

 

ーークソッッッ、ここも開かない!なぜだ!?

 

ラング・ラングラーは迫り来るサーレーから逃げるために扉に手を掛けるが、やはりそこも開かない。

サーレーは敵の逃走経路を予測して、敵が逃走に用いるであろう扉を先回りして固定して開かないようにしていた。

 

そして徐倫は密かに床に近い位置に糸を貼り、サーレーが伸ばした糸に固定のスタンドパワーを流し込んでそれは触れれば相手を捕縛する罠と化していた。徐倫の糸の一部にでも触れていれば、サーレーはそこからスタンドエネルギーを流し込んで固定の能力を伝えることができる。ストーン・フリーの本体は、糸の大部分を束ねていれば動くことが可能だった。

徐倫のストーン・フリーとサーレーのクラフト・ワークは、驚異的なまでにスタンドの相性が良かった。チンピラとヤンキーは、相性抜群だった。

 

「もう逃げられねえぜ。」

「この技、使えるわね。」

 

ラング・ラングラーは部屋の中央でサーレーと徐倫に挟撃されてしまっている。

徐倫がラング・ラングラーの足に纏わりつく強靭な糸を引っ張り、ラング・ラングラーはそれに足を取られて床に滑ってスッ転んだ。

 

「喰らいやがれッッッ、クソ野郎がッッッ!!!」

 

ーーダメだ、やられる!

 

サーレーが走って向かってきて、近接戦が苦手なラング・ラングラーは敗北を覚悟した。

 

「ペッ、ペッ、ペッ、ペッ。」

「……真面目にやりなさいよ。アンタなんかソイツにスタンド攻撃受けたんでしょう?」

 

サーレーがラング・ラングラーにツバを飛ばし、徐倫はサーレーの行動に呆れ返った。

 

「やられたら、やり返すッッッ!舐められるわけにはいかねえッッッ!」

 

ーーなんなんだ、コイツらは!?……臭い。

 

ラング・ラングラーはサーレーの不可思議な行動に困惑した。

サーレーがラング・ラングラーに振り向いた。

 

「オイ、テメエ。さっさと俺にかけたこの妙ちきりんなスタンド能力を解きやがれ!それでなかったことにしてやる!」

「ちょっと対応が温くない?コイツ、敵よ?」

 

徐倫がサーレーの対応のぬるさに疑問を感じて問いかけた。

 

「ミューミューやミラションが何も知らされてない以上、どうせコイツも敵の正体や目的を知らされていない使い捨ての末端だ。黒幕にいいように操られている都合のいい駒でしかないだろう。シャバでコイツが何をしでかしたのか知らねえが、刑務所にいる以上は大勢の合意と現行の法の下に罪科を真っ当に償わせようってことだろう。なら俺にそれに異論を挟む余地はねえ。」

「……まあそうね。」

「オイ、テメエ、いいな?一度だけ見逃してやる。次に逆らったら容赦しねえ。わかったか!」

 

サーレーがラング・ラングラーに宣言し、床に倒れたラング・ラングラーは何か少し考え込んだ。

考えた末に一つの結論を出し、ラング・ラングラーは口を開いた。

 

「……ホワイト・スネイクは天国とやらを目指している。俺を見逃すというのなら、その分の見返りの情報だ。」

「「天国ゥ!?」」

 

胡乱な言葉が出てきた。天国を目指すとは、どういった意味なのだろうか?

 

「……俺にもそれが何なのかはわからない。だが以前、ホワイト・スネイクがうっかり口を滑らせたのを覚えている。」

 

ラング・ラングラーはホワイト・スネイクに一切忠誠を誓っていない。知っていることをバラしてしまってもラング・ラングラーは困らない。ホワイト・スネイクの人格から鑑みるに、どうせロクな目的ではないだろう。

逆らったところで本人が痛い目を見るだけだ。馬鹿げている。

ラング・ラングラーはサーレーに彼が知っている情報を伝えた。

 

「成る程な……。」

「サーレー、何かわかったの?」

 

サーレーがしばし考え込み、何やら納得したように頷いた。

 

「敵の目的が判明した。奴は十億円を狙っている。」

「十億円!?どこから出てきたの!?」

「なんだと!?それは本当なのか?」

 

徐倫に加え、ラング・ラングラーまでもがサーレーの唐突な推測に驚愕した。

 

「ああ、間違いねえ。恐らくは奴は、死んだディオという男の隠し財産を狙っているのだろう。きっとそれは十億円くらいあるはずだ。奴はそれで豪勢に暮らし、札束風呂のような天国のごとき生活をおくろうって魂胆だ。」

「……マジで?」

 

徐倫が疑わしそうな目付きでサーレーを見た。

 

「ああ、大マジだ。だが十億円は、絶対に渡さねえッッッ!」

「……まあ、いいか。とりあえずアンタ、もうホワイト・スネイクに協力するのはやめなさい。天国が何なのか知らないけど、どうせアンタにとってロクなことにならないわよ。」

 

徐倫がラング・ラングラーに宣言した。

 

「いいだろう。……どうにも俺では役者不足のようだ。俺の能力はそっちの男には大して効いてないみたいだし、敵わない相手に逆らって痛い目を見るのも馬鹿げている。ホワイト・スネイクに従う義理もない。」

 

ラング・ラングラーはそれだけ告げると、男囚の監房へと戻って行った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

本体

ラング・ラングラー

スタンド

ジャンピング・ジャック・フラッシュ

概要

ツバを飛ばし、それに触れた人間の重力を奪う。サーレーはクラフト・ワークで足を地面に固定して、敵を追いかけた。



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石作りの地獄 その1

【闇より、、、生まれし、、、リンプ・ビズキット、、、。恨みを、、、破滅をッッッ、、、。渇く、、、渇くぞッッッ、、、。ホワイト・スネイクッ、、、!!!】

 

なぜ、こんなことになってしまったのだろう?

ディオの骨とリンプ・ビズキットの能力が、一体どんな理不尽な反応を起こしてしまったというのか?

 

ディオの骨は懲罰房棟で囚人を喰い漁り、スポーツ・マックスの怨念が骨が喰らった死体をゾンビ化させる。

ディオの骨はゾンビになった魂を吸収できずに、空腹を紛らわすためになおも暴れ狂う。足りない、全然足りてない。空腹が癒されない、、、。

 

そこにどのような反応が起こったのか詳細は誰にもわからない。

魂などという人に不可視なものに何が起こったかなど、誰にもわかるはずがないのである。

結果だけを言ってしまえば、魂はリンプ・ビズキットの能力が優先され、その一切をディオの骨は吸収できなかった。骨は空腹を我慢できずに生命を求めて懲罰房棟を離れ刑務所の本館へと向かっていき、亡者の行進も同様に血と肉を求めて現世を彷徨う。

スポーツ・マックスのゾンビはホワイト・スネイクの本体を求めて刑務所の本館に向けて亡者を先導し、目に見えない悪鬼の群れはすでに刑務所を取り囲んでいた。

 

【破滅を、、、。ホワイト・スネイクに、、、。死を、、、。】

 

スポーツ・マックスはホワイト・スネイクの本体を知らない。だが別にどうだって構わない。ちょうど喉も渇いていたところだ。

刑務所にいる人間を空腹を癒しがてら全滅させれば、そのどいつかはホワイト・スネイクの本体だろう。それでスポーツ・マックスの復讐は達成される。

 

骨は極罪を犯した魂を求めて刑務所の人間を喰らい続け、悪鬼の行進も渇きを癒すために生きてる人間をその食料とする。

骨はいつまで経っても空腹が癒されず刑務所を彷徨い続け、魂は骨の餌にならずに不可視の亡者の行進に加わることとなる。

 

誰も知らないところで、事態は最悪の展開へと向かっていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

エルメェス・コステロは困惑し、心にはぽっかりと空虚な穴が開いていた。

彼女は与えられた自室で夜も眠れずに、ボンヤリと天井を見上げていた。

 

ーーあたしのしたことは、一体なんだったんだ?

 

彼女がグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所に服役しているのは、姉のグロリア・コステロの仇を討つためであった。

姉の仇の名はスポーツ・マックス。スポーツ・マックスはエルメェスの姉を不当に死に至らしめ、彼女はその復讐のために犯罪を犯して刑務所に入所していた。

彼女はスポーツ・マックスの行動をつぶさに観察し、何者かによって与えられたキッスという超常の力によってその復讐を成し遂げようと計画を立てた、その矢先だった。

 

スポーツ・マックスが突然失踪した。

エルメェスは大慌てで憎い仇の行方を捜し、秘密裏に危険を犯して医務室や懲罰房棟の調査も行っていた。

しかし生きているスポーツ・マックスは、すでにこの世のどこにもいなかった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ヴィヴァーノ・ウェストウッドは、グリーン・ドルフィン・ストリートの看守である。

ウェストウッドはその日、刑務所の夜間警備を任されていた。

 

ーー警戒する必要があるのは理解できるが……それにしても退屈だ……。

 

ウェストウッドはあくびを噛み堪えた。

ウェストウッドはその日、懐中電灯と短機関銃を持って刑務所の夜間の見回りを行なっていた。彼の同僚のソニー・リキールと二人一組でだ。

ここ最近刑務所内でおかしな事が立て続けに起こり、所の警備レベルは引き上げられている。そのために、普段よりも夜間の見回りを厳重に行うようにと上からの通達が来ていた。

 

中庭で何人もの囚人が行方を眩まし、彼の上司である看守長のミュッチャー・ミューラーまでもがその姿を消した。

確かに、明らかに異常だ。異常だが、彼にはこの厳重警備のグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所で何かが起こるとも思えなかった。

来週は姪の誕生日だ。その日には家に帰れるといいが……。現状の警戒体制が解かれない限りは不可能だろう。

 

「おい、今物音がしなかったか?」

 

ソニーが、ウェストウッドに問いかけた。

確かにウェストウッドにも物音がしたように思えた。そっちは囚人が農作業を行う農場へと繋がる通路だ。こんな夜間に、刑務所の農場に人がいるわけが無い。風もないのに鉄格子がガタつくはずがないだろう。

 

「……気のせいだろ。」

「だがもしかしたら、失踪したミューラー看守長かもしれないだろう?」

「仕方ないな。一応見回るか。」

 

確かに明らかに物音がする。おかしい。なぜこんな時間に?

 

「オイ!どういう事だ!なぜこんなことになっている!」

 

ソニーが大声を上げた。当然のことだ。

農場へと向かう鉄格子はひん曲がり、何者かが外から侵入した形跡が見られる。

 

……何が起こっている?このグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所で一体何が起こっているんだ?

ウェストウッドが寝ている同僚を叩き起こそうと目を一瞬逸らした隙に、彼と一緒に見回りを行なっていたソニーは居なくなっていた。

 

「オイ、なんの冗談だ?どこに行った?」

 

ウェストウッドが短機関銃を構え、彼の頭部が背後から突如何者かに囓られる。

ウェストウッドは痛みを堪え、刑務所で何が起こっているのか判別しようと試みた。

 

「夜は寒い。光をちょうだい。もっと、もっと、光を。ああぁぁぁ。」

【闇より生まれしリンプ・ビズキット、、、闇より、、、生まれよ、、、。恨みを、、、憎しみを、、、怒りをッッッ、、、絶望をッッッ、、、知らしめろッッッ!】

 

ーーなんなんだ、コレは?所内で一体何が起こってるんだ?俺は姪の誕生日に……家に……帰るんだ……。

 

ソニーが得体の知れない植物へとその姿を変え、直後にその姿を崩して消滅した。

それが、生きているウェストウッドが最期に見た光景だった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

風もないのに、窓がガタついた。

エンリコ・プッチは驚いて椅子から立ち上がり、そっちの方を見やった。しかし、何も無い。きっと彼の気のせいだ。彼は今神経質になっている。

エンリコ・プッチは刑務所敷地内に存在する懺悔室の近くに建てられた自室で、燃え盛る暖炉に目を戻した。

 

ーーディオの骨は今どうなっている……天国への道は開かれたのか……?懲罰房に今一度確認に向かうべきか……?ラング・ラングラーからは何も報告がない……。クソッッッ!!!

 

プッチは椅子に座って貧乏ゆすりをしている。

彼に一切の余裕はなく、素数を数える暇さえない。

 

敵はどうなった?本当に骨は受肉したのか?このまま天国への道は閉ざされてしまうのではないか?破綻者でも形振り構わずに使うべきだったのではないか?

 

プッチは計算高い人間で、狩る側だと滅法強いが狩られる側だと決して強くない。

と言うよりも、そもそも陰謀とはそのほとんどが紙一重で、計算外のことが起きれば容易く砂上の楼閣のように崩れ去るのである。陰謀とは後ろ暗いものであり、大多数の人間には受け入れがたいものなのだから。明るみに出てしまえば、寄ってたかって潰されるのが必定である。

 

そのために、本来陰謀を遂行する人間とは同じ目的を持つ同士と徒党を組み、成功率を極力高める。

しかし、社会を築けないプッチは孤独だ。利をチラつかせてその場限りの手駒は手にすることができるが、根本のところでは一人で陰謀を遂行するしか無い。

 

プッチはあくまでも自分の強みを最大限生かすことが得意な人間なのであって、決して弱点の無い強者ではないのである。社会を築けないということは、全ての行為を独自の知見と実力に頼り切って乗り切るしかないということだ。個人の思考には限界があり、どうやっても穴ができる。計画に瑕疵が生じても、誰も指摘してくれない。

 

リンプ・ビズキットの能力を把握し損なったこともミューミューの弱点に気づかなかったことも、元を辿れば全てはプッチの孤独という弱点から生じたものなのである。

 

不安がプッチの心をかき混ぜ、プッチは緊張が過ぎて体が硬直して自室から動けない。今現在の状況がどうなっているのか、彼にも全くわからない。

彼の脳内は現状で起こりうることを必死にシミュレートしていて、スポーツ・マックスを骨の生贄に捧げたこともすでに忘却の彼方へと消え去ってしまっている。

 

ーー落ち着け、私。落ち着け。今一度素数を数えるのだ。落ち着け。私にやれるだけはやったハズだ。、、、まだ動くべきではない。ディオの骨はまだ魂を集めている最中かもしれない。我慢しろ、私。待てばきっと、天国への道は開かれるッッッ!

 

エンリコ・プッチは知らない。開いたのは天国への扉ではなく、地獄の門だった。

今なお骨はエネルギーを求めて刑務所内を彷徨い、不可視の亡者の群れはプッチが目をやった窓の外にすでにひしめき合っている。

 

ーーどうしたというのだッッッ!

 

突然大きな音が室内に響き、驚いたプッチは慌てて振り返る。しかしそこには誰もいない。

プッチの個室の窓枠が壊れて床に打ち捨てられ、プッチは訝しんだ。

 

【闇より生まれた、、、リンプ、、、ビズキット、、、生きているもの、、、その全てを、、、喰い殺せ、、、。】

「ウガアアッッッッ!!!」

 

一体何が起きている?

プッチが突如痛みを感じ右肩に目をやると、そこには人間のものらしき歯型がついている。不可視の力がプッチの腕を掴み、右肩の痛みはなおも増してそれはどんどん骨に喰い込んでくる。

 

「ホワイト・スネイクッッッ!」

 

プッチがスタンドを具現して拳を振り回すと、何か生物を破壊した手応えが返って来た。

プッチは冷や汗を流して周囲を見回した。思い当たることは一つしかない。

 

ーー今のは……まさか……スポーツ・マックスが懲罰房で人間にリンプ・ビズキットを発動したのか?

 

エンリコ・プッチは己の失態に、顔が真っ青になっていた。

リンプ・ビズキットが今現在も優先して発動しているということは、まさか骨が魂を吸収できなかったのか?何という失態だ!

 

スポーツ・マックスのリンプ・ビズキットは、それそのものの攻撃能力自体は存在しないから失念していた。役目を終えて使い道の無くなったスポーツ・マックスを骨への生贄に捧げた結果がコレだ。

エンリコ・プッチはリンプ・ビズキットの危険性を正しく把握していなかったと言えるだろう。もしもそれを正しく把握していたのならば、必ずスタンドの使用後はスポーツ・マックスからディスクを回収していたはずである。リンプ・ビズキットとは、本来それほどまでに厳重扱いを要するスタンドなのである。

 

プッチはスポーツ・マックスが生きてスタンドを発動させていると思い込んでいる。死後も発動し続けるスタンドがこの世に存在するとは夢にも思っていなかった。リンプ・ビズキットというスタンドは、本体のスポーツ・マックスが死亡して初めてその危険性が判明するのである。

 

ミシ、ミシ、ミシ……。

 

ーーこ、コレは……。

 

部屋の床が軋む音がして、エンリコ・プッチは辺りを見渡した。

そこには見た目には誰もいない。しかし、彼はすでに亡者の群れに囲まれている。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

エルメェス・コステロは自室で驚いて、周囲を警戒した。

薄暗いそこにはぱっと見には何も存在しない。しかし何かがいる。

夜間になると彼女たち囚人は、二人組の相部屋に閉じ込められて外から鉄格子の錠をかけられる。

 

「なにー、どうかしたの?」

 

相部屋の女囚が目を覚ました。当たり前だ。

たった今、エルメェスの相部屋の鉄格子がもの凄い音を立ててすっ飛んで行ったのだ。目を覚まさないはずがない。

 

「……何かがいる。」

「何かって何よ?死刑になった罪人の亡霊?そんなものいるのォ?」

「あたしにも分かんねぇ。だがたった今、鉄格子がぶっ壊された。」

「えーそんなはず無いでしょう。鉄格子が簡単に壊れるなら、脱走し放題じゃない。」

「ヤメロッッッ!そっちに近づくなぁぁぁーーーッッッッ!!!」

 

エルメェスの制止を気にも止めずに女囚は入り口に近付き、彼女の首の肉は即座に頸動脈ごとちぎり取られた。

エルメェスの相部屋に、赤い噴水が飛び散った。

 

「何だ、一体!?何が起こってるんだ!?徐倫ッッッ!!!」

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは夜間に物音がして、目を覚ました。彼はここのところ神経過敏になっている。

首謀者をなかなか探し当てることができず、撃破できるのは何も知らされていない末端ばかり。

にも関わらず、大切な本拠地のイタリアでは異変が起こっている。

 

ーー……喉が渇いた。

 

サーレーは物音の確認ついでに、刑務所内から何か飲料を失敬しようとエンポリオの音楽室の出口へと向かった。

 

ーー何だ、コレは?

 

音楽室の出口付近に、何か変なものが落ちている。サーレーはそれを拾ってみた。それはくすんだ灰色をしていた。

 

ーーうッッッ!

 

それを拾った途端、サーレーは何やら得体の知れないものがサーレーの体内に侵入しようとするのを感じ取り、クラフト・ワークで急いで自身の内部を固定して防御した。それはサーレーの手を離れて勝手に刑務所内へと戻っていく。

 

ーー何だ、今のは!?一体、何だったんだ!?

 

サーレーは音楽室から外へ顔を出した。

所内からは悲鳴が響き、サーレーは声がした方の様子を探りに向かった。

 

「アアアアアアアッッッッッッ!!!助けてッッッ!!!」

「痛い痛い痛いきゃあああああッッッ!!!」

「撃てっっ!!!撃てえええッッッ!!!」

「ああああッッッ!!!」

 

そこには、予想外の阿鼻叫喚が広がっていた。

夜間にも関わらず所内は明かりが灯されていた。囚人や看守たちは不可視の亡者に噛みちぎられ、生きている人間は痛みを感じて悲鳴を上げて逃げ惑っていた。刑務所の壁に生々しく血が飛び散り、生者は倒れて新しく亡者の行進に加わることになる。刑務所内の亡者は、鼠算的に増殖していった。

サーレーは慌てて音楽室に帰還した。

 

「起きろッッッ!!!」

「何だ、一体どうしたんだ?」

 

サーレーの大声に、アナスイが眠気まなこを擦った。

今ここにいるのはエンポリオ、ズッケェロ、ミューミュー、アナスイ、ミラション、それにサーレー。

アナスイ以外の人間も続々と目を覚ましている。

 

「所内で異常が起こっている!!!非常事態だ!!!お前は急いでウェザーをここに連れてこい!ズッケェロ、無理を承知で言うがお前は万が一の時のここの防衛要員だ!俺は徐倫たちの安全の確保に向かう!」

「どうしたんですか?」

 

サーレーのあまりの剣幕に、ミューミューが怯えながら尋ねた。

 

「見えざる敵がいるッッッ!俺にも何が起きているのかわからねえッッッ!アナスイ、急げッッッ!」

 

今現在、エンポリオのバーニング・ダウン・ザ・ハウスは男性用監房と女性用監房の中間地点に展開している。

異常事態に対応するには、戦力を集めて仲間内で守り合うしかない。

 

サーレーは即時に指示を出し、急いで女囚の監房に徐倫、エルメェス、フー・ファイターズの身柄の確保へと向かった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ーーなんということだッッッ!私は、なんて愚かなミスを……。

 

エンリコ・プッチは身体の各所に亡者の歯型を付けて、血を流しながら所内の廊下を走っていた。

また何者かがプッチのくるぶしを掴み、左足の太腿に喰らい付いた。ホワイト・スネイクが拳を振るい、亡者たちは消滅していった。

エンリコ・プッチは恐れている。今現在、どれだけの亡者が所内にいるのか見当も付かない。刑務所には看守も含めて千三百名弱の人間がいたはずなのだが?亡者は亡者を創り出し、早急に対応を行わないと天国どころの話ではなくなる。もはや刑務所内は、絶望的だ。

絶望的にも関わらず、未だにプッチは天国を諦められない。

 

エンリコ・プッチは、スポーツ・マックスのリンプ・ビズキットの恐ろしさを侮っていた。もはや不必要で徐倫たちに対する刺客に出来るだけの戦力もないと捨て置かずに、ディスクを回収するべきだった。まさかこんな厄介な事態になろうとは。

 

リンプ・ビズキットは本体の死後も発動し続け、延々と亡者を生み出し続ける。ディオの骨もそれに一役買い、その被害は早期に手を打たないと止まるところを知らない。被害者は加速度的に数を増やし、本体のスポーツ・マックスのゾンビは行方が分からない。プッチにはスポーツ・マックスが亡者になってスタンドを発動させ続けていることを知る由もない。リンプ・ビズキットの射程次第だが、もしかしたらその被害はアメリカ全土に広がるのかもしれない。現状は考えうる最悪の事態と言えた。

 

ーークソッッッ、クソッッッ、クソッッッ!台無しだ!何もかもが!何もかもが台無しにされた!クソがッッッ!!!

 

エンリコ・プッチが苛立ち交じりに男囚の監房へと駆け抜けていく。そこがプッチの目的地だった。

 

「ハロー、神父様。やっときたか。待っていたぜ。ま、ハローって時間帯じゃあねえけどな。」

 

エンリコ・プッチは僅かに安堵した。

破綻者の片割れ、ヴィエラ・レイナードだ。まだ生きていた。男囚の監房の上のベッドに寝そべっている。入り口の鉄格子が亡者に壊されているのに、よく無事でいられたものだ。

現状の最悪の事態に対抗するためには、少しでも多くの戦力が必要だ。役目が終わったら、隙をついて消してしまえばいい。

 

しかしエンリコ・プッチのその思考は、彼にとって都合のいい妄想に過ぎない。そいつは易々と消されるような人間ではなかった。

プッチにもそれはわかっていたが、天国に対するプッチの執着心が彼の目を曇らせる。

 

「……貴様、それは……。」

「仕方ないだろう。非常事態なんだぜ?こんくらいしねーとスタンドもねえ俺は生き残れないだろ?」

 

エンリコ・プッチはヴィエラの所業に絶句した。

彼は右手に何かを持っていて、新鮮なそれは滴っている。

彼はそれを不可視の亡者の群れに投げ込み、肉と血を求める亡者たちはそれに群がった。

 

「んで、ここに来たってことは、俺にスタンドを返してくれるんだろう?」

 

ヴィエラはベッドの上段から飛び降りて、プッチに近寄った。

 

「そ……れは……。」

 

エンリコ・プッチはことここに至ってもヴィエラにスタンドを返してしまっていいものか悩んでいる。

同室の囚人をあんな目に合わせる人間にスタンドを返してしまってもいいものなのか?今が切り札を切るべき最悪の事態では無いのか?まだ返すべきではないのではないか?

しかしプッチには、他に現状を打破する手立てが思い付かない。

 

「おいおい、見損なうなよ。俺だって心苦しいんだぜ?死にたかあないし、こんな状況じゃあ一緒に暮らしてきた奴を囮にするくらいしか生き延びる方法が無かったんだよ。緊急避難だよ。なあ、神父様。ここは協力して危機を乗り切るしか方法がねえだろ?」

 

エンリコ・プッチは震える手で懐に手を入れて、ヴィエラのスタンドのディスクに触れた。

それはプッチにはとてつもなく重く感じられる。

 

ーー本当に、こいつらにこれを返してしまって良いのか?恐怖に駆られてここに来てしまったが、ほかに何か手段は……。

 

エンリコ・プッチは迷い、目が泳いだ。

 

「アンタってほんと、マヌケだよな。」

「キサ……。」

 

ヴィエラはプッチの葛藤を見抜き、隙をついてプッチの懐に手を入れて勝手にディスクを掠め取った。

次の瞬間、ホワイト・スネイクの腹部には黒鉄の腕が突き刺さっていた。

 

「グ……ァ…………。」

「さ、ホラ。死にたくなかったら早く姉ちゃんのスタンドのディスクも出しな。ホラ、早くしないと死んじまうだろ?」

「キ……サ……マ……。」

 

ーー私以外だったら手に余るだろうね。

 

ヴィエラのスタンドがプッチの首元を掴み上げた。

エンリコ・プッチは次の瞬間、友人(ディオ)のかつての言葉の意味を理解した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「アナスイ、これは一体何が起こっている?」

「オレにもわからねえよッッッ!」

 

アナスイが大声で叫んだ。

亡者一体一体はさほど強くない。ダイバー・ダウンやウェザー・リポートといったパワーのあるスタンドであれば処分が可能だ。

 

問題は、災害が止まるところを知らずに拡大し、その全部の敵が不可視であるところにあった。

見えざる敵の存在を感じ取ったウェザーは周囲に強風の壁を作り出し、亡者の監房への侵入を防いでいた。アナスイのダイバー・ダウンが床下を潜行して、ウェザーの監房の前にいる亡者を攻撃して消滅させている。

アナスイにとって幸運だったのは、サーレーの行動が早く、彼がウェザーとの合流を命令された時にはまだ他に生きている男囚が存在したことだった。他に男囚が生存している間は、亡者の攻撃は分散される。

 

「とにかくエンポリオんトコに合流だ!力を合わせて、現状に対処する!」

「了解した。」

「お、おい!あれ!」

 

その時、刑務所の廊下でアナスイは彼らと目が合った。

金髪の高身長の男性が、刑務所の教誨師の神父の襟首を掴んで所内を引きずっている。引きずる跡には、血が床にこびり付いていた。

 

「……非常事態だ。今は他人よりも仲間との合流を最優先にするぞ。」

「あ、ああ。」

 

幸か不幸か、彼らはその場では激突しなかった。

ウェザーとアナスイは彼らが探している敵だと知らずにエンポリオの下へと急ぎ、破綻者は己の姉の身柄の確保を優先した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

クラフト・ワークのスタンドパワーがサーレーの体内に流れ込み、集中したサーレーの体は鋼鉄と化していた。

サーレーは女囚用の監房へと到着している。

 

生きているサーレーに亡者が群がり、近場のキッスとストーン・フリーがサーレーに歯型の跡が付いた位置に拳を振るって亡者を次々に消滅させた。

 

「なんなんだ?一体、何が起こっている?」

「……俺にも何が起こっているのかサッパリわからない。もしかしたら敵は、これが目的だったのかも知れない。」

 

エルメェスが問いかけて、サーレーがそれに返答した。

所内で何が起こっているのか、敵が何をしたいのか、サーレーにはさっぱり理解ができない。

もしかしたら敵は目的を諦めて逃亡しているのかもしれないし、このドサクサでなんらかの目的を達成しているのかもしれない。

まさか敵にも予想外の事態が起きたとは、サーレーには想像もつかなかった。

 

サーレーが合流したのは、徐倫、エルメェス、フー・ファイターズ、それにグェスと名乗る徐倫と同室の女囚だった。

 

「これからどうするのッッッ?」

「一旦エンポリオの音楽室で合流する。そこに戦力を集めて拠点にする。その後のことは、現状を乗り切ってからだ。」

「了解。」

 

防御力の高いサーレーを先頭に、彼らはエンポリオの音楽室に向かっていた。

クラフト・ワークに亡者の攻撃が集中すれば、彼らは比較的楽に抜けられる。

 

「待って下さい!」

「アン?」

 

誰かが声をかけて、サーレーは振り返った。

 

「助けてください!ここで今何が起こってるんですか?みんな、、、殺されて、、、。私も、、、私も連れて行って下さい!」

 

女囚の監房から一人の女性が走ってきた。女囚はサーレーに縋り付いた。体が震えている。

サーレーの好みの、蠱惑的な女囚だった。

 

「ホラ、この非常事態に鼻の下を伸ばさない。さっさと行くぞ!」

 

エルメェスがサーレーを叱咤した。

 

「ああ。アンタ、俺たちに着いてくるのは勝手だが、俺たちはアンタの身の安全の保証は出来ない。俺たちにも何が起こっているのかわからない。それでもいいなら勝手に着いてこい。」

「……ハイ。」

 

サーレーは女囚にそれだけ告げると、六人はエンポリオの音楽室へと向かって走っていった。

サーレーは一瞬違和感を感じていたが、エルメェスの叱咤によりそれを思考の隅に追いやっていた。

 

女囚の監房は男囚の監房よりも亡者の襲来が早く、本来であれば女囚の生き残りがいるのはおかしい。

サーレーは事態の切迫のあまり、非力なはずの女囚がどうやって亡者の襲来を防いでいたのかを考え損なっていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ミュッチャー・ミューラーは、エンポリオの音楽室で心の底から後悔していた。

 

所内では得体の知れない見えざる敵が徘徊し、生きている者のその尽くを喰らっている。すでに生きているものはほとんどいないだろう。彼女は見えざる亡者が生者に喰らいつく様を、直に目の当たりにしてしまった。

ホワイト・スネイクの目的に興味を持たずに、金銭目的で言いなりになった挙句が刑務所のこの惨状だ。

 

ミューミューは音楽室から顔を出し、所内で何が起こっているかの大まかを把握していた。

ミューミューは、心の底から震えている。

床や壁に飛び散る赤が非常に目に痛く、現実感を持って彼女がそれらの片棒を担がされたのだと嫌でも理解させられた。自身のスタンドが刑務所を制する無敵のスタンドだと酔い痴れている間は、それは彼女に罪状の在り処を問わない。

 

無敵のスタンドなんて、存在しない。

ミューミューのスタンドが刑務所で今まで無敵だったのは、囚人たちが互いに信用せず手を組めずに、誰も自分から危険な囮をやりたがらないという、ただそれだけの理由だったのである。

ゆえに戦術を組みより強固な社会を育む敵が現れれば、彼女が敗北するのは必然だった。

ミューミューもプッチも、そこを図り違えていたのだ。

 

所内に侵入した不審者たちに言い訳のしようもなくあっさり敗北したために彼女の幼稚な万能感は消え去り、巨大な死の恐怖と罪悪感が津波のように彼女を襲っている。

 

酔いは、いつかは覚めるものだ。酔いが覚めて現実と相対してしまえば、彼女に残されたのは同胞の殺害に加担してしまったという罪悪感だけであった。ミューミューは、大量虐殺の片棒を担がされた。

ミューミューは、震えていた。

 

ーー私が間違えていました。ごめんなさい……。助けて下さい……死にたくない……。

 

ミュッチャー・ミューラーは昨日まで生きていた所内の同僚や囚人たちが全滅したことを理解して、懺悔した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ヒュウ、さすがは姉ちゃん。」

 

ヴィエラ・レイナードは口笛を吹いた。刑務所はすでに静まり返っていて、生きている者がいれば嫌でも目に付く。動くものはたくさんいるが、それは不可視で生きているものでは無い。

ヴィエラは女囚の監房に向かう途中で足音を聞きつけ、物陰に隠れていた。プッチはすでに気絶して、横に寝かせてある。

 

女囚用の監房の方向から六人組が歩いてきていた。先頭が男性で、残りが女性だ。その中に彼の姉、メイサが混じっていた。

彼の姉、メイサ・レイナードは敵の集団に亡者に襲われた被害者としてまぎれこみ、敵の拠点へと向かっていた。このままヴィエラも隠れて彼らの後をついて行けば、敵の拠点へと辿り着くって寸法だ。

 

すでに所内に彼ら以外に生存しているものはほとんどいない。亡者は不可視で看守はその対応に手も足も出ず、銃火器を持ち出しても同士討ちになっただけであった。ほとんどのものが寝静まる夜間の急襲であったために、刑務所側はエマージェンシー警報もアメリカ政府に知らせることが出来なかった。

海に浮かぶ刑務所は、見えざる亡者が跋扈する孤立した地獄と化してしまっている。

 

ここから先は、レイナード姉弟にとっての極楽が待っている。ヴィエラ・レイナードのスタンドにとっては、亡者はなんら脅威では無い。

ヴィエラはプッチを締め上げて、姉のメイサのスタンドのディスクも取り返していた。

 

プッチの計画を台無しにしよう。プッチの計画に敵対するものもついでに片付けよう。せっかく自由の翼を手に入れたのだ。好きに生きる以外の選択肢はない。

すでにプッチは用済みだが、せっかくだから姉におもちゃとしてプレゼントしよう。きっと喜んでくれるはずだ。姉のスタンドは拷問に適している。エンリコ・プッチがどんな表情をするのか今から愉しみだ。

 

ヴィエラは、邪悪に笑った。

 

不可視の亡者がヴィエラに噛み付いて、亡者の口は崩壊した。次々に理性の薄い亡者たちはヴィエラに噛み付き、次々と崩壊していく。

床に倒れたプッチにも亡者が噛み付きプッチは出血するが、ヴィエラはそれを気にもとめない。

 

ーーうん、いや待てよ。プッチは姉ちゃんの拷問用のおもちゃにするんだから、イキがいい方が喜ぶか。

 

ヴィエラはプッチに群がった亡者に拳を振るって消滅させた。

 

ーーさーて、拠点もわかったことだし、どう動くかね?せっかくだから即座に乗り込むよりも、ビックリパーティーの方が面白い。その方が姉ちゃんも好みだろう。どうやったらみんなが楽しめるか、せっかくだから考えようか?

 

エンポリオの音楽室の外で、邪悪が笑っていた。



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石作りの地獄 その2

ーークソが!!何が天国だッッッ!何が素晴らしい計画だッッッ!ホワイト・スネイクのクソヤロー、一体この刑務所で何をやらかしやがったんだッッッ!!!

 

ラング・ラングラーは所内の中庭を逃げ回りながら、悪態をついた。

周囲には不可視の敵がたくさん存在し、接近戦が不得手なスタンド使いのラング・ラングラーはそれに上手く対応が出来ない。体の至る所を噛み付かれて流血し、どうにもならなくなった時だけ周囲に手首に仕込んだ金属片を撒き散らしてひたすらに逃げ回っていた。

 

ーークソッッッ!敵がどこにいるのかもわからねえ、捕まったらその度に肉を喰らいつかれて出血が止まらねえ。血も、足りてねえ。最悪だ!ホワイト・スネイクのクソヤローがッッッ!!ぶっ殺してやるッッッ!!!

 

ラング・ラングラーのそれは、ただの痩せ我慢だった。

身体中から出血し、至る所の肉を噛み千切られてそれでも死にたく無い一心で必死に中庭を逃げ回っている。彼には他に何も出来ない。敵は目に見えず、動き回る以外に回避のしようがない。

眩暈がし、走るたびに立ちくらみを起こし、身体中が危険域の信号を発し続けている。それでも立ち止まってしまったら、得体の知れない敵が残さず肉を喰らい尽くそうと無数に覆い被さってくるのだ。

 

ラング・ラングラーは走りながら口から吐血し、それが地面の畑に撒き散らされた。

彼はすでに自分が長くもたないことを理解している。

 

ーークソが!本体が姿を現さねえわけのわからねえ奴に乗せられて、得体の知れない計画なんぞに加担するべきじゃあなかったッッッ!!!

 

死の帳が刑務所を覆い尽くしている。

囚人を拘束するはずの石作りの海(ストーン・オーシャン)は、生者を喰らい尽くす石作りの地獄(ストーン・ヘル)へと変貌を遂げていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「おい!オレは反対だぜッッッ!そんな素性のわからねえ奴を、この非常時に仲間内に入れるべきじゃあねえッッッ!」

 

エンポリオの音楽室に、アナスイの怒声が響いた。

素性のわからない奴とはもちろん、サーレーたちが女囚の監房から連れてきた褐色肌の女性のことである。

 

サーレーは少し思考した。

アナスイの言うことも理解できる。確かにこの状況下で生き残っている人間が怪しく無いはずがない。

 

「おい、お前の言うこともわかるが、こいつスタンド使いじゃあなかったぞ。」

 

すでにそれはサーレーが確認済みだった。

彼女は音楽室の外で起きている亡者との戦闘で、スタンドを認識している気配は皆無だった。

 

「アンタ、今の状況がわかってんのかッッッ!外では見えない敵がうろつきまわってて、監獄の人間はおそらく全滅だッッッ!!!こんな状況下で、生き残ってる奴が怪しくないわけがねえだろうがッッッ!!!」

「……じゃあどうすんの?たしかにアンタの言うことは一理あるけど、スタンドも持たないその女を外に放り出したら、そいつ外の奴らに喰われてお終いよ?」

「徐倫……。」

 

徐倫がサーレーに加勢して、ウェザーとエルメェスはことの成り行きを見守っている。

 

エンポリオの音楽室は幽霊であり、多数の人間が周囲を出入りする刑務所でも長年秘匿されてきた。

外で多数の亡者がうろついている現状でも、幸運にも今のところ内部に亡者が侵入してくることは無かった。音楽室の入口には念のため、不可視の侵入者対策で徐倫がストーン・フリーの糸で結界を張っている。

 

「あ……あの……まさか、私が外の事件を引き起こしたとか疑われてるんですか……?」

「い、いや。そんな事はねぇよ。あたしたちも混乱してんのさ。外で何が起こってるのか……。」

 

女性は涙目になり、エルメェスがそれを宥めた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

メイサは思考している。

 

さて、これからどうすれば面白くなるだろうか?何をするにしろ、弟と接触を取ることが最優先だ。

この緊急の状況下で、プッチが弟を頼らないとは考えづらい。弟のスタンドは強力で、こういった非常事態にさえもいくらでも対処が可能だ。弟にスタンドのディスクを返却しなければ、プッチはすでに弟もろとも死亡しているだろう。

その場合はお手上げだ。スタンドは永遠に返ってこない。素直に諦めて次の機会に獲物を探そう。

 

彼らの会話の流れとしては、彼女は怪しまれていてそれは想定済みだ。

もっともつまらないのは、彼女が自身のスタンドを確保する前に怪しまれて雁字搦めに拘束されてしまうことである。そうなったら彼女は何も出来なくなる。そうなりそうだったら、信頼を得ていないショックを受けたフリをしてこの部屋を出て行けばいい。ここを出て行っても、生きている弟と合流さえ出来れば愉しいパーティーを開催できるだろう。もし弟が死んでいても、お人好しそうなのが何人かいるみたいだし彼女の保護に追いかけて来てくれる可能性は高い。

 

怪しまれている当事者の彼女が下手に会話を誘導しようとすれば、余計に怪しまれるだけだ。

さーて、話の結論はどう落ち着くのかしらね?

 

メイサは緊迫した表情を見せているが、肚の中では笑っている。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……そういえば、先に話しそびれたが、生きている奴を見かけたぞ。」

 

ウェザーが唐突に彼らの会話に割って入った。

 

「なんだと!?」

 

サーレーがそれに反応した。

 

「ああ。オレとウェザーが監房からここに向かう途中に出くわした。合流を優先させて、そいつらがどうなったのかはわからない。」

 

アナスイが会話を引き継いだ。

 

「いや、それで構わない。それでどういった奴だった?」

「ヤローの二人組だった。金髪の背の高い男が、刑務所の神父を引きずってやがった。神父の生死は不明だ。」

 

ーービンゴ!

 

メイサはその会話を聞きつけ、心の中で小躍りした。

 

「じゃあそいつらが敵なんじゃねーの?」

 

エルメェスが当然行き着く結論を述べた。

 

「たしかにその可能性は高い。だがそれでその女の疑いが晴れるわけじゃあねえ。この刑務所には、ホワイト・スネイクが仕込んだスタンド使いが大勢存在した。」

 

アナスイが懐疑的な意見を述べた。

 

「まあその通りだが、差し当たってはそいつはスタンドを持っていないだろう。」

「そんなに心配ならそう言うアンタが四六時中見張ってればいいじゃない。」

「じょ、徐倫……。」

 

恋慕する徐倫に否定的に扱われ、アナスイはへこんだ。

場の空気は、女性を許容し守ろうという方向へと流れつつあった。

 

ーーうーん、どうしようかね?見張られたらあまり目立つ行動はできないけども、、、。まあ隙が無いわけでもなさそうだし、弱者のフリして泣き落としとかも通用しそうだけど、念のために今のうちにスタンドを回収してしまう方法は何かないかしらね?

 

メイサは会話の流れに耳を傾けながら不安そうな表情をしている。

しかしその顔の裏では、どうすれば彼らを絶望に叩き落とせるかの策略を練っていた。

 

ーーうん、弟が生きてるんなら一つ面白い策略がある。このまま私がここを飛び出せば、こいつらは高確率で私の行動に対してなんらかのアクションを取るだろう。私を分散して探そうとするならば戦力の薄いところから順に仕留めて行けばいい。ここの守りが薄いようなら、真っ先に子供を血祭りに上げてこいつら全員絶望に叩き込んでやろうかね。問題は、弟と接触する手段だ。

 

メイサが思考を続けていると、会話は突然彼女の意図しない方向へと向かっていった。

突如その場で存在感の無かった女性が声を張り上げたのである。

 

「徐倫ッッッ、そこのアナスイとかいう男の言う通りだッ!アンタはもっと警戒するべきだ!そいつはあたしと同じで、どうやって他人を不幸のドン底に陥れてやろうかと四六時中考えてやがるッッッ!!!あたしも同じタイプだからそいつを見てりゃあ、わかるッッッ!そいつの表情は嘘くせえッッッ!!そいつからはドブ川の腐った臭いがプンプンするッッッ!!!そいつはあたし以上の、邪悪だッッッ!!!」

 

大声を張り上げたのは、徐倫と同房のグェスと名乗る女囚だった。

徐倫はグェスのその迫力に気圧された。

 

「グェス……。」

「徐倫、アンタのお人好しは美徳だけど、ここは言わせてもらうッッッ!世の中には悪意が溢れていて、警戒しない人間は根こそぎ剥ぎ取られるッッッ!アンタは警戒しなかったから、男に陥れられてこの刑務所に入れられたんじゃあなかったのかッッッ!」

 

グェスのその言葉には説得力があり、場の空気は一気にメイサを警戒する方に持っていかれた。

メイサはそれを覆すのは不可能だと感じて、歯噛みした。

 

「……ひどい!」

 

メイサは泣き真似をしながら、入口に張られた糸を手探りで掻き分けてエンポリオの音楽室を飛び出した。

 

「おい、待て!」

「ヤメロ!ほっときな。」

「そうは言っても……。」

 

サーレーが女性の後を追いかけようとして、それをグェスが制止した。

 

「考えてもみなよ。刑務所の他の人間がことごとく死んでんのに、あいつはまだ生き残ってるんだぜ?それだけ狡猾な奴が、なんの手立ても無いのに安全なここを飛び出すわけが無いだろう?アイツのことを心配するよりも、警戒しな!次にアイツがその姿を見せた時は、あたしたちを皆殺しにする算段がついた時だって!」

「う……。」

「ヒロイックな気分に浸ってんじゃねーよ!アンタはなにかの目的があって、わざわざ警備の厳重な刑務所に忍び込んだんだろーが!!!目的を見失ってんじゃねーよ!」

「落ち着け。……まあたしかに俺もこの女と同意見だ。相棒、エンポリオやミラションといった非戦闘員も抱えている今、自分から安全地帯を飛び出した奴を助けられるほどにゃあ、俺たちには余裕がないだろう?ここでおとなしくしてる間は特に言うことはなかったが、ここを飛び出した今となっちゃあアイツは不審者だ。」

 

ズッケェロが、声を張り上げて息を切らしたグェスを宥めながらその意見に賛同した。

 

「……。」

「見知らぬ他人を信じてえって気持ちはあるが、この刑務所には邪悪が潜んでいて、俺たちはそいつを外見で見分けられなかったから今こんなことになってるんだろう?」

「……そうだな。ズッケェロ、お前の言う通りだ。」

 

サーレーは目を瞑って、ため息を吐いた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「うーん。私を探しに出てくるかと思ったけど、守りを固めて来たかあ。思っていたよりもシビアで、厄介だ。」

 

メイサが呟いた。

 

有事に際して明確な行動指針を持たない人間はどれだけ数が居ても脆く、隙を作り易い。

強固な意思を持って統率された集団は、寡兵でも厄介だ。

メイサは今までの経験でそう判断している。

 

今まで侵入していた集団は統率はされていてもお人好しが多く、予想外の事態が起きればとっさの判断でメイサの後を追うか、そうでなければ意見が割れて指揮に混乱をきたすだろうと、メイサはそう考えていた。

しかし予想に反して彼らは即座にメイサを見捨てる判断を下し、仲間内を守りきるという決断を下した。これはメイサにとって予想外だった。こうなると、一方的な狩りではなく互いの命のやり取りをする戦場となる可能性が出てくる。

 

「どーすんだよ、姉ちゃん。」

「そうねー。出来れば手駒が欲しいし、もう一回だけ搦め手を使ってみるわ。あなたは私が侵入して三十秒後に後を追って来てちょうだい。あとは……。」

 

メイサは床に倒れたプッチの頭を足で小突いた。

 

「うぅ……。」

「せっかくこいつの陰謀なんだから、こいつには思う存分に活躍してもらいましょ。なに呑気に寝てるのかしら。私、裏でコソコソ隠れて人を操る策士気取りの奴って大っ嫌いなのよねぇ。」

「姉ちゃん、知ってるか?それって同族嫌悪って言うんだぜ。」

 

メイサはスタンドを発動し、床に転がるエンリコ・プッチの首元を掴んで持ち上げた。

メイサのスタンドは外見がエジプトのアヌビス神に似た犬人で、手には錫杖を持っていた。

 

「アンタも操られたいの?」

「勘弁してくれ。ただの冗談だろ?」

「それにしてもアンタ、ちょっと痛め付けすぎよ。せっかく面白いおもちゃなんだからもっと大切に遊びなさい。」

「姉ちゃんのおもちゃだろ。俺のじゃねえ。それに俺は、わざわざ姉ちゃんのためにこの辺の見えない変てこりんな奴らを掃除しといてやったんだぜ。姉ちゃんは俺に少しは感謝してしかるべきじゃあねーか?」

「まあ、それもそうね。」

 

メイサのスタンドの錫杖が、プッチの腹部に突き刺さった。

 

「さて、簡単に指示を出しとくわ。中には戦闘向けでないスタンド使いもたくさんいるから、いつも通りアンタはそこから狩りなさいな。経験上、動きを見りゃあ大体わかるでしょ。子供もいるし、そこから始末すれば簡単に終わるわ。あとは生き残ったおもちゃを、私が手駒としてもらっていくわ。残った奴らには、アメリカで私たちの出所記念パーティーを大々的に開かせましょう。楽しみね。」

 

多くの大人は、守るべき子供を目の前で虐殺されてしまえば戦意を失う。メイサはそれを理解している。

強者を楽に葬るには、戦う理由を奪ってしまえば良いのである。

 

「了解。」

 

エンポリオの音楽室が、戦場と化す。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「た、助けてくださいっっっ!!!」

 

メイサは怯えた表情をつくりながら、エンポリオの音楽室に入口の糸を掻き分けて侵入した。

 

「あ、あんた……。」

 

徐倫が彼女の表情を確認して、どう対応したものか迷った。

音楽室ではつい先ほど女性を見捨てる合意がなされ、女性は敵である可能性が高いという結論が出たばかりであった。しかし徐倫には、彼女の表情は本当に怯えているようにしか見えない。

 

「待て!徐倫ッッッ!そいつに近付くな!こっちへ来い!」

 

アナスイが判断に迷った徐倫に声を張り上げた。

徐倫は糸の結界を張っていたために入口に一番近い場所にいた。徐倫は糸の結界を回収し、アナスイの言葉に反応して後ずさった。

 

「そんな……。どうして?ひどい……。」

「テメエッッッ!動くな!それ以上徐倫に近付いたら敵対行為と見なし、攻撃を開始するッッッ!」

 

音楽室の中ではサーレー、ズッケェロ、アナスイ、ウェザー、エルメェス、エートロの戦闘要員たちが緊張し、エンポリオ、ミラション、ミューミュー、グェスが隅で後ずさりをしていた。

徐倫は部屋に戻ってきたメイサに一番近い位置にいて、瞬時の判断に迷いどう行動を起こすべきか決めきれないでいた。

 

「襲われたんです!外で!見えない奴らに!私も助けてください!」

 

メイサは泣き真似をしながら徐倫に近付いていく。

 

「徐倫ッッッ!!!こっちに来い!急げぇぇぇっっっ!!!」

 

アナスイが徐倫の身の安全を考えて大声を出した。

 

「……ねえ、あんた。あんたは外で見えない奴らに襲われたって言ってたのに、なんで体から一切出血していないの?」

 

徐倫の疑問に、メイサの足が止まった。

 

「あんた見た目は血塗れで、いかにもひどい怪我をしてそうに見えるけど、実はどこも出血してない。それ全部、他人の血でしょう。」

 

メイサは外で襲われたということに現実感を出すために、己の衣服に死者の血液を塗りたくっていた。

しかし先々で彼らと戦闘になることを想定して、体力を低下させる自身の出血は控えていた。

 

「……私の血ですっっっ!!!外で襲われてっっっ!!!」

「もう一度だけ言うわ。あんたはどこも出血していない。この非常時にこれ以上嘘を付くんなら、あんたは敵だってことよッッッ!!!」

 

徐倫がメイサに宣告し、彼女のストーン・フリーが身構えた。

次の瞬間メイサの背後から犬人が現れ、徐倫のストーン・フリーへと襲いかかった。

犬人は錫杖を構え、ストーン・フリーの腹部を突きにかかった。

 

「あはははははッッッ!!!」

「徐倫ッッッ!!!」

 

ストーン・フリーの腹部の糸が解けて、空洞と化した。犬人の錫杖はストーン・フリーに当たらずに空洞を突き抜ける。

しかし徐倫の背後には、咄嗟に彼女をフォローしようとしたダイバー・ダウンが存在した。

 

「グッ!」

「あっ、馬鹿!」

「ハロー、いい夜だね。ご機嫌かい?」

「……。」

「誰だっっっ!!!」

 

同時に、いくつもの事が起こった。

アナスイのダイバー・ダウンが徐倫に襲いかかり、新たな謎の男が二人、音楽室に侵入してきた。

 

「徐倫、避けろぉぉぉぉぉッッッッ!!!」

「アナスイッッッ!」

 

犬人のスタンドは徐倫の腹部に錫杖を突き立ようとしたために、徐倫の間近にいた。徐倫は錫杖を持った犬人のスタンドを右拳で攻撃して突き放し、声をかけて後ろから攻撃してきたダイバー・ダウンの腕をストーン・フリーの左腕で防御して彼女から攻撃を逸らした。

 

音楽室に侵入してきた男たちは、一人は浅黒い肌の神父で、目が虚ろだ。もう一人は金髪高身長、楽しそうに笑っている。

 

侵入してきた金髪の方の男の目に危険な光が宿り、サーレーはそれを見逃さなかった。それは以前、サーレーがイタリアで処分した殺人鬼のラグランの目付きに少しだけ似ているとサーレーは感じたのである。

金髪の男は周囲を目だけ動かして見渡し、サーレーは駆け出した。金髪の男もエンポリオに目を留めると、駆け出した。

 

「ズッケェロは非戦闘員を守れッッッ!!!ウェザー、音楽室の天候は雨だッッッ!!フー・ファイターズがその危険な女の相手をしろ!ウェザーがアナスイを抑えて、エルメェスが神父の相手だッッッ!!!徐倫は全員の戦闘のフォローをする、つなぎ役(バランサー)だッッッ!!!」

 

状況を俯瞰して、リーダーのサーレーは即座に檄を飛ばした。今、ここは、戦場だ。

ウェザー・リポートのスタンドから雲が噴出し、戦場に雨が降り出した。

 

目の前の人間たちは敵であり、味方であるはずのアナスイは徐倫に攻撃を加えた。おそらくはあの女の能力だろう。

サーレーの上司に、カンノーロ・ムーロロという人物がいた事が幸いした。

サーレーはムーロロのウォッチタワーというスタンドから、群体のスタンドの特色と強みを学んでいる。

 

「フー・ファイターズッッッ!その女が一番危険だッッッ!お前が何が何でも抑えろッッッ!!!なりふり構わずに仕留めに行けッッッ!!!」

【ウオオオオオオオオッッッ!!!】

「はあ?なんだ、そりゃ?」

 

戦場で、同時にいくつもの事態が進行した。

 

金髪の男がスタンドを具現した。それは黒く、目も鼻もない口だけが目立つノッペリとした背の高い人型のスタンドだった。金髪の男は非戦闘員であり最も弱いと推測されるエンポリオに向かって突進し、サーレーがその進路上に割り込んだ。黒く重厚なスタンドとクラフト・ワークが拳を合わせた瞬間、周囲に重低音を撒き散らし、音楽室に火花が散った。

 

「おっ、おおっ!なんだお前?」

「くっ……!貴様ッッッ!」

 

金髪の男はその現象に面白そうな興味深そうな表情を浮かべ、一方のサーレーは金髪の男が自分が何が何でも抑えないといけない敵であることを理解した。

 

「相棒っ!」

「こいつは俺一人で抑える!各自自分の役割を忘れるなっっ!!!」

 

それは戦場で、何よりも役に立つもの。

常に死が隣にあるという緊張感が、戦場で即座にサーレーに的確な指示を出すことを可能にしていた。

 

それはミスタからの、密やかなるサーレーへの贈り物だった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

エートロの皮を被ったフー・ファイターズがメイサのスタンドの犬人に襲いかかり、犬人は錫杖を両手で回してエートロを殴打した。エートロは錫杖に上方から殴打されて床に突っ伏した。

 

「二人目、ゲットー!」

 

メイサは上機嫌に笑い、エートロが立ち上がってメイサに襲いかかった。

予想外の事態に、メイサはとっさに犬人のスタンドの錫杖を盾にして防御した。

 

「は?なんで?」

【ウオオオオオオオオッッッ!!!】

 

フー・ファイターズが人間の皮を脱ぎ捨てて、人ならざるその姿を露わにする。フー・ファイターズはメイサに雄叫びをあげて襲いかかった。戦場は、雨。フー・ファイターズに著しく有利な戦場である。

フー・ファイターズの拳を犬人は錫杖を回して防御して、フー・ファイターズが口から飛ばした水弾を瞬時の反応で首を動かして躱した。

 

「ちょっと……。あんた、何?聞いてないんですけど。」

 

メイサのスタンドは、錫杖で攻撃した相手を強制的に支配下に置くスタンドである。

攻撃を喰らった対象は、メイサの意図を汲んで、死ぬか神経が切れたり筋肉が致命的に断裂したりといった、物理的に行動が不可能になるまで強制的に従わされ続ける。意識が不能になることもない。

彼女は、最悪のスタンドの使い手だった。エンリコ・プッチは今現在、彼女のこの能力で強制的に支配下におかれている。

 

メイサは自身のスタンドを、しばしば拷問用に使用する。

彼女は自身のスタンドを使用して仲間殺しを犯させたり、自分で自身を拷問させたり、死ぬほど酷使させて放置したりといった使用法を好んでいた。非常に強力なスタンドである。

 

ただし、彼女のスタンドにも弱点は存在する。

支配下におけるのは錫杖で直接攻撃を加えた相手だけ。ゆえに彼女のスタンドにとってフー・ファイターズは天敵だった。

 

フー・ファイターズは無数の群体で、多少数操られた程度ではほとんど影響せず、ウェザーの雨の力で今もなお無数にその個体数を増やし続けている。弱点である本体も存在しない。強いて言うなら、ディスクが本体である。フー・ファイターズというスタンドは稀少性が非常に高く、状況によって戦闘力や戦場への貢献度が激変するのである。

 

「ちょっと、何よアンタ。退きなさいよ。」

 

メイサは瞬時の判断で、敵が自分にとって不得手な相手であることを理解した。

犬人が錫杖を回してフー・ファイターズの胴を横薙ぎにする。錫杖はフー・ファイターズの体の中に沈み、絡め取られ、それに手を取られた犬人にフー・ファイターズが近寄って殴打した。

 

【オオオオオアアアアッッッ!!!】

「ちっ!ウゼエウゼエウゼエッッ!!」

 

犬人は錫杖を手放して防御に回った。水を得たフー・ファイターズの拳は重く、その殴打はメイサの骨に響いた。

 

「グッっ!!!」

【私は、徐倫の役に立つっっっ!!!私は、こんな姿の私を仲間として受け入れてくれた者たちのために、戦うッッッ!!!】

 

フー・ファイターズが犬人に両の拳でラッシュを叩き込み、犬人は両手を交差させて防御に徹した。

犬人は必死にフー・ファイターズの拳の一つを弾き返し、フー・ファイターズの腹部に刺さった錫杖を手に取って抜き取った。

 

「アンタがなんなのかわかんないけど、アンタの相手はごめんだわ。」

 

メイサはフー・ファイターズが相手では分が悪いと判断して、他を攻撃して手駒に加えようと戦線を離脱しようとした。

しかし彼女の足には、戦場の中央に陣取るストーン・フリーの糸が纏わりつく。

 

「クソがああッッッ!!!」

【シャアアアアアッッッッ!!!】

 

フー・ファイターズが戦場で吠え猛った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ウェザー、済まねえ。」

「意識はあるのか。」

「ああ。だが体の自由がまるで効かねえ。フー・ファイターズがいなければあの女を抑え込むのは困難だっただろう。」

 

ウェザーのウェザー・リポートとアナスイのダイバー・ダウンが拳をあわせ合う。

アナスイのダイバー・ダウンは隙を見つけてウェザーのスタンドの中に潜行しようとしてくるため、ウェザーは非常に気を使う戦いを強いられていた。ウェザーはさらに、フー・ファイターズのフォローでスタンドパワーを使い、室内に雨を降らせ続けている。

 

「なるほど。攻撃した相手を支配下に置くスタンドか。確かに厄介だ。フー・ファイターズに効いてないのは、やつが微小な生物の群体だからか。」

「ウェザー、考察していないで集中しろ!」

 

ダイバー・ダウンの右腕が防御したウェザー・リポートの左腕に侵入し、ウェザー・リポートは右手でそれを弾いた。

 

「いや。俺たちはどうすれば戦局が優位に進むか考えながら戦うべきだ。」

「なぜだ?」

「お前にかけられた能力の解除条件が曖昧だ。最悪敵本体を殺さなければ解けないのなら、俺がここで行うのはお前相手の時間稼ぎだ。無理にお前を倒しに行く必要が無い。」

「だとしても!」

 

ウェザー・リポートの右拳をダイバー・ダウンが防御して、壁までたたらを踏んだダイバー・ダウンは壁に潜行してそのまま床下伝いにウェザーに襲いかかった。

 

「ホラ、集中しろ!」

「いや、大丈夫だ。」

 

ウェザーがダイバー・ダウンの動きに反応しきれずに攻撃を喰らったと思った瞬間、ウェザーの体に糸が巻き付いてウェザーの体をダイバー・ダウンの攻撃圏内から引き離した。

 

「徐倫は戦闘の天才だ。その徐倫に真っ当に師がついたのであれば、彼女は獅子として目を覚ます。」

 

ウェザーはアナスイに向けて笑った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

エルメェス・コステロとエンリコ・プッチが相対していた。

 

「ちょっとアンタ、神父様が何やってんのさ?」

 

エルメェスは疑わしげにエンリコ・プッチを眺める。

プッチの顔に生気は無く、目も虚ろで一目で精神状態が異常だと判別できる。体のいたるところから出血し、着ているカソックは血に塗れている。

 

「アンタはここにいるってことは敵なの?それともあのアナスイって男みたいに操られてんの?」

 

エルメェスは横目でアナスイを見た。

アナスイはウェザー・リポートと戦っていて、言動はまともであるものの体の自由が奪われているということが判断ができる。ゆえにエルメェスはエンリコ・プッチも操られた善人の可能性を考慮している。何しろ相手は、外見は神父である。

エンリコ・プッチは無言のままスタンドを発現させた。

 

「エルメェスッッッ!!!そいつが私の父さんを嵌めたスタンド使いだっっっ!!!油断するなっっっ!!!」

 

徐倫がホワイト・スネイクを確認し、エルメェスに向けて徐倫の助言が室内に響いた。

プッチの背後からゆらりとホワイト・スネイクが現れ、ホワイト・スネイクとプッチはズッケェロが守る非戦闘員集団に向かって走り出した。

 

「クソがッッッ!!!テメエが黒幕かっっっ!!!喰らいやがれっっっ!!!」

 

エルメェスがホワイト・スネイクの側面から襲撃し、ホワイト・スネイクとキッスは短い時間でいくつもの拳を交わし合う。

 

「ウラ、ウラっっっ!!!」

【……。】

 

エンリコ・プッチは不気味に沈黙し、その右腕には拳が交差する間にキッスのシールが貼られていた。

 

「あたしのシールは元に戻るときに破壊を伴うッッッッ!!!」

 

エルメェスはホワイト・スネイクの二つになった右腕のシールをはがし、エンリコ・プッチの右腕はダメージを負って出血した。

 

「どうだッッッ!!!」

【……。】

 

不気味に沈黙したプッチはダメージも痛みも気に留めず、地を蹴ってキッスに肉薄した。

ホワイト・スネイクの右腕の筋肉が盛り上がり、キッスに向かって拳を振るった。

 

「あ、やべえ。」

 

ホワイト・スネイクの攻撃がなされようとした瞬間、エルメェスの頭部からディスクが排出されてエルメェスの視界を阻害した。

先の攻防でキッスはホワイト・スネイクにシールを貼り付け、ホワイト・スネイクはエルメェスの精神をディスク化していた。

 

「エルメェスッッ!!!」

 

ホワイト・スネイクの腕に糸が幾重にもなって絡まり、攻撃がそれた合間にエルメェスは己のディスクを頭部に押し込んだ。

 

「あっぶねぇぇ。チクショウ!!!」

【……。】

「エルメェス、油断しないで!」

 

エンリコ・プッチは、無言で佇んでいる。

 

 

◼️◼️◼️

 

「なんだ?お前、なんなんだ!?楽しいなあ、おい。」

「……。」

 

金髪の男とサーレーのスタンドは、戦力が拮抗していた。

男のスタンドの右腕の水平薙ぎをクラフト・ワークが左腕上腕で防ぎ、クラフト・ワークの右足のローキックを左足で男のスタンドは小揺るぎもせずに受け止める。クラフト・ワークの右拳と男のスタンドの左拳が交差し、周囲に衝撃波を撒き散らした。

 

サーレーは男の能力の概要をうっすらと理解していた。

男のスタンドはおそらくはクラフト・ワークに真っ向から相反する能力、そして実力も伯仲している。

スタンドエネルギーの消耗が激しいラニャテーラは短期決戦専用の必殺であり、消耗戦には向かない。恐らくは効き目も薄いはずだ。ゆえに発動は下手である。

拳の応酬に集中しなければ、おそらくは容易に敗北が待っている。

 

「俺と撃ち合ってまだ生きてるやつなんざ、ディオのクソヤロー以来だぜ!!!」

 

男の黒鉄のスタンドは獰猛に笑いながら地団駄を踏んだ。周囲の地面が罅割れ、音楽室は揺れた。

罅は周囲に放射状に広がっていき、サーレーの手前でぴたりと止まった。

 

「ほんっと、面白えなあ。お前のスタンド、俺のスタンドの真逆の能力みてえだな。」

 

男のスタンドとクラフト・ワークが幾度となく拳を交わし、そのたびに部屋には衝撃波と重低音が撒き散らされた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名前

メイサ・レイナード

スタンド

アビサル・ジョーカー

概要

錫杖を持った、犬の頭部を持つ人型のスタンド。錫杖で攻撃した相手は、深淵の女帝の威光に平伏して強制的に支配下に置かされる。彼女の自分が世界の中心であり、他者の存在は彼女を楽しませる玩具に過ぎないという思想により発現したスタンド。支配された人物は、意識を持ったまま死ぬまで彼女に従い続ける傀儡となる。拷問の用途を兼ねているため、頭部は支配しない。

 

操れる人間に上限がないため、単騎で大規模なテロを起こせる陰謀に適した史上最悪級のスタンドといえる。アヌビス神に似ているのはあくまでも外見だけであり、リコポリスの守護神とは全くの別物。もしかしたら人々から尊崇を集める存在に擬態しているのかもしれない。

 

ディオとの戦闘では、ディオが休息を取っている間に操られていたディオの部下がディオを囲んだせいで、ディオすらも苦戦するはめになった。

実は探知能力も持っており、敵意の匂いを嗅いで追跡することも可能。万能型。

 

本体は黒髪に浅黒い肌で、髪を後ろに一つに縛っている。着ているものは囚人の作業用のつなぎ。

本来の本体以外がスタンドを使用しようとすると、深淵に触れて本体の精神が崩壊する。

彼女のスタンドが水をお湯に変えるスタンドのままなら、フー・ファイターズに容易に勝利出来ていた。本来の強力なスタンドに戻したためにフー・ファイターズに苦戦しているのは、実に皮肉である。

 

名前

ヴィエラ・レイナード

スタンド

レイジ・バイブレーション

概要

顔面に口だけしかないノッペリとした黒鉄のスタンド。全身が振動しており、それに触れたものは崩壊する。能力を加減することによって、対象にミオクロニー攣縮や心室細動といったさまざまな症状を引き起こすことも可能。プッチはこの能力により、癲癇の発作を起こしていた。サーレーのクラフト・ワークの固定の能力とは真っ向から相反する。近接特化のスタンド。

 

本体は金髪高身長。着ているものはメイサと同じく囚人の作業用のつなぎ。

本来の本体以外がスタンドを使用しようとすると、本体が振動により自壊して死亡する。



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石作りの地獄 その3

「アッハハァ!!!なんだコレ、なんだコレ、なんなんだコレ?なんだ、なんでだ?なんでこんなにも愉しいんだ?」

 

ヴィエラは笑い、彼のスタンドの哄笑にエンポリオの音楽室は揺れた。

 

黒鉄のスタンドが拳を握って右腕を水平に薙いで、クラフト・ワークがそれを左腕を脇に固めて受け止めた。

固定と振動は反発し合い、拮抗したスタンドパワーは真っ向から矛盾を引き起こして衝撃を撒き散らす。黒鉄のスタンドとクラフト・ワークは、共に弾かれてたたらを踏んだ。

クラフト・ワークが左足を敵の頭部めがけて蹴り回し、黒鉄のスタンドは前頭でそれを弾き返した。弾き返された勢いのままにクラフト・ワークは逆に回転してそのまま右足で回し蹴りを放った。黒鉄のスタンドはそれをしゃがんで回避する。

黒鉄のスタンドは右の貫手をクラフト・ワークの眼球に向けて放ち、それはクラフト・ワークの左腕の甲に逸らされた。逸らされた黒鉄のスタンドの拳が幽霊の音楽室の壁に触れ、壁は幽霊であるにも関わらず罅が入り崩壊していく。

幾度も彼らの間で拳が交わされ、その度に周囲には衝撃が撒き散らされた。

 

「おっもしれえなあ。なあ、お前、名前はなんて言うんだ?」

「……サーレーだ。」

「そうか。」

 

ヴィエラ・レイナードは目の前の敵との戦いに夢中になり、最初の予定である非戦闘員の殺傷を忘れ果てている。

サーレー、ヴィエラ、共に実力の拮抗する敵に出会ったことにより、少しでも相手を上回ろうとそのことだけに集中している。相手を少しでも上回れれば、実力の拮抗している二人のいずれかは大きく勝利に近づくことが出来る。

 

二人の体は音楽室に降りしきる雨を気にもとめず、熱を帯びていく。

その動きは際限なく洗練されていった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ーークソがッ!クソがッ!クソがッッッ!!!なんだこいつは!!なんなんだッッッ!!!私は一体何を相手にさせられているんだ!?

 

メイサ・レイナードはイラついている。

メイサの目の前には、得体の知れない不気味なスタンドが尋常ではない迫力で陣取っている。

 

「退けッッッ!!!私の邪魔をするな!!!」

【絶対に退かん!!!私は貴様をここで仕留める!!!私は、私の仲間に手出しをさせないッッッッ!!!】

 

メイサの犬人は相手の弱みを突くために、目の前の苦手なスタンドを抜けようと鮮やかにステップを踏んでフェイントをかけた。

スピードはフー・ファイターズよりも犬人の方が若干上だった。フー・ファイターズは対応しきれない。

 

ーー抜けたッッッ!!!

 

目の前の苦手な相手さえ抜ければ、ほかの人間に攻撃を加えていくらでも手駒に加えることが出来る。そうなれば戦力はひっくり返り、勝利したも同然だ。

相手の脇を抜けて勝利を確信したメイサに、信じられない出来事が起こった。

 

「……は?」

【ウシャアアアアアッッッ!!!】

 

犬人の片足が突如水溜りから現れた腕に掴まれ、メイサはそちらへと目を向ける。

水溜りから、二体目の怪物が現れた。メイサは愕然とした。

ウェザーのスタンドエネルギーの込められた雨の力を借りて増殖したフー・ファイターズの分体がメイサの目の前に陣取り、フー・ファイターズは前後二体がかりでメイサを挟撃した。

 

「なんなんだ、なんなんだテメエはッッッ!!!」

【私は徐倫の仲間だッッッ!!!私は徐倫と共にあるッッッ!!!私は徐倫とともに、未来を育むのだッッッ!!!!!!】

 

挟まれた犬人は必死に錫杖を振り回し、二人のフー・ファイターズは連携を取りながら犬人を追い詰めていく。犬人は防戦一方だった。

メイサ・レイナードの強力なスタンド、アビサル・ジョーカーにとって、フー・ファイターズは致命的なほどに天敵だった。

 

「クソがッッッ!!!オイ、クソ神父!!!チェンジだッッッ!!!」

 

メイサは、エンリコ・プッチに向けて叫んだ。

 

 

◼️◼️◼️

 

空条徐倫は、戦場の中央で冷静に戦局を俯瞰していた。

 

ーーサーレーのところは戦力が拮抗している。敵は相当やばい能力で、手出しは不可能。二人の攻撃が交差する度に周囲に衝撃を撒き散らしていることからそれは明らか。しばらくは状況は動かない可能性が高い。フー・ファイターズは相手に対して有利に戦えている。問題なし。エルメェスは神父に対して若干不利。ウェザーもアナスイに対して若干不利。私が最もフォローするべきところは、エルメェス、次いでウェザー。フー・ファイターズの戦局は安定して有利だが、敵の危険度の高さから念のために意識を逸らすべきではない。サーレーのところは、サーレーが敗北した時は私たちの敗走を視野に入れないといけなくなる。あのスタンドは恐らく、サーレー以外のスタンドでは相手取れない。

 

ホワイト・スネイクが犬人のフォローに走り、ストーン・フリーはホワイト・スネイクの進路上に割り込んだ。ストーン・フリーがホワイト・スネイクに対応している間に、後ろからエルメェスのキッスに蹴り潰される。

 

ーーそれにしても……成る程。サーレーの指示が的確だったと言わざるを得ない。あの二人組みのスタンドは非常に強力で、両方とも単騎で戦況をひっくり返す能力を持っている。グェスが私に警戒心を呼び起こしてくれたし、フー・ファイターズが居なければ、私たちはこの戦場で敵の相手にもならなかった可能性すらある。日頃の鍛錬とイメージトレーニングを疎かにするな、エルメェスとフー・ファイターズが私を強者たらしめる、か。戦いには、相性がある。多様な仲間がいれば、いかなる事態にも対応可能だということか。あまりにも当たり前のことだが、実際にそれを体感して痛感させられた……。

 

雨を吸って強度を増した徐倫の糸が束になり、アナスイの首を締め上げた。

 

「おい、徐倫!やり過ぎだ。」

「あっ、ごめん。」

 

アナスイの顔面は鬱血し、ウェザーから徐倫に文句が飛んだ。

戦姫が雨が降る音楽室で、美しく舞っていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「いっでえな、クソッッ!!!」

【……。】

 

キッスの右拳がホワイト・スネイクの腹部に襲いかかり、ホワイト・スネイクは右手のひらでそれをいなした。ホワイト・スネイクはそのままキッスの懐に入り、キッスの左肘がホワイト・スネイクの顔面を殴打すると同時にホワイト・スネイクの左膝がキッスの腹部に刺さる。

エルメェスは後退した。

 

「なんなんだ、テメエは。クソッッ!!!」

 

エンリコ・プッチは痛みを感じている。意識も存在する。

しかし彼は、メイサの犬人に操られて血に塗れながら強制的に前に出させられている。

 

痛みを感じてもダメージを負ってもそれを無視して前に出させられるホワイト・スネイクに、エルメェスは甚だ不利な戦いを強いられていた。しかし、だからと言って他の敵とは戦えない。他に彼女が戦えるのは操られたアナスイくらいだ。そのアナスイは、戦場に雨を降らせて力を使用し続けているウェザーが相手をしている。それ以外の敵は、目の前のホワイト・スネイク以上に厄介な敵しかいない。

 

ホワイト・スネイクが地を這う蛇のごとくキッスに迫り、キッスは右足で蹴りを放った。ホワイト・スネイクはそれをスルスルと躱し、キッスに肉薄する。キッスの右拳がホワイト・スネイクの胸を強打した。ホワイト・スネイクは口から血を吐きながらそれに耐え、キッスに向かって頭突きをかました。エルメェスとエンリコ・プッチは同時に額から出血する。

 

「ラアアッッッ!!!」

【……。】

 

頭突きの衝撃から立ち直ったキッスの拳がホワイト・スネイクを連打し、ホワイト・スネイクは両手の平でそれを捌いた。

 

「クソッッ、またコレか。」

 

エルメェスの頭部からディスクが形を成して排出されようとして、キッスは視界を阻害される。エルメェスは慌てて自分の頭部にディスクを押し込んだ。

その時、戦場にメイサの怒号が響いた。

 

「クソがッッッ!!!オイ、クソ神父!!!チェンジだッッッ!!!」

 

ホワイト・スネイクはその声に反応し、エルメェスとの戦闘の離脱を試みる。

 

「しまった!!!待てぇッッッ!!!」

 

エルメェスも戦況を理解している。今現在マトモな戦いになっているのは、サーレーとフー・ファイターズが恐ろしく強力な敵を抑えているからである。

ホワイト・スネイクに離脱され、フー・ファイターズを二体一で陥されてしまったらこの戦場では彼女たちには敗北の未来しか待っていない。エルメェスは大慌てで離れていくホワイト・スネイクの背を追った。

 

ーークソ!間に合わねえッッッ!!!

 

その時ホワイト・スネイクの足に糸が絡まり付き、ホワイト・スネイクがそれに足を取られた隙にストーン・フリーがホワイト・スネイクの正面に回り込んだ。

 

「助かったぜ、徐倫!」

「お安い御用よ。」

 

ストーン・フリーがつなぎで対応しているホワイト・スネイクをキッスは後ろから蹴り倒し、そのまま馬乗りになって連打を加えた。

 

「オラッ、どうだッッッ!!!どうだッッッ!!!」

【……。】

 

エンリコ・プッチは馬乗りされて殴打されているにもかかわらず、反応しない。

ホワイト・スネイクはダメージを無視して強引に腕を振り回し、エルメェスを突き飛ばして立ち上がり体勢を立て直した。

 

「なんなんだ、テメエはッッッ!!!」

 

エンリコ・プッチは沈黙を破らない。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ウェザー・リポートは絶え間なく音楽室に雨を降らせ続け、著しくスタンドのエネルギーを消耗している。

ウェザーはアナスイとの戦いで、遅れを取っていた。

 

「んでよー、なんか現状を打開する策は思い付いたのか?」

「……いいや。」

 

ダイバー・ダウンがウェザーの腹部に手を置いて、体内に潜行する。ウェザーの臓腑を掻き混ぜようとした。

ウェザーは体表に積乱雲を作り出し、流れる電流がアナスイを硬直させた。その隙にウェザーは退避する。

 

「サーレーとあの男の戦いは現状、介入不可能だ。フー・ファイターズが敵を打倒するか、神父が倒れない限りは戦況は動かないだろう。」

「それをどうにかするって話だろ?」

「現状のままであれば、状況はさほど悪くない。予想外のことが起これば、戦況は簡単にひっくり返る。」

「……まあそうだろうな。」

 

最大の問題は敵方の犬人、黒鉄のスタンド共に単体で戦場を蹂躙できるポテンシャルを秘めた強力なスタンドだということだった。例えばヴィエラがサーレーとの戦いに飽きてしまうようなことがあれば、戦場は容易く彼らにとって最悪の方向へと向かっていく。フー・ファイターズが倒れてしまっても同様だ。

 

ウェザー・リポートが肩でダイバー・ダウンに体当たりし、ダイバー・ダウンは後ろに倒れてそのまま床に潜行した。

下からの攻撃を加えようとするダイバー・ダウンをウェザーは無視して、本体のアナスイに迫っていく。本体に迫るウェザーの右足を床に潜むダイバー・ダウンが右手で掴み、左手で攻撃を加えた。ウェザー・リポートはそれを拳で弾き返した。

 

「それにしても……徐倫。」

 

アナスイは目の端で徐倫の行動を追っていた。

徐倫は必要なときに、必要な戦場に、的確なフォローを行なっていた。

 

「本当に戦闘の天才だったんだな。」

「ああ。」

 

ウェザー・リポートとダイバー・ダウンが拳を合わせ、そのときにメイサの声が響いた。

 

「何をチンタラやってるんだッッッ!!!お前はこっちに来て、こいつの相手をしろッッッ!!!」

「グッ!!!」

 

メイサの命令が飛び、アナスイの意思を無視してダイバー・ダウンは強制的にメイサのフォローに向かおうとした。

ダイバー・ダウンが床を潜行し、アナスイがウェザーの脇を抜け、ウェザーはそれを捉え損なった。

 

「チッ!!!」

「問題ない。」

 

舌打ちしたウェザーに徐倫は声をかけた。

アナスイの首にストーン・フリーの幾重にも束ねられた糸が絡まり、アナスイの動きが止まった。アナスイの血流は止まり、顔面は鬱血した。

 

「グェッ!!!」

「おい、徐倫!やり過ぎだ。」

「あっ、ごめん。」

 

ウェザーはアナスイに追いつき、戦いは再開された。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ーー一番近いのがサーレーと金髪。あそこは互いに夢中だ。今のところは問題ねえ。次がアナスイとウェザー。そしてエルメェスと神父。一番遠いのが女とフー・ファイターズ。一番タチの悪そうな女の戦場が一番遠いのは、助かっている。

 

ズッケェロは戦場を見渡しながら、敵の戦意がいつ向いても対応できるように警戒している。

最初の金髪の動きと女の言動から、奴らが隙があれば非戦闘員を狙ってくるであろうことは明らかだった。ズッケェロの後ろにはエンポリオ、ミラション、ミューミュー、グェスがいる。ズッケェロは彼らを何が何でも守らないといけない。四人は、恐怖で震えていた。

 

「落ち着け。大丈夫だ。」

 

ズッケェロは慈愛に満ちた表情で、エンポリオの頭を撫でた。

 

「……徐倫お姉ちゃん。」

「大丈夫だ。徐倫は強え。ウェザーも戦士だ。フー・ファイターズも形振り構わず必死で戦ってる。エルメェスは……ちょっと危ねえな。」

 

ズッケェロは片目を眇めて戦況を分析した。

ズッケェロも実は、シャボンを飛ばして戦場をフォローしようとしていた。しかしそれは操られたアナスイには効かず、サーレーの相手の黒いスタンドも体表でシャボンを弾き返した。それ以上遠くの戦場は、非戦闘員を置いてここを離れないとシャボンが届かない。

ズッケェロの役目は非戦闘員の守護であり、よほど戦況が悪くならない限りは任されたここを放置する気は無い。

 

「教えてくれ!どうしてこんなことになってるんだ!なぜこの監獄がこんな酷いことになった!?」

 

ミューミューが震えながらズッケェロに問いかけた。

ミューミューは、自身の守る監獄が凄惨な地獄へと変貌したことに衝撃を隠せなかった。

 

「さあなあ。黒幕の考えてることなんざ、わからねえ。なんで黒幕がこんなことをしたかなんて、俺にゃあわかんねーよ。……だがきっと、一人が勝手に思い込んで独断で行動すると、訳のわかんねえことになるんじゃねーか。知らねーけど。」

「……そうか。」

「ま、これに懲りたら二度と訳わかんねえ計画に加担することはやめるこったな。」

「……そうだな。」

 

ズッケェロはわざと軽く言い、それはミューミューの精神の負担を軽くした。

ミューミューはズッケェロに、感謝した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「愉しい、愉し過ぎる。なあ?サーレー。」

「……俺はお前にさっさと倒れて欲しいんだがな。」

 

サーレーとヴィエラの実力は現状全くの互角で、二人は目の前の相手以外に何も目に入らない。

彼らは共に、集中を切らしてしまった方が敗北することを理解しているのである。

 

黒鉄のスタンドの喉元を狙う左拳をクラフト・ワークの右手のひらがいなして、クラフト・ワークの左肘が黒鉄のスタンドの顔面を襲う。黒鉄のスタンドはそれを上体を逸らして躱し、そのまま後ろに手をついて体を捻って蹴りを放った。黒鉄の爪先がクラフト・ワークの顎を襲った。クラフト・ワークは首を動かしてそれを躱し、爪先はクラフト・ワークの頬を僅かに掠めていった。そのまま後ろに飛んだ黒鉄のスタンドは勢いをつけてクラフト・ワークに迫り来る。クラフト・ワークも前に出て、二匹の鋼鉄の獣は中間地点で衝突した。

衝撃と重低音がエンポリオの音楽室に鳴り響く。二匹の獣は尋常ではない衝撃に弾かれて、共に後退した。

 

「初めてだぜえ。こんなに手応えのある獲物はよお。」

「……チッ、マジでウゼエ。」

 

サーレーとヴィエラの瞳には共に漆黒の殺意が灯され、サーレーの守護者の殺意とヴィエラの破滅の殺意は互いに眼前の獣を喰い破ろうと荒ぶって揺らいだ。

二人の殺意は円環になって解けない二匹の蛇のようにネットリと絡みつき、互いを滅ぼそうと際限なく二人を高みへと導いていく。集中したサーレー、ヴィエラ共に時間が引き延ばされるような感覚を味わい、相手の攻撃をどんどん遅く感じていった。

石作りの地獄を平然と踏破する二匹の鋼鉄の獣は、互いに相手よりも優れていることを証明しようと黒い殺意に塗れた。殺意は攻撃に宿り、拳が交わるたびにそれは周囲に弾け散る。

 

「ああ、愉しい。愉しいなあ。愛しているぜぇ、サーレー。」

 

ヴィエラのテンションが振り切れ、ヴィエラはそのときに感じたことを思うままに口にした。

サーレーはその言葉に背筋が寒くなり、反射的にお尻を押さえた。

 

「オイオイ、せっかくこんなにも愉しいんだから、真面目にやってくれよ。」

「グッ……。テメエが気持ち悪いことを言うからだろうがッッッ!!!」

 

反射で尻を押さえたクラフト・ワークの顔面を、黒鉄の右拳が強打した。クラフト・ワークはとっさに顔を捻ってダメージを軽減するも、拳がかすめて鼻血を出してよろめいた。

サーレーはクラフト・ワークで出血を止め、クラフト・ワークは歯を食いしばって黒鉄のスタンドの顔面を殴り返した。ヴィエラの奥歯が折れ、ヴィエラは口から折れた歯を吐き捨てた。

 

黒鉄のスタンドがサーレーの心臓を狙って肘を打ち出し、クラフト・ワークはそれに対応して腕を交差して防御した。黒鉄のスタンドは続いて歯茎を剥き出しにしてクラフト・ワークの頭部に噛みかかり、クラフト・ワークは黒鉄のスタンドの腹部を掌底で弾いて距離をとった。

両者は交差するたびに弾かれ、宙に互いの反発するエネルギーが拡散する。

 

「すっげえなあ。何処までも粘るか。お前、本当に大好きだよ。」

「オイ、ヴィエラッッッ!!!お前、何チンタラ遊んでんだッッッ!!!さっさと非戦闘員を殺せッッッ!!!」

「アァ?」

 

詰まらない相手ならそれでもいい。弱点を突いてさっさと楽に殺してやろう。

だが、ヴィエラが漆黒の殺意で殺したいのは目の前の極上の獲物(サーレー)だ。断じて戦意を喪失した詰まらないサーレーではない。

メイサの苛立ちが音楽室に響き、ヴィエラはそれを無視した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ーークソがッッッ!!!ヴィエラの馬鹿、何をチンタラやってやがるッッッ!!!

 

音楽室の中央には空条徐倫が陣取っており、上手に戦局を分断しメイサが仲間と合流することを防いでいる。

メイサ・レイナードは二人のフー・ファイターズの挟撃にあい、戦況が彼女にとって著しく悪くなっている最大の原因に毒づいた。

 

ヴィエラである。

ヴィエラのスタンドは強靭で、目の前の強力なスタンドなんぞ無視をして非戦闘員を先に抹殺すれば、戦況はひっくり返るはずだった。守るべき弱い者を先に殺されてしまえば、強者の戦意は喪失するか、そうでなくともひどく動揺して隙ができる。そういうものであり、ヴィエラのスタンド、レイジ・バイブレーションにはそれが可能だった。しかし彼はそれをしない。

敵に僅かでも隙ができれば、彼女のスタンドの強力な能力はあっという間に戦場の趨勢を支配できる。

 

ーーアイツ、遊んでいやがるッッッ!!!

 

メイサの犬人の振り回す腕に糸が絡み付き、犬人は錫杖を取り落とした。動きを阻害された隙にフー・ファイターズの右拳がメイサの顔面を襲った。犬人は必死に片手で錫杖を確保し、もう片方の手で自身の顔面を防御した。しかしフー・ファイターズの逆の拳が犬人の腹部に突き刺さる。犬人の体はくの字に折れ曲がり、メイサは口から涎を垂れ流した。

 

「グウッッ!オイ、ヴィエラ!!!お前何チンタラ遊んでんだッッッ!!!さっさと非戦闘員を殺せッッッ!!!」

 

メイサは苛立ち、メイサの叫びが音楽室に木霊する。

 

「アァ?」

 

ーーアイツッッッ!!!

 

【なにをよそ見をしている?貴様にはそれほどの余裕があるのかッッッ!!!!】

 

フー・ファイターズが吠えて、その肩が隆起した。挟撃するフー・ファイターズは四つの手で犬人にラッシュを叩き込み、危険を察知した犬人は錫杖を捨てて両腕で全力で防御に回った。錫杖はストーン・フリーの糸に絡め取られていく。

 

ーー最悪だッッッ!あいつ、戦闘を本気で愉しんでいやがるッッッ!!!クソッッ、武器を持っていかれた!

 

メイサもヴィエラも、共に快楽主義者である。彼らは目の前の快楽を最大限堪能するためであれば、その他の一切合切を無視をする。なにも眼中に入らない。ゆえに破綻者なのである。

 

普通の人間であれば、どんな人間であっても多少は他者への配慮や最低限守られるべきルールといったものを気にするはずである。たとえ世間的に悪であるとされるディオの部下であっても、主人のディオの意向には逆らわないという暗黙のルールが存在するのである。

しかし彼らにはそれが一切無い。自分の快楽のためであれば、他人が苦痛を感じようが絶望しようが知ったことでは無い。それが彼らの根本の行動原理であり、ゆえに彼らは全ての社会と相容れない。制御不能な力とは、誰にとっても厄種以外の何物でもないのである。

それはもしかしたら、ブチャラティに拾われなかったフーゴの未来の姿だったのかも知れない。

 

メイサは拷問狂だ。メイサにとって他人の苦痛は至高の娯楽である。

メイサは愉しいから他人を拷問し、その行為は他人には奇怪で無意味に映る。そして彼女は拷問に夢中で、弟にそれを邪魔されたら激怒するし、彼の言葉を無視する。

 

ゆえにメイサは、ヴィエラの表情に即座に理解した。ヴィエラは戦闘狂だ。戦闘に夢中になっている。彼女が何を言おうと、もう耳を傾けないだろう。

 

それはメイサどころか、ヴィエラ本人さえも今まで知らなかった彼の一面である。

ヴィエラは常人とかけ離れた精神をしていて、無聊を慰めるために姉の拷問に付き合っていた。他人を蹂躙するときだけ、彼はほんの少しだけ人生の退屈を紛らわせていたのである。

メイサとヴィエラの間に肉親の情は存在しない。彼らは互いに都合がいいから二人一組で行動しているだけであり、愉しみを邪魔するのであれば互いに喰い殺しあう間柄へと変貌する。ヴィエラは退屈しのぎに姉に付き合っていただけだった。

 

そして、ヴィエラが今まで戦ってきた相手は時を止める超越したスタンドを持つディオ・ブランドーという圧倒的格上か、彼の強力なスタンドで簡単に蹂躙できる圧倒的格下かのいずれかだけであった。自分が全力の殺意を向けても死なない初めての相手に出会い、ヴィエラの精神は歓喜に満ち溢れていた。こうなってしまえばもうメイサの言葉はヴィエラには届かない。

 

メイサは自分もそうであるがために、それを即座に理解した。

利のみで繋がる間柄は、利によって切り捨てられるのが自明の理であった。

 

ーークソが!!!この私が、敗走を想定しながら戦わないといけないとはッッッ!!!

 

メイサは歯嚙みをして、犬人は嗅覚で敵意を探知する。

必死にフー・ファイターズの攻撃を捌きながら、メイサは状況の打開策を探った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「なあ、神父様よぉ。アンタ、なんなんだ?アンタほんとは、アナスイみてえに喋れるんだろう?なんでだんまりなんだ?アンタが黒幕なのか?……オイ、なんか言えよ。」

【……。】

 

エルメェスは額の雨を拭い、二人は距離を少しとって相手の出方を伺っている。

エンリコ・プッチは沈黙し続け、プッチにエルメェスの疑問が飛んだ。

 

エンリコ・プッチは喋らない。プッチは気が狂いそうなほどの痛みと疲労を感じながら、それでも事態が自身の有利に運ぶチャンスが来ることを虎視眈眈と狙っている。喋る体力も惜しい。万が一何某かのチャンスが訪れれば、その時は何が何でも行動を起こさないといけない。

プッチにとって、ディオに指し示された天国は全てだった。

 

「ま、喋らないってんなら、仕留めさせてもらうけどなッッッ!!!」

 

エルメェスがプッチに近寄り、ホワイト・スネイクがキッスを迎撃する。

キッスの拳が握られ、右腕の筋肉が隆起した。

 

「喰らえッッッ!!!」

 

キッスの右拳をホワイト・スネイクは左肘で弾き、ホワイト・スネイクは右腕で逆襲を試みる。

 

「チイッッ!!!ウラッッッ!」

 

キッスはそれを左手を開いて受け止め、キッスはホワイト・スネイクに頭突きを仕返した。

エルメェス、プッチ共々頭部からの出血が一層酷くなる。それは音楽室に降りしきる雨で洗い流され、エルメェスは血を失い僅かに立ちくらみを感じた。

 

ーークソ、このバカ女……。血を流し過ぎれば、万が一にもチャンスが来ても、体が動かなくなる、、、。

 

エンリコ・プッチは、ぼやける意識と地獄の痛みを必死に無視して内心で舌打ちした。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「どう思う?」

「戦局は危うい。どこも必死で、僅かな手違いで優劣は簡単にひっくり返る。精神衛生に悪い。こんな綱渡りの戦場は、できれば今後一切経験したく無い。」

 

ウェザーの質問に、アナスイは仏頂面で答えた。

 

「同感だ。だが相手も必死だし、少なくとも一方的にやられる展開では無い。むしろ僅かといえどこちら側に有利な戦場であることに感謝しよう。」

「まあ、そう考えるしか無いか。」

 

ウェザー・リポートとダイバー・ダウンはがっぷり四つに組み合い、ウェザーとアナスイは内心で溜め息を吐いた。

しかし、それを外面に出すわけにはいかない。最も厳しい戦場のはずのサーレーは集中して顔色ひとつ変えない。他の戦場も簡単なところは無く、誰も泣き言を発しない。彼らが溜め息を吐くわけにはいかない。

 

「で、お前はこの先の戦況をどう考えている?」

「今は拮抗していて、このまま行けば綱渡りでもこちら側が勝利を収める可能性が高い。まあサーレーのところだけは本人になんとかしてもらう他はなさそうだが。だがそれとは別に、、、。」

「……何か気掛かりなことが?」

「外には見えない得体の知れない化け物がウロついていただろう。今はまだそいつらにここがバレていないが、万が一そいつらが此処に大挙して押し寄せたら、戦局が混沌として読めなくなる。」

「……オイ、やめろよ。そんな不吉なことを言うの。」

 

アナスイの背筋を冷たい汗が伝った。或いはそれは音楽室に降りしきる雨の雫だったかも知れない。

ウェザーの言葉はあまりにも不吉で、できれば現状のまま推移して勝利を収めたいというアナスイの希望的観測に影を落とした。

 

「しかし、現状から目を背けるべきでは無い。あらゆる事態を想定しておけば、いかなる事態にも早期の対応が出来るだろう?」

「まあ、そうだがよぉ。」

 

ダイバー・ダウンは細かく動いてウェザーを幻惑し、相手の隙を突いて攻撃を加えようとする。

しかしそれを、戦場の中央に陣取る戦姫は見逃さない。

 

「よく考えたらよォ、これって徐倫の体の一部なんだよな。」

「……ヤメロ、気持ち悪い。」

 

アナスイがダイバー・ダウンの腕に巻き付いた糸に少しだけ興奮し、それにウェザーがドン引きした。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

世界は、単純な善悪二元論では廻っていない。戦場には、常に不確定要素が付き纏う。

この州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所という戦場には、目的を異にする四つの勢力が存在する。

サーレーたち、プッチ、レイナード姉弟、そして四つめの勢力。

陰謀阻止を目論む者、陰謀遂行を目的とする者、目の前の快楽を追い求める二人の破綻者たち、そして……。

 

【闇より、、、生まれし、、、リンプ・ビズキット、、、見つけた、、、見つけたぞッッッ!!!ホワイト・スネイクッッッ!!!】

 

戦場に、亡者の主が姿を現した。

戦場の霧が戦局を覆っていく。



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石作りの地獄 終焉

キュラキュラと歯車は軋み、世界に不協和音が生み出され続ける。

キュラキュラと世界は狂い、社会は密やかに破滅の音を奏でる。

 

それは世界に干渉し、社会を破滅させる機構(システム)を構築する。

 

【クソが……体がいでぇし喉が渇く……ここは一体……俺は何を……?】

 

スポーツ・マックスのスタンド、リンプ・ビズキットは、死者の怨念で動くスタンドである。

リンプ・ビズキットは死者の生者に対する羨望や怨恨といった感情をスタンドパワーに変換し、死者が生者の世界に関与することを可能にしている。亡者のエネルギー源を本体のスポーツ・マックスやリンプ・ビズキットではなく、蘇る側の死者に依存しているのである。そうでなくては、死者を無数に蘇らせる凶悪なスペックは維持できない。

 

ゆえに蘇った亡者がパワー切れを起こすことは無い。歯車は、狂ったまま永遠に廻り続ける。

それを止める手立ては、本体であるスポーツ・マックスの亡者を消滅させる以外に手段はない。

 

【ここは……懲罰房棟……俺はなぜ……こんなところに……?】

 

 

リンプ・ビズキットは本体のスポーツ・マックスの怨みという感情に呼応して、本体の死後も世界に対して働き続ける。打倒不可能なノトーリアス・B・I・Gのように、怨念をエネルギー源とするスタンドとは総じて非常に強力なのである。

 

エンリコ・プッチは怨念で動くスタンドがどれほど危険か知らない。リンプ・ビズキットがどういった原理で運用されているのか、それを露ほども考えたことはなかった。

それを知っていたら、それほど危険なスタンドを用済みだからと言ってスポーツ・マックスに渡したままにしておかなかっただろう。

 

【……そうだ……確か俺は……ホワイト・スネイクに呼び出されて……それで……。】

 

怨念で動くスタンドは、使い方を誤れば簡単に社会を滅ぼす最悪の兵器と化す。

ノトーリアスが海上ではなく、イタリア本土に落下していたらきっと今頃イタリアは死都と化していただろう。制御不能、打倒不能の怪物を、一体ディアボロはどうするつもりだったのだろう?なんらかの封じ込める手立てがあったのだろうか?

 

【そうだ……思い出してきたッッッ!!!……ホワイト・スネイクのヤロウッッッ……恨む……恨むぞッッッ……俺をこんな目に合わせやがってッッッ!!!】

 

ディオの骨が死者の魂を吸収できないのは当たり前であった。

スタンド同士が矛盾すれば、パワーが強い方が勝利する。

単純にディオの骨という物体は、死んだばかりの人間の生に対する妄執に敗北したのである。

 

亡者は生者を妬み、怨念は生へとしがみつく。死者は生を他の何よりも望んでいる。

血があれば……。肉体があれば……。脳があれば……。

 

【闇より……生まれし……リンプ……ビズキットッッッ……ホワイト・スネイクへの……怨みを晴らせッッッ!!!】

 

亡者の主は、復讐相手を探して地獄と化した刑務所を彷徨っていた。

 

 

 

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クラフト・ワークが地を蹴り、黒鉄のスタンドに突進した。黒鉄のスタンドは半身になって、クラフト・ワークの右拳を左に避けて受け流す。黒鉄の脚がカウンターでクラフト・ワークの頭部を襲い、クラフト・ワークは自分から距離を詰めて、蹴りの勢いを殺した。激突の衝撃で、弾かれた両者の距離が少し離れた。

二人はスタンドが衝突するたびに、ごっそりとスタンドパワーを削られている。

 

「ハア、ハア。しぶってぇヤローだ!」

「……チッ!!!その言葉はそっくり返すぜッッ!!!」

 

サーレー、ヴィエラ共に一切の加減はせず相手を殺害するつもりで戦っているのだが、スタンドパワーが拮抗しているために戦局はなかなか動かない。サーレーは自分が倒れたらこの戦場で凄惨な結末が待っていることを理解しているために異常なほどに粘り強く、ヴィエラは高揚感が振り切れて脳内麻薬が大量に噴出して痛みや疲労をあまり感じていない。

 

「グゥッッッ!!!いでえなクソがッッッ!!!」

「ウラッッッ!!!」

 

クラフト・ワークが紙一重で黒鉄の腕を躱し、黒鉄のスタンドの腹部にクラフト・ワークの拳がめり込んだ。ヴィエラは腹部に力を込めて耐え、生じた衝撃にクラフト・ワークの腕は弾かれて黒鉄のスタンドも後退した。

ヴィエラは空いた距離を走って詰め寄り、黒い巨重が弾丸のように高速でクラフト・ワークに衝突した。クラフト・ワークは全力で体表を固定して防御して長距離を後退り、黒鉄のスタンドが追撃とばかりに走って距離を詰めてクラフト・ワークに殴りかかる。クラフト・ワークは相手の拳の軌道を見極めて、受け流して足をかけた。重量のある黒鉄のスタンドは地面を削りながら転がった。

 

サーレーは気付いていない。なぜこの戦局でサーレーは敵と互角に戦えているのかを。

それどころか、天秤は僅かではあるがサーレーに傾きつつある。敵スタンドの身体スペックはクラフト・ワークよりも上で、これは本来ならば異常である。しかし現に、彼らは互角に戦っている。

 

現実で起こった出来事には、必ず何らかの理由があるものだ。

サーレーがイタリアで行なっていた珍妙な鍛錬は、決して無意味ではなかった。サーレーが気付かないうちに、実はサーレーのクラフト・ワークには新たな能力が芽吹きつつある。

サーレーがクラフト・ワークを理解しようと試み、能力を使用し続けることによって、クラフト・ワークの隠された使い道が明かされようとしていた。スタンドは過酷な戦いの中で使い道を理解し、成長する。実力の近しい敵と長時間戦い続けることで、自然とクラフト・ワークの能力が戦闘に対して最適化されていったのである。

 

戦場は苛烈で、サーレーが目の前の男に勝利すれば、サーレーは他の戦場のフォローに回ることができる。

目の前の男が勝利すれば、目の前の男はきっとサーレーの仲間を殺戮してまわるだろう。

 

全滅か全生還か。(オール・オア・ナッシング)

サーレーが目の前の男に勝利できるか否かはこの戦場全体の趨勢に直結し、守るべき弱者の存在がサーレーに極度の集中力を齎した。

サーレーの戦いに仲間全員の命がかかっているという厳然たる事実とそれに伴う極度の集中がクラフト・ワークに進化を強烈に促し、クラフト・ワークが密かに新能力を発動しているにも関わらず本体のサーレーがそれに気付かないという異常な状態へと導いていた。

 

ヴィエラ・レイナードは今でこそサーレーと全力で戦っているが、最初は手抜きでの戦闘だった。

ヴィエラの能力は強力で、レイジ・バイブレーションの前に今までのほとんどの敵は本気を出さずとも呆気なく崩壊していった。今度の敵も最初は舐めてかかっていて、実際に戦ってみて思っていたよりもずっと手応えがあって愉しかったことからヴィエラはあっという間に戦いに夢中になった。

 

ヴィエラは冷酷な殺人鬼で、人を殺すことに関しては初心者のサーレーに対して一日の長がある。ヴィエラはスタンドが使えない時も凄惨な殺人を行なっていて、どうすれば効率良く人を殺害できるのか深く理解している。ヴィエラは殺戮に特化していて、本気で戦うヴィエラは攻防に頻繁に効率よく相手を殺害できる急所を狙う危険なものを織り交ぜていた。

 

なぜそれに、クラフト・ワークが的確に対応出来るのか?なぜ技量が優っているはずの相手にクラフト・ワークが互角に戦えたのか?

そこには、精神論だけではない明確な理由があった。

 

その秘密がクラフト・ワークの新しい能力、のちにサーレーがコマ送り《アヴァンツァメント・デル・テライオ》と名付けた技法であった。

この能力の概要は、ざっくりと説明すれば未来予知である。

 

その原理は簡単で、戦闘中に網膜に投射される映像を適当なタイミングで固定してピックアップして、サーレーがリアルタイムで見ている相手の動線と脳内に差し込まれる映像の相手の視線や筋肉の形、体勢などから総合して、相手の先の行動や狙いを予測するというものである。

 

アニメーションや映画は、写真や絵をいくつも繋ぎ合わせて映像として成立している。サーレーはその逆のことをしていると考えればよい。戦いの狭間の時間をカメラで撮るように映像として固定し、サーレー本人が理解も認識もする間も無く脳内に投射された映像から相手の先の行動を高い精度で予知する。サブリミナルのようなものである。

それが拮抗した戦闘の中で、サーレーに頻繁に起こっていた。

 

本来であれば、レイジ・バイブレーションのみならずほとんどの近接に特長を持つスタンドの拳は視認できないほどに速い。しかし、サーレーにはそれが見えなくとも予測ができる。予測ができれば拙くとも対処ができる。

 

サーレーは苛烈な戦いの中、不意に訪れる未来予知のような予感に助けられてこの戦場をここまで互角に戦っていたのである。

そこにいたのは金に目が眩んだただのチンピラではなく、社会を守ろうとする一人の戦士だった。

 

「……つくづく妙な奴だ。なんでお前は戦えば戦うほどに対応や反射が良くなるんだ?普通は疲れて逆になるだろうが。」

「さあな。」

 

ヴィエラは困惑する。

戦いは愉しく、不満はない。だが敵は戦えば戦うほど、ヴィエラの攻撃への対処が的確になっていく。本体のサーレーがその原因に気付いていないのに、赤の他人がそれに気付けるわけが無い。

痛打は与えられず、逆に自身の行動を読まれているのではないかというようなサーレーの動きにヴィエラはその原因を掴みあぐねていた。

 

 

 

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その異変に気付いたのは、敵意を探知する能力を持つメイサ・レイナードだけであった。

メイサだけがそれに気付いていたが、メイサの目前には人ならざる存在が尋常ではない迫力で立ち塞がり、彼女の話に聞く耳を持つとも思えない。ヴィエラも彼女の話に聞く耳を持たない。他の二人の手駒もそれぞれ覚悟を持ったスタンド使いが対応している。ゆえに彼女にはそれの対処が不可能であった。

 

メイサはひどく焦っている。どうするべきか打開策を必死で思考しようとしている。しかし、思考に手間を割きすぎると目前の怪物に呆気なく敗北してしまう。

 

メイサは、自身が危機に陥っている事を理解した。こんなはずではなかった。

彼女は今まで、ディオという超越したスタンド使い以外には負けたことが無かった。彼女のスタンドの犬人は暗闘にも乱戦にも強く、近接戦もそこそこ戦える速度に特長のある武器持ちの万能型だ。しかも相手方は籠城戦であり、人員の損耗の観点から言ってもこちらが圧倒的に有利なはずだった。

 

自信があったのだ。

敵はいきなり攻められる側で、こちらの手勢は近接戦が滅法強い弟と死んでも別に構わないクソ神父。対する敵は全ての人員を守らねばならない。

当初の予定ではもっと相手を楽に蹂躙して、手駒を好きに扱っていたはずだった。

 

しかし彼女のその目論見は、戦場に存在するたった一人の怪物により覆されることとなる。

わけのわからない怪物はメイサにとってどうしようもなく不得手な相手であり、下僕と合流しようにも戦場の中央に陣取る援護の上手い厄介なスタンド使いがそれを防いでいる。敵は彼女の予想よりも遥かに強固な意志と多彩な強さを持ち、そのリーダーは社会の裏側で育てられた彼女のような人間に対抗するスペシャリストだった。

 

そして今現在。戦場に、突如見えざる敵意が多数あらわれたのである。

彼女にそれの対応は不可能だ。目の前の怪物の相手で精一杯だ。ただでさえ、目の前の敵に勝利できるか怪しい。

敵意を剥き出しにする怪物はきっと、彼女の話に聞く耳を持たないだろう。

 

怪物にメイサに対する情け容赦は一切ない。弟は戦いに夢中で、他の二つの手駒はそれぞれ抑えられてしまっている。

メイサに出来ることは、祈る事だけであった。突如戦場に侵入してきたその見えざる者たちが彼女にとって都合よく動く事を。破綻者には仲間がおらず、誰も彼女の言葉には耳を傾けない。

 

アドバンテージはある。吹けば飛ぶようなアドバンテージだが。

彼女だけが、見えざる侵入者たちの存在に気付いている。戦場の混沌の中であらかじめ知っていた彼女だけが真っ先に行動を起こすことが出来る。それが彼女の唯一のアドバンテージだった。

 

祈りは、意味を成さない。誰の目の前にある問題も、彼或いは彼女だけのものだ。

メイサの目の前の問題は、メイサが解決しないといけない。

 

彼女の弱点は、プッチと同じであった。彼女の問題は全て彼女独りの知見と実力で乗り切るしかないのである。

社会を築けないから、フー・ファイターズという天敵が存在することを知らない。プッチからの情報があれば、彼女はそれの存在を警戒出来るはずだったのに。彼女に出来ることは紛い物の配下を集めることだけであり、結局彼らは全員揃って個の強さ以上のものを持たないのである。彼女がプッチを嘲笑っていたのは、その実は鏡に映る己の姿だった。

 

破綻者の社会は、孤独に閉じてしまっている。

彼女の祈りは……永遠に誰にも届かない。

 

 

 

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懲罰房棟で惨死した刑囚の亡者の群れは、先導者であり唯一理性を色濃く残したスポーツ・マックスの亡者に導かれて刑務所の本館へと侵入していた。

亡者の多くは理性が薄く、生への執着から生者の血肉を欲している。先導者のスポーツ・マックスは、復讐相手のホワイト・スネイクを探して刑務所の本館を彷徨っていた。

 

【……アン?なんだコリャ?】

 

スポーツ・マックスの亡者をエンポリオの音楽室に導いたのは、奇しくもヴィエラ・レイナードが引き摺ったエンリコ・プッチの流した血の跡だった。

刑務所の床には線を引くエンリコ・プッチの血の跡が残り、あるところでそれは雫となり、そしてそれは唐突に途切れていた。亡者に襲われて出血したのだとしても、その跡のつき方はおかしい。

亡者で唯一知性を残したスポーツ・マックスはそれを不審に思い、周辺の探索を行った。そして彼はエンポリオの音楽室を見つけ出す。

 

【ホワイト・スネイクッッッ!!!こんなところにいやがった!!!ぶっ殺してやるッッッ!!!】

 

しかし音楽室内は複数のスタンド使いが戦う戦場で、亡者のスポーツ・マックスが単体で特攻してもアッサリと消滅してしまうだけだ。スポーツ・マックスは周囲の知恵の薄い亡者を集めて、エンポリオの音楽室に先導した。

 

そして、戦場に唐突に変化が訪れる。

 

 

 

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【ア、アアアア、アアアアアアアッッッッッッ!!!!!】

【お前ら!そいつの脳みそは俺が喰うんだからなッッッ!お前らは手足の先っぽから齧りとれッッッ!!!囲んでそいつを弱らせろッッッ!!!】

 

それまでだんまりを決め込んでいたエンリコ・プッチのホワイト・スネイクが、唐突に感じたあまりの痛みに悲鳴を上げた。エンリコ・プッチは、スポーツ・マックスが指揮を執る亡者たちに生きたまま喰われようとしていた。

真っ先にプッチと対峙するエルメェスがそれに気付き、続いて戦場の中央に陣取った徐倫が、そして悲鳴に反応したサーレーとヴィエラを除く全員がその理由を理解した。

 

エンリコ・プッチの肩や腕にはたくさんの歯型が付き、傷口から盛大に出血している。

プッチのその状態に、それを見た全員が外から見えざる脅威が戦場に侵入してきたことを理解した。戦場に緊張が走り、それを想定していたウェザー、アナスイ、目の前の敵に集中しているサーレー、ヴィエラの四人を除いて全員が固まった。

 

空白の時間が生まれ、戦場はそれを発端にドミノ倒しで連鎖反応を起こす。

 

「逃げるぞッッッ!!!そいつを助けろ!!!」

 

真っ先に反応してその声を上げたのは、もちろんメイサである。

メイサはプッチの状況を即座に理解し、このまま戦って万が一勝てたとしても死の未来しか有り得ないと、そう判断した。遊ぶための強力な手駒は欲しいが、欲をかけば自身の破滅が待っている。ここさえ凌げれば、数を頼みにいくらでもコイツらを蹂躙できる。一旦逃走して手駒を増やしてから再襲撃するべきであると。

 

メイサに対応するフー・ファイターズのみならず、集中した二人と想定していた二人を除く全員が突如起きた出来事に僅かな時間固まっていた。見えざる敵たちがどう動くか予想付かず、皆が自分の次の行動を決めかねていた。そのタイミングで事態が動いたのである。

アナスイがウェザーとの戦闘を離脱し、ウェザーはスタンドを使用し続けたせいで疲弊していて上手く動けない。アナスイはエンリコ・プッチに纏わり付く亡者たちをダイバー・ダウンで次々に薙ぎ払った。

 

メイサがプッチを助けた理由は簡単である。

ヴィエラは戦いに夢中で言うことを聞かず、高確率で外にまだたくさん見えざる脅威がウロついているこの状況では、逃亡に際して亡者対策になるべくたくさんの護衛兼囮が必要だ。ゆえにメイサはアナスイにプッチを助け出す指示を出した。

 

助け出されたプッチは真っ先に音楽室の出口に向かい逃走し、アナスイがプッチの後に続いた。

ウェザーは疲弊していてろくに動けなかったが、それでも必死に声を張り上げた。ここで声を上げなければ、恐らくアナスイは永遠に帰ってこない。

 

「徐倫ッッッ!!!アナスイの身柄を確保しろッッッ!!!」

「ッッッ!!!アナスイッッッ!!!」

 

徐倫は離れていくアナスイにとっさにストーン・フリーの右腕を解いて、アナスイの足に糸を巻き付けた。

糸が巻き付いたアナスイは行動が阻害され、躓いて足が止まったアナスイをフー・ファイターズが抑えつけた。徐倫が走ってアナスイに近寄り、瞬く間にストーン・フリーでアナスイを縛り上げて拘束した。そのままフー・ファイターズが二人の護衛に寄り添った。

 

「チイッッッ!!!」

 

それを見たメイサが歯噛みする。

 

囮が一枚減った。ヴィエラが言う事を聞かない今、外の亡者たちに対して囮はメイサの生命線だ。メイサは徐倫から囮であるアナスイを奪い返せるかほんの一瞬だけ迷い、足を止めてしまった。

 

そしてそれは、死に至る間違いだった。戦場ではほんの僅かな時間が、時に生死を決定付ける。

 

【捕まえた、、、捕まえた、、、捕まえたッッッ!!!】

「ッッッ……!!!」

 

メイサの犬人は敵意を嗅ぎ分ける。それはあくまでも彼女に向けられた敵意を、だ。そして、彼女は音楽室に侵入した敵意の臭いを嗅ぎ分けていた。

その理由は、説明するまでもない。

 

リンプ・ビズキットは怨念の力で動いていて、この戦場に現れた亡者の中には実はプッチ以外にも優先する対象が存在する者たちがたくさんいたのである。

死者たちは怨念で動いている。怨みは、理性の薄い死者たちがこだわる唯一の感情だった。

 

犬人は足を捕らえられ、メイサの顔は真っ青になった。

 

【あたしは、、、アンタに突き飛ばされて、、、喰われて、、、死んだ、、、。】

【私は、、、お前に、、、足を刺されて、、、見えない奴に、、、喰われた、、、。】

【俺は、、、生きている時に、、、お前に、、、拷問されて、、、死んだ、、、。】

【私は、、、お前に、、、生きたまま、、、解剖された、、、。】

【僕は、、、この監獄で出来た、、、大切な友人を、、、お前のせいで、、、殺してしまった、、、。】

【見つけた、、、。こいつだ、、、こいつだ、、、こいつだ、、、。こいつを、、、殺せッッッ!!!私たちは、、、こいつを、、、殺したいッッッッ!!!】】

 

闇の祈りが言祝がれ、破滅の犬人に終焉が訪れる。

 

【闇より、、、生まれし、、、リンプ、、、ビズキット、、、。怨みより、、、生まれし、、、、亡者たちの、、、主よ、、、。我らが、、、怨みを、、、晴らす、、、事を、、、どうか、、、、、、赦し給えッッッ!!!】

 

怨念は蠢き、エンリコ・プッチが姿を消した後それは戦場の別の一点に集中した。

生を冒涜する深淵の犬人に、死者の怨念は一極集中して纏わり付いた。

 

【俺は、、、私は、、、あたしは、、、わしは、、、僕は、、、。お前を恨んでいるッッッ!!!】

「なッッッ!!!」

 

メイサの足が何者かに掴まれた。

連鎖してメイサの体が次々にたくさんの何者かに掴まれて、動きの止まったメイサの肩に徐倫の空いた左腕の糸が絡み付いた。

メイサは亡者に集られ、そのまま床に倒れ伏した。

 

「な……や、やめろ……助けて……ああああああああ痛いぃぃぃぃぃぃ!!!」

 

命令の効くアナスイは今現在徐倫の糸に雁字搦めに縛られ、逃走を指示されたプッチはすでに命令の届かないところまで逃げている。ここでもメイサの自身で気付いていない弱点が露出した。彼女のスタンドが拷問の用途を兼ねているがための、弱点。

 

メイサのスタンドの操作は、彼女自身が考えているほどには万能では無い。意識が不能になることがなくとも、酷使するほどに下僕の操作精度は下がるのである。

 

今のプッチは疲弊しきっていて、メイサの命令の正確な意図を汲めるほどに思考の余裕が無い。ゆえに命令をただ聞くだけのロボットは、主人を無視して逃走する。彼女は支配した使い捨ての下僕の末路に興味をほとんど持たず、そのためにその弱点に気付かなかった。彼女にとって他人は玩具であり、玩具が疲労することなど考える人間はいないのである。他者を人間として見ていれば、それは容易に気付けた欠陥だった。

 

有事に際して明確な行動指針を持たない人間は数がいても脆く、己の能力に対する油断や過信は死を招く。

彼女の鍍金の強さは、ギリギリの戦場でボロボロと剥がれ落ちて行く。鍍金が剥がされてしまえば、築き上げたものが何も無い彼女には当然何も残らない。

 

メイサの肌は次々に亡者に喰い破られていく。音楽室の魅力的な女性の背景に、赤い花が咲いた。

 

「ああああああぁぁぁぁぁッッッ!!!痛い……痛い……痛いッッッ……お願い……助けて……助けてッッッ!!!」

 

その声は憐れみを誘うものだったが、誰一人としてその声に反応しない。

 

ざまあみろだとか因果応報だとか、そういった偉そうなことや詰まらないことを言うつもりはさらさらない。助けられるのであれば、命だけは助けてやっても構わない。

 

人間には多くの場合、大切なものに序列が付けられている。

手の空いた徐倫とフー・ファイターズは拘束して倒れたアナスイの護衛に回り、エルメェスはズッケェロに寄り添いエンポリオたち非戦闘員の護衛を補強した。優先されるのは、仲間の命。

敵であるメイサの命は、この凄惨な戦場では残念ながら序列外だった。そんな余裕があるわけないのである。

ゆえに誰かが彼女を助ける可能性は、絶無であった。

 

「ぁぁぁぁぁッッッ!!!」

「チッ……あのクソアマ、役に立たねえな。いつも偉そうなことを言ってるくせに。」

 

声は小さくなっていき、やがて床に倒れたメイサの悲鳴が止んだ。アナスイの体が自由を取り戻す。

戦場が混ぜ返されてしまったことを理解し、ヴィエラの集中が途切れた。このままでは余計な奴らに愉しい戦いにチャチャを入れられるだけである。

サーレーはヴィエラから目を離さない。

 

「終わりだよ、終わり。白けちまった。ここまでだ。」

 

ヴィエラは両手を上げた。そのまま続けてサーレーに話しかけた。

 

「……おい、サーレーとか言ったな。教えといてやる。エンリコ・プッチの目的は現生人類の消滅だ。今いる人類をこの世から消滅させて、未来を識る新たな人類を生み出すことが目的だ。」

「エンリコ……プッチ……?」

「さっきまでここにいた神父だよ。アイツが一連の事件の黒幕だ。」

「……そんなことが可能なのか?」

「さあな。少なくともプッチはそれが可能だと考えて、こんな大それたことをやっている。そのために必要な何かを手に入れるために、罪人を大量に虐殺したみたいだぜ。」

 

ヴィエラは興味本位で独自にコソコソと動き回るプッチの目的を探っていた。

ヴィエラはサーレーにそれだけ告げると、踵を返して戦場を去っていく。

 

「おい、待てッッッ!!!」

 

エルメェスが敵であるヴィエラを引き止めようとした。

 

「……やめろ、エルメェス。」

「オイッッッ!そいつ、敵だぜッッッ!!!」

「確かにそうだが、そいつを留めたら共倒れだ。まずは見えない奴らから仲間を守ることが優先だ。それに俺たちの目的はそいつではなく、エンリコ・プッチとかいう神父だ。」

「まっ、そういうこった。俺に殺されるまでは死ぬなよ、サーレー。」

 

今度こそ、ヴィエラは戦場を去っていった。

 

【チイッッ!ホワイト・スネイクには逃げられたが、まあここにゃあたくさん食料がある。腹拵えをして、ホワイト・スネイクの探索を続けるとするか。】

 

戦場に残ったスポーツ・マックスの亡者の口端が吊り上がった。

 

「……やるぞ、徐倫。」

「サーレー、大丈夫なの?すごく疲れてるみたいだけど。」

 

疲弊したサーレーが徐倫に近寄った。

 

「……まあひどく疲れたが、一休みは取り敢えず中に居る奴らを全部片付けてからだ。その後に、お前の糸の結界を念のために音楽室の入り口に張っといてくれ。」

「了解。」

【アァ?こんなもんで俺たちを抑えられるとでも?】

 

一箇所に固まった非戦闘員の周囲に徐倫が糸の結界を縦横無尽に張り巡らせ、サーレーがそれにクラフト・ワークのエネルギーを全力で流し込んだ。

糸の結界は鋼線の結界に変化し、それに触れた亡者は次々に固定されて動けなくなっていく。

 

「そこ、そこ、そこ!」

【了解した。】

「任せろ。」

【うっ……はずれねえッッッ!!!】

 

徐倫が結界に反応があった場所を指示し、フー・ファイターズとエルメェスとアナスイとウェザーが連携して亡者を次々と葬り去っていく。

やがてリンプ・ビズキットの本体のスポーツ・マックスも消滅し、石作りの地獄は終焉を迎えた。

 

 

 

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エンリコ・プッチは今にも消えそうになる意識を繋ぎとめながら、必死に逃走していた。

計画がどうなったのかわからない。ディオの骨が受肉できたのかも。

彼に確実に言えることは、刑務所に現れた得体の知れない敵に彼の計画をめちゃくちゃにされたことだった。

 

「2、3、5、7、11……。」

 

今はとにかく逃げ延びないといけない。血が足りていない。疲労も尋常ではない。気を抜いたら瞬く間に気が遠くなっていく。

取り敢えず安全圏に逃げ回復を優先してから、その後のことを考えよう。

 

プッチは必死に足を動かす。プッチに知る由はないが、プッチにとって幸運なことに、彼の逃走を防ぐ亡者たちはすでにスポーツ・マックスと共に消滅している。

エンリコ・プッチの体を突き動かしているのは、天国への妄執だった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「はあ……はあ……はあ……。」

 

ヴィエラ・レイナードはひどく疲労していた。

それは、ヴィエラの想定外だった。

 

戦闘が想像以上に長引き、降りしきる雨は密やかに戦士たちの体力を奪い精神力を削っていた。そして相反する敵と衝突するそのたびにクラフト・ワーク、レイジ・バイブレーションともどもスタンドパワーをゴッソリと持っていかれていた。今は歩くことさえ億劫である。戦闘中は脳内麻薬がたっぷりと分泌され、今の今までそれに気が付かなかった。

戦闘が終わった今、それはしわ寄せとなってヴィエラを突然襲い、体を蝕んでいた。全てを崩壊させるはずのスタンド使いは、ひどく疲弊していた。自身の限界とは、実際に極限まで追い詰められた経験が無い者にはわかりづらいものであった。

 

「クソ……体が重てえ……。」

 

ヴィエラは背中に汗をかきながら、血の滲む刑務所の壁に寄りかかった。

座り込んでしまいたい。しかしいつまでもここにいるわけにはいかない。いつまでもチンタラしていたら、異変を感じとったアメリカ政府が刑務所に調査隊を送り込んでくるだろう。今のヴィエラは疲弊著しく、さほどでない敵であっても戦闘したら敗北してしまう可能性が高い。アメリカの国家の力は強大で、裏社会にもたくさんの有能なスタンド使いが存在する。彼らが精査すれば、何が起こったのか恐らくは全てバレてしまうだろう。そうなれば、ヴィエラが刑務所内で行ってきた殺人も明るみに出てしまう。

 

ことここに至って、さすがにヴィエラも自身の置かれた苦境を理解していた。いっそ調査隊に全面的に投降して、回復してから敵の隙を待った方がいいかも知れない。ヴィエラの思考にそれが過った。刑務所で何が起こったのかわからない今現在の段階では、事情を知っているヴィエラへの問答無用の射殺はないだろう。

 

その時、彼の足元を灰色の何かが通り過ぎて行った。

彼は唐突に異様な悪寒を感じて、自分のくるぶし近辺を確認した。

 

「な……んだ……これはッッッ!!!」

 

ヴィエラの足から、植物が生えていた。或いはヴィエラの足が植物に変化したと言った方が正しいのか。

ヴィエラの体に得体の知れない感触が走り、彼の体は植物へと変化していく。ヴィエラは即座にそれがプッチの仕業だと看破した。

 

「クソ!クソ!クソ!クソ神父がッッッ!!!わけのわからねえことしやがってッッッ!!!さっさと殺しておくべきだったッッッ!!!」

 

ヴィエラはプッチに悪態を吐いた。

ヴィエラの足から根が伸びて、ヴィエラの目は花を咲かせた。

 

「太陽は……暖かい……レロレロ……。」

 

明けない夜は無い。凄惨な夜は明け、朝と共に彼は太陽の恵みに感謝する。

ヴィエラだったものの場所には、緑色の瘤が発生していた。

 

戦場の真の勝者とは、実は目的を達成したものとは限らない。仮に生還したものが真の勝者だとするならば、彼は敗者と言えるだろう。たとえ一時の高揚感に喜んだとしても、帰り道に地雷を踏んでしまっては何も意味が無い。孤独な彼は、帰路にプッチの仕込んでいた地雷を踏んでしまった。彼が万全であれば、なんら問題ないはずだった。戦場とは、理不尽なものである。

 

サーレーのスタンド、クラフト・ワークとヴィエラのスタンド、レイジ・バイブレーションは相反するようでいて、実は非常に似通っている。サーレー、ヴィエラ共に殺人者であり、クラフト・ワーク、レイジ・バイブレーション共に近距離の攻防に非常に優れている。

 

しかしサーレーは生き延び、ヴィエラは去った。

サーレーは音楽室の仲間を大切にし、ヴィエラは姉のメイサの死に興味を持たなかった。

 

サーレーは徐倫やフー・ファイターズの意思を汲み取って、彼らの思いを尊重していた。

そのためにフー・ファイターズを生かしておくという徐倫の判断に従ったし、手に入れた誰のものともわからないディスクを時間が無くても黒幕に対する囮捜査に使わなかった。サーレーは、ジョルノというボスやズッケェロという相棒から他者を尊重し社会を育むという行為を学んでいたのである。

結果としてフー・ファイターズは友誼に従い音楽室で死に物狂いで戦い、徐倫はサーレーを学ぶところの多い師であると認めて生死を賭けたギリギリの戦場でその指示に従った。

 

もしかしたら二人の命運の差は、真に苦しい時に彼らを助けてくれる社会を築けていたか否かの差だったのかも知れない。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

エンリコ・プッチ、、、逃走。

メイサ・レイナード、、、恨みを持つ亡者に殺害された。反社会的な存在である彼女が、社会の体現とも言える超個体の一種であるフー・ファイターズを天敵としていたのは、もしかしたら当然だったのかも知れない。

ヴィエラ・レイナード、、、ディオの骨の養分となった。

 

名称

州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所

概要

一夜にして、ごく一部の人間を除き内部の人間が全て失踪した。その数は、千三百人弱。生存率一%未満の、まさに地獄であった。生き残ったごく少数の人間も、行方を眩ました。事態が政府に伝われば、周辺地域に戒厳令が発令されて当たり前である。

 

名称

リンプ・ビズキット

補足事項

死者の怨念で運用されているスタンド。本体のスポーツ・マックスの亡者が行方を眩ませば無敵となる。

しかし矛盾するようだが、この世に無敵のスタンドなど存在しない。感情をエネルギー源にして動いているだけに、本体のスポーツ・マックスの亡者が自身の恨みを抑えきれないことが唯一にして致命的な弱点である。

リンプ・ビズキットが消滅すれば、亡者は感情をスタンドパワーに変換できなくなり消滅する。

射程の半径Bとは、その範囲に入った人間が蘇るという意味であり、蘇った後の亡者の射程はさらに広くなる。ディオの骨は、この射程範囲外の人間の魂を吸収した。

 

補足事項

アメリカの国家力は強大で、裏社会にたくさんスタンド使いが存在する。その中には、アバッキオのムーディー・ブルースのような調査に特化したスタンド使いも当然存在する。そういった一芸を持つスタンド使いたちは、アメリカの裏社会で国防機構として重宝されている。



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監視塔の陥落

戦闘が終結した後、音楽室の人員は非戦闘員を除きそのことごとくが疲弊しきっていた。

 

戦闘を行っていたメンツは床に座り込み、動こうとしない。

その中でも特に、互角の敵と長時間戦い続けたサーレー、危険過ぎる敵を前に絶対不通の意志を持って臨んだフー・ファイターズ、フー・ファイターズのサポートのために長時間スタンドを使用し続けたウェザー・リポートの三人の疲労は著しく、戦闘が終結した瞬間気絶するように床に倒れ込んでしまった。

徐倫とエルメェスとアナスイの負担も、軽視できない。可能であれば至急危険な陰謀を遂行せんとするエンリコ・プッチの後を追いたかったが、それは休息を挟まねば不可能だという当然の結論に落ち着いた。

 

そして、すでに外の石作りの地獄は本体のスポーツ・マックスの亡者を仕留めていたために終焉を迎えていたが、彼らにそれを知る余地はない。徐倫は念のために入り口から見えない何者かが侵入してきた時のために、音楽室の入り口に糸の結界を張っていた。

 

「じゃあ、連絡は任せたぞ。」

「ああ。」

 

敵の目的らしきものがようやく判明した。

それはヴィエラ・レイナードという信用のできない人間から齎されたものではあったが、得た情報は上に報告を行うべきだ。パッショーネの情報部はサーレーたちよりも賢く、分析能力が高く、サーレーたちが気付かなかったことや知らない情報を提供してくれるかもしれない。

サーレーは床に倒れながらも意識を繋ぎとめ、ズッケェロにそれだけなんとか指示を出して気絶するように眠りについた。

 

「ご苦労さん。」

 

ズッケェロは相棒を労い、パッショーネのカンノーロ・ムーロロへと電話をかけた。

携帯電話は音を立てて鳴り続ける。

 

「……?」

 

おかしい。いつまで経っても電話が繋がらない。しかしコール音は鳴っている。相棒はすでに寝息を立てている。

ズッケェロは仕方無しに、代わりにシーラ・Eにパッショーネへの言伝を頼むことにした。

 

『何の用?アンタたち、今どこにいるの?』

「ああ、済まねえ。お前に伝言を頼みてえんだ。俺たちはムーロロの旦那に任務の定期連絡をするはずだったんだが、なぜか電話が通じねえんだ。だからお前に言伝を頼みてえ。」

『その前に、アンタたち今どこにいるの?』

「ああ、俺たちは今アメリカのグリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所だよ。」

『アメリカの刑務所ッッッ!アンタたち、なんでそんなところにッッッ!!!』

 

シーラ・Eの素っ頓狂な声に、ズッケェロは己の失態を悟った。明け方であることと緊張で疲弊していて、ズッケェロは頭が回っていなかった。

二人に任された任務はパッショーネの特級極秘任務。その内容は親衛隊のシーラ・Eにも知らされていない。

 

「……済まねえ。俺のミスだ。これは極秘任務だ。絶対に口外するな。」

『わかったわ。用件を言ってちょうだい。』

「こっちの任務の敵の目的らしきものの情報が入ってきた。黒幕は、現生人類を消滅させて進化した新人類を生み出すのが目的らしい。」

『……ちょっと、アンタ。頭大丈夫?』

 

これが普通の対応だ。シーラ・Eは二人に任される任務が、危険で恐ろしいものである可能性が高いことは重々理解している。理解した上で、この反応だ。

普通の人間はそんなことが可能だとは考えないし、そんなことを言い出す人間がいたら正気を疑うだろう。

 

「ああ……それがこっちで起きてることが、想像以上にきなくせえんだ。まあさすがにそれはマユツバで、その情報は敵から仕入れたものなんだが、上に検討だけはするようにお願いしてもらえねえか?」

『きなくさい?一体何が起こってるの?』

 

シーラ・Eはズッケェロの言葉選びに不穏なものを感じとった。

 

「……刑務所の人間がほとんど全て死亡した。一夜にして、およそ千三百人に及ぶ人間が失踪したことになる。」

『ちょっと、それ!!!異常事態じゃない!!!一体何が起こったの!!!』

 

事態が想定よりも遥かに大事になっていることに、シーラ・Eは驚きのあまり声を荒げた。

 

「……それが、俺たちにも何が起こったのかよくわからねえんだ。黒幕の正体は判明したし、その目的も敵から聞いたものだが聞き出せた。そしてさっきまで、恐ろしい奴らと戦ってたんだ。」

『アンタたち、大丈夫なの?』

「ああ。人員はことごとく疲弊しているが、仲間内には死人は出てねえ。俺たちも早くここから逃げねえと、アメリカの国家に重要参考人として捕縛される可能性が高い。だが、疲れているやつが多過ぎてしばらくは動けねえんだ。今が夜間で助かってるぜ。」

『夜間……ああ。』

 

シーラ・Eはズッケェロのその言葉で、時差の存在に思い当たった。

 

「まあとにかく恐ろしい奴らと戦って、なんだかわからない見えない敵が襲って来て、危うく全滅するところだった。サーレーの判断が早くて助かったぜ。お前はムーロロに俺たちの伝言を伝えてくれ。敵の黒幕の名はエンリコ・プッチ。その目的は、信憑性は薄いが人類の根絶だと。」

『わかったわ。』

「それにしても……。」

 

ズッケェロは憂鬱そうに声を出した。

 

『どうしたの?』

「重用されるのって、ツレーのな。俺たちはずっと組織でいいポストに就きたかったが、それに伴ってこんなシンドイ任務を任されるんなら、一生チンピラでいいよ。」

『……さすがにそんな任務はほとんど無いわ、多分。私もそこそこ危険な任務はこなしたことがあるけど、そこまで酷いのは任された覚えがない。麻薬チームの処刑くらいかしら。アメリカの刑務所に忍び込めなんてむちゃくちゃね。アンタたち、ついてなかったわね。』

「ま、頑張るしかねーか。」

 

ズッケェロはカラ元気を出し、シーラ・Eは二人に同情した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「くぁーあ。」

 

明け方の四時半、サーレーはミラションに体を揺すられて起こされた。

体はまだ重く、外は暗い。ウェザーとフー・ファイターズも体が重かった。しかし、動かねばならない。早期に動かないと、アメリカの政府に事態が伝わってしまう。サーレーは重い体に鞭を打った。

 

「それで、これからどう動くの?」

 

比較的動ける徐倫が、目を覚ましたサーレーに問いかけた。

 

「とりあえずは二手に分かれる。俺たちの存在を消すために刑務所の監視カメラの記録を消す役目と、金髪の男が言っていた黒幕の目的のために必要な何かを刑務所内で探す役目だ。」

「あの見えない奴らは大丈夫?」

「ああ……。」

 

サーレーはそれを思い出して頭が痛くなった。あれの対処も考えないといけない。

スポーツ・マックスの亡者の消滅と共に亡者たちは全て消滅しているが、サーレーたちはそれをまだ知らなかった。

 

「仕方ない。とりあえず俺が一人で外に出て、見えない奴がどのくらいいるか確認してくるよ。お前たちはいつでも戦闘可能な用意をしておいてくれ。」

【オッケー、あたしたちに任せといて。】

 

サーレーの言葉に、フー・ファイターズが元気よく答えた。正体むき出しのままで。

……お前その怪物の姿で女性の喋り方をするな。

 

「ねえ、ごめん、エフ・エフ。その素の姿でエートロの喋り方するの勘弁してくれないかしら。なんか違和感が半端無いわ。」

【えー、なんで?いいじゃん。】

「それよりもフー・ファイターズ。お前、パッショーネに来ねえか?お前の戦いっぷり、気に入ったぜ。」

「テメー、ズッケェロ!私の仲間のエフ・エフを、おかしな組織に勧誘してんじゃねぇッッ!!!」

「パッショーネはおかしな組織じゃねーぜ。」

「お前ら、少しは緊張感を持てッッッ!!!」

 

サーレーの感じたことを、アナスイが言葉にしてくれた。

ありがとうアナスイ。

 

「まあ待てよ。人員の処遇は今のうちにどうするか決めといた方がいい話だぜ。」

 

ズッケェロはそう喋ると、エンポリオたち非戦闘員の方に目を向けた。

 

「ここから先も戦いになる。コイツらをどこか安全な場所に移しておくべきだろう。あ、相棒は外の確認を頼む。こっちの話はこっちで決めておくからよぉ。」

「……私たちに関しては、すでにどうするか決めている。」

「アン?」

 

ミューミューがズッケェロに告げた。

 

「アンタたちが敵を追うにしても、生き延びたアンタたちにアメリカから追っ手がかからないようにする人間が必要だ。それにここにはまだ二人、女囚がいる。」

 

ミューミューはグェスとミラションに目を向けた。

ミューミューは続けて喋った。

 

「私はこのグリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所の、看守長だッッッ!!!囚人の身の安全を守り、政府に対して起こったことを説明する義務があるッッッ!!!私たちは政府に出頭して、一連の事件の黒幕が誰かをアメリカに説明する!!!」

「なるほど……グェス、アンタもそれでいいの?」

「あたしがアンタたちについていっても足手まといになるだけだしね。それならせっかく拾った命が保証されるところにいた方がまだマシ。」

「……怖い……お外……怖い……。独房に……引き篭りたい……。」

 

グェスはミューミューに付き従う判断を下し、非力なミラションは戦場がトラウマになっていた。

 

「私たちも囚人だけど?」

 

徐倫がミューミューに笑いかけた。

 

「……いい。行け。お前らは、行って刑務所をこんなことにしたエンリコ・プッチのクソヤローを仕留めてくれ。」

「……わかったわ。ありがとう。」

「それはそれでいいとしてよぉ。エンポリオはどうするよ。先にイタリアに送るか?」

 

ズッケェロが会話に割り込んだ。

 

「ふざけんなッッッ!!!大切なエンポリオを変な組織にくれてやるわけねーだろーが!!!エンポリオは私が、育てるッッッ!!!」

「いやいや、お前が引き取って、エンポリオの戸籍の問題を一体どうすんだ?お前の親父おふくろにも言い訳が必要になるだろう?」

「だったらっっっ!!!せめてスピードワゴン財団で預かるッッッ!!!」

「……お前、財団の直接の関係者でもねーのに勝手にそんな約束していいんか?」

 

ズッケェロは徐倫に呆れた。

 

「構わないっっ!!!私が、クソ親父に頭を地面に擦り付けて頼み込んでやるよッッッ!!!」

「……そーかい。」

「……外にはもう何も居ないみたいだ。」

 

その時、音楽室の外の確認を行っていたサーレーが帰還した。

 

「……いない?」

「ああ。とりあえず所の内部をある程度探して見て回ったが、特に襲われるようなことはなかった。」

「じゃあ予定通り?」

「ああ。いくつかのチームに分かれて行動を起こす。優先的に所内の探索を行い、その次は所外の探索だ。同時に監視カメラの映像を消すチームも必要となる。念のために二人以上で組んで行動する。何かあったら大声で叫べ。猶予は一時間。それを過ぎたら外に刑務所の悲惨な内情が漏れる可能性が劇的に高くなる。その時間が、俺たちのここからの逃亡開始時間だ。」

「了解した。ならば戦力のない私たちが、監視カメラの記録を消す係を担当しよう。」

 

ミューミューが志願した。

 

「……いいのか?」

「ああ。私は看守だから、所内の構造を熟知している。それの一番の適任だ。ただし戦闘力がないから、念のために一名護衛をくれ。」

「了解だ。アナスイ、そっちに回れ。」

「ちっ、仕方ねーな。」

 

アナスイがミューミューの護衛に回った。

 

「戦力のバランスを考えて、俺はズッケェロと所内を見て回る。ズッケェロのスタンドはおそらくあの見えない奴らにはほぼ無力だ。エルメェスは徐倫と組んで、ウェザーは相性のいいフー・ファイターズと組むのがいいだろう。エンポリオたちは悪いが、ミューミューについて行ってくれ。本来ならばそこは護衛を増やして然るべきなんだが、済まねえが俺たちには時間も余裕もねえ。」

「うん、大丈夫だよ。」

 

エンポリオは、気丈に頷いた。

 

強い少年だ。

サーレーは感心した。

 

「油断はするなよ。取り敢えずは敵が見当たらなかったってだけで、見えない奴らがすでにいないとは限らない。」

「わかってるわ。」

 

彼らは迅速に、手分けをして所内の探索を行った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「なあ、相棒よぉ。」

 

探索を行うズッケェロが、悲しそうな目をしてサーレーに話しかけた。サーレーにはズッケェロは所内の探索を行う最中、ずっと何かを考え込んでいるように思えた。

彼らは所の男性用監房の探索を行っていた。

 

「どうした、ズッケェロ?」

「……俺がさ、ドナテロを拾ったのは、ここフロリダなんだ。」

 

サーレーはその言葉に、ズッケェロの言いたい事を大まかに理解した。

 

「……ああ。」

「……アイツはフロリダで強盗を行う寸前だった。アイツは、ここにいたかも知れねえんだよ。」

「……俺たちには時間がない。」

 

サーレーはズッケェロの言葉を耳にしながら、個人の監房の探索を行った。

 

「……わかってるよ。でもよ、どうしても頭から離れねえんだッッッ!!!アイツはバカでしょうもねえ奴だが、こんな風に無惨に殺されるほど悪い奴だとも思えねえんだッッッ。アイツは、ここにいたかも知れねえんだよッッッ!!!」

 

サーレーは探索の手を止めて、ズッケェロと目を合わせた。

 

「……そうだな。」

「だからさ、せめて俺たちだけでも死んだ奴らのために祈りを捧げねえか?」

「……ハア。仕方ねえな。時間がないから三十秒だけだ。死者の冥福のために、二人で三十秒だけ黙祷を行おう。」

 

サーレーは優しい眼差しで、ズッケェロを見ていた。彼ら二人は神聖なる処刑人だ。

 

彼らの祈りは、きっと、いつか、誰かに通じる。

祈りは虚像には通じない。祈りが通じるのは……きっと人だけだ。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「みんなッッッ!なんか見つけたぞッッッ!!!」

 

その声を上げたのは、刑務所一階の廊下を探索していたエルメェスだった。

その声に反応して、近くにいた徐倫とウェザーとフー・ファイターズが彼女に近寄ってきた。

 

【あー、あー。】

「なんだこれ……緑色の赤ん坊?」

 

ウェザーが疑問の声を上げた。

それは緑色をした赤ん坊だった。

 

【じゃああたしがあの二人組を呼んでくるね。】

「だから、エフ・エフ……その喋り方は勘弁してって……。」

 

フー・ファイターズは小走りで、サーレーたちを呼びに行った。ウェザーは念のためにフー・ファイターズの後を追った。

 

「それにしても、コレ……。」

 

即座に徐倫がその異変に気付き、エルメェスも連鎖的にそれに気付いた。

徐倫が赤ん坊に近づくと、徐倫の体が縮んだのである。

 

「……スタンド?」

「どうする、徐倫?」

「そうね。とりあえずはあの二人を待ちましょ。」

 

やがてウェザーとフー・ファイターズがサーレーたちを連れて戻ってきた。

 

「どうした、徐倫。何か見つけたんだって?」

「ええ、この子。」

 

サーレーとズッケェロも緑色の赤ん坊を確認した。

 

「これは……。」

 

サーレーが赤ん坊に近付き、その体は縮んでいった。どれだけ進んでもサーレーの体が小さくなるだけで、赤ん坊には永遠に辿り着かない。

 

「近付くと縮むのよ。私たちも触れなかった……。」

「どうする、徐倫。」

「うん?ならこれでどうだ?」

 

ズッケェロはそう呟くと、刑務所をどこかへと進んで行く。サーレーは慌ててその後を追った。

ズッケェロは刑務所の中庭に出ると、生えていた草を捩って猫じゃらしのようなものを作り上げた。

 

「……それでどうするんだ?」

「猫で学んだんだがよぉ。近付けば逃げる相手は、向こうから近付くように仕向ければいいんだよ。」

 

ズッケェロはそう答えると、赤ん坊の目の前で作り上げたものを左右に振った。

 

「ホレ、ホレ。」

【あー。】

「……反応してる。」

 

目の前で左右に動かされる草に、赤ん坊はそれを追いかけて左右に手を動かした。

やがて赤ん坊は警戒心を解き、それをズッケェロは抱きかかえた。

 

「ホイ、相棒。コイツ、どうするよ?」

「一先ずは俺が預かろう。引き続き、所内の探索を行う。その後は外だ。探索が終わった後に、そのあとどうするか決める。」

「了解。」

 

ズッケェロはサーレーに赤ん坊を手渡し、引き続き彼らは探索を再開した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……よぉ。元気そうで何よりだ。」

「……お前は。」

 

探索を続けた結果、外で辛うじて生きている者が見つかったとの報告がサーレーに上げられた。

サーレーは急ぎ、その人物の身元の確認へと向かった。

 

その人物は建物の影で下半身を失い、息も絶え絶えで横たわっていた。その傷口からは植物が生えている。

それはサーレーと徐倫が戦った囚人、ラング・ラングラーだった。

 

「……馬鹿げていたよ。おかしな……計画なんぞに……乗るんじゃなかった。ホワイト・スネイクは……何てことをしやがるんだ……。」

「喋るな!死ぬぞ!!!」

「……無駄だよ。こんなんなって……助かるわけねーだろーが。もう痛みもねーし……意識も消えそうだ。」

 

サーレーだって、本当はラング・ラングラーがもうどうにもならない事を理解していた。

 

「……何か言い残すことはあるか?」

「……死にたく……ない。」

「徐倫、あいつの手を握ってやってくれないか?」

「ええ。」

 

徐倫は頷いてひざまずき、死に行くラング・ラングラーの手を握った。

 

「……せめて、お前が来世で幸せになれる事を祈ってるよ。」

「……ありがとう。」

 

サーレーは来世など信じていない。

サーレーはラング・ラングラーのために嘘をつき、やがてラング・ラングラーは息を引き取った。

彼らはラング・ラングラーの冥福のために黙祷を捧げた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「これからの方針を伝える。」

【あー。】

 

サーレーが集まった人員に言葉を告げた。その肩には緑色の赤ん坊が乗ってサーレーの髪を引っ張っている。

サーレーたちはその後も探索を行ったが、刑務所から他には何も見つからずにタイムリミットを迎えていた。

 

「まずは非戦闘員だ。ミューミュー、ミラション、グェスはアメリカ政府に出頭する。一連の首謀者はエンリコ・プッチという神父だと報告する。エンポリオは彼らが出頭する道中で、スピードワゴン財団に身柄を預ける。」

 

サーレーたちはすでに財団に連絡を入れて、エンポリオの身柄の確保を依頼していた。

 

「そして、俺たちだ。敵の目的は、この緑色の赤ん坊である可能性が高い。赤ん坊がこちら側にいる以上、恐らくは敵はこちらを襲撃する必要があるはずだ。俺たちは常に周囲の警戒をしながら、敵を探索し、敵が襲ってきたら撃退する。アメリカ政府が動くようなら、間違えて彼らと敵対しないようにすることも考えておく必要がある。」

「了解した。」

 

ウェザーがそれに答えた。

 

「神父は酷い怪我を負っていた。すでに死んでいる可能性もあるが、目的の危険性から考えて楽観視はするべきではないだろう。生きていたとしてもそう遠くまでは行っていない可能性が高い。一般人が出血した人間を確認したら、普通だったら救急車を呼ぶだろう。そうなっていないのなら、どこかに隠れ潜んでいる可能性が高い。近場の後ろ暗い場所をメインに捜索を行う。」

「わかったわ。」

 

徐倫がそれに答え、彼らは刑務所を出発しようとした。

その時、アナスイがサーレーに耳打ちをした。

 

「……なあ、オレは徐倫と結婚を望んでいる。オレはお前たちに協力したから、お前たちもオレに協力しろ。」

「……お前は本来は受刑者だろう。そういうのは禊が終わってからにしろ。」

「……禊?」

「お前は刑務所の罪人だ。罪をまず禊ぐのが先決だ。それが終わったのなら幾らでも協力してやる。」

「……本当か?オレを祝福してくれるのか?」

 

アナスイはダメでもともとで言っただけであって、サーレーの答えは彼の予想外だった。

 

「お前の犯した罪は知らんが、まずはイタリアでお前は犯した罪を禊いだと社会に認められることだ。それさえ終わりゃあ友人として協力するし、幾らでもお前を祝福してやるよ。」

 

その時、サーレーの携帯電話が鳴った。

 

「ちょっとスマン。シーラ・E……ああ、組織の人間からだ。」

 

サーレーは電話の通話ボタンに指をかけた。

 

「どうした。」

『大変なことになったわ!!!アンタたち、急いでイタリアに帰って来なさいッッッ!!!』

「……何があった?」

『ムーロロが……ムーロロがやられたのッッッ!!!』

「バカな……あの、カンノーロ・ムーロロが……?やられた?」

 

サーレーには、それはとても信じられなかった。やられた?どういうことだ?まさか……?

カンノーロ・ムーロロは、賢くて強力なスタンド使いのはずだ。

 

事態は、それを収束させようとした者たちの思惑とは裏腹に進行していた。

ジョルノにはすでにその情報は入っていて、シーラ・Eを本来その件に関わらせるつもりはなかった。アメリカに派遣した二人組みに関しても、ジョルノはどうするか思案中だったのである。

ジョルノは責任ある組織の長として、組織内部の無駄な死人を減らすことを画策していた。

 

しかし、ズッケェロが誤ってシーラ・Eに連絡を入れてしまったために、それらが水泡と帰していた。

シーラ・Eは独自に捜索を行い、ネアポリスの裏路地でムーロロの遺体を見つけてしまっていたのだ。

 

「スマン、徐倫。事情が変わった。」

 

サーレーが緊張した面持ちで徐倫に話しかけた。

 

「……何があったの?」

「イタリアの俺たちの組織に危機が訪れている可能性が高い。俺とズッケェロは、このままイタリアに帰ることになる。済まない。」

 

サーレーはうつむいて、徐倫に告げた。

 

「……サーレー、顔をあげて。私はアンタたちに感謝してる。私だってもう小娘じゃあない。後は私たちに任せといて。」

「ありがとう、徐倫。」

「こちらこそ、ありがとうございました、先生。」

 

サーレーと徐倫は握手をかわした。

 

「なんだ、何があったんだ、相棒?」

 

ズッケェロは緊張してサーレーに問いかけた。

 

「異常事態だ。詳しくは、帰りの機内で話す。戻ってから戦闘になる可能性が高いから、可能な限り機内で体を休めておけ。」

【あー。】

「あ、そう言えば赤ん坊はどうするの?」

 

徐倫がサーレーに問いかけた。

 

「……コイツも俺たちがイタリアに連れて行く。敵の目的がコイツなら、黒幕と引き離してしまう方がいい。」

「そんな……その子も財団に預けた方が……。」

「いや、このガキは俺が連れて行くよ。正体がわからない以上、財団に預けるのは得策じゃない。財団を信用してないわけじゃあないが、真っ当な組織である財団ではどうやってもこのガキが研究対象になるのは避けられないだろう。裏社会ならばコイツでも、受け入れられる。表で祝福できない屍から生まれた子供ならば、裏でこの子を祝福しよう。」

「……。」

「……俺は万年金欠のチンピラで、モテないからな。どうせ結婚できないのなら、この親のいないガキを育てるのも悪かあねえ。」

 

サーレーは明るく笑った。

本来であれば、生後八日未満の新生児は搭乗させてはいけない。

しかし今は非常時で、対象は普通の赤ん坊ではない。サーレーは決まりごとに目を瞑った。

 

「……わかったわ。じゃあね。」

「ああ。」

 

サーレーとズッケェロは徐倫たちに別れを告げた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

時は少し遡る。

臨時の暗殺チームコンビ、グイード・ミスタとカンノーロ・ムーロロはネアポリスの警戒を行なっていた。

ローマ支部防衛チームのヴェロッティがやられて、続いてネアポリス支部防衛チームのセルツィオもやられた。

二人とも、ジョルノに忠誠を誓う探知タイプのスタンド使いだった。敵を探し出せる探知タイプのスタンドは有用性が高く、彼らはパッショーネでも貴重な存在だった。

 

ミスタとムーロロはそれらの事件に対して、事件が起きた付近の巡回を増やすことでしか解決の糸口を見出せなかった。

そして、彼らはネアポリスの路地裏で回転木馬に乗った悪魔と鉢合わせてしまう。

ミスタは拳銃を構えた。ミスタは緊張して、汗をかいている。

 

「……久しぶりだな、グイード・ミスタ。元パッショーネの下っ端よ。キサマも随分と偉くなったものだ。」

「ディアボロッッッ!!!お前がなぜ今ここにいるッッッ!!!」

「なぜ……なぜか。疑問は自分で解き明かすべきだ。」

 

ディアボロは上を向いて不敵に笑った。

ミスタは小声でムーロロに指示を出した。ムーロロは黙りこくっている。

 

「奴のスタンドの弱点は、持続力だ。俺が致命の弾丸を撃ち込むから、奴がそれに対処するためにスタンドを使用した直後にお前がトランプでトドメを刺せッッッ!!!」

 

ミスタが言葉を発するや否や、ミスタの拳銃が弾丸を発射した。

ミスタが発砲すると同時に、ミスタとディアボロにとって予想外のことが起こった。

 

「…ッッッ?」

「なぜ、なぜだ?ムーロロッッッ!!!」

 

カンノーロ・ムーロロのウォッチタワーはディアボロを襲わず、その多くがミスタに張り付いた。ミスタは叫びも虚しく複数のトランプに運ばれ、どこへともなく去って行く。

そしてそれと同時に、ディアボロを守護する回転木馬は消滅していった。

 

一拍おいて、ディアボロはそれら全ての理由を理解した。

 

「キ……サマッッッ!!!」

 

ディアボロはカンノーロ・ムーロロを十分に警戒したつもりで、まだムーロロという人間の恐ろしさを十分に理解しきっていなかった。

ウォッチタワーという強力なスタンドが恐ろしいのではない。ウォッチタワーという強力なスタンドを、カンノーロ・ムーロロという判断に優れた有能な人物が運用しているのが恐ろしいのだ。

 

「なぜだッッッ!!!なぜ貴様はそこまでジョルノ・ジョバァーナに尽くす!!!!」

 

その逆に、カンノーロ・ムーロロはディアボロという人間をよく理解していた。

ディアボロは用心深く、万全の状態でなければ自ら動いたりしない。ディアボロが姿を見せたということは、彼にはミスタとムーロロを始末する算段がついたということである。ならば相手の思惑に乗っても、最悪の事態は防げない。

 

ムーロロは相手の思惑通りにことが進むことを避けるために、ミスタを逃がすことと得体の知れない回転木馬を始末することを優先した。回転木馬は射程はあまり長くないらしく、本体は幸運にも近くに潜んでいた。スタンドが見えて、なおかつ隠れ潜むようにしている人間を見つけ出せばいい。ムーロロは有能な情報屋だが、稀代の暗殺者でもある。およそ三十枚のトランプがミスタを逃がし、残りの二十枚が暗殺を請け負っていた。知能の高いムーロロは一瞬で、その判断を下したのである。

 

「アンタ、一度ジョジョに敗北しときながらまだわかんねえのか。バカな奴だ。」

 

ムーロロの憐れみの眼差しがディアボロを射抜いた。

 

「……なんだと!?」

 

ディアボロは怪訝な表情を浮かべた。

 

「俺はジョジョのパッショーネに所属して、理解したよ。社会には、愛が必要だ。」

「キサマ、何を言っているんだッッッ!!!」

「アンタが今ここで、コソコソとせざるを得ない理由だよ。パッショーネにゃあ優秀な人材が揃っていて、それを正しく運用していればアンタは今頃誰からも尊敬される裏社会の至高の帝王だったってのにな。今じゃあコソコソ隠れてイタリアに害を為す、ただの害虫だ。悲しいもんだな。」

 

ムーロロは、空を仰いだ。

ネアポリスの空は曇っていて、灰色だ。空気は湿っている。

 

「……ッッッッ!!!」

 

ムーロロは、穏やかな口調でディアボロに告げている。裏路地にはポツポツと雨が降り出していた。

 

「俺もアンタも社会に愛され祝福されて、この世に生まれ落ちた。愛には愛で返すべきだった。にも関わらず、アンタは自分だけを愛して、イタリアを一切愛さなかった。それどころか、麻薬をばら撒き社会を害するようなマネをし続けた。だからアンタはイタリアの社会に嫌われて、弾かれたんだ。アンタがジョジョに負けたのは必然だったんだよ。」

「ッッッ!!!」

「きっと俺も、イタリアの社会に嫌われて弾かれる寸前だった。そんなバカな俺でもジョジョは拾って、辛抱強く育てて大切に使ってくれた。アンタもコソコソと隠れて慎ましやかに生きてりゃあ、俺たちも探し出してまで始末しようとはしなかったってのに、本当に救いようのねえ奴だ。」

「……キサマ、命が惜しくないのかッッッ!!!」

「俺は先代のパッショーネの処刑人だ。すでに後進は育っている。アンタが粗末に扱って腐らせたおままごとの暗殺チームなんかじゃあねえ。生を知り、死を知り、社会を識る本物の社会の守護者がな。」

 

ムーロロは、ニヒルに笑った。

誇り高き先代処刑人の心は、すでにイタリアの社会に捧げられている。

 

当初の標的である片割れのミスタは取り逃がし、守りの要の回転木馬は消滅した。

暗殺チームは、ディアボロにとってどうしようもなく鬼門だった。それも当然だ。暗殺チームの真の役割は社会の守護者であり、ディアボロは社会に害をなす者なのだから。

今この場で完全敗北しているのは、ディアボロだった。

 

「キサマァァァァァッッッ!!!」

 

人間の大切なものには、序列が付けられている。

ムーロロのこの場での上位の序列は、ミスタの命と社会を害そうとする得体の知れないスタンドの始末で占められてしまっている。残念ながら、ムーロロの命はその下だ。

ディアボロは、激昂した。

 

ネアポリスの裏路地に血は流れ、トランプは風に吹かれて消え去っていく。

 

こうしてイタリアの平穏を守護する聖なる監視塔は倒壊した。

遺体のそばでは、持ち主の居なくなった携帯電話が鳴り続けていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名前

ラング・ラングラー

概要

亡者に襲われた後、ディオの骨に触れてしまった。それらに抵抗して生き残るために必死で自身に能力を使用するも、明け方と共に死亡した。

 

名前

カンノーロ・ムーロロ

概要

ミスタを救い敵を打破するために、その命を捧げた。

パッショーネのジョルノの腹心中の腹心で、ジョジョを他の誰よりも尊敬し、敬愛している。

 

名前

ディアボロ

概要

帰ってこれたのには、秘密がある。

 

名前

緑色の赤ん坊

スタンド

グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

概要

猫と同じやり方でズッケェロに拾われた。



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何でも屋とオアシス

「特に異変が起こってるだとか、交通規制が行われているなんてことはないようだ。イタリアで戦闘が起こっているにしろ、まだ暗闘の域を出ないのだろう。」

 

機内でサーレーが新聞に目を通しながら、ズッケェロに告げた。

彼らはフロリダから空路を乗り継ぎ、ナポリ・カポディキーノ国際空港へと向かう最中であった。フロリダからネアポリスまでは飛行機でも長時間かかり、疲弊しきっていたサーレーの体力も機内で熟睡してある程度は回復していた。

 

「しかしまさか、ムーロロのダンナがやられるとは……。」

「俺だって信じられねぇよ。あのムーロロが……。」

 

ズッケェロは悲痛な面持ちをした。

サーレーにもその気持ちはよくわかる。サーレーもムーロロほど用心深く、抜け目がない男がやられるなんて露ほども考えていなかった。

ムーロロは彼らの友人であり、上司でもあった。

 

「で、どうすんだよ。」

「そうだな。まずは起こっていることの情報を得るのが最優先だ。コイツをどっかに預けて、ボスの下に向かう。」

【あー。】

 

サーレーは機内で、足の上に乗せた緑の赤ん坊を撫でた。

赤ん坊は長時間搭乗させているが栄養が植物と一緒らしく、道中で植物に与える栄養を与えれば特に変調をきたすようなことはなかった。

客室乗務員や周囲の客はその外容を不気味がってはいるものの、特に何か言ってくるようなことはなかった。

 

「おっ、もうすぐ到着だぜ。」

「ああ。」

 

実は、サーレーは一つミスを犯している。

ディアボロは暗殺チームの二人を警戒しており、彼らの不在を知ってイタリアに急襲してきていた。ゆえに、空港は暗殺チームの帰路としてディアボロが最も警戒していた地点だった。サーレーたちは、違う空港に降り立ってから陸路でネアポリスに向かうのがベストだったのである。

空港を出た外の街路の陰には、二つの人影が存在した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ターゲットだ。間違いねえ。」

 

(ヘイ)はヨーロッパで何でも屋を営む、一匹狼だった。

彼は写真に写った二人組の確認を行う。

 

茶色い髪に東洋人風の彫りの浅い顔立ち、それらを隠すようにニットを目深に被っている。

黒というのは通り名であり、本名ではない。汚いことを請け負うという意味合いから、黒という通称を自虐で名乗っていた。

黒はオランダ人の父と中国人の母を持つハーフであり、母方の祖国の中国の水が合わずにヨーロッパで何でも屋を営んでいた。

 

何でも屋を銘打ってはいるが、本当になんでもやるわけではない。殺人や誘拐などの人道に悖る行為は御法度だ。危険が過ぎるのである。だいたい恐喝、脅迫、窃盗、情報の売買、裏の物資の流通経路の斡旋あたりを生業としている。

別に後ろ暗いことが好きでこの仕事をしているわけではない。効率よく楽に稼げる仕事を突き詰めていたら、いつのまにかこの職についていただけだ。

 

殺人などの行為は、本気で怒らせてしまう。誰を、ではない。国家や社会といった強大な存在を、だ。

一匹狼の黒がそういった巨大な存在を怒らせて本気にさせてしまえば、長生きすることは不可能である。黒が今生きてお目溢しをされているのは、社会に他にもっと優先する対象があるからである。

黒は分を弁えていた。

 

「うあっ、うあっ、うおおおおっっっ!」

「またか、つくづく妙なのを拾っちまったもんだぜ。」

 

黒は一匹狼だった。それはつい最近までの話である。

今では、先日拾った連れと二人でチームを組んでいる。その男もスタンドが使えて、そこそこ使い道のありそうな男だったのだ。

男は黒に詰め寄り、鼻息を荒くした。何が言いたいのかはだいたいわかっている。

黒は懐に入れた小瓶から角砂糖を取り出した。

 

「仕方ねえな。ほら、一個だけだぜ。」

「うあっっ、うああっっ!!!」

 

黒の連れは首を振った。どうやら一個では足りないらしい。

……この男、なぜか主食が角砂糖のようなのだが、意味がわからない。糖尿で早死にするんじゃなかろうか?

黒は拾った連れの奇妙な言動に頭を痛めていた。

 

「……しょうがねえな。三個やるからそのかわりしっかり仕事しろよ。ほら、行くぞ。」

「あう、うああっっ。」

 

連れは嬉しそうな顔をして、首を縦に振った。

その男は、かつてパッショーネに所属していたセッコという名の男だった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「戦闘の方は、どうだ?」

 

サーレーは相棒に確認をした。

 

「まあ本調子とは言えねえが、危機にいつまでも人任せでサボってるわけにも行かねえだろ?第一、お前も本調子じゃねえだろう?」

【あー。】

 

ズッケェロはそう答えた。

二人は今現在空港の建物を出て、タクシーで目的地に向かうところであった。目的地とは、ボスであるジョルノのいるネアポリスの図書館だ。

 

「それにしてもずっと飛行機に揺られっぱなしで、体が固くなっちまった。」

 

ズッケェロが伸びをして、空港の壁に手をついた。

 

「まあそれは仕方ないが、我慢しろ。さっさと向かうぞ。」

「アレ……オイ!」

「オイ、バカやってる暇はないぞ?一体何やってるんだ?」

「それがよ……体が勝手に動くんだよ。」

 

ズッケェロが唐突に二人の向かう方向とは逆に歩きだし、それに気付いたサーレーがズッケェロに手を伸ばした。

ズッケェロが手をついた空港の壁には、矢印が描かれていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「かかった。」

「なあ、黒。俺は何すりゃあいいんだ?」

「お前の仕事は先に指示しておいただろうが。もう忘れたのか?」

 

黒は相棒であるセッコの記憶力の悪さに呆れた。

黒の横に青と白の縞模様をした瘦せぎすでノッポなスタンドが浮かび上がった。

黒のスタンド、トラフィック・レギュレーション。その能力は、建物の壁や地面などに道路交通の標識を浮かび上がらせ、触れた対象に強制的にそれを遵守させるというものであった。能力は標識に触れた人間にさわった人間にも感染する。

黒はスタンドで一方通行の標識を空港の壁に浮かび上がらせ、標的の片割れであるマリオ・ズッケェロがそれに触れた。残りの標的のサーレーもズッケェロに触れて感染したのを確認していた。

 

「俺は誰をやればいいんだ?」

「誰もやらねえよ。お前の仕事は万が一戦闘に突入した際に、俺のサポートをすることだといっただろうが。」

 

敵は二人組みで、依頼者からは敵の足止めというオーダーをもらっている。黒は分の悪い戦いをするつもりはないし、依頼者の指示と黒の理想が一致していたために戦闘を行うつもりはさらさらなかった。黒のスタンドの右手の平の上に赤丸の中に人間が描かれた標識が浮かび上がった。それは、歩行者通行止めの標識だ。

 

「ホラ、これで依頼完了だ。」

 

サーレーとズッケェロは一方向に歩き続け、やがて建物の中へと侵入した。それは、空港に存在する頑丈な飛行機の格納庫だ。黒は入り口のシャッターをスイッチをいじって閉じると、歩行者通行止めの標識を入り口に貼り付けた。これで出口から脱出することは不可能だ。

 

「これであとは見張っているだけで依頼完了だ。」

 

依頼者から前金をもらい、空港の人間はすでに買収してある。パッショーネの依頼だと告げれば、空港の人間は快く協力してくれた。

 

それにしても……黒は依頼に違和感を感じていた。

パッショーネは強大な組織で、依頼があれば黒は請負わざるを得ない。逆らえる相手ではない。

しかし、その強大なパッショーネがなぜたったの二人を足止めするためにわざわざ黒に依頼する必要があるのか?

 

「……ま、気にする必要はねえか。」

 

久々の依頼だったが、依頼主は間違いなくパッショーネの親衛隊の人間だった。ならばあとは黒は依頼をこなすだけだ。

 

「なあ、黒。俺はビデオカメラで奴らの撮影をしておかなくていいのか?」

「……なんでそんな必要があるんだ?」

 

黒は、相棒にしたセッコという名の男の珍妙な言動に呆れていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「うおおおおおおッッッ!!!」

「お、おい、相棒。どうするよ?」

「どうするっつったって、体が勝手に意図しない方へ動くんだよ。」

【あー。】

 

サーレーとズッケェロはパニクっていた。緑色の赤ん坊はサーレーの肩で楽しそうに笑っている。

タクシー乗り場へ向かおうという二人の意図に反し、足は勝手にあらぬ方角へと向かっていった。

 

黒のスタンドは標識を遵守させるものであり、一方行にしか進めないだけで止まることは可能なのだが、パニクる二人にはそれが思い付かなかった。とはいえ、たとえ止まっても再び歩き出せば同じ方向にしか進めないわけで、どちらにしろ足止めはされてしまう。

黒の目的が二人の打倒であれば二人にもやりようがあったが、足止めであるために二人はそれに対して効果的な対応が出来なかった。

 

「おい、あの建物に向かってるぜ。」

「どうやらそうみたいだな。警戒しろ。あの建物の中に敵が待ち伏せている可能性は、高い。」

「……ああ。」

 

サーレーが真剣な表情でズッケェロに告げた。

二人の足は勝手に空港内の機体格納庫へと向かっていく。敵の目的が足止めであることを知らないサーレーは、必然的に格納庫で敵が待ち伏せていることを想定した。ズッケェロもそれに同意する。

 

「ここは……。」

「おい、動けるぜ。」

「ああ。」

 

黒の能力にはいくつかのの制限があった。その一つは、一度に守らせることが可能な標識は一つであるということ。ゆえに、二人が格納庫に侵入してその入り口に黒が歩行者通行止めの標識を貼ったあとは二人は自然と体の自由を取り戻した。

 

「んでどうするよ?」

 

ズッケェロがサーレーに問いかけた。

 

「決まっている。敵なら打倒して、さっさとボスの下に向かう!出て来い!貴様がそこにいるのは、わかっているッッッ!!!」

 

サーレーは格納庫の誰もいない暗がりを指差して、ビシッと決め台詞を放った。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

黒は二人が侵入した格納庫を見ながら、考え事をしていた。

 

ーーうーん、やっぱり違和感は拭えねえな。パッショーネは多分ボスが変わったはずだ。以前はパッショーネからチョコチョコ依頼があったが、ボスが変わってからは俺に仕事が来ることはめっきりなくなった。んで久々に仕事が来たと思ったら、大金を払って見るからにチンピラ二人の足止めだ。アイツらそんなに危険な奴らなのか?それにボスが変わったということは、パッショーネの親衛隊の人員に変更があった可能性も否めねえ。だが依頼主の金払いはキッチリしていた。

 

黒はヨーロッパの情報屋でもある。耳聡く、ヨーロッパで起こる物事の大半は彼の耳に入ってくる。頭の回転も早く、パッショーネの代替わりにしても確信に近い予測をしていた。

 

以前のパッショーネから黒に依頼が入る際、その依頼主は大まかに二通りだった。

一人は、情報部のカンノーロ・ムーロロ。もう一人は、親衛隊のヴィネガー・ドッピオ。

巨大な組織の一枚岩での運営は難しく、以前のその二人はそれぞれ思い思いに時に対立するような形で黒に依頼を行なっていた。黒は時に板挟みになりながらも、どちらからも敵視されずどちらからも使い勝手のいい駒に徹して上手くパッショーネと付き合っていた。

 

それがある時期を境に、黒にパッショーネからの依頼が一切来なくなる。

それはジョルノ・ジョバァーナがパッショーネのボスとして姿を現した後であり、その時期を境にパッショーネの情報は黒に一切入ってこなくなった。黒はそれを、姿を現したジョルノというボスがパッショーネを強固に一枚岩で運営しているのだと、そう理解した。

 

パッショーネは黒にとって上得意様だったが、他にもそれなりの数の顧客がいた。黒はパッショーネの代替わりのことは知らぬ存ぜぬで通し、それらを忘れつつあったタイミングで、パッショーネの親衛隊のヴィネガー・ドッピオから黒に足止めの依頼が舞い込んできた。

 

ーーま、今回も知らぬ存ぜぬで通すのが無難かね。世の中の裏側の深奥なんざ、知ったところで何の得もしねえ。せいぜい本当にヤバイ奴らに敵視されるのがオチだ。

 

黒は幾度も修羅場を潜り抜けている。幾度も悪鬼、魍魎と言えるようなスタンド使いと出くわしていた。

しかしそんな彼にも恐ろしいという感情は当然存在する。当たり前だ。恐怖が無ければ彼は今日まで生きてない。

 

その中でも、特に恐ろしかった記憶が黒の頭を過ぎった。スペインからの来訪者だ。

メロディオと名乗る一見どこにでもいそうなその女は、黒を恐慌のどん底に陥れた。

 

『こんにちはー。ヨーロッパで有名な何でも屋さん。』

 

パッショーネの代替わりという極めて危険な話題を聞き出そうとしたその女に対して黒が警告をしようとした瞬間、黒のスタンドはその能力の一切が無効化された。その時初めて、黒は女の敵意が強烈に自身に向いていることに気が付いた。パッショーネの代替わりの話題はただの挨拶であり、彼女の真の目的は以前のパッショーネに麻薬の密売ルートを斡旋していた黒への警告だった。

 

『……あなたが斡旋した麻薬密売ルートのせいで、何人死んだかわかっているでしょう?スペインだけでも、何も罪のない一般人が少なく見積もっても年間四桁は犠牲になっている。それは死んだ人間だけの数、知らなかったとは言わせない。……やっぱり殺そうかしら。』

 

その後のことは思い出したくも無い。情報屋の黒も噂だけは耳にしていたが、実際にそれの実物を目の当たりにして愕然とする他なかった。その女は、ヨーロッパ社会の裏側で有名な都市伝説となっている存在であった。噂だけが一人歩きし、実態を知る者は誰もいない。皆恐怖のあまり、口を噤んでその存在を忘却の彼方へと追いやるのだ。

あれは黒に分相応という言葉を強烈に植え付ける出来事だった。黒は年下の女に泣いて許しを乞う羽目になった。

 

その女の目は、深淵よりもなお昏かった。

 

「おい、黒。いいのか?奴らが窓から逃げ出したぜ?」

「ハア?」

 

黒は思考から戻り、慌てて格納庫の方へと目をやった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……どうやら、誰も居ないようだな。」

「……そうだな。」

【キャッキャッ。】

 

サーレーとズッケェロの間には、微妙に恥ずかしい空気が漂っていた。思春期のような、触れるべきでは無いような、ティッシュで包んでそっとしておくべきなような、なんとも言えない空気だ。

サーレーが格納庫の暗がりに向かって見栄を切って、ズッケェロがサーレーの斜め後ろで臨戦のポーズをとった。……そして、暗がりには誰も居なかった。二人は恥ずかしくて目を合わせられない。緑色の赤ん坊だけが、サーレーの肩に乗って嬉しそうに笑っていた。

 

「……んで、どうすんだ?」

「いつまでもこうしては居られない。敵が襲ってきたら返り討ちにする。それまではさっさとボスの下に向かうぞ。」

「……赤ん坊はどうするよ?」

 

ズッケェロが指摘した。それは、サーレーにも頭痛の種だった。

サーレーは赤ん坊をイタリア在住のパッショーネの非戦闘員に一時的に預けるつもりであり、その前に空港からいきなり敵が襲ってくることを想定していなかったのだ。

 

「……とりあえず、襲われたら適宜対応するしか無い。」

「……まあ、そうなるわな。」

 

ズッケェロもため息を吐いた。そうと決まればいつまでもここでチンタラしてるわけにはいかない。

ズッケェロは建物の出口に手をかけた。

 

「……開かねーな。」

「……マジか。閉じ込めるのが目的だったってことか?」

 

出口は格納庫ゆえにシャッターであり、二人が建物内に侵入した際に降ろされていたことを音で理解していた。

しかし二人は今の今まで格納庫内に敵がいることを警戒していたため、それをすっかり失念していた。

 

「となると……。」

 

サーレーは辺りをぐるりと見回した。

格納庫内には何も置かれておらず、壁は分厚いコンクリート造りになっている。

 

「あそこしかねえか。」

 

サーレーは格納庫の上方に付いている天窓に目をやった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

黒が天窓を警戒していなかったのには理由がある。

天窓の位置は高く格納庫内の踏み台に使えそうな物資は外に出していたし、窓の大きさは人が出入りできるほどには大きくなかったのである。

しかし、クラフト・ワークが壁を固定しながら登り、ソフト・マシーンが厚みを無くして二人はそこから脱出してしまった。

 

「おい、奴らはどこいった!」

「建物の屋根の上にいるぜ。何かを探しているみたいに見えるな。」

 

セッコが格納庫を指差した。

 

「何かって、俺たちだよ!ひとまず隠れるぞッッ!!!」

 

黒はセッコの手を引いて、建物の影に隠れた。

 

「なあ、黒。俺たちわざわざ隠れなくてもアイツらを倒しちまえばいいんじゃねえか?」

 

これだからバカは嫌いなんだッッッ!

黒は心中で舌打ちした。依頼主が足止めを指定して依頼するからには、それ相応の理由があるはずである。

黒が今までヨーロッパで何でも屋でやっていけたのは、仕事をしっかりこなすという信頼を得ていたからである。失敗する危険はなるべく犯すべきでは無い。

 

「なあ黒、いいのか?アイツらタクシー乗り場に向かって走っていくぞ?」

「、、、チッ、仕方ねえ。戦闘だ。行くぞ、セッコ!!!」

 

黒は走って空港の物陰から躍り出た。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「待てッッッ!!!」

 

空港の物陰から二人の男が躍り出て、サーレーの行く手を遮った。サーレーは足を止めてその二人を観察した。

一人は東洋人と思しき人間、もう一人は……なんと形容すればいいのだろうか?

サーレーは即座に二人がサーレーたちを足止めしようとした敵であると、そう判断した。

 

【あー。】

「相棒ッッッ!!!俺が奴らと戦うッッッ!!!」

 

緑色の赤ん坊を庇いながら戦う必要のあるサーレーは戦闘に支障があるとそう判断して、ズッケェロが一歩前に出た。

 

「アイツをやればいいんだなッッッ!!!」

「待て!セッコ!!!」

 

黒が拾ったセッコは、黒の制止も聞かずに道路を掻き分けて敵の下へと突貫していった。

黒は、依頼のきな臭さに戦闘に突入することを躊躇していた。

サーレーは地面に潜ったセッコを確認して、防御のために周囲にラニャテーラを発動した。ラニャテーラはネアポリスのコンクリートの道路を強靭に舗装した。

 

「ってことはよォ、俺の敵はオメエだな。」

「……チッ。」

 

コンクリートに潜った敵に対して相棒が能力を発動したことを理解して、ズッケェロは敵の頭数を減らそうと黒の前に立ち塞がった。

ズッケェロの横にソフト・マシーンが姿を現し、細剣が黒へと襲いかかった。黒のスタンドが姿を現し、左手の甲で細剣の軌道を横にズラした。

 

「オラッッッ!!!」

「チッ!!!」

 

細剣が弧の軌道を描き、空間を鋭く翻った。その戦端の軌道は素早く、黒はそれを受けないようにするので手一杯だった。

ソフト・マシーンは近接向きではないのだが、黒のスタンドも近距離戦はさほど強くはない。そのためにセッコという近距離に特化したスタンド使いを護衛として連れていたはずなのだが、セッコは黒の言葉を聞かずに勝手に相手へ向かって行ってしまった。……もうバカを相棒にするのはやめよう。

黒は後悔した。

 

「おあ、ん?おああっっっ?」

 

一方でその頃地中を掻き分けて進んでいたセッコは、敵に向かう最中で唐突に地面を先に進めなくなり困惑していた。

おかしい。いくら能力を使用しても地面が泥化しない。

 

当然それはサーレーのクラフト・ワークがラニャテーラを発動したからであり、サーレーから半径十メートルほどの周囲のコンクリートはクラフト・ワークの固定のエネルギーを流し込まれて固く舗装されていた。

スタンド同士が矛盾すれば、パワーが強い方が勝利する。

 

「オラッッッ!!!」

 

サーレーのクラフト・ワークが、震脚を踏んだ。それは周囲を揺るがし、スタンドパワーが込められたそれはほんの一瞬だけラニャテーラの効果範囲を広げ、地中のセッコは得体の知れないエネルギーに拘束される感覚を味わった。セッコは驚いて慌てて地中から飛び出した。

サーレーのラニャテーラは発動し続けると消耗が激しい。サーレーは地中から敵を炙り出すために震脚を使用した。地中に潜られたらまた防御のためにラニャテーラを発動し続ける必要がある。敵にまた地中に潜られないようにうまく駆け引きをしないといけない。

 

「……てめえ、地中に潜ったらまた今の使ってくるんだろう?同じ手が二度と通用すると思ってんじゃねえ。俺が地上で戦えねえと思ったら、大間違いだッッッ!!!」

 

……バカで助かった。

サーレーは半身になって、左手を緑色の赤ん坊に添えた。右手を前に突き出して、かかってこいのジェスチャーをセッコに示した。

 

「なめやがってッッッ!!!」

「……。」

 

サーレーはなぜだか、目の前の男に負ける気が全くしなかった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ズッケェロは赤ん坊を守護しながら戦うサーレーを気にかけながら、東洋人と思しきスタンド使いと渡り合っていた。

幸運にも敵は近接にあまり強くないらしく、刺突の一撃が致命的であるソフト・マシーンの細剣への対応で精一杯のように見て取れた。

一つ刺せれば勝利が確定する。ズッケェロは嵩にかかって黒を攻め立てた。

 

「オラッッッ!!!ソラッッッ!!!」

「クッ!!!」

 

細剣の水平の横薙ぎを黒のスタンドはしゃがんで躱した。立て続けにしゃがんだ相手にソフト・マシーンの膝蹴りがとび、黒のスタンドは腕を前方で交差させてそれを防御した。

 

「オラ!喰らいなッッッ!!!」

 

蹴りを防御したことにより若干前かがみになった黒のスタンドに、ソフト・マシーンが細剣を刺突した。

しかし、細剣は突き刺さらない。

 

「なにッッッ!!!」

「やられたぶん、やり返させてもらうッッッ!!!」

 

黒のスタンドは自身の体に一時停止の標識を浮かび上がらせ、そこに細剣を突き立てようとしたソフト・マシーンが一瞬固まった。

黒のスタンドは隙が出来たソフト・マシーンを殴り返した。その拳には、標識が浮かび上がっている。

 

「制限速度、時速二十キロだ。」

「なにッッッ!!!」

 

黒のスタンドがソフト・マシーンに縛りをかけた。ソフト・マシーンは足枷をかけられ、その速度は低下した。

 

「……。」

 

速度が低下したズッケェロは一瞬だけ眼球を動かして周囲を確認すると、次の瞬間に背を向けて逃走を行なった。

黒は相手のその動きに敵の意図を掴みかねて、敵を追いかけるのが遅れてしまった。

黒がズッケェロの背を追って曲がり角を曲がると、そこには一面にシャボンが浮かんでいた。

 

「なっ、何だこれは!?」

 

黒はズッケェロを追いかけるのが物凄く遅くなったわけではない。しかし速度が低下しているはずのズッケェロは曲がり角を曲がると消滅し、代わりに周囲には一面にシャボンが浮かんでいる。

それは黒が危険を認識する間も無く炸裂し、黒の視界がブレた瞬間に足元の排水溝の僅かな隙間から細剣が黒に向かって突き立てようと伸ばされた。

 

「うおおおおおおッッッ!!!」

 

黒は揺れる意識を必死に繋ぎ止めて細剣を横っ跳びに飛んで躱した。ズッケェロの速度に制限をかけていたおかげで辛うじて躱すことが可能だった。黒は慌てて足元の排水溝の位置を確認して敵の攻撃が届かない範囲へと退避した。

排水溝から、声がした。

 

「おい、テメー。倒す前に聞いといてやる。なぜテメーはパッショーネに楯突いた?テメーの仲間がムーロロのダンナをヤッたのか?」

「……は?」

 

黒は困惑した。

黒はパッショーネの依頼でここにいる。……いや待て、それはいい。

 

「……おい、待て。今なんて言った?」

「アン?だからテメーがパッショーネの敵かって聞いてんだよ!」

「いや、違う。それじゃあない。ムーロロさんがヤられた?」

 

黒はヨーロッパで情報屋も兼ねており、自分よりも情報収集能力の高いカンノーロ・ムーロロを情報屋として尊敬していた。

黒はムーロロから依頼を受けることがあったが、同じ情報屋として持ちつ持たれつでやっていた間柄でもあった。ゆえに、ムーロロという化け物のような男がヤられたという言葉が、自分の聞き間違いだとしか思えなかった。

いやそれより、自分が受けたのはパッショーネからの依頼だったはずだ。これはおかしなことになっている。

 

「とぼけてんじゃねえよ。」

「まっ、待てっっっ。俺はパッショーネからの依頼で受けた外注の人間だッッッ。」

「嘘つくな。」

「嘘じゃないッッッ!!!俺はパッショーネの親衛隊の男からお前たちの足止めを金で請け負っただけだッッッ。」

「ハア?」

 

ズッケェロは排水溝からヌルリと出てきて、相手の表情をじっとりと眺めた。嘘をついているようにも見えない。

 

「……それよりも本当なのか?ムーロロさんがヤられたってのは?」

「お前は自分で外注の人間だと言ったはずだ。外の人間がパッショーネの内情を知って、一体どうするつもりだ?」

 

ズッケェロの言葉には迫力があり、黒は自身が失態を犯している可能性が高いことを理解した。

裏の深奥には関わらない方がいい。知らない方がいい。じゃないと、恐ろしい奴らを怒らせてしまう。

 

「……済まねえ。俺の落ち度だ。俺はパッショーネのヴィネガー・ドッピオって親衛隊の男から依頼を請け負っただけだ。アンタがパッショーネの人間なら、俺はもう関わらねえ。どうか逃げ出すのを許してくれ!」

「賢明だ。今イタリアでは裏で暗闘が起こっている。ほとぼりが冷めるまでどっかに避難しといた方がいい。失せな。」

「恩にきる。」

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「テメエッッッ!なめやがってッッッ!」

「なめられる方が悪い。」

【キャッキャッ。】

 

サーレーのクラフト・ワークはセッコの拳を右手のひらで受け流し、すれ違いざまに右回転して左肘をセッコの後頭部に痛打した。

セッコは地面にもんどり打って倒れ、そのままの体勢で左足で蹴りを放った。サーレーはそれを半歩動いて躱し、クラフト・ワークは右手でそのままセッコの左足を掴んで壁に叩きつけた。セッコは慌てて壁を泥化させて防御しようと試み、しかしその瞬間にクラフト・ワークの固定エネルギーを体内に流されて硬直したまま壁に痛烈に叩きつけられた。追撃でクラフト・ワークの前蹴りがセッコの顔面を襲い、セッコは両腕で必死に防御する。セッコは地中にも逃げれない。逃げたらあの変な技で地中に拘束されてしまう。

 

ことここに至って、サーレーは自分のクラフト・ワークが何をしているのかを完璧に理解していた。

何しろ、敵の未来の動きが見えるのである。

 

刑務所での全く余裕のない戦いとは違うが、ここでも守るべき赤ん坊という存在がサーレーに高い集中力を与えていた。

集中したクラフト・ワークは頻繁にサーレーの脳裏に敵の映像を送り込み、もともと近接の強かったクラフト・ワークは未来予知と相まって難攻不落の要塞のごとき防御力を有していた。セッコはサーレーをその場からほとんど動かすことすら出来ず、赤ん坊にも指一本触れられない。一方的に為すがままに攻撃を受けている。

 

「テメエじゃ俺の相手にならねえ。」

「ヒッ。」

 

一歩前に出たサーレーに、手も足も出ないセッコは怯えた。

 

「おい、セッコ。逃げるぞ!」

 

その時別の場所で戦っていた黒とズッケェロがセッコとサーレーの下に現れた。

サーレーの視線がそっちに流れ、セッコはこれ好機とばかりに地面を泥化させてサーレーに投げ付けた。

 

「あっっ!このバカッッッ!!!」

 

投げたコンクリートは尖った矢となり、サーレーの頭部へと向かっていく。サーレーはそれを首を動かして軽く躱した。矢はサーレーの頬をかすめ、血が糸を引いた。

 

【あー!】

 

緑色の赤ん坊がサーレーの傷跡をなぞり、跡は消えていった。

 

「あ……。」

「……躾が、必要みたいだな。」

 

サーレーの額に血管が浮かび上がり、攻撃を認識した緑色の赤ん坊のスタンドがセッコを襲った。

身長が半分になったセッコは、怒ったクラフト・ワークに散々に殴られた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名称

スタンド名

トラフィック・レギュレーション

概要

標識を壁や地面、自分などに浮かび上がらせて、それに触れたものに強制的に守らせる。標識に触れた人間にさわった人間も、能力が伝播する。同時に二つ以上標識を出したり、同じ標識を立て続けに出したりはできない。おかしな陰謀に関わらされていることに気付き、依頼を放棄して母方の祖国の中国へと逃亡した。

 

名称

セッコ

スタンド名

オアシス

概要

元パッショーネの人間。チョコラータの相棒だったが、何がどうなったのかヨーロッパの何でも屋に拾われていた。地面を泥化させる能力。サーレーに折檻された後、黒に連れられて中国へ逃亡した。



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祈りの魔女

何が大切か、何を優先させるべきなのか。

 

ジョースター一族との因縁などもはやどうでもいい。空条承太郎も、徐倫も、どうだって構わない。

必要なのは皮算用では無い。過去の懐古や未来の事を考えることでも無い。

ディオは彼にとって神のような存在であったが、もはや過去の存在であり、全てに優先されるべきは今!

今を無くして、何物も有り得ない。

 

全てはあの得体の知れない天敵だ。

奴らさえいなければ、赤ん坊さえ手に入れば……。

 

天国にさえ辿り着けば目的は達せられる。全てはそこに集約される。

他のことはもはや取るに足らないことだ。

エンリコ・プッチは一度極限まで追い詰められたために、全てに優先されることが何かを理解した。

 

プッチは機内食を口に運び、体力の回復を図った。

プッチの瞳には妄念が溢れ、その異様な形相に誰も近付こうとしない。

 

プッチは今現在ネアポリス行きの機内にいた。替えのカソックからはなおも血が滲んでおり、機内のシートを汚している。フロリダの病院から輸血パックを盗み、執念による強行で赤ん坊を奪い去った二人組を追いかけていた。

 

「2、3、5、7、11、13……。」

 

ミューラーの記憶を盗み見たエンリコ・プッチは、二人の後を追ってアメリカのフロリダを発ってイタリアのネアポリスへと向かっていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

世界の歴史を鑑みれば、そのほとんどの国は平和な社会を築き上げるまでの過程においてだいたい幾度もの暗黒の歴史をたどっている。

意味も明確な根拠もなく人は殺害され、蒙昧な権力者や指針を持たない群衆の暴威は無数の嘆きや怨念を生み出すのである。

……たとえ知らなかった方がいい悲惨な歴史であったとしても、知っておけば未来への教訓にできる。

 

もちろんそれは、ヨーロッパも例外ではない。

ヨーロッパにおける悪名高き暗黒史の一つ、それは魔女狩りの歴史である。

 

魔女狩りとはヨーロッパの中世に起きた事実史であり、それの実態は差別や生理的嫌悪などの悪感情と社会の貧困や不満などが複雑に絡み合い、社会的に弱者である人間を標的にして世を乱す魔女だと決めつけて不当に処刑をし続けた歴史である。

 

魔女と決め付けられた人間には正当な控訴が認められず、拷問され、強制的に魔女の仲間を自白させられる。

それは伝言ゲームのように連鎖的に謂れなき罪人を生み出し、社会に数多の苦痛と悲劇を生み出した。

最終的に魔女として火刑に処された人員は、五桁から最大六桁に届こうかという数だと推測されている。実際はもっと多いという説すら存在する。中世ヨーロッパにおいてのこの数がどれだけ多いか理解いただけるだろうか?

 

それだけの人間が不当に処刑され、連日のヨーロッパの空には炭素を燃やした黒い怨念の煙が延々と立ち上り続けた。

平和な社会とは、数多の犠牲の上に成立しているのである。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

空港をタクシーに乗って出立したサーレーとズッケェロは、ネアポリスの街で秘密裏に交通規制が行われていることを理解した。

それは、ボスであるジョルノのいるネアポリスの図書館周辺地帯であり、二人はネアポリスの街で異変が起きていることを理解した。

タクシーを降りて制止する警官にパッショーネの人員であることを示し、図書館に向かう道中でサーレーたちはシーラ・Eと鉢合わせた。

 

「オイ、何がどうなっているッッッ!!!」

 

シーラ・Eは若干慌てた素振りを見せながらも、サーレーの疑問に答えた。

 

「パッショーネの各地の支部が襲撃されたわ。被害は大きくないけど、それに対してジョルノ様がネアポリス図書館周辺地域の人払いをご指示なされたわ。」

「……どういうことだ?」

「……私にもわからない。でも私は、急いで周辺の住民の避難確認を遂行しないといけないッッッ!!!」

 

シーラ・Eはそれだけ告げると、踵を返して任務の続行をしようとその場を去ろうとした。

 

「待て!」

「なに!私は急いでいるの!」

 

去りゆくシーラ・Eの背中を、サーレーは呼び止めた。

 

「お前は、親衛隊のヴィネガー・ドッピオって男を知っているか?」

 

二人は黒から依頼主がパッショーネの親衛隊の男だと聞いていて、その男がイタリアの一連の異変の黒幕ではないかと同じ親衛隊のシーラ・Eに確認を取ろうとしていた。

 

「ドッピオ……。ええ、知っているわ。以前に親衛隊に所属していたマヌケな男よ。でもそいつは、以前任務の最中に殉死したとジョルノ様から聞いているわ。」

「……殉死?」

 

二人は首を捻った。死人から依頼が?

 

「もういいかしら?私は周辺の避難確認を済ませないと。」

「待て!最後にコイツをしばらくだけ預かっといてくれ!」

【あー。】

「……急いでるからあえて突っ込まなかったんだけど……。」

 

シーラ・Eは半目で緑色の赤ん坊を睨んだ。

あからさまに得体の知れない存在だが、今は有事でありそれに何か言うほど暇ではない。

 

シーラ・Eは真実を知らない。すでに周辺の住民の避難誘導は完了している。

周辺住民の避難の確認という口実そのものが、実はジョルノのシーラ・Eに対する戦場からの避難誘導なのである。逃げろと言っても組織に忠実な彼女が素直に逃げるか疑わしい。シーラ・Eはジョルノから亀を渡され、密かに避難誘導されていた。

 

「……まあいいわ。避難している住民の中にパッショーネの人間もいるから、因果を含めて渡しておくわ。それでいい?」

「ああ、済まねえ。」

 

シーラ・Eは緑色の赤ん坊を抱えて周辺住民の避難確認に向かい、サーレーたちはネアポリスの図書館へと向かった。

その頃、ネアポリスの図書館を植物の蔦が覆い、植物を喰らうように赤黒い炎が侵食していた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ジャック・ショーンのスタンドの異常な強力さを理解するためには、ヨーロッパの歴史を紐解く必要が存在する。

ジャックという男のスタンドがなぜ女性型なのか?なにを思って彼女は笑っているのか?なぜ炎を象っているのか?なにを祈っているのか?

 

ヨーロッパには暗黒の歴史が存在し、今生きている人間はすべからくその頃に確かに暗黒と関わりそれを生き抜いた彼らの祖先が存在するのである。暗黒は、弱者へと向かって暴威を振るい続ける。怒りの果実が結実し、やがて社会に変革が訪うまで。

ジャックの祖先は、イギリスの国選の魔女狩り執行官だった。

 

社会は混迷し混乱し、そのパニックの矛先は謂れなき弱者へと向かい続ける。

一体誰がそんな事を言い出したのだろう?誰が決めたのか?歴史になにが起こったのか?

もちろん、それはもう誰にもわからない。

 

分かりやすく言葉にしてしまえば、社会の矛盾や軋轢などに端を発したものなのだろう。もちろん真実はきっとそんなに単純では無く、その経過は今の社会を生きる人間には信じられないほどに悲惨なものだ。

もしかしたら食糧難の時代に、他者を殺害して口減らしをすれば自身の食生活が豊かになるという人間の浅ましさを汚れた魔女を処刑するというそれらしい正当性に覆い隠したものなのかもしれない。

 

起こった事をただ述べるなら、多くの社会的弱者が不当に処刑された。そして多くの人間が魔女を憎みその死を願ったにも関わらず、それを間違いだとして不当なそれと戦った人間も少数ながら存在したという事だろう。

ジャックの祖先は国の狗であったにも関わらず、職務を放棄して魔女として捕まった人間を逃し続けた。魔女として捕まってしまえば、もうあとは凄惨な拷問しか待っていない。彼には罪人たちが、普通に日々を暮らす善良な隣人だとしか思えなかったのだ。処刑人である彼は、謂れなき罪人たちに同情したのである。

 

国が相手だ。勝てるわけも逃げれるわけもない。彼が逃した女性たちはすぐに再び捕まり、やがて彼も国に裏切り者として処刑された。

火刑台に登った魔女はイギリス社会を憎み、恨みながらも、彼女を逃がそうとした彼のような人物が社会に確かに存在したことを知り、感謝した。

矛盾とはどこにでもある。魔女は社会の破滅を願いながら、同時に社会の安寧を祈ったのである。

 

ジャックという人物とクイーンズというチームが相思相愛なのは、もしかしたら当然だったのかもしれない。

イングランドのクイーンズというチームの起こりは、実は謂れなき迫害の標的にされた魔女たちの相互扶助組織なのである。

 

社会的に弱かった彼女たちは互いに身を寄せ合い、助け合い、社会の裏側でひたすらに平和な社会を祈って逃げ延びた。叛逆者であるジャックの祖先の妻子も国に目を付けられ、クイーンズという組織に保護されてどうにか彼らは生き延びた。

組織のクイーンズという名称は、同じ女性であるにも関わらず彼女たちを見捨てた時の女王に対する彼女たちのせめてもの反骨の表れである。

 

やがて時が経ち、クイーンズの多くのチームは最初の理想を忘れ、社会に嫌われ、不必要と見做されて自然と淘汰されていった。

クイーンズのロンドン支部は、設立から四百年という年月を経てなおもその原初の目的を忘れなかった稀有なチームなのである。

 

パッショーネの盟友であるアルディエンテとラ・レヴォリュシオンにもクイーンズと似た歴史があり、だからこそ彼らはそんなにも平和にこだわっているのである。パッショーネを含めて彼らには、戦いと犠牲の上に平和を勝ち取ったという歴史が存在するのである。例えばラ・レヴォリュシオンの百年の歴史とは実は彼らがフランスの社会に認知されてから百年という意味であり、その真実はフランス革命の裏側で戦争のどさくさで得る武器等の密売の利権にのみ固執して、社会への悪影響を一切省みない不遜な権力者たちとの戦いの歴史が存在した。

 

スピードワゴン財団が台頭する以前は、誰が一体波紋戦士たちの後援者をしていたというのか?彼らにもなんらかの生活の糧を得る手段が存在したはずだ。誰にも認められない戦いにばかりかかずらっていても、腹は減る。

クイーンズは社会の裏側からイングランドの平和を願うチームで、波紋戦士たちはイングランドの裏側で社会を乱す存在と暗闘していた。平和を願う裏社会のクイーンズは、スピードワゴン財団が社会に台頭する以前の波紋戦士たちのパトロンだったのである。

やがて財団という表にも支持された立派なパトロンが現れたことで、組織を維持するために後ろ暗いことにも手を染めていたクイーンズは自分達から身を引いていった。

 

それはただの偶然に過ぎないのかもしれない。そうでないのかも知れない。

結果としてジャックは、不当に処された魔女たちの怨念の力をスタンドとして手に入れた。

ノトーリアスはたった一人の怨念であのスペックである。それが六桁に届こうかという人間たちの怨念の集大成だというのであれば、それは一体どれほどの強大な力なのだろうか?

 

魔女たちは悩み、迷い、矛盾を知りながらそれでも結果として、彼女たちを救おうとした人間を信じて平和な社会を祈って笑いながら火刑に処されていった。ジャックは魔女に平和への祈りを託され、彼女たちの怨念の力を操る権利を得たのである。

 

綺麗なものや正しいもの、素敵な理想だけを追う人間には決して理解できない。

現実を見なければその先には優生思想、選民思想、そして革命を筆頭とした凄惨な戦いが待っている。現実的に虐げられ殺害された魔女たちは、ただ社会的に立場が弱いだけの普通の人間だった。

 

薄暗い裏社会の起こりとは、裏でしか生きられない人間への優しさによるものなのである。レオーネ・アバッキオ、ナランチャ・ギルガ、パンナコッタ・フーゴ、ブローノ・ブチャラティ、グイード・ミスタ。彼らは全員社会の裏側でしか生きられなかった。

裏社会とはそもそも、怒り、悲哀、慈悲、さまざまな人間の感情が坩堝となり、矛盾を抱えて間違いを犯しながらなおも生きることを望む人間の避難場所だったのである。

 

裏社会が理想を見失えば、それは当然社会に不必要と見做されて淘汰されていく。

理想は現実に勝てなくとも、忘れてはいけない大切なもの。多数のさまざまな人間が生きる社会にとって曖昧さや矛盾とは必要なものであり、社会の裏側がそれらの受け皿だった。

社会は理想と現実の狭間で運営され、表は理想に比重を置き、裏は現実に比重を置く。ただそれだけだ。

裏社会の偉大な帝王、ジョルノ・ジョバァーナはそれを知っている。

 

 

 

 

社会の裏側には、時に信じられないほどの強者が存在する。

彼らが強いのは当然だ。彼らは社会を破滅へと向かわせようとする勢力の対抗力であり、社会に本気で育て上げられている。

そして真の強者は決して己の強さを誇示したりはしない。強さとは敵を呼び寄せるのだから。

 

ジャックが強いのは当然だ。ジャックは魔女に愛されている。

ジャックのスタンドの正体は、愛の無い社会への弱者たちの怒りの具現なのである。ジャックのみが唯一、その怒りを宥められる人間だった。

 

ジャック・ショーンが本気を出せば、イタリアは生きる者のいない焦土と化す。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「君は……そうか。帰ってきてしまったのか。」

 

ネアポリスの図書館に、ジョルノ・ジョバァーナの声が静かに響いた。

ネアポリスの図書館の一角で、ジョルノとミスタはスタンドパワーを消費し続けて著しく疲弊をしていた。図書館の各所は焼け焦げて焼滅している。ジョルノは図書館の隅で床にうずくまっていた。

 

「なにがあったんですかッッッ!!!」

「……正真正銘の怪物だよ。……ちょっとアレは勝てないかな。」

 

ジョルノは目を対象へやった。そこには赤黒い炎を纏った死霊ともいうべきスタンドが存在した。

そのスタンドは内包する膨大な熱量で、周囲の空間を歪ませている。

ジョルノはゴールド・エクスペリエンスで館内に大樹を創り出し、防御に徹していた。そしてミスタは銃弾で敵を攻撃し続けていたが、大樹も銃弾も怨念の炎の前で呆気なく焼滅していった。

 

「アンタは……ジャック!!!」

 

サーレーは記憶を頼りに男の名を思い出した。

死霊のようなスタンドの傍らには、本体であろう男が立っていた。体格が良く、強面で、寡黙な雰囲気を纏った男だ。

 

【……オアアアアアアッッッ!!!】

 

傍の魔女の怨念が呪いの叫びを紡ぎ、ジャックがそれを手を掲げて制止した。その叫びに、サーレーは尋常ではない重圧と心臓を握りつぶされるような悪寒を味わった。

サーレーはその叫びだけで、目の前の怪物が以前戦ったクリームの亡霊よりもさらに強力な相手だということを理解した。

 

「おい、アンタ確かジャックとか言ったな!なんでこんなことをするんだ!パッショーネとクイーンズは盟友ではなかったのか!」

「……これは俺の独断だ。チームとはなんの関係もない。」

 

ジャックはそれだけを告げた。事実、ジャックはすでにクイーンズに破門を宣告されている。

ネアポリスの図書館の蔵書のその多くは燃えて焼滅し、机や椅子なども蒸発して広い空間となり、隅に僅かに燃え残った本棚が存在するだけだった。その部屋の中央で彼らは対峙していた。

 

「……サーレー、君は逃げろ。無駄に命を落とす必要はない。アレに勝つのは不可能だ。おそらくはあれでも全く本気ではない。」

「……ボス、あなたたちは下がっていてください!」

「サーレー!!!」

 

ジョルノの言葉を聞かずに、サーレーはジョルノとミスタの前に立ち着ていたロングコートを床に脱ぎ捨てた。

ジャックは一瞬だけ、サーレーが脱ぎ捨てたロングコートに目をやった。

 

「俺が、相手だッッッ!!!」

 

サーレーは眼前の男がどうしようもなく怖かった。それでも彼は、矢面に立って戦う事を選択した。

ネアポリスの図書館で、魔女の怨念とクラフト・ワークが激突した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは赤黒い怨念の炎を前に、非常に苦しい戦いを強いられていた。それはこの世の理やスタンドの法則を一切無視した、巨大な暴力と言う以外に言いようがなかった。魔女たちの怨念は、難攻不落の鋼鉄の要塞すら容易く炎上させる。

 

前回の手抜きの戦いとは違い、怨念の炎はクラフト・ワークのスタンドパワーを大きく上回り、クラフト・ワークの防御を突き抜けてサーレーに痛手を与えてくる。さらに最悪なのが、それでも敵はあからさまに加減をしているということだった。

 

ジャック・ショーンのスタンドは、社会的な弱者であり不当に殺され続けた魔女たちの怨念を操るという能力であり、魔女の怨念そのものでは無い。

ゆえに祈り女にはそもそも射程が存在せず、ジャックが加減を考えなかったら周囲一帯が焦土となる。

 

強力なスタンドにも関わらず本体がそばを離れているために、ラニャテーラは本体のジャックに届かない。怨念そのものも強力過ぎて固定できない。コマ送りも敵の攻撃を急所を何とか外す以外には効果が見込めない。

 

祈り女という強力過ぎるスタンドを与えられたのが慈悲深いジャックという男であった事は、きっと幸運だったのだろう。ジャックが周囲に対する配慮を一切考えなければ、ジャックのスタンドは何もかもを蒸発させることが可能だった。ジャックは幸運にも、巨大な力には責任が伴うことを知る人間だった。

魔女の怨念は破滅を願い、社会を喰らい尽くす。そして魔女の怨念の炎は、魔女の寵愛を一身に受けたジャックだけには一切の効き目がない。

 

ジョルノの制止を聞かずに、サーレーはネアポリスの図書館で赤黒い炎を背景に戦っていた。

 

魔女の怨念から渦巻く呪いの炎が放射され、サーレーはそれを横っ跳びに避けた。

立て続けに炎は館内を蛇のようにうねりとぐろを巻いて、回転しながらサーレーを中心に収束しようと迫り来る。それに巻き込まれたら跡形も無く焼滅するだろう。サーレーは急いでその場を離れ、本体であるジャックに攻撃を加えようと迫った。しかし、ジャックは魔女の怨念に愛されている。サーレーの眼前には唐突に超高度の炎の絶壁が現れて、サーレーの行く手を遮断した。炎の絶壁はそのまま上空で収束し回転し、無数の炎の槍となって館内に降り注いだ。サーレーはジョルノたちの前に立ち塞がり、必死に炎の槍をクラフト・ワークで撃ち落とした。撃ち漏らした槍がサーレーの体を掠めて行き、サーレーは体のいくつもの箇所から出血した。

 

「グッッッッ!!!」

「……サーレー。」

 

生命を司るゴールド・エクスペリエンスも、すでにエネルギー切れを起こしていてその能力を発動できない状態にあった。

魔女の怨念は前方に炎で鋭い矢を象り、呪いの火矢がサーレーに向けて放たれた。それは空間を鋭く切り裂き、音を立て、周囲に熱波をまき散らし、背後にジョルノたちがいるサーレーはクラフト・ワークで全力で防御に徹した。ミスタが火矢を撃ち墜とそうと発砲するも、銃弾は中空で蒸発していく。火矢は衝突の直前で怪奇な軌道を描き、クラフト・ワークの左腕を容易く貫き、サーレーの左腕は傷口を中心に炭化した。サーレーは力なく左腕を垂れた。

 

「うぐッッッ!!!」

「……。」

 

ジャックは寡黙に、静かにサーレーを見つめていた。

サーレーは、勝ち目のない敵を相手に防御に徹する他はなかった。サーレーにはその理由はわからないが、敵があまりにも強過ぎるのである。サーレーは耐え忍び、たった一つだけ撒いていた勝利への可能性の種が芽吹くことを祈るより他は無かった。

 

サーレーはイタリアに到着した時は、ロングコートなど着てはいなかった。何のために、いつの間に、ロングコートを着たのだろう?

 

「ハア、ハア……。」

「……終わりにしよう。」

【アア、アア……アアアアアアアアアアアッッッッッッッッ!!!】

 

死霊は祈り、死霊の眼前には信じられないほどに莫大なスタンドパワーを内包した怨念の炎の塊が出現した。

それはジャックが今までに片手で数えるほども使用した覚えのない祈り女の必殺、ジャックが魔女の叛逆の鉄槌と名付けた技だった。それを実際に見て生きている者はこの世に存在せず、最小限に出力を絞ったそれの破壊痕を見るだけで周囲の人間はジャックという人間を恐れ、ジャックは裏社会で暴君という異名を付けられることになった。

 

怨念の炎は凝縮し黒ずみ、小型のブラックホールのように周囲の空間を歪ませ、その暴威にサーレーは自身が図書館ごと消滅する未来を幻視した。

暴虐の焼夷弾はさらに凝縮し、直後に膨張の兆しを見せた。

 

しかしそれは解き放たれずに、消滅していった。

 

「……済まねえな。俺たちは暗殺チームなんだ。」

 

暗殺チームの極意は、敵に反撃する隙を与えずに密やかに始末することである。

空港で敵と出くわした二人はこの先も敵と遭遇することを想定して、有効な切り札として避難の済んで誰もいないブティックからコートを拝借していた。

ズッケェロがそれの裏側に厚みを無くして潜み、敵の意識の外から攻撃するという戦闘方法である。

 

サーレーが投げたコートの裏側にはズッケェロが隠れ潜んでおり、ジャックと祈り女が目を切った瞬間にそこから這い出して館内の燃え残った本棚の裏側に潜み、敵に隙が出来る瞬間を待ち続けていたのである。

 

「……いや、構わん。お前たちは大切なものを守る戦士だったというだけだ。」

 

ジャックの背後から細剣がジャックを突き刺していた。魔女の怨念と焼夷弾はジャックが刺されると同時に、消滅していく。

その時ズッケェロは、確かに見た。ジャックはズッケェロに刺される瞬間、確かに笑っていた。

 

「……やはり貴様ら暗殺チームは、警戒の必要があるようだな。ジョルノ・ジョバァーナを痛めつけるように指示を出していたが、よもやその化け物を打ち倒すとは。」

 

ネアポリスの図書館に、乾いた拍手が響いた。

 

「誰だッッッ!!!」

 

図書館の入り口側から一人の男が歩いてきた。逆光を背にし、頭髪は金色に輝いている。

サーレーはその男に見覚えがあった。その男は、以前サーレーが警告を行ったオランダから入国した麻薬の密売人に酷似していた。

 

「……キサマは……。」

「ディアボロッッッ!!!なぜだッッッ!!!お前はなぜ生きてここにいるッッッ!!!」

 

ジョルノの声が図書館にこだました。

 

「なぜ……なぜ、か。さて、何故だろうな。疑問があるならば、自身で解き明かすべきだ。そうだろう?ジョルノ・ジョバァーナ。」

 

ディアボロは不敵に笑っている。

ディアボロにとってジャック・ショーンは、人質を取って強制的に従えたいつ裏切るかわからない強大な力を持つ手駒だった。すでに図書館襲撃の最大の目的であったレクイエムの矢の破壊はなされ、いずれジャックは始末しようと考えていたためにこの結末はこの結末で歓迎すべきものであった。

 

「敵か!!!」

 

ズッケェロはサーレーのそばに寄り添い、サーレーはジョルノたちを庇うように前に出た。

 

「ああ、待て待て。今日は戦いに来たのではない。宣戦布告に来たのだ。」

「宣戦布告だと?」

 

ミスタがディアボロに銃口を向けながら聞き返した。

 

「ああ、その通りだ。元下っ端よ。俺とキサマらの決着は神聖な決闘で行う。逃走は、許さない。」

「なぜ俺たちがそんな事を受ける必要がッッッ……!」

「あるんだよ。グイード・ミスタ。俺だって理解しているさ。ここでキサマらを殺したところで、俺の気が晴れるだけで失ったパッショーネは俺のもとには戻ってこない。だから俺たちとキサマらの決闘なんだよ。」

「どういう事だッッッ!!!」

「決闘で勝利したものの総取りだ。俺が勝利すれば、ジョルノ・ジョバァーナ、キサマは俺がパッショーネの正当な王である事を保証したのちに、首を落とさせてもらう。グイード・ミスタ、キサマもだ。」

「ふざけるな!!!俺たちにそれを受ける理由がねえ!!!」

「それがあるんだよ。キサマらが決闘を受けるのであれば、シーラ・Eとトリッシュ・ウナというキサマらに近しい二人の命を保証しよう。もしもキサマらが決闘を受けないのならば、仕方ない。手に入らないものは目障りなだけだ。この場でキサマらを根絶やしにして、パッショーネとイタリアは破滅させてやろう。どうだ?破格の条件だろう?俺もなるべくなら無傷のパッショーネが欲しい。お前らもイタリアが害されるのは望まない。互いの落とし所としては悪くないと思うが?」

「キサマがシーラ・Eとトリッシュの命を生かしておく保証がどこにあるッッッ!!!」

「考えてものは言え。俺が帝王として返り咲いた後、その地位の正当性を保証する人材は必要だろう?親衛隊のシーラ・Eとパッショーネに近しいトリッシュ・ウナは、それにうってつけの人材だ。」

 

ディアボロは愉しそうに笑っていた。

 

「……いいだろう。その決闘の申し出、受けよう。」

「ジョルノッッッ!!!」

「ベネ!日にちは三日後の正午。場所は因縁の地、コロッセオだ。それまでにキサマらはパッショーネを俺に引き継ぐ準備をしておけ。コロッセオもキサマらが貸し切っておけ。決闘に仲間を連れてきてもいいが、連れてきた人間は俺が勝った暁にはその首を落とさせてもらう。そこをよく考えて人材を選ぶんだな。」

 

ディアボロはそれだけ告げると、ジョルノたちに背を向けた。

 

「ああ、そうだ。そこの暗殺チームの二人組。キサマらは俺の手下にならんか?俺の手下になれば、現パッショーネよりもずっと良い待遇で迎えてやろう。金も女も思いのままだ。もともとはキサマらは、俺のパッショーネの人材だ。ジョルノ・ジョバァーナは偽りの王で、真の王はこのディアボロだ。」

 

後ろを向いたディアボロは、振り返って思い出したようにサーレーたちに告げた。

ジョルノとミスタは静かに事の成り行きを見ていた。

 

「なるほど。確かに良い提案だ。」

 

サーレーはディアボロの勧誘を吟味した。

いい生活はしたいし、女が思いのままというのは魅力的だ。

 

「だろう。ならば……。」

「……だが、断るッッッ!!!俺はジョジョのパッショーネの、暗殺チーム所属のサーレーだッッッ!!!それに、俺の友人のカンノーロ・ムーロロをヤッたテメエなんぞに付き従うわけがねえだろうがッッッ!!!」

 

サーレーはハッキリと断り、ディアボロは僅かに失望した表情を見せた。

 

「……マリオ・ズッケェロ、キサマもか?」

「俺と相棒は一蓮托生だよ?ポッと出の自称ボスなんざについていくわけねえだろうがよッッッ!!!」

「……チッ。」

 

今度こそ本当に、ディアボロは図書館を去って行った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

本体

ジャック・ショーン

スタンド名

笑う祈り女(ラフィング・プレイヤー)

概要

その正体は、不当に刑に処された歴史の怨念の集合体。社会の破滅を願って莫大なエネルギーを内包し、社会の安寧を願ってジャックという男に操られている矛盾したスタンド。スタンドエネルギーの総量だけで見れば、この世に足元に及ぶものすら存在しない。ジャックからは独立した意識を持っており、ジャックが制御しなければあらゆるものを焼滅させてしまう。ジャックのスタンド能力を正確に説明するのなら、怨念をこの世に具現させて制御する能力である。

 

射程距離が無限大で、エネルギーが莫大であるために持続時間もほぼ無限大。破壊力も言うまでもない。存在することが悪夢としか言いようのないスタンドである。ただし、無敵では無い。ジョルノたちは知る事はないが、彼女たちに非業の死と、助けようとして命を落とした人間たちの思い出を思い出させることができるシーラ・Eのブードゥー・チャイルドが実は天敵である。以前の戦いでは、シーラ・Eは本体のジャックにトラウマを思い出させようとしたために能力が通用しなかっただけで、スタンドに攻撃を当てさえすれば祈り女が処刑のトラウマを思い出して勝利可能だったという事である。というよりも、シーラ・Eのブードゥー・チャイルドは怨念系の強力なスタンドに対して特効を持っており、だからこそジョルノはシーラ・Eに戦力的な価値を見出し成長を願っているのである。

……キング・クリムゾンはこれに勝利したという事だろうか?

 

祈り女はジャックの強大な力には責任が伴うという信念のもとに、本気で運用されることはまずない。

ジャックはクイーンズの暗殺チームあがりの親衛隊長であり、名実ともにイングランド最強と恐れられている。

 

概要

ジョルノがレクイエムに進化した矢。ジョルノによって亀の中に保管されていたが、今回の図書館襲撃によってその場所が敵にばれてしまい焼滅した。

 

補足事項

勝利とは、ただ敵を討ち取れば良いというものではない。敵を倒すことができても、被害が甚大であったのならばそれは敗北と同義である。

ジョルノは裏社会の帝王であり、社会に対する責任がある。全容が分からず能力も定かでない目先のディアボロという敵を討ち取るために豊富に人員を送り込むことは愚行であるとそう判断した。

その最たる理由は、スタンド使いには単体で大勢を虐殺可能なフーゴやチョコラータのような人員も存在するためである。そのためにジョルノは近隣住民の避難と戦力の拡散による被害の最小化を優先させた。

 

戦闘に置いて情報は命に等しい。パッショーネの最大の強みはカンノーロ・ムーロロという有能な情報部の人材であり、そのムーロロですら敵の情報が全く入ってこなかった。回転木馬のスタンドがいかに厄介だったかご理解いただけるだろうか?



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援軍

もうすぐ新元号ですねー。
感慨深い。平成にも愛着がありましたが、、、時代は進んでるんですね。


【あー。】

「オイ、シーラ・E。俺はこいつをしばらく預かってくれって意味合いでお前に預けたんだが?」

 

サーレーがシーラ・Eをジト目で睨んだ。シーラ・Eはサッと目を逸らした。

 

「……仕方ないじゃない。その子アンタたちから離れた後は泣き喚いて、他人に預けようとするとスタンド能力を使って見境なく身長を縮ませようとするのよ。そんなの私に、どうしろって言うの?」

 

サーレーはため息を吐いた。

ディアボロが去った後、サーレーたちはジョルノの取り計らいでネアポリスのパッショーネの息がかかったホテルの一室に集まっていた。

 

戦いが終結した後ジョルノは疲労の極みにあり、ズッケェロに肩を借りても満足に歩けないという有様であった。ジョルノと共に戦闘していたグイード・ミスタも疲労で足取りが覚束ない。サーレーの左腕は敵の攻撃を受けて炭化して関節部から欠落ち、サーレーも連戦の疲労が祟ってしばらくはマトモに動けなかった。唯一動けるズッケェロも決して本調子ではない。

 

結局、しばらく図書館から動けずにいた彼らの移動を取り計らったのは、周辺の避難確認を終えて図書館へと帰還したシーラ・Eであった。

シーラ・Eはジョルノの命令に従い秘密裏にネアポリスのパッショーネの息がかかったホテルを手配し、戦いを終えた戦士たちの一時の休息を護衛していた。

ホテルに辿り着いたシーラ・Eを除く全員は一時の安堵から眠りこけ、彼らが動き出したのは翌日であった。

 

「みっともないところを見せたね。」

「いいえ。本来ならば俺たちがしっかりと護衛しないといけなかったのに、、、。申し訳ありません。」

「気にしないでくれ。あんな強力なスタンドがこの世に存在するなんて誰も思わないし、君たちは戦ってくれた。」

 

ジョルノが二人に告げ、サーレーがそれに答えた。

 

「……さて、互いの持っている情報の擦り合わせと、今後の方針を決めないといけない。、、、シーラ・E、済まないが君は少し席を外してくれ。」

「嫌ですッッッ!!!」

「……。」

 

しばしジョルノと部屋の入り口に立つシーラ・Eは向き合い、ジョルノはシーラ・Eの意思の強さを探った。

 

「シーラ・E。君には向いていない。ここから先の話は、君には聞かせられない。君は戦場を戦う戦士では、ない。」

 

ジョルノはシーラ・Eに向かってはっきりと告げた。

シーラ・Eは自分よりも正しいと感じた相手とは戦えない。ディアボロは本来なら組織の正当なボスであり、ジョルノは武力で組織を簒奪した偽りの王である。殺し合いの場で生き抜ける可能性があるのは、間違っていたとしても矛盾していたとしても、最後まで戦い抜ける人間だけである。

ジョルノは、シーラ・Eを戦場に連れていく気はなかった。

 

「……ジョルノ様ッッッ!!!そんなに、、、そんなに私が頼りありませんかッッッ!!!」

「僕は君に感謝している。君はパッショーネで有用な人材だったし、君は組織のために尽くしてくれた。だが、それとこれとは別の話だ。君は、戦いに生き残った者に従え。」

「何故ですか?せめて、せめて私を連れて行かない理由をお聞かせくださいッッッ!!!」

 

ジョルノは静かにシーラ・Eの目を見て告げた。

 

「結局、君はまだ社会に守られるべき子供だということだ。」

「……ッッッ!!!」

 

ジョルノのその言葉は、シーラ・Eを痛烈に打ちのめした。シーラ・Eは俯いて、やがて部屋を出て行った。

 

「……さて、まずはサーレーの左腕の再生から始めよう。」

 

ジョルノがサーレーに近付き、ジョルノが手に持ったテントウムシのブローチは暖かな黄金の光に包まれた。

ジョルノはそれをサーレーの傷痕に当て、サーレーの腕は再生した。

 

「ありがとうございます。」

「気にしないでくれ。君はもう巻き込まれてしまった。」

「さて、んじゃあ互いにわかっている情報を擦り合わせるとするか。」

 

ミスタが座っていたベッドから立ち上がった。

 

「まずは俺から説明しよう。俺がイタリアで起きたことの情報を一番得ている。サーレー、ズッケェロ、お前らがイタリアを離れた直後に、パッショーネのスタンド使いが二人やられた。やられたのはローマ支部防衛チームのヴェロッティと、ネアポリス支部防衛チームのセルツィオ。二人はパッショーネでも貴重な、スタンドエネルギーを探知する探知タイプのスタンド使いだった。おそらくはディアボロ……昨日の図書館の男だが……そいつにとって、探知タイプのスタンド使いの存在が邪魔だったんだろう。これは俺たちのミスと言えるかもしれない。敵がパッショーネの内情を理解しているとは、想定していなかった。最初にヴェロッティがやられたのが、偶然だと俺たちは考えちまったんだ。そこに敵の何らかの意図が働いているとは考えなかった。後手に回った俺たちは慌てて警邏を増やし、俺とムーロロは警邏の最中にネアポリスでディアボロと遭遇した。ムーロロは身を呈して俺を逃した。」

 

ミスタはそこで一息ついた。ジョルノがミスタの説明を引き継いだ。

 

「ミスタが僕の下に戻った後、パッショーネの各支部が敵に襲撃された。それは本格的にパッショーネを陥落させようとするものではなく、おそらくはパッショーネの戦闘員を各地に防衛のために散らばらせるのが目的だったと推測される。ディアボロの目的が手薄になった僕のいる図書館だと僕は理解し、無駄な死人を減らすために僕はミスタと二人きりで図書館でディアボロを待ち受けた。敵と全面戦争になれば、敵の全貌が見えていない以上被害が想定出来なくなる。そのあとは、君たちも知っている通りだ。」

 

ジョルノがイタリアで起きたことを掻い摘んで説明した。

ジョルノがミスタと二人きりでネアポリスの図書館でディアボロを待ち伏せたのも、この世にスタンドというものが存在するせいである。ディアボロの最大の目的は二人であることに間違いなく、スタンドはものによってはフーゴやチョコラータのスタンドのような単体で大量虐殺が可能なものすら存在するからである。

 

「じゃあ次は俺たちの報告ですね。俺たちはアメリカで刑務所に潜入し、空条徐倫との接触を行いました。所内には何人ものスタンド使いがいて、徐倫たちと協力してそいつらを退けていきました。その際に、所内で得た協力者たちに便宜を図ることを約束してしまいましたが……。」

「それは後回しでいいよ。」

「はい。所内に隠し部屋をつくることが可能なスタンド使いがいて、俺たちは基本そこに潜伏していたんですが……。ある日の夜に唐突に見えない得体の知れない何かが刑務所を襲ってきて、急いで協力者を集めて隠し部屋の防衛を行いました。立て続けに今度は見える敵が部屋の中に侵入してきて、戦いになりました。俺たちはそいつらになんとか勝利して退けたんですが、戦った奴らの一人が、黒幕の目的は現生人類の根絶だと……敵の情報なので信憑性には欠けますが、そいつの言うところによると、刑務所の一連の事件の首謀者の名はエンリコ・プッチ。そこまでわかったところでムーロロに報告を行おうとしたところ、ムーロロへの電話が通じませんでした。」

「あ、俺からも補足させてください。」

 

サーレーがそこまで喋ったところで、横からズッケェロも口を出した。

 

「すみません、ボス。俺が、ムーロロのダンナへの伝言をうっかりシーラ・Eに頼んでしまったんです。その後に俺たちはシーラ・Eからパッショーネの危機を聞きつけて、急いで戻ってきました。アメリカで起きてる件は、空条徐倫と刑務所の協力者たちに任せてきてしまいました。」

「ああ、なるほど。道理でシーラ・Eが僕の下に来てしまったわけだ。」

 

ジョルノは得心した。

ジョルノは彼女をこの件に関わらせるつもりがなかったのだが、なぜか彼女はムーロロがやられたことを知っていて、図書館で敵を待ち受けるジョルノの下に馳せ参じてしまったのだ。そのために、ジョルノはシーラ・Eを避難させるためにすでに完了していた周辺住民の避難確認を彼女に指示することになった。

 

「……すみません。責は負います。」

「いや、もうこんな事態だしこの際不問にしよう。なにはともかく明後日の決闘に勝たなければ何もかもがどうにもならない。君たちを巻き込んだことも、申し訳なく思っている。」

「いえ……。」

「さて、ではわかっている敵の情報を君たちにも教えておこう。図書館で遭遇した男の名は、ディアボロ。パッショーネの前ボスだ。奴のスタンドは未来に向かって時間を消し飛ばす能力だったのだが、、、。」

 

ジョルノはそこまで呟いて考え込んだ。

 

「どうしたんですか?」

「……ディアボロは用心深い男で、勝算のない戦いをする男ではない。以前僕の能力で奴を終わりのない牢獄に捉えたはずなのだが……どうやって戻ってきたのか定かではない。……この世に真の永遠など存在しない。奴が戻ってきたことを考えれば、奴が何らかの新たな能力を獲得した可能性を頭に入れておくべきだろう。」

「なるほど。」

「まあ、はっきりと言ってしまえば、僕たちには勝算がない。奴は勝てる戦いでない限り、姿を現すような男ではない。奴は正式なパッショーネのボスで、君たちはパッショーネが手塩にかけた人材だ。せっかく育て上げた君たちを無為に死なすのは惜しい。君たちはたとえ僕たちが居なくなっても、イタリアという国家に貢献することはできる。……君たちが奴に寝返ったとしても、僕たちは責めない。」

「馬鹿なことを。ボスは帝王らしく、俺たちに戦って死ねとでも笑いながら命令してください。」

 

弱気を見せたジョルノを、サーレーが笑い飛ばした。

 

「ああ、そう言えば。」

「どうしたんだい、ズッケェロ?」

 

ズッケェロが何かを思い出したように声を出した。

 

「ボス……このオッサンを問答無用で処分するのは、勘弁してもらえませんか?」

 

ズッケェロが隣を指し示した。

そこにあったのは、ズッケェロのソフト・マシーンの能力で仮死状態となったジャック・ショーンだった。

 

「僕たちも、向こうの組織にその意図を尋ねる必要がある。しばらくは処分するつもりはない。だが、どうしてだい?」

「このオッサン、俺の攻撃を受ける瞬間に笑ってたんですよ。多分このオッサン、俺がいることに気付いてた。」

「そういえば……。」

 

ズッケェロのその言葉に、サーレーも今の今まで頭から抜け落ちていたことを思い出した。

 

「俺も思い出しました。図書館でその男のスタンドが放った矢は、俺の心臓を貫くはずの軌道でした。でも矢は直前におかしな動きをして、違う場所に刺さりました。」

 

サーレーはコマ送りで、本来の矢の軌道が自身の体の中央線を射抜くものであることを見抜いていた。

 

「……わかった。君たちの話はしっかりと頭に入れておこう。だがなにはともあれ、全ては明後日の戦いに勝って生き残ってからの話だ。」

「「はいッッッ。」」

【あー。】

 

 

 

◼️◼️◼️

 

その日の夜、サーレーとズッケェロはホテルのテラスで高級な酒を飲んでいた。赤ん坊がそばにいるから深酒はするつもりはない。

 

生きてるうちに少しくらい、贅沢したっていいだろう?

彼らは決闘の日付けまでは、各々好きに過ごすことをジョルノから言い渡されていた。

 

「楽しもうぜ。シャバで最後の夜だ。」

【あー。】

「オメーそれこないだも言ってたよな?気に入ったのか?まだ明日もあるし、それ全然面白くねーぞ?オメー、ユーモアセンスゼロだな。」

 

ズッケェロがパスタにフォークを突き立てながら指摘した。

 

「なんだとテメー!」

「ふはっ。」

「あ、シーラ・E。」

 

二人が料理としょうもない会話を楽しんでいると、二人のテラス席のそばにシーラ・Eが近付いてきた。

思い詰めたシーラ・Eは幽鬼のように青い顔をしていた。サーレーはシーラ・Eに頼みがあったことを思い出した。緑色の赤ん坊の世話を誰かに任せないといけない。

 

「オイ、シーラ・E。そういやお前に頼みがあったんだよ。お前こいつまだしばらく預かっといてくれよ。」

「イタリアで何やら異常が起きていることには、私だって気付いているわ。」

 

シーラ・Eは二人が座るテーブル席の椅子を引いて席に座った。シーラ・Eは二人の酒を勝手にグラスに注いで一気に飲み干した。

 

「テメー、俺たちの酒を勝手に飲んでんじゃねーよ。それ、たけーんだぞ?」

 

値が張るとは言っても、それはジョルノから出た金であった。

シーラ・Eはサーレーを横目で睨んだ。

 

「あんたたち、帰ってくる保証はないんでしょう?赤ん坊は自分でどうにかしなさいよ。」

「そう言わずに頼むよ。」

「……私の疑問に答えてくれたら赤ん坊を預かってもいいわよ。」

 

シーラ・Eの目は早くも据わっていた。

 

「お、おう……。」

「ねえ、どうしたら私はジョルノ様とパッショーネのお役に立てるの?私はどうすればよかったの?」

 

それは、シーラ・Eの切実な疑問だった。サーレーとズッケェロは目を合わせて、その疑問にサーレーが答えた。

 

「さあ。」

「私にだってパッショーネに危機が訪れていることがわかる……。イタリアに恐ろしいことが起きようとしてるのがわかる……。私だって、何かの役に立ちたいのよ!!!!私は、どうすればいいの!!」

「こいつを預かってくれれば俺たちは助かるが。」

【あー。】

 

サーレーはテーブルに乗せた緑色の赤ん坊の頭を撫でた。

 

「ふざけないで!私も戦いでお役に立ちたいのよ!!!」

「じゃあボスの言うことを無視して、勝手に俺たちに着いてくればいいんじゃないか?」

「ジョルノ様のお言葉に逆らえるわけないじゃない!!!」

「じゃあ、大人しくしているべきだ。」

 

当然の帰結だった。

結局は、シーラ・Eはその二択から選ぶしかないのだ。この短期間で、ジョルノがシーラ・Eに関する意見を翻すことはまず無い。

 

それは、忠犬と猟犬の決定的な違いだった。

どちらも飼い主に忠実であるが、飼い主の言うことをただ聞いていれば条件を満たす忠犬に対して、戦場を駆ける猟犬はギリギリの局面を自身で見極めて判断しないといけない。猟犬は、組織や社会、自身のボスのためになるとそう判断すればボスの言葉にも諫言や上申を行い、場合によっては指示を無視して独断で行動する。そうあらねば猟犬とは役に立たないのである。

 

暗殺チームの二人はパッショーネにそのように育てられ、そしてそれが彼らなりの組織やボスへの忠誠だった。それがジョルノの言う彼らの首輪を外すという意味合いである。

 

「私だって、お役に立ちたいのよ!!!」

「結局、ボスのおっしゃる通りなんだよ、シーラ・E。大人ならば大切な物は自分で守るし、大切なことは自分で決める。お前が大人ならばそうするべきだ。それを全て組織とボスに委ねている時点で、お前は戦いに来るべきではないんだよ。」

 

シーラ・Eは黙り込み、考え込み、やがて口を開いた。

 

「……その子を渡しなさい。私が預かっておくわ。」

 

シーラ・Eは席を立って去って行った。

それからしばらくして、サーレーの携帯電話が鳴った。

 

「あん、こんな時に誰よ?」

「財団からだ……一体何が……?」

 

それは刑務所でかかってきたスピードワゴン財団からの連絡先だった。

サーレーは発信先に訝しみながら、通話ボタンを押した。

 

「もしもし、どうしました?」

『サーレー、久しぶりというほどでもないか。』

「ウェザー!どうしたんだ?なぜお前がこの番号を?」

 

電話の受け先は刑務所の協力者、ウェザー・リポートだった。

 

『詳しい話は後で話す。とにかく、俺とアナスイは財団のプライベートジェットで至急イタリアに向かっている。』

「なぜ……?」

『プッチがミューラーの記憶を盗み見たんだ。プッチは今現在イタリアに潜伏している。ミューラーの記憶のディスクについてはすでに取り戻している。そこは心配しないでくれ。俺たちはお前らの援軍に向かうよう、徐倫からの指示があった。』

「ちょっと待て……こっちは今状況がよろしくない……。」

『もう遅い。俺たちもすでにアメリカを出立した。俺たちは明日の朝にはそっちに到着する。』

 

サーレーは内心で舌打ちした。今のパッショーネ側は非常時だ。

 

「どうした?」

「どうにも、アナスイとウェザーがこっちに向かっているようなんだ。エンリコ・プッチが俺たちを追ってイタリアに入国したらしい。」

「……よりにもよってこの非常時に……。」

 

ズッケェロも舌打ちをした。

 

「……仕方ない。ウェザーたちはすでにアメリカを発ったようだし、明日にはこっちに到着するそうだ。とりあえず明日になったらボスに面通しをして、それからどうするか相談しよう。」

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……どうすればいいのかしら。」

【だー。】

 

シーラ・Eはネアポリスの自分の家の中で、緑色の赤ん坊に問いかけた。

彼女の家は襲撃された図書館の近郊にあり、そこはすでに避難警報が解除されて住民も自分の住居に戻っていた。

 

彼女にも危険なことが起こっているのはわかる。

アメリカの刑務所に潜入任務を行なったサーレーたちの報告によると、アメリカでは一夜にして千三百人もの人間が失踪し、イタリアではカンノーロ・ムーロロが暗殺されて各支部も襲撃を受け、ジョルノの本拠地である図書館も襲撃された。挙句に、図書館の破壊痕は尋常なものではなかった。

パッショーネとイタリアに危機が訪れている。不穏な事件も起きている。にも関わらず、彼女は蚊帳の外に置かれている。

ジョルノがそれに彼女を関わらせまいとしていることが、彼女にも理解できた。

 

理屈ではわかっている。

パッショーネとイタリアに危機が訪れても、例えばシーラ・Eがこの赤ん坊を任されたように戦場でなくても出来ることは山ほどある。

……たとえそれでも。

 

「苦しいの……。パッショーネの、イタリアのために戦えないことが、苦しい……。」

 

シーラ・Eは俯いて、赤ん坊を眺め続けていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「彼らは?」

「俺たちがアメリカの刑務所で得た協力者たちです。」

「ウェザー・リポートだ。」

「ナルシソ・アナスイ。」

「オイ、お前ら。このお人は組織のボスだ!きちんと敬意を払えや!!!」

「ああ今はいいよ、ズッケェロ。非常時だ。」

 

ウェザーとアナスイは予定通りの時刻にイタリアに到着し、サーレーは二人をボスのジョルノの下へと連れてきた。

ネアポリスにあるホテルの一室で、彼らは面通しを行なった。

 

「……その協力者がなぜ今ここに?」

「そのことについては、別れた後に起こったことの報告も兼ねて、俺が説明する。」

 

ウェザーが部屋の中で一歩前に出た。

 

「刑務所を出て俺たちが別れた後、俺たちは周辺の捜索を行ったがエンリコ・プッチの足跡は掴めなかった。有事であり、危険な目的を持つ敵であることから、徐倫は独断でスピードワゴン財団にプッチの足跡を追う助力を頼んだところ、財団の迅速な調査によりプッチはアメリカ国内からすでに脱出していることが判明した。そしてその直後に、ミューラーたちの護衛を任せていたエルメェスからエンリコ・プッチが襲撃してきたとの連絡がきた。俺たちと徐倫が二手に別れた理由は簡単だ。追っ手の俺たちを分断するために、プッチはアメリカにディスクを全て置いてきたんだ。そのために、徐倫とエルメェスとフー・ファイターズはアメリカで徐倫の父親のディスクを取り返すためにプッチの部下と戦っている。そっちに関してはアメリカにプッチの部下がもうさほど数が残っていなかったため、余剰戦力の俺たちにお前たちの援軍として白羽の矢が立ったというわけだ。」

「……なるほど。理由はよくわかった。しかし、今は時期が悪い。」

 

ジョルノがウェザーの話を聞き、頷いた。

 

「俺たちもアンタたちの組織が危機に瀕しているという話はすでに聞いている。だからいっそのこと、ここは互いに全面的に協力しないか?」

「……しかし、パッショーネの敵は危険な相手だ。おそらくは生死をかけた戦いになる。部外者を戦わせるわけには……。」

「いいや、俺たちは部外者じゃあない。俺たちはエンポリオの未来のことを考え、徐倫の手助けをしてくれたサーレーとズッケェロに感謝している。サーレーは俺たちの将来も組織で引き取る約束をしてくれた。俺たちはもう、あなたたちの組織の一員だ。あなたたちのために、俺が戦いたいんだ。それにここでボスのあなたに恩を売れれば、俺たちの未来も明るいだろう?平穏とは、戦ってでも勝ち取るべきだ。違うか?」

「……ッッッ!!!」

 

ウェザーは、静かに笑った。

社会とは矛盾に満ちている。彼らは戦いを嫌い平穏を愛するがゆえに、戦うのである。

その言葉はジョルノの矜持と共通するものがあり、ジョルノはその表情に覚悟を読み取った。

 

「……キミは?」

「……フン。ここにいることで、察しろ。」

「……君たちに礼は言わない。僕はボスで、君たちは関わってしまった。君たちは組織のために戦い、命をかけて平穏を勝ち取って欲しい。」

「任せてください。」

「了解、ボス。」

「ああ。」

「フン。」

 

ジョルノは笑い、ミスタも笑った。彼らのモチベーションは最高に保たれていた。

 

「ああそうだ、サーレー。組織に新たな人員を迎えるのなら、どこかの経費を削らないといけない。差し当たっては、彼らを独断でパッショーネに引き入れたキミの給料を削ろうと思うんだが?」

「ッッッ!!!」

 

サーレーは驚愕して、反射でジョルノを振り返った。

これ以上給料を減らされたら、生きていけない!

 

「冗談だよ。冗談。」

「ハハッ、さすがボス。相棒よォー。ユーモアってのはこうやるんだぜ?」

「……笑えませんッッッ!!!」

 

ホテルの一室は、笑い声に包まれた。

 

「じゃ、いっちょ決起集会と親睦を兼ねて、軽く酒でも飲むとするか。泣いても笑っても、決闘はもう明日だ。」

 

ミスタがサーレーに命令して、サーレーはホテルのテラス席を手配した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「私がッッッ……!!!あの男を始末するッッッ!!!あの男は、神からの授かりものを私から奪い去ったッッッ!!!」

 

ディアボロは、目の前の神父に目をやった。神父はディアボロに詰め寄り、目が血走っている。

ディアボロは図書館から拠点に帰還する最中であり、彼は図書館から後をつけられていた。

神父のその執念にはディアボロであっても目を見張るものがあり、暗殺チームは今なおディアボロにとっても警戒の対象だ。

……ちょうどいい。

 

「……いいだろう。これを貴様に渡しておこう。」

「感謝するッッッ!!!」

 

悪意と悪意は、手を組んだ。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「そんなわけで、世にも珍しい女性口調で喋る馬の出来上がりだ。エフ・エフが所構わずに徐倫に話しかけるせいで、徐倫も人目を誤魔化すのに困り果てていた。」

「ハハッ。なんだそりゃあ。ひっでえな。馬って言うか、UMAじゃねえかッッッ!!!」

 

ミスタがウェザーと話しながら、テーブルで笑い転げていた。

どうやらあの後、フー・ファイターズはアメリカの牧場に放置されていた馬の死骸に取り付いたらしい。徐倫たちは、それに乗って広大なアメリカを移動することにしたようだ。

 

「それで、どうなったんだ?」

「とりあえず刑務所で味方につけた奴がアメリカの政府に事件の首謀者を訴え出て、それが正式に認められればプッチは危険なテロリストとして国際指名手配されることになるらしい。アメリカの裏社会が刑務所で起こった出来事の精査に向かったそうだ。どうやらアメリカには、スタンド能力の解析専門のスタンド使いがいるらしい。」

「ほー。アメリカではそんなことになっているのか。」

 

ウェザーがミスタのグラスに酒を注いだ。

その隣では、ジョルノとアナスイとズッケェロが話をしていた。

 

「……んでボス。オレたちが役に立ったら、オレが徐倫と結婚することを許して欲しいんですが……。」

「それには当人の同意が必要だろう?」

「いえ、それはオレにもわかっている。」

「わかっています、だろうが!」

 

ズッケェロがアナスイの脇を小突いた。

 

「……オレにもわかっています。サーレーは、オレたちがイタリアの社会に罪落としが認められたら、オレを祝福して応援してくれると言ってくれた……。」

「ああ、そういうことか。そうだね。君がパッショーネで一人のイタリア人として認められたら、僕も祝福しよう。なんだったらその時はパッショーネで結婚式の段取りをとっても構わない。」

「ありがとうございますッッッ!!!」

 

酒の席は和やかに進み、寡黙で温厚なウェザー・リポートは彼らにすぐに受け入れられた。

アナスイは言葉が悪かったが、ズッケェロが付き添ってフォローしていたことにより席は円滑に進んでいった。

 

サーレーは、穏やかな目で宴会の席を眺めていた。

 

戦いに勝てば今の平穏は守られ、敗北はイタリア社会の混乱と迷走を意味する。

そこにはもちろんイタリアに住む市民も含まれ、敗北したら犠牲の上に築いたイタリアの平穏は砂上の楼閣のように儚く崩れ去るのかもしれない。

 

サーレーは目の前の和やかな酒の席を、守りたい。

たとえうだつの上がらないチンピラと罵られても、愚かな人間とバカにされても、出来ることは残されている。

彼に立派な人生を築き上げることは出来なくても、誰かが築き上げた大切な何かを守る事は出来る。

 

天国は日々のささやかな幸せの中に存在し、神は人の中にのみ存在する。

楽園の守護者である処刑人は、完成に近付いていた。



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決戦

「なんでテメーは来ちまったんだッッッ!!!預けた赤ん坊を、一体どうするつもりだッッッ!!!」

「……それに関しては、すでにトリッシュ姉様にホテルの部屋の鍵を同梱して事情を説明した手紙を郵送してあるわ。栄養も与えてあるし、私が帰らなくても手紙が届けば姉様が対応してくれるはずよ。」

 

サーレーが声を張り上げ、シーラ・Eが思い詰めた顔で言葉を返した。

 

「シーラ・E、帰るんだ。」

 

ジョルノがシーラ・Eに告げた。時刻は今現在午前十一時、ここは彼らが一時的な本拠として移動したローマのホテルの一室。

ジョルノの命で念のためにすでに周辺住民の避難は済ませてある。あと三十分もすれば彼らが戦いに出立する予定の時刻だった。

 

「嫌ですッッッ!!!私も、戦いますッッッ!!!」

「シーラ・E、聞き分けろ。」

 

ミスタもジョルノの意見に頷いた。

 

「お役に立てなくても、弾除けくらいにはなれます!!!どうか、どうか私がついて行くことをお許しくださいッッッ!!!」

「……なんのために?シーラ・E、君はなんのために僕たちについてくるんだい?」

「ジョルノ様に受けた恩を返すためですッッッ!!!」

「やはりシーラ・E、君はわかっていない。恩が無ければ戦えないのなら、君は来るべきではないんだ。」

「私にとってッッッ!!!私にとって姉様は全てだったッッッ!!!」

 

シーラ・Eは、悲痛な叫びを上げた。

ジョルノはその様子を優しげな眼差しで見ていた。

 

「だからだよ、シィラ。君はその愛を全て姉に捧げ、他の存在が君の大切なものの序列に入ることはない。君が僕に向ける感情は姉の復讐の恩義で、君がトリッシュに向ける感情は姉の憧憬だ。君がそれをほんの一部でもイタリアの社会に向けていれば、僕はきっと君を全面的に信頼できる部下として戦場に連れて行っていただろうね。」

「姉様を忘れろと!!!」

「そうは言っていない。まあ結局は、君が成長しきるには時間が足りなかったってことなんだろうね。」

 

シィラ・カペッツートには理解できない。

結局は彼女の世界の中心は亡き姉が占めていて、他の何かが彼女の中に入る余地がない。それは真面目で真っ当な感性をした彼女に、復讐殺人を決断させるほどに強い感情だった。

 

何もかもを犠牲にしてでも目的を達成しようとする強靭な漆黒の殺意。ここから先の戦場で必要なものはそれであり、それを持たないものを連れて行っても無駄に命を落とすだけである。ジョルノはそう判断している。まあ言ってしまえば、シーラ・Eは覚悟が全然足りていない。

 

ジョルノ・ジョバァーナは、すでに覚悟を済ませている。ディアボロを生かしておいても、おそらくはイタリアにろくな未来が訪れない。むしろパッショーネが以前よりも権勢を増した今の方が、その被害が拡大する可能性は高い。

暴君は、暗黒の歴史の象徴だ。ディアボロを生かせば、ヨーロッパ社会に暗黒が再来する可能性が存在するのである。

 

ジョルノが暗殺チームと新たな二人の配下に出した指示は、今回の戦闘における至上目的はディアボロの抹殺であり、そのために必要であればジョルノやミスタが命を落とすことも厭わないで戦えという過酷なものであった。ジョルノの黄金の精神はすでに、トリッシュ・ウナやパンナコッタ・フーゴを筆頭に部下たちに受け継がれている。

サーレーとズッケェロは迷い、悩みながらも結果としてその指示に首を縦に振った。ウェザーとアナスイにもすでに言い含めてある。

 

シィラ・カペッツートが少しでもイタリアに愛情があるのなら、その指示に首を縦に振っただろう。シィラ・カペッツートに、その決断は不可能だ。シィラが漆黒の殺意を発揮できるのは、姉の命に対してだけだった。シィラはイタリアやパッショーネのために、漆黒の殺意を発揮することはない。シィラは戦場のギリギリの局面で、たとえジョルノを殺すことになったとしても敵を殺害しようという凶悪な意志を持てない。

 

「さて、行くぞ。」

 

ミスタが号令をかけた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「久し振りね、フーゴ。」

「トリッシュ!パッショーネに一体何が起きているんだ?」

 

フーゴはトリッシュに連絡を取り、ミラノの街の一角で待ち合わせをしていた。

パッショーネ各支部は襲撃され、状況の確認をしようにもジョルノの携帯に電話が通じないのである。

他の幹部連にもほとんど連絡が入っておらず、情報は錯綜していた。唯一ジョルノから連絡のあった腹心の一人、ジャンルカ・ペリーコロはジョルノの命に従い黙して語らない。

 

「……私にもわからない。ジョルノからの連絡は?」

「僕には何もきていない。」

「私にもきていないわ。ならやはり、私たちは今まで通り支部の防衛に徹するべきだわ。ジョルノから連絡が来ないということは、私たちはジョルノの戦いに関わるべきではないと、ジョルノがそう判断したってことよ。」

 

パッショーネの各支部は襲撃され、今現在はそれを退けて小康状態に入ったところだった。

フーゴとトリッシュは、ミラノに在住していたためにパッショーネミラノ支部の防衛にまわっていた。

幸いにもパッショーネ側に死人は出ていないが、病院送りにされた人間はそれなりの数に上っている。ドナテロ・ヴェルサスもその中の一人だった。敵は物の数ではない弱兵がその大半を占めていたが、ごく稀に異常とも言えるほどに強力なスタンド使いが混じっていたのである。

ミラノ支部を襲撃した強力なスタンド使いは自在に雲を操り、フーゴのパープルヘイズウィルスは雲内を流れる電流によってそのことごとくが死滅して、効果を発揮できなかった。その男が生み出した雲に覆われた人間は、その全員が感電や凍傷で戦闘不能にされていた。

 

「……君は不安ではないのか?イタリアに、パッショーネに何らかの異変が起こっているッッッ!!!」

「不安よ。でもわけもわからない状態で闇雲に行動を起こしても、事態が好転するとは思えない。」

「……君はボスを信頼していると?」

「信頼ではないわ。覚悟よ。」

 

トリッシュはフーゴに向けて妖艶に微笑んだ。

 

「覚悟?」

「私はジョルノが戦ってくれなかったら、すでにあの時にあの男に殺されて死んでいた。私はジョルノの判断に従うし、いざとなったらジョルノの決断と心中しても構わないわ。」

「……結局は、ボスは社会におけるさまざまな問題をうまく対処できる能力があるから、イタリア裏社会の偉大なるボスとして君臨している。僕たちは彼を信じて目の前の問題に対処するほかはないってことか。」

「そういうこと。わかったのなら、久し振りに一緒にお茶でも飲みましょう。」

 

二人は、ミラノのカフェで待ち合わせていた。

トリッシュはテーブル席の椅子を引いて、腰掛けた。

 

「……君は大物だな。」

「待つと決めた以上、慌てたって事態は好転しないわ。まあ、ジョルノと一緒に戦えないのは悔しいけどね。」

 

トリッシュは優雅に椅子に腰掛けてコーヒーを飲んだ。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ディアボロのネアポリス図書館襲撃の当初の目的は、ジョルノとミスタの命を奪うことであった。

ディアボロは、暗殺チームを警戒している。

 

ディアボロは、ミスを犯した。簡単なミスだ。

ディアボロは、図書館でジョルノを守護する人間の頭数を数えてしまったのだ。

ミスタ、サーレー、ズッケェロ、、、そして自身の使えそうな配下の人数を数える。

そこでディアボロには、欲が出た。

 

ディアボロの最初の計画は、ミスタを消してパッショーネの戦力をもう少し削いでからジョルノに決闘を申し込むつもりであった。

しかし、ディアボロに予定外のことが起きる。

 

ミスタを消せず、配下のスタンド使いはムーロロに暗殺された。カンノーロ・ムーロロはディアボロが考えていたよりもずっと有能だった。

ディアボロは予定を変更し、脅迫して引き込んだ部下に予定よりも早く図書館襲撃を命令した。ディアボロの警戒する暗殺チームがいつイタリアに帰還するかわからない。ここが勝負所だと。

ディアボロはあの時、予定外の事態にパッショーネを諦めてジョルノの抹殺を決意していたのである。

 

図書館に予定を早めて攻め込んだディアボロが見たものは、図書館にたった三人しかいないジョルノ・ジョバァーナの部下たちであった。ジョルノは王としてイタリア社会に愛情を注ぎ、イタリア社会が害されることを嫌ったのである。そのための寡兵と戦力分散、避難誘導だった。

 

それは、王としてのディアボロとジョルノの決定的な差であった。

ジョルノは王として極力民が虐げられることを嫌い、ディアボロは王として民を犠牲にしてでも己が繁栄を望む。ジョルノにとって社会とは築き上げ慈しむものであり、ディアボロにとって社会とは己が繁栄の踏み台であった。

 

ディアボロのパッショーネ各地同時襲撃はパッショーネの戦力を各地に分散させるためであり、本来ならば速やかにネアポリスのジョルノを始末するためであった。ディアボロはたとえ敵の分散が成功したとしても、王であるジョルノの元にはそれなりの数の兵隊が存在すると、そう考えていたためのジャック・ショーンへの図書館襲撃命令だった。しかしジョルノは己が身の保身よりも、社会の犠牲を減らすことを望んだ。

 

それを見て欲の出たディアボロは、決闘に持ち込んでも確実に勝利可能だと、そう判断してしまった。敵方の最大の脅威であったレクイエムも、図書館で矢を見つけ出して破壊することができている。

ジョルノは見知らぬ他人を犠牲にした勝利を望まない、甘っちょろい王であると。ジョルノの精神の根本は、パッショーネの入団試練で見知らぬ老人の命を侮辱したポルポに憤り、トリッシュを助けたいと願ったあの時から大きく変わっていないのである。

 

他の局面は、時間稼ぎでも敗北でも構わない。ジョルノとミスタさえ打倒すれば、ディアボロの勝利だ。ディアボロにはその絶対の自信がある。

そしてジョルノがイタリアを守るべく行動していることを理解して、イタリアを質にとっての決闘を強行した。

 

ディアボロはパッショーネに未練があり、交渉を上手く運ぶために総力戦の体を取った。

ここはディアボロの交渉の弱みだった。ジョルノを追い詰めすぎたら、せっかくイタリアを守ろうとして犠牲を減らそうと行動しているジョルノがやけくそになって、本当にパッショーネの総力で抵抗しかねないと、ディアボロはそう判断したのである。そうなってしまえば、もうどうやってもパッショーネはディアボロの手に戻って来なくなる。総力戦の体をとれば、社会を害されることを嫌うジョルノは自分から信頼できる寡兵のみで戦いの場に赴くだろうと。

イタリアを守ろうとするジョルノにとっても、パッショーネを欲したディアボロにとっても、小規模での暗闘が都合が良かったための落とし所だった。ディアボロも、なるべくならば無傷の価値の高いパッショーネを欲している。

 

ディアボロは、戦場では想定外のことが起こるのは当たり前だということを理解していない。

ディアボロがこれまで行ってきたことはそのほとんどが一方的な処刑であり、真っ当な戦闘はリゾット・ネエロとの戦いとブチャラティチームとの死闘くらいだった。

リゾットとの戦いを思い起こせば、ディアボロにも戦場の理不尽さを理解できたはずなのであるが。暗殺チームは結局その全ての戦いがブチャラティ・チームの成長に貢献し、リゾットの行動はディアボロの致命的な敗因の一つとなった。

 

全てはディアボロの我が身可愛さによる過保護の澱と言えるのかもしれない。実はディアボロは虐殺経験は数多くても、拮抗した戦闘経験自体は少ないのである。ディアボロはレクイエムで幾度もの仮の死を経験しても、その性根は全く変わっていない。馬鹿は死んでも治らなかった。

 

それも当然と言えるのかもしれない。死を幾度も体験したのは、実はディアボロではなく別の人物だったのだから。

 

ウェザー・リポートとナルシソ・アナスイの存在は、当然ディアボロの想定外だ。

そして強迫観念に追い詰められたシーラ・Eが結局は戦場に姿を現してしまったことも、ディアボロにとっては大きな想定外だった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

太陽がローマの天頂に登る頃、ジョルノ、ミスタ、サーレー、ウェザー、アナスイはコロッセオに姿を現した。

周辺の住民はジョルノの指示ですでに避難が済んでおり、日中にも関わらずあたりには異様なまでに静謐が漂っていた。

 

「始めろ、フランシス。」

「……。」

 

彼らがコロッセオの中心にたどり着くと同時に、周囲は分厚い雲に覆われていく。

円形の外周に立つディアボロの傍に侍る、フランシス・ローウェンの水色で波打ったスタンドの体表から雲が勢いよく噴出していった。

 

「やれ。」

「あいよ、ボス。」

 

ディアボロに寄り添うもう一人の男、その男はテンガロンハットを被り、煙草を咥え、カウボーイのような格好をしていた。

その男の名はホル・ホース。かつてディオ・ブランドーに仕えたナンバーワンよりもナンバーツーを信条とする男だった。

ホル・ホースは拳銃を構え、雲に巻かれて視界を失っていく一人の男の額に照準を合わせた。直後に周囲に乾いた炸裂音が鳴り響く。

 

「まずは一人始末っと。ボス、約束通りちゃんと俺を重用してくださいよ。」

「……お前が俺専用の暗殺チームとしてしっかりと仕事をこなしたのならば、それを評価しよう。」

 

ホル・ホースのスタンドは、銃弾のスタンドである。

そのスタンドは承太郎たちと戦った以前よりも口径が大きくなり、威力が増していた。

 

「ウェザー・リポート、ストロング・ウィンド!!!」

「な……!!!」

 

雲の中から男の声が辺りに響き、突風がコロッセオを覆った雲を吹き飛ばした。

ホル・ホースは始末したはずの男が頭から血を流しながらも平然と佇んでいることに、愕然とした。銃弾を頭部にくらったにしては、明らかに傷が浅い。

挙句にホル・ホースのスタンドである銃弾は宙に固定されて浮かんでおり、ホル・ホースはスタンドを固定されてしまっていて解除できない。

 

「いってえな、クソが。」

「ギニャアアアアアアッッッッッ!!!」

 

サーレーはクラフト・ワークで宙に浮かんだ銃弾を握りつぶし、スタンドを潰された痛みを感じてホル・ホースは悲鳴を上げて吐血した。

しかしホル・ホースのスタンドの銃弾は群体の一種であり、一発潰されたくらいでは戦闘には支障を来さない。

 

「やれ、フランシス。」

「……ハイアー・クラウド。力の具現、積乱雲。」

 

フランシスと呼ばれた赤毛の男のスタンドが、コロッセオに積乱雲を作り出した。コロッセオに激しい上昇気流が発生し、サーレーたちは突風に視界を手で防護した。

それは高圧電流を内包し、静電気が周囲で火花を散らした。逆巻く乱気流がコロッセオに吹き荒れ、積乱雲の発生とともにコロッセオは照度を失い影を落として行く。

 

落雷(クー・デ・フード)。」

「ウェザー・リポート、蜃気楼(ミラージュ)。」

 

雲は縦に高く伸びていき、それは凄まじい音とともに発光してコロッセオに小規模の雷を落とした。

雷は風を巻き起こしたウェザー・リポート目掛けて落ちていき、落雷が直撃したと思った瞬間ウェザーの姿は蜃気楼となって掻き消えた。

そして再び強風が横薙ぎに吹き付けて、コロッセオに立ち上った積乱雲を吹き飛ばしていった。周囲は明るさを取り戻した。

 

「……どうやら俺の相手はお前のようだな。」

 

ウェザーのその言葉に、フランシスは口端を吊り上げて返した。

 

「そんじゃあ、俺はアンタの手助けをしようかね。」

「それならばオレがウェザーのフォローに回ろう。」

 

ウェザーとフランシスが対峙し、ホル・ホースとアナスイがそこに付随した。

コロッセオの中央で、大規模に天候を操るスタンド使いたちが戦いを開始した。

 

「……貴様ッッッ、見つけた……見つけたぞッッッ!!!(ディオ)から授かった赤ん坊を、返せッッッ!!!」

 

コロッセオの外周に立つディアボロの前には、さらに二つの人影があった。

その二人ともに、サーレーには見覚えがあった。

 

一人はスペインのジェリーナ・メロディオ。もう一人はアメリカのエンリコ・プッチ。ウェザーとアナスイがパッショーネの援軍に来たのと同様に、プッチはディアボロの援軍として戦場に姿を現していた。

メロディオは興味なさそうに明後日の方向を向いて、エンリコ・プッチは忿怒の形相でサーレーを睨んでいる。

サーレーの瞳に、静かに漆黒の殺意が灯された。

 

「久しぶり、というほどでもないか、外道神父。自分から首を差し出しに来たか。殊勝なことだ。」

「貴様ッッッ!!!赤ん坊をどこへやったッッッ!!!天国への標は、貴様のような奴が容易く触れていいものではないッッッ!!!」

 

プッチの表情は目が飛び出さんばかりに見開かれ、血管が顔中に浮き出て顔が真っ赤になっていた。その目は、赤ん坊を奪ったサーレーに尋常ではない執着を示していた。

 

神は人の心の中にのみ住む。

サーレーはエンリコ・プッチに、厳かに己の中の死神の決定を告げた。

 

「……お前は赦されざる者だ。犯した罪状は大量殺人。自身の利己的な欲求のために、刑務所の大勢の人間を殺害した。その罪で、俺が処刑を執行する。」

「天国にたどり着くための、囚人程度の犠牲がなんだというのだッッッ!!!」

 

静かな黒い殺意と忿怒の燃え盛る激情は、二人の間で火花を散らした。

サーレーはプッチのその言葉に問答は意味を成さないと判断し、相手を処刑対象だと確信して滑らかに地を駆けた。

それに反応してプッチは異様な形相で、懐から一本の矢を取り出した。サーレーはそれを見て、相手の思惑を計りかねて立ち止まった。

 

「サーレーッッッ!!!気を付けろッッッ!!!レクイエムだッッッ!!!矢を刺せば、スタンドは進化するッッッ!!!」

 

プッチが懐から矢を取り出したことを確認したジョルノは、自身の経験からサーレーに助言を与えた。

プッチは矢を自身のホワイト・スネイクに突き刺し、矢はホワイト・スネイクと一体化する。ホワイト・スネイクは光り輝き、馬に乗った騎士の姿のようなスタンドへと変貌を遂げた。

それは世界ではなく自身を際限なく加速させる、劣化版のメイド・イン・ヘブンであった。

 

「私の計画をめちゃくちゃにしてくれた貴様は、この私が自らの手で縊り殺してやる!!!」

 

プッチのその言葉とともに、激情のメイド・イン・ヘブンはプッチを乗せてコロッセオの外周を走り出し、加速を開始した。

サーレーは敵スタンドのその加速の早さに即座に判断を下し、コロッセオを離れてローマの市中に向かった。

固まっていたら、纏めて攻撃を喰らってしまう。その敵意がサーレーに向いている以上、サーレーは敵を引き付けるために人間の避難が済んだローマ市中にプッチを誘導するのが上策だと判断したのである。

 

そしてそれは、ちょうどディアボロの妥協点でもあった。ディアボロにとってサーレーは警戒すべき対象であり、サーレーがプッチ一人にかかずらってくれるのであればディアボロにとっても都合がいい。プッチはディアボロが急遽味方に引き込んだ人間であり、たまたま利害が一致していただけの人間であった。そのためにディアボロはプッチをまるで信用していなかった。

というよりも、ディアボロはたった一人を除いて誰も信用していない。戦いが終われば、ディアボロはプッチを始末する心算だった。

暗黙に敵味方の合意がなされ、コロッセオから離れた場所にサーレーとそれを追うエンリコ・プッチは向かった。

 

ディアボロは傍のメロディオに告げた。

 

「さて、それではお前の出番だ。ジョルノ・ジョバァーナに付き添うあの目障りな人間を始末しろ。」

 

ディアボロはグイード・ミスタを指差した。

ミスタは拳銃を構え、メロディオは心中でため息をついた。メロディオの手中に道化の天秤が現れた。

 

道化師は、その本性を露わにしようとしていた。

天秤は世界の理を司り、神秘を内包して緩やかに揺れた。

 

「待ちなさいッッッ!!私も……私も、戦うッッッ!!!!」

 

その時コロッセオに女性の声が響き、その場に残った全員が声がした方向に目をやった。

それは、迷いながらもジョルノたちに生命の危機が迫っていることを理解して、何かの役に立たなければならないという強迫観念と共に戦場に馳せ参じたシーラ・Eだった。

 

「シーラ・E……あのバカが……。」

「シーラ・E……。」

 

ミスタがシーラ・Eが命令を無視してコロッセオに参戦しにきたことに対して、手を額に当てて天を仰いだ。

 

「まだ敵には援軍がいたようね。私は彼女を始末してくるわ。」

「……待て。奴は殺すな。生かして俺の前に連れて来い。」

 

ディアボロは、メロディオに小声で指示を出した。

ディアボロのその言葉にメロディオはディアボロの表情を一瞬だけ観察し、メロディオの視線を受けたディアボロは自身が決定的な間違いを犯している錯覚に囚われた。

しかしそれはディアボロにとってほんの一瞬の違和感であり、すぐに霧消した。

 

「了解。じゃあそこのあなた、あっちに行きましょう。」

「なんのために移動する必要が……!!!」

「……馬鹿ねえ。まだ若いあなたの無惨な死体を見たのなら、あなたのボスは子供を死なせてしまったことにショックを受けるわ。そうすればあなたは、あなたのボスの足を引っ張ったことになる。A級戦犯ものよ?あなたのボスのために、あなたは私を別の場所で足止めするのが得策よ。」

 

シーラ・Eはメロディオのその言葉に、相手の思惑を計りかねた。

 

「アンタはその男の配下なんでしょう!それならば、アンタはジョルノ様に不利に働くような行動を取ろうとしている!!!」

「……違うわ。これは彼らの己の誇りと因縁をかけた、誰にも邪魔できない神聖なる決闘なのよ。彼らの邪魔をしないように、部外者の私たちはほかの場所で戦うべきだわ。」

 

メロディオは、真っ赤な嘘をついている。

この場にいる人間は皆形振り構わずに己の目的を達成しようと目論んでおり、誰一人として個人の誇りなどという安っぽい自己満足に浸るものはいない。そう言うメロディオも形振り構わずに自身の目的を達成しようとしている。

 

シーラ・Eにも少し考えればわかるはずだった。この戦いにはイタリアの裏社会、ひいてはヨーロッパ全土の未来の趨勢がかかっている。

そのような大事において、社会の未来よりも個人の誇りや矜持が優先されることなど到底有り得ないのである。

 

メロディオの言葉は、それもやはりこの場にいる全員の暗黙の合意であった。

シーラ・Eを戦場から遠ざけろ。ジョルノ・ジョバァーナとグイード・ミスタは、以前ディアボロが交わしたシーラ・Eの命を保証するという口約束を信じるほかはなかった。

そしてそれは、メロディオにとっては天啓にも等しかった。シーラ・Eの存在は、彼女にとっては戦場に舞い降りた神の御使にも等しかったのである。

 

「さあ、行きましょう。私たちは私たちで、大切なもののために己の誇りをかけた戦いをしましょう。」

「ミスタ様ッッッ!!!」

「行け、シーラ・E。そいつを抑えてくれたならば、敵の頭数が減って俺たちも助かる。」

 

シーラ・Eは迷いつつも、コロッセオを離れ行くメロディオの後を追った。

老獪なメロディオにとって、シーラ・Eを偽りの言葉で手玉にとるのは容易かった。

 

ディアボロにとってのメロディオは、掴み所のない不気味な女だった。しかしここにおいてシーラ・Eを生かして確保しておく意味は大きい。ディアボロのパッショーネのボスとしての正当性を証明できる人間がいなくては、ジョルノたちを倒しても次はパッショーネ内部のジョルノに忠実な部下たちとの終わりなき戦いが待っている。そうなれば、ディアボロが策を練ってまで手に入れようとしたものはゴミと化す。

 

その点シーラ・Eは操りやすい。誰かに依存しきっている人間とは、自分で考えないので操作が楽なのである。ジョルノに指示を出させてシーラ・Eをうまく言い包めさせれば、それはおそらく可能だろう。真面目で真っ当な感性を持ち親衛隊というボス御付きの地位を持つシーラ・Eの発言は、組織内部でそこそこの発言力を持つ。

図書館でのジョルノとの交渉のトリッシュを生かすというのは、交渉を上手く運ぶためのディアボロの嘘だったが、シーラ・Eを生かすというのは真実だった。

 

そのために、ディアボロはメロディオにシーラ・Eを生かして確保する指示を出した。メロディオは何を考えているのかわからない不気味な人間だったが、ディアボロにはほかに有効な手駒がなかった。

 

メロディオは、ディアボロがスペインの裏社会を揺さぶってみたら出てきた人材だった。スペインの切り札であるのならば、きっとそれなりの使い手だろう。シーラ・Eを生きて抑えることができる見込みも高い。シーラ・Eは戦闘に限定すれば、そこそこ強いのだから。

ディアボロは、そういう風に計算している。

 

「さて、戦局は分かたれた。俺たちも決着を付けようか。ジョルノ・ジョバァーナ、グイード・ミスタ。」

「お前を確実に殺さなかったのは僕の落ち度だ。今度こそ、完全に戻ってこれないように終わらせるッッッ!!!」

「ヤられたムーロロの落とし前もつけなきゃあな。」

 

ミスタが拳銃を構え、コロッセオに撃鉄が上がる音が響いた。

四つの戦局で、四通りの戦いが始まった。

 

 

◼️◼️◼️

 

名前

ディアボロ

スタンド名

キング・クリムゾン

概要

未来に向けて時間を飛ばす……だけだろうか?

 

名前

エンリコ・プッチ

スタンド名

メイド・イン・ヘブン(劣化版)

概要

緑色の赤ん坊ではなく、矢の力で進化した劣化版のメイド・イン・ヘブン。時が一巡した世界に対するエンリコ・プッチの妄執が、スタンドにその形を取らせた。その能力は自身を加速させるが、出力不足により光速の壁は超えられず、その速度は光速に向かって漸近線を描く。CーMOONを経由していないために世界を加速させることは不可能。瞬発力に関してはスター・プラチナに劣るが、持続力に関してはスター・プラチナを上回るため、その能力の凶悪さは最強のスター・プラチナにも引けを取らない。

矢の出所はほぼ間違いなくディアボロだと思われるのだが……?

 

名前

ホル・ホース

スタンド

エンペラー

概要

かつてディオに仕えた、ナンバーワンよりもナンバーツーを信条とする男。ディアボロの実力に感服し、その右腕となるべく配下に降った。以前よりも拳銃の口径が少しだけ大きくなったらしい。

 

名前

フランシス・ローウェン

スタンド

ハイアー・クラウド

概要

パッショーネミラノ支部を襲撃した、自在に雲を生成し操るスタンド使い。外見は赤毛にスマートな出で立ち。その能力の使い幅はウェザーに劣るが、雲を使う能力に限定すればその力はウェザーを上回る。フランスの処刑人であるため、暗殺に特化している。襲撃されたパッショーネに死人が出ていないのは、彼が無意味な殺人を嫌ったためである。

 

名前

ジェリーナ・メロディオ

スタンド

バイオレーティブ・ジェスター

概要

ディアボロがスペインを脅迫して炙り出した人材。先に彼女たちを手駒にしたのは、アルディエンテもラ・レボリュシオンもパッショーネに比べたら小規模であり、パッショーネに比べて圧倒的に武力で劣るからである。スペインの処刑人であるためにそこそこ戦闘が出来るだろうとディアボロは判断した。パッショーネトリノ支部を襲撃した。その能力の真実は?

他者と関わらないためにディアボロは知らない。ディアボロは彼女をフランシスと同等の存在だと判断している。……しかし彼女は、ヨーロッパ全土の裏社会で最も怖れられている。

 

名前

緑色の赤ん坊

概要

シーラ・Eに預けたはずだったが、シーラ・Eが結局戦場に駆けつけて来てしまったためにローマの高級ホテルの一室でお留守番中?



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漆黒の殺意

コロッセオの中心では、天変地異が起こっていた。

 

「ヌウウウウゥゥゥン!!!」

「クッ!!!ウオオオオオオオオッッッ!!!」

 

そこに仮に一般人が存在したとしたのならば、顔を真っ青にして大慌てで逃げ出すしかないだろう。

風は荒れ狂い、気温は異常なまでに低下し、晴天にも関わらず周囲は薄暗く、静電気があちこちで火花を散らした。

その中央では、二人の男が拳を交えている。

 

「貴様、なぜ戦う?なぜイタリアに害を為そうとする!」

「……必要だからだよ。俺が目的を達成するためには、それが必要だからだ。むしろ俺がお前に言いたい。お前は戦場から離れたほうがいい。」

 

ウェザーが問い、フランシスが応答した。

 

「それはできん!俺は戦う!戦って平穏を勝ち取り、未来を指し示してくれたサーレーたちに恩を返すのだッッッ!!!」

「……それならば戦うしかない。俺も自分の至上目的のために戦っている。お前も自分の至上目的のために戦っている。その目的は互いに矛盾し、勝った方しか願いは叶わない!」

 

ウェザー・リポートとフランシス・ローウェンはそれぞれ己の強力なスタンドを具現し、重厚な存在感を伴ってコロッセオの中心地で拳をかわしていた。

拳が交わるたびに周囲には風が吹き荒れ、稲妻が奔り、ローマに雷鳴を轟かす。コロッセオの中心は爆心地と化していた。

 

「貴様の願いとはなんだ?それはイタリアを害さねば、叶わないものなのか!」

「……人間の大切なものには序列が付けられている。残念ながら、他人の家よりも自分の家が大切だ。」

 

フランシスは不動の意思でウェザー・リポートの前に立ち塞がり、ウェザーは相手を打ち破ろうとスタンドに力を込めた。ウェザーは静かに、己の中に漆黒の殺意を受け入れた。

周囲に竜巻が発生し、天空からは蛙が降ってくる。それはコロッセオの地面に飛び散って、周囲に毒液を撒き散らした。

 

「ヤドクガエル、その体液は強力な毒をもち、皮膚から侵入して人間を容易く殺害する。お前の目的がわからない以上抵抗はあるが、退かないと言うのならば、殺意を以って全力で応酬させてもらう。」

「どわわわっっっ!!!おい、ウェザー!!!」

 

近くで戦うアナスイが叫んだ。

フランシスはニヤリと笑うと、上空に雲が噴出して、滞留した。

降り注ぐ蛙の群れは、極寒の雲を通過して氷漬けになって落下した。体液が固まってしまえば、それは周囲に飛び散ることはなくなる。

フランシスの冷徹な眼差しに、ウェザーは敵の意志の強固さを理解した。

 

「俺の能力とお前の能力は、互いに意味をなさない。そうなればあとは、どちらのスタンドのエネルギーが上かという話になる。」

 

フランシスのハイアー・クラウドは右腕を上げてウェザーに殴りかかり、ウェザーはウェザー・リポートの左腕で軌道をずらして防御した。

 

「うおおおおおおッッッ!!!」

「あああああッッッ!!!」

 

フランシスとウェザーは、コロッセオの中心で吼え猛った。

 

「俺も、いるぜ?」

 

ホル・ホースがスタンドのエンペラーを発動した。フランシスの背後にいるホル・ホースは拳銃を構え、銃弾を二発ウェザーに向けて発砲した。

 

「やらせるわけねえだろうが。」

 

地面の中からアナスイのダイバー・ダウンが現れ、ホル・ホースの銃弾を拳の甲で弾き返した。

 

「なら、これでどうだ?」

 

ホル・ホースは標的を変更し、アナスイ目掛けて拳銃を向けた。

 

「オイオイ、いいのか?お前のスタンドは、近距離戦は不得手だろうが。」

 

アナスイは銃口を向けられても平然として、ダイバー・ダウンはホル・ホース目掛けて一直線に地中を潜行して行く。

たとえ銃弾を受けても即死さえ防げれば、ダイバー・ダウンは近接戦の苦手なホル・ホースを瞬時に仕留めることが可能である。ホル・ホースは即座に頭の中でその損得を勘定し、慌ててフランシスの背後へと逃げ隠れた。

 

「ま、俺っちのスタンドは、他人と組むことで真価を発揮するタイプだからな。今回は見逃してやるぜ。」

「ああそうかそうか、ありがとう。とか言うわけねえだろうが、ボケッッッ!!!」

 

ホル・ホースはフランシスの背後から銃弾を発砲し、アナスイがウェザーの背後に陣取って近中距離から放たれる銃弾を弾いた。

その周囲では、逆巻く風が荒ぶっている。

 

「これでどうだッッッ!!!」

「馬鹿が。丸わかりなんだよッッッ!!!」

 

ホル・ホースはウェザー目掛けて発砲し、銃弾の軌道は途中で不自然に捻じ曲がってアナスイを襲った。アナスイは敵の攻撃を見切って、ダイバー・ダウンは偽りの軌道に惑わされずに容易く銃弾をはじき落とした。

 

「にゃにいッッッ!!!」

「お前、バカか?銃弾がスタンドなら、軌道が変わる可能性くらい想定して当然だろうが!」

 

アナスイのダイバー・ダウンは、ウェザーの戦闘に加勢しようとした。ホル・ホースはアナスイ目掛けて銃弾を連射し、ダイバー・ダウンはその全てを弾き落とした。

 

「どうやらテメエは、裸単騎では大したことは出来ねえようだな。」

 

アナスイがフランシスの背後に隠れるホル・ホースを追いかけようとして、ホル・ホースは慌ててウェザー目掛けて発砲した。アナスイは銃弾からウェザーをフォローする必要があり、その場に止まることを余儀なくされた。

 

「チッ、小者のクセに、案外ウゼエな。」

「ナンバーワンよりもナンバーツー、それが俺の哲学なのよん。」

 

ホル・ホースは頭の回転が速く、アナスイも持久戦を余儀なくされていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「貴様ッッッ!!!赤ん坊をどこへやったッッッ!!!言え!!!言えば楽に殺してやるッッッ!!!」

「……死んでも言わねえよ。お前は永遠に叶わない目的を追い求めて、現世を彷徨う憐れな亡霊になることになる。」

 

エンリコ・プッチは激昂し、サーレーはプッチを鼻で笑って挑発した。

ローマの狭い裏路地で、二人の殺意は火花を散らしている。クラフト・ワーク、メイド・イン・ヘブン共々、周囲を高速で動き回っていた。

 

「貴様なんぞにはわからん、崇高な目的のためだッッッ!!!貴様は天をッッッ、神をッッッ、侮辱しているッッッ!!!私は、神の御使だッッ!!!」

「お前、本当に救いようのないバカだな。自分の文言を冷静に見返してみろよ。それ、テロリストの口上だぜ?」

 

サーレーはローマの狭い裏路地で、走りながらゴミ箱を蹴っ飛ばした。

エンリコ・プッチのメイド・イン・ヘブンはどんどん加速している。

メイド・イン・ヘブンが両の拳で走るクラフト・ワークを襲撃し、サーレーはそれをコマ送りでなんとか見切ってダメージの大きい軌道のものをはたき落した。クラフト・ワークは拳が触れた際に固定を使用するも、矢の力によって大幅にスタンドエネルギーを増したメイド・イン・ヘブンはクラフト・ワークの固定を容易く引き剥がして、至近距離から去って行く。

 

ーー厄介な奴だ。どこまで速くなるのか見当もつかねえ。さっさと仕留めてしまわないとさらに速くなるんだろうが、スタンドがエネルギー負けして固定もできない、、、。

 

サーレーは走りながら、思考を続けた。

つくづくサーレーはグイード・ミスタ副長には頭が上がらない。ミスタがサーレーの尻を蹴っ飛ばさなければ、サーレーはメイド・イン・ヘブンになすすべなく呆気なく敗北していただろう。

死が常に隣にあるという緊張感と、幾度もの生死をかけた戦いを乗り越えた経験は、サーレーに切羽詰まった戦場でなおも笑いながら冷静に突破口を探す豪胆さを与えていた。サーレーは固定しながら壁を走り、メイド・イン・ヘブンは周囲を縦横無尽に走りながらサーレーにその苛烈な激情を向けた。

 

「返せッッッ!!!返せッッッ!!!返せッッッ!!!天国への標を、未来の希望をッッッ!!!世界を変える力を、返せッッッ!!!」

「バカな奴だ。冷静になってよく考えてみろよ?そんな危険な存在を、俺たちがいつまでも生かしておくわけがないだろう?」

 

サーレーは平然と嘘を吐いて首を搔き切る仕草をして挑発し、サーレーのその行動にメイド・イン・ヘブンはさらに激情を重ねた。

エンリコ・プッチの顔は真っ赤になり唾を飛ばし、プッチの怒りと絶望は荒ぶる殺意へと変わりサーレーへと向けられた。

 

「貴様!!!貴様!!!貴様ッッッ!!!殺す!!!殺す!!!殺すッッッ!!!絶対に、貴様だけは殺すッッッ!!!百回磔にして、なますに刻んで、臓腑をカラスの餌にしてくれるッッッ!!!」

「セリフが安っぽいぜ?いい大人が駄々こねんなよ。ママっ子(マンモーニ)の神父様。」

 

ーー挑発はしてみるものの、相手が疲労する気配はない。その速度は際限なく上昇し、そろそろ撃ち漏らした攻撃もダメージが蓄積しつつある。

 

サーレーは裏路地を掛けながら、固定する能力で建物の屋上に駆け上がった。そこで周囲を見渡した。

とりあえず走っている間に考えは纏まった。仕留め切れるかはわからないが、今のままではジリ貧だ。

 

ーーさて、と。痛そうだが、まあやってみるしかねえか。

 

サーレーのその視線は、近場の超高層建築物に向いていた。

 

 

◼️◼️◼️

 

「ちょっとアンタ、どこまで行くのッッッ!!!もうコロッセオからは遠くに来たでしょう!!!」

 

シーラ・Eが十メートルほど先を歩くメロディオに声をかけた。背後からは雷鳴が鳴り響き、シーラ・Eはジョルノたちがいたコロッセオが気が気でない。

 

若い。声などかけずに後ろから問答無用で奇襲してしまえばいいものを。

メロディオは苦笑した。

 

「何か問題があるのかしら?」

 

メロディオは振り返ってシーラ・Eに問いかけた。

 

「あるに決まってるじゃない!いつまで歩き回っているの!!!」

「あなたは私を足止めしているのよ?それがなんの問題なの?」

 

シーラ・Eは言葉に詰まった。

 

「私はジョルノ様の加勢に、、、。」

「あら。あなたはあなたが私に勝つ確率の方が、あなたのボスが敵に勝つ確率よりも高いと考えてるの?」

「何を言ってッッッ!!!」

「そうじゃない。理論的に考えてみて?あなたがボスの加勢をするには、まずあなたが私に勝たないといけない。私が勝てば、私は自分の味方の加勢に行くことになるわよ?」

「……。」

「あなたがあなたのボスを信じているのなら、私を足止めするのが最良よ?あなたのボスが強いのなら、あなたの加勢がなくても勝利するはずだわ。でもここで戦ってしまえば、私たちのうち勝った方が戦場に加勢に行くことになる。戦場に紛れが起こる。勝てたはずのあなたのボスは、あなたのせいで命を落とすことになるのかもしれない。」

 

道化は笑い、少女を言葉巧みに手玉に取る。

 

道化(それ)を相手にしてはいけない。怒りに触れてもいけない。スペイン裏社会の有名な都市伝説だ。

スペインの裏社会には、悪鬼とも神とも恐れられるスタンド使いが存在する。それの逆鱗に触れたら殺意によって跡形も無く消滅させられるし、言葉を交わせば巧みに相手の都合のいいように誘導させられる。

道化と話してはいけない。それの怒りを買ってもいけない。道化に行き交ってしまったら、命があれば儲けもの。ひたすらに赦しを乞うほかにない。それが最善策。

 

スペインの裏社会では、その話は禁忌(タブー)だった。

逆さ天秤は世界を操り、笑う道化は人間の理解の範疇を逸脱した存在だと。

 

「勝てばッッッ!!!」

「相手の情報がない。その能力も一切不明。もしかしたらすでになんらかのスタンド能力に陥れられているかもしれない。そんな相手に勝てばいいなんて、普通はギャンブルでもそんな割に合わないことはやらないわ。あなたは今、本当にローマにいるのかしら。」

 

道化の右手に天秤が現れ、彼女はそれをシーラ・Eに確認させた。メロディオは神秘的に笑い、シーラ・Eは相手が底の見えない存在だということを少しずつ理解し始めている。

ローマの人気のない通りで、二人は十メートルほど離れて向かい合っていた。

 

「信頼もない。愛情もない。そこにあるのは強迫観念だけ。、、、ねえ、シーラ・E。いいえ、シィラ・カペッツート。あなたは何のために戦っているの?」

「なぜ私の名前をッッッ!!!」

「馬鹿ねえ。戦う相手のことくらい、前もって調べておいてしかるべきじゃない。あなたの能力も、すでにバレているわよ。」

 

メロディオがシーラ・Eの名前を知っている理由は簡単だ。

以前にディアボロの暗殺を目的としていたメロディオが、前もってパッショーネの親衛隊の人員を調べていたことがあったからである。能力を知っているというのは、ハッタリだった。

しかしシーラ・Eはそれを知らない。道化は老獪に、子供に駆け引きを強いて手玉に取る。

 

「あなたじゃあ私に勝てないわ。」

 

道化は理を司る。

道化の宣告は、この世の法則だった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ディアボロはコロッセオの外周で、注意深くジョルノとミスタを観察していた。

その顔に余裕はなく、その沈黙は重苦しい。

 

ディアボロはここに来て、彼が誰を最も警戒すべきかを図り違えていたことに気が付いた。

 

マリオ・ズッケェロが戦場にいない。

ディアボロは、図書館でズッケェロがジャックにその能力を使用したところを確認していた。

マリオ・ズッケェロのスタンドは、細剣で貫くことにより相手を無力化していた。

死ではない。無力化である。

 

ディアボロは己の能力に絶対の自信を持ち、どんな致命の攻撃であっても自身には効果がないことを確信している。

しかし、無力化の能力はどうだろうか?喰らった瞬間に、果たして能力を発動できるのだろうか?

 

致命の攻撃であれば、死ぬまでにタイムラグが存在する。それがどれほど短くとも、ディアボロにはどうにでもできる自信がある。時間操作系のスタンドは、操作できる時間が存在する限り恐ろしく強力だ。

しかし無力化となると話は別だ。喰らった瞬間にスタンドを使用不可能にされてしまうのだとしたら、いかにディアボロと言えども敗北してしまう可能性が存在する。操作できる時間が存在しないかもしれない。わからないのだ。

わからない以上、どうしても警戒せざるを得ないのである。

 

ソフト・マシーンは他者との補完性が高く、混沌とした戦場でその真価を発揮する。

その存在を隠蔽することで、戦場で敵に不利な駆け引きを強いるのである。

 

ほぼ間違いなくボスであるジョルノの警護のためにこの近くに潜伏しているだろうが、他の戦場にいないとは絶対には言い切れない。

リーダーのサーレーに付き添っているかもしれないし、もっと勝利しやすい戦局から順繰りにフォローをしているかも知れない。

時間と共に戦況が不利になる可能性があるにも関わらず、ディアボロはズッケェロのその能力の致命的さから迂闊に動けないのだ。下手をしたらジョルノの命を奪った瞬間、どこからともなくブッスリという可能性まで存在する。

 

それは、サーレーとズッケェロをただのチンピラと捨て置いたディアボロと、二人の価値をハッキリと認識したジョルノの器の差でもあり、ディアボロは今現在それを嫌というほどに理解させられていた。

 

ソフト・マシーンは恐ろしいほどに有用性が高い。そして、より重大な局面でこそその戦術的価値は天井知らずに跳ね上がる。天敵である探知タイプに致命的に弱いのは事実だが、裏を返せばその弱点さえなくなれば奇襲を得手とするソフト・マシーンは恐ろしく有用なのである。

 

それは仲間内に信頼があるジョルノたちだからこそ、取り得た戦術である。手札を最初から馬鹿正直に全て開示する必要はない。ディアボロは他者を一切信頼しないゆえに、手札を全て開示した。見えないところに隠した他者を、独善的なディアボロは性格的に信用ができないのである。本来であれば、ホル・ホースも伏せていた方が有効に切れる札のはずだった。

 

宝刀は、抜かぬが華である。抜かないからこそ相手を威圧し、相手の行動を極端に制限する。

他者と社会を育む事で弱点を克服したマリオ・ズッケェロは、まごう事無くジョルノのパッショーネの一振りの秘伝の宝刀だった。

以前のパッショーネはそれを知らず、マリオ・ズッケェロ本人もそれを理解していなかった。今は違う。

ジョルノ・ジョバァーナに傅き彼を頂きにおいた時、ズッケェロもサーレー同様にパッショーネの猟犬として覚醒していたのである。

 

ディアボロは周囲を見渡した。

高低の段差、壁の裏、コロッセオは古い建物だから亀裂もある。マリオ・ズッケェロはそのどこに潜んでいてもおかしくない。

ソフト・マシーンはディアボロにとって、最も警戒すべき対象だった。

 

「ディアボロッッッ!!!」

 

グイード・ミスタは殺意を発露させ、ディアボロに向けて拳銃を発砲した。

しかし銃弾は、時間を飛ばしてディアボロを通過していく。

 

「ゴールド・エクスペリエンス、宇宙の大樹(アルベロ・コスミコ)!!!」

 

ジョルノの手中のテントウムシのブローチはその姿を見る見る間に大樹に変え、幾重にも重なったその枝はディアボロに襲いかかった。

ディアボロはそれをその場を少しだけ身を引いて躱した。大樹の幹はディアボロに向かって追撃する。

ディアボロは後ろに跳びのき、ミスタが追撃とばかりに発砲した。

 

「セックス・ピストルズ、技法・黄金螺旋回転(ロタツゥイオーネ・ア・スピラレ・ドラタ)ッッッ!!!」

【イエエエエーーッッッ!!!】

 

ミスタの技法・黄金螺旋回転は、ミスタがパッショーネの暗殺チームとして戦い続ける中で、身につけた技法である。

暗殺チームとしてミスタが処刑した人間の中には、銃弾を弾き返すスタンド使いも数多く存在した。ミスタはそういった手合いに対抗するために銃弾の威力を上げる方法を模索し続け、ある時戦いの中で銃弾が劇的にその威力を向上させる回転が存在する事を発見した。

セックス・ピストルズは銃弾に螺旋回転を加え、それは敵に絡み付き喰らい尽くす致死の一撃と化す。ミスタの経験則による不完全な回転だが、その威力は装甲の硬いクラフト・ワークの防御すら容易く突き破る。その回転は、黄金長方形の無限の螺旋を模倣していた。

 

ディアボロはミスタの銃弾をスタンドの拳で弾き返そうとした。しかしそれはディアボロの拳に絡み付き、体を登り、頭部に向かっていく。それは、ディアボロの頭部を撃ち抜いた。

 

【イエエエエーーイイイッッッ!ヤッタゼ!!!】

 

ピストルズがハイタッチを交わすが、ミスタの表情は優れない。

 

「黙れッッッ!!!馬鹿どもッッッ!!!やってねえッッッ!!!」

 

ミスタにはディアボロの頭部に銃弾が着弾したように見えたが、平然とした表情で周囲を注意深く伺っている。

時間を跳ばした可能性は高い。

 

ディアボロはジョルノやミスタにはさほど意識を割かず、周囲を警戒している。やはりマリオ・ズッケェロはその姿を見せない。

まずはその所在を炙りださないと、ディアボロの勝利は危うい。

 

ーー図書館で、消しておくべきだったか……。

 

ネアポリスの図書館では、ディアボロが相対したのは疲弊したジョルノ、ミスタ、手負いのサーレーに姿を見せたズッケェロの四人だった。

ほぼ勝てるとは考えていたが、パッショーネへの執着心と用心によりディアボロは彼らへの手出しを控えていた。仮にあの局面で誰かを殺害しようとしたら、四人はおそらく一丸となって形振り構わずに抵抗する。当然パッショーネは手に入らない。

 

しかし今になってズッケェロの真価を突き付けられ、ディアボロは己の選択の愚かさを痛感させられていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ヌオオオオオオッッッ!!!」

「ウアアアアアアアアアアアッッッ!!!」

「どわあああああッッッ!!!」

「待てやコラァ!!!」

 

コロッセオの中心でウェザーとフランシスのスタンドは真っ向から衝突し、周囲に暴風が吹き荒れた。

ホル・ホースは荒ぶる風にもんどり打って転び、アナスイは体勢を崩したホル・ホースを仕留めようと迫った。

ホル・ホースは迫り来るアナスイに銃口を向けて発砲した。

 

銃弾はアナスイに向けて進み、ダイバー・ダウンはそれを右腕で弾き返す。ホル・ホースは立て続けに銃弾を連射し、炸裂音が連続で鳴り響く。その軌道は歪み、奇妙な軌跡を描いて互いに衝突した。銃弾は不規則に不条理に軌跡を描き、空間を生き物のように駆けてアナスイを八方から襲った。

 

「エンペラー、致死の部屋ッッッ!!!」

「うおおおおおおッッッ!!!」

 

今まで戦場のミソッカスだったホル・ホースの唐突な豹変とその殺意に、アナスイは慌ててダイバー・ダウンで防御に徹し周囲の弾丸を撃ち墜とした。撃ち漏らした二つの弾丸がアナスイの右足に風穴を開けた。

ホル・ホースは嵩にかかって銃弾を連射した。コロッセオには雷鳴が轟き、周囲には雨が降り出していた。

 

「クソがッッッ!!!」

「若い、若いねぇー。相手の演技が見抜けないようじゃ、早死にするぜ?」

 

ダイバー・ダウンは周囲を跳ねる銃弾を撃ち墜とし、ホル・ホースの殺しの間合いから急いで退避した。退避するアナスイの頬を銃弾がかすめていった。

 

「うーん……惜しいッッッ!!!」

「テメエッッッ!!!」

「拳銃の弱点が近接の間合いだってことは、自分で重々承知しているよん。ならばそれを重点的に克服している可能性を、あんたは想定して然るべきだったな。」

 

ホル・ホースは笑いながら口元のタバコをお茶目に動かし、アナスイはその仕草に苛立った。

雨に濡れたタバコを、ホル・ホースは吐き捨てた。

 

「さて、準備運動も終わったことだし、そろそろ真面目に行かせてもらいますかね。」

 

ディアボロ専属の暗殺者は、殺意を剥き出しにした。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「ウオオオオオオオオアアアアアアアアアアアッッッ!!!」

「……。」

 

サーレーは駆け、メイド・イン・ヘブンは周囲を走りながら緩急をつけてサーレーを襲撃した。

メイド・イン・ヘブンの速度はさらに上昇し、コマ送りでもその映像がボヤけ始めている。

サーレーはメイド・イン・ヘブンが襲いかかってくるタイミングだけを何とか見極め、防御に徹しながら走り続けていた。プッチはサーレーの挑発に逆上し、攻撃が単調になっていたためにクラフト・ワークでなんとか防御が可能となっていた。

 

「赤ん坊は……天国はッッッ!!!」

「……。」

 

今のエンリコ・プッチはただの憐れな怨念だ。その目は視線が定まらず、口元からは涎を垂れ流している。

プッチはサーレーの赤ん坊を処分したという言葉を信じこみ、思考を放棄して怒りと絶望に任せて目の前の(サーレー)を襲撃している。

 

ーー愚かな男だ。天国などという世迷言を信じ込み、それを見失った今精神が絶望に侵食されて眼前の破滅だけを望んでいる。

 

サーレーは迫り来るメイド・イン・ヘブンに対応しながら、ローマの市中を走り続ける。

 

ーージョジョが姿を現したとき、パッショーネのヨーロッパ圏内での周辺組織の評価は底辺だった。力はあっても他人の庭に麻薬を無節操にばら撒く、最低の組織だと。ジョジョはそこから組織を真っ当に運営ししぶとく交渉し、周辺のその評価を覆した。何かを築き上げる時、築き上げたものが手違いで倒壊してしまうかもしれない。誰かの悪意によって破壊されてしまうかもしれない。しかし、ボスであればそれでも力強く再び築き上げることを望むだろう。……この憐れな男は崩れたものに腐心して他の事に一切目をやらない。俺はボスのように何かを築くことはできなくても、ボスの築き上げた誰からも愛される偉大なる(グランデ)、パッショーネを守る事は出来るッッッ!!!この神父は、ただの破綻した弱者だ。ジョジョの部下の俺がこの程度の敵に負ける事は、有り得ないだろう?

 

サーレーは不敵に笑い、その自信はクラフト・ワークに力を与えた。

サーレーの漆黒の殺意は静かに、敵を喰い破る瞬間を待っている。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「何がいい?コーヒーで構わないかしら?」

 

シーラ・Eは困惑している。

目の前の女の意図が掴めず、どう行動したものか判別がつかないでいた。

 

戦場に姿を現した茶髪の女は、避難が済んで誰もいないカフェに侵入して水場を漁っていた。

女は棚の奥からコーヒー豆を取り出すと、コーヒーメーカーにセットした。

 

先ほどまで、シーラ・Eにとって目の前の女は底の知れない不気味な存在だった。しかし今の彼女は、どこにでもいる近所のお姉さんといった様相を醸している。

 

「一体アンタ、何をやっているッッッ!!!」

「見ての通りだけど?」

 

意味がわからないといった風のメロディオの反応に、シーラ・Eの混乱は加速する。

 

「何のためにッッッ!!!私たちは戦っているんじゃあなかったのかッッッ!!!」

「戦っているじゃない。あなたは必死に、私の足止めをしているわ。」

 

なんなんだ、コイツはッッッ!!!なにをしているんだッッッ!!!

なんで戦場にこんな呑気に茶を啜る人間がいるんだッッッ!!!

 

「一体、なぜ飲み物なんか!!!」

「だから、さっき合意したじゃない。あなたの役割は、私の足止めだって。」

「合意していないッッッ!!!」

 

危なく合意しそうになったけど……。

 

「まあ落ち着いて、テーブルにでも座って待っていなさいな。」

「ふざけるなッッッ!!!」

 

シーラ・Eは激昂して、ブードゥー・チャイルドでコーヒーメーカーを叩き割った。周囲には黒い液体が飛び散った。

 

「ああー、せっかく淹れたのに。」

「戦えッッッ!!!戦意がないというならば、押し通らせてもらうッッッ!!!」

 

シーラ・Eがメロディオに宣言し、シーラ・Eは緊張を漂わせた。

 

「もー、何が不満なの?」

「お前のその態度だッッッ!!!戦いの場で、一体何がしたいんだッッッ!!!」

「だから何回も言ってるじゃない。足止めだって。どうせ時間を潰すのなら、戦いなぞ無粋な事はせずに、お茶でも飲んで楽しくおしゃべりしましょう。」

「どこの世界にそんな戦いがあるというのだッッッ!!!」

 

シーラ・Eはすでに相手のペースに巻き込まれている。

今のメロディオはぱっと見一般人にしか見えなく、問答無用で襲いかかるのには抵抗がある。

メロディオは時折底知れない雰囲気を醸しており、その実力も未知数である。

シーラ・Eの心の中で罪悪感の枷と恐怖が綯交ぜになり、自分から攻め込むことに抵抗を覚えていた。

 

「別にいいじゃない。戦っても、どうせあなたにとってロクなことにならないわよ。」

「ふざけんなッッッ!!!」

 

シーラ・Eは恐怖を跳ね除け、相手に襲いかかった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ディアボロはジョルノとミスタの攻撃をさばきながら、思考をしていた。

自身の札を確認し、のちに敵の札と照らし合わせる。

 

ーー俺が持つ札は二枚。まともに戦えば、ジョルノ・ジョバァーナとグイード・ミスタには問題なく勝利可能。しかしそこにマリオ・ズッケェロが加われば、途端に雲行きが怪しくなる。奴が剣で攻撃してきても、時間を飛ばせば攻撃の回避自体は可能。しかし、事はそう単純ではない。

 

「うおおおおおおおおっっっっ!!」

 

グイード・ミスタが連続で発砲し、ディアボロは時間を飛ばしてそれを避けた。

立て続けにジョルノ・ジョバァーナが獅子を創り出し、それは獰猛にディアボロに襲いかかった。ディアボロはキング・クリムゾンで獅子を殴り飛ばし、それは元のテントウムシのブローチへと姿を戻していく。

 

ーーさて、どうやって居場所を炙り出すか……。

 

策は二つ。

一つはコロッセオを炎上させて、火攻めで炙り出す。

もう一つは、そもそもの戦いの場所を変える。

 

コロッセオを燃やすのは困難だ。天候を操るスタンド使いのせいで、雨も降っている。

必然的に、場所の移動が選択肢の最有力候補に上がった。

ディアボロは笑いながら二人に背を向けた。

 

「待て!キサマ、どこに行く!!!」

「死ぬ覚悟があるのなら、付いて来い。」

 

ミスタが声を張り上げ、ディアボロが応答した。

ディアボロはジョルノとミスタに背を向けて逃走し、二人はその後を追った。



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Voliamo nel cielo

何でも屋とオアシスの話をちょっと修正しています。
パッショーネの麻薬で出たスペイン人の死者は、少なく見積もって三桁ではなく少なく見積もって年間あたり四桁に変更しています。


「行くぜ、ジョルノ!!!」

「ええ。」

「……。」

 

燃え盛る炎を背景に、彼らは対峙していた。

銃を構えるミスタとゴールド・エクスペリエンスを現出させたジョルノ、そして不敵に笑うディアボロ。

ディアボロはコロッセオから場所を移動し、ローマ市中に存在するガスステーションに彼らは場所(フィールド)を移していた。

 

いつまで経ってもマリオ・ズッケェロはその姿を見せない。

ジョルノとミスタを仕留めることは確実に可能だと判断していたが、不安要素を残したまま攻撃することを嫌ったディアボロはブチャラティがやった方法と近しいやり方でズッケェロの居場所の炙り出しを画策していた。

つまり、人間が生存できる環境を限定することでズッケェロの潜む居場所を絞ろうというやり方だった。

 

ジョルノとミスタはディアボロを放置するわけにはいかない。去り行くディアボロを放置してしまっては、他の戦局から加勢に行かれてしまう可能性が出てくる。そうなれば、二人は敵に囲まれてより状況が悪くなる。

結果としてディアボロはガスステーションを炎上させる選択を取り、ジョルノとミスタは炎上したそこでの戦闘を余儀なくされた。

 

「オラッッッ!!!」

 

ミスタの拳銃が殺意を乗せて銃弾を発砲し、ディアボロに向けて生きているような軌道を描いて迫った。

銃弾を追いかけてジョルノのゴールド・エクスペリエンスがディアボロに肉薄する。

 

「無駄ァァッッッ!!!」

 

銃弾はディアボロを素通りし、ジョルノは時間を飛ばした直後のディアボロに攻撃を加えようとした。

キング・クリムゾンの目がゴールド・エクスペリエンスに向き、キング・クリムゾンは拳を振りかぶった。

 

ーーこれはッッッ!!!

 

ディアボロがジョルノに反撃しようとした瞬間ディアボロの意識はぶれ、キング・クリムゾンの攻撃は空を切った。

 

「無駄、無駄アアッッ!!!」

 

ジョルノのゴールド・エクスペリエンスの拳がいくつもキング・クリムゾンに突き刺さった。

ゴールド・エクスペリエンスの攻撃は相手の意識を暴走させるはずである。

 

「やったか!!!」

「……いえ。」

 

ミスタが銃弾を立て続けに発砲し、ディアボロの額に風穴が空いた。

しかしディアボロは平然とした表情で周囲の警戒を行なっている。

 

「……ジョルノ。お前の攻撃は確かに直撃したはずだ。」

「ええ。」

 

燃え盛るガスステーションで、彼らは五メートルほどの距離をとって対峙している。

ディアボロの目は周囲をせわしなく動いている。それは周囲の何処かに潜む、マリオ・ズッケェロに対する警戒だった。

 

「お前は奴の能力をどう考える?」

「……僕の攻撃は確かに手応えがありました。」

 

ジョルノは思考を重ねる。

ミスタの銃弾を避けるために時間を飛ばした直後のジョルノの攻撃は、確実に当たっていた。

ここではない、コロッセオでの戦闘でもディアボロは確かにジョルノの創り出した獅子を弾き返していた。ジョルノの能力を考えれば、弾き返した反動がディアボロに通っていないとおかしい。しかし、ディアボロは依然として攻撃が通った様相を見せない。

 

「奴は用心深く、よほどのことがない限り人前に姿を見せるような男ではなかったはずだ。ということはつまり……。」

「……ええ。奴は今の自分の能力に自信があるんでしょう。」

 

一方でディアボロも、隠れ潜むズッケェロに対する考察を行なっていた。

ディアボロは先程ジョルノを仕留める絶好の機会だった。にも関わらず攻撃する瞬間に意識がぶれ、ディアボロの攻撃は外された。おそらくはズッケェロが何らかの能力を発動したと考えられる。

周囲は火の海で潜める場所は限られ、にも関わらずディアボロはズッケェロの何らかの能力を受けた。つまり。

 

ーー奴はジョルノ・ジョバァーナのすぐそばにいる。そして奴の能力を考えれば、奴はジョルノかミスタ、どちらかの衣服の下に隠れている。

 

ジョルノもミスタも共に丈の長い服を着ている。

ディアボロは、敵の隠れ潜む場所を確信して笑った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「おおおおあああああッッッ!!!」

「ふっ!!!」

 

ウェザーがフランシス目掛けて走り、フランシスはスタンドの体表から周囲に雲を撒き散らした。

雲に巻かれるフランシスの姿をウェザーは見失い、突風が直後に雲を吹き飛ばしていく。敵の位置を見失ったウェザーの頭上から、フランシスのスタンドが拳を振り上げて急襲した。ウェザーは敵の位置を瞬時に予想して、上空から質量を伴って振り下ろされるハイアー・クラウドの拳をウェザー・リポートで腕を上方に交差させて防御した。

 

「……なぜだ!なぜイタリアに害を為そうとする!お前からは邪悪な意思は感じ取れない!!!」

 

ウェザーが叫び、フランシスは横目でホル・ホースに目をやった。

 

「……世の中はままならないように出来てんのさ。時に人間は、いやでも戦わないといけない時もある。痛みに怯えて戦うべき時に戦わなければ、大切なものが蹂躙されるだけだ。」

 

ウェザーのスタンドとフランシスのスタンドは至近距離で両手を組み合って拮抗する。彼らの実力は、ほとんど互角と言えるものだった。

周囲は暴風雨が吹き荒れ、その中心ではエネルギーの塊が相手を打ち破ろうと拮抗してせめぎあった。

 

「さあーて、俺っちも仕事をしますかねえ。」

「ちっ!!!」

 

アナスイの額目掛けて、ホル・ホースが拳銃の照準を合わせた。アナスイは脚を撃たれていて速度が落ちている。

アナスイは敵の銃弾を弾き落とそうと集中した。

 

カチン。

 

アナスイとホル・ホースは何が起こったのかわからずに、思わず顔を見合わせた。

 

カチン、カチン。

 

……?

再び二人は顔を見合わせた。

 

「じゃッッッ、そういうことで。」

「待てやコラァァァッッッ!!!」

 

ホル・ホースの拳銃はなぜか不発を続け、アナスイは突然背を向けてコロッセオから逃げ出したホル・ホースの後を追いかけた。

ホル・ホースに何が起こったのか理解していたのは、天候を支配するスタンド使いであるウェザーとフランシスの二人きりだった。先程から、ずっと皮膚がピリピリと痛み、気温は低下し、大気中を電流が走っている。

 

「……お前、どういうつもりだ?」

「さて、な。」

 

ウェザーが気づいていたこと。

周囲に降り頻る雨は、鉄すらも腐食させる強酸性の雨だ。PH値が4を下回れば、雨は鉄を腐食させ始める。

低下した気温は拳銃機構内部で水分を氷結させる。

そして大気中には電流が流れ続けている。電気が金属に長時間流れれば、電食を引き起こす。

 

雨はコロッセオに横殴りに降り注ぎ続け、静電気が大気を走り続け、長時間それに晒され続けたホル・ホースの回転式拳銃は密かにフレームが歪み、作動に支障を来していた。ホル・ホースの回転式拳銃は性能よりも外見を重視した、本人の趣味全開の鉄製の年代物の骨董品だったのである。

この戦場において雲を操る能力はフランシスの方が上であり、結論を言えばフランシスが強酸性の雨を降らせ続けてホル・ホースの行動を阻害したということになる。

 

「何がしたい?戦う気がないのならば、退けッッッ!!!」

「残念ながら、そういうわけにはいかないな。」

 

フランシスは笑い、コロッセオを雲が覆って行く。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「参ったッッッ!!!」

「はい?」

 

シーラ・Eは眼前の女が唐突に何を言い出したのか理解ができずに、固まった。

目の前のメロディオと名乗る女は、両手を上に上げて降参のポーズを示している。

 

「だから参ったって。」

「はあ?じゃあアンタ、何のためにこんなところに顔を出したの!」

 

理解ができない。

眼前のメロディオという女性はいかにもか弱い女性といった風体で、シーラ・Eは自身が弱者をいじめている錯覚に囚われた。

 

「私も困ってんのよ。私はただスタンドが使えるってだけで、あの変てこな男に無理矢理ここに駆り出されたのよ。人質を取られて脅されてんの。」

 

シーラ・Eは相手の表情を吟味した。真偽の判別がつかないが、事実であれば攻撃することは躊躇われる。

 

「……嘘じゃないでしょうね?」

「私が強そうに見える?私は脅されて従わされた、ただの数合わせよ?」

 

シーラ・Eは相手の体を観察した。

メロディオと名乗る女の体は細身で筋肉がさほど付いておらず、戦士には見えない。

 

「……。」

「時間を稼がないと人質を殺すって脅されてんの。だからさっきから会話を続けて時間を稼ごうとしてたのよ。」

「……ここからさっさと消えなさい。あなたの話が真実だったとしても、私だって大切なものを守るために戦っている。」

 

道化が、笑った。

 

「いいえ、あなたは戦っていない。あなたは逃げているだけ。あなたはあなたが本当に戦うべき戦場を知らず、大切なものが何かもわかっていない。あなたがここでコロッセオに戻ったとしても、あなたは味方の足を引っ張るだけであなたの姉は返ってこないわよ。ねえ、シィラ・カペッツート。」

 

メロディオが突如豹変し、シーラ・Eは相手の発言に意表を突かれた。

なぜこの女が私の姉様のことを?

 

シーラ・Eはメロディオの目を見てしまい、深淵に覗かれた。

メロディオは社会の裏側の深淵に潜む、化生の類の人間だった。深淵の視線にシーラ・Eは思考を飲み込まれ、硬直する。

シーラ・Eに決定的な隙が生まれ、道化は宣告する。天秤が、静かに傾いた。

 

「人がルールを守るのではない。ルールが人を守るのだ。しかしここでは限定的に、ルールは私のためにある。前は後ろに、上は下に、右は左に置換される。」

「あぐっっ!!!」

 

道化が宣告した瞬間、シーラ・Eの体の神経は擬似的にめちゃくちゃに繋がった。

シーラ・Eは自身の体の変化に対応しきれずに、倒れて地に伏した。

 

「……人生って不思議よね。私の能力は私が怠けたいがために発現したものなのに、私はそのせいで大して怠けることが出来なかった。私は私に発現した危険な能力を完璧に制御するために、血の滲む苦労を負う羽目になった。」

 

メロディオの天秤はメロディオにも効果を及ぼしている。しかし彼女は長年の鍛錬によって、自身の施行する能力に完璧に対応できるようになっていた。

 

「卑怯者ッッッ!!!」

「なぜ?」

「アンタは降参したはずだッッッ!!!」

 

メロディオは余裕のある表情で、静かに笑っていた。

 

「卑怯とは、殺人に劣る行為なの?」

「何を言ってッッッ!!!」

「シィラ・カペッツート、殺された姉のクララ・カペッツートの仇を討つためにパッショーネに所属。幼い頃に愛犬を殺されて以来、人間に対する不信感を持つ。」

「なぜ……それを……。」

 

シーラ・Eの背筋が寒くなった。

この会ったばかりのはずの女は、なぜ自分のことを知っているのだろうか?

 

「あなたはまじめで、あなたは表社会で普通の人間になれるはずだった。でもあなたは今は陽の差さない裏社会の住人。それはなぜ?」

「そ……れは……。」

「あなたは真っ当な感覚を持った普通の人間よ。その証拠に、降参した私に攻撃を加えようとしなかった。でも今、あなたはここにいる。」

「……。」

「真っ当な人間であるあなたが今現在裏社会にいるのは、あなたが殺人を決意したから。あなたはあなたの倫理をかなぐり捨てて、愛するものの復讐を決意した。あなたは死んだ姉のためだったらなんでも出来る。違うかしら?」

「……。」

「私もよ。私も私が愛するもののためならば、なんだってできる。這いつくばってどろ水をすすることだって、嫌な男の足の裏を舐めることだってね。あなたは自分が愛するもののために殺人者になることを許容できても、他人が愛するもののために卑怯者になることが許せないのかしら?」

 

シーラ・Eは言葉に詰まった。

 

「……だとしてもッッッ!!!」

 

シーラ・Eは自身の体の感覚を探り、なんとか立ち上がろうとした。

右手を動かそうとすれば左足が動く。左足を動かそうとすれば右手が動く。動く方向もめちゃくちゃだ。

生存に直結する神経を除いて、その全ての神経がおかしな繋ぎ方をされてしまっている。

しかしそれでも彼女は手探りで、なんとか椅子に掴まり立ち上がろうと試みた。

 

「私はジョルノ様のお役に立つッッッ!!!」

 

メロディオは深くため息をついた。

天秤が、揺らめいた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーが足の裏の固定と解除を繰り返して、超高層ビルの壁面を駆け上がった。

それを追い、メイド・イン・ヘブンとそれに乗ったエンリコ・プッチが速度任せにビルの壁面を駆け上がる。

メイド・イン・ヘブンはついに音速を突破し、周囲に衝撃波を散らしながらビルを破壊しながら縦横無尽にサーレーに攻撃を加え続けた。

サーレーは敵の迫り来るタイミングだけをなんとか見計い、防御に徹しながら高層ビルの壁面をどんどん高みへと登っていく。

 

ーーつくづく人生ってわからねえな。ムーロロに散々笑われて馬鹿にされたビル登りの訓練が、今になってこんな重大な局面で効力を発揮することになるとは。

 

サーレーはムーロロのことを思い出し、胸に一抹の哀愁が過った。

しかし今はそれを考えている場合ではない。サーレーは頭から感傷を追い出して、ビルをさらに高みへと駆け上がる。

 

「うおああああああッッッ!!!」

「チッ。」

 

ビルの壁面上方を駆けていたメイド・イン・ヘブンが落下速度を追加しながら速度任せにサーレーを襲撃した。

サーレーは全力で防御に徹し、四肢でへばり付いてビルの壁面から剥がれないように強固に固定した。

メイド・イン・ヘブンはサーレーに痛打を与え、サーレーはそれを無視してさらにビルを駆け上がる。勢い任せに地上に到達したメイド・イン・ヘブンは方向を転換して、再び周囲に衝撃波を散らしながら下方からサーレーに向かい来る。

 

サーレーはメイド・イン・ヘブンに対して防戦一方だが、無敵のスタンドなど存在しない。完全無欠の存在など、この世には居ない。

サーレーはそれを知っている。

 

偉大なるパッショーネのボス、ジョジョでさえも、しょうもないチンピラ(サーレー)の協力を欲したのだから。

 

サーレーは下からの攻撃を受けてクラフト・ワークの足の固定を解除し、攻撃の勢いを受けてアクロバティックに宙を回転しながらビルのさらに上方の壁面に張り付いた。

もう少しだけ、もう少しだけだ。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「奴の能力、どう思う?」

「あなたの銃弾はすでに幾度も命中しています。それを考えれば攻撃の無効化の可能性が高い。しかし……。」

「奴は時間も跳ばしている。スタンド能力は一人一つのはずだ。」

「ええ。それに奴はズッケェロを警戒する素振りも見せています。あれが演技である可能性は低い。ならばそこに突破口があるかもしれない。」

「ああ。」

 

ジョルノとミスタはディアボロの能力の考察を行い、ディアボロはズッケェロを安全に炙り出す攻撃方法を思案している。

ズッケェロの能力はつくづく厄介だ。単体でも奇襲を喰らえばひとたまりもないし、自身の弱点を理解してからはさらにその厄介さが増している。動きながら攻撃を加えてくるジョルノとミスタ、そのいずれかに致死の猛毒が潜んでいるようなものである。迂闊に二人を攻撃しようものなら、その瞬間にブッスリという可能性が高い。

 

さて、どうしたものか。

ディアボロは自身に問いかけた。答えが返ってきた。考えは、纏まった。

 

ディアボロはガスステーションの給油レジに紙幣を突っ込んで、給油口から周囲にガソリンを撒き散らした。

注がれるガソリンにステーションは火勢を増し、炎は伝って給油口へと引火した。炎は給油口の内部を進み行き、やがて地下の給油タンクにも引火した。ガスステーションで爆発が起こり、ジョルノとミスタは爆風に吹き飛ばされた。

 

「ジョルノオオッッッ!!!」

「グウッッッ!!!」

 

二人はガスステーションの床に強かに背中を打ち、転がった。

笑うディアボロは火が勢いを増す中で、平然とした表情で転がるジョルノへと向かった。ディアボロがジョルノに攻撃を加えようとした瞬間、ディアボロの背後で細剣が煌めいた。

 

「そこにいたか。」

 

ディアボロが振り向いて能力を行使して確実にズッケェロを仕留めようとした瞬間、ディアボロの意識は再びブレた。

ディアボロは能力を行使してズッケェロの攻撃を回避しようとするが、意識の一瞬の混濁で能力が上手く発動しない。慌ててキング・クリムゾンの身体スペックにあかせて背後に跳躍した。間一髪で細剣は直前までディアボロのいた場所を通過した。

 

「どうだい、自称ボスさんよォ。アンタがばら撒き続けた麻薬の味は、気に入ってくれたかい?」

「キサマッッ!!!」

 

ソフト・マシーンが細剣を構えた。

ズッケェロの背後で爆風で吹き飛ばされたジョルノとミスタが立ち上がってきた。

 

「すいません、ボス。奇襲は万全にとはいきませんでした。」

「いや、奇襲はあのタイミングしかなかった。現有戦力で誰か一人でも欠けたら、一気に戦局は悪くなる。誰かが命を落とすならば、それは奴の命と引き換えでなければ僕たちに勝ち目は無い。」

 

判断が難しい局面だった。

ディアボロの攻撃が仮にミスタに向いていたのなら、ズッケェロはミスタの命と引き換えにディアボロを刺す判断を下していただろう。キング・クリムゾンは攻撃の瞬間には、この世に姿を現さざるを得ない。

しかしそれはズッケェロが潜んでいないジョルノに向いたものだった。ディアボロがどういった判断を下したのかは定かでは無いが、ジョルノが攻撃されればジョルノは無為に命を落とすことになる。

ゆえにズッケェロはミスタの側を離れ、姿を現わす必要に迫られた。

 

ソフト・マシーンの細剣が鋭利に宙を舞い、燃え盛るガスステーションで彼らは対峙した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「待てやコラァァァッッッ!!!」

「待てと言われて待つ奴はいないのねん。じゃっ、サイナラ!」

 

ホル・ホースはローマの街並みを遁走する。

ホル・ホースは逃げ慣れていて、いやに逃げ足が早かった。

 

アナスイが逃げるホル・ホースの背中を追うも、ホル・ホースは民家に置かれていたバイクに跨って一目散に逃げていく。なぜ民家に置かれたバイクをホル・ホースは使用できるのかアナスイには理解不能だったが、それは老獪なホル・ホースが前もって敗北の可能性を想定して用意しておいたものだった。ホル・ホースは用心深い男だった。

 

「ハア?なんなんだ?」

 

アナスイはバイクに乗って逃走するホル・ホースを捕捉するために近場の家屋の屋根に登った。

アナスイはホル・ホースの足跡を追うことはできなかったが、そこで彼は別のものを見かけることになる。

 

一方その頃、ウェザー・リポートとフランシス・ローウェンの戦局にも変化が起こっていた。

 

「……何のつもりだ?」

 

ウェザーがフランシスに問いかけた。

 

「何のことだ?」

「とぼけるな!お前が言ったはずだ。俺たちのうちで勝った方しか願いが叶わないと!」

 

周囲に雲が撒き散らされ、ウェザーはその度に突風を起こして雲を吹き飛ばす。

ウェザーは姿を眩ましての奇襲に備えるも、敵は一向に襲撃をする気配がない。フランシスは攻撃に出ずに、時間稼ぎに徹していた。

ウェザーが走ってフランシスに向かっていっても、その度にフランシスはウェザーを煙に巻いて逃げ去ってゆく。

 

フランシスは暗殺者であり、真っ向の戦いよりも相手を幻惑して奇襲する戦いを得意としていた。しかし今の彼はあからさまに時間稼ぎに徹している。実力の伯仲する敵が時間稼ぎに徹してしまえば、ウェザーもそれに付き合わざるを得ない。一方的に攻め立ててもそれを軽やかにはぐらかされてしまっては、ウェザーが消耗するだけだからである。

 

ウェザーはフランシスの意図を掴めずにいた。

対するフランシスは値踏みするようにウェザーの表情を覗き込んでいる。やがてフランシスは静かに口を開いた。

 

「……お前、フランスに来ないか?」

「いきなり何をッッッ!!!」

 

フランシスから唐突にますます意図の掴めない質問が飛び、ウェザーは困惑した。

 

「いや、無意味に死なせるのは惜しいと思ってな。お前コッソリフランスに逃げて来ないか?」

「ふざけるなッッッ!!!お前は一体何が言いたいんだッッッ!!!」

 

普段はあまり感情を表さないウェザーだが、その質問には激昂した。

 

「……俺にもリスクがあるんだがな。万が一にも強制的に他人の口を割らせるスタンドが存在しないとも限らない。だがまあ、あの他人を信用しない男に忠実な部下がいるとも考え難い。」

「どういうことだ?」

「まあさっきまではあの男とその部下の拳銃使いが近くにいたからああ言わざるを得なかったというだけの話だ。スマン、ありゃ嘘だった。俺とお前の勝利条件は、実はまるで異なる。お前は俺を打ち倒す必要があるんだろうが、俺は実はそうではない。」

「何を言っている?」

 

周囲を雲が覆い、ウェザーは声がした方を振り向いた。声は四方にこだまし、ウェザーが雲を吹き飛ばすたびにフランシスはまるで予想のつかない方角から姿を現してくる。

 

「時間を稼げれば俺は勝利できるんだよ。俺の勝利条件は、フランスが守られることだ。」

「それが時間稼ぎとどう関係する?」

「あのふざけた男は、ここで勝とうが負けようがどっちみちそう長くはないということだ。」

「ふざけた男?」

「リーダーヅラしてパッショーネに戦いを仕掛けた、あのバカな男のことだ。」

「……なぜだ?」

「メロディオがキレてるからさ。」

「メロディオ?」

「女だ。一人いただろう?あのディアボロって男は欲に目が眩み、自身の能力を過信して、パッショーネに攻撃を仕掛けた。無敵のスタンドなんざ、この世に存在しないのにな。以前はあの男の用心深さに手を焼いたもんだが、こうなってしまったらあの男はもう何ら脅威ではない。」

 

フランシスは静かに微笑んだ。続けて言葉を紡いだ。

 

「あの男はかつての栄光に縋り、欲に目が眩んで、引き入れるべきではない死神を懐に呼んでしまった。おそらくはずっと他人と積極的に関わってこなかったから、他人を見る目がないんだろうな。以前のパッショーネがばら撒く麻薬は、概算で年間に十万人の死者をヨーロッパ圏内で出していた。自分がどれだけの恨みを買っているのか理解していないはずはないんだがな。俺もジャックさんもすでに暗黙で合意しているよ。俺たちのやることはメロディオが行動を起こすまで極力周囲への被害を減らし、命をかけてメロディオを守ることだ。そうすれば、俺の目的は達成される。」

 

古来より要人の暗殺とは、まずは暗殺対象の信頼を勝ち取る事を必要とさせられた。

地位のある人物の多くは用心深く、ほとんどの場合は影武者を用意していたからである。暴君は一様に保身に余念が無く、己が身の安全を第一に考える。暗殺に一度失敗すれば、暴君の警戒心は跳ね上がりその攻撃性は罪無き弱者に八つ当たりとして向かう。決して失敗は許されない。

 

暴君暗殺は暗殺者にとって多大なリスクを伴い、自身の命を度外視して初めて暗殺成功の可能性が開かれる。行きしかない、片道切符だ。万が一暗殺に失敗すれば、社会は悲鳴を上げて、多大な血を流す。

回りくどくとも犠牲が生じようとも、暴君暗殺には唇が嚙み切れるほどの忍耐が必要だ。

スタンド使い同士の戦いにおいて言えば、ディアボロがどういうスタンド能力を持っているかもわからないのに攻撃したところで、暗殺が成功する可能性は極めて低い。

 

ゆえに暗黙裏に被害を減らし時間を引き延ばし、ある程度の信頼を得て成功を確信してから行動を起こす。

それが至上目的である社会の平和のために手段を選ばない、彼ら暗殺チームの戦い方であった。

 

敗北は、許されない。賞賛は、必要無い。矜持も、存在しない。

人質も残念ながら、彼らには大きな意味を成さない。

たとえ死んでも、名無しの骸は省みられることなく路傍に朽ち果てるだけ。

唯一の誇りは、彼らが全てを捨て去ることにより救われる存在がいるという厳然たる事実のみ。

 

人は嫌でも戦わないといけない時がある。目前の人間の命は大切だが、それに囚われてしまっては未来のより大勢の破滅を招きうる。未来の否定とは、より良い社会を目指して歩んできた人間の歴史と社会そのものの否定であり、社会の否定とはテロリストの思考そのものだ。テロには毅然とした対応が必要なのである。

 

…………絶対に逃さない。

怒りを知れ。恨みを知れ。

社会の流した血に報いを。赦されざる行為に贖いを。

そのために必要なのは理想を叫ぶことではない。綺麗事を盲信することでもない。

何もかもを捨ててでも冷徹に事を成す、漆黒の殺意。理想からは程遠い、現実を重視した暗殺。

 

周辺諸国の裏社会はパッショーネのばら撒く麻薬で多大な被害を被りながら、なおも戦争という最悪の事態を避けるために長年の忍耐を強いられた。

パッショーネを嫌っていたにも関わらず、戦争でより大勢の無実の表社会の市民が犠牲になる事を避けるために麻薬の出所を隠蔽する作業に加担せざるを得なかったのだ。その出所が割れれば表社会で戦争という論調になる可能性があり、最悪の場合自国の破滅の可能性まで存在する。

 

ゆえに彼らは暗黙で合意し、最初からその目的はたった一つ。彼らは一様に賢く、ディアボロが何者で何のためにパッショーネに戦いを仕掛けたのか見抜いていた。

 

「……お前もあのディアボロという男が敵なのか?ならば俺たちと共に戦えば……。」

「すまんがそれは無理な相談だ。人間の大切なものには序列がつけられている。俺の何よりも大切なものはフランスで、イタリアは助けられるのなら助けたい良き隣人に過ぎない。残念だが、俺の判断ではお前たちに賭けるのはメロディオに賭けるよりも確実性が低い。すまんがパッショーネは自力で平穏を掴み取ってくれ。」

 

フランシスはウェザーを幻惑し続け、ウェザーはフランシスのその戦い方に得心がいった。

 

「なるほど。お前の考え方は理解できた。だがお前自身はどうなのだ?パッショーネ側が勝利したら、お前は叛逆の責を問われることになるだろう!」

「その時は俺はお前たちを祝福するよ。叛逆については、実行犯の俺たちの首をパッショーネに差し出せばいい。パッショーネは無意味な争いを好む組織ではない。だからこそ俺たちの組織は友誼を結んだんだ。組織間にしこりが残ったとしても、あの偉大なボスであればそれを飲み込んで未来に進むだろう。」

「そうではない。お前自身の命のことだ!お前は命を落としても構わないとでも言うのか!」

 

ウェザーのその叫びに、フランシスは落ち着いて答えを返した。

 

「……人間の大切なものには序列がつけられている。人間にとって犬は大切な家族だが、人間の命には代えられない。」

「何を……?」

「俺たちは社会に飼われた犬なのさ。有事に真っ先に切り捨てられて、犬は死んだが人間の命は守られたと整合性をつける、そんな存在だ。」

「バカな!お前は人間だ!!!」

「ありがとう。でも俺自身が犬でいたいと思っているんだ。それでフランスが守られるのであれば、俺は別に犬で構わない。」

「何が……一体どういう理由でお前はそこまでする?」

「友人でもない知らない人間にそこまで話すつもりはないよ。明確なのは、お前は俺を倒して何が何でもイタリアを守りたい、それだけだろ?」

 

ウェザーはため息をつき、距離を置いたフランシスを強い眼差しで見据えた。

 

「そうだな。悪いが俺はお前を倒して平穏を勝ち取る。」

「そうだ。それでいい。何も悪くない。お前も俺も大切なものを守るために必死で戦っている。俺はそのために育てられた、フランスの猟犬だ。」

「……道理で強いわけだ。」

「俺たちが強いのは当然だよ。猟犬が弱かったらなんの役にも立てずにただ命を落とすだけになってしまうだろう?俺たちは社会を守るために、組織に手間と大金をかけて育成されている。お前も俺と互角に戦えてる時点で、ヨーロッパでも有数の実力者だよ。」

 

フランシスは、静かに微笑んだ。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「あなたはスピードワゴン財団専属の処刑人、空条承太郎を知っている?」

 

メロディオは落ち着いた様子で、カフェの椅子に座りながらシーラ・Eに問いかけた。

 

「……名前だけは知っているわ。でも、処刑人?」

 

シーラ・Eは椅子に掴まりながら相手の言葉を吟味した。

 

「空条承太郎は確かに自分で処刑人と名乗っているわけではない。スピードワゴン財団も表社会の真っ当な組織。でもその根本の理念は、私たち裏社会の処刑人と相通ずるものがある。彼の戦いの始まりの目的は違ったのかもしれない。でも彼が日本(ハポン)のキラヨシカゲと戦った時、彼は確かに杜王町に住む人々の安寧のために戦っていた。私たちは彼を私たちより広域で戦う財団所属の処刑人だと、そう認識しているわ。」

「なぜ、それを……。」

「彼がディオ・ブランドーを撃ち破った時から、私たち裏社会はずっと彼を監視し続けていたのよ。それだけの力を持つ人間が、その力を間違えた使い方をすれば社会は破滅しかねない。降って湧いた唐突な力に溺れる者は多い。まあ杞憂だったけどね。彼は与えられた力を人々のために扱う人間だった。」

「……。」

「彼のスタンドは、世界(ザ・ワールド)と呼ばれているわ。それはもともと彼が撃ち倒したディオ・ブランドーが自身のスタンドに名付けた名前。でも、もともとの意味合いは違う。もともと、〝ザ・ワールド〟とは〝あたかも世界を創造する神の如きスタンド使い〟という意味合いの、裏社会で連綿と受け継がれ続けてきたある一定の到達点に達したスタンド使いに与えられる敬称なのよ。ディオはそれにあやかって自分のスタンドを名付け、空条承太郎はディオ・ブランドーという誰も討滅できなかった人間社会の敵を撃ち破った功績を以てその名を名乗ることを認められている。タロットの名称は後付けなの。」

「一体、何が言いたいの!」

 

シーラ・Eは相手の言の意図を図りかねて声を荒げた。

メロディオはそっと、テーブルの上の天の秤に指先を触れた。

 

道化の世界(エル・モンド)。』

 

メロディオの宣告とともにテーブルの上の天秤が小刻みに揺れ、やがて世界は破裂した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

無敵のスタンドなどこの世に存在しない。

矢の力を得て際限なく加速するメイド・イン・ヘブンは無尽の馬力を持ち合わせ、一見倒すすべのない無敵の存在のように見える。しかしそうではない。サーレーはそれを知っている。

それはコマ送りという技法を身につけたサーレーだからこそわかる、メイド・イン・ヘブンの致命的な弱点。

 

コマ送りで映像を固定しているサーレーにさえ敵スタンドの像がブレているのに、その本体であるエンリコ・プッチがそれに万全な対応が出来ていることなどありうるのだろうか?仮にスタンドのサポートがあったとしても?

 

長所と短所は表裏一体。メイド・イン・ヘブンはその速度を増せば増すほどに本体のプッチの視界は狭まり、不測の事態に対する対処の思考時間が減る事となる。

ゆえに冷静さを失ったメイド・イン・ヘブンという強力なスタンドは、小石に躓いて死ぬのだ。

 

サーレーは笑った。

ここはビルの最上階付近の壁面。二十五階建てのそこは、地上からおよそ九十メートルにもなる。

重力と風でサーレーの髪は靡き、眼下は吐き気を催すほどに何もかもが米粒の小ささになっていた。

さあ、飛ぼうか。

 

「アアアアアアアアアアアッッッッッ!!!殺してやるッッッッッ!!!」

 

眼下からはメイド・イン・ヘブンが呪いの言葉を紡いでビルの壁面を破壊しながら迫りくる。

残念ながらその口上はもう聞き飽きた。

 

サーレーはコマ送りで敵が近付いてくるタイミングを計り、ポケットに隠していた小石をメイド・イン・ヘブンの顔面に向けて弾いた。

それは本来ならば音速の壁を超えたメイド・イン・ヘブンの衝撃波によって弾かれて砕かれるだけのものでしかない。

しかし、視界が狭まり思考時間を失ったメイド・イン・ヘブンは唐突に目の前に投げられた何かに反応して、反射という生命の如何ともしがたい反応によって体勢を崩してしまう。

サーレーはすれ違いざまに体勢を崩したメイド・イン・ヘブンの胴体に触れて固定する。足も壁面に固定してメイド・イン・ヘブンを空へと引っ張った。メイド・イン・ヘブンがサーレーの固定を引き剥がす力を持つのは、地面という脚力を生かす地形があってこそである。

それのないビルの壁面で固定したまま水平方向に力を加えれば、クラフト・ワークのように能力で壁面に張り付いているわけではないメイド・イン・ヘブンはいとも容易く壁面から剥がされて落ちていく。

 

さあ、空を飛ぼうぜ。(Voliamo nel cielo.)

「おおおおおおおおッッッッッ!!!」

 

地上およそ九十メートルのビルの壁面から、サーレーとエンリコ・プッチは剥がされて落ちていく。

 

「クソがッッッッッ!!!」

「語彙力ねえなあ。ま、俺も人のことを言えないけどな。」

 

宙に放り出されたメイド・イン・ヘブンに出来ることは少なく、とっさの怒りに任せてサーレーに殴りかかった。しかし残念ながらそれは、下半身を活かせない力の無い手打ちの攻撃に過ぎない。

サーレーは敵の攻撃の拳を自身の体に固定して、空中で器用に体を回転させて敵の体の背面に張り付いてそのまま固定した。

 

「離せッッッ!!!この神を愚弄する愚か者がッッッッッ!!!」

「諦めな。俺が死刑だと言ったら、お前は死ぬ運命にある。」

 

クラフト・ワークに羽交い締めにされて身動きの取れないプッチを下にして、二人は地上九十メートルを落下していった。



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二人の帝王

前書き

前回の話のルビを少し変更してます。
内容に変更はございませんので、お気になさらずとも大丈夫です。

それとエピタフの能力について。
この能力は当初アリで書いていたのですが、作者のお粗末な頭では書けば書くほどにタイムパラドックスと混乱を引き起こすことが判明致しました。

例えばズッケェロの攻撃を未来を見て避けれるんじゃないかというご指摘をいただきましたが、そもそもズッケェロがずっと潜伏していたら展開が動かなくなりますし、もともとキング・クリムゾンは攻撃の瞬間には姿を現さざるを得ません。
ジョルノから能力を聞かされたズッケェロがキング・クリムゾンの攻撃の瞬間を狙っていたら、エピタフにはキング・クリムゾンが攻撃した瞬間ズッケェロに刺される映像が映るわけですが、エピタフにそんな映像が映ったら当然キング・クリムゾンは攻撃する瞬間時間を跳ばして、跳ばしたらもうその時点でエピタフの映像と矛盾して、、、。でも攻撃する瞬間に時間を跳ばすということは、持続に難のあるキング・クリムゾンは、、、。まあ書けば書くほど字数が増えて、解説が細かくなって、作者が混乱するわけです。

というわけでエピタフは予知を元に行動した予知能力なので、適当にノリで書かないとどこかで詰みます。
解釈についてもこれは違うだろうとおっしゃる方がいらっしゃるでしょうし、、、。
ゆえにまあ、本文にて。どうか許してください。


「あなたには、あなたしかできない戦いがあるの。それは決してこの戦場で戦うことに重要性で劣らない、何よりも大切な戦いが。」

 

道化の声が周囲に響き、シーラ・Eは自身に起こった出来事を理解出来ないでいた。

 

なんだ、ここは?何がどうなっているのだ?私は何をされたのだ?

シーラ・Eは混乱し、困惑し、何か暖かなものの上に乗せられていることを感じ取った。

 

「社会とは、築き上げる行為。あなたのボスは、誰からも尊敬され愛される組織を築き上げた。それはイタリアに深く根付き、そこにはあなたのボスにとって大切な人たちや、あなたのボスの理念を理解して受け継ごうとする人たちがたくさんいる。」

 

世界の色は反転し、鮮やかさを失い、暗紫色に包まれた。かと思えば、唐突に鮮やかな毒々しい黄色へと変色する。さらに気付けば、不自然なライトグリーンへと変色している。そして突如色彩はボヤけ、視界にノイズが入った。しかし次の瞬間には周囲は白く塗られている。

……一体何が起こっている?

 

シーラ・Eの意識は歪み、揺蕩い、彼女は今何者かの掌の上で転がされている。

上方に目をやれば、そこには巨大な道化師が不可思議な笑みをたたえている。シーラ・Eはその掌の上に乗せられていた。

メロディオは現れては消え、何も無い空間を歩き、唐突にその数を増やし、万華鏡のようにシーラ・Eの眼前にさまざまな方向にさまざまな向きで幾重にも連なって映し出されている。

 

シーラ・Eにわかることは、ここは彼女の理解の及ばない世界であるということだけであった。

ひたすらに、それが恐ろしい。自身の存在が、ひどく心許ない。

 

「インテリジェント・デザインって知ってる?」

 

メロディオがシーラ・Eに問いかけた。

シーラ・Eの意識に映る今現在の彼女は巨大な道化の肩に座り、足を組んで手を顎の下に回している。

 

「……知性ある何者かが生命を設計したとされる学説。」

「そうね。ザックリと説明すればその通りだわ。」

 

シーラ・Eの視界に映るメロディオは静かに道化を見上げた。

 

「……それが何なのかしら?」

「私の道化(スタンド)はこの世界の法則を司る。まるで人間(三次元)平面(二次元)に絵を描いて、そこのルールを定めるように。」

 

シーラ・Eは脳内で彼女の言葉を反芻し、その意味を咀嚼して寒気を催した。

メロディオはシーラ・Eに振り向いた。

 

「私のスタンドの恐ろしさが理解できたかしら?私の逆さ天秤は、理を逆さにするのではなく、人間の価値観そのものを根底からひっくり返す。世界とは、人間には理解出来ないスタンドという意味合いよ……例えば時間軸も、高位次元に当てはまる。空条承太郎と戦った敵も、その多くは何をされたか理解できないうちに敗北しているはずよ。そこは人間の理解の及ばない何者かが住まう場所なの。学問では高位次元の存在が定義されているみたいだけれど、それはあくまでも学問であって人間に知覚できるものでは無い。」

「……。」

「私のスタンドは、もしかしたら生命の進化を方向付けた大いなる何者かの存在の証明なのかもしれない。もしもそんな存在がいるのだとしたら、きっとそれは社会を築き上げる生命の営みを優しく見守っているわ。」

 

シーラ・Eは、そこで決定的に理解した。

彼女が現況を理解できないのも当然だったのである。何故ならばそこは、本来ならば人間には理解も知覚も出来ない何者かが住まう場所だったのだから。生命の進化を方向付けた大いなる何者か、人がそれを何と呼ぶかなど言うまでも無い。今のシーラ・Eはまさしく、釈迦の掌の上で転がされる孫悟空も同然だった。

 

彼女が今現在存在しているのは道化がその存在を許しているからであり、彼女は道化にそっぽを向かれてしまえば瞬く間に次元の狭間に呑み込まれるだけの存在でしかない。道化が気まぐれで手のひらを閉じれば、シーラ・Eはこの世に痕跡を残さずに消滅してしまうだろう。

死ぬのではない。シーラ・Eは存在しなかったものとして、世界に決定付けられる。

 

天秤の世界には時間軸も空間軸も存在しない。

それゆえに天秤の世界に一旦巻き込まれてしまえば、いかなる強者であろうとその存在は無に等しい。たとえ空条承太郎だろうと、ディオ・ブランドーだろうと。

 

「……。」

 

意識が歪み、視界は明滅し、声はどこから響くのかわからない。

目の前にメロディオはいるが、それは虚像でしかないとシーラ・Eは直感した。

ここは世界に展開された道化の体内であり、ちょっと道化の気が変われば彼女は瞬く間に消化されてしまう。

 

「あなたが姿を現してくれたことは非常に幸運だったわ。だからこうやって密談が出来る。幸運というよりは、あのボスが今までに組織で築いてきた人徳と言った方がいいかしら?目先の強さしか理解しないあの男には、きっと永遠にわからないでしょうね。社会を築けば、見えないところが有利に動いていく。さて、フランシス君が動かした戦局は一体どうなっていくのかしら?まあそれはいいわ。」

「……何が言いたいの?」

「あなたの本当の戦場は、ここじゃあない。あなたの戦場は、あのジョルノというボスが敵に敗北した時に初めて現れる。あなたのやるべき事は、あのふざけた男に従順に従うふりをして時間を稼いで被害を最小限化すること。それがあなたがあなたのボスのために出来る一番の恩返し。そうすれば、あの不愉快な男は遠からず私がこの世から抹殺してやる。」

 

メロディオの瞳に漆黒の殺意が宿り、それが向けられたわけでもないのにシーラ・Eは根源的な死の恐怖を感じた。

 

「それだけ強大なスタンドを持っているのなら、アンタがアイツを倒せばいいじゃない!!!」

 

シーラ・Eが叫んだ。

 

「それが出来ないからこうやって密談しているのよ。……この世に無敵のスタンドなんて存在しない。何もかもを解決する都合のいい力なんて存在しない。私のスタンドは発動すれば強力無比だけれども、効果半径が広いわけではないし、発動までにタイムラグが存在する。近距離パワータイプのスタンドが私の弱点なのよ。あの男は他人を信用せず、私をひどく警戒している。少しでも疑われれば、暗殺は失敗に終わる可能性が高い。あの男が欲に目が眩んで姿を現した今がチャンスなのよ。私の道化は外の世界じゃあまるで戦闘力を持たない。すでに何人もの私の部下があいつの情報を得るために命を落としている。でもまだ、情報が足りて無い。だから確実に暗殺が可能な隙が出来るまで、私の時間を稼ぐ手駒が必要なの。」

「……。」

 

シーラ・Eは黙って考え込んだ。

 

「それはあの男が手駒に加えようとしているあなたにしか出来ないことなのよ。あなたには才能があり、あなたは飛躍する可能性を秘めている。でもあなたのボスはあなたを完全には信頼していない。それはあなたの時間が姉が死んだ時に止まってしまっているから。あなたが亡くなった姉に注いだ愛のほんの一部でもそれをイタリアに向けたのならば、その時はあなたはあなたのボスに全面的に信頼できる部下として扱われるし、おそらくは劇的に成長を遂げることとなる。」

「……。」

「社会的に地位の高い人間とは社会に対する責任も大きくなるし、築き上げたものに対して愛着を持つのは当然のことよ。あなたの真の戦場は、あなたのボスが負けた場合にあなたのボスが築き上げた大切なものをなりふり構わずに守り続けることなの。」

「ジョルノ様はッッッ!!!」

 

シーラ・Eは叫んだ。

彼女はジョルノが敗北することなど考えたくもなかった。

 

「理想だけで生きていければ、それが一番だけどね。あなたのボスがあの男に勝てば確かにそれが一番。でも人生は、必ずしもそうなるとは限らない。歴史がそれを証明している。……忘れないで。人が社会を信じられるのは、どこかの誰かが汚い部分を請け負ってくれているからなの。理想に酔いしれることが出来るのは、表社会に生きる人間だけの特権なのよ。」

「……ッッッ!!!」

 

メロディオは、優しく笑った。

 

「戦いとは、力任せに敵を倒せばいいという単純なものでは無い。あなたのボスが負ける可能性は高い。そうなれば現実的に、あの不愉快な男にスペインは蹂躙されることになる。秘密裏に被害を減らすように働きかけるストッパーがいなければ、あの男はやりたいようにやり出すことになる。理想とは忘れてはいけない大切なものなのだけれど、それでも理想は現実には勝てないの。有事に対する備えはいつだって必要なのよ。理想に酔って正しさを盲信しているうちは、あなたはいつまで経っても子供のまま。」

 

道化の正体は、スペインの社会を裏側から優しく見守る慈母だった。

慈母であるがゆえに、我が子(スペイン)が危険に晒された時はその全ての人間性を捨て去る漆黒の殺意を持ち合わせているのである。

 

「……。」

「知恵を使って被害を減らすこともまた戦いよ。あなたは私の手駒になりなさい。そうすれば私も出来る限りの事はするわ。」

「?」

 

メロディオはシーラ・Eにそこまで告げると、何故かシーラ・Eに近寄って突然彼女の臀部を撫でた。

立て続けに彼女の服に手を入れ、彼女の耳たぶの裏を舐めた。

 

「オイ、何をする!なぜ私の尻を撫でる!!!」

 

メロディオはとても楽しそうに笑っていた。

シーラ・Eはその笑顔に、猛烈に嫌な予感を覚えた。

 

「あなたがまずやるべき事は、愛を知る事。私が愛とは何かを教示してあげるわ。ウフフフフ、やっぱり若い娘は肌に張りがあっていいわねえ。」

「おい、待て!やめろ!何故服に手を入れる!どこを触っている!」

 

それだけ告げると、メロディオの手は次々とシーラ・Eの服の下を弄った。

 

オイ、ヤメロ!そこを触るな!どこを舐めているッッッ!!!お前は虚像では無かったのかッッッ!!!

……助けてッッッ!ジョルノ様ッッッ!!コイツ、変態だッッッ!!!

 

「た、助けてジョルノ様ァァァーーーーッッッ!!!」

 

神秘の世界にシーラ・Eの悲鳴がこだました。

 

道化に行き交ってはいけない。道化に行き交ってしまえば泣いて許しを乞う羽目になる。

道化は常人には理解できない存在、変態だった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

細剣が舞い、銃弾が発砲される。時間差を置いて荊が襲いかかって来た。

ディアボロは細剣を躱し、迫り来る銃弾を時間を跳ばして避け、体を搦めとる荊をキング・クリムゾンで弾き返した。

 

ーーマリオ……ズッケェロッッッ!!!

 

ディアボロは戦局を俯瞰して、歯噛みした。全てはあの忌々しい、マリオ・ズッケェロとかいうチンピラのせいである。

ズッケェロさえ居なければ、この戦局においてとっくの昔にディアボロは勝利を収めていたはずだった。

ズッケェロの細剣は一刺しでディアボロを行動不能にし、ズッケェロのシャボンはディアボロの能力の発動を阻害する。

 

ジョルノとミスタはディアボロがズッケェロを警戒しているのを見てとり、前列に二人が陣取って後列からズッケェロが刺すという戦い方を徹底していた。これがディアボロにとっては非常に厄介だった。

仮にジョルノかミスタを仕留めることが可能であったとしても、攻撃した瞬間にディアボロが刺されてしまっては元も子もない。ズッケェロは自身の護衛のために、自身の周囲に集中的に能力発動阻害のシャボンを浮かせている。キング・クリムゾンは時間を跳ばすことが出来ても、攻撃の瞬間は姿を現さざるを得ない。下手に攻撃に能力を使い過ぎれば、持続に難を抱えるディアボロのキング・クリムゾンは防御のための能力発動が疎かになる。

ディアボロは、非常に不愉快な思いをしていた。

 

「無駄ァァァッッッ!!!」

 

ジョルノ・ジョバァーナのゴールド・エクスペリエンスが拳を握ってディアボロに攻撃を仕掛けた。

ジョルノの背後でマリオ・ズッケェロが動き、ディアボロはそちらを警戒して目を取られてしまう。シャボンが地面を密やかに浮遊し、ディアボロはシャボンから距離を取りジョルノの拳を時間を跳ばして躱した。直後側面からミスタが発砲し、ディアボロの側頭部に風穴が空いた。

 

「……お前は、誰だ?」

「……。」

 

ジョルノがディアボロに問いかけ、ディアボロは炎を背景に不敵な笑みで返した。

ジョルノの傍にミスタが寄り添った。

 

「ナルホドな。カラクリが見えて来たぜ、ジョルノ。俺の今の銃弾は確実に奴に当たっていた。」

「ええ。それにポルナレフさんから聞かされた話。奴は二重人格だッッッ!つまり……スタンド使いは二人いるッッッ!!!」

 

ディアボロがここにいる経緯と、矢の変遷をそろそろ明かす必要があるだろう。

 

そもそもの発端。若い頃にディアボロがエジプトで発掘した矢は六本。

一本はディアボロが組織幹部のポルポに渡し、残りの五本はエジプトのディオ・ブランドーに売り払ってパッショーネ設立の資金となった。

五本の矢はディオからエンヤ婆に渡り、一本は吉良吉廣へ、一本は虹村形兆へ、一本はポルナレフが回収し、一本はプッチへと譲渡された。

ここに一本、行方が分からない矢が存在する。

 

こう考えれば辻褄が合うのではなかろうか?

ディアボロは用心深い男である。手元から一度は全ての矢を手放したが、後になってよくよく考えてみれば矢という有用性の高いものを全て己の手元から放すのは愚行だと考え直した。いずれ何かに使えるかもしれないと、そう考えたのである。

一度は全ての矢を手放したものの、惜しくなってエンヤ婆から秘密裏に一本だけ買い戻して自分だけしか知らない場所に密かに隠しておいたのである。

 

そして、二人のスタンド使い。

ポルナレフのレクイエムで起きた現象で、ポルナレフと亀の精神は入れ替わった。精神が入れ替わる直前、ポルナレフはディアボロのキング・クリムゾンの攻撃によって死ぬ寸前だった。しかし、死ぬ寸前だったポルナレフの体に入っていたはずの亀の精神はなぜか亀に戻って来ている。それがジョルノの見落としだったのである。

戻ってきた亀の精神と同様に、死にかけていたブチャラティの体に入っていたヴィネガー・ドッピオの精神がディアボロの体に戻って来ていたとしても何ら不思議は無い。レクイエムに動作や意思の力を無にされたのはディアボロであって、ヴィネガー・ドッピオではない。

 

そしてレクイエムに攻撃されて幾度も死を体験したはずのディアボロ。しかし実際に幾度もの死を体験したのはディアボロではなくヴィネガー・ドッピオであり、ディアボロは繰り返される死から逃がれ続けた。ドッピオは主人に対する忠誠で幾度もの死を乗り越え、やがて終わりない死の体験の果てにディアボロが矢を隠していた場所の近くへと偶然たどり着いた。

 

ディアボロは狂喜する。

レクイエムの呪縛を解くにはレクイエムしかないと、ディアボロはそう考えた。ディアボロは喜び勇んで矢を己へと突き立てた。しかし、矢は己の試練から逃げ続けたディアボロにレクイエムの力を与えることはなかった。ディアボロのキング・クリムゾンは完成されており伸び代が無く、肉体年齢的にもスタンド使いとしてとっくに下り坂だった。何しろディアボロの最盛期であるジョルノたちとの戦いから、今現在およそ十年の月日が経っているのである。

矢は代わりに、ヴィネガー・ドッピオに力を与えた。ドッピオは死を幾度も乗り越え、主人を苦境から救いたい一心で戦い続けた。矢はドッピオの願いに呼応したのである。

 

ドッピオが主人の苦境を打破するために得た能力は、吉良吉影のバイツァ・ダストに少し似た能力。過去に攻撃を受けた時間を消し飛ばすという能力だった。キング・クリムゾンはもともと時間操作系のスタンドである。ドッピオはこの能力を用い、過去のレクイエムに攻撃された時間を消し跳ばして主人であるディアボロを救ったのである。

しかしこの能力の発現により、墓碑銘(エピタフ)の能力は使用不可となる。スタンドは原則、一人一体。もともとキング・クリムゾンの墓碑銘(エピタフ)は、ヴィネガー・ドッピオのスタンドの領域を使って発現した能力だった。

矢がプッチに貸し渡されたのは、ディアボロの能力がレクイエムでなかったから出来た芸当だった。

 

未来に向かって時間を消し跳ばすキング・クリムゾンと、過去に攻撃を受けた時間を消し跳ばすキング・クリムゾン。

表のディアボロと裏のヴィネガー・ドッピオ。

永遠の絶頂を望むディアボロはスタンド使いとして衰え始め、代わりに台頭したのはこれから絶頂期を迎えるヴィネガー・ドッピオ。

ディアボロは献身を続けたヴィネガー・ドッピオを自身の腹心として認め、対話することを望んだ。そして対話を続けることにより互いの理解が深まり、二人の帝王は自在に入れ替わることが可能となった。

 

この能力の発現により、ディアボロはキング・クリムゾンの最大の弱点であった持続時間の克服をすることが可能となる。

表のディアボロがスタンドを使用して出来た隙を、裏と入れ替わりヴィネガー・ドッピオが補う。ドッピオがスタンドを使用して出来た隙を、ディアボロが補う。表と裏は頻繁に入れ替わり、互いに弱点を補い合う。

表と裏の二人の帝王が操るキング・クリムゾン。キング・クリムゾン・二つの(ドゥエディ)

 

それが今のキング・クリムゾンの秘密だった。もしもディアボロが全幅の信頼を置く存在がいるのだとしたら、それはヴィネガー・ドッピオ以外に有り得ないのである。

 

ディアボロの計画の筋書きは、真実を知る者を消してジョルノにドッピオの正当性を保証させた後に、ドッピオを帝王にしてパッショーネを牛耳る目論見だった。ヴィネガー・ドッピオはかつての親衛隊員としてパッショーネに知れており、適当な美談でもでっち上げればいい。例えば死んだふりをしてパッショーネの長期極秘任務に携わっていたとか、そのあたりは真実を知る者が居なくなれば案外どうにでもなる。手駒にシーラ・Eを加えれば、美談の信憑性は増すだろう。

 

そしてディアボロが暗殺チームを警戒し始めたその最大の理由は、かつてドッピオの戦闘教練とパッショーネの戦力偵察を兼ねてサーレーと回転木馬前で戦った経験があるからである。

 

復活したディアボロは拠点をオランダに置いた。そしてイタリアに侵入して、ドッピオにチンケなオランダからの麻薬売人に変装させて送られてくるパッショーネの戦力を探った。現在のパッショーネの情報を得て攻略するためである。サーレーはズッケェロが入院している間にヤクの売人に警告を行いに向かい、ディアボロは回転木馬を展開させてドッピオの戦力の向上とパッショーネからの刺客の戦力を探った。

 

その際にディアボロが判断したことは、死を乗り越えたサーレーはディアボロが当初予想していたよりもずっと強かったということだった。スタンドに目覚めたばかりのヴィネガー・ドッピオが、キング・クリムゾンという強力なスタンドを操りながら危うく敗北しかけるほどに。ディアボロは慌ててドッピオと入れ替わり、回転木馬の本体に能力を解除する指示を出した。以来ディアボロは、サーレーを警戒することになる。ディアボロのパッショーネ奪還計画は、そもそもその時に歯車が狂い始めていたのである。

 

そして、マリオ・ズッケェロのソフト・マシーンとの戦いの相性。

ドッピオのキング・クリムゾンは敵の攻撃を受けた後の後出しの半自動の能力であるために、ズッケェロの攻撃を受けた後に発動するはずである。

 

しかし、ディアボロにはその保証がないのである。ズッケェロの剣は刺した瞬間敵を無力化する。無力化された後にドッピオのスタンドが果たして本当に発動するのだろうか?実際に食らってみないことには確かなことは言えないが、発動しない可能性も高い。戦場において不確定要素とは恐ろしいものだ。当然ディアボロは今まで人間をペラペラにするスタンド使いなんかと戦ったことはない。試しにくらってもしも能力が発動しなければ、すなわち敗北である。

 

それが致命の一撃であれば、どれだけ短くとも死ぬまでに時間が存在する。たとえ頭部に銃弾を喰らおうが、攻撃を食らった後に過去の時間を消し跳ばす猶予が存在する。しかしズッケェロの刺突は、刺した瞬間に相手を無力化するのである。時間を消しとばす猶予があるか疑わしいのだ。

 

そのためにディアボロはズッケェロを最大限に警戒し、立場が上のはずのジョルノとミスタは切り札であるズッケェロを守りながら戦っているのである。

 

「はじめまして。ジョルノ・ジョバァーナ。偉大なるディアボロ(ボス)に逆らう愚か者よ。」

 

彼は笑った。

その肉体は先程までジョルノたちが戦っていたディアボロのものである。

現在の彼の姿は、ジョルノたちが十年前に戦ったディアボロの姿と酷似していた。

ガスステーションは今なお燃え盛り続け、ジョルノとミスタとズッケェロは暑さで汗を流しながら緊張している。

 

「お前がッッッ!!!」

「ああ。俺はイタリアの偉大なる帝王、ディアボロの唯一にして無二の相棒、ヴィネガー・ドッピオだ。」

 

ドッピオは尊大に笑い、ミスタはドッピオ目掛けて銃弾を発砲した。

 

「食い破れッッッ!!!(ウーノ)ッッッ、(ドゥーエ)ッッッ、(トレ)ッッッ!!!」

 

三発の銃弾はドッピオの顔面を突き破り、直後にドッピオは攻撃を受けた時間を消し跳ばした。

ドッピオの顔面に三つの風穴が空き、直後に復元されていった。

 

「おいおい、下っ端は教育がなっていないな。まだ俺が喋っているだろう?偉大なる帝王の友人の言葉を遮るべきではないな。」

「……コイツッッッ!!!」

 

ドッピオは笑った。

 

「さて、貴様らが俺の主人から奪い取ったものを返してもらおうか?」

 

ヴィネガー・ドッピオと、ドッピオの操るキング・クリムゾンが地を駆けた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「キ……サ…マッ……!!!」

「……しぶとい奴だ。」

 

プッチとサーレーは、地面の上でおよそ三十メートルの距離をとって睨み合っていた。

九十メートルもの上空から防御できずに地上に叩き付けられたプッチは、身体中から血を流していくつもの骨が折れていた。

矢で進化したメイド・イン・ヘブンは耐久も大幅に上昇しており、墜落により多大なダメージを受けてはいるものの死亡には至らなかった。

一方のサーレーも、プッチを落下の緩衝材にしてクラフト・ワークの全能力を防御に回しても、やはり多大なダメージを受けて身体中から血を流している。

 

二人はローマの高空から落下し、落下の衝撃で距離をとって路地に転がった。やがてダメージの軽いサーレーが先に立ち上がり、続いてプッチが立ち上がった。二人は身体中から血を垂れ流し、しかしそれを気にもとめずに眼前の敵に集中した。

 

プッチの激情は静かに鎮火し、代わりに漆黒の殺意がプッチの目に灯された。

眼前の敵が、激情に駆られて冷静さを失えば、進化したスタンドであっても敗北してしまう難敵であることをプッチは理解したのである。

 

プッチはサーレーを指差して宣言した。

 

「……貴様は何があっても許さない。天国への道程を邪魔し、あまつさえディオから授かった申し子を処分した。……先のことは先で考えよう。今だ。今、私は貴様を殺す。」

「その言葉はそのままお前に返そう。処刑するのは、俺だ。」

 

メイド・イン・ヘブンの加速は停止しており、サーレーは痛む身体に鞭を撃ってプッチに走って詰め寄った。

プッチは迫り来るサーレーから退避して、周囲を走って再び加速を開始した。

 

「今度は、確実に殺す。確実に加速して、その速度が最高点に到達した瞬間に貴様のその首を跳ね飛ばしてやろう。」

 

プッチの目に宿る漆黒の殺意は、プッチの身体中から流れ落ちる血液と相まってローマの街並みに赤黒く残照を引いた。

メイド・イン・ヘブンはローマの市中を駆け、サーレーはクラフト・ワークを使用して横広い建物の屋上へと駆け登った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「貴様が、ムーロロを殺したのかッッッ!!!」

 

ミスタが銃弾を連射し、ズッケェロがミスタに影のごとく付き添った。ミスタの背後からジョルノがディアボロに向かって詰め寄り、ズッケェロは音を立てずに密やかにジョルノの背後に移動する。

 

「誰が殺したかなど、今更関係ないだろう?肝心なのは、誰が生き残るかだ!!!」

「ああ、その通りだ。生き残るのは僕たちで、死ぬのはお前だッッッ!!!」

 

ドッピオは詰め寄るジョルノの背後に付き従うズッケェロを確認して、ゴールド・エクスペリエンスの拳をはたき落として距離をとった。ドッピオがミスタの方へと向かう進路上には、密かにシャボンが浮かんでいた。

 

ドッピオの裏側のディアボロはそれを確認して、ズッケェロの能力の厄介さを再確認した。

ドッピオがミスタの方に向かえばシャボンを踏む事になり、意識の混濁した瞬間に敵は総攻撃を放っていただろう。意識が混濁する僅かな時間ディアボロは未来に向かって時間を跳ばせず、ミスタの放つ銃弾を食らった後にドッピオの能力で回避する必要が出てくる。そうなれば次はジョルノの拘束する荊とズッケェロの相手を行動不能にする細剣がディアボロを波状で襲う事になり、逃さないように挟み込んで時間差で攻撃されれば未来に時間を跳ばす能力は片方を回避できてももう片方は回避しきれない。最後にズッケェロの細剣で攻撃されてしまえば、それはドッピオの能力では回避できない可能性が高くおそらくは詰みになる。

 

「厄介な男だ。マリオ・ズッケェロッッッ!!!貴様はボスにさえ従えば、いい暮らしをさせてやるものをッッッ!!!」

「ハハーン?俺は以前のパッショーネでは、ロクな仕事ももらえないうだつの上がらない下っ端だよ?そういうことはもっと早く言ってくれないと、信頼性ゼロだよ?今更そんなことを言われても、信じられるとでも思うか?」

 

ズッケェロは細剣の切っ先をドッピオに向けてクルクル回し、挑発した。

 

「キサマッッッ!!!」

「落ち着け、ドッピオ。戦いは冷静さを欠くべきではない。」

「はっ!!!」

 

ドッピオとディアボロは再び入れ替わった。

 

「……ままならないものだ。俺が育て上げたパッショーネは奪われ、至高だと考えた能力はたった一人のチンピラに否定される。」

 

ディアボロは自嘲して笑った。

 

「……残念だがディアボロ、姿を現してムーロロを殺害したお前を、僕は許すことが出来ない。」

「……フン。そんなこと言われなくとも理解している。結局のところ俺と貴様たちは、どうあっても殺し合う間柄だったということなのかもしれんな。」

「運命なんて、存在しねえ。俺たちが殺し合うことになったのは、互いが互いに許せねえからだろう。俺たちは娘を殺そうとしたお前を許せねえし、お前は組織を奪った俺たちが許せない。違うか?」

「……そうかもな。」

 

ミスタは銃を構え、ジョルノも戦いの姿勢をとった。背後にはズッケェロが付き従い、彼らはガスステーションで決着の時を覚悟した。

 

「……お前のパッショーネにはいいところもたくさんあったのにな。お前のパッショーネに救われた人間もたくさんいる。死んだナランチャやアバッキオ、ブチャラティももともとは表社会に居場所がなくて、お前のパッショーネに救われた人間だった。……ペリーコロさんは死に際に、お前のパッショーネに感謝していたよ。」

「……理想を忘れし帝王の末路か。……皮肉なものだな。」

 

ジョルノとディアボロは向かい合い、静かに笑った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

結局、ディアボロの最大の間違いは他人を信用せずに孤独に物事を進めたことに尽きるのだろう。

ディアボロは敵を警戒するあまりに誰も寄せ付けず、味方を作ることを怠った。

 

ジョルノの言う通り、もともとディアボロのパッショーネはイタリア社会に必要と見做されて勢力を伸ばしたのである。

ディアボロのパッショーネは道を踏み外した若者を拾い、ペリーコロのような人間を救ってきた。

しかし他人を信用しないがゆえに個人で物事を進め、客観的な意見を取り入れることはなかった。

 

客観的な意見が無いからディアボロは姿を見せない用心深い性格であるにも関わらず、敵意を呼び寄せる社会に害をばらまく行為をしてしまっていたのである。そしてそれは周囲の社会の反感を買い、ポルナレフやジョルノといった敵を呼び寄せた。客観的な意見が無いから暗殺チームが扱いの悪さに不満を抱えていることを、実際に謀反が起こるまで気付けなかった。

 

幅を認められないから、他人を尊重出来ないから、他者との社会を築けないから、ディアボロは個人でいくら強かろうとも以前敗北したのである。

理想を忘れた帝王に矢が力を与えたのは、孤独な帝王にたった一人寄り添う付き人を矢が不憫に感じたからなのかもしれない。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは周囲の視界を遮るもののない開けた屋上に立った。

恐らくここはショッピングモールか何かの建物の屋上だろう。

 

サーレーは目を閉じて静かに集中し、己の手札を数えた。

 

一枚、ラニャテーラ。クラフト・ワークの体からエネルギーが発され、周囲の地面に蜘蛛の巣が張り巡らされた。

二枚、コマ送り。目を開けたクラフト・ワークの眼前の景色は細やかに固定され、敵が近付いてくるタイミングを見据えた。

三枚、クラフト・ワークは周囲の屋上の床を砕き、宙に瓦礫片を固定した。ほとんど効果が無いだろうが、ほんの僅かな敵の行動の阻害くらいにはなるかもしれない。

 

そして……四枚。四枚目に関しては、使えるかどうかわからない。と言うよりも、使える自信が無い。

しかし周囲を駆けるメイド・イン・ヘブンは最大限までの加速を決定付けており、四枚目の札が使えなければ敗北しかない。

 

プッチはビルの高層から突き落とされて思わぬ痛手を負ったことにより、クラフト・ワークの能力を今度こそ油断なく警戒しており、次に攻撃をするときはメイド・イン・ヘブンの全能力をかけた一撃となるだろう。

サーレーにとっては幸運なことに、プッチは落下の衝撃で脚部の骨を何本も骨折しており、メイド・イン・ヘブンの最高速は大幅に減速されていた。ゆえにコマ送りで敵襲撃のタイミングを見切ることが可能だった。

 

「必ず殺すッッッ!!!恐怖しろ!懺悔しろ!神の御名において貴様に告げよう!貴様は、地獄行きだッッッ!!!」

 

プッチの声が遠い。

しかし、どうでもいい。プッチが何を言ってるかも、どれほど加速しようとも、それは戦いの結果に直結しない。そんなものはサーレーが注意を割くべきものではない。足が震えるのも寒気がするのも、頭が痛いのもどうでもいい。

 

サーレーは屋上からイタリアの街並みを見渡した。

最後の札が使えるかどうかは、それにかかっている。それがこの戦局での勝敗の鍵を握っている。

 

サーレーは迫り来るメイド・イン・ヘブンを前に、静かに笑った。

 

◼️◼️◼️

 

名前

ジェリーナ・メロディオ

スタンド

バイオレーティブ・ジェスター・エル・モンド

概要

道化の真の姿であり、周囲に道化の住み処を展開する。その世界では空間も時間も一切存在せず、その世界は人間に理解できるものではない。

 

天秤の能力はその世界に生きる他者の理解が必要なため、理の変更を効果半径内に存在する他者に聞かせることが能力の発動条件となる。そのために宣告が必要なために施行に時間がかかり、問答無用で襲われたら即敗北となる近距離パワータイプのスタンドが彼女の弱点となる。もちろん彼女はそれの対策もしているが、ディアボロのキング・クリムゾンの身体スペックは非常に高いために、現状は無理な行動に出れずに隙を伺っている。

 

名前

ディアボロ

スタンド

キング・クリムゾン・(タボロ)

概要

未来に向かって時を消しとばすディアボロのキング・クリムゾン。以前ジョルノたちと戦った時がディアボロの最盛期。それより年月が経った現在、本体のディアボロがスタンド使いとして衰え始めており、永遠の絶頂を望むディアボロは全幅の信頼をおくヴィネガー・ドッピオの成長に希望を見出した。

 

名前

ヴィネガー・ドッピオ

スタンド

キング・クリムゾン・(インディエトロ)

概要

過去の時間を消しとばす、エピタフが変質したキング・クリムゾン。この能力でレクイエムに攻撃を受けた時間を消しとばした。バイツァ・ダストと少しだけ似た能力だが、能力を三つ持っている吉良吉影よりも能力発動条件が圧倒的に緩い。致命の攻撃を食らった時は、自動で発動する。



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冥府の死神

それを見ていたのは、ナルシソ・アナスイだけであった。

 

アナスイはホル・ホースと戦い、拳銃の金型が曲がって戦闘が不可能になったホル・ホースは戦場から逃走した。

アナスイは戦場から背を向けて逃亡したホル・ホースを追いかけ、敵の姿を捕捉するために高所へと駆け上がった。

 

結論を言えば、アナスイはホル・ホースを探し当てることは出来なかった。しかしアナスイは、代わりにそこで苛烈な戦いを繰り広げるサーレーを確認する。

 

ーー馬鹿な……アイツ、何をやっているんだッッッ!!!

 

サーレーは建物の外壁をどこまでも駆け登り、やがて米粒のようにその姿を小さくして信じられないほどの高所からプッチと絡みながら落下した。

それはいかに強靭なスタンド使いであったとしても飛び降りようとはとても考えられないほどに高所であり、アナスイは落下するサーレーの身を案じる自身の心境に、ひどく戸惑った。

 

ーークソッッ!!!なぜだ!なぜオレはこんなにも、アイツを心配する!

 

アナスイは自身に問いかけ、やがて彼の心は一つの返答をした。

 

嬉しかった。

アナスイは世間では異常殺人を犯した禁忌であり、普通の人間であれば忌み嫌い避ける対象である。

しかしサーレーはアナスイに希望を指し示し、あまつさえイタリアで一人の人間として認められたら徐倫との結婚を応援し友人として祝福するとまで言ってくれた。

 

ただ嬉しかった。

サーレーの何気ない一言はアナスイの心の中で希望となり、未来を築き上げる可能性はそれを指し示した人間への愛情と感謝へと変化する。

 

アナスイはその気持ちを、きっといつまでも忘れない。

カンノーロ・ムーロロがジョルノの言葉から感じた気持ちが宝物であるのなら、アナスイがサーレーから感じた気持ちもまた宝物だったのだろう。

 

フランシスが動かした戦局が、アナスイをその場所へと導いた。

そしてそれは、紛れを起こす。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

二人の帝王とそれに相対する三人の戦局では、徐々にその優劣が表面化しつつあった。

ジョルノ・ジョバァーナのゴールド・エクスペリエンス、グイード・ミスタのセックス・ピストルズ、マリオ・ズッケェロのソフト・マシーン。そしてそれに敵対する二人の帝王によるキング・クリムゾン。

 

もともとキング・クリムゾンは非常に身体スペックの高いスタンドであり、戦闘における弱点はその能力の持続時間と射程の短さだけであった。

しかしドッピオがスタンドに目覚めたことによりそのうちの持続時間の短さは克服され、キング・クリムゾンというスタンドの力の強さと瞬時の速さ、そして能力の強力さが強みとして前面に押し出されることとなる。三人はそれに対処するために、運動量を強制された。固まって背後からズッケェロがジョルノとミスタをフォローするからディアボロは二人を攻めあぐねているのであり、分断されてしまえばズッケェロがいない方から撃破されて敗北してしまう。キング・クリムゾンという巨大な暴力を防ぐ防波堤が一枚減れば、残った人間が敗北するのも時間の問題だった。

 

ディアボロはズッケェロの細剣の射程を見切りながら慎重に攻撃を行い、ズッケェロは細やかに移動しながら危機に晒された方をフォローする。

その際ズッケェロはどうしても近接戦闘能力の低いミスタに寄りがちになり、ディアボロと直接拳を交わす機会が多いジョルノがまずはスタンドエネルギーの残量の底が見え始めた。

 

「……ジョルノ、大丈夫か?」

「……ええ。まだしばらくは戦えます。」

 

ミスタに寄り添うジョルノの息は確実にあがってきている。

ミスタの脳裏を計算が過った。敵を確実に倒すために、人間の命を消耗する計算をした。しかしどう計算しても、ディアボロを倒せない。

それほどまでにキング・クリムゾンの能力は脅威であり、命を度外視したところでそれはただの犬死に終わってしまう。

 

三人はズッケェロの特殊な能力を頼みに戦っているのであり、スタンドの自力のスペックでは圧倒的にキング・クリムゾンの方が上だ。キング・クリムゾンが万が一のズッケェロの一刺しを最大限警戒して戦えば、三人は少しずつ形勢の悪くなるジリ貧の戦いを強制させられる。

ミスタは再び計算し、結論を出した。

 

「足掻くぞ。今のままじゃあどうやったって奴に勝てねえ。だが破れかぶれで攻めても割に合わねえ。ならば他の戦局が勝利して、ここに援軍が到着するまで何がなんでも生き延びるッッッ!しぶとく戦って隙があれば奴が敗北する可能性を感じさせ続けることが、俺たちが生き延びて勝利する唯一の可能性だ!!!」

「ええ。」

 

ズッケェロはうなずいた。

ジョルノも僅かに迷い、その後にミスタの言葉の正しさを理解してうなずいた。

 

キング・クリムゾンが近付いた。

 

ジョルノが前面に出て、ゴールド・エクスペリエンスとキング・クリムゾンが激突する直前にミスタが銃弾を二発ディアボロに向けて発砲した。ディアボロは迫り来る銃弾を時間を跳ばして避けた。ズッケェロがジョルノの影として寄り添い、いつでも攻撃が可能なようにソフト・マシーンの筋肉が収縮した。ディアボロはそれを確認するとジョルノとの激突を避けて側面へと移動した。そこへ再び銃弾が発砲され、絡みつく殺意の銃弾はディアボロの頭部を撃ち抜いた。入れ替わったドッピオが銃弾を受けた時間を消し跳ばして、近寄って拳を振るうゴールド・エクスペリエンスを捌いてジョルノの背面のズッケェロの攻撃範囲から離脱した。ディアボロは弧を描く膨らむ動きで細剣の攻撃範囲を避けながらミスタに向かい、ズッケェロは最短を突っ切ってミスタに寄り添った。ディアボロはミスタへの攻撃を取りやめてジョルノの方へと向き直った。ジョルノとミスタは互いに近付き、ズッケェロは速やかに両方をフォロー出来てなおかつキング・クリムゾンの攻撃の届かない立ち位置を確保する。

 

どこかでミスをすれば瞬く間に誰かが陥されて敗北するために、戦歴豊かな彼らは一糸乱れぬ連携をぶっつけ本番で成立させていた。

しかしそれは綱渡りであり、どこかで僅かに誰かの動きが鈍れば次の瞬間には敗北してしまう。そしてジョルノは少しずつ疲弊の色を見せ始めている。

 

一方で、ディアボロはイラついていた。何よりも厄介なのが、三人の戦闘に対するシビアさである。

三人はその立場を一切無視して、ドッピオに対する有力な攻撃手段であるズッケェロの生存を第一に行動し、前面にジョルノとミスタを押し出してきている。ジョルノを殺せるタイミングはいつでも存在する。ミスタを殺せるタイミングもいつでも存在する。しかしズッケェロを殺せるタイミングだけが存在しないために、ディアボロはいつまで経っても戦闘を勝利出来ないのである。下手にズッケェロに仕掛けてシャボンを踏めば、ディアボロはその時点で敗北してしまうために無理な攻撃も出来ない。

己が存在の保身を第一に置くディアボロにとって、身分の立ち位置を無視した三人の戦術は理解できず想定外だった。

 

ジョルノかミスタを殺せば、その瞬間に細剣がディアボロを貫いてディアボロは敗北する可能性がある。ズッケェロさえ殺せれば、直後に受けるだろうジョルノとミスタの攻撃はキング・クリムゾンの能力で凌ぐことができる。

 

三人はディアボロの猛攻を凌ぎながら、少しでも長く保たせるために身を引いていた。

この場所に辿り着くまではジョルノたちがディアボロを追い掛けていたが、今度は三人がディアボロの攻撃を受けながら少しづつ場所の移動を行なっていた。それは身を引きながら戦えば少しでも長持ちさせられるというミスタの判断であり、ズッケェロにまた身を隠されたら厄介なディアボロは今度は三人を追いかける立場となった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

サーレーはイタリアの街並みを眺めて、己の内に没頭した。

周囲を縦横無尽にメイド・イン・ヘブンが駆け巡り、直に最高速に到達したそれとクラフト・ワークは激突することになる。

しかし、サーレーはそちらに意識を割かない。

 

大切なのは、敵ではない。

大切なのは、四枚目の札が使えるか否か。全てはそこにかかっている。

 

四は死神の数字だ。四枚目の札は、死神の切り札だった。

サーレーはローマの街並みを眺めて、やがて自身のうちに答えを出した。

 

残念ながら、答えは恐らくは不可能。

もう少しだということは理解している。あと何かが足りれば、恐らくは使用可能になる札だ。

しかし、最後の決め手が足りない。

 

サーレーは静かに溜め息を吐いた。

どうやらここまでのようだ。

可能な限りは足掻いてみるが、冷静さを取り戻してサーレーへの研ぎ澄まされた殺意を向ける敵に対抗する術がない。

 

ラニャテーラは張っている。コマ送りも使用している。

敵の行動を可能な限り阻害しているし、敵の動きは見えている。敵に痛手も負わせた。

しかし最後の最後に、容赦なくサーレーを殺すことのみに集中した敵を撃墜する札が無いのである。

 

初撃は防げるかもしれない。その次ももしかしたら防げるかもしれない。

しかしその次は?さらにその次は?そしてその次の次は?

結局はジリ貧でしかなく、クラフト・ワークは遠からず力尽きる。

 

とどのつまり敵に一矢報いれたのは、敵が冷静さを失っていたからに過ぎない。

素の能力では、敵のスタンドの方が圧倒的に上なのである。

 

「死ねッッッ!!!この神に逆らう不届きものがッッッ!!!」

 

煩い奴が向かってきてしまった。サーレーは一瞬瞬きをし、向かってくる敵に集中した。

メイド・イン・ヘブンは衝突の寸前に不規則な動きをし、サーレーの視界から消える動きを始めた。

メイド・イン・ヘブンは残像と共にサーレーの周囲を自在に飛び跳ねている。

 

「油断はしないッッッ!!!貴様は何をしてくるかわからん!一撃で確実に首を刎ね飛ばして、終わらせてやろうッッッ!!!」

 

コマ送りで動いた方向はわかるのだが、敵の素早い動きに目がついていかない。

サーレーは意味を為さなそうなラニャテーラを解除し、必死で敵の動きに集中した。

しばらくは何とか目で追うことができていたが、やがてその姿を見失い、メイド・イン・ヘブンは最高速で上方からサーレーの首を刈り取りに襲撃した。

 

サーレーは敵の襲撃のタイミングを予測するしか出来ず、当てずっぽうに体を捩った。

しかし恐らくは意味が無いだろう。敵の素早さは尋常では無く、サーレーの抵抗は恐らくは大した意味を持たない。

 

しかし敵の襲撃の瞬間に、サーレーを予想外の感覚が襲った。

上方からの敵の襲撃に集中して、サーレーは下方からの何者かにその時まで気付けなかった。

 

 

◼️◼️◼️

 

「一撃で確実に首を刎ね飛ばして、終わらせてやろうッッッ!!!」

 

エンリコ・プッチがメイド・イン・ヘブンとともに上空からサーレーを襲撃した際、サーレーの周囲にはクラフト・ワークが宙に固定した瓦礫片が浮かんでいた。

苦し紛れのそれはメイド・イン・ヘブンという強力なスタンドの行動の阻害にはほとんどならず、しかし大きな役割を果たしていた。

 

メイド・イン・ヘブンの視線を阻害していたのである。

クラフト・ワークはどこまでも有能で、万能なスタンドだった。ギリギリの戦闘であるほどに、最後は細かい部分が戦闘の趨勢を決定づける。

 

ゆえにプッチはサーレーの首を刎ね飛ばしに近付く直前まで、気付かなかった。

サーレーの上半身から、別のスタンドがサーレーを守るように飛び出していたのである。

それは下階に潜む、ナルシソ・アナスイのダイバー・ダウンだった。

 

アナスイは自身に芽生えた感情に従って、サーレーの助けになろうと行動していた。

しかしサーレーは建物の屋上に登り、敵は恐ろしく素早いスタンドで、アナスイがただ駆けつけても何の役にも立てずに足手まといにしかならない。

ゆえにアナスイは建物の屋上の真下の部屋に侵入し、戦いのギリギリの局面で助けになろうと考えた。

 

しかし先程まではサーレーのクラフト・ワークが屋上の床にラニャテーラを張っていて、アナスイのダイバー・ダウンは潜行不可能だった。

メイド・イン・ヘブンがサーレーを警戒して不規則な動きをしたことにより張られていたラニャテーラは解かれ、激突の直前にダイバー・ダウンはサーレーの助けとなるべくサーレーの足下から潜行することが可能となった。

 

プッチはサーレーの首を刎ねる直前に唐突にサーレーの上半身から出てきた別のスタンドに戸惑って、思わずダイバー・ダウンを攻撃してしまった。ダイバー・ダウンは拳をプッチに向けており、メイド・イン・ヘブンの腕は鎌のようにしなりダイバー・ダウンの上半身を刎ね飛ばした。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

宙に何かが刎ね飛んだ。

サーレーはそれが自身の首だと考えたが、感覚がある。首がある。

サーレーは何が起こったのか判別するために周囲を見回し、すぐにそれを発見した。

 

「アナスイ!!!お前……!」

 

それは下半身を失い屋上の床を沈みゆくアナスイのスタンド、ダイバー・ダウンだった。

 

「お前、何しに来た!!!」

 

メイド・イン・ヘブンはダイバー・ダウンに攻撃を加えた後再び周囲を駆け、サーレーの視界から逃れるべく不規則な動きをしていた。

サーレーは走って屋上から飛び降り、下階の窓を蹴破って室内に侵入した。サーレーは必死で気にかける余裕が一切なかったが、そこは実はローマの高等学校の校舎だった。

 

「馬鹿!!!お前、何やってるんだ!!!」

 

下階には、散乱した机と上半身と下半身のなき別れたアナスイがいた。

サーレーは急いでアナスイに近寄って、アナスイの上半身と下半身を繋げて一時的に固定した。

それはあくまでも緊急措置であり、サーレーが死ぬか長時間放っておけば出血多量で命を落とす緊急救命措置でしかなかった。

 

「お前……。」

「、、、よお、、、オレは、、、役に、、、立てたか?」

「喋るな!!!なぜこんな……。」

 

窓の外には高速で移動しながら中の様子を伺うメイド・イン・ヘブンが存在した。

プッチは先の墜落で懲りており、敵が策を練っている可能性を勘案していた。

 

「嬉しかったんだ、、、。」

「それはいい。お前は……!!!」

 

サーレーは必死に頭を働かせた。

さほど間を置かずにプッチは強襲してくるだろう。なんとかアナスイだけでも生かす方法は無いかと、サーレーは必死になって思考している。

 

「役に、、、立ちたかった、、、。お前はオレの希望を、、、笑わなかった。、、、応援してくれると、、、。オレは、、、お前の希望に、、、。」

「喋るなと……!!!」

「恩を、、、返したかった、、、。」

 

その瞬間、サーレーの中で衝撃が走り何かが噛み合った。

恩には恩を。愛には愛を。ひどく簡単な事だった。それが全ての答えだった。

 

ジョジョ(ボス)組織(パッショーネ)は、素行の悪いチンピラスタンド使いのサーレーが上手くイタリアの社会に馴染めるように、密かに骨を折ってくれていた。社会から爪弾きにされないように、社会に嫌われないように。

 

ショバ代回収と称して一般人と関わらせて社会を学ぶ機会を与え、生活に困窮して犯罪を犯すことのないように飲食店に密かに根回ししてくれた。外交部門と接させることによってパッショーネの諸外国での立ち位置を理解させ、密やかに腹心として扱っていこうと尊重してくれた。

 

恩には恩で返したい。ただ、それだけだった。

サーレーは最後の札が使用可能になったことを理解し、同時にクラフト・ワークはそれとは全く別の力を得た。

 

漆黒の殺意が無間の宇宙を描き、覚悟がそこに彩りを与える。そこにイタリアに住む人々の営みが瞬く星々のように煌めき、生を知り死を知り社会を識る処刑人の精神は完成する。

最後にどこからともなく得体の知れない力が強烈に流れ込み、完成した宇宙に生命の輝きを与えた。その力は、なぜだかわからないがとても暖かかった。

 

それは、世界だった。精神が世界を描くとき、処刑人は完成する。

サーレーの精神は世界を描き、その世界の中心では黄金の太陽がひときわ眩く強烈な存在感を放っている。

クラフト・ワークは、到達点に到達した。

 

「……ありがとう(グラッツェ)、アナスイ。」

 

恩には恩を。愛には愛を。ならば、、、罪には罰を。

赦されざる者には終幕を。

 

応報刑論は、決して理想では無い。

犯罪者は更生するのが理想なのだが、しかしこの世に死刑制度は存在する。

社会とは矛盾していて、社会とはそうやって成り立っている。

そして裏の処刑人は、社会の矛盾が飽和点に達した時に怒りの代弁者として動き出す。

 

表の処刑人は、テニスコートに落ちるボールの彼我には立ち入らない。社会を形成する大勢の合意が、罪人を死に値するとみなすのか否か。ボールが自分のコートに落ちても相手のコートに落ちても、それは神の思し召しだとそう自分を納得させる。

 

しかし裏の処刑人は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

それは決して、個人が決定してはいけない。大勢の合意を得られなければならない。

大勢の合意とは、その本質は大勢の人間が信仰する何者かの意思を指し示す。だからこそ処刑人は、神職なのだ。

つまりそれは本来であれば、神の領分なのである。

 

社会的に地位のある人間とは、その行動により多くの責任が伴う。裏の処刑人は裏社会でボスと対になるほどの高い地位を得ていて、その判断に並々ならぬ重圧が伴うのである。スタンドの存在するこの世界では、大勢の合意を待っていては多くの場合は手遅れになってしまうのだから。ディオ・ブランドー、吉良吉影、エンリコ・プッチ、チョコラータ、麻薬チーム、そしてディアボロ。彼らのせいで、罪無き市民の血が一体どれほど流れただろうか?

 

幼くして死んだ少年の魂は?赤子を宿して亡くなった妊婦の魂は?日々を仕事に勤しむ男性の魂は?人生を堪能し実り豊かな老後を送っている老人の魂は?

 

ローマでチョコラータのカビに殺された彼らの死後の魂はどうやって安寧を得る?

麻薬チームの処分の過程で命を落とした人間の死後の魂の安寧は?

 

死後の魂に生きている者が出来ることは、死者を悼み同じ過ちを繰り返さないことだけである。

一般人にスタンドは見えず、降って湧いた自分だけの力に溺れる者は多い。何らかの対策を講じねば、悲劇は何度でも繰り返される。……何度でも。

 

ゆえに社会の裏側は、一振りの刃を丁寧に鍛え上げる。

殺人という忌避と、無辜の民の安寧という狭間に苦悩した社会は、矛盾の解消の為の断罪の刃を育てるのだ。この人材であれば力の行使の際に間違いを起こさないという、極限まで研ぎ澄まされた刃を。

 

すなわち裏の処刑人とは人柱でありながら同時に、大勢の暗黙の合意の下に神の領分に立ち入る存在でもあるのである。暗殺チームは決して、雑に扱っていい存在ではない。

 

彼らは何者よりも強く、誰よりも社会を愛し、そして慈悲深い人間でなければならない。社会に強くある事を義務付けられ、その総体の怒りを代弁する存在。

慈悲深いが故にイタリアの無辜の市民が害されることを望まず、社会と自身の矛盾を知ってなおも必要に迫られて刑を執行する。

 

「お前はもう喋るな。運が良ければお前は助かるかも知れない。俺はお前が生還することを心より願っている。」

「、、、オレも役に、、、。」

「十分役に立ったよ。お前のおかげだ、アナスイ。後は心配せずに待っていろ。」

 

サーレーはアナスイの手を優しく握り、彼が助かることを一心に願った。

 

アナスイは出血多量で意識が朦朧としていた。それでも、心に残ったことがあった。

それをきっと、アナスイは一生忘れられない。

 

アナスイは、確かに見た。罪人は、死の狭間で神を見る。

アナスイは静かに笑って去るサーレーの横顔に、神を見た。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

エンリコ・プッチは建物の中から出てきたサーレーの表情を観察していた。

静かな表情だった。とても戦いに臨んでいるとは思えない。

 

ーーフン、痴れ者め。死を目前にして気が触れたか。

 

プッチは建物の中にサーレーの仲間がいることを理解しており、何かまた奇抜な策を練っているのだろうと疑っていた。

しかしそれは恐らくは杞憂だろう。

 

敵の仲間はすでに上半身を跳ね飛ばし、サーレーは今現在建物の外壁を登り最前のように屋上の中央に陣取っている。

きっと諦めて観念したのだろう。しかし油断は禁物だ。

 

今一度最高速で敵を幻惑し、何が起こったのかわからないうちに首を刎ね飛ばしてくれようか。

メイド・イン・ヘブンは黒い殺意と共に躍動した。

 

しかし、メイド・イン・ヘブンは唐突に停止した。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

メイド・イン・ヘブンは周囲を忙しなく動いている。

相変わらずピョコピョコと落ち着きのないバッタみたいなやつだ。そんなに生き急いで、一体どうしようというのか?

 

彼ら暗殺チームのつまらない私見では天国とは日々の細やかな幸せの中に存在し、各々がそれを堪能することが幸福へと至る道だ。急ぐ必要性がさほど感じられない。

ビールを片手に好きなフットボールチームを応援している時、気に入った女とたわいもない会話をしている時、気の合う友人と休みに映画を見ている時、道端で出会った先輩の意外な一面を見て共感した時、それらは全て天国の一端だ。

それらを不当に奪おうとする敵から、イタリアを守護することが彼ら暗殺チームの存在意義である。

 

まあそれは、たかが人殺しの戯言だ。それはどうでもいい。

つまり何が言いたいかというと、生き急ぐこと自体は本人の勝手で否定はしないが、それで社会に決定的な被害を与えてしまうのであれば、他者を殺害するのであれば、それは決して赦されない。

 

サーレーは笑った。サーレーは静かにつぶやいた。

 

冥界(モンド・インフェリオーレ)。』

 

空間が歪み、世界は変容し、終幕のカーテンが下ろされる。

処刑人は、彼の世界を創造する。

 

 

 

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

 

 

世界は、静かな黄昏光に満ちていた。

それは厳かな光であり、同時に寂しげでもある。終わりを連想させる、落日の輝きだった。

 

それは終わりの無いレクイエムと対を為す、終焉を告げるスタンドの世界だった。

落日の次には宵闇が訪れ、漆黒の夜が訪れる。そして次の朝、黄金の暁はやってくる。世界はそれを繰り返す。

 

あらゆる神話において死と終焉を司る神は、生命と豊穣を司る神と対を為す。

死を象徴する忌まわしき神であっても、終焉がどれだけ寂しかろうとも、必要だから決して淘汰されることがない。

 

夜を否定してはいけない。終わりを否定してはいけない。

終わりがあるから生は輝き、昏い夜があるから朝焼けは美しい。

 

覚悟が暗闇に道を切り拓く行為だとしたら、そこには暗闇もまた必要なのである。

黄金の太陽は漆黒の闇に包まれて、信じられないほどに美しく輝く。

 

 

 

 

そこは、神聖なる処刑場だ。

同じ種に生まれた赦されざる同胞に、せめて死後の安寧と来世の幸福を願う場所であった。

処刑台の刃とは、いつも平和の祈りと共に落とされる。

 

なんだ、ここは?どうしてここに?一体どういった理由で?プッチは周囲を見渡した。

先程までローマの昼日中の市中にいたはずなのに、唐突に夕方になって大理石作りの神殿にいる。

 

エンリコ・プッチには理解が出来ない。それも当然だ。

そこは、大いなる何者かが住まう場所なのだから。

 

「……。」

 

サーレーは静かに昏い瞳でプッチを見つめている。

プッチはその視線に怖気付いて、一時的な逃走を試みた。しかしなぜだか動けない。

メイド・イン・ヘブンの強力なスタンドエネルギーを以てしても、逃れられない。指一本動かない。

プッチは見えざる理解できない力によって、雁字搦めに拘束されている。

 

「遺言はあるか?」

「何をッッッ!!!」

「そんなつまらない言葉が最期の言葉で構わないのか?」

 

それはクラフト・ワーク・処刑人(ボーイエ)到達点(ザ・ワールド)、クラフト・ワーク・死の神(オルクス)だった。

クラフト・ワークはどこからともなく流れ込んできたエネルギーで、強烈に高みに押し上げられた。

 

クラフト・ワークの固定する能力は、赦されざる罪人を捕らえて逃さない処刑台の能力へと変質した。

クラフト・ワークの右腕が一振りの無骨な剣へと変化する。それは赦されざるものの首を刎ねる断罪の刃だった。

 

プッチは一切の虚飾のないその剣を見て、本能で根源的な死の恐怖を感じた。

 

「キ……キサマッッッ!!!これはなんだッッッ!!放せッッッ!!!私は(ディオ)の御使で、私は天国に到達するのだッッッ!!!」

「神は、人の心に住む。天国は、日々の細やかな幸せの中にある。お前は神の御使などではなく、ただの赦されざる大罪人だ。」

 

プッチは焦って足掻いた。しかし微動だにしない。プッチは得体の知れない力に磔られている。

メイド・イン・ヘブンがどれだけ速かろうとも、今のクラフト・ワークの固定する能力の前では無意味であった。

プッチは必死に叫んだ。

 

「綺麗事をッッッ!!!この世のどこに、天国があるというのだッッッ!!!」

「人々を正しく導くはずの神父が綺麗事を放棄するなんざ、世も末だな。お前神父に向いてないよ。理想はたとえ現実に敵わなくとも、忘れてはいけない大切なものだ。」

「キサマッッッ!!!」

 

サーレーは静かに笑った。

 

「遺言はもういいか。さて、こっちも時間がおしてるんでな。死にかけている仲間がいるし、まだ戦っている仲間もいるから助けにも行かないといけない。略式で悪いな。罪状と刑名だけ告げておこう。罪状は大量殺人、刑は斬首刑だ。」

「や……やめろぉぉぉッッッ!!!」

「せめてお前が来世で幸福になることを願ってるよ。俺は来世を信じていないけど。」

 

その言葉は、己が目的のために無慈悲な行動をとったプッチに対するサーレーの怒りだった。

処刑人は、どれだけ強大な神の如き力を持とうとも心ある人間でなければいけない。

 

「はなっッッッ放せぇぇぇぇぇぇッッッ!!!」

さようなら(アリーヴェデルチ)、エンリコ・プッチ。赦されざる者よ。」

「や、やめろッッッ!!!天国にさえ到達すれば、誰もが救われるのだッッッ!!!そのあとならば、いくらでも……いくらでも命をくれてやるッッッ!!!だ…だから頼むッッッ!!!」

「……残念だよ。ことここに至ってまだそんな馬鹿げた世迷言を。」

 

プッチはなんとかその場から逃れようと必死に汗を流して抗うも、やはり体が動かない。

処刑人(サーレー)赦されざる罪人(エンリコ・プッチ)の天敵だった。

 

処刑人は目を閉じて、厳かに十字を切った。間を置かずに速やかに刑を執行した。

クラフト・ワークの右腕が滑らかに動かされ、床に重量のあるものが落ちて鮮血が舞った。

プッチの意識は漆黒の闇へと包まれ、やがて黄昏光はくすんでいった。

 

生あるものに、終焉は必ず訪れる。

エンリコ・プッチの脳裏に今際の際に過ったのは、(ディオ)や天国のことではなく亡き妹(ペルラ)との穏やかな日々の思い出だった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名称

サーレー

スタンド

クラフト・ワーク・オルクス

概要

クラフト・ワークの到達点(ザ・ワールド)。強大な力には責任が伴うために、普段は厳重に鍵をかけられサーレーが対象を赦されざる罪人だと確信した場合にしか発動できない。その能力は空間を固定して支配するものであり、その本質は赦されざる罪人に対して絶対的な権限を持つ処刑台である。一旦発動してしまえば、刑の執行が完了するまで誰も逃れられない。社会に平穏を齎す死と終焉を司るオルクスで処刑された者は、この世に怨念や未練を残すことも出来ない。得体の知れない力が何だったのかは、後の話で解説します。

 

名称

エンリコ・プッチ

概要

刑を執行された。アリーヴェデルチ。



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死神の切り札

「風向きが、変わったわね。フランシス君が倒したドミノは、予想よりもずっと大きな波紋を呼んだ。」

 

道化が、呟いた。

彼女はこの世界の理を司る存在。ゆえに理から逸脱した存在を敏感に感じ取る。

 

メロディオはフランシス・ローウェンの友人であり、フランシスが戦闘でどう戦うかを熟知している。

フランシスは根本的にお人好しで器用な男だ。それでいて有能で強かでもある。見えないところでフランスに被害が及ばず、かつパッショーネの有利に働くように戦うだろう。

 

彼ら暗殺チームの真価は、戦闘の強さではなく戦闘の巧さにある。戦闘の巧さとは、いかに敵を倒すかではなく、いかに目的を達成するかである。もともと彼ら暗殺チームは、使い捨ての人材なのだから。

 

もしもホル・ホースが生きて戦場から敗走すれば、アナスイは戦場を自由に動けてかつその全ての責任はホル・ホース本人に向かうことになる。フランスに一切の危害が及ばず、パッショーネ側の勝率が上がる。ホル・ホースがもしも死亡してしまえば、ディアボロの疑惑の目は共闘したフランシスへも向かうことになる。

 

それは、社会から姿を眩まして他者と関わることを嫌ったディアボロに、理解できない強さだ。ディアボロは他人を知ろうとしないゆえに、目先の強さしか知らない。社会の幅のあるしなやかな強さを理解出来ない。彼らは社会を愛し、高い社会性を持つ殺し屋だ。彼ら暗殺チームは他者を十分に理解し、見えていなくとも阿吽の呼吸で戦うことが出来る。

 

もしもコロッセオで彼女が敵にグイード・ミスタをあてがわれていたら、コロッセオでフランシスとホル・ホースを巻き込んだ乱戦になっていた。ミスタはシーラ・Eほど甘くなく、メロディオも本気で殺しにいかざるを得ない。フランシスの雲で相手の視界を塞いでうまく連携をとって乱戦に持ち込めば、勝ち筋は存在する。もちろんミスタを殺害したいわけではないが、それでもスペインの安寧には変えられない。シーラ・Eだから単体で容易に抑え込むことが可能だった。

 

戦場とは細かな要素で成り立ち、密やかにフランシスがホル・ホースを戦場から追い払った結果、ローマの市街地で逸脱した力が行使された。これならば、こちら側も駒を動かす価値がある。

 

「……何を言っているの?」

 

カフェの床に突っ伏して虫の息のシーラ・Eが聞き返した。

 

「理不尽な力の波動を感じたわ。それはディオ・ブランドーや空条承太郎と同質の、逸脱した力。私の同胞の存在。……あなたはパッショーネを救いたい?」

「当たり前でしょうッッッ!!!」

「ならばこの道を右にひたすら進みなさい。あのジョルノ・ジョバァーナというボスに積み上げた財産があるのなら、ひょっとしたら生き残る可能性が道端に落ちているかも知れない。」

 

メロディオはカフェの前の道を指差した。

 

「財産?」

「人脈、徳、或いは他者との間で築き上げた社会という言い方をしてもいいかも知れない。あなたのボスが不条理な力を制御できているのなら、まだ幸運が残っているのかも知れないわ。」

 

メロディオはシーラ・Eに向けて微笑んだ。

 

「……。」

「あなたがイタリアとパッショーネが何よりも大切ならば、敵である私の言うことにでも縋った方がいいわよ。ここがあなたの分岐点。あなたは、このままでは何も為せずに私の言いなりの傀儡のまま。あなたが本当にイタリアが大切ならば、詰まらないものは捨てなさい。形振り構うべきでは無いわ。」

 

シーラ・Eはメロディオを一瞥すると、立ち上がって駆けだした。

 

「さて、と……。」

 

メロディオはカフェの席を立ち上がって、店の奥からメモ帳とペンを持ち出した。

メロディオの左のポケットからは小型の映像機器が取り出された。それは、彼女の配下のスタンド使いのスタンドだった。

地図が苦手な彼女に、配下から渡されたものだ。

 

映像機器には、ディアボロと三人の戦いが映し出されている。キング・クリムゾンは非常に瞬発力に優れ、見れば見るほどメロディオにとって苦手なタイプのスタンドだった。あれほど瞬発力に優れているのなら、恐らくは軍用散弾銃やスタングレネードや超長距離狙撃銃などの近代兵器を使用しても対処されてしまうだろう。警戒心の高さから毒殺も難しい。何よりも二人一組というのが、厄介だ。二人で行動されれば、その分隙が少なくなってしまう。個の強さには限界があり、個の限界を取り払える群の強さは厄介だ。それは、人間の限界を取り払うために吸血鬼になったあのディオ・ブランドーですら、配下を集めていることからも明白だ。能力に関しても、攻撃を無効化している節が見受けられる。そもそも強力なスタンドパワーを持つジャックやフランシスでどうにもならないのなら、火力で倒せる相手ではなさそうだ。

 

暗殺するには、しぶとく隙を待って天秤の世界に巻き込むしかなさそうだった。

それでも、確実に暗殺するには情報を得て戦術を組むために少なく見積もっても後二桁の人柱が必要となる。人柱は彼女が丹念に可愛がって育て上げた人材だ。食べ物の好みだって知っている。彼女たち暗殺チームとはそのために存在している消耗品なのだが、それでもいつも鬱になる。彼女だって当然、部下に死ねという指示は極力出したくない。時間を引き延ばすほどに、一般人が犠牲になる確率も高くなる。下手に仕掛けて警戒されたら、また行方を眩まされる恐れがある。色々と、難しい。

 

ここでパッショーネが勝ってくれるのが一番いい。彼女一人の首で済むのなら、そっちの方がずっと気が楽だ。

 

「パッショーネとイタリアに、神の御加護を。」

 

メロディオは、呟いた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

シーラ・Eがメロディオに指し示された通りに進んだ先では、血塗れのサーレーが道端で昏倒していた。

 

「サーレー!!!何やってんの!起きなさい!!!」

 

シーラ・Eはしゃがんで、道端で仰向けに倒れているサーレーの肩に手を置いて揺さぶった。

 

「……う。」

「戦いはどうなったの!!!」

 

揺すられたサーレーは微かに呻き声を上げ、やがてゆっくりと目を開けた。

プッチのメイド・イン・ヘブンとの戦闘で逸脱した力を使用したサーレーは、どこからともなく流れ込んできた力によってそれを使用可能となり、流れ込んできた力をそのまま世界に流用した。その結果サーレーの精神力は急激に磨耗し、激しい虚脱感に襲われて昏倒した。そうでなくともただでさえプッチとの戦闘でサーレーは著しく疲弊していたのである。

 

「……シーラ・E……ボスは?」

 

サーレーは頭を振って現状の把握に努めた。倦怠感がひどい。

やがてありありと現状が彼の脳裏に蘇った。

地面に両手を突き、フラつきながらもサーレーは立ち上がった。

 

「私は敵の女からこっちに行けって言われて来たのよ!私もてっきりこっちでボスが戦っているものだとばかり……。」

「敵の女……。」

 

サーレーは敵勢力を思い出し、戦場にあのメロディオと名乗る女がいたことを思い出した。

 

「戻るわよッッッ!!!もう一度あの女を問い詰めて、ジョルノ様たちの加勢に行くわよッッッ!!!」

「待て……シーラ・E、待て……。」

「何よ!急がないとジョルノ様たちのお命が危険だわッッッ!!!」

「……そっちは俺が加勢に行く。お前には別のことを頼みたい。」

「何を馬鹿なことを言ってるのッッッ!!!ふざけないでッッッ!!!」

 

シーラ・Eは激昂した。

サーレーは全身がボロボロで、高層からの落下により身体中から血を流している。彼一人がジョルノの加勢に行ったところでたかが知れている。

にも関わらずサーレーの口ぶりでは、ジョルノの加勢には自分一人で行き、シーラ・Eにはおそらく戦場の趨勢には直結しないことを頼もうとしている。

 

「頼む……お願いだ……あの建物の上階で俺の大切な仲間が死にかけてるんだ……一時的にでも延命さえ出来れば、後でボスのスタンドのお力で助けられるかもしれないんだ……。」

 

サーレーは直前まで戦っていた建物の最上階を指差した。

 

「そっちはアンタが行きなさい!!!少なくともボロボロのアンタよりは、私の方がジョルノ様のお役に立てるはずだわ!!!」

「頼む……お願いだ。」

 

サーレーはシーラ・Eの右腕に縋り、真正面からシーラ・Eを直視した。

シーラ・Eはサーレーの眼光の強さに怯み、狼狽した。

やがてシーラ・Eは口を開いた。

 

「……勝てるの?」

「パッショーネの助けになりたい。俺に行かせてくれ!」

「そうじゃないッッッ!!!あんた一人で行って、勝てるのかって聞いてるのッッッ!!!」

 

サーレーは僅かな時間視線を逸らし、再びシーラ・Eを見据えた。

 

「……勝つ!絶対にだ。」

「……あああああもう……わかったわ。そっちに私が回るから、そのかわり絶対に勝ちなさい!!!ジョルノ様を死なせでもしたら、私がアンタを殺してやるわ!!!」

「……恩にきる。」

 

シーラ・Eは建物の上階に向けて走り出した。

走り出したシーラ・Eの背中にサーレーから声がかけられた。

 

「……おい、シーラ・E。女はどっちにいた?」

「ああもう!あっちよ!!!あっちのカフェ!!!」

 

シーラ・Eは慌てて振り返ってメロディオがいた方角を指差した。

振り返った際にシーラ・Eは、なにかを蹴飛ばした。それは、ローマの路地でカラカラと乾いた音を立てた。

 

 

◼️◼️◼️

 

頭が痛い。足元も覚束ず、フラつく。吐き気もするし、眩暈も感じる。

どうやら無理をし過ぎたようだ。

サーレーはローマの道端の壁に寄りかかり、それでもシーラ・Eとの約束を果たすべく、ジョルノの助けになるべくよろめきながら道を歩き進んだ。

 

連戦に次ぐ連戦。サーレーの体には多大な疲労が蓄積しており、たった三日間の休養ではろくな回復にならなかった。

挙句にメイド・イン・ヘブンという本来ならば圧倒的に格上である敵からの防戦。高層からの落下による多量の流血。そして極め付きには不条理な力の初めての行使。

これだけ悪条件が揃えば、どんな猛者であっても戦場で役に立つことは難しい。

 

しかし、サーレーには切り札がある。先程の戦いで幸運にも切らずに済んだ、たった一度きりの死神の切り札。それはスタンドパワーも必要としない。

切ってしまえばそれっきり。だが彼の心はイタリアの街並みに捧げられている。

 

サーレーは、手をついたローマの何でもない薄汚れた道端の壁に愛着を覚えた。

サーレーはよろめきながら歩き、やがてカフェへとたどり着いた。そこにはメロディオと名乗った女性はもう居ない。

 

「……これは?」

 

しかし、カフェのテーブルの上に紙切れが一枚置いてあった。

 

『今度フットボール観戦チケットを奢りなさい。』

 

そこにはその一文と、たった一つの矢印が書かれていた。

それはサーレーにとって、値千金の情報だった。

……間違いない。あの女、わかってる。これは間違いなくサーレーがなによりも欲している情報だ。

 

「……ディ・モールト・ベネッッッ!!!」

 

最高だ。

ボスに頼み込んで向こう三年間のフットボール観戦フリーパスを送り付けてやろう。この情報には、至高の価値がある。

ただし、プレゼントするのはミラノフットボールクラブチームの観戦チケットだ。

 

サーレーは笑った。

 

 

◼️◼️◼️

 

「こんなもの、私にどうしろっていうの!!!」

 

シーラ・Eの精神を絶望が覆った。

サーレーに頼まれて助けに行った対象者は、上半身と下半身が分かたれてそれをクラフト・ワークの能力で無理に繋げただけであった。

床には多量の血が撒き散らされ、その分量を見ただけで彼がもう長くは保たないことがわかる。

切断面は無惨なものであり、アナスイはクラフト・ワークが無理に命をこの世に固定したために辛うじてまだ息があるというだけであった。

 

「こんなものッッッ……!!!」

 

無理にでも延命すればジョルノの能力で助かるのかもしれない。でもその無理な延命さえも施しようが無い。

輸血しようにも相手の血液型さえもわからない。体温も低下してきている。

 

「、、、俺、、、は、、、役に、、、。」

 

死にかけたアナスイがうわ言を呟いた。

 

「……。」

「お前、、、を、、、助け、、、。」

 

シーラ・Eはそのうわ言を聞いて、涙が溢れて止まらなかった。

アナスイは死の際にありながらなおもサーレーの助けになることを願っている。それは、シーラ・Eが彼女の姉に向ける感情と一緒であった。

シーラ・Eは自分が死んでも泥に塗れて人でなしになったとしても、それでも彼女の姉を助けたかった。

 

今ここで死にかけている男は、私だ。姉が死んで悲しみに明け暮れ、憎しみの末に殺人を決意した私だ。

私が姉に向けた感情と似たものを、この男はあのしょうもないチンピラに向けているのだ。

 

「……。」

「俺、、、は、、、お前に、、、感謝、、、。」

 

どうしてだろう?なぜ自分の能力は他人の陰口を聞くことしかできないのか?

もっと自分が有能ならば、スタンドの能力の幅が広ければ、もしかしたらこの男を助けられたかもしれないのに。

シーラ・Eはアナスイに過去の己の願いを重ね、彼が助かることを願った。シーラ・Eはアナスイに共感した。

 

鮮やかな光景が彼女の脳裏に蘇る。

姉と通った学校の思い出。姉が作ってくれた朝食の味。愛犬のトトォが死んだ時、落ち込む彼女を姉は励ましてくれた。その全てはやはり、彼女にとって色褪せない宝物だった。

私は、この男を助けたいッッッ!!!

 

 

 

祈りは意味を為さない。彼女の前の問題は、彼女がなんとかする他はない。

……果たしてそれは真実だろうか?

 

祈りとは強い欲求、それは一見現実に何ら影響を及ぼさないように見えても、全ての奇蹟の原動力である。

もしも世界に奇跡が起こるのならば、その時は必ず誰かが強く祈っている。

 

彼女の最後の成長の鍵は、死んだ姉以外に、外に友愛を向けること。

それは、彼女の最後の飛躍のための試練だった。

 

無意識に強く握る彼女の手からは血が滴り落ちている。

彼女の手には……階下の道端で拾った矢が握られていた。

 

 

 

レクイエムは、静かに奏でられる。

鎮魂歌は死者であるカンノーロ・ムーロロへの手向けであり、それはまだ生きているアナスイのためのものではない。

シーラ・Eのブードゥー・チャイルドは、矢の力を借りて彼女の強い祈りに呼応した。

 

 

◼️◼️◼️

 

戦いは、終局を迎えようとしていた。

ローマのどことも知れない薄暗い路地裏で、戦いは終結する。

 

膂力に優れたキング・クリムゾンは、終始ジョルノたちを圧倒している。

三人が今までもっていたのは、ズッケェロの不確定要素である能力をディアボロが警戒していたためである。

地力に圧倒的に勝る二つのキング・クリムゾンは獲物を慎重に、確実に追い詰めていった。

三人の連携は鮮やかであっても綱渡りであり、誰かのスタミナが切れればミスと共に敗死が待っているだけのものでしかなかった。

 

「フン、よくぞ保たせるものだ。多少手こずらせてくれたが、ここまでのようだな。」

 

ディアボロが笑う。

 

「ボスに逆らわずに奴隷のごとく従えば、お前たちにもまだ少しは生を望めただろうにな。」

 

ヴィネガー・ドッピオも笑った。

 

キング・クリムゾンがジョルノを襲撃し、ミスタが側面から死の弾丸を発砲した。ディアボロは時間を跳ばしてそれを避け、ジョルノの背後からズッケェロのシャボンが宙を漂った。ディアボロはそれを嫌いミスタの方へと転回する。ズッケェロはジョルノの背後からミスタのそばに寄り、ディアボロは足元のコンクリートを砕いてミスタへと投げつけた。それはセックス・ピストルズの黄金回転の銃弾に砕かれ、ズッケェロとミスタが砕かれたコンクリート片に意識を取られた隙にディアボロは再びジョルノへと向き直る。背後から銃弾がディアボロの頭部を撃ち抜き、それは入れ替わったドッピオのキング・クリムゾンにより攻撃を受けた時間を消し跳ばされた。

 

「終わりだ。」

 

ドッピオのキング・クリムゾンが拳を振りかぶり、ジョルノはそれに対応するべく拳を固めた。

しかし、キング・クリムゾンのパワーは尋常ではない。

 

「貴様はまだ殺しはしない。貴様にはまだ組織の引き継ぎという重要な役割が残っている。半殺しにして全てが終わった後に、断頭台の露となって消えてもらおうかッッッ!!!」

「グゥッッッ!!!」

 

ゴールド・エクスペリエンスはキング・クリムゾンの最初の二発の拳をなんとか弾いたが、次の一撃でジョルノはコンクリートの壁に強かに背中を叩きつけられ、壁は陥没した。ジョルノは痛みで呼吸もままならずにうずくまる。

 

「さて、こいつさえ存命ならば、お前らは用無しだ。」

 

キング・クリムゾンは再び入れ替わり、ディアボロがミスタとズッケェロに振り返った。

ディアボロの視線がズッケェロに向いた。ズッケェロも疲弊しており、自身を守るために周囲に浮かべたシャボンの数は先程までと比べて随分と少なくまばらになっていた。

 

「馬鹿な男だ。貴様は俺が使ってやろうと慈悲をくれてやったというのに。俺にさえ従っておけば生き延びれたものを。」

「奴隷として他人の屍の上に生きるくらいなら、戦った方が遥かにマシだろうがよッッッ!!!」

「……愚かの極みだな。」

 

ディアボロが地を蹴って、ミスタを突き飛ばしてズッケェロに拳を振りかぶった。ミスタも疲労と痛みで足が動かない。

まずはコイツだ。散々手こずらせてくれたコイツを、確実に抹殺する!殴った瞬間刺されてはたまらない。時間を跳ばして背後に回って、確実に首を落として仕留めるッッッ!

 

ズッケェロは死を覚悟した。キング・クリムゾンの近接戦闘のスペックは圧倒的だ。残念ながらソフト・マシーンでは大した抵抗が出来ない。

 

死にたくない。……しかし彼らは、こんな時のために生かされた。

社会は矛盾し、真っ当に生きて日々の細やかな幸せを楽しむイタリアの市民を裏から助けるために、ズッケェロは偉大なるジョジョの慈悲を賜ったのである。

 

ズッケェロはキング・クリムゾンの拳から目を離さない。ディアボロは時間を跳ばしてズッケェロの背後に回った。ズッケェロはディアボロを見失う。ズッケェロはキング・クリムゾンを見失った瞬間、相手の攻撃を避けるために必死で路地裏に転がった。キング・クリムゾンの手刀が背後からズッケェロを襲った。

 

しかしそれは一瞬不自然に硬直したキング・クリムゾンとともに明後日の場所に振り下ろされ、ローマの裏路地の地面を砕いた。

 

「キ……サ……マ……ッッ!!!」

 

ディアボロは怒り狂って振り返った。

 

……信じられないッッッ!!!!!

あの役立たずのクソ神父は、矢の力を借りてなおもこのチンピラ風情に負けたというのかッッッ!!!最も警戒する敵だったから、わざわざ矢を貸し渡してやったというのにッッッ!!!この帝王の踏み台にさえなれないとは、使えないにも程があるッッッ!!!

 

どこまでも暗殺チームは、このディアボロの足を引っ張ってくれるッッッ!!!

リゾット・ネエロ然り!カンノーロ・ムーロロ然り!そして目前のマリオ・ズッケェロと……。

 

「ラニャテーラ、俺の必殺です。ジョジョ、あんたのパッショーネが俺に与えてくれた力だ。」

 

コツコツと、足音がした。

ローマの裏路地の脇道には階段があり、そこからサーレーが壁に手をついて降りて歩いてきた。

 

「サーレー……。」

「目先の金銭目的の馬鹿みたいなスタンドの使い道しか知らなかった俺に、あんたは社会の一員として生きる意味を教えてくれた。つまらない戦いしか出来ない俺を、意味のある一端の戦士に育ててくれた。何も築けない万年金欠のチンピラの俺に、密やかに便宜を図ってくれた。」

 

本当に役に立つ暗殺チームは、手塩にかけなければ育たない。

 

金で動く人間は容易く金で裏切り、節操のない殺し屋は社会に嫌われて惨めな死を迎えるのが道理である。

そもそも殺しをやる人間は当然殺されるリスクも高く、弱者であればすぐにオシャカになってしまう。

 

前任の暗殺チームが強かったのは、恐らくはリーダーのリゾット・ネエロという人間の器だろう。

強くはあったが、少なくとも雑に扱ったディアボロにとって役に立つ暗殺チームではなかった。

もしも危険な力を粗末に扱えば、それは災禍となって己に返ってくる。

 

「……。」

「恩には恩を。ジョジョ、あなたに敬愛を。そして……罪には罰を。確かディアボロだったか?……お前は自分が理解していないほどに、追い詰められている。お前の勝利は永遠に幻想だ。」

 

サーレーの視線がディアボロを鋭く射抜いた。

 

クラフト・ワーク・オルクスは発動しない。

オルクスはサーレーが対象を赦されざる者だと確信しなければ発動せず、スタンドパワーもまったく足りていない。

 

「このクソったれのチンピラがあああァァァッッッッ!!!」

 

怒り狂ったキング・クリムゾンの拳がサーレーの腹部を貫き、周囲にサーレーの血と臓物が飛び散った。

ディアボロはサーレーのあまりの手応えのなさに困惑した。以前ドッピオが戦ったときは、この男は極めて厄介な近接特化のスタンド使いだったはずだ……。

 

……次の瞬間、困惑するディアボロを信じられないほどの悪寒が襲った。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「お前は逃げられない……もうどこへへも……俺は終わりの鐘を鳴らす者……ここは死体安置所……お前はここにいる……今ここにいるお前に、お前は固定される……。」

 

四は死神の数字。

ディアボロのキング・クリムゾンの拳がサーレーの腹部を貫いたその瞬間、死神の最期の札が発動する。

 

ディアボロの拳がサーレーの腹部を破った瞬間、サーレーは彼のこれまでの人生の全てを理解する。

死の瞬間にサーレーの頭を走馬灯のように様々な思い出が過ぎり、それはジョジョのパッショーネの思い出だけではなかった。

子供の頃、学生時代、下っ端のパッショーネの一員として組織に所属した後。相棒との出会い。金の奪い合い。そしてジョジョのパッショーネ。

 

サーレーは理解する。理解することこそが、スタンドの極意であり奥義である。

 

サーレーは素行の悪いしょうもないチンピラだった。嫌なことはたくさんあったし、イタリア社会に対する不満もたくさんあった。喧嘩もしたし、パッショーネでも鼻つまみ者扱いされることもあった。

 

……だがそれでも、楽しいことや嬉しいこともたくさんあった。フットボールは大好きだし、パスタも大好物だ。学が無くとも、金が無くとも、そこに幸せは存在した。ズッケェロとは随分長く一緒だったし、パッショーネ以外の一般人にもしょうもないチンピラに良くしてくれる人々がたくさんいた。シーラ・Eは口では何だかんだ言いながら便宜を図ってくれたし、カンノーロ・ムーロロは気の合う先輩だった。

 

サーレーはイタリアに愛されていたのだ。社会は、素行の悪いチンピラにも寛容だった。イタリアに愛されたサーレーは、イタリアを深く愛した。

 

何のことはない。麻薬チームとの戦いでそれが過ぎらなかったのは、サーレーがまだ死ぬ時ではなかったからだった。

サーレーのイタリア社会への愛情は社会の平和への執着へと変わり、そしてそれは社会を害なそうとする者への怨念へと変貌する。

 

ノトーリアス、リンプ・ビズキット、クリーム、そしてジャック・ショーンのスタンド。

数々の怨念で動くスタンドと戦ったことにより、サーレーは怨念で動くスタンドの存在を理解していた。

彼らは皆何かを愛していたのだ。怨念で動くスタンドは、その根底に愛情と紙一重の妄執が存在する。

それは自分だったり、生きることだったり、(ディオ)だったり、社会だったり。

 

力に善も悪もない。正も邪もない。力とは、その全てが使い方次第である。

使い方に意味があったか?価値があったか?それが全てである。

サーレーが力の意味を知った時、スタンドの成長よりもむしろ本体の人間的成長の方が、よりクラフト・ワークの戦いの幅を広げた。

 

そして、サーレーは天性の死神だった。エンリコ・プッチもディアボロも死神の大切なものを侮辱し蹂躙しようとしたために、死神に嫌われてその殺意の標的となってしまった。

ディアボロは己が保身に執着する男であり、だからこそ全てを捨てて向かってくる敵がいることを理解出来ない。

 

クラフト・ワークの四枚目の札。

アメリカのグリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所で、他人を死に引きずり込むサンダー・マックイイーンのハイウェイ・トゥ・ヘルのスタンドのディスクから着想を得てから、いつか使えるかもしれないとずっと伏せ続けた隠し札。能力が能力だけに練習できるわけもなく、出来るか出来ないか本番限りの一発勝負。

絡め取る蜘蛛の胎から終わり無く怨念が糸を引き、それは胎を破ったディアボロとヴィネガー・ドッピオの二人へと濃厚に纏わり付いた。

 

怨念で動くクラフト・ワークの最期の能力、死体安置所(ロ'ビトリオ)

ディアボロもヴィネガー・ドッピオも、レクイエムで死に続けたあの苦しさを思い出して身を硬直させた。

 

何が何でも逃さない!!!絶対に、引き摺り込む!!!

イタリアとパッショーネを害することは、絶対に許さないッッッ!!!たとえ卑怯と罵られても、汚いと蔑まれても、死んででも!!!ここで敗ければ、目の前の男にイタリアが蹂躙されてしまう!汚いものを全て請け負って、引き摺り込んで終わらせるッッッ!!!

何もかもを捨てて向かってくる人間とは、文字通り死ぬほど恐ろしい。

 

ディアボロもドッピオも、怨念に固定されて逃げられない。過去へも、未来へも。彼らは強制的に死の化粧を施され、死装束を着せられる。

彼らは今ここに居る彼らに固定され、止めどない死の予兆にディアボロたちは体を硬直させた。

 

「おおおおおおおおNo,1(ウーノ)No,2(ドゥエ)No,3(トレ)No,5(シーンクエ)No,6(セイ)No,7(セッテ)、セックス・漆黒の(ジェット・ネロ)・ピストルズッッッ!!!」

【イエエェェェェーーーーッッッ!!!】

 

ディアボロが硬直した瞬間をミスタは見逃さず、すかさず拳銃の弾倉に弾を込めて弾丸を連射した。

それはディアボロの両腕、両足、両肩に着弾し、漆黒の殺意の螺旋がディアボロの手足の神経をズタズタに引き裂いた。

ディアボロはよろめき、崩れ落ちる。

 

「おおおおおおアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァァァッッッ!!!!!!!!!」

「キ……キサマラァァァァァァァッッッッッッッッッッッ!!!!!!」

 

ディアボロが体勢を崩した瞬間に、ジョルノは必死に体を起こしてディアボロに詰め寄った。

ゴールド・エクスペリエンスの両拳でディアボロに向けて全力のラッシュを放った。それはディアボロの体に無数に突き刺さり、ディアボロは吹っ飛ばされていく。

 

燃えるゴミは月・水・金。

吹っ飛ばされたディアボロは、ゴミ収集車へと乗せられて運ばれていった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

名称

シーラ・E

スタンド

ブードゥー・チャイルド(レクイエム)

概要

ディアボロがプッチに渡した矢が、サーレーがプッチを処刑したために巡ってシーラ・Eの手元へとたどり着いた。

陰口だけでなく、シーラ・Eが望んだ情報を得る事や、死に瀕した人間を内部から励まして現世に繋ぎ止めることも可能。

 

名称

ゴミ収集車

概要

ご存知、ジョジョ5部の名物。これ抜きに5部は語れない。なぜ、市民の避難誘導が済んだはずのネアポリスにゴミ収集車が存在したのか?それは次の話にて。

スペインナンバー。

 

名称

ディアボロ、ヴィネガー・ドッピオ

概要

四対一でかつ全員捨て身で、ようやく致命打が通った。強い。




次回で本編完結です。


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最終話 緑色のクラフト・ワーク

作者のうっかりにより、セックスピストルズには4は無いという有難いご指摘を多数いただきました。
みなさま、御指摘有難うございます。
前回の話はそこを少し編集していますが、内容に変更は有りませんのでお気になさらないでください。


『……ここは。』

 

見覚えのある景色だ。寄せては返す波の音が心地よい。

ここは確かカプリ島の波止場だ。以前サーレーが死にかけた時も、ここにいたはずだ。ということは……。

 

『……そうか、俺は死んだのか……。』

 

サーレーは天を仰いだ。空は晴れて澄み渡っており、遠くに鳥の影が見える。

 

心が変に穏やかだ。

自分が今なぜここに居るのか、サーレーはそれを自然と受け入れた。

 

サーレーはジョルノの命じた任務で死に瀕し、ジョルノに任された職に殉じた。

それがボスとの契約だ。サーレーは職責を全うした。少しはまともな人間になれたのだろうか?

 

『……それにしても、死んだ暗殺チームの人間はここに来る決まりでもあるのかな?』

 

サーレーは笑った。

死にたくはないが、それでも誰しもに終わりはやって来る。

 

現実に、危機にスーパーマンが唐突に現れて助けてくれるなんてことはない。

現実は非情で、サーレーは彼が出来る範囲でやれるだけの事はやったという自負がある。

 

『それでも、ズッケェロくらいは悲しんでくれるかもしれねえな。』

 

もしかしたら先に死んだムーロロも来ているかもしれない。

サーレーが波止場を見回して辺りを探そうとして、後ろから声をかけられた。

 

『またここに来たのか、サーレー。……まさか用済みのはずの俺にまた出番が来るとはな……。』

『アンタは……。』

 

サーレーに声をかけたのは、かつて暗殺チームに所属していて、以前にもここでサーレーたちが出会ったことのあるリゾット・ネエロという名の男だった。

 

『久し振りだな、チンピラの殺し屋よ。』

『アンタはまだこんなところに居たのか?』

『……ああ。楽しませてもらったよ。社会には愛が必要、か。』

 

リゾットは眩しそうに目を細めて空を見上げた。口元は微かに弧を描いている。

カプリ島の天候は、快晴だ。

 

『楽しませてもらった?』

『ああ。死者が化けて出るのは、この世に未練があるからだ。』

『未練?』

『俺たち前任の暗殺チームは善悪の判断が弱く、倫理も道徳も持ち合わせていないロクでもない連中の集まりだ。俺たちは生きている間に間違いを犯し、真っ当な居場所が存在しなかった。それでも、だ。』

『それでも?』

『それでも誰にも顧みられる事なくゴミのように死ぬくらいだったら、何かの役に立ってなんらかの意味を持って死にたかった。俺たちも、ずっと生きている意味を探していたんだ。俺たちだって幸せな人生を送りたかったし、イタリアという国自体は嫌いではなかった。俺はあのジョルノという男に使われたお前が……実に羨ましい。』

『……。』

『ま、終わった事はどうにもならんがな。……それではさらばだ、我が後輩よ。俺たちのこの世への未練もなくなった。アリーヴェデルチ!』

 

それだけ告げると、リゾットは背を向けて島に着けてあるボートへと向かっていった。そこには彼の仲間たちが待っている。

 

『ま、待て!』

『何だ?』

 

呼び止めるサーレーに、リゾットはゆっくりと振り返った。

 

『アンタは俺の死神ではないのか!俺を連れていくんじゃあないのか!』

『俺はただの罪人だよ。社会の合意を得られない暗殺チームは、ただの罪人だ。神なんていう高尚な物ではない。死神はお前だ。』

『しかし俺は死んだ!俺は……。』

『お前が言ったんだよ。愛には愛で返すべきだ、と。……スーパーマンは、いるんだよ。お前がスーパーマンだ。』

 

リゾットは、穏やかな表情で笑っていた。

 

『……?』

『慈愛には、友愛を。俺が思うに、多分本来の予定より大幅に多くの魂を取り込んでしまった弊害なんだろうな。特に、大量虐殺の黒幕がエンリコ・プッチだと知る魂を取り込んだのが致命的だったんだろう。』

『致命的?』

『アメリカで愚かな男の妄想に取り殺された千人を超える罪人の魂は、彼らを不当に死に至らしめたエンリコ・プッチを憎み、彼らの死後の安寧を祈ったお前たちに感謝した。不当に殺された罪人たちの魂は、お前の力になることを願ったんだよ。』

『……。』

『祈りは、いつか誰かに届く。祈りは目の前の問題の解決の役には立たずとも、社会を築けばお前の願いを理解し、助けになりたいと思う者がいつか現れるのかもしれない。緑色の赤ん坊は(ディオ)の呪いから生まれたものだが、同時に千人を超える不当に殺された罪人たちの魂でもある。罪人だって社会の一員だし、祈るんだ。ディオは天国を望み、罪人は安寧を願った。願いが矛盾した時、勝つのは強い方だ。罪人たちの平和への祈り……社会への愛情は、神の呪いに打ち勝った。』

『……一体何を?』

『目が覚めればわかるさ。』

 

それだけ告げると、用は終わったとばかりにリゾットは船へと乗り込んだ。

 

『おい、アンタなんか喋らなくていいのか?アンタの後輩だろう?』

 

ベィビィ・フェイスのメローネが問いかける。

 

『そうだぜェ。アンタが手塩にかけて育て上げた人材なんだろ?』

 

リトル・フィートのホルマジオも聞いた。

 

『そいつにはそいつの考えだってあるんだろう。第一俺は、そいつがボスに俺たちの情報を流したことを許してねえぜ。』

 

ザ・グレイトフル・デッドのプロシュートが仲間を諌めた。

 

『プロシュート、やめておけ。争いとは生者の特権だ。死者が争っても滑稽なだけだろう。』

『……確かにそうかも知んねえな。リゾット、アンタはいいリーダーだよ。アンタにゃ敵わねえ。アンタは賢明な男だ。』

 

メタリカのリゾット・ネエロがプロシュートに笑いながら声をかけ、プロシュートが応答した。

 

『アイツ……ズルイ!ズルすぎる!!!』

 

マン・イン・ザ・ミラーのイルーゾォが羨んだ。

 

『だからお前は、諦めろと言ってるだろう。』

 

ホワイト・アルバムのギアッチョが呆れた。

ソルベとジェラートは相変わらず我関せずでイチャつき、ビーチ・ボーイのペッシは先輩方のために軽食を作っている。

 

『……俺が教えられる事は全てアイツらに伝えてある。アイツらならもう大丈夫だ。』

 

オール・アロング・ウォッチタワーのカンノーロ・ムーロロが、ニヒルに笑った。

帽子を目深に被り、足を組み、とても優しい表情をしていた。

 

船は大海に棹差して、ゆっくりと進んでいく。ムーロロも残念だが、ジョルノと出会う前は不当に人を死に至らしめる罪人だった。

 

罪人たちの向かう先は、良くても地獄しかない。或いはサーレーたちの言うように天国や地獄など一切存在せずに、これは死に瀕したサーレーが垣間見たただの夢だったのかもしれない。それは永遠に、誰にもわからない。その先は一方通行で進めば誰も帰ってこれず、終わりにはいつだって寂しさが伴うものだ。

 

たとえそれでも。

 

 

 

生きている間に何者にもなれず、何も築けずに犬死しても。

地獄の業火に身を焼かれても、どうしようもない極寒に身を竦ませたとしても。

たとえ行き着く先が、虚無であったとしても。

それでも……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『漆黒の闇の中にも、人の幸福は存在する。暗闇の中でも、人は強く生きていける。お前は、俺たちにそれを証明してくれた。グラッツェ(ありがとう)偉大なる(グランデ)、ジョジョ!偉大なる(グランデ)、パッショーネ!そして……可愛い我らが後輩たちよ!!!』

 

 

 

彼らにも、一切の救いが無いわけではない。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「……君たちは、一体何を拾ってきたんだい?」

「……すんません。俺にもわからねえっす。」

 

ジョルノは、困惑した。ズッケェロも、困惑した。ミスタも、困惑している。

一体何が起こったのか?

 

腹部に風穴が開いて死に瀕したサーレーを救うべく、ジョルノは急いでサーレーに近寄った。しかし怨念のスタンドを使用したサーレーは精神力が枯渇しており、生命を操るゴールド・エクスペリエンスはサーレーに触れた瞬間そのことを理解した。傷だけ直しても、そもそもの生命の元が存在しないのであれば生きる見込みは薄い。

 

それでも傷を回復させるべきかジョルノが僅かに迷っている間に、何処からともなく緑色の赤ん坊が現れた。

そして……そのままサーレーの穴が空いた腹部と合体した!

 

合体って何だ!君たちは一体何を拾ってきたんだ!僕たちにどうしろと言うんだ!?

ジョルノとミスタは激しく心の中で突っ込んだ。ズッケェロも何が起こったのやらわからずに困っている。

 

「う……。」

「目を覚ますぜ。」

 

ミスタがつぶやいた。

 

「……どうします?アイツただでさえ金が無くてモテねえって言ってたのに、アレじゃあ……。」

「……そんなん知らねえよ。どうしようもねえだろう。」

 

ズッケェロとミスタがやりとりしている間に、サーレーは目を覚ました。

 

「……金でなんとか誤魔化せないかな……。」

 

ジョルノがボソッとつぶやいた。

 

「……ボス……俺は一体……。」

「……サーレー、今回の騒乱において、君は多大な貢献を果たしてくれた。その功績に免じて、褒賞金を贈ろうじゃあないか!」

 

ジョルノが変に高いテンションでサーレーに告げた。なぜかサーレーではなく横を見ている。

 

「……俺はなんで生きて……?」

「よかったじゃねえか、サーレー。これでお前も貧乏神卒業だ!」

 

ミスタがサーレーの肩を抱いた。ミスタの視線も明後日の方を見ていた。

 

「副長……いえ、そんなことより……。」

「相棒、やったぜ!これで俺たちも金持ちだ!」

 

ズッケェロも片手を上げて達成感を体で表している。しかしそのズッケェロの視線はやはりサーレーには向かっていない。

 

「ズッケェロ……?」

 

どうにもみんなの様子がおかしい。

戦いに勝って死んだはずの俺は生きていた。だが誰も俺と目を合わせようとせず、話が不自然だ。なんて言うか、白々しい。と言うよりも、サーレーはそんな事より優先するべき事を思い出した。

 

「サーレー、君たちには感謝している。さっそく慰労を執り行なおう。」

「いえ……ボス。向こうで俺の仲間が一人死にかけています。どうかそいつを救ってもらえませんか?」

「そうか……ならば急ごう。」

 

彼らはアナスイの元へと向かっていった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「なんでアンタは緑色なのッッッ!!!なんて言うか、とっても気持ちが悪いわッッッ!!!」

 

シーラ・Eが、激しく罵った。

やっぱりこうなるか……アナスイの治療を終えたジョルノは天を仰いだ。

 

シーラ・Eのその言葉に、サーレーは後ろを振り向いた。

ボス……当然緑色ではない。ミスタ副長……緑色ではない。ズッケェロ……やっぱり緑色ではない。

……と言う事は?

 

「俺かッッッ!!!」

「アンタしかいないじゃないッッッ!!!」

 

ジョルノとミスタとズッケェロは、頭を抱えた。これまで内密にしておいたのに、伏兵にバラされてしまった。……まあいずれバレるのは当たり前なのだが。

サーレーは建物に据え付けてある鏡に近寄った。そこに映る顔はまつげがいやに増え、顔中の変なところから毛が生え……なんか全体的に緑色だった。

 

「なんじゃこりゃああああああッッッ!!!」

「相棒よぉ、落ち着いて聞いてくれよ。俺たちがフロリダで拾った赤ん坊が、なんか知らないけどお前と合体したんだよ。お前が腹に風穴をあけられた後、赤ん坊がやって来て傷を埋めたんだよ。んでそのあとなんか見る見る顔から緑色の毛が生えてよぉー。」

 

……赤ん坊か。あの赤ん坊は出生が不明で、得体の知れない存在だった。

残念だがきっとそういうものだったのだと諦めるしかないのだろう。それよりも。

 

「合体ってなんだああああぁぁぁッッッ!!!」

 

ジョルノとミスタも深く頷いた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ジョルノがアナスイの治療はしたものの、彼は血液を失っていた時間が長すぎた。

ジョルノ曰く、なんらかの後遺症が残る可能性が高いらしい。

彼を病院に送り届け、ローマの街角の道端に関わった残りの人物が集まった。

 

「さて、戦後処理か。」

 

ミスタがつぶやいた。

彼らの前にはフランシス・ローウェンとジェリーナ・メロディオが無言でジョルノの裁定を待っていた。

二人はジョルノとミスタが姿を現したことを確認して、大人しく投降した。

 

「さて、君たちは何か申し開きはあるかい?」

 

ジョルノがフランシスに問いかけた。

 

「……俺は個人で行動しただけだ。組織とは一切関係ない。」

「私も同じです。」

 

それだけ告げると、二人はそれ以上は何もないとばかりに沈黙した。

 

「ジョルノ様!待ってください!その女を処分するのはどうか……。」

 

シーラ・Eが声を上げた。

 

「俺からもどうか……。どうにかならないだろうか?」

「ボス……俺も同じ気持ちです。」

 

ウェザーとサーレーもそこに追随した。

 

「……君たちは何を言ってるんだい?」

「……ハア?」

 

ジョルノが何を言っているかわからないとばかりに首を傾げ、その反応を受けて全員が困惑した。

 

「僕は戦いで起きたローマの街並みの金銭的な被害のことを言ってるんだよ。コロッセオは歴史ある由緒正しい建造物だ。彼らを生かして返すのは当然だ。彼らを生かして返せば、他の国の裏組織に対して恩が売れてパッショーネは立場的に優位に立てるじゃあないか。そうすれば被害を受けた町の弁済交渉もパッショーネの圧倒的優位に進むし、ヨーロッパの未来におけるパッショーネの立場も明るくなるだろう?」

 

ジョルノは太陽のように明るく笑った。

 

「……それでよろしいのですか?」

「いいも悪いも、ここで起こったことは全てが暗闘だ。ここにいる人間が口を噤めば、誰も知るものはいない。あの男は、パッショーネの恥部でもある。不都合な真実は闇に葬ろう。歴史とはそうやって作られる。我を通して争乱を招くような人間に社会の長は務まらないさ。サーレーとズッケェロは、ウッカリ口を滑らせそうな気がするけどもね。」

「「うっっ!!!」」

 

ジョルノのその言葉に、メロディオとフランシスはジョルノの前に跪いた。

 

「偉大なるパッショーネのボス、ジョジョよ。我々の組織は祖国の平和を至上目的においています。私たちスペインは、平和を司るヨーロッパ裏社会の盟主としてあなたを全面的に支持いたします。」

「同じく、フランスもあなたを支持いたします。」

 

必要が認められれば、自身のボスでさえも処刑する権限を持つ処刑人の宣言は重い。

ジョルノは、正式にスペインとフランスに支持された。

 

「やめてくれよ。そんなことよりも敵の残党を片付けに行こうか。」

「敵の配下の残党の数、潜伏場所、わかっている限りの情報はこちらの紙にしたためてあります。」

 

メロディオが前に出て、ジョルノに一枚の紙を差し出した。

 

「私にはまだやるべき事が残されています。お暇をいただくことをお許しいただけますか?」

「?ああ。」

 

メロディオはそれだけ告げると、その場から姿をくらました。

 

 

◼️◼️◼️

 

夕闇がローマの街並みを覆い、空は茜色に染まっていた。

 

「はあ……はあ……ボス……。」

 

ローマの裏路地を一人の男が這い蹲っていた。そこが彼の終着駅。

その男は先ほどまで戦い、敗れた末に己のボスを助けるために必死で地を這っていた。

怨念で動くスタンド能力の効果は強力で、スタンドは発動せず体もほとんど動かない。

それでもドッピオはローマの裏路地を血に塗れた四肢で僅かずつ這い進み、何とか己のボスを生還させようと必死になっていた。

 

「ボス……何とか逃げ切りますので……どうか……どうか……再起を……。」

 

メロディオはそれを後ろから静かに見下ろしていた。

終戦を予感した彼女は、配下に指示を出して密かにゴミ収集車を手配していたのである。

ゴミはゴミ箱へ。臭うゴミはこの世から消滅させてやろう。そのための処刑人だ。

天秤の世界に巻き込んで確実にその存在をこの世から跡形もなく消してやろうと思っていたが……。

 

処刑人は心ある人間でなければならない。

先ほどまではドス黒い漆黒の殺意のみが彼女の胸中に渦巻いていたのだが、不愉快な対象にたった一人寄り添う従者に今の彼女は哀れみの感情を抱いていた。

 

「……気が変わったわ。あなたの死の運命は変わらない。それでも、跡形もなく消滅させるのはやめておいてあげる。人間として死なせてあげるわ。」

 

メロディオはそっと天秤に向けて呟いた。

 

「人がルールを守るのではない。ルールが人を守るのだ。だけどここでは限定的に、ルールは私のためにある。戦場を無様に逃亡した無能な指揮官は、部下の怒りを買って背後から射殺されて死亡する。」

 

メロディオの手にした黒光りする銃口が火を吹いた。ローマの裏路地に銃声が幾度も幾度も鳴り響いた。

いくつもの風穴が空き、銃声が響く度に裏路地に赤が飛び散った。

 

さようなら(アディオス)。あなたは、本当に不愉快で厄介な敵だったわ。」

 

イタリアの夕焼け空がとても綺麗だ。

それが、ヴィネガー・ドッピオが最後に見た光景だった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

ホル・ホースは迷っていた。

 

戦闘の最中に彼のスタンドの拳銃は破損し、急遽戦場から逃走し代わりの銃火器を仕入れる必要に迫られた。

急いで戻っては来たものの、なかなかスタンドに合う銃が見つからずに手間取ってしまった。もうすでに決着はついてしまっている可能性が高い。あのディアボロという男が一旦敵前逃亡したホル・ホースを評価するとも思えない。しかしもしもまだ戦ってるようだったら、決定的な活躍をして評価をひっくり返す事ができるかもしれない。

 

裏社会のナンバー2という立場に未練タラタラなホル・ホースは、ローマの裏路地でタバコを咥え、どうしたものか迷ってウロついていた。もうすでにあたりは薄暗くなりつつある。

 

「よお、ホル・ホース。こんなところで奇遇だな。」

 

ローマの道に伸びた自分の影をなんとなく眺めるホル・ホースに、突然背後から声がかけられた。

その声はどこかで聞き覚えがあり、本能がホル・ホースに脇目も振らずに全力で逃げろと囁いていた。

だがどこで聞いたか思い出せず、ホル・ホースはついついそちらの方を振り向いてしまった。

 

ホル・ホースは固まった。

戦場では、予期せぬことが往々にして起こる。安全圏にいるはずのホル・ホースに、予想外の方角からいきなり流れ弾が跳んで来た。

 

「じょッッッ……。」

「父さん、知り合い?」

「ああ。昔馴染みだ。ロクでもねえ奴の部下だった男だが、逃げ足だけはいやに速くてなかなか捕捉することが難しい男だ。」

 

スター・プラチナが光速でホル・ホースの首をつかんだ。

 

「承太郎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッッッッ!!!!!!!」

「どうせコイツは相変わらずコソコソと裏でしょうもねえことをやってるんだろう。イタリアの陰謀に関わっている可能性が高い。連れて行くか。」

 

父親の空条承太郎のディスクをアメリカで取り返した徐倫は、父親を復活させて友人であるサーレーたちを助けるためについ先ほどローマに到着した。エルメェス・コステロとフー・ファイターズは、グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所で起こったことに対するアメリカ裏社会の査問会に出席している。徐倫も帰国したら査問会が待ち受けている。今回はスピードワゴン財団の口利きで、アメリカ裏社会に特例で時間を作ってもらっていた。

 

「あのチンピラにゃあ散々な借りを作っちまった。もうパッショーネには頭が上がんねえな。」

 

ホル・ホースは拳銃を握り、スター・プラチナは目敏く銃身を握り潰した。

徐倫のストーン・フリーが、ホル・ホースを後ろ手に縛り上げた。

 

「せめてこのくらいの手土産はなけりゃあ、恥ずかしくて顔合わせもできやしねえ。やれやれだぜ。俺も年老いたもんだ。まさかチンピラ軍団風情に気後れするとはな。」

「父さん、いい加減自分の年を考えなよ。」

「娘にまで窘められるとは……いよいよ俺も焼きが回ったな。」

 

時間を操るスタンド使いも年には勝てない。皮肉なものだ。

承太郎はとうに最盛期を過ぎている。

 

時間は誰にも支配できない。支配していると錯覚しただけだ。

神のごときスタンド使いはいても、それは決して神ではない。だから人は社会を育み、協力するのだ。

空条承太郎はそれを知っている。

 

空条承太郎は笑った。徐倫も向き合って笑った。ホル・ホースはしょんぼりしていた。

父娘は夕焼けの中歩いて目的地へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

月日が経った。

 

イタリアには、都市伝説があった。

社会の裏側に潜み、ひっそりと人々の営みを守る殺し屋の噂だ。彼らは強靭で、柔軟で、人々と繋がりその力を行使する。

噂によると、彼らは季節に関係なくコートを着てボルサリーノ帽を被り、マフラーを巻いているらしい。

暗殺チームが動いたというその噂だけで、悪人は裸足で逃げ出すそうだ。まあ実際は暗殺チームはパッショーネの宝刀だから、余程のことが無いと本業では動かさないのだが。(有事の際のために、訓練は怠っていないという報告は上がっている。)

 

そんな格好をした奴らをそう言えばどこかで見た覚えがある。というかすぐそこにいる。

ジョルノは笑った。

 

それはともかく、今日はめでたい日だ。

今日は……結婚式だ!

ジョルノは上座で静かに笑った。

 

「それにしてもよぉー、ジョルノ。お前もいい加減結婚するべきなんじゃあねーのか?シーラ・Eも煩いだろう?」

「ミスタ、あなたに言われたくない。」

「まっ、そーか。でも俺はモテねーんだよ。あそこにいるアホなチンピラたちとおんなじで。暗殺チームってモテない決まりでもあるんじゃねーか?もしかしたらモテない呪いとかかかってるんじゃあねーのか?」

 

ミスタが目をやる先には、結婚式にもかかわらず妙な格好で出席する二人組がいた。

彼らは季節に関係なくコートを羽織り、帽子を被り、マフラーを巻いている。

 

でもジョルノが彼らに何か言うつもりはない。あの格好は暗殺チームの正装で、彼らなりの亡きカンノーロ・ムーロロに対する敬意と友情の現れなのだ。結婚式の主催者にも変な格好をした二人組のチンピラが混ざることを伝えてあり、了解してもらっている。

 

「よお、ジョルノ・ジョバァーナ。お前はまだあのチンピラを手放すつもりはねーのか?」

 

新婦の父親だ。上座のジョルノの隣の席に腰掛けた。横には妻を連れている。

スピードワゴン財団の賓客だ。

 

「すみません。彼らは非売品なんです。本気で欲しかったら、承太郎さんがパッショーネに来てくれるくらいしてもらわないと、パッショーネの割に合わないんですよ。」

「……ちっ、しょうがねえか。」

「承太郎ももうあんなに大きな娘がいる年か。感慨深いなあ。」

「フッ。」

 

ジョルノの前に置かれた亀の中に住むポルナレフがしきりに頷き、空条承太郎は笑った。

あの後、彼の娘の徐倫はアメリカの裏社会にしか居場所がなかった。彼女の戦いは意味のあるものだったが、彼女たちは世間的には脱獄者だ。社会の裏側しか彼女たちの受け皿がなかったのである。

承太郎は娘を社会の表に引き戻そうとしたが、彼女はエルメェス・コステロやフー・ファイターズという友人を捨てて表に戻る気はなかった。喧嘩もしたが、結局最終的には承太郎が折れざるを得なかった。

 

『社会の裏側には裏側の幸せがある。』

 

そう言って綺麗に笑う娘に、承太郎は何も言えなかった。徐倫は、アメリカの裏社会を上手に生き抜くしなやかな強さを持っていたのだ。

今日は、パッショーネ外交部門のナルシソ・アナスイと空条徐倫の結婚式だ。

 

アナスイは戦いの後半身不随になり、車椅子での生活を余儀なくされた。ジョルノが手当てした時はすでに時間がたっており、神経をうまく繋ぐことが出来なかったのだ。

それでも徐倫との幸せを求めて組織で必死に努力する彼の姿がイタリアに認められ、アメリカ裏社会との外交部門への移籍が赦された。間違いを犯しても、忌み嫌われても、犯した罪は消えなくとも、それでも何かを築き上げるために必死になる人の姿は、往々にして人の心を動かすものだ。

余談だがあの戦いの後アナスイはやたら信心深い性格となって、ミラノ司教座の敬虔な信徒になっていた。

 

パッショーネとアメリカの裏社会との関係も述べておくべきだろう。

組織のチンピラコンビを送り込まれたアメリカからは、なぜかパッショーネに対してアメリカ裏社会から正式に(裏から正式にとは表現がおかしい気もするが)感謝状を贈られた。曰く、多数の悼ましい犠牲を出したが、それでも刑務所に潜伏していた前代未聞の危険なテロリストを四人も(一人はスポーツ・マックス。なぜか彼もテロリスト認定された。)討ち取って、陰謀を水際で防いだ英雄扱いされているらしい。アメリカの国難を防いだと。

 

……何があったのか知らないが、少し大袈裟すぎやしないだろうか?あの神父は、そんなに危険人物だったのだろうか?

まさか本当に人類の根絶を目的としていたわけでもあるまいし。

 

と言うわけで、チンピラを二人育てて海外に送り込んでみたら、なぜか英雄になって帰ってきた。何を言っているかわからないと思うが、僕にも何を言っているのかよくわからない。以下略。

まあそんなわけでアメリカ裏社会はパッショーネに非常に好意的で、パッショーネ側に非常に有利な条件で同盟を結ぶことができた。刑務所から勝手に出所したアナスイとウェザーに関しても、特例で黙認してくれるそうだ。

 

そこまでの功績を立てられてしまっては、ジョルノとしてもよほどの褒賞を贈らざるを得ない。

その場で将来的なパッショーネの幹部昇格を確約したが、なんと断られてしまった。

 

『俺たちはただのチンピラです。俺たちよりもよっぽどその席に相応しい人材は、パッショーネにたくさんいる。そんなことよりも俺たちに何らかの褒賞をいただけるのなら、偉大なる先達カンノーロ・ムーロロの葬式の喪主を、暗殺チームが引き受けることをお許し頂きたい。』

『特権とは、貢献に裏付けられたものだ。いいだろう。君たち暗殺チームには、イタリアという国家に対する貢献による特権として、特別に裏社会の帝王に逆らう権利を与えようか。』

 

亡くなった三人はジョルノにとって大切な部下だったが、彼らに喪主を務めることを特別に許可した。

亡くなったパッショーネの三名の合同葬儀の喪主を暗殺チームが務め、帰らない者たちの実感が湧いてきたものだ。(余談だが、ついでに密やかにディアボロの葬儀も執り行った。また化けて出られても困る。)

 

「ジョルノ、あなたもいい加減結婚したら?」

「……その話題は勘弁してほしい。」

 

トリッシュ・ウナだ。

彼女は承太郎とは逆のジョルノの隣の席に座った。ミスタとジョルノの間だ。

 

「ジョジョ、お久し振りです。」

「ああ、フーゴ。君も立派になったね。」

 

パンナコッタ・フーゴだ。

キッチリとしたスーツを立派に着こなし、品格が感じられる佇まいだ。とても社会の裏側と繋がっているようには見えない。

フーゴはジョルノに挨拶をしたのちに、式の末席に加わった。

 

「すげえな、あれが噂の……。」

「パッショーネの暗殺チーム……グリーン・ドルフィン・ストリートで陰謀と戦った英雄……。徐倫さんの師匠……。」

 

アメリカ側からの出席者が感嘆している。

暗殺チームにはアメリカの裏社会からも馬鹿げた金額と好待遇での引き抜きの話が来たが、彼らはそれも断った。

彼ら曰く、イタリアが好き、らしい。

 

その英雄とやらは普段は組織の下っ端と一緒に仕事をしたり、週末はフットボール場でビールを片手に顔を真っ赤にして(緑色と混ざって正直、ちょっと気持ち悪い)自分の贔屓するチームを応援するただのチンピラだ。彼らは社会の裏側で、日々の細やかな幸せを楽しんでいる。彼らは未だに時折イタリア社会で常識の足りない珍妙な事件を起こしているが(サーレーは見た目が緑色であまりにも怪しいせいで、しょっちゅう警察に職質されている。もう署の警官と顔なじみになってしまったらしい。)、それは特別に組織で庇ってあげよう。これも彼らが社会に貢献していることへの特権の一つだ。

 

そしてその英雄とやらは、最近は弟子にめっきり勝てなくなったとひどく嘆いていた。

しょうがない。

 

彼らの弟子の空条徐倫はすでにアメリカ最強のスタンド使いと呼ばれ、恐ろしいことに父親の承太郎さんさえも親子喧嘩でまるで勝てなくなってしまったらしいのだ。そんな相手に勝てるわけがない。

それでも徐倫は変わらずチンピラコンビを尊敬しているらしい。チンピラのおかげで今がある、と。

 

「お久しぶりです。」

「ああ、久しいな。元気そうで何よりだな。」

 

ドナテロ・ヴェルサスだ。暗殺チームに挨拶している。サーレーが返答した。

彼は今現在パッショーネのミラノ支部防衛チームに所属している。襲撃の際の戦いが支部防衛チームのリーダーの目に留まって、暗殺チームから引き抜かれた。

何やらミラノ支部防衛チームのリーダーが、ドナテロの『天国は日々の中にある。』という啖呵が気に入ったらしい。

 

「……たまにはアメリカにも遊びに来いよ。」

「すまねぇな。まあ亡くなった奴らの墓参りにも行かなきゃあなぁ。」

 

ズッケェロが片手を上げて返答した。

確か相手の女性はミュッチャー・ミューラーという名の女性だったか。二人の女性を引き連れている。彼女たちはグリーン・ドルフィン・ストリート平和祈念公園で管理人を務めているらしい。

 

そのことも書いておこうか。悲惨な末路を遂げたグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所は、スピードワゴン財団が敷地を買い取って平和祈念公園へと改装した。そこには千を超える無数の墓碑が立ち並び、今ではミュッチャー・ミューラーとグェスとミラションという女性たちが管理人を務めているらしい。

 

「おめでとう。」

「ああ、ありがとう。全てはお前のおかげだ。お前のおかげで今日の俺がある。」

 

シーラ・Eがアナスイに祝いを告げ、アナスイはそれに対して礼を言った。

 

シーラ・Eのこともついでに少しだけ話しておこう。

シーラ・Eはあの後なぜか自分から暗殺チーム移籍を志願し、周囲から全力で引き止められていた。

どこに親衛隊から暗殺チームに移籍を志願する馬鹿がいるんだと思えば、シーラ・Eだった。

 

……暗殺チームは訳ありの人間の罪の禊の場だ。身綺麗な人間が自分から志願する場所ではない。

どうやらシーラ・Eはジョルノが考えていたよりもずっとアホだったみたいだ。本人はそこに移籍すれば成長できると思っていたようだが、そこの人員は有事になれば途端に損耗率が跳ね上がるために、行かずに済むのならそれに越したことはない。というよりもそもそも親衛隊には親衛隊の役割がある。シーラ・Eが居なくなったら、一体誰が溜まっているパッショーネの書類業務を片付けると言うのか?

 

「……おめでとう。」

「ああ、ありがとう。」

 

ウェザー・リポートがナルシソ・アナスイに祝いの言葉をかけた。ウェザーとアナスイは握手を交わした。

ウェザーは一時期精神的に危うい時期もあったが、友人たちの支えによって彼はそれを乗り越えた。

 

「お姉ちゃん、結婚おめでとう。」

「ありがとう、エンポリオ。」

 

エンポリオ少年だ。徐倫は少年に抱きついた。

彼の名前は空条エンポリオ。詳しくどういった人物なのかは知らないけれど、空条徐倫の弟らしい。きっと承太郎さんの息子ということなのだろう。

 

【徐倫、結婚おめでとう。私もあんたみたいな幸せな人生を送りたいわ。】

「エフ・エフ、ありがとう。」

 

……喋るUMAだ。

パッショーネが亀と変な格好をしたチンピラコンビが結婚式に混ざることを先方に伝えたら、向こうからは喋るUMAが結婚式に混じるという珍妙な返答が返ってきた。あの妙な生命体もどうやらチンピラコンビの友人らしい。

 

……世の中は広い。ジョルノは感嘆した。

 

「徐倫、あたしにも男を紹介しろよな。」

「エルメェス。あんたはいい女なんだから自分でなんとかできるでしょう。」

「でもよぉー、なかなか出会いがなくてよぉ。」

 

エルメェス・コステロが徐倫に笑って声をかけた。

新婦の友人で、ジョルノとは初対面だ。

 

「アナスイ、おめでとう。」

「徐倫、おめでとう。」

「サンキュー。」

「グラッツェ。」

 

参列者たちは思い思いに祝辞を述べて、彼らはそれににこやかに返答した。

大切な友人(カンノーロ・ムーロロ)たちはもういないけれど、それでも幸せな光景だ。

 

「ジョジョ、それでは挨拶をお願いします。」

「ああ。」

 

ジョジョという愛称には、ジョルノの祈りが込められている。

それはブチャラティから受け継いだ優しい祈り。

 

それはジョルノの想像でしか無い。

しかしパッショーネに救われたブチャラティであれば、きっとパッショーネに間違いを犯した人間を救済して欲しいと願うのではなかろうか?

それはパッショーネに関わる人間が、社会に生きる一個の存在として成長していってほしい。親しみ易い愛称から組織とボスに愛着を沸かせて、社会を愛していってほしいという理想だ。

 

ようやくその愛称がパッショーネにも浸透してきた。とても喜ばしいことだ。

ジョルノは笑った。

 

式は恙無く進行していく。

生命と豊穣を司るスタンド使いは、日々の幸せに感謝した。

 

◼️◼️◼️

 

サーレー

概要

刑務所で殺された罪人たちの魂は、彼らの死後の安寧を願ったサーレーの力になることを望み、死に瀕したサーレーと融合することでその命を救った。緑色の赤ん坊のスタンド、グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホームの能力は空間と距離を支配するものであり、この能力でサーレーのそばに現れた。その前のセッコとの戦いでも融合しようと試みていたが、緑色の赤ん坊はディオの骨を持たないサーレーと融合できなかった。その際にサーレーの頬の傷を直した時に、緑色の赤ん坊はスタンドパワーをサーレーに送り込んでいた。それがのちのオルクス発動のエネルギーとなった。オルクスの能力は、クラフト・ワークとグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホームの混ざった、空間と距離を固定して支配する能力である。

緑色。

 

マリオ・ズッケェロ

概要

パッショーネの暗殺チームの副リーダーで、下の人間にはサーレーよりも人望が厚い。サーレーはそのことに密かに嫉妬している。猫はまだ元気で、やはりスタンドを使いそうな気配は無い。

 

ウェザー・リポート

概要

暗殺チーム所属。あらゆる面で秀でた能力を持つ。いつも冷静で頼りになる。

 

ナルシソ・アナスイ

概要

暗殺チーム上がりの外交部門責任者。主にアメリカ方面の外交を担当している。

 

ホル・ホース

概要

暗殺チームのうだつの上がらない下っ端。アナスイの結婚式の準備を担当したのは彼なのだが、残念ながら裏方に徹している。

 

ドナテロ・ヴェルサス

概要

ミラノ支部防衛チームに移籍した。暗殺チームとの仲は良好。

 

ミュッチャー・ミューラー、グェス、ミラション

概要

グリーン・ドルフィン・ストリート平和祈念公園の管理人職についた。パッショーネ暗殺チームの友人。

 

空条エンポリオ

概要

空条徐倫の弟。徐倫は溺愛している。

 

処刑執行人(裏社会)

概要

平和を至上目的とする暗殺チームの中でも、特に実力が高い極一部の人間に与えられる名誉ある役職。実力と判断力が高いほどに一般人の守護や部下の損耗率の低下も顕著になる上に、個人で刑の執行を認められているため、この地位を与えられた人間は命を扱う職として多大な尊敬を集めている。

ジャックはすでに引退し、カンノーロ・ムーロロは亡くなり、サーレー、メロディオ、フランシスのたった三人しかヨーロッパに現存しない。ミスタも能力で言えば申し分ないが、他の役職を担当している。数が稀少なためにパッショーネが盟主となった今現在は、ヨーロッパ圏内の裏社会全域で同盟を組んで、持ち回りでヨーロッパの守護を請け負っている。

 

補足事項

 

『……天国に至るためには、必要なのは私のスタンドである。必要なのは、スタンドを一度捨て去る勇気である。必要なのは、信頼できる友である。必要なのは、極罪を犯した魂である。必要なのは、言葉である。最後に必要なのは、場所である。

 

表があれば、そこには必ず裏が存在する。物事には、須らく対になる力が存在する。

天国の裏側にあるのは、地獄では無い。正義の敵が別の正義であるように、天国の裏側に存在するのは別の価値観に基づいた天国だ。

 

オーバーヘブンの裏側には、アナザーヘブンが存在する。

 

君が人の法より()の法を尊べば、君は()による天国に辿り着くだろう。

君が()の法より人の法を尊べば、君は人による天国を理解するだろう。

君がどちらを望もうと、私は君の幸福を心から願っている。』

『とある吸血鬼の手記より、一部抜粋』

 

かませ犬のクラフトワーク、、、本編完結




読んでくださった方、感想くださった方、評価くださった方、誤字を御指摘くださった方、素晴らしい物書きでいらっしゃる原作者の荒木飛呂彦先生、上遠野浩平先生、そして書かせてくださったハーメルン様にこの場で厚くお礼申し上げます。グラッツェ!!!
なんとなく書き始めたものが、思ったより長くなってしまいました。

ここから先は、アイデアがあればのオマケ更新になるので、拙作はここで終了とお考え下さい。


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完全番外短編 超時空クラフト・ワーク

*警告

本編のシリアスや設定を一切あさってに投げ捨てた、作者の趣味全開のギャグ番外編です。
読む時は、〝覚悟〟をして下さい。



あなた…『覚悟して来てる人』…ですよね。
作者の趣味と自己満足によるクソみたいな落書きだったとしても、仕方ないから読んでやろうかという覚悟を……。


◼️◼️◼️

 

Titolo 『裏側』

 

◼️◼️◼️

 

「ミスタ、どう思いますか?」

 

ネアポリスの図書館で、ジョルノが問いかけた。

ミスタは長机に座り、顎に手を置いてしばし思考したのちに返答した。

 

「……アリだな。二人は確かに素行の悪い社会のゴミだが、それでも殺人に一切の忌避感を抱かないようなゲス野郎じゃあねえ。」

「……なるほど。確かにそれは僕も少し考えていました。……船の上で僕たちを襲撃してきた方。」

「マリオ・ズッケェロだな。」

「ええ、奴は僕たちのそのほとんどを無力化したにも関わらず、誰も殺さなかった。」

 

ジョルノは頷いた。

 

「その通りだ。人質にとって情報を搾り取るために脅すのなら、一人生かしておけば十分だ。その方が俺たちに対して、本当に殺すという明確な脅しになる。」

「ええ。」

「それに俺が戦ったサーレーの方も一緒だ。アイツは近接に強いスタンドを持ちながら、自らの手を汚すのを躊躇っていた節がある。あの時に奴が明確な殺意を持って俺を襲っていたら、俺に勝ち目はなかったはずだ。」

「……前任の暗殺チームは、ディアボロが粗末に扱ったせいで、殺人以外に糧を得る手段がなかった。」

「結局、例の役職の後釜は誰にするかまだ決まっていないんだろう。アイツらならば或いは……。」

「……弱者に任せるわけにはいかない。かと言って人格に問題がある人間に任せるのも話にならない……。スタンドを使った犯罪に対する抑止という意味合いでも、暗殺チームは必要だ。抑止力が弱ければ、人の悪徳はどこまででも膨れ上がってしまう。粗末に扱えば、ディアボロのパッショーネの暗殺チームの二の舞になってしまう……。難しい。」

 

ジョルノとミスタはしばし黙り込み、思考した。

 

「……ならば一から丁寧に育て上げるしかないだろう。俺だって組織の重鎮がいつまでも汚れ仕事担当というわけにはいかねえし、ムーロロにももっといくらでも良い使い道がある……。俺たち裏社会の住民は、多少素行に問題のある人材だったとしても、うまく扱っていけないようじゃあお話にならねえ。」

「……ええ、そうですね。あなたもそう考えるのならば……。」

「とりあえず当面は俺とムーロロが共同で穴を埋めて、その間にアイツらの意識を変えさせるのがベストだろう。」

 

こうして、二人に白羽の矢が立った。

 

 

◼️◼️◼️

 

Titolo『クラフト・ワーク・イン・杜王町』

 

◼️◼️◼️

 

「カニみたいな髪型しやがってッッッ!!!茹でて食うぞコラアッッッ!!!水族館に寄付するぞドラァッッッ!!!」

「ああん?軍艦風情が、面白いことを抜かしやがるッッッ!!!頭の上に、鳥の巣を固定して指差して笑ってやろうかッッッ!!!」

 

ここは、超時空杜王町。

ここは本編では起こりえない事態が起こる、完全なる番外編である。

ここでは今現在、東方仗助とサーレーが顔を突き合わせてメンチを切り合っていた。第一次チンピラ、ヤンキー戦争の勃発である。

 

「テメー、よくも言ったな!いい度胸だ。その顔面を、髪型と同じギャグにしてやるよ!吐いた唾は、飲み込めねえぞッッッ!!!」

「俺に戦いを挑むってか?テメーこそいい度胸してんじゃあねえか!テメーの髪の毛を固定して、一生その髪型のままにしてやるよ!年取ってから、恥を掻くんだなッッッ!!!」

「……なんて言うかなあ。」

「……お互いに相棒がバカだと苦労するんだな。」

 

仗助の友人、虹村億泰とサーレーの相棒、マリオ・ズッケェロは互いに同情し合っていた。

 

「オラ、喰らえっっっ!!!」

「ウラ、ウラ、ソリャ!!!」

 

番外編で完全なギャグのはずなのに、彼らの怒りは沸点を超えて戦闘が始まってしまった。

ズッケェロと億泰はどうしたものか困惑している。

 

「お前たち、そこまでにしたまえ。番外編くらい、みんなで仲良くしようじゃあないか。」

「「ポルナレフさんッッッ!!!」」

 

そこに一人の男が仲裁に現れた。二国間の争いには、調停する国が必要である。

そう、みんなのアイドル、ポルナレフさんである。ポルナレフの髪は天を衝く威容をなし、その髪の銀色は神秘さを醸し出し、それはサーレーと仗助にとっても尊敬と憧れの的であった。

 

ポルナレフはサーレーと仗助にとっても、アイドルだったのである。

彼らのしょっぱい髪型の個性は、ポルナレフの前ではあってないようなものである。

 

「ほら、そこまでだ。握手して、今回は戦いはなしにしよう!」

「「はいッッッ!!!」」

 

アイドルの言うことは絶対である。番外編なだけに、仗助の性格も都合よく若干マイルドに改変されていた。

仗助とサーレーは、嫌々ながらも和解して握手した。

 

別の日、彼らはまた違うことで揉めていた。第二次チンピラ、ヤンキー戦争の開幕である。

 

「最強は、承太郎さんに決まっているだろうがッッッ!!!」

「いーや、確かに承太郎さんが強いことは認めるが、最強はウチのボスのジョジョだッッッ!!!」

 

どちらが最強か論争である。

百人いれば百通りの意見があり、本人の最強は本人が内に秘めていればいい。それを口にしてしまうと、時に不毛な議論へと発展する。

 

「承太郎さんはっ、あらゆる敵を打ち倒す無敵の戦士だッッッ!!!」

「ウチのボスは、生命を司る伝説のスタンド使いだッッッ!!!」

「まーた始まった。コイツら相性悪いのな。」

「似た者同士なんじゃあねーか?てゆーか、ボスを勝手に伝説にすんなよな。」

 

ズッケェロと億泰は、今回も生暖かい目で遠巻きに見守っていた。

論争は白熱し、あわや戦闘に発展しようかというその時、彼はまたもや現れた。

そう、みんなのスーパーアイドル、ポルナレフさんである。

 

「オイオイ、落ち着けよ、オメーら。」

「「ポルナレフさんッッッ!!!」」

「確かに最強が誰かはオメーらも気になるだろう。俺だって気になる。……だが、決して忘れちゃあいけねえ。最強と呼ばれる奴らだって、決して一人で戦ってきた訳じゃあねえ。時に屍を超えて、時に苦難を乗り超えて、そいつらは仲間と共に強者へと成り上がった。そいつらが戦い続けて必死に守ろうとした平穏を、お前らが乱すのか?」

「「すみませんでしたッッッ!!!」」

 

人格者であり、承太郎もジョルノもその両方を深く知るポルナレフさんにこう言われてしまっては、彼らも閉口せざるを得ない。

仗助とサーレーは、またもや嫌々ながら握手した。

 

また別の日、彼らはまたもや違うことで揉めていた。

 

「トニオさんはッッッ!!!イタリアの人材だッッッ!!!故郷に戻って、イタリアに貢献するべきだッッッ!!!」

「いいや、トニオさんを料理人として育てた上げのはズバリ杜王町だッッッ!!!トニオさんは杜王町の貴重な人材だッッッ!!!」

「これには俺も参戦せざるを得ねーな。こんな美味い料理を作る料理人、パッショーネのお抱えにするべきだろう!」

「ふざけんな!トニオさんがいなくなれば、俺は杜王町で一体何を楽しみにすればいいんだッッッ!」

「オウ、皆さん、落ち着いて下さーい。」

 

そう、トニオさん争奪戦である。

杜王町に住む彼らの推薦により、リストランテ・トラサルディーに足を運んだサーレーは、本場イタリアから逃げ出したトニオさんを小馬鹿にしつつ皿に手を付けた。そのあとは皆様も予想の通りである。

 

うんんんまぁぁぁぁぁーーーーい。

今回ばかりは今まで傍観に徹していたズッケェロと億泰も参戦している。

譲れない戦い、大惨事チンピラ、ヤンキー大戦である。今回の戦いは、二国間の争いに収まらない。

 

「トニオさんはイタリアの財産だッッッ!!!!」

「いいや、違うね。トニオさんは杜王町の人間国宝だッッッ!!!」

「トニオさん、イタリアに来なよ。俺が裏社会のボスに推薦するからさ。」

「ふざけんなッッッ!!!こんな素晴らしい料理人に店を持たせなかったイタリアなんぞに、トニオさんが帰るわけねえだろうッッッ!!!」

「オウ、皆さん。お気持ちはありがたいでーす。」

 

彼らの議論は今までで一番白熱し、あわやトニオさんの店で乱闘になろうかというその時、彼は現れた。

そう、みんなのポルナレフさんである。

 

「お前ら、落ち着けよ。」

「そんなこと言ったって、ポルナレフさんッッッ!!!」

「今回ばかりはアンタの言葉でも、納得できねえぜッッッ!!!」

「そうだぜ。トニオさんは、イタリアの財産だッッッ!!!」

「トニオさんは、渡さねえッッッ!!!」

 

止むことのない彼らの戦意に、ポルナレフは少し考えて一つの提案をした。

 

「トニオさんはズバリ、フランスに来ればいいんじゃないかな?」

「「「「いや、それだけはないっす。」」」」

 

四人の心は、初めて完全に一致した。

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

Titolo『ミューミューの苦悩』

 

◼️◼️◼️

 

私の名前はミュッチャー・ミューラー、通称ミューミューだ。

アメリカ、フロリダ州在住の花も恥じらう乙女。年齢?フフッ、女性に年を聞くのは野暮ってものだが、敢えて答えるのならば、永遠の18歳だ。

 

ホワイト・スネイクに金で従って(こいつに関しては本当になぜあんなにも怪しいホワイト・スネイクに従っていたのか理解不能だったので、わかりやすい金という設定になりました)いたのだが、人生の転機が訪れて、今の私は平和祈念公園の管理人業務を生業としている。将来金を貯めて若いツバメでも囲おうと思っていたのだが、おじゃんになってしまった。

 

まあそれは仕方ない。私に問題があった。まさかホワイト・スネイクがあんなゲス野郎だったとは……。

まあそれは終わったことだ。それはさておき……。

 

最近の私には、悩みがある。

 

「ミューミューの姉御、どうしましょうか?」

「姉御!」

「ミューミューの姐さん!」

 

最近アメリカ裏社会の強面どもに、姉御とかふざけた呼ばれ方をされるようになってしまったのだ。

おかしいだろう!こんなにも可憐で清楚な私が、裏社会の姐さん?クソが!世の中間違っているだろうが!強面共に姉御なんざ呼ばれたら、男が寄り付かなくなってしまうだろうが!私の美貌が持ち腐れになるだろうが!

 

……なぜ、か。

なぜこうなってしまったのか、その理由は全てわかっている。

 

「ミューミュー姐さん、ちっす。元気?」

「……ああ。」

 

こいつだ!この憎きクソ女、空条徐倫が私のことを遊び半分で姐さんとか呼ぶせいで、徐倫を慕う強面どもも私を姉御と呼ぶようになってしまったのだ!さっき声をかけてきたのは、確かリキエルとかいう名のやつだったか……?

この女、私が嫌がっているのをわかってて楽しんでいやがる!オイ、にやけんな!

 

「じゃあ私は用事があるから、またね。」

 

……わかっている。

あの女、結婚間近の男に逢いに行くつもりだ。チクショウ!私にも下半身だけでいいから半分寄越しやがれ!

 

だいたいおかしいだろう!なんでよりによって主人公が貧乏なチンピラの殺し屋なんだ!?そんな殺伐とした話より、この美しい私の華麗なる男性遍歴を書き綴った方が、よほど人気が出るに決まっているだろうが!私の金があって若くてイケメンな男とのラブ・ロマンスの方が、読んでいて楽しいに決まっているだろうが!ようやくヒロインとして私の美貌が脚光を浴びると思ったら、展開に都合のいい端役かよッッッ!ちっとは考えやがれ!

 

クソが!おい、誰だ今鼻で笑った奴は?ちょっと前に出ろ!

私のジェイル・ハウス・ロックの必殺の肘鉄でボコボコにしてやろうか?

 

「チッ。」

「ミューミューさん、道を尋ねられたお客様が。」

「ああ、すぐ行く。」

 

祈念公園の管理人室に尋ね人だ。……恐らくは墓を探しているのだろう。公園には無数の墓碑がある。

ミューミューがミラションに呼ばれた先には、白髪混じりの老人がいた。そこそこの年配の方だった。

 

「すみません、場所をお尋ねしたいのですが?」

「ええ。どなたをお探しに?」

 

……いつも気が重くなる。

老人はポツリとミューミューに話しかけた。

 

「……息子はグリーン・ドルフィン・ストリートの服役囚で、世間様に顔向けができない人間でした。しかしそれでも、私にとっては大切な息子でした。」

「……お悔やみを申し上げます。」

 

こんな時にいつも思う。

私さえしっかりしていれば、刑務所の悲劇は防げたのではなかろうか?

相手の目論見もわからないのに、得体の知れない相手に利につられて従うべきではなかった。

……最近、罪悪感による白昼夢を見ることがある。ふとした瞬間に、惨状がフラッシュバックしてくるのだ。

 

もしもの話はわからない。

ミューミューがホワイト・スネイクに逆らっていたら、消されていた可能性も高い。

ディスクだけを奪われて記憶を弄られていた可能性もある。

 

それでもミューミューは時折、何気ない一日が忘れられない一日になる。

今の彼女には徐倫やミラション、グェスといった友人たちが救いだった。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

Titolo『ペッシ先生のかませ犬講座』

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは海を眺めていた。心が落ち着く。

ここは見覚えがある。そうだ、確かサーレーが死にかけた時に辿り着いた、カプリ島の光景だ。

サーレーは波止場で心地よい波の音を聞きながら、自分がなぜここにいるのかに思いを馳せていた。思い出せない。

 

その時、サーレーの眼前に一人の男が現れた。その男はパイナップルのような髪型をしていた。

なぜそんな不思議な髪型をしているのだろうか?サーレーは自分のことを棚に上げた。

そして、男はおもむろに語りだす。

 

「おい、テメーよぉ。かませ犬だなんだって銘打っちゃあいるが、実際にはテメー、本編で大活躍してるじゃあねえか。そんなんじゃあ、テメー、かませ犬失格だぜ?」

「は?」

「いーか、よーく覚えておけ。主役の陰に名脇役がいるのと同様に、かませ犬が居てこそ初めて強者が輝くんだ。……かませ犬ナメんな!それをなんだ、テメー?やれ処刑人だ、やれ猟犬だ。かませ犬の何たるかを誤解しているとしか思えねー。厨二病っぽくカッコつけてばっかりじゃあねーか。そんなんじゃあテメー、かませ犬失格だぜ?」

 

男の言葉は意味不明で、何を言ってるのか理解出来なかったが、サーレーはなぜだかその男の言葉を聞かないといけないような気がした。

 

「ペッシ先生のかませ犬講座だ。ここから先は、このプロのマンモーニ(ママっこ)兼かませ犬であるペッシ先生が、かませ犬という言葉を勘違いしているお前のために特別講座を開いてやろう。」

「何?」

「これさえ覚えておけば、お前もかませ犬の端くれくらいは名乗ることができる。覚えておいて、損はないぜ?」

 

サーレーは黙って、男の言うことを聞いた。

 

「Lesson ,1 、まずは叫び声だ。ギャヒイィィィーーーーーッッッ!とかギニャァァァーーッッッ!、とかが有名だな。何か個性的な叫び声を、かませ犬は持っておくべきだ。」

「……叫び声?」

「ああ。予想もしない攻撃を食らった時や、勝ち目がなくなったときなんかに独特の叫び声さえ持っておけば、たとえやられたとしても一端の芸人として読者方の記憶には残ることになる。」

「……芸人?」

「ああ。……悪には二通りの悪がいる。どうしようもなく不快で嫌悪しか催さない、いわゆる吐き気を催す邪悪ってやつと、なぜか許してやってもいいかな、という気になる悪だ。この業界で生き残るには、笑いを取れないとやっていけねえ。」

 

サーレーには男の言うことは意味不明だったが、なぜだか従わないといけない気がした。

 

「グエエエッッッ!!!」

「駄目だ。普通だ。」

「ビエエエエエッッッ!!!」

「少しはマシになったが、まだぬるい。」

「ギャッッピイイイイイイイッッッッ!!!」

「フン。まだまだ照れが見えるが初回ということで、今日はこの辺で勘弁してやろう。Lesson,2、次は顔芸だ。」

「顔芸?」

「ああ。これは保持者が少なく、持っていればほかのかませ犬と比べても一線を画した存在感を醸す事が可能だ。」

 

ペッシはそうゴチると、冷や汗を流して目を見開き、半開きの口元に手を置いた。

それはさほど大きな表情の変化ではなかったが、ペッシの奇妙な髪型と相まってなんとも言い難い味を出していた。

 

「まあ、こんなところだ。かませ犬の中には他とは一味違う個性を出すために、便器を舐めた奴さえもいるらしい。……かませ犬の道は実に奥が深い。今日はもう時間がないから講義はここまでだが、お前が研鑽を積んで、一人前のかませ犬となることを祈っている。」

「はい、ありがとうございましたッッッ!!!」

 

部屋の中に朝陽が差し込み、サーレーは目を覚ました。

サーレーは布団の上であくびをして、コーヒーを沸かしに水場へと向かった。

 

……なんでこんなわけのわからない夢を見たんだろう?

 

 

◼️◼️◼️

 

Titolo『ジョルノ・ジョバァーナの天敵』

 

◼️◼️◼️

 

「ハァ、ハァ、ハァ……クソッ!!!」

 

ジョルノ・ジョバァーナはミラノの路地裏を、必死に逃げていた。

敵が現れたのだ。ジョルノにはどうにも出来ない、強大すぎる敵が。ミスタとはすでにネアポリスで二手に分かれて逃走していた。

ジョルノもミスタも敵から逃げ出すしか、手立てはなかった。

 

ジョルノはネアポリスを飛び出て、列車に乗って、有事の際の避難場所へと向かっていた。

もうすぐだ。もうすぐで避難場所にたどり着く。そこにさえたどり着けば、もう安心だ。

ジョルノは震える足を叩いて、必死に避難場所へと飛び込んだ。

 

「ボスッッッ!!!何事ですかッッッ!!!」

「……敵だ。済まない、しばし僕を匿ってくれ。」

 

サーレーとズッケェロが、店に慌てて飛び込んできたジョルノに驚いて席から立ち上がった。

避難場所とは、サーレーたちが普段たむろしているスポーツバーであった。

 

「敵ッッッ!!!」

 

サーレーとズッケェロは緊張した。

強大なボスが逃げ出すしかない敵とは、一体どれほど強大な相手だというのか?

二人は警戒して、臨戦態勢を整えた。

 

そのときスポーツバーの扉が開き、ジョルノは必死にテーブル席の下に飛び込んで隠れひそんだ。

サーレーは慌てて敵の姿を確認した。

 

「あんたたち、ジョルノ様をお見かけしなかった?」

 

……シーラ・Eだった。敵?

ジョルノが必死にテーブルの下で喋るなのジェスチャーをしている。

 

「……何があったんだ?」

「……そうね。アンタたちにも話して協力してもらった方がいいかもしれない。」

 

シーラ・Eはそう呟くと、写真をテーブルの上にばら撒いた。その中には、歌手のトリッシュ・ウナの写真も混ざっていた。

 

「組織の運営を考えれば、そろそろジョルノ様にもお世継ぎが必要だわ。正室でもいいし、お妾でも構わない。とにかくいざという時に、パッショーネの巨大な地盤を引き継ぐ人間を決めておかないと、あとあとの争乱の種になるのよ。今のジョルノ様はモテるくせに、なぜか女っ気が一切ないわ。ジョルノ様をお見かけしたら、アンタたちからも言ってちょうだい。」

 

シーラ・Eはそれだけ告げると、スポーツバーを去っていった。

 

「……行ったか。」

 

ジョルノがテーブルの下からひょっこりと顔を出した。

 

「いや、ボス……俺が言うのもなんですが、いい加減結婚した方がいいんじゃないすか?」

「サーレー……君ならわかってくれると思ったのに……同じ独身の君なら……。」

「いや、俺はボスと違ってモテないんす。好きで独身なんじゃなくて、結婚したくても相手がいないんですよ?」

「!?」

 

 

◼️◼️◼️

 

Titolo『神父様たちの日常』

 

◼️◼️◼️

 

今日は神父様であるプッチさんは、友人であるエジプトのディオ様のお家に遊びに来ていました。

そんな彼らの日常の会話を、少し聞いてみましょう。

 

「やあ、ディオ。久々だね。」

「ああ、プッチ。よく来てくれた。私は嬉しいよ。」

 

二人はいつも、仲良しです。

二人はディオ様のお部屋で、いつものように仲良く歓談をしていました。

 

「何か飲むかい?搾りたての生き血ならあるけど?」

「ディオ、私は人間だよ。そんなもの飲んでも、美味しく感じないに決まっているだろう?」

「フフッ、それもそうだな。」

 

そしてしばし歓談したのちに、会話はおかしな方へと向かっていきました。

 

「ディオ、君だけだよ。私の悩みを理解してくれるのは。」

「私……だけ……?」

 

プッチ神父の言葉に、ディオ様は唐突に怪訝な表情を浮かべました。

 

「どうしたんだい?」

「……そういえばプッチ、君が私の部下と話しているところを見たことがないが、君は私以外の友人はどうしているんだい?私は確かに君の友人だが、吸血鬼だよ?そもそもの種族が違うんだ。人間の友人はいないのかい?」

「君以外に友人はいらないさ。」

 

プッチ神父のその言葉に、ディオ様は冷や汗を流して驚愕の表情を浮かべました。

 

「どうしたんだい、そんな嫌そうな表情をして?」

「プッチ、悪いことは言わない。私以外にも友人を作ったほうがいい。」

「……どうせ他の人間は私の願いを理解してくれないさ。世間の奴らは馬鹿ばっかしだ!!」

 

ディオ様とプッチ神父の間に、気まずい空気が流れました。

 

「……確かにそうかもしれないが……君が困った時に助けてくれる友人は少しくらいはいたほうがいいんじゃないか?」

「君だけがいてくれれば十分だよ。私には君だけがいてくれればいいさ。」

 

ディオ様はその言葉にお尻をおさえて、プッチ神父から距離をとりました。

プッチ神父のその言葉は、ディオ様には恋人へのささやきに聞こえたのです。

 

「ディオ、なんで急に離れたんだい?」

「近寄るなッッッ!!!ボッチがッッッ!!!」

 

◼️◼️◼️

 

Titolo『ウェスとフランシス』

 

◼️◼️◼️

 

フランスの裏社会が経営する、パリの裏路地にひっそりと建つ教会の懺悔室の一角で、彼らは対面していた。

赤毛のカソックを来た男と、帽子を被ったスマートな男。一人の名はウェザー・リポート、もう一人の名はフランシス・ローウェン。フランシスは、普段は教会の神父だった。

ウェザーは、静かにフランシスに語りかけた。

 

「……知らなければよかった。俺は大罪人だ。」

「何があったんだ?」

「記憶を取り戻した。……俺は、妹を死なせた赦されざる罪人だった。」

 

フランシスは、頷いて話の続きを促した。ウェザーは俯いてことのあらましを語った。

フランシスはそれを黙って頷きながら聞いていた。

 

「仲間や友人たちは、俺に罪は無いと言ってくれている。だが、憎しみが抑えられないんだ。妹を殺した自分の愚かさにも、その原因を作った、死んだ兄エンリコ・プッチに対しても……。」

「そうか……。」

「教えてくれ!!!俺はどうしたらいい!!!苦しいんだ!!!お前は俺を裁いてくれないのか!!!!」

「……人間が人間を裁くということが、そもそも傲慢なんだよ。それでもその行為が必要となる時が、時に存在する。」

 

フランシスは教会の荘厳なステンドグラスを見上げて、会話を続けた。

 

「この教会は、フランチェスコ修道会を模倣して作られている。フランチェスコとは俺の名前の由来にもなった聖人、アッシジの聖フランチェスコ、お前たちイタリアから生まれた聖人だ。イタリアの守護聖人であり、ヨーロッパ人であれば誰でも知っている著名人だ。」

「……ああ。」

「フランシスは、英語圏の発音だ。フランスではフランソワと発音する。俺は、生まれつきのフランスの人間ではない。」

 

フランシスは首元の十字架をいじった。

 

「社会とは、矛盾を含んでいる。子殺しとは忌まわしい行為だが、いつも世界のどこかでは起こっている。……怖かったよ。もう二十年も前の話になるな。俺のことを少し話そうか。」

「……。」

「幼い頃の話だ。俺には兄がいた。他の奴がどうしてるのかは知らないが、多分普通の兄弟だった。ある日兄は自宅のベランダから転落して死に、子供ながらに俺には何か恐ろしい事が起こっていることだけがわかった。でも、どうしていいかわからなかったよ。震える日々が続き、ある時突然一人の男が家にやってきて、俺は他の家に引き取られた。」

「……。」

「大人になってから全てを知ったよ。俺の兄は、ケチな小銭目当てで自分の親に殺されたらしい。俺の親はどうやら、以前から裏社会に睨まれていたようだ。それで俺の兄が死に、不審に感じた裏社会が調査して俺の親は赦されざる者だと判断されたというわけだ。若い俺は知らない家に引き取られて、荒れた。小学校にも行っていない、バカなガキだ。気が付いたら、どっぷりと裏の住人だ。どこをどうやってフランスに流れ着いたのかも、今となっては曖昧だ。」

「……。」

 

ウェザーは、泣いていた。

 

「俺は乱暴者だったが、それでもフランスの裏社会は辛抱強く俺を窘めてくれた。俺は悩み、迷い、考えた。バカなりに考え抜いた末に最後に残った感情は、乱暴者の俺を見捨てなかったフランスの裏社会への恩と愛情だった。裏社会の暗殺チームは、そのほとんどがスネに傷を持つ人材だ。」

「……。」

「口さがない人間は、裏社会が俺に優しくしたのは俺のためではなく社会で使い捨てる人材を作るためだったと、きっとそう言うだろう。だがそれは、事実であったとしても、決して本質ではない。裏社会が俺をどう考えているかではなく、俺が裏社会をどう感じたかが大切なんだ。……俺もお前も、解決できなかった社会の矛盾に人生を狂わされた人間だ。お前の悲劇の原因となった、人種差別も社会の矛盾と言えるだろう。たとえ傷の舐め合いと罵られても、クズの庇い合いだと糾弾されても、俺はお前に生きていて欲しいよ。俺は友人を手にかけたくない。それが今の俺の素直な感情だ。」

「……。」

「俺にも、月並みなことしか言えない。俺はお前の問題を解決できないし、お前の悩みを聞くだけしかできない。お前の問題は、お前が解決する他はない。生ある者は皆すべからく死すために生きている。それでも俺はお前に今はまだ生きていて欲しいし、お前には俺の他にも友人がいるだろう?」

「……ああ。」

「知らなければよかったとしても、死にたいほどに苦しんだとしても、お前はお前に残された物を忘れるべきではない。神は人の悩みを解決できない。それを聞くだけだ。」

「……。」

「いつかお前が赦される日が来ることを心より願っているよ。神は、人の中にのみ住む。お前が自身の心と対話を続けることだけが、お前が赦される日が来る可能性だ。時間が人の心の傷を癒すというのは、つまりはそういう意味合いだ。それまでは俺たちは、お前のささくれた心の傷を見えないように誤魔化すことしかできない。」

「……そうか。」

「すまないな。悩める友人にこの程度の月並みなことしか言えない。神父失格だな。」

「……いや、話を聞いてもらえただけで少し気が楽になったよ。」

 

ウェザーは、懺悔室を立った。

 

「俺は、お前が幸せな人生を歩むことを心から願っているよ。」

 

フランシスは慈愛に満ちた眼差しで、去りゆくウェスの背中を見送っていた。



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番外編 グイード・ミスタの薫陶

・注意
今回の話は、グロ表現を含みます。


これは、本編では語られることの無い裏側。始まりと二話目の中間。

例えば、サーレーがパッショーネでどのような訓練を受けていたのか。どうしてあそこまで強くなれたのか。その最たる要因。

そんな番外編。

 

そこに、三人がいた。一人は帽子を被り拳銃を構えるグイード・ミスタ、一人はマフラーを巻いてボルサリーノ帽をかぶるカンノーロ・ムーロロ、そして最後に硬くて埃っぽい床に倒れ臥したサーレー。

硝煙が匂うパッショーネミラノ支部の戦闘訓練所、ミラノにあるパッショーネ所有の人気のない路地にある倉庫で、ミスタにムーロロが付き添いサーレーと相対していた。

ミスタは自身の拳銃の弾丸を再装填して、サーレーに告げた。

 

「立て、サーレー。続きだ。」

 

サーレーは服の端々から血が滲み、床にへたり込んでいた。

サーレーは訓練所で、ミスタとムーロロ二人掛かりでの二対一での戦いを強制されていた。

サーレーは訓練が始まってすぐに足下を走り回るムーロロのスタンド、群体のトランプ、オール・アロング・ウォッチタワーに気をとられた隙にミスタに足を撃ち抜かれ、床につんのめった隙にムーロロのウォッチタワーはサーレーの体の各部に張り付いてナイフで攻撃を加えた。

 

「……。」

「立てと言ったはずだ。」

 

サーレーの喉元に、ムーロロのウォッチタワーが刃を突き付けた。

サーレーはよろめいて、立ち上がった。

 

「訓練は戦場のように。戦場では訓練のように。何も積み上げずに、気持ちや絵空事で突然強くなったりはしねえ。強くなるためには、鍛錬と実戦あるのみだ。忘れるな。お前は裏社会の軍人だ。表社会の特殊部隊は、公に認められて敵と戦う。裏社会の特殊部隊には、裏社会独自の戦い方が存在する。しかし、表社会の戦いを侮るべきではない。むしろ大多数の頭脳で突き詰められたその戦闘法は、もっとも効率の良い戦闘法だと言えるだろう。先達には敬意を払え。お前は法から外れた殺し屋だが、その方向性には表社会に通じるものが存在する。」

 

ミスタは弾丸を一発発砲し、サーレーはクラフト・ワークの手の甲で銃弾を弾いて宙に浮かせた。

立て続けに二発発砲し、一発はクラフト・ワークが弾き、一発はサーレーの大腿を撃ち抜いた。

 

「最大の問題は、臆病さと紙一重なお前の慎重すぎる性格だ。……確かにスタンド使い同士の戦いで相手の能力を把握しないまま戦うのは下手だ。それは認めよう。だが、戦況とは刻一刻と状況が変化し、時には顧みずに前だけを見ることが正解となる場合もある。戦場に絶対の正解など、存在しない。現場のお前が、適宜柔軟に判断するしかない。時に引き際を冷静に見極め、時に殺意と狂気に身を委ねろ。」

 

ミスタは残りの三発の弾丸を発砲した。

サーレーは一発を弾き、残りの二発は右肩を撃ち抜いた。

 

「うっ!!!」

「お前のスタンドは本来、強襲、鎮圧用のスタンドだ。前に出続けることがお前のスタンドを十全に生かす使い方だ。戦いの常道とは、相手の弱点を突き続けることだ。しかし、お前のスタンドの長所は、常道を無視してなおもお釣りが来るほどに強力なものだ。どれだけ強いスタンド使いであっても、通常は頭部に弾丸を撃ち込まれりゃあ死亡する。お前のスタンド能力は、それを覆す強力なものだ。硬質な強さと柔軟さを併せ持つ、稀有なスタンドなんだ。……俺のスタンドは紙装甲だから、至近距離で敵の攻撃を喰らえば死んでしまう。だから、俺はお前が羨ましい。お前が目を覚ませば、お前のスタンドは強靭な殺意と共に猛威を振るうだろう。……お前は、イタリアの害敵を喰い殺す猟犬だ。スタンドを理解しろ。不安があるのなら、知恵を振り絞ってアイデアで補え。」

 

ミスタは続けて、サーレーに告げた。

 

「暗殺チームは基本、使い捨ての消耗品だ。……しかし、お前が強者であれば、話が変わってくる。自分で活路を開けば、生き残れる。生を掴め。戦って、生還し続けろ。そうすればいずれ、お前はパッショーネの死神としてヨーロッパ全土を震え上がらせる存在となるだろう。それが出来なきゃ、お前は路地裏で人知れず野垂れ死ぬ名無しの権兵衛だ。」

 

ミスタはサーレーの大腿の傷跡を蹴り飛ばした。

そのまま足を乗せて、傷跡を抉るように踏み付けた。

 

「あああぁぁッッッ!!!」

「……喚くな。死はもっと痛い。死はもっと恐ろしい。麻薬チームとの戦いで、お前はそれを身に染みてわかっているはずだ。忘れるな。……死を想え。死の恐ろしさを理解しろ。誰しもに死は訪れるが、それを覆すために足掻くのが人の生だ。にも関わらず、お前は他者に死をもたらす死神の役割を求められている。……お前に任せられる職務は、半端な生ぬるいもんじゃあねえ。お前が安穏と享受し続けた平穏は、決して安いもんじゃねえんだよ。イタリアの表社会でも、毎年およそ300億ユーロという巨額の軍事予算が組まれている。お前が以前奪おうとしたポルポの隠し財産なんざ、お前の真の価値に比べりゃあ端金なんだ。俺たちはお前に、敵を打ち倒す戦車でありながら、同時に何が何でも任務を達成する対戦車犬であることを望んでいる。無理を通さないと、お前は死ぬことになる。」

 

ミスタが足を退け、ムーロロのウォッチタワーがナイフでサーレーの右眼球を突き刺した。

サーレーの右眼窩から、タラタラと血が流れた。

 

「あああ痛いッッッ!!!」

「暗闇が怖いか?恐ろしいか?」

 

ミスタがしゃがんでサーレーの胸ぐらを掴み、頬を張り飛ばした。サーレーは唇を切って、血を流した。

覗き込むミスタの瞳の底知れない暗さに、サーレーは恐怖を感じた。

 

「……わかっているだろう。たとえ眼球を抉り出したとしても、ジョルノの能力を用いればお前の眼球は再生する。痛みは一過性のものだ。訓練で兵を殺したりはしない。お前が今みっともなく泣き喚いているのは、お前がジョルノや俺に恐怖しているからだ。知らない物を恐怖して泣き喚くガキと同じだ。お前の最大の弱点は、その精神的な弱さだ。そんなんじゃあ暗殺チームで無くとも、お前の先は長くない。」

 

ミスタは、言葉を続けた。

 

「お前は、人間が脆い。家族や国を想う人間は、お前のように強力なスタンドを持っていなくともお前よりも遥かに怖い。お前が以前の俺との戦いで自分から弾丸を喰らいにいったのは、自分の脆さを見せたくないというコンプレックスの裏返しだ。人間の脆さは、戦闘のギリギリの局面で勝敗に直結する。初見の俺の特殊な能力を警戒しすぎたように。ギャング同士の金の奪い合いで、自分の手を汚したくないなどという都合のいい保身的な考えを捨てられなかったように!!!」

「ッッッ!!!」

「精神を強靭に固定しろ。ここで変わらなけりゃあ、お前はまたいつか同じ過ちを犯して敵に殺されることになる。精神的にひ弱なままじゃあ、お前が敵に捕まって拷問されりゃあパッショーネの情報を漏らすんじゃねえかって気が気でねえ。お前が変わるまで、俺たちはお前を無意味に痛め続けることになる。」

 

ムーロロはミスタの横で、成り行きを静観している。

ミスタもムーロロもこれはサーレーのためなどと、狡いことを言うつもりは毛頭ない。これは、明確にパッショーネとイタリアのために行なっている行為だ。サーレーが死ねば、また新たな暗殺チームを一から育て上げないといけなくなる。人員も金も時間も浪費することになる。サーレーのためになったかどうかは、いつかサーレー本人が勝手に判断することだ。

 

「理詰めで考えろ。お前を嵌めれるスタンドが存在したとして、そんな特殊な能力を持ったスタンドが近接戦闘でめっぽう強いなんてことがあり得るか?特殊なスタンドがお前の固定を打ち破るほどのパワーを持ってるなんて、稀だろう。仮にそんなスタンドが存在したとしても、お前が攻め続けて相手を後手に回し続ければ、戦闘で敵は冷静に能力を使う余裕がなくなる。お前は対応する側じゃあねえ、対応させる側だ。敵の判断する時間を奪い、精神的に優位に立って翻弄しろ。……お前は敵を最前線で蹂躙する戦車だ。警戒すべきは、対複数戦かカウンターで発動するスタンド能力くらいだ。それを補うために俺たちは、暗殺者にチームを組ませて、ムーロロをお前のサポートとして情報部の仕事に専念させるんだ。前もってある程度敵の情報がわかれば、お前の生還率はグッと上昇する。」

「……。」

「目を覚ませ。自覚しろ。お前は死神だ。前を向いて、袋小路を突き破れ。お前が生を掴むためには、お前が自分のスタンドを理解して死線を乗り越えるしか方法がない。知恵を振り絞れ。必要なのは生への執着、そして冷静な判断力。最後に最も大切なことは、何のために戦っているのかというモチベーションだ。」

「……はい。」

「パッショーネはブラックで、有給休暇も労災も役職手当もねえが、不誠実な嘘はつかねえ。お前がイタリアに貢献して後進をキッチリ育て上げれば、組織にお前の価値が証明される。お前の裏社会のボスに逆らったという罪は、綺麗に禊がれる。お前がいつの日か、暗殺チームから足を洗うことを認めてやる。退職金に色を付けて、お前の幸福な人生を組織が保証する。……だからそれまでは、死に物狂いで生き残れ。」

「はい。」

「……ギャングには、ギャングのルールが存在する。お前の暗対は、社会の暗部の最奥に巣食う奴らだ。最低限のルールから外れた、もはや人と呼ぶのも憚られる存在だ。幼いガキを誘拐してヨーロッパに人肉市場を開拓しようだとか、平和に暮らしてる市民を誘拐してバラして臓器を闇で高額で売り捌こうだとか、人の多いところで無関係な人間に社会への不満を晴らそうと銃を乱射する乱射魔(シンギアレ)だとか、そういう頭のネジがぶっ飛んだ奴らだ。そいつらは市民に擬態し、見つかったら躊躇わずにお前を殺しにくる。少しでも油断すれば、お前は拷問されて出荷されることになるだろう。……僅かな隙も赦されない。」

「はい!」

 

ミスタは傷付いて血を流したサーレーの右眼窩に親指を突っ込んで、掻き回した。それはドロリと、床に垂れ落ちた。

今度はサーレーは、一切の悲鳴を上げなかった。

 

「ベネ。今日の訓練はここまでだ。治療が終われば帰っていい。俺の言葉の意味を、絶対に忘れるな。」

「はいッッッ!!!」

 

訓練は、毎日のように続けられた。

 

◼️◼️◼️

 

そして日々は過ぎる。

 

夢のような時間、遊園地の前。

夢が覚めれば、誰しも夢の内容を覚えている時間は長くない。

キラキラと電飾が瞬く回転木馬の前で二人、否、三人は対峙していた。

 

「さあ、我が忠実な配下、ヴィネガー・ドッピオよ。戦闘教練だ。目の前の敵を蹂躙してみせろ。……ただし殺すな。殺せば、足が着く可能性が出てくる。」

 

ディアボロが傲岸不遜に笑い、人格がヴィネガー・ドッピオと入れ替わった。

 

「ええ。偉大なるボスよ。あなたのために、勝利を捧げましょう。」

「アン?何言ってんだ、お前。なんだ、ここは?」

 

サーレーは周囲を見渡した。ここはイタリアとオーストリアの国境線付近の景観美しい閑静な町、ボルツァーノ。

サーレーはオランダから入国した麻薬の密売人の足跡を追い、今現在この地で対面していた。強大なパッショーネが小者の麻薬密売人に警告するだけの、簡単な任務だったはずだ。

 

眼前には得体の知れない回転木馬、ほぼ間違いなくなんらかのスタンドだ。サーレーは現状と目の前の筋骨隆々な男を認識して、警戒心が跳ね上がった。

 

「チッ、テメエがなんなのか知らねえが、一度きりは警告で済ましてやるッ!そこを動くな!動いたら敵とみなして、攻撃を開始するッッッ!!!」

「そいつはどうも。だがこっちとしてはそうもいかない。俺はボスが奪われたものを、取り返しに来たのだッッッ!!!」

 

戦闘は合図もなく、ヴィネガー・ドッピオの先制で開始された。

ヴィネガー・ドッピオのキング・クリムゾンがサーレーに近付き、右腕を振りかぶってサーレーに振り下ろした。

サーレーはそれを距離を詰めて避け、クラフト・ワークの右拳が至近距離からキング・クリムゾンの顔面を殴りかかった。キング・クリムゾンはそれを、左腕で防御した。

 

「キサマッッッ!!!」

「テメエは俺の動くなという警告を無視して、攻撃を仕掛けてきた。テメエをパッショーネの敵だとみなして、排除する!!!」

 

キング・クリムゾンの左腕にクラフト・ワークの右拳が固定され、クラフト・ワークは右拳を引いてキング・クリムゾンの体勢を崩しにかかった。キング・クリムゾンは反射で逆方向の体幹に力を込めて、それを認識したサーレーは右拳の固定を解除した。突如固定を解除したためにドッピオのキング・クリムゾンは体勢を崩し、クラフト・ワークが追撃とばかりにキング・クリムゾンの腹部を左拳で殴り、再びそこを固定する。

 

「グウッ!」

「逃がさねえぜ。この距離が、俺の距離!鼻を突き合わせるほどの決闘の距離が、俺のスタンドが真価を発揮する距離だッッッ!!!」

 

いきなり始まった決闘は、最初から火花を散らした。

クラフト・ワークは空いた右腕でドッピオに喉輪を喰らわせ、そのまま固定した。

クラフト・ワークの指がキング・クリムゾンの喉にギチギチに喰い込み、息が出来ないドッピオは慌てて過去に向けて時間を消し跳ばした。

脳に酸素が戻る僅かな時間に、ドッピオはキング・クリムゾンのスペックに明かせてクラフト・ワークの固定を引き剥がし、必死に敵の距離からの退避を試みる。

 

サーレーは、逃げるドッピオをあえて追撃しなかった。

 

「……これが最終警告だ。お前がなんなのか知らねえが、今すぐにここで投降しろ。それが為されなければ、俺はキサマをパッショーネとイタリアの害敵だと認識して、本気で殺しにかかることになる。スタンド使いに手心を加えることはできない。」

 

サーレーの瞳に殺意の炎がちらつき、サーレーはドッピオを指差して宣告した。

 

「ボスゥ、どうしますか?奴は本気で向かって来るようです。」

「……戦え、ドッピオ。スタンドはギリギリの戦いを経験しなければ、使い方を理解出来ない。最悪、殺してしまっても構わない。本当にまずい時は、俺がフォローする。」

「わかりました。ヤッてヤります!」

 

キング・クリムゾンを具現したヴィネガー・ドッピオとクラフト・ワークを具現したサーレーは近づき、拳を交えた。

キング・クリムゾンの右拳がクラフト・ワークの左拳に固定され、クラフト・ワークは左足でキング・クリムゾンの右足を蹴りつけた。

キング・クリムゾンは左腕に力を込めて、クラフト・ワークの腹部を狙った。クラフト・ワークは自身の左足を敵の右足に固定し、左足を軸にして宙に跳んで右足をキング・クリムゾンの左腕に当てて固定した。

キング・クリムゾンは短時間の間両腕を塞がれ、クラフト・ワークの右腕だけが自由になっている。

 

「心臓を、固定するッッッ!!!」

 

サーレーは右拳を固めて、クラフト・ワークがドッピオの胸部を力任せに殴った。

心臓が固定され、体を突き破ってテカテカ光る血塗れのドッピオのピンク色の臓器が宙に浮かんだ。

 

次の瞬間、意識が暗転したドッピオのキング・クリムゾンが自動発動する。致命傷を受けた時間は、消し跳ばされた。

 

「ドッピオッッッ!!!」

「大丈夫です!」

「……なんだ、テメエのその能力?」

 

サーレーは目を細めて、ドッピオを睨んだ。

 

「チッ!予想よりも遥かに厄介な敵だ。本気で戦う。代われ。」

「わかりました!」

 

ドッピオのキング・クリムゾンは、一度能力を使用するとインターバルが必要となる。

パッショーネが送り込んできた尖兵はディアボロの予想よりもずっと強力で、ディアボロは当初のドッピオの戦闘教練という目的を放棄した。ここで万が一にも敗北してしまえば、計画の何もかもがおじゃんになる。

 

固定を力任せに引き剥がしたディアボロは時間を未来に向けて消し跳ばし、サーレーの背後へと回り込んだ。

 

「キサマは、危険だ!ここで確実に消すッッッ!!!キサマは、俺の絶頂を脅かす可能性を持つ、危険な敵だッッッ!!!」

 

キング・クリムゾンの拳が、背後からサーレーを襲った。

しかしそれはサーレーの背中をブチ抜かずに、クラフト・ワークの拳で防御された。

 

「敵がよぉー、一体どんな能力を持っているかもわからねえんだよ。んでよぉー、俺のボスは俺におっしゃった。俺のクラフト・ワークは万能で、俺のペースに巻き込めばどんな敵も大体は戦い方のアイデア次第で撃破出来るって。例えばよぉー、こんな戦い方なんてどうだ?」

「なにッッッ!!!」

 

キング・クリムゾンの右腕からは、いつのまにかピアノ線が伸びている。サーレーがキング・クリムゾンに攻撃した際に、敵の腕に固定してくっつけたものだ。それは逆の端をクラフト・ワークの左腕に固定され、張力がサーレーに敵の攻撃してくる方向を教えていた。

それは、サーレーが強敵を仮想して試行錯誤した末に思い付いた戦い方の一つだった。

 

「強大なパッショーネに逆らおうなんざ、イかれたヤローか、マジでヤバい奴かのどちらかだ。俺は危険な敵と真っ先に戦うパッショーネの兵隊だからよー、ミスタ副長に言われて俺なりに必死に死なずに済む方法を考えたんだ。俺が強ければ俺は死なずに済むし、ズッケェロも死なねえ。パッショーネにも被害がいかなくなるだろう?万事解決だ。そんでよ、もしかしたら攻撃を反射してくる敵がいるかもしれねえ。もしかしたら瞬間移動してくる敵がいるかもしれねえ。もしかしたら少しでも油断した隙になんかの能力で嵌められるかもしれねえ。もしかしたら……。」

 

サーレーの漆黒の殺意が、ディアボロをとらえた。

 

「敵が俺の想像もつかない方法で攻撃してくるかもしれねえ。」

 

ピアノ線伝いにクラフト・ワークの固定する能力が、キング・クリムゾンに伝播する。

一瞬動きが固まったキング・クリムゾンの右拳がクラフト・ワークの左腕に固定され、クラフト・ワークが自身の左腕を手前に引っ張った。体勢を崩したキング・クリムゾンにカウンターでクラフト・ワークの右拳が入り、ディアボロの心臓を再び固定してブチ抜いた。

しかしそれは、ヴィネガー・ドッピオのキング・クリムゾンによって復元されていく。

 

「助かった、ドッピオ。しかしこれは……予想外に厄介な敵だ。一旦退避する!」

 

ディアボロのキング・クリムゾンは意識の外から攻撃するから、簡単に一方的に致命傷を与えることができる。それを前もって判断されてしまえば、敵がポルナレフのようにカウンターで攻撃してくる恐れが出てくる。ドッピオはスタンドに目覚めてさほど時が経っておらず、ディアボロはスタンド使いとして下り坂だ。ここで無理して戦ったところで、僅かでも敗北の可能性がある上に、勝ってもパッショーネに不審がられて守りを固められるだけである。さらに付け加えれば、回転木馬を誤って視界に入れてしまえばその能力はディアボロにも効果を及ぼすという制限も存在する。

 

「……頭部を、固定する。」

 

サーレーは左手で、退避しようとするディアボロの肩を掴んで固定した。サーレーは至近距離で右拳を固めて、クラフト・ワークの右腕の筋繊維がギチリと音を立てて収縮し肥大した。サーレーの長袖から見える右腕の血管が不吉に赤黒く浮かび上がり脈動し、それはディアボロの頭部を吹き飛ばそうと金剛力が込められている。死神の右腕が、高く掲げられた。

 

「は……離せッッッ!!!」

 

死神の漆黒の殺意は臨界点を超えて、悪魔(ディアボロ)に収束する。

悪魔は、死神に魅入られて戦慄した。

 

ディアボロのキング・クリムゾンの強さとは、常に自分が狩る側にいるという精神的な優位性に支えられている。強力なスタンドを繰り出し一方的に敵を蹂躙できるスペックを持つからこそ、戦闘で判断を誤らない。

しかし、精神的な優位を失い追い詰められた時、時間を跳ばすタイミングを誤るのではないか、自分の頭がザクロのように弾け散るのではないか、という恐怖が津波のようにディアボロを襲った。誰も信じないディアボロは、極限状態に於いて自分さえも信じられなかった。唯一絶対の信を置くヴィネガー・ドッピオのキング・クリムゾンも使用したばかりで、連続発動できない。

 

戦闘は際どい局面であるほどに、最後は経験や人間の強さといった数値化できない何かがモノを言う。

死から逃げ続けたディアボロと、死を乗り越えたサーレー。格下相手にどれだけ無双の強さを誇ろうとも、その経験はギリギリの戦いでは役に立たない。永遠の絶頂などと宣い他者と向き合うことから逃げ続けたディアボロは、初めて至近距離で真正面から他者の明確な殺意を向けられて、精神的に敗北した。

 

ディアボロは死神の殺意を明確に感じ取り、脅威を感じて形振り構わない逃走を決意した。

ディアボロは固定されたピアノ線をキング・クリムゾンの膂力で引きちぎり、潜む回転木馬の本体に能力解除の合図を飛ばした。

回転木馬は消滅し、サーレーの戦闘の記憶も削除された。

 

「アン?んでよぉー、テメエ、どうすんだ?」

「すみません。パッショーネに逆らう気はサラッサラありません。勘弁してください。」

 

ドッピオはサーレーに頭を下げた。

 

「二度目の警告はねえぞ?」

 

なぜか体に違和感があったが、サーレーは気にせずに逃げていく麻薬の売人の背中を見送った。

パッショーネの敵にもならない、チンケな小者だ。警告で逃げていく程度の敵なら、気にする必要もないだろう。

 

「ボスゥ、どうしますか?」

「エピタフが無い今、新たな戦い方を構築して突き詰める必要がある。あんな敵が今のパッショーネにゴロゴロいるようなら、計画を大幅に変更せざるを得ない。」

 

こうして、ディアボロのパッショーネ奪還計画は初手から大幅に狂っていく。

 

◼️◼️◼️

 

「今回は、引き抜きが出来なければ最初から殺しに行く。俺がメインで戦う。ドッピオ、お前は保険だ。」

 

ディアボロが己の中のヴィネガー・ドッピオに、告げた。

ミラノの町の裏路地、美しく電飾が煌びやかな回転木馬の前で、時間を置いて二人は二度目の邂逅を果たしていた。しかしサーレーには、前回の戦いの記憶が無い。

 

「テメエは……?」

 

脈絡無く眼前に展開された回転木馬に、サーレーの警戒心は高まっていた。

 

「片付ける前に、慈悲をくれてやろう。キサマは、役に立つ。俺の手駒になってジョルノ・ジョバァーナの身柄を攫って来れば、キサマを俺の腹心の部下として扱ってやろう。」

 

ディアボロは、サーレーを勧誘した。

 

「お断りだ。出会ったばかりのやつに唆されて、ボスの首を差し出せとかいう自殺行為に手を貸すつもりはねえ。」

「よく考えてみろ。お前は強く、ジョルノ・ジョバァーナに警戒なしで近寄れる稀有な人材だ。今の立場に不満はないか?」

「……問答無用だ。ボスが居なくなれば、俺は路頭に迷うことになる。出会ったばかりの人間の口約束なんざ、勘案するに値しない。」

 

ミラノの裏路地で、二人の二度目の戦闘が開始された。

 

「……今度は油断しない。初手からキサマを殺しに行く。」

 

ディアボロのキング・クリムゾンが、時間を消し跳ばした。

存在しない時間の中で、キング・クリムゾンはサーレーの背面左後方へと回り込んだ。

キング・クリムゾンの筋肉が膨張し、サーレーめがけて拳が振り下ろされた。

 

「……イッテェな。なんだ、テメエのその能力は?」

「な……ッッッ。」

 

しかしキング・クリムゾンの筋肉は、攻撃のために姿を現した瞬間に不可解な力を加えられて硬直し打点がずれ、その上敵のスタンドはディアボロの予想よりもずっと硬かった。攻撃を体で受け止めたサーレーは振り返ってディアボロ目掛けて拳で殴りかかった。

クラフト・ワークの拳をキング・クリムゾンは時間を跳ばして躱して、ディアボロは次に姿を現した瞬間自身の体に異様な負荷がかかっていることを理解した。それはクラフト・ワークの必殺、地に潜む蜘蛛の決闘場、ラニャテーラだった。戦闘時に発動する蜘蛛の糸はキング・クリムゾンの筋肉に細やかに絡み付き、行動を阻害する。

 

「なんだかわからねーが、テメエが敵だってことはよくわかった。パッショーネに楯突く敵だってな。」

 

キング・クリムゾンの右拳は、未だにクラフト・ワークの体に固定されて張り付けられている。クラフト・ワークは嵩にかかって立て続けにキング・クリムゾンに殴りかかった。

ディアボロは再び時間を跳ばして殴りかかるクラフト・ワークの攻撃を避けて、力任せにクラフト・ワークの固定を引き剥がした。

 

「……ドッピオ、しばしお前に任せる。念の為だ。俺のキング・クリムゾンが時間切れを起こせば、万が一の事態が起こりうる。」

「わかりました、ボス。」

 

ディアボロとヴィネガー・ドッピオが入れ替わり、クラフト・ワークが攻撃を仕掛けた。

サーレーはラニャテーラの効果に、緩急をつけた。及ぼされる能力の強弱の緩急に戸惑い、ヴィネガー・ドッピオは混乱する。

 

「落ち着け、ドッピオ!スタンドのスペックでは、決して劣っていない!一撃を喰らう覚悟をして、その直後に攻撃を受けた時間を消し跳ばして反撃を喰らわせろッッッ!!!」

 

クラフト・ワークはヴィネガー・ドッピオに向かい、唐突に向きを変えて固定と解除を繰り返し裏路地の壁を走り始めた。

 

「ボスッッッ、奴はなにか奇妙な行動をしていますッッッ!!!」

「敵の行動を見極めろ!攻撃の方向さえわかれば、確実に仕留められるッッッ!!!」

 

ヴィネガー・ドッピオは、上方の壁面を走る敵に集中した。しかしいつまでたっても敵は攻撃してこない。

いつの間にかサーレーは、路地裏から姿を消していた。

 

「……やられたな。」

「どういうことですか?」

「逃げられた。奴は俺たちを仕留めることよりも、俺たちの情報をパッショーネに持ち帰る方が優先だと判断したのだろう。しかし。」

 

ディアボロが合図を出して、回転木馬は消滅していった。

これで敵の戦闘の記憶も消滅する。

 

「追いますか?」

「奴は俺の攻撃を受けて、記憶が無くとも恐らくは不可解なダメージに警戒している。やめておけ。……つくづく厄介で恐ろしい敵だ。まあ俺たちの存在はバレてはいないが、出来れば戦いたくない。何をしてくるか、見当が付かん。奴の行動を見計らって、居ないうちに計画を進めるのが上策だろう。」

 

この戦闘の直後に、サーレーはアメリカのフロリダ州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所へと飛んだ。



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番外編 二人はチンピラMax Heart 2nd

休日デートと回転木馬の次に当たる閑話です。


「すげえな、まさかこんな方法で……。」

「ああ……。」

 

この日、サーレーとズッケェロはミラノにある映画館に足を運んでいた。二人は最前列の席でスクリーンにかぶりつきだ。今日はサーレーがエジプト出張から帰ってきて、ズッケェロと恋愛映画を見た次の次の日。

 

二人が今見ている映画のタイトルは、二人はチンピラMax Heart 2nd。この映画の内容は、固定する能力者のソルトと生物の厚みを無くす能力者のシュガーの二人のチンピラコンビが、裏社会の偉大なボスの下で成長していく話だった。ちなみに家でDVD で映画の1stの内容を予習してきたのだが、チンピラコンビと若い頃のボスの金の奪い合いの戦いという概要だった。

二人はそこから紆余曲折を経てさまざまな経験をし、試練を乗り越えて成長し、今現在は以前敵対していたボスの勅命を受けて麻薬チームの処分を行うところだった。

 

「すっげえ。でも次の奴らはマジでヤバい奴らだろ。アイツら勝てるのかな?」

「どうだろうな?ドキドキするな。」

 

サーレーとズッケェロは、画面に見入っていた。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

『来たな。あれが情報屋が言っていた、見境なく他人を麻薬中毒にする災厄の鳥だ。』

 

ソルトが双眼鏡を眺めながら、傍らのシュガーに告げた。

そこはイタリアのシチリア島。そこで彼らは、麻薬チームの本拠地の近くまで迫っていた。

 

『どうするよ?情報屋の旦那から聞いた話じゃあ、あれは結構厄介な敵だという話だぜ?』

 

シュガーがソルトに返事した。

 

彼らは今現在、イタリア裏社会の支配者の勅命でヨーロッパに麻薬を見境なくばら撒く敵の処分を任されていた。

組織の情報屋から彼らに情報が伝えられ、彼らはそれを元に敵の撃破手段を構築していた。

 

『情報屋の分析によると、あれは人間の生命力を探知してどこまでも追っかけてくるらしい。あれ自体に戦闘力はないながらも、周囲の人間の冷静な判断力を喪失させる極めて厄介な鳥だという話だ。』

『墜とせるか?』

『能力者同士の戦闘において最も大きな強みとは、能力を隠す秘匿性だ。その点で言えば、情報屋がいて敵の情報が筒抜けの俺たちは奴らに対して圧倒的な優位に立っている。空戦に強く遠距離攻撃の可能な能力者がいれば、アレの始末自体は簡単だ。だが……。』

 

ソルトはしばし思考したのちに返答した。

 

『出来れば問答無用の虐殺は控えたい。もう一度奴らにもチャンスを与えるべきだろう。』

『ヌルくねーか?奴らはコッチを殺す気で来てるだろう?』

『……まあ結局はそうなる可能性はたけーが、理想を捨てるべきではない。ベストは奴らが自分たちのやっている事が、他の全ての人間に嫌がられていて、そっちに進む先には殺し合いによる破滅しか待っていないと理解する事だ。』

『まあそうなんだがよぉ。……行けるか?』

『ボスは、俺たちであればそれも可能だと判断なさって俺たちに指示を出した。ボスの期待を裏切れるか?』

『まっ、そう言われちゃあしょうがねーな。いっちょやるとするか。』

 

シュガーはニヤリと笑った。

 

◼️◼️◼️

 

「すげえな。アイツらにやれるのか?確かにあのチンピラは成長してはいるが……。」

 

サーレーはドキドキして、胸が高鳴っていた。

なんて言うか……チンピラがかっこいい。

 

でも創作物なだけに、現実味は非常に薄い。

いくらなんでもあんなにデキるチンピラが現実にいるとも思えない。

 

「……出来るんじゃねえのか?アイツら今までだって、試練をいくつも乗り越えて来たんだろう。」

「やっぱ、できるのかな?」

 

横のズッケェロもスクリーンに集中していた。

 

◼️◼️◼️◼️

 

『おかしいと思わねえか?あの鳥。アレが本当に見境なく魂を探知しているのなら、なぜ本体の側にいる麻薬チームの人員に近寄って行かねえんだ?』

 

双眼鏡を片手にソルトが呟いた。

 

『どういう事だ?』

『アレの薬物中毒症状が本当に無差別なら、本体の側にいる麻薬チームの奴らにも全員今頃麻薬の禁断症状が出ているはずだ。』

『なるほど。』

 

シュガーが腕を顎において頷いた。

 

『ならばどう考えるんだ?』

『いくつかの仮説はある。一つは麻薬チームの奴らはすでに麻薬で頭がイかれていて、麻薬の症状への耐性を持っている。そしてもう一つは……。』

『……あの能力は本体の近くにいる人間には効果を及ぼさない。もしくは効果を及ぼす範囲になんらかの制限がある。』

『ああ。可能性として高いのは、あの鳥は自身の進行方向にいる存在に効果を及ぼすのではないか?』

『……なるほど。』

 

ソルトが頷いた。

 

『……じゃあどうするよ?』

 

彼らが話している最中も鳥はどんどん二人に近寄って来ている。

決断までに時間をかけられない。じきに効果範囲に入り、二人にもその効力を及ぼすだろう。

 

『やりようはいくらでもある。長所と短所は、表裏一体。探知を視野に頼らないということは、視力が退化するということ。視界が効いていないことが、あの鳥の最大の弱点だ。』

 

ソルトはそう言うなり、シチリアの港に着けてある漁船へと乗り込んだ。

そこには漁に使う投網が乗せられていた。

 

『能力とは全ては扱う人間次第、俺たちの敬愛する偉大なるボスのお言葉だ。敵を知り己を知れば、百戦危うからず。』

 

ソルトはそれだけ話すと、投網を広げたまま宙に投げて能力を使用して固定した。

網は空に浮かび、触れたものを固定して絡め取る罠となる。

 

『これであの鳥が俺たちを追いかけて来たら、目が見えていないあの鳥は進路上にあるこの網に突っ込まざるを得ない。うまく鳥を網に固定できるまで待って、鳥の側面を回り込んでいけばいい。さて、距離を置いて網に鳥が絡まるまで待ってから敵本丸に乗り込もうか。』

 

◼️◼️◼️

 

「なるほど。マトモに戦うのが難しい相手は、マトモに戦わなければいいのか。能力をいかにうまく使って、相手の弱点を突いて自身の強みを活かすか、か……深い。」

 

サーレーが大きくため息をついた。

 

「ああ、ただの映画じゃあねえぜこれは。敵を知り己を知れば百戦危うからず、か。なるほどなぁ。俺たちにも映画のような情報屋がいりゃあなあ。」

 

ズッケェロも感心してしきりに頷いている。

 

「……いや、パッショーネの情報部がいるじゃねーか。」

「あっ、それもそうだった。」

 

二人が感心しているうちに、映画の場面は切り替わった。

 

◼️◼️◼️

 

『どうだ、お前の能力で追っ手を追い払えたか?』

 

老人が、女性に問いかけた。

ここはシチリア島にある倉庫の一角。そこには、老人、リーダーである体格の良い若者、黒髪の軽薄そうな若者、病に侵された不健康そうな女性の四人がいた。

 

『……わからない。』

 

女性が老人に返答した。

 

『わからない?』

『私の鳥は、半自動だから……。生命力が辺りから消失すれば、帰ってくるはずだけれど……。』

 

老人は女性を注意深く確認した。

彼女の能力である鳥は彼女の精神と同一であり、それが撃破されたのならば彼女にもなんらかの影響を及ぼすはずだ。

しかし彼女に異変が起きる様子はない。

 

『体調は大丈夫か?』

 

体格の良い若者がそっと女性の背中を撫でた。

女性は難病に侵されており、若者の能力で作り出す麻薬が唯一その症状を和らげる手段であった。

 

『うふふ、ありがとう。』

『なんて言うかよぉー、俺たちは四人揃えば無敵だよなぁー。まあ組織のやつらが来ても、返り討ちにしてやろうぜ!』

 

女性が若い男に礼を言い、浅薄そうな黒髪の男が己の実力に自信をのぞかせた。

 

『油断するな。組織の暗殺チームが動いたという話も入って来ている。』

 

老人が黒髪の若者の浅慮を窘めた。

 

『でもよー、暗殺チームの噂は眉唾なんじゃあねえの?今まで組織でそんなやつ見たことないぜ?』

『……恐らくはボスの隠し玉なのだろう。抜けばすべてを斬って捨てる、鋭利な伝家の宝刀をそうやすやすと抜いたりはしまい。』

『うーん。』

 

黒髪の若者はそれを聞いて考え込んだ。

 

◼️◼️◼️

 

「そうなんだよぉ。ボスが丹精込めて育てた暗殺チームが、すでに近くまで迫ってるんだ!」

「ああ、アイツら死んだな。」

 

サーレーとズッケェロは手に汗を握りながら映画館の席で思い思いに感想をくっちゃべっている。

 

「すみません、少し静かにしてもらえませんか?」

「「……あ、ハイ。すみません。」」

 

隣の席の人にうるさいと怒られてしまった……。

 

 

◼️◼️◼️

 

『四人で閉じた世界……四人きりの楽園……か。お前らにはきっとそれが心地良いんだろうな。だが、楽園は運営の対価を、他者の苦痛で支払われている。』

『誰だッッッ!!!』

 

老人が声を張り上げ、倉庫の隅に一人の男が立っていた。

老人はその男に見覚えがある。組織のうだつの上がらないチンピラで、いつも下っ端に混じって雑用をこなしていた男だ。

確かソルトとかいう名だったはずだ。

 

『きさまは……。』

 

老人が一歩前に出た。

 

『ああ、そこまでだ。それ以上前に出るな。もし少しでも動けば、敵対行動と見なして即座に攻撃を開始する。』

 

ソルトが手を出して老人を制止した。

 

『顔合わせくらいはしたことがあったか?俺はボスの勅命で動いている、お前らが言うところの宝刀だ。攻撃を開始する前に最後通告を行う。お前らの行動は、お前ら以外の人間を害するものだ。大人しく投降することを勧告する。俺も無意味に殺しなんざやりたくはねえ。』

『……きさま一人か?』

 

老人が四人を代表して会話を紡いだ。

 

『うん?そんなものどうだっていいだろう。お前らに出来るのはハイかイイエか、答えることだけだ。』

『馬鹿なやつだ。』

 

老人の瞳に好戦的な光が宿り、四人は立ち上がった。

 

『ああ待て、戦う前にハッキリと答えを言え。それが済んだら、相手をしてやるよ。』

『……誰がキサマらなんぞに降ると思うか。』

『お前らもか?』

 

ソルトの視線が残りの三人に向いた。

 

『降るわけがないだろう。我らは世界の帝王となる存在だ!』

『ジジイ、てめえにゃあ聞いてねえよ。耳触りのいいだけの言葉なんざ、詐欺の常套句に過ぎねえ。お前みたいな訳知り顔な人間に限って、それらしい正論紛いを口にするから余計に手に負えない。若者を破滅の道に誘う老害は、頼むから黙ってろ。』

『……お断りだ。』

 

体格の良いリーダーの若者が返事をした。

 

『理由を聞こう。当然お前たちの欲求を全て叶えることは出来ないが、それでもこちら側からいくらか譲歩する姿勢は見せられる。お前たちは何が気に入らなくて組織に反旗を翻した?』

『俺たちは戦って地位と権力を牛耳る。俺たちにはそれが可能で、今の立場が気に入らない。』

『……なるほど。』

 

ソルトはしばし考えてから再び告げた。

 

『今の社会とは、先人の血と努力によって築かれたものだ。いかに多くの人間が、互いを尊重して幸福に暮らせるか試行錯誤した末に出来上がったシステムだ。もしもお前たちが力で権力を簒奪することが可能だったとしても、再びお前たちのような者が現れてお前たちから権力を剥ぎ取るだろう。同じことの繰り返しで、そっちに進む先は周囲を巻き込んだ凄惨な殺し合いが待っている。社会はお前たち若造が考えているほどヌルくはなく、世界には信じられないような強者も存在する。お前たちはそれでも我を通すのか?』

『俺たちは強い。』

『お前らも同じ答えか?』

 

ソルトは浅薄そうな若者と女性にも声をかけた。

 

『仲間がこう言ってるんなら、それを信じなけりゃあ男が廃るだろ!』

『私は彼に従うわ。』

 

話は終わりだとばかりに四人は立ち上がり、敵意がソルトに向いた。

体格の良い若者がソルトに向かった。

 

『残念だよ。ひたすらに残念だ。お前らは理解していない。お前らは頭に銃口を突きつけられて脅されていることにさえも気付いていない。』

 

ソルトは苦笑いした。

 

◼️◼️◼️

 

「うおおおおおおッッッ!!!佳境に入ったぜ。ソルトはアイツらに勝てるのか?なんかやけに自信ありげだがッッッ!!!」

「わからねえ。だがいつのまにかいなくなったシュガーが戦いの行方を握ると俺は踏んでるぜ。」

 

サーレーとズッケェロはポップコーンをボロボロこぼしながら食べて、コーラで喉を潤した。

 

「すみません、館内で食べ物をこぼさないでください。」

「「あっ、スミマセン。」」

 

今度は映画館の職員に怒られてしまった……。

 

◼️◼️◼️

 

薄暗くて汚れた倉庫が、終着駅。

そこが麻薬チームの棺桶だった。

 

『無敵の能力なんて存在しない。たった四人の狭い世界でお山の大将を気取っても、滑稽なだけだ。アリーヴェデルチ、麻薬チーム。お前らの来世の幸福を願っているよ。』

『なッッッ……。』

 

麻薬チームのリーダーの胸部には、いつのまにか背後から細い剣が突き刺さっていた。

剣が刺さると同時に、リーダーは空気が抜けた風船のようにしぼんでいった。

 

『社会の強みの極意とは、あらゆる事態に対処する幅のあるしなやかさ。お前たちの能力は、すでに丸裸だ。組織の情報屋から情報が入ってきている。お前たち四人は確かにさまざまな強さを持っているが、純粋に前列で戦えるのはリーダーのその男だけだ。その男がいなくなれば、途端に力業が使えなくなる。それがお前たちの一つの弱点だ。』

 

リーダーの体格の良い男に、能力を使用してすでに倉庫に潜んでいたシュガーが背後から奇襲をかけて無力化した。

シュガーはそのまま移動して、ソルトの横に並び立った。

 

『最後通告はすでに済ませてある。お前たちは力に酔ったただの愚者に過ぎない。たとえそのリーダーがいなくなっても、再び同じようなやつに擦り寄って同じことを繰り返すのだろう。』

『そんなことはないッッッ!!!私たちは彼を王にするために……。』

 

老人の体から霧が噴出し、倉庫に小雨が降り出した。

老人はまだ白旗を上げておらず、目前のこの二人さえ始末すればリーダーを復活させられると判断した。

 

『残念だよ。己の欲望のためなら他者の存在を顧みない赦されざる者よ。お前たちの意見は現代社会ではまるで通用しない、子供の癇癪だ。お前たちは社会から切り離されて、時代に乗り遅れた孤島の住民に過ぎない。孤島で大人しく過ごしているうちは特に言うことは無かったが、欲をかいて他人の家の台所を漁って隣人を殺害した時、お前たちは赦されざる者となる。』

 

ソルトはそう告げると懐から一つのカプセルを取り出した。

それは内容物が漏れ出さないように、ソルトの能力で厳重に固定してあった。

 

『情報屋が俺たちに情報をくれ、友人が俺たちにお前たちを始末する力を貸してくれた。ボスは俺たちの能力の正しい使い道を指し示し、先輩は俺たちのゆるい意識の改革に一役買ってくれた。社会を築いて他者と手を取りあえば、俺たちのようなしょうもないチンピラであったとしてもお前たちのような危険な奴らにすら容易く勝利することが可能だ。敵を知り己を知らば、百戦危うからず。』

 

ソルトは親指でカプセルを弾いた。それは老人の足下で砕け、そのまま二人は倉庫を退出していく。

それはソルトが今回の任務に先駆けて、組織の友人から借り受けた危険物だった。

 

『……本当はこれは使いたくはなかったんだがな……。』

 

獰猛、それは……爆発するかのように襲い、そして消え去る時は嵐のように立ち去る。

それはカプセルに内包されたウィルスの特徴であり、暗殺チームの彼らの特徴でもあった。

 

ウィルスは本来ならば厳重に保管し、使用するべきではないものだ。しかし常に理想通りに物事が動くとは、限らない。麻薬チームの存在はヨーロッパで年間十万人を超える死者を出しており、被害のあまりの大きさから今回は特例として組織のボスから使用許可が出された。

 

倉庫の扉は出て行ったソルトに固定されて開かないようになっており、それを唯一力業で破れるリーダーはすでに無力化されている。

ウィルスが狭い倉庫で猛威を奮い、四人はさほど経たずに跡形も無く消滅した。

 

『つまらない任務だったな。とりあえず倉庫は念のために一時間ほど封鎖する。あとは情報屋の手伝いをして、仮面の行方を洗い出すだけだ。』

『まっ、俺たちにかかりゃあこんなもんよ。とりあえず一仕事終えたし、帰りにスポーツバーでいつも通り一杯やって、情報屋の手伝いは明日からでいいだろう?』

 

シュガーが笑い、ソルトも頷いた。

二人は十字を切って僅かに黙祷し、麻薬チームの死後の安寧と来世の幸福を祈った。

 

◼️◼️◼️

 

「すっげえ……。」

 

サーレーは感嘆していた。

敵は相当ヤバい奴らだったはずなのだが、ソルトとシュガーは能力と人脈を鮮やかに使ってあっさりと完封してしまった。

 

「能力は扱い次第、か。」

 

横のズッケェロもしきりに頷いている。

 

「……これは次回作のサードシーズンも見るっきゃあねえな。次は刑務所出張編らしいぜ。なんでもアメリカの刑務所に潜む危険な陰謀に、二人のチンピラが立ち向かうんだってよ。」

「マジか……。」

 

映画館の席を立つサーレーとズッケェロの背後で、エンディングのスタッフロールが流れていた。

 

 

 

 

協賛

パッショーネ

 

総監督

ジョルノ・ジョバァーナ

 

助監督

カンノーロ・ムーロロ

 

◼️◼️◼️

 

「効果ありますかねえ?」

「どうだろうねえ。まあなんでも、試してみるべきだよ。二人は勉強が好きだとも思えないし、わかりやすい映画なんかのほうがよっぽど意識改革に役に立つかもしれない。理解しづらいいかにも高尚そうな難解なものより、キチンと伝わる簡単な物の方が得てして価値がある。まあもしもこれがダメでも、次の手段を考えるだけさ。」

 

ネアポリスの図書館で、ジョルノとムーロロが笑っていた。



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番外編 裏社会の法王

「10位、ドイツ、ディアマンツの暗殺チームリーダー、ゲオルグ・シュベッカー。代表戦功、暴力的反社会組織ハイリガー・クリークの壊滅作戦の指揮。市場推定価格、8000万ユーロ。」

 

ジョルノは、ビルのオフィスの一室にある円卓で、欠伸を噛み殺した。

今日はノルウェーのオスロで、ヨーロッパ圏裏社会の会議だ。重要事項はすでに終了し、今現在は並み居る老人たちの趣味に付き合っている。

 

「7位、イタリア、パッショーネの暗殺チーム副リーダー、マリオ・ズッケェロ。代表戦功、アメリカフロリダ州に潜むテロリストとの暗闘、イタリアの事変における活躍。市場推定価格、1億3000万ユーロ。」

 

物事を数値化することが好きな人間は多い。ジョルノもそれが別段嫌いというわけではない。

本来彼らは秘匿されるべき存在であり、しかし凶悪犯に対する抑止力でもあるためにある程度の情報は社会に流す。この場にいれることがパッショーネがヨーロッパで受け入れられた証拠だ。

しかしジョルノはそれに付き合うくらいなら、フットボールの試合をのんびり観戦していたいというのが正直なところだ。普段は忙しく、疲れがちょっと溜まっている。

 

「5位、スイス、ウートシュバイツの暗殺チームリーダー、ヨルゲン・ルーベルグ。代表戦功、スイス神隠し事件の解明、チューリヒのシリアルキラーの暗殺。市場推定価格、1億8000万ユーロ。」

 

各国の暗殺チームの個人の推定評価額を、壇上の老人がマイクとともに発表している。

発表されるたびに、円卓から出席者たちの拍手喝采が湧き上がる。

使い捨てであるにも関わらず生き残り続ける暗殺チームの人間には、馬鹿げた値札が付く。

 

「2位、スペイン、アルディエンテの暗殺チームリーダー、ジェリーナ・メロディオ。代表戦功、マドリードの乱戦、オランダの麻薬カルテルの壊滅、東から亡命してきた暗殺団の適正な管理。市場推定価格、2億6000万ユーロ。」

 

数字に大きな意味はない。彼ら彼女らは皆各々の組織の非売品だ。

値札は付けられているものの、実際に買おうとしたら、本気の抵抗に遭うことになる。とても不可能だ。

交渉の席にも着けずに門前払いされてしまう。平和の保障が、安いわけがない。

例えば亡きカンノーロ・ムーロロは、実力と有用性で考えれば恐らく2億ユーロ前後と評価されるだろうが、10億ユーロ積まれてもジョルノは絶対に売らない。

 

それでは何のために値札を付けているかというと、単純にそれが楽しいからだ。

他の国よりも価値の高い人材がいることを周囲に自慢したいからである。人間の好奇心を満たすという意味合いもある。数値化して競わせることによって、より強靭な人材を育て上げるという目的もある。

 

「1位、フランス、ラ・レヴォリュシオンの暗殺チームリーダー、フランシス・ローウェン。代表戦功、1998年のEU外患の排除、スイス神隠し事件の解明の協力、北欧の陰謀の殲滅、スペインのマドリードの乱戦の援護、リヨンの爆弾魔の暗殺、ボルドーのテロ組織の壊滅、2002年のパッショーネと諸外国組織間の緊張状態の調停、イタリアの害虫駆除作戦総指揮。市場推定価格、6億6000万ユーロ。」

 

こうやって俯瞰で見れば、よくわかる。ジョルノはボンヤリと、思考した。

 

姿を見せたディアボロの暗殺作戦は、処刑執行人であるフランシスとメロディオと引退した処刑執行人のジャックでスリーマンセルが組まれていて、最初にディアボロと接触したフランシスから他の周辺諸国の組織に決して彼らの邪魔をしないように根回しがされていた。

 

敵はパッショーネに執着する、フランシスも知らないヨーロッパの実力者。フランシスは組織に頼んで調査を行い、対象がパッショーネの前ボスであることを確信した。その暗殺計画は全て、スペシャリストである彼ら自身に任せてある。ジャックもフランシスも、一番若年であるメロディオの生還を目標にしていた。その理由は使い捨てであっても、トップ3が一気に抜ければヨーロッパの戦力の低下が免れないという理由であり、それならば一番先の長いメロディオを生還させようと彼らが考えるのも当然だった。

 

つまりヨーロッパ全域の敵を、ヨーロッパ裏社会全域で手を組んで撃滅する犠牲を許容した作戦だった。その最中にパッショーネと敵対することになったのである。新参者で事の元凶であるディアボロを輩出したパッショーネに根回しが来なかったことも、仕方のないことだった。万が一にもディアボロに作戦が伝わってしまえば、作戦が台無しになってしまう。実際の戦場でパッショーネのウェザー・リポートという戦士の才能にパッショーネ勝利の可能性を見出したフランシスは、急遽戦略を変更して柔軟に戦局を動かした。

 

1位で発表されたフランシスに、ジョルノはしばし過去を思い出した。

それはジョルノがパッショーネのボスになって間も無くの頃だ。

 

人間とは感情に重きを置く生き物だ。歴史がそれを、証明している。

理性ではわかっていても、感情に引きずられて幾度も闘争を繰り返す。本来であればパッショーネがヨーロッパで認められるには、ヨーロッパ圏内裏組織の悪感情を清算するための膨大な時間が必要なはずだった。

 

裏社会のルールを無視し続けたパッショーネが、国外の組織の悪感情を清算するための足がかり。

国外組織との闘争なしでの融和。

 

各国社会の麻薬流通量は各国裏組織の暗黙の管理下にあり、それを無視し続けた以前のパッショーネはヨーロッパの鼻つまみ者だった。各国裏組織は社会全体を守るために、パッショーネの麻薬を買い続けて財政が火の車だった。それが大量に表社会に流入してしまえば、社会は破滅する。表裏一体の表社会が倒れれば、裏社会も共倒れだ。抗争しても、強大なパッショーネには敵わない。それでも資金難で買いきれない分が多く表社会に流れ、裏社会の組織は長年苦しい思いを強いられ続けていた。

 

そもそもがおかしいのである。麻薬によるヨーロッパ圏内の少年少女の死者がパッショーネのせいで本当に20倍になったのなら、ヨーロッパはすでに衰亡の危機に瀕していたはずだし、とっくに表社会の軍隊が動いていてしかるべきだ。ポルナレフが調査していたのは、パッショーネから大量に麻薬が流れ出して慌てて各国裏組織が対応する間の期間のことだった。

 

各国裏組織が社会を守るために必死に身銭をきって、それでもヨーロッパ圏内で年間十万人超の死者だ。

ディアボロの思想はまさに、自分がよければ他はどうでもいいというものだったのである。ディアボロの最大の間違いは、自身の行動がヨーロッパでどれほどの恨みを買っていたのか正確に把握していないことだった。ヨーロッパのトップ3が、最悪全員の命を捨てることになっても確実に抹殺するという決断を下していたのである。

 

ディアボロがメロディオに赦されざる者だと判断されたのも、カンノーロ・ムーロロに害虫と評されたのも、至極当然だった。

イタリアを除く周辺の国家は痩せ細り、戦争寸前だったというのもあながち大袈裟ではない。歴史上でも、アヘン戦争という麻薬を発端とした戦争の実例が存在する。

ディアボロ愚行による怨恨は、根深かった。

 

ではなぜ、それだけ恨まれているはずのパッショーネの周辺諸外国組織との早期の融和が可能だったのか?

そこにジョルノというボスの早急な誠意ある行動が存在したのは確かだ。

しかし、それだけではない。

 

ジョルノのパッショーネがヨーロッパ各国裏組織に早期に馴染むことが可能だったのは、パッショーネと最初に友誼を結んだラ・レヴォリュシオンという組織の橋渡しになった、フランシス・ローウェンという人物の協力的な姿勢の賜物だった。フランシスがパッショーネを赦すのであれば、自分たちにもパッショーネの罪を問えない。周囲にそう思わせる人物の赦免。

 

その裏側にある恐ろしい事実とは、ヨーロッパ裏社会では長年ヨーロッパに麻薬をばら撒き続けたパッショーネという組織への憎しみより、使い捨てのはずのフランシスという人物への敬愛の感情が勝っていたということである。

 

財産とは、金銭だけではない。人徳、他者との関係などもいざという時に役に立つ財産に成り得る。

フランシスの英断と財産は、見えないところでパッショーネとヨーロッパ圏内の大勢の裏社会の人間を救済した。その価値を金銭換算することが、馬鹿馬鹿しい。

 

ジョルノがディアボロ打倒後にパッショーネを裏切ったはずの彼らの罪を一切問わなかったのも、実はそこに起因するところが大きい。

ジョルノは理性感情両方の面で、フランシスを罪に問うことが出来なかった。問えるわけがない。何しろ相手は、イタリアの守護聖人である。

受けた恩は必ず返すのが、裏社会の組織の流儀だ。

 

非常に馬鹿げている。数字に意味は無い。

ラ・レヴォリュシオンはたとえ評価額の倍額積んだところで、絶対にあのフランシスという人材を売らないだろう。鼻で笑われてお終いだ。

裏社会の情報通の人間に聞けば、最強の人間に名前が上がるのはジャックでもメロディオでもサーレーでもない。強者は、決して強さを誇示しないのである。ディアボロはジャックの火力とメロディオの底知れない不気味さに目がいって、最も恐ろしい人間に意識が向かなかった。

 

本物の愛は、決して金で売らない。

金で買えるものは欲望であり、それは愛とは呼べない。

物の推定価格とは、信仰に左右される。ゴッホやピカソ、ダ・ヴィンチといった著名な画家の絵に天文学的な値札が付いているのは、彼らの作品が大勢の人間の信仰を勝ち取っているからである。

 

処刑執行人とは、存命中に信仰を受けるという奇跡を成し得た人物の別称である。

執行人は神の代理人とみなされ、その言葉は途方もなく重い。

フランシス・ローウェンは、彼を知る者の間では裏社会の法王だとみなされている。法王に値札を付けることが、そもそも不敬なのである。

 

フランシス・ローウェンという赤毛の青年は、ヨーロッパでもっとも尊敬される裏社会の住民だった。

 

◼️◼️◼️

 

「……信じられない。馬鹿げている。」

 

ウェザー・リポートは、戦慄し、狼狽し、終いには呆れた。

本気でない戦いだとは理解していた。時間稼ぎの戦いだと確かに聞かされていた。しかしまさか、こんな恐ろしい隠し球を持っていたとは夢にも思わない。何が互角の実力だ。とんでもないペテン師だ。嘘八百もいいところだ。

つくづく敵でなくて良かった。こんな技を使われたら、その先には絶望しか待っていない。

 

ここは、モンテ・ビアンコ。ヨーロッパを広範囲に縦断するアルプス山脈の中でも最高峰である、いわゆる日本でモンブランという名称の山のイタリア語である。モンテ・ビアンコの山頂は、イタリアとフランスの国境線だ。モンテ・ビアンコの八合目で、ウェザーとフランシスは黒いコートを着て眼下の様子を眺めていた。

 

「これぐらい、おそらくお前にもできるようになる。気候的にもここは適しているからな。」

 

動くものの存在しない静寂の世界。

ウェザーの横で佇むフランシス・ローウェンの眼下には、信じられないほどに巨大な氷塊が存在した。

氷塊の下には建築物が存在し、そこにいる人々はもう永久に日の目を見ることはない。その施設は、モンテ・ビアンコの登山道から外れた場所に建設されていた。

 

「……いや。これはもはやスタンド能力というよりは、ただの天災だ。」

「ああ、それは否定できない。しかしこれを天災と呼ぶのなら、お前のヘビーウェザーも十分に天災だろう。」

「まあそうかもしれないが……未だに信じられない。……これを使用していれば、あの男にも勝てたのではないか?」

 

ウェザーが訝しげに、フランシスに目を向けた。

パッショーネの前ボスであるディアボロは、もともとスタンドを使う暗殺者を恐れて姿をくらましていた。

それは裏を返せば、ディアボロが脅威を感じるほどのスタンド使いがヨーロッパに存在するという証明でもある。戦いを思い返してみれば、フランシスは先陣をきって自然界の雷を発生させている。よく考えればこれはとんでもない。

 

「勝てるという確証がない。もしも敵の能力が広範囲を移動可能な瞬間移動能力だったとしたら、逃げられる可能性がある。下手に強力な能力を使ってしまえば、失敗した時にあの男にひどく警戒されることになる。本気を出して逃げられたら元も子もない。社会の未来は、ギャンブルの賭け金にできるほど安いものじゃないさ。切り札を使用するのなら、殺害できるという確信を得てからだ。」

「……。」

 

ディアボロのキング・クリムゾンは未来に時間を飛ばす能力であり、実際に相対したフランシスがいきなり移動するディアボロに瞬間移動の能力の可能性があると判断したのも無理はなかった。ディアボロの能力の詳細がわからないことには、簡単に動けない。本気を出して警戒させてしまえば、用心深い害虫にまた逃げられる可能性がある。

そうなれば必然、敗北追従の選択肢しかない。ほどほどの実力者を装いディアボロをいい気にさせて、確殺できると判断した時に行動を起こす。

ウェザーは黙り込んで、眼下に広がる信じられない光景を眺め続けた。

 

「それに俺のこれは、広範囲を巻き込む能力だ。強大な力には、責任が伴う。下手に使用すれば周囲に多大な破滅の爪痕を残すことになる。倒した敵の数よりも、死なせた味方の被害の方が甚大になる。それに敵の詳細がわからないあの時は、俺が出しゃばるよりもメロディオに任せた方が確実だった。」

 

◼️◼️◼️

 

氷塊の中に閉ざされた施設では、とある富豪が大金を出資した研究を行っていた。それは前時代、20世紀初頭の負の遺産。

歳をとった富豪は己の死を認めず、自身の死後も世界に影響を与えることを望んでいた。誰もが一度は夢見る、不老不死願望である。わかりやすく、誰にも理解しやすい。

 

間近な己の死に狂乱した富豪は、その当時始めて成功したクローン技術に目を付け(一番最初に成功したクローン技術は、1891年のドイツでのウニの受精卵の分割である。)、己の細胞をストックして自身のクローンを大量に作り出すことにより世界に自身の死後も影響を残せるのではないかと目論んだ(そこには富豪の身近にいた、研究者の入れ知恵があった。富豪自身は、ウニの受精卵の分割がそんな技術に応用可能だとは夢にも考えていなかった。研究者はクローン技術に将来性を見出し、富豪に擦り寄って大金を出資させた。もちろん彼自身の出世欲のためである。)。

 

馬鹿げた野望である。

その当時成功したクローン技術は棘皮動物のウニであり、哺乳類が始めて成功したのはその九十年後だ。

富豪は人間から遠くかけ離れたウニのクローン技術成功に希望を見出し、いつ成功するともわからない研究に大枚を叩いたのである。当然、富豪の体細胞の保管とか、年月を経ることによる目的の喪失だとか、金銭面だとか、倫理面だとか、問題は山積みである。

 

しかしそれだけならば、まだマシだった。

クローンの人権とか、倫理とか、差別とか、人として大切なことを無視さえすれば、それだけならばまだフランシスが動くような事態にはならなかった。それらは表で詳らかにして、大勢の人間に公平に判断されればよい。表社会の判断は、裏社会に優先される。処刑人が動くのは、いつだって早急に解決しなければならない最悪の事態だけだ。

問題は、その組織の目的が原初から程遠く乖離して、クローン兵を育ててその技術を少しでも高く買い取ってくれるところへと売り捌くことへとシフトチェンジしたことだった。

 

100年も研究すれば富豪の財産だって底をつき、研究資金が無くなればここまで続けた研究の成果は二束三文で他人の手に渡ることになる。富豪の子孫は非人道的な研究が明るみに出て世間に非難されることを嫌い、とっくに施設とは縁切りをしている。国や政府は富豪よりも遥かに大きな資産を持っており、わざわざ個人の人道に悖る研究成果を漏洩のリスクを犯して高値で買い取らずとも自分のところで極秘裏に研究施設を設ければ良い。研究に携わった者たちは、今更長年の努力が無意味だったと引き返せない。

背後にそういった、様々な要素が存在した。

 

そうなれば結果として、暴力主義的破壊活動を主な目的とした組織に足下を見られて、研究成果を買い叩かれることになる。そういった組織は、表裏問わずにフランス社会の不倶戴天の仇だ。

研究者たちは、自分たちの価値が証明されるのならば、研究成果を悪魔に売り渡すことも止むなしという最悪の選択をしてしまった。

目先の困窮は、いつだって容易く人間の目的と価値観をすり替える。人は空腹のために盗みを働くし、時に殺しを行うこともある。

 

さようなら(Au revoir.)止まない雨(Ne jamais arreter la pluie.)氷河に覆われた世界(Age de glace.)。」

 

フランシスはモンテ・ビアンコの中腹にある施設を八合目から寂しげに眺めて、静かにつぶやいた。フランシスの傍らに、波打つ形状の水色の人型が現れた。

 

山の中腹で散乱した周囲の雲が施設を中心に収束し、終わりのない雪混じりの雨を降らせ続けた。雨は降る端から凍っていき、いつのまにか建物を覆う形で絶壁の氷塊を成す。建物全域が完全に氷解に覆われるまで、ほとんど時間がかからなかった。

 

ウェザーがはたと気付いた時には、モンテ・ビアンコの中腹に閉じられた静謐の世界が完成していた。景観としては非常に美しいが、その真実は施設に携わる人間がことごとく氷塊に閉じ込められて凍死するという背筋が凍る凶悪な光景だ。氷塊は分厚く、容易く解けたりはしない。氷河の中に、生あるものの時間は存在し得ない。氷が解けるのは、きっとそこに何があったのか誰しもが忘却の彼方に置き去るくらいの遠い未来だろう。いつか彼らは誰かに化石として発掘されるのかもしれない。施設に携わる人間は、人の営みから遠く切り離された彼岸の住人と成り果てた。

 

社会に愛されて育成された才能あるスタンド使いのごく一部は、研鑽の末にやがて神域へと至ることがある。

暗殺チームでもトップクラスの実力を持つ処刑執行人は、入神した人間だと周囲に認識されている。

 

処刑執行人は、ヨーロッパ圏内にサーレー、メロディオ、フランシスの三人しか現存しない。

そして天災とは、神の怒りだ。

 

ウェザーはその現実味の無い様を、夢見心地で眺めていた。

 

◼️◼️◼️

 

「あの施設の出資者は、元は俺たちの組織の後援者(パトロン)だったんだよ。」

 

フランシスが悲しげに語った。

 

「知り合いなのか?」

「いいや、俺は知らないよ。百年も前に死んだ人間だ。でも地元のパリでは、それなりには有名人だった。」

 

フランシスは懐から新聞を取り出して、ウェザーに手渡した。

 

「……これは?」

「パリにある出版社が敢行している新聞だ。今はもうオーナーが一族から変わってしまったが、元はその人物の所有する会社だった。他にも大手ショッピングモールと飲料メーカーを持っていた。地元でそこそこ名の知れた会社だ。」

「そうか。」

「パリの名士だった。社会に貢献した人物だと、パリジャンは誰もが信じている。今回の依頼は、国の上層部からだ。地域に貢献した素晴らしい人物の、晩節を汚す行為を誰にも知られたくないとな。地元の名士が創設した組織に、テロ対策法が適用されただなんて誰にも知られたくない。その子孫にも誹謗中傷が向かうことになる。パリの市民もひどく落ち込み、ショックを受けるだろう。それで俺に、秘密裏の処分命令が下された。」

 

ウェザーは黙って考え込んだ。

 

「なまじ100年も研究できる資産があったのが、不幸だったんだろう。普通ならもっと早くに行き詰って引き返している。国は再三の施設の閉鎖勧告を行っていたが、先日施設からフランス政府に対して犯行声明が出された。」

「……それは。」

「その犯行声明の手法により、施設がテロ行為を目的とした組織と繋がっている可能性が浮上した。フランス国家からラ・ レヴォリュシオンのもとに話が来た。俺たちの組織は行動を起こし、施設への潜入任務を請け負った俺の部下は、俺の下に帰ってこなかった。スタンド使いで、そこそこ戦える奴だったはずなんだが。施設の裏手には地面を掘り起こした形跡が見つかり、そこからは複数人分の人骨と拷問された形跡のある俺の部下の遺体が見つかった。俺の部下は素行が決して良くはなかったが、サッカーゲームが大好きで、俺が対戦相手をすると嬉しそうに笑う奴だった。葬儀の遺体は、全身が揃わなかったよ。……悲しいもんだな。きっと行き先がどうにもならない遣る瀬無さが、フランス社会への憎しみに変わったんだろう。長年の研究は無意味だった。金はない。今更引き返せず、悪魔に魂を売り渡してしまった。人間としても研究者としても、周囲からの評価は何をするかわからない理解できない人間の集まりだ。結局、誰にとっても不幸な結末で終わってしまった。」

 

フランシスの憂いの眼差しが虚空に向けられ、ウェザーの吐く息は白く宙に消えていった。

 

「人間のクローン技術自体、問題がたくさんある。」

 

至極当然な、誰でも思いつく問題だ。

外見が人間でも普通の人間とは異なる出自の生命がいれば、当然どこかで差別の対象になる。人権が軽んじられればそれは奴隷制度へと繋がり、その先にさらに過激な考えをする人間が出てきてもなんら不思議はない。

 

人間とよく似てはいても、人間ではない。人間が管理する家畜と同様だと。

そうなれば人間全体のモラルが低下し、下げてはいけないハードルが下がってしまう。

医学の発展のためという立派な御題目の元に、平気で非人道的実験が行われる可能性が存在する。

兵士の命の価値も下がり、クローンは人権を無視した訓練を施されて消耗品として真っ先に戦地に送られる。

 

それらはいずれ世界の争いの火種となることが、想像に容易い。

少なくとも理想を掲げる表社会に、簡単に存在が許されていいものではない。

医療の発展という素晴らしい可能性を秘めながら、同時に破滅を齎す悪鬼となる可能性を秘める存在だ。

 

「そこは俺たちが踏み入っていい領域じゃないよ。俺たちは軽々に言葉を発するべき存在じゃあない。俺たちはただでさえ、対象の生死を判断しないといけない。その上他のことを何もかも決めようなどと、傲慢の極みだ。」

 

先ほどまでに一所に集まっていた雲はすでに周囲に散乱し、輝く氷が陽光を反射して虹色に煌めいている。

 

「なぜ俺をここに連れてきたんだ?」

 

ウェザーが疑問を感じて、フランシスに問いかけた。

 

「スタンド能力には、先がある。」

「先?」

 

意味を理解しきれずに、ウェザーは首を傾げた。

 

「戦いに相性があるからには、共闘にも相性があるのは当然だ。」

 

フランシスのその言葉に、ウェザーはアメリカのグリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所で見せたサーレーと徐倫の驚異的な相性を思い起こした。

 

「……それで?」

「お前、アレできるか?」

 

フランシスが自分の行為を指差した。山の中腹に大量に雨を降らせて、凍らせた行為だ。

 

「……真似事は出来るが、あそこまで大規模には不可能だ。何故だ?」

 

ウェザーはフランシスに問いかけた。

 

「お前にアレが出来るのならば、もっと面白いことも出来る。もっとも誰が面白いと表現するのかは、俺にはわからないが。」

「何を言っている?」

「イングランドではかつて石仮面のせいで、都市が死都と化した過去の事例が実在する。有事に備えて、暗殺チームは決して研鑽を怠らない。俺一人ではアレが限界だ。しかしお前にもアレが出来るのなら、切り札が一つ増える。とにかくアレが出来るようになったなら、俺に教えてくれ。」

 

ウェザーは首を傾げた。

 

「……ガム、食うか?」

「……アンタはよくわからない人間だな。」

 

フランシスは何となく、ポケットからウェザーにガムを差し出した。特に意味は無い。

フランシスは他人とのコミュニケーションに、若干のコンプレックスを抱いていた。フランシスは、ウェザーを気に入っていた。

 

ウェザーはフランシスの言葉の意味を理解出来ずに、二人はモンテ・ビアンコを下山した。

 

◼️◼️◼️

 

「どういうことだと思う?」

 

ウェザーはサーレーに問いかけた。

 

「あー。」

 

サーレーは額の汗を拭って、返事した。

ここはローマの工事現場。今日の緑色のサーレーは、組織の下っ端や近隣諸国の移民に混じって小銭稼ぎの肉体労働に勤しんでいた。

 

今月は、飲み屋のネーチャンに金を使いすぎてしまった。金がない。マジでない。貧乏暇なし。文句あっか!

最近はサーレーに対して珍獣でも見るような飲み屋のネーチャンの視線がだんだん気持ちよくなってきてしまって、ついつい通い詰めてしまった。

 

一度だけウェザーも連れて行ったら、ウェザーだけがやたらとモテた。サーレーもズッケェロもミスタもモテなかったが、なぜかウェザーだけモテた。サーレーとズッケェロとミスタに、言葉に出来ない奇妙な連帯感が生まれた。ついでにミスタの暗殺チームにモテない呪いがかかっているという言いがかりは、残念ながら否定された。余談だが、徐倫大好きアナスイは同行を辞退した。ホル・ホースは、黙って置いてきた。

 

ウェザーもサーレーも、目は二つで鼻は一つ、もちろん口も一つだ。

一体何が違うというのか?一種の人種差別か何かだろうか?

……とにかくウェザーはもう二度と女性のいる店に連れて行かん!

 

いつものイカした髪型にヘルメットを被り、上半身は白いTシャツに汗が滲んでいる。サーレーは首から下げたタオルで、再び汗を拭った。

 

「おい、馬鹿が!アブねーだろーが!!!」

「すみやせん!」

「……ちっ、しょーがねー奴だ!次からは気をつけろよ!」

 

上空から一人の作業員が取り落としたスパナが落ちてきて、サーレーはそれを宙に固定して怒鳴った。

上階の足場からうっかりスパナを取り落とした作業員が降りてきて、サーレーに頭を下げた。

 

「……。」

 

ウェザーは暑さにかかわらず、こめかみに冷たい汗をかいている。

何故イタリアの都市伝説であるはずの裏社会の組織の暗殺チームのリーダーが、組織の下っ端に混じって工事現場で日雇いの労働をしているのか?意味がわからない。そもそも暗殺チームとは何ぞや?

ウェザーの中で暗殺チームという言葉が、ゲシュタルト崩壊を起こしていた。

 

「俺の仕事が終わるまで、どっかで待ってなよ。」

「お前は意味がわかっているのか?」

「まあ大体なぁ。」

 

ウェザーがサーレーのその言葉にミラノのカフェで待っていると、やがて仕事を終えたサーレーがやってきた。

 

「お待たせ。」

「ああ。」

 

汗をかいた服を着替え、清潔な服装のサーレーはカフェの席でくつろぐウェザーに声をかけた。

 

「それで、何の話だったか?」

「氷漬けの施設の話だ。アイツは何故俺に同じ事が出来るか聞いたんだと思う?」

 

ウェザーはサーレーに、問いかけた。

 

「切り札って言ってたんだろう。ならば新しい技とか、協力した必殺ってことだろ?」

「それはわかる。しかしそれが一体どういったものなのか?」

 

ウェザーは首を傾げた。サーレーは沈思黙考の末にウェザーに言葉をかけた。

 

「ちょっと訓練倉庫行くか。」

「ああ。」

 

ウェザーには理由がわからなかったが、なんらかの意味がある行為なのだろう。

ウェザーとサーレーは、戦闘訓練のための倉庫へと向かった。

 

◼️◼️◼️

 

「お前これに電流を通してくれるか?」

 

サーレーがウェザーに依頼した。

緑色のクラフト・ワークの右手には、鉄パイプが乗っている。

 

「ああ。」

 

ウェザーは小型の雲を作り出し、鉄パイプに微弱な電流を流した。

 

「いや、もっと強くだ。」

「強く?」

「ああ。別に本気でやってしまって構わない。」

「それは……。」

 

ウェザーは躊躇した。仲間に使う技ではない。間違いなくサーレーはダメージを受ける。

 

「いいからいいから、試しにやってみろって。」

「……ああ。」

 

ウェザーは躊躇いながらも、ウェザー・リポートの能力で鉄パイプに強力な電流を流し込んだ。

 

熱量(エネルジア)を、固定する。」

 

熱量を固定する……熱量を固定する?サーレーのセリフを、ウェザーは脳内で反芻した。

それはそんな簡単に固定できてしまっていいものなのか?ウェザーは心の中で、突っ込んだ。

ウェザーが流し込んだ電流は、家庭用の軽いものではない。

 

もともとサーレーのクラフト・ワークはミスタ戦でそうだったように、運動エネルギーが固定可能だった。物理法則に喧嘩を売っているスタンドである。

それが緑色の赤ん坊と融合したことにより、より強大で曖昧なエネルギーを固定することが可能となっていた。

ウェザーの流した電流は小型の雷で100万ボルトを超えており、しかしクラフト・ワークはそのエネルギーを容易く固定した。エネルギーは鉄パイプに固定されており、それを持つクラフト・ワークになんら影響を与えない。

 

「それ。」

 

サーレーはそう呟くと、クラフト・ワークが倉庫の壁に向かって鉄パイプをブン投げた。

鉄パイプは倉庫の壁に突き刺さってその瞬間に固定が解除され、放電して周囲の壁が焼け焦げて弾け飛んだ。

 

「まあつまり、こういうことだ。」

「いや、さっぱりわからん。」

 

ウェザーは素で解答した。

 

「まあつまり、俺個人で鉄パイプで攻撃することができる。お前個人で電流で攻撃することもできる。俺とお前をかけ合わせて電流を流し込んだ鉄パイプで攻撃することもできる。戦闘において選択できる幅が広がるということだろう?」

「それはわかる。わからないのは、アイツが何をやろうとしているかだ。」

「あーっと、確か建物を氷漬けにしたんだっけか?」

 

サーレーがウェザーに、問いかけた。

 

「いや、建物を覆ったのは氷塊のごく一部だ。単体で強力極まりない能力だった。そこから先に一体どんな凶悪な能力があるのか、見当もつかん。」

「うーん。」

 

サーレーは、普段はほとんど使用することのない頭脳を全力回転させた。

ウェザーはサーレーの頭から湯気が立ち上がる様子を、幻視した。旧式の勘ピューターが、フルスロットルだ。サーレーの緑色の脳細胞がショーペロ(ストライキ)を起こすのも、そう遠い未来のことではない。

 

「……そうだな。そこから俺に思い当たるものは、ヨークルハウプスくらいだな。」

「ヨークル?」

「アイスランド語だ。氷河湖決壊洪水と訳する天災だ。火山の活動により氷河湖が決壊し、周囲に膨大な量の水を撒き散らす。」

「それはそんなに凶悪なものなのか?」

「水害は実際に経験したことの無い人間には被害が想像しづらいかもしれないが、まあ何もかもを押し潰して流す無差別な天災だな。フツーにスタンドの域を超えている。どっちかと言うと世界を破滅させる悪役側の能力だ。氷河が作れて天候を操るスタンド使いがいるのなら、理屈上は擬似的な再現が可能なのかもしれない。」

 

サーレーは思考を巡らせた。

氷河と大量の水があれば、あとは火山の役割が必要なだけだ。しかしウェザーもフランシスも天候を操るスタンド使いであり、特にフランシスは雲を操り雷を自在に発生させるトンデモスタンド使いだ。氷は絶縁体だが、全く電気を通さないというわけではない。最大で10億ボルトにも達すると言われる自然界の雷の膨大な熱量があれば、氷を解かすことも可能だろう。

 

高圧電流を伴う膨大な水流が、周囲を蹂躙する。天災以外に言いようがない、広域殲滅能力だ。

サーレーは想像して、身震いした。

 

「……絶対やんなよ!練習でも!フリじゃねえぞ!その土地が大変なことになる。」

「ああ。ていうかできるとも思えない。」

「出来てもやるな!ったくあの男は用心深いんだか馬鹿なんだか……。トンデモヤロー共が。」

「というか、倉庫の壁を破壊してしまって良かったのか?」

「あっ、やべっ!」

 

サーレーは慌てた。

また給料を差し引かれてしまう。

 

さすがに天災が必要な敵が出てくるとも思えない。というか出て来て欲しくない。

フランシスの用心と備えを怠らない姿勢は評価できるが……。

 

サーレーは小声でブツブツ呟いた。

ウェザーは「お前が一番のトンデモヤローだ。」と、サーレーに指摘しそびれた。



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番外編 チンピラ、間違えて社交界に連れていかれる

「……ぜひ君たちに、帯同してほしい。」

 

面倒な事になった。

ジョルノはパリッとした燕尾服を着て、ボンヤリと心の中で愚痴った。

 

いきなりジョルノの心情だけを書き綴っても、何のことだかサッパリわからない。

わかるように、事のあらましを語ろう。

 

ジョルノ・ジョバァーナ、イタリア裏社会の組織、パッショーネのボス。

年齢は、不詳ということにしておこうか。

 

この日ジョルノは、図書館で天敵であるところのシーラ・Eに捕まった。

 

『ジョルノ様ッッッ!!!今日こそは、お覚悟をしていただきますッッッ!!!パッショーネの未来を、一体どのように考えておられるのですかッッッ!!!はっきりとお答えいただきたいッッッ!!!』

 

どうもこうもない。

パッショーネの未来は、素晴らしいものであるべきだ。そんなもの、言うまでもないだろう?

 

『でしたらッッッ!!!来週末のカタルーニャで行われる裏社会の社交界に出席していただきますッッッ!!!』

 

シーラ・Eの思惑は、理解できる。ジョルノは頷いた。

シーラ・Eは、ジョルノが嫡子をつくることを望んでいる。

 

……だが、今時世襲制などナンセンスだ。

僕の死後は、ジャンルッカ・ペリーコロのような能力と人徳を備えた人物に組織を引き継がせれば良いじゃないか。

 

『……お気付きになられないのですかッッッ!!!組織の忠誠の高い人間は、ジョルノ様に遠慮をしての未婚なのですッッッ!!!上が詰まってしまえば、いつまで経っても後が続けませんッッッ!!!パッショーネの未来を、本当にお考えなのですかッッッ!!!』

 

……これには参った。

知ってはいたが、放っておけば周りは諦めて勝手に結婚するだろう。そう考えていた。

しかし真っ向から言われてしまえば、なかなかに否定しづらい。

 

女性に興味がないわけではない。

しかし、ジョルノがディアボロからパッショーネを引き継いだ時に組織内部は問題が山積みで、それの解決に多大な若い時間を費やしてしまった。始まりは若者の義憤による行動だったが、今となっては少し違う。

 

住めば都。今となっては組織運営が非常に意義深い。

ジョルノが長年苦楽を共にしたパッショーネに愛着が湧いたとしても、何ら不思議はないだろう。問題は、解決したらそれでお終いではない。一つ問題を解決すれば、それを発端に新たな問題が浮上するのが社会の常だ。例えばパッショーネが麻薬を禁じ手にしたことで、財政面の問題が浮上したように。転倒しないように自転車を漕ぎ続けて、前へ前へと進んでいくようなものだ。進む先は、イタリアのより良い未来。

 

漕ぎ続けているうちに出会った人間は、自転車が転倒しないように支えてくれる貴重な人材になったりする。そして自転車が倒れてしまえば、漕ぎ手や時代が替わる。時間はいくらあっても足りない。

というわけで、あまりそちらの方に意識を割く時間がない。

 

しかしシーラ・Eは、その程度では怯まない!

正論は、暴力だ。忠言は、耳に痛い。シーラ・Eは、単騎でジョルノ城本丸に勇猛果敢に攻め入ってきた。

ジョルノの戦いは、これからだ!

 

『結婚しろとは言いません!しかしせめて御出席はなさってください!!!いいですね!』

 

スペイン、カタルーニャ州、バルセロナ県。

フットボールチームが有名なこの県で、週末に裏社会主催の社交界が開かれる。社交界には、地位のある人物が訪れる。

 

面倒だ。

どうにかしてうやむやにできないものだろうか?ジョルノは、思考の海に沈んだ。

 

『護衛、ですか?』

 

普段は親衛隊であるシーラ・Eが、ジョルノの護衛として社交界に付き添うことになる。

しかし。

 

『よりにもよって……よりにもよってなぜあの二人なのですか?他にも人材は山ほどいます!あの二人を社交界に連れて行ったところで、粗相をしでかすだけに決まっています!』

 

だからいい。だからこそ、あの二人なのだ。

彼らならばきっと、台無しにしてくれる。ジョルノを、救ってくれる。

救世主(メシア)は、いた。無理難題を解決してくれるスーパーマンは、この世に存在したのだ。

 

『……わかりました。その代わり絶対に御出席いただきます!』

 

シーラ・Eは、気が気でなかった。何しろ同行者がチンピラ二人組である。

ジョルノは、ほくそ笑んだ。

 

チンピラへのパッショーネ特級極秘任務、社交界を台無しにしろ!

それが、発端だった。

 

◼️◼️◼️

 

黒いコートにボルサリーノ帽、季節を無視してマフラーを羽織った、伝説のチンピラ二人組。

 

「ジョジョ……一体俺たちにどのような任務でしょうか?」

「……君たちは、暑くないのかい?」

 

ネアポリスの図書館で、ジョルノは呆れた。色々と、間違えている。

炎天下とは言わないが、少なくともコートやマフラーを着用する季節ではない。

ジョルノの格好は、白いシャツの上に燕尾服を羽織っている。

 

「今回の任務は、シーラ・Eに正装してこいと言われましたので。……暗殺チームの正装です。どのような事件で、一体誰を殺るんですか?」

 

ジョルノの前に立って、サーレーが敬礼をした。

サーレーの眼光が鋭く光り、威圧を纏って静かに言葉が発せられた。

 

「誰も殺らないよ。スーツを着てこいという意味合いだったのだが……。」

「スーツを、持ってません!」

 

持ってません、じゃねーよ。ジョルノは頭痛がした。

これはもしかして、もしかしなくとも、選択を誤ったかもしれない。

 

冠婚葬祭であれば、非常識であっても縁故の深い人間を呼ばないという選択肢は有り得ない。

しかし今回は、社交界だ。社交界に非常識な人間を連れ出せば、ジョルノの品格が疑われることになる。

……まあ非常識だからこそ、連れて行こうと考えたのだが。

 

「アンタたち、なんて格好してんの!今回は社交界よ!馬鹿なの?……そう言えば馬鹿だったわね。こっちに来なさい!」

 

シーラ・Eが近寄って、サーレーとズッケェロの手を引いた。

シーラ・Eは脚部にスリットの入った青いドレスを着て、かかとの高い赤いヒールを履いている。艶やかで、とても美しかった。

 

「お、おう。これは暗殺チームの……。」

「暗殺チームの正装もクソもないわ!アンタたちの格好は、ジョルノ様の評価に繋がるのッッッ!!!普段どんな格好してようが、何をしようが、あまりうるさく言わないけれど、今回は私のいうことに従いなさいッッッ!!!」

 

サーレーとズッケェロは、シーラ・Eの剣幕に押されて図書館の別室に連れていかれた。

……なんかダメな子を叱るお母さんみたいだ。ジョルノはなんとなく微笑ましい気持ちになったが、その直後にはたと思い至る。

 

……これは僕もお母さんに叱られているダメな子側ではないのか?

ジョルノは酷く、落ち込んだ。

 

「馬子にも衣装ね。アンタたちの正装とやらは、仕事の時だけにとどめておきなさい。」

 

シーラ・Eのコーディネートにより、チンピラたちは黒いネクタイに黒いジャケットを羽織ったセミ・フォーマルな格好へと変身した。

彼らはジョルノの護衛であり、パーティの主役ではない。しかし社交界に出席するのなら相応の格好が必要だ。サーレーとズッケェロは正装に身を包み、珍しくしっかりとした人間に見える。

 

「アンタたちにそれはあげるから、くれぐれも今後ジョルノ様に恥をかかさないでね!」

「「お、おう。」」

 

ジョルノ・ジョバァーナは、考える。

豚に真珠だ。彼らに高価なスーツを渡したところで、生活に困窮すれば質屋行きが関の山だ。

……まあしかし、彼らに面倒をかけると考えればこれくらいは必要経費として、目を瞑ろうか。

 

「さあ、参りましょう。」

 

黒いリムジンに乗って、4人はネアポリスの空港に向かった。

 

◼️◼️◼️

 

社交界は、基本男女のカップルで参加する。

ジョルノとシーラ・Eの、男女ペアだ。チンピラーズはジョルノの護衛なので、数に数えない。

ジョルノの参加するような社交界は格式高いものであって、人脈発掘の交友の場だ。

 

……本来ならば。

 

しかしジョルノが出席する社交界に限定して言えば、シーラ・Eの思惑が働いていた。

本来格式の高いはずの場は、シーラ・Eの思惑によってジョルノのための合コンの場となっていた。

相手方には十分な根回しが行われている。

 

社交界という名目は綺麗事だが、綺麗事は重要だ。

カリスマ性を持つ裏社会のボスが結婚相手を探して合コンしているなどと周囲に知れたら、体裁が悪い。

 

シーラ・Eに非はない。

ジョルノはヨーロッパ裏社会の重鎮であり、社会に貢献しているジョルノがいつまでも未婚なのはよろしくない。

それは、シーラ・Eだけがそう考えているわけではなく、ペリーコロやパッショーネ幹部連らの総意でもあった。

 

社会の一員として生まれ、社会に根付き家庭を築いて、社会と家庭を愛することが一人の人間の生の意味だ。

それが、彼らの価値観であった。

 

「うめーな、これ。」

「いいなそれ。ちょっとこれと交換してくれよ。」

「アンタたち、あまりみっともなくガッつくのは止しなさい。」

「んなこと言ってもよぉー、ボス専属機の高級食材なんて普段の俺たちには無縁だからよぉー。」

 

ズッケェロは、不満をたれた。

パッショーネ所持のプライベートジェットに乗って、彼らは空にいる。

ズッケェロが口の周りにソースを付けながら機内食のフィレ肉を食べて、サーレーはナッツをポリポリと齧っている。

彼らは正装のまま平然と互いの食事を交換し、ワインを煽り、マナーのよろしくない彼らが高価なスーツにソースを垂らさないかとシーラ・Eをヤキモキとさせていた。さすがに今更ジョルノ専用のプライベートジェットに驚くなんていうことはなかった。

 

『まもなく、スペイン、カタルーニャ州、バルセロナへと到着いたします。』

 

機内アナウンスが流れ、機体はじょじょに降下した。

サーレーは機内の窓から外を眺めた。雲が後ろに流れ、眼下には壮麗なカタルーニャの街並みがあった。

 

カタルーニャ州は、スペインでマドリードの次に巨大な都市だ。

観光の名所は有名なサグラダ・ファミリアやグエル公園、王の広場など。建築家のガウディが世界的に有名だ。

 

確かピカソ美術館もあったはずだ。見たかった。のんびりと観光を楽しめればよかったのだが。絵画鑑賞はジョルノの趣味の一つだ。

ジョルノは心の中で、愚痴った。

 

『降下に伴い機体が揺れますので、ご注意下さい。』

「いいわね!アンタたち、自分の役割を覚えてるか言ってみなさい!」

 

シーラ・Eが機内アナウンスを無視してサーレーに詰め寄り、サーレーは狼狽して返答した。

 

「お、おう。確かスペインのホテルの最上階で行われる社交界で……。」

 

サーレーは必死に、シーラ・Eの言葉を思い返した。

 

「そう、それで?」

「ボスの護衛をする。」

「……それで?」

 

シーラ・Eの目付きが、厳しくなった。

 

「……俺たちは。」

「どう振る舞うの?」

「普通の出席者としてメシを……。」

「違うッッッ!!!アンタたちはジョルノ様の護衛として、敵がいないか、怪しい奴が近付かないか目を光らせるのッッッ!!!呑気に食事をするなッッッ!!!」

 

……シーラ・Eが怖い。

そりゃ裏社会のボスだもの。敵だっているさ。

しかしそうまで神経質にならなくても、ジョルノはかなりの実力者だ。

 

「何をするか、復唱しなさい!!!」

「敵が来ないように食事をしながら……。」

「だから、食事をするなッッッ!!!」

『バルセロナ・エル・プラット国際空港へと到着致しました。』

 

機内アナウンスが、彼らに到着を告げた。

 

◼️◼️◼️

 

バルセロナといったら、カンプ・ノウだ。

異論は、認めない。

 

スペインは現在の世界のフットボールでもイングランドと並んで最高峰であり、青と臙脂のバルセロナのクラブチームは世界的に有名だ。カンプ・ノウは世界的に有名なフットボールクラブチームのホームグラウンドだ。

是非とも試合の観戦をしたかった。サーレーは、意気消沈した。

 

今回はジョルノの護衛であり、自由行動時間が存在しない。

まあとは言ってもカンプ・ノウの観戦チケットは人気があり、飛び入りで手に入るとも思えない。

 

「任務が終われば、君たちは少しくらい観光してきていいよ。」

「ボス、大好きですッッッ!!!」

「ジョルノ様……甘すぎです……ハア。まあ少しだけよ。アンタたちはパッショーネの人員なんだから、恥ずかしい真似はしないでね。相手の裏組織に迷惑かけたなんてなったら、恥ずかしくて仕方ないわ。」

「相棒よぉー、カンプ・ノウのチケットは超人気だから、取れるかわからねえぜぇ。ダフ屋もたけぇしなぁ。」

「地元の相手組織に依頼すれば、チケットはたぶん取れるんじゃないかな。」

 

ジョルノがズッケェロに指摘した。ジョルノの甘さに、シーラ・Eはため息をついた。

バルセロナの中央にある格式ある高層ホテルで、社交界は開催される。

会場へと向かう黒いリムジンの中で、シーラ・Eはジョルノに段取りの確認をとった。

 

「まずは私をエスコートをしての会場へのご入場。そしてご挨拶です。その次に地元の有力者たちとの御歓談。政治家たちとの対談。そして、主催者であるアルディエンテへのお礼のご挨拶。提供される食事は、スペインの名物地中海料理。」

 

シーラ・Eは、有能だ。

ジョルノは秘書として、シーラ・Eを重宝している。任せておけば、間違いはない。

 

「二泊三日。明日はカタルーニャの有力企業との食事会が予定されております。会の開催予定時刻は、午前12時。」

 

うわの空のジョルノの耳を、シーラ・Eの言葉が右から左へと抜けていった。

夕闇に包まれたバルセロナの街を、黒いリムジンが滑らかに駆け抜けていく。

 

「……そしてアンタたちの役割は?」

 

シーラ・Eがいきなり話を振ってきた。

唐突に流れ弾が、ズッケェロを襲った。

 

「ボスの護衛だろ。一般人を威圧しすぎないように裏方に徹し、なおかつボスから目を離さないように怪しい奴が近付かないか、武器を持ち込んでいる人間がいないか、不審な奴がいないか、周囲への警戒を怠らない。何か起これば、身を張ってボスとパーティーの客を護衛する。」

 

シーラ・Eは、頷いた。

 

「サーレーよりもアンタの方が有能ね。暗殺チームのリーダーは、アンタがやるべきなんじゃないの?」

 

甚だ、遺憾だ。

最近は自分よりダメな奴だと思っていたズッケェロが、サーレーを置いていってしまった感覚を感じる。下の人間の人望もサーレーよりズッケェロの方が、厚い。

 

金もない、人望もない、モテない、三重苦。

サーレーは、めちゃくちゃ落ち込んだ。

 

「ま、まあそう落ち込むなよ。俺はすごく頼りにしてるぜぇ。」

 

落ち込んだサーレーを、ズッケェロは必死に慰めた。

 

「さて、予定をもう一回確認しましょう。社交界の開催場所は、バルセロナ・ヒストリア・ホテルの25階。ジョルノ様は私をエスコートしてのご入場。最初に挨拶を行い、次に地元の有力者たちとの食事をしながらの御歓談。そしてスペインカタルーニャ州の政治家、官僚との今後の両国家間の関係の対談。そして、主催者であるアルディエンテへのお礼のご挨拶。」

 

シーラ・Eが、神経質に予定の確認を行っている。

カタルーニャの煌びやかなホテルの前に、リムジンは到着した。

 

◼️◼️◼️

 

社交界とは古くからヨーロッパにある、王族、貴族、名士の社交の場である。

政治や国家運営における重要な意味合いを持ち、高度な駆け引きが要求される。

その出席者は政治や財界などに強い影響力を持ち、社会の未来が決定される場でもある。

 

歴史的に言えば爵位や勲章を持つ人間の集まりであり、ジョルノが裏社会の帝王であるとは言えこの場が厳密に社交界と呼べるかは若干の疑問が残る。まあさておき。

 

「初めまして。ジョルノ様とおっしゃられるのですね。私は、マリア・ペレス・ペレイロと申します。」

 

社交界での人間関係が結果的に恋に結びつくことはあるかもしれないが、このように意図的に出会いを演出する場ではない。

特にシーラ・Eが根回しをすると、社交界が途端に合コンかお見合いの場と化してしまう。

歴史もへったくれもあったもんじゃあない。

 

ジョルノは目の前に座った金髪の若い女性を見た。髪が長く、高身でモデルのような体型をしており、胸元の開いた装飾が豪華な赤いドレスを着ている。

地元の有名な政治家の一人娘らしい。で?

 

「ご趣味とかは、何かお持ちですか?」

「うーんそうだね、趣味じゃあないけど、耳の穴の中に耳が入るよ。」

「へ、へぇ……。」

 

ジョルノの珍回答に、女性の顔が引きつった。

チンピラコンビはどこいったのか?僕の救世主は、どこに?

ジョルノは周囲を、見渡した。彼らは会場の入り口で、会場の警備と話をしていた。

 

どうやら二人は、社交界を台無しにするという任務を放棄したようだ。

ジョルノはうわの空で、まるで女性の話を聞いていない。

 

「お休みの日とかは何をなさってるんですか?」

「休日はないよ。パッショーネは、ブラックなんだ。」

「はい?」

 

主催者の顔を潰してしまうわけにはいかない。

社会にはあらゆるルールや制約があり、立場が上に行けばそれはより多く付き纏う。

非常に面倒だが、さまざまな思惑に付き合わざるを得ない。

 

チンピラが羨ましいな。ジョルノは笑った。

 

「とても素敵な笑顔をなさるのですね。」

「ん?」

 

どうやら思考が顔に出てしまったようだ。反省。

周囲の人物は思い思いに交友を深めている。なぜ僕だけこんな特別席に通されたのか?普通の席でいいのに。

言うまでもなく、シーラ・Eの仕込みだ。余計なことをしてくれる。何が政治家、官僚との国家間の関係の対談だ。

段取りを確認した当人が、本来の段取りを完全無視だ。

 

「明日のご予定とか、聞いていらっしゃいますか?」

「ご予定?」

 

そういえばシーラ・Eが、明日は会食を行うだとかなんだとか。

 

「なんの話?」

「明日は私たちで食事会を行うとか……そのあとは……。」

 

女性は、顔を赤らめた。

聞いていない……ジョルノは、シーラ・Eを恨んだ。

 

◼️◼️◼️

 

「おじさん、久しぶり!シィラちゃんも!」

「誰がおじさんか!」

 

黒いスーツを着た麗人が、社交界会場の入り口にいた。

肩までの茶髪に銀のイヤリング、細身の女性だ。

麗人は楽しそうに手をワキワキと動かし、それを見たシーラ・Eはササっと素早くサーレーの背後に隠れた。

 

「どうしたんだ?」

「なんでも。」

 

サーレーがシーラ・Eの行動に首を傾げ、シーラ・Eは仏頂面で答えた。

 

「そうか。そういえばお前んところの組織の主催だったな。」

 

サーレーは会場を見渡した。ジョルノはサーレーの視線の先で、椅子に座って綺麗な女性と話をしている。

邪魔をするのは野暮だろう。裏方に徹するのが、吉だ。シーラ・Eにもそう指示されている。

 

「うん。だから私はここの護衛で来てるの。」

 

会場の警備総責任者は、ジェリーナ・メロディオ。

パーティの主催者はスペイン裏社会の組織アルディエンテであり、アルディエンテの暗殺チームであるメロディオが部下を仕込んで会場の護衛警備を行なっていた。

組織によって暗殺チームの扱いは異なり、有能なメロディオはアルディエンテの懐刀として扱われている。

 

「家も近いしねー。ここからフィゲラスの自宅まで車で一時間くらいだよ。」

「ふーん。」

「なんでお前は男性服なんだ?」

 

ズッケェロが頷き、サーレーが疑問を呈した。

 

「私のドレス姿が見たいの?いやん。おじさんったらスケべだねぇ。」

「スケべなのは否定しないが、お前はあまり好みのタイプではない。」

「ちょっとそれは、失礼が過ぎないかね。」

 

サーレーは素で返答して、メロディオはサーレーを睨んだ。

メロディオの視線がシーラ・Eを求めてさまよい、シーラ・Eはメロディオの視線から隠れようとしている。

 

「その女、左足が義足よ。」

「ありゃ、気付かれてたか。」

 

シーラ・Eが指摘した。

メロディオはスーツの裾をちょっとだけ捲り、左足の鉄製の部分を見せた。メロディオの左足には酷い傷痕があり、くるぶしから下が肌色に塗装した鉄で出来ていた。

 

「まじか……。」

「右目も実は義眼だよ。ぱっと見じゃ、わからないでしょ。最近のはよく出来てるんだ。義眼が、動くんだよ。でもよーく見ると、相手は違和感を感じる。思考の隙を作るのに重宝してるよ。結構高かったけど。ドレス姿だと、恥ずかしながらお見苦しいものをお見せすることになるのだ。足を露出する服が着れないんだよー。」

 

メロディオは明るく笑った。

 

「……すまないな。」

 

女性に言いにくいことを喋らせるのは、紳士失格だ。

 

「そんな悪いことを聞いたみたいに落ち込むなよー。まだ新人の頃にちょっとヘマっちゃってさー。」

「……聞いても構わんのなら、詳細を是非聞かせてくれ。」

 

相手は他の組織とは言え、暗殺チームの先達だ。

先達には敬意を払う。その言葉には、生き残るための叡智が隠されている可能性が高い。

予想しない収穫に、サーレーは真剣になって教えを乞うた。

 

「大したことは聞かせられないよ。」

「構わん。」

 

ズッケェロもサーレーの意図を汲み取り、メロディオの言葉に耳を傾けている。

 

「当時のリーダーが作戦をミスったんだよー。まあ今となってはもう10年以上も前のことだけどね。それで敵と正面からの銃撃戦になって、手榴弾で吹っ飛ばされた。これで済んだのは幸運だったよ。」

「……。」

「そんな真剣に聞かれると恥ずかしいんだけど。まあ私はそれまで暗殺チームをナメてたからねー。才能だけじゃ、どうにもなんないと思い知らされたよ。マジで死に目にあって、本気で死にたくないって思って、必死に訓練して今に至る。それが全て。組織の雑用係に回されるって案もあったけど、自分から却下したの。片目だと距離感が掴めなくて、苦労したよー。それ以上は何もないよ。」

「他には?」

「他……うーん、ああそうだ。フランシス君だ。」

「フランシス君?」

「うん。アルディエンテは同盟組織のラ・レヴォリュシオンに救援要請を送っていて、あの変態フランシス君が部下を連れて助けに来てくれたんだ。マドリード武装戦役って、裏社会じゃ有名な事件だよ。ヨーロッパに非認可の武器商人連合を作ろうって奴らがいてさ。まあ非認可だけに、買い付けの客層はわかるよね。それでそいつらが本格的にスペインに根付く前に警告して、衝突して、正面からの全面戦争。敵は武器商人連合だから、とにかく火薬量が豊富でねえ。スタンド使いも結構いたし、まあ表社会を巻き込んだ惨状だよ。被害を減らしてもみ消すのに苦労したよ。たった一ヶ月のことだったけど、本当にアレはひどかった。」

「変態フランシス君?」

 

メロディオの言葉の端を、サーレーは捉えた。

変態はどちらかというとこの女のことではないのか?

 

「うん。変態スペックのフランシス君。暗殺チーム所属二年目で、強いと有名なラ・レヴォリュシオンの暗殺チームリーダーに抜擢された大変態。ラ・レヴォリュシオンのボスも、もうフランシス君に頭が上がらないみたい。凄いことにラ・レヴォリュシオンでは、頭脳よりも手足の方が価値が高くなっちゃったんだ。悪いこと言わないから、おじさんもフランシス君とは仲良くしといたほうがいいよ。あの雲がとにかく強力でねえ。雲はあっという間にマドリードの裏路地を覆って、視界を奪って混乱させて同士討ちさせて、感電させて、凍らせて、制圧して、やりたい放題。フランシス君自身の機動力もあって、変態という以外に言いようがない動きだった。意識が朦朧としてたけど、その時思ったよ。ああ、神様はいるんだ、って。」

 

余談だがフランスはテロ対策として表社会の軍事の増強に力を入れており、それに連動して裏社会の暗殺チームの個の実力も非常に高くなった。テロ対策で諜報活動に重きを置いた国家よりも、精強な兵士たちが仕上がった。スタンド使いの数でこそ圧倒的にパッショーネに劣るが、兵の個々のクオリティではパッショーネを凌ぐ。

 

「むっ。」

「それだけじゃないよ。任期が終わってもいつまでも暗殺チームに居残り続けている。もう変態としか言えないよ。」

「任期?」

 

そう言えばそのことは、考えたことがなかった。

ミスタ副長は、イタリアに貢献して後進を育てるまでと言っていたが……。

 

「うん。フランシス君はもともと、そこまでの罪を犯していない。傷害罪くらい。境遇にも同情できるし、部下を立派に育ててる。本来の任期はとっくに終わってるって本人に聞いたよ。私の任期は後5年くらいだね。私はフランシス君よりしでかしてて、任期が長いから。」

「しでかした?何を?」

 

そう言えば裏社会の暗殺チームは、罪人の禊の場だと聞いている。

このメロディオという女も、何か罪を犯したのだろう。

 

「スペインの上院議員の議場に、お手製の爆弾を投げ込んだの。」

「テロリストじゃねーか!!!」

 

とんでもないことをさらっと言いやがった。

やらかしたことが酷すぎる。

 

「まあ若かったしねー。愚連隊みたいなののリーダーをやってたんだよー。なんでも思い通りになると思い込んでいる、社会をナメきったガキだったんだ。今が大人だと言うつもりもないけどね。ムカつく議員がいて、私たちのチームを潰す法案を通しやがってさ。んなことするくらいなら、ヨーロッパに蔓延する麻薬をどうにかしろって爆破予告を出して、そんでキレた裏組織のアルディエンテの暗殺チーム前リーダーに半殺しにされて、今こんな感じ。その前リーダーも、マドリード武装戦役で死んだよ。自分で予想できないほどに悲しかったし、怖いリーダーがあっさり死んだのも予想外だった。人って簡単に死ぬんだなって。リーダーを死なせたことが、とても悔しかった。せめてその死が、意味のあるものであってほしかった。……私もいつか死ぬのなら、人生に意味があって欲しいと願ってしまった。」

 

メロディオの寂しげな横顔は、綺麗だった。

彼女は未成年の頃にパッショーネの麻薬被害で友人を失い、どうしようもない遣る瀬無さから罪を犯して裏社会の暗殺チームに配属された。メロディオはアルディエンテに所属して、パッショーネの麻薬の対応の困難さと取り巻く状況の厄介さを理解した。

 

裏社会の暗殺チームは生死がかかるだけに、完全実力主義である。と言うよりも、実力のない者は死んでいく。

アルディエンテはマドリードでの戦いの後、若いメロディオを半壊した暗殺チームの新たなリーダーだと認めた。

 

マドリードの乱戦で決定的に意識が変わったメロディオは、独自の戦い方を編み出して裏社会でメキメキと頭角を顕した。交渉と搦め手と下準備で言えば、メロディオに敵うものはいない。メロディオは人の機微を細かく読み、自在に戦略を変更し、途轍もなく用心深い。

前線に立つよりも作戦立案、知略と人を上手く扱うことこそがその真価だった。メロディオにとってはサーレーとの友好も、いつか決定的に役に立つかもしれない財産だ。

 

「5年後には引退するのか?」

「……未来のことは、誰にもわからないよ。そもそもまず、生きている保証がない。引退して結婚してるかもしれないし、もしかしたら部下可愛さにフランシス君みたいに居残ってるかもしれない。ひょっとしたらシィラちゃんが、私を養ってくれているかもしれない。」

「それだけはないわ。」

 

シーラ・Eはメロディオの言葉に、舌を出して否定した。メロディオはシーラ・Eに投げキッスを投げて、シーラ・Eはそれを必死に横っ跳びにかわした。

 

「お前ら、いい加減にしろ!」

「えー、いいじゃん。」

「サーレー、その女、何とかしなさい!」

 

シーラ・Eを追いかけてメロディオがサーレーの周囲をチョロチョロ駆け回り、非常に鬱陶しい。

やがてメロディオは立ち止まった。

 

「まあ私はその戦いで体の一部を失って死にかけたけど、やらかした罪が重たくて、まだしばらくは暗殺チームの人員だよ。フランシス君は暗殺チームが大好きな変態だから、多分死ぬか戦えなくなる年齢までいるんじゃないかな。」

「そうか……。」

「うん。つまらない話でゴメンね。」

「いや、ためになったよ。ありがとう。」

「どういたしまして。」

「……握手を、してくれないか?」

「いいよん。」

 

サーレーとメロディオは、握手した。

サーレーは自分より暗殺チームとして長い経験を持つ先達の手を、知りたかった。

メロディオの手は、華奢でひんやりと冷たい小さな手だった。

メロディオは手を振って、笑顔でその場を立ち去った。

 

任期が終わる……考えたこともなかった。任期が終われば、その頃はサーレーは何をしているのだろうか?

まだ生きているだろうか?

 

「ジョルノ様がいらっしゃったわ。行くわよ。」

 

シーラ・Eが声をかけた。

社交界はお開きになり、4人は用意されたホテルの個室へと向かった。

 

◼️◼️◼️

 

「社交界は楽しかったかい?」

 

ジョルノがワインを飲みながら、笑ってサーレーに問いかけた。

ここはホテルに設置されたラウンジだ。そこで4人は集まって、ソファに座って就寝前に軽く酒を嗜んでいた。

 

「ええ。ためになる話が聞けました。」

 

ジョルノは頷いた。いいことだ。

社交界できっと、彼らは若者らしく社会の未来のことを真剣に議論したのだろう。

残念ながら、ジョルノの予想は完全に的を外れていた。

 

サーレーとズッケェロはあの後二人で、真剣に話し合った。

強い人間にも新人の頃や死にかけた経験があり、ジョルノという生命力を操るボスがいる自分たちが、いかに恵まれた境遇にいるか。

サーレーもズッケェロも死ぬような目にあったことがあるし、判断を誤れば死んでいた局面があった。様々なことを痛感させられて、非常に勉強になった。学ぶことは、暗殺チームが生き残るための大きな財産である。

 

「それは良かった。ところでシーラ・E、なんでか知らないけど僕は明日デートすることになってるんだけど?聞かされていないんだが?」

 

ジョルノはシーラ・Eを睨み、シーラ・Eは逃げ出した。

 

「まったくしょうがないな。」

 

ジョルノはため息をついた。

 

「いいんですか?」

 

ズッケェロが問いかけた。

 

「いいも悪いも、仕方がないさ。各々に立場があり、地位には責任が伴う。地位に伴う責任を果たさずに好き勝手に振る舞う権力者は暴君であり、それはすなわちディアボロと同類だということに成り下がってしまう。強権に頼りきる人間は、周囲の信頼を得られない。そうなればきっといつか、僕はディアボロと同じ末路を辿ることになる。……僕は時折、君たちが羨ましいと思うときがあるよ。」

「奇遇ですね。俺たちもボスが羨ましい。」

 

サーレーがジョルノに笑いかけた。

 

「何もかもが思い通りには行かないさ。明日も仕事だから、今日はもう寝ようか。」

 

ジョルノも笑みで返した。

彼らは社交界を台無しにするという今回の任務に失敗したが、それはもう仕方がない。ここは本来僕がなんとかする場面だ。

ジョルノは笑って、席を立った。

 

「あっ、あいつ(メロディオ)に、カンプ・ノウのチケットの融通を頼めば良かったんじゃねーか?」

「あっ!!!」

 

サーレーとズッケェロが、悲鳴を上げた。




前の話で、マドリードの暗闘→マドリードの乱戦に変更しています。


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番外編 チンピラ、フランスに出向する

困った。非常に困った。

 

「副長、俺たちの任期って、いつまでなのでしょうか?」

 

それについて何も考えてなかったわけでは、ない。

しかし、ミスタにとってもジョルノにとっても、色々と想定外だった。

想定外のことが起こるのは当たり前だが、想定外のことが起こると想定してなおも、想定外だった。

 

そもそもなぜチンピラ二人が暗殺チーム行きになったのかの経緯を、思い起こそうか。

二人はポルポの遺産を巡ってカプリ島でブチャラティチームと敵対し、敗北した。

その後にブチャラティチームの新人、ジョルノがディアボロを打倒してパッショーネのボスになったために、彼らには罪を禊ぐ必要が出てきたのだ。

 

何が問題なのか、よくよく考えよう。

ブチャラティチームと二人が敵対した時点では、ジョルノはただのパッショーネの新入りだった。

二人が競ったポルポの遺産は、死人の隠し財産であり、その入手は早い者勝ちだった。

そしてポルポを暗殺したのは、ジョルノである。

 

……。

サーレーとズッケェロは成り行きでブチャラティチームと敵対しただけであり、別に表立ってパッショーネに逆らったわけではない。

ボスであるジョルノが死んだ幹部ポルポの遺産を回収する際チンピラたちと争ったために(周囲にはそう説明している)、罪を禊ぐ必要があった。

 

やったことを客観的に見ると、チンピラとブチャラティチームの所業はどっこいどっこいであり、むしろ組織の幹部であるポルポを暗殺したブチャラティチームの方がパッショーネに叛逆していたと言っていい。事実ジョルノは、パッショーネの乗っ取りを画策していた。

(とは言っても、ジョルノたちには結果としてディアボロを駆除したという功績があるのだが。物事の複雑さがよくわかる事件だったと言える。しかし過程をすっ飛ばして結果だけを論じるのは、ディアボロと同様の思考である。結果としてチンピラはパッショーネのボスに逆らったことになったが、過程では組織の下っ端同士のただの小競り合いだった。人生とは過程の連続で、死後に始めて何を為し得たかの結果が残ると言ってもいいだろう。)

 

二人のチンピラの何が悪かったかを強いて挙げれば、ブチャラティチームより弱かったことであるとしか言えない。

 

それに関しても、ズッケェロは一応ブチャラティチームをギリギリまで追い詰めたし、サーレーにも全く見所がなかったわけではない。

 

新しいジョルノのパッショーネにとって二人は有用な人材であったため、今まで上手く扱って暗殺チームを担当させていた。

暗殺チームはその本質が汚れ仕事であり、自分からやりたがる人間などあまり多くはいない。志願制にすると、他人に対する嗜虐気質を持つ、職務に傾倒してやり過ぎる奴らばかりが集まることになる。暗殺チームが居なくなれば社会が荒廃するにも関わらず、暗殺チームは社会を構成する大多数に倫理的に受け入れられない。矛盾だ。

 

だからこそ神職という綺麗事で飾り、裏社会で庇って誹謗中傷が向くことを防ぐ必要がある。地位を与え、社会に居場所が存在することをきちんと明示する。背後(バック)に社会がついて、彼らをいわれなき非難から守るのである。そこには相互の愛情が、必要不可欠だ。

 

「……落ち着け。」

「「はいッッ!!!」」

 

いや、俺が落ち着け。

グイード・ミスタは、頭をポリポリかいた。

 

素行は悪くても、万死に値することをしでかしたわけでもない。

たとえそれがディアボロのパッショーネであれば万死に値する行為だったとしても、今はジョルノのパッショーネだ。コソ泥風情に死を以って償わせるのは、やり過ぎだ。更生を試みることもせずに刑を執行する愛のない裏社会に、存在意義はない。ルールが人を守るために存在するのと同様に、人は社会のために生き、社会は人のために存在する。

 

上手く懐柔して秘密を口にするようなことさえなければ、チンピラ二人はさほど問題にならないといえる。

ましてや今のパッショーネは盤石で、今さらジョルノが偽物のボスだと喚いたところで誰も信じないだろう。

 

もともとミスタは、そこそこイタリアに貢献して次代の暗殺チームを育てれば、二人を赦すつもりだった。

ジョルノがボスとなってミスタとムーロロが暗殺チームを担当した時に、国内のキナ臭い問題は上手く処理し、そうそう問題は起こらないはず、だった。

 

それが、この有様である。

連続して奇妙な事件が起こり、エジプトに出張させ、アメリカの刑務所に出張させ、挙句にイタリアで各章のボス(プッチとディアボロ。世界を自分本位に一旦終わらせようとする倒錯神父とヨーロッパを蝕む害虫悪魔の最低のタッグ。)がタッグを組んでパッショーネに襲いかかってきた。ひどすぎる。

チンピラはイタリアの戦いで、明確にイタリアに貢献した。特にサーレーは強靭でしぶとく、プッチとディアボロを揃って討ち取るというバカみたいな戦功を挙げてしまった。これでイタリアに貢献していないとは、口が裂けても言えない。

 

有事を想定して実力向上と職務倫理の育成こそ本気で行っていたものの、実際にイタリアで起こった事件が想定よりもハードだった。

本来ならばイタリア国内でさほどの問題が起こらず、そこそこ長い期間を二人に担当させて、その間に人材を暗殺チームに新たに送り込む予定だった。暗殺チームはある程度任期を決めて回さないと、あまり長い期間同じ人間に担当させると担当者が必ず死ぬという不満がいずれ噴出することになる。明確に期間を決めておけば、死者が出ても不運だったで済ますしかない。実力次第で生き延びる余地が生まれる。

ゆえにそこそこの期間を二人に担当させて、機を見てまたやらかした人材を暗殺チームに送り込む予定であった。

 

それが蓋を開けてみれば、本来最終手段であるはずの暗殺チームが獅子奮迅の大活躍。

イタリア国内の問題で暗殺チームの人材補填が後回しになり、二人の価値は青天井で跳ね上がることになった。暗殺チームは自分たちの独力でスピードワゴン財団に特大の貸しを作り、アメリカとの同盟とパッショーネにとって有用な人物を引き連れて帰ってきた。すごいことに、アメリカ裏社会ではチンピラコンビは崇敬の対象らしい。

 

パッショーネは今現在戦いで被害を受けたローマの復興事業に力を入れており、暗殺チームの人材補填にまで手が回らない。手の空いたサーレーとズッケェロも、今現在ローマの復興に回している。

 

「……。」

「「……。」」

 

サーレーとズッケェロのピュアな視線がミスタに向かっていて、針の筵だ。

どうしよう。どうしたものか。

 

二人を暗殺チームの担当にするにあたって、任期を明言しとかなくてよかった。本当によかった。

大人は、ウソつきではないのです。間違いをするだけなのです。

 

ジョルノのパッショーネの暗殺チームの最大の強みとは、ボスであるジョルノのゴールド・エクスペリエンスにある。暗殺チームが生還さえすれば、ジョルノが回復させて何回でも使い回せるのだ。

その点で言っても二人は極めて有能であり、この上ない人材だといえる。二人が暗殺チームを担当している間は、パッショーネは安泰だと言ってもよさそうだ。是非ともなるべく長く担当していただきたい。

 

「おい、お前ら。」

 

ミスタは貫禄たっぷりで、二人に話しかけた。

 

「「はい!」」

「ミラノでもうすぐパッショーネ所有の高級ナイトクラブが開店する。……俺がそこに連れて行ってやるよ。」

「「いいんですか?」」

 

パッショーネの高級ナイトクラブといえば、いい女が所属する政治家やセレブなど著名人の御用達。

本来ならばチンピラ二人には無縁の代物だ。是非とも行きたい!

サーレーもズッケェロも、縁がないはずだった世界に興味津々だ。

 

「……月に一回、俺が暗殺チームをナイトクラブに連れて行ってやる。その代わり、任期の話はしばらく忘れろ。……いいな?」

「「はいッッッ!!!」」

 

扱い易くて助かる。本当に助かる。

しかし、ミスタのポケットマネーが出て行くことになる。

まあそれはしかたない。新たに人材を育てるよりは、圧倒的に安上がりに済んだと言えるだろう。

 

ミスタは、ため息をついた。

 

◼️◼️◼️

 

「やっべ、マジやっべ。」

「キャー、超イケメン!」

 

いい女とは、遊びに来た客をいい気分にして帰らせる人間のことである。客はいい気分になって、明日への活力をもらって帰路につく。

対価をもらって客を接待し、決して安くない金をもらいながらその価値があると思わせるプロフェッショナルだ。

 

「こっち来てー。」

「足なっが!身長高っか。」

「ミスタ副長、なんなんすかね、この差別は?」

「……俺が店長に文句言っといてやるよ。」

 

ズッケェロが、ミスタに陳情した。

ミスタもサーレーもズッケェロも、接待されていないわけではない。

しかしウェザーとのそれとは、あからさまな格差が存在した。

 

アナスイは同行を辞退し、ホル・ホースは黙って置いてきた。

ドナテロにはミラノ支部防衛チームという新たな社会があり、いつまでも暗殺チームが先輩ヅラするのは良いことではない。

そういった理由により、ミスタ、サーレー、ズッケェロ、ウェザーの四人でミラノのナイトクラブに遊びに来ていた。

 

「どこに住んでんのー。」

「いや、俺は……。」

「イタリアの人ー?」

「いや。」

「まつげ長!すっげ筋肉質!」

「オメーラ、こっちの接待も真面目にやれ!!!」

「キャー、イヤーッッ!」

 

ミスタが怒って席を立ち、ドレスで着飾った女性たちは笑いながら逃げ出した。

 

「ったく、仕方のねー奴らだ。」

「まあまあ、副長。サボってるわけじゃねーっすよ。ウェザーに過剰接待してるってだけで。」

 

ズッケェロがミスタに笑いかけた。

 

「……客を依怙贔屓するんなら、わからないようにやれってんだ!ったく。うん、どうしたんだサーレー?」

 

ミスタは、不貞腐れた。サーレーは無言だ。

サーレーは女性から時折向けられる、奇妙なものを見るような視線に快感を覚えていた。

 

「まあいい。おい、サーレー。ところで。」

「……はい?」

 

ミスタに呼びかけられて、サーレーは桃源郷から帰還した。

 

「お前らにフランスから合同訓練の依頼が来ている。どうする?」

「合同訓練?」

 

暗殺チームは、基本各国の門外不出品だ。しかしそこには、裏技も存在する。

各国の暗殺チームの実力には差があり、自国の人員の実力に不安があるときは才能ある人間を出向や合同訓練という形をとって、同盟内の他国の暗殺チームに教えを乞うために派遣することがある。

そうすれば暗殺チームの人脈が広がり、実力の向上が見込める。

 

スイスの暗殺チームリーダーやノルウェーの暗殺チームリーダーなどは、過去にフランス暗殺チームに出向していた経験を持つ。

フランスは超人気銘柄で、本来ならば指名される側だ。

 

「ああ。どうにも向こうのチームリーダーの指名らしい。フランスと言えばヨーロッパ最強と名高いスタンド使いが所属している。お前、行ってみないか?」

「なぜそんなところから、合同訓練の依頼が?」

 

サーレーはワインを飲み、空いたグラスに女性が新たにワインを注いだ。

ミスタはツマミを齧りながら、ウォッカを口に含んだ。

 

「どうにも向こうのチームリーダーが、ウェザーのことがいたく気に入ったみたいなんだ。フランスは超人気で、他国からの合同訓練の依頼を頻繁に受けている。そんなチームからの逆指名だ。どうするよ?」

 

サーレーは考えた。気になる。行ってみたい。感情で言えば行くという選択肢しかあり得ない。

しかし。

 

「期間はそんなに長くはならねえ。来月から一週間程度だ。そのくらいの間なら、俺が穴埋めをしておいてやる。ウェザーと二人で行ってこい。」

「二人?」

 

イタリアを離れることに危機感を感じたサーレーは、ミスタの言葉に疑問を感じた。

サーレーはイタリアの事件が実際に起こったことで、イタリアを離れることに対して慎重になっていた。

 

「ああ。向こうは近接戦闘のプロフェッショナルだからな。ズッケェロやホル・ホースには向かねぇだろ。お前がいねぇ間は、俺がお前の代わりをしておくよ。」

 

サーレーはズッケェロの顔を見た。

 

「いいよ。俺たちはおいといて、お前たちで行ってきな。俺にはペットの猫の世話もあるしさ。」

「キャー、ズッケェロちゃん、男前、カッコいいー。」

 

ズッケェロがサーレーに言葉をかけた。

ズッケェロの傍には黒髪の女性が座って、接待している。

 

「ま、そういうわけだ。無理強いはしねえが、先輩から学ぶこともあるだろう?」

 

ミスタの横に小柄な女性が腰掛け、グラスにウォッカを注いだ。

 

「ウェザー?」

「受けるかどうかはお前が決めてくれ。個人的には、アリだと思う。」

 

頬にキスマークをつけたウェザーが、サーレーに返答した。

 

「わかりました。その話、受けさせてもらいます。」

「ああ。行ってこい。相手がどれくらい強いのか、体感してくるといい。」

 

ミスタが隣の女性にウィンクしながら、サーレーに返答した。

 

◼️◼️◼️

 

「……雲を展開する速さ、能力を使用する練度、身体能力、自身を最大限有利に生かす戦術の確立。まさしくバケモノだな。」

 

ウェザーは冷静に、俯瞰で分析した。

ここはパリ郊外にあるフランス暗殺チームの訓練場、フランス暗殺チームは育成に金をかけており、表社会からさまざまな最先端の技術を供与してもらっていた。

さまざまなトレーニング器具があり、食事にも制限を課し、生活にもサイクルを義務付けている。

 

ここはその中でも、室内のひらけた実戦用訓練場だった。

そこではサーレーとフランシスが模擬戦を行なっている。

 

模擬戦開始と同時に訓練場の中央を雲が覆い、フランシスは天井から下の様子を伺っている。

サーレーは雲に巻かれて視界を失い、フランシスは天井を凍らせて足場にして張り付いていた。

フランシスは模擬戦の様子を周囲に見せて勉強させるために、あえて雲の展開範囲を狭めていた。

 

◼️◼️◼️

 

サーレーと対面する男は、フランシス・ローウェンという名の男。

赤い髪に青い目、彫りが深く、長身で190センチ前後、筋肉質な割にはスマートな体型をしている。

服は、黒いシャツを着て紺のジーンズを履いている。

 

模擬戦が始まった。

訓練場の広さは、三十メートル四方、高さは三メートルといったところ。

フランス暗殺チームの副リーダーが試合開始の合図を発するとともに、フランシスのスタンドから周囲に雲が撒き散らされた。

 

「くっ……!!!」

 

あっという間に訓練場を覆う雲にサーレーは瞬く間に視界を失い、敵の不意の攻撃に対処するためにラニャテーラを展開する。

フランシスはしなやかな筋肉で訓練場の壁を駆け登り、天井から真下のサーレーの様子を確認した。

 

フランシスのスタンドは雲を生成し自在に操る能力であり、雲内を流れる気流による微細な雲の動きから敵の動きを敏感に察知する。

フランシスの雲に巻かれたサーレーは敵の出方を伺えずに、このまま消耗の激しいラニャテーラを展開したままでいるか、闇雲に突っ込むべきか迷っていた。

天井のフランシスがサーレー目掛けて飛び降りた。その様は獲物を狙う肉食の猛獣のようにしなやかで俊敏で、サーレーは慌てて突然背中に跳び乗ったフランシスを固定しようとするも、体に雲内の電流が流れて痺れて遅れをとった。必死に対応しようとするも時遅く、フランシスのスタンドの拳はサーレーの首筋に当てられていた。

 

「……参った。」

 

サーレーの敗北宣言を受けて、フランシスがサーレーの背中から飛び降りた。

訓練場の雲は、かき消えた。

 

驕っていたつもりはない。

ミスタ副長はサーレーに勝てるし、ズッケェロのような初見殺し的な厄介なスタンド使いもいる。世界にはたくさんのスタンド使いがいて、その中にはサーレーが及びもしないスタンド使いがいてもおかしくない。サーレーはそう考えている。

それでも、真っ向力勝負であれば誰が相手でもそこそこ戦えるつもりでいた。

 

「すげえな。あっという間に負けちまった……。」

 

サーレーはつぶやいた。

 

「もう一回やるか?」

「是非ともお願いする。」

 

一本目は互いの能力を知らない状態での戦い、二本目は多少相手の情報が知れている状態での戦い。

それぞれ違った意味合いを持つ。

 

二本目の合図が出された。

フランシスが雲を高速で展開し、サーレーはそれに対応して周囲の気流を固定した。

 

「ほう。」

「同じ手は、食わねえ!」

 

中途半端に雲が展開され、サーレーはフランシスに詰め寄った。

フランシスに拳を伸ばそうとするも、サーレーの腕の関節を薄氷が覆い、掴もうとする隙にフランシスはゆらゆらと逃げて行く。

慌ててラニャテーラを展開するも、後の祭り。フランシスは雲の中に姿をくらまし、気流を固定された訓練場内をフランシスが展開する雲が緩やかな速度で増えて行った。

 

「そっちじゃないな。」

「てめっっ!クソ!!!」

 

フランシス・ローウェンは変幻自在の怪物。

戦闘における引き出しは奥が深く、対峙する者はその実像を掴むことが非常に困難だ。

 

声のした方にサーレーは突っ込むも、まるで的外れでフランシスを見つけられない。

そうこうしてるうちにも、未だ訓練場内を緩やかに雲は増えて行く。場所(フィールド)は、どんどんフランシスにとって有利になっていく。

 

「出てきやがれッッッ!」

「自力で見つけてみせろ。」

 

サーレーが声がした雲の中に突っ込み、上方から再びフランシスがサーレー目掛けて降ってきた。

 

「……参った。」

「二度も同じ手にかかるのは感心しないな。」

 

フランシスは涼しい顔でサーレーに告げ、サーレーは憤慨した。

サーレーは訓練場の床で、フランシスに組み敷かれていた。

 

「凄いな。うちのリーダーも、決して弱くはないはずなのだが。」

 

ウェザーは素直に感心した。

 

「まあ、フランシスさんはちょっとおかしいっすからねー。」

 

ウェザーの横に座る、フランス暗殺チームの人間が返答した。

茶色い髪をした、20歳前後くらいの男性の若者だった。

 

「そうなのか。」

「ええ。近接戦闘でもめっぽう強いくせに、遠距離で強力な攻撃も可能。さらに自分をもっとも活かせる戦法をとってきますからね。以前は俺も自分が強いと考えてましたが、完全に鼻っ柱を折られました。恥ずかしかったっす。」

 

茶色い髪の若者は、恥ずかしそうに笑った。

 

◼️◼️◼️

 

「週に一回の、コレが楽しみなんすよ。」

 

茶髪の若者がウェザーに笑いかけた。

フランスの暗殺チームの人員は、全部で9人。サーレーとウェザー合わせて11人だ。

11人で、食卓のテーブルを囲んだ。

 

「なるほど、確かに美味いな。」

 

フランス暗殺チームの晩餐は、フランシスが調理したブイヤベースだった。

ブイヤベースとはフランスのマルセイユ発祥、魚介類をハーブやオリーブオイル、ニンニクなどで煮込んだ料理である。

 

普段は簡素な食事をとる暗殺チームには、週に一回フランシスが手がけた料理が提供される。普段食事が簡素な理由は、いざ苦境に立たされた時になんでも食べられるようにするためである。それは部下を想うフランシスが、暗殺チームが生き残るためのモチベーションの一つになればと努力したものだ。週に一度美味い料理を出せば、部下はそれを目的に生還しようという気になる。

フランシス・ローウェンは戦闘に関しては天賦の才を持っていたが、料理や語学の才能は人並みである。

 

天国は、日々の細やかな幸せの中に存在する。

それは表現の仕方や文化は違えど、裏社会の暗殺チームの共通見解である。

理想(それ)を見失えば、暗殺チームはそもそもの存在意義を失う。生還のモチベーションも低下し、社会の害悪と見做されて民衆から石を投げられ淘汰される存在へと成り下がる。

 

「リーダーが俺たちのために努力して作ってくれたと考えたら、頭上がんねっすよ。」

「味はどうだ?」

「非常に美味だ。」

 

少人数でテーブル席を囲み、フランシスはウェザーに料理の味が舌に合うか問いかけた。

若者向けにあえて若干塩気を強くしたその料理に、ウェザーはフランシスの苦労を感じ取った。

 

「そうか、よかった。」

「ちっ、完璧超人気取りか!料理ができた方が、女にモテるってか?」

「サーレー、僻みは良くないぞ。」

「うるせえ。自分でわかってんよ!」

 

サーレーがブツブツ文句を言い、ウェザーがそれを窘めた。

文句を言いながらもサーレーのフォークは止まらず、フランシスはサーレーの小言を笑って受け流した。

 

「それにしても、本当に強いな。まさかサーレーが手も足も出ずに敗北するとは。」

「そうでもない。二人いたら、勝てたかわからない。」

 

フランシスは、さらっととんでもないことを言い出した。

 

「テメッッ、二人がかりでもないと負けないってか!」

「暗殺チームは、あらゆる事態を想定する。多対一なんて、戦闘では基本中の基本だろう?」

 

言われてしまえば、その通りかもしれない。

サーレーは敵が全員フランシスで、大人数で襲いかかってくる様を想像した。

 

「絶望だな。」

 

少なくとも現時点の実力では、とても勝ち目がない。一人でも軽くあしらわれてしまっている。

 

「模擬戦が鎮圧目的だという理由もあるだろう。殺傷目的の戦闘であれば、また過程も結果も変わってくる。必死の戦いは、模擬戦ほど簡単なものじゃない。どちらが先に仕掛けるか、味方側の索敵能力なども戦闘の結果に密接に関わってくる。」

 

フランシスのその言葉に、サーレーは納得した。

以前サーレーたちが麻薬チームに破れたのも、その最大の理由が敵に索敵に優れたスタンド使いがいたという一面がある。

 

「だからこそ、あらゆる事態を想定しておくべきだ。俺が敵だったら、お前はどうしていた?」

「テメッッッ!!!」

 

フランシスは、サーレーに向けてニヤリと笑った。

 

「それを常に考えておくべきだ。味方に強い人間がいるから自分たちは安泰だ、は一般市民にのみ許される思考だ。それでは戦士失格だ。」

 

ぐうの音も出ない正論だ。

いつまた強力な敵が現れるかもわからないし、前回の戦いではフランシスは成り行き上パッショーネの敵に回っていた。

パッショーネがフランスと敵対した場合、サーレーは必勝の確信が持てない。それどころか、非常に苦しい戦いとなるだろう。

 

食事はお開きになり、一同は就寝した。

 

◼️◼️◼️

 

「俺がそんな挑発に乗るとでも?」

「ああ。アンタは乗るね。」

「おい、サーレー!」

 

翌日の朝の朝食後。

訓練場でフランシスは涼やかに笑い、サーレーは挑発し、ウェザーは困惑している。

周囲では、フランシスに押し止められた部下がことの成り行きを見守っている。

 

「アンタは昨日、多対一なんて戦闘の基本だといったろう?」

「まあな。」

 

サーレーの挑発は、二対一であればフランシスにも勝てるという口上だった。

二対一とは、当然サーレーとウェザー対フランシスである。

 

「俺一人じゃあアンタを満足させられなかった。だが、ウェザーと二人がかりならアンタにも勝てる。アンタにとっても、いい戦闘経験になるだろう?アンタは自分で、もしアンタが敵だったらどうすると言ったはずだ。ガッカリはさせないぜ。」

「おい、よせサーレー!!!」

 

ウェザーはサーレーの失礼な態度に慌てた。

 

「いや、そいつの言うことはあながち間違いではない。ギリギリの戦いを経験することは、いざという時の財産になる。ただし……。」

 

フランシスは、獰猛に笑った。

 

「そこまで言うのなら、ちゃんと手応えのある敵であってくれよ?」

「……ッッッ!!!」

 

フランシスの威圧が、サーレーを襲った。

 

「上等ッッッ!!!」

 

戦いが、決定した。

昨日と同じ審判が、試合を開始する合図を告げた。

 

「ウェザー、雲の対応を任せた!」

「了解!」

 

訓練場に雲が展開され、ウェザー・リポートの逆巻く風が訓練場に吹き荒れ、フランシスの雲を拡散させた。

ウェザー・リポートはフランシスにとって数少ない、天敵と呼べる存在であった。

サーレーとウェザーのシルエットは重なり、サーレーは前面に出てフランシスと己の距離を詰めた。

 

「……やっぱそう来るか。」

「たりめーだろーがッッッ!!!」

 

サーレーは周囲にラニャテーラを展開し、絡め取る蜘蛛の糸がフランシスの行動に枷をかける。

フランシスは近接戦闘の技量はサーレーに勝るも、ラニャテーラとコマ送りの補正により、サーレーは至近距離でフランシスのハイアー・クラウドと互角に拳を交わした。僅かな時間にサーレーとフランシスの間にいくつもの拳の応酬がなされ、あえてサーレーはフランシスの拳を固定しない。

サーレーは至近で、蜘蛛の土俵上でクラフト・ワークと真っ向から互角に撃ちあえるフランシスに、本当に強い相手だと感心した。

 

「……厄介だな。」

 

フランシスは目の端でウェザーの動向を追い、試合開始すぐに敵との距離を取り損なった己の失着を悔いた。ウェザーは膨らむ動きでフランシスの背後を取り、挟撃しようとしている。フランシスは退避という選択肢を思考した。

ウェザーの動きにフランシスが気を取られた瞬間に、サーレーはフランシスの右拳を唐突に自身の左拳に固定して、拳を手前に引いてフランシスの体勢を崩しにかかった。

 

ここまでサーレーが一方的にやられる展開だけだったために、フランシスはサーレーのクラフト・ワークの能力分析が出来ていない。サーレーはここまでフランシスに知られていないクラフト・ワークの能力をひた隠し、ここ一番で切ってきた。戦闘に変化をつけて、対応させる。

フランシスはウェザーの動きに気を取られ、唐突に自身の拳を固定され体勢を崩しにかかられ、挙句にラニャテーラで体に負荷がかかっている。

 

一気呵成にクラフト・ワークの得意な能力を全て喰らい、フランシスは致命的な隙を見せた。

ウェザー・リポートの拳が、背後からフランシスに突きつけられた。

 

「……参った。」

 

フランシスは訓練場に片膝をつき、敗北宣言を出した。

 

「もう一回やるか?」

「これ以上部下の前で恥をかかせるのは、勘弁してくれ。」

 

フランシスは涼しげに、笑った。

 

「……済まないな。」

 

サーレーの強引さを、ウェザーは詫びた。

 

「いや、構わんよ。」

「それにしてもこっちにこんな有利な状況で戦わせてしまって……。」

 

ウェザーは相手のリーダーに恥をかかせてしまったのではないかと、恐々としていた。

 

「いいや?何のために暗殺者がチームを組んでいるのかを考えれば、当然の戦術だ。競技であれば、ルールがあってしかるべきだ。しかし暗殺チームは、失敗が許されないからな。それに万が一パッショーネが敵に回った時のことを考えれば、こんなにも強い奴らがいると知れただけでも俺にとっては十分な収穫だ。」

「テメエ……。」

「いいチームだな。」

 

フランシスは笑い、余裕を崩さない。

その鉄面皮を崩してやろうと思ったのだが、フランシスの精神は強靭だった。

 

◼️◼️◼️

 

「じゃあまた来てくださいねー。」

 

茶色い髪の若者が、パリのオルリー空港までサーレーたちの見送りに来ていた。

サーレーたちはデパートで、マドレーヌを筆頭にお菓子を山ほど土産として渡された。

 

「リーダーもまた遊びに来て欲しいと言ってたんで。」

「ああ、ありがとう。しかし……遊びではなく合同訓練だったはずなのだが?」

 

ウェザーは首を傾げた。

 

「リーダーの口癖なんすよ。」

 

茶色い髪の若者は、明るく笑った。

 

「ウェザー、乗り遅れるぞ!」

「ああすまない。……じゃあ、またな。」

 

サーレーがウェザーを呼んだ。もう行かないといけない。

ウェザーは笑って、若者に手を振った。

 

◼️◼️◼️

 

「二回目をやってれば、多分負けてたな。俺たちに華を持たせてくれた。」

「ああ。」

 

一週間の合同訓練が終わり、サーレーとウェザーはイタリア行きの飛行機に搭乗していた。

 

フランシスは、強敵だった。

二対一でも奇襲で勝ったようなものであり、クラフト・ワークの能力の詳細が知れた二戦目はフランシスも対応してくるだろう。

少し戦っただけでもわかる練磨された動きであり、次の戦いでは間違いなく新しい引き出しを開けてくるはずだ。戦闘経験が増えるほどに、あらゆる状況に対処する思考の速さと柔軟さが増す。それは生死を賭けた戦いでこそ、より強烈に存在感を示す。

 

フランシスは精神も強靭で、二対一とはいえ敗北した後に微塵も表情を崩さず、強がりにも見えなかった。単純に、自身に勝つために手段を変えてきたサーレーに驚嘆と賞賛を贈っているようにも見えた。

あれほど精神的に強いリーダーがいるのなら、部下が弱いとも考え難い。精神に大きな支柱があるのなら、人はなかなか倒れない。

 

「強い奴がいるもんだなあ。俺たちもまだまだだな。」

「まったくだ。」

「前日にアイツが俺が二人いたら危なかったと言ったのは、俺たちに二人がかりでかかってこいという意味合いだったんじゃねえか?」

「どうだろうな?」

「……いつアイツがイタリアの敵に回るかも知れねえ。油断は禁物だ!」

「多分、それはさすがに考えすぎだと思う。」

 

サーレーの真剣だがちょっとズレた言葉を、ウェザーは軽くいなした。

しかしフランシスは敵ではないと思うが、強い敵が現れないとも限らないというのは同意しておこうか。

ウェザーはサーレーの言葉の一部分には、同意した。

 

「……一対一でもいつか勝てるようになりてぇな。」

「ああ。」

 

フランス、パリからイタリア、ミラノまでのフライト時間は一時間と少々だ。

サーレーとウェザーは窓際の席に並んで座り、帰還まで眼下の光景を楽しんだ。



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番外編 チンスマ 〜チンピラも、スマートフォンと共に〜 前編

ーーた……高え……!!

 

イタリアのミラノ、家電製品店のショーウィンドウにへばりつく一人のチンピラ。ショーウィンドウのガラスには彼の姿が映り、あたかも蟹のごとき陰影が浮かび上がっている。鼻息は荒く、ガラスには彼の指紋がべったりと付いている。

彼は、財布の中身を確認した。店員が、そんな彼のそばに近寄った。

 

「お客様、何をお探しでしょうか?」

「ああっ、いいえ!!!」

 

挙動不審に慌てふためく奇妙な容貌の客に、店員は首を傾げた。

欲しいものの値段はおよそ300ユーロ。値札が付けられている。

財布の中身は30ユーロ。預金にも残高はない。

貧乏と、笑うがいいさ。彼は自嘲した。

 

黒くて、ピカピカで、カッコいい。

角ばっていて重厚感のあるそのフォルムは、彼に子供の頃に捕まえたヨーロッパサイカブトを想起させた。

小学生は、ゴツゴツしていてカッコいいものが好きなのである。

 

ーーええ!物欲が、ムンムン湧いてくるじゃあねーかッッッ!!!おいッ!

 

それは遠い思い出。

彼はすでに忘却の彼方に追いやってしまっているが、彼が幼少の頃に捕まえたヨーロッパサイカブトは、彼の管理不行き届きにより近所の野良猫の狩猟用のおもちゃになってしまっていた。

 

彼は都合の悪いことは、決して思い出さない。

基本は脳内、お花畑だ。でも案外それが、幸福に生きるための秘訣なのかもしれない。

まあさすがに、スマートフォンが猫に食べられることはないだろう。(余談だが、ヨーロッパではカブトムシ飼育は一般的にゲテモノ趣味として扱われるらしい。)

 

ーーしかし、手持ちは30ユーロ。……全然足りない。次に給料が入るまであと一週間。

 

彼……サーレーは首をひねった。

どうしても今欲しい。ここで欲しい。すぐ欲しい。しかし全然金が足りない。

手持ちの現金で手に入らないのなら、余計に欲しくなるのは人の性。

そもそも食費としてあと一週間を30ユーロでもたせねばならず、すでにギリギリだ。

何かスーパーな解決法はないだろうか?

 

ことの始まりは、あまりにも単純である。

いつものように飲み屋に行ったサーレーが懐からガラパゴスな感じの携帯電話を取り出したところ、飲み屋の綺麗なねーちゃんが小馬鹿にするように鼻で笑ったのである。ありがちというかベタというか……。

 

(本来ガラパゴス携帯とは、日本の独自の機能の進化を遂げた携帯のことであるが、ここではあえて広義に周囲から置き去られ消え行く運命の旧式携帯電話を指すことにしよう。なぜならばわかりやすいから。ちなみにガラパゴス諸島の生物は多様性の観点上、種の保全の必要性が公に認められているが、絶滅に向かい行くサーレーの携帯電話が保全の必要性が公に認められているかは不明。)

 

その反応に恥ずかしくなったサーレーが飲み屋を出た後に相棒(ズッケェロ)に相談したところ、『あん?俺はもうとっくにスマートフォンに買い替えたぜ?』という驚愕の返事が返ってきた。

 

これには、サーレーも驚いた。

相棒はいつのまにか時代の波に乗り、サーレーは一人ポツリとガラパゴス諸島に取り残されてしまっている。由々しき事態だ。

 

裏切り者に鉄槌を。失われ行く物の侘び寂びが分からない愚か者に、痛みを。

ガラパゴスゾウガメの、ガラパゴスペンギンの、ガラパゴスリクイグアナの力を思い知れ!

 

『あいてっ!』

 

サーレーはこっそりズッケェロのすねを蹴って逃げ、翌日近所の家電製品店にブツの値段を確かめに来ていた。

サーレーもぜひとも最新のスマートフォンを手に入れ、うさんくさいチラシの広告のごとく飲み屋のねーちゃんたちにモテモテになるのだ!

 

『キャー、サーレーさん、ステキ!』

『スンゲ!四角!マジ四角!四角くて、スゲー強そう!私のスマホよりも強そう!赤外線も多分、きっと、ヤベエ。チョーカッケエ!イカす!』

『ウフフ。ボウヤのスマートフォン、とてもセクシーね。お姉さん、嫌いじゃあないわ。』

 

「ウヒっ、ウヒヒィ。」

 

不審客は不気味に笑い、周囲の人々は警戒する。暑さに頭をやられたのかもしれない。警察を呼ぶべきだろうか?

家電製品店の客はショーウィンドウに張り付いた緑色の毛の怪しい男を遠巻きに囲み、店員は警戒しつつ今一度サーレーに忍び寄った。

 

「あの……お客様、何をお買い求めでしょうか?」

 

買わないならさっさと帰れという文言を飲み込み、果敢な店員は不審者がいつ襲いかかってきても逃げられるように及び腰で接客した。

 

「いや、すまない。」

 

サーレーはふと自分の怪しさを客観視した。警官を呼ばれるのもそう遠い未来ではない。

潮時だ。サーレーはいつのまにか寄ってきた客たちを尻目に、そそくさとその場を立ち去った。

 

◼️◼️◼️

 

手持ちのユーロに油性ペンでゼロを付け足すのはどうだろう?そうすれば30ユーロが300ユーロにならないだろうか?

……ダメだ。ジョジョに怒られる未来しか見えない。サーレーは肩を落とした。

 

ーーやはり、プランCしかあるまいか。

 

ミラノの公園のベンチに腰掛け、サーレーは戦略を練った。

目的は、手持ちの30ユーロを300ユーロにする。その方法。

ベンチに座ってコーヒーを飲みながら、どうにかその方法はないかとない知恵を振り絞ったところ、たった一つ思いついた方法がプランCだった。

 

ーーしかし……プランCは多大なリスクを伴う……。

 

リスク無くして、未来は開けない!今こそ戦う時だ!

サーレーの心の香ばしい部分が、諸手を挙げて煽り立てた。

 

ーーいいや、ジョジョに怒られるかも……。

 

サーレーの心の真っ当な部分が、サーレーを押し留める。

心の中で天使と悪魔が闘争を繰り広げ、悪魔がサーレーをそそのかす。

 

サーレーのプランとは、別に人道に反しているわけではない。

しかし、失敗するリスクがあり、失敗した時は周囲に迷惑をかけてしまうかもしれない。

ゆえにジョジョが現れてからこれまで、それをずっと禁じ手にしていた。

 

しかし目の前にはスマートフォン。どうしても欲しい。

……今こそ封印がとかれし時だ。

 

サーレーは迷いつつも、自然と足はそこに向かっている。

ガラパゴス製の携帯の時計を見ると、昼日中。開店までまだ時間がある。

サーレーは自宅の周りをぶらつきながら、時間を潰した。

 

◼️◼️◼️

 

「リーダー、悪いこたぁ言わねぇから、やめときなって。」

 

金髪にベストを着用した、壮年の男性がサーレーに忠告した。

 

彼の名は、ホル・ホース。

イタリアの争乱でサーレーたちと敵対し、ちゃっかりパッショーネの下っ端に収まって処遇を有耶無耶にされた男だ。器用で要領が良く、サーレーとは真逆な男である。

今の彼は暗殺チームの下っ端、サーレーの部下であり、普段はパッショーネ保有のカジノのディーラーとして生計を立てている。

 

「うるせぇ!男には、やらなければいけない時があるんだ!」

「……それは今じゃないと思うけどねえ。」

 

ホル・ホースは呆れ返って、ルーレット盤に球を投げ入れた。

サーレーのプランCとはプランカジノ、つまりギャンブルで手持ちを十倍にしようというしょうもない目論見だった。

ここは(ロッソ)(ネロ)を当てるルーレット台。ホル・ホースが球を投げ入れ、球は回転する台をコロコロと転がっていく。

 

ーー赤だぞ!赤だ!赤、来い!

 

サーレーの脳裏にラニャテーラを使用して不正しようかという思惑が過ぎるも、ここはパッショーネのカジノだ。

カジノにスタンド使いがいたりして、ジョジョやミスタ副長に不正がバレたら目も当てられない。しこたま怒られてしまう。というよりも、目の前の男がすでにスタンド使いである。

サーレーの手持ちの金は30ユーロが20ユーロになり10ユーロになり、もうこの一投が全てを決めてしまう。

 

ーー赤!赤!赤!!!

 

「そんなに身を乗り出しても、出目は変わりゃあしねえよ。」

「うるさい!!!」

 

サーレーの携帯電話が、音を立てた。

 

「ちっ、こんな時に一体誰が……。」

『やあ、サーレー。仕事だ。』

 

サーレーが電話に耳を当てると、聞き覚えのある、というかボスであるジョジョの声が聞こえてきた。

 

「ルーレットは、黒の26で確定しました。」

「ボ、ボスッッッ!!!」

 

サーレーは文無しになると同時に、慌ててカジノを後にした。

ミラノ駅で特急列車に乗って、ネアポリスへと向かった。最近では暗殺チームには特務の際、公共機関に対する便宜がはかられるようにパッショーネから根回しが行われていた。暗殺チームには表社会における警察手帳のような、特殊なカードがパッショーネから支給されていた。

 

「……なぁんか既視感があるんだよなぁ。」

 

ホル・ホースは、ボヤいた。既視感とは、現在の大ボス、ジョルノ・ジョバァーナのことである。

ホル・ホースは、どこかでジョルノと似た人物と出会った気がしていた。

自分より年下の人間だが仕えていて、不思議となんの違和感も抱かない。なぜだろうか?

 

「まっ、今の立ち位置もそう悪いもんじゃねえかな。こうなったら、パッショーネでNo.2を目指すとしましょうかね。人生は楽しんだもんが勝ちよ。」

 

とは言っても実質的な現No.2のグイード・ミスタは、強敵だ。そう簡単には成り上がれそうもないが、まあ少なくともやり甲斐はあると言っていい。

ホル・ホースは携帯電話を懐にしまい、笑った。

 

◼️◼️◼️

 

そろそろ収穫どきだろう。種は撒いた。

ジョルノはネアポリスの図書館で、思考した。

思考することは、亡きカンノーロ・ムーロロの後釜となりうる人材の補填だ。目星はつけてある。

 

「ジョジョ、サーレーがカジノに来てますぜ。」

 

携帯電話の先から声がした。通話相手は最近パッショーネに入団した、ホル・ホースと言う名の男。

頭の回転が速く、そこそこ使い勝手のいい男だ。人当たりが良く、賢く、暗殺チームと兼任させてカジノに勤務させている。

 

サーレーがカジノに来ているのなら、ちょうどいい。

この任務は彼に任せよう。対価を提案し、彼は労働力を差し出す。経済の基本だ。

どうせサーレーは、ギャンブルに勝てないだろう。

 

それにしても……ジョルノは笑った。

サーレーは扱いやすくて助かっているが、彼は分かっているのだろうか?

 

彼の給与がカジノに落とされるのならば、それはパッショーネの資金の一部になり、そこからサーレーの給与が支払われる。

サーレーはパッショーネの飲み屋に金を落とし、パッショーネの店で日用品を購入する。

金は上手に循環しているが、簡単すぎる。もう少し回収に手間取っても良さそうなものだが。まあ彼に経済の話をしてもしょうがない。

 

確実に言えるのは、彼は有事に凄まじく役に立ち、イタリアとパッショーネにとって有用な人材だということだろうか。

いざという時に真に役に立つのであれば、普段の多少の素行の悪さに目をつぶっても、ドッサリとお釣りがくる。備えあれば憂いなしであり、普段役に立たずとも確保しておく意味合いは非常に大きい。

 

普段はあまり役に立たない無駄飯ぐらいであったとしても、本当に苦しい時に助けてくれるのは死に物狂いで戦ってくれる兵士である。武力は、行使しないほうがよくても、決して軽視するべきではない。武力の無い組織は、張子の虎も同然だ。

そして危険な力であるゆえに、丁寧に扱い手間暇をかける必要性がある。必要になる前に用意しておくから意味があり、必要となった後で用意したところで手遅れである。

 

そもそも軍備とは、そういうものなのである。

 

◼️◼️◼️

 

「君は文無しで、あと一週間どうやって過ごすつもりだい?」

「いっっっっ!!!」

 

ジョルノは悪い笑みを浮かべ、サーレーは懐事情がジョルノに筒抜けていることに驚愕した。

 

「まあいいさ。ちょうど君に頼みたいことがあったんだ。金銭を対価に支払うから、頼まれて欲しい。」

 

ジョジョの頼みを、サーレーは断れない。

金がないのもあるが、金があっても同じことだ。

 

「頼み事とは?」

「ローマにネズミが出るんだよ。パッショーネが保有する物件が、窃盗被害に遭っている。」

 

ジョルノは指を組んだ。

ネアポリスの図書館でジョルノは座り、サーレーはジョルノの前に立って指示を待っている。

 

「場所はローマの郊外。相手はパッショーネの盗難対策をくぐり抜けて窃盗する腕利きだ。君にその泥棒を捕まえてきて欲しい。ただし、相手を決して傷付けないように。」

「傷付けないように?」

 

サーレーは首を傾げた。

 

「簡単に事情を説明しておこうか。組織には、暗い部分が存在する。目的を同じくしても、たどる道は決して同じとは限らない。」

 

といってもこの程度は、闇の部類にも入らない。

しかし綺麗好きな人間は一定数存在し、当然彼らのことも尊重しないといけない。その結果、サーレーやカンノーロ・ムーロロのように暗黙の裡に懐に飲み込むという選択肢が採用される。裏側のことなど、知らないほうが幸せに生きられる。時に明るみに漏れて大衆が知るのは、社会の裏側があえて流した知らせても構わないおとりと言うべき情報だ。彼らはおとりの情報に社会を知った気になり、好奇心を満足させる。ゆえに裏社会はメディアを重宝し、情報部を重要視する。暗殺チームはその中でも、闇の最深奥だ。

ジョルノは、指を回した。

 

「どういうことでしょうか?」

「まあ言ってしまえば、組織には共有されない情報があるというだけだ。僕はその泥棒を、パッショーネの情報部の人員に欲している。なにしろどれだけ対策を練っても、盗みを成功させる手腕を持ち合わせているのだからね。使い方次第では、非常に有能な人材になりうると言える。警備の情報が向こうに筒抜けになっていると考えてまず間違いないだろう。でも引き抜きを画策しても、パッショーネ内部にはパッショーネから盗みを働く人間なんて信用できないという人間だってたくさんいる。」

 

ジョルノは少し目線を上げた。

 

「なるほど。」

「人がたくさんいればさまざまな価値観があり、それらは決して軽んじるべきではない。組織内部の不和のリスクになる。しかし、そのリスクをのんでなおもあまりある価値があるのなら、時にはそれを曲げる場合もある。言ってしまえば、僕はその泥棒に価値を見出しているんだよ。だからヘソを曲げられないように、乱暴をせずに相手を尊重してこっそりと僕の前に連れてきて欲しい。出来るね?」

 

出来るか、ではなく出来るね、とジョジョはサーレーに問いかけた。

出来ませんなどと言えるはずがない。

 

「お任せください。」

「これが作戦を行う建物の場所と構造だ。ローマの情報部に話をつけているから、現地で彼らから作戦を聞いてくれ。」

 

ジョルノはサーレーの前に資料を出した。

サーレーはざっと流し読みをした。

 

「それじゃあ頼んだよ。」

 

サーレーはネアポリスを後にした。

 

◼️◼️◼️

 

パッショーネも、案外マヌケだ。それとも彼に発現している超常の力に、単に対応の術がないだけなのか?

アルバロ・モッタは夕焼けに笑った。

 

彼は生まれつきのスタンド使い。金髪の二十代前半、そばかすヅラに中肉中背の若者。

スタンド名は七人の小人(リトル・セブン・ボーイズ)。群体のスタンドの使い手だ。

 

スタンドは常人には見えず、彼のスタンドは建物内部の警備をザルにする。

小人は警報を無効にし、先んじて警備巡回の情報を得ることができる。

いくら強大なパッショーネといえども、超常の力にはなす術がないらしい。

 

「これは、当然の行為だ。」

 

報いだ。

パッショーネはかつては麻薬をばら撒き私服を肥やし、今は高い商才によって権勢を誇っている。

彼の所属する組織はパッショーネより歴史が長く、今現在は隆盛するパッショーネにおされて存亡の危機にさらされている。

パッショーネさえなければ、彼の所属する組織はもっと裕福だったはずだ。

 

だったらパッショーネから盗難を働いたとしても、当然の権利だろう?

アルバロ・モッタは、そう考えている。

 

◼️◼️◼️

 

「お待ちしておりました。」

 

パッショーネのローマ支部で、情報部の人間がサーレーを出迎えた。

情報部の人間ということは、亡きカンノーロ・ムーロロの部下ということだ。

 

サーレーはビルのオフィスの一室に入室し、因果を含められた情報部の人間はサーレーを立ち上がって出迎えた。

事務机が並び、そこには五人ほどの人員がいた。

 

「状況と作戦を。」

 

彼らを代表して、眼鏡をかけた一人の男が話を始めた。

 

「次に被害に遭うのは、パッショーネ所有の美術館。ローマの新進気鋭の若手画家たちの作品です。パッショーネは彼らの後援者であり、ヨーロッパでは無名ですが、国内ではそこそこの額で作品の売買がされています。」

「なるほど。」

「盗難をしているのはローマに本拠をおく同業者、二つの星(ドゥエ・ステラ)という組織の若者です。名はアルバロ・モッタ。」

「いや、ちょっと待て!待ってくれ!」

 

意味がわからない。犯人はすでにわかっているのか?

犯人がわかっているのなら、さっさと捕まえてしまえばいいのではないか?

 

「どうか?」

「犯人はすでにわかっているのか?」

「ええ。」

「……どういうことだ?」

 

サーレーは首をひねった。

 

「まあ少し事情があるんですよ。……ジョジョは試しておられたのです。情報部の人間には、高い知能と能力が求められます。特に群体のスタンド使いは非常に情報部の適性が高い。亡きカンノーロ・ムーロロは、本当に優秀な人間でした。」

「ああ。」

 

サーレーはうなずいた。

 

「情報はあらゆる局面で役に立ち、どのような部門とも密接に関わってきます。近代戦は情報戦だ。情報部の人間が優秀であることは、そのまま強い組織であることと同義であると言っても過言ではない。」

「なるほど。」

「ジョジョは所有物件の警備レベルを操作し、相手の能力を探っておられました。どの程度の人材なのか。結果として判明したことは、泥棒はパッショーネで使えば非常に有用な人物である可能性が高いということでした。」

「……。」

 

なるほど。

つまりジョジョは、カンノーロ・ムーロロの後釜となり得る人物を探していたということか。

そのために泥棒にあえて手出しをせず、試していた。だから傷を付けるなと。

 

「我々が犯人の正体を知る理由は簡単です。泥棒は、現行犯で逮捕するだけとは限りません。盗品の行方がわかれば、そこを遡って誰が盗んだのかを探ることが可能です。裏でのパッショーネの発言力は、絶大だ。誰も敵対したくない。皆が協力的でしたよ。だから我々は次に窃盗の被害に遭う場所も把握している。」

「なるほど。」

 

理由はわかった。しかし、他にも気にかかることはある。

サーレーは男に問いかけた。

 

「……ジョジョはその男を情報部の人材に欲している。アンタは、パッショーネから盗みを働く人間が同僚になっても構わないのか?」

 

サーレーの疑問に、男は静かに笑った。

 

「情報部の人間の能力は、組織の兵隊の損耗率と密接に関わってきます。我々がその男を受け入れることで同胞が助かるのなら、私たちの矜持など取るに足らない些細なことです。だいいち……。」

 

男は眼鏡を指で持ち上げた。

 

「亡き我らのリーダー、カンノーロ・ムーロロも、決して素行のいい人間ではありませんでした。それでもジョジョのパッショーネで、きっと彼に救われた人間も大勢いることでしょう。」

 

彼は寂しそうに、笑った。

 

◼️◼️◼️

 

アルバロ・モッタは大衆居酒屋で、酒を頼んだ。店員がやってきて、彼の前にグラスを置いた。

仕事の前は、軽く高揚しているくらいがちょうどいい。飲みすぎてしまっては支障をきたすが。

 

何だかんだ言っても、モッタは強大なパッショーネに恐怖している。万が一盗みがバレれば、どんな目にあわされるか考えるのも恐ろしい。捕まれば、身の安全の保証はない。恐怖を酒で誤魔化しているのだ。

モッタは酒を一息にあおった。

 

唐突に、彼の目の前に奇妙な男が現れた。男は椅子を引いて、モッタの前の席に腰掛けた。

モッタと同じくカタギではなさそうな雰囲気をまとっている。

モッタは警戒した。

 

「よお。お前に凶報だ。パッショーネが対応に本腰を入れてくるぜ。」

「……アン?誰だテメエ?」

 

モッタも小さな組織とはいえ、ギャングの端くれだ。

目の前に同業と思しき年上の男が座り、モッタは彼に負けぬように威圧した。

 

「……お前のボスに雇われた協力者だ。今回の仕事の手伝いをしろと言われてきた。」

「ウチの組織のどこにそんな余裕がある?金もねえのに用心棒を雇えるわきゃねえだろうが。消えな。」

「まあ待ちな。対価は金だけとは限らねえ。パッショーネに恨みを持っている人間だっている。金のためではなく、自分のために協力を申し出る奇特な人間もいるってことだ。」

「はあ?意味がわからねえ。」

 

モッタは首をかしげた。

 

「こっから先、時間を置くほどにパッショーネはさらにデカくなって手がつけられなくなるってことだよ。もう銭金がどうこういう次元じゃねえんだ。俺たちだって、組織存続のためになりふり構ってられねえ。」

 

モッタは男の顔を凝視した。見覚えがない。緑色の毛髪の、変な髪型の男だ。

モッタは懐から携帯を取り出して、彼のボスに電話した。

 

「おい、オヤジ。どういうことだ?協力者とはなんのことだ?」

『パッショーネが盗難対策に力を入れてきたと、友好組織から通達があった。そいつを連れて行け。』

「ハァ?」

『わかっているだろう?パッショーネがちょっとマジになりゃあ、ウチの組織なんて消し飛んじまう。しかしデカイ組織には、敵がつきものだ。パッショーネの敵対組織が、巨大なパッショーネに手を組んで対抗してるってわけだ。そいつは反パッショーネ勢力の急先鋒だ。パッショーネと水面下で渡り合ってきた実績を持つ。連れて行って間違いはねえ。』

「オイ、ちょっ!」

 

彼のボスはそれだけ告げると、一方的に通話を切った。

モッタは目の前の男を睨んだ。

 

「まっ、そういうわけで俺が来たんだよ。パッショーネが今まで対応がザルだったのは、対応できないんじゃなくて他のことに手がかかりっきりだったってだけだよ。そっちの問題も片付いたようだし、本腰を入れてくるぜ?ビビって盗みをやめるってんなら話は別だが。」

 

モッタの目の前に座る男は、ニヤつきながら挑発してきている。

 

「テメッッッ!!!ざっけんな!誰がビビってるって!!!」

「わかってんだろう?パッショーネはヤベエぜ?お前は自分で考えている以上にアブない橋を渡っている。」

「……。」

「酒でごまかさずに冷静に考えなよ。悪いこた言わねえ。俺も連れてきなって。」

「テメエ、ナニモンだ?」

「俺はソルト。ネアポリスに本拠地を置く反パッショーネ連合に所属する人間だ。」

「反パッショーネ連合?」

 

モッタは胡乱げに、男を見た。

オヤジのことは信用しているが、見知らぬ人間を不用意に信用すれば痛い目にあうというのは表社会でさえも常識だ。

 

「デカイ組織はどんだけ丁寧に運営しても、そこら中に反抗勢力が湧くって話だ。パッショーネは少し前まで抗争中だったからな。その隙に反勢力同士で集まって、連合を組んだってわけよ。真っ向から戦っても勝ち目はねえし、しぶとく経済で戦おうってことだ。お前のオヤジも、俺たちの仲間になるのに乗り気だぜ。」

「……勝手なことを。」

 

ドゥエ・ステラは歴史ある組織だ。パッショーネごときの傘下につくなんてお話にならねえ。

かと言って、ポッと出の勢力に加担するのも気が乗らねえ。

 

「まあ仕事が終わったら見にくるだけきてくれよ。俺の仕事っぷりが気に入ったらの話だが。」

 

目の前の男は、明るく笑った。

 

「……邪魔したらただじゃあおかねえぞ?」

「パッショーネに捕まったらどんな目にあわされるかわかってんだろう?俺だって必死だぜ。」

「ちっ。」

 

モッタは舌打ちをした。

 

◼️◼️◼️

 

すでにローマは日が落ちており、あたりは暗くなっている。

パッショーネ所有の美術館はローマの郊外にあり、二階建ての瀟洒な建物だった。

大理石で建築され、昼日中は赤い屋根と壁の滑らかな白さがとても綺麗だ。しかし今は闇とともに静寂に佇んでいる。

モッタは昼中にすでに下見を済ませている。彼らは美術館から少しだけ距離をおいた路地で様子を伺っていた。

 

「パッショーネは警備の数を増やしてきてるぜ。スタンド使いも投入してきているらしい。」

「スタンド使い?」

「お前も多分使えるだろう?こういうのだよ。」

 

ソルトと名乗る男はそう告げると、傍に幽鬼のように彼のスタンドが現れた。

 

「テメッッッ!!!」

 

モッタは非常に驚いた。彼はスタンド使いだが、今まで同類に出会ったことがない。

スタンド使いは引かれ合う。しかしそれは、多くのスタンドの資質が本人の攻撃性の高さに依存しているからである。

攻撃性の高い人間は、似たような人間同士で縄張り意識を持ち、揉め事を起こすから衝突するのだ。

 

「まあとりあえず、気をつけな。」

「ちっ。」

 

モッタのスタンドは攻撃能力が低い。モッタは自分の弱さを自覚していて、揉め事を控えていた。スタンド使いであっても、戦力を持たないだけに本体を銃撃されれば呆気なく死んでしまう。

 

モッタのスタンドは七人の群体で、大きさをある程度自由に操作できる。自立思考能力を持ち、本体に近い精度で行動を起こせる。

モッタはスタンドを具現した。

 

『行ってくるやー。』

『任せときれ。』

 

小人は思い思いに喋り、美術館内部の探索へと向かった。

四人を本体のもとに置き、三人が内部侵入を請け負う。これは、小人の能力を活かすための作戦だ。

内部の安全が確認できたら増員して、スタンドで絵画を盗み出す。

 

「なんか能力持ってるのか?」

「……初見の人間にバラすわけねえだろうが。」

「まあそれもそうだな。」

 

小人は、モッタと同等の行動と思考能力を有する。特殊な能力も持ち合わせ、七人の小人の位置を任意で入れ替えることが可能だ。

彼らは、小人が美術館内部を確認して帰還するのを待った。

 

◼️◼️◼️

 

『おかしいのれ?』

 

小人は首を傾げた。あからさまにこれまでより管内の警備の数が多い。

いつかは対応してくるだろうと思っていたからそれはいい。しかし。

 

「いたぞ!あっちに一匹!」

「回り込め!ちっ!ちょこまかしやがって!」

「消えたぞ!どこ行った!」

 

パッショーネの警備が探しているのは、彼と同時に美術館に侵入した小人の別の個体だ。

今までは彼らには、小人たちが見えている形跡はなかった。

今日から唐突に、彼らは自分たちの姿を認識し始めたということだ。

知能を持つ小人は、理由がわからずに首をひねった。

 

「オイ、あそこにも一匹いるぞ!」

「捕まえろ!」

 

体格の良い男の視線が、彼に向いた。

小人は恐怖を感じ、その場を逃げ出した。

 

「今までよくも盗んでくれたな!パッショーネを舐めやがって!」

「剥いて街中に吊るしてやる!」

 

小人は言語を解する知能があるだけに、向かってくる相手の激情に恐れおののき一目散に美術館の外に逃げ出した。

 

「さて、あとはサーレーさんとジョジョのお仕事です。」

 

小人を追いかけている男は、小人がいなくなった後に笑った。

男はズレた眼鏡を元の位置に持ち上げた。

 

◼️◼️◼️

 

『大変エス。』

『アイツは。』

『僕たちが見えているのれ。』

 

小人たちはモッタの元へ逃げ帰り、思い思いに喋った。

美術館のそばにある目立たない路地で、モッタは小人によってもたらされた情報をまとめた。

 

「テメエ!!!」

 

モッタはソルトと名乗る男の胸ぐらを唐突につかみ上げた。

 

「おい、なんだいきなり?」

「とぼけんじゃねえ!テメエが来てからいきなり美術館の警戒態勢が跳ね上がった。テメエはどこからその情報を仕入れたんだ!テメエが俺の情報を流したんじゃねえだろうな!」

「待てよ。俺はお前を助けに来ただけだぜ?」

「だったらテメエのその情報の出所を言ってみろや!」

 

ソルトと名乗る男は、胸ぐらをつかんでいるモッタの手をどけた。

彼は少し考えてから口を開いた。

 

「どこからともなくいつのまにか流れてきた噂だ。俺も確証があったわけじゃない。しかし予想だが……一枚岩に見える組織でも、思惑が完全に統一されているとは限らない。パッショーネの幹部連中は組織に忠誠を誓ってはいるが、温和な人間も多い。俺が思うに、パッショーネの幹部連中が、若いお前がむやみに痛めつけられるのをかわいそうに思って情報を流したんだろう。」

「はあ?」

「お前がビビって盗みをやめてくれるのを期待したんだろう。さすがにパッショーネのヤバさがわからねえ奴はいねえ。」

「……。」

 

モッタは混乱した。

 

「世の中の裏側とは、案外そんなもんだ。」

 

ソルトと名乗る男は、肩をすくめた。モッタは爪を噛んで思考した。

 

ソルトと名乗る男は信用できないが、彼の組織のドゥエ・ステラは資金繰りに火がついている。

モッタは自分の所属する組織に誇りを持っており、力を持たない人間から窃盗を働くのは矜恃に反している。

パッショーネが強大な力を持つ同業者だから、盗みを働いても構わないという理屈を無理にでもでっち上げることができていた。

 

尻に火がついた人間は、焦りのあまりに時に判断を誤ることがある。

 

「俺が手伝ってやるよ。」

「……テメエ!」

 

モッタは協力を申し出たソルトという男を睨んだ。

パッショーネは、モッタの特殊な能力に対応してきた。他の場所で盗みを働こうにも、そこにも能力が見える人員が配置されている可能性は高い。パッショーネ以外のところから盗みを働くのも罪悪感が刺激される。ローマと共に過ごしてきた誇りがあるのだ。

仮にソルトという名の男に任せて首尾よくことが運ぶようであれば、今回だけでなく次回の窃盗もうまく行く可能性が出てくる。その思考が、モッタの頭をよぎった。

 

「まあ見てなって。初回無料サービスだ。俺としちゃあ、連合に共にパッショーネと戦う仲間が少しでも増えてくれると助かる。」

 

そう告げるとソルトは美術館に向かって歩き出した。

 

「お、おい!」

「まあ見てなって。」

 

ソルトと名乗る男は笑い、モッタは慌てて彼の後を追った。

 

◼️◼️◼️

 

名前

アルバロ・モッタ

スタンド

リトル・セブン・ボーイズ

概要

ローマの裏組織、ドゥエ・ステラに所属する若者。生まれつきのスタンド使いだが、戦闘能力は低い。

 

名前

ソルト

概要

一体、何者なんだ!?



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番外編 チンスマ 〜チンピラも、スマートフォンと共に〜 後編

玲瓏な音を立てて、大理石造りの床を大の男二人組が滑らかに進んでいく。

ここは、美術館の玄関口だ。館内は不審な生物が入り込んだことにより、夜間にもかかわらず照明がつけられている。

静寂に不自然に人の声が響いている。

 

「オイ、お前あれ一体何をしたんだ?」

 

モッタは、焦った様子で小声でソルトに問いかけた。

 

「見りゃあわかんだろ。縛り上げて目隠しをしただけだ。」

「おい!こんなことすりゃあパッショーネが怒るだろうが!」

「心配いらねえよ。お前はすでにパッショーネを怒らせている。金銭的にすでにケツに火がついていて、多少のことではもう後に引けねえだろう?」

 

モッタはソルトの言葉を吟味して、顔が真っ青になった。

 

「ふざけんな!人ごとだと思いやがって!」

「人ごとじゃねえよ。俺たちもヤバいから反パッショーネ連合なんてモンが組まれてんだ。お前も連合に加入すりゃあ問題ねえ。」

 

モッタは憤慨し、ソルトは笑っていなした。

 

少しだけ、時間を巻き戻そう。

二人が美術館に向かうと、美術館の警護を担当していた人員が小人を捜索して複数人美術館の外へと出て来ていた。

ソルトは夜闇に紛れて音を立てずに背後から彼らに忍び寄ると、不自然に硬直した彼らを懐から縄を取り出して瞬く間に縛り上げ、目隠しをして美術館の敷地内に転がした。

 

『オイ、ヤバくねえか?』

『おいおい。ここでビビってイモ引いたら、この先ずっとパッショーネの天下だ。好き放題されちまうぜ?』

 

ビクつくモッタを尻目に、ソルトは外に出て来た警護の人員を次々に手際よく縛り上げていく。

モッタは、ビビってソルトに小声で囁いた。

 

『それでも限度ってもんがあるだろう?これはやり過ぎだ。』

『……俺たち裏の住民は、戦わなきゃあ存在できねえんだ。たとえそれがパッショーネのような強大な組織だったとしてもな。学がねえ俺たちがいい暮らしがしたいなら、強くなきゃ生き残れねえ。ここで引いたら看板を下ろすしかねえ。違うか?』

『う……。』

 

モッタが言葉に詰まっている間に、美術館の外にいる警護の人員はソルトが全員縛り上げた。

 

『ほら、行くぞ。』

 

ソルトは美術館の内部へと進んでいき、モッタがその後を追った。そして冒頭へと続いていく。

 

「……よし、そんじゃあ館内の偵察を頼む。お前のスタンドで警報を切って、内部に残っている人員をこっちにおびき寄せてくれ。」

「……お前が全部一人でできるんじゃねえのか?」

 

モッタは胡乱げにソルトを眺めた。

 

「おいおい、馬鹿言うな。俺が一人でなんでもかんでもできるわけじゃねえ。人間、適材適所だよ。俺は敵の鎮圧は得意だが、細々としたことは得意じゃない。見る限り、そういうのはお前のスタンド向きだろう。」

「……。」

「それにもともとお前の組織の問題だろうが。全部人任せにしようとすんなよ。」

 

モッタは無言で小人を館内に向かわせた。

やがて小人は館内のセキュリティを解除し、監視カメラの電源を落とし、少しずつ内部の警備を彼らに元におびき寄せてくる。小人は知能が高く、モッタの命令を細かく理解して柔軟に連携をとった。

ソルトは美術館の大理石の柱の裏側に隠れ、急襲して次々に小人の後を追ってくる警備の人員を無力化した。

 

「ほら、さっさといくぞ。コイツらすでに外部の連中と連絡を取っているかも知んねえ。さっさとブツを取ってずらかるぞ。」

「あ、ああ。」

 

すでにこの場の主導権はソルトに奪われてしまっている。

矢継ぎ早に物事が進み、物事を吟味する余裕もなくモッタはソルトの言いなりで行動を起こしていく。

ソルトは警備員を縛り上げては見えない場所に転がし、瞬く間に館内の警備は全滅した。

 

「さてと。」

 

ソルトがつぶやいた。彼らの目の前には額縁に飾られた絵画がある。

イタリアの若手画家、アレサンドロの作品だ。大きさはフランスサイズでP(風景画)10号。横55センチで縦40、9センチ。

タイトルは『夜会』で、品格のある紳士淑女が複数人着飾って和やかに会合をする場面が、繊細な筆致で描かれている。

 

「これか?」

「ああ。」

 

モッタはうなずいた。それが一番高額だ。

モッタが盗難して換金しようとしている絵画は、市場推定価格でおよそ1万2千ユーロ。需要を考えれば2万ユーロでも簡単に売れるだろう。

パッショーネのネームバリューが、作品に付加価値を与えている。パッショーネがパトロンになって猛プッシュしているから、値段が吊り上がっているのだ。

 

しかし、それは真っ当な販路ならの話だ。

ブツはワケあり品だ。後ろ暗い流通路でしか流せない。

パッショーネの美術館からの盗品だけに、買い叩かれて5千ユーロで売れれば御の字だろう。

 

「盗むのはそれだけか?」

「……贅沢が目的じゃねえ。必要以上には取らねえよ。」

 

モッタは仏頂面をした。

必要以上に取っていっても、パッショーネの恨みを余計に買うだけだ。組織には素行の悪い人間もいて、大目に換金できてもプールできずにあぶくに消えるだけだろう。窃盗は当然褒められたものではなく、当座の資金繰りに当てるための苦し紛れの行為だ。

 

パッショーネが権勢を誇れば、当然割りを食う人間がいる。資源は有限だ。

金持ちは、大勢の貧乏人の上に成り立っている。ソルトも貧乏人側だ。

しかしそれでも、彼のボスは裕福だ。目の前のモッタと言う名の男は、ボスもきっと貧乏なのだろう。

 

ソルトはそれを、目の当たりにした。彼らも、どうにか先に進もうと足掻いている。

彼らもパッショーネの天下で、どうにか自分たちの立ち位置を確保しようと、必死なのだ。

 

ーー俺の考えることじゃねえ、か。そういうのはジョジョの得意分野だ。俺はしょせん殺すことしかできねえ。……人を生かすジョジョの偉大さが、よくわかる。

 

ソルトは首を横に振った。任務に集中しないといけない。

モッタは隣で絵画に指紋がつかないように手袋をはめて、絵画を手際よく袱紗で包んで細長いダンボールに梱包した。

 

「さて、行くぞ。」

「もういいのか?」

 

ソルトがモッタに問いかけ、モッタは縦に首を振った。

二人は美術館を後にした。

 

◼️◼️◼️

 

「オイ、マジ聞いてねえぞ、クソッッッ!!!」

「ああ、ヤベエな。」

「待てやコラ!取っ捕まえて、地中海の藻屑にしてやるッッッ!!!」

 

ローマの路地を、モッタとソルトはひたすらに逃げ回る。

パッショーネの情報網は非常に強力で、モッタはその精度を甘く見ていたと言わざるを得ない。

とっくの昔にローマに美術館襲撃の情報は出回っていて、パッショーネの人間がすでに大勢集められていた。

路地の両脇をパッショーネの人員が固め、ソルトはモッタの首後ろをひっつかんで塀を登って駆け逃げた。

 

「オイ、どうすんだよ!奴ら本当に本気じゃねえか。人集めんの早すぎだろう。」

「……パッショーネのヤバさはわかってたはずだろう?いつかこうなることはわかりきっていたことだ。」

「お前はアイツらを倒せねえのか!」

「馬鹿言うな。俺だってできねえことはたくさんある。ここで勝ててもさらなる増援が待っているだけだ。武力でパッショーネに対抗するのはよろしくねえ。最悪の展開だ。」

「終わりじゃねえか!」

「とにかく逃げるぞ!ネアポリスの反パッショーネ連合の本部まで逃げ切れば、どうにかなるはずだ!」

 

ソルトは追っ手の手の届かない高所を逃げ回り、モッタは顔が真っ青になって盗品を脇に抱えている。

ソルトのスタンドがモッタの身柄をつかみ上げ、彼らはローマの駅方面へと逃走した。

 

「……しつけえ奴らだ!まだ追ってきやがる。」

 

モッタは背後下方で彼らに追い縋るパッショーネの人員に、ひどく怯えた。

 

「行くぞ!」

「おい、どこへ向かう気だ!」

「表通りだったら、まだ人通りが少しはあるはずだ。奴らも銃火器を使えねえ。人混みに紛れるが上策だ!」

 

ソルトはそう告げると目前の建物の窓を蹴破り、内部を逃走した。

現時刻は夜間の二十一時少し前。就業時間は終えており、建物の内部にはすでに人影はない。

 

「それにしてもお前、すごい身体能力だな。」

 

モッタはソルトのスタンドのスペックに、場違いに感心した。

ソルトのスタンドはモッタをつかんで、悠々と壁を駆け登っている。モッタも大の男で、そこそこの重量があるはずなのだが。

 

「……最低限これくらいできねえと、パッショーネとは戦えねえ。そんなことよりも、そんなに暢気に構えてんじゃねえよ。」

 

建物の別の窓から外部を視認し、追っ手が彼らを見失ったことを確認してソルトは外の路地に飛び降りた。

彼らはもうローマ駅から、目と鼻の先まで来ていた。

 

「おい、やべえぞ!どうすんだ!パッショーネの奴ら、駅で張っていやがる。それに今日のネアポリス行きの急行は、すでにもう行っちまってるぜ!……やべえ!!!奴らこっちを見てるぞ!」

 

モッタが駅構内に不自然な挙動の人間を大勢見つけて、悲鳴を上げた。

彼らは元来た道を戻って、逃げ出した。

 

「……マズイな。俺たちの顔は割れている。パッショーネの奴らが本気を出してきたからには、お前の組も危ねえ。」

 

ソルトの言葉に、モッタは顔から血の気が引いた。

 

「オイ、嘘だろ!組にはオヤジたちがいる!」

「……いや、待て。お前んところのボスは、確か今日はネアポリスの反パッショーネ連合の会合に顔を出していたはずだ。」

「どうすんだよ!!!!」

 

モッタは、逃げながら完全にパニックになっていた。

 

「……レンタカーを借りて、ネアポリスへと向かう。ほとぼりが冷めるまで、お前たちを連合の中で匿うしかねえ。」

「……組にはまだ仲間もいる。アイツらを放っておけねえ。」

 

モッタは悲壮な顔をした。

 

「落ち着け。お前の気持ちはわかるが、まだパッショーネからお前の組に襲撃があるとは限らねえ。とりあえず今は逃げ延びて、連合内で情報を共有することを優先しよう。」

 

ソルトは年上らしい落ち着き払った所作で、モッタを諌めた。

 

「じゃあレンタカーを借りに行くのか?」

「ああ。すまねえが、俺は手持ちがねえ。金を出してくれないか?」

「……しょうがねえ。」

 

モッタは渋々と懐から金を出してソルトに手渡した。

 

「急ぐぞ!レンタカー屋まで抑えられたら、俺たちにはもう打つ手がなくなる。」

「ああ。」

 

モッタは、完全にソルトにペースを握られていた。

 

◼️◼️◼️

 

「まあとりあえずローマから脱出できれば、しばらくは安心だろう。」

「……ふう。」

 

ソルトがレンタカーを運転し、ローマからネアポリスに向かって南下した。

もう結構な時間ひたすらに運転し続けている。

 

ソルトがモッタに話しかけ、モッタは安堵の息をついた。

彼らは車内で、背後に車での追っ手が見当たらないことを確認してひとまず落ち着いた。

 

「腹減らねえか?」

「そうか?ってゆーより、お前レンタカーの金も俺に出させただろう!……たかるつもりか?」

「あっ、バレた?」

 

モッタが横目でソルトを睨んだ。

彼らはそれなりの時間と目的を共有し、最初よりもずいぶん打ち解けていた。

 

「ちっ、しょうがねえな。貸してやるから今度返せよ。とりあえずあそこのバーガーショップに行こうぜ。」

 

モッタはレンタカーの助手席から、近くのハンバーガーショップを指差した。

 

「せっかくだしもっといいもん食おうぜ。」

「おま……ふざけんな。俺だって金がねーんだよ。第一この時間に空いてる店はあんま多くねえだろ。」

「そうだな。じゃあそこにすっか。」

 

二人は車に乗ってハンバーガーショップで注文をとった。

目的地のネアポリスまで、あともう少しだ。車で走り続けて、もうすでに朝が明けている。長時間座席に座り続けて、体が固まってしまって痛い。眩しい朝日にモッタは目を細めた。

ソルトはハンバーガーショップの駐車場で車の運転席から降りて、背伸びをした。ダッシュボードには、食べた後のバーガーの包み紙が置かれている。

 

「ちょっと寝みいから運転代わってくれよ。」

 

ソルトがモッタに頼んだ。

 

「しょうがねえな。」

 

モッタも車から降りて、運転席に座った。

その間に、ソルトは車から少し離れてどこかに電話をかけている。

 

「その反パッショーネ連合とやらは、どのくらいの規模なんだ?」

 

モッタが、電話を終えたソルトに問いかけた。

 

「お、なんだ?加入する気になったか?」

「馬鹿言うな。オヤジの意向を無視して俺に勝手に決められるわきゃねえだろ。もしかしたらしばらく世話になるかもしれねえからさ。」

「ま、どのみちもうすぐつく。自分で確かめな。」

 

二人を乗せた車は、朝焼けのネアポリスを走り出した。

やがてしばらく行き先を指示したのちに、ソルトは一つの建物を指差した。

 

「ああ、見えたぞ。あそこだ。」

「ハア?何言ってんだ?アレは大学付属の図書館じゃねえか。」

「ああいうところだから、いいんだよ。ノーマークだろ。まさかパッショーネも、反勢力が大学の図書館を根城にしてるなんざ夢にも思わねえだろ。」

 

そう言われれば、そういうものなのか?

不審に思いつつも、モッタは自分を無理に納得させた。緊張が解けて眠くて、考えるのが億劫でもあった。実はモッタは、いろいろと見落としている。夜間のレンタカーショップも明け方のハンバーガーショップも、本来は営業時間外のはずだ。なぜ店が、都合よく開いていたのだろう?

 

二人は、ネアポリスの図書館の中へと侵入した。図書館の内部は、閑散としていた。

 

◼️◼️◼️

 

「やあ、君のことを待っていたよ。」

 

高名な芸術家が彫った美術品の彫像のような男性が、モッタの目の前で椅子に座っていた。

彼の声が、静かな館内に響いた。

 

図書館は薄暗く、彼の背後には暗幕がかけられている。

その姿は幻想的で、モッタはしばし呆然とした。

 

「サーレー、任務ご苦労様。これが今回の君への報酬だ。」

「ありがたく頂戴いたします。」

 

男は封筒を取り出し、ソルトへと手渡した。

ソルトは前に出て、恭しくそれを受け取った。

 

「任務?オイ、ソルト!どういうことだ!」

 

モッタは混乱している。

 

「俺の任務は最初から一つ。お前をここに連れてくることだ。」

「ハア!わけがわかんねえ!」

 

モッタがソルトに問い詰めている間に、彫像のような男は再び喋り始めた。

 

「さて、何から話そうか。そうだね。まずは自己紹介からか。僕の名前はジョルノ・ジョバァーナ。君はローマのドゥエ・ステラに所属する、アルバロ・モッタで間違いないね?」

「あ、ああ。」

 

男の言葉には有無を言わさぬ風格があり、モッタは思わず頷いてしまった。

 

「僕は君の盗難被害にあった、パッショーネのボスだ。君が詰め寄っている男は僕の腹心の部下、サーレーだ。君も裏で生きる人間なら、通り名くらいは聞いたことがあるはずだ。パッショーネの死神と呼ばれる男、僕たちの切り札だ。」

 

モッタはギョッとして、サーレーから後ずさった。

もう何が何だかわけがわからない。目の前の男はパッショーネのボスで、モッタの行為は目の前の男にバレていて、今まで一緒にいたソルトはイタリアの都市伝説、パッショーネの死神だと。

男の言葉には重みがあり、モッタには嘘を言っているようにとても思えなかった。

 

「ああ、心配しないでくれ。彼は君には決して手を出さない。丁重に扱うように僕が厳命しているからね。もちろん僕もだ。」

 

モッタは顔が真っ青になって、脂汗をかいてガタガタ震えている。

当然だ。相手は今まで窃盗をし続けた、圧倒的な武力を持つ巨大な組織の長なのだ。

口約束は信頼できない。どんな目にあわされるか。もしも生きて帰れたら、それだけで儲けものだ。

 

「……怖がらせてしまったか。まあハッキリと言ってしまえば、君を消したいだけならこんなに回りくどいことはしない。……ちょっと謎かけをしようか。」

「……。」

 

モッタの歯が、恐怖でカチカチと鳴っている。

目も虚ろだ。

 

「大丈夫だ。」

 

サーレーは震えるモッタの肩に、手を置いた。

ジョルノはモッタに話しかけた。

 

「そこの彼、サーレーは、パッショーネでも秘匿される存在だ。パッショーネに暗殺チームが存在することは皆知っているが、誰がそれを担当しているのかはほとんどの人間は知らされていない。本来親衛隊や情報部といった一部の人間にしか、その正体を明かされない。パッショーネに所属してはいるが、パッショーネよりもイタリアの国益を優先するべき存在で、道を誤れば僕ですら処刑する権限を持ち合わせている。でも僕は、君に機密であるはずのそれを明かしてしまっている。なぜだと思うかい?」

「えっ?」

 

なぜか指名された当人であるサーレーが驚いた。

おい、なんで本人のお前が驚いてるんだ!モッタに少しだけ、心の余裕ができた。

 

「ああ、サーレー。君は物覚えが悪いし、口が軽そうだからね。口止めしても無駄になりそうだから。どこかでウッカリ喋るくらいなら、虚言癖のあるチンピラの戯言ということにした方が、説得力がある。情報部に指示を出して、周囲には暗殺チームに憧れる夢見がちなチンピラということで説明してあるよ。」

「ヒドイッッッ!!!」

 

パッショーネのボスであるはずの男と、その腹心の部下であるはずの男の珍妙な掛け合いに、モッタは少しだけ平常心を取り戻した。

 

「さて、話を戻そうか。ヒントをあげよう。本来情報部か親衛隊にしか明かさない情報を、君に明かした。君がパッショーネから窃盗を働くのを、今まであえて見逃した。こんな回りくどい方法をとってでも、君を僕の前に連れてきてほしかった。その三つから、賢い君ならば答えを導けるはずだ。」

 

ジョルノは指を三本立てた。

三つの情報から、モッタはジョルノの目的を推測した。

 

「まさか……引き抜き、ですか?」

「まあそんなところだ。どこの部門かも理解しているみたいだ。さすがに頭は回るようだね。少なくともサーレーよりも。」

「ヒドイッッッ!!!」

 

またか。

なんなのだろう、彼らは。

 

「……パッショーネに来なければ、俺を殺すんですか?」

「まさか。お願いする側が脅迫なんてするわけないだろう。」

 

……嘘だ。

ドゥエ・ステラとパッショーネじゃあ、規模が違いすぎる。実質的にお願いの名を借りた、脅迫だ。

モッタはその場で、覚悟を決めた。

 

「……俺は組織に恩があります。パッショーネには尻尾を振れない。……金も返せない。窃盗に関してはどうか俺一人の命で、なかったことにして下さい。」

 

モッタはその場で地に縋ろうとし、サーレーは彼の名誉のためにその行為を押し留めた。

 

「ありがとうサーレー。君はさすがにわかってるね。アルバロ・モッタ。君は最後まで話を聞いてほしい。話を最後まで聞かずに結論を出すのは、あまり感心しない。」

 

ジョルノはそう嘯くと、図書館の奥の部屋から一人の男を呼び出した。

薄い黒髪にヒゲを生やした、壮年の痩せた男性が出てきた。

 

「オヤジ!!!」

 

男の名は、ロベルト・モッタ。アルバロ・モッタの義父で、ドゥエ・ステラの現在のボスであった。

 

群体のスタンド使いは、心に空洞を抱えている。

天涯孤独なモッタの心の空洞を優しさで埋めたのが、モッタの義父である彼だった。

 

「どういうことですか!」

 

ボスを守るようにアルバロ・モッタは前に出て敵意を剥き出しにし、ロベルトはそれを押し留めた。

ジョルノは話を続けた。

 

「さて、話の続きをしよう。君の窃盗によるパッショーネの被害総額は、およそ80万ユーロ相当。内訳はだいたい、絵画12点15万ユーロ。彫刻7点10万ユーロ。貴金属および宝石類30点45万ユーロ。金銭5万ユーロにあとは日用品だね。君はそれを裏で売却した。君たちの組織の懐に入ったのは、だいたい30万ユーロくらいかな。……商売はもう少しうまくやった方がいいな。」

「ッッッ!!!」

 

完全にバレている。モッタは絶望を、より色濃く感じた。

モッタはヨーロッパ経済に関しても、サーレーよりもはるかに事情に精通している。

 

パッショーネの武力とフットボール産業で得た利益を原資とした手広い事業展開を考えれば、相手はヨーロッパの長者番付の最上位付近にランクインするはずの雲上人だ。金銭は社会で循環させるものであり、他国への麻薬被害の補償の問題もあり、現金自体はそこまで持ち合わせていないであろうが、そもそもの現在のパッショーネの資産としての価値が桁違いなのである。

そんな人間が、まさか木っ端の窃盗被害額を詳細に把握しているなどと。

 

モッタは心の余裕が一切消え去り、顔は青を通り越して土気色に変化した。

ジョルノはその反応に苦笑いをすると、立ち上がって背後の暗幕を取り払った。

 

「は?」

 

モッタは唖然とした。

そこには、モッタが今までにパッショーネから盗んで売り払ったはずの絵画や彫刻、貴金属類が綺麗に並べ揃えられていた。

 

「貴金属や宝石は量産品で捨て値でも別に構わないが、絵画や彫刻はもっと高額で売り払えただろう。君は絵画に関しては、見る目がないな。君が手放した作品は、十年すれば値段が十倍になり、三十年経てば市場に出回らなくなる。そうなれば僕たちでさえも、入手するのが極めて困難になる。アレサンドロは、本物の天才だよ。」

 

ジョルノは笑った。

 

「これが僕たちの組織の、今の情報部の力だ。しかし、全然足りていない。情報とは、組織の力そのものだ。権力だけでは、時に人を守れない。いなくなってしまった人物はパッショーネにとって有能で重要で、もしかしたらその穴は永遠に埋まり切らないのかもしれない。」

「……。」

「それでも、下を向いてばかりもいられない。間違っても失ったものは大きくても、僕たちは前に進まねばならない。それが、生きるということだ。……君のボスには先に話を通している。その30万ユーロは、パッショーネからドゥエ・ステラへの支度金だ。僕たちは、有能な情報屋を欲している。ドゥエ・ステラはローマで顔が効き、独自の人脈を持っている。そして君は、有能なスタンド使いだ。君たちは金に困っているのだろう。君たちには、パッショーネの情報部と提携してほしい。……いわば同盟を組む形に近い。ただし、対等ではない。パッショーネ優位の同盟だ。外部の委託業者として、パッショーネの下請けを請け負ってほしい。」

「ドゥエ・ステラは、偉大な組織だ!!!誰かの下につくのなんざ、真っ平ゴメンだ!!!」

 

アルバロ・モッタは、叫んだ。

 

「……知っているよ。君たちの組織のその起こりは、先の大戦後。戦功を挙げた軍人が、戦災孤児のために立ち上げた組織が源流だ。組織の名称は、創設者に贈られた徽章に星が二つ刻まれていたことに由来する。歴史は長く、パッショーネが台頭する以前はローマで小さな巨人(ピッコロ・ギガンテ)の愛称で親しまれていた。」

「……ああ。」

「組織はもともと、学のない少年少女たちを救おうという高潔な理想から生まれたものだ。しかし経営者に商才がなく、結局ローマの市民に黙認される形で、非合法なことを請け負う裏の組織となった。主な収入源は、賭博と売春宿と高利貸し。」

「……。」

「ローマの市民は寄る辺なき少年たちを慈しみ、ドゥエ・ステラはローマに愛された組織だ。しかし、厳しい現実の前には、いつしか理想は忘れ去られる。やがてパッショーネが台頭し、ドゥエ・ステラはゆっくりと経営状態が悪化した。ドゥエ・ステラは現在、金銭面で困窮している。君は、名前に誇りを感じるのかい?」

 

ジョルノは微笑んだ。

図書館内を静かな重圧が覆ったことを、モッタは敏感に感じ取った。

 

「……何を。」

 

強大な存在感にさらされながらも、モッタは気丈に歯を食いしばって返答した。

 

「名前に誇りを感じること自体は、決して否定しない。組織を誇りに思うのも、否定しない。しかし真に気高いのは、君たちの組織の原初の願いなのではないのかい?それは不遇をかこった見知らぬ少年少女の力になりたいという思いだったはずだ。……だが僕にも、イタリア裏社会の王としての立場と責務がある。そこは譲れない。パッショーネはイタリアの裏の王で、王が臣下に頭を下げればナメられる。王が甘く見られれば、法は効力を失う。それは社会が乱れる原因になる。」

 

ジョルノは一息ついて、続けた。

 

「光は常に、闇と共にある。世界は、光と闇が融和して成り立っている。闇の無い光だけの社会には、その先に破綻が待ち受けている。……君たちには、パッショーネの闇を支えてほしい。代わりに僕たちは、君たちのために仕事を斡旋し金銭を対価に支給しよう。僕がこの場にいることが、パッショーネの誠意だ。王として僕が譲れるのは、ここまでだ。」

 

王威を纏い、ジョルノはモッタに静かに宣言した。

そこには、巨大な存在感を放つ黄金の太陽が存在した。

 

「……ここまでだな。」

 

ロベルト・モッタが静かにつぶやいた。

 

「オヤジ!」

「……時代は先に進んでいる。もとはパッショーネが原因ではあったが、残念ながら我々の組織は早晩沈む船だったということだ。歴史は大切だが、今を生きている人間に優先されるべきではない。組織の他の人間には、もう俺から話しをしている。パッショーネが我々の新たな船を建造するのを手伝うと言ってくれるのならば、今乗っている船を捨てて我々の新たな形を模索しよう。」

 

サーレーはそっと、図書館を退出した。

あとは偉大なる(ジョジョ)の仕事だ。もうチンピラ(サーレー)に出る幕はない。

父子も観念している様子だし、万が一彼らがトチ狂って武力に訴えてもジョジョは簡単にやられるほど弱くない。護衛としてシーラ・Eもたった今入れ替わりに図書館に到着した。彼女はスーツを着て互いの組織の関係を明文化する盟約書を持参している。ここからは、両組織間の正式な同盟締結の場だ。

 

「アンタ、最近優遇されすぎじゃない?」

 

シーラ・Eがすれ違いざまにサーレーを睨んだ。

 

「それだけ信頼されてるんだよ。」

 

サーレーの鼻息は荒い。

 

「調子に乗んな!」

「……おおおおお……テメエッッッ!!!」

 

サーレーの言葉とドヤ顔にイラついたシーラ・Eは、真正面からサーレーの股間を思い切り蹴り上げた。

それはクリーンヒットして、サーレーは悶絶して図書館の床に転がった。

 

「フン。調子にのるからよ!」

 

シーラ・Eはそのまま、ジョルノの横に護衛として寄り添った。

 

痛みも過ぎると、それは時に快感へと変わることがある。

それはどちらかというと、開けないほうがいい扉だ。決して天国への扉ではない。

……サーレーが新たな性癖に目覚めないことを、ただただ願おうか。

 

◼️◼️◼️

 

サーレーはミラノ行きの特急列車の中であくびをした。

股間はまだ痛むが、徹夜明けの眠気の方が強い。

 

それにしても、シーラ・Eはもう少し加減と淑やかさを身につけた方がいい。

サーレーは愚痴を心で呟きながら、列車の座席を少し倒して目をつぶった。

 

やがて彼は唐突に目を開け、ジョルノに渡された封筒を確認して中身をあらためた。

100ユーロ紙幣が三枚。サーレーはニンマリした。これでスマートフォンが手に入り、モテモテだ。

 

……待てよ。スマートフォンにこれを全額使ってしまったら、明日からの食費はどうすればいいだろうか?

……そうだ。いい考えがある。

 

 

 

 

チンピラは、なかなか懲りないゆえにチンピラなのだ。

 

◼️◼️◼️

 

ジョルノの携帯が鳴った。着信先はホル・ホースだ。

 

「どうしたんだい?」

『サーレーのヤローがまたカジノに来ています。またもや散財しているみたいですが……どうしましょうか?』

「……うん、どうしようか。」

 

ジョルノはネアポリスの図書館で、部下のアホさ加減にため息をついた。



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次回予告

茜色に染まる空に、旗が掲げられる。屍は山を築き、赤い川が地に満ちる。

それは、パッショーネの落日。終末の鐘が鳴らされる。疲労と艱難辛苦の先に、革命は果たされた。

 

「サーレー、僕たちを置いて君は逃げろッッッ!」

「ジョジョ、あなたを置いてはいけない!」

 

絶望が、世界を覆う。闇から出でし軍勢が、蝗のごとく大地を蹂躙していく。

しかし最後に残された希望を守り抜くために、チンピラは戦う。

 

「なんだ!お前らは!なぜパッショーネに敵対する!」

「……言うだけ無駄だ。俺たちは最後まで……死ぬまで奴らと戦うしかねえ。」

 

サーレーの横には、傷付き崩折れた空条承太郎がいた。

しかしその眼光は未だ鋭く、戦意を失わない。

 

「ふん、まさかこの俺があんな奴らごときに遅れをとることになろうとは。」

 

逆隣には、金髪の美丈夫がいた。

男はジョルノと同等の威圧を放ち、戦いに疲弊してなおも尊大に言い放った。

 

「ディオ……。」

「フン。空条承太郎、不愉快極まりないが、今回だけは貴様と共に戦うことを認めてやる。」

「ウイッヒヒヒ。」

 

不気味な笑い声と共に、小柄でパンチパーマの男が彼らの前で笑った。小物臭のする、頬に傷がある小柄なチンピラ。

歴戦の戦士である彼らは、たった一人のその男にかなわずに虫の息なのである。

 

「キサマ、何者だ!俺たちを襲撃する目的は一体なんなんだ!」

 

サーレーが叫んだ。

 

「俺の名前……そうか、俺の名前が知りたいか。」

 

男は楽しそうに、ニヤニヤと笑った。

三白眼がギョロリと動き、団子鼻がフゴフゴと鳴らされた。

 

「いいだろう、教えてやろう。俺の名前は……小林玉美。かませ犬四天王の一人だ。」

「かませ犬四天王……だと?」

 

小林玉美。

ジョジョを通して読んだ方であれば、きっと知っていらっしゃるだろう。

ジョジョ四部に敵キャラとして登場し、スタンドを使って広瀬康一を精神的に追い詰めるも、スタンドに覚醒した康一にあっさりと敗北した典型的なかませ犬である。広瀬康一専用のスタンドのチュートリアルのような存在。敗北した後は、ちゃっかり主人公勢の腰巾着としての立ち位置を確保した。多分違法な金融業を営んでいると思われる。

小林玉美は、サーレーを睨んで告げた。

 

「ああ。俺たちは我らが主人、かませ犬王様の忠実なしもべだ。かませ犬が強者を屠る……実に胸熱な展開じゃあねえか?」

 

小林玉美と名乗る男は、ポケットに手を突っ込んだまま邪悪な表情を浮かべた。

 

「クソッッッ!!!」

 

サーレーは空条承太郎すら圧倒した、目の前の男をひどく警戒した。

 

「うん?お前にはどうやらかませ犬の素質がありそうだな。」

 

小林玉美は唐突に怪訝な表情を浮かべると、品定めをするように顎に手を置いてサーレーをまじまじと眺めた。

 

「なんだと!」

「お前は、こっち側の人間だ。そっちにいるべきではない。俺たちのもとに来い。今ならばまだ、寝返ることを許してやろう。……我らがかませ犬王様は、同胞には寛大なお方だ。」

 

小林玉美は、不敵に笑った。

 

「断る!俺はジョジョの部下だ!断じてお前たちには加担しない!」

「ふん、時勢が読めないとは蒙昧な男だ。」

 

小林玉美は、つまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「お前たちは、一体何が目的だ!」

「……いいだろう、教えてやろう。我らの目的は……世界への復讐。俺たちを雑魚だのかませ犬だのと嘲笑った者たちに、目にものを見せてやることだ!そのための橋頭堡として、まずはイタリア共和国を乗っ取ってこの地にかませ犬共和国を建国するのだ。」

「なんだと!」

「かませ犬たちによるかませ犬たちの楽園……かませ犬共和国。いい響きじゃあねえか。うひひ、かませ犬王様最高だぜぇ。……お前たちには、その礎としてこの地の肥やしになってもらおうか。」

 

小林玉美は、サーレーを指差した。

 

かませ犬共和国……なんだか全くわからないが、サーレーの大切な祖国イタリアに勝手にそんなわけのわからないものを建国されてはかなわない。

 

王政にも関わらず共和国?頭が悪すぎる。

是非とも共和制度の何たるかを勉強して出直してきて欲しい。

どうせ四天王とやらも、五人目以降が出てくるのだろう。ベタだ。わかりやすいったらない。

 

それにしても、なんとも言い難い語感だ。住民全員、とても弱そうな印象を受ける。

そんな場所に一体、どれだけの需要があるというのか?ニッチにもほどがある。

サーレーは小林玉美と名乗る男を睨んだ。

 

「お前たちの野望は危険だ!お前たちの野望は、俺が挫く!貴様は、俺が……相手だッッッ!!!」

「サーレー、危険だ!!!」

 

ジョルノがサーレーに向かって叫んだ。

 

「チッ、先走りやがって!」

「……今回だけは力を貸してやろう。」

 

承太郎とディオが、サーレーにスタンドパワーを与えた。

三つの漆黒の殺意が重なり、世界は融け合って混ざった。回転し歪曲し、宇宙は弾けて再構成される。

 

『冥界ッッッ!!!』

「にゃにいッッッ!!!」

 

小林玉美は断頭台に身柄を確保され、重量と存在感のある刃が風を切って落とされた。

刑は執行され、小林玉美の頭は胴体から泣き別れた。

 

「……やるな。だが俺は、かませ犬四天王の中でも最弱の存在。俺を倒したところでまだ俺の上に残り三人のかませ犬四天王と、かませ犬親衛隊と、かませ犬暗殺チームと、かませ犬王様が残っている。お前たちの抵抗は、しょせんは無駄な悪あがきに過ぎん。」

 

小林玉美の首が地面を転がり、不気味に笑い最期に捨て台詞を吐いて喋らなくなった。

 

「そんなにいっぱい……クソ!俺は奴らに勝てるのか!」

 

その捨て台詞に、サーレーの精神を絶望が覆った。

小林玉美一人相手でもこんなにも苦戦したのに、まだそれ以上の奴らがわんさかいる。俺は奴らに勝てるのか?

 

「……サーレー。ひとまずは僕たちの勝利を祝おう。僕たちは疲弊している。休息が必要だ。」

「ジョジョ……。」

 

サーレーはジョルノを支えて、ジョルノは立ち上がった。

 

「しかし……敵の全貌も目的も見えない。どこから現れた勢力なのかもわからない……。かませ犬共和国……僕たちのイタリアにそんなわけのわからないものを建国させるわけにはいかない!サーレー、是非君の力を貸してほしい。」

「ジョジョ。俺はあなたの忠実な手下です。」

「ふん。」

「やれやれだぜ。」

 

得体の知れない軍勢を前に、四人の戦士たちは立ち上がった。

戦いはまだ、始まったばかり。祖国を守るために、戦え!チンピラよ!

 

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

夜が明けた。意味不明な夢は覚めた。

……俺の脳内は、一体どうなっているのだろう?もしかして脳みそが腐っていないだろうか?

まじめに一回病院で見てもらったほうがいいのではなかろうか?

でも病院代がない……。

 

サーレーは布団から体を起こして、頭をひねって唸った。

夢は人間の潜在意識だという説もあるが、それが事実ならば俺は一体何を考えて生きているのだろうか?

サーレーはしばし、真面目に自分の人生について考えた。……何も思い浮かばない。

サーレーは自分の人生の空虚さに肩を落としたが、おそらくは五分後には綺麗さっぱり忘れているだろう。

 

何でもかんでも夢オチにしてしまえばいいというものではない。天丼は、二回まで。

サーレーはコーヒーを沸かして、目覚めつつある頭脳でゆっくりと今日の予定を思い出した。

 

ーーああそうだ。今日は午前から午後にかけて工事現場で働き、そのあとはスポーツバーで給仕の仕事をするんだったか。

 

サーレーはつい先日カジノで全財産をスってしまい(といってもそう大した額でもないのだが。)、スポーツバーで給仕の仕事をするかわりに食事を賄ってもらうことになっていた。サーレーが知らないうちに、いつのまにかスポーツバーはパッショーネの所有物件になっており、サーレーは改めてパッショーネの力をまざまざと見せつけられることになったといえる。

 

ーーま、パッショーネがヤバイってことは前々からわかりきったことだしな。俺には難しいことはさっぱりわからねえし、俺があんまり考えても仕方ねえか。

 

布団から起き出して、歯を磨いた。服を着替えて、いつもの髪型をセットした。

超絶、イカしてる。……おい誰だ、今俺の髪型をイカれてるって言った奴!

 

寝汗をかいたシャツを洗濯機に放り込んだところで、サーレーの携帯電話に着信があった。

 

発信元はパッショーネの情報部。確か今はカンノーロ・ムーロロに代わって、ベルナトという男がリーダーをしているはずだ。

サーレーがつい先日会った、眼鏡をかけた神経質そうな男だ。

 

「はい、サーレーです。」

『おはようございます。パッショーネ情報部のベルナトです。少々お時間をよろしいですか?』

 

サーレーは時計を見た。まだ朝だ。

工事現場の仕事はまだ先だ。少し時間に余裕がある。

 

「はい、構いません。」

『情報部にて話し合った結果、先日パッショーネに加入したドゥエ・ステラ所属のアルバロ・モッタさんは、しばらく暗殺チームの預かりにした方がいいという結論に落ち着きました。』

「はあ?」

 

意味がわからない。なぜ情報部の人間を暗殺チームの預かりにする必要が?

 

『突然こんな話をしても、ご承服しかねるでしょう。モッタさんに理由を告げて、本人にそちらで説明してもらおうと考えています。』

「はあ……。」

 

やっぱりよくわからない。

 

『とりあえずモッタさんにはそちらへと向かってもらいます。それでは。』

「あっっ!!!」

 

ツー、ツーと音が鳴り、電話が切れた。どうしようか?

サーレーは少し考えるも、相手はパッショーネの頭脳とも言える情報部だ。チンピラが下手に頭を使って余計なことをするよりも、静観してしばらくは成り行きを見守ってみようという保守寄りの結論に落ち着いた。

 

「さってと。」

 

サーレーは冷蔵庫を開けて、パンを取り出した。

口に放り込んで咀嚼すると、上着を羽織って靴を履いて外に出た。

 

ーー今日もいい天気だ。ちとアチいが、まあいいか。

 

太陽が眩しく、今日のイタリアの空は快晴だ。

サーレーは足取り軽く、工事現場へと向かった。

 

◼️◼️◼️

 

「ブヒャヒャヒャ、コイツ、今日の夜はスポーツバーで給仕の仕事をするんだぜ。似合わねえ。」

 

ズッケェロがサーレーを指差して笑った。ウェザーが少し困った顔をしている。

パッショーネはミラノに劇場を新築する予定であり、彼らはそこの工事現場員として駆り出されていた。

 

「……うるせえな。なんか文句あっかよ?」

「いや文句はねぇけどよぉー、ホル・ホースに聞いたぜ?お前ジョジョに仕事をもらって、給金をそのままカジノで全部スっちまったんだろ?アホだねえ。」

「クソ……。」

 

不快だが、自業自得としか言えない。ズッケェロには多少借金もしており、頭が上がらない。

サーレーは仏頂面をした。

ホル・ホースの野郎何でもかんでもバラしやがって!

 

「そういえば、情報部から連絡があったぞ。」

 

ウェザーが口を挟んだ。

 

「ああ、俺も連絡があったぜ。なんで情報部の人間を暗殺チームに寄越すんだ?」

 

ズッケェロも頷いた。

 

「ああ、寄越される人員は、俺が見知った人間だ。なんで寄越されるのかは俺にもわからんが……まあ俺たちが考えても仕方ねえだろう。理由は、本人が来てから聞きゃあいい。」

「まあそうだな。」

「お前ら、喋ってねえで仕事しろ!」

 

工事現場の親方が、声を張り上げた。

 

「あいよー。」

 

サーレーは返事をして、ズッケェロとウェザーも自分の仕事に戻った。

 

◼️◼️◼️

 

「らっしゃせー。」

「おいおい、俺たちは客だぜ?もっと愛想よくしろよな。」

 

サーレーは適当に挨拶をして、ズッケェロがそれに苦情を言った。

ズッケェロの背後には、ウェザーとモッタとホル・ホースが後をついてきている。

 

「お前エプロン似合わねえな。プフッ!」

 

モッタがサーレーを見るなり吹き出して、ウェザーは気まずそうな表情をしている。

 

「接客されるなら、お前みたいなむさい男よりもかわい子ちゃんがよかったぜ。」

「お前ら、さっさと店に入れ!」

 

サーレーはホル・ホースの言葉にイラつき、彼らを店に入れた後に荒く扉を閉めた。

 

「おい、客にはもう少し丁寧に接しろ!」

「……すみません。」

 

スポーツバーのマスターがサーレーに怒鳴り、サーレーはしぶしぶとマスターに謝罪した。

 

「謝るのは俺にじゃねえだろうが!ったく、仕事するってのに不満そうな顔をしやがって。」

「ああいいすよ。マスター。知った仲なんで。」

 

マスターの怒りを、ズッケェロがとりなした。

 

「ここで話しても大丈夫なのか?」

「ああ、気にすんな。パッショーネが二時間ほど貸し切ってくれたって。マスターも言い含めてあるらしい。」

 

ウェザーが少し心配そうにズッケェロに問いかけ、ズッケェロは明るく笑って返答した。

 

彼らは基本秘匿される暗殺チームだ。

内々での話があることも多く、サーレーを除く彼らは、アホの子サーレーよりもチームの秘匿事項に敏感だった。

 

「オラよ。水だ。」

 

サーレーが横柄に彼らに水を出した。

水滴が、テーブルに飛び散った。

 

「もっと丁寧にしろよ。」

「うるせーな。お前ら注文はどうすんだ。」

 

ホル・ホースの言葉に噛み付き、サーレーは注文を聞いた。

 

「俺カプチーノ。」

「俺は紅茶がいいな。」

「カプチーノとホットケーキ。」

「テキーラ。」

「マスター、カプチーノ二つと紅茶とホットケーキ。」

 

サーレーが厨房に注文を飛ばした。

 

「おい、俺の注文をスルーすんなよ。」

「お前は水で十分だ。そもそもこれから内密な話をしようというのに、度数の高い酒なんか頼むんじゃねえ。せめて話が終わってからにしろ。」

「悪かったよ。カプチーノ。」

「……マスター、カプチーノ一つ追加で。」

 

サーレーは酒を頼んだホル・ホースの注文をスルーし、ホル・ホースは慌ててカプチーノを注文した。

サーレーはしぶしぶホル・ホースの注文を受け付けた。

 

「じゃあまずは自己紹介からか。」

 

ズッケェロがモッタに話を振った。

 

「ああ。パッショーネの情報部に所属する新人の、アルバロ・モッタだ。よろしくお願いします。」

「知っての通り、マリオ・ズッケェロだ。よろしく。」

 

ズッケェロは店に来る前にモッタを預かっており、先に自己紹介を済ませていた。

 

「ウェザー・リポートだ。よろしく頼む。」

「俺っちはホル・ホース。よろしくねん。」

「サーレーだ。」

 

サーレーはカプチーノを三つと紅茶とホットケーキをトレーに乗せて、テーブルへと運んだ。

 

「お前はソルトだろうが。」

「……サーレーだ。よろしく頼む。」

 

モッタはサーレーを恨みがましい目で睨んだ。

 

「……お前はまだレンタカーの料金とハンバーガー代を俺に払ってないだろ。さっさと金返せ。」

 

モッタがサーレーを白い目で見た。

サーレーは、視線を逸らした。

 

「マジかよ、相棒……スマン。金は俺が立て替えておく。」

 

ズッケェロもサーレーを白い目で見て、懐から財布を取り出した。

 

「……小銭をいつまでもネチネチ言うなよ。」

「お前がキチンと金を払ってくれれば、俺がわざわざこんなことを言う必要もなかっただろ。自分を棚に上げて、人に責任をなすりつけんな。」

 

ウェザーは彼らの話に我関せずで、優雅に紅茶を飲んでいる。

 

「んで、肝心の話だ。お前は何で暗殺チームの配属になったんだ?」

「ああ、それな。」

 

ズッケェロが話の本筋をモッタに振って、モッタは筋道立てて話を始めた。

 

「そうだな。順を追って話そう。まず基本的なことなんだが、情報部には大まかに分けて二つの部署があるんだ。」

「二つ?」

 

ズッケェロは首を傾げた。

 

「ああ。情報収集部門と、情報操作部門。まあ言葉でどういうことかわかるだろ?情報収集部門は間諜、いわゆるスパイ活動だ。危険なことを考える奴はいないか、水面下で陰謀が蠢いていないか探ることが役割だ。情報操作部門は、対外的に流す情報の吟味と操作、およびに組織内部に通達する情報の取捨選択だ。メディアと権力を使ってある程度情報を操作する。いくら大衆に知る権利があるってったって、限度がある。わかりやすい例をあげれば、例えば軍事機密のような危険な情報なんかは世間に出回らないように操作してるだろ。そういうのが海外に漏れたら、国難が訪れる危険性が出てくる。そうしないと社会が回らねえんだよ。」

「……なるほど。」

 

ウェザーが納得して頷いた。

 

パッショーネは情報部に支えられることで、イタリアで強大な組織として君臨している。

例えばパッショーネの諸外国での立場について、パッショーネの外交部門がそれを理解していないことには話にならない。しかしそれを組織内部全体の共有情報にしてしまえば、麻薬の扱いに関してボスであるジョルノに対して不信感を抱くものが出てくることになり、それは争いの火種となりうる。

 

結果として必然的に、それは情報部と外交部門、ならびにジョルノ腹心の配下の共有の秘匿事項となる。情報部はパッショーネとジョルノの生命線であり、因果を含めて懐に飲み込む以外の選択肢を取り得ないのである。

 

「で、俺が任されようとしてんのは情報収集部門なんだが……ベルナト、情報部現リーダーが言うには、情報収集部門は今現在人材が足りていないらしい。ベルナトも他の人員も、情報操作を得手としているって話だ。亡くなった前リーダー、カンノーロ・ムーロロって人が情報収集のプロフェッショナルだったらしいんだが、その人の代わりに俺の見本となれる人材がいないって話なんだ。」

 

パッショーネの情報部には情報収集が可能な人材もいるが、スタンドを使用したプロフェッショナルと呼べるほどのクオリティを持つ人材は今現在いない。それは、カンノーロ・ムーロロの独壇場だった。

マリオ・ズッケェロも情報収集に高い適性を持つが、群体で射程も広いカンノーロ・ムーロロには足元にも及ばない。

そのムーロロを欠いた現在、モッタを育成するノウハウを持つスタンド使いがパッショーネにはいないと言うのが実情だった。

 

「そんで情報収集の話だが、俺が情報を収集するべき対象は、もっぱら暗殺チームの暗対になる可能性が高いってことで、俺の身の回りの護衛も兼ねて暗殺チームに配属されたんだよ。それと、情報部と暗殺チームの繋ぎの役割も期待されてるらしい。」

「うーむ。」

 

ホル・ホースがカプチーノの香りを嗅いで唸った。

 

「で、パッショーネで俺のスタンドをいろいろと精査してみたが、俺とカンノーロ・ムーロロって人も全く違う使い方になりそうだって話だった。」

「全く違う?」

 

ズッケェロがモッタに問いかけ、続きをうながした。

 

「ああ。俺と前任者の共通点は、スタンドが群体だってことだけだ。話によると、前任者は反則的なほどに強力な諜報員だったらしい。前任者のスタンドは50体を超える群体で、射程もイタリア国内全域、戦闘力もかなりのもの。対して俺は、7体で射程が2キロほど、そして雑魚だ。俺が優っているところは、スタンドの精密操作性、自立思考能力の高さによる現地での柔軟性、そしてスタンドの付随能力であるスタンドの大きさの変化とスタンド同士の任意の入れ替えだ。」

「……。」

 

モッタは7体の微妙に見た目の異なる小人たちを具現した。

ウェザーは紅茶を飲みながら、黙って頷いた。

 

「それらを総合して、戦力の低い俺は戦力の高い暗殺チームと一体で行動したほうがいいって結論が出たらしい。どうにも前任者が有能すぎたってことだ。戦力を持ち、知能が高く、高い諜報能力をもっていたために単騎で自在に情報収集が可能だったらしいが、俺にはそれは厳しいだろうって話だった。」

「なるほどねえ。」

 

ズッケェロが腕を組んで頷いた。

 

「お前は仲間はいいのか?」

 

サーレーが注文を取りながら、モッタに問いかけた。

モッタは渋い顔をした。

 

「……結局話し合った末に、ドゥエ・ステラは解散したよ。今はみんなパッショーネで、個人で適性の高い部門に所属している。どうにもジョジョは、俺たった一人の引き抜きのために大金を費やしたらしい。下請け云々はただの口実だったみたいだ。仲間が助かるんなら、まあそれも仕方ないさ。」

「そうか。」

 

サーレーは申し訳なさそうな顔をした。

 

「まあガキじゃねえし気にすんな。人生山あり谷ありだ。仲間とバラバラになっても、もう二度と会えないわけじゃねえ。……みんなが幸せになってくれるなら、それでいい。」

 

金髪のそばかすヅラの青年は、肩の荷が降りたような、晴れやかな表情をした。

 

「……暗殺チームに所属することに反対はされなかったのか?」

 

サーレーが空いたコップを下げながら、続けてモッタに問いかけた。

 

「まあ反対はされたが、俺ももともと泥棒だし裏の人間だしな。生きてるうちは危険は避けられねえよ。……それにパッショーネには逆らえん。オヤジは俺を心配していたが、いつまでも守られるガキのままってのも情けねえ。俺がパッショーネの役に立つことが仲間のためになるんだったら、それでもいいさ。」

 

モッタは、微妙な表情をした。

 

「ま、ってわけで今日から俺も暗殺チームの一員だ。よろしくお願いする。ただし全く戦えねえから、是非とも守ってくれ。」

「最後の一文が締まらねえなあ。」

 

暗殺チームは、そのまま懇親会へと移行した。

やがて一般客も混じり、スポーツバーの時間は緩やかに過ぎていった。

 

「おい、サーレー!テメエまた客からの注文間違えやがったな!」

「すみませんッッッ!!!」

 

サーレーが叱られるのを眺めながら、彼らは酒を注文した。

 

 

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

冷たい密室に、声が響いた。

 

「煉獄山の頂上からの景色は、一体どのようなものだろうか?進化の終着駅には何がある?時間の最果てには?死後の世界は?魂は存在するのか?……いくら思考しても、興味は尽きない。」

 

サーレーたちの戦いには、明かされていない一つの謎が残されている。

カンノーロ・ムーロロが処分した、回転木馬のスタンド使いのことである。彼は結局、何者だったのだろうか?

 

「イアン、ただ今帰ったぞ。」

「理屈で言えば、生命の進化の最終地点は神ということになる。それは形而上のものではなく、生きることの最終到達点という意味合いだ。誰しもに認められるわけではないが、それでも思考を突き詰めるとそういう結論を出さざるを得ない。しかし形而上の神と形而下の神、人がそのどちらを信仰するかは明白だ。」

「またいつもの病気か。」

 

研究室に、二人の男がいた。

一人は白衣を着て黒髪、研究者風の見た目をした年齢不詳のイアン・ベルモットという名の男。椅子に座ってブツブツ独り言を呟いている。

 

もう一人は回転木馬のスタンド使いの本体、見た目三十代前半の茶髪で軽薄な印象を与える男オリバー・トレイル。

回転木馬のスタンドの本体は、死亡したはずではなかったのか?なぜここにいるのだろうか?

 

「……帰ったか。どうなった?」

「ディアボロとかいう男の血液と細胞は手に入れた。他には土産は一切ナシだ。」

「おいおい。お前がここを離れてた期間を考えたら、もう少し他にも何か持ち帰れただろう?遊んでいたのか?」

 

回転木馬のスタンドの本体、オリバーの衣服にはいたるところに血痕がこびりついている。

その出血量は、常人であればあからさまに致命のはずだった。

 

「無理を言うな。近くにローウェンがいやがった。あのバケモノの前で下手なことすりゃあ、あっという間に感づかれる。全ておじゃんだ。」

「ローウェン……ローウェン!ローウェン、ローウェン、ローウェン、ローウェン!!!フランシス・ローウェン!!!殺す!絶対に殺してやる!!!」

「ローウェン……フランシス・ローウェンか。まあアイツは確かに相手にしたくないな。」

 

ガラスを、ドンドンと叩く音がする。

研究室はガラスで仕切られた部屋が隣にあり、スピーカーから彼らの会話が流されていた。そこにはパーカーを着て目深にフードを被った男がいて、ローウェンという名に反応してガラスをしきりに叩いていた。フードから覗く目は充血し、そこには狂気が宿っている。

 

「潮時だと思ったんで、死んだフリをして逃げてきたよ。」

「どうだ、俺が言った通り役に立っただろう?」

「まあな。確かに助かった。でもよぉー、これ副作用があるんだろう?」

 

オリバーは着ている服を脱ぎ捨てた。

オリバーはイアンの手術室で若干改造を施されており、カンノーロ・ムーロロの襲撃で致命傷を負ったにも関わらず生き延び、死んだことにして密かにここに戻ってきていた。

 

「……それは諦めろ。仕方ないだろう。ところであのディアボロとかいう男は、目的を達成できそうだったか?」

「ああ、ありゃあ無理だな。客観性がまるでない。それに常に自分が一番でないと気が済まないんだろう。非常に幼稚な男だ。自分の今までの行為を省みれば、もう少し辛抱強く潜伏するべきだと普通だったら気付くはずなのにな。キレた死神どもが何が何でも殺そうって纏わり付いてやがるのに、まるで気付いていない。ま、ローウェンに捕まった時点で、どう転んでも最終的な結果はお察しだな。」

「そうか。」

「だがスタンド自体はかなり強力だぜ。何しろあのカンノーロ・ムーロロをあっさりと葬りやがった。あんたもムーロロ(あいつ)にゃあさんざん手を焼いてたろ。俺がいないと迂闊に動けねえって。俺が帰ってきて嬉しいだろ?普段からもっと俺に感謝しなよ。」

 

オリバーは液体窒素で氷漬けにして、密閉した容器に保存したディアボロの皮膚の細胞と血液をイアンに手渡した。

 

「脳細胞は持ってこれなかったのか?」

「無理を言うな。先が短いくせに無駄に用心深い性格で、それを取ってくるのだってかなーり苦労したんだぜ。粘ってみたが、死体も結局メロディオが回収していくしよぉ。もっと俺を労ってくれよ。俺、超頑張ったんだぞ!」

 

オリバーは若者のように屈託無く笑い、イアンはそれを無視した。

 

「……まあ仕方なし、か。」

 

回転木馬の男、オリバー・トレイルの真の目的は、強力なスタンド使いの細胞とディアボロが入手した矢の一部を秘密裏にイアンの元へ持ち帰ることだった。そのために、パッショーネ襲撃のために部下を集めるディアボロの元に密かに潜り込んでいた。結局ディアボロは最期まで、ドッピオ以外に従者はいなかったのだ。

そしてフランシス・ローウェンがモンテ・ビアンコで潰した組織のクローン研究成果は、いくつかの組織を経由してイアン・ベルモットの手元へとたどり着いていた。

 

イアンはディアボロの細胞を研究室の薄明かりに掲げて眺めた。

気分が高揚した彼は唐突に、言葉を発した。

 

「宇宙が膨張を続ければ、その先には一体何が待ち受けているのか!太陽が終焉を迎える時、人類は生存方法を見つけ出すことができているのか!十年後の世界はどうなっている?一万年後は?百億年後は?さあ、遊ぼう!我らはそのために生きている。興味の赴くままに玩具を弄り倒し、世界を好きな色に塗り潰そう。それが地獄の釜が蓋をあける行為ならば、汗を流すようにヨーロッパの肥沃な大地を腐った血で朱く染めよう!我らを悪魔と呼ぶのなら、それもいい。それは悪魔が人間の進化した先だという証明だ。楽しいことや興味を優先して、滑稽な喜劇とともに一緒に互いを指差して笑い明かそうじゃないか。ボロ靴を履いて、ガラスの山で夜を越えて踊り狂おう!世界の終わりが見れるのならば、それにこの世のすべての命を捧げても惜しくはない。能無しのイナゴの群勢よ、迷える子羊たちよ、春を愛する頭に蛆の湧いた同胞たちよ、私が先導するから是非とも全員仲良く荒れ狂う真冬のローヌ川に飛び込もう!世界を愛している!神様を愛している!こんな面白いおもちゃを私にプレゼントしてくださって、どうもありがとう!お礼に指を一本ずつ切り落として、鼻をそぎ落として、ケツの穴から全部ねじ込んでやるよ!」

 

イアンは高揚して、彼の前面のガラスを力任せに蹴り飛ばした。それは割れずに振動した。

気の向くままに適当に言葉を並べるイアンに、オリバーは相変わらずといった様子で首を傾げた。

 

「普段通りだな。お前のことが全く理解ができねえぜ。いつもどっから電波を受信してるんだ?俺に遊んでいたのかって問い詰めたのは一体なんだったんだ?」

「心配するな。俺にもお前が全く理解できん。お前の小児性愛という奇怪な性癖は、どうにかならんのか?」

「どうにもならんよ。俺も、よくわかった。俺たちは分かり合えない。でも、子供って可愛くないか?え、可愛くない?」

「さっぱり理解できん!!!人間なんざ、しょせんはそんなものだ!だがだからこそ、興味は尽きない!」

 

イアンは恍惚の表情を浮かべ、オリバーは呆れた表情をした。

彼らの組織の名称は、リンドレンデッド。イアンをリーダーとしてヨーロッパを彷徨う悪鬼の二人組。

たった二人なのになぜ組織なのか?それはイアンが組織を乗っ取り、前任者たちを全員意のままに動く奴隷に改造したからである。

彼らはいつも、自身の欲求を何よりも優先する。災厄を好む者たち。

 

陰謀とは、いつも水面下で蠢く。

 

◼️◼️◼️

 

名称

イアン・ベルモット

スタンド

イカれたお遊戯部屋(クレイジー・プレー・ルーム)

概要

執刀医のスタンド使い。人間を自在に改造できる。どこまでできるのか、どのようなことができるのかは、現時点では秘密のベールに包まれている。ディアボロと通じていたオリバー・トレイルから、スタンド使いに矢を刺せばさらなる進化を遂げるという情報を入手した。

 

名称

オリバー・トレイル

スタンド

回れ回れ狂気と共に、(ラウンド・ラウンド・)何もかもを忘れて(アンド・)溶けてしまうまで周囲を狂い回れ(ラウンド・アラウンド)

概要

回転木馬のスタンド使い。ディアボロに付き従い、パッショーネを散々苦しめた。ペドフィリア。カンノーロ・ムーロロに殺害されたはずなのだが?

 

名称

フードの男

スタンド

???

概要

研究室の、ガラス張りの部屋に隔離された男。フランシス・ローウェンに異常なほどの執着を見せる。




というわけで、新たな展開を考えて書き出すためにここで終了として本作は更新を停止いたします。
続きは新しく立てて書く予定ですが、予定は未定です。
書きだめが出来上がる時期が不明な上に、完結させる見込みは現時点では全くございません。申し訳ないですがどうかご了承ください。R指定も若干上がる可能性があります。
それでも構わないという方は、どうかそちらもよろしくお願いいたします。

これまで応援してくださった方々に、この場で厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。


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煉獄変
奇跡の夜


久し振りの投稿になります。
リアルでイタリアが災禍に見舞われていたために、ある程度書きあがってましたが投稿をしばらく見送っていました。
前置きとして、これは新章のスタートですが、新章は以前に比べてグロテスクな表現がかなり増えています。
苦手な方にはお勧めできません。それでも構わない方のみ、よろしければお付き合いお願いします。


黒・・・本作オリジナルのスタンド使い。オランダ人の父親と中国人の母親を持つハーフ。イタリアにてサーレーと敵対するも、危険を感じてヨーロッパから逃走する。黒という通り名は、本人による汚い仕事でも請け負うという自虐が由来。

 

セッコ・・・ジョジョ5部のキャラクター。かつてはチョコラータの相棒であったが、どこをどう間違えたのかヨーロッパの何でも屋である黒に拾われて相棒を勤めている。

 

チョコラータ・・・ジョジョ5部のキャラクター。元医者で、患者に非人道的行為を繰り返していたところをパッショーネに庇われて拾われる。5部主人公のジョルノと敵対し、激闘の末に死亡した。

 

イアン・ベルモット・・・本作の、敵側の主人公。スタンドはクレイジー・プレー・ルーム。部屋のスタンドで、様々な特性を持つ可能性のスタンド。

 

オリバー・トレイル・・・本作の敵の腹心の部下。難病の息子を闇医者だったイアンに手術してもらった過去を持つ。以前にディアボロの部下として潜入しており、ディアボロの細胞や血液をイアンに提出した。スタンドはラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンド。

 

煉獄・・・カトリックの教義で、天国と地獄の狭間にある罪を炎で清めるための場所。死んだばかりの死者が天国へ向かう道中に寄る場所である。イアン・ベルモットは、生から煉獄を通って天国へと向かうのならば、その逆方向の通行も可能であるとそう考えている。イアン・ベルモットの妄想の世界では、罪を清めて天国に行った魂は、罪を背負って再び現世へと戻ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

内容はひどく胸糞悪くなるものだが、金になる可能性がある以上持って行かないわけにはいかない。

黒は部屋の書棚にまとめられた埃を被った資料にザックリと目を通して、眉をひそめた。

探し物はこれじゃあない。が、やはり内容がとてつもなく不愉快だ。ひどい嫌悪を催した。

 

「おかしいな。どこにも見当たらない………。チッ、埃がたまっていやがる。ゲホッ。」

「う?」

 

暗い部屋で、黒は咳き込んだ。始まりはここから。

そこはかつてのセッコの相方、チョコラータの隠れ家であった。

 

黒とセッコはパッショーネの暗部に関わり、生命の危機を感じた黒はツテを頼ってイタリアから中国へと逃亡を試みようとしていた。

その際、彼らの隠し家にはセッコが所有していたチョコラータの極秘研究資料が存在し、その内容は惨憺たるものであるものの、好事家にとっては金銭的な価値があるために、長期間の逃亡になる可能性が高い彼らはそれを回収して逃亡先へと向かおうとしていた。

逃亡には金がかかるものだ。現金の手持ちが少ない。

 

「おい、セッコ。遊んでねえでさっさとブツを探し出せ。」

 

セッコは、さっきからずっと部屋に設置してあるモニターを眺めている。黒はふと違和感に気がついた。

………おい、待て。なぜそれは電源が入ってるんだ?ここは長い間、誰も出入りをしていないはず………。

電気の契約は切ってあるはずだ。セッコが電源を入れられるはずがない。

 

モニターにノイズが入り、画面がしばらくの間ブレた。黒はそれを注意深く観察している。

やがてそこに何かが映し出された。

 

【こんにちは。君は何でも屋の、黒だね。】

 

モニターに突然白衣を着た不気味な存在が現れ、黒に挨拶をした。おそらくはスタンドだ。

無機質な機械の体をして、目がネジで出来ている。不気味な瞳が、モニターの向こう側から彼らを値踏みするようにじっとりと見つめていた。

 

「誰だッッッ!!!テメエッッッ!!!」

【誰でもいいだろう。私は君に、用がある。】

 

白衣の怪物は、不可解なまでに落ち着き払った所作で返答した。

 

「俺はテメエなんかに用はねえッッッ!!!失せろッッッ!!!」

 

目の前の存在に本能で危険を感じた黒は、セッコを退けてモニターに詰め寄った。

 

【君の探しているものは、私の友人の大切な形見だ。コソ泥風情に渡すつもりはない。とっくに私が回収したよ。】

 

怪物は、ニヤついている。

部屋にシュー、シュー、という音と共に、無色透明のガスが流し込まれた。黒は眩暈を感じた。

それは睡眠を誘導するガスだ。

 

「しまったッッッ!!!クソッッッ!!!」

 

慌てて部屋から逃走を試みるも、外側から施錠されたようにドアが開かない。

セッコが、パタリと床に倒れた。

 

【おやすみ。いい夢を。】

 

スタンドは楽しそうに、そうつぶやいた。

 

◼️◼️◼️

 

空は暗く、数多の星が瞬いている。街は街灯の灯りに包まれている。

その中でも、一際に明るい建物が存在した。

今日は六月の半ば、フットボールの国内シーズンは終了し、これから戦い続けた戦士たちにひと時の休息が訪れる。

 

「ついにここまで来たか。……感慨深い。今日は勝てるといいな。」

「そうだな。せっかくの機会だ。今日は損得抜きでお前のチームを応援するぜぇ。」

 

サーレーとズッケェロは、ひたすらに興奮した。

周囲には、見渡す限りの人々。その数およそ六万人。

その誰しもが、手に汗を握り始まりを今かと待ちわびている。殺気にも似た、凄まじい熱気を感じる。

ここは、スコットランドのグラスゴー。イギリスの領土だ。

 

今日は、グラスゴーに建設されたセルティック・パークで、世界的に権威を持つフットボール大会の決勝戦が行われる日だった。

 

毎年行われるヨーロッパ最大の祭典の決勝トーナメント最終戦。

正確には三位決定戦も同時に行われるが、もちろんこちらがメインイベントだ。

今年の決勝戦は、イタリア、パッショーネの保持するミラノのフットボールクラブチームと、イングランド、ロンドンの名門クラブチームの戦いだった。

 

視点は切り替わる。

 

「……嬉しいものだね。まあベストは、ネアポリスクラブチームがここまで来ることだったけど、それはもう言いっこなしにしよう。」

「そうですね。勝てば今年のヨーロッパチャンピオンです。世界一と言っても過言ではないでしょう。イタリアの国民も、さぞかし喜ぶことでしょう。」

 

ここはセルティック・パークの貴賓席。

そこではジョルノ・ジョバァーナと、その腹心の一人であるジャンルッカ・ペリーコロが歓談していた。

彼らがここにいる理由は、簡単だ。今日はパッショーネ保有のミラノフットボールクラブチームが今年のヨーロッパナンバーワンになれるかの決勝戦であり、所有者のペリーコロとボスのジョルノはワインを傾けて戦いの前の心地よい緊張感を楽しんでいる。

 

「選手の調子はどうだい?」

「久々の決勝戦ですから。入れ込みすぎが少し気にかかりますが、監督は選手のモチベーションの管理に定評があります。当然絶対に勝てるとは言い切れませんが、しかし十分な期待が持てます。」

「……相手は決勝の常連だ。非常に難しい試合になるだろう。しかし君がそう言うんであれば、僕も期待して楽しむことにしようか。」

 

ジョルノはチーズを摘んだ。

ジョルノがチーズを舌の上に置くと、それは舌に塩気を残して溶けていった。

 

「そう言えば彼らは?」

「サーレーたちは下で見てるよ。ボスのお側なんて恐れ多いとか言っていたけど、本音は多分少しでも近くで試合を見たいんだろう。」

 

ミスタは今日はイタリアに残って仕事をしてくれている。たまには羽を伸ばして楽しんで来い、だそうだ。

いい友人を持った。ジョルノは笑った。

 

「始まりますね。」

「ああ。」

 

選手が少年少女と手を繋いでコートの中に入り、賛美歌(アンセム)が心を震わせる美しい旋律を奏でた。

王者の中の王者が、今日決定される。ミラノクラブチームのボールでスタートだ。笛が鳴った。

 

◼️◼️◼️

 

「勝てよぉー、勝てよぉー!!!」

 

帽子をかぶったサーレーは、手汗をかいて両手を固く握っている。鼻息が荒く、顔が真っ赤になっている。

周囲の人間に顔から生えている毛が緑色である事を知られてしまえば、変なトラブルになるかもしれない。帽子はその対策だ。

ボールが動かされ、ミラノクラブチームの中盤から前線へとボールが渡された。しかしロンドンの名門はしっかりと守りを固めて、選手を自由にさせない。

 

「正直なところよぉ、どうなんだ?相手のチームが強いのは分かりきっているだろう?お前の応援してるチームは勝てる見込みはどのくらいあるんだ?」

「難しいな。準決ではビハインドからまくっているから、チームは昇り調子ではある。しかしそれで勝てると言い切れるほどフットボールは簡単じゃないし、相手は去年も大会ベスト4まできている。常連の経験値は馬鹿に出来ない。それとミラノクラブチームの9番は、ふくらはぎを痛めて準決を欠場している。今日試合には出場しているが、一体どこまで本来の調子が戻ってきているやら。」

 

ボールはロンドンクラブチームに奪われ、ロンドンクラブチームは素早く攻守を切り替えた。ミラノクラブチームは立ち上がりが若干硬く、ボールを持ったロンドンクラブチームに素早くボールを回され、自陣でクロスを上げさせてしまった。

 

「おい!しっかりしろ!」

「まあこんくらいじゃあまだ危険とも言えないだろ。ミラノクラブチームのディフェンスは高さに定評があるだろう。」

「バッカ!!!確かに空中戦には強いが、間違いが起こる可能性はあるだろうが!!!」

「まあそりゃそうだな。……そういやウェザーたちは結局来なかったのか。」

「……まあアナスイが、な。アイツら付き合いが長いから、アナスイを置いて来たくないんだろ。家でテレビで観戦すると言っていた。」

「そんじゃあアイツらにもお土産買って帰らねえとな。」

 

ボールを奪い返したミラノクラブチームは前線に雑にボールを蹴りだした。前線でミラノクラブチームのフォワードと敵のディフェンダーが競合い、ボールは敵に奪われてしまう。フォワードは奪われたボールをおいまわした。

 

「……やっぱ対応する側になるよなあ。実力差的に。9番がボールを持てるからロングカウンターを戦術にしてるのかな。」

 

ロングカウンターはフットボールの戦術の一つだ。

彼我の実力差と戦術の相性を考えて、監督は戦術を組み立てる。

ロングカウンターは相手にボールを奪われてしまったら、守りを固めることを優先する戦術だ。

 

カウンターにはショートカウンターとロングカウンターがあり、ショートカウンターはロングカウンターに比べて守りを固めることよりもボールを奪い返すことを主眼においている。ショートカウンターの方が攻撃のチャンスを作り易いが、メンバーの阿吽の連携と攻守の切り替えの速さが必要となるために、失敗した時に手痛いしっぺ返しが待っている場合が多い。ロングカウンターの方がより保守的だが、メンバーの長所や実力と相談してどう戦うか決めることになる。

 

「……それにしても、夢のようだ。自分のチームをこうやって応援する事が出来るなんて。」

 

サーレーは上を見上げた。夜空がとても美しい。

これが勝利の対価であると言うのなら、それはとても素晴らしいことだ。

 

「……まあなあ。忘れるべきじゃねえよ。今俺たちがこうしていられるのは、戦って勝てたからだ。負けてればイタリアはめちゃくちゃになっていた可能性が高いし、ボスがおっしゃるにはあの男のせいで幸せを奪われた人間も数多くいるらしい。……ムーロロのダンナも連れて来たかったなあ。」

「……湿っぽい話はナシだ。今日は今日という日を目一杯楽しもう!」

「ま、そだな。」

 

◼️◼️◼️

 

「……あの、ジョジョ……。」

 

ペリーコロは少し困っていた。

 

「どうしたんだい?」

 

相手はパッショーネの偉大なるジョジョだ。果たして指摘してしまっていいのだろうか?

 

「い、いえ……あの……。」

「ふふ、興奮するのもわかるよ。僕だって少しだけ興奮しているさ。ひょっとしたら僕たちのチームが、世界一になれるかもしれないからね。」

 

……少しだけ?

先程から貴賓席を蔦が多い、どこからともなく小動物がひょっこり顔を出している。

……リスだ。

 

「あ痛ッッッ!!!」

 

リスがペリーコロに噛み付いた。

鳥が空に飛んで行った。ウサギも飛び跳ねた。

スタンド使いでないペリーコロには視認できないが、ジョルノの背後でジョルノの生命のヴィジョンであるゴールド・エクスペリエンスが手に汗を握っている。

 

……ジョジョは冷静を装っているが、どう見ても興奮してゴールド・エクスペリエンスが暴走している。

相手が相手だ。どうしよう……。

 

「僕たちにできるのは、応援することだけさ。」

 

ジョルノは無意識に、犬の頭を撫でた。

 

◼️◼️◼️

 

「なかなか厳しいな。」

「……まだ敵の時間帯だな。試合には流れがある。疲労、偶然、実力……さまざまな要素が加わって、自分たちに有利な時間帯と敵に有利な時間帯が存在するのは当然だ。」

 

ロンドンクラブチームがパスを回し、前線にボールが配球された。

選手はパスを受けると見せかけてそれをスルーし、鮮やかにミラノクラブチームのディフェンスを欺いた。脇から選手が中央に侵入し、ボールを確保して内側に向かってカットインする。ゴール前にボールを流し込み、中央の選手がボールをゴールに蹴った。ミラノクラブチームのキーパーは横っ跳びに跳んで間一髪で掻き出した。

 

「危ねえ。今のは一点ものだったぜ。値千金の守備だな。」

「ああ、キーパーが助けてくれてよかった。」

 

セカンドボールを立て続けにロンドンクラブチームが確保し、ペナルティーエリアの外からシュートを放った。キーパーは反応してボールを弾くも、詰めていた敵選手がゴール隅にボールを蹴り込んだ。ネットが揺れて、敵側応援スタンドの歓声が上がった。

 

「クソッッッ!!!ビハインドか!!!楽させてくれねえなあ。」

「まだ一点だ。ここに来るまでもミラノクラブチームはビハインドを跳ね除けているだろ?」

 

1ー0。

ロンドンクラブチームの優勢だ。イングランドの選手が喜びのパフォーマンスしている。

やがてボールを中央に持って行き、ミラノクラブチームのボールでスタートされる。

 

◼️◼️◼️

 

「ワンワンワン!!!」

 

犬が、吠えた。

 

「クソッッッ!!!」

 

ジョルノが無意識にテーブルを強く握り、テーブルは植物へと姿を変えた。

……どうすんだ、これ?

ペリーコロは困惑している。

 

「あ痛ッッッ!!!」

 

ペリーコロは今度は犬にお尻を噛まれた。

敵がミラノクラブチームの優位に立つと同時に、ジョルノが創り出した動物は途端に不機嫌になってペリーコロに牙を剥いた。

 

◼️◼️◼️

 

「いけッッッ!!!点を返せッッッ!!!攻めなきゃ、勝てねえだろうがッッッ!!!」

 

サーレーはビールを飲み干した後の紙コップを握り潰して、立ち上がって声を張り上げた。

 

「まあ攻めなきゃ勝てねえだろうが、言うほど簡単じゃあねえぜ。ロンドンクラブチームは、攻撃がミラノクラブチームよりもうまい。」

 

ズッケェロが冷静に分析した。

 

点を先に取られた現状、どこかで点を取り返さなければミラノクラブチームは勝てない。それは厳然たる事実だ。

しかし、焦って無理に攻めても、攻撃力に定評のあるロンドンクラブチームにカウンターを喰らって状況がより悪くなるだけの可能性が高い。先に述べたように、フットボールの試合には流れが存在し、我慢を重ねればいずれミラノクラブチームの時間帯が来る可能性もある。

 

臆病すぎてもいけない。果敢過ぎてもいけない。チャンスの女神には前髪しか存在しない。

敵の時間帯を上手く凌ぎ、自分たちの時間帯をモノにした方が勝者となる。特にロンドンクラブチームは大舞台での対戦経験が豊富であり、敵の時間帯である今現在無理に攻めてもはぐらかされて、鼻っ柱に痛烈なカウンターを喰らうだけに終わる可能性は高い。当然二点、三点と相手に点を決められてしまえばミラノクラブチームの勝率はどんどん低くなる。

 

「クソッたれ!」

 

サーレーは落ち着き無く時計を見た。まだ試合は前半も終わっていない。十分に逆転のチャンスは残されている。

しかし、気が気でない。

 

ボールはピッチを転がっていく。

ミラノクラブチームの選手が、攻撃を組み立てようと中盤でパスを回した。しかしイングランドの選手たちは素早いプレッシングで、ミラノクラブチームのパス回しを楽にさせない。ミラノクラブチームは仕方なくボールをディフェンスに渡し、ディフェンダーはキーパーにボールを戻した。イングランドのフォワードがそれを貪欲に追い回し、ミラノクラブチームは否応無しにボールを雑に前方に蹴り出した。

 

「……ボールを捨てざるを得ないってのがなあ。やっぱ中盤の選手のボール保持力に明確に差があるなあ。中盤でボールを持てないから、攻撃をなかなか組み立てられねえ。」

 

ズッケェロが呟いた。

 

「……そうだな。ミラノのフォワードはボールを持てるが、それはイングランド側に警戒されてしまっている。人数で危険な選手を抑えられてしまえば、いくら良い選手でも活躍することは難しい。」

「でもそれは裏を返せば、他のところのマークが薄くなっているってことじゃねえか?」

「……敵の監督が戦術を上手く組み立てたからだろう。双方とも前もって相手の戦い方を分析し、自分のチームが優位に立てる戦い方を模索してきたはずだ。その練度が、悔しいがミラノクラブチームよりロンドンクラブチームの方が一枚上手だということだ。相手の方が経験豊富で、敵に対応するための連携が鮮やかだということだ。」

「……言うは易しだが、それがどこよりも上手く出来るチームが一流と呼ばれるんだろうなあ。」

「そうだな。」

 

二人の目はピッチ上のボールを追いかけている。

攻守は目まぐるしく入れ替わり、しかし明らかにロンドンクラブチームがボールを持つ時間帯が長い。

ミラノクラブチームの中盤の選手が、ペナルティボックスの外側からヤケクソ気味にシュートを放った。シュートはダフって、ゴールバーの遥か上を過ぎていった。

 

「サーレーさん。」

「うん、どうした?」

 

一人の男が、サーレーに耳打ちをした。パッショーネから出向した人員だ。

ミラノクラブチーム関係者の護衛を請け負っていた人員だ。

 

「ああ、わかった。」

「アン、どしたよ、相棒?」

 

ズッケェロが怪訝な顔でサーレーに問いかけた。

 

「野暮用だ。すぐに戻ってくる。」

「手伝いは?」

「いらない。」

「了ー解。」

 

サーレーは、観客席を立った。

 

◼️◼️◼️

 

「場所は、どこだ?」

「女性用トイレの個室です。」

「対応は?」

「すでにトイレを封鎖しています。第一発見者には、混乱を防ぐためにすでに口止めを済ませています。」

「ブツの破壊規模は?サツには連絡を?」

「ブツは大したものじゃありません。確認しましたが、せいぜいトイレの個室一つ吹き飛ばすくらいのオモチャです。サツへの連絡もすでに済ませています。オモチャの処分はこちらで引き受けると、独断ですが……。」

「いや、それで良い。良い判断だ。ご苦労だ。」

 

男は、感激していた。

彼は、最近パッショーネミラノ支部に所属した下っ端だ。組織の大幹部、ペリーコロ所有のフットボールクラブチームがフットボールの権威ある大会の決勝に進出し、彼は会場に来訪するパッショーネ関連者と会場の警備のためにスコットランドまで出向していた。

 

彼はスタンドは使えるものの下っ端であり、チームの先輩であるドナテロ・ヴェルサスから暗殺チームのヤバさと凄さを耳にタコが出来るほど聞かされていた。(周囲の人間はドナテロの言葉を一切信じていなかったが、彼だけは先輩のドナテロの言葉を信じていた。一人ぐらいそんな人間がいたっていいだろう?暗殺チームは本来、担当者が公開されない。ドナテロは周囲に暗殺チームに所属していたことを明かしていたが、それは周囲に虚言だとみなされていた。)

 

ドナテロの言う世界の救世主というのはさすがにマユツバにしろ(ドナテロには少々、いやかなりの虚言癖がある)、それでも誰に聞いても暗殺チームはヤバイと口を揃えて言うのである。(ヤバいという表現事態が実に陳腐なのだが、きっとそれ以外に言いようがないほどに本当にヤバい奴らなのだろう。どうヤバイのかはよくわからないが。)

 

当のドナテロの言うところのサーレーという名の男は、試合会場の対テロ特殊警備員を任されていたために、サーレーには試合を観戦する役得をいただく余裕があったのであった。(通常の要人警護の護衛や試合会場の警備員とは、若干異なる目的で雇われた特殊警備員である。特殊、実に便利な言葉だ。普通でなければ全て特殊と言っても差し支えないのだろう。)

 

「ここか?」

「はい。」

「……まったく、世の中には理解に苦しむ人間が存在するな。」

 

サーレーはため息を吐いた。

トイレの個室には、爆発物と思しきブツが仕掛けられていたそうだ。会場の見回りを任せていた人間のうち、爆薬の知識のある人間に言わせれば、大きさから判断すれば爆発物の威力は大したことはないらしい。恐らくは愉快犯の仕業だろうということだ。

警察に任せたら大ごとになって、試合進行に支障を来す可能性がある。犯人が愉快犯であれば、捕縛も難しい。犯人の身元を探るような証拠品もなさそうだということだ。

 

「ご苦労だった。あとは俺が始末しとくから持ち場に戻んな。」

「はい。」

 

サーレーが女性用トイレのドアを開けると個室の一つに黒いバッグがあり、ジッパーを開くと中から四角い弁当箱のようなものが出てきた。アルミニウムのような材質で出来ており、重さはさほどない。

 

「報告通り、問題なさそうだな。さっさと片付けるか。」

 

クラフト・ワークがサーレーの背後に姿を現し、拳を振った。

箱は粉々に砕けて、サラサラと崩壊していった。

 

「片付け完了、と。うん、どうしたんだ?」

 

トイレの外から、歓声が聞こえてきた。

 

「どうなった?」

 

サーレーが観戦席に戻り、相棒のズッケェロに試合経過を問いかけた。

 

「ミラノクラブチームが点を返したぜ。同点だ。」

「マジか。誰が決めた?」

「9番だ。サイドハーフの選手が右からクロスを上げて、それを9番が中央でヘディングで合わせた。カウンターで一閃だ。」

 

ミラノクラブチームのサポーター席では、興奮冷めやらぬ観客たちが立ち上がって声援を送っている。

やがて笛が吹かれて、ハーフタイムに突入した。選手たちの休憩時間だ。休息が終われば、後半の残り45分がスタートする。

電光掲示板に、1ー1のスコアが記されている。

 

「ところで問題は?」

 

ズッケェロがサーレーに問いかけた。

 

「そっちは大丈夫だ。それよりせっかく休憩時間なら、ジョジョとペリーコロさんに挨拶に行くぞ。」

「ああ。」

 

二人は、席を立った。

 

◼️◼️◼️

 

貴賓席は、動物ランドのような様相を呈していた。

サーレーは恐る恐る、ジョルノに問いかけた。

 

「あの、ジョジョ。なんでここはこんなに動植物だらけなんですか?」

 

ジョルノの目が泳いだ。

 

「……サーレー、君は勘違いを犯しているといえる。」

「勘違い、ですか?」

「ああ。僕たちは裏社会の住民だ。人が何かに熱中するとき、その時は無防備になるだろう?しかし僕たち裏社会の住民は、いついかなる時も敵に備えないといけない。」

「……はあ。」

 

……説得力が、全然無い。言ってることは完全な間違いでは無いのだが、サーレーの指摘と共に動植物は元の貴賓席の備品へと姿を戻していった。ジョルノの背後でペリーコロが親指を立てているのも、説得力を一段と下げている。そもそも小型犬とかリスとかが、スタンドを使う危険な敵への備えになるのだろうか?

 

「……誤解してはいけない。今こうしている間にも、水面下でなんらかの陰謀が蠢いていないとも限らない。違うかッッッ!!!」

 

どうしよう。これはもしかして、吐いた唾が飲み込めなくなってしまっているのではなかろうか?

ズッケェロが俺に任せろのジェスチャーを送ってきた。

 

「おっしゃる通りです、ジョジョ。しかしあなたの前には俺たちがいる。そして、組織に関わる防衛チームがいる。俺たちを頼りにしてくださるのなら、俺たちは誰にも負けずあなたに忠誠を捧げるでしょう。」

「む……。」

「今日が奇跡の夜になることを願いましょう。油断なく警戒することは大切だが、時には人生には喜びも必要だ。我らのクラブチームが敵を倒し、世界に冠たる栄光を手にすることを願いましょう。我らはそれを共に、楽しみましょう。」

「……ズッケェロ、君は随分と口が達者になったね。」

「後半が始まります。俺たちは席に戻ります。偉大なるパッショーネに、栄光あれ。」

 

ズッケェロがニヤリと笑って、二人は応援席へと戻って行った。ジョルノは笑って、手を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

「光あれ。」

 

白衣を着た黒髪で無精髭の男が、呟いた。旧約聖書、創世記より。

呟いた男は、微塵も神を信じていない。信仰など無い。白々しい。

彼が信じるのは、己のみ。今ここで生きていることが、彼の全てだ。

 

そこは暗くて、寒い。固くて冷たい何かの上に乗せられている。

機械音が鳴り、ホルマリンに漬けられた目玉が彼を見ていた。

光あれ。男の言葉と共に、カチリという音と共にモニターの電源が入れられて薄暗い部屋に僅かに白い光が差し込んだ。

 

「敵を探知する能力は、有能なスタンド使いに必須な能力だと言えるだろう。生物とは、必要に迫られて、進化する。」

「……ッ……。」

 

拘束具に拘束され、口に猿轡を噛まされた男が呻いた。

拘束具の中の男は、針に串刺しにされて虫の息だった。

 

「我が同士チョコラータは、素晴らしい研究者だった。彼の研究には、千金の価値がある。」

『ここだよぉー。脳のここを切除すれば、肉体の性能が飛躍的に上昇する。おいセッコ、キチンとビデオ撮れてるだろうな?』

 

薄暗い部屋で、紙をめくる音がする。

モニターから映像が流れて、誰かが喋る声がする。映像は、在りし日のチョコラータと被験者だった。

暗い部屋で白衣の男が拘束された男に語りかけ、その部屋の唯一の光源はチョコラータの悲惨な人体実験のスナッフビデオだった。

 

「惜しむらくは、目先の快楽が第一だったことだろう。彼の研究を突き詰めれば、新たな可能性が拓けることとなる。そうだな……例えば紫外線を照射するスタンド使いがいたと仮定しよう。」

『あっ、またミスっちまった。これでオシャカになったのは……ええっと………何体目だったっけか?おいセッコ、お前何体めだったか覚えてないか?』

 

大変なことになった。

 

救いは無い。

もう俺は、助からない。俺に永遠に幸福は訪れない。

目が見えないが、それだけはわかる。

 

吐き気を催す邪悪な匂いが、この部屋には充満している。

息をするのも、苦しい。こんな人間が存在するのだと考えるだけで、鬱になって死にたくなる。

救いはもう、安息だけ………早く………早く、お願いだから早く、楽に………。

 

「スタンドには、不明な点が多い。それを解明するためには、人体実験する他に方法が無い。例えば紫外線を照射するスタンド使いを石仮面で吸血鬼にしたら、紫外線に耐性を持った吸血鬼が生まれるのだろうか?それとも、自分の能力で自滅するのだろうか?あるいは、まったく別の能力に置き換わるのだろうか?視界を失った君に矢を突き刺してどういった進化をするかを観察すれば、その方向性が見えてくるのではないだろうか?あるいはそれらは全て個人の資質に決められていて、法則が存在しないのだろうか?……君は気にならないかい?」

 

床を歩く音が聞こえ、拘束具を解くために暴れ回る音が聞こえる。消えゆく命に抗うための、命がけの最期の足掻き。

されどそれは、無情にも頑丈な拘束具の前には無意味だった。

 

……寒い。苦しい。永遠に届かない光を求める苦しみから、誰か俺を解放してくれ。

黒の眼窩は眼球が抉られて空洞になっていて、周囲では血液が干からびて黒ずんで固まっている。

 

「矢でスタンドを獲得し、スタンド使いを再び矢で刺せばそれは進化する。そのメカニズムは明かされていないが、ウィルスによるものだと推測されている。ならばより強力なウィルスに感染すれば、生き延びた後にスタンドを超えるさらなる力を得るのではなかろうか?血清は?人間に吸血鬼を越えた先は存在しないのか?君は興味ないかい?……興味は、人間を進化させる。」

 

男は、指で手術台を二回弾いた。

コツコツと乾いた音がし、手術台に乗せられた黒という通り名の男はその微細な振動を感じ取った。

機械音が、絶え間なく響いた。

 

「君は、どう思う?裏社会の情報屋の君なら、多少は独自の知見があって良さそうなものだが?」

 

男の名はイアン・ベルモット。

冷たい手術台の上には目玉をくり抜かれて拘束された黒が、拘束具の中には捕獲されて医療器具で滅多刺しに拷問されたセッコが存在した。

 

チョコラータの負の遺産、チョコラータの人体実験の集大成。

人間を改造して擬似的に石仮面の効果を得る手術法をチョコラータは独自に編み出しており、セッコの所持するスナッフビデオテープにその詳細が記録されていた。チョコラータは独自に興味本位でパッショーネと矢と石仮面のルーツを調べており、吸血鬼のディオ・ブランドーの存在を認識していた。

 

イアンはその研究結果に、矢によるさらなる人類の進化を組み合わせようと画策している。

研究室の台の上では、ペトリ皿で矢に付着していたウィルスが培養されている。

 

人類がどうなろうと、知ったことではない。ヨーロッパがどうなろうと、関係ない。

彼は、心が望むままに行動するだけだ。そのために今まで、機を待ち潜伏していたのだから。

 

そこは彼の研究室。狭間の世界。生と死の境目に存在する、独り善がりの煉獄。

煉獄の主人は、歪な世界に君臨する狂った造物主、その名はイアン・ベルモット。

 

陰謀とは、いつも水面下で蠢く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◼️◼️◼️

 

試合は終盤に差し掛かっている。

ロンドンクラブチームもミラノチームもシーズンを戦っており、疲労があからさまに見えている。

しかし、全員が必死に栄光を勝ち取るために戦い続けた。

 

「こりゃ延長戦かな。」

 

ズッケェロが呟いた。

 

「……延長になったら、ミラノクラブチームは負けるな。」

「消耗度合いから見て、まあそうなる可能性が高いな。」

 

ロンドンクラブチームはボールを上手く回し、ミラノクラブチームはボールを追いかける時間が長かった。

それは最後の局面でより大きな意味を持ち、両者ともに疲労していてもその差異は明確だった。

 

「……勝負どころだ。リスクを負ってでも勝ちにいかないと、延長戦は分が悪い。」

 

サーレーは時計を見た。

電光掲示板にロスタイムが表示された。試合時間はもうあと五分も残っていない。

 

「行けッッッ!!!勝てッッッ!!!」

 

ミラノクラブチームのフォワードが後ろ向きにボールを受けて、それを中盤の選手に落とした。それと同時に裏へと飛び出し、落とされた中盤の選手はワンツーでフォワードの選手にスルーパスを出した。出し抜かれそうになったロンドンクラブチームのディフェンダーは慌ててフォワードの肩を掴んで倒してしまった。イエローカードが提示され、ミラノクラブチームはペナルティエリアの少し外でフリーキックを獲得した。

 

「……大チャンスだ。」

「ああ。」

 

サーレーもズッケェロも、穴が空くほど集中してピッチを凝視している。

ボールの前に、選手が立った。壁の位置を確認している。

 

「……どこを狙うか。本命は無回転。あるいはファーを狙うコントロールカーブシュートか。意表を突いて壁の下を抜きにかかる可能性もある。さすがにここでトリックプレーは狙わないだろう。」

「どこを狙うにしろ、これを外せば勝てる見込みは薄いぜ。」

「ああ。」

 

ボールの前に立つキッカーが動いた。無回転シュートだ。

ボールは蹴り出され、不規則な軌道を描きネットの右上に突き刺さった。

 

「やった、やった、やった!!!」

 

サーレーは叫んだ。

 

◼️◼️◼️

 

「まあなんだ、気をとり直せよ。」

「……ああ。」

 

試合が終わった帰り道。試合結果は、4ー2。

サーレーはひどく落ち込んでいる。

 

試合は終盤残り三分という状況で、ミラノクラブチームが2ー1でリードした。

しかしその残り時間をミラノクラブチームはリードを守りきることができず、ロンドンクラブチームに2ー2の同点を許してしまう。そこから延長戦に突入し、力尽きたミラノクラブチームは延長戦でロンドンクラブチームに2点を許してしまった。

結果試合が終了して4ー2の敗北。

 

「……まあここまで来れたのがそもそも栄光だし……。」

 

ズッケェロがサーレーを慰めるが、その言葉は虚しく宙に消えた。

当たり前だ。あと一歩でこの上ない栄冠を手にするはずだった。

 

「まあせっかくだしなんだ、ちょっと飲んで行こうぜ。」

 

しょぼくれたサーレーを引き連れて、ズッケェロは近くのバーに足を運んだ。

心なしかサーレーの髪型も萎びて見える。

カウンター席に座ってビールを二杯頼むと、隣のテーブル席から声が聞こえてきた。

 

「この素晴らしい奇跡の夜に、乾杯。」

 

どうやらロンドンクラブチームのサポーターのようだ。

……まあ、居て当然だと言える。

 

「野郎、俺に喧嘩売ってんのか?」

 

サーレーが、いきり立った。

 

「はい、ストップ。一般人に迷惑かけたら、ジョジョがブチギレるぜ?」

「……。」

 

サーレーは眉間にしわを寄せるも、ため息を吐いて脱力した。

応援しているチームが勝つのがベストだが、そもそも大会自体がお祭りだ。その雰囲気を壊せば、無粋な輩と言われても仕方がない。

 

「と言うよりも、今の声聞き覚えがあるんだが?」

 

ズッケェロが気になってテーブル席を覗き込んだ。

 

「おっさんじゃねえか。」

「ん、お前は。」

 

テーブル席にいたのは、クイーンズ・ロンドンのジャック・ショーンだった。

ジャックは何人も人間を連れていた。

 

「ああ、そりゃそうか。おっさんはロンドン出身だもんな。ロンドンクラブチームの応援に来ててもなんもおかしくねえ。」

「……そう言えば相手はミラノクラブチームだったな。フッ、あと一歩だったのにな。惜しかったな。」

 

ジャックはニヤリと笑い、指を立てて煽ってきた。

 

「ッッッ、おっさん。言うじゃねえか。」

 

サーレーが、喧嘩を買った。

 

「この偉大な大会のファイナリストになったことは評価に値するが、小僧っ子はまあ経験が足りなかったな。ギリギリのところでひ弱なんだよ。俺たちのロンドンには敵わねえ。」

「抜かしやがって。今回負けたのはたまたまだ。年寄りのジジイがいつまでも幅を利かせてんじゃあねえよ。」

「表に出るか?」

「いい度胸だ。」

 

ズッケェロはそれを横目で眺めながら、のんびりと酒を楽しんでいる。

 

◼️◼️◼️

 

「やっぱりおっさんは、本当に強えなあ。」

 

サーレーはグラスゴーの路地で仰向けになって、満天の星空を眺めていた。

完全敗北だった。傷付け過ぎないように子供扱いされて、手も足も出ない。痛みがむしろ心地よく、清々しい。

 

「そんなことはない。俺には、あのディアボロと名乗る男をどうにかするのは非常に困難だった。強さとは、簡単に測れるものではない。」

「そうは言っても、こうまで完膚無きまでに叩きのめされちゃあなあ。」

 

ジャックも夜空を見上げた。

 

「……奇跡の夜だ。俺はすでに死んでいてもおかしくなかった。だがこうして素晴らしい夜を迎え、美味い酒が飲める。応援するチームの栄光を見ることが許され、帰れば妻子が待っている。お前たちが勝利したおかげだ。」

「……。」

「お前の強さには意味があり、お前の戦いには価値がある。とは言っても、図書館でのあの戦い方はお粗末だったがな。」

「ああ、やっぱりズッケェロの言った通り気付いてたのか?」

「当たり前だ。俺も今でこそ親衛隊だが、元は失敗が許されない暗殺チーム上がり、あらゆる手を使って戦うのが常道だ。その観点でいけば、お前の行動は何か仕込んでますと言ってるようなものだ。やるんならもっと周到にやれ。」

「俺もあの時は連戦で疲労が残ってたし、図書館に急ぐことが優先であまり細かい策は立てられなかったんだよ。」

「しかし、敗北すれば意味が無い。」

「うっ……!!!」

「まあとは言っても、俺は所詮は敗者だ。敗者が勝者に説教するのもおかしな話だ。」

「……いや、ためになったよ。相棒のズッケェロは、奇襲に向いたいくらでも使い道があるスタンド使いだ。」

「まあそうだろうな。」

 

ジャックが笑った。ズッケェロが、店から出てきた。

 

「おーい、相棒!!!」

「ズッケェロが来たから、お暇させてもらうよ。よければまた勉強させてくれ。」

「……案外殊勝なんだな。」

「俺程度の実力で油断したら、明日にはすぐにでも死体になっているよ。」

 

サーレーは笑うと、ジャックに手を振って去って行った。

 

「パッショーネは、いい戦士が育っているのだな。」

 

向上心は、人を成長させる明確な要因の一つだ。

もしもジャックが本当に敵であったのなら。サーレーはそれを、痛感していた。

 

油断や過信は身を滅ぼし、死が常に側にあるという緊張感が駒を生き残らせる。

それはどこの暗殺チームでも、共通の見解だ。死と常に隣り合わせにあるからこそ、生きる人間と死ぬ人間を常にジャックは見極め続けてきた。

 

ジャックはサーレーの後ろ姿を眺めて、いい気分で笑った。



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リスボンにて

活気のある、港町だ。潮の匂いがする。

そこはポルトガルの首都で、港湾都市だ。都市名はリスボン。

そこの街角のオープンテラスカフェに、目的の女性はいた。イヤリングが陽光を受けて眩しく輝いていた。

女性は大人数が座れるテーブル席をとって、男性と二人で彼らを待っていた。

 

「やっ、お久し振り。相変わらず緑色だねえ。」

「ああ、久しいな。友よ。今回はどういった案件だ。」

「その前にぃ、私にくれたフットボール観戦チケット、これミラノクラブチームのフリーパスじゃない!わざわざ毎週ミラノまで観に行ったり出来ないよ!」

「うん、スマン。俺がどうかしてた。あの時は勝利した余韻で、思い付きで行動してしまったんだ。今度お前が望む観戦チケットを送るよ。」

 

テーブルに座り、サーレーはウェイターを呼び出した。

リーダーであるサーレーの周りに部下が次々と席に腰掛ける。

 

「お前らは何にする?」

「俺、カプチーノで。」

 

ズッケェロが答えた。

 

「俺っちはダージリンティーが飲みたいな。」

 

ホル・ホースも答えた。

ウェザー・リポートとアルバロ・モッタは、今回はお留守番だ。モッタはまだ実戦に耐え得るほどの能力を持ち合わせておらず、能力と知能、人格それら全てに信頼がおけるウェザーに任せてある。

 

「了解だ。カプチーノ二つと水を頼む。」

「リーダーは水か。吝嗇家だな。」

「お前のに決まってるだろうが!」

「やっぱそうなるのねん。いい加減それ、イジメじゃないかい?そろそろ俺っちを受け入れるべきだろう?」

 

ホル・ホースはガッカリした。

 

「ちゃっかりしてんねえ。しれっとパッショーネに収まってやんの。」

「………勘弁してくれ。」

 

メロディオがホル・ホースを見て意味ありげにニヤつき、ホル・ホースは気まずくて視線を逸らした。

 

「それでは仕事内容を詰めようか?」

「オッケー。説明お願いね。」

「了解です。」

 

メロディオの横に座る男性が返事した。

 

「紹介しておくね。彼は私の部下で副リーダー。レノって言うの。」

「そうか。俺はサーレー。こっちはマリオ・ズッケェロで……。」

「ああ、大丈夫ですよ。パッショーネの暗殺チームは、ちょっと前の事件で名を上げましたからね。みなさん知っています。殺し屋が有名なのはおかしいけれど。武功を立て過ぎると弊害もあるんですねえ。」

 

レノがにこやかに笑い返答した。

サーレーはレノと呼ばれた男を見た。線が細く優男で、荒事が得意だとも思えない。

暗殺チームというよりも、学者といった知性を感じさせる風貌をしている。

 

「ああ、言いたいことはわかるよ。でもパッショーネの暗殺チームとウチの暗殺チームは形態がまるで別物なのよ。ウチは暗殺チームは情報部も兼ねているの。組織の暗部という大まかなくくりでね。パッショーネほど組織の規模が大きく無いから、有能な人材がそんなに多く無いの。悩ましいわ。」

「ああ、なるほど。」

 

サーレーは得心がいった。

このレノという男は兵士ではなく情報部寄りなのだろう。

 

「うん?ということは戦えるのはお前だけか?」

「あと五人いるよー。」

 

メロディオはそう言って手のひらを開くとレノに指示を出した。

レノは懐から五枚の木札を取り出した。それには名前が書かれている。

 

「まあスタンドだよねー。取りあえず仕事の話に入ってもいいかな?」

「ああ。」

 

レノが咳払いをして、喋り始めた。

 

「祖国を追われた殺し屋育成組織が、海を越えてポルトガルに入国したという情報が入ってきました。ポルトガルの友好的組織から援軍要請が我々に入っています。殺し屋育成組織は祖国では近隣の子供を誘拐して、少年兵に育て上げたのちに反社会組織に売り渡すといった商売を営んでいました。少年兵の中でも、自爆兵扱いと言えばどういうことかご理解いただけるでしょう。最低のゲス連中です。アルディエンテによる再三の勧告にも聞く耳を持たず、国外に退出する気色も見えません。このままではヨーロッパが被害を被るのも時間の問題です。当該組織には矢が保管されている形跡があり、殺し屋に育てられた少年がスタンドを使用したという情報も入っています。」

「……なるほど。」

 

サーレーは頷いた。

 

「まあそうなると当然私たちに白羽の矢が立つよねぇ。」

「俺たちが呼ばれたということは、敵は相当なのか?」

「うーん……そこまででも無いんだけど……。」

 

メロディオがカップに残った飲み物を飲み干して返事をした。

 

「デリケートなんだよねー。敵を敵として皆殺しにするだけなら私たちだけでも簡単なんだけど、出来れば捕まっている子供を何とかしてあげたいじゃない。暗対は便所の反吐以下の幹部連中と、もうどうにもならないやつだけに留めたいのよ。だから過剰戦力が欲しいの。こーゆー時のための同盟じゃない?」

 

メロディオはにっこりと笑いかけた。

 

「なるほど。」

 

サーレーが頷いた。

 

「それで、私が作戦の総指揮官で良いのかしら?」

「ああ。俺たちはいつも組織の情報部に支えられてきた。功績が欲しいわけではないから、情報部を兼ねているお前に指揮を頼みたい。」

「了解。襲撃の決行は今夜22時。一時間前の21時に集まって最終指示を出すわ。そっちの方がわかりやすいでしょう?さすがに敵の能力まではわからないけど、お願いできるかしら?」

「フットボール観戦チケットはこれでチャラだな。」

「オッケー。時間までリスボンを楽しんできて。」

 

メロディオは、明るく笑った。

 

◼️◼️◼️

 

人はどこにいても大きくは変わらない。

リスボンでサーレーはそのことを痛感していた。

 

リスボンの住民たちは週末にフットボールクラブチームを応援し、日々の仕事の合間に自身の幸せを探し、若者たちは流行を追いかけてやがて社会に根付く大人になっていく。

 

潮の匂いが心地よい。テージョ川のほとりを歩きながら、サーレーは観光を楽しんだ。

リスボンはとても観光向きの良い場所だ。

 

遠くにベレンの塔を見やりながら、サーレーは思考した。

ベレンの塔は大航海時代に厳しい航海から帰還した船乗りたちを暖かく祖国に迎え入れた象徴だ。

社会には、歴史があるのだ。

 

「なんて言うか、こーゆーいいところにもよぉー、子供を攫って人殺しに使おうって奴らが存在するなんてよぉー。人間の業の深さを感じずにはいられねえなぁ。」

「……ああ。」

「暗殺チームにはモチベーションが大切なんだろうなー。なんのために戦っているのか細かく確認しないと、すぐに道を誤ってしまう。」

 

サーレーの傍にズッケェロがいた。

ホル・ホースは彼らの背後で、観光のお土産の荷物持ちをしていた。

 

ボスのジョジョにお土産を買って帰れば、暗殺チームの組織内の待遇が良くなるかもしれない。シーラ・Eもなぜかしつこくお土産を要求してきた。普段暗殺チームを支えるパッショーネ情報部の皆様にもお礼が必要だろう。暗殺チームに交流の場を提供してくれるミラノフットボールクラブの所有者ペリーコロさんにもお礼を欠かしてはいけない。スポーツバーの店長にも労いが必要かもしれない。ドナテロを引き取ってくれたミラノ支部防衛チームにも差し入れを贈ろうか。外交部門も、普段暗殺チームの仕事がないときに護衛仕事を回してくれてお世話になっている。

 

彼らは社会に生きる一員で、義理を欠いてはいけない。サーレーは深く頷いた。

土産品は山を成し、圧迫されたホル・ホースはうんざりしていた。

 

「うぐぐ、おのれ……。でもあのリーダーやったら強くて逆らえないんだよなぁ。」

 

ホル・ホースのため息が、リスボンの空に消えていった。

 

◼️◼️◼️

 

目的地は、リスボンの郊外に存在する廃墟だった。

合同暗殺チームは、リスボンの外れにあるホテルの一室に集合していた。

 

「さて。まずは先だってパッショーネに都合を依頼していた、潜入特化の人員にお願いするわね。見取り図はあるから、建物内部の細かな構造や人員の配置なんかを把握して欲しいの。」

「俺だな。」

 

ズッケェロが一歩前に出た。

 

「うん。これを持っていって。」

 

メロディオはズッケェロにハンディカメラのような機械を手渡した。

 

「これは?」

「中でどんなことがあるかわからないわ。もしかしたら監視用のスタンドがいて見つかるかもしれない。それでこっちに映像を送ってちょうだい。」

 

ズッケェロは渡されたハンディカメラを矯めつ眇めつ眺めた。

 

「というわけで、内部に潜入したら各所の映像を送って。それを元に作戦を立案するわ。」

「おう、任せてくれ。」

 

ズッケェロはニュルニュルと、廃墟へと侵入していく。

廃墟は放置されたビルで、三階建てだった。

 

「さて、あとは映像が送信されるのを待つか。そう言えば、スペインからはあと五人いるという話だったが?」

「うん。ほかの五人は私の護衛用に控えてる。レノは木札と人間を入れ替えるスタンド能力者だよ。」

「……能力を明かしても構わないのか?」

「合同任務なんだし、ある程度の情報は開示しないと信用されないでしょ?戦地で仲間割れなんて最悪だし。」

「ああまあそれもそうだな。」

 

サーレーは納得して、頷いた。

 

◼️◼️◼️

 

廃墟は一階が少年兵の育成所であり、寝所も兼ねていた。上の階層が幹部の根城だった。

敵は逃走の末の一時的な仮寝所のつもりでいるから、警備は緩く潜入は簡単だった。

 

「何をやっているんだ!!!役立たずに食わせるメシは無い!!!立て!!!」

「うあッッッ……!!!」

 

ーーなんともなあ……。

 

ズッケェロは十歳前後だと思われる少年たちが戦闘訓練をしているのを見て、溜息を吐いた。

大の大人たちが少年に暴行を加えている。

 

少年は反社会組織に買われて、消耗品として若くして命を落とすことになるのだろう。

国が違えば常識も変わる。どこの組織かは知らないが、未だにこんな組織が幅を利かせている国家が存在するのかもしれない。

ズッケェロの任務は敵人員の配置の確認だ。ズッケェロは見なかったことにして階上へと向かった。

 

「使えないガキは、死んだ方がいい。」

 

鉄板の入った男の靴のつま先が少年の腹部に入り、少年は血を吐いた。

 

ーーオイオイ、商品として売り出すのなら、使い物にならなくなるほどの手荒な真似はしねえと思ったが……。

 

ズッケェロは、己の見通しの甘さを悟った。

男たちは祖国を追われており、不安を抱えていた。不安を抱えた人間が、自分よりも弱い立場の相手に強く当たるのは必然だった。

暴力には弾みがあり、男たちに倫理は無い。

 

「立て。立てないのなら、命は必要ないだろう。お前たちがもっと有能な戦士なら、俺たちが祖国を追われることも無かった。」

 

非常に馬鹿げた意見だ。男たちが祖国を追われたのは、男たちの行為が祖国に許容されなかったためである。

少年たちをどれだけ有能に仕立て上げても、相手はそれを超える人材を育て上げて反撃するだけである。彼らの敵は、より多くの人材を有する国家なのだから。終わりのないしかばねの山を越えて、彼らはどこを目指しているのだろうか?

男の懐からナイフが取り出され、薄暗い廃墟で照明を反射した。

 

ーー1、2、3、4、、、4人か。スタンド使いが混じっていたらマズイが……まあやってみるか。すまねえな、相棒。

 

マリオ・ズッケェロは、男の背後から奇襲をかけた。

 

◼️◼️◼️

 

「しくじったわね。」

「……敵に探知能力を持つスタンドがいたのか……。」

 

メロディオが告げた。

サーレーはズッケェロの弱点を思い起こし、頷いた。

 

「いやなんか、ズッケェロさん自分から姿を見せて敵に攻撃を仕掛けちゃったよ。」

「マジかよ、ズッケェロ……何やってんだ……。」

 

サーレーは頭を抱えた。

 

「もー、しょーがないなー。強行突入でいい?」

「まあ見捨てられないからな。そこまで切羽詰まった敵でもないんだろう?」

「うん。じゃあ指示だけ出しておくね。私たちが捕まってる少年の保護を担当するから、そっちでズッケェロさんの救援と幹部の始末を担当してもらっていい?」

 

メロディオがサーレーに指示を出した。

 

「……なんか雑だな。もうちょっとこう………。」

「細かく立案しすぎると、不慮の事態で融通が効かないのよ。細かいところまで私が決めるよりも、リーダーのあなたの方が部下をよくわかっているでしょ?」

「まあそれもそうか。よし、わかった。ホル・ホースは俺について来い。何かあったらその都度に柔軟に対応する。」

「へいへい。」

 

ホル・ホースは頷いた。

 

◼️◼️◼️

 

ーーふぁー、寝みぃ。

 

ズッケェロは、欠伸を噛み殺した。

ここは廃墟の二階にある一室だった。

 

「ーーーーーーーーーッッッッ!!!」

 

相手が何を言ってるのか、ズッケェロには全く分からない。どこの言語だ?

ここはポルトガルなのだから、ポルトガル語かせめてヨーロッパ圏内の言語で喋れ。

 

「ーーーーーーーーッッッ!!」

 

目の前の男が、ズッケェロを殴った。

ズッケェロは、痛みを堪えるふりをした。

 

ーー能力は、使い方次第だなあ。麻薬は、麻酔にもなる。ちょっと時間を稼げりゃ、相棒たちが行動に移るだろう。……アメリカの刑務所では、この使い方に気付かなかったなあ。

 

男たちはズッケェロを拷問にかけているつもりだが、その実はまるで効いていない。

自身の能力、麻薬の症状を引き起こすシャボンで痛覚を麻痺させているのである。

 

何のための拷問なのか?そもそも言語が通じてないのが明白であり、ズッケェロを拷問にかけたところで情報の擦り合わせもできない。男たちの行為は彼らの不安の一時的な憂さ晴らしでしかない。ならばさほどの問題はない。これはパッショーネの正式な任務だから、死にさえしなければ体の部分的な欠損くらいであればボスが労災として治療してくれるだろう。

外には仲間が控えており、さほど間をおかずに突入するはずだ。

 

ズッケェロの小指が、ペンチで圧し折られた。足を拳銃で撃ち抜かれた。

ズッケェロは、四人の男に囲まれて拷問にかけられていた。

 

◼️◼️◼️

 

「それじゃあ俺たちは上階に向かう。ここは任せたぞ。」

「ええ、任せといて。」

 

合同暗殺チームは速やかに一階を占拠し、スペイン暗殺チームの人員が一階を受け持った。

クラフト・ワークは強襲、鎮圧に非常に高い適性を持ち、特にラニャテーラは反則的に強力な効果を発揮した。

 

サーレーの能力を受けて敵が困惑している隙に、クラフト・ワークがスタンドを使えない敵を次々と固定し、ホル・ホースが敵を縛り上げた。スタンドが使える敵は速やかに気絶させる。連携は手馴れていて、瞬く間に一階は制圧された。

 

「さて、と。」

 

メロディオは少年たちを、眺めた。

 

◼️◼️◼️

 

ーーつくづくクラフト・ワークは優秀だな。ラニャテーラは不可視で奇襲向きで、対多数戦闘でも大きな効果が見込める。弱点と言えば消耗が激しく、長期戦に向かないことくらいか。しかしクラフト・ワーク自体が防御力が高く、長期戦にも強い。総合的に見て、さまざまな局面に対応できる。俺は本当に能力の無駄遣いをしていたんだなあ。

 

廃墟の二階の廊下を歩きながら、サーレーは痛感した。周囲には無力化された敵が転がっている。

相手が困惑している隙に速やかに敵の近くに寄り、サーレーは敵の血流を止めて昏倒させる。ホル・ホースが素早く敵を縛り上げた。

 

「俺っちまで来る必要、あったのか?リーダー一人で十分だっただろ?」

 

ホル・ホースが、つぶやいた。

 

「お前をイタリアに残しておくと、何するかわからねえんだよ!暗殺チームに監督責任があるんだ!」

「俺は敵わない相手には逆らわねえよ。俺の哲学はNo.1よりNo.2だ!」

「それは信じてないわけじゃねーけど、お前がパッショーネから逃げ出すかもしれんからだ!」

 

サーレーは承太郎からホル・ホースの逃げ足の速さを、嫌と言うほどに聞かされていた。

 

「勘弁してくれよ、全く。年上を敬えってんだ。」

「年上なら年上らしくしろ!」

「……敵のアジトであまり大声を出すちゃダメだろ。」

 

ホル・ホースが耳を塞いで、サーレーの小言を受け流した。

彼らは制圧した端からどんどん先へ進んでいく。

 

「よう、助けに来たぜ。命令無視の罰則で、減給1カ月だ。」

「………スマン。了解だ。」

 

サーレーが扉の一つを開けると、そこには後ろ手に縛られて屈強な男たちに囲まれたマリオ・ズッケェロがいた。

サーレーが能力を行使して部屋内を瞬く間に制圧し、怪我をしたズッケェロを助け出した。

 

◼️◼️◼️

 

だいたい状況は把握した。

レノと他のメロディオの部下たちが、少年たちの相手をしている。

メロディオは、じっとりと少年たちを観察していた。

 

「みんなで力を合わせて、ここから逃げ出して真っ当な人生を送ろう!」

 

少年のうち、リーダーらしき一人が声をあげた。

………おそらくはあいつだ。

 

メロディオが今回の任務を積極的に引き受けたことには、理由がある。

敵は祖国を追われており、統率していた彼らのボスは祖国から暗対としてすでに暗殺されている。

組織は離散してしかるべきはずだった。にも関わらず、彼らは卒なく逃亡してここにいる。

その情報が、彼らの祖国の上層部から国を通じてアルディエンテに入ってきている。

 

「ずっと逃げたかったんです。みんなを助けたかった。でも僕には力がなくて………。」

 

おかしいのである。

頭を失い烏合の衆として弱体化するはずの組織は、速やかに危機を察知して国外へと逃走した。

それは逆説的に言えば、統率者は生きている。彼らが暗対として暗殺した対象は影武者であった可能性が高いということだ。

 

「あなた方が僕たちを救ってくださるとおっしゃるのでしたら、僕たちはあなた方のいう通りにします。」

 

やはりおかしい。

メロディオは危機管理能力と危機察知能力が高く、常に相手を警戒している。しかし、あの少年に対して警戒を抱けない。

 

おそらくは、スタンド使い。その能力は、可能性として高いのは弱性の思考誘導。商品である少年たちに混じって周囲の思考を緩やかに誘導すれば、組織の運営を円滑に進められる。他人を支配できるほどに強力なものではなく、故に今までは誰にも感づかれなかったのだろう。非常に厄介な能力だ。

 

少年の名前は、ベルーガ。茶色がかった髪の、ツリ目の少年だ。

周りの少年たちよりも頭一つ大きく、おそらくは十代後半。見立てでは十八くらいだろうか?

歳を重ねた人間から売り物として使い潰される組織で、なぜ彼だけそんな年齢まで育成部門に残っているのか?

考えられる理由は、一つしかない。

 

メロディオの義眼が、ギョロリと奇怪な動きをした。

 

「僕たちに償いをさせてください!死んでいった彼らのためにも!!!」

 

洗脳とは、強固なものだ。

人間は他者との関わりの中でしか生きられず、真っ当な倫理を持たない大人の中で生きた少年が真っ当な倫理を持てるわけがない。子供は精神が未成熟で、大人よりも扱い易い。

 

ねじ曲げられた道は時間をかけて、ゆっくりと真っ直ぐに戻していくものである。何年も組織にいる少年が、真っ当な倫理を持っていることなどあり得ない。大根役者も甚だしい。

あらゆる状況が、彼を指し示している。

 

「ねえ、一つ教えて。あなたは人知を超えた力を持っている?」

 

メロディオが、ベルーガという名の少年に質問した。

 

「……何のことですか?」

 

メロディオの手中に突然天秤が現れた。

ベルーガという名の少年は、それに気を取られて注視した。

 

「やはりあなたが、首謀者ね。暗殺されたボスには、行方不明になった息子がいた。スタンドが見えるということは、あなたはスタンド使いだということ。自分に被害が来ないように、周囲の思考を微細に誘導した。そして安全圏から、周囲の狂態を嘲笑う最低最悪のゲス野郎。ここまで臭いのは久し振りだわ。レノ、他の子たちを連れてこの部屋から先に出てなさい。」

「了解しました。」

「い、痛いッッッ!!!何をするんだッッッ!!!」

 

メロディオがベルーガの右腕を掴み、キツく捻り上げた。腹部を膝で蹴り上げ、少年はかがんで悶絶した。

レノが先導して、ベルーガとメロディオを除く人間は速やかに部屋から退出した。

 

『愚者が囀り、目立ちすぎたわね。………道化の世界(エル・モンド)。』

 

道化が、笑った。

天秤が破裂し、周囲の色彩が反転した。

 

◼️◼️◼️

 

何もかもが歪み揺蕩う毒々しい色彩の世界で、神に通じる道化は粛々と裁きを履行する。

ベルーガは、いきなり変化した周囲の状況が理解できずにいた。

 

「裁きの時は、来たれり。さあ、あなたの罪を数えましょう。両の指で足りるのかしら?あなたは、あなたに覗かれる。神は人の中にのみ住み、誰しもがいつかはそれと向き合う時が来るの。」

 

万華鏡のように彼の目に映る女性は、遥かな高みからベルーガへと宣告した。

ベルーガは体に力が入らず、四肢をうまく動かせず、うつ伏せに倒れ伏して動けない。彼はその状況に、恐怖した。

 

突然、倒れた彼の周囲から薄ぼやけたいくつもの白い手が生えてきた。

 

「………ッッッ!!!」

「さあ、あなたの罪を正面から一つ一つ確認をしていきましょう。もう、逃げられないわ。その白い手は、ビルという愛称で呼ばれた齢十にして爆弾として扱われて死んでいった少年の魂。テレビでアメフトを観戦するのが趣味だった。」

「うおえええッッッ!!!」

 

細くて小さな白い手が倒れたベルーガの腹部を通り、冷たい手が胃をかき混ぜた。

ベルーガはその感触の気持ち悪さに蹲って嘔吐した。

 

「その手は、無差別な爆破に巻き込まれたサラという名の妊婦の魂。小さな方の手はお腹の中の赤ちゃんね。お菓子を作っている昼下がりに、何もわからないうちに爆死したみたいね。」

 

別の手がベルーガの腕を掴み、彼は掴まれた箇所が死んでいく感じを受けた。

 

「あなたのせいで戦って死んだ兵士の魂。老人の魂。青年の魂。まだまだ、無数にあるわ。よくもまあ、こんなにも恨まれるまでやらかしたものね。」

「うあッッッ!!!やめろッッッ!!!」

「魂って、存在するのかしら?私にはわからない。でも私の世界では、こんなことができる。ここは、誰も知らない世界。神は、人間の中に住む。その白い手は、あなたの心が生み出した自身の罪科。あなたはあなたが創り出した世界で、あなた自身に裁かれて死ぬのよ。」

 

メロディオが、優しく微笑んだ。

それは死にゆく罪人への、慈悲の微笑みだ。

 

「やめろッッッ!!!やめてくれッッッ!!!死にたくないッッッ!!!僕はまだ未成年だ!!!この国の法律では、未成年に死刑は適用されないだろうッッッ!!!」

 

というよりも、そもそもポルトガルに死刑制度は存在しない。

千八百年代の後半には廃止されている。

 

「あなたに殺された人間も、きっと誰しもが死にたくなかったはず。それが認められるのは、社会の表側の話。裏社会はそんなに、ぬるくはないわ。あなたのせいで、一体何人の罪のない人間が死んだと?………そもそもがおかしいのよ。」

「一体何がおかしいんだッッッ!!」

「年齢なんて不可視なものを数値化することに、そもそも無理があるの。それは社会の不備で、どこかでなんらかの線引きしないといけないからそうせざるを得ないというだけ。厳然たる事実は、あなたが赦されざる者だということ。アディオス(さようなら)。あなたは、あなたに裁かれて死ぬのよ。」

 

出来の悪い子を諭すように、道化は穏やかに微笑んだ。

冷たい腕がベルーガの体を無慈悲に幾度も弄り、彼はゆっくり死んでいく自分を幻視した。

吐き気と寒気が止まらず、えずこうにも体のどこにも動く部分が無い。

 

「やめろ!!!やめてくれッッッ!!!お願いだ。助けてくれッッッ!!!」

 

床から無数の白い手が伸びて、ベルーガの体中に纏わり付いた。

それらが触れるたびに、ベルーガは死の冷たさを感じて体温がどんどん低下していく。

 

「うあああああああああああッッッッッッッ!!!」

 

ベルーガは絶叫し、道化の世界は冷たい棺桶となる。

 

◼️◼️◼️

 

ベルーガは、目を覚ました。頭が痛く、意識がボンヤリとする。寒気と吐き気が引かず、体温はひどく低下していた。

彼のそばではメロディオと名乗る恐ろしい女性が、拳銃を片手に冷ややかに彼を見下ろしていた。

 

「スタンドを、見せなさい。」

「………。」

「今ここで死にたくないなら、さっさとしろ!!!」

「はい。」

 

メロディオが放心状態のベルーガの脇腹を蹴り飛ばし、怒鳴りつけた。

ベルーガは、戦力を持たない自身のスタンドを具現した。それは人型で、頭部からアンテナのようなものが生えている。

 

「よろしい。………あなたの罪は、永遠に消えない。あなたの命の価値は、犬のクソにも劣る。それだけのことをしでかした。あなたは死ぬまで、延々と賽の河原で()を積み上げ続けなさい。それがあなたが今日を生き延びられる、唯一の道。あなたは暗殺チームの一員として、いずれ私の部下として死になさい。あなたに人権は無いし、拒否権もない。私に逆らったり私の許可なしにスタンドを行使したと私が判断した場合は、私がその場で有無を言わさずにあなたを殺すわ。………返事は?」

「………。」

 

虚ろに黙り込むベルーガに、メロディオは懐から拳銃を取り出して床に向けて発砲した。

 

「返事は!!!」

「………はい。」

「声が小さいッッッ!!!」

「はいッッッ!!!」

 

暗殺チームは使い捨ての消耗品で、損耗が激しい。細かく補充していかなければ、あっという間に壊滅してしまう。

メロディオはディアボロのせいで幾人も部下を失い、人員の補填の必要性に迫られていた。

 

彼らはこうやって、チームを維持しているのである。

 

◼️◼️◼️

 

「お疲れー。」

 

メロディオがサーレーに手を振った。傍には、意気消沈した少年を引き連れている。

サーレーはズッケェロに肩を貸し、後方にホル・ホースを引き連れて上階から降りてきた。

 

「ああ。こっちは制圧完了だ。捕まえた人員は、どうしようか?」

「そっちで問題ないのなら、こっちにちょうだい。後始末も込みで、任せてくれると嬉しいな。」

「そうか。そっちの方が情報が入ってるだろうし、お願いしよう。………そいつは?」

 

サーレーはメロディオの傍の少年に、目をやった。

 

「ああ、なんか捕まっていた少年を私が颯爽とカッコよく助け出したのだ!ねー。」

 

メロディオがベルーガにニッコリと笑いかけて、ベルーガは恐怖で失禁しそうになった。

 

「あらら。やっぱり今までの恐怖が抜けきれていないみたい。かわいそうに。」

 

メロディオの白々しい表情に、ベルーガは相手を逆らってはいけない人間だと再認識した。

 

「そうなのか。」

「うん。捕らえた大人は、吟味して処分するか私が捨て駒として使うわ。ちょうど人員がいなくて、困っていたの。」

 

先に少年たちを連れて退出したレノが、少年たちを組織の人員に引き渡して建物内部へと戻ってきた。

 

「レノ。このクソガキはあんたが監督なさい。もしも無断でスタンドを使用するようなら、その場で殺して。」

「畏まりました。」

 

彼らはそのまま、建物の外部へと退出した。

外は夜が明け、白み始めていた。

 

◼️◼️◼️

 

「そんじゃあ、またね。なんかあったら、またお願いねー。」

「あんま人使いが荒いのも、勘弁してくれ。」

「ちゃっかり拳銃おじさんもまたねー。」

「誰がおじさんだ!!!」

 

最初から最後までマイペースに、メロディオは去っていった。

おじさん扱いされたホル・ホースはブツブツ文句を言ったが、ホル・ホースはどう見てもそこそこの年配だ。

 

「さっさと帰るぞ。観光はまた今度だ。ズッケェロ、荷物持ち。」

「おう。」

 

怪我を治療したズッケェロが声を上げた。

 

「誰が荷物持ちやねん。」

 

ホル・ホースは抗議した。

 

サーレーはメロディオが連れて行った少年に、思いを馳せた。あからさまに他の少年と、扱いが異なった。

あの少年はメロディオの配下として、遠からず使い捨てられるのだろう。

 

サーレーと似た境遇ではあるが、決定的に違うのはサーレーよりも明らかに扱いが悪く、怪我をしても治してくれるボスもいない。

 

「まぁ、暗殺チームはそんなもんか。」

 

社会は矛盾していて、理想通りに行くことは稀である。

他人の境遇に同情をするよりも、まずは自分の明日のことを考えよう。

ズッケェロは怪我人だし、ホル・ホースも少しは活躍したし、たまにはリーダーらしく今日のみんなの晩御飯くらいは奢ってあげようか?

 

イタリアに向かう飛行機の搭乗口に向かいながら、サーレーはそんなことを考えた。



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天の川

サーレーの家族構成の情報が見つからなかったので、勝手に創作しました。
もしもどこかに何かの情報が見つかった場合は、頑張って書き直します。
………それもしんどいなぁ。


サーレーは、美しい夜空を見上げた。頭上には、満天の星々。輝き瞬き、それはまるで誰かの涙のようだ。

この空の下で、イタリアという国家だけでも五千万を超える人々が日々を暮らしている。彼らのうちの一体どれほどが、夜更けに夜空を見上げるだろう?

 

サーレーは草むらの上に座り、いつまでも頭上を眺めていた。

田舎の夏だ。虫の声がする。サーレーは虫が服に付着していないか、なんとなしに体をまさぐった。

 

あれは、天の川(ガラッシァ)だろうか?ここはミラノよりも、空が高い。

サーレーには、天体の知識などろくにない。小学校の頃に習った知識が、微かに彼の脳裏に残っているだけだ。

サーレーが見つめる付近は星が密集し、流れるように周辺の闇の色合いが薄くなっている。

織姫は彦星と出会うのだろうが、サーレーにはいつになったら織姫が現れるのだろう?

彼は、何とは無しに地上から夜空をボンヤリと眺め続けていた。

 

彼の人生は、後悔ばかりだ。間違いを繰り返し、過ちと薄々気付きながら突き進み、気付いたら社会の闇の深奥に組み込まれていた。

代えの効かない歯車というわけではないのだが、磨耗して劣化するか壊れるかまで交代を告げられることはないのだろう。

彼が今日ここにいるのも、きっと彼が人生の選択肢を誤ったからに他ならない。

 

しかしあるいは、それは最善ではなくとも最悪ではないのかもしれない。人生とは誰しもが、最善を選び続けることなど不可能なのだ。

最悪なのは、おそらくは何も知らずに愚者にさえもなれずに全てが終わってしまうことだろう。

状況は良くないが、それでも今日ここにいることは、彼にとってほんのわずかな慰めだと言っていいのかもしれない。

サーレーはため息をつき、頭上の星々を飽くことなく眺め続けた。

 

不意に流れ星が天空を尾を引いて流れ落ちた。イタリアが平和でありますように。

彼は心の中で、ささやかに願った。

 

◼️◼️◼️

 

発端は、一本の電話だった。

 

サーレーは普段、業務上必要な時以外はあまり電話を使用しない。

彼の携帯電話は、相変わらずガラパゴスな感じのやつだ。

周囲の話題は、いつだってスマートフォン。自分だけ旧式じゃあ、落ち込むだろう。でもほんのちょびっとだけ、愛着が湧いてきた。もういっそガラパゴスに永住してしまおうか?

そんなわけで普段はあまり携帯を使用しない彼だったが、この日は何の気まぐれかふと思い付きで電話を使用することを思い立った。

 

パッショーネに所属してから、すでに十年以上が過ぎている。

サーレーはアスファルトに力強く咲く一輪の花のように、どこからともなく自然発生したわけではない。当然彼にも両親がいる。

ちなみに余談だが、相棒のズッケェロは両親が離婚して彼を育てた母親は蒸発している。まあそれはおいておこう。

 

裏の組織で成り上がってやろうと目論んでローマに出て来た彼だったが、もうすでに十年以上実家と連絡を取っていない。

家を出る際に父親と殴り合いの喧嘩をして飛び出て来た彼だったが、この歳になると郷愁も湧くものである。

 

おそらくは実家側は彼を勘当したものだと判断しているだろう。サーレー側も勘当されたとそう認識している。

素行と頭の悪い親不孝の彼が、今更どんなツラを下げて実家に連絡するのだという話である。

しかしそれでも、思い出を一度思い出してしまえばそれはなかなか色褪せない。

 

とりあえず連絡だけ取ってみて、向こうが渋るようであれば潔く諦めよう。

向こうが赦してもいいというのであれば、一度顔だけでも見せておこうか。

 

その郷愁が彼が今、夜空を見上げている発端だった。

 

◼️◼️◼️

 

「すみません、ジョジョ。しばしお暇をいただきたいのですが。」

 

ネアポリスの図書館で、サーレーはボスであるジョルノに告げた。

 

「理由を聞いてもいいかい?」

 

ジョルノは手にしていた絵画集を閉じて、座ったままサーレーに目を向けた。

サーレーは頭を掻いて、少し気まずそうにジョルノに向かって話し出した。

 

「どうやら実家の方で不幸があったみたいで、恥ずかしいことにずいぶん長く帰っていなかったもんで………。」

「そうか。お悔やみを申し上げるよ。休暇は一週間で構わないかい?」

「………いいんですか?」

 

ブラックなパッショーネが、まさか簡単に一週間も休暇をくれるとは思わなかった。

サーレーは驚いた。

 

「君たちには、いざという時は嫌でも戦ってもらうことになる。それを考えれば、君に休暇が認められるのは平時だけだ。僕たちも、君に休みをあげるのなら今のうちなんだよ。」

「ありがとうございます。」

「お金は持っているのかい?」

 

ジョルノが意地悪に尋ねた。

 

「電車費用はなんとか………。」

「長く帰っていない実家に帰るのなら、手土産も持っていったほうがいい。君の退職金から、少し融通してあげようか。」

 

ジョルノは笑って、サーレーに紙幣を数枚手渡した。

 

「お土産を持っていくなら、パッショーネのスフォッリャテッラをお勧めするよ。」

 

スフォッリャテッラは、貝の形をしたパイ生地の中にカスタードを入れたイタリアの伝統お菓子だ。

サクサクしていて甘くて、とても美味しい。

 

「いいですね。うちの母も喜びます。」

「ほんとあれ、一体誰が考えたんだろうね。実は僕も大好物なんだ。是非ともパッショーネから考案者に表彰状を贈りたいくらいだよ。」

 

ジョルノは、いたずらっぽく微笑んだ。

 

◼️◼️◼️

 

サーレーの実家は、ローマから少し離れた田舎町にある。

彼の両親は、そこで主に養蚕業を営んでいた。蚕を飼育して、生糸に加工する産業だ。

 

西ヨーロッパの養蚕業は、今現在イタリアだけでしか行われていない。

イタリアは、西ヨーロッパの養蚕業で最も古い歴史を持っている。

 

事実がどうであれ、若いサーレーにとってヨーロッパでの養蚕業はシェアを海外に奪われた斜陽産業であり、どれだけ歴史と伝統を謳っても貧乏農業という認識でしかなかった。

彼の両親は真面目な人間であり、日々を一生懸命暮らせば幸福になれると日頃からサーレーに口うるさく言っていた。

 

今より若い頃のサーレーはそんな実家に嫌気がさして反抗し、成り上がることを夢見てローマに上京し、パッショーネに所属した。

実家に居座っていても、何の価値もなくただ朽ちていくだけのように思えたのである。かといって、彼は真面目に勉学を納めて一廉の人物を目指すような人間でもなかった。

サーレーは不真面目で怠惰な若者で、働いてもなかなか裕福になれない実家の養蚕業を継ぐよりも都会に出て一攫千金を夢見た。事実はどうあれ、裏社会の組織は学歴の無い彼にとって唯一にも思える成り上がれる場所であった。

 

こう書くとまるでサーレーが人間のクズであるような印象を抱くが、ハッキリ言ってしまえば人間だいたいそんなものである。

彼のような人間は、どこにだっている。人の忠告にあまり耳を貸さないだけの、ただの普通の人間だ。

ある程度成熟した社会で何者かになるためには長時間の忍耐が必要であり、彼はそれを理解しようとせずに近道が存在することを信じて疑わなかった。

 

ラクできるならラクしたいと思うのは人情だし、うだつの上がりそうもない実家の家業よりも煌びやかな都会での一攫千金に憧れるのはいつの時代も若者の特権のようなものだ。無限に広がるように思える若者の未来は、いつしか縮小し矮小なものになる。

人は誰しもが社会の変えのきく歯車で、それでも歯車には歯車の幸福が存在する。皆、そうやって日々を生きている。

 

総合的に鑑みてサーレーが愚かな人間であることは確実だが、彼の両親も彼のことを理解しようとしたかと聞かれれば首を傾げざるを得ない。一方的に誰かを悪者と見做すのは愛が無く、余程のことがない限りは控えるべきだろう。正しさとは己を律するからこそ価値があるのであり、もしも正しさが弱者をいじめるための凶器でしかないのであれば、そんなものはクソ喰らえである。

 

人間は聖人である必要などなく、そもそも論として人間が本当に賢い生き物であるのなら教育なんか必要無いのである。

人生においてさまざまなものを積み重ねてきた人間が尊重されるべきなのは当たり前のことであるが、それがそのまま若者を軽視していい理由にはならない。どうやったって道を間違える若者はいつの時代も存在するものであり、社会が納得する罰則をこなせば誤った道筋を元に戻す機会を与えられて然るべきである。

 

結果として相互の不理解によりサーレーと彼の両親は離別し、高校を中退したサーレーは父親を殴って勘当同然で実家を飛び出すこととなった。

そしてパッショーネに下っ端として所属し、マリオ・ズッケェロと出会い、ブチャラティチームと金の奪い合いで敵対する。

 

それがザックリと説明する、愚かな彼の経歴だ。

 

◼️◼️◼️

 

「そうか………オヤジは死んだのか。」

 

サーレーは電話口で、何とも言えない気持ちを覚えた。

ふと思い付いたことから気まぐれで実家に連絡すると、彼の母親が電話先に出てきた。

彼女の言うところによれば、父親は一昨年の夏に畑に出て熱中症で倒れて帰らぬ人となったらしい。

まだ六十前だったはずだ。あんなに嫌いな父親だったのに、それでもサーレーは言い知れぬ寂寥感を覚えた。

 

最後の記憶はサーレーが父親の頬を殴って家を飛び出るというものであり、それっきりになってしまったということだ。

それは、ひどく悲しいことだろう。

 

「わかったよ。まあ勤め先のこともあるからそんなに長くは無理だけど、必ず墓参りにいくよ。」

 

母親に人殺しで生計を立てているなど、口が裂けても言えるはずがない。それは、彼の母親をどれだけ悲しませるだろう?

馬鹿なサーレーにも、それくらいの分別はある。

工事関係の会社で現場員として働いていると、彼は母親に嘘を吐いた。

 

「ああ!嘘じゃねーよ。勘弁してくれよ。ったく。俺にも俺の事情があるってーの!」

 

サーレーは通話を切ると、薄い財布の中身を確認した。帰省の電車賃はギリギリだ。

公共機関が無料になるパッショーネの特務用身分証明書は、プライベートで使うのは憚られる。万が一どこかで無くしでもしたら、ジョジョからの信頼が失墜してしまう。それはサーレーだけでなく、暗殺チーム全体の評価に関わると言っていい。今回はミラノの自宅に置いていこう。

サーレーは引き続き、相棒のマリオ・ズッケェロに電話をかけた。

 

「すまんが俺は、ちょっと私用ができそうだ。ジョジョからの許可待ちだが、その時はお前がしばらく暗殺チームのリーダーを務めておいてくれ。」

 

相棒の快い返事をもらって、サーレーはネアポリスへと向かった。

 

◼️◼️◼️

 

そして彼はネアポリスから特急でローマへと向かい、乗り継いで実家のある田舎町へと向かった。

片手に土産であるスフォッリャテッラの菓子袋を抱えて、座席にもたれて過去に想いを馳せた。

 

十年経てば、色々変わる。

実家の周辺の様子も変化があって然るべきだし、彼自身の心境にもなんらかの変化が訪れているかもしれない。

車窓から外の景色を眺めているとやがて列車はゆっくりと実家の最寄駅に到着し、彼は座席を立った。

 

ーー……昔とあまり変わらねえな。

 

列車から降りるとあたりはかつてとさほど変わらない様子で、草の匂いがした。

ひなびた田舎町独特の景観は、それを知らない人間には美しく映り、見飽きた者には変わり映えのしない閉じた狭い箱を連想させる。

サーレーは以前からずっと、その狭い箱から出て行きたかったのだ。閉塞感から抜け出して、特別な何者かになりたかった。世界は広く、当時の今よりも若い彼には根拠のない全能感があった。

 

ーーまあ殺し屋は特別な職業ではあるが………少なくとも人様に誇れる職業じゃあねえ。皮肉なもんだな。

 

特別な何者かを目指した結果が職業殺し屋であり、その理念は日々の細やかな幸せにこそ天国があるというものだ。誰からも羨まれる特別な人間を目指した結果、人様に誇れない特別な職種の人間になって、普通の人生にこそ至高の価値があるという結論が出てしまった。

実に皮肉なものだと、サーレーは自嘲した。

 

サーレーはさらに考え事をしながら歩いた。公園があり、遊具がある。サーレーも幼い頃にそれで遊んだ思い出がある。

そのまま歩くと、やがて見覚えのある一軒家へとたどり着いた。

 

古くさい様式の、ボロい家屋だ。

かびの据えた懐かしい匂いを嗅ぎながら、彼はインターフォンを鳴らした。

 

「帰ったぞ。」

 

木造りの扉が開き、中から黒いカーディガンを羽織った白髪混じりの髪の老婦人が扉を外開きに開いた。

彼の母親だ。その顔は彼の記憶にあるよりも、いくらか老いている。彼女の髪には、蝶の形を模した安物の髪留めがつけられていた。赤いイミテーションの貴石が、くすんだ輝きを放った。

 

「お帰りなさい。」

 

記憶にあるよりもしわの増えた顔に、柔和な笑顔が浮かんだ。

 

「ああ、ただいま。」

 

サーレーは何とは無しに、頭を掻いた。気まずかったのかもしれない。

嫌な顔をされる可能性を考えていただけに、サーレーは母親の予想より好感触な反応に拍子抜けをした。

 

「………少し年をとったわね。」

「当たり前だ。出て行ってからもう十年以上にもなる。そっちもしわが増えたな。」

「余計なお世話よ。まあ玄関先で突っ立ってないで、中にはいりなさい。」

 

老婦人は振り返り、サーレーを家の中へと招いた。

 

「………変わらねえな。」

 

家の中は記憶にある過去と大差ない。しかしこの家に、もう家主であった彼の父親はいない。

サーレーは母親の背後をついて歩いた。背後から見る彼女の後頭部の、赤い石のついた蝶の髪留めが印象的に揺れていた。

 

◼️◼️◼️

 

「どうせいい人はいないんでしょう。あんた昔っからセンスがないからねえ。その変な髪型、変えたら?」

 

母親は、会話の切り口でいきなりサーレーの急所をついてきた。

 

「余計なお世話だ!」

 

サーレーは目を細めて反論した。

 

「あら、そうでもないわよ。私だって孫が欲しいわ。でもどうにも望み薄みたい。残念ねぇ。」

 

母親は本当に残念そうな顔をした。

白いテーブルに座って、母子は会話した。

サーレーの前には、母親が煎れたコーヒーが置かれている。

 

「………俺を怒っていないのか?」

「難しいわねぇ。」

 

母親はおっとりとした表情で、返事をした。

 

「俺は勝手に家を飛び出て行ったんだぞ?」

「いつまでも怒っていても、疲れるのよ。私たちも長い間二人っきりで、一昨年からは私一人で家にいたから、考え事をする時間もたくさんあったわ。あんたは私たちの言うことを聞かないバカ息子だったけど、私たちにも不徳があったんじゃあないかって。」

 

一方的に相手をなじり糾弾するだけでは、何も建設的な未来を築けない。

相手を理解し尊重することこそが、より良い未来の可能性へと繋がる。

 

必要なのは、一方的な独りよがりではない愛情と、一人の人間としての敬意。

愛の無い関係はいずれ破綻し、敬意の無い関係は子供のおままごとで幕を閉じる。

 

「………俺は反省しているよ。今の人生に納得してるし、満足している。でもあの時の俺は、間違いなく馬鹿なクソガキだった。散々迷惑をかけた。俺が悪かった。」

「あら、じゃああんたは今は賢い大人なの?」

 

母親は笑って聞き返した。

 

「………すまん、言い直す。今も馬鹿な人間だが、昔は今よりさらに馬鹿でガキだった。」

「そう。」

 

サーレーはコーヒーに口をつけた。

 

「………親父は残念だった。あとで墓参りに行くよ。」

「ええ。一緒に行きましょう。あの人もきっと喜ぶわ。」

「そうだといいな。」

「きっとそうよ。」

 

僅かな気まずさを感じながらも、サーレーは会話を続けた。

 

「別れ際にぶん殴っちまったからな。許してくれるといいが。」

「あの人、一週間くらい顔を腫らしていたわ。あんた若いんだからもう少し手加減するべきだったわね。」

 

そんなに後をひいたのか。

サーレーは、ひどく反省した。

 

「ところで今は、ミラノで工事関係の会社に勤めてるんだったかしら?」

 

母親が話題を変えた。

 

「ああ。モテないし薄給だけど、社長(ボス)がいい人でさ。やり甲斐があるんだ。可愛がってもらっているよ。」

 

サーレーは、嘘に少しの真実を混ぜて母親に告げた。

 

「そう。なら良かったわ。」

「当分辞めるつもりはないよ。悪いが家業は継げそうにない。」

「仕方ないわ。」

「いいのか?それが喧嘩の原因だったはずだが?」

 

大本の家を飛び出た理由は、それだったはずだ。

サーレーは首を傾げた。

 

「あんたは馬鹿で不真面目だったからねぇ。私たちはあんたを世間様に出しても、ただ迷惑をかけるだけだと思ってたんだよ。それだったら無理にでも家の仕事を継がせれば、少なくとも野垂れ死ぬことはないからさ。はっきり言って、最悪あんたがどっかでのたれ死んでいることを覚悟していたから、こうやって顔を見せに帰ってきてくれただけでとても嬉しいわ。」

「うッッッ。」

 

なかなかに辛辣な言葉だ。しかし正鵠を射ているだけに、言い返せない。

ぐうの音も出ない。

 

「でも私たちも、何か間違っていたのかもしれない。アンタ今でも元気そうにしてるようだし。」

 

母親はサーレーの全身を、下から上まで眺めた。

 

「たまたま運が良かった………出会いが良かっただけだよ。」

「そう。社長(ボス)とかいう方が、立派な方なんでしょうね。あんた、昔よりも多少は物腰が大人びて落ち着いて見えるわ。」

「まあボスにはさんざんお世話になってるからな。」

「あら、じゃあ今度菓子折りを持ってご挨拶に向かおうかしら。街まで出るのは久しぶり、楽しみだわ。」

「頼むからそれはやめてくれ。」

 

相手は裏社会の帝王だ。母親同伴で面談とか絶対に勘弁して欲しい。

本当に来てしまったら、まさか合わせるわけにはいかない。ウェザーあたりに上司の代役を頼もうか?

 

そういえば、サーレーは母親の菓子折りという言葉に手土産を持ってきたことを思い出した。

 

「そうだ、これ土産だ。会社の近くにある菓子屋に売ってるスフォッリャテッラだ。」

「あら、少しは気が利くようになったわね。じゃあ一緒に食べましょうか。」

 

母親は台所で包装を丁寧に剥がして、皿にスフォッリャテッラを乗せてテーブルに置いた。

 

「うめえな。」

 

サーレーはスフォッリャテッラを一個手に取って、口に放り込んだ。

パイ生地の中のカスタードクリームは、舌に上品な甘さを残していった。

 

「これいいトコのお菓子じゃない。結構値段が張るんじゃないの?」

 

母親も一つ口にして、洋菓子が高級なものであることに気がついた。

パッショーネの子会社の商品だ。今さらながら馬鹿みたいなパッショーネの商売の手広さに、サーレーはほんの少しだけ呆れた。

 

「ボスの知り合いの店で買って、安くしてもらったんだよ。」

「ふーん、そうなの。」

 

母親は、頬杖をついた。

 

「ところでいつまでゆっくりしていくの?」

「会社から一週間休暇をもらったから、悪いがまだしばらくは厄介になろうと思っている。」

「ゆっくりしていきなさい。」

 

母親は、穏やかに笑った。

 

これだったら、もっと早くに連絡しておくべきだったのかもしれない。あるいは時間が経った今だからこそなのかもしれない。

サーレー自身が、成長したからなのかもしれない。………成長しているといいな。

 

「んでよぉー、そのズッケェロってのとずっと一緒でさあ。そいつほんとに、馬鹿なんだよ。」

「そうなの。今度ぜひ連れて遊びにいらっしゃい。」

 

想像していたよりもずっと良好な関係に、サーレーは居心地の良さを覚えた。

たわいもない会話を続け、時間は過ぎていった。

 

「ところでアンタ、なんで髪の毛緑色なの?あまり似合わないわよ。」

「………ほっといてくれ。」

 

◼️◼️◼️

 

変わらないように見える街並みも、よく見ると細かいところが変化している。

それが面白く、サーレーは色々と注意深く観察しながら道を歩いていた。

無駄で贅沢な時間の使い方だ。しかし無駄を楽しめるのは、豊かな人生の証拠なのかもしれない。

 

車両の少ない舗装されていない道を歩きながら、やがてサーレーは子供の頃に通った学校にたどり着いた。

彼はそこに強い郷愁を感じ、しばし呆けたのちに観察した。

あまり近づいたら、不審者として通報されてしまう。遠巻きに、だ。

 

もともと人口が多い街ではなかったが、輪をかけて過疎が進み、子供の数もさほど多くない。

それでも歓声を上げて校庭を駆け回る少年少女を眺めて、サーレーは何とは無しに心が温かくなるのを感じた。

 

ーー未来は、そこにある。子供は未来を夢見て、時代の主役になることを望み、夢破れて社会の歯車になる。しかし、何者にもなれない人生が、実は一番幸せなのかもしれない。目立たなくとも、眩暈がするほどの幸福でなくとも、日々に満足があればきっとそれは幸せだ。立場には責任が付き纏い、幸福は過ぎれば中毒となる。彼らに、ささやかな幸運を。

 

最善と最高は、似て非なるものだ。幸福と裕福も別物だ。

短期的に見れば最高の結果であったとしても、長期的な視点で見れば愚策であったなんてことは枚挙にいとまがない。

目眩く須らくを手にする最善は、周囲に羨まれ先々に嫉妬や羨望を元にした面倒ごとが待ち受けている場合も多い。

敗北や劣等感に塗れた生であったとしても、本人が納得できるものであれば幸せでないとは断言できはしない。

人の社会は多くの場合大勢の感情による慣性で動き、それはしばしば誰にも予測できない動きをする。

 

人生なんて、わからないものだ。

わからなくとも苦しくとも、彼ら自身が納得できる生をおくれますように。

 

サーレーは元気に走り回る子供達を眺めて、心の中で見知らぬ彼らの幸福を祈った。

以前の彼だったら、ゆめにもそんなことを考えたりはしなかっただろう。

それはサーレーの、無意識の変化だった。

 

物事はすべからく、ゆっくりと変化する。それはサーレーも例外ではない。

例えば理想に燃える若き青年が、年を経て保身と既得権益に執着することもあるし、例えば短絡的で愚かな男が、年を経て穏やかな老後を過ごすこともある。

 

永遠に変わらないものなど、この世に存在しない。

 

◼️◼️◼️

 

夏の星座が夜空に輝き、サーレーはそれを寝転んで眺めた。

服に草がついたが、さほど気にならない。

 

天を見上げて、サーレーは物思いにふけった。母親はよくしてくれるが、実家に唐突に帰っても落ち着かず、眠れない。

たまには自身の人生を振り返って、整理してみてもいいかもしれない。

 

寛容な社会の黙認の下に素行の悪い行為を繰り返し、ボスに敗れて相棒とともに暗殺チームに所属した。

暗殺チームには任期があり、それが明ければ退職金を渡されて引退することになる。

 

サーレーはここ十年以上根無し草で、流されるままに生きてきた。

暗殺チームから足を洗ったら、何をして人生を送ろうか?まあ何をするにしても、今さらズッケェロと別行動というのは考えにくい。

退職金を資金にして、パッショーネの許可をもらって、一緒に何か商売をやるのもいい。母親も呼ぼうか?

 

貧乏でいいし、うだつが上がらなくてもいい。

社会の底辺と蔑まれても、人間のクズと罵られても、もしも俺が見つけることが出来るのならば、幸せはきっとそこにある。

5ユーロのパスタで、人は幸せになれる。サーレーはそれを、知っている。

 

ボスと出会えた俺の人生は、きっと最期まで納得できるいいもので終わるだろう。

まずは任期を終えるまで、とにかく生き延びることが肝要だ。俺が死ねばパッショーネに危機が訪れる可能性があるし、母親はきっと悲しむことだろう。

 

サーレーは、ぼんやりと時間が流れるままに草むらに横になった。

彼はいつの間にか、眠りについていた。

 

◼️◼️◼️

 

一週間は、サーレーが考えていたよりもずっと早く過ぎ去った。

少し名残惜しくも、サーレーがミラノに戻る日付となった。

 

「会社をクビになったなら、家に戻っていらっしゃい。」

「縁起悪りーことを言うな!!!」

「今度からはこまめに連絡をちょうだいね。」

「………仕方ねーな。」

 

母親は笑い、サーレーも笑った。

彼女は息子を駅まで見送りに来ていた。サーレーはその小さな肩幅に、なんとも言い難い愛情を感じた。

彼女にために戦っているのだと錯覚できるのならば、暗殺チームという汚れ仕事にだって誇りを持てる。

当分はまだ、戦えそうだ。

 

もしも今の仕事を引退してパッショーネから退職金が出たのなら、彼女をどこかいいところに旅行に連れて行こう。

アナスイと徐倫に依頼して、アメリカの観光名所を案内してもらってもいいかもしれない。

できれば父親も一緒がよかったのだが、それは残念ながらもう叶うことはない。

彼女のために、もう少し上等な髪飾りもプレゼントしたい。

 

列車はゆっくりと進んでいく。

サーレーは車窓から、手を振り続ける彼の母親を眺め続けた。

 

 

 

 

人生は、時に予期せぬことが起こりうる。

起こった出来事が、必ずしも幸運とは限らない。

時に善悪の如何に関わらず破滅は忍び寄り、因果応報という言葉は虚しく響く。

 

誰しもがそれを、知っている。

知っているだけで、理解しているとは限らない。

 

 

 

 

…………これが彼女との最期の邂逅になるとは、サーレーはこの時予想だにしていなかった。



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狂人達の宴 前編

今回の話は、非常にグロテスクな表現があります。
苦手な方は、即座にブラウザバックすることをお勧めします。


「イアン教授のー、簡単三分クッキングー!」

「イエーイ、ドンドンパフパフ!」

 

冷たく薄暗い密室で狂人達は笑い、狂気の宴は夜通して催される。

薄青い部屋の中で、イアンは勢い良く机に飛び乗った。

 

「まず必要なのは、培養液と専用の機材。他にも対象の細胞、魂の元、生体タンパク質などが必要となります。」

「先生、魂の元って、どこのホームセンターに行けば売っていますか?」

 

オリバーが馬鹿笑いをしながら手を上げて、イアンに質問をした。

 

「魂がホームセンターに売ってるわけねえだろうが!!!よく考えりゃわかんだろ!!!少しは頭を使えこのクソイワシ野郎が!!!」

「いや、意味わかんねえよ。なんでそこで突然キレるんだよ?イワシ野郎ってどういう意味だ?第一材料は俺が攫ってきたんだから知ってるに決まってんだろ!いつものノリだよ。」

 

イアンは唐突に激昂し、オリバーは相変わらず理解不能な相棒に苦笑いをした。

 

「殺す!殺してやる!!!」

「うるせえこのトサカ野郎が!!!」

「ああああああああああああ!!!」

 

研究室の中では、混沌と狂気が渦巻いている。別室と仕切られたガラスに、血液が飛び散った。

イアンとオリバーは馬鹿笑いをして、ガラスに仕切られた向こう側の部屋では三人の同じ顔をした人物が蛇蝎の争いを繰り広げていた。

 

「私の部屋に長期間保管しておいたチョコラータの細胞を培養液に浸します。それに魂の元をふんだんに加え、生体タンパク質で満たした専用のカプセルで電気反応を起こして一ヶ月間寝かせます。」

「さっき三分クッキングとか言ってなかったか?三分はどこ行ったんだ?」

「細かいこたぁいいんだよ!!!」

 

イアンは机から飛び降りて研究室の手術代を蹴飛ばし、傍には彼のスタンドが控えている。

機械的な見た目に、上から白衣を纏っている。その眼球はネジで出来ていて、無機質な表情は何を思考しているのかさっぱりわからない。

オリバーが研究室の手術代に腰かけ、イアンは丸椅子に座った。

 

「それにしても面白いなあ、これ。レクイエムってんだっけか?鎮魂歌が眠れる魂を黄泉から叩き起こすって、考えてみりゃあ皮肉だな。お前もスタンドを改造してみないか?」

「俺はもう勘弁だ。日の下を歩けないのは想像以上に面倒だから、これ以上なんか副作用がある人体改造はもう勘弁してくれ。」

 

チョコラータがチョコラータの目をえぐり、チョコラータがチョコラータの喉笛に食らいついた。チョコラータがチョコラータを蹴り飛ばし、チョコラータがチョコラータの顔を引っ掻いた。チョコラータがチョコラータの髪を掴んでガラスに叩きつけ、チョコラータは頭からぶつかってガラスが振動した。チョコラータは床に倒れ、チョコラータの上にチョコラータが馬乗りになって殴りかかった。

 

「さて、出来上がったものがすでにとなりの部屋に三体います。さあチョコラータAとチョコラータBとチョコラータC、一体誰が栄光を掴み取るのか!!!混沌の中から這い上がれ、奇跡の戦士たち、勇者チョコラータよ!!!」

「それにしても、見れば見るほど気持ち悪いな。」

 

オリバーは三人のチョコラータの戦いをしげしげと眺めて、首を傾げた。

 

「お前の性癖ほどではない!!!」

 

三体のチョコラータは相争い、殺し合い、時間の経過とともにそのうちの二体が動かなくなった。

屍の上に、血に塗れた一体のチョコラータが立ち尽くしている。その胸部には、チョコラータCという名札が付けられていた。

 

「勝ったのはまさかのチョコラータC、大穴だああああッッッッッッッ!!!!!」

 

イアンのテンションは振り切れ、絶叫した。

 

「それにしてもなんでこいつらを戦わせたんだ?」

 

オリバーが、疑問を感じてイアンに問いかけた。

 

「そんなもの決まっているだろう!チョコラータが強力なスタンドを持っていても負けたのは、ズバリ競争力がないからだ。ギリギリの戦いを経験してこなかったから、ギリギリの局面で敗北した。ならば、雑魚は三体も必要ない!チョコラータごときに負けるチョコラータなんぞ、役立たずのチョコラータにすぎん!役立たずはいらん!!!」

「あーなるほど。つまり弱いチョコラータを三体扱うよりも、強いチョコラータを一体確保しようってわけか。」

 

オリバーが納得して頷いた。

 

「いや、正直に言うとどうも二人以上同じ人間がいると、互いが気に食わなくて勝手に殺し合いになるようだ。私も初めて知った。」

「なんだそりゃ。」

 

イアンは顎に手を添えて、オリバーはずっこけた。

 

「スタンドも、どうやら同じのが同時に二体以上存在することは不可能のようだ。まあ争いが不可避ならば、強い奴を一体残すしかないだろう。本当は、量産型チョコラータで軍隊を組ませようかと考えていたんだがな。」

 

狂気のチョコラータ軍。実現しなくてよかったと、オリバーは胸を撫で下ろした。

イアンは残念そうにそう告げると、立ち上がってガラスで仕切られた部屋の隅に設けられた鍵の扉から部屋の内部に侵入した。

 

「イアン!!!テメエ、よくもやってくれたな!!!クソが!!!」

「おいおい、チョコラータ。生き返らせてやった同胞に対してずいぶんな言い草だな。」

 

傷だらけのチョコラータは激昂し、イアンはそれを軽くいなした。

 

「それにしても、いきなりコレはねえだろう!」

「………君は冷酷な殺人鬼だ。ならば強くなければ、誰かの恨みを買って死ぬことになる。私の愛が、感じられないのかい?」

 

イアンは、涼しい表情でチョコラータに嘲笑を送った。

チョコラータは、肩で息をしている。来ている患者服は、血と肉片で真っ赤に染められていた。

 

「さっさとスタンドを発現させろ!!!勝者への報酬なんだろう!」

「ああ。腕を出してくれ。」

 

イアンは懐から注射を出して、チョコラータの右腕に針を刺した。

注射液には、矢に付着していたウィルスが混入されていた。

 

「おおおおおおおお、これだ、コレ!!!キタキタキタ、イヒイイイイイイイッッッッ!!!!私は、帰ってきたああああああ!!!」

 

チョコラータは興奮した。

チョコラータの背後に、緑色の人型の生命のヴィジョンが映し出された。

それはカビを操るチョコラータのスタンド、グリーン・デイだ。

 

「次はどうすんだ?ディアボロってのも生き返らせんのか?」

「ディアボロ?」

 

オリバーがガラス部屋の外からイアンに質問を投げかけた。

チョコラータは首を傾げた。

 

「パッショーネの元ボスだ。」

「パッショーネの元ボス?」

 

チョコラータの脳内に、過去の記憶がゆっくりと掘り起こされていく。

 

クレイジー・プレー・ルーム・レクイエム。狂気は加速する。

矢によって進化した、狂気の手術室。その能力の概要は、スタンドの部屋の中でイアンは万能超人となる。

事実よりも、詭弁や机上の空論が優先される狂気の研究所。その能力は、猿がタイプライタでシェイクスピアの戯曲を書き上げるイかれた部屋。

行動の結果は、無数の未来の中から必ずイアンが望んだものが選択される。

 

矢のウィルスを手術室で摘出して保管することに成功したイアンは、捕らえた黒とセッコをスタンドの進化の実験台に利用した。

しかし二人はウィルスによる超進化に適応できずに、魂の元を残して溶けて消えて行った。

イアンは自身の興味に勝てずに自分も実験台にして、進化後の能力クレイジー・プレー・ルーム・レクイエムの無限の猿の定理でレクイエム進化に適応するという離れ業をやってのけた。進化後の能力で、進化の過程を乗り切るという矛盾を成し遂げた。結果が過程を捻じ曲げたのである。

 

そしてオリバーが外から生体タンパク質を攫い、魂の元を使ってチョコラータを培養した。

イかれた部屋で三人のチョコラータが殺し合い、一人のチョコラータが出来上がる。

煉獄の屍の上に、血で罪を鎧った悪鬼が帰還する。

 

「この部屋の中では、狂気は無限大に膨れ上がる。」

「パッショーネ、うん?パッショーネ?」

 

イアンは笑い、チョコラータは首を傾げた。

 

◼️◼️◼️

 

私の名前は、メアリー・スティアート。

スイスの有名大学に通う、医学生。スポーツも得意で、ミスコンでも優勝した。

自慢になるけど、なんでもできる花の女学生。

 

「以上の理論により、ここはこのような結論を導き出すことができる。何か質問は?」

 

遺伝子医学の授業で、イアン・ベルモット教授が声を上げた。

瘦せぎすで少しキツめの顔をしているけど、三十代半ばで有名大学の教授に就任した、前途有望な人間だ。

非常に優良物件だと言える。

 

「それでは今日の講義はここで終了とする。次回の講義は小テストを行うので、今日の授業内容の復習を怠らないように。」

 

イアンはそう告げると、教壇を降りて教室を後にした。

メアリーは急いでイアンの後を追う。完璧美少女は、常に完璧でないといけない。今日の講義は難解で、よく分からなかったところがある。

 

「イアン教授、今日の遺伝組み換え価の計算式で、理解が困難だった箇所があるんですけども。」

 

メアリーはイアン教授の背後から、声をかけた。

 

「理解が困難な箇所、ですか?」

 

イアンは振り返り、眼鏡を上げた。

白衣を羽織って黒髪に鋭い目付き、容貌からは理知的な印象を受ける。

メアリーはカバンからノートを取り出して、講義の内容を指差した。

 

「ここです。この計算が、よくわかりませんでした。」

「ああ、これか。」

 

イアンはノートを見て納得したように頷いた。

 

「これは講義の最中に君たちに伝えたと思うが、私がこれから研究して学会に発表しようと考えている新しい理論をもとにした計算式だ。テストに出すつもりはないから、覚える必要はないと伝えたはずだが?」

「私も実は、研究者を志望しているんです。今のうちから勉強させていただきたいな、と。」

「なるほど。」

 

イアン教授は、納得したように頷いた。

 

「向学心があることは素晴らしい。しかし君は医学生のはずだ。研究者よりも医者になった方が給料は稼げるんじゃないか?」

「いいんです。自分の人生だから、自分が納得できるように生きたい。臨床研究の道に携わるのが、昔からの夢だったんです。ぜひともご教示ください。」

「………君は真面目だな。いいだろう。今日の講義が終わったら、研究室に来なさい。少し時間がかかるかもしれないから、親御さんにも連絡をしておいた方がいい。」

「問題ありませんよ。もう子供ではありません。今日の講義はもう終わりましたし、教授に用事がなければ早速行きませんか?」

「そうか。ならば明るいうちに終わらせてしまおう。」

 

メアリーはイアン教授の先を歩き、イアンは彼女の後をついて研究室に入室した。

二人が研究室に入室し、イアンは後ろ手にドアを閉めた。

 

「……君がここに来ていることを、誰かに話したかい?」

「いいえ。何故ですか?」

 

イアン教授から、突然意図の理解できない質問が発せられた。

 

「それでは手早く終わらせてしまおう。」

 

メアリーは椅子に座り、イアンは横を向いて笑った。

メアリーは唐突に、視界が揺れる感覚を感じた。

 

「先生、何がおかしいんですか?」

「いやなに、前々から不愉快だったんだ。せっかくの私のプライベートの研究の時間を邪魔する愚か者共を、どうしてくれようかと思っていてね。もうどうせ私は行方不明になるし、最後にちょうどいいかなと。」

 

………?

聞き間違いだろうか?今イアン教授がとても邪悪な表情をしていたような?

それに何故だか、とても眠い。

 

メアリーはウトウトして椅子から滑り落ちた。

研究室の床から、ぬるりとイアンのスタンドが姿を現した。

 

「ふむ、私の芸術心をくすぐるな。なかなかに面白そうだ。」

 

唐突に頭に浮かんだアイデアに、イアンは邪悪な笑みを浮かべた。

キチキチと不気味な音がして、メスが研究室の光を反射した。

 

◼️◼️◼️

 

「おいおい、イアン。何やってんだよ。意味わかんねえよ。俺には人さらいをさせておいて、自分は楽しくおままごとかよ。いいご身分だな。」

「仕方がない。溢れ出る好奇心を抑えられなかったのだ。」

「ほんとイかれたヤローだ。こんなことのために、わざわざ私までこんなところまで呼び出して。」

 

声がする。

一人はイアン教授、もう一人は多分用務員のオリバーさん。もう一人いるけど、その人はわからない。

なんの話をしているのだろうか?

 

「まあ手術をしてみたいという気持ちは私にも理解できるが、なんで花嫁衣装を着せたんだ?お前、馬鹿なのか?」

「それはそっくりそのまま君に返すよ、チョコラータ。下衆には芸術のなんたるかが理解できないと見える。」

「あん?お前、私に喧嘩売ってるな?鼻からプラスドライバーをねじ込んでやろうか?」

「私のフィールドで私に喧嘩売るのか?ゲスラータ、身の程を弁えろ。お前は私がいないと即座にタンパク質塊に変化するのだぞ?」

「おいおい、喧嘩はやめろよ。仲良くしろって。」

「黙れ、このクソイワシ野郎が!」

「それには私も同感だ。イアン、なんでこんなつまんない奴を仲間にしたんだ?」

 

なにかを話している。

床に倒れた私は、体を支えて起き上がろうとした。

……なんで私は床に寝ているのだろう?

 

「おい、目が覚めたみたいだぜ。」

「さて、どんな反応をするのやら。」

 

楽しそうな声がする。

教授は、一体なにがそんなに面白いんだろう?

私は目の前のガラスに手をついて、立ち上がった。

 

目の前?違和感がある。

なんだ………コ………レ………ハ………?

 

「おお、お嬢様が立ち上がったぞ。」

 

オリバーが興味深げに眺めた。

 

メアリーは、目の前のガラスを見ている。

なぜか視界はカメラ越しの映像のように、、、。なんで?おかしい……。

 

ガラ…スノ…ムコウニハ……サンニンノ……オトコ……。

アノ……キョウジュガ……テヲオイテイル……ホルマリンヅケノ……ブッタイハ……?

 

「なあイアン、こんな面白いアイデア、どこから湧いてきたんだ?」

「閲覧注意。首なし鶏のマイクだ。インターネットでたまたま見かけてな。鶏でできるんなら、人間でも同じことが出来るんじゃないかって思ってやってみた。」

 

メアリーは、違和感を感じた自身の頭部に手を置いた。

上顎から上が……ない。頭部が存在するはずの場所には、脊髄の視神経に繋いだカメラが設置されている。

その硬い機器に触れたメアリーは、ひどく狼狽した。

 

なんで………?あの教授が持っているものは、一体何?

 

「やあメアリー、おはよう。今日もとても綺麗だよ。今から君の頭でバーベキューパーティーをしようと思うんだが、せっかくだし君も来るかい?」

「あ、あ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

イアンは楽しそうに笑って、ガラス越しにホルマリンに漬けたメアリーの上顎よりも上の部分を抱え上げた。

 

私の顔。金髪の豊かな髪に、彫りの深い目鼻立ち。誕生日にお母さんにもらったイヤリング。

毎日見ている私の顔。なんでなんでなんで?なんで私の顔があそこにあるの?私の頭が………無い。

なんで?なんでこんなことになってるの?なんで私はこんな状態になって生きているの?

 

メアリーは状況を理解して、床に崩れ落ちた。頭が無いから、涙も出ない。

 

「お前のスタンド、どうなってんだ?なんであれで生きてられるんだ?脳がないのに思考しているようだし、訳が分からねえ。」

 

チョコラータが興味深そうにイアンに尋ねた。

 

「さあね。面白ければ、細かい仕組みはどうでもいいじゃないか。私も自分のスタンドの仕組みなんて、サッパリ知らないよ。過去にそういう生物がいる、そういった実例がある。それだけで私の研究室内では、あたかもそれが常識のように再現される。君のカビで血管を塞いで失血死を防げば、何体でもマイクは作れるよ。」

「ほへー。」

「あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!!!!」

「おいおい、どうせまた俺に被験体をプライベートの研究室まで運べとか言うんだろ。人の迷惑も考えろ。」

「ああそうだ、イアン。研究所に拘束されていた不気味なパーカーの男は、いったい何者だ?」

「君も十分不気味だよ。チョコラータ。」

 

メアリーは絶叫し、ガラス越しの三人はそれを意に介さずに会話を続けている。

 

「というよりもあの女。女?まあいい。この部屋から出したら生きてられないんだろ?どうやって運ぶんだ?」

 

チョコラータが、イアンに疑問を発した。

 

「簡単だ。手術してまた頭部をつないでやればいい。研究所に戻って、また頭部を分離させればいい。」

 

イアンのスタンドの執刀医が、メスを掲げた。

その表情は心なしか輝いて見える。

 

「お前のスタンドは、一体どこまで生命を冒涜すれば気がすむんだ?」

 

チョコラータが、自分のことを棚に上げて呆れた。

 

「オリバー!ディアボロの材料も捕まえてきたんだろう!ついでにその女も研究室に運べ!!!」

「人使いの荒い奴だ。」

 

イアンのスタンドがメアリーの背後に現れて首筋に注射針を刺し、上顎から上の部分を手早く縫い付けた。

 

「………煩い女だ。夢は布団の中で見るものであり、白昼に見るものではない。今のお前の全てが夢などではなく、現実だ。研究者になりたいのならば、技術の進歩に貢献したことに感謝して狂喜しろ。」

 

イアンは冷酷な眼差しで、気を失って床に倒れたメアリーを見下ろしていた。

三人は何事もなかったかのようにメアリーをトランクに詰めて、大学の研究室を後にした。

 

◼️◼️◼️

 

イアンの拠点は、スイスの地方にある弱小マフィアの本拠地を乗っ取った場所だった。

マフィアの名称はリンドレンデッド。内部には檻で仕切られた部屋がいくつもあり、そのうちの一つに気絶したメアリーも収容された。

建物の内部では、イアンに改造されて薬剤を投与された自由意志を奪われた人形たちが幽鬼のようにあてもなくさまよっている。

 

「おい、イアン。なんでここにはこんなにたくさん檻があるんだ?」

「前任者が、金持ち相手の違法な動物の密売を行なっていたのだよ。まああまり儲からなかったみたいだがね。せっかくできることの幅が広がったことだし、これから先彼女のような被験体を増やしていくのもアリかなと思っている。檻はどれだけあっても足りないよ。」

 

チョコラータがイアンに疑問を投げかけ、イアンが返答した。

 

「イアン!!!俺の出番はまだか!!!俺を早くここから出せ!!!」

 

メアリーの収容された二つ隣の部屋にはパーカーの男がいて、彼は檻を揺さぶった。

 

「リュカ、君の出番はまだ先だよ。戦力が揃っていない。今君を出しても、ローウェンに返り討ちにされるのがオチだ。そうなれば私たちにも被害が及ぶ。何度も言っただろう?」

「関係ない!!!さっさと殺させろ!!!ああああああああああああ!!!」

 

リュカと呼ばれたパーカーの男は、口角から唾を飛ばして鉄格子を力任せに揺さぶった。

 

「おい、あいつ誰なんだ?私もここに収容されていた時、煩くて敵わなかったんだが?邪魔になるようなら、消してしまってはいけないのか?」

 

チョコラータが再びイアンに問いかけた。

 

「まあ今は煩くて品のない男だが、使い道があるんでね。それに君が考えているよりも、多分彼は強いよ。もうしばらくは我慢しな。」

「チッ!!!」

「おいイアン。チョコラータにはどこまで教えるんだ?」

 

オリバーがチョコラータにどこまで計画を教えていいか迷い、質問した。

 

「あん?」

 

チョコラータが疑問符を声に出した。

 

「チョコラータは以前パッショーネに所属していた。ある程度パッショーネの情報を所持している可能性が高い。リスク無くして、リターンは見込めない。こちらからも情報を開示して、互いに利のある協力関係を結ぼうかと考えている。どこまでかと具体的に聞かれると、まあこれからの流れ次第だな。そこは空気を読め。」

「何を隠してるんだ?」

 

チョコラータが不審に思い、イアンを詰問した。

 

「うーん、そうだな。チョコラータ、お前ウィルスを使用するスタンド使いを知らないか?」

「ウィルス?そんなもの何するんだ?」

 

建物内部にある一室で、彼らはテーブルを囲んで座った。

 

「私が独自に研究した結果、スタンドを目覚めさせる矢は付着しているウィルスで人間を強制的に進化させていることが判明した。」

「で?」

 

チョコラータは表情を緩ませて興味深そうに耳を傾けている。

彼らは、同じ穴の狢だった。

 

「ならばより強力なウィルスに適応すれば、スタンドはさらに凶悪な進化を成し遂げるのではないか?」

「……なるほど。一考の余地はあるかもしれない。」

 

チョコラータは思考の海に沈んだ。

 

「私の目的は、この世界をどこまでも遊び尽くすことだ。興味本位でこの世を我が物顔で蹂躙しよう。そのために、ヨーロッパの防衛機構である裏社会をめちゃくちゃにする。そうすれば、骨のある遊び相手が出てくるだろう。………チョコラータ、お前が持っているパッショーネの情報が欲しい。」

「なるほど。パッショーネはヨーロッパでも最も経済力のある組織だ。パッショーネを乗っ取れば、お前の目的を達成する難易度が一気に下がることになる。」

 

イアンとチョコラータは楽しそうに会話している。

 

「……だいぶ思い出してきた。ディアボロ……そうか。あいつが謎のパッショーネのボスだったのか。イアン、お前は幸運だ。」

「何がだ?」

 

チョコラータは椅子に深く腰掛け、テーブルに足を乗せた。

 

「俺の記憶が正しければ、パッショーネはあのディアボロと暗殺チーム、親衛隊、そしてブチャラティチームの四つ巴で戦闘が起こっていた。その過程で、暗殺チームと親衛隊は壊滅状態だったはずだ。今ならば、戦力がひどく低下しているはずだ。」

「……それがおよそ十年前だ。」

「まあ最後まで話は聞け。そのブチャラティチームってのは幹部ポルポってやつの部下だったんだが、ポルポには大勢の人間を大量虐殺できる部下がいるって噂を聞いたことがある。」

 

チョコラータはニヤついた。

 

「……先を話せ。」

「俺もちょっと不確定な情報だ。そのディアボロってのが本当にパッショーネの元ボスなら、今のボスはブチャラティチームのやつがこなしてるってことだろう。そこからたどれば、もしかしたらお前のお目当ての人物は見つかるかもしれない。俺のカビも大量虐殺が可能だが、俺と似たような大量虐殺ができるスタンドは、ウィルスである可能性が高い。」

 

イアンは椅子に座って目を瞑り、しばし黙考した。

 

「まぁ、何をするにしろパッショーネだ。パッショーネさえ乗っ取れば、ヨーロッパを玩具にできる。ウィルスの使い手も見つかるかもしれない。パッショーネの暗殺チームと親衛隊は十年前に一度壊滅していて、たった十年で立て直しができているか怪しい。やるなら早いうちがいい。」

「……まあどうなるか。出たとこ勝負だが、嫌いではない。やってみるか。」

 

イアンの瞳に、邪悪な光が宿った。

 

◼️◼️◼️

 

スイス、チューリッヒに本拠地を置く裏社会の組織、ウートシュバイツ。

その暗殺チームのリーダー、ヨルゲン・ルーベルクはスイスの地方で起こっている失踪事件の調査を行なっていた。

たった一ヶ月という短い期間で、狭い地域でおよそ二十人の人間が失踪した。

 

ルーベルクは経験豊富な暗殺チームリーダーで、過去にいくつものスタンド使いが暗躍する事件を解決した実績を持つ。

その中でもヨーロッパの裏社会で有名な事件の一つに、スイス神隠し事件というものが存在する。

その事件の全容は、スタンド使いが暗躍して人を攫い、人体をバラバラにして裏の流通路で臓器を売りさばき、残った部分はスタンド能力である酸で溶かして証拠を隠滅するという凄惨なものであった。

 

事件にはスタンド使いのみならず大勢の人間と組織が関わっており(臓器密売は元手ゼロで利ざやが大きい。)、こんがらがった糸のように複雑な人間関係が事件の解決をひどく困難にしていた。その流通経路はヨーロッパ全域に根を張っており、利益目当てに首謀者を庇う人間も数多くいたのである。

 

ルーベルクは事件の解決に乗り出し、巧妙に偽装されていたもののある時期を境に臓器提供者が不自然に増加していることに気がついた。

調査を進めるうちに利益に群がる人間と組織が予想以上に肥大していることに気がついたルーベルクは、友人であり師事したことがあるローウェンに救援要請を送り、スイスはフランスの手助けを借りて事件を解決した。それが、ヨーロッパに悪名高いスイス神隠し事件の全容だった。

 

ルーベルクはかつて神隠し事件を解明した経験から、今回の事件も以前の事件に共通するものがあることを敏感に感じ取っていた。

彼は即座に行動を開始し、失踪者たちがいた地域の裏組織であるリンドレンデッドに情報を集めるために訪れようとしていた。

 

◼️◼️◼️

 

開示された情報

 

名前

イアン・ベルモット

スタンド

クレイジー・プレー・ルーム・レクイエム

概要

矢で進化したスタンド。その能力は、スタンドが部屋と同化して部屋がイアンの思うままに改造され、その中でイアンは完璧超人となる。いくつもの強力な特性を持つスタンドである。部屋の中では無限の猿の定理が働き、物事の結果は存在するうちから、イアンが望んだ結果が選択される。人間を生み出すことができるが、誰でも産まれることができるわけではない。具材は十人、そのうちの他者を喰い殺して残った一人だけが、造られた煉獄より生まれ出でることができる。同じ人間を二人以上同じ場所に置くと、殺し合いに発展する。

 

名前

オリバー・トレイル

スタンド

ラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンド

概要

イアンが不完全な手術を施した、半吸血鬼。普通の人間よりも筋力や生命力が強い。石仮面による完全な進化には及ばず、日光を浴びると大きなダメージを受けるが消滅するほどではない。体から、イワシの匂いがする。

 

名前

帰ってきたチョコラータ

スタンド

グリーン・デイ

概要

煉獄で、チョコラータの血で罪を擦り付けて生還したチョコラータC。三人のチョコラータのうちで、もっともしぶとい。イアンとはかつては研究者同士で、親交があった。

 

名前

ヨルゲン・ルーベルク

スタンド

???

概要

スイス裏組織、ウートシュバイツ所属の暗殺チームリーダー。

 

名前

リュカ

スタンド

???

概要

研究室で檻に拘留されている、フードの男の名前。フランシス・ローウェンに執着している。

 

名称

リンドレンデッド

概要

イアンが乗っ取った、スイスの地方に存在する弱小の裏組織。構成員は、イアンに改造されて自由意志を持たない下僕になっている。研究部屋、檻の置いてある見世物部屋、各個人の私室などが存在する。イアンとオリバーとチョコラータは私室を持ち、ディアボロは研究室に、メアリーとリュカは檻のある見世物部屋にいる。



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狂人達の宴 後編

「イアン教授のー、ワクワク三分クッキングー!」

「ヒー、ハー!!!」

「……またやんのか。」

 

リンドレンデッドの正体不明の機器がある部屋で、イアンとチョコラータがテンション任せに叫び、オリバーが苦笑いした。

部屋の隅には、オリバーが攫ってきた十人ほどの年齢も性別も一貫性のない人間たちが、縛られて猿轡をかまされて床に転がされている。

 

「まずは、私のスタンドの部屋に付属しているこのなんだかよくわからない遠心分離機のような機械に、だいたい十人くらい人間を詰め込みます!」

「だいたい十人くらいって、凄く雑ッ!!!」

 

チョコラータが、イアンの言葉に合いの手を入れた。

 

「……ッッッ!!!」

「………!!!」

「ァァァァッッッッ!!!」

 

狭い機械の中に、オリバーが外から捕まえてきた十人ほどの人間が強制的に押し込まれ、イアンが外から無理やり機械の蓋を閉めた。

 

「スイッチを起動させて、彼らを魂の元と生体タンパク質に分解します。」

 

機械は縦長で円柱状で、イアンがスイッチを押すとともに電源が入り発光した。

内部は際限なく加速し回転し、音速超えて人体をドロドロに溶かしてゆく。

 

「分離した魂の元と生体タンパク質をこの電子レンジっぽい機械に入れて、内部に作りたい人間の細胞を埋め込んで電源を入れてから適当に放置します。」

 

ドロドロに溶けた混濁した色合いの物体が機械の排出口から流れ出して、巨大な別の機械に流れ込んでゆく。

イアンはそこにディアボロの細胞と血液を埋め込んだ。

 

「おい、イアン。私にはサッパリ仕組みがわからんのだが、それは一体どうなってるんだ?電子レンジで人間を造り出すとか、斬新すぎるだろう?」

「さあね。私にも詳しくはわからない。面白ければ、どうでもいいじゃあないか。ただ確実に言えることは、私がそうなると確信したことはこの部屋で現実のものとなる。チョコラータ、君もああやって生まれたんだ。」

 

イアンが凄絶な笑みをチョコラータに向け、チョコラータは身震いした。

 

「最後に、冷蔵庫っぽい機械に入れて冷やして適当な時間固めます。さあ、ディアボロよ。イタリア原産の非道な悪魔よ。煉獄の血で己が罪を再び背負い、生誕せよ!!!踊り、狂い、我らの手先、世界の破滅の急先鋒となれ!!!」

 

電子レンジのような機械は、火花を放って加温した。

狂気の夜は、未だ明けない。

 

◼️◼️◼️

 

彼は、赤茶けた大地にいた。見渡す限り不毛の大地と地平線。

空を見上げれば、黒ずんだ空と不自然に緑がかった雲。

造られた煉獄の中に、一人の男が存在した。

 

ーーここは、どこだ?俺は一体なぜここにいる!!!

 

ディアボロは空を見上げ、前面後方を見渡し、現状を理解できないでいた。

記憶が曖昧だ。自分は何をしていたのか?どうしてここにいるのか思い出そうにも、靄がかかったように肝心なことは何一つ思い出せない。

確実に言えることは、ここは長くいると危険だということだ。それだけは、理屈ではなく本能で理解できる。

 

【煉獄の血で己が罪を再び背負い、生まれ出でよ悪鬼、ディアボロ!!!我らの尖兵となりて、ヨーロッパに破滅を齎せ!!!】

 

唐突に、空に白衣を着た巨大な機械仕掛けの不気味な生命体が現れた。

それの目はネジで出来ている。機械の駆動音のような声が拡声器を鳴らすように、荒凉とした世界に響いた。

 

【命を返せ。】

【それは、私のものだ。】

【お前なんかに渡さない。】

【返せ!!!返せ!!!返せ!!!】

「うッッッ!!!」

 

唐突にディアボロの足元から黒い影のようなものが現れ、ディアボロをどこへともなく引きずり込もうとしてくる。

現状が理解できなくとも、それが危険なものであることは簡単に予想がつく。

 

「さわるなッッッ!!!」

 

ディアボロは纏わりつく黒い影を、必死で振り払った。

 

【あいつを、殺せ!!!】

【蜘蛛の糸は、一人用だ!お前なんかには渡さない!】

【生き返るのは俺だ。】

【いいや、私だ。】

【俺だ、私だ、俺だ、私だ、少なくともお前ではない。】

【お前は地獄行きだ。】

「キング・クリムゾンッッッ!!!」

 

黒い影は際限なく現れ、怯えたディアボロはキング・クリムゾンを行使した。

しかし、キング・クリムゾンは現れない。

 

血で罪を再び背負い、生まれよ。

 

ディアボロは、唐突にその言葉の意味を理解した。

ここは、生と死の狭間の世界。生まれ出でることができるのは、強い一人だけ。

それが生命の理。弱者は、強者の糧となる。他の人間はその人間のための生贄なのだ。

ディアボロは生まれつきのスタンド使いではない。生まれる前の状態の今、キング・クリムゾンが現れないのは当然のことだった。

 

「ぐぅっっ!!!うあッ!!!うああああああああッッッ!!!」

 

ディアボロはがむしゃらに、纏わりつく黒い影を殴った。

蹴って締めて押し倒して投げ飛ばした。しかし彼らは、怯むことなく向かってくる。

 

【必要なのは、強さではない。必要なのは何者よりも強い、漆黒の殺意。他の全てを皆殺しても生まれることに執着した者だけが、私の世界で生の権利を勝ち取ることができる。ディアボロ、果たして保身にその身を焦がしたお前に、身を削って真正面から他者を乗り越えられるか?】

 

空から声が響いた。

空に鎮座する白衣の不気味な存在は、何を考えているかわからない機械仕掛けのネジの瞳でじっとりとディアボロの戦いの行方を見守っている。

 

「うあ、うああああああああッッッッ!!!」

 

ディアボロの脳裏に、ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムの死に続ける経験が蘇った。

冗談じゃない。もう死ぬのはまっぴらごめんだ。ディアボロは必死に黒い影に抗い、生を渇望した。

 

◼️◼️◼️

 

「おかしいな。なんか材料が足りない気がする。」

「材料が足りない?」

 

電子レンジのような機械の前で、イアンが首を傾げオリバーが復唱した。

 

「ああ。足りていない。なぜだろう?」

「チョコラータの時と同じ分だけ用意したはずだぜ?」

 

イアンは黙考し、オリバーはイアンに告げた。

 

「いや、足りていない。オリバー、材料もう十人追加だ。」

「ハア?ふざけんな。俺だってリスクがあるんだぜ?」

 

オリバーは文句を言い、イアンの冷酷な視線がオリバーに向かった。

オリバーはその視線に、自身の身の危険を感じた。

 

「……わかったよ。攫って来るからそんな目で見るな。お前に逆らうつもりはねえよ。おい、チョコラータ。行くぞ!」

「なんで私が……。」

「チョコラータ、行け。」

「チッ。」

 

イアンが今にも激昂しそうな雰囲気を醸し、それに恐怖したオリバーとチョコラータは新たな生贄をさらいに外出した。

 

「あいつ人使いが荒くねーか?」

「……お前の同類だ。不興を買えば、明日の朝には俺とお前の頭部がすげ変わっている可能性がある。お前もそういうの、好きだろ?逆らうのはやめておけ。」

「クソが。」

 

建物の前でチョコラータは悪態をつき、ふとあることを思い出した。

 

「そうだ、お前セッコを知らねえか?私の部下で、せっかく生き返ったんだから部下に使おうと思ってるんだが?」

「……そのセッコとやらは、お前の原材料になったよ。」

「ハア?」

「お前の部下だったんだろう?お前の研究成果を持って中国に逃亡しようとしていたから、イアンがひっ捕まえてお前の原材料にしたぞ。」

「ハアア、ふざけんな!あいつは私の相棒だぞ!なんてことをしてくれたんだ!!!」

 

チョコラータは目をひんむいて、オリバーに詰め寄った。

 

「諦めなって。もう細胞も残しちゃいねえし、消えちまったよ。セッコは死んだが、お前の中で原材料として生きてるんだ。」

 

オリバーがいいこと言った風にサムズアップし、イラついたチョコラータはオリバーをぶん殴った。

 

「痛えな!何するんだよ!」

「………チッ。」

 

チョコラータは舌打ちをした。

 

「まぁ、適当に見繕ってかっさらって行くぞ。」

「ああ。さっさと終わらせてイアンに文句を言わねえと気が済まねえ。」

 

オリバーとチョコラータは、夜の街を人攫いとしてウロついた。

 

◼️◼️◼️

 

「うあああああッッッ!!!」

 

血を吸った赤い大地で、ディアボロは恐怖して逃げ惑う。

黒い影はどこまでもディアボロに纏わりつき、いくら戦っても逃げても際限なく追いついて来る。

 

「寄るな!こっちに来るな!クソがッッッ!!!」

 

若い兵士の頃であれば、ディアボロはそれらと戦えたのかもしれない。

しかしスタンドを得て保身に走り、圧倒的な状況で一方的な蹂躙を続けてきた今のディアボロには、それらを正面から乗り越えるしぶとさが残されていなかった。

 

「あああッッッ!!!やめろッッッ!!!」

 

ディアボロの足がもつれ、覆いかぶさる黒い影に押し倒されて地面に倒れこんだ。

 

【捕まえた。】

【弱い奴から殺せ!】

【まずは、こいつだ!】

【こいつから、殺すぞ!】

【こいつが、一番弱い。】

「やめろッッッ!!!頼む、やめてくれ!!!」

 

白衣を着た機械仕掛けの怪物は、ディアボロの戦いを空から眺めて残念そうな表情をしていた。

 

【残念だよ、ディアボロ。ただただ、残念だ。万能の私にだって、存在しない可能性を手繰り寄せることはできない。お前は私の使える駒たり得なかった。弱者はこの世界で、食われて終わる。それが摂理だ。さようなら、不毛に力を持たされただけのただの弱者よ。】

「ああああああああああああ!!!」

 

倒れたディアボロに際限なく影は覆い被さり、やがてディアボロは黒い影に埋め尽くされて影の一部となり終焉を迎える。

運命に逆らえる力を、ディアボロは持たなかった。

 

()()()()()は。

 

「やめろ、お前らッッッッ!!!ボスッッッ!!!助けに来ましたッッッ!!!」

【………?!】

 

空の白衣の怪物が、意外そうな表情を見せた。

突然黒い影に襲われるディアボロの元に一人の青年が現れ、黒い影に立ち向かった。

青年はディアボロに少し似ており、若い頃のディアボロといった容貌だった。

 

「ドッピオッッッ!!!」

「ボスッッッ!!!俺が来たからには安心してくださいッッッ!!!一緒に戦いましょうッッッ!!!」

 

ヴィネガー・ドッピオは必死にディアボロに纏わりつく黒い影をなぎ払い、ディアボロを支えて立ち上がらせた。

 

「………ドッピオ。礼を言う。」

「ボス。二人で、最期まで戦いましょう。帝王には、帝王の誇りがある。」

 

ドッピオは黒い影を見据え、ディアボロに告げた。

 

「俺は最期まで、ボスと共にあります。」

 

ディアボロの体に活力が湧き、二人は黒い影に最期まで立ち向かうことを誓った。

 

【いいだろう。特例として二人で戦うことを認めよう。二人で煉獄を血で染め、罪を背負い直して見せよ。蠱毒を這い上がり、私に強者たる証明をしてみせろ。】

 

白衣の怪物は、愉快そうに笑った。

 

◼️◼️◼️

 

「おい、イアン。テメー、一体どういうことだ?」

「おい、チョコラータ、やめろ!」

 

チョコラータがイアンに詰め寄り、オリバーがそれを取りなそうとした。

 

「どうしたんだ、チョコラータ。生理か?」

「んなわけねーだろ。ふざけやがって!セッコだよ!お前セッコを、俺の許可なしに消したらしいじゃねえか!!!」

「チョコラータ、やめろ!」

「セッコ?」

 

イアンは誰のことだかわからないとばかりに、首を傾げた。

その様子にムカついたチョコラータは、イアンの襟首を両手で掴んだ。

 

「チョコラータの材料にした男だよ。ほら、あのチョコラータの研究資料を盗もうとした奴。」

 

オリバーがイアンに言葉をかけて、イアンは思い出した。

 

「ああ、あいつか。そういえばお前の原材料にしたな。」

「テメエ、ふざけんな!あいつは俺の部下だ。俺に断りなく………。」

「黙れ。」

 

チョコラータはイアンの襟首を乱暴に掴んだ。

イアンは見る見るうちに不機嫌になり、額に青筋が浮かんだ。

 

「あ?」

「ま、待て。イアン。チョコラータ、やめろ!」

 

イアンとチョコラータの間に一触即発の空気が流れ、オリバーは慌てた。

 

「頼むよ、イアン。チョコラータを消したら、また俺が材料を集めて来なきゃいけなくなる。チョコラータ、落ち着け。イアンに造られたお前じゃあ、イアンには勝てない。」

 

イアンに掴みかかったチョコラータの腕が、ドロドロに溶けていた。

 

「クソッッッ!!!」

「ほら、あっちで俺がお前の愚痴を聞くから。」

「黙れ!寄るんじゃねえ!テメエ体がイワシ臭いんだよ!!!」

 

チョコラータは怒って部屋を出て行った。

 

「………。」

「イアン、機嫌直せよ。チョコラータも反省しているからさ。」

 

オリバーはイアンを宥めるために、心にもないことを口にした。

イアンはチョコラータの脳を手術していじり、人形にする選択肢を浮かべたが、それを行うとスタンドが恐ろしく弱体化してしまうがゆえに思い留めた。

 

「………一度だけだ。次はないことを告げておけ。」

「わかったよ。」

 

イアンのあまりにも冷たい視線に、オリバーは怯えた。

 

「マジで勘弁してくれよぉ。それよりも、そろそろディアボロちゃん、出来たかな?」

 

ペドフィリアのオリバーは、幼少のディアボロを想像して興奮した。

 

◼️◼️◼️

 

「クソが!あのヤローふざけやがって!!!」

 

建物内の個室に戻ったチョコラータは、腕の手当てをしながらぐちぐちと文句を言った。

 

「そう言うなよぉ。お前も死にたかねえだろ?それよりも、一緒にディアボロちゃんを見に行かねえか?」

「うわぁッッッ!テメエ、勝手に入ってくんな!」

 

個室のドアが開き、外からオリバーがひょっこり顔をのぞかせた。

 

「お前も興味ねえか、ディアボロちゃん。絶対、かわいいぜ。」

「ディアボロ………パッショーネのボスだったな。」

「元、な。」

 

チョコラータの目付きが鋭くなり、オリバーはその視線に危険な意図を感じた。

 

「………おい、イアンに黙って勝手なことすんなよ。アイツがキレたら、ロクなことにならねえぞ。」

「………お前はなぜ、アイツに従っているんだ?」

「まあ、こっちにもこっちの事情があんのよ。」

「私の部下にならないか?」

「それは俺にイアンを裏切れってことか?」

「好きにとってもらって構わない。気に食わない奴に従う義理もあるまい?」

「それは無理な話だ。お前も同類だよ。俺にとっちゃあ、どっちについても同じことさ。」

「………チッ。」

 

チョコラータは舌打ちして、オリバーはチョコラータの部屋を出てディアボロの元へと向かった。

 

◼️◼️◼️

 

物事は時に、予想もしない深い部分で繋がっていることがある。

スイス暗殺チームのリーダー、ヨルゲン・ルーベルクがかつて解決した事件、スイス神隠し事件。

人間を攫って、バラして臓器を密売する事件。

 

その事件の首謀者である酸を使うスタンド使いは、ヨルゲン・ルーベルクに敗北して死亡した。

しかし、その事件で誘拐を担当していた人物、そして執刀を担当していた人物。

彼らは自身の身代わりを用意立て、逃亡を完遂させていた。

 

誘拐を担当するスタンド使いの一人、オリバー・トレイル。

臓器の移植を担当し、難易度の高い手術を行う闇に巣食う執刀医、イアン・ベルモット。

彼らは隠密裏に裏の暗殺チームが動いたという情報を仕入れ、潮時を見誤らずに危険を敏感に察知して逃亡した。

 

因縁の根を残したまま事件は闇へと葬られ、それは新たな事件の苗床となる。

 

闇は、消えない。

 

◼️◼️◼️

 

「ここだな。」

 

黒い長髪の男が、くわえていたタバコを携帯灰皿に捨てた。

スイス、ウートシュバイツ所属の暗殺チームのリーダー、ヨルゲン・ルーベルクは、部下を率いてスイスの地方に赴いていた。

向かい先はリンドレンデッドという名称の組織、ウートシュバイツの下部組織にあたる。

 

今この地では短い期間に大量の人間が失踪している。しかしその多くはルーベルクと同業のいつ行方不明になってもわからないような人種であり、まださほど騒がれていない。それに異変を感じたルーベルクは、その地の裏社会の組織であるリンドレンデッドに情報収集のために訪れていた。

リンドレンデッドの所在地は、古いビルを一棟買い取って存在した。

 

「何があったんすかね?」

「わからん。しかし、水面下で何か危険な陰謀が動いている可能性がある。早期対応は事件の早期解決につながる。」

 

彼は二人の部下を引き連れている。一人は茶色い短髪の若者、もう一人は金髪の女性。

若者がルーベルクに質問をして、ルーベルクが返答した。

 

「先方には、すでにアポイントメントを取ってあります。」

「ああ、ご苦労。」

 

金髪の女性がルーベルクに報告し、ルーベルクは建物の呼び鈴を鳴らした。

 

◼️◼️◼️

 

「ヨルゲン・ルーベルク。当たり(ヒット)だ。」

 

檻のある部屋で、リュカが檻の中からイアンへと告げた。

 

「計画始動か。ずいぶん待たされたものだ。」

「待ったのは、俺だ。ようやく、ようやくだ。ようやくこれで、ローウェンに復讐ができる!!!」

 

部屋の中のモニターに黒髪長髪の男が映され、イアンが手を膝においてつぶやいた。

彼らがこの地で誘拐を行なっていたのは、スイス暗殺チームが動き出すのを待っていたのだ。

 

ヨルゲン・ルーベルクはフランシス・ローウェンの元部下であり友人であり、捕らえて改造を施せばローウェンに対する切り札となる。

信頼できる部下に刺されて、あの忌々しい男は死ぬ。有りがちだが、悪くないシナリオだ。

その劇を貴賓席で、高みの見物をさせてもらおう。

 

「付いて来い、リュカ。」

「そこの気絶している女はいいのか?」

 

リュカがメアリーを指差した。

 

「彼女は、彼らをこの部屋に呼び込む撒き餌だよ。」

 

イアンは、リュカの檻の鍵を開けた。

 

◼️◼️◼️

 

「逃げてください!ここは、あの男は危険です!!!」

 

檻のある部屋で、花嫁衣装を着た頭部の存在しない女性が叫んだ。

 

「君は一体、何者だ?」

「私は………。」

 

メアリーは頭部のない奇怪な自身の姿に、名乗ることを躊躇った。メアリーはすでに死んだも同然の自身に、さらなる辱めを受けたくなかったのである。

ルーベルクは、相手の意志を敏感に汲み取った。

 

「………最近この近辺で、人間が消失する事件が多発している。君はその被害者ということで間違いないか?」

 

ルーベルクたちがリンドレンデッドの建物に到着した時、建物内部からは何ら応答がなかった。

不審に感じたルーベルクたちは内部に無断で侵入し、誰も見当たらない建物内部を慎重に捜索した。

その結果、一室で檻に閉じ込められた頭部に機械を装着させられた不可解な人物を発見した。

 

「わかりません。」

「君にも思うところがあるだろう。しかし、たくさんの人間が消失しちまっている。苦しいだろうが、何があったか俺に話して欲しい。」

 

カメラ越しに、人と呼ぶには奇怪な自身の姿を正面から見つめてくるルーベルクに、メアリーは全てを話すことを決意した。

 

「イアン教授。本名は、イアン・ベルモット。スイスにある大学の教授です。私は彼に攫われ、気が付いたらこんな姿になっていました。」

「そうか。他には何か覚えていることは?」

「用務員のオリバーさんも彼の仲間だったみたいです。」

「他には?」

「……すみません。これ以上は、私には何も………。」

「そうか、ありがとう。」

 

メアリーは、申し訳なさそうな返答をした。

 

「ところで、君はどうする?」

 

ルーベルクがメアリーに問いかけた。

 

「どうすれば!こんな姿になって、私!」

「………もう君は、人前に出ることは難しいだろう。よければ、俺の所へ来ないか?俺たちの組織が、君の受け皿となろう。君の余生をなるべく良いものにする。」

 

ルーベルクの言葉に、メアリーは人の善意を感じ取った。

 

「ありがとう。その言葉は嬉しいですけれど、おそらくはそれは不可能です。私がこんな姿になっても生きているのは、あの男の支配する場所だからだと言ってました。私には意味がわからなかったけど。」

 

スタンド使いでない彼女には、スタンドの概念は理解出来ない。

しかし、普通であれば生きていられない状態だということはわかる。

 

「あの男の支配する場所?」

 

ルーベルクはメアリーのその言葉に、猛烈に嫌な予感を感じた。

 

【初めまして。スイス、ウートシュバイツ暗殺チーム所属の、ヨルゲン・ルーベルクと愉快な仲間たちで間違いないですね?】

「誰だッッッ!!!」

 

ルーベルクがメアリーと会話している最中に、唐突に部屋に設置されたモニターの電源が入った。

モニターには、機械仕掛けの不気味な白衣の怪物が映し出されている。

 

「サイモン、急いで入り口を確認しろ!!!」

「ルーベルクさん、部屋が開かないッッッ!!!」

 

サイモンと呼ばれたルーベルクの配下の若者が、部屋の入り口を確認して焦った声を上げた。

 

「罠かッッッ!!!セレネ、スタンドを使用しろ!!!」

「無理!!!能力が発動しない!!!」

 

セレネと呼ばれた金髪の女性がスタンド能力を行使しようとするも、能力が発動しない。

彼女の能力は離れた場所に手紙を届ける能力であり、彼らが少数で行動する根拠たりえるものだった。彼女さえいれば、彼らに何かあった場合も外部に情報を残せる。

しかし、部屋の中は外部から隔離された異界だった。そこは内外が分断され、独立した異界。

 

【おやすみ、いい夢を。】

 

その言葉を最期に、モニターの電源は切れた。

部屋の換気口から、微かにシューという気体が注入される音が聞こえてきた。

 

「どうするんすか!ルーベルクさんッッッ!!!」

 

ルーベルクはわずかな思考と寡黙のうちに、彼のスタンドを発現させた。

 

「サイモン、セレネ、覚悟を決めろ。君は、どうする?」

 

ルーベルクがメアリーに問いかけた。

相手は外見からして、恐らくはカタギではない。メアリーはルーベルクのその質問の意図を、正確に読み取った。

 

「………お願いします。これ以上の辱めを受けたくない。」

「わかった。」

「ううっっ。」

 

サイモンと言う名の若者はしゃくり上げ、セレネという名の女性も俯いた。

ルーベルクのスタンドが腕を上げ、毒針を射出した。

 

◼️◼️◼️

 

「やられたな。」

 

イアンは、舌打ちをした。

ルーベルクとその配下を捕獲して、改造して手駒にしようと考えていたのだが、ここにあるのはグズグズに溶けた四つの肉塊だ。

ルーベルクのスタンドは相手を溶かす毒針を射出するスタンドであり、毒の回りきった死体の細胞から人間生成を行うのはさすがにイアンにも不可能だ。正確にはイアンの能力に不可能なことは存在しないのだが、イアンが不可能だと考えた時点でそれは不可能となってしまう。

 

彼らは、社会に身も心も捧げた人間たちだ。

ルーベルクはイアンに捕まった時点で、即座に自害した。せっかく手術したメアリーまで巻き添えにして。

 

「おい、イアン!俺はもう我慢できないぞ!」

「ああ。………仕方ない。わかった。最後に証拠隠滅のために建物を消していってくれ。リュカ、行くならわかってるな?」

 

イアンはリュカという名のフードの男に、確認を取った。

 

「わかっている。負けた場合も、絶対にお前たちの情報を吐かない。即座に跡形も残さず自殺する。」

「………行ってこい。」

「いいのか?」

 

赤ん坊を二人抱えたチョコラータが、イアンに質問した。

 

「計画に不備はつきものだ。それも含めて楽しもう。」

「ところであのオリバーって男は、どこに行ったんだ?赤ん坊の世話は、私じゃなくてアイツにさせるべきだろう?」

 

ディアボロとドッピオの赤ん坊を抱えたチョコラータは、イアンに文句を言った。

 

「イタリアに飛ぶぞ。」

「おい、無視すんな!人の話を聞け!なんでいきなりイタリアに?」

「ルーベルクを消した。スイスの裏組織が大々的に動くことになる。緊急のでかい案件のない今、連動してフランスも動く可能性が高い。リュカでどれだけ足止めができるか、わからん。次の目的はパッショーネだ。早く逃げないとここは危険だ。」

 

リュカはすでに立ち去り、オリバーは不在だ。

彼らが根城にしていた建造物は、リュカの能力ですでに跡形もなく消滅している。

イアンとチョコラータは、ディアボロとドッピオを抱えてイタリアへと向かった。

 

◼️◼️◼️

 

悪魔に魂を売ってしまった。もう引き返せない。

 

「こんにちは、トレイルさん。今日も息子さんのお見舞いですか?」

「ええ。こんにちは。」

 

年配の女性がニッコリと微笑み、オリバーは笑顔で挨拶を返した。

 

ここはスイスにある大学病院だ。

病院の庭を、オリバーは日傘を差して歩いている。目的地は、すぐそこだ。

もう息子に会えるのは、きっと最期になるのだろう。俺の先はもう、そう長くはないはずだ。

ディアボロを笑えない。

 

オリバーは、前の職業は地方の警察官だった。

それがなぜ今ここにいるのかは、誰しもが聞けば理解する。

 

『金が払えないのなら、働いて支払ってもらおうか?』

 

開示された情報は、三つ。

オリバーはもともと警察官で、スイス神隠し事件を追っていた。オリバーの息子は、先天的な内臓疾患で臓器移植が必要だった。スイス神隠し事件の全容は、金銭目的の臓器密売だった。

この三つを繋げれば、オリバーに何があって、どうしてここにいるのか誰だってわかるだろう。

対価は恐ろしく高かったが、手段を選べない。毒を食らわば、皿まで。引き返す道は、どこにも存在しない。

 

『お父さん、とても楽しかったよ。』

『そうか、それは良かった。』

 

人間の大切な物には、序列がつけられている。社会に生きる人は、皆良き未来を目指して生き、子供とは未来の結晶だ。

見知らぬ他人よりも我が子。それは、普通の父親の感覚だ。

オリバーは社会に身を捧げた暗殺チームではなく、家族に身を捧げたただの父親だった。

 

オリバーのスタンドの回転木馬は、亡き妻と息子との数少ない思い出だ。

オリバーは遊園地での家族の団欒がとても楽しくて、何があったのかまるっきり忘れてしまった。

 

スタンドとは、心の形。回転木馬は、最後に残った愛の証。

回転木馬よ、忘れさせておくれ。辛いことも、悲しいことも、苦しいことも、何もかもを。

忘れなければ、俺はもう生きられない。しかし、それは彼の儚い願望に過ぎない。

回転木馬は、煉獄を彷徨う亡者の愛のよすが、亡者は苦しむものであると相場が決まっている。

 

回れ回れ、狂気と共に。何もかもを忘れて溶けてしまうまで、回り狂え。

回転木馬が老朽化して、壊れて朽ちて果てるまで。その時はもう、近い。

 

「ここ最近の容体は安定していますよ。」

「よかった。次はいつ来れるか、わかりません。当分は仕事が忙しくなりそうで。」

 

オリバーは、もともと狂人ではない。ペドフィリアというのも、実は真っ赤な嘘だ。

小児性愛者を装えば、悪魔からせめて子供だけは救えるかもしれない。その一心で、父親は必死に嘘をつく。

………殺された他の被害者から目を背けて。

 

オリバーが使える駒であるうちは、イアンに最低限の意志は尊重される。どこまで許されるかは、怖くて試す気にならないが。

悪魔は残虐で時折嘘もつくが、契約は破らない。

 

狂ったフリをしないと、やっていけない。マトモな神経では、自殺するしかない。

しかしたとえそれがフリであったとしても、続ければいつの間にか本当に狂ってしまっているのだ。

 

狂人イアンはオリバーの息子の執刀を担当し、オリバーの息子を知っている。

イアンに表立って逆らったら、奴はオリバーの生きる理由を躊躇なく奪い去ることだろう。

治療にも金がかかり、薄給なオリバーに綺麗な手段で大金は手に入らない。オリバーは有能なスタンド使いで、利害は一致した。

子供の見舞いは、狂人イアンとの契約でオリバーに認められた正当な権利だ。………正当性に意味があるとも思えないが。

 

悪魔に魂を売ってしまった。対価はひどく、高くついた。

俺はもう長く生きられない。………しかし、それでも構わない。

 

誰も臓器提供者(ドナー)のことを聞かない。執刀医のことを聞かない。

たとえ闇と繋がっていようが、呪われた手段だろうが、子供に罪は無い。誰しもが、子供を愛している。

 

オリバーがイアンを納得させる形で闇に溶けて消えれば、きっと我が子の未来は守られる。

主治医は優しく微笑み、オリバーはベッドでやすらかに眠る我が子の頬にキスをした。

 

◼️◼️◼️

 

補足事項

イアンのスタンドで造り出された人間は、生体タンパク質を投与し続けることでおよそ一ヶ月で成人する。

オリバーの小児性愛は、実は偽りだった。

 

名前

ヨルゲン・ルーベルク

概要

フランシス・ローウェンの元部下で、腕の下の暗器から毒針を射出するスタンド使い。死亡した。

 

名前

セレネ・メーリカ

概要

ルーベルクの部下で、離れた場所に手紙を届けるスタンド使い。死亡した。

 

名前

サイモン・セルガッティ

概要

ルーベルクの部下で、空間に階段を作り出すスタンド使い。死亡した。



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スパイス・ガールの女を磨こうの会

残酷描写が増えているので、やっぱり新しく立てた方が良かったか迷っております。
ここまででちょっとだけ投稿休止しようかと思います。


「なんで俺たちが、お前についていかないといけねえんだ!」

「相棒よぉ、ほんとに、こういうのは一人でやれよな。」

 

モッタがサーレーに文句を垂れ、ズッケェロも渋い顔をした。

 

「静かにしろ!標的にバレるだろうが!」

 

彼らは、何をしているのだろう?パンナコッタ・フーゴは、呆れた。

ミラノの街で、講義を終えて帰宅するフーゴの後を、チンピラプラスアルファがストーキングしている。彼らの意図が全く読めない。

電信柱の影から、サーレーの特徴的な髪型がはみ出している。ちょっと面白い。

フーゴは早足で、街路の角を曲がった。

 

「急ぐぞ!見失うな!」

「おい、引っ張んな!」

「ほんとに、なんでこんなことしてるんだか。相棒よぉ、やり方があまり賢いとは言えねえぞ。」

 

サーレーがモッタの襟首を掴んで引きずり、ズッケェロはため息をついて後を追った。

 

「何をしているんだい?なぜ僕の後をつけた?」

「うわあッッッ!!!」

 

角を曲がったすぐ先にフーゴが仁王立ちでサーレーたちを待ち構えており、驚いたモッタは悲鳴を上げた。

 

「………なんのことだ?」

「しらばっくれてもわかってるよ。さっきからずっと、僕の後をつけていたじゃあないか。」

 

中央にサーレーがいて、両脇にマリオ・ズッケェロとパッショーネ新人のアルバロ・モッタがいる。

フーゴはサーレーに目を向けた。サーレーの目は泳ぎ、脇に雑誌を抱えている。どうやらゴシップ誌のようだ。

 

「………なんのことだかわからないな。」

「ジョジョに報告する必要があるのかな?サーレーが何か不審な行動をしていた、叛意ありと。」

「わああッッッ、待て待て!話す、話すから待ってくれ!!!」

 

とんでもない男だ。いきなり脅してきた。

ジョジョに叛意ありだとか報告されては、たまったものではない。濡れ衣もいいとこだ。

 

「なんのために僕をつけた?」

「えっと、その………。」

 

なんかチンピラがモジモジしている。気色悪い。

 

「やはり、報告の必要があるようだな。」

「わああッッッ、これだよ、これ!!!」

 

サーレーは往来で大声を出すと、雑誌の一ページを開いてフーゴに指し示した。

 

「これは?」

 

フーゴがそのページに目を向け、見る見るうちに険しい表情になった。

 

「こんなもの、一体どこの………これはパッショーネの子会社が敢行している雑誌じゃあないかッッッ!!!」

 

フーゴが読んだページには、歌手のトリッシュ・ウナと目線を入れた一般人男性が仲良さげに連れ立って歩いている様子がパパラッチされていた。

フーゴは雑誌の刊行社を確認して、天を仰いだ。

 

『有名人気歌手トリッシュ・ウナ、一般人男性と熱愛か?』

そう書かれた見出しと共に撮影された男性は、目線は入っているもののあからさまにパンナコッタ・フーゴだった。

どう反応していいか、わからない。こんな飛ばし記事を書いた出版社に抗議するべきか、それがパッショーネの子会社であることを嘆くべきか、そもそもサーレーが何を言いたいのかわからないことからつっこむべきか。

トリッシュはこのことを、知っているのだろうか?

 

「それで………その。」

「気色悪いからモジモジしてないで、ハッキリ言ってくれ!君は何が言いたいんだ!」

「ほら、相棒よぉ、しっかりしろ。」

 

サーレーはまるで乙女のようにチラチラとフーゴを見ている。

フーゴは吐き気と頭痛がした。

 

「はあ、しょうがねえなあ。コイツが話があるらしいから、どっかカフェにでも行こうぜ。」

 

モッタがため息をついてその場をまとめ、彼らはカフェに移動した。

 

◼️◼️◼️

 

「どうやったらモテるか、俺に教えてください。」

 

カフェでサーレーが、腹の底から蚊の鳴くような情けない声を絞り出してフーゴに問いかけた。

 

「はあ?君は一体、何を言ってるんだい?」

 

サーレーの言葉の意味がわからず、フーゴは聞き返した。

 

「その………有名人とお付き合いしていらっしゃるフーゴさんに、ぜひ女性にモテる秘訣を………。」

「お付き合いして、いないッッッ!!!君はそんなゴシップ誌の与太話を信じるのかッッッ!!!」

 

フーゴはさっそく、頭痛がした。

このぶんでは、話を聞いて帰る頃には頭痛で席を立てなくなっているかもしれない。

 

「その………。」

「ハッキリと喋れないのなら、時間の無駄だ。僕は帰る。」

「まあ待ってくれよ。」

 

席を立とうとしたフーゴを、ズッケェロが留めた。

 

「お前にとっちゃあしょうもない話になるかもしれねえが、相棒にとっちゃあ案外死活問題なんだ。話だけでも聞いてやってくれよ。」

「………話してみてくれ。」

 

ズッケェロの様子が案外と真剣だったので、フーゴは迷いながらも話だけは聞くことに決めた。

 

「その………俺ももういい年じゃないすか。そんで、いい加減いい女性を見つけて、年とった母親を安心させてやりたいんすよ。」

 

サーレーがこの間実家に久々に帰って感じたことは、年老いた母親への愛情であった。

暗殺チームは現役の間は結婚が許されないが、女性とのお付き合い自体は認められているし、引退すれば結婚が認められる。アナスイが実例だ。サーレーもいい女性を見つけて、母親を安心させたい。サーレーは根無し草のその場凌ぎの人間で構わないと思っていたが、最近は少し心境に変化があったということだ。

 

「そんで俺たちは、その程度も一人で相談できない、情けないリーダーのお守りってわけだ。」

「乙女か!!!」

 

モッタが辛辣に吐き捨て、フーゴは突っ込んだ。

 

「………まあとにかく話はわかった。しかしそういうことは僕に相談するんではなく、もっと他のモテる人間に相談したほうがいい。何度も言うが僕はトリッシュと付き合っているわけではないし、多分君とそう変わらないよ。」

 

フーゴは落ち着いて、紅茶を飲んでからサーレーを諭した。

 

「いえ、フーゴさん。さっきまで大学の研究室で女性と仲よさそうに話してたじゃないですか。」

「君たちは一体、いつから僕をストーキングしていたんだッッッ!!!」

 

すっかり忘れていた。

そういえば相手方には、潜伏を得手とするマリオ・ズッケェロがいるんだった。

フーゴは卒業を控えて、就職先も決まっていて時間を持て余していた。この日は出席する講義も少なく、帰り際に頼まれて同学の女性に勉強を教えていた。

 

「え、それは講義が始まってから………。」

「君はまさか、朝の九時からずっと僕を付け回していたのかッッッ!!!」

 

フーゴは時計を見た。今は夕方の四時だ。

まさかサーレーの両脇の二人も、彼にずっと付き合わされていたのだろうか?

 

「マジで勘弁してくれよ。」

「………同情するよ。」

 

モッタが文句を言って、フーゴは同情した。

 

「なんか助言だけでも!」

 

サーレーはフーゴを拝み倒し、フーゴはため息をついて諦めた。

 

「………今日は時間があるから協力できるなら君に協力したいけど、僕にも大したことは言えないよ。相手に誠意を持って接するとか、将来設計をしっかりしておくとか、そんな月並みなありきたりのことしか言えない。結果にも責任が持てないし、とりあえず他の人にも聞いてみたらどうだい?」

 

フーゴの提案に、サーレーはうなずいた。

 

◼️◼️◼️

 

「おい、サーレー!!!なんで僕も君について来ないといけないんだッッッ!!!」

「そう言うなよぉ。お前がうっかり、時間があるから協力するなんて言ってしまうからいけないんだぜぇ。」

 

フーゴは額に手を当て、ズッケェロは道連れが増えたことを喜んだ。

 

「なあに、そんなしょうもないことで、そんなにゾロゾロ引き連れてわざわざ私のところに来たわけ?」

「そう言わないでくれ!!!」

「………まあお前たちには恩があるからな。徐倫、すまないがあまり邪険にはしないでやってくれ。」

「それはわかってるけど、私たち国際結婚で、会える時間がそんなに多くないのよ?向こうでの仕事もあるし。」

 

車椅子を押した徐倫が呆れて、車椅子に乗ったアナスイが仲を取り持った。

徐倫は、相手の人数を数えた。モジモジしたサーレーを先頭に、ズッケェロ、モッタ、ズッケェロに引っ張られたフーゴ。それに久々に友に会うからとウェザー・リポートまで付いてきた。ここはアナスイがチョイスした、ミラノのデートスポットのカフェだ。

 

「頼むよ、徐倫。なあどうやったら、女性と懇ろになれるんだ?」

「懇ろってアンタ………。」

 

サーレーのあまりにも情けない質問に、徐倫は白い目を向けた。

 

「教えてくれ!なんでお前はアナスイのプロポーズにオッケーしたんだ?」

「はあ。まあアンタみたいな情けない男でも、恩人だから答えてあげるわ。アナスイの提案には、未来と希望があったのよ。」

「未来と希望?」

 

サーレーが徐倫の言葉を聞き逃すまいと、身を乗り出した。

 

「そう。ワケありの私たちにも実現可能な明確なプランと、私たちが目指せる最善の未来。アナスイはそれを明確にカタチとして、私に提案した。私はその未来に魅力を感じたから、アナスイと共に未来を歩む事を許諾した。感情は、後でどうにでもなるわ。道を歩く間に、相手を好きになればいい。あなたが本当に結婚を望むのなら、まずはあなた自身の未来をどうしたいかを明確にすることね。」

 

あなた自身の未来。サーレーは徐倫の言葉を、心の中で復唱した。

サーレーは、振り向いた。

 

「なあズッケェロ、ウェザー。お前たちは、今の職務を全うしたら、その先のことを考えているのか?」

「俺はパッショーネのどの部門に回されてもいいように、ヨーロッパ圏内の言語を勉強してるぜぇ。英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語あたりはもうだいたい理解できるようになったぜ。次は少し遠くの、中国語か日本語あたりを勉強しようかと思っている。」

「俺は、刑務所にいる期間と記憶のない期間が長かったからな。とりあえず金を貯めて、大学に通って勉強したいと考えている。具体的にやりたい事は、アナスイに相談しながら今から見つけていきたい。」

 

ズッケェロもウェザーも、サーレーが考えているよりもずっと具体的で明確な答えを持っていた。

 

「マジか………。」

「ま、そういうことよ。誰しもが、なりたい未来を思い描いている。遠回りに思えても、なにかを築いていくことがあなたの願いを叶える最善の道だと私は思うわ。アンタはかっこ悪くても情けなくても、私は人間的には嫌いではない。アナスイはアンタに希望をもらったって言っている。きっとできるわ。応援している。」

「徐倫、それ言わないでくれって言っただろう?」

 

徐倫は薔薇のように鮮やかに微笑み、アナスイは照れ臭そうそっぽを向いた。

 

◼️◼️◼️

 

「ふざけるなあああッッッ!!!ジョジョがどれだけお忙しいと思ってるんだっっっ!!!こんなつまらない些事で、お手を煩わせるなッッッ!!!」

 

馬鹿は恐ろしい。

パンナコッタ・フーゴは、心の奥底から震えた。

 

「まあまあ、落ち着いてくれ、フーゴ。僕も彼との会話は、仕事の合間の息抜きに楽しませてもらっているよ。」

「いや、これは普通に俺もダメだと思うぞ?ネアポリスに向かうっていうから、ついついてきてしまった俺も俺だが。」

 

アルバロ・モッタもドン引きした。

サーレーは事もあろうか、ボスであるジョルノに助言を乞いにネアポリスの図書館までやって来ている。

距離が近い腹心の部下だからこそ、サーレーは気付いていない。ジョルノはこんなことに手を煩わせていいほど、暇ではない。

フーゴはブチャラティたちの墓参り以外には会うことのない多忙なジョルノにこんな形で面会し、卒倒しそうになった。

 

「ホラ、だから言ったろ相棒。いくらなんでもこれは常識がなさすぎるぜ?」

「深く悩んでいる事は理解するが、相談する相手が間違いだ。」

 

ズッケェロとウェザーまで否定的で、サーレーはフルボッコだ。

 

「うぐぐ………ジョジョ………。」

「まあまあ、とにかく僕に何の用事だい?」

 

瀕死のサーレーは、何とか喉から声を絞り出した。

 

「モテる秘訣を、どうか俺に教えてくださいッッッ!!!」

 

理由や事情をすっ飛ばした単刀直入な用件に、ジョルノは頭に疑問符を浮かべた。

 

「………君は突然何を言い出すんだ?」

「コイツ、この間実家に帰ったときに、母親を安心させてやりたいって思ったらしいんすよ。モテねえ金もねえ息子を、母親にゃあ見せたくねえって。」

 

あまりに酷い相棒の姿に、見かねたズッケェロが横から口を挟んだ。

 

「なるほど。」

「俺みたいな家族のいない人間からすりゃあ、羨ましい悩みですが、まあ長く相棒やってますしどうかチョロっとでもご助言いただければと。」

 

ジョルノは、少し難しい顔をして考えた。

暗殺チームの管理に関しては、ミスタに一任してある。

 

暗殺チームに関しては、人員の補充と現役の人員の任期満了による引退を考えている。

しかし、今のところ目ぼしいのは殺し合いを経験したことのない人員か限定的な状況下でしか力を発揮できないピーキーなスタンド使いばかりで、クラフト・ワークとサーレーほど優秀で万能なスタンド使いはいないとのことだった。最初のハードルが、少し高すぎたのかもしれない。

 

暗殺チームに所属している間は、結婚を許していない。彼らはいざという時は、死ぬ事も仕事のうちだからである。

社会という大多数を守ることを職務にしている以上、社会よりも優先されるものが存在してはいけない。

家族を持たせてしまえば、例えば家族と社会を天秤にかけられた場合に家族を優先する可能性が出てくる。

 

しかしあまり杓子定規にしていても、不満が噴出して反乱を招く恐れがある。

そのために暗黙の曖昧な部分が存在し、結婚を前提としたお付き合いに関しては何も言わない。

柔軟に、適当に、うまくやるのがコツだ。

 

しかし、彼らもいつまでも暗殺チーム所属というわけではない。

ミスタがそういった人間を随時リストアップして鍛錬しているし、彼らが暗殺チームを辞めても彼らを他に使える部署は他にいくつか存在する。マリオ・ズッケェロに関しては、向学心が強いという報告も受けている。

 

親衛隊を増強するのもいいかもしれない。親衛隊は、つまりはジョルノの私兵という意味合いである。

諸外国に対する補償も払い切る目処がついたし、雇用を作り出すという意味でも武力による牽制という意味でも親衛隊の規模を拡大して彼らを親衛隊入りさせるのはアリだ。まあ私兵とは言っても、デスクワークがメインになりそうだが。それでも便利に使える、カンノーロ・ムーロロ的な役割を果たす存在が欲しいと思っていたところだ。

 

「君たちは、直属の上司のミスタには相談したのかい?」

「いえ。ミスタ副長は、俺と同じくらいモテないんで。」

「ミスタ………。」

 

サーレーの返答に、ジョルノは悲しみのあまり目頭を押さえた。

裏社会のナンバー2が、そんなに女性に不人気でいいものか?

 

「僕に相談するよりも、女性目線で見たほうがいいんじゃないかな?シーラ・E。」

「ええっ!?私ですか!?」

 

書類の検閲を終わって重要書類をジョルノに目を通してもらうためにジョルノの下を訪れたシーラ・Eが、唐突な無茶振りに素っ頓狂な声を上げた。

 

「サーレーが女性にモテなくて悩んでいるらしい。………君が適任だ。」

「ちょっっ、ジョジョッッッ!!!」

「私に何をしろとッッッ!!!」

 

悩みを勝手にバラされたサーレーとわけのわからない任務を振られたシーラ・Eは焦った。

 

「フーゴ、ズッケェロ。君たちは書類業務を手伝って欲しい。ズッケェロは将来的に親衛隊入りを選択肢の候補に挙げている。今のうちに学んでおいて、損はないはずだ。せっかくだからウェザーとモッタも見ておくといい。」

「ジョルノ様ッッッ!!!」

 

いきなりズッケェロが同僚になる可能性を示唆されたり、わけのわからない悩みの解決を任されたり、シーラ・Eは目を白黒させた。

 

◼️◼️◼️

 

「一体、私は何を任されたの?」

 

とりあえず話がわからないことには先に進まない。

シーラ・Eは近場のカフェに入って、サーレーの話を詳しく聞くことにした。

 

「あの………その………。」

「はっきりと喋れ!」

 

サーレーはゴニョゴニョと喋り、要領を得ない。

シーラ・Eは、イラッとした。

 

年下の女性に相談しろだなんて、ジョジョも酷いことを言う。

サーレーは恥ずかしいやら情けないやらで、何を話していいかわからない。

俯いてなかなか要件を切り出そうとしないサーレーに、シーラ・Eの短い導火線にはやくも火がついた。

 

「………帰るわ。」

「わああッッッ!!!待てっ!待ってくれッッッ!!!言う。言うから、俺を助けてくれッッッ!!!」

 

シーラ・Eは席を立ち上がり、サーレーは情けないほど狼狽した。

 

「さっさとなさい。」

 

シーラ・Eは席に座りなおし、相談費用とばかりにケーキを注文した。

もちろんサーレーの支払いだ。

 

「この間実家に帰って、おふくろに久し振りに会ったんだ。」

「アンタ、母親いたの?」

「当たり前だッッ!!!自然発生したわけではない!!!」

「ああごめんごめん。裏にいる人間はワケありの人間ばかりで、身内と交流のある人間って少ないのよ。私もいないし、アンタの相棒もいない。ウェザーも父母がどうなったかわからないらしいし、ホル・ホースも天涯孤独みたい。義父のいるモッタは例外ね。」

「お前………。」

 

サーレーはシーラ・Eが仲間の家庭事情を把握していることに、驚いた。

 

「まあ同僚として扱うからには、最低限の情報は知っておく必要があるわ。アンタに母親がいるのは知らなかったけど。」

 

パッショーネの構成員は、入団面接の際に家庭事情を質問されている。その書類が、情報部に保管されている。

サーレーは面接で、両親とは縁を切ったとだけ告げていた。

 

「それで、どういうことなのかしら?」

「ああ。この間実家に帰省したんだが、おふくろに孫の顔を見たいとせがまれたんだ。まあ諦めたと言っていたが、寂しそうだったんでな。それで………。」

「なるほど。」

 

シーラ・Eはうなずいて、難しい顔をして考え込んだ。

だから、モテないことを気に病んでいたのか。しかし………。

 

「そうね。本気で結婚する気があるのなら、生活態度を改めること。常識を身につけること。まあ顔が緑色なのは………ファンデーションでどうにか誤魔化せるわ。総合的に見たら………達成難易度激高の任務ね。」

「………そんなにも困難なのか?」

「パッショーネの総力をもってしても、達成確率1パーセント未満だわ。」

「マジか………。」

 

サーレーの目の前は、真っ暗になった。

 

「………仕方がないわ。乗りかかった船だもの。私が今日1日、あなたの生活態度を指導してあげるわ。こうしちゃいられない。」

「おい、何を勝手にッッッ!」

「あなた、本気で結婚する気あるの!!!」

 

なぜだかわからないが、急にシーラ・Eはやる気を見せた。

サーレーはシーラ・Eに叱られ、シーラ・Eは今日は仕事できないことをジョルノに伝えるために電話をかけた。

 

「許可はもらったわ!さあ、行くわよ!」

「………どこに?」

 

シーラ・Eはサーレーにそう告げると、伝票を取って席を立った。

 

「あ、おい!会計は俺が払うんだろ!」

「気が変わったわ。アンタは貧乏なのでしょう。金は、結婚資金にとっておきなさい!」

 

シーラ・Eは無駄に力強く言い放ち、あまりにも男らしいその背中にサーレーは逆に不安を感じた。

 

◼️◼️◼️

 

「ところで、お前はどれくらい男性とお付き合いした経験があるんだ?」

 

ふと不安に思ったサーレーは、道を歩きながらシーラ・Eに質問した。

シーラ・Eはあの後、仕事着から普段着に着替えるために一旦家に帰っていた。青いシャツに黒のジャケットを羽織り、白いロングスカートを履いている。

 

「私をナメないで!私はジョルノ様のお付きで、さらにスパイス・ガール主催の、女を磨こうの会に所属しているのよ!」

 

………コイツは何を言っているのだろう?

スパイス、何?女を磨こうの会?

 

サーレーは、首をひねった。

 

「お前は何を言っているんだ?」

「私に任せるからには、アンタをジョルノ様のような立派な男にしてみせるわッッッ!!!」

「………ジョジョ?」

 

何かいろいろと間違っている感じがする。

果たしてこのままこの女について行っても、大丈夫なものか?

 

「おい、シーラ・E。待てよ。俺は別にジョジョのようになりたいわけでは………。」

「ジョルノ様はおモテになるわ。ジョルノ様の真似をすれば間違いない!アンタ、ついてたわね。ジョルノ様のお付きの私がいて!」

 

………どうにも判断に困る。

ついて行って正解のような気もするし、失敗しそうな予感もする。何より気になるのは。

 

「おい、シーラ・E。お前はなんで、突然そんなにやる気を出したんだ?」

「私には、身内がいないわ。………アンタに母親がいるのなら、私はアンタを応援したい。」

「………そうか。」

 

シーラ・Eは、物憂げな表情をした。

 

つまらないことを聞いてしまった。

ここは紳士らしく、この女を信用してついて行ってみようじゃあないか。

 

「ところでシーラ・E、お前は男性とどれくらい………。」

「ホラ、行くわよ!!!」

 

念のために確認しようとしたサーレーを、シーラ・Eは無視した。

 

◼️◼️◼️

 

「まずアンタは、と・に・か・く!その髪型がムカつくのよ。そこをどうにかしないと、話が始まらないわ。ここはパッショーネの子会社系列の美容院で私が話を通しておいたから、髪を切って染めてきなさい!」

 

いきなり無茶苦茶言ってきた。

この髪型は、サーレーのアイデンティティだ。

 

「おい、何をいきなり………。」

「いいから、行きなさい!」

「待て!!!」

 

いくら何でも、好き勝手にさせるわけにはいかない。

サーレーは必死に抗議した。

 

「………何?」

「この髪は、俺のこだわりだ!」

 

シーラ・Eはサーレーを半目で睨むと、高圧的に反論した。

 

「だから何?アンタのそのだっさい髪にこだわりがあろうがなかろうが、今まで全然モテてないんだから、間違っているに決まっているじゃない!まあそもそもアンタの人生自体が間違っているのかもしれないけれど、そこは口をつむっといてあげるわ。アンタ、センスのかけらもないんだから、黙って私の言う通りになさい!」

「酷すぎる!!横暴だ!」

 

口が悪すぎる。なんなんだ、コイツは!?

 

「なあに?まだ言いたいことがあるの?」

「………髪を切ったら、お前を待たせてしまうことになるだろう。」

 

しょぼくれたサーレーは、彼にできる精一杯の反論をした。

 

「それぐらい、待つわ。」

「………俺の生活態度と常識をどうこうするという話ではなかったのか?」

「むむ………。」

 

サーレーの指摘に、シーラ・Eはやや考え込んだ。

しばし黙考したのちに、サーレーを指差した。

 

「アンタの言うことは確かに一理あるわ。でもその髪型だけはムカつくから、ちょっと来なさい!」

「何をするッ!やめろッッッ!!!」

 

シーラ・Eはそう言うと、サーレーを引っ張って美容院に入店した。

サーレーを叩き込むように空いている椅子に座らせると、勝手に備えてある整髪料を使用してサーレーの髪型をいじりだした。

 

「ああっっ!!!何をするッッッ!!!」

「黙りなさい!!!」

 

クラフト・ワークで固定した髪型は、整髪料と重力とシーラ・Eに完膚無きまでに敗北した。

サーレーは聖域を荒らされたような、大切なものを蹂躙されたような、なんとも言い難い感情を覚えた。

ことが終わってそこには、個性の無いただのチンピラが一人存在した。

 

「まあそっちの方が、普段のだっさい髪型よりはいくらか見れるわ。」

「酷い………酷すぎる。」

 

サーレーの泣き言を無視して、シーラ・Eはサーレーを席から立ち上がらせた。

 

「さあ、私をエスコートして見せなさい!私がアンタにダメ出しをしてあげるわ!」

 

シーラ・Eは、胸を張った。ここに来て、アホの子サーレーもさすがに気がついた。

これは、人選ミスに他ならない。

 

◼️◼️◼️

 

「意味がわからないわ。なんであの女はあんなにモジモジして、はっきりとした答えを言わないのかしら?好きなら好きだって言えばいいじゃない。時間が、勿体無いわ。」

「だから、恋愛はその過程を楽しむんだよ。」

 

映画館を出たサーレーは、フーゴのように頭痛を催していた。

この斜め前を歩くおかっぱの女は、女性の恋愛の機微がまるで理解できないらしい。にも関わらず、サーレーは彼女から恋愛指南を受けようとしている。何か間違ってなかろうか?

 

挙句に、映画代も例によって例のごとく気っ風のいい年下の姐御が支払ってくれた。

サーレーは情けないやら、どう反応したもんやら、気まずくて縮こまっている。

 

「さあ!次はどうするの!」

「………はい。次はバーに行こうと思うんですが。」

「お酒を飲むのね。じゃあ向かいましょう!」

 

なんでこの女は、こんなにも威勢がいいのだろう?

これは果たして本当に、サーレーの役に立っているのか?生活態度と無関係に思えるが、それはどこに行ったのだろう?

ローマの繁華街をエスコートされながら、サーレーはしきりに首を傾げた。

 

薄暗い品のあるバーに入店して、シーラ・Eは店員に二名という意味合いで二本指を立てた。

頷いた店員は、二人をテーブル席へと案内した。

 

「さあ、さっさとエスコートなさい。」

「いや、ここ結構高い店じゃねーのか?金ねーよ。」

「アンタは学習してないの?代金は私が全部払ってあげるわ。」

「………ヒモじゃねーか。」

 

今日の一連の行動で、サーレーは一体何を学習したのだろう?

サーレーにわかったのは、シーラ・Eは金を持っているということ。親衛隊の給料は結構いいのだろうということだけだ。

そんなことがわかっても、結婚できるとも思えない。

ひょっとして、暗殺チームをやめたら親衛隊を目指せという指南だろうか?

 

サーレーは店からジャケットを貸し出され、二人は席に向かい合って座った。

 

「はあ。それで、なんか助言はあるか?」

「なんでため息つくのよ。」

「なんかお前に疲れたんだよ。」

「失礼なやつね。」

 

サーレーはため息をついて、シーラ・Eはサーレーを睨んだ。

 

「そうね。昔よりはだいぶ生活態度が良くなっていると思うわ。でもだらしないところもあるんなら、アンタはアンタを引っ張ってくれるような相手がいいじゃないかしら?」

「引っ張ってくれる相手?」

「ええ。私もここ最近思うようになったのが、やはり完璧な人間なんていないわ。欠けているところがあるのなら、それを補う相手を生涯のパートナーにすればいいんじゃないかしら?」

「ふーん。なるほどねえ。」

「自分のことなんだから、もっと必死に考えなさいよ。」

 

シーラ・Eは、サーレーを睨みながら笑った。

 

「俺が必死になっても、ロクなことにならねえよ。今までがずっと、そうだった。」

 

サーレーも難しい表情をしながら、笑った。

 

「まあいいわ。結果から言うと、アンタはジョルノ様には程遠い。まだまだね。また付き合ったげるから、頑張んなさい。」

「次は俺が金を払うよ。」

「そうね。まずは金銭管理をしっかりできるようになるところからね。そうだ、せっかくだから、アンタ私の相談にも乗りなさいよ。」

「お前もなんか悩みがあんのか?」

「んー、今ひとつパッショーネの役に立てているという自信が持てないのよねぇ。どうすればいいかしら。」

「ジョジョはお前に感謝していると言っていたぞ。お前は考え過ぎだと思うが。」

 

落ち着いたバーで、二人は日付けが変わるまでゆっくりと酒を楽しんだ。



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スペイン、フランス同時発生事件 前編

一人で考えても結論が出そうもなかったので、活動報告をあげました。
やはり、どうしてもグロテスクな表現が混じってしまいます。
もしも拙作について、タグを変えるべきなどのなんらかの意見がありましたらそちらにお願いします。



「おいおい、イアン。俺たちはイタリアに向かっているんじゃあ、なかったのか?」

「イタリアと見せかけてのー、スペイン!人生、思い立ったが吉日だよ。なあに。忘れ物をしてしまってね。オリバーからの情報のことを、すっかり失念していた。」

「情報?」

 

スイスのユーロエアポートで、チョコラータはイアンに疑問を呈した。

イタリアに向かうはずが、なぜかスペイン行きの搭乗口へと向かっている。

 

「兵法の基本は、弱いやつ、弱点を持つやつから、結託されないうちに各個撃破だ。オリバーから、スペインには厄介な頭脳がいるとの情報が入ってきている。頭脳が手足と結託して本領を発揮する前に、ちょっとちょっかいをかけてみよう。」

 

イアンが、空港の搭乗口を進みながらチョコラータに返答した。

 

「………お前、あのイワシ野郎を案外信用してんのな。」

「あの男は、私には逆らわない。優しすぎるのだよ。馬鹿には馬鹿の、愚者には愚者の使い道がある。」

「お客様、ゲートで探知機が反応致しましたので、少々こちらに来ていただいてもよろしいですか?」

 

空港の保安検査場で、チョコラータを挟みこむように二名の体格の良い空港の保安検査員が近付いてきた。

 

「おい、イアン!一体どういうことだ!」

「あっはっはっは。さあね。私にも、わからない。君のあまりの危険さに、空港の危険物探知機がついつい反応してしまったのではないか?なかなかに有能な探知機だな。」

 

チョコラータは、検査員に別室に連れ込まれていった。

別室に連行されたチョコラータは、すぐさま戻って来た。

 

「おい、やり過ぎるなよ。死体が見つかったら、フライトが中止されるおそれがある。」

「そんなことはわかってる。」

 

チョコラータは憤慨し、二人は連れ立って飛行機に搭乗した。

 

「ところでよ、結局あのリュカとか言うフードの男は、一体何者だったんだ?お前たちはなんのためにアイツを拘束してたんだ?」

「仲間だよ。まあ君よりも先に生まれた、君と同類なのだがね。彼は納得済みで、拘束されていたのだよ。そうしていないと、衝動的に行動を取ってしまう。私たちの存在が、明るみに出る。それはまだ時期尚早だ。」

 

イアンは、楽しそうに笑った。

 

◼️◼️◼️

 

フランシス・ローウェンの名前をヨーロッパ裏社会が知ったのは、一つの事件によるものだった。

 

リヨンの無差別爆弾魔事件。

最初に事件の被害を受けたのがフランスのリヨンだったため、一連の事件にその名称が付けられた。

それが暗殺の鬼才、怪物ローウェンの幕開け。

 

その事件の大まかな内容は、社会を守護するべき裏社会の暗殺チームのリーダーが、世間を恐怖のドン底に陥れる爆弾魔であったということだった。その事件が最初に起こったのは十年以上前であり、当時のフランス、ラ・レヴォリュシオンの暗殺チームのリーダーは、リュカ・マルカ・ウォルコットという名前の男だった。

 

リュカの実力は裏社会で知れており、しかしいつまでもフランスで頻発する爆弾魔事件の首謀者暗殺を完遂させられない暗殺チームに不信感を抱いたラ・レヴォリュシオンは、独自に腹心の配下を使って爆弾魔の正体を追跡することとなる。

 

暗殺チームの人員は、社会に身を捧げた高潔な人物である必要があるのだが、彼は社会を乱す爆弾魔だった。稀にこういうことが起きる。

ラ・レヴォリュシオンが調査に差し向けた腹心の配下は有能な探知を行うスタンド使いであり、彼女に爆弾魔の正体を調査させたラ・レヴォリュシオンに激震が走ることとなる。

 

リュカの手法は杜撰なものであり、先行させた部下に小型の爆弾を爆破させる。そして現場に到着したリュカが、さらに大規模な爆破を引き起こす。たったそれだけなのだが、リュカという人物に対する信頼が、ラ・レヴォリュシオンの目を曇らせた。リュカは裏でイアン・ベルモットたちと繋がっており、その筋で使い捨ての木っ端の配下を融通されていた。

 

リュカのスタンドの能力の詳細がほとんど知られていないのも、問題だった。

リュカのスタンドはセミの幼虫を二足歩行にしたような見た目をしており、口腔のストローを対象に刺すことによって暗殺する。その能力は、ストローを刺して対象の内部をかき混ぜ、対象から簡易の時限爆弾を創り出して発火物質を流し込んで爆殺するという能力だった。その能力は無機物にも適用され、リュカはどこにでもある建造物から空手で強力な爆弾を創り出すことも可能だった。リュカが暗殺した遺体は能力の加減がされており、外見は綺麗に保たれていて解剖しない限りは死因が何であるのか判別不能だった。

 

いつまでも爆弾魔の暗殺を完遂させられない暗殺チームに業を煮やしたラ・レヴォリュシオンは、ボスの腹心の部下である相手の感情を色で感知することのできる探知タイプのスタンド使いに隠密で独自の調査を命令した。彼女の名前は、ヴィオラート・レンハイム。

 

彼女は、当時結婚を前提に付き合っていた強力なスタンド使い、フランシス・ローウェンに協力を依頼した。そもそもローウェンは、もともと暗殺チームに所属する予定は皆無だったのである。彼女はラ・レヴォリュシオンの親衛隊長で、ボスの一人娘であり、彼女の娘婿となる予定のローウェンはいずれ組織のボスとなるはずだった。

 

協力を依頼されるや否や、ローウェンは彼女に一人の人間の徹底した追跡を依頼した。

 

そもそもの前提がおかしい。

死を厭わずに戦う暗殺チームのリーダーも爆弾魔も、両方共に生きている現状が異常だ。お前たちの目は曇っている。

ローウェンは事件の情報を得るや否や、即座に事件の中核を看破した。

 

『ヘイ!いっぱしに、殺し屋気取りか?小僧風情が、粋がりやがって。』

『お前は、赦されざる者だ。罪状は、無差別大量殺人を筆頭にその他多数。………とても赦されるものではない。その罪で、俺が処刑を執行する。』

 

天頂に三日月を頂くある日、彼らは激突した。

赤毛の高身長の男と、スキンヘッドで頭部と眼球にタトゥーを入れたフードの男。

 

ローウェンの彼女もラ・レヴォリュシオンも、ローウェンを止めようとした。

何しろ相手は、百戦錬磨で裏社会に名を轟かす強者なのである。

ラ・レヴォリュシオンは恥を忍んで、同盟組織に頭を下げて頼み込んで爆弾魔の討滅作戦を組もうとしていた。

 

『やめろ!ローウェン!!!無謀だ!』

『無茶をしないでッッッ!!!』

 

しかしその時には、すでに事件は終息していた。戦いの過程は、生きている者のみが知る。

結果として、温厚で能力がありいずれ組織を受け継ぐはずだったローウェンは、今現在闇の深奥にいる。

 

◼️◼️◼️

 

「ふざけやがってッッッ!!!市街地のど真ん中で、いきなり遠慮会釈なしの生物兵器(バイオテロ)かよ!!!クソったれがッッッッ!!!」

 

メロディオは高速ヘリの中で、ブチ切れて柔らかな髪を掻き乱した。

普段は温厚な道化の形相は阿修羅へと変貌し、隣に座る部下のレノは恐々としている。

 

「おい、同盟内に救援の要請は送ったか!」

「はい!危険レベル2で周辺諸外国に援軍要請を送っています!」

「レベル3で送れ!返事は?」

「イタリアのパッショーネが、即座にこちらに援護に向かうとの返答です。フランスは、今現在手が離せないとのこと。イングランドは、海を越えて暗殺チームの派遣の準備を行なっています。その他近隣諸国は、スイス暗殺チームの消息不明に危機感を覚えて、現時点では尻込みして守りを優先させている状況です!」

「了承した!!!」

 

カタルーニャ高空の夜景を一望できるヘリの中で、メロディオは地上の惨状にほぞを噛んでいた。

いきなりカタルーニャの繁華街を中心に、人間を捕食するカビが爆散したのである。何者かの意図が働いているのは、明白だった。

カビは死体を中心に広がり、低所に向かうと一気に繁殖して人間を喰い殺す。スペインで二番目に巨大な都市で、夜間に唐突な緊急警報が不吉に鳴り響き続けた。

 

「レノ、札はいくつ持っている?」

「ベロム、マニシェ、ロジェ、クラン。近距離で戦える訓練済みのスタンド使いは、以上です。」

「わかった。札を全投下しろ。」

 

レノが四枚の木札を高空から投下し、スタンドを発動する。

それがヘリから地面に落下し割れると同時に、木札は機関銃を抱えた屈強な四人の男へと変化した。

一人の男の胸ポケットに無線が忍ばせてあり、そこからメロディオの声が辺りに響いた。

 

『お前らぁぁぁぁぁッッッ!!!我らが同胞を無差別に殺傷する、カビを操るスタンド使いがその近隣に潜伏しているッッッ!!!低所に向かうと、繁殖するやつだ!お前らはそっから高所に向かってローラー作戦で、虱潰しにそいつを探し出して、死んでも殺せ!!!!挨拶も遠慮も会釈も慈悲も要らない。生まれてきたことを後悔する間も無く、一秒でも早く細胞片も残さずに蜂の巣にしろ!!!我らが同胞の痛みを、知らしめろッッッッ!!!!!!』

 

メロディオが大声で叫んだ。

バルセロナのグラシア通りで、戦端は開かれた。

 

◼️◼️◼️

 

「ヴィリー、周辺の様子はどうなっている?」

「半径百メートル内に警戒色が二十四つ、危険色が十二、通常色は無しだ。」

 

フランシス・ローウェンが傍に控える女性に聞き、彼女は返答した。

女性の傍には、悪魔を模した黒く滑らかな美しいスタンドが控えている。

 

黒いスタンドは腕に付属したレーダーを覗き、周囲に赤の点が二十四と黒の点が十二あることを確認した。危険色の黒は犯罪を犯した人間が陥りやすい精神状態だが、近場で複数の爆破事件が起きた現在、恐怖や錯乱により危険な精神状態にある人間が複数存在したとしても何ら不思議はない。

 

「じゃあ、その危険色の中に敵が混じってるんすかね?」

「そうとも限らない。稀に人間以外のスタンド使いも存在するし、息を吸うように通常の精神状態で殺人を行う人間も中には存在する。レーダーを過信してはいけない。今現在進行中の連続爆破事件を考えれば、一般人の精神が警戒色に染まっていても、なんら不思議はない。それよりも。」

 

パリの路地で三日月を背景に、黒いカソック(スータン)を着た三人の男女がいた。

中央に赤毛で高身長のフランス暗殺チームリーダーのフランシス・ローウェンが、両脇に副リーダーの金髪セミロングの女性、ヴィオラート・レンハイムとそこそこの実力を持つ暗殺チームの一員、茶髪の若者ランド・ブリュエルが控えている。

彼らが動いた理由は、彼らの組織がパリ周辺に所有するビルが次々と爆破されたことに端を発する。

 

「………やつは、十年以上も前に死んだはずだ。」

 

ローウェンに向かって、ヴィリーと呼ばれた女性がつぶやいた。

 

「確かに俺が殺した。死体も確認している。しかし模倣犯と言うには、あまりにも手法が似通っている。巨大な建築物を下準備も無しに次々に爆破出来るのは、奴ぐらいだ。」

「奴とは?」

 

若いランドが、ローウェンに尋ねた。

 

「リヨンの爆弾魔。前任のラ・レヴォリュシオン暗殺チームリーダー、リュカ・マルカ・ウォルコットだ。お前も暗殺チーム所属なら、名前くらいは聞いたことがあるだろう?」

 

三人はパリ近郊の路地を駆けて、探索を続けた。

 

◼️◼️◼️

 

「指令を出す!気を引き締めろッッッ!!!」

 

夜間に、唐突にグイード・ミスタ副長に呼び出された。

ミラノのパッショーネ支部内で、暗殺チームの人員に緊張が走った。

 

「指令を。」

 

サーレーが、一歩前に出た。

彼は黒いコートに黒いマフラー、全身黒ずくめの格好をしており、背後に控えるマリオ・ズッケェロ、ウェザー・リポート、ホル・ホース、アルバロ・モッタも同様の格好をしている。暗殺チームの仕事着だ。彼らは闇に紛れて、速やかに刑を執行する。

 

「スペイン、アルディエンテより、パッショーネに緊急救援要請が入った。危険度レベル3、カビを使うスタンド使いが、バルセロナで無差別に大量殺傷事件を起こしているとの情報が入ってきた。」

 

ミスタはサーレーにそう告げると、少考した。

 

「何か?」

「………ただの偶然だと思うが、俺たちも以前ローマでカビを使うスタンド使いと戦った経験がある。」

「それは………。」

 

グイード・ミスタは、かつてディアボロと対決する最中に、ローマでチョコラータと対峙した経験を持つ。

 

「………そいつだったらやりかねないという、嫌な信頼がある。そいつも邪悪をそのまま人間の形にしたような奴で、ローマで無差別に大量殺人を行なった。………かなりやばい案件の可能性が高い。お前たちの久々の本業だ。気を引き締めろ。」

「はい!!!」

「万が一のため情報だけは渡しておく。もしも俺たちの知る男であれば、死体を媒介にして低所に進むほど繁殖するカビを操るスタンド使いだ。………躊躇なく殺せ。欲をかけば死ぬことになる。遠慮会釈、事件の背景などを探る必要はない。それは俺たち上層部の人間の仕事だ。」

 

グイード・ミスタの瞳に静かに漆黒の殺意が宿り、それはそのまま暗殺チーム全体に伝播する。

闇に潜む殺し屋集団は、殺意と共に極端に戦闘能力が跳ね上がる。

 

それは決して愛や勇気、夢、希望などといった綺麗なものでは無い。

本物の殺意に抗えるのは、殺意以外には存在しない。

 

「………指示を出す。パッショーネが、スペインに高速ヘリを飛ばす。向かうのは、サーレーとホル・ホース。サーレーが、現地のリーダーを務める。現地組織、アルディエンテと連携して、事件を終息させろ。ズッケェロ、ウェザーはパッショーネに残って俺の指揮下に入れ。有事に備えてイタリアの防衛を担当する。モッタは俺たちに同行して、俺の指示を聞いて行動しろ。以上だ。サーレー、ホル・ホース、向かえッッッ!!!」

「了解ッッッ!!!」

「あいよ。」

 

黒いコートを翻して、サーレーとホル・ホースはスペインに向かった。

 

◼️◼️◼️

 

「ふざけんなよッッッ!!!スタンド使い同士の戦法(セオリー)を、初っ端からガン無視しやがってッッッ!!!いきなり由緒正しい建築物に機銃掃射とかッッッ!!!なんなのよ、もうッッッ!!!」

 

肩に拳大の穴を開けて、大量の血液を流しながら、チョコラータはテンパってオネエ言葉になりながら大声で叫んだ。

 

叫ばないと、痛みで気絶しそうだ。

さほどパワーのないチョコラータのグリーン・デイでは、乱射されるサブマシンガンの銃弾を弾き返せない。

 

投下された四枚の木札と入れ替わりで現れた四人の殺し屋は、ローラー作戦でバルセロナのグラシア通りの周辺を探索するうちに、カタルーニャ広場の高台で気持ちの悪い笑顔でスタンドと共にニヤける一人の男を見かけた。それを最初に見かけたロジェという名の男が、無線を使用して仲間を隠密で高台周辺に集め、四方から高台で高みの見物を洒落込む男に対してサブマシンガンで斉射を行なった。

 

「下に落ちたぞ!手榴弾を放り込め!!!」

「ゲッッ!!!」

 

止むことの無い弾幕の中、一人の男が遮蔽物に隠れるチョコラータに対して爆破命令を下した。

 

「ふざけんなッッッ!!!んなもん食らってられっか!!!」

 

チョコラータはその場を必死で逃げ出し、四人の男たちは猟犬のような統率の取れた動きでチョコラータを追い詰めてくる。

 

「クソッッッ!!!下に行きやがらねえッッッ!!!私の能力が分析されてやがるッッッ!!!」

 

男たちはチョコラータのカビの情報を分析し、チョコラータがスタンドを解除して低所に逃げ出さないように回り込んで退路を塞いでサブマシンガンの斉射を続けた。

 

『おらぁぁぁぁぁッッッ!!!そのクソカビヤローを仕留めた奴には、私から直々に褒美をくれてやるッッッ!!!怯むな!!!死体が残らないほどに鉛玉をブチ込んでやれッッッ!!!』

 

無線からメロディオの檄が周囲に響き、男たちの士気が上がった。

銃弾はますます激しく撃ち込まれ、時折放られる手榴弾にチョコラータの着ている服はボロ雑巾と化した。

チョコラータの右側頭部をサブマシンガンの尖った銃弾が掠め、チョコラータは出血した。

 

「クソッッッ!!!容赦しやがらねえ!!!イアンのヤローは、一体何をやってやがるッッッ!!!」

 

チョコラータは糸で傷口を縫い付けながら、カビで傷口を塞いだ。

チョコラータはイラついて愚痴をこぼした。

 

◼️◼️◼️

 

「待っていた。さすがにお前は役にたつ。」

 

カタルーニャ広場が一望できる建物の一室で、イアンは笑い、オリバーは一人の少年をイアンに引き渡した。

 

「ほらよ。言われていたものだ。それにしてもチョコラータのやつ、随分とハッスルしてんなあ。」

「楽しそうで、何よりだ。さて、こちらもとりあえずの手駒は揃ったか。」

 

赤ん坊のディアボロとヴィネガー・ドッピオ、そして彼らより年嵩の少年が一人。

 

「それにしても、やはり私の手腕は素晴らしい。だから言っただろう。」

「カビは死体には生えない。カビは人間にしか寄生しない。まあおかげで助かったっちゃあ、助かった。」

 

イアンは笑いながら、異界の窓から外の様子を眺めた。

 

「それにしても、スペインの暗殺チームは思っていたよりもやり方がずっとエゲツないな。チョコラータが頑張って逃げているのが笑える。ブハッ、あれ見ろよ。あのチョコラータが、汗だくになって走り回ってるぞ!走れー、走れー、チョコラータ!明日に向かって、走れー!」

「スペインは、情報があまり入ってこなかったからな。」

 

イアンが爆笑して、オリバーが返答した。

各国の暗殺チームの情報は、リュカの古い情報を元にオリバーが潜入して収集した。

スペインの暗殺チームの情報は秘匿が徹底されていてなかなか入手できず、オリバーがディアボロの配下として潜入した際に偶然手に入った情報を元に襲撃を行った。

 

「さて、チョコラータよ。お前はお前のままでいられるか?それとも新たな何者か(ドッペルゲンガー)に、お前の存在を取って代わられるのか?お前が死ぬのも、もう時間の問題なのか?お前の生の行き着く先は、一体どこにある?終末は幸福か、悲劇か、法悦か、絶望か、はたまた滑稽でつまらない喜劇に終わるのか?」

 

夜が更けるたびに、狂人たちは劇に興じる。

今宵の主役は、リュカとチョコラータ。二本立てで、お贈りしようか。

 

◼️◼️◼️

 

「通行は?」

「誰も通していません。」

「わかった。ご苦労。」

 

時間は夜間のおよそ十時半。

セーヌ川のほとりの街角に立つ重装備で武装した男から、ローウェンは報告を受けた。

 

武装した男は、ラ・レヴォリュシオンの親衛隊の一員だ。

法王ローウェンの異名は、彼を知るラ・レヴォリュシオンの上層部では絶大な効力を持つ。

 

ラ・レヴォリュシオンの親衛隊からしても、彼は畏敬すべき人物だ。

何しろ親衛隊の元リーダーが、今現在彼の忠実な副官なのである。

 

歴史ある組織ラ・レヴォリュシオンは、爆弾魔を輩出して斜陽を迎えた。

今現在組織は、フランシス・ローウェンの強烈なまでの威光に支えられている。

弱っているラ・レヴォリュシオンに他の組織が手出しを出来なかったのも、一重にその威光が原因だった。

 

「爆破された直後にパリ近郊の各区画に人海戦術で交通規制を敷き、どこからも不審者の目撃情報が上がっていない。高確率で、奴はこの区画内にいる。」

「………建物内部ね。」

 

ヴィリーの言葉に、ローウェンは首肯した。

 

「厄介だ。なんらかの罠を張って待ち受けている可能性が高い。」

「対象区画内の感情の反応数は、全部で八十六。手分けして探す?」

 

ローウェンは、現状取れる手立てを思考した。

 

「それは危険だ。奴はお前たちでは相手にならない。」

「………私たちも暗殺チームに全てを捧げているのよ。」

「暗殺チームに避けられない犠牲は付き物だが、自分たちから無意味に死地に赴くのは感心しない。生きることに執着することを忘れれば、今日死ななくとも先は長くない。」

 

どう行動すべきか、非常に悩みどころだ。

個人でバラけて捜査すれば、ローウェン以外は一人ずつ消されていく。かと言ってまとまって捜索しても、奴の爆弾という能力の特性上、全員まとめて一網打尽される可能性が消せない。

探し人である以上、探知能力を持つヴィリーは外せない。時間をかけるほどに、相手に対応する時間と選択肢の幅を与えることになる。

 

「………俺が片っ端から探知箇所を捜索する。お前たちは誰とも接触するな。ランドはヴィリーの護衛だ。奴はお前たちには、少々荷が勝ちすぎる。二人で組んで、遠巻きにして敵の逃走経路を予想しろ。決して敵と相対せずに、敵が逃走したら逃さないように追跡を行え。」

了解しました。(ダコール)

「いいな、絶対に戦うな。見つからないように追跡しろ。万が一見つかったら、脇目も振らずに逃げろ。」

 

ローウェンが単騎で周辺の捜索に向かい、二人はローウェンの影に徹した。

 

◼️◼️◼️

 

「ふざっけんなッッッ!!!アイツらどこまでやりたい放題やるつもりだ!!!」

 

射線がさらに二つ増えた。

人員が二人増員され、六ヶ所からコンクリートの遮蔽物に隠れるチョコラータにサブマシンガンの弾が乱射された。

コンクリート片が飛び散り、チョコラータの頬を切った。チョコラータは銃弾の直撃を喰らわないように、必死に遮蔽物に身を隠しながら移動して逃げ回っている。とっくにスタンドを行使する余裕など無い。

 

「セッコさえ、セッコさえいりゃあどうにかなんのに!クッソがああッッッ!!!」

 

チョコラータの顔は真っ赤になり、汗と鼻水が石畳に飛び散った。

一つの銃弾がチョコラータのふくらはぎをかすめ、チョコラータはつんのめった。

 

「痛えッッッ!!!」

 

わずかにチョコラータの動きが鈍ったすきに、兵士の一人がチョコラータの隠れている場所に向けてスタングレネードを投げ込んだ。

 

「あ、これほんとにやばいやつだ。」

 

至近距離で閃光弾が炸裂し、強烈な音と光にチョコラータの五感はしばらく効かなくなった。

 

「うえええッッッ!!!」

 

乱射される銃弾に、左足の膝から下を吹き飛ばされた。

目が見えず音も聞こえず、大量に流血し、片足が消し飛ばされた。スタンドを行使する余裕はない。

 

「あ………。」

 

薄ぼやけてわずかに光が戻ってきた視界に、目前でMk.22を構える阿修羅の姿が映っていた。

 

「イアン、イアン!どこにいる!私を助けろ!!!あえっっっ!!!」

「………。」

 

人影は無言でチョコラータの頭部に向けてありったけの銃弾を連射し、頭部が吹き飛ぶと同時にチョコラータの下半身は痙攣し、肉塊となって地面に溶けて消えていった。

 

「姉貴、お疲れ様です。」

「お疲れ様です。」

 

メロディオのそばに、コワモテの兵士たちとレノが近寄ってきた。

 

「この程度のカスに、ルーベルクがやられるとは思えん。動機も目的も不明のままだ。レノ、組織の人員を片っ端から叩き起こして被害状況の確認と事件の背景の洗い出し、周辺の捜索を行え!」

「了解致しました。」

 

レノが下がると同時に、メロディオは部下に怒鳴り散らした。

 

「テメエら!!!全員揃ってその股間についているものは、飾りかッッッ!!!吹き飛ばすぞッッッ!!!この程度のクソカビヤローに、スペインの暗殺チームがいつまでもコケにされたままでいるな!!!初撃で仕留めろ、この下手くそッッッ!!!役立たずの雑魚どもがッッッ!!!」

「すみませんッッッ!!!」

「すみませんッッッ!!!」

 

メロディオは怒鳴り散らした。

四人の兵士たちは揃って股間に付随しているブツが縮み上がり、メロディオに敬礼した。

 

「わかったらさっさと周辺の捜索を行え!!!今すぐだッッッ!!!走れッッッ!!!」

 

四人は慌てて、蜘蛛の子を散らすように周辺の捜索へと向かった。

 

◼️◼️◼️

 

「あっはっはっはっは!笑いが止まらん!チョコラータが、ベソをかきながら助けを呼んでるぞ!」

 

イアンが笑いながら、部屋の窓からチョコラータを指差した。

 

「おいおい、馬鹿笑いしてる暇があんのか?アイツらすぐにでもここにやってくるぜ?」

 

オリバーが、笑い続けるイアンに忠告した。

 

「そのためにこいつがいるんだろう!さあッッッ!!!」

 

イアンのスタンドが、スタンドを発現させるウィルスを内包した注射針を取り出した。

 

「見ろッッッ!!!アレが、役立たずのチョコラータの成れの果てだ!!!お前は私の手駒として、私の望み通りに踊れるか?役に立つチョコラータを、演じることができるかッッッ?」

 

オリバーが連れてきた少年は、頷いた。

スイスの研究室で三人のチョコラータを戦闘させている最中、イアンは新たなチョコラータを生み出していた。同じ場所に同じ人間がいれば殺し合いになるのなら、隔離しておけばいい。彼は時間差を置いて生み出した、チョコラータに何かあった時のスペアだ。何かあるのが前提なのだが。

スタンドは一人一体。チョコラータのスタンドは、カビを操るグリーン・デイだ。

 

「さあ、私の命じた配役をこなしてみせろ、チョコラータッッッ!!!」

「あっ、あっ、ああッッッ!!!」

 

イアンのスタンドの執刀医が少年に注射を刺し、注射を刺されて恍惚とした表情の少年の背後に新たにグリーン・デイのヴィジョンが浮かび上がった。

 

「さあ!お前たちは、狂気の夜を越えられるか!!!スペイン暗殺チームよッッッ!!!」

 

イアン・ベルモットは両手をすくめて、楽しそうに笑った。

 

◼️◼️◼️

 

セーヌ川のほとりに建った暗く静かな工場跡地に、冷たい殺気が充満していた。

周囲にコツコツと乾いた靴の音が響き、赤毛の男の瞳には漆黒の殺意が渦巻いている。

 

「………どこにいる、姿を現せ!!!」

 

ヴィオラートが感情を探知する中で、当該区画内でたった一つだけ常時移動を続ける点が存在した。

 

「………ッッッ!!!」

 

ローウェンがその点に不審を抱いて目星を付けて追跡すると、そこはセーヌ・サン・ドニに存在するオモチャの廃工場だった。

 

「待てッッッ!!!」

 

工場内に潜むフードを被った男は、ローウェンの姿を見るなり工場内を慌てて逃げ出した。

ローウェンは素早く男の後を追った。

 

「………ッッッ。」

 

工場内を薄い雲が覆い、気温が低下し床は凍りつき、それに足を取られた男をローウェンは速やかに追い詰めてゆく。

 

「どこだ!奴はどこにいるッッッ!!!」

 

目の前で逃げ出した男は、逃げ足の遅さからリュカである可能性は低い。ほぼ間違いなく囮だ。

それでもローウェンは慎重に男に近付いていく。男がなんらかの情報を持っているかもしれないし、リュカにメッセンジャーとして使われているのかもしれない。もしかしたら本物で、気を抜いた隙にブッスリという可能性もある。

 

「お前は………。」

 

ローウェンは、男を知っていた。

男は、いつも組織のそばの路地裏で物乞いをしていた名物男だ。ローウェンは見かけるたびに、空き缶に小銭を放っていた。

 

「ムー、ムー!!!」

 

男の口は糸で縫いつけてあり、喋れないようにされていた。

ローウェンは、男に近寄った。

 

「ブググアババイアアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!!!!」

「何ッッッ!!!」

 

ローウェンが男に近寄った途端、男は縫い付けられた口から奇声を発して膨れ上がった。

ローウェンが危険を感じて一歩下がった途端に、男はその場で血肉を撒き散らして破裂した。

 

そして、次の瞬間地面が激しく揺れた。

工場のアスファルトでできた床が膨れ上がり、強震度の揺れを伴い、地面が爆弾と化して炸裂した。

 

◼️◼️◼️

 

状況相関図

メンバーは、先頭がリーダーで二番目が副リーダー

 

イタリア、パッショーネ暗殺チーム

メンバー

サーレー、マリオ・ズッケェロ、ウェザー・リポート、ホル・ホース、アルバロ・モッタ

状況

サーレーとホル・ホースが、スペインに援護に向かっている。その他の人員は、有事に備えてイタリアの守護に回っている。

 

スペイン、アルディエンテ暗殺チーム

メンバー

ジェリーナ・メロディオ、レノ、ベロム、マニシェ、ロジェ、クラン

状況

スペイン、カタルーニャ州バルセロナ県グラシア通りで、チョコラータと交戦。

 

フランス、ラ・レヴォリュシオン暗殺チーム

メンバー

フランシス・ローウェン、ヴィオラート・レンハイム、ランド・ブリュエル

状況

フランス、セーヌ・サン・ドニ区の廃工場で、リュカ・マルカ・ウォルコットと交戦。

 

狂人たち

メンバー

イアン・ベルモット、オリバー・トレイル、リュカ・マルカ・ウォルコット、量産チョコラータ、ディアボロ、ヴィネガー・ドッピオ

状況

チョコラータがスペインでメロディオ率いる暗殺チームと交戦して死亡、グリーン・デイを操る新たなチョコラータがイアンによって生み出された。リュカはパリでフランス暗殺チームリーダー、ローウェンと交戦開始。ディアボロとドッピオは現状赤ん坊で、イアンとオリバーは高みの見物をしている。



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スペイン、フランス同時発生事件 後編

「ヘイ、クソッタレ小僧。今のを躱すとは、相変わらずムカつくガキだ。」

 

爆発によって廃工場の床が抉れ、中から男が出てきた。

パーカーを着てスキンヘッドの頭部に竜と髑髏のタトゥー、眼球の白眼の部分もタトゥーにより黒く染まっており、鼻と口にピアスをつけている。男は、額に手を置いて工場の天井を仰ぎ見た。天窓から月明かりが降り注ぎ、カソックを着たシルエットが天井に張り付いている。

ローウェンは床が爆発する直前に雲を多量に撒き散らして周囲の空気を急速に冷やし、上昇気流を引き起こしてそれに飛び乗って敵の攻撃による自身への被害を最小限に抑えていた。

 

「………リュカ、なぜお前は生きている?」

「どうでもいいだろ?そんなことよりも………。」

 

ローウェンが冷やして張り付いた天井から降りてきて、リュカが両手をあげると同時に時間差と共に周囲で連鎖的に爆発が起こった。

リュカの背後には、セミの幼虫に似た彼の生命のヴィジョンが、恨みを晴らすのは今日なのだと、歓喜に満ち満ちている。

 

パーティの、始まりだ(Faisons une fete.)。ヘイ!!!過去の恨みに十年越しの利息を付けて、綺麗さっぱり全部返してやるよッッッ!!!」

「地獄から迷い這い出てきたのなら、再び地獄に送ってやる!!!!」

 

殺意の爆煙と雲が室内を渦巻き、弱い方が漆黒の闇へと溶けて消える。

三日月を天頂に抱き、中央に巨大な空洞がある廃工場の一室で、二人の殺戮者は激突した。

 

◼️◼️◼️

 

「君のカビは強力だが、能力に弱点がある。」

 

室内で、イアンがオリバーが連れてきた少年チョコラータに告げた。

 

「融通の利かなさだ。制約に則った能力は、制約下では強力なパフォーマンスを発揮する。しかし、予期せぬ事態や相手に能力を分析されて攻略されてしまえば、ひどく脆い。」

 

イアンに新たに生み出されたチョコラータはうなずいた。

 

「私が君に望むのは、旧来のチョコラータの能力とは異なるグリーン・デイだ。奴らはすでに、君のカビが低所に向かうことを発動のトリガーにしていることを理解している。変化を付けて、狼狽させろ。相手の思惑を外し、後手に回し対処させろ。それが出来ないのなら、君はいつまで経ってもチョコラータの壁を超えられない。今ここで、チョコラータの壁を超えろ。」

 

クレイジー・プレー・ルーム・レクイエム。イアンのスタンドの部屋で、狂気は無限大に膨れ上がる。

少年チョコラータのカビを模した緑色のグリーン・デイは、狂気で赤く染まった。

 

◼️◼️◼️

 

周囲を捜索させた配下から、連絡が来ない。メロディオは不審を感じた。

 

「クソッタレ!アイツらちっと目をかけてやっていたのに、また鍛え直しだな。」

 

メロディオは懐から携帯を取り出して、レノに電話をかけた。

 

「おい、パッショーネからの援軍の到着はまだか?」

『あと三十分ほどでカタルーニャ州に入るとの連絡を受けています。到着したら、こちらで事件の説明を行いそちらへ送ります。』

「了解。」

 

通話を切って電話を懐にしまった時、不意にメロディオは電話を持った自分の左手に違和感を感じた。

 

「これは………ッッッ!!!」

 

左手を、赤い不気味な植物が覆っている。

カビだ。メロディオは、慌ててレノに連絡を取り直した。

 

『どうなさいましたか?』

「レノ!!!グラシア通り周辺を大至急再封鎖しろ!!!急げッッッ!!!」

『一体何がッッッ?』

 

カビを操るスタンド使いは、すでに倒したはずではなかったのか?

 

「パッショーネに告げろ!!!危険度レベル4だッッッ!!!私が帰ってこないことを、想定しろッッッ!!!」

『ッッッ!!!了解しましたッッッ!!!』

 

カビは強い生命力を持つが、弱点も多い。

乾燥、50℃を超える熱、殺菌効果を持つ消毒液、風などが挙げられる。

メロディオはカビ使いの暗殺に失敗した場合は、それらの手段のいずれかを大規模に行う作戦を予定していた。

 

チョコラータのカビの天敵は、風や熱を操るウェザー・リポート、フランシス・ローウェン、ジャック・ショーンなどのスタンドが挙げられる。

フランシスがフランスから動けないのは非常に痛手で、パッショーネにウェザー・リポートという風を操れるスタンド使いがいることを知らないことも、メロディオにとって致命的だった。それを知っていれば、メロディオはウェザーを指名して彼らの到着まで耐えるという選択肢を取り得たのだ。

 

「アエアアエエエエッッッ!!!」

「お前ら………。」

 

メロディオの部下が、メロディオの元に帰ってきた。全身を赤いカビに寄生された無惨な姿になって。

メロディオは右手で即座にホルスターからMk.22を抜いて、四人の頭部を吹き飛ばした。

四人はその場で倒れて、痙攣して動かなくなった。

 

「時間はない、か。」

 

左手に寄生したカビは、先ほどよりも侵食してきている。左手だけだったのが、左腕の第一関節を上に上がってきている。

脳まで侵食されたら、おそらくは先の四人のようになってしまうのだろう。

 

先に仕留めた配下の四人はメロディオよりも侵食が進んでおり、おそらくはそちらに進んだ方向に黒幕がいると考えられる。

 

メロディオは拳銃を構えて、慎重に先へと進んだ。

鬼が出るか、蛇が出るか。進むしか、道はない。

 

◼️◼️◼️

 

「ヤー、ハーッッッ!久々のシャバだ。心が踊り、工場が爆発するぜッッッ!!!」

 

リュカとローウェンは戦闘を有利に進めるために工場内を走りながら、時折対峙して拳を交わした。

ローウェンのスタンド、ハイアー・クラウドの雲が工場内の中空を覆い、リュカのスタンド、ケミカル・ボム・マジックの生成した爆弾の爆風が雲を吹き飛ばして散らした。

 

「………消え失せろ。外道が。」

「先輩に向かって、何たる言い様だ。俺が教育し直してやるよ!!!」

「貴様に教わることなんぞ、何一つとしてない。」

 

工場を支える一本の鉄骨を挟んでローウェンとリュカは向き合い、水色の波打った形状のスタンドとセミの幼虫のようなスタンドは瞬時にいくつもの拳を交えた。鉄骨は瞬く間にへし折れ、リュカのケミカル・ボム・マジックが口腔に付随するストローをへし折れた鉄骨に突き刺した。

ローウェンのスタンドが鉄骨周辺の地面を凍らせ、敵を至近距離から逃すまいとするも、鉄骨が爆発して爆風に乗って二人の距離は離された。

付近をローウェンの雲が覆い、リュカは敵のスタンドの有効範囲から逃げ出した。

 

「相変わらず、厄介なガキだぜ。」

「………落雷(クー・デ・フード)。」

「んあ?」

 

ローウェンのスタンドが噴出した雲は、突然動きを変化させて一箇所に収束して縦長に伸びた。

縦に長い雲はあたりに気流を巻き起こし、静電気と火花を散らし、小型の雷がリュカ目掛けて落雷した。

しかしそれは直撃寸前で不自然な軌道を描き、地面に着雷した。

 

「………避雷針か。」

「テメーお得意の必殺も、こんなに簡単に避けられるんだぜ?まったく便利な世の中だよなあ。ヘイ!」

 

リュカは、笑いながらローウェンを挑発した。

その時突然ローウェンの横の壁が膨れ上がって、小型の爆弾を無数に周囲に飛び散らせた。

 

「………マジうぜえなあ。それを防御するとか。」

 

リュカのスタンドの必殺であるクラスター爆弾。それは非常に高い殺傷力を持つ。

大きな爆弾の内部に多数の小型の爆弾を内蔵し、散弾銃のように周囲一帯に爆撃を行う。

ローウェンは自身の左半身を瞬時に分厚い氷で覆い、散布された無数の爆弾を防御した。

 

周囲の空気がローウェンに向かって流れ、緩やかに分厚い雲が辺りを覆っていく。

 

「………遊びはここまでだ。」

「はあ?」

 

ローウェンの精神が、闇の奥底に沈んで行く。

 

不審時に於いて、時に情報は命にも等しい。

リュカから情報を搾り取るために生け捕りを予定していたのだが、相手が想定よりも粘るのでローウェンは急遽予定を変更した。

廃工場に差し込む月明かりは、分厚い雲に遮られて闇に飲み込まれて行った。

 

◼️◼️◼️

 

「お待ちしていました。」

 

少年がメロディオを迎え、メロディオは相手の頭部に銃口を向けた。

 

「おっと、それはお勧めしません。僕の赤いカビは、僕を殺せば瞬く間に拡散し獰猛になり、辺りの生物を見境なく喰い殺します。」

「………。」

 

………読めない。

真実か虚構(ブラフ)か、街灯の逆光を背にした少年の表情からは判別がつかない。

 

「正解です。僕の言葉が真実であれ嘘であれ、貴女に僕は撃てない。僕を撃てば、僕の背後にいるさらなる邪悪を貴女は取り逃がすことになります。」

 

神経を逆撫でする表情で、少年チョコラータは笑った。

グラシア通りの一角に建つホテルの前で、メロディオとチョコラータは二度目の邂逅を果たした。

 

「何が目的だ?」

「さあ。彼に聞いて下さい。僕は貴女の案内役だ。」

 

チョコラータはそう告げると、メロディオの左手のカビを取り払った。

 

「何のつもりだ?」

「だから僕はただの案内役だと。僕は主人(マスター)のオーダー通りに動く、ただの人形です。人形を攻撃したところで、何も解決しませんよ?」

 

チョコラータは無表情に返答し、メロディオの拳銃の銃口は依然チョコラータの頭部に照準を合わせている。

 

「おやおや、臆病者のお姉さんは、平和の使者に銃口を向けたままでしか向き合えないんですか?」

「どの口が平和の使者などとッッッ!!!」

「僕は、貴女がさっきまで戦っていた人間とは別人ですよ?貴女への攻撃も解除して丁重に出迎えたのにこの仕打ちとは、野蛮人と罵られても仕方ないのでは?」

「………平和の使者を騙るのならせめて名前ぐらい名乗ったらどうだ?」

「これは失礼。僕の名前は、チョコラータと申します。」

 

チョコラータはニヤニヤ笑いながら、慇懃無礼な口調でどこまでも挑発した。

平和の使者を騙るなどと、不愉快も甚だしい。スタンドで攻撃して強制的に取れる選択を狭めたのはこの男だ。第一メロディオは、すでにこの少年の攻撃で部下を四人失っている。

 

「それはお姉さんご自身が殺害されたのでしょう?」

 

少年チョコラータはメロディオの思考を読みながら、どこまでも神経を逆撫でにしてくる。

 

メロディオは深呼吸した。取れる選択肢は三つ。

この少年に着いて行く。この少年をここで殺害して独自に黒幕を探す。逃走する。

どの選択も、一長一短だ。

 

最初の選択の利点は、少年が嘘を付いていなければ黒幕と直接対峙できる。

欠点は、生還できる可能性が極めて低い。

 

二番目の選択の利点は、少なくとも敵方の厄介な駒であるだろう目前の少年を始末できる。

欠点は、敵の情報が何も入ってこない。カビのスタンド使いは消したはずなのに、スタンド使いの少年が新たに現れた謎が何も解明されない。付け加えて言うと、少年の言葉が真実だった場合、周辺地域を少年のカビが蹂躙することになる。

 

三番目の選択の利点は、メロディオという強力な駒が生きて還ることが出来る。

欠点は、やはり敵の情報が何も入ってこない。カビを使うスタンド使いは依然猛威を振るい、相手の出方がわからないままに後手に回ることになる。

 

付け加えれば、もうじきパッショーネの援軍が到着する。

それらを鑑みて最善の選択肢は。

 

「………連れて行け。」

 

メロディオは、覚悟を決めた。

 

◼️◼️◼️

 

雷光の如き速度で、ローウェンのスタンドがリュカとの距離を詰めてきた。

リュカのまぶたに薄く氷が覆い被さり、それに気付いた時にはすでに、リュカはローウェンとの距離感を見誤っていた。

 

「おおう。やべえなあ。」

 

いきなりトップギアに上げてきたローウェンにリュカは慌ててスタンドを操作し、ハイアー・クラウドの拳を腕を交差させて防御した。

 

「マジッッッっ!!!かよッッッ!!!」

 

ハイアー・クラウドの右拳は敵の交差させた腕に衝突する寸前に鉤爪の形になり、しなやかな鞭のように軌道が変化してリュカの首筋後ろの脊髄神経を根こそぎ引き千切ろうとしてきた。

リュカは慌てて首を捻り、相手の指を躱した。

 

「うえッッッ!!!」

 

しかしハイアー・クラウドの右拳は、さらに変幻自在に軌道を変化させて代わりにリュカの鼻を吹き飛ばした。飛び散る血液が目に入り、リュカの視界はさらに狭まった。

同時にハイアー・クラウドの左拳が蛇のような軌道を描き、リュカの喉笛を引き千切った。

リュカは、喉からも盛大に出血した。

 

「あひっ、あひひひ。容赦ねえなあ。昔よりもさらに動きがキレてやがる。」

 

リュカの鼻と喉の傷は復元されていき、リュカはローウェンから距離をとった。

 

「………貴様、なぜ生きている?」

 

今の攻撃は、間違いなく致命傷だったはずだ。

しかし傷は復元され、元どおりになった。リュカはニヤニヤ笑っている。

ローウェンは唐突に、リュカが生きている人間の感情を探知するヴィオラートのレーダーに映らなかったことを思い出した。

 

「言うわけねえだろ、ボケッッッ!!!俺は、絶対にお前に復讐する。まあとは言っても、俺も無駄死にはしたくねえよなあ。そもそも生きてねえと、復讐できねえわけだし。」

 

リュカは、首をかしげる仕草を取った。

直後にリュカのスタンド、ケミカル・ボム・マジックが両手を上げると同時に、工場の壁が爆発した。

 

さようなら(Au revoir.)。ローウェン。」

「待てッッッ!」

 

リュカは工場の壁を抜いて逃げ出し、ローウェンは逃げるリュカの後を追った。

 

◼️◼️◼️

 

「不躾なお嬢さんだ。出会うなり、いきなり銃撃してくるとは。」

 

イアンが両手を広げて、笑った。

メロディオは、目を細めて難しい表情をしている。

 

メロディオの道化(スタンド)は、この世の理を司る。

故にメロディオは理解した。ここは通常の理が捻じ曲げられる、異界である。

 

メロディオが手に持ったMk.22でイアンを銃撃し、銃弾は部屋内で上方からたまたま落下してきた分厚い本に遮られて、軌道が変わった。

さらに立て続けに銃撃し、それはたまたま手を動かしたイアンの右腕の骨に絶妙な角度で当たって、軌道が変わって逸れていった。

三発目の銃弾は、たまたま指を曲げたイアンのスタンドに摘みとられた。

メロディオは、空になった弾倉に弾を込め直した。

 

「元気なのは嫌いではないが、人と対面するときの作法には気をつけよう。」

「お前が本当に人間と呼べるのならな。お前からは、ハエも集らないヘドロ以下の匂いがする。」

 

メロディオは装弾された八発の銃弾を全てイアンに向けて連射し、それはたまたま全部なんらかの要因によってイアンを外れた。

メロディオがピンを抜いて床に転がした手榴弾は不発に終わり、イアンはそれを足で踏み転がした。

 

「酷いことを言うな。私だって、生きている。幸せを求めてヨーロッパを旅をしてるんだ。」

「お前の歩いた道の後には、屍の山が出来上がる。お前は生かしてはおけない!!!」

「ならばどうする?」

 

イアンのスタンドがいる部屋の中で、イアンは万能超人となる。

起こり得る事象のうち、最もイアンに有利な状況が展開される。

クレイジー・プレー・ルーム・レクイエム。狂気は、無限大に膨れ上がる。

 

イアンが手榴弾をメロディオの方に蹴り転がし、それは横っ跳びに逃げるメロディオの近くで炸裂した。

イアンのスタンドの執刀医がメロディオとの距離を詰め、メロディオの腹部を強打した。

メロディオは壁に激突して、部屋の床に這い蹲った。

 

「筋肉質だな。思ったほど吹き飛ばなかった。見た目よりもずっと重い。さぞかし必死に訓練したんだろうな。だが無意味だ。………お前は今、どういった気分だ?」

 

開腹するのが楽しみだ。イアンは、楽しそうに笑っている。

白衣を着た不気味な執刀医が、メロディオに向かって近寄って来た。

 

◼️◼️◼️

 

「そろそろ、決着はついたっすかねえ?」

 

ランドが、ヴィオラートに話しかけた。

 

「………気を引き締めて集中しなさい。」

「でもフランシスさんっすよ?」

 

廃工場の物陰で、ヴィオラートとランドは工場の入り口を見張っていた。

敵が逃走した場合、距離を置いてヴィオラートのレーダーで追跡するためである。

 

「………あなたを連れて来たのは間違いだったと、ローウェンに言わせたいの?」

「厳しいっすねえ。」

 

若いランドが、苦笑いした。

リーダーであるローウェンが工場に侵入して、およそ十五分。そろそろ決着がついても良さそうだ。

 

工場内では時折爆音が響いていたが、ランドは一切の心配をしていなかった。

何しろフランシス・ローウェンは、ヨーロッパ暗殺チーム最強と名高い。

 

ランドは戦闘の才能はあったが、経験が浅いがゆえに暗殺チームのシビアさを甘く見ていたのである。

そして、時に思慮の浅さはそのまま致命の事態へと直結する。

 

「うわッッッ!!!」

「馬鹿がッッッ!!!さっさと隠れろッッッ!!!」

 

突然彼らがいる近くの工場の壁が爆破され、ヴィオラートは反射で素早く物陰に隠れたがランドは何があったのかと身を乗り出してしまった。

工場から出てきた人物の黒い眼球の中にある青い瞳がランドを射抜き、さらに彼に必死に忠告するヴィオラートの声も彼に聞こえてしまっていた。

思わぬ福音に、リュカは邪悪に笑った。

 

「あ、ああ………。」

「邪魔だ、クソガキ。」

 

ランドは、リュカの迫力のある表情に怯んだ。

リュカのスタンドが素早い動きでランドの顔面に殴りかかり、ランドは彼のスタンドで必死に腕を交差させて防御して地面を転がった。

 

「ヘイ!!!久しぶりだなあ、ヴィオラート。」

「………ゲスが!」

 

ヴィオラートがマニューリンMR96を構えて、リュカ目掛けて発砲した。

リュカは、銃弾を容易くスタンドで弾いた。

 

「ヴィリー!!!」

「おおっとぉ。」

 

ローウェンがリュカを追って工場から出てきた時は、すでに遅かった。

リュカはヴィオラートの背後に回り、首筋にストローを突き立てていた。

リュカはヴィオラートを、ローウェンに向かって突き飛ばした。

 

「ボム!」

 

ヴィオラートが、ローウェンの目前で血肉を撒き散らして弾け飛んだ。

次の瞬間、リュカの頭上に雲が収束し、雷を落とした。

 

「あぐッッッ!」

「死ね。」

 

リュカはローウェンの恋人を殺して隙を作り、逃走を目論んでいたのだが、その目論見は見当外れに終わった。

落雷がリュカを襲って硬直した次の瞬間にはローウェンは距離を詰めており、ハイアー・クラウドがリュカを地面に引きずり倒した。

そのまま即座にリュカの頭部を踏み潰し、リュカの死体は地面に溶けて消えて行った。

 

「フランシスさん………すみません。」

 

ローウェンはランドに近寄り、彼を殴り飛ばした。

コンクリートの地面に血が飛び散り、ランドの前歯が転がった。

 

「………暗殺チームに、避けられない犠牲は付き物だ。だからこそ、一瞬の油断も許されない。どれだけ強かろうとも、油断した人間から簡単に死んで行く。」

 

ローウェンはランドにそれだけ告げると、胸部の飛び散ったヴィオラートの遺体を大切そうに抱え上げた。

 

◼️◼️◼️

 

道化の世界(エル・モンド)。』

 

痛みで床に蹲るメロディオの前に天秤が浮かび上がり、周囲に白い光を発して緩やかに回転して小刻みに震えた。

イアンは、それを警戒した。身動きの取れないメロディオのただの悪足掻きか、はたまた切り札か?

 

イアンの能力は、部屋の中の状況をイアンに最も有利な展開に持っていくものだが、無敵ではない。

イアンに打つ手や勝ち筋がない状態では、イアンは簡単に敗北する。はっきり言えば、有利に事態が運ぶ部屋の中だろうと真っ向勝負でスター・プラチナにはとても勝てない。少なくとも、()()

 

天秤は震えて何かを起こしそうな雰囲気が漂っており、天秤の後ろでは道化のヴィジョンがアルカイック・スマイルを湛えている。

イアンはその様子に、不気味さを感じた。

 

「………貴様、それは何だ?」

「さて、何でしょうか。正解は、発動した後で。」

 

メロディオの切り札は、発動に時間がかかる。効果範囲も狭い。

効果範囲に敵を巻き込めれば勝利が確定するが、敵はひどく警戒して近寄って来ない。

それならば、それでいい。最悪は、発動前に問答無用で敵が攻撃を仕掛けてくることである。

 

メロディオはこの局面で、初めてイアンに精神的に優位に立った。

イアンは、メロディオを攻撃するべきか相手の不気味な能力に対して逃走するべきか迷った。迷った挙句、部屋の中ではイアンにとって最高の状況が作り出されるという自身の能力の特性に頼って、距離を取って様子見をするという結論に達した。

 

「どうした、臆病者?私から逃げないのか?イキリ損なった、マヌケなヘドロヤロー。何が起こるか呆然と立ち尽くして待っているだけの今、一体お前はどんな気分だ?」

「………。」

 

メロディオは、警戒するイアンを煽り返した。

二人の間で精神の駆け引きがなされ、宙に浮かぶ天秤はやがて破裂した。

 

◼️◼️◼️

 

「状況は?」

 

高速ヘリでカタルーニャに到着したサーレーは、出迎えたレノに現状の確認を取った。

 

「我らのリーダー、メロディオが、カビを使うスタンド使いを一旦仕留めました。しかし、背景の洗い出しのために周辺の捜査を行っている最中に、帰らない事を想定して作戦を組めと言い残して連絡が途絶えました。今現在は、対象区画のグラシア通り周辺は封鎖中です。」

「了解した。作戦は?」

 

サーレーが、レノに聞き出した。

 

「今現在は、部下を送って対象区画の状況を把握している最中です。カビが未だに猛威を振るっているようでしたら、イングランドのジャック・ショーン氏に緊急の協力を要請する事を想定しています。」

「………アンタも大変だねえ。」

 

ホル・ホースが、タバコを咥えて火を付けた。

事態は、リアルタイムで同時進行して視点が変化する。

 

「ヒイイッッッ!!!」

 

暗い足元を、なにか小動物が駆けて行った。

それを恐れて、彼は悲鳴を上げた。

 

グラシア通りを懐中電灯と共に捜索するスペイン暗殺チーム使い捨ての駒、彼の名前はベルーガ。

少年少女を誘拐して少年兵に仕上げ、テロ組織に売り渡すという外道商売を営んでいた海外の組織の裏のトップである。

彼はメロディオに策略を見破られ、死ぬまでスペイン暗殺チーム所属を言い渡されていた。死んだら足を洗えるって………。

 

………何でこんなことになったのだろうか?彼はただ、金持ちになりたかっただけだ。

まあ言ってしまえば手段があまりにも最悪すぎただけで、目的自体はさほど後ろ指を刺されるものでもない。

 

彼は今現在、人を喰い殺すカビが繁殖しているという情報が入ってきたグラシア通りに、現状の把握と行方の知れない暗殺チームのリーダーの捜索のために向かわされていた。

 

『逃げたり反抗したら、即刻殺しますから。』

 

暗殺チーム、情報収集部のレノという男が、拳銃を片手に殺意を滲ませてニッコリと笑った。

ベルーガはその笑顔に恐怖を感じ、逆らったら間違いなく殺される事を理解していた。

 

「勘弁してくれよぉ。」

 

彼は弱音を吐いて、泣きベソをかいた。

何であんな年増の貧相女のために、こんな危険な場所の捜索を行わねばならないのか?

 

『彼らは、あなた自身の罪によるものよ。』

 

リーダーに思いをはせると同時に、異常な世界に連れていかれて白い手に生命を掴まれる感触を思い出した。

前門の虎に、後門の狼。行くも地獄、引くも地獄。いつどこから生命が脅かされるかわからない。

 

「ああああああああああああ!!!」

 

得体の知れない何者かに襲われる幻覚を見て、ベルーガは恐怖の叫び声を上げた。

事態は、リアルタイムで同時進行して視点が変化する。

 

メロディオの連絡を受けて、レノはグラシア通り周辺に六ヶ所、二重の検問を設けた。

およそ五百メートルの距離を置いて、計十二ヶ所の通行止めを設置したのである。

ここは、その中でもグラシア通りから見て南側の、E地点。

 

「こんな夜中に、一体何があったってんだよ?」

「さあな。上からの緊急通達だ。何やら相当ヤバイ事態らしいが、情報がまるで入ってこない。俺たちゃあ知らない方がいいって事だろ。」

「寝みいよ。明日俺、支部に顔出さないといけないんだぜ。」

「緊急事態だからそれくらい考慮されるだろ。まあ、どうなんだろうな?」

 

アルディエンテの下っ端の構成員が四名、武装して検問を行なっていた。

情報が規制されていて、状況がまるでわからない。上からの通達は、不審人物を絶対に通すな。行き来しようとする人物がいたら、事情を適当に説明して押し留めろとのことだった。

 

「ホラよ。」

「おっ、あんがと。」

 

一人の男が自動販売機からジュースを購入し、配って回った。

その瞬間、暗闇から何者かが彼らにいきなり襲いかかってきた。

 

「うわああッッッ!!!」

「何事だッッッ!!!」

 

ジュースを配り終えた男に赤い気持ちの悪い何かが付着した人間が襲いかかり、男は恐怖で所持する拳銃を発砲した。

 

「何だッッッ!!!貴様ッッッ!!!離れろッッッ!!!」

「撃つな、撃つなッッッ!!!」

 

一人の男が襲いかかってきた人間を力任せに剥がし、拳銃を構えた。

 

「動くなッッッ!!!動いたら、射殺するッッッ!!!」

「おい、これ………。」

 

拳銃を構えた男の袖を別の男が引っ張り、周囲を指差した。

辺りには複数の、得体の知れない赤い何かが付着した人間が彼らを取り囲んでいた。

事態は、リアルタイムで同時進行する。

 

『こちらA地点ッッッ!!!変な赤い奴らが襲ってきましたッッッ!!!交戦中です!!!援護を頼みますッッッ!!!』

『こちらC地点!!!うわああああッッッッ!!!寄るなッッッ!!!』

『こちらG地点!!!同じく交戦中ですッッッ!!!』

 

タイミングをほぼ同じくして、レノの無線にいくつもの救援要請が入ってきた。

どこの連絡も同じで、得体の知れない赤い奴らが襲ってきたとのことだった。

 

「サーレーさん。すみません。状況が変わりました。読みが甘かった。私は、待機人員を呼び出して人員の再配置を行わないといけない。」

 

レノがサーレーに頭を下げた。

 

「聞いていた。ならば俺とコイツは独自に動こう。グラシア通りを捜索している人間のフォローに向かう。」

 

サーレーが親指で、ホル・ホースを指した。

 

「俺っちもかよ。」

「口応えすんな。」

「サーレーさん。グラシア通りの捜索を行っている人物の名前はベルーガ、以前パッショーネとの共同作戦でアルディエンテに吸収された組織の少年です。」

「わかった。」

 

ここはグラシア通り、検問C地点のすぐ近くだ。

 

「C地点のフォローをしてから向かう。」

「助かります。」

 

そしてまたまた視点が変わる。

ここは先の検問E地点。得体の知れない赤い集団の襲撃にあったそこには、なぜか今輝く煌びやかな小型の回転木馬が存在する。

 

「さすがに、痕跡を一切残さずに逃走することは不可能だ。」

 

イアンは笑った。

 

「オリバーさんって臭いくせに、案外役に立つんですねえ。」

 

少年チョコラータが、慌ててパニックに陥っている検問の横を悠々と通過した。

 

「………お前可愛くねえなぁ。赤ん坊の頃は、あんなに可愛かったのに。」

「気持ち悪いのでやめて下さい。」

 

オリバーが両肩にディアボロとドッピオを抱えて、少年チョコラータに文句を言った。

 

彼らの逃走作戦は、シンプルだった。

チョコラータの赤いカビでまだ生きている人間を操り、検問がパニックに陥っている隙にオリバーの記憶を残せないスタンドを行使して逃走する。

 

「それにしても意外と厄介だったなあ、あのスペイン暗殺チームのリーダー。」

「オリバー、お前の情報が足りていなかったから、作戦が片手落ちで終わるんだ。この役立たずが!!」

「………もう少し労ってくれても、いいんでない?」

 

視点は、変わる。

暗殺チームのリーダーの捜索とカビへの人身御供をグラシア通りにて孤独に続けていたベルーガ。

彼の前に、人影があった。

 

「あんた、なんなんだ!」

「………。」

 

人影は、返答をしない。体格的には、居なくなった暗殺チームのリーダー、メロディオと合致する。

ベルーガは恐る恐る、懐中電灯を人影に向けた。

 

「うわああああああああッッッッ!!!」

 

人影は、全身が不気味な赤に染まっていた。

ベルーガは驚いて、懐中電灯を取り落とした。

 

「何があった?」

「ヤローのサポートなんざ、やる気でねえや。」

「アンタらは?」

 

ちょうどその時、彼の元にサーレーとホル・ホースが到着した。

人影が手を動かし、その動きに銃火器だと判断したサーレーは素早く前面に出た。

 

周囲は暗く、相手の動きが見えない。コマ送りを発動しても射線が読めず、サーレーは目を瞑って集中した。

サプレッサー付きの拳銃が火を吹き、集中したクラフト・ワークの周囲に皮一枚で複数の銃弾が浮かんだ。

 

「ナーイス、リーダー。援護するよん。」

 

背後からホル・ホースが銃撃し、人影の足を撃ち抜いた。

しかし人影の動きは、止まらない。

 

「待て!ホル・ホース。生け捕りにする。俺に任せろ!!!」

「了解。」

 

敵に関する情報が少なく、人影は銃火器で攻撃してきた。強力なスタンド使いなら、スタンドで攻撃してくるはずだ。

サーレーは瞬時に判断し、リスクを負って相手を生け捕る選択を採用した。

 

サーレーが人影との距離を詰め、クラフト・ワークが相手を俯せに地面に押し倒した。

筋肉質ではあるものの、骨格と体の線から女性であるということが判別できた。

 

「ホル・ホース。縛るものを渡せ!!!」

「ほいよー。」

 

ホル・ホースは首に巻いたマフラーをサーレーに手渡し、サーレーはそれで人影を後ろ手に縛った。

ベルーガから引っ手繰るように懐中電灯を受け取り、それを人影に当てた。

 

「お前は………。」

「………。」

 

それは赤いカビに寄生されて判別がつきにくいものの、間違いなくスペイン暗殺チームのリーダー、ジェリーナ・メロディオだった。

 

「どするよ、リーダー?」

 

ホル・ホースも、メロディオとは面識がある。

彼女の現状が把握できない今、どう行動するべきかサーレーはしばし考えた。

 

「………ホル・ホース。レノに連絡を入れて、状況を説明しろ。コイツは俺の能力で固定して、ここに置いておく。お前は俺の後を付いて来い。状況をなるべく早く把握するために探索を続ける。」

「りょ。」

「………。」

 

ベルーガは震えながら頷き、ホル・ホースは了解を省略した。

 

「一体何が起こっている?この夜に暗躍するのは、一体何者だ?」

 

ジェリーナ・メロディオは百戦錬磨のスペイン暗殺チームの猛者だ。

彼女を得体の知れない状況に陥れた見えぬ敵に、サーレーは警戒心を一層高めた。

 

◼️◼️◼️

 

「あー。それは処分しちゃっていいよ。私じゃないし。敵能力の研究対象にしてもいいよー。ちょっとくらいなら目を瞑るけど、あんまりエッチ過ぎることはしないでね。やん。」

「するかアホッッッ!!!」

「えー、押し倒したって言ってたじゃん。このエロガッパ。」

「濡れ衣だッッッ!!!」

 

メロディオはニヤニヤ笑い、サーレーは脱力した。

この女はこの危機的状況で、どこまでマイペースなのだろうか?

 

結論から言うと、メロディオは狂気の夜を乗り超えられなかった。

ならばなぜここにいるかと言うと。

 

『一回きりの、私のスタンドの裏技だよん。ホントにどうしようもなくなったときは、精神だけ逃すことが出来るんだ。情報を残すために自分から幽霊になったと考えてちょうだい。』

 

だそうである。

 

「お前その状態は、生きていると言えるのか?」

「時間が来れば、スタンドパワーが切れて消滅する。まあ体が無いし、生きてるかと聞かれると微妙だよね。」

 

サーレーたちはあの後近隣を捜索し、建物の一室で奇妙な白い光を発する箇所を見つけた。

そこはメロディオの展開した世界への入り口であり、サーレーはそこで精神だけとなったメロディオと邂逅した。

 

◼️◼️◼️

 

新たに開示された情報

 

少年チョコラータ

スタンド

グリーン・デイ・ネクスト・ステージ

概要

旧来の低所に向かうことで増殖し、人間を殺傷する緑のカビと、新たな時間経過とともに緩やかに増殖し、脳まで達することで人間を乗っ取る赤いカビを使い分けることができるようになったチョコラータ。赤いカビは空気感染限定で、本体のチョコラータに近付くほどに増殖速度が増す。

 

リュカ・マルカ・ウォルコット

スタンド

ケミカル・ボム・マジック

概要

フランシス・ローウェンの前任のフランス暗殺チームリーダー。以前ローウェンに暗殺された。

炭素、酸素、窒素、水素の四つの原子さえあれば、スタンドの口腔に付随したストローを突き刺してかき混ぜることでどこにでも爆弾を作り出すことが可能なスタンド使い。建物の鉄骨を爆破した際は、建物自体を大きな一つの物体として工場内から元素を掻き集めた。イアンの手術により、オリバー以上に吸血鬼化している。作成できる爆弾は基本は対人地雷および時限式爆弾もしくは点火式爆弾で、作成に手間と時間をかけることでクラスター爆弾や対戦車地雷も作成可能。さすがに、原子爆弾や水素爆弾は作成できない。

 

補足事項1

ローウェンの得意技、落雷は、生成した雲の大きさにより威力が変化する。瞬時に生成した小型の雲では、敵を殺傷するほどの威力を持たせられない。

補足事項2

メロディオの道化の世界は、肉体を持ったままだとスタンドエネルギー消費量が多く長時間の展開が出来ない。肉体を捨てての逃避は、情報を残すための最期の手段である。



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もしもいつか赦せる日が来るのならば

「やはり、実戦は必要だな。今回の戦闘で、思いもしなかった弱点が露呈した。」

 

イアンは一軒家の一室で呟いた。家の先住者がどうなったかは、知らない方がいい。

ソファに深く腰掛け、目の前のテーブルにはワインとグラスが置かれている。

 

「弱点?」

 

オリバーが、部屋の片隅で二人の赤子を抱えながらイアンに問い返した。

 

クレイジー・プレー・ルーム・レクイエム。

猿がシェイクスピアの戯曲を書き上げる、狂気の部屋。

その能力はいくつもの特性を持ち、その一つとしてイアンのスタンドのいる部屋の中では起こり得る事象の中で最もイアンに有利な状況が展開される。

 

「私の部屋では、私にとって最も都合の良いことが起こる。しかし、私が知らない事。私の理解できない事。私が不可能だと感じたことは起こり得ない。」

 

イアンの部屋で猿がシェイクスピアの戯曲を書き上げるのは、イアンがシェイクスピアの戯曲を知っているからである。

イアンがシェイクスピアを知らなければ猿は書き上げられないし、書き上げてもイアン自身がそれと気付けない。

今回の戦闘も同様で、メロディオの切り札がどういったものなのかイアンが知らなかったために、イアンはそれに最適な対応ができなかった。メロディオの切り札は、人間に理解不能な能力だった。

 

無敵のスタンドなど、いない。

イアンのスタンドは、未知のものに弱い。しかし、好奇心旺盛なイアンにとって、未知のものは大好物だ。

イアンはメロディオの奇妙な能力を前に、恐怖半分好奇心半分で何が起こるのかと楽しみにしている自身を自覚していた。

 

「ままならないものだな。」

「一体何のことだ?」

「いや、こっちの話だ。」

 

オリバーがイアンに問いかけ、イアンはワインを飲んで返答した。

 

「当分はおおっぴらに動けない。潜伏する必要がある。少なくとも………。」

 

イアンは、オリバーが抱えるディアボロとドッピオの赤ん坊に目をやった。

 

「戦力が揃い、ローウェンに対しての時間稼ぎが可能となるまで。」

「イアン、あなたの目的は一体なんなのですか?なぜ暗殺チームを敵視するのですか?」

 

チョコラータが、先住者(ジョン・ドゥ)のカルパッチョをテーブルに乗せて運んできた。

 

「目的か。君にそれを理解する必要があるとも思えないが。」

「単純な興味です。」

 

チョコラータがカルパッチョを乗せた皿を配膳しながら、イアンに質問した。

 

「………生きて何をするかが生きることの目的だという人間もいるが、生物とはそもそも生きることが目的だ。」

「そうかもしれませんね。」

 

チョコラータはイアンの前に座って頷いた。

 

「例えば君がパスタが食べたくて、レストランに向かったとしよう。しかしいざ到着して、店頭で見た食品サンプルのシーフードピッツァが、パスタよりも美味しそうに見えたとする。」

「よくあることですね。」

 

イアンの説明に、チョコラータが頷いた。

 

「君は予定を変更して、ピッツァを注文した。その過程を楽しむ事こそが、生きる事だと私は考えている。私はただ、私なりに生きる過程を楽しんでいるだけだよ。自分の人生を、素晴らしい劇にしたい。目的は、ただそれだけだ。暗殺チームは、私の人生の劇を彩る役者たちだ。」

「そこから歯止めが効かなくなれば、あなたのように他者を殺害することを躊躇わない悪鬼が生まれるのですね。」

 

チョコラータは訳知り顔で頷き、イアンはその態度が少しイラついた。

 

「君も同類だ。君のその喋り方は、オリバーと同じくらい気持ち悪いな。以前の方がまだマシだった。」

「オリバー………。」

 

チョコラータは部屋の隅で赤ん坊に頬ずりしてあやす気持ち悪いオリバーに目をやり、落ち込んだ。

 

「ところでチョコラータ、君はパッショーネにウィルスを行使するスタンド使いがいるという情報を知らないか?」

 

それはパッショーネに大量虐殺ができるスタンド使いがいるという情報から派生した、不確定極まりない情報である。

以前大人のチョコラータに質問していたが、それよりも若い彼に質問すればまた違った答えが返ってくるかもしれない。

 

「さあ。僕にはわかりません。もしも知っているとしたら………。」

「………やはり奴がカギか。とにかくあと一ヶ月弱は動けないということか。」

 

チョコラータが、部屋の隅の赤子に目をやった。

ディアボロは、パッショーネの前のボスだった。ブチャラティチームのスタンド使いの情報が入っているとしたら、彼らしかいない。

 

クレイジー・プレー・ルーム・レクイエム。

矢のウィルスよりもより強力なウィルスでスタンドがさらなる進化を遂げるとイアンが信じ込めば、その妄想は部屋の中で現実のものとなる。

イアンが脳内に描いた狂気は、現実に形を為す。

 

「とりあえずリュカを復活させる。まあどうせ、ローウェンに勝てるわけはない。今頃アイツは死んでいるだろう。」

「………スタンドの進化とは別に、生物感染の可能性はどうですか?」

「生物感染?」

 

チョコラータが邪悪に微笑み、イアンはチョコラータのアイデアに耳を傾けた。

 

「蚊やネズミを媒介にして、ウィルスをばら撒くんですよ。僕のカビよりも凶暴な性能を発揮して、首謀者も見つかりにくいんじゃあないですか?」

「ナシ寄りのナシだな。」

「えっっ?」

 

全面的に賛同してもらえると考えていたチョコラータは、目を見開いて驚愕した。

 

「このドアホ!お前は私の話を聞いていなかったのか!長く遊べるおもちゃを、自分たちから壊すのは馬鹿がすることだろう!私は楽しむ事が目的なのであって、虐殺自体が目的なのではない。それよりこのカルパッチョは、一体誰が食べるんだ?私に食人嗜好はないぞ?」

「えっっ?」

「………まあディアボロとドッピオの成長のための材料にするか。」

 

人生は、喜劇だ。

人が無様に踊り狂う様が愉しいのであって、ただ殺すだけでは面白くもなんともない。

そしてそこには、自分たちも含まれている。何もかもを捨て去って、笑って狂って踊り果てよう。

 

狂人たちの夜は、しばしの休息を挟む。

 

◼️◼️◼️

 

少し時間を遡る。

 

スイス暗殺チーム失踪の黒幕であるイアンと対峙したメロディオは、最期にとっておいた切り札を行使した。

部屋には抜け殻になったメロディオの体だけが残り、部屋の一部分が白く発光してイアンはそれに対して本能的な危険を感じた。

イアンは一部で伝手を持つメロディオを手術して手駒にしようと目論んでおり、それが失敗した今のこの現状は作戦失敗だと言えた。

 

リュカの存在により、最も警戒するローウェンがヨーロッパの現況に異常を感じ、すぐさま動ける体制に移行する可能性が高い。

さらにさまざまな場所で、今回の事件に対応した動きがあると予想される。何しろスイスとスペインの暗殺チームリーダーが、立て続けに失踪及び死亡する事態である。

 

作戦が失敗したのならば、速やかな逃走あるのみだ。

イアンはチョコラータに命令し、メロディオの抜け殻に赤いカビを寄生させて逃走した。

 

そしてイアンが部屋を去ってしばし後に、近隣を捜索するサーレーとホル・ホースとベルーガが戦闘が行われた部屋へと到着した。

部屋内は荒らされており、一目でそこで戦闘があったとわかる状況だった。

そこでサーレーは白い光を見つけ出し、危機管理の緩いアホサーレーはついついそれに触れてしまった。

そして、前話の最後の部分へと繋がっていく。

 

◼️◼️◼️

 

「まあおじさんのことは嫌いではないけど、いきなり押し倒すのはナシだよ。このどスケベ!」

「………いつまで茶番を続けるんだ?」

 

メロディオが舌を出して、サーレーはなかなか話が進まないことに呆れた。

ここはメロディオのスタンドの世界。そこでメロディオは藍色の宇宙に逆さに浮かび、サーレーとホル・ホースは座り込み、ベルーガはメロディオに怯えてサーレーの背中に隠れた。周囲には、無数の星が瞬いている。

 

「もうちょっと面白いリアクションしてくれよー。笑わせろよー。もう私は、これで最後なんだよ?」

「………そうだったな。」

 

メロディオの像は透けている。

スタンドエネルギーが無くなれば、消滅すると本人が言っていた。

きっと人生最期に、湿っぽくしたくない。笑って去りたいのだろう。

 

「………お前の気持ちを考えずに、済まなかった。次からは、キチンと手順を踏むことにするよ。どうか許してくれ。………俺はお前を、愛しているッッッ!!!」

「敵の情報だけど、わかったことがいくつかある。」

「おい!!!」

 

サーレーがメロディオの茶番に乗っかり、メロディオはいきなり話を変えた。

 

「もー、なんだよー。私の存在できる時間は限られてるんだよ?ふざけないで。部下に最後の引き継ぎも行わないといけないんだし。」

「先にふざけたのは、お前だろうがッッッ!!!」

 

この女は、どうにかできないものか?

 

「まあマジな話をするよ。時間制限があるし。」

「ああ。」

 

サーレーが真面目な顔をして頷き、ホル・ホースは変わらずにメロディオの話に耳を傾けている。

 

「敵に関してまずわかったことは、敵は複数いること。私がこの部屋で会ったのが敵の黒幕だと言っていたけど、確実な情報では無い。そいつは、おかしなスタンド使いだった。そいつと戦っている時、そいつにとって有利なことばかりが起きた。おそらくはそいつのスタンド能力だと思う。」

「例えば?」

「銃弾が突然落ちてきた本に遮られたり、手榴弾が不発に終わったり。でもそれが全てだと思わない方がいい。まだ何か隠し持っている可能性は高い。それはとりあえず流して聞いておいて。私が確認した敵は二人。そいつと、カビ使い。」

「カビ使いがスペインで惨状を引き起こしたのか?」

「うん。私はそのカビ使いを仕留めた。でも奇妙なことに、死体は地面に溶けて消えていった。」

「溶けて?」

 

スペインで起こった事件は、予想よりも危険な予感がする。

サーレーは続きを促した。

 

「そう。溶けて消えた。でもそのすぐ後に、そいつより若いそいつによく似たカビ使いが現れた。そいつにここに案内されて、私は自称黒幕と対峙して敗北した。カビ使いはなんとも言えない奇妙な髪型の、笑顔がもの凄く気持ち悪い男。自称黒幕は白衣を着た黒髪の、神経質そうな見た目の男。まあ服や髪型はすぐ変えられるからあまりアテにしないで。」

「そうだな。」

「そして奇妙なのは、同時期にフランスが襲撃を受けて行動不能だったこと。少し前にスイスの暗殺チームが消息を絶ったこと。一連の事件が繋がっている可能性は高い。ここから先は可能性の話になるけど。」

「話してくれ。」

 

相手は情報部もこなす、スペインの頭脳だ。サーレーは情報の開示を依頼した。

 

「スイスの暗殺チームが消息を絶った時、スイスの地方では誘拐事件が多発していた。私が会った自称黒幕の雰囲気と総合して考えると、敵は高い隠蔽能力を持っているのかもしれない。」

「どういうことだ?」

 

サーレーはメロディオの言葉が理解できずに、解説を頼んだ。

 

「奴らはカビによる大量虐殺に、何ら主張や要求を伴わなかった。そのことも鑑みて、あの男は計画的で短期間の忍耐も出来るけど、時折衝動的に物事を起こしてしまうタイプの人間のように思えた。………人は皆、隣人が自分と似たことを考える人間だという幻想を信じて生きている。社会とは、見えない隣人を信用することによって成り立っている。優しさを信じて、建設的な未来を目指して。奴は、恐らくはそこがぶっ壊れた人間だ。ストッパーも一切存在しないのだろう。そんな人間が、いつまでも何も起こさずに潜伏し続けることができるとは思えない。そこになにかのカラクリがあるように、私は感じた。」

「なるほど。だから事件を覆い隠せる高い隠蔽能力を持っていると。」

「うん。まあほぼ勘だから、あまり信用しすぎないで。ああ、それと敵が一人名乗っていた。自己申告だから偽名の可能性もあるけど。チョコラータと。」

「わかった。」

「敵が見つからない状況では後手を踏まざるを得ないけど、人間が失踪したらそれは奴の兆候である可能性が高い。どんな能力を持っているかわからない、危険な相手。油断しないで。」

「ああ。」

「危険な相手という前の発言を翻すようだけど、二人共近接戦闘に強い感じはしなかった。そこが突破口になるかもしれない。私から伝えられるのはそれが全て。あとは引き継ぎを行いたいから、レノを呼んできてくれないかな?」

 

ここでの情報はこれが全てだ。サーレーとベルーガは部屋の外に出た。

外の検問での赤い人間との戦闘がどうなったのかも、確認しないといけない。

 

「アンタは笑っていた方が、綺麗だぜ。」

 

後ろを向いたメロディオの震える肩を、ホル・ホースが優しく叩いた。

メロディオが振り返り、ホル・ホースはその瞳の底に神秘的な底知れない何かを見たような感覚を覚えた。

 

「………切り札は、一枚だけ。多分あなたが適任。一度だけ、おじさんの銃弾はルールを書き換えることができる。スタンドエネルギーがもうほとんど残っていない。これが私が残せる、最後のプレゼント。」

 

◼️◼️◼️

 

「わかりました。案内をお願いします。」

 

赤いカビを使用する本体のチョコラータがグラシア通り周辺から去った後、赤いカビに操られた人間たちは動かなくなった。カビは脳を侵食していて、動かなくなった人間は全員死亡していた。

 

「ああ。コッチだ。」

 

サーレーはスペイン暗殺チームの副リーダーであるレノに連絡を取り、来て欲しい場所があると告げた。

合流したレノはサーレーのその様子に何かを悟り、覚悟した表情で案内を頼んだ。

さほど時間がかからずに、彼らは元いた場所に到着した。

 

「ヤッホー。」

「………やはりそうなっていましたか。」

 

レノはメロディオの腹心の配下であり、メロディオの最期の裏技についても知らされていた。

 

「………困りましたね。」

「………だよね。ゴメン。」

「いえ、仕方ありません。」

 

サーレーは体が透けているメロディオを見ながら、どこかで見たような既視感に襲われていた。

どこかで、透けた人間を見たことがある気がする。でも思い出せない。喉まで出かかってはいる。

 

「何が困ったんだい?」

「………スペイン暗殺チームは、メロディオの作戦立案能力と分析能力で保っていたのです。今まで、なかなか個の力を持つ強力な戦士が台頭しなかった。故に彼女の作戦立案能力を頼りに、群の力で対抗してきました。彼女が欠ければ、戦力の低下が免れない。」

 

ホル・ホースの質問に、レノが難しい顔をして答えた。

 

もう少しだ。もう少しというところまで来ている。絶対に、どこかで見た覚えがある。

サーレーの脳はかつて無いほどに高速で回転した。

 

「いつかこうなる可能性は常に想定していましたが、時期が悪すぎる。ヨーロッパに異常が起きている現状、手を結んでそれに対応するべきではありますが、スペインには現場にすぐに駆け付けられる強力な兵士が少ないのです。対処が遅れるほどに、被害は拡大する。」

「ポルナレフさんだッッッ!!!」

「ポルナレフッッッ!??」

「もー、何なのさ。いきなり叫んで。こっちは真面目な話をしているんだよ?」

 

サーレーが唐突に人名を叫び、仇敵の名前にホル・ホースが反応して思わず拳銃(スタンド)を手に出現させて臨戦態勢をとった。

メロディオはそんな彼らを、白い目で見ている。

 

「パッショーネには、亀の中に住む幽霊のポルナレフさんがいる。その人と同じやり方をすれば、お前も幽霊としてまだ残れるんじゃないか?」

「んー?」

「おい、リーダー。そいつはまさか、ジャン・ピエール・ポルナレフとかいう名前じゃあないだろうな?」

 

メロディオは何の話か頭に疑問符を浮かべ、ホル・ホースはまさかのまさかに恐る恐る聞いた。

 

「………どうだったかな?まあとりあえず、未知の敵と戦うのならコイツは参謀として残しておいて損は無い。」

「私は安く無いぜ。そだねー。パッショーネが私と釣り合う兵士をスペインに融通してくれるんなら、考えてやってもいいんだぜ。」

 

なんだかわからないが、これはチャンスだ。

メロディオはここぞとばかりに、交渉を持ち掛けた。

左手を頭部に置き、右手を前に突き出している。何なんだ、その無駄にカッコつけたアホっぽいポーズは!?

 

「おい、どうするんだ?」

「………人員の譲渡は出来ない。しかし一定期間の貸与であれば、本人の意思次第になるが、恐らくは可能だ。」

「パッショーネは、ヨーロッパの盟主様だからね。下々の者が困っていたら、便宜を図るのは当然だよ。」

 

してやったりとばかりに、メロディオは嬉しそうな表情をした。

 

「上の確認が取れていない。本人の意思確認もまだだ。」

「そっか。そっちの暗殺チームは、サーレーさんにそこまで権限を持たせて無いのかー。」

「ホル・ホース。至急イタリアに帰還する。俺がボスに報告するから、お前が暗殺チームに説明しろ。許可が出たらウェザーと亀を連れて、またこっちに飛べ。」

「亀?」

 

ポルナレフの現状と亀を知らないホル・ホースは、首を傾げた。

 

「そのウェザーさんって人が、スペインに来てくれるの?」

「本人が首を縦に振ればな。かなり強くて、賢くて、頼りになる人間だ。絶対に死なせるなよ。」

「可能な限り、善処します。」

 

レノが頷き、サーレーとホル・ホースは大至急イタリアにとんぼ返りした。

メロディオが存在していられるのには、時間制限がある。

 

「ところでベルーガ。忘れられていると思ってるかもしれないけど、レノの言うことを破ったら、殺すから。」

 

レノが頷き、部屋の隅でこっそり息を殺していた少年の背中がビクッと動いた。

 

◼️◼️◼️

 

「そのことに関しては、リーダーである君に一任している。僕の承認は必要無い。しかし、確かにポルナレフさんの承諾は必要だ。それがヨーロッパの平穏に必要なことなのであれば、共に説明に向かおう。」

 

スペインからイタリアに至急トンボ帰りしたサーレーは、ミラノでホル・ホースと別れてそのままジョルノのいるネアポリスの図書館へとジェット機で向かった。暗殺チームの人員の異動と、ポルナレフの住む亀を借り受けるためである。ホル・ホースは、暗殺チームとミスタへの現状報告へと向かった。

時間帯は夜明け前であったが、カタルーニャ襲撃事件が緊急要項であったためにジョルノも事態の推移を見守るために起きていた。

 

「ええ。」

「しかし、ことが想定よりも危険な予感がする。チョコラータ………。」

 

図書館内を先導しながら、ジョルノは思考の海に沈んだ。

サーレーの報告の中でジョルノが最も気になったのは、もちろんチョコラータという名前である。ジョルノは、同じ名前をした外道の中の外道を知っている。しかしもしもあのチョコラータがただのコマに過ぎず、彼よりもさらに邪悪な存在がいるのだとしたら………。

 

「ジョジョ?」

「イタリアの警戒体制を、しばし強化しよう。恐らくは、ミスタも同意するはずだ。君が僕に報告を上げたチョコラータという男が、もしも僕の知っているチョコラータと同じ人物であれば、非常に危険だ。チョコラータは僕が知っている中で、邪悪さに於いても危険度に於いても、最も警戒するべき対象だ。」

「………そんなに。」

「奴は、確かに死んだはずだ。だがカビ使いという符号と名前、そして行動の凶悪さが一致している。そのことを合わせて考えても、ヨーロッパに異常な事態が起こっている可能性が高い。」

 

ジョルノが眉間にしわを寄せてサーレーに告げ、サーレーはジョルノの表情から現状の危険性を理解した。

 

「ポルナレフさん。こんな時間に申し訳ありませんが、緊急の用件があってそちらを伺います。」

 

ジョルノが、亀の外から内部に住むポルナレフに声をかけた。

続けてジョルノとサーレーは、亀の内部へと入室した。

 

「どうしたんだ、ジョルノ?難しい顔をして。」

 

ポルナレフが、気さくに笑ってジョルノに話しかけた。

 

「さほど時間が無いようですので、単刀直入に用件を伝えます。どうかあなたの部屋に、同居人が住むことを認めて欲しい。」

「同居人?」

 

ジョルノの真剣な表情に、ただことではないことをポルナレフは察した。

 

「簡単な説明を、彼が。」

「ヨーロッパに危機が迫っている可能性があります。そして俺の友人が今現在あなたと同じ状況に陥っていて、そいつをパッショーネの参謀として迎え入れたい。」

 

サーレーがポルナレフに向かって、真正面から説得にかかった。

 

「いいよ。」

「だからどうか………?」

「だからいいって。」

「軽っっ!!!」

 

ポルナレフは簡単に頷いた。

ポルナレフは、果てしなくお人好しなのである。

 

「そいつ、困ってんだろ?そんでこんなになった俺にも、そいつを助けることが出来る。騎士冥利につきるじゃねえか。俺はこんな体になっても、心だけは騎士のつもりだぜ?」

 

ポルナレフは、楽しそうにニヤリと笑った。

 

「ありがとうございますッッッ!!!つきましては、暗殺チーム所属のホル・ホースという男に………。」

「ホル・ホース?それってまさか、拳銃使いの?」

「お知り合いなのですか?」

 

サーレーのみならず、ジョルノも驚いた。

 

「そっかー。アイツは今はジョルノの部下なのか。まあ狡いし、しょうもないところもある男だが、上手く扱えば非常に有能な働きをする男だしな。」

 

ポルナレフはうなずいた。

 

「大丈夫でしょうか?」

「まあアイツが裏切らないんなら、いいんじゃないか?俺はその辺はジョルノを信用してるし、そもそもこんな状態で信用する以外に何もできないしなぁ。」

「それでは、ぜひお願いいたします。」

 

ポルナレフに話を通して、サーレーは続けてホル・ホースに連絡を取った。

 

◼️◼️◼️

 

「うげえッッッ!!!マジで、ポルナレフッッッ!!!」

「久々だな。」

 

ホル・ホースが慌てて拳銃(スタンド)を発動し、サーレーがホル・ホースの背後で殺気を露わにし、ポルナレフが苦笑いした。

 

「あ、待て待てッッッ!!!叛逆とかじゃあ、ないッッッ!!反射だ!反射で、つい。」

「ならば、武器から即刻手を離せ。その方は、ジョジョのご友人の方だ。もしも危害を加えるようであれば………。」

「まあ待ちなよ。俺とホル・ホースは昔はそういった関係だったってだけだ。そいつは今はお前の部下なんだろう?」

 

サーレーとホル・ホースの間の緊張感を、ポルナレフが取り持った。

 

「………次はないぞ。ところでウェザー、お前は構わないのか?」

 

ホル・ホースをドスの効いた声で脅して、サーレーはホル・ホースの背後にいるウェザーに疑問を投げかけた。

 

「俺は今は、イタリア暗殺チームの一員だ。それでイタリアとパッショーネの役に立てるのならば、別に構わない。」

 

メロディオとサーレーの間で交わした契約は、ヨーロッパが落ち着くまでパッショーネが信頼できる人材をスペインに貸与するという条件だった。代わりに、メロディオの幽霊が、参謀役としてパッショーネに推参する。

パッショーネ側は、信頼できる人材としてウェザー・リポートをスペインに貸与する。

 

「………お前には、苦労をかけるな。」

「………俺が好きでやっていることだ。お前が気に病む必要はない。」

 

サーレーが労った。

ウェザーは、貧乏くじを引いている。

 

実はパッショーネとウェザー・リポートの間には、密約が存在する。

 

ナルシソ・アナスイは、過去に人間を二人バラバラにして殺害している。

その罪状を鑑みれば、彼は本来ならばたとえ半身不随だろうと簡単に暗殺チームを抜けることは赦されない。

 

足を洗うには、犯した罪と社会への影響が重すぎるのだ。

暗殺チームの人材は使い捨てだ。死ぬとわかってても、任期が済むまで抜けられない。

彼は長期間の社会奉仕によって、再び社会に愛される権利を獲得するはずだった。

 

しかし、アナスイは現に暗殺チームから足を洗い、結婚までしている。そこに一体何があったのか?

そこには密かに、記憶の戻ったウェザーと暗殺チーム監督官のミスタ、そして暗殺チームの三者間で交わした約定が存在した。

 

『未来を築こうと努力する友人の助けになりたい。俺は罪人だ。俺を使ってくれ。』

 

パッショーネ側としても、半身不随の人間を無理に使うよりも能力のある人間をより長く使った方がいい。

その方が、ウェザー以外の誰にとっても得になる。アナスイは生き延び、危険な任務をこなす暗殺チームは戦力的に助かる。

 

損をするのはウェザーだけで、そのウェザー本人たっての希望だ。

さらにそのウェザーが損しているということに関してさえも、実際は微妙である。

社会の一員として社会の役に立てているという自覚が、時に人の救いになることがあるし、時に成長の糧となる。

 

ルールは、人のためにある。逆説的に言えば、人のためにならないルールに存在意義はない。

それが彼らのためになるのなら、こっそりルールを曲げようか?

 

結果としてウェザーの暗殺チーム所属任期は伸びて、アナスイはウェザーに頭が上がらない。

 

◼️◼️◼️

 

「そうか。お前はしばらくスペインに異動するのか。」

 

車椅子に座ったアナスイが、ウェザーに話しかけた。

 

「しばらくは会えないな。こんな早い時間なのにわざわざ見送りに来てくれてありがとう。」

「サーレーがわざわざ気を利かせて俺に連絡を入れてくれたんだ。長い腐れ縁だしな。お前には返せていない借りもある。」

 

トランクを引いたウェザーが、空港の窓から空を見上げた。すでに明け方になっている。

パッショーネとウェザーの密約はアナスイにも秘密のはずなのだが、アナスイは何があったのか察していた。

 

「………ヨーロッパに不穏な気配が漂っている。気を付けろ。」

 

ウェザーがアナスイに忠告した。

 

「ああ。」

「おーい、まだかい?」

 

パッショーネのプライベートジェットを待たせている。

亀を抱えたホル・ホースがウェザーを呼んだ。

 

「また会おう。」

 

ウェザーはアナスイに向けて手を振った。

 

「………いつも済まない。」

「俺が好きでやっていることだ。」

 

良き未来を築きたいという願い。

アナスイのその願いは、ウェザーにとっての希望でもある。希望があるから、彼は前へと進んでいける。

 

ウェザーは笑って、スペインへと旅立った。

 

◼️◼️◼️

 

補足事項

 

ウェザー・リポートがアメリカで犯した罪は、復讐殺人。しかしそれはスタンドによるものであり、本来は立証されていない。パッショーネ側は、ウェザーがどういった理由で刑務所にいたのか詳細を把握していない。アメリカの刑務所側もそれを理解していないのだからそれは当然である。それらは、エンリコ・プッチによる刑務所側の人間とウェザー・リポートの記憶改竄行為による弊害の一つである。

 

ウェザーが己の罪に悩んだ末に出した結論は、最も長い期間を共に過ごしたアナスイのためにありたいというものだった。ウェザーはアナスイの罪を被り、自分で自分が赦せる日が来るまで暗殺チームに所属する。

 

そんな日が来るのかはわからないが、もしもいつか任期が終わる日が来れば、自分が赦せる日が来るのならば………ウェザーは失った空白の期間を埋めるために、やりたいことを探しに大学に通いたいと考えている。そのために現在、暗殺チームの給与を貯蓄している。すでにサーレーよりもお金持ち。

 

ナルシソ・アナスイに関しては、実はパッショーネの外交部から異動になり、今現在は情報部に所属している。しかしとある理由により、その存在は明かされていない。



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幕間劇 それぞれの休日

スペイン、ココ・ジャンボの中。(ココ・ジャンボとは、ポルナレフが居住する亀の名称である)

 

「これはこれは。ずいぶんとご立派な一物をお持ちで。」

「おっ、綺麗なお嬢ちゃん。見る目があるねえ。………妹のシェリーを思い出すなあ。」

「お嬢ちゃん………ウヘ、ウヘヘヘ。」

 

ホル・ホースは、頭痛がした。

さっきからずっと、こんな調子だ。彼らは初めて会った時からなぜか互いに疎通しあい、即座に打ち解けて馴染んでしまった。

メロディオはポルナレフの天に向かってそそり立つ髪型を褒めちぎり、お嬢ちゃん呼ばわりされたメロディオは久々に若者扱いされたことに対して珍妙な笑い声を上げて喜んでいる。

 

「………アンタら初対面のはずなのに、ずいぶんと仲が良いな。」

「おう。俺たちは!」

「生まれた時からマブダチだぜ!」

「「イエイ!!!」」

 

メロディオとポルナレフはハイタッチを交わした。

ホル・ホースの頭痛が増した。

 

「………ノリでテキトーなこと喋んなよ。」

 

二人は肩を組んでいる。なんでコイツらは、初対面でこんなにも波長が合っているんだ?

ホル・ホースは首を傾げた。

 

「え、たまにいない?ほとんど喋ったことなくても、なぜか気が合うって確信できる人。」

「………いない。」

「ホル・ホース。お前案外寂しい男だったんだなあ。」

「………余計なお世話だ。」

 

ポルナレフが、同情するように首を縦に振った。

その仕草が、非常にイラっとくる。

 

「まあディオの部下になるくらいだしなぁ。人間に友人がいなかったんだろう。かわいそうに。そういえばお前の相棒は、J・ガイルのクソ野郎だったしな。」

「………。」

「へー。おじさん、ディオ・ブランドーの手下だったんだ。」

「………。」

 

二人が合わさることで、ウザさは何倍にも膨れ上がる。響きあうウザさ。

彼らは一切の遠慮なく、思ったことを矢継ぎ早に口にした。あくまでも彼らが思ったことであり、それが事実であるかどうかはわからない。

 

「まあ本当に友人や大切な人がいたら、人間の敵の手下になろうとは思わないよねえ。」

「強い奴のおこぼれを与る、コバンザメみたいなやつだったしなぁ。」

 

いい加減にしてくれないものか?いくらなんでも、言っていいことと悪いことがあるだろう?

ホル・ホースの頭に、ちょっとだけ血が上った。

 

「まっ、お前がパッショーネに来たからには、知らねえ仲でもねえし、俺が寂しいお前の友人になってやるよ。」

「だってさ。よかったね。」

 

この二人は、喧嘩を売っているに違いない。

ポルナレフのドヤ顔が途方もなくムカつく。メロディオの優しげな表情も非常に腹が立つ。

 

「いじめられたら助けてやるから俺に言えよ。」

「どっちかというと、いじめられるって言うよりいじられキャラじゃない?組織内のヒエラルキーを気にし過ぎて、安心を得るためにどうにか自分の立ち位置を確保しようと自分から周りに笑われにいくみたいな。性根が小心者なんだよ。」

 

なぜこの二人は、こんなにも協力して俺の心をエグろうとしてくるのだろうか?

前もって打ち合わせしていたわけでもないのに。

 

「逃げ足の速さだけは一流なんだよな。」

「そんなに臆病なら殺し屋なんてせずに真っ当に生きればいいのに、行動に一貫性がないよね。スタンドを手に入れて、調子に乗っちゃったのかな?」

 

二人はどこまでも、好き勝手にホル・ホース評した。

重ねて言うが、これはあくまでも二人が思ったことでしかなく、事実であるかどうかはわからない。

 

「ホル・ホースおじさんも、私たちと一緒に夜通しサッカーゲームやる?」

「………絶対にやらない。」

 

………用件も住んだし、さっさとイタリアに帰ろう。そうしよう。

ホル・ホースはフラついて、亀から退出した。

 

長くここにいたら、イラつき過ぎて疲れきってしまいそうだ。

 

「ところでここって、トイレはどこにあるの?」

 

亀の中から、メロディオの悲鳴が聞こえてきた。

溜飲は少しだけ下がったが、果たして幽霊にトイレは必要なのだろうか?

ホル・ホースは、疑問を感じた。

 

◼️◼️◼️

 

フランス、ラ・レヴォリュシオン。

 

「………失礼します。」

 

ローウェンが、娘の遺体を連れて帰ってきた。

 

「ああ。」

 

振り返るのも億劫だ。

しかし彼は一つの組織の長であり、職務を放棄することは許されない。

彼の肩には、大勢の構成員の未来がかかっている。

 

「チームに人材の補填は必要か?」

「………いえ。」

「そうか。」

 

彼は努めて平静を装って、問いかけた。

 

「………申し訳ありません。」

「娘を暗殺チームにやったときから、いつかこの日が来る可能性を覚悟していた。しかし実際に来てしまえば、冷静でいることは難しい。」

 

もとは、彼の不徳から来たものである。人間を見る目がなかった。彼自身はそう考えている。

人格が重視される暗殺チームのリーダーが実は爆弾魔であった時、彼は組織の終焉と自身の破滅を覚悟していた。

 

「………お察しします。」

 

ローウェンも、自身の失策だと考えている。

 

死んだはずのリュカのパリ襲撃事件。

彼はその背後に何者かの存在を推測し、生け捕りにして情報の搾取及び対策を講じることを思索した。

結果論で言えば、最初からリュカの殺害を目標にしていれば、彼女は死ななかった可能性がある。

 

「君には重荷を背負わせている。娘にも、申し訳ないことをしてしまった。」

 

娘のヴィオラートのスタンドが公になれば、彼女の暗殺チーム補佐の適性の高さが周囲に知れてしまう。

敵を探知できるスタンドは貴重であり、暗殺チームに配置すれば作戦成功率が上昇する。

しかし父親は誰しも、娘を命の危険のある場所に置きたいなどと考えない。

 

爆弾魔を暗殺チームのリーダーに指名した彼は組織内での立場が悪くなり、組織内部のその空気を察した彼女は自分から暗殺チームに所属を志願した。ローウェンも何も言わずに、暗殺チームに所属し続けている。

 

「戦力は問題無いのか?」

「不満を言えばキリがありません。現行戦力でどうにでもします。」

「わかった。報告ご苦労。………少し一人にしてくれるか?」

「失礼しました。」

 

ローウェンが部屋を退出した。

娘は、爆弾魔の大勢の犠牲者の一人に過ぎない。それはわかっている。

社会の敵は社会で戦っていかねばならず、彼は一つの社会の長だ。それもわかっている。

 

彼は涙が溢れないように、上を見上げた。

 

◼️◼️◼️

 

フランス、ラ・レヴォリュシオン。

 

ランド・ブリュエルは、恐怖で自宅で毛布をかぶって震えていた。

彼のミスで、暗殺チームの副リーダーを死なせてしまった。

 

「なんで、なんで、なんで………。」

 

そればかりか、リーダーのフランシス・ローウェンは、欠けた暗殺チームの副リーダーに彼を指名した。

 

「俺に務まるわけが………。」

 

震えが、止まらない。

目の前で、上司の胸部が吹き飛ばされた。彼女は口煩かったが、彼とよく話をした仲だ。信じられなかった。

彼は彼女の護衛を任されていたはずが、マヌケな人為ミスをした上にいざという時に体が動かなかった。

眠ると、あの恐ろしい男の青黒い目が、彼を見つめてくる夢で目を覚ます。

 

「なんでこんなことに………。」

 

フランシスがいるから、フランス暗殺チームは安泰だったはずだ。

なぜこんなにも恐ろしいことになっているのだろう?

 

彼はスタンド使いだ。もともと彼は偶然どこかで怪我をして、スタンドに目覚めた。

彼は目覚めた能力を行使してインターネットに愛玩動物の虐殺動画を投稿しており、それに危険性を感じた裏社会に引き入れられた。

早期に対応しなければ、いつ愛玩動物が人間に変わるかわからない。

 

「………ヤベエ、マジヤベエよ。」

 

彼は重度の統合失調症(スキゾフレニア)の罹患者である疑いが濃く、組織内部でもさまざまな場所で問題を起こしてやがて暗殺チームへとたどりついた。罪状は器物損壊、傷害を筆頭に7件。暗殺チームの任期は4年。

そこでリーダーであるローウェンは彼に辛抱強く接し、やがて彼の精神は安定した。

 

「何が………一体何が起こってるんだよ。」

 

ヨーロッパに不穏な空気が漂う現状、戦力を低下させるわけにはいかず、フランス暗殺チームには彼よりも戦闘に適性が高い人間はいない。

何だかんだ言っても、彼の実力はローウェンに次ぐのである。

 

ローウェンは知っている。苦難を乗り越えた時、獅子は目を覚ます。

自覚する以外に、彼が覚醒することはない。暗殺チームは完全実力主義だ。

すでに根回しは済み、万が一の時は彼をサポートする万全な態勢が整っている。

 

『俺もいつ死ぬかわからない。その時の次のリーダーは、お前だ。』

 

その指名が、彼には死刑宣告のように感じた。

普段であれば、フランシス・ローウェンがいるから気にも留めない。しかし、つい先日サブリーダーのヴィオラートが死んだばかりだ。

 

「どうすれば、どうすれば、どうすれば………。」

 

暗殺チームは、過保護であるべきではない。

他に道がなくどうしようもなく追い詰められたら、才能ある人間であれば案外どうにでもする。

 

と言うよりも、なるようにしかならない。

命を粗末に扱うのを嫌い過保護に接すれば、それは未来に余計多くの死者を出すことになる。

実力の低下は、暗殺チームにとって何よりの致命傷なのである。

死者や老兵が後進を心配して余計な手をかけるのは、後に続く者たちの成長の妨げにしかならない。

 

暗殺チームは、非常にシビアなのである。

 

◼️◼️◼️

 

狂人たち。

 

「イアン、ディアボロちゃんとドッピオちゃんに生体タンパク質を投与するから、スタンドを発動してくれ。」

 

オリバーがイアンに声をかけた。

イアンはソファに座りながら、何やらダンボールをゴソゴソやっている。

 

「ああ。」

 

イアンがクレイジー・プレー・ルーム・レクイエムを発動し、オリバーがスイスでイアンの部屋にストックしておいた生体タンパク質をディアボロとドッピオに投与した。

 

「いや、あなたは何をやってるんですか?」

「君には目がついていないのか?」

「ついてるから聞いてるんですよ。」

 

イアンがダンボールから笛を取り出し、プープー吹いている。上手いも下手も、音さえロクに出せていない。

意味不明な行為を見かねたチョコラータが、イアンに疑問を呈した。

 

「じゃあ視神経が繋がっていないんだな。気が付かなくてすまない。今から私が手術してやろう。」

 

チョコラータはイアンの嬉しそうな表情にドン引きした。

イアンに手術を執刀させたら、どんな魔改造されるかわかったものではない。と言うよりもそもそも、今現在チョコラータは健康体だ。

 

「やめて下さい。普通に見えているに決まっているでしょう。あなたの行動が意味不明だから、聞いているんですよ。」

「笛を吹いてる以外に何がある?」

「何のために?」

 

イアンは音楽をやっているわけではない。その証拠に、音さえまともに出せていない。

どうせ動機は理解不能だろうと思いながらも、チョコラータは質問した。

 

「ドイツの伝承だ。」

「………もしかして、ハーメルンの笛吹き男ですか?」

「ああ。私のスタンドは、私にとって起こりうる最高の事態が起こるだろう?」

「ハハァ。」

 

チョコラータは納得した。

 

「つまり人間を笛で誘き寄せて、捕まえて人体実験しようというわけですね?」

「………正解ではないが、遠からずだ。実に不愉快だがな。」

「正解ではないとは、どの部分が?」

 

チョコラータが、自分の推測の間違い部分を探した。

 

「人体実験しようとしていたわけではない。人を攫うのにも時間と手間ががかかる。リュカをこの世に呼び戻すための材料が自分たちから私の元に来てくれれば、手っ取り早いからな。攫う手間が省ける。」

 

攫うのは俺だけどな、というオリバーの言葉は鮮やかにスルーされた。

 

「そうですか。誰か来そうですか?」

「来そうもないな。」

 

イアンは相変わらず笛をヘッタクソにプープー鳴らしている。

 

「あなたが下手クソだからですか?」

「私が、伝承を創作だとそう判断しているからだよ。事実ではないと思っているから、起こり得ない。」

「じゃあなぜまだ笛を吹いているのですか?」

 

止せばいいのに、チョコラータはさらに突っ込んだ。

 

「暇だからだよ。今になって思えば、大学の研究者というのは職業として悪くなかった。」

 

イアンはソファにだらしなく腰掛け、テーブルに足を乗せた。

 

「何をいまさら。」

「世間の人間は、一体どうやってこの無常感を埋めているのだろうな?チョコラータ、君ちょっと私の笛の音に合わせてギャロップを踊ってみないか?」

 

イアンがわけのわからないことを言い出した。逃げるが吉だ。

狂人(イアン)を暇にすると、ロクなことにならない。

 

「僕も日課の生体タンパク質摂取がありますので。」

「逃げるな。」

 

逃げようとしたチョコラータの服の襟首を、イアンのスタンドがつかんだ。

万力が込められていて、チョコラータは逃走が不可能だということを悟った。

 

「ほら、踊れ。パッカパッカ。」

 

イアンの吹く笛は、意味を成さない音の羅列を奏でた。プー、プピカー。

こんなリズムも情緒もない音に合わせて踊れ?イアンの無茶振りの中でも、一等酷い。

変な好奇心を満たそうとしなきゃよかった。

 

「オリバーさん、助けて下さい!」

「テキトーにやっときゃ、すぐに飽きるよ。」

 

イアンと付き合いの長いオリバーは、適切な助言をした。

チョコラータは腕を交互に動かし、足でリズムをとった。ダンスのつもりだが、当然チョコラータにダンスの心得などあるわけがなく、奇怪な笛の音と合わさってただの不審な儀式としか言いようのない動きだった。踊り手がチョコラータなだけに、きっと誰しもが悪魔崇拝の儀式(サバト)だと思うことだろう。やがて運動神経の良くないチョコラータの足が縺れて、無様に床に転がった。

闇の儀式は終了した。

 

「君はダンスが下手クソだな。私の芸術的な笛を台無しにするな。」

「あなたの酷い笛の音よりはマシですよ。」

 

目クソと鼻クソは、互いに罵りあった。

 

「お前らヒマなら、少しは俺の手伝いもしろよ。」

 

苦労人(オリバー)の訴えは、誰にも届かなかった。

ため息が、部屋の天井に消えていった。

 

◼️◼️◼️

 

イタリア、ミラノ。

 

「珍しいわね。どうしたの、急に会いたいだなんて?」

「とうぶん忙しくなりそうだし、どうにも気がかりなことがあってね。」

 

ミラノのお洒落なカフェの一席で、ジョルノとトリッシュは向かい合った。

客は誰もいない。周囲にも人気が無い。人払いは済んでいる。

 

「気がかり?」

「新聞を読んでいるだろう?スペインの生物兵器疑惑。」

 

トリッシュはハッとした表情をした。

スペインの生物兵器疑惑とは、昨夜未明スペインのカタルーニャ州で大勢の人間が死亡し、その際に生物兵器が使用されたのではないかという事件である。事件の全容は未だ解明されておらず、ヨーロッパ全土に緊張感が漂っている。

情報媒体の多くは、事件をカタルーニャの独立運動と関連づけて報道していた。

 

「あれはカタルーニャの反独立勢力によるテロリズムだって………。」

「それは一般大衆向けの、パニックを防ぐためのカモフラージュだ。真相はまったくの不明で、敵から一切の接触や要求が無い。」

「………スタンド使い?」

「おそらく。しかも敵は、チョコラータを擁しているのではないかという疑惑が上がっている。」

 

ジョルノは真剣な表情をして、トリッシュはその名前に嫌な汗をかいた。

 

「アイツは死んだはず………。」

「奴は確かに死んだ。しかしカタルーニャの生物兵器、そしてサーレーからの報告。」

「確かにアイツのカビは、生物兵器として大量虐殺を行うのに適している。アイツだったらやりかねない。」

 

トリッシュはジョルノの生物兵器という言葉から、敵がチョコラータであることの信憑性の高さを理解した。

 

「現場に向かわせたサーレーからの報告によれば、敵の一人が実際にチョコラータを名乗っていたそうだ。」

「一人?」

「………ああ。だから危険なんだ。あのチョコラータが、誰かの手駒に過ぎない可能性がある。」

 

トリッシュはジョルノのその言葉で、この日ジョルノが彼女に会いに来た理由を察した。

チョコラータがただの部下で、チョコラータ以上に危険な何者かが存在する。そしてチョコラータはかつてパッショーネの一員で、僅かとは言えパッショーネの内情を理解している。少しでも気を抜けば、イタリアに災厄が降りかかってくる可能性が高い。

 

「理解してくれたようだね。今、ミスタも情報部も必死に動いてくれている。でも、出来ることには限界がある。くれぐれも気をつけて欲しい。」

「………ええ。」

「君から、フーゴにも伝えておいて欲しい。気をつけるようにと。」

「わかったわ。」

 

ジョルノの瞳に覚悟の光が宿り、トリッシュは現状の危険性を理解した。

 

◼️◼️◼️

 

スペイン、アルディエンテ。

 

「何をやっているんですか?」

 

背後から聞き覚えのある声がした。

ウェザーを背後に連れたレノの言葉に、ベルーガは震え上がって顔が真っ青になった。

 

「どうしたんだ?」

「いえ、こちらの用件です。」

 

レノと少年の間のただ事ではなさそうな雰囲気にウェザーが問いかけ、レノは返答した。

レノはベルーガの腕を掴んで捻り上げ、ベルーガは持っていたものを取り落とした。

それは、ビニールに包装されたパンだった。

 

「ああ。お腹が減っていたのですね。次からは私に言いなさい。」

 

レノはベルーガが万引きを行った店に、謝罪と代金の支払いに向かった。

レノはベルーガが不審な挙動でカタルーニャの商店から出てくるところを見ており、彼が何をやっていたかに大体の当たりを付けていた。

 

「………俺を殺さないんですか?」

「無許可でのスタンドの使用。命令無視。あなたを消す条件は、その二つだ。子供がお腹を減らすのは、仕方のないことです。ただし次からは、決して万引きなどせずに私に言いなさい。」

「………はい。」

 

見逃された。

レノは店に金を支払い、ウェザーとの打ち合わせのために去って行った。

ウェザーは未成年と思しき彼が暗殺チームに所属していることに思うところがあったが、他人のことに口出ししたりはしない。

 

「スタンド使いで、上手く育てれば亡くなったメロディオの後釜になり得る人材です。」

「そうなのか?」

「先はずいぶん長いですけどね。まあ彼の任期は無期なので、それまで生きていればいつかどうにかなるでしょう。気長にやるしかありません。苦労して忍耐を重ねないと、なかなか人材は育ちません。それが結局、死者を減らす一番の近道です。暗殺チームに所属するために生まれてきたような人間も稀にいますが、そういうのは特例です。」

「苦労してるんだな。」

 

レノは、目の前のウェザー・リポートがその特例であることを後に知る。

 

◼️◼️◼️

 

イタリア、ミラノ。

 

「先日の事件は、一体なんなの?何が起こっているの?私のところにも、一切情報が入ってこないわ。」

 

会うなり、シーラ・Eがサーレーに詰問した。

彼女の元にはカタルーニャ生物兵器事件の現状わかる限りの情報が集まっており、にも関わらず事件の全容が一切見えてこない。

現場に向かったサーレーに、彼女は情報の開示を請求した。

 

「俺にもわからない。何かヤバいことが起こりそうな気配がするとしか言えない。」

「アンタにもやっぱりわからないの?」

「ああ。お前に行ってる情報は、恐らくは出元が俺だろう。多分情報を擦り合わせても無駄だ。」

 

サーレーは椅子に座り、テーブルに紙袋を置いた。ここはいつもサーレーがたむろする、ミラノのスポーツ・バーだ。

シーラ・Eは昨夜の事件に不安を感じ、彼女なりに何か出来ないかと情報を持っている可能性が高いサーレーへと連絡を入れていた。

 

内容が内容だし、サーレーが彼女に用もあったため、彼らはミラノで待ち合わせた。ボスであるジョルノがミラノでトリッシュと落ち合う約束をしていたために、親衛隊である彼女もミラノまでは付き添っていた。あとは二人だけの会話で、邪魔するのは野暮だ。

彼女は周囲の人払いを他の人間に任せ、サーレーと待ち合わせた場所までやって来ていた。

 

「それでもいいわ。何か気になることとか、不確かな情報でも。」

「………メロディオが死んだ。」

 

その情報に、シーラ・Eが衝撃を受けた。

彼女はスペインの暗殺チームリーダーであり、それは極めて秘匿性の高い情報だ。

シーラ・Eが彼女の知り合いだから、サーレーはここだけの情報で彼女に告げた。

 

「それは本当にッッッ………!」

「まあとは言っても、なんかよくわからないが幽霊になったみたいだがな。誰にも言うなよ。まあわかりやすく言えば、アイツがやられるほどにまずい状況だということだ。」

「………幽霊?」

 

意味がわからない。幽霊とは、一体?

 

「それは俺にもわからん。幽霊ってなんなんだ?そんなものが本当にいるのなら、そこら中幽霊で溢れかえってるんじゃないか?」

 

サーレーも首をひねった。

 

「まあわからんものは考えても仕方ない。ああそうだ、俺の用件はこれだ。」

 

サーレーはそう告げると、シーラ・Eにテーブルに置いた紙袋を渡した。

 

「これは?」

「この間相談に乗ってもらった礼だ。今日会うならとついでに持ってきた。つまらないものだが。」

「そう。開けても?」

「ああ。」

 

シーラ・Eは渡された紙袋をあけた。

中から水色を基調とした、鳥をモチーフにした綺麗な髪飾りが出てきた。

 

「幸せの青い鳥だ。」

「モーリス・メーテルリンクね。センスの悪いアンタにしちゃあ、悪く無いわ。」

 

シーラ・Eは、面白そうな表情をした。矯めつ眇めつ、彼女はそれを手の中で遊んだ。

 

「でも、やっぱりアンタね。値札が付いたままなのは、マイナスポイントだわ。………それにしても、貧乏なアンタにしちゃあ結構奮発したじゃない。」

 

シーラ・Eは髪飾りに付いた値札を、楽しそうに引きちぎった。

 

「似合うかしら?」

「普通だな。」

「やっぱりアンタね。」

 

シーラ・Eは髪飾りを自分の頭部に当ててサーレーに尋ね、サーレーのしょっぱい返答にため息をついた。

 

「それにしても、金を貯めなさいって言ってるのにこんなものに浪費して。貯蓄がないと結婚できないわよ?」

「………あ、ああ。」

 

歯切れの悪いサーレーの返答に、シーラ・Eはキョトンとした。

 

「どうしたの?言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ。」

「………大したことじゃない。」

「いいから言ってみなさいって。別にアンタが多少おかしなことを言おうが、今さらでしょ。」

 

強引に聞き出そうとするシーラ・Eに、サーレーはしばし躊躇ったのちに口にした。

 

「………いつ死ぬかわからないのに、金を残す意味が見出せなかったんだ。」

「………ッッッ!!!」

 

シーラ・Eはサーレーのその言葉に、初めて彼も苦悩していたことを理解した。

アメリカに飛んだ時も、イタリアで戦った時も、彼は殺意で恐怖を覆い隠して必死に戦っていた。

 

スタンドとは、心の形。

クラフト・ワークは本来、守りに突出したスタンドだ。

サーレーは本来臆病であり、一生懸命自分を騙して勇猛果敢な戦士のふりをしているだけなのである。

 

一度真正面から正視してしまえば、戦うたびにそれがチラつくことになる。殺意に酔い狂って、誤魔化すしかない。

常に死が隣にあることを自覚しながら、それでいていざ敵と向き合ったら自身の死を誤魔化して戦うという矛盾を為さないといけない。

殺意が恐怖にとって代わられれば、恐怖に竦んでしまえば、彼はきっと敗死する。

 

暗殺チームの本業は、非常にシビアだ。

今回の事件でスペインの暗殺チームは、総数のおよそ四分の一の人員を損耗している。

それは決して、他人事ではない。サーレーはそれを理解していた。

 

パッショーネの暗殺チームから人材が五人いなくなれば、すなわち消滅だ。

暗殺チームは任期が終わるまで、常に覚悟が必要なのである。

 

「アンタ………。」

「今回の事件は、おそらくは相当にヤバい。お前も気を付けろ。最も恐ろしいのは、敵のその行動原理が一切見えてこないところだ。いつどこで凶悪な爆弾が炸裂するか、現時点ではまったくもって予測がつかない。対策不可能だ。」

 

サーレーはそう言い残すと、席を立った。

シーラ・Eは今にも消えそうな彼の背中を、見えなくなるまで眺め続けていた。

 

◼️◼️◼️

 

イタリア、ミラノ。

 

「おい、なんでダメなんだよ!アンタだってあいつにゃ、普段さんざん苦労かけられてるだろ!」

 

アルバロ・モッタが毛の長い猫を撫でながら、マリオ・ズッケェロに陳情した。

 

「ダメなものはダメだ!」

「ちぇ、面白そうなのによぉ。」

 

ここはミラノのズッケェロの自宅。床にはたまに、猫の長い毛が落ちている。

猫はモッタの膝から飛び降りて、受け皿から水を飲みにいった。

 

モッタはどこからともなくサーレーがシーラ・Eと待ち合わせするという情報を仕入れて、スタンドで密かに盗み見をしようとしていた。

あのアホ(サーレー)がどんなツラして女と待ち合わせをするのか、見ものだ。

それをズッケェロが押し留めた格好だ。

 

「絶対笑えるぜ?アンタも楽しんでくれると思ったんだがなあ。」

「あんなんでも、どれだけ苦労したとしても、相棒だ。」

「そうかよ、人のいいこって。それにしても。」

 

モッタは服に毛が付くのを構わずに、ズッケェロの家の床に寝転がった。

 

「ウェザーはいなくなるし、警戒令は発令されるし、一体何がどうなってんだ?なんか情報部もすげぇ動いているようだし。」

「………。」

 

暗殺チームも副業の仕事が免除され、待機命令が出されている。

ズッケェロは新聞に目を通した。

一面には、つい先日起こったカタルーニャ生物兵器事件が掲載されている。馬鹿げた数の死亡者を出した、ヨーロッパ近代史上最悪の事件だと報道されている。

 

「何もないといいけどなあ。」

「仕事が無い方がいい部署なんて、暗殺チームくらいだ。」

「そだな。」

 

彼らのため息は、宙に紛れて消えていった。

 

◼️◼️◼️

 

サーレーがシーラ・Eにプレゼントした髪飾りは、彼が母親にプレゼントしようと買い物したついでに買ったものだ。

しかし、サーレーの携帯電話から彼の母親への連絡が通じない。サーレーは不審に思った。

 

彼女の行方が………わからない。



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煉獄を抜ければ、そこは

リュカ・マルカ・ウォルコットは、生まれつきのスタンド使いである。

矢や、何らかの後天的な事情でスタンドに目覚めたわけではない。

 

スタンドは暗殺にも適性の高い戦闘に特化したスタンド、ケミカル・ボム・マジック。

水素、酸素、窒素、炭素。

たった四つのどこにでもある元素をもとに、魔法のようにトリニトロトルエンを作り出す、凶悪極まりない能力。

彼は、殺し屋になるために生まれたような人間だった。

 

「ヘイ!!!クソザコ供が!!!俺様のために、道を譲りな!!!踊れ(La danse.)!!!」

 

周囲に爆発が起こり、燻んだ色彩の煉獄で砂塵が舞った。眼窩に砂が入り、思わず右手で目をこする。

彼女は自分の頭部に手を置いた。………大切な、蝶の髪飾りが無い。

 

「弱い奴に、生きている資格はねえ!!!邪魔だッッッ!!!失せろッッッ!!!」

 

困った。アレは亡くなった旦那にもらった、形見だったのに。

無くすわけにはいかない。彼女は、周囲を見渡した。

 

「ヤー、ボム、ボム、ボムッッッ!!!アヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

 

周囲では、引っ切り無しに爆発が起こっている。しかし、彼女はそれを無視して髪飾りを探した。

 

【リュカ、私は君に関しては、一切の心配していないよ。さっさと皆殺して、私の下へ戻ってくるといい。】

 

空に鎮座する不気味な白衣の怪物が、満足そうな表情で一方的な虐殺を観察している。

 

死ぬのが怖くないとは言わない。しかし、多分私はもう死んでいる。

旦那も先立ち、ずっと寂しかった。もしかしたら人はそれを諦めと呼ぶのかもしれない。しかし、生きている者は皆、死ぬために生きている。それに必死に縋り付くのは生命として正しい有り様ではあるが、もし仮にそれを覆すことが可能だったとしても、きっとそれは後を続く若者たちの妨げにしかならない。だから終わりは終わりで、仕方がない。ただただ、繋げるために、愛するために、人は生きているのだから。

それでも………。

 

「おいおい、面白くねえからボケっと突っ立ってねえで、必死こいて逃げろよ!!!」

 

残してきた一人息子のことが気がかりだ。

あの馬鹿な息子は、いい年をして未だに彼女を心配させる親不孝者だ。

それでも………顔を見せに帰ってきてくれた時は、嬉しかった。たとえバカでも、クズでも、愚かでも、愛している。

 

「つまんねえババアだ。消えな!!!」

 

スキンヘッドにタトゥーを入れた男の、青黒い不気味な目が彼女を射抜いた。

彼女は最期まで、ただただ息子の身を案じていた。

 

◼️◼️◼️

 

「意味がわかりませんね。彼がまた生まれてきたとしても、それは以前の彼とはもう別人でしょう。」

 

チョコラータが、イアンに語りかけた。

 

「君は詰まらないことを言うのだな。本人が納得してるのなら、そんなことはどうでもいいじゃあないか。この世に天国も地獄も無い。しかし、多くの人はそれを信じ込もうとしている。信じる者は、救われる。」

 

イアンはどうでもよさそうに返事した。

 

「天国や地獄という概念は、大衆を操るための詭弁でしょう。今時本気で信じている人間なんて、いませんよ。」

「私も、天国や地獄がどうなっているかは知らない。しかし、煉獄は存在する。君も知っているだろう?私のスタンドは、造物主のスタンドだ。君もそうやって生まれたはずだが?」

 

イアンの言葉に対し、チョコラータは返答に詰まった。

 

「………つくづく、イかれたスタンドですよね。詭弁、机上の空論、屁理屈であっても理屈さえ通せば、あなたが信じさえすれば、あなたの部屋で妄想は現実のものとなる。」

 

チョコラータは、イアンの能力が発動した部屋に付属した冷蔵庫のような機械に目を向けた。

そこには現在、新たに生まれたリュカが保管されている。

 

「そう。君も私の妄想から生まれたのだよ。量産型妄想戦士、チョコラータ4号。」

「その言い方はへこむので、勘弁してください。」

 

チョコラータが降参して、白旗を揚げた。

 

「ならば詰まらないことをぐちぐち言うのはよすんだな。藪を突いて蛇を出すのは、感心しない。」

「………あなたも好奇心で藪を突くタイプの人間でしょうに。」

 

チョコラータが呆れた表情をした。

 

「おおい、俺にばっか仕事させずに、お前たちも手伝えよ!」

 

部屋の隅で汗をかいたオリバーが声を上げた。ほのかに室内にイワシの香りがする。

 

「あなたは彼に関しては、一見雑なようでいて案外大切に扱っていますよね。危険な戦闘には参加させない。」

 

チョコラータの疑問に、イアンは急に不機嫌になって返答した。

 

「………代えの効かない駒というのも存在するのだよ。非常に癪だがな。………おそらくは奴は一度死ねば、二度と還らない。」

「そうなんですか?」

 

チョコラータは小首を傾げた。イアンはその仕草に、吐き気を催した。

 

「そのかわい子ぶった仕草はやめろ、反吐がでる。………私のスタンド能力は、他人を喰い殺してでも生を望む強い人間しか蘇れない。奴はおそらく、帰ってこない。一度死ねばそれっきりだ。」

「なるほど。」

 

チョコラータが頷いた。

 

イアンはオリバーの本質に気付いている。その苦悩に気付いている。しかし、何も言わない。

彼が使える駒に徹する以上は、彼をそれなりに尊重するし、藪を突いて蛇を出すような真似は絶対にしない。

狂人だって、突いてもいい藪と突いてはいけない藪があることを理解している。

 

オリバーは恐ろしく有能だ。

イアンはオリバーにいなくなられたら、困るのだ。

オリバーはイアンの唯一の弱点であり、イアン自身それを自覚していた。

 

「………この話題はここまでだ。蒸し返したら消す。」

「おお、怖い怖い。僕は、別の僕が同じ人間だとは思えないので黙りますね。死にたくないから。」

 

チョコラータはお口にチャックの仕草をして、黙り込んだ。

イアンをこれ以上不機嫌にしたら、別のチョコラータが彼にとって代わることになる。彼は平気でやる。

沈黙は、金と等価値である。

 

「あのガキどもはどうなっている?」

「もうそろそろいいんじゃねえか?」

 

イアンは不機嫌なままオリバーに問いかけ、オリバーは返事した。

 

◼️◼️◼️

 

煉獄を抜ければそこは天国だった、なんてことはありえない。

煉獄を抜ければ、そこは監獄だった。

 

「やあ、ディアボロちゃん、ドッピオちゃん。今日もクッソ可愛いな。日課のタンパク質投与のお時間でちゅよ。」

 

気持ちの悪い臭い男が、目の前に現れた。

ディアボロもドッピオも、生まれつきのスタンド使いというわけではない。

スタンドがないことがこんなにも心細いことを、彼はずいぶんと長いこと忘れていた。

 

目の前の男の名は、オリバー・トレイル。茶色の髪の、三十歳を過ぎても軽薄そうに見える男だ。

ディアボロもドッピオも、イタリアで一緒に戦ったこの男のことを覚えている。

 

「ちっ………!!!」

 

ディアボロは、毒付いた。非常に不愉快だが、従うしかない。

と言うよりも、この男が来ている間はまだ全然マシだ。本当にヤバいのは………。

 

「なるほど。だいぶ大きくなったな。十四、五といったところか。」

「ふーん、これが元パッショーネのボスですか。こうなってしまえば、もう何も怖くないですね。」

「君も知らなかったのか。」

「こいつ、ずっとどっかに隠れてましたんで。」

 

新たに入室した二人組。こいつらだ。

奇妙な色と髪型の少年と、黒髪で神経質そうな男の二人組。

 

一人は、ディアボロが知る中でも最低最悪の下衆男、チョコラータ。

もう一人は、ディアボロの生殺与奪のその一切を握る狂人、イアン・ベルモット。

イアンに関しては、チョコラータよりも情報が少ない。

 

「確かにそろそろ良さそうだな。」

「何をするッッッ!!!」

 

イアンがディアボロに近付き、ドッピオがディアボロを庇うように前に出た。

 

「君たちは、今の状態でいいのか?戦って権利を勝ち取りたいと思わないのか?」

 

イアンが無邪気な笑顔で笑い、ドッピオはそれに本能的な危険を感じた。

 

「何が言いたいッッッ!!!」

「………落ち着け、ドッピオ。」

 

今の二人は、目の前のこの嫌な雰囲気をしている男に命を握られている。

ディアボロが、いきり立つドッピオを落ち着かせた。

 

「君たちには生きる目的がないのかね?自由が欲しいとは思わないのか?」

 

狂人は笑った。白々しい。

ディアボロもドッピオも、彼に生存権を握られている。笑顔が悪鬼にしか見えない。

 

「………回りくどい。言いたいことをさっさと言え。」

「世の中は、契約で回っている。君たちが私の役に立てるのならば、私も君たちを尊重しよう。自由の翼で、どこへなりとも飛び立ってしまえばいい。苦しみも、嘆きも、怒りも、喜びも、悲しみも。その全てが君のものだ。」

 

イアンの魅力的な提案が、ディアボロの耳朶に纏わり付いた。

 

「………何を望む?」

 

人の世のみならず、悪魔の世界も契約で回っている。

上位の悪魔が下位の悪魔を誑かし、そっと契約書を差し出した。

 

「一つの情報と二つの仕事をこなせば、君たちは自由を獲得できる。どうだろう?」

 

イアンの唇が、いやらしく弧を描く。

ディアボロは唇を噛んだ。この男が差し出す契約など、どうせロクなものではない。その人物像を知るわけではないが、考えるまでもなくあからさまだ。

それでも、従うという他に選択肢が無い。すでに一度逃走を試み、溶かされて死にかけた。

狂気の魔法が解けてしまえば、彼らはただのタンパク質の塊に戻ってしまう。この男に命を握られていることを痛感させられている。

 

「………スタンドは?」

「契約書にサインしてからだ。」

 

イアンの執刀医が、注射を収めたケースを二つ手にして部屋に現れた。

ディアボロもドッピオもその存在は見えないが、部屋に重圧がのしかかったことを敏感に感じ取った。

 

「貴様が契約を守るという、保証がない。」

「保証があってもなくても、お前たちは私を信用するしかない。わかっているくせに、詰まらない駆け引きをするな!!!」

 

イアンの額に血管が浮かび上がり、部屋内の重圧が一層強くなった。

ディアボロは、己が身の危険を理解した。

 

「………望みを言え。」

「えーと、なんだったか?ブ、ブ、ブ何とか。」

「ブチャラティチーム。」

「そう、それだ。」

 

イアンがチョコラータを振り返り、チョコラータがイアンに助言した。

 

「ブチャラティチームに所属する、大量虐殺が可能な男の情報と、そいつの誘拐。それとローウェンの暗殺。その三つの仕事をこなせば、君たちに自由を与えよう。」

 

先ほどの激昂が嘘のように、イアンは優しげにニッコリと微笑んだ。

 

「ブチャラティチーム………。」

 

不愉快な名前だ。

ディアボロがブチャラティチームについて覚えているのは、リーダーのブローノ・ブチャラティ、それと不愉快なジョルノ・ジョバァーナとグイード・ミスタ、それだけである。大量虐殺が可能な男の名前など覚えていない。

 

「ボスッッッ。確か、パンナコッタ・フーゴです。ブチャラティチームがパッショーネに離反する直前に、チームを離脱した男がいます。」

 

考え込んだディアボロに、ドッピオが助言を贈った。

 

「ほら。もう自由を獲得する条件の三分の一は満たしたじゃあないか!素晴らしい!!!あとたった二つ。そいつの誘拐と、ローウェンの暗殺だ!簡単じゃあないか!」

 

イアンは上機嫌に両手を挙げて、二人に拍手を贈った。

 

「………もう一度確認する。それをこなせば、俺たちが自由に行動することを認めるのだな?」

「ああ。君たちを尊重する。目的がかち合ったとしても、君たちに譲ろうじゃあないか。」

「スタンドを寄越せ。」

 

イアンの執刀医がディアボロとドッピオに近寄り、二人の首筋に注射した。

 

「目覚めよ、悪魔!!!私の望み通りに、躍り狂えッッッ!!!」

 

分離した二体の暴虐の覇王(キング・クリムゾン)が、ここに誕生した。

 

「………スタンドの試運転をする。行くぞ、ドッピオ。」

「はい。」

 

ディアボロとドッピオは、久々のスタンド行使のために能力を掌握するために部屋から出て行った。

 

「奴との契約を守るんですか?」

「うーん、まあそうなるな。別にいいんじゃないか。私は、喜劇や未知のものが大好物だ。奴が好き勝手に動いて周囲に災禍を撒き散らすのを見るのも、それはそれで面白い。」

 

チョコラータが疑問を感じ、イアンは返答した。

 

◼️◼️◼️

 

ディアボロの望みである永遠の絶頂。人は、当然永遠には生きられない。

ディアボロはイアンが乗っ取ったイタリアにあるとある一軒家の一室で、面白くもない夢想を思い浮かべた。

 

【強者が弱者を喰らい、私の煉獄より生まれ出でる!!!屍の山を越えて、生まれよ!イタリア原産の悪魔!!!】

 

「………。」

 

ディアボロは思案した。もしも彼の望みが叶う方法があるとすれば。

 

「ふん。馬鹿馬鹿しい。」

「どうしました、ボス?」

「気にするな。」

 

奴が契約を履行する保証はない。それにイアン自身の寿命もある。

それなのに幾度も生まれ落ちて永遠の絶頂を堪能する自身の姿を思い浮かべたディアボロは、自分の愚かさを嘲った。

長い髪をたなびかせた男と、後ろで髪を縛ったソバカスのあるよく似た二人組。ディアボロとヴィネガー・ドッピオ。

 

「奴の言う事に従うのですか?」

「………現状、他にどうにもできない。」

 

本能で理解していた。

イアンが死ねば、奴の機嫌を損ねれば、二人はあっという間に肉の塊だ。否が応でも、ディアボロは彼を守らねばならない。

奴は何をしてくるか、行動が読めない。好き勝手に動けば、どこから筒抜けになるかわかったものではない。

ディアボロでさえ、奴が恐ろしいのだ。

 

「ボス………。」

「ちっ。」

 

煉獄を抜けても、そこは監獄だった。

振り撒いた災禍に対する憎しみが収束して、悪魔を逃さない檻となる。

 

レクイエムの呪縛から逃れた先に待っていたのは、新たなレクイエムの呪縛だった。

永遠なんて存在しないと言った男の永遠の呪いは、形を変えて悪魔を捕らえて離さない。

 

自由はどこにある?希望はどこにある?

俺の人権は?奴は本当に約束を守るのだろうか?

 

閉じきった世界で悪魔を苛む永遠に解けない呪いに、ディアボロは天井を見上げた。

 

◼️◼️◼️

 

トリッシュからの連絡があった。

 

『少し話したいことがあるから、ミラノで待ち合わせましょう。』

 

トリッシュは、脇が甘い。自分が有名人であることを、もう少し自覚するべきだ。

フーゴは、彼女に苦言を贈った。そんなんだから、週刊誌にすっぱ抜かれるんだ。

 

「それをリークしたのは、パッショーネよ?」

「は?」

 

フーゴは、面白い顔をした。

 

「私のところには、キチンと話が来たわよ?議会で通したい法案があるから、大衆の目先を逸らすトピックが欲しいって。今日の話は、そんなどうでもいいことではないわ。」

「どうでもいい………。」

 

それにチンピラが見事に釣られていた。ちょっと面白い。

 

「どこか適当な店に入りましょう。」

「あ、ああ。」

 

トリッシュが、どんどん豪胆になっていく。フーゴは彼女の後を追って、近くの軽食チェーン店に入った。

彼女は椅子を引いて腰掛けると、フーゴに本題を話し始めた。

 

「それで今日会いに来たのは………。」

「ちょっと待ってくれ。何か買ってくる。何がいい?」

「………カプチーノで。」

 

フーゴは列の客の最後部に並び、トレーにカプチーノを二つ乗せて戻ってきた。

 

「今日会いにきたのは、先日のカタルーニャ生物兵器事件についてよ。」

「ちょっと待ってくれ!」

 

いきなり重要そうな話を持ち出したトリッシュに、フーゴの顔は青くなった。

 

「その話題は、ここで話しても大丈夫なのか?」

「落ち着いて。」

 

フーゴは落ち着きなく、周囲を見回している。

 

「誰も聞いてないわ。よしんば聞いていたとしても、私たちは世間の共通見解を覆すほどの発言力をもたない。」

「そうかもしれないがッッッ!!!」

 

気が気でない。フーゴは神経質に、周囲の様子を伺っている。

 

「何もなかったように構えていなさい。そうすれば、私たちに注意を向ける人間なんていない。」

「だが、君は有名歌手だッッッ!!!」

「だから多少過激な言動があっても、新曲の歌詞を推敲していたで誤魔化せるわ。仕事の合間に来てるんだから、さっさと続きを話させてちょうだい。」

 

トリッシュはフーゴの神経質さに呆れた表情を見せた。

 

「君はずいぶん大雑把になったな。」

「もしもマフィアのボスの妻になりたいのなら、肝が小さくては不可能よ。」

「それは。」

「脱線したわね。本題を話すわ。」

 

トリッシュは真面目な表情を作った。

 

「ヨーロッパに、不穏な気配が漂っている。先日のカタルーニャ生物兵器事件、あれは反独立勢力のテロなんかじゃない。真相が解明されておらず、次に何が起こるかわからない。社会の裏側には、異常なほどの緊張感が漂っている。」

「………それは本当なのか?」

 

フーゴは、つい先日の新聞記事を思い出した。

そこに乗っていたのは、カタルーニャで生物兵器を使用したテロが起き、市民が大勢亡くなったというかものであった。犯人は反独立勢力の組織の人間で、犯行グループと主犯格は現場で射殺されたと報道されていた。

 

暗殺チームは、人柱だ。

メロディオと彼女の四人の部下は、市民のパニックを防ぐために架空の組織所属のテロリストという謂れなき汚名を被って闇へと消えた。

異変に対して市民がパニックを起こせば、敵の思うツボである。市民が納得できる筋書きを提供しなければ、異変に対して個人で好き勝手な行動を起こす分子が出てくる。そうなれば社会は機能不全を起こし、より悪い事態へと繋がっていく可能性が高い。

敵に負けた時は、罪を被って消えるのも彼らの仕事の一つなのである。

 

「ええ。ジョルノの口から直接聞いたから、間違い無いわ。いつ何が起こるかわからない。気を付けて。」

「………ああ、ありがとう。」

 

トリッシュはそれだけ告げると、次の仕事へと向かった。

 

◼️◼️◼️

 

実家に帰ると、そこはもぬけの殻だった。

 

「ええ、わかりました。お任せ下さい。」

 

サーレーは最寄りの警察署に向かい、母親が失踪した旨を告げた。

頼り甲斐のなさそうな年配の警官は、胸を張って引き受けた。

 

田舎特有の長閑な風景を、サーレーは沈んだ心持ちで歩いた。

母親が失踪する理由は、彼には何ら思い当たらない。誰もいない実家に上がって、テーブル席に座って心に空いた穴を自覚した。

あまり長くここにいるべきではない。サーレーは椅子から立ち上がり、家を出た。

今は不穏な時期だ。

 

「こんにちは。」

「ええ、こんにちは。」

 

最寄駅に向かう途中で、買い物袋を下げた茶色い髪の同年代か少し上と思われる男と挨拶を交わして、彼はミラノへと戻った。

ミラノに帰っていく男と、ミラノから帰ってきた男が、道端でたまたますれ違った。

 

「俺ばっかり、働かせすぎじゃねえか?」

 

視点はサーレーと道端ですれ違い、挨拶をした男に切り替わる。

買い物袋を床に置いたオリバーが、玄関扉を開けるなり不満を言った。

それは誰の失策か、何の奇運なのだろう?パンナコッタ・フーゴを攫えと言われても、彼の行方がわからない。

 

『ボスッッッ!!!コイツですッッッ!!!コイツが、パンナコッタ・フーゴですッッッ!!!』

 

イタリア国内のゴシップ誌で、トリッシュ・ウナの逢い引きはそこそこに大きなトピックであり、ディアボロはトリッシュの父親だ。

乗っ取った民家に置かれたゴシップ誌の表紙に、悩む彼は目を止めた。

 

『これは………。』

 

そこには彼の娘である有名歌手トリッシュ・ウナの記事が掲載されており、モノクロのページには彼女と男が連れ添っている写真が添付されていた。

 

クレイジー・プレー・ルーム・レクイエム。

起こり得る事態であれば、部屋の中で物事はイアンの都合の良い方へと推移する。

 

イアンはあまり目立たないオリバーに、記事に載っていた周辺地点の捜索を命令し、捜索開始からおよそ十日後の今日、彼はたまたま高級車から降りてきたトリッシュ・ウナを発見する。もともと捜索自体がイアンの無茶振り同然だったが、現状他にフーゴの足取りを追う手立てがなかった。しかしそこには娘のだいたいの居場所を直感で理解できる、ディアボロという存在がいる。

彼はそのまま秘密裡にトリッシュを追跡し、やがてパンナコッタ・フーゴと落ち合うところを確認した。オリバーはそのまま別れた彼らのうちフーゴの追跡に切り替え、住居を確認して彼らの現在地点へと帰還した。

 

「俺って、有能すぎねえ?」

「黙れ!ゴミクズ!!!」

 

誇らしげなオリバーにイラついたイアンはいつものように罵り、ディアボロがのっそりと立ち上がった。

 

「………攫ってくる。案内をしろ。」

「チョコラータも付いていけ。」

「ええッッッ!?何で僕も?」

 

驚愕したチョコラータを無視して、イアンは命令した。

 

「ヴィネガー・ドッピオは残れ。他の人間は誘拐に向かえ。」

「なぜだ!」

「向かえ!!!」

 

ディアボロはイアンの不審な様子に疑問を呈するも、返ってきた答えは拒絶だった。

何のことはない。イアンは弱点であるオリバーを、信用していないディアボロに同行させざるを得ないのが不快だっただけである。

ドッピオはせめてもの人質で、チョコラータはとばっちりだ。

 

「さっさと行け。契約を履行して欲しいのなら、お前が怒らせるべきではないのは誰だ?」

 

イアンが怒りを露わにし、ディアボロとチョコラータは黙って玄関へと向かった。

 

◼️◼️◼️

 

「あー、いるね。間違いなく。」

「………ですね。」

 

眼鏡をかけたメロディオが渡された資料に目を通し、彼女の見解にパッショーネ情報部のベルナトも頷いた。

イタリアの年間行方不明者は、およそ四万人弱。もちろん行方不明者が増えるシーズンなどもあり一概には言えないが、一日あたりで割るとおよそ百人、一ヶ月で三千人という数字が算出される。

これは人口五千万の国家の全域の話であり、そのままの計算をすると一日あたり五十万人に一人が失踪する計算になる。

 

「これ、これ、これ。」

「これも怪しいですね。」

 

しかし、その多くはさほど騒がれることがない。その理由は、事件性が認められないからである。

失踪した人間の多くは、失踪する理由があったり、失踪する兆候があったり。或いは目撃情報があったり。

わかりやすく言えば借金からの逃走、愛の逃避行、山岳地方での遭難、外国籍者が生活に行き詰って子供を置いての帰国。そういった理解可能な理由がある。まあ言ってしまえば、サーレーもつい先日までは行方不明者だった。さらに乱暴な言い方をすれば、裏社会の大部分は行方不明者で成り立っている。そういうのは、別段騒がれることはない。

 

問題は、事件性が認められる場合である。

争った形跡、抵抗した形跡、血痕。社会に根付き、何ら問題がない家庭がある日突如蒸発した。それらは大きな問題だ。

新聞で大々的に報じられる可能性があるのは、こちらである。

現時点では人間の消失になんの証拠も手がかりも残っておらず、後手に回されている。明確な殺人などと違い失踪は、事件発覚までに時間がかかる場合が多いために非常に対処が困難だ。

 

パッショーネの情報部はメロディオの助言を元に、誤差の範囲を超えて失踪者が多い地域から順に事細かに調査した。

 

「ベネツィアの一家失踪。これもクサイね。」

「ローマの学生失踪、これも怪しいですね。」

「………参ったなー。数字の増加からほぼいることは間違いないのに、こいつ居場所を悟られないように細かく移動している。狙いが見えてこない。愉快犯の可能性が高い。」

 

数字自体は問題ではない。

せいぜい一ヶ月のイタリア全域の失踪者人数が三千人から三千百人になっているだけで、それだけなら誤差の範囲でしかない。

問題は偏り。狭い地域で日替わりで複数件の失踪者が出る地域があり、それが移動していることである。

そしてその目撃情報が、一切上がってこない。

 

さらに言ってしまえば、対象はカタルーニャ生物兵器事件の首謀者と同一である可能性が高い。

いつ大規模な事件を起こすか、肝を冷やしている。パッショーネ情報部は必死だ。

下手に空路や陸路の封鎖、検問の設置などを行えば、対象を刺激して最悪の事態を誘発する可能性がある。

 

メロディオは入国管理局から入手した名簿に目を通して、頭を抱えた。

普通ならばこの中に黒幕の人名が載っているはずだが、敵が隠蔽能力を有している可能性が高い以上、名簿に記載されていない可能性が高い。実際、メロディオは譲渡された名簿からチョコラータの顔も自称黒幕の顔を見つけ出すことが出来なかった。

 

三角測量から居場所を探る試みも行われたが、徒労に終わった。

何よりも事件を霧に覆い隠しているのは、黒幕のその狙いが一切見えてこないことにある。

現状は足を使って、偶然行き当たる以外に敵を見つける手立てがない。

 

人間の行動原理は一定で、金が欲しいならば金があるところに、怨恨であれば恨みがある対象へと殺意が向く。

それは人間の歴史を経た教育の賜物であり、社会の一つの意義であり、敵の行動原理が理解できれば殺意の収束する矛先が推測できる。

 

最悪なのは、目的と過程がすり替わってしまっている場合。

何かを目的に罪を犯すのではなく、罪を犯すこと自体を目的としてしまっている場合。

そうなってしまえば相手の行動が推測不可能となり、後手を踏み続け、敵の存在が闇の帳へと隠蔽されることとなる。

 

最も厄介な敵は味方に擬態し、容易に尻尾を掴ませない。

イアン・ベルモットは喜劇と称し、気分による己が行動の結果として起こる他人の狂態を鑑賞することを目的としている。

 

「敵にチョコラータがいるのではないかという情報からパッショーネへの襲撃も想定していましたが、それもない。奴らは一体、何を目的に行動しているのやら。」

「あの男を知っているの?」

 

チョコラータと直接対峙したメロディオは、ベルナトに問いかけた。

 

「以前同名の人間がパッショーネに所属していたというだけです。しかし、行動原理がその男と酷似している。その男は現在、死亡が確認されています。」

 

パッショーネがこれだけ労力を費やしても見つけ出せないとなれば、なんらかの隠蔽能力を持っていることが確定的だ。

 

「………人探しを得手とするスタンド使いの情報を私にちょうだい。作戦を立案する。」

「それは………。」

 

ベルナトは少し迷った。相手は組織に引き入れたばかりで、まだそこまでの信頼はない。

 

◼️◼️◼️

 

買い物を終えて、帰路についていた。

パンナコッタ・フーゴは卒業を間近に控え国家試験も受かり、就職も決まっていた。

トリッシュから危機を告げられていたが、パッショーネから明確な指示のない現状は、今まで通りに過ごすしかない。

 

「こんばんは。パンナコッタ・フーゴ。とても大勢を虐殺するのが得意な、危険なスタンドの使い手には見えませんね。」

 

ミラノのマンションへの帰り道に、一人の少年がいた。

少年は何が面白いのか、不愉快なニヤケ面を晒している。

 

「お前は誰だッッッ!!!」

 

フーゴはもうずっと、スタンド能力を使用していない。彼がスタンド使いであることを知る人間も、限られているはずだ。

 

「あなたを迎えに来たものですよ。自分から私たちの下へ来てくれるのなら、そっちの方が話が早い。」

 

衆目のある中で、堂々と人攫い宣言をされた。

眼前に煌めく回転木馬が展開され、フーゴは夢心地を味わった。

しかし、現実的に身の危機だ。フーゴはパープル・ヘイズが行使可能か、自身に問いかけた。

 

「目的と正体を話してもらおう。僕のスタンドを知るのなら、今現在お前自身が危機にいることを理解しているはずだッッッ!!!」

【ウバシャアアアアアアッッッ!!!】

 

拳にカプセルを付属させた、凶暴なスタンドが出現した。

 

「端的に聞きます。あなたのスタンドとは、ウィルスですか?」

 

少年は、パープル・ヘイズを眺めてなおも気味の悪い笑顔で笑っている。

その薄気味悪さ。フーゴのスタンドの危険性を理解していないはずがないのに。

 

そして、唐突に時間が跳んだ。

 

「問答無用で構わんだろう。あとはイアンの仕事だ。」

「あなたのスタンド、完全に暗殺向きですよね。あなたはボスなどではなく、実は暗殺チーム向きだったのでは?」

「かはッッッ。」

 

フーゴの背後に時間を跳ばしてディアボロが現れ、キング・クリムゾンの右腕上腕の筋肉が膨れ上がりフーゴの首を絞め上げた。

キング・クリムゾンの膂力で締め上げられ、フーゴの首はミシミシと嫌な音を立てて軋んだ。

 

フーゴの顔面が鬱血し、赤黒く変色した。

フーゴは気絶し、パープル・ヘイズは静かに消え去った。



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是非とも、味わって欲しい

今回の話も、残酷描写、グロテスク表現があります。
苦手な方にはおすすめできませんので、ご注意ください。


事態は、思わぬところから予想外の方向へと向かった。

それは、誰かにとってかはあまりにも予定調和であり、誰かにとっては計算外だ。

 

転機は、シーラ・Eだった。

彼女はパッショーネにメロディオが招聘された事を知り、知らない仲でもないので顔を見せに亀の中へと来訪した。………苦手だが。

そこで彼女がメロディオに事件の情報を聞いた時に、メロディオが発した一言。

 

『シィラちゃんは、探し人が得意なスタンド使いに心当たりがない?』

 

それに対する彼女の返答が。

 

『私のスタンドは探し人が得意よ。』

 

シーラ・Eのその言葉にメロディオは彼女の能力を根掘り葉掘り聞き出し、矢を行使して進化したより強力なブードゥー・チャイルド・レクイエムの存在を知った。

緊急で亀の中でパッショーネの情報部、首脳陣を交えて会議を開き、シーラ・Eを中心とした事件解明班が組まれることとなる。

 

◼️◼️◼️

 

「特命を言い渡す。」

 

グイード・ミスタが、険しい表情で口を開いた。室内に緊張感が漂っている。

 

「シーラ・E、サーレー、マリオ・ズッケェロ、ホル・ホース、アルバロ・モッタ。以上五名は、イタリアでここ最近頻発している失踪事件の調査を行え。調査に関してはシーラ・Eが担当し、シーラ・Eは暗殺チームの補佐相談役とする。作戦の総責任者はサーレーとする。なお本件において、パッショーネはシーラ・Eに一時的に矢を貸し出すこととする。」

「どういうことですか?」

 

シーラ・Eは疑問を感じた。

そもそもの組み合わせが、チグハグだ。暗殺チームと、親衛隊の彼女。

暗殺チームが動くということは、ヤバい案件であるということである。

 

「それについては、私から説明しましょう。」

 

パッショーネ情報部現総責任者のベルナトが、一歩前に出た。

 

「現状イタリアの失踪事件については、雲を掴むような話です。しかし、パッショーネに招聘したメロディオ氏からの情報によりますと、失踪事件の主犯とカタルーニャ生物兵器事件の首謀者は同一人物であるのではないかという可能性が浮上しています。」

 

グイード・ミスタは、ベルナトの説明に頷いた。

 

「失踪事件を調査する場合、危険な敵とかち合う可能性が高く、そのために暗殺チームと調査を委任したシーラさんの合同任務となります。」

「総責任者がサーレーである理由は?」

「経験を重視する。判断力と思考の瞬発力は別物だ。サーレーはこれまで幾度も死線を越えて、部下と共に暗殺チームのリーダーを務めた実績がある。調査の過程でヤバい敵とかち合ったときは、その経験がモノを言うと俺たちは考えている。お前に相談役を任せるのは、サーレーの記憶力に不安があるからだ。だが、いざという時はサーレーの判断を優先させる。他に質問は?」

「ありません。了解しました。」

「これがパッショーネが分析した、失踪事件の被害者一覧だ。お前たちは特命捜査班として、俺たちとは別に独自の視点で調査を行え。」

「了解しました。」

 

ミスタが封筒に入れた資料をサーレーに手渡し、暗殺チームの四人とシーラ・Eは引き下がった。

 

「………上手く行く可能性はどれくらいだと言っていた?」

「五分五分だと。」

 

残ったミスタは、ベルナトにメロディオの見解を問いかけた。

 

パッショーネも、リスクは大きい。

敵の一切の情報がわかっていない現状、矢を持たせた調査班が敗北すれば矢が敵の手に渡り被害が拡大する恐れがある。

実際はすでに敵方に進化したスタンド使いが存在するのだが、彼らにはその情報が入っていない。

 

メロディオの五分五分という分析は、相手の隠蔽能力と戦力が一切わからないことに由来する。

矢で進化した強力なスタンドは、通常のスタンドよりも汎用性が広い。そして敵に強力な隠蔽能力を持つスタンド使いが存在する可能性とは別に、敵が強大な戦力を保有する可能性も存在する。現実に、そこそこの戦力を保有していたはずのスペイン暗殺チームとスイス暗殺チームは敗北している。

 

さまざまなケースを想定した場合半端な戦力ではそのまま失踪して終わる可能性が高く、レクイエムの汎用性の広さと暗殺チームの戦力の高さを頼みにして作戦成功を見込んでいる。単純に、高い隠蔽能力を持つ敵には、高い捜査能力をもつスタンドで対抗するということである。

 

まあハッキリ言えば、成功するか全くわからない作戦だから五分五分なのである。

相手の隠蔽能力に対してシーラ・Eの能力が強力な効果を発揮するかもしれないし、無効に終わるかもしれない。よしんば無効に終わったとしても、彼らを目障りに感じて行動を起こした相手方に対して戦力の高さでどうにか出来るかもしれない。

 

さまざまなケースが存在し、現状どういった結末に落ち着くか全く予測出来ない。にも関わらず、誘拐事件に対して当然何らかのアクションを起こさねばならない。結果として、強力なスタンドであるレクイエムを行使できるシーラ・Eを軸に調査を行い、他の調査班より期待度の高い彼女の護衛として暗殺チームが付き従う特捜班が組まれることとなった。

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか。」

 

ミスタは戦いを予感し、拳銃を手中で弄んだ。

 

◼️◼️◼️

 

冷たく暗い研究室で、拘束衣に身体を拘束されたパンナコッタ・フーゴの意識は朧げながらも戻ってきた。

耳朶にコチコチと鳴り響く時計の音が感じ取られ、近くで二人が会話する声が聞こえる。

 

「危険なスタンド使いという噂ですよ。身体を拘束した程度で大丈夫なんですか?」

「まぁどうにもならないようなら、最悪ここに放置していけばいい。放っておけばそのうち餓死するだろう。」

「………せっかく苦労して誘拐した人間を、打ち捨てるのですか?」

「そうなるな。」

「あなたの能力で改造して、強制的に手駒にしてしまえばいいのでは?」

「それをやってしまうと、奴のスタンドが弱体化するのだよ。自白剤などで脳を潰してしまっても、同様だ。この部屋の特性を鑑みれば、おそらく弱体化したウィルスではスタンドは進化できない。私がそう考えてしまっているから。」

 

部屋の中で少年と男の二人組が会話し、男の方がガラス瓶を弄くり回した。

それはテーブルの上でカラカラと音を立て、回転した。

フーゴは薄目で、その様子を観察した。

 

「………面倒ですね。」

「面倒を楽しむのが人生だよ。」

「あなたに人生を語られるのは、超ムカつきます。ところで、それは?」

 

少年が、男が弄る二つのガラス瓶を指差した。

 

「ああ。これは、現時点ではどうしようか迷っているものだよ。喚び戻しても問題があって、戦力に不満がないうちはこのままにしとこうかと考えている。」

「戦力に不満が出てから喚び戻しても、それは手遅れなのでは?」

 

少年が男に、至極真っ当な指摘をした。

 

「じゃあ君は、これを喚び戻したいと思うか?」

「………いいえ。一体何なんですか、それは?」

 

ガラス瓶のうちの一つは、瓶の中で何やら蠢いている。男はそれを指差した。

内部のなにかが外に出ようと、いくつもの触手がガラス瓶の外から見える部分にへばりついた。

 

「とある男の細胞だ。これはその男が反抗的な部下を支配するために作り出したものなのだが、その男の一部でもある。肉の芽というらしい。非常に高額だったが、まあ手元に置いておいて損はない。」

「高額だったって、真っ当に金銭を支払って購入したのですか?」

「いいや、強奪した。」

「………ならその情報いらないでしょう。」

 

少年が無駄な情報に呆れた。

 

「もう一つは?」

「単純に、私が嫌いなんだ。君は年がら年中、喧しいキリギリスの喧騒を聴き続けていたいと思うかい?」

 

男は人差し指で、もう一つのガラス瓶をテーブルの端に突き放した。

 

「ああ、なるほど。」

 

男が、立ち上がる音が聞こえた。歩いてフーゴに近寄ってくる。

 

「さて、どうやら目が覚めたようだが。」

 

イアンはフーゴの前に立って指で瞼を開けて、眼球運動からフーゴの意識が戻ったことを理解した。

フーゴはユックリと目を開けた。目の前には彼の行動を制限する鉄製の拘束具があり、その下には拘束衣が着せられている。

体を動かそうと腕に力を入れるも、拘束衣が僅かに膨らむだけに終わった。二重の厳重な警戒に、フーゴは唇を噛んだ。

 

「理解していると思うが、君はどうやっても逃げられない。」

 

イアンは、優しい表情でフーゴに語りかけた。

フーゴはイアンのその表情に、ひどい違和感と不快感を覚えた。

 

「私に協力してくれるなら、すぐにでも君を逃してあげよう。私の情報さえ漏らさないのなら、私は別に君などどうだっていい。」

「断る!!!」

 

唯一自由に動かせる口で、フーゴは声を上げた。

 

「おおう、びっくりするほど気の早い男だな。内容を告げる前から断られるなど。あまりに早過ぎると、女性にモテないぞ?」

 

目の前の男の後ろで、面白そうに少年がニヤケている。

 

「まだその男のスタンド能力が、ウィルスだと決まったわけではありませんよ?」

「決まっているんだよ。クレイジー・プレー・ルーム・レクイエム。この部屋では、起こりうる事象は私の最も都合の良い方へと推移する。箱の中の猫は、私が望むから必ず死んでいる。彼のスタンドは、ウィルスを使用するものだよ。なぜならそれが私にとって、最も都合がいいのだから。もともと彼のスタンドが何であろうと関係ない。この部屋では私が信じれば、空想は現実のものとなる。」

「本当にインチキな能力ですよねえ。ズルくないですか?でも都合の良い事実という割には、その男はずいぶんあなたに反抗的ですが?」

「私の部屋では、起こり得ない事象や理屈の通らないことは起こらない。彼が私に従順に従う可能性が、そもそも存在しないのだろう。」

「なるほど。」

 

チョコラータはうなずいた。

 

「或いはそれが、私が本心から望んでいることなのかもしれない。過程を楽しむのが目的の私にとっては、それもそれで面白い。」

 

イアンの執刀医がメスを手にして、邪悪に口元を三日月型に曲げた。

 

「拷問するのなら、僕にやらせてくださいよ。」

「君は楽しくなってやり過ぎるクチだろう?痛みで脳が壊れれば、私の望みが叶わなくなる。」

「あなたもやり過ぎる人間でしょうに。」

 

フーゴは目の前で背筋の凍る会話をする二人組に、冷たい汗をかいた。

執刀医が指切りばさみと電極を持って、フーゴの前に立っている。

 

フーゴは間近で、ネジ製の瞳にじっとりと見つめられた。

 

◼️◼️◼️

 

「調査を始めるわ。まずは直近の、パンナコッタ・フーゴ失踪事件から。」

「………ああ。」

 

シーラ・Eがサーレーに宣告し、サーレーは首肯した。

その様子は心ここに在らずといった様相で、なにがあったのかとシーラ・Eは疑問を感じた。

 

「おい、どうしたよ相棒、なんか変だぜ?」

「………いや、何でもない。始めてくれ。」

 

ズッケェロもサーレーの様子に異変を感じ、言葉をかけた。

パッショーネに渡された失踪者一覧を確認してから、ずっと様子がおかしい。

 

「私のスタンドで失踪者の情報を得て、アンタのスタンドで調査を行う。何か情報が入れば、戦闘を想定してアンタを除いた総員で向かう。」

「ああ。」

 

シーラ・Eがアルバロ・モッタに方針を告げて、彼は頷いた。

 

「まずは、パンナコッタ・フーゴの居住するマンションに向かう。一番最近の事件だから、調査にかかる時間も短縮できる。居なくなったのはおとといの午後過ぎ。それまでを巻き戻して、部屋で行われた会話から情報を収集する。」

 

シーラ・Eが先頭を歩き、暗殺チームが彼女の後を追随した。

シーラ・Eは大人数が乗れるボックス車に鍵を差し込み、運転席に乗り込んだ。

助手席にサーレーが座り、残りの人員は後部座席に乗り込んだ。

 

「向かうわよ。」

 

彼女は鍵を差し込み、車にエンジンをかけた。

 

◼️◼️◼️

 

フーゴは拘束衣を二重に着せられ、椅子に座らせられている。

イアンが横に座って、ニッコリと微笑んだ。

 

「君は、幸運だ。私は、君を傷付けることをしない。痛みで脳を潰すわけにはいかないし、私は野蛮な行為が………別に嫌いというわけでは無いな。」

「うおぇっっっっ!」

 

………なにが幸運なものか。最悪だ。これなら直接肉体を傷付けられた方が、よっぽどマシだ。

パンナコッタ・フーゴは涎を垂れ流しながら、心の中で毒づいた。

 

暗くて冷たい部屋の隅では、逆さに吊るされた物体が、ピチャリ、ピチャリと滴る音を立てている。

青を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋で、壁に飛び散る液体が鮮やかな赤色を主張している。

退廃の宴と、無駄に鮮やかなコントラスト。薬品の匂いが漂う手術室で、無機質な鉄製のテーブルに食器が並べられている。

 

「それどころか、食事会を開催してこんなにも君のことを歓待している。そろそろ君も気が変わったのではないか?私の仲間になりたいという気になっているのでは?」

「ぶえ、おえぇええぇっっっ!!!」

 

悪魔が、間近でフーゴに無邪気な笑顔を向けている。

フーゴの隣にイアンが座り、彼が手にするスプーンからは見たくないものがはみ出している。

彼の隣には執刀医の生命のヴィジョンが、満足げに頷いている。執刀医は拘束されたフーゴの背後に回り、電極をフーゴの頭部に差し込んだ。

 

「もう結構な時間、食事会を続けているからね。そろそろ君も眠くなる頃合いだろう?ホストである私に、恥をかかせるものではないよ。」

「ああああぁぁぁぁぁッッッ!!!」

 

コチコチと時計が時を刻む音が、現実感を奪おうとしてくる。

体内に電流が流され、遠のきそうになる意識が痛みで覚醒した。

顎には筋弛緩剤が微量注入され、口を閉じることができない。涙と鼻水と涎と胃液を延々と垂れ流しっぱなしだ。

 

「さて、次の料理だ。これは、◼️◼️の◼️◼️◼️だ。当方自慢の調理人チョコラータが、君のために精魂込めて料理してくれたものだ。是非ともゆっくり、味わって欲しい。」

 

得体の知れない蛍光色の液体の中に、見覚えのあるものが浮かんでいる。

液体は上部に油泡を浮かべ、見る者に嫌な粘性を主張していた。

イアンはそれをスプーンですくい、拘束衣に拘束されて動けないフーゴの口内に流し込んだ。

 

是非ともゆっくり、味わって欲しい。是非とも。是非とも。是非とも。

フーゴの頭蓋内で、イアンの邪悪な声が残響した。

 

「おええぇぇぇぇぇぇッッッ!!!」

「君は実にお行儀がよろしくないな。さっきから吐いてばかりだ。」

 

フーゴの腹筋が痙攣し、唾液と口に入れたものと嘔吐しすぎによる血液が混ざりあって顎から滴り落ちた。

イアンはナプキンでフーゴの口周りを拭いて、自身の指先も綺麗に拭き取った。

部屋の隅では逆さ吊りの材料が、未だ赤い液体を滴らせている。フーゴはそれが視界に入らないように、目を逸らした。

 

イアンは、よりによってフーゴの拷問に肉体を傷付けるものではなく、食事会を開催した。

痛みで精神を折るのではなく、罪悪感で精神を折りにきた。

所業が、とても同じ人間のものとは思えない。

 

しかし、たとえ死んでも屈するわけにはいかない。

相手ははカタルーニャ生物兵器事件の首謀者である可能性が濃厚で、フーゴが敵に屈してしまえばどれほど恐ろしい悲劇が齎されるかわかったものではない。その思惑は不明だが、推測するに恐らくはパープル・ヘイズ・ウィルスを使っての恐ろしい何かを企んでいるのだろう。

フーゴの瞳に、覚悟の光が宿った。

 

「これはあまり君の口に合わないようだ。ならばこちらにしよう。◼️◼️◼️の◼️◼️だ。」

 

さらに禍々しい灰色の物体を、イアンはスプーンですくった。

それは僅かに抵抗し、スプーンの上でプツリとプリンのように切れた。

 

口に入れずともわかる。それはロクなものではない。

フーゴは口に入れられる前から、吐き気を催してえづいた。

 

「おーい、イアン。ディアボロから苦情が来てるぞ?俺の出番はまだか、さっさとしろって。」

 

手術室の扉が開き、オリバーが顔を見せた。

 

「ちっ、あの早漏が。」

「勘弁してくれよ。俺にアイツの相手をさせんなよ。アイツとは気まずいんだから。」

 

オリバーは以前ディアボロの部下として潜入してたことがあり、二人の間には嫌な緊張感が漂っていた。

 

「………そいつを拘束しておけ。」

 

イラついたイアンは立ち上がってディアボロの元へ向かい、オリバーがフーゴのそばに寄って耳元で囁いた。

手早く抱え上げて、器用に拘束具に乗せて鍵をかけた。

 

「哀れだな。アイツに捕まっちまったら、もうお終いだ。意地を張らずに、さっさと諦めちまったがいいぜ。」

 

オリバーはフーゴを拘束する器具を押して、別の部屋に運んだ。

そのままフーゴを放置し、研究室で開催された食事会の後片付けをした。

 

◼️◼️◼️

 

「いつになったら、最後の仕事を指示する?」

「オリバーから告げられているはずだ。お前の出番は半月後だと。」

 

ディアボロはイラついた仕草を見せ、その態度にイアンも僅かに頭に血を登らせて返答をした。

 

「その半月に、一体何の意味がある?」

「お前が知る必要は無い。お前は最後の仕事を果たせば、自由を獲得できる。それまでは、無聊を慰めにその辺でもほっつき歩いてくるといい。」

 

イアンがディアボロを雑に扱い、ディアボロのイラつきは増した。

 

「ふざけるな!イタリアはパッショーネの支配下だ!俺が単独で好き勝手に行動して、奴らに見つかったらどうする!」

「お前も大人なのだろうから、そうなったら自分の手落ちは自分で穴埋めするべきだろうな。」

「貴様ッッッ!!!」

 

ディアボロは激昂し、対するイアンの殺気も膨れ上がった。

 

「………調子にのるなよ!お前が今ここでこうしているのは、自業自得だ。元はお前のパッショーネ陥落作戦の戦略がひどく杜撰だったからだ!今生きていることに、ひたすらに感謝しろ産廃がッッッ!!!」

 

狂った造物主の傲慢な物言いに、被造物(ディアボロ)は逆らえない。

あと半月我慢して仕事を達成し、造物主が気変わりを起こさないことを祈るばかりだ。

それでもディアボロは、イアンが死ねば肉塊に戻ってしまう。悪魔の契約は一方的で、ディアボロの行動にひどく枷をかける。

 

「チッ。」

 

不愉快な相手の顔を見たくなくて部屋を出ようとしたディアボロの眼前で、ドアの取っ手が動いて内開きに開いた。

その動きにディアボロは即座に反応して、警戒した。

 

【ウバシャアアアアアア!!!】

「………見つけたぞッッッ!!!」

「………。」

 

服と顎を黄色い吐瀉物で汚した焦点の怪しいパンナコッタ・フーゴが、部屋の中へと乱入した。

長時間嘔吐を続けて、体力が著しく低下して足取りがフラついている。

 

「………拘束しておけと言ったはずなのだがな?」

 

イアンは首を傾げ、ディアボロは黙ってイアンの前に立って臨戦態勢を整えた。

キング・クリムゾンが、重圧を伴って部屋に出現した。

 

「ああ、いい。私がやる。」

「………お前が死ねば、俺も死ぬ。」

 

大変不愉快だが、ディアボロは目の前の狂人を守るために戦わざるを得ない。

 

「脳まで筋肉のお前じゃあ、力加減に不安が残るのだよ。二度は言わない、下がれ。」

 

イアンはディアボロにそう告げると、スタンド能力を発動した。

イアンの執刀医が音も無く部屋の中に沈んで行き、部屋の中は異界と化す。

 

「喰らえッッッ!!!」

【シャアアアアアァァァァァァァァァァッッッッッッ!!!】

 

凶暴性そのままにパープル・ヘイズとフーゴはイアンに向かって詰め寄り、フーゴの右足が部屋の床から突如生えてきた手に掴まれた。

床からそのまま執刀医が現れ、フーゴに纏わり付いて背後から首筋に筋弛緩剤を注射した。

 

「あぐっっ。」

 

フーゴは、力なく床に倒れこんだ。

フーゴが意識を失うと同時に、パープル・ヘイズも消滅した。

 

「誰の手落ちだ?」

「お前がそれを気にする必要はない。ちっ。」

 

筋弛緩剤も薬物の一種だ。

過剰投与すると中毒症状などの弊害があり、スタンド能力の弱体化に繋がる可能性があるため出来るならば使いたくなかった。

しかし、粗雑なディアボロに対応を任せたくもない。奇襲ではない真正面の戦闘で、彼がイアンが望む力加減をやってのけるという信頼はない。

 

「オリバー!!!」

「ハイハイ、聞こえてますよっと。」

 

オリバーが開いているドアから、ひょっこりと顔を覗かせた。

オリバーは部屋の中の状況を理解して、黙ってフーゴを抱えて運んだ。

 

「馬鹿が。なんでそのまま逃げ出さなかった?」

 

オリバーの囁き声が、誰にも聞こえずに廊下に消えていった。

 

◼️◼️◼️

 

やはり、弱点以外の何物でもない。

拘束具に拘束されて眠るフーゴの隣に置かれた膂力で引き千切られた鉄製の拘束具を見て、イアンは自覚した。

 

証拠は無い。しかし確信がある。

二重の拘束は頑丈で、近接戦闘に特化したスタンド使いのリュカですら引き千切れない設計なのは証明済みだ。

イアンはこれでも元大学教授で、畑違いであってもその程度の力学は理解している。

 

「………。」

 

もしもそれが破壊されるのであれば、それは拘束している器具あるいは衣服が何らかの瑕疵を抱えていたということだ。

言ってしまえば、拘束衣であれば切れ込みが、拘束具であれば欠損があったはずだ。

それはパープル・ヘイズにグシャグシャにされてしまった今は、確認ができない。

 

曖昧な部分、読めない心の裡、口にすべきではない事象。

オリバー・トレイルはイアンの見えない部分でイアンに反逆していて、しかしイアンはそれをオリバーに追及できない。

どう転ぶかわからない、藪を突いたら現れる蛇の動向。

 

これは、オリバーの主張だ。時折、こういったことが起こる。

あまりにもイアンの行動が目に余る場合、オリバーは見えないところでイアンに逆らい、しかしオリバーに反旗を翻されたら致命的なイアンはそれを強くは追及できないのだ。イアンはそれが明確な反逆だという証拠を見つけたことはないが、理解している。

 

人質はとっている。使い捨ての駒をいくつも持ち、イアン自身の実力もそこそこある。

今日明日敵が襲ってきても、それなりに戦える戦力は保有している。

 

しかしオリバーに開き直られて表立って逆らわれてしまえば、イアンにとってそれはあまりにも致命的だ。

オリバーがいなくなれば保有戦力、所業、弱点、それらが敵に筒抜けになってしまい、敵はこちらを上回る戦力で作戦を組んでくる。

逃亡に関しても、その一切がオリバー頼みだと言っていい。オリバーは現状、イアンの生命線そのものだ。

 

ディアボロやリュカほどの戦力を持たない。知能はイアンに及ばない。

それでも替えの利かないオリバーという手駒はイアンの急所であり、見えないところでの反逆は気付かないフリをして曖昧なままにしておくしか取れる手立てがない。追い詰めすぎた結果オリバーがイアンに表立って逆らえば、イアンもオリバーの弱点を攻めるしかなく、互いの不毛な破滅が待っている。オリバーを改造して自由意志を奪えばスタンドが弱体化し、それはそれでイアンにとって不都合な状況になる。

イアンもオリバーも互いの立ち位置をよく理解していて、オリバーは時折こういった行動を起こすことがある。

 

「………。」

 

イアンは無言で、拘束されて眠るフーゴと破壊された拘束具に背を向けた。

 

◼️◼️◼️

 

「どうするんですか?計画に瑕疵がある。問題点がある。それはあなたには、最初からわかっていたはずだ。」

 

研究室でチョコラータがいやらしい笑みを浮かべて、イアンに疑問を呈した。

 

「問題点がなければ、計画を省みることがなくなる。油断が生じる。変化する現状に対する柔軟な対応を怠ることに繋がる。問題点というものは、案外必要なのかもしれないな。」

 

イアンはチョコラータよりも、さらにいやらしい笑みを返した。

 

「なるほど。そう切り返しますか。しかしあなたに生殺与奪を握られている僕としては、実に気が気でないのですが。」

「君の今の生は、ロスタイムのようなものだろう?本来は死んでいる。それとも君もディアボロのように仕事をこなして、私と自由を獲得する契約をするかい?」

「………やめておきます。あなたとの契約は、恐らくは分が悪い。ロクでもない条件を突きつけられるのが、目に見えている。」

 

計画の瑕疵とは、オリバーの行動だ。

イアンはチョコラータを呼び出して、話し合いによる自身の思考と方針の整理を行った。

 

人間は案外、自分の考えを明確に理解していない場合も多い。

そういう時は他人と喋ることで、自分の思考が明確に理解できる。

イアンはこれまでの経験で、そういう結論を出していた。

 

「………ところで、それをなぜ僕に明かしたんですか?あなたは誰かを信用するような人間ではない。」

 

オリバーの反逆は、イアンの致命傷となる可能性がある。

そんな重大事をイアンがチョコラータに漏らしたのが、チョコラータにとっては不思議だった。

 

「君の思考が、私に一番近いからだよ。君は何より、自分の興味と愉悦を優先する。私の抱える弱点は、いずれ致命傷に直結する可能性がある。しかしそれは、即座に見えている破滅ではない。」

「ええ。」

「オリバーは問題外。リュカとディアボロは脳が筋肉でできている。となれば、話せるのは君だけだ。言葉にして、自分の考えをまとめるのには君が最適だ。」

 

イアンは、チョコラータに相談したわけではない。

あくまでも自分の思考を明確にして、自身の行動の指針を獲得するためである。

 

「弱点をどう克服するのですか?」

「克服のしようがない弱点だよ。神経を尖らせて、致命傷になりそうな道筋が見えたら先回りするしかあるまい。」

「オリバーを半殺しにして、脅迫してはダメなのですか?」

「無理だな。それは藪蛇だ。結果として不利になるだけに終わる可能性が高い。」

 

もともと、際どいバランスの上に成り立っている関係だ。

オリバーは我が子が大切で、頭がおかしい人間を装ってイアンの手伝いをしている。罪悪感を刺激されながら、非人道的行為に手を染めている。イアンは、オリバーに居なくなられたら困る。オリバーに開き直られたら、非常に状況が悪くなる。

 

オリバーの子供の手術の執刀を担当したのはイアンだ。

オリバーは恐れている。イアンが手術の際に、彼の子に一体どんな行為を施術したかわからない。

それが現状、オリバーをイアンの下に繋いでいる枷だ。最悪、イアンの死亡と共に我が子も死亡するかもしれないと。

 

「実際、何をしたんですか?」

「それは秘密だよ。………さて、拷問の続きを行おうか。」

 

イアンはこれ以上話しても得られるものはないと判断して、立ち上がった。

 

「見えている弱点を放置するなんて、僕には考えられませんよ。」

「穴が無いと油断するよりも、適度な緊張感があったほうが案外と物事はうまく進むものだよ。それも含めて、楽しもうじゃないか。」

 

イアン・ベルモットは静かに、微笑んだ。



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時よ止まれ、お前は美しい

「一体あいつらは、何者なんですか?」

「よせ。余計な詮索をしても、誰も得をしない。一番損をするのは、お前自身だ。」

 

若い警官が年配の警官に問いかけ、年嵩の警官が返答した。

彼らはベネツィアの一家失踪事件捜索班に配備され、失踪した一家の自宅の監視を任されていた。

彼らが監視をしている最中に黒いスーツを着た一団が現れ、現場の彼らに対テロ特殊部隊からの正式な捜査委任状を提示して捜査のために建物内部へと侵入した。彼らは五人組で、先頭にいたリーダーと思しき人物が女性で残りは男性だった。

 

「警察で公式に捜査班が組まれています!!!あんな得体の知れない奴らなんかに………。」

「………お前は、若いな。闇で行われていることを、光の当たる場所にいる人間は知るべきではない。ああいった奴らが動いたということは、そういった事件だということだ。不用意に闇を突けば、闇に引きずり込まれる。不審な事件では、時折ああいった奴らが現れる。俺は何も知らないし、お前も何も知らない。それが、誰にとっても幸せなんだ。」

 

年配の警官は、顔を赤くする若い警官に諭すように声をかけた。

 

「そんな………。」

「俺たちはあくまでも警官であって、決して特殊介入部隊(GIS)ではない。俺たちはあくまでも国家権力であって、決して武力ではない。ああいった奴らが出てきたってことは、このヤマは本当にヤバい事件だということだ。お前もいつまでもつまらないことでゴネていないで、家族などの自分にとって大切な人間を守ることだけを考えていたほうがいい。」

 

何も知らない、聞こえない。年配の警官は帽子のつばを触って、騒音を遮断した。

誰にでもわかるわかる危険な事件であれば、特殊介入部隊が派遣される。一見危険に見えなくとも本当にヤバい事件であれば、特殊介入部隊を飛ばしてああいった奴らが派遣される。特殊介入部隊とは日本で言うところの対テロ軍隊に等しく、それすらすっ飛ばされたということは、つまりそういう事件の可能性が高いということだ。警官は市井の安寧を目的に行動し、特殊介入部隊であれば対象の殺傷の可能性をあらかじめ視野に入れて行動する。そしてああいった手合いは………余計なことを考えるのはよそう。

はっきり言ってしまえば、特にタチの悪いホームグロウンテロリストに対抗するための傭兵だと考えればいい。

 

危険度がわかるうちは、どれだけ危険な事件であってもまだマシだということである。

本当にヤバい事件とは、誰にも実態が理解できないうちに進行する。そしてある日、絶望の顕現と共にそれを理解するのだ。

 

邪神も神の一柱であるからには、信奉者が存在する。残虐性も過ぎれば、それを崇めて模倣する者が出てくる。

それを防ぐために、事件は隠蔽され闇に葬られる。

年配の警官は年の功で、そのことを理解していた。

 

かつてイタリアには、鋏男という殺人鬼がいた。

年配の警官が若い頃に存在した、都市伝説のような連続殺人鬼だ。今をもって捕まっていない。

その被害者は決まって、体中を無惨に鋏や剃刀などの刃物で切り裂かれたような傷跡を残していた。傷は体内から外に向かっていて、どのような凶器を用いればそんな傷になるのか誰にも説明が出来なかった。

 

存在が明確に証明されているにも関わらず、その足取りを追おうとすると各所から圧力がかかる。

鋏男は連続殺人鬼であり、その被害者は大半が勢力拡大に躍起になって、社会に多大な被害を与える新興のギャングだった。

 

『………俺にとっては羨ましいことに、アンタには表に居場所がある。この手の事件に関わるべきじゃあない。失せな。』

 

ものを知らない若い頃に正義感に陶酔した彼は鋏男を追い、追跡の最中に出会った男の昏い目を忘れられない。

 

どこからともなく忽然と現れた若い男。もしかしたら少年と言っていいくらいの年齢だったのかもしれない。

その男は、心が凍えるほどに冷たい目していた。

 

一般人が闇を覗いて、無意味に死ぬことはとても悲しいことだ。

彼は彼岸と此岸の境目に立ち入ろうとする愚かな若者に、警告をしにやって来たのである。

 

あの男は今頃何をしているだろうか?もう死んでしまったのだろうか?

………想像でしかないが、きっと彼らは鋏男の同類だ。

 

個人の義憤を優先して騒げば、闇で戦う人間の邪魔になる。結果としてより悪い方向へと事態は推移する。

最悪の事態を防ぐために、味方であるはずの闇に口封じされ消される恐れすらある。悪魔を一度取り逃せば、その歩いた後に屍の山が積み上がるからだ。邪神の悪徳は放っておけば、止めどなく流れる死体の血の海よりも深く、天を衝く贖罪の塔よりも高く積み上がる。どこまででも。

 

………イアン・ベルモットは、屍の山を越える敵が現れることを望んでいる。

一人きりでは、演劇は成り立たない。劇を演じるためには、主人公とその敵対勢力が必要だ。

 

口は災いの元という至言は、知らぬが花という金言は、果たして一体誰が言い出したのか?

夜と昼が等価であるのと同様に、闇と光は等価だ。

躍起になって光のみで社会を照らそうとしても、収縮したその影はより一層濃くなり闇が凝縮されるだけに終わる。

 

闇の深奥で蠢く悪鬼は、誰も知らないうちに闇に消えるのが、誰にとっても一番幸せだ。

 

◼️◼️◼️

 

「なあ、パンナコッタ・フーゴ。君はどちらだと思う?」

 

パチリと音がして、ボタボタと新たに糸を引いて血が床に垂れ落ちる。ボトリと音がして、床に切り離された肉片が落ちる。

執刀医が傷口を糸で縫って、流れ落ちる血液は止まった。

再びパチリと音がして、血が流れる。落ちる。縫う。流れる。落ちる。縫う。その繰り返し。

フーゴの指はどんどん短くなり、体から力が抜けて出血量は少なくなっていく。パチリ。

 

「あッッッ!!!」

「私にもわからないのだよ、君が素直に従ってくれるのとそうでないのは、どちらが私にとって面白いのか。君が私に従ってくれれば、私はきっと誰にも届かない高みに登ることができる。それはとてもとても素晴らしいことだ。君が私に従ってくれなければ、私は君で延々と遊ぶことになる。私の役に立てるはずの君を、私はずっと痛め続けることになる。一見、君にとっても私にとっても、君が私に従ってくれたほうがよさそうに思える。しかし、よくよく考えてみよう。たった一人で誰にも届かぬ高みに登ったところで、それは果たして本当に面白いのだろうか?幸せはそこにあるのだろうか?たった一人きりで?」

 

遊ぶからには、遊び相手が必要だ。

一人で神になって好き放題に振舞ったとしても、それはきっと面白くない。すぐに飽きてしまうだろう。

高みに登ろうと苦心する過程が楽しいのであり、高みに登りきった後にはきっと永遠の退屈が待ち受けている。

イアンは、そう予感した。

 

そう………苦難こそが人生。苦しみこそが、命を輝かせる極上のスパイス。

全知全能の神は、無敵の戦士は、絶対に負けない英雄は、さぞかし退屈な生を送っていることだろう。

 

過程が分かりきっている生ほどつまらないものはない。

結果を突き詰めてしまえばどう足掻いても、生のその結末は死で終わるものなのだから。

ならばこそ、旅路の道程を楽しもう。イアンは、鼻で笑った。

 

パチリ。

心が凍える薄青い研究室で、イアンは椅子に腰掛けて拘束衣を着せられたフーゴと向き合い、執刀医がフーゴの拘束衣から露出した指の部分を細かく刻み落としている。フーゴの血が執刀医の白衣に飛び散り、新たに赤い染みを作った。

 

「ぐッッッ!!!」

「拷問は、どれだけ痛めつけても、従わない者は決して従わない。精神がダメージを負うほどに痛め付けるとスタンドが弱体化するし、君の手が腐り落ちて死ぬ可能性もある。まあその対処のために、私のスタンドが君を拷問しているわけなのだが。………前の拷問の方が私好みだったのだが、残念ながらアレはオリバーからNGが入ってしまった。」

 

パチリ。ボトリ。

指切りバサミは、フーゴの人差し指から中指へと移動した。

ボタボタと、新たな傷痕から今までよりも多量に血が流れた。

 

やり過ぎてはいけない。やり過ぎたら、人間は簡単に壊れてしまう。

素人は知らない。人間は、考えているよりもずっと脆い。

なるべく長く楽しむのが、人生を豊かにする秘訣だ。

 

少しずつ、少しずつ。

廃人になってしまえば、目の前のこの青年はもう用無しだ。それはつまらない。

従順に従っても用無しだ。それもつまらない。

一生懸命従わせようとするその過程こそが、至高の娯楽なのだ。

 

苦痛と喜悦に酔い痴れ、感情の揺れ幅を楽しもう。

イアン・ベルモットは吉良吉影と行動に類似点が多いが、その根本の行動原理は真逆だ。

イアンは植物のような平穏な人生を望まない。落差のあるジェットコースターのごとき人生を望んでいる。

めくるめく回転し、上昇し、下降し、その最期は地面に叩きつけられて液状化しようか?

 

今まで大々的に事件を起こさずに潜伏し続けたのは、偏に己の実力不足を自覚し、楽しい喜劇を演じることが不可能だと自覚していたからだ。役者の実力不足、頭数も不足していた。

 

イアンは客観性を持ち、己の決定的な戦力不足を理解していた。

急いてはことを仕損じる。せっかくの一世一代の大舞台なのだから?

今はオリバーがいる。ディアボロがいる。己のスタンドはレクイエムに進化した。そしてまだ切り札はとってある。

時は来たれり。

 

さて、収穫の果実はどのようなものを実らせている?それはいったいどんな味がする?

夜を超える強者は生まれる?臨終の際は喜びに彩られたもの?

 

狂気よ、無限大に膨れあがれ!

 

「うあッッッ!!!」

「………私の中には、二人の私がいる。君に従って欲しいと望む私と、そうでない私。恐らくは、私は君に従って欲しくない気持ちの方が強いのだろう。」

 

フーゴは、出血多量と空腹と疲労で目が霞んでいる。視界に入るイアンの像がボヤけた。

朦朧とする意識に頻繁に激痛が走り、嘔吐を続けた腹部はどれだけ気持ちが悪くても疲弊しきっていて蠕動しない。

時折強烈な電流が流され、靄がかった頭脳が赤と黄色に明滅する。胃液の黄色と血液の赤が混じり不快な匂いと色合いを奏でている。

 

「なぜなら、今ここにいる私は君を従えるために拷問するという手段以外に何も考えようと思わないのだから。」

「ああああああああああああ!!!」

「苦痛に喘ぎ、苦楽を共にし、艱難辛苦を味わってこそ。それでこそ人生。そうだろう、パンナコッタ・フーゴ?………苦しみこそ、人生。」

 

イアンの眼球が、興奮で赤く充血した。

 

時よ止まれ、お前は美しい。

フーゴの脳に火花のように苦痛が間断なく走り、不快な空腹と朦朧とした意識は止めどなく吐き気を訴えた。

 

イアンは、フーゴの苦痛に喘ぐ表情を間近でしげしげと眺めて、凶悪な笑みを浮かべた。

 

◼️◼️◼️

 

「おい、シーラ・E。この格好はなんとかならないのか?」

「つまらないことを言わないで。時間の無駄。現地の警官との折衝をする際、ある程度しっかりとした格好をしておかないと無用な軋轢を生みかねないわ。アンタ、パッショーネの特命をナメてんの?」

「もちろんナメちゃいねーけどよぉ、暗殺チームには暗殺チームの正装があるんだよ。」

「詳細がわからない現時点で、ゴネるのはやめてちょうだい。アンタたちの本業だと決まったら、そんときに着替えなさい。そんな余裕があるんだったらね。」

 

ボックス車の助手席で黒いスーツを着たサーレーがシーラ・Eに苦情を言い、シーラ・Eが投げやりに返答した。

彼らは直近のパッショーネ所属のパンナコッタ・フーゴ失踪の足取りを皮切りに、いくつもの失踪事件被害者たちの足取りを追うべくパッショーネ首脳部から指示された地点へと赴いていた。今現在はシーラ・E所有の車に乗せられて、高速をひた走りベネツィアの一家失踪の手がかりを掴むべく一家の自宅へと足を運んでいた。

 

失踪事件はイタリアの各地にまたがり、今現在は捜査開始からおよそ一週間が経とうとしている。

彼らがシーラ・Eのスタンドを頼みに調査を行った結果判明したことは、失踪のその多くは屋外で行われていただろうということだった。事件の多くは自宅になんら手がかりが残っておらず、しかし一部は自宅に不審者が滞在していたことが判明している。

その差異は、見えざる敵がイタリア国内をこまめに移動する際に一般家庭に押し入り、なんらかの手法で家屋内住民全てを消し去ってそこに滞在していたことを示している。

 

現時点では敵の所在地が不明で、交通機関に規制をかけることも難しい。

やるのであれば、イタリア全土に極度の規制をかけなければ意味を成さないからである。

下手な行動を起こせば相手が追い詰められてどう出るかわからないし、見えない敵に市民がパニックを起こす可能性もある。

カタルーニャ生物兵器事件の首謀者と同一であるという明確な証拠がない現時点では、その手段を取るのは極めて難しい。

 

「………本当に厄介。」

「………ああ。」

 

シーラ・Eが、運転席で呟いて爪を噛んだ。調査をすればするほどに、敵の厄介さが浮き彫りになる。

 

いるのは間違いない。しかし敵はまるで姿を見せない。

誘拐の多くは野外で行われているのも関わらず、まるで目撃情報が上がってこない。

敵の狙いがまるで見えて来ず、次にどこに出現するか全く予測がつかない。

 

時間が経つほどに犠牲者数が増えるにも関わらず、いつカタルーニャ事件のような大規模な行動を起こすかわからないにも関わらず、地道な捜査を行うしかない。敵の捕捉にはまだ時間がかかる。なんらかの手段で隠蔽工作を行なっているのは間違い無く、その手段はスタンド能力である可能性が高い。

 

「ご苦労様です。」

 

車内から降りて身分証明書を提示したシーラ・Eに、年配の警官が敬礼した。

現時点で彼らに出来ることは、敵が滞在したと思われる家屋からシーラ・Eのスタンドで情報を得ることだけであった。

 

◼️◼️◼️

 

「リュカ、おはよう。」

 

イアンは十歳くらいの少年に、言葉をかけた。

 

「世話係がオリバーってのは、なんとかならねえのか?」

 

リュカと呼ばれた少年は、イアンに返答した。

 

「考えてみてほしい。我々のうち他に誰が、好んで幼児の世話をしようとする人間がいる?」

「それもそうだな。」

「ヴィネガー・ドッピオに君の世話を押し付けることも考えたが、あの男はそこそこ戦えるくせに普段は信じられないくらいマヌケだ。いっそ哀れに感じるほどにな。無駄に仕事を増やしてくれるなとオリバーに泣いて頼まれてしまったし、さすがに君の世話を任せる気にはなれなかった。」

「そうか。」

 

リュカは、どうでもよさそうに返答した。

リュカの外見は目付きが悪く頬は不健康に痩せこけ、髪は短く切り揃えてピアスを鼻と耳にいくつもつけている。

 

「タトゥーを入れてくれ。」

「オーケー。細かい作業は時間がかかるから、君が寝ている間にやっておくよ。ついでに吸血鬼化もやっておかねばならないし。」

 

手袋をしたイアンの執刀医がリュカに近寄り、白目に注射した。

墨がリュカの硝子体に流れ込み、眼球の白い部分が黒く染まった。

 

「前の俺は、やっぱり死んだのか?」

「多分ね。スタンドは、一人一体。今の君にスタンドがあるのなら、前の君は死んだということになる。」

「そうか。」

 

リュカは、生まれついてのスタンド使いだ。

リュカの背景にケミカル・ボム・マジックが出現した。

 

「ああ。確かに死んでるな。」

「………クソッタレ(メルデ)。」

 

リュカが、苛立ち混じりに舌打ちをした。

 

「………それで。どうすんだ?俺は勝手に行動していいのか?」

「もう少し待ってくれ。君がもう少し成長したら、行動を起こす。まあ、今回はさほど待たずに済むだろう。」

「具体案は?」

「ディアボロとドッピオ・ヴィネガーをローウェンにぶつける。首尾よく倒せればそれでよし。失敗しても、奴が弱ったところを君たちが襲えばいい。」

「君たち?」

 

リュカが首を傾げた。

研究室のドアが開き、リュカより年上の男が入室してきた。

 

「初めまして。僕の名は、チョコラータと申します。」

「おい、なんだこの気持ち悪りぃヤローは?」

 

チョコラータが、慇懃無礼に挨拶をした。

 

「名乗った通りだよ。先々君と行動を共にする可能性があるから、紹介した。まあ現時点ではどうするかはまだ考えていないけどね。」

「………了解した。」

 

リュカはイアンとの付き合いが長く、彼の扱いを心得ている。

どこに怒りの導火線があるかわからず、逆らったところで強制的に言うことを聞かされるのが目に見えている。口答えするだけ時間の無駄だ。

 

「僕の方は君の名前を聞かせてもらっていませんが?」

「………リュカだ。お前、あまりペチャクチャ喋りくんなよ。」

「無礼なガキですねぇ。」

 

リュカとチョコラータの間に一瞬一触即発の空気が流れたが、横にいるイアンの殺気が膨れ上がったことによって二人は引き下がった。

 

「………私にいらない手間を掛けさせるな。」

「オーケー、オーケー。いきなりそんなに怒らないでくださいよ。」

「………。」

 

リュカはチョコラータを一瞥し、踵を返した。

 

「どちらへ?」

「………。」

「出番が来るまでは、拘束しておとなしくしてもらうのだよ。そうしないと、今までの経験上彼は我慢しきれずに暴発するからね。」

「協調性のない奴だな。」

「君には協調性があるのかい?」

 

イアンがチョコラータに問いかけて、チョコラータは肩を竦めた。

 

◼️◼️◼️

 

「ここはすでに引き払ってあるわ。次の目的地はローマ近郊。それにしても………行動に一貫性がなく、そのせいで調査に非常に時間がかかる。急ぐわよ。」

 

六枚、三対の蝙蝠のような羽を背にしたブードゥー・チャイルドの進化形、ブードゥー・チャイルド・レクイエムは失踪したベネツィア一家の家捜しを念入りに行い、シーラ・Eの操るブードゥー・チャイルド・レクイエムは敵の次の所在地がローマ近郊であることを確信した。

家の床や壁から唇が浮かび上がり、それらは敵の行動を彼女に逐一報告する。家のソファーに敵の首魁と思しき人間の思考が残されており、それによると次の彼らの行動目的地はローマであるとのことであった。

 

「マジかよ。今からローマの方にトンボ帰りか。」

「しょうがないでしょう。………時間がかかってしょうがないけども。」

 

サーレーたち一行はネアポリスからローマ、ミラノと経由して、ベネツィアまで調査に訪れに来ていた。

今からローマに戻るのは、ひどく時間のロスになる。その前はシエナで調査を行なっており、非常に労力と時間をロスしている。

サーレーは頭を抱え、シーラ・Eも首を振った。

 

「さっさと行こうぜ。」

 

もうここには用がないとばかりに、彼らは入り口を出て警官にズッケェロが手を上げた。

 

「アンタが運転すんの?」

「ここまでお前に任せちまってるだろ?」

 

シーラ・Eはネアポリスからベネツィアまで高速を運転し続け、疲労を慮ったズッケェロが交代を申し出た。

 

「お前、運転中に余所見しそうで怖いんだよなぁ。」

 

モッタの半眼をよそに五人は車に乗り込んでいく。

ズッケェロが運転席に座り、サーレーが助手席に腰掛けた。

ホル・ホースは後部座席で呑気に拳銃をいじっている。

 

イアン・ベルモットは各地を転々と移動しながら、パッショーネの情報を探っている。

各地点でギャングと思しき人間も拉致しているのだが、パッショーネの構成員は忠誠厚く、敵対ギャングはパッショーネに対する恐怖から、拷問を行なってもなかなか情報が集まらずにいた。しかし、それもいつまでも続くものではない。

 

今現在イアンの元に入っている情報は、ミラノ市にパッショーネの幹部が多く在住しているということ。

そして彼らの背後にはサーレーたちが後を追って来ている。

 

赤いカビを操るチョコラータがミラノでパッショーネ幹部の乗っ取りを画策し、暗殺チームは見えない敵イアンを暗対である可能性が極めて高い危険な敵であると認識している。衝突の時はもう、さほど遠くない。

 

◼️◼️◼️

 

「フンフフン。」

 

調子外れの、気持ちの悪い鼻歌。

呑気に鼻歌を口ずさみながら、チョコラータはキャンバスを赤く赤く染めていく。

ここはチョコラータのお気に入りの芸術室。ここにあるデッサンのモデルは、その全てがチョコラータお手製である。

 

濃淡のみで描かれた抽象画は見るものに不安感を与え、意思を感じられない虚ろな複数の視線が鉄の匂いがする室内を彷徨った。

チョコラータの絵画のモデルは………。

 

「………ゲスが。」

「ハアーン?なんか文句あるんですか、凋落した元ボス様風情が?」

 

通りがかったディアボロが室内の惨状に嫌悪を表し、チョコラータは同類を蔑む愚者を挑発した。

 

「………。」

「僕とアナタは同じ立場。共に社会から弾かれ、人々のその嫌悪を超えた殺意を一身に受けた結果ここにいます。綺麗に見せて取り繕おうとしたところで、事実は変わりませんよ?クソがゲロをゴミ扱いにして、そこに何の意味がありますか?」

 

自身の最も蔑むゴミに同類扱いされたディアボロは頭に血が上りそうになったが、ここでこの男の挑発に乗ってもイアンの不興を買って共倒れに終わるだけだと理解している。

ディアボロのまぶたが怒りでピクピクと痙攣したが、理性で感情を自制した。

 

「ボス、いいんですか?こんなクソ野郎に言わせておいて?」

 

たまたま行動を共にしていたヴィネガー・ドッピオがディアボロに疑問を呈するも、ディアボロはそこまで短絡的ではなかった。

パンナコッタ・フーゴの情報を渡し、その身柄を渡した。あとはフランシス・ローウェンの暗殺さえ成功させれば、自由が待っている。

 

良くも悪くも、人は希望があるから先へ進んでいける。

今より良い未来が存在する可能性があるから、生きることに希望を持てる。

不確かで遵守する保証がなかったとしても、ディアボロはイアンとの契約を信じることしかできない。

ここでチョコラータの挑発に乗ってしまえば、あの狂人はそのことをどう考えるだろうか?怒りを買って契約履行確率が下がるのではなかろうか?

 

「小者ですね。他人の顔色を伺って。でもそれで正解です。現状僕たちはあの男の奴隷に過ぎない。そのことを認めてさえしまえば、許される範疇でそれなりに楽しめますよ?」

 

癪だが、チョコラータの発言を認めざるを得ない。

死人がこの世に繋ぎ止められていること自体が、望外の幸福としか言いようがなかった。

 

チョコラータの本質は、イアンに近いが同じではない。

イアンは、チョコラータよりも己が生に執着しない。

作り物のチョコラータは生に執着し価値を見出し、生身のイアンは自身の生に固執しない。その歪さよ。

 

「さて。そろそろお前たちの出番、第二幕の開演時間だ。いつまでも逃げ続けられるものではない。いくらオリバーが有能だろうと、敵はそろそろ私たちの居場所を突き止めてくるだろう。」

「ッッッ!!!」

 

時限爆弾の導火線に、猶予がなくなった。

パッショーネの情報は、未だ曖昧で収集しきれていない。

どの程度戦力を保有し、どういった配置を行なっているかはまるでわからない。

わかっているのはディアボロとチョコラータが直接対決した戦力だけ。

しかし、その曖昧さを含めて楽しもうか?

 

ヴィネガー・ドッピオは背後から現れた男に一歩後ずさり、ディアボロはもともと不機嫌な表情をなお歪めた。

イアン・ベルモットはディアボロにとって、チョコラータ以上に不可解で理解不能な存在であった。

 

「僕の出番は?」

「ミラノで思う存分暴れろ。お前たちはフランシス・ローウェンを仕留めてこい。」

 

イアン・ベルモットが現れ凶悪な笑みを浮かべ、チョコラータはお祭りの予感に昂揚した。

ディアボロとヴィネガー・ドッピオにフランス行きの指示を出し、チョコラータにはミラノでの大量虐殺の指示を出した。

 

「あなたの指示通りに動けば、きちんと僕の尻拭いもしてくれるんですよね?」

「君の期待を裏切るつもりはない。私だって信頼できない仲間より、きちんと管理できて指示通りに動く部下の方を望んでいる。君が私の言う通りに動くのならば、私が協力を惜しむことはないだろう。」

 

イアンは、言葉とは裏腹に思考する。

 

言うことを聞いて役に立つ手駒は、非常に価値がある。

しかし、手駒が言うことを聞かずに予想外の結末を迎えるのもきっと楽しい。

果たして、私は本心でどちらを望んでいるのだろうか?

………チョコラータに、オリバーほどの価値は無い。

 

「………多分。」

「ハア?」

 

イアンは小声でボソリと付け足して、チョコラータは意味不明な返答に聞き返した。

 

結局のところイアンの恐ろしさは、展開がどう転んでいっても、どんな不条理な結果であったとしても、イアンに敗北感を与えることができないというところにある。敗北という事実をイアンに与えることが出来たとしても、当のイアン本人がそれに喜びに感じてしまう気狂い。

 

勝利は甘美で素晴らしく価値のあるものだが、敗北は敗北で楽しく意味があるものなのだから。

まるで見当外れで何もなせずに犬死しても、彼は自分の不幸と滑稽さを喜劇として笑い飛ばせる。

過程が目的であるためにその計画は恐ろしく柔軟性が高く、予定外想定外の事態に手を叩いて喜ぶ有様。

 

狂人の狂人たる所以は、社会と相容れないその価値観にある。

その生に意味もなく価値もなく目的もなく、他人に興味関心を持たず、ただひたすらに人生の過程を己にとって素晴らしいものにすることだけ。それだけを突き詰めている。

普通の生命にとっては至上の価値があるはずの己が生でさえも、劇をより輝かせる使い潰しの舞台装置の一つに過ぎない。

 

自身の狂態を指差して嘲笑おう。

空虚な生と罵ればいい。気狂いと馬鹿にすればいい。

理解不能で当然。反吐がでる。私の生は私だけのもので、他人に共感されたり評価される必要は無い!

人は一人一人異なり、それぞれの価値観に基づいて生きているのだから。

 

まだ見ぬ敵よ!死の匂いを嗅いで追跡する猟犬たちよ!お前たちは狂気の夜を越えられるか?

さあ、狂劇(クレイジー・プレー)の幕開け。狂気の夜が更けていく。



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天球儀

夜が更ければ、お別れ。とても面白かったよ。バイバイ。

チョコラータは心の中で、顔も名前も知らない誰かに別れを告げた。

見知らぬ誰かの無差別大量殺傷。チョコラータのスタンド、グリーン・デイは、そういう能力だ。

 

「うふふっ。自重しないでいい人生って、最ッ高!」

 

ミラノの街灯に煌々と照らされた夜に、緑色のカビが街並みを蹂躙していく。

建物の一室でイアンの横に居座り、テーブルに腕を伸ばしながらチョコラータは楽しそうに微笑んだ。

 

「でも欲を言うのなら、外の人間が恐怖する様を間近で眺められないのはとーーーっても残念。」

「君の前任のチョコラータは、それが我慢できずに外に阿鼻叫喚の様を見にいったせいで銃殺された。私の制止を振り切って、ね。」

 

イアンが横に居座るチョコラータに忠告した。

 

「どうせあなたが煽ったんでしょう。制止したのかもしれないけど、それは多分形だけだ。」

「それでも忠告は忠告だよ。それを聞かなかったのはかつての君自身だ。いつだって、君の行動の選択権は君にある。」

「わかっていますよ。前の僕は知りませんが、今の僕はバカどもが何もわからずに死に行く悲鳴だけで我慢しますって。」

 

部屋には木製のテーブルと椅子があり、それにイアンとチョコラータが腰掛けている。

ディアボロとドッピオとリュカはフランスに遠征し不在であり、オリバーは隣の部屋で悲鳴に耳を塞いでいる。

 

「それで。僕たちはこの後どうするんですか?」

「待つさ。スペインで同様の行為を行ったからには、彼らも前回よりも迅速に行動を起こすだろう。さほど待たずともここは突き止められ、対処を仕込まれた兵隊蟻たちが送り込まれてくることになる。」

 

イアンは椅子を引いて優雅に立ち上がり、部屋の角に置かれた食器棚からワインを出してワイングラスに少量注いだ。

 

「待ってどうするんです?」

「うう………。」

 

苦しげな声が聞こえた。それは彼らの眼前のテーブルの上から聞こえてくる。

イアンはフォークを手にとって、それを彼の腹部に突き立てた。意識がほとんどないフーゴの体は、それでも反射でビクンと動いた。

 

「あッッッッッッ!!!」

「待てば海路の日和ありさ。彼らは喜劇の舞台役者になるか?それとも何もなせずに朽ち果てるか?もしかしたら私たちが劇の続きを演じれなくなるのかもしれないね。」

「意味がわかりません。」

 

チョコラータはイアンの言葉の意味がわからずに、首を傾げた。

 

「まあつまり、出たとこ勝負ということだ。敵の戦力がわからない。戦略もわからない。敵が死ぬかもしれないし、互角の戦いを繰り広げて楽しめるのかもしれないし、私たちが敵に敗れてあっさり死ぬのかもしれない。どうなるのか私にもサッパリだ。それならば雑に過ごして適宜柔軟に対処するのがベストだろう?計算高く計画を綿密に立てる者ほど、不慮の事態に弱いものだ。なあ、パンナコッタ・フーゴ?」

 

テーブルの上に寝かせられたフーゴの腹部には鈍色のフォークが突き立てられており、傷口から床にツウッと血が垂れていく。

フーゴの色の悪い肌は、わずかに痙攣した。

 

「自分から敵を呼び寄せておいて………。あなたはもう少し計画性をもって行動するべきでは?」

 

チョコラータはイアンの物言いに呆れ果てた。

 

「そりゃあこんなことを続けていれば、いつかは負けて死ぬさ。それは明白だ。………しかし計画性をもって行動してしまえば、保身に執着してしまえば、私の人生は永遠に輝かない。私にとって人生は、つまらないものとして幕を引いてしまうだろう。」

「………。」

「残念ながら凡人の私じゃあ、普通にやっても退屈な劇しか演じることができないんだ。だから己の命をチップに、舞台を輝かせるしかないだろう?ところでそういう君は私に説教できるほど立派で計画的な人生を過ごしたのかい?チョコラータ。」

 

イアンのような、笑顔で他人を殺傷する人間を凡人と呼んでいいものか?

 

チョコラータは内心で首を傾げたが、面倒なのでそこを突くのはやめておいた。

きっと狂人には狂人なりの定義が存在し、それこそ凡人に理解できないものだろう。

チョコラータはそう判断した。

 

しかしそういうチョコラータも、イアンと同様の常人には理解できない人間だ。

 

「まあ死に際がアレですしね。確かに僕はあなたに何も言えない。でも今ここにいる僕は、死にたくないと思っていることだけは理解してください。」

「それはもう聞き飽きたよ。」

 

イアンはスプーンを右手に掲げて、外の悲鳴に合わせて指揮者のように宙を揺らめかせた。

悲鳴と悲劇の大合唱、夢見心地の少年の憧憬(トロイメライ)

 

「悲劇はいつだって君たちの側にあり、にも関わらず君たちは普段はなかなかそれに気付けない。いつだってそれに気付いた時は、もう手遅れなのさ。………魔法が解ける時間になって慌てて舞踏会から駆け足で逃げ出したシンデレラは、お城の階段を下る最中に履き慣れないガラスの靴で足をくじいてピカピカの大理石の床にそのまま脳天から真っ逆さま。哀れ頚椎骨折と脳挫傷で帰らぬ人となりましたとさ。」

「夢も希望も教訓もない、クソみたいな寓話ですね。」

「それが現実というものだよ。」

 

チョコラータは呆れた。

イアンはワインの瓶を逆さにして、中身をテーブルに横たわるフーゴの傷口にドバドバとぶちまけた。テーブルに流れる血とワインが混ざり合い、あたりに赤黒い液体が尾を引いた。

 

「まあ出たとこ勝負で構わないですが、最低限の行動の方針を指示してくださいよ。敵が現れたらどうするんですか?」

「まあ落ち着いてくれ。」

 

イアンが指を鳴らすと、室内は薄青い手術室へと変化した。

フーゴは手術台の上に乗せられ、床から執刀医が現れてモニターを部屋に設置した。

 

「対策は敵が姿を見せてからで構わない。まだ時間がかかるから、ゆるりと楽しもうじゃないか。」

 

賃貸マンションの一室に突如現出した手術室で、イアンは薄気味悪く笑った。

 

◼️◼️◼️

 

カビでグズグズに崩れていき、体が地面に消えていく住民たち。

ミラノは悲惨な状況と最悪というべき事件だが、パッショーネは何も対策をしなかったわけではない。

 

「近隣の住民の避難誘導をしろッッッ!!!詳細は会議で通達してあるはずだッッッ!!!」

 

スペインでの大規模事件を受けて、パッショーネはジェリーナ・メロディオを参謀に招聘して事件への対策を行なった。

ジョルノやミスタによる配下への指示の方針は、事件が起こった際に一般人の被害を最小化するというものだった。

有事の際に速やかで円滑な対処を行うために、配下のスタンド使いたちに情報を共有させて入念な避難誘導訓練を施していた。

 

グイード・ミスタはローマにて携帯電話を片手に各所に指示を出し、彼の背後にはパッショーネ所属の武闘派スタンド使いたちが付き従っている。

 

「暗殺チームの現場到着を待てッッッ!!お前たちは無断で行動を起こすな!まずは一人でも多く住民を守ることに腐心しろッッッ!!!」

 

ミスタは通話を切ると、別の相手に電話をかけた。

 

「お前たちは今どこにいる?」

『ボローニャ近郊です。』

 

電話の向こう側で、サーレーがミスタに返答した。

 

「そのままミランへ直行しろ!奴ら、やりやがった!!!カタルーニャの二の舞だ!!!クソがッッッ!!!」

 

電話の先で息を飲むような音がし、一拍を置いて返事が返ってきた。

 

『了解しました。現時刻をもって、一連の事件の首謀者を暗対と断定して、行動に移ります。』

「必要な情報はシーラ・Eに与えてある。殺れ。」

『了解。』

 

サーレーたちの現在地はボローニャ近郊、ミスタの現在地はローマ。

車に乗っていると仮定して、サーレーたちがミラノに到着するのは二時間後前後だろう。

ミスタたちがミラノに到着するまではそれよりもう少々時間がかかる。

 

戦力の逐次投入が愚策であるというのは常套句だが、常にそれが最善であるとは限らない。

ことスタンド使い同士における戦闘では、単体で大量虐殺を得手とするスタンドが存在することが戦術の常道を捻じ曲げている。

 

おそらく敵方にいるであろうチョコラータは大量殺人目的のスタンド使いだし、敵に拉致されたと思しきパンナコッタ・フーゴも同様だ。

チョコラータのグリーン・デイは死体を苗床として繁殖するカビのスタンドだし、フーゴのウィルスをばら撒くパープル・ヘイズは空気感染を引き起こす。大量殺人目的のスタンド使いがこの世に存在する以上は、数による蹂躙は下手としか言いようがない。むしろ数が邪魔になるだけの可能性しかない。そのための少数精鋭の暗殺チーム。

先行させた暗殺チームが敵の首級を上げればそれがベストだが、敵の戦力の全容がわからない以上敗北を想定しておくべきだ。

 

暗殺チームの勝利が現状の最善、次善が暗殺チームに付属したシーラ・Eが敵の詳細な情報を持ち帰ること。

正確な情報さえ持ち帰れば、それに則して必要な戦術と戦力を組み立てることが可能だ。

最悪は何もなせずに暗殺チームが全滅し、かつ敵を逃すことで、それだけは避けなければならない。

 

稀であるが、起こりうるこの手の凶悪事件。

なぜこのテの事件が稀なのかと言えば、無差別殺傷など起こしても誰一人として得もしないし幸福にならないからである。

 

そして何より最悪なのが、たとえ凄惨な戦争であったとしても存在するはずの最低限の落とし所が存在しない。

痛み分けという言葉が存在せず、どちらかが完全にこの世から退場するまで戦いは終わらない。

痛みを教訓に出来ない。うやむやにならない。曖昧さを許容できない、その恐ろしさよ。

 

歴史で繰り返され続けた戦争はあくまでも人間と人間の戦いであり、それには不毛な争いを終わらせるための最低限のルールが存在する。

例えば宣戦布告もない戦争は、相手の感情を逆撫でにして必要以上の虐殺を正当化させてしまう。

 

相手のことを言葉が通じる、感情を共有できる人間だと考えるべきではない。敵が行ったのは問答無用の無差別大量殺人。意味も理由もない。後手に回るほどに被害は拡大し、屍の山が高くなり続けていく。

破滅のみを望む最悪の邪神、人間社会の害的でしかなく、何が何でも仕留めねばならない暗対だと裏社会はそう判断した。

 

そのために、シーラ・Eを暗殺チームのサポートとして送り込んだ。彼女にはパッショーネの保持する情報を持たせてある。

ミスタは、起こりうる先々の状況と最善、次善、最悪の状況をシミュレートした。

 

もちろん暗殺チームが敵を根こそぎ仕留めてくれればベストだが、むしろ至上命題は起こりうる最悪を避けることだ。

諸々考えれば暗殺チームを捨て石にして、時間差でミスタ率いるパッショーネのスタンド戦闘班が後続で到着して対応するのが現状取りうる最適な選択だ。ゆえにミスタは、暗殺チームに戦力の補填を行わない。

 

社会を人体に例えて一個の存在だと考えてみれば、わかりやすいかもしれない。

一個の生命には、数々の部位と数多の免疫が存在する。それらは統合され一つの意思を持ち、それを害することを目的とする敵も存在する。ただの病気であれば自然治癒で完治させることも可能だが、酷くなると場合によっては手術で患部を切除する必要も出てくる。放置すれば患部は膨れ上がり、それはいずれ総体を食い滅ぼす。

 

暗殺チームの価値は高いが、それでもイタリアという巨大な総体の末端でしかない。副長のミスタであってさえも、あくまでも王であるジョルノの替えのきく右腕に過ぎない。それが彼らに立ち位置であり、彼らはそれを互いに了承している。

彼らパッショーネの武闘派は、有事になればイタリアを守護し、右腕のさらに末端の指先である暗殺チームは真っ先に捨て駒として使い潰されるのが道理である。

 

しかしたとえ使い捨てであってたとしても、丁寧にケアすれば価値が高くなるし、長く使うことができる。

稀に技術が洗練された指先から至宝が生み出されることだってある。

指先が何を成すのかは、それの努力次第であろう。

 

もしも生き残って戦功をあげるようであれば、今度こそ給与を上げないといけない。

生き残れるかどうかは、本人の実力と判断能力次第だ。

 

「………頼んだぜ。」

 

ミスタは先行した使い捨ての部下に呟いた。

 

◼️◼️◼️

 

ズッケェロが車を運転し、サーレーとシーラ・Eはそれぞれ電話で各所と連携をとっている。

夜灯りが残像のように、次々に車窓を後ろへと流れていく。

 

「了解しました。現時刻をもって、一連の事件の首謀者を暗対と断定して、行動に移ります。」

 

助手席に座るサーレーの瞳に、静かに漆黒の殺意が灯された。

ライトを灯したボックスカーは最高速に近い速度でミラノ都市部へと向かい、サーレーは上司のミスタと連絡を取り、シーラ・Eはパッショーネの情報部と連絡をとっていた。

 

『敵の推定拠点はミラノの街中、中心街だ。』

「それは………相当数の被害が出てるはずですね。」

 

シーラ・Eは電話でパッショーネ情報部の責任者ベルナトに連絡を取りながら、現状に頭を痛めた。

詳細な被害状況を聞き出したわけではないが、イタリア最大の都市ミラノ中心部でのスタンド使いの無差別凶行、三百万都市の被害が軽く済むわけがない。

通話先のベルナトは、悲惨な状況を把握しながらなおも冷静にシーラ・Eに情報を提供した。

 

『敵の推定拠点の詳細図をそちらに送付する。現時点の被害状況や事後処理はお前の仕事ではない。それは考えるな。それはジョルノ様を筆頭に、表社会や国に対して権限を持つパッショーネの幹部たちの仕事だ。』

「………ええ。わかっています。」

 

パッショーネがスペインで起こった凶事に対して行った対策の一つに、事件が起こった際に速やかに敵の拠点を探る試みが行われた。

かつてのローマでのチョコラータの無差別殺傷、そして先日のカタルーニャでのチョコラータを名乗る人間の無差別殺傷。

この二つの事件の首謀者を同一人物と仮定して、近隣の被害状況から首謀者の拠点を探り当てるという試みである。

過去の二回の凶事から、ヨーロッパの裏社会は事件が起こった際に対する対応にただ手をこまねいていたわけではなかった。

 

チョコラータのカビの能力は低所に向かうことにより強く発現し、首謀者の拠点を中心に高低差によって歪円を描いていた。

パッショーネは過去の事件を参考に高い精度でチョコラータの居場所を推定し、その拠点をかなり狭い範囲まで絞り込むことが可能となっていた。その成果がベルナトからシーラ・Eに送付された拠点の詳細図である。

 

『自分の役割はわかっているな?』

「………ええ。」

 

サーレーもベルナトもシーラ・Eも、それぞれ己の役割を理解している。

サーレーは敵への尖兵であり、ベルナトは情報を分析する係、シーラ・Eは可能な限り多くの情報をパッショーネに持ち帰る役割だ。

シーラ・Eは仮に暗殺チームが目の前で凄惨な拷問をされたとしても、それを見捨ててパッショーネに生還しないといけない。

 

最初からパッショーネ全体で、暗黙の合意は為されている。

それなり以上に高い確率で暗殺チームを見捨てなければいけない自身の役割に思うところがないとは言わないが、我が儘が通る事態はとうに過ぎている。パッショーネは極力被害者を減らすために練度の高い訓練を行っていたが、すでに現地では相当数の死傷者が出ている。

カタルーニャの事件での被害者が一万人超、今回の事件でも被害者数は見積もりである現時点で二千人は下らない。

 

狂気の夜に、あたかも流星群か枯れ落ちる木の葉のように命の瞬きは次々に地に落ちる。

大気の摩擦でたやすく消えていく、無数の儚き輝き。

 

危険度が理解できるうちは、どんな敵であってもまだマシだ。

数千から万に至る規模で死者が出る事件など、本来ならば戦火か疫病、天災以外に想定し難いのだから。

 

◼️◼️◼️

 

しとしとと、冷たい夜に雨が降る。

周囲を霧が覆い空気は湿り、視界は霞みがかって少し先さえもおぼろげだ。

 

フランス、パリの北西に位置するル・アーブルとオンフルール間に架けられた全長二千メートルを超えるノルマンディー橋は、とても美しい外観を誇る斜張橋であり、観光地として有名である。

しかしその日の夜は霧が濃く、恋人たちの逢瀬には向かない。夜間の不気味なほどに人気のない橋の上を、暗闇に人影が奇妙に揺らめいていた。

 

「………お前が、なぜ生きてここにいる?」

 

ローウェンが、背後に声をかけた。

ローウェンのその質問に敵は返答せず、時間を跳ばしてディアボロのキング・クリムゾンが背後からローウェンに襲いかかった。

キング・クリムゾンの筋肉が膨張し、悪鬼の形相の帝王の拳が風を切って音を立てた。

 

「………ッッッ!?」

「もう一度問おう。死んだはずのお前が、なぜここにいる?」

 

周囲は水滴が結露し、霧を象ってゆく。

気温は低下し、それは加速度的に濃度を増して風を巻き起こして回転し、抜け出せない分厚い雲となって三人を包んでいった。

ディアボロもドッピオも知らない。それはヨーロッパで最強の名をほしいままにするローウェンが展開する、二つの世界のうちの片割れだった。

 

「ボスゥ、コイツ、本気出さねえと多分ヤベエっすよ。」

「………ああ。」

 

有り得ない。奇襲は完璧だったはずだ。

ディアボロもドッピオも間違いなく暗殺を完遂させたと判断したはずが、ディアボロが攻撃を加えようとした瞬間に敵は信じられないほどの速度で反応した。振り返ったハイアー・クラウドはキング・クリムゾンの拳に手のひらを当て、膂力任せの一撃を同じく強靭な膂力で受け止めた。

ディアボロとドッピオの警戒心が、一足に最上まで跳ね上がった。

 

周囲で幾度となく稲光が白く迸る。僅かな光に照らされたそこで確認できたのは対峙する三人。

スタンドを具現しキング・クリムゾンの拳を握るフランシス・ローウェン。

背後から強襲してローウェンの暗殺を試みたディアボロ。

ディアボロの背後に付き従う忠実な配下、ヴィネガー・ドッピオ。

 

ドッピオの忠告と同時に、ディアボロは掴まれた拳を力で引き剥がして距離を置いた。

二人は用心深く距離を置いて、敵を観察している。

 

「………お前は確かに死んだはずだ。なぜここにいるのか吐いてもらおうか。」

 

周囲は、ハイアー・クラウドの支配する分厚い雲海に包まれていく。

向かい合う三人の間で戦意は火花となって、いきなり燃え上がった。

フランシス・ローウェンのスタンド、ハイアー・クラウドがバネのような強靭な筋肉とともに橋梁を駆った。

 

◼️◼️◼️

 

「………ここか。」

 

大型のボックスカーからコンクリートの地面に降り立ち、サーレーは呟いた。

カビを使う敵の推定所在地は、夜も営業している業種を持つ繁華街の近隣。ビルの高層で遊んで帰る客が、低層に移動するとカビが繁殖して死体が緑のカビの苗床となる。それが連鎖することで、死者の数を飛躍的に増殖させていた。

ここから細かく敵の現在地を絞っていかないとならない。

 

「気を付けて。低所に移動すれば、カビは爆発的に繁殖する。」

「………これは。」

 

ボックスカーの後部座席からシーラ・Eがサーレーに警告し、サーレーは自身の脚部に張り付いた赤いカビに目をやった。

 

「パッショーネに入っているカビ使いの情報は、二つ。低所に移動することで爆発的に繁殖する即効性の高い緑のカビと、時間経過で生息域を広げていく時限式の赤いカビ。緑のカビは殺傷能力で、赤のカビは生物を乗っ取る能力。」

「………なるほど。」

 

サーレーは与り知らぬことであるが、パッショーネが有事の際の訓練を密に行なっていたことが功を奏し、ミラノにおける緑のカビの被害者はチョコラータやイアンの想定よりも圧倒的に少なく推移していた。それを受けたイアンが、チョコラータにカビを緑から赤に切り替える指示を出していたためにサーレーたちがミラノに到着した時は殺傷性の高い緑のカビではなく、時間経過増殖の赤いカビが猛威を奮おうとしていた。

 

「敵の本拠はどれくらいまで絞れている?」

「情報部によれば、高い確度で一つの建物。事件発生から今まで、敵が移動した形跡は見られない。」

「さすがパッショーネの情報部だな。」

「油断しないで。リアルタイムで移動されたら、パッショーネでも追跡に時間がかかる。スタンドを解除して逃げられたら、追跡が困難になる。」

 

ミラノ近隣は突然の凶事に混迷しており、パッショーネの情報網も十全には生かせない。

パッショーネにもそれなりの数の死者が出ているのである。

訓練されたパッショーネの人材でそれであり、訓練されていない一般人は混乱の極地にある。パッショーネの情報網をアテにして行動するには、不確定要素が多すぎる。シーラ・Eがサーレーに、そう忠告を行なった。

 

「俺たちがなんとか成果を上げないといけねえってことか。」

「ええ。」

 

ボックスカーの周囲に、シーラ・E、マリオ・ズッケェロ、アルバロ・モッタ、ホル・ホースが次々に降り立った。

彼らの脚部には、一様に赤いカビが張り付いている。

 

「指示を出す。先行偵察要員、アルバロ・モッタ。突入担当リーダーを俺にして、俺の補助にホル・ホース。シーラ・Eとズッケェロは、外でなんらかの動きがあった時に、それに対応した動きをしてくれ。」

 

指示を出すサーレーの傍に、鋼鉄に覆われたような体躯の薄緑に染まったクラフト・ワークが具現した。

大まかな行動指針をサーレーが指示し、細かい部分や見落としをシーラ・Eとズッケェロが詰めていく。

さほど時間が経たずに、作戦は立案された。

 

◼️◼️◼️

 

フランシス・ローウェンは、スタンドパワーを大量に消費する二つの至高技を持ち合わせている。

無差別に周囲を巻き込み、広域に凍りつく無慈悲な雨を降らせる氷河期(Age de grace.)

狭域を覆うようにドーム状の分厚い積乱雲を展開し、莫大なエネルギーを内包した雲の中心で決闘を強制する天球儀(Globe celeste.)

 

その二つが、ローウェンを白兵戦において不動の最強たらしめているハイアー・クラウドの真髄とも言うべき必殺だった。

 

天球儀の外には世界があり、天球儀の内にも世界がある。分厚い雲は、世界の隔壁。

閉じた世界に雷神が降り立ち罪人に天意を告げ、荒れ狂う積乱雲は裁きの暴威を成す。

天球儀の内側は、ローウェンが支配する一つの宇宙。

 

そこは氷雨と雷光を司るハイアー・クラウドの闘技場。雷神は雲海の支配者。

その世界において、ローウェンのハイアー・クラウドは絶対に近しい戦闘力を誇る。

 

「………。」

「マジかよ、コイツッッッ!!!」

「チッッッッ!!!」

 

赤毛の青年の瞳には漆黒の殺意が宿り、その瞳に弾ける雲内放電が細やかに反射して怪しく輝いた。

爆ぜて光る暗い雲の層の中心で、三人のスタンド使いは回転するように忙しく動き回りながら、戦闘を繰り広げている。

 

「速いッッッ!」

 

ヴィネガー・ドッピオが、声を上げた。

雲内は薄暗く、時折発光する僅かな光でしか敵の姿を明確に把握できない。そのような状況でもドッピオとディアボロは密に連携をとり、気流を読むローウェンは見えているのと同じ精度で攻撃を繰り出してくる。闘技場を覆う雲には強力な電流が流されており、時折それに触れてしまうドッピオはその都度に悲鳴を上げた。

 

「うッッッッ!!!」

 

ローウェンのスタンドが地面を滑るようにディアボロに迫り、ディアボロはキング・クリムゾン・タボロで時間を跳ばしてローウェンの攻撃を体を斜めに引いて死角に回った。同時にキング・クリムゾン・インディエトロを操るヴィネガー・ドッピオにもディアボロのキング・クリムゾン・タボロの消し跳ばした時間を行動する能力は効果を及ぼし、ローウェンの右前に陣取ったドッピオが二体がかりで挟撃にかかった。

 

二体がかりのキング・クリムゾンに対し、ローウェンは体を90度回転させた。右足を前に、左足を後ろに。二体のキング・クリムゾンによる前後の挟撃を、体の角度をずらす事により左右からの攻撃に変換して対応する。ディアボロのキング・クリムゾン・タボロの攻撃を右手と右足で捌き、ドッピオのキング・クリムゾン・インディエトロの攻撃を左手と左足で捌く。二体のキング・クリムゾンによる初撃を踊るように受け流し、素早く前に飛んで弾けるように回転して二体のキング・クリムゾンと相対して構えた。

 

雲内放電が雲の内部を蛇のように走り、ローウェンは電撃を喰らい硬直したディアボロに飛びかかった。瞬間にドッピオがキング・クリムゾン・インディエトロの時間を巻き戻す能力を発動させて、硬直から復活したディアボロはローウェンの攻撃に合わせてカウンターを試みた。

 

予想外のタイミングで体勢を立て直したディアボロにローウェンは即座に反応し、つま先にかけた荷重の方向を変換しサーカスのようにスタンドの体躯を捻って重力を加えた縦の回転蹴りを放った。ディアボロはキング・クリムゾンの腕を上方に交差させてそれを防ぎ、ローウェンの背後からドッピオのキング・クリムゾンがローウェンに迫ってきた。

 

ローウェンのハイアー・クラウドは地に着いている方の足に力を加えて飛びのき、同時に背後から迫り来るドッピオのキング・クリムゾンに肘鉄を喰らわせにかかった。ディアボロのキング・クリムゾンがドッピオとローウェンが交差する瞬間に時間を跳ばし、消し跳んだ時間の中でディアボロとドッピオがローウェンを左右から挟みこんだ。

 

頻繁に脈絡無く変化する戦況にも関わらずローウェンは雷速で反応し、挟み込む二体の暴虐のスタンドを回転しながら顎部に拳を喰らわせて弾き飛ばした。追撃で雲内を電撃が走り、ドッピオは受けた電撃を時間を巻き戻して無効化した。

 

「厄介な………。」

 

それは誰が誰に対して呟いた言葉だったのか?

気流が荒れ狂う積乱雲の内で、光を捻じ曲げる二体の悪魔と、光を支配する雷神の戦いは、なおも苛烈さを増していく。

 

◼️◼️◼️

 

名称

フランシス・ローウェン

スタンド

ハイアー・クラウド

概要

ヨーロッパで不動の最強と呼ばれる、二つの世界を展開する雲を生成し操るスタンド使い。フランスの裏社会組織、ラ・レヴォリュシオンに所属し、暗殺チームのリーダーを勤めている。

 

名称

ディアボロ

スタンド

キング・クリムゾン・タボロ

概要

苦難の果てにエピタフを失いながらもジョルノのレクイエムから帰還したディアボロのキング・クリムゾン。時間を未来に向けて消しとばす。能力は、自身とドッピオに有利な効果を及ぼす。元パッショーネのボス。

 

名称

ヴィネガー・ドッピオ

スタンド

キング・クリムゾン・インディエトロ

概要

ディアボロの唯一無二の相棒。元はディアボロの体の二人目の人格だったが、イアンのスタンドにより分離摘出された。エピタフが変質したスタンドを操り、その能力は過去に向かって時間を消し跳ばす。能力は、自身とディアボロに有利な効果を及ぼす。



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加速する激闘

持たざる者は、時に叛逆の刃となり、時に忠実な殺意の剣を成す。

 

人は時に、嫌でも戦わねばならない。戦うべき時に逃げれば、蹂躙されるだけだ。

たとえ相手がどれだけ悪辣で、狂気と殺意に満ち溢れていようとも。

 

戦闘において、常に勝利の為に十分な量の情報と戦力が用意されているとは限らない。だから彼らが先陣を切る。

狂気に対抗するためには狂気が、殺意に対抗するためには殺意が、必要だ。

 

家族を持つ者は家族を、誇りを持つ者は誇りを、金を持つ者は金を守るべきものと定め、苦境にあっても耐え忍ぶ精神を持つ。

彼らは守るべきものを守るために必死に戦うことができるが、浮世の幸福を甘受するためには命を捨ててまでは戦えない。

 

与えられた物が多いほど、高価なほど、人はその全てを失うこととなる死を恐れることとなる。

飢えが無く満たされた者は、凄惨な殺し合いには適性が低い。経験無き者は、生死を分かつギリギリの局面において、どうしても一手後手を踏んでしまう。その一手は、あまりにも致命的だ。

しかし持たざる者は、その最後の持ち物である命を対価に妥協せずに最後まで戦い抜くことができる。社会という大切な一つのそのために、人間性どころか命すら捨てて。彼らは権力を得た者が必然的に陥る、腐敗とも無縁である。

 

ジョルノは、ディアボロから王位を奪った簒奪者だ。

ジョルノはディアボロの治世が不愉快だったから、自身を部下と偽り、帝位を簒奪し、帝王を始末した。

同様に貴族、王族、支配者、為政者、その全ては始まりが簒奪者である。嘘を吐き、殺し、奪い、その果てに今の安寧がある。

 

それを誤魔化し、取り繕い、如何にもな綺麗事をもって民衆を扇動する。

それが悲劇を最小化するシステムである社会。それは大勢の人間の苦慮の末に、形を成したもの。

するとそこには当然、システムからはみ出る人間が存在する。

 

ゆえにその裏側には為政者の手先、必ず汚れ仕事を担当する専任者が存在する。

社会に敵対する最悪の犯罪者、思想犯。それに対抗するための人員。

 

それが間違えて表に出て大々的な戦功を挙げてしまえば、英雄という呼称で呼ばれることとなる。

殺して、逃げて、殺して、逃げて、殺して、殺して、逃げて、殺して、それでもなお戦えるのが英雄という存在だ。

 

ジョルノは偽りの王だ。

それは、ディアボロとの代替わりの時期のジョルノの心の内。

 

クラフト・ワーク。

銃弾を何発も頭部に打ち込まれ、心臓を吹っ飛ばされても生き残るしぶといスタンド使いが、正当性を掲げてパッショーネの構成員を扇動し、ジョルノ・ジョバァーナに叛逆することがジョルノにとっては本気で恐ろしかった。

 

偽りの王ジョルノ・ジョバァーナを打倒し、正当な王ディアボロの仇を討った英雄サーレー。

それはヨーロッパを戦火の渦に巻き込み、ジョルノたちの戦いを無意味なものにする最悪の可能性。

しかし実際は、本人は金に目が眩んだだけのどこにでもいるただの小者だった。

 

それはパッショーネやジョルノ・ジョバァーナにとってだけでなく、イタリアやヨーロッパにとっても最悪の事態となりうる可能性だった。ほんの僅かな可能性ではあったが、無視するべきでは無い。サーレーを消してしまえばその不安は無くなるが、自分にとって都合の悪いだけの人間を片っ端から殺すのであれば、それはディアボロの治世とさほど変わらない。現にディアボロは、その存在が自分にとって都合の悪いというだけの理由で娘のトリッシュを抹殺しようと試みた。

 

仲間を死なせてまで手にしたものを、放棄することは赦されない。

より良い未来を模索することを怠るのは、死んだ者たちに申し訳が立たない。

 

火種は早期に潰すべきだ。

英雄を輝かせる悲劇は、開幕する前に潰してしまうのが一番いい。きっと本人にとってさえも。

 

クラフト・ワークは能力の特性上耐久性が非常に高く、揺蕩う不安定な人間の精神を強靭に固定できる。

ジョルノ・ジョバァーナは、暗がりで目を細めた。

 

暗殺チーム、ジョルノへとボスが代替わりしたパッショーネでは、以前とはその役割も微妙に変化を遂げている。

以前の暗殺チームが、その全て間違っていたとは思わない。物事は、良し悪しだ。いい面もあれば、悪い面もある。

ジョルノは、思考した。

 

ディアボロがボスであった頃のパッショーネの暗殺チームでも、やはり持たざる者である社会に居場所がない者たちが暗殺チームの人員を担当していた。それ自体は悪いこととは思えない。

問題は、持たざる者に与えなかったことだろう。だからディアボロは裏切られた。彼らが自身の生に空虚さや疑問を感じた時、彼らはそれを埋めれるだけの何かを持ち合わせていなかったのだ。

 

夢も無い、未来も無い、希望も無い。

身を粉にしてパッショーネのために戦っても、誰も尊敬してくれない。

 

そんな状況で人を使い潰そうとしても、当然忠誠心は育たない。

武功を挙げても、それに合う見返りを与えない。命をかけて戦っても、なしのつぶて。無い無い尽くし。

そんな状況に人が置かれれば、当然殺意の剣は叛逆の刃となって己に返ってくる。

 

殺意に対抗しうる持たざる者は、必要だ。しかしその制御を誤れば、それは自分たちに災禍を振りまくこととなる。

持たざる者、危険な力を正しく制御するためには、彼らに自らが制御されていることを納得するだけの理由を与えてやればいい。

 

分け与えればいい。それがジョルノたちの仕事だ。

与えるものは、社会を守護しているという誇り、或いはイタリアという国家への愛情、仕事への正当な対価、そういったもの。

自分たちが戦っている理由が、価値のあるもののためであるという自覚。イタリアという国家が、素晴らしいものであるという矜持。

そしてジョルノたちパッショーネの幹部連の仕事が、まさに社会の一員としてイタリアが素晴らしい国家であると彼らが誇りを抱けるように維持向上に努めることだ。

 

与え過ぎてはいけない。与えなさ過ぎてもいけない。

殺意の獣は飢えるほどにその嗅覚は鋭敏になり、その爪と牙は強靭になる。与え過ぎて餌の心配がなくってしまえば、獣はより愚鈍に、より脆弱になる。例えば野生の猪が、人に家畜として飼われることにより豚になるように。

与え過ぎれば彼らは満足し牙を失うであろうし、与えなさ過ぎてはジョルノは王に相応しくないと彼らの叛逆を誘発することになる。

 

それらを正当に贖えば、危険な力は納得し、仮に彼らが殉職したとしても次に続く者たちもその職務に納得しやすくなる。

しかし出来れば、次のことなど考えたくない。まだ彼らは生きている。

ボス代替わりの大変な時期は過ぎ去り、時々頓珍漢な事件を起こす馬鹿な部下たちが可愛いと思えるくらいには心に余裕が出来ている。

 

「………帰って来てほしい。」

 

ジョルノは、ぽそりと呟いた。サーレーをリーダーに据えた今代の暗殺チーム。

馬鹿で短絡的な男だが、愛嬌があり性根が救いようもなく腐っているわけでもない。

彼らは今現在、ミラノで凶悪な大量殺人犯と死闘を繰り広げているのだろう。

 

同じ人間にも関わらず、他者を害する敵に屈するわけにはいかない。

もしも一度敗北の痛みに屈すれば、坂道を転がるように被害が拡大し、どこまでも致命的な事態を引き起こす。

痛くとも苦しくとも、生きている限り戦うべき時は戦わねばならない。

 

彼らは牙を持たない民衆の代わりに、先鋒を勤める兵士だ。

帰ってきたら、パッショーネから彼らに纏まった報奨金を与えよう。

まあ彼は、またそれを雑に消費するのだろう。それもまたいい。

 

彼らが生きて帰って来れば、パッショーネにとって得だ。育成に大金を費やしたのだから簡単に死なれては困る。

そういった理屈はいくらでも付けられる。しかしそれはどうでもいいことだ。

彼らは普段はさほど役に立たないが、イタリアの危機に瀕し命懸けで戦ってくれている。

 

愛は金で買えない。

ジョルノの本心は、ただただ可愛い馬鹿な部下が生きて帰って欲しい、それだけだった。

 

イタリアに平穏を。

ネアポリスの夜に、ジョルノはイタリアと馬鹿な部下たちの幸運を祈った。

 

◼️◼️◼️

 

疫病の如く死を振り撒くスタンド使いと、街灯に照らされたミラノの煩雑なビル群。

その明るさにはそぐわない不自然な静けさをたたえた繁華街の中心で、パッショーネの暗殺チームメンバーは物影から一つのオフィスビルを見上げていた。

 

「ここか?」

「ええ。」

 

シーラ・Eは頷いた。

サーレーは、チラリと己の右足に目をやった。そこには、いつの間にか赤いカビが繁殖していた。

しかし彼はそれを視認すると、直後にそれを意識の外に追いやった。

 

「作戦行動の最終確認を行う。まずは、アルバロ・モッタ。」

「ああ。」

 

サーレーの右後ろにいる若いソバカスの男が、返事をした。

 

「お前のスタンドが建物内部に侵入して、偵察を行う。偵察順序は下層から始めて、上層に向かう。これは敵の低所に向かうことで繁殖するカビの特性を避けるためである。」

 

低所に向かうことで繁殖するのはチョコラータの緑色のカビで、現在発現している赤いカビは時間経過増殖なのだが、彼らは念のために作戦行動にそれを決まり事として組み込んでいた。

 

「細かくスタンド同士を入れ替えて密に報告を行い、敵を確認したらその場で待機。」

 

暗殺チームのサポート役であるモッタのスタンドは群体であり、一つ潰されてもそれがそのまま本体の致命傷には直結しない。罠に強いのである。

敵がどのような布陣を引いているのか不明である現在、彼のように使い潰せる群体のスタンド使いは先行偵察として非常に有用な存在だった。

 

「ああ。」

「そして敵を確認できたら、俺とホル・ホースが突入して強行する。当然罠の可能性が高い、危険な役割だ。」

「危険なのは勘弁してほしいねえ。」

 

ホル・ホースがタバコを咥えながらそうごちた。

 

「危険な敵だ、対象の生死は問わない。情けをかけたら自分が死ぬことになる。シーラ・Eとズッケェロは建物の外部で待機して見張りを行う。内部から何者かが逃走した場合、ズッケェロが追跡、シーラ・Eが報告を担当する。この役割分担は、状況次第で適宜柔軟に変更することを可とする。」

「了解。」

「ええ。」

 

ズッケェロは軽く返答するも、その表情は真剣なものだった。シーラ・Eも緊張から、こめかみに薄く汗をかいている。

 

「現時刻は、2246。2300より作戦を開始する。2400まで俺たちから連絡が一切なかったら、俺たちが死んだ可能性を後続のミスタ副長に上申しろ。気をぬくな。すでに俺たちは敵に捕捉され、作戦が筒抜けになっている可能性さえ存在する。」

 

敵の情報が足りていない。敵がどの程度の戦力を保有しているのか定かではない。

不確定な情報として、フランスの暗殺チームからは処理したはずの死人が化けて出たという奇妙な情報も寄せられている。スイスの暗殺チームも、行方が杳としてしれない。情報は足りていないのに、敵の危険性だけが鮮明に浮き彫りになっている。

 

確定しているのはチョコラータと名乗る、カビを使うスタンド使いが敵方に所属していること。あとはスペインの暗殺チームが煮え湯を飲まされ、そのリーダーが敗死したことだけだった。

それにしたってチョコラータという名は死人のものであるという情報を、彼らはボスのジョルノから伝えられている。

不気味極まりなく、どれだけ用心してもし過ぎることはない。

 

「命令優先順位は、俺を筆頭にズッケェロ、シーラ・Eの順番とする。不慮の事態としてこの三人が死亡するか連絡が取れなくなった場合は、個人の裁量での逃走を許可する。情報を組織に持ち帰るのも大切な任務の一つだ。………以上をもって、本作戦を開始する。」

 

サーレーの瞳に宿った漆黒の殺意が強く揺らめき、シーラ・Eは息を飲んだ。

 

◼️◼️◼️

 

天球儀は、一つの宇宙を象る。

宇宙は生まれてから膨張を続け、やがて臨界点を迎えてのちに収縮してその寿命を終える。

 

ローウェンの展開した世界、天球儀もそれと似通った経過をたどる。

積乱雲の一生は、成長期、成熟期、減衰期に分けられる。

 

上昇気流と共に規模を拡大させる成長期、摩擦による下降気流と共に雲内外で強烈な放電を伴う成熟期、上昇気流が弱まり、消滅へと向かう減衰期。

減衰期に到達すると、ガストフロントを伴い積乱雲は消滅していく。それがローウェンの展開する世界の終焉。

ローウェンの天球儀は、力の具現である積乱雲をハイアー・クラウドの雲を支配生成するスタンド能力によって強引に地表付近に滞留させる。

 

「ふざけるなッッッ!!!」

「………。」

 

世界は、時間の経過と共にローウェンに有利なフィールドになっていく。

今現在の雲内は、未だ成長期。激しい上昇気流を伴い、雲内の雷霆の密度は加速度的に上昇していく。

気流に巻かれて頻繁にフラッシュを伴うその世界で、水色の雷神はその本性を剥き出しにしていた。

凶暴な乱気流と雷霆を伴う小さな世界の中で、ローウェンのハイアー・クラウドは絶対の支配者として凶暴な戦闘能力を発揮する。

 

厄介極まりない。それがディアボロの心情である。

ディアボロのキング・クリムゾン・タボロの能力で時間を未来に向けて消し跳ばしても、能力が効力を発する時間を過ぎた瞬間に激しい乱気流に巻かれて体の方向感覚を見失い、神経を焼き千切る無数の雷霆の牙が八方から襲いかかって来る。罅割れたアスファルトの石礫が飛散し、姿を現したディアボロの顔面を強打した。しかも最も警戒するべきなのは乱気流でも雷霆でもなくローウェンのスタンドそのものであり、ヴィネガー・ドッピオもディアボロとほぼ同じ状況であることは想像に容易い。

 

しかし、この世に無敵のスタンドは存在しない。ディアボロは、戦いを続ける先に僅かに見える光明を見据えていた。

一見敵が無敵で最悪に見えるこの状況、しかし積乱雲とは、減衰期を終えれば自然消滅していく。

 

これだけ膨大なエネルギーを内包する能力を発動した敵が、いつまでも疲弊しないことなど有り得ない。

そこにディアボロは一縷の望みを抱いていた。しかしそのためにはこの先、敵スタンドが最高のパフォーマンスを発揮するであろう積乱雲の成熟期を凌がなければならない。

 

かき乱されて意識が攪拌される乱気流の中を、ディアボロとドッピオは空間を飛び交い、ローウェンは力任せに攻め立てる。

ディアボロの顔面を橋梁から巻き上げられた砂塵が覆い、眼球を守るために手を顔面に交差させて視界の確保が出来ない。その僅かな時間にローウェンはディアボロの背後へと回った。ハイアー・クラウドの右腕が鋭利な槍と化しディアボロの心臓部を貫き、次の瞬間ヴィネガー・ドッピオのキング・クリムゾン・インディエトロが過去に向かって時間を消し跳ばす能力を発動してダメージが消滅したディアボロは反転して攻勢に出た。ディアボロとローウェンの間で拳が複数交差し、乱気流に体を引きずられながらもローウェンの背後に詰め寄ったドッピオが攻撃を仕掛けた。その狭間の時間に積乱雲は周囲に雷霆を撒き散らし、ディアボロがキング・クリムゾン・タボロの時間を消し跳ばす能力を発動してそれは回避された。

 

「ボスッッッッ!!!」

 

ドッピオがディアボロに向けて手を伸ばした。

 

「ドッピオ!!!集中しろッッッ!!!」

 

ディアボロは周囲を見渡して、消し跳ばした時間の中で僅かな間思考した。

このフィールドは敵の土俵であり、ここにいる限りディアボロとドッピオは絶対に戦闘を優位に運べない。

周囲は分厚い雲に覆われており、そこは高圧電流の潮流が渦巻いている。雲の厚みが定かではなく、闇雲に能力を発動してこのフィールドから逃走が可能なものか。この場さえ凌げば、スタンドエネルギーを消費している敵に対してアドバンテージを取れる可能性が高くなる。

ディアボロは、キング・クリムゾン・タボロの能力を使用して強引にこの場を抜けられる可能性を思案した。

 

しかし、苦しい。

息をするのも難しいほどの強風に、僅かに対応が遅れれば四方八方から襲い来る雷霆。

敵スタンドは二体のキング・クリムゾンと互角以上に戦っており、対応を誤れば瞬く間に敗北に引きずり込まれる。

 

一方で、ローウェンもローウェンで苦しい。

先日の死んだはずのリュカ・マルカ・ウォルコットによるフランス襲撃。異常事態であることは明白であり、即座にヨーロッパの裏社会でその情報は共有された。死人が化けて出て来るのなら強力なスタンド使いであるディアボロはその本命の一人であり、パッショーネから入手した情報によりローウェンはディアボロの能力を把握していた。

 

敵方の最も打破すべきスタンドは、誰も把握するものがいないラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンド。

強力な隠密能力を操るスタンド使いの存在のせいで、現時点で入手している敵の情報は少なく、敵の首魁がイタリアにいる可能性が高い現状でなおヨーロッパの裏社会の組織はイタリアに戦力を集中させることができない。前回のスペイン襲撃においても、同時にリュカがフランスを襲撃してきた。彼らが繋がっている可能性は高い。

 

敵戦力の全体像が、敵の目的の全貌が、まるで見えてこないのだ。

そのような状況で周辺諸国の組織がパッショーネに対してできる最大の援護は、自国の守りを固めて敵が戦力を分散させてきた場合に確実に仕留めることだ。そういった結論が出されている。戦力を移動させて自国が大きな被害を被れば、それは本末転倒である。

 

ローウェンに出来るイタリアへの援護は、強力な敵を逃さないこと、合流させないこと。

普段は、ローウェンは天球儀をほとんど使用しない。天球儀は激しく強力な能力だが、決してコストパフォーマンスがいいとは言えないのだ。スタンドエネルギーの消費が激しく、一度使用すれば使用後の戦闘力が著しく低下するからである。

さらに言うと、弱点も存在する。ヴァニラ・アイスのクリームのような空間に強力に作用するスタンドや、風を起こして雲を吹き飛ばせるウェザー・リポートなどは天敵である。敵の保持するスタンド能力次第で、顕著に効力が増減する。

 

それでもローウェンが天球儀を使用したのは、パッショーネを通じてディアボロとドッピオの正確なスタンド能力が判明していたこと、ディアボロとドッピオの危険性、現状で判明している敵方の情報の少なさ、そういった諸々の要素を総合的に鑑みてのことである。わからないことがあまりにも多く、不確定要素が多いのなら、せめてここで確定している強力な敵であるこいつらは確実に葬る。

 

最悪なのは、出し惜しんだせいで何の役にも立たず、何も貢献できずに退場すること。敵の情報が少ない現状、出し惜しみは下策だとそう判断したのである。それにさらに付け加えるならば、ディアボロとドッピオのコンビは出し惜しみをして楽に葬れる敵ではない。時間が経過するほどに、天球儀を展開するローウェンの体からはゴリゴリとスタンドエネルギーが失われていく。

 

「逃さないッッッ!!!お前らは必ず仕留める!!!必ずだッッッ!!!」

 

ディアボロが能力を解除し、ローウェンが吼え猛った。

ローウェンのこめかみに血管が太く浮かび上がり、殺意を乗せた咆哮にディアボロとドッピオは気圧された。

 

雷霆を纏い光に切迫する速度でハイアー・クラウドがドッピオに詰め寄り、ドッピオをフォローするためにディアボロがそばに寄り添った。積乱雲内部はいつのまにか豪雨が降り出し、雨粒と暴風にボヤける視界の中で二体の悪魔は必死に抵抗を試みる。

 

分厚い鉈のようなハイアー・クラウドの右腕がドッピオの首筋を水平薙に襲い、攻撃がドッピオに直撃する瞬間ディアボロのキング・クリムゾン・タボロが時間を消し跳ばして攻撃を受ける事実を消し跳ばした。消し跳ばした時間は、コンマ以下のほんの僅かな時間、ローウェンの強力な能力に時間制限があるように、当然ディアボロの能力にも時間制限がある。

 

雷神の闘技場に巻き込まれたディアボロは、攻め立て続ける敵に精神的な疲労感を覚えており、敵の能力である天球儀の正確な効果発揮時間がわからない現状にディアボロは自身の能力を浪費することを惜しんだ。ローウェンはすでに何度もディアボロのキング・クリムゾン・タボロの能力を受けてその概要を把握しており、時間が跳んだ直後にそれを理解して、慣性を強引に捩じ伏せて力任せに右腕を切り返した。ドッピオの肩から斜めにハイアー・クラウドが辻斬りにし、ドッピオの肩からは大量の血が溢れ流れた。

 

「グウッッッ!!!」

「ドッピオッッッ!!!」

 

深く露出したドッピオの肩から心臓にかけた肉は、ドッピオのキング・クリムゾン・インディエトロの能力を受けて復元していく。

続けざまに追撃を行うローウェンに対して、ディアボロが横槍を入れた。細かく刻んで時間を跳ばしながらディアボロはローウェンに迫ってくる。時間が跳ばされるたびにローウェンは違和感と現状把握を必要とし、一方のディアボロも体に乱気流の煽りを受けて、力任せの行動が出来ない。互いに少しずつずれた感覚で拳を躱し、そのままディアボロはドッピオを引きずってキング・クリムゾン・タボロの能力を使用して、ローウェンから距離を置いた。

 

「ドッピオ!!!バカがッッッ!!!」

 

ドッピオ・ヴィネガーが、傾斜のある斜張橋の濡れたアスファルトに足を取られて転んだ。ディアボロは毒づきながら必死にドッピオのフォローに回り、隙を逃すほど緩くないローウェンはドッピオの蹂躙に回った。雷霆は縦横無尽に空間を喰い削り、ディアボロは能力を行使して攻撃を躱し続けた。

 

雷光と、それを捻じ曲げるブラックホール。

雷神と二体の悪魔はそれぞれ眼前の敵を葬らんと幾度となく交錯し、雷神の断罪の鉈が振るわれるたびに悪魔は時間を捻じ曲げてそれを必死に回避する。

 

そして積乱雲は、成熟期を迎える。

 

◼️◼️◼️

 

青白い色彩の研究室で、パンナコッタ・フーゴは手術台に乗せられて気を失っている。

イアンはパイプ椅子に腰掛けて、廊下に設置された監視カメラのモニターをのんびりと眺めていた。

 

「御一行の、ご到着だ。」

 

イアンのスタンドの執刀医が偵察の小人をつかみ取り、メスで壁に縫い縛って笑った。

 

「もう少し緊張感を持てよ。奴ら俺たちを殺しに来てるんだぜ?」

「緊張しているさ。もしかしたら彼らは、私の死を看取ってくれる相手なのかもしれない。運命の出会いを前に、緊張に胸が高鳴っているんだ。」

 

オリバーは馬鹿馬鹿しいとばかりにイアンに向かって肩をすくめ、奥の部屋へと退避した。

チョコラータは室内を確認した。手前側の外から入室するドア。奥側の先の区画に進むためのドア。かたわらにはガラス張りの隔離室が存在し、そのわきのガラス棚には薬物瓶、劇物瓶、そしてシャーレやフラスコなどの実験器具が設置されている。何に使うのか常人には理解できない巨大冷蔵庫と電子レンジ、遠心分離機も設置してある。そして部屋の中央には手術台と、寝かされたパンナコッタ・フーゴが存在した。

 

一方で建物に突入したサーレーとホル・ホースは、すでにイアンたちが滞在している部屋の近くまで来ていた。

偵察を担当したアルバロ・モッタのスタンドが敵の所在地と罠の有無を探り、群体の一体が敵の攻撃を受けて本体のモッタが血を流した。その情報で敵の所在地を確定し、暗殺を遂行するためにサーレーを先頭に二人は建物内部へと突入していた。

 

「ヤベエぜ。嫌な気配がプンプンしやがる。」

「ああ。」

 

ホル・ホースが後ろからサーレーに警告を告げた。

ホル・ホースは今まで危機を感知する能力の高さと、生存本能の強さでここまで生きて戦い続けてきた。

場所は七回建のオフィスビルの最上階。そこに邪悪な造物主は巣を張って待ち構え、彼らは直後に激突する。

 

サーレーが扉を蹴り飛ばして、室内に乱暴に突入した。

 

◼️◼️◼️

 

ディアボロとドッピオは苦しい。しかしローウェンも決して楽ではない。

 

ディアボロとドッピオは、温和な仮面を脱ぎ捨てて殺意に塗れた雷神と相対することの重圧へ。

ローウェンは天球儀という隠し技を使用してしまったことにより、何がなんでも勝利を収めねばならない重圧へ。

 

積乱雲を繰り出すローウェンのハイアー・クラウドは恐ろしく強く、ディアボロとドッピオが互いにフォローし合うキング・クリムゾンは非常にしぶとい。

ディアボロとドッピオは対処を誤ると一方的に蹂躙されることへのプレッシャー、ローウェンは天球儀を展開している間に仕留めきれなければスタンドエネルギーが枯渇して敗北してしまうことへのプレッシャーを感じながら荒れ狂う雲海の中心で死闘を繰り広げている。

 

状況は、緩やかに変化する。

積乱雲は成長期を終えて、成熟期へと突入した。成長期は積乱雲の生成およびに成長、制御にスタンドエネルギーを消費する。それが成熟期を迎えると、使用するスタンドエネルギーが積乱雲の制御のみへと変化する。天球儀展開のために消費するスタンドエネルギーは減少し、戦闘に回すスタンドエネルギーが増加する。それによりローウェンは、十全の暴力を振るうことが可能となる。

成熟期の天球儀こそが、ローウェンの真の土俵である。

 

ローウェンの周囲を無数の雷霆が走り、黒い殺意と白い雷光は世界に混ざり合って乱雑にモノクロのアートを描いた。

短時間のうちに周囲は有り得ないほどに気温が低下し、橋梁の角度のある路面はアイスバーンを引き起こす。

 

そこから先は、どう行動したのかディアボロには記憶がない。

人が真に追い詰められ必死になって抵抗するとき、物事を記憶するほどの余裕が無いということをディアボロはこの時に初めて知った。

生存のための本能が、最後の拠り所だった。何をどうやって対応したのか記憶にないまま行動し、ディアボロは気付いたら周囲を覆う積乱雲の海を無理矢理抜けて逃げるという結論を下していた。可能であるかどうか不確定な逃走であっても、現状よりは遥かにマシだという結論である。

 

横に侍るドッピオの表情にも当然余裕が無く、体中が傷だらけになっている。

能力で修復しないのか?キング・クリムゾンの特殊な能力が生命線である現在、よほどの傷でなければ修復は行わない。一度能力を使用すればインターバルが必要であり、詰将棋の如くギリギリの判断でここまで保っている。

 

「ドッピオ!!!積乱雲を抜けるぞ!!!」

 

了承の意を組むだけの余裕が無い。

ディアボロはドッピオに一方的にそれを告げると、今までで最長のキング・クリムゾン・タボロの能力を行使した。

消し跳ばされる時間の中で、ディアボロは外周を覆う積乱雲の海を抜けるべく遮二無二突っ切った。

 

「天球儀の外には世界があり、天球儀の内には世界がある。矮小な人間ごときが、世界の枠の外に飛び出すこと能わない。」

 

必死に手足を動かし積乱雲の壁を走り抜けたはずのディアボロは、ローウェンの漆黒の殺意に心を飲まれた。

氷と雷の分厚い雲を抜けた先は、やはり氷と雷の分厚い雲の中心だった。

 

一つの大きな積乱雲の中には、無数の小さな積乱雲が存在している。

これは降水セルと呼ばれている。小さな積乱雲が多数集まって、大きな積乱雲を成すのである。

ディアボロとドッピオが戦っていたのは、雷神の闘技場のほんの一角に過ぎなかった。

 

広大な宇宙は、複数の銀河の集合体だ。

そして銀河の内部には、無数の星々が存在する。

 

二人は、無数に存在する雲海の一つを宇宙の全てだと勘違いをしていたのだ。

狭い世界をこの世の全てだと勘違いする愚者を戒めるのは、寓話では昔からありがちなテーマである。

 

「絶対に逃がさないと言ったはずだ。」

 

雷神が、二人の後を追ってきた。

積乱雲の中は暗所であり、ローウェンのハイアー・クラウドは気流を読む。

ローウェンが展開した天球儀の中において、ローウェンは敵の一挙一動を気流で感知することができる。

たとえ時間を跳ばして目前から消えようが、ローウェンには二人がどこにいるのか手に取るようにわかる。

 

「終わりだ。」

 

ディアボロとドッピオのキング・クリムゾンは強力だが、決して無敵ではない。

例えばドッピオのキング・クリムゾン・インディエトロの能力。致命傷であっても即死でさえ無ければ死を回避することが可能な強力無比な能力ではあるが、能力の行使にインターバルが必要である。そしてそれとは別に、致命傷を受ければその度に痛みを感じることになる。キング・クリムゾン・インディエトロの能力は強力であり痛みすら消すが、実は致命傷を受けたという事実までは消し跳ばせない。

 

ヴィネガー・ドッピオは勘違いをしている。自身の能力が過去の不都合な事実を消すものであると。

しかし実際は微妙ながら異なる。痛みを覚えるたびに精神は疲弊する。痛みの記憶は残る。

簡単に言えば、戦いに嫌気がさすのである。ドッピオよりも堪え性のないディアボロならば、なおさらの話である。

 

不都合な過程をキング・クリムゾンで省略し続けてきたディアボロは、逆境に弱い。

これまで苦しい今を消し跳ばして生き続けてきたから、今を超える力を持たない。

 

ローウェンのハイアー・クラウドは手心を加えることなく二人を蹂躙し、精神の痛みに屈したディアボロにはもう抵抗するだけの余力は残されていなかった。ディアボロが落ちれば総合力が下がり、簡単にドッピオも落ちる。戦いは終結し、アスファルト製のノルマンディー橋はボロボロに剥がされ、後には物言わぬ二つの氷像が遺されるのみ。

 

そして戦い終えたローウェンも同様に疲労の極みにあり、天球儀を解除して橋梁の中央で座り込んで休息をとっていた。

積乱雲は減衰期に入り、空中へと霧散していく。

 

「ヒャハハハ。こりゃあ珍しい。フラフラじゃねえか。あのディアボロとドッピオってやつら、なかなかやるじゃん。ヘイ、テメエがそんなに警戒せずに座り込んでることなんざ、初めて見るぜ。ヒャッホーウ!」

 

品の無い笑い声がした。

爆弾を生成するスキンヘッドで眼球にタトゥーを入れたスタンド使い、リュカ・マルカ・ウォルコット。

彼はディアボロとドッピオの監視権補佐役として二人の後をつけていた。

 

ローウェンは自分で理解している。

天球儀を使用した後の自身は、疲弊により戦闘力や判断力、注意力などが著しく低下する。

しかし、わかっていても打つ手がない。

 

ノルマンディー橋は揺れ、膨らみ、その上に座るローウェンを巻き込んで跡形も無く破裂した。

 

◼️◼️◼️

 

名称

リュカ・マルカ・ウォルコット

スタンド

ケミカル・ボム・マジック

概要

イアンにより再び煉獄から呼び戻されたリュカ。ディアボロとドッピオの後をつけ、その戦いを監視していた。漁夫の利を得ることが可能と判断し、橋の上で疲労して座り込むローウェンをノルマンディー橋ごと爆破することで襲撃した。



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開劇の時間

ノルマンディー橋が爆破される直前、ローウェンはそれが爆弾魔リュカ・マルカ・ウォルコットの仕業であることを視認した。

リュカはローウェンが十年以上も前に仕留め、さらについ先日も姿を見せた際に確実に屠ったはずの敵だった。

先ほどまでローウェンが戦っていたディアボロとヴィネガー・ドッピオも、同様に死亡が確認されているはずだった。

 

下手を踏んだ。

復元能力を行使するヴィネガー・ドッピオは始末したが、ディアボロは情報を搾取するために僅かに生かしておいたはずだ。

しかしノルマンディー橋ごと何もかもが爆破されて、何も遺せない。橋上の何もかもは、流れる水面へと飲み込まれて消えていく。

 

予想以上に今回の事件は根が深く、危険性が高い。

仕留めたはずの敵が蘇って何度でも襲ってくるのであれば、先程仕留めたディアボロとヴィネガー・ドッピオもさほど間をおかずに蘇るのであろう。

 

その可能性はすでに裏社会の会議で検討されていたが、スタンド能力としてあまりにも荒唐無稽だったために他の可能性が優先的に議論されていた。いくらなんでも死者を蘇らすスタンド能力など有り得ない。それでは、まさしく神の所業ではないかと。なんらかのトリックがあるはずだ、と。

実際、厳密に言えばイアンのスタンド能力は死者を蘇らせているわけではない。イアンの能力によって、たまたま死者と極めて似通った人間を生み出しているのである。本人の細胞を利用して、本人と同じ記憶とスタンドを持つ人間を偶然に生み出している。それは結果として、周囲にとっては死者を蘇らせるのと同じであると言える。

 

ディアボロとドッピオ・ヴィネガー、そしてチョコラータ。それと関係性を持たないはずのリュカ・マルカ・ウォルコット。

全員、死んだはずの敵。その背後関係が見えて来ず、裏側に控えるスタンド使いの危険性だけが浮き彫りになっている。

 

イアン・ベルモットは遊んでいる。それが故にその明確な目的が見えず、対処が非常に難しい。

イアンが戦力を一箇所に纏めればより確実に大規模な殺戮を起こせるが、むしろイアンは自身の楽しみを優先して駒を動かしている。

目的も拠点もわからない、隠蔽能力に長けたスタンド使いとタチの悪い死者を蘇らせるスタンド使いを有する犯罪集団。考え得る敵の中で、最悪の部類と言っても良い。

 

ーーせめて情報を………。

 

敵は倒してもどこからともなく蘇る黄泉の軍勢。死人をいくら倒しても、無意味に終わる可能性が高い。

せめてそれだけは情報として残したい。敵の背後には、詳しい能力は不明だが死者をこの世に呼び戻す危険なスタンド使いがいる。

その敵を倒さねばどうにもならないと。その情報を遺せるだけでも、戦いに意味があったはずなのに。

 

積乱雲が消滅する際、強力な下降気流であるダウンバーストという現象を伴うことがある。

ノルマンディー橋がリュカの能力で消滅するその瞬間、せめてもの抵抗に爆風を避けるためにダウンバーストによって橋梁から空中に身を投げ出したローウェンは、薄れゆく意識の中でヨーロッパの安全を願っていた。

 

空中に投げ出されて川面へと落下していく。

ローウェンの体は、水飛沫を上げてセーヌ川へと沈んでいった。

 

◼️◼️◼️

 

「ようこそいらっしゃいました。マイフレンド!!!」

「あ゛?」

 

扉を蹴り開けたサーレーを庇うようにクラフト・ワークが拳を構えて臨戦態勢をとり、サーレーの背後に身を隠すように背後からホル・ホースが銃口を構えた。

そこそこの広さのある青白い部屋の中央にはサーレーの腰くらいの高さの手術台に寝かされたパンナコッタ・フーゴが、その奥には黒髪に無精髭を生やした白衣の男が両手を掲げてニヤついている。恐らくは外の惨状のせいだろう。サーレーはその男の表情に、不快感を感じた。

同時にホル・ホースが一切の躊躇をせずに、男に向けて銃弾を連射した。

 

「もしかしたら運命の出会い、ユアマイデスティニー。にも関わらず互いの自己紹介も無しに銃撃するとは、無粋ここに極まれり、マイフレンド。」

 

手術台の影から赤い人影が複数立ち上がり、ホル・ホースの銃撃に対する肉壁となった。

それはチョコラータが操る赤いカビに、脳を乗っ取られて操られた一般人だった。銃弾は赤い人影に着弾し、周囲に血液と肉片が飛び散った。

 

「テメエッッッ!!!」

「イアンッッッ・ベルモットッッッ!!!」

 

サーレーの大声に被せて、相手も大声を発した。

唐突に固有名詞を出した敵に、サーレーはその意図を掴みあぐねた。

 

「私の名前は、テメエなどではない!イアン・ベルモット!どうかお見知りおきを。そしてその辺にバラバラになって隠れている気持ちの悪い彼が………。」

「チョコラータだ。マイフレンド。」

 

どこからともなく、若い男の声がした。

いつのまにか床を這って人間の右腕がサーレーのもとに近付き、クラフト・ワークの腹部にはメスが食い込んでいた。

右腕をメスで分離し、カビで傷口を塞ぐ。体をバラバラに分解し独立した動きで攻撃を加える。

チョコラータの得意とする奇襲攻撃である。

 

サーレーは敵の奇想天外に過ぎる攻撃手段に戸惑い、クラフト・ワークのスタンド能力を発動し損ねた。

チョコラータの右腕はカサカサと、物影へと逃げていく。ホル・ホースは逃げるチョコラータの右腕に向かって、銃弾を連発した。

乾いた炸裂音とともに、銃弾は手術室の床に弾かれて跳弾した。

 

「歓迎するよ、マイフレンド。君の名は?」

 

笑いながら黒髪の男は、白衣のポケットからメスを取り出して人影の隙間から投げつけてきた。

クラフト・ワークの腕が素早く動き、メスは空中に固定された。

 

「死人に口なし。お前がそれを知る意味はない。」

 

距離を詰めるべく駆け出したサーレーの前に赤い人影が殺到し、それに気をとられた次の瞬間床から得体の知れない腕が伸びてクラフト・ワークの足首を握りしめた。

 

「それじゃあダメだよ、マイフレンド。言葉にしないと通じないさ。時間が足りない。愛が足りない。何もかもが足りていないのさ。私たちの間に、まだそこまでの絆はない。」

 

浮世離れした雰囲気でいい加減な口上を述べるイアン・ベルモットに、サーレーは敵は言葉が通じない相手であることを理解した。

 

「減らず口を叩くなッッッ………!」

 

部屋の隅に置かれた巨大な冷蔵庫の下からチョコラータの左腕が這い、拳銃を構えるホル・ホースの死角から襲いかかった。

ホル・ホースはそれに反応して銃撃するも逃げられ、どこからともなく現れたチョコラータの足が腹部に刺さるように蹴りを放っていた。

さらにチョコラータの右腕がホル・ホースの服を掴み、部屋の入り口付近にいたホル・ホースを部屋の中に引きずり倒した。

ホル・ホースは不気味な手足を銃撃しようと拳銃を構えたが、用を果たすとそれらは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 

「グッ………。」

「ホル・ホース!!!」

 

不気味極まりない。

 

青白い手術室の中を手足が独立して這いずり回り、さらに床と一体化した腕がサーレーの足首を掴んでいる。

サーレーは反射でラニャテーラを展開し、足首を掴む腕をクラフト・ワークの力で振り払った。

そのまま周囲にたむろする赤い人影に掴みかかり、床に倒して制圧した。

 

「これはこれは、さすがはマイフレンド。お強いことだ。」

 

イアンと名乗る男は、さり気なく距離を取りながらサーレーの立ち回りに拍手喝采で喜んだ。

クラフト・ワークは立ち上がって、勢いをつけてイアンに掴みかかった。次の瞬間、クラフト・ワークとイアンの間に床から機械のようなスタンドらしき存在が現れて、そのネジの瞳で値踏みするように見つめた。クラフト・ワークは攻撃対象を変更してスタンドに殴りかかり、スタンドはデタラメな方向に手術器具を投げ付けた。

 

「剪刀、スパーテル、持針器、鑷子。」

 

クラフト・ワークの視界の隅で、手術器具がコマ送りになって空中を移動していく。

サーレーは明後日の方向に投げ付けられた手術器具に猛烈に嫌な予感を感じ、攻撃を中止してそちらを優先して空中に固定した。

 

「マイフレンド、勘がいいね。それが正解だよ。私の部屋の中では、起こりうる事態のうち私にとって最も都合の良いことが起こる。」

 

サーレーは知らない。イアンの手術室には、たくさんの瓶詰めにされた薬物や劇物が保管されている。

デタラメに投げられた手術器具を放置すれば、それは必ずサーレーにとって都合の悪い事態を引き起こす。それがイアン・ベルモットのクレイジー・プレー・ルーム・レクイエムの能力である。

 

「初顔合わせは、こんなものかな。それでは御機嫌よう、マイフレンド。次に私たちが出会うその時まで、その愛を温めておいてくれ。」

 

クラフト・ワークが飛散した手術器具に対応している隙に、イアンはバラバラにした体を回収したチョコラータを引き連れてドアを開けて奥の部屋へと逃げていく。イアンは人差し指を立てて、それを左右に動かしながら去って行った。

サーレーはイアンを追いかけて閉じたドアノブを掴んだ。開かない。

 

「おい、何をしてる?」

「ホル・ホースッッッ!!!入り口のドアを確認しろッッッ!!!」

 

イアンが出ていったばかりのドアは、近接パワータイプのクラフト・ワークが力任せにノブを回そうとしても開かない。

それに嫌な予感を感じたサーレーは、急いでホル・ホースに入り口のドアの開閉の指示を出した。

 

「何を言って………?」

 

クラフト・ワークは拳を固めてドアを殴るも、ビクともしない。

困惑したホル・ホースが入り口側のドアを開こうとするも、そこも開かない。

部屋の隅に設置されたモニターに、唐突に電源が入った。

 

【マイフレンド、さっきぶりだね。居心地はどうだい?】

 

ふざけた敵が、モニターに映し出された。白衣を着たネジの瞳を持つ機械仕掛けの怪物。非常にタチが悪い。

サーレーはモニターを無視して、まずは手術台に寝かされたパンナコッタ・フーゴの安否を確認した。

 

「………生きている。」

 

体温は温かく、心臓も鼓動している。息もしている。ただ、顔色が酷く悪く、やつれている。

胸部に突き立てられたフォークを抜いて、クラフト・ワークで止血した。

 

【無視はひどいなぁ。悲しいなぁ。私たちの友情は、こんなものだったのかい?】

 

モニターの先では白衣の怪物が白々しく泣き真似をし、鬱陶しいそれにホル・ホースが応対した。

 

「よぉ、マイフレンド。友人をこんなトコに閉じ込めるのが、アンタの流儀かい?」

【私も悲しいのだよ。私は友人の君たちに試練を課さねばならない。君たちが私の宿敵たる力を持つのかを。】

「宿敵?試練?」

 

ホル・ホースが首をかしげると同時に、どこからともなく音がした。

 

【苦しみこそ、人生。逆境こそが、人生の味わいに深みを与える極上のスパイス。苦しみを乗り越え、タケノコのようにニョキニョキと健やかに成長して欲しい。君たちの実力が足らなければ、運がなければ、機転が利かなければ、君たちは試練を乗り越えられないかもしれない。友人を死地に追いやらねばならない、私の苦しみがわかるかい、名無しのマイフレンド?君たちが無事に試練を突破して、私の前に再び相見えることを願っている。】

 

機械仕掛けの怪物がそれだけ告げると、モニターの電源は落とされた。

ホル・ホースは音源を探して、周囲を屈みながら調査した。

 

「う………。」

 

眩暈を感じ、ホル・ホースはその場から急いで退避した。部屋の隅の一角から排気ガスが流し込まれている。

ガスが一定量部屋に充満すれば、内部の人間は死亡する。

 

「おい、サーレー!!!ヤベエぞ!!!」

 

◼️◼️◼️

 

「ずいぶんと楽しそうですね。」

 

チョコラータが上機嫌に鼻歌を口ずさむイアンに声をかけた。

 

「探し物が見つかったのだよ。考えてもごらん。哲学者が人生の意味を真に理解したら、数学者が歴史上解かれていない難問を解決したら、医学者が不治の病を克服したら、誰だって人生は充足に満たされるだろう?それと同じ事だ。」

 

イアンが笑った。

先ほどまでいた研究室の先の部屋、イアンとチョコラータは、オリバーと合流した。

 

「運命の出会い、ですか?彼らがそうだとは限らないのでは?」

 

チョコラータは首をかしげる。

 

「パープル・ヘイズ・ウィルスを操るパンナコッタ・フーゴがここにいるだろう?それが証拠だ。彼らは私の運命の宿敵だ。間違いない。」

「なぜ?」

「その方が劇的だろう?私のクレイジー・プレー・ルーム・レクイエムは有り得る中から私の望んだ未来を引き寄せる。役者が揃えば、劇の開幕だ。」

 

チョコラータはイマイチ理解できなかったが、それがイアンのスタンドの特性だ。

パンナコッタ・フーゴというイアンが望んだウィルスを操るスタンド使いがそこにいて、その場に敵になりそうな相手がいる。役者は揃い踏み、これ以上開幕の時間を引き延ばす必要はない。さあ、情熱的な、運命的な、奇蹟的な演目の幕開けだ。

 

現状で確定している役者は、イアン・ベルモット、オリバー・トレイル、チョコラータ、ディアボロ、ヴィネガー・ドッピオ、リュカ・マルカ・ウォルコット、パッショーネ所属暗殺チーム、パンナコッタ・フーゴ、エキストラ。脚本家、不明。

誰が主役なのか、何がどうなるのか、イアンにも未知数な命懸けの劇が開幕される。

 

「はいはい。わかったからさっさと逃げるぞ。」

「つれない男だ。だがまあいい。」

 

脚本は個々人が己の判断で動くことになっており、それがイアンにとって至高の劇を齎す。

オリバーの言動も、劇の大切な一幕だ。

 

「多分すでに監視されてるぜ?時間が経ったら、瞬く間にパッショーネの連中に囲まれちまう。」

「お前がそう言うのならば、きっとそうなのだろう。」

 

オリバーは不完全であってもイアンに吸血鬼化手術を施術されており、身体能力は一般人と比べるべくもない。

七階建てのオフィスビルの窓を開けて、オリバーはイアンとチョコラータを抱えて暗闇に向けて跳躍した。

オリバーは二人を抱えてアスファルトに降り立ち、回転木馬のスタンドを展開した。

 

◼️◼️◼️

 

マリオ・ズッケェロは、煌めく夢のような光景に心を奪われていた。

美しい回転木馬は郷愁を呼び起こし、強い感情の波で記憶を押し流す。

 

一夜の夢、幸福。

どれだけ狂気に引きずられたとしても、忘れ得ぬ記憶(ラストメモリー)

オリバー・トレイルのラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンドはスタンドとして直接的な戦闘力は皆無に等しいが、本来の用途に沿って使用すれば恐ろしく強力な能力である。そして回転木馬の本来の用途とは、隠密行動、隠蔽工作、およびに逃走である。強烈な存在感を放つ回転木馬で意識を奪い、感情で記憶を押し流し、その隙に逃走する。

 

強力で当然。それはオリバー・トレイルという一人の男が生きた意味のその全てと言えるものだから。

オリバーさえいなければ、イアン・ベルモットもチョコラータも、こんなに滅茶苦茶な行動は出来ない。あっという間に有害生物指定されて情報が共有され戦術が組まれ、ここまで大それたことは出来ずに闇に葬られていたことだろう。

 

時間は少しだけ遡る。

サーレーとホル・ホースの突入を見送ったシーラ・E、マリオ・ズッケェロ、アルバロ・モッタは、ダメージを負ったモッタの本体を車内に避難させてビルの周囲を監視していた。

アルバロ・モッタは暗殺チーム所属ではなく、能力も支援専門として扱う存在であったために、スタンドは監視に借り出していたが本体は車内で休息を取らせていた。

 

『こちら、シーラ・E。現状に動きは無し。』

「こちらも同様だ。」

 

ズッケェロとシーラ・Eは別々の場所に潜伏し、こまめに連絡を取りながら敵に動きがないか遠巻きにビルを監視していた。

先行突入したサーレーたちが敗北するような敵であれば、ズッケェロやシーラ・Eでは分が悪いのは明らかだ。最優先事項が情報の確保であることを鑑みれば、彼らが敵と鉢合わせないように警戒するのは至極当然であった。

 

「パッショーネの援軍の方は?」

『近隣のスタンド使いは、カビ使いにやられた一般人の救助に回っているわ。ミスタ副長が率いる戦闘部隊は、あと三十分ほどでミラノに到着する見込みよ。』

「了解。」

 

マリオ・ズッケェロは通話を切って、周囲を警戒した。

その時ビルの裏手に何かが落下するような音がして、視界で何かが動いたような気がした。

 

ーー………気のせいか?

 

ズッケェロはソフト・マシーンの能力を起動し、物音がした暗闇へ確認に向かった。

 

「回転木馬………?」

 

暗闇に強烈な存在感を放つ輝く回転木馬に、ズッケェロは目を奪われた。

意識がボヤける。視界が定まらない。オリバーの回転木馬の恐ろしさは、感情の波に抗えないことである。

普通に考えれば唐突に回転木馬が現れるのは異常事態だ。それは回転木馬のスタンドの、隠された特性だ。

 

違和感はある。自分があからさまにおかしいこともわかる。でも明確な目的が無い。

そんな状況では、押し寄せる感情の波に逆らえない。夢に抗えるのは、具体的な意志や目標だけ。

楽しい。その感情を押しのける明確で強固な感情がなければ、感情を向ける矛先がなければ、夢の中では行動に移ることはできない。

 

マリオ・ズッケェロのソフト・マシーンは、奇襲潜伏追跡などに適している。

しかし当然弱点もあり、その能力はハマれば強力だが状況次第では脆い一面も持つ。ピーキーゆえに単体での運用より、チームとしての運用がより効果を発揮する。

天敵は、視界に頼らずにズッケェロの位置を特定してくるスタンドや対象を選ばない無差別攻撃。それだけではなく、嗅覚の鋭い野生生物なども当然天敵となる。

 

イアンたちは建物の影をつたいその場を去って行く。隠れ潜んでいるはずのズッケェロは、オリバーにその存在を感知されていた。

イアンに人体改造手術を受けたオリバーは、不完全な吸血鬼であってもその嗅覚が進化していた。

 

◼️◼️◼️

 

「おい、サーレー!!!ヤベエぞ!!!」

 

青い白い部屋の中で、ホル・ホースは酷く焦っている。当然だ。

部屋の扉は開かず、部屋の隅の一角から致死ガスが流し込まれてきた。

ホル・ホースのエンペラーはパワーがないスタンドであり、部屋を力任せにどうこうできるのだとしたらそれはエンペラーではなくクラフト・ワークのはずだ。

 

一方でサーレーは、別の臭いに気をとられていた。

臭いがする。時間が経って薄まってはいるが、大量の血と、人間の脂の臭い。

グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所の事件を経験したサーレーだからこそ気付ける、悲劇の臭いが。

 

「おい、サーレー!!!聞いてんのか!!!」

 

サーレーは臭いのするままに、周囲の床に目をやった。

直感に従い部屋内を歩き回り、やがて床から何かを拾い上げた。

 

「ちくしょう!!!てめえもさっさと脱出経路を探しやがれッッッ!!!」

 

ホル・ホースは、慌てて出口が無いか周囲をひっくり返すように漁った。

 

サーレーの手の中で硬い存在感を示すそれは遺品だ。どこかで見た覚えのある、センスの悪い蝶の形をした髪留め。

クレイジー・プレー・ルーム・レクイエムは、劇を演出する。それがここにある意味を、サーレーは悲しみとともに理解した。

イアンにとって、そっちの方が劇的なのである。

 

「クソッッ!!!」

 

ドガっ、ドガっとホル・ホースが扉を蹴る音がする。ドアノブに向けて、銃弾が発砲された。

鈍い音を立てて、それらは全て弾かれた。

 

「あああクソがッッッ!」

 

願いが矛盾した時、勝つのは必ず強い方だ。煉獄から生まれ出でるのは、たった一人の強者だ。

 

いつだって、強者が優先される。

社会で出世するのは人脈が強い方だし、良い就職先を得るのは学業が強い方だ。政策を押し通すとき勝つのは社会的地位が高い方だし、戦争で勝つのは総合力が強い方だ。ただのケンカだって、地力が勝る方が勝利する。

あまりにも当たり前すぎて、結果として強いほうが勝つのではない、勝った方が強いのだという言葉ができてしまうくらいである。

 

クラフト・ワークが、強烈に緑色に染まった。

 

「おい、サーレー?」

 

漆黒の殺意は、すでに危険水域を迎えている。

普段は強力すぎて無自覚に使用に制限をかけているが、サーレーのクラフト・ワークは緑色の赤ん坊と合体したことで、その辺のスタンドとは隔絶した潜在能力を秘めている。世界を一度終わらせたメイド・イン・ヘブンと、同等のポテンシャルを秘めているのだ。

 

強者が、優先される。

それではクラフト・ワークと融合した緑色の赤ん坊の中で優先されているのは何者なのか?

サーレーと融け合った緑色の赤ん坊の中で優先されている魂は、グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所の強者、ヴィエラ・レイナードだ。

 

ーーハロー、相変わらず冴えねえチンケなチンピラヅラしてやがる。この程度の部屋、お前が本気出しゃ簡単に抜けられるだろうが?

 

ハンサムで背が高い青年が、漆黒の闇の中で笑った気がした。

クラフト・ワークは拳を握りしめ、力任せに研究室の強化ガラスを殴った。音がして、研究室は微かに揺れた。

 

「おい?」

 

ホル・ホースはガスが注入している箇所から少しでも離れようと、部屋の隅で縮こまっている。

クラフト・ワークが拳を振りかぶり、連続して金属音のする壁を殴った。研究室は、さっきよりも揺れた。

 

「おいッッッ!!!」

 

サーレーは右手のひらを強く握りしめた。

それはどこにでもある安物の髪留め。持ち主はこの部屋で無念のうちに消失したのだろう。

無念が、苦痛が、慟哭が染み付いた呪われた研究室。そこにあるのは蹂躙された、誰かの平穏への願い。

呪いと願いは相反し、衝突した後に残るのは強い方のみ。

 

人を融かし喰らう悍ましい研究室で、怒りを取り込んだ漆黒の殺意が渦巻き、膨張した。

 

「おおおおおおおおあああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッッッッッッ!!!!!!!!!」

 

クラフト・ワークは激昂し、殺意の赴くままに幾度も幾度も壁に拳を叩きつけた。

金属が軋む音は雑音が混じり、やがて破砕音へと変化していく。殴るたびにビルは横揺れを起こし、響く轟音がその破壊力を証明する。

 

崩れ落ち壊れゆく世界(Il mondo che e rotto.)!!!』

 

研究室を激しい振動の波が襲い、部屋の床に物が落ち、壁には放射状にヒビが入り、扉は慣性で開いて歪んだ。

 

◼️◼️◼️

 

「うぐおッッッ!!!」

「おい!!!」

 

イアンが、暗い路地で血反吐を吐いた。

クレイジー・プレー・ルーム・レクイエム。スタンドが存在する部屋を異界と化す能力。

イアンのクレイジー・プレー・ルーム・レクイエムは未だサーレーたちを閉じ込めた研究室と一体化しており、振動崩壊の能力をモロに受けたイアンは頭部に甚大な被害を受けた。

 

「おおおあああああッッッ!!!」

 

イアンは地面にうずくまり、血反吐血涙とともに脂汗を流した。

 

「イアン!!!スタンドを解除しろ!!!」

 

オリバーが叫ぶも、イアンは首を振った。

 

「………彼らが苦難を乗り越えるのであれば、私も苦難を乗り越えねば敵となりえない。」

 

イアンにとっては、そこが人生の最高潮だ。

彼らに恥じないように、自分も相応の実力者として劇を演じないといけない。

痛みの波の直撃を受けたイアンは路地裏で丸まって動けず、チョコラータは困惑して首をすくめた。

 

「何をやってるんですか?あなたに死なれたら、僕も困るんですが?」

「………必要な試練だよ。ここを越えた先にしか、私の目的は存在しない。グッ。」

 

現状逃亡者であるチョコラータは、気が気でない。

いつパッショーネの殺し屋集団が、彼らの後を追ってくるか。

頭の内部にダメージを受けているため、チョコラータのカビで傷口を塞ぐこともできない。

生殺与奪を握られているため、見捨てて逃げることもできない。

 

「ふざけてないでさっさと能力を解除してください。オリバーが抱えて運びますので。」

 

ダメージが大きくなりすぎると、運ぶことも困難になる。

当然の結論を告げたチョコラータの背後には、人間の頭部ほどの大きさの石を抱えたオリバーがいた。

 

「あグッっ!!!」

 

チョコラータは混乱した。頭部に激しい痛みが走り、多量の血が流れた。

続けざまに下半身を幾度も石で殴り潰され、地を這って痛みの元凶を睨んだ。

 

「すまねえな。予定変更だ。」

 

血が滴る石を抱えたオリバーは、チョコラータを見下ろして冷たく笑った。

 

「なんのッッッ!!!」

「イアンはああなったら、テコでも動かねえ。時間に余裕がなくなったから、お前はここで俺たちのために時間を稼いでくれや。」

 

オリバーは鼻をヒクつかせて、匂いで敵との距離を換算した。

 

「ふざけッッッ!!!」

 

こんなことが許されるのかと、チョコラータはイアンに目をやった。

 

「すまないな。私は君を守りたかったが、私の決断と彼の決断は別物だ。彼がそう決断したのなら、私にそれを止めることはできない。私にとって君はいくらでも替えの効く雑兵で、彼は替えの効かない手駒だ。」

 

残念ながら、チョコラータはオリバーの好感度が足りていなかった。

好感度不足のバッドエンディング、ラブ。

 

振動が収まり痛みの引きつつあるイアンは、口から血を垂らしながらチョコラータに向けて凄絶に微笑んだ。

そのまま指を曲げてハートを形作り、片目に当ててチョコラータにウィンクを贈った。

 

「ちょっとの間寝てな。」

 

オリバーに再び石で頭を殴られ、チョコラータは意識を失った。

 

◼️◼️◼️

 

振動により扉が開いた部屋で、ホル・ホースは肩を貸してフーゴを抱え上げた。

 

『俺は先に行く。お前はフーゴを救出して、下で仲間と合流しろ。』

 

リーダーのサーレーはホル・ホースにそう指示を出し、チョコラータのカビを警戒しながら先行追跡を行なった。

奥の部屋には誰もおらず、窓が開いたままだった。敵は階下に逃走したものと推測される。

 

「………すまない。」

「気にすんなや。生きててツイテたな。」

 

僅かに意識が戻ったフーゴは、自身の救出を行うホル・ホースに向けて礼を告げた。

 

「こんな辛気臭い部屋、さっさと逃げ出すぞ。」

 

フーゴは救出される際、フラついて研究机の上の器具をひっくり返した。

思わずパープル・ヘイズを発現させて、体のバランスをとった。机に手を置いて、割れたガラスでパープル・ヘイズは指を切った。

 

「………?」

 

フーゴは思わずパープル・ヘイズに目をやった。

パープル・ヘイズを発動するつもりなどなかったのに、体が勝手に動いたような感覚を受けたのである。

 

「おいおい、大丈夫か?」

「………ああ。」

 

二人はよろめきながら、階下へと向かって階段を降りて行った。

 

◼️◼️◼️

 

名称

ヴィエラ・レイナード

スタンド

レイジ・バイブレーション

概要

オリジナルキャラクター。振動を操るスタンド使い。州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所でサーレーと死闘を演じ、最後はディオの骨に取り込まれて死亡した。



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ナルシソ・アナスイ情報部特務班主任

「ムー、ムー。」

「おいおい、マジかよ。マジでチョコラータじゃねえかよ。」

 

グイード・ミスタは目を細めて、首を横に振った。

間違いなく死んだはずのチョコラータがここにいる、その異常性。

よほど特殊で厄介なスタンド使いが敵方にいる。

 

先の戦火の結末。

暗殺チームは身体の一部を欠損したパンナコッタ・フーゴを救助。事件を起こした一味のうち、敵を一名捕縛。

ミラノの市民、死者三千人超。パッショーネの人員、死者少数、負傷者多数。

 

あの後ビルから出たサーレーは、外で暗殺チームの部下と合流。

シーラ・Eとズッケェロから、外部異常なしの報告を受けた。

 

サーレーは彼らから報告を受けるも、周囲近辺捜索の指示を出した。

遅れてグイード・ミスタを隊長に据えたパッショーネ戦闘部隊が到着、周囲の大々的な捜索、検問の設置が行われた。

 

その直後にミラノで殺傷事件を起こしたカビが再び動き出し、早急な解決への人員確保のために検問を解除。人員を全て敵捜索班に充てた。

 

低所に向かわないように指示を出しながら人海戦術で捜索を続けた結果、裏路地で大量の血を流した瀕死のチョコラータを発見。

パッショーネで身柄を確保し、スタンドを使用して暴れられないように薬剤を投与。拘束衣と薬漬けで無力化した。

 

因果は巡る。

 

◼️◼️◼️

 

パッショーネ情報部、特務班。

普段は情報部の情報分析班に所属し、情報の精査および情報部相談役を務める。

それが表の顔。

 

その真実は、非常時に際して特務を遂行する、暗殺チーム以上のパッショーネの闇。

暗殺チームの人員と同様に所属する人員は厳重に秘匿され、その存在を知る者は暗殺チームと並んでパッショーネの闇の双峰と認識している。

 

「おい、起きろ。」

 

因果は巡る。

ソルベとジェラートを拷問したチョコラータは、彼らと同様の末路を辿る。

情報部特務班主任の名前はナルシソ・アナスイ、その職務の別称は尋問官。

もちろんそれは、最大限のオブラートに包んだ別称である。

平時は決して動かない、専門の知識を持つ闇の情報収集班。

 

「まずは、判断力を奪う。」

 

拷問を許容する社会は、必ず破綻する。しかしごくごく稀に、それが必要となる時がくる。

その矛盾をこなすために存在するのが裏社会。誰も知らない、何も見ていない。

それは裏社会の闇のさらに奥の、厳重に鍵をかけた部屋の中で行われる。

 

敵は情報を隠蔽するスタンドを擁する凶悪犯罪集団。

ここで僅かでも有用な情報を搾取できれば、一人でも多くの命が救われる可能性が出てくる。

チョコラータはその貴重な情報源だ。誰も見ていないところで、手段を選ばない行為は行われる。

 

自白剤の投与。それは非人道的薬剤。使用すれば人は容易く廃人となる。

脳の一部を潰し、判断力を破壊する。同時にスタンドの弱体化。

薬剤を投与するため、被験者の容態の悪化に備えて心電図を設置する。

 

暗い牢獄のような部屋で、僅かなロウソクの光源。逃げられない専用の椅子に座らされ拘束され、チョコラータの目は虚ろだ。

車椅子に座ったアナスイが向き合い、穏やかな表情でゆっくりとはっきりと質問した。

 

「………おい、喋れるか?」

 

チョコラータは薄い自我の中で、ゆっくりと首を振った。

 

「これからいくつか質問をする。ハイだったら首を縦に、イイエだったら首を横に振れ。」

 

チョコラータは、首を横に振った。

瞬間、チョコラータの体を激痛が襲った。

アナスイのダイバー・ダウンは、潜行することで体に傷つけることなく痛みを与えることができる。

 

「反抗するな。楽になりたけりゃあ、一刻も早く情報を吐くことだ。俺もこんなことをいつまでもやっていたいわけではない。」

 

それでも尋問は、何日も何日もかけて何回も同じ質問を繰り返される。

情報の確度を少しでも上げるためだ。情報のすり合わせができないのは痛いが。

パッショーネが現行で所有している情報とすり合わせるしかない。

 

チョコラータが嘘を吐く可能性だけでなく、間違える可能性や勘違いしている可能性も考慮する必要がある。

つくづく、調査専門家のレオーネ・アバッキオが死去したことが悔やまれる。

 

「嘘を吐くほどにお前は苦しむことになる。素直になればこちらとしても少しは便宜を図ることができる。死ぬ前に美味いメシを食いたいだろう?よおく考えろ、チョコラータ。お前は誰かに義理立てするような人間か?」

 

チョコラータは生き汚い。情報を喋れば自身が用済みになることを理解している。

ならば何も喋らないことが、少しでも長く生きるための秘訣だ。その判断を壊すために、自白剤を追加投与する。

薬を投与し過ぎたら、使い物にならないほどに廃人となったり中毒死したりしてしまう。痛めつけ過ぎたら、ショック死してしまう。慎重に。故に、専門知識が必要となる。

 

チョコラータの目の前で光源をチラつかせ、現実感をさらに失わせる。

チョコラータは、虚ろな目で揺らめくロウソクを追った。

 

「これより質問をする。」

 

反応の無いチョコラータの頬をアナスイは張った。

音がして、チョコラータはほんの僅かな現実感を取り戻した。

 

「お前の名前は、チョコラータである。イエスだったら首を縦に、ノーだったら首を横に振れ。」

 

チョコラータは縦に首を振った。

アナスイは満足げに頷いた。

 

「お前の仲間に死者を蘇らせることが可能なスタンド使いがいる。同じくイエスだったら首を縦に、ノーだったら首を横に振れ。」

 

チョコラータは少し考えるそぶりを見せると、首を縦に振った。

アナスイが傍に置いた紙面にボールペンで何かを書き込んだ。

 

「お前の仲間には、情報を隠蔽することに長けたスタンド使いがいる。イエスだったら首を縦に、ノーだったら首を横に振れ。」

 

チョコラータは少し間を置いて、ゆっくりと縦よりの斜めに首を動かした。

アナスイは再び紙面に何かを書き残した。

 

「お前の目的は殺人だ。」

 

チョコラータは首を縦に振った。

 

「お前の仲間の目的は殺人だ。」

 

チョコラータは首を傾げた。

アナスイは合わせて紙面に情報を書き込んだ。

チョコラータの半開きの口から床に、ヨダレが垂れ落ちた。

 

「お前たちの首謀者の名は、イアン・ベルモットである。」

 

チョコラータは反応を返さない。

アナスイはロウソクの火を掲げて、チョコラータの眼前でチラつかせた。

 

「お前たちの首謀者の名は、イアン・ベルモットである。」

 

チョコラータはかすかに頷いた。アナスイは手元に引き寄せた紙面に滑らかにペンを滑らせていく。

 

「イアン・ベルモットという名は、偽名である。」

 

無反応。アナスイは再びロウソクの火をチラつかせ、再度質問を発した。

 

「イアン・ベルモットという名は、偽名である。」

 

やはり無反応。

アナスイはダイバー・ダウンを出現させて、チョコラータに痛みを与えた。

 

「ううっ………。」

 

チョコラータの口元から流れる唾液の量が増加した。

しばし休息を挟んで、三度質問を繰り返した。

 

「イアン・ベルモットという名は、偽名である。」

 

反応が無い。アナスイは頷いた。同時に横目で心電図を確認した。

チョコラータは鼻から粘度のある血を垂れ流した。薬物により脳の血管が切れた可能性が高い。

被験者であるチョコラータの体力の限界だ。質問時間を計測し、その情報を紙面に書き込んだ。

 

「とりあえずここまでだ。一旦休憩を挟む。」

 

部屋の照明が灯され、椅子に拘束されたチョコラータは部屋に侵入した男たちに運ばれていった。

しばしの休息ののちに、同様の行為が行われる。チョコラータが部屋に再び現れ、拘束された。

 

「お前たちの目的は、イタリアの破壊である。」

 

チョコラータは反応を返さない。

 

「お前たちの目的は、イタリアの破壊である。」

 

やはり無反応。

 

「お前の名前はチョコラータである。」

 

チョコラータは首を縦に振った。

アナスイは紙面に情報を書きこんだ。

 

「お前たちの行為には、なんらかの政治的な主張を伴っている。」

 

チョコラータは首を傾げた。

アナスイは紙面に文字を書き、丸で囲んだ。

 

「イアン・ベルモットという名は、偽名である。」

 

チョコラータは反応を返さない。

アナスイは引き続き情報を紙面に追加する。

 

「お前たちの組織の人員は、十名以上存在する。」

 

チョコラータは、首を横に振った。

紙面に情報を追加。

 

「仲間の数は、増える可能性がある。」

 

チョコラータは首を傾げた。

アナスイはチョコラータの表情を観察した後に、ペンで情報を書き込む。

 

「リュカ・マルカ・ウォルコットは仲間である。」

 

チョコラータはしばし呆けた後、首を縦にゆっくりと動かした。

アナスイは紙面に情報を追加した。心電図を確認して、チョコラータの健康状態を把握した。

 

「今日はここまでだ。続きは明日、十時間後に再会する。」

 

チョコラータは車椅子に乗せられて、個室へと運ばれて行く。

 

◼️◼️◼️

 

「いくつかの重要な情報が手に入った。」

 

グイード・ミスタが情報部からの報告書を片手に、サーレーに告げた。

パッショーネがミラノに所有するクラブのVIP席で、ミスタは氷を入れたグラスをもう片方の手に持ち、中身に口をつけた。

 

「情報の共有はパッショーネごく一部の幹部、情報部、そしてお前とマリオ・ズッケェロまでだ。」

 

高級な内装と落ち着きのある照明、部屋は防音パーティションによって区切られている。

普段は活気のあるクラブも、この日はつい先日に起こった事件により市民は恐怖しなりを潜めていた。

 

「敵の主犯格は二人。一人はイアン・ベルモット。」

 

ミスタは一枚の拡大写真を取り出し、机に置いてサーレーにそれを確認させた。

写真には、白衣を着た三十代の黒髪の男が印刷されている。

 

「お前も報告した敵だ。こいつで間違いないか?」

「………ええ。」

 

有り得ない。

社会と国家を敵に回した犯罪集団の主犯は、まさかの堂々と実名を名乗っていた。

パッショーネの情報部が氏名からインターネットの国際機構サイトで情報収集を行い、顔写真を入手することに成功していた。

 

「元はスイスにある有名大学の教授だそうだ。専攻は遺伝子医学。犯罪歴は無いが、一時期臓器密売組織に関わっていたのではないかという疑惑があがっている。今ある情報からは、こいつが一連の事件の黒幕である可能性が高い。それともう一人、隠蔽工作を担当するスタンド使い、こちらは名前も顔もわからない。当時はスイスで誘拐事件が多発していて、誘拐された人間のうちの一人なのではないかと推察されている。」

「………。」

 

サーレーは写真を見つめて、敵の思惑を思索した。

 

「はっきり言って、こいつらが何をやりたいのか全くわからない。常人とは思考がかけ離れた、思想犯もしくは愉快犯である可能性が高い。」

 

事件の主犯イアン・ベルモットは、事件に対する犯行声明を出していない。事件は示威行為ではないということだ。

かといって事件を隠蔽しようというわけでもない。自身の実名をサーレーに晒している以上それは明らかだ。

そうなると消極的消去法により、思想犯か愉快犯の可能性が高くなる。

 

「………。」

「目的がわからないから、先の行動が読めない。お前らが捕らえた敵から情報は入手したものの、それが情報の全てだとも間違いがないとも限らない。情報はないよりマシ程度に留めておいたほうがいいのかもしれない。」

 

サーレーはテーブルからグラスをとって、水を飲んだ。

 

「コイツにはメディアで国際指名手配をかける予定だ。だが、どの程度アテになるかは全くの未知数だ。隠蔽工作を担当するスタンドの能力が不明だし、不用意に一般人が近付くとおそらくは消される。それも遊び半分で。」

「コイツの顔は?」

「ああ。そいつの人相書きじたいはヨーロッパ裏社会全体で共有するつもりだ。だが、起こした事件の詳細な背景は秘匿される。事件の規模がデカすぎる。カタルーニャやミラノの惨劇が繰り返される可能性があると住民が聞けば、ヨーロッパ全体がパニックを起こしかねない。ホームグロウンテロリスト共の指導者という形で情報を公開する。」

「はい。」

「それとこれは箝口令が敷かれているんだが………。」

 

ミスタは眉をひそめて、難しそうな表情をした。

 

「フランス暗殺チーム所属の、ローウェンの安否が不明らしい。」

「ッッッ!!!」

 

フランシス・ローウェン、フランス暗殺チームに所属する、ヨーロッパ裏社会で最も恐れられるスタンド使い。

サーレーも友誼があり、ローウェン自身が他者に対して寛容で社交的な性格もあり、裏社会に彼の友人や信奉者も多い。

 

「フランスのノルマンディー橋が爆破された。タイミング的に事件は繋がっているとパッショーネは読んでいる。このヤマがどれぐらいヤベエかわかったろ。ヨーロッパも必死だ。パッショーネも表社会との兼ね合いもあって、状況は芳しくない。」

 

カタルーニャの大虐殺に次いで、ミラノ大虐殺。

パッショーネは表社会に対して、事件の納得できる筋書きを提供しなければならない。

ただでさえ事件の容疑者イアン・ベルモットの補足に労力を割かれているにも関わらず、自国の防衛に手を抜くこともできない。

それらの労力を考えると、パッショーネにさえ一切の余力がないのが現状だった。

 

「ジョルノも忙しくて睡眠もロクにとれねえ状況だ。悪いがお前らくらいしか自由に動かせるコマがねえ。………これが戦術計画書だ。」

 

パッショーネの組んだ戦術計画。

それに記された計画の概要は、ミスタがパッショーネのスタンド使い二十名ほどを率いて陽動を行い、暗殺チームが敵のボスであるイアン・ベルモットの暗殺を決行する。イアンの暗殺が成功した場合、暗殺チームはそのまま残党の遊撃に移行する。

本当は作戦にもっと多く人員をつけたかったが、防衛用の戦力を削るわけにはいかない。敵を仕留めるために守りを薄くするのは、目的の履き違えだ。敵の殺害が最大の目的ではなく、イタリアの防衛が最大の目的なのだから。

 

シーラ・Eも現在ミスタの指示を受け、ミラノのパッショーネ大幹部ペリーコロの配下に組み込まれた。

ミラノに常駐し、事件を受けて混乱するミラノの安寧に努めている。

 

「奴を追い詰めて、消せ。任務が終わったあかつきには、暗殺チームに好きなだけ贅沢させてやる。」

「………お任せ下さい。イタリアと、パッショーネのために。」

 

サーレーの体から発する静かな威圧に気圧されたミスタは、部下が成長していることを頼もしく感じた。

 

◼️◼️◼️

 

「さわやかな、朝!」

 

ダメージを受けてオリバーに担いで運ばれて逃げたイアンは、白い清潔な布団の上で目を覚ました。

体にはまだ大きな違和感がある、が目が覚めてしまった。クマさんパジャマを着たイアンが、ベッドで上半身を起こした。

カーテンをさっと開くと、外は………残念ながら夜中だった。

 

寝込んでいたせいで体が重い。イアンはベッドを降りて体のこりをほぐした。

口の中は鉄の味がし、イアンはうがいをしに洗面所へと向かった。腹もひどく減った。

 

「おいおい、この家の間取りも知らねえだろうに、どこに向かう気だ?」

 

狂人イアンはオリバーが見知らぬ家に押し入った後、クレイジー・プレー・ルーム・レクイエムを発動した。

手術室でスタンドに自身の開頭手術を任せ、苦痛そのままに気絶した。

手術後に高熱を出し、目覚めたのはその一週間後。それが今日。

 

「昔の航海士も、コンパスを片手に好奇心のまま未知の大陸を己が力で踏破したのだよ。」

「相変わらず何を言ってるのかわけわかんねえ。何を探してんだよ?」

「洗面所だ。」

「あっち。」

 

廊下ですれ違ったオリバーから情報を入手したイアンは、ゆっくり洗面所へ向かった。

勝手知ったる他人の家、洗面所の棚から未使用の歯ブラシを取り出して、一通り歯を磨いた。そのまま風呂場に侵入し、髪を洗って体の汚れと汗を流した。ガウンを羽織ってダイニングへと向かい、冷蔵庫からコーラを取り出してラッパ飲みをした。

 

「目が覚めたばかりで、相変わらず全開だな。」

 

オリバーは呆れたように目を細め、ダイニングで冷蔵庫の中身を調理している。

イアンはテーブルに腰掛けた。

 

「お前のその格好は、一体なんのつもりだ?何を狙っているんだ?」

 

オリバーは白い三角巾を頭にかぶり、フリルのついたピンクのエプロンを着用している。

むさい中年が、一体何を目的にそんな格好をしているのか?どこを目指しているのか?

 

「しょうがねえだろう?これは前の住人の趣味だよ。他になかったんだよ。」

 

おかしな格好をしている自覚のあるオリバーは、肩をすくめた。

手早く料理を作り、皿に盛り付けてテーブルを滑らせてイアンの前に放り投げた。

 

「いつも思うが、お前のこの無駄な家事の才能はなんなんだ?」

「誰も家事をしないからだろう?」

 

オリバーはおたまを握ったまま肩をすくめた。

 

「んでどうなんだ?馴染んだのか?」

「まだ完璧に使いこなすのには時間がかかる。」

 

イアンは皿に乗せられた野菜炒めをフォークで口に運びながら、スタンドを発動した。

 

狂者の煉獄(クレイジー・パーガトリィ)。」

 

イアンの背後に佇む執刀医の白衣は、返り血を浴びて赤黒く染まってている。

スタンドを発動することで発現する青白いはずの研究室は、壁が赤黒く変色していた。

部屋内の周囲の空間には、赤黒い部屋の中で異彩を放つ青白い浄化の炎がいくつも浮かんでいる。

 

壁の赤黒さは、手術室に染み込んだ数多の非業の死、その凝縮された血の色。

浄化の炎の青白さは、生者の魂を引きずり込む、死者の魂の怨念の色。

手術室は彼岸と此岸の境目。生命力が強ければ生き永らえ、弱ければ死に至る煉獄。

 

「おおう、ますます禍々しくなったなあ。」

 

オリバーは、イアンの研究室の狂気と殺戮を連想させる色合いにドン引きした。

イアンのスタンドがなぜこんな色合いになったのかと言うと、スタンドが進化したからである。

ではなぜイアンのスタンドは進化したのか?その原因は、怪我を手術した一週間前にさかのぼる。

 

サーレーたちと初邂逅を果たしたイアンは、サーレーのクラフト・ワークにより頭部に甚大な被害を受けた。

ホル・ホースはパンナコッタ・フーゴに肩を貸し、フーゴは手術室から退避する際にガラスに手を引っ掛けて流血した。

そしてイアンは、手術室で自身に開頭手術を行なった。

 

イアンが開頭手術を行なった際、手術室内には生きたパープル・ヘイズ・ウィルスが存在した。

その原因はたまたまフーゴのパープル・ヘイズがガラスに手を引っ掛けたせいであり、偶然を必然にすることがクレイジー・プレー・ルーム・レクイエムの能力。そしてその部屋では、イアンの妄想は現実のものとなる。イアンは開頭手術を行なった際、手術室に紛れ込んだパープル・ヘイズ・ウィルスに罹患した。

 

イアンはパープル・ヘイズ・ウィルスに適応することでスタンドが進化すると確信しており、偶然に偶然を重ねたはずのそれはイアンのスタンドのせいで必然となる。イアンは寝込んでいた一週間の間、パープル・ヘイズ・ウィルスに苛まれていた。

 

煉獄から生まれ出でるのは、たった一人の強者。

自身の創り出した煉獄でイアンは一週間もの間パープル・ヘイズ・ウィルスと死闘を繰り広げ、そして今ここにいる。

イアンの能力は存在する未来のうち最もイアンが望む未来を引き寄せる能力でもあり、今日のこの日は確定した未来であった。

そしてイかれたお遊戯部屋(クレイジー・プレー・ルーム)が進化した狂者の煉獄(クレイジー・パーガトリィ)、その能力は少しづつイアンに馴染みつつある。その能力が完成して発動してしまえば、世界が地獄の様相を呈することになる。

 

イアンの新たなスタンド狂者の煉獄、その能力は、イアンに都合のいい法則をこの世界に追加する。

イアンの能力はイアンを中心にゆっくりと広がり、それが世界を塗り潰した時に能力は完成形へと到達する。

狂者の煉獄が完成すれば、世界中の狂気が無限大に膨れ上がる。人間が闘争本能のままに殺し合い、最後に残った一つの生命が何者かへと進化する。煉獄より生まれ出でるのは、たった一人の何者か。

 

そして最後まで勝ち残った一人は、造物主であるイアンに叛逆するのだ。

世界中が殺し合い、勝ち残ったたった一人が人間を超えた何かへと至り、造物主であるイアンと劇的な死闘を繰り広げる。

その劇をプロデュースするのが、狂者の煉獄の能力の最終形である。

 

イアンの劇は、パッと考えただけでもいくつものイアンにとって魅力的な展開がある。

イアンには、そのどれもが楽しい。どの展開になるのか想像するだけで、素晴らしく気分が高揚する。

 

イアンが必死に抗うも、煉獄が未完成のうちにパッショーネの暗殺チームに敗北する展開。

煉獄が完成し、イアンが進化した敵との死闘に敗北する展開。

煉獄が完成し、イアンが進化した敵との死闘を制する展開。

それらの展開が大本命だが、そのどれでもない予想外の展開になるようならイアンはさらに狂喜する。

 

イアンの仇敵であるクラフト・ワークは非常に強力なスタンドであり、それに対抗して火花を散らすためにイアンのスタンドは進化した。

劇は決められたシナリオをなぞり、イアンにとって未知の展開を進み、最高潮へと盛り上がっていく。イタリア暗殺チームには感謝しかない。

 

「………この美しくも煩雑な世界にて、苦難を乗り越えて鯉は龍と成りて天へと上る。ありがとう、パッショーネ!ありがとう、人生!お礼に皆殺してやるよ!!!」

 

最終的な到達点などどうでもいい。エンディングロールになぞ興味は無い。後日談など必要無い。

終幕は寂しいが、そこに至るには劇の最高潮を経由する。その最高潮の場面こそが、イアンの人生の目的の全てだ。

手の上で青白い炎が幻想的に揺らめき、イアンは凶悪に微笑んだ。

 

◼️◼️◼️

 

チョコラータの、処刑が決まった。

処刑執行人はサーレー、尋問官によりとれるだけ情報を搾取し、用済みとなったからである。

敵は死者を蘇らせる得体の知れないスタンド使いを擁し、それがために絶対的に終わりを齎すクラフト・ワーク・オルクスにより処刑が執行されることが決定した。

 

処刑を急いだのは、生かす理由がないことと、敵の未知の能力を恐れたこと。死者すら蘇らすのであれば、どんな能力を持っているかわからない。消せる時に敵の頭数を減らさねば、被害は拡大の一途をたどる。

イアン・ベルモットの死者を蘇らせる能力に対抗できるのは、赦されざる者に絶対の終焉を齎すクラフト・ワーク・オルクスの能力、冥界の黄昏神殿だけだった。

 

「………。」

 

今日この時のために身を清めた。

サーレーは黒い装束と、黒い目出し帽を身に纏っている。

それは伝統的な執行官の衣装だった。目出し帽はサーレーの特徴的な髪型と相まって、不恰好に横に膨らんでいる。

 

サーレーは冷ややかな、それでいて憐れみを感じさせる眼差しでオルクスの黄昏神殿にへたり込むチョコラータを見つめていた。

チョコラータは魂が抜け落ちたような生気の無い顔色をし、視線は虚ろ、饐えた匂い、床に涎を垂れ流している。

尋問に使用した薬物の影響で廃人となったためであった。

 

「被告人、チョコラータはスペインのカタルーニャ州、イタリアのミラノ市で生物兵器を用いた大量虐殺を行った。その廉で、斬首刑を執行する。」

 

短期間に起きた二件の事件で合わせておよそ死者一万五千人。個人の起こした事件ではぶっ飛んだ数字である。

そしてチョコラータの罪状は、当然それだけではない。

ジョルノとの戦闘でも無関係の大勢の死者を出したし、パッショーネに所属する以前にも殺人、人体実験を行っていた。しかしそれは前のオリジナルのチョコラータであり、このチョコラータではない。

 

人間を殺すな、は社会における最重要と言える制約。

人間が国家や社会という大きな枠組みに帰属するのは、社会に帰属することによって身の安全が保障されるからという理由が大きな部分を占める。

 

そのための法であり、そのための制約。

その大前提が覆されてしまえば、社会に帰属する意識や意味合いは薄くなる。国家の土台が揺らぐ。

 

非道な事件が起きれば、たとえそれが不可避であったとしても国民の国家に対する信用が揺らぐ。国家の信用が揺らげば治安が低下し、負のスパイラルを引き起こす。

ゆえにチョコラータが起こしたような残虐極まりない事件は、犯人とともに闇に葬られる。

パッショーネの幹部連は、今現在国民が国家に対する信用を失わないように必死に奔走している。

 

社会によって課せられる制約を無視して好き勝手に振る舞った結果、薬物で廃人にされた挙げ句不必要になったら処分。

誰かに看取られることもなく、誰かに思い出されることもない。憎しみを一身に受けて、唾を吐かれて石を投げられて首を落とされる。

 

刑を執行することに否やは無いが、この男はどうしてこんな虚しい結末を迎えているのか、どうしてこんなにも馬鹿げたことを行ったのか、サーレーにはその思考がまるで理解できなかった。

 

しかしそれは、無意味な感傷だ。

どうしてこんなことが起こったのかという分析は、サーレーの仕事の管轄外。

きっと心理学の専門家か誰かが、それらしい持論で説明してくれるだろう。

 

サーレーのクラフト・ワーク・オルクスの右腕には、刀身七十センチ前後の片手剣が握られている。

先端が潰してあり、刀身にはイタリア語で『あなたの来世の安寧を願っています。』という意味の文字列が刻まれている。

それは罪人の首を落とすことを専門にパッショーネが特注で誂えた、執行人の剣だった。

サーレーはその剣を握り、なぜだかそれがひどく手に馴染むことに気付いた。

 

「被告人に最後の弁明の機会を与えよう。被告人は何か申し開きをすることがあるか?」

「………。」

 

この言葉は形式だけだ。

廃人となった今のチョコラータに反論することはできないし、反論したところで聞き入れることもない。

 

「それでは、刑を執行する。」

 

平たく重厚な刀身が風を切る音とともに容赦なく振り下ろされ、それはバターのようにチョコラータの首を滑らかに斬り落とした。

黄昏神殿の床は、赤く赤く染まっていく。

 

「ご苦労だった。」

 

刑の執行完了とともに黄昏神殿は消滅し、ミスタが職責を果たしたサーレーに労いの言葉をかけた。

 

「準備ができたぜ。」

「ああ。」

 

マリオ・ズッケェロがサーレーに声をかけた。

ここはパッショーネミラノ支部、人払いは済ませてある。

 

「パッショーネの情報部が、敵が潜んでいる可能性が高い地域を分析して割り出した。これが資料だ。」

 

ミスタがサーレーに資料を渡し、サーレーはそれに目を通した。

資料をズッケェロに手渡し、ズッケェロはサーレーよりも時間をかけて確認した。

 

今日この日をもって、暗殺チームは再び動き出す。

日を置いたのは、チョコラータから情報を搾り取り、少しでも暗殺チームの勝率を上げるために。

ズッケェロはヨーロッパで目ぼしい残虐なスタンド使いの情報を入手し、頭に叩き込んでいる。

 

暗殺チームは、ミスタの陽動部隊よりも先行する。

敵が潜伏していると想定される地点は、イタリアとフランスの国境。

サーレーをリーダーとした暗殺チームは、正装である黒いコートを羽織り、マフラーを首にかけ、ボルサリーノ帽を頭に乗せた。

ホル・ホースだけは、本人のこだわりでいつものカウボーイスタイルだ。

 

サーレーはマリオ・ズッケェロとホル・ホース、アルバロ・モッタを引き連れて、車へと乗り込んだ。

 

◼️◼️◼️

 

名称

サーレー

スタンド

クラフト・ワーク・オルクス

概要

能力は冥界の黄昏神殿。空間を固定し、斬首刑を執行する。サーレーが赦されざる者だと確信した相手にのみ発動する。

 

名称

イアン・ベルモット

スタンド

クレイジー・パーガトリィ

概要

イアンのスタンド、クレイジー・プレー・ルームがパープル・ヘイズ・ウィルスに適応することで進化した。イアンの妄想の産物である狂者の煉獄をこの世に具現させる。狂者の煉獄とは、生者が殺し合い最後に残った一人が何者かに進化する能力。殺傷性が極めて高いパープル・ヘイズ・ウィルスに適応できるのは、無限の未来から必ず望んだものを引き寄せるイアンのクレイジー・プレー・ルーム・レクイエムくらいである。

 

イアンの目的は人生の充足であり、イアンは彼自身を阻止するために立ち向かってくる敵を強く望んでいる。そのために狂者の煉獄は発動まで日数がかかり、発動するまでの展開は本体のイアンにとって劇的なものとなる。



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黄泉帰る悪鬼

チョコラータが、帰還しない。

イアンは手術室の冷蔵庫の前で、首を傾げた。仕方がないから代わりとなる人材を補填した。

 

「ディアボロとヴィネガー・ドッピオってのは蘇らせなくて構わねえのか?」

「それ誰だっけ?」

「あのローウェンを襲わせた奴らだよ。」

「ああ。」

 

ここは外から光が差し込む、どこかの家のリビングの一室だ。

イアンはソファーに腰掛け、周囲には複数の人間が立っている。

リュカ・マルカ・ウォルコットがイアンに質問し、イアンは気怠げに手を振って応えた。

 

「それにしても………。」

 

イアンは、視線でリュカの言いたいことを理解した。リュカは憎々しげに睨んでいる。

リュカの視線の先、青い瞳、肩まで伸びた白みが強いプラチナブロンドの髪を後ろに綺麗に撫でつけ、白いワンピースを着た上品で美しい女性。

体は綺麗に均整が保たれ、シミのない肌、清潔感のある服装、切れ長で知性を感じさせる眼差し、まるで有名ブランド店のモデルのようだ。

しかし、部屋の中にいる人間の彼女を見る眼差しは非常に冷ややかだった。

 

「………。」

 

彼女は、オリバーの手にした紙袋を引ったくった。

中身を検める。彼女が愛用していたパッショーネ産よりも、品質が下がる物品。

 

「………おい、イアン。これは一体どういうことだ?」

 

彼女はわがままな美食家だ。満足できないだろうことは、予想できていた。

 

「仕方ないだろう?パッショーネの麻薬部門は、ヨーロッパから撤退したんだよ。」

 

彼女の名は、ベロニカ・ヨーグマン。

かつてイアンの所属していた臓器密売組織のボスであり、リュカとも協力関係にあった。

彼女は重度の麻薬中毒者であり、パッショーネの熱烈なファンでもあった。ただし、あくまでも麻薬部門限定の。

彼女にとって、パッショーネの麻薬部門を無くすなど狂気の沙汰。ここにディアボロがいたら、敗北をなじり殺しにかかっていたことだろう。出来るかどうかは別にして。

 

「お前、私をナメてんのか?」

 

ベロニカの背後に、不気味なスタンドが現れた。

灰がかった黒の体色、不定形の二メートルくらいの巨体、体の上部に付属した口からは黒い不気味な生物が溢れ出し、眼球はピントの合わない明後日の位置に二箇所付いている。口から溢れ出る不気味な生物は、数を増して床を覆っていく。リュカとオリバーは、慌てて壁際に退避した。

 

「君は相変わらずオツムがお粗末だな。ナメてるに決まっているだろう?君は死者で、私が創り出した贋作に過ぎない。時代は変わる。いつまでも自分が頂点にいると考えるのは、実に恥ずべきことだ。」

 

彼女はかつてスイスで臓器密売を主力とする組織を運営し、スイス暗殺チームのリーダー、ヨルゲン・ルーベルクに暗殺された。

裏組織に連携されて情報を丸裸にされ、弱点を攻め立てられた結果だった。強力なスタンド使いであるにも関わらず、驕ったのだ。

彼女がヤクで気持ちよくトリップしている間に強襲、暗殺されたのである。

 

「………殺してやるよ。」

 

スタンドの口から無数に溢れる生物が床を埋め尽くし、イアンに殺到した。

それは小型の黒い蟹、海老、蛸などの海棲の甲殻類であり、その体液や吐き出す泡は王水という濃塩酸と濃硝酸を三対一で混ぜた金やプラチナさえ溶かす強酸である。

 

彼女はスタンド使いの中でも変わり種、悪魔の手のひらでスタンドを身に付けた人間である。

その悪魔の手のひらに生息していたウィルスは、環境条件によって他のスタンド発現ウィルスと若干異なる進化を遂げていた。

それに適応した結果、彼女は普通の人間とは主食を異にしていた。常人が摂取することは不可能な強酸や、害を為す薬物毒物も、彼女にとっては栄養源だ。パッショーネの薬物は、彼女にとって至上の美食なのである。

 

「おいイアン、俺たちの迷惑も考えろよ。」

 

オリバーが部屋の隅に縮こまって嫌な表情をした。

彼女はイアンが隠し持っていた、二枚の札のうちの一つ。

イアンの能力は進化したことにより、生み出した人間の成長のためのインターバルを必要としなくなっていた。

 

スタンド使いとしてはそこそこ強力であるが、他人の言うことに耳を貸さない傲慢、唯我独尊な性格をしていた。

大人しく従うわけもなく、こうなることは目に見えていたはずだった。

 

「相変わらず耳に逆らう女だ。お前の天下は十年以上も前に終わったんだよ、クソザコババア。」

 

イアンの背後に立った執刀医が中指を上に突き立てるとともに、不気味な甲殻類は床に溶けて消えていく。

被造物は造物主に逆らうことができない。もしもそれが可能だとしたら、それはこれから先に展開される煉獄を生き抜いた最後の一人だけだ。

 

まあ彼女には不可能だろう。それなりに実力はあるが、そこまでの役者ではない。

その程度では、イアンが興醒めする。だからありえない。せめて()()()()の方であれば、本命とは言わずとも対抗ぐらいの可能性はあるのかもしれないが。いや、ないかなぁ。

イアンは鼻で笑った。

 

「テメエッッッ!!!」

「君に許される選択肢は、二つに一つだ。この場で私に逆らって死ぬか、私の言うことを聞いて永らえるか。私の言うことを聞けば、君には私の支配下から逃れるチャンスが与えられる。」

 

ベロニカは、顔を真っ赤にした。屈辱なのだ。

イアンはもとは彼女の配下であり、傲慢な彼女にはかつての部下にアゴで使われる現状が我慢ならない。

 

「言うこと聞かねえなら殺せよ、イアン。こうなるのはわかりきっていただろう?」

 

リュカがスタンドを発現させた。

言うことを聞かないならば、その女は俺が消すという意思表示だった。

 

「まあ落ち着きたまえよ、リュカ。もしかしたら彼女は、悔い改めるかもしれない。ラストチャンスだ。」

「チッ。」

 

イアンがふざけて十字を切り、ベロニカが嫌いなリュカは舌打ちをした。

 

「………チャンスとはなんの話だ?」

「君は私の能力によりこの世に喚び戻された。君たちが一定期間私を守りきれば、この世に煉獄が顕現する。」

「煉獄………?」

 

ベロニカは不愉快な表情をしながらも、イアンに先を促した。

 

「私のスタンド能力だ。それが発動した世界では、世界中が殺し合い生き残ったたった一人が特別な何者かへと進化する。君がその一人になれるのであれば、君は自由だ。実力さえあれば、私の支配下から逃れられる。私を殺すことも可能だろう。」

 

悪魔は、笑った。

ベロニカの自尊心をくすぐり、その傲慢さを利用する。

 

「自信がないのかい?」

「………。」

 

不愉快極まりないが、従う他に選択肢が無い。

イアンに利用されたとしても、いつか復讐できるという希望は甘美だった。

しかし、残念ながら煉獄で彼女が生き残る可能性は存在しない。イアンがそう確信しているから。

 

「じゃあ話を戻すぞ。」

 

もともと、彼女を蘇らせたのは予定外だった。彼女はチョコラータの代用品だ。

チョコラータが蘇らないのだ。チョコラータが生きていれば、彼女よりチョコラータの方が彼らにとっていくらかマシなはずだった。

その空いた戦力を補填するために、イアンはベロニカを煉獄より喚び出したのだ。

ちなみにどうでもいいが、彼女の材料は魂の元と十人分の人間、それと王水である。それを遠心分離機にかけてレンジでチンして冷蔵庫で固める。狂人(イアン)式三分クッキング。

 

「チョコラータが喚び戻せないわけは?」

「私のスタンドとて、完全無欠では無い。例えばクレイジー・プレー・ルームで、生まれる過程で敗北して誰かの原材料になってしまった魂は、この世に喚び戻せない。それと同様に、パッショーネになんらかの天敵と言えるスタンド使いが存在している可能性が高い。」

 

それは、破格と言える性能を誇るイアンのスタンドの制約の一つだった。

具体例を挙げれば、煉獄でチョコラータに敗北してチョコラータの原材料になってしまったセッコは、この世に絶対に喚び戻せない。

 

「………マジか。」

 

オリバーの質問にイアンが返答し、イアンを頼みにするリュカは難しい表情をした。

一方のイアンは、これも劇を盛り立てる演出であると上機嫌だ。ルールがあるから、ゲームは楽しいのだ。

劇におけるチョコラータの役割は、もう終わったのである。

 

「その可能性は極めて高い。私の望む劇なのだから。」

「………。」

 

ベロニカはイアンに呪いを込めた視線を向けた。

図々しいイアンに呪いなど効かない。

 

「ローウェンはどうなった?」

「川に落ちた。爆風に巻き込んで仕留め切れると思ったが、しぶとく逃げやがった。生きてるかどうかは半々といったところだろう。」

「あのローウェンが?」

 

オリバーがリュカに経過を聞き出し、予想外の返答にオリバーはリュカに確認をとった。

 

「ああ。ディアボロとヴィネガー・ドッピオが予想よりも削りやがった。千載一遇のチャンスだったから、橋ごと爆破した。爆風の直撃だけは避けて川に逃げたが、仮に生きてたとしても瀕死だろう。セーヌ川に浮かぶ名無しの死体になってくれればラクなんだがな。」

「………そうか。ローウェンも役者ではなかったということか。残念だ。」

 

リュカがローウェンと戦闘したのは、およそ十日前。

生きてたとしても手酷い傷を負っているのであれば、この短期間で戦闘に復帰することは不可能だ。裏社会でその名を轟かすローウェンでさえも、役者不足で脱落したということだろう。

 

「おいイアン、それは甘く見過ぎだぜ?憎い敵だ。俺だって殺れるんなら、俺の手で確実に殺りたかった。だがローウェンは殺れる時にキッチリ殺っとかねえと、簡単に負けるぜ?」

「………いずれにしても、役者として舞台を務めることはないということかな?」

 

ヨーロッパにその名を馳せる猛者を楽しみにしていたのだが。

イアンは期待していた舞台が一幕潰えた可能性に、寂寥感を覚えていた。

 

「んで、ディアボロとドッピオはどこやったんだ?」

 

オリバーがイアンに、ずっと疑問に感じていたことを伝えた。

 

「彼らは今現在、煉獄にいるよ。」

 

生まれるのは強者のみ。弱者はすべからく、強者の材料となりて煉獄の狭間に消える。

強者が這い上がる煉獄で、これまででも最悪の個体が生まれようとしていた。

 

◼️◼️◼️

 

赤茶けた大地、乾いた風、血と臓物の匂いが染み付いた世界。

地面から湧き出る人影を眺めながら、現状の把握に努める。

 

「………フン。」

 

彼は赤黒く変色した空を見上げて、美麗な眉を歪めて鼻を鳴らした。

目の端、空の彼方では巨大な執刀医が薄気味悪く笑っている。不細工な世界だ。

 

自分がどうしてここにいるのかは、うっすらと予想している。欲に眩んだどこかのマヌケが、きっとおかしなことをしでかしたのだろう。

血煙を上げる砂塵、呪われた紛い物の命、祝福された真っ当な生命とは違う不正規な裏街道で、彼らはこの世に再び生を受ける。

 

「一体何を目的に………?」

 

自分が何者なのかは、どんな影響を及ぼす存在なのかは、理解している。

恐らくは身の丈に合わぬ欲望に精神を焦がした愚者が、彼をここに喚び出したのだろう。

そうでなければ、常人は彼を喚び戻そうなどと狂ったことは考えない。

 

「どうでもいいことか。」

 

時間軸は、現在だけが存在するわけではない。

現在、過去、未来のその全てを支配して、初めて時間軸の、否、世界の支配者であると言えるだろう。

 

天国の裏側には、別の天国が存在する。

オーバーヘブンの裏側には、アナザーヘブンが存在する。

 

彼はイアン・ベルモットの最後の札。肉の芽より帰り出でし最強の悪鬼。

それに加えていつものイアン・ベルモットの直感、ディアボロとヴィネガー・ドッピオを彼の素材に使えば、彼はさらなる高みに登るのではなかろうか?より劇的な展開が望めるのではなかろうか?

 

具材はディアボロとヴィネガー・ドッピオの素、肉の芽、複数人の生贄、隠し味にパープル・ヘイズ・ウィルスを少々。何が出来るか狂人の直感任せの、クレイジークッキング。

クレイジー・パーガトリィ、イアン・ベルモットの妄想は、手術室で現実のものとなる。

 

「ボスッッッ!!!こっちは任せてくださいッッッ!!!」

「クソッッッ、ドッピオ、そっちは任せたッッッ!!!」

 

二人の人間が、鉄錆のように赤茶けた大地を犬のように元気に駆けずり回っている。

彼らをどこかで見た覚えがあっただろうか?まあどうでもいいことだと、彼は自身を納得させた。

 

「目的は一つ。」

 

大切なことは、たった一つだけ。それさえ叶うのならば、あとは些末事。

それが叶うのであれば、この凶劇を演じようとする愚者に付き合っても構わない。

彼はうっすらと笑い、人間の愚かさに感謝した。

 

もしももう一度帰れるのなら、時が戻るのならば、彼はひたすら再戦を望む。

敗北し、砂を噛み、世界の王となるはずであった彼を蹴落とした憎き一族への再戦の機会を。

奴ら一族の血によってのみ、苦痛の表情でのみ、苦悶の感情でのみ、彼の敗北の痛みは禊がれる。

 

勝者とは、最後に生きていた者である。

ゆえに彼は、本来絶対的に敗者であったはず。しかし彼は、なんの手違いなのか勝者に返り咲く機会を与えてもらった。

ここで勝利さえすれば、最後に生きているのは奴らではなく彼になる。勝敗がひっくり返る。

 

愚かさに感謝を、狂気に賞賛を、奇跡に滂沱を、愛を以って現世に帰還しよう。

私を生き返らせてくれるあなたに捧げる供物は、花束ではなく首塚。

無骨な私をどうか許してください。私の誠意は力でしか示せないのだから。

 

感情が爆発し、生と死の狭間の世界で彼は狂気と狂喜の雄叫びを上げた。

 

「ジョースタァァァァァーーーーーーーッッッ!!」

 

彼の叫びとともに世界は灰色一色に染まる。

強者のみが這い上がれる煉獄で、時間が止まった。

 

◼️◼️◼️

 

全くもって、思考回路が理解出来ない。

 

「はい、わかりました。ええ、ええ、なるほど。」

 

サーレーは、車の中で携帯電話の通話を終えた。通話先はグイード・ミスタ。

横では相棒のマリオ・ズッケェロが運転をしている。

 

パッショーネ主導でイアン・ベルモットの国際指名手配をかけたところ、パッショーネ情報部に山ほど目撃情報が入ってきた。

なんのために隠蔽工作特化のスタンド使いを保有しているのか?あれだけの犯罪を主導した首謀者は、隠れる気が全くないらしい。

これほど不気味で思考が読めない敵がいるとは、とても信じられない。自分たちが追われていることを理解していないはずはないのだが?

 

『しかもご丁寧に、人気のない国境ときたもんだ。場所を選べれば火器を使用し放題だし、いざとなったら金を積んで軍事兵器の動員も視野に入れている。とは言えもみ消すのにはアホみたいに金がかかるし、事後承諾の使用許可ですら出すのに時間がかかる。お前らが成果を上げてくれるのが一番手っ取り早い。』

 

パッショーネの暗殺計画は、ミスタ率いる陽動部隊が正面戦闘を仕掛け、マリオ・ズッケェロを擁する暗殺チームが別働隊として奇襲、暗殺を完遂させる。それが大雑把な枠組みで、細部はミスタとサーレーがそれぞれ現地で臨機応変に指示を出す。

詳細な作戦計画書は、詳細な情報が入手できて初めて立案できる。敵の詳細な情報が入手できていない現在、雑な作戦で臨機応変に動くのがベストであるとミスタは判断している。

 

手段の一つとして誘導ミサイルを筆頭とした軍事兵器で敵を拠点ごと潰す作戦は安全性は高いが、国内が不穏な空気を抱えている現在、軍事兵器を発動する作戦は相当な無茶をしないと通らない。秘密裏にそれらを使用する場合でも、国内外を問わず最低限の根回しは必要だ。さらに少数という敵勢力の身軽さを考えれば、それらを使用しての殲滅作戦は、作戦立案および作戦遂行に時間がかかるわりに成功率が高いとは言えない。

 

国内情勢が不安定な現在、軍事兵器を使用することを納得させるためには恐ろしく時間と手間がかかってしまうのである。挙げ句に発射先は国内、これはもうほぼ不可能と判断していいだろう。ただしミスタは、敵の攻撃による被害状況次第では、無理をしてでもその行為に及ぶ可能性を視野に入れている。カタルーニャとミラノでの大量虐殺は、ミスタにそれだけの危機感を抱かせていた。

 

「いくらなんでも軍事兵器は無茶では?」

『そんなヌルいこと言ってらんねえんだよ。パッショーネの存亡どころか、最悪の場合はヨーロッパ全体の危機まで俺たちは想定している。いざという時はパッショーネを潰してでも、表社会を守るためにやらねえといけねえ。だからこそお前たちの仕事にかかってるんだ。重責を押し付けていることは重々承知だ。言っただろう?作戦を成功させりゃあ、いくらでも贅沢させてやるって。俺たちはブラックだが、誠意の無い嘘はつかねえ。』

「………。」

 

敵は現状、イタリアを北上してフランスとの国境に向かって移動している。

すでにフランスの裏社会には通達して、連携を打診している。

 

『下手に連携を取りすぎると、万が一作戦が敵に筒抜けた時に戦況が悪くなる。通話はここまでだ。俺たちはフランスと連携して動く。お前らはお前が判断して動け。最優先目標はイアン・ベルモットの暗殺。以上だ。』

 

ミスタの告げた指示。

最優先目標はイアン・ベルモットの暗殺、その意味は作戦に動員される人員の生死よりも暗殺を優先しろということである。

カタルーニャとミラノで大量に死者を出した主原因であるチョコラータ自体は処分したが、チョコラータを裏で操っていたイアン・ベルモットはそれ以上に危険な敵である可能性が高い。

 

そしてミスタは与り知らぬことであるが、ミスタにはイアンがチョコラータを再び蘇らせるのではないかという懸念もある。

実際はサーレーの能力で処分したために、チョコラータが現世に還ってくることはもうないのだが。

 

サーレーは携帯を耳から遠ざけ、携帯に情報部から送付された報告に目を通した。

 

◼️◼️◼️

 

建物が、爆発した。

砂塵が舞い、機器は故障し、警報が鳴り響き、運の悪い人間の肉片が飛び散った。

振動が地面を伝い、建物内はパニックを起こし情報が錯綜していた。仕方がない。

ここは特殊な建物で、ここを襲撃するということは非常に大きな意味があるのだから。

それでも彼らは訓練された人間であり、早期に持ち直して不審者を撃退しようとした。

 

「一体、何が………!!!クソっ!!!撃て、撃てぇぇぇーーーーーッッッ!!!」

「うわあああああああッッッッッッ!!!」

「ボム!ボム!ヘイ、ヤーハー!!!」

 

フランスとイタリアの国境沿い、人気の少ないフランス僻地の広大な敷地に、軍事基地が存在した。

今現在軍事基地は何者かに襲撃を受けており、基地に駐屯する軍人たちは自分たちが居座る場所の意味を理解して死に物狂いで不審者と交戦している。不審者に軍事物資と拠点を奪われてしまえば、フランスに国難が訪れる可能性がある。

 

「強者が残り、弱者は消え去る。さあ君たちも自分の存在意義をかけて、抗うといい。」

「馴れ馴れしく肩を組んでんじゃねーよ!」

 

イアン・ベルモットは両腕でリュカとベロニカと肩を組み、軍事基地の敷地内を堂々と闊歩している。

ベロニカはイアンの腕を振り払い、イアンの背後ではオリバーがイアンの後ろを歩いていた。

 

「次はここを乗っ取るのか?なんのために?」

「大した理由は無い。煉獄が完成するまでどこかで時間を潰す必要があるからね。暇つぶしだよ。」

 

イアンの周囲の空間は赤黒く染まっており、彼の周辺に青白い人魂のような炎が揺らめいている。

今はまだイアンの周囲だけだが、世界全体が赤黒く染まったその時には狂者の煉獄がこの世に顕現する。

世界中が殺し合う狂気の祭典、その開催までの猶予はおよそ四十日。

 

「あ、ああああああああッッッ!!!」

「もっと火力を上げろ。もっと、もっとだ!もっとやる気を出せ!もっと熱くなれよ!」

 

車両に乗って軍事基地に押し入った不審者四名。

イアン・ベルモット、リュカ・マルカ・ウォルコット、ベロニカ・ヨーグマン、オリバー・トレイル。

リュカのケミカル・ボム・マジックが基地を爆破し、ベロニカのリビング・アシッドが基地に配備された人間に集り足下から溶解液でドロドロにした。反撃の銃弾はイアンの周囲に浮かぶ浄化の炎で融かされ、ことごとく蒸発していく。

 

「ベロニカを引き連れて先に行って制圧しておけ。私はちょっとあっちを見てくる。」

「ああ。」

「………クソが。」

 

イアンに従わざるを得ない現状に、ベロニカは舌打ちをした。

リュカがベロニカを引き連れて建物内部に侵入し、イアンは興味本位で敷地内に設置された格納庫へと向かった。

格納庫には、軍用車と戦車が納車されている。

 

クレイジー・パーガトリィ、イアンが格納庫を対象にスタンドを発現すると同時に、格納庫の外に設置されたセキュリティの暗証番号をデタラメに入力した。イアンのスタンドの特性により、たまたま暗証番号が正解してシャッターのセキュリティが解除された。さらに近場に倒れている死体の指を切り落とし、指紋認証を解除する。死体のポケットから落ちた鍵を手に取り、シャッターの施錠を解除してシャッターを上げた。イアンがスタンドを発動すれば、須らく物事はイアンの都合のいいように推移する。

イアンはオリバーを伴って、格納庫のシャッターをくぐって格納庫内部へと侵入した。

 

「うーん、カッコいいなあ。」

 

イアンはキラキラした少年の眼差しで軍用車を見つめ、気分が高揚した。

軍事車両は少年の憧れだ。なんてったって、カッコいい。キャタピラは男のロマンだ。

無限軌道、なんてカッコいい響きだろうか、ステキ。抱いて。

 

「おい、何やってんだよ。そんなモンいつまでも見てねーで、さっさと行くぞ。」

「お前は相変わらず無粋だな。このクサヤ男が!ロマンを理解できないのか?」

「知らねーよ。お前がここに侵入を決定したんだろ。基地の制圧を人任せにして趣味に走らずに、リュカたちの手伝いをしろよ。」

 

オリバーが呆れ果てた表情で、イアンに苦言を呈した。

 

「いや、待て。おい、なんかいるぜ!」

「うーん?」

 

唐突にオリバーが緊張感のある表情をし、相対するイアンは首を傾げた。

格納庫内ではわずかではあるが、何者かが走る音が聞こえた。

 

「敵だッッッ!!!もう少し真面目にやれやッッッ!!!」

 

オリバーがイアンを突き飛ばし、イアンがいた場所を銃弾が通過していく。

格納庫内に、止まぬ銃声と金属音が響き渡った。

 

「スタンドだッッッ!!!」

 

オリバーが叫んだ。

両手に短機関銃を構えたマネキンのような人型が、格納庫内の軍用車の影へと走って隠れた。

イアンはゆっくりと立ち上がった。イアンの周囲には人魂のような青白い炎が浮かび上がり、格納庫内は異界と化す。

壁は赤黒く染まり、不気味な手術台が現れ、周囲に本能が忌避する浄化の炎が飛び交った。

 

「ごくろう、オリバー。君は隠れて見ていたまえ。」

 

格納庫のシャッターが一人でに閉まっていき、煉獄の主人イアン・ベルモットが戦闘態勢へと移行した。

マネキンのようなスタンドは、二丁の短機関銃で車の影から斉射を試みる。イアンの近くに浮遊する炎が周囲を半自動で動き回り、短機関銃の9×19mmパラベラム弾が雨霰のように格納庫を跳躍する。炎は揺らめきながらパラベラム弾に衝突し、浄化の炎により弾丸はことごとく蒸発していく。

イアンは両手を竦ませて、敵をジェスチャーで挑発した。

 

「威勢がいいねぇ。元気がいい子は、嫌いじゃあない。」

「イアン!さっさと仕留めろ!!!」

「おいおい。彼はせっかく必死になって抵抗してるんだから、適度に付き合ってあげないと可哀想だろう?」

 

マネキンは軍用車の影をつたいながら遠巻きに銃弾を乱射し、イアンは浄化の青白い炎とともに敵への距離を詰めていく。

イアンに気をとられたマネキンの足下から唐突に執刀医が現れ、マネキンの左足を掴んだ。執刀医は逆手にメスを持っており、メスを振るってマネキンの右足を付け根の球体関節部分から切り落とした。

 

「足下不注意。ダメダメだな。もう少し頑張りましょう。」

 

片足を失い倒れ込むマネキンの上方から浄化の炎が連なり緩やかな螺旋軌道を描いて落下し、質量を伴って直撃した。

魂を消し飛ばす炎の直撃を喰らい、マネキンは跡形も無く焼滅した。

 

「雑魚だな。全然楽しめなかった。」

「おいおい、基地内部にもまだスタンド使いがいるんじゃねえのか?リュカたちのフォローに行った方がいいんじゃねーか?」

 

オリバーが軍用車の影からヒョッコリ顔を出し、イアンに忠告した。

 

「この程度の敵なら、彼らなら大丈夫。まあ仮にやられたとしても、また生き返らせりゃいいさ。」

「お前の部下はやり甲斐がねーな。もう少しあいつらを労ってやれよ。」

「チョコラータを石で撲殺しようとしたお前がそれを言うのか?」

「あれは仕方ねーよ。あそこで捕まったら全てがおじゃんだろうが。」

 

オリバーが苦情を言い、イアンはそれを聞き流した。

 

◼️◼️◼️

 

名前

ベロニカ・ヨーグマン

スタンド

リビング・アシッド

概要

黒い不気味な形状をしたスタンド。不定形で、上方に付属した口から無数の甲殻類を吐き出す。甲殻類の体液は強酸で出来ており、触れたものをドロドロに溶かす。かつてスイスを本拠にした臓器密売組織のボスであり、イアンやオリバーの上司だった。

 

名前

スタンド

ザ・ワールド・アナザーヘブン

概要

ジョースター一族と因縁のある男、の偽物。

完全にパチモノであり、イアンの想像上の彼である。外見は不思議と、ほんの少しだけ似ている。それだけ。

本物だと思っていたら、性格が崩壊していて多分ビックリします。

 

名前

スタンド

ダンス・イン・ザ・ボックス

概要

マネキンのスタンド。概要は謎である。イアンのクレイジー・パーガトリィが交戦し、焼滅した。



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絶望の回転木馬

赤錆びた世界は無機質な灰色に塗り潰され、時間が停止した世界を唯一色付いた金髪の男が悠々と闊歩していた。

 

【うーん、困ったな。ここまでとは。君は少し能力が強力すぎる。何というか………子供のフットボール大会に間違えて大人のプロが混じってしまったような………アマチュアのチェス大会に世界王者が混じってしまったような………そうだな。レギュレーション違反と言うのが一番近いかもしれない。】

 

空に浮かぶ執刀医は困惑したような、ドン引きしたような微妙な態度を示し、顎に手を添えて首を傾げた。

地に立つ金髪の青年は、何か言いたげに空を見上げた。

 

「強いことに問題があるのか?」

【遊びとは、ルールがあるから楽しいのだよ。君のその能力は遊びの盤面そのものをひっくり返せるような、強力極まりないものだ。私の劇に、デウス・エクス・マキナなど必要無い。ルールを無視してしまえば、遊びは遊びとして成立しなくなる。】

 

金髪の青年の前の地面には、致命傷を受けたディアボロとヴィネガー・ドッピオが血を流して倒れている。

金髪の青年の名はディオ・ブランドー、ではない。ディオ・ブランドーに外見が少し似た誰か。

 

その正体は、肉の芽の塊にイアンの想像上の人格を貼り付けた何か。

イアンの妄想の中のディオ・ブランドー、その男は、イアンの妄想の世界では無敵と見紛うほどの能力を持ち合わせる。

強さはさておいて、能力の強力さは折り紙つきだ。

 

「それでは俺はどうすれば?」

【君は生に執着したから、煉獄で何者にも勝利した。その生への執着の理由………君には何か生きる目標はあるかい?】

 

イアン・ベルモットのスタンド、クレイジー・パーガトリィ。

その能力は、イアン本人が自覚しているよりも遥かに凶悪で融通が利く能力である。

 

ディオ・ブランドーはかつて、緑色の赤ん坊の中で敗北した。

緑色の赤ん坊は、ディオの目的を達せられなかったのである。

強い者が生まれる煉獄のルール上、敗退したディオ・ブランドーが再び生まれることは本来ならば有り得ない。

しかし、現にディオ・ブランドーに似た青年がここにいる。

 

イアン・ベルモットは緑色の赤ん坊の存在を知らない。

知らないがゆえに、当然ディオ・ブランドーがすでに敗退したことも知らない。

知らないがゆえに、煉獄で生まれるのは肉の芽より出でたディオ・ブランドーだと強く思い込む。

なぜならディオ・ブランドーは世界の薄暗い場所で、最も有名な最強なのだから。

 

クレイジー・パーガトリィ、イアンの強力な妄想は、イアンの部屋の中で現実のものとなる。

そしてイアンの部屋(スタンド)は、進化したことによって現実により大きな影響を及ぼすようになっている。

少年(イアン)の自重しない最強幻想と、パープル・ヘイズ・ウィルスの進化スペックが相乗効果を起こして、そこに最強の悪鬼が生誕しようとしている。

 

イアンの無意識下、イアン本人が知らないところで、イアンのスタンドはイアン本人の理解よりもはるかに凶悪で万能である。

イアン・ベルモット自身が、劇におけるデウス・エクス・マキナそのものなのである。

 

ではなぜ、イアン・ベルモット本人がそのことを知らないのか?

それはイアン自身が、自分のスタンドがあまりにも強力過ぎたら遊びがシラケてしまうという理由であえて気付かなかった領域である。

たった独りきり、誰も届かぬ高みに登り詰めたところで、そこには絶望しか待っていない。

 

本来イアンのクレイジー・パーガトリィは、不可能なことはほぼないと言ってもいいほどの性能を誇るのである。

イアンの部屋で、イアンの信じ込む妄想は全て現実に形をなすのだから。

 

だからといって何でもできるから好き放題に行動してしまえば、そこにはイアン自身が最も嫌う退屈が待ち受けている。

たとえ手前勝手なルールであっても、少なくとも本人にとっては遵守する意味がある。

 

ゆえにイアンは、真剣に遊びに取り組み自身のスタンドの正確なスペックには決して気付かない。

 

遊びにはルールがあって、制限を課された不自由なうちで試行錯誤を繰り返すことこそが楽しい。

それは、イアンの何があっても譲れない哲学である。飽くことなく楽しみを追求しているのに、楽しいことを蔑ろにしてしまえばまさしく本末転倒だ。

 

「ジョースター一族に復讐をする。奴らは俺の因縁の相手だ。それが俺の望みだ。」

【そうか。それでは君がまともに戦っていいのはジョースター一族に限定する。煉獄が完成するまで、君はジョースター一族以外の相手を殺害することを禁止する。それが私が定めたルールだ。遵守してくれたまえ。】

 

煉獄の赤い上空に浮かぶ執刀医は満足げに微笑み、頷いた。

ディオ・ブランドーに外見が少しだけ似た、ディオ・ブランドーではない何者か。

彼は煉獄より出でて、劇の配役を演じる時を静かに待っている。

 

◼️◼️◼️

 

「敵は二人だッッッ!!!撃て!!!撃ち殺せッッッ!!!」

「ヤハハハハハハ!!!」

「下品な笑い方、相変わらずテメエは下衆いな。」

「お前も下衆だよ、クソ女。」

 

軍事基地の廊下では、基地に所属する軍人が侵入者を銃撃し、それに相対するのは二人のスタンド使い、リュカ・マルカ・ウォルコットとベロニカ・ヨーグマン。リュカのケミカル・ボム・マジックは短機関銃の銃弾をやすやすと拳で弾き、ベロニカのリビング・アシッドは直撃した銃弾を体内に取り込んで溶かしている。

 

リュカのスタンドが廊下の壁を爆破し、煙が視界を遮る合間にベロニカのスタンドの口腔から無数の甲殻類が這い出てくる。

甲殻類は軍服を着た兵士を襲い集って、人間を次々と溶かしていった。

 

【退がれ。俺たちが戦る。】

 

甲殻類に押されて廊下の奥に退避する兵士たちに、その奥から複数体のマネキンが援護に現れた。

マネキンはことごとく、短機関銃を構えている。

 

「なんだありゃ?いちにーさんしー………五体か。」

「バカが。スタンドに決まっているだろうが。」

「お前はいちいち罵倒しないと喋れないんだな。オツムの弱さが滲み出てるぜ?」

 

リュカが現れたマネキンを指で数え、ベロニカの甲殻類が廊下を埋め尽くしていく。

マネキンは手榴弾を投げて、近場を這い回る甲殻類を吹き飛ばした。

 

【キリがなさそうだ。おい、投げろ。】

 

マネキンは今度はスタン・グレネードを投げて、空中でそれを短機関銃で撃ち抜いた。

閃光が迸り、意表を突かれたリュカとベロニカの視界は白く染まっていく。

 

【坊主頭を狙え!撃ち殺せッッッ!!!】

「やべえッッッ!!!」

 

ベロニカには銃弾が無効であると理解している彼らは、火力をリュカに集中した。

ベロニカがスタンドに隠れて前に出て、リュカは急いで射線から逃れようと退避する。

その時、エンジン音が聞こえてきた。

 

「あははははははは。そら、きちんと避けたまえ。」

「リュカ、ベロニカ、上に避けろッッッ!!!」

「あの狂人が………!!!」

 

イアンがジープ型の軍用オープンカーに乗って軍用基地の廊下を爆走し、オリバーが運転席で声を上げた。

ベロニカは慌てて壁に寄って必死に避けて毒づき、リュカは上へ跳んで躱した。軍用車は勢いよくマネキンを二体踏み潰して前方で停車した。

 

「五体もかわされたか………残念。」

「おい、イアン。五体ってお前、それリュカとベロニカも数に数えてるだろ?」

 

軍用車に乗ったイアンとオリバーが前方、リュカとベロニカが後方、挟む形で間にマネキンが三体。

二体は車に踏み潰されて潰れている。イアンは本当は戦車に乗りたかったのだが、さすがにセキュリティが厳しくそこまで都合のいいことは起こり得なかった。そもそも戦車では、車幅があって軍事基地の廊下を通行できない。ジープでもギリギリで、頻繁に壁にこすっている。

 

「まだこんなとこにいたのか。ちんたらやってると、君たちの存在意義が無くなるのだが?」

 

イアンが右手の人差し指を立てて左右に動かし、それは短気なベロニカの神経を逆撫でした。

 

「ふざけんなッッッ!!!この程度の敵は私一人で十分だ!」

「ならば君に任せるとしようか。それオリバー、先に行くぞ。」

 

イアンを助手席に乗せたジープはリュカとベロニカを置いて廊下を先へ進み、あっけにとられたベロニカは目を点にした。

 

「おい、あいつ本当に先に行ったぞ?普通はこう、もうちょっと手助けとかいらないか聞いたりしないか?」

「………あいつはそういう男だ。むしろなんで、お前があんな男を部下にしていたのか理解に苦しむ。」

「………あんな男だとは思わなかったんだ。」

 

リュカとベロニカはため息をついて、廊下に残った三体のマネキンと向かい合った。

 

「何をやっている、このイワシ男がッッッ!!!」

「いや、普通に考えて車で建物内部を走行しようってのが無茶だろうが。」

「………凄い音がしたな。」

 

呆れたベロニカの視線の先で、軍用車は停止している。

イアンを乗せた軍用車は、廊下の突き当りを曲がりきれずにフロントを大破させた。

 

◼️◼️◼️

 

ジオバンニ・マインロッテ曹長は、フランス裏社会のラ・レヴォリュシオンからフランス陸軍に出向した。

世の中にはスタンド使いという超常の存在がいて、曹長は軍を彼らから守護するために裏社会から密かに送り込まれた人材である。

 

「レイヨン一等兵。射撃の成績、五段階中の五、体力の成績、五段階中の四、格闘術はおいといて………動体視力判断力ともに問題なし。」

 

軍事基地の立ち入り禁止区画では、マインロッテ曹長のスタンド能力により経験と戦闘能力をマネキンにコピーしており、マネキンの残保有数分だけノーリスクで敵を襲撃できる。有能な兵士であるほど、その戦力は高くなる。だが現状それは、時間稼ぎにしかなっていない。

曹長は同時並行でラ・レヴォリュシオンに未確認勢力による軍事基地襲撃を報告していた。

 

「マインロッテ曹長!!!敵はこちらに向かっているという報告が上がっている。君のスタンドとやらは頼りになるのか?」

「………落ち着いてください、中佐。スタンドで敵をどうにか出来ないのなら、私たちにはそもそもどうにも出来ません。」

「ぐうッッッ!!!」

「そもそもスタンドとかいう存在自体がマユツバなのではないか?」

「それならマネキンが勝手に動き出すのを、あなたは一体どう説明しますか?」

 

想定外の敵の急襲であったために、前もって十全の備えなど出来るはずもない。

特に敵がタチが悪いのが、敵方に爆弾を所持していると思しき存在がいるということであった。

 

頻発するリュカ・マルカ・ウォルコットのスタンドによる爆破音は、兵士たちの士気を削ぎ、冷静な判断力を恐怖とイラつきによって低下させる。軍の上層部は混迷し正常な判断を見失い、何が正しい行動なのか決めかねている。下の兵士たちは独自に判断して侵入者と戦闘を繰り広げているものの、結果は芳しくない。

総合して状況は非常に悪いと言って良く、建物を爆弾で攻撃されることで電波障害も起こしている。将官たちは藁にもすがる思いで、この窮地に陣頭指揮をとる外部特別顧問官という怪しげな肩書きを持つマインロッテ曹長を頼りにしていた。

 

「忌憚なき君の意見が聞きたい。我々はどうすべきだ?たとえ我々の生存を度外視してでも、武力の重しである軍事基地が得体の知れない輩に乗っ取られることなどあってはならない。」

 

辺境の基地で階級が一番高い少将が、スタンドを使用するマインロッテ曹長に意見を乞うた。

 

「私にも正確にどうすべきだとは言えません。敵は少数で軍事基地に襲撃をかけるイかれた奴らだ。目的達成のために可能性が最も高いのは、我々がここで我慢を続けて籠城することだと思われます。」

「そうか………。」

 

彼らが居座るのは軍事基地の司令部ともいうべき要所であり、そこの機器を敵に抑えられてしまえば敵に軍事兵器を渡すことになる。

扉は電子制御で施錠され、分厚い鉄板でできたそれはミサイルも弾き外から開けることは不可能だ。普通に考えれば、スタンドであったとしても破壊不可能なはずだ。

 

「やあみんな。おじさんとお掃除の時間だよ。」

「何がッッッ!!!」

 

不可能なはずだった。

施錠されたはずの扉は勝手に開き、扉のすぐ外には両手に軍用散弾銃を構えた黒髪の男が立っていた。

室内の彼らは、一体何が起きたのか理解できない。意味がわからずに呆けていた。当然だ、何が起こったのかわかるはずがない。イアンのスタンド能力の特性により、たまたま扉を施錠している最先端のはずの電子機器が不具合を起こしてしまったのだから。

 

「しつこい汚れに散弾銃。そらそらそら。」

 

イアンは両手で散弾銃を同時に発砲し、その予想外に強力な反動に床に仰向けに転がり頭を打った。

イアンは銃火器は門外漢だ。

 

「いつつつ………。」

「アホ。言わんこっちゃねえ。」

 

あまりにもマヌケな有様に、オリバーは頭に手を置いて天井を見上げた。

しかしイアンの都合を操るスタンドの凶悪さにより、二丁から放たれた散弾はたまたま室内の人間を総ナメにした。

銃弾は肉を巻き込んで飛び散り、司令室は瞬く間に血の海と化す。

 

「マジかよ。やっぱりお前のスタンドは反則だな。」

 

イアンの放った散弾はたまたま人体急所に抉りこむ。

十人以上いたはずの人間はそのほとんどがイアンが両手に持った散弾銃の二撃で即死しており、イアンのスタンドの相変わらずの規格外さにオリバーは呆れた。

 

「お、お前らは一体何なんだ!何を目的にこんなことを………!」

「生き残ったのは二人、か。」

 

司令室内部では自身のスタンドで作成したマネキンを盾にして、マインロッテ曹長と他にもう一人だけが生き残っていた。

イアンにとって価値の無い人間は、イアンのスタンドの特性によりたまたま全滅したはずだ。逆に言えば二人が生き残れたのは、二人がわずかでもイアンを楽しませることが可能な人材であるということ。イアンは舌舐めずりをした。

 

「我々は旅人だよ。未だ見ぬ刺激的な劇を求めて、旅をしているんだ。」

 

イアンが床からゆっくりと立ち上がった。胡散臭い笑みを浮かべて、曹長の頭部に狙いを定めて散弾銃の引き金に指をかけた。

 

「曹長!!!」

「おやまあ。しつこい汚れがもう一匹。オリバー、お前は退がれ。」

 

散弾銃を発砲する直前に横合いから別のスタンド使いが横槍を入れ、何かがぶつかってイアンが手に持つ短機関銃を弾いた。

彼の名はレイヨン・リーズベル一等兵。マインロッテ曹長と同様に、裏社会から軍部に派遣されたスタンド使いである。

イアンは足下を何かが動いた気がして、視線を動かした。

 

「これは………?」

 

いつの間にか履いているスラックスの裾が破れて、右足から血が流れている。

イアンの視界をなにかが動き、反射で顔面を手で守った。

 

「死ねッッッ!!!」

 

マインロッテ曹長とリーズベル一等兵は隙を見て同時に短機関銃を構え、乱射した。

しかし銃弾は吸い込まれるように浄化の炎に喰われて蒸発していく。

 

「上?」

 

イアンの手からは何かに引っ掻かれたような傷が付いており、敵が向かったと思しき上方へ目をやった。

しかし敵は下から襲いかかってきた。イアンの顎が衝撃とともに跳ね上げられ、意識を揺さぶられたイアンはとっさにポケットからメスを取り出して周囲に投げた。

 

「チッ!!!」

 

曹長と一等兵は嫌な軌道を描くメスに反応して手にした武器で振り払い、短機関銃が明後日の方向に乱射され室内を跳弾した。

曹長と一等兵は慌てて部屋の物陰に退避した。

 

【ニャアアアアアア。】

「猫の………鳴き声?」

 

イアンが鳴き声がした方を見ると、そこにはのっぺらぼうの白い猫が存在した。

ノー・フェイス・ライフ、リーズベル一等兵のスタンドである。

 

「無粋、無粋、無粋の極みッッッ!!!スタンド使いならば、火器に頼らずにスタンドで勝負しろッッッ!!!飛び道具禁止だッッッ!!!」

 

伍長と一等兵が机の影からイアンに短機関銃の銃口を向け、イアンの周囲の浄化の炎は周囲を旋回した。

それは二人の短機関銃の銃口に纏わり付き、砲身をドロドロに溶かした。直後に右から白い猫がイアンに飛び付き、イアンは眼球を動かしてギリギリでそれに反応した。しかし反応したはずの猫の爪が、イアンの首筋を薄く切り裂いていく。さらに猫に気をとられたイアンの後面死角から、唯一破損を免れたマネキンが軍用ナイフを持って襲いかかってきた。

 

「なんだ君たちッッッ!!!いいスタンドを持っているじゃあないか!!!武器に頼らずに十分に戦えるではないかッッッ!!!」

 

イアンは目の端で然りげ無く姿を眩ませたマネキンを把握しており、攻撃のタイミングを直感だけで判断してナイフを持つ手を腕で掴んで防御した。イアンは腕を掴んだまま体を回転させ、マネキンを床に叩き落とした。マネキンに追撃しようとするも猫の攻撃を避けて好機を逃してしまう。しかしやはり躱したはずの猫の爪による擦過傷で、イアンの右腕は血を糸引いた。

 

「悪くない。猫の能力がわからないのがイイッッッ!!!避けたはずなのに攻撃を喰らっているッッッ!!!その謎を明かすまで、私は君達との遊びに付き合ってあげようじゃあないかッッッ!!!」

「おいイアン、悪いクセを出さずにさっさと終わらせて欲しいんだが?」

「お前は廊下の隅で縮こまっていろ、クソイワシ男ッッッ!!!」

 

イアンは凶悪な性能を誇る浄化の炎を使用せずに、猫とマネキンとの戦闘に臨んだ。

もともとイアンのクレイジー・パーガトリィは、幸運を味方にしイアンにとって都合のいい展開に持っていく能力を備えている。もしも浄化の炎を使用してしまえば、あらゆるものを浄化するそれは都合主義の能力と相まって適当に投げても敵に当たってしまう。イアンの能力の強力な遠隔攻撃は、非常に性能が高い。

 

「右かと思ったら左、上かと思ったら下。逆の方向を見せているのか?鏡の能力?あるいは幻覚を操る能力か?好奇心が刺激されるッッッ!!!」

 

猫は室内を俊敏に動き回り、イアンの隙を見てマネキンがナイフを構えて襲いくる。

イアンは流血を増やしながら、致命的なマネキンの攻撃を確実に避けるために意識を割いた。しかしそのために、猫の攻撃への対処はどうしても遅れる。ただでさえその能力が判然としない。

 

一方で曹長と一等兵も、イアンの周囲を旋回する青白い浄化の炎をひどく警戒している。

彼らは基本、理屈で物事を考える。短機関銃の銃身に使われるバナジウムの融点は、およそ二千℃。一瞬で銃身を溶かしたことから、青白い炎はそれよりはるかに高温であることが確定的だ。ただでさえ見るだけで印象として死を感じさせる色合いをしており、色の濃淡が揺らめくさまは地獄で苦しむ亡者を連想させる。イアンは飛び道具禁止だと告げたが、殺し合いで敵の一方的な通達を信じるなど当然バカげている。しかし自分から言い出した飛び道具禁止という通達を、無用に刺激して徒らに破らせたくない。そっちの方が曹長たちにとって都合がいいから。

曹長は懐に忍ばせた拳銃を、確実に敵が殺害できる時までとっておくことにしていた。

 

「右から来るから………左ッッッ!!!」

 

白い猫がイアンの右方向から襲い掛かり、これまでの経緯を考慮してイアンは執刀医を操って左のほうへ向かって反撃をした。

しかし。

 

「あぐッッッ!!!」

 

下から白い猫が爪を立て、イアンの顔面の顎の皮が鋭く切り裂かれた。

畳み掛けるようにマネキンがイアンに襲い掛かり、体勢を崩したイアンはうまく反応できない。

 

「クソ!!!運のいいやつだ!!!」

 

クレイジー・パーガトリィ、物事はイアンにとって都合よく推移する。

猫による顎への攻撃で若干脳が揺らされたイアンの足は縺れ、よろけて倒れ込むことでマネキンが逆手で持った致命的なナイフの一撃をたまたまかわすことに成功した。

上へ跳んだ白い猫は室内の机に降り立ち、床に降りて物陰を素早く移動する。イアンは猫の攻撃が致命傷にならないことを理解して、マネキンを確実に片付けることを決心した。

 

「ヤハハハハハハ!!!なんだかよくわからないが、楽しいじゃあないかッッッ!!!今日のディナーは、猫の開きだッッッ!!!」

「狂人が………!!!」

 

手術器具を両手の指に多数挟んだ執刀医が床を這うように滑らかに移動し、マネキンを凶器でバラそうと試みた。

しかしそれは命中せずに、いつの間にか背後から現れたマネキンが太い軍用ナイフを逆にイアンの背中に突き立てた。イアンの白衣が、血で赤く染まった。

 

「ぐうッッッ!!!」

 

イアン・ベルモットは猫の能力を誤解していた。否、敵がイアンが能力を誤解するように誘導し、猫より攻撃力の高いマネキンが確実に攻撃を命中させる隙を狙っていた。猫の能力は、猫の攻撃を誤認させるだけではない。マネキンの攻撃を誤認させ、ここ一番で効果的な札として切ってきたのである。

好機を見たマインロッテ曹長は物陰から出て拳銃を構え、銃口をイアンに向けた。

 

「おいおい、イアン。ふざけんなよ。多少の遊びは認めるが、こんな雑魚どもにいつまで苦戦したフリしてチンタラやってんだ?」

「猫の能力をッッッ………!!!」

遠目(ロング)で見たから俺は猫の能力はもうわかってるぜ。お前は毎回猫の()()()()攻撃に対応していた。恐らくは攻撃を受けるたびに、お前は視界か記憶のどちらかをいじられている。」

「ふざけるなッッッ!!!それは私が解明して楽しもうとッッッ!!!」

「ふざけてるのはお前だ!俺にだって願いがあり、俺はそのためにお前に協力をしている。それを忘れるんじゃねえよ!!!」

 

願いが矛盾した時、願いが叶うのは強い方だけ、それが基本ルール。オリバーもそれを知っている。

イアンの背後に控えていたオリバー・トレイルから重圧が滲み出し、それは曹長と一等兵だけではなくイアン・ベルモットさえも竦ませた。

 

「レイヨン!!!斉射だッッッ!!!ここで銃弾を撃ち尽くして奴らをハチの巣にするッッッ!!!」

 

マインロッテ曹長とレイヨン一等兵は拳銃を構え、引き金に指をかけた。その瞬間、オリバーの小型の回転木馬が室内に顕現する。

突然具現した圧倒的な存在感を放つそれに、二人は呆気に取られた。

 

「イアン、下がって歯を食いしばってろ。俺はお前が俺の願いを叶える条件で、お前に協力してんだぜ?その大前提が無くなれば、一体どうなるかわかってんだろ?」

【アギ、アギ、ギギギイヒヒヒヒヒヒイイィィィィィィィァァァァァォォォォッッッッッッッ!!!!!!】

 

回転木馬が、不気味に鋭く嘶いた。それは魂を揺さぶる不調和(ノイズ)であり、絶望の具現とも言える凶兆。

回転木馬の記憶を奪う能力は二次的なものであり、その能力の本質は感情の奔流。回転木馬の現出に不適切な多幸感に包まれた二人の兵士たちは、次の瞬間この世の地獄を垣間見る。

 

それはオリバー・トレイルというもとは真っ当な男の感情の奔流。イアン・ベルモットという悪鬼に付き合わされることにより、今まで彼は人間のやることとはとても思えない凄惨な拷問現場を見せられ続けてきた。その絶望の感情は伝播し、それが波状となって今二人の兵士たちを襲っている。

 

もしも家族が同じ目に会えば、もしも友人が同じ目に会えば、戦う力を持たない人間が無残に拷問されれば、兵士である彼らは一体どんな精神状態に陥るのか?

 

忘れ得ぬ記憶(ラスト・メモリー)、絶望と共にあるグロテスクな記憶。力を持たない人間が狂人に無惨に拷問されるさまは、真っ当な精神をした人間には忘れようとしても忘れられない。特に兵士は、一般市民を悲劇から救うために戦っているのだから。

 

二人の兵士たちの目から止めどなく涙が溢れ、歯はカチカチと噛み合わず、寒気が止まらずに己の肩を守るように抱いている。

眼球に力が入り充血し、爪が手のひらを破って血を流し、震える手に持つ銃はカランと音を立てて床に転がった。

 

オリバーはイアンを押し退けて室内に入室し、二人の落とした拳銃を拾って銃弾を三発ずつ撃ち込んだ。

ただでさえ真っ赤に染まった司令室に、新たに残酷に赤が飛び散った。

 

「俺の願いはたった一つだけ。入院する俺の息子が一秒でも長生きすることだ。そのためには、お前に死なれたら困るんだよ。」

 

オリバー・トレイルは、イアン・ベルモットの致命的な弱点だ。

傲岸不遜なイアンは、オリバーだけをこの世で唯一恐れている。

イアンの望みを脅かさない範囲であれば、イアンはオリバーの意見を尊重せざるを得ない。どうでもいいことで我を通せば、イアンの望みもオリバーの望みも、その両方が台無しになる。オリバーが全てを捨ててイアンを裏切るのが、イアンにとって最も恐ろしい。

 

イアンはオリバーを可能な限り戦わせないが、それは決してオリバーが戦えないという意味では無い。

死なれたら困るというのは嘘では無いが、作業的に行動するオリバーに任せてしまえばイアンの楽しみは半減するという面もある。

たとえそれがイアンの意向に多少反していようとも、イアンは余程のことでない限りオリバーに強く言うつもりはない。それだけ使えるし、実は強いのである。

 

「………そうか。仕方がない。ならいいさ。」

 

司令室に生きているのは二人きり。彼らは血の海の上で、表情を変えずに会話を交わした。

リュカやベロニカは、正確に把握していない。イアン・ベルモットは真っ当な人間であったはずのオリバー・トレイルを狂気に引きずり込んだことに、わずかながらにも負い目を感じている。

二人の間柄は、微妙な関係で均衡を保っていた。

 

◼️◼️◼️

 

名前

ジオバンニ・マインロッテ

スタンド

ダンス・イン・ザ・ボックス

概要

人間の戦闘力を模倣するマネキンを作成するスタンド使い。基地には計八体のマネキンがいて、車庫に一体、廊下に五体、司令室に二体配置されていた。司令室に配置されたうちの一体は、イアンの散弾によりすでに関節部分を破壊されて動くことが不可能だった。本体の階級は曹長。

 

名前

レイヨン・リーズベル

スタンド

ノー・フェイス・ライフ

概要

白いのっぺらぼうの猫のスタンド。早さに特長があり、攻防力は低い。敵に攻撃をくわえることで、敵の直前の記憶を一つ消し去ることが出来る。例えば猫がイアンの右から攻撃した場合、猫はそのままイアンの左側に通り抜けることになるが、攻撃の事実を消すことで猫はまだ右にいるとイアンに錯覚させることが出来る。その錯覚が、視覚障害を引き起こす。攻防力に劣るために、他のスタンド使いと組んで戦うことが前提。本体の階級は一等兵。

 

名前

オリバー・トレイル

スタンド

ラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンド

概要

もとは幸せの回転木馬だったはずが、狂気の夜を長く共に過ごすうちに能力が変質した。ラスト・メモリーは無差別感情共振波。オリバーは絶望に強い耐性があり、イアンは地味にダメージを受けている。



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狂気の夢

【刺創は背面を通り、肝臓まで到達している。傷跡を消毒、のちに輸血。ここが軍事基地で助かったな。輸血用の血液はたくさんある。臓器を縫合のちに傷跡も縫合。安静が必要な期間は推定で一週間。全くイアン、君には呆れるよ。私には全く理解できない。】

 

赤黒い手術室で、執刀医が手術器具を手にして傷跡を縫合している。

手術台の上にはイアン・ベルモットがうつ伏せになり、マネキンに刺された背中の傷の治療を行っていた。

 

「理解出来ないってどういうことだい?スタンドである君は私なのでは?」

【どうだろうね。私には、君のことがまるで理解出来ない。あえて戦いを長引かせて傷を負うのも意味不明だし、麻酔なしで手術を行うのも理解出来ないよ。君は痛くないのかい?苦しくはないのかい?】

「痛いに決まっているだろう。だが…。」

【だが?】

 

執刀医がイアンの手術を終わらせて、首をひねった。

 

「麻酔は薬物だ。私に麻酔を投与して、スタンドが弱体化したらどうするんだ?」

【弱体化するのかい?】

「君のことだろう。君にはわからないのかい?」

 

イアンは手術台を降りて、白衣に袖を通した。

 

【わからないよ。私は君の影響を色濃く受けている。君がそう信じ込めば私は弱体化するだろうし、君が余計なことを考えなければ特に弱体化することもないんじゃないのか?】

 

執刀医は、イアンのことがイマイチ理解出来ない。彼はイアンを客観的な視点で眺めており、イアンは他者が己の主張を省みる貴重な鏡であることを理解している。理解してなおも、破滅へと突き進む。

薬物を投与してスタンドが弱体化するのは現実的に起こりうることではあるが、それは本来ならばあくまでも中毒症状を起こすほど投与した場合である。少量服用したところで、スタンドが簡単に弱体化することはないはずだ。

 

「私は信じているんだよ。苦しみや痛みが、私を強くする。私が痛みに屈してしまえば、きっと私のスタンドである君は弱くなる。だからどれだけ痛くとも、麻酔を使用するつもりはないよ。」

【言っていることが全く理解出来ないわけではないが………。】

 

それでも普通は、麻酔無しで縫合手術を執り行うのは耐え難い苦痛であるはずなのだ。

執刀医は、イアンにそこまでする理由があるとは思えなかった。

 

「戦いはギリギリであるほどに、最後に何がモノを言うかわからない。せっかく下準備を入念にして一世一代の大舞台を演じるのだから、場をシラケさせる可能性がある要素は極力排除しておくべきだろう?」

【そう言われれば、そうなのかもしれないね。】

「そう遠からず、パッショーネの暗殺チーム、私の運命の敵がここに襲撃してくる。」

 

イアンは手術で凝り固まった体を、捩ってほぐした。

 

【手術したばかりなのだから、あまり体を動かさないでくれ。傷が開いてしまう。】

「その時はまた傷を縫えばいいさ。それはともかく、進化した新しいスタンドに体を慣らしておかないと、すぐにでも運命の夜は訪れる。劇の幕引き、最終章。それは私にどう言った感慨を齎すのか?その時になって、ボスである私が敵である彼らに情けない姿は見せられないだろ?」

【君は普通に生きることは出来なかったのかい?】

「………わからないんだ。わからないよ。オリバーには結婚して子供がいる。妻とは死に別れたそうだが、彼は子供を愛し、以前は仕事を真面目にこなしていた。」

【君のせいで、彼は今は不幸だろうが。】

 

イアンは肩をすくめた。

 

「それも含めて、彼の選択だよ。私は彼に提案し、彼は私に付き従うことに了承した。」

【オリバーは君に子供を人質に取られていると誤解しているだろう?君が手術の際に、なんか仕掛けを施したんじゃあないかって。】

 

執刀医のネジの瞳は、イアンには非難げに見えた。

 

「私は手術の際、彼の息子に何も変なことをしていない。あの男にタダで手術を受けたければ、私の忠実な手駒になれと言っただけだ。彼が私のことを信用せずに裏切れないのは、彼自身の問題だ。」

【君に信頼がないのは、君の日頃の言動によるものだろう。君は彼がそう考えるだろうと、内心ではわかっていて切り出した。少しずるい気もするが、まあいいさ。それで?】

 

執刀医は、ネジの瞳でじっとりとイアン・ベルモットを見つめた。

 

「ずっと理解出来ないんだよ。普通の幸せって何だろう?………我慢してみたこともあったけど、ダメだった。つまらないんだ。常人が停滞を喜ぶその感性が、私には全く理解出来ない。私は昔から人の言う通りに行動して、幸福を感じ取れる瞬間がこれっぽっちもなかった。私の幸福はきっと、誰かの犠牲無しには訪れない。誰かを犠牲にするんだったら、自分の命も何もかもを混沌のテーブルに放り出して本気で楽しむしかないだろう?」

【それは我が儘な子供の理屈だよ。君の精神が未熟なんだ。………君も不幸だな。だが同情はしない。同情するには、君の行為は邪悪すぎた。私が言うのもなんだが、君は地獄に行くことさえも出来ないだろうね。どこにも向かえないし、死んで何も残らない。造物主の真似事なんざ、人間の行いにしては不遜が過ぎている。】

「そんなもの望んでいないさ。生きているうちから死後のことを考えるなんざ、愚かがすぎて笑わせる。生きている間、それが全てだ。私には誰かの同情はいらないし、誰の理解も必要無い。願いが矛盾する時、強者の願いしか叶わない。私は幸運だ。このイカれた私でも、今までずっと我慢してきたことによって幸福になれるチャンスが訪れたのだから。………私は戦って勝利して、私の幸福をつかみ取るよ。」

【………勝利したとしても、君に幸福は訪れないよ。】

「何か言ったかい?」

【………何も言っていないさ。】

 

煉獄は、爆発的な速度で世界を侵食していく。見つめ合うネジの瞳も狂人の瞳も、虚ろに光を宿さない。

決まりきった終幕、イアン・ベルモットは狂人であるが、同時に誰よりも世界を愛している。倒錯した愛情、彼が命懸けで舞台を開催するからには、世界は何物よりも素晴らしいものでなければならない。そこに命をかける価値がなければならないのだ。

 

願いが矛盾した時、叶うのは強いほうである。

しかしそれには、極稀に例外が存在する。その例外とは、願いそのものが破綻している場合の話である。

 

勝者は誰?願いは叶う?終劇に納得できる?

彼は夢を見ている。誰も見ない誰も望まない、彼だけの狂った夢を。

周囲を巻き込みながら、傍迷惑な夢想家の幸せ探しの旅は終わりへと向かっていく。

 

◼️◼️◼️

 

「フランスの軍事基地が乗っ取られただと?」

 

フランスとの国境に程近い田舎町、そこでは強面の軍団が綺麗に整列していた。

そこは異様な雰囲気を醸しており、恐怖によって一般人は近寄れない。

グイード・ミスタは手元に目をやり、上がってきた報告に声を荒げた。

 

「馬鹿な!奴らは一体何を目的にしてやがるッッッ!!!チョコラータの情報によれば、奴らは多くても全員合わせて十人に満たない。そんな寡兵でリスクを犯して軍事基地を乗っ取ったところで、戦争を起こせるわけでもない。籠城して勝てるつもりか?」

 

軍事基地であれば、防衛のために強固な防備が敷かれている。

少人数で軍事基地を乗っ取ったイカレポンチ、籠城したところで寡兵で勝てるわけもなく、専門の知識無しに軍備を動かすことが可能だとも思えない。

 

「アルバロ・モッタを呼べ!!!」

 

パッショーネ情報部所属、暗殺チーム預かりの人員アルバロ・モッタは、今現在グイード・ミスタの配属下に置かれていた。

パッショーネの暗殺チームが行動を起こすと同時に、敵本拠の前面で陽動作戦を起こす。グイード・ミスタはその戦闘部隊の指揮官であり、群体を持つスタンド使いであるアルバロ・モッタは暗殺チームが行動を起こすタイミングを監視している。

 

「どうしました?ミスタ副長?」

「フランスと連携をとる。お前は特使として、向こうに向かえ。」

「連携?」

 

モッタは意味がわからずに、首を傾げた。

 

「奴ら、よりによって軍事施設を乗っ取りやがった。現場はフランスとイタリアの国境沿い。フランスのチームと共同作戦を組む。」

 

作戦の細部は詰めていない。不慮の事態が起こった時、融通が効かないから。

作戦の概要は、暗殺チームがマリオ・ズッケェロの能力で敵地に潜入したら、戦闘部隊が攻撃を仕掛けると言う大雑把なもの。

 

敵にスタンドを探知できるタイプがいるかもしれない。オートで発動するスタンド能力者がいるかもしれない。無差別に能力を発動させるスタンド能力者がいるかもしれない。不慮の事態は、いくらでも起こりうる。

変化する戦況に対応するため、最重要目的であるイアン・ベルモット暗殺の任務を負った暗殺チームを、グイード・ミスタが俯瞰して柔軟にフォローする。

 

数は多ければ多いほうがいい。イタリア、パッショーネの戦闘部隊とフランス、ラ・レヴォリュシオンの戦闘部隊は協力し、パッショーネの暗殺チームが暗対を速やかに排除することを至上目的とする。戦闘部隊は敵地の前で派手に陽動を行い、建物内部の敵頭数を減らし、敵の注意を集める。首魁の討伐が成功した場合は、残党処理にあたる。

 

暗殺に失敗した場合は、誘導ミサイルを撃ち込んで拠点もろとも敵を消し飛ばす。すでにジョルノを筆頭とした幹部連、そして友好国フランスには暗黙の了解が取れている。いざとなったらパッショーネが全て泥をかぶり、危険生物をこの世から吹き飛ばす。敵は死者を蘇らせ、すでに都合一万人超の死者を出し、軍事基地を乗っ取っている。責任の所在などと娑婆いことを言える余裕のある敵ではない。パッショーネ主導で、イタリア保有の誘導ミサイルの使用を強行する。

 

「戦闘部隊一班、二班、三班、準備はいいか?」

「一班、問題ありません。」

「二班、問題ありません。」

「三班、問題ありません。」

 

武装した屈強な兵士たち、その数およそ三十人。少ないようにも思えるかもしれないが、たった十人に当てるには破格の戦力である。

さらに言ってしまえば、敵にまだ大量虐殺のスタンドが存在するという懸念がまだ消せていない。それゆえにこの三十人は、死を許容した死兵である。どう判断しても裏目が存在するがゆえに、戦闘部隊は志願制であり、どれだけ強くとも士気が低い人間は連れていけない。彼らは持たざる者でも受け継いだ者でも無く、奪われた者たちである。ミラノの惨劇で親、兄弟、恋人、友人などを殺されて憤り立ち上がった義勇兵であり、イタリアのために死ねる人材なのである。

 

「一班、作戦行動を復唱しろ。」

「パッショーネ戦闘部隊、我々はフランスとの国境にある軍事基地を襲撃しますッ!行動目的は陽動、パッショーネ暗殺チームのサポートのために、敵の目を引きつけますッ!」

「二班、我々がとるべき行動を復唱しろ。」

「敵性行動をとる人間が現れた場合、それが何者であろうとも我々はその人間を無慈悲に殺害することを目標としますッ!」

「三班、我々の作戦目的を復唱しろ。」

「イタリア、ひいてはヨーロッパに仇為そうとする敵を駆逐しますッ!我々はイタリアの尖兵であり、ミラノの悲劇および友国スペインカタルーニャ州の惨劇の元凶である敵から国家を守護するために行動を起こしますッ!」

「ベネ!!!」

 

ミスタの配下はミスタの問答に滑らかに返答し、ミスタはその答えに満足げに頷いた。

 

◼️◼️◼️

 

「お前はあの男に逆らおうとか思わないのか?」

「ヘイ、クレイジーレディ………一度しか言わない。つまらないことを考えるのはやめておいたほうがいい。」

「なぜだ!あいつの能力だって完璧ではないはずだ!」

 

死体が転がる軍事基地の食堂で、ベロニカはリュカに訴えた。

椅子に腰かけたリュカは煩わしそうな表情をして、手を払ってベロニカを軽くあしらった。

 

「あのオリバーとかいう男も手を組めば、私たちでイアンを黙らせることが出来るんじゃないか!」

「………死人は口をきかない。今ここに俺たちがこうしていることは、お前が考えているよりもはるかに僥倖だ。俺たちはとっくに終わっていて、ここにいる俺たちはあの男の妄想に過ぎない。いつまた消えてもおかしくないんだから、益にならないことを考えるよりも望みがあるならそっちを優先させたほうがいい。」

「ならばあの男に黙って従うのか!」

「ならどうするんだ?あの男のスタンドはお前が考えているよりも、圧倒的にやばいぞ。欲しい人間はいくらでも金を出すスタンド能力だ。あの男の不興を買わないようにコソコソしながら、自分のやりたい事を探す。それが俺たちに許されたベストだ。」

 

ベロニカは、かつて部下だったはずのイアンがスタンド使いとして高みに登ったことが納得しきれない。かつては自分より格下の存在だったはずなのだ。

リュカは無表情でそんなベロニカを諭した。淡白なリュカはイアンに別に恨みや嫉みはなく、自分の目的を達せられるのならばなんでもよかった。

 

「ザッツライト!君はよくわかっているね。」

 

食堂の扉が開き、一人の男が拍手をしながら入室した。

男は茶色いカーディガンを羽織ったカジュアルな服装をしており、黒い髪を後ろに縛っている。若干くたびれた雰囲気をしており、リュカの前の席の椅子を引いてだらしなく腰掛けた。

 

「ヘイ、何だてめえは?」

「俺の名前はバジル・ベルモット。イアンの弟だよ。」

 

バジル・ベルモット。

イアン・ベルモットの弟であり、スイスの電化製品販売店に勤務していた。()()()()()()()()()()()()

その正体は、イアンのスタンドによる原初の狂気の産物。創られていつの間にか社会に受け入れられた誰か。

 

彼は兄のイアンほど行動がぶっ飛んでいるわけではないが、刹那的な享楽主義者の傾向がある。スタンドを使用し、幼い頃からイアンの影響を受けて育った。その結果の享楽主義者と言っていい。建設的に物事を進めても、イアンの機嫌一つでたやすくぶち壊しにされてしまうのである。

兄弟は昔から互いに気が向いた時だけ連絡を取り合っており、今回のイアンの国際指名手配を受けてイアンから連絡をもらったバジルは逃げ出してイアンと合流した。

 

「イアンに何か言っても無駄だよ。本当に大切なことはどうせ聞きゃあしない。そんな無意味なことに時間を割くよりも、自分が楽しい事をした方がまだ建設的だろ?」

「てめえは何のためにここに来た!」

 

リュカが突然現れた男を睨みつけた。

 

「やめてくれ。俺も困ってるんだよ。普通に暮らしてたらイアンからいきなり国際指名手配の報告を受けて、これはマズイことになるって慌てて逃げてきたんだ。」

 

イアンの両親はイアンの不興を買って、すでに失踪している。

弟のバジルは、イアンの不興を買うことは危険だという事を理解して、今までは適度な距離間で付き合ってきた。

 

それがイアンがこんな事件を起こし、弟のバジルにも捜査の手が及ぶ可能性は極めて高い。監視生活などまっぴらごめんだし、生活に制限がかかるのも勘弁願いたい。重大犯罪者の血縁であるなど、社会の中のヒエラルキーを考えれば絶望的だ。それならばいっそのこと手を組んで楽しんでしまった方がいい。

だがそれは、あくまでもバジルの建前だ。

 

彼の心の中は、彼しか知らない。

 

「もうほんっとーに災難だよ。職場にはいられないし、女には逃げられるし。いつかこうなるだろうってわかってたけど、どうにもならない。イアンに関わってしまったのが不幸だとしか言いようがない。」

 

リュカとベロニカは何とも言えないような目付きでバジルと名乗るくたびれた男に目をやった。

 

「というわけで美しいレディ、この不幸な俺のためにお付き合いをしていただけませんか?」

「死ね、ゴミが!」

「これは手厳しい。」

 

ベロニカに罵られたバジルはたいして興味もなさそうな表情で、手を上げて降参のポーズをとった。

 

「………ここはじきに戦場になる。お前は戦えるのか?」

「ガチガチの肉弾戦はムリ。サポートくらいなら。」

 

バジルが人差し指を立てると、指先から蝶が空中へと現れた。

黒いカラスアゲハの鱗粉が空間に薄く糸を引き、無風の室内をふらりふらりと揺らめき踊った。

 

「ヴォイド・バタフライ。これが俺のスタンドだ。」

「能力を教えろ。戦力になるのならそれを考慮して戦術を組む。」

 

リュカのその言葉にバジルは笑い、摩天の蝶の鱗粉が勢いよく宙を舞った。

 

「これはッッッ!!!」

「まあこれは能力の具体例の一つかな。」

 

気がつくとリュカの眼前には二人のイアン・ベルモットがいた。

片方は笑い、片方は臨戦態勢を取って構えている。蝶が宙に溶けて消えると同時に、二人のイアンはバジル・ベルモットとベロニカ・ヨーグマンに戻った。

 

「俺のスタンドはイアンの真逆のようなものだよ。イアンが自分にとって都合のいいことが起こるのに対し、俺のスタンドは相手に少しだけ都合の悪いことを引き起こす。」

「少しだけ?俺は絶望を感じたが?」

 

イアンが二人もいるなど、夢にも考えたくない。ベロニカも息が上がり、顔が青くなっていた。

リュカはバジルのスタンドを、幻覚能力だろうかと推察した。

 

「スタンド自体に戦闘力はないし、俺は一人で戦えるタイプではない。よろしく頼むよ。」

「どこに行ったかと思えば、バジル!ここにいたのか!」

「本物が来ちまったか………。」

 

イアンが勢いよく食堂の扉を開き、リュカが来てしまったことにため息をついた。

用が特にない時まで、イアンの顔は見たくない。

 

「イアン、お前のせいで、俺は散々だぜ。女にゃあ逃げられるし、真っ当に生きられなくなるしでよぉ。責任取れよ。」

「はっはっは。嘘をつくな。お前は祭りを楽しみにしてきたんだろうが!相変わらず人に責任をなすり付ける悪癖は治っていない。」

「おいおい、お前に罪をなすりつけられるのは、お前の血縁であることの唯一の利点だろうが。それがなくなってしまえばお前の兄弟に何一ついいことはなくなるぞ?」

 

イアンはバジルの肩を抱いて、朗らかに笑った。

リュカはイアンとバジルのその会話を横で聞いて、イアンが二人に増えたように錯覚して頭痛がした。

 

「こいつも来たのか………。」

「おお、オリバー。久しぶりだな。元気そうで何よりだ。」

「触んな!」

 

イアンの後ろをついてオリバーが食堂に入室し、馴れ馴れしいバジルにオリバーは嫌な顔をした。

バジルは両手を上げて抱きつく仕草をし、オリバーはそれを振り払った。

 

「なんだ、連れないじゃないか。」

「………お前のことは大嫌いだ。」

 

もともとオリバーがイアンの仲間にいるのも、イアンとの渡りをバジルがつけたからである。

スイスの失踪事件を追う警官であったオリバーの弱みに付け込んだのが、イアンの弟バジル・ベルモットだった。オリバーにとってバジルは、恩人でありながらも不幸を招く黒い蝶だった。

 

人間関係を少し整理しよう。

イアンとバジルは兄弟。仲は傍目で見る限り良好。オリバーはイアンの手下で、イアンはオリバーに対して負い目を感じている。オリバーはバジルを嫌っており、バジルはオリバーに興味が薄く特に思うところはない。リュカとベロニカは力関係をイアンを頂点にバジル、オリバーの順番だと考えている。しかし実際は、人間関係はそう単純ではない。

 

それも全ては、もともとイアンにとって使い捨ての部下だったはずのオリバー・トレイルという人材が、予想を遥かに上回って使える手駒だったことに端を欲する。オリバーがイアンの予想よりもずっと有能で長い付き合いになってしまったため、イアンにオリバーに対する信用が築かれてしまったのである。ベロニカの部下であった時分からイアンはオリバーに助けられ続け、苦境にあって命を共にして逃げてきた。オリバーは有能で、こと逃走に関しては超一流のスタンド使いだった。

 

ゆえに普段は決して口にしないが、イアンの中でオリバーの評価は恐ろしく高い。その分、付き合いの短い他の人間はオリバーの真価を正確に把握していないために普段の言動からその評価が低くなる。リュカとベロニカは実際に、オリバーのことをただの雑用係だと考えている。

それが彼らの人間関係の妙であった。

 

イアンとリュカは自身の楽しみを目的とし、ベロニカは目的を決めかねている。バジルの目的は不明。オリバーは我が子の幸福を望んでおり、最後に未だ煉獄で眠る一人はジョースター一族への逆襲を心待ちにしている。

 

イアンの狂者の煉獄は10m×10m、一万分の一㎢の手術室を基本とし、一日ごとに倍々にその面積を広げていく。

一万分の一㎢を倍々にし続け、それが地球の平面積であるおよそ五億㎢を超えた時に、世界の檻であるイアンの狂者の煉獄が完成する。

 

その数字が一万分の一に二の四十二乗〜四十三乗を掛けた数字であり、ゆえに煉獄の完成はイアンの能力が発動してから四十日を少し超えた日付ということになる。イアンの能力が発動してすでにおよそ一週間、残り猶予は三十五日程度。サーレーもミスタも知らないことであるが、残り猶予期間を過ぎてしまえば、そこにはイアンの妄想した絶望の世界が待ち構えている。

 

そしてイアンの能力の詳細を知らないパッショーネよりも、精神的に追い詰められているのはむしろオリバーのはずである。

オリバーは自身の子が、イアンに手術された際になんらかの小細工をされたと考えている。その仕掛けはリュカやベロニカのようにイアンに創造されたものであると考えており、イアンが死ねば我が子も死ぬ可能性が高いとそう判断している。なぜならそうでなければ、イアンはオリバーを抑止する手札を持たないから。オリバーの息子は、オリバーをイアンの元に留め続ける楔である必要があるはずなのだ。

その一方で煉獄が完成してしまえば、イアンを除いて生き残るのは一人。

 

結果としてオリバーは、煉獄が完成した場合は自身が勝利して息子に最後の一人の権利を譲り、煉獄が失敗した場合は少しでも我が子が長生きできるようイアンの命を守る、それが目標となる。どの道を選んでも荊まみれの地獄の道行きであり、成就する確率は恐ろしく低い。

それでも愛は金で買えない。病床のオリバーの息子は彼にとって全てであり、成否の如何を問わずに、オリバーは死に物狂いでただひたすら前に進む事を決めたのである。

 

しかし実際はイアンはオリバーの息子に何も仕掛けを施してはおらず、イアンとオリバーの間のそこになぜ齟齬が生まれたかといえば単純にイアンの普段の邪悪な行いのせいである。信用がゼロなのだ。

 

だが実際は、イアンは契約を守る。

 

例えばディアボロとの契約は三つ、そのうちの一つであるローウェン暗殺を完遂させられなかったためにディアボロは自由を獲得できなかった。そのあとディアボロは煉獄で敗退し復活に失敗した。そこまで責任は持てない。義理はない。

 

例えばチョコラータとの契約、チョコラータがイアンの指示を聞く限り、イアンはチョコラータを庇護する。しかしそれはあくまでもイアンとの間の契約であり、その契約とオリバーは無関係である。オリバーはイアンにとってただの手下ではなく代えの効かない有能な配下であり、オリバーの意見はイアンにとって尊重されるべきものである。チョコラータはそこを見誤った。

 

詭弁のようでもあるが、それはイアンの遊びの際のルールであり、遊びはルールを守るから楽しいのである。それがイアンの美学だ。

 

イアンはオリバーに手下になれば、息子の手術を無料で請け負うと契約したのである。それが契約のルールの全てであり、イアンは他のことはしていない。しかしオリバーは、イアンが契約に盛り込まなかったところで何か仕込んでいるとそう考えている。イアンはあえて黙して語らないことで、オリバーの疑念をうまく利用している。それはイアンの弱みであり、負い目であり、オリバーに逃げられるか裏切られるかすれば致命的であるというイアンの決定的な弱点だった。

 

そして最後に、イアンの能力である狂者の煉獄。

この能力はイアンの意思を組んで物事を動かし、それらの要素が絡まって物事は推移していく。

 

「お前をイアンに紹介したのは誰だったかな?お前は俺に借りがあると思ったのだが?」

「………借りがあっても嫌いなもんは嫌いだ。」

「イアンにも同じことが言えるかい?」

 

いやらしく笑うバジルを無視して、オリバーは食堂の厨房に入った。

 

「おいおい、まさかお前が料理するのか?死体が転がるここで?」

「バジル、そう思うのならお前が死体を片付けろ。」

「イアン………?」

 

バジルはイアンの声の微妙なトーンに疑問を感じたが、口を閉ざした。

イアンの声のトーンが変わるのは危険な兆候だ。バジルはそれを長い付き合いで知っている。沈黙が吉である。

 

「バジルが片付けをしないなら、リュカとベロニカで片付けをしろ。」

「あ?ふざけんな!なぜ私が………。」

 

途端にイアンの表情は不機嫌になり、さすがのベロニカも空気を察して押し黙った。

 

「………ベロニカ、片付けるぞ。」

 

リュカは黙って室内に横たわる死体を担いで、基地の備品である台車に乗せていく。

ベロニカも不満げな表情をしてそれに倣った。

 

「ふざけんな。なぜ私が………。」

「ぐちぐち言うな。諦めるところは諦めないと、また物言わぬ肉塊に逆戻りだ。むしろこの程度の雑用で済んだこと喜んだほうがいい。」

 

彼らはヨーロッパの裏社会で鳴らした猛者であるが、死人となった今ではその威光は通用しない。

リュカはそれをよく理解していた。

 

ベロニカは理解していない。だからリュカは彼女が嫌いなのだ。つまらない手間を惜しんで命を落としては、悔やんでも悔やみきれない。ただでさえ現在の自分の足場は不安定極まりなく、イアンの機嫌一つでたやすく崩壊する。命に掛かる税金だと思えば、この程度の雑用くらいなら安いものだ。(リュカは生きているうちに税金を払った覚えが無いが。)ベロニカがイアンの不興を買えば、リュカにそのとばっちりがこないとも限らない。

裏にその名を轟かしたリュカ・マルカ・ウォルコットであってさえも、命は惜しいのである。

 

イアンはリュカやベロニカには大して感傷を抱いていない。チョコラータやディアボロにもなんの価値も見出していなかった。ただ駒として使えるから使っていただけだ。バジルのことも実は比較的どうでもいいと考えている。

 

リュカはそのことをよく理解しており、ベロニカは理解していなかった。

ただリュカにさえ理解の範疇外だったのは、実はオリバーがイアンにとって稀有な例外であるということだけであった。

 

◼️◼️◼️

 

名前

バジル・ベルモット

スタンド

ヴォイド・バタフライ

概要

イアンの弟。宙を舞う、不幸を呼ぶカラスアゲハのスタンド使い。その鱗粉を吸い込んだ敵は、例えば誰かを見間違えたり、例えば距離感を見誤ったり、例えば禁断症状や中毒症状を引き起こしたり、何かと都合の悪い事態を引き起こす。スタンドの直接戦闘能力は皆無に等しい。



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心の地図

『いいか、イアン。人生には、哲学が必要だ。何のために生を授かったのか、人間には心に地図、生きる上での指針が必要だ。いったい何のために生きているのか?何を目的としているのか?豊かな人生を送るためには、日々を漫然と過ごすような生き方をしてはならない。地図が無くては、人生において道を見失ってしまう。明確な目標を持ってそれに邁進し努力することこそが、生を充実したものにするのだ。』

 

イアン・ベルモットが五歳の頃、彼の父親であり厳格な銀行員であったフランク・ベルモットは幼いイアン少年にそう教えを授けた。

きっとそれがイアンの根源(ルーツ)だったのだろう。この頃のベルモット家は、まだ平和だったと言える。

 

『言っていることがよくわからないよ、父さん。目的?地図?』

『権力に腐敗は付き物だ。平穏を手に入れた者はすぐに目的を見失い、堕落する。社会が豊かになれば、そこに住む人間の向上心は失われるだろう。必死に努力をしなくとも豊かな生活を享受できるのであれば、努力することの意義が薄れてしまう。だからこそ意識を高く持ち、己を律せねばならない。豊かな社会をより先の子々孫々まで受け継がせるために。イアン、それを忘れてはならない。』

 

幼いイアン少年に、フランクはそう教えを授けた。

彼は決して間違っていない。しかし、何がどうなってイアンはああいった人間になってしまったのか?それはきっと、正しく物事を進めても必ず正解にたどり着くわけではないという当たり前な出来事の、顕著な一例だったということだろう。世界は不確定要素に満ちあふれ、だからこそ素晴らしくもある。

イアン少年にとっても父親のフランクにとっても最もイレギュラーだったのは、ベルモット夫妻の息子であるイアンは生まれつきのスタンド使いであるということだった。

 

『父さん、僕のそばに白い人がいるのがわからないの?』

『またいつもの空想か。………イアン、変なことを考える暇があったら、勉強して立派な人間になることを目指しなさい。』

 

イアンはずっと不思議だった。

 

【イアン。君には力がある。誰も持たない君だけのオリジナルの力が。】

 

なぜ父さんにはこの人が見えないんだろう。生まれた時からずっとそばにいる。

白い服を着た(白衣である。少年イアンは当時その名称を知らなかった。)、機械仕掛けの不思議な人間。弟以外誰にもその人が見えない。その人がいるところでは、いつもイアンが思い描いていた空想が現実のものとなる。

 

『イアン、心の地図を忘れるな。』

 

五歳のイアン少年にとっての心の地図は、彼の両親が彼の誕生日に買い与えた冒険記であった。

それは15〜16世紀に実在した有名な船乗りの冒険記であり、散々な苦難を乗り越えて、天動説が主流であった当時に未知の大陸を求めて命がけで世界を広げた偉人の冒険記だ。イアン少年は、子供向けに書かれた児童書を宝物にした。

 

彼は一度の命懸けの航海で、当時の常識の何もかもを覆した。しかし彼は新大陸を発見した素晴らしい功績を持つ英雄ではあるが、同時に先住民の大虐殺と略奪を部下に許した史上稀に見る略奪者でもある。そういう時代だったということだろう。

 

『すごいなあ。』

 

少年は冒険記に幼いながらも感銘と憧憬を抱き、人生をかけて何かを切り拓くことを素晴らしいことだと考えるようになる。

彼の人生に最も影響を与えたのがその一冊だったのは、今になって鑑みれば誰しもにとって不幸だったと言えるだろう。

 

『誰も見ない、誰も知らない僕だけの何かを成し遂げたい。』

【ああ。君のことを応援するよ。】

 

誰も知らない何か。決定的な変革。

それは成熟された社会において残されているのは学問の分野くらいであり、成長したイアンにとって無聊を慰めるものとはなり得なかった。残された未知の領域である宇宙を開拓するのには数字に起こすのすら馬鹿げた金額がかかり、少なくともイアンが生きているうちに実現することはないだろう。そもそも、社会のコンプライアンスが高く保たれ、無人探査機が星間を駆ける時代である。急激な変革とは常に痛みと血を伴い、今の時代にそんなものを誰も望んではいない。

 

『イアン、何をやっているんだ!!!』

『ん?だって中身がどうなっているのか気になるから。大人の人だってこうやって分解してるでしょ?』

『イアン、あなたはこれをどうやってやったの!!!』

『いつも僕のそばにいる、白い人がやってくれたんだよ。綺麗でしょう。』

『イアン、あなたはこういうことをしてはいけないの!!!警察に行きましょう!人間でないのなら、器物損壊罪で済む!まだやり直せるわ!!!』

『バジル!なぜイアンのことを黙っていたんだ!!!』

『オヤジ、イアンは手遅れだよ。それよりも俺が被害に巻き込まれないようにしないと………。』

 

それがイアン・ベルモットが六歳、バジル・ベルモットが四歳の時の話。

 

『退屈だ。私の人生の地図に、何かを書き加える余地がなかなか見つからない。倫理を逸脱した行為は、禁忌として社会に許容されない。君は何かアイデアはあるかい?』

【私の存在は人類にとって未知の領域だよ。君が何かを開拓できるのであれば、それはきっと私の存在と密接に関係することだろうね。】

 

スタンドの中には、稀に自我を持ち本体と会話することが可能な存在もいる。

人はそれを時に無意識の自我の発露と判断し、時に精神分裂と判断する。イアンの場合は、周囲は後者であると見なしている。

しかし、真相は闇の中。イアンのスタンドは部屋自体であり、それに付属した執刀医が何なのかは実は謎である。

 

イアンが人生の目的で可能なものを手当たり次第探し、執刀医がそれを倫理に照らし合わせて提言する。しかし力関係で言えばそれは決して公平(フェア)ではない。当然イアンの意見が優先され、執刀医の提言はあくまでも忠告の域を出ない。せめて本体とスタンドの人格が逆であったのなら、イアンがここまで拗れることもなかった。

 

そしてそれは二人の人間の会話ではなく、その本質はあくまでもイアン一人で完結した会話であり、自身と会話を続けたイアンの価値観は孤独に寄せられていく。クレイジー・プレー・ルーム、見えない、誰も知らないところで狂気は肥大した。それがイアンのスタンドの特性だった。

 

『社会が退屈ならば、私が彼らに刺激を与える存在となればいいんじゃないか?私が敵となることで私は自分の欲求を満たすことが出来るし、彼らも私を打倒するという人生の目的、心の地図を見つけることができる。一石二鳥の素晴らしい考えだ!』

【イアン………君は本当にそれでいいのかい?そちらは血塗られた道行だ。その道へ一度踏み出してしまえば、もう後戻りは出来ないよ?】

『何を言ってるんだ?こんなに素晴らしいアイデアの、どこに否定の余地がある?』

 

誰も知らないところで孤独に肥大化した狂気は、誰にも止めることができない。

人生を費やして探す心の地図。それがイアン・ベルモットという男の、狂気の源泉だった。

 

◼️◼️◼️

 

「本日ヒトフタマルマルより作戦を開始する。各自配置につけ!」

 

乾いて冷たい空気、陽は頂点に登り、緑が灰色になって燻るある冬の日の朝。

グイード・ミスタは、彼の前に整然と並んだ屈強な男たちに指示を出した。

 

「アルバロ・モッタ。報告を上げろ。」

「はい。パッショーネとフランス、ラ・レヴォリュシオンの戦闘部隊との間で情報の共有が完了しました。敵に生物兵器系統のスタンドが存在する可能性を考慮し、拠点は依然フランスとイタリアで分けたままで別々に行動します。敵の反応を伺いつつ敵を休ませないように波状で交互に攻撃を加え、その必要が認められた場合は、その都度俺が渡りをつけてフランスとの交渉を行います。本作戦の本命は暗殺チームによる首謀者暗殺であるため、我々は敵殲滅よりも敵を疲労させることと陽動に主眼を置き、状況の変化に応じて適宜柔軟に対処を行います。」

「了解。」

 

軍用ヘリ二機、軍用車十両、重火器多数。ミスタの後ろにはそれらが壮観に並べられている。

それは基地襲撃のためにパッショーネが集めた武装だ。

男たちは重火器を手に持って武装し、覚悟をした真剣な表情をしている。

 

「さて、戦争だ。戦え。お前たちの大事なものを無慈悲に奪った悪辣な敵が、図々しくも軍事基地を乗っ取ってのうのうと人生を謳歌してやがる。奪われたのは親兄弟、恋人、お前のすぐ隣にいる大切な友人。そいつらはつい先日まで、お前と共に時間を過ごし、お前の隣で笑い合っていた奴らだ。………お前ら、赦せるのか?海のように、聖人のように広い心を持って?そんなものはクソ以下だッッッ!!!………許せるわけがないよなぁ?もう戦うしか無いよなぁ?殺しあうしか無いよなぁ?………だが無策で突っ込んだところで、俺たちに勝ち筋は無い。敵は一万人を超える民衆を虐殺し、戦力が充実しているはずの軍事基地を乗っ取るようなイかれた奴らだ。お前たちは命懸けで、暗殺チームのために血路を拓け。俺が骨は拾ってやる。作戦開始ッッッ!!!」

「「「「「「「「おおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッッッッッ!!!」」」」」」」」

 

冷たい空気に彼らの怒気が伝播し、周囲の寒さにも関わらずアルバロ・モッタは自分が冷や汗をかいていることに気が付いた。

 

◼️◼️◼️

 

イアンの狂者の煉獄が発動して今日で八日目。

その間煉獄は勢力を拡大させ続け、最初の面積の二の七乗倍の広さに広がっていた。それは十m×十mの手術室の百二十八倍の広さであり、すでに軍事基地の建造物を全域覆うほどの巨大さとなっていた。

 

「動いたぜ。」

 

マリオ・ズッケェロが、建物の外から聞こえてきた微かな炸裂音に対し言葉を発した。

それはグイード・ミスタ率いる戦闘部隊、彼らが基地を襲撃し、リュカ・マルカ・ウォルコットが軍事基地の敷地内に仕掛けた対人地雷を踏んでしまった音だった。

 

「それにしてもヤベエな。」

「ああ。」

「勘弁してくれよ。ったく。」

 

軍事基地の建物内部は全域が赤黒く染まっており、まるで毒を持つ危険生物のように一目見ただけでそれが危険色であると判別できる。

サーレーとマリオ・ズッケェロとホル・ホースは基地の廊下を慎重に歩いており、彼らの眼前には道案内をするように不気味に青白い浄化の炎が空間を揺らめき動いている。

 

「どうなってるんだこれは?」

 

サーレーは、目の前を揺らめく浄化の炎へと手を伸ばした。それは揺らめき、サーレーから逃げるように先へ進んで行く。

彼らは当初はマリオ・ズッケェロの厚みをなくす能力で奇襲する予定だったのだが、内装があまりに不気味に変異していたために予定を変更し、奇襲は不可能だが予想外の敵襲に速やかに対処できるように通常の状態へと戻って内部の探索を行っていた。

 

「奴らは俺っちのことを見てんのかねぇ。」

「まあまず間違いないだろう。」

 

ホル・ホースは廊下に据え付けられた監視カメラへと視線を向けて、手を振った。

 

「この赤黒い場所は、奴らのスタンドの一部だと考えたほうがいい。いつ危険が襲ってくるかわからない。」

 

サーレーは不気味な色をした壁に手をついた。壁は奥に進むほどに黒さを増していく。

狂った手術室に呪いと血が濃く染み付き、サーレーは壁が脈動したと錯覚した。

 

「大物気取りかよ。我を倒したくばここまで来ると良い、みたいな?」

「そのつもりなんじゃあねーか?」

 

ホル・ホースは口でタバコを動かし、ズッケェロは慎重に傍の扉を開いた。

ここには誰もいない。閑散とした個室、壁が赤黒い以外には、特筆することは無い。

 

「外が心配だな。」

「相棒よぉ、わかるけども。」

「ああ、わかっている。俺たちは俺たちの仕事をする。俺たちが本命で、たとえ外が全滅したとしても俺たちが目的さえ達成すれば作戦は成功だ。」

 

敵の奇襲を警戒しながら、彼らは建物の奥へと進んでいく。

 

「おい、これ!」

「マジかよ………。」

「クソどもが!」

 

マリオ・ズッケェロが開けた扉の一つは、赤黒い部屋の中央に無数の焼死体が積み重ねてあった。

炭素が燃える悪臭がし、彼らの今際の際の無念の表情がひどく彼らの気持ちを沈ませた。

 

「奴らどこまでゲスな真似をすりゃあ気がすむんだ!クソッッッ!!!」

 

そこはリュカが手抜きをして基地内の死体を押し込んだ部屋である。

死体は腐敗臭と病疫対策に雑に燃やしてあり、それはベロニカの酸で以ってしてもあまりに大量であったために溶かす時間がなかったのである。

 

「胸糞悪りぃ奴らだ。ここも違う。」

 

ズッケェロが別の扉を開き、中に誰もいないことを確認した。ロッカールームだ。特に言うこともない。

扉に背を向けて閉めようとした時、部屋の中から機械仕掛けの腕が伸びてサーレーを強引に部屋の中へと連れ込んだ。

 

「なんだとッッッ!!!サーレーッッッ!!!」

 

開かない。

ズッケェロが慌てて閉じた扉のノブに手をかけて揺さぶるが、開かない。

 

「おい、そんなはずはねぇだろう!?」

 

ホル・ホースも扉に引っ付いてノブを引っ張ったが、開かない。

 

「クソッッッ!やられた!サーレー、サーレーッッッ!!!」

 

部屋の中は異界と化し、マリオ・ズッケェロのソフト・マシーンの能力でも入室を拒まれる。

開かない扉を前にズッケェロは慌てふためいて、ホル・ホースは拳銃で扉をガンガン叩いた。

 

◼️◼️◼️

 

誰もいないはずの部屋の隅、ロッカーが一人でにキイィと音を立てて開き、中から現れた男がサーレーへとにこやかに笑いかけた。

 

「やあ、マイフレンド。待っていたよ。運命は君を選んだ。感慨深いね。」

「消えろ。クソったれヤローが。」

「別に私のことを嫌っても構わないが、せめて君の名前くらい教えてくれないかい?」

「サーレーだッッッ!!!」

 

サーレーは初っ端から全開で部屋の対角上にいるイアンへと駆けた。

イアンはスタンドを発動し、殺風景なロッカールームがグニャリと歪んで手術室へと変容する。

 

「重量が乗っているね。まともに喰らえば吹っ飛ばされそうだ。まともに喰らえばね。」

 

床から執刀医の腕が現れ、クラフト・ワークの足をつかんだ。

サーレーがつかまれて立往生している一瞬に、部屋を浮遊する浄化の炎が変則軌道を描いてサーレーへと襲いかかった。

 

「………この時をずっと待っていた。」

 

青白く死を連想させる浄化の炎にサーレーは本能で危険を感じ取り、床から伸びる腕を力任せに叩き折ってその場を飛び退いた。

炎はサーレーにしつこく纏わり付き、サーレーは炎の動きをコマ送りにして見極めて反射で変則的な動きに対抗してかわしていく。

 

「さて、君はいつまでかわせるかな?それには手動追尾機能がついてるよ?」

 

部屋内の無数の浄化の炎、それは奇奇怪怪に中空を彷徨い、不規則にサーレーを襲撃を続ける。

壁を右腕を支点に固定し、腕の力と脚力でサーレーは体を捻り回転し、乱舞する浄化の炎を鮮やかにかわしていく。

イアンは白衣のポケットからメスを複数取り出し、炎をかわし続けるサーレーへと投げ付けた。

 

「今ならオマケもついてくる。何というお得感。私からのプレゼント、フォーマイフレンド。」

 

浄化の炎を避け続けるサーレーに向けてメスが投げ付けられ、それはイアンのスタンドの特性によりかわせない攻撃となってサーレーに殺到した。クラフト・ワークは壁に固定させている方の腕の固定を解除し、クラフト・ワークの両手でメスを宙に固定した。立て続けにサーレーに浄化の炎が襲いかかる。

 

「おおう、そんなこともできるのか。君は面白いね、インスタ映えしそうだ。」

 

サーレーは壁を蹴って上方へ跳んだ。そのまま壁を登って天井に足をつけて固定し、天井を走ってイアンへと向かって行く。

しかし前方から浄化の炎がサーレーへと向かい来て、サーレーは天井に重力の自然な方向とは逆向きにしゃがみこんだ。

 

「うおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」

 

クラフト・ワークが、強く緑色に染まり行く。

手術室の鋼鉄の天井を超強力な振動で分解し、分子を固定して再構成、即席で剣状に作り直した。

執行人の斬首剣、縦に長く刀身が厚く、先が潰してある首刈りの剣がクラフト・ワークの右腕に握られた。

 

「おあああああああッッッ!!!」

 

クラフト・ワークは天井に逆さ吊り状態で剣を振り回し、遅れて風を切る音が室内に太く響いた。

浄化の炎はことごとく斬り落とされて消滅していく。イアンは顔を顰めた。

 

「貴様の首を落とす。」

 

振動する剣は、滑らかに人間の首を落とす。

サーレーは標的を見据えて、音もなく天井から降りてきた。

 

◼️◼️◼️

 

「イアンの能力ってスゲえなあ。こんなやっても、全然当たらねえ。」

 

軍事基地の屋上で、バジルは嫌な笑みを浮かべながら呟いた。

軍用ヘリの機銃掃射に向けて両手を掲げて、全身を晒している。当たらない、当たらない、当たらない。

 

「撃てッッッ!!!撃てーーーーッッッ!!!」

「なぜだ!!!なぜ当たらないッッッ!!!」

 

クレイジー・パーガトリィの特性、イアンの煉獄の中で、起こりうる事態はイアンにとって最も都合よく推移する。

パラパラと風を切る音がし、タタタタと何かを打ち出す音がする。屋上の人影目掛けて軍用ヘリが機銃掃射をしているのだが、銃弾がなぜか当たらない。偶然当たらない。たまたま当たらない。運悪く当たらない。

イアンの能力の効果範囲は、すでに最初の頃の百二十八倍の広さになっている。建物を出て少し行ったところまでそれの効果範囲内だ。

 

「全然当たらねえぞ?どんだけの確率だ?」

 

バジルのカラスアゲハは屋上を飛び立ち、眼下に向って不幸の鱗粉を撒き続けている。

狂気と狂気のコラボレーション、場はイアンたちにとって奇跡的に都合よく、ミスタたちにとっては最悪に推移していく。

バジルは掃射を行う軍用ヘリを無視して、下の戦いを眺めた。

 

「頑張れ、頑張れー!!!」

「お前ももう少し必死感を出せッッッ!!!」

 

バジルは屋上にて無責任に高みの見物、眼下で戦うリュカとベロニカを応援し、リュカはバジルのその態度に不満を募らせた。

その時、屋上に着陸しようとした軍用ヘリがイアンの煉獄の端に触れてしまい、たまたま運悪く機械は動作不良を起こす。ヘリはバランスを失い、墜落して炎上した。

 

「あーあ、もったいねえなぁ。最新鋭の軍用ヘリ、あれ一機で五千万ユーロくらいすんのに。何人分の生涯賃金だっつー話だよ。」

 

すぐ近くで燃え上がるヘリを眺めながら、バジルは炎で暖をとった。

 

「うーん、あれ結構使えるじゃねえか。」

 

一方で地上、ミスタ率いる戦闘部隊と、リュカ、ベロニカ、二体のマネキンの戦い。

マネキンはオリバーに銃撃されたマインロッテ曹長のスタンドであり、助命された曹長はイアンに薬漬けにされて廃人となっていた。本体が廃人になればスタンドは弱体化するが、イアンとバジルのバックアップを受けたここでは数合わせでも十分に戦力を見込める。マネキンには元警官で銃器の扱いに理解があるオリバーの戦闘力を模倣してあり、自分たちに都合よく物事が運ぶイアンのスタンド能力圏内を離れないように彼らは戦闘を繰り広げていた。

ダメージを無視して動けるマネキンがバジルの予想よりもいい動きをしていて、バジルはマネキンを称賛した。

 

一方地上のミスタの見解としては、敵はわかりやすく言ってこの上なく厄介なスタンド使いが手を組んでいると言えた。

まずはイアン・ベルモットの煉獄、イアンにとって起こりうる最上の出来事が起こるスタンド。これにより、遠距離からの射撃はまず敵に当たらない。

次にバジル・ベルモットの不幸のカラスアゲハ、鱗粉を浴びた者が不幸を招き寄せるスタンド。これにより、近距離の乱戦は味方を間違えたり距離感を図り違えたりして同士討ちを誘発し、散々な結果を招く。

マインロッテ曹長から奪った二体のマネキン、マネキンが技能を模倣するスタンド。これにより、銃火器で武装した死を恐れない二体の兵士が敵方に出来上がる。

リュカ・マルカ・ウォルコットの爆弾魔、近接戦闘に強く爆弾を作成するスタンド。これにより、基地の敷地内にはリュカの仕掛けた地雷がたくさん仕込まれており、軍用車の四両はすでに大破、二両が小破している。対人地雷を踏んで死亡した兵士も存在する。

ベロニカ・ヨーグマンの不定形生物、近寄れば集り、強酸でドロドロに溶かすスタンド。銃弾を撃ち込んでもダメージにならずに鉛も容易く溶かし、ミスタの部下もすでに幾人か溶かされている。

 

すでに配下の三十名のうち七名が死亡しており、四名が戦闘続行不可能として後方に送られている。

軍用ヘリは二機のうちの一機が墜落し、軍用車両は十両あるうちの四両が走行不可能となっている。

 

遠距離攻撃は意味を為さず、近接戦闘は絶望的。

結果として付かず離れずの中距離から消極的な敵の牽制に腐心している。力押しで勝てるのならそれがベストだったが、化けの皮を剥いで出てきた敵は殺害を主目的とした凶悪なスタンド戦闘集団。作戦の本命が暗殺チームによる暗殺であることを考慮しても、時間稼ぎの選択が最も有意であるとの判断である。

 

死兵は死に意味があると信じられるから、自分たちから死地へと向かっていける。ゆえに自己満足による無意味な玉砕は良しとしない。

最も勝算の高い戦術にこそ、かけがえのない命をかける価値があるのだ。

 

「とにかく撃てッッッ!!!撃ちまくれッッッ!!!残弾数は考えるなッッッ!!!」

 

リュカやベロニカにとっても、煉獄やバジルの能力の有効範囲から離れてしまえばあっという間に優位の戦闘が覆される。

彼らの優位は、場を有利に推移させる二つのスタンドの強力なバックアップあってこそなのである。

結果として、どちらにとっても付かず離れずの距離の時間稼ぎは落とし所であった。

 

「アイツはヤベェなぁ。」

 

リュカのスタンドの左腕は弾け、ダラダラと血を流している。

煉獄とカラスアゲハの二重苦であるはずにも関わらず、銃弾を命中させてきた男がいたのだ。

イアンの煉獄は、銃弾の外れる可能性が存在するから銃弾は外れる。銃弾が外れる可能性が存在しなければ、当然銃弾は命中する。

 

命中させてきた敵はグイード・ミスタ、拳銃のスタンド使いにしてスペシャリスト。

ミスタのセックス・ピストルズは、歪められた道筋を丁寧になぞってリュカに銃弾を命中させた。銃弾はそれを容易く弾くはずのリュカのスタンドを以ってして、弾いたはずの腕に絡み付いて筋繊維をズタズタに引き裂いた。リュカもベロニカも、グイード・ミスタだけはひどく警戒している。しかしミスタは指揮官であり、リュカにとって都合の良いことに前にはあまり出てこない。

 

砂地を爆炎とともに砂塵が舞い、銃弾が飛び交い不気味な甲殻類が地を這いずり回る。黒蝶の鱗粉が爆風に乗って空気中を動き回り、死を恐れぬマネキンが機関銃を携えて戦場を駆け回る。リュカとベロニカはマネキンを背後からバックアップしながら物陰をつたって敷地内を煉獄からはみ出ないように戦闘を繰り広げる。

 

「隊列を崩すなッッッ!!!銃弾を撃ち尽くしたやつは、一旦下がって補給しろッッッ!!!」

 

想定よりも練磨された戦闘を行うリュカとベロニカに、ミスタは渋い思いをしていた。

 

◼️◼️◼️

 

「おい、俺たちはどーすんだよ。サーレーは捕まって、部屋は開かない。」

 

軍事基地の廊下の扉の前で、ホル・ホースがマリオ・ズッケェロに問いかけた。

ズッケェロはしばし思案したのちに、ゆっくりと言葉を返した。

 

「………俺たちの仕事は首謀者の暗殺だ。だが………。」

 

ズッケェロは開かない扉の前で腕を組んで、目を細めた。

暗殺チームに対する敵の対応から鑑みるに、敵のスタンドは基地内部の彼らの動きは手に取るように把握している可能性が高い。

 

「………遊んでいるわけにもいかない。かといって首謀者が中にいる可能性が高いここを離れるという決断を下すのも難しい。悩みどころだ。」

「………リーダーが負けるんなら、俺たちがここにいても役に立てねえんじゃねえか?」

 

ホル・ホースのその言葉に、ズッケェロはさらに苦渋の思考を続けた。

やがて何かを諦めるような表情をして、返答した。

 

「………オッケー。ここはサーレーに任せるか。俺たちは外に向かって、ミスタ副長が戦っている相手を内部から挟み撃ちにする。」

「りょかい。」

 

苦渋の選択だった。

暗殺チームの至上目的はイアンの暗殺であり、そのためにはイアンが部屋の中にいるここを離れるべきではない。

しかし、ホル・ホースの言葉も一理ある。サーレーが敗北するようなら、二人が敵に勝利する見込みは恐ろしく低い。それならせめて、外で戦うグイード・ミスタのサポートでもすれば、戦いにおける何らかの役には立てる。意識の外から攻撃するソフト・マシーンと拳銃使いのホル・ホースは、非常に奇襲に適している。

判断し選択することは裏目や苦痛を伴い、しかしそれでも待ちぼうけの現状を打破するために彼らは行動を起こすことを決意した。

 

「よし、入り口に向かうぞ。」

「それはいただけねえなぁ。」

「誰だッッッ!!!」

 

廊下を歩く二人に、廊下の曲がり角の先から男の声が聞こえてきた。

ズッケェロとホル・ホースは、警戒しつつも走って廊下の角の先を確認した。

 

「これはッッッ!!!」

 

曲がり角の先に、なぜか脈絡無く小型の回転木馬が現れた。

 

廊下を先に進めば、そこにノスタルジー。

料理、洗濯、掃除、捕虜の世話。煉獄最強の女子力を持つ、イワシの香り系新感覚アイドル。

 

そしてイアン・ベルモットの最高の懐刀。

感情の波動を操る愛と狂気のスタンド使い。

ここは煉獄の遊園地。回転木馬は、楽しい楽しいアトラクション。

 

「悪いがお前たちはそこから先に進ませないよ。ここで俺と隠れんぼをしようか?」

 

回転木馬に気をとられた二人に、唐突に背後から声がかけられた。



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ラスト・メモリー

「ここは………?」

 

白い天井を見上げて、清潔な布団に寝かされて、赤毛の青年は目を覚ました。

右側に目をやると、窓の外に木が生えている。ふかふかのベッドに横たわり、彼は何故自分がここにいるのかを思い出そうとした。

 

「やあ、おはよう。ずいぶん寝ていたようだね。」

「あなたは………?」

 

彼はしばらく自分がどうしてここにいるのか思案したが、その理由が思い浮かばない。

というよりも、頭が痛い。今日は何月何日?俺は何をしていた?思い出せない。

どうにも、記憶に抜けがある。

 

「君は一週間ほど寝ていたよ。ここはル・アーブルの病院だ。君は大怪我をして、セーヌ川をたゆたっていたんだよ。」

 

突然かけられた白衣を着た白髪の壮年の男性の言葉に、彼は引っ掛かりを覚えた。

 

「………待て。一週間………セーヌ川?怪我………?」

「先生、目を覚ましたんですか?」

 

怪我という言葉に胸の痛みを感じて、彼は病院着の緩い部分から自分の胸部へと目をやった。

彼の胸には包帯が巻かれており、その下には広範囲にケロイド状の火傷跡が残っていた。

 

「待ってください。彼はまだ病み上がりです。」

「あんたたちは………?」

 

彼のベッドのそばに中年の男が二人、寄ってきた。

彼の言葉に男は懐に手を入れて、手帳を取り出した。

 

「やあ。君は一週間ほどここに寝ていたんだ。私はル・アーブルの刑事だ。」

「刑事?」

「ああ。君が川で発見された前日、セーヌ川に架かるノルマンディー橋が爆破される事件が起きた。」

「ノルマンディー橋………。」

 

ノルマンディー橋………。

彼はその言葉に、自分の記憶がゆっくりと戻ってくるのを感じた。

 

「ああ。君が川で怪我をしていたことと何か関係あるんじゃあないかって思ってね。私たちはノルマンディー橋を爆破した犯人を探している。」

 

記憶が蘇ってきた。

ノルマンディー橋で二人の敵と邂逅し、スタンドの奥義を使用して戦闘。二人の敵は葬るも、第三の敵が現れて橋ごと爆破されて大怪我を負った。敵はディアボロ、ヴィネガー・ドッピオ、リュカ・マルカ・ウォルコット。そして彼らの裏にいる巨悪。

 

「………すまない。大切な用事を思い出した。行かないといけない。」

「待ちなさい!君はまだ怪我をしている!」

 

ベッドから起き上がった彼に、医師は大慌てした。

 

「逃げるつもりか?君は事件の重要参考人だ。爆破の犯人と関連性があるんじゃないのか?」

「俺の名前は、フランシス・ローウェン。ノルマンディー橋爆破の犯人ではない。ラ・レヴォリュシオンという組織に問い合わせれば、事件の詳細と俺の身元の照会ができるはずだ。」

 

逃げられることを警戒して抑えにかかった二人の刑事は、赤毛の男の筋肉質な体にたやすく跳ね除けられた。

 

「ラ・レヴォリュシオン!!!待てッッッ!!!お前は裏社会の関係者かッッッ!!!お前がノルマンディー橋を爆破したんじゃないのかッッッ!!!」

「………俺たちの組織は、フランスという国家に対して忠誠心を抱いている。天地神明に誓って俺は潔白だ。先生、入院費用はこちらまで請求してください。」

 

ローウェンは紙にラ・レヴォリュシオンの経理部の連絡先を書いて、白髪の医師へと手渡した。

 

「あ、ああ。」

「済まない。俺は急いでいる。後日出頭するし、どうか治療の礼も後回しで許してほしい。」

 

刑事たちはまるで車を抑えているかのように感じた。細身のローウェンの、どこにそんな力があるのか信じられない。

ローウェンの瞳の漆黒の殺意を目にした彼らに、ローウェンの歩みを止めることなど出来なかった。

 

◼️◼️◼️

 

起こりうる事態であれば、全てがイアンの都合通りに台本が進むイアンのスタンド能力クレイジー・パーガトリィ。

御都合主義の権化のような能力であるが、イアンにとって真に幸運であったのは、イアンのスタンドの能力自体とは全く別のところにあった。

 

「お前たちはその先には進めないよ。おめでたいやつらだ。」

 

イアンにとって最も幸福だったのは、たまたま人員不足を解消した際にイアンの下についたのが、オリバー・トレイルという男だったこと。感情の波を操る回転木馬、他人の脳の海馬と前頭葉を思うままに揺さぶる怪物。警官という職についていたために、己の仕事に非常に勤勉で忠実で、その能力は有能極まりない。スタンドの戦闘力は低く正面戦闘ではマリオ・ズッケェロにさえ勝ち目が無いが、それはあくまでも真正面からの殴り合いに限定した話。目的達成能力に関しては極めて高い。

 

危機管理能力が低く、スタンドのスペック自体は高くても能力がピーキーなイアン・ベルモット。

たまたま拾ったオリバーは、イアンの弱点を補うのに最適な人材だった。彼がいなければ、イアンはとっくにどこかでのたれ死んでいた可能性が高い。

 

「誰だッッッ!!!」

「勢い勇んで先へ進んではみたものの、帰り道が存在せずに元いた場所に帰れない。人生とは、その全てが現実(リアル)だ。人間は生まれ落ちてから不可逆に、常に死に向かって歩み続ける。お前たちはこれまでの人生で、そんなことがなかったのか?」

 

男の声が曲がってきた角の元いた方角からする。ズッケェロの左後方だ。マリオ・ズッケェロは困惑した。

眼前の回転木馬は強烈な存在感を放ち、なかなか目を離せない。目を離したすきにスタンド攻撃をされるという懸念もあった。

しかし本体は背後の角の先、スタンド自体は目の前。どうするかわずかに悩んだ隙に、回転木馬は消滅していく。

 

「おい、俺たちはなんでここの角を曲がったんだ?入り口はこっちじゃないはずだろう?」

 

ホル・ホースのその言葉に、ズッケェロも疑念を感じた。

 

「なんで俺はここの角を曲がったんだ?」

「おい、俺たちは外の戦いの援護に向かうために………。」

 

疑念を感じつつも二人が元の道に戻ると、建物の奥へと向かう方に輝く小型の回転木馬が鎮座していた。

その前には茶色い髪の軽薄そうな男が寄りかかり、マリオ・ズッケェロに向かって空虚な微笑みを浮かべた。

 

「お前たちはここで、なんの役にも立てずに時間を浪費することになる。イアンの指示(オーダー)は戦場の露払いだ。良かったな、相手が俺で。他の奴らだったら喜び勇んでお前たちを殺しにかかっているところだ。」

「お前は何者だッッッ!!!」

 

ズッケェロが冷汗をかきながら男を指差すも、男の背後の回転木馬が気になって仕方ない。

回転木馬は見るとなぜか幸福な気持ちになり、場違いなその感情にズッケェロもホル・ホースも自分に対して困惑の感情を感じている。

 

「死人の名前なぞどうだっていいだろう?名無しに生きて、名無しに死ぬ。俺は生きた屍、永遠に消えない罪を背負って煉獄を彷徨う亡霊のような存在だ。たった一つの目的のために、俺はここにいる。」

 

男はゆるゆると手を振ると、近くの扉に手をかけて部屋の中へと侵入していく。

扉が閉まると同時に、男を追いかけてズッケェロとホル・ホースは部屋に向かった。

 

「おい、なんで俺たちはここの部屋に入ろうとしてるんだ?」

 

いつの間にか廊下に設置してあったはずの回転木馬は消滅し、ズッケェロとホル・ホースの記憶が消滅する。

自分の記憶と行動に齟齬を感じ、二人は自分たちが何を目的に行動していたのか混乱して互いの確認をとった。

 

「俺たちは外の援護に………。」

「おい、ならばなんで俺たちはこの扉にッッッ!!!」

 

記憶に抜けがあり、なぜ目前の扉を開こうとしていたか思い出せない。

不可思議な多幸感だけがあり、罠、高確率で敵スタンドの攻撃を受けている。そう理解したズッケェロは、扉を開けることをしばしためらった。

 

「おい、どうすんだよぉー、戻って戦うのか?………この扉を開けるのか?これ、絶対おかしいぜ?」

 

ズッケェロは黙って思案する。

この扉を無視して外の援護に向かうか、敵の攻撃を受けていると判断して虎穴に入るか。

この先は十中八九、罠だ。誘われている。しかし不安要素を残しておきたくない。不安要素があるなら、それがいつズッケェロたちに不利に働くかわからないのだ。この中に敵がいるのなら、またいつどこで横槍を入れられるかわからない。それが今より致命的な状況下でないとは、断言できない。

 

「………この先へ進む。」

 

ホル・ホースの言葉にズッケェロは唾を飲み込み、覚悟を決めて扉を開けた。

扉はゆっくりと開かれて、部屋の中の様子が明らかになっていく。

 

「恥ずかしいことに、イアンの言葉に共感しちまったんだ。人生は苦難そのものであるって、な。それ以来、可愛いだけが取り柄だったはずの俺の回転木馬ちゃんは、こんなにも凶悪になっちまったよ。」

 

扉を開けた部屋の中には強烈な存在感を放つ回転木馬が鎮座し、茶髪の男が手をかけて軽薄な笑みを浮かべている。

木馬は歪んだ表情とともに、不気味に笑った。

 

【アア、アア、アレアレアエエエエエエエエエエエエッッッッッッッッッッ!!!!!!】

 

回転木馬は気持ち悪い悲鳴をあげて、その悲鳴を聞いた瞬間酷い虚無感と悲しみがマリオ・ズッケェロとホル・ホースを襲った。

 

忘れ得ぬ記憶(ラスト・メモリー)、虚無の記憶。人生って、悲しいよなぁ、苦しいよなぁ。ああ、共感はいらない。お前らはそこで永遠に俯いているといい。」

 

精神に多大な衝撃を受けた二人を尻目に、オリバーは脇をすり抜けて悠々と部屋から退室をしていく。

 

悲しみの記憶。

オリバーの息子の先天性の内臓疾患が発覚したその日、オリバーの妻は病院の帰り道に茫然自失とともに車に轢かれて呆気なく亡くなった。その日感じた空虚な気持ちを、オリバーはきっと永遠に忘れられない。まるで悪い夢のようであり、しかし人生に戻り道はない。絶望と虚無と悲しみに明け暮れたその日、オリバーはこの世が終わったかと錯覚した。

回転木馬はその時の感情を、二人に伝播させる。

 

「こんなにも虚しいのに、俺たちが必死になって戦う意味ってあんのか?」

 

ホル・ホースが部屋の中で、ポツリとつぶやいた。

空虚の回転木馬とともに部屋に二人がとり残される。彼らはオリバーがあの日感じた空虚さに抗えない。

オリバーの回転木馬に抗えるのは、例えば生存本能を脅かされたり、例えば明確な目標がある場合であったり、そういった回転木馬の与える感情を上回る何かが必要となる。今ここにいるのはズッケェロとホル・ホースと回転木馬、標的はいない。

 

オリバーは間違えても苦しくとも傷だらけでも、それでも這ってでも人生を先へと進み続けてきた。オリバーは苦しみも絶望も喜びも悲しみも、その全てを味わい乗り越えてきたのである。というよりも、無常に流れ行く時間に引きずられて人生に翻弄されながらもそれでも今、かろうじて両足で立つことができていると言ったほうがいいのかもしれない。

 

人はそこに希望があるから、先へ進める。

彼は傷だらけの心を奮い立たせて、かろうじて最後の希望のために前に進んでいる。

しかし………道の先には袋小路が目に見えていて、それはもう近い。

 

オリバーが有能なのは当たり前だ。

彼は戻り道の無い人生を、傷だらけになりながらたった一つの希望のために死にもの狂いで進んできた。その全てが現実であり、苦難を超えた果てに鯉は龍と成って天へと至る。弱者だったオリバーはまさしく、苦難の末に龍に成り上がったのである。

彼は忍耐強く、目的のためなら全てを捨て去る覚悟を持ち合わせ、人生の苦しみに窒息しそうになりながらもそれでも前を向いて軽薄に笑う。

 

「………人生に戻り道があるって思える奴らが、羨ましいよ。」

 

回転木馬が寂しげに、嘶いた。

 

◼️◼️◼️

 

「千日手、これは予定調和ではあるが、半分近くあっと言う間にやられるとは。クソッッッ!ふざけやがって。」

 

軍事基地の屋上から眼下を睥睨する不遜な黒髪の男、ミスタはその男に目をやって、不快な表情をした。

パッショーネ戦闘部隊、彼らは軍用車に乗って突撃をし、その多くがリュカの地雷とイアンの煉獄の相乗効果により不幸にも同時に対戦車地雷を踏んで大破した。車両をたまたま同時に爆破されて混乱している隙に敵襲を受け、その半数が瞬く間に死亡もしくは脱落、その後軍用車や建物を陰にして中距離の銃撃に終始し、今に至る。

 

情報はフランスの戦闘部隊と共有を行い、戦力の保持に主眼を置いた持久戦、その目的はパッショーネ暗殺チームという別働隊を本命に据えた作戦。それでも暗殺チームが確実ではない上に、手を抜きすぎれば敵に狙いを看破される恐れもある。作戦に融通を効かせるために攻撃を試みるも、敵は死という概念がそもそもないマネキン二体と百戦錬磨のスタンド使い二人。そして屋上から高みの見物を決め込む不愉快な一人。

 

「今日の運勢占いは確認したかい?今日のあなたは天中殺。やる事なす事全てが上手くいかず、自暴自棄のまま儚くなるでしょう。」

 

屋上にいる黒髪の男、不快だがミスタのセックス・ピストルズの射程外だ。

建物から出て周囲を覆う赤黒い空間、それが何らかのスタンド能力であることは明白で、遠距離からの銃撃が敵に一切当たらない。屋上めがけて機銃掃射する戦闘ヘリの機関銃も当たらない。能力の詳細は不明だが、とにかく偏に状況がよろしくない。現状を鑑みれば、敵スタンドの能力がよほど優秀なのだと断言できる。

 

イアンのクレイジー・パーガトリィ、その恐ろしい能力、起こりうる事態であれば、物事はイアンにとって都合よく推移する。

例えば攻撃が当たらないことに何らかの明確な理由があれば、その要因を排除すれば攻撃が効果を発揮するようになる。銃が悪くて攻撃が当たらないなら銃を直せばいいし、目が悪くて攻撃が当たらないなら視力を矯正すればいい。

 

しかし偶然、たまたまという要素はどうやっても排除しきれない。隕石が空からたまたま降ってきてしまえば、人に為すすべはないのと同様だ。スタンド能力の元凶であるイアン・ベルモットを倒す他に手段が無く、元凶を倒すことはそもそもの作戦の最上目的である。イアンの能力、狂者の煉獄は、天の差配すらも支配する。

 

どんな射撃の名手であったとしても、試射や練習も含めて一発も銃弾を外さないなんてあり得ない。

例えば地軸、湿度、風、空気中の微細な埃や生物、そういった確定させ辛い数多の要素を考慮すれば、たとえ射撃の名手ジョンガリ・Aだったとしてもいつかは射撃を外す。

 

「クソッッッ!!!」

 

ここまでの攻撃での戦果は、たまたま上手く一度だけスキンヘッドの男をセックス・ピストルズの射程内に誘導してミスタが一発だけ当てた銃弾だけであり、その他の銃撃は全て攻撃を意に介さないマネキンにしか当たっていない。今も屋上の男に向けてミスタは銃撃を続けているが、銃弾は虚しく屋上の壁を叩いているだけだ。クソみたいな戦果であり、このままではここまで必死に戦った意味が水泡と帰してしまう。

それでも現状維持がベストだ。

 

「ついてないねぇ。今日はもう帰って、家でお茶でも飲んでおくのが吉。」

「ざけやがって!!!」

 

屋上の男はいやらしい笑みを浮かべ、前面のミスタの部下たちは爆弾使いのスタンドと酸のスタンドと牽制しつつ戦っている。

 

「前に出すぎるなッッッ!!!」

 

忍耐が切れて赤黒い空間に近づき過ぎた味方が、リュカの地雷を踏んで吹っ飛ばされた。敵の頭数は多くないが、スタンド戦闘の専門家でそのバックには何らかの恐ろしいスタンド使いが控えている。

いよいよもって戦略兵器の使用を本格的に考えざるを得なくなったことに、ミスタは頭を痛めた。

 

◼️◼️◼️

 

「なーんもする気が起きねぇや。なぁズッケェロ、俺たちは何でこんなとこにいんだ?お前もバカバカしく思わね?」

 

マリオ・ズッケェロは、虚無に襲われている。

戦って死んでも誰も評価してくれず、都合のいい社会の犬として省みられることはない。天涯孤独の彼は財産を残す相手もおらず、それこそ死んだところで犬死に。馬鹿な男、都合のいい道具だと心無い人間に指差されて嘲笑われる。それが彼らの人生。

そんなつまらないことに必死になって、一体何になる?

 

「………いいや、そんなことはねえ!」

 

ズッケェロは必死に己の中のその声を否定し、虚無を振り撒く回転木馬を見ないように目を離そうとした。

感情は悲しみに満たされて行動を嫌がっている。しかし、理詰めで考えればどう考えても自分たちがサボっていいわけがない。

 

「意味ねえよ。パッショーネに命までかける義理はねえだろ?痛いのやだし。そんなことより、楽しいことだけやってりゃあいいじゃねえか。」

「戦わねえと!サーレーが………。」

「大丈夫だよ。サーレーは俺たちなんかよりずっと強え。俺たちゃどうせゴミクズなんだから、他の立派な奴らに任しときゃいいんだよ。」

 

回転木馬の虚無はホル・ホースの心の中に侵入し、猛威を振るっている。

 

「ダメだ!ホル・ホース!!!」

「マジになんなよ。どうせなるようにしかならねえんだし………。」

「ホル・ホース、銃で俺を撃てッッッ!!!」

 

どれだけ振り払おうとしても心を侵食する虚無に、ズッケェロは心を正気に戻すために叫んだ。

 

「そんなことしても………。」

「いいから撃てッッッ!!!」

 

そのほんの少しあと。

軍事基地の廊下の角で、オリバー・トレイルは缶コーヒーを飲みながら無力化した二人を隔離した部屋を見張っていた。

 

「………無駄なことをするねえ。」

「無駄じゃねえよ。」

 

回転木馬は、強い感情を与えて記憶を喪失させる能力。

その弱点は、押し付た感情を上回る何かを受けた場合である。感情を思わず忘れるほどの何かがあれば、回転木馬の能力は強制的に解除される。

具体的に言えば、生命の危機のある攻撃を受けた場合、生存本能が感情を上回り回転木馬は効力を失う。

 

マリオ・ズッケェロの脇腹からは銃弾による傷穴より血が流れている。ズッケェロは脇腹を抑えて立ち上がった。

ホル・ホースもズッケェロが能力を解除して立ち上がった。

 

「お前たちはしばらくその部屋でおとなしくしときゃいいんだよ。余計なことをして誰かの怒りを買えば、命の保証はねえぜ。」

「………暗殺チームには最初から命の保証なんてねえ。ヌリィこと言ってんじゃねえよ。お前が俺たちの敵だな?」

 

ホル・ホースの銃弾を腹部に受けて一時的に正気に戻ったズッケェロは、ホル・ホースを能力を使用して抱え、痛みを自分の能力である麻薬の症状で誤魔化して部屋を這い出てきた。

 

「まあそれも正解っちゃあ正解だな。上手い手だとは思えねぇが。俺の能力を攻略するには、俺の受けた苦しみを真正面から乗り越えるか、どうにかして消すかしかねえ。生命の危機を感じる痛みなら、俺が受けた苦しみを消せるだろうさ。」

 

オリバーは腹部から血を流すズッケェロに目をやった。

缶コーヒーの缶を投げ捨てて、懐に手を入れた。

 

「動くな!!!」

「だが甘すぎるぜ?俺がこういった事態を想定していなかったとでも思うのか?」

 

ホル・ホースが廊下で銃を構え、マリオ・ズッケェロは不審な動きをするオリバーに詰め寄ろうとした。

 

忘れ得ぬ記憶(ラスト・メモリー)、憤怒の記憶。」

【ザザギ、ギ、ギ、ギシャアアアアアアェェッェェッッッェェェェッッッッ!!!!!!】

 

回転木馬が廊下に突如現れて、脳を激しく揺さぶる奇声を上げる。

それは、オリバーの怒りと焦りの記憶。

 

もともとかつてオリバーは、息子の手術にかかる40万ユーロという巨額の費用を基金を募って賄おうとした。ただの一警官に過ぎなかったオリバー、40万ユーロという金額は目も眩む大金であり、それは日本円換算にしておよそ五千万円。薄給の警官だった彼にはとても手が届かなかった。

 

そのために義援金を募り、手術を執り行なおうとしたのであるが、いざという段になって義援金設立の協力者が金を持ち逃げした。

オリバーは生まれて初めて本気で他人に殺意を覚え、憤り、焦燥した。世間は金を出さない人間に限って、管理責任の甘さが犯罪を助長したとして傷付いたオリバーを非難した。

 

息子の命は危ぶまれ、大切な金は失い、警官としての立場も失った。

………金と立場はまだどうでもいい。失ってもいつか取り戻せる。少なくともそう開き直ることが出来る。

手術さえ………。息子の命だけは………。

 

………そんなことがなければ、せめてオリバーはイアンに協力することもなかったに違いない。金さえあれば、彼の息子は真っ当に救われるはずだった。オリバーはイアンに縋り、オリバーはイアンに恩義を感じてしまった。

 

社会に対して恨みがないとは言わない。憎しみがないとも言わない。

だがオリバーは、無関係の人々の破滅を望むほどには拗らせていない。彼を攻撃したのは、社会のごく一部の人間だとはわかっている。

 

そうではない。オリバーは恨みや憎しみのために戦っているわけではない。

どれだけ苦しくとも、たとえ地を這ってでも。それが血塗られた荊まみれの道だろうと。

生きる動機、最後の希望のために、オリバーは前に進むために他の全てを唾棄し、投げ捨てて戦う。

絶望、悲哀、憤怒、虚無、感情のごった煮の回転木馬、混沌の宮殿の最深部、狂気の最果て、開けてはいけないパンドラの箱の奥底にはいつだって希望が眠っているのだから。

 

ゆえにオリバーは、どうあっても強くあらねばならない。オリバーは何者をも打ち倒す龍でなければならない。

………誰かの願いが矛盾した時、叶うのは強い方だけだから。

 

回転木馬に脳を揺さぶられたマリオ・ズッケェロは冷静さを失いオリバーに突っかかり、ホル・ホースは怒りに任せて拳銃の引き金に手をかけた。

しかしマリオ・ズッケェロはホル・ホースから受けた銃弾の痛みで体が引き攣り、先に動いたズッケェロの体で射線を阻害されたホル・ホースは銃撃を一瞬躊躇した。

 

「スタンドは、理解することが極意だ。お前たちには要らぬ説法だったか?」

 

オリバーは二人が動くよりも素早く、散弾銃を構えて発砲する。

命の危機に晒された二人は、感情から体の主導権を取り戻し慌てて必死に飛び退いた。

 

「俺のスタンドは敵の感情の主導権を奪い、イアンのスタンドは都合のいいことが起こる。スタンドの特性を理解すれば、俺たちはお前たちに対して優位に立てる。たとえ俺のような取るに足らない雑魚だったとしてもな。」

 

オリバーは銃弾を受けて倒れた二人を尻目に廊下を悠々と歩いて遠ざかっていく。

ホル・ホースが我を取り戻して発砲するより早く、オリバーは廊下の角を曲がった。

 

「お前たちは、たまたま散弾銃の銃弾が脚部の筋繊維を引き千切った。もう動けない。どうしても叶えたい願いがあるのなら、俺みたいに這いつくばって先に進むといい。」

「クソがあああぁぁぁぁぁッッッ!!!」

 

床にズッケェロとホル・ホースの血が流れ、這ってしか進めなくなった状態にズッケェロは怒声を上げた。

 

◼️◼️◼️

 

「滑らかな動き。私からイイネを進呈しよう。実にいい。」

「………顔面を縦にかち割ってやるよ。」

 

天井から音も無く床に降り立ったサーレーは、踊るように剣舞を舞い、その剣戟をイアンはぎこちない動きで何とか躱した。

周囲には浄化の炎が忙しなく旋回し、螺旋軌道を描いてサーレーに襲いかかる。

 

「またこれか。芸のない男だ。」

「どうだろうね?」

 

旋回し、半径を縮めながら襲いかかる浄化の炎に、サーレーのクラフト・ワークは断頭の剣を振り回して撃ち落とした。

サーレーはそのまま剣を掲げて、イアンの前に立つ執刀医に斬りかかった。

 

私は超人になりたい。(I wanna be superman.)奇跡を欲し、苦難を乗り超え、君を地に落として私は天に上ろう。きっとそこで待っていれば、私の求める誰かが上ってくるはずだ。それとも君がその誰かなのかい?」

「お前に未来はない。お前はここで死ぬんだよ。」

 

クラフト・ワークに叩き折られた腕はすでに施術し、接骨してある。執刀医は、部屋の中で縦斬りに遠心力を伴って振り回される剣を片手でつかんだ。

サーレーは驚いて剣に目をやると、浄化の炎を斬り落とした剣は熱でドロドロに溶け、分厚い剣身は見るも無残に細くなっていた。

執刀医が剣をつかんだ逆の手にメスを突き出し、クラフト・ワークは剣を手放してそれを間一髪で避けた。浄化の炎が周囲を再度浮遊旋回して、サーレーに向かって収束する。イアンは両手を上げて、哄笑した。

 

「あはははっははっははは!!!さあ、どうする?君は私と同じ舞台に上がる価値があるのか?それともここで無為に死ぬのか?私に君の価値を証明して見せてくれ!!!」

「おおおおおおッッッ!!!」

「なにッッッ!!!」

 

サーレーは空中を泳ぐ浄化の炎を無視して、クラフト・ワークのラニャテーラを展開した。

不可視の蜘蛛の糸に引っかかり動きが一瞬拘束されたイアンに向かって、サーレーは遮二無二突っ込んだ。

 

「あああああああああああああッッッ!!!」

 

サーレーは無意識にコマ送りを使用して、浄化の炎が直撃せずかつイアンに最短の経路をとっていた。

円軌道をしていた浄化の炎を体にかすらせながら、ラニャテーラという不可視予想外の攻撃に対応が遅れたイアンにサーレーは肉薄した。

クラフト・ワークが至近距離からイアンの腹部を拳で突き破り、イアンの手術室には血肉が飛び散った。

 

「グッ………やるね、マイフレンド。」

 

………忘れているかもしれないが、ここはイアンのスタンドである手術室の内部だ。

そこには遠心分離機や電子レンジがあるし、ガラスに仕切られた向こう部屋も存在する。

 

そしてもちろん、冷蔵庫もある。

 

冷蔵庫は、イアンの狂気の象徴。

イアンの狂気と妄想の世界では、生物みなすべからく冷蔵庫から生まれる。

 

父なる電子レンジ、母なる冷蔵庫、手術台は近所のちょっとエッチなお姉さんで、遠心分離機は幸せな家庭の敵である間男、ペットにオリバー。ガラスを一枚隔てた向こう側には、亡者の彷徨う地獄が広がっている。

 

幸せ家族計画。

ひどくシュールな狂人式おままごと。

 

サーレーの攻撃がイアンに命中したその瞬間、手術室の冷蔵庫の扉が音も無く開いた。

イアンの狂気の手術室、妄想の具現。冷蔵庫の中で、荒ぶる魂がドクリと脈を打つ。

 

「扉が開いた………。俺の出番ということか。」

 

願いを叶えるランプの魔人ならぬ、冷蔵庫の吸血鬼。一周回って逆に古いし、全然面白くもない。

金の髪に高身長、強靭な肉体と膂力を持ち合わせ、時間すら支配する最強のスタンド使い。

 

【遊びのルールは忘れていないね?】

「ふん。」

 

夢見がちな少年の妄想、最強幻想が目を覚ます。

 

◼️◼️◼️

 

名称

オリバー・トレイル

スタンド

ラウンド・ラウンド・アンド・ラウンド・アラウンド

概要

その能力の全貌が明かされたオリバーの回転木馬。スタンド自体に戦闘能力はないが、幸福の感情の他にもオリバーが死に物狂いで乗り越えてきた絶望、悲哀、苦難、憤怒といったさまざまな感情を相手に伝播させる。その感情に抗うのは非常に困難。回転木馬の記憶を残せない能力は、副次的なものである。ディアボロは、オリバーがこんなにも有能だったことを知らない。ディアボロザマァとか言ってはいけない、こともない。

 

名称

ディオ・ブランドーに外見がよく似た男

スタンド

ザ・ワールド・アナザーヘヴン

概要

手術室で生まれた、ディオに外見が少しだけ似た男。その能力は明かされていない。



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神憑き

「ようやく俺の出番か。よくもまあ、ずいぶんと待たされたものだ。」

 

冷蔵庫の扉が開き彼が外の様子を伺うと、外は赤黒く染まった手術室。

そこで、二人の男が戦いを繰り広げていた。一人は彼を生み出した人間で、その人間は向かい合うスタンドに腹部を貫かれている。

 

「さて。」

 

彼のかたわらに肉感のある強大なスタンドがはべり、虚空から懐中時計を取り出した。スタンドがそれを指先でいじくると、世界は色と音を失い、灰一色の世界と変貌する。

 

「俺のスタンドは、過去、未来、現在、その全てを支配する。………俺はあの男をどうにかすればいいのだな。」

【君に他者の殺害は赦されていない。ルールを忘れないように頼むよ。】

「言われずともわかっている。」

 

彼を生き返らせたイアンという男が敵と思しきスタンドに腹部を貫かれており、それに敵対する男を彼は標的と見定めた。

冷蔵庫からのっそりと出て、向かう彼の足取りは突如はたと止まった。

 

「………おい。」

【何か?】

 

ディオ・ブランドーに外見が少し似た彼は、思わず二度見した。

 

「何か、じゃない。お前はなぜ喋ってるんだ?」

【そりゃ喋るさ。だって生きてるんだもの。】

 

機械仕掛けの体に、ネジの瞳。白衣をまとった煉獄の管理人。

イアンのスタンドであるはずの執刀医は、時が止まった世界で普通に彼に返事をした。

 

「そりゃ喋るさ、じゃない!今世界は時が止まっているはずだ。それなのにお前はなぜ喋れるんだ!」

【喋ったっていいじゃない。】

「よくない!」

 

彼は執刀医をジト目で眺め、追求した。

 

「お前はあのイアンという男のスタンドではないのか?お前もまさか時が止まった世界に入門しているとでも言うのか!!!」

【私はイアンのスタンドではないよ?】

「………なに?」

 

彼は執刀医のサラッとした爆弾発言に困惑し、マジマジと見つめた。

 

【あまり見つめないでくれ。………皆私のこと彼のスタンドだと勘違いをしている。イアン自身ですらね。でもイアンのスタンドは、都合のいいことが起こる部屋そのものであって、私はそこの付属物というわけじゃあないよ?】

「………じゃあお前は一体何者なのだ?」

 

彼が生まれた煉獄を支配していたのは、この不気味な執刀医だったはずだ。

それがイアンのスタンドではないのだとすると、こいつは一体何者なのだろうか?

 

【私は、イアンのスタンドの部屋の中でしか存在できない。ただの部屋の間借り人だ。居心地いい部屋の家賃の支払いの代わりに、彼に協力している。】

「答えになっていない。」

 

微妙にずれた返答に、彼はさらなる追求をした。

 

【………奇跡的に物事を上手く運ばせることを、人は神懸かりと呼ぶ。多くの場合、人はそれを血反吐を吐くような努力と苦難の末に後天的に身に付ける。決してそれが出来る人間は多くないが。】

「おい、答えをはぐらかすなッッッ!!!」

 

彼は冷蔵庫の縁を手で叩いた。

しかし執刀医はそれになんら反応を見せずに、マイペースに話を進めていく。

 

【奇跡的に物事が上手くいく、それはイアンのスタンド能力そのものだ。そして人の世はごく稀に、先天的にその才能を強く持った人間が生まれてくる。人はそれを時に預言者、時に英雄、時に変革者、時に聖人などと呼称する。彼らのような人間は常に、その意思や思想とは無関係に血塗られた人生を歩む宿命を背負っている。成し得た出来事次第でその呼称は変わるが。】

「………。」

【私が誰かは語らない。私自身にもそれはハッキリとはわからないことだ。君だって、唐突に自分がなんなのか具体的に説明しろと言われても困るだろう?ただ言えるのは、イアンは天然物の神憑きで、イアンの部屋で最初に起こった都合のいい出来事とは私が住み着いたことだったということだ。私が住み着いたせいで彼の部屋は人間を生み出すというとんでもない能力を獲得し、イアンの妄想が現実化するという恐ろしい能力を実現するに至った。極端な話、イアンが明日隕石が落ちて地球が滅亡すると信じ込めば、それは実現する。

「………。」

【忘れないでほしい。ルールは破らないでくれ。彼は私たちの主人だ。長年付き合うとたとえイかれた人間であったとしても、愛着が湧く。一世一代の大舞台を台無しにして、彼を落ち込ませたくない。………ルールを破る者は、私たちの世界には必要無い。】

 

執刀医はそれだけ語ると、背景の灰色と同化していく。執刀医の最後の言葉に、男はゾッとした。

時が止まった世界で、彼はただのオブジェへと戻った。

 

【ああそうだ。】

「………まだ何か用か?」

 

執刀医が思い当たったように再び動き出し、彼は驚いてビクッとした。

 

【イアンの怪我は、治さなくていいよ。私が手術する。その方が彼は喜ぶ。彼は痛みを喜ぶ性質を持つ変態だから。】

 

男はスタンドの持つ懐中時計を巻き戻して、時間を過去に戻すことが出来る。

とは言っても、彼が生まれた前の時間までには戻すことが出来ないが。

彼はイアンの怪我を治すために、時計のネジを巻き戻そうとしていた指を止めた。

 

【じゃああとはお願いね。】

「………フン。」

 

思わずビクッとなってしまいバツが悪かった彼は、不気味な執刀医がいなくなってホッとした。

だがふと思い当たって、大声を上げた。

 

「おい、待てッッッ!!!お前も止まった時間の中動けるのなら、お前が俺の代わりに戦えばいいだろうがッッッ!!!」

【それは悪質なルール違反、一発退場だよ。私だってルールに縛られているんだ。誰しもがルールに縛られて生きていて、それを破る決定権を持つ特権階級はこの世のごく一部だけだ。イアン主催の劇なのに、狂言回しの私が主役を喰ってしまうのはいただけないだろう?それに私がそれをやってしまえば君は用無しになってしまうが、君はそれでもいいのかい?】

 

執刀医の声が、遠くに聞こえた。

 

◼️◼️◼️

 

腹部をぶち抜き、敵をその状態で固定、そのまま逆の手で頭部に攻撃を加えて消し飛ばす。

サーレーは考えることもなく、その手順を実行する。暗殺チームとして、確実に敵を殺害するための手順として染み付いた手法。それを実践する直前に、彼はふとした違和感に気が付いた。

 

「………?」

 

体が重い。動かない。クラフト・ワークの能力ともまた少し違う、まるで呼吸の出来ない深海に沈んでいくかのような感覚。

周囲の背景は緩やかに色を失っていき、灰色が侵食していく。やがて灰色はサーレーの体にも纏わり付き、体が動かなくなる。

 

「これはッッッ!!!」

【済まないね。レギュレーション違反とも言えるほどに強力無比な能力だが、それでもイアンが頑張って試行錯誤した末に獲得した能力だ。どうか許容してほしい。】

 

その言葉は、今は誰にも届かない。

サーレーは石になったように固まり、イアンもクラフト・ワークに腹部を貫かれたまま彫像のように動かない。

 

「課せられたルールは、殺害禁止。適当に痛め付けて、外に捨ててくるか。」

 

外見がディオ・ブランドーに似た男。

本来のディオのザ・ワールドは、数秒間時間を止めるという能力。しかし彼のザ・ワールド・アナザー・ヘヴンは、時間を任意に停止することが出来る。それどころか彼が存在する過去、未来にも時間を自由に移動させることができ、彼がその気になればそれこそ不可能なことはない。

 

「とは言っても今の俺は作り物で、主人のイアンとあの不気味な白衣には逆らえないんだがな。」

 

止まった時の中で、彼は手術室を見渡した。

 

「それにしても、なるほど。確かに一理ある。全てが思うがままというのも、つまらないものだ。制約が必要だというのも頷ける。」

 

今の彼であれば、全ての物事は思うがまま。

時間を止めたまま人類を滅亡させることが出来るし、憎いジョースターを根絶やしにすることもできる。

ただ、それが意味のある行為だとも思えない。彼にはそれが世界中のアリの巣に水を流し込むような不毛な行為にしか思えない。

人類を滅亡させたところで、それこそ無意味だし、労力の浪費でしかない。

 

「さて、俺は何のために生まれたのだったか。」

 

イアン・ベルモットの切り札として煉獄より産み落とされた彼。

しかし作っては見たものの、実際に使用するとなるとドン引きするほど強力な能力だったために、その力の行使にひどく制限をかけられてしまった。彼が殺害を許されているのは、因縁の相手、ジョースター一族のみ。

 

「………。」

 

灰色の世界で彼はわずかな寂寥感を感じながら、スタンドを現出させる。スタンドはイアンに攻撃を加える男を軽く痛め付けた。

そのまま男をスタンドで担ぎ上げ、軍事基地の廊下へと退出した。

 

「こいつらもか。」

 

床で這いずるマリオ・ズッケェロとホル・ホースを見かけた彼は、二人もそのまま一緒に担いで運んでいく。

やがて彼は、建物の外へと到着した。

 

「なるほど。俺はこれを終息させるために呼び出されたのか。」

 

イアン・ベルモットの遊び、彼は楽しめる相手で長く遊びたい。納得のいく結末を迎えたい。

その過程が全ての目的だ。しかし今はまだ、彼はサーレーに直接相対するには実力不足だった。

敗北は許容できるが、情けないのは許容できない。

 

イアンは戦闘の仕切り直しを望み、そのために戦いの盤面そのものを叩き割ることができる彼に白羽の矢が立った。

 

イアン・ベルモットの信条、苦難を超えて人は高みへと登る。

イアンは矢のウィルスで苦しみながらレクイエムを獲得し、パープル・ヘイズ・ウィルスで寝込みながらスタンドのさらなる進化を獲得した。今回の戦いでも彼は腹部を破られる攻撃を受けており、ここを超えれば彼はきっとさらなる高みへと登れるはずだ。

 

イアン・ベルモットの狂気、死に近づけば近づくほどに、それを乗り越えた時に彼は人生の充足と劇のさらなる山場を迎える。

イアンはさらに強力な存在となり、ライバルとのしのぎを削る戦いはきっとさらに熾烈なものとなる。彼は、ドラマティックを求めているのである。

 

それらの妄想は、イアンのスタンドの特性により現実に形を成す。

 

窒息しそうな虚構の世界で喘ぐ彼が探す、何か。

イアンは世界が素晴らしいものだと信じたいし、全てが現実だと実感することを望んでいるのである。

 

イアンはその矛盾に、気がついている。狂気と愛は紙一重。

イアンは世界を愛している。世界が素晴らしいものだと信じたい。しかしイアンは、世界を破滅させようとしている。

………イアンは、全力を出して戦い、自身が劇的な幕切れを迎えることを望んでいる。なぜなら彼は、彼が生きている世界を信じているのだから。

 

「まあ………わからんでもないか。もし仮にこの世に本当になんでもできる存在などいてしまえば、全てが空虚に見えてしまうことだろう。この世がつまらなくて自死を選んでもおかしくない。」

 

リュカとベロニカがスタンドを操り、ミスタ率いるパッショーネとフランスの合同戦闘部隊が彼らと戦闘を繰り広げている。

その最前線で彼は運んできた人間を放り出して、時間を再び動かした。

 

「………はッッ!!!」

「お前は何者だッッッ!!!」

 

凄惨な戦いの前線に突如現れた金髪の男に、ミスタは拳銃を構えて警戒しながら誰何した。

彼の前にはボロボロになって気を失ったサーレー、マリオ・ズッケェロ、ホル・ホースが倒れている。

 

「仕切り直しだ。お前ら今日はもう帰れ。」

 

金髪の男は、ミスタにそう通達した。

 

「何を勝手なことをッッッ!!!」

 

ミスタは言葉ではそう言いながらも、現状を把握してサーレーが敗北した以上ここでさらに戦いを続ける意味は薄いと理解した。

 

「おい、どういうことだ?」

「あの男が敗北した。結末はそれでも構わないが、過程に不満が残るからやり直しだそうだ。」

「ふざけるな!!!」

 

リュカが金髪の男に詰問し、男のふざけた答えにベロニカは怒りを露わにした。

 

「黙れ。これはあの男の決定事項だ。」

 

それだけ告げると、問答無用と男はその場から消え去った。

 

「副長、どうします?」

「………目的達成に失敗した以上、一旦帰還する。作戦の練り直しだ。」

 

ミスタは連れてきた兵を集めて引き上げていく。

こうして、軍事基地での一度目の激突はあっけなく幕を閉じた。

 

◼️◼️◼️

 

「戦略会議を行う。」

 

イタリアのパッショーネミラノ支部での会議室、議長をグイードミスタが務め、ヨーロッパ各国裏組織の幹部も集合していた。

軍事基地での戦闘を終えて今日で四日が経った。パッショーネの構成員三十名中十四名死亡。フランス戦闘部隊十五名中八名死亡。軍用車七両大破。軍用ヘリ一機墜落。惨憺たる結果であった。

 

「新たに敵について判明した情報、アルバロ・モッタ、資料をここに。」

「はい。」

 

パッショーネ情報部で、他国の組織との渡りもつけたアルバロ・モッタが敵に関する資料をグイード・ミスタへと手渡した。

ミスタは資料へと目を通すと、周囲に理解しやすいように説明を行なった。

 

「敵の一味に、リュカ・マルカ・ウォルコットと、ベロニカ・ヨーグマンがいることが新たに判明した。リュカはかつてのフランス、ラ・レヴォリュシオンの暗殺チームリーダー。ベロニカはスイスの臓器密売組織の首領を務めていた。イアン・ベルモットはもともと、ベロニカが首領を勤める裏組織とのつながりを指摘されていたが、決定的な物証がなかったために処分を見送られていた。リュカは爆弾魔の異名を持ち、ベロニカはスイスの外道として悪名高い。しかし二人は共に、すでに死亡していたはずだった。この二人に関しては、近接戦闘のスペシャリストだ。」

 

会議に出席している人員のうち、幾人かはうなずいた。

 

「この一点だけ見ても、敵が尋常では無い脅威であることが断言できる。死亡したはずの人間を蘇らせているのであれば、それは世を混乱に陥れることが想像に容易い。そして、マリオ・ズッケェロ。」

「はい。」

 

議場の末席に座るマリオ・ズッケェロは、はっきりと返事した。

 

「お前は感情を操るスタンド使いと戦闘を行って敗北したと言っていたな。戦場に現れた見覚えのない人物と合わせて三人。素性の分からない敵方の人間の調査を、パッショーネ情報部が総力を挙げて行なった。その結果、可能性が高いと思しき人物が二人浮上した。」

 

ミスタはいったん言葉を切ると、会議場を見回した。

 

「恐らくは軍事基地の屋上にいた男の名が、バジル・ベルモット。戸籍上は敵の首謀者、イアン・ベルモットの弟ということになっているが、不審な点がいくつかある男だ。」

「不審な点ですか?」

 

議場に座る男性が質問をした。

 

「些末なことです。質問の回答は後回しにしましょう。」

 

男性は納得したようにうなずいた。

バジル・ベルモットは戸籍に関して過去に揉めた経緯があるが、ミスタは今更それを論じたところで意味が無いと判断した。

 

「もう一人、パッショーネ暗殺チーム所属のマリオ・ズッケェロとホル・ホースが基地内部で戦った男、それはオリバー・トレイルという男だと推測される。」

「オリバーッッッ………。」

 

ズッケェロが自身をあしらった敵に、ほぞを噛んだ。

 

「最後に現れた金髪の男が誰なのかは、判明していない。バジル・ベルモットはスイスの電化製品販売店勤務の販売員。イアンの国際指名手配と同時に行方が分からなくなっていた。一方でオリバー・トレイルはスイスの元警官、事件の直前はイアンが教授を勤める大学の用務員として働いていた。イアンの失踪と同時期に、大学から行方をくらましている。オリバーに関しては、スイスの病院に彼の子供が入院していることが判明している。」

「子供を人質にとっては?」

 

グイード・ミスタは、首を横に振った。

 

「現時点では、敵の名は伝聞による推測に過ぎません。私たちにその男がオリバーだという確証が無い。それにオリバーは、社会に対して恨みを持っている可能性がある。」

 

ミスタは資料を議場の人間に回した。

 

「オリバーは息子の難病の手術で、社会に不当に非難された。これ以上追い詰めてしまっては、今まで以上に手段を選ばなくなる可能性が出てくる。」

「これまでも手段を選んでるとは思えませんが。」

 

先ほどとは別の男性が発言した。

 

「オリバーの息子は、過去イアン・ベルモットの手術を受けて一命をとりとめている。オリバー・トレイルはイアン・ベルモットに対して、その恩義で従っている可能性がある。しかし社会が彼の息子を排斥してオリバーを追い詰めてしまえば、ただでさえ低いオリバーの社会への帰属意識が悪意へと変化する。オリバーはより過激に、本当に社会の破滅だけを望んで行動する可能性が高くなるということです。………スタンドは、時に必要に迫られて進化する。オリバー・トレイルがこれ以上邪悪なスタンド使いになって手が付けられなくなる可能性を潰しておきたい。」

「なるほど………。」

 

男性は納得したように引き下がった。

 

「情報を整理しましょう。敵の首謀者は、イアン・ベルモット。スイスにある有名大学の元教授。その部下で判明しているのが、リュカ・マルカ・ウォルコット、ベロニカ・ヨーグマン、バジル・ベルモット、オリバー・トレイル、それと………。」

 

言葉を選び、ミスタは難しい表情をした。

 

「俺たちパッショーネ暗殺チームを軽くあしらい、戦闘を終結させた金髪の男………。」

「………ああ。」

 

サーレーが発言した。

パッショーネ暗殺チームは、四日間の休養を過ごしていた。

ズッケェロとホル・ホースの怪我も、ジョルノが治療している。

 

そんなのんびりしている場合じゃないように思えるが、疲労は体に蓄積される。

休む時は休み、戦う時は戦う。そうしないと、肝心な時に動けなくなる。

 

「その男に関しては、情報が一切入っていない。何かヤバそうではあるんだが……。」

 

会議場に重苦しい沈黙が流れた。

 

「パッショーネのアクションは、近日中に基地に向けて誘導ミサイルを発射する。」

 

中距離弾道ミサイル。

射程は三千キロ前後、一発にかかる費用、およそ百二十万ユーロ。それを十五発。

軍事基地ごと敵を吹き飛ばすために発射する。

 

「発射先のフランスともすでに話はついている。これで奴らを吹き飛ばせればいいんだが………。」

 

懸念は尽きない。

ミスタは難しい表情で、眉間にしわを寄せた。

 

◼️◼️◼️

 

「反省会を行う。」

「反省点なんてねぇよ。」

「反省会をッッッ!!!行うッッッ!!!」

 

軍事基地の食堂で、リュカは冷めた目でイアンを眺めていた。

テーブルを囲んでイアン、右隣に執刀医。その前に並ぶ右からリュカ、ベロニカ、バジル、オリバー、ディオに似た男。

イアンの意味不明に高いテンションに、誰もついていけない。それを無視して、イベント大好きイアンは勝手に反省会を進めていく。

 

「これより、評価を数字で算出していく。それを各自参考にしてほしい。まずはバジル。評価点(レート)、6,0。可もなく不可もなく。」

「まあそんなもんか。俺はできることが限られているからな。」

 

評価点は10が最上で、0が最低。

とは言っても、10や0がつけられることはまずあり得ない。

現実的に4から8の間で、平均は6,5ぐらい。

 

「次にリュカ。評価点(レート)、3,0。ダメダメだな。もっともっと頑張りましょう。」

「おい待て!!!そんなに低いわけねえだろうが!!!」

 

3,0はあり得ないほどに低評価。

命をかけて戦った挙句の不当な評価に、どうでもいいと冷めていたはずのリュカは声を荒げた。

 

「目つきが悪い。言葉遣いもむかつく。不愉快。白目が無くてキモい。」

「ふざけんな!そんな理由で………。」

「………どうでもいいだろう。なんなんだこの茶番は。」

 

憤慨するリュカを尻目に、ディオに似た男がつぶやいた。

 

「次、ベロニカ。評価点(レート)、2,0。話にならない。もう少し真剣になって取り組んでください。」

「はあ?私が2,0?おいイアン、そりゃ一体どんな評価算出方法だ!」

 

2,0はリュカを下回る低評価。不当な評価に、ベロニカも大声をあげた。

 

「露出過多。格好が無駄にエロい。前線にスパンコールドレスで出ていく奴があるかバカ。いい旅夢気分か!暇と金を持て余した、有閑マダムベロニカの軍事基地一泊二日見学ツアーかッッ!!戦場を舐めるんじゃねえ!ジャージを履け、ジャージを!」

「誰が有閑マダムだッッッ!!!」

「見知らぬ赤の他人の内臓を勝手に売りさばいて、私はこんなに金持ちになりました。………なんかどっかの雑誌の裏表紙に乗ってる胡散臭い広告みたいだな。」

「黙れッッッ!!!」

「妖怪ホルモンババア。」

「ぶっ殺してやるッッッ!!!」

 

ベロニカはイアンのおふざけにイラついた。

確かにお気に入りの胸が空いたドレスが爆煙で埃まみれになった。

思い当たる節があったため、その点についてはさほど強く言い返すことはなかった。

 

「次、そこのチャラいクソ金髪。評価点(レート)、0,0。止まった時の中で勝手に干からびて死ね、クソが。」

「おい、ふざけんな!!!俺はお前の尻拭いを………!!!」

 

あまりにも冷たい暴言に、クールぶっていたディオに似た男まで思わず言葉を返してしまった。

0,0は言うまでもなく、低評価。試合開始と同時に審判に暴言を吐いて退場処分を受けたフットボール選手でさえ、もう少し評価が高い。

 

「黙れ!!!何が時間の支配者だ!!!何が過去、未来、現在その全てを支配するだッッ!!!お前の能力は理不尽すぎてクソだ!!!お前は小学生か!!!お前のせいでせっかくの戦いが興醒めだ!!!このゴミがッッ!!!」

 

イアンはブチ切れてまくし立てた。

あまりに真っ向から辛辣な苦情を言われ、ディオに似た男は言葉を失って唖然とした。

 

「次、オリバー。評価点(レート)、7,5。特に問題ありません。引き続きこの調子で頑張ってください。」

「おい待て!!!この流れでなんでそのイワシヤローがそんなに高評価なんだ!!!」

 

ここまでの流れからオリバーもボロクソに言われると期待してただけに、予想外の高評価にリュカは思わず突っ込んだ。

執刀医はイアンの横に座り、当然のようにお茶をすすっている。

 

指令(オーダー)を問題なくこなしていたからな。お前のように目つきも悪くないし、ベロニカのようにドレスで最前線に出張るようなアホなこともしない。金髪のように地頭も悪くない。高評価も当然だ。戦場で敵にケツを振るベロニカとは違うのだよ。」

「クソがぁぁぁッッッ!!!」

 

執刀医は納得したように頷き、イアンも当然の顔をしている。

ベロニカは顔を真っ赤にして、怒り狂った。

 

「最後に私、イアン・ベルモット。評価点(レート)、4,5。もう少し頑張りましょう。総評、全体的に低評価です。次回に期待しましょう。」

「「「待てッッッ!!!」」」

 

リュカ、ベロニカ、金髪。

オリバーを除く三人から、物言いが入った。

 

「何か?」

「何か、じゃねえよ!お前一人が敗北したせいで、わざわざ戦闘が仕切り直しになったんだろうがッッッ!!!他に誰も負けてねえんだぞ!なのになんでお前は俺たちより評価が高いんだッッッ!!!」

「黙れッッッ!!!」

 

イアンはテーブルを両手で叩いた。

 

「………確かに私にも落ち度があった。私がほんの少しダメだったことは、認めよう。それを理解しているからこそ、レート4,5という低評価を甘んじて受けているのだッッ!!!」

「………ほんの少し?お前が一番ダメだったじゃねえか!………お前、勢いだけで誤魔化せると思うなよ?」

 

リュカが訝しげな目つきを送った。

 

「惜しかったッッッ!!!あと一歩だったんだッッッ!!!クソッッッ!!!もう少し私に力があればッッッ!!!」

「………。」

 

三人は冷めた目つきでイアンを眺めている。

 

「そろそろ晩飯の時間だな。」

「おい待てッッッ!!!反省会はまだ終わっていないッッッ!!!」

 

オリバーが調理のために席を立ち、ほかの面々も解散とばかりに離れていく。

 

「………付き合ってられん。」

「アホくさ。」

「おい、誰がケツを振ったって!!!」

「クソッッッ!!!みんなもっと必死になれよッッッ!!!私の一世一代の晴れ舞台なんだぞッッッ!!!」

【イアン、反省会は私が聞いてあげるよ。】

 

ベロニカだけが、未だに自分の評価点にこだわっていた。

執刀医が、イアンの横でにっこりと微笑んだ。

 

◼️◼️◼️

 

「軍事基地の周囲を覆う、赤黒い空間が勢力を増しています。」

「………嫌な予感しかしねえ。」

 

観測員からの報告に、グイード・ミスタは猛烈に嫌な予感がした。

今日で戦いから、六日が過ぎた。その間にイアンの煉獄が増した勢力は、二の六乗、六十四倍の表面積となる。一辺の長さが八倍にもなり、もうこうなってくると外から見てもあからさまにその範囲を広げていることが確認できる。

 

「クソ!!!上手くいくとも思えねえ。」

 

切り札的手段として温存しておいた中距離弾道ミサイルだが、全く上手くいく気がしない。それでもダメ元で攻撃はしてみるが。

 

「マジかー。やっぱこうなるのか………。軍用ヘリも墜落してたしなぁ。」

 

ミスタは観測員から送られてきた映像に、ため息をついた。

発射された十五発の中距離弾道ミサイルは、煉獄の赤い空間に触れた途端にことごとく空中でバラバラに分解して地面に落下していく。

 

「………また作戦会議だな。」

 

ここ一ヶ月で、十年は老けた。

グイード・ミスタは帽子の下の頭髪を掻きむしりながら、ヨーロッパ裏社会の総会議を開くべく各国に連絡を通達した。

 

◼️◼️◼️

 

名前

?(ディオ・ブランドーに外見が似た男)

スタンド

ザ・ワールド・アナザーヘヴン

概要

懐中時計を使用して、現在、過去、未来のその全ての時間を支配する。無制限に時を止めることが可能であり、彼が存在するいかなる時間軸に時間をズラす事もできる。イアンはその能力のあまりの理不尽さに、ブチ切れた。



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第二戦開幕

「クッソ、アタマいってぇ………。」

 

オリバーは、額を手で抑えよろめきながら、廊下の壁に手をついた。

いつもこうだ。スタンド能力を攻撃に使用すると、オリバーはこうなる。

オリバーのスタンドは、本来は非戦闘用。誰かに小さな幸せを届ける慶の回転木馬。

 

幸福を共有しよう。あなたが今日、幸せでありますように。世界がほんの少しだけ、平和でありますように。そんな能力。

それを無理に戦闘に転用すると、オリバーも精神に酷いダメージを受けることとなる。

 

「二発も撃っちまったからなぁ。」

 

本音は一発で決めてしまいたかった。一発でも負担が大きい技を、一日に二発。

相手が初撃を抜けて来たのは、可能性としては想定していたものの正直予想外だった。

 

オリバーの必殺技とも言える強力な能力、回転木馬の忘れ得ぬ記憶(ラスト・メモリー)

無類なほどに強力な能力で一見隙がないように思えるが、その実態は酷い欠陥技だ。

 

()()()()の世話もしねえと………。」

 

忘れ得ぬ記憶(ラスト・メモリー)、その能力の詳細は、感情の共振波である。

オリバーが人生でこれまで感じた苦難、怒り、絶望、そういったさまざまな苦悶の感情を周囲に手当たり次第撒き散らす。

共振波は周囲の人間の脳を無差別に揺らし、精神的な苦痛を与える。堪え難い拷問そのものと言ってもいい能力である。

 

「ふう………。」

 

オリバーは廊下に据え付けられた給水器に口を近づけて、水を飲んだ。

彼は落ち着いて深呼吸を繰り返し、息が整うのをゆっくりと時間をかけて待つ。

 

「………こりゃ今日も眠れねえな。」

 

ラスト・メモリーは、攻撃の対象を選ばない。

発動すれば、周囲にいる人間のその全てに悪意の感情が伝播する。本体のオリバーも例外でなく。

 

ラスト・メモリーは魂を削って叫ぶ自爆技なのである。

オリバーはラスト・メモリーを撃った日は、何度も何度も苦しみの感情が鮮明にフラッシュバックして眠れない。

 

オリバーは人生において実際に一度体感したことのある感情だから、くらってもかろうじて立っていられる。

しかし、だからと言ってオリバーのダメージが少ないというわけではない。往々にして人は耐え忍ぶより、いっそのこと倒れてしまった方が被害が少なくて済む。

 

「さて。」

 

まだ仕事が残っている。イアンやリュカは決してしようとしない仕事だ。

オリバーは自身の精神が落ち着いたことを確認し、扉に手をかけた。そのままゆっくりと扉を開いていく。

内部に入り、オリバーは周囲を見渡した。

 

「うう………。」

「だから言ったろ………。お前ら命乞いなんかして永らえるより、死んでいた方がマシだったって。イアンのおもちゃは救いがねぇぞ?」

 

手術室に、オリバーの声音が響いた。死んでいた方がマシだとは、一体誰に対して言ったのだろうか?

彼らに?それとも自分に対して?

 

ここはイアンのスタンドの本体、手術室のガラスの向こう側。

軍事基地に従事していた人員は、およそ百五十名。その多くは、イアン・ベルモットたちとの戦いによって死亡した。

 

「イアンも無茶を言うな。嬉々として面倒ごとを俺に押し付ける悪癖はどうにも………ならないんだろうなぁ。」

 

オリバーはボヤいた。イアンはオリバーの体調不良を知らない。

軍事基地にいた百五十名は、大半は死亡したが全てではない。マネキンを操るスタンド使い、マインロッテ曹長を筆頭に、投降した者、命乞いをした者、たまたまの巡り合わせ、そういったいくつかの理由により、およそ二十名ほどは未だ命を繋ぎとめていた。

 

イアン・ベルモットは、興味の無いものに対しては、邪悪で、冷淡で、基本無関心だ。

イアンが彼らを生かしているのは、決して慈悲ではない。彼らは魂のストックになるからである。

 

イアンの手術室は、人間を具材に人間を生み出している。

何らかの事情で彼らに欠員が出た場合、捕虜を具材にして邪悪なスタンド使いは再び凶悪犯をこの世へと喚び戻す。

そのスペアとして、彼らは生きることを許されているだけである。

 

「俺一人に二十人の死に損ないを世話しろって………。イアンのヤロー相変わらずふざけたこと言いやがる………。」

 

ガラスの向こう側に血まみれの手が張り付き、不気味な手形が残された。

 

「マジで気が滅入るんだが………。」

 

リュカもベロニカもバジルも金髪の青年も、当然イアンも、彼らの世話など出来るわけがない。

不条理なババ抜き。最初からババはオリバーの手の内にあり、誰もそれを引く資格がある人間が存在しないのである。

オリバー以外に捕虜を世話しようとする意思のある人間も、世話する能力がある人間もいない。

 

マインロッテ曹長のスタンドのマネキンが、同情するようにオリバーの肩に手を置いた。

オリバーの人生はどこまでも、苦難に満ち満ちていた。

 

【君のスタンドは本当に不条理な能力だよね。他人の記憶は奪うのに、君の痛みの記憶は永遠に消えない。愛情は今や朧なのに、それに縋って鮮明な苦痛を耐え続けている。人は苦しみを忘れることによって、日々を生きていける。時間が痛みを和らげてくれる。オリバー、君は一見すると正気に見える。しかし辛いことを永遠に忘れられない君は、奇跡とわずかな希望に縋って痛みをこらえ続ける君は、たった一つのために全てを捨てて進む君は、きっとすでに狂っているよ。いつか積み重なった痛みが、君を殺すことだろう。君の悪夢がいつか覚めるといいね。】

 

どこかで、執刀医の声がした。

 

◼️◼️◼️

 

「暑い………。無粋な奴らだ。クソッッッ!」

 

軍用基地の一室で、金髪の彼は毒づいた。

基地の中は季節を無視してサウナ風呂の中のような状況であり、それというのも中距離誘導ミサイルが意味を成さなかった敵が遠距離攻撃と火力に長けたスタンド使いを頼って遠くから基地の破壊を試みているのである。

 

基地のコンクリートはまるで焼夷弾をいくつも投下されたように焼け焦げており、場所によってはドロドロに溶かされている。にも関わらず基地内部の人間へのダメージは有り得ないほどに軽微なものであり、それというのもイアンのスタンド能力、強力な加護である煉獄の起こりうる最上の結果という特性が猛威を奮っていることが原因に他ならなかった。

 

【しつこくいうけど、君は殺害禁止、適当に追い返すだけにしといてね。君が本気で戦うと興醒めするから。】

「一体いつまで俺にこのふざけた枷をかけるつもりだ!!!」

【………君はイアンを楽しませるために生み出された玩具だ。存在意義を満たせない玩具は、ゴミ箱行きだよ。】

 

彼には、執刀医がなんとなく立てた一本指が、とてつもなく不気味に感じられた。

 

「………クソったれが。」

 

彼はスタンドを現出させ、虚空から懐中時計を取り出した。時計のネジを、順回転とは逆の方へと回していく。

 

【ほんとズルいよね。こんなことができるなら、なんだってできるじゃん。壁は乗り越えることが可能であって初めて、意味があるんだよ?】

 

時計の長針と短針が緩やかに巻き戻り、時間は過去へと遡っていく。

世界は灰色に染まり、建物は復元され、基地を襲った炎は逆さ戻しに発射元へ帰還していく。

 

【あーあ、せっかくのフットボールゲームの対戦が、やり直しだ。】

 

彼らは暇潰しに防災対策がなされた兵士たちの寄宿舎で、フットボールゲームの対戦をしていた。

執刀医がスイスの代表チーム、金髪がエジプト代表チーム。試合の行方は執刀医が優勢で、残り時間はわずか。

テレビの画面のキャラクターたちは逆さ戻りをし、ゲームは試合開始時間へと巻き戻されていく。

 

「さすがに軍事基地ともなると、災害や敵襲には敏感なのだな。」

【君たちの言うところの、国を守る砦だからだろうね。】

 

寄宿舎のドアを開けて、彼は外に出ていく。

屋上に登り、攻撃の出所を探った。

 

「俺は難易度を調整するために生み出されたのか………。茶番じゃねえか、クソったれ!!!」

 

リュカ・マルカ・ウォルコットは正しい。

彼らは結局イアンの玩具であり、許された時間、許された範囲で自身の幸福を求めることが、彼らが最善の生を送ることである。

 

そしてそれは、人生も同じだ。

許された時間、許された範囲で可能な限り自身の幸福を求める。人生自体がそもそもそういうものでもあるのだ。

 

◼️◼️◼️

 

「作戦会議を行う。」

 

パッショーネのミラノ支部での、二回目の作戦会議。

会議の二回目が開かれたということは、一回目の方策はうまくいかなかったということである。

 

「………ここまでの作戦の戦果を報告する。」

 

あまり芳しいとは言えない沈鬱な表情で、グイード・ミスタが重々しく口を開いた。

 

「まずは中距離誘導ミサイルによる基地破壊攻撃。これは全くもって意味を成さなかった。発射したミサイルはことごとく空中でバラバラになって、不発のまま墜落した。」

 

サーレーも会議の末席に座り、難しい表情をしている。

 

「次に遠距離からのスタンド攻撃。ヨーロッパ中を当たって強力なスタンド使いに依頼をしたが、理解ができねえうちに攻撃部隊が敗北した。」

 

ホル・ホースがサーレーの横であくびをした。

 

「おい、真面目に聞けよ。」

「て言ってもよぉ。俺っちにできることがあるとも思えねぇし。」

 

周囲の人間が私語を発したサーレーとホル・ホースをにらみ、二人は萎縮した。

 

「コホン。続けよう。その他にも様々な手段で攻撃を試みたが、そのことごとくが失敗に終わった。あの赤黒い空間は、相当厄介な特性を兼ね備えているらしい。」

「………。」

 

サーレーは過去に二度ほど本体と思しき男と接触したが、そこまで危険な男だとは思わなかった。しかし、現に理解のできない事態となっている。

近接戦闘はさほど強くなくとも、スタンド自体が極めて特殊だということだろう。しかしてその真実は、本体のイアンの妄想が肥大するほどに強力なスタンドに進化するという、厄介な特性を備えている。

 

「この異常事態を受けて、ヨーロッパ裏社会全体で手を組み、総力戦を決行する。文句にある奴、異論のあるチームは、今ここで俺に申し出てくれ。」

 

ミスタのその一言に、場は静まり返った。

本来このテの事案は、被害を受けた国が自国の戦力で対処する。しかし前例を裏切っての、ヨーロッパ総力戦である。

パッショーネは強大で逆らえないが、それ以前に本当にヨーロッパが危機にあるということをこの場にいる人間は理解しているのである。

 

「パッショーネから暗殺チーム。フランスからはローウェンが捨て駒を志願した。」

 

裏社会にその名を轟かすローウェンの捨て駒宣言に、場にざわめきが起こる。

 

「あいつは生きてたんですか!!!」

「………ああ。フランスの病院で発見された。今回の作戦では、あの男も相当肝を入れている。他には、イングランドの暗殺チーム。スイスとオランダとベルギーからは、個で強力なスタンド使いが少ないという理由で個人ではなく兵の数を貸し出されている。それと、スペインからウェザー・リポート。」

「ウェザー!!!」

 

ミスタの視線に、会議の一角にウェザー・リポートが参加していることにサーレーは気が付いた。

パッショーネから現在スペインに貸与されているウェザー・リポートも、個人で参戦を表明していた。

 

「それと………スピードワゴン財団から、パッショーネとの友誼により空条徐倫が参戦を表明した。目ぼしい戦力はこんなところだ。他の国は余剰戦力がなく、戦闘力にも不安があって足手まといになると辞退している。必要とあらば、こちらから戦力の融通を申し出ることになるが………。」

 

ミスタが場を見渡すと、幾人かの人間が頷いた。

 

「作戦の中核は、敵の首領と直接対峙した経験を持つサーレーが敵首領を討ち取ることを最上目的に据える。他の暗対は無視しても、最悪あとで対処が可能だとそう判断する。他の人間はみな露払いだ。命を捧げて血路を開け。」

 

ミスタの言葉に、一堂に会した人間は真剣な表情をした。

 

「戦闘部隊の総指揮は、俺が執る。個で強力な人間は、基本サーレーのサポートに回す。ローウェンは無為に使い捨てるにはもったいない。遊撃だ。勝手に考えて勝手に動いて、戦局を有利に回せ。パッショーネの暗殺チームは、みなサーレーにその身を捧げろ。サーレーはどんな手を使ってでも、敵を殺せ。」

 

会議室の扉が開いて、漆黒の殺意を目に宿したフランシス・ローウェンが入室した。

 

「最上暗対は首領のイアン・ベルモットだが、敵方には前回俺たちを軽くあしらった金髪の男もいる。奴を放置すれば、暗殺行動に支障が出るのは間違いない。戦力の配分は決定することが非常に困難だが、結局のところ各自自分たちにできる最善を尽くすしかない。健闘を祈る。」

 

会議室には殺意が渦巻き、作戦行動が開始される。

 

◼️◼️◼️

 

「あの回転木馬ヤロー、どうやって攻略するか………。」

 

マリオ・ズッケェロはホル・ホースと二人で、亀の中で頭を悩ませていた。

悩み事は前回遭遇した敵、オリバー・トレイル。感情と記憶を操る回転木馬を展開する難敵。

リーダーのサーレーが敵と雌雄を決する時、ズッケェロもオリバー・トレイルを超える必要が出てくるのではないかと、ズッケェロはそう予感していた。

 

「抗えない感情を支配するスタンド使いでしょ。その赤黒い空間の効果も考えると、攻略は非常に困難なものになると思うなぁ。」

 

亀の中のメロディオが、参謀として二人に助言をしていた。

ポルナレフが横で話に聞き耳を立てている。

 

「ふふふ。お前ら、まだそんなことに頭悩ませてんのか?」

 

ホル・ホースが自信ありげに、なにやら嬉しそうな表情を見せた。

 

「ホル・ホースおじさんは、なんか対策を思いついたの?」

「おい、言ってみろ!」

「ふふふ。とっておきは、本番で披露するものだぜ!」

「なんか嫌な予感がするな。」

 

いやに嬉しそうにニヤけるホル・ホース。首をかしげるポルナレフ。

本当に大丈夫なのかと、ズッケェロは首を傾げた。

 

「そろそろ作戦決行時間だ。準備は出来ているか?」

「バッチリよん。」

「おい!勝手に………。」

 

亀の外からサーレーが入室し、ホル・ホースの安請け合いにメロディオも微妙な表情を浮かべた。

 

「………まあいい。負けられない戦いだ。行くか。」

「ガンバってねー。」

「ガンバレよー。」

「………お前は気楽でいいな。」

 

ポルナレフと敗退したメロディオの間の抜けた応援に、サーレーは脱力した。

 

◼️◼️◼️

 

『ピンときた!!!インスピレーションを受けたッッッ!!!』

 

だ、そうである。

意味がわからない。と言いたいところだが、オリバーは経験上、イアンが唐突に何かを思いついた場合は実際にそれが必要となることが多いことを理解していた。イアンは直感が強い。イアンが天啓を授かれば、それはそのまま鬼札となる。

そして何かにインスピレーションを受けたイアンの指示。

 

『よし、イワシ!!!お前ちょっとショッピングモールに行ってマネキンをあるだけかっぱらってこい。』

 

わけがわからない。と言いたいところだが、イアンと長い付き合いのあるオリバーは、イアンが何にインスピレーションを受けたかその言葉で理解していた。わかるようになりたくなかったが、わかってしまった。それがわかってしまえば、イアンの同類、狂人の仲間入り。

イアンは、マインロッテ曹長のスタンドからマネキンが命を持って生きている妄想を抱いたのである。

 

イアンのスタンドの煉獄は日毎に倍々にその勢力を広げており、今やかなりの広域まで赤黒い空間が侵食してきている。

それを受けて国は近隣住民に避難の指示を出し、軍事基地の周囲にはすでにかなりの広範囲にわたって人の気配がなかった。

 

「これで全部か。なんだかなぁ。」

 

トラック型の軍用車の荷台には、三十体ほどのマネキンが積まれていた。不気味だ。

これが必要となるということは、次の戦いは前回にも増して敵の戦力が増量されているということなのだろう。

 

「となると、敵さんも本腰を入れてきたってことかねぇ。まあこれまでの経緯を考えれば、そりゃ本気で殺しにくるわなぁ。」

 

過去臓器密売組織の運営から始まり、スイスの暗殺チームを処分、スペインのカタルーニャで大量虐殺、イタリアのミラノで大量虐殺、フランスでは名所ノルマンディー橋を落とし、挙句に軍事基地を乗っ取り。最終目標は全人類の残り一人までの選別。これだけやれば、それは悪辣極まりないテロリストとして即刻処分されても仕方がない。とは言っても、イアンに政治的な思想があるわけでもないが。

 

テロリストが社会を攻撃する理由は、社会に不満があり、思想にいわゆる問題を抱えているからだ。

イアンは社会に不満を持ち、思想というよりはどちらかというと思考回路に問題がある。

まあ誤差の範囲だと言っても良いかもしれない。

 

「さっさと帰るとするか。」

 

今は周囲に人の気配が無いが、いつまた本拠地に敵襲があるとも知れない。

オリバーはさっさと運んで、帰還することにした。

 

◼️◼️◼️

 

「めっちゃ攻められてる………。」

 

オリバーがショッピングモールから軍事基地に帰還した時、そこはすでに戦場だった。

 

「………どうしたものか………。」

 

合流しようにも、オリバーのスタンドに戦闘力はない。

敵は前回よりも戦力を充実させ、煉獄のバックアップがあるにもかかわらずリュカとベロニカは劣勢、時間稼ぎに徹する様相。イアンの煉獄の特性も分析され、用心を重ねて地雷探知を周到に行なっている。不用意に攻撃を仕掛けず、遠巻きに精神を少しずつ削り取る持久戦、物量の差を活かした戦いを繰り広げている。

 

「タイミングが悪すぎるだろう………。」

 

回転木馬で一瞬注意をそらすことは出来ても、合流することは現状非現実的。

忘れ得ぬ記憶(ラスト・メモリー)を放って一網打尽にしてもいいかもしれないが、仮に上手くいったところでイアンがそんな戦いで満足するか甚だ疑問だ。

 

「うーん………やるか?」

 

銃弾が飛び交い、炎が舞い、砂塵が巻き起こる。

そんな基地の敷地を遠巻きに眺めながら、オリバーは腕を組んだ。

背後から急襲をかけてラスト・メモリーを放てば、敵の動きを停止させることが可能なはずだ。しかしそれにはリュカとベロニカと屋上のバジルも巻き込まれてしまい、結局オリバー無双が展開されることになる。オリバーは無意味に殺しを楽しむ性質ではない。

やれば圧勝できる可能性も高いが、躊躇してしまっていた。それに背後からの急襲には、敵に先に勘付かれてしまうリスクもある。先に勘付かれれば、煉獄の加護も戦闘力もないオリバーは遠距離から無数の弾丸の斉射を喰らい、お陀仏だ。

 

「グズグズしてたら俺もそのうち見つかるよなぁ………。」

 

オリバーが悩んでいると、トラックの荷台に乗せられたマネキンの目が光った。

 

「お、おい!!待てよ!勝手に動くなッッッ!!!」

 

慌てるオリバーを尻目に、荷台に乗った三十体ほどのマネキンは勝手に武器を携行してトラックを次々に降りていく。

 

「おいおい、どうなるんだコレ?」

 

オリバーは事態がどう動いても対応可能なように、緊張した。

 

◼️◼️◼️

 

「無理をするな!突出するな!互いを守り合うことを考えて、着実に一歩一歩進め!!!」

 

グイード・ミスタの率いる戦闘部隊本体は、互いに守り合い地面に埋められた地雷を警戒しながら、煉獄の陣地を少しずつ侵攻していく。

前回の戦いでは想定外に痛手を受けた。その理由は、戦いを殲滅戦だとそう認識したことにある。

 

どちらかがどちらかを撃滅する戦い、それはこの戦いの本質ではあるのだが、その前段階として周囲に展開された敵に有利な煉獄(ホーム)を攻略することが必須条件となる。前回の戦いでは煉獄を考慮せずに戦いを挑んだ結果、不運の連続で地雷が数多炸裂し、力攻めに終始し混乱した挙句、無為に幾人も部下を失ってしまった。

 

「ウェザー、爆煙を消し飛ばせ!!!」

 

今回の戦いでは分かりづらい要素を極力排除することにまず勤め、攻めよりも守りを重視し、早急な殲滅戦ではなく煉獄の勢力をそぎ取る陣取り合戦であるとそういう認識で戦いを挑んだ結果、これが今のところ想定以上に手応えを感じ取れる結果を出している。

 

不確定要素である天候を支配するスタンド使いウェザー・リポート、地雷を探知する器具、もともと敵よりも圧倒的に優位に立っている人数の力(マンパワー)、これらをフルに駆使し、まずは敵を赤黒い空間から追い出すことを主眼に置いた戦いを仕掛けているのである。

 

「いいぞ!その調子で、奴らを日干しにしてやれ!」

 

敵に近づき過ぎず、敵の嫌がることに終始する戦い。

遠距離からの射撃は当たらなくても敵の精神を疲弊させ、ウェザーが天候を支配することによって前回よりも射撃の精度が若干上昇している。地雷を前もって判別することで人員の離脱を防ぎ、人の力でサポートすることによって持久戦を可能にする。敵はそもそも寡兵で、近接に特化したスタンド使い。焦れて前に出てくるようなら狙い通り、どれだけ犠牲が出たとしても囲んで人数で圧殺する。

敵が攻めてくれば引き、浮けば囲み、少しずつ攻撃のための橋頭堡として部隊は相互補助しながら煉獄の空間を確保していく。

 

「うーん。やっぱり、冷静になられたら地力が違うね。コリャマズい。」

 

ウェザー・リポートの参戦は、ミスタの与り知らぬところで思わぬ収穫を出している。

空気中を漂うバジル・ベルモットの不幸のカラスアゲハの鱗粉を、吹き飛ばして無効化しているのである。

 

ここでの戦いは本戦ではない。

ここの戦いは暗殺チームの露払いであり、時間稼ぎでも許容できる戦いではあるのだが、だからといって無意味な戦いではない。ここで勝利することによって、敵の首謀者を焦らせることができる。敵が焦れば、采配を誤る可能性が出てくる。采配を誤れば、本戦の暗殺チームに対する強力なサポートとなる。戦場は無数の細かな要素で成り立ち、負けられない戦いを少しでも有利に動かすために必死に知恵を絞るのも宜なるかなである。

 

懸念事項である大量虐殺スタンドの可能性は消せていないが、敵の情報が足りてない状況で万事に卒なくというのは無理がある。

万一ここで負けても裏社会側にはマンパワーがあり、無差別大量虐殺スタンドを使用した場合敵も無傷とは思えない。万が一全員死んでも情報さえ遺せればよしと、ミスタは開き直った。

しかし、ここまで上手く運んでいた戦局が唐突に転機を迎える。

 

「馬鹿な!敵に援軍だと!!!」

 

敵は小規模の犯罪集団。今までほかに仲間と思しき存在は確認できておらず、自分から特級の殺害標的にされた犯罪者に加担しようとする酔狂な人間がいるとも思えない。

必然的に今見えている敵が全てであり、軍事基地の敵を掃討すれば勝利が確定するとミスタはそう思い込んでいた。その矢先。

 

「うわああああ!!!背後から、敵襲、敵襲だあああぁぁぁぁぁッッッ!!!」

「ありゃ、イアンはまたなんか変なことを思いついたんだねぇ。相変わらず頭がおかしいな。」

 

敵は二人の凶悪犯と、武装した二体のマネキン。

それに背後を付く形で不意に増援として現れたのは、三十体の武装した不死のマネキン集団。

不気味な上に、銃撃が大したダメージにならない。動くために必要な四肢を吹っ飛ばしてダルマにするまでその動きは止まらず、しかも前方の敵を襲撃していた最中の突如背後からの挟撃。

 

戦局は、混迷する。

 

◼️◼️◼️

 

【やあ、オリバー。ご苦労さん。】

「イアン………状況はどうなっている?」

【リュカとベロニカとバジルは外の奴らの対応中。金髪のクソヤローはイアンに制限解除の直談判。前回と同じで建物内部に数名の潜入者。その中でインチキ金髪に手に負えない獰猛な奴らと遊んでもらって、イアンは前の相手とランデブー。君も手頃な相手を充てがうから、適当に時間稼ぎをお願いね。】

 

軍事基地の廊下で、外の混乱のどさくさに紛れて帰還したオリバーは執刀医と鉢合わせをした。

オリバーは、執刀医のことをイアン・ベルモットのスタンドだと勘違いしており、執刀医も特にその誤解を解こうとはしていない。

 

「いいご身分だな。好きなことをやって、俺たち駒をアゴで使って。」

【そう邪険にしないでくれよ。君は有能で、私は君を気に入って応援している。人間は、力の及ぶ限り自身の幸福を追求するものだ。君の必死の努力を嘲笑う人間はきっと多いし、君の行為を糾弾する人間も多いはずだ。でも人間ではない私には、そんなもの一切関係ない。君は、君を応援している数少ない者を粗末に扱うべきではないと思うよ。】

「………しらじらしい。」

 

執刀医とイアン・ベルモットが等号で結ばれているオリバーは、煉獄の主人で最終決定権を持つイアンのその言葉に空寒さを感じた。

イアンは煉獄における最終決定権を持つが、それを行使するつもりはない。あくまでも個で煉獄を勝ち上がり、天へと上ってきた強者を尊重する意向だ。

 

【君が最後まで勝ち続ければいい。どこまでも勝って、天へと上り詰めるんだ。奇跡は起こせないから奇跡だなどと、知ったような口を利く赤の他人の言葉に耳を傾けるな。イアンも君が実力で残るようだったら、一切文句は言わない。イアンは煉獄を這い上がった猛者と戦うつもりだが、もしも君が残るようなら多少の融通はきかせるはずだ。イアンはあれでも君を評価しているし、感謝してるんだよ?】

「………。」

 

複雑な心境だ。

オリバーをここまでどうにもならない境遇に追い詰めたのはイアンであるが、イアンがいなければ息子は今頃この世にいなかった。それがたとえ問題の先送りに過ぎなかったとしても。

オリバー・トレイルは、大切なもののために邪神の手先となってしまったのだ。恩を受けた後で今さらそれをどうこう言うのは、恩知らず。しかし他人を害する呪われた生き方を強要された現状を厭う気持ちもある。

 

感情の混沌、迷い、苦しみ、怒り、懊悩、絶望。

その最後に残ったのは、無数の感情の混沌を勝ち抜いたのは………息子への愛情とそれに伴う邪神への忠誠心。

それがオリバーの心のパンドラの箱の奥底に存在する、希望だった。

 

【イアンからの指令(オーダー)を伝えるよ。あのど腐れ金髪が必要な人間を攫って、手頃なので暇潰しをするから、残ったのをいつものようにお願いね。】

「了解。まあ怒っても焦っても、現状は変わらない、か。」

 

諦めが上手くなった。イアンの狂気に馴染むこともできる。作り笑いも板についてきた。

結局、やれる事をやるほかない。

 

環境に慣れ、柔軟な対応をしてきたオリバーは、軽薄に笑って軍事基地の廊下を歩く。

いつも通り偽りの笑みを浮かべて、主人から出された指示をこなしに向かった。



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イアン・ザ・スーパー

「一時退却!!!互いをサポートしながら引けッッッ!!!」

 

赤黒い世界に、グイード・ミスタの指示が響き渡る。

いわゆる転進、その実態は、不慮の事態に対する保守的な指示である。

が、致し方ない。前回は無理を通そうとした結果、多くの死者を出した挙句に実りはなかった。

 

「クソッッッ!!!本当にわけがわからねぇ!!!なんだってマネキンが動いて、いきなり敵の増援に現れるんだ!!!」

 

忸怩たる思いに、ミスタは爪を噛んだ。

ここまで順調だった敵地制圧計画、それが目前の敵と戦っている最中に、突如背後から謎のマネキン集団の奇襲を受けた。

煉獄は日毎に表面積を倍々に広げていっており、その進行速度は爆発的だと言って良い。

 

「一体あと時間はどれだけ残されている………。」

 

明日になれば二倍、明後日で四倍、四日後で十六倍、表面積が十六倍になれば、その一辺の長さは四倍になる。

煉獄の始動からすでに十七日が経過しており、最初は一辺十mほどだったその広さは、今はすでに一辺あたりおよそ2.5km。明後日になれば一辺5kmを超え、どんどん制圧することが困難になる。そしておよそあと二十五日前後、その時には煉獄は地球全体を覆い、全人類がイアン・ベルモットの狂気に侵されて殺し合いを始める。殺し合いを勝ち残った一人が人間を超えた何かに成り、創造主たるイアンに反旗をひるがえす。

その一連の劇が、イアンの狂者の煉獄の能力の全容である。

 

「サーレー………。」

 

本当に厄介な敵だ。

追い詰めたと思ってもわけのわからない手段で覆し、謎の強力な敵を擁し、目的も行き先も不明なまま誰も彼もが強制的に踊らされる。

頼みの綱は別動のパッショーネ暗殺チーム、そしてこちらの鬼札であるフランシス・ローウェン。

 

イングランド、クイーンズの親衛隊長であるジャック・ショーンを始めとした幾人かの強力なスタンド使いは、何かあった場合に融通の利く戦力、後詰として置いてきてしまった。こんな混戦に巻き込まれるとわかっていれば連れてきたのだが、ミスタは大量虐殺スタンド能力の行使による一網打尽で、強力な手駒が全滅する事を恐れていたために戦力を逐次投入の形にせざるを得なかったのである。

 

「五人一組、互いを守る事を最優先に考え、ウェザーは天候の利を敵に奪われないことに集中しろ!!!ウェザーの近くにいる人間は、命を張ってウェザーを守れ!!!急がず相手の行動を注視し、ここまでに確保したポイントを経由して退却だ!!!」

 

敵マネキンは、およそ三十体。恐ろしいことは、これが次に来た時に数が増えてないとも限らないこと。

敵を誰も落とせず、割合で見れば被害は前回よりも圧倒的に小さいが、総数で見ればマンパワーを大量投入した今回の被害は前回以上。その結果は前回と同じく、時間稼ぎからの暗殺チームに任せきりの同じ轍。確保したポイントを経由して、ポイントごとに小規模の遠距離戦闘を行いながら時間を稼ぎつつの退却。

 

グイード・ミスタは、胸の内の悔しさを噛み殺して退却する兵士を追い立てた。

 

◼️◼️◼️

 

「テメエ!!!サーレーをどこにやった!!!」

「コイツが………。」

 

軍事基地内部の廊下にて顔をつき合わせているのは、敵の金髪の男とマリオ・ズッケェロ、ホル・ホース、それに今回新たに参戦した空条徐倫。

 

彼らパッショーネ暗殺チームは、サーレーを先頭に赤黒く染まった軍事基地の内部を敵を捜索して徘徊していた。

そして突如目の前に金髪の男が現れ、サーレーは神隠しに遭い、今現在ズッケェロは敵意を剥き出している。

 

「あの男は、イアンのお気に入りだ。」

 

イアンからの指令(オーダー)は変な髪型の男を拐えというひどく雑なものであったが、実際に確認してみると簡単に判別が可能だった。

金髪の男はそれだけ返事すると、値踏みをするように目の前の相手をマジマジと眺めた。

 

「前回のオリバーと戦った二人組。女は新顔だな。」

 

この世はつまらない茶番劇。

イアンがわけのわからない妄想力で、彼を信じられないくらい強力なスタンド使いとしてこの世に産み落としてしまった。おかげで必死になることもないし、力の行使に変な制限もかけられている。

 

仕方がないから退屈しのぎに手頃な敵と遊ぼうか。

それくらいしか彼にできることはない。

 

「お前らの相手はオリバー。なら俺の相手は女か。」

「徐倫ッッッ!!!」

 

金髪の男がそう呟くと、徐倫と金髪の男はサーレーが消えたように再び神隠しにあってしまう。

 

「お前ら、また来たのか。まあお前らの立場で考えりゃあ、尻尾巻いて逃げるってわけにもいかないわな。」

「テメエッッッ!!!」

 

廊下をふと振り返れば、ノスタルジー。

軽い笑顔でヘラヘラと笑ういじられ系の三枚目。そして、イアン・ベルモット唯一無二の腹心の配下。

 

金髪の男が消え去った後の廊下を、ズッケェロの背後からオリバー・トレイルが軽薄な笑みを浮かべて歩いてきた。

 

◼️◼️◼️

 

「久々、というほどでもなし。マイフレンド。立て続けの三回目の逢瀬。運命、気になるあなた。フレンド申請を送っておくから是非とも受諾してくれたまえ。」

 

不気味な手術室、軍事基地でも一際赤黒いそこで彼らは三度相見える。

サーレーは暗殺チームの同僚と一緒にいたはずが、気付いたら一人手術室、白衣をはためかせたイアン・ベルモットと相対している。

 

ーーイアン・ベルモットさんからフレンド申請の申し込みをいただきました。お受けしますか?

 

「………お前、なんでもアリかよ。」

 

サーレーの眼前の手術室の空中に、意味不明にシステムウィンドウが表示された。

イラついたサーレーはクラフト・ワークの拳を振り、こなごなに叩き割れたシステムウィンドウはガラスのように砕け散って空中に消えていった。

 

「ああ。ふられてしまった。世知辛いよ、マイソウルフレンド。人生心に余裕が必要だと、君はそうは思わないのかい?」

「………煙に巻こうったって無駄だ。」

 

もう三度目の邂逅。だいぶわかってきた。

この男は、話すだけ無駄だ。真面目に取り合おうとしても、時間を無為に浪費するだけに終わる。

 

いっそ清々しいまでに、凶悪極まりない暗殺対象。

サーレーはクラフト・ワークを具現し、刹那の間に脳裏に暗殺の手順を思い描いた。

 

ラニャテーラを展開、相手がわずかでも困惑した隙に的の大きい腹部を攻撃で突き破り、そのまま固定。トドメに逆手で頭部を消し飛ばす。

前回と同じ手順。しかし前回敵の腹部を破ったはずが、敵に後遺症は見られない。なんらかの回復能力持ちの可能性アリ。

 

周囲を旋回する炎は、喰らってダメージを受けても直撃を受けて即死さえしなければ許容できる。コマ送りを発動して軌道を見極め、致命傷だけは回避する。

一秒にも満たないわずかな時間に思考を定め、殺意に精神を凍らせ、サーレーはラニャテーラを展開してコマ送りを発動してイアンへと走り迫る。

 

「永遠に地獄で苦しめ、クソワナビ。」

いいや(Non!)私はワナビではない!(I’m not wannabe.)私は超人だ!(I am superman.)

 

サーレーが部屋を走ってイアンに詰め寄ろうとすると、イアンは拳を握って両手を上方に突き上げた。

その行動を合図のようにして、イアンとその背後に浮かぶ執刀医は手術室の中を浮遊した。

 

「はあ?!」

「君のその能力は、詳しくは知らないが部屋の壁や床を伝播しているのだろう?なら宙に浮いていれば効果が無い。スーパーマンが空を飛べるのは、この世の常識だろう?」

 

イアンは人差し指を立ててサーレーに説明した。

 

すでに、前回の戦いを踏まえたアップデートは完了している。

クレイジー・パーガトリィ、イアンの妄想は、彼の部屋の中で現実のものとなる。

イアンの妄想が肥大するほどに、その能力は進化する。

 

もともと、イアンのスタンドであるクレイジー・プレー・ルームは可能性の塊だった。何しろイアンが妄想を信じ込みさえすれば、それはなんであろうとイアンの部屋の中で現実に形を成す。

イアンのスタンドには、進化のための試練など本当は必要ない。イアンのスタンドがなぜこんなにも異常なスペックなのかと言うと、それはイアンのスタンドの部屋の正体が何なのかというところに依存する。

 

ならばなぜイアンは、矢のウイルスやパープル・ヘイズ・ウイルスで苦難だなんだのごちゃごちゃやっていたのか?

 

それは、イアンの能力のアップデートに必要な儀式だからである。

苦難という儀式を乗り越えた主人公は、成長していく。そういったイアンの妄想。それはイアンが自分のスタンドが進化したと信じ込むために必要な経過だったのである。イアンがそれを信じ込めるのであれば、実際はその儀式内容は問わない。

そして今のイアンはサーレーという好敵手を得てテンションが上がり極限まで集中力が跳ね上がっており、儀式を経由せずとも己のスタンドを進化させることが可能になっていた。

 

「さあ、まさかボスである私に、同じ戦法が二度通用するなどと考えていないだろう!見せてくれ!君の真髄をッッッ!!!」

「………コイツはどんだけ面倒でイカれてんだ?」

 

イアンは両手でそれぞれ丸を作って、それを自身の両目にあてた。

 

無限大を表すハンドシグナル、それが彼のトレードマーク。

煉獄の空の支配権を持ち、無限の妄想と狂気を力に変える超人、イアン・ザ・スーパー。

少年のその場の思い付きのスーパーヒーロー。

 

「さあ、本気でかかって来い!この俺が………この正義のヒーロー、イアン・ザ・スーパーが貴様を成敗してやるッッッ!!!」

「………。」

 

………一人称まで変わっている。

サーレーは理解したくなかったが、理解してしまった。この男、道理で言葉が通じないわけだ。

 

この男は、ズバリ宇宙人だ。

生物学的に地球人でも、地球とは違う常識、倫理、思考、行動原理に突き動かされている。ゆえに地球人の殺戮を躊躇せず、社会とまるで相容れない。根本的に、生物としてのカテゴリーが異なるのだ。

その辺の犬や猫の方が、まだ意思の疎通ができる。

 

無意味に疲れる。

サーレーはかぶりを振って、殺意を隠してイアンの下へと近付いていく。

 

◼️◼️◼️

 

時を操る具現、強大なスタンド、ザ・ワールド・アナザーヘヴン。

深い青色の大きなスタンド、その首には鎖で繋いだ懐中時計をぶら下げている。

 

「女、名を聞いておこう。」

「空条徐倫。」

 

軍事基地の室内演習場にて、金髪の男と空条徐倫は向かい合い、拳を交わす。

 

「むん!!!」

「はあッッッ!!!」

 

巨大な力を持つ金髪の男のスタンドが拳で殴りかかり、徐倫のスタンドの束ねた糸がしなやかに形状を変化させてそれを受け流した。

徐倫はそのまま男の懐に侵入して、反撃した。

 

「硬いわね。」

「糸のスタンド………。ふむ、強いな。」

 

男のスタンドは微動だにせずに、徐倫のストーン・フリーのラッシュを手の平で弾き返した。

 

「空条、空条か………。」

 

男に課せられたルールは、ジョースター一族以外の殺害禁止。

ジョースターと空条は、等号で結ばれている。しかし男は、それに気付かない。

 

「日本人か………。」

「一体何の話を………?」

 

気付かないのも当然だった。男は、イアンの妄想により生み出された存在。

イアンは裏社会の住人でもあり、裏社会で有名だったディオ・ブランドーの伝説も聞き及んでいた。眉唾な噂ではあるが、時間を操る最強のスタンド使いであると。

 

ただしイアンのそれはあくまでも伝聞で、イアンが知るのはブランドーとジョースター一族に因縁があるということだけ。その具体的な内容は知らず、ディオ・ブランドーは感覚でジョースター一族を感じ取ることが可能だということも知らない。男の記憶はイアン・ベルモットの妄想から生じた記憶であり、そのためにディオ・ブランドーと空条徐倫の間にエンリコ・プッチという因縁があるということも知らない。そこに齟齬がある。

 

そして空条徐倫の方も、ブランドーの存在を感じ取ることは出来てもそのまがい物までは感じ取れない。そもそもジョースター一族がディオの存在を感じ取れたのはディオの体がジョースター一族のものだったからであり、金髪の男の体組織成分には一ミリもジョースター成分が含まれていない。こんなもの、察知できるわけがないのである。

 

「こちらの話だ。………まあ時間潰しの相手にはちょうどいいか。」

 

男の筋肉が膨張し、一足跳びに空条徐倫に走り迫る。

しかし、男の体は突如停止した。

 

「何ッッッ!!!」

 

何があったのかと男が自分の体に振り向いた瞬間、空条徐倫が前に出て男に攻撃を仕掛けた。

 

「チッ!!!」

「甘い!!!」

 

いつの間にか男の体には糸がからみつき、それは幾重にも束ねられて膂力で引き千切れない。

体の動きをひどく制限された男に、空条徐倫は瞬時に懐に入りいくつもの拳を叩き込んだ。

 

「クソッッッ!!!調子に………!!!」

 

男が空条徐倫を見据えるも、空条徐倫の姿が見えない。いつの間にか消えた徐倫に男は困惑した。

しかし次の瞬間。

 

「グゥッッッ!!!」

 

男の首には糸がかけられており、男の背後に空条徐倫が現れた。

糸はギチギチと音を立てて男の首を絞め上げ、不死身の吸血鬼であるはずの男も苦しみに声を上げた。

 

「喰らえッッッ!!!」

 

ストーン・フリーが糸を束ねた拳を振り上げ、男の頭部を潰そうと振りかぶった。

男は堪らずに懐中時計を手に取り、ネジを動かして時間を停止させた。

 

「なんだコイツはッッッ!!!マジで強いッッッ!!!」

 

空条徐倫が強いのは当然である。

彼女は正当な存在であり、広大なアメリカでも強者の呼び名をほしいままにする。

男は時間を停止させる能力を使用するつもりはなかったのだが、空条徐倫はスタンドの能力無しにあしらえるほど簡単な相手ではなかった。

 

「どこだッッッ!!!」

 

停止した時間の中で、空条徐倫の存在が消滅した。

男は事態が飲み込めずに周囲を見渡した瞬間、男の首がボロリと地面に落下した。

 

ストーン・フリー、フリー・ワールド。

糸を極限まで薄く延ばせば、線になる。それはしなやかで鋭い二次元の刃。男の周囲にはそれが張り巡らされている。

空条徐倫は、二次元と三次元の世界を自由に行き来する。

 

「この女………!!!」

 

男は自身の落ちた首を拾い、接着した。そして懐中時計の針を巻き戻す。

すると時間が少しだけ巻き戻り、空条徐倫が輪郭を取り戻し、男は徐倫が世界に溶けていく様を懐中時計の針を操作してつぶさに観察した。

 

「………糸。なるほど。糸を極限まで薄く延ばして、大気と同化した刃。さて………どうするか?」

 

この女は強い。

彼は能力を十全に行使すれば殺せるが、それではつまらないとイアンに禁止されている。

 

中間がない。

一方的に甚振るか、敵の能力を好きに行使させて敗北するか。火花散る戦いという中間が存在しないのだ。

こんなもの、一体どうしろと言うのだ?

 

「………。」

 

男に出された指令(オーダー)は、時間稼ぎ。

ここでこの女を一方的に甚振って勝利したところで、あの不気味な執刀医に何と言って難癖をつけられるかわかったものではない。

つまらない玩具はゴミ箱行き。男は与えられた境遇に、不満を感じた。

 

◼️◼️◼️

 

「お前は………。」

 

基地の敷地内での戦闘は小休止を迎え、グイード・ミスタはいったん煉獄から退却して天幕にて休憩していた。

死者と負傷者を確認し、部隊を再編成し、再度戦場へと向かうために英気を養っていた最中。

 

「やめろよ。銃を向けないでくれ。俺を殺すとお前らは死ぬほど後悔することになるぜ。」

 

天幕に現れたのは髪を後ろに縛った男、バジル・ベルモット。

イアン・ベルモットの弟にして、軍事基地の屋上からミスタを眺めていた男だった。

 

「………何が言いたい?何をしに来たッッッ!!!お前は一体、何者なんだッッッ!!!」

「………俺はイアンのおもちゃだよ。主人のイアンが俺がここで戦って死ぬ運命にあると定めたから、俺は今ここにいる。リュカもベロニカも金髪も、皆同じだ。それに気づいているのはリュカだけだがな。」

 

ミスタは銃を構えて詰問し、バジルは両手を上げて降参のポーズをしたまま答えた。

 

「バジル・ベルモット。お前の親が国に戸籍を提出した時、お前の両親は役所でもめている。お前の親はお前を息子ではないとさんざん言いはった後日に、その発言を撤回している。役所に戸籍が提出された時期もおかしい。お前は四歳の頃、国に戸籍を提出された。それ以前はこの世に存在しないことになっている。お前は一体、何者だッッッ!!!」

「だから言ったろ。イアンのおもちゃだって。………お前らももうわかってんだろ?イアンは、妄想から人間を生み出すイかれたスタンド使いで、俺はイアンに生み出された都合のいいコマ。子供が砂場で捏ねた泥人形、妄想より出でて、時期が来たら消滅する陽炎のような存在だ。………知っているか?あいつマジに食材と生命の区別がついてないんだぜ。だから生命が冷蔵庫から生まれる。イかれてるにもほどがあるだろう。俺って、電子レンジと冷蔵庫から生まれたんだぜ?」

「副長ッッッ!!!」

「待てッッッ!!!」

 

バジル・ベルモットは、自嘲した。

異変に気付いた武装したミスタの部下がバジルを取り囲み、ミスタは部下を制止した。

 

「………お前がここに来れば俺たちに殺されることはわかっているはずだ。お前はここに何をしに来たッッッ!!!」

「取引だよ。」

「取引?」

 

ミスタは疑惑の表情を浮かべた。

 

「俺はここでどうやっても死ぬ。リュカもベロニカも金髪も同じだ。生き残る可能性がわずかでも存在するのは、おもちゃではないイアンとオリバーだけだ。………俺はどうせ死ぬのなら死に方を選びたい。イアンに作られたチョコラータって男は、死ぬ時に人間として処刑されたんだろ?出来れば俺も、捕まったら人間として処刑してほしい。」

「………。」

 

バジル・ベルモットは疲れた顔で、無表情をしていた。

 

「対価に情報をやるよ。値千金の情報だ。煉獄、あの赤黒い空間は、運命を操作している。実力じゃねえ。お前らは不運に見舞われて、敗北したんだ。だがそれは決して無敵の能力じゃない。イアンは苦難を乗り越えることを何よりも好む。実力のある人間であれば、攻略できないわけじゃねえ。煉獄を攻略するには数よりも質。そして………。」

「そして?」

「これが何よりも肝心だ。絶対に間違えるなよ。イアン・ベルモットは、世界が素晴らしいものだとそう信じることを願っている。世界が素晴らしければ、煉獄は失敗して未完成のまま消滅する。………イアンを攻略するためには、イアンを手段を選ばずに殺すんじゃねえ。劇的な展開を演出してイアンを楽しませるんだ。そうすりゃあ、アイツは喜んで自分から勝手に死地へと飛び込んでいく。逆に、世界がつまらないなら、イアンは絶望して世界の破滅を望むようになる。煉獄が完成すりゃあ、世界はイアンのおもちゃだ。そうなったら終わりだよ。好敵手を演出して、今のところはうまく行っていると言える。決して余計なことはすんな。」

 

イアン・ベルモットは童話の主人公。

苦境にあって仲間が助けに来、苦難を超えて成長し、物事の結末を思い通りに導いて行く。

それがイアンの能力の本質。イアンを倒せば勝ち、ではない。イアンを納得させれば勝ちなのである。

 

それだけ告げると、バジルは背中を向けて天幕を退出しようとした。

 

「待てッッッ!!!」

「………言ったろ?つまらないことをすると、イアンが逆上するぜ?俺を止めるなよ。せっかく今までは、上手く行ってるんだからさ。俺はイアンのコマとして動かなきゃいけねえ。お前らは十分警戒してるつもりだろうが、実際はお前らが考えているよりもイアンの能力ははるかにやべえ。いつか俺に感謝する日が来るぜ。」

 

バジル・ベルモットのこの行動さえも、イアンの無意識の支配下にある行動だ。

バジルにはそれがわかっていたが、あえて黙っていた。

 

彼らはイアン・ベルモットの人形。

イアンの望む行動をしている間は生かされるが、イアンが興味を失ったりその存在意義に疑問を感じたりした途端に消滅する。

 

イアンに敵対するなどできない。

イアン・ベルモットの恐ろしさは、たとえ彼らがイアンの不利益になる行動をとったとしても、最終的にイアンの思い通りの結末に収束するところにある。それがイアンのスタンドの特性の一つ、起こりうる事象のうちで最もイアンにとって都合のいい展開の真髄である。

バジル・ベルモットはそれを熟知していた。

 

イアンを暴君だとは思わない。

物事が全てイアンの思い通りだったとしても、運命が縛られていたとしても、無であった彼らが今生を受けているのは奇跡でしかない。

生きることができるのならば、誰かに支配された人形であったとしても構わない。生にはそれだけの価値がある。

バジル・ベルモットは、そう解釈していた。

 

たとえイアン・ベルモットに支配された人形であったとしても、許された範囲の中で人生の幸福を求めることは可能だ。

たとえ誰に望まれなくとも後ろ指を刺されても、自分は今ここにいる。それが全てだ。

 

うるさい奴は、力で黙らせればいい。それが煉獄の掟。

煉獄に生まれた者たちは、他者を押し退けてでも生まれただけあって皆精神的にタフなのである。

 

「副長!!!」

「………行かせてやれ。」

 

ミスタはバジルの言葉の真偽を疑ったが、バジルが危険を犯してまでここまで来たことを鑑みて手出しは危険だとそう判断した。

バジルがもたらしたのは、少なくとも検証する価値はある情報ではある。生かして返せば、また情報が入る可能性がある。今は喉から手が出るほどに、情報が欲しかった。

 

「………俺たちもお前らも本質は一緒だ。限られた時間、許された範囲、定められた制約の中で、可能な限り自身の幸福を追求する。それが生きるということ。俺は他人が不幸になるのを見るのが好きなろくでなしだが、何もしてねえ他人を無意味に殺したいと願うほどにはイかれちゃいねえ。俺は狂人に生み出された妄想に過ぎないが、それでも生まれてきたことに感謝している。」

 

バジル・ベルモットはミスタにそれだけ告げると、天幕から去って行った。

 

◼️◼️◼️

 

「ふふふふふ。さあどうした、サーレー、我が終生のライバル!!!お前の実力は、こんなものか!!!」

 

地平の果てまで面倒臭い男、イアン・ベルモット。

イアンは向かい来るサーレーから白衣を翻し部屋の空中を飛翔して逃げ回り、サーレーめがけて浄化の炎を投げつけてくる。サーレーはイラついて最短距離を走るが、走行路を浄化の炎が行く手を塞ぐ。イアン・ベルモットは天井付近で高笑いをしており、ムカついたサーレーは近くにある冷蔵庫を力任せにぶっ叩いた。冷蔵庫は音を立ててドアが半開きになる。

 

「ああッッッ!!!私の冷蔵庫!!!貴様ッッッ!!!よくも!!!」

 

イアンは空中で顔を歪めて、サーレーを指差した。

フルスロットル・イアン・ベルモット。妄想は極限を迎える。

 

「おおおおおおおおッッッ!!!貴様!!!私の怒りを喰らえッッッ!!!イアン流星群ッッッ!!!」

 

狂人の妄想は天を突破し、イアンの声に呼応して赤黒い部屋は拡張された。

拡張された部屋の上空を浄化の炎が無数に浮かび、あたかも流星群のごとく地上のサーレーめがけて降り注ぐ。

 

「クソッッッ!!!」

 

イアンは、実力だけは本物だ。実力だけは。

サーレーは空間を固定して降り注ぐ炎を停止させようとするが、イアンのクレイジー・パーガトリィの能力が作用した部屋の空間はなかなかうまく固定できない。空間を固定する能力は発現が比較的最近で、スタンドパワーも多く使用する。

サーレーはコマ送りを使用して、迫り来る無数の浄化の炎を紙一重でかわし続けた。

 

「クソッッッ!!!宇宙人が!!!」

「………ふむ、私が宇宙人。ふむ。」

 

イアンは上空で腕を組んでなにかを考え込み、突然片手を天に向かって突き上げた。

 

「出でよ!!!UFO!!!」

「なにッッッ!!!」

 

まさか………サーレーは呆気にとられて、唖然とした。

クレイジー・パーガトリィ、イアンの妄想は、イアンの部屋で現実のものとなる。

 

「………なにも起こらないぞ?」

「むっ!!!」

 

残念ながら、UFOはこなかった。

これはイアンの無意識下の、自重である。さすがにこの大一番で戦いに全く関係ないUFOと支倉未起隆がどこからともなく現れて、勝敗を分けるなどとなったら、なんかもう色々と台無しな感じが凄い。マジで萎える。

テンションの上がりきったイアンではあったが、ギリギリUFOを呼び寄せないだけの理性はまだ残されていた。

 

【イアン、ノリで行動するのは良くないよ。もうちょっと考えて行動しようよ。】

 

イアンは、背後の執刀医にも窘められた。

イアンは一瞬ブスっとした表情を浮かべたが、すぐに気を取り直す。

 

「………さあ、君はこの私を攻略できるか!あ、攻略とは言っても恋愛的な意味では、断じてないッッッ!!!」

「んなもんわかっとるわ!!!」

 

イアンのあまりのカオスっぷりに、無視を決め込んでいたサーレーも反射で突っ込んでしまった。

 

「さあ行くぞ!これを喰らえ!!!」

 

コマ送りに流れる時間の中で、雨霰となって降り注ぐ浄化の炎をサーレーはかわし続ける。

クラフト・ワークが強く緑色に染まり、原子の海のスタンドは床に両手をついた。床の材質を振動で分解、のちに固定して再構成。床から剣を取り出して剣舞、浄化の炎を撃墜した。回転し、踊り、流れに逆らわずに剣を振るクラフト・ワークのその様は、流麗な戦舞い。その姿にイアンは見惚れ、しばし恍惚とした。少年心(ワクワク)が止まらない。

 

「はッッッ!!!私を攻略するために、まさかそんな手を使ってくるとは………。私は恋愛対象ではないと言っているのに………。」

【イアン、もう少しだけ真面目に戦わない?】

 

つくづく理解の出来ない男だ。

残虐非道な行為を行い、無数の屍を作り出したにも関わらず、自分のスタンドとまるでコントのようなやり取りをしている。

サーレーは心の中で首をかしげる。

 

イアンはふざけているわけではない。大真面目だ。

ただ完成された本物の狂気とは、常人には決して理解出来ないだけである。

イアンは他者の死に対して、なんの感慨も抱いていないのである。

 

そんなサーレーとは無関係に、イアンの若干下がったテンションは再び上昇していく。

 

「ならばこれは撃ち落とせるかッッッ!!!喰らえッッッ!!!イアン・ストームッッッ!!!」

「グゥッッッ!!!」

 

イアンの妄想は室内に旋風を巻き起こし、燃え上がる浄化の炎が風に溶けて熱波を撒き散らす。

サーレーは避けきれないと見るや、体を半身にして最小限に被害を抑えて防御した。体の表面が焼け焦げて、髪がチリチリになりタンパク質の燃える匂いが室内を漂った。

 

「立て続けにッッッ!!!イアン・スパイラル!!!」

 

室内で起こった旋風は回転し、球体化した浄化の炎を運んで螺旋を描いて上空からサーレーへと殺到した。

コマ送りになって緩やかに流れる時間、ある球体は剣で撃ち落とし、ある球体は飛んで避ける。一つのミスが先行きを詰ませる、紙一重の詰将棋。戦闘経験豊富なサーレーは、冷酷に間違いを犯さずに時間を一コマ一コマ丁寧にさばいて、戦局を進めていく。

 

「フハハハハ!!!今が好機なりッッッ!!!」

 

旋風に伴う熱波の被害を減らすために、まぶたを下ろして半目になったサーレーに好機を見たイアンは、両手を前に突き出して空中からサーレーめがけて突進した。

サーレーは冷静に思考を凍らせ、最善の対応を模索する。

 

「喰らえッッッ!!!」

 

片手を振りかぶって上空から加重した一撃を、クラフト・ワークは歯を食いしばって耐え忍んだ。

そのまま攻撃を受けた箇所を能力で固定し、イアンを拘束する。反撃の剣を縦切りに振りかぶった。

 

………逃さない。

このタイミングなら、真っ二つだ。サーレーの瞳が漆黒の殺意で、怪しく黒光りした。

 

「むっ…………これはまずい。瞬間移動(テレポート)ッッッ!!!」

「お前ッッッ、なんでもアリかッッッ!!!卑怯だぞ、このインチキヤローがッッッ!!!」

 

攻撃が当たるはずの瞬間にイアンの体はブレて、別の場所に姿を現した。サーレーの剣は空振りする。

あまりにあんまりなイアンの能力にサーレーは、無意味と知りながら思わず負け惜しみを叫んでしまった。

しかし無意味なはずのそれは、イアンに劇的な効果をもたらした。

 

「インチキ………卑怯………私がッッッ………。」

【あーあ、指摘されちゃった。ほらー、後先考えずに行動するから。】

 

狂人には狂人なりの、矜持が存在する。

イアンは遊びのルールを守ることを大切にしており、それを破ることを決して良しとしない。

遊びはルールがあるからこそ、楽しいのである。

 

ギャンブルのイカサマは許す。スポーツの八百長も許すし、詐欺師や愉快犯、なんなら殺人だって許す。

奴らは、よくわからんが多分奴らなりの利害関係や金が絡んで奴らなりに本気だからだ。

イアンは他人の本気にケチをつけるような無粋なことはしない。

 

だが、遊びのインチキだけは許せない。遊びのルールを犯す奴は、絶対に許さない。

なぜなら、遊びの楽しむという神聖な行為をコケにしているからであるッッッ!!!

人生は結末が死であると決まりきっているのだから、過程を楽しむことは人生の意義そのもの。

 

人生をコケにする奴は、ぶっ殺すッッッ!!!

神聖なそれを犯す者はまさしく、吐き気を催す邪悪だと言っても過言では無いだろう。

 

では何がインチキで、何が卑怯なのか?何がルール違反なのか?

 

まずスーパーマンは空を飛ぶ。

これはいい。これは万民の共通認識だと言っても差し支えない。

 

だがスーパーマンは瞬間移動をするかと聞かれると疑問符が浮かぶし、イアン流星群やイアン・ストーム、イアン・スパイラルも正義の味方的に完璧にアウトだ。絵面が完璧に悪役だし、主人公が万能超人でそうなんでも思い通りに出来てしまえば本人はきっとつまらない。

スーパーマンは、卑怯であってはならない。

 

これはもうインチキと言われても致し方無いし、そもそもイアンは正義の味方などではない。

イアンは自身の定めたルールを逸脱したと、自分で認めてしまった。

 

「………。」

 

狂人が疑問を感じた瞬間に、狂気の魔法は解けてしまう。

イアンのテンションは急激に降下し無口になり、イアンの機嫌の乱高下にサーレーは戸惑った。

 

この戦いはイアンにとって劇であり、遊びであり、人生の全て。

だからこそ、少なくともイアン自身は狂人の誇りにかけて定めたルールを守らねばならなかった。

 

「………ぁとはまかせた。」

【ちょ………イアン!!!】

 

ーーハイパーイアンタイム終了の、お知らせです。

 

おかしなタイミングで、システムウィンドウが自己主張する。

イアンはひどく落ち込んで、しょげ返った。わかりやすく言えば、調子に乗った酔っ払いが突然素面に戻った状態である。

戦いを全て執刀医に放り投げ、拡張されて無意味に広くなった手術室の空中に、体育座りをした。

 

「テメ、降りてこいッッッ!!!」

 

空を飛ぶのはスーパーマンに許された権利。だがそれだけ。それ以上は認められない。

イアンの能力はイアンの妄想に依存しているため、恐ろしく不安定でピーキーなのである。

 

【しょうがないなぁ。】

 

イアンのわがままを受けて、執刀医が手術室の床に降り立った。

イアンの代わりにサーレーと戦おうと周囲の浄化の炎を操ったその時………。

 

誰にとっても想定外の出来事。

特大の狂気が、煉獄全域を無差別に襲った。



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逆鱗

意味も、理由も、道理もない。

無意味に停止した時間の中で、この糸女をいつまでも眺めていても仕方がない。

 

「面倒はさっさと終わらせて、フットボールゲームの続きでもするか。」

 

背伸びをしてから金髪の彼は懐中時計の針を、先に進めた。

空条徐倫が面白いように動き、時間を支配した世界の中で彼はそれを少し離れてぼんやりと眺めている。

 

自分は何のためにこの世に生まれ落ちたのか?何を目的としているのか?人生の意味とはなんなのか?

それが理解できないまま、誰かに望まれてここにいる。

 

彼が唯一執着するのは、ジョースター一族のみ。それさえも実は、捏造された記憶である。

とりあえずのところは仕方がないから、あの不気味な執刀医とフットボールゲームを楽しむのを趣味にしておこうか。

 

「………ッッッ!!!」

 

突然、とてつもない寒気を感じた。激しい頭痛と全身の痺れを感じ、手中の懐中時計を手からとり落とす。

 

「一体何が………?」

 

気のせいだったのか?理由がわからず、あたりを見渡すも今は特に異変は感じ取れない。

彼は床に落ちた懐中時計を拾い、気の迷いだと己を納得させて再び時計の針を先に進めた。

 

【ギャアアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ヴァヴァヴァヴァヴァアァァァァァッッッッッッッッッッ!!!】

「うぐあああああああああああああっっっっっっっっっっ!!!」

 

時間を進めた瞬間、どこからともなく凄まじい狂気の波動が彼を襲い、彼は時計を再び床に落として気絶した。

 

◼️◼️◼️

 

「………?」

 

何が起こっているのか、わからなかった。

サーレーの鼻からトロッと鼻血が流れ落ち、サーレーは無意識にそれを袖で拭った。直後に、特大の頭痛が彼を襲った。

 

「うああああッッッッッッッッッッ!!!」

「………ッッッ!!!」

【頭が、頭が痛いッッッ!!!脳が溶ける、崩れるッッッ!!!】

 

執刀医が宙から床に降り立ったその瞬間、煉獄全域を狂気の咆哮が襲った。

宙に浮かぶイアンは即座に失神して叩かれた蚊トンボのように床に落ちてうつ伏せになり、サーレーも床にへたり込んで、割れるような頭痛に本能的に体を丸めてうずくまった。あまりの痛みに動けない。やがてサーレーも意識を手放していく。

 

【絶望、焦り、悲哀、憤怒、そして………殺意!!!これはッッッ!!!アイツらッッッ!!!オリバーに一体何をしたッッッ!!!】

 

執刀医は、その波動がオリバーの回転木馬から発せられていることを瞬時に理解し、室内を見回した。

 

【ウグッッッ………クソッッッ!!!ルール違反だが、このままでは全てが台無しになるッッッ!!!仕方がないッッッ!!!】

 

執刀医はイアンのスタンドのふりをしている。

イアンの許可無しにそれを破って独断で行動するのは、本来ならばルール違反。

だが今はイアンも気絶していて、ルールにとやかく言う人間もいない。イアンとサーレーが気絶していることを確認した執刀医は、床と一体化していく。

 

普段は飄々として余裕ぶった執刀医が、本気で焦っている。

この咆哮は放っておけば、やがて執刀医さえも殺す殺傷力を持つ。すぐにでも対処しなければ、煉獄に廃人を量産することになる。何もかもが無意味になり、イアンの人生をかけた劇も台無しにされてしまう。

 

【脳が揺さぶられて、使える能力がひどく制限されているッッッ!!!なぜ、なぜオリバーのスタンドがここまでの凶悪な性能を………そうか、煉獄の特性と共鳴しているのかッッッ!!!】

 

クレイジー・パーガトリィの特性の一つ、狂気は無限大に膨れ上がる。

オリバーの狂気混じりの殺意は煉獄の特性と共鳴して無限大に膨張し、あらゆるものを滅ぼす悪夢の咆哮と化した。

 

【オリバー、オリバー、オリバーッッッ!!!あああああああああああああ感情が、感情が揺さぶられるッッッ!!!感情が無限に流れてきて頭が痛いッッッ!!!破裂するッッッ!!!】

 

執刀医は自身の頭を押さえながら、床を這いずって必死に咆哮の発生源へと向かっていった。

 

◼️◼️◼️

 

「よう、お前ら。また来たのか。大変だな。」

「テメエが素直に死んでくれりゃあ、俺たちの仕事も減るんだがよ?」

 

軽薄にヘラヘラ笑いながらオリバー・トレイルが軍事基地の廊下を向こうから歩いて近づいて来る。

ホル・ホースは拳銃を構えた。

 

「そりゃあ無理な相談だ。願いが矛盾した時、強い方しか叶わない。俺は負けるつもりはねえ。」

 

オリバーの背後に、厳かに回転木馬が現出した。

それを見たマリオ・ズッケェロは、牧歌的な表情をした回転木馬の存在としての重金属のような分厚い重厚感に今更感嘆した。

 

「………お前、マジで強いな。スタンドを見ただけでわかる。お前のスタンドは、存在が重い。」

「俺はただの雑魚だよ。いつも死なねえように、必死になっているってだけだ。」

 

回転木馬は温和な表情ながらも、口を開いていつでも共振波を発することができる態勢でいる。

ズッケェロは、緊張で唾を飲み込んだ。

 

「お前一回いいようにやられたからって、ビビりすぎだろ。こんな奴にビビる必要なんてねぇよ。たしかにスタンドはちっとばっかし厄介かも知んねえが、殺しもできねぇただのトチ狂った一般人(パンピー)じゃねぇか。」

 

ホル・ホースがズッケェロの肩に手を置いて己の持論を述べた。

前回の戦いでオリバーが勝利しながらズッケェロとホル・ホースを殺さなかったために、ホル・ホースは未だオリバーを甘く見ていたのである。

 

「お前そんなこと言っても、あのヤバイ能力をどうすんだ?」

「フッフッフッフ。よくぞ聞いてくれた。俺っちにはとっておきの秘策がある。それは………。」

「それは………?」

 

ホル・ホースは自信ありげに笑い、オリバーは怪訝な表情で様子見をしている。

 

「それはどうするのかと聞かれたら。あ、こうするのよ。耳栓なりィーーーッッッ!!!」

 

ホル・ホースは片手を開いて前に突き出し、歌舞伎の見得切りのようなポーズを決めた。

そのまま懐から耳栓を取り出して、自分の耳にいそいそと詰めていく。

 

「ほら、これであの悲鳴も聞こえねえ。ほら見ろ!アイツ、やべえって表情してるぜ!」

「そうか?どっちかというと呆れているような表情に見えるんだが?」

 

オリバーは半目をしてなんとも言えない微妙な表情をして、後ろの回転木馬は眠そうにあくびをしている。

 

「おいおい、文句言うなら貸してやんねぇぞ?」

「なんか嫌な予感がするんだが………。」

【オァッッ!!!】

「ギニャアアアアアアアッッッ!!!」

 

回転木馬が軽く嘶くと、鳴き声は耳栓を通過してホル・ホースの脳に直接苦痛の感情を与えた。

ホル・ホースは舌を出して悶えた。

 

「感情は耳で聞くものではなく、心で聞くもの。頭で理解するものではなく、心で感じ取るもの。それが俺の能力。目を閉じて耳を塞げば、嫌な記憶が消えるとでも思っているのか?苦しい事実が消えて無くなるとでも思っているのか?辛い現実が解決すんのか?………お前ホント、人生幸せそうでいいな。」

 

オリバーはため息をついた。

オリバーの痛烈な皮肉に、ホル・ホースは一瞬悔しそうな表情をした。

だがすぐに気を取り直し、次の手札を開いていく。

 

「………おいおい、俺っちの秘策がこれだけだとでも思ってんのか。お前がそんな調子に乗っていられるのも、今のうちだけだぜ。………お前もう、全部バレてんだぜ?スイスの病院にガキがいるんだろ?そのガキの命が惜しかったら、素直に負けを認めた方がいいんじゃあねぇのか?」

「おい、ホル・ホース!!!それは会議でナシだって!」

「知られなきゃあいいんだよ!お前は負けられない戦いで何ぬりぃこと言ってんだ!パッショーネだって、建前だけに決まってんだろうが!!!お前ができねえことを、俺がやってやってんだよ!」

 

ホル・ホースがその言葉とともに、首を搔き切る仕草をした。

その言葉を受けたオリバーの変化は、顕著で劇的だった。

 

「動くんじゃねえ!動いたらすぐに組織に連絡して、ガキは首チョンパだ!お前、わかってんだろうなぁ………?」

「おい、ホル・ホースッッッ!!!」

 

マリオ・ズッケェロは気付いていたが、ホル・ホースは気付かない。

オリバー・トレイルの瞳に漆黒の意思が強固に表れ、張り付いたような軽薄な笑みは消えて無表情になり、温和だった回転木馬の表情は阿修羅の形相へと変貌を遂げていく。肌を通じて寒気がし、周囲の空気が微妙に重くなり流れが変わった。

………空気がピリついている。

 

「まぁ今さらテメエのガキだけは助けようってムシのいい話が通るとでも思ってんのか?お前は今すぐここで床に額を擦り付けて、俺たちに土下座するべきなんだよ!わかってねぇのか、アァン?」

「ホル・ホースッッッ!!!」

 

オリバーの豹変にズッケェロは猛烈に嫌な予感を感じホル・ホースを黙らせようとしたが、すでに時は遅かった。

 

………苦難を超えて、鯉は龍と成って天に上る。

ホル・ホースは、決して間違えているわけではない。

 

オリバーがトチ狂った一般人というのは事実だし、負けられない戦いに手段を選べないというのも褒められなくとも理解はできる。

ホル・ホースは間違いを犯さずに最も正解と思しき選択肢を選び、なるべく手軽に相手の優位に立とうとした。

 

しかし間違えていないということは、正解と同義ではない。

仮に正解だったとしても、正解が常に物事を上手く運ぶとも限らない。

 

戦場では正解や間違いなど、しばしば無意味に無価値になる。

机上の空論は殺意に蹂躙され、練った戦略は敵の一つの閃きや気まぐれで容易にひっくり返される。

 

藪を突いたら、蛇が出てきた。それが藪蛇。今回に限り、藪を突いたら蛇ならぬ龍が出てきた。

その行動は決して開けてはいけない匣を安易に開けてしまう行為であり、敵は犯罪組織の中核を務めてきた相手である。

ホル・ホースは、もう少し慎重に行動すべきだった。

 

テロが他人事では無いヨーロッパにおいて、人質を取られて敵に屈するのは下手の下手。オリバーにも根底にその考え方が根付いている。

要求は際限無くエスカレートし、人質もほぼ帰ってこない。たとえ人質がどれほど大切だろうと、それに屈するくらいなら死に物狂いで抵抗した方がまだいくらかマシである。

 

そしてオリバーは確かにトチ狂った一般人だが、同時に苦難を超えて成り上がった龍でもある。

簡単に優位に立てる相手ではないし、むしろ格上の相手だと最大限警戒して然るべき敵だ。

 

人間の多面性、人間には様々な面があり、たった一つの言葉のフレーズでその人となりを全て表すことなど決してできやしない。ホル・ホースが決定的に間違えているとしたら、まずはそこだったのだろう。オリバー・トレイルは最初は本当にただのザコ、ろくに戦えないスタンド使いだったが、時間が彼に首輪を掛けて苦境に倒れた彼を容赦なく引きずり回した。

 

苦しみに顔を伏せていても、状況は改善されない。時間経過と共に事態は悪化する一方だ。

オリバーは苦しみの濁流に流されながら、死に物狂いで立ち上がる。いつしかその顔に強がりの作り笑いを浮かべて。

結果として今や、彼は数多の苦しみを超えてやがていつか天に至る可能性を持つ本物の強者と相成った。

 

………そして龍には、必ず逆鱗が存在する。例外なくだ。

そこに触れてしまえば、あとはもうどちらかの存在が滅びるまで熾烈な争いが止むことはない。

 

宗教、矜持、慣習、国家、ある者は髪型だったり。

人によって異なる安易に触れてはならない大切な存在、希望の象徴、心の拠り所、生きるよすが。

 

オリバーにとってそれは、スイスの病院に入院する彼の息子だった。

オリバーは息子のために死ぬような思いを幾度もし、倫理も矜持も人間性もその何もかも全てをかなぐり捨てて、邪神の手先として降っている。

 

パンドラの箱の奥底に大切にしまわれた最後の希望、敵がそれを脅かすのだとすれば、あとはもう戦争するしかない。

オリバー・トレイルの内面を無理にでも端的に言葉で表すとしたら、狂った一般人でありながら災厄と混沌の権化。

 

たった一つの目的のために、何もかもを捨て去る人間性。

それこそが漆黒の殺意。

 

「………してやる。」

「ハァ、なんだって?」

「お前ら、殺してやるよ。」

 

怒りと憎しみの龍が、荒れ狂いて天を衝く。

ホル・ホースの軽挙への返礼は、殺意を満載した自爆特攻だった。

 

ホル・ホースは無神経にオリバーの逆鱗を逆撫でにし、オリバーの回転木馬の口腔に殺意の黒い波動が渦を巻いて回転した。

それは瞬く間に臨界点を突破し、即座にその場で弾け散る。あたりの空気は歪み、引き延ばされ、収縮し、瞬時に黒い風が疾った。

 

【ヴァヴァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ェェェェェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!】

 

回転木馬は、怒り狂って吼え猛った。

全ての色を混ぜると黒になるのと同様に、あらゆる感情を混ぜ合わせると黒い感情が出来上がる。

混然一体の黒に漆黒の意志が乗せられて、強固な黒い共振波は瞬く間に周囲に弾け散った。

 

殺意の黒い波動は瞬時に発散し、幾度も弾けて周囲に無差別に悪意を撒き散らす。

漆黒の殺意を乗せた、保身を一切考えない回転木馬の悪夢の咆哮。

怒り狂うという言葉があるように今のオリバーは狂っており、煉獄は狂気を無限大に増幅させる。

 

災厄と混沌の詰まったパンドラボックスは開かれた。

あらゆる負の感情、絶望、憤怒、焦燥、恐怖、苦悶、そして殺意。

混沌のドロリとしたタールのように重くて臭い感情が、ズッケェロとホル・ホースの精神を瞬く間に押し潰した。

 

オリバーが今まで人生で感じてきた苦しみを全て凝縮、余すとこなく殺意を乗せてあなた方にお届けします。もちろん着払いで。

遣る瀬無い感情、過ぎ去りし苦しみの日々、現行の生き地獄、いつまで経っても覚めない悪夢。

 

その溜まりに溜まったツケを、全部あなた方で支払っておいて下さい。

混色の悪夢(カオス・メモリー)、その咆哮に乗せた感情量は、常人の脳の許容範囲を容易に突破し、あっという間に周囲の人間を手当たり次第に廃人にする。

 

【ェェェェェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛アアアアアアアアアアアア゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェア゛ァ゛ァ゛ア゛ァ゛ア゛ァ゛ェ゛ァ゛ア゛ァァッッッ!!!】

「………ッ!!!」

「………。」

 

ホル・ホースは即座に失神し、失禁痙攣して床にうつ伏せになって横たわった。マリオ・ズッケェロもヨダレを垂らして目が虚ろ。

そして、煉獄は狂気を無限大に増幅させる。煉獄に響き渡る悪夢の咆哮。

醒めない夢、終末の鐘はいつまでも延々と鳴らされ続ける。

 

【ヴェエェェェアババババッッッェェェェェ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァッッッ!!!】

 

呪い。怒り。殺意。

咆哮は決して止まない、たとえ本体のオリバーが死んだとしても。

呪いと怒りと妄執に満ち満ちた狂気の回転木馬は、己が息子を守るためにあらゆる存在を抹殺する。

そしてやがて煉獄が完成し全人類が死に絶えた後に、回転木馬は自身の咆哮の振動で自壊する。

 

【ェェェェゥゥゥゥゥ゛ェ゛ギャヴァアアアァァァァァァヒャアアッッッッッッッッッッ!!!】

【オリバーッッッ!!!オリバーッッッ!!!やめろ!!!その咆哮を、今すぐに止めろッッッ!!!】

「ろす………殺して………。」

 

オリバーの意識もすでに希薄で、止まない狂気と殺意に支えられて回転木馬は嘶き続ける。

焦る執刀医が廊下に現れて、オリバーの体に縋り付いた。

 

【オリバー!!!頼むッッッ!!!お願いだから、その咆哮を止めてくれッッッ!!!】

「アイツらが………俺の息子を………殺すって………。」

 

虚ろな意識のオリバーの言葉に、執刀医は状況をおおよそ把握した。

 

【オリバー、落ち着け!!!そいつらの言っていることは、ただの脅しだ!!!このままでは、お前がお前の息子を殺すことになるぞ!!!】

「脅し………?」

【ああ。そいつにお前の息子は殺せやしない。だがこのまま煉獄が拡大すれば、お前のスタンドの咆哮がお前の息子を殺す!だからスタンドを今すぐ停止しろッッッ!!!今すぐだッッッ!!!】

【ェェェェッッッ………。】

 

執刀医のその言葉に、オリバーの回転木馬は鳴き止んだ。

オリバーはひどく疲弊し、汗まみれになって壁に寄りかかっている。咆哮が止んだのち、執刀医はヌラリと廊下に立ち尽くし、マリオ・ズッケェロとホル・ホースに怒りの眼差しを向けた。

 

【だよなぁ?お前たち、ただの脅しだよな?じゃなければ………それは重大なルール違反ッッッ!!!………その時は、全てを台無しにしてでも、私がお前たちを根絶やしてやるよ!!!】

 

執刀医は意識がわずかにありそうなズッケェロに近付き、座り込むズッケェロの頭を片手でつかんで視線を合わせた。

執刀医は感情の脈動により機械の体がギチギチと鳴り、そのネジの瞳は冷酷な怒りに満ちている。

 

【チョンボを許すのは一回限り。お前たちッッッ、警告(イエローカード)だッッッ!!!もしも次に重大なルール違反を犯したら、この世から永久退場(レッドカード)ッッッ!!!私がお前たちの全ての関係者を細切れに切り刻んで、全員魚の餌にしてやるッッッ!!!わかったか?わかったら、頷けッッッ!!!】

 

執刀医は怒りに任せてズッケェロを喉輪で宙吊りにし、意識が朧げなズッケェロはなんとか頷いた。

 

【私が独断で裁定を行うッッッ!!!今回は続行が不可能になるほどの重大な違反行為により、無効試合(ノーゲーム)だッッッ!!!お前たちは今回だけは生かして帰してやる。だがそれは、決して慈悲ではない。お前たちがイアンを楽しませるために生かしておくだけだッッッ!!!覚えとけッッッ!!!】

 

こうして、煉獄での二回目の戦闘は無効試合にて終了する。

 

◼️◼️◼️

 

【やあ、こんにちは。】

「誰だッッッ!!!」

 

煉獄の範囲から少し外れた天幕にて、部隊を再編して再侵攻の計画を練っていたグイード・ミスタの元にどこからともなく突如機械仕掛けの不気味なスタンドが現れた。ネジの瞳、白衣を羽織り、体からは機械の駆動音が鳴り響いている。

 

【君が戦いの総責任者だね。私は警告に来た。】

「警告だとッッッ!!!」

 

相手が敵だと即断したグイード・ミスタは、相手に向けて銃口を向けた。

 

【無粋なものはしまい給え。今回の戦いは没収試合だ。君の仲間たちは煉獄の端に捨ててある。回収して、出直しなさい。】

「テメエッッッ!!!」

 

ミスタが銃口を向けてアクションを取るか迷うわずかな時間に、不気味なスタンドはいつのまにかミスタの背後へと回っていた。

 

「副長ッッッ!!!」

【私は自分からは極力戦いに関与しない。イアンが興醒めするからね。だがそれが、平和主義者と同義だという意味ではない。むかつけば君たちを攻撃するかもしれないし、イアンにとって不利益な行動をとるのであれば、私が君たちを皆殺して君たちの代わりの遊び相手を探すことになる。】

 

周囲にミスタの配下が現れ、拳銃を構えた。

しかし、不気味な敵はユラユラとあちらこちらに消えては現れ、現れては消え、いつのまにか配下の手にした全ての武器はバラバラに分解されている。

 

「なんだと!?」

【詳しくは、しょっぱいツラ構えのハゲとションベンたれのテンガロンハットにでも聞いてくれ。今回の戦いは、あの男たちが不用意な行動をとったために台無しになった。チョンボを許すのは一度限り。もしも同じことが次もあるようなら、君たち全員の内臓を取り出して、剥製にして便所に飾ってやるよ。どんなポーズがいいかくらいは選ばせてやる。】

 

天幕に機械の駆動音が鳴り響き、ネジの瞳が回転し、背後から蒸気を発散している。

無機質な機械仕掛けのスタンドが怒りを露わにし、その不気味さにミスタは圧倒された。

 

【覚えておいてくれ。なんでもアリにしてしまえば、私たちが勝つのはわかりきったことなのだよ。それはひどくつまらない、無意味な行為だ。………イアンは楽しむことを生きる最上の目的に据え、遊びのルールを遵守することを望んでいる。君たちが今一度、煉獄ワクワクランドに遊びに来てくれることを職員一同心より待ち望んでいる。】

「待てッッッ!!!お前は一体、何者だッッッ!!!」

【さあ?全ては皆、混沌から生まれてくる。恐らくは、私も誰かの狂気と混沌より生まれ出でた何者か。誰も彼もが秩序と道義を重んじるが、全ての始まりは例外なく混沌だ。混沌を否定することは、新たな何かを否定すること。それはすなわち世界の終焉を意味する。私が何者だったのかは、私が死んだ後にでも君たちで勝手に議論してくれ。】

 

そう告げると、不気味なスタンドはユラユラと揺らいでその場から消え去った。

 

◼️◼️◼️

 

「………反省会を行う。」

 

微妙にテンションの低いイアンの前には右からリュカ、バジル、ベロニカ、金髪の順で席に座っている。

執刀医は、オリバーの看護でこの場にいない。

イアンの言葉に、リュカはおもむろに口を開いた。

 

「おい、イアン。イワシヤローはどこだ?」

「前回の戦いの反省会を行います。」

 

取りつく島のないイアンだが、リュカにも黙っているわけにはいかない事情があった。

 

「ヘイ、イアン!イワシヤローはどこだ!アイツがいねえと、家事をする奴が誰もいねえんだよッッッ!!!」

「イワシは寝込んでいる。リュカ、お前が家事をしろ。」

 

リュカは当然家事などやったことがない。

 

「待て、イアンッッッ!!!俺に家事は出来ねえ!俺にさせるくらいならこのバジル何ちゃらとかいうのにやらせろやッッッ!!!」

「俺も家事は今まで女に任せきりだったしねぇ。俺がやるくらいならベロニカちゃんが………。」

 

バジル・ベルモットは、隣の席に座るベロニカに視線を送った。

 

「そこのいかず後家に家事なんざできるわけないだろうが!」

「アァン、喧嘩売ってんのかテメエ?」

 

リュカの暴言に、ベロニカはリュカをにらめつけた。

 

「じゃあお前が家事すんのか?」

「私がそんなものするわけないだろう!それだったらこの金髪が………。」

「俺はそもそも吸血鬼だ。」

「関係ねぇだろうがッッッ!!!」

 

言い争いが始まり、いつまで経っても反省会は開始されそうな雰囲気はない。

イアンがテーブルを叩いた。

 

「お前らッッッ!!!静かにしろッッッ!!!そんなに誰も家事が出来ないなどと情けないことを言うのなら、仕方ないから私が家事をしようではないかッッッ!!!」

「「「「それだけは、絶対にないッッッ!!!」」」」

 

イアンのセリフに、全員の意見が一致した。

狂人の家事は、自己満足に全振り。どう考えても酷いことになる予感しかしない。

一体どんな料理が出されるかわかったものではないし、洗濯を頼めば服を魔改造されそうだ。捕虜はほぼほぼ全滅待ったなし。

 

あり得ないだろう。怖いもの見たさも少しだけあるが。

 

「あの男がいなければ、一体誰が私の着るドレスの着付けをしてくれるというんだ。」

「お前そんなことあの男に頼んでたのか!お前はお嬢様かッッッ!!!」

「ええい、黙れッッッ!!!いつまでも反省会が進まんではないかッッッ!!!」

「アイツ、重要人物だったんだなぁ。」

 

上からベロニカ、リュカ、イアン、バジル。金髪も、なんとも言えない微妙な表情をしている。

 

「黙れッッッ!!!とにかく反省会だッッッ!!!これから評価点を告知するッッッ!!!」

「またかよ………。」

 

イアン・ベルモットの独断による採点。

その採点の評価基準は明言されておらず、どうにもイアンが気に入って何かあるごとに開催されそうな予感のする茶番。

時間の無駄の極みであると、リュカは冷めた目付きをした。

 

「そんなことよりも、あのぶっ飛んだ能力はイワシが………?」

「そんなこととは何だッッッ!!!」

 

ベロニカは、甘く見ていたオリバーの凶悪極まる能力に疑問を呈し、イアンはマイペース。

 

「おい、イアンよぉ。説明しろよ。どうなんだ?私たちは敵味方問わず、アレで全滅するところだったんだぞ?」

 

ベロニカの言葉に金髪の男が渋い顔をした。

彼は執刀医に救助されなければ、本当に停止した時間の中で干物になるところだった。

 

「………イワシだ。お前らも、軽々しくイワシを怒らすなよ。アレをまた喰らわされたらかなわん。」

 

藪蛇すぎる。絶望、苦悶、憤怒、悲哀、殺意、思い出しただけで脳の血管が切れそう。吐き気がする。

脳を直接万力で緩やかに圧殺され、水中に沈められ、じわじわとホルマリンで〆られていくような感覚。拷問の満漢全席。

全ての苦しみを、あなたの脳が潰れるまでプレゼント。

 

誰も彼もが、カオス・メモリーがトラウマになっていた。

 

「………アイツ、やばかったんだな。もう雑用を頼むのやめとこうかなぁ。」

「反省会をッッッ!!!開始する。」

「ハイハイ。」

「家事どうするよ?」

 

イアン一人が反省会にこだわり、残りの人間は家事の相談を行なった。

 

「しょうがねえ。イアンとベロニカを除いた人間で持ち回りにしようぜ。」

「おい待てッッッ!!!なぜ私も除くのだッッッ!!!」

「バジル・ベルモット、評価点、6,0!特に言うことはありません。」

「お前の家事もイアンと同じくらい嫌な予感がすんだよ。」

「リュカ・マルカ・ウォルコット、評価点、1,5!ゴミだな。マジ使えん。」

「おい待てイアン!なぜ前回より点が下がってるんだッッッ!!!」

「そんなことより、テメエ私に喧嘩売ってんな?アアン?」

「ベロニカ・ヨーグマン。評価点、0,5!ゴミその2。こんな恥ずかしい評価で、よく生きていられるな。」

「ざっけんな!!!誰がゴミだ!そう言うお前はどうなんだよ!!!」

「ベロニカちゃん。イアンの話にムキにならないで先に家事の話をしようよ。」

「ふん、くだらん。」

 

誰も彼もが思い思いに会話し、反省会は混沌の様相を呈していた。

 

「そこのスカしたクソ金髪。評価点、マイナス10,0。」

「ふざけんな!評価点にマイナスなんざ、あるわけないだろうがッッッ!!!」

「今回は前回よりも酷いな。まさか平均点が前回を下回るとは………。」

「アホらし。家事は持ち回りってことでいいな?俺はもういくぜ。」

「じゃあ俺も。」

「待てッッッ!!!まだ反省会が………!!!」

「諦めろよ。誰もそんな茶番に参加する気はないぞ。」

 

反省会に意義を見出せないと主張するリュカが真っ先に席を立ち、ぞろぞろと続いて席を立っていく。

 

「じゃあリュカ、言い出しっぺのお前が今日は家事をしろ。んで次はバジル、金髪の順な。イワシが戻るまでそれで決定。」

「チッ。」

 

リュカ・マルカ・ウォルコットは、廊下をブラついた。

 

◼️◼️◼️

 

【オリバー。君はやはり、死を望んでいるんだね。】

 

基地内の一室で、オリバーは布団に寝かされて点滴を投与されている。

その顔色は優れず、脳にもダメージを負っている。その横には、執刀医がいて彼の看護を行なっている。

 

【だがすまない。君にはまだ役割が残されている。まだ君を死なせるわけにはいかない。】

 

オリバー・トレイルは、ひどく苦しんでいる。

もともとただの一般人だったオリバーが犯罪組織の片棒を担がされ、息子はよりによって狂人の代名詞とも言えるイアン・ベルモットに手術を頼んでしまった。心労と疲労は山のように積み上げられ、しかも息子のためにはまだ死ねないという重圧もかかっている。

 

強迫観念と罪悪感、さらにスタンドの自傷効果。

オリバーは今までヘラヘラ笑って苦しみを誤魔化し続けていたが、いつかは限界が訪れる。

オリバー・トレイルは戦いに強固に参戦を主張し、それをイアンは止められなかった。本来なら、イアンはオリバーを危険な戦闘には参加させたくない。

 

オリバーは、無意識下で彼を殺してくれる敵を望んでいる。

イアン・ベルモットが、これならば負けるのも仕方ないと納得するような敵を。

 

【心とは、厄介なものだ。君は息子のために死ねないと思いながら、同時にもう苦しくて死んでしまいたいとも願っている。強敵と戦って死ねれば、イアンがそれは仕方がないことだと見逃してくれることに、慈悲をかけてくれることに期待している。生きては地獄、死後は虚無、そして完成するのは不毛な世界。救いは無い。………せめて君が死ぬ時、君の目的が達成されていることを願うよ。】

 

苦しみと疲労、そして人で無しの罪は延々と天高く積み上げられ、矛盾した心は終わりを望む。

しかし彼は有能で、イアン・ベルモットはまだ彼の死を望まない。イアンにとって彼の代わりは存在しない。

イアンがそれを望まない以上、彼に終わりはまだ訪れない。オリバーに安息の時はこない。

 

【君には、本当に悪いことをしたと思っている。君は普通に生きて普通に死に、普通の幸福を手に入れたはずだった。イアンは見も知らぬ他人には冷酷無比でまるで興味を持たないが、君は例外だ。】

「………テメエは、一体何者なんだ?」

 

扉を開けて、リュカ・マルカ・ウォルコットが入室した。

 

【まさか君が他人の見舞いとはね。これは今日は雪が降るんじゃないのかな?】

「茶化すなよ。それより、答えろや。」

 

もともと、リュカも執刀医のことをイアンのスタンドだと思っていた。

しかしそれにしては、執刀医の言動に違和感がある。理解不能なイアンのことだと今までは気にも留めなかったが、ふと思いついたリュカは執刀医を問い詰めた。

 

【さあね。人は生きている間に何をしたかで、何者かが決定づけられる。私はそういう意味では、別に何者でもないよ。】

「ごちゃごちゃ理屈をこねて誤魔化すな。結局、お前はイアンのスタンドではないのか?」

 

リュカは青黒い目で執刀医を力強く睨むが、執刀医はそれをさらりと受け流した。

 

【私がイアンに全面的に協力しているからには、私はイアンのスタンドであるという認識で間違い無いのかもね。私はイアンの意向に逆らうつもりはないし。スタンドとは、本体に忠実なものだろう?】

「屁理屈こねやがって。」

 

その日、煉獄に季節外れの雪が降った。



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今、この時が全て

「フハハハハハッッッ!!!雪だ!!!雪だッッッ!!!」

「おいイアン。犬じゃあるまいし、喜んでいる場合じゃねえぞ。こりゃどう考えても異常事態だ。」

 

煉獄に降る雪。

季節は寒さと無縁の時期であり、さらに都合のいいことが起こる煉獄で雪が降って行動が阻害される事態も考えづらい。

敵襲だと考えて然るべきだろう。しかしイアンは異常気象に無邪気にはしゃぎ、常識がないはずのベロニカが彼を諌める始末。

早い所イアン担当のオリバーの復活が望まれる。

 

【雪というよりかは、みぞれに近いかな。どうやらお客さんが、目を覚ましたようだね。どうするのか様子を見ていたけれど、これはまたイアンの喜びそうな攻撃をしてきたなぁ。】

 

雪は降る端から固まり、少しずつ建物内部にも侵入して侵食してきている。

気温が低下し、体が若干重い。恒温動物であろうとも、これだけ寒いと動くのが辛い。

 

「奴だ。奴が生きていた!生きていたッッッ!!!殺してやるッッッ!!!」

「リュカ?」

 

リュカ・マルカ・ウォルコットの気分が高揚し、イアンは彼に怪訝な表情を向けた。

 

「奴だ………ローウェンだッッッ!!!ノルマンディー橋で爆殺したつもりだったが、やっぱりしぶとく生き残っていやがった。OK、ローウェン。決着をつけようじゃねえか。」

 

リュカの青黒い目は、興奮で充血して不気味さを増していく。

漆黒の殺意が宿り、額に血管が太く浮かび上がった。

 

「待て、リュカ。お前一人で遊ぶなんてずるいぞ。」

「黙れ!!!イアン、お前が参加すると、わけのわからない展開になる可能性が高い。俺一人でやるッッッ!!!雪辱を注ぐ最後の機会だ。ありがとう(Merci)、イアン。お前の下僕となったことの、唯一にして最高の利点。俺は、そのためにここにいるんだッッッ!!!」

「お、おう………。」

 

リュカのテンションの高さに、イアンでさえも若干引いている。

 

【私はオリバーの護衛につくよ。金髪には出来れば死んで欲しいけど、イアンの護衛をお願いね。】

「ああ。………えッッッ?」

 

金髪の男は執刀医の暴言を聞き流そうとしていたが、うっかりそれに気付いてしまった。

 

【じゃあリュカが一人で行くの?】

「本来ならば囲んで惨めにブチ殺したいところだが………。」

「おい待てッッッ!!!お前今、俺に出来れば死んで欲しいって言ってなかったかッッッ?」

 

リュカ・マルカ・ウォルコット。

ヨーロッパの社会の裏側を、その実力一本で渡り歩いた猛者。

しかしフランシス・ローウェンに惨めに敗北し死亡、イアンの妄想によってあるはずのなかった雪辱の機会を与えられた男。彼はその機会に、どれほどの価値があるのかはっきりと理解している。絶対に存在しないはずの機会、それは奇跡以外の何物でもない。

 

普段それを誰しもが頭では理解している。しかしそれを痛覚させられることなど滅多に無い。

生きていること、それそのものが奇跡だということ。

 

ここにいるリュカはイアンの妄想であり、死んだリュカ・マルカ・ウォルコット本人とは何の関係も無い。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。イアンは生前のリュカ本人のことを知っていたため、妄想のリュカの再現度は非常に高い。

些末事など語る価値も意味も無い。ローウェンへの雪辱、それがリュカが今ここに生きていることの意味だと、リュカにはそう思えている。

 

「ヤハハハハハハ。ならば良しッッッ!!!因縁があるのなら、お前が自分の力でそれを成し遂げろッッッ!!!お前が負けたら次は私だからなッッッ!!!」

「………。」

「ふざけるなッッッ!!!撤回しろッッッ!!!そういう何気ない悪口が、人を傷つけるんだからなッッッ!!!」

【イアン、君は普通にアッサリ負けそうな気がするよ。それとゴミ金髪、何気ないんじゃあなくて、私には悪意があるよ。むしろ悪意の塊と言っていいかも知れない。】

「なお悪いわッッッ!!!お前どこまで口が悪いんだッッッ!!!」

「お前らなんか仲良いな。そういう関係なのか?」

「撤回しろッッッ!!!仲良くないッッッ!!!そういう関係ってどういう関係だッッッ!!!俺とこの不気味な機械が、そう見えるのかッッッ!!!」

 

上からイアン、リュカ、金髪、執刀医、金髪、ベロニカ、金髪のセリフ。

金髪はさんざんにいじられて、仏頂面でソッポを向いた。

 

◼️◼️◼️

 

フランシス・ローウェン。

フランス裏社会組織、ラ・レヴォリュシオンの暗殺チームに所属するリーダー。

その実力はヨーロッパの裏社会に遍く轟いており、知る人ぞ知る伝説だと言って良い。

単体でもチームでも数多の戦果を挙げており、友誼に厚く各所からの信頼も強い。

 

今現在ローウェンの発動している能力は氷河期。

降る雨を端から凍らせ、即席の永久凍土を作り上げて対象を氷塊に閉じ込める天球儀と双璧を成すローウェン最強の必殺である。

もともとローウェンは軍事基地を遠所から氷河期で覆い事件を葬り去ろうと目論んでいたのだが、煉獄の特性である起こり得る都合のいい事象により、雲が風に吹き飛ばされるなどして上手く基地に雨を降り注がせることが出来なかった。

 

その後にパッショーネが音頭を取り、軍事基地攻略作戦を立案決行。

ローウェンは遊撃として、個人の裁量で行動することが出来る独裁権を獲得する。

 

ローウェンは敵首謀者であるイアン・ベルモットの暗殺を至上目的に据え、軍事基地を単独で隠密に行動していたが、対象を選ばないオリバーのカオス・メモリーが発動、当然ローウェンも巻き込まれて酷いダメージを負って気絶した。

 

やがて気絶から復活したローウェンは、パッショーネが煉獄より撤退した事実を確認、自身の体調と相談して自分もろとも全てを終わらせることを画策して氷河期を発動した。遠距離からの氷河期は雲の制御は困難だったが、基地内部からの制御は可能だった。

 

雨は基地に降り注ぎ、このまま放って置けばさほど時を経ずに基地は巨大な氷塊に包まれてイアンたちは全滅する。

彼らにとって都合のいいことは、ローウェンの氷河期は本来なら本体のローウェンが遠く離れた場所から発動するはずの能力だったこと。

しかし煉獄の加護により遠距離発動が効果をなさず、止むを得ずローウェンは基地内部に侵入して氷河期を発動した。内部に侵入したローウェンを仕留めさえすれば、氷河期は停止する。

 

基地内部に潜むローウェン討伐に、ローウェンと強い因縁をもつリュカ・マルカ・ウォルコットが名乗りを上げた。

 

◼️◼️◼️

 

「見つけた………見つけたぞッッッ!!!ヒャハハハハハ。やっぱりテメエ、弱ってんな?道理で攻撃が消極的なわけだ。普段のテメエなら、単騎で全員ブチ殺して回っているところだろう?」

「………。」

 

ノルマンディー橋の戦闘から、まだせいぜい三週間程度しか経たない。

うち最初の一週間は寝込み、直近にオリバーの無差別攻撃の巻き添えを喰らったばかり。

お世辞にも万全とは言えない自身の体調を考慮して、逃亡して身を眩ましながら氷河期によって凍殺、それがローウェンの最上の展開。

 

しかし、敵も当然事態に対応する。

敵は隠れ潜むローウェンの捜索に乗り出し、追い詰められたローウェンは軍事基地の室内演習場にてリュカ・マルカ・ウォルコットと対面。否が応でも戦闘のために氷河期を解除せざるを得なくなった。

 

困難な判断ではあった。

パッショーネが撤退してから些少ではあるが時間が経過しており、次にいつ彼らが煉獄攻略に乗り出すか定かではない。

本来ならば彼らを巻き込むことを是としてでももう少し体調を整えるために時間を置くべきではあったが、人の良いローウェンは極力彼らを巻き込みたくない。結果として尚早な攻撃、その理由の一つとしてローウェンはカオス・メモリーの効果が敵方にも波及していることに期待していたのだが、不幸にも敵方にはダメージが比較的小さくなおかつ医術に通じた執刀医が存在した。執刀医は、煉獄勢を薬剤投与や手術によって早期に回復させた。

 

執刀医が想定外の存在だったとしても、ローウェンが判断を誤ったその根底には疲労があったことは否定しきれない。

氷河期を完成させるために基地内部を潜伏逃亡するローウェンであったが、やがてリュカ・マルカ・ウォルコットに捕捉される。

追う者と追われる者はかつてと立場が逆転し、やがて逃げ場を失ったローウェンは広さのある室内演習場で仇敵リュカと相対することになる。

 

「正々堂々なんざ、クソ喰らえだッッッ!!!最後に生きている者が勝者ッッッ!!!本来ならば数を揃えてテメエを圧殺したいところだったが………。」

 

遊びには、ルールが必要だ。

単騎で遊びに来て疲弊しきった敵を数で囲むのはルール違反、それがイアン・ベルモットの意向だ。

リュカとしても、リュカには理解出来ないイアンの遊びのルールとやらで変な茶々を入れられるのは避けたい。

 

恨みを晴らすのであれば、自身の力でそれを成し遂げろ。

因縁、面白い。苦難を超えて君が成り上がるのであれば、私はそれを祝福しよう。

それがイアン・ベルモットから贈られた言葉。

 

「今だ。今、俺は貴様を超える。貴様を葬り俺が最終的な勝者となる。」

「………。」

 

ローウェンの額には玉の汗が浮かび、壁に背を預けている。

生きている時から合わせて都合四度目の邂逅、ここまではリュカの二敗一分け。因縁の戦いが始まる。

 

◼️◼️◼️

 

「悲報。ホル・ホース、ぐうの音も出ないほどにやらかす。」

「うるせぇッッッ!!!」

 

パッショーネ報告会議。

パッショーネミラノ支部の会議室で、ズッケェロは頬杖をつきながら上役のミスタに煉獄で起きた事の次第を説明した。

 

「ハァ、そうか………。」

 

ミスタは頭を抑えて、ため息をついた。

マリオ・ズッケェロから聴取したオリバー・トレイルと思しき人物のスタンド能力。この能力をパッショーネの情報部で検証した結果、下手に突くと非常に危険だという結論に落ち着いた。

 

後に喰らった強力な攻撃は言うに及ばず、ラスト・メモリーも非常に対処が困難だ。

さらに言うと、過去にノトーリアスやリンプ・ビズキットという死後に発動する能力もその存在が確認されている。

 

万が一オリバーの回転木馬が死後も呪いで発動するのであれば、オリバーを下手な殺し方をすれば、回転木馬は周囲に死の感情を振り撒くさらなる凶暴なスタンド能力へと変貌しかねない。

そのために間違っても、オリバーの子供を交渉のテーブルに持ち出すわけにはいかなくなった。パッショーネとしても、無力な子供を人質のように扱うことには当然抵抗がある。将来的に社会に不信感を抱いたオリバーの息子が反社会勢力に属する可能性も高くなり、その判断は百害あって一利なし。

 

「もう頼むからホント………軽々しい行動は控えてくれ。」

「ウググ………グヌヌヌ………。」

 

ミスタは疲れた顔で通達し、ホル・ホースは悔しそうな表情をした。

 

「………アレはマジでヤバい。発動すれば、逆らえる人間がいるとも思えない。」

 

無差別攻撃を受けたサーレーも、オリバーの回転木馬の対処の困難さに眉を顰めた。

 

オリバーの回転木馬の対処が困難なのもある意味当然である。

回転木馬の共振波は、当時のオリバーの感情そのものを再現している。

 

当時のオリバーが苦難に膝を屈したのだから、その膝を屈した感情そのものを伝達された人間も当然膝を折ることになる。受ける側の当人の精神の強さなどにまるで意味は無い。その振動は発動すれば銃弾よりも早く、全方位に向ける攻撃のために囲んで数での圧殺も効果が無い。

 

「………にしても、どうにか対処を考えねぇとなぁ。奴を倒さない限り、首謀者は逃走手段を確保した有利な状況での戦いってままだ。」

「ローウェンはどうしたんすか?」

「………奴はまだ軍事基地から帰還していない。奴のことだから、俺たちが心配してもしょうがない。」

 

単独で裁量権を持つ遊撃のフランシス・ローウェンは、軍事基地に攻め込んだまま音信不通。

頼りになる戦力であり、次回の侵攻でも是非加えたい駒だ。

 

「それにしても奴ら………遊びにはルールが必要、か。」

「なんの話ですか?」

「………不確定な話だ。」

 

サーレーたちが軍事基地で戦闘を行っている最中、ミスタの元にはバジル・ベルモットという人物が来訪した。

その後に、不気味な機械仕掛けのスタンドも訪れている。

 

彼らは共に首謀者のイアン・ベルモットは遊びをしているのだと告げ、それは検証する価値のある情報だと言えた。

しかし、確証が無い。不確かな敵方に持ち込まれた情報をどう扱うのか、ミスタは決めかねて頭を痛めていた。

 

「………?」

「眉唾で聞いてくれ。今まで雲を掴むような話だったんだが、奴らの目的の手がかりと思しき情報が入った。………そのスジによると、奴らは楽しむためだけに事件を起こしたらしい。奴らが暗対という事実に変わりはないが、どうにも想定以上に状況はマズイって予感がする。あの赤黒い空間がなんなのかも、はっきりとしていねぇ。敵によればあの空間が世界に広がれば世界が終わるとのことなのだが………。」

 

どうにも判断がつかない。

あの赤黒い空間が爆発的な速度で周囲を侵食して行っているのは把握しているのだが、詳しいことは情報部の解析待ちだ。

………解析しきれるかわからないが。

 

「奴らの首謀者を楽しませることが、奴らを倒す唯一の手段らしい。………敵からの情報であまり確度は高くない。サーレー、お前に思い当たることはないか?」

 

ミスタは直接首謀者と戦闘をしたサーレーに、意見を問いかけた。

 

「奴は俺たちとはまるで違う思考で動いていると感じました。奴が楽しむためにことを起こしたというのであれば、それはそれなりに説得力があるかと。………なんて言うか、子供みたいな、それともまたちょっと違うような………すいません、うまく言葉にできません。」

「………いや、十分に参考になった。よし、このままお前を奴との直対に当て、その上で戦力を補充しよう。俺たちは奴らと違っていつまでも遊んでいるわけにはいかねぇ。」

 

差し当たっての方針は、ローウェンの帰還を待ちつつ戦力の選定。

次回の煉獄攻略は量よりも質というバジル・ベルモットの意見を参考にする。不安は多く、あまり気分は良くないが。

とは言ってもローウェンがいつ帰還するのか、そもそも帰還能うのか定かではない以上、煉獄の爆発的な拡大に備えて可及的速やかに次期侵攻戦力を選定しなければならない。

 

「空条徐倫、パッショーネ暗殺チーム、ウェザー・リポート、それとスピードワゴン財団に渡りをつけて、引退した空条承太郎を引っ張れるか………。」

 

ミスタは使えそうな手駒を頭の中で計算した。

 

◼️◼️◼️

 

「あのイワシヤロー、人畜無害なツラしてマジでおっかねぇよなぁ。まさかテメェがここまで弱っているとはよぉ。」

 

リュカのスタンド、ケミカル・ボム・マジックは、近接戦闘力が非常に高い。

リュカ・マルカ・ウォルコット。セミの幼虫の姿を模したスタンド、ケミカル・ボム・マジック。その両腕は筋肉がはち切れんばかりに膨れており、口蓋に付随したストローを突き刺して爆弾を生成する。

対するはフランシス・ローウェン。水色の波打った形状の輪郭をした人型のスタンド。雲を自在に操り、その強力なスタンドエネルギーで硬柔自在な戦いを可能とする。

 

過去三戦においては、そのうち二回はフランシス・ローウェンが全てにおいてリュカの能力を完全に上回り完勝。

一度は、リュカが不意を突く形で地形ごと爆破、しかしローウェンはしぶとく生き残っている。

 

煉獄勢において、バジル・ベルモットとリュカ・マルカ・ウォルコットの二人だけは、現状を正確に把握している。

イアン・ベルモットの殺し文句、煉獄が完成して勝ち残れば、イアンが創造した生命もイアンから独立した一つの存在に昇華される。

ベロニカ・ヨーグマンはイアンのその言葉につられて、イアン・ベルモットに協力している。

 

イアンのその言葉は、嘘では無い。嘘では無いが、真実からは程遠い。

イアンの煉獄の能力の特性は、イアンにとって都合のいい展開。

 

仮に煉獄が成就したとしても、そこで何者かに成り上がってイアンの前に敵として立ちはだかるのが、イアンが見知りイアンの妄想から生まれ出でたリュカや金髪であるのは展開的にひどくつまらない。イアンがそう考えているだけで、その展開は否定される。

確率がゼロに近い、ではなくゼロそのものなのである。煉獄が完成しても、そこを勝ち上がる存在はイアンの想像をいい意味で裏切る何者かであると決まっている。

 

ゆえに彼らに先は無い。煉獄が完成すれば、彼らは存在意義を失い消失する。絶対に最後まで勝ち残ることは無い。

それに同じ敵に何度も敗北を喫すれば、いくら精神が強い人間でもいつかは心が折れて煉獄より帰還が不可能になる。

 

今が全て。今この時は千金と比べてもはるかに価値が高い。それがリュカとバジルの出した当然の結論。

今ここでこの男を冥府送りにすることが、未来の無いリュカ・マルカ・ウォルコットにとってその全てなのである。

 

一秒を百分割する刹那を縫うような時間の狭間で、二体のスタンドは幾度となく殺意をぶつけ合う。

リュカのスタンドはまるで蒸気機関車のようにパワフルに、ローウェンのスタンドはまるで鞭のようにしなやかに。

躍動し、艶めかしく蠢き、弾けて再び、三度、何度でも決着がつくまで向かい合う。

 

リュカのスタンドの丸太のように太い右腕が筋収縮し、銃弾をはるかに超える速度でわずかに弧を描いてローウェンに襲いかかる。ローウェンのスタンドの左手がしなやかに素早く敵の拳をはたき落とし、そのまま勢いをつけて右拳をリュカに向けて放った。リュカは前に出て拳を避け、拳がかすった額から流血した。そのままローウェンに頭突きをかまし、フラついたローウェンとの間合いをつめて力任せに右腕を振りかぶった。ローウェンは振るわれたその拳を左腕でなんとかすらして軌道をずらし、同時に体を斜めに倒して間一髪避けた。

 

「テメエの厄介な能力も打ち止めか?ヘイ、喰らいな!!!」

 

無理に回避を行い体勢を崩したローウェンの背中に、リュカのスタンドが口腔のストローを突き刺そうと迫った。ストローを刺されて内部をかき混ぜられれば、ローウェンは爆弾にされて敗北が決定する。

 

「………ッッッ!!!」

 

ローウェンのスタンドは見えていないにも関わらず迫り来るストローを左手でつかみとり、手前に引っ張った。そのまま逆の右手でリュカのスタンドの頭部を潰そうと裏拳を振るう。

 

「マジウゼェ。チッ!!!」

 

リュカのスタンドが右手で手刀を作り、自身のストローめがけて振るってストローを切り離した。自由になったリュカのスタンドがローウェンのスタンドの拳を引いて避け、右足で蹴りを放った。ローウェンはそれを喰らい、防御するも吹き飛ばされて壁に激突した。ローウェンの口から一筋血が流れる。壁際のローウェンと勢いをつけたリュカの蹴りが交錯し、鈍い音とともに両者たたらを踏んだ。

 

「いい加減にくたばってくれよ。クソったれ!!!」

「………それはこちらのセリフだ。死んだはずの貴様がいつまでこの世にしがみつく?」

 

ローウェンは蹴りを放った後の慣性に体を委ねて、体を回転させて連続蹴りを放った。リュカは体を沈ませて肘でその足を跳ね上げる。さらに壁に寄せ詰めて、スタンドの厚みのある両手で掌底をローウェンのスタンドの腹部へと放った。

 

「グッ………!!!」

「あああああああああッッッ!!!」

 

腕をギリギリ差し込んで致命傷は避けるも、ローウェンの体は壁と板挟みに衝撃を受けて腹部が凹んでさらに口から血反吐を吐いた。ここが勝負所と見極めたリュカは、嵩にかかって本能で連続の拳打を放った。

 

「おあああああああああッッッ!!!」

「ああああああああああッッッ!!!」

 

引いたら負けて死ぬ。

ローウェンも必死に拳打を連続で放ち、時間の狭間で二体のスタンドは火花を散らした。

 

◼️◼️◼️

 

「ははははははは!!!楽しそうで何よりだッッッ!!!」

「あのハゲ、結構やるじゃねぇか。」

 

イアンは高笑い、ベロニカはリュカの戦いぶりに感心した。

イアンのスタンドクレイジー・パーガトリィ、そこの部屋の内装は、常備である冷蔵庫と電子レンジと遠心分離機と手術台、そして隔離室。その他に部屋に置いてある物は、イアンのその時の気分によって変化する。

今は手術室にモニターが設置され、彼らはそれで二人の戦いを観戦していた。

 

「どっちが勝つか賭けるか?」

「………賭けになりゃしねぇよ。イアン、結局はお前が望んだ通りの展開になるはずだ。」

 

手術台にはオリバーが寝かされ、平常運転でテンションの高いイアンにバジルはため息をついた。

 

「そんな身もふたもないことを言うな!!!私は賭けに負けるのも、案外嫌いじゃあないぞ?ほら、どうだ?カモだろう?」

 

賭け事がどうとかではない。

賭け事に勝とうが負けようが、結局は物事はイアンの都合よく収束する。バジルはイアンとやり取りすることの無意味さを痛感していた。

 

【イアン、静かにしなよ。オリバーが寝ているんだよ?】

「む………。」

 

執刀医のその一言に、イアンはわずかに眉を顰めた。

手術台に寝かされたオリバーの胸部が、呼吸でわずかに上下している。

 

「………その男は一体いつになったら目が覚めるんだ?」

【さあ………。外傷はない。私にも中身がどうなっているかまでは、ちょっとわからない。そこは不可侵の領域だ。】

 

イアンは手術台に寝かされたオリバーを一瞥すると、再びモニターに向き直った。

 

「おッッ!!!あいつら勝負に出たぞ!!!なあ、あの敵の水色のスタンドって強いんだろ?」

「ベロニカ、静かにしろ。というかお前は裏社会の要人なのに、なぜローウェンを知らない?アイツは一部では死ぬほど有名だ。お前の組織を潰した連中の中にも、アイツがいたはずだぞ?」

「なにッッッ!!!」

 

衝撃の事実にベロニカはイアンに向き直ったが、イアンの機嫌がすぐれなかったために相手にされなかった。

 

「あいつ、私の部下にならねぇかな。」

「あいつってどっちだ?」

「どっちにしろそりゃあ無理だよ。馬鹿らしい。」

「………静かにしろ。」

【はーい、お口にチャックね。イアンの機嫌が悪くなったから、みんな黙っておいたがいいよ?】

 

イアンの機嫌が悪くなったために、手術室に急激に静寂が訪れた。

 

◼️◼️◼️

 

「今、この時が全てッッッ!!!今俺が生きているという事実のみが真実ッッッ!!!愛する家族もいねぇ!!!築く未来もねぇ!!!死後の天国もねぇ!!!裏社会でも都合よく捨て駒として使い捨てられる俺たちみたいな人間には、今が全てッッッ!!!そうだろう!!!違うか!!!ローウェンッッッ!!!」

 

リュカは、心の底から叫んだ。

もとより刹那的な生き方をしていたリュカ・マルカ・ウォルコットだったが、煉獄の生命となってそれに拍車がかかっている。さらに煉獄は狂気を増幅させ、リュカの顔中に血管が浮かび上がり青黒い目は飛び出さんばかりに見開かれている。

 

「………否定はしない。」

 

いつ死ぬかわからない暗殺チームにとっては、今が何よりも優先されるという風潮がある。

ローウェンはそれを否定しない。使い捨ての兵士に過度に倫理を求めても士気を下げるだけであり、同じ人間であるならせめて生きている間だけは幸福であってほしいから。もとよりそうした性質を持つ人間が暗殺チームに所属しやすいという事情もある。

 

かつて荒れていた頃のローウェンも、そうだった。

 

暗殺チームの人間は、多少の素行の悪さは組織に庇ってもらえるし、融通もきかせてもらえる。

ただし、それはいざとなったら死んでもらうことを了承済みの特権だ。

リュカ・マルカ・ウォルコットは、その特権で許された範囲を著しく逸脱したために暗殺対象となり、今ここにいる。

 

「今だッッッ!!!今、俺は貴様を殺すッッッ!!!今ここで貴様を殺して、痛みを消してやるッッッ!!!俺は俺の方が強いことをこの世界に証明するッッッ!!!」

 

今が全て。

ゆえに今ここでこの男を凌駕することができれば、全ては報われる。敗戦の痛みは禊がれる。

過去の因縁云々を抜きにしたとしても、互いに目の前の男の存在が受け入れられない。

狂気を宿したリュカ・マルカ・ウォルコットは、全てを賭して殺意に身を委ねた。

 

「あああああああああッッッ!!!」

 

拳の応酬は限りがないように感じられたが、実際はそこまで長い時間では無い。

いつまでも続くかに思えた均衡は、決着がつく時は意外にアッサリとしている。

 

「ぐっ………。」

 

体がわずかに重い。

リュカが自身の体に違和感を感じたその瞬間には、決着がついていた。

 

ローウェンのスタンドは雲を操る能力。

雲とは大気中の水滴や氷の粒であり、ローウェンのスタンドの本質は大気中の水滴や氷の粒を操作する能力。

 

スタンドパワーが著しく減衰した現在、普段のように雲を自在に作り出すことは不可能だが、大気中の水分をわずかに操作することは可能だ。

リュカは操作されて水分が増え湿度の増した室内でわずかに体温が低下して体調不良を来し、そのわずかな差が如実な命運の差となって現れた。

 

刹那にも満たない時間の狭間で、ほんのわずかな動作の遅れを突かれたリュカのスタンドの拳は弾かれ、流れるような動きでリュカの体を前足で蹴り離した。そのまま助走をつけて詰め寄り、リュカの心臓部をローウェンのスタンドが貫手で貫いた。

心臓を貫かれたリュカは口から盛大に血を吹いて虚ろな目をしている………。

 

「………今、この時が全て。未来も過去も無い。魂も天国も死後も無い。俺たちに後先は、存在しない。そこにまごう事無く存在するのは、俺たちが今生きているというたった一つの真実ッッッ!!!さようなら(Au revoir.)、ローウェン。俺は今ここで、お前を殺す!!!」

 

煉獄では、狂気は無限大に膨れ上がる。

リュカはローウェンの貫手に体を貫かれたまま、ローウェンに抱きついた。

 

リュカの体がぶくぶくに膨れ上がり、爆弾となって炸裂してローウェンを巻き添えにして吹き飛んだ。

 

◼️◼️◼️

 

補足事項

イアンの煉獄の能力で生まれる存在は姿形は同じでも、よく似ているだけの別人である。今生きているリュカと次に生まれるリュカは記憶の共通項は存在するが、同じ存在では無い。息子が親と同一の存在ではないのと同様に、自分自身は今ここにいるただ一人。

リュカはそれを決して同一視することなく、よく理解している。



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何者か

【うーん、これはグロい。】

 

軍事基地の室内演習場で、執刀医は周囲を見回してつぶやいた。

周囲には爆死したリュカ・マルカ・ウォルコットの血肉と臓物が撒き散らされ、隅に体中が裂傷と火傷まみれでボロ雑巾のようになったローウェンが仰向けに倒れている。ローウェンの胸は、わずかに上下していた。

 

【凄いね。ゼロ距離自爆を防ぐんだ。君が元気だったら、イアンがさぞ喜んだだろうね。】

 

リュカが爆死する瞬間ローウェンは室内の湿度を最大限上昇させ、自身になけなしのスタンドパワーをかき集めて薄い氷膜を纏わせ、可能な限りダメージを軽減するように必死に行動していた。その結果即死は免れるも、瀕死で放置すればほどなく死に至るダメージを負っていた。執刀医が簡単に診たところ、当分は安静が必要だろうと推測される。

 

【まあ部屋の掃除はあとで金髪ゴミ男にでもやらせればいいか。】

 

リュカ・マルカ・ウォルコットはイアン・ベルモットの妄想より出でた存在。

本来ならば死亡とともにこの世から消滅するはずの存在だったが、元凶のイアン・ベルモットがモニター越しにリュカが爆死する瞬間を見ていて、それがイアンにとって非常に印象的だったために、死後の遺骸は消失せずに現世に残されていた。

 

「なあ、その男はどうするんだ?」

【どうするんだって?】

 

執刀医は首を傾げた。

彼が室内演習場に向かうことにした際、なぜか後をつけてきたベロニカ・ヨーグマン。

なんのためにわざわざ凄惨な爆死現場に付き添ってきたのか、彼女の意思を執刀医は図りかねていた。

 

「殺すのか?」

【いや。外に捨ててくるよ。この男が生き残れば、とりあえずはこの男の勝ち。この男が死ねば、リュカの勝ち。私たちは外野だからね。外からそれを楽しく見守ることにするよ。】

 

そう言いながらも執刀医は、結果がどうなるか知っている。しかし、それを言葉にするのは野暮なことだ。

イアンは楽しみを求めており、煉獄でこの男が今生きているということはつまりそういうことなのだ。イアンが楽しむためにまだ生かす価値があるから、死ぬか生きるかわからない局面で生き残っている。さすがに生き残る可能性がまったく存在しないのであれば、死んでいたはずだが。男が必死に抗った結果死ぬか生き残るかわからない局面へと移行し、その審判は煉獄に委ねられた。

 

因果なものだ。

イアンはリュカにまだ出番があると考えており、この男もまだ消すのは惜しい。

この男が生きている事実は、リュカが煉獄より帰還する最も強力なモチベーションだ。

リュカは自分が生きることとこの男を殺すこと、どちらを優先させているのだろう?

 

「ポイするくらいならコイツ私にくれよ。………私にだって楽しみが必要だろう?いらないんなら私がペットにする。」

【………。】

「やめろ!!!なんだその目はッッッ!!!」

 

執刀医の無機質なネジの瞳でもわかるゴミを見るような目つきに、ベロニカはいきり立った。

 

【いや、コイツ敵だよ?コイツが目覚めたら君普通に殺されるよ?君そんなんだから暗殺されるんだよ。奴隷が欲しいんならウチの金髪クソ野郎をあげるから、見えないところで好き勝手に盛ってて。】

「いやだ。アイツなんとなくキモい。コイツの方がいい。」

【………君もキモいよ。】

 

ベロニカ・ヨーグマンのスタンドは不定形。その内部から無数に細かい生物を輩出して、敵を体液の酸で溶かす。

本体のベロニカは毒や酸などの毒物劇物の類が一切効かない特殊な体質、効果のある攻撃も限られていて、まともに倒すのには困難を伴う。

 

ベロニカはその倒しにくい性質ゆえに、裏社会の組織の元ボスであったにも関わらず危機管理意識がイアンと同じくらいに低かった。

彼女がかつて敗北したのは、彼女の傲慢さにより情報が流出し、能力が完全に分析されたことが原因である。

 

「私はキモく、ないッッッ!!!」

【いや、もの凄くキモいよ。まあとにかく捨ててくるからちょっとどいて。】

「待て!!!ズルイだろう!!!イアンにはオリバーという奴隷がいるのに、私にはペットがいない!!!私はその男の所有権を、断固主張する!!!」

【ウザッ。】

 

ベロニカは自身の立ち位置をいまいち理解していない。

彼女が何を言っても決定は覆らない。所有権も持っているはずがない。

執刀医は呆れかえって、ベロニカを無視してローウェンを肩に抱えて運んでいく。

 

「待てッッッ!!!止まれッッッ!!!私を怒らせると後悔するぞッッッ!!!おい、そいつを置いていけッッッ!!!」

【………。】

「せめてそいつが起きるまで待てッッッ!!!その男だって、この美しい私のペットになれるのだから本望のはずだッッッ!!!」

【………。】

「ズルいズルいズルい、イアンだけズルい!!!」

 

駄々をこねる妖怪ババア。

………キモいししつこいし諦めが悪いし本気で鬱陶しい。ウザい。

執刀医は、どうしてイアンとリュカが彼女を喚び出すのを嫌がったのか理解した。

 

◼️◼️◼️

 

「第三回侵攻作戦会議を行う。」

 

グイード・ミスタは疲れた表情で会議の陣頭をとった。

やつれており、顔色があまりよろしくない。

 

「新しく入った情報を公開する。先に暗殺チームと共に攻め入ったローウェンだが、敵本拠地の観測員により傷だらけで発見された。生死の境を彷徨っており、当面は集中治療室行きだ。………アテにしていた戦力が減ったのは残念だが、死亡している最悪の事態だけは避けられたとも言える。」

 

行動不能と確定したのならそれはそれで、それなりの戦力で新たに侵攻部隊を組むしかない。

ローウェンが死亡した状態で消息不明で、侵攻に二の足を踏む最悪の状況は避けられた。

 

「あの赤黒い空間はパッショーネの情報部によると、日に日に面積を倍々にしていっているらしい。その計算でいけば、あと二週間とそこそこであの空間は世界を覆い尽くす。」

 

バジル・ベルモットによる情報が正しければ、あの空間が世界を覆えばそれは世界の終わりと同義である。

眉唾な話だと高をくくっているわけにはいかない。そこそこの真実味があり、そうでなくとも人心の不安は世界の混乱を誘発する。煉獄はすでにフランスとイタリアの国土の大半を覆い、あと四、五日もすればヨーロッパ全土を覆う。すでに各地では混乱が起きていて、ジョルノ筆頭のパッショーネの連中も表社会の混乱の収拾を図っているのが現状である。

 

「はっきり言って非常にマズイ。すぐにでも全力を傾けて敵を殲滅したいところなんだが………。」

 

遊びにはルールが必要。

あの不気味な機械仕掛けのスタンドは、ルールを重んじている。

バジル・ベルモットからの不確定な情報によっても、煉獄攻略は量よりも質だとそう宣言されている。

上手の戦い方が、イアンが独断で定めたルールが適用される煉獄に限っては下手になる。

 

イアン・ベルモットは物語の主人公のような存在であり、通常の道理が通用しない。

ミスタが煉獄攻略のために戦力を増強すればするほど、得体の知れない御都合主義的な展開で煉獄側の戦力も増強される。それが煉獄とイアン・ベルモットの能力である。前回唐突に戦えるマネキンが増量されたのが良い例だ。

 

イアンは劇的な展開を望んでおり、ミスタが侵攻の戦力を増やしたところでそれがイアンにとって不条理と思えるものであれば、イアンも同様に不条理に戦力を増強する。不毛に徒らに戦線は拡大され、収拾をつけるのが無意味に困難になる。貴重な時間が浪費される。

 

「………今回はあえて、少数精鋭で挑むことにする。」

「え?」

 

ズッケェロとサーレーは唖然とした表情をしている。周囲のミスタの部下も困惑した。

 

「………人は誰しもが、換えの効く歯車に過ぎない。俺も安穏と安全圏にいるわけにはいかない。今回の侵攻はパッショーネからサーレー、マリオ・ズッケェロ、ホル・ホース。スペインから借りたウェザー・リポート、財団から空条徐倫および空条承太郎。それと俺が参戦する。俺が死亡したときは、その全権をパッショーネ情報部に移譲する。アルバロ・モッタ、その時はあとを頼んだぞ。」

「は?」

 

パッショーネに入って日の浅いアルバロ・モッタは、ミスタの突然の宣言に困惑した。

彼は今回の事件でパッショーネの情報部下っ端としてヨーロッパ各組織と渡りをつけており、即席ではあるがコネクションを築きつつあった。ミスタは彼に、パッショーネの未来を感じていた。

 

「………今まではずっと戦力を整えて敵を襲撃していたが、それでまるで結果が出ない。あの赤黒い空間は爆発的に勢力を広げていて、時間がねぇ。………俺たちが考えているよりも、恐らくは状況ははるかにマズい。チンタラしている余裕はねぇんだ。」

 

時間に余裕があるのであれば、こんな賭けのような行動に出る必要は無い。

幾度も戦力を整えて侵攻し、その都度情報を持ち帰り分析しつつ攻略法を確立するのが常道の手段である。

 

しかし、どうにも時間があるとは思えない。

あの爆発的に増殖する赤黒い空間が世界を終わらせるという情報を、眉唾だと笑い飛ばすことが出来ない。

 

分の悪い賭けだったとしても、バジル・ベルモットのもたらした情報は一考の余地がある。

なぜなら、ここまでの戦いでミスタはあまり手応えを感じられていないのだから。

 

それならば変化をつけて、相手の反応を探る。

時間がないからと言ってこれまでと同じ力押しに出ても、ミスタにはそれが上手くいくとも思えなかった。

 

「内部侵入班はサーレー、マリオ・ズッケェロ、ホル・ホース、そして俺。外部援護班はウェザー・リポート、空条徐倫、空条承太郎。外部援護班の指揮権は戦歴豊富な空条承太郎に任せ、敵打倒よりも戦力維持に努める戦いに終始してもらう。内部侵入班は俺が指示を出すが、個々人の判断を優先するべき局面が来る可能性が極めて高い。気を引きしめろ。」

 

こうして、煉獄三度目の侵攻が開始された。

 

◼️◼️◼️

 

「おい、イアン!!!敵が攻めてきたぞ!!!」

「聞いてるのか、おい!!!」

 

ベロニカとリュカが、閉め切られた手術室の扉をドンドンと叩いた。

リュカはすでにイアンが手術室の人質を使って煉獄より蘇らせており、残りの人質のストックは十人少々。あと一度誰かを蘇らせれば、魂のストックが切れてしまう。

 

「おい!!!開けろ!!!出てこい!!!」

【イアンはやる気が出ないそうだよ。今回は私が指示をだそう。】

 

扉の表面よりニュルリと執刀医が現れ、彼らに告げた。

 

「やる気が出ねぇだと!!!ふざけたことを抜かしやがってッッッ!!!テメエが事件の首謀者だろうがッッッ!!!」

 

イアンは寝込むオリバーの様子にモチベーションがだだ下がって、今回はパスすると執刀医にダルそうに告げていた。

イアンの不遜な態度に激昂して声を荒げた金髪の顔を、機械仕掛けのネジの瞳がじっとりと舐めるように見つめた。

 

「なんだよ。」

 

不気味極まりない執刀医の視線に金髪は鼻しらみ、気勢を削がれた。

 

【………なんでもないよ。今回は私が内部に侵入した敵を相手にする。君たちは前回同様に、外で敵を迎え撃って欲しい。】

「おい、あの戦うマネキンは?イアンがいないとアイツらも動かないんじゃねぇか?」

【今回はナシだ。イアンにまるでやる気が無い。敵はそれならそれでやりようのある程度の戦力だということだろう。さあ、ごちゃごちゃ言わず行った行った。】

「なんなんだよまったく………。」

 

前回同様にバジル・ベルモットは建物の屋上に向かい、リュカ、ベロニカ、金髪は外で敵を迎え撃つべく移動していく。

執刀医は、その移動する金髪の背中をじっと眺めていた。

 

【私が君を嫌いな理由が理解できたよ。同族嫌悪か。生きる意味とは誰かに与えられたり最初から存在するものではなく、生きている最中に自身で生み出すものだ。人は何を成したかで、何者かが決定される。素性に寄る辺のない私もイアンの想像だけで生み落とされた君も、まだ何者でも無い。私たちはそれを常人のように、先達から学ぶことも出来ない。………このままでは君は、イアンの都合によって生み出され、イアンの都合によって死ぬだけの存在で終わってしまう。………生まれたこと自体には君自身の意図が無かったとしても、生きる過程に意味を持たせることは出来る。君の人生に意味を持たせられるのは、君だけだ。君が何者かになれることを、私は願っているよ。】

 

執刀医は自身の生まれたそのルーツを覚えておらず、金髪もイアンの妄想から出ただけの存在。

不確かであやふやな自身の存在を確固たるものにするには、人生の行動によって結果を残していくしかない。

冷蔵庫が生命を生み出す煉獄において、戦うだけであれば中身のないマネキンにだって出来る。

 

リュカとベロニカには前世という拠り所があり、バジルにもこれまで生きてきたという経緯がある。

しかし金髪の存在は何から何までイアンの妄想であり、植え付けられたその記憶も伝聞によるイアンの想像によるものである。

 

たとえ煉獄とイアン・ベルモットに縛られていたとしても、生きている以上はその生が虚無であるべきではない。

執刀医は、金髪が虚無から何かを生み出すことが出来るのか、生に意味を持たせることが出来るのかを試される予感を感じていた。

 

◼️◼️◼️

 

予感があった。

娘の徐倫が何をされたかわからないうちに敗北、その外見の特徴、ヨーロッパに訪れた奇妙奇天烈な異常事態。

 

「なんなんだ、コレは………。」

 

ヨーロッパに延々と広がる不気味な赤黒い空間、そして娘の徐倫は親の欲目を抜いても、非常に強力なスタンド使いだ。

それが理解出来ないうちに敗北し、気付いたら病院で寝かされていた。そしてパッショーネからの緊急救援要請。

 

パッショーネは非常に規模が大きく、戦闘用の構成員も質が高く数もかなり揃えているはずだ。

それが尋常では無い事態に振り回され、形振り構わずにスピードワゴン財団に救援を要請したということ、しかも敵は寡兵で十名にも満たない集団だという情報だ。パッショーネの実働部隊の最高権限者であり、副長であるはずのグイード・ミスタは命を張る最前線に出張り、ヨーロッパの裏社会で最強と噂された男は病院で生死の境をさ迷っている。彼が招集を受けたのも、宜なるかな。

 

「………敵の能力は不明なのか?」

「マジで何をされたのかわからなかった。途中から記憶が無くて、いきなり恐ろしい何かが襲ってきたとしか言えない。」

 

煉獄の外で陽動作戦を担当する人間は三人。

パッショーネから要請を受けた空条承太郎、その娘の空条徐倫、スペインからのサポートとしてウェザー・リポート。

前回までと比べて圧倒的に少数だが、戦力としてみれば精鋭中の精鋭といえる。

 

「お前がそんなに簡単に敗北したとなると、相当にまずい事態だな。」

 

外見の特徴、何をされたのかわからないうちに敗北する能力、承太郎の知るある男と符合が一致するのだが、その男であれば感じ取れるはずのその存在を一切感じ取れない。本物の彼であれば首から下がジョースター一族のはずであり、承太郎がその存在を感じ取れるのはそれが理由である。

煉獄より生まれ出でた金髪はイアンの妄想の産物であり、その実態は本物とは乖離している。もちろん首から下もジョースター一族ではない。

 

「………情報にある敵は三人。酸を吐き出す不気味な不定形のスタンドを行使する女、口のストローで爆弾を作成する爆弾魔のスタンド使い、それと徐倫が戦ったとされる金髪の男。他に武装して動くマネキンの集団か。」

 

空条徐倫は正確には金髪に敗北したわけではなく、時間経過とともに発動した無差別攻撃に巻き込まれて気絶したところを執刀医に外に打ち捨てられたのが正確なところなのだが、その辺は些末な部分だ。病院に運ばれた彼らはさほど間をおかずに復帰し、今回で三度目となる煉獄侵攻部隊。

 

「ウェザーは何か気付いたこととかある?」

「………この世界は、何かがおかしい。まるで全ての物事に誰かの意志が働いているような。」

 

赤黒い空を眺めて、ウェザー・リポートは返事した。

 

「誰かの意志?」

「徐倫も気付いているだろう?なぜか物事が上手く運ばない。俺は戦いのサポートに徹していたが、俺がスタンドを解除すると瞬く間に天候は俺たちにとって不都合な方へと推移していく。不運に見舞われましたと諦められる戦いでは無い。そこに何らかの事情があって、俺たちはそれを跳ね除けて戦わないといけない。」

「………。」

 

徐倫はウェザー・リポートの言葉を吟味し、彼女自身も同じことを感じていたことを自覚した。

 

「そうね。確かにそれは………。」

「避けろッッッ!!!」

 

承太郎が目の端で地面が不自然に膨れ上がるのを視認し、咄嗟の反応で徐倫を突き飛ばした。

徐倫のいた地面は、徐倫が突き飛ばされた直後に爆発した。

 

「ヘイ、ユー。よくもまあそれを避けられるもんだね。アンタ、名前は?」

「おおッッ!!!いい男が二人もッッッ!!!」

「………。」

 

地面が膨れ上がって炸裂し、砂塵の舞った後から三人の男女が現れた。

スキンヘッドに目にタトゥーを入れたリュカ・マルカ・ウォルコット、豪奢な服装をした妙齢の女性ベロニカ・ヨーグマン、肉の芽より生まれた能力だけは無駄に強力な最強のスタンド使いの劣化模造品。

 

「テメエらが敵か。」

 

承太郎が目を細めて三人を見据えた。

軍事基地の外で、三対三の戦いが始まった。

 

◼️◼️◼️

 

「副長、どうしてここに?」

 

パッショーネの重鎮であるグイード・ミスタは生存の優先順位が高く、本来ならば危険の大きい前線に出張ることはない。指揮権を持ち、戦闘を分析して戦力を組み立てるのが彼の仕事のはずである。それが最前線に出張ってきた。

サーレーは疑問を感じて、質問した。

 

「………恐らくは、それが必要だからだ。まだ敵に関する情報が足りていねぇ予感がする。それは俺自身が確かめるのが、一番正確で手っ取り早い。」

 

軍事基地は、横に広い三階層と屋上の構造になっている。

前回の戦いでサーレーとズッケェロは敵に一階で遭遇したため、彼らは下層からの捜索を、屋上で戦況を眺めていたバジル・ベルモットに用事のあるミスタは、高層からの捜索を。彼らはそう行動する。

 

「俺っちはアンタについていくかい?」

「いや、お前は今回は遊撃だ。建物の入り口付近に待機して、必要そうなところのフォローに随時回ってくれ。」

 

マリオ・ズッケェロのソフト・マシーンを前回同様に使用して、彼らは建造物の二階の窓から建物内部に侵入した。

 

「………戦力を分散していいんですか?」

「………まあ下手だわな。普通なら戦力を集中させて、一ヶ所ずつ弱いところを落としていくのが定石だ。だが………。」

 

窓を背にしてミスタは拳銃の撃鉄を外し、弾倉の確認をした。

都合の悪いことが起きる煉獄においては、誤射や暴発を防止するためのこまめな点検は大きな意味を持つ。

 

「この赤黒い空間は、とても普通だとは思えねぇ。前回、前々回と普通にやって散々な結果に終わった。時間制限もありそうだし、今回はあえてムチャをする。」

 

グイード・ミスタは敵方の一番の弱点、直接戦闘能力が低いと推測されるバジル・ベルモットのいる屋上へと向かって、情報を搾取する算段。サーレーとズッケェロは主戦力として敵を暗殺する役割。ホル・ホースは遊撃としてある程度自由裁量で。

ミスタが単騎で階上に向かう階段へと向き直り、サーレーたちは固まって階下へと向かう。

 

「護衛はいいのかい?」

「いらねぇ。撤退、合流、戦闘、全て各自の判断で行う。撤退する際は誰かを待つ必要はねぇ。もちろん俺のこともだ。目的を達成するか或いは何らかの成果を上げることを目標とし、作戦続行が不可能だと判断したら撤退。それが基本方針だ。それでは散会、各自作戦行動を開始する。」

「了解。」

 

サーレーがミスタに返事をして、四人はそれぞれ上下階へと向かった。

 

◼️◼️◼️

 

「ところでズッケェロ、回転木馬の対応策は考えついたのか?」

 

鉄製の階段を降りながら、サーレーはズッケェロに言葉をかけた。

周囲に靴が鉄を鳴らす音が響き、それは周囲の赤黒い空間と相まって不気味さを醸していた。

 

「いや、それがよぉ。一生懸命考えてはみたんだが………。」

「ケッ。あの程度のヤローによー。」

 

ホル・ホースが文句をグチグチこぼしている。

どうにもホル・ホースはオリバーにいいようにやられたことを根に持っているらしい。

 

「相当厄介な能力としか言えねぇなぁ。まあ一つ対策は考えてみたんだが、あまり気が進まないというか………。」

「どんな方法だい?」

 

ホル・ホースがズッケェロに質問して、ズッケェロは浮かない表情をしている。

 

「本当にあれをどうにかできんのか?」

「効果があるのは間違い無いんだがよぉ。」

「その男を陥せれば、俺たちの戦いにも大きな影響があるはずだ。」

【私も知りたいな。オリバーの能力は、喰らえば私だって手こずる厄介なものだ。それを君に本当にどうにか出来るのならば、私はその方法に興味がある。私の知的欲求が満たされる。】

「誰だッッッ!!!」

 

彼らの会話に唐突に割り込まれた、聞き覚えのない機械の駆動音のようなかすれた声。

即座にサーレーとズッケェロは反応し臨戦態勢を取り、ホル・ホースも拳銃を構えた。

 

階段を下に降れば、そこにノスタルジー。

否、そこに回転木馬はいない。ノスタルジーは今日はお休み。オリバーは今日は休日で、ベッドで睡眠を貪っている。

窓から陽の光が柔らかに差し込んでいて、階段の下の赤黒い壁には不気味な影がユラユラと映し出されていた。

 

【お客様、ようこそ煉獄ワクワクランドへ。総責任者のイアンとオリバーは今日はお休みだから、私が代理で君たちのお相手をすることにしたよ。】

 

曲がり角の先から歩いてきた、謎の生命体。

ネジの瞳、冷たい体、鋼鉄の心臓、白衣を着た機械仕掛けのスタンド。

敵方で最も不気味で、得体の知れない存在である執刀医がそこにいた。

 

◼️◼️◼️

 

「驚いたな。まさかアンタが直々に俺を殺しに来るとは。アンタは立場がある人間なんじゃないのかい?」

 

煉獄の赤黒い虚空を見上げて、バジル・ベルモットは静かにつぶやいた。

空に不吉の蝶が舞い、バジルはそれに向けて指を伸ばした。周囲は拓けた屋上であり、少し離れた場所にポツンと貯水塔が設置されている。

 

「切迫した事態においては、立場なんぞ意味を持たねぇ。俺がここに直接出張る必要があると俺自身が感じたから、俺がここに来たんだ。」

 

軍事基地の屋上で、グイード・ミスタは拳銃を構えてバジルに銃口を向けていた。

 

「当たりだ。この異常な空間では、直感は大きな意味を持つ。………敵の弱点から攻めるのは、戦術の常道だ。」

「その常道を信じて攻めて、前回前々回と酷い目にあったんだがな。」

 

煉獄においては、戦術の常道が意味を成さない。常道で攻めても、狂気とご都合で容易くひっくり返される。

しかし今回に限って言えば、主犯のイアン・ベルモットがやる気を失っているために煉獄が十全に機能しない。それ故に敵方の弱点であり、戦闘能力自体のないバジル・ベルモットから攻める行為が意味を持っていた。

バジル・ベルモットから情報を搾取する意味は大きいし、手の届かない屋上から味方をフォローする厄介なスタンド使いを確実に仕留められることも大きな意味を持つ。

 

「テメエには聞きたいことが山ほどある。大人しく投降しろ。そうすれば、まだ生かしておいてやる。」

「アンタ、わかっちゃいねぇな。」

「………何?」

 

バジルはミスタを小馬鹿にしたように笑った。

圧倒的に不利な状況で泰然としたバジル・ベルモットに、ミスタは不安を抱いた。

 

「言ったろ。俺は死を待つだけの屠殺場の豚じゃねぇ。人間として生きて、人間として死にたいって。人間として生きているからには、自分の生のために必死になる義務がある。それが俺にとって人間として生きて、人間として死ぬという意味だ。」

「………。」

 

バジルの言っていることは、ミスタにも理解できるし共感できる。

それが正解かどうかはさておいて、真っ当な人間の価値観として許容できることをバジルは告げている。

 

「俺はイアンに不必要な存在と見なされた時点で、その生に先が無くなる。どっちみち詰んでるんだよ。それならば俺は、自分と自分を生んでくれたこの世界のために戦おう。アンタは自分の命を少し延命するために、自分の住んでるイタリアを憎い敵に売り渡すのかい?俺にとってのこの世界は、アンタにとってのイタリアと同じなんだ。」

 

赤黒い世界、不気味な空、真っ当な世界の理とはかけ離れた狂人の妄想の世界。

しかしそれでも、バジル・ベルモットはその世界から生み落とされた。

 

生まれた世界のために生き、人間らしく生きて人間らしく死ぬ。

それがバジル・ベルモットの願い。生きているということは、それだけで必死になる価値がある。

 

人間ならば、たとえどれだけ苦境や逆境にあっても自分の生のために必死になるものだ。

それがバジル・ベルモットの考える、人間らしい生き方であり死に方。たとえ勝ち目が無くとも、死ぬのならば自分のために戦って死ぬ。

 

「全てを話すつもりはない。それはどうせ、アンタにとっては価値のない情報だ。しかし、必要なことを話すのは構わない。条件がつくが。」

「条件だと?」

 

ミスタはバジルに銃口を向けたまま。緊張した表情で先を促した。

バジルはユックリと、ミスタへと向き直った。

 

「………決闘だ。アンタが俺を殺してくれ。俺は人間として、自分を生んでくれた世界と自分の生のために必死に戦う。アンタがそれを受けてくれるのなら、俺はアンタに話せる情報を渡そう。」

 

バジル・ベルモットは、いつか来るこの日のためにイアンに生み出された。

その役割は簡単な遊戯説明であり、その対価に彼はおよそ三十年の命をイアンからプレゼントされたのである。

三十年間好きに楽しんでいいから、代わりにいつか役割を果たせ、と。それが彼が悪魔と交わした契約。

彼は今、その生まれた意味を果たそうとしている。

 

バジル・ベルモットは、ジャケットの内ポケットに手を入れて拳銃を取り出した。

バジルは引き金に指をかけ、即座に銃弾をミスタに向けて放った。



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真理

「………物事の始まりは、すべからく混沌だ。全ては、混沌から始まる。」

「誤魔化すんじゃねぇ!!!俺の聞きたいことを答えろッッッ!!!」

 

グイード・ミスタは拳銃を構えて、屋上の貯水塔に寄りかかって座り込むバジルの頭部に銃口を向けた。

 

「いいや、誤魔化していない。説明に必要なことだ。この美しい世界を、何者かが作り上げたとする信仰は根強い。………だが混沌の泥を捏ねて世界を作り上げたのが神であるのなら、その神は一体何者が作り上げたのだ?」

「………。」

 

ミスタはバジルの頭部に銃口を向けながら、訝しげに首を傾げた。

話の要領を得ない。

 

バジル・ベルモットとグイード・ミスタの戦いは、一方的だった。

ミスタは拳銃戦闘の専門家で、バジルは特に訓練をしたわけでもないサポート特化の非戦闘用のスタンド使い。バジルの撃つ銃弾はことごとくミスタのスタンドであるセックス・ピストルズに弾き返され、バジルはミスタに容易く組み伏せられて敗北した。バジルはミスタに決闘を申し込むには、役者不足に過ぎた。しかし、バジルは自分の最期の相手にしては、ひどく豪華であると内心で喜んでいる。

 

「神を創り上げた者は、一体誰が作った?それを創ったものは誰が創った?普通に考えればどうやっても辻褄が合わずに、いずれ論理は破綻する。それは人が時間を不可逆と考えるから、辻褄が合わないだけのことだ。混沌が極まれば、時間の概念はあやふやになる。物事の真理は、環状だ。卵が先か鶏が先か。それはよく議論されるが、その答えは卵が先でかつ鶏も先、が真だ。生ある人間には決して時間の軛から抜け出せない。しかし超越者には、時間の概念は無意味だ。議論に値しない。」

「………。」

 

ミスタは警戒しながら、バジルの言葉に耳を傾けている。

ミスタが彼に投げかけた質問は、あの不気味な機械仕掛けのスタンドは一体何者なのか?

それを聞き出して、アレにどう対処すべきか対応策を練ることになる。

それに対してバジルがその答えを告げている。

 

「混沌より生まれた俺だからこそわかる。人は神が作りたもうた。しかし神も、人の心が生み出した。一見、それは時間系列が矛盾しているように思える。しかしそれは、どちらかが間違いなのでは無い。それはどちらも真理だ。一見矛盾しているようにも思えるが、物事は不可逆な一方通行なのではない。環状になっている。人はそれを本能で理解しているから、輪廻などという概念が生まれた。有が無から生まれ、無が有から生まれる。鶏も卵も共に先であり、共に後である。それが真理だ。」

「………。」

「イアンのスタンドは、混沌そのものだ。原初、無限の狂気と混沌の中からは、神でさえも生まれる。あの不気味な機械仕掛けのスタンドの本質は、審判だ。競技には須らく審判が必要なのと同様に、イアンはこの遊びにも公正な審判を求めている。審判とは試合においてそのルールに精通し、勝敗を決定する神のごとき絶対的な権限を持っている。それがイアンの考える審判。しかしあの機械仕掛けのスタンドは、自分が何のためにいるのか、自分がどこから生まれたのかを覚えていない。イアンも細かいことを覚えているような人間ではない。そのために、奴らには行動に若干一貫性が欠けている。アレは自分をイアンのスタンドではないと思い込んでいるようだが。しかしアレはイアンから独立してはいるものの、イアンの妄想の部屋から生まれた、間違いなくイアンのスタンドだ。………なんで機械なのかは、俺も知らん。多分デウス・エクス・マキナから連想した、イアンのイメージだろう。」

 

時折現れる無敵のスタンド、それは公平性に則って存在する。

例えばケンゾーのドラゴンズ・ドリーム、ミラションの取り立て人マリリン・マンソンなど。

それは本来ならば中立である必要があるのだが、それが間違えて一方に肩入れしてしまっている状況だと考えればいい。

 

「………。」

「アレはイアンの意向に忠実で、イアンの悲しむことをひどく嫌う。………お前たちは、絶対にアレを敵に回してはいけない。イアンは楽しむことが目的で隙が大きいが、アレはイアンより沸点が低くキレたら手に負えない。アレは妄想が現実となるこの世界の戦いにおいて、絶対的な権限を持っている。普段は戦いに不干渉で、イアンの使役するスタンドの真似事をしている。アレにそのスタンスを変えさせるようなことをさせてしまえば、お前たちに勝ち目は無くなる。勝敗の決定を下す審判を敵に回せば、競技には勝てなくなる。」

 

バジル・ベルモットはそこまで喋ると、目を閉じた。

 

「ルールを守れ。イアンを絶対に逆上させるな。混沌、無秩序、手段を選ばない戦いを仕掛ければ、イアンの独壇場になる。………俺がアンタに話せるのはそこまでだ。せいぜい頑張ってくれ。」

「情報感謝する。………アリーヴェデルチ。」

 

必要なことは聞き出せた。あとは人間として殺してやる。

ミスタはバジル・ベルモットの頭部に照準を定めて、拳銃の引き金を引いた。

軍事基地の屋上の貯水塔に、血と脳漿が飛散してこびり付いた。それは時間経過と共に、薄れて消えていく。

 

「妄想から生まれた生命か。………テメエのことは、殺した俺が覚えておいてやるよ。」

 

人間らしく死ぬことを望んだ男は、戦いに敗北して死亡した。

 

◼️◼️◼️

 

「となると、俺の相手はテメエか。」

 

リュカ・マルカ・ウォルコットは、空条徐倫と対峙した。

 

「………。」

 

空条徐倫は、目の前のスキンヘッドの男を前にスタンドを現出させた。

男好きベロニカが男を所望し、金髪が前回と同じ相手を嫌がったために、リュカの敵は消去法で徐倫になった。

 

ベロニカ対ウェザー・リポート、金髪対空条承太郎、リュカ対空条徐倫。

承太郎は娘から聞かされていた金髪の男に思うところがあったために、この対戦図となった。

 

「ふーん。かなり強そうだな。」

 

リュカは目を細めて、ストーン・フリーに目をやった。

筋繊維のように無数に糸を束ねた、しなやかな野生の豹を思わせるような姿形。

 

リュカのスタンド、ケミカル・ボム・マジックが一足で距離を縮めた。

右腕の筋肉を膨張させて徐倫に殴りかかり、徐倫は糸を束ねた強靭な腕で拳を弾き返した。

リュカは逆の腕で爪を立て、徐倫の顔面を切り裂こうとした。

 

「ハァ?」

 

リュカは意表を突かれた。

徐倫の顔面は解けて糸になり、リュカのスタンドの強靭な爪を軽やかに躱した。

そのまま全身がバラバラに解け、リュカは徐倫を見失った。

 

「どこにッッッ!!!」

「ストーン・フリー、吊られた男(ハングドマン)。」

 

上空から糸が降ってきて、リュカの首に絡み付いて締め上げた。

 

「あがッッッ!!!」

 

咄嗟に糸を引き千切ろうと振り回したリュカの腕に、いつのまにか周囲に張り巡らされた徐倫の不可視の極細の糸が食い込んで血が噴き出した。

 

「コイツッッッ!!!マジかッッッ!!!」

 

リュカは徐倫の外見でその戦闘力を推察したが、彼女の戦闘力はリュカの推察を遥かに上回っていた。

しなやかな糸は変幻自在な戦いを得手とし、リュカはそれに翻弄される。

 

「グッッ、アアアアアアアアアアアッッッ!!!」

 

糸はなおもリュカの首をギチギチと締め上げて、リュカは呼吸が困難になる。

危機を察したリュカは即座にギアを最上まで上げて、スタンドの力を振り絞って糸をなんとか千切ろうとした。

しかしそれをいち早く察した糸はスルスルと逃げて、力を空回りさせられたリュカは体勢を崩した。二次元より帰ってきた徐倫がリュカに追撃を加えた。

 

「オラァッッッ!!!」

「グッ!!!」

 

強靭な膂力でストーン・フリーがリュカを弾き、リュカは何とか防御したと思ったのも束の間、糸は殴ったついでにリュカの腕に密に絡み付き、リュカは徐倫に引き寄せられた。

 

「クソッッッ!!!」

 

リュカは絡み付く細い糸に何とかストローを突き刺そうと試みるも、糸は生き物のように自在に動き、まるで捉えられない。

リュカは、実体のない亡霊を相手にしているような錯覚に囚われた。

 

「手加減するつもりも遊ぶつもりもない。アンタはここでお終い。」

 

糸を厚く束ねたストーン・フリーの拳がリュカに迫り、リュカは体を丸めて必死にダメージの軽減を試みた。

 

「私のストーン・フリーは、守りに徹して凌げるほどヌルくない。」

「クソッッッ!」

 

まるでトラックと衝突したような衝撃。それはひどく重く、リュカの骨に響いた。

重い拳が幾度もリュカの防御に突き刺さり、リュカは防御越しにひどく体を揺さぶられた。

 

「これで終わり。」

 

徐倫は無慈悲に宣告し、束ねた糸を引っ張った。

リュカは引きずられまいと足に力を入れて踏ん張り、その瞬間に徐倫は引っ張る力を抜いた。リュカは自身の踏ん張りによって後ろに向けて体勢を崩し、徐倫が少し空いた距離を一足に詰めて拳を振りかぶった。

 

「あ………。」

 

リュカの眼前にスローモーションでストーン・フリーの拳が迫り、リュカは自身の敗北を理解した。

しかし敗北を覚悟した瞬間にリュカに絡み付き拘束する糸はなぜかボロボロに千切れて、リュカは即座に判断を下し必死に背後に飛び退いた。

 

「貸しだ。これでお前も私の奴隷決定だな。」

「チッ。」

 

リュカを仕留め損なった徐倫は舌打ちをした。ストーン・フリーの糸に黒い小型の生物が纏わり付いている。

リュカの近くにベロニカが寄り添った。

 

「ババア、助かった。」

「私はババアじゃねぇ!!!お前ぶっ殺すぞ!」

 

危地に陥ったリュカのフォローをしたのは、ベロニカ・ヨーグマン。

彼女は酸を出すスタンドで、リュカに絡み付き拘束する糸を溶かしてリュカを逃した。

 

「で、どうだい?こっちはハッキリ言ってかなり分が悪い。」

「………相性が悪い。組むぞ。」

 

戦闘には相性がある。

リュカ、ベロニカ共に敵との相性が良くなかったために、ベロニカはリュカに急遽手を組む提案をした。

 

ベロニカの相手はウェザー・リポート。

彼女のスタンドは毒や物理には強いが、万能性が高く遠距離攻撃も可能なウェザーのスタンドはあまり得意ではない。

その代わりに彼女は、徐倫のスタンドに対してはめっぽう強い。

 

リュカの相手は徐倫。

リュカのスタンドは耐久が高く近接に強いが、徐倫のようなトリッキーなスタンドはあまり得意ではない。

その代わりにリュカは、ウェザーのスタンドに対してはそこそこ以上に戦える見込みがある。

 

「奴ら思ったよりもずっと強ぇ。OK、ババア。今回限りの即席タッグだ。」

「男はもらうぞ。」

「手を組まれたか………。徐倫、厄介だぞ。」

「ええ。わかっている。」

 

徐倫が前面に立ち、ウェザーがそのやや後方でサポートする。

二人は互いのスタンドを理解し、高い連携能力を誇っていた。

 

「糸女が前に出るなら私だな。」

 

一方でリュカとベロニカのコンビも、共に戦歴が豊富で即興のコンビネーションを組んできた。

ベロニカが前面に立ち、リュカは変化する戦況を柔軟に立ち回り支配する役目を請け負った。

 

「OK、ババア。ヘイ!!!」

「ッッッ!!!」

 

リュカは地面にスタンドのストローを突き刺し、即席の爆弾が爆発して周囲に砂塵が舞った。

徐倫が視界を失い、ストーン・フリーに強いベロニカのリビング・アシッドがウネウネと迫る。

 

「大丈夫だ。」

 

ウェザーが徐倫のサポートに回り、周囲に雨粒が落ちて舞い上がった砂塵を抑えた。

そのまま風が逆巻き、不定形であり体幹の弱いベロニカのスタンドは立ち往生する。巻き起こる強い風圧に、ベロニカは腕で眼球を保護した。

 

「ヘイ、ババア。そこでしゃがめ。」

 

リュカが足元の地面にストローを突き立てて即席の爆弾に変化させて、土塊を次々に徐倫めがけて投げつけた。

徐倫はウェザーの雨を吸った糸の束を音速を超える速度で打ち出し、次々に飛びくる土をまとめて弾き落とした。そのまま糸は捻れてどこまでも細長くなり、空中と一体化して不可視になり、触れたものを切り裂く二次元の刃の罠と化す。

 

「この辺りだな。」

「ッッッ!?」

 

徐倫が糸を仕掛けた周辺に当たりをつけて、ベロニカが手を伸ばした。

張られた糸はベロニカの腕を薄く裂き、糸の罠は彼女の酸の体液を被って溶けて消えていく。

さらに徐倫の足下から、ベロニカがスタンドから排出した不気味な甲殻類が無数に湧き出てきた。

 

「グッ!!!」

 

足に甲殻類の吐き出す酸が触れて彼女のブーツが溶け、痛みに徐倫は思わず呻いた。

ウェザーがサポートに回り、しとしととアルカリ性の雨が降って徐倫の足下の酸を薄めて洗い流していく。

 

「助かる。」

「お安い御用だ。」

 

仕返しとばかりにウェザーが積乱雲を作り出し、濡れた地面に電流を流した。

ウェザーはローウェンほど強力に雲を操ることは出来ないが、能力の幅が広く応用力が効く。

ベロニカとリュカが電流に巻き込まれて、行動を阻害された。

 

空条徐倫はベロニカ・ヨーグマンに視線をやった。

糸を束ねたスタンドであるストーン・フリーにとって、小型で隙間に侵入してくるベロニカの酸を吐くスタンドはどうにもならないほどに天敵だと言っていい。酸に触れる表面積がどうしても大きくなり、細い糸はどれだけ強靭でも瞬く間に溶かされてしまう。多数の小型の甲殻類に糸の隙間に入り込まれたら、徐倫の敗北が決定してしまう。しかも彼女のスタンドは、倒しづらい不定形だ。ゆえに先に陥すのは相性のいいリュカ・マルカ・ウォルコットのスタンドから。そこを陥して二対一でベロニカを翻弄する。

 

「ヘイ!!!」

 

あらかじめ周囲に対人地雷を仕込んでいたリュカは、戦闘の主導権を渡すまいと地面にストローを突き立てた。

あさっての場所で複数同時爆発が起こり、爆風と舞い上がる砂塵は視界を阻害していく。それは電流を喰らって筋肉が硬直した、リュカとベロニカのフォローとなった。

 

「徐倫ッッッ!!!」

「ええ。」

 

それぞれ苦手な相手を持つウェザーと徐倫は背中合わせに互いをフォローし合い、ウェザーの降雨が舞い上がる砂塵を地に落としていく。

 

「足下ッッッ!!!」

「ッッッ!!!」

 

砂塵の中から無数の甲殻類が湧き出てきて、その不気味さに徐倫は気を取られた。

それはベロニカのスタンド、あらゆる物質を溶かす王水の体液を持つ。

 

「ハッッッッ!!!」

 

徐倫がウェザーの肩に飛び乗り、ウェザーがスタンドの拳を固めて雨に濡れた地面を殴った。

スタンドの拳から電流が迸り、地面を這いずる多数の甲殻類を焼き切っていく。

 

「ウェザー!!!」

 

規模の小さくなった砂塵からリュカが飛び出て、ウェザーに攻撃を仕掛けようと試みた。

徐倫がウェザーのサポートで前に出て、その徐倫と相対するようにベロニカも現れて参戦する。

四人の戦いは、乱戦の様相を呈していた。

 

◼️◼️◼️

 

「手を上げて、大人しく投降しろ!!!不審な動きをすれば、その瞬間に蜂の巣にしてやる!!!」

【蜂の巣、蜂の巣か。】

 

不気味な機械仕掛けのスタンド、執刀医を前に、サーレー、マリオ・ズッケェロ、ホル・ホースは散会し、それぞれスタンドを現出させていつでも攻撃できるような態勢で囲みながら警戒していた。

執刀医は両手を高く上げて、首を傾げながら上の空でなにやらブツブツ呟いている。

 

「大人しくしろ!!!そうすれば今すぐに殺害することだけはしない!!!」

【蜂の巣、ハニカム構造。囲まれた私、遊ぶことこそが生きる意味。私はイアンの代わりならば、イアンの行動原理に沿ってお客様をもてなす義務が存在する。】

 

執刀医はニヤアと笑うと、掲げた両手の上にミラーボールのような球体を作り出した。

それは六角形を連ねたハニカム構造をしており、サーレーたちは否応無くその球体に視線を奪われた。

次の瞬間、ホル・ホースが執刀医に容赦なく発砲する。

 

【私は大人しくしているつもりだが?君たちは私を今ここで殺すことはないと言わなかったか?】

 

ホル・ホースが放った銃弾は執刀医のいた場所を通過し、執刀医はホル・ホースの背後にいた。

瞬間移動ともいうべき速度、囲んだ三人は誰も執刀医が動いた瞬間を視認できていなかった。

執刀医はホル・ホースの背後で、不気味にユラユラと揺れる。なびく白衣が尾を引き、それを視認したサーレーは幻惑されるような錯覚を覚えた。

 

「その不気味な球体を消滅させろ!!!」

【やなこった。】

 

当然ここにいる全員はスタンド使い。

執刀医の生み出した不気味な球体が、どんな能力を持っているかわかったものではない。それを生み出しておいて大人しくしているなどという理屈は通用しない。三人は即座に体勢を変えて、執刀医に殺意を向けて動いた。

 

【さて、今回は私の遊び。イアンとオリバーの穴埋めが責務。君たち相手に戦いをはぐらかし、オリバーが復活するまで時間を潰すことが私の役割だ。】

 

執刀医はそう呟くと、ミラーボールのような球体を床に投げ付けた。

その行動に意表をつかれた三人は、どうすればいいか困惑して誰も反応出来ない。ミラーボールは床に叩きつけられると同時に粉々に粉砕され、閃光を発するとともに床に溶けて消えた。閃光は脳裏に鮮烈な白光を焼き付け、サーレーの視界に映る世界はボヤけていく。

 

【モザイク・ルーム。君たちはモザイクに囚われる。時間稼ぎにはもってこいだね。】

「ズッケェロ、ホル・ホース、返事をしろッッッ!!!」

 

球体が破砕すると同時に三人の視界は解像度が劇的に低下し、モザイクに覆われていく。

或いは、世界自体がモザイク状に変化しているのか?

サーレーにはそのどちらが正解なのかわからない。それでも即座に事態を把握し、同士討ちを避けるために声を張り上げた。

 

「相棒、今のところ俺は問題ねぇ。」

「俺っちもここにいる。」

【私も問題ない。】

「テメェッッッ!!!」

 

サーレーの耳元で機械のような声がし、咄嗟にクラフト・ワークの拳を振るった。

しかし、拳に手応えはない。

 

「どうする!相棒ッッッ!!!」

 

サーレーは思考した。

視界が不全の状況で、手当たり次第に動くものを攻撃するわけにはいかない。そうすれば極めて高い確率で同士討ちを引き起こす。

非常に厄介な状況に陥ったと言える。

 

「三人で背中合わせになるぞッッッ!!!」

 

そうすれば、視界に映る動くものが敵だと確定する。

サーレーの意図を理解して、二人は互いの認識のために声を上げた。

 

「了解、相棒ッッッ!!!」

「これは面倒だねぇ。」

 

ズッケェロが集中しながら返事をし、ホル・ホースが眉間にしわを寄せながらサーレーに近寄った。

 

【了解した!!!視界に入る動く相手を倒せばいいんだな!!!】

「テメッッッ!!!」

 

おちょくられている。

サーレーの背後で執刀医の声がして、サーレーは反射で拳を振るった。

 

「おい、リーダー!危ねぇじゃねぇか!!!」

「すまん。」

 

クラフト・ワークの拳がホル・ホースの帽子をかすめ、ホル・ホースは抗議した。

 

【君たち!!!仲間割れなどしている場合じゃあないッッッ!!!力を合わせて、不気味な敵を打ち破るんだッッッ!!!】

「この………ッッッ!!!」

 

執刀医のおちょくる声に、サーレーはイラついた。

しかし頭に血が上っては、戦闘に支障を来す。サーレーは深呼吸をした。

 

サーレーは短い間思考に没頭した。

ラニャテーラは味方を巻き込み、味方に反撃の機会を失わせてしまう。コマ送りは、視界の解像度が低い現状意味を成さない。

マリオ・ズッケェロの能力は攻撃を当てられれば効果があるかもしれないが、同士討ちの危険を孕む。ホル・ホースも同様だ。

人間は情報の大半を視界に依存しているということを、嫌という程痛感させられた。

 

「声を出し続けろ!声で味方を判別する!!!幸運にもあの不気味な敵は、こっちを全力で殺しにきているわけではないッッッ!!!」

「了解!」

「アイアイ。」

【よし、わかった!!!】

「テメェッッッ!!!」

 

クラフト・ワークが可能な限りの速度で、執刀医の声がした場所に裏拳を振るった。

 

【マンネリは停滞となり、停滞は退廃へと繋がる。人生に必要なのは適度な刺激と遊び心。ならばこそさあ、次の遊びだ。】

 

サーレーの拳は空振り、しかし別の何かを壊す音がした。

モザイクの世界にクラフト・ワークの拳を中心にひびが入り、ひびは放射状に広がり足元が崩壊していく。

 

「これはッッッ!!!」

 

周囲が崩壊し、どこまでも落ちていく感覚。地に体が叩きつけられたが、痛みは感じない。

サーレーはそれを不可思議に思うことなく、落ちた先で急ぎ立ち上がった。

 

【モノクロの精神世界、少年漫画。自分との戦い、さあ試練を乗り越えて見せよ。】

 

意味がわからない。試練など課せられるいわれはない。

立ち上がった周囲は黒と白のみで色合いが構成されており、サーレーの眼前にはサーレーがいた。

上空には巨大な執刀医が鎮座して、ネジの瞳が不気味にサーレーを見つめている。

 

【クレイジー・ドリーム、さあ、己との戦いだ!今こそ試練を乗り越えるんだ!!!】

「………試練を乗り越えてどうなるんだ?」

【どうにもならないよ?試練を乗り越えても何も変わらない。大切なのは日々の積み重ね、たゆまぬ鍛錬。たった一回の試練を乗り越えたくらいで、そうそう簡単に人が変わるわけないじゃないか。】

 

執刀医は肩をすくめた。じゃあ何のための試練だと、サーレーは声を大にして叫びたかった。

サーレーの眼前にいるサーレーは、無言無表情でたたずんでいる。

とりあえず何をするにしても、目の前の自分が何なのかわからなければ話にならない。

 

「おい!」

 

サーレーが声をかけると同時に、目の前のサーレーの眼球が左右で独立して別の方向に動き、後頭部からニョキリとモンシロチョウのような羽が生えた。

 

「は?」

 

羽は羽ばたき、サーレーの特徴的な髪は昆虫の足のようにワシャワシャと動いた。

そのまま首がボロリと胴体から離れ、モノクロの空を舞って遠く離れて逃げていく。

 

「お、おい、逃げたぞ!」

【………。】

 

あまりにも意味不明な展開にサーレーは上空に鎮座する巨大な執刀医に説明を求め、執刀医もその展開に呆気にとられている。

執刀医は手を口元に添え、一拍おいて言葉を発した。

 

【コホン。………奴だ!!!奴こそが君の試練!!!倒すべき相手ッッッ!!!】

 

執刀医は首がなくなったサーレーの胴体を指差し、首のなくなったサーレーの胴体はサーレーに向かって走りながら拳を振りかぶった。

 

◼️◼️◼️

 

【おやすみ。良い夢を。】

 

執刀医が、固い床に倒れて寝込む三人に視線をやった。

 

【さて。】

 

執刀医は階段に目をやって、白衣を翻し静々と段差を登っていく。

二階に上がり、三階に上がり、屋上へと続く鉄製の扉に手をかけた。

 

【おや?】

「テメエッッッ!!!」

 

執刀医が屋上の扉を開いた。

屋上には屋外の戦いの趨勢を確認するグイード・ミスタがおり、ミスタは反射で執刀医に拳銃を向けて発砲した。

 

【なかなかの野蛮さ。でも、嫌いじゃあない。私は君と戦うつもりはないのだが?】

「………。」

【ミスタ、イマノハアタッタハズ!!!】

 

銃弾は透過し、ミスタのスタンドであるNo.1は困惑した。

執刀医はいつのまにか、ミスタの拳銃の射線から外れた場所に移動している。

瞬間移動としか言えない速度に、ミスタは警戒しながら恐る恐る銃口を下ろしていく。

 

審判を敵に回すべきではない。

ミスタの脳内には、バジル・ベルモットが最期に残した忠告がこびりついていた。

 

「………テメエ、サーレーたちはどうした?」

【サーレー?侵入者なら、階下で惰眠を貪っているよ?】

 

ミスタは、自分がどう動くべきか迷った。

眼前には散々忠告された得体の知れない機械、屋内には惰眠を貪っていると機械が発言したサーレーたち、屋外では三対三で戦う仲間たち。ミスタが戦局を判断できるのは、今現在屋外で戦っていることを視認できている仲間たちである。

最重要目的は敵の首魁の暗殺。眼前には審判だと敵が発言した存在。屋外の戦いは仲間たちは劣勢に陥っているわけではないが、今まで見た展開はどうにもキナ臭い。

 

消去法で行動を絞り込むとすれば、目の前の機械が真実バジル・ベルモットが語ったような存在であるのなら、ここで敵対して戦うことは下手である。そうなると残る行動は階下のサーレーたちとの合流、屋外で戦う仲間のフォローのどちらか。単騎で敵の首魁を探し出して暗殺するくらいならば、階下のサーレーたちと合流した方がまだ先行きの見通しが明るい。あえてどこのフォローも行わず、バジル・ベルモットから入手した情報を持ち帰って検証するという選択肢も存在する。情報の優先度は極めて高い。

 

ミスタは、それらの中から自身で行動を選択しなければならない。

どう行動するにせよ、ネックになるのは時間制限。バジル・ベルモットの言葉が正しければ、あと何回攻め込むことが可能なのか。情報を持ち帰って精査している最中に、時間切れを迎えてしまう可能性も高い。

無理して戦うことも、無理せず退くことも、どちらにも利点と裏目が存在する。

 

「………ルールとは、一体なんなんだ?」

 

迷った末にミスタが下した決断は、さらなる情報収集をすることだった。

バジル・ベルモットの言葉を信用して、あえてさらに敵の懐に飛び込む選択肢。

たとえ殺すべき敵であっても、知ることで被害を抑えられるのならばそれを躊躇する意味はない。

 

この機械が本当に審判であるのなら、戦いのルールに精通しているはずだ。

そもそもミスタは、敵が言うところのルールというものを全く聞き及んでいない。

 

一体何がルール違反になるのか?

仮にルールが存在するのなら、それを知らずに戦ってもとても戦局は有利に運べない。

 

【ルールは、イアンが決めている。イアンが卑怯だと思ったり、不公平だと感じたら、それはルール違反になる。ひどいルール違反は、私が直接手を下すことになる。君たちはそれをひどくファジーで不公平だと憤るかもしれないが、もともとこの世界自体が公平ではない。君たちはイアンの接待役だ。曖昧な部分を引っくるめて、その全てを楽しんで欲しい。………ああ、気に入らないなら別にルールを無視しても構わないよ?好き勝手しても構わない。あまりオススメはしないが。その時は、互いに手段を選ばない殺し合いになるだけだ。君たちはもともとそのつもりだっただろう?】

「お前がルールを支配しているわけではないのか?」

 

ミスタは引き続き、疑問点をぶつけた。

 

【ルールは、イアンのために存在する。私はイアンの感情をシミュレートして、イアンが極度に憤慨したりひどく悲しんだりした場合はそれをルール違反だと判定している。まあ君たちの方に、ルール違反に該当する事案はそんなに多くない。どちらかというと、イアンがゲームが公平になるために自分のために課しているものだ。………ああ、オリバーの息子に手を出したら、一発でレッドカードだよ。】

 

執刀医は眼下の戦いを一瞥し、さらなる言葉を紡いだ。

 

【私はイアンを喜ばせるためにここにいる。確かに私は戦いの審判なのだろう。だが正直言って、ルールや勝敗などどうでもいい。私がルールを判定しているのは、それがイアンが喜ぶからだよ。だから戦いなどどうでもいい。ほら、外の戦いに動きがあった。君はそれを鑑みて、どう動くのかな?】

 

執刀医が眼下を指差し、ミスタもそれにつられて視線をやった。

ミスタは踵を返し、大急ぎで屋上から建物外ヘと向かった。



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何者にもなれない

「テメエ、何者だ?」

 

空条承太郎は、目前の金髪の男に問いかけた。

娘の徐倫から情報を聞かされた際に、予感があった。

あってはならないことが起こっている予感、過ぎ去りし因縁が再び運命に絡みついてくる胸騒ぎ。

 

「何者だ、とはどういう意味だ?」

 

外見は確かに、少しだけ面影がある。

あの男がもしも真っ当な人間だったと仮定して、歳月が人相を変貌させたのだと言われれば無理矢理に納得させられるくらいの説得力だけは。しかしあの男は不老の吸血鬼であり、目の前の男は外見は少しだけ似通っているもののあからさまな別人だ。

何より空条承太郎が別人だと判断したその最たる理由は、目の前の男からはそこまでの凶暴性が感じられない。あの男であれば否応無く感じる、傲岸不遜で独尊な、他者を己が糧としか見なさない凶暴性が。

 

「………。」

 

いまいち釈然としない。

この程度の男に娘の徐倫が敗北したのか。親の贔屓無しに、徐倫はアメリカ有数のスタンド使いだったはずだ。

それが敗北したのであれば、よほどスタンドのスペックが高いか、相性的な問題か、はたまたなんらかの特殊な能力ではめられたのか。

そのいずれだとしても、徐倫のスタンドは極めて融通の効く対応力の高いスタンドだったはずだ。

 

もしも本物のあの男が相手だったのならば、それならば娘が敗北したとて納得ができる。

しかし目の前の男はあの男とは別人、のはずだ。

 

考えても、詮無きこと。

負けられない戦いで目の前の男は敵だ。それが最優先される事情であり、加減や様子見は手ぬるい。

空条承太郎は力の化身スター・プラチナを現出させ、俊足で赤黒い大地を蹴った。

 

「お前、アジア人か?」

「その質問に、何の意味がある?」

 

承太郎に相対する金髪の男も、スタンドを現出させる。

その外見はかつてのザ・ワールドに少しだけ似てはいるものの、やはり別物だという他には言いようがない。深青色の色合いに鋭い目付き、首には鎖が巻き付いており、その先端に懐中時計が付属している。

 

「フン!!!」

「おおっっ!!!」

 

二人の中間地点で、二体のスタンドは交錯した。

金髪の男のスタンドは巨大で、そのスピードとパワーはかなりのものだった。

 

空条承太郎のスター・プラチナが右拳を握り、敵スタンドにストレートパンチを放った。金髪の男はスタンドの腕を交差させ、若干弾かれる。お返しとばかりに金髪の男もスタンドで殴り返し、スター・プラチナは腕を内側に入れて軌道を変えて逸らした。そのまま至近距離からスター・プラチナのミドルキックが敵の腹部を強襲する。金髪の男は腕を体との間に割り込ませて防御を試みたが、スター・プラチナの足は不意に軌道を変化させて金髪の男の足をへし折った。

 

「グッッッ!!!」

「………。」

 

そのままスター・プラチナは地を滑るように動き、金髪の男の腹部を突き破らんと右腕に力を込めて殴りかかった。

 

「うあッッッ!!!」

 

スター・プラチナの拳に、金髪の男は自身の左腕を前に出して防御を試みた。

承太郎は殴るタイミングを一拍外し、フェイントをかけてスター・プラチナが体を敵スタンドに当てて押し込んだ。さらに体勢を崩した敵に追撃で殴りかかった。巨体のスタンドは容易く押し負けて地を転がった。

 

「………。」

 

承太郎は、敵を観察している。

承太郎は経験に裏打ちされた百戦錬磨の戦士であり、僅かな戦いからでも情報を読み取ることができる。

ほんの僅かな交差で承太郎が敵から感じ取ったものは、チグハグさだった。

 

男のスタンドはパワーはあり、スピードもかなりのものだ。

承太郎のスター・プラチナの動きに反応するだけの動体視力と身体能力は備えている。

身体能力のスペックだけで言えば、金髪の男のスタンドは承太郎が出会った敵の中でも最上位に近い能力を持っている。

それこそ、最盛期のスター・プラチナと比較しても遜色ないと言える。

 

しかし、強いか弱いかで言えば、はっきり言って弱い。

戦いにおいて地面に倒れ伏してしまえば、不利な体勢で追撃を受けることが確定する。敵はスター・プラチナの猛攻を受けてアッサリと地を転がった。戦い慣れた人間であれば、どれだけ攻撃を受けようが無防備で敵の攻撃を受けるような体勢を晒すわけがない。敵が攻撃を受ける際に、目を瞑ってしまっていたことも確認できた。

 

ここまでの戦いの流れでは相手の動きが読みやすく、身体能力にさほどの差はないにも関わらず簡単にあしらうことが可能だった。

戦いにおいて重要な要因。例えば小手先の技術、フェイント、重心移動、人体の関節可動域、展開予想、そういった敵の裏をかく能力。簡単に思いつくだけでも、単純な身体能力以外にこれだけの要素が挙げられる。そういう接戦を制するための能力が、決定的に欠けている。

百戦錬磨の空条承太郎は、わずかな戦いからそれだけの情報を読み取った。

 

例えば目線一つでフェイントをかけ、敵の行動を誘導したり欺いたりする能力、それは戦いにおける基礎中の基礎だ。

重心を上手く扱い慣性を無視したり、人体の関節を考えれば有り得ない動きだったり、そういった人よりほんの少しだけ異常な動きが出来るのなら、その特性一つで相手の裏をかくことができる。

戦闘の経験の数を積めば相手の狙いを高精度で予測できるようになるし、筋肉の微細な動きからでも相手の次の行動を予測可能だ。

 

身体能力は高い。スター・プラチナの動きに反応できるほどに。

しかしそれは、実戦で鍛えた強さでは無い。

 

野生の動物や鍛え上げた兵士のような実戦的な力ではなく、まるで見せるために筋肉をつけたボディビルダーのような。

訓練されていない一般人が、戦場の重装備を持たされたような。

戦うことをまるで知らない赤ん坊が、大人の体を手に入れてしまったというのが一番しっくり来るかもしれない。

 

それでいて徐倫が負けたということは、相当強力な能力を持ち合わせているのか?はたまた限定的なカウンターで発動するような能力か?あるいはブラフをかけていて、実は戦えることを隠しているのか?

空条承太郎は観察しながら、そういった不確定要素を思索していた。

 

そもそも承太郎が参戦したのは、パッショーネの要請を受けたという理由もあるが、娘の徐倫の敗北がまるで過去のあの男の能力を彷彿とさせたという理由である。しかし目の前の男からは、今のところかつてのあの男の片鱗を露ほども感じない。

はっきりと別人だと言い切ることができる。

 

承太郎は横目でチラリと、他の戦局を眺めた。

徐倫、ウェザー・リポートのコンビとリュカ、ベロニカのコンビ。そこは戦力が拮抗しており、リュカ、ベロニカ共に戦い慣れた強力なスタンド使いだと言い切れる。あの二人組であれば、どちらであってもこの目の前のこの金髪の男よりは苦戦するであろう。

 

目の前の男をさっさと倒してフォローに回ろうと僅かに思考したが、自分のノルマを達成していないうちから皮算用をするのは隙のある行為だと頭を振った。まずは確実に目の前の男を始末することだけを考える。先のことを考えて足元を掬われるのは、愚かの極み。

 

ここまで承太郎が思考した時間が、およそ三秒。

敵は地面に手をついて立ち上がり、若干足元が怪しい。追撃の好機だ。

何かを隠していたとしても、高確率で仕留められる機会を見逃すほどに承太郎はマヌケではない。

 

【オラァッッ!!!】

「うあッッッ!!!」

 

この男は、吸血鬼だ。それは確定した。

先程足をへし折ったにも関わらず、すでに骨は復元されて迫り寄るスター・プラチナから後ずさって距離を置こうとしている。

蹴りの手応えからして複雑骨折だったはずで、足を動かせるわけがない。

 

承太郎のスター・プラチナは、残像ができる速度で敵を蹂躙しにかかった。

それに対応して男は、自身の体を守るようにして距離を取ろうとした。何かを守るように体を丸めており、承太郎はその行動に違和感を感じた。

 

「………これは!」

「あはははははは!!!俺の勝ちだッッッ!!!」

 

周囲の空間が突如圧力が急上昇したように、承太郎の体の動きが鈍くなった。そのまま石のように、体が動かなくなる。

承太郎はその感覚に、覚えがあった。それはかつて、最初に因縁の男と対峙した時に感じた感覚だった。

 

男はスタンドの首からぶら下がった懐中時計の針をいじっており、承太郎はその様子からその懐中時計が能力の肝であることを理解した。

 

「俺は無敵の、ディオ・ブランドーだッッッ!!!」

「………。」

 

承太郎は内心で、ため息をついた。

何の関係があるのか、どういう因果か、どうしてこの男がその能力を保持しているのか。

気にはなるが、それは実は大した問題ではない。

 

大切なのは、この男はディオ・ブランドーではなく、この戦いが負けられないものであるということだけ。

承太郎は獲物を待つ狩り人のように、停止した時間の中で静かに時を待った。

 

「お前は俺の能力の前に手も足もせずにひれ伏す!!!喰らえッッッ!!!」

【オラァッッッ!!!】

「あがッッッ!」

 

自身の能力を盲信して不用意に近寄った男の鼻面を、承太郎のスター・プラチナの拳が弾いた。

承太郎は年を取り、停止した時間の中ではもう一秒程度しか動けない。しかし、この程度の敵ならば一秒もあれば十分過ぎる。

 

【オオオオアアアアアアオラオラオラオラ!!!】

「おあ、お、あが、ぺッッッ!」

 

承太郎のスター・プラチナは敵のスタンドに連打を喰らわせ、金髪の男は奇声を上げてなされるがままに攻撃を喰らった。

右拳で敵の頬を殴り敵の体を左に動かし、左の足で敵が倒れて距離を離さないように蹴り支えた。左の拳が敵の腹部に突き刺さり、返す右の裏拳が男の顎を痛烈に砕いた。脳がシェイクされグロッキーになる敵の胸元の懐中時計の鎖を、スター・プラチナの万力で引き千切った。

その一連の攻撃で男はイアンに無理に添付された時間を操作する能力を剥奪され、停止した時が戻っていく。

 

「あ………。」

【オラオラオラオラ!!!】

 

スター・プラチナの超高速の拳が無数に敵に突き刺さり、金髪の男は地面を削って転がった。

 

「ヒッッ………!」

「………?」

 

金髪の男は、地面にへたり込みながら承太郎を見て恐怖している。

一見承太郎が圧倒的に有利で勝利は時間の問題のように思えるが、承太郎は全く別のことを考えていた。

 

いきなり殴る感触が変わった。

先以上の出力で攻撃したにも関わらず、骨の一本も折れた手応えがない。

筋繊維の密度も上がっており、思ったよりも敵を吹き飛ばせなかった。

承太郎は即座に明確な異常であることに気付き、敵を観察した。

 

「お前は………なんなんだッッッ!!!俺は無敵のディオ・ブランドーだぞッッッ!!!」

「………テメエはディオなんかじゃねぇ。」

 

金髪の男は承太郎のその言葉の意味を即座には飲み込めず、首を傾げた。

 

「何を………。」

「ディオは俺が十年以上も前に殺した。テメエはディオ・ブランドーとは全くの別者だ。テメエは一体何者だ?」

「は………?」

 

そこには、齟齬があった。

イアン・ベルモットはブランドーとジョースター一族の因縁を伝聞でしか知らず、ディオを打倒した人間もジョースターという家名からヨーロッパ圏もしくは北米の人間であるとそう思い込んでいた。それはそのままイアンの妄想より生まれた金髪の男の記憶となる。

 

しかし実際は、承太郎は日本人とイギリス系アメリカ人のハーフだ。体格はいいものの、見た目にはアジア系の特色が色濃く出ている。その容貌は純粋な白色人種ではなく、コーカソイドとモンゴロイドのハーフであったために承太郎がまさにディオの因縁の相手であるとは露ほども考えなかった。

 

「お前が………ジョースター?」

「ジョースターはジジイの家名だ。テメエは誰だ?」

「俺はディ………。」

「テメエはディオ・ブランドーじゃあねぇ。」

 

金髪の男は、ディオ・ブランドーではない。

その正体は、イアンが無理矢理肉の芽の塊に妄想上の人格を被せた存在である。

金髪の男の時間を支配する能力は、イアンが肉の芽の永遠不滅の特性を無理矢理捻じ曲げて貼っつけたものであった。

それが時間を支配する能力が剥奪されたために、もとの肉の芽の特性となって男に還元された。

 

「違う!俺はディオだッッッ!!!」

「何度でも言う。テメエはディオ・ブランドーなんかじゃあねぇ。第一あの男は、とうの昔に死んだ。」

「俺はディオだッッッ!!!」

「くどい。俺たちジョースター一族は、ずっと昔からあの男とは因縁があった。俺たちがディオを見間違えるわけがねえ。」

 

金髪の男はイアンの都合により生み出された存在であったため、イアンの都合通りに動く。そのために、記憶の矛盾にも気付けなかった。

よくよく思い返そうとしてみれば、彼は自分を殺したはずの人間の顔も思い出せないことに今更気が付いてしまった。

 

「え、俺はディオ。え、俺はディオ・ブランドーじゃあない。では俺は一体?」

【オラァッッッ!!!】

 

隙だらけの金髪の男を、スター・プラチナは力任せにぶん殴った。

吹き飛ばされた男の体に風穴が空いたが、それは周囲の肉が埋めて復元されていく。

 

「え、じゃあ俺は何のために生きてるんだ?俺は誰?俺は………俺は………?」

【オラオラオラオラッッッ!!!】

 

スター・プラチナのラッシュをまともに受けて男の体はベコベコに歪み、それは直後に元どおりになった。

あからさまな敵の異常性に、承太郎は眉を顰めた。

 

「なあ、俺はディオじゃないんならどうすればいいんだ?人間はいったい何を目的に生きているんだ?」

【オラオラオラオラ!!!】

「なあ、教えてくれよ。イアン、アンタは俺を何のために生み出したんだ?」

【オラァッッッ!!!】

「オレハ………オレハ………イアンッッッ!!!」

 

スター・プラチナに殴られた金髪の男の顔面が崩壊し、多数の肉の芽の触手となって周囲の動くものに手当たり次第に襲いかかった。

 

◼️◼️◼️

 

【君は何者にもなれないんだね。人は生まれてから教育を受け、倫理道徳を理解し、先人の生き方を見続けることで、生を学ぶ。それが何のバックボーンもなしに、周囲が敵の真っ只中にいきなり成人として放り出されても、人生に確固たる方針を持てない。その上信じていた過去は、偽りだった。】

 

ミスタが慌てて立ち去った屋上で、執刀医は地上を俯瞰して少し悲しそうにポツリとつぶやいた。

 

こうなる可能性が高いことは、わかっていた。

泳げない人間を大海原のど真ん中に放置すれば、溺れるに決まっている。

 

必要だから生み出してみたものの、生みの親のイアンに彼に対する執着が薄かったためにその個性も精神も脆弱だった。せめて金髪がリュカやベロニカ、オリバーらともう少し友誼を深めていれば、彼らのために戦うという目的を獲得出来ていたのかもしれない。イアンが金髪に与えたスタンドは最強クラスのスペックを誇っていた。それは、全盛期のスター・プラチナと同レベルのスペック。しかしどれだけ高性能のマシンを与えても、男にはそれを手足のように操縦するだけの能力も意志もなかった。その結果が今だ。これだったら素材に使ったディアボロの方が、遥かに強かった。

 

生物は行動に強い目的が無い場合は、生存本能が優先される。

あの肉の芽の塊は今現在煉獄、この赤黒い空間が彼を使い潰そうとしていることを本能で理解して必死に抵抗しているのだろう。

憐れなことだ。

 

【私個人としては、無責任に君を生み出した私たちへの叛逆で構わないから君なりの確固とした意志に基づく行動を期待していた。しかし、それは叶わなかった。だがこれは、無意識下でのイアンが望んだ展開だということだ。………私としては非常に残念だがね。】

 

執刀医は踵を返し、ミスタが走っていった屋上の扉の方に目をやった。

一方で、屋上から急いで階下へと向かったグイード・ミスタは、階段を降りたその先で倒れて寝込む暗殺チームの三人を確認していた。

 

「おい、サーレー!!!起きろッッッ!!!」

「………は!」

 

ミスタはサーレーを乱暴に揺さぶり、サーレーは目を覚ます。

立て続けにマリオ・ズッケェロとホル・ホースも叩き起こし、ミスタは三人に指示を出した。

 

「ホル・ホース!!!お前は俺と一緒について来い!!!サーレーとズッケェロは引き続き首謀者を捜し出して暗殺しろ!!!」

「………副長?」

 

ホル・ホースは遊撃担当だったはずだ。

戦いに余裕を持たせることは重要なことであり、あえて浮かせて余裕を持たせた駒を引き連れていくということは、どこかの戦局でマズイことが起こった可能性が高い。それに対応するための遊撃だ。

サーレーは自身が寝ていたことへの失態と疑問を置いて、より重要そうな事態の把握に努めた。

 

「副長、いったい何が起こって………?」

「………最優先は首謀者の抹殺だ。お前たちはそれだけを考えろ。」

 

グイード・ミスタはそれだけ答えると、ホル・ホースを引き連れて建物の入り口へと向かって行った。

 

◼️◼️◼️

 

十人の生贄を与えて、人間の血肉の味を覚えた肉の芽。

それは生きる意味を見失った時、本能に任せて自身の存在の保護を最優先と判断した。

移動手段として首から下は人間の姿形を保っており、頭部が存在するはずの場所からは無数の触手が伸びている。触手には対象を見つけるための無数の目玉が動いており、不気味極まりない。

 

それは周囲に存在する生命を手当たり次第喰らって増殖し、己が存在を肥大させて彼を押し潰そうとする煉獄に対抗する。

目の前の空条承太郎を襲い、近くで跳ね回る空条徐倫とウェザー・リポートを襲い、仲間であるはずのリュカとベロニカをも襲った。

 

【ザ・ワールドッッッ!!!】

 

不意に襲いかかってきた無数の触手に、空条承太郎はとてつもなく嫌な感触を感じた。

触手は空条承太郎のスター・プラチナの右腕に幾重にも絡まり、空条承太郎は静止した時間の中で力任せに絡み付く触手を引き千切った。

 

「これは………。」

 

空条承太郎は即座に、非常にまずい事態が起こっていることを把握した。

承太郎の右腕には触手によって無数の肉の芽が植え付けられており、その数には精密動作性と速度に優れるスター・プラチナにさえ対処のしようがない。植え付けられた肉の芽は触手を伸ばし、それがまた別の箇所に肉の芽を植え付ける。

 

心臓部にもすでに肉の芽が植えられている。

それはさほど時間を置かずに承太郎の脳まで到達し、承太郎を操り人形にすることだろう。

 

僅かな時間で取れる選択肢と先の展開を判断し、選択する。

頭を吹き飛ばして自害すれば体を乗っ取られることはないが、ウェザーと徐倫が触手への対応を誤れば瞬く間に全滅する。

 

それならば娘たちを信頼して生き延びて、情報を渡して後のことを任せるべきだ。

承太郎は自分の成すべきことを理解し、静止した時間を解除した。

 

「徐倫、ウェザー!!!この触手には触れるなッッッ!!!俺はすぐにでも乗っ取られる!!!」

「ッッッ!!!」

 

必死に張り上げた承太郎のその声を聞いた徐倫は、迫り来る触手を体を糸状にしてかわしていく。

ウェザーに迫る触手を、あらゆるものを断つ極細の二次元の刃で斬り落とした。

 

「クソッッッ!!!」

 

リュカ・マルカ・ウォルコットが苛立ちの声を上げた。

触手はすでにリュカの腕にも絡み付き、そこにはやはり無数に肉の芽が植え付けられている。

 

「………貸しだ。もうお前は私に逆らえんだろう。私のことをいい女だと崇め奉るがいい!」

 

肉の芽にとって数少ない天敵と呼べる存在、ベロニカ・ヨーグマンのスタンドがリュカの腕に植わった肉の芽を次々に溶かしていく。

それは微細な生物の集団であり、細胞の隙間に入り込む肉の芽にさえ効力を発揮した。

 

「………チッ、しゃあねぇ。ババア、逃げるぞ。」

 

不確定要素の塊と言える金髪の暴走、それは見境無く周囲の生物を襲う。

放っておけば近場の徐倫とウェザー・リポートを襲う事が確定的であり、うまく運べば二人を始末してくれる可能性が高い。

無理に戦う必要の無いリュカは、即座に撤退を決断した。

 

「………あっちのイケメンの方が良かったが、まあお前で妥協するか。」

「ハア。」

 

嫌な奴に借りを作ったものだとリュカは意気消沈しながら、二人は建物内部へと逃走していった。

その最中に二人は、建物の外にフォローに向かうグイード・ミスタとホル・ホースのコンビとすれ違った。

 

「副長さんよぉ、いいのかい?奴ら敵だぜ?」

「向こうにもさほど余裕はなさそうだ。無視しろ。」

 

互いに横目で確認しながら、ミスタは外の仲間のサポートを優先させた。

 

「………やべえな。」

 

ミスタは外の様子を把握して、つぶやいた。

先ほど屋上から彼が俯瞰していた時には、不吉な印象を受ける触手塊が空条承太郎を捕食するように襲いかかっていた。

それを見咎めて、泡を食って階下にフォローのために降りてきた。

それが今は事態が推移し。

 

【オラァ!!!】

 

空条徐倫とウェザー・リポートが引きながら互いをフォローし合い、それを体中から触手を伸ばした空条承太郎が追い詰めている。

そしてそれとは別に、承太郎の後方に頭部のない触手人間がいる。

 

触手人間の方は見るからにヤバいが、まだマシだ。

真に問題なのは、凄まじい速度と膂力で味方に襲いかかるスター・プラチナ。

おそらくは空条承太郎は触手に体を乗っ取られたということだろう。ミスタは即座に事態を把握した。

 

「ホル・ホースッッッ!!!頭のない方をお前が攻撃して引き付けろッッッ!!!」

「えっッッ!?」

 

あんな不気味なのを、俺が?近接戦闘もできないスタンドなのに?

あまりの無茶振りに、ホル・ホースは愕然とした。

 

「あっちの空条承太郎よりはマシだろうがッッッ!!!パッショーネはお前の逃げ足だけは、非常に高く評価しているッッッ!!!」

 

ミスタはそう叫ぶと、承太郎の体から伸びる触手めがけて発砲した。

 

「………まあしかたねぇか。」

 

ホル・ホースも拳銃を構えて、頭部のない不気味な方めがけて銃弾を連射した。

頭部のない怪物は銃弾に反応して触手を伸ばし、ホル・ホースの方へと向かった。

 

「あとで助けに来てくださいよ!!!」

「………生きてたらな。」

 

直後に二人は二手に分かれた。

空条徐倫とウェザーをサポートするグイード・ミスタ。頭部のない不気味な触手人間を引きつける、ホル・ホース。

 

触手人間は触手の動きこそ素早いが、歩みの速度自体はさほどでもない。

素早い空条承太郎が触手を喰らってしまったのは、触手が至近距離から面制圧とも言うべき飽和攻撃をしかけてきたためである。

 

グイード・ミスタは、スター・プラチナに目をやった。

世界の名を冠する、裏社会で最も有名なスタンド。それは噂で人の口にのぼる時は常々闘神そのものであると認識されており、その噂と醸す威圧感により実際の大きさより遥かに巨大に見える。空条承太郎は最盛期を過ぎて下り坂ではあるものの、それでも尋常ではない実力は健在である。

 

「空条徐倫、ウェザーッッッ!!!」

 

ミスタは別に徐倫とは仲が良いわけではない。アナスイの結婚式で面識があるくらいである。

それでも非常事態の極みにつき、呼び方にこだわるなど馬鹿げたことだ。

 

「触手をお願いッッッ!!!」

「了解したッッッ!!!」

 

空条承太郎に取り付いている触手は非常に厄介であり、それのせいで徐倫とウェザーは互いを庇い合いながら承太郎の攻撃を避け続けるしかない。遠距離攻撃が可能なグイード・ミスタの援護は、彼らにとって天佑とも言うべき僥倖であった。

 

「行くぞッッッ!!!セックス・ピストルズ、気張れよッッッ!!!」

【【【【【【オウッッッ!!!】】】】】】

【オラァッッッ!!!】

 

暴虐の化身と化したスター・プラチナがエンジン全開で迫り来た。

空条徐倫がそれに対応し、ミスタは頭の中で残弾数を計算した。

 

戦いとは予期せぬことが起こり得るものであり、ことこの場での戦いでは当然のように想定を覆してくる。

そのためにミスタは、普段よりも圧倒的に多くの銃弾を持ち歩いていた。キャップの裏、ブーツの底、ポケットの中、腰には軍用ポーチをぶら下げ、全弾合わせて二百発程度。しかし先行きの怪しい戦いで残弾を無為に浪費するのは愚かしい行為であり、極力節約して時間を引き延ばし、あらゆる展開に備えて来るかわからない好機が来るのを待つ。

 

「ウェザー、銃弾は消耗品だ。極力お前で対応して、それでもフォローが追いつかない時に俺がサポートする。」

「了解!!!」

 

空条承太郎のスター・プラチナが、その巨大な力に任せた振り下ろしを前に出たストーン・フリーに放った。

徐倫は右手を開いて斜めに構え、攻撃を下方へと受け流した。

 

「ウェザー!!!」

「ああ!!!」

 

スター・プラチナの腕の側面に無数に伸びた触手がストーン・フリーを搦め捕ろうと迫り、ウェザーのスタンドが触手に電流を流して焼き切った。それでも雷撃を受けた場所から遠くダメージの小さい触手が徐倫に迫り、ミスタはそれを銃弾を発砲して根元付近から抉り飛ばした。

 

【オラァッッッ!!!】

 

スター・プラチナは振り下ろしから逆の腕をすくい上げ、徐倫は後方に若干退避しつつ再び受け流した。

雷撃で焼けた触手はみるみる再生し、一拍おいて徐倫へと襲いかかる。ミスタは二発の弾丸を発砲し、それらを弾き消した。

 

「拘束はできねぇのか!!!」

「無理!!!縛ったらそこから触手が侵入して、父さんみたいに乗っ取られるッッッ!!!」

 

徐倫は、取れる手立てをいく通りか思考していた。

しかしそのどれもが承太郎を死に至らしめるか、上手くいっても重大な障害が残るであろう手法だった。

 

承太郎は若干顔色も悪い。おそらくは乗っ取った触手に栄養を吸われているのだろう。

それを鑑みれば、銃弾で手足を撃ち抜いたら出血多量を起こす可能性が高い。

最悪どうにもならない場合はそれらの手段も視野に入れるべきだが、今はまだ助けられる可能性を模索する時だ。

 

【おおおおおおおおおッッッ!!!ザ・ワールドッッッ!!!】

 

瞬間、スター・プラチナのスタンドエネルギーが、信じられないほどに肥大した。

それはザ・ワールドを行使する予兆であり、娘の徐倫はそれを熟知している。

世界の法則を捻じ曲げるほどの膨大なスタンドエネルギーが、空条承太郎の体から発せられた。

 

「はあああッッッ!!!」

 

それに対応可能な手段は、たった一つ。

スター・プラチナに一秒間も好きにされたら、間違いなく全滅してしまう。リスクを負って、仲間のフォローに身を委ねる他にない。

 

実はスター・プラチナのザ・ワールド発動の瞬間には、達人と言える域にいるスタンド使いのみが把握できる時間の狭間とも言うべきほんの僅かな溜めの時間が存在する。その僅かな時間にストーン・フリーの体はバラバラに解けて、スター・プラチナのいる場所で収束した。

 

【おああああああああッッッ!!!】

 

静止した時間の中で、スター・プラチナはストーン・フリーに雁字搦めに拘束された。

徐倫にとって幸運なことは、肉の芽は止まった時の中では動けない。それに適性があった懐中時計は空条承太郎に弾かれ、能力を失った代償に不滅の再生力を手にしたからである。

 

分厚い糸束に拘束された承太郎は、止まった時間の中でそれを振り解こうと足掻いた。

スター・プラチナを拘束する糸はスター・プラチナの膂力を受けて綻び、空条承太郎も力任せな行動により筋繊維が裂けて体から血を噴出した。そして空条承太郎の絶対時間は終わりを迎え、空条徐倫は血塗れになりながらも鮮やかな動きでスター・プラチナから距離をとった。

 

「行くぞッッッ!!!ナンバーズッッッ!!!」

 

徐倫を追って迫り来る肉の芽を、グイード・ミスタの放った銃弾が弾き消した。

セックス・ピストルズは宙に浮かび、ミスタが新たに放った二発の銃弾の軌道を変幻自在に変化させて次々に触手を撃退した。

 

「徐倫ッッッ!!!」

 

ウェザー・リポートの放つ電撃が、徐倫の体を疾った。

即座に退避した徐倫の体にもすでにいくつかの肉の芽が植え付けられており、電流が徐倫もろともそれを焼き切った。

 

「ありがと、ウェザー。」

 

空条徐倫は空条承太郎の様子を警戒している。僅かに息が上がっているのが見て取れる。

空条承太郎は肉の芽に養分を吸われ無理な動きを強制され、疲弊して小休止を取っていた。



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無限回廊

「昔、いつだったか何かの映画で見たことがある。両親が共に深く宙返りする鳩は、より深く宙返りして地面に激突して死んでしまう。誰も彼に、それを教えてくれない。何も知らないままに、気付いたら死んでしまっている。しかし私が思うに、鳩の羽根をもいでしまえば、鳩は飛べなくなる代わりに地面に激突して死なないのではないだろうか?それが鳩にとって幸せなのかはさておいて。私たちの住む社会とは、もしかすると羽根をもいだ鳩の集まりなのかもしれないね。」

 

イアン・ベルモットは呟き、テーブルの上に置かれたチラシに目をやった。

それは施設を乗っ取る以前からそこに置いてあったものだ。オリバーの目が醒めるまで、彼は時間を持て余していた。

 

「逃げたら後悔する、か。」

「………?」

 

オリバー・トレイルは、柔らかい布団の上で目を覚ました。

体が重く、頭が痛い。全体的に違和感がある。空腹による飢餓感があるにもかかわらず、嘔吐感もある。

オリバーは自身の状態を把握しようと、布団から体を起こそうと動かした。周囲は、相変わらず赤黒い。

 

「む、目が覚めたか。」

「………俺は?」

 

オリバーの横たわるベッドの横には、椅子に座って白いビラのようなものを神妙な表情で眺めるイアン・ベルモットがいた。

 

「三日ほど寝ていたな。洗濯物が溜まってしまっているから、片付けておけ。」

 

三日………ゆっくりと自身の行動を思い返し、オリバーは自分がどうしてここで寝ているのかを思い出した。

 

「なあ、オリバー。これどう思う?逃げたら後悔すると書いてあるんだが。」

 

イアンが白いビラをオリバーに見せて、そこに書かれた文字列を指差した。

どうやらそれは、交通標語か何からしい。轢き逃げに対する戒めを呼びかけているのだろう。

イアンが何が言いたいのかわからずに、オリバーは困惑した。

 

「それが?」

「これは大衆を扇動するための嘘だよな。嘘は良くない。正確には、逃げても逃げなくてもどちらにしろ後悔する、だ。」

「………まあ確かにそうかもしんねぇが。」

 

ビラを作った人物の言いたい事は、きっとそういうことではない。

 

「こんなに大々的に嘘をついて、誰か指摘したりはしなかったのだろうか?人生において、後悔とは一つの味だ。後悔しない人生など、薄ら寒いつまらないものだとは思わないか?」

「出たよ。」

 

いつものイアン節が始まった。聞き流すに限る。

イアン独特の理論を展開し、決まって結論は現代社会に受け入れがたいところへと着地する。

オリバーはイアンとの付き合いが長く、それを熟知している。

 

「私には理解できんが、轢き逃げしたら常人であればきっと特大の後悔がその人間を襲うのだろうな。より長い間、孤独に苦しむことになる。どっちみち後悔するのなら、より深みと味わいがある方を選ぶべきだろう。後悔も人生の糧、人生が豊かになる。けしからん、是非とも政府で轢き逃げを推奨してほしい。」

「万が一人を轢いてしまったら、迅速で的確な救命措置と救急車の出動要請、そして警察への連絡を怠らないように!みんな、イアンの言うことは絶対聞いたらダメだぞ!」

「………オリバー、お前は何を言ってるんだ?」

「こっちの話だ。気にすんな。」

 

イアンは突然意味のわからないことを叫び出したオリバーに首を傾げた。

 

「戦いはどうなったよ?」

 

オリバーは前回の顛末を知らない。

現状を把握して最適な行動を取るための情報を、イアンに質問した。

 

「ああ、多分今戦っているんじゃないのか?」

「今!?」

 

前回の戦闘の顛末を聞いたつもりが、今現在戦っているという謎の返答がきた。

今現在戦っているのなら、なぜ首謀者のお前がここでのんびりしているのかとオリバーは問い質したい。

 

「一回休み、だ。たまの休日があってもいいじゃないか。」

 

イアンはどこ吹く風だ。

 

「それでも戦っている奴らもいるんだろう?」

「ああ、お前はまだ体を動かすな。」

 

イアンがオリバーを制止して、手術室に執刀医が入室した。

 

「今どうなっている?」

【バジルは死んだよ。金髪も多分もうダメだね。リュカとベロニカはここに逃げてくる可能性が高い。】

「………まずい状況じゃねぇか。」

 

戦況の悪さに、オリバーは眉を顰めた。

オリバーは報告を聞き動こうとして、それを再度イアンが止めた。

 

「泰然としていればいい。どうせ次はお前にも出番がある。」

 

代えの効かない駒は、イアン・ベルモットとオリバー・トレイルの二人だけである。

イアンはそれを理解しており、執刀医の報告にも微動だにしない。

 

「今回は私は不参加と決めた。結果がどうなろうとも、そのスタンスを変えるつもりはない。」

 

イアンは、そう宣言した。

 

◼️◼️◼️

 

ホル・ホースはチラリと後ろを振り返る。猛ダッシュ。

再び、振り返る。再び猛ダッシュ。

 

【あああああああああッッッ!!!】

 

意味がわからない。

なぜ自分は、奇声をあげる頭部の存在しない不気味な生命体に追われているのか?

 

チラリと振り返る。付かず離れず。

逃げ慣れたホル・ホースの経験則による、緩急をつけて全力ダッシュとスタミナを残す緩い走りを交互に繰り返すスタミナ配分。

それは、玄人芸の域に達していた。

 

生物を観察した結果判明したこと。

それはあの生物は、おそらくは触手に付随した眼球で捕食対象を捜索している。

例えばヘビのピット器官のような、固有の探知手段を持っているわけではなさそうだった。

 

【ああああッッッ!!!】

 

物陰に隠れても、きっとあの気味悪くうねる触手を伸ばしてこちらを探してくるだろう。

知能はそこまで高くない。その証拠が、攻撃を加えたホル・ホースを優先して追ってきたこと。乗っ取った空条承太郎と共闘という選択肢を選ばなかったことからも明白だ。

脳の無いクラゲやナマコのようなカテゴリの生物だと仮定すれば、しっくりくる。

 

少し息の上がって来たホル・ホースは、息を整えるために軍事基地の建物の陰に隠れて息を潜めた。

相手が近くに来たら、年甲斐もなくまた猛ダッシュする必要がある。

 

一体あの生命は、何をコンセプトにして生きているのか?どこに向かっているのか?

物陰から見れば見るほどに、気色悪い生き物だ。

 

先ほどまでは辛うじて頭部のない人間の姿態を保っていたが(頭部の無い人間という時点でもう完全にアウトではあるが。)、今現在は腕も綻びて袖から無数の触手がうねっている。ズボンに隠れて見えないが、きっと足もそうなっているのだろう。

トラウマ必至だ。パッショーネに特別手当をもらわないと割に合わない。

 

無数の触手が絡み付き、シルエットだけは人間の形を保っている。

もう想像しただけで、嫌すぎる。逃げ帰りたい。吐き気がする。関わりたく無い。見なかったことにしたい。

………誰か助けに来てくれないだろうか?

 

しかし彼は彼で、己が実力でいくつもの死地をやり過ごして今日まで生きて来たという自負もある。

ホル・ホースは首を振って、己の弱気と辟易感を思考の隅に追いやった。

 

【あああああああああッッッ!!!】

 

見つかった。

ホル・ホースは予め順序立てていた行動を起こす。

反射で近くの触手を撃ち抜いて、奇声が遠くなるまで全力ダッシュ。

最後にものをいうのは、己が脚力!

 

「最後に役に立つのはスタミナだッッッ!!!」

 

ホル・ホースはひたすらに建物の外周を逃げ回り、触手の攻撃圏ギリギリをダッシュして逃げ続けた。

 

「に゛ゃ゛っ!!!」

 

思わず変な声が出た。

必死に逃げ続けるホル・ホースの前方には、暴れる空条承太郎とそれと戦う面々がいた。

どうやら建物の外周を一周して、元の場所に戻って来てしまったらしい。

 

向こうも拮抗状態らしく、不確定要素は望まないだろう。引き連れて合流するのはナシだ。

ホル・ホースは僅かに逡巡し、建物外周を走るコースを変更して建物の内部へと逃げ込んだ。

 

◼️◼️◼️

 

「………。」

「なんだテメエはッッッ!!!」

 

金髪の異変を受けて外から建物内部へと先立って逃走したリュカとベロニカは、廊下の曲がり角でサーレーたちと鉢合わせた。

その場で即座に戦闘となり、先手必勝とばかりにリュカはサーレーへと殴り掛かった。

 

「ヘイ!!!」

「らぁッッッ!!!」

 

サーレーはズッケェロを庇うように前に出て、即座にラニャテーラを展開する。

リュカのスタンドは力強く、防御をした腕ごと少し後ろに弾かれた。

 

「何ッッッ!!!」

 

攻撃をした方のリュカが驚愕した。

敵の攻撃圏に入るとともに体が少し重くなった。それは敵の能力と推測される。それはいい。

自身が攻撃を加えた腕が敵の腕に引っ付いて、カウンターのような形で敵が反撃をしてきたのである。

 

「っあッッッ!!!ババア!!!」

「すまん。私はこれは苦手だ。」

 

リュカは必死に敵の攻撃を防御して、とっさに敵に有利な戦域を離脱しようと試みた。

しかしベロニカがラニャテーラに捕まってしまっている。彼女のスタンドは不定形のスタンドから無数の群体を排出するものであり、パワーがない。ラニャテーラの拘束を振りほどくほどの力がなかった。

 

「気を付けろ!!!一人いないッッッ!!!」

 

ベロニカの声が廊下に響いた。

サーレーとリュカが交錯した瞬間、ズッケェロは自然にラニャテーラの効果圏内から移動して姿をくらました。

恐らくは奇襲特化のスタンド、敵が何をしてくるかわからない。それらの事態を受けて、リュカはさらなる逃走を決断した。

 

「逃げるぞ!!!ババア!!!クソッタレ(メルド)!!!この俺がみっともなく逃げ回る羽目になるとかッッッ!」

 

リュカは捕まったベロニカを担ぎ、力任せに逃走していく。

サーレーはその後ろ姿を見て、判断に迷った。敵の頭数を削りにかかるべきか。彼の任務は首謀者暗殺であり、ミスタにそれを念入りに言い渡されて送り出されている。

 

雑兵と戦っても、無用にリスクを負うだけではないのか?それとも奴らを消せば、今後の戦いに有利に働くのか?

サーレーの隣に、奇襲のために姿をくらましたマリオ・ズッケェロが姿を現した。

 

「まあ迷うよな。追い詰めると思わぬ敵の反撃を喰らう恐れがある。首謀者と相対しないうちにそれは、大失敗もいいとこだ。かと言って首謀者と合流されれば、敵戦力が増強される恐れがある。差し当たっては、逃げた奴らの後を追って敵の拠点へとたどり着くってのはどうだ?」

「ああ、それが………。」

 

サーレーはそこまで返事して、固まった。

 

「おい、どうした相棒?」

「おーい、リーダー!逃げろー!!!」

 

サーレーの視線は元来た道の方へと向いており、そちらからホル・ホースの声がした。

ズッケェロも釣られて視線をそちらへと向ける。

 

「なんじゃありゃあああ!!!」

 

マリオ・ズッケェロが、キャラを投げ捨てて頓珍漢な悲鳴を上げた。

 

◼️◼️◼️

 

「ハァ、ハァ、ハァ。奴らは追って来ていないか?」

 

ベロニカは、脇腹を押さえてチラリと背後を振り返った。

彼女の美しく撫で付けられた金髪は、走り通しで千々に乱れている。

高価なドレスもシワになって、ヨレヨレだった。

 

「早く逃げないとマズイんだが?ハァ。ババア。運動不足だぜ?もうちょっと痩せろよ。」

「なんだとこのッッッ!!!」

 

廊下を進んだ先で、敵から逃げ出したリュカとベロニカは小休憩を取っていた。

敵が追いかけてくる可能性も高かったが、敵は幸運にも追ってこなかった。

 

ベロニカは疲れきって床に座り込んでしまい、テコでも動こうとしない。

見捨てて先に戻っても良かったのかもしれないが、仮にも共闘した仲であり少しぐらいは待っても構わないかとリュカは考えた。

 

「私はお前を助けてやっただろう!!!第一か弱い私を逃げ出す時に肩に担ぐとか………そこは、お姫様抱っこだろうがッッッ!!!」

「………置いてくればよかった。」

「何だとテメエッッッ!!!」

 

思わず口を出たリュカの本音に、ベロニカは大いに反応した。

 

「人生は助け合いだッッッ!!!助け合いだろうがッッッ!!!お前一人で生きているとでも思っているのかッッッ!!!」

「………静かにしろ。」

 

喚くベロニカの声に遮られて聞きづらいが、廊下を走る音が聞こえた気がする。

リュカはお前がそれを言うなという言葉をグッと飲み込んだ。

 

「第一お前は冷たすぎる!!!か弱くて美しい私をお前がサポートするのは当然だろうがッッッ!!!」

「黙れババア!!!奴ら追って来ているぞッッッ!!!」

 

リュカは背後を振り返った。

一つ手前の曲がり角まで、およそ五十メートル。成人で走って七秒前後といったところか?

奴らが姿を見せれば、構えていないとあっという間に追いつかれてしまう。

 

「何ッッッ!!!」

 

ベロニカが廊下を振り返ると同時に、目を見開いた。

 

「何をチンタラしているッッッ!!!さっさと逃げるぞッッッ!!!」

「ハァ。ババア、テメエ元気じゃねぇか。」

 

さっきまでの駄々が何だったのかというほど素早くベロニカは走りだし、リュカもその後を追った。

その直後にサーレーとズッケェロが角から姿を現し、その後ろを追う者の存在にリュカは何が彼らを駆り立てたのかを否応無く理解した。

 

【あああああああああッッッ!!!】

「キモいキモいキモい!!!テメエら追ってくんな!!!」

「ババア!!!テメエのスタンドのキモさも大概だろうがッッッ!!!」

「クソハゲ!!!テメエどっちの味方だッッッ!!!」

 

最後尾の化け物が奇声を発し、先頭を走るベロニカは泣き言を漏らした。

 

サーレー、ズッケェロ、その少し後ろにホル・ホース。

そこからさらに少し距離を置いて、頭部のない触手人間が彼らを追いかけている。

捕まったらどんな目に合うかわかったものではないために、誰も彼もが必死だった。

 

「ホル・ホース!!!あれは一体なんなんだ!!!戦って倒すことはできないのかッッッ!!!」

「俺っちにもよくわかんねぇよ。銃弾をいくつもぶち込んでみたが、まるで効果がなかったぜ。」

 

廊下を駆けながら角を曲がり、赤黒く色塗られた床は靴音で喧騒を奏でた。

触手人間は走るほどに人間の原型を保てなくなり、今や床を眼球付きの触手塊が蠕動運動で這いずって追いかけて来ている。

見た目に非常にグロテスクであり、恐怖しか感じない。

 

「おい、これ。」

「ああ。」

 

逃げるベロニカがそれに気が付いた。

基地内部の構造が変化しており、いつのまにか一本道になっている。やがて彼らの逃げる先の突き当りに扉が現れ、逃げる二人を執刀医が出迎えた。

 

【やあ、おかえり。帰って来たのなら、君たちは次の戦いに参加する権利がありそうだね。】

「待てッッッ!!!」

 

後から追うサーレーが叫んだ。執刀医が扉を開いた。

赤錆びた色合いの金属質な扉は、ベロニカとリュカが逃避すると同時に閉じられていく。

 

「クソッッッ!!!」

「おい、どうすんだよ!」

 

扉に到着したサーレーがドアノブを回すが、当然のように扉は開かない。突き当りの扉は固く閉ざされ、サーレーは毒付いてぶん殴った。

鈍い音がして扉はたわんだが、それは開くことはなさそうだった。彼らは今現在突き当りの袋小路におり、すぐ背後から地を這う触手が迫って来ている。

 

「リーダー、あれに触れんなよ。触れたら体内に触手を伸ばして、脳を乗っ取られる。」

 

引き続いてホル・ホースが合流する。

サーレーは一瞬のうちに精神を集中させ、ラニャテーラを発動した。

 

「突っ切るぞッッッ!!!俺に掴まれッッッ!!!」

 

サーレーはズッケェロとホル・ホースを抱え、能力を駆使して壁を走っていく。

突発的に発動したラニャテーラの拘束によって行動が一拍遅れた触手は、壁を走って逆側へと逃げていくサーレーたちの背中へと触手を伸ばした。

 

「来てる、来てるぞ!!!」

「マジで勘弁してくれよ。」

 

ホル・ホースが発砲し、サーレーの服の背中に千切れた触手が張り付いた。

サーレーは受けた感触に、咄嗟にクラフト・ワークの能力を発動して防御を試みた。

 

「うげぇっっっ!!!なんだこれ、気持ち悪りぃ!!!」

 

触手は張り付いたまま、クラフト・ワークの能力でサーレーの背中に固定された。

大元の触手塊は復元され、背中に張り付いた少量の触手はなんとかサーレーの体内に侵入しようと肉の芽を植え付けようとしている。しかしクラフト・ワークの能力を受けて、背中に張り付いた触手は上手く動けなかった。

 

「キモい!!!取ってくれッッッ!!!」

「無理言うなよぉ。多分リーダーの能力が一番相性が良さそうだから、自分でやってくれよ。じゃねぇと俺っちも乗っ取られちまう。」

 

ズッケェロとホル・ホースは触手を超えた時点で床に降りて、自力で走っている。

二人は心持ちサーレーから距離を取った。若干凹んだサーレーは、走りながら上着を脱ぎ捨てた。

 

「相棒よぉ、どうするよ?」

「………ホル・ホース、外はどうなっている?」

「あっちはあっちで大変よ。アレに承太郎が乗っ取られて、それを抑えるために戦力を割かれている。まあ幸運にもアレ、敵味方の見境なしだから、敵はさっき逃げてた奴らだよ。」

 

積極的に合流するべきか迷うところだ。

現状明確な打破手段がなく、敵の動きは不透明。敵は逃げたという事実を、どれだけ鵜呑みにできるものか?

選択肢はどこまでも細分化されて行き、サーレーには局面で正しい選択を選べているという自信がなかった。

 

しかし実は、正しさは肝要ではない。

事態が切迫するほどに、暗殺チームは無理を押し通す必要に駆られる事態が頻発する。

そこでゴリ押せるかどうかが、生還し続ける有用な暗殺チームとあっさり死亡する無能な暗殺チームの境目となる。それはいつだって、紙一重だったりする。最も大切なのは、正しかろうが何だろうが開き直ってブルドーザーのように強引に道を拓き、進み続けることである。

 

「おい、どうなってるんだッッッ!!!」

 

マリオ・ズッケェロが悲鳴を上げた。

いつまで走ってもずっと一本道。延々と赤黒い壁と床が続く。気が滅入りそうだ。そしてなぜか分かれ道が現れない。

サーレーとホル・ホースも薄々それに気付いていたが、不安を煽りたくなかったためにあえて口にしなかった。

 

【やあ。こんにちは。】

「テメエッッッ!!!」

 

道の先から、フラリと執刀医が現れた。

コイツと遭遇するとロクなことにならない気がする。

 

【彼は、私たちの仲間だった。敵味方の区別もない生命に堕とされて、こんな終わり方はあまりにも哀れだ。せめて君たちが戦って、彼を戦士として葬ってやってほしい。】

「何だとッッッ!!!」

【私の独断だよ。彼はイアンによって戦いに必要なコマとして生み出されたが、生みの親であるイアンは彼に興味を持たなかった。そしてこんな幕切れだ。知能も無く、ただ周囲の人間を襲うだけの存在に成り果てた。ならばせめて、戦いのために生み出されたという最初の目的を遂行させてあげてほしい。君たちはそれを倒さないとここから出られないよ。そこは無限の廻廊、私が建物をそう作り変えた。】

「ふざけるなッッッ!!!」

 

執刀医はユラユラ揺れると、壁と一体化して消えていった。

 

【君たちにも利があることを、約束しよう。それを君たちが倒せたのなら、私から君たちにプレゼントをする。頑張って、倒して見せてくれ。】

 

遠くに聞こえる無責任な執刀医の声に、サーレーは苛立った。

 

「落ち着けよ、相棒。もともと奴らはイかれた殺人集団だ。ムキになったら戦いに不利を来すだけだぜ?」

「………ああ。」

 

走りながらサーレーは思考した。どうするか決定せねばならない。

もう結構な距離を走っているが、周囲の景色に一向に変化は訪れない。ずっと同じ赤黒い壁を見ながら走り続けている。

いつまでも走り続けられない。ずっと代わり映えのしない同じ景色は見ていると誘眠効果があり、サーレーは頭を振った。

 

「どうするよ、リーダー。」

「体力が少しでも残っているうちに、なんらかの打開策を模索するしかないだろう。」

 

サーレーは振り返って走る速度を落とし、追ってくる敵を視界に入れた。

見たくない。見れば見るほど、なんのために存在しているのかその意義を問いたくなる謎生命だ。

 

地を這い動き回る、不気味な色をした巨大なサンゴとでも言うべきだろうか?あるいは食虫植物?

色は黒みがかった灰色をしており、眼球が付随したうねる触手が無数に存在しそれが手近な生命に手当たり次第に襲いかかってくる。

全長は三メートルほどの大きさの触手が、無数に絡まっている。捕まったら脳に触手を植えられて、操られてしまう。

これだったら蛆虫の方が、まだよっぽどマシである。

 

「………見ればみるほど気持ち悪いな。」

「………見ないわけにはいかないだろう。アイツら、こんな生き物を作って嫌がらせかよ。本当にこれ、なんなんだ?」

「………肉の芽、もともとディオの細胞で作ったものだが、ディオが死んで暴走したものだ。こんなにも巨大なはずじゃあなかったんだが………。」

「ホル・ホース、お前コレ知ってんのか?」

「………まあ昔ちょっと縁があってな。他人がこれに侵食されるところだけ。なんでこんなことになっているのかは、わからんが。」

 

サーレーは薄目にして、覚悟を決めて立ち止まった。

 

「………しかたない。俺がやる。ホル・ホースは遠距離攻撃で援護を、ズッケェロは無理をしない程度に独自の判断で行動しろ。」

「………やんのかよ?」

「しょうがないだろう。本当に出口がないのなら、走るほどに体力を落とすことになる。状況が詰む前に、いろいろ試してみるしかない。」

 

サーレーは渋るホル・ホースにそう告げると、クラフト・ワークの能力を前面に押し出して敵に突っ込んだ。

触手は突如立ち向かってきたサーレーに、逃さないように包み込む形で無数の触手を伸ばしてきた。

サーレーは触手が僅かに体に触れるたびに、次々にそれを固定して動きを固めていく。ホル・ホースが固まった触手に銃弾を撃ち込み、弾き飛ばしていく。

 

「ウラウラウラウラッッッ!!!」

 

気持ち悪さも敵の脅威も無視して、サーレーのクラフト・ワークは肉の芽の中心にラッシュを叩き込んだ。

肉の芽は攻撃を受けて爆ぜ散り、すぐに集まって元の形を成した。

 

間髪入れずにサーレーはさらに広範囲にばらけるように触手を握り潰し殴り飛ばし、敵がバラバラになったところでラニャテーラを発動する。サーレーは敵のどこかに中核のような弱点が無いかを観察していた。そのために細切れにして、再生する動きを遅らせて観察しているのである。

 

「………ホル・ホース。お前がコレについて知っている情報を全部話せ。」

「それはディオ・ブランドーという男の細胞から作り出したものだ。人間の脳に寄生し、乗っ取ってディオの操り人形にする。ディオが死んで以来、暴走しているという話を聞いた。スピードワゴン財団がそれに体を乗っ取られた人間を解放しようと試みているらしいが、成果は芳しくないとのことだ。」

「弱点は?」

「小さな肉の芽であれば、スタンド攻撃で消滅させることが可能だ。しかしその大きさになっちまうと、消滅させるのは不可能だとされている。」

「………。」

 

虹村億泰の父親は、暴走した肉の芽に体を乗っ取られた。

未だもって、それを治す方法はおろか消滅させる方法も見出されていない。

 

「ズッケェロ、本当に出口がないか先に進んで確認してくれ。」

「サーレー、お前はどうすんだ?」

「俺とホル・ホースは、コイツに本当に倒す手段がないかの検証だ。」

 

サーレーはそう告げると、スタンドに強固にエネルギーを送り込んだ。

クラフト・ワークは緑色に染まり、発散するエネルギーが周囲の空間を揺らめかせた。

 

「おおおおおおおおおッッッ!!!」

 

クラフト・ワークが床に蠢く肉の芽を殴り潰すと同時に、建物が揺れた。

眼球が飛び散り、肉片が壁にこびり付き、粉々になった肉の芽の欠片はそれでもなおも元に戻ろうと不気味に蠕動する。

 

「ホル・ホース、お前タバコ吸ってただろう?ライターはあるか?」

「ああ。」

 

サーレーは先程投げ捨てた上着にライターで火を点けて、肉の芽に投げ付けた。

 

「ダメか。本当に一体、どうなってるんだ?」

「………。」

 

肉の芽は最初のうちは少し燃えていたが、やがてある程度集まると炎に集って喰らうようにして消した。

観察しても、体積が減ったような兆候は見られない。むしろ燃やす前よりも増えているようにも思える。

 

「サーレー、ダメだぜ。本当に出口がなくなってやがる。」

 

先に行かせたはずのマリオ・ズッケェロが、サーレーたちの来た方から戻ってきた。

道は環状になって繋がっていると推測される。

 

「クソッッッ!!!」

 

サーレーは苛立って、壁を蹴っ飛ばした。

 

◼️◼️◼️

 

【オオオオラオラオラオラ!!!】

「父さん………。」

 

スター・プラチナのラッシュを、空条徐倫はストーン・フリーで受け流すことによって無力化する。

ミスタが銃弾を発砲し、肉の芽の触手を刮ぎ切った。

 

承太郎の体は徐倫の糸に縛られて怪我だらけであり、肉の芽に無理に酷使されているせいで満身創痍だった。

それを見ている徐倫は、ひどく心が痛んだ。

 

しかし現状手の施しようがなく、戦いを引き延ばしても承太郎にとっても徐倫にとっても好転は見込めない。

かと言って当然の話、命を奪うことは躊躇われる。しかしこのままいつまでも同じ状況が続けば、いつかはそういう話が出てくることになる。そもそも暴走した肉の芽が取り付いた人間を処分可能なのかという疑問も付き纏う。

 

【大変だねぇ。】

「ッッッ!!!」

 

いつのまにか彼女の側には機械仕掛けの白衣を着た不気味なスタンドがいて、彼女を観察していた。

 

「テメッッッ………!!!」

「徐倫、そいつは無視しろ!!!」

【つれないね。私は君たちにいい話を持ってきたのに。】

 

ミスタの上げた声に反応し、執刀医はその場にしゃがんでひとりごちた。

肉の芽の触手が執刀医も襲い、それはまるで無いもののように執刀医を透過した。

 

【約束したよ。ルール追加だ。建物の中で戦っている君たちの仲間がそれの大本を倒すことができたなら、私が彼を手術してそれを取り払ってあげるよ。】

「何をッッッ!!!」

 

ミスタは混乱した。

現状彼らでは肉の芽を分離させる手立てを持たない。かと言って敵の言うことを鵜呑みにするのも憚られる。

一体どう言った理由でこの不気味なスタンドがそんなことを言っているのか、わからなかったのだ。

 

【遊びには、ルールが必要だ。私は無理に倒す必要の無いそれを、君たちの仲間に強制的にけしかけた。彼らから逃げるという選択肢を奪って、ね。私が独断で無理やり戦わせたからには、勝った暁には相応の見返りを差し出すべきだと私は考えている。ただし、君たちには内部の彼らの状況はわからない。内部の彼らにも君たちの状況はわからない。互いの見えない苦しい戦いだが、まあ頑張ってくれ。】



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一発の銃弾

展開が長引いてグダついているとおっしゃる方がいらっしゃるみたいです。ご気持ちは、お察しします。
しかし展開を省略すると、作者は自分を納得させられなくなって話を完結させられなくなります。
ですので申し訳ないですが、その類の感想は今後スルーさせていただきます。

一応予告として、この編はあと十話ほどで完結します。


暗殺チームは、時に誰にも切り札を晒さない。

 

「おい、どうすんだよッッッ!!!ソイツに勝てる手立てはあんのか!!!」

「落ち着け!!!いつだってやる事は同じ。出来る事をするしかない!!!」

 

サーレーのクラフト・ワークが、スタンドの奥に隠された能力を行使する。

クラフト・ワークの裡にいる緑色の赤子が泣き叫び、廊下は揺れ、触手塊は振動の直撃を受けて小刻みに震え、粉々になって消滅していく。

 

「再生しているぞッッッ!!!異常だ!!!なんなんだコレはッッッ!!!」

 

マリオ・ズッケェロもシャボンを炸裂させるが、目に見えた反応はない。

攻撃して一時的に体積が減ったように見えても、すぐに細胞を掻き集めて復元してしまう。

捕まれば瞬く間に肉の芽の苗床にされ、分裂するために養分を吸い取られてしまう。

 

「そこまで強いわけではない。特に俺の能力で戦えば、相性が良い。しかし問題は、この建物に出口が無く、どれだけ潰しても際限なく再生してしまうことだ。」

 

サーレーは対応の困難さに、眉を顰めた。

 

「すまねぇ。………俺に出来ることが見つからねぇってのがストレスになっちまってたみてぇだ。」

 

マリオ・ズッケェロがサーレーに頭を下げた。

誰だって一緒だ。誰だって焦っている。サーレーはそれを傍目に見せないだけだ。

 

「気にするな。」

 

さて、いつまで見が許されるだろうか。

ホル・ホースは、彼らの慌てるその様子を俯瞰で眺めるように見ていた。

まるで他人事のように。

 

「お前に何か情報はねぇのか?なんかコレの弱点とかよぉ。」

「………すまん。聞いたこともない。」

「………まあそりゃあそうか。」

 

どこまでも延々と続く赤黒い廊下で、三人は得体の知れない不気味な生命体と対峙している。

それはどれだけ攻撃を加えても無限に再生し、触れたら触手を体内に伸ばされて脳を乗っ取られてしまう。

生命体の名称は、肉の芽という。

 

「………参ったな。俺たちは敵の首謀者を暗殺する任務を請け負っているというのに………こんなところでこんなわけのわからないものに捕まって………。」

 

暗殺チームは、時に切り札を晒さない。

それは信頼だとか友情だとか、そういった俗的な理由とは別の次元のところにある。

 

暗殺チームは、個の裁量を重んじる。

その最たる理由は、単純に自分の命が自己責任だからである。

ゆえに、納得を最優先する。

 

暗殺チームは、どうやってもいつかは欠員が出る。

総合的な観点から見れば、強力なリーダーにその判断の全てを委ねるのが最も損耗率が低いのかも知れない。

しかし、それでは暗殺チームは立ち行かない。

 

誰も彼もが命をかけているからこそ、自身が納得のいく判断というものを最優先する。

それを疎かにすれば、暗殺チームはいつか必ず空中分解してしまう。

 

なぜなら、命をかけさせられている側の人間が、納得できないから。

先代の暗殺チームも、扱いに納得がいかないという理由で壊滅した。

どうやっても死は免れない任務を請け負うことだってあるのだから、せめて納得させて欲しい。

 

故にギリギリの局面まで能力を隠す人間もいるし、場合によっては嘘をつく人間だっている。

それはよほどの状況でもない限りは、暗黙のうちに許容される。

 

生きている人間が、勝者。

与えられた任務さえ完遂させれば、多少のことは皆目を瞑る。

嘘をつこうと、仲間を死なせようと。

 

今回で言えば、イアン・ベルモットさえ暗殺できれば、暗殺チームの仕事は完了する。

それに伴いサーレーが死のうとミスタが死のうと、最悪ジョルノが死のうと、大概のことは正当化される。

 

その判断を下すことがサーレーには難しく、ホル・ホースには可能だ。

それは暗殺チームの一員として、明確にホル・ホースがサーレーに優っている点である。

 

イアン・ベルモットはその次元の敵であるというのが、すでに裏社会の共通見解となっている。

もちろんそれを、ミスタもサーレーも理解している。だからミスタでさえも、立場を捨てて危険な最前線に出てきているのだ。

 

【おじさん、一回きりの切り札をあげる。私のスタンドにはもうパワーがほとんどない。ルールを破れるのは一度きり、私の能力を持って行って。】

 

与えられた銃弾が一発。スペインで死んだ暗殺チームの形見。

それがなぜホル・ホースに与えられたのかと言えば、切り札は予想しないところが切った方が効果が増すし、ホル・ホースにはそれを巧く扱うだけの老獪さがあるとメロディオが短い間に見込んでいたからである。

 

ホル・ホースは、直感でそれがイアン・ベルモットにさえ痛恨の一撃を与えることが可能なものであることを理解していた。

 

煉獄はイアンの妄想に則って、ルールを支配する。

銃弾は、どんなものであろうとルールを強制的に書き換えることができる。

それをイアンに打ち込めば、恐らくは煉獄のルールをホル・ホースの都合の良いように書き換えることが可能だ。

 

「………。」

 

彼の予定としては、リーダーであるサーレーが暗殺に成功すればベスト。

そうすれば、一番ラクだ。

 

失敗した場合は、どうにか乱戦に持ち込んで警戒に値しない弱者を装う。

敵が彼のことを忘れた頃合いに、背後からドスン。

 

それが彼が即興で思い描いた、戦略だった。

銃弾の存在を隠していたのは、単純にどこからそれが漏れるかわからないし、切り札があるという安心感がリーダーであるサーレーの戦闘力を鈍らせるのではないかという懸念があったからだ。

 

パッショーネは、とても居心地が良い。懐かしさというかなんというか。

特に何者にも拘らずに自由を愛する彼が、なぜだか守りたいと願うほどに。

 

ホル・ホースはかつて、ディオ・ブランドーの配下だった。

彼はジョルノ・ジョバァーナにかつての上司ディオ・ブランドーの面影を見ていた。

 

………出来れば、銃弾はイアン・ベルモットの暗殺用に隠しておきたかった。

最後の最後、究極の状況用の切り札に。そんな状況を想定したくはないが、最悪の場合を想定しておかないのは愚者の振る舞いだ。

 

ホル・ホースは、イアン・ベルモットが本当に恐ろしい。

これは恐らくは切り札を切った、ではなく()()()()()

 

使えと状況が迫ってくるからこそ、使いたくなかった。

使うことを強要してくるからこそ、これが敵に痛撃を与えられる証明になる。

 

普通に考えればここで彼が切り札を切らざるを得なくなったのは偶然だが、偶然を必然にするのが煉獄の恐ろしさ。

彼はそれを、数多の戦歴による経験則で朧げながら理解していた。今回の敵の首謀者は今まで戦ったどのような敵とも、全くの別物であると。

 

オリバーと似た敵とは、以前にも戦ったことがある。

あそこまで強烈なのは初めてだったが、それでも理解できる敵だ。

 

この世で最も恐ろしいのは、理解できない敵である。

 

「………ホル・ホース?」

「………永遠なんて存在しねぇ。不滅なんて有り得ねぇ。今この時、俺がそれをDIO(アンタ)が残した負の遺産に証明してやるよ。」

 

暗殺チームには納得が最優先される。

ホル・ホースが切り札を切るのなら、それは彼が納得をした時である。

 

パッショーネを、イタリアを、ボスを、友人を。共に未来を歩むために、たった一枚きりの札をそこで切る必要があると。

ホル・ホースが、拳銃をカチャリと鳴らして一歩前に出た。

 

◼️◼️◼️

 

【ポッキン、ポッキン、精神(ココロ)がポッキン、ボッキン、ボッキン、背骨がボッキン、揺れて崩れて飛び散る脳髄、内臓グシャッ。みんな、応援ありがとう!!!イエー!!!】

「うぜぇッッッ!!!テメエ、なんだそれはッッッ!!!」

【うん?これはイアンが作詞作曲と振り付けを担当した、ポッキンダンスだよ。】

「………空条徐倫、そいつを相手にするな。」

 

吼えろ、魂のハウル。刻め、命のビート。踊れ、パッションの荒ぶるがままに。あなたに届け、私の電波!

空条徐倫たちが乗っ取られた承太郎と必死で戦う横で、執刀医は白衣を翻しておかしな歌を歌いながらDJの真似事をしていた。

 

「そんなことを言ってもッッッ!!!あいつ見てるとスッゲーイラつくッッッ!!!」

「………気持ちはわかる。だが………。」

 

グイード・ミスタは残弾数と装填数を確認しながら、目前の敵に目を向ける。

 

【一緒に踊るかい?】

「踊るかッッッ!!!」

【Check it out !Let us enjoy dancing !】

「あああああああああうぜぇ!!!クソッッッ!!!」

 

目の前には肉の芽に乗っ取られて意識が危ない父親。

横には電波を垂れ流して心のままに踊る不気味な機械。

 

空条徐倫は嘆きの感情とイライラが変に混ざって、無意味にストレスを感じた。

感情が整理できない。

 

「徐倫、落ち着け。奴は敵だ。奴が俺たちを惑わそうとするのは当然だろう。」

「ウェザー………。」

「空条徐倫、くるぜ!!!」

「おああああッッッ!!!」

 

スター・プラチナの助走をつけた体当たりをストーン・フリーは受け流し、承太郎の体を傷めないように糸が搦め捕った。

承太郎の腕に巣食う触手がウネウネと動き、グイード・ミスタが拳銃で撃ち千切っていく。落ちていく触手を、ウェザーの電流が焼き尽くした。

 

「オラァッッッ!!!」

【おや?】

 

徐倫のストーン・フリーの糸は世界を分かつ線となり、音を超える速さで空気を横に切った。

それは執刀医の首に絡んで、執刀医の首はボロリと取れて地に落ちた。

 

「どうだッッッ!!!」

【ひどいなぁ。私はただのガヤだよ?戦いに参加する気の無い外野にまで攻撃するのは感心しない。】

 

執刀医の体は落ちた首を拾い、自分の右目のネジを取り外した。

頭部を元の場所に据え付け、ネジを回して接合していく。ネジの外れた右目は黒い腔となり、中心に不安定な輝きを放つ黒玉が存在した。

執刀医のその姿は、より一層不気味さを増した。

 

「なんなんだテメエッッッ!!!気持ち悪りぃ!!!」

 

徐倫は承太郎をソフトに突き放して距離を取り、叫び声を上げた。

 

【気持ち悪いだなんてひどいなぁ。無粋だよー。私だって君たちの見た目がキモいと感じてるのは黙っているのに。肉の体って機械より不便じゃない?生体脳よりもコンピュータの方が優秀じゃない?ああそうだ、せっかくだから君たちを私が手術して機械にしてあげようか?】

 

いいことを思いついたという風な執刀医の言葉に、徐倫は背中に鳥肌が立った。

肉の体を機械にして、脳をコンピュータにしたのなら、すでにそれは別人だ。と言うか、人間ですらない。

面影が無さすぎる。

 

「余計なことすんな。俺たちはこの不便さも含めて気に入ってんだよ。空条徐倫、わかっただろう。コイツは別物だ。相手にすんな。」

 

ミスタの言葉に、徐倫は何度も頷いた。

この機械を相手取る方が間違いなのである。

 

承太郎は拘束が不可能で、時間経過と共に体力が低下して危険な状態へと推移する。

しかし、サーレーのクラフト・ワークがあればもっと別の手段が取りうる可能性が出てくる。

徐倫は、建物内部に侵入したサーレーたちの方に有利な動きがある事を願っていた。

 

◼️◼️◼️

 

「この世界に、一体幾つの生命があるのだろうか?例えば、人間に近しいDNAを持つ猿には知能があると断言できるだろう。牛や豚には?鳥には?」

「テメエ、誤魔化すなッッッ!!!」

 

リュカ・マルカ・ウォルコットは、イアン・ベルモットに当たり散らかした。

 

「知能はともかく、魂は?人間にそれが存在すると仮定して、猿や牛には?一寸の虫にも五分の魂。ひょっとしたら、虫にも本当に魂があるのかも知れない。それどころか、私たちの体内に存在する細菌にさえも魂があるのかも知れない。」

 

さほど広くないイアンの手術室では、オリバーがベッドに横になっている。

リュカとベロニカは、今までのイアンの態度を詰問している。

 

「テメエ、なんだったんだあの金髪ヤローはよ!!!俺たちごと攻撃しやがって!!!」

 

リュカだって、イアンに逆らうことの愚かしさは理解している。

しかしリュカ・マルカ・ウォルコットは自尊心が高く、裏社会を実力一本で乗り切ってきたという自負があった。

 

それがみっともなく幾度も逃亡せざるを得ない状況に陥ったことで、非常に強いストレスを感じている。逃げ切った後に感情が振り切れて、それを発散しているのである。

 

「………私は君が好きだよ、リュカ。君の哲学には一目置いている。今この時が全て、その言葉は私の魂に響いた。未来も大切だが、今を軽視する者に未来は未来永劫訪れない。それがなければ、そもそも私はこんな事件を起こさなかったかも知れない。未だに腐ったままだっただろう。」

 

イアンは熱に浮かされたように、独白した。

 

「彼らはヨーロッパ全土から集められた、裏社会のトップクラスだ。君もかつてはフランスの暗殺チームのリーダーを務めていたのかも知れないが、それでも上の中と言ったところだろうか?残念ながら、役者が一枚落ちる。逃亡も致し方なし。それでも私が君を重用しているのは、ストック数に限りがある魂を溶かしてまで君を使うのは、私が君を気に入っているからだ。」

「バジルは死んだだと!!!のんきに言いやがって!!!テメエが今までこんなところでバックれてチンタラしてたからだろうがッッッ!!!」

 

リュカの癇癪はなかなか収まらない。ベロニカもその剣幕に、一歩引いて様子を見ていた。

 

「この世界に一体どれほどの魂が存在するのだろうか?兆?京?垓?もしも細菌にさえも魂が存在するのならば、過去未来も鑑みれば、とてもそんな数じゃあ効かない。まさしく無限の大海の一雫。今この時ここに私がいることは、今この時そこに君がいることは、宝くじで百億円当選する事を歯牙にもかけないほどの奇跡なのだよ。」

 

イアン・ベルモットは微笑んだ。

 

「私は悩んださ。私が消した人間たちも、奇跡を乗り越えてこの世に生まれ落ちた者たちだ。彼らにも、きっと幸福を追求する権利があったんだろう。………誰に与えられた権利なのかは知らないがね。でも、今この時が全て。その言葉を聞いて、私は決意した。奇跡的にこの世に生を受けたのだから、己が望みのままに振る舞おう、と。私だって我が身は可愛い。しかしたとえ最後が地面に激突して死んでしまう悲惨な終わり方だったとしても、無数の怨嗟を一身に受ける事になる人でなしの道程を行くことになろうとも、私は空を飛ぶ事を選ぶ。」

 

イアンは歌うように言葉を紡ぐと、指揮棒のように腕を振った。

青白い浄化の炎が室内を揺らめき、手術室の隅に佇む無機質なマネキンの顔をドロリと撫でた。

 

【おいおい、イアンに逆らうなんて、死にたがりすぎるだろ。生きる意志がないんなら、もったいないから俺と代わってくれよ。いくらだ?貯金通帳から5万ユーロまでだったら下ろせるぜ。】

 

マネキンの顔はバジル・ベルモットのものとなり、それは嫌な笑みを浮かべた。

浄化の炎が再び、ドロリとマネキンの顔を撫でた。

 

【是非とも僕を生き返らせてくださいッッッ!!!手段を選ばずにッッッ!!!そうすれば今度こそ、あなたの敵とあのオリバーとかいうクソヤローを、まとめて皆殺してみせますよッッッ!!!僕たち、友達でしょう!!!なぜならばッッッ!!!】

 

マネキンの顔はチョコラータのものとなり、やはり嫌らしい笑みを浮かべる。

浄化の炎が三度、ドロリとマネキンの顔を撫でた。

 

【命を寄越せッッッ!!!帝王に敗北は許されないッッッ!!!俺に今一度のチャンスをッッッ!!!今度こそ禊を成功させるッッッ!!!我が世の春を取り戻すのだッッッ!!!】

 

マネキンの顔はディアボロのものとなり、不快な笑いを浮かべた。

 

【ヒハハ。】

【ウフフ。】

【イヒヒ。】

【【【アハハハハハハハハハ!!!】】】

 

マネキンの顔が三つになり、その場で不協和な笑い声を立てた。

不気味の谷を永遠に飛び越えられない、不快極まりないケルベロス。

 

「………。」

「だからこまケェことを愚痴愚痴うるせぇんだよ。私はバジルにおよそ三十年という猶予を与えた。彼はきっとその限られた時間で、許された範囲の幸福を手にした事だろう。それが普通の人間の幸福な人生なのだろう?それに感謝こそされ、文句を言われる筋合いなど無い。存在しないはずの者に、奇跡的に与えられた時間だ。」

 

イアンが彼らを生き返らせているのは、世界による大いなる無償の愛などではなく相応の見返りを求めてのものである。

 

それは生にかかる税金のようなものだ。イアンの求めるタスクをこなさねば、イアンを愉しませねば、彼らに生きる価値は無い。

もしも造物主が被造物に見返りを求めたら、きっとこの世は地獄になる。

 

リュカはようやく頭が冷えた。これは危険な兆候だ。

イアン・ベルモットはリュカにとって普段は何もかもを楽しむタチが悪いだけの人間だが、キレたらとても手に負えない。手に負える人間など、この世のどこにもいない。ヤバさにかけては、他のどんな存在に比べても桁違いだ。

 

「リュカ。今この時死んだはずの君はそこにいる。君の時間も本来、存在しないはずのものだ。その価値を今一度、考え直してみるといい。………私は君が気に入っているよ。実に気に入っている。だからただの一度だけは、傲慢な物言いにも暴言にも目を瞑ろう。今この時に全てを賭して、無様に地面に激突して死んで私を楽しませてくれ。」

 

イアンはニッコリと、慈愛の笑みをリュカに向けた。

すでにリュカの癇癪は綺麗さっぱりと消え失せ、心胆に寒々しいものだけが残っていた。

 

◼️◼️◼️

 

「リーダー、それを抑えていろ。絶対に一片たりとも逃すんじゃねぇ。」

「一体何を?」

 

ホル・ホースの瞳に、黒々と漆黒の殺意が宿された。

ホル・ホースが拳銃を構えた瞬間、本能のみで動いている肉の芽は危険を察知し、個々でバラけて逃走しようと試みた。

本能のみで生きている分勘が鋭く、ホル・ホースの構えた拳銃から危険な予感を察知したのである。

 

「………切り札だ。なるべくならここで使いたくはなかった。」

 

メロディオから渡された一発きりの切り札。可能であれば、イアン・ベルモットに使用したかった。

しかしどこを突き詰めても突破口が無く、サーレーが死ねばそれこそ危険な狂人に対する切り札が存在しなくなる。

 

簡単な引き算だ。

切り札は二枚。ホル・ホースの銃弾と、事件の首謀者イアン・ベルモットが変に執着を見せるサーレー。

その二枚が切り札であり、それは今ここに両方とも存在する。

 

一枚切っても一枚残る。

サーレーが死ねば、最悪二枚の切り札は両方ともここで消滅する。絶望だ。

今のところは戦いは安定しているが、変化に乏しく、不用意にエネルギーを使用すればここから出た後に困難な状況に直面する可能性も出てくる。

切り札を着ると決断したのなら、可能な限り迅速であるべきだ。リーダーの体力が万全な内に。

 

「アンタにかけるよ、リーダー。こんな気持ちは久々だ。俺は前の主人(ディオ・ブランドー)が死んでから、久しくこんな気持ちになることはなかった。アンタの主人は最高だ。俺みたいな根無し草で、マトモに対応する人間が少ないような奴の未来までしっかりと考えてくれている。」

 

サーレーがクラフト・ワークのラニャテーラを肉の芽の至近で発動し、拘束を試みた。

バラけようとする細かい肉片を殴り潰し、細胞片を最も大きな塊に殴りつけて混ぜ込んだ。

 

「俺たちみたいな人間は、刹那を愛する。享楽的で、歓楽的で、しかしそれも度が過ぎると社会に受け入れられ辛く、必然的に居場所が社会の裏側になる。」

 

サーレーはうなずいた。

サーレーも、目の前のポルポの遺産を欲したせいでここにいる。マトモに人生を築こうとせず、一攫千金に失敗して結果、裏社会の組織の都合の良い捨て駒だ。サーレーはギャングだから金を奪おうとしたわけではない。もともと金を奪おうとするような人間だからギャングとして生きていたのである。

 

しかしボスは、捨て駒で下っ端でも粗雑に扱わない。

捨て駒にも捨て駒なりの幸せを考えてくれている。なるべく長生きさせて、可能な限り良い人生を送らせたい、と。

 

それを思うだけで、勇気が湧いてくる。イタリアに対する愛情と、誇りが湧き上がる。

 

「ディオ様よぉ。アンタのことは嫌いじゃなかったぜ。色眼鏡で見ず、無理な注文も無く、俺が最もハイパフォーマンスを発揮する状況を整える方法を理解してくれていた。評価は公平で、人をその気にさせることが上手く、俺を可愛がってくれた。」

 

ホル・ホースは、テンガロンハットを斜めにして目元を隠した。

イタリアへの愛情の裏側、ホル・ホースの瞳にイタリアを害なす敵への漆黒の殺意が強く浮かび上がった。

 

追い詰められた肉の芽は、最終手段とばかりにホル・ホースに向かって触手を伸ばした。

ホル・ホースはこれっぽっちも慌てずに、それをしっかりと見据えている。

 

間違えても外せない。ホル・ホースは、彼を乗っ取ろうとする醜い意志から絶対に目を離さない。

決して目をそらさず、見落としが無いか、思い違いが無いか、不確定要素が無いか、相手が予想外の行動をとる可能性が無いか、冷静に幾度も幾度もホル・ホースは確認した。

 

「だからこそ()()()許せねぇ。アンタは高い知能を持った、瀟洒で粋な存在だったはずだ。他の奴は知らねえが、俺はアンタが人殺しであったとしても、身の毛のよだつ邪悪であったとしても、それはそれとして許せる。だが………アンタがカッコ悪いのは絶対に許せねぇッッッ!!!いけねぇよ。絶対にそれはいけねぇ。間違っても知能無く、周囲を不幸にするだけで何も生み出さない負の遺産を遺すような存在であって欲しくねぇ。」

「おい、ホル・ホースッッッ!!!」

 

触手はホル・ホースの頭部へと伸びた。

眼球周りに集り、粘膜から脳へ侵入しようと試みている。

ラニャテーラの効果でゆっくりとではあるが、サーレーはそれに慌てた。

 

「問題無い。さようなら(アリーヴェデルチ)、DIO。俺は今はイタリアパッショーネ、暗殺チーム所属のホル・ホースだ。」

 

肉の芽は、遺伝子に終止コドンが存在しないために無限に増殖し続ける。

それが肉の芽の特性であり、ホル・ホースに託された銃弾はその遺伝情報を書き換える。

 

発砲音が鳴り響き、一発の銃弾が放たれた。

肉の芽は必死に自身に孔を開けて銃弾を避けようと試みた。

しかしスタンドであるホル・ホースの銃弾は無慈悲に軌道変化し、肉の芽の中央部を撃ち抜いた。

 

「リーダー、後は頼んだぜ。」

「ホル・ホースッッッ!!!」

 

ボロボロと崩れ落ちる肉の芽が、悪足掻きとばかりにホル・ホースの肉体のエネルギーを奪って増殖した。

しかしそれは、蝋燭が消える寸前の最後の輝きに過ぎなかった。

 

ホル・ホースは消え行く肉の芽に体力を急速に奪われ、ガックリと崩れ落ちた。

 

◼️◼️◼️

 

「健やかなるときも、病めるときも、互いを思いやり共に歩むことを誓いますか?」

「なんだコレッッッ!!!」

 

リュカ・マルカ・ウォルコットは激しく突っ込んだ。

 

「何って、お前が私に文句を言うから。」

「言うからッッッ?」

「罰が必要かなと。」

 

新郎、リュカ・マルカ・ウォルコット。新婦、ベロニカ・ヨーグマン。

参列者、イアン、オリバー。意味がわからない。

普段着のオリバーが、ベッドに座ってやる気無さげに拍手した。

 

「ベロニカがおとこおとこ煩いんだよ。お前と違って物分かりが悪いから。」

「悪いから?」

「生きている間に生贄の儀式を嗜んでみるのも悪く無いかなぁ、と。」

「生贄って俺のことか!!!生贄って言うな!!!」

 

タキシードを着たリュカ・マルカ・ウォルコット、花嫁衣装のベロニカ・ヨーグマン。

なぜ挙式用の衣装が軍事施設にあるのか?野暮なことを言ってはいけない。もちろん、イアンの妄想の産物だ。

 

「それで今現在私に自由になる男が私、オリバー、お前しかいないんだよ。後は死にかけたイナゴのような捕虜が十人ほど。ババアがそいつらは嫌だと駄々をこねるもんでな。私は論外、オリバーも死に別れたとは言え既婚者だった。」

「そこのマネキンはッッッ!!!そこのマネキンに俺よりイケメンの顔を彫ればいいだろうがッッッ!!!」

 

イアンは何言ってんだコイツ、と言った風の嫌な表情をした。

 

「………お前には人の心がないのか?死地に行く者の最期の願いを、マネキンで誤魔化すなど言語道断ッッッ!!!最低だぞッッッ!!!」

「俺の願いはッッッ!!!」

 

ベロニカ・ヨーグマンはチラチラと頬を染めて、リュカに視線を送っている。

 

「そんで聞いたところによると、彼女は笑わせることに結婚願望があるらしいが、今まで捕まえた男は彼女と粘液の交換をするたびに死んでしまったそうで。」

「結婚式を今すぐに取りやめろッッッ!!!」

 

ベロニカ・ヨーグマンの体液は強酸性であり、例えばキスをすれば口内が爛れて普通の男は死にかける。

彼女は幾度も男を捕まえて結婚しようとしたが、拷問と言える行為に耐えかねて逃げ出そうとした男を彼女は幾人も殺害していた。

 

「たとえ死ぬほど整形していたとしても、年齢を有り得ないくらいサバ読んでいたとしても、戸籍にバツが二十個くらい付いていたとしても、家事という概念が存在しなかったとしても、あなたは彼女を生涯愛し続けますか?」

「おいやめろッッッ!!!」

 

イアンのいきなりの暴露に、今度はベロニカ・ヨーグマンが悲鳴を上げた。

 

「ちなみに、私は二回ほど整形手術を担当している。その時の代金は踏み倒されたが。………死ねばいいのに。」

 

イアンはボソッと呟いた。

 

「いやほんとうに、なんなんだよ。」

 

リュカは困惑し、呆れた。

 

「ふむ。少し真面目な話をすると、そこのババアにこれから先のことを詳細に聞かせた。すると結婚させてくれるなら、なんでも手伝うと言うしょうもないクソみたいな回答が返ってきた。クソみたいな要請であっても、それで協力が取れるのならば仕方がない。」

 

イアンは面倒だったが、ベロニカに正直なところを伝えた。

彼女はこれから先どうやっても長く生きることは不可能であると。

イアンは変なところで律儀なのである。

 

すると彼女は、短い生に思い残したこととして、結婚したいとかトチ狂ったことをほざき出したのである。

その結果が、唐突なリュカとベロニカの結婚式であった。

 

「私としてはどうでもいい。本当にどうでもいい。自由恋愛だ。私も自由だ。」

「俺に自由がないッッッ!!!」

「どうでもいい、どうでもいい、結婚おめでとう、どうでもいい。」

「どうでもいいって何回言ってるんだッッッ!!!」

「まあ真面目な話。」

 

イアンは不意にリュカに向き直った。

 

「ババアの特殊体質は、ウィルスが彼女の体に影響を及ぼした後天的なものだ。もしかしたらそのウィルスが彼女の体内にまだ残っているかもしれない。彼女の特異体質は、彼女がウィルスと共存しているからなのではなかろうか?苦難を超えた時に、スタンドは成長する。どうだい、私からの課題をこなしてみる気はないかい?………お前がローウェンを超える最後のチャンスだと、私は思うがね。」

 

普通ならば、有り得ない。

しかしここにおいては、現実よりもイアン・ベルモットの妄想の方が優先され、都合のいい展開が繰り広げられる。

薄々イアンのスタンドの特性を理解しているリュカ・マルカ・ウォルコットは、黙り込んだ。拷問に耐えたら強くしてやると、悪魔は暗にそう言っているのだ。

 

「ただの言葉遊びだよ。拷問と試練は、本質は同じ。どちらも苦痛を受けることになる。脳がその苦痛をはねのけることができればスタンドは飛躍し、それを試練と呼ぶ。脳が苦痛に負ければスタンドは弱体化し、それを拷問と呼ぶ。結局は脳が強いものが成長するというだけの話だ。私の煉獄は、それをより顕著にわかりやすい形にしただけに過ぎない。」

 

イアン・ベルモットは、ニッコリと微笑んだ。

 

◼️◼️◼️

 

ちょこっと裏知識・・・ベロニカ・ヨーグマンが死んだ際、彼女の組織の資産の大半は国に没収された。しかしその一部はイアンが逃亡の際に着服し、オリバーの息子が入院している病院にオリバーの息子の術後費用として匿名で支払われた。イアン本人はそれは過去の整形手術代金に利息をつけたものであり、正当な権利だと考えている。オリバーがイアンに逆らえない要因の一つである。



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擦り合わせ

【結果がわかっているというのは、つまらないものだね。】

 

踊り飽きて地面に座り込んだ執刀医は、ボソッとつぶやいた。

 

今回の戦いに、紛れはほぼ起きない。

主人公はイアン・ベルモットであり、執刀医は主人公不在のつなぎに過ぎない。

煉獄は主人公の意を汲み展開を進め、彼がいない時に劇的な事態、面白いことが起きることは有り得ない。

 

イアンは宿敵にサーレーを据えてライバル視しており、主人公のライバルが主人公以外によって打倒されることは起こり得ない。

それが、狂者の煉獄の特性。主人公が無意識下で望むままに、展開は進んでいく。

 

故に執刀医は肉の芽の塊を、サーレーたちに丸投げにした。それでなんら問題ない。

もしもそれで彼らが死んだとしても、それは彼らにイアンのライバル足りうる能力が無かったというだけの話に終わる。

 

【まあ今回は、イアンにとっては茶番だ。いや、今回も茶番だと言うべきかな?そもそも人生自体が茶番なのかも知れないね。まあいいか。】

 

主人公が劇に帰還すれば、展開は変わる。劇的なことが起こりうる。

しかし劇はどこまで行っても劇であり、それが現実に何かを及ぼすことは有り得ない。本来ならば。

妄想を現実に像なす能力を持つイアン・ベルモットは、唯一無二の例外だ。悪い意味で特別な人間であると言える。

 

「何だテメエッッッ!!!」

 

空条承太郎を抑えていた徐倫が、不意に立ち上がった執刀医を警戒して声を上げた。

 

【ああ、彼らが勝利したから私も約束を果たそうと思ってね。】

「私の父さんに近寄るなッッッ!!!」

 

近寄る執刀医に承太郎の腕から伸びた触手が襲いかかるが、触手は執刀医を素通りした。

 

「テメエ、離れろッッッ!!!」

 

徐倫が悲鳴を上げ、ミスタとウェザーは警戒しつつもどうするか迷っている。

この不気味な生命は、戦っても勝てないのだ。力でどうにもならないから、それがアクションを起こすと止められない。

執刀医はそのまま歩き、承太郎も素通りした。

 

【はい。これで約束は果たしたよ。】

 

上に向けた執刀医の右手のひらの上に承太郎から切り離された肉の芽が浮かび、執刀医はそれを浄化の青白い炎で焼却処分した。

空条承太郎は地面に寝かされていた。

 

「父さん!!!」

【彼はここでリタイアかな。強いし貫禄があるけれども、彼は劇において役割を与えられなかった。】

 

徐倫が承太郎に近寄り、血の気を失った承太郎の顔に執刀医は長期間の休息が必要であることを確信した。

 

「………首謀者の元へ案内しろ。」

 

ミスタが拳銃を構えて、執刀医の背後から頭部へと銃口を向けた。

 

【いいよ。でもせっかく向こうも終わったのだから、君の仲間たちも拾って行こう。面倒は一度で済ませるに限る。】

「私は父さんを見てる。ウェザーはそっちに行って。」

 

頭部に銃口を向けられても何ら気負いの無い執刀医に、ミスタは敵に回すべき存在では無いと言う助言への確信を深めた。

執刀医は両手を上げて建物入り口へと向かい、その後ろをミスタとウェザーが付いてきている。

 

「副長。」

 

彼らが建物入り口へと向かった時に、背後にホル・ホースに肩を貸したズッケェロを従えたサーレーと鉢合わせた。

 

「サーレー、お前なぜこっちに来ている?まさかもう暗殺を完遂させたのか?」

 

ミスタはタイミングよく建物入り口から外へ出てきたサーレーたちに、詰問した。

彼らには、建物内部にいるはずの首謀者暗殺の至上命令を下していたはずだ。

 

「………すみません。それが首謀者がいると思しき場所の特定は済んでいるのですが………。」

【扉、開かないでしょ。】

「あッッッ!!!テメエッッッ!!!」

 

ミスタの前で銃口を向けられて両手を上げる執刀医を見て、サーレーは声を上げた。

 

「副長!!!そいつッッッ!!!油断してはいけません!!!投降したフリをして攻撃してきますッッッ!!!」

【投降してないよ。面倒だなぁ。】

「………やめろ、サーレー。」

 

クラフト・ワークを出して臨戦体勢をとったサーレー、ホル・ホースを放り出してソフト・マシーンを出して臨戦体勢をとったマリオ・ズッケェロの二人に、ミスタは抑えるようにジェスチャーを出した。

 

【君たちはメンツを重んじる。こうして投降したフリでもしないと、話も聞いてもらえないからね。】

「こいつ、堂々と投降したフリだと言い切りやがったッッッ!!!」

 

いきり立つサーレーを抑えて、ミスタが話を続けた。

 

「………テメエ、首謀者のところに案内するとは一体どういった腹積もりだ?」

【君が案内しろと言ったんじゃない?】

 

はぐらかす執刀医に、ミスタは無駄話は無用と続きを顎で促した。

 

【………君は苦手だなぁ。まあいいか。正直に言うと、彼がそれを望むだろうからだよ。遊び相手にヘソを曲げられて、誰も遊びに来なくなったら本末転倒だ。彼は君たちに勝ちの目を残そうと苦心しているんだよ。絶対に勝てない遊びなんて、つまらなくて誰もやらないだろう?】

 

ヘラヘラしながら衝撃的なことを言い出した執刀医に、ミスタは頭に血がのぼるのを抑えて話を続けた。

 

「絶対に勝てないだと?俺たちが絶対に勝てないとお前が思う根拠は何だ?」

【遊びのルールを支配しているのが、私たちだからだよ。その気になれば、何でもできる。でも絶対に勝てないチェスなんて、誰もやりたがらないだろ?それは君たちにとって非常に不公平だし、私たちも何も面白くない。だから今から、その辺の擦り合わせに向かうんだよ。イアンがそれを望んでいる。】

 

イアンの能力の煉獄は遊戯盤であり、それが展開される場所を彼が支配している。

ルールも遊戯盤もイアンが掌握しており、今のイアンはその気になればなんでもできる。

しかしイアンの目的は遊戯を楽しむところにあり、勝敗自体にはさほど頓着していない。

 

「テメエ、何人も殺しておいてさっきから遊び遊びと!!!」

 

スペインとイタリアにおけるチョコラータのバイオテロは、一万五千人を超す死者を出している。

軍事基地に従事していた人間も二百人ほどいたはずだし、彼らの逃走経路においても多数の被害者がいるはずだ。

 

「………やめろ、サーレー。」

「ですが副長ッッッ!!!」

「お前の気持ちはわかるし、正しい。しかし理屈の通用しないイかれたヤローは、いつの時代にもいるものだ。コイツらはその中でも、とびきりだ。」

「………。」

「第一にそいつをよく見てみろ。どう見ても人間の心を持っているようには見えないだろうが。人間の心を持たない奴に人間の道理を説いたところで、無駄に決まっているだろう。」

 

ミスタの言葉に、サーレーは執刀医のつま先から頭の天辺までまじまじと見つめた。

メカ、どこまでも機械だ。ミスタの言葉に尋常ではない説得力を感じて、サーレーは納得した。

 

【恥ずかしい。あまり見つめないでほしい。】

「サーレー、相手にすんな。」

 

いっちょ前に照れた反応を返す執刀医に、ミスタはサーレーが反応する前に制止した。

 

【君は本当に苦手だ。】

 

彼らは先頭を歩く執刀医の先導で建物内部を進み、歩いて行った先の扉の前に男が立って待っていた。

ちなみに余談であるが、ホル・ホースはズッケェロがその辺に放り出したまま忘れ去られている。

 

「テメエッッッ!!!」

「待っていたよ、マイフレンド。」

 

扉の前で両手を広げて不遜に佇むイアンに、サーレーは飛びかかろうとした。

 

【私の存在を忘れてもらっては困るな。】

「ッッッ?」

 

サーレーはリードで繋がれた犬のように首根っこを執刀医に掴まれて、制止させられた。

 

「すまないね。今回は私は戦いに参加しない。君たちにせっかく来てもらったのに、申し訳ない。」

 

ミスタたちは扉の前のイアンを囲んで半円状に展開した。

執刀医はヌルリと、イアンの横に並び立った。

 

「テメエの都合など知ったことじゃないな。俺たちにそれを聞く義理があるとでも?」

 

今にも発砲しそうな形相で、ミスタはイアンに銃口を向けた。

 

「君たちに都合があるように、私にも都合がある。戦いは三日後以降だ。」

「………聞けねぇな。聞く意味がねぇ。」

「まあ一旦落ち着いて、背後を確認してごらんよ。」

 

人数に嵩にかかったミスタの強気を受け流して、イアンはそう促した。

次の瞬間、カチャリという金属音がした。

 

「次あたりには閉幕になる予感を、私は感じている。私はそこに是非、オリバーにも参加していて欲しい。私の最高の晴れ舞台を、彼にも彩って欲しいんだ。だがまだ今は彼は本調子にない。ゆえの準備期間。それが聞けないのなら、残念だが君たちの人生はここで閉幕だ。」

 

イアン・ベルモットの表情に、暗い影が差した。

ミスタ、サーレー、ズッケェロ、ウェザーの四人の背後を、いつの間にか機関銃を構えたマネキンが大量に囲んでいた。

ざっと数えただけで二、三十人はいる。

 

「ッッッ!!!」

「君たちは全滅で、煉獄は成就する。君はそれを、望むかい?」

 

周囲を見渡し状況を正確に把握し、ミスタは思考した末に一つの結論を下した。

 

「………お前は今回戦いに参加しなかった。日付の指定も今初めて聞かされた。それはお前に不当に有利ではないか?それはお前の言う、ルール違反ではないのか?」

 

相手の土俵に乗ってあえて踊り、駆け引きをして持ち帰れるだけの成果を持ち帰る。

ここで無為に全滅するのは許容できない。しかしただ帰るわけにもいかない。

引き出せる限りの譲歩と優位をもぎ取る。

 

「………なるほど。ふむ。………ルール違反には該当しない。」

「………。」

「だが、マナー違反だ。私は招く側(ホスト)であり、常に君たちを持て成す義務が存在する。それを反故にするのは、私の沽券に関わると言えるだろう。私の不在は、確かに私の瑕疵だ。君はいいところを突くね。」

 

イアンはニヤリと笑うと、上機嫌に両腕を大仰に掲げた。

 

「決戦は三日後以降。これは譲れない。私たちは基本、私、オリバー、リュカ、ベロニカの四人で戦おう。君たちの人数は好きにすればいいが、人数を増やしても死人が増えるだけだと明言しておこう。それと拳銃の君。君のいう通り、私はホストとして面目ないことをした。その見返りに、君たちに有利になる二つの情報を渡そう。」

「情報?」

「ああ。情報は、時に万の兵士にも勝る。まず一つ目の情報。私の能力、この赤黒い空間は、あと十三日後に世界全体を覆う。それまではさほどの害は無いが、全世界を覆った途端に世界は私の支配下となる。世界は私の私室となり、私の法が適用される。人間は七十億皆最後の一人になるまで殺し合い、君たちは死に絶える。」

「なんだとッッッ!!!」

 

しょっぱなから、とんでもない情報をぶっ込んで来た。

この赤黒い空間は非常に不気味ながら、今のところ実害がないためなんとか暴動を抑えることができているのが実情だ。

それが実は、世界を覆った途端に世界を滅ぼす猛毒に変質するということである。

 

「三日後を過ぎれば、私は常に戦いを受け付けよう。今後はバックレは無しだ。いつでも、何人でも、何回でも攻めてくるといい。ただし、十三日後という時限は存在するがね。そして二つ目。これも私の能力。」

 

イアンは、指を二本立てた。

 

「君たちも知っての通り、私は人間を創り出している。しかしそれは無制限というわけではなく、ある制約が存在する。」

 

イアンは、嘘をついた。

最終アップデートを済ませた今のイアンであれば、制約なしに何人でも人間を生み出せる。

イアンはそう確信していた。

 

しかし、それは致命的なルール違反だ。一発でレッドカード。イアンは自分を許せなくなる。

人間を何人も無制限に生み出せてしまえば、イアンに有利すぎて遊戯は破綻する。

それはイアンが狂人の沽券にかけて、自身に対して絶対に譲れないルールである。

 

「制約?」

「ああ。細かいことは、知らなくていい。君たちが知っておくべきことは、私が創造できるのは、あと一人が限界だということだ。」

 

イアンのスタンドの心臓部である手術室には、現在十人ほどの捕虜が囚われている。

元は二十人、それは軍事施設にいた捕虜だが、その半分はリュカの復帰に使用してしまった。

その十人を材料として、一人の人間を生み出す。十人の人間を溶かして、勝った一人の人間が現世に顕現する。

 

その事実を彼らが知れば、彼らは捕虜の安否に気を病むことになる。

心理的に追い込むのも面白いかも知れないが、まあ今さらあまり意味は為さないだろう。おそらくは割り切るはずだ。

故にそれは、伝える必要は無い。

 

「………お前の話に信じられる根拠がねぇ。」

「そうだね。君たちにとってはそうだろう。だがこれは、遊びのマナー違反に対する私自身へのペナルティだ。戦いの中で、嘘やハッタリをかますこともあるかもしれない。しかしペナルティで嘘をついてしまえば、遊戯は破綻する。遊戯に対する冒涜は、人生に対する冒涜に等しい。それは私の完全敗北だ。」

 

勝敗など、どうでもいい。金も心も命でさえも、人生という劇を彩るスパイスに過ぎない。

最上の目的は、遊戯の過程を楽しむこと。遊戯が破綻すれば対戦相手から苦情が来るし、イアン自身も誇りが傷つけられ苦い思いをすることになる。しかも、イアンは舞台を整えるために命がけだった。

 

………敗北は許容できるが、破綻は絶対に認められない。

何があっても。たとえ命を失ったとしても。

 

「………お前の譲歩はそれだけか?」

「強欲だね。」

 

どこまでも貪欲に情報を入手しようとするミスタに、イアンは笑った。

 

「でももうこれ以上は出せないよ。さて、ではまた三日後に。互いの意思確認も終わったことだし、お開きにしようか。」

「………まだこちらからの要求がある。」

「ハテ?」

 

話を続けるミスタに、イアンは首を傾げた。

 

「三日後から攻略は行う。しかしこちらがサーレーを出すのは、三日後にはならない。おそらくは十三日後のギリだ。」

 

ミスタの思惑は二つ。

一つはもっとも勝率の高いチームのために捨て駒の捨て駒を作り、情報収集を行う。

もう一つは、ダメージで休養中のローウェンの復帰である。

捨て駒の捨て駒など狂気の沙汰だが、絶対に負けることが許されない。

 

「出し惜しむね。」

「まだ切り時じゃあねぇ。限りある札を惜しまないと、ゲームには勝てない。」

「わかっているじゃあないか。オーケー。私は暇になるが、まあ君たちは負けたら最後だ。それくらいは私が我慢しようか。」

「いいんですか、副長ッッッ!!!」

 

周囲を武装したマネキンに囲まれながらも、サーレーは納得がいかずにミスタに声をかけた。

 

「………どちらが優位っつー話だ。ここは奴らの本拠地(ホーム)で、わずかでもコイツらに関する情報を持つ俺たちは、今ここで死ぬわけにはいかねぇ。相打ちなら上等なんだが………。」

 

ざっと数えておよそ三十のマネキン。

セックス・ピストルズで対応しようにも、火門が多すぎる。

首謀者のイアンさえ殺せればいいのだが、そんな都合よく行くとも思い難い。

 

「まあ、無理だね。」

 

イアンはうなずいた。

ここは煉獄であり、飛び交う銃弾は起こりうる限りイアンに有利な軌道、有利な状況を進むことになる。

クレイジー・パーガトリィは、こと乱戦では無敵を誇ると言い切っていい。

イアンはサーレーと遊ぶことを望んでいるが、何もかもを台無しにされるくらいならここにいるパッショーネの人間を全員始末する。それくらいには無慈悲な人間だ。

 

「大丈夫だよ。私も君たちに勝ちの目が残るように、苦心している。それが信じられないのならば、今ここで全てが終わるだけの話だよ。私はその展開は、非常に残念だがね。」

 

ゾッとする微笑みを浮かべたイアンの眼差しは、場違いに優しげなものだった。

 

「………帰るぞ。」

 

暗殺チームや情報部はパッショーネの中でも暗部であり、煉獄の攻略に力を割いている。

パッショーネの顔であるジョルノ・ジョバァーナ、幹部連、交渉部などは表の社会の安寧に力を割いている。

唐突に世界が赤黒く染まっていくなどという事態が起これば、不吉の予兆として市井に不安が広がるし、これ幸いと終末論を振りかざす怪しげな連中や火事場泥棒などが跋扈することとなる。それらを抑えるためには大変な労力が必要であり、ジョルノはジョルノの仕事をこなしているのである。

 

ミスタもミスタで、攻略部隊のトップとして必死である。

必死だが、遮二無二のゴリ押しが通用しない。今までの問題は、どんなに厄介でもパッショーネの力による力任せの解決が可能だった。

そのためにミスタは今回の件を今までの事件とはまるで別の枠組みに位置させ、敵方の意図を把握しながらあえてそれに沿って展開を進ませるというある意味敵の目的を補佐する裏切りとも思えるような解決法を試みている。

 

それは今までの展開を鑑みつつ、敵方の情報源であるバジル・ベルモットの言葉を勘案しての苦肉の解決策だった。

結局パッショーネの目的は被害の最小化であり、そのためであれば大概のことは目を瞑る。イアンを消して社会が安寧を取り戻すのであれば、イアンが目的を達成するかどうかなど些末事に過ぎない。いい気分にさせて、思う存分踊り狂って、最後に実利をいただく。

 

結果さえ残せれば、受けた被害に対して言い訳が立つ。

逆にどれだけ善戦しようと、結果が残らなければ特A級の戦犯。未来永劫許されることのない咎人。

怨嗟の海で、永遠の罪悪感にとらわれることになる。まあその時は生きてはいないだろうが。

その重圧に、ミスタでさえ本心の奥底では震えている。もちろんそれを、表情に出したりはしない。

 

「しばらくは休息だ。暗殺チームの体調(コンディション)動機(モチベーション)を万全に仕上げておけ。そのために金が必要なら、いくらでも出す。」

 

ミスタはサーレーにそう指示をだした。

 

◼️◼️◼️

 

「あっ、サーレー。」

 

建物内部から帰還した一行を、外で承太郎を心配する徐倫が出迎えた。

倒れたホル・ホースも、オマケ程度に徐倫に看護されている。

 

「どうなったの?」

「しばらくは休息だ。動きはない。詳細は追って、パッショーネから告知が入る。」

 

何はともあれ戦略会議。

次回も主力になる可能性の高い空条徐倫は、サーレーと同じく十日と少々の休息期間に入ることだろう。

 

「………敵は倒せなかったの?」

「………マジでヤバい。三度目の撤収。次がラストチャンスだと考えておいたほうがいい。」

 

物事には常に、裏目が存在する。

どんなに物事がうまく運んでいても、天には魔が潜む。

 

三日後から戦いを受け付ける敵に対して、仮に真っ先にサーレーをぶつけたとする。

そこであっさりとサーレーが死ねば、それでお終いだ。時間は残りチャンスはあれど、敵に対する強力な切り札を失うことになる。

それくらいならば、捨て駒を補佐する捨て駒を作り、敵を消耗させてこちらはあえて一度きりに控えたチャンスを万全に仕上げて戦いを挑む、それがミスタが即興で描いた理想図だ。

とは言っても、戦略会議でサーレーを真っ先に出すべきだと言う結論が主流になってしまえば、その決断はアッサリと覆る。敵に律儀に合わせる義理は無い。

 

裏目が存在するからこそ、捨て鉢にならず吟味に吟味を重ねて慎重に検討した末に結論を出す。

わずかでも勝率を上げることこそが、彼らにできるイアンに対する最大の対抗策だ。

 

「………マジかよ。一体何があったの?」

 

過去にパッショーネが関与した事件で、ここまでの大事になったことはない。

大概の事件はパッショーネの力に押し潰されるか、威光に恐れをなし呆気なく終息する。

 

捨て駒のための捨て駒とか、敗戦濃厚の戦時下の発想である。

ミスタは、実はここ最近ロクに寝ていない。常に自身が追い詰められている重圧を感じている。

 

「………先に触りだけ話しておくか。この赤黒い空間、あと十三日で世界を覆い、世界が終わる。」

「はあ!?」

 

想像を遥かに超える大事になっていた。

世界の終わり?それ、歌のタイトルとかじゃなくて?

 

「とにかく、敵のボスがマジでヤバい。部下も大概だが、ボスの能力が少し明らかになった。」

「それで?」

 

空条徐倫は続きを促した。

敵のボスの能力が明らかになったということは、敵のボスとの接触があったということだろう。

 

「これ特級の極秘情報だからな。世界があと十三日で終わるなんて民衆が知ったら、暴動じゃ済まなくなる。」

「わかってるわよ。」

 

ミスタに口止めされたことを、サーレーは徐倫にも伝えた。

これが民衆に知れたら、恐らくは殺人と強姦が横行する末世になる。

金は価値を失い、株価は暴落し、社会の基盤は不能になる。

壊された倫理はたとえパッショーネが勝利したところで容易には復旧せず、社会に尋常ならざる破壊痕を残すことになる。

それがミスタの簡単な見立てだ。

 

「敵が人間を創り出していることを認めた。それと、万全でないから三日間の準備期間を与えることになった。」

「はあ?そんなの認めるの?」

 

空条徐倫の疑問も当然だ。

敵の事情にこちらが付き合う道理も義理も、意味も無い。

敵が万全でないなら、それこそ攻め込む好機であるはずだ。

 

「………言ったろ。マジでヤバいって。あのままじゃ虐殺されて終わりだったから、敵の提案を呑まざるを得なかったんだ。」

 

敵は複数いる。

その敵も全員それなりの実力を持ち、特にイアンの懐刀と言えるオリバー・トレイルは、イアンさえも殺すポテンシャルを持つ怪物だ。

だが本当に危険なのは、イアン・ベルモットただ一人。イアンが遊び心を失えば、世界はそれだけで終幕を迎える。もっともその遊び心のせいで、こんな事件が起きたのではあるが。

 

事ここに至り、さすがにサーレーも真に危険なのは誰なのか把握するようになった。ミスタが首謀者の暗殺に腐心するわけである。

奇しくもここに来て、サーレーの物事をあまり深く考えない適当な性格がプラスに働いてきている。もしもその重圧が自分に全部かかっていることを正確に把握していたら、今頃サーレーはプレッシャーで潰れている。

 

「………無用にビビって芋引いてんじゃないの?」

「………お前それ、ミスタ副長に直接言えるか?」

「何言ってんの、馬鹿。言えるわけないじゃん。」

「だよな。」

 

サーレーは徐倫と話をしながら、何気なく地面から鈍色に光るなにかを拾い上げた。

 

「懐中時計………?」

「あ、それアイツが落としたやつだ。」

「アイツ?」

「ほら、あれ。あの気持ちの悪い触手。」

「うゲェッッッ!!!」

 

触手の気持ち悪さを思い出し、サーレーは懐中時計を遠くに投げ捨てようとした。

 

「………持っておいたほうがいい。」

「ウェザー?」

 

唐突に会話に加わったウェザーが、意味深なことを言い出した。

 

「この赤黒い世界は、何かしらの意思を感じる。それがそこにあったのは、必然。誰かの思惑の範疇だ。敵の首謀者がお前に執着しているのだから、きっと何がしかの意味があるのだろう。」

「………むぅ。」

 

汚い物を触るように指先でつかんでいた懐中時計を、サーレーは思い切って懐にしまい込んだ。

 

◼️◼️◼️

 

「………ッッ!!!」

 

狂人に乗せられた。

リュカは軍事施設の赤黒い壁に手をついて、冷や汗を止めどなく流しながら心の中で毒づいた。

 

声が出ない。

下顎は崩れ落ち、頬は穴だらけで、臓腑は焼け爛れ、舌は溶けて消えて言葉もしゃべれない。

もともと髑髏のような容貌はより一層不健康さを増し、まさしく死人の形相。青黒い目だけが強く存在を主張している。

さっきから血液と唾液と涙が止まらない。皮膚は水気を失い、喉が乾くのに飲もうとした水は崩れた顎から滴り落ちていく。

イアンによって簡易の吸血鬼化手術を受けたリュカであっても、死にかねない苦痛とダメージだった。

 

ひどい拷問もあったものだ。

ババアはこれを、気に入って捕まえた男に何度も繰り返していたわけだ。

何を考えて気に入った男にこんなひどい末路を辿らせていたのか。到底理解出来ない。

 

「よりいっそう男前になったじゃあないか。」

 

面白そうにニヤニヤ笑うイアン・ベルモット。

ぶっ殺してやりたいが、この男に逆らう愚は犯せない。見逃すのは一度きりだと前回明言されてしまった。

この男は変なところで律儀で、狂人のくせに約束を違えるようなことはしない。聖人のように馬鹿正直だというわけではないが。

まあ間違いなく次に機嫌を損ねたら殺される。

 

「………。」

「神無き世に、世界の隅で過去を清算しようと足掻く獣か。詩的だね。おいで、私が君の傷を縫合してあげよう。」

 

いやに上機嫌だ。イアンの機嫌は乱高下する。

合意の上での決戦を望む形で取り付けられたことが、とても嬉しいのだろう。

機嫌を損ねるのは、よほどの馬鹿がすることだ。リュカは黙ってイアンの後をついて行った。

 

「君がベロニカの酸に負けて死ぬ可能性は、まだ消えていない。だが私が、ささやかながらの祝福をしてあげよう。君が良き未来を辿るように。」

 

邪神の祝福。

どう考えても、ろくな未来を辿る予感がしない。

しかし今を重視する彼に、それを拒む権利も理由もない。未来を否定したのは彼自身だ。

邪神も神の一柱であるからには、それを支える奉者が存在する。

 

人は希望があるから、先に進める。

リュカはローウェンに敗北して、金も立場も信用も命すらも失った。

何もかもを失った彼に、最後に残された希望はイアン・ベルモット。

彼は命すら自在に操り、お気に入りのおもちゃにチャンスを与えた。彼から何もかもを奪った、ローウェンに復讐する機会を。

ローウェンを殺さなければ、リュカは永遠に先に進めない。今現在立ち塞がる、ぶち破ることの出来ない分厚い壁。

それが果たせていないのは、偏にリュカの実力不足である。

 

「このマスクで、その見苦しい容姿を隠すといい。何もかもを無くした君が、最後に目的を果たせるといいね。」

 

イアンはリュカに、口元を隠す黒いマスクを差し出した。

イアンは慈愛の眼差しをもって、リュカにニッコリと笑いかけた。



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幕間劇2

「変人が変人たる所以は、自身が変わっていることに気づいていないからだという話を以前どこかで聞いた覚えがある。」

 

また変な講釈が始まった。イアン先生の狂人講座。

エプロンをして掃除をしているオリバーは、掃除の手を止めずに話半分で相槌を打った。

 

「へえ。そんで?」

「道理だな。自分が変わってることに気付かないから、変なところを矯正することもない。まあ多少変わっていた方が、ひょっとしたら人生は楽しいのかもしれないがな。それは私にはわからん。」

「ふんふん。」

 

掃除が終われば、次は洗濯だ。それが終わったら、ほつれた衣服の修繕をしよう。

 

「私は違う。私は、自分がちょっとだけ変わっていることに気付いている。そういう意味でも、私は普通の変人とは一線を画していると言えるだろう。」

 

突っ込みどころは満載だ。

ちょっとどころではない、とか。普通の変人って矛盾していないか、とか。イアンは変人枠ではなく狂人枠だ、とか。

その辺をあえて指摘すると話が長くなる上にストレスが溜まるので、オリバーは作業を進めながらスルーした。

 

「つい最近気付いたのだが、私は他の人間よりもほんの少しだけ怒りっぽいのだ!もしかしたら更年期障害の前触れかも知れない。これはいかんと直そうとしているのだが、なかなか上手くいかない。」

 

最近妙に不気味な笑顔を浮かべていることが多いと思ったら、そんなことを考えていたのか。

気持ちが悪いからやめてほしい。天変地異の前触れだとしか思えない。

オリバーはあらゆる突っ込みどころを華麗にかわして、ただ一言。

 

「お前も大変だな。」

「さすがオリバー、わかってくれるか!」

 

苦労人は、圧倒的にスルースキルが高かった。

 

◼️◼️◼️

 

火急時に、突発的に休養日が設けられた。

今まで慌ただしく動いていたのに、急に休みだと言われたところで何をして良いか思いつかない。

忙しく動いている間は考える余裕もなかったことが、立ち止まった瞬間に急に現状に不安感を感じる。

 

人間とは、そんなものだ。

サーレーは怠けることが好きだったくせに、手が空いた途端に不安が襲う現状に困惑していた。

 

『沙汰は追ってだす。それまでは待機して、コンディションを整えることだけに尽力しろ。』

 

ミスタからそう指示を出されたサーレーは、とりあえず暗殺チーム全体の休養を仲間に言い渡した。

個々に活動し、やり残したことがあればそれを遂行する。

 

『ま、個人で行動した方がいいだろうな。』

 

暗殺チーム全体と言っても、今現在仲間はマリオ・ズッケェロしかいない。

ホル・ホースは前回の戦いの撤収後に入院したし、アルバロ・モッタは情報部の人間だ。グイード・ミスタは今必死に軍略会議を行っている。

ミスタに関しては寝ているかどうか怪しい。

 

休息をとったサーレーは、考えることもなく何とは無しに実家に帰った。

 

「ただいま。」

 

返事はない。彼の母親は今現在行方不明だ。

掃除をしていない埃を被った廊下が、閑散としている。生活臭が無く、ひどく寂しく感じた。

 

「………。」

 

サーレーは、持ち帰った蝶の髪留めを強く握りしめた。

今回の事件での死者数は、今現在二万人超。イタリアに限定すれば、五千人に届かない。人口五千万人のイタリアの、0、01パーセント未満。一万分の一だ。

遺族も含めれば、関係者は0、05パーセントくらいになるのだろうか?

どこかには、その0、05パーセントの不幸に当たってしまった人間が存在する。

 

蝶の髪留めが敵の本拠にあったということは、それは葬式をあげないといけないということだ。

事件での共同葬儀も行われている。イタリア社会は忙しく、当面は個別に葬儀を上げる余裕はきっとないだろう。

家をどうするのかも考えないといけない。処分するか、受け継ぐか。彼は一人っ子だ。

 

それは、未練だ。

死地に向かう人間は人によっては未練を清算するが、彼は未練を清算するつもりはなかった。

未練を残して死地に向かえば、きっとそれは帰還する理由になる。死地に向かう多くの人の帰還理由は、きっと家族だろう。

 

サーレーは生きて帰って、絶対に母親の葬儀をあげないといけない。

死んでしまえば、それこそ彼の母親をどうにかする人間はいなくなってしまう。

それはひどく、悲しいことだ。

 

赤黒く不気味に彩られた廊下で、サーレーは天井を仰いだ。

結婚を望む動機も消えて無くなってしまった。彼は母親を喜ばせたかった。

 

虚無に侵された人生、歓楽に生きるのもいいが、まずは生きる指針のヒントをジョジョに伺ってみるのもいいかもしれない。

きっとボスであれば、サーレーのような人生を送る者にも光となってくれるかもしれない。

光無き闇の中で、サーレーはわずかに笑った。

 

◼️◼️◼️

 

『ミスタ、済まない。フランスの動きを止められなかった。』

 

ジョルノ・ジョバァーナからグイード・ミスタに、そう連絡があった。

 

「あなた方の対応は手緩いのではないかッッッ!!!どれだけの非常事態なのか、状況がまるでわかっていないッッッ!!!だからこんな時にも、のんべんだらりと敵のアクションを悠長に待っていられるッッッ!!!会議なんてしている場合ではないだろうッッッ!!!」

 

戦略会議に招かれたのは、フランス陸軍の少将。

ヨーロッパ全土に不穏が満ち満ち、フランスの国境沿いにある軍事施設は得体の知れない集団に乗っ取られている。

(フランスが名乗りを上げた理由には、ヨーロッパ国家間の微妙な思惑が絡んでいる。イタリアとスペインはチョコラータの起こした事件の後始末に手を追われており、手が回らない。フランスは事件の首謀者が逃げ込んだ国家であり、かつ精強な軍を擁している。自然と周辺諸国家はフランスが事件を解決すべきだという空気を醸し出し、フランス自身もその気であった。)

 

パッショーネがいくら説得しようが、彼のような人間が出てくるのは仕方ない。気持ちも非常に理解できる。

決して彼らにも関係ないことではないから。彼らの命もかかっているのだから、ミスタに彼らが命がけで戦うという決断を止める権利は無い。表社会の我慢にも、当然限界がある。

 

問題なのは、三日後に戦いを開始する正確な理由を説明できないことにある。もしもそれを伝えれば、敵と内通しているという無用な嫌疑を招きかねないのである。この火急時に目的を同じくするもの同士の内輪もめこそが、真の最悪である。

 

「………わかっている。あんたらの都合も、気持ちもよくわかるよ。だが、あと三日は待ったほうがいい。」

「だから、待てないと言っている!!!」

 

仕方がない。

せっかくここまで相手のシナリオに沿って動いてきたが、不意の不確定要素。突発的な事態に敵の首謀者が激昂しないことを祈るしかない。

こうなってしまえば、ミスタは彼らと無関係を主張する以外に方法はない。

 

「あんた、スタンド使いかい?」

「………もちろんだ。」

「能力は?」

「他人に軽々しく見せられるわけがないだろう!!!」

 

ミスタは苦しそうな表情をした。彼らは祖国を思う、善良な兵士だ。

無為に死なせるのは心が咎めるし、彼らも命がかかっていて戦うなと言える権利も無い。

しかし大事を考えれば、突き放して目を瞑るほかに方法が無いのである。

 

「俺たちとあんたらは、無関係だ。あんたらに敵の情報は渡せない。一つだけ忠告するなら、せめてあと三日だけ待て。」

「話にならん!!!なぜそんな敵に利するようなことを言うのだ?まさか貴様、敵と通じているのではあるまいかッッッ!!!」

「………俺たちはあんたらの敵じゃない。こっちにも事情があるんだ。あんたらが勝利することを心底願っているよ。」

 

フェル・バフェット少将。

身長が190を超える黒人で、フランスの陸軍所属。外見に風格があり、乗っ取られた基地の責任者は彼の友人だった。

 

少将という地位には学歴も必要であり、叩き上げではなれない。戦闘能力が高く頭も切れる彼は、フランス市民の意向を受けて政府が派遣した先遣隊に自分から志願していた。

 

仮に戦時の特例法案が可決された場合であっても、恐らくはそのまま先遣隊の責任者に任命されるくらいに信望厚く、その実力は誰しもが認めていた。地位のある人間は普通軽々しく動かないものだが、今回は世界が赤黒く染まっていくという人心の不安を極度に煽る異常事態につき彼が現場の指揮を取る流れとなった。

 

勝てばいい。

勝てば喜んで、いくらでも文句を受け付けよう。好きに吊るし上げてほしい。

しかし、アレに勝てるとは思えない。明確に敵を判定することすら覚束ず、首謀者の気まぐれに翻弄され、何も残せずに消え去るヴィジョンしか見えない。

 

パッショーネですらまともに相手することができずに、無様に踊らされているのが実情なのだ。

グイード・ミスタは疲労から来る溜息を吐いた。

 

◼️◼️◼️

 

「………なんでテメエの隣なんだ?」

「パッショーネも案外気が利かないねぇ。」

 

空条承太郎とホル・ホースは、ベッドに横になりながら揃ってため息をついた。

パッショーネの擁護をするならば今現在社会は慌ただしく、戦いで甚大なダメージを負った二人は同じ病院の同じ病室に放り込まれてしまった。パッショーネ側に、そんな些末事に気を利かせる余裕がないのである。

 

「やれやれ。いよいよもって年寄り(ロートル)は引退か。」

 

空条承太郎は自身の不甲斐なさに、自嘲した。

 

「若い奴らに丸投げしちゃっていいでしょォ。お前はちょっと責任感が強すぎねぇか?」

「お前はいい加減すぎる。この話は平行線で終わるだろう。」

「まぁそうなるだろうねぇ。」

 

看護師が病室にやってきて、二人の点滴を確認した。

 

「年寄りは年寄りらしく、縁側で盆栽でも育ててりゃあいいのよぉ。」

「………お前の方が年上だろうが。お前はまず自分が落ち着いてから、人に忠告しろ。」

 

ホル・ホースがパッショーネの実働部隊に編入されたのは、イタリアの利権を狙って跳ねたせいである。

人に落ち着きを諭す前に、まずは自分の行いを正せと承太郎は切り返した。

 

「俺はほら、アレだから。色々と動いてないと、死んでしまう病なんだよ。」

「………マグロじゃあるまいし。やれやれ。」

 

パッショーネに入団してからは、ボスであるジョルノが上手く操縦してホル・ホースの素行は落ち着きつつある。

とは言っても真っ先に死地へ向かう、危険の大きい暗殺チーム所属だが。

 

「ま、事件が終わったらのんびりとお茶でも飲みに行きましょ。」

「………お前マジで言ってんのか?」

 

まさかのホル・ホースの誘いに、承太郎は固まった。

 

「マジマジ。お前も知ってんだろ?ディオ様が死んでから、仲間は大体音信不通なのよぉ。」

 

ディオ・ブランドーという巨大な柱が死んで以降、ディオの配下はそのほとんどがバラバラに行動した。

そのほとんどはディオとの生前の暮らしが忘れられず、跳ね返った挙句に敵対勢力に殺されたり刑務所に収容の憂き目を見たりしている。

 

「お前もエジプトの政府主導の大掃除に参加してただろ。」

「まあ、な。」

 

承太郎がせっかく命は残してやったやつも、結局はロクな末路を辿った奴は少ない。

わずかな例外は逃げ足が速い目の前のホル・ホースや、ホル・ホースに心配されて忠告を受けたオインゴ、ボインゴ兄弟くらいであった。

 

「それでヒマになった俺様は、イタリアに不穏の風を感じてやってきたってぇわけよ。まさかそこでもテメエと出くわすとは思わなかったけどもな。」

 

ホル・ホースにとって承太郎は、仇敵でありながら腐れ縁だ。

長年連れ添ってしまったせいで、根無し草のホル・ホースにとって他の誰よりも付き合いが長くなってしまった。

承太郎にとっても、ホル・ホースと過ごした時間は女房子供と過ごした時間よりも長いのではないかという鬱になりそうな疑惑がある。

 

「まあうちのリーダーはアホそうに見えるし実際にアホだけど、アレで結構強いから。若い奴に苦労を丸投げして、年寄りは年寄り同士昔話に花を咲かせるのもいいんでないの?」

「………やれやれ。」

 

危機に焦っても何も変わらないし、自分に出来ることはもう無いのかもしれない。

承太郎は、真面目にホル・ホースの誘いを勘案した。

 

◼️◼️◼️

 

「勝てそうなの?」

 

シーラ・Eは質問した。

 

「さあな。」

 

サーレーは気の無い返事をした。

サーレーが休養日として英気を養っている最中に、シーラ・Eから連絡がきた。

 

「さあな、じゃないわよ。勝つって言いなさい!!!」

「無理を言う奴だ。嘘でいいならいくらでもつけるが?」

「そんなにやばいの?」

 

シーラ・Eがどうしても話を聞きたがるために、二人はミラノのカフェで待ち合わせた。

ミラノのカフェの一角で、サーレーは背もたれに右腕を回しながらカプチーノをすすっている。

赤黒く染まった不気味な世界を恐れて、真昼間なのに周囲は奇妙に静まり返っている。

シーラ・Eは前のめりになって、サーレーに問い詰めた。

 

「お前も裏の重鎮だからな。嘘をついてもすぐバレる。………尋常ではない。勝ち筋も、敵の能力の底も、はっきり言ってどれくらいヤバいのかさえ正確に把握できていない。」

「パッショーネがこれだけ動いてんのに?そんなにヤバい奴がこの世にいるの?アンタが何か思い違いをしてるんじゃない?」

 

パッショーネが必死に情報収集を行っていることは、人員の動きからシーラ・Eも把握していた。

 

「………わからないんだ。今までパッショーネがこんだけ動いて、解決しなかった事件があるか?察してくれ。」

「………。」

「じゃあ俺はもう行くぞ。期日までに仕上げないといけない。」

 

コンディションとモチベーションをどうにか最高まで上げる必要がある。

無駄話はここまでと、サーレーは席を立った。

 

「待ちなさいッッッ!!!」

 

シーラ・Eは大声を上げた。

 

「私が責任をもって、絶対にアンタを結婚させてやる!!!だからそれを楽しみにして、帰ってきなさい!!!」

 

平静を装って席を立ったサーレーの背中に、シーラ・Eは告げた。

 

今の彼女は知っている。

彼女は戦いに参加できない。

 

戦いに参加する彼は恐れ、怯え、しかしそれを守る対象である彼女に見せないようにして席を立った。

ならば帰ってきた彼を暖かく迎え入れるのが、彼女の役割である。

 

「………いいんだ。」

「………アンタ?」

 

以前とは言うことが違うサーレーに、シーラ・Eは戸惑った。

 

「もういいんだ。お前には迷惑かけたな。」

 

消えそうなサーレーの背中に、シーラ・Eは胸を締め付けられるような想いを感じた。

 

◼️◼️◼️

 

フランス全土が、怒りから来る熱に浮かされていた。

バフェット少将は、正確に判断すべきだったのだろう。

 

乗っ取られた軍事施設に従事していた人員は、およそ百五十名。その全員が、唐突に音信不通になった。普通であれば、なんらかの痕跡くらいはあってしかるべきだ。電話だったり、逃亡者だったり、そういったものが一切無い。異常だ。

それを正確に判断出来ていれば、今現在彼に付き従う三百名という部下が何の意味も持たない可能性を思案することが出来たかもしれない。それが砂漠に水を撒く行為でしかないことを。

 

「招かれざる客が来たようだ。」

 

グイード・ミスタらと意思のすり合わせをした翌日。イアンは手術室で、椅子に座っている。

本来であれば、あと二日は猶予があるはずだ。彼はミスタとそう約定を交わした。

とは言え、招かれざる者であっても客は客である。

 

イアンは、手術室のモニターを頬杖をつきながら眺めた。

 

「どうするんだ?」

「お前たちは、何もしなくていい。今回は幕間劇だ。私はお前たちに明後日までの休息を約束した。」

 

手術台に腰かけたオリバーが、イアンに問うた。

体の調子がだいぶ戻ってきたようだ。

 

「私が応対しよう。コツは、それが生き物であるということを深く理解することだ。妄想によって力を得たものは、それはすでに意志を持つ一個の生き物であると。顕著な例を出せば、経済が該当するだろう。人々の妄想によって力を得た紙切れは、意志を持つ生き物となって人の世を動かす。彼らも同様に生き物だ。さあ行ってこいッッッ!!!私の配下たちよッッッ!!!」

 

イアンが左手の親指と人差し指を突き立てて無意味にカッコつけたポーズをとり、彼の背後には短機関銃のベルトを肩に袈裟懸けにかけた多数のマネキンが整列していた。マネキンは整然とした隊列をとり、手術室の扉から外へ出て行った。

 

「というわけで、私たちはあとをのんびりとモニターで見守ろうか。」

 

そうして始まる、三十体のマネキンと三百人の兵士の戦い。

 

【マネキンは生き物よりも修理がラクでいいよね。】

「おいッッッ!!!ついさっき私がアイツらは生き物であると力説したばっかりだぞッッッ!!!私の立場が無くなるようなことを言うなッッッ!!!」

 

綻びたマネキンを修繕する役割を与えられた執刀医がそう呟き、イアンは恥ずかしさに大声を上げた。

 

しかし、まさしくマネキンの強みはそこにある。

痛みを感じず、四肢の欠損以外で行動不能になることがない。

 

【思ったよりも連携が取れてるね。】

「ふむ。」

 

モニター越しでもわかる。いきなり投入された不死で奇怪な兵に対する敵の動揺が小さい。

この平和な世情で、三百人もの大部隊を一所に向けて投入することなどそうそうない。

前もって訓練する時間があったはずもなく、その割には敵方の兵士の動きの練度が非常に高いことに執刀医は感心した。

 

【スタンド使いもチラホラ混じっているね。さすがにスタンド相手じゃ分が悪いか。】

「ほほう。」

 

特に中央で戦う背の高い男のスタンドが、そこそこに魅力的だ。

今回はゴリゴリの武力制圧が目的なので、フランスは戦闘能力に特化したスタンド使いを複数送り込んできた。

中央の男の周囲には巨大な刃が二枚浮かび、それがマネキンの四肢をスライスして切り落としている。

 

イアンは必死に戦う彼らを眺めて、彼らに頭上から脈絡無く槍が降ってきたら面白いだろうかと思案した。

しかしそれはあまりにも不条理であるため、そんなことは起こり得ないと妄想を振り払った。

 

イアンは、外で戦う大きな男に少し興味があった。

しかし彼は、空から槍が降れば死ぬ程度にしか実力がない。(空から槍が降れば、大抵の人間は死んでしまう。)

もしも彼がそれでも生き残る強者なのであれば、イアンは槍を降らすことをやめようという気持ちにならない。

 

彼がそれで死んでしまうから、彼に少しだけ興味があるイアンは槍を降らせないのである。

それが煉獄の論理。

 

「どうすんだ?」

「だから待つさ。もしも彼らがここまでたどり着くのなら、私が遊んでもらおうか。」

 

リュカはベロニカとの行為によって、死の境を未だ彷徨っている。

ベロニカはリュカの看護を申し出たが、彼女にロクな看護が出来るとは思えない。余計なことをして悪化させる未来しか見えない。魂のストックももう一人分しか無く、リュカが死んだら生き返らせるつもりはもうない。よってベロニカは余計なことをしないように拘束具で拘束して、部屋の隅に放置している。

オリバーがイアンに質問して、イアンは優雅にコーヒーを飲みながらそう答えた。

 

◼️◼️◼️

 

「ようこそ、私は君を招いた覚えはないが。招かれざる君は、私に一体何の要件だい?」

 

要件なぞ、わかりきっている。しかし様式美は必要だ。

イアンは椅子に座ったまま、傲岸不遜な態度で転がるように入室してきた男に対応した。

それに対する男の反応は、問答無用の攻撃。男の仲間は外で全滅し、男だけが命からがら敵の首謀者の下へとたどり着いた。

男は、激怒しているのである。

 

「もう一度聞くよ。一体何の要件だい?」

 

巨大なカッターの刃のようなものが二枚、回転しながらイアンに向かって突っ込んできた。

椅子に座っていたイアンは、コーヒーカップを持ち上げて立ち上がって避難した。カッターの刃は、音を立ててモニターを乗せた机に突っ込んだ。

 

「………つまらない男だな。わざわざ呼び込む意味もなかったか。」

 

話をする意志を見せないバフェット少将に、イアンの興味は早くも薄れつつある。

イアンの周囲に、複数の青白い浄化の炎がボウっと浮かび上がった。

 

「しょうがねぇだろう。そいつ生まれつき喋れねぇんだよ。」

 

イアンの背後でオリバーが、自分の耳を指差した。

 

「むっ、そうなのか。」

「そんなわけないだろうがッッッ!!!」

 

あーあ、馬鹿が喋っちまいやがった。

オリバーが、心の中で舌を出した。

 

喋ろうとしない男に、このままでは救いの無い末路を迎えることを敏感に察知したオリバーは、何気なく助け舟を出したのである。

 

ただでさえ、三日間の準備期間というイアンの定めたルールを破って攻めてきた敵だ。今のイアンは、表情には出さないが若干不機嫌だ。死ぬにしても、せめていい死に方をさせてやろうと。

 

イアンを機嫌よくさせれば、見せ場を作ってやれる。マシな死に方をさせてやれる。

イアンを不機嫌にさせれば、情け無く死ぬことになる。

イアンは変に素直で、オリバーの言うことはすんなりと聞く場合が多い。

 

「じゃあ君は、なぜ今まで喋ろうとしなかったんだ?」

 

イアンは目の前の黒人の大男に質問した。しかしその返答は、やはり拒絶であった。

無言のままに人型のスタンドは二枚の刃を取り出し、イアンに向かって投げつけた。それは空間を縦に回転して、丸鋸のようにイアンを切断しようと迫ってくる。

 

「うーん。やはり喋ろうとしない。じゃあその口は、要らないな。」

 

イアンは回転しながら迫り来る刃を、一枚は周囲を旋回する浄化の炎で消し飛ばし、一枚は軽やかに躱した。

そのままバフェット少将の前に向かって、イアンは早足で近寄っていく。少将は懐から拳銃を取り出し、イアンめがけて発砲した。

それは浄化の炎に飲まれて、アッサリと消し炭になった。

 

「君はせっかくのスタンド使いなのだから、いざという時ほど拳銃よりもスタンドを頼りなよ。」

 

無人の荒野を行くが如く、イアンの歩みを遮れるものはいない。

少将の目の前に立ったイアンは、少将の顔を浄化の炎を操作して焼いた。

浄化の炎は青白い腕を象り、少将の顔をそっと撫でた。

 

「あああああああああああああっッッッッ!!!」

「そんなに喚くなよ。必要ないものを取っ払っただけだ。盲腸の手術だとでも思えばいい。」

 

少将の顔面は口元が焼け、口が溶けてくっついてふさがった。

命の危機を感じてパニックを起こした彼は、スタンドを操作して再び二枚の刃を放った。刃は、イアンを前後から挟むように回転しながら迫った。

 

「惜しいんだよなぁ。それなりに戦えそうにも見えるんだけど、視線で狙いがバレバレなんだよ。他にも一枚は後出しするとか、片方の攻撃のタイミングをずらすとか、戦いにもうちょっと工夫があっていいんじゃないかな?焦っていることが見え見えだよ?」

 

表社会の兵士同士の戦いであれば、視線で銃弾の射線がバレたところで何ら問題ない。

人間に銃弾を跳ね返すことはできないのだから。

 

しかしそれは、裏社会のスタンド使い同士の戦いではそのまま勝敗に直結する。

スタンド使い同士の戦いは、いかに相手の裏をかいて有利な戦局を展開するかというのがその本質である。

 

イアンは二枚の刃を見もせずに両手で一枚ずつつかんだ。

 

「君は、スタンドの戦闘経験がろくに無いだろう。軍事訓練はまじめにやっていて、部下にも恵まれている。体格が大きく、身体能力も高い。部隊の運用もできている。恐らくは、表社会では大きな支持を得ているのだろうね。でもスタンドでの戦いが、まるでなっていない。今まで真面目に生きてきたから、きっとそういう奴らと揉めたこともないんだろう。社会の裏側で隠れ潜むように息をする、頭のおかしい奴らとの命懸けの戦いの経験が無い。」

 

ジョースター一族のように天賦の才を持つ人間でもなければ、スタンド使い同士の戦いは経験の差が如実に勝敗に直結する。

だから裏社会がスタンド犯罪者に対応し、サーレーのような万能性が高く経験豊かな専門家を育て上げるのである。

 

イアンはつかんだ刃に目をやった。

細長い刃には、カッターの刃のように切れ込みが入っている。

 

「ほら、これ。ココ。君のスタンド能力、刃に切れ込みがあるだろう?これは例えば、これが敵につかまれたり何かに引っかかったりした時に、刃を自分から折ってまだ攻撃を続けることができるように切れ込みが入ってるんだよ。今みたいに私がつかんだりしたときに、私の意表を突いた攻撃を仕掛けるために。君は自分のスタンドの特性も理解していないようだね。」

 

イアンはつまらなさそうに笑った。

 

「それくらいもわからないのなら、その目も要らないかな。君の目は節穴だ。とても物が見えているとは思えない。」

「………ッッッ!!!」

 

イアンが浄化の炎を操作した。

炎が少将の顔を再び焼き、両目のまぶたが焼けてトロッと溶けてくっついた。

 

「さて、君はきっと家族や友人、祖国のためになると思って死地に赴いたことだろう。覚悟を持って。自分ならやれると。だが君が成せることは何も無いし、君が今回の事件で家族のためにできることは何も無い。………切ないな。本当に、切ない。君のことを考えると、私は涙が出そうになるよ。君がここに来た意味は何も無く、君の部下も無駄死にだ。私がわざわざ殺す意味もないから、もう帰ってもらって構わないよ。」

 

イアンがそう嘯くと、手術室の扉が開いた。

イアンはおかえりのジェスチャーを少将に向けた。

 

少将は立ち上がると、イアンに向かって体当たりをした。

イアンはそれを突き飛ばし、少将は床に無様に転がった。

 

「ふむ。せっかく私が逃してあげようというのに、君はまだ立ち向かって来るんだね。君が敵である私に見逃されて屈辱を感じたのは、よくわかる。部下を皆殺しにされて、引くに引けないのもわかる。だが君は、実力不足だ。生きていればチャンスは残る。その悔しさをバネに、生きて帰って成長してからまた立ち向かってきて欲しかったよ。部下を無駄死にさせたとの、周囲の非難を跳ね除けて。こんな愚かしい行動を取って欲しくなかった。君の頭の中には、脳みその代わりにクソが詰まっているのかな?」

 

クレイジー・パーガトリィ、イアンの妄想は、イアンの部屋で現実のものとなる。

少将は動きが停止し、突然鼻と耳から汚物を垂れ流した。

 

「ああそうかわかった!君は失敗できない任務に、ズバリ自分の脳に爆弾を仕込んでたんだね。万が一敵に捕まった時に、速やかに自決できるように。だから思考能力がロクに働かなかった!納得だ。素晴らしい!侮辱してすまなかった。見上げた愛国心、君は覚悟を持った兵士だ。」

 

クレイジー・パーガトリィ、イアンの妄想は、イアンの部屋で現実のものとなる。

少将の頭部が膨れ上がり、無惨に爆発して飛散した。

 

「いや、イアン。そいつただ単に、お前のせいで目が見えなかったんじゃねぇか?口も喋れねぇし。」

 

オリバーの言葉を受けて、イアンは腕を組んでしばし思案した。

 

「………うん、まあどちらでもいいかな。次に期待しよう。オリバー、それを外の木に吊るしてこい。」



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幕間劇3

先遣調査隊は全滅、そして責任者は首の無い遺体となって外の木に逆さ吊りにされていた。

遺体には肉を啄むカラスが集り、グロテスクなそれは赤黒い外観と合わせて見る者にこの世の終わりを連想させた。

 

表社会がイアン・ベルモットの下に送り込んだ人員は、およそ三百名。

その三百名は悲惨な末路を辿り、表社会は憤った。なんとしても敵を打ち滅ぼさねばならない。

 

三百人で不足ならば、じゃあ三千人送ろう。それでも不足ならば、三万人送ろう。

そうはならない。それは受ける被害を度外視した行動であり、許されない。

それで万が一失敗したら、一体誰が責任を取るのかしら?

 

敵の総勢は十名以下。

それで負けたのだから、そこには何らかの理由があるはずだ。

その分析と並行して、民衆を納得させるアクションも起こさないといけない。

責任者は、胃痛の日々を送る。

 

フランス表社会の軍隊は空軍を動かし、敵の本拠地である軍事基地を空爆した。

もともと敵が乗っ取った建物は軍事基地として使用されており、耐爆防御に優れることは想定済みだった。

 

しかしそんなものとは無関係の異常事態。

攻撃のために発進した航空機は、攻撃を仕掛ける前に次々に不慮の事故により墜落し炎上し続ける。

電波は通らず、衛星は無効化され、調査に向かったものは帰還しない。

ことここに至って、表社会は理解した。この敵は、異常である。

 

その実態は、理解が出来ない狂人が組織の頂点に立っている。

その頂点に立つ男は、理解が出来ない攻撃を仕掛けてくる。

理解のできない防御網を敷き、理不尽な戦力差を得体の知れない手段で覆す。

 

なぜ負けるのかわからない。どうやって倒せばいいかわからない。

そもそもなぜ事件を起こしたのかわからないし、彼らが何を要求しているのかも、彼らが何を目的としているのかも、彼らがどこへ向かうのかも、何もかもがわからない。ただただ、被害は徒らに拡大していく。

 

そして、表社会の視点で見れば、仲間であるはずの裏社会の組織が非協力的だ。

敵の情報を渡さずに、ただ三日待て、と。

 

表社会の事件対応の責任者は裏社会のその対応に不信感を感じ、自分たちで事件を終息させようと試みた。

そしてその結果が、悲惨なものだった。

 

表社会は混迷を極め、この非常時にさえ責任のなすりつけ合いが始まる。

それは事件の犯人が、スタンド使いという公にできない異能者であったことにも起因する。

なぜ犯罪者集団程度に軍が遅れをとり、あまつさえ甚大な被害を出してしまったのか、と。

それが明確に説明できず、理解できない事態に民衆は恐怖に慄いた。

 

しかしそれは、実際に事件に対応する裏社会としては幸運だった。

言っては悪いが、裏社会にとって表社会の参入は邪魔なだけでしかなかった。

 

そして表社会の彼らは倒せない敵を前に、目の前の倒しやすい仲間を攻撃することを選んでしまった。

しかし結果として、表社会の混乱によりその行動が遅れて被害は矮小化した。

 

何はともあれあと十日ほど。

その日数が経てば、どのようなものであっても結果が出る。

その日数の間に全力を出して敵を打ち倒すことさえできれば、全ては贖われる。

 

失ったものは戻らない。受けた被害は戻らない。死んだ者は還らない。

全部正論だが、正論にこだわれるほどに社会に余裕がない。心の贅肉は、全部燃焼してしまった。

人心は鶏ガラのように痩せ細り、最後に残ったのは原始的な生存本能。怖い、死にたくない。あの気持ちの悪い赤黒い空を、誰か早くなんとかしてくれ。

 

そういったものは、社会が平和で始めて議論できるものであることを多くの人間が痛感させられたと言えるだろう。

言葉に意味はなく、説得力のあるいかにも正しそうな論理は圧倒的な暴力の前では言葉遊びの域を出ない。

 

生きて地獄、死して虚無、完成するのは不毛な荒野。

それが彼の創造する新世界。

 

敵の首謀者の名はイアン・ベルモット。

社会の裏側に隠れ潜む、最狂のスタンド使い。その行動原理は、単なる遊び心。

グイード・ミスタの率いる裏社会連合軍の、最後の戦いが始まる。

 

◼️◼️◼️

 

「だいぶ違いがわかってきたな。」

「ああ。」

「違いがわかる男、イアン・ベルモット。」

「なんだそりゃ。」

 

イアンとオリバーはモニターを眺めながら、談笑した。

今現在建物の周辺にいる人間には、二つのパターンが存在する。

 

一つは表社会から送り込まれた、無粋で道理のわかっていない(イアンたちにとってという注釈がつく)者たち。

もう一つは、裏社会のグイード・ミスタの密命を受けた、スタンド使いの調査員。

 

前者はどうにもロクな情報が入っていないか、もしくは入った情報を無視している。

やたらと攻撃的で、優雅さに欠け、遊びのなんたるかをイアンに言わせれば全く理解していない。

攻撃性だけが無闇に高いために、イアンが戦う前にオリバーが処理している。

そうしないと彼らは、余計に悲惨な末路をたどることがわかりきっている。

 

後者は攻撃性が低く、敵を見かけたら即座に逃げ出すか遠巻きに観察するに留めている。

暇つぶしに戦いを仕掛けても降伏を宣言し、みっともなく命乞いをし、どれだけ挑発しても乗ってこない。

ときおり戦いになる場合もあるが、それでもイアンの興が少しでも乗ってくるとやはり降伏をする。

 

何より、裏社会の密命員は表社会と違って徒党を組んで攻めてこない。

寡兵で攻めてこられれば、ルールの遵守を重んじるイアンも寡兵で対応せざるを得ない。

理不尽な攻撃が出来なくなる。結果として、裏社会の被害の方が圧倒的に小さかった。

 

少し消化不良な感はあるが、裏社会の密命員は質が高く、何度でも遊べると考えればイアンも見逃すのも吝かではない。

第一にこの後に、本命が待っている。イアンとしても本命の機嫌を損ね、振られるのは御免被る。

オリバーの助言もあった。無闇に殺すことに意味はない。どうせあと十日の命だ、と。

 

「こんなに人員を送り込んでくるなら、あの約束は失敗だったな。」

「そう言うなよ。ただでさえお前は反則なんだから。明確なルールの線引きができて丁度良かったんじゃねぇか。」

「………曖昧なところを残しておくのも嫌いじゃなかったんだが。まあそうだな。ものは考えようか。」

 

ミスタのダメ元の交渉は、ここに来て強力な効果を発揮していた。

イアン・ベルモットは、遊びのルールの遵守には煩い。

 

イアンは本来、オリバーが回復して真っ先にサーレーと雌雄を決するつもりだった。

そのための、生命を創造するのはあと一回という縛りであった。

 

すぐに本命と戦うのなら、他の人間を捕虜にしている時間がないと。

一人を生み出すために必要な魂は十人分。これはイアンの絶対に譲れない自分に課したルールである。

もしもそれを破れば、イアンは絶対に自分を許さない。

 

しかし間が空いてその間に他の敵が現れたのなら、そいつらを捕らえて新たな魂のストックにすることが出来る。

ルールに則って、新たな生命を生み出すことが出来る。

だがイアンは、交渉の席でその辺を勘案せずにミスタにうっかりあと一人しか生み出さないと宣言してしまった。

そのせいで魂をストックする意味が無く、その辺をうろついている奴らを無理に捕らえる意味が無い。

 

イアンが自身で決めたルールはイアン自身の選択肢を狭め、そしてイアンはサーレーと決着をつけるまでそのルールを破るつもりは無い。

ただでさえ遊戯盤を支配しているのにルールまで自分の都合のいいように歪めてしまえば、サーレーたちにとても勝ちの目は残らないからだ。

 

それはイアンの誇りに反する。矜持を傷付ける。

たった一度の人生、そんな恥ずかしいことをするくらいなら、死んだ方がマシだとイアンはそう考えている。

イアンにとって遊びは公平にどちらにも勝ちの目が残るから面白く、人生は過程を楽しむことがその全ての意義だからだ。

 

以上のことを鑑みて判断すれば、ミスタの交渉が遠巻きながら裏社会の調査員の命を邪悪なスタンド使いから守っていると言えた。

ミスタが交渉をしていなければ、今頃彼らはイアンに新たな生命を生み出すための魂のストックとみなされていただろうからだ。

上記の約定とオリバーの雑魚を無理に追いかける必要はないという忠言によって、イアンは投降した人間を無理に捕虜にしたり殺害したりしなかったのである。

 

「新しいのが来たな。これはなかなかに強そうだ。」

 

イアンが手術室のモニターを確認しながら、そうごちた。

軍服を着た体格の良い男で、しかし裏社会の人間独特の雰囲気を放っている。

 

表社会の人間と裏社会の人間の違いは、常在戦場の意識の有無にあるとイアンはそう考えている。

軍部に所属している人間であっても、表社会の人間は軍を極力動かさないという一見矛盾しているように思える理想のために軍を運用している。金銭的な問題もあるが、何より力で物事を解決する機会は極力少ないに越したことはない。

 

翻って裏社会は、いついかなる時も即座に対応するという現実主義を主軸に軍を運用している。

その意識の差は、表情に如実に表れているようにイアンには感じられるのである。

イアンはモニター越しに敵をしばらく観察したのちに、指示を出した。

 

「オリバー、お前はええと………。」

 

イアンはちらりと拘束衣に包まれて部屋の隅に放置しているベロニカに目をやった。

 

「おい、イアン!!!何見てんだッッッ!!!縛られている私を見て、興奮してんのかッッッ!!!この変態!!!私は既婚者だぞッッッ!!!」

 

視界に入れないようにしていたし、その言葉が耳に入らないようにシャットアウトしていたが、さすがに放置してはおけない。

もう死んだら生き返らせる余裕がないのである。

 

「………あのババアを連れて向こうに避難しておけ。リュカに手出しをさせるなよ。」

「了解。」

 

イアンの手術室の照明が変化し、マジックミラーになっていたガラス越しの隔離室の様子が映し出された。自然とその部屋へ繋がる扉が浮かび上がる。

そちらには以前捕らえた捕虜や、療養中のリュカがいる。オリバーが拘束衣に包まれたベロニカを拾い上げて、肩に担いだ。

 

「おいイアン!私をこんな目に遭わせやがってどうなるかわかってんのかッッッ!!!」

 

うるさい。オリバーはため息を吐いた。

 

「おい、お前本当はスタンドを使えば拘束衣から逃げ出せんだろ?」

「うッッッ!!!」

「怒ったフリも、威勢がいいのもほどほどにしとけ。お前は本当はイアンにビビってる。アイツがキレたら、お前は何もできずに肉塊だ。だがビビってることを知られるのは、お前のプライドが許さない。だから怒ったふりをして、必死に自分の面目を保とうとしている。まあ確かにそりゃそれくらいじゃあイアンは怒らんよ。だが煩い。」

「ビビってなんかッッッ!!!」

「………ビビって当然だよ。誰だってマジでビビる。どんな強い人間でも、どんなイカれたやろーでも、ありゃあビビる。前の戦い、お前も見たろ?あの屈強な男が、イアンが頭にクソが詰まっていると妄想しただけで、あの末路だ。お前もあんな最期は迎えたくないだろ?」

 

ベロニカは額に汗をかいて、急に静かになった。

 

「もうすぐリュカも復活するからさ、な。もう少しだけ我慢しとけ。イアンはどこに逆鱗があるかわかんねぇぞ?」

 

オリバーはベロニカの癇癪を簡単にいなすと、彼女を担いで隔離室へと避難した。

 

◼️◼️◼️

 

「ようこそいらっしゃい。私の私室に。君は賢いね。部下を引き連れずに、単体で乗り込んできた。それをされると私も一人で応じざるを得なくなる。」

 

イアンは上機嫌に、にこやかに応対した。

 

「他の奴らは皆、俺が守るべき対象だ。ならばそいつらを死地に送る前に、俺が出るべきだろう。」

「ずいぶんな物言いだね。君はよほど自信があると見える。」

 

まさかの単騎駆け。

信じられないほどの豪胆さだと、イアンは感心した。

 

これまで対応してきた相手は、表社会の人間は多数で徒党を組んでいたし、裏の人間もルールをある程度理解はすれど、少数の人数にて固まっていた。純粋に単騎で攻めてきたのは、目の前の男が初めてである。

 

「名前を聞いても?」

「俺の名はジャックだ。」

「ジャック、ジャックね。私はイアン。イアン・ベルモットだ。以後お見知り置きを。」

 

ミスタから部下や周囲への人間の指示。

首謀者であるイアン・ベルモットの機嫌を損ねるな。

 

まだ十分に敵の分析は出来ていないが、ミスタが殺したバジル・ベルモットの忠告を元に組んだ戦い方は、今のところ上手く運んでいる。

どうせ敵のことがわからない部分が多いのだから、今のところ上手く運んでいるバジル・ベルモットの忠告を最後まで鵜呑みにする。

 

その決断は、リスクだらけである。むしろリスクしかない。

と言うよりも、過去に例を見ない敵ゆえにどうやってもリスクから逃れられないのである。

ミスタのその決断は、一つ間違えれば致命的な事態を引き起こしかねず、忠告してきたのは敵の一味の人間である。

 

それでも今回の敵、イアン・ベルモットはそもそも理解出来ない相手である。

その前提で戦略、戦術を組み上げようと思った場合、敵であっても首謀者であるイアンに近しい人間の助言は非常に価値が高いと言えた。

どうせ理解出来ないのだから忠告が仮に間違っていたり嘘だったりしても、そこから新たな何かを生み出しうるのである。

 

既存の戦術を片っ端から試すのも、敵の忠告を試すのも、労力は同じ。

どちらもどれだけ効力を発揮するか定かではない。特に既存の戦術は、理解出来ない人間相手には分が悪いと言えた。

ならば、首謀者により近しい人間の助言を先に試すべきである。

 

「アンタはボスだろう?ボスが俺と直々に戦ってくれるのか?」

「ああ、もちろんだとも。私はここまでわざわざ遊びに来てくれた君に、対応を他人任せにするほど無責任にはなれないさ。」

 

ジャック・ショーンにとっては、それは想定外だった。

彼が過去暗殺してきた対象は、そのほとんどは地位の高い人間は背後に控え、下っ端のろくに組織運営に携わらないような奴らばかりを生贄のように前に押し出してきていた。ボスが嬉しそうに真っ先に暗殺者の前に出てきたのは、これが初めてである。

 

「そりゃあどうも。」

 

ジャックの前に女性型のスタンドが現れ、呪いの雄叫びを上げた。

 

◼️◼️◼️

 

呪いの業火が瞬時に宙に浮かび、回転して火矢を象った。

それは音速を超えて打ち出され、甲高い金切り音を置き去りにしてイアン・ベルモット向かって殺到する。

 

「なるほど。奇しくも君も炎使いか。」

 

イアン・ベルモットの前に複数の浄化の炎が浮かび、それは全て腕の形に変形した。

腕は飛来した業火の矢をつかみ、握り潰す。

 

「出力は申し分無し。」

 

次の瞬間火矢は爆ぜ、飛び散った火の粉が上空に収束し巨大な火球を生み出した。

それは横に長く伸びながら高速回転し、弾けながら幾度も熱波を飛び散らかす。

同時に女性型をしたジャックのスタンドが、イアン・ベルモットに向かって攻撃を仕掛けた。

 

「ふんふん。それで?」

 

イアンは楽しそうに笑いながら、敵に対応していく。

どこからともなくいつの間にか現れた執刀医がイアンに影のように寄り添い、スタンドの真似事をしていた。

浄化の炎が上空の火球を喰らい、目の前の暴力にイアンは白衣を翻して反撃を仕掛けた。

 

「………ッッッ?」

「ウフフフフ。いいね。」

 

イアン・ベルモットがジャックのスタンドの腕をつかみ、ジャックのスタンドはつかまれた感触に違和感を感じて振り払った。

ジャックのスタンドの口から、業火がイアンの顔に向かって吹き付けられた。

 

「私でなかったら眼球は炭化し、脳はミディアムを超えてベリー・ウェルダン。焦がしたお菓子(クリーム・ブリュレ)のできあがりだ。殺しに来ているね。悪くない。」

 

しかしその炎は、イアンの眼前で青白い炎に阻まれて消滅した。

イアンは白衣のポケットからメスを取り出し、離れたところにいる本体のジャックに投げつけた。ジャックのスタンドが炎を操作し、炎に飲まれたメスは宙空で蒸発して消えた。

ジャックのスタンドの注意が本体の方へと向いた瞬間に、イアンは影にようにピッタリとジャックのスタンドの背後に寄り添った。

イアンは青白い浄化の炎を薄く刃のように形状を変化させ、ジャックのスタンドの両腕を焼き落とした。ジャックのスタンドは振り向き、イアンは退避して距離をとった。

 

「………?」

 

ジャック・ショーンは戸惑っている。

彼のスタンドは独立型で、スタンドが攻撃を受けても本体に攻撃は通らない。しかし、なぜ敵の炎によって自身のスタンドの炎が押されているのかが判然としなかった。出力で負けているとも思えない。

 

【おおあああああッッッ!!!】

 

ジャックのスタンドが炎の火力を上げて、切り落とされた両腕を再生した。

両腕はそのまま火炎放射器さながらに炎を噴出し、振りかぶった右腕の先端がジャイロ回転しながら直線距離を通ってイアンに迫った。

 

「いやらしい戦い方だ。いい意味でね。人間は経験則で、物事を推し量る。そこから少し外れると、それはたちまちイレギュラーとして対応が難しくなる。そう、例えばフットボールの無回転シュートのように。」

【ヨーロッパ人は、物事をフットボールで例えるのが好きだよね。】

「それは偏見だ。」

 

執刀医が笑った。

空気抵抗があり、摩擦と回転によって人の脳は経験則でボールの軌道を想像する。

その想像は、回転が平均から逸脱するほどに脳内修正が困難となる。結果として打者はボールを打ち損じるし、キーパーはボールを捕球し損ねるのだ。

 

ジャックのスタンドが噴出した炎は、意図したジャイロ回転を加えることによって目測を誤りやすくするという細工を施してある。

炎はイアンが見ている像よりも実際は近距離に存在する。

 

イアンは常人ならば恐怖で後ずさるところを、体勢を沈めてあえて前に出た。

炎はイアンの頭部をかすめ、ジャックのスタンドは立て続けにいくつもの炎の塊を打ち出した。

イアンは同じ数の浄化の炎を現出させてそれを相殺し、滑るように走ってジャックのスタンドに隣接する。

 

「………模造品の愛情、黒煙で燻した人間の燻製、苦渋に塗れた狂気、延々と続き繰り返す悲哀………。」

「何をッッッ?」

「君のスタンドの成分さ。君のスタンドは、苦しみと狂気と錯覚でできている。悲劇も嫌いではない。実に私好みだ。」

「………お前に何がわかる?」

「ウフフフフ、さあ?」

 

どうもおかしい。敵にジャックのスタンドの炎が通っていない。

ジャックのスタンドは火力に特化したスタンドであり、これまではどんな敵であっても効かなかったことなどない。

敵は飄々としており、相対すればするほどに捉えどころのない闇に飲まれそうな錯覚を覚える。

 

イアンはジャックのスタンドの真正面に立ち、右腕をジャックのスタンドの腹部へと突っ込んだ。

それを受けてジャックのスタンドは、苦悶の声を上げた。

 

【あああああああああッッッ!!!】

「どうなっている?」

 

苦悶の声を上げたジャックのスタンドは、苦しみから逃れるためのまさしく苦し紛れの行為を行う。

スタンドの前に巨大な業火球が現れ、それは爆縮して直後に拡大した。直径二メートルほどの豪炎が周囲から空間を切り取り、イアンを巻き込んで内部のものを消滅させようと暴れ喰らった。

 

「ウフフフフ、情熱的。君からのプレゼント、ありがたくいただいたよ。」

「………なぜ?」

 

青白い炎を薄く身に纏ったイアン・ベルモットは炎の中で平然としており、ジャックは敵のその無敵性に疑義を覚えた。

 

「なぁに、簡単なことだよ。出力の問題ではない。ただの相性だ。君の炎は人間の憎しみの感情。苦悶。罪人と呼ばれし者たちの魂。私の炎は煉獄の、魂を洗い清め天国へ向かうための浄化の炎。穢れの炎は、浄化の炎には絶対に勝てない。」

 

その本質は、大多数による数の暴力である。

大勢の人間を上手に誘導するために方便として生み出された宗教。

方便として生み出されたものであっても、時間が経過することによってそれは権威を持つようになるが、それはまた別の話である。

 

そしてその教義である煉獄は、社会において人々の行動を誘導し、安寧に満ちた社会と権力者の特権の保護を目的としている。ゆえに社会の罪人とみなされた少数の犠牲者にとって、それは天敵に等しかった。

 

「………俺のスタンドを罪人と呼ぶな。」

「おっと、これは失礼。まあつまり、私は君の天敵だというわけだ。」

 

たなびくイアンの白衣の周囲に無数の浄化の青白い炎が浮かび、それは周囲を旋回した。

それは見る者を不安にさせる光景だった。

 

ジャックはしばし思考した。

確かにジャックのスタンドは、人間の昏い感情を基にしたものだ。敵の炎が魂を清めるというのが事実であれば、相性が悪いというのも論理に合う。実際に炎は敵に効いておらず、それは敵に一切の人間の感情を原動力にするスタンド能力が効かない可能性が浮上したことになる。

 

「ほら、君はそんなに落ち着いていていいのかい?君のスタンドは苦しんでいるよ?」

 

イアンに腕を突っ込まれたジャックのスタンドは今なお苦しんでおり、ジャックは決断を迫られた。

 

「………降伏だ。投降するから命は見逃してくれ。」

「君はこの詰んだ状況で、苦難を超えて逆境を覆そうという気概はないのかい?」

 

いやにアッサリと降伏を宣言した敵に、イアンは敵スタンドから腕を引き抜いて残念そうにもっと足掻いてみないかとの提案をした。

 

「俺たちの方でも、必死にお前のスタンド能力の分析を行っている。」

「それで?」

 

イアンは興味深そうにジャックに話の続きを促した。

 

「お前のスタンド能力は、その法則が複雑過ぎて解析しきれない。しかしその一つの特性として、この赤黒い世界はお前の意思を汲んで物事を推し進めているのではないかという意見が出た。」

「ほうほう。」

【君たちの頭脳は優秀だねぇ。】

 

予想外に的を射た意見が出ていたことに、イアンは嬉しそうな表情をした。

執刀医もその分析に感心している。

 

「もしもそれが事実なら、逆境を覆す人間は主人公だ。それはきっと俺じゃあない。俺には苦難は超えられないように、この世界ではそう決定されている。」

「なるほど。」

 

他人から聞く自分のスタンド能力は新鮮なものだと、イアンはそれを傾聴しながら楽しんだ。

 

「仮に俺が逆境を覆せたと仮定しても、そこまでだ。俺にお前は超えられない。ならば俺の至上の命題は、お前の能力で判明したことを本拠に持ち帰ることだ。死ぬまで戦うことではない。」

 

イアン・ベルモットの操る炎が浄化の炎であり怨念の一切が無効だという情報は、一つの情報として明確に価値がある。

それを持ち帰れば、最終決戦での戦闘手段に変化が生じる可能性がある。もっとも、その行為も敵の掌の上で転がされる行為であることを否めない。それがイアン・ベルモットの恐ろしさでもある。

 

「君は強い。必死になって戦えば、ひょっとしたら私に勝てるかもよ?」

「いいや、絶対に勝てない。俺の負けだ。どうか見逃してくれ。」

「君には誇りはないのかい?自分の行為がみっともないとは?大量殺人鬼、不倶戴天の仇に許しを乞うなどと。」

【イアン、いやらしいことを聞くね。】

 

イアンは相手がどう返してくるのかが楽しみで、それだけでジャックを挑発をした。

 

「それが最終的に勝利につながるのなら、いくらでも許しを乞う。助けを願う。俺が誇りを捨てて守られる命が存在するのなら、それこそが俺の誇りだ。」

 

堂々としたジャックの態度に、イアンは感銘を受けた。

 

「なるほどね。それが君のルールか。素晴らしい。生きることに明確な指針があることは良いことだ。いいだろう。君が帰ることを私は許そう。」

「………お前の敵は仕上がってきているよ。それをお前は待っているのだろう?」

「ふむん?」

 

敵に楽しみを示唆されて、イアンはかなり上機嫌になった。

 

「ウフフフフ、そうか。仕上がっているか。それは本当に楽しみだ。いいよ。じゃあ君にもう用はない。ただ君は負けたのだから、一つだけルールを課させてもらおう。」

「ルール?」

「ああ。何も大したことじゃあない。君が戦うのを許すのは、私だけだ。君は強い。私の仲間では、君の相手を出来ない。君が弱点を狙う戦いをすることを、私は許さない。」

「………それを破れば?」

 

イアン以外の敵との戦いを禁止されれば、ジャックは実質戦力外になる。

それを極力避けたい彼は、イアンに質問した。

 

「試しに破ってみるといい。その時は私の機嫌が、ひどく悪くなる。本来の手段を選ばない殺し合いに帰結する、ただそれだけのことだ。私たちは本来、そうあるべき関係だろう?」

 

指揮官であるグイード・ミスタの判断を無視して、ジャックにそれを実行してみるつもりは無い。

ジャックにその権利自体は存在するが、実際に目の当たりにしたイアン・ベルモットという男はひどく不気味だったのである。

 

イアンも口ではそう言っているものの、実際は楽しみを台無しにされるそのような行為を望まない。

ただ弱みを見せれば、そこにつけ込むような輩も存在する。ゆえにそこが弱みだと悟らせるわけにはいかない。

 

結果こういった態度をとったのである。

そしてここに、敵味方の暗黙の合意がなされた。

 

「オーケー。俺は敗者だ。敵にまんまと命を見逃された俺は、無様に尻尾を巻いて逃げ帰ろう。お前の敷いたルールを破るつもりも無い。」

「そう、それでいい。不思議だね。君は私の敵なのに話せるね。どうしてだと思う?」

 

イアン・ベルモットはひどく機嫌が良かった。

 

「多様性を否定すれば、そこにあるのは生命である必要はない。ロボットで十分だ。さまざまな人間を受け容れるために幅を持たせた社会であっても、どうしてもお前のように逸脱する人間は出てくる。最大公約数の幸福が理念である社会が、お前を受け容れきれなかった。それが絶対的な事実で、ただそれだけだ。」

「なるほど。君たちはそう考えるんだね。」

 

ジャック・ショーンは去って行った。

 

◼️◼️◼️

 

「ふんふんふふーん。」

「どうした、鼻歌なんて。えらい機嫌いいじゃねぇか。」

 

オリバーはイアンにそう問いかけた。

 

「まあね。もうすぐ、すぐだ。」

 

緊張で胸が高鳴る。ドキドキする。

今まで待ちに待った日がやってくる。人生の、大一番が。

普通の人間ならば、それは結婚式だったり仕事の昇進日だったりするんだろう。

頭のイかれた彼にとって、それはひょっとしたら自分が死ぬかもしれない日だった。

 

「どうするんだ?」

「お前たちは出し惜しみ無しだ。好きにやれ。別に私を裏切っても構わんし、敵を皆殺しにしてもいい。今日は大盤振る舞いだ。」

 

この男は、こういうところは変に度量が大きかったりする。もしくは雑と言うべきか。

イアンは仮に味方に裏切られようと、それはそれとして楽しむという厄介極まりない性質を持っているのだ。

だが今さら裏切れと言われても、裏切ったところで………と言ったところだ。

 

「………俺が指示を出すよ。リュカ、ベロニカ、お前たちは露払いだ。ノルマは一人でいい。」

 

肝心なところで指揮を放り投げたイアンに、ため息をついたオリバーが言葉を発した。

復活したリュカ・マルカ・ウォルコットはパーカーのフードを深く羽織り、黒いマスクをして、その青黒い目は髑髏のような印象を受ける。

ベロニカ・ヨーグマンも拘束衣から放たれ、殺意に満ちた表情をしている。

 

「お前はイアンのところにいろ。」

【うーん。】

 

執刀医は、気の無い返事をした。

 

「それでは諸君、泣いても笑っても、恐らくは今日が最後になる。後悔に塗れた生で、恥を上塗りにして、死ぬまで共に踊り狂おう!」

 

イアン・ベルモットは両手を上げて、高らかにそう宣言した。



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終幕に向けて

状況は、好転しない。

 

「………準備は出来たか?」

「ええ。」

 

可能な限りの情報は掻き集めた。

裏社会の捨て駒といえど、当然の話無為に死なせるわけにはいかない。損耗率を下げに下げて、不夜の日々を超えて戦略、戦術を組み上げる。

帰ってきた配下から情報を根掘り葉掘り聞き出し、どんなに関係なさそうな細かなことも聞き逃さない。

しつこく幾度も幾度も同じことを聞き返し、情報の精度を上げる。それはまるで、刑事のような作業だった。

 

「………すまないな。」

「いえ、気にしないで下さい。」

 

サーレーは気楽に笑っている。

しかしその表情を見ても、やはりどうやっても不安が消せない。不安要素だらけ、わからないことだらけ。

幾度も同じ思考道を行ったり来たりして、迷い、足掻き、やがて刻限が来る。

 

グイード・ミスタは知った。こう言う時、馬鹿になれる人間は強い。

もちろんそれが全てうまくいくことばかりではない。むしろマイナスの面も大きい。

しかしそれは、本番で普段通りのパフォーマンスを発揮するための必要条件だ。

 

本当は、人間の内面はそんなに単純ではない。

実際のサーレーの内面では、怯え、諦観、楽観、悲観、さまざまな感情が綯い交ぜになって去来している。

しかしどうやっても結局は実力で勝利する以外に無く、諦観に近い楽観だった。

人はそれを、開き直りと呼ぶ。

 

もともと気楽な性質であったミスタは、サーレー同様にあまり物事を深く考えない人間だった。しかしそれが、組織内で地位を得て、部下も増え、やがてそれでは許されなくなる時が来る。

 

以前の自分がどうあったか忘れた頃に起きた凶悪事件。ミスタは眠気を無視して悩み、頭の血管が切れるかと思うほどに迷い、結局時間切れで事件に対する納得のいく戦術を組み上げることができなかった。それは、解答の存在しない命題だったのだ。

 

「適材適所………か。」

 

サーレーを見ていると、以前の頭が空っぽな自分を思い出す。

何も考えず、何も背負わず、気楽に生きていた日々。決して今の日常に不満があるわけではない。

だがこう言う時、つまりは有事、物事は上手く行くと根拠無く気楽に考えることができるのは一つの技能なのだということを、ミスタは痛感した。ミスタはそれを失った代わりに、組織内での地位と金、そして信頼を手にしたのである。

 

きっと人生とは、時間と労力と能力の切り売りなのだろう。

ミスタはそこまで考えて、サーレーにつられて笑った。

 

泣いても笑っても最終決戦。勝てば官軍、負ければ世界最悪の戦犯。割りに合わない。

ミスタの前にいるサーレーとマリオ・ズッケェロは本番用の正装として、黒いコートを着てマフラーを巻き、ボルサリーノ帽をかぶっている。

彼らの斜め後ろにはアメリカからの友軍、空条徐倫、スペインに貸与した実力者、ウェザー・リポート、そして負傷から復帰したフランスの雄、フランシス・ローウェンが控えている。

それは敵の人数を勘案して、厳選に厳選を重ねた人員だった。

 

ミスタは敵のボスについて判明したことをまとめた。

 

人間を生み出せるのは、あと一人きり。

敵の操る炎は浄化の炎であり、怨念の類の一切が無効。

赤黒い世界は、恐らくは敵のボスの望むように動いている。

執刀医という不気味な機械は、どうやら審判らしい。

敵は何らかのルールに基づいて行動している。

敵の操る炎は非常に強力で、直撃を喰らうと生還はほぼ不可能。

敵のボスの能力の底が見えない。

 

以上の情報で、一体どれだけの戦術を組み上げられるというのか?

結果、敵のボスの意向を無碍にするなという助言が精一杯で、本番をサーレーに丸投げするハメになってしまった。

 

「………任せたぜ。」

 

自分が情けなくもある。

しかし彼に任せるのが適任で、恐らくは彼以外に任せられる人材は存在しない。

敵の首謀者はなぜか、彼に執着を見せている。彼は幾度か敵首謀者と渡り合い、好敵手だと認められている。

 

彼が死んで帰って来なかったら、ミスタの地位もパッショーネの立場も、何もかもが台無しだ。

しかしもしも敵が世界を終わらせるというのが事実であれば、そういったもの一切合切が無価値になる。

思い悩む価値も無い。

 

問題が複雑に多岐化するにつれて、人はより深く思い悩む。

先を見据えて、詰め将棋のように相手の思考の先を行こうと苦慮する。

しかしその本質は、先のことを考えすぎるよりも目の前の問題の解決だけを考え続けることが最も良策である場合も多い。

ミスタはあらゆるしがらみをあえて考えないようにして、ひたすらに目の前の部下の生還を願った。

 

そしてそれは、唯一の問題解決策だった。

 

◼️◼️◼️

 

『これが最後のチャンスだ。』

 

「一体何が?」

 

ベロニカ・ヨーグマンは訝しげにリュカに問いかけた。

それに対するリュカの返答は、ノートへの筆談だった。

 

『俺たちは、戦いが終われば処分される。』

 

リュカ・マルカ・ウォルコットは下顎が落ち、舌も消え、まともに会話できない状態だった。

 

「処分?あの男は私たちは勝てば生き残れると………?」

 

イアン・ベルモットは彼らに生き残れる可能性が皆無であることを示唆していたが、イアンの能力をリュカほどに把握していないベロニカは、その辺りのことを完璧には理解していなかった。

 

『あいつが直接俺たちを殺すわけではない。だがあいつの妄想が現実になるこの世界で、あいつは俺たちが勝ち残るなど微塵も考えていない。結果俺たちは、絶対に生き残ることはない。』

 

ベロニカはその文字列を見てしばし思考し、納得した。

 

「おい、じゃあ私たちは戦うだけ損じゃないか?」

 

勝っても負けても生き残る可能性がゼロならば、必死に戦う意味が無い。

それだったら逃げてしまった方が得では無いかと、ベロニカはリュカに問いかけた。

 

『だからここが最後のチャンスなんだ。この戦いで俺たちが敵に劇的な勝利を収めれば、あの男はひょっとしたらこの後の戦いでも俺たちが勝ち残るかもしれないと考えを改める可能性が出てくる。』

 

マスクの下で、リュカはわずかに笑った。

前々から考えていた唯一の手段、唯一の方法。

幾度もの輪廻の果てに最後に得た、最大の機会。

 

「だがあの男は自分の戦いに夢中で、私たちの戦いになど興味を持たないのではないか?」

 

リュカは人差し指を振って、ノートに文字を付け加えた。

 

『この世界は、あの男にとって都合のいいように自動で更新されていく。あの男が勝ち残る可能性が皆無だと考えていた俺たちが勝ち残れば、それはそれで劇的だ。』

 

「なるほど?」

 

いまいち話を理解していなさそうなベロニカに、リュカはため息をついた。

 

『あの男が人形だと思い込んでいた俺たちが、操り糸を切って何者かに成り上がり奴に叛逆する。いかにもあいつが喜びそうな展開だろう?そしてあの男を殺し、俺たちが唯一無二の存在となる。』

 

リュカの眼光が鈍く光った。

 

「なるほど。そのあとは私とアナタのラブラブな新婚生活が………。」

 

『待っていないッッッ!!!』

 

話を変な方に捻じ曲げようとするベロニカに、リュカは思わず喉に力を入れてしまいむせ込んだ。

 

『その時は俺たちのどちらが上か、決着をつける。それまでは共闘だ。』

 

本当は、共闘の話を持ちかけるのであればあのディアボロという男が最適だった。

それなりに知恵が回り、野心があり、実力も高く、容赦がない。だがあの男はすでに死に、変な男の材料にされて還ってこなかった。

 

ババアは次善策どころか、下策の下策。

強いは強いが狂おしいほどにオツムが弱い。しかしもう、ババア以外に候補がいない。

 

『色ボケババア。俺たちはたまたま利害が一致しただけの、行きずりの仲間に過ぎない。』

 

文字を綴った後にリュカは中指をおっ立てた。

 

「そんなッッッ!!!アナタは生涯を賭けて私を幸せにしてくれるって………。」

「言っえあいッッッ!!!」

 

あまりにも酷い捏造に、リュカは喉が崩れているにもかかわらず思いっきり舌足らずの声を上げてしまった。

リュカは咳き込んで、マスクを血で汚した。喉の痛みに耐えかねて、彼はうずくまった。

 

『とにかく最後のチャンスだ。あの男が喜ぶような戦いをする。力を見せつけ、真っ向から相手をねじ伏せる。格の違いを思い知らせて、俺たちの強さをあの男に知らしめる。』

 

リュカの青黒い瞳に、漆黒の意思が宿された。

誰もいない世界で、ただ一人生き残ることの意義や是非など考えない。後のことは後で考える。

今、この時こそが全て。今を超えないと何も残らない。未来の無いその思想こそ、狂気そのものだった。

 

『たった一度きりの人生だ。まあ俺は以前に何人もあの男が生き返らせているようだが、そいつらは今ここにいる俺とは別物だ。奇跡的に齎された存在しないはずの時間。自分のために生き、そのために邪魔になる奴がいるんだったら、そいつが何者だろうと殺す。そしてあの男を殺し、俺こそが唯一無二の存在へと昇華するッッッ!!!お前もそのことを理解しておけ。』

 

リュカは薄々と理解している。ローウェンだ。

リュカがイアンに煉獄を勝ち残る可能性がある実力者だと思い込ませるためには、深い因縁がありヨーロッパ最強と名高いフランシス・ローウェンを実力勝負で真っ向からねじ伏せる。恐らくはそれが、最低限の必要不可欠な条件となってくる。

 

しかしそれは、当然容易では無い。だがそれを成せなければ、人生の行先はすぐに袋小路に突き当たる。

ただの袋小路では無い。死そのものであり、もうどうやっても覆せない終焉だ。

 

『今この時が全て。この世界において、狂気は無限に膨れ上がり力となる。』

 

毒を食らわば皿まで。狂気がまだ、足りていない。

 

◼️◼️◼️

 

「あれ、どう思う。」

【どうも何もないよ。一体何が言いたいんだい?】

 

軍事基地の屋上で、イアンは天を指差して執刀医に問いかけた。

赤黒い世界の中心で白衣をたなびかせた男のシルエットは、変な風情があった。

 

「あれだよ、あれ。私のスタンドが世界を覆ったら、あれは私の世界の壁掛け(タペストリー)として、私の部屋を彩ることになる。」

 

イアンの指差す先には、黄色く丸い月が存在した。今夜は満月だ。

しかし煉獄の赤黒い世界では、昼夜の区別がつきづらい。

 

【まあ、そうなるのかな。】

「恥ずかしくないか?あんなションベン色をしたセンスのかけらもない子供のいたずら書きのような球体を、これ見よがしに空に飾って。アレは一体誰の尿路結石だ?私のセンスが疑われてしまうだろう。」

【………それ、今話すようなこと?】

 

もうすぐイアンの仇敵がやってくる。

イアンが生まれてこの方ずっと待ち侘びた敵が。

しかしイアンはそれをうっちゃって、月の代わりに天に浮かべるものを何にしようか議論している。そんなもの、今はどうでもいいのではなかろうかと、執刀医は首を傾げた。

 

「私は忘れっぽいからな。興味が薄いものはすぐに忘れてしまう。一度忘れるとどうでもよくなってしまう。だから覚えているうちに、やれることはやっておかないと。」

【何なのさ、その無意味な使命感。】

 

執刀医さえも呆れさせる、イアン・ベルモット。

 

「お前は機械だから人間の機微はわからんのだろう。人間の一生は短い。後でやろう後でやろうは、結局自分のためにならんのだよ。さて、そうと決まればどうしようかな?」

 

イアンは月の代わりに天に浮かべるものを夢想し、考え込んでしまった。

執刀医は呆れて、ため息をついた。

 

「天上を飾るのであれば、相応に風格が必要だ。あんなダッサいものが空に鎮座するなど、断じて認められん。虎の剥製でも飾るか?象牙とかはどうだろう?いっそのこと、人体模型もありかな。」

【うん?イアン、来たみたいだよ。】

「来た?」

 

執刀医に唐突に肩を叩かれ、イアンは妄想の世界から戻ってきた。

 

【うん。ずっと待ってたお客様。私が迎えに行ってくるね。】

 

執刀医はその場でニュルリと、建物と同化した。

 

◼️◼️◼️

 

【ようこそいらっしゃいました、お客様。私は当ランドの支配人でございます。】

 

執刀医が軍事基地に向かう一行の前に地面から突如現れ、馬鹿丁寧にお辞儀をした。

 

「テメエッッッ!!!」

「おい、サーレー!!!」

 

慇懃無礼な執刀医の態度にいきり立つサーレーを、マリオ・ズッケェロが声を上げて制止した。

その敵は戦ってはいけないと、グイード・ミスタから念を押されている。どうせまともに相手されず、無為に労力を浪費するだけに終わることがわかりきっている。

 

【1、2、3、4、4人か。なるほど、なるほど。】

 

執刀医は指差し数え、楽しそうににやけた。

執刀医は近場に入り込んだ人数を把握している。五人入り込んだはずだが、ここには四人しかいない。

 

サーレーたちの敵対予想図。

サーレーが敵のボスと戦い、ズッケェロがオリバーと戦う。爆弾魔の男と酸を操る女は空条徐倫とウェザー・リポートが対応する。

そして伏せた最後の札の役割は。

 

【私も遊べそうだね。】

 

執刀医を抑える。

最初からそれを倒そうなどとは考えていない。倒せる敵だとも思わない。

ただ、最終決戦でサーレーの戦いに不利になりうる不確定要素が混ざり込むのは許容できない。

 

執刀医は審判だと言っていたが、それをそのまま鵜呑みにするほどミスタは耄碌していない。よしんば審判だったとしても、感情があるのであれば敵が負けそうになった時に余計な茶々を入れないと信じきれない。

結果、ヨーロッパ裏社会伝説の男は、敵方の不確定要素を相手に命を潰して隔離し、時間稼ぎをする。倒すのではなく、その場に張り付けにする。最強を贅沢な捨て駒に使った、背水の作戦だった。

それが伏せた札に与えられた、至上任務だった。しかしその思惑は、容易に執刀医に看破されている。

 

【遊ぶことこそが生きる意味。私だって、生きている。】

「何を?」

【気にしないで。こっちの話。】

 

赤黒く染まって世界で、暗色は世界の心臓部であるイアンの手術室に近付くほどに色濃くなっていく。

執刀医が案内役として先導し、その無防備な背中に攻撃できるかどうかサーレーは思考に浸った。

 

「………馬鹿なことを考えるのはやめておけ。」

「………。」

「パッショーネの忠告を無視したホル・ホースがやらかしたのを、忘れてはいないだろう?お前の至上目的は、敵首謀者の暗殺だ。」

「………そうだな。」

 

ウェザーの忠告を受けて、サーレーは攻撃を断念した。

 

【忠告痛み入るよ。イアンの標的を私が葬るわけにもいかないからねぇ。】

 

横顔で二ヤリと笑った執刀医に、サーレーは鼻しらんだ。

白衣を着た機械で、片目が黒球で片目がネジ。体からかすかに機械音がし、しゃべる言葉は機械の駆動音に酷似している。

とにかく不気味で、見るほどに敵対は愚かしいことだという錯覚を植え付けられる。

 

【さて、まずはお二人様かな。】

 

先を行く執刀医はやがて建物の入り口にたどり着き、その両脇には門番のように二人の男女が待ち構えていた。

 

一人は青黒い目、パーカーのフードを被り、黒いマスクをした髑髏面のような顔をした男、リュカ・マルカ・ウォルコット。

一人は見た目だけは清楚な妙齢の美人、実態は社会の暗い部分に潜む悪鬼、傲慢さを隠そうともしない女、ベロニカ・ヨーグマン。

 

サーレーは背後のウェザーと徐倫に目配せをし、二人はうなずいた。

二人は隊列から離れ、二組の男女は相対する。

執刀医はそのまま建物内部に入り、サーレーとマリオ・ズッケェロはその後に続いた。

 

【そしてお一人様。オリバーは建物内部のどこかで君を待っているよ。】

 

建物の廊下で、執刀医はニヤリとズッケェロに笑いかけた。

 

「場所は?」

【さあね。それも含めて君が探し出してくれ。オリバーのスタンドは、その高い隠密性もウリの一つだ。】

「………チッ。」

 

マリオ・ズッケェロは舌打ちして、二人の側を離れていく。

建物の内部を下から上まで、舐めるように捜索するほかになさそうだ。

 

【そして君は、主賓だ。彼がずっと待ち侘びた敵。………そう、彼は君に会うために生まれてきた。】

「気味の悪いことを言うなッッ!!!」

 

まるで愛の告白のような執刀医の台詞に、サーレーは嫌そうな表情をした。

目の前には白磁の荘厳な扉がある。前回よりも無意味に豪華になっている。

 

【それではお客様、ごゆるりとお楽しみください。】

 

執刀医はそう言い残し、建物と同化してどこかへと消えた。

 

◼️◼️◼️

 

サーレーは片手を当てて、荘厳な扉を開いた。

 

「ポッキン、ポッキン、精神がポッキン。ボッキン、ボッキン、背骨がボッキン。」

「………。」

 

相変わらずファンキーな男だ。いや、それはファンキーという表現に失礼だ。

サーレーは赤黒くだだ広い部屋を見渡して、頭痛を感じた。

 

イアン・ベルモットは部屋の中央に浮かぶ意味不明な巨大で丸い物体の上に立ち、歌を歌いながら奇妙な踊りを踊っている。

周囲にはマネキンが楽器を奏で、青白い浄化の炎が人魂を模してバックダンサーとして踊っている。

マネキンの演奏は嫌に上手く、歌と踊りの下手なイアンもそれなりに見える。

 

「………てめえ、そこから降りてこい。」

 

部屋の中央に浮かぶ丸い物体は、青黒い色で視神経の付随した巨大な眼球だった。

それはイアンが月の代わりに天に浮かべようとしたものであり、リュカ・マルカ・ウォルコットの眼球を模倣したものだった。不吉さと禍々しさが半端無い。そんなものを天に浮かべられたら、きっと気持ち悪くて眠れない。毎日がトラウマ日和。

それに特に意味はなく、別にイアンなりの現代の監視社会に対するアンチテーゼというわけではない。

 

イアンはそれを空に浮かべるために創造していたのだが、案の定途中でどうでもよくなってしまっていた。

 

「狂おしいほどに、so love.」

「so love.じゃねぇッッッ!!!降りてこいッッッ!!!」

 

イアンはサーレーに向けて官能的に指先を差し出し、サーレーはその不愉快極まりない動作に頭の血管がはち切れそうになった。

 

「無粋だなぁ、マイフレンド。私なりに、君を出迎える演出を考えていたのだが?」

「いらん!!!」

「他にも君のために『隣の家の芝生は薄茶色い』という曲と、『君の心に響く、サブマシンガンの掃射音』という曲を作曲したんだが?」

「いらんわッッッ!!!」

「そうか。それは残念だ。私はてっきり喜んでもらえるとばかり………。」

「お前の脳内は一体どうなっとるんだッッッ!!!」

 

イアンが両手を上げると、イアンの立つ巨大な球体が縦長に捻れた。

それははちきれ、青黒い血と臓物を撒いてその場で弾け飛んだ。

イアンはその場に浮かび、ゆっくりと床に降りてきた。

 

「ようこそ、私の部屋へ。歓迎するよ。」

「歓迎はいらない。命をもらう。」

 

白衣を着たイアン・ベルモットと黒い帽子とコートを着てマフラーを巻いたサーレー。

しばしの距離をおいて二人は相対し、サーレーはイアンに冷酷にそう宣言した。

 

「ただでは渡せないな。私の命が欲しければ、私が死ぬほど楽しませてくれ。」

 

イアン・ベルモットは不遜な笑いを浮かべて、そう切り返した。

周囲のマネキンは部屋の隅に待機し、イアンの指示を待つ。サーレーが一人で来なければ、彼らの手に握られていたのは楽器ではなく短機関銃だったはずだ。それがクレイジー・パーガトリィ。

一人で来た君のために、銃の代わりに愛を込めた演奏を。クレイジーライフ、クレイジーラブ。

 

「知るかボケ。楽しみたけりゃあ、テレビでお笑い番組でも見とけ。」

「見たことはあるけど、アレは一体何が面白いんだい?」

 

イアンは本当にそれが、理解出来ない。

 

「虚構の世界でぬるま湯に浸かって、お為ごかしの愛想笑い。それが悪いとは言わないさ。ただ、私には理解できない。空を飛べるのに飛ばない人生に、私は意味を見出せない。」

 

それが、イアン・ベルモットの偽りなき心情だった。

社会には、禁忌というものがある。麻薬は禁忌だし、殺人は一等の禁忌だ。窃盗も許されていないし、強姦や詐称など禁忌は無数に存在する。動物的な本能に依れば社会にそういったものが横行し、社会は機能しなくなる。そうでなくとも同胞が傷付くことが、多くの人間には許せない。

イアン・ベルモットは、本能ではなく興味と遊び心に依存して簡単に禁忌の線を踏み越える。

 

「気にならないかい?例えば、人間の中身がどうなっているかとか。私は気になる。私は私が世界を破滅させようとした時、一体誰が私の前に立ち塞がるのか?私は一体どういった気持ちを感じるのか?私は初志を貫徹できるのか?とても気になる。それが劇的であるほどに、私はきっと最高の気分になれる。」

「………。」

「誰しもが人生一度きりで、必死に自分のために生きる権利があるだろう?私は私のために、自分の人生を最高の劇にしたい。豊かに彩りたい。」

 

サーレーは黙って敵の話を聞いていた。

理解できるとは思えない。しかしそれを理解することが、この怪物を倒すことに繋がることをサーレーは薄っすらと理解していた。

 

それがミスタの、敵のボスの機嫌を損ねるなという言葉の真意でもあった。この男はそもそも、目的も思考回路も常人とは異にするのである。わかりやすい金や地位にほとんど執着がないことが、厄介極まり無いと言えた。常人と価値観を同じくしないのである。

 

「それはきっと、天にも昇る夢見心地のはずだ。だからサーレー、マイフレンド。終幕に向けて私を最高に楽しませてくれ。」

 

イアン・ベルモットは無邪気に笑った。

赤黒い部屋の中で、イアンは地を滑るようにして猛スピードでサーレーに肉薄した。

 

◼️◼️◼️

 

煉獄の一角に存在する局地的低気圧。そこは猛獣が潜む殺意の檻。

積乱雲が渦を巻き、雷光奔り、分厚く覆う雲の中央で二人の存在が互いを意識した。

 

【こんにちは。なるほど、なるほど。】

 

執刀医は周囲を確認して、感嘆の声を上げた。

それはローウェンの至高技である天球儀の中心地。世界は分厚い雲の隔壁によって遮られている。

執刀医が全能を振るえるのは煉獄の勢力圏内に限定されており、そこから隔離されれば彼の能力は著しく減衰する。

というよりも、あまりにも長く隔離されたら煉獄生まれの彼は存在が消滅する。しかしさすがに、膨大なスタンドエネルギーを消費する天球儀はそこまでの時間は保たない。

 

薄暗いそこで、執刀医から少し離れた場所からしなやかな筋肉をしたスマートな男が彼を観察している。

男は黒いカソックを着て、漆黒の殺意をその身に宿し、触れれば焼き焦がされる天雷のような雰囲気を放っている。

 

「こんにちは。そして今日がお前の命日で、ここがお前の墓場だ。」

【私を倒せると?】

「いいや。でもお前の主人である男が死ねば、お前もお陀仏だろう?」

 

雲内の風は徐々に勢いを増し、雷霆の弾ける頻度が上がり、執刀医の腕に吹雪く氷雪が纏わりつく。

ヨーロッパ最強の殺し屋は、この日のために集中力を高めコンディションを最高まで上げてきた。今の彼であれば、天球儀の内側は彼の体の一部分に等しい。細部の細部、敵の一挙手一投足見逃さない。

 

【さて、どうだろうね。】

「仮にそうでなくても、関係無い。一度に全てのことを解決しようとするべきではない。まずは主犯であるお前の主人からだ。」

 

たとえ残党を仕留め損なっても、まずは敵の頭を潰す。

そうすれば組織は多くの場合は求心力や結束力が低下し、指揮系統にも混乱をきたす。

内部で不和を誘発し、組織はかなりの確率で瓦解する。殺しの本職である彼の経験則だ。

瓦解した後の混乱期に、一網打尽にすればいい。

 

ただし例外として、イアン・ベルモットのほかに逃走手段であるオリバーもここで仕留めないといかない。

以前はそのせいで、イアン・ベルモットを取り逃がしたのである。

 

【なるほど。】

「覚悟しておくといい。お前の主人は死に、仲間は全滅し、お前は丸裸にされて囲まれる。」

【それは挑発かい?】

 

執刀医はローウェンに向けて首を傾げた。

 

「いいや。決定事項を通達しているに過ぎない。」

 

ローウェンは片腕を上げて、執刀医を指差した。

 

【ならばこう返そう。イアンは目的を達成し、仲間は生き残り、私はのうのうと生き延びる。】

「………それは挑発か?」

 

ローウェンは執刀医と同じ切り返しをした。

 

【いいや、定められた未来だ。予知であり、決定事項。全能の私から卑小な君への、ささやかな叡智のプレゼントだ。】

 

執刀医は初めて凶暴な笑みを浮かべ、ローウェンは敵の本性の一端を垣間見た気がした。

 

「………残念だな。お前はとんでもない嘘つきか、大ボラ吹きだ。」

【君はおしゃべりをするために私を呼んだのかい?】

「ああ、その通りだ。」

 

ローウェンの目的は執刀医の隔離であり、時間さえ潰せるのならいくらでもおしゃべりしていて構わない。

執刀医の暗殺優先順位は、低いのである。ただ、いざ戦う準備は万端に整えてある。

 

【君は正直だね。嫌いではない。私としてはおしゃべりを続けたいところだが………。】

「いつまででも続ければいい。俺はいつまでも付き合うぞ。」

 

作戦の肝は、サーレーとイアン・ベルモットの一騎打ちである。

そこが主戦場であり、イアンさえ消せれば他は全滅したとしても仕方がない。

 

追い詰めに追い詰められた彼らは、暗に全員の意思を統一してそう開き直っている。

兎にも角にもこの赤黒い空間をなんとかしないと、どうにもならないのである。

信じられないほどの重圧がサーレーにのしかかり、しかし当の本人だけは面白いことにそれに気づいていない。奇妙な幸運と言えた。

 

【残念だが、そういうわけにもいかない。私にも私の役割があり、君には相応しい敵がいる。】

 

意味深なことを告げて、執刀医はぬるりと地面と同化した。



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本性

「私の両親は言っていたよ。」

 

サーレーに近接したイアン・ベルモットは、静かに語り始めた。

 

「この子はおかしい。頭がイかれてる。どうにかして矯正しないといけないって。」

 

サーレーの眼前に立ったと思った瞬間、イアン・ベルモットの姿が視界から消えた。

それはコマ送りでも捉えることができず、反射的にサーレーはクラフト・ワークの拳を背後に向けて振り回した。

 

「それを聞いて私は思ったよ。ああ、私は殺されるんだなって。」

 

親が子供の性格に難があると判断したとき、それをどうにかしようとすることは別段おかしなことではない。

しかし当時のイアンには、それは死刑宣告に等しく聞こえた。この子は頭がおかしいから、殺して私たちの理想のイアンを創り出そうと言っているように聞こえたのである。

 

その言葉はイアンの心に刺さり、ずっと今まで忘れずに心の奥底に残っていた。

それがクレイジー・プレー・ルームの能力の原初のアイディアだった。人間などいくらでも殺せるし、いくらでも創り出せると。

 

それ以来、イアンの能力は明確になった。

それ以前のイアンの能力は、無秩序の権化、もっと混沌としていたのである。

その混沌より、自我を持つ生命であるバジル・ベルモットと執刀医は生まれた。

そして以前の混沌とした能力こそがイアンの能力の本性であり、真髄でもあった。

 

驚異的な才能を持つイアン・ベルモットのスタンドの本質は、原初の土、混沌の粘土と呼ばれる理解不能なものと同じである。

イアンがそれを捏ね上げて作り上げたのが、生と死の境界が曖昧な狂気の手術室。

 

クレイジー・プレー・ルームは、イアンのスタンドの正体に比べればただのお遊びに過ぎない。

サーレーという好敵手と相対したことによって、イアンのスタンドの化けの皮は剥がされていった。

 

ルールを敷いて、強制的に相手に対応させる。

それがスタンドの本質であり、イアンのスタンドは例外中の例外、異端中の異端。

イアンの部屋の中で起こる出来事のルールは、イアンの脳内で決定される。

それはひょっとしたら、追い詰められて能力を増やす掟破りを行使した吉良吉影と少しだけ共通点があるのかもしれない。

 

当時のイアン・ベルモットは八歳。バジル・ベルモット六歳。

この直後にイアンの両親はなぜか異常なほどの放任主義となり、イアンがある程度の年齢になるとともに蒸発した。

その後のイアンは裏社会の組織に潜み、そこで普通の人間の擬態をして時を過ごす。本性を抑えて、偽りの仮面を被って。

恐らくは、親の一言が幼いイアンにとってトラウマだったのだろう。自分の本性を知られれば、他人が自分を殺しにくるのだと。

 

やがてベロニカ・ヨーグマンが首領を務める組織に拾われ、知能の高い彼は後々の組織の利益を見越してスイスの大学に通うことになる。

そこで教授に才能を見出され、表の顔は大学の講師としての人生を始める。イアンのイかれた発想は、時に斬新だった。

 

「殺されるくらいなら、私は人を殺して生きるよ。生物には、自分の生に必死になる義務がある。」

 

それが煉獄の論理。全ては強者が優先される。

自分のために必死に戦い、勝ったものだけが生き残る。勝ったものだけが生まれる。

 

イアンは経年と共に精神が強靭になり、やがてトラウマを克服する。

そしてその同時期に、彼が所属していた裏組織は壊滅した。

邪悪なスタンド使いを繋ぎ止める楔は存在しなくなり、一人立つ彼は行動を決意する。

 

結局、強いものが願いを叶えるのだと。強いものが、この世で幅を効かせるのだと。

たった一度きりの人生なのだから、自分のために必死になって願いを叶えよう、と。

 

「同情でも望んでんのか?」

「いいや、別に。でもマイフレンド。君との友情なら、考えないでもないな。」

「抜かせッッッ!!!」

 

コマ送りでも見極められない消失に、サーレーは即座にイアンが瞬間移動を行ったことを理解した。

故に弱点である背後に向けて拳を振るったのであり、しかしイアンはサーレーの頭上に浮かんでいた。

イアンは空中でアクロバティックに体を捩り、サーレーの延髄に体重をかけて蹴りを放った。

 

「フ………ッ!!!」

 

攻撃を受けることを察知したサーレーは、首に力を入れて集中し、敵の攻撃を受けた瞬間にクラフト・ワークの固定する能力を発動する。

そのまま固定したイアンに反撃の拳を振るった。イアンはそれに反応し、回転したかと思うとその場から消えて別の場所に現れた。

 

「まずは小手調べだよ、マイフレンド。君は近接戦闘に非常に強いからね。私もある程度反則的な能力を行使させてもらうよ。これはその宣言だ。それで始めて公平な戦いになる。」

 

イアンの周囲に、浄化の青白い炎が浮かび上がった。

 

「なぜそんなにも公平性にこだわる?」

「私が納得したいからさ。後悔は好きだし、苦難に塗れた人生も悪くない。でも、自分の人生に納得できないのだけは我慢できない。私は死ぬときに、私の人生のために必死になって生きたのだと、そう思いたい。」

 

イアンの言っていることは、サーレーにも理解出来ないわけではない。

ただ、理解出来ることとそれを実行することには深い深い溝がある。

 

「………我慢できないのか?」

「その意義を感じられない。社会の本質だって、そうだろう?資本主義社会では、札束を持った強い奴が幅を利かせる。それが暴力に置き換わっただけだ。」

 

イアンの周囲の浄化の炎が揺らめき、鳳仙花の種のように弾け飛んでサーレーを襲った。

同時にイアンは白衣を翻し、サーレーが視線を奪われた直後に姿をくらました。

 

「お前が殺してきた奴らは、お前と同じ人間のはずだ!!!」

「………もしかしたらそうなのかもしれないね。」

 

サーレーは瞬時にコマ送りを発動し、弾け飛ぶ炎の被害の少ない箇所を見極めた。

そこが死地だ。イアン・ベルモットの狙いは恐らく、サーレーが攻撃を避けた瞬間。

サーレーはあえて弾幕が濃ゆい場所に留まり、クラフト・ワークの裏側に潜む緑色の赤ん坊の力を行使した。

 

「お前はなぜそんなにも非道になれる!なぜそんなにも邪悪な行為を行える!答えろ!!!」

「………あまり深く考えたことはないな。」

 

クラフト・ワークの能力と、その裏側に脈付く緑色の赤ん坊の力。

固定する力と、振動させる力。対を成す二つの相反する力が混ざり合い、クラフト・ワークは原子の海の支配者となる。

 

手術室の壁を振動で分解し、固定で剣に再構成。処刑執行人の剣。

無数の弾幕をコマ送りで見極め、剣を溶かしながらも全て切り落とした。

 

「………ッッッ。」

 

イアン・ベルモットは少し離れた場所で、わずかに顔を歪めた。

サーレーはそれを、アテが外れたからだとそう認識した。

 

「………こちらの番だ。」

 

サーレーは溶け落ちた剣を投げ捨て、地を走り壁を蹴り宙に浮かぶイアンに迫った。

 

「恐らくは我慢………していたからだよ。」

「何?」

 

浄化の炎がイアンの前で薄く横に伸びて燃え上がり、それは炎の壁となってイアンとサーレーを分断した。

 

「我慢には、いつかは限界が来るものさ。それは長い期間であるほどに、苦痛が大きいほどに、反動は大きくなる。私は自分が他人と違うことも、他者と相容れないことも、ずっと前からきっと理解していた。」

 

イアンは再び白衣を翻し、その場から消え去った。

サーレーは四方八方を警戒し、しかしその瞬間目の前の浄化の炎の壁が形態を変化させた。

 

「どうやっても相容れないのだから、殺し合いになるのは仕方がないだろう?」

 

長く蛇のようにうねる浄化の炎を体を捻りながら退避して避けたサーレーの頭上に、イアンが膝を立てて降ってきた。

鈍い音がして、サーレーは頭部に強烈な衝撃を受けた。

 

「グッッッ!!!」

「君が言ったんだろう、マイフレンド。私が宇宙人だと。道理で相容れないわけだと、私は君のその意見にひどく納得したよ。ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスに滅ぼされたという学説がある。」

 

イアンは幾度も白衣を翻し、その度に違う場所に現れた。

頭上から攻撃を受けたサーレーは、衝撃に目をチカチカさせながらも必死に敵の動きを追った。

 

「私はきっと、人間ではない何かだ。私の身体構造は人間そのものだ。しかし、精神がきっと人間ではない。」

 

サーレーはイアンのその言葉に、なんて反応するべきか戸惑った挙句に沈黙した。

 

「たとえ隣の種族であっても、それは世界の覇権を奪い合い殺し合うライバルだ。それを歴史が証明している。」

 

イアン・ベルモットは、楽しそうに笑った。

 

◼️◼️◼️

 

マリオ・ズッケェロと、オリバー・トレイルの間には、致命的な温度差がある。

 

「チッ、ここにもいねえ。」

 

建物一階奥の奥、便所まで捜索して、ズッケェロは上の階層へと向かった。

 

マリオ・ズッケェロは、何が何でもオリバーと戦わなければいけない。

オリバーという強力なコマを浮かしておけば、サーレーとイアンの決戦に致命的に不利な要素になりうる。

イアンの助勢をするかもしれないし、イアンが危地に陥ったら逃亡幇助を行う可能性がある。

ズッケェロの戦場での駒としての役割は、それらの可能性を潰すことである。そうでなければ、ズッケェロがここにいる意味がない。

 

一方で、オリバー・トレイルは無理にマリオ・ズッケェロと戦う必要は無い。

オリバーは自身を殺してくれる敵を探しているものの、それはあくまでも表層に現れない彼の心理の奥底の願望である。

表層での彼は息子を案じ、息子のために何が何でも最後まで生き残ることを望んでいる。

別にリスクを犯して今ズッケェロと戦う必要は無く、戦いには出るものの無理をする必要はない。

 

そしてこれらの要素とは無関係に、煉獄の理論が働いている。

イアンの願望によりその道程はイアンにとって劇的なものとなり、イアンは唯一こだわりを見せる腹心の部下の幸福だけは真に心から願っている。

 

起こり得る事象のうち、イアンが望んだ展開が選ばれる。それがイアンの能力クレイジー・パーガトリィの、一つの特性。

それらが複雑怪奇に交わり合っているのが、彼らの戦いの現状であった。そしてその結果の展開。

 

「チッ!無駄にだだっ広い構造をしやがって!!!」

 

その建造物の構造は、テロ対策のために上階への階段が別の場所に付けられている。

乗っ取りを警戒して迷路のように曲がりくねった廊下、多数の人間が住み込みで働いているがゆえの多数の個室、機密が多いために厳重に施錠された扉。

それらを逐一ソフト・マシーンの能力で慎重に通り抜け、端から端まで丁寧に確認をしていった。

 

マリオ・ズッケェロは、覚悟をして建物に乗り込んできた。

しかしその返答は、その覚悟を受け流すようなはぐらかし。

どこにオリバーがいるのか判然とせず、いきなり鉢合わせる危険性もある。

戦闘の主導権を奪うことは、極めて困難であると言えた。

 

「落ち着け、よく考えろ、落ち着け。」

 

マリオ・ズッケェロは目をつぶり、懐に忍ばせた重量のある物体に集中した。

それは戦いに使うものであり、ズッケェロは普段は使わないものであり、パッショーネから借り受けたもの。

ズッケェロなりの、オリバーへの対抗手段だった。

 

イラつけば、判断を誤る恐れがある。いやらしい戦い方だ。

ズッケェロは無理に自身の精神を集中させ、冷静に捜索を続けた。

 

「二階にもいない。となると残りは………。」

 

建物の三階、もしくは屋上。

敵が自身の隠密性を生かした戦いをするのであれば、行き止まりである屋上で戦う可能性は高くない。

そうすると必然、次に捜索する三階のいずこかに潜んでいる可能性が高くなる。

 

ソフト・マシーンの厚みを無くす能力を自身に行使するのは、極力避けたい。

敵はどこかでズッケェロを待ち伏せている可能性も高く、そうであればズッケェロがどちらから来るか理解しているはずだ。待ち伏せて集中されていれば、ズッケェロの能力であっても見つかってしまう。厚みを無くした状態で見つかってしまえば、その時点で敗北確定だ。

 

マリオ・ズッケェロは足音を忍ばせて慎重に階段を上っていく。

 

「三階………。」

 

重圧を感じる。額を汗が流れ、むやみに喉が乾く。

ズッケェロは唾を飲み込み、ゆっくりゆっくり廊下を先に進んでいく。

 

「………ッッッ!!!」

 

いた。間違いない。

オリバーのスタンドの基本の能力は、スタンドを視覚に入れている間の記憶を残せないというもの。

それはどういうことかというと、ディアボロのキング・クリムゾンのようにいきなり時間が跳んだように感じるのである。

 

オリバーのスタンドを目にし、記憶できない時間が始まり、オリバーのスタンドが消失する。

中抜けの記憶になり、いきなり時間が跳んだように自身の立ち位置が変わっているのである。

そして、不思議な多幸感だけが残される。

 

「まあ俺は、時間稼ぎでも別に問題ないからな。特に好戦的な性格でもない。お前を無理に殺そうとする意味も無いし、イアンには悪いが適当に過ごさせてもらうぜ。」

 

ズッケェロの背後に重厚な回転木馬が現出し、その柱に背を預けてオリバーが立っている。

小型の回転木馬は強烈な存在感を放っており、それと以前戦ったズッケェロはそれが見た目通りの遊具からは程遠い凶暴なものであることを知っている。

 

「テメエッッッ!!!」

 

ズッケェロがソフト・マシーンを発動し、オリバーに向けて廊下を走った。

 

「それ。」

 

オリバーがすぐ横の廊下の角をヒョイと曲がり、その姿がズッケェロの視界から消える。

それと同時に回転木馬は消失した。

 

「………ヤロウッッッ!!!」

 

オリバーがいた記憶が、ズッケェロの脳裏から消失する。

 

間違いなく、いる。

ズッケェロは廊下を進んでいたのに、いつのまにか引き返す方向に向かっている。

恐らくは今向かっている方に敵は逃げたのだろうが………。

 

「クソッッッ!!!」

 

向かう先には、扉が多数ある。

それらは行きがけにズッケェロが一室一室丁寧に調べたものであり、そのどれかに隠れられていたらお手上げだ。

一つの部屋を調べているうちに、他の部屋から移動されてしまったら手の打ちようが無い。

 

「なんて厄介な能力ッッッ!!!」

 

オリバー・トレイルは、本気で厄介だ。

叩き上げだけに自身の能力を熟知し、自分に出来ることを完全に理解しきっている。

そして可能な戦闘手段から、変幻自在に戦い方を選んでくる。

 

戦い慣れており、知恵が回る強力なスタンド使い。

変化をつけられれば、その都度対抗策を講じる必要性が出てくる。

 

ガチンコの弱さなど、なんの弱点にもなりはしない。

回転木馬は攻撃であり、防御であり、技術であり、逃走手段でもある。

このままはぐらかされ続けたら、ズッケェロは自身の任務を全うできない。

 

「………バケモノがッッッ!!!」

 

焦りで、汗が引かない。

向かってくるのならその対策を仕込んでいたのだが、時間稼ぎに徹されたら手の打ちようが無い。

そしてそのズッケェロの焦りにつけ入り、いきなり攻勢に回る可能性も存在する。

ズッケェロを放置したまま、イアン・ベルモットを逃走させる可能性も存在する。

 

恐ろしい。

ただのトチ狂った一般人が、マリオ・ズッケェロには心底恐ろしい。

 

「回れ回れ、狂気と共に。ふんふふーん。」

「!?」

 

回転木馬が現れ、オリバーが鼻歌を口ずさみながら近場の扉から出てきた。

 

◼️◼️◼️

 

「ぐっッッ!!!」

「………。」

 

空条徐倫は敵の振り下ろしを肩で受け、よろめいた。

敵はそのまま横回転して、遠心力を乗せた回し蹴りを徐倫の腹部めがけて放ってくる。

 

「はッッッ!!!」

 

徐倫の腹部の糸がほどけて、回し蹴りは空を切った。

 

「やッッッ!!!」

 

そのまま敵の足に糸を引っ掛けて、徐倫は宙吊りにしようと試みる。

しかし。

 

「うッッッ!!!」

「………。」

 

敵は力任せに、ストーン・フリーの糸を引き千切った。

 

徐倫は敵を確認する。

髑髏のような形相をした、目が青黒い男、リュカ・マルカ・ウォルコット。

少し顔が変わったが、徐倫が前回戦った敵と同じ男だ。

 

敵はそのまま地面を走り寄り、無造作にストーン・フリーにつかみかかった。

 

「く………。」

 

前回の戦いに比べて、敵は明らかに馬力が上がっている。速度も上がっている。

こんなに力はなかったはず。パワーだけに限定すれば、全盛期のスター・プラチナ以上だ。

 

徐倫は、開戦直後に敵の首に糸を巻き付けて切断を試みた。しかしそれは、逆に糸が千切れるという驚くべき結果に終わった。

徐倫は即座に警戒し、引き気味に戦っている。あからさまに前回とは異なり、油断して即敗北などという展開はあり得てはいけない。

 

作戦の至上目的は首謀者の暗殺であり、この敵の殺害は優先順位が低い。

徐倫の戦いは、サーレーの戦いに水を差させないためのものだ。

 

対するリュカ・マルカ・ウォルコット側は必死である。

リュカは敵を劇的に蹂躙せねばならず、それは辛勝であってもいけない。

リュカは誰よりも強いことをイアンに証明せねばならず、それに失敗すれば人生の先は存在しない。

 

無口で異常なほどの迫力で向かってくる敵に、徐倫は思い出せないほど久し振りに気圧された。

 

「………。」

「ああああああッッッ!!!」

 

リュカの蝉の幼虫のようなスタンドの右腕と、徐倫のストーン・フリーの左腕が手のひらを握り合った。

リュカのスタンドが力任せにストーン・フリーの左腕をねじり上げ、ストーン・フリーは左腕の糸をばらけさせてダメージを受けるのを防いだ。直後にストーン・フリーの腹部に、リュカのスタンドの蹴りが突き刺さる。

 

「うぐあッッッ!!!」

 

攻撃自体は、遊びを作った糸で衝撃を緩めることができた。

それがなければ、腹に穴が開いていた。

 

徐倫は、煉獄の赤黒い地面を転がった。

リュカは徐倫に走り寄り、馬乗りになってスタンドの口腔のストローを突き刺そうとする。

 

「うッッッ!!!」

 

徐倫の頬めがけて突き出されたストローに、徐倫は顔面の糸を解いてその攻撃を避けた。

近くにあるリュカの顔面めがけてストーン・フリーが糸を束ねて、力一杯に殴り付けた。

 

「………なんだかわからないけど強くなっているみたいね。」

「………。」

 

ストーン・フリーの拳を顔面に受けたリュカは、吹っ飛んでいった。

フードが取れて、頭部の髑髏と龍のタトゥーが露わになった。顔面は細っており、彼に何があったのか徐倫には想像だにできない。

 

倒れたリュカはゆっくりと起き上がり、徐倫とリュカは睨み合った。

 

◼️◼️◼️

 

「ごめんなさい!!!私はあなたの気持ちには、答えられないッッッ!!!」

「………?」

 

ウェザー・リポートとベロニカ・ヨーグマンの戦い。

ベロニカはウェザーを見た瞬間に開口一番、それである。まるで悲劇のヒロインのようなセリフだ。

ウェザーはキョトンとしている。

 

「足が長いしまつ毛も長いし、スッゲーイケメンでうちのダンナに比べて圧倒的に美男子だけど、私は最愛のダンナを裏切れないの!!!ごめんなさいッッッ!!!」

「………?」

 

ウェザーはこれは攻撃していいものか、思案している。

首を振って、ウェザーはウェザー・リポートを発動してベロニカめがけて殴りかかった。

 

「ぶぐぇッッッ!!!」

 

ベロニカ・ヨーグマンはウェザー・リポートに顔面を殴られて、盛大にすっ飛んでいった。

ウェザーは雲が支配できないことを確認し、近場であの男が全力で戦っていることを理解した。

 

「テメエ、何しやがるッッッ!!!」

 

殴られたベロニカの頬の化粧が剥げて、下から年相応の素肌がのぞいた。

 

「ちょっと顔がいいからって調子に乗りやがってぇ!!!」

 

激昂したベロニカのスタンドが現れた。

黒みがかった灰色で、不定形。焦点の合わない二つの目と無数の口。

その口から、数えきれない量の小型の甲殻類が現れ、地面を覆い尽くす。

 

「やれッッッ!!!」

 

ベロニカの号令の下、それらの甲殻類はウェザーめがけて迫ってくる。

甲殻類は王水の体液をしており、触れたものを瞬く間に溶かして消してゆく。

雲が使用不可能なウェザーは、取れる選択肢が大幅に減らされていることを自覚した。

 

「ふっっっ!!!」

「うッッッ!!!」

 

気圧差による強風を叩きつけ、不定形で体幹の弱いベロニカのスタンドはよろめいた。

しかしそれは一時しのぎに過ぎず、地面を潜って甲殻類はウェザーめがけて襲いかかってくる。

 

ウェザーは気温を操作して甲殻類に対応した。

甲殻類に気化熱を発生させて、無数の甲殻類の甲羅はひび割れて体液を撒き散らす。

 

「あああああああああッッッ!!!テメエッッッ!!!」

 

ベロニカの顔面の皮膚もついでにひび割れ、体液で溶け落ちて美しく飾った化粧はどんどん剥がれていく。

ウェザーは、チラリと徐倫の様子を確認した。

 

◼️◼️◼️

 

煉獄の片隅、軍事基地からほど近い場所。天変地異の渦の中心地。

天衝き縦に伸びた分厚い積乱雲の中で、雷光と氷雪の支配者と正体不明の機械は戦いを繰り広げる。

スーパーセルと呼ばれるそれは、内部に人知を超えた莫大なエネルギーを内包している。

 

「あああああああああああああッッッ!!!」

 

漆黒の闇の奥底に身を沈めたローウェンが吼えた。

巨大な雷塊が弾け散り、それは辺り構わずに周囲に高圧電流を放電する。

 

【………暴れん坊だなぁ。あつッッッ!!!】

 

地面と同化した執刀医を逃がさないとばかりにローウェンはスタンドエネルギーを全開にし、神々しいほどに巨大な雷柱を複数生成して執刀医を囲った。それは地面を溶かし消し飛ばし、隠れる場所を失った執刀医はその場で雷の直撃を受けた。かのように見えた。

 

【雷は苦手だなぁ。ほら私、機械だし。】

「抜かせッッッ!!!」

 

雷が直撃する瞬間、執刀医の体が黒く染まった。

執刀医の体はその瞬間影となり、この世の虚像へと変化する。

 

【おおわぁ。】

 

煉獄から隔離された今、執刀医はあまり長時間全能の力を振るえない。

影から実体に戻ったその瞬間に、ローウェンのハイアー・クラウドが殺意とともに鉈のような水平薙で執刀医の頭を飛ばそうと詰め寄った。

 

【うーん。これは相当なもんだね。】

 

執刀医は右手で自分の頭部をつかみ、自分から頭部を分離させて攻撃を避けた。

分離させた頭部を再びくっつける。立て続けに執刀医を落雷が襲い、執刀医はメスを避雷針がわりに投げて落雷から避難した。

 

「………!?」

【君強いね。………手加減できないよ?】

「なに?」

 

執刀医の残っていた片目のネジが外れて、地面に落ちて消えた。

両目が黒球になっており、ローウェンは不気味なそれに不吉で吸い込まれそうな印象を受けた。

 

【君には手加減できない。ここは私にとって不利だし、君の攻撃は非常に強力だ。】

「………。」

 

ハッタリとも思えない。何をしてくるかわからない。

ローウェンは敵の言葉に耳を傾けて、集中した。

 

【私は自分が反則なのを知っている。だから滅多に戦いには参加しない。】

「………。」

 

ローウェンはいつの間にか、自分の背中がじっとりと汗をかいていることに気がついた。

動いたせいではない。それは目の前の存在から受ける恐怖だ。敵の底が知れない。理解不能な恐怖。

初めて受ける感覚に、彼は戸惑った。

 

【私が敵を倒してしまえば、イアンがひどくつまらない思いをする。だから私は極力戦わない。でも………。】

 

二つの黒球が黒い渦を巻いて、強烈にその存在を主張した。

 

【たまには遊んでもいいかな。君は相当やるようだし、まあ多分死にはしないだろう。死なないならば、多少は痛めつけても構うまい。】

 

執刀医の二つの黒い眼球が宙に浮かび、くっついた。

 

◼️◼️◼️

 

暗い部屋。明かりをあえて消して、思考に沈む。

様々な事態を思案するも、どんな事態になっても、ミスタにできることは些末事。

 

それでも思考をやめない。

それしかできることがない。腹立たしい。

 

グイード・ミスタは両手を机の上で組んで、椅子に座っている。

気が気ではなかった。

 

送り込んだ人員は五名。

そのどれもが一騎当千と言って差し支えのない強烈な人材であり、これ以上は鼻血も出ない。

出ないことは無いが、出す意味が無い。

 

「………マジで、頼むぜぇ。」

 

自分が乗り込むことも考えた。

しかし、バジル・ベルモットとの邂逅がミスタにそれを思いとどまらせていた。

 

この世界はイアンの都合のいいように、イアンの望むように進む。

そうであるのならミスタのこの選択も、イアンの望んだものである。

 

ミスタは敵に一切の因縁を感じず、敵が執着する人間や運命を感じた人間のみを突入員にして構成した。

その結果のサーレー、マリオ・ズッケェロ、空条徐倫、ウェザー・リポート、フランシス・ローウェン。

敵の数は四名だと申告されていた。しかし数で押し潰そうとしたところで、死体の数が増えるだけに終わる。

 

サーレーは敵の首謀者に因縁を感じ、ズッケェロはオリバーに、徐倫は入院した父親の代わりに戦う必要性を感じ、ウェザーは体が不自由なアナスイの代わりに徐倫の手助けをする運命を感じ、ローウェンはリュカ・マルカ・ウォルコットとの因縁を。

通常ならば相手の思惑を外すのが常道の戦い方だが、この敵に限定すれば相手の思惑に乗ることが正着となる。

 

「腹を切っても………赦されねぇわな。」

 

期限ギリギリまで待ち、乾坤一擲の一戦を交える。

何度も戦える機会をあえて全て捨てて、ただただ一度きりの万全の状態での決戦。

その選択を決意したのは、ミスタだ。相手の思惑に乗って踊れるだけ踊り、最後に実利をもぎ取る。

 

もしも敵に敗北したら、パッショーネを差し出しても赦されることはない。

とてもミスタ一人の命で贖いきれるものではない。考えても結果が良くなることはない。

 

白髪が増えたかもしれない。皺も増えたかも知れない。

 

「ほんと、頼むぜぇ。白髪が増えたら、前以上にモテなくなっちまう。」

 

軽口でも叩いていないとやってられない。

プレッシャーが尋常では無い。

 

世界を終わるのが事実であるのなら、じっとしていられる人間などいない。

聞かなきゃよかった。

 

ミスタは静かに目をつぶり、目を開けて万が一の事態のために代用品の拳銃の整備をした。



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強者の煉獄

【Yeah! Check it out.Let us enjoy crazy playing.】

 

執刀医が高らかに宣言するとともに、黒い球体は黒い渦を巻きながら強烈な吸引力を発し始めた。

 

小型のブラックホール(マイクロ・ブラックホール)だとッッッ!」

 

ローウェンは、目を見開いた。

積乱雲のスーパーセルは黒球に吸引され始め、輝き爆ぜる雷霆も一旦引き摺り込まれればそこからは出てこられない。

瞬く間に雲は球体に吸い込まれ、ゴリゴリと減少していっている。ローウェンの体も引っ張られ、彼はそれに必死で抵抗した。

 

「馬鹿な!!!オーバースペックだ!!!」

 

異常である。間違いない。

本物のブラック・ホールほどには強力ではない。もしもそれが本物ならば、地球が壊滅している。

しかし偽物であったとしても、ローウェンの至高技を破るほどには強力な能力であるということだ。

 

ローウェンは天球儀に大部分のスタンドエネルギーを費やしてしまっている。

天球儀を解除されれば、戦いが非常に苦しいものになる。さらに言えば、煉獄に戻れば執刀医のスペックは顕著に上昇する。

 

「あああああああああああああッッッ!!!」

【You are crazy!I am crazy!Here comes the crazy world!So let us enjoy ourselves!】

 

ローウェンはスタンドから遮二無二雲を生成し、天球儀を維持しようと試みる。

しかしそれは、生成する端から黒球に飲み込まれていく。光を逃さない黒球は、依然として虚空に鎮座して渦を巻き続けた。

 

「ぐうッッッ!!!」

 

ここに来て、ローウェンに選択肢が現れた。

天球儀を維持しようと膨大なスタンドエネルギーを追加し続けるか、天球儀の維持を諦めてスタンドエネルギーを温存するか。

一見後者が正解に見える。しかし、天球儀が解除されたらそもそも戦いにすらならない相手であることは明白だった。

 

「クソッッッ!!!なんなんだコイツはッッッ!!!時間稼ぎすらできないッッッ!!!」

 

ローウェンは珍しく声を荒げ、眼球を取り外した執刀医は彫像のように不気味に突っ立っていた。

 

◼️◼️◼️

 

「私が思うに………。」

 

イアンは空中に浮かんで、腕を組んで上を見ながら思考している。

彼なりの持論を展開した。

 

「スタンド使いとは、ウィルスに適応して進化した人類だろう?」

「………?」

 

サーレーにスタンドの原理はわからない。

当然、ウィルスによる進化など知る由もない。

 

「スタンド使いに凶暴な人間が多いのは、当たり前なのではなかろうか?彼らは皆人間ではなく、人間から進化した何かだ。故に無闇に攻撃性が高い。近隣種である人間に対して、本能的な敵愾心を抱く。殺さねば、滅ぼさねば、彼ら自身が滅ぼされる。そう本能で考えているのではなかろうか?」

 

イアンは青白い浄化の炎を、サーレー目掛けて投げつける。

サーレーはコマ送りで軌道と回転を見極め、イアン目掛けて高速で迫った。

 

「もしかしたらウィルスが人間を進化させているのではなく、ウィルスがもともと進化していた人間を選り分けているだけなのかもね。」

「んなわけあるかッッッ!!!」

「ノンノン、マイフレンド。根拠のない否定は、学会ではタブーだよ。人の意見を否定するのなら、相応の根拠を示さなきゃ。地動説だって、長い間否定され続けた。」

 

イアンは浄化の青白い炎を、複数弓なりに打ち出した。それは弧を描いて所構わずに着弾する。

コマ送りになる時間の中で、サーレーそれらをかわして、かわして、かわした。

 

「多くのスタンド使いは人間に擬態して、社会に溶け込んで生活する。それは人間との共生が利益が大きいからなのかね?サーレー、マイフレンド。君はどう考える?」

「俺は人間だ!!!」

「なるほど。君はそういう結論を出したわけか。」

 

イアンはサーレーの返答に、満足げに頷いた。サーレーの答えにも一定の理があると認めたのである。

しかしそれは、イアンの答えを覆すものではない。

 

イアンの周囲に浮かぶ複数の浄化の炎が横長く形態を変化させ、丸鋸のように空を切る金属音を鳴らしながらサーレーに迫った。

サーレーは身を屈め、壁を蹴り、影を残すような速度でそれら全てを滑らかにかわした。

 

「確かに私の説も、仮説の域を出ない。スタンド使い同士が殺しあうことに説明がつかないからね。しかしよく考えてみるといい、マイフレンド。君ほど強い人間はそういないよ?君は逸脱している。」

 

もともと万能性の高かったクラフト・ワークはジョルノに出会い飛躍し、緑色の赤ん坊と融合することによって異常と言えるほどのスペックを有している。それこそ、狂人イアンの土俵で、まともに戦えるほどに。

 

「私は自覚している。私は異常だ。」

 

浄化の炎がイアンの周囲に複数浮かび上がり、それらは融合した。

巨大な青白い腕が虚空に浮かび上がり、それはサーレー目掛けて迫り来る。信じられないほどの質量と熱量を伴っている。

同時に、イアンは白衣を翻した。

 

「ほら、マイフレンド。これが証拠だ。この攻撃を捌けるのは、私は君の他に知らない。」

 

サーレーは恐ろしく集中し、クラフト・ワークは空を飛ぶ青白い腕を空間を固定することによって押し留めた。

さらに瞬間移動によって移動したイアンを目の端に捉え、上体をひねって挟み打つような攻撃を鮮やかにかわした。

 

「………お前のその白衣を翻す動作は、ルールだな?」

「マイフレンド、君は賢そうには見えないけれど、案外と良く見てるんだね。」

 

サーレーも必死だ。普段は気付かないようなことまで敵を観察している。

イアン・ベルモットは前回の戦いで、予備動作なしに瞬間移動を行使した。

 

しかし今回の戦いでは、移動する直前に毎回白衣を翻している。

それは予備動作なしでの瞬間移動は、強力すぎて反則に値するとのイアンの判断だった。

 

「白衣を翻す動作にかかる時間が、およそ0、2秒。これは確かに君のいう通り。私が自身に課したルールだよ。破ったらイエローカード。二枚でこの世から退場だ。」

 

クラフト・ワークは素早く移動し、巨大な青白い腕の射線上から逃れた。

それと同時に巨大な青白い腕は、誰もいない空間を削り取っていく。イアンが指を振って、巨大な青白い腕は霧散した。

 

「じゃあ次に行ってみよう。これはどうかな?」

 

イアンが両手の指で三角形を作り、その先に三角錐の浄化の炎が現出した。

イアンが指を折り曲げて狐を作ると、浄化の炎は狐の姿に変化した。

 

「追尾する炎だ。コン!」

 

イアンが両手の指でそれぞれ狐を作り、浄化の炎が二尾の狐になってサーレーに迫り来る。

イアンが唐突に指を蝶々に変形させると、それはサーレーの目の前で融合して一匹の巨大な蝶へと変形した。

 

「君たち暗殺チームは、実力が高くなるほどに神格視される。強くなるほどに神に近づいていると、みんなきっとそう認識しているんだろうね。本当は君たちも、私と同じことを考えているのだろう?スタンド使いの進化の行き着く先が、どこなのか。」

 

蝶はサーレーの眼前で突如羽を広げ、サーレーはそれに目を奪われた。

羽がサーレーの視線を遮った瞬間にイアンは白衣を翻し、サーレーの背後に回って背中に蹴りを放った。

 

「グッ………!!!」

「マイフレンド、君は搦め手にそこまで強くないようだね。」

 

サーレーは蹴られて床を転がり、青白い蝶はその場で爆発した。

それはサーレーを巻き込んで、サーレーは体に火傷を負った。

 

「まあ二度通用する攻撃だとも思えないが、新鮮だろう?」

 

イアンは指揮者のように腕を振り、浄化の炎が周囲に現れた。

それは燃焼し、熱で周囲を揺らめかせている。

 

「………。」

 

サーレーは火傷を無視して立ち上がった。致命傷には程遠い。

強い。攻撃が非常にトリッキーなのは、イアンの性格的なものだろう。厄介なそれを差し引いてもイアンの操作する炎は柔軟性が高く、妄想を形にするこの空間はイアン・ベルモット本体と信じられないほどに相性がいい。前回の戦いに比べて、わずかな期間で戦い慣れている。しかも、まだこれが底だとも思えない。

 

暗殺チームは後がない最終手段であるだけに、戦闘能力と万能性が重視される。サーレーはそれなりに腕っ節に自信があったし、過去に死線を乗り越えたという自負があった。しかしそれでも、今回の敵は底知れない。理解が出来ない。

何しろ殺し合いを遊びと称して、自身に不利になり得るルールを勝手に自分に課しているのである。

 

サーレーは、無意味な思考を振り切った。

考えても事態が好転しないのならば、考えても無駄だ。サーレーに出された至上命令は、目の前の男の処分。

それを倒す手段であればいくらでも考える意味があるが、どうせ見えないだろう敵の底力を推し量る意味は無い。

 

「さてお次は、これでどうだろう?」

 

浄化の炎が揺らめき、部屋の隅に待機しているマネキンの顔をそっと撫でた。

それはドロリと変形し、チョコラータの顔を象った。

 

【おいイアン!!!テメーなんてマネをしやがるッッッ!!!】

 

チョコラータの顔面に、首から下は全裸のマネキン。非常に奇怪で、不気味極まりない。

 

「彼はマイフレンド、チョコラータ。とは言っても、本物じゃあないけどね。」

【アハハハハハハハハハハ!!!】

 

マネキンのチョコラータは、馬鹿笑いをした。

浄化の炎は片っ端からマネキンの顔をそっと撫で、それは次々と顔が変形していく。

 

【俺は帝王だッッッ!!!俺の人生は、永遠の絶頂だッッッ!!!アハハハハハハハハハハ!!!】

【ボスッッッ!!!俺たちは二人揃えば無敵だッッッ!!!アハハハハハハハハハハ!!!】

【ヘイ、ユー。レッツパーリー!!!アハハハハハハハハハハ!!!】

 

マネキンは次々とサーレーが見たことある顔やそうでない顔に変形していき、それはことごとく馬鹿笑いをする。

馬鹿笑いの狂ったオーケストラ。イアンは指揮者のように、軽やかに腕を振るった。

 

「彼らは皆、私が過去に生き返らせたことがある者たちだ。マイフレンド、私を倒したければ、まずは彼らを乗り越えたまえ。」

「………。」

 

サーレーは唖然として、三十体ほどのマネキンが次々に顔を変化させていく様を見ていた。

 

「なあに、ビビる必要はないよ、マイフレンド。これはラスボスと戦う時の演出の一環に過ぎない。彼らは皆、スタンドを使えない。本命はあくまでも私で、ただ単にラスボスらしい演出をしてみただけさ。前からずっと憧れてたんだよね。」

 

イアンは楽しそうにうっすらと笑い、サーレーにウィンクした。

彼の前に、およそ三十体のマネキンが整列した。

 

◼️◼️◼️

 

マリオ・ズッケェロは困惑した。

 

「よぉ。………やっぱし来るよなぁ。」

 

オリバー・トレイルは頭を掻いて苦笑いして、まるで旧知の友にするように片手を上げている。

自分から姿を見せた敵に、ズッケェロはそれに一体何のメリットがあるのかと訝しんだ。

 

「テメエ………どういうつもりだ?」

「おおっと、ストップ。そこでストップだ。」

 

回転木馬はズッケェロを鋭くにらみ、マリオ・ズッケェロは五メートルほどの距離を置いて停止した。

 

「なぁに。殺し合いをする前に、最後に意思の疎通を図る意味があると思ってな。」

「意思の疎通?」

 

相手は赦されざる者に与する人間で、今さら意思の疎通をする意味があるとはズッケェロにはとても思えない。

オリバーは人懐こいような、胡散臭いような、諦めたような微妙な笑いを浮かべている。

 

「俺の人生、先はそう長くない。」

「!?」

 

いきなり告げたオリバーの言葉に、ズッケェロは戸惑った。

相手の意図が見えてこない。

 

「お前、戦わずにバックれる気はないか?」

「ふざけんなッッッ!!!」

 

思わず詰め寄ろうとしたズッケェロを、オリバーの背後にある回転木馬の重圧がその場に押し留めた。

ヘラヘラと笑うオリバーの後ろの小型の回転木馬が、無闇に大きく見える。

 

「………大したことじゃねぇよ。どうせ俺の先はそう長くない。そんな俺に付き合って、お前まで一緒に破滅する意味はないだろう?」

 

オリバーはもともとは、真っ当な感性を持つ人間だ。

オリバーは殺人を幾度も犯しているが、それはイアンに目をつけられて先のない人間に対してだけだ。

実際どうかはわからないが、オリバーはそれが彼らへのせめてもの救いになると、そう信じていた。

 

故にイアンに目をつけられていない人間を、無意味に殺そうとは思わない。

わずかな延命であったとしても、無意味な提案だったとしても、目の前で破滅しそうになっている人間がいたら押し留めようとする。

 

「お断りだ!!!俺は俺の任務を全うする!!!」

「はあ。やっぱそうだよなぁ。」

 

オリバーはため息をついた。

 

「俺なりに必死に前へ前へ進んできたんだが、もうどうしていいかわかんねぇんだよ。進んだ道が正解だったのか、致命的な間違いだったのか。他に方法がなかったのか?何もかもがわからねぇ。だから………。」

 

マリオ・ズッケェロはジリジリと、オリバーとの距離を詰めにかかった。

 

「どうやっても、一度きりの人生。わからなくても、結局は前に進むしかねぇ。這いずっても、苦しくても、死にそうになっても、生きている限りは結局それしかない。俺はそう開き直った。だから向かってくる人間がいたら衝突するし、俺から道を譲るつもりは微塵も無い。」

 

オリバーは自身の背後の扉を開いて内部に入り、扉を閉めた。

 

「はッッッ………!!!」

 

回転木馬は消失し、それと共にズッケェロの記憶が消え去る。

ズッケェロは、オリバーを追いかけようと扉に手をかけている。

記憶は消えたものの、自分が何を行おうとしていたのかは推測できる。

 

………この先にいる。

ズッケェロは、懐の冷たく重い感触を強く意識した。

それはズッケェロが怪物木馬に対抗するためにグイード・ミスタから借り受けた、お守り。

 

目の前の扉は、死出の旅路へと続いている。黄泉へと繋がる門。

それは恐ろしく重く、心の底が震えるほどに冷たく、緊張で汗が垂れて歯がカチカチと鳴った。

ただ開けるだけの扉が、信じられないほどに重い。心が凍えるほどに冷たい。

 

ズッケェロは、長く付き合いのあるサーレーのことを考えた。

彼は今現在首謀者と対峙し、死に物狂いで戦っているはずだ。

………ならば、自分だけ死を恐れて立ち止まっているべきではない。

 

仲間のことを考えれば、ボスのことを考えれば、守るべきもののことを考えれば、たとえ死出の旅路だろうと勇気が湧いてくる。

その勇気がたとえ、錯覚であったとしても、ただの強がりだったとしても。嘘でも錯覚でもそれを頼りに立てるのならば、酔って狂って這いずって、強がりで笑って必死に前へと進もう。

 

人は希望があるから、前へ進める。

彼らの希望が黄泉の門のその先にしか存在しないのであれば、それすらも超えて行こう。

 

ズッケェロは必死に、己を奮い立たせた。

ズッケェロは覚悟を決めて、力を込めて目の前の扉を開いた。

 

◼️◼️◼️

 

【予想外なことを楽しむ、か。】

「う………。」

 

執刀医は、目の前で鋼鉄製の拘束具に拘束された男に目をやった。

地面に落ちてばらけた顔面を拾い集め、頭部において接着していく。

 

【痛くはない。怖くもない。ただただ、予想外だった。君が強いことは知っていたのにね。】

 

黒球を発動した執刀医。

それはローウェンの天球儀を瞬く間に吸い込み、打つ手を制限されたローウェンはひたすらに天球儀の維持に努めた。

そしてやがてそれすらも困難になった時、彼は残された全ての力をかき集めて漆黒の殺意へと昇華させ、死に物狂いで執刀医に攻撃を仕掛けた。

 

その行動は執刀医にとって想定の範疇であり、しかしその威力は想定外だった。

ローウェンのハイアー・クラウドのしなる腕は執刀医の予測を超えた速度で迫り、その威力は顔面を粉々に砕き、砕いた後に雷霆がその場で弾け散って執刀医の体を粉々にした。砕け散った執刀医は己の体を拾い集める必要があり、それに予想よりも時間がかかってしまった。

 

ローウェンは敗北したが、捨て駒として可能な限りの時間を稼ぐという目的は遂行した。

そのさほど長くない稼いだ時間に、いかほどの意味があるかはわからない。意味が無いかもしれない。

執刀医は楽しそうに、拘束されたローウェンに笑いかけた。

 

【じきに君の敵がくる。さっきの技は、さすがにもう使用不可能だろうね。まあもう少しだけ時間に余裕があるから、それまではゆっくり休んでおきなよ。】

 

予想外を楽しむ。イアンがずっと前から、大切なことのように繰り返していた。

自分にも果たしてそれが楽しめたのだろうかと、執刀医は首を傾げた。

 

【ここはイかれた世界。狂った煉獄。強い者が生まれ、そして狂った願いを叶える世界。お客様、ぜひごゆるりと楽しんでいってくださいね。】

 

執刀医は拘束されたローウェンに慇懃無礼に一礼をすると、地面と同化してニュルリと何処へともなく消え去った。

 

◼️◼️◼️

 

狂者の煉獄は、強者の煉獄。

全ては強い者が優先され、そして生まれる。

強者が我を通し、そして踊り狂ったその挙句に何も残らないという不毛な理論で運営されている。

 

「………ッッッ!!!」

「はああッッッ!!!」

 

リュカ・マルカ・ウォルコットのスタンドが、身を低くかがめて徐倫めがけて突進をした。

徐倫はアクロバティックな動きで蹴りを放ち、当たった反動で身をかわす。

 

「ああああッッッ!!!」

 

上空からストーン・フリーの鋼鉄の糸が降り注ぎ、リュカのセミの幼虫のようなスタンドの背中に突き刺さった。

それは鈍い音を立て、リュカはわずかに表情をしかめた。

 

「浅いッッッ!!!」

 

徐倫の予想よりも攻撃は浅く、リュカは上空から自分の背中に降り落ちた糸を引っ張った。

徐倫は糸を自分から切断し、出血しながら致命的な事態に陥るのを防いだ。

 

「………!!!」

 

リュカが素早く徐倫に向けて突進し、徐倫は全身を糸にして世界に溶け込んで逃げようと試みた。

しかし糸の一部をリュカのスタンドに素早くつかまれ、リュカのスタンドのストローを突き刺されようとしている。

それが刺されたら体内をかき混ぜられて爆弾にされてしまう。敗北確定だ。

 

糸の切断が間に合わないと判断した徐倫は、ストーン・フリーの拳を強く固めてリュカの顔面めがけて殴りかかった。

しかしそれはリュカのスタンドであるケミカル・ボム・マジックの片腕にやすやすと弾かれてしまう。

そのまま敵のスタンドの顔が動き、ストローが徐倫めがけて突き出された。

 

「徐倫、大丈夫かッッッ!!!」

「ウェザー!!!」

 

徐倫の戦いを気にかけていたウェザーは徐倫の危地に割って入り、ウェザー・リポートの拳がリュカのスタンドを殴り飛ばした。

 

リュカのフードが取れ、マスクが落ちて、死人のようなその凶相が露わになる。頬はこけて不健康な土気色をし、顎は多量の糸で縫いつけられてそれでもまだひどく形が崩れている。鼻も溶け落ち、黒い白目の中央に三白眼の青い瞳、頭部に髑髏と龍のタトゥー。多数のピアス。

その形相を見て、徐倫はファッション雑誌によくある骸骨のアクセサリーを思い出した。

 

「そっちは大丈夫なの?」

「何とも言えない。雲が使用不可なのがどうにも。しかし乱戦に持ち込むしかないだろう。」

「アナタッッッ!!!」

 

ウェザーが徐倫と背中合わせに立ち、ベロニカがリュカに駆け寄った。

リュカは首を鳴らして、ゆらりと幽鬼のように立ち上がった。

 

「行くぞ。」

「ええ。」

 

徐倫が前に出て、ウェザーが後ろでサポートをする。

起き上がりで体勢を立て直しきっていないリュカは徐倫のストーン・フリーの突貫によろめき、ベロニカがリュカのサポートに回る。

不得手とするベロニカに陣取られ、徐倫はリュカに追撃できない。

 

「馬鹿なッッッ!!!」

 

ウェザーが突然叫んだ。

 

「どうしたのッッッ!!!」

「雲が使用可能になっている!」

 

ウェザー・リポートが雲を使用可能になった。

それは戦局を有利に運びうる好条件であるが、それだけではない。

 

「いくらなんでも早過ぎるッッッ!!!」

 

フランシス・ローウェンは執刀医の足止めのために招集された人員だ。

その至高技の片割れ天球儀は、近隣の雲を辺り構わず自分の技の一部として支配下に置くという特性があり、ウェザーが雲を使用可能になったということはローウェンの天球儀が解除されたということに他ならない。

 

そこは負けても許される戦局であり、大勢を決しない。

敵は得体が知れない強力な存在であり、手出しが不可能ならば放置する他に手立ては無い。

それでもローウェンはヨーロッパ裏社会伝説の男であり、それがこうも短時間の足止めしか叶わなかったという事実がウェザーに精神的なショックを与えた。

 

「ウェザー、落ち着いて。私たちは私たちにできることをやるしかない。」

「………ああ。」

 

ウェザーは目を細めて、彼我の戦力を分析する。

空条徐倫とウェザー・リポート。対するはリュカ・マルカ・ウォルコットとベロニカ・ヨーグマン。

戦闘の相性で見ればウェザーはベロニカと相性が良く、徐倫はリュカと相性がいい。しかしリュカがなぜか強化されており、綱渡りの互いの支え合いの戦い以外の選択肢は取れない。雲が使用可能になったことはこの戦局において大きなプラス要素であり、ウェザーはベロニカの相手をしながら徐倫のサポートに回る必要がある。

 

「はあッッッ!!!」

 

徐倫が前に出て、それに反応したリュカが右腕を突き出した。

徐倫のストーン・フリーは滑らかに空中で解け、鮮やかに収束してリュカの全身を拘束する。力任せにリュカはそれを振り解こうと試み、それをいなすように徐倫は拘束に遊びを作った。

 

「!!!」

 

力を逃がされてリュカは体勢を崩し、ウェザー・リポートが追撃を試みる。

しかしベロニカがリュカのサポートに回り、徐倫を溶かされないためにウェザーは咄嗟にアルカリの雨を降らせた。

 

「………!!!」

 

体勢を立て直したリュカが、徐倫を仕留めようと空に浮かぶ糸に右手の指を伸ばした。

それに対応するためにストーン・フリーの上半身が束ねられ、糸がリュカの右腕の関節に絡まった。

 

「………ッッッ!!!」

 

リュカは束ねた糸を関節に絡められたまま腕を力任せに動かし、徐倫はそれに引きずられる。

ベロニカの酸の甲殻類もすでにリュカの体を這い上がってきており、危機を察知した徐倫は即座に絡まる糸を解いて退避しようとした。

 

「グッ………!!!」

 

ウェザーが徐倫の危機に降り注ぐ雨に電流を流し、神経の命令が阻害されたリュカと徐倫は揃って一時的に硬直した。

ウェザーはリュカに攻撃しようと前に出て、それを押しとどめるべくベロニカも同時に前に出る。

 

「どけッッッ!!!」

 

ベロニカの不定形のスタンドは、殴りかかるウェザー・リポートの拳をすり抜けた。

ウェザーの拳は、酸に焼かれて爛れた。

 

「あああああああああああああッッッ!!!」

 

しかしウェザーは痛みを無視して小型の積乱雲を生み出し、ベロニカのスタンドの内部に電流を流した。

ベロニカの体内を電流が蹂躙して、爆ぜてタンパク質の焼ける匂いがした。

 

「徐倫ッッッ!!!」

 

リュカがウェザー・リポートの殴りかかる右手を右手でつかみ、その隙にリュカの背後に徐倫が現れた。

二人は目で通じ合い即席の連携を組み上げ、挟み込んでリュカと拳を幾重にもかわした。

 

「何があったッッッ!?なぜコイツはこんなにも強化されている?」

 

リュカは二対一の攻撃をさばき、ベロニカが復帰して再び乱戦へと戻る。

先の見えない戦いにウェザーが詰将棋のように戦局の推移を想定しようとしたときに、唐突に変化が訪れた。

 

【Hello!Everyone.やあやあ、みんな戦いに熱が入っているね。】

「馬鹿な………。」

 

ウェザーの額に、冷たい汗が流れた。

それはローウェンが押しとどめるはずだった、敵方最大の不確定要素。

不確定要素だが、ローウェンをもってしても短時間の足止めしかできない相手。

未知数ながらも、恐ろしいほどの実力を持っていることだけは確定している。

 

【リュカ、君の準備ができたよ。さあ、行って因縁に決着をつけてくるといい。】

 

唐突に地面から現れた、新たな敵。

機械の体、ネジの無くなった黒ずんだ不気味な瞳、鋼鉄の心臓、白衣を羽織り、無機質な表情をしている。

表情が読めず、何を考えているのかさっぱりわからない。

 

ウェザーは困惑し、狼狽し、動けなかった。

リュカは無言のまま執刀医の側に近付き、二人はそのままどこかへと向かって歩いて去っていく。

 

「ま、待てッッッ!!!私を置いていくな!!!」

 

ベロニカのその言葉に執刀医はしばし思案すると、リュカに耳打ちして場所の指示を出した。

 

【OK!配役チェンジだ。ここから先は、私がリュカの代わりを果たそう。彼には彼の、戦いがある。】

「嫌だッッッ!!!キモいッッッ!!!お前と共闘なんか、断るッッッ!!!」

 

ベロニカが高らかに、駄々をこねた。

 

【まあそう言わずに。私も出来るだけリュカの能力を模倣できるように頑張るよ。】

 

得体の知れない不確定要素。

リュカ・マルカ・ウォルコットの代わりに、敵方に執刀医が参戦した。



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崖から落ちていくマリオ・ズッケェロ

扉を開ければ、そこにノスタルジー。

 

『脳の感情を感じる部分を、麻痺させたらどうだろうか?』

『それは、あなた自身がどうなるかわからない。戦闘を継続できるか疑問が残るし、効果があるかどうかも不確か。一度きりの戦いで、それは勧められない。見えない不確かなものを信じるよりも先に、目に見える確かなものを信じるべき。』

 

崖の前に立つマリオ・ズッケェロは、背中を押された気分だった。

地面がどんどん近付いてきて、落下する速度はどんどん上昇していく。

彼はどこまでもどこまでも落ちていき、やがて地面に潰されて死ぬ。その未来が鮮明に見える。

 

『それを望んでいたんでしょ。誰かが崖っぷちから背中を押してくれるのを。』

『………ああ。』

 

嫌な役を任せてしまった。

しかし彼女は、さすがに的確だ。必要とあらば、ためらわずに背中を押してくれる。

 

それは、マリオ・ズッケェロが望んでいたことだ。

一人では怖くて、答えを出す勇気がなかった。死ぬのが恐ろしくて、ずっと迷い道を行ったり来たりしていた。

道の先に明確に死が見えていて、そこに向かうために他の道があるのではないかという言い訳に逃げそうになっていたのだ。

 

『聞く限り、ズッケェロさんの解釈でほぼ間違い無いと思う。その人、とんでもない怪物だよ。』

『………。』

 

幽霊となったジェリーナ・メロディオは、戦いに赴く悩める兵士たちの相談役となっていた。

いつもは不安を紛らわせるために人が訪れるそこには、今日はマリオ・ズッケェロただ一人。

最終決戦に向かう彼らに、ミスタが気遣って指示を出したその結果だった。ポルナレフも気を利かせて、その場を離れている。

 

『死んで始めて道は開かれる。………ズッケェロさん。』

 

ジェリーナ・メロディオは躊躇った。

彼岸と此岸の境目、それは間違いなく死線と呼ばれるものであり、超一流の殺し屋はほとんど例外なくそれを乗り越えている。

その境目で此岸に留まることが出来た者だけが、死を乗り越えた一流の殺し屋として名を馳せる。

一体彼女に、どれほどの助言が出来るというのか?嘘や気遣いには何も意味が無い。

 

メロディオも暗殺チームに所属したての新人の頃、マドリードでの銃撃戦でそれを乗り越えている。

フランシス・ローウェンでさえ、最初のリュカ・マルカ・ウォルコットとの戦いは間違いなく死線であった。

サーレーもグリーンドルフィンストリート刑務所ですでに死線を乗り越えており、ズッケェロはその戦いでは怪我で見学に徹していた。

それでもイタリアの異変では、ズッケェロも命懸けで戦った経験がある。

 

とは言え、あまりにも分が悪い。

よくて相打ち。しかし相打ち上等。相打ちでも敵を倒しさえすれば、死後のズッケェロは英雄として称えられる。

相打ちだったら勝ちだと胸を張る破れかぶれの戦いで、相手は恐らくはローウェンクラスの才能を持つ怪物。

マリオ・ズッケェロは、絶対に生きては帰れない。

 

そもそもがおかしいのだ。

マリオ・ズッケェロはそこそこの期間を殺し屋として、パッショーネに専門の教育を受けてきた。

必死に努力して、学び、苦しみ、ようやくサーレーを補佐できる、肩を並べられると胸を張れるだけの自信が持てた。

 

それが、なんの教育も受けていないただのトチ狂った一般人。

戦い慣れた、マフィアやギャングですらない。

 

ただただ苦しみに流され続けて、人生に翻弄され続けて、転び立ち上がりを繰り返した結果、それはホル・ホースとマリオ・ズッケェロを手玉に取る真性の怪物へと成り上がった。訓練を受けていない一般人が、ヘラヘラ笑ってプロの殺し屋を手玉に取っているのだ。

 

異常な耐久力、異常な応用力、異常な胆力、異常な戦術柔軟性。

その存在の何から何までもが異常。

 

本来は殺す方と殺される方の関係のはずだ。それが一体どれだけ異常なことか?

鯉はまさしく、龍と成ったのだ。

 

それがオリバー・トレイルという存在。

真性の稀代の怪物、理不尽の権化、まごうことなくローウェンと双璧をなす才能の麒麟。

 

回転木馬は攻撃であり、防御であり、逃走手段であり、技術である。

怪物は相手の感情を自在に揺さぶり、無理やり隙をねじ込んで背後から銃口を向けてくる。

 

『死なないで、とは言わない。私たちは暗殺チーム、死ぬのも私たちの仕事の一部。でももしもあなたがそれを生きて乗り越えることが出来たなら………。』

『出来たなら………?』

 

マリオ・ズッケェロはメロディオに続きを促した。

 

『きっとあなたは化ける。あなたの異名は、あまねくヨーロッパの恐怖の代名詞になる。』

 

それは二頭の殺意の龍同士の殺し合い。

空を征く二頭の龍が激突して、負けた方は闇に溶けて消え勝った方が天へと上る。

 

『死んで始めて道は開かれる………。』

 

ズッケェロは、メロディオの言葉を復唱した。

マリオ・ズッケェロの瞳に、静かに漆黒の意思が宿された。

 

◼️◼️◼️

 

扉を開ければ、そこにノスタルジー。

その先に終焉が待ち受けていたとしても、ズッケェロには扉を開く以外に選択肢は存在しない。

 

回転木馬は荘厳に部屋の中央に鎮座し、ひたすら周囲に凶悪な感情を振りまいている。

ひどい倦怠感だ。マリオ・ズッケェロは、頭を振った。

 

意識がはっきりしない。思考が定まらず、頭がぼんやりする。朧だ。

体がだるくて熱い。しかし、心は異様なまでに寒い。

 

「ラスト・メモリー、虚無の記憶。」

 

目の前には重厚な存在感を放つ小型の回転木馬。

口を開けて、真正面からズッケェロを見下ろしている。

 

「まあしんどくてやる気出んだろ。しばらくゆっくりしていきな。」

 

茶髪の軽薄そうな中年男。外見からは、とても強そうに見えない。

しかしてその実態は、訓練された殺し屋を手玉に取る最強クラスのスタンド使い。

 

オリバーはズッケェロにそれだけ告げると、部屋から入れ替わりに退出していく。

残されたのは吠え猛る回転木馬と、意識のボヤけたマリオ・ズッケェロ。

 

体がだるくて熱い。しかし、懐だけは妙に冷えこんでしまっている。

その寒さが、妙に空恐ろしい。

 

「………もうダメだ。」

 

ガチガチに震えるズッケェロは、無手で生きる寒さを知った。

涙は止まらず、ひどい虚無感を感じるのに苦しみだけはいやらしくジクジクと心を責め苛み続ける。

 

妻は交通事故で死んだ、息子は難病で払えない大金が必要だ。

社会には盗人と後ろ指を指され、時間は時限爆弾となり安らぎを与えてくれない。

 

オリバー・トレイルの苦しみの記憶。

彼が邪神にでも縋ってしまう気持ちが、マリオ・ズッケェロにも深く理解ができた。

邪神に縋った末に、彼の一番大切なものだけは守られたのだ。社会はそれを守ってくれなかった。

そしてオリバーは、その対価として邪神に忠誠を差し出した。

 

「寒い、寒い、寒い………。」

 

心が壊れるかと思うほどの苦しみと、愛する者を無くした虚無。

それは体にも変調を及ぼし、寒さと暑さが交互にやってきてはズッケェロのぼやける意識を時折いやらしく刺激する。

 

倒れて寝たままでいたいのに、起きないといけないという義務感。

急がないと、息子にはあまり時間がない。ほら、早くしろ!

 

嗚咽が止まらない。何を考えていいかすらも考えられない。

頭が痛く、現実の苦しみの中を都合のいい幻覚が時折差し込まれる。

そのギャップが、現実に戻った時にズッケェロに余計に苦痛を与えてくる。

 

目の前の回転木馬は、優しく微笑んでいる。

もう疲れただろう?全てを忘れて寝てしまえ。誰もお前を責めたりはしない。

その誘惑に負けてしまえば、起きた時に全てが手遅れになってしまう。

わかっているのに、その提案は非常に魅力的で抗い難い。

 

「あああああああああああああッッッ!!!」

 

狂気と失う恐怖。

死に物狂いで立ち上がろうとする意思と、それに意味はないのではないかという恐怖。

それは交互にやってきて、ズッケェロの意思をひどく揺さぶる。

 

息子はお前には救えない。お前に為せることは何も無い。

回転木馬が嘲り笑っているように、ズッケェロには思えた。

 

「嫌だ嫌だ嫌だッッッ!!!」

 

何も役に立てないのは、認められない。

駄々をこねる子供のようにみっともなくズッケェロは喚き散らし、そしてまた急に虚無感が現実味を帯びてきた。

ひどく精神を揺さぶられる。精神が不安定な危険な状態だ。

 

「………死のう。」

 

死出の旅路を行こう。黄泉の門を開こう。仲間のために、死ぬことを覚悟しよう。

その先にしか、希望が存在し得ないのだから。

 

………それで始めて、先へと進む道が開かれる。

光源のない暗闇の地雷原を、目を瞑って死に物狂いで突っ切るしか出来ることがない。

 

マリオ・ズッケェロは懐に入れた、黒く光る拳銃を取り出した。

それはグイード・ミスタに頼み込んで、無理を言って借り受けた物。

 

床に蹲るズッケェロは自身の腹部に銃口を当てて、弾倉に込められた銃弾を全弾発射した。

あたりに血液が飛び散って、周囲の赤黒い床をなおも赤く染めていった。

 

◼️◼️◼️

 

リュカ・マルカ・ウォルコットは、目の前の光景にしばし思案した。

仇敵フランシス・ローウェンが拘束具に拘束され、みっともなくもがいている。

 

………この状況で、殺すのは簡単だ。選択権は彼にある。

執刀医はそれを見越して、リュカに彼を譲渡した。

 

憎い相手、恨みのある敵。この男のせいで、リュカは全てを失った。

彼は復讐のためにイアンに頭を垂れ、今までずっと時を待っていた。

 

「………。」

 

殺せばそれでお終い。

リュカはこの先の戦いを絶対に生き残ることはできなくなる。

彼がこの先を生き抜く可能性があるのは、真っ向勝負でローウェンを捩じ伏せた場合だけである。

それで始めて、イアンにリュカの強さを証明することが出来る。

 

こうなってしまうと、裏社会にその名を轟かす男であっても非常に無様だ。

ローウェンにはスタンドエネルギーもろくに残っておらず、ただただ現状をなんとか打破しようとリュカの目の前で無駄な足掻きをしている。

 

ーー君へのささやかなプレゼントだ。いつだって、行動の選択権は君にある。君がしたいようにすればいい。

 

リュカは、悪魔に試されていることを理解した。

今この時が全て、彼がその哲学を貫くのであれば、迷いなく殺害する場面だ。

しかしその哲学を曲げなければ、彼に先が存在する可能性がゼロになる。

 

リュカはこの時、生まれて初めて未来に思いを馳せていたのかもしれない。

短絡的に殺害して、未来の存在しないままでいいのかと。

或いは一人勝って無人の荒野に佇む未来、それに一体如何程の意味が存在するのかと。

そんなものに意義を見出せるのは、頭がイかれているイアン・ベルモットくらいだ。

 

意義も無く理由も無く道理も無く。存在する未来に価値は無く。

今この時が全てで、恐らくはこれが最後の機会だ。

一度そう考えてしまえば、安易に単純に簡単に答えを出すのは躊躇われた。

 

(最後の戦いだ、ローウェン。)

 

本来リュカは、自身の行動に時間をかけるタイプではない。

しかし彼は、時間をかけて吟味した。

 

選択肢を渡され、そのどれを選ぼうとも自己責任。

人生、自分の行動に自分以外に責任を持つべき人間はいない。

ここにはリュカの行動に口出しできるイアンもいない。

 

リュカが迷った末に出した答えは、自身の自己満足。

どう行動しても選択を誤る可能性は、後悔する可能性は、絶対的に付き纏う。

それはどうやっても消せない。一生付き合っていく以外に方法が無い。

そもそもそれが人生だから。

 

たった一度きりの最後の機会。

ならば一切のしがらみを無視して、どうすれば自分が納得するかを最優先させよう。

後のことは後で考え、今この時にここにいる自分がどうすれば一番満足するか。

 

原初の願い、彼は裏社会で誰にも負けないことを誇りに思っていたはずだ。

無抵抗な人間を、ただ嬲り殺すことに意味が見出せない。満足出来ない。

 

実力で彼を乗り越え、自分が誰にも負けないことを自身に対して証明する。

それが最大の目標であり、それに比べれば他の願いなど全て次善策に過ぎない。

ローウェンに正面から勝てないから、手段を選ばない殺害に拘っていたのだ。

リュカはそれを思い出した。

 

(最後に思いっきり遊ぼうか、ローウェン。)

 

リュカ・マルカ・ウォルコットのスタンドは、力任せにローウェンを拘束する拘束具を引き千切った。

因縁の最後の戦いが始まる。

 

◼️◼️◼️

 

【よし、ベロニカ。力を合わせて奴らと戦おう!!!】

「来るな来るな、近寄るな!わぁぁぁぁ!!!」

 

ベロニカの近くに立つ執刀医は、リュカのスタンドを真似て自分の口腔部をストロー状に変形させた。

それを見たベロニカは、気持ち悪がって執刀医から咄嗟に後ずさった。

 

【いや、これ君のダンナのスタンドの真似だけど?】

「やめろ、寄るな!!!キモい!!!アイツを倒せッッッ!!!」

 

ベロニカは執刀医を気持ち悪がって、徐倫とウェザーに倒すように指示を出した。

二人は仇敵のその行動に、困惑する。なんだコイツ?

 

「やれ!!!私も全力でサポートする!!!三人で力を合わせてあの気持ち悪い機械をぶっ倒すんだ!!!」

 

いや、そう言われてもアンタも敵だろう?何言ってんだ?

徐倫とウェザーは顔を見合わせて、わずかに逡巡した。

 

執刀医の今の外見。

機械の体に黒球の二つの瞳、口はストロー状になっており、血塗れた白衣を羽織っている。

確かにあまり見目麗しい類ではない。ゲテモノの部類だ。

 

だがあんな凄惨な事件を起こしておいて、たかが見た目が気持ち悪いくらいでなぜこの女はこんなにも拒絶反応を起こしているのか?

お前は裏社会の臓器密売組織のボスではなかったのか?

お前のスタンドも見た目が気持ち悪いのだが?

徐倫とウェザーは、揃って首を傾げた。

 

ウェザーは黙って、ウェザー・リポートでベロニカの顔をぶん殴った。

 

「ぶえッッッ!!!何をするッッッ!!!」

【ホラ、言わんこっちゃない。さっさと二人がかりで戦うよ。】

 

ニュルリと執刀医はベロニカの横に立ち、ベロニカはやはり後ずさった。

生理的に受け付けないものは、受け付けない。どうやっても、無理。無理なもんは無理。絶対に無理。

 

「オラァッッッ!!!」

「ぐぇッッッ!!!」

 

徐倫のストーン・フリーが、糸を束ねた拳を振り切った。

それはベロニカの顔面をとらえて、吹き飛ばした。

 

【大丈夫かッッッ!!!】

 

執刀医は徐倫ウェザーコンビと、ベロニカの間に颯爽と立ちはだかった。

白衣をはためかせ、まるでヒロインを救う正義のヒーローのように。白衣血塗れてるけど。

 

「うわぁぁぁぁぁッッッ!!!」

【あ、これ嫌いなやつだ。】

 

しかしベロニカは気持ち悪がって、味方であるはずの執刀医にスタンドで攻撃をしかけた。

無数の甲殻類が執刀医の体にたかり、機械の体はみるみるうちに錆びて黒ずんでいく。

 

【はぁ。こうも予想外のことが立て続けに起こるのはどうにもなぁ。………仕方ないか。】

 

執刀医はため息をつくと、ベロニカの顔を一瞥した。化粧が剥げている。

彼女は失っても、痛くも痒くもなんとも無いコマだ。決断は簡単だった。

 

【じゃあ頑張ってね、君一人じゃあかなり厳しいだろうけど。】

「え………?」

 

執刀医はニュルリと地面と同化して、その場から消え去った。

一人になったベロニカに、徐倫とウェザーはジリジリと詰め寄っていく。

 

「ま、待てッッッ!!!話せばッッッ!!!話せばわかるッッッ!!!」

 

絶対に話しても分かり合えない。

しかし投降するのであれば、この場で戦いを続ける意味はなくなる。

戦力に余剰が出来て、ほかのアクションを起こす余裕が生まれる。

負けられない戦いでコマに余裕ができるのは、非常に大きな意味を持つ。

 

「じゃあアンタは、私たちにおとなしく投降するのね?」

「それは嫌だッッッ!!!」

 

最大限温情をかけた措置で、この返答である。

徐倫の目は、点になった。

 

「じゃあ戦いの続きだな。」

「ま、待てッッッ!!!落ち着けッッッ!!!ひとまずは、落ち着けッッッ!!!」

 

落ち着きがないのはお前だという言葉を、ウェザーはグッと飲み込んだ。

 

「二択だ。大人しく投降するか、戦いを続けるか。」

 

ベロニカも投降したところで、自分に先がないのは理解している。

しかし戦ったところで勝ち目は薄く、どちらの選択肢も選べない。

その結果が、見苦しいとも言える悪足掻き。どちらの選択も選べないのだから、どうにかして第三の選択肢を作り出すしかない。

投降した後で隙を見てどうにか逃げ出せないか、ベロニカは思案した。

 

「ち、ちなみに投降した場合は?」

「パッショーネを通じて、すでにお前の情報は入ってきている。専用の薬剤を投与させてもらう。」

 

ベロニカ・ヨーグマンは特異体質であり、通常の薬剤が効かない。

そのために過去の事件の資料をもとに、パッショーネで特殊な薬剤を制作済みだった。

拘束しても無駄な彼女を二人がかりで厳重に監視し、彼女が無力化されたことを確認してほかの戦局のサポートに回る。

多少時間は食うが、それが現状のベストアンサーだ。

 

「私を薬漬けにして、どうしようってんだッッッ!!!この変態ッッッ!!!」

「拘束。」

 

徐倫が、普通に返答した。

 

「拘束のちにパッショーネで協議。処分するかその他の対応するか、そこで正式に決定される。」

 

ウェザーも、冷静に通達した。

ベロニカの顔が真っ青になった。

 

「や、やめろッッッ!!!ナシだナシッッッ!!!この人でなしッッッ!!!」

「じゃあ戦闘の続きだな。」

 

人でなしはお前だと、突っ込む時間ももったいない。

ウェザーが一歩前に出て、ベロニカは一歩後ずさった。

 

「待て、話せばわかる、話せばッッッ!!!」

「………時間稼ぎにいつまでも付き合う気は無い。」

 

徐倫が冷酷に宣言し、ベロニカは視線をさ迷わせた。

彼女の脳はフル回転し、結果一つの結論を導き出した。………三十六計、逃げるに如かず。

 

勝てない敵に対する答えは、皆同じ。最後にモノを言うのは自身の脚力!

ホル・ホース流処世術は、もの凄く万能だった。

 

「待てッッッ!!!」

 

ベロニカは唐突に後ろを振り返り、全力ダッシュした。予想よりもずっと足が速い。

彼女が逃げ出したことを理解したウェザーと徐倫は、走って彼女の背中を追った。

 

◼️◼️◼️

 

【ウフフフフ。】

【アハハハハ。】

 

赤黒い部屋で蠢く多数のマネキンは、はっきり言って非常に不気味だった。

顔だけ人間の不気味なマネキンが笑い、サーレーはクラフト・ワークでマネキンの頭を吹き飛ばした。

マネキンのチョコラータの首は吹き飛んで、首から下だけのマネキンがその場に残された。

 

【イヒヒヒヒ。】

【エヘヘヘヘ。】

 

マネキンに戦闘能力はほぼ無い。

ただただ不気味なだけで、首謀者であるイアンのただのおふざけに過ぎない。

サーレーはさらに、ディアボロのマネキンの頭を吹き飛ばした。

 

【オホホホホ。】

 

クラフト・ワークは最後のドッピオのマネキンの頭を吹き飛ばした。

それと同時に、サーレーはイアンへと向き直る。

 

「素晴らしい。さすがはマイフレンド、この程度の相手は物の数では無いね。」

 

敵の思考が全く理解出来ない。ことここに至っても、その狙いがハッキリしない。

マネキンは戦闘力こそ下の下で、クラフト・ワークの相手にもならなかったが、数だけは多くサーレーがそれと戦う隙を突くことができたはずだ。しかしイアンは、戦うサーレーを満足げに観察していただけだった。

 

グイード・ミスタからサーレーへの指示。

敵首謀者の意向を無視するな。それは敵を理解することが敵を打倒することに繋がるという意味であり、しかしサーレーはその言葉にどれほどの意味があるのか判別しかねている。しかし相手はグイード・ミスタ、パッショーネのナンバーツーだ。

彼は戦い慣れた武闘派のスタンド使いであり、サーレーと同じく死闘の経験値を持ち、その彼が真剣にサーレーに指示を出したからにはそこに何がしかの意味があるはずだ。その全てが、サーレーの判断にかかっている。

 

サーレーは、キツく敵を睨んだ。

………サーレーには、現時点でいくつか気になっていることがある。

 

一つ目は、あの不気味な機械のことだ。

あの不気味な機械は、これまでの戦いではこの男のスタンドのフリをしていた。

だが今は、どこにいるのかわからない。前回の戦いでも単独で行動し、今もこの男から独立した行動を起こしている。

パッショーネはあの機械を、敵勢力の最大の警戒対象だと判断している。

 

アレは何だったのか?

一体なんのためにあの機械は、以前の戦いでこの男のスタンドのフリをしていたのか?

 

二つ目は、この男の表情である。

ほとんどのタイミングでニヤケているこの男が、戦いの最中時折わずかに眉を顰める瞬間が存在する。

それはこの男の話術によって巧みに誤魔化されているのだが、しかしそれが気のせいだとはサーレーには思えなかった。

 

三つ目は、なぜサーレーがこの男の宿敵に選ばれたのか?

強いだけならばサーレー以外にも、戦える人間は数多存在する。

それこそ表社会にだってスタンド使いはそれなりにいるはずだ。

それがなぜかこの男は、サーレーを宿敵だと確信している。

 

『物事には須らく、意味か理由のどちらかがある。おじさんが違和感を感じたのなら、そこにはきっと何かの意味がある。』

『今回の敵は、頭のイかれたヤローだ。そこに意味なんてないんじゃねーのか?』

『………その可能性は否定できない。でも、必死に考えることをやめないで。その男を倒せるのは、きっとおじさんだけだから。』

 

それが出発前にサーレーがメロディオからもらった助言だ。

彼女はシビアな裏稼業を、その卓越した頭脳で渡り歩いてきた強者だ。その助言を無碍には出来ない。

 

さすがのメロディオでも、現場にいない状況で完璧な助言は出来ない。

そのせいで言葉のトーンが若干弱気だったものの、その言葉はサーレーの印象に強く残されていた。

 

サーレーが今現在感じている違和感はその三つ。

しかしそれがどういう意味を持つのかは、今のサーレーには判別し兼ねている。

 

「おお、怖い怖い。じゃあ次の遊びだ。これはどうかな?」

 

イアンが指揮者のように腕を振ると、浄化の炎が宙をフラついて動いていく。

サーレーはその動きを警戒するも、それはサーレーとは無関係な方向へと向かっていった。

浄化の炎は複数体のマネキンを融かし、一体のマネキンの獣を生み出した。

 

「次はさっきよりも戦えるよ。まあ君の相手を出来るほどかはわからないけれども。さあ、セカンドラウンド、ファイッッ!!!」

 

マネキンはおよそ三十体。それが十体で一つの物質と変化していく。

三十体のマネキンは、溶けて融合して三体の巨大な虎へと変化した。

 

虎は獰猛に牙を剥き出しにして唸っている。

イアンが戦闘開始の合図をかけると同時に、塩化ビニール製の三体の虎はイアンの部屋をしなやかに跳躍してサーレーへと迫り躍った。

 

「マネキンだけど爪はあるし、牙もある。油断していると君だって大怪我するかもよ。」

 

サーレーに油断は無い。

コマ送りとラニャテーラを同時発動し、短期決着を試みる。

ラニャテーラを受けて虎の動きは鈍くなり、コマ送りを発動したサーレーは上体を動かして襲い来る爪をかわし、口を開けた虎を固定して攻撃を防いだ。そのまま回転して背後に回った虎の攻撃をいなした。カウンターでまずは背後の虎の首を飛ばし、二体目に近場にいる虎の首を落とし、最後に固定した三体目の胴を右腕で串刺しにした。

三体のマネキンはその場で空気が抜けたようにへたり、動かなくなった。

 

「やはりこのくらいでは相手にならないか。」

「………お前自身がかかってこい。」

「………お遊びは次で最後だ。」

 

イアンが腕を指揮者のように振ると、浄化の炎がフラフラと動いて三体の虎を融かした。

三体はそのまま融合して、一体ののっぺらぼうの巨大な女性を象った。

 

「さあ、最後の試練、聖母(サンタ・マリア)だ。それは今までの敵とはちょっと格が違うよ。サードラウンド、ファイッッッ!!!」

 

三十体のマネキンは融合し、巨大な一つの女性となった。

体長十五メートルほど、見上げる高さから巨大なマネキンは腕を振り上げ………その場でそれを強烈に振り下ろした。

 

「あべッッッ………。」

「は?」

 

サーレーは唖然とした。

巨大なマネキンは力任せに腕を振り下ろし、それは宙に浮かぶイアン・ベルモットを蠅のように叩き潰した。

何が起きたのか、意味がわからない。マネキンの腕の下からは、赤い血が流れている。

 

困惑するサーレーを尻目に、手術室の隅に据え付けられた冷蔵庫の扉が音も無く開いた。

 

◼️◼️◼️

 

【さあて、もうそろそろ最終局面も近い。】

 

唐突に建物内部の床から現れた執刀医は、現状を俯瞰した。

彼はイアンに任された煉獄の管理人でもあり、その内部で行われる一挙手一投足が手に取るようにわかる。

 

イアンはサーレーという男と喜んで遊んでいて、オリバーはマリオ・ズッケェロという男と戦っている。

リュカはローウェンとの因縁の決着をつけるつもりでいるし、ベロニカは………。

まああそこはどうでもいいか。なんか助勢も断られたし。

別にムカついてなんかいない!私はいつも平常心だ!

 

【私の役割は………。】

 

執刀医は光を映さない黒球の目で、上を見上げた。

建物の三階では、今現在オリバーとズッケェロが戦っている。

 

【イアンは目的を達成し、私たちの仲間は逃げ延び、私はのうのうと生き延びる。全能の私からの、君たちへのささやかな叡智のプレゼントだ。】

 

執刀医は、建物の内部で不気味に笑った。



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マリーシア

「予想外だ。全く驚かないんだね。」

「想定内だ。お前が瞬間移動するところを俺が何度確認したと思っている?」

 

サーレーの背後からイアン・ベルモットが体勢を低くして襲いかかり、サーレーはそれをクラフト・ワークで防御した。

 

「………傷付くな。私が瞬間移動をするためには、白衣を翻す動作が必要だ。」

「俺はお前が予備動作なしで瞬間移動をするところを、以前の戦いで確認している。甘く見るな。」

 

イアン・ベルモットが体を縦回転させて遠心力を伴い、上方からサーレーへと蹴りかかる。

サーレーはそれをクラフト・ワークで腕を交差させて防御し、そのまま固定した。反撃を試みるも、イアンは白衣を翻してその場から別の場所に現れた。

 

「私はルールを破るつもりはない。」

 

イアンはサーレーにそう告げると、腕を振り上げた。

巨大なマネキンの女性像が振り下ろした腕をどかし、その下からは体が潰されて血を流すイアン・ベルモットが現れた。

 

イアン・ベルモットが二人いる。

目の前の宙に浮かぶイアン・ベルモットと、巨大なマネキンの腕に叩き潰されたイアン・ベルモット。

 

サーレーはてっきり、敵が瞬間移動を行使して避けたものだと思っていた。流れる血は何かのトリックだと。

それが、この場にイアン・ベルモットが二人いる。

 

サーレーには何がなんだか、訳が分からなかった。

 

「は?」

「そう、それ!その表情が見たかったんだよ!」

 

サーレーは愕然とした表情をした。

イアンはいかにも残念そうな表情をしていたが、唐突にその表情を明るくした。

 

「いやね、ホラさ。私はあと一人人間を生み出せると君たちにそう宣言していただろう?でも君たちは一回こっきりの決戦を望み、私が一人人間を生み出せることの意味がほとんどなくなってしまったんだ。だからそれなら、君を何とか驚かせられないかなと思ってね。」

 

それは、イアンにとって想定外の事態だった。

深く考えればすぐに気付くことのはずだったのだが、イアンはあまり深く考えなかった。

何度も戦うのであれば戦闘で陥落した人間の戦力補充を行う意味があるが、それはグイード・ミスタの後出しの交渉で思惑を外された。

 

一回きりの決戦で、生み出すのに時間のかかる魂のストックを持ち続ける意味は無い。

ミスタのファインプレーで、イアンの切り札は効力を失った。

 

それならば少しでも面白い使い道はないかと、イアンは無駄に苦心していた。

その結果、サーレーの驚く顔が見たいというそれだけの理由でこんなにもおかしな使用方法になったのだった。

 

イアンはゆっくりと歩き、潰れて死にかけているもう一人のイアンへと近付いた。

 

「介錯はいるかな?まあ何と言うか………同じ人間が二人いると殺し合いになる。私は君を殺したくてたまらないのだが?」

「………それは勘弁してくれ。苦しみこそ、人生。今際の際の苦しみは、人生ただ一度きりだ。是非とも存分に堪能させて欲しい。」

「私ならそう言うと思ったよ。………生み出された恩があるしね。まあどうせすぐ死ぬだろうし、しょうがないから私が我慢しようか。」

 

サーレーには目の前の光景が理解出来ない。

二人のイアンは親しげに話し合い、一人は死にかけて一人は笑っている。

やがて死にかけたイアンの息は弱くなり、脈が弱くなっていった。そしてその死体は、人間を融かす手術室に食われて消えていった。

 

妄想から人間を生み出す、クレイジー・パーガトリィ。

生み出された人間はイアンの妄想の産物であり通常は本人とは微妙に異なるのだが、例外が存在する。

 

それはイアン・ベルモット本人である。本人だけは、イアンそのものとして生まれてくる。

一人一つのスタンドに関しても、イアンのスタンド能力の正体を鑑みれば問題なく目の前の現象を説明できる。

 

しかし、今まで戦っていたイアンは、先程消えていったイアンである。

性格嗜好その何もかもが同じだが、今まで生きていたイアンは死んで消え去ることになる。

それでもそれがルールに抵触せずに可能でただサーレーを驚かせたいというそれだけの理由で、イアンは自分の命をひどく粗末に扱った。

遊びこそ、過程を理由も意味も無くただ楽しむことこそ、人生である。それがイアン・ベルモットの哲学。

 

「さあ、そろそろ真面目に戦おうか?」

 

新たに生まれたイアンは、好戦的に笑った。

サーレーにその思考は、理解出来ない。しかし敵は現にそこにいる。

イアンは浄化の炎を部屋内に浮かべ、白衣を翻した。

 

「………ッッッ!!!」

 

サーレーは素早く気をとりなおして、瞬間移動したイアンの移動先を予測する。

移動先予測、本命、背後。対抗、頭上。穴で左右。サーレーは、瞬時に集中して周囲に意識を張り巡らせた。

 

「ここだよ。」

 

イアンはサーレーの目と鼻の先に現れ、クラフト・ワークは反射で攻撃をしかけた。

しかしイアンは再度白衣を翻し、立て続けに別の場所へ移動した。

 

「クソッッッ!!!」

 

イアンの体で視界を遮られたその後ろから、浄化の炎が複数弓なりにサーレーへ襲いかかった。

それは軌道上視界に入りづらく、イアンに意識を取られたサーレーはどうしても反応が遅くなる。

身をかがめて横っ飛び、サーレーは間一髪でそれらを避けた。

 

「がッッッ!!!」

 

床に近いサーレーの頭を、イアンの膝が上方から重量と共に押し潰しにかかった。

しかしその可能性を予測していたサーレーは、クラフト・ワークで自身の頭にイアンの膝を固定した。

 

「ふッッッ!!!」

 

サーレーは床についた両手の力でその場で回転し、上方に浮かぶイアンを円運動の遠心力で蹴り飛ばした。

イアンは薄く息を吐いて、宙を滑るように吹き飛ばされた。

 

「さすがに強いね、マイフレンド。」

 

不安定な体勢からの無理な攻撃だったため、イアンに十分なダメージは入っていない。

そうでもしないと、瞬間移動できるイアンに攻撃が通らないのである。

しかしそれでも、イアンの口の端から赤い血が一筋流れた。

 

「貴様のような奴でも、血は赤いんだな。」

「私の血が赤くなかったら、私は輸血できずにとっくに出血多量で死んでいるよ。」

 

サーレーは立ち上がり、首を鳴らした。

クラフト・ワークがイアンを指差し、イアンはなおも楽しそうに笑った。

 

「何しろ私は面白そうなことに目がないんでね。何度好奇心で藪を突いて死にかけたかわからない。」

「お前以外の誰もが、その時にお前が死んでればよかったと思ってるよ。」

 

イアンは幾度も白衣を翻して、細かく移動してサーレーに対象を絞らせない。

イアンの部屋ではその能力に制限が無く、イアンが自身に課したルールがなければサーレーはひどく不利な戦いを強いられる。

サーレーはそれが手加減されているようで不快だったが、個人の感情を殺すことなどわけもない。

 

「今まで生きていてよかったよ。今はほら、こんなにも楽しいのだから。」

 

イアンが右手の人差し指を回転させると、周囲の浄化の炎が小分けにされていく。

それは無数の小さな虫に形を変化させて、サーレー目掛けて飛来した。

 

「物量作戦。君はどう捌く?」

 

宙を飛来してくるために、それにはラニャテーラも効果がない。

コマ送りで避けようにも、数があまりにも多すぎる。

 

「おおおおおおおおおッッッッ!!!」

「………満更頭が悪いわけでもないのかな?」

 

虫を避けきれないことを悟ったサーレーは、避けることを断念して自分から虫の群れに突っ込んだ。

下手に防御行動や回避行動をとれば、物量に押し潰される。その判断は一瞬だった。

 

「面白いね。」

 

群れの先頭に衝突した瞬間、クラフト・ワークのスタンドエネルギーが膨れ上がった。

周囲半径二メートルほどの空間を固定し、サーレーは致命傷を避けることだけを考えてイアン目掛けて突っ切った。

 

「思ったよりも速い。」

 

捨て身に近い突貫をしてきたサーレーに、イアンは白衣を翻す余裕がなかった。

イアンは、自身が定めたルールを破るつもりはない。それをやったら、イアンは自分が赦せなくなる。

 

イアンはクラフト・ワークの突き出した拳を下半身を後ろに回転させて、まるで逆回転の逆上がりをするように上方へと逃げていく。

サーレーは部屋の壁に足を固定し、壁を登って逃げるイアンを追った。

 

「逃がさないッッッ!!!」

「ふむ。」

 

サーレーは空中に己の被っていた帽子を投げて、それを固定する。

それを踏み台に足を乗せ、イアン目掛けて跳躍した。

 

「ああああああッッッ!!!」

 

宙に身を投げ出したサーレーのクラフト・ワークと逆さまのイアンは拳を交わし、イアンは力負けして吹き飛ばされて背中を壁に痛打した。イアンは白衣の袖で、口から流れ出る血を拭った。

 

「………クフッ。だが君の距離から逃げることは出来た。前の戦いでも、君は捨て身でかかってきたからね。私だって学習する。」

 

飛来した無数の浄化の炎がサーレーの着地点に集まり融合し、口の形を模してサーレーを飲み込もうとしている。

魂を浄化する炎は、まるで鳥の雛のように口を開けて餌が落ちてくるのを心待ちにしていた。

 

「ああああああッッッ!!!」

 

サーレーは立て続けに首に巻いていたマフラーの端をつかみ、逆の端を宙に浮いたままの帽子に当てて固定した。

それを力づくで引っ張り、無理やり自身の着地点をずらして浄化の炎を回避した。

 

「………やはり君の能力には、応用力がある。近接戦も超一級だし、私の目に狂いはなかった。君は私の最高の敵だ。」

 

衝撃で内臓を痛めて白衣を血で汚したイアンが、瞬間移動して体勢の安定しないサーレーの頭部に体重をかけた肘鉄を食らわせた。

反撃を受けるよりも前に素早く、白衣を翻してその場から逃げていく。

 

「チッ。」

 

額が割れて頭から血を流したサーレーが立ち上がった。

カンノーロ・ムーロロに救われた。サーレーは宙に浮かぶマフラーに目をやって、心の中で先達に感謝した。

 

ーー………それにしても。

 

サーレーに違和感が増えた。

クラフト・ワークは防御に優れたスタンドであり、生身の人間の肘鉄くらいでは頭を割られることはない。

それが現にサーレーの頭には裂傷ができて、血を流している。

さっきからずっとだ。ずっと生身のイアンは、クラフト・ワークにダメージを与え続けている。

 

敵のスタンド能力にしても不明だ。その法則がわからない。

最初はあの執刀医だと思っていたが、敵に出来ることが多すぎて謎は増えるばかりだ。

 

「よそ見をしている余裕を与えるつもりはないよ。」

「クソッッッ!!!」

 

クレイジー・パーガトリィの起こりうる最善の未来の特性で、サーレーの瞼の内に血が垂れて視界が赤く染まった。

視界が制限されたその瞬間に、イアンはサーレーの背後に瞬間移動して強烈に蹴りを放った。

サーレーはつんのめり、次の瞬間視界全体が巨大な浄化の炎で青白く染まった。

 

聖母(サンタ・マリア)二号だ。さあ、どうかな。」

 

浄化の炎が巨大な女性の上半身を象り、それは大きな右腕を力任せに振り下ろそうとしている。

 

「あああああああああああああッッッッッッッッ!!!」

 

サーレーはとっさに能力を全開で行使して、空間を固定して敵の動きを押し留めた。

ブチブチとサーレーの脳の血管が切れるような、嫌な音がした。

 

「………甘いッッッ!!!」

 

サーレーはチカつく視界を無視して、クラフト・ワークの上半身を無理やり背後に捻った。

何回も敵の攻撃を受けている。どのタイミングで敵が瞬間移動して攻撃を狙ってくるかなど、嫌という程わかっている。ここで来るはずだ。

 

「ぅおっ。」

 

サーレーの首目掛けて蹴りを繰り出そうとしていたイアンは、宙で体の回転を横回転から縦回転に強引に変更させて蹴りの軌道を無理やり捻じ曲げた。

クラフト・ワークのカウンターの拳はイアンの白衣の裾にかすり、サーレーはとっさにそれを固定する。

イアンはそれに対応して急いで白衣を脱ぎ捨て、後面に退避した。

 

「………参ったな。白衣がないと瞬間移動できない。」

 

白衣を翻す行為が、破格の能力である瞬間移動発動のための条件。それが遊びのルール。

本当はそんなものがなくても行使可能なのだが、イアンはそのルールを破るつもりがない。

一気に劣勢に追い込まれたことを自覚したイアンは、冷や汗を流した。

 

◼️◼️◼️

 

赤毛の高身長の青年の瞳とスキンヘッドにタトゥーを入れた髑髏顔の男の瞳は、共に漆黒の殺意に染まっていた。

 

ローウェンは悪し様な凶悪犯から社会を守護するために、リュカは自分の実力を自身に証明するために。

今この時を超えねば、共に先は無い。

 

「………また一段とひどいツラになったものだな。」

 

口が爛れて崩れているが、それがリュカであることは理解できる。

リュカが拘束具を破壊したことは、ローウェンにとって予想外だった。

彼ならば問答無用で殺害しにくると、ローウェンはそう考えていたのだ。

 

リュカの顔を見て、ローウェンはそれだけつぶやいた。

返事など期待していない。

 

およそ五メートルほどの距離をとった二人の間に、少しずつ緊張が高まっていく。

不意にリュカが動いた。

 

次の瞬間、二人の間の空間が無数に弾け飛ぶ。

リュカは力に明かせた回転の高い連打を、ローウェンは技に頼った相手の攻撃のベクトルを外すような連打を。

拳をかわすローウェンは、リュカの馬力が上がっていることに即座に気がついた。

 

「おおおおああああッッッ!!!」

「………。」

 

リュカの右拳をローウェンは左腕でそらし、返す左の拳を右腕で受け止める。ローウェンは力負けして、後ずさった。

続け様にリュカは右足でミドルキックを放ち、それを左膝で受けたローウェンの体はよろめいた。

 

「………ッッッ!!!」

 

よろめいた隙にリュカは両腕でローウェンの右腕を包み込むようにつかみ、そこにスタンドのストローを突き刺そうとしている。

ローウェンは瞬時に、それが回避不能であることを理解した。

 

「あああああああああああああッッッ!!!」

 

ローウェンは力の限り叫んだ。

スタンドの左腕で自分の右腕を薙いで、ローウェンは自分から右腕を切り離した。

あたりにローウェンの血が盛大に撒き散らされる。

 

突然抗う力がなくなったリュカは一瞬ふらつき、ローウェンのハイアー・クラウドがリュカに力の限りに前蹴りを喰らわせた。

 

「………ッッッ!!!」

 

リュカの蝉の幼虫のようなスタンドの腹部に深く蹴りがねじ込まれ、その衝撃にリュカは内臓をひどくかき混ぜられるような感覚を味わった。

 

「あああああああああああああッッッ!!!」

 

立て続けにハイアー・クラウドの残った左肘がリュカのスタンドの顎を襲う。

リュカはそれに、ひどく脳を揺さぶられた。ローウェンはさらに右足を高く上げて、回転蹴りでリュカの頭を吹き飛ばそうとした。

 

「………!!!」

 

しかしそれにはリュカのスタンドも反応し、ローウェンのスタンドとリュカのスタンドの右足と左足が高く交差した。

ローウェンは力負けして、地面にしたたかに背中を打ち付ける。

 

「クソッッッ!!!」

 

爆弾と化したローウェンの切り離した右腕が投げ付けられ、それはローウェンの顔の近くで炸裂して瞼の中に砂が入った。

ローウェンは視界が潰されたことに即座に反応して、気流の動きで敵の行動を読み取ろうと試みる。

一方のリュカも、顎に決まった肘打ちが脳を揺らしていて、千載一遇の機会になかなか行動を起こすことができない。

 

「あああああああああああああッッッ!!!」

 

ローウェンは視界を潰されたまま起き上がり無我夢中で相手に体当たりし、脳を揺らされた状態のリュカは体を丸めて体当たりを受けた。

二人は縺れ合い、地面を転がった。共に有利な体勢を取ろうと、上を取るためにもみ合った。

 

やがて土まみれの二人は離れた場所で立ち上がり、リュカは首を鳴らした。ローウェンの視界も元に戻っている。

二人は同時に突進し、それぞれの全力を込めた右足と左足が首上で交差した。

 

「っあッッッ!!!」

 

ローウェンの左足は複雑骨折して皮膚を突き破り、リュカの右足も痺れた。

 

「………これで最後だ。」

 

ローウェンの複雑骨折した足は不恰好に曲がり、リュカの右足に絡みついている。

その上からなけなしのスタンドエネルギーにより薄い氷が生成され、二人の足はくっついて離れない。至近の間合いだった。

 

実力は拮抗しており、わずかな弾みの一瞬で戦いは決着する。

拮抗する二人の勝敗を最後に分けるのは、実力ではなく幸運の女神。

イアン・ベルモットの能力である狂者の煉獄は、苦難を超えて必死に何かを成そうとする人間の戦いに影響を与えるような無粋な行為はしない。

 

ローウェンの左足はリュカに力負けして後方に弾かれ、その慣性に引きずられてリュカの体も前に引きずられた。

ローウェンのスタンドの残された左腕の水平薙が空を切り、カウンターとなってリュカの首をへし折った。

へし折れたリュカの頚椎は、脊髄神経をズタズタに切り裂いた。

 

ーーチッ………最後まで勝てなかった。だが、引退には追い込めたはずだ。結局いつまで経っても二番煎じ………情けねぇ。クソみたいにつまらねえ人生………まあ、それなりには楽しめたぜ。

 

リュカの体とローウェンの体は、絡まったまま地面を転がった。

リュカ・マルカ・ウォルコットは目を閉じ、二度とその瞼を開くことはなかった。

 

◼️◼️◼️

 

扉から廊下に出れば、そこにノスタルジー。

 

死出の道を行こう。黄泉の門を開こう。

それで初めて、先へと進む道が開かれる。

 

「よぉ、シニョーレ回転木馬(giostra)。」

「ッッッ!!!それは俺のことか?」

「あんた以外に誰がいるよ?」

 

軍事基地の廊下の三階で、オリバー・トレイルは冷や汗を流した。

可能性としては考えなかったわけではない。しかしまさか、本当にやるとは思わなかった。

なぜなら、それをやったら相手は絶対に詰むからだ。

 

それが有効な手段であることはすでに証明されていたが、もっと他に手段を探すのが普通のやり方だ。

それを無視して、この男は死道を真っ直ぐに突っ切ってきた。それがオリバーにとって、最も嫌なやり方であることに気付いている。

 

「………あんたよぉ、嘘吐きだ。とんでもねぇ嘘吐き。なにが雑魚だよ。なにが上手くないやり方だよ。」

 

マリオ・ズッケェロは左脇腹を抑えながら廊下を歩いている。

マリオ・ズッケェロの歩く赤黒い床の上に、新しく赤い雫が滴り続けていた。

 

「死を覚悟する痛みは、あんたの回転木馬の唯一の弱点。あんたの正体は、俺が死を前提に戦って初めてまともな戦いになる真性の怪物。あんたはマジの強者で、初見の戦いではあんたにゃまず敵わない。あんたが殺す気でいたなら、一体俺は何度死んでいたことか。あんたがまるで自分が取るに足らない雑魚のような口ぶりをしたせいで、ホル・ホースのヤローが迷走して散々な目にあったぜ。」

 

回転木馬の攻撃を受けたマリオ・ズッケェロは自身の腹部に、六発の弾丸を撃ち込んだ。

それは腹部にいくつも風穴を開け、止めどなく血を流している。ズッケェロは、麻薬の中毒症状でなんとか痛みを和らげているのが現状だった。

 

「………俺たちは前の戦いで、たまたまアンタのスタンドの唯一の弱点を引き当てた。前の戦い、あんたはヘラヘラと笑うその顔の下で、実は回転木馬唯一の弱点がバレて焦っていた。そうだろ?」

 

以前の戦いではズッケェロは自身の腹部に一発の銃弾、それでは完全な攻略とは言えず、敵の能力に抗いきれなかった。

今回はそれを踏まえて六発。挙句に敵地のど真ん中であり、ズッケェロの補佐をするホル・ホースもいない現状、仮にオリバーを倒してもズッケェロは出血多量死を免れない。

 

ズッケェロは痛みを堪えて、無言のオリバー・トレイルへと近付いていく。

やがておよそ五メートルの距離を取って、二人は真正面から対峙した。

 

「なあ、あんたわかってんのか?あんたの息子は、社会が育てるんだぜ?あんたはそれを裏切ってるんだ。………あんたは一体どんな気持ちで、今そこに立っているんだい?」

「………痛いところを突くな。」

 

オリバーは苦笑いをした。

それはオリバー自身何度も迷い、苦悩し、ずっと考え続けてきたことだった。

 

真っ当な人間も、そうでない人間も、皆必ずどこかで社会と関わっている。

社会無しには、人は生きられない。

 

裏社会も反社会も、その本質はなんらかのルールを定めた人との関わりである。

反社会という名の、一つの社会なのである。

それはあまりにも、当たり前すぎる事実である。

 

「………まあいいさ。俺は説教をしにきたわけじゃあない。あんたを殺しにきたんだ。」

 

マリオ・ズッケェロの瞳に、漆黒の殺意が宿された。

周囲に不気味に静けさが漂い、張り詰めた空気が流れた。

 

「最後の戦いだ。………使ってこいよ、あのイカれた咆哮を。あの一番ヤバい能力にだけは、全く抗える気がしねー。」

 

マリオ・ズッケェロの前にソフト・マシーンが立ち、細剣を構えた。

同時にオリバーの横に、重厚な回転木馬が現出する。

 

「決着をつけようぜ。どっちが速いか、って奴だ。よくある在り来たりな手法だが、在り来たりということはその有用性が証明されているってことだ。」

「………お前が俺を殺してくれるのかい?」

 

オリバーはいつものように、ヘラヘラと笑った。

それはなけなしの、彼のプライドだ。苦しい顔をして人を害するのならば、最初からそんなことをするべきではない。

 

どうせ社会の敵として悪辣非道な行為を繰り返すのならば、悪らしく人を小馬鹿にしたままでいよう。

同情を乞うくらいなら、死んだ方がマシな行為を繰り返しているのだから。

 

オリバーは嘘を吐き、偽りの仮面を貼り付け、たとえ行き先が不毛の荒野だろうとも死に物狂いでひたすらに前へと進む。そして回転木馬はオリバーが苦しみを感じるたびに、その能力は肥大化する。

 

「………ああ。俺がアンタを殺してやるよ。」

 

二人の間の緊張が、徐々に高まっていく。

ズッケェロは痛みと麻薬の症状で意識が朧で、さらにずっと血を流し続けている。そう長く対峙し続けることはできない。

オリバーは敵がさほど間を置かずに攻撃してくると判断し、ズッケェロに向けて意識を集中した。

 

「行くぜ。」

 

ソフト・マシーンの足の筋肉が収縮する。

ソフト・マシーンがオリバー目掛けて飛び掛かり、それに対応してオリバーの回転木馬が口を開いた。

 

マリオ・ズッケェロは、獰猛に笑った。

 

「………あんたよぉ、今までいくつもの苦しみを乗り越えてきたんだろぉ?夜を越えて、時間を超えて。………だがよぉ、麻薬の中毒症状の苦しみは、今までに乗り越えたことがあるかい?」

「ががっっっ!!!」

 

決闘を意識させれば、どうしても目の前の相手に注意が向く。

さらにだめ押しに会話で相手の弱点を突き、精神を揺さぶる。

ズッケェロは会話で己に注意を向けさせておいて、オリバーの周囲に麻薬の症状を引き起こすシャボンを密かにばらまいていた。

 

そっちがズッケェロの本命の攻撃。

オリバーの攻撃方法はズッケェロに把握されていて、ズッケェロの攻撃方法はオリバーに把握されていない。

それがマリオ・ズッケェロのオリバーに対する最大のアドバンテージであり、ズッケェロが相打ちに持ち込むための道筋である。

 

回転木馬が悪夢の黒い波動を拡散させようとした瞬間、マリオ・ズッケェロの麻薬の禁断症状を起こすシャボンがいくつも回転木馬周りで弾けた。

 

オリバーの意識は混濁し、その混濁した一瞬の時間にソフト・マシーンが飛びかかった。

ソフト・マシーンの細剣が、オリバーの胸を貫いた。

 

「…っふぅ。これで俺の任務は完了か。全くしんど過ぎるぜ。」

 

細剣で貫かれたオリバーは厚みを無くしてペラペラになり、ズッケェロはミスタに借り受けた拳銃の弾倉に新たに弾を込めた。

ズッケェロはそのまま銃口を、厚みを失ったオリバーへと向けた。これが終われば、ゆっくりと横になれる。

 

オリバーは、二度と目覚めない。そしてズッケェロも、おそらくは二度と目覚めない。

処置も無しに腹部に六発も銃弾を撃ちこめば、さほど間を置かずに人は死に至る。

 

「あばよ。」

【マリーシアって言葉、知っているかい?】

「ッッッ!!!」

 

唐突に、機械の駆動音のような音がした。マリオ・ズッケェロは、慌てて背後を振り向いた。

廊下の床からにょっきり生えるように、そこに執刀医が現れた。

 

【よいしょっと。まあ知らないわけはないか。】

 

マリーシアとはフットボール用語で、ズル賢いプレーという意味を持つ。

日本人には受け入れがたい価値観かもしれないが、相手の裏をかくプレーはヨーロッパにおいて称賛されている場合も多い。ざっくり言えば狡いプレーは勝ちに貪欲であることの証明であり、フェアプレーは勝ちにこだわるサポーターへの裏切りであるという価値観だ。

 

例えば現代フットボールにおいて、相手に酷い怪我をさせるようなプレーでない限りは、得点機をイエローカードの一枚で防げるのならば安いものだと、そう彼らは考える。

ルールを最大限上手く利用して自分たちに最も都合のいい状況に持ち込むのは、彼らにとっては常識だ。

 

【凄いね、大金星だ。まさか本当にオリバーを倒すなんて。彼は甘いところもあるけれど、実力は超一流だよ?でも彼にはまだ劇の役割が残されている。ごめんね。彼の身柄は私がいただいていくよ。】

「………ッッッ!!!」

 

痛みで声が出ない。

執刀医は悠々とズッケェロの真横を横切った。

執刀医がズッケェロの目の前で厚みを無くしたオリバーを攫い、ズッケェロの伸ばした手は空を切った。

 

「ふっ………。」

 

ふざけるなと言おうとしたが、ズッケェロの体は痛みで縮こまった。

ここは敵地のど真ん中。これは想定した内でも最悪の展開だと言っていい。

 

【ごめんね。相手が攻撃してきた場合ならともかく、私が自分から動くのは、本来なら違反行為。でもゲームのルール上、警告(イエローカード)一枚ならもらっても何ら問題ない。イアンは潔白を好むからね。私が汚れ仕事を請け負わないと。】

 

それがルールの裏側の側面。罰を受けることを覚悟したら、どのような行為も行うことができる。

この行為がイアンにバレたら、退場(レッドカード)に値する違反行為だと判断される可能性も高い。

現実のフットボールでも、審判の違反行為への判断の基準は個人によって微妙に異なってくる。

その時はその時でまぁ仕方がないと、執刀医は諦めたように笑った。

 

ズッケェロの役目は逃走手段(オリバー)の始末であり、絶対に逃すわけにはいかない。

ここでオリバーを逃したら、本命のサーレーの戦いに不利な展開を来す可能性が出てくる。

 

ズッケェロは痛みを無視して、必死になって執刀医に銃口を向けた。

連射された銃弾は当たらず、ことごとく執刀医の体をすり抜けていく。

 

【代わりに(ペナルティ)を受けよう。違反行為には罰だ。とは言っても、私に攻撃は意味を為さない。その代わりに死にかけた君の傷を治してあげるから、君もどうにかそれで納得して欲しい。】

「ふざけ………るなぁぁぁぁッッッ!!!」

 

マリオ・ズッケェロはその場で力の限りに叫び、腹部の鈍痛で気絶した。



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最終幕

「うーん、こりゃあマズイね。」

 

イアンは空中で冷や汗をかきながら、ペロリと舌を出した。

イアンは宙を浮遊しながら逃げ回り、それをサーレーが追いかけている。

イアンは時折浄化の炎を操作し、それをサーレーは前に出ながらかわし続けた。

 

白衣を奪われたイアンの失敗したという表情から、サーレーはそれがイアンにとってなんらかの重要な意味を持つものであるとそう判断した。好機を見てサーレーは攻め立て、嵩にかかったサーレーを見てイアンは慌てて回避に専念する。

 

クラフト・ワークは近接戦闘に強く、詰めたらイアンを瞬殺できる。

強力な炎の直撃さえ避ければ、勝ったも同然だ。

サーレーはそう判断した。

 

「待てやコラァッッッ!!!」

 

そうと理解すれば話は早い。

瞬間移動になぜ白衣が必要なのかはサーレーには全くわからないが、それを渡すつもりはない。

実際は瞬間移動と白衣にはまるで関連性が存在しないが、イアン自身が瞬間移動に白衣が必要だと自身のルールでそう定めてしまったのだ。イアンはルールを破るつもりはない。

 

サーレーは自身で白衣を確保した。

もしもイアンがそれを取りに戻るようなら、近接に強いクラフト・ワークで確殺する。

逃げるのならば、捕まえられるまで追い回す。追い回し追い詰めて、やはり確殺する。

 

イアンは部屋の中を低空で飛行し、急上昇し、旋回し、下降し、ジェットコースターのように逃げ回る。

サーレーはそれを追いかけて床を走り、壁を蹴り、冷蔵庫を踏み台にし、飛び降りてその背中を必死に追った。

 

「待てと言われても困るよ、マイフレンド。」

「知るか!!!一人で勝手に困っていやがれ!!!」

 

サーレーは白衣を脇に抱えたまま、イアンの背中に肉薄する。

 

「おおおおおおッッッ!!!」

 

サーレーはクラフト・ワークの能力を解放して、逃げるイアンの背中を空間ごと固定しようと試みた。

しかしそれは、これまでの戦いで大幅にスタンドエネルギーを消費していたために頭痛と共に失敗に終わった。

 

ならばと床を蹴り、壁を蹴り、体をしなやかに回転させながらサーレーはイアンを追い詰める。

 

「絶対に逃がさんッッッ!!!」

「うーん、こりゃあここまでかなぁ。」

 

イアンは笑った。

サーレーはその笑顔にまだ何か隠している可能性を思案しつつも、殺害を目的として刺し違えてでも暗殺を完遂することを決意している。

 

「はぁっ!!!」

 

追いかけ回したイアンの背中はやがて手術室の壁にぶつかり、サーレーは壁を固定しながら蹴り登ってクラフト・ワークの右腕を振りかぶった。

 

「ぐぅッッッ!!」

 

クラフト・ワークの右腕の拳がイアンの右肩をかすり、宙に浮かぶイアンは殴られた慣性を利用して逃げようと試みた。

しかしそれは、クラフト・ワークの固定する能力によって防がれた。

 

「………言っただろう!!!絶対に逃がさないと!!!」

 

サーレーの瞳に漆黒の殺意が宿り、クラフト・ワークは全力を込めて再び右腕を振り上げた。

筋肉がありえないほどに収縮し、イアンには筋収縮する音が聞こえたように感じた。

 

「くっっ!!!」

 

イアンは浄化の炎を眼前に現出させ、それを剣状にして右腕に纏ってサーレーを斬りつけた。

しかしそれはコマ送りになる時間の中で、サーレーに滑らかにスルリとかわされた。

 

「はあああッッッ!!!」

「クソッッッ!!!」

 

殴りかかるクラフト・ワークの右腕に合わせて、イアンは体を無理にねじって左足を振り上げる。

クラフト・ワークの右腕と交錯したイアンの左足は引き千切れて、やはりそこを固定されて逃げられない。

 

「ここまでだ。死ね。」

 

再びクラフト・ワークが右腕を振りかぶった。

 

「イアン、逃げるぞ!!!」

「ッッッ?」

 

閉じられているはずの部屋に、第三者の声が響いた。

部屋の中央に唐突に回転木馬が現れ、サーレーはそれに目を奪われた。

 

「あの馬鹿………。なんで来たッッッ!!!」

 

イアンは急いで固定されているシャツを脱ぎ、下に履いているスラックスも脱ぎ捨てて、床に落ちた自身の左足を拾い上げた。

そのまま低空を滑るように飛翔し、部屋の中にいきなり現れたオリバーを抱えて入口の扉へと向かう。

 

「逃がさないッッッ!!!」

 

一瞬の隙に逃げ出したイアンを追い、サーレーはイアンの背中めがけて走った。

イアンは扉の外へと逃げ出し、それと共に部屋の中の回転木馬は消失する。

 

「一体何が………。」

 

サーレーの記憶は消失し、脳内に直近のイアンを追い詰めた記憶が蘇る。

それと自身が入口に向かっていることを総合して、サーレーは部屋の外にイアンが逃げたのだろうと類推した。

サーレーのその判断は早かったが、どうしても時間のロスは免れない。そしてオリバーは逃走にかけては、超一流だ。

 

「まあいい。どちらにしろ、あとは追い詰めて仕事を終わらせるだけだ。………ッ!!!」

 

扉の外に出て、サーレーは大変なことに気がついた。

イアンの能力、狂者の煉獄は時間制限が存在する。そう明言された。

サーレーたちが戦いを挑んだのはその最終日であり、逃げ出されたらタイムリミットを迎える可能性が出てくる。

 

「クソッッッ!!!」

 

オリバーはこと逃走にかけては超一流であり、観測員が周囲を囲んでいても平気で逃げられかねない。

サーレーは慌てて、ミスタへと連絡した。

 

◼️◼️◼️

 

「………なぜ来た?」

 

オリバーは、イアンの目付きに責められていることを感じた。

 

「………潮時だ。俺たちの敗北だ。」

「………それで?」

 

イアンがオリバーに続きを促した。

 

「………これが最後の逃げる機会だ。イアン、逃げるぞ。能力を解除しろ。」

 

狂者の煉獄は、イアンを中心に赤黒い空間が広がっていく。

その能力さえ解除すれば、敵にイアンたちを追う手立てはない。そしてオリバーは、逃走に関しては超一流。

オリバーの言う通り、イアンにとってこれが最後の逃げるチャンスだった。

 

「出来ない。」

「出来るだろうがッッッ!!!」

 

長く付き合っているだけに、オリバーはイアンのスタンドの実態に薄々気付いている。

何しろ、手遅れで絶対に助からないと言われたオリバーの息子を救ったのは、目の前のこの男なのだ。

オリバーが強力なスタンド使いになったのも、実はイアンの苦難を超えた人間は強くなるという妄想に色濃く影響を受けた結果だ。

 

ここはまだ軍事基地の建物内部の一室。

イアンはそこでスタンドを発動し、手術台に体を横たえて千切れた左足の接合手術を行った。

さらに点滴を使用して、輸血する。

 

「何度も言わせるな。それは出来ない。」

 

イアンは静かに目を細め、さらに言葉を紡いだ。

 

「お前を逃したのは、アレだな?」

【………うん。】

 

イアンのその言葉に、部屋の床からヌルリと執刀医が現れた。

執刀医はイアンの責めるような視線に、しおらしい態度をしていた。

 

「お前は、それが遊びのルール違反だとわかっているのか?」

【………うん。】

「お前の判断は?」

【警告。】

「そうか。」

 

イアンはゆっくりと天井を見上げて、しばし思案した。

やがてゆっくりと視線を下ろすと、オリバーに向かって宣言した。

 

「オリバー、お前はここまでだ。」

「は?」

 

イアンのその言葉に、オリバーは意味がわからずに言葉を聞き返した。

 

「何度も言わせるな。お前の仕事はここまでだ。お前は私の求めた対価分の仕事をこなした。ならば、契約はお終いだ。お前だったら逃げられるはずだ。あとはどこなりとも好きなところへ行ってしまえ。」

 

イアンはオリバーに向けて、部屋の外を指差した。

イアンのその指示に、オリバーはひどく動揺した。

 

「お、おい、待てよ!それは………。」

「大丈夫だ、オリバー。私はお前の息子の手術の際に、何も仕掛けを施したりはしていない。私が死んでも、何も問題はない。」

 

イアンは入り口の方へと視線を向けて、オリバーと視線を合わせない。

オリバーはその言葉に、イアンが拒絶していることを理解した。

 

「い、今さらのうのうと俺だけ逃げ延びられるわけがッッッ!!!」

「出来るさ、オリバー。」

「人殺しの俺がどんなツラをしてッッッ………。」

「大丈夫だ。」

 

イアンは笑った。

 

「大丈夫だ、オリバー。お前はどんな苦境にあっても、立ち上がって前へ歩き続けてきた。私が知る限りでは、お前よりも強い人間は存在しない。ここを生きて逃げ延びれば、いつかお前も息子の顔を見る機会が来るはずだ。だから行け。」

「………お前は?」

「私は自分の始めた遊戯に、決着をつけねばならない。」

 

イアンはそれだけ喋ると、手術台から体を下ろして真新しい洋服を着た。

 

【私のルール違反は構わないの?】

「お前の判断では、それは警告なんだろう?退場ではない。お前が審判である以上、審判でない私がその判断にケチをつけるつもりはない。」

 

イアンはポケットを探って、時計を取り出した。

時間を確認し、再びポケットにしまった。

 

「さて。」

 

少しの間、思案する。

 

「ちょうどいい。私たちが逃げ出したと知れば、奴らは総力を挙げて私たちの捜索に乗り出すだろう。そうすれば、奴らの監視網も緩むことになる。その隙をついて、オリバー、お前は逃げろ。」

 

イアンは立て続けに執刀医を指差した。

 

「お前は好きにしろ。逃げたければ逃げればいいし、最後まで見届けたければ着いてくればいい。ただし、勝手にマイフレンドを害するようなマネは許さん。」

【私はイアンじゃないし、他人を害して喜ぶ趣味はないよ?】

「そうか。」

 

イアンは微妙な顔をして、頷いた。

 

「それでは元気でやれよ、唯一無二の我が部下よ。」

「ちょっと待て!!!まだ話は………。」

 

イアンはそれだけ喋ると、部屋のスタンドを操作した。

イアンの拒絶の意思により、オリバーは部屋の外へと弾き出された。

 

「さて、最後の遊びだ。」

 

イアンはそれだけつぶやくと、能力を発動した。

アレがあの男に渡っているだろうから、それでイアンの場所を把握できるはずだ。

 

◼️◼️◼️

 

「はい。追い詰めましたが逃げられました。叱責は後でいくらでも受けます。申し訳ありませんが、奴を探すための人員をこちらに回してください。」

 

サーレーはグイード・ミスタに電話をかけながら、まとわりつく自身の違和感について思案していた。

なにかをつかめそうでつかめない、もどかしい感覚。

 

おかしい。

これを逃してしまえば、何か致命的な事態に陥る予感。

 

一度はいい。二度目もまだ理解できる。

しかし、これで四度目だ。

 

最初のミラノの戦いで、サーレーはイアン・ベルモットを取り逃がした。

二度目の戦いで、サーレーはイアン・ベルモットの腹部に穴を開けときながら戦いはうやむやになった。

三度目の戦いでは、突然不慮の無差別攻撃を受けてやはり戦いは中断された。

そして四度目、戦いの最中に敵にいきなり味方が現れて取り逃がした。

 

四回中の四回。

四度目ともなると、それは偶然ではなく必然だ。

つまり五回目の戦いも、このままでは絶対になにかの横槍が入るはずだ。

サーレーはそう確信していた。

 

それに付随する四つの違和感。

なぜあの不気味な機械は敵のスタンドのフリをしていたのか。

なぜ時折、敵は理解できないタイミングで苦痛の表情を浮かべるのか。

なぜ敵は、サーレーを好敵手だと認定したのか。

なぜ生身の人間が、クラフト・ワークの防御を抜ける攻撃ができるのか。

 

不気味な機械が敵のスタンドのフリをしていたのはミラノでの戦い、そしてここでの最初と二回目の戦い。三回目はあの男が戦いに不参加で、今回は機械はあの男のそばにいない。

敵が苦痛の表情を浮かべるのは、戦いのほんのわずかな時間。大体はあの男の話術で、そのまま誤魔化されてしまう。

敵がサーレーを好敵手だと認めたのは、ミラノでの惨劇の夜。ミラノの惨劇でなんらかの条件を満たして、サーレーを好敵手だと認定した可能性が高い。

 

そしてメロディオの言葉。

敵の行動には、そこに何かの意味がある。

 

理解不能な敵スタンドの法則性。

敵のスタンドに出来ることが多すぎる。

 

シーラ・Eが何気なくポツリとつぶやいた、サーレーが勘違いをしていることの示唆。

 

サーレーは何か決定的に、自身が勘違いをしている可能性を感じていた。

このまま戦いを続けたところで、その先には時間切れが待っているのではなかろうかと。

 

『了解した。こちらから五十人ほど人員を送る。追加でさらに人数を増やす予定だ。すぐに捜索を行う。それまでお前は、次の戦いに備えてわずかでも休んでおけ。』

「ありがとうございます。」

 

スタンドには、簡単な区分で二通りのスタンドが存在する。

前面に出てゴリゴリに肉弾戦を行う、サーレーのクラフト・ワークのようなタイプ。

なんらかの法則性に則って相手をはめる、例えばミュッチャー・ミューラーのジェイル・ハウス・ロックのようなタイプ。

他にも例外的なスタンドはいく種類か存在するが、戦いを主とするスタンドはだいたいその二パターンだ。

 

イアンは部屋の中で直接戦闘を行っていたため、サーレーはイアンを肉弾戦を得意とするスタンド使いだと、そう解釈していた。

しかしそれが間違いだったとしたら?サーレーが何か決定的な勘違いをしていて、実は敵がなんらかの法則性に則ってはめるタイプだったとしたら?

 

最初の違和感は、執刀医の存在だった。

サーレーはそれが敵のスタンドだと思い込んでいたが、アレが敵のスタンドでないのなら一体敵のスタンドはなんなのか?まずはそこから。

敵のスタンドに出来ることが多過ぎて、その法則性が解析できない。敵スタンド自体も法則性と同じように理解不能だとサーレーはそう考えていたのだが………。

 

「………。」

 

今回ばかりは、頭を使うのが苦手だとか言っている場合ではない。

この戦いに、全てがかかっている。サーレーは必死に思考した。

 

「………部屋そのものがスタンド………?」

 

執刀医がスタンドでないのなら、それ以外には考えられない。

それならばなぜ、執刀医がスタンドのフリをしていたのか?

サーレーの頭を、閃きが過った。

 

決まっている!

奴自身のスタンドがなんなのかを隠すため!サーレーの目を誤魔化すためだ!

そのために執刀医はイアンのスタンドのフリをして、イアンは今までずっとサーレーが気付かなかったから執刀医を独立させて動かしたり、どこかへと移動させたりしたのだ。あまりにも気付かないから、遊び心で。

 

「………ということは………。」

 

筋道立てて考える。

なぜ部屋がスタンドだとバレてはいけないのか?

 

もしかしたら、目の前にいる倒すべき敵であるイアン・ベルモットでさえも囮なのではないか?

可能性をいく通りも考え、最も可能性が高いものを選択する。

 

それは部屋がスタンドとバレることが、致命的な事態に繋がるからだ。

そこから派生する他の可能性を思案し、さまざまな疑問点を解消できる仮説を構築していく。

 

やがて、サーレーの思考がピッタリとはまった。

敵がなんなのか、敵スタンドがなんなのか、一体どういう能力なのか、その全てをサーレーは理解した。

 

それはイアン・ベルモット唯一の、計算外。

イアンにも理解できない能力を行使して逃げ延びた、メロディオの助言がサーレーへの大きな手助けとなった。

 

必ず意味があるのなら、筋道立てればいずれ答えにたどり着くことが可能だ。

メロディオはサーレーに、値千金の助言を贈っていた。

 

「なるほど。奴は確かに遊んでいやがったんだな。」

 

その時、サーレーのポケットが灰色の光を発した。

 

「………これは。俺を呼んでいるのか。」

 

それは、敵が落とした懐中時計。

その光に導かれて、サーレーは最後の戦いの場へと赴いた。

 

◼️◼️◼️

 

「よう、イアン・ベルモット。」

「やあ、マイフレンド。やっと私の名を呼んでくれたね。」

 

都合五度目の邂逅、イアンはにこやかに笑った。

白いシャツに、紺のパンツ。白衣は着ていない。吹き飛ばしたはずの左足は、元に戻っている。

 

「………イアン・ベルモット、お前に聞きたい。遊びとはなんだ?」

「遊びとは公正な戦い。どちらにも勝つ可能性があり、人生を豊かにするものだよ。」

 

つまりこの戦いには、イアンにもサーレーにも公正に勝利の可能性があるということだ。

サーレーはイアンのその言葉に、自分の推測の確信を得た。

 

「そらよ。」

 

サーレーはイアンめがけて、奪った白衣を投げてよこした。

 

「はあ?いいのかい?これがないと、私は瞬間移動できないよ?」

「これが最後だ。お前はここで死ぬ。遊びたいんだろ?最後くらいは思いっきり遊ばせてやるよ。」

 

イアンはひどく意外そうな顔をした。

サーレーは首に手を置いて、骨を鳴らした。

 

「どうせそれ以外にも隠し持ってんだろ?最後だ。全力で来い、全部使ってこいよ。お前の全てを乗り越えて、俺は未来へと進む。」

 

黒いコートを着たサーレーの瞳に、静かに漆黒の殺意が灯された。

 

「本当に………?」

「ああ。お前は身の毛もよだつクソヤローだが、自分なりのルールはもっていた。それに敬意を表して、お前の人生の最後に思う存分お前の土俵で遊んでってやるよ。」

「最高だ!!!Let us enjoy crazy playing!」

 

イアンはそう高らかに叫ぶと、白衣に袖を通した。

宙に浮かび上がり、周囲に数多の浄化の炎が浮かび上がった。

向き合う二人は即座に戦闘体勢をとり、激突した。

 

「条件を満たさない限り、終わらない劇。それがお前の言うところの遊びだ。」

 

サーレーが、イアンへと語りかけた。

 

「ふん?ご教示願おうか?」

 

サーレーが残像を残す速度でイアンに詰め寄った。

イアンの周囲で浄化の炎が不規則に渦を巻き、サーレーはそれをかわしながら寄せていく。

 

「お前のスタンドは、何もかもがおかしい。最初に俺が違和感を感じたのは、あの不気味な機械だ。あれはお前のスタンドなどではなかった。あれがお前のスタンドでないのなら、お前のスタンドは一体なんなのか………。」

「なんなのか。」

 

クラフト・ワークの拳をかわして、イアンはサーレーの背後に瞬間移動した。

サーレーは瞬時に反応し、背後に向けて蹴りを放った。

 

「この部屋だ。だがこの部屋は異常だ。スタンドにしては、出来ることが多すぎる。だがこう考えれば辻褄があう。」

「どう考えれば?」

 

イアンはさらに瞬間移動した。

サーレーの頭上に移動し、不規則な軌道を描きつつ急降下した。

 

「ここはこの赤黒い世界の中枢、そして………お前の脳内!お前のスタンド能力は、場所をお前の脳と融合させる能力だ。」

「ふんふん。」

 

サーレーはコマ送りを発動し、奇妙な動きをするイアンを集中して避けることにつとめた。

 

「お前の脳内で戦っているんだから、本当はお前はなんだって出来る。戦いの筋道だって、細かい部分をいくらでも手直しや辻褄合わせをすることができる。」

「それで?」

 

クラフト・ワークのカウンターに、イアンは白衣を翻して瞬間移動した。

 

「人間だって、本当はいくらでも生み出せる。お前自身の強さも、いくらでも強くできる。俺に制限を課すことだって可能だ。」

「全部、一発退場もののルール違反だよ。」

 

イアンは笑った。

 

「全てはお前の脳内の妄想なんだからな。本来ならば、俺はお前にどうやっても勝てないはずだった。だがお前は一貫して、遊びに徹している。だから俺にも公平に勝利の可能性を残した。」

 

最初から最後まで、イアンは独自のルールで自分を縛っていた。

イアンが下手に自身の行動にルールを設けたせいで、サーレーはそこに法則性を探してしまった。

しかし本当は法則など存在せず、イアンはその気になればなんだってできる。

 

法則なく無秩序に戦えば、イアンは容易にサーレーに勝利できたし、サーレーはもっと早くイアンのスタンドの正体に気付いていた。

なるべく長く遊びたいイアンはそれを嫌い、自身の戦力の調整を細かく行っていた。それがこの基地での一回目と二回目の戦い。

一回目はイアンは自身を弱く設定しすぎ、二回目は自身の定めたルールに抵触していた。そのために、イアンはやり直しを行った。

 

「君がここを私の脳内だと考える、その根拠は?」

「一つ、戦いの最中に時折歪めるお前のその表情。俺がお前の部屋の備品や壁を攻撃した時、お前はいつも苦痛に顔を歪めていた。そしてお前はいつもそれを、話術で気を逸らして誤魔化そうとしていた。脳内を殴られてるんだ。本当は凄まじい痛みだっただろうにな。」

 

イアンは回転し、浄化の炎が風に乗って熱波を手当たり次第撒き散らした。

 

「二つ、生身のお前が俺にダメージを与えられることも、その根拠だ。俺のクラフト・ワークは防御に秀で、普通の人間が殴りかかったくらいでビクともするわけがない。それもお前の脳内で戦っているのだと仮定すれば、説明できる。」

 

サーレーは両手を顔面の前で交差させ、熱波を防御した。

それはひどく熱を持っていたが、今のサーレーは涼しい顔で受け流した。

 

「その二つの根拠をもとに、お前の部屋を注意深く眺めてみればわかる。この部屋の壁や床は、どれだけ戦っても炎で焼け焦げたりはしない。お前が自身の頭蓋を傷つけないように戦っているからだ。」

 

イアンは防御したサーレーに近付き、攻撃を加えようとした。

 

「お前の脳内であると仮定すれば、他のことも全て説明がつく。この赤黒い世界でお前がなんでもできてもおかしくないし、お前に都合の良いことばかりが起こっても何もおかしくない。お前は内部で起こる不確定要素を支配し、事象を継ぎ接いで継ぎ接いで、辻褄を合わせて破綻しないように劇を進行させて行った。」

 

サーレーは、近づいたイアンにカウンターをくらわせようとした。

 

「お前は、遊びを始めた時に二つの終了条件を定めた。一つは時間切れ。」

 

イアンは急停止し急上昇、そのまま体をひねってサーレーに蹴りかかった。

サーレーはその攻撃を、コマ送りにして見極めた。

 

「もう一つは、俺が勝利条件を満たすことだ。それは………。」

「それは?」

 

サーレーはイアンの蹴りを、腕を交差させて防御した。

イアンはそのまま、他の場所へと瞬間移動した。

 

「この部屋を破壊することだ。」

「その根拠は?」

 

浄化の炎が複数浮かび上がり、サーレーの周囲で弾け飛んだ。

サーレーは空間を固定し、軌道を見極めて攻撃が当たらない場所へと移動する。

 

「お前がなぜ俺を選んだのか、ずっと考えていた。お前が俺を選んだのは、ミラノでの惨劇のあの夜だ。」

「そうだね。」

「お前の遊び相手の最低条件、それはこの部屋を壊せる人間だ。」

 

サーレーは体を低くしたまま、イアンへと近付いた。

 

「お前のスタンドの中心であるこの部屋を壊せば、お前を打倒できる。ここはお前の脳内なんだからな。この部屋を壊せば勝利なのだから、そもそもこの部屋を壊せない人間にはお前の遊び相手は務まらない。………だからあの夜にお前の部屋を脱出した俺が、お前の遊び相手に選ばれたんだ。お前はずっと、お前の部屋を壊せる遊び相手を探していた。」

 

サーレーはミラノの夜にイアンの部屋を半壊させ、部屋内から脱出した。

その時に初めて、サーレーはイアンに正式にロックオンされた。

 

狂気の夜を力で乗り越えることこそが、遊びの開幕条件。

イアンは凶悪なテロを起こしながら、勝利条件を満たせる遊び相手が現れるのを待っていたのである。

 

「だから毎回勝負が決まりそうになると、必ず横槍が入る。何回戦っても、まともにやっていたら絶対にお前には勝てない。俺が部屋を破壊するという勝利条件を満たしていないのだから。お前はその都度脳内で細かく劇を調整し、ヒントを紛れさせ、俺たちが四苦八苦する様を眺めて楽しんでいた。時限が来るのが先か、俺が気付くのが先か、ワクワクしながら楽しんでいたんだ。それがお前の遊びの正体だ。」

「なんか私が底意地の悪い人間のような言い方だな。」

 

イアンは楽しそうに笑い、寄せるサーレーに縦回転して蹴りを放った。

サーレーはそれを、クラフト・ワークの拳で弾き返した。

 

「イアン・ベルモット。お前が遊んでいることを理解しないと、この戦いには絶対に勝てない。」

 

それは、意外な盲点だった。

ミラノの夜に、サーレーはイアンのスタンドの部屋を脱出のために破壊した。

一度行った方法が、相手を打倒する唯一の手段だとはサーレーは露ほども考えなかった。

 

イアンは、完璧に遊んでいたのだ。

弱点をむき出しにして戦って、敵がいつ気付くのか。それに気付かないまま終えるのか。

運良く気付くかもしれないし、気付かないまま全てをオモチャにしてつまらないエンディングロールを迎えるのかもしれない。

 

世界も自分も何もかもを粗雑に扱い、その結果は完全に他人任せ。

過程が楽しければ、その他のことは全て些末事に過ぎない。

それが、狂人イアン・ベルモットの哲学である。

 

その気になればなんでも出来るがゆえに、絶対に自身の全能性を濫用しない。

他人を犠牲にして遊ぶ以上は、自分の命も粗末に扱う。

それは、イアン・ベルモットの何があっても絶対に譲れないルールである。

 

「お前がメロディオを的にかけたのも、厄介な頭脳がいると遊びが成立しなくなる恐れがあったからに他ならない。」

 

頭が良く経験豊富な人間がいれば、外野の入れ知恵で遊びが破綻しかねない。

それは、遊びを行う上でのイアン最大の懸念事項だった。

 

集中力が極限まで上がった二人は、これまでで最高の激突を繰り広げる。

拳を交わし、避けて、弾いて、何度でも殺意をぶつけ合う。

 

何もなくても、全てを失っても、今この時さえあればそれでいい。

時間が止まるほどに、息がつまるほどに、狂おしいほどに、今この時が全て。

イアン・ベルモットにとって、この時間が人生の全てなのだ。

 

「考えれば考えるほど、それ以外の答えが見つからない。………さあ、もうそろそろ遊びは終わりでいいか?」

 

漆黒の殺意が、サーレーの精神の中で静かに収束していく。

処刑執行人の精神は宇宙を描き、一瞬でそれは膨張した。

楽園の守り人は、鮮やかに緑色に染まった。

 

「何事にも、終わりはいつか必ずやって来る。さよならだ(アリーヴェデルチ)、イアン・ベルモット、赦されざる者よ。俺は終わりを告げる者。」

 

クラフト・ワークの右腕の上腕二頭筋が膨れ上がり、部屋の壁を力一杯殴った。

それは部屋を揺らし、頭蓋の内側から攻撃を受けたイアンは痛みで頭を抱えて停止した。

 

「おあああああああああああああッッッ!!!」

 

クラフト・ワークは部屋の壁を二度、三度殴り、部屋が揺れた。

四度、五度殴り、部屋の壁にヒビが入っていく。

凄まじい音を立てて部屋内は揺れ、ヒビが入った壁から得体の知れない赤黒い液体が周囲に飛び散った。

 

イアンは眼球から出血した。

頭部を内側から破裂させようとする攻撃に、顔中の穴から血液を垂れ流した。

そのあまりの痛みに、イアンは頭を抱えて部屋の中でうずくまった。

 

サーレーは壁を殴るのを止め、イアンへと振り向いた。

トドメは確実にこの男を消し飛ばして、暗殺を完遂させる。

 

クラフト・ワークが詰め寄り、うずくまるイアン目掛けて拳を振りかぶった。

それを振り下ろす瞬間………顔中から血液を流したイアンは突如両手を広げて立ち上がった。

 

「ありがとう、人生!!!ありがとう、マイフレンド!!!」

 

常人に理解できない男は、最期にそう言い残してクラフト・ワークの拳に心臓を吹き飛ばされた。

イアンの後ろに青白い浄化の炎が口を開けて………イアン・ベルモットの体は燃え盛る浄化の炎に包まれて消えていった。

 

◼️◼️◼️

 

「グッ………。」

「………。」

 

オリバー・トレイルは、軍事基地の床に組み伏せられていた。

相手はその瞳に漆黒の殺意を湛えた百戦錬磨の強者、フランシス・ローウェン。

 

ローウェンは右腕を失い、左足を複雑骨折しながらも、傷口を氷で固めて出血を防いで基地内に置いてあった棒を支えにしてなんとか帰還を試みていた。

その帰還の最中にオリバーと鉢合わせ、片腕片足でも戦い慣れたローウェンにオリバーは至近距離であっけなく組み伏せられた。

 

息子は助かった。ならば後はもう、自分が闇に消えるだけだ。

組み伏せられたオリバーの表情は、ひどく穏やかだった。

 

「最期に何か言い遺すことはあるか?」

「………息子との思い出の中で死にたい。スタンドを発動することを赦してくれるか?」

 

ローウェンはしばし思考するも、死に行く者の最期の頼みに静かに首を縦に振った。

 

「………構わない。」

「ありがとう。」

 

回転木馬は、周囲に幸福を分け与える。

それは、息子との幸福な記憶の感情。

 

回転木馬は、近くにいるローウェンにも真の忘れ得ぬ記憶(ラスト・メモリー)を伝達した。

それは、ローウェンが亡くなったヴィオラートに対して抱いていた感情と、同じであった。



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後日譚

【これで終わりでよかったの?私がもう一度ルール違反すれば、助けられるよ。】

「それは絶対にいけない。彼はルールに則って勝利条件を満たした。だからこれで終わりでいいんだ。」

 

制止した時間の中で、イアン・ベルモットは執刀医にそう告げた。

 

執刀医がすでに一枚警告をもらっているのは、イアンにとって予定外だった。

サーレーが勝利条件を満たしていない場合、ここで一枚目の警告とともに執刀医がイアンの救助を行う予定だったのである。

しかしサーレーは勝利条件を満たし、執刀医はズッケェロがオリバーを打倒していたためにすでに一枚警告をもらっている。

これは、イアンの完全敗北だ。

 

【そう、寂しくなるね。】

「お前は、この世を好きに楽しめ。」

 

イアンは執刀医に、楽しそうに笑いかけた。

 

「なんでこの世に神がいないのか、私には理解できたよ。アイツらはみんな、生きることがつまらなくなって自殺したんだ。」

 

全知全能の神は、無敵の戦士は、絶対に負けない英雄は、ひどくつまらない人生を送っていることだろう。

イアン・ベルモットは、自嘲した。

 

クレイジー・プレー・ルーム。

部屋を頭蓋に見立てて、内部を自身の脳と同化させるスタンド能力。

その内側では、イアンはいつだって完璧超人だった。

 

なんでも出来て、なんでも思い通り。

時間も任意だし、運命も好きに操作できるし、自分の強さも自在に設定できる。

イアンの能力は、底が見えないのではない。底無しなのだ。

 

その気になれば、脊髄神経を張り巡らせて運命を操作することだって可能だ。

部屋の中と外で齟齬が起これば、恐ろしいことに部屋の中の法則が優先される。

少し思い出せば、辻褄の合わないヶ所の時間軸を修正することだってできる。

 

ゲームならばともかく、実際の人生ではこれほどつまらないことはない。

イアン・ベルモットは、ずっと苦しみを求め焦がれていた。

 

日々の幸せも手に入らないし、人間も意志を持たないマネキンにしか見えない。

どれもこれもが作り物で、イアンが脳内に思い描けばそれはイアンの望み通りに動いていく。

時折感じる痛みだけが、人生の現実だった。

 

精神の未熟な幼少の頃から、イアンはそんなスタンドを持たされていたのだ。

そりゃおかしくもなるし、常人とは価値観もズレて当然である。

 

全てを投げ捨てて、普通の人間として普通に生きたほうがいい。

自分は凡人だ、それはイアン・ベルモットの心の悲鳴に他ならない。

 

しかし油断していたら、勝手に発動してしまう厄介極まりない能力。

制約をかけにかけても、漏れ出た能力の残滓だけで強烈に周囲に影響を及ぼしてしまう。

イアンのクレイジー・プレー・ルームは、信じられないほどにそのスペックが高かった。

 

部屋を世界に置き換えれば、その異常性が顕著にわかる。

好きに生命を生み出し、運命を自在に操作する何者か。

頭の中で希望を願っただけで、それは勝手に叶ってしまう。

 

子供でも少し考えれば、その危険性がすぐに理解できる。

イアンは自身のスタンドに厳重に制約を課して、その正体を覆い隠した。

 

一切刺激のない人生は、その意義を感じられない。せっかく生を授かったのに、それは虚無に等しかった。

虚無から何かを生み出すのが人生ならば、彼の人生には意味がないという結論になってしまう。

 

それはひどく悲しく、絶対に許容できない。きっとイアンでなくとも、誰しもが許容できないだろう。

それなら一切合切を混沌のテーブルに放り投げて、命をかけて全力で遊ぶしかないじゃあないか。

 

混沌の支配者イアン・ベルモットは、苦難を跳ね除けて何かを為そうとする人間を、ひどく愛する傾向にある。

ゆえにオリバーを贔屓し、リュカを可愛がり、サーレーを愛した。

拷問に耐え抜いてイタリアを守ろうとしたパンナコッタ・フーゴを、生かして返した。

逆に保身に執着するだけの人間や安易な道を選ぼうとする人間、ディアボロやチョコラータにはさしたる興味を示さない。

 

それは羨望なのか、或いは他の何かの感情か。

イアン本人にもよくわからない。

 

「マイフレンドは私と全力で遊んでくれた。嬉しかった。楽しかった………本当に楽しかったんだ。だから、これでお終いでいいんだ。」

【そう………。】

 

執刀医は寂しげに、イアンに視線を向けた。

 

「さあ、最終幕(グラン・フィナーレ)だ。私の人生最大の見せ場なのだから、お前はどこかに行っていなさい。」

【………君は死んで骨も残らない。】

「もちろんだ。敗者は骨も残さずに、綺麗さっぱりと消え去るさ。私は生きていては危険過ぎる。赦されない大罪人だ。」

 

イアンは、晴れやかに笑った。

割れるような頭痛を堪えて、イアンは狂人として最終幕を自分らしく飾る義務がある。

 

「………私は目的を達成し。」

【イアンの仲間は生き残り。】

「お前はのうのうと生き延びる。」

【全知全能のイアン・ベルモットからの、君たちへのささやかな叡智のプレゼントだ。】

 

イアンと執刀医は顔を合わせて笑った。

二人のその言葉と同時に、制止した時間が動き出した。

 

「ありがとう、人生!!!ありがとう、マイフレンド!!!」

 

理解のできない男は、理解できないまま最期にそれだけ告げて炎に飲み込まれて消えて行った。

 

◼️◼️◼️

 

「………。」

「早く殺せよ。」

 

死んだ目をして床にうつ伏せるオリバーに対して、ローウェンはしばし思案した。

感情だけが、ローウェンに伝播している。オリバーの最後の希望だけが。

ローウェンの瞳から、漆黒の殺意は消え去った。

 

「どうしたッッッ!!!俺を早く殺せッッッ!!!」

「………俺はこの怪我だ。暗殺チームを引退せざるを得ない。」

 

ローウェンは失った片腕と、骨が皮を突き破った左足をオリバーに向けて見せた。

 

「それがどうしたって言うんだッッッ!!!」

「裏社会は、貴様らが起こした事件のせいで深刻な人材難だ。………契約だ。俺がお前の大切なものを、命がけで守ろう。お前は命を捨てて、フランスのために尽くせ。」

「………?」

 

ローウェンはゆっくりと考えをまとめて、それを口に出した。

 

「次の暗殺チームは、俺から見ればまだまだ未熟者だ。お前はそれを支えろ。今この場を以って、お前は俺の部下だ。差し当たってお前の最初の仕事は、俺を組織に帰還させろ。まともに歩けなくてな。」

「こんなに凶悪な事件を起こしておいて、俺だけ今さらのうのうと生き延びられるわけがッッッ………!」

「苦しみを超えて、生きろ。生きて死ぬほど苦しんで、いつか罪を清算しろ。俺がお前を仕込んでやる。」

 

カソックを着た赤毛の青年は、神父となって迷える子羊を導いた。

 

「いつかその罪が消えるまで、贖罪の塔を天に届くまで積み上げろ。人々の心を動かすほどに高く。それがお前に課せられた使命だ。お前がいつか大切なものを取り戻すことを、俺は心より願っているよ。」

 

赤毛の青年は、静かにそれだけつぶやいた。

 

◼️◼️◼️

 

「そりゃまた、とんでもないスタンド使いと出くわしたもんだねぇ。」

 

亀の中のメロディオはお茶をすすり、ポルナレフは羊羹を摘んだ。

………あなたたちは幽霊なのではなかったのか?なぜ幽霊がお茶を飲み、羊羹を摘んでいるのだ?

サーレーは細かい疑問を棚上げにした。

 

「………やっぱりそうか?」

「そりゃそうだよ。脳内でしょ?その気になれば、なんでもできるに決まってるじゃん。人は脳内で空が飛べるし、無敵にもなれる。世界の支配者にだってなることができる。普通のスタンドとは出来ることの次元が違う、まさに異次元のスタンドだよ。」

 

戦いを終えた後、サーレーには一切の現実感がなかった。

達成感もなく、倒したと言う実感もなく、ただただ必死だった。

終わって疲れて帰って二日間寝込み、起きてシャワーを浴びている最中に基地にズッケェロを忘れて帰ったことを思い出した。

だがその時には、戦いの後始末は全てミスタが済ませていた。

 

「危険度算出不能って言われたしなぁ。」

 

敵が死亡し、赤黒い世界が消滅した後。

ヨーロッパのいくつかの国、特にスペインとイタリアとフランスは大きな被害を受け、敵を打倒した後に緊急の裏社会総会議が行われた。

人材は枯渇し、早急に被害を受けた地域の立て直しが必要だ。

 

その会議の末節で、敵の能力の分析結果も提出された。

さまざまな角度から多角的に危険度を算出した結果として、サーレーは危険度算出不能という前代未聞の結論をミスタから聞かされた。

 

危険度算出不能、二万人の死者が出てなお被害を最小に抑えられたとそう判断されるレベルの超級の異物。

それが、イアン・ベルモットというスタンド使い。もしもイアン・ベルモット以外の人間にクレイジー・プレー・ルームの能力が渡っていたら、被害はこんなものでは済まなかった、と。

 

サーレーが必死に戦って敵を打倒しても、それは敵にとっては遊びの域を出なかった。

しかし敵にとっては、その遊びが人生のその全ての意義だった。

 

「そのせいで………。」

 

横に座るマリオ・ズッケェロが渋い顔をした。

彼は軍事基地の三階で、怪我を縫合されて眠っているところをミスタに救助された。

 

「ほら、言ったでしょ。生きて帰れば、ズッケェロさんの異名はヨーロッパ中の恐怖の代名詞になるって。」

「いやいやいや、マジで勘弁してくれよ。」

 

暗殺チームに付けられる値札。市場推定価格。

その一位であるローウェンは、戦いの怪我で暗殺チームを引退をした。二位のメロディオは死亡した。

 

ローウェンに関してはジョルノが治療を打診したが、本人がそれを拒否して一人の子供を引き取り、引退を表明したのである。

順当に行けば三位のサーレーがトップに躍り出るはずだったのだが………。

 

「イアン・ベルモットの危険度が算出不能のせいで………。」

 

今回の事件でサーレーの市場価格に上乗せされた額は、ゼロ。

イアン・ベルモットがあまりにも危険過ぎたせいで、数字で評価出来なかったためである。

結果として、最上級危険度と算定されたオリバー・トレイルを仕留めたマリオ・ズッケェロがまさかの一躍トップに躍り出た。

 

参考のために記載しておくと、暗殺対象の危険度は十段階で評価される。

それは社会の受けた被害、戦力、目的を総合して計算される。

 

イアン・ベルモットの危険度はそのうちの十で、過去にこの数値が付けられた暗殺対象は存在しない。

本来ならば、それは絶対に使われることがないはずの数字だった。

オリバーの危険度は八。八と九が、最上級危険度であり現実的に付けられる最高の数値だ。

 

エンリコ・プッチもその目的を考えれば危険度十と評価されてもおかしくなかったが、目的が不明のままサーレーに倒されたのとメイド・イン・ヘブンではなくホワイト・スネイクで戦力算出されたせいでその危険度は七。リュカ・マルカ・ウォルコットも七。ベロニカは八。ディアボロで九。ディオ・ブランドーですら八。

討伐しやすい個人の危険度は低くなり、組織の危険度は高くなりやすい傾向にある。

 

ディアボロの危険度が高いのは、年間に万単位で麻薬被害者を出していたせいである。

ディオが八なのは、戦力は高くとも実際の被害者数がさほど多く無いのと別に世界の破滅を目的に行動していたわけでは無いからである。

イアン・ベルモットは社会への被害者数、戦力、目的、その全てにおいて危険度が最上位と認定された。

 

「俺は逃げられたんだよッッッ!!!なんで俺が倒したことになってんだッッッ!!!」

 

その理由はシンプルである。

 

「えー、でもフランス暗殺チームの新しい副リーダーがそう言ってたって。」

 

フランス暗殺チーム新副リーダー、通称、回転木馬(カルーセル)

ローウェン以来初めて初期市場価格が一億ユーロもの破格の値札を付けられた、どこからともなく現れたポッと出の超大型新人。サーレーですら初期市場価格は四千万ユーロだったのだから、その期待値の大きさが伺える。

ちなみに新リーダーは、そこまで大したことない。あっという間に下剋上されるだろうというのが、大方の見方だ。

 

怪物ローウェンに代わって台頭した、新しい怪物。

本名は誰も知らず、その通り名だけが知る人ぞ知る名前として裏社会に瞬く間に轟いた。

その任期は無期で、本人は何かに取り憑かれたように社会のために尽くしているらしい。

 

回転木馬は攻撃であり、防御であり、技術であり、逃走手段である。

万能性が高く、経験値が高く、仕事の信頼度が恐ろしく高い。

ただ、昼日中は諸事情により外出することができないそうだ。

 

「俺はそんなに強くねぇよ!!!能力の融通も相棒ほどきかねぇし!!!」

「機転も実力のうちだよ?」

 

メロディオは楽しそうに笑っている。

 

「そうだな。戦いの中で、どれだけ頭を回転させられるかも実力の内だな。その点では、お前はサーレーよりも上だろ?」

 

ポルナレフも頷いた。

 

「ぐぬぬぬぬ。」

「よう、お邪魔するぜ。」

「副長!!!」

 

グイード・ミスタが外から亀の内部へとやってきた。

 

「すんません!!!副長!!!事件の後始末を全部任せてしまって………。」

「ああ、気にすんな。大したことじゃあねぇよ。今回の事件では、俺にできることはそれくらいしかなかった。敵のボスを倒したのはお前だ。」

「まだ倒した実感が湧かねんすよ。」

 

サーレーは、燃え尽きた状況に近い。

敵を打倒したのに実感が湧かず、心には母親を失った穴がポッカリと空いている。

少し時期を置いたら、その辺のことも考えないといけない。

 

「まあそうだろうなぁ。本気でヤバかったしな。でも倒したのがお前だという事実は、絶対だ。」

「絶対すか。」

「ああ。」

 

ミスタは笑うと、懐から一枚の小切手を取り出してサーレーへと差し出した。

そこには、五百万ユーロという巨額が記載されていた。奇しくもサーレーがポルポから奪おうとした隠し財産と、同額。

 

「これはッッッ!!!」

「すまねぇな。お前の功績を考えれば本当はもっと渡してやりてえんだが、事件でパッショーネの台所も火の車なんだよ。これが暗殺チーム全体への、今回の事件に対する働きへの褒賞金だ。」

「こんなに………。」

 

サーレーはズッケェロと目を合わせ、目を瞑り、しばし考えた。

血反吐を吐くような葛藤の末、やがてサーレーはミスタへと告げた。

ちなみにミスタはそのサーレーの苦悶の表情に、ちょっとひいた。

 

「………副長ッッッ!!!それは………被害を受けたミラノの復興資金に使ってくださいッッッ!!!」

「なんだなんだ、いきなり慈善家みたいなことを言い出して。」

 

苦悶の表情をした末に受け取りを返上しようとした馬鹿な部下に、ミスタは優しく笑った。

 

「ナメんじゃねぇ。イタリアとパッショーネは、チンピラに心配されるほど落ちぶれちゃあいねぇよ。人は社会から正当な対価を受け取るから、社会に対して奉仕できるんだ。これは正当な対価だ。まあどうしてもっていうんなら、これで被害を受けたミラノの不動産物件でも買ってくれや。いいのを紹介するぜ?」

 

ミスタはサーレーに小切手を渡すと、指を立てて去っていった。

 

「何あの人、ハードボイルド。超カッコいいんだけど………。」

 

メロディオは、男の趣味が悪かった。

 

「あの人は俺と同じくらいモテねぇぞ?」

「女が見る目がないんだよ。」

「金もあるし地位もある。そう言われりゃ、女の方が見る目がないんかな?」

「組織の汚れ仕事担当だしね。相手のことを考えて、自分から女を近付けないだけかもよ。」

 

ズッケェロは首を傾げた。メロディオの言葉には、案外信憑性がある。

どちらが真実なのか、ズッケェロには判別しかねた。

 

「それにしても、また二人きりに逆戻りか。」

「モッタがいるだろ?」

「アイツは情報部が本業だろう?」

 

暗殺チームのメンバーは、現在サーレーとマリオ・ズッケェロだけ。

残りのホル・ホースとウェザー・リポートがどうなったかというと。

まずはウェザー。

 

『お願いしますッッッ!!!三年間の契約延長で、二億ユーロ支払います!!!』

 

スペイン暗部の現総責任者、レノ。

パッショーネは彼らにウェザーの契約延長を打診され、現暗殺チームリーダーのサーレーがその窓口になった。

彼らの組織はスペインカタルーニャ州のテロによって金がなかったが、必要な経費をケチるわけにはいかない。

それは社会の安寧のための必要経費だ。

 

『そう言われてもなぁ。ウェザー、お前はどう思うよ?』

 

ウェザー・リポートの市場推定価格は、今現在一億五千万ユーロほど。

これは五年契約の目安価格であり、それを基準に考えれば三年で二億ユーロは高い。

しかし暗殺チームは基本使い捨てであり、需要と供給、何度でも使い回せる期待値の高い人間は価格が上限無く跳ね上がる傾向にある。

 

『それでは………二年半で三億ユーロでいかがでしょうか!!!』

 

一回渋っただけで、とんでもなく値段が跳ね上がった。

単年契約計算で、およそ六千万ユーロから一億二千万ユーロへ。

 

『え、えぇ!?』

『これ以上は出せません………二年半契約で、四億ユーロ!!!』

 

なんかとんでもないことになってきた。サーレーは恐ろしくなった。

これ以上出せないとか言っときながら、レノの表情は不退転の覚悟に満ち溢れていた。

 

なんか土下座しそうな勢いだ。

断ったら、背後から刺されるのではなかろうか?

 

『す、すいません、ちょっとボスに電話させてください。』

 

その後にパッショーネとウェザー・リポートを交えて話し合った結果、無償での二年間契約延長という形に落ち着いた。

 

『俺もスペインにはよくしてもらっている。それで人の役に立てるのなら、俺は別に構わない。』

『スペインは事件によって大きな被害を出している。ここで貸しを作っておけば、将来にわたって長く良い付き合いが見込めるはずだ。』

 

それがウェザーとジョルノの言葉。

そして次はホル・ホース。

 

『あのヤロー、まさかのバックれやがったッッッ!!!ふざけやがって!!!パッショーネに楯突いて生きていけるとでも思ってんのかッッッ!!!ボス、俺が追って始末します!!!』

『ああ、別にいいよ。』

『は?』

 

ホル・ホースは、入院しているはずの病院から忽然とその姿を消した。

ジョルノはサーレーの言葉に、笑って手を振った。

 

『彼はもともと、どこか一か所に縛られるタイプの人間ではない。でもパッショーネに弓引いて、その罪をキッチリと清算してから逃げたんだ。それが彼なりの筋の通し方だったんだろう。だから好きにさせてあげればいいさ。』

 

結果としてウェザーは契約期間を延長してスペインに居残り、ホル・ホースは行方不明となった。

 

「むう。」

「あんたたち、ここにいたの。」

 

シーラ・E。

パッショーネの親衛隊に所属。そして、暗殺チーム監督官という謎の肩書きを持つ。

 

『いや、暗殺チームの監督官はミスタの仕事なんだけど?』

 

ジョルノが気付いた時には、すでに時遅かった。

シーラ・Eは幹部に根回しを済ませ、いつのまにか親衛隊と暗殺チームの監督官を兼任していたのである。

結果として多忙なミスタの仕事は減ったが、暗殺チームの育成には細心の注意が必要だ。果たして彼女にそれがこなせるのか?

 

『大丈夫ですッッッ!!!私はスパイス・ガール主催の、男を育てようの会のプレミアム会員です!!』

 

シーラ・Eはスパイス・ガールを盲信しすぎではなかろうか?プレミアム会員?

ジョルノは首を傾げた。いつか幸運の壺とか買わされるのかもしれない。

まあ彼女は高給取りだから、そこまで気にする必要もないか。

 

「さあ、サーレーの婚活を始めるわよ!」

「い、いや………。」

 

意味がわからない。

なぜ監督官が率先して、部下の婚活にこんなにもヤル気を出しているのか?

そもそも暗殺チームは、現役の間は結婚することは許されていない。

 

「いや………いいんだよ。もう結婚は諦めたんだ。」

「アンタの事情は聞いているわ。」

 

シーラ・Eは、亀の中の床に座り込むサーレーに上から目線で通告した。

 

「失ったものは、戻らない。アンタは今、苦しんでいるのかもしれない!でも人間は、生きている限りは前へ進むしかないのよ!アンタの唯一のいいところは、そのいい加減な性格よ!だから今のアンタに明確な目標がないんだったら、何も考えずに前の目標に向かってそのまま突き進みなさいッッ!!!」

「い、いや………。」

 

シーラ・Eの背中は、一体どこまで広くなるのだろうか?

ここまで男らしい人間は、男でもそういない。むしろいっそかっこいい。

サーレーは気圧された。

 

「何よ、ウジウジして。言いたいことがあるんだったらハッキリと言いなさい!!!」

「実は………暗殺チームを引退したら、パッショーネを抜けようと思ってるんだ。」

「ハァ!?」

 

寝耳に水のサーレーの宣言に、シーラ・Eは我が耳を疑った。

 

「一体どういうことよッッッ!!!アンタ裏社会から足を洗って、やっていけると思ってんの!!!」

「………ボスに相談したんだよ。暗殺チームを引退したら、誰もいなくなった実家を継ぎたいなって。だから俺もフーゴやウェザーと同じように、暗殺チームを引退したらパッショーネを抜けて農業関係の学校に通おうと思ってるんだ。」

 

もらった褒賞金の一部は、学校の進学費用と実家の維持費として大事に大事にとってある。

サーレーがそれをジョルノに相談に行ったら、ジョルノは残念そうな表情で苦笑いをした。

 

『君にはミスタの後を継いで欲しかったんだけど………まあ君がそういうんだったら仕方がないか。代わりに裏社会の組織を抜けるんだ。その禊として、暗殺チームの任期を一年延長させてもらうよ。』

『すいません!!!なんかあったら、パッショーネに絶対に駆けつけますからッッッ!!!』

『………いいさ。その代わり、何があっても任期満了まで生き延びるんだよ。』

 

ジョルノは、本気で残念そうな表情をした。

当たり前だ。

 

親衛隊長でもいいし、新たに役職を作ってもいい。

戦えるというだけで、裏社会では価値がある。

戦力が非常に高く、手塩にかけた腹心の部下が引退を宣言したのだ。

 

出来ることならば、いつまでもパッショーネの一員としていてほしい。

なんなら戦わなくとも、緑色のマスコットでもいい。彼の起こす変てこりんな事件は、時折ジョルノも笑わせてもらっている。

………しかしそれが彼の幸せならば、組織は笑って彼を見送ろうか。

 

ちなみに禊に関しては、妥当なところだろう。

サーレーの市場推定価格を単年契約で割ると、およそ五千万ユーロ。

サーレーが一年任期を延長すれば、パッショーネはそれだけ得をする。社会の安寧は、一年長く確固たるものになる。

彼がいなくなったらいなくなったで、パッショーネは相応のやり繰りをするしかない。

 

「………まあそれはわかったわ。でも婚活は続けなさい。」

「………誰かを養える自信がねぇよ。」

「それでもよ。ごまかしや先送りでも、人生なんとかなるものよ。」

「………お前、ずいぶんいい加減なことを言うようになったなぁ。」

 

物事は須らくゆっくりと変化する。

サーレーも変化するし、シーラ・Eだって変化する。

 

「パッショーネに入団して、もう結構経つしね。そりゃあ馴染むわよ。」

「確かに結構経つな。そういえば、お前は人の婚活ばかり気にしていていいのか?そろそろ自分のことも考えた方がいいんじゃないのか?」

 

サーレーがついうっかりと、ふと気になったことをポロリと口にしてしまった。

もうシーラ・Eがパッショーネに入団して、とっくに十年以上の年月が過ぎてしまっている。年齢は推して知るべし。

 

「………アンタ、ぶっ殺すわよ。」

「………そうか。………スパイス・ガール、クソの役にも立たねぇな。」

 

シーラ・Eの瞳に漆黒の意志っぽいものが宿され、サーレーはその返答に察した。

一体彼女は何のために、スパイス・ガールの女を磨こうの会に所属していたのか?

男を磨こうの会の間違いなのではなかったのか?

謎は謎のままそっとしておこう。サーレーはそう心の中で誓った。

 

「シィラちゃん、ミスタさんは金持ってるよ。」

「副長………ですか。」

 

メロディオの助言に、シーラ・Eは少し考え込んだ。

 

「そうだよ。何で急に監督官が副長からお前に代わったんだ?」

「副長はお忙しいの!アンタらごときの監督官で、お手を煩わせるわけにはいかないわ!」

 

どうにもしっくりこない。

そう言われればそう言う気も少しするし、何か得体の知れない力が働いているような気もする。

本当に何でいきなりこのオカッパが、暗殺チームに積極的に口出しをするようになったのだろうか?

彼女の髪には、青い鳥を模した髪飾りが揺れている。サーレーは何とは無しに、それに目をやった。

 

「そういやフーゴはどうなったんだ?」

 

ズッケェロが話題を変えた。

パンナコッタ・フーゴ。敵に捕まり、拷問されていたところを暗殺チームが救助。

手の指を複数欠損してひどく疲弊しており、長期間入院の必要性があった。

 

「フーゴはジョルノ様の懸命なご説得で、納得したわ。」

 

真面目バカ二号。一号は目の前のおかっぱだ。

フーゴは社会の裏側にあんなにも凶悪な犯罪者がいることを知り、暗殺チームの役に立ちたいと暗殺チーム入りをジョルノに直訴した。

その際に誓いを忘れないためだと宣い、ジョルノによる欠損した指の復元を拒否し、パッショーネを散々に困らせていた。

 

「暗殺チーム入りを自分から志願するバカが未だにいるとはなぁ。」

 

頭のいいパンナコッタ・フーゴは、わざわざ危険な任務を請け負わなくともいくらでもパッショーネの役に立てる。

 

「それだけ衝撃だったんでしょ。守られるのも嫌だし、戦えるのに知らないフリをするのも気がひける。結構普通の感覚だと思うわよ。」

 

ズッケェロがボヤき、シーラ・Eが返答した。

 

「まあフーゴは置いといて………また人材をどうにかしないとなぁ。」

 

サーレーとズッケェロの二人では、暗殺チームは立ち行かない。

人材を補填するのが急務なのだが、使い捨ての部下を持たされるのも気がひける。

それは暗殺チームにとっては常識なのだが、幸運にもサーレーはまだその現場に立ち会っていない。

部下を失うのは、当然誰だって避けたい。

 

「………人数だけだったらどうにでもなるんだけどねぇ。」

 

シーラ・Eも頷いた。

数だけ揃えても、今のパッショーネの二人とは実力が乖離してしまっている。

結局サーレー頼みになるのなら、全く意味がない。しかし人材は忍耐強く接さなければ、育たない。

 

「まあ………事件がないのが一番だが………しかし備えを怠るわけにもいかないしなぁ………。」

 

悩みどころだ。

まあしかし、サーレーは暗殺チームのリーダーではあるものの、人員の補充はミスタが考えてくれている。

パッショーネは人員が豊富で、それは他の組織よりも明確に優れている点だ。

他国の組織は、人員の補充も含めて暗殺チームのリーダーに任せている組織も多い。

 

「ああ、そうだ。そういえば、これ。」

 

暗殺チームの人員という言葉から連想し、ズッケェロはふと思い出した。

ズッケェロが新聞を差し出した。そこにはインタビュー記事が載っている。

 

「ミラノの英雄に独占インタビュー………マジか。」

「彼だって成長してるのよ。」

 

新聞の記事を華々しく飾るのは、まさかのドナテロ・ヴェルサス。

彼はミラノの惨劇の夜に必死に人命救助行為を行い、それが表社会に大々的に表彰されていた。

彼はその際に怪我をして入院したものの、市民にはミラノの英雄として好意的に受け入れられている。

 

「人間変われば、変わるもんだなぁ。」

 

かつては暗殺チームでも使い道の無い下っ端だったが、ミラノ防衛チームに所属して成長したということだろう。

サーレーもズッケェロも、とても感慨深かった。

 

カンノーロ・ムーロロのいい加減な采配が、巡りに巡ってミラノにとって益になったということだ。

本当に人生、何があるかわからない。

 

「でもおじさんだって、伝説(レジェンド)じゃん。危険度算出不能なんて、前代未聞だよ?」

 

メロディオが、会話に割って入った。

ヴェルサスが表社会に名を広げた以上に、サーレーの異名は一部で絶大な支持を受けている。

何しろ、市場推定価格一位と二位が揃ってどうにも出来なかった敵を仕留めたのだ。

パッショーネの死神の異名は、伝説として引退後も長く語り継がれることになるはずだ。その正体が知られることはないが。

 

「伝説ねぇ………普通が一番だよ。」

「まあそうかもなぁ。」

 

サーレーが返答し、ポルナレフも頷いた。

 

「まあ実態は、モテないモテないって情け無いツラを晒す、しょうもないチンピラなんだけどね。」

「テメッッッ!!!」

「何よ!!!」

 

シーラ・Eとサーレーは、睨み合った。

確かにそれは事実なのだが、他人に言われるのは腹が立つ。

 

「まあまあ、仲が良いのはそれくらいにして。」

 

ポルナレフが手を叩いた。

シーラ・Eもジョルノの恩人である、ポルナレフには強く出られない。

 

「サーレー、そろそろ仕事の時間じゃないのか?」

「あッッッ!!!」

 

サーレーは懐に入れた旧式の携帯電話で時間を確認した。

今日は、ミラノの復興工事の仕事が入っていたはずだ。

 

「シーラ・E。監督官ならお前がちゃんと注意しなよ。」

「ううっ。」

 

今日はいつもの仕事現場だ。

八時間肉体労働をこなし、帰りにいつものスポーツバーで一杯やろう。

たまにはヴェルサスも呼んで、話を聞かせてもらうのもいい。

 

失ったものは戻らないけれど、それでも前を向いて歩いていこう。

どれだけ苦しくとも、辛くとも、這いずっても、結局は前に進むしかない。

母親はいなくなってしまったが、友人や仲間、サーレーを支えてくれる人間はまだこんなにもたくさんいる。

 

サーレーは颯爽とツナギに着替えて、足取り軽くいつもの仕事現場へと向かった。




これにて煉獄編完結です。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。


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とんでもない番外編 〜有閑マダムベロニカの、優雅な監禁生活〜

どうしてもベロニカがあの後どうなったか気になる方への、オマケ回です。
あまり期待しないで下さい。


細かいことを気にしない男、イアン・ベルモット。

本作煉獄変のボスであり、最狂のスタンド使い。

 

彼は絶対に細かいことを考えようとせず、物事を雑に進める癖がある。

彼がなぜそんなにも大雑把な性格になったのかといえば、そこには理由がある。

彼の大雑把な性格、もうこれは言い訳のしようもなく、完全にスタンドのせいである。

 

御都合主義の権化とも言える能力、クレイジー・プレー・ルーム。

この能力は、イアンが脳内で描いた理想絵図を細かくなぞって展開を進めていく。

 

イアンが細かいことを考えてしまえば、それはイアンの部屋の中で勝手に現実化してしまうのである。

なんなんだ、これは?こんなことがありえてしまっていいのか?あり得てしまう。

 

そのせいでイアンは細かいこと、どうでもいいこと、興味の薄いことは何も考えないようにする習慣がついてしまったのである。

もうこれは、はっきり言ってどうしようもない。イアンが細かいことを考えてしまうと、イアンの能力の影響は周囲に多大な被害を及ぼすことになる。

 

そして、イアンの裏ステータスである好感度表。

これは文字通りイアンの仲間に対する好感度であり。

最高段階の十から最低段階の一まで存在する。

 

まずは十。

これはもう文句無しにお気に入りであり、オリバーが唯一ここに該当する。

ツンデレのイアンは普段は絶対に態度に見せないが、自分の信じるルールを破ってでも幸せになってほしいと願う特例的存在であると言えよう。

俺が死んでもお前は生かして返す。お前ほど強い人間はいない、生きろ。決めゼリフを言っちゃうレベル。

 

そして八。

マジかっこいい。付き合ってもいいかなぁ、と思えるくらいの好感度。

サーレーがここに該当する。サーレー、早く逃げて!

 

そして五。

仲間として、一人の人間として、尊重しよう。そのレベル。

ここに、リュカ・マルカ・ウォルコットとパンナコッタ・フーゴが該当する。

………お前が目的を達成できるといいな。

 

そして三。

まあ確かに仲間だな。

バジル・ベルモットは、ここと評価五の中間付近に位置する。

 

二。

仲間………?知り合い………?どこかで見たことはあるなぁ。

ここにチョコラータとベロニカが該当する。

チョコラータ………?ああ、チョコラータ!確かにそんな奴いたな。

そんな感じ。

 

一。

………誰それ?

ディアボロとドッピオ、そして哀れな金髪。金髪は泣いていい。

 

そんな風にザックリと分かれる、狂人式好感度表。

ぶっちゃけ、イアンは評価が二以下の人間の末路には全く興味を示さない。

別にどうなっても構わないからである。

そんなこんなで。

 

「何見てんだコラァ!!!ヤクはどこだ!!!」

 

評価が二であり、徐倫ウェザーコンビと戦闘をかわしたベロニカ・ヨーグマン。

イアンにとって、玩具菓子のお菓子的な存在。もちろんイアンが大好きなのは、お菓子ではなく玩具の方である。

イアンの好感度の低い彼女は、イアンにその存在をすっかり忘れ去られ、今現在パッショーネに身柄を拘束されていた。

 

もうこれは、仕方がない。

ぶっちゃけイアンのスタンドは弩級であり、イアンが運命を決定した場合はそれを覆すことは不可能に近い。

しかしイアンが運命を決定するのは、イアンがなにがしかのこだわりを見せる人間かもしくは契約を交わした人間に限定されており、イアンはどうでもいい人間に労力を割いたりしない。時間のムダ。下手に思考をすると、余計な運命が付いてくる可能性がある。

イアンはベロニカがあまり好きではなく、そのために契約の細部を詰めることもすっかり忘れていた。

 

その結果、無為に生き延びたベロニカは今現在パッショーネに拘束され、パッショーネ側もどう対応するべきか決めかねている。

ちなみにイアンのいうところの生き延びた仲間とは当然オリバーのことであり、決してベロニカのことではない。

 

下手に実力があるために対処も困難であり、どうにもこうにもならない。

牢屋に閉じ込めても、王水の液で鉄格子を溶かして逃げ出そうとする。

綺麗に消え去ったつもりのイアン・ベルモット、最大の負の遺産であるという以外にもう言いようがない。

イアンうっかり。

 

「このど変態がッッッ!!!拘束されてる私を見て欲情してんのかッッッ!!!この三下ヤローがッッッ!!!」

 

ベロニカの朝は早い。

早朝にパッショーネの構成員が、専用の薬剤を彼女に投与する。

そうしないと彼女は、拘束具をスタンドで勝手に溶かして逃げてしまうからである。

外見の見かけだけはいいのだが、拘束具の中でスパンコールドレスを着るそのこだわりの意味がわからない。きっと、誰にもわからない。

 

「副長………どうしましょうか?」

「どうにかしようにも頭がなぁ………。」

 

そう。彼女は何を隠そう、実はサーレーが賢く見えてしまうレベルでオツムが弱いのである。

本人が実際にそこまでオツムが弱いのか、それともイアンの創造した彼女だからこんなにもオツムが弱いのか。

 

それはもう、永遠に誰にもわからない。どうでもいい、どうでもいい、私は自由だ、どうでもいい。

組織的に考えれば、このくらいの人間がスケープゴートにするにはちょうどいい、のかも知れない。

 

そんな彼女。

立場を理解せずに喚き散らし、毎日重度のヤク中っぷりを見せつけ、その自意識過剰な振る舞いは対応するパッショーネの構成員をノイローゼへと陥れる。まさに、悪魔が去り際に残した災厄の残りカス。

 

「おい、テメエ今チラッと私の胸を見たろ!胸を!代金がわりにヤクを持ってこい!」

「………もうホント、勘弁してくれよ。」

 

本当にどうしろと言うのか?

専用の薬剤を製作するのも、当然タダではない。

このままでは無駄飯ぐらいの役立たずを、ただ置いておくだけになってしまう。

パッショーネはミラノのテロで、社会復興のために大金をバラまいて金に余裕がない。あってもこんな女を無為に養うのには抵抗がある。

 

「アァン、何ガンつけてんだ、コラ?」

 

伝説の鬱人間量産機、ベロニカ・ヨーグマン。誰にも手をつけられない最悪の忘れ形見。

無駄に戦闘力だけは高いために、扱いに細心の注意が必要で下手な対応もできない。

万が一朝の薬剤の投与をし忘れでもしたら、ミスタでさえも戦いの相性により敗北する可能性がある。

 

まさしくワールドクラスの不良債権。使い道の見つからない、萌えないゴミ。

だがそんな彼女にも、たった一つだけ弱点が存在する。

 

「………ミスタ、どうにかなりそうかい?」

「ジョ、ジョルノ様ッッッ!!!」

「………ぶっちゃけ、お前にしかどうにもできそうにない。」

 

そう、イケメンにめっぽう弱いのである。ウェザー然り。

うるさいベロニカを黙らせるためにはジョジョ成分が必要であり、しかしボスであり忙しいジョルノをこんなわけのわからない些事に付き合わせるわけにはいかない。ミスタの白髪はどこどこまでも増え続ける。

 

「ジョルノ様ッッッ!!!私をあなたのお側に置いてくださいッッッ!!!一生尽くしますッッッ!!!」

 

パッショーネのボスでありイタリア裏社会の帝王、ジョルノ・ジョバァーナ。

確かに結婚適齢期ではある。適齢期ではあるが………さすがにジョルノにも相手を選ぶ権利というものが存在する。

 

他人の内臓を勝手に売りさばく人間の相手は、是が非でも御免被りたい。

というか無理。絶対に無理。どうやっても無理。永遠に愛せない。

 

「………もう処分しちまおうか。」

 

ミスタがボソッと呟き、ベロニカはビクッと肩を震わせた。

 

「すいません調子乗りましたごめんなさい許してください。」

 

このふざけたババアの厄介さ。

ミスタが本気でイラついて処分を考えだすと、敏感に察して謝り倒し始めるのだ。

オツムの弱い彼女であっても、一度死んで学習したのだろう。その生存本能は非常に厄介だと言える。

 

「まっ、ジョルノ。お前も仕事があんだろ。この女は俺がどうにかするから、お前は戻って仕事しな。」

「このクソワキガヤローが。私とジョルノ様の逢瀬に出しゃばんじゃねーよ。どうせモテねーくせに、ひがんでんじゃねーよ。」

「………処分しよう。」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。」

 

とまあ、こんなふうに箸にも棒にもかからない。どうにも対応のしようがない彼女。

そんな彼女にも、ある日転機が訪れる。

 

「暗殺チームに新メンバー?」

「………ああ。本当に気が乗らないんだが、まあ死んだところで別に誰も気にしない人材で、他にどうにも使い道もない。とりあえず見に来るだけ見に来てくれ。」

 

サーレーの無邪気な表情に、ミスタの胸がチクリと痛んだ。

大事な部下にあんな厄介なババアを押し付けたくない。しかし他に使い道が思いつかない。

弩級の不良債権としか言いようがなく、しかしどうにかしないといけない。無理難題を請け負ったミスタの小じわは増え続ける。

 

「なあ、サーレー………どう思う?」

「え………どうって………。」

「アアン?何見てんだゴラッッ!!!変な髪型しやがってッッッ!!!」

 

サーレーは、ミスタの目線の先に目をやった。

一人の女性。外見は美しく、胸の空いたドレスを優美に着こなしている。

だがなぜかキャスター付きの拘束具で拘束され、パッショーネの構成員にここまで運ばれてきた。

 

サーレーをひどく鋭い目つきで睨んでくる。

なんか地雷臭がする。というか、この女どこかで見た覚えがあるような………?

 

「………例の敵の残党だ。使い道が無く、俺たちも困っている。はっきり言って、もうどうにもならないなら処分を考えている。」

 

ミスタのその言葉にベロニカは肩を震わせ、拘束具の中で突如態度を豹変させた。

 

「あ、あなた様の部下にさせて下さいッッッ!!!なんでもやります!!!なんならご奉仕しますからッッッ!!!ほら、好きでしょ!!!」

「………絶対に耳を貸すな。まあとりあえずもしも使うなら、厳重注意だ。なんかやらかしそうだったら速攻で殺せ。」

 

暗殺チームは今現在ズッケェロと二人きり。悩みどころだ。

戦力の底上げが必要なのは明白ではある。実力も保証されている。

だが、肝心なところで裏切るような人間を受け入れるわけにはいかない。

 

サーレーに、そんな小難しい判断が急につくわけがない。

 

「え、えぇ!?そんなこと急に言われても、俺にも判断つかねぇっすよ。」

「………実は俺にも判断がつかねぇんだ。………情けなくて本当にすまねぇ。………もうどう扱っていいかわからないんだ。許してくれ。」

 

ミスタの目尻に、また一本深いシワが刻まれた。

人は苦労を重ねて、厚みのある人生を歩んでいく。ミスタがオリバーみたいになる日も、近い。

 

「お願いします!!!なんでもやりますからッッッ!!!なんならお試し期間でッッッ!!!」

 

ベロニカは必死で助命嘆願を行い、徐倫とウェザー相手に土下座で押し切った経験を持つ。

………暗殺チームは、経験が重要視される。

 

「じゃ、じゃあ少しだけ使ってみましょう、、、か?」

 

暗殺チーム下っ端、ベロニカの戦いが今始まる?

 

◼️◼️◼️

 

「というわけで、相談に来た。」

「えぇ?そんなこと言われても、私だってそんなに何でもかんでもはわからないよ。」

 

ベロニカにうっかり押し切られそうになったサーレーだが、間一髪のところで暗殺チームとして長い経験を持つ先達であるメロディオに相談するというウルトラCに思い当たった。ギリギリで保留を告げ、サーレーはサッと亀の中へと推参する。

ちなみにサーレーの中での信頼度は、暗殺チーム監督官であるシーラ・Eよりもよそ者のメロディオの方が圧倒的に高い。

 

「ベロニカ・ヨーグマン。スイスで過去に臓器密売組織のボスを勤めていた女だ。」

「あぁ。」

 

ベロニカの名は裏社会でそこそこ売れている。悪い意味で。

起こした事件のタチが悪く、無意味に強く、最悪のスタンド使いイアン・ベルモットを輩出した組織。

もうこんなもの、どうやってもいい噂が流れようにない。

 

「………暗殺チームとして使えると思うか?」

「………絶対に責任持てない。」

 

サーレーはその答えに、察した。

メロディオはこれまで何人もの部下を育ててきた経験を持ち、大概の人間はなんとかそれなり以上に仕上げてきた。

その彼女が即座に匙を投げる存在、それがベロニカ・ヨーグマン。

 

「………無理か。」

「この世に本当にどうにもならない人間なんていない………って思いたい。思いたい………けどあの女は無理だと思う。うん、無理。絶対に無理。………やっぱり、どう考えても無理。使い物になるヴィジョンが見えない。有能な敵よりも無能な味方の方が怖いってのは戦場の常套句だし………無力でごめんね。」

 

肩を落として落ち込むメロディオに、サーレーは罪悪感を感じた。

 

「………いや、いいんだ。変なことを聞いて済まなかった。」

 

サーレーは念のために、彼女と実際に戦った経験のある人間にも助言を乞いに行った。

 

◼️◼️◼️

 

フランス、パリ。

荘厳な教会の礼拝堂にて佇む、松葉杖を隻腕で持つ高身長の赤毛の男。

 

「無理だな。」

 

即答だった。あまりにも早く、端的な一言。もう少し考えても良さそうなものだが。

こんなにあっさり終わるのなら、わざわざ来ずとも電話でも良かったかもしれない。

 

「考えてみろ。自分が金持ちになりたいためだけに人間をバラして、自分の命が危なくなったら必死に命乞い。筋も道理もなく、悪としての矜持すらない。下手に実力があるぶん、余計に厄介だ。自分の命が危なくなったら即座に自分だけが逃げ出すだろうし、隙があったら間違いなくお前を殺しにかかるはずだ。」

 

オリバーへの対応と全然違う。違いすぎる。

サーレーはそこに疑問を感じた。

 

「当たり前だ。実際にあの女は、イアン・ベルモットを簡単に見限って自分だけ助かろうとしただろう。あの女はまず無理だ。国家への帰属意識を持たせるという段階でまず無理がある。それどころか行動に一貫性を持たせられるかどうかすらも怪しい。猿を使った方がマシなレベルだ。残念だが、処分する方が賢明だ。」

 

オリバーは邪悪な行為を行った人間でも性根は真っ当であり、使えば間違いなく暗殺チームの死人を減らせる。

ベロニカは邪悪な行為を行った人間で性根も邪悪であり、使ってもおそらく死人は減らせない。それどころか増える可能性が高い。

こんなもの、同じ対応をしろという方が無理がある。

 

人格者フランシス・ローウェンにまで見事に全力で匙を投げられた。逆にすごい。

ベロニカを暗殺チームに入れるくらいなら猿を育成してチームに加えろ、と。

猿の方が、まだ任務の邪魔にならない。

 

その辛辣な評価に、サーレーはいっそ感心した。

 

「せっかくきたんだ。歓迎するぞ、と言いたいところだが………。」

 

今のローウェンは子供を預かっている。

大切なよそ様の子供であり、裏社会の人間とはなるべく関わらせたくない。

サーレーはそれを理解し、パッショーネへと帰還した。

 

◼️◼️◼️

 

「というわけで………副長、すいません!暗殺チームでは預かれません。」

「………いや、いいんだ。俺が無理を言った。済まなかったな。」

 

そんなわけで………。

 

「何見てんだゴラァ!!!」

 

ベロニカ・ヨーグマンはパッショーネ最大の不良債権として、今日も元気にガンを飛ばしている。



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番外編 レクイエムは、再び静かに奏でられる

「………ありがとよ(グラッツェ)。」

 

被害を受けた軍事基地のほど近く。

たくさんの事件被害者の墓標が立ち並ぶ隅の一角で。

 

グイード・ミスタは、墓の前で手を合わせて花を添えた。

目前の墓標には、バジル・ベルモットの墓碑銘が刻み込まれている。

 

それはミスタからバジルへの、ささやかなプレゼント。人間ならば、墓が必要だ。

イタリアは土葬が主流であり、しかし墓の下に遺体は埋まっていない。

 

それでもそれは、間違いなくバジル・ベルモットの墓だ。

ミスタがそう決めた。

 

こんなものは、ただの自己満足だ。

だが、それでいい。

 

「………お前は倒すべき敵で、どうしようもなく悪だった。だがそれでもお前のお陰で奴を倒せたし、行動に一貫性を持った誇り高い生きた人間だった。俺がそれを認めるぜ。」

 

バジル・ベルモット。

イアン・ベルモットの弟という役割を持って生み出され、いつの間にか社会に受け入れられていた誰か。

戦闘力はなくともサポートに優れ、この男のスタンドのせいでミスタの部下は幾人も同士討ちして死亡した。

それでも。

 

「………同じ人間に生まれてりゃあ、なんてのは意味がねぇ。悪は悪で、お前は敵で、俺たちは互いに相容れない。そう割り切るしかねぇ。………それでも俺は、お前が安寧に満ちた死後をおくっていることを望んでいる。」

 

グイード・ミスタは笑って指を立てて、颯爽と立ち去っていった。

バジル・ベルモットの墓前で、一輪の菊が風に揺られていた。

 

◼️◼️◼️

 

「ふーん、ここ。」

 

車から降りたシーラ・Eが、納得したように頷いた。

 

「………テメエはなんでついて来ちまったんだよ?」

「だから言ったじゃない。監督官には、暗殺チームを監督する必要があるの。私はアンタが社会で粗相をしないか、ちゃんと確認しているのよ。これも仕事のうちなの!」

「んなこと言ってもよぉ。………どう思う?」

「うーん?」

 

サーレーはシーラ・Eに苦情を言い、マリオ・ズッケェロはよくわからないというジェスチャーを返した。

 

今日はサーレーが実家の維持の為に、一旦帰郷する日だ。

サーレーは実家の後を継ぎたいと考えており、それは相棒であるマリオ・ズッケェロの今後にも当然関わってくる。その為に一度見て欲しいとサーレーはズッケェロに声をかけ、それに聞き耳を立てていたシーラ・Eもなぜだかついて来てしまった。

 

「まあ確かにど田舎だけど、悪くないんじゃない?」

「ど田舎は余計だ!俺はお前について来てくれなんて頼んでいないぞ!」

「おっ、牛だ。ほらほら。」

 

田舎特有の匂いを三人は嗅ぎ取り、柵に囲まれた牧草地で牛を見つけたズッケェロは興味を抱いて目の前で手を振ってみた。

牛はそれに興味を示さず、一鳴きして草を食んでいる。ズッケェロは柵に手を突っ込んで、牛の背中を撫でてみた。

 

「まあベタっちゃあベタよね。創作物とかじゃ有りがちなんじゃない?ほら、殺しに嫌気がさして引退した殺し屋が、田舎に引っ込んで余生をおくるみたいな。」

「………俺にとっては実家だよ。と言うか、お前軽々しく殺しって言うなよ。暗殺チームの監督官だろ。」

「むぅ、誰も聞いていないわよ。」

 

暗殺チームは、秘匿される。

シーラ・Eは周囲を見渡し、誰もいないことを指し示した。

 

殺し屋も当然の話人間であり。それぞれに傾向が存在する。

殺し気にはやり、真っ向に敵に向かっていくもの。知恵を巡らせて高い作戦立案能力で敵を倒すもの。臆病で危険を感じると逃げ出すもの。

 

最後まで生き残りやすいのは、当然臆病な人間である。

気のはやった真っ先に突っ込んでいくタイプは、そのほとんどが早死にをする。

 

その結果臆病で人を殺すことに嫌気を感じる人間ばかりが最後まで生き残り、引退後は長閑な生活を望みやすい。そして社会はそれを学習し、根が臆病で慎重な人間を殺し屋として重用することになる。

 

暗殺チームは、社会の最終手段である。

本来ならば犯罪者は、表の公正な裁きに任せるべきだ。

それが困難な場合に彼らは出動し、社会を守護するための行動を起こす。

 

暗殺チームの目的は守る為に殺すであって、殺す為に殺すでは絶対にあってはならない。

だから暗殺チームは素行の悪い人間だって平気で使うし、時に暗殺対象を引き入れることすらある。

それで大切なものが守れるのならば、構わない。仕方ない。矛盾を許容する。

 

目的の履き違えは、絶対にしてはいけない。

暗殺チームは武力そのものであり、それが抑制なしに感情のまま動くようなことがあってはならない。

あまりにも当たり前のことだが、精神に負担のかかる殺人を繰り返すとそれを間違える人間も出てくる。

 

だから殺し屋が臆病なら臆病でいい。むしろそっちの方がいい。

リュカ・マルカ・ウォルコットはきっと、そこを間違えたのだろう。

社会の裏側では、力さえあれば許されると。

 

「おい相棒!あっちにはヤギがいるぜ!!!すげぇ!」

 

都会生まれ、都会育ちのマリオ・ズッケェロは見慣れない風景にはしゃぎ、見慣れたサーレーはズッケェロのその反応に意外さを感じた。

長く付き合った相棒の、初めて見る一面だ。

 

「ヤギなんてどこにでもいるだろ?」

「いねぇよ!!!」

 

ヤギなんてどこにでもいる、それは田舎育ちのサーレーの常識であり。

都会育ちのズッケェロの非常識だ。

 

「おい相棒、今なんか足元にいたぞ!!!」

「猫じゃないの?」

 

マリオ・ズッケェロの近くの草むらが揺れて、音を立てた。

シーラ・Eいわくそれは猫なのではないか、と。

 

「ああ、多分イタチだろう。どこにだっているだろ?」

「だからどこにだってはいねぇよ!」

 

サーレーは当然のようにスルーし、ズッケェロは得体の知れない何かにビクついた。

ちなみに余談だが、シーラ・Eの価値観はどちらかというとサーレー寄りだ。

 

「イタチぐらいだったらミラノにもいるんじゃない?」

「ま、まあそうか。」

 

シーラ・Eは泰然とした態度をとり、それを見たズッケェロは自身の行動に僅かな恥ずかしさを感じた。

昼日中で虫の多い田舎のあぜ道を歩き、農道を通り、サーレーたちは目的地へと向かっていく。

 

「………まずは墓参りだ。」

 

それに想いを馳せたサーレーの心に、棘のように痛みが走った。

どうしようもないことだった。それはわかっている。わかってはいても、感情は別物だ。

表情に出さないようにしても、察する人間は察する。

 

「ホラ!」

「………これは?」

 

シーラ・Eが自分の荷物から紙箱を取り出し、サーレーに押し付けた。

シーラ・Eがサーレーに渡したものは、パッショーネの子会社が取り扱うスフォッリャテッラだった。

紙箱に納められたお菓子。前回サーレーが帰郷したときに、手土産として母親に手渡したものだ。

 

「アンタの母親に以前土産として手渡したんでしょ。ジョルノ様にお聞きしたわ。パッショーネの品ならどこに持っていっても恥ずかしくないのだから、それを墓前に添えなさい。きっと喜ぶはずよ。」

 

サーレーの脳裏に、嬉しそうにお菓子を食べる以前の母親の姿が映し出された。

それはシーラ・Eからサーレーへの、精一杯の気遣いだ。

 

「………ああ、ありがとう。きっと喜ぶはずだ。」

 

遺体はない。

墓の下には、古臭い蝶の髪飾りが密やかに埋められている。

サーレーは僅かな苦痛と、シーラ・Eの気遣いへの感謝を感じた。

 

◼️◼️◼️

 

「またずいぶん古臭い様式の家ねぇ。」

「実際に古いんだよ。」

 

さほど裕福ではない、サーレーの両親。

当然家も立派なものでは無く、古臭い家をずっと大事に使ってきたものだ。

 

当然シーラ・Eがそれを知る由もなく。

しかしそれに愛情を感じるサーレーはちょっとした反発心を感じた。

 

「事件の褒賞金があるだろ?建て直したりはしねぇのか?」

「絶対にしない!」

「アンタに愛着があるのはわかるけど、改築くらいは必要よ。ホラ。」

 

ほこりっぽい家に三人は上がった。

シーラ・Eが廊下を歩きながら頭上の梁を指差すと。

 

「お前目がいいのな。」

「フフン、まあね。」

 

得意げなシーラ・E。そこには亀裂が入っていた。

実家に長く暮らしていたサーレーは、それを知っている。

しかし初めて来た彼女は、それにあっという間に気が付いた。

 

「虫食いかね?まあ確かに、改築は必要だろうなぁ。金があるうちにやっとかねぇと。相棒、俺も金を出すから必要なところをいじんなよ。」

「………いや、金は当然俺の分から出す。」

 

もらった褒賞金は、サーレーとズッケェロで均等に分けている。

ウェザーと徐倫には別途の伝手で、相応の報酬が渡されている。

それとホル・ホースがズラかる際に、パッショーネからくすねた品の補填費用も必要だった。

 

あの男は本当に抜け目が無い。だがなぜか、憎みきれない。

まあ事件において負担した役割への報酬とでも、考えておこうか。

 

「………ところで、アンタの部屋ってどこかしら?」

 

シーラ・Eが面白そうに口元に手をやり、それがウィークポイントであるサーレーは黙り込んだ。

意地が悪い女だ。

 

「俺も相棒の部屋には興味あんな。」

「絶対にダメだ。」

 

若い頃に飛び出た家。

サーレーの部屋は親によってある程度片付けられていたが、当然のように名残もある。

ガキの時分ならまだしも、大人になった今断固として知り合いを入れたくない。

 

「つまんないわね。」

「いいじゃねぇか。」

「………プライバシーの侵害だ。」

 

シーラ・Eは不満そうな顔をした。

放っておくと監督官権限とか言い出しそうな雰囲気だ。

 

「………お前だって触れられたくない領域はあるだろ?マジで勘弁してくれ。」

「………まあ、仕方ないわね。」

 

人は誰しも、踏み込まれたくない領域というものは存在する。

シーラ・Eだって、亡くなった姉との思い出に不用意に踏み込まれたくない。

サーレーは釘を刺し、その表情に察した彼女は仕方なしに引いた。

 

「じゃあせっかくだから食うか。」

 

シーラ・Eの土産のお菓子。

サーレーは布巾を濡らしてサッとテーブルを拭き、簡単にキッチン周辺の掃除を済ませた。

二人も手伝い、飲み物をコップに入れて三人でたわいもない会話を楽しむ。

 

それは日々の細やかな幸せ。今は暗殺チームの、休息の時だ。

なんの為に戦うのか、何を目的としているのか。

 

暗殺チームがそれを忘れてしまえば、社会における存在意義が消滅する。

彼らは日々の細やかな幸せを守護する為に、戦っているのである。

 

「………ほんとに、いつになったらそのダッサい髪型変えるのよ。」

「………うっせぇな。いい加減そこに口出しすんなよ。」

「そこさえ直せば、そんなに悪くもなさそうなものなのに。」

 

シーラ・Eは口をへの字に曲げた。

ズッケェロが何かに驚き、突然サーレーの肩を叩いた。

 

「おい、相棒!あれなんだ!」

「アン?ただの蜘蛛じゃねぇか。」

 

サーレーにとってはどこにでもいる蜘蛛でしかない。

しかしそれは、ズッケェロに衝撃を与えた。

普段ズッケェロが見慣れている蜘蛛より、圧倒的にデカい。

わかりやすく言えば、ズッケェロは生まれて初めてカマドウマを見た都会人状態である。

 

もしも岸辺露伴だったら、間違いなくそれを喜んで食べている。

ちと酸味が足りないけれど、ウマイ!

 

「あんなでっけぇ蜘蛛見たことねぇぜ!毒とか持ってんじゃあねぇのか?」

「ここら辺ならどこにでもいるよ。」

 

サーレーはズッケェロを軽くあしらった。

 

「いや、ヤベェだろ。絶対噛まれたら死ぬタイプのやつだぜ、アレ。あのデカさ、まさかスタンド!?」

「いや死なねぇって。スタンドでもねぇ。ほら、スタンドを出すな。暗殺チームが情けねぇぞ。」

 

ビビってスタンドを発動したズッケェロに、サーレーは苦笑い。

蜘蛛型のスタンドがいてもおかしくはないけれど、あれはただの蜘蛛だ。

 

「そうよ。情けないわよ。」

 

シーラ・Eは豪胆にも、蜘蛛を指でつかんで窓の外に放り投げた。

蜘蛛は緩い放物線を描いて、木の枝に引っかかった。

 

「ほら、恥ずかしいのはわかるけど赤くなんな。」

 

サーレーはズッケェロの肩を叩いた。

 

「とまぁ、これが俺が育った環境だよ。俺は暗殺チームを引退したら、ここに引っ込もうと思ってる。お前も引退までに、どうするか考えておいてくれ。」

 

サーレーは、ズッケェロに笑いかけた。

 

◼️◼️◼️

 

草むらに寝転ぶサーレー、周辺からは草いきれ。

夏場の夜で蒸し暑く、サーレーは上着を登ってきた虫を手ではらった。

空を見上げると、天の川(ガラッシァ)。その美しさには、どんな絶世の美女だろうと決して敵わない。

 

夏の大三角(トリアンゴロ・エスティーヴォ)か。」

 

アクイラ、ヴェガ、アルテエール。夏の大三角。

前回来た時からサーレーは、少しだけ天体の勉強をした。

暗殺チームにも常識は必要だ。

 

空が高く、空気が美しく。無間の宇宙に瞬く無数の星々。

見ているとどこまでも吸い込まれそうな。いつまでもどこまでも終わりなき天。

伝説の殺し屋がいかに矮小な存在か、それを見ているとサーレーは痛切に思い知らされる。

 

ズッケェロはサーレーの実家で就寝中。シーラ・Eは車の中で就寝中。

都会っ子のズッケェロは一人になるのを嫌がったが、サーレーにだって一人の時間も必要だ。

とても贅沢な時間の使い方で、それはきっとサーレーの人生の豊かさの証明。

 

「………ありがとう。」

 

誰とはなしに、何とは無しに、サーレーの不意をついて言葉が出た。

理由もなく、意味もなく、意識せずにサーレーの口からその言葉は発せられた。

それはサーレーの、いなくなった母親に対する感情の発露だった。

 

色々考え、迷い、悩み、苦しんだ末に最後に残ったのは愛情。

それはサーレーにとって絶対的な真実であり。決して忘れ得ぬ感情。

 

不思議なものだ。

サーレーの口から不意に出た言葉、イアン・ベルモットの最期の言葉、グイード・ミスタがバジルの墓にかけた言葉。

 

なぜかそれらは全く同じ。一体そこにどんな共通点があるのだろうか?

もしかしたら皆、心の奥底で生に感謝しているのかもしれない。

 

いなくなったのは苦しい。悲しい。殺した相手は、憎い。

それでももうどうすることもできないのだから、全てを飲み込んで前へと進もう。

 

消化不良のままでもいい。這いずってでもいい。

心の隙間はきっと、隣人が埋めてくれる。そのための社会だから。

 

不意に出た言葉の意味を忘れさえしなければ、それでいい。

最後に残ったそれが、きっと何よりも大切なものなのだから。

 

大人でも悲しければ、ときに涙を流すこともある。

殺し屋だろうがマフィアだろうがチンピラだろうが、人間は人間だ。

それを理解しなければ、理解するだけの器を持つボスがいなければ、暗殺チームは絶対に育たない。

役立たずで社会に害をなすだけの、ただの殺人者が出来上がるだけだ。

 

国家の武力である暗殺チームは、個人の感情のままに武力を行使することを許されない。

しかし暗殺チームの人間だって、感情を持つ一人の人間だ。

社会とは矛盾していて、社会とはそうやって成り立っている。

 

涙が一筋、サーレーの頬を伝った。

 

大の大人が涙を他人に見せるのは恥ずかしい、そんなものはつまらないプライドだ。

だがそんなつまらないプライドでも、時に必要なことだってある。

 

鎮魂歌は静かに、奏でられる。

いつだって、どんな時だって。

 

静かに、穏やかに、生者と死者の安らぎのために。

時間はゆっくりと過ぎていき、いつの間にかサーレーは草むらの中で安らかに眠っていた。

 

◼️◼️◼️

 

翌朝起きた三人は、サッとサーレーの実家の掃除を済ませた。

ほこりをはらい、床をはいて、水を撒いて汚れを落としていく。

 

「おい、相棒!あそこになんかいるぜ!!!まさかスタンド………?」

 

マリオ・ズッケェロが、窓から庭を指差した。

 

「スタンドのわけねぇだろ。ただのたぬきだよ。イタチよりかは珍しいが、どこにだっているだろ?」

「だから、どこにだってはいねぇよ!何回言わせるんだ!」

 

イタチを見て、ふとサーレーは思い出した。

 

「そういやお前、猫飼ってたろ。まだ元気にしてるか?」

「ああ、まだピンピンしてるよ。もう毛が抜けて掃除が大変。任務で空けている時は、モッタに預かってもらっている。」

 

掃除を済ませたらミラノに戻らないといけない。

それぞれの日々の暮らしがある。

 

サーレーは暗殺チームリーダー兼工事現場員。

ズッケェロもサーレーの部下として。

シーラ・Eはジョルノの親衛隊員。

 

サーレーは最後に、ゆっくりと時間をかけて丁寧に母親の墓周りの掃除を済ませた。

 

「………ありがとう。」

「なあに、殊勝なこと言って。らしくない。」

 

墓に礼を告げたサーレーを、シーラ・Eはめざとく見ていた。

 

「………別にいいだろ?」

「ええ。別に構わないわ。」

 

シーラ・Eは大人の女らしく、美しく笑った。

目やにが付いていることを、サーレーはそっと自分の心の奥底にしまった。

それを指摘してしまうと、色々と台無しになってしまう可能性が高い。

 

三人は移動手段である車へと戻り、運転席にスルリとシーラ・Eが乗り込んだ。

 

「車は買わないの?」

「自分が真っ当な人間だと自分で納得できるまで、お預けだ。ズッケェロはよそ見運転とか平気でしてたしな。」

「………マジで反省してる。もう絶対にしねぇよ。」

 

三人は笑い、シーラ・Eは車のエンジンをかけた。

車はミラノへと向けて、ゆっくりと走り始めた。

 

レクイエムは、静かに奏でられる。

いつだって静かに、ただ静かに奏でられる。




ここまでで、書きだめのストック切れです。
これ以降の更新があるかどうかは未定なので、期待しないでください。


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番外短編 もしかしたら有り得たかも知れない話

もしかしたら、の話です。


「人は本来、虚無に耐えられない。私のスタンドが特別なのではない。私が特別なのだ。」

 

暗闇の中で、白衣を着た男が笑った。

 

「やあ、こんにちは。東方仗助。いや………こんばんはか。君たちの国の言葉は、どうにも発音が難しいね。」

 

金縛りにあったように、体が動かない。

ここはどこだろう。目の前の男は一体何者だろう。

意識がボヤけている。自分が寝ているということだけは、自覚できる。

 

「今年は………1999年か。君にもいろいろと気になることはありそうだが、あまり時間を費やしすぎるつもりもない。用件を済ませてしまおう。」

 

白衣の男は暗闇の中を歩き、仗助のそばに近寄った。

 

「君はスタンドの正体について、どう考える?」

 

スタンド、それは精神の形。

本人の精神エネルギーを可視化したもの。

東方仗助は、そう把握している。

 

「スタンドとは、本人の資質によって決められる。それは先天的なものであり………その法則性は本人に決定できないということになっている。………それは本当に事実だろうか?」

 

ゾッとするような笑みを浮かべた男は、暗闇から突如椅子を取り出して腰掛けた。

 

「………君たちは忘れている。有名なスタンド使い、空条承太郎は、ディオ・ブランドーのザ・ワールドに対抗して時間を止めた。脈絡なくね。その意味を、君は深く考えたことはあるかい?」

 

男は椅子に座ってクルクル回り、白衣をたなびかせながら楽しそうに笑っている。

 

「東方仗助、君は覚えているだろう?君の身に起きた奇跡。幼い頃に君を助けた人影。」

 

男は横たわる仗助を指差した。

 

「今の君と、同じ格好をしていたそうじゃないか。学ランを着たリーゼントの高校生。」

 

仗助は過去を鮮明に思い出す。それは大切な大切な記憶。

他人に安易に踏み込まれたいものではない。

 

「それは追いつめられた、幼い君が起こした奇跡だ。もしかしたら未来の君を呼び寄せたのかもしれないし、理想の人間をとっさに作り上げたのかも知れない。スタンドがその姿をとったのかもしれない。それはわからない。空条承太郎と東方仗助。君たちが起こした二つの奇跡は、本質が同じなのだよ。」

 

しかし、なぜそのことを目の前の男が知っているのか?

仗助はそのことに、思い至らなかった。

 

「君の幼い頃の人影も、空条承太郎が時を突如止めた理由も、こう考えれば辻褄があう。スタンドの正体は、皆同じ。その法則性は、全て脳が決める。君が必要に迫られて、奇跡を起こした。空条承太郎が必要に迫られて、自身のスタンドの能力を決定した。生命の危機を感じた脳が、一時的にリミッターを外したんだ。君のスタンドの法則性は、君自身の脳が決定しているんだよ。」

 

白衣の男は、自身の頭部をトントンと指差した。

男はキャスター付きの椅子から立ち上がり、椅子を暗闇へと押しやった。

 

「だが人の脳は、虚無に耐えられない。混沌に耐えられない。無秩序無制限な力の行使になんて、絶対に耐えられない。仕方がないから君の能力に、君自身の脳が制限をかけている。出来ることに法則性を定めて、ね。それが君のクレイジー・ダイヤモンド。私と同じ狂った名を冠するスタンド。なんか親近感が湧くね。………だが全てのスタンドの正体は実は同一、私はそう考えている。」

 

男の前に机が現れ、彼はそれを指でコツコツと叩いた。

 

「君の脳は君に渡された粘土を捏ねて、直す能力を作り上げた。法則、秩序とは、常に無秩序から生まれる。誰しもが正体が同じものを、無自覚に自分で捏ね上げて法則性を作り出している。だからどんなスタンドでも、戦いにおいて公平に勝利の可能性がある。勝利しうる。その言葉はつまりは、そういう意味だ。君の奇跡は君自身が起こしたし、空条承太郎の奇跡は空条承太郎自身が起こした。本体が必要に迫られて。」

 

男は机に腰掛けて、足をプラプラさせた。

 

「出来て当然だと思えば、出来るようになる。実はエンヤ婆は、スタンドの本質に気付いていたのかもね。君は過去の高熱で、スタンドが発現した。その時はまだ、君のスタンドは原初の状態に近かったはずだ。」

 

男は上を見た。

そこには暗闇がただ、広がっているだけだ。

 

「スタンドの正体は、皆同じ。だが無制限にその力を行使すると、本体が耐えられない。だから矢による進化や、エンリコ・プッチの天国に行くための道程とは、実はスタンドではなく本体の方を作り変えている。スタンドが制限無くその力を行使しても、本体が耐えられるように。ディオ・ブランドーのスタンドが強力なのは、本体が人間ではないからより大きな力の行使に耐えられる。メイド・イン・ヘブンの能力に、エンリコ・プッチ本体が耐えられたのも、それが理由だ。その推論は、辻褄が合っているとは思わないかい?」

 

わからない。

その可能性を、絶対に否定することはできない。

スタンドそのものが、一体何なのか解明されているものではないのだから。

 

「強いスタンド使いの正体は、実はスタンドではなく本体自身が強いということだ。だからスタンドの成長性には、実はまるで意味がない。本体の成長性が、そのままスタンドの成長性だ。広瀬康一は脳が強い人間だから、本人が何度もスタンドを作り変えてそれに耐え抜いた。吉良吉影は追いつめられて、必死になって自力でリミッターを外した。推論としては、破綻していないだろう?辻褄が合わない事象には、発想を逆転させればいい。」

 

白衣の男は、腰掛けた机から飛び降りた。

軽やかにタンという音が周囲に響いた。

 

「まあ私の勝手な推論なんだがね。君がずっと気にしていたようだから、君のために辻褄の合う仮説を披露しただけさ。君の大切な思い出を汚すつもりはない。興味は人を、進化させる。君ももっと考えてみると面白いかもよ。………さあ、もう朝だ。私はここから立ち去ることにするよ。君の未来に、幸多からんことを。君が君の人生の苦難を乗り越えることを、私は願っている。」

「待てッッッ!!!お前は何者だッッッ!!!」

 

仗助はとっさに声を上げた。

 

「さあね。もしかしたら君が、私の未来の遊び相手になってくれるのかも知れない。そうでないかもしれない。そのために私は、なんとなく今日君の顔を見にきたんだ。その過程を楽しむことこそが、まさしく生きるということ。もしもその時が来れば、その時に改めて名乗ろうじゃないか。マイフレンド候補。」

 

白衣を着た男は、仗助にウィンクした。

彼は笑いながら、光に包まれて消えていった。

 

「なんだったんだ、今の夢は?」

 

東方仗助は、ベッドから身を起こした。変な夢だ。寝汗をかいている。

変な男が現れて、自分勝手に推論を振りかざし、朝とともに消えていった。

 

「まぁわけがわからねぇ夢なんざ、忘れるに限るぜ。」

 

仗助は身を起こして、ゾッとした。

 

「一体何が………。」

 

なぜ自分は学ランを着ているのだ?

寝ている時にまで学ランを着ているわけがない。

ふと頭に手をやると、いつもの決まったリーゼントがしっかりと整髪料で固められている。

もちろん寝てる間に、そんなことをするわけがない。

 

何が起こったのか、理解できない。

スタンド攻撃を受けているのか?

 

「仗助ー、朝よー。ご飯食べにでてらっしゃい。」

「あ、ああ。」

 

仗助の母親、朋子が部屋の外から声をかけた。

明るい朝、朝食をとって学校に行かないといけない。

食事をするうちに、いつの間にか仗助は夢のことを綺麗さっぱりと忘れていた。

 

【番外編、ジョジョの奇妙な夢】

 

◼️◼️◼️

 

「なぁ、空条承太郎、お願いしますよ。ぼくとあなたの仲じゃあないか。」

 

岸辺露伴は、空条承太郎の腕を揺さぶった。

 

「漫画のためなんだッッッ!!!暗殺チームなんて、アイデアが湧かないはずがないだろうがッッッ!!!」

「………やれやれだぜ。」

 

空条承太郎は、ため息をついた。

 

岸辺露伴が、珍しく承太郎に連絡をしてきた。

一体何の用事なのかと、思わず通話にでてしまったのが運の尽き。

岸辺露伴はどこからともなく赤黒い世界の真実を仕入れ、暗殺チームに取材させろなどと言い始めたのである。

 

電話ではラチがあかないと判断した岸辺露伴は、承太郎の都合も聞かずに押しかけてきた。

 

「好奇心が止まらないッッッ!!!本物の殺し屋は一体どんな姿をしているのか?いくらもらって殺しをしているのか?人間を殺す時、どんな気持ちになるのか?普段はどんな生活をしているのかッッッ?」

「無理だと言っただろう?相手は裏社会の重鎮の庇護下にある。国家を敵に回すぞ。」

「だからそれを、アンタがどうにかするんだよッッッ!!!」

 

相変わらず、無茶苦茶を言う男だ。

 

「帰れ、邪魔だ。」

「いやだッッッ!!!取材させてくれるまで、まるでタコのように、スッポンのように、ピッタリと張り付いてやるッッッ!!!」

 

こうなるとこの男は、テコでも動かない。

この執念が面白い漫画を生み出しているらしいのだが………本当に傍迷惑な男だ。

 

「お前を連れて行くと、国際問題になるかも知れない。」

「それがなんだッッッ!!!国際問題なんぞ、面白い漫画の前ではゴミ同然!!!取るに足らない些事だッッッ!!!」

 

頭がおかしい。

この男は、イアン・ベルモットと気が合いそうな予感がする。

空条承太郎は頭を抱えた。

 

「………まず相手が断れば不可能だ。それと相手方を怒らせた場合のお前の身の安全の保証はしない。情報を広めない。それが守れるのなら、とりあえず聞いてみるだけは聞いてやる。期待はするな。」

 

岸辺露伴は、頭をブンブンと上下に振った。

空条承太郎は懐からスマートフォンを取り出した。

 

「というわけだ。無理だとわかっちゃあいるんだが、どうにもうるさくてな。」

 

空条承太郎はジョルノへと、国際電話をかけている。

 

「何ッッッ!!!」

 

まさかの事態。

パッショーネに拒否されると承太郎は思っていたのだが………条件付きのオーケー。

 

ここには、パッショーネ側の思惑がある。

事件解決において空条承太郎に借りを作ってしまったパッショーネ。

ここで無理難題を聞いておけば、空条承太郎は後々パッショーネに貸しを請求できなくなる。

 

空条承太郎としては、こんな形で貸しを返して欲しくなかった。

そもそも請求するつもりもなかった。

不毛な意思の齟齬。

 

「やったぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

漫画家だけが、一人喜んでいた。

喜び勇んでその場でイタリア行きのチケットを予約する。

 

「それでッッッ!!!どうやってそいつを倒したんですかッッッ!!!」

 

そんなこんなで後日、ここはイタリアのミラノ、パッショーネのミラノ支部の一室。

衝立で相手の姿を隠し、音声を加工した上で、岸辺露伴はインタビューを敢行している。

 

「何と言いますか………ともかく夢中で。自分でもどうやったのか。」

「そこをはっきりと言ってくださいッッッ!!!さっきからはぐらかすばかりでッッッ!!!これじゃあ生殺しだッッッ!!!」

 

事件解決の立役者であるはずの殺し屋は、イマイチ質問に対する返答がハッキリしない。

言葉がたどたどしく、表現に知性も感じ取れない。

もしかして、雇った通訳が悪いのだろうか?

 

「そんなことを言われましても………。」

 

そこに不意に、一人の男がインタビュー最中の机にぶつかった。

 

「おい、お前ッッッ!!!何ぶつかってるんだッッッ!!!文字が歪んだじゃないかッッッ!!!変な髪型しやがってッッッ!!!チンピラ風情が面白い漫画の邪魔をするなよなッッッ!!!」

「ああ、すまない。気をつけるよ。」

 

サーレーは岸辺露伴に、軽く謝罪した。

 

「フンッッッ!!!」

「おい、あれなんだ?」

「ああ、なんか取材らしい。ホラ、事件の英雄にインタビューって。」

「ああ、あれか。そういや支部でなんか説明してたな。」

 

マリオ・ズッケェロはうなずいた。

 

パッショーネ側は、ミラノで人命救助を行って表彰された英雄ドナテロ・ヴェルサスへのインタビューだとそう誤解していた。

 

【番外編、岸辺露伴はすれ違う】

 

◼️◼️◼️

 

「フンフフーン。」

 

自由を愛する男、ホル・ホース。

ミラノの病室を夜間に抜け出し、カウボーイスタイルに頭に乗せたテンガロンハットをずらして、遠くの方へと目をやった。

 

「まっ、パッショーネは悪くなかったけど。やっぱ俺っちはこうじゃないといかんでしょォォ。」

 

口笛を吹きながら、ホル・ホースは新しく購入したバイクに跨った。

パッショーネからくすねた金品を換金して、購入した逸品だ。

 

「さぁて。」

 

パッショーネに喧嘩を売る気はもうない。

嫌いではないから。それにいざとなったら逃げ込める場所は、多いほうがいい。

今の彼は、何の後ろ盾も持たない人間だから。

 

「次はどこに向かうかねぇ。」

 

ここでできる仕事は、もう何もない。

空条承太郎からエジプト掃討作戦を聞き出して、オインゴボインゴの兄弟に情報を流した。

ホル・ホースは以前、ボインゴと組んでいた。

 

「まあ結構恨みをかっていたからねぇ。」

 

ディオの部下で、客観性を持っているのはホル・ホースただ一人だったと言っていい。

彼は自身がどれだけ恨みを買っているか、政府がどれだけ自分たちを処分したがっていたか、正確に理解していた。

 

「ずっと不愉快だったろうからねぇ。まぁそりゃあ、反動で苛烈な対応になってもおかしくないでしょぉ。」

 

ホル・ホースは空条承太郎と繋ぎを持つことで、次回のエジプト政府による掃討作戦の概要を聞き出した。

ホル・ホースは空条承太郎に敵対するつもりはなく。空条承太郎はエジプト政府のやり過ぎな現状に思うところがあった。

結果として暗黙のうちに、ディオの部下の中でも当時は子供であり、危険も少ないボインゴは逃しても構わないという合意に至った。ボインゴは今現在大人であり、政府に捕まればどう判断されるか未知数だったから。

 

そしてホル・ホースは自分の犯した罪にケジメをつけ、以前組んでいた相棒を救い、パッショーネにもう用はないとばかりに逃げ出した。彼は逃走慣れしており、引き際が実に鮮やかだ。

 

「次は北にでも向かってみるかねぇ。気の向くままに。」

 

ホル・ホースはバイクを操作して、夜のミラノを北上して去っていく。

行き先は本人にも、わからないまま。

 

【番外編、暗殺チーム下っ端の行方】

 

◼️◼️◼️

 

「事件、マジで大変だったみたいだな。」

「まあそりゃあ、な。お前だって駆り出される事態だ。」

 

鈴の音がした。

パッショーネの情報部所属、アルバロ・モッタの背中を毛の長い猫が撫でながら通り過ぎた。

シャリンシャリンと、猫の首輪につけた鈴が玲瓏な音を奏でている。

 

「パッショーネ様様だって隷従したのに、情けねぇな。」

「うるせぇよ。今回の敵は、特例だって。」

「まあそう言ってたな。」

 

マリオ・ズッケェロの居住するペット可の賃貸アパートの一室で、二人は休暇を楽しんでいる。

ズッケェロの指が動き、画面の中のキャラクターがシュートを放った。

 

「惜しい。」

「まあキーパーがいいからな。」

 

モッタの指が動き、画面の中のキーパーがボールを蹴りだした。

 

「あのアホリーダーは?」

「今日も工事現場で仕事。」

「褒賞金もらったんじゃねぇの?」

「習慣になってて、働かないと落ち着かないんだと。貧乏が長かったからねぇ。」

 

サーレーがもともと工事現場で働き始めたのは、金遣いの下手なサーレーがすぐに金欠に陥るせいである。

それが解消された今、働く意味はないはずだが。

 

「まあ働くことは別に悪いことではないだろ。」

「怖がってんだよ。」

「あん?」

 

意味のわからないズッケェロの返事に、モッタは聞き返した。

 

「実家の維持費と進学費用に金を貯めてるんだが、間違って使っちまわないかって。自分が信用できねぇんだ。それが怖くて、働いて必死に気を紛らわせてんだよ。ウチのリーダーは、根が小心者だからな。」

「………なるほど。」

 

ありうるのかもしれないなと、モッタはうなずいた。

ゲームは終了、2ー1でモッタの敗戦だ。再戦して雪辱を果たさなければいけない。

 

「さて。」

 

ズッケェロは立ち上がった。

 

「どうしたんだ?」

「すまないが俺も今から夜の仕事だ。交通整理をやってんだよ。」

「お前もか。」

「ああ、俺もだ。」

 

ズッケェロはモッタを立ち上がらせた。

お帰りいただくためだ。

 

「暗殺チームは一蓮托生だ。リーダーだけ働かせて、俺だけサボるつもりはねぇ。」

「仲のいいこって。」

「まぁな。」

 

マリオ・ズッケェロは、笑った。

 

【番外編、一蓮托生】



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季節感を無視した番外編〜チンピラ達の聖なる休日 前編〜

世間には、特別な一日というものがある。

世界はとても平等で、あなたにも、私にも。

素行の悪いチンピラにだって、無関係に休日はやってくる。

 

それは国家を形成する国民を慰労するための一日であり、しかしそれが誰しもにとって素晴らしいものであるとは限らない。

そんなある一日の話。

 

サーレーは家に閉じこもって、我が身に降りかかる悲劇に苦悩していた。

 

「ああああああッッッ!!!」

 

あたかもこの世の終わりを嘆くような。

聴くものを不安にさせるダミ声………嘆きの慟哭が周囲に響き渡った。

サーレーは四つん這いになり、拳を握って床を何度も何度も叩いた。あたりにドスンドスンという音が響き渡る。

他人が見れば何があったのかといぶかしむ、ひどく情けないポーズだった。

 

彼の背後では、彼のスタンドであるクラフト・ワークが切ない表情を浮かべて主人を見守っている。

階下の住民にとっては、さぞかし傍迷惑な騒音被害であることだろう。

 

「お、おい!落ち着けよ………。」

 

マリオ・ズッケェロが、精神の安定を失った相棒に声をかけた。

 

「まあ、こんな日に俺たち三人ってのでお察し、と。」

 

アルバロ・モッタは、ボソリとつぶやいた。

 

今日の日付は、二月十四日。

モテない人間にとっては、まさしく地獄の休日。

 

聖ウァレンティヌスに由来する記念日。彼が殉教した日。

恋人たちの逢瀬の日であり。

 

「うぐぐぐぎぎ………。おのれ、憎っくき聖ウァレンティヌス!!!俺に一体何の恨みがッッッ………!!!」

「歯ぎしりすんなよ。ったく。」

 

聖ウァレンティヌスはローマゆかりの聖人であり、およそ1800年ほど昔の兵士の結婚を秘密裏に執り行っていた人物である。

時のローマ皇帝は兵士が家族を持つと士気が低下するという理由で結婚を禁じており、そこには暗殺チームの在り方と共通点が見出せる。

彼の殉教した日は世間一般にヴァレンタイン・デーと呼称され、番う相手のいない人間にとっては肩身の狭い思いを強いる邪悪極まりない休日だと言えるだろう。

 

「悔しいッッッ!!!悔しいッッッ!!!悔しいッッッ!!!俺は悔しいんだッッッ!!!アイツらきっと、恋人のいない俺のことをバカにしてるんだ!ズッケェロ、お前は悔しくないのかッッッ!!!」

 

サーレーの現在借りているマンションの窓から見える景色は、華々しく恋人たちに彩られている。

悪魔の日に心が凍えたサーレーは、同族であるであろうマリオ・ズッケェロとアルバロ・モッタを家に呼んでまるで日光を嫌がるモグラのように自宅に籠城した。

 

奴らは敵だ。

お外が怖い。心が寒い。

恋人たちの賑わいは、サーレーにとってはあたかも地獄から響く怨嗟の叫び声のごとく。

 

「いや、そりゃただの被害妄想だろ。あんま気にしてもしょうがねぇぞ。」

 

今日一日、今日さえ乗り越えれば………。

すでにいい年していい相手がおらず、お付き合いする相手もいない彼ら。

結婚できないのは暗殺チーム所属というところに理由が帰結するので構わないが、恋人もいないのは………。

まさしく悪魔の下賜する休日。今日一日さえ乗り越えれば、明日からは平穏な日常が戻ってくる………はずだ。

 

独り身の人間が外に出たら、民衆から腐った卵とか熟しきったトマトとかを投げつけられるのではなかろうか?

サーレーはまるで、中世ヨーロッパで迫害されたユダヤ人のような気分を味わっている。

まあ実際は、ただのサーレーの被害妄想でしかないのだが。

 

「奴らは俺たちの敵だッ!」

「………。」

 

サーレーは毛羽立った掛け布団に頭を突っ込んで窓の外を指差し、ズッケェロとモッタは「コイツ、どうする?」といった感じの表情で顔を見合わせている。窓の外ではミラノの街中で男女が仲よさそうに腕を組んで往来を歩いている。

活気があり近辺は賑わい、彼らにとってはメモリアルな素敵な一日なのだろう。

 

サーレーは掛け布団からそっと顔を出して、血走った目でキョロキョロと周囲に目を動かした。

相棒のあまりにも挙動不審な行動に、ズッケェロはため息をついた。

 

「冥府より出でた悪魔の軍勢………極まった闇の勢力共ッッッ!!!俺たちは奴らに屈しないッッッ!!!」

「はいはい。闇闇。闇でも悪魔でも地獄でも、なんでもいいからあまり情けないカッコを晒すなよ。余計モテなくなるぜ?」

 

モッタは呆れて、サーレーのかぶる掛け布団を剥がしにかかった。

 

「やめろ!!!お前には人の心が………人の心がないのかッッッ!!!」

 

サーレーくらいの年齢であれば、すでに多くの人間が結婚している。

そうでなくともお付き合いする相手がいる人間が多数を占めており………。

サーレーは少数の迫害される側だと言える………のかも知れない。少なくとも本人は、そう考えている。

 

「考えすぎだろ。おい、お前もなんとか言えよ。」

「うーん。」

 

モッタに会話をふられたズッケェロは、少し考え込んでいる。

サーレーがこの日にこうなるのは毎年のことであり、その被害妄想は年々激しくなっているような気もする。

 

「んでよぉー。何だコレ?」

 

ズッケェロはサーレーの自宅のテーブルに置かれたインスタント食品群にチラッと目をやった。

リゾット、パスタ、冷凍ピッツァ。それは今日のために、わざわざサーレーが用意したものである。

 

「俺たちは俺たちなりに今日この日を楽しみ、俺たちは絶対に悪魔に屈さないところを見せつけるんだッッッ!!!」

 

サーレーが叫んだ。

男三人の、やけくそインスタント食品パーティー。

もの凄く不毛な、虚しい、狂気の宴。寂しい、悲しい、切なさが無限大。

 

なぜ自分たちが呼ばれたのかと、ズッケェロは訝しんでサーレーの自宅に来てみれば………。

学生の時分くらいであればまだ楽しめただろう企画だが、三十路の大人が真面目に取り組む企画ではない。

 

「いや、ミスタ副長がモテない俺たちのためにわざわざナイトクラブに誘ってくれただろうが………。」

「金じゃないッッッ!!!商売ではない、愛が欲しいッッッ!!!」

 

駄々こねるには、少し年嵩すぎる。

甘えるには、可愛げがなさすぎる。

 

一部で絶大な支持を誇る暗殺者の、なんとも情けないその姿。

切なさフィーバー、哀愁上等。見ている者たちを底なしの悲しみの泥沼に引きずり込む、イタリア所属のいい年した殺し屋の痴態。

 

「………金で買えない愛が欲しいなんざ、贅沢言ってんじゃねぇよ。」

 

そばかすの青年アルバロ・モッタが、嫌な顔をしてつぶやいた。

彼がかつて所属していた組織は、その大きな資金源として売春宿を経営していた。当然そういった友人も多いし、その事情にもある程度精通している。その彼にしてみれば、サーレーのその発言は少しだけ不愉快だった。とは言っても、彼はそんなことで喧嘩腰になるほど幼稚ではない。

 

ちなみにパッショーネの重鎮グイード・ミスタは、今頃ナイトクラブで接待されていることだろう。

ズッケェロの脳裏に、きらびやかに着飾った女性に囲まれるグイード・ミスタの絵が浮かび上がった。

 

非常に楽しそう。

いくら縁のある相手でも、このイベントはいただけない。

相棒の呼び出しなんて無視して、そっちに行けばよかった。

マリオ・ズッケェロは、ひたすらに後悔した。

 

「おい、こんな醜態を晒すだけなら、俺は副長の方に遊びに行くぜ?」

「裏切るのかッッッ!!!」

 

愕然とした表情のサーレーに、裏切るもクソもねぇとズッケェロはあきれ返った。

 

「どうしても来いって言うから呼ばれてきたけど、大した用事じゃなさそうだし俺も帰るぜ。」

 

玄関に向かって扉を開こうとしたアルバロ・モッタに、サーレーは慌てて腕を引いて押し留めた。

 

「やめろ!俺を見捨てるのか!!!」

「………いや、俺はダチに遊びに呼ばれてたんだけど、お前がどうしてもって言うからこっちにきたんだが………。」

 

アルバロ・モッタはもともと、今日はかつて所属していた組織の友人たちとミラノの街に遊びに行く予定だった。

そこには女性もたくさんいたし、仲のいい友人もいる。それを無理してこっちにきたにも関わらず、このしょうもないクソ企画。

 

暗殺チームの仕事関連だと思って、予定をキャンセルしてわざわざ来たのである。

彼がサーレーを白い目で見たとしても、それは仕方のないことだろう。

 

「裏切り者ぉぉッッッ!!!」

「すまねぇな。俺はボスのジョジョには忠誠を誓っているが、アンタはただの組織の同僚だ。一人の人間として尊敬はするが、行動に制約を課されるいわれはねぇな。」

 

モッタのあまりにも反論出来ないド正論に、サーレーは気圧された。

 

「と、いうわけだ。俺も副長に遊びに連れてってもらうぜ。相棒も一緒こいよ。」

 

ズッケェロはスマホをいじって、グイード・ミスタと個人的なやりとりをしている。

 

「やめろ!お前について行ったら………。」

「ついて行ったら?」

 

手を伸ばしてズッケェロの行動を阻害しようとしたサーレーに、ズッケェロは首を傾げた。

 

「散財しちまうじゃねぇかッッッ!!!」

「少しくらいは無駄遣いしてもいいだろう?」

 

渡された報奨金はまだたくさん残されており、そこから多少使っても問題ない。

しかし金遣いの下手なサーレーは、ここ一回欲望に負けて散財すれば、その後も延々と欲望に負け続ける気がしていた。

サーレーは湯水のように金を瞬く間に全部溶かしてしまう未来図を想像して、戦慄した。

 

「うーん、人のために体を張って戦うところを見れば、イタリア五千万の人口のうち一人くらいは惚れる奇特な人間がいても良さそうな気もするが?」

 

ありそうななさそうな、なんとも言えない可能性の未来。

一人くらい惚れても良さそうだし、普段の情けない姿を見るにそんな人間は永遠に出ない気もする。

アルバロ・モッタは小さくひとりごちて思考した。

 

結局サーレーがどれだけ命がけで戦おうとも、サーレーは裏の奥の人間であり、秘匿される存在である。

その戦う姿をほとんど誰も見ることがないというのが、最大の問題点でもあるようなないような………?

 

まあいずれにせよ、この先よほどのことがない限りサーレーに慕情を抱くような変人は現れないだろう。

確固たる結論を胸に、アルバロ・モッタはとても残念な気持ちになっていた。

 

「まあとりあえず、俺はもともと先約があったから………。」

「相棒、悪いな。今日は俺も副長のトコの顔を出させてもらうことにするよ。」

「ま、待てっ!裏切り者ッッッ!!!」

 

サーレーの伸ばした手を尻目に、ズッケェロとモッタはサーレー宅からお暇することにした。

 

◼️◼️◼️

 

「一体僕に何の用が………?」

 

パンナコッタ・フーゴは、サーレーからの珍しい連絡に首を傾げた。

彼が操作するスマホの画面には、時間があるならば家まで来て欲しいという連絡が来ていた。

何も言わずに、ただ一言時間があるのなら来て欲しいとだけ。

 

親しいわけでもないが、別段邪険にする相手でもない。

特につい最近に至っては、フーゴには敵の潜伏場所から暗殺チームに救助されたという負い目もある。

それを考えれば、彼からのお願いを聞くことくらいは別に構わない。

 

何よりもその文面からは、必死さが伺える。

ごく一部の人間しか知らないが、サーレーはパッショーネの後ろ暗い部門の所属であり、そのリーダーでもある。

 

「これはもしや………?」

 

フーゴはこの間の事件で、闇に巣食う邪悪なスタンド使いの凶悪さを思い知った。

捕らえられて拷問され、非業の死を遂げる人々を目の当たりにした。

 

スタンドを扱えて戦えるフーゴは、それを契機に組織とイタリアのために尖兵となって戦いたいとジョジョに志願した。

しかしその時は、幹部に説得されて諦めざるを得なかった。お前は組織の維持のために金を稼げと。

だが状況とは、常に変化するものだ。

 

今のフーゴは命をかけても守りたいと願うくらいにはイタリアに対して愛着があり、友人隣人に支えられて生きていることを痛感するまでに至った。それが成長なのか退化なのか、それは誰にもわからない。

 

たとえわからなくとも、その気持ちに素直にありたい。

帰属する国家への愛着が深まれば、信頼が大きくなれば、より密に国家に奉仕することに対して抵抗が薄くなる。

フーゴもゆっくりと変化しているのだ。

 

「………つまり。」

 

この短い文面から伺える必死さ………実際はフーゴの勘違いなのだが………彼からの大事な、内密な話であるだろうと予測される。

フーゴはそう予測した。

 

………恐らくは組織の暗部のリーダーであるサーレーからの………所属要請だろう。

先日の大規模殺傷事件でパッショーネも甚大な被害を受け、暗殺チームも人材難であることは想像に難くない。

 

暗殺チームは損耗率が高く、凶悪な殺人スタンド使いに出会ってしまえば死者が出ることを免れない。

きっと事件によって暗殺チームの人材は枯渇し、スタンドを使役して戦える部下がいないのだろう。

 

何も言わずに来て欲しい、つまり他人には言えない内密な話であるということ。

彼は戦えるフーゴに白羽の矢を立てて、邪悪な敵に共に戦う仲間となって欲しいとそう願っているはずだ。

 

「僕でも………イタリアの、パッショーネの役に立てるッッッ!!!」

 

パンナコッタ・フーゴの暗殺チーム入り、彼はそれを予感して身震いした。

 

 

 

◼️◼️◼️

 

………これは、どういうことだろう?

 

「ほら、出来たぞ。」

 

テーブルの席に座るパンナコッタ・フーゴの前に、インスタントのパスタが皿に乗せられて差し出された。

理解できない。暗殺チームに所属するからには命をかけることになると、覚悟してサーレーの家にきてみれば。

 

フーゴは目をこすって、テーブルの上を今一度確認した。

やはりインスタント食品のパスタ。フォーク付き。ひどくシュール。

ホカホカと湯気を立てている。

 

「おい、これはどういうことだッッッ!!!」

 

パンナコッタ・フーゴは、大声をあげた。

フーゴがサーレーの住居に着いた後、フーゴは待っていたとばかりにサーレーに家の中に招かれた。

何も言わずに呼び込むその姿に、緊急で内密な話であることを理解してやはりという思いをフーゴは抱いていた。

そしてそのおよそ五分後に、フーゴはテーブル席に座り目の前にはインスタントのパスタが置かれている。それが今現在。

 

「どういうことって………言わなくてもわかるだろ?」

 

サーレーはまるでわんぱく少年のように、人差し指で己の鼻の下をこすった。

そのあたかも、いう必要もないほどに明快なことだろうという何とは無しに得意げに見える態度。

お前はこんなこともわからないのか、と。

 

「全然わからないッッッ!!!」

 

フーゴに理解できるはずもない。

理解できて当然というサーレーの態度に、フーゴはイラついた。

 

フーゴのその様子に、サーレーは物分かりの悪い生徒に接するように丁寧に説明することにした。

サーレーのその上から目線な態度に、フーゴはさらにイラっとした。

 

「仕方ねぇな。いいか、よく聞いとけよ。………ズバリ今日は、恋人達の日ヴァレンタイン・デーだろ。こんな日にヤローに呼ばれてノコノコ来るようなマヌケヤローには予定がない、つまり恋人がいないに決まっている。愛なんて消えてしまえ、恋なんてクソ喰らえ。俺たちは同士。お前は同士、フーゴ。つまり………聖ウァレンティヌスに反逆しようの会だ!」

「全然、さっぱりわからないッッッ!!!」

 

聖ウァレンティヌスに反逆しようの会、その趣旨は、別段恋人がいなくとも今日この日を楽しく過ごせると証明することで、ヴァレンタイン・デーの世間の共通認識を覆してやろうという反骨心溢れた会合である。ヴァレンタイン・デーなぞ、特別でもなんでもない一年のうちの一日に過ぎない。それが彼らのスローガン。

そこにはたとえ聖人に反抗する国賊と呼ばれようとも、己が信念を貫く覚悟があったはず、だった。

 

しかしその会は発足直後に、二人も離反者を出してしまった。

マリオ・ズッケェロとアルバロ・モッタ、たった四人しかいないうちの二人。

ちなみにサーレーはドナテロ・ヴェルサスにも通達したが、懇切丁寧なお断りの返答が返された。

 

これは本気でマズイと焦ったサーレーは、パンナコッタ・フーゴだけは絶対に逃がすまいと必死だった。

いくら百戦錬磨のサーレーとて、単体ではさほど出来ることが多くないことを自覚している。

 

その焦りが方向音痴なおもてなしとなり、到着したフーゴを逃がさないようにとにかく家の中に呼び込み、その場にあったインスタント食品を供出するというフーゴからすれば意味不明の行動に繋がることとなった。

 

フーゴの前には、ガーリックの香りがするパスタが未だ湯気を上げている。

 

「………君たちは、チーム所属の人材がいなくて困っているんじゃあないのか?」

「いや、まあ。………とりあえず、何も言わずにそれを食ってくれないか?」

 

確かにフーゴの言う通りだが、それを言えば暗殺チームはイアン・ベルモットの事件が起きる前からすでに人材難だった。

フーゴの言葉に要領を得ないサーレーは、一体何が言いたいのかと首を傾げた。

フーゴもフーゴでサーレーが何を言いたいのかわからなかったが、だがしかし。

 

出されたインスタント食品の前で、フーゴは思考する。

組織の暗い部分には、一般人に言えないことも多い。

こと暗殺チームに関して言えば、秘匿事案だらけだと言っていい。

 

もしかしたらこの冷凍パスタも、その類なのかも知れない。

スタンド使いが関わる事件では、時に想像を絶するようなことも起こりうるものだ。

 

暗殺チームに関わる以上は、秘匿事案を秘匿事案として消化不良のまま飲み込む必要性に駆られる事態が頻繁に起こる。

具体例を上げればボスのジョルノが、前ボスであるディアボロを暗殺した簒奪者であるということなど。

何も知らずに組織に追随する人間には、とても信じられないことだろう。

 

「僕はてっきりそれで僕に声をかけたものだと………。」

 

だから暗殺チームの一員として覚悟をする以上は、時に黙って異常事態の推移を見守ることも必要なのである。

真面目なフーゴは、理由がわからずも出されたパスタを律儀にフォークで食べながら返事した。

冷めてしまえば味が落ちる。

 

「ああ。」

 

コトリと、空になったパスタの皿をどけてサーレーは新たにインスタント食品のリゾットを乗せた皿をテーブルに置いた。

 

「全くそのつもりはない。俺たちは金を稼ぐ才能がないから、社会に馴染む能力が低いから、汚れ仕事に従事してるんだ。お前は俺たちと違って金を稼ぐ才能があるだろ?」

 

サーレーはフーゴが暗殺チームに勧誘されているとそう判断していることを理解した。

しかしサーレーには、フーゴを勧誘するつもりはこれっぽっちもない。

 

「つまり君たちに僕を引き抜くつもりはなく、今日の呼び出しも暗殺チームとは一切無関係と?」

「そうだ。今日は俺が個人的な用件で、お前を呼び出したんだ。」

「………そうか。僕が勘違いしていたが、君が要件をはっきりと告げないのもいけないんじゃあないか?」

「?」

 

フーゴは引き続きスプーンでリゾットを食べながら、そうサーレーに告げた。

サーレーには、何がいけなかったのかよくわからない。

 

「だから、僕が今日ここに来たのは君たちのチームへの引き抜きだと思ってだ。そんな聖ウァレンティヌス?ともかく悪いけどわけのわからない会合に参加するつもりはないんだ。」

 

サーレーはフーゴが綺麗に食べたリゾットの皿を片付けて、立て続けにピッツァを乗せた皿をフーゴの前に置いた。

 

「………そういうなよ。今日を一緒に過ごそうぜ。」

 

サーレーは寂しそうな視線を向けて、フーゴは皿の上のピッツァを手でつかんでムシャムシャとほおばった。

 

「要件は理解した。残念だが君に協力するつもりはない。僕は帰らせてもらう。」

 

フーゴはポケットからハンカチを取り出して、口まわりを拭いた。

用事はここまでと席を立って帰ろうとしたところ………。

 

「………食っただろ。」

 

フーゴはサーレーに片手をつかまれた。

 

「何?」

「お前今食っただろ。それは聖ウァレンティヌスに反逆しようの会に参加する同士をもてなすための聖餐だ!お前はそれを、食ったッッッ!!!」

 

サーレーが用意したインスタント食品は、聖ウァレンティヌスに反逆しようの会の同胞のためにわざわざ用意したものである。

パンナコッタ・フーゴは、黙ってそれを口にしてしまった。

 

「ッッッ!!!」

「絶対に逃がさねぇッッッ!お前が今日何も言わずここに来たってことは、どうせ一緒に過ごす恋人はいないってことだろ?恋人の日に予定のない、暇人ってことだッッ!!!」

 

大変な相手に捕まってしまった。

パンナコッタ・フーゴの全身に、真冬の湖に突き落とされたような寒気が迸った。

 

「絶対に、絶対に逃がさねぇッッッ!!!お前は今日、俺と一緒に恋人の日を楽しく過ごすんだッッッ!!!俺は絶対に街でイチャつく奴らには屈しない!!お前もそうだろ?………パンナコッタ・フーゴッッッ!!!!」

 

その必死さが、とてつもなく恐ろしい。

真っ赤に目が充血し、フンスフンスと鼻息荒く、つかまれた腕は爪が食い込んで痛い。

 

「お、落ち着け、落ち着くんだッッッ!」

「アン?俺は落ち着いてるよ。」

 

目が座っている。

このままフーゴを逃せば、サーレーはヴァレンタイン・デーに屈して一人で家にこもることになる。

世間の恋人たちの逢瀬を羨みながら、苦痛とともに時間経過を耐える一日を過ごす羽目になる。

それはサーレーの完全敗北に他ならない。

 

ズッケェロとモッタを逃し後のないサーレーのその必死さ、強引さに、フーゴは恐れおののいた。

 

「………こんなことをして、君はジョジョが喜ぶとでも思うのかッッッ?ジョジョは君が、ヴァレンタイン・デーに普通の人間と同じような楽しみ方をすることを望んでいるはずだッッッ!!!」

 

それはフーゴの、口から出た出まかせだった。

サーレーは、敬愛するボスのジョジョに弱い。ジョジョの名前を出せば納得してくれるかもしれない。

 

「………すればいいんだよ!」

「何?」

 

サーレーの表情がグニャリと歪んだ。

苦しそうな表情で言葉を発したサーレーに、フーゴは聞き返した。

 

「じゃあどうすりゃいいんだよッッッ!!!そりゃ俺だって、今日を恋人と楽しく過ごしてぇよ!でも、相手がいないんだッッッ!!!だから友人同士で楽しく過ごそうって………それを否定されたら、俺は一体どうすりゃいいんだよ!」

「それは………。」

「………話は聞かせてもらったわ。」

「「何っ!」」

 

言い争うサーレーとフーゴの会話に、突如第三者の声がかけられた。

二人が声がした方に振り向くと、そこには玄関扉に背を預けて腕を組むシーラ・Eがいた。

 

「サーレーは恋人がいないから、この忌まわしい日を友人と楽しく過ごそうとした。ミスタ副長が女性のいるナイトクラブに誘ってくれたにも関わらず、今後誘惑に負けるのが怖くてそれを断った。間違いはないかしら?」

「なぜそれをお前が知っているッッッ!というか、どうしてお前はここにいる!?」

「あら、私はあなたたち暗殺チームの監督官よ。今日は私も副長たちと一緒に過ごしてたんだけど、ズッケェロしか来なかった。だから事情を聞き出して、アンタのところに来たの。お分かりかしら?」

 

サーレーはシーラ・Eの言葉を反芻して、まとめた。

シーラ・Eは、今日副長たちのところにいた。シーラ・Eは、暗殺チームの監督官だ。シーラ・Eは、ズッケェロから事情を聞き出してここにいる。それらの情報から導き出せる結論………。

 

「つまりお前は、俺たちの敵だということだな?俺たちが友人同士で楽しく過ごそうとするのを邪魔する、敵対勢力ッッッ!」

「………言っとくが、僕は君と一緒に過ごすつもりはない。」

 

フーゴの言葉を、サーレーはスルーした。

 

「アンタがそう思うのなら、そうなのかも知れないわね。私には監督官として、暗殺チームの素行を監督する義務があるわ。」

 

サーレーとシーラ・Eの間で視線が交わされ、それはあたかも火花を散らすがごとく。

パンナコッタ・フーゴは、自分はもう帰ってもいいだろうかと考えた。

 

「俺はっ………!」

「いい、よく聞きなさい、サーレー。」

 

シーラ・Eは、落ち着いた声で幼子を諭すようにサーレーに告げた。

 

「私たちは皆、大いなる枠組みの中で生きている。アンタの反骨心は、理解できないわけではない。確かに、恋人のいない自分が恋人の日にどんなツラをして過ごせばいいか………アンタが苦しんでいるのはわかるわ。」

「ならばっ………!」

 

それならば、戦うしかない!

恋人の日が何でもない一日だと証明して、世間の共通認識を覆すために戦うしかない!

そう結論づけようとしたサーレーを、シーラ・Eは押しとどめた。

 

「違うわ。アンタは間違っている。確かにアンタは今、恋人がいないかも知れない。ひどく苦しんでいるのかも知れない。ならばその苦しみをバネにして、来年こそは恋人と共に過ごせるように努力する、それが今アンタがやるべきことよ!!!」

 

サーレーの脳裏に、稲妻が走った。

シーラ・Eの言う通りだ。

 

実際は何年も前から恋人を作ろうとして失敗続きのサーレーだったが、いかにもそれっぽいシーラ・Eの持論に、単純なサーレーは蒙を啓かれるがごとく簡単に騙されてしまった。

実にチョロい。暗殺チームリーダー、チョーレー。

 

言葉にすればさほど困難でもなさそうに思えるが、サーレーはそれに毎年失敗し続けている。

それが積もりに積もった末に、こじれにこじらせてこんな会合を開こうとしていたはずなのだが。

サーレーがそれを冷静に判断できていれば、もう少し普段から頭を使う習慣があれば、こんな簡単な詐術に騙されることもなかっただろう。

 

「世間の流れに逆らったところで、そこには不毛な戦いしか待っていない。それならばアンタ自身の幸福も考えて、世間に迎合するべき。来年のヴァレンタインはきっと恋人と過ごせるわ。なぜならばアンタの後ろには、この私がついているのだからッッッ!!!」

「!!!」

「………僕はもう帰ってもいいかい?」

 

自分は用済みとばかりに、パンナコッタ・フーゴは帰宅を希望した。

 

「ダメよ。アンタはこの男がテロリストになっても、自分には関係ないとしらばっくれるつもり?そんな精神で暗殺チームに所属しようなど、笑わせる。ちゃんちゃらおかしいわね。」

 

テロリスト。

社会に対して不満を持ち、恐怖を伴う暴力行為を以て社会を変革しようとする暗殺チームの不倶戴天の敵である。

 

サーレーはヴァレンタイン・デーに不満を持ち、恋人以外の人間と楽しく過ごすことによって、社会を変革しようとしている。

フーゴはサーレーのそのあまりにも必死な態度に、恐怖と狂気を感じた。腕をつかまれたのも、広義で言えば暴力に含まれるかも知れない。フーゴの右手はサーレーの爪が食い込んで、少し赤くなっている。

 

つまり、サーレーはヴァレンタイン・デー限定のテロリストだと言える………のかも知れない。

………ちょっと無理がありすぎるかも知れない。

まあそれはともかく。

 

真面目な人間ほど、馬鹿を見る。

パンナコッタ・フーゴとシーラ・E、彼らは真面目な人間であり、同僚であるサーレーを案じている。

マリオ・ズッケェロとアルバロ・モッタはサーレーの同僚だが、サーレーを適当にあしらい勝手にヴァレンタインを楽しんでいる。

いつの世でも真面目な人間が割りを食うのは、この世の真理である。

 

「………すまない、僕が間違っていた。」

「わかってくれたようね。」

 

パンナコッタ・フーゴも、シーラ・Eに乗せられてしまった。

根が真面目な二人は意気投合し、サーレーのしょっぱい社会変革をやめさせようと固く決意した。

 

「ならばまずは、話し合いよ。」

「話し合い?」

 

シーラ・Eは真面目な表情を取り繕い、フーゴはその思惑の続きを促した。

 

「………ええ。サーレーに恋人を作るなんて、まさに天変地異、驚天動地。無理難題の極み。でも………とにかく歩かないことには先に進まないの!そのためにはどのような道を進むか、どこを歩くか………私たちで話し合ってその道筋を作り出す!」

「なるほど。来年のヴァレンタインまでにはサーレーに恋人を作らないといけない。さもないと、悲劇は繰り返すことになる。その対策会議ということか。」

「ええ。およそ猶予は一年。」

「?」

 

話し合う二人に対してサーレーは頭脳面で劣等感を抱いており、会話に口を挟める空気ではなかった。

シーラ・Eとパンナコッタ・フーゴは共感し、サーレーは二人の話し合いの着地点がどこに向かうのか予測できない。

 

たとえどんなにか細い道筋であったとしても、諦めずに目的へと邁進しよう。

いい明日を、未来を目指そう。

そのために彼らは、生きているのだから。

 

こうして、本人の頭越しにパッショーネの良心たちによるサーレーに恋人を作るための会議が始まった。



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季節感を無視した番外編〜チンピラ達の聖なる休日 後編〜

黒いタンクトップに白のハーフパンツを履いて足元は流行りのサンダル、サングラスをかけて首にシルバーのチェーンネックレスをつけたサーレー。

 

「うん、ダメね。全然ダメ。ちょいワルってレベルじゃないわ。………ガラが悪すぎる。チンピラ感が余計増した感じがするわ。」

「なんだろう………どこにでもいそうな感じはするけれど、あまり近付きたいとは思えないタイプだ。」

 

普段は決して着ることのない、ピッチリとしたフォーマルスーツを着こなしたサーレー。

 

「………なんか違和感が半端ないわ。スーツを着た人間をこんなにもおかしいと感じるのは初めて。中肉中背、標準的な体型にも関わらず、スーツを着て何でこんなにも違和感を感じるのかしら………?」

「不思議だ。どこがダメだとは明言できない。何がいけないか、明確な言葉にできない。でも、どこかがおかしい。なぜかと問われても、その理由は全くわからない。」

 

カシミアの暖色系の落ち着いた色合いのセーターを着て、ダメージジーンズを履いたサーレー。

 

「何かしら?落ち着きのない子供が無理して窮屈な洋服を着せられているような………?」

「落ち着いた洋服が、サーレー本人が醸し出す落ち着きなさに負けている感じがする。」

 

サーレーをどうにかしようと努力する真面目な二人は、会議の結果とりあえず形から入るという結論を下した。

まずは相手と円滑なコミュニケーションが取れないと話にならない。

 

そのための、女性に気に入られるファッション。相手に好感を与えるスッキリとした着こなし。

サーレーのサーレーによるサーレーのための、ファッションショー。

だがしかし。

 

「ダメッッッ!どうやってもチンピラ臭がにじみ出る!小物感が消せない!」

「何を着させても安心感が出せない!見る人間を安心させられない!僕は、どうすればいいんだッッ………?」

 

シーラ・Eとパンナコッタ・フーゴは、苦悩に苛まれていた。

何を着せてもチンピラっぽくなる。服が本人の醸し出す雰囲気に敗北する。

 

清潔感を出そうとしたところで、とどのつまり清潔なチンピラ。

安心感を醸そうとしたところで、結局は安心なチンピラ。

垢抜けた着こなしを目指しても、よくて垢抜けたチンピラ。

 

チンピラ・ファッションショー。

完全無欠、絶対無敵のチンピラっぽさ、兄さんチンピラ・スタイル。

 

「小物で何とかごまかせないかしら………。」

「………厳しい。現実とは、こんなにも厳しいものだったのか………。」

 

漫画や小説で言うところの王道的展開。

チンピラが眼鏡をかけたら爽やかイケメンになった、なんてことは起こりえない。

この世には努力でどうにかなるものと、努力でどうにもならないものが存在する。

無駄にシビアでリアルな展開である。

 

伊達眼鏡をかけると、インテリヤクザに憧れる下っ端のようになる。

帽子をかぶると、人相をごまかそうとする鉄砲玉みたいになる。

つけ髭をつけると、借金取りからコソコソ逃げ回る負債者みたいになる。

しかも肌がじゃっかん緑色。

 

延々と終わり無く、無限に湧き出る泉のような。

どこまでも続く地平線のような、いつまでも高い青空のような。

 

どれだけ拭おうとしても拭いきれない、チンピラ臭と小物感。生まれついてのかませ犬。

磨いても磨いても、本人の内側から湧き出るチンピラっぽさが消えない、無くならない、終わらない。

大物暗殺者にも関わらず小者という、何とも言い難い矛盾の体現者。

 

チンピラ・レクイエム、終わりがないのが終わり。

シーラ・Eとフーゴは、どうにか服飾でサーレーのカタギから程遠い雰囲気を誤魔化せないかと躍起になっている。

サーレーは目をパチパチと瞬かせ、着せ替え人形として二人になすがままにされている。

 

「………一体私たちはどうすればッッッ!!!」

「お、おい!」

「………しょうがない。シーラ・E、ひとまず計画の第一段階は凍結して計画の第二段階に移行しよう。」

 

………認めたくなくとも、人は時に敗北を認めねば先に進めないことだってある。

計画の第一段階は、二人のブレーンの無惨な完全敗北に終わった。

主体であるサーレーの意向を無視して、計画は第二段階へと移行する。

 

「計画の第二段階は、ウィットに富んだ会話!話で楽しませて主導権を握り、女性を口説き落とす!」

「ああ。これこそが僕たちの本領、得意分野だ!」

 

二人はガッチリと手を組み、知性を感じさせる女性の誘い方を模索する。

相談しながらメモ用紙に細々と文字を書き連ね、サーレーにそれを手渡した。

 

「さあ、サーレー。そこのメモに書いてある通りに、フーゴを口説きなさい!」

「えっッッ!?」

 

当然、シーラ・Eは女性でフーゴは男性である。

そこはシーラ・Eが口説かれる役ではないのかと、フーゴは驚愕した。

 

「しょうがないじゃない。私がサーレーに口説かれる役をしたら、まず間違いなくイラついて手が出るわ。」

「………。」

 

あまりにも、正直な吐露。

実際にサーレーに口説かれたわけでもないのに、シーラ・Eは断言した。

パンナコッタ・フーゴは目を細め、サーレーは愕然としている。

 

「もう想像しただけでわかるわ。練習だって頭ではわかっていても、絶対にイラついて殴ってしまう。だからフーゴ、お願いね。」

「僕はそんな役目を任されてしまうのか………?」

 

パンナコッタ・フーゴは、自身がサーレーに口説かれる姿を想像した。

 

おっさん二人が愛を囁く。

もう字面だけでキッツイ。でも、誰かは担当しないといけない役割だ。

この世には見えないところで苦行を担当する人間がいるから、人は理想を信じられるのである。

 

「おい、待て。ということは………。」

 

サーレーはこれまで幾度も、イタリアの紳士らしく女性を口説こうとした経験がある。

その度に彼は、女性にビンタで頬を叩かれ足早に逃げられ続けてきた。

彼はそれが自身の会話術の下手くそさに由来するものだと思っていたのだが。

 

「私が思うに………恐らくは半々といったところね。アンタの話術のレベルの低さが半分。残り半分は、アンタの身から滲み出るチンピラ臭が原因よ。」

「マジかッッッ!!!」

 

会話の下手くそさが原因ならば、話術を向上させればいい。

しかし身から滲むチンピラ臭は、如何ともし難い。それは声をかけられる側の防衛本能を、警戒心を、強烈に刺激するのだ。

それはつまりサーレーが女性に声をかけるたびにビンタされる理由の、半分は打破できても残り半分は打破することが極めて困難であるということである。それに耐えうるのは、海千山千の専門の商売をしている女性くらいである。

 

終わりがないのが終わり、チンピラ・レクイエム。

その小物感漂う雰囲気は、女性を寄せ付けない。声をかけられたら反射的に、思わずビンタしてしまう。

パブロフの犬も真っ青な、息を吸うように行われる逃れられない因果、条件反射。

 

「とりあえず、練習しないことには始まらないわ。さ、試しにフーゴを口説いてみなさい。」

 

サーレーはシーラ・Eの指示に従い、パンナコッタ・フーゴの近くに寄って口説きはじめた。

壁際に寄りかかるフーゴに対する、サーレーによる壁ドン。少女漫画における王道展開。

 

「ヘイ、そこの綺麗なシニョリーナ。君の時間を俺に少しだけわけてくれないかな?」

「………!」

 

サーレーはフーゴを女性だと仮定して、声をかけた。

サーレーの顔が間近にあり、その鼻息まで聞こえてくるような。

目は爛々と輝き、興奮で眉がピクピクと動き出しそうな。

 

サーレーが口説き始めると同時に、パンナコッタ・フーゴの背後に鬱蒼と生い茂る樹木のようにパープル・ヘイズが現れた。

暴虐の化身とも言うべきかのスタンドは拳を振りかぶり………。

 

「わああ、やめろ!!!」

「ちょっと、フーゴ!ストップ!」

「はッッ………!」

 

パープル・ヘイズが何かを殴れば、生命を溶かすウィルスが辺りに撒き散らされることになる。

サーレーとシーラ・Eは大慌てで、拳を振り上げたフーゴに待ったをかけた。

 

「フーゴ、いくら不快だからって、パープル・ヘイズを発動するのはやり過ぎよ!」

「僕は………。」

 

唖然としたパンナコッタ・フーゴは、黙ってパープル・ヘイズに目をやった。

パープル・ヘイズは静かに消え去った。

 

「………済まない、サーレー。なんかパープル・ヘイズが勝手に………。」

 

パープル・ヘイズは手加減の出来ないスタンドである。

その拳のカプセルに内包されたウィルスが一旦生命に感染すれば、生命が崩壊するまで喰らい尽くす。

 

パープル・ヘイズが勝手に動いた。

もしもそれが事実だとすれば、それは死ぬほど恐ろしいことだ。

その真実は、サーレーの殺し文句が過去に例を見ないほどに不快指数が高かったために、フーゴがほとんど無意識下でスタンドを発動してしまったということである。

 

「………シーラ・E、どうやら僕には荷が重いみたいだ。済まないが役割を交代してくれ。」

 

ついつい手が出てしまった場合、パンナコッタ・フーゴのパープル・ヘイズはシーラ・Eのブードゥー・チャイルドよりも遥かに被害が大きくなってしまう。パープル・ヘイズのカプセルが割れたら、間違いなくここにいる三人は全滅することになる。完全犯罪の一丁上がり。

シーラ・Eはフーゴの意図を理解して、仕方ないとばかりに頷いた。

 

「………大変遺憾だけど、まあ仕方ないわ。さあ、サーレー。私を口説いてみせなさい!」

 

シーラ・Eは胸のあたりで腕を組んで、尊大にサーレーに指示を出した。

 

「あ、ああ。」

 

パープル・ヘイズの恐怖も冷めやらぬうちに。

サーレーはシーラ・Eの前に立って軽く身振りを交えながら口説く練習を始めた。

 

「シニョリーナ、きょブベッッ………。」

 

サーレーが本格的に口説く前に、シーラ・Eの拳がサーレーの顔面を真正面からとらえた。

たたらを踏んだサーレーの鼻からチョロリと、鼻血の一雫が垂れ落ちた。

 

「おい!練習だろうがッッッ!!!」

 

たとえビンタをするにしても、あまりにもタイミングが早すぎる。

しかもシーラ・Eの攻撃は、手心を加えたビンタではなく拳を固く握った正拳突きである。

それが人体の弱点である正中線、サーレーの鼻っ柱を痛烈に引っ叩き、サーレーの視界は明滅した。

 

練習のはずなのに無遠慮な攻撃を加えたシーラ・Eに、サーレーは苦情を申し立てた。

シーラ・Eは自身のおとがいに指を当てて、しばし思考した。

 

「………アンタが殴られる理由が、一つわかったわ。パーソナルスペースに無遠慮に踏み込みすぎよ。」

「パーソナルスペース?」

 

イタリアに限らず、欧州の人間は親しい人間と接する際にハグやキスの文化が存在する。

それはもちろん、親しい人間や信頼できる人間に対しての話である。

当然不審者やチンピラが近付けば人は警戒し、安易にパーソナルスペースに入れることを嫌う。

 

「………ええ。縄張りとでもいうべきかしら。人は誰しも、周囲に異物を近づけたくない距離がある。アンタはそれを無神経に踏みにじっているから殴られるのよ!」

「!!!」

 

上手に女性に声をかける男性は、相手に警戒を抱かせずにパーソナルスペースに入り込むすべに長けている傾向にある。

相手との距離をうまく測って、興味深い話術で意識を誘導し、気付いたら警戒心が解けている。

それが女性を口説くのが上手い、イタリアの紳士。

 

対して、サーレー。

終わりが無いのが終わり、チンピラ・レクイエム。

どうやってもチンピラ臭が消せない、小物感が拭えない、警戒心を解かせない。

相手の本能に強制的に働きかけて、最大限警戒すべき相手であると認識させてしまう。

 

どう口説こうとも、町娘にコナをかけるヤクザ者になってしまう。

本人はイタリアの教養高い紳士を目指しているのだが、どうにも方向音痴としか言いようがない。

にも関わらず不用意にパーソナルスペースに入り込んでしまうために、声をかけられた女性はパブロフの犬のごとく反射的に手が出てしまうのである。

 

「どうすればッッッ………!」

 

シーラ・Eは考え込んだ。

これは極めて難題だと言えるだろう。予想以上だ。

 

パッショーネの一員としてそれなりに付き合いがあり、口説くための練習だとわかっているシーラ・Eでさえ思わず反射で手が出てしまう。

サーレーの呪いのような体質に、シーラ・Eは頭を抱えた。

 

ジョルノが生まれついての王者であるように、フーゴが生まれついての秀才であるように。

生まれついてのチンピラ、かませ犬。チンピラ界に産み落とされし希望の星、それこそがサーレー。

 

「………とりあえず、女性に無遠慮に近付かないこと。考えただけで頭痛がしそうだけど、一定の距離をとって口説きなさい。私も出来る限りは耐えてみせるから。」

「わかったッッ!!!」

 

サーレーはシーラ・Eから一歩離れて、口説く練習を行おうと………。

 

「ダメ。多分まだ無理。あと三歩離れなさい。」

「あ、ああ。」

 

サーレーはシーラ・Eの忠告に従い、さらに三歩離れ………。

 

「………まだ厳しいわね。さらに三歩離れなさい。」

「………。」

 

すでに五メートル近く距離が離れているが、サーレーは黙ってさらに三歩後ろに下がった。

 

「もう少し………あと三歩。」

「おいッッッ!!!」

 

ここからさらに下がったら、十メートル以上距離が離れてしまう。

そんな遠くから女性を口説こうとする人間なんていない。

 

「………アンタの言いたいことはわかるわ。でも諦めなさい。千里の道も、一歩から。それだけアンタから醸し出されている不審者感がハンパないってことよ。」

 

心の距離は、遥か遠く。理想郷は、永遠の彼方。チンピラ、ハンパない。

他人と繋がり愛を囁くために、サーレーが要する距離はおよそ十メートル。

その十メートルの距離の間には、とてつもなく深い谷が存在する。

 

「マジ?マジで?………俺はこんな遠くから女を口説かにゃならんのか?」

「苦難の先にしか、偉業はなし得ないわ。私も頑張って我慢するから、アンタも頑張りなさい。」

「………なんかスマン。」

 

普通の人間であれば、たとえ知らない相手であっても一メートルくらいまでは近付けるものである。

それがサーレーは、女性を口説くために必要な距離は十メートル。

ひどいハンディキャップを負っていると言えた。

 

「さあ、もう一度やり直しなさい。」

「あ、ああ。」

 

サーレーはシーラ・Eに殴られてよれた首元の襟をただし、シーラ・Eに向かって声をかけた。

 

「そこの綺麗なシニョリーナ。少し尋ねたいことがあるのだが、よろしいでしょうか?」

「あ゛ぁ゛!?」

 

シーラ・Eはこめかみに青い血管を浮き上がらせながら、腹の底から低い声を出した。

女性が出してはいけない声だ。

 

「お、おい!」

「………いいわ、続けて。」

 

目をつぶってイライラした様子を見せながら、シーラ・Eはサーレーに続きを促した。

 

「いいのか?」

「………ええ。少しだけ距離を縮めて、続きをやってちょうだい。」

 

サーレーはすり足で三十センチほど距離を詰めて、練習の続きを行なった。

 

「君は今日も綺麗だな。もしよければ、この後一緒に食事でも行かないか?」

「………いい計画ね。」

 

サーレーが精一杯口説いた結果、シーラ・Eの眉間にひどいシワが寄った。

無言のまま足を貧乏ゆすりし、今にも飛びかかってきそうな緊迫した空気が辺りを包み込む。

 

「………続けて大丈夫か?」

「………さっさとなさい。」

 

嫌そうな表情のシーラ・Eに気後れしながらも、サーレーは手振りを交えて言葉を交わす。

 

「ピッツァの美味い店が近くにあるんだよ。最近オープンしたばかりの店で、穴場なんだ。」

「………ええ。」

 

シーラ・Eの顔面のシワがくしゃくしゃと中央に寄って、ブルドッグのような顔になった。

今にも吠えそうな、噛みそうな、苦いものを口いっぱいに詰め込んだがごとき表情。

 

「お、おい、シーラ・E!顔、顔!!!すごいことになってるぞ!」

 

はたから見ているフーゴは、シーラ・Eの女性にあるまじき顔を指摘した。

 

「………サーレー、距離を詰めなさい。」

「あ、ああ。」

 

大丈夫なのかと心配そうな表情をしながら、サーレーはさらに三十センチ距離を詰めた。

 

「その後に一緒にオペラを観に行かないか?ツテがあるんだ。今の時期はヴァーグナーを公演している。君も知っているだろう?」

「………。」

 

シーラ・Eの瞼が開き、キッとした視線をサーレーに向けた。

サーレーはその視線に攻撃性を感じて、言葉に詰まって後ずさった。

 

「おい?」

「………まだ大丈夫よ。まだ………。」

 

フーゴは心配そうに、何かあったら割り込めるように緊張しながら様子を見ている。

 

「………そうか。じゃあそんなに時間をとらせないから、これから一緒に………。」

 

サーレーが身振り手振りでシーラ・Eに話しかけ、彼女に少しだけ近付いた瞬間ブードゥー・チャイルドが発現した。

 

「………ストップ。そこが限界よ。それ以上アンタが近付いたら、反射的に飛びかかってしまう。」

 

シーラ・Eが右手を水平に前に出して、そこで止まれというジェスチャーを示した。

 

「フーゴ、距離は?」

「八メートル四十センチってところだ。」

「そう………聞いた?それがアンタのデッドラインよ。」

「この距離を保てば、俺は相手を警戒させずに済むのか?」

 

サーレーは離れた距離から、シーラ・Eに確認をとった。

 

「いいえ。アンタを相手に警戒させないというのは、そもそも無理。その距離は、相手に我慢を強いて強烈なストレスを与えながらも、何とか飛びかからないように相手の理性を保たせる距離よ。」

「マジかッッッ!!!」

 

サーレーはショックを受けた。

十メートル近くの距離。それだけ距離をとれば、相手を口説くことができる。

これでようやくまともに女性を口説けると思ったら、それでもなおも相手に精神的な苦痛を強いていたらしい。

 

まともな人間なら、こんな距離で話そうとは思わない。

それだけの距離をとって初めて、相手の理性が本能を克服する。

 

終わりがないのが終わり、チンピラ・レクイエム。

真っ当な女性であれば、男性に声をかけられたくらいで暴力に訴えたりはしない。

男性が非常識な行動に出たのならともかく、少し声をかけられたくらいでは上手くあしらうのが大人の女性なのだ。

それを容易く覆すのが、サーレーのチンピラスペック。

 

「………そうか、俺はお前に苦痛を強いていたのか。悪かった。もう、諦めよう。」

 

サーレーは落ち込み、心なしか彼の特徴的な髪も萎びてへたって見えた。

サーレーはシーラ・Eに、練習の辞退を申し出た。

 

「ダメよ!アンタだけ不当に不幸になるのは、私が認めない!来年のヴァレンタインまでまだ一年もあるわ!」

「そうだぞ、サーレー!僕の貴重な時間を費やしているんだッ!ここであきらめたら、それこそ今日一日が無駄になってしまう!」

「お前ら………。」

 

シーラ・Eとパンナコッタ・フーゴはガッチリと肩を組み、そこにサーレーも含めて三人で円陣を組んだ。

茨まみれの道を、たとえ傷だらけになろうとも乗り越える。三人には、その覚悟があった。

 

「チンピラが何よ!アンタは私たちが幸せにしてやるわ!」

「そうだ、サーレー。僕も君たちには借りがある!何回失敗しても、それ以上に挑戦して君の不幸体質を克服して見せるッッッ!」

「………ありがとう。」

 

シーラ・Eとフーゴの思いやりの言葉に、サーレーの心に温かいものが宿るのを感じた。

 

「チンピラが何よッッッ!!!さあっ!!!アンタたちも繰り返して!!!」

「チンピラが何だッッッ!!!」

「チンピラが何だッッッ!!!」

 

三人は円陣を組んだまま、声を張りあげた。

階上階下の住民たちにとっては、さぞかし不愉快な騒音被害だろう。

 

「チンピラが何よ!!!」

「チンピラが何だッッッ!!!」

「チンピラが何だッッッ!!!」

 

三人は高らかに復唱を続け、今や心が一つになっていた。

目指すものはたった一つ、サーレーの不遇な体質の改善。生まれついてのチンピラ体質を乗り越えて、サーレーは楽園へとたどり着くのだ。

 

「チンピラがモテモテで何が悪いッッッ!!!今日はチンピラ大感謝祭よ!!!さあ、サーレー。さっき計測した距離から、私を口説く練習を続けなさい!!!」

「ああ!!」

 

復唱することで精神を強く持ったサーレーは、シーラ・Eへと真剣な眼差しを向けた。

 

「麗しきシニョリーナ。………この後に俺の家に来ないかい?」

「黙れッッッ!!!」

「グェ!」

「えぇ!?」

 

一足飛ばして性を意識させるようなサーレーの言動とそれに付随したウィンクに、シーラ・Eの理性は容易く消し飛んだ。

ブードゥー・チャイルドが素早くサーレーへと距離を詰めて殴り飛ばし、それを見たフーゴは困惑した。

 

「何やってるんだ!」

「………ごめんなさい。あいつがあまりにも不愉快だったから………。」

 

サーレーはもういい年齢であり、女性とお付き合いするのであれば当然性的なことは切り離せない。

しかしその口説き方は、少なくともシーラ・Eにとっては非常に不快指数が高かった。簡単に理性を投げ捨てるほどに。

サーレーは顔面を抑えて、ゆっくりと立ち上がった。

 

「サーレー、ごめんなさい。」

「………気にするな。練習を続けるのだろう?」

「サーレー!!!」

 

殴られてもへこたれずに立ち上がるサーレーのその姿に、シーラ・Eは感銘を受けた。

 

「ええ。やるわよ!」

「ああ、やるぞ!」

「サーレー、君も成長したんだな。」

 

真面目な人間ほど、一度タガが外れると歯止めが効かなくなる。

止まらない暴走列車は、どこまでもどこまでも走って行く。行き先不明のままに。

 

何ぞ、これ?

もしもマリオ・ズッケェロがこの場にいて客観的に俯瞰していたら、そう評していただろう。

しかし、ツッコミ役不在。真面目な二人とアホな一人は、真剣に茶番に取り組みそれに気付かない。

 

◼️◼️◼️

 

「とても楽しかったっす。今日はありがとうございました。」

「気にすんな。」

 

マリオ・ズッケェロはグイード・ミスタに礼を告げ、ミスタは笑って手を振った。

 

「部下のモチベーションを管理することも、俺の仕事のうちだ。」

 

裏社会組織であるパッショーネには、表に出せない人材も豊富にいる。

表に出ない奴らがいい仕事をしたならば、相応の労いをするべきだ。

そしてミスタは、それは自分の仕事の一環であると考えている。

 

「にしても、あの馬鹿(サーレー)は来なかったか………。」

「………意地はってんすよ。まあ相棒のことは、俺が帰りに見ときますんで。」

「いや、仮にも俺は上司だ。たまには部下の状態を把握する必要がある。」

 

暗殺チームはパッショーネの武力であり、こまめな管理が必要となる。

いざという時にしっかり仕事をこなせるように仕上げておくことも、ミスタに与えられた仕事の一部である。

ミスタはもともとは大雑把な人間だったが、部下を持ち人を使う地位に就いたことで細部まで気を使える人間に変化していた。

 

「じゃあ一緒に行きましょうか。」

 

他の部下達と別れ、ミスタはズッケェロについてサーレーの住居へと向かっていく。

 

「………それにしても、相変わらずアイツはしょうもないところがあるな。」

「変なところで意固地で理想主義なんすよ。性格的にも不器用で、我慢するのが苦手。金遣いが下手くそで、頭を使うのもあまり得意じゃあない。いいところよりダメなところの方が目立つタイプっす。」

「そうか。」

「ま、でもだから俺がいるんすよ。直接的な戦闘力じゃあ敵わないから、アイツに足りないトコを補うために。」

 

完全無欠のスタンド使いなど、存在しない。

だから彼らはチームを組み、助け合う。

 

人間が社会を育むのも、根本的な意義は同じだ。

一人では足りないから、大勢の人間で助け合う。

マリオ・ズッケェロがそれを理解しているのであれば、暗殺チームはさほど心配はいらない。

 

「そうだな。」

 

ズッケェロとミスタは酒に酔い、いい気分でミラノの街並みを歩いていく。

今日はヴァレンタインで、街中には恋人たちがたくさんいる。

すれ違う人々を羨みながらも、彼らには彼らの幸せがあることをズッケェロは知っている。

 

「………すまないな。チームに補填できる人材が、なかなか育たない。」

 

ミスタがふと話題を変えた。

 

「いえ、わかっています。今のサーレーが、かなり経験を積んでしまっているので。実力が離れた人間を補填されても、互いにとっていい結果にならない。」

 

足手まといをチーム入りさせたら、現暗殺チームのエースであるサーレーとズッケェロは足を引っ張られて死亡する確率が上がる。

半端な人間を部下につかせて死なせて、現大エースであるサーレーの戦闘力が鈍ったなどとお笑いにもならない。

 

暗殺チームの一員がいつ死ぬかわからないことを、彼らも理屈ではわかっている。

しかし人間の心の動きは想像し難く、精神の一瞬の隙はスタンド使いにとって致命傷になり得る。

その辺の覚悟に関しては、実際にことが起こらないことには案外とどっちに転ぶかわからない。

 

しかし生死をかけた場数を積ませないと、悪辣なスタンド使いと戦って生き残れる人材は育たない。

最上の理想を言えば、ディアボロや吉良吉影を仕留めて、なおも生き残る強さを持つ人材。

その矛盾を上手くこなすのは難しく、痛し痒しだ。

 

「………理想通りにはいかないな。」

 

ズッケェロとミスタは頻繁に、事情を知る幹部も交えてチームの先行きについて話しあっている。

目下のチームの最優先課題は次代の育成であり、密やかにサーレーを省いて話し合いは行われている。

その理由は単純にサーレーが頭脳面で頼りにならないことと、現行の暗殺チームにおいてサーレーの戦闘力が非常に高いために彼には戦闘に専念してもらった方がありがたいという理由などによる。

 

「今やるべきなんすけどねぇ。」

「あぁ。」

 

大きな事件が起これば、社会は危機感を抱く。

イアン・ベルモットの大事件がつい先日起きた今、組織内で暗殺チームの強化に否定的な意見は出ないだろう。

今が育成の好機なのである。

 

「まぁ、少しずつ細部を詰めていきましょう。」

「そうだな。」

 

サーレーの入居する貸し住宅に着き、二人は階段を上っていく。

やがて二人は目的地に到着し、ズッケェロはインターフォンを鳴らそうと指を伸ばした。

 

『この後、二人きりで夜景でも見に行かないか?』

『………ええ、喜んで。』

 

サーレーが入居している物件の、扉を隔てた向こう側から声がした。

サーレーの住居の前で、ミスタとズッケェロの二人は固まった。

 

「お、おい!今の声、シーラ・Eだよな?」

 

想定外の事態に、ミスタはとっさにズッケェロに確認をとった。

シーラ・Eは今日は途中まではミスタたちと一緒にいたが、いつのまにかいなくなっていた。

それが………。

 

「………ええ。」

 

マリオ・ズッケェロも緊迫した空気を出している。

 

「まさかアイツら付き合ってたのか?」

「………いえ。俺も初耳っす。」

 

ズッケェロとミスタは、顔を見合わせた。

相棒であるマリオ・ズッケェロも、サーレーとシーラ・Eが付き合っているなど聞いていない。

 

でも今日はヴァレンタイン・デーで、サーレーがシーラ・Eをどこかに連れ出そうとしているようだ。

シーラ・Eも肯定しているようだし、多分そういうことなのだろう。

 

「………今日は、帰るか。」

「………そっすね。」

 

なんだかんだで、マリオ・ズッケェロもグイード・ミスタもどちらかというとサーレー寄り、だと思っていた。

………今の今まで。

 

この後に、当然サーレーとシーラ・Eは誤解を受けることになる。

 

◼️◼️◼️

 

「………僕は思うんだが。」

 

ズッケェロとミスタが帰宅した後、サーレー宅にて。

シーラ・Eに言いよるサーレーを客観視しながら、我に返ったパンナコッタ・フーゴはポツリとつぶやいた。

賢い彼は時間を置くうちに、気が付いてしまったのだ。

 

「何よ?」

 

シーラ・Eは視線をフーゴに向け、サーレーもフーゴが何を言いだすかと成り行きを見守っている。

 

「これってサーレーが女性を口説く練習じゃあなくて、どっちかというとシーラ・Eがサーレーに口説かれる練習になっていないか?」

「「!?」」



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フットボール回

作者の趣味回です。


「………いつの時代も、新しい才能は下から出てくるもんだな。」

 

サーレーはその技術の美しさに、ため息を吐いた。

 

「ああ、あの9番(フォワード)な。ありゃスゲェ。将来、バロンドールも夢じゃねぇだろ。羨ましいこって。」

 

ズッケェロも、手放しで称賛の声を送った。

 

「ちょっと何?あれがそんなに凄いの?」

 

シーラ・Eは額に手をやって、敬礼のようなポーズでピッチ上へと目をやった。

彼女には、二人の会話がよく理解できない。

 

「ああ。観客もどよめいてたろ。アレはダブルタッチって呼ばれる技術(トリック)なんだがな、比較的難易度の低い技術だからこそ、普段の練習量や本人の才能といった評価に直結するものがもろにでる。」

 

月曜の夜(マンデーナイト)のミラノのクラブチームの本拠(ホーム)であるジュゼッペ・メアッツァ。

サーレーとズッケェロは普段の仕事を終え、仕事上がりにフットボールの試合を楽しみにしていた。

その際に暗殺チームの監督官であるシーラ・Eを珍しく誘い、フットボールに興味の薄い彼女は生まれて初めてフットボールスタジアムへと足を運んだ。周囲の席を大勢の観衆が埋め尽くし、彼らは皆熱気とともに試合の開始を今か今かと待ちわびていた。

 

そして笛が鳴り試合が開始され、およそ五分。

ミラノクラブチームにとって最初の得点機がやってきた。

 

「何がどう凄いの?」

 

フットボールに関して今は亡きカンノーロ・ムーロロと同程度の知識しか持たない彼女は、業腹ながらフットボール観戦の先達者であるサーレーに解説を頼み込んだ。

 

「………ダブルタッチに限らず技術はな、いかに相手の裏をかくかというところにある。相手の陣地にボールを持って攻め込めば、相手は引きながら守ることになる。しかし、いつまでも後ろに下がり続けることはできない。どこかでボールを奪うために、前に出る必要がある。技術の極意は、オフェンスとディフェンスの駆け引きだ。その重心を切り替える境目を、いかに見極めるかが重要だ。」

 

サーレーがシーラ・Eにザックリと説明をする。

 

「ボールを動かすと、人はそれを目で追うだろ。右にパスをしようとすると、ディフェンスはそっちに足を出してカットしようとする。フットボールの試合はリアルタイムで行われていて、オフェンスもディフェンスもろくに判断を下す時間を与えられない。反射でプレーする必要に駆られることも、頻繁に起こる。だから相手が動こうとした時に左足でボールを右に動かす。するとディフェンスは反射でボールをカットしようとする。そこをさらに今度は右足でボールを前に蹴り出す。ボールは結果としてディフェンスの裏をかく軌道で動き、ディフェンスは後手に回ることになる。たったそれだけのプレーなんだが、それだけでディフェンスを欺いてかわせる。非常に効果的だぜ。」

 

ズッケェロがサーレーの説明に補足を入れた。

 

「ふーん。」

 

シーラ・Eはイマイチ納得のいっていない様子で、相槌を打った。

 

「あ、テメエ理解してねぇだろ!」

「いや………アホなアンタでも、好きなことに関しては物覚えがよくなるんだって感心してたの。」

「………悪いか?」

「ま、いいんじゃない?」

 

スポーツにおける技能は、細かく分析しようと思えばいくらでも細分化することができる。

ここでは説明のために、技術と経験と時間の三つの要素について上げることにしよう。

 

天性の足首の柔らかさ、そして日々の反復練習からなる技術。

試合を繰り返し、年齢を経るうちに身につく経験。

相手を後手に回し、冷静な判断を奪う時間。

 

素早く攻め込んで思考する時間を奪うことでディフェンスのミスを誘発し、長年の経験で相手が引く守備から奪う守備に移行するタイミングを見極め、柔らかい足首と幾たびも繰り返された技術によってディフェンスを鮮やかにかわす。

 

まるで風に出会ったように、亡霊に出会ったように、ディフェンスは立ち尽くし、置き去られる。

そのワンプレーはサーレーのみならず敵味方含めた全観客を唸らせ、目の超えた観客たちはどよめいた。

 

「………詰めがあめぇな。」

 

ズッケェロがつぶやいた。

人数をかけて守る狭い場所をワンツーパスとダブルタッチでディフェンスをかわしてキーパーに近づいた9番の選手が放ったシュートは、ポストに弾かれて得点にならなかった。

 

「まだ若さが見られるな。」

「キーパーが出てきてあわてちまったか。だがまあ、先は楽しみだ。」

 

ミラノのクラブチームのサポーター席側から、ガッカリとした声が上がった。

 

今日はマンデーナイトで、ミラノクラブチームの試合が行われている。

対戦相手はフィレンツェに本拠を置くクラブチームで、ミラノクラブチームの本拠であるジュゼッペ・メアッツァで試合が行われる。

 

「ワールドクラスの9番を売った時はどうなることかと思ったが………才能ってのは登ってくるもんだ。」

「クラブのスカウトが有能なんだろ。分析力と人脈に長けてるってこった。羨ましい。」

 

サーレーたちがグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所で戦っている間に、強力な点取り屋(9番)はイングランドに高額で売られていった。その9番は大きな大会への出場権を土産に残し、ミラノクラブチームは大会での順位は優秀だったもののリーグでは若干順位を落としていた。

 

ミラノクラブチームは残された移籍金を元手に優秀で若い人材を漁り、一年間少しずつ試合の出番を増やしつつ確実なトレーニングを行った。

それが上手く花開いた形だと言えよう。

 

スポーツ選手にしては比較的線の細い、まだ十代の若手選手。

パッショーネのスカウトがわざわざ地球の裏側であるオーストラリアから発掘し、一年かけて丁寧に丁寧に磨き上げたタレント。

彼は今年の頭に鮮烈デビューを果たし、時間の経過と共に年若いながらも奥行きのあるプレーを観客に披露してミラノを沸かせてきた。

 

ボールは行き来し、今度はフィレンツェクラブチームの攻め込む番。

フィレンツェの中盤の選手がサイドにボールを渡し、ピンポイントクロスを上げてフィレンツェの9番がゴールを狙う。残念ながらボールに頭を合わせることはできずに、ボールはラインを割って流れていった。

 

「うーん。」

「どうした?」

 

シーラ・Eが観客席で頭をひねり、ズッケェロが理由を問いかけた。

 

「アンタたちは楽しそうに見てるけど、私にはイマイチ面白さがよくわからないのよねぇ。」

「そりゃ、人生の半分は損してるぜ?」

「いいや、八割損してるだろ。」

「この競技の見どころなんかを教えてほしいわ。」

 

ボールがゴールのネットを揺らせば、得点。

より多くの得点を奪った方が勝利し、その他にも公平性を失わせないための細々としたルールが存在する。

シーラ・Eがフットボールに関して理解しているのはそこまでであり、どこが楽しいのかは理解できていない。

 

「そうだなぁ。スポーツはもちろん競技によって様々な特徴があるが………俺の思うフットボールの見どころは、一点の重さかな。」

「一点の重さ?」

 

横でサーレーが鼻息荒くチームを応援し、ズッケェロはシーラ・Eに彼なりの解説を行った。

 

「ああ。足を使う競技だからな。なかなか得点が入らねぇ。試合によっちゃあ、両チーム無得点なんてザラにある。だから得点が入るその一瞬に、見どころが凝縮されている。」

 

例えばバスケットボールの試合などでは、無得点で試合が終わることなどまずない。

野球ならば無得点で終わることもあり得るが、フットボールは野球のようにニケタ得点が入るなんてことはほぼ起こらない。

必然的に試合時間の間に点が入る瞬間はそう多くなく、チャンスの時に見どころは凝縮される。

 

「ふんふん。」

「他には………リアルタイムで状況は動いていき、戦場は変化していく。さまざまな視点や戦術が生まれる。そういった視点で見ると、お前でも案外見るところは多いと思うぜ?」

 

自分の強みを生かすか、相手の弱みをつくか。

右から攻めるか、左から攻めるか、中央を突破するか。

パスを出すか、自分が攻め込むか、いったんボールを落ち着かせるか。

重点的に強化するポジション、請け負う役割の交換、メンバーの交換、刻一刻と変化する戦況に対する柔軟性。

 

スポーツの起源は闘争であり、小規模な戦況図である。

監督の役割は指揮官であり、選手たちは前線で戦う兵士だ。

国際的な人気を誇るフットボールは代理戦争であり。平和な世界で栄誉を求めるものたちの正当な戦いだ。

 

ヨーロッパでフットボールは百年を優に超える歴史を持ち、それこそコロナウィルスのような異常事態が起こらない限りは生活から切り離すことが難しいほどに浸透している。

サーレーやズッケェロも子供の頃からその文化に親しみ、ルールもわからないほど幼い頃からずっとチームを応援してきたのだ。

 

「………なるほど。有能な監督は有能な指揮官。つまり優秀な成績を納めた監督を、パッショーネの抗争の指揮官に引き抜くのね。」

「いや、なんでそんな結論になるんだよ。パッショーネが今時分一体、誰と争うんだよ。」

 

シーラ・Eのあまりにも飛躍した極端な結論に、ズッケェロは苦笑した。

彼女は基本、発想が物騒だ。この時代に軍国主義とか、サーレーとはまた違う意味でアホだ。

平和を信条とするパッショーネは、いわゆるブチャラティチームの離反を最後に長い間全面抗争など経験していない。戦いは極力秘密裏かつ小規模におさめているため、専門的な指揮官が必要となる戦いは考え難い。まあとは言っても、確かに気を緩めるべきではないという意見に理解は示すが。

 

「ああッッ!!!」

「どした?」

 

サーレーがいきなり悲鳴を上げた。

ピッチに目を向けたズッケェロは、ミラノクラブチームが守るゴール前に緩やかなロブスルーパスが放たれたのを目にした。

 

バックスピンをかけて放物線を描く緩やかなボールは、時間と空間を支配する魔法のパス。

フィレンツェの中盤の有名選手が、自軍の得点源へと送ったラブコールだ。

 

「あー。」

 

その高精度のパスは、美しい未来で観客を魅了する。

世界から時間を切り取って描かれた一枚の絵画のように存在感と輝きを放ち、それに反応して抜け出した選手がミラノクラブチームのゴール隅にボールを突き刺す未来をズッケェロは予感した。

 

「ビッグセーブッッッ!!!」

 

しかしそのズッケェロの予感は裏切られ、フィレンツェ側のシュートはミラノクラブチームのキーパーがとっさに開いた足に弾かれた。

ミラノクラブチームを応援するサーレーは安堵し、キーパーに喝采を贈っている。

 

「………やばかった。神がいる!今日のキーパーは当たっている!マジビッグセーブ!」

「キーパー今のよく止めたなぁ。」

「あれも凄いの?」

 

シーラ・Eは解説のズッケェロに質問した。

 

「どっちかというとまあ、運が良かったかなぁ。ああまで近距離でシュートを打たれると、キーパーは運任せで体を広げてボールの進路を狭めるしか方法がない。必死に伸ばした足が、たまたまボールに当たってくれたっつー感じだな。」

「運任せって情けなくない?」

「他に方法がねぇんだよ。アイツら必死で戦わねぇと、そりゃサポーターへの裏切りだ。実力で確実に止められりゃあそれが一番だが、どうにもならないときは運にでも何でも縋るよ。相手がどのタイミングでシュートを撃つか、どこのコースを狙って来るか、どれだけシュートコースを狭められるか、経験則によるキーパーとフォワードの駆け引きだ。どうやっても運頼りになる。似たシチュエーションを何回も試行して、そのうち何回防げるかもキーパーの実力と判断される。」

「ふーん。」

 

ボールはフィレンツェ側のコーナーキックから始まり、コーナーポストからボールが蹴り出された。

ミラノのディフェンダーが蹴り上げられたボールを頭で弾き返し、ミラノの攻撃陣が素早くカウンターへと走る。

 

「展開が早くなったな。」

 

ボールを持ち運ぶミラノのドリブラーの肩を、フィレンツェのディフェンダーがつかんでピッチに引きずり倒した。

しかし倒れる前にパスが出され、ミラノ側のアドバンテージで試合は進んでいく。

 

「今のファウルにならないの?」

「ファウルだよ。試合が止まったら、イエローカードが出される。でも今はファウルを受けた側のミラノがボールを保持しているから、あえて試合を止めたりはしねぇ。ファウルを受けた側が優勢だからな。」

 

パスはミラノクラブチームの9番に渡され、慌てたフィレンツェ側がペナルティエリアの少し外で後ろからタックルをしかけた。

 

「レッドカードだッッッ!!!アイツ、スパイクの裏を見せてたッッッ!!!」

 

危険なファウルを受けたミラノクラブチームの9番は痛がって声をあげて倒れ、審判の笛がピッチ上に響いた。

 

「おい、ズッケェロ!ありゃレッドだろ!絶対にレッドだッ!」

「レッドだよなぁ。」

 

決定機阻止と後ろからの危険なタックル。サーレーとズッケェロの考えはレッドカードで一致していた。

しかし二人の思惑とは裏腹に、審判はタックルをしかけた選手にイエローカードを提示した。

 

「いやいや、そりゃねぇだろ!絶対にレッドだ!!!」

「いや、やっぱりVARで確認をとってるみたいだぜ。」

 

倒れている選手の腿裏には、スパイクの跡がくっきりと残っている。危険なタックルの証拠だ。

インカムで報告を受けた審判はVARの確認を行い、イエローカードをしまってレッドカードを提示した。

 

「よしッッッ!!!チャンスだ!!!」

 

レッドカードを提示されると、提示された選手は試合から退場となる。

当然退場者を出したフィレンツェクラブチームの人数は一人少なくなり、戦力は低下する。

 

ボールはフィレンツェ側のペナルティエリアの少し外でセットされ、それをミラノ側が蹴ることとなった。

ボールのそばに、三人の選手が寄った。フィレンツェ側は選手で壁を作って、ボールの進行を妨げようとする。

 

「直接狙うだろうな。」

「ゴールに近すぎねぇか?」

 

ボールから近い方のゴールポストがニア、遠い方のゴールポストがファー。

他にも壁の下を狙って蹴ったり、狙い目を作らない無回転シュート、あえて直接ゴールを狙わないトリックプレー。

ただのフリーキックでも、いくつも駆け引きが存在する。

 

「ゴールに近い方が入りやすいんじゃないの?」

「そうとも言い切れねぇ。壁の上から狙うシュートは、距離が近すぎると落とすのが難しいんだ。」

 

審判の笛が鳴って、選手の一人がボールを蹴った。回転をかけてニア側で落とすシュート。

しかしシュートは落ち切らずクロスバーの上を通り過ぎ、そのタイミングで前半終了の笛が鳴った。

 

「これから休憩だ。」

 

ズッケェロが席を立ち、シーラ・Eは何を言っているのかわからないと言った表情をした。

 

「戦いの最中に休憩って、ちょっと軟弱すぎない?」

「お前ッ………。」

 

シーラ・Eのどこまでも根性論な武闘派っぷりに、ズッケェロは頭痛がした。

 

「………アイツら週二、三で戦ってんだよ。休憩を挟まないとすぐに潰れっちまう。ミラノの市民を喜ばせる選手を、すぐに使い物にならなくするわけにはいかないだろ?」

「しょうがないわね。」

 

偉そうにするシーラ・Eを、ズッケェロは面白そうに眺めていた。

 

「給水も必要だ。今は選手の体調を大切にする時代なんだよ。みんな素晴らしい選手を長く楽しみたいんだ。」

「休憩時間はどれくらい?」

「十五分くらいかな。」

「チャンスだッッ!!敵は一人減ったッ!」

 

相手チームの選手が一人減り、応援するチームが数的優位に立ったサーレーは上機嫌で話しかけた。

 

「何よ!卑怯じゃない!正々堂々戦いなさいよ!」

「いや、卑怯って………ルールに則って戦った結果、選手が退場になっただけだろ。」

「勝てる、勝てるッッッ!!!」

「おい、サーレー。お前浮かれてばっかいるけどよぉ。よぉく考えなよ。」

「?」

 

浮かれるサーレーに、ズッケェロは冷や水を浴びせかけた。

 

「ファウルを受けたのは、あの9番だぜ?」

「!!!あのヤロウッッッッ!!!」

 

サーレーは即座に、ズッケェロの言葉に意味を理解した。

選手によっては、慢性の怪我に泣かされて現役生活の幕引きとなるパターンは多い。

怪我で消えていった天才は、掃いて捨てるほどにいる。

 

「あの柔らかい体を見るに、ガチガチに筋肉の鎧で守られているタイプじゃなさそうだ。」

「あああっ、大丈夫だよな?ズッケェロ、大丈夫だよなぁ?」

 

それまで浮かれていたサーレーは、急遽青い顔になって心配しだした。

 

「まあさすがに一回のファウルでいきなりオシャカなんてことにゃあ、ならんだろ。」

 

青い顔のサーレーと物珍しそうに周囲を見渡すシーラ・Eを引き連れて、三人は観戦席へと戻っていく。

 

「よかった。大丈夫そうだ。」

 

ピッチにはすでに選手たちが入場し、ミラノクラブチームの9番もすでに用意をしている。

その様子を見て、サーレーは安堵のため息を吐いた。

 

「始まったな。」

 

審判の笛が吹かれ、ミラノクラブチームのボールで試合の後半が開始される。

前半の拮抗した戦いとは違い、後半は人数が少なくなったフィレンツェクラブチームは自陣に引きこもって攻められる展開となった。

 

「ねえ、守りすぎじゃない?」

「しょうがねぇよ。人数が減ると、どうしても不利になる。攻める回数を減らして、引き分け上等ながらも虎視眈々と相手が気を緩めるのを我慢強く待つのが常道だ。」

 

ミラノクラブチームの選手たちは、フィレンツェクラブチームのペナルティエリア前までは攻め込めるもののそこから先は通さないとばかりの敵の人海戦術に攻めあぐねている。ボールをサイドチェンジし、ワンツーパスで出し抜こうとし、クロスを上げるも敵のディフェンダーにことごとくを弾かれた。

 

「ああもう!イライラするッッ!!男なら、守ってばかりじゃなく玉砕覚悟で攻め込みなさいッッ!!!」

「………。」

 

シーラ・Eはサーレーと一緒に顔を真っ赤にして手を振り回し、ズッケェロはこりゃダメだと自分なりに試合を楽しむことにシフトチェンジした。

ボールはフィレンツェクラブチームにとって危険な位置を行き来するものの、フィレンツェクラブチームはしぶといディフェンスで必死に守って、ゴールラインを割らせない。じりじりと、時間だけが過ぎていく。

 

「動いた!」

 

ミラノクラブチームのボール保持者にフィレンツェクラブチームのディフェンダーが二人がかりで食らい付き、ボールを奪い取った。

前線に長いボールが配給され、フィレンツェクラブチームのメンバーがカウンターで必死にスプリントを始めた。

 

「やべえ!アイツ、一人でカウンターを完結できるやつだ!」

 

中央線の右側で長いパスを受け取ったのは、フィレンツェクラブチームのウィンガー。

長距離のスプリントを得意とし、陸上選手並みのトップスピードをほこる。

 

彼はオフサイドにかからない位置から走りだし、柔らかいトラップでボールを受け取った。

ボールを持ちながらもミラノのディフェンダーに距離を詰めさせず、ゴールやや右からファーのポストめがけてカーブがかったコントロールシュートを放った。ボールは無情にもキーパーの伸ばした手足をすり抜け、ファーのゴールネットに突き刺さった。

 

1対0で、サーレーの応援するミラノクラブチームが不利な状況。

得点を決めた選手が、喜びを表すゴールパフォーマンスを行なっている。

 

「残り時間は!」

 

ミラノクラブチームは、優位から一転して窮地に推移した。

サーレーは慌てて残り時間を確認した。残りおよそ十五分。

この時点でミラノクラブチームは、敵に1点のビハインドを負ってしまった。

 

ミラノクラブチームのボールで試合は再開され、ミラノは果敢に敵を攻め立てる。

しかしフィレンツェは固く自陣を守備し、隙を晒さない。時計の針は容赦無く進んでいく。

 

「頑張れ、頑張れッッッ!!!」

「一人少ない相手に負けるなんて、ミラノの恥さらしよッッッ!!!」

 

サーレーとシーラ・Eは夢中で、ミラノクラブチームに声援を送る。

ズッケェロはその横で、冷静に敵の戦術を分析し隙間を探していた。

 

焦りながらも丁寧にパスを回す、ミラノクラブチーム。

最大の得点源である9番の選手は敵に警戒され特にキツくマークされ、ディフェンダーを剥がすのにも苦労している。

プレーは少しずつ雑になり、放り込みからのパワープレーが目立つようになってきた。

 

「ここは重要だッッ!!直接順位を争うライバルに、ホームで負けてんじゃねぇ!!!」

「やはり休憩なんてヌルいものがあるから、いけないのよ!戦いは非情よ!相手の喉笛を噛み千切ってでも勝ちなさいッッッ!!!」

 

発言が物騒なシーラ・Eはほっといて、サーレーは鼻息荒く純粋に我がチームを応援している。

チームが負けると彼の明日のテンションはガタ落ちだが、まあどうにもできない。

 

ズッケェロは、試合を冷静に俯瞰している。ロスタイム含めて残りあと五分。

ここからでは勝つのはおろか、引き分けに持ち込むのも厳しいかもしれない。

フィレンツェクラブチームの守備は強固に組織立てられていて、俯瞰で見てもなかなか崩すことは困難に思えた。

 

「栄光のミラノだろ!根性見せろッッッ!!!」

「アイツら全員まとめて、性根をパッショーネで鍛え直してやろうかしら。」

 

残り時間はもう少なく、ミラノクラブチームを応援する観客の誰しもに諦めがよぎったその時、一本のパスがグラウンドを走った。

強烈なインパクトを残す、地を這う(ドリブン)パス。それにミラノクラブチームの9番は反応し、一人のディフェンダーを背負ったまま強烈なパスを足の裏で吸い付くように滑らかに受けた。

そのあまりにも滑らかなトラップに、観客は誰しもが何かが起こることを予感した。

 

「ルーレットッッッ!!!」

 

9番はボールを足の裏でコントロールし、体を捩って反転しながら鮮やかにかつ鋭く、背負ったディフェンスを重心移動でいなしてかわした。

立て続けにボールを足の裏でコントロールしながら体を回転させ、慌ててフォローに来た敵側の二人目、三人目のディフェンスも軽やかにかわした。

ポッカリと、ゴールへの道が開いた。

 

「すげぇ………。」

 

会場はその瞬間、波を打ったように静まり返った。

 

瞬く銀河の中でも、特一等の強い輝きを放つ巨星。

フランス出身の超有名な世界的英雄が得意とする、トリックプレー。

 

ルーレットやダブルタッチといったプレーは、さほど難易度は高くない。ただしそれは、あくまでも練習において。

実戦で実際に一流の相手をかわすために使うことに限定すれば、難易度は一気に跳ね上がる。

 

それを少しだけアレンジし、二人立て続けに柔らかに置き去り、彼はキーパーと一対一になり今度こそキーパーの股を抜いてゴールにボールを流し込んだ。会場中が、熱に浮かされて爆発したように大歓声を上げた。

 

「あれの凄さはさすがに私にもわかるわ!すごく綺麗だった。」

 

フットボール初心者のシーラ・Eですら魅了する、超絶技巧。

真に異次元のプレーとは、見慣れた人間のみならず初心者すらも容易く理解できるのである。

柔らかさと速さと美しさが同居し、そのあまりにも優雅なプレーに敵のディフェンスは誰もまともに反応ができなかった。

 

「ああ、ありゃすげぇな。あんなんほとんど見れねーぜ。ついてたなぁ。」

「うおおおおおおおおッッッ!!」

 

サーレーは子供のように大はしゃぎし、ズッケェロもひたすら感嘆あるのみだった。

ピッチ上ではゴールを決めた選手がセレブレーションを行い、ミラノクラブチームは点を決めた選手をベンチへと下げた。

 

「下げるの?」

「まあもともと、選手はあまり無理に使うつもりはねぇんだろ。今日だって負けてたから、無理して普段より長く使ってたみたいだし。」

 

そこから先は予定調和で、特に大きな出来事は無く試合は続いた。

雑な放り込みが連続し、それが簡単に弾かれ、試合終了の笛が鳴る。

ミラノ対フィレンツェ、ミラノ本拠の試合は、1対1の引き分けに終わった。

 

「おい、ズッケェロ!すごかったなぁ。試合は負けたが、あのプレーが観れただけで大満足だ。」

「まあありゃ、セリエの今週のベストゴールだろうな。下手したらアレ、今年のベストゴールに選ばれるぞ。」

「結構楽しめたわ。」

「そりゃ良かった。」

 

アレが観れたのなら、当分は仕事を頑張れる。

おそらくあの選手には、来年はとんでもない値札が付くだろう。

 

「じゃあ帰るか。」

「おう。」

「ねぇ、私思ったんだけど………。」

「?」

 

シーラ・Eが、ポツリと呟いた。

サーレーは彼女が何を言い出すかと、耳を傾けている。

 

「アンタの固定する能力(クラフト・ワーク)を使えば、ああいったスーパープレーも簡単に出来るんじゃあないの?」

「それは、言っちゃダメなやつッッッ!!!」

 

プロのフットボーラーは、ずっと昔からサーレーのアイドルだ。

ズルして自分の憧れを汚すなんて、カッコ悪すぎるだろう。

 

◼️◼️◼️

 

 

 

後日、シーラ・Eはミラノで特徴的な髪の先にサッカーボールをくっつけたサーレーを見かけた。

シーラ・Eの言葉を受けて、なんとなーくやってみたらしい。

 

その物理を無視したシュールな姿はあまりにも衝撃的で、シーラ・Eは二度見した挙句に思わず「びっくりするほど気持ち悪い。」と叫んでしまった。

サーレー本人も、やらなきゃ良かったとひどく後悔していた。

 

見ていたフーゴは眉をひそめ。モッタは距離を取り。ツボに入ったズッケェロは側で、大爆笑していた。




ルーレットは、いわゆるマルセイユルーレットです。


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チンピラ、チンピラに絡まれる

「今日もいい天気だなぁ。」

 

サーレーは、建物の合間から空を見上げた。

空は雲一つなく眩しいまでの快晴で、思わず鼻歌を口ずさみたくなる。

 

今日は午前中に暗殺チームの定期的なすり合わせと模擬戦闘訓練があり、午後からは仕事もなく半ドンだ。

時間を余したサーレーは、帰りにショッピングモールに立ち寄り、ビニールの買い物袋を下げて帰り道を歩いていた。

 

最近のサーレーは、料理に凝り始めた。

余った時間の無聊を慰めるためと、少しでも女性にモテたいという彼なりのいじましい努力である。

料理ができれば、もしかしたらもう少しだけ女性にモテるようになるかもしれない。

家庭的な男というのも悪くない。

 

浅ましいというなかれ、彼なりに無い知恵を振り絞って出した結論だ。

当然料理が出来ればモテるとは限らないのだが、別段料理が出来て悪いこともない。

以前は彼は全く料理ができなかったが、料理本を参考にして何回も試行するうちになんとか人並み弱くらいまでは料理が出来るようになっていた。

 

もちろん、彼がそこに至るまでには相応の努力があった。

料理ができない人間の常道、彼が料理本を参考にして料理を始めた当初は、「なんかこっちの方が美味しそう。」といういらないアレンジを好き勝手に繰り返し、幾度も食材を無駄にしてきた。いかにもとっぽい性格をした彼らしい。

料理本に書いてある通りに料理をすれば、料理とは本来失敗のしようはないのだが。それがわかるまで常人より多くの時間と無数の愚行が繰り返されてしまったのも、彼がオツムが弱いと称される所以ではあるのだろう。

 

「今日は何を作ろうかな。」

 

斜め上に視線を向けながら、サーレーは気もそぞろで昼飯のことに思いを馳せていた。

流行りの鼻歌を口ずさみながら、特に意識することもなくヒョイと曲がり角を曲がった。

だからだろう。

 

「いってえな!おい、どこ見てやがる!」

「おお、悪い。」

 

曲がり角を曲がった先で、サーレーは若者とぶつかってしまった。

間近で見るその顔は若々しく、サーレーはその表情に何とは無しにどこかで見たような既視感に襲われた。

サーレーはその既視感は大したことではなかろうと、一言告げてそのまま家に帰ろうとした。

 

「いてててて、こりゃあ肩が外れたな。いてぇ。」

 

若い男はニヤニヤしながら、一言かけてそのまま立ち去ろうとしたサーレーの腕を背後からつかんだ。

 

「あ………?」

「おい、テメェっ!!!」

 

サーレーは腕をつかんできた男の顔を確認した。

視線は斜め上。身長はかなり高い方で、百九十半ばくらいと推測される。

見覚えのない、顔にニキビがあって髪が不自然に白みがかった金髪。恐らくは脱色したのだろう。

今のサーレーの年齢と比較すれば、けっこう年下だと推察される。

 

顔の真ん中にシワがより、歯をむき出しにしている。

チンピラのサーレーには見覚えのある表情、相対する人間を威嚇しようと試みる顔だ。

 

「なんだ………?」

「なんだ、じゃねぇッッッ!!!人にぶつかっといてそのまま去ろうなんざ、ふてぇ野郎だッッッ!!!」

 

サーレーの感じた既視感………それは黒い歴史。

今より若かりし頃のサーレー、それは今目の前にいる彼のように所構わず因縁をつけ、目上も目下もあったものかと目に映る全てに噛みついていた未熟な己の写し鏡。外見が自分よりも弱そうな人間、自分よりもうだつの上がらなそうな人間を手当たり次第に見下し、不当に利益を得ようとしていたチンケで愚かな若者。

それが今彼の前に現れ、歴史は繰り返そうとしていた。

 

「………よそ見してたのはお互い様だろ?」

「あん?お前何口ごたえしてんだ?小者風情が粋がりやがってッッッ!!!肩が折れたんだよ!慰謝料を払えっつってんだっ!!!」

「………そう言われてもな。今俺の財布の中には二ユーロしか入ってねぇぞ?貧乏だろ。逆に凄くないか?」

「んなもんで逃すわきゃねぇだろ!金がねぇなら取って来いやッッッ!ほら、ダッシュで!!!」

 

若者はいきりたち、威嚇をしてくる。

若者はサーレーの風体を見て汚れ者だと判断し、その涌き出でる小者のような雰囲気から年上にも関わらず舐めた対応を取った。

周囲の人間は関わり合いになるのを嫌って、遠巻きに去っていく。

サーレーはイラっとして、手首を振って若者に軽くビンタした。

 

「お………おう………っ。」

「おい、大丈夫か?」

 

サーレーの軽いビンタで視界の外から脳を揺らされた若者は足がもつれて、その場に座り込んだ。

若者はサーレーの叩いた手が見えておらず、自分がなぜ倒れ込んだのか理解できなかった。

 

「な、なんだ………これ。おい、テメェ、舐めてんじゃねぇっ!!!」

「おい、大丈夫か?体調が悪いんじゃあないのか?医者に行ったほうがいい。何かの重大な持病かも知れない。」

 

よろめいて倒れたにも関わらず、若者は舐められたくない一心で必死に立ち上がろうとする。

自分の古傷をえぐってくる目の前の若者に気分を害したサーレーは、適当にあしらってさっさと帰ろうとした。

 

「待てや、テメェッッッ!!!ナメやがってッッッ!!!俺の先輩は、パッショーネの殺し屋だぞッッッ!!!お前もぶっ殺されてぇのかッッッ!!!」

「あ゛………?」

 

スルーして去ろうとしたサーレーだったが、若者は聞き捨てならない言葉を吐いたためにその足は止まった。

先輩がパッショーネの殺し屋?

 

「おう!へっへ、今だったら金出せば許してやるぜ?」

 

先輩がパッショーネの殺し屋ということは、まさかこいつはズッケェロの後輩だろうか?

それとも、ドナテロ・ヴェルサス?いずれにしろ、目の前の青年とは少し以上に年が離れている。

マユツバで聞くべきだろう。

 

実際は、パッショーネの殺し屋は隠匿されていて他人がそれを知り得る余地はない。

一番確率が高いのは、この男の妄言だろう。次点で、その先輩とやらが嘘をついているか。

 

いずれにしろ、この男を放っておけばパッショーネの株が下がる。

どこそこでパッショーネの殺し屋などと吹聴されれば、パッショーネにしてみれば非常に迷惑だと言っていい。

サーレーは、若い頃の自分も今目の前にいるこの男のように見知らぬ誰かに迷惑をかけていたのだろうなと嘆息した。

 

「………そうか。パッショーネの殺し屋の後輩様か。そりゃあ悪いことしたな。」

 

ヌルイから、ナメられる。ナメられたら、パッショーネはお終いだ。

これはサーレーたちパッショーネの下の人間が、ヌルイからいけないのである。

どこぞの倉庫にでも連れ込んで、ギッチリと締め上げてやろう。

サーレーは心の奥で、静かにほくそ笑んだ。

 

裏社会の組織がナメられるのは、罪だ。

裏社会所属の人間が組織の名前を出せば、個人の行動に収まらずに組織にも責任が行くことになる。

だから本来彼らが組織の名前を出すのは、どうしても引けない時だけだ。

このガキは、裏社会のその程度のルールすら知らない。無知もまた、罪なり。

 

パッショーネがナメられてしまえば、社会における犯罪の抑止力が弱まることとなる。

この若い男も味をしめて同じことを繰り返し、いつか取り返せないほどの過ちを犯すかも知れない。

ここで二度と同じことをしたいと思わないほど痛い目を見るのが、パッショーネにとってもこの男にとっても一番だ。

 

サーレーはニコニコ笑いながら、馴れ馴れしく若者の肩を組んだ。

普段はアホでマヌケな彼だが、その実態は組織に忠誠を誓った社会の鉄砲玉。

普通に考えて、絶対に喧嘩を売ってはいけないタイプの人間である。

 

「おい、離せ!いてぇ、いてぇって!!!」

「お?お前肩折れたんじゃなかったのか?なんだ。普通に動かしてるじゃねぇか。」

 

彼が若い頃のサーレーと似た人間であるのならば、十中八九言葉で言い聞かせても聞かない。

正論で言いくるめようとすればするほど、ムキになって反抗したくなるタイプの人間であると推測される。

単純な腕力がモノを言う、猿山の社会性。このテの輩にはしのごの言うよりも、実力行使が一番わかりやすいはずだ。

 

サーレーは相手の方に回した手のひらを肩甲骨に置き、力を込めて強めに握りしめた。

近づいてみてわかったが、かなり背が高い。体格が良く中途半端に力を持って、勘違いして付け上がってしまったのだろう。

ますますサーレーに似通っている。

 

「やめろ!離れろ!!!」

 

若者は力任せにサーレーを突き放そうとするが、クラフト・ワークにガッチリと固定されて逃げられない。

ここにきて、ようやく彼はヤバい相手に手を出してしまったのではないかと気が付いた。

見た目はいかにも、うだつの上がらない三下といった風体なのだが。

 

一方のサーレーは、歩きながら間近で相手を観察している。

相手は傲慢そうに見える表情の裏側に、若さと怯えが見て取れる。

パッショーネを騙る危険性を理解しない無謀極まりない無知さと言い、もしかしたらサーレーが思った以上に彼は若いのかも知れない。

 

「離せよ!」

「そう言うなよ。お前はパッショーネの殺し屋の後輩で、俺とぶつかって肩が折れたんだろ?ほら、互いの意思の齟齬についてちゃあんと話し合いをしねぇとな。」

 

サーレーは組んだ肩を決して離さずに、若者をズリズリと引きずっていく。

そんなに力が強そうにも見えないのに、微動だにしないサーレーに、若者はパニック気味だった。

 

「話なんてねぇよ!もう金はいいから、とにかく離してくれ!」

「お前、パッショーネの名前を出しておいて、今さら逃げられるなんて都合のいい考えをしてるんじゃないだろうな?」

 

この時、若者は初めて気が付いた。

パッショーネはイタリアの誰しもが知る巨大な組織だが、全く敵対組織がないわけではない。

誰彼構わずにパッショーネの名前を出して横暴に振舞えば、いつかパッショーネに敵愾心を抱くマフィアにぶち当たるかも知れない。

少し考えれば、誰でもわかるような簡単な理屈だ。

 

「悪かった!俺が悪かった。金はもういいし先輩にも話さねぇから、とにかく腕を離せ!」

「………おせぇよ。世の中には取り返しのつくミスと、つかねぇミスがある。パッショーネの名を騙るのは、重罪だ。」

 

ここで逃がしてしまえば、この若者は結局は大した問題はないとそう判断するだろう。

自分を基準に考えれば、人間は早々懲りない。味をしめて、またやらかすはずだ。

ここで少なくとも、二度とパッショーネの名前を出そうと思わないくらいには脅しとかないといけない。

 

「おっ、サーレー、お前家に帰ったんじゃなかったのか?何してんだ、そんな若いのを連れて。」

「副長。ちっす。」

 

サーレーはパッショーネの所有する空き倉庫を使って、若者を締め上げようと考えていた。

ゆえに、パッショーネのミラノ支部に暗殺チームのすり合わせで詰めていたミスタと行き違った。

 

パッショーネの副長、鬼のグイード・ミスタ。

長年裏社会で責任のある重役を務めてきたミスタは、軽薄さは鳴りを潜めその身から貫禄と凄みが滲み出ている。

どう見てもカタギや半端なチンピラではないその姿に、若者はこれはとんでもないことになったと震え上がった。

 

「いや何、コイツ俺の後輩なんすよ。後輩の言動に責任を持つのも、先輩の役目かなって。ちょっとした社会勉強っす。」

「後輩?」

 

若者は自称、パッショーネの殺し屋の後輩だ。

つまり、サーレーの後輩だと自分から名乗っているのである。後輩を教育するのは、先輩の役目である。

その辺を聞いていないミスタの頭に、疑問符が浮かんだ。

 

「まあ、コッチの話っす。コイツ性格的に、どこかである程度手綱を締めとかないと俺みたいになりそうなんで。」

 

サーレーは裏社会の使い捨ての下っ端で、何度も死に目にあっている。

実際死んでもおかしくないようなことも幾度もあったし、今生きているのはボスであるジョジョの慈悲だ。

 

この若者にもその慈悲が与えられるとは、限らない。

ならばここはサーレーなりのやり方で、サーレーらしくジョジョのように道を示す役割を果たさなければいけない。

サーレーの内面は、その使命感で満ちていた。

 

「そ、そうか………。まあやり過ぎんなよ。」

 

若者はおそらく、サーレーとは干支が一回り以上年が離れている。

下手をしなくとも、未成年である可能性が高い。ミスタはサーレーがやらかしやしないかと、少し不安になった。

 

「ってわけで、ちょっと二番倉庫借りますね。」

 

パッショーネミラノ支部から、歩いておよそ一キロメートルほど。

潰れた古着屋の倉庫を買い取って、まだ使い道がないまま寝かせてある空き倉庫へとサーレーは向かっていく。

 

「カルロ、ミラノ市在住。十七歳。お前、まだ高校生か?」

「テメェッッッ!!!」

 

サーレーはいつの間にか若者の懐から財布を盗み取り、ミニバイクの免許証を確認して相手の素性を確かめていた。

自分の財布が相手の手の内にある若者は焦り、それを取り返そうと腕を伸ばした。しかしサーレーはそれを軽く、かわしていく。

 

「社会を知らないバカなガキが、パッショーネを騙ってゆすりたかりか。お前、ほんっとうにバカなことしたなぁ。」

 

相手は未成年。

それがたかをくくって、社会をナメた挙句にハネて手を出していけない相手にちょっかいをかけた。

 

ますます、過去のサーレーっぽい。これは自分が何としても、どうにかしないといけない。

もはやサーレーは、彼に後輩というよりも双子の兄弟のような親近感を覚えていた。

 

若者はすでにどうやら自分がまずい相手にちょっかいをかけたことを理解し、萎縮している。

サーレーは外見や醸し出す雰囲気が小者であり、とてもそんなヤバそうな相手には見えない。

 

まるで魚を釣る餌のように簡単に手を出せそうな雰囲気を出しておきながら、その正体はパッショーネが専属契約をかわした門外不出のヒットマン。天然の釣り針だと言ってもいいだろう。

小者詐欺、昔から使い古されたチンピラ詐欺である。

 

「………すいませんでした。許してください。」

「アン、許すわけねぇだろ。」

 

ゆすりたかりくらいならば、どこかで本人が痛い目にあうだけで終わっていた可能性が高い。

だがパッショーネの名前を出した以上は、今ここで痛い目にあってもらわないといけない。

 

サーレーは手首を回して、軽く準備運動をした。

やり過ぎは問題だが、この場合はやらなさすぎる方がよほど問題だ。

 

「お前が簡単に考えているよりも、パッショーネの名前ははるかに重い。パッショーネのためだったら死ねるっつー構成員はいくらでもいるんだよ。パッショーネを潰せるならば死んでもいいっつー敵もな。お前、俺につかまってツイテたよ。俺だったら少なくとも、物の弾みでうっかり殺しちまいました、なんてこたぁ起こらないからな。」

「ヒッ………!」

 

若者、カルロはようやく、理解した。

彼がちょっかいをかけたうだつの上がらなそうな男はパッショーネの忠実な構成員であり、暴力のプロである。

外見に出ないように痛めつける方法など、いくらでも知っている。

 

カルロは体を恐怖で硬直させながらも、連れ去られるのに抵抗しようと力を込めている。

しかしサーレーはそれを無情にも無視して、ズルズルと彼を引きずっていく。

 

「おい………カルロ?」

「ズッケェロ!」

 

その時、ミラノの道を行く彼らに声をかける男がいた。

傍目に見れば、しょっぱい年かさのうさんくさい男に引きずられていく、若い男。

あまり関わりたい手合いであるとは思えず………もしもサーレーに似た若い男を助ける人間がいるとすれば、それはマリオ・ズッケェロくらいしかいない。サーレーは思わず、反射的に相棒の名を挙げた。

 

「いや、ズッケェロって誰っすか?」

 

全然違った。

マリオ・ズッケェロとは似ても似つかない、高校の制服らしい服を着た若者がそこにいた。

 

「………そいつ、どうしたんすか?アンタは誰っすか?」

 

マリオ・ズッケェロ(仮)はその場の状況を把握できておらず、サーレーに恐る恐る何があったのかを問いかけた。

 

「いや何、大したことじゃあない。大人の話し合いだ。ズッケェロ、お前には関係ねぇよ。」

「いや、ズッケェロ、誰っすか!」

 

新たに現れた若者、黒っぽい髪にタレ目の男が、すかさずツッコんだ。

 

「ズッケェロじゃないなら、お前は誰なんだ?」

「俺は………。」

 

サーレーっぽい若者の肩をガッチリとつかんだまま、サーレーは新たに現れた若者に誰何の言葉をかけた。

 

「まあ別にお前が誰でもいいさ。コッチには、コイツと話があるんだ。」

「いや、そんなワケには行かないっすよ!」

 

不審な男に連れ去られようとする知り合いを見過ごすのは、寝覚めが悪い。

その一心で、ズッケェロ(仮)はサーレーを押しとどめようとした。

 

彼はズッケェロ的なポジションではあるものの、当時のズッケェロとは比べ物にならないほど真面目で普通な人間だった。

サーレー(仮)も、爪の垢を煎じて飲めばいい。

 

「いや、お前コイツがどんな性格してるか、知ってんだろ?」

「それは………。」

 

ほぼほぼ、サーレー(仮)が何かをやらかして、サーレー(真)を怒らせたのだろう。

サーレー(仮)と友達付き合いのあるズッケェロ(仮)は、それを理解していた。

 

「お前の友情は買うが、やらかしたら痛い目を見るのは当然だ。お前は見なかったことにしろ。」

 

手を伸ばして押しとどめようか迷うズッケェロ(仮)を置いて、サーレーとサーレー(仮)はどんどん先へ進んでいく。

しかしそこに、予期せぬ三人目が現れた。

 

「ちょっと、カルロ(あのバカ)いたじゃない。」

 

ズッケェロ(仮)に声をかけたのは、制服を着て目がぱっちりしている、若くて可愛らしい女性。

そう、まさかの女性である。予想外の事態に、サーレーは戸惑った。

 

「何してるんですか!あなたは一体、誰ですか!」

 

サーレーのそばにズッケェロがいるのは、別にいい。それは普通だ。

しかし学生時代を思い返しても、サーレーのそばに女性がいたという事実はない。

綺麗に切りそろえた金髪を肩にかけ、鼻筋が通ったハッキリとした感じの容姿の女学生。

サーレーはパニクりながら、心の中で彼女をシーラ・E(仮)と名付けた。便宜上、呼び名がないと不便だ。

 

「………落ち着け。落ち着け、俺。………おい、ズッケェロ、そいつは誰だ?………まさかソイツこそが、本物のズッケェロ?」

「いやだから………そもそもズッケェロって誰っすか!」

「………それは、哲学的な質問か?」

「何言ってるんすか!言ってることがわからないッッッ!!!」

「一体何の話をしているの?あなたはどなたですか?」

 

パニクったサーレーとズッケェロ(仮)がやり取りをしていると、横からシーラ・E(仮)が会話に入ってきた。

 

「ああ、俺はちょっとコイツともめてな。おいたした子供には、少し痛い目にあってもらわないとな。」

 

女学生から見たうさんくさい男は笑みを浮かべ、彼女は少し震えながらも気丈に言葉を返した。

 

「………何があったんですか?」

「お前には関係ないだろう。」

「関係なくはないです!」

「ちょっと、アンナ!」

 

ズッケェロ(仮)がヤバそうな変な髪型の男に言い返すシーラ・E(仮)を心配し、止めようとした。

 

「関係なくないなら………お前は一体コイツの何なんだ?」

 

パッショーネの構成員であるサーレーは、ナメられやすい性質はあってもカタギには見えない。

そんな彼に口ごたえするほどの理由が彼女にはあるのかと、サーレーは疑問に思い質問した。

 

「私はソイツの幼な………クラスメイトです!」

 

サーレーに衝撃が走った。

可愛い異性の幼馴染。それはツチノコや雪男と同様の、空想上の伝説の生き物ではなかったのか?

それは煩悩にまみれた思春期の脳が若者に見せる、悲しい幻影であると。

 

まさか本当に実在しているとは。これが学会に発表されれば、きっと一大センセーションを巻き起こすだろう。

サーレーが若い頃には、こんな愛らしい幼馴染などいなかった。

是が非でも、本物のズッケェロとトレードしてほしいところだ。

 

………ワンチャン、幼馴染が実在したにも関わらず、アホなサーレーがそれに気付かなかった可能性は?

あるあ………ねーな。ねーよ。

 

サーレー(仮)には可愛い幼馴染がいて、本物のサーレーはいい年して恋人もいない。

悔しい、悲しい。ブッコロ。

 

「いい年した大人が子供相手にムキになって、恥ずかしくないんですかッッッ!!!」

「いや………そんなこと言われても、コイツが問題を起こしたんであって………バカな子供を叱るのは大人の義務というか………。」

 

サーレーはシーラ・E(仮)の剣幕に押されて、しどろもどろになっていた。

理はこちらにあると思っていたのだが………。

 

「ソイツがバカなのは、私も知っています!何かやったってんなら、警察に説明して公正に話し合いをしましょう!」

 

シーラ・E(仮)は、ポケットからスマートフォンを取り出してどこかに電話をかける仕草をした。

サツは勘弁してほしい。これ以上カタギや警察ともめたとパッショーネに連絡が行けば、サーレーはただでさえ低い地位がさらにどうしようもなくなる。

 

「………わかった。待て!落ち着け!」

「ソイツからすぐに手を離してくださいッッッ!!!警察を呼びます!」

 

これはマズいと、とりあえずサーレーはサーレー(仮)から組んでいた腕を離した。

仕方がないから、とりあえずこの状態で話を進めよう。

サーレーは少し諦めた。人は諦めとともに、大人になっていく。

 

「おい、テメエはどうしてこんなことをしたよ?パッショーネの名を出せば、いつか必ず大きな問題になる。」

 

サーレーに真正面から凄まれて、サーレー(仮)は蒼白な顔を歪ませて縮こまった。

 

「何をやったんですか?」

「ああ、まあいわゆる恐喝だ。それだけなら警察に任せてもよかったんだが………このバカこともあろうにパッショーネの名前を出しちまってな。」

 

ズッケェロ(仮)がとりあえず落ち着いた状況を見計らって、サーレーに冷静に状況把握のために質問をした。

本当にこのズッケェロ(仮)は有能だ。

 

「あー。」

「なんだ。なんか思い当たるふしでもあんのか?」

「そいつセリエDのフットボールクラブに所属してるんですけど、そこで最近なんかガラの悪い奴らと付き合ってたんすよ。それで暴力問題を起こして、謹慎中に行方不明になったって連絡があって………。」

「セリエDか………。」

 

セリエDは、イタリアの四部リーグである。

アマチュアでは最高峰であり、プロを目指す人間の登竜門と言い換えてもいいだろう。

 

「そんで俺たちマジで心配になって、大急ぎで探してたんすよ。バカなのは知ってたけど、まあそんな大それたことをしでかすとは思ってなかったんすよ。まさか知らない大人の人にパッショーネを騙って金をせびるとは………。」

 

困り果てた表情で、ズッケェロ(仮)は眉をハの字に寄せた。

まあわかりやすく言えば、実在するヤ関係者を名乗っていたら本物の、しかも狂信的な武闘派ヤ関係者に喧嘩を売ってしまった。しかも身に覚えのない悪事を、相手に喧伝する形で。パッショーネの暗殺チームは決して一般人に手を出さないし、軽々しく名乗ったりしない。

そんな事されれば、相手はキレて当然である。

 

「おい、お前はプロのフットボーラーを目指してんのか?」

 

サーレーは俯くサーレー(仮)に質問した。

身長は高いが、傲慢さはなりを潜め今は縮こまって年齢相応に見える。

 

「………はい。」

「………そうか。ならばパッショーネを騙るロクデナシとは、今後一切縁を切れ。フットボール以外のことに一生懸命になったら、フットボーラーとして完成しない。」

「でもあの人たち、怖いんすよ。」

 

いかにも強そうな人間に囲まれて、彼は勘違いしたのかもしれない。

子供の間違いを叱るのが大人の義務ならば、子供の間違いを許すのもまた大人の義務である。

サーレーは真剣な表情で、真正面からサーレー(仮)を見た。

 

「………ズッケェロに免じて、お前を一度だけ許してやる。勘違いすんな!決してシーラ・Eにビビったわけじゃねぇぞ!」

「ズッケェロて誰すか!?」

「シーラ・Eって誰!?」

 

ズッケェロ(仮)とシーラ・E(仮)は、激しくつっこんだ。

結局語られることはない、彼らにとって謎の人物、ズッケェロとシーラ・E。

一体、誰なんだ?

 

「でも………怖いんすよ。その人たちいつもフットボールクラブにいるし………。」

「大丈夫だ。」

「?」

「フットボールのこと以外に一生懸命になるフットボーラーは、永遠に完成しない。どうせそいつらは、己の才能を捨てた人間だろう。パッショーネを騙ることは重罪だ。それは決して、お前だけに限らねぇよ。」

 

その言葉でハッキリと、サーレー(仮)は理解した。

サーレー(仮)がタカリをかけたこのうだつの上がらない男は、本人が言うところのパッショーネのために命を捨てられる忠実な構成員であると。そんな人間を怒らせるようなことをすれば、無事に済むとも思えない。

彼はゆするのにもあまりにも相手が悪かったことを理解し、助けに来た二人の友人に心から感謝した。

 

サーレーは携帯を取り出して、情報部へと連絡を入れた。

パッショーネを騙ることは重罪だが、社会の裏側で力を持つパッショーネにあやかって利益をかすめようとする小悪党が後を絶たない。

どんな小さな相手でもパッショーネの名前を不当に出す輩は潰してきたが、どうしても漏れてしまう奴らが出てしまう。

 

情報部と連携して早急に事実確認を行い、事実であればそいつらには痛い目を見てもらう。

サーレーは獰猛に笑い………その笑顔を見た三人の学生は震え上がった。

 

「ああ、もうお前らは帰っていいぞ。解散。それから………おい、お前っ!!!」

「はいっ!!!」

 

サーレーに指差されたサーレー(仮)は、ビックリして跳ねた。

 

「フットボール、頑張れよ!!!もしお前がプロになれたら、俺がファンになってやる!テレビで見れる日を、楽しみにしているぜ!」

「はいっ………はあ?」

「それと………ズッケェロにあんま迷惑かけんなよ。」

「いや、だから誰すか!?ズッケェロ!?」

 

これ以上もめて警察を呼ばれても、いい結果にならない。

この辺が引き際と判断し、サーレーは食材の入ったビニール袋を下げて家路へとついた。

 

◼️◼️◼️

 

「結局あの人、なんだったの?」

 

シーラ・E(仮)であるアンナは、ズッケェロ(仮)であるミシェルへと問いかけた。

 

「………わからん。カルロ、お前もう二度と変な奴と関わんなよ。」

「ああ、済まなかった。」

「先輩、いなくなったって聞いたけど?」

 

結局パッショーネの殺し屋を騙ったカルロの先輩とやらは、パッショーネミラノ支部所属であるドナテロ・ヴェルサスに脅された挙句にパッショーネに使いパシリの下っ端として入団した。パッショーネの殺し屋を騙った人間の前に、本物のパッショーネの殺し屋の後輩が現れたというわけだ。

 

彼らもパッショーネの名前を騙ったことだし、本当にパッショーネの構成員になれてさぞかし幸せなことだろう。

ぜひともパッショーネのために、馬車馬のように働いてほしい。これでみんなハッピー。

ディアボロ時代は、罪人死すべし。ジョルノ時代は、犯した罪はお金で精算。それが時代の流れである。

 

「フットボールのこと以外に真剣になったら、フットボーラーとして完成しない、か。」

 

あのパッショーネの構成員と思しき、変な髪型のうだつの上がらなそうな男が放った言葉。

彼もきっと、ヨーロッパに無数にいるフットボールファンの一人なのだろう。

 

「それって案外真理かもな。」

「そうね。」

 

昔からチームのフォワードを勤め、体が大きく高身長で空中戦に強かったカルロ。

チンピラの真似事をしていたが、そんな彼でもカッコいい時もあった。

アンナはそれを、知っていた。

 

想像はたやすい。

恐らくはプロの壁の厚さにストレスを抱えて、誘惑に負けてあんな凶行に走ったのだろう。

彼が苦しんでいるのなら、友人として支えるのも彼女の選択肢の一つだ。

 

「超一流のフットボーラーになって、パッショーネなんてチンケだって言ってやりなさい!」

「………それはもう勘弁してくれ。さすがに懲りたよ。」

 

三人は笑った。

彼らには、まだ未来がある。チンピラにしかなれなかったサーレーとはまた違った、希望のある未来が。

 

「でも必死に練習して、あの男に笑われないようにはしないとな。」

「ファンに恥ずかしいプレーは出来ないよね。」

「言うな!」

 

ヨーロッパのフットボールは、レベルが非常に高い。

どれだけ才能を持っていても、それに真剣になれない人間は結局大衆を失望させて消えて行く運命にある。

 

昔から、スポーツは地域に文化として深く根付いてきた。

プロのフットボーラーを目指すのなら、才能を持つ人間が脇目も振らずに必死に練習しないといけない。

その代わりに、一部リーグともなれば平均して日本円換算で二億を超える年棒を受け取るのである。

そこには、悪事にかまけていられる余裕なんてない。

 

スポーツが愛される理由は、実績があるからだ。

長年社会の制度の一部を担い、社会をより良くしようとしてきた実績が。

 

スポーツは昔から、才能を持て余した愚かな若者の受け皿になるという側面も担ってきた。

フットボールはまるでパッショーネのように、時として道を誤りそうになった若者を救うという側面も持っているのである。



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ドナテロ・ヴェルサス、パッショーネにて 前編

メリー・クリスマス!


「あああッッ………もう終わりだ。ワシは、ワシはどうすればッッッ!!!」

「落ち着きください、先生。落ち着いて。あなたのバックには、パッショーネが付いている。」

 

広い敷地の中央に、木造の品格のある建物が建てられていた。

その建物の玄関前に、スーツを着た初老の男性と、その男性よりもいくらか若い男性がそこにいた。

初老の男性は慌てふためいており、もう一人の男性はそんな彼を宥めるように声をかけていた。

 

「あなたは長年、パッショーネのために貢献をなさってきた。我々はあなたを、絶対に見捨てない。」

「しかし、しかし!パッショーネさんがワシのために送ってくれたのは、彼一人きりだろうッッ!!!あなた方は、ワシを見捨てて争いを避ける心算ではあるまいかッッッ!!!あなた方が争いごとを嫌うマフィアであることは、誰しもに広く知られているッッッ!!!」

「我々は争いを好まないが、人はいやでも戦う必要がある時もあるということは深く理解しております。必要な時にまで戦わない組織に、存在する意味はない。大丈夫です、先生。あなたのために連れてきた彼はミラノ防衛支部チーム(ウチ)のエースです。あなたは、何の心配もいらない。」

 

初老の男性は商売で、ロシアに本拠を置くマフィアと利権がかち合って揉めた。

パッショーネとロシアのマフィアの上部組織が互いの利益の調整に奔走している最中に、下部組織の短絡的な人間が暴走して勝手に初老の男性に殺し屋を差し向けてしまった。

 

殺し屋は通称、人でなしのミハイルと呼ばれている。

その男はもともとロシアでは、権力者の犬として知る人ぞ知る有名な人間だった。

しかしミハイルは最近祖国で立場が悪化し、筋も道義も通さないクソみたいな木っ端マフィアの手先として立ち回らざるを得なくなった。

 

放置すれば、パッショーネとの戦争に発展する可能性が高い。

ロシアの上部組織は慌てて下部組織の人間を処分したものの、一度出立した殺し屋の方には連絡がつかず、パッショーネに謝罪とともに、彼らの知る限りの情報を流した。

戦争するくらいなら、独断で動いた配下を売り渡す。殺し屋を処分してほしい。

 

狙われた初老の男性はイタリアの元老院の議員であり、長年パッショーネと表社会との橋渡しの役割を果たしてきた。

パッショーネ側としては彼は付き合いのある相手であり、恩があり、貸しも借りもあり、つまりは長く上手くやってきた経歴がある。

長年パッショーネに携わる人間ほど彼に友情を感じており、その感情はカリスマ性を持つボスであるジョルノであっても決して無視できない。

 

パッショーネ内部の力を持つ人間の多くは、損得感情抜きで助けたいと思う相手であった。

人を助けない組織になど、存在する価値はない。感情とは理屈ではなく、もしも彼を見捨てればジョルノの求心力は地に落ちる。

パッショーネは彼を保護し、ロシアのマフィアが差し向けた殺し屋を迎え撃つ。

 

「先生、大丈夫です。あなたは何の心配もいらない。あなたは長年、パッショーネとイタリアに貢献なさってきた。だからこそ我々も、あなたに()を貸し出すのです。」

 

居丈高に、ラッパの音が鳴った。

地をふみ鳴らす軍靴の足音が聞こえ、見上げる凱旋門には一人の男が腰かけていた。

 

「だが、相手はロシアでも名のある殺し屋だと!」

「大丈夫です。彼であれば、何度も人を殺したことがあるなどという愚かなイキリかたをした人間など、物の数ではありません。笑って適正に処分してくれることでしょう。」

 

初老の男性に応対する男は、パッショーネミラノ防衛支部チームのリーダーである。

彼は、凱旋門に腰掛けた人間を腕で指し示した。その男こそが、パッショーネの信頼する戦力である。

 

彼の名は、ドナテロ・ヴェルサス。何かの手違いでチンピラに拾われた、市中に埋もれた玉。

ジョルノ・ジョバァーナの異母弟にして、パッショーネミラノ支部防衛チームの若手エースである。

 

人は誰しもが、変化する。

ドナテロ・ヴェルサスの父親は強者の名を欲しいままにしてきたディオ・ブランドーであり、その導き手はジョルノ・ジョバァーナ。

彼は伸び代も、それが成長するための土壌も、十分だった。

彼がパッショーネで頭角を顕したのも、むしろ必然だったのだろう。

 

「アンダー・ワールド、地面の記憶だ。先生、ここでは昔、どうやら祝勝パレードがあったようですね。ラッパがとてもいい音色だ。」

「彼の名は、ドナテロ・ヴェルサス。我々ミラノ支部防衛チームの、不動のエースです。」

 

殺し屋に慌て怯える元老議員の男性に、ミラノ支部防衛チームのリーダーの男とドナテロ・ヴェルサスは落ち着かせるように優しげに微笑んだ。

 

◼️◼️◼️

 

「人でなしのミハイルこと、ミハイル・レヴァノフ。ロシアでも有名な殺し屋だ。」

 

パッショーネ情報部の現リーダー、ベルナトはヴェルサスに振り返って、入手した情報をまとめた書類を手渡した。

 

「奴が有名なのは、その人間性の残虐さによるものだ。奴は過去、暗殺の標的を無関係の周囲を巻き込んで殺した。ロシアの組織も、下部組織が奴を匿っていたことを知らなかったらしい。下部組織の人間を処分する際に、拷問したことによってその事実が判明した。」

 

ドナテロ・ヴェルサスは渡された書類を、パラパラとめくった。

そこにはカラーの写真で、ミハイルに殺された犠牲者の様子が鮮明に映し出されていた。

 

「ジョジョの嫌う、目的のためならば無関係な人間を巻き込むことを厭わないタイプの殺し屋だ。まず間違い無く、スタンド使い。」

「………そうでしょうね。」

 

死体には、共通項があった。

書類はパッショーネ情報部が情報を分析し、着眼すべき点に付箋が貼られている。

ヴェルサスは渡された書類に目を通し、自身の能力と照らし合わせた。

 

「………殺れるな?」

「もちろんです。」

 

静かにそう告げたヴェルサスの体からは、重圧が滲み出ていた。

誰が相手だろうが容易に蹂躙できるとそう錯覚させるほどに、強靭な重圧が。

ベルナトはその様を確認し、これならばまず間違いはなかろうとそう確信した。

 

「俺だって、かつては暗殺チームに所属していた。現情報部の責任者であるあなたならば、それをご存じでしょう。」

 

パッショーネの暗殺チームは、近隣諸国でも評価が著しく高いイタリアの守護者だ。

その名を汚すことなどできるはずがないと、ヴェルサスはベルナトにそう返答した。

 

「ああ、もちろんだ。私たちパッショーネは、君を高く評価している。全く心配していないよ。」

「組織に守られてばかりでは、組織の恩恵を受ける権利はない。組織とは苦しい時の後ろ盾であって、依存する対象ではない。己の足で人生を歩み、組織を己の意思で守ってこそ、ようやく一人前です。」

 

組織とは、人生が真に苦しい時に助けてくれる存在。

自身の足で人生を歩むことを知らない愚か者、ドナテロ・ヴェルサスにさえも手を引いて歩き方を教えてくれた。

ドナテロ・ヴェルサスは、そう考えている。

 

それは決して都合のいい時ばかり寄ってくる押し付けがましい、依存対象などではない。

だからこそパッショーネに関わる多くの人間が、己の意思で立ちパッショーネのために命をかけられる。

 

ドナテロ・ヴェルサスは、不敵に笑った。

彼らは作戦の細部を詰め、ロシアからの招かれざる客をもてなす準備を始める。

 

◼️◼️◼️

 

「ドナテロを?危険ですっ!!!」

 

サーレーの声が会議室に響き、ミスタとズッケェロはそれを涼しい顔で聞き流した。

シーラ・Eはさらなる情報の開示を待ち、様子を見ている。

 

「相手が殺し屋なら、同じ殺し屋である俺たちが戦うべきだっっ!!!」

 

パッショーネと懇意にしている元老院の議員が、ロシアンマフィアともめた。

相手はイタリアに殺し屋を送り込み、ドナテロ・ヴェルサスがその殺し屋の処分を行う。

 

その状況に伴い、暗殺チームである彼らには万が一の場合に備えた待機指示が出された。

もしもヴェルサスが敗北した場合は、暗殺チームが現場に出て速やかに敵の処分を行う。

 

ミスタはサーレーにそう説明し、説明を受けたサーレーはヴェルサスを心配してミスタに反対した。

 

「副長ッッッ!!!おい、ズッケェロ!!!お前もなんか言えよ!!!ドナテロ・ヴェルサスに………。」

「俺は副長に賛成だ。」

「ズッケェロ!!!」

 

かつて暗殺チームに所属していた、ドナテロ・ヴェルサス。

お前は後輩が心配ではないのかと、サーレーは憤慨した。

 

「サーレー、お前の気持ちは理解できる。」

 

誰だって、後輩は可愛い。

縁があった人間を死ぬ可能性のある危険地帯に送り込むのを反対するのは、理解できる。

ミスタは頷きながら、言葉を紡いだ。

 

「だったら………!」

「でもそれじゃあ、永遠に次の世代は育たない。」

 

苦痛、苦悩、危険。

死の可能性がある、戦場。

死線を乗り越えて、初めて一流の殺し屋は育つ。

 

国民の安寧を保障するための社会。

しかしそれを保障するためには、兵士を死の危険の側に置いて育てる期間が存在しないといけない。

ある程度までの敵ならば武装頼みでどうにでもできるのだが、その基準を超えてくるイかれた敵がいないとは言い切れないのだから。

社会は矛盾していて、社会とはそうやって成り立っている。

 

強い者が生き残る、自然淘汰の理論による育成方式。

ディアボロ時代の暗殺チームは、善悪や是非はさておいて、あれはあれで完成していた。

組織に武力は必要であるし、イタリアやパッショーネの利益という目的にはたしかに沿っていただろう。

 

ただし、周辺諸国からの醜悪な強奪というあくまでも短期的な利益に限定した話だが。

それは過度の薬物の散布という、免れない近未来の負債によって贖われる繁栄だった。

 

しかしジョルノたちとの抗争を経て暗殺チームは一度壊滅し、大幅な路線変更も行われた。

長期的な視点に基づいた、共存共栄の路線変更。

 

現状の暗殺チーム育成は、手探り状態に近い。必然、方針の違いで上司と部下の意見が衝突することもある。

上申できない関係など歪であり、いずれは破綻する。それはより良い暗殺チームの完成のためには、必要なプロセスだ。

とは言えど、もちろん上の人間に対する敬意も忘れてはいけない。

 

「でも………相手は、何人も殺してきたスタンドを使う殺し屋なんでしょう!」

「サーレー、お前はいくつか勘違いをしている。」

「勘違い?」

 

ミスタに指摘され、サーレーは何を勘違いしているのかとミスタに問いかけた。

 

「一つ。お前たち暗殺チームは切り札だ。切り札とは、軽々しく動かすべきものではない。」

 

ミスタは、人差し指を立てた。

 

「二つ。パッショーネの兵士は、他の組織に比較して士気や練度が高い。そんじょそこらのやつに白旗をあげるほどに、やわじゃあない。」

 

ミスタは、続いて中指を立てた。

 

「三つ。ドナテロ・ヴェルサスには才能がある。パッショーネを守護する才能が。お前に守られなければいけないほど、今のアイツは弱くない。」

 

ミスタは、さらに薬指を立てた。

 

「以上の三つの理由により、今回の事案はお前たち暗殺チームではなくミラノ支部防衛チーム、その中でもエースであるドナテロ・ヴェルサスに一任することにした。………まだなんか疑問はあるか?」

「………ドナテロは勝てるんですね?」

「相棒よぉ、百パー勝てる戦いなんてねぇだろ。俺たちは今まで、そうやって戦ってきた。」

 

ミスタに確認の言葉を投げかけたサーレーに、ズッケェロが横から口を出した。

 

「パッショーネは十分勝てる見込みがあるって判断したから、ドナテロに任せたんだろ?俺たちみてぇなバカが変に知恵を回しても、ロクな結果にならねぇぜ?」

「………いや、それぞれが各々の意見を出すのは大切なことだ。サーレー、今後もお前の意見を歓迎する。」

「副長………。」

 

サーレーとズッケェロは、ミスタへと視線を送った。

 

「いざという時に尻拭いをするのは、お前らだ。だからこそ、お前らにも納得してもらう必要がある。………サーレー、パッショーネを脆弱にしちゃあいけないんだ。お前たち暗殺チームが敗北したら打つ手がない、パッショーネはそんな弱い組織であっちゃあならねぇ。だからこそ今回の件は、ヴェルサスに一任する。」

 

サーレーはしばし考え込み、ミスタの言葉の意味を理解した。

 

「サーレー、お前は強い。だからこそ、軽々しく動かすべきではない。一人で何でもできるなんて、ただの思い上がりでしかない。」

「相棒よぉ。暗殺チームになかなか部下が増えねぇのも、上役にお前がいざって時に部下に死ねって命令できるか疑わしいと思われてるからだぜ。戦士としては超一流と認められてても、リーダーとしては疑惑を拭えない。お前は過保護なんだよ。」

 

空条徐倫やウェザー・リポートなどは、当時のサーレーと実力が近く最初からかなり戦える人間だった。

それに対して、ドナテロ・ヴェルサスは拾った当時はほとんど戦えない人材だった。

だからだろう。サーレーは、必要以上にヴェルサスが一人で戦うことに懸念を抱いていた。

 

胸にしこりはある。

しかしパッショーネは、ドナテロ・ヴェルサスを信頼している。

それは飲み込まねばならないものであると、サーレーはそう理解した。

 

「………理解しました、副長。」

「それでいい。」

「それでは。」

 

シーラ・Eが待機場所と作戦内容を記した紙を、配布した。

 

「情報部は、敵に誤った情報が行くようにすでに動いているわ。敵の行動を誘導して、作戦をうまく遂行させるために。アンタたちは、想定外の事態が起こった場合に備えて待機。空路を警戒して空港に詰めておいて。」

 

ミラノには、三つの空港がある。

今回はその中でも、ミラノ郊外にあるマルペンサ空港にサーレーたちは待機する。

敵を誘導した場所から最も近い空港であり、敵が逃走を選んだ場合に最も使用確率が高い。

もっともミスタは作戦の成功を確信しており、サーレーたちはおそらく無駄足に終わるだろう。

 

「パッショーネが奴の居場所をつかんだら、即座に連絡する。それでは一時解散。」

 

サーレーとズッケェロが去った後に、シーラ・Eはミスタへと疑問を投げかけた。

 

「空港ではなく、彼らも現場に置いておいたほうがいいのでは?」

「ああ。」

 

ミスタは頭部を指でかき、少し顔を歪めて返答した。

 

「安全性や万一の事態を想定すれば、本来そっちの方がいいんだな。だがサーレーのヤローは、ドナテロ・ヴェルサスが少しでもヤバくなったら勝手に動きそうなんでな。」

 

はっきりと言えば、今回に限って言えばサーレーは邪魔者でしかない。

少し危険になったら助けに行かれてしまえば、ドナテロ・ヴェルサスが危険を乗り越える機会が訪れない。

しかし暗殺チームに話を通さずに海外の殺し屋を処分したとなれば、それはそれで暗殺チームを軽視していると捉えられかねない。

報告・連絡・相談の不備は、人間関係の不信感を生む。

 

その結果の、空港待機。

おそらく、ズッケェロはミスタのその意図を理解しているだろう。サーレーは理解していない。

 

危険を乗り越えた経験の無い兵士は、戦力の飛躍が見込めない。その覚悟のほどが測れない。いざという時の信頼性が低い。

それが自身も危地を乗り越えることによって飛躍した経験を持つ、グイード・ミスタの見解だった。

 

◼️◼️◼️

 

「ミハイル・レヴァノフ。軍人崩れのロシアの殺し屋。奴が行なったと思しき殺人は八件。」

 

ドナテロ・ヴェルサスが手に持つ写真には、一人の男が写されている。

灰みがかった黒髪にグレーのコートを着用し、目つきが鋭くタバコをふかしている。

 

「モスクワで五件。サンクトペテルブルクで二件。その他郊外で一件。うち六件は、遠距離狙撃。」

 

ミハイルはロシア西部に居を置くと思しき殺し屋で、暗殺において狙撃銃を用いている。

この六件は問題ない。ここまではまだ良かった。問題は、残りの二件だ。

 

「ミハイルに命を狙われていることを理解した有力者は、狙撃を警戒して籠城した。しかし………。」

 

残りの二件は、籠城する標的を家人ごと皆殺しにした。

後に自分の特異能力の隠蔽を目論み、周囲ごと焼き払った。火事を起こしたのである。

その火事のうちの片方が周囲に大々的に延焼し、無関係な死者を多数出した。

 

この一事から判断するに、無駄な殺しを好む人間というわけではないが、それをためらう人間でもない。

邪魔だと判断すれば、無関係な人間が巻き込まれることを厭わない人間だとそう判断できる。

それはミハイルにとっては、ただのゴミ掃除。メインの汚物を焼却しようとしたら、周囲のどうでもいいものまで燃えてしまった、ただそれだけのことなのだろう。

 

この事件によりミハイルの悪名は不動のものとなり、マフィアにさえ忌み嫌われる存在となった。

国民は怒り狂い、ミハイルの依頼主も世論を恐れ、彼の存在は明るみに出ることとなる。

 

「火事の死者はその大部分が火災により損傷がひどく、事件の調査に恐ろしく時間をかけることとなってしまった。」

 

火事が起きたのは、ロシアのサンクトペテルブルク。

事件が起きた当初は秋口であり、気温は十度前後と記載されている。

 

「調査を行ううちに、不審な事実が浮かび上がる。焼け残った死体の一部には………特徴的な痕跡が残されていた。」

 

これが、ミハイルがスタンド使いであると目されている理由である。

殺人から放火までの合間はほとんど間を置かず、焼け残った遺体には状況にそぐわない痕跡が残されていたのである。

パッショーネの情報部科学班は現地のロシアの組織と連携し、ミハイルの能力分析を詳細に行なった。

 

暗殺対象である元老院議員は、パッショーネミラノ支部防衛チームが責任をもって警護を行なっている。

ドナテロ・ヴェルサスは別行動、パッショーネは議員の居場所の偽情報を流し、ヴェルサスは一人で議員の別宅にて敵を待ちわびる。

ヴェルサスは地面の記憶より呼び起こした教会の礼拝堂にて、敬虔な信徒のようにただ一人跪いた。

 

「神よ。俺が殺人を犯すことを、どうかお赦し下さい。」

 

祈りとは、願い。世界よ優しくあれ。

決して理想を忘れずに、理想のために禁忌を犯す。それを忘れてはならない。

ヴェルサスの目に静かに殺意の炎が灯され、教会の扉は音も無く静かに閉ざされた。

 

◼️◼️◼️

 

ミハイル・レヴァノフは、非常に不愉快だった。

彼は、国家に忠義を尽くした軍人である。少なくとも、本人はそう考えている。

 

彼は国家のために敵を殺し、国家のために売国奴を殺した。全ては国家の利益のために。

報酬を受け取ったのは仕事には対価があってしかるべきだし、巻き込まれた人間は必要な犠牲だった。些末事。

 

彼はそう考えている。そして、それが彼が人でなしたる所以である。

本質的に、彼は力を持たない人間の寄り合いである社会への適性が皆無に等しい。

社会は手段を選ばない利益を禁じ手としており、人の心を理解しようとしない彼はひたすらに安心を求める市民の気持ちを理解しようとしない。他人の感情を理解しようとせず、彼の中で総体的に見てプラスであればいい。非常に即物的で、独善的な手合いだと言える。

 

しかし彼の依頼主は彼を裏切り、彼の存在は明るみに出てしまうこととなる。

国家は彼の後援者を排除し、指名手配された彼はコソコソと逃げ回るはめになった。

 

その結果が、吹けば飛ぶゴミのようなマフィアの手先だ。ほかに彼を匿おうとする人間はいない。

なぜ国家に忠誠を捧げた自分が、こんなひどい目にあわないといけないのだ?

 

非常に奇妙な話だ。

国家の要職に携わる人間を支持し、国益のために利益を貪る害虫を排除しただけ。

 

ただそれだけであり、彼の行為はまさしくネズミ退治。

正しい行為を行い、正しい意志を持つ自身が、なぜ祖国を追われる事態に陥らねばならないのか?

理解不能な無知蒙昧の輩が、国政の中枢に蔓延っているということなのだろう。腐っている。

祖国の解放のために、戦わねばならない。そしてそのためには資金が必要だ。正義はここにある。

 

「………殺してやる。」

 

気に入らない。

彼がお尋ね者になったということは、その背景に彼の排除を目論む人間が一定数以上存在するということ。

しかも、国家の中枢に。国家は腐ってしまったのだろう。一度焦土にせねばなるまい。

ミハイルは、脳裏にて粛清の鉛玉が飛び狂う様を思い浮かべて、微笑んだ。

 

情報は、手に入れた。

標的は、ミラノ郊外の別宅にいる。

標的を殺すついでにロシアの国益を脅かすパッショーネの害虫どもも、少々掃除してやろうか?

神はそのために、ミハイルに力を与えたもうたのだ。

 

ミハイルはミラノの裏路地を歩きながら、傲慢に笑った。

トサリと音を立てて、路地裏に野良猫が倒れて転がった。野良猫には、蛆がたかっていた。

 

◼️◼️◼️

 

「さっすが、元老院の先生。いいトコに住んでるねぇ〜。これで別宅だろ?羨ましいったら、ありゃしねぇ。」

 

ドナテロ・ヴェルサスはファーストフードのハンバーガーを食べながら、くつろいでいる。

高価なテーブルの前の椅子に座り、空調を効かせてテレビを眺めていた。

 

これはパッショーネからの、課題である。ヴェルサスはそれを、理解している。

ドナテロ・ヴェルサスはミラノ防衛チームに移籍して以来、地道に実績を積み重ねてきた。

積み上げた実績を土台にして、一段高いところへと登る時がきたのだ。

 

敵の能力を分析し、戦術を立案し、祈りも済ませた。

いつ敵が来ても、なんら問題ない。この件を上手くこなせたら、パッショーネはなお一層ヴェルサスを信用し重用することだろう。

つまり今回の件はヴェルサスが一つ上に行くための課題であり、冷静に行動すれば問題なく超えられる壁である。

ゆえにそれを理解するヴェルサスは、リラックスしている。緊張すればミスをするかもしれない。

 

『愚者が網にかかった。未だに奴は、祖国に利益さえもたらせば帰還できるなどと都合の良いことを考えているらしい。』

 

テーブルの上に放られたスマートフォンが通信を告げ、ヴェルサスはそれを手に取った。

予定調和、パッショーネ情報部からの、敵襲来の通知である。

 

「つくづく愚かしい話ですね。天国は、日々の細やかな幸せの中にのみ、存在しうる。」

『ああ。救いようの無い愚者だから、奴は今現在祖国に嫌われて誰一人助ける者もいない。本人はそのことにすら気づかない。』

「到着予想時刻は?」

 

ミハイル・レヴァノフ。独り善がりの殺し屋。

利益よりも安寧に重きを置く、現代社会には彼が受け入れられない。

スタンドはそこそこ強力で、殺人への適性が高かったために欲望をくすぐられて権力者にいいように扱われてきた。

 

悲しい獣に、安寧の眠りを。死は安らぎ。

憎悪と憤激の汚泥にまみれた、国民の嫌悪をその一身に受けた人でなしに終幕を。

ミハイルは、自分が考えている以上に追い詰められている。彼がそれを冷静に把握すれば、追い詰められた獣はどんな行動に移るかわかったものではない。これ以上周囲を巻き込む前に、ここで確実に処分する。

 

『到着予想時刻は、およそ二時間後だ。』

「了解。」

 

すでに、夜中の十時を回っている。

ミハイルは裏社会で生死不問の指名手配をかけられており、追い詰められている。

その余裕の無さを鑑みれば、恐らくは今日の深夜、遅くともそう日数をかけずに襲撃してくるだろう。

 

ミハイルは知らない。

パッショーネが、どれだけ強い組織なのかを。

すでにイタリアのみならずヨーロッパ圏にパッショーネの手配は行き渡り、表裏大小問わずに全ての情報を扱う業者は、パッショーネの威光の下にある。奴はただの人でなし、暗殺対象だ。もしも匿うようなら、パッショーネを敵に回すと知れ!!!

 

ネズミを炙り出して殺せ!!!

飢えたネズミは罠にかかり、毒入りの可能性があると知りながら餌を食べねばならない状況に追い詰められている。

追い詰められた獣は恐ろしいゆえに、確実に勝てる戦略を練って確実に勝てる人材を充てるのだ。

 

現代の暗視装置はかなり進化しており、夜間の屋外では長距離狙撃は困難であるにしても銃撃自体は不可能ではない。

昼日中は籠城、夜間はパッショーネから貸し出された赤外線サーモグラフィーによって周囲を監視する。

サーモグラフィーに敵影がかかったら、籠城してヴェルサスが敵を嵌め殺す。

 

地下には、四十六億年の記憶が眠っている。

アンダー・ワールド、ジョルノ・ジョバァーナに導かれたドナテロ・ヴェルサスは、四十六億年の深い眠りから目を覚ます。

 

「さぁって、と。」

 

愚かなる者が現れたようだ。モニターに目をやり、ヴェルサスは獰猛に笑った。

夜闇に紛れ、ドナテロ・ヴェルサスは静かに戦いの場を整える。

 

◼️◼️◼️

 

ミラノで情報屋から情報を仕入れたミハイル・レヴァノフは、ケースを抱えてミラノ郊外の邸宅へと向かっていた。

ケースの中身は分解したスナイパー・ライフルであり、敵の巣穴の外で明日の昼日中まで待機する。

 

作戦はひとまず、ここから数日間は標的が外出するかどうかを確認する。

標的の在宅の確認と、狙撃での暗殺が可能であるかどうかの下見というわけだ。

 

夜間でもわかる白い壁と、芝生の庭に囲まれた漆喰壁の小洒落た邸宅。

そこそこの広さがあり、あこぎな商売で不正に蓄財した結果であろう。

ここの持ち主を殺すことは、祖国に不利益を成す害虫の駆除である。ミハイルは、そう己を正当化させる。

 

「………いいご身分なこった。こっちはコソコソしてるってのに。」

 

実にふざけた話だ。

不正に利益を貪る悪人が広い別宅を持ち、祖国に身を捧げた忠義の徒である己は日陰者。

ミハイルにとってはそれが真実であり、この間違いは血を以って正さねばならない。

ミハイルは壁に身を隠し目を細め、殺意を露わにする。

 

「ここはワシの家だ。君はそんなところで何をしているのかね?」

「………ッッッ!!!」

 

唐突に近場から声をかけられて、ミハイルは驚いた。

慌てて暗視装置を装着すると、邸宅の庭にある大きな木が視界の中に入った。

その木の下に、一人の白髪混じりの男性がたたずんでいる。

 

ミハイルが不審を感じたのは、今現在の時刻が日付を回ってすぐだということ。

深夜も深夜であり、まさかこんな時間に庭先に人間がいるとは露ほども考えなかった。

だから周囲をロクに確認せずに家に近寄ったのに、まさか誰かいるとは………。

しかも相手は、恐らくは暗殺の標的だ。

 

「アンダー・ワールド。君が真に正しい道を歩んでいるのであれば、その意思は滅びない。果たして君は、本当に正しいのか?君の意思は、滅びずにいられるのかな?君は地面の記憶から逃れられるかな?」

「何だとっ!!おい、待て!!!」

 

ミハイルに声をかけた初老の男性は、意味深な言葉をつぶやいて邸宅の玄関から中へと入っていった。



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ドナテロ・ヴェルサス、パッショーネにて 後編

庭木の下にいた初老の男性は、微笑むとともに邸宅の玄関の扉を開いた。

それを確認したミハイルは、不審な現状に困惑した。

 

まず第一に、現時刻が深夜であること。

なぜこんな時間に家主が外にいたのか。

暗がりで判別に若干難はあるものの、男性はパソコンの画像で確認した標的と同一である可能性が極めて高い。

 

第二に、男性は何を考えて笑ったのか。

相手にミハイルの情報が入っているかは不明であるが、こんな時間に家を覗いていたミハイルは傍目に考えて不審者だ。

そんな彼を見て、なぜ男性は微笑んだのだろうか。

 

それらの要素に加えて、日を置くごとに男性に彼を狙うヒットマンであるミハイルの情報が入る確率は高くなり、暗殺における面倒が増える可能性が増す。

真実はとっくにミハイルの情報は流れているのだが、組織の後ろ盾のない現在のミハイル視点ではそれを判別することは不可能だった。

 

諸々の要素を包括的に判断して、本来なら不安要素がある際は暗殺を見送るべきだ。

しかし今のミハイルは、状況がよろしくない。祖国では彼の置かれた状況が芳しくなく、殺し以外にろくな仕事をしてこなかった彼は、ロシアで彼を庇いだてたマフィアの指示を聞かざるを得ない。しかもミハイルはあずかり知らぬことだが、現状ミハイルを庇ったマフィアは、上部組織の不興を買って壊滅状態にある。ミハイルは仕事の際に情報の漏洩を防ぐために、現在は外部との連絡を遮断している。

 

そういったさまざまな要素から、ミハイルは暗殺を継続すべきか迷っていた。

日を置くか、あるいは暗殺の鉄則を覆して彼を派遣したマフィアの指示を仰ぐか。

難しい局面ではあるが、暗殺失敗に伴うミハイルの評価下落についても思案すべきだ。殺しが仕事の彼にとって、殺しができないという風評が立つのもまた致命事であるようにも思える。指示待ち人間であり、指示がないと柔軟に動けないグズであると。

 

「君は、怖いんだね。自分が無価値であると指摘されることが。君は君自身が誰にも省みられずに、むしろ忌み嫌われる邪悪であることを指摘されることを恐れている。………自分の行為が他人にどういった影響を与えるのかを考えないくせに、他人の評価は気にしている。つまらない。君は実につまらない男だ。人でなしと呼ばれてはいても、他人の評価が怖い。君は所詮は、その程度の存在だ。」

「ッッッ………!!!」

 

初老の男性は意味有りげな微笑みと捨て台詞と共に、邸宅へと入っていく。

ミハイルは彼のその言葉に、何か痛切なことを言われた気がした。

 

「君は誰かを殺す事で、その利益を得る人間の仲間でいるつもりなのかも知れない。しかしそれは、間違いだ。君は使い勝手のいい道具に過ぎない。道具は所詮道具であり、それに仲間意識を抱いたりはしないよ。だから君は、そんなにも追い詰められている。臆病な君はたった一人きりで、地面の下で寂しく眠ることになる。………悲しいな。」

 

人でなしであっても、さすがに誰も仲間がいないという状況は堪える。

老人の言葉は残響し、ミハイルの頭蓋の中で幾度もこだました。

 

「………上等だ。そんなに死にてぇかッッッ!!!」

 

不確定要素がある時は、暗殺の機会を先延ばしにする。

それは本来殺し屋の鉄則であったが、怒りに震えて顔を真っ赤にしたミハイルは感情に任せて老人の後を追った。

庭の芝生を走り、邸宅の扉の前に来たミハイルは、彼のその邪悪なスタンドを顕現させる。

 

泥土の呪い(マッド・カース)、ぶっ殺せッッッ!!!」

 

黒と紫の色調をした指先の長いスタンドが現れ、そっと扉へと触れた。

扉はスタンドの触れた先から腐蝕してゆき、それは瞬く間に周囲に伝播してゆく。

木造の邸宅は経年劣化を経たかのようにボロボロになり、扉の金属は錆びてカシャリと音を立てて落ちた。

すでにスタンドの足元の芝生は腐り落ちており、それはさほど時間を置かずに邸宅の内部全体を腐らせる。

 

「………調子に乗らなけりゃあよぉ〜、ジジイ!!!テメエは調査のためにあと二、三日は生きていられただろうによぉ!!!」

 

ミハイルは腐食してボロボロになった木製のドアを蹴飛ばし、邪悪なスタンドと共に邸宅の内部へと侵入した。

怒り混じりに鬱陶しい暗視装置を外して、玄関の床に乱暴に投げ捨てた。

 

「さぁて、あとは死体の確認をするだけだ。」

 

周囲を見渡すと、明かりが灯されていると思しき方向が見えている。

あとはそこで蛆がたかった死体を見届け、火をかけて証拠を隠滅して終了だ。

 

ミハイルは笑った。

面倒だが、万が一でも逃げられてでもいたらそれの確認を行わないといけない。

それはミハイルの殺し屋としての、わずかな矜恃だ。死体を確認して確実に殺害したことを確認し、死に顔を眺めて自身が成し遂げた仕事に優越感に浸る。死の恐怖に怯える顔はいいものだし、何があったのかわからないといった無知な表情もまた嫌いではない。

それが、ミハイルのルーチン・ワークだった。

 

ぐずぐずに崩れた廊下の壁を横目に、ミハイルは暗がりの絨毯をサッサッと歩いていく。

途中で台を蹴飛ばし、それに乗せられた壺を床に落として破片が散らばり、ミハイルは眉を顰めた。

 

ーー怖がりな君は、一人きり。地面の下で寂しく眠ることになる。

 

不快にもミハイルに説教のようなことをした老人も、今頃は腐敗臭を漂わせてボロボロになっているだろう。

結局は、力があるものが勝つのだ。ミハイルが評価されない今の社会は、間違っている。それを正さねばならない。

間違いは血で以ってして、贖われることだろう。

 

頭に血液が上がたミハイルは、走って灯りの差し込む部屋へと向かった。

ドアを蹴破り、室内へと乱暴に入室した。

 

「………なに?」

 

そこにあったのは、彼の予想外の光景だった。

部屋には誰もおらず、テーブルの上には食べかけのファーストフードの包みと飲みかけのカップが置かれている。

そこでは、ただテレビだけが無意味に音声を流していた。

 

「………どこに?」

 

標的はトイレか風呂にでも行っているのだろうか?

暗がりで死体を探すのに億劫な気持ちを感じながら、ミハイルは思案した。

その時、室内の電灯の電線がミハイルの腐食させるスタンドの効果で千切れて、部屋の電灯が落ちて灯りが消えた。

 

「なッッッ………!!!」

 

ミハイルの足下の暗闇を、何か小さな生物がかすめて逃げていった。

ねずみか何か。ミハイルのスタンドを発動したここで、そんなものが生きているのは何かおかしい。

驚いたミハイルは床に顔から倒れ、腐った床を突き破って頬に木片が突き刺さった。

 

「クソがッッッ!!!なんだってんだッッッ!!!」

 

悪態を吐くミハイルを揶揄するようにチラチラと、廊下に静かに薄明かりが灯された。

それはまるで昆虫を黄泉へと誘う誘蛾灯。愚かなミハイルは、すでに死に場所へ誘い込まれている。

 

ーーつまらない。君は実につまらない男だ。

 

撤退を思考の端に置いたミハイルの脳内に、老人が彼を嘲る言葉がリフレインした。

それは強烈にミハイルの自尊心を刺激し、彼から撤退路を塞ごうとする。

 

ーー君は他人の視線が、怖いんだね。人を人とも思わない人間の分際で、一人で生きることには耐えられない。君はたまたま力を持たされただけの、ただの弱者。もう君を怖い世間から庇ってくれる存在は、誰もいないよ。君がただ一人傲岸不遜に振る舞った結果、自業自得だ。地面の下でおやすみ、ミハイル坊や。おやすみ、おやすみ、おやすみ。

 

「ぶっ殺してやるッッッ!!!」

 

ミハイルは、部屋の中のものに手当たり次第に当たり散らかした。

ひと暴れして取り敢えず落ち着きを取り戻したその時、ミハイルは廊下から薄ぼんやりとした灯りが漏れ出していることに気が付いた。

 

「アレは………。」

 

ミハイルは薄く笑って、廊下を走って灯りへと向かった。

廊下を進み、角を曲がり、もう少しで。怒りで思考が短絡的になり、不快で不審なな出来事も標的さえ死ねば何ら問題ない。

 

さっさと標的を殺して、ビールでも飲んで寝よう。

そしてミハイルを派遣したマフィアにはたっぷりと恩を着せて、せしめた金でほとぼりが冷めるまで高飛びしよう。

なぁに、いざとなったら戦う姿勢を見せれば、マフィアも金を出さざるを得まい。

ミハイルは暗がりで、にやけ笑いをした。

 

「皮算用は、マヌケの悪癖だよ。アンダー・ワールド、この先は君の墓場だ。尻尾を巻いて一目散に逃げることをお勧めする。もしもそれが怖くないのなら、向かってくるといい。」

「!?」

 

ミハイルは、驚愕した。

灯りは地下へと下る階段から漏れており、その階段の前の薄暗がりで先の初老の男性がにこやかに笑っていた。

男性はミハイルに一声かけてから、階段をスタスタと降っていく。

 

「………ワインセラー?」

 

おかしな事が起きている。

ミハイルが周囲を手当たり次第に腐食させるスタンドを発動したにも関わらず、男性はピンピンしたまま階段を下りていった。

理知的に判断すれば、暗殺を先延ばしにするべきだ。冷静なミハイルは、脳裏でそう囁いている。

 

向かった先は、ワイン倉庫だろうか?

瀟洒な邸宅であることだし、別段ワイン倉庫があってもおかしくない。

ボルドー辺りから仕入れた、高価なワインでも貯蔵しているのだろう。

 

ーー君は弱者だ。君は他人の評価が怖い。一目散に逃げるといい。

 

一方でミハイルの冷静でない、感情の部分。老人の言葉がミハイルを縛って離さない。

今まで失敗なく多数の人間を殺害してきたミハイルの自負と自尊心は、先へ進めと猛烈に喚いていた。

 

侮辱されたまま逃げる事は許さない。

冷静と激情の狭間に揺さぶられて、結果ミハイルは激情に身を委ねた。

 

「………どんなカラクリか知らねぇが………能力が効かねぇのなら直接ぶん殴って殺してやるよ!!!」

 

ミハイルはカビ臭い空気の階段を音を立てて下りて、先にある扉を蹴破った。

 

「これは………!!!」

 

扉の先は、ワイン倉庫ではない。そこは複数のロウソクの光源によって灯りが保たれていた。

その部屋の中央に、多量に置かれた目も眩むまばゆい何かの上にあぐらをかいて座る一人の男がいた。

 

「アンダー・ワールド。地の下にある、地獄へとようこそ。」

「お前は………?」

 

頭頂部に一本線が入ったようにメッシュをした、一人の男。

彼は不敵に笑いながら、ミハイルに語りかけた。

 

「俺の名は、ドナテロ・ヴェルサス。お前を殺す男の名だ。それくらいは、覚えてから死ね。」

 

ミハイルは、ヴェルサスが座るものを注視した。

それが何かはロウソクのか細い灯りでも判別できる。

黄金色に輝く無数の金貨。一体いくらになるのか、わからない。

 

黄金は、ほとんど腐蝕しない。

それは物を腐食させるミハイルのスタンドにとって、天敵にも等しい存在である。

 

「黄金は錆びない。真実は消えない。お前が何を腐らせて朽ち果てさせようとも、決して負けない人間はいるし、決して消えない真実は残される。地面には、四十六億年間蓄積された記憶が眠っている。これは十三世紀、当時のミラノ公国の支配者の隠し財産の記憶。まあいわゆる、埋蔵金ってやつだ。」

 

ドナテロ・ヴェルサスは貫禄とともに、両手の中指を立ててミハイルを挑発した。

ドナテロ・ヴェルサスのスタンドは、攻めには弱いが受けには滅法強い。

自分から攻める分には場所を選べないが、敵を待ち受ける場合は有利な場所で有利な状況で敵を罠に嵌めて殺す事が可能である。

 

「テメエッッッ!!!」

 

ミハイルはいきりたち、ヴェルサスとの距離を詰めて殴り殺そうとした。

 

「おいおい。そんな考えなしに動いていいのかい?お前ははめられたんだぜ?なんか罠があるかとか。もうちょっと慎重に行動しなよ。」

 

ミハイルは、我慢がならなかった。

こんなショボいクソヤローにコケにされたまま、安穏としてはいられない。

彼ら裏の人間は一般的に力を重視し自尊心が強い傾向にあり、ミハイルもその例に漏れない。

力を示せない裏社会の人間は、表にはいられず裏でも軽んじられることになる。

 

「アンダー・ワールド、お前パッショーネナメてるだろ。パッショーネの情報部の力を甘く見ているな?お前の情報は老人の尿漏れのようにだだ漏れ、その弱点も丸裸だ。お前には、もう味方なんて一人もいねェんだよ!お前の情報は底値で売り払われ、誰も彼もがお前を殺せ殺せと怒りと憎しみ………そして殺意の黒い炎で取り囲んでいるッッッ!!!」

 

ヴェルサスに詰め寄ろうとするミハイルの背後から、いきなり槍が何本も突き出されてミハイルを上から押さえつけにかかった。

 

「何?これはッッッ!!!」

「アンダー・ワールド、ここはミラノ公国の大公家の隠し宝物庫だ。こいつが侵入者だ、囲んで取り押さえろッッッ!!!」

 

地面の記憶から宝物庫の警護番が何人も現れ、不審者であるミハイルを武器で取り押さえにかかった。

背後から体格のいい何人もの兵士に取り押さえられたミハイルは、体を押さえつけられて地面に倒れ伏した。

そして、ドナテロ・ヴェルサスは静かに語る。

 

「俺は、暗殺チームの出来損ないだ。だが人には、役割がある。出来ることと出来ないことがある。俺は一人で何でも出来るとか、誰でも殺せるだとか、テメエみてぇにクソみたいな幼稚な思い上がりはしていねぇんだよ。………まぁ、昔の俺だったらわからんがね。俺はよぉ〜、情けないことに、兵士にはなれねぇ。」

「何………?」

 

金貨の山にあぐらをかいていたドナテロ・ヴェルサスはゆっくりと立ち上がり、倒れたミハイルの首に体重をかけて足で踏みつけた。

ミシミシとミハイルの首の骨は軋み、地面と挟まれた気管が圧迫されてミハイルは呼吸困難に陥った。

 

「うぐッッッ………!」

「あの人たちはよぉ、イタリアの外敵を追いかけ回して仕留める尖兵なんだ。俺は兵士にはなれねぇから、残念だがあの人たちの部下にはなれなかった。」

 

ドナテロ・ヴェルサスの瞳が漆黒の殺意に黒々と染まり、ミハイルを冷酷に見下ろした。

まるで虫ケラを見るようなその目に、ミハイルはひどく恐怖した。

 

その目は、ミハイルが標的に向ける目。相手が取るに足らない存在だから、その殺害に対して一切の呵責を抱かない。

普段ミハイルはその視線を他人に向けていたが、自分がそれを始めて向けられて心が芯から凍えた。

 

「だが今の俺は、幸せだ。俺はパッショーネに、幸福な人生をもらった。………ならば、受けた恩は返さなきゃあ道理が通らねぇだろう。なら俺はよぉ、兵士になれねぇのならば、人々の安寧を守る堅牢無比な要塞になるしかねぇだろうが!!!テメエみてぇな外敵を弾きッッッ!!!兵士であるあの人たちが辛い任務をこなして帰ってきたときにッッッ!!!暖かく迎え入れ敵からその身を守る、偉大なる(グランデ)・パッショーネの守りの要(Grande Muraglia)になるしかよぉッッッッッッ!!!」

 

スタンドの適性の問題だった。

ヴェルサスのスタンドは直接的な戦闘力に乏しく、相手を追跡して仕留める猟犬の役割はこなせない。

その代わりに敵を誘い込んで有利なフィールドで戦えば、非常に強力なパフォーマンスを発揮する。

ゆえに暗殺チームでは足手まといでしかなかったヴェルサスは、ジョルノ・ジョバァーナに導かれてミラノ防衛チームの若き不動のエースへと成り上がった。

 

ヴェルサスはミハイルの首に容赦無く荷重をかけ、ミハイルの首はミリミリと音を立てて意識は朦朧としていく。

 

「………た………助けっ………。」

「人でなしのミハイル、テメエのことは手に取るようにわかるぜ。人を蹂躙することに喜びを見出すテメエは、さぞかしその通り名が気分良かったんだろうな。つまらない強者の英雄の幻想に浸って、己は人の範疇を超えた存在だと。だがよぉ、お前が人でないのならばッッッ!!お前は殺人者ですらなく、人里に降りて人を喰う熊や虎と同じただの害獣だ。害獣ならそれを排除することは殺人ではなく、駆除だ。殺害することになんの躊躇いもいらねぇだろうが!」

 

未だ怒りと殺意に満ちた目で、ヴェルサスは冷酷にミハイルを見下ろしている。

遠ざかり行く意識の中で、ミハイルは恐怖した。

これは、本当に殺される。

 

金銭関係でもめて殺人を犯しても、異性関係でもめて殺人を犯しても、それはまだ人である。

同じ人間の感情として、それはまだ人として理解が可能な範疇だから。

ゆえに、公正に法の裁きに委ねれば良い。

 

しかし大した理由も無く他人を殺せるようになってしまえば、それはもう人では無い。

ただの人に似た、人を喰らう害獣である。ゆえにそれは殺人ではなく、ただの駆除である。

害獣駆除には、暗殺チームのような駆除専門業者が呼ばれることになる。

 

結局それなりの強者であったミハイルは、自身が殺される可能性が低かったために生に対する感覚が希薄だった。

しかしそれが間近に実感を伴って迫ってきたとき、始めてそれと同じ感覚を彼が殺してきた人間も感じていたということを理解した。

 

「………あ、あぁ………。」

さよならだ(アリーヴェデルチ)、人喰いの獣、ミハイル・レヴァノフ。パッショーネの恩人を付け狙うテメエは、クソだ。テメエのことなぞ、覚えておく価値も無い。」

 

必死になってミハイルの伸ばした腕は虚しく宙をきり………体を押さえ付けられたまま頸椎と気管を圧迫され続けた彼は気絶した。

 

◼️◼️◼️

 

「………俺の、黄金。」

 

ミハイルは、周囲を見渡した。

どこに行ったのか、目も眩む金貨の山。

 

地獄の沙汰も、金次第。ツァラトゥストラはかく語りき。

善悪の彼岸など、黄金の鼻薬で容易くひっくり返る。

 

愚かしい雇い主が、恐怖心に駆られてミハイルを売り飛ばした。

黙っていればバレなかったのに、あれは愚行だったと言えるだろう。何が無辜の被害者への補償金だ、クソったれ!

あれだけの金があれば、ミハイルの今の窮状などどうにでもやりおおせる。ミハイルはそう考えている。

 

間を置いてミハイルは目を覚まし、結局あの男は人を殺す覚悟を持てない弱者なのだとほくそ笑んだ。

ならばあの金貨の山をいただいて、粋がった小僧を今度こそ惨めに殺してやろう。

 

「どこだ、俺の黄金………?」

 

床に落とした消しゴムを探す学生のように、ミハイルは辺りの地面を這いつくばって金貨の山を探し回った。

しかし、黄金はどこにもない。それどころか、辺りからは光源すらなくなってしまっている。

気が付いたら、周囲は真っ暗闇になっていた。

 

「残念、不正解。君は最後の課題さえ間違えた。苦しい時に本当に必要なのは、金では無く人間の力、忍耐力だ。苦しい時ほど、感情よりも理性に重きを置く。直視したくない現実であったとしても、グッと我慢して砂を噛んで次の挽回の機会に備える。その力が、君には足りていない。やはりというか、何というか………君は本当に、マヌケだな。機会を無駄にする、わずかにも学習しない愚かしい人間。君がすることは、一目散に逃げて悔い改めることだけだった。それが君が今命を繋ぐための唯一の方法であり、パッショーネの最後の優しさだった。そうすればせめて、死ぬにしても君は祖国のロシアの地で死ねたのに………。」

 

どこからともなく、憐れみの感情を帯びた初老の男性の声がした。

 

「………ッッッ!!!」

「ああ、無駄だ。もう本当に手遅れだよ。君は勘違いをしているようだが、君の今の窮状はもう金ごときではどうにもならない。どれだけ命乞いをしようとも、人を喰った獣は殺処分。それが道理だ。みんなブチギレてるんだからね。当初の予定通り、そこが君の棺桶だ。勝手に土葬にするが、まあ宗教上の理由とかがあったとしても納得してくれ。天国は日々の幸福の中にのみ存在し、神は人の中にのみ住む。君は、不当に他人の幸福を奪って生きてきた。君は天国を追われた罪人、因果応報、地の底のさらに底である地獄行きだ。そこは、幸福の一切存在しない地獄だよ。」

 

地面が質量を伴ってグラグラと揺れた。

ミキミキという音がして、ミハイルの頭上からパラパラと砂礫と石飛礫が降ってきた。

次第に強くなる揺れに足を取られて、ミハイルは無様にすっ転んだ。

 

「アンダー・ワールド。地面には、コツコツと四十六億年かけて積み重ねた記憶がある。それは猿人を含めてもせいぜい五百万年ぽっちの歴史しかこの惑星で生きていない私たち人類にとって、人智の及ばない領域だ。母なる地面は長い長い間ずっと、平等に生きとし生けるものを優しく抱き続けてきた。ズバリ君に足りていないのは、その同胞に対する優しさ。その積み重ねの重みを噛み締めて、地球の垢を煎じて飲ませてもらいなさい。」

「あぐッッッ!!!」

 

アンダー・ワールド、天国から地獄へ。(All´inferno.)

ドナテロ・ヴェルサスの真価。地面の奥底には、地獄が眠っている。

 

ヴェルサスが望んでいたものは、安寧と幸福に満ちた日常。

ゆえにヴェルサスは、安寧と幸福を妨げる敵に容赦しない。

 

ジョルノ・ジョバァーナはそれを正確に見抜き、防衛チームのリーダーに言いくるめて彼と接してきた。

厳しく育てるのではなく、孤独にイタリアにやってきた異国の異母弟を大切にして自発的な飛躍を促そう。

彼らはヴェルサスを可愛がり、ヴェルサスはイタリアを愛し、やがてドナテロ・ヴェルサスはイタリアの日々を守護する強固な意志を獲得した。

 

スタンドは出来ると思えば、それは出来ることとなる。

イタリアのためになるのならば、地獄の悪魔だって屠ってみせよう。

 

ヴェルサスが長年求め続けてきた幸福とは、童話で言うところの青い鳥。

見えなくとも、本当は彼のすぐそばにある。

 

それをドナテロ・ヴェルサスが敏感に感じ取りさえすれば、心が満たされたドナテロ・ヴェルサスはその幸せの青い翼でどこまでも高く飛躍できる。そして人が日々の幸福を感じ取るためには心に余裕が必要であり、心の余裕とは安心に満ちた日々の積み重ねから生まれる。

ジョルノ・ジョバァーナはそれを熟知していた。

 

今のドナテロ・ヴェルサスは、過去の彼とは一線を画するスタンド使い。

アンダー・ワールド、地面の蓄えた記憶の全ては、ドナテロ・ヴェルサスの力となる。

 

見えない背後から、人間に振るうにはあまりにも巨大過ぎる断罪の鉈が降りてくる。

ミハイルは暗がりにうつ伏せに倒れて、強震で身動きもままならない。

しかしミハイルは、上方から何かとてつもない力が迫っていることだけはわかり、ひどく狼狽した。

 

地層がずれて、倒れたミハイルの背中はそれに巻き込まれていく。

アンダー・ワールド、今からおよそ四十億年ほど前に起こった、イタリアの地殻変動の記憶。

地面には斜めに亀裂が入り、ミハイルの上半身と下半身の間を境目にしてずれていった。

 

「ぁ………ぁぁ………。」

 

地面の重さ、それは何万トン?あるいは、何億トン?

それはそんな安っぽい、人間の単位の範疇に収まらない。

人間に把握できないものが無限、永遠なのだとしたら、それもきっと無限の力なのだろう。

 

あたかも、粉を挽く石臼に巻き込まれた蟻のように。

瞬く間にミハイルの背骨はベキベキと音を立てて、鳴動する巨大なすり鉢にぐちゃりとすり潰された。

ミハイルの上半身と下半身は泣き別れとなって、地殻変動に巻き込まれて消えて行った。

それはまた一つの地面の歴史となり、ミハイルは遠い未来に化石となって発掘されるのだろう。

 

「戦いとは、準備段階で既に勝敗は決している。俺たち防衛チームと情報チームの共同勝利だ。これにて任務完了。」

 

ドナテロ・ヴェルサスは、わずかな時間黙祷を捧げた。

この後は邸宅の応接間に戻り、中断していた食事の続きをする。

この程度の戦いは、偉大なる暗殺チームが普段相手にしている危険な敵と比べれば児戯、子供騙しに等しい。

それでもヴェルサスは尊敬する暗殺チームに、少しは近づけたのかも知れない。

 

なんてことない、大したことのない日常任務だった。

そしてそれを可能としてくれるパッショーネの情報部に、ヴェルサスは感謝した。

 

◼️◼️◼️

 

一方その頃。

ミハイルが襲撃する直前の、ミラノ郊外のマルペンサ空港付近の路上にて。

 

「ま、待てッッ!!俺は怪しい人間ではないッッッ!!!落ち着け、その引き金に指をかけた拳銃を下ろせッッッ!!!応援を呼ぼうとするなッッッ!!!」

 

不審人物がいるとの、周辺住民による通報があった。

警備員の手にする懐中電灯の灯りは暗がりに隠れ潜む、怪しい一人の男を煌々と暴き出す。

 

「年齢はおいくつかな?君の身元を確認できる相手は?どこでお仕事をなさってるのかな?」

「………ミラノの工事現場で働いています。身元引き受け人は………えぇと、シーラ・Eになるんですかね?」

 

暗殺チームの大エースであるサーレーは、空港の警備員に職務質問をされていた。

 

◼️◼️◼️

 

人物紹介

 

名前

ミハイル・レヴァノフ

スタンド

マッド・カース

概要

ボソボソとした、枯れた木のような見た目のスタンド。スタンドが触れたものは、腐蝕して周囲にそれを伝播させる。金属も例外では無いが、安定した金属である金には極めて効果が薄い。軍人崩れのロシアの殺し屋であり、権力者に雇われて汚れ仕事を請け負っていた。

ちなみに老人とミハイルはロシア語を喋っており、ヴェルサスはイタリア語を喋っている。

 

名前

ドナテロ・ヴェルサス

スタンド

アンダー・ワールド

概要

暗殺チームが何かの手違いでアメリカから拾ってきた。元暗殺チームの下っ端で、現ミラノ防衛チームのエース。彼のスタンドは地面の記憶を掘り起こす能力であり、ジョルノと出会った彼は飛躍してその能力の幅が非常に大きくなった。彼の能力の範囲は彼の帰属意識に依存しており、パッショーネに所属してイタリアに骨を埋める意思のある今、彼のスタンドの効果範囲はイタリアのミラノ周辺である。ちなみに、作中に出る初老の男性はヴェルサスに依頼されて言動を録音した。初老の男性は「ワシ、そんなことを言うの?大丈夫?付け狙われたりしない?」と言ったとか。ボロボロになった邸宅は、ロシア側がミハイルにかけた懸賞金で補修された。




良いお年を。


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