愉快犯が暇潰しに幻想入り (苦瓜)
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序章 愉快犯は幻想郷の土を踏む
プロローグ


執筆の要領が掴めたので初投稿。
ガバガバな東方知識と厨二要素。男オリ主に二次設定盛り沢山。
それらがダメな人はブラウザバック推奨。

※少し修正しました。


 どうにも、人生というものには暇が多すぎる。

 勿論、暇がないよりかはある方が幾分マシだが、それにも限度があるだろう。広げた手のひら溢れ続ける暇を潰す手段も気力も、軈ては尽きる。その癖、もて余した分だけ、暇はぶくぶくと肥え太る。最早それは私が仕える神々でさえどうしようもあるまい。

 

 ……まあ、だからこそだ。

 我等はソレを捻り潰すべく、あらゆる存在に目を、耳を、心を傾け。その末路を傍観し、嘲笑うのだがな。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 寒い。

 冬も末とはいえどまだまだ春の暖かさは遠いのか、身にまとった黒のトレンチコートすら突き通す冷気に腕をさする。

 

「まったく」

 

 白い吐息が大気に溶けていくさまを目に、青年は夜間の寒さに対する自身の見積もりの甘さを呪った。

 癖のある黒髪を押さえつけるようにのせた黒いトップハットを深々とかぶることで寒さをごまかしつつ、少しでも熱を逃がさぬようコートの襟をたてる。手を覆う黒の皮手袋はもはや焼け石に水で、手がかじかみ痛いくらいだった。このままでは朝日を拝むまでもなく、人の形をした一体の氷像でも出来てしまいそうだ。

 

「早いところ、人里を見つけなければな」

 

 ザクザクと地面に敷きつめられた落ち葉を踏みしめ、歩を進める。年期を帯びた樹木が立ち並ぶ景色を尻目に、青年はいくらかの距離を進んだところで足をとどめた。

 

「ふむ」

 

 切れ長の、気まぐれな気質をしめす物憂い煌めきをたたえた瞳がゆっくりと細められる。

 

「ここか」

 

 視線を幾分かさ迷わせると青年は狙いをさだめ、何もない中空にむけて、まるでそこに何かがあると思わせるような仕草で──優しげに指を滑らせた。

 

「いいだろう」

 

 次の瞬間、青年が指を滑らせた箇所から『波』が駆け巡る。

 水面をゆらす波紋のように、それは半径五メートルほどを円形に塗り潰し、変化を終えた。

 その有り様を満足げに眺めた青年は、変化が終わるやいなや口元に裂けるような三日月型の笑みを浮かべ、躊躇することなく円へと身を投じた。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「暇ねえ」

 

 雲一つない青空。

 ゆるやかなグラデーションを描く美しい光景にひとつの──例えるならば、まっさらな画用紙へと一滴、墨がおちたような──異物が紛れていた。

 青空の一角が剃刀で裂いたようにパックリ割れ、裂け目から爛々とした目玉たちが覗いている。その、常人からしたら身震いしそうな裂け目に……『スキマ』に、紫を主とする道士服にナイトキャップという奇妙な衣装をまとい、くるくると手持ちぶたさに日傘をまわす金髪の少女が腰掛けていた。

 

「異変は兎も角、害がない騒ぎなら適度に起きていいと思うわ」

「紫様。あまり不謹慎なことを口になさらないでください」

 

 日傘を弄くる少女のすぐ真横から、諌めるように声が響く。

 

「別に不謹慎なことなんて口にしてないわ。 私が望むのはこの場所に害がない程度の騒ぎよ。そのくらいは、望んでもいいじゃない」

 

 『紫様』と呼ばれ、少女が視線を動かす。するといつの間にやら、少女の真横に、また別の少女が立っていた。藍を主とする道士服をまとった、これまた現実離れした美しさをたたえる金髪の少女だ。

 現れた少女は、目の前で不貞腐れるように日傘をまわす少女を眺めて目を細め、頭に存在する一対の『耳』、そしてまばゆい金色にきらめく九本の『尾』をゆらめかせる。

 

「そもそもとしても、冬眠から目覚めたばかりの紫様には、潰せる暇などないはずでは……」

「あら、言うじゃない」

 

 九尾の少女の言葉に、少女は日傘を畳むとどこからか持ち出した扇子を口に当て、クスクスと笑みをもらす。

 

「まあ、そういう意味では暇じゃあないわね」

「では、何か別の意味があると?」

 

 無造作に開いた扇子をパチンと音をたてて閉じながら、少女は微笑む。

 

「そうねえ……言うなれば、代わり映えのない日常に刺激が欲しい、といったところかしら」

「刺激、ですか」

 

 そんな言葉に、九尾の少女は首を捻る。

 ここの住人は、一部をおいて非常識な者ばかり。刺激など、頼んでいなくとも勝手に訪れるのが常だからだ。

 

「いいわよ。深く考えるほどのことでもないから」

「そういうものですか」

「ええ。でもやっぱり、平和が過ぎるのも考えものね。平和な時ほど、仕事は増えるものだし」

「……やはり、仕事が面倒なだけでは?」

「そうねえ……そうかも?」

 

 クスクスと少女が笑う。

 

「それもこれも全部『アイツ』の仕業なのかも。」

「『アイツ』ですか」

「そう。『アイツ』」

 

 そんな少女の言葉に、九尾の少女は眉をひそめた。

 

「『アイツ』とは、いったいどなたの?」

「それはあれよ……あれ。ええっと」

 

 少女は頬に手を添えて考える。

 

「どうだったかしら。『アイツ』に決まった形なんてなかったから」

「形?」

「理解できているといえば……そう。性格が悪くて、いっつも人を食ったような笑みを浮かべてたり」

「記憶にありません。いや、でもどこかで……」

「気まぐれに事を起こして、周囲ごとロクでもない目に遭わせて──」

 

 そこまで口にしたところで、少女は目を見開いた。

 

「藍」

「はい。どうかしましたか」

「私はいま、なんて言ったかしら」

「紫様が、ですか」

 

 藍と呼ばた少女は、少女の言葉に考えるまでもなく答えを返す。

 

「『周囲ごとロクでもない目に遭わせて』ですね」

「その前は?」

「『性格が悪くて、いっつも人を食ったような笑みを浮かべてたり』『アイツに決まった形なんてなかったから』だったと」

「…………」

 

 瞬間、少女の顔に影がさす。

 

「無意識に口にしていた……いままで殆ど忘れてたのに」

「紫様?」

 

 九尾の少女は、目の前の少女がまとう雰囲気の変化に気づき、原因を尋ねる。しかし、少女は思考に没頭しているのか一切の反応を見せない。

 

「どうしていまになって……『アイツ』には結界なんてあってないようなものだし……しかし、目的は……」

 

 少女の様子に九尾の少女が首を傾ぐ、その時だった。

 

「いえ。こうして疑っていることが、一番決定的ね」

 

 パチンという音と共に、少女が腰掛けていた『スキマ』が広がっていく。そして……

 

「紫様!?」

「藍。すこし急用ができたわ」

 

 少女が身を投じるとスキマはピタリと閉じきり、少女は跡形もなく姿を消す。

 残された九尾の少女は訳もわからぬまま、呆然と立ち尽くすのだった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「良くも悪くも単純だな、この博麗大結界とかいうものは。全てを受け入れるのはいいが、押し入りも歓迎するのはどうかと思うぞ?」

 

 背後で薄らいでいる波紋を眺めつつ、青年は呆れたように、いましがた自身が通り抜けた『常識』と『非常識』を隔てる存在へ呟いた。

 

「世の理を操作することなど、『我等』にとって片手間にできるというのに」

 

 ……まあ、その様な些事はどうでもいいことか。

 青年はソレへの意識を断ち切り、にんまりとした笑みを浮かべながら、上機嫌に歩を進める。

 

「自然が多いなここは。静養にはもってこいだ」

 

 青年はぐるりと体を回転させ、手当たり次第に辺りを見まわす。

 周囲は『結界』を越える前と同じ、樹木が立ち並ぶ森林だ。頭上には夜空があるが、生憎と月も星も雲にかくれているのか、そこにはペンキでもぶちまけたような黒しか存在しない。

 だが、そこまで把握したところで、どういうことか月明かりがないにも関わらず、青年の周囲が闇に塗り潰されず、地形を把握できるくらいには明るいことに気づいた。何故かと青年は首を傾げるも、よくよく目を凝らすと、空気中に霞のようなものがかかっている。どうやら周囲の植物から漏れ出ているらしきそれは、ごく僅かだが淡い光をまとっているようだった。

 

「これは……霊力か?」

 

 それの正体を理解した瞬間、思わず青年は笑った。

 何故ならその光景とは、人工灯が普及し、自然が削がれてしまった外界では失われた、遥か悠久の光景だったからだ。その姿はまるで、合理に埋もれることを拒み、大多数に忘れ去られてなお存在しようとし続ける幻想たちの反抗の意志を見ているようだった。

 

「滅びに甘んじることのない、無様な世界だ」

 

 軽快な足取りで青年は進む。

 

「まあ……だからこそ」

 

 曇天の切れ間から月が姿を現す。

 柔らかな月光を浴びる青年は狂ったように哄笑し、月に吠ゆる。

 

「その行く末に、滅びを願ったのだがな」

 

 

 

 

 

「私が帰ってきたぞ。愛しき楽園──幻想郷よ」

 

 

 

 

 

 




試行段階なので感想批判指摘募集中。


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一話 博麗の巫女と黒の旅人

 ジリジリと照りつける日差しが鬱陶しい。

 相も変わらず、馬鹿みたいに燃焼している太陽を恨みがましく睨みつけるは、ひとりの少女。

 大きなリボンで結ばれた、艶やかな黒髪。上半身に袖のない紅い服を、下半身に紅いスカートをまとい、肩と脇を大きく露出させたまま、腕を白い袖に通しているという不思議な出で立ち。

 その特徴的な姿をした少女こそが、今代の博麗の巫女を務める 博麗(はくれい) 霊夢(れいむ) その人だった。

 

「あいっかわらず、誰も来ないわね……」

 

 いつものようにひとりで境内の清掃を行っていた霊夢は、閑古鳥が鳴いている博麗神社の様子を眺めて呟く。

 

 幻想郷の調停者であり、異変の解決や妖怪退治を生業とする博麗の巫女。

 そして、博麗の巫女と共に幻想郷の歴史が刻まれている博麗神社。

 

 幻想郷の住人であれば、大なり小なり、博麗神社のことは知っているはず。

 当然、参拝客だって掃いて捨てるくらいいてもいいはずだが、どういうわけか実際にこの場所を訪れる『人間』は片手で数えられるほど少ない。妖怪退治もあって困窮している訳ではないが、お賽銭はいくらあっても困らないので、参拝客がいないいまの状況は霊夢にとって面白いものではなかった。

 

「それもこれも全部、妖怪(あいつら)のせいよ」

 

 呼んでもないのにどこからともなく集まって、馬鹿騒ぎをして帰っていく。もちろん、お賽銭を入れずに。

 なんとも傍迷惑な存在を思いだして小さく息を吐き、霊夢は境内の清掃作業を再開する。

 

「はぁ……」

 

 今日も平和な一日となるように、心の中で祈りつつ。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「こんなもんか」

 

 清掃作業を終えた霊夢は、凝り固まった背をほぐしながら境内をぐるりと見回して、満足げに顔を綻ばせた。

 

「思ったより遅くなったわね……はやく朝御飯食べよ」

 

 見上げれば、掃除を始めた時はチラリとしか姿を見せていなかった太陽も、高々と昇りきっている。

 霊夢は手に持っていた箒を適当な場所に放り投げ、腹の虫を鎮めるべく空きっ腹を抱えながら神社の方向へと歩を進めようとした……その時だった。

 

 

「おーい、そこお嬢さん。ちょいと待ってくれないか」

 

 いざ足を踏み出そうとしたタイミングで、何者かの声が霊夢を引き留めた。

 

「…………」

 

 耳に通る、透き通ったテノール。

 聞き覚えがない、男性のものと思われるその声を聞いた瞬間、霊夢は思う。

 年中無休で参拝客がおらず、妖怪共が集まるせいで人里の人間からは『妖怪神社』などという不名誉なあだ名で呼ばれるこの博麗神社。

 巫女をしている立場として認めるのは癪だが、そんな場所にわざわざ足を運ぼうと思う人間がどれだけいるだろうか。

 ならば声の主は妖怪かといえばそうでもないらしく、背後の『存在』からは微塵も妖力を感じない。感じると言えば、人間特有の霊力のみだ。

 さらに、自慢ではないが他人のそれよりも鋭いと思っている自身の勘が絶えず警鐘をならしているのも、霊夢が抱いている懸念に拍車をかけている。

 

 もはや、どう考えたところで面倒ごとの予感しかしなかった。

 

 (…………)

 

 すがる思いで、自分以外に『お嬢さん』へ該当する者がいないか辺りを見回してみるが、案の定、境内には霊夢以外の気配は存在しない。

 とどのつまり、その言葉が指す『お嬢さん』というのは、霊夢であって。

 

「あぁ」

 

 少女の胸中を諦念で満たすには、十分な切っ掛けであった。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 突き刺すような寒さが消え去った頃。気がつけば夜が明けていた。

 何時間、森の中を歩き続けたのだろうか。いい加減、途切れることのない自然にも飽きてきていた。

 

「まったく……もう少し事前調査をしておくべきだったか」

 

 どうにも、此処を目指そうと決めたときから、段取りに甘さが見える。年甲斐もなく浮かれているせいだろうか。

 日中の暖気によって額から流れ落ちる汗を手の甲で拭いつつ、青年は腰まである茂みを掻き分けて行く。

 

「…………ん?」

 

 顔にかかる木の枝と悪戦苦闘していると、不意に前方に光が差す。

 密集した枝を押さえつけて顔を上げる。すると、約十メートルほど先に開けた場所が見えることに気づいた。

 

 もしかしたら……。

 

 青年はその胸中に微かな希望を抱いて、足に絡み付く蔦を力任せに引き千切りながら、茂みを抜ける。

 そして――

 

「おお……」

 

 ――一段と背の高い草を潜り抜ければ、そこには、少々荒れてはいるものの歩けないほどではない細道があった。

 青年は、森を抜けたという事実に一匙の感動を感じつつ、何処かに繋がっているであろうその道を軽やかな足取りで進む。その姿は、長い時間森を歩いていたにも関わらず、少しの疲労も感じさせない。

 

 さて、一体この道の先には、何が待っているのだろうか。

 青年は小さく口元を吊り上げながら、細道の上を軽快に歩を進めていった。

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

「…………」

 

 一体、どういうことだろうか。

 青年は浮かび上がる疑念に首を傾げつつ、自身の目の前に立つ少女にチラリと視線を向ける。

 その少女は、随分と変わった服装をしていた。

 黒い艶やかな髪。後頭部に付けられた大きなリボン。体を白い襟のついた紅い袖のない布服で、下半身を紅いスカートらしきもので覆い、肩と脇を大きく露出させたまま、腕を白く長い袖にとおしている。

 何処と無く、外界で見かけた巫女装束に類似した部分も見えるが、それにしては、少々露出が多すぎるように感じる服装だ。

 まあしかし、そこはいいのだ。外界でも、最近ではサブカルチャーが広く浸透した影響で過激な服装を見かけることも少なくなくなった。お陰で、ある程度の耐性は出来ている。

 問題は、それをまとっている少女が、青年に向けている顔だ。

 まるで百年来の仇敵を目にしているがのように、その端整な顔を大きく歪ませている。

 

 おかしい。

 自分はただ、道を辿った先に階段がありそれを登ると見知らぬ神社があった。

 そして、鳥居の向こうに伸びる石畳で舗装された道の上に目の前にいる少女の姿が見えて、幻想郷のことついて話を聞くべく声をかけた。それだけだ。

 それなのに、何故こんなとんでもなく厄介なものに出会ったかのような反応をとられているのか。

 

「………ま、いいか」

 

 別に、私がなにか『ボロ』を出した訳ではないだろうし。これはこれで面白そうだ。

 青年は心のなかで呑気に結論付けると、少女に警戒されないよう、出来るだけ優しげな笑みを浮かべて口を開く。

 

「少し聞きたいことがあるのだが、いいかな」

「はぁ……」

 

 随分と気の抜けた返事が返ってきた。今の幻想郷には変わった礼儀作法でも出回っているのだろうか。流石にないとは思うが。

 少女の態度に思考をグルグルと回ししつつも、青年は表情を変えることなく言葉を紡ぐ。

 

「どうも私には、ここら一帯の地理がわからなくてね。人里までの道を尋ねたいのだが」

「ん?」

 

 青年の言葉に少女は眉をひそめると、ジロジロと無遠慮な視線を向けてくる。一体何なのだろうか。

 すると、なにかに気づいたのだろう、少女がポンと相槌を打って口を開いた。

 

「……あぁ、もしかしてあなた外来人?」

「外来人?」

 

 青年は、意味が理解できないといった風体で少女の言葉を繰り返した。

 その様子を見た少女は「やっぱりか」と小さく息を吐く。

 

「……なんか心配して損したわ。妙ちきりんな格好してるから厄介ごとかと思ったけど、外来人なら別におかしくないわね」

「妙ちきりんって……随分な言いぐさだな」

 

 青年は少女の辛辣な言葉に苦笑をしつつ、その顔が先より柔らかくなったことを確認する。

 

 ――どうやら、私が原因であのような態度をとっていたわけではないようだな。

 

 元々大して気負ってはいなかったし、面白そうだとすら思っていた節もあるが、居心地が悪かったのも確かなので改善されたのであればそれでもよかった。

 漂っていた重たい空気が薄れていくのを感じた青年は、打って変わっておどけた仕草を見せながら会話の再開を試みる。

 

「私には何だか分からないが、懸念が払拭されたようで何よりだ」

「そうね」

「先の君の顔は、まるで親の仇でも見たような雰囲気だったからな」

「あー……はいはい」

 

 ……少女のとの会話に、まるで暖簾に向かって拳を繰り出しているかのような感覚を覚えるが気にしないように努めると、青年は前置きもホドホドに話を本題へと戻した。

 

「まあ、それはともかくとして、先ほど言ったように人里までの道のりを尋ねたいんだ」

「人里までの道……ねぇ」

 

 少女はちらりとこちらに目線を向ける。

 

「その前に、あなたここがどこだか分かってるの?」

「ここが……とは?」

「あんたが今いる場所のことよ」

「ふむ……」

 

 少女の問いに、青年は考えるまでもないと言った様子で肩をすくめて見せた。

 

「……生憎、私はしがない旅人でな。気の赴くままあちこちを渡り歩いているから、自分の行き先と言うものをあまり把握していないのだ」

「へぇ、そうなの」

 

 青年の説明に対する少女の反応は、指先で髪を弄んだまま返事を返すという淡白なものだった。

 それを見た青年は、初対面の相手に対してこの少女は随分と素直な態度だな……と呆れと感心が混ざったような感想を抱く。

 そんな青年の内心を知ってか知らずか、少女は視線を明後日の方向に向けながら、くるくると指にまとわりつかせていた髪をほどく。

 

「……ま、理由なんて何でもいいか」

 

 少女の漏らした呟きに、何となく含みを感じた青年は心のなかで疑問符を浮かべるも顔には出さず、続く少女の言葉を待つ。

 

「いいわ、この場所について話せばいいんでしょ?」

「そうしてもらえると助かるな」

 

 青年の言葉に少女は頷きを返すと、伸びを一つ。

 

「決まりね。立ち話もなんだし、今回は特別にうちに入れて上げるから、話しならそこでしましょう」

 

 言うや否や、少女はこちらの返事を聞かぬまま「着いてきて」と素っ気なく告げて、スタスタと神社の本殿を回り込んで裏手へと歩いて行ってしまった。

 青年は少女が消えていった方角を眺めて息を吐くと、置いていかれないよう少女の後を追い始める。

 

 が、しかし。ほんの少しの距離を歩いたところで、唐突に少女が足を止めた。

 

「……そういえばお互い、自己紹介がまだだったわね」

「あぁ……」

 

 脈絡なく放たれた言葉に青年も、そういえばこの少女の名を聞いていなかったな……と呑気に考える。

 少女は青年に向かい合うように軽やかな足さばきで半回転すると、凛と透き通った声で名乗った。

 

「私の名前は博麗 霊夢よ。博麗って呼ばれるのはむず痒いから、霊夢でいいわ」

「……博麗 霊夢」

 

 『博麗 霊夢』――『博麗』――。

 聞き覚えのあるその響きを、青年は口内で何度も反芻する。

 

 ――よもや幻想郷で、その名を一番最初に聞くことになろうとはな。つくづく、因果と言うものは廻るものだ。

 

 予想していなかった出来事を前にして、心の内で青年はくつくつと声を漏らし、目の前の少女の名前を忘れぬように脳裏に刻み込む。

 

「そうだな、それでは、私も名乗るとしようか」

 

 青年は少女……霊夢へ向けて、ゆっくりと、裂けるような三日月形の笑みを浮かべた。

 

「――私の名は夜胤(やたね)。これからよろしく頼むよ、霊夢」

 

 



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二話 鬼巫女と羊羮

「……随分と簡素な家だな」

 

 博麗神社の本殿に連結するようにして設けられている、博麗の巫女の生活拠点である母屋。

 その一室に招かれた夜胤は、卓袱台に最低限の収納家具だけが置かれている寂寥とした部屋の風景を横目に、家主の少女へ声をかけた。

 

「うっさいわね。機能美を追求した結果がこれなのよ」

 

 当の家主である霊夢は、夜胤の言葉に部屋の中央に置かれた卓袱台に肘を着いたまま不機嫌そうに唇を歪ませる。

 

「いや、それにしては随分とものが少ない気が……」

「それ以上言ったら蹴り出すから」

 

 トーンの低い声で、夜胤へ鋭い視線を向ける霊夢。

 こちらを睨み付ける少女の気迫に、これ以上言えば本当に蹴り出されかねないと判断した夜胤は、わざとらしく肩を竦めてから話題を切り替えることにした。

 

「一先ずだが、顔も知らない他人である私の頼みを聞いてくれて感謝する。何分あてのない旅を続ける身でね……頼れる者がいなくてな。助かったよ」

「別にいいわ、お礼なんて言わなくて」

 

 頭を下げる夜胤を鬱陶しそうに片手であしらいながら、霊夢は「これも仕事の内だし」と小さくごちる。

 何処か諦めたような雰囲気を感じさせる霊夢の呟き。その内容に、夜胤ははてと首を傾げる。

 

「仕事の内?」

「そ、博麗の巫女のね」

 

 まあ、そのことも含めてこれから説明するわよ……そう口にしてから、霊夢はおもむろに立ち上がった。

 

「話が長くなりそうだから、お茶淹れてくる。出涸らしだけど夜胤さんも飲むでしょ?」

 

 そんな霊夢の問いに、夜胤は自然、断りをいれようする。しかし、それを意識した途端に自分自身の喉に強烈な乾きを感じることに気づいた。

 考えてみれば、昨日の夜中から飲まず食わずで森のなかをさ迷っていたのだから、当然だろう。むしろ、どうして今まで気づかなかったのかが不思議でならないほどだ。やはり、それだけことを楽しみにしていたというのだろうか。

 まったく……私は子供か何かか。今までの自分自身の行動を振りかえってを肩を落とすが、その行動に意味はなく、ただただやけつくような喉の乾きばかりが強くなる。

 

「……お茶、頼むよ」

 

 結局、人としての生理的欲求に抗えなかった夜胤は、礼儀としての断りすら入れることもできないまま、霊夢の問いに力強く頷いた。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「――以上が幻想郷についての説明ね」

「……いやはや、どうも私は随分とスゴい場所に迷い混んでしまったようだ」

 

 ズズ……と手元に置かれた味の薄いお茶を啜り、手に持った湯飲みをちゃぶ台に戻すという一連の動作の後。夜胤は霊夢が長々と話した内容に深く息を吐いて思案する。

 

 ――曰く幻想郷とは、外界で失われた『幻想』達が流れ着く最後の楽園である。

 

 霊夢が言うには、その正体は『幻』と『実体』の境界と『常識』と『非常識』を隔てる博麗大結界によって現世と隔離された、現世では幻とされている存在達――妖怪や神々、UMA等々――が住まう世界らしい。

 何でも、人が勢力を増し、科学が発展した今日では妖怪や神々などといった曖昧な存在は『迷信』として排斥されてしまい、人間の畏れや信仰などといった精神的な部分を糧に生きていた者達は外界でその存在を保つことが難しくなった。

 なので、元々は妖怪が多く住み着いているだけだった辺境の土地に結界を張ることで、現世と隔絶した世界を作り上げ、その中に一定数の人間を確保することで妖怪や神々に必要な力を作り出し、存在を保てるようにする。その上で、各勢力を一定のバランスまで抑えることにより、幻想となった者達が生きることのできる仕組みを成立させたのだという。

 それ故に、現世と隔離された幻想郷に外部から干渉することは出来ず、また、内部から外界に干渉することも出来ない。

 

 だが、稀に何らかの理由――例えば、博麗大結界が綻んでいる場所から迷い込んだり、『妖怪賢者』の異名を持つ人物が面白半分で『神隠し』なる行為によって拐ってきたり――によって、現世の人間が幻想郷に入り込んでくる……所謂『幻想入り』が起こるのだとか。そういう事情で幻想郷に入り込んだ人間を『外来人』と呼び、夜胤が霊夢に外来人と呼ばれたのも、これが理由だったそうだ。

 迷い込んだ外来人がたどる道は幾つかあって、一つは知能が低く『スペルカードルール』なるものを理解することができない木っ端妖怪の腹に収まる道。哀れにも幻想入りした外来人の多くはこの道をたどるらしい。

 二つ目は、博麗大結界を管理する博麗の巫女の手によって現世へと帰る道。運良く妖怪の牙から逃れた外来人の殆どが、この選択をするという。

 そして最後が、この幻想郷に残り新たな住人として生活を送る道である。

 通常、幻想郷の環境は外来人にはとっては苛酷の一言で、人里ではルールによって妖怪が人間を襲うことが禁じられているが、一歩里の外に出れば常に命の危機にさらされる。さらに付け加えれば、幻想郷の文明は現世よりも遥かに水準が低く不便で、人里でも電気が通っているのは極々一部。電化製品などは動かすこともできない。故に、外来人は多少差はあれども、何れは現世へと帰っていく。

 だが、たまに現世よりも幻想郷で生きることを強く望む外来人もいて、そういう場合は、人里にて諸々の手続きの後に幻想郷で新たな人生を送ることになるようだ。

 

 ――なるほど。

 

「つまり、私には三つの選択肢があると言うわけだな」

「あなたが進んで妖怪に食べられに行く変人でないなら、実質二つだけどね」

 

 身も蓋もない霊夢の訂正を聞き流しつつ、夜胤は並べられた選択肢を吟味しているかのように、悩ましげに俯きながら顎をさする。

 

「まあ、順当に考えれば二番目の『現世に帰る』を選ぶのがいいだろうな」

 

 神秘的ではあるが一歩でも間違えば命を失いかねない環境と、代わり映えがなくとも安全で快適な環境。個人の価値観に差はあれど、どちらかを選べと言われるなら、ほぼ間違いなく後者を選ぶだろう。前者を選ぶのは、真に迫る危険を経験したことがない平和ボケしきった者か、自身の命を省みない気狂いのどちらかくらいだ。

 

「帰るなら、すぐにでも送ってあげるわよ? 多分気づいてるとは思うけど、私が今代の博麗の巫女。で、この博麗神社が幻想郷で唯一外界との接点を持つ場所なの。だから、やろうと思えば今からでもあなたを現世に送り返せるわ」

 

 そんな夜胤の言葉に付け加えるように口を挟む霊夢。しかし、それを口にする霊夢本人は、如何にも釈然としなさそうな仏頂面で夜胤を見据えていたが。

 

「……でも、当の本人は一切帰る気は無さそうだけどね」

「…………」

 

 卓袱台を挟んで夜胤を見つめる霊夢の目は、まるであらゆるの秘め事を暴きたてるような、強かなきらめきを湛えている。

 その瞳に射抜かれた夜胤は、観念したとばかりに大仰な仕草で天井を仰いだ。

 

「……わかるか?」

「あんなあからさまに『悩んでます』って仕草をされたら、誰だって気づくわよ。あんまりにもわざとらしいから、てっきり道化(ピエロ)かなんかだと思ったわ」

 

 ――そこまで、私の反応は分かりやすかったのか。

 確かにわざとらしい振る舞いはしたが、そこまではっきり言い切られると、自分に大根役者の毛でもあるのではと疑ってしまいそうだ……などとどうでもいいことを頭の片隅で考えつつ、夜胤は霊夢に向けて弁解するために口を開く。

 

「いや、なに。別に霊夢をからかおうと思っている訳ではないのだがね。まあ、ただ単に説明して貰った上で、即座にそれを否定するのもどうかと思って形だけな」

「はいはい。別にいいわ、そんなこと。一々細かいこと気にしていたら、博麗の巫女なんてやってられないもの」

「そうなのか」

 

 この竹を割ったような性格の少女に、ここまで言わせるほどの博麗の巫女の役目とはいったい……。

 まだ見ぬ博麗の巫女の仕事内容に戦慄を覚えるもなんとか振り払い、夜胤は霊夢へと視線を戻した。

 

「なんというかね、先もいったとは思うが私はあてのない旅人だ。だからこそ、こういった未知なる秘境というものには、心惹かれるものがあるのだ。それこそ――」

「……命を危険にさらしてでも?」

「――そういうことだ」

「……そんなヘラヘラしながら言われても、説得力に欠けるわ」

 

 夜胤の言葉に、霊夢は呆れを込めた息を吐く。

 

「言っとくけど、本当に危険よ? ただの人間は妖怪に絶対勝てないし、外来人なら尚更。今は『弾幕ごっこ』っていうお遊びが普及してるおかげで本気の殺し合いは殆どないけど、人間にとってはそれすらも危険。それに、弾幕ごっこが理解できない妖怪からしたら、あんたは紛れもなくただのエサ。命乞いなんてする間もなく、ぱっくりいかれるでしょうね」

「承知はしているよ」

「どうだか。私には、相変わらず力が抜けきった男の姿しか見えないけど」

 

 まるで緊張している様子を見せない夜胤の姿に、霊夢は皮肉めいた指摘を浴びせた。だが、肝心な当の本人は微笑むばかりで、風にそよぐ稲穂のごとくその物腰を歪めないままだった。

 それを見た霊夢は、今度こそ心のそこからため息を吐いた。

 

「もういいわ。一応忠告はしたし、ある程度の事情は話したから、あとは夜胤さんが決めることだもの。私は何も聞かないし、言わないわ」

「どうもありがとう」

「た・だ・し」

 

 次の瞬間。先程の何処か気怠げな様子とは打って変わった勢いで、霊夢は力強く卓袱台に両手を叩きつけ、捲し立てるように言い切った。

 

「絶対に、面倒だけは起こさないで。起こすとしても、私の関わらない範囲でやって。でないと、問答無用であんたを退治するから!!」

「え゛」

 

 仮にも神に遣える巫女とは思えない発言に、夜胤は口元を引き吊らせる。

 しかし霊夢はそんなことなど知らぬ存じぬ。ぐいとその少女然とした顔を夜胤に肉薄させると、背後に悪鬼羅刹でも従えているような圧力を放ちながら、夜胤に答えを求め(強請)る。

 

「わかったわね!?」

「アッハイ」

 

 断れば、問答無用で暴力に訴えると言外に語る霊夢の姿に反射的に答えを返す夜胤は、目の前の少女に言論弾圧を図る人類史上の暴君の姿を重ねながら、幻想郷に滞在する間は少なくともこの巫女の琴線に触れるような行為は自粛しようと心に誓うのだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「境内を出てからひたすら道を辿っていけば人里に出るわ。昼間だしここら辺は妖怪が少ないから大丈夫だとは思うけど、魔除けのお札を渡しておくから。寄り道はしないようにしなさい」

「……お手数を御掛けします」

 

 霊夢が差し出したお札を受けとりながら、夜胤は頭を下げる。

 

「何だか、世話になってばかりだな」

「これも私の役目の一つだし、気にすることないと思うけど」

「そうかもしれないがね。すぐには、無理だが近いうちにお礼も兼ねて参拝に来よう」

「そ。まあ、ホドホドに期待しておくわ。巫女が参拝を断る理由もないしね」

 

 言うや否や、霊夢は一歩引いて夜胤を追い払うように手をヒラヒラと軽く動かした。

 

「頑張りなさいな。私は応援しないけど」

「それは残念でならないよ」

 

 厄介払いするような霊夢の仕草に夜胤は肩を竦めて、身を翻す。青年が纏うコートの裾が揺れ、まるで暗幕のように互いの影を覆い隠した。

 

「――では、行くとするかね。また会えることを祈っているよ」

「――どっちでもいいわ。お賽銭を入れてくれるっていうなら、大歓迎だけどね」

 

 その言葉を最後に、落ちた暗幕は引かれていく。そして、霊夢が見つめる先で夜胤を模すその黒い影は、徐々に小さくなっていった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「――結局、何だったのかしらね」

 

 青年の影が小さくなっていく様を眺めつつ、霊夢は思案する。

 

「別に、おかしな所はなかった。霊力も人並みで、格好だって特別気になるとこはない。変なのは精々、旅をしてるわりには身軽そうなのとあの鼻につくような態度ぐらいかしら」

 

 先程のまで相対していた青年――夜胤の様子を脳裏に浮かべながら、霊夢は彼の立ち振舞いを見て、そう結論付ける。

 

「でも、それにしては――」

 

 ――何だか、随分と気持ちが悪い。

 

 謂われなく夜胤を忌避するような言葉を霊夢はすんでのところで飲み込みつつも、自身が感じている言い表せない感覚に意識を向ける。

 まるで、頭のなかに直接手を突っ込まれて、乱雑にかき回されているような気持ちの悪さ。絶えず体におぞ気が走り、出来ることなら今すぐにでも掻き毟りたくなるほどのおぞましい感覚。

 多くの異変を解決してきたことで培われた勘が、迷いなく告げていた。

 

 今すぐにでも、あの存在を潰せ――と。 

 

「はぁ……」

 

 霊夢自身、この勘に何度も頼り助けられてきた。故に、その感覚がアレを潰せと言うのだから、きっとなにかがあるのだろう。

 しかし、現状なにかが起きているわけでもなければ、霊夢自身に影響が及んでいないこの状況下で、ただの外来人を名乗る青年に襲いかかる理由もなかった。例え危険な存在だったとしても、下手に手を出そうとも思えない。

 

「暫くは様子見ね」

 

 博麗の巫女とは、絶対中立を保つ幻想郷のバランサー。その役目を背負う自分が、個人的な理由で博麗の巫女としての力をふるうわけもいかないし、進んで面倒ごとに関わりたくもない。

 仮に何かが起こったとしても、その時は何時ものように『弾幕ごっこ』で退治すればいいだけの話だ。

 

「ん?」

 

 そこまで考えたところで、ふと霊夢が顔をあげる。

 

「え、なによアレ」

 

 その視線の先には、慣性の法則にしたがい大きな半円を描いて落ちてくる小さな長方形の影。

 霊夢は慌てて両手を差し出すと、くるくると回転しながら落ちてくるその影を受け止めた。

 

「……よ、羊羮?」

 

 霊夢の手に収まった、見慣れない包装紙――多分、外界のものと思われる――に包まれた、長方形の小箱。そして、達筆な字で書かれた『羊羮』という文字。

 何となく察しのついた霊夢が視線を動かすと、境内から伸びる階段を降りきったその場所で、手を振っている青年の影が見えた。

 

「まったく、一体どこに持ってたのかしら」

 

 見たところ手荷物の類いなど見えなかった青年の姿を思い浮かべながら、霊夢はその口許を小さく綻ばせる。

 

「ま、今のところは悪いやつではなさそうだけどね」

 

 しばしの間手を振ると、影は再び、軽快な足取りで続く道を進み始める。

 霊夢はその後ろ姿を、羊羮のお礼に、せめて見えなくなるまでは見送ってやろうと考えて眺め続けた。

 

「――――!?」

「あ」

 

 順調に歩を進めていた影が、奇声を上げて見馴れた『スキマ』に吸い込まれるその時まで。

 

「…………」

 

 階段を降りた先の、人里に続く道の地面。そこに広がる、剃刀で引き裂いたかのようにパックリ割れ、両端にリボンの結ばれている裂け目。

 その先には、ギョロりとした幾数もの眼球が蠢き、数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの物が漂っている異空間が存在することを霊夢は知っていた。

 何故なら、その異空間へと繋がる裂け目――『スキマ』を作り出す『境界を操る程度の能力』をもつ妖怪こそが、この幻想郷を管理者であり、自分に博麗の巫女の役目を課した大妖怪『八雲 紫』なのだから。

 

「…………はぁ」

 

 まるで喜劇でも見ているかのような大袈裟な反応でスキマに落ちていった青年。その姿になにもかも馬鹿馬鹿しくなり、霊夢は直前までの逼迫した思考を彼方へと追いやってしまう。

 

「そう言えば、もうお昼ね」

 

 青年の応対をしていたおかげで、清掃が終わった頃にはまだ傾いていた太陽も、すっかり中天に上りきっていた。

 雲一つない青空を仰ぎながら、霊夢は呑気に欠伸を一つ。

 

「お昼御飯たーべよ」

 

 手に入ったばかり羊羮の味を脳裏にシミュレートしながら、暴れまわる腹の虫を沈めるべく、少女は踵を返して神社へと歩いていくのだった。




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三話 スキマ妖怪と黒の旅人

 深いグラデーションで描かれた紺碧で満ちる、澄みわたった空。

 そして、それを切り裂くようにして響き渡る、絶叫。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

 青年は落ちていた。

 虚飾のしようがないくらいに、限りなく純粋な意味で落ちていた。

 

 一体、どうしてこうなったのだろうか。

 

 青年は現実逃避の意味もかねて、現在の状況に陥るまでの経緯を思い出す。

 

 幻想入りを果たしてから約半日程度森のなかをさ迷って。

 やっとこさ人を見つけたと思ったら、相手の少女にはまるで百年来の仇敵でも見るかのような目で睨まれて。

 何とか誤解を解いて人里までの道を聞き出し、自分ですら買ったことを忘れていた高級羊羮を少女に渡したと思えば、今度は地面に広がっていた裂け目に落ちて。

 気がついたら空を落下していた。

 

 ――あれ、私なにか悪いことしたっけ。

 

「心当たりがありすぎて困るな」

 

 真剣に自身の記憶を漁っては、数えるのもバカらしくなるほどの心当たりを堀当ててしまい、夜胤はそっと肩を落とす。

 

「あぁ……しばらくは貧弱な人間のままでいたかったのだが、仕方がないだろう」

 

 このまま地面まで一直線に落ちて、幻想郷の地へ無意味に赤い花を咲かせるのも忍びない。

 夜胤はバタバタと五月縄さくはためくコートの裾を押さえると、押し込めるようにして抑えていた力を小さく解放する。

 

「よっと」

 

 瞬間。空気を切るように猛烈な速度で落下していた体がフワリと浮き上がり、その場で静止した。

 

「まったく……一体どこの誰だろうな。私をこんな目に遭わせたのは」

「あら、とっくの昔に気づいていたのではなくて?」

 

 不満げに唇を尖らせて呟く夜胤の言葉に答えるは、艶やかな色を帯びる少女然とした声。

 背後から放たれたその声に夜胤が振り返ると、そこには――

 

「ご機嫌よう。夜胤」

 

 ――胡散臭げな雰囲気をまとった少女の姿が存在した。

 大きなリボンのついたナイトキャップに、紫を基調とした道士服。全体的に大人びたパーツで構成された少女の顔は美術品のように整っていて、幾つかの房に結ばれている目映い金髪と相まって、神秘的な美しさを醸し出している。

 しかし、そんな美しさも口元に当てられた扇と、手持ちぶたさにくるくると回転する日傘。そして、少女が腰かけている、両端がリボンで結ばれた裂け目――内側からギョロりと薄気味悪い眼球が覗いている――によって、酷く胡散臭げなものに変わっていた。

 

 余りにも強すぎる個性が集合した少女。その姿を見たものはきっと、生涯に渡って忘れることはあり得ないだろう。

 事実、夜胤自身この少女を目にしたのは随分と昔のことだったのにも関わらず、すんなりとその名前と能力、そして人をからかうような子供っぽい性格を思い出すことができたのだから。

 

「何だ、私をこうした下手人は八雲 紫……君だったのか」

「まあ、覚えていてくださいましたのね」

 

 夜胤の言葉に少女――八雲紫はわざとらしく驚いたような表情をとる。

 その様子に夜胤は眉を潜めるも、すぐさま顔に軽薄な笑みを張り付けて取り繕った。

 

「そうだね。雰囲気が変わりすぎていて一瞬誰だか気づかなかったが、幸いすぐに思い出すことができたさ」

「それは、嬉しいことですわ」

 

 そう言って紫は笑顔を浮かべるが、その笑顔にはまったくと言っていいほど感情が込められていない。

 

 ――これはどうやら、面倒なことになりそうだな。

 

 目の前の少女の様子から、内心このあとの展開に察しがつきつつも、夜胤はそれを表情に出さぬまま紫に語りかける。

 

「それで、こんな私に一体なにようかな?」

「別に卑下しなくてもよろしいですわ。貴方は私よりも断然強大な存在であらせられるのですから」

「…………」

 

 ねめつけるような視線と共に投げ掛けられる言葉に、夜胤は小さく口元を歪めた。

 

「……それで、一体なにようで?」

「あら、結構冷たいのね。少し悲しいわ」

 

 クスクスと、扇の向こう側で少女が笑う声が聞こえる。

 

「でもまあ、そうね。いきなり訪ねた癖に用件を言わないのは流石に失礼だったかしら」

「……私を空に放り出したことも含めるのなら、大分と言っても過言ではないと思うが?」

「そう? 私はそうは思わないから、価値観の相違と言うやつね」

 

 皮肉めいた夜胤の言葉をそよ風にすら思っていないかのように、軽々と返して見せる紫。

 夜胤は自身のペースが乱されるのを感じて、一匙の苛立ちを覚えた心を丹念に沈めながら、手早く会話を切り上げるべく、少女が用件を口にするのを待つ。

 

「あまり軽口を叩くのもなんだし、用件を言いましょうか」

 

 そんな夜胤の内心を知ってか知らずか、相も変わらず胡散臭げな雰囲気をまとったままの紫は自身がここへ来た目的を切り出した。

 

「まあ、先ず名目としては新しく幻想入りを果たした外来人の確認ね」

「……君は外来人を空から落とす趣味でもあるのか?」

「いえ? 拐うことはあるけど、落とすことはあまりないわねぇ」

 

 拐っているのか。しかも、あまりということはたまには落としているのか。

 突っ込みたくなる気持ちをグッと飲み込みながらも、夜胤は笑顔で少女に訊ねる。

 

「で、他の目的は?」

「もう一つは、私が感じた違和感の正体の確認と、そうだった場合の顔出しかしら」

「ふむ」

 

 ――そうすると、今顔を出しているこの状況からすれば、目の前の少女は私がこの場にいることで感じる違和感と、それに対する懸念事項があると言うことか。

 

 紫の言動からその真意を推察しつつ、夜胤は口を開く。

 

「まだ、他にもあるのか」

「あるわ。私がここに来た、一番の目的」

 

 それは……。

 少女はそこまで口にすると、手に持った扇を音をたてて閉じた。

 そうして露になった口元に浮かぶのは、柔らかな微笑み。だが、語られたのは。

 

「夜胤。貴方が幻想入りしていた場合は、幻想郷から貴方を追い出すことかしら」

 

 ――なるほど。これは、つまるところ。

 

「……かつて私たちが犯した罪に対する、罰ということか」

「はい。正解」

 

 可愛らしい声音で肯定された、最悪の推論。

 瞬間。相対する少女の笑顔が途端に絶対零度の冷たさを含んでいるように見えて、夜胤は口元を引き吊らせた。

 

「――見逃しては?」

「ダーメ♪」

 

 夜胤の弱々しい懇願に下される、無慈悲な言葉。

 どうやら全くもって見逃してくれる気がなさそうな紫の姿を前に、夜胤は小さく息を吐く。

 

「……幻想郷は、全てを受け入れるのではなかったのか?」

「そうですわ」

 

 ほぼ独り言のような夜胤の呟きに、紫は笑顔のまま答える。

 

「でも、幻想郷の管理人である私が見逃すかどうかは別ですけど」

「…………」

 

 一瞬トンチか何かかと思ったが、つまるところ、目の前の少女は個人的にお前は危ないと思うから管理人権限で追い出すわ。と言っているのだろうと夜胤は理解する。

 

「情緒酌量の余地は?」

「皆無」

「物々交換、または金銭での取引は?」

「未実装」

「何でもするといったら?」

「回れ右して帰りなさい」

 

 とりつく島もない。

 

「……私としても、目的があるからここに来ているわけであって。梃子でも帰るわけにはいかないのだが」

「あら、そうなの?」

 

 仕方がなしに、夜胤は少しだけ自分自身の情報を開示してみると、紫から反応があった。

 

 ……付け入る隙は、あるのだろうか。

 

「困ったわね。そうなると、無理に送り返しでもしたら後が怖いわ」

「まあ、そうだな」

 

 紫の困惑を含んだ言葉に、夜胤は首肯する。

 

「目的は、どうせ言えないのでしょう?」

「よくお分かりで」

「そうね……」

 

 すると、紫は腰を掛けていたスキマを閉じて、空中に立ち上がる。

 

「なら、勝負をしましょう」

「勝負?」

 

 紫のその言葉に、夜胤は首を傾げた。

 

「私がここに滞在できるかどうかを賭けてか?」

「そう。互いに納得する形で雌雄を決定するならば、貴方達(・ ・ ・)もきっと納得するでしょう?」

 

 紫のその言葉に、夜胤は一考する。

 私たちには目的がある。だからこそ一方的な意思でその行動を阻害されればその対象によからぬ感情を抱くモノがいてもおかしくはない。

 

 しかし、私自身が納得する形でそうなったとすれば?

 

 確かにその危険性は大きく落ちるだろう。何故ならば、それは他ならぬ私が決めたことなのだから、それに逆らうモノなどいるはずがない。

 それに、大手を振って滞在する許可がおりる可能性が出来るのだから、こちらとしても願ったり叶ったりだ。だが。

 

「勝負内容はどうする。此方が圧倒的に不利なものであれば、それは了承しかねるぞ」

 

 ――負け戦をするつもりはない。第一、私たちのなかには負けることすら嫌っているモノがいるのだから、そんな勝負などを吹っ掛けられればどうなるかは目に見えている。

 

 だからこそ、夜胤は紫の提案に賢明な答えを求めるのだが。

 しかし、その決定権を持つ当の本人である紫は、随分と緊張感のない様子のままで口を開く。

 

「『スペルカードルール』というものを知っていて?」

「……まあ、一応」

 

 紫の口にしたその名称は、『直近』では博麗神社で聞いたことのある響きだった。

 

「たしか幻想郷では最もポピュラーな決闘方式で、強いものと弱いものが対等な条件下で戦えるように制定されたごっこ遊びだったか?」

「ええ。通称『弾幕ごっこ』と呼ばれるそれは、血生臭くなりがちな戦いを気軽にできるようにルールを設けて遊びへと変えたもの。

 基本的に直接攻撃は禁止。弾幕とよばれるものによって相手を攻撃するの。ただし、あくまでもごっこ遊びだから相手を確実に落としにかかるような攻撃はダメ。相手が必ず避けられる道を用意し、かつ周りから見て美しくあるのが条件よ。

 スペルカードについては、まあ必殺技みたいなものかしら。大まかな条件は弾幕のものと同じだけど、勝負前に所持する枚数を決めておくことと発動する際には必ず宣言すること。後は所持しているスペルカードを全て攻略されたら負け」

「……大体は私が知っている内容と同じだな」

 

 しかし、と夜胤は思案する。

 

「郷に入りては郷に従え。幻想郷の決闘方式を採用するというのは、私自身も納得できる。しかし、一般的な観点からして、実際に弾幕ごっこを経験したことがないという部分は考慮しなくてもいいのか?」

「あら、大丈夫じゃない? ある程度の身体能力と思考能力があれば、後は経験と能力の差ぐらい」

「そうなのか」

「そうですわ」

 

 夜胤の言葉に、紫は当然とばかりに何度も頷いている。

 

「……でも、スペルカードがないのは問題かしら」

「……ああ」

 

 心配そうな声音で呟く紫に、夜胤は付け加えるように告げた。

 

「それについては心配ない。既に六枚ほど用意しているからな」

「……経緯を聞かせていただいても宜しくて?」

「なに、簡単なことだ」

 

 夜胤はわざとらしく肩を竦める。

 

「元々スペルカードルールについて多少聞き及んでいたからな。必要になるかもしれないと思って事前に作っておいたのだよ」

「聞き及んでいた?」

「幻想入りする前に、新鮮味をなくさない範囲にではあるが情報を収集していてね。その中にスペルカードルールについての情報が含まれていたと言うわけだ。だから、心配は無用だ」

 

 言い切るような夜胤の言葉に、紫はぴくりと眉を動かした。

 

「でも、うまく作れている保証はないと思うわ。経験の差もあるから勝率は低いでしょうし。そこは考えなくても?」

「そのくらいはどうとでもするさ」

「一応、これでも古参の一人なの。もう少し備えてみたらどうかしら」

「全身全霊で頑張るよ」

 

 紫の問い掛けに、飄々とした態度で芯のない言葉を並べる夜胤。

 それの姿を前にした紫は、静かに瞼を閉じると手に持った扇を無造作に広げて……強く音をたてるように閉じた。

 

「――罪を犯した立場で軽薄に振る舞い、その強者足る力に驕って根拠のない言葉を垂れ流す。相変わらずね、その態度。嫌いではないけど……今は少々鼻につくわ」

「……ほう?」

 

 威圧を含んだ紫の言葉を聞いて、軽薄な笑みを浮かべていた夜胤の雰囲気が変化する。

 

「どうしたと言うのかね。何か気に触るようなことでも言ってしまったか?」

「……ワザとらしい言い回し。いいわ、受け取ってあげましょう」

 

 瞬間。紫の体から、濁流のように荒々しい妖気の奔流が駆け抜ける。

 だが、夜胤は奔流をその見に受けているにも関わらず、一切動じた様子を見せない。

 

「――スペルカードは六枚。私が勝ったら、貴方は即刻幻想郷から立ち去ってもらいます」

「――いいだろう。ならば、私が勝ったらこの幻想郷で好き勝手やらせてもらおうか」

 

 当然とばかりに夜胤が発したその言葉を聞いた紫は、吊り上げていた口元をわずかばかり歪めた。

 

「言うに事欠いてその言動。ちょっとだけ甘くしてあげようかと思ったけどやめね。お灸を据えてあげる」

「君は随分と苛つきやすい気質のようだ。もう少しカルシウムをとったらどうだ?」

 

 互いに互いの姿を見据えた両者は、その心のうちをぶちまけながら、高まる戦意を牽引するような言葉の応酬を繰り広げる。

 その末に待っていたのは――

 

「――美しく残酷に、この地から往ね!!」

「――遊びは楽しむものだ、お嬢さん!!」

 

 ――その規格外な力がぶつかり合う、激しい戦いの幕開けだった。 



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四話 大妖怪と弾幕ごっこ 前編

弾幕ごっこは多少の独自解釈が混ざってます


「――美しく残酷に、この地から往ね!!」

「――遊びは楽しむものだ、お嬢さん!!」

 

 ――両者が吼えた瞬間、戦いの火蓋は切って落とされた。

 

「受けきれるかしら? 弾幕ごっこ初心者さん」

 

 扇を広げ、口許を隠す紫の声音は、明らかな余裕に満ち溢れている。

 

「言うがいいさ。初心者相手に大口叩く古参殿」

 

 だが、対する夜胤はまるで気にした様子もない。むしろ、早くしろとでも言わんばかりに大っぴらに両手を広げたまま、笑みを浮かべた。

 その姿を見た紫は小さく眉を動かすと、わざとらく音をたてて扇を閉じる。影に隠れていた口許が露になるが、そこに浮かぶのは強者の笑みではなく、忌々しいものを前にしたかのような歪んだ笑みだ。

 

「ならば、見せてあげましょう。大妖怪の力を」

 

 言うや否や、紫が頭上に向けて高々と手を振り上げる。

 すると、まるで何もなかったはずの中空に、一瞬で膨大な数の弾幕――紫色に光るクナイ――が現れた。

 

「では、夜胤――」

 

 目の前を埋め尽くす無数の光を前に、夜胤は反応を示さない。そこにあるのは、余裕か焦りか、また別の何かか。

 紫は立ち尽くしている夜胤に、聖母のように優しげな微笑みを浮かべて、告げる。

 

「――無様に、叩き落としてさしあげますわ」

 

 腕が振り下ろされる。瞬間、静止していた弾幕が唸りをあげて夜胤へと殺到した。

 捻りのない、弾幕の波。それは、八雲紫にとって、造作もなく放てる攻撃のひとつ――所謂『通常弾幕』の一つでしかない。

 しかし、八雲紫は大妖怪。紫にとっては通常弾幕等しいものでも、並の妖怪からすれば弾幕ごっこの最後に登場する『ラストスペル』に匹敵するほどの物量を持っている規格外な攻撃。

 弾幕ごっこのルールゆえに回避できない攻撃ではないが、普通ならば、弾幕ごっこを始めたばかりの初心者には到底対処などできるはずもない代物である。だが――

 

「ふむ……美しいものだ」

 

 ――当の夜胤は、放たれた弾幕の隙間を軽々と抜けきった。

 まるで向かっていった弾幕が自分から避けていったのではないかと思うほどに悠々とした動きで弾幕を回避した夜胤は、弾幕が通りすぎていった方角に視線を向けたまま、何とも緊張感に欠けた呟きを漏らしている。

 

 ――予想はしてたけど、これは少々骨が折れそう。

 

 紫は夜胤に視線を向けたまま、手元に持っている日傘をしなやかな動作で畳み、隙間の中へと放り込んだ。

 

「……やっぱり効かないかしら? 流石に大口叩いていただけあって、その動きは伊達ではないわね」

「いや、それについてはこちらも同じだがね。お通し感覚であんなものをぶちまけられる君は、やはり妖怪としては規格外の存在だと再認識したよ」

 

 対する夜胤は、紫に対して褒め称えるような言葉を投げ掛ける。

 実際にその言葉に偽りもなく、夜胤は先に放たれた紫の通常弾幕に対し、美しさと強さを損なわせぬままあれほどの物量をぶつけられる技量に内心舌を巻いていた。

 

 ――これは、下手を打てば負けるかもしれないな。

 

 自身の保有する力と、紫の経験とを比較した上で、勝率は五分ではないかと踏んだ夜胤。紫からしても、その結論に行き着いたようで。

 

「――生憎と、後手に回って貴方に経験を積ませてあげる寛容さは持ち合わせていないの。素早く決めさせてもらうわ!!」

「――それは此方も同じと言うことを知ってもらおうか!!」

 

 互いに互いの気迫をぶつけるように叫び、紫はスキマから、夜胤はそのコートのポケットから一枚の紙片を取り出した。

 『スペルカード』――弾幕ごっこにおいて、予め当人が決めておいた技を宣言する際に用いる紙片。

 それが取り出すということは、自分がこれから大技を繰り出すと言う合図であり。

 

「結界『光と闇の網目』!!」

「狂戯『破滅への誘い』!!」

 

 この場に限っては、両者のスペルがぶつかり合うことを知らせるものでもあった。

 

「――っ!?」

 

 まず最初に変化に気づいたのは、夜胤だった。

 

 ――線?

 

 自身の周囲に無造作に引かれた、大量の直線。

 まるで糸のように細いそれは、いくらかの空間を空けたまま、動くことなく静止している。

 触れても、何ら害は無さそうな微弱な妖力しか感じないそれに、しかし、夜胤は軽々しく触れることができないでいた。

 

 一体なんだ……思考のなかを疑問符が埋め尽くそうとした、その時だった。

 

 空気が焦げるような音。刹那――

 

「う……おお!?」

 

 ――糸の張り巡らされた領域に、瞬く間に、赤と青に発光するレーザーが放たれた。

 放たれたレーザーは各々別のレーザーと交錯しあい、夜胤の周囲に蜘蛛の巣のような緻密な網目を形成する。

 

 動きが制限された。

 その事実に夜胤が気づくのと、大量の弾幕が夜胤に襲いかかるのは同時の出来事だった。

 

「っ……」

 

 上体を反らすように弾幕をやり過ごしつつも、レーザーの網に引っ掛からないよう身を捻る。

 額を掠めるように通りすぎる弾幕。夜胤はそれを見送ることもせず直ぐ様体勢を立て直した。しかし。

 

「網が消えた?」

 

 視界を戻せば、目の前に存在したレーザーは跡形もなく消失していた。

 一瞬スペルカードの効力が切れたのかと考えるも、それにしては短すぎると、その思考を蹴り飛ばす。

 スペルカードの殆どは、一定のパターンにもとずいた動きをしている場合が多い。それは、夜胤が幻想入りを果たす直前に知った、スペルカードの基本事項。つまり、そこから考えるとすると。

 

「やはりっ!!」

 

 夜胤が予想すると同時に、まるで狙ったようなタイミングで引かれる、細い糸。

 それを見た夜胤は、この 結界『光と闇の網目』というスペルカードが、決められたパターンの動作を繰り返すものだと判断する。

 

 ――糸の位置は先とは別だが、この後の動作は多分同じもののはずだ。だとすれば。

 

 夜胤は周囲を見回してから、糸が張り巡らされた空間のなかで、最も余裕のある場所へとその身を滑り込ませた。

 

 ――このスペルカードは、網が完成するまでに何れだけ周囲を把握できるかが肝だな。

 

 数秒後には、糸の張られた場所にレーザーが張り巡らされる。その数瞬間に、自身の動きに何れだけ余裕を持たせられるか。それができなければ、夜胤の動きは緻密な網によって制限され、一方的に攻撃にさらされることになるだろう。

 

 ――存外、単純な振りをして精神を削るスペルカードだなこれは。

 

 夜胤が思考すると同時に、またしても赤と青のレーザーが交錯し、複雑な網を構成する。

 そして、制限された領域のなかで、きたる弾幕の波に身構える……が。

 

「ん?」

 

 その時、何処からか飛来した血濡れに光る無数の弾幕が、緻密なレーザー群の真横から飛来しては、勢いよく食い破って通りすぎていく。

 おかげで、緻密に張られていたレーザーは見る影もなく、隙間だらけになった空間を活かして夜胤は襲い来る弾幕の波をなんなく避けきることができた。

 しかし、何故……一瞬疑いかけるも、そう言えば、先の弾幕の色は自身が気迫たっぷりで発動した弾幕の色と同じだったことを思い出す。

 

「正直、あれは試作段階で作った弾幕だから、あまり成果は期待していなかったのだが……棚からぼたもちといったところか」

「……今さっき自信満々に宣言しておいて、試作品を試すだなんて。随分と余裕があるようね?」

 

 背後から唐突に聞こえる声に振り向けば、スペルカード発動前と変わらぬ姿のままの紫がスキマに腰をかけていた。

 

「……その様子だと、私のスペルカードはなんの意味も成さなかったようだ」

「当たり前でしょう。妖精でももう少し複雑な弾幕を放つわ。何、あのお茶を水で薄めたようなスペルカードは?」

 

 紫は夜胤が 結界『光と闇の網目』の攻略に夢中になっている横で、夜胤が発動したスペルカードを受けていたのだが、それはあまりにも単純なもので、血濡れに光る紅の弾幕が疎らに放射状へと放たれる簡素なものであった。

 直線的な軌道を描くだけで低密度な弾幕。原液をわざわざ薄めたようなそれは紫にとって随分と物足りないものだった。

 結果的に自身が放ったスペルを横から食い破られることになったとはいえ、消化不良も甚だしい。 

 

「いやあ、薄めたって言うのはあながち間違いでもないが、何分、初心者なものでね。どうやらあのスペルカードは君を満足させるには至らなかったようだ」

 

 しかし、当の本人である夜胤は軽口を叩きながら、紫の目の前でわざとらしく肩を竦めている。その様子を見た紫は、何処か含みがありそうな夜胤の言葉を耳に止めつつも、呆れを滲ませた息を吐いた。

 

「まあ、いいですわ。貴方がそんな体たらくでも、私のすることは変わらないもの」

「おや、君のすることとはなんだったかな?」

「……あらいやだ。先程から何度も申してますわよ、お爺様」

 

 喜色ばんだ笑みと共に取り出されるは、一枚の紙片。

 

「私の目的は貴方を完膚なきまでに叩き潰すことよ。『無人廃線列車爆弾』」

「……少々言い回しが辛辣になってる気はするね」

 

 紫の言葉にため息をはきつつも、夜胤は懐へ右手を突っ込むと、全体を『黒く塗りつぶした』紙片を取り出した。

 

「――まあ、ここから本領発揮ってことで、せいぜい頑張るとしようではないか」

 

 そう呟く夜胤の頭上に現れるは、数メートル規模の巨大なスキマ。

 紫が腰かけているそれとは比べ物にならない程に巨大なそれは、まるで生物の口腔のようにゆっくりと広がり、向こう側からギョロりと蠢く幾数もの眼球達が覗く。

 

「…………」

 

 徐々に広がっていくそれに、嫌な予感を感じとり、少しずつ距離をとろうとするが――

 

「あら、逃がすと思って?」

 

 ――夜胤の動きを邪魔するように、紫の手によって色とりどりのクナイが放たれる。

 

「……面倒な」

 

 吐き捨てながら、夜胤は自身を取り巻くように放たれたクナイを回避しようと空中で身を翻す。

 しかし、先の実直な通常弾幕とは違い、直線的な軌道の紫色のクナイに織り混ぜるようにして放たれる複雑な動きの翆色のクナイによって、夜胤の回避行動は巧く妨害されてしまう。

 

「煩わしいっ!!」

 

 仕方なしに、右手を振るうことで赤光を放つ通常弾幕をばらまいて迎撃を試みるも、さすが経験の差というべきか、紫は夜胤が放つ弾幕の軌道を正確に読み切り、新たな弾幕を張っていく。

 

 ――地力の差が、ここで出るか!!

 

 弾幕ごっこの経験が未熟な夜胤では、複雑な軌道を描く紫の通常弾幕をすぐに読みきることができない。

 例えばこれが、弾幕ごっこで最強の名を冠する霊夢であれば、目の前の弾幕が今まで経験した弾幕の軌道を幾つか組み合わせただけのものだと看破し、最小限の動き回避して見せただろう。だが、夜胤にはそのノウハウが存在せず、弾幕を避けるには一からその軌道を読むしかない。

 確かに、夜胤からしたらそれは容易いことではあるし、現に今現在も軌道を読みきるまでもう少しというところまで来ていた。

 しかし、紫がこの弾幕を放つ目的は夜胤の撃墜ではなく、足止めであり。

 

「残念、時間切れ♪」

「――――ッ」

 

 夜胤の直上で大きく広がりきったスキマの先から覗いている、大質量をもったそれを確実に夜胤に叩き落とすための布石でしかないのだ。

 スキマから徐々に姿を現すそれを呆然と眺める夜胤の姿に笑みを深めながら、紫は可愛らしい仕草で頬に手をあて無慈悲に告げる。

 

「じゃ、潰れなさい」

 

 刹那。耳をつんざくような轟音と共に火花を散らしてスキマから解き放たれたのは、幾つかの車両を連結した、現世ではお馴染みの交通機関……列車。

 大質量を持つ金属の塊であるそれが、猛烈な加速を伴って夜胤へと射出されたのだ。

 

「…………」

 

 夜胤の姿を、黒々とした影が覆い尽くす。

 瞬間、周囲の空間を揺るがすほどの轟音が響き渡った。

 

「……今度こそ、効いたと思うけど」

 

 空中に飛行していた夜胤の姿を覆った後に、爆音をたてて地面に突き刺さった列車の姿を見て、紫は小さく呟く。

 

「まあ、効いていなかったとしても、これから効かせるのだけどね」

 

 そう呟く紫の目には、獲物を捕らえた捕食者のような鋭い光を湛えている。

 しかし、それもそのはず。何故なら、この『無人廃線列車爆弾』というスペルカード。大質量を持った列車をぶち当てるだけでも高威力ではあるのだが、物理的な衝撃では確実に妖怪を墜とせないと理解している紫によって、隙を生じぬ二段構えとなっているのだ。

 その手法とは、スペルカードの名前の通り。今放ったあの廃線列車の中に妖力由来の爆弾を大量に敷き詰めるという、至極単純なもの。

 しかし、単純であってもそれが引き起こす現象による相手へのダメージは絶大であり、ごっこ遊び故に殺傷性は押さえられているが、食らえば、弾けた妖力によって痛覚に絶叫するほどの痛みを流し込まれることとなる。

 

「あのニヤケ面が盛大に歪んでくれれば言うことないわね」

 

 紫は列車が爆散する瞬間を見逃さないように、瞬き一つせずに状況を見守る。

 しかし、紫いくら待ったところで、突き立つ列車がその身を弾けさせることはなく。

 それどころか、スキマから射出され、地面に突き刺さった直後の体勢のまま、まるで重力を無視しているかのような姿勢で、その姿を静止させていた。

 

 ――これは、明らかにおかしい。

 

 ひしひしと異常を感じる紫は、両の手を交錯させて来る変化へと備える。そして。

 

 ――ギャリ……金属の擦れる音。

 

 紫が視線を向ける先で、直立する列車のシルエットが金属の擦れる音とともに捻れていき、それは少しずつ、叩きつけるような音へと変わる。ベコリと列車の側面がたわみ、隆起した。同時。

 

 狂符『冒涜的な触腕』

 

 凛と澄んだテノールが響く。

 

「ッ!?」

 

 まるで、映像を編集したようにいつの間にか存在した、紫の真横に伸びる黒い直線。

 炎のように揺らめくそれは、妖力でも霊力でも……ましてや神力でもない別の力によって形成された、純粋な狂気の塊。

 その、身を竦ませる威圧を前に、紫は息を飲む。

 

「では、踊ってくれたまえ。レディ」

 

 刹那。轟音と共に列車の巨体がくの字に曲がったかと思えば、宙へと浮いた。そして、緩慢な動作で巨体を捻ると同時に――

 

 ――猛烈な勢いで、紫へと『飛んで』来た。

 

「きゃっ!?」

 

 咄嗟にスキマを開いて潜り込んだ紫。間一髪のところで、列車が掠めるように飛んでいく。

 列車は、くるくると玩具のように回転した後、重力にしたがって上空から地上に落ちるまえに――爆散した。

 

 爆音。目も眩む発光と共に巨体が分解され、千の欠片となって地上に降り注ぐ。

 スキマから這い出た紫はその様子を横目に眺めてから、目の前に広がる光景へと意識を向ける。

 

「触手……」

 

 相変わらず、見るものを苛つかせるような軽薄な笑みを浮かべる青年の背後。そこには、絶えず蠢いている黒々とした二本の触手の姿が存在した。

 

「スペルカードは、必ずしも弾幕であるとは限らない……という情報があってね。その理念にもと図いて、私も創意工夫を凝らしてみたよ」

「…………」

 

 物理的な肉体に依存していないであろう、揺らめく黒の塊。その、禍々しくも美しさを感じさせる『触腕』なるものを前にして、紫は身を強張らせる。

 対する夜胤は、然として緊張感を微塵も感じさせない風体で、両の手を広げ、哄笑している。

 

「まあ、これは勝負でもあり遊びでもあるのだ。そう性急に推し進めてはつまらない」

 

 裂けるような三日月形の笑みを浮かべる夜胤は何処か楽しそうな色を持った声音で、決着を急ぐ紫を諭すように悠然とした立ち振舞いで。

 

「ここからが本番だよ。精々、互いに楽しもうではないか」

 

 慄然たる魂の恐怖を持って、勝負の続行を告げる。



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五話 大妖怪と弾幕ごっこ 後編

 一閃。クルリと尖端で円を描いた触手から放たれた、深い紫のレーザー。

 直線的な軌道のそれを難なく紫はかわしてみせるが、勿論、ことはそう単純にはいかない。

 黒々とした触手が尖端を紫へと向けた瞬間、レーザーもまたその向かう先を紫へと変える。

 

「…………」

 

 だが、その程度の変化など、弾幕ごっこにおいてはよくあることだ。

 紫は経験をもとにレーザーに近すぎず離れすぎずのの位置を保ったまま、レーザーが軌道を変えるたびに、それに合わせて自身も動いていく。

 しかし。触手の攻撃はそれだけでは終わるはずもなく。

 

 大きく伸びた触手がしなり、凪ぎ払うように振るわれた。同時に、触手が振るわれた軌跡に大量の弾幕が現れる。

 

 現れた弾幕は、一方向に向かうのではなく、各々が別々の方向に突き進んでいく。

 紫は飛来する弾幕の隙間を縫うように飛行するが、それを狙うようにして、触手の先端からレーザーが放たれた。

 

「面倒ねぇ」

 

 体を反らしてレーザーを回避するも、そこを狙ってもう一方の触手からレーザーが飛んでくる。

 土手っ腹を狙うように放たれたそれを腰を捻って回避すると、その勢いを利用して体を右へと回転させ、宙返りをするように移動して体勢を整える。

 すかさず触手が紫を打ち据えようと振るわれ、半歩引いてかわす。だが、触手が振るわれた軌跡に現れた弾幕が飛来して額を掠めていった。

 

 ――予想していたよりも攻勢が激しい。

 

 紫の動きに合わせて振るわれる触腕によって、レーザーや弾幕の軌道が全て変わってしまうので、ひたすら動きが読みにくい。

 今のところ紙一重でかわし続けているが、飛び回る弾幕が増えるにしたがって、それも難しくなっていく。

 軌道を読みきって誘導すればいいのかもしれないが、足算されていく弾幕の軌道を全て読みきるには時間も足りないし少々負荷がかかる。

 

「仕様がないわ……」

 

 深く息を吸った紫は、スキマから素早く一枚の紙片を取り出すと、増えていく弾幕を叩き落とすべくスペルカードの名を宣言した。

 

「境符『色と空の境界』!!」

 

 瞬間。視界全体を白く塗りつぶすほどの無数のレーザーが、紫を中心として放射状に解き放たれる。

 一本一本は直線的で読みやすい軌道のレーザーではあるが、その物量は圧巻の一言。辺りを飛び回る弾幕を串刺しにして余りある量のレーザーは勿論、先まで執拗に紫を攻め立てていた夜胤にも襲いかかる。

 

「ふむ。中々迫力のある光景だな」

 

 しかし、夜胤は動じない。自身の背後から形成されている二本の触腕を器用に振り回して、夜胤に当たりそうなレーザーだけを掻き消していく。

 しばらくしてレーザーの雨はピタリと止んだ。が、続くようにして、今度は弧を描くように生成されていく弾幕が夜胤を狙う。

 夜胤はそれらを一方の触手のレーザーで凪ぎ払いながら、もう一方の触手で紫を撃ち落とそうとするが、二本から一本の攻撃に変わったそれを、紫は容易にかわしてみせた。

 何セットか――レーザーの雨をかわし、今度はバラけた弾幕が放たれるも触手で撃ち落としてはレーザーを返す――このやり取りが、紫のスペルカードと夜胤のスペルカードが効力を続ける間に繰り広げられるも、互いに成果をあげられぬまま、スペルカードの効力が消失させた。

 

「これは、少し不味いかしら」

 

 紫は自身が発動したスペルカードが破られたことで、形勢が不利にになったことを悟る。

 互いに所持しているスペルカードは六枚。そして、今まで紫が使用したのは 結界『光と闇の網目』『無人廃線列車爆弾』境符『色と空の境界』の三枚に対して、夜胤は狂戯『破滅への誘い』狂符『冒涜的な触腕』の二枚。

 相手側の一枚目のスペルカードが余りにも陳腐な出来だったので油断していた部分もあったのだろう。二枚目の『冒涜的な触腕』で境符を使わざるを得ない状況まで追い込まれたのは大きな失態だった。

 

「次のスペルカードで相手を追い込んで相殺を狙うか、しばらくは通常弾幕で切り抜けようかしら」

 

 紫は撃墜の線を狙いからはずして、一先ずこちらのスペルカードが全て攻略される前に、相手のスペルカードを攻略することを狙いに据える。

 

「ことがことですから……全力で勝ちにいかせてもらいますわ!!」

 

 咆哮。同時に、突き出した両腕から大量の通常弾幕が放たれる。

 

「くは……いいな、この弾幕ごっこにというものは。女子供の遊びにしては過ぎるぐらいに心が高ぶるよ」

 

 対する夜胤は、左腕をふるって『的確』に迫り繰るクナイを叩き落としながら、トレンチコートのポケットに右手を突っ込んで黒塗りの紙片を取り出した。

 

「さあ、まだまだ遊びはこれからだ!! 受けたまえ――Q&A『帽子のなかは?=外宇宙』」

 

 夜胤が宣言すると同時に、振るっていた左手で自らが被っている黒いトップハットを取り外し、その窪んだ内側を紫へと向ける。

 遠目に見えるトップハットの内側は、まるで何処までも続いているかのような深い闇が広がっている。

 だが、次の瞬間。内側から光が指したと思うと、煌々と輝く小さな球体が、緩慢な動作で帽子の中から浮き出てきた。

 紫が警戒を払うなか、それは亀の歩みで徐々に夜胤から離れていくと、しばらく進んだあとに静止。辺りを静寂が支配する。刹那。

 

「……綺麗」

 

 突然、球体がその体積を肥大化させた。

 一秒にも満たない時間で数千倍もの大きさになったそれは、全てを照らす恒星のように自身を輝かせたまま周囲に小さなアステロイドベルト――色とりどりに煌めく弾幕の帯を形成する。

 

 目の前に広がる膨大な数の弾幕は、凌ぐには随分と骨が折れそうで――それなのに、まるで宇宙の一部を切り取ったかのような光景を前に、紫は自らの心が高ぶっていくのを感じていた。

 

「……いいでしょう。貴方の望み通り、存分に踊って差し上げますわ!!」

「ああ、嬉しいな八雲紫よ!!」

 

 紫の言葉に、夜胤は心のそこから嬉しそうな笑顔で両手を広げ……打ち合わせた。

 

 同時、恒星が勢いよく燃え上がり太陽を取り巻くフレアのような光の束が周囲に拡散。共に、恒星を漂っていた幾千のアステロイドが煌めきながら解き放たれる。

 

 爆発的な弾幕の海に揉まれながら、紫は舞うように優雅な軌道で星々の海を駆け、フレアの輪を潜り抜けていく。

 

「あら、こんなものかしら? 貴方の弾幕は」

「……なに、そう焦るな」

 

 紫の問いに答えるのは、至極静かな夜胤の声。

 瞬間、再び夜胤が両の手のひらを打ち合わせた。

 

「君は、星の爆発と言うものを見たことがあるかね?」

 

 その言葉が紡がれると共に、辺り一帯を照らし尽くす光の奔流が放たれる。

 

 ――超新星(スーパーノヴァ)

 

 大質量の恒星がその一生を終える際に起こる爆発現象。

 その威力は凄まじく、星間物質の密度に揺らぎを産み出したり、約50光年の範囲内にある星に強力なガンマ線を浴びせ生命の存在しない死の星へと変えるほど。

 

 夜胤はそれを、目の前にある恒星を象った巨大な弾幕で表現したのだ。

 

 球体が、その体積を瞬間的に千分の一程度まで縮める。

 刹那、爆発的な衝撃波と共に視界を埋め尽くすほどの膨大な弾幕とレーザーが絡み合いながら拡散された。

 コマ送りにしているように光の尾を引いて世界を照らす光の集団。その、神秘的でいて暴力的な弾幕の海に、紫の姿は瞬く間に飲み込まれていった。

 

「――罔両『八雲紫の神隠し』」

「ほう?」

 

 唐突なスペルカード宣言。そして、弾幕の海が通りすぎた空間に紫の姿は影も形もなかった。

 一体、どういうことだろうか。紫の宣言したスペルカードの名からその効果を推定しつつ、周囲に警戒の糸を巡らせていると。

 

「良いものを見せてもらいましたわ。でも、私を墜とすにはまだまだね」

「――ッ」

 

 背後から響く、艶やかな声。

 その声を聞いた瞬間、夜胤は反射的に身を捻って回避行動をとった。

 

「くあっ!?」

 

 しかし、密集して放たれる弾幕を全てかわすことは出来ず、一条の光の筋によって右肩を貫かれる。

 焼きごてを直に押し付けられたような痛みに歯を食いしばって、夜胤は振り向き様に左腕で払うように弾幕の波を放つ。だが、そこに少女の姿は存在しない。

 

「どこに……」

 

 夜胤は紫が『境界を操る程度の能力』によって作り出したスキマによって移動しているのではと目算をつけながら辺りを見回すが、気配を微塵も感じない。

 

 ――厄介だな。

 

 スキマとは空間の裂け目であり、その先にはあの薄気味悪い目玉が絶えず蠢いている異空間が広がっている。

 異空間とはある種の別の位相に存在する世界であり、それを感知するには並大抵の力では達し得ないものだ。

 つまり、今現在の夜胤の姿では紫の位置を感知することは出来ず、故に、その行為は夜胤にとってこれ以上ないほどの隠蔽能力を有する……純粋に脅威足り得るものでもあった。

 

「くっ!?」

「頭上の警戒が疎かよ?」

 

 前兆なく現れた紫によって放たれたレーザーと弾幕が、花のように放射状に展開する。

 夜胤はそれを通常弾幕で撃ち落として、その隙間に身体を捩じ込み回避するも、直後に現れたもう一輪の弾幕の花によって足をうち据えられる。

 

 ――これは、凌げなさそうだ。

 

 八雲紫の能力の規格外さを改めて心に刻み込みながら、夜胤は肺に貯めていた空気を一気に放出する。そして。

 

「発狂『フェスティバル・オブ・フィアー』」

 

 懐から取り出した紙片を構え、スペルカード名宣言。

 瞬間、夜胤を中心とした約10メートル四方に、夜胤二人分の高さを持った翡翠の光柱が二十本ほど突き立てられた。

 そして、光柱が淡く発光したと思えば、瞬く間に柱同士を繋ぐようにして無数の糸が張り巡らされる。

 そうして完成したのは、不規則な軌跡で張り巡らされた糸が織り成す、美しい巨大な球状の籠。

 

「一方的に攻撃されると言うのもつまらない。だから、こちらも対抗させてもらおうか」

 

 言うや否や、まるで夜胤の意思に呼応するようにして、突き立つ柱達が動き始め、それに合わせて張り巡らされた糸も動く。よって、ここにその形を絶えず変える変幻自在の警戒網が完成した。

 移動する柱はその周囲に幾数もの魔方陣を形成し、ここを起点として湾曲するレーザーと動きが緩慢な弾幕を侍らせている。

 この弾幕は元々、攻略相手にストレスをかけつつ時間経過によって徐々にその後規模を膨らませることで、相手に糸を掻い潜らせることを強いる弾幕である。

 だが、この場に於いては徐々に空間を侵食することで紫がスキマを展開する位置を狭める、牽制と警戒の役目を果たすものともなるのだ。

 

「さて……」

 

 この籠の範囲内で、紫がスキマを開けば最後、垂れ下がる糸に手足を取られ光の柱によって一方的に攻撃を浴びせられる事となるだろう。

 だからこそ、紫が次にスキマを開くとすれば――

 

「そこだな」

 

 ――籠の外で咲いた一輪の花。そこから走るレーザーや弾幕が糸の隙間を縫って夜胤に襲いかかる。が、見え見えな軌道描くそれを夜胤は容易く避けてみせた。

 

「ここからは……耐久戦の始まりだ」

 

 徐々にその規模を拡大する籠に、その隙をつくようにして縦横無尽に放たれる紫の攻撃。

 互いに互いの数手先を読んではそれを外す凌ぎの削り合い。

 それは約数分間の間繰り広げられた後に、紫はスペルカードを攻略され、夜胤は弾幕によってスペルカードの籠を破壊されることで終わりを迎えた。

 

「まさか、ここまで決定打を与えられないとは、思わなかったわ」

「それはこちらも同じだ心境だよ」

 

 両者、既に六枚中四枚のスペルを攻略された上で、紫は全くの無傷であり、夜胤も多少手傷を負ったとはいえほぼ全快状態。むしろ、疲労に関しては元々体力が少ない紫の方が大きい。

 形勢は互角。互いに互いのその姿を見て、夜胤も紫もその口許を吊り上げる。

 

「まあ、ここまで来たなら」

「最後まで全力で」

 

「「挑ませて頂こう(ますわ)」」

 

 ――魍魎『二重黒死蝶』

 ――『化身の顕現』

 

 スペルカード名の宣言。

 その瞬間、紫から勢いよく飛び立つは、数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほど大量の、妖力で作られた赤と青の蝶。人の頭ほどの大きさを持つそれが、赤と青の集団に別れ、各々交錯するように優雅に羽ばたいている。

 対する夜胤は、その身を囲うように浮かぶ暗黒の弾幕たちを、ゆっくりと取りまとめていく。そして、徐々に纏まりをみせる弾幕によって形作られたのは、深淵より這い出てきたのではと錯覚するほどに暗い闇によって構成された、巨大な翼と四肢をもつ異形のシルエット。

 

「私の姿の一つを形どってみたが、如何かな?」

「いい出来ではなくて? 粘土細工を作る才能でもあるんじゃないかしら。一考してみたら?」

「生憎私はしがない旅人でね。一つの場所に留まる仕事はごめん被るよ」

 

 皮肉染みた紫の言葉を軽やかに受け流し、夜胤は自身が作り出した異形に一言命じる。

 

「飛び回れ」

 

 刹那、まるで自律しているかのようなしなやかな身のこなしで、翼を大きく広げて天を駆ける弾幕の獣。

 その姿を横目に見ながら、夜胤は周囲を羽ばたく蝶の間を、コートの裾をはためかせながら飛行する。

 一方の紫もまた、自身の周囲を縦横無尽に駆ける獣から舞い落ちる羽を象った無数の弾幕の間を縫っていき、そのまま、夜胤に向かって第二陣目の朱と碧の蝶たちを舞い踊らせた。

 紫の手によって向かい来る蝶の波をひたすらに避け続けながらも、夜胤はその機会を淡々と窺う。そして、何度目かの蝶の波を乗り越えた夜胤は、不規則に飛び回っていた獣が紫の近くを通りすぎようとした瞬間に叫ぶ。

 

「――散れ!!」

 

 それは、一瞬の出来事だった。まるで生来の獣のごとく自然な動きで空を駆けていた異形の獣が、大きく翼をはためかせた。同時、巻き起こる巨大な風と共にその姿が幾千もの羽へと変わり、風によって吹き散らされる。

 

「――くぅ!?」

 

 広範囲に、それでいて無造作に散らばるその軌道を紫は読みきることが出来ず、身を捻るもその足にまとわりついた羽によってダメージを負う。

 そのダメージによって紫の蝶を放つ手が止まり、大きな隙が出来ると同時に夜胤は紫から大きく距離をとった。

 

「…………はぁ」

 

 一呼吸。高ぶった心を落ち着かせると共に、コートのポケットから一枚の紙片を取り出すと、今から発動するスペルを頭のなかで思い描いた。

 

「まさか!?」

 

 襲い来る痛みから意識を引き剥がした紫は、自身から大きく距離をとった夜胤の姿を見て、今までとは違う抜き身の気迫を感じとり、心の内で叫ぶ。

 

 ――ラストスペル!!

 

 その名前に思い至った瞬間、紫は反射的にスキマから一枚の紙片を取り出して掲げていた。

 

「――紫奥義!!」

「――秘奥」

 

 

 

 

『弾幕結界』

『黒き旅路の記憶』

 

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 辺りに静寂が舞い落ちる。

 いや、正確には静寂をもたらされたと言うのが正しいだろう。

 

「これは……結界?」

 

 紫の周囲は、夜胤が宣言した瞬間から、まるで新月の夜中にでもなったように暗く光のない世界に成り変わっていた。

 何か嫌な予感を感じた紫は、スキマを開いて位置を変えようと試みるも。

 

「スキマが開かない?」

 

 何度能力によってスキマを開こうとしても、スキマが現れるどころか、ちょっとした境界の操作すら不可能になっていた。

 

「……大人しく受けろってことかしら」

 

 暗闇のなかで、紫は警戒の糸を途切れさせぬまま、小さく息を吐く。その瞬間。

 紫の目の前に現れたのは、七色に彩られた弾幕によって構成されたトンネル。

 紫がそれを訝しげに見つめるなかで、徐々にこちらに迫ってくるそれは、その奥が見えないほどに長大だった。

 

「この中を進めってこと?」

 

 そう呟くと、まるで早くしろとでも言わんばかりに背後に出現した弾幕の壁に後押しされ、紫はゆっくりとした速度でトンネルの内側へと入っていく。

 

「中々凝った造りね」

 

 緩やかなグラデーションが作り出す鮮やかなコントラストに感嘆の言葉を口にしつつ、紫はノロノロとした速度でトンネルの壁に触れないように飛行する。

 しかし、警戒虚しく一向に攻撃の前兆がないまま、紫が美しい白色に染まっているポイントまで来たところで、変化が起きた。

 紫の周囲を取り囲んでいたトンネルの壁が変形し、レーザーで構築された格子状のものとなり、外側の景色が見渡せるようになったのだ。

 一体何事かと思い、紫は目を細めてその格子へと近づくが――

 

「ふふ……」

 

 ――格子の外に広がっている光景を見て、思わず笑みをこぼしてしまう。

 何故なら、紫の視線の先には、まるで本当に自身がそれを見ているかのように錯覚するほど精巧な、弾幕によって創られた草原が広がっていたからだ。

 沈みゆく夕日に見立てているであろう真っ赤な色の巨大な球が奥に存在し、光がなくて暗いばかりだった結界の内側は、その光に照らされて鮮やかな茜色に染まっている。

 そして、糸状に練ってある金色の弾幕が、まるで風にそよぐ稲穂のようにゆらゆらと揺れ、その上を、蜻蛉の形をした弾幕が忙しく飛行している。

 一体どういう意図で作り上げたのかは分からないが、それでも、目の前に広がる光景は圧巻の一言だった。

 

「あら」

 

 気がつくと、格子の隙間を通ってトンネルに入り込んだ蜻蛉型の弾幕が紫の側を取り巻くように飛んでいる。

 少しずつ数を増やしていくそれは、やがて先に続いているトンネルを塞ぐほどに巨大な塊となり――紫に向かって殺到した。

 

「楽しいだけではないってこと?」

 

 紫はその口元に柔らかな笑みを浮かべると、複雑に絡み合いながら襲いくる蜻蛉型弾幕に向けて幾つかの弾幕をぶつけた。弾幕によって蠢いている蜻蛉型弾幕を局所的に弾けさせ、無理やり道をこじ開けたのだ。

 コンマ数秒の間だけ出現したそれに紫は躊躇なく身を捩じ込むと、周囲に蠢く蜻蛉に押し潰される前に塊のなかを突っ切った。

 

「さて、堪能させてもらいましょうか」

 

 無意識に声が弾み、思わず口元を抑える。

 

 ――ダメよ。遊びとはいえ、半ば真剣勝負なのだから。

 

 高ぶった感情を諌めるよう心のなかで自分自身に言い含めて、紫はトンネルのなかを進んでいく。

 

 ――そのトンネルは、驚きに満ちていた。

 

 紫が少し進む度に、最初の時と同じようにトンネルの壁が格子状に変化し、その動作は特に変わりのないものだったのだが、その先に広がる景色は一つ一つがまるで見違えていた。

 

 ある時は、天を突くような山があった。膨大な量の弾幕で構成された山肌には、多種多様な植物を象ったものがところ狭しと立ち並び、その存在を主張していた。さわさわと揺らめく木々を眺めていると、山肌を掠めるように漂う雲形の弾幕群が飛んできたので、雲の間を縫うように飛行することで回避。そのまま先へ進むことにした。

 

 またある時は、灼熱の砂漠があった。目渡す限りに広がる砂の世界はとても雄大で、吹き付ける風によって舞い上がった弾幕の波を見たときは思わず見いってしまったほどだ。直後、風向きの変化によって弾幕の波がこちらに向きを変えたので、弾幕で迎撃することで何とか切り抜けた。

 

 次に存在したのは、海だった。透き通った海面に見立てた弾幕の波が足元まで押し掛けていて、海中では魚型の弾幕が泳いでいた。しばらくの間眺めていると、弾幕によってつくられた鯨が格子を破って突っ込んできたので、慌てて立ち去った。

 

 ――そのトンネルを歩いている間は、まるで旅でしているかのような気分になったのを覚えている。

 あるときは溶岩流が流れた活火山の麓。あるときは見上げるほどの大木が立ち並ぶ森。あるときはゴシック調の建築物が立ち並ぶ街。

 

 そこにあったのは何れも、遊び心に溢れた弾幕によって創られた世界。

 

 もちろん、スペルカードの一つなだけはあり、ことあるごとに指向を凝らした――地味に難易度の高い――弾幕の襲撃に会ったが、それすらも相手を楽しませるような作り込みが施されていた。

 おかげで、今の今まで紫が抱えていた夜胤に対する黒い感情は、無くなった訳ではないにしろ、見事なまでにその勢いを失ってしまっていた。

 

「光?」

 

 トンネルを彩るコントラストが暗くなり、限りなく黒に近い色へと変わった頃。紫はトンネルの奥に、光がさしていることに気づく。

 もしやと思いその場所まで飛行すると、そこには今まで見てきた弾幕で構成されたものとは違った、純粋な自然色が見えた。

 紫は出口が見えたことで、警戒心を最大限まで高めつつも、ゆっくりと目的の位置まで進んでいく。

 そして、トンネルは壁が完全に黒に染まった所で途切れ、紫はそのまま勢いをつけて外へと飛び出した。

 

「あ……」

 

 息が詰まる。

 紫が飛び出した先は、少々高度のある上空で、先まで夜胤と弾幕の応酬を繰り広げていた場所とそう離れてはいない場所だ。そこには、別段罠が仕掛けられている訳でもなく、いつも通りの幻想郷の景色が広がっているだけだ。

 だが、それだけである筈なのに、何故か胸に詰まるものがあった。

 

「やっぱり、幻想郷(ここ)が一番美しいわ」

 

 何だか、心の中に透くような気分を味わいながら、紫は対戦相手である夜胤の姿を探す。

 

「やあ、どうだったかな。私のちょっとした遊び心は」

 

 紫の背後から声が聞こえる。

 振り向けば、衣服のあちこちに焦げたような後を残しつつも、特段大きなダメージを負った様子のない夜胤がいた。

 その姿を認めた紫は、口元を扇で隠しながら目を細める。

 

「……貴方らしいとだけは。あれが貴方が歩んできた『旅路』の記憶?」

 

 紫の言葉に、夜胤は肩を竦めて答えた。

 

「まあ、間違ってはないな。あんな月並みに綺麗な景色ばかり見ていたわけではないが」

「貴方の性格から考えたらそうでしょうね」

 

 紫は広げた扇を音をたてて閉じると、スキマから何時もさしている日傘を取り出して、勢いよく開く。

 

「それで、私のスペルを貴方は攻略できたのかしら」

「見たらわかるだろう」

 

 紫の言葉をきいた夜胤は、苦虫を噛み潰したように顔を歪めて、両手を広げてみせる。

 

「掠めた弾幕のおかげで一張羅が台無しだ。どう責任を取ってくれる」

「……弾幕ごっこをするというのに、お気に入りの服を着ている貴方が悪いと思いますわ」

「それはそうだな」

 

 素直に納得してしまった。

 紫は相変わらず軽薄な調子の夜胤に嘆息。乱されてしまった場の空気を誤魔化すように、手に持った日傘をくるりと一回転させた。

 

「何だか気が抜けてしまったけど……まあ、貴方も私の『弾幕結界』を攻略したようですし、私も貴方の最終スペルを攻略したのだから、この勝負は引き分けね」

「ふむ……両者が同時に全てのスペルカードを攻略された場合は引き分け扱いになるのか」

「弾幕ごっこ初心者相手に引き分けたと言うのは、甚だ不本意ですけど」

「くはははは。ざまあみろ」

「……スキマに叩き落として差し上げようかしら」

 

 煽るような言動をする夜胤を睨み付けながら、紫はビシリと手に持った扇で夜胤を指して告げる。

 

「とにかく、引き分けたのだから、勝負前に話していた条件について互いに折り合いをつけましょう」

「折り合いか。とは言っても、私が提示する条件は幻想郷に滞在する許可をもらうことであって、大も小もないのだが」

 

 夜胤は紫の言葉に自身の意見を伝える。

 それを聞いた紫は、唸り声を上げて悩ましげに顔を俯かせた……が、数瞬の間だけ挟んで直ぐに顔をあげる。そこに浮かぶ表情は、何処か複雑そうな感情を滲ませるものだった。

 

 ――結局、こうしてしまうのね。私は。

 

「……なら、こうしましょう。私は貴方に、幻想郷に滞在する許可をあげるわ」

「本当か?」

「但し!!」

 

 夜胤の言葉を遮るように紫が言葉を挟む。

 

「貴方は幻想郷にいる間、貴方の意思が介在する範囲で幻想郷に、またはそこに住まうものたちに大きな被害を与えるような行為を禁じます。これを承知した上でなら、幻想郷に滞在することを許してあげる」

「へぇ……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、夜胤の声音に冷たいものが混ざる。気まぐれな気質をたたえた瞳に剣呑な光が宿ったかと思えば、強烈な威圧感が紫を叩きつけた。

 

「この私にその条件を突きつけることが、どう言うことか分かっているのか?」

「その条件を突きつけられる側の癖に、ずいぶんと偉そうねぇ」

 

 しかし、その威圧を前にしても紫が動じることはなく、右手に持った扇を仰ぎながら余裕すら滲ませる微笑みを浮かべていた。

 

「もちろん、貴方にこの条件を科す意味は理解しています。けれど、これを飲まなければ私はどんな手を使ってでも貴方を幻想郷から追い出すつもりでいるわ。確かに、貴方が本気になれば私など路傍に転がる石ころにすらならないのでしょうけど、私を滅ぼせば幻想郷は滅ぶ。だから貴方に私は殺せない。だけど、私は命あるかぎり貴方をここから追い出そうと試みる。貴方だって、幻想郷にいる間ずっと羽虫につきまとわれるのは嫌でしょう? ならば、条件を飲んだ方が賢い判断だと、私は思うけど」

「…………はは」

 

 捲し立てるような紫の言葉の羅列に、夜胤は小さく笑みを漏らすと、首を左右に振ってから両手を上げる。

 

「ぐうの音もでんよ。降参だ。君の提示した条件を飲む代わりに、どうか私をこの美しい場所に置いてくれないか」

「ふふ……仕様がないわね」

 

 その様子を見た紫は小さく口元を綻ばせると、右手に持っていた扇をスキマへと放り込み、夜胤に向けて差し出した。

 

「わかったわ。貴方が幻想郷へ滞在することを許可しましょう」

「……感謝する」

 

 紫の言葉に夜胤は頭を下げると、差し出された右手を軽く握り込んだ。

 

「幻想郷は全てを受け入れる。それはとても残酷なことですわ。だからこそ、悪意を持って仇なさない限り、幻想郷は貴方を受け入れる」

 

 紫は握り込んだ夜胤の手を離すと、日傘を持ったままの左腕と右腕を大きく広げ、眩しいくらいに満面の笑顔を浮かべた。

 

「幻想郷は、貴方を心のそこから歓迎します。夜胤……いえ――」

 

 

 

 

 

「――異形なる神々の化身『Nyarlathotep(ナイアルラトホテップ)』」

 




クトゥルフ神話のアイドル登場。なお原作(ラヴクラフト作)では洒落にならない存在のもよう。


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六話 幻想郷と黒の旅人

 博麗神社からのびる人里への細道。

 手入れがされておらず草がぼうぼうに伸びきり、凹凸だらけといった有り様を呈している道の上で響く、音。

 

「はあぁ――――」

 

 地鳴りのような溜め息だった。

 長々と空気を震わせて宙に霧散したその発生源は紛れもなく、その一張羅を所々焦がし、癖のある髪をよりボサボサにした青年――夜胤である。

 

「どうして、こうも上手くいかないのだろうか」

 

 幻想入りしてからどうにも碌な目に会っていないことに、夜胤は肩を落としていた。

 半日森をさ迷い、巫女に脅され、空から落ち、かつての知り合いに恨み言と共に勝負を吹っ掛けられる。一部は自業自得とは言えども、ここまで連面と厄介事が続くとなると、どうにも人間の心身には辛いものがあった。

 それに――

 

「結局、巧い具合に纏められてしまったか」

 

 ――自身の手首に巻き付いた、紫色の華やかなリボンを見て、夜胤はごちる。

 夜胤の手首に巻かれたそのリボンは、スキマ妖怪八雲紫お手製の魔道具だった。

 その効果は、夜胤と紫の間での通信を始めとした、紫への呼び出し信号や、夜胤の側へいつでもスキマをつくることの出来る機能など多岐にわたる。

 だが、その主な目的は夜胤の行動の監視であり――つまるところ、この魔道具は飼い犬につける首輪とリードのようなものである。

 夜胤が不用意な行動を起こさぬよう牽制し、また、弾幕ごっこの末に交わされた契約に反するようなことがあれば、直ぐにでも幻想郷から夜胤を追い出せるようにと。

 

「とどのつまりは、私はあの少女にまったくもって信頼されていないと言うわけだ」

 

 苛烈極まる弾幕の応酬の末に果たされた契約。満面の笑顔で粛々と取り決めを進めた後、あまりにも自然な動作でこのリボンを夜胤に巻き付けた紫。自分の腕に監視道具を巻き付けた紫を前に、夜胤はただただ閉口するしかなかった。

 

 ――約五百年と少し。それだけ時を経ても、彼女との間にある蟠りは、溶けてはいないのだろうな。

 

 思い返すはかつての記憶。八雲紫という少女と過ごした、濃密な時間とその結末。

 夜胤はそれを、たった一回の弾幕ごっこでうやむやに出来るほど軽いものだとは思ってもいなかったし、きっとこれからもそうだと思っている。進んでどうこうする気など夜胤には毛頭ない。

 

「……まあ、今さら考えた所で栓なきことか」

 

 紫は夜胤のことを『Nyarlathotep(ナイアルラトホテップ)』の名で呼んだのだ。故に、夜胤はかつての記憶に対する女々しい思考をかき消した。

 紫がその名を理解している限り、何を考えた所で、結局は無駄足でしかないことを知っていたからだ。

 

「どうせ、時が来たら嫌でも向き合うことになる」

 

 信用されぬならば、それでいい。少しでも私を理解しているつもり(・ ・ ・)であれば、それこそが賢い選択というもの。私としても、その方が面白い。

 夜胤は口元に三日月形の笑みを浮かべる。

 

「それに、後ろ暗いことだけでもなかったろうに」

 

 夜胤は思い浮かべる。自身の腕にリボンをつけ、粗方の取り決めを交わした後に紫が切った啖呵の内容を。

 まるで、幼い少女が身に余る自信を溢れさせながら、自分がなした功績を自慢するように。堂々と胸を張って言い切ったその言葉を。

 

『貴方が旅して見てきたどんな場所よりも、この幻想郷が美しいと保証してあげる』

 

 ――ならば、拝見させてもらうとしよう。

 私が見ていた、あの雛のように頼りない楽園の姿から、一体どのような成長を果たしたのかを。

 

「それが、私が目指す最果てへの手掛かりとなるのならば」

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「終わった……」

 

 悠々とした振る舞いで立ち去った夜胤の背中が見えなくなった頃。

 その顔に張り付けていた幻想郷の管理者としての仮面を脱ぎ去った紫は、肺一杯に空気を詰め込むや、体にこもった熱と共に大きく吐き出した。

 

「相変わらず、胡散臭い男……話してると肩が凝っちゃうわ」

 

 ぐるんぐるんと勢いよく両腕を振り回しながら、紫は自身の手首に巻き付いている紫色のリボンを一瞥する。

 そのリボンは紫が自作した魔道具であり、効果として、同じものを着けている者の位置特定や双方向の通信など多岐にわたる。が、その主な製作理由としてはこれを着けている対象の監視であり、事実、対象の位置がわかることにより何時でも対象の近くにスキマを開くことができるのだから。

 つまりは、夜胤が不穏な動きをすれば直ぐにでもスキマによって幻想郷から追放することが可能という訳だ。

 

「弾幕ごっこで引き分けたのは予想外だったけれども、これを着けることができただけ上出来かしら」

 

 互いを煽り会うような言葉の応酬に、夜胤の言葉に対する不満の漏出。そして止めとばかりに言い切った啖呵。思い返せば身震いするほどに自分自身の感情が表に出ていたのだが、そこから対等な立場での契約へと持ち込めたのは本当に幸運だった。弾幕ごっこに持ち込めたというのが一番大きいが、当の夜胤自体も、そうなるように立ち振舞っていた気がするのは気のせいか。

 

「なんというか」

 

 ――掴み所がない。

 

 夜胤にとっても予想外だったはずの今回の顔合わせ。

 それなのに、夜胤と相対したことで紫が得たものと言えば、夜胤の行動に対する制限と、この幻想郷に何らかの目的があるという何とも不明瞭な部分のみ。

 対する夜胤としては、その行動に監視がついたとはいえ、名実ともに幻想郷に滞在する許可が取れたのだから成果としては大いに十分と言えるだろう。

 何だか一方的に手札を毟りとられた気がする。むろん、幻想郷への不穏因子に対策を講じることが目的だったこともあり、夜胤に顔を出したのも牽制の意味合いが強い。故に最上の結果を望んでいたわけでもないのだが、やはり思うところもある。

 

 ――どうして、今更。

 

「ダメよ。それはダメ」

 

 無意識的に浮かび上がった思考を、一喝するように頬を叩いて落した。

 だが、へばりついている記憶の残り香は、脳裏に焼き付いて離れない。忘れかけていたはずのそれが、青年の姿を前にしたことにより、鎌首をもたげている。その事実は、紫をどうしようもなく陰鬱とした気分にさせる。

 

「忘れたくても忘れられないって、辛いこと」

 

 さ迷わせるようにしていた指先で、日傘の柄をつつく。その動作に合わせて、日傘のレースがゆらゆらと頼りなく揺れた。

 

「……けれど、それでいいのかもしれないわね」

 

 忘れたいこともある。だが、それが全てではない。

 朧気な光景。暖かな日溜まりの中で並ぶ、三つの影。それは紛れもなく、紫が幻想郷で過ごした時間の一つ。

 それを無条件に忘却するのは、幻想郷を愛するものとしては些か惜しい。

 

「夜胤には存分に幻想郷を堪能して貰いましょうか」

 

 向き合うにしろ向き合わないにしろ、自分自身が引き摺っているのは確かだ。なら、それらを精算するには丁度いい機会だろう。

 大妖怪八雲紫に、同じ場所で足踏みするのは似合わないのだ。

 

「気にすることはないわよねぇ。この先にどんな結末が待っていても、きっと」

 

 私たち(・ ・ ・)が創り上げた幻想郷は、それを受け入れてくれるのだから。

 

 その考えに、紫は小さく口元を綻ばせると、優雅な所作で身を翻した。

 少女然とした背中に迷いはなく、相変わらずの胡散臭い空気を纏ったまま、ゆっくりと開いた空間の裂け目へと消えていくばかり。

 あとに残るのは、緩やかな青を描く雄大な空と、少しだけ春の訪れを予感させる、ヒヤリとした風が吹き抜けるのみだった。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 なだらかな勾配の坂道をくだりながら、夜胤は目前に広がる景色へ思いを馳せる。

 

「はは……」

 

 夜胤は笑う。喉から絞り出したような声は、吹き抜けた麗らかな風によって浚われていった。

 

 夜胤の目に写ったのは、幻想郷の姿の一端。

 

 遠くに続いている細道の先。そこにある木造建築が密集した円形。話に聞いていた人里だろうか。天上から注ぐ日の光に照らされて、鮮やかな生活風景が浮かんでいる。

 そんな人里に隣り合うように流れるのは、透き通った河川。細やかに光を反射して、水流のうねりと共に漂う煌めきは、さながら天然の万華鏡といったところか。

 少し離れた一帯には森があり、瑞々しい青葉をざわざわと波打たせ、まるで深緑の大海でも見ているような気分になる。目を凝らすと、森の継ぎ目には霧がかった湖が揺らめいていた。

 遠目に見えるのは、山だ。空を突き破るように在るそれは、日本の最高峰である富士山に劣らぬほどに巨大な峰。

 

 まるで、思い付く限りの要素を繋ぎ合わせたような一面の景色は、各々が自分勝手に存在を主張している。

 しかし、その末に出来上がったのは荒々しく強かな美しさを感じさせる、自然と生命が香る悠久の景色。

 

「……日の国か」

 

 脳裏によぎる、遥か昔に存在した魑魅魍魎と神々の住まう島国の名。夜胤の目前にある世界は正しく、すでに失われたその姿を体現している――数多の神々が恋した幻想郷そのもの。

 

「確かに、あれだけ躍起になって私に啖呵を切ったのも、理解できると言うものだ」

 

 むしろ、これを創り上げたことを誇らずして何を誇るというのか。

 

「ああ……胸が高鳴るな」

 

 口元が吊り上がり、裂けるような三日月形の笑みへと変わる。

 妖怪に神々に人。多くの齟齬も矛盾も孕んでいるであろうそれらの共存関係。まだ見ぬそれは紛れもなく、夜胤が追い求めるものに辿り着く足掛かりでもあり、その上で成り立つ世界というものは、個人的にも興味の尽きないものだ。

 

「さあ、幻想郷を巡る旅をはじめようか」

 

 きっとそれは、息つく暇もないほどに、愉快なものに違いない。

 夜胤は、内に渦巻く混沌とした感情をひた隠しにして、人里へと続く坂道を悠然と下り始めた。

 

 吹きつける風が、その身に纏うコートの裾をはためかせる。まるで、かけられた暗幕が引かれるように、黒い影が尾を引いた。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 これから始まるのは、とある旅人が歩む旅路の記録。

 

 それはかくも騒がしく、かくも愉快。時として幻想郷の存在を揺るがすような事件を巻き起こしながらも、そこに住まう住人たちと共に、終着点を目指した旅人の記憶。

 

 全てを冷笑し、全てを嘆賞する旅人の――狂気と混沌に満ちた、何てことはない物語である。




実質ここまでがプロローグ。

次の章にむけて書き溜めをつくるので間を開けます。


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