いつまでも、どこまでも(惣主) (ミカヅキ&千早)
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第1話「おかえり、ただいま、それから」(千早)

一年前に居候していた雨宮蓮が再び東京に来ると聞いたのは二月の初めだった。

AO入試で東京の大学を選び、無事に合格したと。

そして惣治郎が問題なければまた屋根裏をつかわせて欲しいとも。

あんな場所に好んで来るなんて酔狂だなと惣治郎は苦笑した。

だが双葉は目を輝かせてやったーと叫んでいたので、それだけでもう蓮の居場所は決まったようなものだ。

一年間、ろくに掃除をしていなかった部屋を二人で掃除して、彼が居た当初と同じように簡易的なベッドを作る。

もっといいベッドを買ってやろうかと思ったが、そういうのは大学に行きながらバイトをして自分で買うと言ってきた。

ささやかだが家賃も払うと。

家族みたいなもんだからいらないと言ったが、そっちは親からの気遣いだからと言われてしまえば受け取らざるを得ない。

結局慌ただしく日々は過ぎて三月の下旬、蓮は再びルブランに姿を現した。

「……こんにちは」

カラン、と入口の扉を開くと同時に控えめな声が零れる。

途端にカウンターに伏せっていた双葉が犬のように走り出して蓮に飛びついた。

「おかえりー!」

「双葉、ただいま」

首に抱き付いてぶらんぶらんと身体を垂れ下げる双葉の重みに、身体が少し前のめりになるものの蓮が笑みを浮かべる。

あんなに対人恐怖症だった双葉がここまで懐いてくれると蓮にとっても喜ばしいものだと。

そしてそんな二人を見て惣治郎も口端が緩むのを抑えられなかった。

「おかえり、カレー食うだろ」

三人分の食器を棚から取り出して惣治郎が告げる。

するとショルダーバック一つの荷物を背負い直して蓮は頷いた。

先に荷物置いてこい、と言うと双葉と共に屋根裏へ上っていく。

掃除されているとは思っていなかったのか、驚きの声と感謝の言葉が双葉に向けられるのを耳にする。

それもそうだ。

二年前には自分でなんとかしろと突き放したのだから。

しかしそれから一年の間にいろいろあって。

双葉が学校に復学出来たのも蓮のおかげだと惣治郎が知って。

だから今度は厄介な居候なんかじゃなく、家族として迎えようと双葉と二人で決めたのだ。

明日には彼の仲間もルブランに集まる予定だ。

今日はまだ上京したてなことと、荷物の片付けなどがあるから遠慮すると言って。

仲間たちは双葉に会いに何度もルブランに訪れていた。

だから騒がしいのには慣れてしまった。

そういえば蓮は竜司が珈琲を飲めるようになったと知っているだろうか。

尽きる事のない話はきっと夜まで続くだろう。

明日ばかりは臨時休業の札でも下げておくかと惣治郎はカレーを盛り付けた。

そして届いていた荷物を軽く整理し、揃って降りてきた二人と食事を取る。

久々の三人の食事に双葉は高揚していたし惣治郎も悪い気はしなかった。

ごちそうさま、と手を合わせて。

それから進んで洗物を引き受けた蓮の横で豆を引きサイフォンで抽出する。

薫り高い珈琲の匂いが改めてルブランの店内に広がっていった。

「よし、出来たぞ」

カップに注いでカウンターに並べるとテーブル席から双葉が移動してくる。

洗物を終えた蓮もカウンターに座り直した。

透明な耐熱カップに揺れる黒い液体は照明を弾いてキラキラと輝いている。

それを一口飲むと蓮は目を輝かせた。

思わず惣治郎の口角が吊り上がる。

「美味いだろ?」

「はい、すごく……まろやかなのに重厚に味が広がっていって……」

「phantom thief of the heart」

双葉と二人、蕩けるような笑顔で舌鼓を打つ蓮が目を瞬かせた。

その名はもう聞くことがないと思っていたものだからだ。

「心の、怪盗?」

「そうだ。お前たちをイメージして俺がブレンドした。双葉にも今日初めて飲ませる」

ふっと笑みを濃くすると嬉しいのか僅かに頬を紅潮させて蓮がもう一口とカップに唇を寄せる。

色味も若さを表現するのに煎りすぎないようにした。

その琥珀の液体が蓮の唇に吸い込まれ、味わうように舌先で転がされると、再び蕩けるような笑みを浮かべて美味しいと呟かれる。

惣治郎もまた同じ珈琲を口に含みながら鼻孔を抜ける香りに満足げな表情を浮かべた。

 

 

(つづく)

 

 



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第2話「帰ってきた日常」(ミカヅキ)

 翌日、ルブランに懐かしい風景が甦った。

 

「れんれん! おっかえり~!」

 高校卒業後、荻窪のラーメン屋で修行を始めた竜司が、蓮に抱きつく。

 相変わらずストレートな感情表現だ。

 竜司としては陸上への未練もあったが、足の状態がやはり芳しくなく、一念発起してラーメン修行に転じたのだ。

 まあ、それは母に負担をかけまいとする竜司の優しさもあってのことだろうが。

 

「おかえり、蓮」

 志望通りの大学に進学し、日々勉学に励む真が蓮に微笑みかける。

 大学生となって、少しは堅さが取れてきた感じか。

 密かに蓮への思いを持ち続けている真だが、今は春と過ごすことが多く、いい親友関係を築いている。

 

「また一緒にコーヒー飲めるね!」

 別の大学だが、春も真と同様に都内の大学へ進学。

 無邪気な春の言葉だったが、蓮を慕う皆はそれぞれ敏感に反応したようだ。

 もちろん、真の気持ちは知っている春だが、実は春自身も蓮に対して特別な感情があることは否めない。

 

「よ~~っし! じゃあ今日は鍋パーティーだ!」

 そして元気に秀尽学園高校へ通う双葉が、皆の背中をバンバンと叩き歩く。

 もう、引き籠もり体質はすっかり影を潜めている。

 

 そんな仲間たちを、カウンターの向こうから惣治郎がにこやかに見つめる。

 蓮や双葉同様、他の元・怪盗団のメンバーも惣治郎にとっては家族同様と言っても良かった。

 それほど、大きな壁を乗り越えた絆というものは、深く強いものなのだ。

 

「みんな、久しぶり。……杏は?」

「あ~、高巻は今アメリカだってよ、ア・メ・リ・カ!」

「モデルの仕事?」

「ああ。しばらく帰れねーみたいだから、お前によろしく言っといてくれとさ」

 腐れ縁なのか仲睦まじいのか、竜司と杏のホットラインは健在のようだ。

 

「……ん? 祐介もいないようだが」

「ああ……」

 蓮の言葉に、真が少し強張った表情になる。

 そして双葉がひと言。

「アイツ、今行方不明だ」

「行方不明?」

 怪訝な顔つきになる蓮の肩をポンポンと叩きながら、竜司がフォローする。

「な~んか芸術修行だとか何とか言って、山へ行っちまったんだよ」

「山?」

 さらに真が説明を加える。

「少し壁にぶつかったみたいで、山籠りして自分を見つめ直すんだって。……携帯もつながらないんで、一体どこにいるやら」

「でも喜多川君なら、大丈夫じゃない?」

 あくまで無邪気に笑う春。

「……全く、変態のやることは分からん!」

 ふてくされたように、双葉がカウンターの奥へと入っていく。

 

「そうか……。じゃあしばらくはこのメンバーってわけだな」

「ん? ああ、そうだな! かつて熱い戦いを繰り広げて世界を救ったヒーローたち、だな」

「いや……、ん、まあいい。よし! 鍋にするか!」

 一瞬神妙な表情となった蓮だったが、再び笑顔になって鍋を探す双葉の方へと向かった。

 

 ただ、その一瞬の違和感を真は敏感に察知した。

 そして、カウンターの中にいた惣治郎も……。

 

 

(つづく)

 



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第3話「色恋沙汰」(千早)

 

お腹いっぱいに鍋を平らげて、昔のように皆で雑魚寝をして夜が明けた。

高校生の頃の真などはどんなに遅くても家に帰っていたが、今は姉が信頼してくれているということもあり、連絡すれば泊まりもOKのようだ。

春は少し悩んだが、双葉がまだまだこれからだろ、とトランプを取りだしてきたので帰れなくなってしまった。

男性陣は屋根裏に、女性陣は惣治郎の好意でルブランに。

夜が明ける直前までいろいろな話をし、騒いだ皆はぐっすりと寝ていた。

 

その静寂を破ったのはまだ開店前で鍵がかかった扉だった。

「あの、すみません」

コンコン、と控えめなノックと共にドアの外から声がかかる。

始めに気が付いたのは春だった。

だが勝手に扉を開くことは出来ず主人である惣治郎もいなかったので、一階から二階の蓮に声をかける。

お客様がいらしたようなんだけど、と。

だが寝起きがあまりよろしくない蓮から反応はない。

どうしようと思っているとモルガナがあくびをしながら顔を覗かせた。

「どうかしたのか?ハル」

あ、良かった、と春が両腕を広げる。

すると慣れた様子でモルガナが春の腕の中に飛び込んだ。

モルガナは蓮について行ってたいたため、蓮と同じく春たちに会うのは久しぶりだ。

だが昔の絆は固いもので半ば条件反射のように腕の中に収まっている。

「誰か来たみたいなの、一緒に出てくれる?」

「おー、ハルに何かするようならワガハイがとっちめてやるから安心しろな」

顎先を撫でられてにゃっふーと喜ぶモルガナの様子に春の緊張が和らいだ。

その間にもすみません、とノックと声は続いている。

「はい、どちら様でしょうか」

旧式の鍵をカチンと回して扉を開いた。

するとそこには少し童顔ながらも精悍な顔つきの青年が立っている。

春たちと同じくらいの年代だろうか。

開店前の純喫茶から可愛らしい美少女が出てきたことに少なからず驚いて言葉を失っていた。

だがすぐに立ち直って、頬を赤らめながら一礼する。

「僕、天田って言います。あ、こっちはコロマルって言って、犬なんですけど、きちんと躾されているので」

「にゃっふ!!」

ハッハッ、と舌を出してお座りをしている犬にモルガナが逃げるように春の胸ので騒いだ。

そのせいでぽよぽよと豊満な肉が揺れて天田の頬がさらに赤くなる。

「すみません、猫がいるとは思ってもいなくて……」

「モナちゃん、大丈夫だよ。ちゃんとお座りしてるえらい子だから」

ぽんぽん、と背を擦られてモルガナは春に寄り添い警戒しながらも落ち着きを取り戻した。

そして改めて天田を見やる。

「それで、どうしたんですか?」

「あの、彼のこと、知っていますか?」

天田に促されて彼の肩に担がれた人間がいたことにようやく春が気が付いた。

天然の春らしさが出ているが、天田の顔に集中していて肩にまで意識が向かなかったのだ。

同じくモルガナも犬の匂いに鼻をやられてもう一人の匂いに気が付かなかった。

そして二人はほぼ同時に、驚いた声を上げた。

「喜多川くん!?」

「ユースケ!!」

天田に担がれた祐介は意識がないのかぐったりしている。

叫び声に驚いたのと、その名前に反応した仲間が続々と起きだして入口に集まってきた。

 

コロマルの散歩道で祐介を拾ったという天田に蓮がコーヒーを差し出す。

学生証などは持っていなかったが、ルブランのマッチが少ない荷物の中にあったというのだ。

すぐに双葉が惣治郎を家まで迎えに行った。

その間に真が寝かせた祐介の看病をする。

竜司はカレーは食べられないかもしれないから、とスーパーまで身体に良さそうなものを買いに行き、天田は彼らの連携に感嘆した。

「みなさん、仲がいいんですね。まるで相手の気持ちがとてもよく分かっているようだ」

「いろいろあったから……彼もそうよ」

苦笑を浮かべた真が祐介の青白い顔にそっと温めたタオルを乗せる。

そこへ真の分と自分の分、春の分のコーヒーを淹れて蓮がボックス席へ移動してきた。

一年前に流行ったキャラクターもののマグカップは言わなくても彼らの絆が伝わるようで天田の頬が緩む。

「人がいて良かったです。病院に行こうか悩んだんですけど、こっちのほうが近かったので」

ふぅ、と湯気を吹く天田にもう一度蓮が有難うと礼を告げた。

どうやら天田にも祐介が行き倒れていた理由は分からないらしい。

そこにようやく惣治郎が現れた。

双葉の姿はない。

自宅で待機していろとでも言われたのだろうか。

ほぼ同時期に竜司が買い物を終えて戻ってくると、惣治郎は蓮以外の人間は帰るよう促した。

たくさんの人数がいても困るという惣治郎の言葉だが、真は大学があったり、春は会社の用事があったり、竜司もラーメン屋の仕込みがあるという予定を把握しているからこその気遣いだ。

そんな惣治郎に蓮の口角が僅かに上がった。

それを間近で見ていた真の眉根が寄る。

「……ねぇ、蓮」

「ごめん」

真が何かを告げる前に、蓮は二人にしか聞こえない声でそう返した。

そして真の顔を振り返ると、心の底からすまなそうにもう一度、ごめん、と呟く。

真もそれ以上は言わなかった。

 

天田に手伝って貰って祐介を屋根裏のベッドに運び込むと、店内は天田、惣治郎、蓮だけになる。

先程までの喧騒が嘘の様だった。

そして改めて天田に礼を告げる。

「本当に助かりました。アイツは天涯孤独で、ちょっと変わっていて、なかなか頼れる人もいないから」

「ああ、そんな。ほんと、見つけたのはコロマルだし、僕は運んだだけなので」

照れたように後頭部を擦る天田に惣治郎が謝礼に、と茶封筒を差し出した。

だが天田はそれを断り、コーヒー美味しかったですと笑って席を立つ。

「早く目を覚ますといいんですけど。それじゃあ、何かあったらいつでも相談して下さい。これ、僕の電話番号なんで」

メモ帳にさらさらと数字を書き込むと蓮に渡して天田はコロマルと出て行ってしまった。

その背を見送って蓮はコーヒーカップを集め洗い場に持っていく。

「……そうしてると昔のバイト時代に戻ったみてぇだな」

エプロンいるか?と笑う惣治郎の表情に、蓮はぴくりと指先を震わせた。

 

 

 

 

(つづく)

 

 



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第4話「連鎖」(ミカヅキ)

 ふいに動きを止めた蓮を見て、惣治郎が怪訝に感じる。

「……どうしたんだ?」

 

「エプロン……。そう。エプロンが問題なんです」

「何だって?」

 

 と、そこで入口のドアが開き、武見妙が入ってきた。

「お待たせしました」

「え?」

 少し驚いて妙の方を見遣る蓮。

 すると、惣治郎が妙の方へと向き直る。

「あー、先生。ありがとうございます。どうぞ上へ」

 

 どうやら、祐介を診てもらうために惣治郎が呼んだようだ。

 妙は、惣治郎の後について歩を進め、蓮とすれ違いざまにひと言囁く。

「久しぶりね」

「あ……、はい」

 何故か少し動揺している蓮。

 一方、妙は素知らぬ表情で屋根裏部屋へと上がっていく。

 

  *

 

 蓮が屋根裏部屋へ上がると、妙はもう祐介の診察を終えていた。

「……だいぶ衰弱してるけど大丈夫。全く、何でこんなことになるの?」

「おい、お前何か知らねぇのか?」

 惣治郎の問いに、蓮は知りうることのみを答える。

「山へ修行に行ったとしか……」

「何それ。……ホントに変なコたちね。確か、一年か二年前にも引き籠もりの女の子を診てあげたような気がするけど、自分の命は大切になさい」

「はい」

「じゃあ、私はこれで」

「あー先生、ありがとうございました」

 惣治郎は妙に深く頭を下げる。

 その絶妙なタイミングで蓮の前を横切る妙。

「……また、来てくれるのかな」

 

 妙の囁きに答えることも目を合わせることもしない蓮。

 その表情は、微妙に強張ってた。

 

「……おい」

 惣治郎の何度目かの呼びかけでようやく気がつく蓮。

「あ、はい」

「何だ? ボーッとして。そういや、さっき何か言いかけてたな」

「そ、そうだ! エプロ……」

 と、階下で何やら大きな物音が!

「何だ!?」

 

 階段を駆け下りる惣治郎と蓮。

 すると一階は白煙に支配されていた。

「うわっ! 何なんだ!?」

 惣治郎が手探りで換気扇のスイッチを入れる。

 徐々に白煙が止んでいき、視界が戻ってくる。

 と、そこには見たことのない少女が立っていた。

 

「君は……誰だ?」

 蓮の問いかけに、青い帽子を被った少女は答える。

「私は……、わたし」

「……何だ? 知り合いか?」

 惣治郎も煙を手で仰ぎ避けながら、青いショルダーバッグを提げた少女を見遣る。

「ここは……どこ?」

 今度は逆に、黒赤のアームカバーと白黒のニーハイを身につけた少女が周囲を見回しながら問う。

 そして、入口近くの壁にかかった油絵を見つけ、それに見入る。

 

「その絵が、どうかしたか?」

「この赤ん坊……」

「ん?」

「……うっ!」

 突如の頭痛に頭を抱える白シャツの少女。

 と、そのまま店を出て走り去っていく。

「おい! ちょっと……!!」

 

 扉から外を見渡す蓮。

 しかし、少女の姿はない。

「……全く、どうなってやがんだ」

 そう言いながら蓮を店の中へと促し、扉を閉める惣治郎。

「今日はもう店仕舞いだな。……おっと、お前何か言いかけてたよな?」

「あ、そうだ! エプ……」

 と、今度は屋根裏部屋で何やら物音が!

 

「……何だ!?」

 

  *

 

 屋根裏部屋の窓が大きく開き、ベッドの上には誰の姿もなかった。

 

「祐介……」

 

 

(つづく)



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第5話「肌寒い屋根裏で」(千早)

 

カチ、コチ、と。

規則正しい時計の音を聞きながら、蓮は不安げな表情を隠せずにいた。

祐介はかなり衰弱していた。

その体でいったいどこへ行くつもりだろうか。

ルブランには彼の大事な、彼の母が描いたサユリが飾られている。

もしも暁や双葉、ルブランに不満があるのならばサユリも持っていくはずだ。

だが絵がそのまま飾られていた。

単純に変人の癖が出ただけなのか。

いや、そんなことはないと蓮の勘が告げている。

だがちょくちょく顔を出していたとはいえ、ルブランに戻ってきたのがつい先日の蓮には彼の行動の理由すら掴めない。

それに青いショルダーバッグを掲げた少女、彼女の存在も心に引っかかった。

「……おい、いつまでそうしてるつもりだ」

開いたままの窓を見詰め立ち尽くしている蓮に惣治郎が声をかける。

店仕舞いだと言っていたからか、エプロンは外し外出用の帽子を被っていた。

その姿は蓮には追いつけないほど大人に見えて、冷えていた指先に温もりが戻るようにも感じられた。

「春先ったってまだ寒いんだぞ」

「そうですけど、きっと祐介も寒い思いをしてるんじゃないかって思うと……俺、どうしたらいいのか」

順風満帆な学生生活が送れるとおもっていたのに、実際は戻ってきた矢先にこんな状態だ。

毎日のように一緒にいた仲間はバラバラで。

途中になっていたコーヒーの修行もまるでできやしない。

これが大人になっていくということなのだろうか。

自分の時間が持てず、日々の忙しさに流されていく。

そうしているといつか自分もあの時の大人たちのように、力のない子供を食い荒らすようになるのだろうか。

蓮はそうなるのが怖くて足が竦んだ気がした。

「……ったく、窓くらい閉めろ」

惣治郎は手にしていた布を蓮に押し付けると面倒そうに開かれた窓を閉めに行く。

頬を冷やしていた風が止まった。

止めたのは惣治郎だ。

たったそれだけのことなのに、蓮は涙が出そうになった。

「すみません、俺、また迷惑かけて」

「構わねぇよ。とっくの昔に覚悟は決めてて、双葉もそうだがお前も大事な家族だ」

「……大事な、家族」

嬉しさと、そして切なさが混じる言葉に、蓮は思わず俯いてしまう。

すると惣治郎から渡された布が目に入った。

モスグリーンのそれは少し汚れていて見覚えがある。

「あ、これ……」

蓮は落とした視線をすぐさま戻し、惣治郎を見やった。

「エプロン、必要なんだろ?俺にはわからんが、お前、何度もエプロン、エプロンって言ってたからな」

再び指先に熱が灯るように。

蓮の身体が脈動する。

「あんなにたくさんいろんなことがあったのに、俺の言葉に気付いていてくれたんだ」

わけのわからないことばかりで、事態はひとつも好転していないというのに、蓮の頬が緩んでしまう。

この地を一度離れることになったあの日に封印した想いが、懐かしい場所で再び巡りだした。

けれど今はそれを言える状態ではない。

蓮はエプロンをぎゅうっと握り締めると、近づいてきたモルガナに頷きを見せた。

「今日は遅いのでちゃんと寝ます。明日、祐介を探しながら……突然現れた少女を探そうかと」

「そうか。好きにしろ……ただ、手に負えないなら俺でも誰でもいいから頼れよ」

「はい……あ、そうだ、武見医院にも顔を出しておかないと」

語尾が濁るように薄くなった言葉に、今度は惣治郎の眉根が上がる。

武見と何か関係があったのか、なんて詮索するつもりはないが、惣治郎は帽子を被り直して一息ついた。

「……お前、双葉に手なんて出してねぇよな?」

何度目だろうか。

その言葉に蓮はあはは、と笑い声を上げて首を横へ振った。

「出してませんよ」

そして強張っていた表情がちょうど解れたのか、笑みを浮かべた蓮がおやすみなさいと告げる。

ああ、おやすみ、と返して、惣治郎はルブランを後にした。

「……レン、ワガハイが言うことじゃないが、何でもかんでも背負うのはやめておけよ」

「モルガナ?」

「ユースケは別にいいけどよ、突然現れてサユリを見てった女、アイツ、昔お前から時々感じた別世界の匂いがした」

蒼い双眸が瞬きもせずに蓮の顔を見詰める。

別世界の匂い、イセカイでないとしたら、ベルベッドルームだろうか。

ならばラヴェンツァに何か聞けばヒントが得られるだろうか。

自分の周りで何かが起こっていることは分かる。

だがそれが何なのか、蓮はまだ正体を捕え切れてはいない。

「……ありがとう、モルガナ。まずは祐介に話を聞けたらいいんだけど。じゃがりこで罠でも作ってみるか?」

「さすがにそこまでじゃがりこ信者じゃねーだろ」

蓮の軽口に少し安心したのかモルガナが微笑んだ。

昔と変わらないスウェットに身を包んで、蓮は身体を休めるために布団に入り込む。

寝不足の頭では正解を導き出せないかもしれない。

それが致命傷になり得ることを蓮は身に染みて知っていた。

「おやすみ、モルガナ」

布団の上で丸くなるモルガナが小さくおやすみ、と答えてくる。

明日には全て片づけなければ。

そんな気がして、蓮はもう一度だけ深い呼吸を吐き出した。

 

 

(つづく)

 

 



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第6話「母の記憶」(ミカヅキ)

 その夜、蓮は懐かしい夢を見た。

 子供の頃によく遊んだ公園、友達、そして家族……。

 その中心にいたのは、やはり蓮が最も甘えた人だった。

 

「……おかあ……さん」

 

 ひと筋の涙とともに、蓮は目覚める。

 寝不足の目には、朝陽がとても眩しい。

 ゆっくりと起き上がると、モルガナがいないことに気付く蓮。

「もう、下りたのかな」

 

 着替えを済ませ、顔を洗って一階のカウンター席へと座る蓮。

「おはようございます」

「おお、おはよう。……眠れたか?」

「一応……」

「そうか」

 そう言う惣治郎の目も心なしか赤い。

 やはり、あまり寝ていないようだ。

 蓮は、そんな惣治郎の顔を見るや申し訳なさでいっぱいになり、泣きそうになるのを堪えて立ち上がる。

「俺、コーヒー淹れますよ!」

「ん? 大丈夫なのか?」

「多分……」

 勢いよく言ったものの幾分自信なさげな蓮の頭を、惣治郎が優しく撫でる。

「いいだろ。やってみろ」

「……はい!」

 

 二人が入れ替わり、惣治郎はカウンターの椅子に腰掛ける。

 そして、蓮はコーヒー豆の選別に入る。

 朝陽が、ルブラン一階扉の隙間からも、差し込んできた……。

 

  *

 

「……ここは」

 

 祐介が目を開けると、眼前には大柄の男が立ちはだかっていた。

 しかし、薄暗い部屋でその顔はよく見えない。

 

「だ、誰だ? ここは……どこなんだ?」

 まだ衰弱した身体が思うように動かない祐介。

 その祐介を男はジッと見つめる。

 まるで、その全身を品定めするかのように……。

 

  *

 

 朝食を終え、蓮が四軒茶屋の駅へと歩く。

 細い路地の両脇には、懐かしい店が立ち並ぶ。

 と言っても、僅か一年のブランクだ。

 そうそう変わっているはずもない。

 しかし、何故か蓮の目には何年も前に見た景色のように映る。

 

 そして、角を曲がったところでふと立ち止まる。

「……ん? こんな場所、あったかな」

 目の前に広がった風景は、ぼんやりとしているが暖かい、実に心地良い青だった。

 ゆっくりと歩を進める蓮。

 と、その隣に一人の少女が現れた。

 

「君は……」

 

 そう。

 昨夜ルブランに現れた青い帽子の少女・マリーだった。

 

「私はマリー……だったと思う。多分」

「何それ。自分の名前だろ?」

「私が付けたワケじゃないし、誰かが勝手に呼んでただけかもしれないし……」

「なるほど」

 

 マリーの支離滅裂な言葉を、何故かあっさり受け入れる蓮。

 そして、二人は淡いブルーの小路を抜け、広々とした空間に出た。

 そこは、昔蓮がよく見ていた、近所の公園の景色だった……。

 

  *

 

 ガシャン!

 

「おっと、しまった!」

 惣治郎が手を滑らせ、コーヒーカップを落として割ってしまう。

「あ~あ。コレ、あいつの愛用だったのになあ」

 無念の表情の惣治郎。

 と、入口近くでガタッ!と物音が。

「ん?」

 

 惣治郎が近付くと、サユリの絵が額ごとズレて落ちそうになっていた。

「何だ? 地震でもあったか?」

 訝しげにサユリの額を直す惣治郎。

 と、額の中のサユリが、惣治郎に何かを語りかけてきた。

 

「な……、何だ……!?」

 

 

(つづく)

 



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第7話「染められる赤」(千早)

 

爽やかな風が吹き抜ける公園には二人の影しか見えなかった。

マリーと蓮だ。

本来いるはずの親子の姿はまったく見えず、笑い声も聞こえない。

静寂の公園を二人は横並びで見詰めた。

「君と同じ匂いがする人間だった」

「俺と同じ?」

唐突にしゃべりだしたマリーの言葉に蓮が眉を動かす。

「青には青の匂い、黄色には黄色の匂い、そして赤には赤の匂い」

マリーの言葉はそこで途切れた。

続くと思っていた先がないことに蓮が瞬きを繰り返す。

どうにか彼女の意図を読み取ろうと努力しているのだ。

そしてようやく蓮なりの答えに辿り着く。

「……絵の具の話か?」

単純な連想ではあるが、匂いがある色といえば絵の具が一番しっくりきた。

するとマリーは蓮を振り返って何度か頷く。

「ああ、そうそれ、絵の具っていうの?」

「絵の具を知らないのか?」

「絵を描くための道具でしょ、知識では知ってる。でもそれがどんな手触りなのか、匂いなのか、今までは知らなかった」

「知らなかったってことは、つい最近知ったのか?」

蓮もまたマリーの顔を振り返って少しだけ首を傾けた。

絵の具といえば蓮の大事な仲間が脳裏に浮かんでくる。

彼の可笑しな動向は、変人だからという度を超えている気がした。

もしもこの不思議な存在と関係しているのであれば知らなかった絵の具を知るタイミングに合っている。

「知らされた、のほうが近いかな。君は赤の匂いがして、その匂いと同じ彼を見かけたの」

ビンゴだ、と蓮は眉間を寄せた。

「……もしかして背が高くて……少し変な行動を取ったりする人間か?」

少しだけ問い詰めるような声音になってしまう。

そんな蓮にマリーは困ったように視線を落とし、幾ばかりか考えてから首を左右へ振った。

「わからない。ただ頭の中で、ゆうすけ、って聞こえた」

「君は祐介と会ったことがあるのか」

山籠もりのタイミングだろうか。

それとも昨日、武見に見て貰った後の事だろうか。

どちらにしろ祐介の行方を知る手がかりは彼女にかかっていた。

蓮の真剣な視線にマリーもまた細い記憶の糸を辿る。

「会ったっていうにはあまりにも短い邂逅だった気がする。ただ覚えているのは君と同じ匂いがしたってこと」

ごめんね、と一言付け加えられて蓮は首を振った。

「しばらく会ってなかったけど、絵の具の匂いがついてた……ってことは、さすがにないか」

蓮なりに自分と祐介の共通点を探ってみるが、一年も離れていたのだ、絵の具の匂いが身体に染みついていたはずがない。

だが同じ色の匂いがする、というのは紛れもない彼女の感性における真実だ。

そこに何かしらのヒントが隠されているのではないか。

蓮は湧き上がる胸騒ぎを抑え込みながら今度は身体ごとマリーを振り返った。

「……それで?祐介と会ったことと、俺をここに連れてきたことは関係があるんだろ?」

そう質問を繰り返した蓮にマリーは肩を竦めてみせる。

「驚かないね、君」

「多少驚いてはいるけど、俺も君に似た匂いのする女性を知っているから」

「ああ、もしかして長っぱなも?」

「俺もいろいろあったから。だからこそ君も俺の前に現れたんだろ?」

あの青い部屋の住人ではないかと思ってはいたが、やはり関係者であったと蓮は内心で確信した。

だが彼らとは何かが違う。

マリーは帽子を軽くかぶり直すと直視してくる蓮とは反対に広がる公園の緑を見詰める。

「別に君に逢うためじゃないよ。絵に描かれている赤ん坊、彼を探したかっただけ」

「祐介を?」

ぱち、とマリーが瞬いた。

「……ああ、繋がった。あの赤ん坊、君と同じ匂いの彼だったんだ」

なるほどね、と独り言ちるマリーに蓮のほうは性急に声を荒げてしまう。

「祐介と出会ったことがる君が、ルブランの絵に描いてある赤ん坊を探していて、そして赤ん坊は祐介のことだった」

「そうだね。端的に言えば、そう」

「結局一晩かけても祐介が見つからなかった君は代わりに俺をここに連れてきた?」

「結論を急ぐね。焦ってる?」

ずばり、と言われて蓮ははっと息をのんだ。

そして公園の澄んだ空気で深呼吸をすると頭を軽く左右に振る。

くるりとしたくせ毛が綿毛のように揺れてマリーの視界の端に映った。

「……焦って、いるかもしれない。大事な仲間の命が脅かされているかもしれないから」

「そう。……私、人間のそういうところ嫌いじゃないよ」

ふ、と。

表情の動かなかったマリーが笑った気がした。

 

場所はルブランへと戻る。

額ごとずれたサユリの絵が、惣治郎に向かって声を絞っていた。

『タスケテ……』

「な、なんだ!?」

驚いて腰をカウンターに打ち付けてしまう。

痛みは感じたがそれよりもサユリに視線が釘づけだった。

サユリはその神秘的な表情のまま、けれど悲しみに満ちている雰囲気で儚げな声を紡いでくる。

『……ワタシノ、ダイジナコ……』

その言葉に惣治郎は視線を左下へと移動した。

「大事な子……?っと、なんだ、これは……赤ん坊がいなくなってる!?」

ぎょっとしたのは描かれていた赤ん坊のいた箇所がどす黒く塗りつぶされていたからだ。

まるで黒い霧に神隠しにでもあったようにも感じられる。

赤ん坊が消された、ではなく、いなくなった、と思ったのはそのせいかもしれない。

『……タスケテホシイ、ワタシノコ……』

再び惣治郎の視線が女性へと移動した。

「サユリ、って……確か、あいつの友達の母だったよな」

たくさんのことが起こった一年前の出来事が脳裏に浮かあがる。

その中で出会った芸術家の卵、喜多川祐介。

先ほど姿が消えてしまった彼だと惣治郎は認識した。

そんな惣治郎に縋るように声は続く。

『トリックスター……ジョーカー、カレ、ナラ……』

「ジョーカーって……蓮のことか?」

尋ねた惣治郎は再び腰をカウンターに打ち付けてしまった。

サユリの瞳からぽろりと涙が零れてきたからだ。

聖母像から涙が零れる奇跡は聞いた事があるが、絵から雫が垂れてくると恐怖すら感じられる。

「っ、わかった、わかったから泣くな!……ったく、いつになったって女の涙は寝覚めが悪い……」

『タスケテ……』

「とりあえず、蓮を探せばいいんだな?危ないから落ちるんじゃねぇぞ」

直した額をそっと撫でると惣治郎はエプロンを外し休業の札を取ろうと歩き出した。

女性に弱い自分は昔からどうにも治らないものだと思いながら。

そしてまだ片付いていないカップが視界に戻ってくる。

自分の手から滑り落ち、割ってしまった蓮のお気に入りのカップだ。

それはまるで蓮のあやうさを感じさせ、惣治郎の顔が渋くなった。

「……また危ない橋を渡らせなきゃならねぇのか?」

だが力のない自分にはどうしようもない。

サユリを助けることも、蓮を手伝うことも、出来やしないのだ。

 

 

(つづく)

 



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第8話「サユリが語るもの」(ミカヅキ)

 祐介の目の前に立ちはだかった男は、腕を組んでジッとこちらを見ていた。

 辺りは暗く、その表情は読み取れない。

 しかし、何故動けないのだろう?

 

 と、別の誰かがその男に声を掛け、何やら話し込む。

 俺は……一体?

 

「じゃあ、いただいていこう」

 

 途端、目の前が真っ暗になった。

 そして、寝ていたベッド(?)が激しく揺さぶられる。

 何だ? 地震か!?

 

 やがて揺れは止み、今度は小刻みな振動が全身に伝わってくる。

 それが小一時間ほど続いた後、またも大きな揺れが。

 くっ! 俺は……どこかへ連れてこられたのか!?

 

 ふと、目の前がパッと明るくなる。

 そこは見慣れた場所だった。

 確か、ここでよくコーヒーを飲んだような……。

 そうか! ルブランだ! ルブランの扉近くの席、俺がよく座っていたあの席だ!

 しかし妙だな。

 相変わらず身体は身動き一つ取れない。

 そして、何やらテーブルを少し上の方から見下ろしているような感じだが……。

 

  * * * *

 

「蓮を探すと言っても、はてさてどうしたもんか……」

 

 サユリの願いを聞いてやりたい惣治郎ではあったが、皆目見当が付かない。

 それでも、かつて不思議な現象をいくつも見せられただけに、何とかなりそうな妙な予感はあった。

 そして、その予感は的中する。

 

「こんばんは」

 そこへ入ってきたのは、昨日祐介を運んできてくれた天田青年だった。

「君は……。どうかしたのか?」

「少し気になったもので……。大丈夫ですか?」

「大丈夫……とは言えねぇなあ。正直、ワケの分からないことだらけだ」

 そう言って、惣治郎は頭を抱えて椅子に座り込む。

「何か……力になれれば良いのですが」

「アイツを、探してくれねぇか?」

「アイツ?」

「蓮だ。君が昨日来た時いただろ」

「ああ、あの人ですか。あの人なら、先程駅前で誰かと一緒にいましたが?」

「何だって!?」

 天田の言葉に、思わず立ち上がる惣治郎。

「蓮が……いたのか?」

「はい。確か帽子を被った女性と立ち話していたように見えましたが……」

「そうか。じゃ、スマンが案内してくれるか?」

「分かりました」

 

 天田とともに、惣治郎は四軒茶屋駅前に向かう。

 その道中、惣治郎はサユリの涙について考えた。

 絵が涙を流す。

 その不思議さは、この際横に置いておこう。

 これまで散々不思議なことはあったはずだ。

 今更何が起ころうと、もう驚いている場合ではない。

 それより、『何故泣いていたか?』『何故赤ん坊が消えたか?』を考えるべきだろう。

 絵の女性の涙は、やはり母親としての涙だろう。

 母として、子を奪われたことに対しての悲しみ、そして救済の願い。

 それはやはり、あの祐介という蓮の友人が消えたことと関係があるのだろうか?

 あの絵はまさに祐介が持ってきたもの……だから。

 しかし、あの絵の女は『蓮なら助けられる』と言ってた。

 あれは一体、どういう意味なんだ?

 

 惣治郎の考えがまとまらぬ内に、二人は駅前に到着した。

 そしてそこにいたのは……。

 

「……えっ!?」

 

 

(つづく)

 



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第9話「掴めそうで掴めない、背中」(千早)

 

「荒垣先輩に、真田先輩!?」

驚いた声を上げたのは天田だった。

二人の視線の先には長いコートを引っ掻けた男と、反対に半袖の男が立っている。

長髪に短髪。

快活そうな笑顔に、媚びなどしない偏屈な表情。

どこまでも真反対なように見えて、どこか二つで一つのピースのようにしっくりと感じさせる、そんな二人だ。

「知り合いなのか?」

「学校の先輩なんです」

それだけじゃないんですけど、と言われ惣治郎はなんとはなしに察しがついた。

きっと蓮たちのように特別な何かを過ごして結束したのであろう人間関係が三人の視線から感じられたからだ。

「どうしたんですか?」

「……青い帽子を被った女と、クセ毛の青年がこの近くで不意に姿を消したんだ」

「それを見かけた俺たちはすぐに追いかけてみたんだが、現場からは何も見つからなかった。そう、ただの行き止まりだったんだよ」

不思議な話ですね、と天田が眉間を寄せる。

だがそれが何を指しているのか惣治郎は理解した。

「おい、その片方のクセ毛、……あー、なんだ、特徴がねぇな、アイツ……そうだ、コーヒーの匂いとかしたか?」

「あっ!もしかして、蓮さんですか!?え、消えた!?」

「待ってくれ、順番に話を追わせてくれ」

筋肉馬鹿に見える短髪の男、真田が慌てる二人を制する。

そこで少し落ち着いた惣治郎が、蓮を探していること、天田が二人を見かけたのでここに来たことを説明した。

それをふんふんと聞いている真田の横で、帽子を目深に被った荒垣が双眸を眇める。

「しかしアイツらから殺気なんかは感じられなかったぞ。考えられるとしたら二人でどこかに消えたってことだ」

「は!?ま、まさか駆け落ち……」

「天田、黙ってろ」

ぺし、と荒垣に頭を抑えられて、頬を赤くした天田は礼儀正しく背を伸ばし口にチャックをした。

それだけで彼らの関係性が見えた気がする。

「……蓮は、あー……友人なんだが、祐介って男を探しているはずだ。その関係かもしれない」

「祐介、ですか?」

「ああ、ほそっこい長身の男なんだが、体調が悪いってのに行方をくらましてな。それだけじゃない、彼が描かれた絵から、彼の姿が消えたんだ」

「姿が、消えた!?」

若者三人の目が合った。

何かを考えるように黙り込んでしまったが、互いに視線は外さない。

そんな状況に惣治郎はつい後頭部を掻いてしまった。

惣治郎に出来るとしたらあくまでも近辺の捜索だけだ。

何か特別な力が必要だとしたら彼らに頼るべきかもしれない。

今までの経験がそう告げていた。

「……祐介くん、って、僕が助けた彼ですよね」

天田の問いに惣治郎が頷いた。

「もしかしたら彼はいま、この世界から消されそうになっているのかもしれない」

「この世界から?」

「たとえば邪神を封じるための人柱に。たとえば世界を操ろうとするものの邪魔になったから。……理由はいろいろと考えられますが、彼の存在自体がなかったものにされそうになっているのかもしれない」

「それを蓮は止めようとしてるってのか?」

「分かりません。まずその青い帽子の少女の正体が掴めないので……」

それもそうだな、と惣治郎はうつむいた。

ただ蓮が祐介を救おうと何かしら動いていることだけは分かった。

アイツはいつもそうだと。

自分よりも他人を優先して、自分は傷ついても構わないからと。

そんなことはない、お前も大事な人間だと誰かがきちんと告げなければ、蓮はあやうくて仕方がなかった。

「僕たちは何か世界に異変が起きていないか調べてみます」

「そこから二人が消えた、いや、移動した先が分かるかもしれないので」

じゃあ、と四茶の駅に向かおうとする三人を、待ってくれ、と惣治郎が引き留める。

「……俺も連れてっちゃくれねぇか?」

「マスターを?」

「マスター?」

「あ、この先にある喫茶店の店長なんです」

言いながら彼らは探るような視線を惣治郎へ向けた。

それはまるで信じられる大人であるか、見定めるような蓮の視線とも似ていた。

「役に立てるなんて思っちゃいねぇが、黙って待ってるのはもうこりごりでな……無理は言わないが……」

「や、事情を知っている人間がいたほうがこちらとしても助かります。お願いします」

差し出された真田の手に、一瞬間を置いて惣治郎の手が重なる。

それを他の二人も温かに見守っていた。

 

 

(つづく)

 



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最終話「ジョーカー」(ミカヅキ)

 真田、荒垣、天田、コロマル、そして惣治郎が四軒茶屋の駅前まで来ると、四人と一匹は時空の歪みへと飲み込まれた。

「な……、何だ!?」

「ちょっと待て! 何かがおかしいぞ!?」

「こ、これは……、空間が歪んでいるのか!?」

「ウーーーー、ワン!!」

「……よく分かんねぇが、またとんでもねぇことが起こってんだな?」

 

 ぼやけていた視界が再び戻ると、そこは見渡す限り真っ青な世界だった。

 と、どこからともなく重く低い声が聞こえてきた。

 

「招かれざる客よ、何用だ?」

 

  * * * *

 

「私が探してるのは、絵に閉じ込められてしまった魂」

 飄々とした表情でマリーが呟く。

「それが祐介だと言うのか?」

 蓮の問いかけに、マリーがコクリと頷く。

「多分そう。その人、山で会った」

「山?」

「うん。私の役目は人間を観察し続けること。時には時間や空間も超えて」

「じゃあ君は、この時代の人間じゃないのか? ……いや、そもそも」

「そう。私は人間じゃない」

「やっぱりか……」

「驚かないね。まあいいや。で、私がこの時代に飛んできた時、山に彼がいて、アレを見つけちゃったんだ」

「アレ?」

 

  * * * *

 

 真田たちの目の前に現れたのは、かつて蓮たち怪盗団が倒したはずのヤルダバオトだった。

「な、何なんだアイツは……?」

 と、その胸の辺りに赤ん坊のようなシルエットが!

「あ、あれは……あの絵の!」

 そう言って、惣治郎がヤルダバオトに向かって走る。

「おい、危ないぞ!」

 荒垣が止めようとするも、惣治郎はヤルダバオトの細長い腕に掴まれてしまう。

 

「この男からも、大衆の邪気を感じる……」

 そう言うや、ヤルダバオトは惣治郎をも自らの胸に閉じ込めてしまった。

「マ、マスター!! くっそ、ペルソナ!」

 天田が召喚器をこめかみに当てて引き金を引く。

 そして、真田と荒垣、そしてコロマルもペルソナを召喚!

 それぞれのペルソナがヤルダバオトに攻撃するも、全てすり抜けてしまう。

「こ、攻撃が効かない!?」

 

  * * * *

 

 青い小路を歩いていた蓮とマリーがひと際広い場所に出ると、そこには超大型のテレビがあった。

 そして、その画面に映し出されていたのは、かつて蓮たち怪盗団が倒したヤルダバオトだった!

「……あ、あれは!?」

「あー、遅かったか」

 テレビの中では、真田、荒垣、天田、そしてコロマルがヤルダバオトに立ち向かっている。

「どういうことだ!?」

「アレが育っちゃたんだ」

「君がさっき言ってた『聖杯の欠片』ってやつか?」

「そう。どこかの世界から飛んできた欠片が、色んな時間や空間に落ちてる。それを彼が拾ったんだ」

「祐介が……」

「あの欠片には『大衆の願い』が詰まってるんだって。私はそれを回収して廻ってるんだけど、たまに彼のようにパルスが共鳴してしまうことがある」

「そうするとどうなる?」

「大切な人に会えたり、大切な場所に行けたりする。よく知らないけど」

「大切……。祐介にとってはやはり母親……。そうか、だからエプロンが」

 蓮にとっては、幼少期に見た母親のエプロン姿が『母の象徴』であり、祐介と魂がシンクロした結果感じたアイテムだったのだ。

 

 と、テレビに映っているヤルダバオトの胸に何かを見つける蓮。

「あ、あれは……!」

 それは惣治郎の顔であった。

 そして、その隣には赤ん坊のようなシルエットが見える。

「あ、彼がいた」

「え? 祐介? あれが祐介だって?」

「多分間違いない。あのおじさんも取り込まれちゃってる。アレを止められるのは、この世の切り札である存在だけ。つまり、君」

「何だって?」

「よく分かんないけど、そういうことになってるって長っ鼻が言ってた」

「しかし、テレビの中だなんてどうやって行くんだ……」

「あれ? テレビの中って入れるんじゃないの?」

「何を言ってるんだ。入れるわけないじゃないか」

「入れるって、ホラ」

 そう言って、マリーは蓮の背中をトンと押す。

 と、テレビのモニターに手をつこうとした蓮は、そのままテレビモニターに吸い込まれていった!

 

  *

 

「……うわっと!」

 真田たちがヤルダバオトに苦戦する空間に、ジョーカーの姿となった蓮が突如降ってきた。

 クルクルと転がって着地するジョーカー。

 と、目の前にモルガナが立っていた。

「モ、モルガナ!?」

「やっと来たか、ジョーカー。お前の出番だ」

「え?」

「アイツはお前しか倒せない。早くゴシュジンとユースケを助けるんだ!」

「わ……、分かった!」

 完全には理解できないまま、ひとまず分かったと返事をしたジョーカーは、ペルソナ・サタナエルを召喚!

 そして、あの時と同じように銃を構える!

 

「失せろ!!」

 

 サタナエルが放った光球がヤルダバオトに命中し、そのまま四散!

 あっけなく戦いは終わった。

 

 と、周囲の青い霧が晴れ、そこは元の四軒茶屋駅前へと戻った。

 

  *

 

 ルブランに壁に掲げられたサユリ。

 そこに光の矢が飛んできて、黒く塗り潰されたようになっていた部分に突き刺さる。

 と、元のように赤ん坊の絵が復活した。

 

  *

 

 四軒茶屋駅前には、蓮と猫姿のモルガナ、真田、天田、コロマル、そして惣治郎がいた。

 軽く頭を振る惣治郎に、蓮が駆け寄る。

「大丈夫ですか!?」

「……ああ、平気だ」

「良かった。……ん? 確かあと一人、男の人がいたはずだけど?」

 不思議に思う蓮に、モルガナが答える。

「時間軸が元に戻ったので消えたんだろう。事情はよく分からんが、ここはあの人がいない世界なんだろうな」

「そうか……」

 真田と天田、そしてコロマルは、何故自分たちがここにいるのか分からないような素振りで、四軒茶屋を後にした。

 蓮とモルガナ、そして惣治郎にだけ事件の記憶がある事実は、恐らくオリジナルのヤルダバオトを認知しているからなのだろう……。

 

  * * * *

 

 ルブランに戻った惣治郎と蓮。

 二人は、まずサユリに目を向けた。

 そして、無事に赤ん坊が戻ったサユリは、まるで二人に微笑みかけているようであった。

 

「すみません。また迷惑をかけてしまって……」

 そう言って、惣治郎に頭を下げる蓮。

 と、その頭をガッシと掴んで惣次郎が答える。

「いいんだよ、迷惑かけたって。俺たちゃ家族なんだからな」

「あ……」

「それにな、俺はお前が助きっと助けに来てくれると信じてた」

「え?」

「俺にはお前たちのような不思議な力はねぇ。だから、俺たちにできるのは人を信じるってことだけだ。だが、それはとても強い力だ」

 そう言って、惣治郎は少し威張るような仕草を見せる。

「……はい!!」

 

 と、そこへモルガナが勢い良く入ってくる。

「おい、蓮! またアイツが出た! 倒しに行くぞ!!」

「え?」

 素っ頓狂な顔をした蓮の頭の中に、マリーの声が響いた。

 

「あの欠片、まだ色んな時代の空間に飛び散ってるんだよね。まあ君の責任でもあるし、手伝ってよ」

 

 呆然とする蓮に、モルガナが溜め息交じりに付け足す。

「お前はジョーカー。いつまでも、この世の切り札ってことだ」

「……なるほど」

 さすがは切り替えが早い蓮。

 ニコリと笑い、惣治郎の方へと向き直る。

「じゃ、ちょっと行ってきます!」

「え? お、おい……!」

 たじろぐ惣治郎をよそに、蓮はモルガナとともに飛び出していく。

 一人残された惣治郎は、小さな溜め息をつきながら苦笑い。

 

「……やれやれ。相変わらず慌ただしい奴だ。ま、アイツなら大丈夫かな」

 そう言いながら、惣治郎はサユリに向かってウィンク。

 

 そして屋根裏部屋のベッドでは、祐介が安らかな表情で眠っていた……。

 

 

(了)



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