Undertale 落とされた人間 (変わり種)
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Prologue

Undertaleってゲームを知っているかい?

 

簡単に言ってしまえば、主人公を操ってモンスターの住まう地下世界を冒険し、地上を目指すゲームさ。よくあるレトロ風のRPGなんだけれども、その独特の世界観がクセになってね。誰も殺さなくてもクリアできるし、みんな殺してしまってもクリアできる。ストーリーの分岐が多彩でとってもおもしろいんだ。

 

僕もそんなUndertaleにハマってしまったうちの一人だった。最初は友達に薦められて暇つぶしにプレイするような感じだったんだけれど、ストーリーを進めるうちにどんどん引き込まれてしまったというわけさ。

 

最初に”Pルート”をクリアしたときはとても感動して、”リセット”なんてできるわけない、とまで思った。素晴らしいハッピーエンドを見せられた上に、フラウィにまであんなことを言われたら、やはり思いとどまっちゃうものだ。

 

それでも、”Gルート”の存在を知ったとき、僕は好奇心ってやつを抑えきれなかった。いまのご時世、動画サイトやネタバレサイトに行けばいくらでも結末は見られる。でも、やっぱり自分でプレイして自分の目で結末を見たいと思うじゃないか。え、思わない?

 

まあ、僕は結局好奇心を抑えきれなくってリセットしてしまった。3日くらい悩んだ挙句に。

 

そして”Gルート”なるものを始めた。虐殺(Genocide)の頭文字を取ったストーリーの分岐。読んで字のごとく、殺戮につぐ殺戮で地下世界のモンスターを大虐殺して、世界を滅ぼすエンドだ。

 

トリエルが一瞬で死んでしまったときは青ざめた。それに、パピルスを手にかけるときは心が痛んだ。でも、あれだけ悩んだのに、ボタンをぽちっと押すとそれでおしまい。あっけないものだった。それからは何かが外れたみたいに、Gルートを完遂していった。獰猛な殺戮者になりきったような気分だった。

 

その後、このゲームの他の展開や結末も見たくなった。時間が単純にあり余っていたというのもある。

 

それで、まあ、数えきれないほどセーブとロードを繰り返しては、いろいろな選択肢を選んで回った。リセットしては誰かを殺し、また誰かと友達になり、最後の電話を聞く、なんてこともしていた。

 

普通に思えば中々イカれたことをしていると思う。前のセーブデータではあんなに仲良くなったのに、今のセーブデータでは何もなかったかのように冷酷に殺すんだから。それも、何度も何度も。ゲームの中での出来事とはいえ、振り返ると自分でもやや恐ろしさを感じる。それでも、プレイしている最中は感覚が麻痺してしまうのだろう。心では可哀想だとは思っていても、それをやめる気にはならなかった。今までとは違う、見たことのない別のセリフ、別の展開を見ることができる。ただそれだけの理由のために、僕はそんなことをひたすら繰り返していたのだ。

 

一通りのルートを試していろいろな結末を見た後、僕は何か隠し要素がないか自分なりに色々試してみた。時空に散ってしまったガスターの手掛かりとかは興味深くて、夢中になって探し回った記憶がある。

 

それでも、まあ、どんなゲームもそのうち飽きるもので。

 

1年近く、ブランクが空いたと思う。

 

 

 

 

 

久々にこのゲームをプレイすることになったのは、近々コンシューマ版が出るっていう話を聞いたのがきっかけだっただろうか。何となく久しぶりにやってみようと思った。1年前にやったゲームを懐かしいと思うのはどこかおかしいのかもしれないけれど、ゲームを起動してオープニングを見たときに感じたのはまさにそんな気持ちだった。

 

(まずはリセット掛けてから、”Nルート”でもやってみるか)

 

そんなことを考えながら、僕は画面を進める。するとあろうことか、普段コンテニューが表示されるはずの画面は真っ暗のままだった。ヘッドホンから聞こえてくるのは、荒んだ風音のみだ。

 

「え、マジか…。バグった?それとも、前って”Gルート”で終わってたっけ?」

 

思わず独り言が大きくなってしまった。安物の扇風機が低く唸りながらファンを回転させ、生ぬるく湿った空気を吹き付けてくる。うだるような暑さだったが、予想外の出来事にTシャツの襟をバタつかせ涼もうとしていた左手の動きが止まった。

 

『やあ!Tsuna久しぶりだね!ぼくはFLOWEY(フラウィ)、お花のFLOWEYさ』

 

心臓がバクバクいって、顔が火照るのが自分でも分かった。ネットの攻略情報でも、こんなイベントは載っていない。1年ぶりにゲームを起動したら、フラウィが自分のことを待ってくれていたなんて。何より名前を呼んでくれるとは。ちなみに、”Tsuna”というのは僕の名前、ではなく、まったく適当につけた名だった。何でそんなことをしたのかというと、さすがにゲーム内で散々身勝手なことをするのに、自分の本名を付ける気にはならなかったからだ。

 

でも、よく考えるとフラウィが主人公の名前を呼ぶことなんてあっただろうか。しかも、プレイヤーがつける名前は確かChara(キャラ)にあたる最初に地下世界に落ちた人間の名で、主人公の名前ではなかったはずだ。何で、フラウィは自分のことをその名前で呼んだのだろう。

 

疑問が湧いてくるものの、フラウィは話を続ける。

 

『しばらく来ない間、何してたの?他のゲーム?まあ、元気そうで何よりだよ』

 

(うわ、ネコの皮を被ったフラウィモードだ。どうせこの後、本性現して無茶苦茶ディスってくるんだろうな。このクソ花)

 

なんてことを考えながら、僕はエンターキーを押した。

 

『きみがいないと始まらないからさ、このゲームは。何よりそれはきみが一番わかっているとは思うけど。でも、これでやっと始められるよ。良かったね、Frisk』

 

(フリスク?)

 

この花は何を言っているのだろう。前回って、Pルートクリアして終わったっけ?

 

懸命に記憶を手繰り寄せて思い出そうとするものの、もう1年近くも前のことだ。そうそう思い出せそうもない。Pルートの最後だったら、たしかフラウィがフリスクたちの幸せを奪われないために、リセットを思いとどまるように説得してくるはずだ。でも、考えてみればこのセリフはそれにも当てはまらない。全く見たことのないセリフだった。

 

『Tsuna、きみはいままでぼくらの世界を好き勝手にしてきた。Friskを操ってね』

 

なんか説教じみたこと言い始めたなー、と思いつつ、エンターキーを押す。だってゲームなんだから、主人公を操って好き勝手するのはプレイヤーの自由だ。内心でフラウィにそう言い返していた僕だったが、間もなく彼が言い放った言葉に固まる。

 

『さすがのぼくでも、正直おどろきだったよ。Charaにまで呆れられたんだろ?』

 

(こいつ、なんでそれを知っているんだ?)

 

疑問が噴き出す。設定上、フラウィはその後の展開を知っているはずはない。そのルートではフラウィは殺されて、そんなセリフを聞くことはないはずなのだ。それに、キャラという彼女の本当の名を口にすることも。

 

おそらくキャラに呆れられたというのは、Gルート2回目に言われるあのセリフのことを指す。自分がGルートを2回も行っていることを何でこいつが知っているのか疑問だが、それよりもっと気になるのは、物理的にこれは絶対にあり得ないはずの出来事だということだった。

 

なぜなら僕はGルートを回った後に、一度セーブデータを丸ごと消しているのだ。下調べをした上で、完全に。なので、いまそのフラグが残っているはずはない。その後のプレイでも、それは確認していたことだった。

 

背筋にゾッとする寒気を覚える。知っているはずのない情報。それをなぜ、このフラウィは知っているのか。疑問がさらに深まってくる。

 

(きっとこのゲームのことだから、どうせドライブのどこかにまだ隠しファイルがあって、それに記録されてるんだろ。じゃないと、絶対おかしいし…)

 

心のどこかに恐怖心を抱きつつも、僕は自分にそう言い聞かせて無理やり納得させた。そして、ゆっくりとエンターキーに手を伸ばす。

 

『いいよ。これはゲームだからね。きみは何をやってもそのツケを払わずに好きなことができるんだ。プレイヤーというその立場を使ってね。この話の結末を貪るだけ貪っては、また初めからやり直す。それをきみはずっと繰り返してきた』

 

まるで“Gルート”のサンズのように、このゲーム中で起こっている出来事を知っているかのような口調で続けるフラウィ。

 

『きみはぼくと同じ、いやぼく以上だよ。でも、ここまでやられちゃうと、さすがにうんざりさ。せめて、ぼくの記憶だけでもきれいさっぱり消してくれればよかったのに』

 

「え?」

 

驚きのあまり、声が漏れてしまった。思考が混乱してくる中、もう一度セリフを読み直そうとしたものの、エンターキーを押していないのにもかかわらずフラウィが独りでに話し続ける。まるで何かに取り憑かれたかのように。

 

『そう、ある時からぼくの記憶はリセットをされても消えなくなった。本当にすべてをリセットしてもね。だから、きみが何度もこの世界をリセットしては、くだらない理由のためにみんなと仲良くなったり殺したりして楽しんでいるのも知っていたってわけさ』

 

『まあ、たしかにぼくの言っている通りこの世界は殺るか殺られるかだ。”Player”という絶対的な力をもっているきみが、すべてを意のままに操るのは当然のことだよね』

 

『でも、もしいまぼくが、それを()()()()を持っていたとしたら、きみはどうする?』

 

そこでパッと画面に選択肢が現れた。”FIGHT”か”MERCY”だった。

 

怒涛の展開に半ば頭がついていかなくなっていた。フラウィの記憶が消えない?これは、いままでの情報にはなかった新発見だ。こんな情報はネットのどこを探しても見つからない。もしかすると、最初に見つけたのは自分だけなのかもしれない。誰も知らなかった事実を、いま、自分一人だけで独占しているのだ。

 

それを考えると、自分でも怖いほどの優越感が広がっていくのが分かった。胸が弾けそうなほどに高鳴っていくのを感じる。ここまでの気持ちになるのはゲーム初めて買って以来かもしれない。

 

早く進んでこの先の展開を見たい。そう思った僕は、適当に選択肢を選ぶとエンターキーに指を掛ける。でも、キーを押す寸前で、先ほどのフラウィのセリフが脳裏によみがえった。

 

プレイヤーを()()()()

 

にわかには信じられない。あくまで、ゲームの中での話だろう。僕はそう思った。この先の展開は読めないけれど、ここでの選択肢が今後のストーリーに何かしらの影響を与える可能性は高い。

 

でも、万が一フラウィたちが本当に自分を上回る力を持っていたらどうしようか。自分は殺されたりするんだろうか。いや、バカなことを考えるのはやめよう。これはゲームだ。そんなことは絶対にあり得ない。ファンタジー小説の読み過ぎだ。

 

ふと浮かんだ考えを振り払った僕は、選択肢を選ぶとエンターキーを押す。

 

選んだのは”MERCY”だった。

 

『ほう。きみはぼくが強い力を持っていると分かっているのに、”MERCY”を選ぶんだ?随分と余裕なんだね。それとも、きみなりにいままでの行いを少しは反省して選んだのかな?』

 

ちょっと核心を突かれたような気分だった。いくらゲームのキャラクター相手とはいえ、今までの自分の行いをあんなに咎められた後だと、”FIGHT”を選ぶのは少し後ろめたさがあったのだ。それに、後でいくらでも確かめることができるというのもある。

 

『だとしたら、きみは何も学んじゃいないね。何度も言っているだろ、Tsuna。このせかいはな…』

 

聞き覚えのあるこの流れに、僕は嫌な予感を覚えた。

 

 

 

 

 

『殺るか殺られるかなんだよ。』

 

その瞬間、狂気に満ちたフラウィの顔が画面いっぱいに映し出された。鋭く尖った凶悪な歯を見せ、醜怪な目をギロリと光らせて笑うフラウィ。独特の底気味悪い笑い声がヘッドホンを通じて僕の耳に響き渡る。これにはさすがの僕も嫌悪感を隠せず、眉を顰める。

 

そして笑い声がやむのと同時に、ゲームのウィンドウが勝手に閉じてしまった。

 

(何だったんだろう?)

 

僕は首をかしげながら、デスクトップのアイコンをダブルクリックしてもう一度ゲームを起動しようとする。でも、何度やっても反応はなく、ゲームが起動することはなかった。今までに勝手にゲームが落ちることはあっても、起動しなくなることまではなかった気がする。Gルートの後でさえ、真っ黒ではあるもののウィンドウは表示されていたのだ。

 

でも、今回は起動すらしない。こんなことは初めてだった。

 

バグか何かでゲームの内部データが壊れてしまったのだろうか。だとすれば、少し面倒くさい。

 

僕は時計を見た。もうすぐ0時を回ろうとしている。今からゲームを入れ直したりするくらいなら、明日も早いことだしもう寝た方が良いのかもしれない。はかっていたかのようにちょうど、酷い眠気が襲ってくる。

 

ため息をついた僕はパソコンをシャットダウンすると、椅子から立ち上がる。スマホを充電ケーブルに差して、明日の荷物を整えて…。色々と支度を進めるうちに、本格的に眠気が強くなってきた。これはいけない、と頭の中で思うものの、強烈な眠気の誘惑には勝てそうにない。

 

(ちょっとだけ寝よ…)

 

部屋の明かりを消すと、僕はベッドに向かう。ふと、枕元の横の棚に掛けてあったハートのペンダントが落ちそうなのに気付いて、静かにそれを掛け直した。これは自分が小学生の頃に母がくれたものだった。海外出張で立ち寄った先の露店で見つけて、つい買ってしまったんだそうだ。その母は3年前、突然の事故で帰らぬ人となってしまったが。

 

僕は倒れるようにベッドに横になると、タオルケットだけを掛けて目を閉じる。あっという間に、深い眠りの中に意識が溶けていった。

 

枕元のハートのペンダントが淡い光を放っていることには、気づく由もなかった。

 



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Ruins
第1話 Howdy!


多少の流血表現がありますのでご注意を


ひんやりとした風が顔を撫でる。

 

低い風音がこだまし、しばしば水の滴る音が聞こえる。

 

何だかとても長い時間眠ってしまったような気がする。瞼の先に白い光を感じた僕は、恐る恐る目を開けた。天井の隙間から差し込む白い光。その周りにはゴツゴツとした険しい岩が聳え立ち、到底自分の力では登れそうもない断崖が広がっている。

 

(あれ、ここどこだろう)

 

ぼんやりとした意識の中、僕はゆっくりと起き上がった。

 

自分の体の下には金色の大きな花が咲き誇っていた。一輪咲きのその花は、自分を支える葉茎とは不釣り合いなほどに大きな花を開かせている。思わず見とれてしまうほどに綺麗だった。あいにく自分の体の下敷きになったのか何本か潰れてしまってはいたものの、それ以上潰すことのないよう僕は花と花の間に足を置いてその場で立ち上がる。

 

まだ夢見心地なのか、頭がぼんやりとしてまるで働かない。辺りを見回すと、自分の背丈よりも遥かに大きな岩が転がり、重なり合っている。奇妙なことに、その中にはギリシャの神殿で見られるような模様の石柱も混ざっていた。さっき見上げた天井から考えると、ここはどうも相当深い穴か何かの底らしい。花の周りだけが、天井からの光に照らされている。どこか幻想的な光景だ。

 

すると、微かに風の抜ける音が聞こえる。見ると、そこには岩と岩の間に隙間ができ、横穴のようになっていた。ちょうど、自分くらいの背丈なら通れそうだ。

 

一応、もう一度天井を見上げてみる。うん、絶対登れそうにない。

 

ここに留まっているよりは、進めるだけ進んで出口を見つけるなり、誰かに会って話を聞くなりした方が良いのかもしれない。そう考えた僕は、慎重に横穴の奥へと進んでいった。

 

中に進むにつれて、さきほどの縦穴から漏れてくる光が届かなくなるのか、暗くなってくる。何か周りを照らせるものを持っていないだろうかと、ポケットを探っては見たものの、スマートフォンは入っていなかった。あれ、どうしたんだっけ。

 

それでもそのうちに目が慣れてきたのか、奥に進んでもだいぶ道が分かるようになってきた。ある程度進んだところで、僕は道が行き止まりになっていることに気づく。少しの間、その場に立ち尽くしたものの、すぐ左にこれまたギリシャ建築風の荘厳な装飾が施された入り口があることに気づいた。よく見ると、入り口の上には玉のようなものから生える一対の翼と、3つの三角からなる不思議な模様が彫り込まれている。

 

(これって?)

 

その時、すっと頭に掛かっていた靄が晴れ、記憶が戻った。

 

確か強烈な眠気に襲われて、少しだけとついベッドに横になった結果、そのまま寝てしまったのだ。で、気づいたらこんなところにいたと。

 

どこからどう見ても、周りの風景は自分の部屋の中はおろか、自分の住んでいる街にも似ても似つかない。それなのに、不思議なことに見覚えのあるような気も同時にしていた。なぜだろうか。僕は頭を絞って懸命に思い出そうとする。

 

再び入り口の上の紋様を見たとき、ぱっとひらめいた。

 

「これ、Undertaleの世界か!」

 

思わず声に出してしまった。念のため、元来た道を振り返ってみる。先にあるのは天井から漏れる光に照らされた金色の花々。自分が目覚めたときには横たわっていた場所だ。何をどう考えても、Undertaleのスタート地点に他ならない。

 

何でこんなところに来てしまったのか。理由は簡単だ。

 

これは“夢”だからだ。

 

僕はそう思った。常識的に考えて、夢でなければこんなことはありえない。ゲームの世界の中に、自分が入り込むだなんて。漫画や小説みたいな展開だ。

 

でも、夢の中とはいえ、好きなゲームの世界の中に入り込めたのは嬉しい限りだった。いままでも似たような感じの夢は見たことがあるけど、どれもぼんやりとしか覚えていない。それに引き換え、いま見ているこの夢は恐ろしいほどに意識がはっきりしていた。なんて幸せなのだろう。

 

一応、夢かどうか確かめてみても面白いかもしれない。ふと、僕はそんなことを考えた。漫画でよくあるように、自分の頬をつねってみるのだ。もっとも、あまり強くやると本当に目覚めてしまうかもしれないけれど。

 

せっかくいい夢を見ているので、途中で目覚めてしまうのは勿体ない。なので、僕はかなり軽めに自分の頬をつねってみた。最初は軽くし過ぎたのか、微かにつねられている感じはあるものの全く痛みはない。でも、次第に力を強くしてやると、ジンジンと痛くなった。

 

(あれ、普通に痛いじゃん)

 

痛みを感じるなんて、ずいぶんとリアルな夢だな。なんて、僕は呑気にもその程度のことしか考えていなかった。普通に考えればおかしいと思うはずなのに、僕は自分でも驚くほどに楽観的になっていたのだ。せっかくの夢なんだから、見ている間は楽しまなきゃ。細かいことなんて考えていても仕方がない。

 

そう考えていた僕は、まず自分の置かれた状況に目を向けてみた。正面にある荘厳な入り口。ゲームの通りであるならば、この先にあのクソ花、フラウィがいることになる。

 

(あいつ、仲良しカプセルとか言って弾撃ってくるんだよなぁ。しかも、凶悪な顔で笑いながら「死ね!」とか言ってくるのか…。怖いな)

 

最後にプレイしたのは1年近く前のことだったけれど、さすがにあれだけの回数をやっていたらこの先の展開を忘れるはずなんてない。この先の広間にはフラウィが生えて(?)いて、このゲームのチュートリアル的なことをしてくれるのだ。でも、絶対参考にしてはならないが。

 

そこで、ある疑問が浮かんでくる。あのチュートリアルで、フラウィは仲良しカプセルだと偽って自分に向けて弾を撃ってくる。それに当たるとかなりのダメージを負うとともに、フラウィが凶悪な顔に豹変して、全方位から弾を撃ち込んでトドメを刺そうとしてくるのだ。今の状態だと、そのダメージを受けるのは他でもない自分自身ということになる。

 

(念のためよけるか)

 

夢とはいえ、痛い思いをするのは御免だった。まあ、さすがに夢だから大丈夫だとは思うけれど。でも、下手をすればこのゲームの内容上、怪我をするどころか平気で殺されかねない。楽しい夢のはずが悪夢に変わるのは勘弁してほしかった。戦闘がどのように展開されるか分からないものの、無用なリスクは負わないのが身のためだろう。

 

そう決めた僕は、少し緊張した面持ちで入り口の中へ進んだ。

 

何歩か進むと、予想通り部屋の中央には一輪の金色の花が咲いていた。先ほど自分が目覚めた場所のように、花のあるところにだけ天井から白い光が差し込んでいる。遠目に見ればこれもまた神秘的な光景に見えた。スマホがあれば写真でも撮りたいくらいだ。

 

警戒しながら、僕はさらに進んで花の方へと近づいていく。驚くことに、確かに花の真ん中にはニコっとした笑顔が浮かんでいた。ネコの皮を被ったフラウィだ。こうしてみると、意外に可愛らしい。それがあんな恐ろしい顔に変貌してしまうんだから、現実とは怖いものである。いや、夢か。

 

「やあ!ぼくはFLOWEY。お花のFLOWEYさ!」

 

僕に気づいたのか、ゲーム中での最初のセリフの通りに、フラウィが挨拶してきた。思っていたより高い声だ。

 

「ふむふむ…。きみは地下世界の新入りだね?」

 

フラウィがそう訊いてくる。いやまあ、確かに自分自身がこの世界に来るとは思ってもみなかったので、新入りといえば新入りだろうし、ゲームとしてなら数え切れないほどこの世界で遊んでいるから、経験者と言われれば経験者だ。

 

何と答えればいいのか迷っていると、先にフラウィが口を開いた。相変わらずとても親切で優しそうな声だ。この後の展開を知っている自分からすると、実に腹立たしい。

 

「みたところ、すごく困っているみたいだね。ここでの過ごし方を誰かに教わらなきゃ!ここではぼくが先輩だから、教えてあげるよ。準備はいい?いくよ!」

 

「ちょっと待った!」

 

ストーリー通り戦闘画面に突入しそうになったところで、僕は声を上げた。まさかここで止められるとは思ってもみなかったのか、フラウィが大きな口を開けて驚いている。

 

「フラウィ、だよね?まさかとは思うけど、ここってどこ?」

 

「なんだそんなことか。ここは地下世界。Ruinsの入り口だよ」

 

怪訝そうな顔を浮かべながら、フラウィがそう答えた。やっぱりここはUndertaleの世界で間違いないらしい。そんなところに、何で僕は迷い込んでしまったのか。

 

「フラウィ。一つ聞きたいことがあるんだけど…」

 

僕がそう言い掛けたところで、フラウィが何かを思い出したかのようにはっとする。

 

「あ、もしかしてきみはTsuna?よく来てくれたね」

 

「ま、まあね…」

 

戸惑い気味に、僕はそう答えた。夢とはいえ、まさかフラウィに歓迎されるとは思ってもみなかったのだ。頭の中のフラウィの凶悪なイメージが、少しだけ変わっていく。まあ、一つだけ注文をつけるのならゲーム内での名前ではなく、ちゃんと自分の本当の名前を呼んでほしかったけれども。

 

「もしかして、これを夢だと思ってる?」

 

ドキッとした。

 

このフラウィ、読心術でも使えるのだろうか。自分の思っていることをここまで正確に当ててくるなんて。まあ夢だから、なにも驚かないけど。

 

「そりゃ、まあ…。だって僕はプレイヤーで、このゲームをプレイしてた側なんだよ。入り込んだと考えるのは無理があるというか…。」

 

「ははん。どおりで危機感が薄いわけだ。前から分かっていたけど、きみはほんとにバカだね。自分の姿でも見てみなよ」

 

さすがにバカと言われたことにはむっとしたが、言われた通りに体を見てみた。あれ、何だか体が少し小さいような…。それに、いつの間にか青地に薄緑のボーダーのTシャツを着ている。こんなシャツなんて持っていただろうか。ちなみに短パンの色も青だった。その姿に思い当たるものがあった僕は、近くに水溜まりを見つけて覗き込んだ。

 

「うわ、フリスクじゃん」

 

ボーダーの色が薄緑色で若干色違いなのと、着ているシャツが半袖という違いがあるものの、独特の細目にこの髪型。間違いなくフリスクだ。

 

なんて良い夢なのだろう。ゲーム中の登場人物になりきれるなんて。まるで夢のよう…、じゃなくて夢か。

 

「どうだい?自分の置かれた状況を理解した?」

 

「いや~、夢の中でフリスクになれるなんて思わなかったよ。ありがとう!」

 

興奮のあまりそう言ってしまった僕。どういうわけか一瞬、フラウィの目が点になった。まるで漫画みたいだ。どうやらよほど驚いたらしいのだが、何か変なことでも言っただろうか。

 

「…きみ、ちょっと能天気すぎやしないかい。まあ、たしかに信じられないだろうけれどもさ。知っているとは思うけど、ここはUndertaleの世界の中で、きみはぼくにまんまと()()()()()んだよ。この世界の中に」

 

「え、落とされた…?」

 

フラウィの言っていることが、僕にはまったく理解できなかった。落とされた?まさか。フラウィにしては、面白い冗談を言うものだ。最初、僕はそう思った。でも、よくよく記憶を遡ってみるとある出来事が思い当たる。

 

画面いっぱいに表示された凶悪な笑みを浮かべるフラウィの顔に、高らかに響き渡る不気味な笑い声。

 

たしか、自分がベッドに入る前にそんな出来事があった気がする。久しぶりにUndertaleをプレイしようと起動してみたところ、突然フラウィの出てくる謎のイベントが始まったのだ。そして、あの恐ろしい顔が表示された後、ゲームは二度と起動しなくなってしまった。そのときだったと思う。フラウィが“ぼく”の力が自分を上回っているとしたらどうするか、と妙なことを聞いてきたのは。

 

考えてみれば、あれがきっかけだったのだろうか。もし、あのときフラウィが言っていたことが事実だとするならば、彼がその力を使って自分をゲームの中に引きずり込んだと考えると、すべての辻褄が合う。もっとも、到底そんなことなんて信じられるわけないが。

 

「まさか、きみがここまで間抜けだったとはね」

 

「うるさいなぁ…。わかったよ。どうせそういう設定なんでしょ。この夢の中では」

 

またも人を小馬鹿にして煽ってくるフラウィに、僕はそう返した。だって、普通に考えていくらフラウィがメタ発言を連発してくるキャラクターとはいっても、所詮はゲームの中の登場人物に過ぎない。すべてはモニターの中で繰り広げられていることで、現実世界に生きる僕には何ら関係のないことなのだ。

 

そんなフラウィがいくら“力”を持っているからといって、モニターを越えた自分にそれを及ぼすなんてまともな人間なら考えない。ましてや自分はもう17にもなる。さすがにそのくらいの常識は持ち合わせているつもりだった。実際のところはおそらく、例の出来事がまだ頭の中に残っていたために、夢の中に反映されたってとこだろう。夢とは記憶によって形作られるものだからだ。

 

「はいはい、フラウィが凄いのはよく分かったから。ありがとね、こんな素敵な夢の中に連れてきてくれて」

 

「ふん、そうかい…。あくまで君は信じられないってわけか。おめでたいやつだ」

 

フラウィは吐き捨てるようにそう言った。勝手に言っていればいい。どうせ、その辺に生えて煽ってくることしかできない可哀想なお花ちゃんなのだ。攻撃してくるといっても、どうせこれは夢の中。多少の痛みは感じるかもしれないけど、自分の体には何も影響はない。完全にこれが夢だと結論していた僕は、そう考えていた。

 

「ほらほら、フラウィ。せっかくだから撫でてあげるよ」

 

この際だから、煽り返してやっても面白いかもしれない。つい調子に乗った僕はフラウィに近づくと、頭を撫でてみた。思っていたのとは違って、手触りは普通に植物だ。ひんやりとしていて、みずみずしい。それに、ほのかに甘いにおいがした。でも、体がしゅるしゅる動くのが奇妙で、新鮮味がある。当たり前だが、普通の植物は動物みたいに動き回ることなんてないのだ。

 

「なんか意外…、植物なのに不思議な感じ」

 

「やめろ!触んな!あっち行けよ」

 

嫌がるフラウィ。そんな様子を見ると、もっとやりたくなるのが人間ってものだ。まあ、ちょっとひねくれているかもしれないけど。あと、実を言うとフラウィもUndertaleの中では好きなキャラの一人だったので、それもあるかもしれない。

 

さらに撫で続けようと思った僕は、両手を伸ばしてみる。葉で手を防いで嫌がっているフラウィだったが、別にまんざらでもないようにも見えた。

 

だが、それは大きな間違いだった。

 

次の瞬間、どこからか伸びてきた蔓に撫でようと伸ばした手を弾き飛ばされる。ぎょっとしてフラウィの顔を見ると、その目は見開かれニッと笑っていた。まるで、この時を待っていたかのように。

 

「きみはじつにばかだなあ」

 

醜悪な表情を浮かべるフラウィ。突き刺すような殺気を感じて反射的に後ろに飛び退くと同時に、鋭い風切り音が耳を過ぎる。右腕を何かが掠めた気がした。

 

「え?」

 

ふと、右腕にヌルっとした生温かい何かが伝うのを感じる。気持ちの悪い感覚だった。見ると右腕の袖が赤黒く染まり、徐々に広がってきていた。生温かい()()は瞬く間に手先へと伝うと、地面にしたたり落ちる。

 

これは、血?

 

あまりの出来事に、僕は何が起きたのか分からなかった。はっとしたのと同時に、腕を襲うのは焼き付くような灼熱感と気が狂いそうな程の激痛。

 

「ぅぐうっ...」

 

思わず僕はその場にうずくまり、顔をしかめる。一瞬、腕を引き千切られたんじゃないかとすら思った。咄嗟に左手で傷口を押さえたものの、あまりの痛みに呻き声が漏れる。どっと脂汗が流れ、心臓の鼓動が早くなる。みるみる顔から血の気が引いていくのが自分でもわかった。

 

「バーカ。やっとわかったかい?自分の置かれた状況が。これは夢なんかじゃない。現実なんだよ。そして、きみはこの世界に落ちてきたのさ。ぼくの手によってね」

 

夢じゃない?現実?

 

フラウィが何を言っているのかまた分からなくなってきた。うずくまっていた僕は、右腕を庇いながらもフラウィを鋭く睨みつける。痛みで手先が震える。血は流れ続け、たちまち傷を押さえていた左手は血まみれになった。

 

「おや、怒った?いままではプレイヤーとして高みの見物をしていたのに、いざ自分の番になったら怒るのかい。ずいぶんと身勝手だね、きみも」

 

「…っ!」

 

フラウィの挑発に、さすがの僕も頭に来た。いまに掴みかかってやりたいくらいだったが、体に力が入らない。右腕の下の地面には、早くも血だまりができていた。睨みつけることしかできない僕を尻目に、フラウィはニタリとギザギザの歯を見せつけながら、話を続ける。

 

「きみはこの世界でせいぜい頑張って地上を目指すんだね。地上まで出ることができたら、きみの勝ちだ。元の世界へ戻してあげよう。でも、もし地上にたどり着くことができなかったら、きみのソウルはぼくがもらうよ」

 

「な、何を言って…!?」

 

「まあ、頑張るんだね。途中、辛いこともあると思うけど、それを乗り越えるくらいの決意は持ち合わせているんでしょ、“元”Playerさん?」

 

決意。

 

決意って確か、生きようとする意志、運命を抗おうとする心だったっけ。

 

傷のせいか、意識が朦朧として思考がまとまらない。フラウィは相変わらず凶悪な眼でこちらを見つめている。その口元は笑みのあまり、大きく歪んでいた。

 

(こんなところで死んでたまるか)

 

僕は力を振り絞り、よろめきながらも立ち上がった。こんな意味も分からないまま殺されるなんて、真っ平御免だ。フラウィは少し驚いたものの、すぐに邪悪な笑い声を上げる。

 

「まあ、その決意もぼくが粉々に打ち砕いてやるんだけどね。こんなおいしいカモを誰が逃すってんだい!?」

 

その瞬間、自分の周りを囲むように白い光が浮かんだ。“それ”は高速で回転しながら一斉に自分の方へ迫ってくる。さっき右腕を切り裂いたのも、あの光の仕業なのだろう。ゲームで主人公に襲い掛かり、ダメージを与えていた“弾”。ここで見ると、恐ろしい凶器だった。あんなものをもろに受けてしまえば、自分は確実に死ぬ。

 

徐々に弾が近づいてくる中、僕は必死に辺りを見回して逃げ道を探した。ゲームでは2次元表示だから下をくぐれば躱せるかもしれないと思ったけど、そんな考えはとうにお見通しらしい。みるみる弾が増えて壁のように聳え立ち、完全に包囲されてしまった。

 

「死ね」

 

不気味な笑い声を上げるフラウィ。弾はゆっくりと包囲を狭め、押し寄せてくる。一瞬で仕掛けてこないところが本当に憎たらしかった。フラウィはどうしようもできずに絶望し、恐怖する自分の様子を心底楽しんでいるようだった。とてもまともな生き物のする所業とは思えない。

 

でも、自分にはどうすることもできなかった。高らかな笑い声が響き渡る中、こみ上げてくる悔しさに唇を噛んだ。そして、何とか右腕の痛みをこらえて迫りくる弾丸の中心に逃れる。だが、振り向いたときには弾はもう目前だった。

 

(もうダメだ…)

 

歯を食いしばりながら僕は目を瞑った。恐怖と絶望が心の中を支配し、押し潰されそうだった。やがて襲い掛かるであろう凄絶な痛みに、体中に力を入れて身構える。

 

 

 

 

 

どれくらい時間が経っただろうか。

 

極度の緊張が続く中、いくら待てども弾は来ない。

 

恐る恐る目を開けてみると、そこには困惑した表情を浮かべているフラウィがいた。目前まで迫っていたはずの弾幕は、いつの間にか消え去っている。その出来事に、僕は思い当たることがあった。

 

(もしかして…)

 

その瞬間、フラウィの目の前に燃え盛る赤い火の玉が現れたかと思うと、一直線に彼に向って突っ込んでいく。当然、花であるフラウィには躱せるはずもなく、直撃を受けた彼は悲鳴を上げてどこかに吹き飛ばされていった。

 

そして物陰から姿を現したのは、ふさふさの白い毛に覆われた1体のモンスターだった。その見覚えのある姿に、僕は言葉を失う。

 

「なんて恐ろしい魔物なんでしょう。罪のない、か弱い子供も傷つけるなんて…」

 

紛れもない。彼女はRuinsの管理人、トリエルだ。

 

身に着けた青いローブには、フラウィのいる入り口の上にも描かれていた模様___デルタルーンの紋章が描かれている。あれは確かモンスターの王家に関係する紋章だったはず。記憶が正しければ、彼女はかつてアズゴア王の妻だったが、考え方の違いから別れてここに移り住んでいるのだ。

 

「あぁ、怖がらなくてもいいのよ、坊や」

 

トリエルは優しい表情を浮かべて歩み寄ってくる。ここまで来れば、とりあえずの危険はなさそうだ。ゲームの中でも彼女はとても優しく、主人公に危害を加えることは基本的にはない。なので、これがゲーム通りならひと安心のはずだ。

 

ひと安心の、はず…。

 

なのに、なぜだろう。

 

頭では分かり切っているはずなのに、体はまだ震えていた。いったい、なぜ。

 

脳裏にあの凶悪なフラウィの顔が蘇る。右腕から止め処なく流れる真っ赤な血。そして、押し寄せてくる大量の弾。

 

あれは、“恐怖”と“絶望”。

 

もしかして、自分は怯えているのだろうか。たかがゲームのキャラクターだったフラウィが、目の前に現れて自分を殺そうとしてきたことに。恐ろしい笑みを浮かべながら、トドメを刺そうとしてきたあの瞬間に。

 

頭からあの光景が離れない。あの生々しい感覚がフラッシュバックしてくる。絶対に経験したくない死の恐怖。それが、何度も何度もだ。振り払おうと思っても、思えば思うほどに余計に頭の中に焼き付いていく。心臓の鼓動が激しくなり、息も荒くなった。

 

ふと見上げると、目の前に近づいてくるのは大きな白いモンスター。何故だか、その顔が狂気に満ちた笑みを浮かべているように見える。もしかして、こいつも自分を殺そうとしているんじゃないか。

 

恐怖が心を埋め尽くす中、ある言葉が頭の中で反芻される。

 

『この世界はな、殺るか殺られるかなんだよ』

 

フラウィの言い放った言葉だった。そうだ、殺されるくらいならいっそのこと…。殺られる前に殺るしかない。

 

拳を強く握り締めると、不思議と力が湧いてきた。この力を使えば、誰でも簡単に傷つけられる。今ならそんな気がする。

 

《襲ってくる奴らは皆殺しさ》

 

後押しするかのように、誰かが耳元でそう囁いたような気がした。胸の中にドロドロとした何かが広がっていくのを感じる。これは“殺意”なのか?

 

その時だった。

 

突然自分の体が柔らかい何かにぎゅっと抱きしめられた。

 

「落ち着いて。もう大丈夫よ…」

 

トリエルだった。

 

びっくりする僕。あまりに突然のことに、身動きができない。トリエルは腰を落として、両手で自分の体を抱いているようだった。まるで我が子にするかのように。その顔は慈愛に満ち溢れていて、先ほどまで自分が抱いていた恐ろしい気持ちが鎮まっていくのを感じた。握っていた拳からも力が抜けていく。

 

あたたかい。

 

シャツの上からでも、彼女の体からの温もりが伝わってくる。トリエルは優しく自分の背中をさすってきていた。ふさふさの白い毛が、とても気持ちが良い。思わず涙がこみ上げてくる。自分でも、何でこんな気持ちになるのかぜんぜん分からない。ようやく体の震えが止まり、僕はゆっくりと左手をのばす。

 

そして、静かにトリエルに抱きついた。ますます温かみを感じ、涙が頬をつたう。そこで僕は安心しきったのか、すうっと意識が遠のいた。

 

 

 

 



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第2話 RUINS

遥か彼方の地平線の先に燃える太陽は、すべてのものを黄金色に染めている。山も森も、雲も空も。遠方に聳える摩天楼でさえも、それは例外ではなかった。そして、その場に佇むモンスターたちの顔をも、眩いばかりの太陽の光が黄金色に染め上げる。皆がその美しい光景に目を奪われ、呆然と立ち尽くしていた。

 

「美しいだろう、みんな?」

 

立派な角にふさふさの顎ひげをたくわえた巨体のモンスターが、落ち着いた貫禄のある声で言った。目の前の光景を瞳に焼き付けながら、ほかのモンスターたちもその美しさに感動し、自らの感性で感じ取ったその喜びを口々に表現する。生まれて初めて見る、地上の美しさを。

 

1体のモンスターは思い描いていたのよりもずっと綺麗だ、とその瞳を涙に潤ませながら言った。もう1体のモンスターは満面の笑みを浮かべて、本当に生きている心地がする、と言った。さらにもう1体はイヤッハー!と大声を上げ、太陽をこの目で見れた喜びを爆発させる。

 

そんな皆の姿に、頬を緩ませ笑顔を浮かべる少女。モンスターの一団の中で、ただ一人のニンゲン。そんな彼女の長く厳しい冒険の果てに、彼らはこうして地上に出て、皆で光に満ちた夢と希望のある未来を手にすることができたのだ。

 

彼女の着る青地のボーダーの服は所々が破れ、汚れている。はいている青いズボンも同じく擦り切れ、彼女の歩んできた道のりの過酷さが痛いほどに見て取れた。そんな中でも彼女は諦めずにこの未来を勝ち取ったのだから、その決意は並々ならぬものだろう。

 

その特徴的な細い瞳には一筋の涙が浮かんでいた。やがてそれは、彼女の柔らかいふっくらとした頬を伝って流れ落ち、地面に黒いしみをつくる。

 

大切なみんな、愛するみんなと一緒に、ようやく地上に出ることができた。地上に出て、この世界の美しさをみんなで共有することができた。やっと、みんな揃ってこの喜びを味わうことができた。

 

この上のない、最高の幸せだった。

 

いつまでもこの幸せが続いてほしい、と彼女は願った。

 

「みんな…。今ここから輝かしい未来が幕を開ける。人間とモンスターとの平和の時代が」

 

やさしく穏やかに、けれども強い意志のこもった声で、巨体のモンスターが言った。その言葉に、その場の皆が静かに頷く。少女も彼の方を見つめながら、こくりと頷いた。

 

ここから始まる輝かしい未来。

 

そんな未来への溢れんばかりの希望が、夢が、彼女の心の中に広がっていく。

 

 

 

 

 

プツリ…。

 

それは、まるでテレビのスイッチを落としたかのように一瞬だった。目の前に広がっていた美しい黄金色の風景に、それを見つめるかけがえのないみんなの姿。すべてが跡形もなく消え去ったのだ。残されたのは、その場に呆然と立ち尽くす彼女の姿だけ。辺りは完全なる暗闇が支配している。

 

力が抜け、その場に座り込んでしまう彼女。彼女の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちる。そして、声の限りに泣き叫んだ。

 

いったい何度、この未来に希望を抱いたことか。

 

いったい何度、この未来に夢を抱いたことか。

 

いったい何度、この待ち焦がれた未来を失ったことか。

 

彼女の目の前にもう彼らの姿はない。あれだけ親しくなり、友達になり、楽しい時を過ごし、ともに助け合ったはずの彼ら。かけがえのない大切な彼ら。

 

それが、一瞬にして奪われてしまう。

 

この理不尽な世界には何も救いはなかった。苦労の末ようやく掴み取ったと思えた幸せな未来もすぐに巻き戻され、何もなかったことにされる。一度は戦いながらも和解し、デートまでしてせっかく仲良くなれたと思ったのに、次に会うときはまた初対面に逆戻りだ。かつての自分のことなんて、誰も覚えてはいない。自分ですらも。

 

止め処なく涙を流し、むせび泣く彼女。無情なことにそんな彼女の記憶からも、ともに過ごしてきた彼らとのかけがえのない思い出が一つ、また一つと消えていく。

 

「やめて!みんなを奪わないで!もうやめて!お願いっ…!」

 

絞り出すように口に出した声も、だれにも届かない。この真っ暗な世界の中では。

 

それでも、彼女は泣きじゃくりながら何度も懇願する。何度も何度も何度も。しかし、その願いが誰かに届くことなどなかった。なぜならここは『Undertale』というゲームの世界だ。ここでは”Player”がすべてを決め、すべてを操る。それに抗うことなど、主人公とはいえ1人のキャラクターに過ぎない彼女にできるはずがなかった。

 

しばらく経った頃だろうか。彼女はおもむろに泣き止んだ。そうして、すっと立ち上がる。

 

「あれ、なんでボク泣いているんだっけ…」

 

首をかしげて涙を拭う少女。そして、何事もなかったかのように歩き出す。どこまでも広がる底なしの闇に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ますと、石造りの天井が見えた。

 

どういうわけか、自分の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。もしかして、夢の中で泣いていたのだろうか。何かとても悲しい夢を見ていたような気がするけれど、まったく思い出せない。しばらく考え込んで思い出そうとはしてみたものの、無駄だった。

 

(ま、仕方ないか…。)

 

諦めた僕は左腕でやや乱雑に涙を拭う。何の夢だったのかとても気になったが、これだけ考えても思い出せないのなら仕方ないのかもしれない。

 

周りを見ると、地面には赤い落ち葉が積もっていた。手触りはカサカサするものの、押すとクッションのように柔らかい。起き上がると、目の前にはこれまた立派な石造りの階段が広がっていた。どうやらここは遺跡の入り口のあたりらしく、気を失った僕はここに運び込まれたようだ。

 

少し落ち込む。目覚めてもやはり元の世界に戻ることはかなわないらしい。フラウィが言ったように、僕はこの世界___Undertaleの世界の中に落とされてしまったのだろう。思わずため息をつく。なんで自分がこんな目に合わなきゃならないのか。考えれば考えるほど気分が沈んでいく。

 

そこで、トリエルが気づいたのか駆け寄ってきた。

 

「大丈夫?突然気を失ってしまったから、わたし心配で心配で…。誰がこんなことにしたの?きっと謝らせるわ」

 

全部フラウィの仕業です、って言おうとしたけど、やめておいた。言ったところでどうせあの花は姿を現さない。都合の良いところだけ現れては、せっかくの幸せを滅茶苦茶にするクソ花なのだ。まあ、彼なりにも悲しい事情があるのは分からないでもないけども。

 

「ごめんなさいね。応急手当はしておいたんだけど、痛くないかしら」

 

トリエルが心配そうにそう言った。怪我をした右腕を見ると、白い包帯が巻かれている。恐る恐る上から手を当ててみたものの、あれだけ出血があった割には全く痛みはなかった。まさか、魔法の力とかそういうもので治ってしまったのだろうか。だとすれば凄い話だ。

 

とりあえず大丈夫そうなので僕は無言で頷いた。するとトリエルはほっとした表情を浮かべる。本当に自分の子どもに対するような、心から安堵するような顔だった。その顔を見て、僕は心にチクリとするものを覚え、表情が曇る。でも、すぐにトリエルに悟られないように取り繕った。

 

「自己紹介が遅れたわね。私はTORIEL、このRUINSの管理をしているの。毎日こうやって、誰か落ちて来てないか確認しに来てるのよ。ここにあなたのような人間が落ちてくるのはとても久しぶりよ」

 

「そうなんですか...」

 

うん、まさにゲーム中のセリフの通りだった。フラウィとの話では気に留めなかったが、英語の部分もどういうわけか日本語っぽい発音になっている。まあ、日本語の会話中にいきなり流暢な英語が流れたらそれはそれで不自然なので、この方が良いのかもしれない。

 

ふと、前に落ちてきたのはいつなのか訊こうと思ったが、やめておいた。たしか彼女は今までに何人も、保護した子どもを地下世界に送り出しては失っている。そんな記憶を思い出させるというのは酷な話だからだ。それに、トリエルがどこか懐かしそうな表情を浮かべた後、わずかに口元を歪ませていたのを見逃さなかった。

 

微妙な間が空いて、なんとなく気まずくなる。そんな空気を察したのか、トリエルは快活な声で話し始めた。

 

「そうだ。とくに理由はないけれど、あなたはシナモンとバタースコッチ、どちらが好みかしら?」

 

「え…。えーと...、どっちでも…」

 

予想だにしないことを訊かれて完全に虚を突かれた僕は、つい焦り過ぎてそんな風に答えてしまった。なぜなら、この質問はこの先の遺跡の中で訊かれるはずの質問なのだ。イレギュラーにこんなところで訊かれるとは思ってもみなかった。これは、ちょっと認識を改めないといけないかもしれない。

 

一方、選択肢にない答えを返されたトリエルはというと、「うふふ…」と微笑んでいる。なんて優しいんだろう。

 

「あ、そうだったわ。べつに、どっちも嫌いってわけではないわよね?もし食卓に並んだら、お鼻が曲がるくらい嫌かしら?」

 

「いえ、ぜんぜん大丈夫です。どっちも好きです」

 

「それは良かったわ!」

 

思い出したかのようにそう訊いてきた彼女。

 

あ、またも失敗した。つい話の流れに合わせて適当に答えてしまったのだ。致命的なことに、自分はそもそもバタースコッチがどんなものか分かっていない。シナモンはよくお菓子に入っている香辛料で、トーストとかパイとかで食べたこともあるからどんな風味かは大体想像がつく。でも、バタースコッチってあまり聞いたことがない。たぶん、バターが入っていて甘そうな“何か”だ。

 

その程度の認識しかなかった僕は、内心困り果てて押し黙る。でも、自分の答えを聞いた彼女の嬉しそうな顔に、思わず表情が緩んだ。知ってはいたけど、トリエルがこんなに優しいモンスターだったなんて。また心にチクリと何かが刺さった。

 

「どう?少し元気になったかしら」

 

「おかげさまで、だいぶ良くなりました」

 

「そう、それは良かったわ。すごく悪いのだけど、私の家がこの先の遺跡の奥にあるの。それで、遺跡の浅いところまで案内しようと思うんだけど、立てそうかしら?痛かったら、無理はしなくていいわ」

 

「大丈夫です。たぶん、立てます…」

 

僕は地面に左手をつくと、静かに立ち上がった。右手を庇うようなぎこちない動きにはなったけれど、全く痛みはない。本当に治ってしまったらしい。

 

「敬語なんてつかわなくていいのよ」

 

「まあ、つい癖で使っちゃうんですよ…」

 

彼女はそれを聞いて、また「うふふ…」といった様子でほほ笑むと、遺跡を案内し始める。そういえば、トリエルって何歳なのだろうか。失礼だろうから歳は訊けないけれども、たぶん100歳とかは余裕で超えてそうな気がする。そこまでいくと、もはや普通に喋るのも怖い。

 

先に進んだトリエルは左右に分かれた大階段の右側を上り、踊り場で待っている。ふとあることを思い出した僕は、階段を上ろうとした足を止めて後ろを振り向いた。

 

(げっ…!やっぱりあるのか)

 

先ほど自分が寝ていた落ち葉の山の前に光る黄色い光。他でもない。あれは“セーブポイント”だった。ゲームをプレイしていたときはあそこでセーブをすることにより、体力を全回復することができる。それに、敵にやられて“ゲームオーバー”になってしまったときも、セーブさえしていればこのポイントから再びゲームを始めることができるのだ。

 

つまりだ。

 

もし、この先自分が殺されるようなことがあっても、もしかするとこのセーブポイントから復活することができるんじゃないか。確証は持てないものの、この世界がUndertaleのゲームの世界の通りであれば、その可能性は高い。ただ…

 

(死ぬのは、嫌だ)

 

フラウィに殺されかけたときに味わったあの感覚。

 

“恐怖”と“絶望”

 

あれだけは何があってももう二度と味わいたくはない。まして、さっきは辛うじて殺されずに済んだからあの程度で収まったものの、本当に殺されたら果たして自分は正気を保てるのか。それが不安でならなかった。考えたくもないけれど、抱き締められる直前、僕は恐怖のあまりトリエルに殺意すら抱いたのだから。

 

それに、そもそも復活できるというのはゲーム通りならという話で、プレイヤーである僕自身がこの世界に落ちているという今の状況でも、それが有効であるかは分からない。もし違ったら、自分は殺されてそれでおしまいだ。元の世界に帰れることもなく、お陀仏になる。ソウルの扱いがどうなるか少し気になるところだけれど、順当に考えるとフラウィに奪われるかアズゴアに奪われるかの二択だ。どのみち、ろくな最後にはならない。

 

それでも、セーブをしない理由もないのもまた事実だった。

 

僕は黄色い光に歩み寄る。

 

「……。」

 

あ…。肝心なことを忘れていた。どうやってセーブするんだっけ?

 

取り敢えず適当に両手を出したり、手を振ったりしてみる。しかし、何も起こらなかった。トリエルの方を見やると、やや怪訝そうな表情を浮かべている。それはそうだろう。きっと彼女にはこの光は見えていないのだ。何もないところでこの子どもは手を振ったりして、いったい何をやっているのかと思うだろう。何だか急に恥ずかしくなってきた。

 

焦りが募る中、僕は必死になって考え込む。セーブする時って、何が起こっていただろうか…。

 

そうだ、『○○によって、あなたは決意で満たされた』みたいな感じで、主人公の行動に誘発されるような形でセーブできるんだった。

 

(ここでは確か…)

 

曖昧な記憶を頼りに、僕は遺跡の方をじっと見つめる。すると、みるみる体が何か力強いもの満たされるのを感じた。これが“決意”というものなのか。ちなみに、ここでのメッセージは『遺跡の影がぼんやりと現れ、あなたは決意で満たされた』的な感じだったはずだ。ここに立つと、ぼんやりどころかはっきりと遺跡の入り口が見えてしまっているが、まあ気にしないことにする。

 

ふと見上げると、見覚えのある黒い画面が見えた。

 

『空っぽ LV0 0:00』

 

という文字が見える。間もなく、効果音とともに表示が更新された。

 

『Tsuna LV1 182:35 Ruins-入口』

 

いや、僕の名前「Tsuna」じゃないんだけど。ちゃんと本名でゲームやっておけばよかった、と少し後悔した。同時に、LVまでセーブされているという事は、やはりこの世界にもPルートやGルートなどの概念がある可能性が高いと考えられる。Nルート以上なら、晴れて地上に戻れるだろう。でも、Gルートになると正直、救いがあるのか疑問だ。それだけは避けなければならない。

 

プレイ時間は3時間と少しといったところだ。おそらく、この世界に落とされてからの積算時間だろう。ゲームであればいったい何をしていたんだ、と思うくらいの低速プレイだけれど、現実だとそうもいっていられない。だいたい、トリエルに抱きついて気絶してから何時間経ったのか分からないし。

 

セーブが完了した僕は、急いで階段を駆け上ると、トリエルについていった。

 

入り口を抜けると、そこには同じく石造りの小部屋が広がっていた。右側には石でできた何やら怪しい出っ張りが6個。正面にはデルタルーンの描かれた扉があるのだが、完全に閉まっている。見ただけでも相当頑丈そうで、手で開けられるのか疑問なほどだ。左の壁には何か文字の彫られた石碑が見えるが、この距離からでは何が書かれているかは分からない。

 

「新しい家へようこそ。わが子よ。RUINSの歩き方を教えてあげるわね」

 

ついさっき会ったばかりなのに、わが子と呼ばれるとは思ってもみなかった。いや、ゲームのセリフの通りではあるけど。でも改めて考えると、トリエルの優しさは尋常ではない。言い方は悪いかもしれないけど、病的なレベルといった方がしっくりくる。裏を返せばそれだけ、彼女も心に相当抱えているものがあるということかもしれなかった。

 

彼女は先ほどの出っ張りの方へ歩いていくと、慣れた様子ででっぱりのうちの4つを踏み、押し込んだ。そのあと、正面の壁についていたレバーを下げる。

 

ぱしゅ

 

重厚な扉だった割に、意外に軽い音で開いた。あっという間に目の前には次の部屋への入り口が開けている。横から見ていても、いったいどういう仕掛けなのかまったくわからない。からくりというよりは、魔法的な要素も入っているのだろうか。

 

「RUINSにはパズルが沢山あるの。昔ながらの気晴らしと鍵の合わせ技ね。部屋を進むにはパズルを解かないといけないの。よく見て慣れていってね」

 

あっけに取られていた僕は、こくこくと頷くことしかできなかった。これがゲーム中に頻繁に出てくるパズルってやつか。やはり画面越しに見るのと、実際に目の前にこうして広がっているのでは、感じが全く違う。そもそも全体像を見通すことができないから、どんなパズルだったか思い出すのにも苦労しそうだ。本当に自分の力で解けるのか、不安になってくる。

 

「そんな不安そうな顔しなくても大丈夫よ。私が教えながら進んでいくわ。そうだ、試しに、ここのスイッチを押してみて。練習よ練習!」

 

顔に出てしまったのか、トリエルに優しく声をかけられた。ちょっと恥ずかしい。促された僕は、出っ張ったまま残っている2つのスイッチのうち手前の方を、恐る恐る手で押そうとする。さすがにそれにはびっくりしたのか、慌てたトリエルに「足でいいのよ」と付け足された。ますます恥ずかしい。

 

右足でスイッチを押してみる。ぱしゅ、と小気味良い音が響いて石がちょうど地面にはめ込まれた。トリエルはわが子の成長を見るかのように、満面の笑みでほほ笑んでいる。自分も思わず照れて顔が赤くなってしまった。

 

そうして僕はもう1つのスイッチも同じように押すと、レバーのもとに歩み寄る。もっとも、レバーはすでに操作されているのでこれ以上動かないが。

 

「ごめんなさいわが子よ。次の部屋ではあなたにやらせてあげるわ」

 

申し訳なさそうに謝るトリエル。そんな顔をされると、何だかこっちの方がすごく申し訳ない気持ちになってしまう。「そんなことはないです!」と、僕は強く首を振った。

 

「さ、次の部屋にいきましょ」

 

トリエルに連れられ、僕は隣の部屋へと足を踏み入れる。通り過ぎざまに、僕はさっきの部屋の左壁にあった石碑に目を通していた。『恐れを知らない者だけが進める…』あとの部分は通り過ぎてしまったので読めなかったけれど、見る限りなぜか日本語で書かれていた。ゲーム中にあったメッセージと同じだ。おそらく、ほかのメッセージもそうだろう。この雰囲気の中で日本語が書かれているのは微妙に違和感があるけど、これは助かった。正直、英語を読める自信はまったくない。この間の試験も赤点スレスレだったし…。

 

「ここを進んでいくには、いくつかスイッチを押すのよ。心配しないで、私がスイッチに印を付けておいたわ」

 

先ほどとは打って変わって、次の部屋は随分と広かった。水路みたいなものが流れていて、その上には木でできた粗末な橋が架けられている。トリエルはそう言うと、橋を越えて向こう側へと歩いていった。壁には何本か蔦のような植物が生えていて、天井まで伸びている。ごく普通の蔦のようで、現実の世界で見てきたものと大きな違いはない。

 

思い出したように、ふと遺跡の中なのに何で暗くないのかという疑問が浮かんできた。周りをきょろきょろ見回してみても、松明のようなものは見られない。この空間全体がほのかに明るくなっているらしかった。魔法の力と考えるほかないが、万能過ぎやしないだろうか。もしこの力を元の世界に持って帰ることができたら、エネルギー問題なんて余裕で解決しそうな気がする。

 

『「Z」を押して看板を読もう!』

 

正面に杭で打ち込まれた看板にはそんなことが書いてあった。うお、これは凄いメタ要素だ。ゲームをプレイする側だったときは何も違和感のない操作方法の説明なのに、いざ自分がこの世界に来てみると全くをもって意味不明だった。改めて自分がゲームの世界にいるのだということを実感させられる。

 

一通りのメッセージを見終えた僕は、トリエルに続いて目の前の橋を渡った。すると、左側の壁に埋め込まれた一本のレバーに気づく。彼女が書いたのだろう、意外に達筆な文字で「このスイッチを押してね -TORIEL」とある。押すというよりは引くといった方が正しいような気がするけど、そんなことは気にしても仕方がない。

 

ぱしゅ

 

とりあえず、レバーを下げてみた。

 

「よくできたわね。こっちにもあるわよ」

 

トリエルはそう言うと、もう一つの橋を渡って向こう側へと歩いていく。僕もそのあとに続き、橋を渡った。2人同時に橋に乗ったときは何やら下の方から軋む音がして一瞬ハラハラしたものの、無事に渡り切ることができた。

 

奥の方にはこの先に通じる道が見えたけれど、自分の腰くらいまでの高さのある鋭い針山が突き出していてとても通れそうにない。左の壁を見るとレバーが2つ。片方にはトリエルが書いたであろう黄色い矢印と文字がびっしり周りに書いてあったので、遠くから見てもどれが正解かは一目瞭然だった。

 

逆の方のレバーを下げてみたい気にもなったが、ゲームでは確かトリエルに怒られて結局下げられなかった気がする。それに、記憶が確かならそもそもレバーも固くて動かなかったはずだ。今の状況なら力任せに無理やり下げてしまうといったこともできるかもしれないけど、絶対ろくなことにならないので大人しくすることにした。

 

ガコン

 

今度はかなりの重低音が響いて、先に通じる道を塞いでいた針山が引っ込んだ。

 

「さあ、次の部屋へ行きましょうか」

 

トリエルが優しい声でそう言った。何だかこの冒険感は子供心が刺激されてとても楽しい。こんな大がかりな仕掛けでリアル脱出ゲームをつくれば大盛況間違いなし、…かもしれない。

 

一足早く部屋の奥へ歩いていくトリエルに続いて、僕も次の部屋へと足を踏み入れる。この先の部屋って、何があったっけ。さすがに1年もやっていないと、所々記憶が抜けている。うーん、これはまずい。

 

(げ…。ここダミー部屋だ)

 

部屋に入った僕の目に飛び込んできたのは、部屋の中央に佇む1体のダミー人形だった。

 

 




本編にある通り、主人公は少年ですが本物のFrisk(?)は女の子設定です。ご了承ください。
今後についてですが、基本的には週一ペースでの更新を目指していく予定です。


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第3話 声

「モンスターたちは人間を見つけると、襲ってくることもあるわ。その時のために準備をしておかないとね」

 

「えぇ…」

 

思わず声が漏れた。幸い、トリエルには聞こえていないようだ。

 

やはりゲームと変わらず、モンスターは襲ってくるらしい。初っ端からあんな目に会っただけに、生き残っていく自信がなかった。しかも、本当に命を狙って殺しに来るのだから、こんなに軽いノリで扱って良いことなのか疑問に思えてくる。不安が顔に出てしまったのか、トリエルは元気づけるように大きな声で話を続ける。

 

「でも心配しないで!やりかたは簡単よ。モンスターに遭遇すると戦闘が始まるの。戦闘が始まったら仲良くお話すればいいのよ。時間を稼いでくれたら私が仲裁するわ」

 

お話ねえ…。外交的に解決するというのは人間界でもモンスターの世界でも共通のことらしい。もっとも話が通じればのことだが。交渉が決裂してしまえば、残された手段は“力”だけになる。この世界だと言ってしまえば殺し合いになるのだから、絶対に避けたいことだった。

 

「このDummyで練習してみましょうか」

 

あ。肝心なことを忘れていた。このイベント、穏便に済ませようとするとダミーとお話しなければならないのだ。本当に自分がフリスクくらいの小学校低学年程度だったら、躊躇いもなくお話しできたかもしれない。でも、この年になってダミー人形相手にお喋り?それも、トリエルの目の前で?恥ずかし過ぎて涙が出てくる。いまの自分の姿がフリスク似の子どもになっているのがせめてもの救いだが。

 

「たぶん、練習なんてしなくても大丈夫かと…」

 

「駄目よ、練習は大切なんだから」

 

やんわりと回避しようとしたものの、意外に厳しめの口調でトリエルに返された。ええ、これ絶対やらないといけないパターンなのか…。

 

考えてみると、ゲームの中でもこれは回避できないイベントだった。だとすれば、ここでもそれは同じなのかもしれない。諦めた僕はトリエルに促されるまま、ダミーの前に歩み出た。もう泣きたい気分だった。

 

気づくと、自分の胸に赤いソウルが浮かび上がっていた。いつの間に出てきたのだろう。もしかすると、フラウィのところでも気づいていなかっただけでソウルが出ていたのかもしれない。一応、ゲームに忠実だ。

 

でも、今は自分自身が主人公になってしまっている。コマンドを選ぶなんてことはなく、実際に自分で行動するほかないのだ。

 

戦うか行動か。この先を考えるのなら、行動するほかない。僕は身構えた体から力を抜き、リラックスしようとする。

 

《本当にそれでいいの?殺せばいいのに》

 

(っ!?)

 

突然、どこからか声が聞こえた。

 

10歳過ぎあたりだろうか、少なくとも女の子の声だった。不思議なことに、その声にはどこか聞き覚えがある。けれど、誰の声なのかはまったく思い出せない。すぐに辺りを見回してみるものの、それらしき少女の姿はなかった。一瞬、トリエルが出したのかと考えたが、ここまで子どもみたいな声をトリエルは出さない。何より、殺そうなんて恐ろしいことは言うはずがなかった。

 

何が起こったのだろう。いや、自分の身に何が起きているのだろう。どこにもいない少女の声が聞こえるだなんて。

 

慣れない環境に疲れているのだろうか。きっとそうかもしれない。考えてみれば展開が早すぎるのだ。ついさっきまではフラウィに殺されかけていたのに、気づけばトリエルと一緒に遺跡の中を探検している。そもそもUndertaleの世界の中に落とされたというだけでも混乱するのに、その中で歩き回って早くもストーリーを進めようとしているのだから、頭が悲鳴を上げるのは当然だ。

 

僕はそう自分に言い聞かせた。正直、こうして何かしら理屈をつけて納得させないと頭がおかしくなりそうだった。自分の身に起こったあり得ないような奇妙な出来事。それに押し潰されないためには、こうするほかないのだ。

 

僕は少女の声を振り払うと、目の前のことに意識を向ける。そう、ダミー人形に話しかけるのだ。見ればボタンでできた瞳はつぶらで可愛らしくも見えるし、綿でできた体はふかふかそうで抱きつきたくもなる。なんて可愛らしいダミー人形なんだろう。そんな彼?いや彼女?と、ぜひお友達になりたい!

 

半ばやけくそになって自分の気持ちを奮い立たせ、僕は口を開いた。

 

「可愛い!ねえ、一緒に遊ぼうよっ…!」

 

もちろん、ダミー人形が答えることはない。ちぐはぐな会話、というよりは返事がないのだから、会話が成立していない気がする…。話し終えた僕は顔を真っ赤にして、両手で隠すように覆った。もはや泣き笑いみたいな状態だった。もし元の自分を知っている誰かにこんな会話を聞かれたら、一生ネタにされるだろう。

 

間もなく戦闘が終わったのか、自分の胸のソウルがすっと消えていく。トリエルは戦うのではなく話すことを選んだ自分の行動をみて喜んでいるらしかった。頼むから見ないで、お願い!

 

「わぁ、良いわね!よくできました!」

 

目を輝かせて褒めるトリエル。何か大切なものを失ったような気がする。とりあえず僕は浮かんだ涙をバレないように拭い取り、平常を装った。明らかに顔が火照っていたのでバレそうな気もしたけど、トリエルが察してくれたのか単純に気づかなかったのか、何も触れられることはなかった。僕は大きくため息をついて安堵する。

 

「次はこっちの部屋よ。ついてらっしゃい」

 

ポンポンと自分の頭を撫でたトリエルは、そう言うと次の部屋へと進んでいく。ふと、僕は元の部屋を振り返った。やはり、聞こえたような少女の姿はない。あれはいったい何だったのか。明らかにあれは、自分に誰かを傷つけるようそそのかす声だった。

 

そういえば、前にもこんなことがあったような気がする。どこでだろうか。

 

立ち止まって考え込む。

 

ゴールデンフラワーの下で目が覚め、フラウィに会い、トリエルに助けられ、そして…。そうだ、思い出した。トリエルに抱きつかれる前、同じような囁きが耳元で聞こえてきたのだ。殺せ、とそそのかす恐ろしい声が。その時は自分で言うのも変な話だけど、怯え切っていてかなり精神状態がおかしかったので幻聴か何かだろうと思っていた。でも、よくよく考えてみるとさっき聞こえた声はその時に聞こえた声と似ている気がする。

 

謎は深まるばかりだ。考えれば考えるほどドツボに嵌る気がする。

 

ここまでにしておこう。そう考えた僕は先を進んでいったトリエルに追いつこうと、足早に部屋を後にした。その様子を見つめる人影の存在に、僕はまだ気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パズルはもう一つあるわ…。解けるかしら?」

 

レバーがあった部屋と同じく、この部屋も細長い構造で壁に突き当たると右の奥へと続いている。壁にはまた蔦が生えていて、そのうちに壁全体を覆いつくしそうな気がする。トリエルは少し試すような口調でそう言うと、奥の方へ進んでいった。置いていかれないように、僕もそのあとを続く。

 

部屋を抜けると細い小路に差し掛かった。まるで迷路みたいに、右へ左へと直角の曲がり角が続いている。こういう路地の陰には誰かが隠れていそうで、本能が警戒しているのか心臓が脈打つ。それに、そろそろモンスターが出てきてもおかしくないはずだった。

 

「うわっ!」

 

案の定、2つ目の曲がり角のところで物陰からぱっと黒い影が現れた。愛嬌のあるカエルの頭に2本の前足。どう見てもデフォルメされたような可愛いカエルなんだけど、前足の間にはしきりに瞬きを繰り返す謎の生き物のようなものが見える。少し怖い。

 

『Froggitが襲ってきた!』

 

とか出るんだろうな、ゲームの中では。自分自身がこの世界に落とされている今の状況ではナレーションは脳内補完するほかない。

 

とりあえず、話すなりして平和的に解決するのがよさそうだ。そう考えた自分だったが、フロギー相手でもやっぱり話しかけるのは恥ずかしかった。でも、ダミー相手に話しかけるよりはマシなので、息を大きく吸い込んで呼吸を整えると、声を出す。

 

「か、可愛いね、フロギー」

 

フロギーは突然話しかけられたのにびっくりしたのか、身を震わせて怖がっている。それなら、最初から出てこなければ良かったのに。そう思ったのも束の間、気づいたトリエルがじっとフロギーの方を睨んだ。思わず自分でも「ひっ」と身が縮こまるような中々に怖い顔だ。さきほどまでの温厚な彼女の顔からはまるで想像できない。

 

フロギーはそれを見るや、そそくさと逃げ出していった。何だったのだろうか。トリエルはというと、フロギーが逃げていった方向をまだムッとした表情で睨みつけ威圧している。正直、怖い。

 

「さ、行きましょうか」

 

トリエルに再び促されて、僕は進み始めた。途中にあった壁の石碑を見ると『西の部屋は東の部屋の設計図を描いている。』と書かれていた。西の部屋というのは先ほど通った部屋、東の部屋というのはこの先の部屋のことを指すだろう。たしか、この先は針山が床一面に広がっている針地獄のような場所だ。

 

予想通り、角を曲がると向こう側に恐ろしい針山の数々が見えてくる。間違って転びでもしたら、文字通りの串刺しになりそうだ。ゲームの画面でもこんなような光景だったはずだけれども、現実で見ると遥かに恐ろしく感じる。こんなところ本当に通れるのだろうか。

 

「これもパズルね、だけど…」

 

トリエルもさすがにこの恐ろしいパズルには考えるところがあるのか、言い淀んだ。

 

「さあ、少しの間私の手を握っていてね。」

 

ゲーム通りに進んで良かったと、僕はひと安心した。一度ゲームでプレイしているとはいえ、実際にここを渡れと言われたら怖くてできそうもない。もし踏み間違えたらなんて考えたら、恐ろしくて目も当てられなかった。

 

差し出されたトリエルの手を、僕はしっかりと握った。大きくてあたたかみのある手だった。

 

そのまま、僕はトリエルに引かれるようにして針山の中を進んでいく。見ると、どうやら針の突き出ているブロックの枠を踏んだタイミングで針が引っ込んでいるようだ。だとすれば、石橋を叩いて渡るみたいに、足で先を突くようにして慎重に通れば串刺しにならずに一人でも渡れそうではある。もっとも、怖いことには変わりはなく、一人で通る気は到底起きないけれど。

 

しばらく針山の道は続く。そんな中でも、トリエルは自分が怖がってはいないかと時々、後ろの方を見やって心配してくれていた。トリエルまじ優しすぎる。感動して心がジーンとしてしまう。

 

「これは今のあなたには少し危険すぎるわ」

 

ようやく針地獄を渡り終えると、トリエルがそう言った。やっぱり、これは誰がどう見ても子どもには危ない。トリエルもそう感じたらしく、少し困ったような表情だった。

 

さて、記憶が正しければこの後は長い長い通路があったはず。確か、お留守番するためのテスト的なものだったような。もっとも、お留守番するように言われるがゲームでは早々に破って勝手にトリエルの家まで行くことになるけど。

 

通路を進むと案の定、かなり大きな広間に行き当たった。向こう側の出入り口は思ったよりかなり小さく見える。これ、端までいったい何メートルあるのだろう。

 

「ここまで本当によくやってきたわ、我が子よ。けれど…ちょっと辛いことをしないといけないの」

 

思い悩んだ顔で、トリエルはそう切り出す。

 

「この部屋は一人で進んでほしいの。許してね」

 

本当に申し訳なさそうな弱々しい声でそう言うと、トリエルはいきなり凄い勢いで走り出した。唐突な展開に思わず「えっ?」と声を漏らしてしまう。これ、本当に子どもだったら「ママっ、待ってぇ!」と泣きながら追いかけるような展開になりかねない気がする。

 

通路の先まで進んだトリエルは左側の柱の陰に隠れた。あ、見えちゃうんだ。

 

ゲームだったら神様視点から俯瞰するように世界を見ていたけど、いざ自分が主人公になると一人称視点なので、ゲームでは見えなかったものが普通に見えてしまう。まあ、逆にゲームでは見えていたものが見えなくなることもありそうだが。

 

トリエルをあまり待たせるのも心配させて悪い。そう考えた僕は、走ってさっさと通路の向こう側へ進むことにした。それでも、先があれだけ小さく見えていただけあって、走っても走っても全然たどり着かない。しまいには息が切れてきたので、仕方なくペースを落として歩き始める。自分がいま、子どもの体になっているというのもありそうだった。

 

ふと振り返ると、自分たちが来た入り口がかなり小さくなっていた。そして、その奥には見覚えのある金色の花の姿が一瞬だけ見える。まあ、すぐに地面に潜って見えなくなってしまったけれど。

 

「あいつ、ストーカーしてきやがった」

 

ぼそっと呟く僕。あれは絶対にフラウィだろう。ゲームの展開からしても間違いはない。ゲームの中でフラウィはどういうわけか、主人公をこっそりと尾行しているのだ。自分をあんな目に合わせておきながら、ストーカーしてくるなんていい度胸だ。今度会ったら絶対に仕返ししてやる。

 

《復讐だね…》

 

(あれ?)

 

また謎の声が聞こえた。どうも、この声はどうにかして自分に誰かを傷つけさせたいらしい。そんなにしつこく言われたら、むしろそんな気は失せてしまうのに。

 

「何なんだよ。僕にそんなに誰を傷つけさせたいのかい?」

 

そう言ってみたけど、誰も答える気配はない。もしかして、これは単純に自分の幻聴なんじゃないか。そんな気もしてくる。でも、仮にそうだとしたら自分の精神状態はかなりマズいとしか言いようがない。さすがにそれはちょっと、というか普通に困る。まだ自分はそこまでおかしくなってないと信じたい。

 

辺りを見回してもやっぱり誰もいる様子はないので、あきらめた僕は再びトリエルのもとへと進み始めた。3分くらい歩き続けると、ようやく白い柱の前にたどり着く。来る前からトリエルがたびたび顔を出して自分の様子を確認していたので、柱の陰にいることは分かりきっていた。

 

そこで何を思ったか僕は、トリエルを驚かせてみようと足音を立てずに柱に近づくと「わっ!」と声を上げて一気に柱の後ろに飛び出した。

 

「あれ…?」

 

ところが、驚いたのは僕の方だった。なんと、そこには誰もいなかったのだ。ついさっきまでトリエルが隠れていたはずなのに、なんで?

 

「ばあっ!」

 

「ぎゃひっ!?」

 

突然、背後からトリエルの声が聞こえた。ビックリした僕は思わず素っ頓狂な声を上げて飛び跳ねる。本当に心臓が止まりそうだった。どうやら、僕が柱の陰に飛び出したタイミングで、彼女はさっと自分の後ろに回り込んでいたようだ。ひどく驚いた様子を見た彼女はしばらく大笑いしていたが、だんだん可哀想になってきたのか笑いが止む。

 

「ごめんなさいね、つい。あなたが驚かしてみようとするものだから、逆に驚かし返そうと思って」

 

「いや、大丈夫…、大丈夫です」

 

本当は心臓がドキドキして全然大丈夫ではなかったけど、あんまりに心配そうにしているのでこう答えるしかなかった。

 

「安心して、私はずっとこの柱の陰からあなたを見ていたの。私を信じてくれてありがとう」

 

大袈裟に感謝を伝えるトリエル。そして、優しい面持ちで話を続ける。

 

「このお稽古には大きな意味があったの。…あなたが一人でいられるかどうかテストするためよ。私は今から用事があるの、だからあなたは待っていないといけないわ。ここにいてちょうだい。一人で探索するのは危険だわ」

 

1年ぶりだから忘れていたけど、一応トリエルはここにいるようきちんと言っていたのか。それを破って勝手にトリエルの家に行くなんて、悪い主人公だな…。なんてことを僕は考えていた。まあ、ゲームのストーリー的には先に進まなければ進行できないから、仕方がないといえば仕方がないけど。

 

「そうだ。携帯電話を渡してあげましょう。もし何かあったら、いつでも電話してね。いい子にしてるのよ、分かった?」

 

ぼんやりしている間に話が進んでいたのか、すっと携帯電話を渡された。この世界観で携帯電話が出てくるのは相変わらずびっくりだ。しかも、すっかりスマホが普及している時代にガラケーで、その上折りたたみ型ではなくストレート型という拘り様。さすがにこれを使っている人は身の回りでも見たことがない。

 

他にもいくつか聞きたいこともあったけれど、トリエルはそう言い残すと先の方へ歩いていってしまった。その場には自分一人だけが取り残される。呑気に変なことを考えている場合ではなかったな、と少し後悔した。

 

どうも、積極的に関わらないと基本的にはゲーム通りの流れで進行するらしい。まあ、それが自然なのだから、自然の摂理に従っていると考えるべきか。それでも、うまいこと会話を誘導すればトリエルについていって面倒な一人旅を避けられたかもしれないと思うと、残念でならなかった。

 

(うーん、ここから一人かあ。とにかく死なないように基本逃げながら行こう...)

 

そんなことを呟きながら、僕は再び通路の奥へ向かって進み始めた。しかしその矢先、驚きのあまり大きな声が漏れる。

 

「い、いきなりフロギー!?」

 

次の部屋に足を踏み入れたと思った瞬間、そこには1匹のフロギーが佇んでいたのだ。しかし、先ほどとは違って襲ってくる様子はなく、妙に落ち着いている。そこで僕はようやく思い出した。

 

(ああ、NPCか。たしか『MERCY』のやり方を教えてくれるんだっけ)

 

ついいつもの癖で、妙にゲーム的に考えてしまった。そこにいるのはちゃんとこの世に生を受けている1匹のモンスターなのに、だ。ふと、こんな風に考えるからバチが当たってこの世界に落ちたのだろうかとも考えた。でも、同じようなことを考える人間はいくらでもいそうな気がする。なんで自分だけが。

 

理不尽な出来事に少し怒りがこみ上げる。こればかりはフラウィに聞かなければ分からないだろう。

 

とりあえず、僕はセーブをすることにした。ちょうど目の前に、赤い落ち葉の山があって、黄色い光が輝いているからだ。光に向かって歩き始めた僕。しかしその時、大音量で携帯の呼び出し音が鳴る。これ、少し大き過ぎやしないだろうか。隣にいたフロギーまでビクついていたんだけど。

 

「もしもし?」

 

「もしもし?TORIELよ」

 

ガラケーなんて扱うのはすごく久しぶりでもたついてしまったけど、何とか電話が切れる前には出ることができた。スピーカーからはトリエルの優しい声が聞こえる。声だけでも彼女の優しい顔が思い浮かぶような気がした。

 

「部屋から出たりしてないわよね?」

 

「…もちろん、出てないです。たぶん」

 

嘘です。

 

少し心が痛んだけれど、これも仕方のないことなのだと自分を納得させる。どのみち先に進まなければ道は開けないのだ。僕の答えを聞いたトリエルは安心したのか、こう続ける。

 

「それは良かった。その先にはまだあなたに説明してないパズルがあるの。あなた一人で解こうとするのは危険よ。良い子でいるのよ、いいわね?」

 

「は、はい…」

 

ぎこちない答えの後、電話が切れた。

 

ため息が出る。ゲームだったら何も考えることはなかったのに、いざ自分がこの場にいるとどうしても罪悪感が出てしまう。ゲームでは散々トリエルに酷いことをしてきたのだから、なおさらだった。

 

(とにかく、トリエルにはこれ以上辛い思いはさせたくないな…)

 

僕は強くそう思った。

 

電話をしまった僕は、セーブポイントの前に来る。ここでは確か、木の葉の上を通るんだっけ。僕は落ち着いて木の葉の上をゆっくりと歩き回る。しかし何も起こらない。まさか、メッセージ通りちゃんと戯けて通らないとダメなのだろうか。

 

「ああ、もうっ!」

 

またやけくそになって僕は落ち葉の上を走り回った。カサカサと音が鳴り、落ち葉が舞い上がる。それでも、まだダメらしい。

 

「何で、すぐに、セーブ、できないんだよ!このッ」

 

僕は何度も落ち葉の上をくるくる回って、落ち葉を吹き飛ばす。だいぶ息も上がってきた頃、ようやく聞き慣れた効果音が響いて頭上に黒画面が現れた。

 

『Tsuna LV1 6:41 Ruins-葉の絨毯』

 

何とかセーブできた。まったく、セーブするのも一苦労だ。

 

心の中で悪態をついた僕は、ひとまず北側の部屋に向かうことにした。入り口から見て突き当たり左の部屋だ。記憶の通りなら、その部屋にはHPを回復することができる『マモノのアメ』なるアイテムが置いてあるはずだった。本当にHPが回復できるのかは疑問なところだけれど、フラウィにやられた腕の傷が簡単に治ってしまうあたり、可能性としては高いかもしれない。

 

部屋に入ると、たしかに色とりどりのアメがかごに入って置かれている。誰が何のためにアメを置いたのか、ちょっとだけ気になった。とりあえず僕は3つくらい一気にアメをつかみ取ると、ポケットの中に入れておく。

 

(4つ目を取ると確か地面にバラまいちゃうんだっけか)

 

そう考えた僕はこぼさないよう慎重に4つ目を取った。意外にあっけなく取ることができ、それにはさすがに驚く。回復アイテムなら、持てるだけ持った方が今後のためにはなりそうだ。僕は10個くらい鷲掴みにしてアメをつかみ取ると、ズボンのポケットの中に突っ込んだ。最初、あまりに入れ過ぎて少し歩きづらかったので、後で左右のポケットで均等に分けた。

 

かごの中のアメはだいぶ減ってしまった。少し良心が痛んだけれど、仕方ないことだと自分に言い聞かせて部屋を後にする。

 

相変わらず右の方にはフロギーが佇んでいた。最初にゲームで見たときは、某モンスター育成RPGみたいに前を通ると問答無用でバトルが始まるのだと思って、後ろを回り込んだ記憶がある。まあ、実際はそうではなかったけれど。

 

「じゃ…」

 

気づくとじっとフロギーが見つめてきていたので、僕は軽く会釈をしてその場を去った。次の部屋はなんだったっけ、と薄々考えながら僕は先へと進んでいく。

 

「あ、落とし穴か」

 

目の前に広がっていたのは、見るからに落とし穴感満載の奇妙な凹凸のついた地面だった。

 



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第4話 Let's explore

今日、久しぶりに子どもが落ちてきた。

 

 

“あの子”より少し大柄の男の子。違うとは分かっているのに、どこか似ている部分はないかつい探してしまう。あの子はもう二度と戻ってくることはないというのに。

 

「今日はお祝いをしないといけないわね」

 

そんな重苦しい気分を吹き飛ばすため、(わざ)とそう口に出して自分に言い聞かせる。帰ったら大急ぎでバタースコッチシナモンパイを焼いて、あの子のためのお部屋を用意しなきゃ。私のおもちゃを気に入ってくれるかしら。それに、着替えの服のサイズはちゃんと合うかしら。

 

考えているうちに次々と心配ごとが出てくる。帰ったら一通り確認しないと。何せ久しぶりの子どもだから、今度こそ完璧にお迎えをして、何も足りないものがないようにしないと。

 

そうしないと、あの子もきっと…。

 

私の瞳から一筋の涙がこぼれた。今までの子どもたちの姿が脳裏から離れない。

 

ベッドですやすやと可愛らしい寝息を立てていた“あの子”、本を読み聞かせると目を輝かせて喜んでくれた“あの子”、焼いたバタースコッチシナモンパイを本当に美味しそうに頬張ってくれた“あの子”。あんなに可愛らしかったわが子たち。

 

なのに、なぜみんな私を置いていなくなってしまうのだろう。

 

そんなに地上の世界に帰りたいというのだろうか?

 

あの出口を抜けたら最後、生きては帰れない。みんな、アズゴアに殺されてしまうというのに。

 

私はあの子たちにもそう話して、絶対に出口を抜けないよう言った。なのに、みんなどうしてもと言って、私の言い分なんて聞いてはくれなかった。固い意志のこもったまっすぐな瞳。いくら引き留めようとしても、その瞳はあの門を見つめたまま離れようとはしなかったのだ。

 

なんで、あの子たちは行ってしまったのだろう。

 

私は来る日も来る日も、そのことばかりを考え続けていた。わが子と同じように、たっぷりの愛情を注いでいた。おもちゃ、着物、本、お菓子、それにふかふかのベッド。あの子たちが欲しがりそうなものは何でも用意してきたつもりだった。それなのに、あの子たちはいなくなってしまった。

 

まだ、何かが足りないというのだろうか。

 

足りないものがあるというのなら、そのすべてを用意してみせる。これ以上、我が子を失うわけにはいかない。あの子と一緒に、命の尽きるまでここで暮らしていくのだ。たとえ、それがあの子の自由を奪うことになっても。

 

私は改めて心に強くそう誓うと、足早に遺跡の奥へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(こいつは面倒だな、飛び越えるか…)

 

目の前にあるのは道を塞ぐように仕掛けられた落とし穴。左右は両側の壁に届くまで広がっているので、避けて通ることはできない。幅は見た感じだと2メートル少しはありそうだ。今の自分の力でどのくらい飛べるか分からないものの、この程度の幅なら行ける気がする。

 

後ろに下がった僕は、走り幅跳びの要領で助走をつけると右足で踏み切り、一気に跳躍した。幅的には十分そうだ。僕は空中で膝を軽く曲げ、自分の方に引き付ける。そして、そのまま突き出した両足できれいに着地した。いや、そのはずだった。

 

なんと、落とし穴が予想以上に大きかったのか、着地と同時にかかとの地面が崩れたのだ。そのまま後ろにバランスを崩した僕は、たまらず手を伸ばして前に体を戻そうとするものの、間に合わない。

 

「あっ…、ヤバ」

 

そうして、背中から勢いよく落とし穴の上に転んだ。もちろん、落とし穴がそんな荷重に耐えきれるはずはない。ずぼっと音を立てて地面が抜け、悲鳴を上げる間もなく僕は穴の中へと吸い込まれていった。

 

「痛って~…!」

 

そのまま下の階に落ちた僕。幸い、穴の下には落ち葉が敷き詰められていて、クッションのように働いてくれたおかげで大きなケガはしなくて済んだ。でも、変な体勢で落ちてきたせいか、背中を強く打ち付けてかなり痛い。

 

しかも、あろうことか目の前には1匹のWhimsunことナキムシがいた。これはなんという不運か。ナキムシにしてみれば、突然天井を突き破って目の前に人間が落ちてきたのだから、驚いても仕方ない。実際、ナキムシは会ったときには既に泣いていた。

 

「驚かせてゴメン!すぐに帰るから」

 

僕は何とか起き上がると、奥の出入り口から素早く部屋を後にした。ナキムシは襲ってくるどころではなかったようで、自分が逃げ出すのと同時に反対方向へ飛んでいった。ひとまず、戦闘にならなくてよかったと、安堵する。

 

階段を上がって狭い抜け道をくぐると、先ほどの落とし穴地帯の向こう側に出ることができた。横着して飛び越えようとしたばかりに、変な体勢で穴に落ちて余計に痛い思いをしてしまった。打ち付けた背中をさすりながら、僕は今さらながら後悔する。

 

先に進むと、目の前にはぽつんと石が転がっていた。自分の膝くらいの大きさがあるなかなか大きめの石だ。ゲームでは簡単に押していたけど、果たして本当に自分の力で押せるのか不安になってくる。その先には同じく石でできた感圧板が床に埋め込まれていて、道を塞ぐように突き出た針山も見える。

 

(やってみるしかないか)

 

石に手をかけた僕は、ぎゅっと力を入れて石を押し始める。最初は全く動かないように思えた石だったが、少し動くとあとは嘘のように軽くなり、簡単に感圧板の上まで移動させることができた。石が感圧板に乗った瞬間、目の前の針山が引っ込んで道が開ける。

 

そういえば、ゲームではこの辺でトリエルからシナモンかバタースコッチのどちらが好きか尋ねる電話が掛かってくるはずだった。でも、遺跡の入り口ですでに聞いたからか、電話が掛かってくることはない。ゲームのシナリオにない行動をすると、こうやって影響が伝搬していくのか。うまく使えば色々なことに応用できそうだ。

 

この先には落とし穴の道があった。地面いっぱいに妙な凹凸がついていてそこら中が落とし穴のように見えるものの、実は道があるというパズルだ。正解は下のフロアの落ち葉の配置で記されているが、ゲームをプレイしている僕にとってはこのくらいの道は暗記していたので、今度こそ何の問題もなく通過できた。途中、またナキムシに会ったものの、すぐに逃げたので戦闘にはならなかった。

 

さらにその先に進むと今度は石が3つ並んでいた。たしか右端の一つは話すんだっけ?

 

とりあえず、僕は左と真ん中の2つを押して、感圧板の上に移動させておいた。残るはあの喋る石か。そう思って石に触ろうとしたとき、背後から何かの気配を感じた。

 

(うわ、2匹も!)

 

振り返るとそこにはフロギーとナキムシの2匹がいた。いつのまに自分の背後に忍び寄っていたのだろう。ちょっと油断しすぎたかもしれない。

 

「な、ナキムシは逃げていいよ、じゃあね!」

 

僕は構えた拳を下ろし、ナキムシに敵意がないことを伝えた。すると、その意図を理解してくれたのか、ナキムシは小さく鳴くとどこかへ飛び去っていく。一方のフロギーは怯えた様子で自分の周りに白い光を呼び寄せると、こちらに向かって放ってきた。フラウィが使っていたのと違って光には羽が生えていて、ハエみたいな動きで飛んでいる。

 

これくらいなら問題なく躱せる。僕は右へ左へと飛んでくる弾を避け続けた。すぐに弾がなくなって、フロギーは攻撃をやめると「ゲコゲコ」言いながらこちらの様子をうかがってくる。鳴き声からしてもやっぱりカエルらしい。

 

さてどうするか。

 

僕はとりあえず褒めてみることにした。言ったのは最初のフロギーにかけたのと似たような言葉だ。

 

フロギーは照れているのか、鳴き声が少し変わった。ここぞとばかりに、僕はターンなんてものを無視してフロギーに「じゃあね」とだけ告げると、くるっと向きを変えてその場から立ち去る。しばらくしてから振り返ってみると、フロギーもいなくなっていて、その場には金貨が何枚か落ちていた。

 

「一応、逃がした扱いにはなるのか。良かった…。」

 

僕は金貨を拾い集めると、まとめてポケットの中に突っ込んだ。このくらいならまだ持てるけど、この先増えてきたらどうしようか。財布とか小銭入れがあれば便利なんだけど…、と思うものの、なにせ突然落とされた身だ。そんなものなんて持っているわけはない。まあ、トリエルに言えばもしかすると用意してくれるかもしれないが。

 

そんなことを考えつつ、いよいよ僕は最後の石に手を掛けて押そうとする。案の定、石から声が聞こえた。

 

「おおっと!俺を押そうってのはどこのどいつだい?」

 

石が喋るだけあって、地の底から響くような低い声だと思っていたけれど、案外お調子もののような軽い声だった。口もないのにどうやって喋っているのか謎だが、それよりまずは動いてもらわなければ話にならない。

 

「すみません、そこを動いていただきたいのですが…」

 

「おお、おチビちゃん。ずいぶんかしこまった言葉遣いをするじゃないか。しょうがないな、今回だけだぜ」

 

つい言葉遣いをゲームから変えてしまったせいで、返ってくるセリフも若干変わったことに驚いた。石はそう言うと、ひとりでに動いて感圧板の方に近づく。でも、まだまだ足りない。

 

「あと4メートルくらい、東に動いていただけると大変助かるのですが…」

 

「そ…、そうかい。わかったよ、おチビさん…。」

 

この後の展開を知っている僕は、わざわざ方角と距離まで指定して石にお願いした。子どもにそれほどまでに丁寧にお願いされるとは思わなかったのか、石はやや引き気味に答えると、一発で感圧板の上に乗ってくれた。石に引かれるとは、僕も来るところまで来たのか…。

 

「ありがとうございます。できれば、そのまま動かないでいただけるとサイワイ?です」

 

僕は慣れない敬語で石にそう言うと、先ほどまで針山が突き出ていたところまで向かう。渡る寸前で、念を入れてもう一度僕は石の方を振り返った。動く様子はなさそうだ。僕はそっと、右足を針山の上に伸ばしてみる。その時だった。

 

「ひゃっ!?」

 

思わず素っ頓狂な声が漏れる。あろうことか目の前で突然、針が飛び出してきたのだ。思わずのけ反った僕は、そのまま転んで尻餅をつく。幸い、間一髪で回避できたのか右足には傷一つなかったが、つい油断しすぎたようだ。

 

「何やってんだよ石ころ!殺す気かっ!」

 

「…ほんと悪い。そこまで驚くとは思わなかったんだ。今度はぜったい動かないから、安心して渡ってくれ」

 

キレ気味に睨みつけると、石は申し訳なさそうにそう言ってもう一度感圧版の上に乗った。どうやら、自分を驚かそうと思ってやったらしい。ゲームなら笑って済ませられたけれど、今は下手をすれば串刺しになりかねない。僕は警戒して何度も右足で引っ込んだ針山を突いたり、石の方を振り返って様子を見た後、飛び越えるようにして一瞬で渡った。

 

今回の出来事で寿命がいくつ縮んだだろう。ため息をついた僕は、足早に次の部屋へと向かった。

 

といっても、次はセーブポイントだったはずだが。案の定、部屋の右側にはセーブポイントの黄色い光が輝いており、その奥には小さな円卓がある。その上にはアニメで見るような穴の開いたチーズが無造作にそのまま置かれていて、何だか罠のようにも見える。

 

僕はチーズに近づいてみた。どうやら本当にただ置かれているだけらしいものの、埃をかぶっている上に一部が溶けて、テーブルにへばりついている。美味しそうなら味見してみようかとも考えたけれど、一気に食べる気が失せた。まあ、チーズはもともと発酵食品だから、ひんやりと涼しいこの遺跡の中なら熟成して美味しくなってそうな気もするが、さすがに埃をかぶっているのはいただけない。

 

(お、ネズミの巣穴だ)

 

反対側の壁には見るからにといった様子の穴が掘られていた。穴を覗いてみると、暗闇の中に2つの目が光っていてチュウチュウ鳴いている。いつも疑問に思っていたけど、巣の目の前にあんなに大きなチーズがあるのに何で食べないのだろう。へばりついているだけならかじればいいのに。それとも、やっぱり不自然過ぎて警戒しているのだろうか。

 

僕はそんなことを考えながら、セーブポイントに向かった。すると、拍子抜けするくらい一瞬で決意に満たされる。歩きながらネズミのことを考えていたから、条件を満たしていたのかもしれない。相変わらず頭上に現れた黒画面の表示は更新され、セーブも無事に完了する。

 

『Tsuna LV1 431:12 Ruins-ネズミの穴』

 

いよいよ7時間越えか。何だかお腹が減ってきた。思い出してみると、この世界に来てから食べ物という食べ物を食べていないような気がする。考えるほどに空腹は酷くなり、お腹が鳴った。ふと、先ほどのチーズが目に入る。

 

「いや、ダメだ。お腹壊しそう」

 

僕は自分にそう言い聞かせると、未練がましくチーズを見つめながら部屋を後にする。ああ、腹減ったなぁ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「zzzzz…zzzzz…」

 

ぼくの名前はNapstablook(ナプスタブルーク)。散歩の途中で気持ちよさそうな落ち葉の山を見つけたから、横になっていたんだ。こうやって寝そべっていると、ゴミのような気分になれていい気分なんだ。

 

「zzzzz…zzzzz…」

 

そうやって寝息を立てていた時、向こうの方から足音が聞こえてきた。

 

やる気が出ない。面倒くさい。寝たふりしちゃおう…。

 

「zzzzz…zzzzz…」

 

しばらく寝息を立て、寝たふりを続けるぼく。もうそろそろ行ったかな。でも、足音がまだしていないような。

 

「ゴメン、押すね」

 

何だか声が聞こえて、じぶんの体が押しのけられた。いや、ぼくらの体には実体がないので、倒すこともできなければ触ることもできない。なので、押しのけられた()()をしてみた。うーん、やっぱり寝たふりは通じないのかな…。

 

声のした方を見てみると、そこにはやや困ったような表情の子どもの姿があった。なんだか悪いことをしちゃったのかな。しょんぼりと気分が落ち込む。

 

「大丈夫だよ、元気出して」

 

子どもはそう言って励まし、笑みを見せてくれた。そんなこと言われたら、涙が出ちゃう。

 

「ひっ!」

 

滝のように流れるじぶんの涙を楽しんでくれているのか、子どもは悲鳴みたいな声を上げて涙の中を走り回っている。よくわからない。

 

「な、ナプスタ、きみはおもしろいから、自信をもって!」

 

ようやく涙が収まったとき、何だか息を切らしてすごく疲れてそうな顔をしながら、子どもはそう言ってくれた。少しだけ元気が出てきた。また、思わず涙が出てくる。まるで、どしゃ降りの雨みたいにその場に降り注いだ。

 

「ひぇっ!ちょっと」

 

子どもはひいひい言いながら涙の雨の中を走り回っている。よく分からないケド、楽しそうでよかった。

 

「はぁ…、はぁ…。お願いだから泣かないで!元気出してよ!」

 

そう言われて、もっと気分がよくなった。子どもはさっきよりもっと息が上がっていて苦しげなのが、よくわからないけれど。でもせっかくだから、あれを披露してあげよう。子どもはなんて言ってくれるかな。

 

「きみにちょっと見せたいものがあるんだ…。やってみるね…」

 

涙を流すと、みるみるじぶんの頭の上に帽子ができていく。荒い息をしながら膝に手をついてかがみこんでいた子どもは、その様子を見て目を丸くして驚いてくれた。

 

「おしゃれblookって技なんです。気に入ってくれたかなあ…」

 

「すごいよ!おもしろいよ」

 

子どもはにっこりとした笑顔を浮かべて精いっぱいの拍手を送ってくれた。ああ…。こんなに喜んでくれるなんて。すっかり気分がよくなったじぶんの瞳から、涙が引いた。それを見た子どもは、安心したらしくその場に腰を落とした。

 

「RUINSには誰もいないからよく来てたんだ…。でも今日はいい人に出会えた…」

 

「いやいや、何もそんな…」

 

笑いながら照れ気味に顔を振る子ども。なんていい人なんだろう。

 

「うん、そろそろ散歩に戻ろうかな…。すぐにどくよ…」

 

そう言うと、ぼくは薄くなってすっと消えていく。子どもはその様子を手を振りながら、静かに見送ってくれた。

 

けれども去り際に、ぼくはふと、彼の後ろにもう一人だけ子どもの姿が見えたような気がした。おかしいな、さっきまではあの子しか見えてなかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()、いつからいたんだろう。

 



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第5話 脆い心

(まさか、ナプスタブルークの涙があんなに恐ろしいものだったなんて…)

 

僕はまだ息を切らせながら、その場に座り込んでいた。ナプスタブルーク自体はとても可愛く、少し内気で恥ずかしがり屋のところが好きなんだけれど、彼の攻撃があれほどまでに怖いものだったとは思ってもみなかった。

 

大粒の涙が雨のように降り注いで、しかも落ちたところがジュッと音を立てて煙を上げるのだから、もう必死になって逃げ惑うしかなかった。おかげで涙に当たることはなかったものの、散々走り回ったせいですっかり疲れ果ててしまった。

 

でも、しばらくこうやって休んでいたいのも山々だけど、トリエルが待っている以上あまりゆっくりしてはいられない。

 

僕は立ち上がると、分かれ道になっている目の前の通路をまっすぐ進んだ。この先では確か、クモのお菓子の即売会が開かれているはずだった。

 

案の定、そこには小さいクモの巣と大きいクモの巣の二種類が張られていて、その間には木でできた粗末な立て看板が打ち込まれている。

 

『クモのベイク・セール 売り上げはすべて本物のクモに渡ります』

 

お金は今までの戦闘で10Gくらいたまっていたので、ドーナツくらいは買えそうだ。僕は小さいほうのクモの巣の前に立つと、ポケットから取り出したお金をクモ巣に引っ掛けておく。意外に頑丈なのか、コインを乗せてもクモ巣は少したるんだだけで、切れたり崩れたりすることはなかった。

 

コインを乗せ終わると、天井からぶら下がってきたクモがお金を回収するとともに、目の前にドーナツを下ろしてくれた。クモたちがつくったということでどんなゲテモノかと想像していたけれど、予想に反して普通に美味しそうなドーナツで、白いアイシングがクモの巣をイメージしたように表面に細かく掛けられている。また、こんがり焼けたきつね色の生地からはほのかに香ばしい匂いもして、食欲がそそられる。

 

すぐにでも食べてしまいたいくらいだったけど、貴重な回復アイテムを無駄にするわけにはいかない。僕は泣く泣くクモからもらった紙袋にドーナツを入れると、ポケットの中にしまっておいた。そのうちポケットの中で粉砕されて大惨事になる気しかしないので、入れ方には気をつけておく。

 

「ありがとう」

 

僕はクモに感謝を告げると、部屋を出た。これで、いずれこの先で会うであろうマフェットの対策は万全だ。もっとも、このドーナツを食べることなく無事にマフェットのところまで運ばなければならないが。絶対途中で落としたり砕けたりしてしまう気しかしない。それに、そもそも腐らないかが心配だった。

 

まあ、ここはUndertaleの世界だから大丈夫だろう。きっと。

 

一抹の不安はあったものの、僕は無理やり自分を納得させると、先の通路へ進み始める。

 

『迷ったのかい?スパイダー・ベイク・セールは下に行って右だよ。クモの、クモによる、クモのためのお菓子をお楽しみください!』

 

入った正面にはそんな立て看板が打ってあった。ふと思ったけれど、これは誰が立てたのだろう。マフェットだろうか。それとも、ここのクモたちか。まったく分からない。

 

看板の横にはフロギーが3匹、間を開けて大人しく座っていた。久しぶりの来訪者に興味津々なのだろうか。たまにゲコゲコと声を出しながら、こっちの方を見てきている。僕は軽く会釈をすると、さらに先へと進んでいく。

 

その時突然、携帯電話が鳴った。相変わらずのボリュームで、すっかり携帯の存在を忘れていた僕はビクっとする。周りのフロギーたちもびっくりして、すっかり鳴き止んで何事かと自分の方を振り向いた。ほんと、ごめんなさい。

 

僕は頭をぽりぽり掻いて申し訳なさそうに壁際に寄ると、電話に出た。

 

「もしもし?前に掃除してから随分経っていることに気が付いたの。こんなに早くお客さんが来るなんて思わなくて…」

 

「いえいえ、そんな。お気遣いなく」

 

「あちこちにいろんなものが散らかっていると思うわ。拾ってもいいけれど、必要のないものまで拾わないようにね。いつかあなたの大好きなものが見つかるかもしれないでしょ?そんな時のために、ポケットは空けておかなきゃ」

 

トリエルはそう言うと、電話を切った。

 

大好きなものか…。

 

取捨選択をしろということなんだろうけど、そもそもポケットが小さすぎて大したものをしまい込めない気がする。今ですらアメとお金、それにドーナツでポケットはいっぱいなのに、この後見つかるであろう色々なアイテムを持てるか。それがやや不安だった。

 

電話をしまった僕は次の部屋へと足を踏み入れる。部屋の左右に6か所の落とし穴があって、それぞれが別の部屋につながっている部屋だ。最初の落とし穴の部屋でろくでもない落ち方で背中を痛めたのもあって、僕はやや落とし穴恐怖症になっていた。実を言うと高いところ自体が苦手なので、最初から落とし穴にはあまりいい思いはしてないけど。

 

(行くか…)

 

それでも、次の部屋への道を塞ぐ針山を引っ込めるためには、この下の部屋にあるレバーを引くしかない。僕は左から2番目の落とし穴に近づくと、覚悟を決めて飛び込んだ。たちまち地面が抜け、一瞬の浮遊感ののち下の部屋に着地する。ここにも落ち葉が敷かれていたおかげで、衝撃はそこまで強くなかった。

 

壁にはやはりレバーが埋め込まれていた。早速それを引いてみると、地響きのような重低音とともに地面がやや揺れた。上の部屋に戻ると、道を塞いでいた針山はすっかり引っ込んでいるようだった。これで、先に進むことができるだろう。でもその前に、アイテムを拾っておかなければ。

 

僕は部屋に入って右側の最初の落とし穴に飛び込んだ。案の定、そこには色褪せた赤いリボンが落ちている。所々がほつれているあたり、誰かがそれなりに使い古したものらしい。もっとも、実際にゲームとしてプレイしていた自分にとってはこれが誰のもので、どういう理由で落ちているかはだいたい想像がついたが。

 

リボンを手に取った僕は、とりあえずズボンのポケットにしまっておいた。せっかく手に入れたのに使わないのは勿体ない気がするけれど、男なのにリボンを使うというのは少し勇気がいる。それに何より、背景を知っているとあまり使う気にはなれないというのもあった。

 

再び上の部屋に戻った僕は、無言のまま次の部屋へと向かう。

 

装飾の施された石柱と、その根元に埋め込まれた赤、緑、青のスイッチ。ようやく、迷宮も終わりに近づいているようだ。とりあえず、この部屋では何も操作しなくてもよかったはず。記憶を頼りにそう結論した僕は、足早に次の部屋を目指す。

 

その時だった。

 

目の前の地面が突然、ぼこぼこと音を立てて盛り上がってきたのだ。

 

土にどんどん割れ目が入り、山のように膨らんでくる。あまりの出来事に僕は立ち尽くしていた。こんな敵なんていただろうか。もしかして、来てはいけない場所に来てしまったんじゃないか。不安ばかりが心の中を渦巻き、心臓が脈打つ。

 

山は2つできていた。時々、盛り上がった土が崩れて富士山型に周囲に広がる。やがて、それぞれの山のてっぺんが内側に崩れたかと思うと、小さな穴が穿たれた。まるでモグラが掘ったような穴だった。

 

「なんなんだ、あれ?」

 

声を上げた瞬間、突如として火山の如く土が噴き上がり、派手に周囲に散らばる。避けきれずに僕は土をもろに食らって、顔が黒くなった。強烈な土の匂いがあたり一帯に漂う中、姿を現したのは2体のモンスター、Vegetoid(ベジトイド)だった。体はどう見てもニンジンにしか見えないものの、不気味な笑みを浮かべた顔は正直怖い。

 

でも、ちょうどよいタイミングだった。

 

僕はいかにも、といった感じの様子でお腹をさすり、空腹感をアピールする。

 

すると、ベジトイドはすぐに察してくれたのか、野菜の弾幕を展開する。

 

「緑の野菜を食べようね」

 

「理想的な朝食に不可欠」

 

恐ろしい外見とは裏腹に、かなり真面目に健康面を考えてくれているらしい。ベジトイドが掘った穴から大量のニンジンが噴き出し、頭上から勢いよく降ってくる。その中にはみずみずしい緑色をしたものも混ざっていた。

 

僕はそのニンジンだけを手に取ろうとするものの、これだけ濃密な弾幕だと目的のニンジン以外を躱し切るのは難しい。数え切れないほどのニンジンが放物線を描いて降ってくる中、頭上を見上げて左右へ避けつつ、緑のニンジンのもとへ向かう。しかし、躱し切れなかったニンジンが右の肩に直撃する。

 

「痛ッ!」

 

見た目は普通のニンジンなのに、それとは思えない固さだった。鈍い音が響いて、当たったニンジンが跳ね返って地面に落ちる。金槌か何かで打たれたような衝撃で、当たり所が悪かったのか腕が痺れてきた。

 

(見た目以上にきついダメージだな、こりゃ…)

 

それでも、目的のニンジンは何とか手に入れることができた。僕はすぐそれにかぶりつく。緑という奇妙な外見とは裏腹に、そのニンジンはとても柔らかくて簡単に頬張れるほどだった。それに、噛めば噛むほどにじみ出てくる自然な甘さと芳醇な香り。苦味や青臭さを一切感じさせないその味はまさに絶品で、クセになりそうなほどだ。もはやこれは、ニンジンの次元を超越している。

 

「なにこれ!超うまい!こんなに美味しい野菜あるの!?」

 

興奮した僕は思わずそう叫ぶ。ベジトイドはその底気味悪い笑みをもっと深めて、喜んでいるらしかった。でも、それが悪かったらしい。間もなくおかわりとばかりに、再び穴から大量の野菜が噴き出してくる。しかも、それは軽く先ほどの倍近くはあった。

 

「ぇ…」

 

唖然として言葉を失う。絨毯爆撃の如く降りかかってくる大量のニンジンに、僕は死に物狂いで横跳びを繰り返し、躱そうとする。でも、この量は到底躱し切れるものではなかった。いくつかは咄嗟(とっさ)に真剣白羽取りの要領で挟むようにキャッチしたけれど、次第に量が増えて太刀打ちできなくなる。

 

左右に身を捩って懸命に回避を続けるものの、頭を守るため前に組んだ両腕に何度もニンジンが打ち付け、容赦なく痛め付けた。弾幕が止んだ頃には両腕の感覚が麻痺しかけていて、防ぎ切れなかったニンジンが直撃した額は酷く痛む。

 

一応、同時に降ってきた緑のニンジンもいくつか食べることはできたが、今回は受けた恩恵よりも被害の方が大きすぎてまったく味を感じられない。両腕は赤紫色に腫れ上がり、重くなって上がらない。額の打撲はたんこぶになり、血が滲んでいた。

 

「緑の野菜ちゃんと食べたね」

 

ベジトイドは満足そうな笑みを浮かべている。僕は苦笑いをしながら「ありがと、もういいよ」と告げて、ベジトイドたちを逃がした。

 

「ふう…、何とか助かった。あのままじゃ危うく撲殺されるとこだった…」

 

僕は息を吐くと、その場に座り込む。半袖から見える腕は赤紫色の打撲傷だらけで、内出血しているのが見るだけで痛々しい。幸い骨は折れてなさそうだけれど、相変わらず痺れが続いていて動かすのもやっとだった。額もいまになって痛みが強くなり、僕は傷ついた右手を辛うじて持ち上げ、傷を押さえる。腫れは酷くなり、熱を持っていた。

 

《やれやれ…。どうして戦わないのさ。ベジトイドごと食べちゃえばよかったのに。美味しいよ?》

 

「えぇ?」

 

またこの声だ。

 

事あるごとに僕に誰かを殺すよう仕向ける謎の子どもの声。今回も相変わらず物騒なことを言っているけど、美味しいよと言われると少し興味が出てくる。そういえば、味見くらいならできたような。

 

「食べたことあるの?」

 

「そりゃ、もちろん。あれは忘れられない味だったな…。」

 

昔の思い出を懐かしむかのように、声が言った。意外にも人の心があるらしい。僕は何かほかのことも聞き出せないかと、さりげなく訊き返してみる。

 

「へえ…。どこで食べたの?」

 

「うーん、あとは秘密。じゃあね…。また戦いになったら教えて」

 

声はそう答えるとそれっきり聞こえなくなってしまった。目論見は失敗してしまったらしい。

 

(あの言い方。戦いのときだけやってきているのか?)

 

でも、いまの会話でようやく面白いことが分かってきた。声は間違いなく、この世界にいた誰かのものだ。そして、戦いのときだけ自分について回っているらしい。何だか少し悪趣味だ。それに、物騒な言葉遣いをしている時点でろくでもない奴であることは確かだろう。

 

とにかく、これで自分の幻聴という可能性は否定できるかもしれない。少し気が楽になり、表情が緩んだ。早くパズルを抜けてトリエルのもとに行かなければ。意気込みを新たにして、僕は立ち上がろうとする。けれども、先ほどの戦闘で体を散々痛めていたことを忘れていた。

 

(イテテ…。まずは回復しないと…)

 

再び襲い掛かってきた強い痛みに、僕は涙目になりながらポケットからマモノのアメを取り出すと、包み紙を剥いて口に放り込む。ハッカに似た爽やかな風味が口の中に広がり、喉がスースーしてきた。独特の甘さが舌を優しく包み込み、幸せな気分になる。

 

気づくと、腕や額の痛みが和らいでいた。無数の打撲傷で酷い赤紫色になっていた前腕もすっかり元の色に戻り、額のたんこぶもあっという間に引いている。魔法の力、凄すぎないだろうか。

 

僕は体についた土を払い、次の部屋へと歩いていった。中へ入ると、そこはまさしく先ほどの部屋と似たようなレイアウトになっていて、装飾の施された柱と青、緑、赤のスイッチもそのままだった。

 

おかしい。

 

似ているというレベルではなく、本当に前の部屋そのままになっている気がする。まるで無限ループをしているかのようだ。

 

奇妙な違和感を覚える中、立ち止まって考え込む僕。

 

「そうか。一人称目線だと、本当に部屋のレイアウトに違いはないのか」

 

ようやくひらめいた。普段のゲームでは神様視点から俯瞰しているため、部屋の東西南北が固定された視点になっている。なので、同じレイアウトでも向きによって異なるように見えてしまうのだ。その一方、今は自分自身でこの部屋を探検している一人称視点のため、方向を考える必要はない。全ての部屋が同じように見えて当然だった。

 

だとすれば、すごく簡単だ。

 

僕は壁に埋め込まれた石碑を探すと、書かれている通りのスイッチを押す。すると、すぐに針山が引っ込み、次の部屋への道が開いた。

 

「自分が主人公になるだけで、簡単になるパズルもあるのか…」

 

僕はそう呟きながら、通路を進む。ゲームでは柱に隠れたスイッチの色を覚える必要があったけれど、今はまったく無用だった。

 

目の前には再びまったく同じようなレイアウトの部屋が現れる。これも僕は看板を見てスイッチの色を確かめると、目的のスイッチを押そうとする。今度の色は赤だ。僕は部屋の奥の方へ進んでいくと、石柱の横にある赤いスイッチに手を伸ばそうとする。

 

その時、柱の陰から黒い影が飛び出してきた。

 

現れたのは大きな一つ目をしたモンスター、Loox(ルークス)だった。細い2本脚から生えた胴体の大部分が目玉になっていて、そこから腕と角のようなものが生えている。今までのものと違い、これぞモンスターといったような姿をしている。

 

「お前もいじめてくるのか、いじめないのか。どっちなんだ?」

 

しばしばその大きな瞳を瞬きさせながら、ルークスはそう訊いてきた。答えはもちろん決まっている。

 

「いじめないよ」

 

それを聞いて、「やっと分かってくれた」と呟くルークス。やっと、というほど長いあいだ説得された覚えはないけど、彼自身にとってのことを考えているかもしれない。もしかすると、他のモンスターにもいじめないように説得していたのだろうか。だとすれば、なんて良いモンスターなんだろう。

 

だが、安心するのも束の間、ルークスは自らの周りにシャボン玉のようなボール状の光を呼び寄せると、こちらに向けて放ってくる。こっちはいじめないって言ったのに、自分はいじめてくるらしい。それはちょっと、理不尽じゃない?

 

弾は地面や天井に当たるとバウンドして迫ってくる。それでも、予測できない動きではない。僕はドッジボールのように弾の進む方向を見極めながら体を捩り、次々に弾を避けた。すべての弾を避け切ると、ほのかに目薬のような匂いがする。これ、ルークスからしているのだろうか。

 

「じゃあね」

 

僕はルークスを逃がすと、今度こそスイッチを押した。目の前の通路を塞いでいた針が地面に吸い込まれる。記憶が正しければ、次がこのパズル最後の部屋だ。そして、それを抜けるとトリエルの家はもう目前になる。

 

僕は速足で次の部屋に入ると、緑色のスイッチに近づく。

 

順番的にはこれで良いはずだ。それでも、スイッチを押す手前になって少しだけ不安になってきたので、念のため僕は壁の看板を振り仰ぐ。やはり緑のスイッチで正しいらしい。

 

スイッチを押してみると、たちまち最後の針山が引っ込んだ。これでやっと、トリエルの家でゆっくりできそうだ。僕はゆっくりと開かれた出口に向けて歩き出す。でも、最後の最後のところで、物陰から黒い影が飛び出してきた。

 

Mingosp(ミゴスプ)だ。

 

見た目は頭に生えた触角もあって虫にしか見えないけれど、2本足で立っているのが人みたいで気持ち悪い。目つきも見るからに凶悪だが、こいつは1匹でいるときは攻撃という攻撃を仕掛けてこないはずだった。たしか悪い仲間の一緒にいるときだけ悪者になるという、少し悲しい事情のあるモンスターなのだ。

 

人間にもこういう人はいる。集団でいると、つい気分が大きくなって普段はやらない取り返しのつかない過ちを犯してしまうのだ。何とか改心して自分に自信を持ってほしいと願うばかりだ。

 

僕は逃がそうと声をかける。だがそのとき、ミゴスプの前の地面がボコボコと音を立てて盛り上がり始める。

 

「あ、これは…」

 

一歩、また一歩と後ずさりする僕。途轍もなく嫌な予感がする。間もなく土が噴き上がると、不気味な笑みを浮かべたベジトイドが現れた。

 

(まずい。ミゴスプとベジトイドの組み合わせは厄介だ…。)

 

たまらず逃げようと踵を返すも、ミゴスプが素早い動きで回り込んで退路を塞ぐ。瞬時に振り返ると、正面からはベジトイドが迫っていた。完全に挟まれてしまったらしい。これはちょっと、まずいかもしれない。

 

「一斉にいくぞ」

 

「緑の野菜を食べようね」

 

2匹はそう言うと熾烈な弾幕を繰り出す。ミゴスプは自らの周りにコバエのような無数の虫を呼び出し、ベジトイドはトマトやジャガイモ、タマネギといった野菜を次々と穴から噴き出させる。

 

躱せるはずがなかった。

 

コバエは群れを成して進路を塞ぎ、野菜はそこら中の壁や床に跳ね返って無秩序に飛び回る。

 

神経を研ぎ澄まして飛んでくる弾を避ける僕。それでも、圧倒的な弾幕を前にどうしても反応が追い付かない。背中にタマネギがぶつかり、鈍い音が響いて息が漏れる。降りかかる野菜を避けようとすればコバエが襲い掛かり、左腕を噛まれた。気を取られた僕はたまらずハエを追い払おうとする。

 

だが、それがまずかった。

 

「ぐぅッ…」

 

ベジトイドの放ったジャガイモがすぐ目の前でバウンドすると、正面から腹を直撃したのだ。あまりの痛みに僕は体をくの字に折り曲げると、その場にうずくまる。みぞおちに直撃したのか、一瞬息が詰まった。内臓が焼けるように痛み、胃の中身を吐き出しそうだった。

 

(くそ、なんて攻撃なんだよ…)

 

顔を上げると、まだ2匹は目の前を塞いでいる。僕は咳込みながらも何とか呼吸を整えると、目の前の地面にのめりこんでいた緑色のトマトを食べた。色としては見るからに熟していないけど、味は極甘でフルーティな風味がする。よろめきながら立ち上がった僕は、ひとまずベジトイドを逃がした。内心、ベジトイドを少し味見したい気もあったが、今はそんな心の余裕はない。

 

一人になったミゴスプは気が楽になったのか、先ほどまでのような凶悪な表情が和らぎ、どこかにやけたような顔になっている。気分が乗ってきたのか、攻撃のターンになってもその長い手を回して一人でダンスを始めた。先ほどまでの醜悪な姿からは想像もできないその動きは、どこか滑稽だ。

 

「じゃあね…」

 

僕は力のない声でそう言うと、楽しそうに踊るミゴスプの横を無言で通って出口を抜けた。

 

「こんなにキツイなんて…。フリスクはこんなのに耐えてたのか」

 

僕は腹を押さえてゆっくりと歩きながら、そうつぶやいた。

 

額を脂汗がつたう。攻撃を受ける度にこんな苦しみを受けていたんじゃ、瀕死、ましてや本当に殺されてしまったときの苦痛は計り知れない。しかも、ゲームでは数えきれないほどにフリスクは殺されている。これはもはや地獄だった。

 

左に進めばトリエルの家がある。そして、正面に向かえば…。

 

重い足取りでまっすぐ進む。入り口をくぐると、そこからはモンスターの街並みが一望できた。真っ暗な地底の世界に煌々と輝く紫の建物群。見渡す限りどこまでも街が続いているあたり、余程大きな都市だったのだろう。でも、今はほとんどモンスターの気配は感じられない。ゴーストタウンのように全てが静まり返り、時が止まったかのような有様だった。

 

そんな様子を、僕はぼんやりと眺める。

 

ふと左に目を向けると、銀光りするナイフが落ちていた。僕は何か導かれるかのようにゆっくりとそれに歩み寄ると、静かに手に取ってみる。光沢のある質感とは裏腹に、ナイフはスカスカなんじゃないかと思うほどに軽かった。プラスチック製か何かのおもちゃだろう。

 

なんだ、本物じゃないのか。

 

……。

 

 

 

一瞬でも、そんな思考が浮かんできたことが怖かった。

 

僕はすぐにおもちゃのナイフを戻す。ナイフなんか使って、僕は何をしたいというのだろう。誰かを殺すのか。自分の身を守るために。

 

《向こうが殺しに来てても、きみは黙って殺されるの?》

 

「……。」

 

《殺されたら、こんな痛みじゃ済まないよ。果てしないほどの苦痛と恐怖。それに溺れながら死んでいくんだ。君も覚えているとは思うけど》

 

また、あの声だ。

 

その言葉に、意図せずフラウィに襲われたときの記憶がフラッシュバックしてくる。せっかく押し留めていたのに。せっかく忘れようとしていたのに。

 

(思い出したくない。嫌だ…。)

 

僕は心の中でそう叫ぶものの、次々とあの出来事が脳裏に浮かび、蘇っていく。

 

赤黒く染まったシャツの袖、流れ続ける鮮血、地面に広がる血だまり。そして、高らかに響き渡るフラウィの笑い声と凶悪な表情。壁となって押し寄せてくる白い弾幕。

 

「やめろッ!」

 

止め処なく蘇る絶望と死への恐怖が、頭の中いっぱいに広がっていく。

 

叫んだ僕は両手で耳を塞ぎこみその場にしゃがみ込んだ。目を強く閉じて砕けそうなほどに歯を食いしばる。でも、それを嘲笑うかのように声は頭に直接響いてくる。

 

《それでいいのきみは?自分がどれほど仲良くしようと接しても、相手は殺そうとしてくるんだよ。痛い思い、苦しい思いをするのは他でもないきみ自身さ。一方的にきみはそれを引き受けることになるんだ》

 

「うるさいッ!」

 

「理不尽な話だよね。平和を貫こうとしても、その代償を払うのはきみなんだから。真の平和主義者?本当に笑わせるよね。ニンゲンなんて聖人君子じゃないのにさ」

 

「黙れッ!」

 

「いいかい?自分の身を守るのは本能だ。なにも悪いことじゃない。殺そうとしてくる向こうが悪いんだ。そんな奴に何もせず黙って殺される馬鹿がどこにいる?」

 

声の言葉が頭の中で何度も繰り返される。

 

考えてみれば、確かにそうかもしれない。たとえこちらが敵意を見せなかろうが、問答無用で相手は襲い掛かり、容赦なく殺そうとしてくるのだ。

 

反撃して何が悪いのだろうか。

 

僕は再び、落ちていたおもちゃのナイフを拾い上げる。

 

(この世界は、殺るか殺られるかなんだ。躊躇することは何もない)

 

だが、それをズボンのポケットに差し込もうとしたところで、手が止まった。

 

 

 

 

 

 

 

これじゃ、フラウィと同じだ。

 

本能のままに誰とも向き合おうともせず、襲われたからといって相手を殺す。話せば分かり合えるかもしれないのに、その努力もせずに命を奪い取ってしまうのだ。彼らにも家族があり、自分と同じく一つの生を歩んでいる生き物なのに。

 

僕はナイフを腰から戻すと、塀の外に向かって投げ捨てた。

 

《あーあ。つまんないの…。せっかくまともに使える武器だったのに》

 

「…いいんだ。相手に攻撃しないなら、あんなもの必要ないし」

 

《やれやれ。あとで後悔するよ、そんなことしてたら…》

 

声はそう言うと、すっと遠のいて聞こえなくなった。

 

僕は静かに立ち上がると、広がる街並みを見つめる。プレイヤーとして散々この世界を荒らし回り、大勢のモンスター達を殺して何度も世界を滅ぼしてきた僕が今さらこんなことを言い出すのはおかしいかもしれない。

 

でも、いざこの世界に落ちて色々なことを経験してみると、自分のやってきたことがどれほど馬鹿なことだったのか、身に染みるほど分かった。ただただ自分のくだらない欲望と好奇心のために、僕はすっかりフラウィ以上の怪物と化していたのだ。

 

せめて、自分のいるこの世界には、誰も不幸になることのないエンディングを迎えさせてあげたい。幸せな未来を約束したい。

 

僕は決意を抱いた。

 




お付き合い頂きありがとうございます。
気づくと一万字に達してしまった...。
次回からは、なるべく一万字以内に収めます...


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第6話 ホーム

多少の流血表現ありますのでご注意を


「ああ、思っていたのより時間がかかったわ」

 

通路を抜けると、ようやくトリエルの家の前に着くことができた。ちょうど、玄関から出てきたばかりのトリエルが独り言を呟きながら、急ぎ足でこちらに向かって来ようとする。手を振ってみるものの、彼女は俯いたままで気づいてくれそうな様子はない。そのまま携帯をポケットから取り出すと、おもむろにキーをプッシュし始めた。

 

間もなく、ポケットに入れていた自分の携帯が大きな音を立てて鳴り始める。着信音にびっくりしたトリエルが顔を上げると、ようやく自分の姿に気づいたようだった。すぐににっこりとした笑顔に変わり、駆け寄ってくる。

 

「どうやってここまで来たの、我が子よ?ケガはない?」

 

大丈夫です、と言おうとしたところで、トリエルが左腕をじっと見つめていることに気づいた。見ると、皮が剥けて血が少し流れている。

 

自分でも気づかなかった。ミゴスプにやられたところだろう。痛みはだいぶ引いてきたものの、実を言えば先ほどの戦闘でそれ以外にも背中や腹をやられているので、意外に体は傷だらけなのかもしれない。まじまじと見つめてくるトリエルに、僕は到底隠し通せないと悟る。

 

「実はここに来る途中、ちょっと襲われて…。かすり傷だから大丈夫です」

 

「ダメよ。すぐに手当てしなきゃ。本当に、こんなに長い時間放っておくべきじゃなかったわ…」

 

トリエルはそう言うと、懐からガーゼと消毒液らしきボトルを取り出す。

 

「腕を出して」

 

何だか嫌な予感がする。彼女はガーゼにたっぷり消毒液をしみこませると、まだ血が滲んでいる傷をポンポンと叩いた。当然、消毒液漬けのガーゼなんて当てられたら、傷に沁みてたまったものではない。「い゛ッ…」と声を出しそうになるのをこらえて、僕は傷の消毒を待った。

 

トリエルは流れた血も丁寧にふき取ると、絆創膏を取り出して慣れた手つきでシートを剥がしたのち、傷に張り付けた。その後、絆創膏の上から傷を優しくさすってくれる。

 

「これで大丈夫よ。あとはこれを食べて」

 

そう言って差し出されたのは包み紙に入った“マモノのアメ”。僕は心から感謝を告げると、アメを口に入れてころころと転がす。相変わらず独特の爽快な風味が鼻に抜け、口いっぱいに優しい甘みが広がる。美味しい。

 

「はあ。こうやって驚かそうとするなんて無責任だったわね」

 

アメを舐める僕をほっとした表情で見つめながら、トリエルはそう言った。首をかしげながら見返すと、トリエルははっとして照れたように顔を赤らめる。

 

「…。もう隠しきれないわね。おいでなさい、我が子よ!」

 

彼女はすっかり諦めたのか、満面の笑みを浮かべて僕を家の方へと案内してくれた。僕は一緒に玄関へ向かいながら、辺りを見回してみる。

 

家の正面には黒い幹の木が1本生えていた。けれど、葉は全て落ちていて根本の地面に積もっている。かなりの老木らしく、その表面は無数の皺に覆われ、枝は乾き切っているようだった。何本かの枝先には葉のようなものが芽吹いているものの、生える傍から赤く枯れかかっている。何でこんな風になるのかは分からない。

 

さらに先に進むと、トリエルの家の前に例の黄色い光が煌めいていることに気づいた。僕は家を眺めながら、静かにその光に近づく。彼女の家は石造りで、気取ったところのない清楚なつくりだった。この大きな遺跡の中でちっぽけな平屋建てというところには、どこか可愛らしさを感じさせる。

 

気づくとセーブが終わっていた。頭上の見慣れた黒画面は、また更新されていく。

 

『Tsuna LV1 501:50 Ruins-家』

 

まだLV1を保っている。なんとしても、このまま保ち続けたいところだ。

 

深呼吸して気持ちを落ち着かせると、トリエルの家の中にお邪魔した。玄関では到着した僕をトリエルがちょうど目の前で迎えてくれていた。何かを隠すように左手だけ後ろに回していたのが若干気になったけれど、彼女のことだから特に危険なものではないのだろう。

 

「この匂い、分かる?」

 

目を細めてニコニコしながら訊いてくるトリエル。言われてみると確かに、パンか何かを焼くような香ばしい匂いする。これはもしや…。

 

「サプラーイズ!バタースコッチシナモンパイよ。あなたの到着をお祝いしなきゃ。ここで素敵な日々を送ってほしいもの。だからカタツムリパイは今夜のお楽しみにしておくわね」

 

バタースコッチシナモンパイ!

 

このゲームをプレイして一度は食べてみたいと思ったパイだ。しかも、ゲームに出てくるまさに本物を食べられるのだから、これほど幸せなことはない。まあ、自分がそのゲームの中にいるのだから当然といえば当然のことだけれども。一方のカタツムリパイには、ちょっと不安を感じる。フランス料理のエスカルゴに近いものなのだろうが、エスカルゴ自体食べたことがないので、口に合うかは微妙なところだ。

 

「もうひとつ、サプライズがあるのよ。でも、その前に…」

 

そう言いながら、トリエルは背中に回していた左手を出す。その手には、明るい橙色にえんじ色のボーダーシャツがのせられていた。その下には、やや青みがかった黒いズボンも見える。こんな展開はゲームにはなく、僕は戸惑いを隠せなかった。

 

「まずは着替えてちょうだい。その恰好のままじゃ、見てて可哀想だわ」

 

トリエルの言葉に、はっとした僕は慌てて自分の体のあちこちを見回してみる。着ているTシャツの右袖にはべっとりと血糊が染み付いていて赤黒くなり、切り裂かれた部分が破れていた。ズボンもベジトイドのせいですっかり土だらけになっていて、そのまま家に入るにはあまりに汚過ぎる。

 

「すみません…」

 

「いいのよ。すぐに洗って直してあげるわ。さ、早く」

 

服を差し出し、着替えるよう促す彼女。

 

あれ…。これはまずい。

 

僕が服を受け取っても、トリエルはまったく立ち去ろうとはしなかった。すっかり忘れていたけれど、今の自分は小学生くらいの子どもの姿なのだ。そのくらいの年だったら、親が自分の子どもの着替えに付き添っても何らおかしなことではない。ましてや男の子だったら、なおさらのことだろう。

 

でも、いくら姿が子どもだとは言っても、僕は僕だ。トリエルに着替えを見られるなんて、恥ずかし過ぎるにもほどがある。本当の自分の体ではないのだから別に構わないと思うかもしれないけど、いざ彼女を目の前にするとそんなことは関係なかった。

 

困り果てた僕はいかにも、といった感じで横目をしながら手をもじもじ動かす。

 

「あら、もしかして恥ずかしかったかしら?それは悪かったわね。私は後ろを向いているから、その間に着替えてちょうだい。気づいてあげられなくてごめんなさい」

 

意図を察してくれたのか、慌てた様子で謝るトリエル。僕は一生懸命首を横に振って、あなたは悪くないと頑なに否定する。そして、まだ少し恥ずかしさが残るものの、トリエルが背中を向けたタイミングでぱっと服を脱いで着替えた。ボーダーのシャツは長袖で、少し大きめではあったけど我慢できる。着たばかりの服からは、仄かに花か何かの甘い香りがした。ゴールデンフラワーだろうか。

 

「さて、行きましょうか」

 

僕からボロボロの服を受け取った彼女は、それを片手で抱えて持ちながら右の廊下へと案内してくれた。僕はとりあえず、彼女の後に続いていく。正面の階段が気になったものの、あそこは後でも良い。今降りて行ったところで、どうせトリエルに止められるのがオチだ。

 

「こっちよ」

 

トリエルは僕の左手を取ると、廊下を進んでいく。どこか嬉しそうな表情だった。黄色の長いカーペットが敷かれた廊下には、観葉植物がいくつか飾られている。どれも手入れが行き届いていて、端正で美しい状態だった。連れて行かれるがままに廊下を進むと、最初のドアの前で彼女が止まる。

 

「あなたの部屋よ。気に入ってくれるかしら!」

 

優しく頭を撫でながら、彼女は言った。まさに自分の子どもにするかのように、そっと優しくだ。今まで生きてきてあまりこんなことをされなかった僕は、何だか急に恥ずかしくなる。どういう反応をすればよいのだろう。思わず顔を赤らめて、その場で固まる。

 

「あら?焦げ臭いわ…。あなたはくつろいでいてね」

 

細長い鼻でクンクンと匂いを嗅ぐ彼女。たしかに、薄っすらと焦げ臭い匂いがしてくる。焼いていたバタースコッチシナモンパイが焦げたのかもしれない。トリエルは大慌てで廊下を戻っていき、その場には僕だけが残された。仕方ないので一人で目の前のドアを開けると、部屋の中へと入ってみる。

 

明るいオレンジ色の壁紙に、きれいなフローリングの床。部屋の中央には大きなカーペットが敷かれていて、すっかり疲れ切っていた僕は腰を下ろすと足を伸ばし、くつろぎ始める。

 

部屋の中は一通りの家具が揃っているようだった。テーブルランプに棚にタンス、それにベッド。ベッドのそばには白と茶色の2つの大きなぬいぐるみまで置いてある。白い方はなんとなくトリエルに似ている気がした。一方、棚の近くの壁にはクレヨンか何かで描かれた金色の花の絵が張り付けられている。誰が描いたかは分からないものの、フラウィを思い出すのであまり見たくはなかった。

 

「ずっとここでくつろげたら良いんだけどなぁ…」

 

僕はついそう漏らした。ここでトリエルと暮らしていく限り、これ以上誰かに襲われたりする心配はない。それに、食べ物や寝る場所に困ることもないのだ。下手をすれば、いや下手をしなくても現実の世界で暮らすより良いかもしれない。ずっとここに留まっていようか。

 

(いけない…。それじゃただの引きこもりじゃん)

 

はっとした僕は、自分にそう言い聞かせる。たとえこの先に苦難が待っていても、僕はせめてこの世界は幸せなエンディングを迎えさせた上で、元の世界に帰ると心に決めたのだ。ここで呑気に過ごしているわけにもいかない。

 

でも、居心地がいいのは事実だった。それに、これまでの探検ですっかり疲れ果てた体はぼろぼろだ。回復アイテムを食べていても、疲労ばかりはどうにもならないらしい。脚は棒のようになり、ふとすれば強烈な睡魔が意識を持っていこうとしてウトウトしてしまう。

 

「寝るか…」

 

僕はランプを消すと、ひとまずベッドに向かう。布団を掛けてぐっすり眠るのは忍びなかったので、ただ横になることにした。目の前には見慣れないオレンジ色の天井。ドアの隙間から光が漏れて、微かに照らされていた。

 

(つぎに目を覚ましたら、自分の部屋に戻っていたりしないかな...)

 

ふと、そんな淡い希望を抱いてしまう。実はこれは全部夢で、僕はうなされているだけじゃないのか。ぱっと目覚めたら、何事もなかったかのように自分の家に帰れるんじゃないか。心のどこかではそれを期待している自分がいた。もっとも、ここまで来た以上、所詮はあり得ないことだと薄々分かってはいたけれど。

 

そうこうしているうちに、意識がどんどん微睡んでくる。やはり相当疲れていたようだ。

 

僕は重い瞼を下ろした。深い眠りの海に意識が溶けるのには、あまり時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナイフを握っていた。

 

目の前にはトリエルが立っている。眉間に皺を寄せて、思い悩むような厳しい表情を浮かべていた。ボクと視線が合うと目を反らし、何とか他人事のように振舞おうとしている。彼女の優し過ぎる心では、そんなことなんて出来ないのに。まったくバカな婆さんだ。

 

ボクはニッと笑みをつくる。

 

トリエルの顔が引き攣った。まるで、化け物でも見るかのように恐怖に震える瞳だ。何もそんなに怖がることはないのに。痛いのは一瞬だけ。それを我慢すれば、すぐ楽になれる。

 

印を切って灼熱の炎を呼び出そうとする彼女。だが、間もなく現れた炎はその場に留まるだけで、決して放たれることはなかった。なぜなら、その時にはもうボクの突き立てたナイフが彼女の腹を深々と抉っていたからだ。炎はやがて燃え尽きて小さくなり、弱々しく消えていく。

 

トリエルは目を見開き、まさに信じられないといった面持ちを浮かべていた。ボクは力を込めてもう一度肉を抉ると、一気にナイフを引き抜く。ぐちゃりという生々しい音が響いて、真っ赤な鮮血がナイフを握る手を染め上げた。自分の体を支えられなくなったのか、膝を折った彼女はその場に崩れる。

 

「あ…あなた…。そんなに私のことが嫌いだったの?」

 

驚愕のあまり口を半開きにして、彼女は絞り出すような弱々しい声でそう言った。ボクはその声には無言を貫いたまま、とびきりの笑顔を浮かべて彼女の背中にナイフを振り下ろす。跳ねるように一瞬だけビクつく体。苦しげに赤黒い血の塊を吐き出した彼女は、ボクに寄り掛かるように倒れてくる。

 

「…いま分かったわ。あなたを匿って私が誰を守っていたかを。あなたじゃない…みんなを!」

 

トリエルの顔が狂気の笑みに満ちる。今頃になってようやく自分のしていたことに気づいたらしい。底なしの間抜けだ。

 

ボクは伸ばされてくる彼女の腕を軽く払い除けると、突き立てていたナイフを無理やり引き抜く。そして、順手に握り直すと下から突き上げるようにして刺してやった。何度も何度も。その度に硬直するように体が跳ね、血が噴き出し、彼女の純白の美しい毛皮が赤黒く穢されていく。最高の快感だった。

 

やがて、彼女はその場に倒れ込む。

 

彼女の周りには大きな血だまりができていて、みるみるうちに広がっていった。それでも、見開かれたその眼はボクの姿をじっと睨みつけている。もう体も動かすこともできない、虫の息だというのに。

 

ボクはそんな彼女に優しく微笑みかける。彼女は懸命に口を開き、何かを言おうとしていた。けれど、その途中でもたげていた頭が力なく垂れ、動かなくなる。彼女が何を言っていたのかは分からないが、この状態で随分と粘ったものだ。

 

瞬く間にその体は塵と化し、跡形もなく崩れていく。その場に残されたソウルはしばらく耐えるように小刻みに震えていたが、ついには真っ二つに割れ、粉々に砕け散った。

 

真っ赤な血に染まっていたはずのボクの手は、今は白い塵にまみれている。

 

パンパンと手を叩いてそれを払ったボクは、無数の刺し傷の残る彼女のローブを意に介すことなく踏みつけて、先へ通じる扉へと手を掛ける。

 

扉の光沢部分に映りこんだその顔は、凍り付いたような笑みを浮かべ、見開かれた瞳は赤く染まっていた。血のような鮮やかな赤に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁッ!」

 

思わず飛び起きる僕。服は冷や汗でぐっしょり濡れていて、今もまだ心臓が激しく脈打っている。震えが止まらず、僕は両手で体をぎゅっと掴んで抑え込もうとした。自分の腰の辺りには、眠っている間に掛けられたであろう布団がぐしゃぐしゃの状態になって折り重なっている。悪夢にうなされている間に暴れたのか、吹き飛ばしてしまったらしい。

 

なんて夢だったんだろう…。

 

恐ろしいほどにリアルで残虐な夢だった。ナイフで突き刺した肉の感触が、まだ自分の手に残っている気がする。ぐちゃりという生々しい音と、体に浴びる返り血。思い出すだけで背筋がゾッとするようなものだった。

 

僕は起き上がると、部屋の照明をつける。床にはトリエルが置いたらしい、バタースコッチシナモンパイがラップに包まれた状態で置かれていた。楽しみに待ち望んでいたパイだったのに、あんな夢を見た後ではどうしても食べる気がしない。

 

仕方なく僕はそれを棚の上に置くと、もう一度ベッドの上に腰掛ける。

 

夢の最後に現れたあの姿。あれはChara(キャラ)だろうか。あの凍り付いたような笑顔に赤い瞳。間違いはない。でも、服装はフリスクのようにも見えた。一瞬だったから、確かなことは言えないけれど。

 

心を落ち着かせ、冷静に夢を振り返る僕。もしかすると、あれはGルートでの出来事かもしれない。トリエルをあんなに惨たらしく殺してしまうなんて、まともな人間に出来る業ではないのだ。それも笑いながら、さも楽しげにやるなんて、狂っているとしか言いようがない。

 

底知れぬ恐怖とともに、彼女へのあまりに理不尽な仕打ちに憤りも湧いてくる。

 

なんで、自分を我が子のように気にかけてくれる彼女を惨殺しなければならないのか。彼女が何をしたというのだろう。確かに主人公を遺跡の中に閉じ込めようとするところは、トリエルにも非があるかもしれない。でも、だからと言って彼女をあそこまで残虐に殺す必要があるのか。執拗にナイフを突き立ててまで。

 

《好奇心、でしょ》

 

また、あの声が聞こえる。

 

《単純に、彼女を殺したらどうなるか知りたかったから、殺したんだよ》

 

「そんなことのために?何で…」

 

と言いかけたところで、僕は自分の過ちに気づいた。

 

《何せ、あれをやらせたのは他でもないきみ自身だからね。私にはわかるよ。きみは好奇心とほんの少しの優越感のために、トリエルを殺したんだ。それも、何度も何度も》

 

記憶が蘇ってくる。

 

その通りだった。たしかに僕はゲームの中で何十回もトリエルを殺していた。最初は単純にGルートを通るために。あとはNルートの無数の周回の中でも。最後の電話メッセージの変化を確かめるためだった。そして、極めつけにはトリエルを殺した後、ロードしてその前に戻った挙句、再びトリエルを殺すなんてこともしていた。そうすれば、フラウィの新しいセリフが聞けたからだ。

 

《どうだい?自分のしてきたことを少しは思い出したかい?》

 

「そんな…僕は…」

 

両手で顔を押さえる。なんて自分は馬鹿なんだろう。あんな凶行に及んだのは、ほかでもない自分自身だったのだ。そんなことすら忘れていた自分に、恨んでも恨みきれない強い怒りが湧いてくる。僕はベッドに拳を強く叩きつけた。

 

《やれやれ。やってしまってから後悔したところで覆水盆に返らずだよ。まあ、私がプレイヤーの立場だったら、同じことをやっていたと思うけどね》

 

珍しく声が同情するようなことを言ってくる。でも、そんなものはいらなかった。

 

自分は救いようもない人間だった。散々憤りを感じてきた出来事が、実は全部自分でやったことだったなんて、とんだ笑い草だろう。

 

もっと嘲笑ってもいい。もっと軽蔑してもいい。

 

僕は声にそう言いたかった。自分が嫌で仕方がない。こんなことを平気でやってしまう上、ついさっきまでそれを忘れ去っていたような自分を。

 

「これだけ分かってくれたら、そろそろ頃合いかな」

 

声がやけに耳元で聞こえる。こぼれ出る涙を腕で拭った僕は、静かに頭を上げる。目の前には太いベージュ色のボーダーの入った緑のセーターが見えた。

 

「えっ…」

 

もう一度涙を拭う僕。さらに顔を上げると、自分と同じくらいの背丈の少女がかがみこんでいた。その瞳は、じっとこちらを見つめている。その顔に恐ろしいほど見覚えのあった僕は、戦慄のあまり顔が引き攣る。

 

凍り付いたように動かないにっこりとした笑顔。そして、見開かれた血のように赤い瞳。

 

「キ…、キャ…、キャラッ!?」

 

震える声でそう叫んだ僕は、衝撃のあまりそのまま気を失って仰向けに倒れ込んだ。

 

 




変わり種です。
展開上致し方ないとはいえ、トリエルにはほんと申し訳ない気持ちで一杯です...
さてさて、ついに現れたChara。彼女のその目的とは...
今後とも宜しくお願いします。


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第7話 天使の消えた世界

「うーん…」

 

ぼんやりとする意識の中、僕は目覚めた。目の前にはのっぺりとしたオレンジ色の天井。たしか、ここはトリエルの家の中にある自分の部屋だったはず。

 

あれ、僕はなんでまた眠っていたのだろう。さっきまでは確かに起きていたはずなのに。

 

まだ働かない頭に代わって、その疑問に答えたのは視界を塞ぐように現れた彼女の顔だった。

 

「キャラッ…!?」

 

逆さまになった彼女の顔が、仰向けで倒れ込んでいる僕を覗き込んでいた。まじまじと見つめてくるその赤い瞳には、言い知れぬ恐怖に顔を引き攣らせる自分の姿が映っている。

 

どうやら彼女は四つん這いになって、倒れている僕を頭の方から覗いてきているようだった。あまりの恐ろしさに身じろぎ一つできないまま固まる僕。彼女はそんな様子を冷たく笑った。

 

「そんなに私のことが怖い?きみらの言うGルートでは散々世話になったじゃないか。そこまで怖がることはないんじゃない?」

 

「…っ。」

 

懸命に口を開こうとするも、漏れるのは小さな息だけ。唇がワナワナと震えるだけで、何も意味ある言葉を発することができない。

 

だって、目の前にいるのはあのChara(キャラ)だ。Gルートの最後で現れた悪魔。モンスターの住まう世界に落ちた、最初の人間(First human)。それにして、モンスター殺しはおろか人殺しすら厭わず、物語の最後では世界を破滅させた張本人だ。

 

あり得ないという驚きよりも、真っ先に心を支配したのは恐怖だった。

 

こいつは地上の人間を殺すためなら自ら毒を飲んで自殺する狂人だ。そんな人間が自分の目の前にいたら、何をされるかなんて分かったものじゃない。

 

仮面のような笑みを浮かべたまま、じっと自分を見つめ続けるキャラ。まずはこの状況だけでも打開しなければ。僕は勇気を振り絞って震える口を動かし、懸命に話しかけようとする。最初は喉に栓が詰まったようになって声という声が出なかったけれど、絞り出すようにして何とか言葉を口に出す。

 

「な…、なんでここに…。」

 

「理由を聞きたい?まあ、一番はきみがすでに私のことを知ってるっていうのが大きいかな。私の存在すら知らなければ、きみに意識されることもないからね」

 

極度の緊張の中、僕は混乱する頭を全力で回転させる。どうやら、自分がキャラを知っているということが、彼女が現れたことのトリガーになっているようだ。確かに、ゲームの中でもフリスクはEXPを貯めてLOVEを上げるごとに、自分の中のキャラの存在を感じていた。では、最初からキャラがいることを知っている自分であれば、彼女を感じることもできるということなのだろうか。もっとも、まだ断定はできないけれど。

 

「安心して。私はきみ以外の人には見えていない。君だけが感じることのできる存在だからね。ま、ちょっと例外はあるけど」

 

「ということは、きみは幽霊みたいなもん?」

 

「そうともいえるし、そうともいえない。ナプスタブルークみたいに独立した個を持っているわけではないからね。わたしはきみのソウルに依存した存在さ」

 

言うなれば、僕にしか見えない幻ということになるのか。あながち、幻覚だと考えたことは外れではなかったらしい。原因が精神的な問題ではなくソウルにあると分かったのはひと安心ではあるものの、同時になぜ自分のソウルの中にキャラがいるのか、疑問が出てくる。

 

「それにしても、酷い顔をしてるなあ。そんな引き攣った顔してたら、せっかくのフリスクの顔が台無しじゃないか」

 

「へ…?」

 

キャラの言葉を理解するのに数秒ほど時間を要する。そう、今の自分はどういうわけかフリスクの姿に成り替わっているのだ。キャラの瞳に映っている自分の姿は、まさにフリスクそのもの。服装など多少の差異こそあるものの、自分はフリスクになっていると考えて間違いはないかもしれない。もしかすると、キャラが自分のソウルにいることもこれと関係している可能性がある。

 

キャラはそんな僕がいつまでも怯えた表情をしていることが許せないらしい。そんなこと言われても、これほどの超至近距離に不気味な笑みを浮かべたキャラが覗き込んできていたら、誰だって恐怖を感じずにはいられないと思うんだけど…。

 

「少しはリラックスしな。ほら」

 

「にぇっ?」

 

差し伸ばされてきたキャラの手が、僕の頬をつまんで引き延ばした。思わずパピルスみたいな変な声が漏れる。あれ、幽霊だから触れないんじゃなかったのか。このキャラは幻ではなく、実体なのか?

 

あまりの出来事に、頭が混乱する。

 

「あ、言い忘れていたけど、目と耳だけで私を認識しているとは限らないよ。人間なんだから、それ以外にも感じることはできるはず。触覚とかね」

 

キャラは僕の頬をつまみ回しながらそう言った。でも、感覚どころか実際にこうやってつまみ回してるじゃんと思ったが、手を伸ばしてみると普通の状態の頬が触れる。感覚では確かにつまみ回されている感じがあるのに、実際の頬は何もされていない。すごく不思議な感じだった。

 

どうやら、キャラの体自体には実体がないものの、幻覚として僕はそれを感じることができるようだ。ここでの幻覚には、視覚や聴覚以外に触覚も含まれるらしい。もっとも、まだまだ分からないことも多いが。

 

ようやく冷静になって物事を考えられるようになってきたものの、キャラは面白くなってきたのかまだ僕の頬をつまみ回している。落ち着いて考えると、この状況にはかなりヤバいものがあるかもしれない。自分の顔を逆さまにキャラが覗き込んでいて、文字通りの目と鼻の先に彼女の顔があるのだ。その上、あろうことか彼女は手を伸ばして僕の頬をつまみ回し弄んでいる。

 

流石にこの異様過ぎる状況には耐え切れなくなってきた。単純に怖いというのもあったけれど、何より近すぎる。最初は恐怖と驚きでそれどころではなかったが、今はどこを見て話せば良いか分からなくなってきた。

 

「あ…あの…。そろそろ、どいてくれません?」

 

「あ、悪かったね」

 

キャラは頬から手を離すと、覗き込んでいた頭を引っ込める。一方の僕も小刻みに震える手をついて起き上がると、ベッドの隅に座り直した。彼女もやがて、ベッドの上を四つん這いで移動したのち、僕の隣に腰掛ける。

 

ふとキャラの方を振り向く僕。先ほどは近すぎて顔しか見えなかったけど、今見ると彼女はなかなかに可愛らしい。いや、変な意味ではなく純粋にだ。服装こそ黒い襟付きのシャツに、緑地にベージュの太いラインが入ったセーターを重ね着していて、ドット絵で見ていたものに忠実だった。けれど、顔は血色の良いピンク色の頬が印象的な、落ち着いた顔付きのティーンエイジャーの子どもだ。見開かれた瞳と張り付けたような笑みは怖いものの、普通にしていれば可愛い少女だろう。肩に掛かるか掛からないかくらいの、ミディアムショートの茶髪もそんな彼女の雰囲気に合っていた。

 

思わずぼうっと彼女を見つめていると、偶然にも視線が合う。すぐに目を逸らしたものの、その場には若干気まずい空気が流れた。流石に僕もまずいと感じて口を開こうとしたが、その前に彼女が話し始める。

 

「私が現れた理由。まだ説明しきってなかったね。それに、きみがこの世界に来た理由も」

 

「え…うん…。」

 

「それは、きみに彼女を救ってほしいからさ」

 

「彼女?」

 

戸惑いながらも、僕はキャラに訊き返した。みるみる張り付けたような笑みから頬が下がり、暗く神妙な表情を浮かべるキャラ。見たことのないそんな彼女の面持ちに僕は驚いたものの、その後の話を聞き逃さないようすぐに意識を集中させる。

 

「さっきも話をしたけど、きみは”Player”として数えきれないほどのリセットを行ってきた。時にはセーブデータにも手を加えて、色々な展開や結末を貪ってきた」

 

「うん…。」

 

「無数のセーブデータ、無数のタイムラインの中で、フリスクは冒険を続け、あるときは真の平和主義者として幸せなエンディングを掴み取り、またあるときは冷酷な虐殺者となって私とともに世界を破滅へと導いた。また、どちらともつかない世界の中で、ある者は生かしてまたある者は殺し、エンディングを迎えたこともあった」

 

僕の記憶の中に、それらの思い出が蘇ってくる。スナック菓子を片手に作業のようにパズルを解き、戦闘を抜け、会話を飛ばす。そこに思いやりなどという気持ちは存在しなかった。あるのは好奇心と、友達に自慢したいという自尊心だけ。最初は大切に思っていた登場人物達も、周回を重ねるうちにただのオブジェクトとしか思わなくなっていた。

 

「そしてある時、フリスクの決意は壊れた」

 

「えっ?」

 

キャラの言葉に、僕は思わず訊き返す。

 

「あるリセットを迎えた辺りから、この世界にイレギュラーが起こったんだ。リセットされても記憶が消えない。たとえ“本当のリセット”をしてもね。前のデータの記憶、いやその前の前のデータの記憶も、永遠に引き継がれ続けるんだ。そこできみに質問だけど、前のセーブデータの記憶が残った状態で、好き勝手に自分を操られて、世界を滅茶苦茶にされたらどう思う?それも、何度も何度も」

 

「……。」

 

「狂うよね。自分の意志とは無関係に、大切な人が目の前で殺されていくんだから。それも()()()()()()()()()()。私だって、たぶんそんなことをされたら狂うよ」

 

何も言葉を返せない僕に代わって、キャラがそう答えた。

 

まさか、そんなこと…。

 

突きつけられた過酷な現実に、僕はうな垂れる。本当に軽い気持ちでやっていたことが、こんなことに繋がるなんて。両手で顔を覆うように強く押さえた僕は、堪え切れずに嗚咽を漏らす。

 

「フリスクはそれでも健気に生きようとした。与えられた運命なら、それに従うしかない。けれど、いつかは幸せなエンディングを迎えることを信じていた。私も、フリスクのソウルの中にいたから、常にそれを感じていたよ。でも…。」

 

今まで淡々と話し続けていたキャラが、突然言葉を詰まらす。その声は震えていた。

 

「彼女の望んだエンディングは、二度と訪れなかったんだ。そして絶望した彼女の決意は壊れた。粉々にね…。」

 

それを聞いた僕は、閉じる瞼に力を込める。

 

「それから、彼女は姿を現さなくなった。私はすぐに、何が起こったのかを悟った。彼女はロードを捨てたんだ。そして、砕け散った彼女のソウルから私の意識だけが放たれた。砕けたソウルに向かって、私は何度も何度も説得したよ。でも、彼女は聞く耳を持ってくれなかった」

 

悔し気に、それでもどこか悲しさの詰まったような声で、彼女は続ける。

 

「フリスクの現れない世界は平和だった。だって、何も起こらないから…。セーブもロードもない。タイムラインが消費されることもない。分岐せず一方向にだけ、ただただ時間が流れる世界。けれどある時、再びこの世界を覗き見る者が現れた。主人公を操る、忌むべき特権を持った存在…。」

 

(プレイヤーだ)

 

キャラは僕の心を読んだかのように、敢えてそれを言わなかった。

 

「でも、そこに操るべき主人公はいない。決意が壊れたフリスクのソウルは砕け散ったまま、どこかにいってしまったからね。そして、操作対象がなくなったプレイヤーはどうなるか…、分かるかい?操るべき分身がいなくなったプレイヤーが」

 

「まさか…」

 

「その通り。自分自身がこの物語の主人公になるしかないってわけさ」

 

キャラの口から放たれた言葉に、呆然とするしかなかった。見開かれた僕の瞳は虚空を見つめる。

 

「もっとも、何もしなければゲームが始まらないだけで、きみがここに来ることはなかったんだ。けれど、フラウィはどういうわけか、きみをここに引きずり込んできた。正確には君のソウルを。何でそんなことができたのか、私にも分からないけれど…。」

 

続ける彼女。だが、放心状態だった僕の頭にはまったく入ってこない。それでも、キャラは構うことなく一方的に口を開く。

 

「とにかく、これがきみがここに来た理由。そして、私がきみの前に現れた理由。それは彼女を、フリスクを救ってほしい、ってこと。それだけさ」

 

僕は無言のまま俯いていた。自分の何も考えなかった軽はずみな行動のせいで、彼女の決意が壊れた。そして、この世界から消えてしまった。そんな彼女を救えというのか。その原因をつくった張本人である自分が。彼女の決意を粉々になるまで破壊した、この自分が。

 

「自分にそんなことはできないと考えているのかい、きみは?」

 

キャラの声が近づく。顎に手が当てられ、無理やり顔を上げさせられた。もちろん物理的にではなく、顎を持ち上げる感覚があっただけなんだけれども、体が反射的に動いてしまう。

 

「それこそ、何もわかっちゃいないね…」

 

真正面から自分を見つめるキャラの顔は、彼女らしからぬ涙に濡れていた。見開かれていたはずの真っ赤な瞳は、細く険しい目つきで僕を睨みつけている。そして、絶えず凍り付いた笑みを浮かべていた口元は、悲しみに歪んでいた。僕はこんなキャラの顔を知らなかった。

 

「…ゴメン。ソウルレスの私にこんな顔をされても、何も説得力はないよね…。自分でも分かってる。けれど、これだけは言わせてほしい。フリスクの決意を立て直す力を持っているのは、かつてプレイヤーだったきみだけだ」

 

「…でも、僕はフリスクをそんな状況に追いやった張本人だ。できるわけない!」

 

睨みつけてくるキャラから、僕は再び目を逸らす。そんなことを言われても、自分にフリスクの決意を立て直すことなんて、できるはずがない。自分はそこまでできた人間なんかじゃないのだ。ただ彼女の心を傷つけ、余計に絶望を与えるだけに決まってる。

 

それを聞いたキャラは急に押し黙った。僕が振り向くと、彼女は暗い表情のまま俯いていて、その瞳は前髪に隠れて見えなかった。だが、やがて彼女は小刻みに震えながら、静かに口を開く。聞こえたのは、今までに聞いたことのない程に暗くて低い、怒りに満ちたおぞましい彼女の声だった。

 

「やる前から諦めるのか?あれだけのことを、ただそれが“できる”ってだけでしてきた君が。散々あそこまで世界を滅茶苦茶にしておきながら、何もせず逃げると?何一つツケを払わないで?」

 

前髪の隙間から覗かせた彼女の瞳が、赤く光った。

 

突然、自分の体に衝撃が走る。何が起こったのかを理解する前に、首が強く締め付けられた。目を開くと、キャラが恐ろしい血相で僕の首を絞めていた。力は徐々に強まり、視界が狭まってくる。懸命に彼女の手を払おうとするものの、ただすり抜けるだけで僕の腕は虚しく空気を掻いた。

 

「いいかい?きみは私にソウルを差し出した身でもあるんだ。今さら逃げることなんて、できるとでも思っているのか?」

 

僕の目の前で、みるみる彼女の瞳が落ち窪んでいく。あれは、Gルートの最後で見たキャラの姿に他ならなかった。朽ち果てた死体のような黒く落ち窪んだ瞳。滲み出るおぞましいまでの狂気。底なしの恐怖に僕の顔は引き攣った。とにかく叫んで助けを呼ぼうとするも、うまく声が出せない。そうしている間にも、視界はさらに狭まっていく。

 

(ヤ、ヤバイ…。このままじゃ……。)

 

懸命に息を吸おうともがき苦しむ。無我夢中で手を動かし、キャラの手を振り払おうとする。しかし、無駄な足掻きだった。徐々に意識が遠のき、何も物事が考えられなくなる。そんな中、ぼやけ始めた僕の視界に、再び彼女の顔が映った。

 

「…お願いだ。彼女を助けて。それができるのは君しかいないんだ…」

 

薄れゆく意識の中、僕はふとキャラの顔が元に戻っていることに気づいた。その顔はすっかり赤くなっていて、酷く泣きじゃくっているようだった。間もなく、首を絞める力が弱まる。

 

「っ、はぁっ……。」

 

解放された僕は、酷く咳き込んでその場にうずくまる。激しく脈打つ心臓。吐き気を催すものの、顔をしわくちゃにしながら何とか息を整える。そして、彼女の問いに答えようとすぐさま顔を上げた。

 

だが、そこに彼女の姿はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、僕はそのあと何もせずただトリエルの家に留まっていた。

 

ゲームとは異なり、ここでは1日の時間が自然に流れていた。本来であればすぐに地下に向かい、トリエルと戦うことになるはずだった。けれども、僕は新たな家族の一員としてトリエルに迎えられ、夕食まで共にしたのだ。

 

食卓を飾ったのは、本来このルートでは食べられるはずのないカタツムリパイ。想像していた見た目とは異なり、こんがりとついた焼き目が美味しそうなごく普通のパイだった。もっとも、切り分けたときにゴロゴロと出てきた黒い塊には少し閉口したけれど。

 

気になるのはその味だったが、あんな出来事があった僕には料理を味わって食べる余裕なんてなかった。トリエルが腕に縒りを掛けてつくったものなのだから、本当は頬がこぼれ落ちるほどに美味しいのだろう。けれども、口に入れてもサクサクとした触感と独特の歯ごたえがあるだけで、何も味は感じない。トリエルには本当に申し訳がなかった。せっかく彼女が僕の到着を祝ってつくってくれたのに。

 

そのうちに気持ちが悪くなってきた僕は、彼女に謝ると早めに自分の部屋に戻った。そんな様子を酷く心配されたものの、疲れているのだと言って僕は何とか誤魔化す。正直、トリエルの顔を見ているだけでも辛かった。夢で見たあの光景が重なってくるからだ。目を見開いて驚きの表情を浮かべる彼女。青いローブを赤黒い血に染めて、苦しみに顔を歪める姿。

 

今にも溢れ出しそうな涙を必死に隠して、僕は駆け込むように自分の部屋に入った。

 

そして、ベッドに腰を掛けると、深く息を吸い込んで心を落ち着かせる。涙を拭った僕は、胸に手を当てて心臓の鼓動を確かめた。

 

ドクン、と脈打つ小さな心臓。しばらくそうしているうちに、どうにか気分が和らぎ、荒くなっていた息も穏やかになった。

 

そのままベッドに仰向けに寝転んだ僕は、天井を見つめる。のっぺりとした、何の変哲もないただの天井。そして、ゆっくりと息を繰り返しながらいま一度、先ほど起こった出来事を振り返ってみた。

 

 

 

 

 

僕の前に突然現れたキャラ。

 

彼女はこの世界で起きたことをありのままに話してくれた。プレイヤーとしての僕の身勝手な行為が、世界をぐちゃぐちゃに破壊し続けたこと。イレギュラーにもある時から、フリスクの記憶が消えなくなったこと。そしてそれが原因で、彼女の決意が壊れてどこかに消えてしまったこと。

 

それを招いたのは、全て自分の所為(せい)に他ならない。

 

気づかぬうちに、僕は重い罪を犯していた。全ては自分の楽しみのため。そんな理由で僕は口に出すのも憚られる非道なことを平気で行い、彼女を絶望の淵へ陥れたのだった。

 

にもかかわらずキャラは、僕にしかフリスクを立ち直らせることはできない、と言った。

 

何故だろう。普通であれば、全ての元凶をつくった張本人である僕は、最もフリスクに恨まれる存在のはずだ。殺されても仕方のないくらいに。そんな僕が彼女に謝ったところで、赦してくれるのだろうか。いや、絶対に赦してくれるはずはない。

 

そんな時、キャラの言った言葉が蘇る。

 

(やる前から諦めるのか?あれだけのことを、ただそれが“できる”ってだけでしてきた君が。散々あそこまで世界を滅茶苦茶にしておきながら、何もせず逃げると?何一つツケを払わないで?)

 

そうだった。

 

赦すか赦さないかなんて、フリスクが決めることであって、僕が決めることではない。少なくとも僕は、散々世界を滅茶苦茶にしてきたツケを払わなければならないのだ。それこそが僕が犯してきた罪を償う唯一の方法なのかもしれない。

 

僕はそう信じるしかなかった。もし、彼女が赦してくれなかったら、その時はその時だ。殺されようが、永遠にこの世界に閉じ込められようが、甘んじて受け入れるしかない。

 

ぼんやりと寝転んでいた僕は、拳を強く握る。

 

これは、僕の罪の償いと彼女を救うための旅。もはや、生易しい気持ちで歩んでいいものではない。僕にはプレイヤーとして、罪を犯した者としての責任があるのだ。

 

僕の決意は、さらに深まった。

 

 

 



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第8話 すれ違う思い

今日は夢を見なかった。

 

やはり疲れが取れていなかったのか、相当長い時間眠ってしまった気がする。まだ若干の眠気が残っているものの、ここで寝続けていても仕方がない。僕はゴシゴシと乱雑に目をこすると、何度も瞬きを繰り返しながら開いた。

 

「ごきげんよう」

 

「ひっ!?」

 

すぐ目の前には、逆さまになったキャラの顔。昨日と同じような体勢で、眠っていた僕の頭の方から覗き込んでいるらしい。でもそっちの方には壁があったはず。見ると彼女は空中に浮かんだような恰好になっていて、壁をすり抜けて体を乗り出していた。なるほど、幽霊みたいなものだから壁とかは関係ないのか。

 

それにしても昨日のあの出来事の後、キャラはすっかり姿を消して声も聞こえることがなかったので僕はちょっと心配していた。でも、またこうして会えてよかった。

 

「いま、『ひっ!?』って言っただろ」

 

「あ、聞こえてた…?ゴメン」

 

だが、ついうっかり漏らした悲鳴が彼女の癇に障ったらしい。むすっと口を尖らせた彼女は、おもむろに腕を伸ばすとまた僕の頬をつまみ回し始めた。地味に痛い。でも、これは流石に卑怯だと思う。キャラの口からGルート登場時のあんな台詞を聞いたら、ゾッとするのは自分だけじゃないはずだ。

 

「ひゃめて…。」

 

思わず出た変な声で彼女にお願いするも、聞き入れてくれる様子はない。結局、彼女が満足するまでの間、僕の頬は弄ばれ続けることとなり、終わった頃にはヒリヒリと痛んだ。感覚だけで実際につままれたわけでもないのにおかしな話だ。お返しとばかりに僕も彼女の頬をつまみ回そうとしたけど、もちろん彼女の体に実体はないのですり抜ける。もしかしてこれって、僕は永遠にイジられ役?

 

「昨日はすまなかった。私も、つい熱くなり過ぎた」

 

落ち着いてきた頃、キャラが静かに口を開いた。俯きがちで神妙な面持ちをしているあたり、本当に申し訳なく思っているようだ。

 

「僕もごめん。何も考えずに、できないってばかり言って…。あの後ずっと考え続けたけど、君の言う通りだった。赦すか赦さないかなんて、僕が決めることじゃない。フリスクが決めることなんだ。だから、何があっても彼女に謝るって決めたよ。もし受け入れてもらえなくても、僕はどうなっても構わない」

 

僕の言葉に、キャラが優しく頷く。彼女も僕の考えに納得してくれているようだった。

 

これが100パーセント完璧な結論かは分からない。いや、この世界に完璧な答えなんてないのだから、僕はこの後もその答えを追い求め続けなくてはいけないだろう。でも、どんなことがあっても、僕はフリスクに謝って彼女の決意を復活させ、幸せなエンディングを送らせたい。

 

その決意だけは歪むことはなかった。

 

「そろそろトリエルも待ってると思うから、行ったら?」

 

キャラに促された僕は、一通りの身支度を済ませた。ゲームでは洗面所やお手洗いはなかったものの、ここではちゃんと部屋が用意されていて安心する。もっとも、トリエルの体格に合わせたかなり大きいつくりだったけれど。洗面台はあいにく自分の背では届きそうもなかったので、近くにあった椅子を引っ張り出して何とか済ませた。その途中でキャラに笑われたのは少し納得できないが。だって、キャラも同じような身長じゃないか。

 

リビングに入ると、暖炉の火は昨日の夜より小さくなっていた。おそらく、まだ起こしたばかりなのだろう。手を近づけても熱くはなく、優しい温かさがある。一方、夕食を食べたダイニングテーブルは綺麗に整えられていて、奥にあったはずの子ども用の椅子が手前に移動している。僕が座りやすいように、トリエルが移してくれたらしい。彼女の優しさには相変わらず驚かされる。

 

キッチンの方からは何かを焼くような音が聞こえ、ほのかに甘く美味しそうな匂いがしてきた。僕は静かに、その中へと入る。

 

「おはようございます」

 

「あら、おはよう」

 

トリエルはコンロの前に立っていて、黒い大きなフライパンを握っていた。けれど料理をしているはずなのに、コンロから火が出ているというよりはフライパンの底自体が燃えているように見える。どうやら、魔法の力で料理をしているらしかった。自らの魔力で炎を呼び出せるなら、わざわざコンロの火を使うよりも簡単なのだろう。

 

近くの冷蔵庫の中身をちょっとだけ覗いてみると、ブランド物のチョコレートバーが一本だけ入っていた。よくよく考えると、トリエルが自分で食べているとも考えづらい。いったい誰のために買ってあるのだろう。

 

「チョコじゃん!ねえ、食べよ食べよ!」

 

今までの口調からは似ても似つかない子どもみたいな声で、キャラがチョコをねだる。

 

すっかり忘れていた。彼女はチョコレートが大好物なのだ。もしかすると、トリエルは今は亡き彼女のためにチョコレートを買っているのかもしれない。それを考えると、キャラのために希望を叶えてあげたい気にもなるものの、果たして彼女の代わりに自分が食べることに意味はあるのだろうか。

 

「それは大丈夫。私は自由にきみの感覚と自分の感覚を繋げることができるから。つまり、きみがチョコを食べれば私もそれを味わえるってわけ。さあ、早く食べてよ!」

 

心の中を読んでいるらしいキャラがすぐに疑問に答える。あれ、ちょっと待てよ。感覚共有できるなんて、今はじめて知ったんだけど。人の体にタダ乗りするなんて、なんかセコいような…。でもまあ、別に自分が味わえなくなる訳ではなさそうだから、いいか。

 

そのままチョコを手に取ろうとする僕。けれども、掴む寸前で手が止まった。考えてみると今は朝食前。しかも、今まさに隣でトリエルが料理をつくっている真っ最中なのだ。そんな中、冷蔵庫のチョコレートを勝手に開けてつまみ食いなんてしたら、流石の彼女も怒るだろう。キャラのために買ったものだとすればなおさらだ。彼女には僕にキャラが取り憑いていることなんて知る由もないのだから。

 

「ダメ。またあとでね。今は食事前だし…」

 

「え!?何でさ!いいじゃないか、少しくらい!」

 

子どものようにむくれる彼女。凶悪で恐ろしい一面からは考えもつかない無邪気な様子に、僕は呆気にとられる。でも、そんな様子がどこか可愛らしかった。

 

ちょうどその時、料理が出来上がったのかトリエルはフライパンの中のものを皿に移し、盛り付ける。カウンターの高さが少し高くて見づらいものの、皿の上にはふんわりと仕上がったパンケーキが見える。自分の親指よりもあるかなりの分厚さで、ムラのない綺麗な焼き色の表面からは絶えず湯気が上っていてとても美味しそうだ。

 

「さ、食べましょうか」

 

トリエルに促されて、僕はリビングのテーブルにつく。間もなくテーブルの上に置かれたのは、先ほどの大きなパンケーキの他、色とりどりの野菜の入ったサラダだった。それに、透明なガラスのティーポットには琥珀色のお茶が淹れられている。最初はハーブティーか何かだと思ったけれど、中に浮かんでいるのは小さな花びら。それを見た僕は、すぐにそれがゴールデンフラワーだと直感した。遺跡の周りに自生しているものを摘み取っているのだろう。

 

トリエルはポットを軽く揺らすと、花びらが入らないよう茶漉しを通してカップにお茶を注いでくれた。ほのかに広がるゴールデンフラワーの香り。心が落ち着き、体がリラックスしていく。

 

「いただきます」

 

僕は小声でそう言うと、トリエルが切り分けてくれたパンケーキを口に運ぶ。ふわふわの生地に、後掛けしたメープルシロップの程良い甘さが絶妙なハーモニーを奏でる。いくらでも食べられそうな美味しさだった。サラダも食べてみたが、どれもみずみずしく新鮮な野菜ばかり。その上、トリエル手作りのサウザンドドレッシングの酸味がそれらの風味を引き立て、格別の味だった。

 

「どう、美味しいかしら」

 

「はい!ほんと、頬っぺたが落ちるくらいに!」

 

「それは良かったわ。昨日は元気がなさそうだったから心配してたのよ。でも、元気そうでよかったわ。いっぱいあるから沢山食べてね」

 

微笑みながらそう話すトリエル。昨日は本当に心配をかけてしまったらしい。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

一通りの料理を味わった僕は、ゴールデンフラワーティーを一口飲んでみる。口いっぱいに広がるほのかな香り。やや酸味があるものの、クセの少ない味わいは非常に飲みやすい。どうやらハチミツも混ぜているのか、優しい甘みも感じられる。体が中から温まり、ほっこりと幸せな気分になる。

 

朝食が終わる頃にはすっかり満腹になっていた。食器を運ぶのを手伝った僕は、そのまま皿洗いも手伝おうと思ったものの、トリエルに止められる。流石に子どもに何でもやってもらう訳にもいかないのだろう。彼女にしてもらったことを考えると少しでも手伝いたい気持ちが出てくるけれど、無理にやるのはお節介というものだ。

 

僕はしばらくリビングで本を読んで過ごしていたが、暇を持て余したので自分の部屋の方へと向かう。この機会に、家の中を探索してみようと考えていたのだ。

 

廊下にはウォーターソーセージが飾られていた。確かサンズがこれをホットドッグのソーセージ代わりに使っていた気がするけど、どこからどう見てもガマの穂にしか見えない。これをどう料理したら、ホットドッグに挟めるのだろう。

 

廊下を進んでいく僕。そのままの自分の部屋を通り抜け、2番目の扉の前に辿り着いた。確かここは…

 

「トリエルの部屋さ」

 

後ろから聞こえた声にビクッとする。食事中は声が聞こえなかったから、すっかりキャラのことを忘れていた。振り返ると、背後霊よろしく僕のすぐ後ろに彼女が立っている。まさか、こうしてずっとついて回っていたのだろうか。

 

僕は少し躊躇う気持ちもあったものの、ドアノブに手を掛けると静かにそれを回した。青を基調とする部屋は照明が消えて薄暗いせいか、雰囲気までもが暗く物寂しいものを感じさせる。本棚の上に置かれたゴールデンフラワーだけが妙に鮮やかに見えた。

 

「これは、日記…?」

 

「人の日記を読むの?きみ、フツーに性格悪いんだな」

 

「うう…」

 

机の上に開かれたままのノートを見つけた僕は近づいてみたものの、キャラにそう言われて読むのを躊躇う。ゲームの中では何も遠慮せず読み耽っていたけれど、こうして目の前にすると確かに人の日記を読むのは気が引けた。でも、僕が読むのを諦めようとすると、代わりにキャラが日記に近づく。

 

「くだらないダジャレばかり。相変わらずだな…」

 

自分は読むのかよ、と突っ込みたくなったが、考えてみればキャラは生前、トリエル達とともに家族として暮らしていたんだった。それでも母親の日記を勝手に読むのはどうかと思ったけれど、少なくとも僕が読むよりはマシかもしれない。

 

他に変わったものがないか、僕は部屋の中をウロウロする。今までは特に兆候はなかったものの、僕が落ちてきたこの世界がゲームのままであるとは限らない。ほんの少しの異常も、見逃さないことに越したことはなかった。

 

ダブルサイズよりも大きなベッドに、図鑑がぎっしりと詰まった本棚。中には地下に生息する植物に関するものもある。その隣には上にテーブルランプを乗せられたタンス。この中って何が入っていたっけ?

 

「痛っ!」

 

「勝手にマ…、母さんのタンスを開けるな!変態かよ」

 

キャラに思いっきり後頭部を殴られた。触ってすらいないのにこの仕打ちは少し納得できないけど、確かにこれは僕が悪いかもしれない。ジンジン痛む頭をさすりながら、僕はタンスに背を向けて入り口に戻る。

 

ふと、入り口のすぐ傍に古びたバケツがあることに気づいた。中を覗いてみると、何やらヌルヌルしたものが蠢いている。何だか気持ち悪い。

 

「カタツムリだよ、食用のね」

 

「え、じゃあ昨日食べたのもそれ…?」

 

生きている現物を見ると、凄く複雑な気分になった。何でカタツムリをこんなところに置いているのかはすごく謎だ。大事な物だから傍に置いておきたいのか、単に保管するのに良い環境なのか。こればかりはトリエルでないと分からない。

 

一通りの物を調べ終えた僕は、静かに部屋を後にする。今のところ、ゲームから変わっているところは特に見当たらなかった。

 

さらに廊下の奥の方にも行ってみたものの、相変わらず三番目のドアには改装中という張り紙がされていて、鍵がかかっているのか中に入ることはできない。そのさらに奥には幅の広い大きな鏡が備え付けられていて、僕とキャラの姿が映りこんだ。

 

思わず鏡に映った自分をじっと見つめてしまう僕。その容姿は相変わらずフリスクそのものだった。違いはトリエルにもらった明るい橙色のボーダーシャツを着ているというところだろうか。何だか色合い的にMonster kid(モンスターキッド)に似ている気もしなくもないものの、ボーダーがえんじ色なのがアクセントになっている。髪の色はてっきり黒だと思っていたのに、キャラよりも濃いダークブラウンの茶髪だった。

 

フリスク特有の細目も同じかと思ったけれど、よく見るとその奥には透き通るような薄い黄蘗色の瞳が覗いている。最初に着ていた服が若干色違いなのも考えると、これもフリスクとの違いの一つのような気もする。でも、よくよく考えるとゲームではドット絵だから、細目だと画面では目を瞑っているようにしか見えないのだ。なので、実際のところ彼女の瞳がどうなっているかプレイヤーには分からない。

 

まあ、キャラみたいな鮮やかな赤でなかったのは幸いかもしれない。彼女には悪いけど、あの赤い瞳には嫌なことしか思い浮かばないからだ。

 

「きみ、自分の顔まじまじと見つめて…。大丈夫?」

 

「だ、大丈夫だよ!」

 

あんまりにも長い間、自分の顔を見つめていたせいで、キャラに引かれながらそう言われてしまった。慌てて否定したけれど、キャラはまだ「うわ、こいつ…」みたいな顔で僕を見つめている。誤解だって!

 

ちょうどその時、リビングの方から足音が聞こえて、また静かになった。

 

「たぶん洗い物終わって、一息ついてるんじゃない?暖炉の前の椅子で。話すなら、今だと思うよ」

 

キャラがそう言った。

 

ついに、彼女に話を切り出すときが来たのだろうか。そうしなければここを出られないとはいえ、全く気乗りはしなかった。特に、あんなに優しくしてもらったのを考えると、尚更のことだった。

 

胸がドキドキして、緊張してくるのが分かる。鏡に映る自分の顔も、眉が下がりどこか不安げになっていた。しっかりしなくては。僕は頬を軽く叩くと、鏡の中の自分に言い聞かせる。

 

(自分ならできる。やるしかない)

 

僕は覚悟を決めると、リビングへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はとても幸せな気分だった。

 

新しくきたあの子。少し恥ずかしがり屋なところがあるけど、私のことを手伝おうとしてくれてとても優しかった。敬語を使ってばかりでまだ少し距離も感じるが、ここに来たばかりなのだから緊張していても仕方ないかもしれない。いつかはきっと、打ち解けてくれるはず。

 

何より、あの子の本当に美味しそうに私の料理を食べてくれる姿は、涙が出る程に嬉しかった。昨夜は何だか元気がなそうで心配していたけれど、今朝の様子を見る限り杞憂だったようで私はほっと胸を撫で下ろす。

 

暖炉前のソファに腰掛けていた私は、ぼんやりと本棚を眺めた。あの子にはどんな本を読ませてあげようかしら。男の子だから、虫の本とかが興味を引くだろうか。それとも、意外に植物の本が好きかもしれない。もしくは料理が好きそうだから、地下世界の料理に関する本を読ませても喜んでくれそうだ。

 

とっておきの虫取りスポットも教えてあげなくちゃ。男の子だから、家でじっとしているのは退屈してしまうかもしれない。あとはお勉強かしら。しっかりとカリキュラムを考えて、あの子にも学のある立派な大人になってもらいたい。こう見えても私は先生志望だったから、あの子に教える自信はバッチリだ。

 

そんなことを考えている時だった。

 

思いつめたような、険しい表情を浮かべてあの子がやってきた。何か悪いことでもあったのかしら。ふと、ある予感が頭をよぎる。

 

「どうしたの、我が子よ?」

 

「…ちょっとお話があるんです」

 

ドクン、と心臓が脈打つ。予感は確信へと変わっていく。やめて。私はそんな話なんて聞きたくない。

 

「あ!そうだわ。この後、時間があるあしら?一緒に遺跡の中を探検しましょう。遺跡には、まだまだあなたの知らないようなパズルがあるのよ。きっと、楽しいと思うわ!」

 

わざと気を逸らすような明るい快活な声で、私は言った。息が少しずつ荒くなり、手が小刻みに震えてくる。お願い、私を悲しませるようなことを言わないで。これ以上子どもたちを失ったら、私はどうにかなってしまいそうだった。頼むから、『うん』と答えて。

 

私は一心にそう願う。けれども、あの子は聞いてくれなかった。

 

「ごめんなさい…。大丈夫です。それより…」

 

「ああっ!!本を読み聞かせてあげるわっ!私が読んでいる本のこと、気になるでしょ!『72のカタツムリ活用法』っていうの。どうかしら?」

 

「う、うん…」

 

必死に話題を逸らす私。苦笑いしながら、あの子は相槌を打ってくれる。そう、そのまま私と一緒に本を読みましょう。恐ろしいことなんて忘れて。二度と思い出さなくていいの。あなたのおうちはここなんだから、ずっと私と一緒に暮らしていくのよ。二人で永遠に。どんなことがあっても私が守ってあげるわ。だから…。

 

「外の世界に出たいんです…」

 

その言葉に私は青ざめた。頭が真っ白になって、震えが止まらなくなる。心臓が苦しくなり、息をするのも辛くなってきた。駄目、そんなこと言わないで。お願いだから…。

 

「えっと、カタツムリの面白い話でも…」

 

「ごめんなさい。僕は、外の世界に出たい。外に出て、やらなくちゃならないことがあるんです」

 

覚悟に満ちた顔で、あの子は言った。思わず顔が引き攣り、口がわなわなと震えてしまう。やめて。どうしてあなたまで私を置いていこうとするの?私にはもう、あなたしかいないのに。あなたにまで行かれてしまったら、私はどうすればいいの?一生この遺跡の中で、果てしない後悔に苛まれ続けなくてはならないというの?

 

「…カタツムリにはね、歯舌っていうチェーンソーみたいな形の舌を持っていて…」

 

「トリエルさん!」

 

あの子が叫んだ。見ると、決意を胸に秘めたような固く引き締まった面持ちをしている。

 

ああ。何でそこまでして、外の世界に行きたいと言うの?あの扉を越えたって、すぐにアズゴア王に殺されてしまうだけ。これほどの優しい心があっても、あの男は容赦しないわ。あの冷酷な男は彼を殺してソウルを奪うつもりに違いない。そんな世界に行きたいだなんて、私は絶対に許さない。

 

「…分かったわ。あなたも他の人間と同じだった。私を捨てて、一人行ってしまうのね」

 

「そんなことは…!」

 

「いいえ、絶対にそうよ。外の世界に出たら最後、みな殺されてしまうの。私はもう痛いほどその苦しみを味わってきた。だからもうたくさん。この苦しみは、ここで終わらせるわ」

 

優しさを殺し、固い表情を貫いた私は立ち上がると、引き留めようとするあの子の手を振り払ってリビングを出た。

 

きっと泣いて怒って私を責めてくるでしょうけど、これは全部あなたのため。分かって頂戴。たとえ許してもらえなくても構わない。これ以外に、あの子を救う方法はないのだから。

 

私は険しい表情を浮かべたまま、地下に通ずる階段を下りた。あの忌々しい扉は、今度こそ跡形もなく破壊する。この苦しみは、もうたくさんだった。

 



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第9話 狂おしき愛の果てに

僕は呆然と立ち尽くしていた。

 

彼女を引き留めようとして伸ばした手は、そのままになっている。その先にはもちろん、誰もいない。

 

「どうしてこんなことに…。」

 

僕は思わずそう漏らした。展開としてはゲームのものと齟齬はない。けれど、それに至るまでの過程が全くと言っていいほど異なっていた。トリエルの台詞にあの表情。明らかに先ほどのそれは、ゲームで見たものよりも酷く感情的なものになっている。僕もつい熱くなってしまったというのもあるだろうが、それだけでトリエルがあそこまで生々しく感情を曝け出すとは思えない。わが子を想う狂おしいまでの愛情を。

 

「もしかすると、きみがリセットを繰り返した影響が彼女にも現れているのかもしれないな」

 

その様子を横から見ていたキャラが冷静にそう言った。

 

リセットを繰り返した影響とはどういうことだろうか。懸命に思考を巡らす僕。間もなく辿り着いたある可能性に、思わず絶句した。

 

「まさか…。」

 

「たぶんそのまさかだろうね。おそらく彼女にも、無意識の中に前のセーブデータの記憶が残っているんだよ」

 

キャラの言葉に、心が締め付けられる。もしかすると、彼女も無意識下ではあるものの、これまでのセーブデータの記憶を覚えているのかもしれないのだ。そしてその中には、数えきれないほどフリスクを送り出した記憶も含まれる。それどころか、もしかすると彼女を失った無数のタイムラインの記憶すら、引き継がれている可能性もあった。そのためにトリエルは、我が子を扉の向こうの世界に出すことにこれほどまでに抵抗を覚え、感情的になったのかもしれない。彼女はこれ以上、我が子の命が奪われる苦しみを味わいたくはないのだ。

 

彼女も自分の身勝手な行動のせいで、心に重い苦しみを抱えていた。僕は辛く生々しい現実を痛いほどに思い知らされた。こんなことは到底、謝っても謝りきれるものではない。その苦悩は僕なんかが想像もできないほどに深く、計り知れないものだからだ。

 

そして、そのせいで彼女はますます心に深い闇を抱えることになった。だから、先ほどのように感情を剥き出しにし、イレギュラーなやり取りに発展したのかもしれない。

 

「用心した方がいいと思う。私の見てきたどのタイムラインよりも、彼女は狂ってる」

 

「…下手をすれば、殺されかねないか」

 

ぼそっと呟く僕。キャラの言う通り、彼女のその深い心の闇が歪んだ愛情を生み出し、そんな結末を迎える可能性は十分にあり得る。けれど正直、それでも構わないと思う自分もいた。確かに死ぬのは怖い。けれど、自分が彼女に与えてきた苦しみを考えれば、殺されても仕方のないことに思う。それで彼女が救われるのであれば、そんな選択も間違いではないのではないか。そう考えていたのだ。

 

「死ぬつもり?残念だけどきみが死んだところで、彼女は救われない。むしろ、そこにあるのは暗い未来だけだ」

 

僕の考えていることを察したのか、キャラがそう釘を刺す。確かに彼女の言うことには一理あった。万が一、トリエルが自らの手で僕を殺してしまえば、絶対に彼女は自分自身を責め続けるはずだ。そうなれば、状況がますます悪化するばかりか、最悪彼女が自らの命を絶ってしまうかもしれない。そんな悲劇的な結末だけは、何としても避けたかった。

 

やはり、彼女の心と直接向き合い、分かってもらうしかない。そのためには一戦を交えることも避けられないだろう。

 

ゆっくりしてはいられない。ゲームであれば意識することはないけれど、ここではゲーム通りの法則が適用されるかは分からないのだ。万が一、トリエルが僕の着く前に扉を破壊してしまっていたら、それこそ手詰まりになってしまう。元の世界に帰ることはおろか、フリスクを救うことも叶わなくなるのだ。特にトリエルの先ほどの様子を考えると、その可能性はもはや無視できるものではない。

 

僕は一目散にキッチンに向かうと、鍋に目いっぱい水を汲んで頭から自分の体に掛けた。一気に冷える体。全身がびしょ濡れになり、着ている長袖のシャツが水を吸って重くなる。トリエルは炎系を中心とする魔術を使うはずだった。ならば、現実の炎と同じような対策が有効のはず。このように体をびしょ濡れの状態にしておけば、多少の炎なら防げる可能性が高い。

 

後は何か防具になりそうなものを…。

 

僕は手当たり次第に扉を開けて、使えそうなものがないか調べる。鍋にフライ返しにボウル。なかなか使えそうなものは見つからない。そんな中、コンロの上に置いてあった大きな黒いフライパンが目に入った。朝、トリエルがホットケーキを焼いていたフライパンだ。これであれば、炎系攻撃も弾き返せるかもしれない。料理道具を戦いに使うのは少し気が引けるけど、やむを得なかった。実際、この後アイテムとしても登場するものでもあるし。

 

僕はそう自分を納得させると片手でフライパンを握り、急いでリビングを抜けて玄関へと向かった。階段を降りかけたところで、あることに気づいた僕は慌てて自分の部屋に引き返す。

 

「何か忘れ物?」

 

「回復アイテム!」

 

キャラにそう答えた僕は、乱暴にドアを開けて中に飛び込むと、ベッドの傍に置いてあった紺色のナップザックを手に取った。中にはマモノのアメやドーナツ、それにトリエルの焼いたバタースコッチシナモンパイが袋に入れられた状態で入っている。昨日の夜、部屋の中を探っているときに見つけたものだった。さすがにパイまではポケットに入りきらないので、正直ナップザックがなかったらどうしようかと考えていた。

 

走りながら左肩にナップザックの紐を掛けた僕は、階段を降りると薄暗い不気味な通路を進む。案の定、そこにトリエルの姿はなかった。ゲームでは通路の途中に立ち止まって、主人公を説得しようとしてくるはず。なのに、その姿がないということは説得すらせず彼女は扉を破壊しよう考えているのかもしれない。

 

必死に走り続ける僕。角を曲がると、ようやく見覚えのあるデルタルーンの描かれた大きな扉が見えてくる。その目の前に立っていたトリエルは、今まさに魔法の炎を召喚して扉を破壊しようとしていた。

 

「待って!」

 

僕の声にビクッと震えるトリエル。彼女は召喚していた炎を一旦消すと、こちらに向き直る。その顔は今までに見たことがないくらいに険しく、厳しいものだった。

 

「そんなにここから出たいの?…でも、それは許さない。この扉を抜けたら、きっとあなたは殺されてしまうもの。これはあなたを守るためなのよ、分かってちょうだい」

 

彼女はそう言うと、扉の方を振り向いて再び魔法の炎を召喚する。これはもう、ゲームの内容を意識している場合ではない。咄嗟に駆け出した僕は、今にも扉を破壊しようとするトリエルに飛び掛かった。

 

「やめて!邪魔をしないでっ!」

 

炎を放とうとしていたトリエルは、突然のことに動揺して召喚していた炎を手放す。けれど、必死に掴み掛かる僕の体を掴むと、力づくで振り払った。投げ出された僕はその場で何度か転がり、膝を擦りむく。ヒリヒリと痛んで血が滲んできたが、そんなことに構っている暇はない。僕はすぐさま立ち上がると、再びトリエルに飛び掛かろうとする。その時、トリエルが強い口調で言い放った。

 

「そんなに出たいというのなら、一つだけ方法があるわ。私に証明してみなさい。生き残れるだけの強さがあると…」

 

ナップザックを壁際に放り投げた僕は、覚悟を決める。

 

再び向き直った彼女。その顔に、もはや迷いはなかった。

 

 

 

 

 

手慣れた動きで印を切った彼女は、瞬く間に無数の魔法炎を呼び出す。人魂のように空中に浮かんだそれらは、次の瞬間には赤い尾を引きながら凄まじい速さで迫ってきた。今までのモンスターの攻撃とは桁違いに濃密な魔法弾幕。左右に揺れ動きながら突っ込んでくるそれらは、到底回避し切れるようなものではない。

 

けれど、それは躱すことだけを考えた時の話だった。僕は持ってきたフライパンを両手で握り直し、胸の前で構える。間もなく肩の後ろまで大きく振りかぶると、タイミングを計りつつ先頭の炎に向け勢いよく振り下ろした。

 

弾けるような炸裂音とともに炎が爆ぜるように広がり、辺りに凄まじい熱量を放つ。同時に迫ってきた炎も幾つか巻き込まれ、その場は一瞬にして灼熱地獄と化した。凄烈に燃え上がる炎だったが、間もなく急速に萎んで形を失うと、細かな破片となって四散する。

 

「やっぱ全部打ち消すのは無理か」

 

体をびしょ濡れにしていたおかげで、熱さはほとんど感じなかった。何とか攻撃は防げたものの、一発一発の威力が高すぎる。ゲームのトリエルの攻撃って、こんなに強かったっけ。このレベルの反動だと、全部打ち消して防いでいたのでは到底間に合わない。

 

続いて押し寄せてくるのは波状軌道を描く炎の塊。ギリギリまで引き付けた僕は、素早く横っ飛びして身を翻し、何とか躱す。攻撃パターンは変わらないのか、炎の動きは辛うじて読むことができた。躱された炎はそのまま背後の床面に命中し燃え上がる。そのままあっという間に広がった炎は、左右の壁を赤く照らした。

 

「トリエル、話を聞いて!」

 

懸命に呼びかけるものの、トリエルは目を逸らし答えようとしない。

 

再び放たれる波状弾幕。最初の一撃を躱した僕は、炎の動きを見ながらサイドステップを繰り返すと、タイミングよくフライパンで炎に殴り掛かった。掻き消された瞬間に爆ぜて燃え上がった炎は、その熱量を余すことなく周囲に解き放つ。そして、次々に迫っていた後続の炎も巻き込んで、天井に届くまでの大火焔と化した。

 

「熱っ!?」

 

あまりの熱さに飛び退いた僕。目の前には猛烈な炎が壁のように聳え立ち、突っ込んでくる炎を受け止める度に眩い光を放って燃え盛る。辺りに燃え移って火事にならないか少し心配だったけれど、周囲は石造りなので問題なさそうだ。

 

「へえ。火炎弾の爆発を連鎖的に起こして壁を作るなんて、やるね」

 

キャラが驚きの声を上げ、珍しく褒めてくる。

 

でも、気を抜いてはいられない。僕の目的はトリエルと戦うことではなく、彼女を説得することにあるのだ。早く彼女と和解して、この無益な戦いを終わらせなければならない。それに、この状況下で自分がいつまでも攻撃を躱せるとは到底思えなかった。

 

やがて、炎が収まると彼女の姿が目に入る。僕は再び、必死に彼女に呼びかけた。

 

「外の世界に行くのがどれだけ危ないことか、自分でも分かってる。それでも、僕は行きたいんだ。行って、どうしてもやらなきゃならないことがあるんだ。だから、お願い。もうやめて…」

 

だが、彼女は一向に僕の声を聞こうとはしてくれない。

 

トリエルは静かに手を伸ばすと、そのまま大きく横へ振りかざす。瞬く間に彼女の手が描いた軌跡から炎が現れ、自分に向けて一直線に突っ込んできた。あまりの迫力に体が震えたが、気を強く持ってギリギリまでその場に留まって引き付けると、炎が集中するタイミングを見計らって横へ大きく飛び込む。

 

躱された炎は背後の壁に当たるとバラバラに跳ね返り、周囲に散らばった。いくつかの弾をフライパンで防いだ僕は、再びトリエルの前に立つ。

 

「もう戦いたくないんだ。こんなことやめて。お願い」

 

説得しても説得しても、彼女は聞く耳を持ってくれない。僕の力では、彼女と和解することなんて端からできないのかもしれない。そんな弱気な考えが、心の中を徐々に蝕んでいく。

 

次に彼女が放ったのは、左右の壁に肉薄するほどの振れ幅を持つ魔法弾幕。大きくうねる炎は、躱す余地も与えないほどに激しく燃え盛りながら近づいてくる。しかも、炎は途中で二手に分かれて中央で重なりながら、波を描いて迫ってきた。

 

足がすくみそうになるのを何とかこらえ、僕はフライパンを構える。炎の切れ目に辛うじて体を滑り込ませて最初の波を躱し、次波にはフライパンの一撃をお見舞いして時間を稼ぐ。でも、振れ幅が大き過ぎて連鎖爆発には至らなかった。三波目は身を捩って何とか回避するものの、炎が右肩を掠める。ジュッ、という恐ろしい音とともに水が蒸発して、服の袖が焦げた。

 

「絶対、生きて戻ってくるって約束する。だからお願い。行かせて!」

 

声を上げる僕。トリエルは眉間に皺を寄せ、大きくため息をついた。それでも、彼女は冷徹に振る舞い続ける。

 

攻撃はますます熾烈を極めた。再び手をかざして呼び出した炎は、僕を捉えると真っ直ぐ突っ込んでくる。しかも、先ほどの攻撃よりも弾速が早く、炎も大きかった。一瞬だけ怯んだ僕は、反応がやや遅れてしまう。

 

「危ないっ!」

 

キャラの声が響く。間一髪のところで横っ飛びして躱したものの、受け身が取れなかった僕はそのまま床を転がり、跳弾への対応が間に合わない。咄嗟にその場で身を捩らせて躱そうとするも、避け切れなかった弾が足を掠った。ピリピリとした痛みを感じる。

 

(大丈夫、まだ掠り傷だ…)

 

言い聞かせるように小声で呟いた僕は、ゆっくりと立ち上がる。

 

トリエルは心苦しいような表情を浮かべている。僕は声を張り上げ、改めて戦いたくないことを懸命に彼女に伝えた。声を枯らして何度も何度も。終いには声が震え、泣き出してしまいそうなほどだった。最初は目を背けていたトリエルだったけれど、僕が叫ぶうちに無視し切れなくなったのか、涙を浮かべた悲しげな瞳でこちらを見つめる。

 

でも、何かを思い出したかのように一瞬だけ目が見開かれると、彼女は両手で頭を抱え込み、悲痛な声で叫んだ。

 

「だめ…。だめよ!もう、私は…。失いたくないのっ!」

 

その瞬間、彼女の背後に数えきれないほどの炎が呼び出される。真っ赤に燃え盛るそれらは、ここでも熱気を感じるほどだった。大粒の涙を止め処なく流しながら、彼女はヒステリックに叫ぶ。

 

「お願い、もう諦めて!お願いよっ!」

 

間もなく放たれた炎はとぐろを巻くかの如く僕の周りを囲い込む。その光景に、僕は言葉を失った。

 

あり得ない。

 

だって、この攻撃は、アズゴアが使うはずの…。

 

「何やってる!?避けろ!」

 

キャラの声にはっとする。繰り出されたのはアズゴア王が使っていた包囲弾幕。中心に向かって収束する円の僅かな欠け目からしか回避できない、彼独自の技だった。考えてみれば迂闊だったかもしれない。彼女はかつてアズゴア王の妻だったモンスターだ。なんで、同じ技が使えるという可能性を考えられなかったのだろう。

 

瞬時に周囲を見渡し、円の切れ目を探す僕。でもゲームの時とは異なり全体を俯瞰できない分、切れ目を見つけるのは至難の業だった。しかも、包囲円は次々と押し寄せてくる。後ろの包囲円の炎と重なり、円の切れ目は非常に分かりづらくなっていた。

 

円が収束する寸前で切れ目を見つけた僕は、死に物狂いでそこに飛び込む。でも、躱し切れずに腕が円の縁に当たり、水で濡らした服をも貫いて肉が焼かれた。

 

「ぐぅっ…!」

 

激痛に顔をしかめる。無情にも包囲円はまだ何波にも渡って迫ってくる。二波目は幸運にも正面に切れ目が来たので躱せたものの、三波目の切れ目は全く見つからない。恐怖に慄き、心臓が脈打つ。

 

激しい焦りの中、辛うじて見つけた切れ目に飛び込もうとする僕。しかし、到底間に合いそうもなかった。目前に迫った炎に、僕は咄嗟にフライパンを盾にして強硬突破を果たすも、庇い切れなかった両足が炎に薙がれる。途端に突き刺さるような鋭い痛みが襲い掛かり、そのまま地面に転げる。

 

懸命に腕をついて起き上がろうとするものの、既に最後の四波目が近くまで迫っていた。このままでは確実に炎に焼かれ、全身黒焦げになるのがオチだろう。固唾を飲んで戦いを見守っていたキャラの叫び声が聞こえる。

 

イチかバチか、僕は迫りくる弾幕が肉薄した瞬間にフライパンを投げつけた。予想通り、フライパンに当たって弾け飛んだ炎は隣の弾も巻き込んで次々と燃え上がり、瞬く間に消滅する。けれども、それで全てを防げたわけではなかった。

 

防御を突破した一発の弾が、起き上がろうとする僕の背中に直撃した。

 

「ぐああぁぁっっ!!」

 

言葉にならない悲鳴を上げ、その場に倒れ込む僕。想像を絶する痛みにしばらく動けず、呻き声を上げる。

 

「大丈夫か!?しっかりしろ、おい!」

 

すぐさま駆け寄ってきたキャラ。火傷のショックのせいか、視界がぼやけて意識が朦朧とする。でも、僕は地面に手をつくと、体に鞭を打って必死に起き上がろうとした。流れ出た血がポタポタと地面に零れ落ちる。体は相当酷い有様になっているに違いない。辛うじて動けるものの、おそらくHP 1、2くらいの瀕死に近い状態だろう。

 

今までの僕だったら、この時点で何もできなくなっていたかもしれない。

 

でも、今の僕は違う。こんなところで、死ぬわけにはいかないのだ。

 

「トリエル…、お願い…」

 

よろめきながらも立ち上がる僕。彼女は目を見開いて、かなりショックを受けているようだった。首を横に振りながら、ゆっくりと後ずさりをする彼女。そんな彼女に僕は近づこうとするものの、ぐらりという強い眩暈を覚えてその場に倒れる。

 

「我が子よっ!」

 

悲痛な叫びを上げて、駆け寄ってくるトリエル。体を支えられた僕は、彼女に抱え込まれるようにして静かにその場に寝かせられた。目を開けると、トリエルが途方に暮れたような顔で泣きながら介抱してくれていた。その隣にはキャラが、なんとも言えない悔しそうな面持ちで自分を見つめている。

 

ああ、やっぱり説得できなかった。

 

当たり前か。今まであんなに酷い思いをさせてきたのに、すんなり行くわけがない。僕はこの世界で殺されても仕方のないほど、罪を犯してきたのだ。因果応報といったところだろう。

 

急に体が寒くなってきた。やはり、あれが致命傷だったのかもしれない。あれだけ痛かった背中の感覚が、嘘のように消えている。意識がぼんやりとして、視界は暗く色がない。

 

どうやら、ここまでのようだ。

 

まあ、この世界に落ちた以上、その報いを受けるのは当然なのかもしれない。

 

寒い。

 

薄っすらと見えるトリエルの顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。本当に申し訳がなかった。一番招いてはいけない結末に、僕は彼女を追いやってしまったのだ。全部、無力な自分のせいだ。

 

どうか、自分を責めないでほしい。

 

そう願いながら、僕は静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、何かを口に入れられた気がした。



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第10話 母の面影

あの日のことは忘れられなかった。

 

まだ朝だというのにじりじりと照り付ける太陽。体中の水分が蒸発し干乾びるような暑さの中、母さんは燃えないゴミ袋を片手にいつものように「行ってきます!」と快活な声で玄関のドアを開け、仕事に向かっていった。自分の部屋で携帯ゲームに熱中していた僕は、空返事で彼女を見送ったのを覚えている。

 

夏休みだったので、僕は一日中暇だった。といっても父親とはしばらく別居中の、事実上母子家庭みたいなものだったので、掃除や洗濯などある程度の家事はやらなければならなかったが。それでも、稼ぎの柱はもっぱら母さんで、僕に不自由な思いをさせないよう女手一つで働いて学校に通わせてくれていた。

 

でも、その頃の僕はまだ考えが浅く、母親の苦労を分かっているつもりに過ぎなかった。朝早く出社し遅くまで残業して、さらに帰ってきて家事をこなす。その大変さを本当の意味で理解してはいなかったのだ。

 

そして、その時聞いた彼女の声が、最後になってしまった。

 

お昼頃だったと思う。ちょうど、カップ麺を食べようとお湯を沸かしている時だった。突然、電話の呼び出し音が鳴った。勧誘以外に滅多に鳴ることのない、家の固定電話が。

 

見慣れない番号だったので、僕は最初出るのを躊躇った。けれども、あまりに鳴り続けるものだから、妙な胸騒ぎを覚えて受話器を取ったのを覚えている。

 

警察からだった。

 

母さんが交通事故にあったこと。そして、亡くなったことを伝えられた。

 

その後、父親や親戚の連絡先などを尋ねられたが、頭が真っ白になって後のことは覚えていない。

 

不幸な事故だった。信号待ちのため停車していた母さんの乗った社用車に、後ろから来た居眠り運転のトレーラーが突っ込んだのだという。不運にも前方にはダンプカーが停まっていて、2台の大型車の間に挟まれた車は文字通りのぺしゃんこに潰れてしまったのだ。

 

即死だったらしい。

 

気づけば病院の待合室にいた。遺体の確認には立ち会わなかった。代わりに駆け付けた父や母方の祖父母が、彼女の安置されている処置室に入っていったが、大声で母の名を呼び泣き叫ぶ声が聞こえたのを覚えている。特に祖母は酷く取り乱し、祖父に抱えられながら病院を後にした。

 

それからはあっという間だった。葬儀を済ませ、住んでいたアパートも整理し、僕は一時的に父のもとで暮らすことになった。けれども、家族とはいえたまにしか会わなかった仲だ。次第に関係がギクシャクしてきたので、高校進学を機に僕は下宿先で一人暮らしをすることになった。

 

あのペンダントは、そんな時に見つけた。赤いハート型のロケットペンダント。中には僕が小学生の時に撮った家族写真が入っている。

 

引っ越しのため自分の荷物を整理していた時、机の引き出しの奥底に落ちていたのだった。もらった時はこんなペンダントを土産にするなんて、と不機嫌になって放り投げたのを覚えている。けれど、母を失った今、彼女のくれたものは全て宝物になっていた。例えどんなものでも、母と過ごした思い出が蘇ってくるからだ。

 

一人暮らしを始めて1年近く経った今でもそれは変わらない。僕はペンダントを失くさないよう大切に枕元に飾り、事あるごとに写真を眺めては母と過ごして日々を思い出していたのだった。

 

僕のことを一番に考え、優しかった母さん。

 

また彼女に会えたら、どれだけ幸せなことか。

 

母さん…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……子よ、…我が子よっ!」

 

目を開けると、目の前には酷く泣きじゃくっているトリエルの顔があった。あれ、僕は死んだんじゃなかったのだろうか。その隣にはキャラが立っていて、深い溜め息をつくとやれやれといった様子で軽い笑みを浮かべる。

 

僕は自分の腕を見てみた。服の袖は黒い煤だらけの上、所々が焦げて穴が開いている。でも、そこから覗ける皮膚には目立つような傷はなかった。脚や体も見たものの、同様に服が酷くボロボロになっている割に怪我はしていないようだ。

 

「今にも事切れそうだったきみに、トリエルがマモノのアメを飲ませたんだ。戦う前にナップザックを壁際に投げていたろ?あれから引っ張り出したんだ」

 

僕の体に縋りながら嗚咽を漏らすトリエルに代わって、キャラが事の顛末を説明してくれた。なるほど、確かにあの傷では到底助かりそうもなかった。なのに、こうして生きているということは、回復アイテムの効果以外には考えられない。慌てて持っていたナップザックのおかげで、僕は命拾いしたのだった。

 

でも、結局トリエルを説得することはできなかった。傷は回復しているものの、体は極限までの疲労で動きそうもない。この後彼女は扉を破壊するだろうが、僕にはもうどうすることもできないのだ。悔しさがこみ上げるものの、これも全て自分が招いたこと。僕はあまりに無力だった。

 

「…ごめんなさい、我が子よ。あなたを傷つけるつもりは本当になかったの」

 

すすり泣きをしながら、トリエルはそう言った。手を伸ばし、僕はそんな彼女の背中をそっと撫でる。あなたは何も悪くない。悪いのはこんな思いを繰り返し味わわせた自分だ。けれども、そんなことを言っても彼女には何も分からないし、信じてもくれないだろう。僕はこうして、ただ背中をさすってあげることしかできないのだ。

 

「なのに、私ったら…。ほんとに馬鹿ね。守りたいはずのあなたを、殺そうとしてしまうなんて」

 

懸命に首を振った。溢れ出す涙に潤み、悲壮感に満ちたトリエルの瞳は自分をじっと見つめている。

 

「あなたは強かった。私なんかよりも…。私がやっていたのは、ただ自分を守りたいがための行動だった。これ以上、私が傷つかないように。あなたの事なんて、これっぽっちも考えていなかったのよ」

 

「……。」

 

僕は何も答えることはできなかった。そんな状況を招いたのは、他でもない自分だからだ。でも、彼女は気丈に振る舞うとこう言った。

 

「……やりたいことがあるんでしょう?この扉を越えた向こうに。私と戦って、こんな目に遭ってまでもやり遂げたい大切なことが」

 

「…はい」

 

「だったら、行きなさい…。それがあなたの望むことなら、私は応援するわ」

 

思わず目を丸くして驚く僕。気づくと瞳は涙で潤み、泣き出しそうになっていた。

 

信じられなかった。こんなに悲惨で辛い目に遭っているのに、トリエルは自分を送り出してくれると言ったのだ。底深い彼女の愛情に、ついにこらえきれなくなった自分の頬を、大粒の涙が伝う。

 

「泣かないで。いいのよ、私は何があってもあなたを応援するから。だけど、これだけは約束して。ぜったいに、危ないことはしないで。殺されそうになったら、必ずここに戻ってくるのよ。分かった?」

 

その表情は真剣だった。僕は力強く首を縦に振り、頷く。彼女も本当は途轍もなく辛いに違いなかった。心が張り裂けそうなほどに。けれどもこうして僕を行かせてくれるのは、子への愛がその辛さを上回ったからなのかもしれない。

 

ふと、母さんのことを思い出した。

 

いつも、僕のことを想ってくれていた母さん。小学生だった頃、僕は友達にキャンプに誘われたことがあった。その時も、止められるとばかり思っていたのに彼女は優しく微笑んで行かせてくれたのだ。本当は凄く心配していたに違いないのに。

 

トリエルにも、そんな母の面影をどこかに感じてしまう。

 

静かに背中をさすってくれるトリエル。僕は何度も涙を拭ってこらえようとしたけれど、拭っても拭っても涙が溢れてきてどうしようもなかった。そうして、嗚咽を漏らしながら静かに泣き続ける。彼女はそんな僕の背中に手を当てて、さすり続けてくれた。僕が泣き止むまで、ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きみ、案外マザコンっぽいんだな。あんなに大泣きするなんて」

 

「う、うるさいな!あの時は感極まってたから、うっかり涙が出ちゃったんだよ」

 

「うっかりねぇ…。その割には、結構出てたと思うけど」

 

クスクスと薄笑いを浮かべながら、からかってくるキャラ。僕は顔を赤くして必死に否定しようとするものの、あの場にいたキャラには全く言い逃れのしようがなかった。彼女、何気にSっ気が強いかもしれない。今度は迂闊に弱みを見せないように気を付けないと…。僕は自分にそう強く言い聞かせる。

 

自分とキャラはトリエルの家の玄関にいた。あの後、すっかり疲れ切っていて動けなかった僕は、トリエルに抱えられて一旦家に戻ったのだ。そこで一休みして疲れを取った後、こうして用意を整えて扉の向こうの世界に踏み出そうとしていたのだった。

 

着ていた服は酷い有様になっていた。全体が黒く煤けてボロ雑巾のようになっていた上、炎の直撃を受けた背中には大穴が開いていた。これ、背中は一体どんなことになっていたのか想像するだけでも恐ろしいが、アメと彼女の魔法のおかげですっかり治癒した背中には何の痛みもなく、傷跡も残っていなかった。

 

そして、トリエルが代わりに持ってきてくれたのはここに来る前に着ていた半袖のボーダーシャツ。袖が破れて血まみれになっていたのに、跡が分からないくらいに綺麗に縫い直され、新品のようになっていた。トリエルは料理だけではなく、手芸もかなりの腕前のようだ。着てみると、ほのかなゴールデンフラワーの香りが鼻をくすぐる。訊いてみると、洗濯の時にゴールデンフラワーからつくったアロマで香りづけしているのだという。何度嗅いでも良い香りだ。

 

おやつにはチョコが出てきた。朝食前に冷蔵庫の中にあった、ブランド物のチョコレートバーだ。たしかこれは、キャラのために買っているはず。食べてしまっていいのかと心配になったものの、どうやら僕が料理中に冷蔵庫を覗いていたことが彼女にバレていたらしく、そこでおやつをチョコにすることを思いついたという。もっとも、なぜチョコを買っていたのかは話してはくれなかったが。

 

キャラは大喜びだった。自分は最初の方こそ遠慮しようとしたけれど、どうしてもチョコが食べたいキャラに促され…、というよりは腕を掴まれて半ば強制的に食べさせられた。でも、一口食べたその瞬間、濃密な甘さが舌を包み込んで思わず驚く。ミルクのまろやかな風味が口の中を駆け抜け、微かに残るカカオ独特の苦味が病み付きになるような美味しさだった。

 

そのまま止まらない勢いでパクパクと食べ続けた結果、あっという間にチョコレートは無くなる。すっかり大満足になったキャラと僕は、頬っぺたを押さえながらしばらく至福の笑みを浮かべた。

 

そのあと、粗方の準備を整えた僕は、ナップザックを背負うとトリエルに挨拶するために玄関に立っていた。けれども、いつまで経っても彼女の来る気配はない。チョコを食べた後、「少し待ってて」と言い残して自分の部屋に籠ってしまった彼女。変わった様子はなかったものの、少しだけ心配になってしまう。

 

「すっかり遅くなってしまったわね。お待たせ!」

 

すると、扉が開いて中からトリエルが慌てた様子で出てきた。その手にはオレンジ色のマフラーが握られている。

 

「はい!プレゼントよ。扉を抜けた先にあるSnowdinはとても寒い場所。そんな服だけじゃすぐに風邪を引いちゃうわ。せめて、このマフラーを使ってちょうだい」

 

トリエルはそう言って、マフラーを手渡してくれた。毛糸で丁寧に編まれたそれは、手で持っただけでもふかふかで気持ち良い。試しに巻いてみると肌触りが最高で、すぐにホカホカしてきた。これなら、Snowdinの寒さも耐え切れるかもしれない。

 

「ありがとう!」

 

「いえいえ、いいのよ。あと、これもあげるわ。ポケットから小銭がチャリチャリする音が聞こえたから、不便そうだと思って用意したの。気に入ってくれるかしら?」

 

トリエルが懐から取り出したのは、青い小さな小銭入れだった。しっかりとしたガマ口がついているので、コインがこぼれ落ちる心配はない。やっぱり、トリエルまじ優し過ぎる。丁度欲しかったので、このプレゼントは本当に有難い限りだった。しかも、中を開けてみると10枚ほどの金貨が入っている。ざっと数えて100Gくらいだ。

 

「え!?こんなにもらっちゃっていいの?ありがとう!」

 

感謝を告げると、トリエルは笑顔で返してくれた。僕は手持ちのコインも中に入れると、ポケットの中へとしまう。小銭入れのおかげでポケットの中でコインが暴れる心配もなく、これでお金を落とすことに怯えながら歩くのは避けられそうだ。

 

「じゃあ、僕、そろそろ行くよ」

 

「そう…。気を付けて行ってくるのよ。困ったことがあったら、携帯に電話してね。絶対に出るから」

 

「うん!」

 

僕は元気よくそう答えると、トリエルに力いっぱいに手を振りながら地下に通じる階段を降りる。彼女も涙を見せずに満面の笑顔で手を振り、僕を見送ってくれた。

 

 

 

 

 

 

「何はともあれ、無事に彼女を説得出来て良かったね」

 

「まあね…。一時は駄目かと思ったけど、やっぱりトリエルは本当に優しいよ」

 

「そりゃ、私のマ…、母さんだからね」

 

いま絶対ママって言おうとしただろ、と突っ込みたくなったがやめておいた。僕とキャラはいま、扉までの長い地下通路を歩いている。前に来たときは必死で走っていたためか一瞬で扉まで着いたものの、いざ歩いてみると意外に距離があった。

 

ふと、キャラにとってのお母さんはトリエルなのだろうか、と考えてみた。ゲーム中では明確に描写されてはいないものの、Pルートのアズリエルの話からは彼女が地上で過酷な運命に置かれていたことは想像に難くない。とすると、彼女は当の昔に生みの母親なんてものは忘れているのかもしれない。もしくは、思い出したくもないのかも。育ての親であるトリエルをママと呼ぶのは、そのためかもしれない。

 

悲しい話だった。

 

結局、彼女は地上の人間への恨みから自ら命を絶ってしまった。あのトリエルの愛をもってしても、彼女を憎しみから救うことはできなかったのだ。

 

「母さんはたまに厳しいこともあったけど、私のことを考えてくれて優しかったな…。料理とか服はもちろん、酷い風邪を引いたときも必死で看病してくれたよ。まるで、本当の母さんみたいに」

 

キャラは遠くを見るような目で、懐かしい思い出に心を馳せるように言った。もしかすると全く救えなかった訳でもないのかもしれない。思い出に浸る彼女の顔には、どこか物悲しさも滲み出ていた。彼女も一概に、ドリーマー家と過ごした日々を単なる家族ごっこだと切り捨てているわけではないらしい。

 

彼女の選択が違ったら、別の未来もあったのだ。キャラがドリーマー家とずっと暮らし、平穏な世界が訪れていたかもしれない未来が。そこではアズゴアが苦しみに溺れることも、6人の子どもの命が奪われることも、トリエルが我が子を失う悲しみを味わうこともなかったはずだ。

 

でも、時というものは一方向に流れる。一度起きてしまったことは、取り返しはつかないのだ。キャラももしかすると、やり直したいと考えているのかもしれない。ドリーマー家と幸せに暮らす未来を望んでいるのかもしれない。けれどそれは、彼女には叶わない話だった。

 

しかし、自分にはその力がある。今のところその力の世話にはまだなっていないが、これまでのセーブポイントを見る限り、その可能性は高いのだ。

 

ならば、この力を自分のためではなく皆のために使わなければならない。制約はあるものの、少なくとも自分のいるこの世界だけは、誰も苦しむことのない幸せなものにしたい。その中にはもちろん、これまで自分の身勝手な行為に散々振り回された挙句、決意を砕かれてしまったフリスクも含まれる。

 

「おーい、大丈夫か?」

 

気づくとキャラが訝しげに見つめてきていた。考えているうちにいつの間にか、扉の前に着いていたようだ。

 

ゆっくりと扉を開ける僕。その先には真っ直ぐな通路がさらに奥まで続いていた。再び歩き始める中、僕は思考を巡らせる。

 

今回の事で分かったのは、この世界はゲームとは必ずしも同じではないということだった。それはプレイヤーである僕がこの世界に落ちている時点で自明だけれど、それだけではなくトリエルなど、明らかに僕がこれまで繰り返した数えきれないほどのリセットの影響が表れている。

 

だとするとこの先もおそらく、リセットの影響が表れている可能性が高い。今のところこの世界の基本的な法則は変わっていないが、それすらもこの先保たれる保証はないのだ。最悪、MERCYできない相手が出てくる可能性すらある。そうなってくると流石に手の打ちようがない。また、トリエルのようにMERCY条件が変わってくる可能性は十分にあり得る。

 

とすれば、この先の道のりも困難になることは避けられないだろう。何としてもこの決意で、皆を救ってみせる。覚悟を決めた僕は、目の前に現れたもう一つの扉を開いた。

 

そこにいたのは一輪の、あの忌々しい花だった。

 

 

 

「賢いねぇ。とっっっっても賢いねぇ。」

 

 

 

聞こえてくる甲高いフラウィの声。そこは最初にフラウィに会った場所のように、天井からの光が部屋の中央にだけ差し込んでいた。どうやら彼はこの部屋の中で相変わらずの嫌悪感を覚えるにやけ顔をしながら僕を待っていたらしい。わざわざご苦労なことだ。

 

「うるさいクソ花。言いたいことはそれだけか?」

 

突っ慳貪な態度でそう罵る僕。けれど、心の中では溢れ出てくる恐怖とせめぎ合っていた。ともすればまたあの出来事がフラッシュバックして、恐怖に支配されそうになる。そうなれば、まさしくフラウィの思う壺だ。心まで負けるもんか。僕は強く自分にそう言い聞かせる。

 

「誰がクソ花だ。フラウィだよ!まったく、今まで散々殺してきたクセに急におりこうさんぶって。さぞかし良い気分だろうね、この偽善者め」

 

フラウィの言葉が心に突き刺さる。彼の言っていることに間違いはないのだ。たしかに僕はどうしようもないクズで、これまでに数えきれない程リセットを繰り返しては世界を好き勝手に荒らし回った。それがいきなり自分がこの世界に来た途端、誰も殺さずに進めようと言うのだから、善人ぶるにも程があるというものだ。言うなれば、人の皮を被った悪魔という方が、しっくりくるかもしれない。

 

「で、どうするつもりだい?まさかこのまま自分の信念を貫くとか言うんじゃないだろうね?」

 

「そのまさかだけど?」

 

「へえ。人ってものはこんなにも変わるものなのかい。あれだけの悪魔がこうまでもなってしまうなんてね」

 

凶悪な目つきで嘲笑うフラウィ。僕は顔色一つ変えずに答える。

 

「きみに言われて、遅すぎるけど僕も自分のしてきたことに気づいたんだ。自分のした、とても大きな過ちに。だから僕は、せめてこの世界だけは幸せなエンディングを迎えさせたいと思ってる。それが罪滅ぼしになるかは分からないけど…」

 

フラウィはそれを聞いて一瞬押し黙ったものの、突然狂ったように笑い出した。

 

「ハハハッ!こいつは笑えるね。何を言い出すのかと思えば、そんなことなんて…。まあいいさ、好きにしていればいい。君には神様のようにタイムラインを弄ぶことのできる力、『SAVE』する力があるんだ。それを使えば、きみの望むエンディングを迎えることはできるよ」

 

「フリスクを救うことも?」

 

唐突に切り出した僕。フラウィは完全に虚を突かれたのか、驚愕のあまり固まる。

 

これは言うなればカマを掛けたようなものだった。フリスクの決意が砕けたという話はキャラから聞いているだけで、フラウィの口からは直接聞いていない。けれども、最初にフラウィにゲーム画面上で会った時、彼はフリスクに呼びかけるような言葉を話していた。僕がゲームを始めることに対して、「良かったねフリスク」と。ならば、フラウィも彼女の決意が砕けたことについて、何らかの情報を知っている可能性がある。それに、僕は賭けたのだった。

 

「……。無理さ。きみに彼女を救うことはできやしない。それを招いたのはきみ自身のはずだ。自分のしてきたことを忘れたのかい?」

 

「だからこそだ。僕は彼女を絶望に陥れた張本人。だから、僕自身じゃないと彼女を救いだせないんだ」

 

真剣な面持ちで、僕はフラウィにそう話した。やはり、フラウィも彼女の決意が壊れ、姿を消したことを知っているのだ。

 

「ふん。自分で壊しておきながら、どこまでも勝手なやつだね。流石は、ぼく以上に狂っているだけあるよ」

 

「そりゃどうも。…それよりフラウィ、きみにも何か望みがあるんでしょ。僕を落としてきたということは、何か目的があるんじゃない?」

 

「目的、ね……」

 

自然な流れで、僕はさりげなくそう訊いた。キャラの話では、僕をこの世界に落としたのはフラウィだということになっていた。ならば、フラウィにも何か目的があるはずなのだ。一番に考えられるのはキャラと同じくフリスクを救ってほしいということだろうか。

 

曲りなりにも彼も数えきれないほどフリスクと接触して、ともに時間を過ごしてきた身だ。それに、本当の彼はこんなソウルレスのモンスターではない。可能性としては限りなく低いものの、アズリエルとしての考えが彼を無意識に突き動かしたということも考えられる。

 

少しの間唸っていたフラウィだったが、おもむろに口を開く。

 

「そんなものは決まっているさ……。」

 

そう言いかける彼。珍しく弱々しい彼の態度に、つい僕は歩み寄ってしまう。だが次の瞬間、フラウィは突然俯いていた顔を上げて目を見開いた。

 

「きみが絶望して死んでいく様を見ることさ!!」

 

容赦なく向けられる恐ろしい程の殺意。醜悪な表情を浮かべて目を見開いたフラウィは、葉の陰に隠し持っていた弾を撃ち込んできた。

 

「……っ!」

 

ある程度は予想できていたこととはいえ、あまりに素早い動きに僕は咄嗟に飛び退くことしかできず、尻餅をつく。先ほどまで自分がいた場所には数えきれない程の弾が殺到し、地面に深々と抉った。

 

しまった。今ここで攻撃を受けたらひとたまりもない。

 

けれどもフラウィは攻撃する素振りは見せず、底気味悪い笑い声を響かせながら言った。

 

「よく躱したね。でも、この先はどうかは分からない。不殺を貫くなんて、そんな甘い信念で進んでいたら、死んで死んで死にまくっちゃうだろうね。それでも君がその信念を貫けるか、それとも諦めるか。ぼくは遠くからそれを見させてもらうよ」

 

フラウィはそう言うと、ニッと凶悪な笑みを見せて地面に潜り消える。相変わらず、性根の腐った奴だった。アズリエルだったという事情を知らなければ、絶対ぶん殴っていたと思う。

 

その場には僕とキャラが残された。深い溜め息をつきながら土を払い、立ち上がる僕。どういう訳かキャラはにやついていて、笑いを堪えているようだった。

 

「何か面白いことでも?」

 

「いやフラウィがさ、不器用だなって。私と同じソウルレスだから当たり前なんだけど、あのセリフ。『きみが絶望して死んでいく様を見ることさ!!』なんて、何のアニメの台詞だよ」

 

僕には全く分からないものの、彼女のツボにハマったのかしばらくキャラはクスクスと笑い続けていた。その様子は傍から見ると不気味で恐怖を感じる。でも、考えてみるとキャラとフラウィ、いやアズリエルは親友ともいえる仲だった。そんな相手が、僕相手に普段見せないような気取った態度を取っていることに笑いを堪え切れないのだろう。フラウィのあの様子を見る限りでは、まさかキャラに見られているとは思ってもいないようだったし。

 

「もうっ…。そろそろ行くよ」

 

あんまりに笑い続けるものだから、僕は怒ったようにキャラにそう言うと、目の前の重厚な扉に手を掛けた。

 

軋むような音を立ててゆっくりと開いていく扉。その隙間からは眩いばかりの白い光が差し込み、遺跡の薄暗さに慣れていた僕は思わず右腕で目を覆い隠す。

 

しばらくして目を慣らしてから開けた僕。そこに広がっていた一面の銀世界に思わず息を呑んだ。

 




変わり種です。
Ruins編はこれにて終了。次回からはSnowdin編となります。
ストックがだいぶ消費されたので、少し間が空くかもしれませんが、何卒ご了承を。
DELTARUNE公開されましたね。早速、夜更かししてプレイしてしまいました。ネタバレになるのであまり言わないですが、ゾクゾクするような興奮と衝撃に痺れちゃいました。
特に最後のシーンとか
感想等頂けると嬉しいです。今後とも、宜しくお願いします。



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Snowdin
第11話 悲しき審判者


俺はすべてを諦めていた。

 

ある日突然、何の前触れもなくすべてがリセットされる。

 

たとえ地上に出られたとしても、すぐにまた戻されてしまう。きれいさっぱり記憶を消されて。

 

だから、俺は地上に戻りたいとも思わなかった。これまでは。

 

いつからだろうか。おかしなことに、全てがリセットされたとしても俺の中の記憶が残るようになった。地上に戻ったことも覚えているし、彼女___フリスクと幸せに過ごした思い出も確かに残っている。最初は何かの間違いではないかと思った。こんなことは、この世界では絶対にあり得ることではないからだ。

 

だから、どうせ次のリセットでは今度こそ記憶は消えるのだろうと、半ば高を括っていた自分もいた。

 

けれども、それは間違いだった。何度リセットを挟んでも、俺の中の記憶は鮮明に残り続けた。いつでも目を閉じれば、脳裏にあの光景が蘇ってくる。ボロボロになった赤いマフラーに、切り刻まれた白い鎧。そして、風に吹かれて散っていく塵。

 

今思うと、記憶を消されていた頃の方が余程幸せだったのかもしれない。こうして弟が殺されることを知りながら、何度も何度もタイムラインを繰り返すこともない。それに、皆で地上に出た思い出を残しながら、同じ人間に皆を虐殺される光景を見なくても済む。それを考えると、いまは地獄でしかなかった。記憶を残したままタイムラインを繰り返すことがどれだけ残虐で耐え難いものか。俺は全てを知りながら、この無間地獄の中を生きていかなければならないのだ。

 

そして、自分が退席することはこの世界が許さない。それは自分が一番知っているはずのことだった。けれど、いくら自分とはいえここまで追い詰められると、たとえ一縷の希望だとしても縋ってしまうものだ。たとえ、それがありもしないと分かっていたとしても。

 

だが、何度試しても結果は同じ。気づくと自分の部屋に戻されていて、何事もなく時間が進む。

 

正直、絶望しかなかった。あと何回俺は、この苦しみを味わい続けなければならないのだろう。天使のような彼女の優しさを知りながら、もう一方で残虐な悪魔の恐怖に怯え続けなければならないなんて。何より、何もせずただ弟が殺されるところを見続けなければならないなんて。

 

俺は何が起こったのか懸命に調べようとした。もしかすると、また以前のようにリセットを挟むと記憶が消えるようになり、この無間地獄から解放されるかもしれないからだ。根本的な解決ではないものの、その方が今の状況より遥かにマシだった。もっとも、原因を突き止めるのは非常に困難だったが。

 

しかし、調べていく中で俺は自分たちモンスターと、フリスクとも違う第三者の存在を突き止めた。フリスクを操り、リセットをも司る、この世界を意のままにすることができる存在___“Player”を。おそらくこの出来事も、Playerが一枚噛んでいるに違いない。俺はそう推理していた。

 

だが、そこまでが限界だった。Playerはフリスクを通してこの世界を観察し介入するが、それは一方通行で自分の側からPlayerを見ることもできなければ触ることもできない。いわば神のような存在だった。唯一、セリフを通して意思疎通を図れるものの、イベント外の発言は厳しく制限され、その発言がメッセージボックスに表示されることはない。

 

すなわち何をしようとも、自分の側からPlayerに働きかけることはできないのだ。

 

そうしてただひたすらにタイムラインが繰り返され、世界が無茶苦茶に弄ばれていく。いったい何十回、いや何百回、弟が殺されるところを見ただろうか。そして、いったい何千回彼女と友達になったり、惨たらしく殺してやったりしただろうか。

 

もはや数え切れるものではなかった。

 

タイムラインを回るたびに俺の心は擦り切れていき、正気すら保てなくなりつつあった。ジョークなんて到底話す気にはならなかったし、ともすればパピルスにすら当たり散らしそうになった。グリルビーズにも顔を見せず、部屋に籠りっきりになることも増えた。俺の心はもはや崩壊寸前だったのだ。

 

だから俺はある時、禁忌を犯した。審判者としての義務を放棄して。

 

それからだろうか。彼女が現れることはなくなり、セーブやロードがなされることもなくなった。タイムラインは乱れることなく一直線に流れ続け、平穏な時間が流れ続けた。弟が殺されることもなければ、何度もあの真っ赤な返り血を浴びなくても済むようになった。

 

ようやく、待ち焦がれていた元通りの生活を取り戻すことができたのだ。俺はグリルビーズに通えるようになったし、パピルスともいつも通り上手くやっている。最高に冴えたジョークも決まるようになった。だがしばらく経った頃、俺はふと考え始めた。

 

本当にこれでよかったのだろうか、と。

 

来る日も来る日も悩み続けた。あれからもう1年も経とうとしているのに、彼女は一向に現れない。本当に自分は正しいことをしたのだろうか。ベッドに横になれば、脳裏に蘇ってくるのは彼女の純粋で優しい笑顔。朝には枕が涙で濡れていることが多々あった。

 

こうしなければ、俺はずっとあの地獄の中に取り残されていた。

 

そのたびに俺は自分にそう言い聞かせてきた。でも、この感情と涙だけは止めることはできなかった。再び彼女に会いたい。そんな思いが日に日に募っていく。しかし、それが叶うことはこれまでに一度もなかった。そう、今日までは。

 

いつものように遺跡の扉の前に来ていた俺の目に映ったのは、見慣れた青いボーダーの服を着た人間の子どもだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ、寒い……。」

 

遺跡の扉から足を踏み出した僕、いや僕らはSnowdinに通ずる森の中をひたすら歩いていた。地面には雪が降り積もり、白銀の道がどこまでも続いている。周りには背の高い針葉樹がびっしりと生えていて、空を見上げても大部分が樹々の枝に覆い隠されていた。濃緑色というよりは黒に近い葉のせいで、辺りは薄暗くどこか不気味だ。怖いほど静かな森の中には、自分の息の吐く音と微かな風音しか聞こえない。

 

「馬鹿だな。トリエルから上着でももらっておけば良かったのに」

 

隣を歩くキャラが鼻で笑った。正直、冬の寒さを軽く見ていたかもしれない。ふかふかのマフラーがあるとはいえ、やはり半袖でこの寒さはかなり堪えるものがあった。気づけば鼻水が垂れてくるし、体はすっかり震えている。吐く息は途端に真っ白になるけれど、それを楽しむだけの余裕はなかった。

 

キャラはというと、相変わらずの暖かそうなセーターとシャツの組み合わせのおかげか寒さなんて全く意に介していないようだった。そもそも、自分にしか見えないお化けみたいなものなのだから、寒さを感じているのかすら怪しいけれど。でも、彼女の暖かそうな恰好を見るとつい羨ましく感じてしまう。

 

「何じろじろ見てるんだい?暖かそうだって?」

 

「いや…別に……」

 

そう言って誤魔化す僕。Snowdinに着いたら、真っ先にホテルに行って暖を取ろう。そんなことを考えている時だった。

 

突然、後ろに落ちていた枝が音を立てて折れた。瞬時に振り返るものの、そこには誰の姿もない。

 

普通に考えれば、怯えて逃げ出してもおかしくない出来事かもしれない。けれども、これまで数えきれないほどこのゲームをプレイしている自分には、これが誰の仕業で、そこに誰がいるかは分かっていた。なので、敢えて僕は来た道を戻って尾行者を探ることをせず、そのまま進み続ける。キャラも分かっているのだろう。凍り付いたような笑みをさらに深めて、僕の隣を歩き続けている。考えてみれば、彼女にとっても因縁の相手なのかもしれない。

 

暫く進むと、目の前に木でできた粗末な橋が現れた。下は谷のようになっていて、薄暗いせいか底が見えない。橋の真ん中あたりには自分の背の倍はあろうかという木製の大きな柵が渡されていたものの、格子の隙間が大き過ぎるせいで柵の意味を成していなかった。ここは相変わらず、ゲームのままらしい。

 

一度立ち止まった僕は、再び進もうと橋の上に足を踏み出す。その時、不意に後ろから足音が聞こえてきた。胸がざわつき、口の中が乾いてくる。

 

締まった雪を踏む独特のザッ、ザッという足音が、徐々に近づく。相手が分かっているとはいえ、緊張せずにはいられなかった。冷や汗が頬を伝い、顎から地面に滴り落ちる。僕は振り返らず、その場にじっと立ち止まっていた。

 

やがて、足音が止まる。

 

「人間。ここでの挨拶の仕方を知ってるよな?」

 

低く落ちついた声が響く。同時に言いようのない妙な威圧感があり、僕は思わず息を呑んだ。

 

「こっちを向いて俺と握手しろ」

 

極度の緊張の中、促されるがままに僕はゆっくりと後ろを振り返る。

 

差し伸ばされる青い袖。その中から覗ける指先は、恐ろしいほどに蒼白だった。意を決した僕は、慎重に手を伸ばす。そして、相手の手を掴んだ瞬間

 

 

 

 

 

プゥゥーーーー…

 

 

 

気の抜けた音が響いた。

 

「へっへっへ…ちょっと古い手だが、ブーブークッションさ。いつやっても、面白いもんだ」

 

そこにいたのは紛れもない。あのスケルトン兄弟の兄、SANS(サンズ)だった。ドット絵通りに青いパーカーに黒のハーフパンツを履き、独特のニヤついたような表情を浮かべている。何より全身が骨でできていて、服の隙間から覗けるのもすべて真っ白な骨。頭も首も手も足も、見える部分すべてだ。彼のことを最初から知っていなければ、きっと自分でも卒倒したかもしれない。

 

「ふう…」

 

思わず深いため息をつく僕。あらかじめ展開が分かっているとはいっても、相手はあのサンズだ。タイムラインがイレギュラーなこの世界では、彼もどうなっているかは分からない。いきなり自分のことを殺しにかかってくる可能性すらあるのだ。しかし、こうしてゲームと変わらずに接してくれたことに、僕は内心安堵する。

 

「そんなに驚くな人間。俺はSANS。スケルトンのSANSだ。ここで人間が来ないか見張るってのが仕事なんだが、まあ…、捕まえようとまでは本気で思っちゃいないさ」

 

サンズは表情一つ変えず、あのニヤついた独特の笑みのまま話し続ける。ぽっかりと開いた眼窩から覗ける白い瞳は、まっすぐに自分を見つめていた。でも、相変わらずこのポーカーフェイスは何を考えているのか全く読めず、気は抜けなかった。それに、いくつか気がかりなところもある。

 

「だが、俺にはPapyrus(パピルス)って兄弟がいてな…。あいつは熱狂的な人間ハンターなのさ。多分今も向こうに居ると思うんだが、()()()()どうする?」

 

思った通りだった。所々がゲームの台詞と違っている。ゲーム通りなら、サンズはこんな風に訊いてきたりはしないのだ。でも、こうなるということは、何かしら彼もこの繰り返され続けたタイムラインの影響を受けているのかもしれない。正直、厄介だ。

 

「え、えーと…。逃げるか、隠れる…かな……。」

 

僕は今まさに思いついたかのように、戸惑ったような様子を装いつつそう答えた。即答してしまえば間違いなく怪しまれるだろうし、正解だけを口にしても警戒される可能性が高い。こう答えたのは、それらを考慮してのことだった。

 

「ほう。いい考えだな。俺も手伝ってやるぜ。ついてきな」

 

サンズはそう答えると、先に格子の間をくぐっていった。自分もそのあとに続いていく。どうやら答えとしては正解だったようだ。今のところサンズも、台詞が違うということ以外は大きな問題はなさそうだった。自分の正体にも気づいている様子はない。

 

《そうとも限らないよ。何たってあのクソ骨のことだ。絶対、何か企んでる》

 

僕の思考を読んでいたのか、サンズに聞こえないようキャラが直接頭の中に話しかけてきた。地味にサンズのことをクソ骨と呼んでいて、剥き出しの敵意が実に恐ろしい。僕もサンズに悟られることのないよう、頭の中で彼女に訊く。

 

(何かって、何さ?)

 

《それは分からないな。けど一つ言えるのは、警戒を怠らないことだね。奴に隙を見せたら最後、最悪な時間(bad time)を過ごすことになるから》

 

(言われなくても、それは分かってるよ)

 

確かに彼女の言うことにも一理ある。サンズが油断ならない相手だということは、彼女はもちろん自分もゲームを進める中で痛いほど分かっていることだった。なにせフラウィの話にすら、彼は要注意人物として出る程なのだ。この世界について恐ろしいほどの知識を持つ彼のことなら、自分の正体を見破られてもおかしくはない。もしそうなれば、彼女の言う通り最悪な時間を過ごすハメになるのは明らかだった。考えるだけでも恐ろしい。

 

橋を渡ると、森が少し開けてきた。奥には三角屋根の簡単な小屋が建っているほか、その手前には奇妙な形をしたランプが無造作に置かれている。その形といいカラーリングといい、お世辞にもセンスが良いとは言えない。でも、大きさは確かに自分が隠れるのにはぴったりだった。いくらなんでも、都合が良過ぎる気がする。

 

「急げ、あのちょうど良さそうな形のランプに隠れるんだ」

 

「う、うん…」

 

言われるがままに、僕はランプの後ろに身を隠した。正直、こんな隠れ方じゃすぐにでもバレてしまう気がしたけれど、そこは彼を信じることにする。キャラはというと、他人からは見えないことをいいことに全く隠れもせず、不気味な笑みを浮かべたままサンズを睨みつけていた。はっきり言って、怖い。

 

隠れてすぐに、走ってくるような足音が聞こえてきた。たぶんパピルスのものだろう。一度は姿を見ておきたかったけれど、下手にランプから身を乗り出すわけにもいかないので、僕はその場にじっとしていた。

 

「よぉ、兄弟」

 

「なーにが『よぉ、兄弟』だって?あれからもう八日も経ってるというのに…。お前のパズルは未完成じゃないか。様子を見に来れば持ち場も離れてほっつき歩いてて!一体何をしてたんだ!?!」

 

「ランプを眺めてたんだ。最高にクールだぜ。お前も見たいか?」

 

一瞬で身の毛がよだつ。わざわざ自分が隠れているところに関心を向けさせるなんて、いったいどんな神経をしてるんだよ。あのクソ骨め。

 

いつの間にか、自分までキャラみたいに恨みが溜まっていることに気づいた。

 

「なわけあるか!!そんな事に時間を使う暇はない!!」

 

幸い、パピルスはゲーム通りの対応をしてくれた。ここで見つかってしまったらシャレにならない。まあ、どのみち後で見つかることは避けられないけれど、イレギュラーな出来事は避けたいのが本音だった。上手く対応できる自信が全くないからだ。

 

パピルスはそのあと、自らの希望を熱く語り始めていた。人間を捕まえて、全てを手に入れること。尊敬の眼差し、賞賛の嵐、そして王国騎士団の一員となること。そして、皆から友達になりたいと頼まれ、毎朝の目覚めにはキスのシャワーを浴びること。

 

傍から聞いていると、正直ニヤニヤしてしまうのを止められなかった。別に彼のことを馬鹿にしているわけではない。本当にパピルスなんだな、と実感していたのだった。あまりに純粋で無邪気な考えが眩しい限りで、自分には到底思いつきそうもない。

 

なのに、僕は数えきれないほどそんな彼の善意を踏みにじってきた。差し伸べられた手を掴まず、彼の気持ちをことごとく裏切ってきたのだ。次第に心が締め付けられ、彼の話を聞くのが辛くなってくる。僕は耳を塞いで彼が去るのを待った。

 

《やれやれ。そんなことをするくらいなら、最初からやらなきゃよかったのに。まあ、そそのかしたのは私なんだけどね》

 

そんな僕の様子を、キャラはクスクスと嘲笑った。こればかりは、いくら嘲笑されても仕方ないことだった。

 

しばらく経つと、再び忙しない足音が聞こえる。どうやら、パピルスが立ち去ったらしい。

 

「よし、もう出てきてもいいぞ」

 

サンズに言われ、僕はゆっくりとランプの陰から出る。パピルスの事でこれまでの自分の罪を思い出し、すっかり気分は沈み込んでいた。

 

「どうしたんだ?そんな浮かないカオをして。まさか、ランプを指されたことを根に持ってるのか?」

 

顔に出てしまっていたのか、サンズにそう心配された。確かにランプを指された件は腹が立たなかったかと言われれば嘘になるけれど、怒り心頭というほどではない。気分が沈み込んでいるのはそんなことが理由ではないのだ。答えに困っていると、サンズは「ふっ…」と軽く笑って口を開く。

 

「そんな顔すんなって。怖がるものなんて何もないぜ。暗い地下にスケルトンと恐ろしいモンスターが沢山いるだけじゃないか」

 

「う、うん…」

 

彼なりのジョークなんだろうけど、全然シャレになっていない。むしろ逆効果だと思う。僕は思わず苦笑いを浮かべた。

 

「ほら、笑顔になったじゃないか。その調子だ、坊や」

 

サンズはそう言うと、頭をぽんと撫でてくれた。固くて冷たいスケルトンの骨。どこか不思議な感じがする。

 

僕は彼に軽くお礼をすると、再び森の中へと進もうとした。でもその時、不意にサンズが引き留めてくる。すぐに振り返る僕。その一方で、キャラはあからさまに大きな舌打ちをしてヒヤッとした。サンズには聞こえていないのが幸いだ。

 

「なぁ、ちょっと頼みを聞いてくれないか?」

 

「うん、いいよ」

 

「最近…どうも兄弟の元気がないようでな。あいつは人間を見たことがなくてな、お前さんをみればはしゃぐかもしれない。心配するな。あいつは危険な奴じゃない。本人はそう思ってないだろうけどよ」

 

顔は変わらず凍り付いたようなニッとした笑みを浮かべているが、声は真剣そのものだった。僕は神妙な面持ちで答える。

 

「はぁ…。じゃあ、パピルスに会ってあげればいいの?」

 

「まあ、そんなところだ。会って、兄弟に少し付き合ってやってくれ。頼んだぜ」

 

サンズはそう言うと、Snowdinとは逆方向の道を歩き出していく。その場に残された僕とキャラは首をかしげて互いに顔を見合わせると、静かにSnowdinへ続く道を進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの子供を見送った俺は、小雪の舞う森の中を歩きながら考え込んでいた。

 

また、イレギュラーな出来事が起こった。再び現れた子どもはあろうことかフリスクではなかったのだ。今までどのタイムラインでも見たことのなかった、フリスク似の少年。服装こそ半袖という違いはあるものの、彼女似のボーダーに半ズボンで、独特の細目までそっくりだった。これは似ているというレベルではなく、瓜二つに近いかもしれない。

 

何故、こんなことが起こったのか。

 

俺は思考を巡らせる。最初に思いついたのは、あの少年が彼女の()()()ということだった。やはり“あの出来事”が原因で彼女の存在そのものが失われてしまい、その代わりとして彼が現れたのだろう。本当のリセットを挟んでも記憶が消えない異常な世界であるここでは、そんなことが起こったとしてもおかしくはない。時空を含め、この世界の万物は矛盾を解消する方向に流れていくものなのだ。彼女の存在が消えたのなら、それに代わる存在を生み出してしまえば良いというわけだ。いわば、第2のフリスクといったところだろう。

 

もう一つ考えられるのは、彼がフリスクとは全く違う出自を持った存在である可能性だ。この世界のルールに縛られず、自由に物語を書き換えてしまうことのできる存在。フリスクとは全く違う人間だと考えれば、これまでの流れの制約を一切受けずにこの世界を操ることができるのは当然といえるだろう。なぜなら、それはもはや別の物語になるからだ。

 

前者のように彼があくまでフリスクの代わりであるなら、進む道は3つしかない。誰も殺さない平和な世界を目指すか、多少の犠牲の上で地上に戻るか、皆殺しにするか。少なくとも先ほど見た限りでは、彼のLVは1になっていた。

 

ということは、皆殺しという最悪の結末は避けられる可能性が高い。でも、後者の場合はどうだろう。彼はこの世界の基本概念にない予想外の行動を起こすかもしれない。その結果、これまでに見てきたようなエンディングではなく、また違った結末を招くかもしれない。そしてその中には、今までより過酷で最悪な結末が含まれる恐れもある。

 

可能性としては前者の方が高いだろう。だが、今までの出来事を考えるとそうも言ってはいられない。あの時俺は、本来話すべき内容から逸脱した話を彼にしていたのだ。普通であれば制約に抵触し、俺の発言は声になることはない。けれども、予想に反して俺は問題なく発言でき、あの少年もそれを理解して答えてくれた。

 

ということは、あの少年は後者のようにフリスクとは全く別の存在と考えた方が正しいということになる。自分たちを破滅に導く悪魔であるという可能性も、あながち否定はできないのだ。

 

だとすれば、黙ってみているわけにはいかない。

 

せっかく、この世界を手に入れたのに、みすみすこの幸せを奪われるわけにはいかないのだ。

 

そして…

 

左目から、一筋の涙が零れ落ちる。脳裏に蘇るのは、彼女の天使のような純粋な笑顔。また、あの幸せな日々を送ることができたら、どれだけ幸せなことか。

 

彼女のためにも、あの少年には好き勝手なことをさせるわけにはいかない。

 

決意を秘めた左眼が、青く燃え上がった。

 




変わり種です。
お待たせしました、Snowdin編スタートです。
相変わらず更新ペースはゆっくりですが、お楽しみ頂けると幸いです。
今後とも宜しくお願いします。


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第12話 忠告

思いのほか間隔が空いてしまった...


「それにしても、サンズはやっぱ苦手だな…」

 

雪道を歩きながら、僕はぼそっとそう呟く。サンズ自体はあの独特のクールな雰囲気といい、Gルートの最終決戦といい、個人的にはUndertaleの中でも一番好きなキャラクターだった。ただ、実際に会うとなるとそれは違ってくる。あの勘の鋭さと何を考えているのか分からない不気味な笑み。特に自分の置かれた立場を考えると、それは尚更だった。

 

「だろうね。私だって、いったいどれだけあいつに串刺しにされたか。大体きみ、操るの下手過ぎ」

 

「へ?」

 

恨みがましいキャラの言葉に、思わず僕は訊き返す。

 

「サンズ戦だよ。あれ、ほぼフリスクと私は一体化してるようなものだから、痛みが直で来て辛いんだよね。しかも、きみが何度もしくじるもんだから、それはそれは地獄だったよ」

 

それを聞いて薄っすらと記憶が蘇る。確かにあの戦いは難しいなんてものじゃなかった。不死身のアンダインもかなり苦戦したけど、サンズはそれ以上だった。そもそも初っ端の攻撃を生き残るのも大変なのに、その後の鬼畜のような連続攻撃と憎たらしいスリップダメージ。最終的には半ば攻撃パターンを暗記するような形でクリアしたけれど、その時には50回近くやっていた気がする。

 

こうも直接的に下手糞とまで言われると癪に障るものの、彼女が受けた痛みを考えると何も返す言葉はない。

 

「あれは一度、きみも味わってみるべきだよ」

 

「いや、それだけは遠慮しとく」

 

僕は即答した。画面で動いていたのはソウルだからまだ見ていられたけど、実際の光景を考えるとあれは中々恐ろしいものがある。足場から落ちれば即串刺しだし、ガスターブラスターを食らえば消し炭になるのは必至だ。それをこの体で受けるのは、何が何でも嫌だ。

 

道の先にはセーブポイントの黄色い光が見えてきた。今度のセーブも特に迷うことなく、一瞬で完了する。ここでは確か、『あのランプの都合の良さにあなたは決意で満たされた』というようなメッセージが表示されたはずだ。初めて見た時は、少し吹き出してしまったのを覚えている。

 

頭上に表示される黒画面がまた更新された。

 

『Tsuna LV1 1632:06 Snowdin-箱通り』

 

気づけば1日以上が経っている。トリエルの家で一夜を過ごしたのだから、当然と言えば当然だった。箱通りという名前の通り、道の先には看板とともに大きな木箱が見えてくる。確かアイテムを自由に預け入れすることのできる箱で、この先に存在する別のボックスからでも中のアイテムを出し入れすることのできる便利な代物だ。

 

ボックスに近づいた僕は、静かにそれを開けてみた。中にはやや擦り切れているものの丈夫そうな革手袋が入っている。文字通り『丈夫なグローブ』というような名前だったはずだ。つけると攻撃力がやや上がったように記憶していたけど、いまは誰かを傷つける気はないので必要ないだろう。

 

でも、閉めかけたところで僕の手が止まった。

 

寒い。とにかく寒すぎる。

 

指先を見れば赤紫色になっていて、既に感覚が鈍くなってきている。このままだと下手すると凍傷になりかねない。空を見上げればいつの間にか小雪が舞い、風も少しだけ出てきた。地下世界のはずなのに摩訶不思議極まりないけれど、Ruinsのことも考えるとこれがこの世界の普通なのだろう。うん。

 

結局ボックスを開け直した僕は、グローブを手に取るとはめてみた。やっぱり手袋があるだけで体感が全く違う。最初のうちは冷え切っていて辛かったものの、しばらく手を開いては閉じてを繰り返していると、だいぶ温まってきた。手袋の効果は抜群のようだ。攻撃には使わないにしろ、これはSnowdinを抜けるまでははめていてもいいかもしれない。

 

そのまま先へ進もうとする僕。その時、一瞬だけ辺りが暗くなる。

 

「なんだ?」

 

すぐに空を見上げてみるものの、そこには誰の姿もない。いったい何だったのだろうと首をかしげていると、突如として強い風が吹き、たちまち辺りの雪が舞い上がった。あまりの激しさに目も開けられず、僕は右腕で顔を隠す。吹き付けてくる雪は異様なまでに冷たく、一気に体が冷えた。

 

それでも、案外すぐに風は収まり、僕は顔を覆っていた腕をゆっくりと下げる。すると、すぐ目の前には自分の背丈はあろうかという一羽の大きな鳥____Snowdrakeが立っていた。彼は黄色の派手な嘴をしばしば動かしながら、好奇の眼差しで自分を見つめてきている。その顔の真ん中には雪の結晶のような奇妙な飾り羽が生えていて、青い体色もあってか見ているだけでも寒気がしてくる。

 

「”冷”血に戦おう!」

 

いきなりダジャレをかましてくるSnowdrake。これは、一戦を交えるのは避けられないかもしれない。僕は足を広げて姿勢を低くし、戦闘態勢を取る。でも、Snowdrakeはいつまで経っても攻撃する素振りを見せず、何かを待っているようだった。そこで僕は思い出す。

 

確か彼はコメディアンであり、観客を引き止めるために戦っていたはず。ならば、こっちもジョークで対抗するのが筋ってところだろうか。といっても、そうそう駄洒落なんて思いつきそうもない。懸命に頭を捻った僕はしばらく考え込み、思いついた駄洒落をすぐに口に出す。

 

「MERCYするか悩()()()()!」

 

あ、これシャレにならんやつだ……。

 

言い終わってから後悔するけれど、もはや時すでに遅しだ。それを聞いたキャラは目を点にして呆れ返っている。でもその一方で、意外にもSnowdrakeはクスクスと笑ってくれた。反応が良くて一安心する。

 

「は…は…。まぁまぁかな」

 

そう言うと、Snowdrakeは大きく羽ばたいた。またたく間に雪が舞い上がるとともに、翼から生み出された不規則な風の流れが寄り集まって銀色の刃を形作る。三日月型のそれらは風の流れに沿って次々と空気を切り裂き、自分に襲いかかってくる。

 

とはいえその軌道はブーメランのような円弧状なので、あのトリエルの攻撃に比べると動きを読むことは容易かった。僕は刃の流れを見ながら右へ左へ体を動かし、押し寄せてくる連続攻撃を回避する。足場が雪で不安定なのがやや気がかりなものの、今のところは大丈夫そうだ。やがて攻撃が止み、Snowdrakeは静かに羽を畳む。

 

次は何の駄洒落を言おうか…。さっきはちょうどよく思いついたけど、今度ばかりは全く思いつきそうもない。そうしている間に、みるみるSnowdrakeの機嫌が悪くなっていく。こうなったら、もう適当に言うしかない。

 

「アルミ缶の上にあるみかん!」

 

「それは前に聞いたぞ」

 

まじか…。

 

やっぱり、どこかで聞いたことのあるような普通の駄洒落では通用しないらしい。というか、『アルミ缶のうえにあるみかん』は人間界だけではなくモンスターの世界でも共通なのか?むしろそっちのほうが驚きだ。みかんはもちろんだけど、アルミ缶なんてこの世界にあるのだろうか…?

 

一方のSnowdrakeは軽く咳払いをすると、ポーズを決めて渾身のダジャレを披露する。

 

「氷の駄洒落は“スノー”プロブレム」

 

「おー、うまい!」

 

すぐに拍手をして歓声を上げる僕。一方、キャラは底なしの悪寒にでも襲われているのかすっかり青くなっていて、心なしか自分を見つめる目まで冷たかった。別にそこまでつまらなくもないと思うんだけど…。もしかして、僕までちょっとズレちゃってる?

 

つづいてSnowdrakeの攻撃が始まり、彼は再び翼をはためかせて無数の刃を生み出していく。放物線を描いていた先ほどとは違い、今度の軌道は直線的で前後左右から一直線に三日月の刃が通り過ぎる。スピードこそ早いものの、刃の進む方向さえ見ていれば何も問題はないはずだ。僕は腰を落として姿勢を低く保ち、いつでも対応できるようにして意識を集中させる。

 

前から来た刃の一撃をサイドステップで躱し、続いて右から来た刃を軽く身を捩って躱す。続いて背後と正面からの同時攻撃を避けるべく、再びサイドステップを決めようとする。その時だった。

 

「ひゃっ……!?」

 

まるで漫画みたいにツルッと足が滑り、見事なまでに尻餅をついてしまったのだ。さっきより軌道が簡単だったので油断して、雪の下に氷が張っていたのを見逃したのかもしれない。地面に打ち付けた部分はかなり痛むものの、構っている暇はなかった。

 

すぐに迫っていた前後からの刃をその場に伏せて辛うじてやり過ごす。しかし、間髪入れずに左から迫ってきた刃には対応が遅れてしまった。すぐさま飛び上がって身を翻し、躱そうとする僕。でも、間に合わずに避け切れなかった一撃が左腕を掠めた。最初は全然当たった気はしなかったけれど、攻撃が終わった頃になって急に痛み出す。かすり傷とはいえ、余程刃が鋭利だったのかパックリと皮膚が切り裂かれていて、血がだらだらと流れ出ている。意外に痛い。

 

「クソ、ドジったな…」

 

Snowdrakeは先ほど自分のギャグを笑ってくれたことにすっかり機嫌を良くしているようだった。僕は「ありがとう」と感謝を伝えると、彼を逃がす。間もなく猛烈な風を吹き荒ませて、Snowdrakeはどこかに飛び去っていった。

 

「あーあ…。軌道が読みやすいからって、ぜったい油断してただろ」

 

「うぅ…」

 

「いいかい、Snowdinは雪の世界だ。きみはあまり雪に慣れていないようだから言っておくけど、さっきみたいに雪の下に氷が隠れていたりなんてことはザラにあるんだ。下手したら、落とし穴みたいに深い溝にズボッと埋まることだってある。足場が不安定だから、無駄に死にたくなきゃ慢心しないことだね」

 

左手で傷を押さえながら歩いていた僕に、キャラの容赦ないお説教が浴びせられる。少し言い返したい気にもなったけど、彼女の言葉は確かにその通りなのでまったく反論できなかった。というか、それだけ知っているなら最初から言ってくれればよかったのにとも、一瞬思う。でも、彼女にそんなことなんて言えるはずもなかった。やがて説教が終わると、僕は「はい…」といかにも気だるく返事をする。

 

幸い傷の方はセーブポイント近くでエンカウントしたおかげもあって、決意の光でスムーズに回復を行うことができた。気づけば腕の傷はなくなり、流れ出ていた血まできれいさっぱり消えている。どういう理屈で傷が癒えるのか、やっぱり謎だった。

 

改めて準備を整えた僕は、気を取り直して再び前へ進み出す。

 

箱通りを抜けた頃だろうか。ちょうど道の先に2人ほどの人影が見えた。いや、正確には人間ではなくモンスターなので、その言葉は正しくないかもしれない。片方は背が低く、シルエットだけでもサンズだと分かる。もう一人はひょろりとした体格で、よく見ると赤いマフラーを首に巻いているようだった。だとすると、あれはおそらくパピルスで間違いない。

 

何やら話し合っていた2人だったが、自分の存在に気づいたらしく急にこちらを振り向いてきた。胸がドクンと脈打つ。

 

「……。」

 

だがパピルスは無言のまま、何事もなかったかのようにサンズの方を向き直る。そして、若干の間を開けてから二度見する。サンズも同じだった。再び互いを向き直る彼ら。少し間を開け、改めてこちらの方を振り返る。その繰り返しだ。三度見、四度見、五度見…。次第に残像が残るほど超高速で振り返り、その場でくるくる回り始めたので、もはや何度見なのか分からなくなった。

 

数え切れないほど見返したところで、ようやく彼らの動きが止まる。

 

「SANS、なんてこった!あれはまさか…人間!?」

 

目を丸くして驚愕しながら、こちらを見つめてくるパピルス。「あ、どうも」と、取り敢えず軽く会釈してみたけれど、それどころではないのか気づいていないようだ。サンズは相変わらずのニヤけ顔で困ったように声を上げる。

 

「あー…、あれはただの岩だと思うぜ」

 

「そっか」

 

念のためさっと後ろを振り返ってみるものの、どう考えても岩なんてない。サンズはともかく、パピルスはこれまで探し求めてきた人間が、まさか自分の目の前にいるなんて信じられないのだろう。

 

「おい、あの岩の前にあるのはなんだろうな?」

 

「そんな!!!」

 

結局誤魔化すのではなく言ってしまうんかい!思わずツッコミを入れたくなる僕。パピルスは空気が震える程の驚きの声を上げて、呆然と立ち尽くしている。すると、間もなく2人で何やらコソコソと話し合い始めた。もしかするとパピルスは人間を見たことがないので、本当にこれが人間なのかサンズに確認しているのかもしれない。ちょっとかわいい。

 

「なんてこった!!!」

 

相談が終わったのか、パピルスが再び声を上げる。この距離でこれだけ大きく声が聞こえるって、一体どれだけでかい声で話しているのだろう。

 

「SANS!ついにやったぞ!UNDYNEもきっと…俺様はついに、人気者!人気者に!!人気者になれるぞ!!!」

 

まるで無邪気な子どものように、大はしゃぎするパピルス。その様子に、チクリと僕は心が痛む。こちらに向き直ったパピルスは、軽く咳払いをしたのち腕を組んで格好良くポーズを決めると言い放った。

 

「やい人間!ここは通さないぞ!この、グレートなPAPYRUS様が、お前を止めてみせる!」

 

「はあ…」

 

「そしてお前を捕まえれば、お前は都に送り飛ばされ、そして、そして……。その後どうなるのか俺様も知らない」

 

(ガクッ)

 

少し抜けたところがあるのも相変わらずのようだった。そんなところもまた少し可愛らしい。でもまあ、現実はそう甘くはないものだ。もし僕がパピルスに捕まって本当に都に送り飛ばされでもしたら、間違いなく殺されてソウルを奪われることになる。この純粋なパピルスはそんなことは知る由もない。いや、知らないほうが彼にとっては幸せなのかもしれない。知ってしまえば、彼の目指す道は閉ざされてしまうかもしれないからだ。

 

「まあいい!ついて来い…。その勇気があるならな!!ニェッヘッヘッヘッヘッヘッヘ!」

 

独特の笑い声を上げながら、パピルスはスキップで冬道を駆けていった。やっぱりこのハイテンションには、なかなかついて行きづらいものがある。それに正直言うとこの先、彼とどう接していいか分からない自分もいた。自分が彼にしてきたたくさんの非道な行い。それを考えると、明るく接することなんて出来そうもない。

 

「ふぅ、上手くいったな。そんな悩むなって、ちゃんと目玉ひん剝いて見てやるからよ」

 

一人残されたサンズが、思い悩んでいる様子の僕を見てそう言ってくれた。見てくれるだけでなくて手伝ってほしいのが本音だけれど、流石にそれを本人に言えるわけはない。彼は「ヘヘ…」と軽く笑うと、そのままパピルスの後に続いて歩き出す。いや、()()()()()()()()()()()()()

 

突然、何かを思い出したかのように足を止める彼。ただならぬ様子に、再び心臓が脈打つ。

 

「ああ…。あと、一つ言っておくことがあった」

 

「…な、なに?」

 

ゆっくりとこちらを振り向くサンズ。その眼窩には先ほどまであった輝きがなく、底なしの闇に塗り潰されていた。自分の顔から一瞬で血の気が引いていく。本能が危険だと告げていた。

 

「兄弟には手を出すなよ…。さもなければ、最悪な目に合うことになる」

 

闇に染まっていた左目が、一瞬だけ青く光る。悍ましいまでの強烈な殺気が、容赦なく自分に突き刺さった。戦慄した僕は足が竦んでその場から動けない。恐怖で顔が引き攣り、思わず息も止まった。

 

サンズはその凍りついた笑みを深めたのち、「じゃあな…」と気だるく手を挙げると何食わぬ顔で去っていった。あまりの出来事に、僕はただその場に立ち尽くすことしかできなかった。

 

だが、やがて彼の姿が森の奥へと消えた途端、緊張の糸が切れるとともに、抑え込んでいたものが一気に限界を迎える。驚きよりも先に襲ってきたのは、恐怖だった。

 

全身の力が抜けてふらっとその場に座り込み、自分でも止められないくらいに足が震える。何度立ち上がろうとしても、体に全く力が入らない。腕も足も、まるで先に進むことを拒んでいるかのように、まるで言うことを聞かなかった。

 

「クソッ…。クソ……」

 

身震いをしながら、絞り出すような声でそう漏らす僕。なんで、こんなことで怯えきっているんだろうか。別に殺されるわけでもないのに。強く自分にそう言い聞かせるものの、あの射抜くようなサンズの眼光が脳裏に浮かぶと、再び震えが止まらなくなる。

 

「へえ..。今まで散々勝手な事してきたクセに、やっぱりサンズは怖いんだね。何もできなくなるくらいに」

 

薄笑いを浮かべながら、キャラが覗き込んでくる。

 

悔しかった。

 

キャラに馬鹿にされたことではない。サンズに怖気づき、何もできなくなってしまった自分が悔しいのだ。こんなことじゃ、ここから先に待ち構えているであろうさらに恐ろしいことに耐え切れるはずがない。自分でも思っている以上に、自分は無力で臆病だったのだ。そんな自分に、果たしてフリスクが救えるのだろうか。あれだけ意気込んだはずの決意が、瞬く間に揺らいでいく。

 

「やれやれ。操られてる時からずっと思ってたけど、相変わらずきみは臆病だなぁ。そんな決意でフリスクを助けようと思ってたんなら、正直なところ無理な話だよ。彼女はおろか、きみは一生この世界から出ることができないだろうね」

 

もはやキャラの顔を見つめることができず、僕はずっと俯いていた。ただただ、どうしようもないほどの悔しさと無力感が自分の心の中を支配する。

 

「だけど、きみはその決意でトリエルを説得し、ここまで来た。それも事実だ」

 

先ほどまでの人を蔑むような態度とは一転して、落ち着いた穏やかな声で彼女は言った。

 

「私からすると、きみは糞みたいなほどに臆病だけど、それでもここまで来れたんだ。もう少し胸を張ってもいいと思う。なにせ、きみはこれまでの恐怖に打ち勝ってきたんだから。それとも、君の決意はこんなにも中途半端だったのか?」

 

その問いに、僕はしばらく無言を貫いていたものの、ゆっくりと首を横に振った。

 

「なら、こんなところで立ち止まっている暇はないんじゃないのかい、相棒」

 

俯いていた僕の目の前に、突然手が差し伸ばされる。驚いた僕が顔を上げると、彼女は普段の不気味な笑みとは違う、温かみのある笑顔で自分を見つめてきていた。それを見て、僕ははっとする。

 

確かに自分は臆病かもしれない。でも、だからってこんなところで怖気づいていい理由にはならないのだ。恐怖がなんだ。そのせいで何もできずに、結局誰も助けられなくなってしまうことの方が、一番怖いじゃないか。

 

僕は決意を胸に秘めてここまで来ているのだ。それは、こんなにも脆くて弱いものだったのだろうか。いや、違う。

 

僕は彼女の手を掴んだ。温かい感触と、力強い手応え。徐々に心に勇気が湧いてくる。

 

自分を奮い立たせて震える手足を抑え込むと、僕は再び立ち上がった。その様子に、キャラはニコッと安心したように微笑む。

 

「ごめん。心配ばっかり掛けて」

 

「大丈夫。きみを励ますのも、私の仕事の一つだからね」

 

薄っすら浮かんだ涙を拭った僕は、彼女に心から感謝を告げた。考えてみれば、彼女がいなければきっと僕はトリエルを説得することもできず、Ruinsの中にずっと留まっていたかもしれない。彼女には感謝しても感謝しきれない思いでいっぱいだった。

 

足についた雪を払い、再びSnowdinへと進み出す僕ら。だが、歩き始めて何歩かで、キャラが思い出したかのようにケラケラと笑い出す。その顔は悪戯っ子のずる賢い笑みそのものだった。

 

なんだろうか…。何だかとっても嫌な予感がする。

 

ついに我慢できなくなった僕は、やや突っ掛かり気味に彼女に訊いてみた。

 

「なにさ!?」

 

「ハハハ…ごめん。今思い出したんだけど、扉を抜けてからきみのことをAlphysが盗撮してるの知ってるよね。さっきの女々しく泣いてたとこ、ばっちり映ってると思うよ。ご愁傷様でした」

 

ニヤけながらそう答える彼女。僕は何秒か経ってから、彼女の話した言葉の意味を理解した。

 

「ああああああああああーーーーーっ!!!」

 

すっかり忘れていた。あの根暗科学者、本当にろくでもないことしかしないじゃないか。さっきの顔が映ってたとしたら、恥ずかし過ぎて死にたいくらいだ。

 

素っ頓狂な声を上げた僕は、大慌てで辺りの森の中を手当たり次第に探し回り、隠しカメラを見つけ出そうとする。雪山を掘り起こし、針葉樹の幹を覗き込み、枝に積もった雪を叩き落とす。そんな様子を見たキャラが、さらに笑いながら煽ってくる。

 

「自業自得さ。なんたって君は救いようのない泣き虫だからね。トリエルに抱きつくようなマザコンだし」

 

「は?」

 

さすがの僕も、これには頭に来て少しばかりキレてしまった。その勢いで咄嗟に地面から雪を拾って丸く握ると、彼女に投げつける。もちろん、幽霊みたいな存在である彼女には雪玉は当たらず、ただすり抜けただけ。でも、彼女の怒りに火をつけるには十分だった。

 

「へえ…。きみは私とやり合いたいってわけだ」

 

「あ…いや、これはその……」

 

瞬く間に底気味悪いあの張り付けたような笑みを浮かべ、瞳を赤く光らせるキャラ。あれ、これはもしかして、怒らせちゃったやつ?

 

両目を光らせた彼女は右手をゆっくりと上げる。すると、驚くことに周りに積もっていた雪が徐々に持ち上がり、空中で押し固められてあっという間に無数の雪玉が形作られた。まじっすか…。

 

今までは自分の感覚だけに干渉すると思っていたのに、こうやって自然物にも干渉することができるなんて初めて知った。現象としてはおそらく、ポルターガイストのようなものだろう。

 

いや、冷静に観察している場合ではない。

 

後ずさりする僕。彼女は笑みをさらに深めると、上げていた腕を前に振りかざす。同時に浮かんでいた無数の雪玉が次々に放たれ、かなりの勢いで僕に迫ってきた。これ、普通に雪合戦とかのレベルの速さじゃないんだけど…。

 

「ちょ…、ちょっと待って!話せば分かr……痛っ!」

 

何気にトリエル並の弾幕密度な上、弾速も早いまさに鬼畜仕様の容赦ない攻撃だった。ぜったい僕、ここまで酷くやってないと思うんだけど。そもそも、キャラに当ててないし。一体これ何倍返しだよ!

 

口々に文句を言ってやりたいところだったけど、とてもそれどころではない。僕は彼女の怒りが冷めるまでの間、機関銃の如く放たれる無数の雪玉による凄烈な弾幕の中を逃げ惑ったのだった。

 



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第13話 パズルと罠

薄っすらと雪の積もる道を歩きながら、僕は冷静にさっきの出来事を振り返っていた。実の所を言えば、そのまま忘れ去ってしまいたいのが本音だった。けれども、そうやって現実から目を背けては、得られるべき手掛かりも見失ってしまう。いくら怖くても、正面からそれと向き合うことも時には必要なのだ。

 

自分の記憶が正しければ、本来あの場所でサンズはそのまま立ち去るはずだった。でも、目の前の現実は異なり、不意に立ち止まったサンズは自分を振り返ると、あの眼差しを向けてきたのだった。闇に塗り潰されたかのような、言いようのないほどに恐ろしい眼差しを。

 

そして、こう警告した。

 

『兄弟には手を出すなよ…。さもなければ、最悪な目に合うことになる』、と。

 

一瞬、自分の正体が見破られたかと思った。でも、セーブ画面から分かるように自分のLVは1で、ゲームの初めと同じ状態だった。なら、いくらサンズでも自分の正体に気づけるはずはない。

 

あの出来事から察するに、サンズはよほど弟であるパピルスを失いたくないのかもしれない。僕はそう思った。これまでゲームをプレイしていた中でも、彼の弟に対する思いは並々ならぬほどに深いことが感じ取れていたからだ。けれども、彼はたとえパピルスが戦う時も助太刀することはなく、あくまでも弟の意思を尊重していたのだった。たとえそれがGルートの中であっても。

 

でも、いまは違う。

 

彼は明らかに自分に殺意を向けていた。他でもない、弟を守るために。

 

これはあくまでも自分の推測に過ぎないけれど、彼も度重なるリセットの中で弟を失った記憶が色濃く残るようになったのではないか。それによって、もはや本来あるべき展開を無視してまで、弟に執着するようになったのかもしれない。弟を守りたい、その一心で。

 

さらにもう一つ、ある可能性も考えられる。

 

フラウィやキャラ、それにフリスクと同じように、真のリセット以前の記憶すらほぼ完全に持っている可能性だ。最後の審判やGルートでのサンズ戦から分かる通り、元々サンズはタイムラインの巻き戻しやリセットを知っていたり、この世界の理に気づいているような節もあった。彼の並外れた洞察力は、そうそう侮れるものではないのだ。それを考えると、サンズも重要なキーパーソンと見做した方がいいかもしれない。全てのタイムラインの記憶を留め、この世界の正体を知っている可能性は十分にあるのだ。

 

どのみち、この先もなかなか険しい道になるだろう。下手をすればパピルスと戦う前に、彼と一戦を交えることになるかもしれない。でもそれは、間違いなく自分の死を意味していた。それどころか、死してもなお殺され続ける無間地獄への扉という可能性さえある。彼の強さはゲームの中でも、もう嫌になるほど分かっていたからだ。

 

そうなる前に、何とか彼に接触しないといけない。そして、自分はパピルスに危害を加えるつもりは一切ないことを理解してもらわなければならないだろう。当然、彼からもこの世界に関する有用な情報が得られる可能性もあるけれど、それはあくまでも説得してからのことだった。

 

「どうだい。何かいい考えでも思いついた?」

 

「いや何も…」

 

キャラにそう答える僕。

 

そう、説得しなければいけないのは分かるけれど、あそこまでの殺意を向けてきたサンズがそうそう自分の話に耳を傾けてくれるかは疑問だった。今までの様子を見る限り問答無用とまではいかないものの、自分をパピルスを殺す危険な存在だと一方的に決めつけているようにも見える。少しでも怪しい素振りを見せたら首が飛びそうだった。

 

取り敢えず、本来の流れにしたがって進んでいくしかないだろう。パピルスがいる前では、流石に彼もいきなり自分を殺すような真似はしないはずだ。僕はそう結論した。

 

気づくと、道の左側に粗末な小屋が建っているのが見えた。いや、建っていると言うよりは置かれていると言ったほうが正しいのかもしれない。近づくと分かったものの、小屋はなんと巨大な一つの段ボールでできていたのだった。蓋の部分に当たる屋根はしっかりと閉じておらず、半分ほど開かれていて、薄く雪が積もっている。一応、カッターか何かで開けたであろう窓もついていたけれど、断面が荒れているあたり多少乱雑な作業だったのだろう。案外長い期間野ざらしになっていたのか、小屋は少し水を吸ってへたっていた。

 

「うわ、何か凄いことになってんな…」

 

思わず呟く僕。正面には何やら文字が書かれた段ボール板が張り付けられていた。

 

『お前はよく作り込まれた見張り小屋を観察する。一体誰が作ったのだろう、とお前は考え込む…』

 

やっぱりこれは見張り小屋だったらしい。というか、もともと自分も何度もゲームの中ではこの道を通った身だ。やっと思い出してきたが、確かこれはパピルスがつくった小屋だったはず。案の定、その先の一文には『王国騎士団の一員』という文字が見えていた。溜め息をついた僕は、再び歩き出そうと視線を前に戻す。

 

そのまましばらく進むと、またも左手に小屋が見えてくる。しかし今度は木でできた正真正銘の見張り小屋で、何故だが呼び鈴がカウンターに置かれているのが見えた。

 

その後の展開を知っている僕は、息を潜める。小屋の手前に立っていた看板には、誰が書いたか分からない文字で(動くなよ!絶対に動くなよ!)と書かれていた。背負っていたナップザックを静かに地面におろした僕は、その中からあるものを取り出しておく。

 

そのままゆっくりと小屋の前に進んでいくと、案の定、小屋からのっそりと一匹の犬、いやモンスターが頭を出してきた。

 

「何か動いたか?気のせいかな?おれは動く物しか見えないからな。もし何かが動いてたら…。もしそれが、人間だったら…。そいつを二度と動かないようにしてやる!」

 

物騒なセリフを放ったDoggoは、身軽にカウンターを乗り越えると目の前に立ち塞がってきた。抜き出したのは刃渡り30センチはあろうかという片刃のナイフ。それを二刀流の如く2本構えるものだから、迫力としてはかなりのものがあった。ただ、犬の顔が描かれた派手なピンクのシャツにヒョウ柄のストレッチパンツという出で立ちはどこか抜けていて、寒くないのだろうかとも思ってしまう。しきりに目を左右にキョロキョロと動かしているあたり、立ち止まっている自分を見つけることができていないらしい。

 

完全にゲーム通りで、助かる限りだ。

 

僕は先ほどナップザックから取り出した物を正面に掲げる。自分の肘から手首くらいまでの長さの、何の変哲もない黒い木の棒切れ。実はこうなることを見越してトリエルの家の前に生えている枯れ木からもぎ取り、持ってきたものだった。もちろん、彼女の許可は取っている。もっとも、何に使うのか彼女はかなり気になっていたようだったけれど。

 

僕は注目を引くように棒を大きく揺らすと、「ホイ!」と叫んで勢いよく遠くに投げてみた。こんなんで本当に上手くいくのだろうか、と今更ながら心配になるものの、もう後戻りはできない。

 

けれども、幸いなことにDoggoは棒切れを取り出した瞬間からすっかり興味津々な様子で、もはやそれしか見てはいなかった。棒切れを放り投げた瞬間、彼は瞬時に身を翻すとナイフを捨て去り、両手をも地面につけて四足歩行の俊敏な動きで追い掛ける。そして、雪の上を転がる棒切れを咥えると、すぐに持ってくる。

 

でも、犬のモンスターとはいえ体は人型なので、人の形をしたものがこうして自分の投げた棒を口で咥えて持ってくるという少々アレな光景に、僕は何とも言えない罪悪感を覚えてしまう。けれども、Doggoはそんなことはお構いなしに「ハッハッハッ…」と荒い息をしながらもう一度棒を投げるようにせびってくる。

 

ここまでされると、やらないわけにはいかないだろう。

 

「いくぞ…、それ!」

 

もう1回投げると、Doggoは凄く興奮した様子で飛び跳ね、尻尾を勢いよく振りながら飛んでいった木の棒を追いかけていった。もはや、先ほど物騒な言葉で威圧してきた面影はどこにもない。自分の目の前にいるのは棒投げ遊びに興じる一匹の可愛いワンコだった。

 

「フフフ!面白い棒が出てきたぜ!」

 

一通り遊び終え、興奮冷めやらぬ様子でそう呟くDoggo。そのまま見逃してくれるかもと一瞬だけ淡い期待を抱いたけれど、流石にそれは期待し過ぎというものだった。ナイフを掴んだ彼は、それを青く煌めかせると素早く自分に斬り掛かってくる。

 

「ひッ…!」

 

思わず声が漏れた。すぐに飛び退いて逃げたい気持ちで一杯だったけれど、気を強く持って身動ぎせずに堪える。これはブルーアタックと呼ばれる魔法攻撃で、静止している限りダメージはない。だが動いた途端、それは現実の刃となるのだ。

 

自分の腹を刃がすり抜ける。傍から見れば、確実に斬られたように見えるだろう。でも、なぞられるような不思議な感覚があっただけで痛みはなかった。すぐにシャツをまくって見てみたが、体には傷一つついていない。何とか、ダメージを受けずに済んだようだ。

 

「ふぅ…」

 

一安心する僕。そのあと間もなく、僕は棒切れをしまうとDoggoを見逃した。彼にしてみれば棒しか見えていないわけだから、突然現れた棒が宙を舞い、それを拾ってくる遊びを一人でしたことになる。さぞかし摩訶不思議な体験だったに違いない。

 

Doggoは懐から骨型のジャーキーのようなものを取り出すと、さも慣れた様子でそれをしゃぶり始めて一服する。まるで煙草でも吸っているかのようだ。

 

僕らはそんな彼を横目に、そのまま道を進んでいく。

 

 

 

しばらくすると再び森が開けてきた。見ると、広場のような空き地のど真ん中に看板が立っている。うっすらと矢印が見えるあたり、案内標識か何かのようだ。でもその周りはスケートリンクと見紛うほどに分厚い氷が張っていて、見るからに滑りそうな有様だった。

 

「また滑るのが怖いんだろ?」

 

「そ…そんなわけないだろ!こんなの楽勝だよ」

 

いつものようにからかってくるキャラ。僕は恐る恐る、氷の上に足を置いてみる。あれ、意外に大丈夫じゃん。そう思ってもう片方の足を乗せようとした時、まるで漫画のように見事なまでにつるりと足が滑った。バランスを崩した僕は、地面に腰を強打する。雪ではなく氷が剥き出しになっているのもあって、かなり痛かった。

 

「くぅ…痛っ…!」

 

「ハハハッ!こいつは面白いや!」

 

悶絶する僕を大爆笑するキャラ。何かすっごい腹が立つ。彼女も転んでしまえばいいと思ったけれど、よく見るとふわりと足が浮いていた。お化けだからって、これは反則だ。

 

僕はその場で何度も立ち上がろうとするも、すぐにどちらかの足が滑って転んでしまう。これ、フリスクはどうやってあんなに手慣れたように氷の上を滑っていたのだろうか。何かコツでもあるんだろうか。気になって何度も挑戦してみたものの、終いには再び転んで尻餅をついてしまったので、諦めた僕は両手両足を使って這うように氷の上を移動することにした。言うなれば、赤ちゃんのハイハイみたいなものだ。

 

ますます大爆笑するキャラ。もう許せない。今度チョコ食べるときは、彼女のいない間に食べることにしよう。僕は心にそう決める。

 

一先ず、僕は北の道へと進んでいった。記憶が正しければその先に心優しい雪だるまがいて、体の一部を分けてくれるからだ。世界を旅してみたいというささやかな願いのためだったはずだけれど、雪だるまの欠片はそれなりの回復アイテムでもある。あまり使う気はしないが、念のためにもらっておいても損はないだろう。

 

そういえばゲームであればこの辺にもサンズがいて、ブルーアタックに関する説明をしてくれるはずなんだけれども、彼の姿は見えなかった。まあ、さっきの出来事からこうなることはだいたい予想できていたので、そこまでの驚きではない。ただ、改めてサンズに嫌われているのが痛感させられて、少しだけ寂しかった。

 

道を進むと、正面に雪だるまの姿が見えてきた。日本で見る2段のタイプではなく、絵本などで見たことのある欧米にあるような3段のタイプだ。確か、スノーマンと呼ばれるって、どこかで聞いたことのあるような気がする。

 

「こんにちは。雪だるまです」

 

近づくと、彼は律儀に挨拶してくれた。一応、自分を『雪だるま』と名乗ったので、名前としては雪だるまで良いらしい。もぞもぞと体を動かしつつ、彼はボディランゲージを織り交ぜながらあるお願いをしてきた。ちょこまかとしていて可愛らしい。

 

「親切な旅人さん、お願いします…。僕の欠片を持って旅をしてくれませんか?」

 

「う、うん…。いいよ」

 

別に断る理由はない。戸惑いつつも、僕はその願いを受諾した。一つ心配なのがナップザックの中で溶けてしまわないかということだけれど、おそらくは魔力か何かで溶けないようになっているんだろう、と僕は推測していた。何しろ、ゲームではHotlandに持ち込んでも溶けなかったくらいなのだ。

 

促されるがままに手を差し出すと、雪だるまの胸のあたりがボロっと崩れて大きな塊が乗っかる。ひんやりしていて冷たいのに、奇妙なことに手の上に乗せていても溶け出す様子はなかった。僕はそれをトリエルから余分にもらっていたビニール袋に詰めると、ナップザックの奥にしまい込む。

 

そうして、雪だるまに感謝を告げると手を振りながら元来た道を戻ったのだった。

 

 

 

 

再び交差点に行き当たった僕は、滑って転ばないように注意しつつ、左に曲がった。先ほどので少しだけ慣れたのか、小股で歩いたおかげで僕は転ばずに氷の地面を通過できる。その様子を、キャラは面白くなさそうに見ていた。残念ながら、同じ失敗は二度も踏まないのだ。

 

暫く歩くと、道の先から言い争うような賑やかな声が聞こえてくる。

 

「お前は本当に怠け者だな!!一晩中昼寝してただろ!!」

 

「それは普通さ。睡眠って言わないか?」

 

「言い訳、無用だ!」

 

自分が来たことに気づいたのか、2人はやり取りをやめてこちらを振り向く。

 

「オーホー!人間が来たぞ!お前を止めるべく、俺様はパズルをいくつか作ったのだ。このパズルを見ればお前は…。ショックを受けることだろう!!」

 

相変わらずの大声でそう話すパピルス。一方のサンズは、凍りついたかのような笑みを浮かべたままだった。何を考えているのか全くわからない。

 

パピルスはハイテンションのまま、パズルについて説明し始める。内容はゲームのものと、まったく変わってはいなかった。目に見えない透明な迷路のようなものがこの先に仕掛けられていて、道から外れるとボリューム満点の電撃がお見舞いしてくるという。つまり、自分はその見えない迷路の中を進まなければいけないのだ。そして、彼の手にはその電撃の発生源であるオーブが握られていた。透き通るような青で、水晶のようにも見えて美しい。

 

「よし、進んでもいいぞ!」

 

説明を終えたパピルスがそう言った。あれ、これはもしかしてゲームの展開と同じやつ?

 

何だか申し訳ないような気にもなる。たぶんこのまま進めば、パピルスがオーブを持ったままなので、電撃を受けるのは他でもない彼になる。それを知っていながら教えないというのは、さすがに罪悪感を覚えるというものだ。けれども進行上そうしなければ、自分が後で困ることになる。難しいジレンマだ。

 

「ちょっと待て。オーブを人間に持たせなきゃいけないんじゃないか?」

 

そんな悩みを吹き飛ばしたのはサンズの言葉だった。思わずパピルスでもないのに「へっ…?」と変な声を漏らしてしまう。だってサンズはゲームの中では、パピリスが電撃を受けるのを黙って見ているだけだったからだ。なのに、あろうことか目の前にいる彼は親切にもパピルスにオーブのことを教えたのだった。

 

これで罪悪感に苛まれずに済むとはいえ、迷路の道が分からなくなってしまう。余計なことをしやがって。ムッとした目でサンズを睨むと、彼はあの気味の悪い笑みを更に深めた。完全にしてやったりというような顔だ。

 

「これ持ってちょうだい!」

 

サンズから肝心なことを教えてもらったパピルスは、はっとしてオーブを自分に投げ渡してきた。よく見れば中には黄色い稲妻のようなものがしばしば走り、ほのかに温かい。見ている分には宝石のようで綺麗だけれど、これがボリューム満点の電撃を放ってくるとなるとすぐにでも崖の下に放り投げたい気分だった。でも、自分を見つめるサンズの目が厳し過ぎて、とてもじゃないけどそんなことはできそうもない。

 

(うーん…。確かこんなだったような…)

 

おぼろげな記憶を頼りに、ゆっくりと進み出す僕。ゲームならパピルスの足跡で答えが分かるので道を覚える必要がない分、流石の僕もまったく自信がなかった。パピルスは道の向こうでハラハラしながら、自分の様子を見守っている。

 

(たしか、このあとは左かな)

 

5歩ほど進んだところで恐る恐るその場で左にターンし、北の方に向かって進む。その後、再び5歩くらいで右に曲がると、ようやく道の半分くらいまで差し掛かった。ここまで電撃もなく無事に来れたことは、自分でも少し驚きだった。パピルスも目を丸くして驚いている。

 

(この辺で右だったはず…)

 

5歩進んだところでもう一度、右に曲がる僕。記憶が正しければ、この後はひたすら真っ直ぐ南側に向かって進めば、ゴールに出られるはずだ。少し歩みを早めて、雪の上をズンズン進む。その時だった。

 

「ぎゃひッッ!!」

 

突然オーブから電撃が走り、体を突き抜けた。針か何かでザクッと突き刺されたような鋭い刺激だった。まさか電撃を食らうとは思っていなかったので、痛みでというよりビックリして跳び上がってしまう。オーブを握っていた右手はすっかり痺れて、腕が上がらなかった。

 

「人間!大丈夫か…!?おかしいな、そんなところに壁はないはずなのに…」

 

敵でありながらも心配してくれるパピルスに、僕は痺れたのと反対の手を振った。その後の言葉から察するに、この迷路にも何らかのイレギュラーな変更があったらしい。まあ、状況から察するにサンズが一枚噛んでいるような気がするけれど。サンズの方を振り向くと、彼は素知らぬ顔で近くの針葉樹に積もる雪を見ていた。絶対に何かを知っているような様子だ。

 

(ほらね。あのクソ骨、余計なことしかしないでしょ)

 

こればっかりはキャラにも同感だった。

 

さて、どうするか。その場で悩む僕だったが、もう結論は決まっていた。というより、それしか選べる道がなかった。

 

覚悟を決めた僕は、オーブをギュッと握りしめると取り敢えず左に曲がった。電撃はない。しかしその後、3歩くらいで右に曲がろうとすると、再びの電撃が襲い掛かった。体の半分をバットで殴られたかのような衝撃で、流石にこれは堪える。顔をしかめながら立ち止まった僕は、同じ所を今度は左に曲がった。今度は正しい道だったのか、電撃は来ない。

 

そう、残された道というのは、試行錯誤しながらがむしゃらに進むというものだった。実際、道が分からないのだから、それしか打つ手がないのだ。

 

その後も何度か電撃を食らったものの、最終的にはどうにか迷路を脱出することができた。オーブを握っていた手は痺れてビリビリするし、繰り返し電撃に襲われた体はすっかりだるくなっている。

 

「その…何だか申し訳ない。これは、あまり楽しいパズルではなかったな…。次のは、もっと楽しくするから、期待してくれ!」

 

そう話すパピルスの顔は本当に申し訳なさそうにしていた。本来は敵である人間をここまで思いやってくれるパピルスの優しさに、僕は改めて驚かされる。せめて感謝を伝えようと思ったけれども、その時にはパピルスは次のパズルの方へ走っていってしまっていた。

 

その場には自分とサンズ、それにキャラが残される。

 

「へへ…、感謝するぜ。まさかパズルを真面目に解いてくれるとはな。俺のつくったおまけも楽しんでくれたようで、何よりだ」

 

「…何のこと?」

 

サンズの言葉に、僕は敢えて何も知らないふりをする。おそらくはパズルのコースが変更されたことを言っているのだろうけど、下手に答えれば確実に自分は疑われることになりかねない。サンズはカマを掛けているのだ。

 

「とぼけんな。俺が本来のタイムラインのコースに手を加えたことは、お前も気づいているんだろ。なぜなら、お前は元々のコースの部分は一度も間違えずに通ったからな。パピルスの足跡がないにもかかわらずだ。偶然にしちゃ、出来すぎてるって思わないか」

 

あ、まずい…。

 

思わず動揺してしまう僕。懸命に記憶を思い出してパズルを解いたのが、逆に裏目に出てしまったらしい。あれだけサンズに正体を掴まれないように注意してきたのに、まさかこれだけで勘付かれてしまうとは。手痛い失敗だった。

 

「いや、何も知らないってば。最初の方は、道から外れそうになった瞬間にオーブからバチッて弱い電撃が来るからそれで分かったけど、最後の方だけ油断したからああなったんだ。ホントだって」

 

それでも、僕はそれらしい理由をつけて誤魔化そうとする。いま下手に自分の正体がバレてしまうことだけは、何としてでも避けなければならないのだ。

 

「どうだか…。まあ、お前も元々、リセットを挟んでも記憶を留めているような節もあったしな。別に、コースを覚えていたからといって、責める気はねえよ。ただ…」

 

サンズがそう言い掛けたところで、僕は息を呑む。

 

「お前が悪魔になるような素振りを少しでも見せたら、俺は何度でもお前を殺すからな。覚悟することだ」

 

真っ黒な瞳でサンズはそう言うと、意味ありげに鼻で軽く笑い、パピルスに続いて道の先へと進んでいった。ようやく緊張から開放された僕は、「はぁ…」と大きくため息をついた。

 




亀更新すみません。申し訳ないのですが、色々立て込んでいるので1月末まではこんな感じのペースが続く見込みです。なにとぞご了承を...


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第14話 疑念

かなり間が空いてしまい申し訳ありません。お楽しみ頂ければ幸いです。


進んでいる道は次第に狭まってくる。気づくといつの間にか、左右には底が見えないほどの切り立った崖が広がっていた。怖い、怖過ぎる…。高所恐怖症の自分にとっては、これほどまでに恐ろしいことはなかった。へっぴり腰で何とか渡されていた橋を抜けると、近くの岩に腰をおろして一息つく。今のでかなり寿命が縮んだかもしれない。

 

休みつつ辺りを見回すと、近くに派手なパラソル付きのワゴンが停まっていることに気づいた。その傍には、ウサギのような耳をした水色のモンスターがため息をついている。

 

「なんで売れないんだろ…。アイスを食べるには最高の気候なのに…」

 

いや、周りもアイスな気候だったら、買う人なんていないような気が…。売るんなら、せめて街に行かないと。心の中でそんなことを思っていると、落ち込んでいる彼と目が合った。

 

「ああっ!!もしかして、お客さん?」

 

「えっ…?いえ、はい、まあ…」

 

そこまで近づいていたわけでもなかったのに、じっと見ていたせいで勘違いされてしまったらしい。何かここまで来ると、買ってあげないのも可哀想な気がしてくる。仕方なく近づいていった僕は、ワゴンを覗き込んでみる。

 

「お、意外に種類あるんだ」

 

メニュー表には、バニラやチョコ、ストロベリーといったアイスのフレーバーがびっしり書かれていた。その数21種類。なんだか後ろの方にはリコリスという文字も見えたけれども、気にしないことにする。

 

「どれにしますか?きみの心をあっためるアイスクリーム。いまならたったの15G!」

 

「うーん、じゃあ、グリーンt…痛ッ!」

 

好物のグリーンティー味を頼もうしたところで、思いきり腕をつねられた。振り返ると、キャラが心底恐ろしい顔でこちらを睨んでいる。

 

《相棒、分かっているだろうね。頼んでいいのは…》

 

(チョコ味だけでしょ。もう…、わかったよ!)

 

渋々、僕はチョコ味を頼んだ。ほんとはグリーンティーが食べたかったけれど、そんなことをしたらキャラに何されるか分からない。注文を聞いたナイスクリームガイは、ワゴンの中からアイスを取り出すと優しい笑顔で手渡してくれた。

 

「はいどうぞ!ナイスな日を送ってね!」

 

見た感じは少し大きめの棒アイスといったところで、包装紙には、『今日は良い日になるね!』と書いてある。少し食べたい気もしてくるけど、やっぱり回復アイテムなので浪費することは避けたかった。仕方なくナップザックに入れておく。一応、雪だるまのかけらのそばに入れて対策はしてあるものの、溶けてしまわないか若干心配だった。

 

その先に進んでみると、公園のような大きな広場に行き当たった。でも、特に何かがあるというわけではない。ここって、ゲームだと何があっただろうか。

 

懸命に思い出そうと記憶を辿りながら歩き続ける僕。やがて、目の前の地面に雪で塞がれた穴が見えてきたとき、ようやくひらめいた。

 

(ここはボールゲームのある場所か)

 

ゲームだと、この広場の入り口に雪玉が転がっていて、それを蹴飛ばしてこの穴に入れるミニゲームができる場所だった。後で知ったことだけど、穴にボールを入れた時に出てくる旗の色とメッセージは、これまで落ちてきた子どものソウルの色に対応しているらしい。でも今は穴が塞がっているうえ、入り口に雪玉もなかったので、プレイできないだろう。

 

何で塞がっているのかは謎だ。これも、自分がここにいることと関係しているのだろうか。

 

でも、考えたところで答えは出なそうなので、僕は先に進むことにした。道の先には、既に2人ほどの人影、いやスケルトン影が見えている。

 

「人間!!心の準備はいいか…」

 

近づいていくと、相変わらずの大声が響き渡った。そこにいるのはおなじみのスケルトン、サンズとパピルスの2人だ。そして手前には、何やら怪しい1枚の紙切れが落ちている。

 

「SANS、パズルはどこだ?」

 

「そこにあるだろ。地面の上に。まあ見てな、これを乗り越えるなんて不可能だぜ」

 

2人がそう話す中、僕はしゃがみ込むとその紙を手に取ってみる。

 

『よいこのことばさがし』

 

謎の氷のような熊のようなよく分からないキャラクターの隣には、これまた意味の分からない文字の羅列が書いている。その下にはいくつかのキーワード。ゲームで最初これを見た時は、意味不明過ぎて諦めたパズルだった。

 

けれど、後で調べて分かったのが、その名の通り単なる文字探しだということ。上の文字の羅列の中から、下のキーワードを探して消していくという、単純なものだったはずだ。実は消して残った文字に何か意味があるんじゃないかと思って、地味に書き写して考えていたこともあったけど、まったく分からなかった。というか、たぶん意味はないと思う。

 

《おーい、そんなワードサーチパズルも解けないのか?もしかして、意味分かってない?》

 

(んなわけないよ。ちゃんと分かってるって)

 

じっと紙を見つめていると、案の定キャラにからかわれた。いやまあ、たしかに最初の時は分からなかったけれども。

 

とりあえず、中身は理解できた。僕は静かに立ち上がるとパピルスの方に向き直る。それを見た彼は、驚いたように声を上げた。

 

「SANS!!!何も起きないじゃないか!」

 

「おっと、やっぱり今日のクロスワードを用意した方が良かったかな」

 

「はあ?クロスワード!?何でそんなもの出すのだ。俺様が思うに…ジュニアジャンブルの方が難しいに決まってる」

 

何やら言い争いを始めるスケルトンの2人。ジュニアジャンブルとクロスワードのどっちが難しいかで揉めている。その途中でサンズがジャンブルのことを「あれ赤ボーン向けだぜ」といったのには、どういう訳か寒くなった。でも、そんなことよりもっと大きな問題がある。ジュニアジャンブルって何だったっけ。

 

「人間!!!お前はどう思う!」

 

ジャンブルのことを思い出そうとしている中、突然話を振られた。そんなこと聞かれても、ジュニアジャンブル知らないのにどうやって答えればいいんだろう…。

 

言い淀みながら適当に誤魔化そうとするものの、あまりにパピルスがまじまじと見つめてくるので、仕方なく僕は「クロスワード、かな…」と答える。それを聞いたパピルスは、目を丸くして驚いた。

 

「おかしいだろ二人とも!クロスワードは簡単すぎる。問題の解き方がいっつも同じじゃないか。全部の欄に「Z」を書いて埋めるだけ…。だって俺様はいっつもクロスワードをやってると、つまんなくて寝てしまうからな!!!ニェーヘッヘッヘ!!!」

 

あ、はい…。

 

そうして、パピルスは笑いながらまた先の方へ走っていってしまった。その場にはまた、サンズと僕たちだけが残される。何だか、途轍もなく気まずい。

 

(これはもう、逃げるが勝ち、かな…)

 

そのまま、そっと立ち去ろうとする僕。でも、サンズの目の前を通り過ぎたところで、呼び止められた。

 

「おい、人間」

 

「は、はいィッ!何でしょうか!」

 

緊張のあまり、声が上ずってしまう。もしかして、パピルスの意見を否定したことに怒っているのだろうか。それはちょっと理不尽過ぎる気もするけれど、脅してくるような今までの出来事を考えるとあながちそれも否定できない。次第に顔が青ざめてくる。

 

やがて、独特のにやけ顔のままサンズは再び口を開いた。

 

「お前さんも、クロスワードが難しいと思うだろ。同じ意見で何よりだ。PAPYEUSは変なところに問題を見出すからな。昨日も星占いを『解こう』としていたし」

 

「へ…?まあ…」

 

拍子抜けする彼の言葉に、思わずため息が漏れそうになる。でも、ぎりぎりのところで抑え込んだ。まだ胸がドキドキする中、僕はサンズと別れるとセーブポイントのある広場に向かっていく。慎重に振り返ってサンズがいないことを確認した僕は、ようやく安心して腰を下ろすことができた。

 

「君、警戒しすぎじゃない?もっと気を楽にしていったら?」

 

「そ、そんなこと言われても…」

 

キャラが相変わらずのニヤリとした薄笑いを浮かべながらそう言ってきた。それができれば苦労はしない。あんな出来事があった後だと、まだまだサンズに対しては警戒してしまうものだった。むしろ、警戒しない方がおかしいと思う。

 

でも、確かにこのままサンズに会うたびに神経をすり減らせていたら、Snowdinの街に辿り着く前にぶっ倒れてしまうかもしれない。それに、あまりに挙動不審過ぎてもサンズに怪しまれるだけだろう。次からは、もうちょっと気を強く持っていかなければ。僕は自分にそう言い聞かせる。

 

辺りに目をやると、ゲーム通りパスタと電子レンジがポツンと置かれていた。その隣には1枚の置き手紙。近づいていって読んでみると、こう書かれていた。

 

『人間!!このパスタを召し上がれ!なんと、このパスタは罠なのだ…。パスタがお前をおびき寄せ、お前はすっかりパスタに夢中…。先に進むことすら忘れてしまうという寸法だ!!お前はグレートなPAPYRUS様に完全にハメられるのだ!!!

ニェッヘッヘッ、PAPYRUSより』

 

夢中になって先を進むことすら忘れるようなパスタなら、ぜひとも食べてみたい限りだ。けれども、隣のパスタはあいにく寒さのあまり氷漬けになっていて、テーブルに張り付いてしまっている。温めようにも隣の電子レンジはコードが宙ぶらりんの状態で、動くはずもなかった。これでは食べることは難しいだろう。

 

「やれやれ、パピルスってのは何を考えているんだろね。敵に塩を送っているようなものなのに」

 

「それが、パピルスの優しさなんじゃない?まあ、ちょっと抜けてるとこもあるけどさ」

 

疑問に思っているキャラに、僕はそう答えた。確かに、生きるか死ぬか、殺るか殺られるかという世界で生きてきたキャラにとっては、理解しがたいことなのかもしれない。僕の言葉を聞いた彼女は、あまり腑に落ちない様子で口を開く。

 

「ふーん、優しさねぇ…。私だったら、このパスタに毒でも混ぜておくところなんだけどな」

 

流石はキャラ。言うことが恐ろしい。いまではだいぶ慣れて普通に彼女と接しているけれど、時折こういった冷酷な一面を見せるあたり、やはり彼女は彼女なんだと感じる。よくよく考えれば、彼女はGルートでフリスクのソウルと同化してモンスターを虐殺した張本人なのだ。そして、最後には彼女を完全に乗っ取って、世界を破滅へと導いた。

 

そんな恐ろしい人間と一緒に行動しているなんて、とても信じられない。自分が殺されていないことだけでも驚きなのに、協力までしてくれるなんて。それだけ、彼女もフリスクを助け出したいと思っているのだろうか。それとも…。

 

いや、変なことを考えるのはやめよう。

 

カチンコチンになったパスタの後ろには、またもやネズミの巣穴が見える。せっかく餌になりそうなスパゲティなのに、ここまで凍っているとネズミでも食べられないだろう。そんなことを考えつつ、セーブポイントに向かうと、案の定無事にセーブが完了する。

 

『Tsuna LV1 1861:21 Snowdin-スパゲティ』

 

いや、スパゲティって…。それしか、いいポイント名が思い浮かばなかったのだろうか。

 

おかしな名前に首を傾げつつも、僕らは小雪の舞う道のさらに奥へと進んでいった。その様子を青い瞳がじっと見つめていたことに、僕は気づいてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は密かに、あの子どもの後をつけていた。

 

あの電撃パズルの一件以降、少しばかり引っ掛かるところが出てきたからだった。

 

何度タイムラインを通っても記憶が残る俺には、あの場で起こる事は全て()()()()()。パピルスがオーブを渡し忘れて電撃を食らったり、雪に足跡を残してネタバレをしてしまうことも。だから俺はパピルスが電撃を食らう前に、オーブをあの人間に持たせるよう伝えたのだった。その上、パズルに少し細工をして、本来のコースの後にもいくつか曲がり角を付け足したりもした。彼がどう反応するか、見てみようと考えたからだ。

 

その結果は、ある意味予想通りだった。

 

ゆっくりではあるものの、彼は的確に歩き電撃を一切食らうことはなかったのだ。そして、俺が仕掛けた”おまけ”の部分になると、ことごとく失敗して何度か電撃を食らっていた。

 

これが意味するものは何なのか。

 

考えられることは一つだ。彼は本来のタイムラインで起こっていたことを()()()()()()()()()()()()のだ。でなければ、初めて会ったのにヒントもなしにパズルをノーミスでクリアするなんて不可能だし、イレギュラーに手を加えた部分で間違えた理由も説明できない。

 

そして、そんなことができるのは他でもない。あの忌々しい”Player”。奴が関わっているとしか考えられなかった。記憶を留めている俺ですらあの少年とは初めて会うくらいなのだから、そんな彼に過去のタイムラインの記憶があるはずはない。だとすれば、同じく記憶を留めるプレイヤーの仕業以外にはあり得ないのだ。

 

おそらく今回現れた彼もまた、プレイヤーに()()()()()()のだろう。まるで弄ぶようにフリスクを操ってこの世界を滅茶苦茶にしたあのプレイヤーが、再び影を見せたことには正直、頭がどうにかなってしまいそうなほどの怒りがこみ上げてくる。でも、すぐにでも殺さないだけの冷静さも俺は持ち合わせていた。

 

彼女__フリスクが教えてくれた優しさ。彼女を失った今こそ感じるその大切さを、俺は深々と心に刻んでいたからだ。取り返しのつかない後悔と、果てしない悲しみとともに。

 

だから俺は、あの場で彼を見逃した。たとえプレイヤーが操っているにしろ、必ずしも破滅の道に導くとは限らない。皆が満たされる幸せな未来に導いてくれるという可能性も、ないわけではないのだ。

 

でも、一つ引っ掛かるところがあった。

 

俺はいままで、彼をフリスクの成り代わりか、フリスクとは全く異なる出自の人間だと考えていた。だが、単純な成り代わりなら基本的にはこれまでのタイムライン通りに物事は進むはずで、俺がさっき起こしたようなイレギュラーな出来事は起こり得ない。どう足掻いても運命は変わらず、同じシナリオを辿ることになるのだ。それは今までのタイムラインで、俺が数え切れないほど証明していることだった。

 

ならば、やはり彼はフリスクとは全く異なる出自の人間なのだろうか。一度は、俺もそう考えた。だが、先ほどの出来事ではっきりしたのは彼もまたプレイヤーに操られているということ。俺が何度試しても失敗し、またプレイヤーですら今までは決められたルートの中しか歩むことができないこの世界の法則を打ち破る彼は、まさにイレギュラーな存在だった。いや、”異質”といったほうがしっくりくるかもしれない。そんな彼と、これまで散々この世界に干渉としてきたプレイヤーが関わっているというのは、どういうことなんだろう。

 

謎は深まるばかりだった。

 

もう一つ気になるのは、あの少年と会った時から薄々覚えている違和感の正体だ。確かに俺が計測する限りでは、彼のLV、EXPはともに初期のまま。この世界に落ちてきてから、誰も殺してはいないはずだった。なのに、彼の内から滲み出てくるこの気配。これは一体、何なのだろう。まるで、俺と殺し合った時のフリスクのような、悍ましい程の罪にまみれた人間の気配…。

 

確実に、彼には何か裏がある。

 

それも、途轍もなく重要で、この世界をひっくり返しかねないような裏が。

 

俺はそう直感していた。だから、こうして気配を消して密かに彼の後をつけているのだ。この先に起こるかもしれない、悲劇的な結末を未然に防ぐために。そして何より、弟であるパピルスを守るために。

 

 

 

 

 

しばらくスパゲティの前で休憩していた彼は、何度か独り言を呟いたのち再び歩き出した。周りには誰もいないのに、妙な話だ。もっとも、何を喋っているかまでは分からなかったので、何とも言えない部分はあるが。

 

そうして、時折看板を読んだり近くの雪山を覗き込んだりしながらも、彼はほとんど迷わずにSnowdinの方へと進んでいった。俺は気づかれないようにショートカットを駆使しながら、一定の距離を保ちつつ追い続ける。だが途中、彼は先の道を塞ぐスパイクの山に気づいたらしく、思い出したように一旦道を引き返した。

 

案の定、行き止まりになっている別の道に進む彼。そして、雪の中に隠れていたスイッチをカチッと押し込んだ。瞬時にスパイクが下がり、道が通れるようになる。

 

この手慣れた様子、やはり彼はパズルの配置をあらかじめ知っているのだろう。

 

(食えないやつだぜ。ますます野放しにはできねえな…)

 

彼はそのまま来た道を戻えると、下がったスパイクの方へ進もうとする。だがそこへ、鎧を纏った1匹の白いモンスター、レッサードッグが立ち塞がった。

 

(さて、どう反応するか見ものだな)

 

読み取れる限りでは彼のLVは1。でも、それはあくまで数字の上での話だった。滲み出るあの気配の正体は一体何なのか。この戦いから、それが分かるのだろうか。

 

俺は近くの木の陰から、戦いの様子をじっと見つめる。

 

矛と盾を持ってじりじりと距離を詰めるレッサードッグ。それに対して、彼は遠慮がちに、少しだけ手を上げた。それを見たレッサードッグは、口から舌を出してハッハッと息遣いを荒くする。どうやら興奮しているらしい。あいつは撫でられるのが好きだったから、上げられた手を見て撫でてくれると思ったのだろう。

 

レッサードッグはそのまま勢いよく四つ足でダッシュすると、彼に向かって飛び掛かる。様子としては犬がじゃれる様なものに近いが、背丈はあの少年と同じくらいあった。その上に鎧を着込んでいることも考えると、彼みたいな子どもなら簡単に吹き飛ばされるほどの威力だ。

 

「っと…!」

 

軽い身のこなしで、レッサードッグを引き付けた彼は既のところでタックルを避ける。そうして、再び手を上げた。すっかり興奮しているレッサードッグは、撫でてほしくてウズウズしている。同時に、首が少しだけ伸びた。

 

「キャンキャン!」

 

甲高く吠えると、レッサードッグは短剣を勢いよく振り回した。それにはあの少年もちょっとビックリしたらしく、「うわッ!」と声を上げて必死に刃を避ける。それでも、教えてもいないのに青く光る刃には的確に静止してやり過ごしていて、躱し方が様になっていた。

 

「よしよし、いい子いい子!」

 

攻撃を終えたレッサードッグに近づいていった彼は、その頭をそっと撫でる。キャンキャン吠えて激しく尻尾を振るレッサードッグ。撫でやすいようにと、首がもっと伸びた。そのままじゃれつくようにレッサードッグは飛び掛かるものの、さすがに見切られていて瞬時に身を翻した彼は軽々と躱す。そして、レッサードッグと再び間合いを取った。

 

彼はそこで逃がすことに決めたらしい。軽く手を振ると、静かにその場を去っていった。レッサードッグは名残惜しそうに彼の後ろ姿を見つめ、「キャンキャン!」と興奮気味に鳴いている。でも、その首は既にだいぶ伸びていて、若干不自然さを感じる程だった。

 

もしかすると、彼もこれ以上首を伸ばし過ぎるのは可哀そうだと思ったのかもしれない。だから、ここで逃したのだろう。

 

(案外、人の心もあるようだな)

 

彼は引っ込んだスパイクの上を乗り越え、先へと進んでいく。俺は木の陰からその背中をじっと見つめていた。

 

考えていたほど、彼は危険な人間ではないのではないか。あの様子を見る限りでは、彼は皆を地上へと導いてくれたフリスクと同じように、溢れんばかりの慈悲の心をもってこの世界に平穏をもたらす天使になるのではないか。心の中に、ふとそんな考えが浮かぶ。

 

でも、俺はすぐにそれを振り払った。そんなものは単なる希望に過ぎないのかもしれない。そんな甘い考えだから、今まで起こったような悲劇を食い止めることができなかったのだ。ならば、まだ何も信じる訳にはいかない。

 

やがてその姿が白い景色に消えて見えなくなると、俺も陰から出てゆっくりと歩き出す。だが、何歩か進んだところで俺はすっと足を止めた。

 

”奴”と話すにはそろそろ良い頃合いかもしれない。そう思ったからだった。

 

「おい、そこにいるんだろ?隠れてないで出てこいよ」

 

その場に響く俺の声。少しの沈黙の後、雪の地面がボコボコと盛り上がり始める。それを見た俺は、ニッと笑顔を深めた。山はやがて内側に崩れて、小さな穴が穿たれる。

 

「なんだ、気づいてないのかと思った…」

 

 

 

 

 

姿を現したのは、ニッコリとした笑みをたたえた金色の花だった。

 



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第15話 油断

引っ込んだスパイクを抜け、橋を渡った僕は、少しだけ緊張していた。この先には、あのDogi夫妻が出てくるはずだった。大きな斧を振り回すあの攻撃は、ゲームではかなり苦労した記憶がある。コツを掴んだ後は簡単になったけれど、まだ苦手意識があるのは否めない。

 

(…大丈夫。こいつを使えば、すぐに切り抜けられるさ)

 

僕は自分にそう言い聞かせながら、懐から再び“ぼうきれ”を取り出した。夫妻が現れたらすぐにこれを投げつけて取ってこい遊びをして、打ち解けようと考えていたのだ。Doggoにもそれは上手くいったので、今回もきっと大丈夫だろう。

 

「気を付けな。何でもゲーム通りに行くとは限らないよ」

 

そこに、釘を差してくるキャラ。せっかく、自分を安心させようとしていたのに、そんなことを言われるとまた不安になってくる。

 

「そんなの言われなくても分かってるよ!」

 

ムッとして思わず強い口調で彼女に返したところで、道の先から2体の黒い影が姿を現した。同じような黒いローブを身に纏い、手には大きな斧。深く被ったフードから覗ける白い鼻先の片方には、立派な髭が見えた。間違いない、Dogi夫妻だ。

 

「何のにおいだ?」

「どこのにおいかしら?」

 

そう言いながら、2匹は僕のすぐ真横まで近づいて来ると、鼻先をクンクンさせる。ゲームでは画面上でしか見ないからあまり分からなかったけど、こうしていざ目の前に現れると思いの外の体格の良さに驚かされる。普通に今の自分の身長より頭一つ分は大きいし、顔ほどもある大きな斧を握る腕は太く逞しい。

 

でも、視覚では僕のことを捉えられていないのか、彼らは全く見当違いの別の方向を向いてにおいを探っているようだった。僕はその場で息を殺し、身動ぎ一つせず立ち続ける。

 

「においの元がいるなら…」

「…私たちの元においで!」

 

すぐ近くまで来ていた2匹はそう言うと、素早く辺りを嗅ぎ回り始めた。一瞬、自分から離れてくれたことに安堵するものの、犬の嗅覚を誤魔化せる訳はない。すぐににおいを辿ってきた2匹は結局、僕のもとに近づいてきた。

 

「ふうむ…。ここから怪しいにおいがするな…。なんだかとても排除したくなるにおいだ」

「…排除するわ!」

 

その言葉に、僕はゴクリと息を呑み込む。2匹は見事なまでにシンクロした動きで立てていた斧を素早く取り、胸の前で構えた。同時にはらりとフードが取れて、素顔がはっきり見える。2匹とも真ん丸の瞳が特徴的な、そっくりな外見。DogamyとDogaressaだ。

 

鋭い刃をこちらに向けて今にも切り掛かってきそうなDogi夫妻に、僕はさっそく戦闘前から出していた棒切れを2匹が良く見えるように大きく掲げて左右に振った。最初はにおいでしか僕を認識できていなかった夫妻だったけれど、さすがにここまで派手に振ると気づいてくれたらしく、明らかに棒切れに釘付けになっているようだった。

 

これは、いける!

 

僕は2匹がすっかり棒切れに注意を引かれたのを見計らって、「ほい!」と勢いよく棒切れを投げた。宙を舞う棒切れの動きを目で追った2匹は、そのまま頭上を越えていった棒を追って後ろを振り向く。そして、そのまま我を忘れたように四つん這いになって、勢いよく棒切れを追って駆けていく。

 

「やった!これで…」

 

そう言いかけた矢先だった。力んで目測を誤ってしまったのかもしれない。あろうことか棒切れは2匹の追う目の前で崖を越え、下の森へと落ちてしまったのだった。

 

あまりの出来事に絶句するしかなかった。キャラは「だから言ったのに…」と呆れたように呟くと、クスクスと笑い出す。いや、笑い事じゃないんだけど。このあと、どうすりゃいいの?

 

崖下に消えた棒切れに、流石のDogi夫妻も取ってこれるはずはなく、2匹は「クーン」と何だか悲しそうな声で鳴いた後、自分のものに戻ってきた。でも、もう投げるべき棒切れは残っていない。

 

「えへへ、失敗しちゃったみたい…。ゴメン…」

 

凄まじい気まずさを感じる中、苦笑いを浮かべて懸命に場を和まそうとする僕。でも、そんなものが通用するなら苦労はしない。夫妻は先ほどの様子とは一転して、手の平を返したように鋭い殺気を向けてくると、斧を握り直し襲い掛かってきた。

 

「妻のノミをくらえ」

「やめて、本当に…」

 

素早い身のこなしで挟むように僕の左右に回り込んだ夫妻は、斧を深々と振り上げて切り掛かってくる。2匹同時のその攻撃に、僕は咄嗟に飛び退いて最初の一撃を躱した。勢いよく振り下ろされた斧はそのまま地面を深々と抉り、ドスンという軽い地響きを轟かす。まともに食らうと体を両断されかねない威力だ。

 

でも、攻撃はまだ終わらない。再び斧を振り上げた夫妻は、躱した僕を追いかけるように襲い掛かってくる。それも、何度も何度も。

 

「ひッ…!」

 

執拗に切り掛かってくる夫に、僕は身を捩ったりその場で転げたりして躱すのがやっとだった。一瞬でも気を抜けば刃が体を掠め、切り裂かれそうになる。2,3発を躱した頃には、すっかり息も荒くなっていた。そのせいで、いつの間にか妻の姿が見えなくなっていることに、僕は気づかなかった。

 

「馬鹿ッ!後ろだ!!」

 

キャラの怒声に僕が振り返るのと、斧が振り下ろされたのは同時だった。斧に気づいた僕は咄嗟に身を捩って避けようとするものの、妻の振り下ろした斧の方が早い。

 

背中に大きな衝撃を感じた。

 

半ば突き飛ばされるような形で前に倒れ込んだ僕は、その場にうずくまる。すぐに起き上がろうとするものの、途端に襲ってきたのは背中が引き裂かれるような鋭い痛み。

 

「ぐぅぅッ…!」

 

思わず漏れる呻き声。真っ白な雪面にぼたぼたと血が滴り、瞬く間に自分の足元を赤黒く染め上げる。額からどっと脂汗が吹き出し、体に悪寒が走った。

 

「大丈夫か!?」

 

キャラが駆け寄ってくる。DogamyとDogaressaは攻撃を終えたらしく、2人ともすぐに互いに寄り添うと熱いキスを交わしていた。けれども、Dogaressaの握る斧にはべったりと血がついていて、冷たく光る刃先を伝って地面に滴る。相当深く切り付けられたのか、左手で傷を押さえてもなお流れ出る血は止まらない。

 

最悪だ。

 

何でこっちは何も手を出してないのに、こんな目に合わないといけないのか。

 

「…っざけんなよ」

 

頭では理由は分かっているはずなのに、自然と怒りがこみ上げてくる。握った拳が小刻みに震え、思わず唇を強く噛んだ。うっすらと鉄の味が口に広がる。

 

「早く回復アイテムを…。おい、どうしたんだ?」

 

キャラの声も耳に入らず、僕はよろめきながら立ち上がるとDogi夫妻を睨みつけた。驚いたかのように一瞬だけ見開かれる2人の目。その瞳は、まるで化け物でも見るかのような恐怖に怯えたもののようにも見えた。けれど、すぐに取り直した彼らは斧を構え直す。

 

そこで、僕は自分がしたこと、しかけたことに気づいた。

 

「クソッ」

 

向けられた殺意を殺意で返したところで、何にもならない。何度も自分に言い聞かせてきたはずなのに、なんて自分は馬鹿なんだろう。

 

僕は大きく息を吐くと、気を落ち着かせようとする。そして、ポケットの中からマモノのアメを2粒取り出すと、口の中に放りこんだ。まずは冷静になること。感情だけで物事を向き合っても、絶対に後で後悔することになる。ふと、母がそんなようなことを言っていたのを思い出した。

 

鼻に抜ける独特の風味と、舌を包む優しい甘み。いつの間にか背中の痛みは消え、出血もおさまってきた。相変わらずここまでの傷も治ってしまうなんて、アイテムの力には仰天してしまう。頭もだいぶ冷えてきて、やっと冷静に目の前の状況を考えられるようになってきた。

 

「落ち着いたかい?」

 

「まあね…。」

 

「反省するのは後にしな。もうすぐ次の攻撃が来る。ヒントをあげるなら、片方だけを見過ぎないことと、“匂い”だ」

 

キャラには全部お見通しらしい。でも、彼女が最後にいった言葉に、僕ははっと思い出す。

 

そうだった。すっかり初っ端の大失敗で忘れてしまっていたけど、Dogi夫妻の和解条件は“匂い”だったはずだ。彼らは匂いで自分を認識しているので、体じゅうを地面に擦り付けて雪や土の匂いをつければ子犬の匂いだと勘違いして和解できるはず。実際、夫妻は今も鼻をクンクンさせて辺りの匂いを嗅いでいるようだった。おそらく、自分の居場所を嗅ぎ分けているのだろう。

 

間もなく、夫妻はダンサーのようなシンクロした動きで僕の左右に回り込むと、大きな声で吠える。すると、見る間に白と青のハートが無数に現れ、リングを形作りながら自分の方へと迫ってきた。しかも、リングはリングで回転しているので弾は複雑な軌道を描き、見切るのが難しい。

 

「このッ!」

 

僕は地面の雪を弾幕に向かって蹴り飛ばす。トリエル戦で弾幕は打ち消せることが分かっていたので、もしかするとこの弾幕も何かをぶつければ打ち消せると考えたのだ。蹴り上げた雪の大部分は散り散りになってその場に舞ったものの、いくつかの塊はそのまま残って弾幕にぶつかる。

 

でも、さすがに雪では脆過ぎたらしい。雪の塊は弾に当たった瞬間に木っ端微塵に砕け散ってしまい、跡形もなく霧散する。一方の弾はスピードが弱まることもなく、そのままの勢いで突っ込んでくる。

 

「ヤバッ…!」

 

目前まで迫った弾幕に、たまらず僕は近くの雪の中に飛び込み、激しく転げまわった。あまりの冷たさに心臓が止まるかと思ったけれど、弾は何とか躱すことができた。まあ、体はすっかり雪と土にまみれて普通じゃ考えられないような酷い有様にはなったが。

 

休む間もなく来た第2波に、僕はすぐさま起き上がると、弾の動きを見て弾幕の隙間に体を滑り込ませる。でも、まだ安心はできない。今は弾が描くリングの中に入り込んでしまっている状況なので、もう一度弾の隙間を越えてリングの外へ出なければならないのだ。

 

動く弾に歩調を合わせながら、弾の隙間に飛び込む僕。少しドジって左腕を弾が掠ったものの、ちょっと血が滲んだだけで大した怪我にはならなかった。

 

攻撃はそこで止む。夫妻はというと、しきりに鼻を動かして匂いを嗅ぎ直しているらしかった。もしかすると、僕がさっき地面を転げまわったおかげで匂いを見失ったのかもしれない。

 

ここぞとばかりに、僕は夫妻に近づくと思う存分ににおいを嗅がせてあげた。斧を持ったままにじり寄ってきた時には身じろぎせずにはいられなかったけれども、夫妻は匂いを嗅ぐだけで危害を加えようとはしてこない。

 

「何!この匂いはまるで…」

 

Dogamyがそう呟く。和解まではあと少しかもしれない。でも、そこで夫妻が繰り出してきたのは、僕の苦手な斧攻撃だった。

 

振り下ろされた斧が空気を切り裂き、地面に深々と抉る。そしてまた振り上げると、僕に向かって迫ってくる。恐怖が蘇り、心臓が脈打ってきた。

 

「一発一発を着実に躱せ!片方だけじゃなく、両方に注意を向けるんだ」

 

キャラがそう叫ぶ。再びDogamyに追い詰められて後ずさりするしかなかった僕は、背後に迫っていたDogaressaの斧に気づいて既のところで横っ飛びした。ブンという恐ろしい風切り音がすぐ耳元で聞こえたものの、体には当たらずどうにか回避する。

 

再び寄り添い合い、熱い抱擁を交わす2匹。攻撃が終わる度にこんな風にイチャイチャされたら、ちょっと目のやり場に困ってしまう。でもそんな僕にはお構いなしに、2匹はなおもキスを繰り返す。どうも今の彼らには周りはあまり見えていないらしい。

 

僕は若干恥ずかし気に目を背けつつ、そっと刺激しないように2匹に近づいてみた。流石に敏感な嗅覚には反応されたらしく、2匹の鼻がピクピク動いているのが見える。けれども、注意を向けてはいるもののあまり警戒はしていないようだった。どうやら、ゲーム通りに自分を子犬だと思ってくれているようだ。

 

勇気を出して手を伸ばした僕は、そのままDogaressaの肩をそっと静かに撫でてみる。何で肩かと言えば、単純に今の自分の身長じゃ彼女の頭に届かなかったからだ。

 

途端にビクっと反応したDogaressaは、抱きついていたDogamyの体を急に離すと、自分に向き直る。思わず身構える僕。でも、彼女は斧を構えることはせず、ゆっくりとしゃがみ込むようにして頭を下ろしてくれた。まるで、もっと撫でて!と言わんばかりに。

 

ここまでされたら、撫でないわけにはいかないだろう。僕は彼女が満足するまでずっと頭や背中を撫で続ける。

 

Dogaressaはとても満足してくれたようで、一目見ただけでも自分を見つめる瞳から殺気が消えたのが分かるほどだった。一方、Dogamyは「僕がここにいるのに……」と不満そうにしている。

 

流石に彼だけ仲間外れにするのは可哀そうなので、僕はすぐにDogamyも同じようにして撫でてあげた。ちょっと不思議そうにしていたのが個人的にツボにはまって思わず笑いだしそうになったけど、何とかこらえる。そうして、心が寛大になった2匹はもう僕に攻撃しようとしてくることはなかった。

 

「犬が犬を撫でる???」

 

「ありがとう、怪しい子犬よ!」

 

そう言うと、2匹は元来た道を戻っていった。しかも、去り際に40Gまでくれて。

 

どうにかこうにか、和解することができたらしい。思った以上に手強くて深手を負いはしたものの、何とかMERCYまで漕ぎ着けたことに僕は深く安堵する。でも、そのままぺたんと地面に腰を下ろして一息ついたとき、キャラがクスリと笑った。

 

「きみねぇ、ちょっとは鍛えようよ。無事にMERCYまで行けたのは百歩譲って褒めてやるにしても、いちいちボス相手に死にかけてたんじゃ、この先大変だよ?」

 

「そんなこと言われても…。今まで生きてて本気で襲われたことなんてあるわけ無いんだから、仕方ないじゃないか」

 

キャラの言葉に不服気味にそう返す僕。当たり前だけど、今まで自分はほとんど命の危険もないような平穏な世界で“のほほん”と暮らしてきた。それがいきなり、出会うモンスターほぼ全てが殺しに来るような世界に放り込まれて、そのうえ戦いのプロみたいな立ち回りを求められても無理というものだ。

 

でも、次に放った彼女の言葉には、何も返せなかった。

 

「言いたいことは分かるけど、死ぬのよりはマシだと思うけどね。特に、きみみたいな()()()死んだことのないような人間なら」

 

「……。」

 

彼女はそう言うと、ぐっと顔を近づけてくる。その張り付けた笑顔に光る、血に染まったような赤い瞳をさらに見開いて、自分を見つめてくる。思わず息を呑む僕。考えてみれば彼女自身、既に死んだ人間なのだ。それに、憑依したに近いGルートのフリスクも入れれば何十回、いや何百回も彼女は死んでいる。下手をすれば何千回も。

 

そんな彼女が放つ言葉の重みは、まるで違うものだった。

 

「ふふ…。慣れないうちは、怖いなんてものじゃないよ。なにせ“死”だからね。普通なら一生に一度しかない出来事だ。人が死んだあとに自分の死を認識することなんてないから、本当に怖いのは死ぬ一瞬だけ。まあ、天国とか地獄とかがあるなら話は別だけど。でも、きみは私たちと同じように、死んだ後も蘇る。するとどうなるか…。君は自分が死んだ記憶、恐怖をずっと胸に抱え込みながら生きる羽目になるのさ」

 

キャラの言葉が頭の中で何度も繰り返された。今まで考えなかった、いや考えようとしてこなかったけれど、今の自分に突きつけられた運命はまさにこれなのだ。死んでもなお蘇り、クリアするまでその呪縛から解放されることのない世界。一見すれば不死身な分、安心と思えるかもしれないけれど、死の苦しみが等しく訪れる以上、蘇るとはいえそれはただの無間地獄でしかない。

 

そんな世界に、自分は()()放り込まれているのだ。

 

「別にきみを怖がらせる気はないよ。だけど、覚悟しといた方が身のためだって話さ。ま、10回くらい死んだらもう慣れてくるんだけどね」

 

何気に恐ろしいことを相変わらずさらっと言ってくる彼女。僕は「ははは…」と軽く苦笑いするけれども、笑っていたのは声だけだった。たぶん、顔は苦笑いにすらなっていなかったと思う。それでも、声だけで笑い続けた。すぐ目の前にある、目を背けたい現実から逃れたい一心で。終いには、自分でも笑っているのか泣いているのか分からなくなってきた。

 

だって、殺されるのだ。

 

死ぬのが怖くない人間なんて、どこにいるんだろう。いくら蘇ることが分かっているとはいっても、苦しみを感じるのは自分自身。それも、感じるのは死の苦しみなのだ。平然としていられる人間の方が狂ってる。

 

ただただ笑い続ける僕。流石にそんな様子を見かねたのか、まだ半分からかったような調子で彼女が声を掛けてくる。

 

「おい、大丈夫か?おかしくなったんじゃないだろうな」

 

「…大丈夫だよ。でも、こうでもしないと正直頭がどうにかなりそうなんだよ…。怖くて…」

 

「……。」

 

それを聞いて、珍しくキャラが押し黙った。ふと彼女の方を見ると、いつもの仮面のような笑みではない、どこか思いつめたような険しい面持ちに変わっていた。

 

「……悪かった」

 

「…え?」

 

唐突に彼女の口から漏れたその言葉に、僕は驚きを隠せなかった。

 

「無駄にきみを怖がらせるようなことを言って悪かった。ごめん…。」

 

突然のことだった。突然過ぎて、彼女が何を言っているのか理解するのに少し時間が掛かってしまった。だって、あのキャラが謝ってきたのだ。今までからかってきてばかりだった彼女にこうも謝られると、自分も何だか悪いような気になってしまう。

 

「大丈夫だよ。キャラは何も悪くない…」

 

「いや、悪いのは私だ。いつも、余計に他人(ひと)を傷つけてばかり。傷つけることしかできないんだよ…。最後にはアズまで巻き込んで…」

 

咄嗟にそう返す僕を遮るように、彼女は固い面持ちでそう言った。どこか物悲し気なその瞳は、涙で潤んでいるようにも見える。僕は懸命に言葉を絞り出そうとするけれど、そんな彼女にかける言葉は今の僕にはなかった。

 

そのまま俯いた彼女は、細く小さな声で「ごめん…」とだけ呟くと、すっと背中を向けて森の方へと歩き出していく。

 

「キャラ!」

 

呼び止めようとする僕だったけれど、不意に雪を乗せた冷たい風が辺りに吹きすさんだ。舞い上がった雪が視界を塞ぎ、たちまち全てを白で塗り潰してしまう。吹き付ける雪に目を細めながら懸命に彼女の姿を追い続けるものの、無情にも雪煙に覆われて見えなくなってしまう。

 

「キャラ…!キャラ!!」

 

声の限りに呼び掛けたけれども、彼女の返事は聞こえない。嫌な予感がした。

 

地吹雪は間もなくおさまり、徐々に雪煙が晴れて視界が戻ってくる。

 

 

 

 

 

その先に、彼女の姿はなかった。

 



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第16話 独り進む道

お待たせしました、16話更新です。思いのほか長くなってしまった...。
感想頂けると励みになります。今後とも宜しくお願いします。


その後、僕はしばらく辺りを探し回ったり、彼女の名前を呼んだりしたけれど、再び姿を現してくれることはなかった。先に進もうかどうか迷ったものの、結局僕はスパゲティの置かれたセーブポイントまで戻ることにする。もしかすると、彼女がいるかもしれないという淡い期待を抱いたからだった。

 

でも案の定、彼女の姿はそこにもなかった。

 

一人、テーブルに寄り掛かった僕は少しの間悩んだ挙句、セーブを済ませる。このポイントでは二度目のセーブだった。もちろん、死ぬつもりは毛頭ない。でも、万が一に備えて使えるものは使っておくに越したことはなかった。それに、もう一度あのDogi夫妻と戦える気がしないのもある。

 

でも同時にふと、セーブせずにこのまま前にセーブした時点にロードしていれば、キャラも戻ってきたんじゃないかという考えも浮かんだ。前にこのスパゲティの前でセーブしたときは、彼女と一緒だったからだ。それを考えると、一瞬だけ後悔の念が頭をよぎる。

 

でも詳しいことはよく分からないものの、彼女は自分のことを僕のソウルに依存した存在とも言っていたような気がする。実際、彼女の姿は他のモンスターには見えない幽霊みたいなものだから、特殊な存在であることは間違いないのだろう。だとすれば、たとえロードし直したとしても、彼女が戻ってくれるとは限らない。おそらく彼女が言った、“蘇った後も自分がそれまでの記憶を抱え続けること”と同じように、ロードした後の彼女の記憶も残り続けるのかもしれない。

 

加えて、どのみち今の僕にはロードをし直す方法すらも分からない。唯一、セーブポイントから復活するだけなら“死ぬこと”でできるのかもしれないけれども、本当に蘇るかどうかを確かめるために命を絶つなんて狂った真似は、自分にはできなかった。

 

「はぁ…」

 

思わず溜息が出る。あの時、僕がもう少し気の利いた言葉を掛けていれば、彼女がいなくなってしまうことはなかったんじゃないか。そう思うと、胸が少し苦しくなった。

 

彼女が言っていたことは、まさにその通りの事だった。確かに、キャラにあんな風に顔を近づけられて言われたら、恐怖を感じない人間なんていないと思う。それでも、こうなった以上いずれは向き合わなければならないことなのだ。けれど、まだ僕にはその覚悟はできていなかった。

 

それにしても、彼女があんなことを言うのも少し驚きだった。彼女に会うまで僕はキャラのことを、人殺しも厭わない冷酷な殺人鬼としか思っていなかった。下手をすれば、人の心を持たない化け物とさえも。でも、いざ目の前で出会った彼女は恐ろしい一面こそ時折見せはするものの、きちんと人の心がある女の子だった。ちょっと当たりがキツイこともあるけれど、自分のことを心配したり、気遣う優しさも見せてくれた。

 

何より、自分が犯したであろう過去の出来事を、後悔しているようにも見えた。

 

それが、何より一番の驚きだった。今まで僕は彼女を、過去の出来事を何とも思わず、隙さえあれば世界を滅ぼそうとする悪魔だと思っていたのに、実際の彼女はそれとはかけ離れていたのだ。

 

もはや、自分は今まで抱いてきたイメージは捨て去った方が良いかもしれない。この世界は確かにUndertaleの世界なのかもしれないけれど、Playerである僕が放り込まれたその時点で、既に別の物語が始まっているのだ。ならば、今までの勝手な先入観のもとで行動してもどうしようもない。

 

「まっさらな心で行くしかないか…」

 

ぼそっとそう呟いた僕は、寄りかかっていたテーブルから離れるとナップザックを肩に掛け、再び進み始める。

 

聞こえるのは自分の息と、ざらついた雪の地面を踏み締めるザクッという単調な足音のみ。風の吹き止んだsnowdinの森は奇妙なほどの静けさに包まれていて、流石の僕も急に寂しいような、心細いような気持ちに襲われる。

 

考えてみれば、自分ひとりで行動するのは久しぶりだった。もちろん、他のモンスターから見れば最初から僕は一人で行動しているように見えるけれど、実際はずっとキャラと一緒に行動していたので、心細さなんてものはあまり感じたことはなかったのだ。

 

確か、前に本当に一人だけで動いていたのはRuinsだったっけか。あの時はほぼストーリー通りにトリエルと別れて、遺跡の中を彼女の家を目指して突き進んだ記憶がある。もっとも、その時もキャラは姿こそ見せてはいなかったものの、声という形で僕に接触してきたので、正確に言えば一人行動ではなかったのかもしれないが。

 

たまに嫌な事を言ってきたりはするけれど、やっぱり彼女の存在は大きかったんだということを僕はしみじみと感じた。

 

森の中を進むこと10分余り。まだ足跡や赤黒い血の跡が残るDogi夫妻と戦った場所を超えると、不意に看板やらスイッチやら、いかにも人工物らしき物が見えてくる。

 

「これがあの〇×パズルか」

 

近づけば近づくほど、ゲームの中で見たものに忠実だった。というか、しつこいけれども自分がまさにそのゲームの中にいるのだから、当たり前といえば当たり前だが。

 

地面には2か所に青いバツ印が描かれ…、というよりは浮かび上がっていて、その奥には足で踏むタイプのスイッチが一つ。形としては日本庭園にあるような丸っこい踏み石にそっくりだった。手前に打ち込まれた粗末な看板には、

 

『すべての×を〇に変えよう。できたらスイッチを押す。』

 

と書いてある。あいにく、ゲーム通りにそれぞれの印の周りは大きな雪山で囲まれているので、印を変えるためにはいちいち入口まで回り道をしなければならなさそうだった。しかも、そっと右側を振り向いてみれば、スパイクで塞がれた道の先にパピルスの後ろ姿が見える。ちょっと面倒臭いけれど、余計なトラブルを起こさないためにここは素直に従った方が良さそうだ。

 

僕はまず看板から向かって左側の印に回り込んでみる。すぐ目の前には青い×印。テレビで良く見るプロジェクションマッピングよろしくどこからか投影されているんじゃないかと思うほどに、くっきりと雪の白い地面に浮かび上がっていた。

 

恐る恐る、僕はそれを右足で踏んでみる。

 

すると、見事に青い×印が赤い〇印に変化した。

 

「すごい…面白いんだけど…。」

 

それを見た僕は、何だか小学生に戻ったような、童心をくすぐられる様な気分を覚えた。こんなに楽しいのは、本当に久しぶりかもしれない。すぐに反対側の印に回り込むと、ジャンプして両足でそれを押してみる。その瞬間、パッと鮮やかに模様は切り替わり、赤い〇印が地面に浮かび上がった。

 

「そして、これを押すのか」

 

2つの印が〇に変わったことを確認して、僕は奥にあったプッシュスイッチを右足で力強く踏み込んだ。同時にパシュっという小気味良い音が響くと、先に通じる道を塞いでいたスパイクが地面に引っ込む。

 

それに気づいたパピルスが、即座に振り返るや大袈裟に驚きの声を上げた。

 

「なに!?俺様の罠を避けたのか!?」

 

「ま、まあ…」

 

あまりにもオーバーに反応されたので、僕もちょっと答えがぎこちなくなってしまった。でも、パピルスは構わずに話を続ける。

 

「一つ、聞きたいことがあるのだが、俺様のスパゲッティは残したのか???」

 

(出たー、答えに困る質問その1…)

 

絶対に口に出さないように用心しながら、心の中で僕はそう呟いた。この質問、食べたと答えれば嘘つきになるし、残したといえばパピルスの気を悪くしてしまうかもしれない。どっちの答えも同じくらいに答えづらいものなのだ。確かどっちで答えても結局のところそこまで気まずくはならなかったような記憶があるけれど、細かい所はおぼろげではっきりとは思い出せない。ここは、直感で答えるしかないだろう。

 

「えーと、食べてない…というか、残したというか…。」

 

「ホントか!うわーお…。お前はあの香ばしい誘惑にも耐えたんだな…。俺様の分を残しておいてくれたんだろ???心配するな人間!俺様、マスターシェフのPAPYRUSがお前のためにどんなパスタでも作ってやるぞ!ヘッヘッヘッヘッヘッヘッニェッ!」

 

パピルスは感動したような様子でそう言うと、凄い勢いで走り去っていった。一人、残された僕はぽかんと口を開けてしばらくの間、呆気に取られる。眩しい、眩しすぎる…。流石、パピルスだ。

 

気を取り直して先に進んでみると、見えてくるのは再びのパズル。しかも、先ほどのものよりも大きくて複雑になっていた。これは“解きがい”のありそうなパズルだ。

 

その手前で待ち受けていたパピルスは、僕の姿を見るなり口を開く。

 

「SANSは最近、ぼんやりすることが増えたんだ。せっかく話しかけても、聞いてなかったりする。まったく、面倒を見てくれるクールな骨がいるというのに、おかしな話だよな。」

 

(…あれ)

 

何の気なしに普段の調子で元気よく話し掛けてくるパピルス。でも、何かが頭に引っ掛かった。何だろうか、この妙な違和感は。何かがおかしいような気がする。

 

懸命に記憶を手繰り寄せ、違和感の正体を見つけ出そうとする僕。一方、パピルスはそのまま隣を歩いて、次のパズルのところまで案内してくれる。その表情は明るく朗らかで、何一つ曇りのないように見える。でも、それを見てもなお、“何か”が僕の頭の中に引っ掛かっていた。

 

そのままパズルの前に達したとき、ようやく僕はその正体に気づいた。

 

(そうか、セリフだ…。パピルスのセリフが違うんだ)

 

考えてみれば、パピルスはこんな事をゲームの中で言ってはいないはずだった。兄の様子がおかしいだなんていうことを。もちろん、サンズがこのイレギュラーな世界の影響を受けていることは初っ端から散々感じていることので、それ自体は何も不思議ではない。

 

でも、問題はこのセリフをパピルスが言ったということだった。それも、もともとのタイムラインで話していたセリフを差し置いて。ということは、あまり考えたくはないけれども、パピルスも何かしらの影響を受けているのはほぼ間違いない。

 

「人間!」

 

パピルスの声にはっと驚く僕。

 

思考に潜り込むあまり、危うくパズルを素通りするところだったらしい。すぐに呼び止めたパピルスを振り向くと、何やら気まずそうな顔をしていた。

 

「んん…、ああー…、何といえばいいか…。お前が来るのが遅すぎて、凄く時間が余ってたんでな…。パズルの俺様の顔っぽく改造したのだ!運悪く、雪が地面に凍り付いて固まっちゃったけどな…。というわけで解き方が変わるのだ!」

 

「はあ…」

 

「そして、今回も、あのぐうたら兄弟がいないと来た!何が言いたいかっていうとだな…、心配するな人間。このグレートなPAPYRUS様が、難問を解いてやろう!さすれば俺様もお前も先に進める!しかしだな、もし一人で挑戦する気があるなら…答えは教えないでやるからな!!!」

 

幸いなことに、ここでの展開は変わらなったようだ。少し安堵する僕。会話から察するに、パピルスは『あのぐうたら兄弟』ことサンズがいたら、自分にヒントを出して簡単にパズルを突破させてしまうと思っているのだろう。でも実際は逆で、サンズがいたら余計にパズルが複雑になるのは火を見るより明らかだった。特にあの透明迷路で、僕はそれが痛いほどに分かっていた。

 

でも、ここにはサンズはいない。

 

ということは、ここのパズルも基本的にはゲームのものと変わらないはずだ。

 

僕はぱっと一目で印の配置を確認すると、猛然と歩いて次々と印を変える。形は複雑だけれど、案の定慣れたパズルと全く同じだったこともあって、全く迷わずに全ての印を“〇”に変えることができた。そして、仕上げにスイッチを押し込んでやると、道を塞いでいたスパイクがパシュッと音を立てて地面に沈み込む。もしかすると、パズルを見てから解くまでに1分も掛かっていないかもしれない。それだけ素早く解けてしまったのだ。

 

「うわ!!!俺様の助けなしで解いちゃったぞ…。信じられん。さてはお前もパズル好きだな?なら、次のパズルもきっと気に入るぞ!お前には簡単すぎるかもな!ニェッ!へッ!へッ!へッ!ヘ!!!」

 

笑いながらパピルスはそう言うと、ダッシュで消え去っていった。

 

パズル好きか…。まあ、某スマホゲームとか一時期ガチにやっていたこともあったから、あながち間違いではないかもしれない。流石に、本人には言わなかったけれども。

 

一人でクスッと笑う僕。

 

でも、そんな様子を小馬鹿にしてからかってくる“いつもの声”が聞こえてくることはなかった。その場に響くのは冷たい風音と、自分の息の音のみ。

 

しんみりした気分になった僕は、大きく息を吐くと表情を引き締める。

 

この後は記憶の通りなら、アルフィス博士のつくったあのカラーパズルが来るはずだった。赤、青、緑、黄色など、複数の色のパネルがあって、それぞれの組み合わせで移動に制約がつく難易度の高いパズルだ。でも、本来のタイムラインなら“どういう訳か”パズルが移動制約のないピンクの一本道になって、超簡単になるのだ。

 

でも、ここではその通りになるとは限らない。ましてや、次はパピルスだけではなくサンズも一緒だったはずだ。ならば、サンズが何かを仕掛けてくる可能性は否定できない。いや、確実に何かを仕掛けてくるといってもいい。

 

「くそ、次がヤマ場か…」

 

緊張で胸が高鳴る。アドバイスをくれるキャラがいない以上、自分だけでここは乗り切らなければいけない。自信は全くなかった。でも、引き返すという選択肢も、僕の頭の中にはない。絶対に先に進んでフリスクを救わなければ。そして、元の世界に帰るのだ。

 

ゆっくりと確かな足取りで、僕は引っ込んだスパイクの先へ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

だが、その先に広がっていたのは完全に予想外の景色だった。

 

「どうしたんだ人間!そんなに驚いて?」

 

思わず驚きの声を漏らす僕に、パピルスが少し怪訝そうな様子で聞いてくる。「ううん、何でもない…」と咄嗟にごまかしたけれども、内心は穏やかではなかった。

 

なぜならあろうことか、この場にもサンズの姿がなかったからだ。

 

「おい!人間よ!このパズルはきっと気に入るはずだぞ!偉大なるALPHYS博士が作ったのだからな!」

 

パピルスはそのまま、パズルの説明を始めている。でも、全くといっていいほど耳には入ってこなかった。なぜここでもサンズがいないのか。その意味を考えていたからだった。

 

自分のことをあれほど疑っていたサンズが、せっかく自分の素性を知ることができるチャンスをみすみす捨てるというのは少し考えにくい。あのサンズの様子なら自分の事をずっと見張っていてもおかしくない気もするのに、妙な話だった。ここにいなければ、サンズはどこで何をしているのだろうか。どこか遠くから、パズルに挑もうとする僕を監視しているのだろうか。それとも…。

 

キャラがいれば、どう思うか彼女の意見を聞けたのに、その彼女も今はいない。

 

これにはかなり困ってしまった。そうこうしているうちにパズルの説明は終わり、いよいよ本番を迎えてしまう。説明を聞きなおせれば良かったのだけど、ついいつもの癖で空返事をしてしまった結果、それすらもできなくなってしまっていた。もう、ぶっつけ本番で行くしかない。このパズルなら、最悪間違っても死にはしないだろう。あくまで、サンズが余程パズルに手を加えてなければだが。

 

「ニェッヘッヘ!行くぞ!」

 

パピルスが高らかに笑うと、いよいよパズルを起動させる。ここでもサンズがいないというイレギュラーな展開を迎えている以上、余計に緊張が高まった。地面のマス目模様は漫画やアニメで見るような派手なコンピュータグラフィックスのように絶えず色を変え、ランダムなパズル面を生成し続ける。

 

思わず息を呑む僕。

 

マス目模様の変化は次第に速度を増し、目まぐるしく移り変わる。終いには目がチカチカしてきたので、たまらず視線を逸らした。だが間もなく、明滅を繰り返すパズルがついに動きを止め、自分がクリアするべきパズルの盤面が出来上がる。

 

「……。」

 

それを見たパピルスは、何も言わなかった。

 

なぜなら、現れた盤面はゲームのものと全く同じ。赤地にピンクの一直線。もはやパズルではなく、ただの一本道だったからだ。その場でくるくると回り始めたパピルスは、そのままゆっくりスピンしながら静かにその場を去っていった。

 

拍子抜けするほど簡単に、ヤマ場は過ぎ去ったらしい。

 

「マジか…。緊張して損したな…」

 

一気に緊張が抜けた僕は、パズルが切り替わらないうちにピンクの盤面を抜けると、その場に座り込む。心配していたサンズの裏工作もなく、本当にスルっと通り抜けられてしまった。本当にこれで良かったのか少し不安な気もするけれど、snowdinの街まではあと少し。そこを超えれば残すはパピルスとの対戦のみになる。

 

それにしても、最初は突破できるかどうか本当に不安だったのに、意外とどうにかなるものだった。パピルスはゲームと変わらず眩し過ぎる限りだし、サンズも最初のうちはドキッとしたものの、思ったほど自分の事を疑っている訳でもないのかもしれない。このまま行けば、案外簡単にwaterfallまで抜けることができるんじゃないか。何となくだけれど、そんな気もしてくる。

 

重い気持ちから解放された僕は、いつの間にか楽観的になっていたようだった。休憩もそこそこに僕は立ち上がると、続く道を歩き出す。早くsnowdinの街に着かなければ。もっと早くその先へ進まなければ。そんな気持ちが、僕の足を徐々に速めさせる。

 

そのせいで、僕は途中の道の異変には気付かなかった。本来雪像をつくっているはずのレッサードッグや、辛辣な批評をする見物人の姿がないことに。

 

その先の氷上の〇×パズルも難なくクリアした僕は、木々の合間の狭い小道を這いつくばりながら滑って移動し、崖の反対側へと渡った。もっとも、途中で林から落ちてきた雪が頭に直撃したときは冷た過ぎて死ぬかと思ったけれど。ふと気づくと、風とともにまた雪が強く降り始める。ちょっと急いだ方が良さそうだ。

 

頭の上の雪を払った僕は、その先の分かれ道をまっすぐ進もうとする。確かこの先にはもう間もなくsnowdinの街があるはずなのだ。

 

でも、何歩か進んだところで僕は足を止めた。

 

よくよく考えてみると、この分かれ道を下ったところには洞窟があるはずだった。秘密の扉のある洞窟が。その扉の先には、ある“一匹のイヌ”がいるのだ。

 

もっとも、こんなイレギュラーな世界では扉かあるかどうかも疑わしい。でも、確かめるだけ確かめるのもありかもしれなかった。Snowdinには少し寄り道にはなってしまうものの、大した距離ではないのだ。

 

そう考えた僕は、分かれ道の前まで戻ると道を下り始める。雪の斜面は少し滑りそうではあったけど、気を付ければ何とかなる範囲だった。辿り着いた崖の中腹には案の定、不気味に口を開けた洞窟へと通じる一本道が続いている。

 

(ちょっと怖いけど、見るだけだから大丈夫)

 

そう自分に言い聞かせた僕は、洞窟に向かって道を進む。ここでもやはり、サンズの姿はなかった。ゲームの中ならこの道の途中に立っているはずなのに、だ。いったい、サンズはどこに行っているんだろうか。

 

薄く雪の積もった岩壁に覗ける穴には、こちらを見つめる目玉がいくつも浮かび上がる。ゲーム画面ならまだしも、実際この目で見ると不気味極まりなかった。正直なところ怖いので、途中まで僕はあまり見ないようにしていたけれど、最後の方で好奇心が勝ってつい横目でそれを見つめてしまう。すると、目玉は見る間にすっと暗闇に溶けていった。意外にシャイなのかもしれない。

 

そんなことを考えているうちに、いつの間にか洞窟の入り口まで辿り着いてしまっていた。意外と洞窟は深いらしく、手前の方には鍾乳洞が垂れ下がっていたり、岩がゴロゴロと転がっているのが見えるけれども、奥はほとんどが闇に閉ざされている。これは、中に入るのには少し勇気が要りそうだ。

 

僕はナップザックを背負い直すと、覚悟を決めて洞窟の中に足を踏み入れる。

 

(そういえば、ここに来る途中にギフトロットにも会わなかったな。なんでだろう)

 

洞窟を進みながら、ふとそんなことに僕は気づいた。ギフトロットというのは、角に色々イタズラされた可哀そうなトナカイのモンスターのことだ。洞窟の前の道で必ず出会うはずなのに、今日は彼にも会わなかった。もしかすると、帰りに会うパターンなのだろうか。わからない。

 

奥に進むにつれ、洞窟の中は次第に暗くなってくる。でも、同時に少しずつ目も慣れてきたのか、暗闇の中でもあまり躓くこともなかった。どうも、周りの岩がかすかに蒼白く発光しているようだ。目を凝らして見ると、同時に何か小さな光が空中を飛んでいるのも見える。周囲を照らす蒼白い光と相まって、凄く神秘的な光景に見えた。

 

やがて、洞窟の奥へと辿り着く僕。一気に辺りが広くなり、部屋のようなぽっかりとあいた空間が姿を現す。地面には何本か蒼白く輝くキノコが生えていて、その場を明るく照らしていた。そのままさらに奥へと進んでいく僕。間もなく、一番奥の壁に突き当たる。

 

「やっぱりか…」

 

案の定だった。壁には扉なんてものはなかったのだ。あるのは雫が伝うやや風化した岩壁のみで、まるで最初からこの場所に扉はなかったというような有様だった。こうなってしまうと、もはや出来ることは何もない。

 

「仕方ない。戻ろう」

 

扉があれば自分がこの世界にいる手掛かりが掴めるかもしれないと思ったけれども、流石にそこまで甘くはなかったらしい。この世界は自分が思っている以上に、ゲームから離れてしまっているようだ。まさか、扉自体が存在しないなんて。薄々予想できていたとはいえ、正直驚きだった。

 

溜息をついた僕は、来た道を戻ろうと後ろを振り返る。

 

しかし、その先に佇んでいたのは、1体のモンスターだった。

 

「よお、人間。また会ったな」

 

「サンズ…?何で、こんなところに」

 

そこにいたのは紛れもない、スケルトンのサンズだった。でも、おかしい。本来の展開では、こんなところにサンズはいないはず。いったい、なぜ…。突然の出来事に、心臓が徐々に脈打ってくる。

 

「突然だが、聞いておきたいことがあってな。“言葉を話す花”って知ってるか?」

 

「こ、言葉を話す花…?何のこと?」

 

咄嗟に、僕はそう答えた。何でここでそんなことを訊くんだろうか。サンズは相変わらずのニヤついた独特の笑みのまま、口を開く。

 

「知らないのか。なら、教えてやる。エコーフラワーだ。沼地に生えていて、その花は掛けられた言葉をこだまみたいに繰り返すんだ…。」

 

「へえ…。そんな花があるんだ」

 

まるでいま初めて知ったかのように答える僕。もちろん、本当は知っているものの、waterfellに行ったこともない自分がそう答えるのは不自然過ぎるので、仕方なくそう答えたのだった。額から滲み出た冷汗が、ゆっくりと頬を伝って地面に滴り落ちる。

 

「ああ。で、その花がどうしたかって?まあ、ついさっき俺が興味深い体験をしたんだけどな。聞きたいか?」

 

「う、うん…」

 

「そいつは俺の前に現れるなり、こう言ったんだ。

 

『ボーダーの服を着た人間の子供には気をつけろ』

 

ってな。妙な話だろ?誰かがエコーフラワーでいたずらしたんだろうな」

 

一瞬の沈黙。思わず顔の表情が強張るのを、自分でも感じた。サンズはそんな様子を見て、冗談だと言わんばかりに軽く笑いかける。

 

「へっへっ…。心配するな人間。誰もお前のことだとは言っちゃいねえさ。ボーダーの服を着た人間の子供なんて、他にもいるかもしれないしな」

 

そう言うとサンズは再び、あの何を考えているのか分からない、いつものニヤついた顔で笑い始めた。極度の緊張の中、僕も懸命にそれに合わせて苦笑いをする。まるで生きた心地がしなかった。

 

この場は早く切り抜けないとまずい。

 

本能がそう告げていた。僕はそのまま立ち去ろうと、「じゃ…」と軽く挨拶すると彼の横を通り過ぎる。一刻も早く逃げたいその一心で。

 

心配とは裏腹に、サンズは何も言わずにただ突っ立っているだけだった。逃げるなら今しかない。つい荒くなりがちな呼吸を懸命に抑え込んで、僕は冷静を装いながら足早に洞窟の出口へ向かおうとする。だがその時だった。

 

「ああ、そうだ人間」

 

何かを思い出したかのように声を上げるサンズ。そのまま静かに足を止めた僕に、彼は何気ない口調でつづける。

 

「もう一つ、その花が言っていたことがあってな…

 

 

 

 

 

 

お前、P()l()a()y()e()r()なんだろ?

 

咄嗟に振り返った僕の目に映ったサンズの瞳は、悍ましい闇に塗り潰されていた。

 



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第17話 最悪な時間

前話からかなり間が空いてしまってすみません…。
流血表現多々ありますのでご注意を


「へっ…、何言って…?」

 

「お前さんの知り合いか、友達かは知らんが、気色の悪い笑みを浮かべた金色の花はそう言ってたぜ。青と薄緑のボーダーの服を着たガキ。そいつは人間なんかじゃない、()()()だと。数え切れないほど俺達の世界を弄り回して運命を滅茶苦茶にして、それが遊びだとほざくクソったれだと。ほんと、狂ってるよな」

 

気色の悪い笑みの金色の花なんて、そんなのはフラウィしかいない。あいつはあろうことか、よりにもよってサンズに僕の秘密を漏らしたのだ。心臓が弾けそうなほどに脈打ち、顔から血の気が引く。修羅場とはまさにこのことだった。張り詰めたあまりの空気に押し潰されそうになりながらも、僕は懸命に声を絞る。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!Playerって何さ!サ、サンズはその花の言ったことを信じるの!?」

 

「全部信じちゃいない。あくまで、参考にしただけだ。ここでこうしてお前に会って、裁くためにな」

 

「裁く?なんでっ…」

 

思わず言葉が詰まる。サンズは表情一つ変えず、ニッとした笑みを浮かべていた。気だるく上着のポケットに両手を突っ込んでいるその様子は、全く普段と変わらないようにも見える。けれども、その眼は射貫くように自分を捉えていた。まるで、心底どうしようもないクズを見下すような眼で。

 

「ぼ、僕は誰も殺しても傷つけてもいないし、これからもそんなことするつもりはないってば!君の弟だって、傷つけようなんてこれっぽっちも思ってないよ!」

 

「あー、そうか。確かにそうだな。お前の様子を見るに、ここに来るまでに誰かを殺したり傷つけたりしたことはないようだ」

 

僕は必死だった。極度の緊張の中、懸命にサンズに訴えかける。だって、サンズを敵に回してしまったら何が起こるかなんて、火を見るよりも明らかなのだ。サンズは僕の言葉にそう答えると、軽く頷きかける。そう、僕は誰も殺さなかったし、これからも殺すつもりはない。だから、安心して。お願い、サンズ。

 

「だが、それは()()()()()だろ?」

 

闇に染まるサンズの眼窩。その瞬間、僕は腹に強烈な衝撃を受けた。

 

「グゥッ!」

 

肺の中の空気が全部押し出される。体がくの字に折れ曲がり、全身の力が抜けて地面に崩れた。

 

最初、何が起きたのか全く分からなかった。でも、倒れる最中に目に入ってきたのは、地面から突き出た一本の太い骨。力なく僕がその場に倒れるのと同時に、骨はすっと溶けるように消えてなくなった。

 

「な…、んで…?」

 

腹部を襲う激痛にうずくまり、酷く咳込みながら僕はそう言った。状況からして、あの骨で腹を一発突かれたってところだろうか。幸い突き刺さってはいなかったらしく、血は出ていないようだ。それでも、的確にみぞおちを突いたあの一撃は強烈で、あまりの痛みに僕は立ち上がることができなかった。

 

そんな中、何とか顔をもたげた先にいたサンズは、他人事のように素っ気ない様子で答える。

 

「何でかって?そりゃ、いまに分かるさ」

 

(いま?)

 

どういう意味だろう。考えを巡らせた矢先、ふとある予感が頭の隅を過る。でも、まさかそんなはずはない。そんなこと…。

 

「ッッ!?」

 

その時だった。突然、胸を突き刺す激痛。心臓が悲鳴を上げ、鼓動が恐ろしいほど早く脈打つ。考える間もなく、痛みは全身に広がった。

 

 

「ひっ!?ああああぁっっ!!」

 

体中を生きたまま焼き尽くされるかのような痛みが、容赦なく襲い掛かってくる。まるで地獄だった。絶え間なく押し寄せる苦しみに身悶えし、喉が潰れそうなほどに叫び続ける。それでも痛みが止むことはなく、頭がどうにかなるんじゃないかとすら思った。恐怖と絶望が心を蝕み、正気すらも奪いに掛かる。

 

(助けてッ!誰かぁッ!!誰かぁッ!!!)

 

頭の中ではそう叫んだつもりだったけれど、声として出てきたのはただの悲鳴に近い叫び声だけ。いったいどれほどの間のた打ち回り、もがき苦しんだだろう。永遠とも思えた苦しみがようやく和らいだ頃には、体の感覚は無くなりかけていた。

 

呻き声を上げながら起き上がろうともがくも、体がまるで言うことを聞かない。それでも、辛うじて動いた右手をポケットに突っ込んでマモノのアメを取り出した僕は、それを包み紙ごと口の中に放り込む。そして、力一杯噛み潰した。途端に体中の感覚が戻り始め、脈打つようにズキズキと痛んでいた腹の痛みも止む。

 

あの腹の一撃だけでこれほどのダメージを食らうなんて考えられなかった。まして、あの生き地獄のような苦しみ。あれはやはり…。

 

業の報い(Karmic Retribution)ってやつだ。散々この世界を荒らしまわったお前さんにはふさわしい罰だろ。そう思わないか?Playerさんよ」

 

まるで心の中を読んでいるかのように、サンズはそう答えた。でも、なぜ…。僕はこの世界に落ちてきてから誰一人として殺してもいないし、傷つけてもいない。そう心に誓ってここまで来たのだ。でも、今さっきのあの苦しみは、サンズが言ったようにKR状態に他ならない。

 

「なぜ業の報いを受けるのか、不思議そうな顔をしているな。確かにお前さんはこの世界では誰も殺しちゃいないし、Lvも1のままだ。だが、KARMAは違う。お前さんという一人の人間が、この世界で積み上げてきたKARMA。その運命からは、決して逃れることはできないんだ。Playerとして、散々世界を弄んで運命を滅茶苦茶にして、楽しんできたツケ。それは必ず巡り巡ってお前に戻ってくる。因果応報ってやつだな」

 

自分に突き付けられた現実を淡々と告げるサンズの言葉に、思わず押し黙る。自分でも薄々分かってはいた。散々殺し回って世界をぐちゃぐちゃにした人間が、何もなかったかのように許される訳はないと。でも、改めてそれを告げられると、心がギュッと締め付けられるかのような、苦しい気持ちになる。

 

僕には何も言い返す言葉がなかった。だって、本当に自分はこの世界でKARMAを重ねてきたのだから。挙句にはフリスクの決意を砕いてしまった。因果応報と言われれば、それまでなのだ。

 

「それじゃあ、さっさと始めようか?」

 

目の前に立ち塞がるサンズ。凍り付いたような笑みを浮かべた彼は、すっかり手慣れた口調でそう言った。もはや、戦いを避けることはできそうになかった。僕は覚悟を決め、おろしたナップザックを洞窟の隅に放り投げると、姿勢を低くして身構える。

 

赤いソウルがぽうっと自分の胸で光を放った。

 

サンズのぼっかり空いた眼窩には、蒼白い炎が宿る。

 

 

 

 

 

次の瞬間、まるで体中に錘を付けられたかのように地面に圧せられる。ハッと気づいた時には、地面を覆いつくさんばかりに数え切れない骨の刃が突き出ていた。飛び上がって躱すものの、間髪開けずに“白い激流”が襲い掛かる。咄嗟に激流の切れ目に身を滑り込ませ、転がるようにして何とかやり過ごしたものの、まだまだ攻撃は終わらない。

 

記憶通りなら次はガスターブラスターが来るはず。攻撃に備えるために瞬時に立ち上がった僕は、部屋の中央に駆ける。初手は部屋の壁際すべてを薙ぐ攻撃だからだ。

 

間もなく召喚された獣のような骸骨頭は、瞬く間に自分の四方を塞ぎ込む。発射されるであろう強力なエネルギー弾に身構える僕だったが、先に襲い掛かってきたのはブーメランの如く高速回転する太い骨。

 

「ッ!?」

 

まったくの予想外だった骨攻撃に、完全に不意を突かれた。四方八方から打ち込まれる無数白い骨は弓なりの軌道を描いてカーブし、空気を切り裂く。初弾は横っ飛びして躱したものの、後ろから来ていた骨には気づかず背中にもろに攻撃を食らった。鈍い嫌な音が響き、遅れて激痛が脳を突き抜ける。

 

よろめきながら何とか痛みに耐えるも、時間差で骸骨頭が眩いばかりの閃光とともにブラスターを発射し、躱しきれなかった右肩を焼いた。攻撃はようやく終わったらしいものの、自分の体力も尽きる寸前だった。しかも、再びKR状態が発動して体中を焼き尽くすのだから、もう気がおかしくなりそうだった。

 

「heh…、いつも決まった攻撃パターンばかり出すと思ってたら大間違いだ」

 

力なく地面に膝をついた僕に、そう言い放つサンズ。イレギュラーな世界なら、攻撃もゲーム通りとは限らないということだ。そもそも、トリエルとの闘いでも同じ目に遭ったのに、なんて僕は馬鹿なんだろう。

 

そう思いながら、ポケットからマモノのアメを引っ張り出すと包み紙から取り出して口の中に放り込んだ。スッと爽やかな甘さとともに痛みが和らぎ、力が湧き出てくる。

 

残りのアメはあと2つ。Ruinsでポケットに入るだけアメを持って行ったのは正解だった。一応、ナップザックの中にもパイやドーナツが入っているけど、戦闘時に咄嗟に引っ張り出せるのはアメに限る。今のサンズが悠長に僕がナップザックからアイテムを取り出すのを待つなんて、考えられないからだ。

 

いずれにせよ、できる限り早くこの場を収めなければいけない。回復アイテムあるとはいえ、間に合わなければ殺されてしまうのだ。それに疲れだって溜まってくる。それはサンズも同じだろうけど、この世界に不慣れな分、僕の方がおそらく不利だろう。ならば、早いところ説得するしかない。でも、どうやって…。

 

「ほら、行くぞ」

 

サンズがそう言った途端、いきなり正面に現れた骸骨頭がガスターブラスターを撃ち込んできた。狭い洞窟内に轟く爆音。既の所で躱したものの、再び現れた骸骨頭が執拗に僕を付け狙ってくる。何度も何度も。息をつく暇すら与えず、まるで狼が獲物を追い立てるかのように。ガスターブラスターが放たれる度に瞬く閃光は、薄暗い洞窟を真昼のような容赦ない光で照らし上げる。

 

気づいた時には、僕は洞窟の隅に追い詰められていた。それを待っていたかの如く、目の前に現れたのは3つの骸骨頭。同時に口を開いたそれらは、全体を蒼白く輝かせながらブラスターをチャージする。逃げ道はもはやないに等しかった。後ろも左右も、岩の壁が塞いでいている。なら、正面は?

 

迷っている暇はなかった。ブラスターが放たれるまでは少ししかない。

 

(くそッ!)

 

僕は半ばやけくそになって骸骨頭に向かって突っ込むと、跳び箱の要領で大きく踏み切った。そのまま、口を開いた骸骨の鼻先に手をついて勢いよく跳躍する。その瞬間、放たれたブラスターが耳をつんざかんばかりの爆音を轟かせて背後の壁面を吹き飛ばし、そのまま僕は前に弾き飛ばされた。

 

目の前にはサンズが相変わらずのにやけ顔で立っている。

 

「ほら人間。俺はここにいるぞ、攻撃してみろ」

 

いつになくサンズは挑発的だった。何が彼をここまで変えてしまったのだろう。それは言うまでもなく、自分の所為に他ならなかった。どうしようもない悔しさに、僕は唇を強く噛み締める。

 

「攻撃しないよ。だって、僕はそう誓ったんだよ。自分の罪を償うために」

 

その答えにサンズは虚を突かれたのか、一瞬言葉に詰まったようだった。でも、すぐに何事もなかったように落ち着いた声で返す。

 

「償いか…。薄汚い兄弟殺しがよく言うぜ。それならお前の命で償ってもらおう」

 

その瞬間、浮遊感を覚えたかと思うや否や瞬く間に体が空中に投げ出され、天井に叩き付けられた。不意を打たれて受け身が取れなかった僕は、頭を岩に打ち付ける。一瞬だけ意識が飛び掛かるも、背筋が凍る悍ましい殺気にすぐに飛び上がった。案の定、先ほどまでいた天井には無数の骨の刃が突き出ている。

 

一安心と思ったのも束の間、今度は飛び上がったままの勢いで地面に引き寄せられ、思い切り叩きつけられた。しかも、今度は骨が出るタイミングが圧倒的に早い。立ち上がった瞬間に骨の刃が突き出たせいで、両足を鋭い刃が貫いた。

 

「ぐああああぁぁッ!!」

 

思わず声の限りに絶叫する。支えを失った体はそのまま地面に倒れ込んだ。引き千切られたんじゃないかと思った足は、赤黒い血で染まっていてピクリとも動かない。自分でも驚くくらいに脂汗が額に滲み、涙が出てくる。

 

そこにサンズが静かに歩いてきた。

 

「Player。俺も最初はそんな存在なんて、信じようとすら思わなかったさ。時空連続体の大規模な異常と、あちこちに跳ねて止まってはまた動き出す時間軸。そいつは、まあ、ある一人の人間の仕業ってとこまでは突き止めていたんだが、やれるのはそこまでだった。だが、ある時俺はタイムラインの中で不可思議な現象に遭遇したんだ。以前のタイムラインの記憶が残り続けるという現象に」

 

頭も打ち付けたせいか、ぼんやりして視野が定まらない。サンズは動けない僕をじっと見つめながら、過去を思い返すようにゆっくりと続ける。その間に、僕はポケットから引っ張り出してきたマモノのアメをまた一つ噛み潰した。

 

「それは俺を酷く苦しめたが、同時に収穫もあった。記憶が残り続けるがゆえに、俺は自分の研究に没頭できたんだ。そのおかげで、研究の末にこれまで時空に起きた異常現象は、ある一つの数理モデルですべて説明できることが分かった。そして、そのモデルが示唆していたのが、この世界とは別の世界線から干渉する第三者の存在。俺たちをおもちゃにして楽しんでいる、Playerなる存在だ」

 

低い声で冷静にサンズはそう言った。いや、懸命に冷静を装っていたのかもしれない。その証拠に、最後の方の声は震えていた。

 

「お前がそのPlayerなんだろ。俺たちで“遊んで”さぞかし楽しかっただろうな。()()()を散々弄んで、踏みにじって、終いには...。」

 

そこで、サンズが言葉を詰まらせた。見ると、今までに見たことのないような、辛く重い苦悩に満ちたような表情を滲ませている。何があったんだろうか。

 

「とにかく、お前さんができる償いは一つだ。ここで死んできれいさっぱり諦めること。ロードしたって無駄だ。俺は今までの俺とは違う。SnowdinだろうがRuinsだろうが、どこでも平気でお前を殺す。たとえパピルスの前でもな」

 

滲み出るゾッとするほどの殺意。説得しても無駄なんじゃないかと、一瞬思い浮んだけれども、僕は必死で掻き消した。彼女__フリスクを助け出す。フリスクを助け出してハッピーエンドで終わらせる。僕はそうキャラに約束したんだ。そしてそれこそが、きっと皆にとっての償いになる。

 

「いや、僕は諦めない。僕は確かにこの世界をぐちゃぐちゃにした。そしてフリスクの決意も砕いたんだ。でも、その僕だからこそ、彼女を救わないといけない。それが償いだと信じているから」

 

「勝手なことをぬかしやがって。ならお前のその決意、粉々に砕いてやるよ」

 

そう言ったサンズは、左眼を蒼白く光らせる。重力の方向は横。そしてその先には、既に無数の骨の刃で埋め尽くされた壁が待っていた。咄嗟に僕は地面の鍾乳洞を掴んで体を支える。だが、そこへ容赦なく撃ち込まれるガスターブラスター。雲梯のように他の鍾乳洞に飛び移るものの、至近距離で炸裂したブラスターに吹き飛ばされる。

 

飛び散った岩の破片があちこちの肉を抉った。耐え難い痛みが容赦なく体を突き抜ける。幸い、骨攻撃の継続時間は長くは取れないらしく、壁を埋め尽くしていた刃はいつの間に消え去っていた。そこに着地した僕だったけれど、続けて青とオレンジの骨が交互に襲い掛かってきた。それだけならまだ何とかできたものの、加えて骸骨頭が自分目掛けてブラスターを撃ち込んでくる。

 

もはや当たらない方が不可能だった。ブラスターを躱すとそこに青い骨が飛び込んでくる。咄嗟に体を守ろうと組んだ両腕に骨が当たり、何かが折れる鈍い音が響いた。途端に襲い掛かる鋭い痛みに、思わず「い゛ッ…!」と声が漏れる。終いには立ち止まっている最中にオレンジ骨の攻撃をもろに食らって、地面に倒れ伏した。

 

(このままじゃ、確実にやられる…)

 

遅れて発動してきた業の報いのダメージに歯を食いしばりながら、僕は最後のアメをポケットから取り出そうと手を伸ばした。これでアメは最後。あとはタイミングを見てナップザックから何か取り出すか、サンズを説得するしかない。あの様子だとかなり難しいかもしれないけれど、諦める訳にはいかなかった。声を掛け続けていれば、きっとサンズだって分かってくれるはず。トリエルだって分かってくれたんだから、まだ希望はあるはずだ。

 

でも、そこで僕はあることに気づいた。

 

ポケットにあるはずの最後のアメ。あろうことか、それが無かったのだ。

 

(嘘…。さっき食べた時にはまだあったはずなのに。もしかして、落としたのか?)

 

焦りが一気に心を蝕む。両腕の骨はさっきの攻撃で折れたのか、肘から先は血まみれでろくに動かない。脚も太ももに岩の破片が刺さったせいか、感覚がぼやけ、ぬるりとした生温かく気持ち悪い感触だけが残っている。

 

(どうしよう…どうしよう…。)

 

サンズはその眼窩を真っ黒に染め、音もなく静かに近づいてくる。一か八か、ナップザックに飛び掛かって…。いや、でもこんな手足じゃろくに開けられない。でも、このままだと確実に串刺しになるのがオチだし…。

 

選択の余地はなかった。

 

覚悟を決めた僕は、最後の力を振り絞って壁際のナップザックに飛び掛かる。最悪手が使えなくても口で回復アイテムさえ咥えられれば、一先ずこの場は乗り切れるはず。途端に凄絶な痛みがこれでもかというほどに襲い掛かってくる。気を失いそうになりながらも、僕は何とかリナップザックの口に噛みついた。

 

隙間からはさっき買ったばかりのナイスクリームが覗けている。あと少し、あと少しでアイテムに口が届くところだった。

 

 

 

「よう。随分とお前さんも必死だな」

 

気づけば目の前にはサンズの姿。まだ距離はあったはずだった。それに、気配も何も感じなかった。まさか、ショートカットを使ったのだろうか。

 

「待っt…!」

 

青ざめる僕の体を、捻じ曲げられた重力が容赦なく空中に弾き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間はもはや虫の息だった。

 

手持ちのアイテムが尽きたのか、満身創痍でナップザックに飛び掛かっていたところを、俺は見逃さなかった。これまでなら“ターン”という憎たらしい制約のために、俺は黙って奴がアイテムを食う所を見ているしかなかった。でも、幸運にもこの世界にはそんな制約すらもないらしい。

 

ショートカットでヤツの目の前に飛んだ俺は、アイテムに食らいつく寸前の所で重力操作でヤツを天井に思い切り叩きつけた。あんな体じゃもはや着地なんて取れるはずもない。鈍く生々しい音を耳に残して天井に激突し、短い悲鳴を上げた。その後も、人間の体はもはや成されるがままに何度も壁や天井に打ち付けられ、今は俺の目の前の壁に張り付けになっている。

 

それでも人の体というのは意外に丈夫らしい。重力で壁に張り付けられてもなお、ヤツは意識を辛うじて保っているようだった。念のため俺は骨の刃を手足に打ち込んで身動きを封じておく。俯いたまま押し黙っていた人間だったが、これにはかなり堪えたらしく、くぐもった悲鳴を上げる。

 

「人間。最後に言い残したことはないか」

 

近づいた俺は、全身血まみれの人間にそう言った。ヤツは頭からも流血していて、額を伝った血は左眼に入って塞いでいる。時折呻き声を上げながら、喘ぐように肩で息をするその姿は見ていて辛いものがあるが、それがヤツの犯した罪の報いなら仕方ないだろう。

 

人間は残された微かな力で首をもたげると、静かに俺を見つめる。そして、消え入りそうな細く小さな声で、けれども強い意志を込めて答える。

 

「…信じて、ほしい。僕は、もう誰も殺さない。フリスクを助けるって、約束したんだ」

 

「約束ねぇ…。悪いが、俺は約束ってもんが嫌いなんだ。約束した以上は守らなきゃならねえからな。それに、破ったら破ったで、約束したヤツには申し訳が立たねえ。…だから俺は誰とも約束はしないことにしたんだ。あのおばさんにも、実はお前さんを守るように頼まれたんだが、適当にはぐらかして断ったよ」

 

人間は何を思ったか、それを聞いて酷く悲しそうな顔を浮かべた。今まで散々好き勝手な事をして俺たちを苦しませておきながら、何を悲しむことがあるのだろう。俺には全く理解できなかった。

 

「ま、せいぜい約束したヤツに謝っておくことだな。あいつは、フリスクは…。もう戻ってこない。お前が殺したんだからな。奴の夢、希望、決意。ぜんぶ粉々に打ち砕いて。だから、お前にできるのは、ここで諦めること。それだけだ…」

 

俺はそう言うと、自分の背後に一本の骨を呼び寄せる。胸にある心臓を一突きすればヤツが確実に息絶えることは、嫌でも味わってきたあの戦いの中ですっかり身についていた。別に態と急所を外して拷問よろしく甚振ってやることもできるが、そんな趣味は俺にはない。

 

その時だった。

 

「…いやだ」

 

「は?」

 

ヤツは確かにそう言った。

 

「僕は、絶対に諦めない。サンズにも、本当に悪いと思ってる。でも、だからこそ、ハッピーエンドでこの世界を終わらせるって、そう誓ったんだ。もう誰も、苦しまなくていいように。だから、お願い。僕を信じて…。こんな身勝手で、どうしようもない僕だけど、信じて」

 

口から血を吐き出してとても苦しいはずなのに、ヤツはそう言うと微笑んだ。

 

その姿に、一瞬だけあいつが重なる。

 

なんなんだよ、コイツ…。お前に俺の何が分かる。俺が今まで散々味わってきた絶望と苦しみ。すべてを知っていながら何もすることができない無力感。それを味わったこともない人間に、いったい俺の何が分かるんだ。

 

「黙れ!お前はただの極悪非道な化け物でしかない。薄汚い兄弟殺しでフリスクを消し去った。誰がそんなお前の言うことなんて信じられる!?」

 

怒りに任せて、俺は思わずヤツの首を絞める。細い首筋に俺の指が食い込んで押さえ付け、息の根を止めに掛かる。身動きができない人間は顔を歪ませて苦しんでいたが、それでもなお、懸命に俺に声を掛けてきた。

 

「そんなの、わかってる…。でも、お願い…。信じて…。」

 

黙れ。

 

「お願いだよ…。」

 

頼むから黙ってくれ。

 

「しんじ…て…。」

 

黙れ!いい加減にしないと今すぐに…。

 

 

 

 

 

背後に呼び出した刃をヤツの心臓に突き立てようとしたその時、ふと、あいつの笑顔が浮かんだ。

 

天使のような、満面の笑み。

 

あの笑顔がもう一度見られたら、どれだけ幸せなんだろう。

 

「クソ…ッ!」

 

俺は手を離した。

 

でも案の定、その時にはもう人間に意識はなかった。脱力した体は恐ろしい程に蒼白くなっていて、ぴくりとも動かない。攻撃を解くと、ヤツの体は人形のようにその場に崩れ落ちる。もう手遅れだった。壁にはべっとりとついた赤黒い血。拭い切れないその赤は、己の犯した罪を痛いほどに脳裏に刻み込む。

 

「…これだから、人を殺すのは嫌いなんだ」

 

深い溜め息をついた俺は、しばらくの間その場に立ち尽くした。

 



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第18話 罪

岩々から漏れ出す仄かな光が照らす洞窟の中。血溜まりの中に倒れる少年をじっと見つめていた青いパーカーのモンスターは、深く長い溜め息をつくと彼に背を向け、気だるげに洞窟の出口へと歩みを進める。

 

その場に残された彼は、倒れたまま全く動かない。胸に薄く光っている赤いソウルには無数のひびが入り、今にも砕けてしまいそうだった。

 

「あーあ、こんなにボロボロにされちゃって。可哀想に」

 

そこに、無邪気な少女の声が響く。

 

「だからあの骨野郎には気を付けろって言ったのに。ほんと、君は甘いヤツだな」

 

薄緑にベージュのボーダーの入ったセーターを着た、ティーンエイジャーの子どもがそこにいた。凍り付いたような満面の笑みに、血色の良い赤い頬。彼女はその笑みをさらに深めると、倒れている彼にそっと近づき、囁くように言った。

 

「仕方ないな。これ、貸しだからね」

 

その瞬間、彼女の瞳が赤く光った。鮮血のような真っ赤な赤に。そんな彼女の手の中には、一粒のマモノのアメが握られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし彼のことを信じていたら、どうなっていただろうか。

 

俺は出口への道を進みながら、そんなことを考えていた。憎たらしい話す花が言った通り、あの人間はPlayerで間違いはないのだろう。Lv1でExpも0。誰も殺していないし誰も傷つけていないのは本当だったが、背負うKARMAの呪縛からは逃れることができなかったようだ。あの感じなら、ヤツのKARMAは想像するだけでも恐ろしいレベルだろう。その報いを受けさせるならば、勿論こんな程度ではまだまだ生ぬるい。

 

でも、そんなKARMAを犯しておきながらあいつは自分のことを信じて欲しいと、何度も何度も懇願してきた。この世界を弄んだヤツがそんなことを言うなんて、心底笑える話だ。だが、ヤツはフリスクのことを話していた。自分があいつの決意を粉々に打ち砕いたと。そして自分だけが、彼女を救うことができると。

 

「全く、笑わせてくれるぜ…。」

 

なぜなら、彼女の決意を砕いたのは…。

 

「他でもない()()()()()()

 

「っ!!?」

 

突如聞こえた子どもの声。振り返りざまに骨の雨を浴びせるも、気配はもうそこにはない。

 

「いきなり撃ってくるなんて相変わらずだな。クソ骨」

 

逆さに生えた鍾乳洞の影から出てきたのは、あろうことか、さっき自分が殺したばかりのあの少年だった。傷だらけでボロボロの服に、血まみれの体。間違いはない。

 

「へへ、止めくらい刺すべきだったか」

 

俺は即座に背後にガスターブラスターを呼び出し、臨戦態勢に入る。だが、人間はどこか様子が違うようだった。さっきはフリスクのような細目だったのに、今は恐ろしい程に目を見開き、血のような赤い瞳でこちらを見つめてくる。何より、ヤツが背負っているのは先ほどとは桁違いの悍ましい量のKARMA。LvやExpなんてものはとうに振り切れていた。

 

これはもはや別の人間と言った方が正しいのかもしれない。だが、俺はどうしてもそいつに見覚えがあった。

 

あの化け物のように悍ましく、張り付けたような笑み。

 

「お前は、まさか…」

 

そう。あいつは、これまで俺が最後の回廊で戦ってきた狂ったフリスクと瓜二つだった。モンスターというモンスター全てを殺し、殺戮の限りを尽くした悪魔。パピルスの善意を踏みにじり、首を裂いて惨たらしく殺した張本人だ。

 

「もしかして、驚いているのか。まあ、無理もないだろうね。こんなイレギュラーな所で、しかもこんなタイミングで出会うことになるなんて、私だって予想してなかったんだから。お前が相棒をこんなにボロボロにしてなきゃ、私も出てくる気はなかったよ」

 

人間は相変わらずの不気味な笑みを浮かべたまま、何気ない調子でそう答えた。そうして、語尾に力を込めて続ける。

 

「それにしても、性懲りもなく()()無実の人間を殺しかけるとは。お前も随分堕ちたものだな」

 

()()、だと?」

 

「ああ、そうとも…。忘れたとは言わせないよサンズ。フリスクを殺したのは、あんただろ。彼女の心を、決意を、粉々に打ち砕いてね」

 

その瞬間、脳裏に鮮明な記憶が蘇る。

 

真っ赤な鮮血に染まった雪。その中で息絶える青い服の少女。そして、その胸に深々と突き刺さる鋭い骨の刃。あれは俺の…。

 

ソウルが酷く脈打つ。

 

…やめろ。思い出させるな。

 

気づいた時には、ガスターブラスターを解き放っていた。薄暗い洞窟を閃光が瞬き、辺りの空気を文字通り引き裂きながら凄絶なエネルギーの流れが人間に殺到する。そのまま、ヤツの体はブラスターに呑まれ、蒸発したかのように見えた。

 

「残念。都合が悪くなるとすぐ物騒な物使って…。お前も私と大して変わらないんじゃないのか?」

 

薄笑いの混じった無邪気な声が響く。人間は猿の如く、天井の鍾乳洞にぶら下がっていた。ブラスターが直撃するまでの一瞬の隙に、あそこまで跳躍したのだろう。恐ろしいほどの運動神経だった。

 

「黙れ。お前なんかと一緒すんな。この殺人狂が」

 

舌打ちをしながら、俺は重力攻撃を発動してヤツを骨の刃が埋め尽くした地面に叩き落とす。でも、そんな程度では通用しないらしい。人間は鍾乳洞から落とされる寸前に大きくそれを蹴り飛ばし、横方向に跳躍すると岩壁に張り付く。間髪開けずに俺はそこに向かってガスターブラスターを撃ち込むも、骨攻撃を解いた隙を突かれて地面に逃げられる。

 

「まあ落ち着きな。私は別にお前と戦いに来たんじゃない。お前に話があるんだ」

 

「話だと?悪いが俺に殺人鬼と話す趣味はないんだ。黙って殺されろ」

 

俺はそう言い放つと背後から骨の雨をお見舞いする。だがヤツは驚くような身のこなしで軽々と弾幕を躱し、クスクスと無邪気な笑い声を響かせた。洞窟に反響したその声は、まるで地獄の底から聞こえるような不気味なものだった。

 

「聞く気がないんだったら、無理やりでも聞かせるしかないか」

 

そう言うと、人間はその赤い瞳を一際光らせる。背筋をゾクっとさせる悍ましいほどの殺気。みるみるヤツの右手の中に光が集まったかと思うと、瞬く間に変形してナイフが形作られる。赤黒いそれはまるで血の色のようで、鋭いその刃からはヤツの底知れない殺意を感じさせる。

 

人間はそれを構えると、凍り付いた笑みのまま一直線に突っ込んでくる。まるで恐怖なんて感じていないかのようだった。

 

俺は発動した重力攻撃でそれを背後の壁に跳ね退けようとするも、ヤツは地面にナイフを突き立ててその場に留まった。でも、そんなことくらいは俺にだって読める。天井にはフルパワーチャージした大型のブラスターが口を開け、今にもエネルギー弾を解き放とうとしていた。勿論、その照準はヤツに向けられている。

 

「消えろ」

 

次の瞬間、撃ち下ろされた強烈なエネルギーの束は、重力に抗う人間を捉えて一気に襲い掛かる。炸裂したブラスターは地面を深々と抉り、粉々に砕いた岩の破片を辺り一面にぶちまけた。普通の人間なら即死だろう。でもヤツなら…。

 

「おっと!」

 

真横を掠める風切り音。ショートカットで躱していなければもろに食らっていたかもしれない。振り向くと、そこには相変わらずの笑みを浮かべたヤツの姿があった。右手に握られた赤黒いナイフは、蒼白い炎を燻ぶらせる砲撃痕の光を受けて鈍い光沢を放つ。

 

「流石だねサンズ。今の攻撃、結構自信あったんだけどな。で、私の話を聞いてくれる気にはなったかい?」

 

「お前さんに褒めてもらっても嬉しくなんかねえよ。答えはノーだ。その物騒なもんを捨ててくれたら、考えなくもないけどな」

 

「ふふ、それをやったら私を殺すだろ」

 

不敵な笑みを浮かべた人間は、力強く地面を蹴ると一心不乱に切り掛かってくる。赤い残像を残しながら次々と空気を切り裂くナイフ。地面から突き出す鋭い骨の刃にも一切動じす、一つまた一つと攻撃を避けては俺との距離を詰めてくる。

 

(チッ、ほんとに化け物だな、こりゃ)

 

青骨とオレンジ骨の連続攻撃にも怯むことなく、俺に肉薄した人間は赤黒いナイフを突き立てようとする。だが、紙一重の所で俺はショートカットでそれを避け、四方に仕掛けていたガスターブラスターから十字砲火を浴びせる。放たれたブラスターは眩い閃光とともに人間に殺到するものの、ヤツはもろともせずにことごとく攻撃を躱しながら、再び俺に向かってくる。

 

冷汗が額を伝う。認めたくはないが、このままだといずれ俺が先に倒れることになるのは明らかだった。こうなったら、何が何でもヤツの動きを封じ込めるしかない。仕掛けるなら、まだ力の残っている今しかないのだ。

 

荒い息の中、俺は持てる力の限りに重力攻撃を発動してヤツの体を背後の壁に叩き付ける。流石の人間もここまでの力には抗いきれないらしく、勢いよく壁に打ち付けられて小さく呻いた。そこへ容赦なく骨を撃ち込み、手足を押さえこもうとする。だが、人間は通常の数倍もの重力を受けながらも左右へ転がるようにして攻撃を躱し、中々俺の思惑通りにはならない。

 

「畜生、いったいどうなってやがる」

 

俺は焦りを抑え切れなかった。どれほど濃密な弾幕を張ったとしてもヤツは針に糸を通すかの如く、わずかな隙間をくぐり抜けてその血の赤に染まった瞳を見開き、自分の方へと向かってくる。ガスターブラスターの連続攻撃も完全に見切られ、焼け石に水だった。立ち塞がる骨の壁を握ったナイフで両断したヤツは、再び俺に肉薄する。

 

(今だ!)

 

ギリギリまでヤツの攻撃を引き付けたまさにその時、俺は秘策を発動した。繰り返し続けるタイムラインの中、引き継がれる記憶を頼りに組み上げた新しい技。ヤツの肉体を中心に全方向に最大重力を掛け、その体を空中に捕らえるその技は、ターン制約すらないこの世界の俺にとって最後の切り札だった。

 

重力場に捕らえられた人間は必死にもがくものの、全方向に体を引きのばす重力に負けて手足を大の字に押さえつけられる。そこへ、俺は止めとばかりに最大出力までチャージしたガスターブラスターを差し向けた。こいつを食らえばヤツは消し炭どころか跡形もなく焼き尽くされ、一瞬で蒸発してもおかしくない。

 

「じゃあな、人間」

 

俺がそう言った時、ヤツの口元がニッと吊り上がる。あろうことか、ヤツは身を捩ると今まさに放たれようとしていたブラスターに向かって、重力に逆らいながら右手のナイフを力一杯投げつけたのだ。凄烈な重力に引かれてさらに加速したナイフは、口を大きく開いたガスターブラスターの喉の奥へ深々と突き刺さる。

 

その瞬間、俺の眼を眩い閃光が貫いた。同時に天地を揺るがす凄絶な衝撃波が襲い掛かり、俺はたまらずショートカットを効かせて退く。遅れて吹き飛ばされた岩石が周囲に飛散し、土煙が視界を塞いだ。

 

「くそ、こんな時に襲われたら…」

 

「襲われたら、何だって?」

 

背後から声が聞こえた。

 

思わず息を呑む。攻撃を浴びせようと左手を上着のポケットから手を出したところで、首筋に冷たいものが触れた。

 

「チャックメイト。惜しかったねサンズ。わざわざ新技まで使ったのにさ」

 

煙が晴れると、人間は俺のすぐ背後に立っていた。首にはあの赤黒いナイフが当てられ、少しでも動こうものなら容赦なく掻き切られるだろう。どうしようもない悔しさが、心の中にこみ上げる。だが、同時に俺は魔力を込めて、ポケットにこめている右手の指をそっと動かした。

 

「うるせえ。憎まれ口叩いているだったら、さっさと止めを刺したらどうだ」

 

「うーん、何度も言っているけど、別に私はお前を殺すことに興味はない。少し話をしたかったんだ。このクソみたいに狂ったイレギュラーな世界についてね。…だから、くだらない考えはよしたらどうだ。私の後ろでブラスターを溜めている骸骨頭、これはお前のだろ」

 

(畜生、気づいてやがったか。)

 

人間はそう言うとクスっと笑った。ヤツの背後には俺の差し向けたガスターブラスターが、攻撃の瞬間を今か今かと待ち詫びていた。その照準は、俺にぴったりと合わせられている。俺が密かに操っていたのはこの攻撃だった。こいつが放たれればヤツの命は確実にないだろうが、同時に俺ともども消え去る。いわば捨て身の攻撃だった。

 

だが、気づかれていたのではどうしようもない。俺は渋々ブラスターを引き下がらせる。

 

「ありがとうサンズ。せっかく人間を殺してもお前も同時に死んだんじゃ、あの弟も悲しがるだろう」

 

「黙れ。お前なんかに言われる筋合いはねえよ。あいつは俺がいなくても、一人で強く生きていけるさ」

 

なおもナイフを首に当て続ける人間に、俺はそう答えた。ヤツはそれを聞いて再びクスリと笑う。まったく気に食わない人間だった。

 

「本題に入るけど、まあお前も知っての通りフリスクはこの狂った世界のせいで決意を折られて、消えてしまった。そう、誰かさんがSnowdinで出合い頭に彼女を殺してしまったからね」

 

穏やかに、けれども力のこもった声でヤツは続ける。俺はそれを黙って聞くことしかできなかった。

 

「せっかく、Playerの呪縛を受けずに初めて来た世界だったのにさ。今度こそ、皆と一緒に幸せなエンディングを目指そうとしていたのに。何一つ話に耳を傾けずに、そいつは彼女の命を奪ったんだ。全く酷い話だよね。フリスクは誰も殺さず、傷つけてもいなかったのに」

 

……。

 

「無実の人間を殺した感触はどうだった?癖になりそうだった?そりゃ、この世界の理に背いた初めての体験だったものね」

 

やめてくれ…。

 

「話すらろくに聞かずに彼女の小さな心臓をその骨で一突きにして、さぞかし満足だっただろうね。挙句の果てには止めまで刺して」

 

頼むからそれを思い出させないでくれ。

 

「極悪非道な殺人鬼なのは、お前の方じゃないのか?なあサンズ?」

 

「やめろ、黙れ!」

 

俺の瞳から涙が溢れ出る。

 

そう。俺はこの手でフリスクを殺したのだ。

 

Ruinsから出てくるあの橋の所で。握手しろと振り返らせた瞬間に、その心臓目掛けて骨を撃ち込んだ。その時の彼女の顔は、今でも脳裏に焼き付いて離れない。

 

心から信頼している誰かに裏切られ、酷く驚き、絶望に満ちた表情。

 

それでも、彼女は倒れながらに、俺ににこやかにほほ笑んだ。慈悲深い天使のように。

 

俺はそんな彼女に目を背けると、地面から骨を突き出させて止めを刺した。ぐちゃりという何かが潰れたような生々しい音と嫌でも鼻をつく血のにおい。純白の雪面を染める鮮やかな赤が、倒れた彼女の周りを染めていた。

 

仕方がなかったのだ。

 

全くすべてとは言わないものの、あいつは弟の命を数えきれないほど奪ってきた。情けを掛け、無防備だった彼を容赦なく引き裂いたのだ。俺はそれを黙ってみていることしかできなかった。それがこの世界の(ルール)だからだ。だが、これまでのタイムラインの記憶が残る以上、俺にはそれが耐え切れなかった。

 

だから、忌々しい掟が消えた“たった一度”のあるタイムラインで、俺はあいつを殺した。

 

これ以上、弟が殺される光景を見ないようにするために。

 

「全く、人のことを散々殺人鬼呼ばわりしている癖に、自分だって殺しているんだから、笑っちゃうよ」

 

人間はそんな俺を嘲笑う。こんなことをしたモンスターなら当然だろうか。あの時の彼女が、Playerの縛りを受けず自らの意思で行動していた可能性に気づいたのは、彼女が現れなくなってから一か月も過ぎようとしていた時だった。その時から俺は、人知れずこの十字架を背負い続けている。

 

正直、もう疲れてしまった。この苦しみを一人でずっと抱え込むことに。何も知らない無垢なパピルスに、全く変わらずに接し続けることに。

 

「…殺してくれ」

 

「何だって?」

 

「俺を殺してくれ、人間」

 

それなら、俺の罪を知る目の前の子どもに、一思いに殺された方が楽になれる。例え次のタイムラインで記憶が残っても、俺が殺されることが少しでも償いになるのなら本望だった。それに、何もしていない無実の彼女を惨たらしく殺した俺が、パピルスに会う権利なんて端からない。むしろ、こんな薄汚いヤツがあいつの兄だということが知れ渡ったら、あいつも酷く傷つき、悲しむに違いなかった。ならば、ここで人知れず殺された方が、あいつにとっても良いのかもしれない。

 

「まったく、何を言い出すかと思えば。この臆病者。それはただ目の前の現実から目を背けて逃げているだけだろう。しかも、その罪を私に擦り付けようだなんて、随分と私も甘く見られたものじゃないか」

 

「悪いな。俺は今までそうやって生きてきたんだ。逃げて諦めて…。なぜなら、この世界は何をやってもどうせ巻き戻される。全て無駄なんだよ、結局」

 

吐き捨てるようにそう答える俺。だが人間は静かに頷くと、何を考えているのか分からない薄ら笑いを浮かべながらこう言った。

 

「ああ、そうだな。この世界は何度も何度も巻き戻され、一つの物語を繰り返し続ける。今まではね」

 

「今までは?」

 

ヤツの放った言葉に、俺は思わず顔を上げた。いったい、こいつは何を言っているんだろうか。ヤツは俺の横から覗き込むように顔を出すと、囁くように言った。

 

「そう。だがこれからは違う。サンズ、この世界を変えようとは思わないか?」

 

この世界を変える?何をどうやったとしても無理なことだ。この世界はあの人間が落ちてくる瞬間を起点に時間軸がループし、その先いくら進もうとも“リセット”が掛かった途端に綺麗さっぱり全てが巻き戻ってしまう。俺だってその現状を変えるべく努力してきたつもりだった。だが、どうやってもその呪縛を破る方法は思い浮ばない。それを変えるだなんて、土台無理な話だ。ましてやこんな子どもに…。

 

こんな子ども?待てよ。

 

「まさか、あのクソ花がPlayerがどうとか言っていたのが関係しているんじゃねえだろうな?」

 

「その通り。いま私が憑りつき、お前がさっき殺しかけたこの体。これはこの世界を荒らしまわった張本人__Playerのものだ。もっとも、時間軸どころか世界レベルで存在が違うコイツが、何でこの世界に現れたのか、私にも分からないけど」

 

確かに、ヤツの言うことには一理あった。この世界の住民である俺がいくら試したところで、この世界を変えることは難しいのかもしれない。でも、外の世界。ましてや俺らを操る立場にいたPlayerならば、運命を変えることもできるのではないか。

 

突拍子もないことに思えたヤツの提案だったが、急に現実味を帯びてくる。

 

「だから、話を聞いてあげれば良かったのにさ。一切攻撃せず、必死に説得してた彼をこんな目に遭わせちゃうんだもの。絶対死ぬほど怖かっただろうに。というか私が来なかったら確実に死んでただろうな」

 

恨めしそうな声でそう言いながら、クスクスと笑う人間。そいつに俺は、前々から気になっていた質問をぶつけてみる。

 

「そういうお前は何者なんだ?随分と俺やこの世界に詳しいようじゃないか?」

 

「私の名前はキャラ。お前がおそらく考えたであろう、最後の回廊で戦ったあのフリスクに乗り移っていた存在だ。正確には表に出ないだけで、ずっと乗り移っているんだけどね」

 

フリスクに乗り移った存在?まったく意味が分からない。だが、キャラという名前はどこかで聞き覚えがあった。確か、この世界に最初に落ちてきて、王家に迎え入れられた人間の名前だったはずだ。

 

俺の思考を読んだのか、人間はニッコリとした笑顔を浮かべながら続ける。

 

「ご名答。流石、王立研究所の“元”研究員は違うね」

 

「そこは強調しなくてもいい。つまり、お前さんはファーストヒューマンの残留思念のような何かってわけか。前々から化け物だと思ってはいたが、まさか本当にお化けだとはな」

 

「その呼ばれ方嫌いだからやめてくれない?首切るよ」

 

喉骨に触れていたナイフが食い込む。話には聞いていたが、中々冗談のキツイ子どもだ。これだと、そもそも冗談かどうかすら疑わしい。

 

「待て、落ち着けって。それで、Playerのヤツはどうするつもりなんだ。コイツが本当にフリスクを救って、俺たちをこのループ地獄から解放してくれるのか?」

 

「ああ、そうさ。いきなりフリスクを殺したあんたも考えものだけど、そもそもこんな状況に追い込んだ元凶は彼だからね。まあ、根は優しいヤツだよ。きっとね。自分が何をしたのかは分かっているようだから、その決意で最後まで皆を導いてくれるはずさ」

 

「だが、フリスクはもういないんだぞ。なのに、どうやって彼女を呼び戻すんだ?」

 

「粉々になったままのフリスクのソウルがどこに行ったのかは、私も知らない。その肉体もね。でも、この世界に落ちてきた人間のソウルが最後にどこに行くか、君なら知っているはずだ」

 

この世界に落ちた人間の末路。それは、モンスターに殺されてソウルを奪われること。俺がフリスクを殺した後、少なくとも一回は時間軸が巻き戻り、ロードが発生していた。ということは、彼女は俺でもない誰かに殺されて、ロードせずにいることになる。だとすれば、そのソウルが行く先は…。

 

「アズゴア王の所か。確かに、あそこなら人知れずにフリスクのソウルを隠していてもおかしくはねえな。実際、あの王様はしばらく表に顔を出していない」

 

「そう。だから、一つお願いがあるんだ。アズゴア王のところまで、この人間を()()()()やってほしい。別にぴったり守ってくれとは言わない。こうなったのも、ある意味この人間が招いたことだしね。王のところまで行きさえすれば、あとはこの相棒と私が何とかするよ」

 

張り付けた笑みを止め、神妙な面持ちでヤツは言った。まさか、また人に子守りを頼まれるとは。全く面倒臭い話だった。しかも、見守る相手は俺たちをこんな状況に追いやった張本人のPlayerだ。守るどころか殺してしまいかねない相手なのに、随分と無茶を言ってくるものだ。

 

でも、このイレギュラーな世界の呪縛を解くためにはもう彼にかけるしかないのかもしれない。何より、フリスクに二度と会えず、謝ることすらできずにこの十字架を背負い続けるのは、もうたくさんだった。

 

「…ああ、分かった。その願い、聞いてやるよ。約束だ」

 

言ってしまってから、俺は“約束”という言葉を口に出してしまったことに気づいた。

 

約束なんてするのは、いつ以来だろう。今度こそ、破らずに成し遂げられるだろうか。それは分からないものの、強いて言えばこのPlayerという人間次第だろう。

 

「ありがとう、サンズ」

 

そう言うと、人間はまるでスイッチを切られたロボットのように、その場に崩れ落ちた。俺はそいつを抱きかかえると、ショートカットを使ってその場を後にする。視界が移り変わる間際、洞窟の隅にあのクソ花が見えたような気がした。

 




またも一話だけでえらい文量になってしまった…。
ご感想等ございましたら遠慮なくお寄せください。
亀更新ですが今後とも宜しくお願いします。
(P.S.スマブラのサンズMiiコス登場は熱いニュースでしたね!)


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第19話 和解

心の底に封じ込め、蓋をしたい嫌な記憶。

 

そんなものに限っていくら忘れようとしても残り続け、ふとした拍子に呼び覚まされては耐え難い苦痛をもたらしてくる。

 

トタン屋根を叩く雨の音。鼻を突く煙草の臭い。口の中に広がる鉄の味。

 

父と母が別居していたのは、いわゆるDV__家庭内暴力が原因だった。後に××ショックと世間では語られる金融危機のあおりで、父の勤めていた会社は経営が傾き、弾き出されるようにリストラされてしまったのだ。数十年も働いている職場から突然追い出されて、早々に転職先を見つけられる人間なんていない。ましてやこの絶望的な不況の中で、新しく人を雇う企業など皆無に等しかった。

 

父も父なりに懸命に職を探し、時折アルバイトなどもしていたようだったが、一向に再就職先は見つからなかった。そうして、いつしか父は外に出るより、家の中にいることの方が多くなっていった。

 

その時まだ小学生だった僕は、なぜ父がずっと家にいるのか分からなかった。そのせいで、あんなことを言ってしまったんだと思う。行き場のない怒りを抑え、必死に堪えていた感情の糸を切るには十分な一言を。

 

「父さん、何でずっと家にいるの?仕事は?」

 

家の中で煙草を吹かしていた父はそれを聞いた途端、血相を変えて怒鳴りつけるや、僕の顔面を拳で思い切り殴った。あまりに突然のことに、最初は何が起こったか分からなかった。血まみれになりながら、その場に倒れこんだ僕は必死に泣きながら謝ったけれど、父は何度も拳で顔や頭を殴りつけた挙句、首根っこを掴んで力づくで僕を押し入れの中に投げ込んだ。

 

中は本当に真っ暗で、しばらくいると天地も分からなくなってしまいそうだった。泣き叫び続けても扉が開くことはなく、終いには声が枯れ果ててひゅうひゅうと喉を鳴らすので精一杯になった。ようやく出してもらったのは、母が家に帰ってきてからだった。

 

次の日には顔が倍ぐらいに腫れ上がり、歯が折れたせいでご飯を食べるのも苦痛だった。病院には自転車で転んだと言って診てもらった。先生には少し怪しまれて、親がいないところで本当に自転車で転んだのかと聞かれたけれど、僕は必死にそうだと言い張った。もし正直に言ったらどうなるか、薄々想像できていたからだ。

 

でも、父と母はその後ずっと話し合いをして、結局は別居することになった。僕は仲の良かった友達とも別れて、5つも6つも県をまたいだ別の町の学校に転校した。残り1年足らずの学校生活で、新しく友達をつくるのは人見知りの僕にはかなり苦労することだった。修学旅行はほぼ話せる友達もなく、特に思い出も残らなかった。

 

でも、仕方のないことなのかもしれない、と子どもながらに僕は考えていた。

 

元々、僕があんなことさえ言わなければ、父と母が別れることはなかったのだ。自分があの二人を引き剥がしてしまった。悪いのは、ぜんぶ自分だ。なら、このくらい大したことではない。

 

後で知ったことだけれども、父は母にも当たり散らし、時には暴力を振るっていたらしい。つまり結局は、僕が殴られようがなかろうが関係なく、こうなる運命だったのかもしれなかった。でも、心のどこかで自分のせいじゃないか、と思う気持ちもあった。誰が何と言おうと、きっかけを作ったのは自分であることに変わりはないのだ。そんな自分が、幸せになっても良いのだろうか。

 

そんな疑問を胸に抱えながら、僕は日々を過ごしていた。積極的には人と関わらず、常に一定の距離を保った。もちろん、話し掛けられれば話すし、友達も一人もいなかったわけではない。でも、一緒にどこかに行ったりとか、家で遊んだりとか、そういうことはしなかった。

 

そしてあの夏の日、母は突然帰らぬ人となってしまった。

 

もう、家族3人で過ごすことは永遠に叶わなくなってしまったのだ。僕は壊すことしかできないのかもしれない。家族を、人の幸せを。

 

だから僕は父とも離れて県外の高校に進学し、下宿生活を送っている。

 

僕はこのまま生きていて、果たして意味があるんだろうか。この先、どうしていけばよいのだろうか。人に聞こうにも、僕には誰も相談できる人はいなかった。

 

僕は孤独だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体中が痛い。

 

そうか、僕はサンズに殺されたのだ。

 

体を岩に叩き付けられ、手足を骨に貫かれ、最後には首を絞められて。

 

だとすると、ここは死後の世界なのだろうか。セーブポイントから蘇ることができるのなら、多分こんな痛みは感じないはずだ。体を動かそうにも、痛くて動かせそうもない。恐る恐る目を開けると、薄汚れた茶色い天井が見えた。

 

指を動かすと、ふかふかのマットレスが手に触れる。どうやら、ベッドか何かに寝かせられているらしい。あの世にしては何の変哲もないというか、妙に生活感があって違和感しかない。痛みをこらえながら首を動かして辺りを見回すと、部屋の真ん中に置かれたランニングマシーンが目に留まった。そして、部屋のあちこちには無造作にゴミが転がり、隅の方には脱ぎ捨てられた靴下が何足も見える。

 

(ここって、まさか…)

 

途轍もなく嫌な予感が頭を過った時、ちょうど部屋のドアが開いた。

 

「よお、人間。起きたか」

 

何も気に留めていないような気だるげな声で、部屋に入ってきたサンズはそう言った。思わず身構える僕。なぜなら、サンズは僕の事を殺そうと、いや殺してきたのだ。そんな相手が来たら、問答無用で()()殺されるに決まってる。もしくは、拷問のようなもっと酷く最悪な目に遭わされるかもしれない。

 

「そんなに身構えるな人間。また体が痛み出すぞ」

 

サンズがそう言った途端、案の定ズキッとした鋭い痛みが背中を突き抜け、思わず呻いた。言わんこっちゃないとばかりに溜息をついたサンズは、スリッパのまま静かに自分のところに歩いてくる。凍り付いたようなその笑みからは、彼が何を考えているか読むことはできない。

 

彼が近づけば近づくほど鼓動が激しくなり、震えが止まらなくなる。しかも、体は鉛のように重く、ほとんど動かない。怖かった。何で僕はこんなところにいるのだろう。サンズに殺されたんじゃなかったのか。なのに何で、セーブポイントに戻っていないのだろう。まさか、サンズが僕を閉じ込めたのだろうか。あの場で僕を殺さず、自分の部屋まで連れ去って。そう考えると、途轍もない恐怖が沸き起こる。

 

その時だった。

 

《ふふっ、それは違うよ。サンズは君を見逃したのさ》

 

(キャラッ!?)

 

からかうような、無邪気なキャラの声が響く。見るといつの間にか、彼女は僕のすぐそばに腰かけていた。張り詰めていた緊張が一気にほぐれる。すぐ近くにいるんだったら出てきてくれても良かったのに、と恨む気持ちもある一方で、再び会えて良かったと純粋に喜ぶ気持ちが心を満たした。

 

《まあ、話すと長くなるけど、君の体をちょっとだけ私が借りたのさ。で、あの骨野郎に話を付けたってわけ。安心して、あの骨にはまったく危害は加えてないから。ほんとはたっぷり礼をしてやりたかったんだけどね》

 

(えっ、僕の体を?)

 

キャラが自分の体を動かせることなんて、初めて知った。要は、僕が気を失っている間に取り憑いて、操っていたということなんだろう。確か彼女は僕のソウルに依存した存在とか言っていたから、体を操るのは難しいことではないのかもしれない。でも、流石の僕でも勝手に自分の体を操られるのは良い気はしないけれど。

 

《それにしても、あんな骨に殺されかけるなんて、君も随分情けないね。サンズと戦うのは初めてでもないくせにさ》

 

(ゲームの中の話と一緒にしないでよ。リアルでサンズと戦うなんて、いきなりできる訳ないでしょ)

 

クスクスと薄ら笑いを浮かべる彼女に、ムスッとした僕はそう返す。確かに俗にGルートと呼ばれる虐殺シナリオをやったのは一度きりの話ではなく、サンズとはもう500回近く戦っているかもしれない。でも、あくまでそれはゲームの話。生身の体で彼と戦うのはあれが初めてだったし、最後であってもほしかった。

 

《で、一つ言わなければならないことがある。君が呑気に気を失っている間に私が操ってたのは良かったんだが、生身の人間の体を操るのは久しぶり過ぎて、君の体に色々と負荷が掛かり過ぎてしまったらしい。…だから、その、しばらくそうして休んでいてくれ》

 

(え、それってどういう…?)

 

《要は、君の体は全身筋肉痛みたいなものだ。まあ、その間にあの骨野郎と仲良くするんだな》

 

全身を襲う痛みの正体はこれだったのかと納得すると同時に、ふざけるなよ、と怒る気持ちも沸き起こる。でも、自分が気を失っている間に彼女がサンズを説得してくれたというのなら、こんなことはどうでも良かった。自分だけなら、何回いや何十回も殺され続けて決意を折られていても、おかしくなかったからだ。

 

(…ありがとう、キャラ。おかげで助かったよ)

 

《礼はいらない。それより、サンズが来たぞ》

 

そう言うと、キャラはすっと壁の中に溶け込むようにいなくなった。入れ替わるかのように近づいてきたサンズが、そんな僕の様子を見て小馬鹿にしたように口を開く。

 

「幻覚でも見てんのか?さっきから、誰もいないところをまじまじと見つめて」

 

「…うん、だ、大丈夫…」

 

確かに、キャラとは頭の中で話すように心掛けていたとはいえ、傍から見れば何もないところに向かって怒ったり笑ったりしている相当ヤバい人間に見えたかもしれない。自分以外のモンスターには、基本的に彼女の姿が見えることはないのだ。でも、サンズにはどうやら僕が誰と話していたかはお見通しだったらしい。

 

「まあ、大方お前さんに取り憑いているあのガキでも見えてたってところだろうがな。まったく、あんな殺人狂のどこがいいのか俺には分からんぜ」

 

流石はサンズ、恐ろしい程に察しが良かった。でも、そんなことを言ってキャラが飛んでこないかと、一瞬だけヒヤッとする。

 

そのままサンズはベッドの傍まで来ると、相変わらずのニヤけ顔でじっと自分を見下ろしてきた。敵意はなさそうにも見えるけれど、それでも恐怖が拭い切れる訳ではない。小刻みに震える手を、僕は気づかれぬようにギュッと体に押さえつける。

 

「…サンズもキャラのことを知ってたんだ」

 

「まさか。初めはあんな奴のことなんか知らなかったさ。知ったのは、お前さんが気絶した後だ。まったく…、次から次へととんでもない出来事ばかりで、骨が折れるぜ」

 

深い溜息をつき、肩を竦めてお手上げといったポーズをしながらサンズはそう言った。顔がやつれているようにも見えるあたり、本当に苦労しているようだった。

 

「僕のことは?」

 

勇気を出して、そう聞いてみる。

 

「ああ。あのガキから粗方のことは聞いたぜ。お前さんがPlayerで、フリスクを操ってこの世界を意のままに弄んでいたこと。そして、どういう訳だか突然落とされて、何度も死にかけながらここに来たってこともな。その癖、フリスクの事を助けたいとかほざいている、身勝手な奴だ」

 

口調こそ普段のおどけた感じだったが、まったく僕を責める気がないというわけでもなさそうだった。何も返す言葉がなかった僕は、固い面持ちのまま頷くことしかできない。それを見たサンズは、ふっと軽く笑ってから言った。

 

「安心しろ。別にこれ以上お前を痛め付けたり、殺す気はねえよ。もちろん、お前がこの先誰も殺さなければ、だがな。まあ、あの地獄を生で体験したお前なら、そんな気は起こさないと信じているぜ。あくまで、まともな人間ならだが…」

 

こくりと頷く僕。治ったはずの体の傷が、ズキッと痛む。まるで、あの苦しみを思い起こさせるかのように。

 

「俺はお前のことをよく知らない。当たり前といえば当たり前か。出会って1日も経ってない人間のことなんて、誰が知るかよ。…だから、俺はお前を一度殺しかけた。怖かったからだ。あの喋るクソ花の言うことを信じる訳ではないが、殺られる前に殺るしかなかった。お前の話を、何一つ聞かずにな。それだけは、本当に悪いと思っている…」

 

突然のことに、僕は何と返したらよいのか分からず押し黙ってしまった。サンズが謝ってくるなんて、思いもよらなかったからだ。あの洞窟の中で、サンズは全ての恨みを僕にぶつけるかのように襲い掛かってきた。必死の説得も一切受け入れることなく、彼は僕に裁きを下した。それが、こうして言ってくるなんて、キャラは彼に何を話したのだろうか。

 

「…そんな。別にサンズが謝ることはないよ。…僕も、必要以上に君から逃げてばかりだった。最初から、正直に全部話していればよかったのに、下手に誤魔化そうとした。謝るのは僕の方だよ」

 

そんな中、僕も必死に言葉を紡いで彼に謝る。正直、今まで彼のことは恐怖としか見ていなかった。いつもビクビク怯えて、どうしたら避けられるかということばかり考えていたのだ。心から向き合うことなく逃げてばかり。そんな人間が、いざ殺されそうになった時だけ信じてほしいといったところで、都合よく信じるモンスターなんていない。

 

僕はサンズが止めるまで、ずっと頭を下げ続けた。戦いのせいで体中が酷く痛かったけど、関係なかった。最終的には、見かねたサンズに半ば強引に引き起こされるような形で頭を上げたものの、それでもなお謝り続ける。もちろん、こんなことで許されるとは思っていない。でも、謝らずにはいられなかった。

 

そこで、サンズも何かを決心したらしい。固く引き締まった面持ちで、彼は近くにあった粗末な椅子に腰をかけると、ゆっくりと話し始める。

 

「お前さんはこの後、あいつを、フリスクを助けるつもりなんだろ?お前が散々弄んだせいで、あいつの決意が砕けてしまったから」

 

「…そうだよ。もし許されなくても、別に構わない。彼女だけは助けるって、キャラと約束したんだ。それに、それこそが償いになるって、信じているから」

 

その言葉を聞き、一瞬に苦々しい表情を浮かべるサンズ。ゲームではもちろん、今まであのおどけた表情しか見たことがなかった僕は、そんなサンズの表情に驚きを隠せない。

 

「…そうか。すまないな、人間。正直な話、あいつの決意が折れたのは、きっとお前だけのせいではない。俺も、あいつを追い詰めたんだ」

 

「…どういうこと?」

 

「俺も、あいつにお前と同じことをしたんだ。何もしても、されてもいないのに、話も聞かずに一方的にあいつを殺した。Playerの束縛がなくなった、ただ一度のタイムラインでな。怖かったんだ。これ以上、何もできないまま皆が殺されていくのを見るのが。それきり、あいつが俺の前に出てくることは二度となくなった。十字架を背負っているのは、俺も一緒なんだよ」

 

あまりのことに、思わず息を呑む。まさか、サンズがイレギュラーにフリスクを殺していただなんて。普通なら考えられなかった。ましてや、あの冷静なサンズがだ。それほど、彼は追い詰められていたんだろうか。それを考えると、どうしようもない程の心苦しさが、胸をギュッと締め付ける。

 

「すまんな。偉そうなことを言ってお前を殺そうとした癖に、この俺も同罪だったなんて」

 

「そんなことないよ…。そもそもの元凶は、ほかでもない僕なんだから。僕が狂ったように殺し回ってさえなければ、こんなことにはきっとならなかったと思う。本当にごめん」

 

再び深々と頭を下げる僕。そこで、サンズがすっと手を差し出す。

 

「仲直りの握手だ。ハグだと、今のお前さんならまた気絶するかもしれないしな」

 

思いもよらないことに、僕はきょとんとしてしまった。サンズからこんなことを言ってきてくれるなんて。何より、完全にではないかもしれないけれど、こんなことをした僕を許してくれるなんて。

 

恐る恐る、ゆっくりと僕は手を差し出してみる。いつの間にか、小刻みな手の震えは収まっていた。そうして、サンズの細い手を掴んだ瞬間、

 

 

 

 

 

プゥゥーーーー…

 

気の抜けた音が響いた。

 

「へっへっへ…。まさか、また引っ掛かるとはな」

 

まんまとしてやられた。

 

まさか、こんな状況でブーブークッションを手のひらに忍ばせるなんて、思いもよらなかった。相変わらず、サンズは何を考えているのか読めない。それを怖く感じる心がある一方で、面白いと思う気持ちもあった。サンズと友達になれば、こんなに楽しかったのか。一気に肩の荷が下りて、今まで必死に堪えてきた感情が溢れ出してくる。

 

「おいおい、泣くなよ。そんなにブーブークッションされたのが悔しかったのか?」

 

あまりに突然のことに、流石のサンズも虚を突かれて困り果てていた。僕も流石に泣き顔を見られるのは恥ずかし過ぎるので、手で顔を何度も拭って止めようとする。でも、そうすればそうするほど涙が溢れ出し、自分でもどうすることもできなくなっていた。

 

考えてみれば、僕にはこんな風にからかい合える友達なんていなかった。話しても、当たり障りのない話ばかり。だから、僕はゲームの世界に逃げてばかりいたのだ。

 

「ほら。とりあえず、これで涙を拭け」

 

「へ…?なにこれ」

 

その時、不意に手渡されたのは、あろうことかサンズの靴下だった。薄汚れたそれは、何だか微妙に骨臭い。いったいなんてものくれるんだ!僕は思わずそれをサンズに投げつけた。こんな時に限って不幸というのは重なるもので、投げつけた靴下は両方ともサンズの顔面にクリーンヒットした。しかも、片方は目の穴にはまってぶら下がっている。

 

絶対に笑っちゃいけないと分かっていたけれど、これにはこらえきれずに大爆笑してしまった。もちろん、サンズが黙っているはずはない。

 

「…人間。そんなに俺と最悪な時間が過ごしたかったのか?」

 

「あ、いえ、とんでも…」

 

今さら悔やんでも後の祭りとはまさにこのことだった。左眼にはまった靴下が外れると、その眼窩には蒼白い炎が燃え盛っている。これは、思った以上にヤバいかもしれない。

 

「ま、待って、話せば分かる!てか、靴下よこしたのはサンズでしょ。自分の事は棚に上げて、なんで僕ばっかり!ぎゃぁッッ!」

 

重力攻撃が僕の体をベッドへと押し付ける。よくよく考えれば洞窟で戦った時とは比べ物にならないくらい弱い威力だったけれど、全身が筋肉痛のいまの僕の体にはそんな攻撃すら地獄だった。

 

「あああああああぁぁッ!体がッー!ストップ!ストップ!やめてッ!!」

 

「うるせえな。パピルスに気づかれたらどうすんだよ。この!」

 

「あがっっ!?」

 

 

 

 

 

サンズが満足した頃には、僕はもうベッドから一歩も動けなくなっていた。絶対、このせいで余計に治るのに時間掛かるやつじゃん。サンズが部屋から出て行ったあと、僕は悪態をついて壁を拳でトンと軽く殴ってみる。でも、当たり所が悪かったらしく、鈍い音がして手がかなり痛くなった。これ、もう今日は何もしないほうが良さそうだな…。

 

僕は仰向けに体を動かすと、静かに目を閉じる。未だにズキズキと残る痛みのせいで中々寝付けないのではないかと心配になったけれど、予想とは裏腹に疲労の方が勝ったらしい。みるみる意識が微睡んで、深い眠りのなかに吸い込まれていった。

 

その晩、僕はまた夢を見た。

 




変わり種です。
前回投稿からお気に入り登録数が倍に増えてちょっと困惑しておりますが、素直にとても嬉しいです。有難うございます。
ご意見ご感想等ありましたら遠慮なくお寄せ下さい。
今後とも宜しくお願いします。


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第20話 殺戮の悪夢

※どうもしっくり来なかったのでタイトルのみ変更してます。すみません...
お待たせしました。20話更新です


鉛色の空から舞い落ちてくる小雪。

 

薄暗い森の中には、生き物の気配がまるで感じられない。地面を覆う白と深い森の黒。そんな景色に時折混じる、灰色の塵。すべてのものに色がなく、異様な静けさが辺りを包み込んでいる。

 

(誰もいないのだろうか…)

 

僕は辺りを見渡した。ふと目に留まったのは、木の枝に引っ掛かったピンク色のランニングシャツ。恐る恐る近づいて手に取ってみると、胸のあたりにはひょうきんな犬の顔のイラストが描かれている。でも、その顔は真っ二つに切り裂かれていて、薄っすらと塵にまみれていた。

 

背筋にゾクッと冷たいものが走る。

 

うっかり手を離すと、シャツは塵とともに風に舞って飛んでいってしまう。振り向くと、その先には同じように塵にまみれた鋼の鎧が、バラバラになって転がっていた。さらにその奥には、地面に突き刺さったままの2対の斧。ぜんぶ、見覚えのあるモンスターのものだ。

 

僕は食い入るようにそれらを見つめながら、森の奥へとゆっくり歩みを進める。でも、目につくのはどれも塵ばかり。そして、それらと一緒にズタズタに引き裂かれた衣服が無造作に地面に転がっていた。先の方へ目をやると、塵は道に沿ってずっと続いている。

 

ついに怖くなった僕は走り出し、声を出そうと息を大きく吸い込む。その時、不意に足音が聞こえた。

 

見ると、ザクッザクッと強く雪を踏み締め、森の中を進む人影があった。色のない世界で目立つ、青地に赤の横じまの服を着た子ども。背丈はまだ小さく、木々の一番下の枝にも届かないほどだった。その瞳は前髪に隠れていて見えないものの、手には塵にまみれたグローブがはめられている。

 

(まさか…、こいつ)

 

それを見た僕はすぐに直感する。この子どもが、道中のモンスターを皆殺しにした張本人だと。胸が酷くざわつき、心臓が脈打つ。

 

その先には鮮やかな赤いマフラーを纏った1体のモンスターが立っていた。細身に長身で、白い特徴的な鎧のコスチューム。間違いはなかった。あれはスケルトン兄弟の弟、パピルスだ。彼の姿を見た人間は、ニッと冷たい笑みを浮かべ、その足を止める。

 

「よせ、やめろ…!」

 

もはや、黙って見てはいられなかった。この後に何が起こるかなんて、考えるまでもない。必死に駆け出して彼らのもとへと向かおうとするものの、思った以上に深い雪に足がとられ、まったく前に進まなかった。そうしている間にも、人間は一歩、また一歩と説得しようとするパピルスに近づいていく。

 

「くそ、なんなんだよこの雪!」

 

極度の焦燥感に駆られながら、僕は懸命に雪を漕ぐ。垂れ下がっている邪魔な針葉樹の枝を振り払い、ひたすら前に進み続けると、ようやくパピルスの声が聞こえるようになる。

 

「人間!お前に必要なのは導いてくれる誰かだ!誰かがお前に正しい生き方を教えてやらなきゃいけない!」

 

いつもの明るく朗らかな声で、そう呼びかけるパピルス。だが、人間は何も答えることはなく、相変わらずその瞳を前髪で隠したまま俯いている。それでも彼はめげることなく言葉を続ける。

 

「でも心配するな!この、PAPYRUS様がお前の友達、そして先生になってやろう!そうすればお前も真っ当な人生に戻れる!!」

 

真剣な面持ちで説得しようとするパピルス。それを聞いた人間は、何を思ったのかはめていたグローブを地面に投げ捨てると、パピルスに歩み寄った。でもその口元は、不気味な笑みで歪んでいる。

 

「パピルス危ない!逃げてッ!」

 

声の限りに僕はそう叫ぶも、彼らには何一つ届いていないようだった。近づいてくる人間に、パピルスは嬉しそうに手を広げる。

 

「仲直りのハグをしてくれるのか?ヤッホー!!俺様の指導がさっそく効いてるな!!このPAPYRUS様が、両腕を広げてお前を迎えてやるぞ!」

 

僕は叫びながら必死に雪を掻き分け、前に進もうともがく。でも、僕の声がパピルスに届くことはなく、そのまま人間は腕を広げたパピルスに抱きついた。パピルスも心から嬉しそうに、両腕を回してそっと優しく人間の体に抱きつく。

 

もしかして、和解したのか…?一瞬だけ、そんな淡い希望が心の中に沸き起こる。

 

でもそれは、すぐに粉々に砕け散った。

 

「やったな人間!これで俺たちはともd…」

 

僕の見ている目の前で、パピルスの首が宙を舞った。

 

呆然と立ち尽くす僕。瞬く間に塵と化して崩れ去った胴体から出てきた人間の手には、一本のナイフが握られている。無惨に掻っ切られたパピルスの頭は、そのまま地面を何度か転がった。

 

「あ、ああ、こんなことになるなんて…。だが…。そ…、それでも!俺様はお前を信じるぞ!お前はいい奴になれるのだ!たとえお前がそう思ってなくともな!俺様が…保証する…」

 

首だけになっても、健気にそう呼び掛けたパピルス。でも、その思いは彼を切り裂いた人間には届かなかった。ザクッザクッと雪を踏み締めて歩いてきた人間は、あろうことかパピルスの頭に足を掛けたかと思うや、力一杯に踏み潰す。ぐしゃっと音を立てて、パピルスの頭は見るも無残に押し潰され、塵と化した。そこに、一切の慈悲はなかった。

 

その場には、彼の白いコスチュームと塵にまみれた赤いマフラーだけが残される。

 

「お、お前…っ」

 

僕の心の底には、どうしようもないほどの無力感と激しい憤りが沸き起こった。

 

一方、人間は塵と化したパピルスの前にかがみこむと、クスクスと笑い出した。高く小さい無邪気な子どもの声。殺戮を心の底から楽しんでいるかのような愉快な笑い声。でもどこか、その声には言いようのない悲しみも混じっているような気がした。

 

人間はそのままふらっと立つと、こちらを振り向く。まるで、最初から自分がいることに気づいていたかのように。その顔はフリスクそっくりの細目で、感情というものが何も感じられなかった。僕はその姿に、底知れない恐怖を覚える。

 

「フ、フリスク?それとも、キャラ…なのか…?」

 

問いに答えず、張り付けたような無表情のまま、人間はナイフをその右手に握ったまま近づいてくる。

 

一歩、また一歩と後ずさりをする僕。ザクッザクッと、パピルスの頭を踏み潰した足で雪を踏み締め、なおも人間は近づいてくる。仮面でも付けたかのような、あの細目の無表情のまま。あまりの恐怖に息が荒くなり、顔が引き攣る。

 

「うわぁッ!」

 

そんな中、不意に雪に足を取られて僕はその場に倒れこんでしまった。すぐさま起き上がろうとするものの、見上げた時にはもうすぐ目の前まで人間は迫っている。もはや、逃げる余地はなかった。立ち止まった人間は、あの張り付けた無表情でじっと僕を見つめると、無言でナイフを振り上げる。

 

「…っ、やめて!お願い!命だけはっ!」

 

藁にも縋る思いで、必死に呼びかける僕。それを聞いた子どもはピクッと一瞬だけ、手の動きを止める。でもその時、声が聞こえた。

 

*ただのEXPだ

 

その瞬間、見開かれた瞳は血の赤に染まり、その顔は悍ましい狂気の笑みに満ちる。

 

降り降ろされたナイフが深々と胸を抉り、心臓を貫く。ぐちゃりという、肉が裂けて潰れる生々しい音が体の中から聞こえてきた。瞬く間に溢れ出すおびただしい量の鮮血。心臓からどっと噴き出した血が、内臓を血で溢れさせる。そのすべての感覚が恐ろしい程生々しく、そして鮮明に脳裏に刻み込まれる。

 

息もできず、まるで溺れているかのようだった。

 

(死にたくない。助けて…)

 

果てしない恐怖に溺れながら、僕の意識は遠のいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、そろそろ起きろ。いつまで寝てるんだ?」

 

酷く呻きながら、僕は目をゆっくりと開く。すぐ目の前にはキャラが、相変わらずのあの笑顔で覗き込んでいた。ぎょっとした僕は、思わず飛び起きる。普通なら頭と頭が激突して大惨事だっただろうが、キャラの体は実体がないのですり抜ける。

 

「おいおい、大丈夫かい?だいぶうなされてたみたいだけど」

 

体中が冷や汗でぐっしょりと濡れていて、気持ちが悪い。すっと胸に手を当てると、当たり前だけれどもナイフは刺さっておらず、まったくの無傷だった。ぬるりとした生温かい血の感触も、肉を引き裂かれる痛みも、嘘のように消え去っている。

 

(なんて夢だったんだ…)

 

Gルートのフリスク。いや、()()をフリスクと呼ぶのは間違っているかもしれない。あれはもはや、悪魔としか言いようがなかった。モンスターというモンスターを皆殺しにし、パピルスをも無惨に手にかけた。それを、Pルートのフリスクと一緒に見るのは無理があるのだ。

 

それにしても、あの感覚は恐ろしい程に生々しかった。肉を抉って心臓を貫くナイフの感触と、そこから溢れ出す生温かい鮮血。それが胸の中いっぱいに広がって、溺れるように死ぬあの感覚。もう二度と、味わいたくはない。

 

胸に手を当てて未だに落ち着かない僕の様子を見たキャラは、最初の方こそ怪訝そうな顔をしていたものの、やがて納得がいったのか鼻笑いをしてこう言った。

 

「ははん。さては、自分が死ぬ夢でも見たんだな?」

 

「な、なんで分かるの?まさか、キャラがあれを…」

 

「人聞きが悪いことを言わないでほしいな、相棒。いくら私でもそんなことはしないし、君がどんな夢を見ようと私の知ったことではない。でも、その様子を見ればろくでもない夢を見たってことくらい、誰にでもわかるよ」

 

そう言われた僕は「ごめん…」と彼女に謝った。そして深い溜息をついた後、ゆっくりと話し始める。

 

「フリスクに殺されたよ、夢の中で。まあ、あれはフリスクじゃないだろうし、君でもない…、のかな。パピルスも殺されたし、他のモンスターもみんな殺されてた。たぶん、あれはGルートだと思う…」

 

「Gルートねぇ…。あれも、君らが勝手に名付けて勝手に殺しまくっているだけだけどね。君らがモンスターを根絶やしにするレベルで殺戮しなきゃ、私だって現れないのだから」

 

そうだった。別にGルートだからって、キャラが自分の意思で直接モンスターを殺しているわけではない、ましてや、フリスクだってそうだろう。全部、自分__Playerがコマンドを操作して殺戮に殺戮を重ね、物語を進めているだけなのだ。いくらでも途中で諦めようと思えば諦められる。サンズにしろ、最後のフラウィにしろ、Enterキーを押すまでは殺しはしない。全部、Playerがトリガーとなり、進めているのだ。キャラはあくまでも、その行為によって少しずつ呼び醒まされたに過ぎない。

 

つまり、あのとき自分を殺した人間はフリスクではなく、言うなれば自分ということになる。もっとも、自分で自分に殺されるというのも変な話だけれど。

 

それにしても、よくよく考えてみればGルートの悪夢を見るのはこれが初めてではなかった。Ruinsのトリエルの家で寝た時も、自分の意思とは無関係にトリエルを惨殺する夢を見ていたのだ。それがどう関係しているかは分からないけれど、偶然とも考えづらい。もしかすると、何か意味があるのだろうか。

 

「まあ、そこまで深く考えないことだね。所詮、夢は夢だ。現実で君が殺されたわけじゃないんだから、考えるだけ無駄なことさ」

 

そんな考えをちょうど遮るように、キャラが言った。確かに夢は夢かもしれないけれど、本当にそれでいいんだろうか…。僕はあまり納得がいかない風に彼女の方を振り向いたけれども、何か不満でもあるのかと言わんばかりにジッと睨み返され、視線を戻す。はっきり言って、怖い。

 

頭の中にはまだ悶々とした思いが残っていた。でも、キャラが言うように考えたからといって答えが見つかるはずはないのも、また事実だった。

 

「そうだといいんだけど…」

 

一先ずのところ諦めた僕は、小さくそう呟くとベッドから立ち上がった。

 

幸い、昨日散々苦しめられた体中の痛みはほとんど消え去っていた。歩くとまだ少し足が痛かったものの、この程度ならそのうちに忘れそうだ。部屋の中には相変わらず脱ぎ散らかされたサンズの汚い靴下が無造作に転がっていて、隅の方では紙屑やら本やらパスタやらが自然発生的に竜巻を形成している。正直、意味が分からない。

 

「こんな部屋にいたら3分と経たないうちに病気になりそうだな」

 

キャラがあまりの部屋の様子に毒を吐く。あれ、僕この部屋に一日近く寝てたような…。

 

でも、カーペットも全体的に薄汚い上、ゴミと靴下からは悪臭が漂う。流石にこれにはうんざり来て、部屋の外に出ようとドアノブに手を掛けた。でも、それを回しかけたところでふと、机にある引き出しの存在が気になる。本来のゲーム通りなら、この机の引き出しの中にはサンズの研究室に入るためのカギが入っているはずなのだ。

 

僕は少し迷った挙句、部屋の中へ引き返す。あの研究室に入れれば、ゲームの中でもはっきりとは分からなかった何かを見つけることができるかもしれない。でも、いざ引き出しの前まで来たところで、流石に勝手に開けるのは良くないような気もしてきた。いわゆる、良心の呵責というやつだ。

 

「今さら何やってんだい。開けないなら、私が開けてしまうぞ」

 

「え、ちょっ、キャラなにやって!?」

 

そこで後ろから囁くキャラ。あろうことか、今まで雪玉を固めて僕に投げつけたりしたのと同じ要領で引き出しを動かし、勝手に開けてしまったのだった。しかも、そこにあったのはカギなどではなく、どこかで見覚えのある巨大な青い顔。それがビックリ箱の要領で開けた途端に突然飛び出してきたのだから、すっかり驚いた僕は素っ頓狂な声を上げて後ろに仰反る。

 

そして、背中に何かがぶつかった。

 

「よう、人間。他人の引き出しを勝手に開けるとは、いい度胸だな。そんなに最悪な目に遭いたいのか」

 

「サ、サンズッ!誤解だよ、これは違う!キャラが勝手にッ…」

 

そこには、サンズが立っていた。今までドアを開ける音も気配も何もなかったのに、だ。

 

すっかり他人行儀な様子のキャラを尻目に、真っ青になった僕は必死になってサンズに謝る。もうあんな目に遭うのは御免なのだ。だが、サンズの右眼は早くも蒼い光を放ち、今にも攻撃を放つような勢いだった。後ずさりしようにも、後ろには先ほどの机。また重力攻撃で地面に叩き付けられると思った僕は、ギュッと目を瞑って攻撃に備える。思わず、体がガタガタと小さく震えた。

 

でも、いつまで待っても攻撃は来ない。恐る恐る目を開けると、目の前には真っ赤なケチャップがたっぷり掛けられたホットドッグがあった。

 

「怖がらせて悪いな。これをお前さんに食わせようと思って来たんだ。机を開けたのは確かに()()()にしちゃ過ぎてるが、()()()()()()()()()()()にすることにケチをつける気はねえよ。なんたって、あんぽんたんガキンチョのすることだからな」

 

「サンズ…」

 

僕はそっと手を伸ばすと、差し出されたホットドッグを受け取った。薄い焦げ目のついたパンの表面はカリッと香ばしく焼けていて、仄かに小麦の芳しい匂いが感じられる。これでもかという程に掛けられた濃い赤色のケチャップの下には、ソーセージ、ではなくふさふさとしたウォーターソーセージが挟まっていた。それを見て、少しだけ食べる気が失せる。

 

でも、この流れで食べないというわけにもいかなかった。それに、Ruinsを出てからろくなものを食べていなくて、正直空腹に耐え切れなくなってきたというのもある。

 

「ありがとう、サンズ。いただきます…」

 

そう言うと、僕はホットドッグに齧り付いた。別に僕はケチャラーではなかったけれど、一口食べただけで入信しそうな味わいだ。最初に舌を包む優しい甘みと、遅れて訪れるトマト独特のすっきりとした酸味。そして、微かに感じる香辛料のピリッとしたスパイシーな風味が、味にコクと深みを持たせる。

 

ウォーターソーセージも苦くて不味い野草のような味がするかと思ったけれど、ケチャップと相まってまるで本当のソーセージを食べているようにしか感じられない。まるで、狐につままれているような気分だった。恐らくこの地下世界の食材は、そもそもが地上のものと異なっているのだろう。食べた瞬間に体力が回復するのも、たぶん同じ理由だ。

 

「どうだ、美味いか?」

 

「うん、本当にとても美味しい。こんなホットドッグ、初めて食べたよ」

 

「heh…、そいつは良かった。一本、30Gな」

 

「へっ…?」

 

夢中になってホットドッグに噛り付いていた僕は、その言葉に思わず固まった。後出しで吹っ掛けてくるなんて、何て卑怯な…。もはや驚きを通り越して、呆れるしかなかった。

 

「冗談だ冗談…。そのホットドッグは俺からのプレゼントだ。()()()しただろ…?」

 

得意げにダジャレ披露するサンズに、流石の僕も呆れ果てて目が点になった。サンズは相変わらず何食わぬ顔で「heh…」と笑っていて、意に介していないようだ。

 

その後、ホットドッグを食べ切った僕は、用意を整えて部屋から出ようとする。あんな目に遭わされたからだいたい想像はできていたけど、サンズとの戦いで着ていたシャツは血まみれでボロボロになっていたらしい。でも、僕が最初に寝ている間にサンズが洗って直してくれたらしく、普通に着れるレベルになっていた。

 

手芸なんてサンズはやるのだろうかと思ったけれど、キッシュを作ったり、何気に手が細かいことをやっていることを考えると、あながち手芸ができても不思議ではない気がする。だからトリエルとも気が合うのか、と一人で勝手に納得したりもした。まあ、一番気が合うのはダジャレを言い合う部分だろうけれども。

 

Ruinsを出るときにトリエルからもらったマフラーは、幸いなことに戦いの途中で外れていたらしく、ほとんど無傷だった。あらかじめ肩から下ろしていたナップザックとともに、サンズが僕をこの部屋に運ぶときに一緒に拾って持ってきてくれたらしい。マットレスの横に置かれていたそれを拾った僕は、しっかりと首に巻き付けた。

 

「弟には、人間はもうSnowdinの街に着いたって言ってあるぜ。会いたかったら、街の西の方に行くんだな」

 

「うん、ありがとうサンズ」

 

玄関まで送ってくれたサンズに、僕はそう感謝を告げると、ドアノブをゆっくりと回してSnowdinの街に足を踏み出した。

 



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第21話 騎士団の夢

外に出た僕を真っ先に迎えてくれたのは、体の芯まで凍えるような寒さだった。考えてみれば何日もサンズの家の中にいたのだから、すっかり体がそれに慣れていて、雪舞うSnowdinの街の寒さは恐ろしいほど体に凍みる。ましてやマフラーを巻いているとはいっても着ているのは半袖シャツ。普通に考えれば寒いのは当たり前だ。

 

「か、帰りたいよぉ…」

 

「なにを言っているんだ相棒。ついこの間までこの中を歩いていたじゃないか」

 

「そ、そうだけど…さ…」

 

思わず弱音が出る僕に、キャラは冷たくそう返す。確かにRuinsからサンズと戦ったあの洞窟まではSnowdinの森の中をずっと歩いていたけど、あれだって正直に言えばかなり辛かった。それをまた味わうなんて、これはいったい何の試練だろうか。

 

「ほら、文句を言う暇があったら足を動かせ。まずは店でアイテムでも買ってくるんだな」

 

そうだった。サンズとの戦いで、手ごろな回復アイテムはほとんど使い果たしてしまっていた。ナップザックの中身を見ると、雪だるまの欠片とナイスクリーム、それにドーナツとバタースコッチパイが入っている。ナイスクリーム以外は使いづらいアイテムばかりだ。

 

「使う気がないアイテムくらいボックスにしまったらどうだ?きみは物を整理することもできないのか?」

 

「はい、ごめんなさい…」

 

案の定、キャラに怒られた。

 

とりあえず、アイテムをボックスに預けてから買い物に向かうとするか。そう考えた僕は、ナップザックを背負い直すと街の方へと歩き出す。ゲーム画面でしか見たことがなかった街並みがこうして目の前に広がっていることに、心の中では興奮を抑え切れなかったけれど、あまりの寒さにはしゃぐだけの元気はなかった。

 

メインストリートとはいえこの世界では比較的小さな街ということもあってか、モンスターの姿はまばらだった。小雪の舞う薄暗い通りを、僕は建物の窓からこぼれる温かみのある橙色の光を頼りに進んでいく。図書館の前を過ぎて北の方に向かうT字路を抜けると、見覚えのあるレンガ造りの建物が見えてきた。

 

「あれは、もしかして!」

 

思わず速足で近づいてみると、見事に予想は的中した。『GRILLBY’S』の文字が大きく書かれた看板に、長い取っ手のついた落ち着いた風合いのドア。ゲームとしてプレイしていたときから、一度は入ってみたかったお店の一つだ。

 

(少しくらい寄り道してもいいよね)

 

でも、いざ店の真ん前まで来たとき、すぐ隣にいた2人組のモンスターと目が合った。縞々の長い緑のマフラーを巻いた、丸い耳が特徴的なネズミのモンスターと、何を考えているのか分からないニコッとした笑顔が印象的な鹿のようなモンスターだ。どうも見慣れない僕の姿が気になるのか、じっと見つめてくる。

 

よくよく考えれば自分は人間で、この世界ではお尋ね者の身だ。ゲームでの経験からして大丈夫だろうと思ってはいても、どこか気持ちが落ち着かない。もし、自分が人間だってことがバレたらどうしよう…。それを考えると、とても店に入れるような気分ではなくなってしまった。

 

僕はとにかく怪しまれないように彼らから顔を背けると、泣く泣く店の前を通り過ぎた。

 

「そんな気にすることないのに。この世界で人間がどんな姿か知っているモンスターなんて、数えるほどしかいないよ」

 

「それは分かっているんだけど、いざ目の前にモンスターがいるとどうしてもね…」

 

当たり前だけど、キャラを除いて周りにいるのは全員がモンスター。しかも、小さいとはいえ街の中なのだから、もしひとたび自分が人間であることが知れ渡ったらあっという間に襲い掛かられても不思議ではない。1対1ならまだしも、大人数で襲われたら一溜りもないのは明らかだった。

 

「そんな風にビクビクして落ち着いていない方が、よほど挙動不審で怪しいけどね。まるで犯罪者みたいだ」

 

「それ、キャラには言われたくないけど」

 

言ってから「しまった」と後悔したけど、幸いなことに睨み返されただけで済んだ。まあ、犯罪者みたいと言われたのはさすがに癪に障るけど、キャラの言う通り怪しく見えるのは確かだろう。僕は大きく息を吸って深呼吸し、心を落ち着かせる。

 

大きなクリスマスツリーの前を通り過ぎようとしたとき、声を掛けてもいないのに急に自分の背丈と同じくらいの子どもが駆け寄ってきた。黄色と黒の縞々の服に、頭に生えたトサカのような3本のトゲ。ゲームでも可愛らしかったモンスターキットだ。でも、まさか自分から話し掛けてくるとは思いもよらなかったので、胸がドキッとする。

 

「よっ!オマエも子供だろ?シマシマのシャツ着てるもんな」

 

「う、うん、そうだけど」

 

「アンダインはかっこいいんだぜ。皆のヒーローなんだ。俺もおっきくなったら、アンダインみたいになりたいぜ。そして、ニンゲンをコテンパンにしてやるんだ」

 

得意げに笑ったモンスターキッドはそう言うと、勢い良く走ってクリスマスツリーの前に戻っていった。僕はそれを苦笑いしながら見送る。決して、彼に悪気があるわけではないのだろう。ましてや、僕が人間だということを知らないのだから当然かもしれない。でも、明らかに目の敵にされたのは、少し悲しかった。

 

「相変わらず生意気な子どもだね。何もできないくせに」

 

吐き捨てるようにそう言ったキャラ。落ち着いた口調ではあったけれど、その言葉にはどこか苛立ちが混じっているようだった。そんな彼女に僕は声を掛けようと思ったけれど、無言でじっとモンスターキッドを見つめる彼女の様子に、何も言えなかった。

 

そのまま街を進んでいくと、ようやくホテルとショップが見えてくる。そして、店の間にはセーブポイントと異次元ボックス。とりあえず、僕はセーブポイントの光に手をかざした。何だかセーブをするのもとても久しぶりな気がする。

 

『Tsuna LV1 2701:37 Ruins-入口』

 

何だかプレイ時間が凄まじいことになっているけど、気にしない気にしない…。

 

「ほら、セーブが済んだらさっさとボックスに預けるものを預けろ」

 

「はいはい」

 

さっきの件のせいか、まだキャラのご機嫌はナナメのようだ。僕はボックスの蓋を開けると、中にナップザックから取り出したパイとドーナツを入れておく。雪だるまの欠片も入れようかどうか迷ったけれど、ザックにはだいぶ余裕がありそうだったのでそのままにしておいた。一応、雪だるまからは連れていってくださいと言われているわけだし。

 

そして、ショップのドアに手を掛ける。

 

「ようこそ、旅人さん。いらっしゃい」

 

中に入ると、まずその暖かさに感動した。すっかり冷え切って凍り付いた体が、まるで溶かされるように少しずつ温まっていく。やっぱり暖房は最高だ。

 

気さくに声を掛けてくれたのは、すらっとした背格好のうさぎのお姉さんだった。ひとまず、見慣れない僕のことを怪しんでいる様子はなさそうだ。店の中はログハウスのような外観を裏切らず、木がふんだんに使われた造りで、温かみのある落ち着いた雰囲気だった。仄かに木の良い香りが漂い、部屋の中の暖かさと相まってついうとうと眠くなってしまう。

 

「あの、物を買いたいんですけど」

 

「いいよ。何が欲しいのかしら」

 

カウンターに置かれたメニューには、グローブやバンダナといった装備品のほかに、バイシックルやシナモンバニーなどの回復アイテムが書かれていた。しかも、ご丁寧に日本語でだ。

 

「忘れっぽいきみのために説明してやると、グローブは敵をぶん殴る用で、バンダナは何故か筋肉が描かれたダサいやつ。バイシックルは二度おいしいけど、回復できる体力も多くはない。シナモンバニーはそれなりに回復できるし、けっこう美味いよ。まあ、チョコには劣るけどね」

 

(ありがと。うーん、迷うな)

 

メニューを横から覗き込みながら、キャラがさらっと説明してくれた。少しは機嫌がよくなったのだろうか。それは分からないけれど、キャラは僕以外には姿が見えないことをいいことに、勝手に店の奥に入っていって品物をいじろうとしている。分かっていてもハラハラするから、正直やめてほしい。

 

(何買えばいいとかある?キャラ?)

 

「うーん、そうだな。とりあえずバンダナは買っとけ。あとはバイシックルとバニーを2、3個ずつかな」

 

幸い、お金はそれなりにたまっていたので、僕はキャラに言われた通りバンダナ1枚にバイシックルとバニーを3個ずつ買った。案の定、バンダナにはムキムキの力こぶが描かれていて、あまり見たことがないような残念なデザインだ。たぶん、恥ずかしいので余程のことがない限りつけることはないだろう。

 

バイシックルは買うまで忘れていたけど棒アイスだった。少なくともSnowdinを抜けるまでは、出番がないかもしれない。こんなに寒い所で食べたら回復するどころか凍死しそうだからだ。一方のシナモンバニーはメニューにも書かれていた通りこの店オリジナルの手作りパンで、サクッと焼けたうさぎ型の生地からはシナモン独特の甘い匂いがふんわりと漂う。つい、見ているだけでもよだれが出てくるほどだった。

 

うさぎのお姉さんは、買ったシナモンバニーを1つずつ丁寧に紙の袋に入れながら、何気ない調子で世間話をしてくれる。

 

「それにしても、新顔がここに来た何で何年ぶりかしらね。どこから来たのさ?首都?」

 

「えっと、まあ…そんな感じで…」

 

「観光ってわけじゃないわよね。ここには一人で来たのかい?その恰好じゃ、すごく寒かったでしょ」

 

「寒かったです。もう凍えるかと思いました」

 

その質問には流石に即答する。お姉さんはそれを聞いてふふっと笑ってくれた。

 

「隣にホテルがあるから疲れているならそこで休めるよ。あとはGrillby’sに行けば、何か食べられるし。せっかく来たなら、ゆっくりしていくといいさ」

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

僕はそう感謝を告げると、買った品物をナップザックに詰めて店を出る。外は相変わらずの極寒地獄で、心が折れそうだ。これは早いところパピルスと戦って、Snowdinを出なければ。ホテルに入ろうかどうか迷ったけれど、サンズの家でたっぷり休んだから別の入らなくてもいいような気がしてきた。この寒ささえ除けば、体調はすこぶる良好だし。

 

僕はホテルの前を通り過ぎると、その隣のトンネルに覗き込んでみる。確か、サンズの家の辺りまで近道できる便利なトンネルだったはずだ。

 

かまくらみたいな入口は意外に大きく、いまの僕の体なら余裕で入れる大きさだった。中は滑り台のように勾配がついていて、奥の方は真っ暗で何も見えない。壁や床はツルツルに凍り付いていて、見るからに滑りそうだ。

 

「勇気を出していってみるか」

 

僕は覚悟を決めてトンネルの中に滑り込んだ。案の定、トンネルの中は恐ろしい程に良く滑り、みるみるスピードが上がって視界が真っ暗になった。感覚的にはウォータースライダーのそれにそっくりで、時々右へ左へ遠心力で振り回され、なかなかにスリリングだ。

 

「ひゃっほーっっ!!」

 

あまりの楽しさに調子に乗って叫びながら滑っていると、不意に目の前に眩しい白い光が見える。それが出口だと分かったときには、僕の体は空中に投げ出されていた。勢い良くトンネルから飛び出した僕は、そのまま地面を2、3回転くらい転がる。ようやく止まった頃には全身雪まみれで、あまりの冷たさに心臓が止まりそうだった。

 

「やれやれ、スピード出し過ぎだよ。そのトンネル意外にスピード出るから、出口に来る前に減速しないと」

 

「そ、それをさきに言ってよ!」

 

しょうがない奴だと言わんばかりに肩を竦めて言ってくるキャラ。まったく、知っていながら教えてくれないなんて、性格が悪いにもほどがある。絶対に確信犯だ。その証拠に、彼女はこらえきれずにクスクスと横を向いて笑い始める。ますます腹が立ったけど、彼女がイタズラ好きなのはもう十分に知っていたので仕方なく諦めた。

 

雪を払った僕は、ナップザックを背負い直すと深く息を吸い込む。

 

この道の先には、おそらくパピルスが待っている。王立騎士団に入る夢を叶えるために、躊躇いながらも全力で僕を捕まえようとしてくるだろう。ゲーム通りなら手加減してくれるので殺されることもないし、捕まえられても牢屋がザルなのですぐに抜け出すことができる。でも、サンズが襲い掛かってきたように、必ずしもゲーム通りとは限らない。用心するに越したことはなかった。

 

 

 

 

 

道を進むにつれ、強くなってくる風と雪。

 

ひとたび強い風が吹くと、視界が白一色に染まる。

 

右腕で顔を隠しながら、それでもなおも進み続けると、道の先に黒い影が現れた。

 

「人間。すまない…。俺はお前と友達になりたかった。ひとりぼっちのお前と、一緒にパズルを解きたかった。でも、それはできないのだ…。」

 

いつもの活気に満ち溢れた大声とは似つかない、彼らしくない思い詰めたような声で、彼はそう言った。案の定、ゲームのセリフとは全く違う。

 

「お前は人間だ。俺様はお前を捕まえなきゃならん。そして、夢を叶えるんだ…。そう…、パワフルで、人気者で、超一流!!それがPAPRYRUS様だ!!王立騎士団の新メンバーに、俺様はなるんだ!!だから人間、俺様に捕まってくれ!!」

 

その瞬間、視界を覆っていた雪がすっと晴れ、パピルスの顔が見える。鮮やかな赤いマフラーを風になびかせ、威勢の良い勇ましい表情を浮かべるパピルス。でも、その顔にはどこか物悲しさが滲んでいた。

 

何で、こんな苦しそうな顔をしているんだろう。何が、彼を追い詰めたのか。

 

心がギュッと締め付けられる。

 

とにかく、ここは戦いながら和解していくしかない。

 

僕はナップザックを下ろすと、パピルスの前に歩み出た。赤いソウルが胸に煌めく。

 

 

 

 

 

初手を仕掛けたのはパピルスだった。何本かの骨が雪の地面を突き破ると、ゆっくりと僕の方へと向かってくる。サンズとの戦いで散々受けて、痛め付けられた骨攻撃。でも、パピルスのそれはとてもゆっくりで、躱すのはそこまで難しくはなかった。まるで、ゲームで最初に仕掛けてきた攻撃とそっくりだ。

 

「油断するな。あの様子だ、パピルスは普段通りじゃない」

 

攻撃を躱し終えた僕に、冷静にそう言ったキャラ。軽く頷いた僕は、すぐに動けるように姿勢を低くし、なおも警戒を続ける。パピルスは普段の優しい笑みを見せることもなく、厳しい面持ちのまま立ち塞がっていた。とても話せるような雰囲気ではない。それでも、僕は懸命に言葉を絞り出す。

 

「そんな顔しないで!何があったか分からないけど、戦ったって、何も良いことはないよ。僕はきみと、友達になりたいんだ」

 

「ニェ…!」

 

パピルスは一瞬、ぱっと嬉しそうな表情を見せた。友達になりたいと言われて、パピルスが喜ばないはずはない。でも、すぐに首を横に何度も振ると、固い面持ちで口を開く。

 

「…ダメだ!お前とは友達になれない!だって、お前は人間で、俺様はモンスターだ!」

 

そう言うと、パピルスは再び骨攻撃を繰り出してくる。幸い、攻撃パターンは先ほどと全く変わらず、地面から突き出した何本かの骨がこちらに向かってゆっくり向かってくるだけだ。

 

攻撃が止んだ後、僕はもう一度声を張り上げる。一瞬だけ見せてくれたあの嬉しそうな純粋な表情。きっと呼び掛け続ければ、いつか思いは伝わるはずだ。僕はそう信じていた。

 

「大丈夫だよ!人間とモンスターだって、仲良くなれば友達になれるよ!だからパピルス、頼むから攻撃をやめて!」

 

「友達…」

 

それを聞いたパピルスは、一度攻撃のために伸ばした右腕を下げる。思い悩むように俯く彼。頼むから、いつものパピルスに戻ってほしい。パズルを挑んでくれる、あの優しい笑顔をまた見せてほしい。僕はその一心で、パピルスを見つめる。

 

でも、その思いは届かなかった。

 

顔を上げたパピルスは、こう言い放つ。

 

「…ダメだ。俺様は、お前を捕まえるんだ!捕まえて、王立騎士団に入る。いや、()()()()()()()()()()()!!だから、お前と友達にはなれない!!」

 

再び突き出した右腕が青い光を放つ。

 

次の瞬間、数え切れないほどの青骨が地面から突き出ると、雪崩の如く一気に押し寄せてきた。もちろん、青骨なので動かない限りはダメージを食らうことはない。僕は冷静に動きを止め、骨の激流をやり過ごす。でも、問題はこの後だ。

 

「うぐぅっ…!」

 

突如襲い掛かる強い力。地面に張り付けるかの如く働く強力な重力に、体が圧せられて思うように動けない。まるで、体中に重りがつけられているようだ。そうしている間にも、背後からは別の白い骨が迫ってきていた。僕は体を捩って何とか躱す。それだけでも、息が荒くなるほどだった。

 

「青ざめたな!これが俺様の攻撃だ」

 

気づくと、胸のソウルも真っ青になっている。サンズとの戦いでもう経験しているとはいえ、やっぱりブルーアタックを食らって平然とはしていられなかった。気を抜けば地面に突き伏せられそうだし、重力で頭の血が引いて意識がぼんやりする。たぶん、ソウルどころか顔も真っ青になっているだろう。

 

「来るぞ、気をつけろ!」

 

キャラが叫ぶ。

 

やはり、ゲーム通りにはいかず、先ほどまでの攻撃が嘘のように序盤から畳みかけてきた。間髪開けずに数え切れない程の骨が壁の如く押し寄せ、僕はそれを必死に飛び越える。しかも一つ一つが高いので、この強い重力下ではかなり難しい。終いには四方八方から突き出た骨が殺到し、躱し切れなかった僕は右脚を骨に打ち付けた。

 

「痛っ!」

 

幸い打撲だけで大きな怪我こそなかったものの、打ち所がよりにもよって脛だったせいでかなり痛い。今はまだ何とか凌げるものの、このままだと本当に取り返しがつかないことが起こるかもしれない。もちろん僕だって殺されたくはない。でも、それよりもパピルスの心に傷が残ってしまうのが、もっと嫌だった。

 

「パピルス、こんなのもうやめようよ!お願い!」

 

けれど、その後は何を叫んでもパピルスは聞く耳を持ってくれなかった。押し黙った彼は、固い面持ちのまま次々と攻撃を仕掛けてくる。サンズとの戦いで骨攻撃に少しは慣れたといっても、全部が全部を完璧に躱すのは難しかった。じわじわと傷が増え、追い詰められていく僕。ブルーアタックを受けてから3度目の攻撃が終わる頃には、だいぶ苦しくなってきた。

 

「おい、そろそろ回復しないと…」

 

「うん、分かってる」

 

僕は痛みをこらえながら、血の滲む右腕でポケットからシナモンバニーを取り出すと、半分だけ頬張った。優しい甘さとともに痛みが和らぎ、力が出てくる。瞬く間に体中の傷もほとんどが治り、出血もおさまる。

 

「人間、頼むから諦めてくれ!そうしないと、俺様は“必殺技”を使うことになる!!」

 

そう叫ぶパピルスの顔は、どこか悲しそうだった。間もなく腕を突き出すと、背後から無数の骨を呼び出して一気に僕の方へ差し向ける。

 

いったい何が彼をここまで変えてしまったのだろう。

 

押し寄せる攻撃を躱しながら、僕は必死に考える。Snowdinの森の中で、何か変わったことがあっただろうか。いや、どれも普通のやり取りで、特に変なことはなかったはず…。少なくとも、彼はサンズのようにいきなりイレギュラーに話し掛けてくることもなかったし、パズルにもサンズが弄った迷路以外は変わった所はなかったのだ。

 

なのに、どうして…。

 

僕はふと、ある可能性に気づく。

 

もしかすると、彼はずっと一人で抱え込んでいたのではないだろうか。いつも皆を元気付ける純粋で明るいパピルスだけど、もしかすると彼のこの性格のために、誰にも悩みを打ち明けられなかったんじゃないか。常に皆の幸せだけを考える彼なら、人の悩みを聞くことはあっても、自分の悩みを人に積極的に相談するとは考えられない。それができるとするなら、兄弟であるサンズだけだ。

 

待てよ…。

 

僕はたった一度だけ、彼が変わったことを言っていたのを思い出した。そう、あれは確か、まさにサンズの事だったはず。

 

「危ない、後ろだっ!」

 

その時、鋭い叫び声が耳に飛び込む。振り向いた時には、骨の壁はすぐ目前まで迫っていた。

 

(しまった…っ!)

 

考えに夢中になっていたせいで、背後から迫っていた攻撃に気づくのが遅れてしまったのだ。一か八か咄嗟にジャンプして躱そうとするも、その先にはあろうことかもう一段高い別の骨壁が迫っている。僕は体を守るために両腕を組むので精一杯だった。

 

「あぐぅ…ッ!」

 

全身を骨に強く打ち付け、鈍い音が響く。タックルか何かを食らったように、体が2、3メートルくらい弾き飛ばされて雪の上を何度も転がった。辛うじて意識は保ったものの、どこかの骨が折れたんじゃないかと思うくらいに体中に激痛が走る。その場でうずくまった僕は、思わず呻き声を上げた。

 

「人間、悪いことは言わないから、そこまでにしておけ。俺様はこの後、“必殺技”を使う。それを使えば、お前もただでは済まない。頼むから、おとなしく俺様に捕まってくれ」

 

聞いたことのないほど、必死で辛そうなパピルスの声。このタイミングでもう必殺技を使ってくること自体、普通に考えればイレギュラーだった。パピルスの決意は、余程強いのかもしれない。荒い息の中、僕は残したシナモンバニーの半分を一気に頬張ると、力を振り絞って立ち上がる。

 

決意なら僕も負けてはいない。この必殺技さえ乗り切れば、パピルスと和解できるかもしれないのだ。いまは、それに掛けるしかない。僕は真剣な面持ちでパピルスに向き合うと、声の限りに答えた。

 

「嫌だ!僕は、きみを説得するまであきらめない!」

 

それを聞いた彼は、一瞬だけ悲しげに目を細めた後、強い口調で叫ぶ。

 

「ならば仕方ない。これが俺様の必殺技だ!」

 

その瞬間、彼の背後に現れたのは見覚えのある“骸骨頭”。

 

(ブラスターッ!?)

 

それがガスターブラスターだと認識するのと、骸骨頭の口から眩い閃光が発せられるのは同時だった。

 

おかしい、出現から発射までがあまりにも早過ぎる。

 

咄嗟に飛び退こうとするものの、避ける間もなく放たれた光線は至近距離で炸裂する。途端に生じた凄絶な爆風に、僕は為す術なく吹き飛ばされ、体が空中に投げ出される。

 

一瞬で視界が目まぐるしく移り変わり、蒼白い爆炎とともに地面に穿たれた大穴と、そこから弾け飛ぶ雪や土が驚くほどスローで見えた。永遠のように感じる浮遊感。自分の吐く息と心臓の鼓動しか聞こえない静寂の世界。

 

だが、それは体に襲う強烈な衝撃とともに打ち破られた。

 

地面に叩き付けられた僕は、頭を強く打ち付ける。視界に見えたのは真っ白な雪と、血の鮮やかな赤だけ。

 

そこから先は、あまり覚えていない。

 

甲高い耳鳴りと朦朧とする意識の中、キャラが必死に呼び掛ける声が聞こえた気がする。でも、体に力が入らない。そんな中、視界の隅にゆっくりと黒い影が近づいてくるのが見えた。

 

「これで、兄ちゃんはきっと…」

 

微かに聞こえる、パピルスの声。そこで僕の意識は途切れた。

 



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第22話 檻

頭が酷く痛む。

 

呻きながら目を開けると、煤けた茶色の壁が目に入った。かなりボロボロで、所々が大きくひび割れて剥がれているところもある。窓も同じくひびが入り、今にも割れそうな有様だった。当然ながらあちこちから隙間風が音を立てて入り込み、部屋の中は外と変わらないくらいに寒い。思わず身震いしながら、起き上がった僕は辺りをゆっくりと見回す。

 

四方には壁、そして木でできた格子。

 

気を失っていたせいか、ここがどこなのか最初は全く分からなかった。確か、僕はSnowdinの外れでパピルスに戦いを挑んだはず。その後は、そうだ…。パピルスの使った必殺技を躱し切れず、吹き飛ばされたんだ。

 

多分、頭はその時に地面に打ち付けたのだろう。まだズキズキと痛んで圧し掛かるように重い。でも、パピルスが手当てしてくれたのか、体にはほとんど傷はなかった。頭にも包帯が巻かれていて、出血はすっかり止まっている。おそらくは傷も塞がっているだろう。

 

そして、この薄暗く狭い独特な部屋つくり。間違いない、ここはパピルスたちの家の隣にある牢屋だ。サンズが言うところのガレージで、またの名をイヌ小屋という、彼らの家の隣にある粗末な掘っ立て小屋。戦いに負けて気を失った僕は、彼に運ばれてこの小屋に閉じ込められたのだろう。

 

「まったく、いつまで寝てるんだか。相変わらずきみはだらしないな…」

 

振り向くと、キャラが腕を組んで壁に寄りかかっていた。口を尖らせ、どこか不満げな様子だ。あれ…、さっき見回したときにはいなかったのに、いつの間に現れたんだろう。

 

「もう半日近く気絶しているんだもん。その間、暇で暇で仕方がなかったよ」

 

「ごめん。まさか、ガスターブラスターが来るなんて思わなくて。しかも、あそこまで早撃ちしてくるとは…」

 

そう。僕にとっては、完全に不意を打たれた形だった。

 

今まで、パピルスの必殺技は“犬”に邪魔されて一度も発動されたことはなかった。だから、それがどんなものかは、このゲームをやり込んだ僕ですら完全には知らなかったのだ。それで突然現れた骸骨頭に動揺してしまい、早撃ちされたブラスターに対応が間に合わなかったというわけだ。

 

でも、今考えるとパピルスがブラスターを使うという話はどこかで聞いたことがあった。あれは確か、ゲームの中のとあるルートでパピルスの部屋に積まれた骨攻撃を調べた時に出てきたはず。よくよく考えれば簡単に予想できたはずなのに、こればかりは悔しい限りだった。

 

「まあ、済んだことは言っても仕方がない。それより、まずはここから脱出することを考えよう」

 

「…脱出?」

 

それを聞いた僕は一瞬、彼女が何を言っているのか分からなかった。脱出も何も、この牢屋は格子が大きすぎて余程の巨漢でもない限り、簡単にすり抜けられてしまう造りだったはずだ。なのに、脱出って一体どういうことなんだろう。

 

まさか…。

 

ある予感が頭を過る。僕は慌てて格子の方を振り向いた。

 

「嘘…」

 

案の定、格子は腕を通すのがやっとなくらいの狭い間隔で、到底体は抜けられそうにない。ゲームの世界では、絶対にこんな風にはなっていなかったはずだ。だとすると、イレギュラーなこの世界であるが故の出来事なのだろう。やはり、パピルスは自分の知っているパピルスと違うのかもしれない。

 

「私は別にこんな格子なんてすり抜けられるけど、君はそうもいかないだろ。だから、早いところ抜け出す方法を見つけないと…」

 

「見つけないと?」

 

そこで僕ははっとする。パピルスが人間を閉じ込めるのは、アンダインに引き渡すために他ならない。

 

底無しの不安が一気に心を蝕む。格子が塞がっているこんな世界なら、本当にアンダインが着くこともあり得るかもしれない。その上、さっきのキャラの話が正しければ僕は既にここで半日くらいは気絶していたことになる。そうしている間にもアンダインが向かって来ているとしたら、いつ着いてもおかしくはない。

 

仮にアンダインが着いたらどうなるか。おそらくは、王都まで連行されてソウルを奪われることになるだろう。そうなればフリスクはおろか、誰も救うことができない。自分すら、元の世界に帰れないまま死ぬことになるのだ。それだけは、絶対に避けなければならない。

 

でも、どうすればいいだろう。

 

部屋の中には相変わらず、干からびたドッグフードにボロいベッド、それに握ると音の鳴るおもちゃが無造作に転がっている。どれも役に立ちそうなものはない。あと、パピルスの書置きも一枚置かれていた。かなり大きな特徴的な手書きの文字で、

 

『すまない、UNDYNEが着くまでこの部屋に閉じ込めねばならん。おやつと寝床も用意しているから、大人しく待っていてくれ』

 

と書いてある。所々筆が止まってインクが滲んでいるあたり、彼なりに思い悩んでしたためたのだろうということは容易に察しがついた。でも、僕も黙って捕まったままでいるわけにはいかない。何としてでもここから這い出て、彼を説得してみせるのだ。

 

取り敢えず、両手で格子を掴んで引っ張ってみる。かなり力を込めて引いたつもりだったけど、まるでびくともしなかった。木製とはいえ、格子の1本1本が太くて自分の手首くらいはある。片足で格子を押さながら一気にグッと引っ張ってもみたものの、僕の力では全く埒があかない。

 

「クソっ!こんなところにいる訳にはいかないのに…!」

 

多少の痛みは覚悟して、僕は格子に体当たりしてみる。1回、2回と繰り返すも、相当頑丈らしく格子はまるでビクともしない。勢いをつけて思い切りぶつかっても、打撲傷ばかりが増えるだけで無駄な足掻きだった。終いには反動で弾き飛ばされ、尻餅をつく。

 

「武器持ってればまだやりようはあったのに、君も頑なだからね。おもちゃのナイフは投げ捨てちゃったし、フライパンはトリエルに返しちゃったし」

 

「だって、武器なんて必要ないと思ったから…。あるのは丈夫な手袋くらい」

 

「手袋で格子が破れるならいいけど、まあ無理だろうね」

 

キャラが薄笑いを浮かべながらそう言った。ここにきて攻撃には使わないとしても、咄嗟の出来事に備えて武器くらい持っておけば良かったと少し後悔する。

 

「…そうだ、窓を破れば!」

 

ひらめくや否や、即座に駆け寄ってみた僕。確かにガラス自体にはひびが入ってすぐにでも割れそうだけども、あろうことか外側に格子がついていて脱出には使えなかった。まさか、ここも駄目だなんて。あまりの悔しさに唇を噛み締めると、仄かに鉄の味が口に広がる。冷静さを保とうとゆっくりと深呼吸しても、焦り募る一方だった。

 

なぜなら、本当に打つ手がないからだ。

 

格子は破れないし、窓も塞がっている。こうしている間にも、アンダインはこっちに向かって来ているかもしれない。もし本当にアンダインが着いてしまったら、自分は確実に終わりだ。

 

尋常ではない焦燥感が胸を炙り、居ても立ってもいられなくなる。背中は冷や汗でぐっしょり濡れ、気持ち悪い。

 

懸命に策を考えようとするものの、文字通りの八方塞がりだった。道具もなければ手段もない。時間だけが刻一刻と過ぎていってしまう。キャラがいる手前、迂闊には顔に出せないけれども、焦りに押し潰されて泣き出してしまいそうだった。僕だってこんなところで死にたくないし、諦めたくもない。でも、出来ることが限られている以上、どうしようもなかった。

 

「おいどうするんだ、相棒?」

 

「うるさいっ!今考えてるんだよ!」

 

口に出してから、はっとする僕。

 

やってしまった。何気なく聞いてきたキャラに、つい感情的になって怒鳴ってしまった。流石の彼女も驚いたのか一瞬ビクッとしたものの、「何だよ…」と不機嫌そうにそっぽを向く。いくら焦っているとはいえ、彼女に当たるなんて最低だ。僕はすぐに謝ったけれど、彼女は横を向いたまま口を利いてくれない。

 

(もう…、いったいどうすればいいんだよ…)

 

途方に暮れた僕は、そのまま床に座り込むと膝を抱え、静かに顔を埋める。

 

もう、いっそのことここで死んでしまおうか。

 

ふと、そんな考えが浮かんだ。そうすれば、少なくともSnowdinの街のセーブポイントまで、きっと戻ることができる。アンダインにソウルを奪われるくらいなら、そうした方が良いのかもしれない。自殺なんてあまり気乗りはしなけれど、最悪な結末を避けるためには仕方がない。

 

でも、折角今まで死なずにここまで来たのに、まさか自分で命を絶つことになるとは。自分でも、流石に考えもしなかった。勿論、死なずに済むのなら僕だってそうしたい。けれど、この状況を脱するには、それくらいしか僕には思い浮かばなかった。

 

 

 

 

「なに泣いてんだ、ガキンチョ」

 

突然聞こえたその声に、すぐに顔を上げる僕。見ると、サンズが何気ない調子で目の前に立っていた。慌てて腕で顔を拭った僕は、驚きのあまり素っ頓狂な声を上げる。

 

「サ、サンズ…!?何でここに?」

 

「いつまで経ってもお前さんがガレージから出てこないからだ。このくらい、お前さんなら容易く抜け出せると思ったんだがな」

 

「この牢屋を?こんなに格子が狭いのに?」

 

僕の言葉に、ちらっと格子を見たサンズは「あー…」と気まずい表情を浮かべる。何やら怪しい。ものすごく怪しい。

 

「もしかしてサンズ、事情知ってたりする?」

 

「あー、まあな。これはお前が来る前に、俺が改造したまま放置していたやつだ。すっかり忘れてたぜ。すまんな…」

 

サンズぅ…。一度、殴り飛ばしてやらないと気が済まないくらいに、僕は怒り心頭だった。閉じ込められている間、僕がどんな気持ちでどれだけ大変な目に遭ったか。許せない、絶対にいつか仕返ししてやる。

 

うっかり顔に出ていたのか、僕のあまりにムスッとした不機嫌な様子に流石のサンズも不味いと思ったらしい。苦笑いしながらある提案をしてきた。

 

「お詫びと言っては何だが、これからグリルビーズに行くんだが、一緒に来るか?」

 

「行く!」と言いかけたところで、アンダインのことが思い浮かんだ。行きたいのは山々だったけれど、いつアンダインが来るかも分からないのに、悠長にグリルビーズで飲み食いしている場合ではない。少し間を開けた僕は、心苦しさを覚えつつ冷静にサンズに事情を説明する。

 

「ごめん…。早く行かないと、アンダインが来るかもしれない。だから、その、今日のところはグリルビーズには一緒に行けない…。ほんとにごめん」

 

俯きがちに、絞り出すように細々と出た言葉。でも、それを聞いたサンズはあろうことか「へへっ」と声に出して笑い始める。正直、全く理解できない。

 

「…え、なんで笑うの?僕、何か面白いこと言った?」

 

「いや、別に。…にしても、お前も真面目だな。少しは気を楽にしたらどうだ?」

 

相変わらずの気楽な調子で答えるサンズ。これには流石に僕も少しイラっと来てしまった。いくら自分のことではないとは言っても、無責任過ぎやしないだろうか。自分にとっては、生きるか死ぬかの凄く大切な問題なのだ。それを、気を楽にしろって言われてできるわけがない。苛立ち交じりの強い口調で、僕はサンズに返す。

 

「何言っているのさ…。早くしないとアンダインが来ちゃうんだよ!早くパピルスを説得しないと、多分僕は捕まって…」

 

「あのなぁ、アンダインの奴は自分の携帯を持ってないんだ。今頃、パピルスは手紙でも書いてる頃だろ。それがアンダインの所に届いて、それからあいつがここに来るまで、何日掛かると思ってるんだ?」

 

「え…、でも…」

 

宥めすかすように、落ち着いた声でそう話したサンズ。つい先ほどまで追い詰められて色々と限界に来ていたせいか、彼の話したことを頭の中で理解するのに少し時間が掛かってしまった。でも、ようやくその言葉の意味を理解した僕は、恐る恐るサンズにもう一度尋ねてみる。

 

「…それ、本当?」

 

「ああ。今更俺がお前に嘘をついてどうするんだ?」

 

確かに、それもそうかもしれない。サンズの言葉に一気に緊張の糸が解れた僕は、深い溜息をついた。なんだ、そんなことなら初めからそこまで心配しなくても良かったじゃないか。まるで拍子抜けするように圧し掛かっていた重圧から解放され、力が抜けた僕は思わず座り込んでしまう。

 

考えてみればゲームでもフリスクはパピルスと戦った後、彼とデートしたりサンズとグリルビーズに行ったり、地味に色々なことをやっている。それも踏まえると、サンズが言うようにアンダインが来るまでには意外に時間があったのかもしれない。全く、心配して損してしまった。

 

あれ、そういえば急かしてきたのって、キャラじゃなかったっけ。そんなことを考えた矢先、ゴツンと頭を強く殴られる。思わずサンズの前なのに「い゙っ!」と変な声が漏れた。

 

《人のせいにするな相棒。だいたい、きみが勝手に勘違いしたからだろ。私は別に、アンダインが今すぐ来るなんて言ってないんだし》

 

そうだったっけ…?どうも納得がいかない。

 

それより、僕が突然出した声を聞いたサンズが怪訝そうに「どうした?」と訊いてきたので、大慌てて取り繕った。そりゃ、傍から見れば何もされていないのに、いきなり変な声を上げて頭をさすっていたらおかしい奴だと思われるだろう。実際、サンズは変な顔をしている。

 

「…で、話は戻るが、グリルビーズには来るか?人間」

 

「行く!」

 

迷わず即答した。あのグリルビーズに行けるまたとない機会なのだから、これを逃す手はない。

 

「じゃあ、俺の腕にしっかり掴まっとけ。間違っても、途中で離したりするなよ」

 

「うん、分かった」

 

僕は言われるがまま、サンズの腕を掴んだ。最後の言葉が少し怖かったので、両手でしっかりと。そんな僕の背中には、キャラがひょこりくっついてきていた。別にキャラなら一緒に飛ばなくても場所が分かると思うのに、こういうところはチャッカリしている。おっと、あまり言うと()()殴られるのでやめておこう。

 

そのまま歩き出すサンズ。慌ててそれに合わせて一歩を踏み出すと、ふと気づいた時にはいつの間にかグリルビーズの店内にいた。本当の本当に一瞬だった。瞬きもせずしっかり見ていたつもりなのに、何が起こったのかさっぱり分からない。

 

「何きょとんとしてるんだ?別に、お前さんならショートカットも初めてじゃないんだろ?」

 

「いや、まあ…。知ってはいたんだけど…、その…、実際に体験するのは初めてだったから」

 

興味津々にキョロキョロと辺りを見回しながら、僕はサンズにそう答える。ゲームでこそ、画面上で見たことなら数え切れない程ある。でも、こうして自分がショートカットで移動するなんて、感動ものだった。その間に、サンズはモンスターたちに軽く挨拶を済ませている。

 

中にいるのはグリルビーズではお馴染みの面子だった。黒いパーカーを深く被っているのはDogi夫妻で、まだあの大斧を握っていてトラウマがある僕には少し怖い。同じテーブルには最初に戦ったDoggoや結局戦わずじまいだったグレータードッグもいる。ほかにはギザギザの歯が印象的な大口のモンスターや目が回っているウサギ、そしてカウンターにいる酔っ払い2人組だった。あと、さりげなくレッサードッグが奥の隅のテーブルで一人ポーカーに興じているのが見える。

 

「さ、こっちだ」

 

僕はサンズに案内されるがまま、恐る恐る店内を進む。バーなんて入るのは現実世界でも初めてなので、正直かなり緊張していた。壁際に灯る間接照明は落ち着いた雰囲気を醸し出し、どこからともなく漂う煙草の甘い香りが鼻をくすぐる。何だかとても大人になったような気分だ。バーカウンターには全身が炎のモンスター__グリルビーが、黙々とグラスを拭いている。

 

サンズは一足早く、丸椅子に腰を掛けた。それに続いて僕もゆっくりと腰を下ろすと、途端に「ブゥー…」と気の抜けた音が店内に響き渡る。

 

あ…、またやられた。くそ、こんなことなんて分かり切ってたはずなのに凄く悔しい。しかもこれ、鳴らした瞬間に全員の視線が集まったせいで途轍もなく恥ずかしいんだけど。苦々しい顔をしながら、僕は今度は鳴らさないようゆっくりと座り直す。

 

「へへ、お前さんも分かりやすい奴だな。耳が真っ赤だぜ。いつだれがブーブークッションを仕掛けているか分からないんだから、座る場所には気を付けることだな」

 

サンズぅ…。

 

口を尖らせて精一杯の不満を表現するものの、してやったりといった顔のサンズはニヤニヤと笑っている。許せない。今度、ケチャップの中身をタバスコにすり替えてやる。

 

「よし、何か注文するとしよう。ポテトとバーガーがあるが、どっちを食いたい?」

 

「えーと、どっちも」

 

「おいおい、そんなに食えるのか?残したらお代はお前持ちだぜ?」

 

「いいよ、食べれるもん」

 

サンズは渋々、グリルビーにバーガーとポテトを2個ずつ頼んだ。注文を受けた彼は、扉を開けて店の奥へと消える。暫しの間の沈黙。本当は自分も色々と聞きたいことがあったはずなのに、いざ二人きりになった途端どう切り出せば良いか分からなくなってしまう。サンズも同じらしく、互いに正面のボトル棚を眺めたりしながら気まずい時間が流れる。

 

それでも、先に口を開いたのはサンズだった。

 

「…そういえば、あのガレージにいたってことは俺の兄弟と戦ったんだろ。どうだった、最高にクールで強いと思わないか?」

 

「ああ、うん。強いしクールだったよ、でも…」

 

「そいつは良かった。俺の兄弟は本物のスターなんだぜ。まあ、お前さんにとっちゃこの話も毎回聞いてるだろうがな。ケツを叩いてくれる奴がいるってのも、中々オツなものだぜ」

 

続けようとしたところで、サンズは僕の話を強引に遮った。平然と話してはいるものの、何だか少し妙だ。都合の悪い事から目を逸らすような、そんな雰囲気が感じられる。もしかして、サンズも薄々気づいているのだろうか。パピルスの様子が少しおかしいことに。

 

僕と戦ったパピルスは、明らかに思い悩んでいるようだった。人間を捕まえることに固執し、まるでそれしか道がないかのように、彼は説得も聞かず攻撃を続けてきた。そして、最後には必殺技__ゲームでは出番すらなかったガスターブラスターを発動して、僕をあの牢屋に閉じ込めたのだった。

 

考えてみれば、普段一緒にいるサンズがあそこまで思い悩む兄弟の様子に気づかないはずはない。ここは、敢えて無理にでも兄弟の話を聞いてみた方が良いんじゃないか。そう考えた矢先、サンズが本題に入る。僕は口に出かけた言葉を渋々飲み込んだ。

 

「お前さんに一つ、聞きたいことがあってな。なに、大したことじゃない。あの喋る金色の花のことだ」

 

「喋る金色の花?フラウィのこと?」

 

やっぱり、フラウィの事を聞いてきた。正直なところ、あの洞窟で僕に襲い掛かってきた時もサンズはフラウィの事を話していたから、自分の中でもいつか訊かれると思ってはいた。軽く頷いた彼は、話を続ける。

 

「俺はあいつに唆されて、お前を殺そうとした。そのことは、本当に悪いと思っている。だが、分からないのはあいつの目的だ。あの花は、俺にお前を殺させてどうするつもりだったのか。いったい何が目的なのか。それが、どうもすっきりしないんだ」

 

「フラウィの目的…?」

 

そういえば、確かにあまり考えたことはなかった。Ruinsで最初に襲ってきたとき、フラウィはなんて言っていただろう。

 

そうだ。あいつは僕のソウルを欲しがっていた。なら、目的は僕のソウルを奪うことだろうか。サンズに僕を数え切れない程殺させて、決意が折れてソウルを差し出すのを待っていたのだとすれば納得はいく。とりあえず、僕は今の考えをサンズに伝えてみた。

 

「お前さんのソウルを?でも、それなら自分で襲い掛かったほうが手っ取り早くないか。わざわざ俺なんかに殺させるより、あの花ならお前くらい絞め殺すのは簡単だろ」

 

「……。」

 

デリカシーに欠けているのは百歩譲って置いとくとして、サンズの言っていることは確かに一理ある。フラウィにとっては僕を殺すのは容易い事だろうし、殺そうと思えば殺せる機会はいくらでもあった。勿論、僕が決意で復活できるとしても、永遠と殺され続けて正気を保てるなんて思えない。

 

しかし、フラウィはそうはせず、わざわざサンズに殺させようとした。そのことに、何の目的があるんだろう。頬杖を付きながら深々と考え込む僕に、サンズが覗き込むように話し掛ける。その眼は真っすぐに僕の瞳を捉え、真剣そのものだった。

 

「俺はな、ガキンチョ。あのクソ花がまた何かろくでもないことを企んでいる気がしてならないんだ。お前さんなら、俺の言っていることは分かるだろ?」

 

脳裏に蘇ったのは、機械と植物が融合したかのような悍ましい化け物の姿。画面越しに見ただけでも恐怖に慄き嫌悪を覚える、悪夢の敵。フラウィが僕を泳がせているということは、また()()を起こすつもりなのだろうか。いや、多分違うだろう。リセット前の記憶を持つフラウィが、後々ソウルに反逆されることを知らないはずはない。

 

にも拘わらず、フラウィが何かを狙っているのだとしたら、もしかするとあいつはPlayerだった自分ですら知らない恐ろしい事を企んでいるのかもしれない。そのために僕を泳がせ、利用しているのだ。最後の最後で、自らの目的を達成するための手段として。

 

「多分、お前…、いや俺も今はまんまと奴の掌の上で踊らされているってとこだろうな。俺とお前がこうして和解して、この場で話し合っていることすら、奴にとっては想定の範囲内かもしれない」

 

「どういうこと?」

 

「お前も気づいていたかもしれないが、あの洞窟での出来事をあの花はこっそり覗いていたんだ。勿論、単にお前が殺されるのを見たかっただけなのかもしれない。でも、用心するには越したことはないだろうな…」

 

冷静な声でそう言ったサンズの言葉に、僕は静かに頷いた。フラウィの手の内は分からないものの、サンズの言う通り警戒は必要だろう。でも、あの洞窟の中の戦いをフラウィが覗いていたということには少し引っ掛かった。あれを見て、フラウィは何を確かめたかったのか。あの時、僕はただただ一方的にサンズに襲われ、殺されかけただけじゃないか。他に、何か見るものがあっただろうか。

 

ふと、ある可能性が頭を過った。

 

あの場でサンズと戦ったのは、自分一人だけではない。正確にはもう一人いたのだ。

 

 

 

 

 

“キャラ”が。

 




更新遅くなりすみません。
年内にはsnowdin編を書き上げるつもりだったのですが、忙しさから解放されず気づけば年末に…。
亀更新ではありますが、来年もどうぞよろしくお願いします。
皆様、良いお年を。


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