貴方の髪結い (あくたたか)
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1話


例え思慕であったとしてもこの気持ちに偽りなどなかったのだ


 ぱさ、と白く艶やかで、長く結われた髪がほどかれる。

 

 腰近くまで伸ばされた白髪。正にそれは白閃の化身であるべくと生まれながらにして表現されている様だと、常々シロガネ・セイギは思っていた。

 

 こうも髪の長い女性さえそう見かけなどはしないし、何よりも男で髪を伸ばすなどそれこそ滅多にない事だ。

 

 よく髪を伸ばすのは願掛けと言われているが、果たしてこの男の場合であれば一体どんな意味を持つのであろうか。

 

 肌理細やかでありながら艶やかで流れるそれは間違えれば絹糸のようにも見える。

 絵に描いた様な美丈夫と言えども、この男は腐ってもこの帝国軍の最高戦力である英雄で美しいと表現するよりも凛々しいと言った方が正しいか。

 

 汚されぬその純白さもまたこの人――カミナギ・ヤマトと言う男の魅力でもあると思う。

 

 だが剣を鞘に納め、国の為、民の為とその軍人としての宿命を下ろした瞬間に、またこのカミナギ・ヤマトという男は別の姿を見せていた。

 

 ふぅ、と珍しく溜息を吐く様子にセイギは思わず声を掛けられずにはいられない。

 

「大佐、時間も時間ですから少し湯浴みをしてきては?」

「嗚呼、そうしよう。セイギ、お前もそう職務を詰め込むなよ?」

「承知しています」

 

 時刻は午後9時過ぎ。

 

 今夜は二人して、軍中央部つまり来るべくするシェオルへの遠征について召集をかけられ、昼は軍務を除けて案外遠征について軍上層部が渋っていた為にやけに時間を食ってしまった。

 

 故にヤマトの方がセイギを気遣い、「夕方からの執務は自宅でのんびり行えばいい。」と言う一言に甘えていたと言う経緯である。

 

 セイギの一言に無言で「宜しい」とだけ視線を寄越すと同時にその長い髪をほどく。

今日の任務は当たり前だが軍上層部が関わっている。故に、軍務とは違って精神力や頭脳労働の方に負荷が掛かるが、果たしてこの男の鋼の精神に頭脳労働が刺さる訳ではないはずなのに、その横顔はどこか気だるげであった。

 

「…本当に大丈夫ですか?大分疲れている様ですが。」

「…」

 

 すると突然押し黙ってはそっぽを向く。嗚呼、そう言う事かとなんとなくセイギはヤマトの心情を理解する。

 

「眠れなかったんですね。」

「…やはりお前に誤魔化しなど通用しないか。」

 

 参った、と言わんばかりの苦笑を見せては肩を竦ませる、それもそうだ。

 

 何せセイギも『霹靂の英雄』と呼ばれていても、まだ若い。そして階級に関しても、軍人の技量としてもヤマトの方が上手である。

 

 それだけ彼にとっての責任も重い上に、彼はある一件の事から軍内で力を誇るクナカミ中将から酷く毛嫌いされている事もあるのだから。

 

 セイギがまだ幼少の頃、彼の郷里では天災とも言えよう事態が唐突に降りかかった。

 

 この帝国ではがしゃ髑髏と呼ばれ、そのがしゃ髑髏が引き起こした災厄を久良杜事変と呼ばれている。

 

 第陸級の魄喰鬼の襲来により、一個中隊が壊滅。このカミナギ・ヤマトという男ただ一人を除いては。

 つまりこの男一人でその災厄を沈めた事が伝説の始まりだったが、軍内部としても国民からしてみてもこれは最初信憑性は欠けていただろう。

 

 しかし偶然にも生き残った筈のセイギがその伝説を目に映す事はなく、ただひとりの生き残りとして、ヤマトに連れられ帝都まで戻るとセイギはまず病院へと収容される。

 

 その間ヤマトは暫くの除隊と謹慎処分を受けていたが、それでも定期的にセイギの見舞いには訪れていた。だが当初のこのカミナギ・ヤマトという男は本当に不器用な男だった。

 

 病室で声を掛ける時は決まって、大体「調子はどうだ?」や「今日は気持ちのいい日だ」程度しか口にしていないとセイギは記憶している。

 

 もちろん彼もその頃は記憶喪失の事もあって、塞ぎこんでいたから最も何も会話をする気など起きる気がなく。互いに会話を成り立たせる事が出来る様になったのは本当に時間が掛かった。

 

 だがセイギはカミナギ・ヤマトと言う男から受けた恩は何一つとして忘れた事はない。

 

 身寄りのない自身を引き取り今の名前を付けただけでなく、文字を読む事から士官学校に上がるまでに一通りの教養を教え、教養だけでなく剣技の会得。そして何よりも人間として生きて行く為に様々な事を教えている。

 

 だからこそセイギは彼を一人の軍人として、唯一の育ての親として、何よりたった一人の人間として思慕の念を抱かずにはいられなかった。

 

 二人の思い出だけが残るこのヤマトの自宅で、書類整理をしていたものの、彼は常に自宅にいる時は軍服ではなく、紺色の着物を身に纏っていて、今もそうだ。

「とりあえず先に風呂を済ませてくる。待たせやしない、風呂から上がれば私も手伝おう。」

「…」

 

 その言葉に対してセイギは無言で返す。ただ軍人として、恩人としてその存在に憧れ、背を追っても彼自身許せない事が一つある。それは自身を「私」と呼ぶ事だ。

 

 セイギ自身の記憶では、まだ幼い彼を引き取った時、ヤマトは自身を「私」ではなく「オレ」と言っていた。だがセイギが立派にその成長の過程を見せていく内に、ヤマト自身安心しきったのかどこか自分を隠すようになった。

 

 セイギは静かに俯く。

 

 決してあの人は自分を認めていない訳ではない。だが何故こうも悔しいのか。

「貴方は、どこへ行くのですか…。」

 

 一体その表情すら見せない自身と同じ灰色の瞳には何を映しているのだろう? 何を思っているのだろう?ただ淀み、不安定なだけなこの感情を捨てたいと思っても捨てきれないのも、また悔しい。

「…」

 

 余計な事を考えても仕方ない――そう気持ちを切り替えてはセイギは残った書類の整理をすべく、手を動かす事にした。

 

 

 




まだこの時点では…大丈夫…?


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2話


『貴方の髪結い』の後篇となります。
ここから両者の絡みが見えますので、御注意下さいませ。


 

 結果「えいゆう」の願いなど叶わなかった。

 

 あの頃まだ不完全だった「えいゆう」は己の中に備わっていた「死」と言う概念に従ったからこそ、あの時がしゃ髑髏の精神的な支配から唯一逃れる事が出来た。

 

 だが、あまりにも短すぎたのだ。

 

 「英雄」としての器が完成した速度はそれこそ一瞬でしかなく、そしてそれは彼がカミナギ・ヤマトとして生きてきたあの夢心地の中で味わった温かささえ、呆気なく崩れた。

 

 久良杜の一件から、彼自身もはや自身の感情のコントロールは出来てはいたが、何故か自身でも不可解に思うのは、何故これほどまでに髪を伸ばしているのだろう? と。

 

 今まで切ろうとした事がない訳ではない。

 

 しかし鋏をその手を持つ度に手が震えてしまう。まるでドロリ、と身体の内に毒が流しこまれる様な感覚。これに苛まれる事だけは嫌であった。

 

 それに幼いセイギを引き取り、共に同じ屋根の下で生活する様になってから髪を切ろうとすると、セイギはまるで「切っちゃだめ」と言わんばかりに不機嫌そうな顔でヤマトを見ていた。それもあって、根負けしたヤマトが「判った、判った。」と言っては諦める。

 

 洗髪も終わり、身体も一通り洗い終われば、その長い髪が含んだ水を絞った時、ヤマトはふと思う。

 

 これは何だ? 俺は果たして何に苦しんでいる? 否、そもそも苦しんでなどいない。

例え自分自身があの時の不条理に失望したとしよう。だがそれでもその手で自分の仲間を殺したのは己の判断だ。

 

 あのハヤテに対しても言っただろう――お前は薄情な奴だ、と。

 

 仲間は殺し、サクヤだけを殺すなとハヤテに訴えられ、決裂したその道さえも間違っていなかった。そう肯定していた。

 

「…弱いな、オレは。」

 

 いくら帝国軍の最高戦力だの死の閃光だのと言われた所で、カミナギ・ヤマトと言う男は自身を擦り減らして、ただただ仲間と民の為に力を奮うしかない。否、英雄とはそうであるべきなのだ。

 

 そこで残る不安は先の遠征である。

 

 もし、もしだ。そこで遠征軍の同志を失った時は一人の軍人ではなく、「カミナギ・ヤマト」としてどうすればいいのか?

 

 勿論他の仲間もそうだが、彼自身最も失うのが怖いのは、シロガネ・セイギと言う存在一人だった。

 

 信じていない訳ではない。否、彼ならば自分自身が超えてきた道など容易く踏破するだろう。だが不安なのは彼の性格だ。

 

 誰に似たのか非常に生真面目で、何よりも責任感は他人の数倍はあると言ってもいい。だからこそ一人で何もかもを抱え込む。言わばヤマトから見れば、セイギはまだ諸刃の剣なのだ。

 

 育て親として、軍人として、仲間として――何よりも愛情を抱いてしまったものだから、余計に情が揺らぐ。

 

「お前を信じている」

 そう言うのは彼への鼓舞の為か?――それだけではない事は、本当は判っていた。

 

 まだ弱い自分へ、「大丈夫だ」と言い聞かせる為に。その儀式に過ぎない。

「…はっ」

 あまりにも脆くなったな――と自嘲混じりに笑うと、生真面目な彼を待たせてはいけないと急いで髪を乾かして、衣服を整えては書斎へと戻った。

 

 

「おかえりなさい」

 

 ヤマトが書斎に戻ると、もうセイギは先程まであった書類の3分の2は整理し終わっていた事に、微かにヤマトは眉を顰める。

 

 確かに一見見れば、彼の有能さを褒めてやりたいのは確か。だが彼は「詰め込むな」と言い残したと言うのに。しかしここで何かを言っても恐らくセイギはその言葉を流す。

 

 表面上「判りました」と顔色一つ変える事なく言うが、裏では飄々と受け流す。さて、そんな所は誰に似たのか――と呆れて溜息を一つ漏らすと、自身も腰を下ろした。

 

「随分と終わったな。お前も風呂を済ませてきたらどうだ?」

「ありがたいですが、生憎仕事中です。」

「それでは矛盾しているぞ?私には仕事中に風呂を済ませろと勧めたというのに。はて…これでは部下が可哀想だ。」

「貴方が言えた事ではないでしょう?」

 

 つん、とした態度に思わずヤマトは目を丸くする。

 

 一応思春期は過ぎてはいるし、その経過をきちんと自身は見てきた――否、そもそもセイギに思春期などあったか?と今更になって育て親として混乱に陥る。その混乱を払うかの様にこう返した。

 

「反抗期か?」

「反抗期ならばとうに過ぎましたよ」

「…反抗された覚えなど一つもないんだがな。」

 

 今思い返せば、セイギが反抗をしたのはそれこそヤマトが髪を切ろうとした時ぐらいで、後はすんなりと素直に受け入れてくれている。その素直さも魅力ではあるが果たして毒されないかも心配である。

 

 やや苦い顔をして沈黙していれば「大佐」と突然声を掛けられ、それでヤマトは我に返った。

 

 しかし、先程まで向き合っていたセイギの姿はそこになく、気付けばセイギはヤマトの右隣にいたのを見れば、ヤマトは小首を傾げる。

 

「セイギ?」

「何でしょう?」

「否…。」

 

 思わず口ごもってしまう。だがその刹那、セイギはヤマトの長い髪を一房手に取ってはそれに軽く口づける。

「――ッ、」

 一瞬の出来事ではあったが、一体何が起きたのか。流石のヤマトでも理解が追いつかない。

 

「……セイギ?」

 反射的にそう名前を呼ぶと、またセイギは「なんでしょう?」と顔色一つ変えずに答える。本当にこんな所は誰に似たのやら。

 

「どういう事だ?…と言うよりもこんな事をどこで覚えてきた?」

「覚えていないんですか?」

「は?」

 

 覚えていない? その言葉を心の内で繰り返すも、全くを以て心当たりがない。するとセイギは姿勢を正してはこう返した。

 

「まだ幼い頃に貴方が、『恋愛映画を見に行こう』と自分を誘いましたよね?その時の映画にてこの様なシーンがあったのは覚えています。」

 

 そう言われた瞬間に、一気に記憶がその時に引き戻される。そう、そうだ。思い出した。

 

 まだセイギが士官学校に入る前、あまりにも面白いと評判の恋愛映画があると聞いて、ならばこの子にも見せてやりたいと誘った所、「誘う相手を間違えていませんか?」と丁寧に返された記憶がある。

 

 しかし口ではそう言っても、結局は付いてきてくれて見た覚えがあった。内心しまった――と育て親として教育を間違えた事を軽く後悔する。しかし、セイギはどこか不満そうであった。

 

 とりあえずこの場を仕切り直したいが、突然の出来事と小さな後悔に理解が追いつかない。果たして何故セイギは不満そうな顔を浮かべているのか? そして返せる言葉はこの程度でしかなった。

 

「一体どうした?」

「自分は貴方に感謝はしています。育て親として、師匠として、同じく軍人として。ですがそれだけではないのに何故こうも気付かないのですか?」

「…と言うと?」

「…」

 

 はぁ、と書斎に重い溜息が響く。もうここまで来たら理解などカミナギ・ヤマトと言う男に理解出来るはずもなく。

「今自分がした事の意味は理解出来ますか?」

「…」

 そう言われ思い返せば、そう言えばとヤマトは思い出す。

 

 髪への接吻の意味は「思慕」である。ようやく理解が追いつくと、セイギは思わず珍しく苦笑を漏らしていた。

 

「先の遠征は困難になるでしょう。例え貴方や普段頼れるサヤや他の人員がいたとしても。だからこそもう、その言葉と後悔は止めて欲しいのです。」

「後悔…?」

「貴方はシロガネ・セイギと言う存在を信じているのでは?しかしそこで俺が何かを失う事を危惧している。」

「…」

 

 ついに核心を突かれるともはや返す言葉などない。そう、そうだ。自分は――と思い返していれば、そっと毛布がかかる様な温かい感触がヤマトの身体を包むが、毛布はここまで生温かくはない。

 

 これは人肌だ。そして勿論この場には自分とセイギしかいない。

「セイギ?」

「貴方とて人の子です。だから自身の弱さと願いに苛まれるのならば、その弱さは俺が払いましょう。子供でもなく部下でもなく…たった一人の男として。」

 

 嗚呼、とその時ヤマトは思い出す。まだ彼が人に慣れず不安がっていた頃は、よくこう抱きしめてやっていた事。

 

 あれは育て親としての当然の事。だがまさかこれを子供でも部下でもなく、たった一人の男としてされては堪ったものではない。だが振り払う事はしなかったのは、また自身の弱さと甘さか。

 

 ヤマトはただゆっくりと目を閉じては、消え入りそうな声で小さく呟く。

「全く…困った男だ。」

 

 今、彼の心のうちに広がるのは純粋なまでの信頼と安心であった。それこそ親でも上司でもなく、たった一人のカミナギ・ヤマトとして。

 

 

 

 

 





ヤマトさんの受け臭さに救いようがない。
本当にごめんなさい。


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