三船美優が隣にいる日常 (グリーンやまこう)
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衝撃の出会い
「はぁ……今日も疲れた」
ため息をつきながら俺、笹島健一は自室の鍵を開けて部屋の中に入る。
キッチンにコンビニで買ってきた弁当を置いてリビングに入った俺は、スーツをその辺に脱ぎ捨てる。しわになるかもしれないが、明日は休みでクリーニングにでも出そうと思っていたので問題はない。
それに今日は予想外の残業でかなり疲れていたので、ハンガーにかけておくのも面倒だ。……残業を押し付けてきた上司の野郎、絶対に許さん。
「さっさとシャワーでも浴びるか」
洗濯物を洗濯機に放り込み、浴室に入った俺は頭から熱いお湯を浴びる。適当に髪と身体を洗ったところでようやく頭もスッキリしてきた。
髪を拭きながら浴室を出て、買ってきておいた弁当を電子レンジで温める。普段は健康を考えて自炊をしたりするのだが、今日はとてもじゃないがそんな気は起きなかった。
温め終わった弁当と缶ビールを持ってリビングへ。
「いただきます」
手を合わせてから弁当……からではなく缶ビールのプルタブを引き、ビールを勢いよく喉に流し込む。
「あぁあああ~」
明日が休みだと分かって飲むビールは最高だ。正直、このために生きているといっても過言ではない。某アニメの映画で父親が「このために生きてるな」と言ったのも納得だ。
一息で半分を飲み干した俺は弁当に箸をつける。新発売とシールが貼ってあったので買ってみたのだが、なかなかうまい。流石は商品開発に定評のある大手のコンビニだ。弁当を食べつつ、テレビをつける。
見たい番組があるわけでもないが、声がないと寂しいのでいつも適当に流し見していた。ちなみに今映っている番組は『志乃&早苗の本音ではしご酒』。
アイドルである二人が、お酒を飲みながらゲストの話を聞くというこの番組。志乃さんと早苗さんのキャラは全然違うのだが、そのミスマッチが逆に視聴者に受け大人気の番組になっている。
酒を飲めて、尚且つギャラも貰えるなんて滅茶苦茶羨ましい。そんなわけでしばらくテレビを見つつお弁当を食べていたのだが、
「さて、そろそろあれの中身を見てみますか」
弁当を食べ終え、いい感じに酔いも回ってきたので俺は本棚の中からとあるアイドルの写真集を取り出す。既にビールは三本目へと突入していた。
別に俺はアイドルオタクでも何でもないのだが、彼女だけは違う。初めて見た時にビビッときたのだ。
それ以来、彼女の出ているテレビ番組は可能な限りチェックしているし、写真集も買っている。
「待ちに待った瞬間だな」
発売日は今週の水曜日だったのだが、仕事が忙しく読む暇がなかったのだ。
写真集を開いて中身を見た俺は……ため息をついた。
「どうしてこの人はこんなに美人なんだろう」
俺が買った写真集の表紙には三船美優と大きく名前が書かれており、彼女が愁いを帯びた表情を浮かべている。
ただでさえ美人なのに、この表情はずるい。反則である。そのままペラペラとページをめくっていき……やっぱりため息しか出なかった。
(荒んでいた心が浄化されていく)
もう隠していてもしょうがないので説明しておくことにしよう。俺はアイドル三船美優の大ファンだった。
三船美優。26歳ということで落ち着いた雰囲気を身に纏い、優しくもありどこか儚げな印象を抱く。可愛いというよりは美人という言葉が最適で、妖艶といっても過言ではないだろう。
スタイルもよく、たまに見せる露出の多い格好で俺の度肝を抜くことも多い。トラがモチーフの格好をした写真を見た時は鼻血が出た。
茶色の髪を後ろで一つにまとめていることが多く、それが彼女の美人さと妖艶さをより引き立てている。
長々と説明してきたのだが、取り敢えず俺は彼女の大ファンなのである。最近になってテレビなどへ露出が多くなってきた彼女だが、俺はメディアに出てくる前からずっと気になっていた。
とある雑誌の小さな記事で見ただけだったのだが、その時の事はよく覚えている。身体に電撃が走るとは、まさにあの時の事を言うのだろう。
その後はネットで彼女の情報を調べ、ライブなどの映像を動画サイトで見たりもしたし、雑誌を買い出したりしたのもこの頃からだ。
「はぁ……最高だ」
今回の写真集はお色気系ではなく、どちらかというと普段の美優さんにスポットを当てているように感じる。素に近い表情の写真が多く、それがまた魅力的だ。
たっぷりと時間をかけて写真集を読み終えた俺は、「ふぅ」と息を吐いてから写真集を元の棚に戻す。
「……いやぁ、良かった」
残っていたビールを飲み干してから俺は小さく呟く。雑誌の取材とかもいいけど、やっぱり三船さんの魅力をあますことなく伝えられるのは写真集だけだな。
これは折り目とかがつかないよう、きちんと保存しておかないと。そんなわけで俺がいそいそと本棚に三船さんの写真集をしまい終えたところで、
ガチャ
「っ!?」
玄関の扉が開いた音が耳に入り、酔いが一気に醒める。俺は一人暮らしであり、同棲して合鍵を渡している彼女なんていない。
扉が空いたということは要するに……不審者が入ってきたということにほかならない。
(鍵はちゃんと閉め……てなかった!)
全身から冷や汗が噴き出す。かなり疲れて帰ってきたので鍵を閉め忘れていたのだ。一瞬、とんでもない自己嫌悪に襲われるも、すぐに冷静になる。
(落ち着け、落ち着くんだ俺。慌ててもしょうがないからな)
とにかく起こってしまったものは仕方がない。今は自分の身を守ることが重要だ。
取り敢えず近くに置いてあったヘルメットをかぶり、武器になりそうな分厚い本を右手に持つ。腹の中にはもちろんジャンプを忍ばせてある。左手にはいつでも警察に連絡できるように110番のダイヤルを既にセット済みだ。
もちろんこの対応は間違いではないと思うのだが、最適解はすぐに警察へ連絡を取ることだっただろう。不審者かもしれない人が入ってきているわけだったのだからな。
しかし、心の中ではやはり動揺が隠せず、更に自分の不注意で警察を呼ぶことにためらいを感じていたのかもしれない。
だからこそ、ある意味こんなバカみたいな行動に至ったのである。
まぁ、この時の対応が後々の人生を変えるなんて思いもしなかったんだけどな。
(これでいつ暴漢が突入して来ても大丈夫だ)
リビングの扉付近に意識を集中させる。入ってきた瞬間、分厚い本で頭に一撃入れる算段だ。
多少なり、犯人が動揺すればこっちにも勝機がある。というわけで待ち構えていたのだが、
「……おかしい」
待てども待てども暴漢が部屋に入ってこない。それどころか暴漢が動いている気配もない。
どこかの部屋に入ったら音が聞こえるはずなのだが、それもないので俺は首を傾げていた。
(ちょっとだけ扉を開けて確認してみるか)
俺はスマホだけ片手に持ち、警戒しつつリビングの扉を少しだけ開けて廊下の様子をうかがう。すると、
「う、うーん……」
一人の女性が廊下で倒れていた。
「…………」
またもフリーズする俺の思考。いや、だって暴漢かと思って廊下を覗いたら一人の女性が倒れてるんだよ? 固まらないほうがおかしいでしょ。
ただ、相手が倒れているということで少し安心した俺は、扉を開け廊下の電気をつけて女性の方へと近づいていく。
そして女性の顔が見えるところまで近づいたところで……絶句した。
「み、三船美優さん……だよな?」
間違えようがない。廊下で倒れていたのは俺の大ファンであり、先ほどまで写真集で散々眺めていた三船美優、その人だった。
「ひ、ひとまずリビングまで運ぼう。話はそれからだ。まだ慌てる様な状況じゃない」
まずはきちんと施錠し、倒れていた美優さんをリビングのソファまで運ぶ。
運んでいた時に感じたのは若干彼女がお酒臭かったことだ。つまり、彼女は酔っぱらっている?
もちろん、女性らしい香りや感触も健在で、意識が飛びかけたが舌を噛んで対処した。
ソファに彼女を横たわらせた後、俺は頭を抱えた。
「何でだ?」
率直な疑問である。というか、頭の中は何で? で埋め尽くされていた。
鍵を開けていたのはもちろん俺の責任だが、酔っぱらっていたとはいえ彼女がこの部屋に入ってくる意味が分からない。
彼女はアイドル、俺は一般人。よし、なにも落ち着かない。一つだけ仮説を立てるとすれば、
「……三船さんはもしかしてこのマンションに住んでいるのか?」
憧れのアイドルが同じマンションに住んでいるなんて夢のような話なのだが、そう考えるのが普通だろう。酔っぱらっているとはいえ、まさか自分の住んでいないマンションに入ってくるわけないからな。
ただ、同じマンションだからといってこの部屋に入ってくる理由にはならない。……部屋が隣でなければ。
「考えたくないけど、まさか三船さんはどこかでお酒を飲んだ後酔っぱらって帰ってきた。そして、間違えて俺の部屋に入ってきた?」
マンガやアニメでも早々ありそうにない展開なのだが、三船さんが眠ってしまっている以上、本当の事は分からない。
部屋に戻そうとも左右どちらの部屋か分からないし、何より鍵がどこにあるか分からないのだ。そもそも、部屋が隣である保証なんてどこにもないだろう。
更にうちのポストには名字なんて書かれていないし、仮に部屋が分かったとしても鍵がなければ意味がない。
鞄を漁ろうにも三船さんの事は俺が一方的に知っているだけである。そんな関係でプライベートの塊でもある鞄を漁るわけにもいかない。もちろん、今の時間不動産やはやってないし、やっていたところで個人情報を教えてくれたりはしないだろう。
つまり、どうすることもできない状況だ。
「……取り敢えず、事情についてはまた明日三船さんに聞くことにしよう」
俺は机どかすと、来客用の布団を取り出してリビングに敷く。そこに三船さんを横たわらせて布団をかける。よく眠っているので明日の朝まで起きることはないだろう。
服がしわになるかもしれないが、勝手に脱がせたりするとセクハラと捉えられかねないので仕方がない。三船さんが寝息をたてていることを改めて確認すると、俺は深いため息をついた。
「……明日はなんて説明しよう?」
懇切丁寧に説明するほかないのだが、三船さんは間違ってこの部屋に入ってくるほど酔っぱらっている。
つまり、朝起きると知らない部屋におり、知らない男が隣にいることになるのだ。記憶のない女性にとって、これほど恐怖を感じることはないだろう。
恐らく、酔っぱらっているところを無理やり連れ込まれたと思っても不思議じゃない。というか、きっとそう思うだろう。
「……もういいや、寝よ」
疲れていたこともあり、頭が回らなくなった俺は問題を放り投げて寝ることにした。対応については起きてから考えよう。明日は早起きになりそうだ(白目)。
☆ ★ ☆
「…………んんっ?」
目を覚ますと私、三船美優はいつもと変わらぬ天井を見つめていた。
「あれっ、私ってばいつの間に……って痛っ」
むくりと身体を起こすと、二日酔いの影響で頭がガンガンと痛んだ。頭を押さえつつ、周りの状況を確認する。
私はいつの間に眠って……あれっ? なんだか部屋の様子がいつもと違うような……。
もう一度注意深く周りを見渡す。すると私は衝撃的なことに気付いた。
(えっ? ここ、私の部屋じゃない!?)
頭の中が完全にパニック状態になる。私の家にこんなソファはないし、本棚もこの位置にはおかれていない。
(えっと、私はお酒を飲んでいたはずなんですけど)
昨日は確か楓さんたちと一緒に飲んでいて……家に帰ってきた記憶がない。途中まで楽しく飲んでいたのだが、昨日は仕事で少し失敗したこともあっていつもより多い量を飲んでいた。
マンションの前までついて来てもらって……その先がどうしても思い出せない。ただ、知らない場所にいるということを考えると、もしかしたら私が酔いつぶれていたところを連れ込まれたのかも。
(あっ、今の自分の格好は……良かった、服を脱がされたりはしないみたい)
仮に脱がされて、何やかんやされていたらもう少し服は乱れていると思うので、一応大丈夫だろう。
鞄も近くに置いてあったので中を確認してみると、特に何かをとられたりはしていなかった。
しかし、だからといって安心する理由にはならない。
(取り敢えず、もう少し色々見てないと……)
私がそう思って顔をあげたところで、
「っ!?」
「…………」
知らない男の人と目が合った。今までの思考がストップし、身体が恐怖で固まる。
声を出そうにも、全く声が出てくれない。
「…………」
そんな私を知ってか知らずか、男の人が無言でこちらに近づいてくる。
(怖い、怖い……)
私は身体を抱いてギュッと目を瞑る。この後酷い事をされて、もしかすると……。頭に最悪のシナリオがよぎる。しかし、私の心配は杞憂に終わった。
「申し訳ないです」
なぜならその男の人が私の前に正座し、頭を下げてきたからだ。しかも謝罪の言葉つき。
「えっ……えっ!?」
突然の事に私はますます混乱する。連れ去った人? が普通、人質に対して頭を下げたりはしない。状況が呑み込めないまま男の人が顔を上げるのを待つ。
一分ほど頭を下げていたのだが、おもむろに顔を上げると一枚の名刺を私の前に差し出してきた。
「三船美優さんですよね?」
「は、はい、そうですけど……」
「すいません、いきなりこんな状況でとても混乱されたと思います。ただ、私としてもこの状況は想定外だったことを理解してほしいんです」
「は、はぁ……」
丁寧な口調に、気を抜けた返事をする私。酷い事をされると思っていた分、逆に丁寧な対応をされ気が抜けてしまったのだ。まさか名刺まで出されるとは、予想外もいいところである。
「これからこのような状況に至った理由を説明したいんですけど、名乗りもせずに事情を説明しても信じてもらえないと思って。ひとまず、名刺を受け取ってください」
訳が分からないまま名刺を受け取る。名前は笹島健一。勤めている会社は社会の知名度もかなりある、有名なところだった。名刺を確認した私はしばらく沈黙する。
(連れ去った人は普通名刺なんて渡したりしませんよね? だって、身元がばれちゃうわけだから)
一瞬、偽造されたものかとも思ったのだが、OL時代の経験からこの名刺は本物だと何となくわかる。そもそも、こんな社会的に認められた会社に入っている人が早々連れ去りなんかを起こすとも思えない。
それじゃあどうして私はこの部屋に? 疑問符を浮かべたのが分かったのか、笹島さんが口を開く。
「えっと、今から色々と説明させてもらうので聞いてもらってもいいですか? もしかしたら信じられないかもしれないんですけど」
「わ、分かりました」
そして彼の口から語られたのは……何とも恥ずかしい私の醜態だった。
「……ここまでが昨日起きたことなんですけど、信じてもらえたでしょうか?」
「ちょ、ちょっと待ってください……」
あまりに恥ずかしくて、とても顔をあげられるような心境じゃなかった。これまでの態度を見る限り、笹島さんが嘘をついているとはとても思えない。つまり、今彼の口から語られたことは本当の事だろう。
どう考えても今回悪いのは私だ。酒に酔っただけではなく、部屋を間違えて、更にはその間違えた部屋の廊下ですやすやと眠る……。社会人、しかもアイドルがやっていい所業ではない。
(私ばっかり怖いと思っていましたが、これは笹島さんの方がよっぽど怖かったんじゃ……)
鍵を閉め忘れていたとはいえ、インターホンもなしに部屋の扉が開く恐怖は計り知れない。私だったら恐怖で動けなくなっていたところだっただろう。
「すいません。理解してもらえなかったら遠慮なく警察に突き出してもらっても構いません。今回の対応は冷静に考えてとても褒められたものではないので」
覚悟を決めたような様子の笹島さんに、私は慌てて首を振る。
「い、いえっ! こちらこそすいません。ちょっと自分への自己嫌悪で顔をあげられなかっただけですから。それに警察に連絡なんてとんでもないです。笹島さんの態度で本当の事を言っていると思えましたから」
これで演技のうまい人ならともかく、笹島さんはとてもそういうタイプには見えない。
むしろこういっては何だけど、とても不器用そうだ。同時に誠実な人だとも感じる。
「すいません、少しお聞きしたいんですけど笹島さんの部屋番号はいくつですか?」
「504号室です」
「やっぱり……実は私、お隣の505号室に住んでいるんです」
これでようやく私が笹島さんの部屋に入ってしまった理由が分かった。まぁ、分かったといっても理由は単純明快で、私が酔っぱらって部屋を間違えたというだけである。
うぅ、とても恥ずかしい……。一方、笹島さんは笹島さんでびっくりしたような表情を浮かべる。
「えっ、じゃあ本当に俺の部屋の隣に住んでいるんですか?」
「はい、引っ越してきたのは3か月ほど前ですけど、アイドルをやっている以上、不用意にご挨拶をするとトラブルを招きやすいので、挨拶はしていなかったんです」
「あー、だから俺も知らなかったんですね」
アイドル三船美優を知らない人ならともかく、知っている人だと色々面倒なので挨拶は控えるようにとプロデューサーさんに言われていたのだ。
最近は引っ越してきて挨拶をする人も少なくなりつつあるので、現在の状況は都合がよかったともいえる。アイドルをやってると、帰ってくる時間も不規則だし、変装もしていたので顔バレしなかったのかもしれない。
まぁ、今回は挨拶をしなかったことがマイナスに働いた形になってしまったのだけど……。
その後は笹島さんが好意で作ってくれた朝ご飯を食べたり、世間話をしつつ過ごしていたのだが、気付くと恐怖の出会いから一時間以上が経過していた。
「あっ、もうこんな時間ですか。すいません、すっかり長居をさせてしまったみたいで」
「い、いえ、こちらこそ。ご迷惑をかけた上に朝ご飯までいただいてしまって」
お互いぺこぺこと頭を下げる。5分くらいぺこぺこした後、改めて笹島さんが顔を上げた。
「朝ご飯については全然大丈夫ですよ。俺が勝手に作っただけですし。それに三船さんと話すことができて嬉しかったです」
「そ、そんなで、でも、流石に何もしないのは私の良心が許さないので、是非ご都合がつく日にお礼をさせてください。えっと、私の連絡先は……」
スマホを出そうと鞄を漁っているところで、彼がある意味予想外のセリフを口にした。
「お礼は大丈夫です。もちろん、連絡先も結構ですから。そして……これから三船さんを目にしても俺は無視しますから」
「……えっ?」
私と笹島さんはこうして出会い……こうして終わった? のだった。
いきなりとんでもない展開ですが、二次創作ということで許していただきたいです。
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アイドルと一般人
「おはようございます~」
「あっ、美優ちゃん。おはよう! 昨日は大丈夫だった?」
まだ二日酔いで若干痛む頭を押さえながら事務所の扉を開けると、既に事務所に来ていた早苗さんから声がかかる。横には瑞樹さんも一緒だ。昨日はこの二人に加えて、楓さんと一緒に飲んでいたのである。
ちなみに、あれから自分の部屋に戻ってシャワーを浴び、洗濯などを済ませてから事務所に来ていた。
「あっ、はい。まだ頭が痛いですけど大丈夫です。昨日は送ってもらってありがとうございました」
「いいのよ気にしなくて。あんな状態の美優ちゃんを放っておくほうが危なかったもの」
やはり昨日の自分は、相当酔っぱらっていたらしい。苦笑いの瑞樹さんを見て改めて自覚する。だからこそ私は笹島さんに多大なるご迷惑を……。
「美優ちゃん? 本当に大丈夫?」
少しだけ俯いてしまった私を見て瑞樹さんが心配そうに声をかけてくる。一瞬、「いえ、大丈夫です」と言いかけて、少し思い直す。
昨日……正確に言えば今日の朝だが、その時に起きたことを二人に相談したいし、彼の事もきちんと話しておいた方がいいだろう。
今後、笹島さんと会わないとも限らないし。ただ、本人は私と距離を置きたいみたいだけど。
「……実はですね、昨日少しだけ事件が起きまして」
「じ、事件? 昨日の夜、美優ちゃんに何があったの?」
「それが、自分の部屋に入ったと思ったら違う人の部屋に入ってしまったんですよ」
『えっ!?』
驚きの声を上げる二人。とても理解できないといった表情だ。まぁ、違う部屋に入ったことを理解できる人なんて誰もいないだろう。
「……そ、それは本当の事なの?」
「はい、本当です」
「え、えっと、部屋に入ったっていうのはもちろん女の子の部屋だったのよね?」
「いえ、男性の部屋に入ってしまいました」
『っ!?』
絶句する早苗さんと瑞樹さん。そりゃ、部屋に間違えて入っただけでなく、その部屋の主が男性だったと知れば驚くのも当然だろう。
「み、美優ちゃん、何もされてない!? お金とかキャッシュカードは大丈夫? そもそも弱みとかも握られたりしてない!? もし酷い事をされたなら警察に連絡を……」
早苗さんが私の肩を掴み、焦ったような形相を浮かべている。元警察官の早苗さんからすると、気が気じゃないのだろう。最近は女性を狙った凶悪犯罪も増えていることだし、余計に心配してもしょうがない状況だ。
しかし、私はゆっくりと首を横に振る。
「大丈夫ですよ、早苗さん。なにも盗られてませんし、弱みも握られていません。それどころか、二日酔いの私を気にして朝ご飯を出してくれました」
『……はっ? あ、朝ご飯?』
再びシンクロする二人の声。
「朝ご飯ってあれよね、ブレックファストの事よね?」
「そうですよ。すごく美味しくてびっくりしました。お味噌汁も飲んだんですけど、二日酔いによく効いて……」
「いやいや、別に朝ご飯が美味しいとかどうかは聞いてないのよ! アタシは初対面の、しかも男の人の部屋で美優ちゃんが味噌汁を飲んでいることに驚いてるの!!」
「そ、それは気付いたらというか、流れでというか……」
今思い返すと確かに自分でもびっくりだ。確かに流されやすい性格だとは思うけど、人見知りでもあるので今日の行動は普通考えられない。
もしかすると、笹島さんの雰囲気が良かったのかも。
「ま、まぁ、朝ご飯の話はちょっと置いておきましょう。それで朝ご飯の後はどうなったの?」
「朝ご飯の後ですか……」
瑞樹さんの質問に私は少しだけ渋い表情を浮かべる。ここからが一番の問題なのだ。
「……朝ご飯の後、お礼をしたいって言ったんです」
「まぁ、普通はそうなるわよね。今回の件で美優ちゃんがかなり迷惑をかけたわけだから」
「そしたら、お礼はいらないって言われました。それどころか、これから目があっても他人のフリをすると言われました」
「……ちょっと何を言ってるのか全然分からないわ」
私の言葉を聞いた瑞樹さんが頭を抱えている。しかし、頭を抱えたいのはこっちも一緒だ。
「どうしてそんな事を言われたのよ? こういっちゃなんだけど普通、美優ちゃんみたいに美人な女性に頼まれたら喜んでお礼を受けると思うんだけど」
「び、美人だなんてとんでもないです……ただ、どうにもお礼を受け取ってくれないのは私のファンだからみたいなんです」
「……謎がさらに深まったわ」
再び頭を抱える瑞樹さんと首を傾げる早苗さんに、私は今朝起こったこと、特に朝ご飯を食べる前からの事を説明し始める。
ついでに他人のフリをすると言う彼の言葉の意味についても……。
☆ ★ ☆
取り敢えずお互いの部屋を確認した後、私はアイドルとはいえ挨拶できなかったことに対してもう一度頭を下げる
「本当はご挨拶に伺うべきだったと思うんですけど、アイドルはやっぱり色々制約も多いので。ただ、今回に関しては挨拶に伺っておけばと」
「まぁまぁ、三船さんも芸能人なわけですし、今回の事は仕方ないですよ。俺が仮に芸能人ならきっと、三船さんと同じ行動をとると思いますしね」
気にしなくても大丈夫という笹島さんの笑顔に私は少しだけ安心する。しかし、安心して頭をあげたところで
「痛っ!?」
二日酔い特有の頭の痛みが私を襲った。思わず顔をしかめると、笹島さんが心配そうな表情を向けてくる。
「二日酔いですか?」
「お、お恥ずかしい限りです……」
私はまたとんだ醜態を……。顔を赤くして俯いていると、
「三船さん、今日お仕事は?」
「え、えっと、午後からです」
「それなら時間は大丈夫ですね。朝ご飯を作ったのでどうですか?」
「あ、朝ご飯!?」
よく見ると笹島さんはラフな格好の上に、男性用のエプロンを着用している。しかもキッチンのテーブルの上には美味しそうな朝食が並んでいた。
「こ、これは笹島さんが?」
「一応、簡単なものではあるんですけど。席は適当に座ってもらって構わないんで」
促されるままに着席する私。それにしても、煮物やら焼き魚やら、ほうれん草のおひたしやら、とても簡単に出来るものとは思えないんだけど……。
更に温め直したお味噌汁までついてきた。とてもいい匂いがする。
「それじゃあ、どうぞ。お口に合うか分かりませんが。あっ、もちろんまずければ残していただいて構いませんから」
謙遜しているものの、匂いだけで美味しいと分かる。お味噌汁も二日酔いの頭にはよく聞きそうだ。
もしかして、結構な頻度で自炊していたりするのだろうか?
「えっと、じゃあいただきます」
手を合わせて取り敢えずお味噌汁を一口すする。びっくりするくらい美味しかった。
「お、美味しい……」
「よかった。お世辞でも嬉しいですよ」
「冗談抜きで本当に美味しいです! 笹島さんは自炊をなさるんですか?」
「……実は会社の健康診断で少し引っかかりまして、それ以来揚げ物は出来るだけ控えて、時間がある時は自炊をするようにしてるんです」
自分の分を食べながら、恥ずかし気に頬をかく笹島さん。さっきまで真面目な表情をしていた分、なんだか可愛く感じる。
「お酒も結構好きなんですけど、健康診断後は休みの日にだけって決めてます」
「確かに私も、もう26歳ですから気を付けないといけませんね」
「いやいや、三船さんは全く気にしなくても大丈夫だと思いますよ。とても俺と同じ年に見えないですもん」
「あっ、同い年だったんですか?」
「はい、俺も26歳です。ほんと三船さんは俺と同い年に見えませんよね。今こうしてみても、実年齢より若く見えますから」
「そ、そんなことないですよ……」
年齢は近いかなと思っていたけど、まさか同い年とは思わなかった。それに若さだけで見たら笹島さんも年齢以上に若く見える。
「ところで、これを全部作るのには結構時間がかかると思いますけど?」
「今日は少しだけ早く起きてしまったので。それにおひたしとかは冷蔵庫に材料が余っていたのでたまたまです。いつもは味噌汁に目玉焼きとご飯くらいですよ」
「いえいえ、一人暮らしの私も見習わなきゃって思います! 時間がないときは食パン一枚とかで済ませちゃうときもあるので」
いくらアイドルの活動で忙しいとはいえ、もう少し私も頑張らないと。
このお味噌汁の味付けとか見習いたいくらい。どこのお味噌や出汁を使っているのかしら? ……というか、自分よりも女子力が高かったので、ちょっとだけへこんだ。これからはもう少し頑張らなくちゃ。
その後は他愛のない話をしているうちに朝食も終わってしまった。
「どうぞ、三船さん」
一息つく私の前にお茶の入った湯飲みが差し出される。ほんと、気の利く人だ。私は慌てて頭を下げる。
「あっ、すいません、何から何まで……」
「いいんですよ。こうなってしまうと三船さんもただのお客さんですから」
そう言って笑う笹島さんに私もつられて笑顔になってしまう。どうしてだか分からないけど、この人は結構話しやすいかも……。
元々話すのが、特に男性と話すのが苦手な私にしてみると本当に驚きだ。どうしてだろう? 雰囲気がいいのかな?
首を傾げつつお茶を飲み干す私。
「お代わりはいかがですか?」
「い、いえ、大丈夫です。本当にありがとうございます」
そこで時計を確認すると、そこそこの時間が経過していることに気が付いた。
「あっ、もうこんな時間……」
「本当ですね。すいません、長居をさせてしまったみたいで」
「そんなことないですよ! こちらこそ醜態をさらしたあげく、朝ご飯まで……そうだ、是非今日のお礼をさせてください。えっと、私の都合の付く日を教えますので――」
私が鞄の中から手帳を取り出したところで……一話の最後に戻るというわけである。
☆ ★ ☆
「えっ、お、お礼もいらないってどういう意味ですか!? それに私を目にしても無視するって?」
「言葉の通りの意味ですよ。今回の事はお互いに原因があります。だから、お礼なんてもってのほかです」
「で、ですが……お互いにしたって私のかけた迷惑の方が大きすぎます。だからこそお礼は必要だと思うんです」
ここはいつも流されやすい私も流石に食い下がる。散々迷惑をかけておいて、お礼の一つもできないなんて申し訳ない。
それに会っても無視はいくらなんでも悲しすぎる。食い下がる私を見て笹島さんが再び頭を下げてきた。
「な、なんですか?」
「すいません三船さん。実を言うと俺……あなたの大ファンなんです」
「はぇっ!?」
唐突過ぎる大ファン宣言に変な声が出た。びっくりする私を他所に笹島さんは立ち上がり、本棚からとある雑誌を持ってくる。
それは紛れもない、最近発売された私の写真集だった。
「この本を見てわかる通り、三船さんのファンになってからは雑誌とか写真集もよく見ています。今回のも三船さんの魅力が最大限引き出されていて、写真集を買って本当によかったと思いました」
「はわわっ!?」
写真を撮られている時はそうでもなかったけど、改めて他人に見せられると非常に恥ずかしい。しかも魅力が最大限とか、買って本当によかったとか言われて正気を保っていられる方が難しいと思う。
私はまだ、そう言った褒め言葉になれていないのでなおさらだ。しかし、なぜファンだから私を無視するということに繋がるのだろう?
「でも、だからこそお礼も受け取るべきではないですし、今後かかわりを持たないべきなんです。最近はニュースでもよく芸能人を狙ったストーカー事件とかが報道されてますし、恥ずかしい話自分がそうならないとも限りません」
「そ、そうでしょうか? 別に笹島さんなら――」
「そうなんです! 男は誰でも危険分子になりうるんです!」
「そ、そうなんですね……」
力強く熱弁する笹島さん。そんな彼に相槌をうつ私だったのだが、内心では笹島さんがストーカーになんて絶対ありえないんじゃ? と考えてしまいました。
だって、ストーカーは自らストーカーになりそうだなんて言わないし、笹島さんのようなタイプの人が私と知り合ったからって、勘違いしてストーカーになるとも考えられない。
「で、ですが、お礼くらいなら別に構わないと思います!」
「甘いですよ三船さん。男は少しでも優しくされたらつけあがるんです。勘違いする生き物なんですよ! それも、三船さんのような美しい方にされればなおさらです」
ここが勝負どころだと思ったのか、笹島さんは更に畳みかけてくる。
「そもそもファンである以上、三船さんとプライベートな付き合いはするべきじゃないんです。三船さんはアイドルであり、全国にたくさんのファンの方がいます。そんな人たちを差し置いて、自分一人がお礼を貰うことなんてできません。個人的に付き合うわけにはいきません。もちろん、連絡先も同じです。今回は不慮の事故みたいな感じで色々知ってしまいましたけど、これから自分が気を付ければ何も問題はありません」
「…………た、確かにそうですけど」
これは明らかに私の方が旗色が悪い。
笹島さんの言う通り、アイドルである私とそのファンである笹島さんの付き合いは、他のファンからすると御法度ものだろう。正論であるがゆえに、反論の余地が見当たらない。
プロデューサーさんにも、ファンとは個人的な付き合いを持たないほうがいいと言われている。
頷きたくはなかったけど、ここまで言われると仕方がない。私は渋々彼の言うことを認めることにした。
「分かりました。笹島さんがそこまでおっしゃるのならお礼は諦めることにします」
私がそう言うと、笹島さんはホッとしたように胸をなでおろしている。
「すいません、偉そうなことを言ってしまって。でも、今日三船さんとお話できたことは本当に嬉しかったです。これからも応援してるので頑張ってください」
笹島さんはそう言って笑っていたけど、私は少しだけモヤモヤした気分のまま部屋を後にしたのだった。
☆ ★ ☆
「……なるほど。美優ちゃんが紛れ込んだのは、たまたまいい人の部屋だったのね」
「しかも、大ファンだからこそ、これからはもう他人のフリをすると……何というか予想外に誠実な人だったわね。むしろ、ファンの鑑たる人じゃない?」
私からの報告に二人は驚きつつも、笹島さんの事を好意的に捉えてくれた。
「はい。私も本当にそう思いました。ここはやっぱり笹島さんの言う通りにするべきなんでしょうけど……でも、やっぱりお礼は受け取ってほしいですし、お隣同士なので別に少しくらいかかわりを持ってもいいと思うんです」
多分、今の私はむすっとした表情を浮かべていると思う。頑なな笹島さんの態度もそうだけど、もうかかわりが持てないのかなと少し寂しいと感じる自分もいる。
どうしてそんな風に感じるのかは分からないんだけど……。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、早苗さんと瑞樹さんがニヤッと笑みを浮かべた。
「ねぇ、美優ちゃんは別にその男の人とかかわりを無くすほどじゃないって思ってるのよね?」
「そうですね。お隣同士ですし、少なくとも私は引っ越しする予定はないので仲良くしたいなと」
「それなら……その男の人が断れない状況を作っちゃえばいいんじゃない?」
「こ、断れない状況?」
早苗さんの提案に、瑞樹さんもうんうんと頷いている。
「別に向こうが断っているだけで、美優ちゃん自体はお礼に行きたいわけでしょ? だったらお料理をおすそ分けしたりして、まずは部屋から出てきてもらう。更に、タッパーに料理をつめていけば次にまた会うきっかけにもなる」
「た、確かに、タッパーに関して何も言わなければ笹島さんはきっと洗って返しに来てくれるでしょうし、また会うきっかけになりますね」
「それに大ファンなら、美優ちゃんのお願いもなんだかんだ無下にしないだろうしね」
「なんだか反則すれすれのような……でも、うーん」
関係を断ちたいと言った笹島さんからすれば迷惑かもしれないけど、お礼をしたい私にとっては非常に良い作戦だ。
それにお料理タッパー作戦なら今日の夜からでも実践できる。丁度、笹島さんも今日は休みだと言っていたのでよいタイミングだろう。
「で、ですがプロデューサーさんには個人的なかかわりを持つなと」
「美優ちゃんが関わりたいと思えば別に関係ないわよ。そもそも、プロデューサーの言葉も建前であって、強制するようなものじゃないと思うわ」
「そうでしょうか?」
「そうよ、美優ちゃん。社会人として筋を通すことは重要だと思うし、美優ちゃんの好きなようにやっちゃいなさい!」
「瑞樹さん……そうですね、やっぱり筋を通すことは大事ですから」
あまりもたもたしていると本当に疎遠になってしまいそうだし、ここは二人の言う通り自分の気持ちに従うことにしましょう。
「……美優ちゃんはアタシたちの真の目的には気付いていないみたいね」
「ふふっ、気付くのには流石に無理があると思うわよ。多分、本人も無自覚だろうし。そもそも、ぶっちゃけそのお相手の方は今頃後悔してる気がするのよね」
「それはアタシも思ったわ。だって、美優ちゃんの大ファンでしょ? 付き合う付き合わないは別にして、これからも話したいなとは思ってるはずよ。でもカッコいいことを言った手前、引き下がられなくなってる。こんな所かしら?」
「きっとそうね。でも仕方ないわよ。美優ちゃんの大ファンなわけだし、色々な葛藤があったと思うわ。まぁ、その結論は結果として最良なものになったんだけどね。少なくとも誠実な人だってのは分かったわ」
「うんうん、あったことはないけど彼なら美優ちゃんを任せられるわ」
二人して頷いたところで少しだけ遠い目をする。
「……私のマンションに部屋を間違えて入っても優しく介抱してくれて、朝ご飯を出してくれる男性の方っていないかしら?」
「それはとんでもない低確率だから諦めましょう瑞樹ちゃん。……まぁ、美優ちゃんを任せられる男の人が出てきてくれてよかった思いましょう。後は美優ちゃんが自覚するまで、優しく見守りましょう」
何やら私に聞こえない声で二人がコソコソと話しているけど、多分関係ないことだろうし気にしなくても大丈夫ですよね?
それに私は、お料理タッパー作戦のきもとなる料理を何にするか考えないと……。やっぱり定番は肉じゃがかしら?
「おーい、早苗さんに瑞樹さんに美優さん。そろそろ時間になるんで移動する準備をしてください」
『わかりました』
プロデューサーさんから声がかかり、私たちはひとまず今日の仕事場に向かうことになった。
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お料理タッパー作戦実行
「はぁ……やっぱりもったいないことしたかな~?」
美優たちがアイドルとしての活動に勤しむ中、この男は早苗さんと瑞樹さんの言う通り、今朝の事を今更になって後悔し始めていた。窓の外は既にうっすらと暗くなり始めている。
「リセットボタンが欲しい……」
後悔している内容とはもちろん、美優との関係を断つと言った一連の行動にある。カッコいいことを言ったとはいえ、この男もやはりただのファンだったということであり、一人の男だったというわけだ。
「連絡先はともかく、サインくらいは貰っても……いやいや、三船さんはみんなのアイドル。俺だけが抜け駆けをするわけには……でも欲しかったなぁ」
ソファの上で頭を抱える俺。別に手を出さなければよかっただけの話で、お隣同士の関係を築くくらいは良かった気がする。
お隣から三船さんが「あの、これ少し作り過ぎちゃったので」とか言って、肉じゃがを差し出して来たら最高だ。
それに三船さんが帰宅して改めて考え直したんだけど、俺はとんでもない経験をしてたんだよな。憧れだった人と話して、朝ご飯を食べてもらって……戻れるものなら今朝に戻ってもう一度三船さんとお話がしたい。
もう少し、アイドルと会話することの貴重性を理解したうえで話をしたかった。というか、サインが欲しい。
「それにしても、やっぱり美人だったよな~。テレビで見るとの何にも変わらなかったもん」
顔の良さはもちろん、スタイルもいいし、何より雰囲気が全く変わらなかったのには驚きだ。
芸能人、特にアイドルなんかは自分の個性を出すためにキャラづくりを熱心にしている人も多い。ほらっ、三船さんの事務所にもウサミン星とかいってるアイドルがいたと思うんだけど、彼女がその一例だろう。
しかし、三船さんはテレビでの雰囲気そのままに俺と話してくれたので、夢でも見ているのかと勘違いしそうになったくらいである。
「……いや、もう諦めよ。あんなことを言った以上、今後は会うこともないだろうし、会っても他人のフリをするだろうし。お腹もすいたから適当になんか作るか」
くよくよと悩んでいたところで過去の自分の発言が無くなることはないので、未練を残しつつも今日あったことは忘れることにした。それにお腹もすいたので夕食を作ることに。
「冷蔵庫に何か余ってるかな……って、何も余ってない」
そういえば、三船さんの朝ご飯で冷蔵庫にある残ってた食材がほとんどなくなったんだっけ。味噌汁とご飯くらいならあるけど、夕食がそれでは少し味気ない。
「仕方ない、近くのスーパーまで行くか」
ラフな格好のまま俺はスーパーまで歩いていく。スーパーにつくと適当に食材を物色し始める。
「うーん、今日は魚が安いから魚を焼いて後は適当にサラダとかを作るか。煮物は朝ご飯に出したものが余ってるし」
今朝の料理になかなか手間をかけてしまったので、今日の夜は少しくらい手を抜いても大丈夫だろう。それに野菜はあるわけだし。
そんなわけで夕食の食材と、アサヒスーパード〇イを二本買ってスーパーを出る。部屋についた俺は手を洗い、エプロンをつけ、手早く夕食の準備を整える。
まぁ、することと言っても買ってきた魚をグリルの中にツッコみ、サラダ用の野菜を洗って盛り付け、煮物と味噌汁を温めるだけなんだけどね。そんなわけでサラダをボウルに盛り付けた後は、魚が焼きあがるまでボーっとテレビを眺める。
(あっ、三船さんだ)
エンタメ系のニュースの中で、三船さんが出演していたイベントの映像が流れている。一緒に出ているのは高垣楓さんだ。
三船さん以外のアイドルに疎い俺でも、流石に高垣さんくらいは知っている。元モデルということで、女性だったら誰もが憧れるであろうスラッとしたスタイルに、アイドルとは思えない歌唱力の高さ。
そんなトップアイドルにふさわしい高垣さんなのだが、お酒が好きでダジャレ好きというお茶目な一面も持つ。何というか、取り敢えずすごい人なのだ(語彙力不足)。
「……やっぱり三船さんは可愛いなぁ」
しかし、そんなトップアイドルである高垣さんの存在が薄れてしまうほど三船さんの魅力は素晴らしい。今もテレビ画面の中では司会者の質問にわたわたしている姿が映っている。もう可愛すぎてしんどい。
普段はどちらかというと落ち着いているお姉さんタイプなので、わたわたしているとギャップがあってより魅力的だ。
「あっ、魚が焼けた」
三船さんの姿に癒されていると結構時間がたっていたみたいで、俺は急いで魚をグリルの中から取り出して煮物を小皿に入れて電子レンジで温める。
その煮物が温まるころには味噌汁も温まったので俺は夕食をテーブルの上に並べ、一人手を合わせて夕食を食べ始めた。
「…………」
うん、美味しい。美味しいんだけど……三船さんと一緒に食べたほうが百倍美味しかった。あの時は他愛のない話しかしていないのだが、とにかく大ファンだった三船さんと話すことができてとても楽しかったのである。
味も大事だけど雰囲気とか、誰と一緒に食べてるのかも食事には大切なんだな。
「……って、俺はまた三船さんの事を考えてる。とにかく忘れないと」
俺は未練を断ち切ると言った意味でビールを一気に飲み干す。なんだか情けない気がしないでもないけど、俺と三船さんはもう関係ないんだ。
そのまま勢いで夕食も食べ終えると、二本目のビールと柿の種を持ってリビングへと戻る。さて、録画していたバラエティー番組でも見ようかな。
そう思いつつ、アサヒスーパード〇イの二本目をあけようとしたところで、
ぴんぽーん
「ん? 誰だろう?」
来客を告げるチャイムが部屋に響く。こんな時間に人が来ること自体珍しいので、もしかすると宗教とか新聞の勧誘かもしれない。
ひとまず開けかけたビールを机の上に置き、インターホンの画面で押した相手を確認する。
「…………」
確認した瞬間、俺は思わず黙ってしまった。なぜなら、画面の中に写っていたのは間違えようがない三船さんだったからだ。
「えっ、何で?」
大混乱に陥る俺。朝も思ったけど、夜見てもやっぱり美人だ……って、違う違う! 俺は頭の中にある邪念を必死に追い出す。
あの時、俺は三船さんにもう関係は断つってはっきり言ったはずだし、三船さんも渋々納得してくれたと思うんだけど……?
「……最悪、このままでないって手も……あっ、三船さん、何か持ってる」
居留守を使うことも考えたけど、三船さんは手にタッパーらしきものを持っている。もしかすると俺の為に作ってくれてたのかもしれない。何より訊ねてきてくれた以上、出ないというのも失礼だろう。
「でるか……」
宗教とか変な勧誘じゃないわけだしな。だからここで出ることは仕方ない。
正直、気が重いことこの上ないのだが俺は扉を開けるために玄関へ。
「はい」
「あっ、こんばんは」
扉を開けると、当たり前なのだが三船さんが頬笑みを浮かべながら立っていた。
あぁ、本当にお美しい……。じゃなくて、一度断った身なのだから毅然とした対応をしなければ。
「こ、こちらこそこんばんは」
毅然な対応どこいった。最悪である。なんだよ、こちらこそこんばんはって。
しかも、三船さんの美しさにビビッてどもってるし……。これが芸能人オーラというやつか。
「えっと、すいません。もう会わないと笹島さんはおっしゃって言ってたんですけど、やはりお礼をしないわけにはいかないと思って」
「い、いえ、本当に気にしなくて大丈夫ですから」
「それでもです! というわけで、こちらを作ってきたのでよかったら」
そう言って三船さんがタッパーの中に入れて差し出してきたのは肉じゃがと思しきものだった。
まだ作り立てなのか、タッパーがそこそこ温かい。それに食欲をそそるいい匂いもする。
(すげー美味しそう……)
夕食を食べたのにも関わらず思わずごくッと生唾を飲み込む。白いご飯とも会いそうだが、今飲んでいるアサヒスーパードライとも合いそうだ。
「作り過ぎっちゃったので遠慮なく食べてください。お口に合うか分かりませんけど」
妄想通りの姿に、俺は思わず仕組まれたのではとあらぬ疑念も生まれたのだが、それは流石にないと思考の外に放り出す。
まぁ、仕組まれたというのはほぼ間違っていなかったのだが……。
「……分かりました」
散々頭の中で葛藤を繰り返したのち、三船さんからの肉じゃがを頂くことにした。
いや、だってね? せっかく作ってきてくれたんだし、それを受け取らずに押し返すのはやっぱり人間として間違ってる。……というように言い訳がましく捲し立ててきたけど、要するに断れませんでした。
「はい、遠慮なく食べちゃってください。それじゃあ私は自分の部屋に戻りますね」
手を胸の前で控えめに振って三船さんが帰っていく。俺はそんな彼女を見送った後、肉じゃがを食べる分だけ小皿に移し、一口つまんで食べると、
「あっ、めちゃくちゃ美味しいわ」
自分で作るよりはるかに美味しかった。多分、美優さんが作ってくれた補正も多少なり入ってると思うんだけど、それを差し引いても美味しい。
あっという間に小皿に入った分を食べ終え、ビールを喉に流し込む。
「あぁ~~~~、うまい」
至福の時間だ。美味しいもの、それも大ファンである三船さんの手料理を食べてビールを飲む。今、人生で一番の幸せをかみしめている気がする。
しかしと……肉じゃがを食べ終えた俺は「はぁ」とため息をついた。
「あれだけ言ったのに俺はまた三船さんと……」
自分の意志の弱さが嫌になる。自分からもう会わないと言ったのにもかかわらず肉じゃがを貰ってしまうという体たらく。これでは三船美優ファン失格だ。
しかし、また三船さんと話せたことに喜びを感じているのも事実なので複雑である。だって三船さんは本当に美人だからね。仕方ないね。
それにこの肉じゃがの入ったタッパーを返さなければいけないので、後一回会うことは確実だろう。
「ま、まぁ、今度このタッパーを返したらもう会うこともないだろうし、深く考えない様にしよう」
そう言って俺は残りのビールを飲みつつ、録画していたバラエティー番組を改めて見ることにした。
……三船さんとの関係はこれからが本番だということを知らずに。
☆ ★ ☆
「ふぅ、取り敢えず受け取ってくれましたね」
笹島健一(主人公)が部屋で悶々としながら肉じゃがを食べている頃、美優は自分の部屋に戻ってお茶を飲みつつ一息ついているところだった。
「やっぱり反則すれすれな気がしないでもないですけど、お礼を受け取ってくれない笹島さんが悪いんですから」
作り過ぎたというのはもちろん嘘で、肉じゃがは笹島さんと自分の分を考えて作っていた。
肉じゃがはたまに作るし、まずいということはないだろうけど、それでも人に食べてもらうのだから少しだけ心配である。
美味しいと言って食べてるといいんだけど……。
(だけど、部屋から出てこないかもって思っていた分、出てきてくれてよかったです)
あれだけ毅然な対応をしていたので、居留守を使われるかもと不安だったけど、取り敢えず出てきてくれてよかった。肝心の肉じゃがも受け取ってくれたし……まぁ、本人は渋々といった様子でしたけどね。
やっぱり本人の中では色々な葛藤の末に受け取ってくれたのだろう。
(あとはタッパーを返してくれるのかどうかですけど……それに関してはきっと大丈夫ですよね)
私との関係を断ちたいと言ったとはいえ、流石に人から受け取ったタッパーを返さないということはないだろう。
そもそも笹島さんの中でファンだからこそ私とあってはいけないという気持ちと、ファンだからやっぱり会いたいという気持ちが入り混じっている気がしてならない。
女心は複雑とよく言われるけど、男心も同じくらいに複雑なのだろう。私のファンだからこそ余計に……。
(別に私はお隣同士なんですし、節度を守れば会って話してもいい気がするんですけど)
同じアイドルの子たちやプロデューサーさんには怒られるかもしれませんけど、それくらいならいい気がします。
(……そもそも、笹島さんとの関係をこれで終わらせるのはちょっとだけ残念というか何というか)
誠実な人だということは一連の出来事から分かっていることだし、料理も上手で雰囲気もバッチリ。大ファンだと言ってくれたのも嬉しかった。
だからこそ、アイドルとファンという垣根を越えて仲良くなれそうな気がする。
(まぁ、それはあくまで笹島さんも仲良くなりたいと思ってくれていればですけど……今日の雰囲気だとまだちょっと時間がかかりそうですね)
ただ、それについては時間をかけて解決していくしかないだろう。きっと彼も彼で考えることがあると思うし、無理に押しかけてより警戒感を抱かせてしまったら意味がない。
「取り敢えず、次は何をおすそ分けしようかしら?」
だからといって、お料理タッパー作戦は引き続き継続するんですけどね。今日、帰り道で買ってきた料理本を見ながら、次おすそ分けする料理を考える私だった。
お気に入り、評価、感想をくださった方、ありがとうございます。
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飲み会
それから、俺と三船さんの少しだけ奇妙な関係は継続していた。
俺が三船さんから受け取ったタッパーを返しに行くと、「実はまた作り過ぎてしまって……」と言われ、新たなおかずを受け取る。そして、それを返しに行くとまた別のおかずを受け取る。
俺も俺でいつも貰ってばかりでは悪いと、おかずをタッパーに入れて持っていき……とまあ、終わるに終われないラインのような感じに俺と三船さんの関係は続いていた。
「今日貰った筑前煮も美味しいけど……このままはまずいよなぁ」
今日も三船さんから頂いたおかずを口にしつつ、俺は今後の事を考えてため息をついていた。
三船さんと関係が続いているのは嬉しいし、おかずが美味しいのも嬉しい。今日の筑前煮だって絶品というほかない。
ただ、一ファンとしてこの関係を続けるのは色々とまずいと思う。というか、最初の宣言全然守れてなくてもはやため息すら出なくなってきた。
「だって、ファンとアイドルだよ? ファンとアイドルの部屋同士が隣で、おかずを送り合ってるんだよ? イケナイ雰囲気しかないでしょ」
関係を続けてきて言うのもなんだが、バレたら俺以外の熱狂的ファンに刺される気がする。更に、アイドルが恋愛は未だにタブー的なこともあるので余計に危ない。
「でも、今の関係を終わらせたくない自分もいるんだよな……」
そんなの当たり前である。あんな可愛くて美人な人と隣同士の部屋というだけでなく、おかずを貰えたりするというオプション付き。
よっぽどの人じゃなければこんな好条件、自ら引き離すということはしないだろう。しかも俺にいたっては三船さんの大ファンなわけだし。
「うーん、うーん……」
ソファの上で頭を抱える俺。事実、三船さんと出会ってから仕事の調子がいいし、三船さんからおかずを貰った時は一日中仕事と言われても最後までやり通す自信がある。それくらい、三船さんとの出会いは俺に好影響を与えていた。
「これで連絡先貰ってたらやばいだろうな」
実は三船さんから「連絡先がないと色々不便ですから」と連絡先を教えるように言われているのだが、それだけは何とかして阻止している。
理由はもちろん、連絡先なんて貰ったら勘違いして、三船さんに迷惑をかける自信があるからだ。確かにタッパーを返しに行ったとき、三船さんがいない時もあるし、逆の場合もある。
そういう時の場合を考えて、連絡先を交換するのは別に間違ってはいないだろう。しかし、そんな事をしてしまえばタガが外れてしまう可能性もある。もちろん俺の……。
憧れのアイドルと話せているだけで奇跡なのに、連絡先まで貰ってしまえば色々と舞い上がってしまうものである。
「勘違いしないように気を付けないと」
悶々とする俺が三船さんから飲みに行きたいと誘われたのは、これから一週間後の事である。
☆ ★ ☆
「えっ、飲みにですか?」
「はい。どうかなと思いまして」
三船さんがタッパーを返しにきたということで扉を開けたのだが、まさかの提案に俺は戸惑っていた。いや、もちろん飲みに行きたいけど、現役アイドルである三船美優さんと滅茶苦茶飲みに行きたいけど!!
いくらなんでも、二人きりで飲みに行くわけにはいかない。そんな事をした瞬間、次の日のネットニュースか、週刊誌に掲載されること間違いなしだ。
「さ、流石に現役アイドルと二人きりで飲みに行くというわけには」
「……いえ、今日は私たちの他にも人がいますけど?」
「…………で、ですよね~」
とんだ赤っ恥である。二人きりだと思ったら、ちゃんと人がいて……穴があったら入りたい。まぁ、三船さんが誰を連れてくるのかは分からないけど、二人きりでないのなら行っても大丈夫かな。
「えっとそういうことでしたら大丈夫です。今日は特に予定もありませんから」
「そうですか! それなら良かったです。えっと、早速お店に向かいたいんですけど、大丈夫ですか?」
「あっ、はい。すぐに準備してくるのでちょっと待っててもらえますか?」
俺は素早く余所行き用の服に着替え、財布を持って戻ってくる。
「すいません、お待たせしました」
「いえ、こちらが急にお誘いしたわけですから気にしないで下さい。それでは行きましょうか」
三船さんに連れられるまま歩き始める。ちなみに三船さんは変装などは特にしていない。何でも、下手に変装するよりも普段通りの格好をしていたほうがバレにくいのだと。ほんとかよ? と最初は半信半疑だったのだが、
「……確かに全然バレませんね」
「ふふっ、目立ちさえしなければ意外と気付かれないものですよ」
ここまで歩いてくる間に結構な数の人とすれ違ったのだが、三船さんの言う通り誰にもバレていなかった。三船さんの美しさに見惚れてた人はいたけど、別に本人とは気付いていないようだったし。
「それに、私の事務所の子は基本的に変装なんてしていませんから」
「えぇっ!? そうなんですか? それじゃあ、もしかすると気付かないうちに俺もアイドルの子とすれ違っていたのかも」
「ちなみに、今日一緒に飲む人もアイドルのお友達ですから」
「へっ?」
間抜けな返事をしつつ三船さんの方に視線を向けると、彼女は少しだけ悪戯っぽい表情を浮かべていた。
「えぇーっと、それは本当なんですか?」
「本当ですよ。最初にアイドル友達がいると言ったら笹島さん、断固として拒否していたと思うので、このタイミングで言ったんです」
彼女の言う通り、他のアイドルの人がいると言われたら俺は適当な理由をつけて断っていただろう。
三船さんと一緒に居るだけでも刺されそうなのに、他のアイドルとも一緒に居るとなると、俺はファンの方々から滅多刺しだ。そうでなくとも、ネットの掲示板に描かれて社会的な死が待っている。どちらにせよ、死ぬことには変わりない。
「すいません、騙すようなことをしてしまって。だけど、笹島さんと飲みたいって言うのは本当ですから」
ふんわりとした笑顔を浮かべる三船さん。この人はまた男を勘違いさせるようなことを……。
俺は頭の中に広がった煩悩を振り払うと、苦笑いを浮かべつつ答えた。
「まぁ、今回の事は俺が原因みたいなもんなんで大丈夫ですよ。それよりも他のアイドルの人がいるのに居酒屋で飲んで平気なんですか? バレそうな気もしますけど」
「それなら気にしないで下さい。今日行くお店は最近、教えてもらったんですけどお酒も料理も美味しいのに、人がほとんどいないところなんです。いわゆる穴場のお店ってやつですね」
「人がほとんどいないって、経営的には大丈夫なんですか?」
「細々とやっているみたいですから、何とか大丈夫みたいですよ。それに私以外のアイドルの方もよく飲みにいっているみたいなので」
益々、一般人である俺が行っていいのかと思ってしまうのだが、三船さんが良いって言うのならきっと問題ないだろう。それにお酒も料理も美味しいというのは非常に気になるところだ。
「ところで他のアイドルの方もいるって言ってたんですけど、今日は誰がいるんですか?」
「それは着いてからのお楽しみということで……あっ、もう直ぐつきますよ!」
三船さんの言葉に顔を上げると、特徴的な赤提灯と落ち着いた佇まいのお店が目に入る。
「えーっと、しんでれら?」
「はい、ここが今日のお店です」
それほど大きくはなく、見るからに穴場スポットというお店だ。赤提灯といい、暖簾といい、初見ではなかなか入りにくいだろう。一人だったら確実にスルーしていた。
「取り敢えず入りましょうか。もう楓さんたちも待っていると言っていたので」
「はい、わかりました……って、楓さんたち!?」
言葉の真偽を問うている暇もないまま、三船さんがお店の中に入って行ったので慌てて俺も後に続く。
「いらっしゃいませ……あっ、三船さん! いつもありがとうございます。高垣さんと川島さんは奥にいらっしゃいますので」
「分かりました。ありがとうございます。それじゃあ笹島さん、行きましょうか」
「…………はい」
もうわけが分からないよ。さっき楓さんとか言っていたのは聞き間違いだと思ってたけど、何も間違いではありませんでした。
高垣さんはもちろん、川島さんもよくテレビで見かける機会が多い。そんな有名人とこれから一緒に飲むなんて……死ぬほど緊張してきた。
「笹島さん? どうかしましたか?」
「いや、まさか高垣さんと川島さんがいるとは思っていなかったので……」
「ふふっ♪ 緊張しなくても大丈夫ですよ。楓さんも瑞樹さんも意外と普通の方たちですから。本当は早苗さんも誘いたかったんですけど、今日はお仕事が入ってしまったらしくて」
「早苗さんって、片桐さんですよね? 逆にいなくてよかったですよ。ただでさえ高垣さんと川島さんでどうにかなりそうなのに……。片桐さんまでいたら、俺は緊張で何も話せません」
「片桐さんがいればむしろ、笹島さんは饒舌になりそうですけどね」
なんて話しながら奥の座敷のある席に歩いていく。すると、
「あっ、美優ちゃんやっと来た!」
「美優さん、お疲れ様です」
既に座ってお酒の入ったコップを傾けていたのは、三船さんの言った通り、高垣楓さんと川島瑞樹さんだった。
いや、別に疑ってたわけじゃないんだけどこうして本当に座っている姿を見ると嫌でも動揺してしまう。というか、二人とも滅茶苦茶綺麗だ。下手するとテレビで見るより綺麗かも……。
「えっと、そちらが美優ちゃんのお隣さんの笹島さんで合ってるかしら? こんにちは、美優ちゃんと同じ事務所でアイドルをやってる川島瑞樹です」
「同じく、高垣楓です」
川島さんと高垣さんに声をかけられ、俺は慌てて居住まいを正す。
「それではお先に紹介しちゃいますね。こちらが私の部屋のお隣さんでもあり、酔っぱらった私を介抱してくれた笹島さんです」
「只今ご紹介にあずかりました、笹島健一26歳です。まことに勝手ながら三船さんの隣の部屋に住まわせていただいております。三船さんを介抱した事は確かですが、普段はおかずを頂いたりと、むしろこちらがお世話になっている次第です」
緊張しすぎたおかげで、おかしな言葉遣いに、おかしな挨拶になってしまった。そんな俺を見た川島さんが苦笑いを浮かべる。
「えっと、私の方が年上だから笹島君でいいかしら?」
「あっ、はい! 大丈夫です」
「それじゃあ遠慮なく……緊張しすぎよ笹島君。私たちはアイドルだけど、オフの時は一般人と変わりないんだから」
「い、いえ、三船さんのご友人である皆さんの前で無礼を働くわけには……」
ぺこぺこと頭を下げる俺を見て高垣さんが頬笑みを浮かべる。
「なんだか可愛らしい方ですね美優さん。それに美優さんの言った通り誠実そうな人で安心しました」
「せ、誠実だなんて……私にはもったいないお言葉です」
「ふふっ♪ やっぱり面白い方ですね」
「ほらほらっ、いつまでも緊張してないで早速飲みましょうよ! 美優ちゃんも座って座って」
促されるまま三船さんと一緒に座布団の上に座る。机の下は掘りごたつのようになっており、スペースが空いている分とても座りやすい。
「美優ちゃんはスパークリングワイン、笹島君はビールでいいかしら?」
「あっ、はい。大丈夫です!」
「すいません、瑞樹さん。お願いします」
「料理はこっちで適当に注文してあるから心配しないで」
そのまま注文を川島さんに任せると、すぐにワインとビールのグラスが運ばれてきた。
「それじゃあ全員揃ったし、改めて乾杯しましょうか」
川島さんがグラスを掲げたので、他三人もそれに合わせる。
『乾杯!』
グラス同士がぶつかり合い、カチンッという小気味いい音を立てる。普段なら一息で半分ほど飲み干しているところだったが、今日は大分控えめにしておいた。
気心が知れる相手ならまだしも、流石に初対面の人がいる中で醜態を見せるわけにはいかない。今日はほどほどにしておこう。
「そういえば、笹島さんはどのくらい飲めるんですか?」
目の前に座る高垣さんが日本酒の入ったグラスを片手に尋ねてきた。
「そ、そうですね……人並ってところです」
「人並ですか。それならそこそこ飲めるってことですね♪」
飲めると分かって高垣さんが嬉しそうである。テレビで見ててわかってたけど、本当にお酒好きなんだな。
しかし、人並というのは大嘘である。両親はともに大の酒好きであり酒豪だった。今でも帰省するたびに晩酌に付き合わされたりする。その影響か、俺もお酒に関しては無類の強さを誇り、ちょっとやそっとじゃ酔わないのだ。
おかげで、取引先との飲み会なんかはかなり飲まされることもしばしば。まぁ、俺だから平気だったけど、同僚はべろべろになって後処理が大変だった記憶がある。
なので、今日はほどほどとか言っていたのだが、よっぽど飲まされない限り酔わないのだ。
「そうなんですか。私は逆にすぐ酔ってしまうので少しだけ羨ましいです」
「三船さんは弱いんですね」
「はい。だから度数の弱いお酒にしておかないとすぐに酔いが回ってしまって……」
三船さんが弱いのは何となく雰囲気で分かるんだけどね。これで彼女が逆に強かったらギャップもいいところである。
「まぁ今日は笹島君とほぼ初対面でもあるわけだし、のんびり飲みましょう。私たちも明日は仕事があるわけだしね」
「そうしていただけると助かります」
「ところで、笹島さんはどこの会社に勤めているんですか?」
「あっ、すいません。名刺も渡さず長々と話してしまって」
鞄の中から名刺入れを取り出して、二人に名刺を差し出す。
「あらっ? この企業って確か楓ちゃん、CMやってなかったっけ?」
「はい、ありがたいことに。笹島さん、私を起用していただきありがとうございます♪」
「いや、俺は全く関与してないので。むしろわが社のイメージを上げて頂いてこちらこそありがとうございます」
冷静に考えると自分の勤めてる会社のCMに出てくれる人が目の前にいて、一緒に飲んでるってすごいことだよな。
しかも高垣さんの隣には川島さんがいて、俺の隣には三船さんがいる。……取り敢えずファンの人たちにぼこぼこにされそうだ。
名刺を渡した後は世間話に花を咲かせ、飲み会は楽しく進んでいったのだが、
「すいません、少しお手洗いに」
三船さんがトイレに行ったタイミングで、川島さんと高垣さんの目が猫のように光った気がした。な、なんだか嫌な予感がする。
「ねぇ、笹島君」
「は、はい!」
「ぶっちゃけ、美優ちゃんの事どう思ってるの?」
「それ、私も聞きたいです♪」
いつかは聞かれると思ったが、ここで来たか……。しかし、俺は答えを用意してなかったわけではないので努めて冷静に答える。
「べ、別にぶっちゃけるも何もないですよ。俺は三船さんのファンであるというだけでそれ以上でもそれ以下でもありません」
「そんな事は分かってるのよ。私たちがききたいのは一人の男性としての美優ちゃんの評価」
「そうですよ笹島さん。丁度今、美優さんはいないわけですから言っても大丈夫ですよ」
一応それっぽい事を行ってみるも、興味津々といった様子の二人は振り切れない。というか、俺は何も大丈夫じゃない。
「そ、それはもちろん魅力的な女性だと思っていますけど、それはあくまで憧れのようなものですから」
「憧れ以上に何かないんですか?」
色々な含みを持った楓さんの言葉に、俺は首をぶんぶんと振って否定する。
「な、ないですって! 三船さんと俺はアイドルと一般人。憧れという感情は抱いてもそれ以上の感情なんて抱きませんから! 恐れ多いです」
必死に否定する俺を見て、何やら川島さんと高垣さんが小声で話し出す。
「うーん、これはなかなか口を割りそうにないわね。どうするべきかしら?」
「ここはいったん引くべきかと。強引に聞いて、二人の仲に影響があっても困りますから」
「それもそうね」
二人きりの会議を終え、再び俺に視線を向ける。
「それじゃあ質問を変えて、どうして美優ちゃんのファンになったの?」
「どうして……ですか?」
これくらいなら答えてもいいかな。ファンになった理由を答えるだけだし。
「理由といっても単純なものですよ。きっかけは、たまたま雑誌に映っていた写真を見つけたことです。最初はその、申し訳ないんですけど顔とかスタイルが気になったので色々調べてみました」
「まぁアイドルを好きになるなんて正直、顔とかスタイルからって人も多いから気にしないくていいわよ」
「でも名前を調べて動画を見始めた頃からですかね。本格的なファンになったのは」
もちろん、顔やスタイルだって素晴らしい。でも、それ以上の魅力をアイドルの三船美優さんから感じたのだ。
「ライブや出演していたテレビ番組の動画を見て、上から目線なんですけど、健気に頑張っている姿に心惹かれたんです。確か三船さんって元OLなんですよね?」
「はい、そう聞いてるわね」
「実を言うと、俺が三船さんのファンになった時期はちょうど仕事がうまくいってない時期で、精神的に辛かったんです。そんな時に三船さんがOLからアイドルに転身していたことを雑誌で知って……何というか、勝手に勇気づけられたんですよね。この人が困難に立ち向かっているのに、俺は少し仕事がうまくいかなかったくらいでへこんでる場合じゃないなと」
我ながら単純な理由なのだが、本当なのだから仕方がない。俺と同じ年で別の企業に転身するならまだしも、一般人からアイドルに転身は普通とんでもなく勇気がいることだ。
全く知らない世界に飛び込むことがどれだけ大変か、俺にはとても想像もつかない。
そんな環境で頑張る三船さんに俺は惹かれてしまったのだ。
「なるほどそうだったのね」
「……すいません。川島さんと高垣さんも別の世界からアイドルの世界に入ってきたというのに、三船さんばかり持ち上げて」
「いいのよ笹島君。気にしないで。それに言ってみれば私も楓ちゃんもまだアイドルに近い世界にいたわけだけど、美優ちゃんは全く別ものの世界から飛び込んできたんだもの」
「美優さんは最初慣れない環境で色々と大変そうでしたね。私たちも楽だったかと言われればそうではないんですけど」
「確かに、そうだったかもね」
三船さんが入ってきた当時の事を思い出しているのか、それとも二人がアイドルに転身した当時の事を思い出しているのか。二人は懐かしそうな表情を浮かべている。
テレビの向こう側の華やかな世界にも、色々と苦労することがあるのだろう。
「あれっ? 皆さん、何を話しているんですか?」
そこで三船さんがお手洗いから戻ってきた。
しかし、本当の事を言うわけにはいかないので俺が逡巡していると、川島さんが助け舟を出す。
「ううん、特に変なことは話してないわよ。ただ、美優ちゃんは可愛いなって。ねっ、笹島君?」
「えぇっ!?」
「ちょ!? 川島さん!」
助け舟じゃなくてとんでもない流れ弾が飛んできた。一瞬で顔を赤くする俺と三船さん。
「ふふっ、笹島さんは三船さんの事を綺麗だ、本当に綺麗だと言っていましたもんね♪」
さらに、高垣さんからも追加の弾が飛んでくる。
「た、高垣さんもやめて下さいって!!」
「…………」
川島さんと高垣さんにいじられ大慌ての俺と顔を真っ赤にして俯く三船さんだった。
☆ ★ ☆
飲み会を終え、俺と三船さんは一緒のマンションまで歩いて帰っているところだった。
その道のりも残りわずかと言う所で三船さんが口を開く。
「……ごめんなさい、笹島さん」
「えっ? 急にどうしたんですか?」
「実は先ほどの会話、少しだけ聞いていました」
「ほ、本当ですか!?」
も、もしかして、あの恥ずかしいセリフを聞かれたりしたのか? 聞かれた場所からにもよるけど、恥ずかしいことには変わりない。
「……具体的にはどこから?」
「雑誌を見て、というあたりからです」
「な、なるほど……」
「すいません、私も聞くつもりはなかったんですけど」
あまり聞かれたくなかったところからばっちり聞かれていた。しかも、三船さんの気分を害した可能性もある。
「あの時は本当の事を話したら気まずくなると思って嘘をついたんです」
「も、申し訳ないです。三船さんがいないからといって勝手なことを……」
「……まぁ、確かに少しだけ恥ずかしかったです」
や、やっぱり……俺は三船さんになんてことをしてしまったんだ。俺が青ざめた表情を浮かべていると、美優さんが慌てた様子で手を振る。
「あっ、気にしないで下さい。別に私は笹島さんを責めているわけではないので」
責められているわけではないと知ってホッと胸をなでおろす俺。美優さんは美優さんで、恥ずかし気に髪をいじっていたのだが、決心がついたらしくゆっくりと口を開いた。
「……逆なんです。笹島さんから素直な言葉がきけて、とても嬉しかったです。ファンレターなどではありがたいことに、応援のメッセージなんかを頂くことができます。でも、ファンの方から直接意見を聞くことってなかなかないことなんです。握手会なんかでも、お話しする時間は限られていますから」
そこで三船さんは俺に向かって頬笑みを浮かべる。
「だから、ありがとうございます笹島さん」
天使のような……いや、天使である三船さんが頬を少しだけ赤くして微笑む姿に、俺の心拍数は柄にもなく跳ね上がった。おい、26歳にもなってときめくんじゃないよ俺の心臓。
バクバクとうるさい心臓を押さえている間に俺の部屋の前に到着していた。
「あっ、もう着いてしまいましたね……」
名残惜しそうな言葉。その言葉は男を盛大に勘違いさせるのでやめていただきたい。
勘違いしないよう、頭の中で素数を数えていると、三船さんがくいくいと服の袖を引っ張る。
「笹島さん」
「は、はいっ」
「また一緒に飲みに行ってくれますか?」
少しだけ首を傾げ、上目遣いに俺の瞳を覗き込む三船さん。その表情と声色は反則だ。こんなことを言われて断れるわけがない。
「……もちろんです」
「ふふっ、ありがとうございます。それではおやすみなさい」
三船さんは俺の言葉を聞くと、嬉しそうな笑みを浮かべて部屋に帰っていった。一方俺はしばらく部屋の前で呆然とした後、
「だめだ……」
もう最初の決意を守れる自信がない。俺の中での決意が少しずつ、ガラガラと音と立てて崩れ始めている。
それ程までに三船さんは魅力的で……思わずその場に顔を覆って俯く俺だった。
三船さんって、無意識(天然)に男を虜にする人だと思うんですよ。
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買い物
アイドルの皆さんと一緒にお酒を飲むという、ある意味衝撃なイベントから約一か月後。その間も俺と三船さんの間でちょくちょくとやり取りがあったのだがこの日、三船さんからとあるお誘いを受けたのだ。
「えっ、ショッピングモールにですか?」
「はい。実は少し買いたいものがあって」
俺がタッパーを返しに三船さんの部屋に伺ったところ、ショッピングモールに行きたいと言われたのである。一方、提案された俺は少しだけ戸惑う。
「で、でもショッピングモールなんかに行ったら流石にばれてしまうんじゃ? 飲み会の時はお店が有名じゃなくてよかったですけど、今回は不特定多数の人がたくさんいますし」
「それについてはきっと大丈夫ですよ。これまで何度かショッピングモールへ行っていますけど、一度もバレたことはありませんし、何よりアイドルが男の人と歩いているなんて普通思いませんから」
これまでの経験から自信たっぷりな様子の三船さん。
「それに、今回笹島さんに頼んだのは私一人ではちょっと運べなさそうな買い物をしたいからなんです」
「あっ、そうなんですか?」
「はい。だからこそ笹島さんにお願いしたんですけど……ダメですかね?」
何度も言っているように、三船さんの上目遣いは反則です。そろそろ禁止にして使えないようにしないと……。
「……分かりました。今日は暇なんでお付き合いします」
「っ! ありがとうございます」
ぱぁあっと花が咲いたような笑みを浮かべる三船さん。なにがそんなに嬉しいのか分からないけど、取り敢えずついていくと言って喜んでくれたみたいなので良しとしよう。
「それじゃあ30分後に部屋の前に集合でいいですか?」
「分かりました」
一度部屋に戻り、出かける準備を済ませる。そして時間になったので俺は改めて外に出る。すると美優さんは既に部屋の前で待っていた。
「すいません、お待たせいたしました」
「いえ、気にしないで下さい。元々、こちらがお誘いした事ですから。それでは行きましょうか」
以前、居酒屋に行った時のように並んで歩き始める俺達。ショッピングモールは電車に乗って4駅ほどの場所にある。
基本的に何でも揃っているので、俺も欲しいものがある時はよく利用していた。改札をくぐり、ちょうどきた電車に乗り込む。
「アイドルの方でも電車を利用することってあるんですか?」
「それはもちろんですよ。ロケならともかく、私たちだって普段は一般人なわけですから」
「なんか芸能人は、勝手にタクシー移動ばかりしてるものだと思ってました」
「ふふっ、そんなことができるのは売れている一部の方たちだけですよ」
三船さんも十分活躍している方だと思うんだけど、という言葉は飲み込んでおいた。ほんと、三船さんはアイドルとしてテレビに出ている時も、今日みたいに一緒に居る時も謙虚でいい人すぎる。ファンになってよかった。
感動している間に電車が目的の駅に到着し、俺と美優さんは降りてショッピングモールへと向かう。
「ところで、今日は何を買う予定なんですか?」
「……ま、まぁいいじゃないですか。今日買うものは後々お教えしまうので、最初は色々なお店をゆっくり回りましょう!」
わざとらしく目を逸らす三船さん。この人は素直すぎて嘘をつくのがとんでもなく下手くそだな。教えたくないほど、変な物でも買う予定なのだろうか? まぁ、取り敢えずここで必要以上に詮索するのはやめておこう。
そんな事よりも、今日は三船さんと出かけることができていることに感謝しないと。
「じゃあのんびり回りますか。幸い、このショッピングモールにはいろいろなお店があるわけですしね」
「そ、そうですよ! 一つの買い物だけじゃ、ショッピングモールに来た意味が薄くなっちゃいますから!」
俺がそれ以上追及しないとみるや、三船さんはあからさまに安心したような表情を浮かべる。だから分かりやすすぎるって。可愛いから問題ないけどさ。ほんと、この人26歳なのにどうしてこんなに可愛いんだろう。
……さっきから可愛いしか言ってなくて気持ち悪いな俺。
自己嫌悪に陥りつつ、俺たちはショッピングモールに到着し、中に入る。
「さて、それじゃあどこから回りましょうか?」
「あっ、それならまずは洋服を見てもいいですか? 私が一人で行くと、店員さんに勧められるがままになってしまうことが多いので……」
そう言えば、三船さんって流されやすい性格の人だったっけ。確かにそれだと、グイグイ来る店員さんの餌食になること間違いなしだ。
俺は一人でのんびり選びたいタイプなので適当にあしらっているが、人のいい三船さんは断れずに色々と買ってしまうのだろう。
「分かりました。まずは洋服を見に行くってことで」
「はい!」
嬉しそうな三船さんにほっこりしつつ、俺たちは洋服が売られているお店に向かう。
そして到着したお店は落ち付いた雰囲気のところで、若者向けというよりは大人の女性向け、ちょうど美優さんくらいの女性が求める様な服が多く置かれていた。
「実はここのお店、テレビで取材が入っていて一度来てみたかったんです」
そう言いながら気になった服を手に取る三船さん。どうやら今日は夏服を見に来たようだ。
「もう夏服なんて売ってるんですね」
「むしろ、夏服は今チェックしておかないと無くなっちゃうんです」
「そういうものなんですね」
「……もしかして笹島さんって、服にあまりお金を使わないタイプですか?」
「もしかしてどころか、ほとんど使いませんね。流石に全く使わないってことはないですけど」
外に出て恥ずかしくない程度の服は持ってるけど、種類はほとんど持っていない。冬なんて大体ジーンズにパーカーである。
仕事もほとんどスーツなので、気にしなくなってしまったのだ。
「決めました。私の買い物が終わったら笹島さんの洋服を見に行きましょう」
「えっ! 別に俺の服なんて選ばなくても――」
「見に行くんです!」
「は、はい!」
有無を言わさない口調。これは断れない。俺が頷いたのを見て、再び三船さんは服選びに戻る。
取っては戻し、取っては戻しを繰り返す。正直に言うと、三船さんはスタイルもいいのでなに着ても似合うと思うんだよね。ただ、やはりそこは女性ならではのこだわりがあるのだろう。目も真剣そのものだ。
「お客様~、何かお探しですか?」
「えっ?」
しかし、店員さんが声をかけてきた事によってあっさりとその集中力がそがれることになる。
「実はこの夏、○○がおすすめで、あっ、こちらの柄も今大注目なんですよ」
「そ、そうなんですね。実は私も気になっていて……」
「ほんとですか! お客様はスタイルもいいのでこちらの服なんて――」
「あー、すいません。良い服が見つかったらまた聞きますから、今は大丈夫です」
このままだと三船さんが、色々買わされてしまいそうだったので俺が助け舟を出す。
「あっ、すいません。彼氏さんとのんびり選びたいですもんね。それじゃあ失礼します。また何かありましたらお声かけください」
聞き分けのいい店員さんで助かった。……一部、とんでもない誤解が含まれてたけど気にしないことにしよう。
「か、かか、彼氏!?」
駄目だ、三船さんが気にしちゃってる。まぁ、店員さんが間違えるのも無理はないと思うけど。男女で服を選んでたら彼氏彼女だって、ほとんどの人からそう見えるはずだ。
俺も勘違いしないよう必死だし。
「三船さん、落ち着いてください。店員さんもいなくなりましたし、またゆっくり洋服を選びましょう」
「そ、そうですね。それじゃあ改めて……笹島さんだって少しは動揺してもいいのに」
後半部分は小声だったので聞こえなかったけど、三船さんは改めて服を選び直す。そして、その中から気になったものを手に取り、
「じゃあ、ちょっと試着してみますね」
試着室の中に入って行く三船さん。俺は試着室の前で待つ。これで店内が女性ばかりだったら完全に怪しい人になってしまうのだが、幸いにもカップルの姿がちらほらと見え俺は浮かずに済んだ。そのまま待つこと2,3分。
「ど、どうですか?」
「…………」
俺の目の前に女神が現れた。……って違う違う。試着室から現れたのはもちろん三船さんである。しかし、あまりの美しさに女神と見間違ってしまったのだ。
三船さんは薄紫色の涼し気なワンピース姿で、少しだけ頬を染めつつ俺の感想を待っている。
ワンピースは三船さんの雰囲気とよく合っているし、その、ボディラインが結構出ているので男性からしてみれば『ありがとうございます』と、言わざるを得ない格好になっていた。
控えめに言っても可愛い。控えめに言わなくても可愛い。どっちにしろ可愛い。
「え、え、えっと、すごく似合ってますよ!」
しかし、動揺しすぎて当たり前の事しか言えなかった。俺は頭の中だけで肩を落とす。
似合ってるは、小学生でも言える感想だ。そもそも似合ってるなんて普段の撮影で聞き慣れているだろう。
せめて、「はい、美優さんの雰囲気とピッタリです」と言えたらカッコよかったのに。
「そ、そうですか。似合ってるんですね……」
しかし、俺の感想を聞いた三船さんは服の袖を摘んで恥ずかしそうに身をよじる。そんな事をすればボディラインがより強調されるわけで……けしからんのでほどほどにしてほしい。
『…………』
そして始まる無言の時間。三船さんはともかく、俺は完全にコミュ障そのものだ。26歳にもなって恥ずかしい。
ファンであることを差し引いてもこの反応はよろしくないだろう。
「じゃ、じゃあ、元の服に着がえちゃいますね」
三船さんがカーテンを閉じて試着室に戻っていく。そこでようやく俺の心拍数も元通りになりはじめていた。
うーん、俺が動揺を隠せなかったせいで三船さんを困らせてしまったのは大いに反省しなければならない。もうちょっと気持ちを強く持たないと。
しばらくして、元の服に着替えた三船さんが好意室の中から出てきた。頬は少しだけ赤い。
「じゃ、じゃあもう少しだけ色々見てみますね。また感想をよろしくお願いします」
「わ、分かりました!」
俺なんかの感想でいいのだろうかと思いつつ、再び洋服を見始める三船さんだった。
☆ ★ ☆
「本当に俺の意見なんかで買っちゃってよかったんですか?」
「むしろ、笹島さんの意見だからこそですよ。一般の方の意見は結構重要なんですから」
お店を出た三船さんの右手には、一番初めに試着したワンピースの入った袋が握られている。結局俺の意見で買うことを決めてくれたみたいなのだが、俺は服のセンスがあるわけではないので正直恐れ多い。
でも、三船さんは気に入った様子だったのでそれ以上は何も言わなかった。
「それじゃあ次は、笹島さんの服選びですね!」
「あっ、やっぱりそれは決定事項だったんですか」
「もちろんですよ。むしろ私の服よりも重要な問題です!」
俺からしてみれば大した問題でも何でもないんだけど、三船さんが言うと重要な問題に思えてくるから不思議だ。
「分かりました。そこまで言われたら買わないわけにはいきません。自分はセンスがないので三船さん、よろしくお願いします」
「はい、任されました。ふふっ、やる気になってくれてよかったです」
ちなみに俺の服選びの様子はばっさりカットさせてもらいます。男が服を選んでいる姿を流してもしょうがないからね。
一応、三船さんの意見を参考にしつつ二パターンくらいの服をまとめ買いしました。これで夏場の服装に困ることはないだろう。
「ふぅ、美味しかったですね」
「はい、初めて入ったお店でしたけど良かったです」
そして、今は少しだけ遅いお昼ご飯を食べ終えたところである。値段の割には美味しかったので入って正解だった。三船さんも満足そうな表情を浮かべている。
「さて、この後はどうしましょうか?」
「実は服の他にもう一つ行きたいお店があるので、そこに行ってもいいですか?」
「いいですよ。俺は買いたいものも特にないので」
「それでは」
というわけで、次は三船さんが行きたいというお店に向かう事に。お会計を済ませ、三船さんが行きたいというお店に向かう。
「実はこのお店なんです」
「へぇ、観葉植物の専門店ですか」
三船さんが指差したお店は、観葉植物を専門に取り扱っているお店だった。このようなお店はあまり見かけたことがないので少しだけ新鮮に映る。
「ずっと入ってみたいなと思っていたんですけど、自分一人だと勧められるがままになったり、視線がどうしても気になってしまうので」
確かに店員さんは見た感じ二人くらいしかおらず、中に人の姿もほとんど見えない。つまりこのお店に入ってしまえば、三船さんは勧められるがままに買ってしまうかもしれないだろう。その様子が目に浮かぶ。
「それじゃあ入ってみましょうか」
二人揃ってお店の中へ。中にはよくテレビなどで見るものから、なんだこれというものまでさまざまな観葉植物が陳列されていた。
「色々な種類の観葉植物があるんですね。あっ、このサボテン可愛いかも……」
三船さんは気になった観葉植物を手に取ったり眺めたりして楽しんでいる。その姿は観葉植物専門の雑誌の表紙を飾れるくらいに似合っている。
仮に三船さんが表紙を飾るようなことがあれば、間違いなく俺は購入するだろう。もちろん、中身もちゃんと読むけどね。
「どんなのを買おうと思ってるんですか?」
「リビングに飾る用のものを買おうと持っているんですけど、色々あり過ぎて迷っちゃいますね」
「確かに、観葉植物なんてどれも一緒だと思ってましたけど、こうしてみると本当にいろんな種類がありますし」
部屋の大きさや内装によって最適なものもあるだろうから、選ぶのは結構大変だろう。組み合わせによってはまた色々な良さも出るだろうし。
そんなわけで俺たちはのんびりと観葉植物を選んでいくのだった。
☆ ★ ☆
そしてショッピングモールから帰り道。
既に俺たちの最寄り駅に到着し、マンションまでの道を歩いているところだった。
観葉植物を注文し終えた後は、本屋に寄ったりちょっとした雑貨屋を見てみたりと、結構楽しかった。
「気に入ったものが見つかってよかったですね」
「はい。届いたらどこに置きましょうか……ふふ、模様替えの楽しみが増えました」
「思わず俺も何か一つ買ってみようかなって思っちゃいましたよ」
「確かに、少し頭を悩ませていた様子でしたからね」
観葉植物専門店での話をしながら俺たちは買い物の思い出に浸る。
「だけど、三船さんって流されやすいって本当だったんですね。今日の服屋の時もそうでしたし、観葉植物のお店でも店員さんの説明にタジタジでしたし……ふふっ」
「笑いごとでは……。通販の「こちらの商品もご一緒にいかが?」すら逆らいづらくて……もう、そんなに笑わないでください……も、もうっ!」
俺が思い出し笑いをしていると三船さんが困ったように眉を顰める。流石に店員さんの説明なしに選ぶのもと思って説明を求めたのだが、三船さんは説明だけでなく別の商品も勧められていて終始アワアワしていた。
そんな顔も、もちろん可愛い。むしろ、意外な表情が見れたということで感謝したいくらいだ。
しかし、俺には一つ気になっていることがある。
「あの、三船さん。ちょっといいですか?」
「はい、なんですか?」
「今日は一人では運べないような買い物があるって言ってたんですけど……結局それって何だったんですか?」
お店を色々回ったのだが、俺がいないと運べないようなものは一つも買わなかった。唯一観葉植物は一人で運べなかったと思うけど、あれはお店が送ってくれるらしいので別に一人でも問題はない。
すると、三船さんは少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「……すいません、笹島さん。私、1つだけ嘘をついてました」
「えっ、嘘って?」
「今日は別に、一人で運べないようなものを買うつもりはなかったんです」
三船さんの言葉に俺は首を傾げる。一人で運べないようなものを買わないつもりだったのに、どうして俺を呼び出したりしたんだ?
「それって一体どういうことなんですか?」
「……もう、ここまで言っても分かりませんか」
拗ねたような表情を浮かべる三船さん。顔も心なしか赤いような……。
も、もしかして今日は俺と買い物に行きたかったから誘ったんじゃないのか? それなら今の言葉にも納得ができる。
(い、いや、勘違いするなよ俺。仮にそうだっとしても三船さんの事だから他の人とも買い物に行っているはずだ)
しかし、そんな俺の心の中は見事に読まれていたらしい。
「……私は、誰とでも買い物に行ったりはしません」
「……えっ」
間抜けな声が俺の口から漏れた。更に三船さんは畳みかける。
「あなたを信頼しているからこそ、今日は一緒に行こうと思ったんです」
今度はもう声も漏れなかった。もちろん、感激して。
ただの一般人である俺を、芸能人の三船さんがここまで信用してくれたのが嬉しかったのである。
「だからですね、その……もう、いいと思いますよ。私だって断りませんから」
「…………」
三船さんの言葉に俺は俯き瞑目する。
確かに、もういいよな。俺だってここまでの間、ずっと我慢してきたんだから。自分自身に言い聞かせる。
今日だって買い物に行ったし、以前は一緒にお酒も飲んだ。それに、俺は他のファンの人より成り行きはともかくとして、三船さんと仲良くなったという自負がある。だからもう、我慢ができなかった。
そして、俺は口を開く。
「三船さん…………サインをください!」
「分かりました。サインですね……えっ?」
無事にサインをもらえた俺は部屋に戻った後、額縁に三船さんのサイン色紙を飾って眺めたのだった。
☆ ★ ☆
「もうっ! あそこはどう考えても連絡先を教えてもらう流れだったはずです!! あわよくば告白だって……。結構期待してたんですよ!? なのに……なのに笹島さんは『サインをください』って!! 嬉しいですけど、嬉しかったですけど!! 私が求めてたのはそれじゃないんです!!」
「うんうん、わかったから。お願いだからもう少しペース落として飲んで、美優ちゃん」
「だってぇ、私だって勇気をもって誘ったんですよ!? 買い物中もいい雰囲気で、楽しくて……なのに、笹島さんったら!!」
呂律も怪しくなってきた美優をみて、一緒に飲んでいた川島瑞樹は頭を抱える。今日は珍しく誘ってきてくれたのだが、それ相応の理由があったみたいだ。
一緒に出掛けることはLINEで聞いていたので別に驚かない。ただ、今日こそ連絡先を貰えるだろうと思っていたのに、結局貰えなかったということは意外だった。というか、あそこまで言って付き合わないのもどうかと思うんだけど。美優の言葉なんてほとんど告白のようなものだし……。
まぁ、彼はファンとして勘違いしないよう、必死に理性を保っていたと考えれば理解はできる。本当にファンの鏡たるような人と言わざるを得ない。……ただ普通、立場は逆なんだろうけど。
いろんな意味で徹底(我慢)している笹島健一を評価するとともに、連絡先くらい貰っても罰は当たらないと言ってやりたい。あと、できれば酔いつぶれた美優を連れて帰ってほしい。連絡先を知らないから呼び出しようがないんだけど。
「珍しく美優さんの方から誘ってきたので少し不思議に思ったんですが、やっぱりそれなりの理由があったんですね! あっ、すいませーん。ビールをお願いします♪」
「楓ちゃんも今日は抑えめでお願い」
「みじゅきしゃーーん、きいてるんですかぁ? うぅ、しゃしゃじましゃんったらひどいんでしゅよ~」
「あー、はいはい。聞いてるわよ。……はぁとちゃんか早苗ちゃんに助けを求めないと」
こんな風にデートに行った次の日。居酒屋しんでれらにて、不満をぶちまける美優さんがいたとかいなかったとか。
ちなみに一番苦労したのは川島さんな模様。
美優さんのコミュを見た感想
「仁奈ちゃん、グッジョブ」
MVを見た感想
「足をぴょんとさせるところが可愛い。背中でハートを作るのはずるい。時計の針のダンスが斬新」
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嫉妬する三船さん
「ふぅ、今日も疲れたな」
今日も今日とて仕事に励んでいた俺は、のんびりと会社からの帰り道を歩いているところだった。普段ならもう少しダラダラと歩いているところなのだが、今日は金曜日ということで少しだけ気分も軽い。
しかも、大変珍しいことに残業もなく定時に上がることができたのでそれが気分の良さに拍車をかけている。
(帰りに缶ビールでも買って……いや、待てよ)
俺の頭の中に以前、三船さんと行かせてもらった居酒屋『しんでれら』が浮かんできていた。その後は行く機会がなかったのだが、お酒と料理のおいしさが頭から離れずに何度も行きたいなぁ、とは思っていたのである。
(今日は定時あがり、明日は休み。丁度いい機会だし、久しぶりに行ってみるか)
一番心配なのはアイドルと遭遇することだけど、遭遇したら遭遇したで気付かないふりをしていればいい。向こうだって完全にプライベートで来ているわけだからな。
まぁ、知り合い(川島さんとか高垣さん)がいたら流石に挨拶くらいはさせてもらうけど。
「よしっ、善は急げというし早速『しんでれら』に向かおう」
以前、三船さんの後を付いていった道を思い出しながら居酒屋『しんでれら』に歩いていく。お店について扉を開くと、店主の女性が俺を迎えてくれた。
「いらっしゃいませ……あっ、笹島さんでしたっけ? 以前、美優さんと一緒にいらした」
「はい。今日はたまたま仕事が早く終わったもので、ちょっと寄ってみようかなと思ったんです。今からでも大丈夫ですかね?」
「はい、大丈夫ですよ。それよりも、今日はアイドルの皆さんはいませんけどよろしいですか?」
「むしろ今日は一人で飲もうと思ってたので大丈夫ですよ。それにアイドルの方がいたらいたで落ち着きませんから」
店主の言葉に苦笑いを浮かべつつ、俺はカウンター席へ。取り敢えず生と適当におつまみ的なものを注文し、一息つく。
(それにしてもやっぱり良い雰囲気だよな、このお店)
静かで、落ち着いていて……まさに一人でしっとりと飲みたいときにはうってつけのお店だ。家で一人で飲むのとはまた違う感じもいいのかもしれない。店主の人柄もいいしな。
「はい、どうぞ。お待たせしました。生ビールです」
「ありがとうございます」
グラスを受け取り、ビールを勢いよく喉に流し込んだ。よく冷えたビールが身体に染み渡る。やはりいつ飲んでも仕事終わりの一杯は最高だ。
ビールを半分ほど飲み干した後、既に運ばれてきていた料理に手を付ける。
「うん、うまい」
今日のおすすめというものを注文したのだが、これまたうまい。これはいくらでも箸が進んでしまう。前も思ったけど、このお店の料理にははずれがない。常連になってしまいそうだ。
なんて思いながらのんびりビールを飲んでいると、
ガラガラガラ
扉を開ける音が耳に届く。どうやら俺以外のお客さんが来たらしい。そのお客さんも一人だったらしく、俺の隣のカウンター席に腰を下ろす。
「すいません、取り敢えず生ビール一つ……ってあら?」
「……えっ」
どこかで聞いたことのあるような声。俺は何気なく視線を隣に移したその瞬間、俺は思わず声をもらしてしまった。
「和久井さん……ですよね?」
「……今日は久しぶりにこのお店に来たんだけど、まさか笹島君がいるだなんてね」
困ったような笑顔を浮かべたのは和久井留美さん。元キャリアウーマンで、ショートカットと切れ長の目が特徴的。身長も高く、ひとたび衣装に着がえるとモデルと見間違えるほど。
そんな彼女はもちろん世間一般的に見れば、アイドルというイメージがほとんどだと思う。しかし俺は世間のイメージと少しだけ違う。
「いや、ほんとお久しぶりです。一年ぶりくらいですかね? 仕事をやめたって話は聞いてたんですけど、まさかアイドルになってたなんて」
「ふふっ、まさか私も仕事をやめてアイドルになってるなんて、あの時は考えもしなかったわ」
実を言うと、俺と和久井さんは同じ会社で同僚だったのだ。年齢も同じで最初に配属された部署が同じだったので顔見知りになり、自然と話すようになったのである。
仕事をやめた経緯は知らないけど、こうしてまた会えたのには驚きだ。連絡先も知っていたのだが、やめた人に連絡するのも気まずかったので特に連絡も挨拶もしていなかったのである。和久井さんが会社を辞めるときにはもう部署も違っていたしな。
アイドルに転身した事はもちろん知っていた。しかし、一般人がアイドルに連絡するのはまずいかなと感じて何もしていなかったのである。
それが、まさかこのような形で再会するだなんて……。人生、何が起きるか分からないものである。
「あら? 和久井さんは笹島さんとお知り合いだったんですか?」
ビールを運んできた店主が不思議そうに尋ねてくる。
「そうなの。実は私が以前勤めてた会社の元同僚でね」
「はい。和久井さんが退社されてからは全く連絡なんかも取ってなかったんですけど、今日偶然一緒になったんです」
「そうだったんですか! 久しぶりにあったことで色々話すこともあるでしょうから是非、ゆっくりしていってくださいね」
店主のありがたい言葉にうなずきつつ、俺と和久井さんはグラスを掲げる。
「それじゃあ、久しぶりに会えたということで乾杯」
「乾杯」
グラスを合わせる俺達。和久井さんとは同僚時代に飲みに行くことはなかったので、グラスを合わせるのは初めてである。なんか新鮮。
ビールを喉に流し込んだ俺は改めて口を開く。
「それにしても、本当に驚きましたよ。和久井さんがアイドルとしてテレビに映ったのを見た時、思わず飲み物を噴き出しましたから」
あの時はお茶を噴き出し、テレビを3度見くらいした。いや、だって顔見知りが歌って踊ってたんだもん。そりゃ、驚きもするって。
「あら、恥ずかしいところを見られちゃったかもね」
「いや、全然そんなことなかったですよ。むしろ、仕事をしていた時よりもいい表情だったので安心しました」
「ふふっ、そう見えたのなら良かったわ。多分、それはプロデューサーのお蔭ね。あの人が私を拾ってくれなかったら今の私はいなかったから」
「プロデューサーが?」
「そう、プロデューサーが。荒んだ気持ちでいた私を拾ってくれた日の事はよく覚えてるわ。まぁ、最初は半分ヤケだったんだけどね」
その後、和久井さんはアイドルになった日からこれまでを説明してくれた。取り敢えず分かったのは、彼女が今のアイドル活動を心から楽しんでいるということ。後、プロデューサーの事が大好きだということ。
多分、無自覚なんだろうけど今の話の中で『プロデューサー』という言葉を一生分聞いた気がする。
かつてはバリバリのキャリアウーマンで趣味もほとんどなかった人だったのでこうして色々な体験を、アイドルを通して経験しているということはいいことだ。
ただ、プロデューサーへ対する愛が重すぎる気がしないでもない。恩人だから仕方ないかもしれないけどさ。
「それでね、プロデューサーが――」
だけど、こんなに楽しそうな和久井さんを見るのも初めてだったので、これはこれでいいものだ。お酒が入ってより饒舌になっているから余計にそう思うかもしれないが、元気そうにやっていてくれて俺も嬉しくなる。
「……ふぅ。ごめんなさいね、私ばっかり話しちゃって」
「いえ、気にしないで下さい。アイドルになってからの話は新鮮なことばかりだったので面白かったですよ」
「それなら良かったわ。それにしても、笹島君はどうしてこのお店を知っているの? お世辞にもあまり目立つようなお店じゃないと思うんだけど?」
「あっ、実はですね――」
俺は和久井さんにこのお店に来ることになった経緯を説明する。
「なるほど、だからこのお店を知ってたのね」
「はい。まぁ、知ることになった経緯はアレですけど」
「いいんじゃないかしら、それに関しては。結果的に美優ちゃんたちと知り合いになれたわけだし」
否定できないから困る。俺は二杯目のビールを喉に流しつつ、複雑な表情を浮かべた。
「確かにそうですけど……うーん」
「何も悩むことなんてないわよ。アイドルと知り合える機会なんて滅多にあることじゃないんだから。それに、笹島君は美優ちゃんを助けてくれたわけでもあるんだし、気に病む必要なんて全くないのよ。むしろ、この際だからその立場を存分に利用しちゃえばいいんじゃない?」
「流石にそんな事をしたら怒られちゃいますから……」
「ふふっ、それもそうね」
四杯目に頼んだワインを口にしつつ、楽しそうに笑う和久井さん。俺は困ったように頭をかきながらも、笑顔を浮かべていた。
笑顔が増えたなと思っていたけど、性格もかなり丸くなった気がする。ストイックな姿しか見ていなかったからこそ余計に。あとは少しお酒が回り始めたのか饒舌になっている気が……。
ガラガラガラ 「いらっしゃいませー」
すると、またお客さんが入ってきたようだ。俺たちが振り返ると見知った顔が二つ。
「あらっ、留美ちゃんと笹島君じゃない。……えっ、どんな組み合わせ?」
「…………」
俺たちを見た川島さんが困惑の表情を浮かべている。三船さんは三船さんで笑顔を浮かべたまま固まってるし。どうしたというんだろう?
「瑞樹さんに美優ちゃん。今日はお仕事が一緒だったの?」
「ま、まぁ、そうなんだけど、ちょっといいかしら。質問に答えてほしんだけど、どうして二人が一緒に?」
川島さんの問いかけに和久井さんは少し考えた後、妙案を思い付いたとばかりの表情を浮かべる。
「大したことではないのだけど、して言うなら……秘密の会談とでもいうべきかしら?」
ピシッ、と音がしたのは俺の聞き間違いではないと思う。空気が一気に重たくなった。三船さんの笑顔が引きつり、口元がひくひくと動いている。
ちなみに川島さんは目を伏せ、俺はあまりの空気の変貌に顔を青ざめさせている。この空間で楽しそうなのは和久井さんだけだ。この人、絶対酔ってる。
「ち、違うんですよ。俺と和久井さんは元々同じ会社で働いていた同僚なんです。今日会ったのもたまたまで――」
ひとまずこれ以上空気がまずくなる前に、今日和久井さんと出会った経緯を二人に説明する。
「……なるほど、そういうわけだったのね」
頼んだ日本酒を口にしつつ、川島さんが頷く。俺たちはカウンター席から座敷の席へと移動して来ていた。四人だとカウンター席で話しにくいからである。
「はい。だから別に秘密の会談をしていたわけではないので」
「まぁ、笹島君の事だからそれはないと思ってたけど、流石に元同僚だったって言うのには驚きね。美優ちゃん的にはホッとしたって感じかしら?」
「ちょ、ちょっと瑞樹さん! 笹島さんも、何でもないですからね!?」
「は、はぁ……」
川島さんの言葉に三船さんが顔を赤くして声を上げる。そして意味の分からない俺は気の抜けた返事を返す。
ちなみに、必死の説明によって三船さんへの誤解は無事に解けていた。ほんと三船さんの引きつった笑顔は怖かったです(小並感)。
「あらあら、美優ちゃんってば私に笹島君をとられちゃったと思って嫉妬しちゃったの?」
「嫉妬?」
「ち、違いますよ!! 留美さんってばやっぱり結構酔ってるみたいですね!! だから笹島さんは何も気にしなくて大丈夫ですから!」
「あ、はい」
あまりの迫力に俺は頷くしかない。普段が大人しい人なので結構な迫力がある。
「だけど、笹島君は結構な優良物件よね。誠実だし顔も悪くないし有名な企業で働いてるし……私もあの人がいなかったら狙ってたかも」
「ちょっと和久井さん、近いですって」
酔ったせいで距離の近くなった和久井さんから何とかして距離をとる。同僚だった時はクールな印象しかなかったけど、酔うと中々にめんどくさい。
もしかして、案外こっちの方が本来の和久井さんだったりして。
「…………」
三船さんがめっちゃ睨んできている。確かにアイドルと距離が近いのは色々まずいですよね。
なので川島さんに助けてもらおうとしたら、自分は関わらんとばかりに日本酒を飲んでいた。助けてくださいよ。
「あらっ? グラスが空よ笹島君。私が注いであげるからどんどん飲んで頂戴。アイドルにお酒を注いでもらうなんて笹島君も幸せ者ね」
「す、すいません」
空になったグラスにビールを注ぐ和久井さん。幸せ者と自分で言ってしまうあたり、結構酔いが回っているのだろう。
「…………」
そして、俺たちの光景を見てさらに機嫌を悪くする三船さん。さっきからこのやり取りを繰り返しているだけのような気がする。
頬を膨らませているだけなら微笑ましいのだが、手に握ったコップをぎりぎりと力いっぱい握り締めているから笑えない。
「さて、次は何を頼もうかしら?」
川島さんは完全に無視を決め込んだみたいだ。メニュー表を見て次に注文する料理を考えている。いや、ほんとマジで助けてくださいよ。
「……笹島さん」
「は、はい」
注がれたビールを飲み干したところで三船さんが口を開く。片手には先ほど和久井さんが注いでくれた瓶ビール。
「グラスが空みたいですから注ぎますよ」
「えっ、でも今さっき飲み干したばかり――」
「注ぎますね」
有無を言わさない口調でグラスに注がれるビール。さっきから結構飲んでてお腹タプタプだけど……これで飲まなかったら三船さんがもっと機嫌悪くなりそう。
仕方なく、俺は注がれたビールを飲み干す。お酒が弱くなくてよかった。
「いい飲みっぷりね。ほら、料理もあるから」
そう言って和久井さんが料理の入った小鉢を差し出してくる。どうやら注文したものを小分けにしてくれていたらしい。酔っていても気遣いができるのは流石の一言だ。
「ありがとうございます。……あっ、美味しいですね」
「ふふっ、そうでしょ?」
普段のクールな表情ではなく、やわらかい笑み。目つきがきついと悩んでいるみたいだけど、今は全くそのコンプレックスを感じない。
これ、和久井さんのファンが見たらあまりのギャップに卒倒する気がする。
「…………」
こっちもギャップ萌えといったらそうなんだけど……。三船さん、そんな怖い表情で睨みつけないで下さい。
「……笹島さん、こっちの料理も美味しいですよ?」
そして、和久井さんと同じく料理を取り分けて俺に差し出してくる三船さん。これも断れるわけがないのでありがたく頂戴する。
美味しいは美味しかったんだけど、お腹がタプタプだったので少し苦しかった。
「すいません、注文お願いしまーす」
「はーい。ところで、川島さんは三船さんたちの会話に混ざらなくていいんですか?」
「今混ざってもいいことなんて一つもないもの。むしろ、悪いことしかないわ。それにきっと笹島君が何とかしてくれると思うから大丈夫よ。それより注文を……」
何とならないから困ってるんですけど……。しかし、川島さんは注文を終えてから再び日本酒を飲み始めてしまったため、助けは期待できそうにない。
(今日は厄日だったのかも……)
傍から見ればアイドル三人と飲んでいる、羨ましい光景なんだけどなぁ。どうしてだろう。胃が痛い。
そんなわけで、微妙な雰囲気のまま飲み会は進んでいくのだった。
☆ ★ ☆
色々と波乱の多かった居酒屋『しんでれら』からの帰り道。
「笹島さん」
「はい、なんですか?」
「留美さんとお知り合いだったんですね」
マンションへ向かって歩いていたのだが、なんか三船さんの声色がとげとげしている気がする。表情も心なしか怒っているように見えるし。というか、絶対に怒ってる。
一応、和久井さんに出会った経緯から何から居酒屋で説明したんだけどな……。寄った和久井さんとのやり取り以降、彼女はどうにも機嫌が悪い。
三船さんがこんな風に感情を前面に出すのは比較的珍しいことである。
「いや、まぁ、しんでれらでも言いましたけど元同僚だったものですから」
「随分、和久井さんと仲がいいみたいですね」
仲がいい、をやたら強調された気がする。
「そんなに仲がよさそうに見えましたか?」
「はい、見えました。とっても、見えました」
冷めた視線を向けてくる三船さん。俺からしてみれば久しぶりに会ったので話が弾んだ程度だったんだけど……。
同僚時代は仕事の話や世間話こそすれど、プライベートの話なんてほとんどしなかった記憶がある。あの時はお互い、仕事に一生懸命な時期だったからな。
「連絡先もお互いに知ってるみたいですし!」
「い、いや、それも同僚の時に交換したんで。でも連絡は全く取ってなかったですし、そもそも合うこと自体一年以上ぶりくらいでしたから」
「いいですね、和久井さんのような美人な方の連絡先を知っていて!」
プンプンと怒る三船さんにタジタジの俺。正直、何に対して怒っているのかよく分からない……。怒っている理由さえわかれば対処法もあると思うんだけど。
「み、三船さん――」
「つーん」
俺の言葉を遮るようにそっぽを向く三船さん。……ヤバい、無視されてるのに滅茶苦茶可愛いと思ってしまった。「つーん」って、本当に可愛い人で困る。普段とのギャップもあり、魅力が二倍増しだ。
しかし、いつまでも可愛い三船さんに萌えている場合ではない。相変わらず理由は分からないけど、男女で揉めた時は男から謝ると相場は決まっている。その為、俺は改めて三船さんに向かって頭を下げた。
「すいません、三船さん」
「……じゃあ一つだけお願いを聞いてくれませんか?」
三船さんの言葉に俺は頷く。一つだけ言うことを聞くだけで機嫌を直してくれるならそれに越したことはない。
「分かりました。それでお願いとは?」
「連絡先を交換しませんか?」
……お願いって連絡先の事だったのか。
連絡先については俺が頑なに拒否している。一緒に帰り路を歩いている時点で十分アウトかもしれないが、連絡先まで貰ってしまえばファンとアイドルという関係が崩れかねない。
だからこそ俺は連絡先の交換を渋っていたのだが……。
「で、でも、流石に一般人で昔からの友達とかでもない俺と連絡先を交換なんて……」
「……さっきお願いを聞いてくれるといった時に、分かりましたと言ってくれましたよね?」
うぐっ……その上目遣いと声色は反則だ。あまりの可愛さに心臓発作を起こしそうになる。更に言質を取られていたためどうすることもできない。
ささやかな抵抗空しく、動揺を隠せない俺に三船さんは更に畳みかける。
「うそ、ついたんですか?」
「……交換しましょう」
その言い方、ほんとずるいですって……。俺はがっくりと肩を落としながらスマホを取り出す。
一方、先ほどまで涙目だった三船さんはすっかりご機嫌の様子だ。これだから女って怖い。
「それじゃあQRコードを出してもらって、友達追加してもらったら完了ですね」
「はい、わかりました。それじゃあ友達追加をして……できました!」
スマホの画面を見せてきて嬉しそうな三船さんとは対照的に、俺は乾いた笑いを浮かべる。
もちろん、大ファンである三船さんの連絡先を貰えたことは冗談抜きで嬉しい。ただ、それ以上にやってしまった感が強いのである。これ、文〇砲とかの餌食になったら社会的に死ぬんじゃ?
「ふふっ♪ これでいつでも笹島さんに連絡ができますね?」
「ま、まぁ、確かにそうですね……」
だけど、三船さんが嬉しそうだからいいや。あと、その言い方は間違いなく色々と勘違いするから言葉を選んでほしい。思春期の男子が聞いたら全員が全員勘違いしそうだ。
「それじゃあ、改めて帰りましょうか」
ニッコリと微笑んだ三船さんと、心配事の増えた俺は再び帰り道を歩き始める。
そんなわけで俺と三船さんは連絡先を交換しました。
☆ ★ ☆
「それにしても、笹島君と留美ちゃんがまさか会社の元同僚だなんて思いもしなかったわ」
「私も予想外の再会だったからね。それにしても……美優さんは笹島君の事を?」
「ご名答よ。ただ、留美ちゃんと仲良くしてるのを見て嫉妬しちゃったかもしれないけど」
「ふふっ、それは美優ちゃんに悪いことをしちゃったかしら?」
「ううん、むしろ仲が進展しそうだから助かったわ。……あと、お酒はそれくらいにね留美ちゃん」
「大丈夫よ、私はまだ全然酔ってないもの。それよりも私のプロデューサー君との関係について――」
「……どう考えても酔ってるじゃない」
美優と健一が帰った後、残った瑞樹と留美がカウンター席で一緒にしっとりとお酒を飲み交わしていたとか。
ちなみに和久井さんのプロデューサー話はそれから一時間以上続いたらしい。
毎日、無料1連で三船さんの限定を待つ日々(なお、引けてない模様)。
三船さんからプレゼントをもらってクリスマスを一緒に過ごしたい人生だった(白目)。
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お出掛け
さて、三船さんと連絡先を交換してから数日が経過した。季節もうつろい、本格的な梅雨のシーズンに突入したところだった。毎日が雨や曇りの日ばかりで洗濯物が乾かず、じめじめとした蒸し暑さも相まって嫌になる。
三船さんと一緒に紫陽花を見に行こうと誘われたのも、そんな雨の降る日だった。
「紫陽花ですか」
『はい。丁度テレビで特集が組まれていて、見に行ってみたいと思ったので』
電話越しの三船さんの声が少しだけ弾んでいるような気がする。今はちょうど三船さんが話したいことがあるとのことで、電話をかけてきたのだ。
そして話したいことというのが、紫陽花を見に行こうというお誘い。
三船さんの言う通り、紫陽花は梅雨のシーズンが一番の見ごろであり、最近はよくテレビなどで特集が組まれていたのだ。梅雨の時期なんか絶対に外へ出たくないと思う俺でも見に行ってみようかなと思うほど。あまり土砂降りの日に行くもんじゃないけど、小雨くらいならば問題なく楽しめるだろう。
ちなみに連絡先を交換してからは、ちょくちょくメッセージアプリでやり取りをしていたりしていた。ただ、電話でのやり取りは今日が初めてである。
どうでもいい話でもあるが、三船さんはメッセージの返信がえらく速い。流石に仕事中は帰ってこないけど、時間がある時は一分もしないうちに返信が来る。
「だけど大丈夫ですか? 結構有名な観光地みたいで、顔がバレたら大変なことになると思うんですけど」
『この先はしばらく雨予報なので問題ないと思いますよ。それに傘もさしますし、何より周りの方は紫陽花に夢中だと思いますから』
自信満々の三船さん。彼女の考えは決して肯定できないけど、否定もできないから困る。デパートに出かけた時も思ったけど、普通にしてたら意外とバレないんだよなぁ。この前のデパートでのデート(?)でもそうだったように。
アイドルがこんなところにいるわけないと思われるのか、はたまた男といるなんて考えられないのか。どちらにせよ、不思議なものである。
「うーん、いや、しかし……」
『いや、ですか?』
やめてください三船さん。電話越しにそのお声は、俺の身体に大ダメージを与えます。
顔が見えなくてもしゅんとする三船さんの様子が目に浮かんできてしまう。そうすると申し訳なさで断れなくなるのだ。ほんと、女性って怖い。
「……日時は?」
『っ! えっとですね、〇曜日の○時でいかかでしょうか?』
でも、三船さんの嬉しそうな声が俺のちっぽけな不安をどこかへ吹き飛ばしてくれるから問題はない。
というわけで、俺と三船さんは紫陽花を見に出かけることになった。
☆ ★ ☆
そして当日。梅雨というだけあって生憎の雨模様だが、紫陽花を見るのならば雨の方が都合がいいといえるだろう。
「ふふ、楽しみですね笹島さん」
さらに、隣にはノースリーブタイプのワンピースを身に纏った三船さんがいるという奇跡。ワンピースも薄紫色ということで、紫陽花じゃなくて隣を見てればいいんじゃないかという錯覚に陥ってしまう。
それ程までに、今日の三船さんはお美しい。隣で並んで歩くのが本当に俺でいいのかと不安になるくらい。……今日の服装、どこかで見た事あると思うんだけど俺の気のせいかな?
「そ、そうですね。俺も楽しみです」
そして、俺は柄にもなく緊張している。全く、彼女との初デート時の男子中学生じゃないんだから……。
ちなみに現在は最寄り駅に到着し、紫陽花の名所である場所まで歩いている最中だ。途中、チラチラと視線を感じたけどアイドル三船美優に気付いているというよりも、その美しさに目が移ってしまうといった感じである。
中には彼女がいるにもかかわらず、三船さんに目移りしていた男性もいたくらいだし……。その人は彼女の女性に耳を引っ張られてました。
まぁ、服装的に三船さんのスタイルの良さが存分に出てしまうので仕方がない。どことは言わないけど主張が強い部分もあるしね。
「それにしても、今日は予報よりも雨が弱くてよかったですね」
「はい。予報だともっと強くなるはずだったので外れてくれて助かりましたよ」
三船さんの言った通り、今日は雨でも土砂降りといった予報だったのだ。土砂降りで紫陽花を見てもなぁ、と思っていたので予報が外れてくれた良かったというわけである。
「土砂降りの予報だったので人も少なめで助かりました」
「確かに、あまりに人が多いと三船さんだってバレるかもしれませんから」
「バレそうになったら笹島さんが私を守って下さいね?」
「ま、任せてください!」
ニッコリと微笑む三船さんに俺は自信がないながらも頷く。最悪、俺はどうなってもいいから脱出ルートをある程度考えておかなければ……。
すると、そこで三船さんが服の袖を掴んでもじもじしている姿が目に入る。
「あの~、それでですね、1つ笹島さんに聞きたいことがあるんですけど」
「はい、なんでしょう?」
「……ど、どうでしょうか?」
「……何がですか?」
思わず素でツッコミを入れると、三船さんの顔が赤く染まる。そして怒ったように少しだけ頬を膨らませた。
可愛い……じゃなくて、俺は何かまずいことでも?
「きょ、今日の服装についてです!」
「あっ……あー、そうですよね。三船さんの服についてですよね!」
「……本当に分かってました?」
「分かってました、分かってました。あはは……」
ジト目の三船さんに俺は頭をかきつつ、乾いた笑いを浮かべる。気付かなかったとはいえ、ラノベ主人公みたいなことを言ってしまったのは大いに反省しないと……。
「全くもう……そ、それで、改めてどうでしょうか?」
「え、えっと、そうですね……とてもよくお似合いかと」
元がいいので何を着ても似合うと思うのだが、今日の服装は先ほども言った通り雰囲気にとてもあっている。346プロでカレンダーなんか出すときには是非とも、6月に今の三船さんを姿を抜擢してほしいものである。実際に発売されたら観賞用、保存用、布教用として購入する予定だ。
しかし、三船さんはお似合いといっただけでは不満だったようで、
「ほ、他には何か気づきませんか?」
「他に、ですか?」
「はい、他にです! 多分、あることに気付くと思うんですけど」
今日の三船さんはやけにグイグイ来るなぁ。おかげで距離が近くなって心臓に悪いこと悪いこと。
しかし、これは下手に誤魔化せないだろう。どうやら三船さんは、今日の服装で似合っていること以外に何かを言ってほしいみたいだし。
俺はもう一度、三船さんの服装に目を通し……やっとどこかで見た事あるなと思った事の理由に気付く。
「……あ、もしかして今日の服って、以前俺とショッピングモールへ行ったときに買った服ですか?」
「当たりです! もう、忘れているのかと思って少しだけショックでしたよ?」
「す、すいません。既視感には気付いていたんですけど、あまりに今日の服と雰囲気がぴったりだったので、すっかり忘れていました」
人ってテンパると最近の事でも思い出せなくなるんだな。自分の意見で買ってもらったのに、最初見た時に気付けなくて申し訳なくなる。
「雰囲気とピッタリ……ふふっ♪」
「三船さん?」
「何でもないですよ。それじゃあ改めて行きましょうか!」
上機嫌になった三船さんが歩き出し、慌ててその後を追う俺だった。
☆ ★ ☆
目的の場所はやはり、前日の天気予報の影響か思ったよりも人は少なかった。しかし、人がいないわけではないので油断はできない。
ただ、あまり気にし過ぎてもしょうがないのでほどほどにして俺も楽しむことにしよう。せっかく、三船さんと二人きりなわけだし。
「わぁ! 初めてきましたけど、落ち着いていてすごくいいところですね」
本人も目を輝かせて楽しそうだしね。しかし、目を輝かせるのも分かる気がする。紫陽花の名所とはいってもそんなに咲いてないんじゃないかと思ったら、予想以上に咲き乱れていて驚いた。
これは確かに、遠出をしてまでも来てみたいところだな。雨が降っていると余計に紫陽花が美しく感じるし。
「雨の雫が紫陽花に触れてとても美しいですね」
三船さんが咲いている紫陽花の前に屈み、感嘆の声をもらす。思わず美しいのはあなたの方ですと、とても臭いセリフを言いそうになってしまった。
いや、何度でもいうけど本当に周りの雰囲気と今日の三船さん、ぴったりすぎるんだよ……。
「笹島さんも見てみませんか?」
「そうですね」
三船さんばかり見ていも仕方がないので、俺は改めて彼女の隣に屈み咲いている紫陽花に視線を移す。今まで紫陽花をじっくり見る機会なんてなかったので、なかなか面白い。
「確かに、とても綺麗ですね」
「水色と紫色のグラデーションがとても素敵です」
そう言って三船さんが頬笑みをもらす。気付くと俺と三船さんの距離は大分縮まっていたらしい。割と近い距離の所に三船さんの整った顔がある。
先ほど、三船さんばかり見ていてもといったばかりだが、それでもやっぱり見惚れてしまう。大ファンである以前に、ドンピシャのタイプなのだ。彼女が隣にいるなんて本当に夢のような光景で……。
「あ、あの……そんなにじっと見られると、恥ずかしいのですが……」
恥ずかし気に頬を赤らめる三船さんに、俺は現実世界へ引き戻される。やばい、あまりに綺麗だからつい見惚れてしまった。
「す、すいません。人の顔をじろじろと見てしまって」
「ほ、ほんとですよ! 見るなら私の顔じゃなくて紫陽花にしてください」
「そうですよね。せっかく紫陽花の名所に来たんだから紫陽花を見ないと」
「……それに私の顔は何時でも見せてあげられますし」
「えっ? なんて言ったんですか?」
「何でもありませんよ。それじゃあ散策を再開しましょうか。奥の方がこの辺りよりももっと咲いているみたいですから」
入り口付近だけでも十分に満足できるほどなのだが、奥の方がさらにすごいらしい。順路に沿って歩いていくと、道の周囲には入り口付近より多くの紫陽花が咲き乱れていた。
「いやー、これは壮観ですね」
「はい、写真で見るより何倍もすごいです!」
いうなれば紫陽花の道とでもいうべきだろう。そのまんまな言い方だけど、それ以外に良い言い方も思いつかないので許してください。
そんな紫陽花の道を二人で会話をしつつ、のんびりと歩いていく。
「私、雨の音が好きなんです。落ち着きます……あまり強く降られても困りますけど」
「何となく分かりますね。家の中から聞こえる雨の音とか、傘にあたる雨の音とか」
「ふふっ、分かってもらえて嬉しいです。静かで、すごくリラックスできるんですよね」
「雨の音を紫陽花に囲まれながら聞くっていうのも、なかなかない経験ですから」
「そう言ってもらえると、誘ったかいがあって嬉しいです♪」
微笑み三船さんにつられて俺も笑顔を浮かべる。むしろ俺の方がありがたいと思っているのは内緒だ。
「ところで笹島さんの出身は東京ですか?」
「はい、そうですよ。大学までは実家に住んでたんですけど、就職を機に一人暮らしを始めたんです。いつまでも親に甘えているわけにはいかないですから」
加えて、実家から今の職場が微妙に離れていたことも理由の一つである。毎日毎日、満員電車に揺られながら通勤するのが嫌だったからな。あれに巻き込まれるくらいなら多少、値は張っても近くに住みたいと思う。
「三船さんは確か東京の出身じゃないですよね?」
「はい。私は岩手県の出身で、以前勤めていた会社の関係で今のマンションに住み始めたんです。もしかすると私たちは随分前に出会っていたのかもしれせんね」
こんなに綺麗な人、一目見たら絶対に忘れないと思うんだけどな。ただ、俺も入社したての頃はそんな余裕はなかったので見逃していたのかも。三船さんは人付き合いが苦手だったと言ってたから、雰囲気も今とは全然違っているだろうし。
普段はしない世間話に花を咲かせながら、時間をかけて紫陽花を見て回ったところで三船さんが口を開く。
「笹島さんがよろしければ、このあたりのお土産屋さんを回りませんか? 事務所のみんなへのお土産も買っていってあげたいなと思っていて」
「はい、もちろん構いませんよ。俺も少しお土産屋を覗いてみたいと思っていたので」
最終的に買わなくても、お土産屋を覗いて色々物色するのは楽しいものだ。その土地ならではのお土産もあったりして、あっという間に時間が経ってしまう時もしばしば。
紫陽花の名所を後にし、俺たちは近くにお土産屋がないかとうろつく。
「あっ、笹島さん。あそこのお店なんていいんじゃないですか?」
「そうですね。じゃあ入ってみましょうか」
立ち寄ったお土産屋はあまり大きなお店ではないが、内装も外装もよいお店だった。二人でお土産を見ながら店内を歩く。
「事務所へのお土産はどうするんですか?」
「やっぱりお菓子が無難なところですかね。あまり高いものを買っていってもしょうがないですから。まぁ、お菓子を買っていっても人数の関係ですぐになくなってしまうのですけど」
「346プロのアイドル部門は人数が多いですからね。あっ、これなんかいいんじゃないですか?」
「どれですか?」
こうして並んでお土産を選んでいると、デート感が増して少しだけこそばゆい。もちろん、三船さんにそんな気がないのは分かってるけど、やっぱり意識しちゃうよな……。彼女がアイドルでなければフラれる覚悟で、告白の一つでもしていたかもしれない。
事務所へのお土産も無事に決まったところで三船さんが何かを見つめていることに気付く。えっと、あれはお守りかな?
「三船さん、お守りを買うんですか?」
「はい。ちょっと迷っていて……あっ、これなんて柄が可愛いですよね」
そういって三船さんが手にしたのは安産祈願のお守り。なんというか……うん。反応に困る。
俺が微妙な表情を浮かべていることに気付いたのか、三船さんは手にしていたお守りを確認して、
「あ、ち、違うんです! これはただ柄が可愛かっただけで!」
この人、どうしてこんなに可愛いんだろう? 慌てふためく三船さんに俺は気にしてませんからと首を振る。
ちなみにお守りは欲しかったみたいで彼女は迷った末、縁結びのお守りを買っていました。やっぱり可愛い。
お土産屋から出ると既に雨は上がっており、綺麗な夕日が辺りを照らしていた。お店の近くにも紫陽花は咲いており、雨上がりということもあって花びらについた水滴が宝石のように煌めいている。
「こうしてみる紫陽花もいいもんですね」
俺がスマホを取り出して写真を撮っていると、三船さんが「そういえば……」と呟く。
「笹島さん、写真を撮りませんか?」
「分かりました。それじゃあこっちに来てもらって」
「何をしてるんです? 一緒にですよ?」
「えっ、一緒にですか? てっきり三船さんだけで撮るのかと思ったんですけど」
「一緒に来ているのに一人で写ってどうするんですか? ほら、この辺りなんかすごくよさそうですよ!」
動揺する俺をグイグイと引っ張る三船さん。この細い腕のどこにこんな力があるんだろう?
なんてことを考えているうちに、三船さんはスマホを取り出して準備万端といった様子だ。こうなったらもうやけである。
それに、写真を撮るくらいなら多分大丈夫だ。三船さんなら安易にSNSなんかにもあげないだろうし。というか、あげられたら俺が社会的に死ぬ。
「じゃあ誰かに頼みましょうか……って、周りに誰もいませんね」
「周りに誰もいなくても大丈夫ですよ! この前、自撮りの仕方を美嘉ちゃんに教わったんです!」
まさかの自撮りだった。驚く俺に三船さんは得意げに胸を張る。
美嘉ちゃんは流石に俺でもわかる。カリスマ女子高生アイドルであり、雑誌かなんかで恋愛相談なんかもやっていたはずだ。そんな彼女に自撮りを教わる三船さん……滅茶苦茶可愛いな畜生。その様子があれば是非、DVD化してほしい。
「それじゃあ早速撮りましょうか。笹島さん、私の傍に」
「は、はいっ」
しかし俺はすぐに自撮りを認めてしまったことを後悔した。
「もっとくっ付いてください。画面に入ってないですよ?」
「い、いや、これ以上くっ付くのは……」
少し考えれば分かったことだが、距離がとんでもなく近いのである。誰かに取ってもらえればこんなに近づく必要はなかったのだが、自撮りだとどうしても距離を近づけなくてはならない。それが俺の心臓に多大なダメージを与えていた。
「もうっ! 笹島さんが近づかないなら私の方から近づきますからね?」
「えっ、ちょっとま――」
逡巡している暇はなかったらしい。三船さんの方から俺との距離を詰める。肩が触れ合い、顔も頬がくっつきそうなほど。しかも腕まで組まれた。
やめてくださいただでさえファンなのにこんなことをされたら勘違いして死んでしまいます。
「じゃあ撮りますよ。笹島さん、笑って下さい」
「は、はいっ!」
緊張する俺なんてお構いなしの三船さんは、スマホを俺たちに向けて掲げた。スマホの画面には頬笑みを浮かべる三船さんと、ぎこちない表情を浮かべる俺が映っている。
笑おうとは思っているのだが、距離が近すぎるせいか緊張しすぎて全く笑えない。それでも何とか笑みを浮かべたところでシャッターが切られる。
「はい、ちーず」パシャパシャパシャパシャ
まさかの連写だった。突然のことに俺は我慢できずに噴き出してしまう。
「ふふっ! な、なんで連写なんですか?」
「あ、あれっ? この前練習したときには普通だったんですけど……」
困ったように眉根をよせる三船さん。首を傾げながらスマホを操作する姿に再び笑いが込み上げてくる。
「も、もうっ! そんなに笑わないで下さい!」
「す、すいません。なんだかおかしくて……」
その後は笑いすぎて三船さんが拗ねてしまったけど、何とか宥めて俺たちは帰路についたのだった。言わなくても伝わると思うけど、三船さんとのお出かけは楽しかったです。
☆ ★ ☆
「わ、私ってば少しだけ強引に行き過ぎたかしら……」
その夜。自撮りの写真を見ながら一人、顔を真っ赤にして悶える美優の姿があったとかなかったとか。
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飲み会②
とある仕事終わりの日。
「お疲れ様です」
「あっ、三船さん。お疲れ様です」
「ちひろさんも、お疲れ様です」
私はちひろさんに頭を下げてから事務所のソファに腰掛ける。先ほどまでCMの撮影だったので、少し疲れてしまった。無事に撮影を終えたとはいえ、まだまだ撮影のお仕事は慣れないので大変だ。
そんな私は鞄の中からスマホを取り出し、とある写真を眺める。
「……ふふっ♪」
その写真というのが先日、笹島さんと紫陽花を見に出かけた時に撮った写真だった。よく撮れているので待ち受けにしてある。
頬笑みを浮かべる私と、少しだけぎこちない笑顔を浮かべる笹島さん。一緒に写真を撮ったのは初めてだったので、たまに眺めてはニマニマとしている。
この写真を眺めていると、次のお仕事も頑張ろうという気になるのだ。あとはよく疲れをいやしてもらっている。
「お疲れ様です……って、美優ちゃん。スマホ見ながらニヤニヤしてるけど、どうかしたの?」
「はわわっ!?」
後ろから声をかけられびっくりした私は、思わずスマホを落としそうになった。そんな私を怪訝な様子で見つめるのは声をかけてきた瑞樹さん。
な、何とかバレない様に誤魔化さないと。ツーショットの写真は流石の私でも恥ずかしいし……。
「な、なな、何でもないですから!」
「……ははーん。もしかして笹島さん関連の事なんでしょ? スマホを見ていたということは写真とかかしら?」
すぐにバレた。私の顔が赤く染まる。しかし、まだ完全にバレたわけではない。今から必死に抵抗すれば……。
「にゃ!? ち、ちが、ちがいましゅ!!」
噛んだ。痛い……。そんな私を、少し呆れた様子で瑞樹さんが見つめる。
「それだけ噛まれたらほぼ答えを言ってるようなものよ。ほんと、可愛いわね……それで、どんな写真を見てたのかしら?」
結局、瑞樹さんを誤魔化しきれなかったので写真を見せることになった。必然的にデートの説明もする羽目に。
「え、えっと、この前、笹島さんと二人で紫陽花を見に行ったんですけど――」
「ちょっと待って。いつの間に二人でデートに行ったのよ?」
「その、私からお誘いして……」
「美優ちゃんって、見かけによらず積極的なのね。前も、一緒に買い物に行ったとか言ってなかったかしら?」
「……だって、私から誘わないと笹島さんからは絶対にお誘いしてくれませんし」
もうそろそろ笹島さんの方から誘ってきてくれてもいいのに……。話しながら思わずむくれてしまう。
「まぁ確かにそうだけど、よく美優ちゃんの方から誘ったわね。いつもの美優ちゃんだったら考えられないんだけど」
「そ、それは……どうしても行きたかったので」
「ほっんとに、可愛いわね美優ちゃんは!!」
「川島さんは何を騒いでいるんですか?」
「あっ、プロデューサーさん。お疲れ様です」
興奮気味の川島さんの後ろから顔を出したのはプロデューサーさん。私だけじゃなく、どちらかというと年齢層が高めのアイドルと担当している。具体的に言えば早苗さんとか心さんとか。
奈々さんも担当してるはずだけど、彼女は17歳なのでどうして彼が担当しているのかはよく分からない。
「三船さんもお疲れ様です。で、どうかしたんですか?」
「い、いえ、別に大したことはないですよ!?」
「……大したことがなければ、そんなに目は泳がないと思うんですけど? もしかして、何かトラブルに巻き込まれたとか!?」
「はわわっ!?」
「まぁ、プロデューサー君になら話しといてもいいんじゃないかしら? 後になって、どうのこうの言われても困るしね」
川島さんの言うことも一理あったので、私は笹島さんのことを話すことに。しかし、
「三船さんに男!? 許せん、純情な三船さんをたぶらかして……どこのどいつだ、そのスカポンタンは!?」
人柄の良さは伝わらなかったみたいだ。今度はプロデューサーさんが興奮気味に声を上げる。恐らく、男という単語に過剰反応しているのだろう。
「落ち着いてプロデューサー君。笹島君は間違いなくいい人よ。それは私とか、楓ちゃんとかが立証済みだから。あとスカポンタンなんて、通じる人の方が少ないと思うわよ」
「そ、そうなんですか? だけど、やっぱり心配ですね。その人は三船さんのファンなんですか?」
「まぁ、さっきも話した通り大ファンなんだけど」
「余計に心配になってきましたよ……。ほら、ファンの方の大抵はいい人なんですけど、一部過激な人や思い込みの激しい人もいますし。三船さんに危害が加わるようなことがあれば、どう謝っていいか分かりません」
確かにプロデューサーさんの言う通り、世間では勘違いしてアイドルや芸能人にストーカーまがいの事をする事例が度々発生している。
私たちも注意しているとはいえ、気付かぬうちに巻き込まれてしまっても不思議ではない。
「で、ですが、笹島さんは本当にいい人で――」
「そういう男に限って、裏では何を考えてるか分からないものなんです。もしかしたら、三船さんの優しさに付け込んであらぬことをしようとしてるかもしれませんし」
これはもう何を言っても堂々巡りだ。私は心の中だけでため息をつく。納得させるには、笹島さんと合わせる以外に方法がないと思うんだけど……。
「それなら、プロデューサー君が笹島さんと実際に会ってみたらどうかしら?」
まさに今考えていたことが瑞樹さんの口から飛び出した。私もびっくりしたけど、プロデューサーさんはそれ以上に驚いていた。
「えぇっ!? いや、流石にそれは……」
「私たちがいくらいい人といったところで、実際にあってみなければ信用できないでしょ? 美優ちゃんが説明しても納得しなかったみたいだしね」
「いや、まぁ確かにそうですけど」
「さっきも言ったけど、笹島さんと私は面識があるしきっと大丈夫よ。連絡は美優ちゃんがしてくれると思うから」
「れ、連絡先まで知っているんですか?」
「い、一応……」
「毎日、ラインでやり取りまでしてるくらいだし、今更よプロデューサー君」
「み、瑞樹さん!!」
確かに今更だけど、プロデューサーさんの前では恥ずかしいので内緒にしておいてほしかった。
「ラインで毎日やり取り……仲がいいのはいいことですけど、親密過ぎる気がしないでもないですね。やっぱり心配です」
「それならさっき言った通り、飲み会で笹島君を見定めればいいんじゃないかしら? 美優ちゃんは信頼している笹島君を否定されなくなるし、プロデューサー君は心配事が一つ消える。どっちにとってもメリットがある作戦だと思うけど?」
「うぐぐ……い、一理ありますね」
プロデューサーさんが川島さんに言いくるめられている。一応、彼の方が年上なんだけどなぁ。川島さんの方が年上に見えるから不思議。
「美優ちゃん、何か変なこと考えてない?」
「い、いえっ! 何も考えてないですよ!!」
察しが良すぎるのも困りものだ。一方、プロデューサーさんはしばらく頭を抱えていたのだが、
「……それじゃあ、三船さんと仲良くされている男性の方が良いとおっしゃれば」
「ありがとう! プロデューサー君の許可もとれたところで、美優ちゃん。サクッと笹島君が暇な日を聞いてみて頂戴!」
「は、はい!」
私がラインを送ると、15分ほどで返事が返ってきた。
「えっと、一週間後の夜なら大丈夫みたいです」
「ほ、本当に大丈夫なんだ……」
というわけで、一週間後に笹島さんとプロデューサーさんを含む飲み会が決定した。
☆ ★ ☆
さてとある休日。俺はとある用事で、居酒屋しんでれらに来ているところだった。
理由は、三船さんに誘われたからである。『この日の夜、一緒にお食事でもどうですか?』と。多分、他のアイドルの人もいるんだろうな、とぼんやり考えながら指定された「しんでれら」に足を運んだというわけである。しかし、
「…………」
目の前には、俺に厳しい視線を向けるスーツ姿の男性が。これは想定外過ぎたので流石に面食らってしまった。
その隣には三船さんがいて、俺の隣には川島さんが座っている。まだ自己紹介を済ませていないので誰なのかははっきりしないけど、恐らくどちらか、もしくは両方のプロデューサーなのだろう。
……どうして俺を睨みつけてるのかだけは分からないけど。俺、初対面だけどこの人に恨まれるようなことしたっけ?
「さて、全員揃ったし早速始めましょうか! あっ、プロデューサー君と笹島さんは初対面だから名刺交換だけしちゃいましょう」
乾杯前に川島さんの一言で、取り敢えず名刺交換だけは済ませることに。彼の名刺を確認すると、やはり346プロに勤めるプロデューサーさんだった。
「へぇ、確かこの会社は楓さんがCMを務める……な、なかなか良い会社にお勤めで」
「は、はぁ。ありがとうございます」
ぐぬぬ、となぜか悔しそうなプロデューサーに間抜けな返事を返す俺。会話がかみ合っていない気がしてならない。たまらなくなった俺は、隣に座る川島さんに小声で話しかける。
(か、川島さん。さっきからプロデューサーさんと全然噛み合ってないんですけど、俺何か気に障るようなことしました?)
(今のところは別に分からなくても大丈夫よ。笹島君はいつも通り、自然体でいて頂戴!)
大丈夫じゃないはずなんだけど、俺は川島さんに言われた通り自然体でいることにする。……三船さん、俺と川島さんは別に変な話をしていたわけではないので、冷たい目で睨まないで下さい。
名刺交換をしている間にお酒と料理が運ばれてきていたので、俺たちはジョッキを掲げる。乾杯の音頭はもちろん川島さんだ。
「それじゃあ改めてかんぱーい!」
カチンッ、とグラスを合わせてビールを半分ほど飲み干す。そして料理を摘みつつ、10分ほど歓談したところで、
「さて、まずは笹島さんにいくつかお聞きしたいことがあるのですが……三船さんとはどのような経緯で出会ったのですか?」
そう言ってプロデューサーさんが目を光らせる。まるで尋問をされているような気分だ。しかし、プロデューサーさんからの質問で、何となくここに呼ばれた意味を理解する。
恐らく、何らかの要因でプロデューサーさんに俺と三船さんが仲良くしていることがバレた。そして、仲良くしている俺の素質を見抜くために今日の会が開かれた。こんなところだろう。
「えっとですね、まず俺と三船さんは部屋が隣同士だったんですけど……」
「隣同士!? やっぱりストーカーじゃ!?」
「落ち着いてプロデューサー君。まだこんなの序の口よ」
「序の口!?」
びっくりするプロデューサーさんに、頬を赤らめて下を向く三船さん。これは説明するのに相当労力を使いそうだな。出会った経緯とかとんでもないわけだし。
「……すいません。興奮してしまった。取り敢えず話を進めてください」
「は、はい。それで三船さんと初めて会ったのは、俺の部屋の廊下なわけですけど」
「ふぁっ!? 部屋の廊下!?」
うん、プロデューサーさんの反応が普通だよね。説明を間違えたら、俺が三船さんを部屋に連れ込んだ変態だと思われかねない。その辺は川島さんがうまくフォローしてくれるから大丈夫だろうけど。
「へ、部屋の廊下とういうのは一体どういうことでしょうか?」
「俺の口からじゃ信じてもらえないかもですけど、実は三船さんが俺の部屋に間違えて入って来てしまったんですよ。それも、かなり酔っていたみたいで」
「あっはっは。笹島さんは冗談がお上手ですね。いくらなんでも、三船さんがそんな醜態を晒すわけがないじゃないですか。早苗さんとか佐藤さんとかじゃあるまいし。ねぇ、三船さん?」
「…………」
「三船さん?」
「す、すいません。全て本当のことなんです……」
真っ赤になった顔を両手で覆う三船さんを見て、プロデューサーさんは愕然とした表情を浮かべる。あとさっきのセリフ、早苗さんとか佐藤さんに怒られるぞ。
「私が酔っぱらったばっかりに笹島さんにご迷惑を……」
「……うそだ。嘘だと言って下さいよ三船さん!!」
「うぅ……本当にすみません」
「嫌だ、俺はそんな話信じないぞ!!」
「残念ながら本当の話よ。というか、プロデューサー君が信じてくれないと先に進まないから、早いところ現実を受け入れて頂戴」
淡々とした口調の川島さんに、プロデューサーさんは遂にがっくりを肩を落とした。まぁ、なかなか信じられる話じゃないよね。
「……それで、三船さんが部屋に入ってきた後はどうしたんですか?」
「話すと長くなるんですけど――」
俺が三船さんが部屋に入ってきた時の状況から、次の朝のことまで説明する。そして全てを説明し終えると、
「な、なるほど、そんな経緯が……」
プロデューサーさんはしばし呆然としていたのだが、現実を受け入れるように短く息を吐いた。ようやく踏ん切りがついたのだろう。
そして、俺に向かって頭を下げてきた。
「すいません。先ほどまでの数々の無礼、どうかお許しください」
「い、いやいや! 頭を上げてください。俺は全然気にしてませんから!!」
彼がいうほど無礼を働かれた覚えもない。いうなら、最初に睨まれたことくらいだ。むしろ、物わかりが良すぎる人だと思う。それに、担当アイドルが見ず知らずの男と仲良くしていたら心配するのは当然のことである。
「だけど、なかなかいませんよ。女の人が、しかもアイドルの三船さんが部屋に入ってきて手を出さないような男性は」
「いやもう、あの時はひたすら気が動転していたので。それにどちらかというと、恐怖の方が勝っていましたから」
「その節は本当にご迷惑を……」
「い、いえっ! その事はもう全然気にしていませんから。むしろ三船さんと知り合えてラッキーくらいに思っていますし!」
三船さんが泥酔して俺の部屋に入ってこなければ、今のような飲み会だって実現してなかったわけだしな。本当に人生とは分からないものである。
「も、もうっ! ……ラッキーなら私の方がよっぽど――」
「よっぽど?」
「な、なんでもありません!!」
「……あの二人、本当に付き合ってないんですか? というか三船さん、分かりやすすぎじゃ?」
「残念ながらね。傍から見れば早くくっつけって状況なんだけど」
ということで無事に雰囲気も和らぎ、飲み会は進んでいくのだった。
☆ ★ ☆
さて、飲み会も一時間以上が経過し、各自お酒が回ってきた頃。
「すいません、少し席を外しますね」
美優ちゃんがそう言って席を立つ。ポーチを手に持っていたので、トイレだけでなく化粧直しも兼ねているのだろう。
普段なら気にする程でもないのだけど、笹島君がいるときは別みたい。しかし私にとっては都合のいい状況になった。普段通りの口調を装いつつ、笹島君に声をかける。
「ねぇ笹島君。前にも質問したんだけど、改めて聞きたいことがあるのよね」
「な、なんでしょうか?」
「美優ちゃんをどう思っているかについて」
前回の飲み会では必死に否定してたけど、今回ばかりは彼の答えに期待してしまう。
ラインでのやり取りくらいならまだ微妙だったかもしれないけど、デートに行ってるわけだし。これでもまだ前回と同じようならよっぽどのモノである。まぁ、ただ単に鈍感なだけかもしれないけど。
「確かに俺も気になりますね。別にうちの事務所は恋愛を禁止しているわけではないですから。それにここで本音を言ったところで、誰にも漏らしたりはしませんし」
いい感じにプロデューサー君も援護射撃を入れてくれた。これなら彼も本音を話しやすくなるだろう。私たちの言葉に笹島君は迷った様な表情を浮かべていたのだが、
「……正直に言いますね」
「うん」
「正直ですね……もう色々と我慢の限界なんです」
予想していた以上の答えが返ってきた。思わずにやけそうになるのを押さえて、私は視線で次の言葉を促す。
「だって美優さん、滅茶苦茶可愛いじゃないですか。本人は意識してか、天然なのかは分からないですけど、そのおかげでこっちはもう理性がゴリゴリ削れて大変ですよ……」
確かに美優ちゃんは天然気味だから、理性を保つのはある意味大変かもしれないわね。相手を惑わす台詞が多いから余計に。
「性格だってあんなの反則ですよ。あんなに裏表のない人がいるんですかってくらいに!!」
「うーん、笹島さんの言う通りですね。芸能界でも表と裏の性格が違う人なんてごまんといますから」
「プロデューサーさんがそう言うのなら、芸能界はそういう人が多いんだと思います。だけど三船さんは私生活でも、テレビで見かける様な性格のままじゃないですか?」
「うん、私も彼女ほど裏表のない人はあまり見たことはないわね」
26歳にして、雰囲気と言動だけで周りを癒せるのは彼女くらいかも。
「やっぱりそう思いますよね」
「ある意味、奇跡の26歳だと思うわ」
「それに、あんな笑顔を見せられたら……俺だって勘違いしたくなりますよ」
そう言って日本酒を煽る笹島君。これはいい反応ね。美優ちゃんに対して何も感じてないと思っていたけど、案外そんなことはなかったらしい。美優ちゃんのアタックは、まるで効果がないわけじゃなかったようなので安心した。
……さて、良い感じに本音を引き出せたところで核心をつく質問を。
「じゃあ美優ちゃんと付き合おうとは思わないの?」
「……三船さんの足を引っ張るような真似はしたくありませんから」
「足を引っ張る?」
「いえ……仮に、あり得ないですけど、俺と三船さんが付き合ったとします。そうしたときに、三船さんのアイドル活動に何らかの影響が出たら困ると思って」
追加で注文した焼酎を飲みながら笹島君がため息をつく。なるほど、笹島君の言うとこも分からなくはない。
アイドルが交際というのは、なかなかにタブーな話題でもあるからだ。しかし、そういう時こそ我がプロデューサー君の腕の見せ所である。
「大丈夫です。安心してください」
「へっ?」
「仮に笹島さんが美優さんと付き合ったとしても、彼女のアイドル活動に影響が出ないよう、最大限に尽力させていただきますから」
「で、でもどうやって?」
「下手に隠そうとするから炎上するんです。逆に、堂々と交際を宣言してしまえばいいんですよ。週刊誌なんかに取られる前に! それこそ、デキ婚なんかの類ではないわけですから」
「まぁ、色々と隠さなきゃいけないことは沢山あるけどね。大ファンだって事とか、部屋が隣同士って事とか」
交際の発表さえしてしまえば、後はどうとでも説明がつくものね。一緒のマンションに入って行っても、同棲してるということで押し通せるだろうし。
そして彼は気付いているのだろうか? 外堀がどんどんと埋められているということに。まぁ知らぬが仏ってやつよね。
「そもそも、笹島君が心配するほど大きな影響は出ないと思うわよ。もちろん、一部のファンは何か言ってくるかもだけど、ほとんどは美優ちゃんを祝福してくれるじゃないかしら?」
「だけど、やっぱりアイドルが誰かと付き合うのはまずい気が……」
「一般論はね。でもファンは誰だって、好きなアイドルの幸せを願ってるものなのよ。それに、私は何より笹島君の気持ちを大切にした方がいいと思うのよね」
「自分の気持ち、ですか……」
「そう。美優ちゃんはアイドルだけど、それ以前に一人の女性なわけでしょ? 一度、アイドルって壁を取っ払って美優ちゃんを見てみたらどうかしら?」
「…………」
私の言葉に笹島君が考える素振りを見せる。ここまで言えば多少、二人の関係も進行するだろう。手助けをできるのはここまでかしらね?
「川島さんって、本当にいいこと言いますよね。流石だと思いますよ」
「あら? 褒めても何もでないわよ」
「いやいや、本当に。だけど、どうして彼氏の一人もできないんですかね?」
「……プロデューサー君は、まだまだお酒が足りないみたいね。すいませーん、日本酒の追加をお願いしまーす」
「ちょっ!? 俺はもう結構ギリギリで――」
「飲めるわよね?」
「……はい。ありがたく頂戴します」
地雷を踏みぬいたプロデューサー君にお灸をすえたところで、美優ちゃんがトイレから戻ってきた。そして何やら話していた私たちを見て、キョトンと首を傾げる。
「何の話をしていたんですか?」
「ううん、そんなに重要な話じゃないわ。笹島君が美優ちゃんの魅力をたっぷり語っていたことくらい」
「川島さん!?」
悲鳴に近い声を上げる笹島君だけど、私は気にすることもなくグラスに残っていた日本酒を煽る。これくらいでびっくりしているようじゃ、二人の関係は進展しないから、仕方なくよ仕方なく。
すると、私の言葉を聞いて美優ちゃんがむすっとした表情を浮かべる。
「……私には直接言って下さらないんですね」
「そ、そんなこと! 三船さんは常日頃から魅力的だと思っていて――」
慌ててフォローする笹島君。やっぱり二人はお似合いね。
……美優ちゃん、嬉しいのは分かるけど、もう少しうまくニヤニヤを隠さないと笹島君にバレるわよ?
(でも、この二人がくっつくのは時間の問題かしらね?)
二人の未来を想像して目を細めつつ、私は追加した日本酒を口にするのだった。
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お泊り?
「ふぅ、今日は少しだけ早く上がれてよかった」
仕事を終えた俺は、いつもと変わらない帰り道を歩いているところだった。今日は思ったよりも早く仕事が片付いたので少し気分がいい。毎日、こんな感じだったらもっといいんだけど……。
ありもしないことを考えているうちにマンションについていたので、俺は自分の部屋へ。すると、
「あっ、三船さん」
「えっ? 笹島さん!?」
丁度三船さんも仕事終わりだったらしく部屋の前でばったり。ただ、声をかけただけで少し驚き過ぎのような……。
「ん?」
よく見ると三船さんは一人ではなかった。小学生くらいの女の子が三船さんの手をギュッと握り、こちらをじっと見つめている。ウサギの着ぐるみが特徴的。
「えっと、すいません。この女の子は三船さんのお子さんで?」
「ち、違いますよ!!」
「で、ですよね!」
珍しく声を荒らげる三船さん。バカなことを聞いてしまったけど、隠し子とかじゃなくて安心した。そこで初めて女の子が口を開く。
「美優おねーさん。この人は美優おねーさんのお知り合いでごぜーますか?」
「に、仁奈ちゃん。えっと、この人は知り合いなんだけど……」
何と説明していいのか悩んでいる様子。そこで俺は、ようやくこの女の子が誰なのかを思い出す。
「もしかしてこの子って市原仁奈ちゃんですか?」
「おにーさん、仁奈こと知っているでごぜーますか?」
可愛く首を傾げる仁奈ちゃん。可愛い(語彙力消失)。着ぐるみと特徴的な喋り方で思い出したけど、この子も三船さんと同じく346プロに所属しているアイドルだ。以前テレビで見かけたので、何となく記憶に残っていたのである。
……スモックを着ていた三船さんと、おままごとらしきことをしていたからな。あの時は、飲んでいたビールを勢いよく噴き出すほどびっくりした。三船さん、仕事選んでください……。
ただ、彼女に悪いと思いながら速攻で写真に収めたのは内緒。
「……やっぱりわかってしまいますよね」
「えぇ。俺は別にテレビを見ないわけじゃないですから。それにしても今日はどうして仁奈ちゃんと一緒なんですか?」
「実はですね……」
理由を聞くと、こういうことだった。
仁奈ちゃんの両親は共働きで、普段から忙しい人たちらしい。そんな中、父親も母親が出張ということで二日ほど家を留守にするらしく、仁奈ちゃんを預かってほしいと事務所に連絡が来たという。
寮も完備しているためそこに泊るのが普通なのだが、たまたま事務所には仕事を終えた三船さんがおり、
『美優おねーさんのおうちに行きたいでごぜーます!』
と仁奈ちゃんが発言。プロデューサーさんは「流石にそれは……」と難色を示したらしいが、仁奈ちゃんの「だめでごぜーますか?」という悲し気な表情にやられたみたいだ。
更に明日は土曜日であり、三船さんも「問題ないですよ」と了承してくれたため今に至るというわけである。
「そういうわけだったんですか」
「はい。仁奈ちゃんのご両親が忙しいことは知っていましたし、仁奈ちゃんに寂しい思いをさせるくらいならと思いまして」
あぁ、目の前に女神さまがいる。元々仁奈ちゃんも三船さんに懐いているみたいなので、よかったのかもしれない。
「仁奈ちゃん、良かったね。三船さんの家にお泊りできて」
「はいっ! とっても嬉しいでごぜーます!!」
俺が仁奈ちゃんの視線に合わせて屈みながら声をかけると、ニコッと笑顔を浮かべてくれる。うん、可愛い(二回目)。
「ところで、おにーさんは美優おねーさんと友達でごぜーますか?」
「……うん、まぁそんなところかな」
アイドルの方と友達なんておこがましいところなんだけど、友達じゃないというわけにもいかないので俺はそう答える。すると仁奈ちゃんは目をキラキラと輝かせて、
「友達でごぜーましたか! それならおにーさんも一緒にお泊りするですよ!」
「えっ?」
「へっ!?」
とんでもない爆弾が投下された。間抜けな声をあげたのはもちろん俺と三船さん。
もちろん仁奈ちゃんは純粋な気持ちでその言葉を言ったのだろうが、成人した男女が一緒にお泊りって結構まずい気がする。しかも片方は現役のアイドルだし。
「に、仁奈ちゃん、流石にちょっとそれは……」
「美優おねーさんとおにーさんは友達じゃないでごぜーますか?」
「うっ……も、もちろん私たちは友達よ。だけどちょっと色々問題があってね」
「……お泊りは大勢の方が楽しいでごぜーます」
シュンとしてしまう仁奈ちゃん。そんな彼女を見て三船さんがキリッとした表情を浮かべる。
「そうね。私と笹島さんは友達だから、泊っても問題ないわよね」
ちょっと三船さん、仁奈ちゃんに甘過ぎじゃないですか? というか俺、三船さんの家に泊ること決定した?
俺は仁奈ちゃんに聞こえないような声で三船さんに話しかける。
(み、三船さん、いくらなんで泊るのはまずくないですか? 週刊誌にでもすっぱ抜かれたら)
(ここはセキュリティがしっかりしてるので大丈夫です。それに仁奈ちゃんは、両親が忙しいことが多いので普段から寂しい思いをしてるんです。だから少しでも寂しさを紛らわせてあげたくて。……ダメですか?)
そんな風に言われてダメといえるわけがない。仁奈ちゃんはまだ9歳。そんな彼女が寂しい思いをしているのに、俺は断って帰ることができるのか? いや、そんなことできるわけがない。
「分かりました。それじゃあ俺は一度部屋に戻って、荷物の整理だけしてきますから」
そこでもう一度俺は仁奈ちゃんと視線を合わせる。
「今日はお兄ちゃんがいっぱい遊んであげるからね?」
「ほんとでごぜーますか? やったー!!」
笑顔でピョンピョンと飛び跳ねる仁奈ちゃん。守りたいこの笑顔。
ひとまず俺は着がえなどを済ませるために自分の部屋に戻るのだった。
☆ ★ ☆
「そ、それじゃあ失礼します」
「は、はい。どうぞ」
明らかに緊張気味の俺を、同じく緊張気味の三船さんが招き入れる。以前、三船さんは俺の部屋に入ったことがあるけど、あれは完全に事故みたいなものなのでこうして普通に部屋に入るのは初めてだったりする。
だからこそ、俺たちは緊張しているのだ。それこそ、仁奈ちゃんがいなかったらどうなっていたことやら。まぁ、仁奈ちゃんがいないのに部屋に入るなんて、絶対にありえないんだけど。
「あっ、健一おにーさん!」
「お待たせ仁奈ちゃん」
笑顔の仁奈ちゃんが駆け寄ってくる。この子は人見知りのしないみたいだし、人懐っこい女の子だ。初対面の俺にもすぐ馴染んでいたくらいだったし。あと、自己紹介は部屋に戻る前に済ませました。
それにしても、俺が結婚して娘がいたらこんな感じなのかもしれない。盛大に甘やかしそうだ。
「それじゃあまずはご飯にしましょうか。冷蔵庫にあらかた材料はあるのでパパッと作っちゃいますね」
「俺も手伝いましょうか?」
「いえ、笹島さんはお客さんでもあるので仁奈ちゃんと一緒に遊んでいてください」
「分かりました」
というわけで、俺は仁奈ちゃんの元へ。
「美優さんは晩御飯を作るみたいだから、その間仁奈ちゃんが好きなことをしよっか」
「ほんとですか!? それじゃあお絵かきをするですよ!」
仁奈ちゃんは持ってきていた鞄の中から、紙と色鉛筆を取り出す。
「まずは猫ちゃんを書くでごぜーます!」
二人揃って紙に色鉛筆を走らせる。お絵かきなんてもう何十年もしていないので、大人になってからやるとかなり新鮮だ。
しばらくして俺も仁奈ちゃんも猫が書けたのでお互い見せあうことに。
「おー、仁奈ちゃんの猫は上手だね!」
「ほんとでごぜーますか! えへへぇ~」
顔をほころばせる仁奈ちゃんの頭をよしよしと撫でる。上から目線かもしれないが、9歳の女の子が描く絵にしてはとてもうまい。特徴がよく捉えられている。ちなみに黒猫だった。
「健一おにーさんは、猫じゃなくてウサギを書いたでごぜーますか?」
「あれっ? 猫を書いたつもりだったんだけど」
もう一度、自分の描いた絵に視線を移す。そこにはまごうことなき猫の絵が(自分から見たら完璧)。
「色々な猫がいるでごぜーますね! 響子おねーさんの絵とそっくりでごぜーます!」
「響子おねーさん?」
「はいっ! 響子おねーさんはお料理もできてすごく優しんだぁ!」
恐らく、五十嵐響子ちゃんの事を言っているのだろう。346プロで料理が得意な子っていったらやっぱり響子ちゃんだと思うし。
この前、五十嵐響子のおしゃべりクッキングを見たけど、本当に上手だった。お料理アイドルの名はだてじゃない。
彼女の絵は見たことないけど、料理と同じできっと上手なのだろう。
「それじゃあ次はウサギを書くでごぜーます!」
猫の次はウサギを描くらしい。そんなわけで書き始めた仁奈ちゃんのウサギの絵は、先ほどの猫と同様に上手だったのだが、
「健一おにーさんは、ウサギじゃなくてクマを書いたでごぜーますか?」
「いや、これはウサギだよ」
再び別のモノを書いたと思われてしまった。俺としては完璧なウサギが書けたと自負しているんだけど……。
その後も、お絵かきを続け色々な動物などを描いていく俺と仁奈ちゃん。一時間ほどお絵かきに熱中していると、料理を終えた三船さんが俺たちを呼びにきた。
「お待たせしてしまってすいません。晩御飯ができました」
「いえいえ、こちらこそ作らせてしまって申し訳なかったです」
「そんなこと気にしなくて大丈夫ですよ。それより……」
俺との話を終えて三船さんが机の上の紙に視線を移す。
「笹島さんとお絵かきしてたの?」
「はい、そうでごぜーますよ!」
「ふふっ、上手にかけてるね」
仁奈ちゃんの描いた絵を見て、三船さんが笑顔を浮かべる。そして俺の絵を見て苦笑いを浮かべた。
「さ、笹島さんの絵は、その……、味がありますね」
「響子おねーさんの絵にそっくりでごぜーます!」
「そ、そうね仁奈ちゃん」
「いやー、アイドルの子の絵に似ているなんて光栄です」
「あ、あはは……知らぬが仏ということですね」
どうしてそんなに苦い顔をしているのか分からないけど、今は気にしないでおこう。……後で響子ちゃんの絵について検索でもしてみるか。
「じゃあ準備している間に手を洗ってきてください。洗面所の場所は……大体分かりますよね?」
「そうですね。作りも同じですから大丈夫です」
俺は仁奈ちゃんを連れて洗面所へ向かう。作りは全て同じだったのだが、やはり女性というだけあってかなり整頓されていた。俺の家とはえらい違いである。
いや、俺もある程度は整頓してあるんだけど、何というかセンスが段違いだ。俺たちがリビングへ戻ってくると、既に机の上には三人分の夕食が並んでいた。
「わぁ~! すごく美味しそうでごぜーますね!!」
「ありがとう、仁奈ちゃん」
仁奈ちゃんが机の上を見て、キラキラと瞳を輝かせる。そんな彼女を見て三船さんもニッコリ。
普段から色々とおすそ分けはしてもらっていたけど、本当に料理が上手だなと感心してしまう。俺も、もう少し料理をうまく作れるようにならないと。
「それじゃあいただきます」
「いただきます」「いただきまーす!!」
三人で手を合わせて三船さんの作ってくれた夕食に手を付ける。もちろん文句なしに美味しかったのだが、
「仁奈ちゃん、口にソースが付いちゃってるわよ」
「どこでごぜーますか?」
「ちょっと動かないでね」
そういって仁奈ちゃんの口元についたソースをナプキンで拭う三船さん。圧倒的な母性を感じた。
夕食を終えしばらくすると、三船さんと仁奈ちゃんはお風呂へ。
仁奈ちゃんが「三人でお風呂に入るですよ!」といい始めた時は肝を冷やしたが、最終的には三船さんと二人で入ることに納得してくれてよかった。
アイドルと一緒にお風呂とか、事案以外の何物でもない。というか、俺が我慢できる気がしない。俺は二人が入っている間に、部屋に戻ってシャワーを浴びました。
「すいません、お待たせいたしました」
なんて考えているうちに三船さんと仁奈ちゃんが戻ってくる。お風呂上がりの三船さんは髪をおろしており、髪もしっとりと濡れているので暴力的なまでに色っぽい。
後、普段より薄着なせいでその、身体の凹凸がいつも以上に分かる感じになっていた。ムラムラとした気持ちが湧きあがってきたが、仁奈ちゃんもいるのでその気持ちを必死に抑え込む。
「いえ、全然待っていないので大丈夫ですよ。さて、まだ寝るまでに時間があるけど、仁奈ちゃんは何かしたい事ある?」
「うーん……おままごと!!」
その後は仁奈ちゃんの提案でおままごとをして遊んでいたのだが、(三船さんに、「スモックは着なくていいんですか?」といったら、涙目で肩をぽかぽかとたたかれた)、仁奈ちゃんがこくこくと船をこぎ始めた。
「仁奈ちゃん、眠いの?」
「はい、ねむいでごぜーます……」
「それなら歯を磨いちゃおうか。虫歯になっちゃ大変だからね」
「はーい……」
もう半分ほど意識のない仁奈ちゃんを、三船さんが洗面所まで連れていく。何度も思ってるけど、本当に親子みたいだな。思わずほっこりとしてしまう。
しかし、問題は仁奈ちゃんが歯を磨き終えた後に起こった。
「みんなで一緒に寝ないですか?」
『えっ!?』
最後の最後に、とんでもない爆弾を落とす仁奈ちゃん。そして困惑の声を上げる俺と三船さん。
それもそのはずで、俺は仁奈ちゃんを三船さんが寝かしつけたところで部屋に戻ろうと考えていたからだ。
「えっと、仁奈ちゃん。流石にそれはちょっと――」
「…………」
悲しげな瞳を三船さんに向ける仁奈ちゃん。その瞳は心なしか若干潤んでいるように見える。
「……いえ、何も問題ありません。それじゃあお布団を敷いてきちゃうからここで待っててね?」
「三船さん!?」
相変わらず仁奈ちゃんに甘い三船さん。仁奈ちゃんのお目目ウルウル攻撃には、三船さんも耐えられなかったらしい。
俺が悲鳴に近い声を出している間に隣の部屋の押し入れから布団を取り出し、手際よく寝室に敷いてしまっていた。
『…………』
三人並んで川の字で横になる。仁奈ちゃんが真ん中なので幾分かましになっているが、それでも色々とまずい状況であることには違いない。しかし、今回ばかりはどうしようもないのであきらめよう。
「仁奈ちゃん、明日はレッスン?」
「はい、お歌のレッスンでごぜーます!」
「私も明日はお仕事だから、少し早めに出ましょうか」
なんて話をしているうちに、
「すーすー……」
「寝ちゃいましたね」
「そうですね」
仁奈ちゃんから規則正しい寝息が聞こえてきた。
アイドルをしているとはいえ、まだ小学生。それに今日は自分と違う家に来たり、知らない人とはなしたりして疲れたのだろう。
しかしよく眠っている。頬をぷにぷにとつつきたい。天使のような寝顔に癒されていると、
「……なんだかこうしていると、本当の夫婦になったみたいですね」
ぽそっと呟いた三船さんの言葉に俺も頷きかけ……
「み、三船さん、流石に今の言葉は……」
「えっ? あっ……」
ぷしゅーと、顔から湯気が出ていると勘違いするほど顔を真っ赤にする。もちろん俺の顔も真っ赤だ。この人はこれを天然でやっているから困る。
「ち、ちちち、ちがくて! 今の言葉は比喩というか、思ったことが口に出てしまって――」
「三船さん、もう大丈夫です……それにあまり大きな声を出すと仁奈ちゃんが起きてしまいますから」
話すたびにボロが出る三船さん。これ以上は喋らせないほうがいいだろう。何を言い出すか分からないからな。それにあまり大声をあげてしまえば、仁奈ちゃんが起きてしまう。
「……でも、実際にはこんな感じなんでしょうね」
「三船さんは、ドラマとかで夫婦役を演じたことはありませんでしたっけ?」
「ないですね。どうしてか、夫を病気や事故で無くした妻役はよく頂くんですけど……」
「ま、まぁ、それは……あはは」
三船さんは不思議がっていたが、俺は心の中だけで「ですよね~」と頷いていた。プロデューサーさんもよく分かっている。
こういってはなんだが、彼女ほど未亡人の役が似合う人はいない。
「でも一度は新婚の奥さんを演じたりしてみたいですね。健一さん……なんて。ふふっ。今のはどうでしたか?」
仁奈ちゃん越しに色っぽく微笑む三船さん。一瞬色々想像してしまい、心臓が止まるかと思った。ほんと、三船さんはたまにクリティカル級の大技を繰り出してくるから困る。とんでもない大技だった。
しかし、三船さんは悶える俺に休む時間を与えない。
「それで、笹島さんは呼んでくれないんですか?」
「えっ?」
「美優って」
こんな展開聞いてない。俺の驚きを他所に三船さんは頬笑みを浮かべていた。どこか楽しそうにも見える。
しかし、彼女の瞳はとろんと潤んでいた。もしかして寝ぼけてるのか? それならば先ほどからの言葉にも何となく説明がつく。
ここは、適当に否定しておけば三船さんも納得してくれるかもしれない。
「いや、俺は別に……」
「呼んでください」
寝ぼけていても意志の強い三船さん。むしろ寝ぼけていたほうが意志の強い三船さん。そんなところも僕は好きです(白目)。
呼ばないといつまでたっても終わりそうにないので、俺は呟くようにして彼女の名前を呼ぶ。
「……美優さん」
「だめです」
「えっ?」
「さん付けしちゃだめです」
なんだこの可愛い26歳。
「……………………美優」
「……えへへ。意外と恥ずかしいですね」
なんだこの可愛い26歳児(30秒ぶり二回目)。俺の名前呼びに満足したのか、三船さんの瞳がゆっくりと閉じられる。
そして、彼女の口から寝息が聞こえてきた。
「……はぁ」
俺は思わずため息をつく。ドッと疲れた。今日の事を三船さんが覚えていないことを祈るばかりだ。
さて、俺も遅くならないうちに寝ないと。そう思って目を瞑る。
「……寝れねぇ」
一睡もできませんでした。次の日が土曜日でよかった。
☆ ★ ☆
仁奈ちゃんたちと過ごした次の日。響子ちゃんスペース絵、で検索してみた。……取り敢えずへこんだ。
あと、三船さんは何も覚えていないみたいだったので安心しました(小並感)。
お久しぶりです。また3か月くらい失踪するかもしれないので、更新頻度については期待しないで下さい。
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プロデュサーさんと本音で飲み会
『今日、笹島君時間ある? もしあるなら、しんでれらで一緒に飲まない?』
プロデューサーさんからこんなラインがあったのは、とある仕事終わりの金曜日の事である。
いつの間にラインをするような仲になったのかと思われそうだが、きっかけはもちろん先日の飲み会である。
飲み会の場でL〇NEも交換していたのだが、ちょくちょく飲みに行くような仲にもなっていた。もちろん、アイドル抜きで。
男同士なので、変に気にせず話せるというのもいいところである。
ちなみにこの日は定時上がりとはいかなかったが、そこそこ早く仕事が片付いていた。どこかで一人、のんびり飲もうかとも考えていたところだったので、まさに渡りに船というお誘いだったというわけである。
『丁度、仕事が終わったところなので今から行きます』
そう返信して、俺は足早に居酒屋しんでれらへと向かう。明日はどうせ休みなのでたくさん飲んでも問題ない。
「いらっしゃいませ~」
いつも通り、店主の声に迎えられ俺は頭を下げる。さて、プロデューサーさんはどこに――。
「おーい、笹島君。こっちこっち」
プロデューサーさんがカウンター席から手招きをしている。俺は頭を下げて、その隣の席へ。
「今日は誘ってもらってありがとうございます」
「いやいや、むしろこっちの方がありがたいくらいだよ。一人で飲んでると少し味気ない感じになっちゃうから。あっ、笹島君にもビールをお願い」
「わざわざすいません」
再び頭を下げる俺。流石、日ごろたくさんのアイドルたちの相手をしているだけあって、非常に気を使える人だ。
ほどなくしてビールが運ばれてきて、
「それじゃあ乾杯」
「乾杯」
グラスを合わせ、俺たちは一気にグラスの半分ほどを飲み干す。今日も、ビールがうまい。
プロデューサーさんとは4つ、年が離れているのだが妙に馬が合う。お互いの仕事の話から趣味の話。そして恋愛についてなど、話題はその時によって様々に変化する。
よく飲みに行くようになってから、話し方も大分砕けた感じになったからな。
しばらくの間は、適当な雑談に花を咲かせる。そして、ビールが二杯目に差し掛かったところで、俺はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「プロデューサーさんって、アイドルの子たちとよく一緒に居ますけど、何か変な感情が湧きあがったりってしないんですか?」
「どういう意味だい、その質問は?」
「いえ、単純に気になって。俺も346プロのアイドルを全員知ってるわけではないですけど、それでも知っているアイドルの子たちは可愛くてきれいな子ばかりですから」
「まぁ、流石に大学生以下のアイドルには変な感情が湧きあがったことはないけど……」
少し引っかかる部分があったので追及してみる。
「大学生以下のアイドルには?」
「……まぁ、そこは察してくれ」
その横顔だけで、色々と苦労していることを察することができた。いや、男としてはむしろ当然か。
知っているだけでも大学生以上のアイドルには、美人でスタイルのいい人がたくさんいるからな。俺だって我慢できる自信はない。
「そもそも、距離感がおかしいんだよ。ある程度の距離を保ってくれる人もいれば、普通の男なら襲ってもおかしくない距離感の人もいるし……」
「な、なんか色々と大変なんですね、アイドルのプロデューサーは」
「楽しいは楽しんだけど……それは笹島君もプロデュサーになれば分かることだよ」
「俺はサラリーマンで十分です」
サラリーマンも色々と苦労は多いんだけどね。なんてことを思いながらグラスを傾けていると、プロデューサーさんがそういえばと尋ねてくる。
「そういえば俺も今日、笹島君に聞きたいことがあったんだよ」
「何ですか?」
「三船さんのソロ楽曲、どうだった?」
「……最高でした。これ以外に言葉は必要ありません」
そう言ってプロデューサーさんに右手を差し出し、がっちりと握手を交わす。
先日、リリースされたばかりなのだが、俺はもちろん初回限定版で購入させていただいた。
この初回限定盤には三船さんがソロ楽曲を歌う姿がDVDとしておさめられており、ファン感涙ものとなっている。俺の感想にプロデューサーさんも満足げだ。
「そう言ってもらえて嬉しい限りだよ。今回は衣装や楽曲はもちろん、ダンスにも力を入れたからな~。各方面からの評判もバッチリだったし」
「やっぱりそうですよね! 楽曲はもちろん神ってましたけど、自分が一番惹かれたのはダンスだったんですよ」
俺は興奮気味に感想を述べる。客観的に見れば気持ち悪いことこの上ないのだが、今回ばかりは許してほしい。それくらいに、三船さんのソロ楽曲は素晴らしいものだったのだ。
言葉で言い表すのが難しいくらい。……いや、三船さんのソロ楽曲を表現できる素晴らしい言葉なんてこの世に存在しないな。
「具体的にはどこらへんが良かったとかってある? 一応参考までに」
「あり過ぎて絞り切れませんけど、あえて言うのならやっぱり背中でハートを作るところですかね。あんなのずるいですよ。あんなことをされて、ハートを打ちぬかれないファンは一人もいないはずです。というか、打ちぬかれていなかったらその人はもう、ファンじゃないです!」
「俺たちの意図したとおりの魅力が伝わっているようで何よりだよ。あそこはプロデューサーの自分が見ても、『あぁ……』ってため息が漏れちゃったから」
「こっちはため息どころか、魂まで漏れそうでしたよ。ほんと、とんでもないMVを作ってくれましたね」
「最大級の褒め言葉、ありがとう」
改めてカチンとグラスを合わせる俺達。多分、今までで一番プロデュサーさんと分かり合えた気がする。
しかし、グラスのビール飲んだプロデューサーさんの顔が僅かに曇る。そして、
「……で、その感想を三船さんにはいってあげたのか?」
「……言ってません」
視線を逸らす俺に、プロデューサーさんは少し呆れたような表情になった。
「何してるんだよ? むしろ、一番初めに伝えるべき相手じゃんか」
「伝えるのならちゃんとした感想を……って考えていたら何も言えなくなりました」
「いやいや、一言「今回のソロ楽曲、とても良かったですよ」っていえばいいとおもうんだけど? というか、三船さんから感想を聞かれたりしてるんじゃ?」
「恐らく、三船さんは遠回しに感想を聞いてきてくれていると思うんですけど、何といっていいのやら……」
発売日に、『そ、そういえば最近新しい曲を出した人がいるみたいですね、アイドルで』とか、『その人はなかなかいい出来だと言っていた気がします』とか、俺をちらちら見ながら言ってたからな。
気付いていないふりをしてたけど、あれは感想を欲しているというアピール以外の何物でもないだろう。
「なんだか最近、三船さんがそわそわしてると思ったらやっぱり……。何度か俺に『今回のMV、良くなかったでしょうか?』って聞いてきたくらいだったし。というか、少し落ち込んでいるくらいだったからな?」
「……なんかすいません」
情けなく首を垂れる俺。
「俺から言うことでもないかもだけど、やっぱり感想は言ってあげたほうがいいって。監督さんとか俺なんかからよりも、ファンから直接言ってもらったほうが何倍も嬉しいもんですから。特に笹島さんからなら余計に」
プロデューサーさんからの言葉に、俺はがっくりと肩を落とす。俺だって、なにも感想を伝えたくないわけではないのだ。
「会うたびに言おうとするんですけど、色々考えちゃって……結局、何も言えずに終わっちゃうんですよね」
「思春期の中学生じゃないんですから」
本当にその通りだと思う。いや、もしかすると思春期の男子中学生よりも酷いかもしれない
「その様子だと、三船さんとの関係もまだまだ見たいですかね?」
「……おっしゃる通りで。いや、アイドルと一般人なんで距離を取るのは当然なんですけど」
俺の返答に、プロデューサーさんの目がスッと細くなる。それはどこか呆れたような表情で――
「いやいや、あんた三船さんの事好きじゃないですか」
「ぶほっ!?」
飲んでいたハイボールを噴き出した。店主が差し出してくれた布きんで口を拭いつつ、必死に弁明を試みる。
「というか、好きなのはこの前の居酒屋の件で分かってた事だけどね。まさかとはおもうけど、この期に及んで否定するわけないよね?」
「…………」
弁明をする暇もなかった。ベテラン刑事並みの眼光の鋭さ。この人はどこでこんな技を?
眼光の鋭さそのままに、碇ゲ〇ドウポーズをとるプロデューサーさん。なんでこんなに似合っているのか。
……いやまぁ、確かに否定できないかもしれないけどさ。
「もう、この際、認めたほうが色々と楽になるんじゃない? これが変なファンならまだしも、笹島君だから俺は安心だよ。美優さん次第ですけど、付き合うとなったら俺は全力で応援させてもらいます」
俺に対する無駄な信頼。おかげで、余計に誤魔化しにくくなってしまった。
「……絶対、他言しないと約束できますか?」
「それはもちろん。炎上しかねないからね。で、どうなの?」
アルコールも入ってるだけあって、今日は随分グイグイと来るな。しかし、本音を言う流れになってしまったので仕方ない。
俺は残ったハイボールを一気に煽ると、
「……そりゃ、好きですよ」
ハイボールを一気飲みしたとは思えないほど、小さな声で白状した。こうして、改めて言葉にしてみると、余計に恥ずかしくなってくる。
「以前、飲み会で言った時もそうですけど……あんなの、好きにならないほうがおかしいでしょ。会って話をできるだけでもファンからしてみれば奇跡なのに」
「うんうん、わかります分かります。俺みたいに、芸能界で働いてると分からなくなりがちだけど」
「一般人には刺激が強すぎです」
しかも隣の部屋に住んでるんだもんな。正直、手を出してないのが自分でも驚きである。
その後は三船さんの好きなところや、可愛いと思ったところを根掘り葉掘り聞かれていたのだが、
「だけど、まだMVに感想を言っていないのは問題だよなぁ~」
「それは確かにそうですけど……」
その一言がいけなかったらしい。プロデューサーさんが良いことを思い付いたと言わんばかりの表情を浮かべる。
「それなら、今から直接言ってしまいましょう。俺から電話をかけるので。今日は確か別のお店で川島さんたちと飲んでいるはずですから」
「はい、わかりま……へっ!?」
俺がびっくりしている間にプロデューサーさんはスマホを取り出して、三船さんの番号に電話をかける。
「はい、繋がったら多分三船さんが出ると思うんで」
「ちょっ!? 了承した覚えはないんですけど!?」
「善は急げというじゃないですか。だからいいんですよ」
「それだと意味が違ってくるような……」
文句を言ったものの、電話口の三船さんは待ってくれない。
『はい、三船です。プロデューサーさん、どうかしましたか?』
出てしまった。今日ほど電話に出て欲しかった日はないというのに……。しばらく呆然と固まっていると、
『プロデューサーさん?』
心配するような声色。目の前ではプロデューサーさんが『早く出ろ! 男を見せろ! 気合だ気合!』と言わんばかりのジェスチャーをする。
この人、人ごとだと思って……。しかし、出ないわけにもいかないので俺は仕方なく口を開く。
「笹島です」
『っ!?』
電話越しでも、驚いた様子が伝わってくる。なんか、ガチャンガチャンとした音が聞こえてきたけど大丈夫だろうか?
『あっ、ええっ!? ど、どうして笹島さんがプロデューサーさんの電話を!?』
「実は色々な事情がありまして……そ、そんなことよりも三船さん」
『えっ? は、はいっ!』
ここまできて止まるわけにはいかない。俺は大きく息を吸い込んで、
「この前のMVとても良かったです。とても、その……綺麗でした」
『ふぇっ!?』
「それじゃあ。突然のお電話、失礼いたしました」
『へっ!? あ、あのちょっと――』
三船さんが何かを言う前に通話を切る。そしてスマホをプロデューサーに返し……めっちゃニヤニヤしてた。
「言えたじゃないですか~」
「あんたが無理やり仕向けたんでしょ!!」
思わず年上のプロデュサーさんにあんたと言ってしまったが、許してほしい。それくらいイラッとしたのである。この人、結構酔ってるな?
「これで、少しは関係も進むんじゃない?」
「引かれてないといいですけど」
「それだけは絶対にないから、安心しとけって。プロデューサーとして保証するよ! それにしても……いや~、今日は面白い話が聞けて大満足だよ」
「俺は普段の倍、疲れました……」
ホクホク顔のプロデューサーさんとは対照的に、げっそりとした表情を浮かべる俺だった。
☆ ★ ☆
とある居酒屋にて。
「笹島君が感想をくれない?」
「はい、そうなんです」
美優ちゃんからの言葉に私、川島瑞樹はビールを飲む手を止めて彼女を見つめてしまう。
今日は珍しく、美優ちゃんの方から誘われて居酒屋にやってきていたのだが……どうやら笹島君関連の相談だったみたいである。
「くれないってことは、まだ新曲の事について何も言われてないってこと?」
「はい、そうなんです……」
「まぁ、ソロ曲を出してから一週間くらい経つしね。笹島君が美優ちゃんのソロ曲を買ってないとは思えないし」
「そんなに駄目だったのかな……」
切なげにつぶやく美優ちゃん。恐らく、笹島君の事だから恥ずかしくて感想を言えないとか、そういう理由だと思うんだけど。しかし、あまりにもこの状況が続くと、仕事にまで影響が出てきてしまうかもしれない。
それにしても今の表情、とっても良かったわね。今度プロデューサー君に、こっち方面の仕事を探してきてもらわないと。
(うーん、プロデューサー君にけしかけてもらって、笹島君に電話で感想でも伝えてもらおうかしら)
そう思っていた時だった。
「あら? 美優ちゃん。電話じゃない?」
「あっ、ほんとですね。相手は……プロデューサーさんからです」
私がまさに今、思い描いていた相手からの電話。これはもしかして……いや、私の考えすぎね。そもそも、仕事の電話って可能性の方がはるかに高いわけだし。
「はい、三船です。プロデューサーさん、どうかしましたか?」
電話に出る美優ちゃん。しかし、その様子が少しおかしい。まるで相手が何も反応していないような……。
「プロデューサーさん?」
おかしいと思ったのは美優ちゃんも同じで、もう一度プロデューサー君に声をかける。すると、
「っ!?」
なぜか驚きの表情を浮かべる美優ちゃん。あまりの驚きだったのか、持っていたお箸を落としてしまっていた。。
そのお箸がお皿にあたって、ガチャンガチャンと音を立てる。
「美優ちゃん? ど、どうかし――」
「あっ、ええっ!? ど、どうして笹島さんがプロデューサーさんの電話を!?」
彼女の口から突然飛び出した、笹島さんという言葉。も、もしかして電話の相手は笹島君なのかしら?
だけど、どうしてプロデューサー君からの電話に笹島君が? あまりにタイミングが良すぎる。
動揺する私を他所に、美優ちゃんと笹島さんは電話を続ける。そして、
「ふぇっ!?」
可愛い声で美優ちゃんが驚きの声を上げた。二人は一体何を話しているのだろう……いや、笹島君は美優ちゃんに何を言ったのだろう?
「へっ!? あ、あのちょっと――」
しかし、話していた時間は思ったよりも短かった。最後の美優ちゃんの様子からするに、笹島君が一方的に電話を終わらせたのだろう。すると、
「~~~~っ!!」
声にならない声をあげた美優ちゃんが、机に思いっきり突っ伏した。私はそんな彼女に、恐る恐る声をかける。
「み、美優ちゃん? 机に突っ伏してどうしたの? なんだか笹島君と話してたみたいだけど」
「……ずるいです」
「えっ? 何が?」
「電話越しなら褒めてくれて、綺麗って言ってくれて……今度会ったら直接言うまで帰らせません」
「気付いてないかもしれないけど、美優ちゃん、結構大胆なこと言ってるわよ」
思わず呆れてしまう。この子は、奥手なのか積極的なのかよく分からない。取り敢えず、笹島君が褒めてくれたのは一歩前進だけど。
ただ、その一歩が少し遅すぎる気が――
「でも、綺麗かぁ~。笹島君さんが綺麗って……えへへ♪」
幸せそうに顔をほころばせる美優ちゃんを見ていたらどうでもよくなりました。そして、彼への報告を忘れちゃいけないわね。
私はプロデューサー君の電話番号に電話をかける。
『はい』
「プロデューサー君、お疲れ様。川島です」
『あっ、川島さん。お疲れ様です。それでどうかしたんですか?』
「言いたいことは一つだけよ。……グッジョブ、プロデューサー君」
『……最高の褒め言葉ですよ』
それだけで色々と察したのか、電話越しのプロデュサー君もニヤッと笑みを浮かべた気がした。
ギリギリ三か月以内です。というか、久しぶりなのにあんまり三船さん出せなくてすいません。
多分、次の更新も三か月後とかです(白目)。
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風邪をひく三船さん
「三船さん、なんか調子悪いみたいだけど大丈夫?」
「えっ? そう見えますかね?」
「うん。動きにキレがないし、それになんだか顔色も悪く見えるし」
「そうでしょうか……」
とある日のダンスレッスン中。トレーナーの方に声をかけられた私は、一度動きを止める。
確かに、家を出る時少し身体がだるいなとは感じていたけど……休むほどではないと思ったので、事務所に来たというわけである。しかし、鏡で自分の顔を確認すると言われた通り顔色があまりよくない。
「疲れてるだけかなと思ったんですけど」
「うーん、ちょっと疲れているだけには見えないんだよね。悪化する前に、今日は休んだほうがいいんじゃない? 確か、今日はレッスンだけでしょ?」
「はい。今日は撮影とかもありません」
「プロデュサーには私の方から伝えておくからさ。多分、レッスンとか収録とかの疲れが出ちゃったんじゃないかな? 最近は結構忙しそうにしていたからね」
言われてみれば最近は特に忙しくて、睡眠時間もあまりとれていなかった気がする。それに、ここで無理をしてせっかくの仕事に穴をあけるわけにもいかない。
「あ、ありがとうございます」
というわけで、私は家に戻ることになった。
☆ ★ ☆
「ふぅ。今週もやっと仕事が終わった」
軽く息を吐きながら俺はマンションまでの帰り道を歩く。金曜日の仕事終わりというのは、非常に気分がいい。俺の会社は土日祝日がしっかりと休みなのはありがたいところだ。
それに、最近は働き方改革とかで残業をするなするなと五月蠅いのも、時代が変わったなと実感できる。入社して一年目とかは残業は当たり前、そしてたまに休日出勤もあったりしたので大変だった。
まぁ、ちゃんと残業代が出るだけましだったけど。
(あれ? プロデュサーさんからL〇NEが入ってる)
何気なくスマホを見て彼からの連絡に気付く。また飲みに行こうとか、そんな連絡かな? メッセージを確認すると、
『三船さんが風邪を引いたみたいなんだ。帰り際でいいんで、少し彼女の様子を確認してもらえないかな?』
こんなメッセージが届いていた。三船さんが体調不良……とても心配だ。最近はお仕事も忙しかったと聞いていたし、疲れが溜まっていたのだろう。
『了解しました』
取り敢えず返信をし、俺はその足で近くのドラックストアへ。理由はもちろん、お見舞いの品を買うためだ。
しっかり者の三船さんなんで、薬とかは買ってあるかもしれないけど、一応色々と買っていこう。目についたものを買い物かごに放り込んでいき、お会計を済ませる。
「ちょっと買いすぎたけど、まぁいいや」
三船さんを看病するかもしれないという事実に、張り切り過ぎてしまった。でも、余ったら自分用で持ち帰ればいいだけだし。
そのまま急ぎ足で自分のマンションへ向かい、着替えなどを済ませてから三船さんの部屋の前へ。
(そもそも、出てくれるのかな?)
インターホンを押して三船さんが出てくれるのを待つ。寝込んでいて、インターホンが聞こえないことも十分に考えられるけど……。
しばらく待っていると、ガチャッと扉が開き、顔を赤くした三船さんが顔を出した。いつもの私服ではなく、パジャマ姿(胸元ははだけていません)。
しかし、息が荒く顔も真っ赤で、見るからに体調が悪そうだ。
「あっ、笹島さん……どうか、したんですか?」
「すいません、説明は部屋に戻ってからでもいいですか? かなり体調が悪そうに見えるので」
立ったままだと三船さんが辛そうなので、俺はひとまず部屋の中へ入る。三船さんをベッドに戻し、改めて今日来た理由を話す。
「実はプロデュサーさんに、三船さんが体調を崩されたと聞いたもので。そのお見舞いにと」
「そうだったんですか。……すみません、ご心配をおかけして。笹島さんもお仕事後なのに……」
「いえいえ、気にしないで下さい。どうせ明日は金曜日ですから」
まぁ、三船さんが体調不良と聞いたら明日が何曜日でも駆けつける自信があるけど。飲み会の後でも走って向かっただろう。
「むしろ、体調が悪いのにいきなり押しかけてすいません」
「そ、そんなことないです。……笹島さんが来てくれて、少しほっとしちゃったくらいですから」
弱々しく微笑む三船さん。……不謹慎にも色っぽいと思ってしまった私を許してほしい。色っぽいと思わないほうが無理だって。
むくむくと湧き上がる煩悩を無理やり振り払い、俺は立ち上がる。
「三船さん、帰って来てから何か食べましたか?」
「いえ。実は家に帰っている最中から、どんどん体調が悪くなってきてしまって……家に帰って来てからほとんど食べてないんです。一応、薬を飲むためにヨーグルトは食べたんですけど」
「うーん、少しでもお腹に入れておいた方が治りも早いですし……お粥くらいなら食べられそうですか?」
「お粥くらいなら……」
「分かりました。それじゃあ、片付けはするんでキッチン借りますね」
「はい。……ありがとうございます」
普段の三船さんなら気を使って断るところだろうけど、今日はよっぽど体調が悪いみたいだ。
そんな彼女をしり目に、俺はキッチンへ向かう。食器の場所も、部屋の構造が一緒なので大体分かる。
「さて、サクサクッと作りますか」
作るのは玉子粥。風邪をひいた時母親が良く作ってくれて、どれだけ食欲がなくてもそれだけは食べられたんだよね。
インスタントでもよかったけど、手作りの方がやっぱりおいしいからな。作り方は完璧に覚えているので大丈夫だろう。そもそも、そんなに難しい料理でもないわけだし。
手早く食材の準備をし、鍋に冷ご飯を入れる。昨日のご飯の残りが冷蔵庫の中に入っていてよかった。20分弱で作り終わり、三船さんが寝ている寝室へお盆を持って戻る。
「お待たせしました三船さん」
「……何から何まですみません」
「いえ、体調が悪かったら仕方ないですよ」
だるそうに起き上がる三船さんの傍に、お粥を載せたお盆を持っていく。お粥は消化もいいし、このくらいの量なら食べられるだろう。
「熱いので気を付けてくださいね」
「…………」
「三船さん?」
「その、体調が悪いせいか、あまり握力がなくて……スプーンを落としてしまうかもしれなくて、できれば、その~」
モゴモゴと言いよどむ三船さん。うん、次の言葉がなんとなく分かる気が――
「た、食べさせていただけないでしょうか?」
こんな展開、漫画とかアニメだけだと思ってました(小並感)。……いやいや、冷静になっている場合ではない。
「いえ、それは……そもそも三船さんはいいんですか? 体調が悪いとはいえ、男に食べさせてもらうのなんて」
「……笹島さんなので平気です」
視線を逸らし、ボソッと一言。この人はほんと……そろそろ勘違いしてもいいんじゃないかと思う。
三船さんが風邪じゃなかったら、間違いなく自分を抑えられない自信がある。しかし、風邪を引いている相手を襲うわけにはいかないので、
「……分かりました」
俺は頷き、スプーンで適量のお粥をすくう。食べられる温度まで十分に冷ます。
「それじゃあ、口を開けてください」
「……はい」
言われた通りに口を開く三船さん。俺はその口の中にお粥の入ったスプーンを持っていく。
……目を瞑る必要はないと思うんですけどね。変なことをしている気分になってきたが、別にやましいことはしていないはず。……していないはず。
「あーん」
彼女の咥内へ流し込むようにしてお粥を食べさせる。
「熱くないですか」
「大丈夫です。……んっ」
飲み込む姿も色っぽいなこの人。まぁ、三船さんは色っぽくないことでも全て、色っぽく見えると言われてる人だからな。風邪をひいて顔が火照っているのも、色っぽさに拍車をかけている。
「久しぶりに作ったんですけど、味は大丈夫そうですかね?」
「とっても美味しいので、安心してください」
微笑む三船さんを見て俺はホッと胸をなでおろす。味に保障はあったけど、人に作るのは初めてだったからね。
「それじゃあ……もっと下さい」
「………………はい」
謎の間についてはツッコまないで下さい。その後はお粥が無くなるまであーんを続け、
「ふぅ……ごちそうさまでした」
ある意味、地獄のような時間がやっと終わった。めちゃくちゃ疲れたな……。言い過ぎかもしれないけど、会社終わりより疲れているかもしれない。
「お粗末様でした。今、水と薬を持ってきますので。ついでに洗い物も済ませてきちゃいますから」
「あっ、ありがとうございます」
台所に戻り洗い物を済ませ、水と薬を持って帰ってくる。薬を飲み、改めて三船さんは布団にもぐる。
さて、あまりにも長居をしても三船さんに気を使わせてしまうだけなので、俺はそろそろお暇しましょうか。
「じゃあ三船さん、俺はそろそろ……っ?」
違和感を感じて振り返る。するとそこには、俺の服の袖をキュッと掴む三船さんの姿が。
「えっと……、もう少し、いてくれませんか?」
身体に電撃が走ったかのような感覚。固まる俺に三船さんは更に畳みかける。
「26にもなって言うことじゃないかもしれませんけど、一人だと少し心細くて……」
そういって不安げな顔をのぞかせる。何度でもいうけど、これを無意識でやっているからすごい。こんな26歳がいていいのか?
「……分かりました」
そして、当然断れるわけもなく頷く俺。立ち上がるのをやめ、その場に腰を下ろす。
『…………』
しばらく無言の時間が続いた後、三船さんがぽそっと口を開いた。
「ごめんなさい、我が儘を言って」
「い、いえ……風邪をひいた時って妙に心細くなるものですから」
「ありがとうございます」
一人暮らしをしてるから何となくわかる。風邪をひいた時に一人だと、言いようのない不安感に襲われる時ってあるからね。インフルエンザとかの時は特に。
「……少しお話を聞いてくれませんか?」
普段とは違う雰囲気を感じ、俺は居住まいを正す。
「私はアイドル活動をしたそこそこ経ちますけど、ふと思ってしまったんです。こんな日々がいつまで続くんだろうって」
風邪で弱っているからこそ、色々と考えてしまったのだろう。不安は心にため込んでおくとどんどんと膨らんでいくので、ここで吐き出せるだけ吐き出してしまったほうがいい。俺は黙って話の続きを促す。
「今は毎日がとても充実していて、とても楽しいです。でも、こんな日々もどこかで終わりが来るのかなって。そもそも、実はこれまでの日々が幻だったんじゃないかって思っちゃったんです。そんな事あるわけないのに……」
ぽつりぽつりと不安の言葉を口にする三船さん。心なしか、瞳も潤んでいる気がする。
「やめようやめようと思っても、悪い想像が止まらなくなってしまったんです。そして、すごく怖くなりました。ファンの人だって、いつまでも私のファンでいてくれるとは限りませんし……。そう考えると、どんどん不安になってきて。どうしようもなく不安になって……それに、芸能界には私より魅力的な人なんて何人も――」
「三船さん!!」
気付くと俺は、三船さんの右手をしっかりと握り締めていた。驚く三船さんを他所に俺は口を開く。
「そんなことないです。三船さんは凄く頑張ってます。慣れない撮影やバラエティの番組なんかもそうです。OLからの転身で大変なはずなのに……俺は素直に尊敬できると思います。そもそも、ちゃんと努力しているのを分かっているからこそ、ファンもたくさんいるんですよ!」
普通の人なら絶対にできないことだ。恐らく、一般社会と芸能界は180度違う世界なのだろう。
転職しようと思っても、芸能界に飛び込む勇気なんて俺にはない。だからこそ、俺は我慢できず彼女の話を遮ってしまったのだ。
「それに、ちょっと休んだくらいでファンは絶対に、三船さんから離れていったりしないです。三船さんの代わりなんて誰もいません。そんなので離れてくのは、ファンじゃないので安心してください! 仮に離れていくことがあっても、俺はずっとあなたのファンで居続けます。例え最後の一人になってもです!」
そこまで言い切った俺はようやく一息つく。あれだけの言葉を一息で言うのは大変だったな――。
(……ん?)
そこで俺は事態に気付く。目の前にはポカンとした表情を浮かべる三船さん。可愛らしく目をぱちくりとさせている。
これまでの言動を振り返り、色々と冷静になったところで、
(ああああああああああああ!! 俺は一体何を熱く語ってるんだよ!?)
心の中で叫び声をあげていた。多分、自分の部屋だったらあまりの恥ずかしさに転げまわっているところだろう。
(上から目線で、しかも何の根拠もない励ましで……更にはファンが仮に離れていくとか、最後の一人とか、不謹慎すぎるだろ!! そもそも、ただの一般人がアイドルの方相手に、いっちょ前に熱く語るとか何様だよ!? 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。お、おうちに帰りたい……あっ、隣だったわ)
人生最大の黒歴史を作ったということに動揺して顔を伏せていると、「くすっ」という笑い声。
「顔を上げてください、笹島さん」
やわらかい声色に、俺は恐る恐る顔を上げる。
「そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ。笹島さんが私を励ましてくださってるということは、ちゃんと伝わってきましたから。……まぁ、ちょっと聞いてて恥ずかしくなっちゃいましたけど」
「ぐふっ」
やっぱり恥ずかしかったですよね! だ、誰かタイムマシンを俺に下さい。一分前に戻れるだけでいいので。
「でも、とっても嬉しかったです。私、笹島さんと出会えて本当によかったと思います。だから……ありがとう」
「っ!?」
女神かと思った。いや、女神だったか。
「それと、手……」
「手? ……あっ、すいません! な、長々と握り締めてしまって。今すぐ離しますから!」
慌てて手を離そうとする。しかし、三船さんはそれを阻止するかのように僅かな力で握り返してきた。
「…………もっと、こうしていたいです」
甘くとろけるような声。
三船さんの細い指が俺の指に絡みついてくる。それに合わせて、二人の視線もねっとりと絡み合った。
彼女の瞳に吸い寄せられるかのように距離が縮まっていく。
(あ、これは駄目だ……)
そう思った時には既に俺と彼女の唇が重なっていた。
「んっ……」
三船さんの口から色っぽい声が漏れた。一度、唇を離し彼女の瞳を見つめる。こんなに近くで、彼女を見つめるのは初めてかもしれない。
「……すいません。いきなり……しかも、三船さんの体調が悪い中で」
「いえ……どちらかといえば私が誘ったようなものですから。それに……」
彼女は俺の耳元に顔を寄せ、
「風邪がうつってもいいなら……もっと、していいですよ?」
今日ばかりは彼女の風邪がうつってもいいと思った。
☆ ★ ☆
「あら、美優ちゃん。風邪はもういいの?」
「はい。一晩寝たらすっかり治っちゃいました。ご心配おかけしてすみません」
「いいのよ気にしなくて」
看病をしてもらった次の日。事務所に顔を出した美優を見て、同じく事務所にいた川島瑞樹はホッとした表情を浮かべる。
しかし、彼女の頭にはとある疑問も浮かんできた。
(病み上がりにしては、やけに顔が艶々してるように見えるけど……)
いつもと違う彼女の様子に首を傾げていると、
「あっ、川島さん。ちょっといいですか?」
「どうかしたのプロデュサー君」
「まぁ、ちょっと」
プロデュサーに手招きされるままに部屋の隅へ向かう。
「で、どうかしたの?」
「ちょっとこれを見てください」
見せられたのはL〇NEの画面。そして名前の欄には『笹島健一』という文字が。
「ちょっと! これ、勝手に見せちゃっていいの?」
「本人からちゃんと許可は貰ってます。それより内容なんですけど……」
スマホの画面を覗き込んで内容を確認する。そこには健一からの懺悔の言葉が書かれていた。
『看病をするため三船さんの部屋に行ったのに我慢できず、三船さんとキスしてしまいました。もちろん、最後まではしていませんが、煮るなり焼くなり警察に突き出すなりしてください。私はどんなバツでも受ける所存です』
二人は文章を読んだ後、黙って顔を見合わせ、
『キスくらいならいいよね(いいわよね)』
同じ言葉を口に出したのだった。むしろよくキスだけで我慢したと思う。またしても健一の評価が上がった瞬間だった。
そして、美優が妙に艶々していた理由も分かった気がした。
ちなみに健一は風邪をひきませんでした。
三船さんのモザイクカケラが良すぎて、勢いで書いてしまいました。勢いだけで書いたので、内容についてはツッコまないで下さい。
残り2話で完結予定です。
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とある夏の休日
季節は8月。外からはセミの大合唱が聞こえ、一歩外に出ればじりじりと焼けつくような太陽光線によって、頭がクラクラしてくる。そんな季節。
会社に行く道を歩いているだけでも、汗が噴き出してくるから嫌になる。昔はこんな殺人的に熱くはなかったな、と思う今日この頃。
「本当に一般人の俺が来てもよかったんですか?」
何故か俺は、プロデュサーさんが運転する車の助手席に座っていた。しかも後ろの席には、三船さんや川島さんの姿も。ちなみに片桐さんもいます。
冷静に考えなくても俺の場違い感が半端じゃない。
「大丈夫ですよ。確かに笹島さんは一般人ですけど、三船さんや他のアイドルの方と面識があるので」
俺の不安に、車を運転していたプロデューサーさんはあっさりと答える。この人、俺の事を無条件に信用し過ぎな気がする。
三船さんを看病したときの事も、罪を償うどころか無罪放免されてしまったし。
「それに、男が俺一人だけだと何となく寂しかったからなぁ」
「まぁ、その事に関しては否定できませんけど……」
確かに今日は、仕事ではなく完全プライベートだからな。流石のプロデュサーさんも、荷が重かったのかもしれない。
なんてことを話していると、後ろに座る三船さんから申し訳なさそうな声が。
「笹島さんは今日誘った事、ご迷惑でしたか?」
「そんな事ありません。めちゃくちゃ楽しみにしてました!」
「変わり身の早さよ……ほんと、三船さんが絡むと単純だなぁ」
三船さんに悲しい思いをさせてはいけない(使命感)。プロデュサーさんのツッコミは無視の方向で。
川島さんと片桐さんからも生温かい視線を感じるけど、それも無視で。彼女が笑顔ならそれでいいのです。
さて、そろそろどこに向かっているのかを話しておこう。
俺たちがどこに向かっているのかというと、346プロが所有しているという保養所である。事務所からは少しだけ離れた場所にあるのだが、大自然に囲まれているので、保養をするにはもってこいの場所という噂。
また、346プロに所属していれば、基本的に利用は自由だとのこと。
会社で保養所といえばあってないようなものなのだが、346プロでは結構利用する人も多いらしい。やっぱり、都会の喧騒から離れてゆっくりしたいものなのかな?
「ちなみに、本来笹島君は入れないんだけど、今回は理由を説明したらオッケーになりました!」
「やっぱりそうですよね。知り合いとはいえ、一般人を入れると何が起きるか分かりませんしリスクを考えたら当然ですよ」
「流石、笹島君はよく分かってるわね~」
「でも、説明したらオッケーにしてくれたんですよね? 俺の事はなんて説明を?」
「説明? プロデュサー君が信頼をおいてるってことと、後は美優ちゃんが――」
「だ、駄目です早苗さん!」
開きかけた片桐さんの口を、三船さんが慌てて抑える。随分慌てて止めたけど、どうかしたのだろうか?
美優ちゃんが、ってところで止まったので、尚更気になってしまう。
「何よ美優ちゃん? 別に理由を説明しようとしただけじゃない」
「それが問題なんです!」
「『美優ちゃんが好きで好きでたまらない人です』って説明に何か問題でも――」
「わ、わーわー!!」
「どうかしたんですか、三船さん?」
「笹島さんは気にしないで下さい」
「ア、ハイ」
妙にすごみのある笑みを浮かべられ、俺は思わず口を噤んでしまう。あれはなかなかの迫力だった。おかげで先ほどのセリフは迷宮入りだ。
その後は雑談をかわしつつ、出発から三時間後にようやく保養所へ到着した。
☆ ★ ☆
「保養所っていうわりには、結構大きいですね」
「ほんとですね……」
荷物をおろしつつ、俺と三船さんは眼前に広がる保養所を見て感想を漏らす。保養所というよりは、本格的なホテルのように見える。
改めて、346プロの規模の大きさを知ることになった。
「三船さんは、この保養所に来たことがあるんですか?」
「いえ、実は私も初めてです。でも、結構楽しみにしていたんですよね。私の実家が田舎なものですから。勝手に既視感を抱いていて」
「そういえば、岩手のご出身でしたっけ?」
「はい、その通りですけど……よくご存じですね」
「そりゃ、大ファンである三船さんの事ですからね。誰よりも三船さんの事を知っている自信がありますよ」
「へ、へぇ~。そうですか……」
顔を逸らしながら、髪をくるくるといじる三船さん。
……やばい、今のセリフは冷静に考えてよくなかった気がする。まず、単純に気持ち悪い。
俺が焦っていると、三船さんが少し赤くなった顔をこちらに向け、
「ありがとうございます、私の事をたくさん知っていてくれて、嬉しいです」
頬を少しだけ染め、やわらかい笑みを浮かべる三船さん。心臓が止まるかと思った。
「瑞樹ちゃん、私たちは何を見せられてるのかしら?」
「二人とも、ナチュラルにイチャつくから困るのよね」
「笹島君がナチュラルに口説いて、美優ちゃんがナチュラルに照れて、ナチュラルにクリティカルを出して」
「これで二人とも、自覚がないのがタチが悪いわよね」
「早くくっつかないかしら?」
川島さんと片桐さんに何か言われた気がするけど、気にしないことにしよう。
荷物をおろした後は、フロントのようなところで受付を済ませる。いくら保養所が大きいとはいえ、流石に予約なしじゃ来れないからね。
その後は各自、荷物を自分の部屋に運んでからロビーに再び集合する。
「それで、この後はどうしま――」
「私たち三人は、やりたいことがあるのよ。申し訳ないけど、お二人さんで夕食の時間までぶらぶらしててくれないかしら?」
「そうそう。せっかく来たんだから、二人でのんびりして頂戴!」
「は、はぁ?」
「それじゃあ、笹島君。三船さんの事頼んだよ。」
統率の取れた動きで、あっという間に去っていく三人。残された俺と三船さんは、しばらく三人が去っていた方向をボーっと見つめる。
「……というわけで、二人きりになってしまいましたけど?」
「そうですね。……でもせっかくですし、早苗さんの言う通り、夕食まで二人きりでのんびり過ごしましょうか」
にっこりと微笑む三船さん。天使はここにいたのか。……なんだか前も、似たようなことを思っていた気がする。
「この先に川があると聞いたので、取り敢えずそこまでいきませんか?」
「分かりました」
そして、二人並んで森の中を歩いていく。
「ん~。これだけの自然の中を歩くと、やっぱり気持ちいいです」
三船さんが気持ちよさそうに大きく伸びをする。美人が伸びをする姿って、なんかいいよね。理由は特にないんだけど。
「都会にいるとまず、体験できませんしね。たまにはこうして、羽を伸ばしてみるのもいいかなって思います」
「ふふっ。たまに羽を伸ばす時は、私もちゃんと誘ってくださいね?」
俺の事を見上げるようにして、瞳を覗き込んでくる三船さん。言い方がもう……可愛すぎてしんどい。
「そ、その時はもちろん……」
「言質、取りましたからね?」
だから可愛いって!!
悶えながらしばらく歩いていくと、目的地である川が見えてきた。遠目からでも、水が透き通っていることがよく分かる。
「わぁ! 綺麗ですね!」
三船さんが感動の声を上げ、川辺に向かって歩いていく。俺も彼女の後に続いていくと、彼女は既に靴を脱いでいた。
そのまま、透き通った水の中へ足を入れる。
「ひゃっ! 結構冷たいです。だけど、慣れてくれば……」
足をパシャパシャと動かす三船さん。なんだか、CMのワンシーンを見ているみたいだ。
「でも、気持ちよさそうですね。それじゃあ俺も失礼して……」
俺も彼女の傍に腰掛け、同じように足を川の水の中へ。確かに三船さんの言う通り、川の水は結構冷たかった。だけど、暑さも相まって非常に気持ちがいい。
「あ~。冷たいですけど、この冷たさがいいですよね。三船さんもそう思いませんか?」
「…………」
「三船さん?」
「えいっ!」
可愛い掛け声とともに、冷たい川の水が顔に飛んできた。
顔を拭うとそこにはいつもとは違い、少し意地悪な表情を浮かべた三船さんの姿が。
「油断しましたね?」
そんな表情も可愛い……じゃなくて、三船さんでもこんな事するんだ。少し意外。
もしかすると、普段来ないような場所なのでテンションが上がっているのかも……。それにしても、やられっぱなしというのも面白くない。
「……」
「きゃっ!」
俺は無言で、三船さんに川の水をかけ返す。もちろん、びちょびちょにならないよう、最小限の注意を払うことを忘れてはいない。
まさかこの年にもなって、水の掛け合いをするとは思わなかった。
「もう、笹島さんったら……やりましたね?」
「先ほどのお返しです」
その後は水をかけたりかけられたりして、お互い満足したところで改めて川辺の岩に腰を下ろす。
「なんだか子供の頃に戻ったような気分になりました」
「俺もですよ。童心に戻るのも悪くはないなって思いました」
「水の冷たさなんかも、田舎を思い出しますね」
「岩手は東京と違って、自然が多い感じがしますからね。最近は、実家の方に帰ったりしているんですか?」
「いえ、それがほとんど帰れていないくて……でも」
そこで、三船さんがジッと俺の事を見つめる。俺の顔に何かついてますか?
「……次のお休みでは、戻ってもいいかもですね」
行動の意味は分からなかったけど、久しぶりに実家に戻れば両親は喜ぶだろう。
「あれっ? なんだか天気が怪しくなってきましたね」
「ほんとですね。もしかすると、通り雨が降るかも」
そろそろ戻ろうという所で、黒い雲が上空を覆い始めていることに気付く。山の天気は変わりやすいというけど、ここも例外ではなかったらしい。
「……って、降ってきちゃったな」
鼻先に雨粒を感じ顔を上げると、ぽつぽつと降ってきた雫が俺の顔を濡らす。今はまだ弱いけど、すぐに強くなるだろう。
「確か、この道を戻ったところに雨をしのげそうな場所がありましたよね? そこまで走りましょうか」
「は、はい」
幸い、そこまで離れていなかったので服が少し濡れたくらいで、何とか辿り着くことができた。
「多分、すぐに止むと思いますし、止むまではここで待ってましょう」
「そうですね。下手に動いても危ないですから」
すぐに止むとはいえ、山の雨って結構激しく降るからな。現に今も雷がピカピカと曇天の中で光ってるし。
ゴロゴロゴロッ!!
稲光を感じ、その後すぐに雷の轟音が辺りに響いた。そこそこ大きい音だったので、割と近くに落ちたかもしれない。
「結構、大きい音でしたね……って?」
右腕に柔らかい感触。視線を向けると、俺の腕に抱き付く三船さんの姿が。
「す、すいません。かなり大きい音だったのでびっくりして――」
ゴロゴロゴロッ!!
「きゃぁっ!!」「ほわっ!?」
間髪を入れずに二発目の雷音が。三船さんが悲鳴を上げ、俺の腕に抱き付く力を強くする。やわらかい感触が強くなったおかげで、変な声が出た。
「ご、ごめんなさい。私、突然の大きい音が苦手で……」
申し訳なさそうに三船さんが眉をひそめる。
「いや、別に気に病む必要はないですよ。俺でも少しびっくりしたくらいですから」
「そう言ってくれてありがたいです。……それでですね、しばらくの間でいいので貸してくれませんか?」
「貸すって、右腕をですか?」
「右腕をです。……ダメですか?」
こんなことになるのなら、少し鍛えておけばよかった。後悔先に立たずとはこの事だろう。
「……こんな頼りない腕でよかったらいくらでもお貸ししますよ」
「……ふふっ。それじゃあお言葉に甘えて」
雨が止むまでの間、右腕の柔らかい感触が消えることはなかった。
☆ ★ ☆
時刻は夜の10時。夕食や入浴を済ませた俺は、三船さんの部屋の前に立っていた。
(大丈夫。三船さんとは今からお話をするだけ。別にやましいことをするわけじゃない。断じて、二人きりで話したいと言われたからって、期待しているわけじゃない。……ちょっとくらい期待してもいいのかな)
心の声で分かる通り、俺は三船さんからお話がしたいとお誘いを受けていたのだ。別に、何もなしに部屋の前にいるわけではない。
……何もなしに部屋の前にいたら、完全にストーカーだな。
ちなみに、お誘いを受けたのは雨が止んだ後、保養所まで戻る帰り道。
『今日の夜、私の部屋に来ませんか?』
この言葉を受けて内心、滅茶苦茶動揺してたのは内緒。
(落ち着け俺。バタバタしても始まらない。まずは深呼吸を……)
しかし、神様は俺に落ち着く暇すら与えてくれない。
「あっ、笹島さん。来てたのなら遠慮なく入ってくれればよかったのに」
扉を開け、浴衣姿の三船さんが顔を出した。いつもとは違い髪をおろしている姿は、彼女の色っぽさを何倍にも引き立てるスパイスとなっている。
表情が少し不満げなのは、俺がいつまでも入ってこなかったのが影響しているだろう。
「まぁいいです。それじゃあ、どうぞ入ってください」
「お、お邪魔します」
頭を下げつつ、俺は部屋の中へ。当然と言えば当然なのだが、部屋の内装は俺の部屋と何ら変わりはない。既に布団が敷かれており、その近くに座布団と机のセットが置かれていた。この辺りも、俺の部屋と同じである。
……布団が敷かれてた事は想定外だったけど。ひとまず立っていても仕方がないので、俺は座布団の上に腰を下ろす。
「笹島さん、お茶でも飲みますか?」
「あっ、はい。お願いします」
正直、お茶でも飲んで落ち着きたいと思っていたところだったので助かった。慣れた手つきでお茶を入れる三船さん。
そのまま、二人分の湯飲みをお盆に入れて持ってくる。
「どうぞ。うまく入れられたかどうかは分かりませんけど」
「いやいや、そんなことないですよ」
「そう言ってくれると助かります」
微笑みながら三船さんは、反対側に置いてある座布団を手に取る。そして、
「……どうして隣なんですか?」
「……こ、こっちの方が色々と話しやすいと思ったので」
どういうわけか、俺の隣に腰を下ろした。しかも、やたら距離が近い。肩がガッツリ触れ合っている。
これじゃあ、お茶を飲んでも全く落ち着けないよ(白目)。
「と、ところで、今日はどんな話を?」
「そ、その、特に話題があるわけではないんですけど……ただ、笹島さんとお話ししたいなぁって。笹島さんの事って意外と知っていそうで、知っていないことがたくさんありますから」
もじもじと恥ずかしそうに髪をいじる三船さん。何度だっていうけど、この人これで26歳って言うのが信じられない。
美人でもあり、可愛さも兼ね備えている三船さんは最強。
「ま、まぁ、そういうことなら全然大丈夫ですよ。何を質問してくれてもいいですから」
「そ、そうですか! それなら――」
その後は取り留めもない話に花を咲かせる。
三船さんがアイドルになった頃の話とか、俺の職場での話とか、本当に色々。結構色々なことを聞かれた気がする。
改めて話をしてみると、三船さんの知らなかった一面を沢山知ることができてとても面白かった。
二杯目のお茶を飲み干したところで、三船さんが感慨げに呟く。
「私、あの時プロデュサーさんのスカウトを受け入れて良かったと思っています」
「それは、アイドルとして活躍しているからですか?」
「もちろんそれもありますけど……この世界に入ってから、沢山の大切なものが増えたことです」
思い出に浸るように彼女は目を瞑る。
「お仕事での思い出もそうですし、アイドルのご友人の方もそう。それにファンの方との交流も、私にとって大切な思い出です」
そこで三船さんは俺と視線を合わせ、
「もちろん、笹島さんとの思い出もですよ?」
……ここでそんな事を言うのは本当にずるい。嫌でも彼女に対する気持ちが高まってしまう。
ファンとアイドルという関係では満足できなくなってしまう。
「……あんまり勘違いさせるようなことを言わないで下さい」
「…………勘違い、してもいいんですよ?」
囁くようにして三船さんが呟く。それはさながら、悪魔の囁きといっても差し支えないかもしれない。
残り少ない理性が、じわじわと削られていく。
「それじゃあ俺はそろそろ……」
理性の限界を感じ始めた俺は、無理やり話を断ち切り自分の部屋へ――。
「だめです」
そう言って三船さんが俺の右腕に絡みつき、しなだれかかってきた。彼女の髪からふわりと甘い香りが漂う。
(まずい……)
ただでさえ二人きりという状況で色々と我慢の限界だったのに、これ以上は……。
俺はどこぞのラノベ主人公のように、理性が強いわけでもない。どちらかといえば流されやすい方だ。それこそ、この前看病したときのように……。
「もう少し、いてください……私はもっと、あなたと一緒にいたいです」
切なげな声色。蜘蛛の糸のようにねっとりと絡みつく彼女の言葉。俺の身体は金縛りにあった時のように固まった。
そんな俺に、彼女は更に畳みかける。
「……すこしだけ」
彼女を振り払おうという考えが吹き飛び、そして、引き寄せられる。
彼女との距離が縮まる。ゆっくり、ゆっくりと……。
(大丈夫、俺は知ってるぞ。ここでプロデュサーさんたちが部屋に入ってきて、からかわれて終わりなんだ……)
愁いを帯びた彼女の表情。瑞々しい唇。それがだんだんと迫ってくるたびに、心臓が狂ったように早鐘をうつ。
(大丈夫だよな。あと少しで部屋に入ってきてくれるよな?)
三船さんが俺の右手に左手を重ねてきた。
そして俺は無意識に彼女と指を絡ませる。
もう彼女との距離は1センチもない。
☆ ★ ☆
私と彼との距離が縮まる。ゆっくり、ゆっくりと……。
(……知ってますよ。ここで瑞樹さんたちが部屋に入ってきて、私をからかってくるんですよね)
端正な彼の顔が近づいてくるたびに、年甲斐もなく胸が高鳴る。風邪をひいてしまった時はキスまでいってしまったけど、流石に今回は無理だろう。勢いにも限界はある。
(漫画やアニメならそろそろ……)
気付くと私は無意識のうちに、彼の右手に左手を重ねていた。そして、答えるように指を絡ませてくる笹島さん。
真っ赤になっている顔を見せるのは恥ずかしいのに、彼から目を逸らすことができない。……今逸らしたら、最後まで出来なくなってしまいそうだから。
そして、彼との距離はもう1センチもないところまで――
「……んっ」
私たちの唇が重なった。触れるだけのようなキスをした後、私たちは顔を離す。
『…………』
私は多分、ポーっとした顔をしているだろう。初めてキスをした時とは何もかもが違う。心臓の高鳴りから、彼の表情から、何もかも。
これまでとは違い、彼から初めて明確に男を感じた。燃えるような瞳が私を射抜く様に見つめている。
看病をしてくれた時とは違う。性に対して従順な瞳。
そして、笹島さんの右手が私の頬に伸び――
「んんっ……」
再び重なる唇。違うのは触れるだけのキスじゃないところ。
強めに重なった彼の唇から、ゆっくりと舌が伸びる。咥内で舌が濃密に絡まり合う。
私の口から私のとは思えない甘い声が漏れた。
しばらく舌を絡めてから唇を離すと、唾液の糸が私たちの間にかかる。
「……三船さん」
彼の言いたいことは分かる。それは視線を少し下に移せば誰だって……。
浴衣を持ち上げるようにして彼のアレが反応していた。
(笹島さんも興奮して……)
身体の芯がじんわりと熱くなってくる。アレが反応する理由は、そういうことに疎い私でも流石に分かっている。
それに……私だって彼に負けず劣らず興奮していた。彼のモノを本能的に求めている私がいる。だけどその前に――
「……呼んでください」
「えっ?」
「美優、と呼んでください。呼んでくれたら……好きにしてくれていいですから」
「っ! ……美優」
彼が私の名前を呼び、そのまま優しく押し倒された。
「恥ずかしいので……電気は消してください」
私のお願いに彼は頷き、照明を落とす。これで彼に裸を見られる恥ずかしさも少しマシになった。
再び私の上に馬乗りになった彼の手が、私の着ていた浴衣を優しく剥ぎとっていく。
「…………優しくしてくださいね?」
「……我慢できなくなったらすいません」
この日の夜は激しく、時に優しく、そしてとても甘かった。
☆ ★ ☆
一方その頃、別の部屋にて。
「美優ちゃんたち、大丈夫かしら?」
「風邪をひいた時にキスまでしてるから、今頃あっさり盛り合ってるかもよ?」
「早苗さん、一応女性なんですから下ネタは……」
「一応。一応、ってどういうことかしらプロデュサー君?」
「いや、えっと、その…………」
「フォローを入れようとして失敗してるじゃないの……」
ちなみに今回の状況はもちろん、この三人が意図的に作り出したものでした。
勢いだけで走ってきたこの作品も次回が最終話です(多分、更新は3か月後くらい)。
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