【短編】CREEDーマイルドヤンキーとゴスロリ女ー (HappyEndFreaks)
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Act.1 水と火

 龍宮悠河(たつみやはるか)のショートレンジのパンチが、男子生徒のがら空きの腹部を捕らえた。

 

 男子生徒は苦悶の表情を浮かべ、龍宮の胸ぐらから手を離す。そのまま身体をくの字に折り曲げて膝をついた。

 

 龍宮の周りを他にも数名の男子生徒が眉を吊り上げて取り囲む。

 

 頭一つほど身長が高い龍宮は背後をとられないよう、注意深く立ち回る。隙を突いて殴りかかってくる者がいれば冷静に応戦した。

 

 その様子を木陰に溶け込むような黒を基調としたゴスロリ姿で、『KEEP OUT』のテープをモチーフにしたニーソを履いた少女が唇を結んで眺めている。

 

 龍宮がほぼ全員の戦意を削いだところで、火が点いた石が彼の顔のすぐ横を掠めていった。

 

 澤村、と苦虫を噛み潰したような顔で龍宮がつぶやく。

 

 仲間二人を残して、ジャングルジムから飛び降りた澤村が龍宮に歩み寄る。龍宮を囲んでいた連中も慌てて退いていく。澤村がオイルライターのフタを開け閉めする音が徐々にはっきりと聞こえてきた。

 

「ハルカちゃんさ、なーに俺の友達をいじめてくれてんのよ」

「野良犬に寄って集って暴力振るう奴らを同じ目に遭わせるのがいじめだってんなら、そういうことなんだろうな」

 

 澤村が屈んで石を拾い上げた。龍宮は溜め池に向かって手を伸ばす。

 

「ほんと、ハルカちゃんってバカだよね」

 

 石をライターの火で炙る澤村。手を離しても火を纏った石は落ちない。澤村がオイルライターのフタを、音を立てて閉めたのを合図に石が射出された。

 

アルターポーテンス、脱兎の如き火(ラビットファイア)

 

 すかさず龍宮も水を集めて盾にする。しかし、いとも容易く放たれた石は水を貫いて、龍宮の肩を打った。跳ね上がった石が地面に落ちる鈍い音が聞こえる。

 澤村を龍宮はキッと睨んだ。澤村がその様を見て、せせら笑う。

 

「ハルカちゃんさ、能力の構築できてないんでしょ。いくら水を集めたって俺のラビットファイアは止められないって」

 

 澤村が石を蹴り上げる。それら全てに火が点いた。

 

「別にライターはいらないんだ。火は自前で出せるからさ。ただタバコ吸うのに、かっちょいいライターは入り用でしょ」

 

 龍宮の水の盾は束ねた藁のように石を素通りさせ、役に立たない。龍宮は腕を構えて顔面をガードする。射出された石を受けて、龍宮は後退する。

 

「そんな水の盾でも、多少は勢いを殺してるんだね。もっとも、俺も本気じゃないんだけどさ」

 

 そのときパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。

 

 ジャングルジムの上で様子を見ていた仲間が澤村に声をかける。

 

「こっちに向かってパトカーが来るぞ。誰かが通報したみたいだ」

 

 澤村は舌打ちした。

 

「また俺の仲間に手を出したら、ただじゃおかねえからな」

 

 他の取り巻きと合流した澤村が公園を後にする。

 

 龍宮も能力で集めた水の支配を解く。音を立てて水はこぼれ落ちた。跳ね上がった泥が龍宮の靴と裾を汚す。水は跡形もなく地面に染み込んだ。

 

 くそっ! と毒づき、龍宮も公園を走り去った。



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Act.2 龍宮悠河と廻栖野哀のベンチ

 川沿いのベンチに龍宮悠河(たつみやはるか)は仰向けに寝そべっている。澤村のにやけ面が脳裏にちらついて腹の虫が治まらない。

 

 龍宮には水属性の能力適性がある。けれど現状、なんの付加効果も付けられておらず、ただ近場の水を引き寄せることしかできない。

 

 体勢を横に向き直り、川を眺める。スーパーのビニール袋が一つ、ゆらゆらと流れに身を任せて下っていくのが見えた。

 

 カツン、カツンと靴音が近寄る。それは龍宮の側で途絶えた。厚底のブーツが視界に入る。龍宮が見やると、黒を基調としたゴスロリ衣装の少女が立っていた。

 

「よお、廻栖野。お前、中学はどうした」

「あなたに言えたことじゃないと思うけど、ハルカ先輩。とりあえずちゃんと座ってもらえるかしら。スカートの中を覗かれているようで気分が悪いから」

 

 悪い、と言って龍宮は眼を一旦閉じて体勢を立て直す。眼を開けたときには廻栖野は隣に腰かけていた。

 

「さっきのケンカ、見てたわ。これだからヤンキーは」

 

 廻栖野が呆れたようにため息を吐く。

 

「俺、孤軍奮闘してただろ」

「孤立無援をかっこよく言ったところで、結局はぼっちね」

 

 廻栖野の視線が冷たい。龍宮に、お前が友達といるところも見たことないけどなという言葉を飲み込ませるほどに。

 

 彼女は膝に乗せた黒猫の人形の背中のチャックを開ける。中から消毒液と脱脂綿を取り出す。

 

「傷、見せて」

 

 え、いや、と龍宮は言いよどむ。手の甲は良いにしても肩と腹部にも傷を負った感触があったからだ。

 

「良いから見せなさい。傷を私の能力で焼いて、いずれ化膿させることもできるのよ」

 

 凄む廻栖野に対し、青ざめた龍宮は「処置のほどをよろしくお願い致しします」と懇切丁寧に頭を下げた。

 

 脱いだ上着をベンチの背もたれにかけ、龍宮はタンクトップ姿になる。

 

「しみさせるから」

「容赦は!?」

 

 廻栖野はたっぷりと脱脂綿に消毒薬を垂らし込んだ。ここぞとばかりにそれを押し付けられた龍宮は身悶えする。

 

 廻栖野は短く「次、肩」と言う。年下の女子に言われるがままに肩をはだけさせる龍宮の口角はつり上がったままになっている。

 

 廻栖野は傷口を順に消毒していき、最後にタンクトップをめくり上げた。脱脂綿を押し当てられ、「があ!」と龍宮は唸る。ここ一番しみた。

 

「身長が180㎝を越えるような男が情けない」

「痛いもんは痛いんだよ!」

 

 龍宮はシャツを着直す。

 

「傷の手当て、ありがとな」

「どういたしまして」

 

 澄ました顔で廻栖野は言った。彼女の視線は真っ直ぐに川を見ている。

 艶のある黒髪に、小振りな唇。多少、吊り上がっている大きな眼は少女然としたゴスロリによく合っていた。

 

 廻栖野の横顔を見て、こいつ整った顔してんだよなと感心することもこれが初めてではない。

 

 ふと中学生にしては豊かな胸が目に留まる。そのまま谷間に滑り落ちそうな視線を龍宮は慌てて上げた。

 

 廻栖野の視線がギロリと、龍宮の目線を追尾する。

 

「胸に眼が行ってること、案外、女性は気が付いているものよ」

「別に。そんなんじゃねえし」

 

 廻栖野の蔑んだ眼が龍宮は痛い。

 

「ただ、そのリボン、良い趣味だよなって」

「ああ、これ。これは最低限の制服として義務付けらられているから、妥協して付けているだけ」

「そう言えば、レーランって制服あったよな。お前は着なくて良いのかよ」

 

 廻栖野は黒蘭女子大学付属清虚嶺蘭学園中等部に通っている。そこはいわゆるお嬢様学校だった。廻栖野が制服を着ているところは見たことはない。

 

「能力に関わる人もいるから、強制ではないの。なんなら着ぐるみの人もいるわ。校章のワッペンと学年ごとに違う指定のリボンが最低限の制服」

 

 服に穴が空くのが嫌だけど、と言って肩のあたりに付けた校章を廻栖野は見せる

 改造を施して指定のリボンをチョーカーにくっ付けているあたり、彼女のこだわりを龍宮は感じる。

 

「ただお嬢様学校っていう自負があるから、ほぼみんな制服ね。見せびらかしたいのよ、嶺蘭生だって。それだけでちやほやされるし。……なに、ハルカ先輩は見たいの? 私の制服姿」

 

 廻栖野が眉をしかめる。

 

「いや、特に」

 

 本当はちょっと見てみたかったけれど、龍宮は堪えた。

 

 まあ良いわ、と廻栖野は前を向き直り、黒猫のぬいぐるみの手をいじり始める。

 

 しばらく不快じゃない、無言が続いた。いつもなら、廻栖野が荒唐無稽な茶々を入れてきたりするのだが、今日は気を遣ってくれているらしいと龍宮は考えた。

 

「なあ、廻栖野はナパームダウンをどう構築したんだ?」

 

 龍宮の脳裏には以前見た廻栖野の能力、堕天使の黄昏(ナパームダウン)の紫色の炎が燃え盛っている様が生々しく焼き付いていた。

 

「私はド天才だから」

「さいで……」

 

 なんの参考にもならない。龍宮の眼は、どうにでもなれと雲を追いかけ出す。

 

「おや、龍宮じゃないか。またサボり?」

 

 和服を着たあどけない顔の女の子が声をかけた。龍宮は、やべっとバツが悪そうな表情を浮かべる。

 

「こんちは、ケイさん」 



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Act.3 お茶と練りきり

「こちらは?」

 

 廻栖野はさも素朴な質問を投げかけているような声音だが、その眼は据わっている。白い和服を着ているとはいえ、ケイが幼女にしか見えないため、関係をいぶかしんでいる様子だ。

 

 龍宮は客観的に自分を顧みる。身長は一八〇センチを超える。耳には三連ピアス。祖父との稽古でついた傷を隠すため右側の前髪は下ろし、左側は安物の髪留めで上げている。目つきは極めて悪し。

 

 そんな龍宮に幼女の友達はあまりに似つかわしくない。返答を間違えようものなら、社会的に()られる。廻栖野の眼差しは、そう龍宮に覚悟させるものだった。

 

 けれどケイの個人的な事情を考えて龍宮は説明しかねている。それを察してか、ケイが助け船を出した。「龍宮。わたしのことは良いから、はっきりと言ってやりな」と。彼女は続ける。

 

「セフレだって」

 

 すかさず、廻栖野がネクサスフォンを取り出す。「早まるな廻栖野! オチはこれからだ」と龍宮は慌てて廻栖野の手首を掴んだ。体勢が崩れ、ベンチの上で龍宮が廻栖野を押し倒す形になった。見つめ合うことになり、気恥ずかしさから互いに目を反らす。

 

「いい加減、退()いてもらえるかしら」

「悪い」

 

 体勢を立て直す龍宮。その様子を見て、ケイは腹を抱えてケラケラ笑っている。

 

「やっぱり若い人をからかうのは楽しいわ。仲良いのね、あんたたち」

「冗談は止してください。死ぬかと思った、社会的に」

 

 龍宮の頬は引きつっている。『他人(ひと)とつながることは、きっと未来とつながることだ』がキャッチフレーズの携帯端末にあやうく未来を閉ざされるところだった。

 

ひとしきり笑い、落ち着きを取り戻した様子でケイは廻栖野に向けて説明する。川の上流の方を指差して、ケイは言った。

 

「この先に古風な平屋があるだろ。そこに住んでる(ケイ)っていうんだ。しがない吸血鬼さ」

 

 吸血鬼。それは赤黒き写本(ヴァンパイア)を継承した能力者の成れの果て。

 

 ケイは口に指を差しこみ、端を引っ張る。吸血鬼特有の形状の歯を見せた。それは犬歯と言うより、注射器のように細長く鋭い。

 

「この人はB‐Rain(ブレイン)が出来た頃からここに住んでんだ。学長とも知り合いで妙見院学園にもよく出入りしてる」

 

(ボーダーレス)()Rain(レイン)のことは創設者のことだって知ってるよ」

 

 ケイは得意げだ。廻栖野は境界の無い雨(ボーダーレス・レイン)と呟く。

 

「初めまして。私は廻栖野哀(めぐすのあい)と言います」

 

 廻栖野と聞いてケイが目を丸くする。

 

「もしかして逢勾宮(おうまがみや)の眷属の?」

「ええ。式神六道衆(りくどうしゅう)には名前を連ねてはいませんが」

 

 龍宮はそれを聞き、記憶を漁る。逢勾宮って確か天主天王が京都から江戸に嫁いでくるときに引き連れてきた嫁入り道具の三家の一つだよな、と。

 

深鏡神(みかがみ)逢勾宮(おうまがみや)護剣寺(ごけんじ)の三家がそれにあたる。そしてその分家と眷属と配下のうち一つが廻栖野。廻栖野って本当にお嬢様だったんだなと、龍宮は漠然と受け止めていた。

 

ケイが龍宮の手の甲の傷に気付く。またこの子はやらかしたのだな、と彼女は察した。

 

「あんたたちサボりなら、うちに寄っていかないかい?」

 

×―×―×―×―×―×―×―×―×―×

 

「若い人にはこれじゃあ足りないだろうけど」

 

 ケイが二人の前に湯飲みと黒色の天然石を加工した皿を並べる。側面が粗削りになっていておしゃれだなと龍宮は感心した。その皿にはこじんまりとした練りきりが二つ添えられている。

 

いただきます、と二人は言い、ケイが召し上がれと茶を啜る。品のいい練きりは形を崩すのがもったいない。躊躇いがちに龍宮は竹の楊枝を刺し入れた。

 

「あんたさ、またケンカしたの」

 

 切り分ける龍宮の手が止まる。「ええ、まあ」。龍宮の笑顔は固い。ゆっくりと片方の練きりを四等分し、一区分を口に放り込む。餡が少し、しょっぱい。

 

「相手は能力者? いくらあんたが頑丈でも身が持たないよ」

 

 龍宮の湯飲みの水面がさざ波立つ。その様子を廻栖野は横目で見ていた。彼女から見ても、龍宮のポテンシャルは高いものだ。フィジカル面も恵まれた体躯がある。けれど適性があっても、アルターポーテンスを構築できない。能力者相手には太刀打ちできず、言いたいことがあっても聞き入れられない。悔しいだろうな、と廻栖野は当たりを付ける。

 

「能力の構築は難しいからね。赤黒き写本(ヴァンパイア)みたいに渡されたもの受け取るのとはわけが違う。何かの拍子に歯車が噛み合えば一日で発現して拍子抜けすることもあるし、波長が合わなければ勝手に構築だけが進んでいって発動条件を満たしてもアクセスできず、起動しない。精神性が反映されるから理論立てて作れるものではないし、感覚に個人差があるから周りにどう構築したか聞いても参考にならない。構築出来た奴からすれば、なぜ素養があるのに出来ないかわからなかったりするしね」

 

そのため学園は能力者を管理する組織という位置づけになっている。一人一人に教員が付き添って指導をするにしても人手が足りない。構築に関しては生徒が個人的に指導者を外部で見つけることを推奨していた。属性こそ持っているが、アルターポーテンスを構築できない人間を『落ちこぼれ』と呼ぶにはあまりに人数が多い。それでも構築できた者の優越感を煽ることに変わりはなかった。

 

 龍宮が竹の楊枝を置く。練りきりは、手が付けられていないものと食べかけの一欠片が皿の上に残っている。

 

 ケイは気落ちする龍宮を案じて言った。

 

「あんたさ、偏屈者に付き合う自信はある?」

 

 偏屈者? と龍宮は眉をひそめて聞き返す。

 

「そそ。学園のOBなんだけど、気難しくて人間嫌いの奴がいるの。正確にはコミュニケーション能力はあるんだけど、如何せん人間(ひと)と反りが合わなくて、疎まれやすいというか。そいつも在学中、あんたみたいにケンカばっかりしていたよ。良ければ、紹介するけど」

 

 少し考えてから、龍宮は「お願いしてもいいっスか」と意を決して言った。



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Act.4 落ちこぼれと偏屈者

 平日は仕事だろうから、とメールを打つケイ。彼女がネクサスフォンの操作を終えたところを見計い、龍宮は尋ねた。

 

「どんな人なんスか?」

「奇人だね。妙に理屈っぽくて、変なこだわりを持って生きてる。『俺は俺自身の思想に偏ってる』。よくそう言っていたよ」

 

 龍宮と廻栖野は真顔になる。現時点で開示される情報全てにおいて不安要素しかないんだよなあ。ケイは素知らぬ顔で茶を啜った。

 

 私が自分は化け物だって自虐したらね、とケイは切り出す。

 

「『二つの物事から共通点を箇条書きの形で抽出すると、例えば猫と椅子は類似したものになると言います。化け物と人間に本当に差はあるんでしょうか?』って言い出したの」

 

 龍宮は、また妙なことを言う人だなと聞き入る。

 

「20くらいの項目をスラスラと挙げていくのよ。『俺もケイさんも甘いものを好む』、『二者は二足歩行が基本』、『本が好き』、『誰かが風に帽子をさらわれたら拾いに駆け出す』ってね。『血を吸うか否かの差が霞むくらい、共通項は多いから限りなく同じものだと言える』だって」

 

 ケイが苦笑する。龍宮も顔を綻ばせた。「ひどいへ理屈だ」と。

 

「長く生きてると時々ああいう異物に出くわすよ。他の動物じゃない、人間だからこそその中から何かの拍子にふと産まれてくるの。そして大抵、自分が異端者だと理解してる」

 

 廻栖野がお茶で口を潤す。

 

人間(ひと)は異物を排したがるじゃない。特に体育会系は統制をとりたいからチームワークを大義名分に掲げるでしょ。和を乱す、協調性がないって言って、よく眼を付けられていたわ」

 

 龍宮は『ハルカちゃんって本当にバカだよね』と言われた公園でのことを思い出す。澤村は『仲間』という言葉を使ったが、あんなものはバケツに溜まった水が腐ったような人間関係じゃないかと毒づく。

 

「『目下だからと言って、間違っているとは限らない』っていう子だったから、ノリも反りもまるで合わなくてね、口喧嘩じゃ相手は勝てないから生意気だって手を出すんだけど、たいてい返り討ちにしちゃうのよね。小柄なのに腕っぷしが強くって」

 

 人間(ひと)から疎まれてたわ、とケイは湯呑みに視線を落とす。

 

「でも『殴られたところでたいてい、ひと月もすればどう痛かったかなんて忘れる。 相手の顔色を伺って言いたいことが言えないままずっと悶々とするよりずっと良い 』って子だったから生傷が絶えなくてね。 あの子は肉体的にも精神的にも強いけど、立場が弱い人間だったの。たいていのことは一人でできちゃう子だったから痛くも痒くもなかったみたいだけど 」

 

 ケイがニヤニヤしながら、龍宮の顔を覗き込んだ。

 

「もしかして、少し自分に似てるかもって思った?」 

「そんなことはないっス」

 

 図星を突かれて龍宮はばつが悪くなり、顔を背ける。廻栖野は場がほぐれたので残りの練りきりを食べ切って皿を空けた。

 

「大丈夫。全く似てないから。というか、似てはダメ。人間は強すぎてはいけないのよ」

 

 ケイの言葉に対し、それってどういうことですかと言いかけたとき、ネクサスフォンが鳴った。ケイが電話をとる。

 

「ごめんなさいね。仕事中だったでしょ。え、社長がもう帰った? まだ16時よね。あんたは? 定時が最低12時間労働と規定されてるから仕事は終わってるけど帰らせてもらえないって。残業代は、……出ないのね。原稿待ちのときは夜遅くなるんでしょ。大変ね。殺しちゃダメよ。あんたが本気になったら徒手空拳で余裕でしょうけど」

 

 龍宮と廻栖野は顔を見合わせる。『社会は厳しい』と言ってるのは厳しくしてる奴らの台詞で、労働者は『働くのが辛い』って言ってるんだな。龍宮は世の不条理に震えた。

 

「ああ、うん。ちょっと待ってね、今変わるから。龍宮」

 

 ネクサスフォンを渡される。第一声はこういうとき、何て声をかけたら良いんだろう。龍宮は自分の足りない社会経験を痛感した。

 

「お仕事お疲れさまです。お忙しいところすいません。相談させてもらった龍宮です」

『気遣ってくれてありがとう』

 

 若い男性だと声から龍宮は推測する。外部スピーカーで通話内容が共有できるように設定されていた。廻栖野も耳を傾ける。

 

『俺は椎名という。正直、毎朝、事務所の扉を開けたら社長が首吊ってねえかなって思ってる。「社長! 駄目だ、死んでる……。念のためにあと20分吊るしておこう」ってやりたい』

 

 これがブラック企業勤めの社会人の本音を内包したブラックユーモアか。龍宮は口を真一文字に結んで虚空を見つめた。

 

『ケイさんからメールをもらった。内容としては君が能力の構築したいから助言が欲しいというものだ。間違いはないだろうか』

「そうです」

『ぶっちゃけ断りたい』

 

 龍宮は、頼みの綱を目の前で断ち切られた気分だった。自分の末路を目で追うように、視線が下がっていく。

 

『アルターポーテンスの構築は個人差があるから、どう指導すれば良いか実際のところ正確なものは誰も把握していないのだ。そんな不安定な代物の責任なんぞ誰も取りたがらないから、学園の教員を募集しても後込みして人が集まらない。慢性的な人手不足で、さらに指導に手が回らないという悪循環だ』

 

 龍宮は惨めな気持ちになった。少しでも期待してしまった自分がバカだったのだ。澤村のにやけ顔が頭を過る。

『ほんと、ハルカちゃんってバカだよね』。

 

「そうっスよね。お仕事で大変なのに俺の面倒なんて見てられないっスよね」

『まあ、ほぼ暇しておるがな』

 

 龍宮は額にシワを寄せる。何なんだよあんた、と龍宮は震える声で絞り出す。

 

「人間嫌いで、なんでも一人でできたあんたには落ちこぼれの気持ちなんてわからないよな!」

『そうだな。落ちこぼれの気持ちというのは俺にはわからない』

 

 見るに耐えかねた廻栖野が電話を取り上げようとするのをケイが引き留めた。

 

『だが、人間(ひと)に認められなくて悔しいという気持ちであれば、俺にも心当たりがある』

 

 えっ、と龍宮は思わず溢す。

 

『君の悩みは、君の所有物であろう。俺が電話で二、三分話した程度でおいそれと「理解できる」などと言えるものではなかろうて。まあ良い。俺は龍宮君の能力構築に責任を持ちたくない。だが暇で発狂しそうだ。 そこで折衷案だ。 もし君が俺の退屈しのぎになってくれると言うならば、俺は「暇」である限りにおいて君を手助けしよう。むしろお願いしたい。どうだろうか、君は俺の暇潰しに付き合ってくれるか。言っておくが、俺の原稿待ちという不毛な残業は時に終電間際に及ぶぞ』

 

 龍宮は目頭が少し熱くなった。

 

「話に聞いてたよりあんたずっと偏屈だよ」

 

 知らんがな。椎名は投げやり気味にそう言った。



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Act.5 手の甲と傷

 龍宮が東京寄りとは言え、千葉県住まいということもあり、指導は電話でのアドバイスのみということになった。上司が帰り、残業の様子を見て椎名の都合が良いという条件が揃ったときに連絡が椎名から来ることを確認する。

 今日はまだ指導には移らない。

 

『今日の仕事自体は終わっているから、あとは来たる定時を待つだけなんだ。残業の引き延ばしがない日は早く帰りたいという俺のわがままだ。すまんな』

 龍宮にはとても引き留めることはできなかった。

 

『同じ境遇の人間がいないか検索したことがあるんだ。そしたら「残業代が出ないのに毎日十二時間労働なんだけど、これって普通のことなんでしょうか?」という質問が挙がっているのを見つけた。その質問に対して「俺は十五時間労働だ。甘えるな」と解答が寄せられていた。俺はこの足の引っ張り合いが社会の縮図なんだと思う。十二時間労働で辛いんだから、十五時間働かされてる自分の待遇は異常なんだなと認識すれば良いのに、あまつさえ「甘えるな」と宣う奴がいたり、子供じみた上司が自分より早く部下が上がろうとすると不機嫌になるから不毛な残業合戦になるのだ。ほんと滅べば良いのに』

 

  椎名がそう電話口で語り、龍宮はその切実さに胸を打たれた。

 

「お疲れさまです……。本当にお疲れさまです……」

 

 液晶画面を一度拭ってから龍宮はネクサスフォンをケイに返す。ケイは「体に気をつけてな。くれぐれも上司をぶん殴るんじゃないよ」と言って通話を切った。

 

 龍宮とケイは思うところがあって、しばらく無言でテーブルを見つめた。

廻栖野が小さく挙手する。「ケイさん、ちょっと良いかしら」と。見知った相手がブラック企業にこき使われているということを知って意気消沈したケイが頬をひきつらせて、どうしたんだい? と尋ねた。

 

「今の彼、『原稿待ち』って言ってたけど、たぶん出版関係よね。能力に関係した企業とは思えないのだけど。指導に関して白羽の矢が立つなら、その椎名さんというのはそれなりの実力者なんじゃ」

「能力者の就職先も色々あるからねえ。一般的には軍や警察、レスキュー。NPOで海外ボランティアや紛争地域に行く子も多いけど、みんながみんな貢献や奉仕に目を向けてるわけじゃないから一般企業に就く子もいるよ。一応学園がデータベース化して把握しているけど、中には能力者だって隠して普通に就職する子もいるね。そういう例を除けば、マスターピースの資格をとって民間人を対象にしたボディーガードをやる所謂、『護衛屋』や失せ物や行方不明者を探す『探し屋』も一般企業と言えば一般企業だしね。眉唾物に思うかもしれないけど、日陰者の中には『運び屋』や『殺し屋』だって実在するんだ」

 

 龍宮は妙見院学園のスカウトマンだというドクロのハーフマスクで口元を隠した男のことを思い出す。

 

×―×―×―×―×―×―×―×

 

 男は国木田釈真(くにきだしゃくま)と名乗った。彼は龍宮が当時預けられていた長野にある祖父の神社にふらりとやってきた。

 

『AIは人間(ひと)の仕事を奪うという危惧が取り沙汰されるのと同様に、業界によってはアルターポーテンスで大打撃を受けます。昔は魔法使いや仙人だとちやほやされましたが、原則的に現代社会は能力者を好みません。持って産まれた頭脳のひらめきで新商品を作り出すのと何が変わらないのか理解しかねますが、とにかくアルターポーテンスで稼ぐことを他人(ひと)は良しとしません。面白いですよね、金を持ってる人を見ると、どうせ悪いことをして稼いだと影口を叩くんです。楽して稼ぐことが悪なんですよ。金は汗水垂らして苦労して稼がないといけないってね。市場の独占だとか難癖を付けられます。原則的に禁じられていることからもわかるでしょう。市民から受け入れられるのは警察やレスキュー、または資格をとった所謂ヒーロー、マスターピースみたいな奴ばかり。無力な自分たちに奉仕して当たり前くらいの気持ちなんです。それが人間です』

 

 仮面で口元が見えないが、国木田は目元を歪めて笑っていた。この男は人間に悪であって欲しいんだな、と龍宮は思った。

 

『だからスカウトマン(ボクたち)がいるんですよ』

 

×―×―×―×―×―×―×―×

 

 龍宮は我に帰る。

 

「まあ椎名は事情が異なるけどね。あの子は今、能力がまともに使えないから」

「能力が使えない? 陰陽師の結界内でもないのに一個人が日常的に? まさか能力を奪われた、とか」

 

 廻栖野が食い付く。

 

「個人的なことだから教えられないけど、色々あってそういうことになってるの」

 

 日が落ちる前に帰るようケイに促された。敷居を跨いで外に出る。

 

「色々、ありがとうございました」

「お茶とお菓子ご馳走様でした」

「あんたたち、明日はちゃんと学校に行きなさいよ」

 

 ケイに念を押される。生返事をして、二人はケイの家を後にした。それから廻栖野を駅の改札まで送った。

 

「悪いな。こんな時間まで付き合わせて」

「別にかまわないわ」

「気をつけて帰れよ。またな」

 

 廻栖野が改札機に入る直前に立ち止まる。振り返った彼女は愉快そうに笑った。

 

「ハルカ先輩の孤軍奮闘、私楽しみにしているから。じゃあね」

 

 イヤミか、てめー、と龍宮は苦笑いを浮かべる。廻栖野は軽い足取りで駅に入り、人混みに紛れて見えなくなった。

 

 龍宮は今日は鳴らないであろうネクサスフォンの液晶を眺める。電源が落ち、暗い画面は鏡のようになっていて龍宮の顔がそこに映る。情けねえ面だと思った。ズボンにしまうとき、手の甲を擦ってしまい、思わず、声が出た

。龍宮は駅舎の街灯に晒して傷を眺める。

 

 剣の稽古を付けてくれた祖父の言葉を思い出す。報復じゃなく、誰かを守る力に変えられるものが構築できたらな、と考えた。

 

 なんてな、と龍宮も下宿先に向かって踵を返した。



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Act.6 コップと泥水

 椎名から連絡があったのは二日経ってからだった。

 

 時刻は十八時。メールの文面には『暇になりました。都合が良いときに連絡ください』とある。

 

 龍宮は事前に目星を付けておいたひとけのない空き地に移動する。近くにおあつらえ向きのため池もある。錆びた鉄骨が打ち捨てられ、泥水は赤く濁っていた。

 

 龍宮が電話をかけたところ拒否され、直後に知らない番号から着信があった。通話ボタンを押すと椎名の声が聞こえてきた。

 

『社用ケータイからかけている。社長がいるときに鳴らされると困るのでな、極力そちらからはこの番号にはかけないで欲しい』

「わかりました」

『あと、こないだよろしくタメ語で良い。俺は上下関係に中指を立てていたいんだ。何なら椎名と呼び捨てで構わない』

 

 なぜこのお方はこんなロックな生き方を選んでしまったのだろう……。龍宮は椎名の闇に思いを馳せた。

 

『さて、何から始めようか』

「誰かを指導した経験とかは」

『勝手が同じとは限らないからな。来年から学園に通うキリクという者がいる。友達なんだが、こいつはあまり構築には苦戦しなかったから』

 

 つまり俺の兄弟子に当たる人か。龍宮は記憶に留める。

 

 とりあえず現状を確認していこうか、と椎名が切り出す。

 

『まず支配する属性は?』。

「水」

『念のため聞くが自分のアルターポーテンスの能力名は知っているか?』

「知らない」

『現時点で観測される効果や性質は?』

 

 龍宮はため池に手をかざし、いつも通り水を引き寄せた。集まった泥水が球体を成す。それを上下左右に動かしてみる。

 

「水が集められる。自分の意思で動かせる」

『写メを送れるか?』

 

 送った写真を見た椎名は『泥水か。なるほど』と言った。

 

『まだあまり支配力は高くはなさそうだな。構築が進んだ水属性の能力者だと土はおろか、集めた段階では純水と変わらない者もいる』

 

 出力が知りたいと椎名は水を出来る限り集めるよう龍宮に促した。龍宮は意識を集中させ、ため池の水をなるべく多く手元に引き寄せることに力を注ぐ。結果、大きいとは言えないため池だが、すべての水が龍宮の目の前に集まった。その様子を写真に撮って椎名に送る。

 

『アルターポーテンスは初期が一番扱える水の量が多いからな。まだ行けそうか?』

 

 試してみると、地面から染み出すように吸い上げ、目の前の水の塊に注ぎ足すことに成功した。

 

「なんかコップの中にいるみたいだな」

『何だって?』

「いや、周りが水に取り囲まれて、自分がコップの中心にいるような感じなんスよ。泥水だけど」

 

 視線を上げても、そびえ立つ水を目で追うことになる。水族館の水槽の間近で立ち尽くしているような状態だった。

 

『今君がいる、台風の目のような範囲は拡げられるか』

「無理っスね。集めた水でギッチギチになってる感じなんで」

 

 通勤時間帯の電車に乗ったような状態で、龍宮は身動きが取れない。椎名は思案を巡らせているらしく無言になり、しばらくして『バスケットボール大の水を残して、あとは池に戻して良い』と口にした。龍宮は言われた通りにする。

 

『水使いの攻撃として、オーソドックスなのが「水珠」という水のボールを撃ち放つものだ。上下左右に動かせると言ったが、そのボールを飛ばすことはできるか?』

 

 龍宮は水を射出するイメージをするが、水の球はある程度までは加速するも、目測で三~五メートルくらいの範囲を境にぴたりと留まってしまう。

 

「ダメだ。飛ばせない」

『留まってる水のボールを意識せずちょっと、走ってみ』

 

 走り出すと水は一定距離を保ったまま龍宮に付いてくる。

 

『やはり完全な初期状態というわけではなさそうだな。多少構築が進んでいるようだ。射程距離が固定されている。わりかし狭い範囲で』 

 

 射程圏が狭いため、集めた水が拡がりを見せずに龍宮の周囲をぐるりと取り囲むことになった。

 

「つまり、俺がアクセスできないだけで、何かしらの効果が水に付与されてるかも知れない、と」

『または精神性が反映されて構築できる方向性が決まりかかっている段階かもな。とにかく君がこれからやることは自己対話になる。何が水に込められているか、そこに目を向けなければいけない。現状、水だけが知っている』 

 

 水だけが知っている。椎名の言葉を反芻するように龍宮は呟いた。

 

『今日は現時点で最大限の水を集めたんだ。疲れただろう。続きは今度にしよう』

 

 その日の指導はそれで切り上げられた。



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Act.7 龍宮とファミレス

 ベンチに座り、龍宮は無為に河川を眺める。あれから数日間、椎名と集めた水の形状を変えたり、火にあててみる、射程距離の範囲で撃ち放つなど検証を繰り返した。いっこうに起動する兆しはない。

 

 椎名は『効果を意識する必要があるようだ』とため息を吐いた。

 

『やはりアクセスできないと発動条件が整っていたとしても意味がないのやも知れんな。性質を意識して起動させる。または水に込めたものを知る。あわよくば、能力名が知りたい』

 

 龍宮にしてみれば、ヒントなしで箱の中身を当てろという難題を突きつけられた気分だった。

 

『水について少し考えておいてくれ。君にとって水とは何か。水は君の周りにどう存在したか。抽象的な質問で悪いな。だが能力は言うなれば君の分身なんだ。誘導したら、それは君のアルター・エゴではなくなる。君の制御下を、支配下を離れる』

 

 椎名はバランスをとるように龍宮を励ました。

 

『まあ、能力が宿っていると知れたことは前進だよ。答えは必ず君の内側にあるのだから』

 

 河川敷を睨む龍宮。水の支配者と言えど、川の流れを操作できるわけでなし、途方に暮れる。

 

 水って何だっけ。龍宮は脚を投げ出してベンチにもたれかかる。『水』でゲシュタルト崩壊を起こしそうだと思った。処理不良を起こした感情が「あばばばばば」という無意味なワードとして体外に排出される。

 

 後ろに立つものがあった。

 

「私メリーさん。あなたの無防備な背後をとったの」

「この気当たりはマスタークラスっ!」

 

 腰を捻って背後を振り替えると廻栖野がたたずんでいた。並木の奥から近寄って来たらしい。フリルのついた黒い日傘を掲げている。

 

「こんにちは、ハルカ先輩。相変わらず苦戦しているようね」

 

 横並びになった二つのベンチの隙間を通り、廻栖野は河川敷側に歩みでる。

 

「隣、良いかしら」

「どーぞ、どーぞ」

 

 廻栖野が傘を閉じて横に座る。

 

「土曜日だろ。なんでいんだよ」

「あなたこそ、土曜日だというのに制服を着て何をしているのかしら。酔狂なの?」

 

 龍宮は「補講だよ補講」と、手のひらをヒラヒラさせた。

 

「あなた勉強はそこそこできたわよね。ノイローゼでIQがダウンバーストに巻き込まれたのかしら」

「それは急転直下だなあ。機内はパニック。大惨事だ……。こないだサボった日に抜き打ちの小テストがあったんだとよ」

 

 そのため龍宮は数少ない友人である、薬師寺や藍原からは『ざまあ』と指を差され、クラス委員長には頭を抱えられる始末。

 

 廻栖野もため息を吐く。

 

「普段から徳を積んでおかないから。今からでも遅くない。私にご飯をおごりなさい」

「まあ、それも良いか。ところで廻栖野さん、そのボイスレコーダーは何よ?」

「言質を録っているのよ」

 

 この女いけしゃあしゃあと何を言ってやがる。龍宮は絶句した。

 

 ファミリーレストランに移動する。廻栖野のゴスロリ姿は如何せん人目につくので、視線を寄越す通行人も多い。けれど好奇で向けられた眼差しが、廻栖野の容姿を見て羨みや憧れに変わっていった

 

 対して隣に並び立つのは長身痩躯のいかつい男子生徒(かろうじて校章つきのワイシャツ)。まあ不釣り合いというか、ちぐはぐだよな、と思う龍宮。横目で見ると相変わらず廻栖野は澄ました顔でどうどうと歩く。

 

『怪人は怪人でいることに一番力を使うというわ。変わった人間であり続けることは大変なの。好きな格好をしているだけなのに他人(ひと)は放っておいてくれないのよ。だからこれは自己責任なの。好きな服を着る、その代償。私はもう気にしていないわ』

 

 会って間もない頃、廻栖野はそう言った。彼女は続けて『私を連れて歩くと、あなたも人目に晒されることになるけど、それこそあなたに耐えられるのかしら』と挑発的に龍宮に尋ねた。

 

 少し考えてから龍宮は、襟元を広げて自分の胸ぐらを覗き込んだ。

 

『まあ俺は俺で悪目立ちするからなあ。タッパーはあるし、目付き悪ィから「ガン飛ばしてんか」って絡まれることもしょっちゅうだし。確かにいちゃもんつけられて怯むくらいなら、最初からこんな格好しないよな』

 

 龍宮は首から下げたシルバーチェーンのネックレスを指で弾く。

 

『むしろ、その格好でラーメンに付き合ってくれる方が俺はびっくりだよ』

 

 そう言って龍宮が笑いかけると、廻栖野は『あなたの生活水準に合わせてあげるだけよ。勘違いしないで』とそっぽを向いた。

 結局、似た者同士なのかも知れない。今では龍宮はそう思っている。

 

 ファミリーレストランで注文したあと、龍宮は二人分のドリンクバーを取りに行った。廻栖野の前にウーロン茶を置き、お礼を聞きながら着席する。龍宮はアイスコーヒーを口に含んだ。

 

 廻栖野がおしぼりで手を拭いながら言った。

 

「個人的な興味で椎名さんを調べているの」

 

 龍宮はグラスをテーブルに置く。

 

「どうなんだ」

「そしたら、びっくりするほど」

「情報がない?」

「いえ、情報に溢れてる。在学中からめざましい活躍をしているけど、悪評が七割ね。それが二○○八年のある時期にピタリと途絶えるの」

 

 ある時期って? と龍宮は聞き返す。

 

「《魔人》オーランドー・ベイカー、逮捕」

 

「誰が撃破したかという公式記録は明かされていない。ただ事実として、神話の元ネタになったとされる魔道具、亜神器の適合者が負けて捕まった。それだけ」

「それを椎名さんがやったってのか?」

「確証はないわ。能力が使えなくなる理由にもなってない。ベイカーの万物選択の槍(グーングニル)はプログラムを吹き飛ばせても、ハードは殺せない筈だもの。宿ったアルターポーテンスが消えることにはならないわ」

 

 廻栖野の注文したパスタが届けられる。彼女が手を出さないのを見て、龍宮は「お先にどうぞ」と促した。

 

「そうさせてもらうわ」

 

 いただきます、と言って廻栖野はフォークにパスタを巻き込む。前髪の端を押さえて耳にかけ、小さな口がパスタをとらえた。妙に色っぽいんだよなー、というのが龍宮の感想。

 

「何かしら」

「特に感想はない」

「まあ良いわ。あなたが師事している相手、実はとんでもない人なのかもね」

 

 龍宮の前にハンバーグのライスセットが配膳される。店員が注文した品が揃っているか確認したあと、伝票を伏せてテーブルに置いて立ち去った。

 

 そのとき子ども連れが、龍宮たちの席の横を通り過ぎていく。周りの迷惑だからお店の中ではしゃがないで、と注意する母親の声が遠ざかっていく。ファミリーレストランね、と龍宮には少し苦い思い出がよみがえった。

 

「どうかしたの」

「あんま、家族で外食したことがなくってさ。変な話だけど、子ども連れがいると、ああ本当にこういうシチュエーションがあるんだなって思うんだ」

 

 龍宮がハンバーグにナイフを入れる。

 

「俺ずっと父方の実家に預けられてたからさ」

 

 龍宮はそれで話を切り上げるつもりだった。けれど廻栖野は僅かに笑って言った。

 

「続けて」

 

 いつも見せるような真剣な顔ではない。だけど龍宮は経験上、他人(ひと)に深刻に受け止められた方が辛くなることを知っている。他人の反応を見て、自分が可哀想なのかも知れないと思わされるのだ。

 だから彼女が、なんでもないことのように振る舞うのは、龍宮からすればありがたいことだった。

 

「両親の離婚調停のときと、一番直近だと父親の単身赴任が決まったときだな。妙見院学園に通うのが決まったのも父方の実家にいたタイミングだった」

 

 龍宮はハンバーグを頬張った。ソースの味と肉汁が口に広がる。咀嚼して飲み込む。ハンバーグはおいしかった。

 それから話を続ける。

 

「そこは長野の山奥にある古い神社でさ」



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Act.8 悠河と宗海の川

 夏場は山が霧が沈み、冬は雪に覆われる土地に龍水神社はあった。

 小学五年生のときに父親に連れられて訪れたのが最初だった。初めて見る祖父の龍宮宗海は少しだけ怖かった覚えがある。父親が神社を継がないと言って家を出て以来、祖父とは不通になっていたらしい。祖父が存在することも初めて知った。

 

 祖父は目線を合わせるために、龍宮の顔の位置までしゃがんだ。

 

「悠河君は大丈夫だ。怯えていても、こんなに人の目を真っ直ぐ見られる子はそうはいない」

 

 そう言って、宗海は龍宮の頭を撫でた。

 

 龍宮の父親が頭を下げたとき、宗海

は『孫に俺たちの確執を持ち込むものではない。責任をもって悠河は俺が面倒を見る。お前は、お前のやることをやれ』と言った。

 離婚の原因は母親の浮気だった。父親と暮らすことを幼い龍宮が選んだとき、母親が肩の荷が降りたような顔をしていたことを忘れない。再婚相手から連れ子はいらないと言われていたのだろうと今では察している。

 最後に見た母親の姿は、妙に晴れ晴れとしたものだった。玄関で抱き締められて、『元気でね』がお別れの挨拶。あのとき龍宮は子ども心に本当は一言、謝ってほしかった。それで全部許せたのだ。

 結局、面会日の設定もないまま今日(こんにち)に至る。

 

 宗海との暮らしは質素なものだった。ファミレスはおろかコンビニもない山奥。遊園地は宣伝でしか見たことがない。

 

 初日の夜は慣れない環境と蒸し暑さのせいか、龍宮は寝付けなかいでいた。エアコンがほしかった。その様子に気が付いた宗海に連れられて、夜の散歩に出た。

 

 蚊取り線香を納めた金具を手に下げて宗海は歩いた。ざっ、ざっ、と砂利を踏み鳴らす。祖父の手にしっかり捕まっていたが、いつかその手の先が魔物に変わるのではないかという妄想に苛まれた。

 

 夜闇は濃く、黒く塗り潰された木々は葉音だけをひしめかせている。その合間に水の流れる音がした。せせらぎに向けて宗海は馴れた様子で歩いていく。

 

「苔で滑らないよう注意しなさい」

 

 宗海の言葉で川に着いたことがわかった。そのとき初めて宗海は懐中電灯を灯した。

 

 宗海が袖から取り出したのは、人の形を象った紙だった。龍宮に渡し、息を吹きかけるよう言った。龍宮は言われるがままにする。紙の人型は吐息に揺れて、ぶるぶる震えた。生きてるみたいだと思った。

 

「体に二、三回撫で付けて」

 

 宗海はそう言い、懐中電灯で川との境を照らし出した。

 

「それから川に流してしまえ」

「ゴミのポイ捨てになるよ」

「川にはそれくらい受け入れる度量がある。悪いものは川に任せて流してしまうのが良い。いずれ海に流れ着いて、バラバラになり、限り無く無力なものに変わる。水は巡る。そのサイクルの中に流して、解かし、浄化するんだ」

 

 人を象った紙を水に浮かべる。すぐに半紙に水が染み込み、半ば透けた。そのまま紙は流されるままにたゆたい、懐中電灯の範囲を抜け出て見えなくなった。

 

 宗海が何かに気が付き、懐中電灯を切る。

 

「ホタル。初めて見た」

 

 龍宮がはしゃぐ。

 

「ここは何もないわけじゃない」

 

 宗海は落ち着き払った様子でそう言った。

 

 友達の輪に入れなかったときも龍宮は、その川のそばで泣いた。滴がこぼれて僅かに水面を揺らす。誰も頼れなくて心細かった。お母さん、と龍宮は呟く。

 

「ここにいたのか」

 

 探しに来た宗海に龍宮は背負われる。

 

「川にこぼした涙が、いつか誰かを救うかもしれない。全部繋がっているからね。強くなろうな、悠河君」

 

 水を操作できるようになったのはそれからすぐのことだった。

 

×―×―×―×―×―×―×―×

 

 父親の単身赴任が決まり、中学二年生の龍宮は祖父のところで暮らすと告げた。父親は「それが良い」と、月々の生活費を祖父に払って、九州で働いている。

 

 わずかばかりの門下生を抱える道場も宗海は管理していた。

 

 道場の入口に龍宮は座り、文字通り志願者の門前払いから戻ってきた宗海に問う。

 

「なあ、じいちゃん。なんでさっきの子に剣を教えてやんないんだ」

 

 宗海は道場に上がり、膝をついて正面の神棚に一礼した。時が止まったかのように宗海は微動だにしない。しばらくして彼は顔を上げ、龍宮の方に向き直る。

 

「あの子は、町の野球クラブの子らにいじめられている。現場を見つけて悪がきを追い払ったこともあった。そんないじめられっ子が力を付けてやることは、ただの報復だよ。わかりきっている以上、剣は教えられない」

「そんなのいじめてる奴が悪いんだろ。一度、痛い目をみれば良いじゃないか」

「 武術に強さを求めるならば、強い相手に挑むのが筋だ。けれどたいていの人は伸び悩み、自分より弱い者の存在に安心するようになる。そしてあまつさえ、付けた力を使っていじめを始める。今回だって、あの子が力を付けていじめっ子を相手取ったら、立場が変わっただけでいじめとなんら変わりない。最初から自分より弱い者に力を奮うことを目的としているからだ」

 

 宗海が、道場の奥に歩を進める。龍宮もそれについていく。 壁にかけられた数多の木刀からそれぞれが一本をとり、神棚の真下に赴く。

「 悪を成敗することは必要だ。時にはその執行に暴力を要することも否定はしない」

「それは報復と何が違うんだよ」

「報復は被害者の立場から、成敗は中立者の立場からだ。誰かがぶん殴ってやらないといけない奴は確かに存在する。武術に限らず、力がある者には選択肢と発言権がある。だから力には責任が伴い、中立者には悪を見定める目を持たなければいけない。兼ね備えた者が悪を裁く必要がある」

 

 再び、神棚に深々と礼をする宗海。龍宮も同じように振る舞う。二人は面を上げて、木刀を持って立ち上がった。

 

「母親も母親だ。『社会性』『上下関係』『礼儀』だの聞こえの良い言葉を並べるが、それは武術の本質ではない。スポーツに幻想を抱き過ぎている。どんなに美辞麗句で取り繕っても剣は人と戦い、時には死に至らしめることさえある力だ。弱者をなぶる資質がある者の自信と手段にならないよう、教える者にも責任がある」

 

 木刀を虚空に向けて構え、素振りを始める。

「野球から学べることは野球だけだし、剣道を習っても剣道しか身に付かない。他は全て副次的なものだ。正しい社会性、正しい上下関係を所属した集団が教えてくれるとは限らない。年配者が都合が良くねじ曲げ、立場が弱いものを虐げるスポーツマンシップだって世には氾濫している。特に礼儀なんてものは本来、家庭で躾るものであって道場やスポーツクラブにそれを求めるのは家庭教育の放棄に他ならない。家庭で教えた礼儀を、道場や公共の場で発揮するのが本来の姿だろうに」

「てかじいちゃん、愚痴が多いな!」

「だって、てっきり門下生が増えると思ったんだもん! 期待して損した!」

「じいちゃん、冷気を出すのはやめてくれ……」

 

 ごめんください。

 

 か細く、そう聞こえた。見やると道場の入口に、シルクハットを被り、骸骨のハーフマスクで口元を隠した男が立っていた。

 

「良かった気が付いてもらえた。こんにちは。ボク、妙見院学園のスカウトマンで国木田釈真と申します。ちょっとお話しさせてもらっても、よろしいでしょうか」

 

×―×―×―×―×―×―×―×

 

「素敵なお祖父さまね」

「ああ、じいさんのことは本当に尊敬してる。悪いな長々話して」

「いいえ。あなたに信頼されているようで私は嬉しい」

 

 廻栖野は普段とは違う笑い形をした。龍宮が見とれていると廻栖野が伝票を手にとり、龍宮の前に流れるような動作でスッと差し出す。

 

「こちら、(フロント)のお客さまからです」

「それは小粋なカクテルを一杯おごる者のみに許されたセリフだ」

 

 テープレコーダーを再生する廻栖野。

 

『普段から徳を積んでおかないから。今からでも遅くない。私にご飯をおごりなさい』

『まあ、それも良いか。ところで廻栖野さん、そのボイスレコーダーは何よ?』

『言質を録っているのよ』

 

「徳を積ませてもらいます!」

「わかれば良いのよ、わかれば」

 

 平伏する龍宮を尻目に、廻栖野はメニュー表を手にとって最後のページに目を通し出す。

 

追加注文(デザート)ですか!?」

「些末なことよ」

 

 まあ長話に付き合ってもらったし良いか、と観念した。龍宮もアイスクリームを頼むことに決める。廻栖野が選び終えるのを待っていると、彼女はおもむろに袖口からメジャーを取り出した。

 

「なんて痛い子だ、廻栖野! いったいいくつネタを仕込んでいやがる!」

「夢だったの。メジャーで指定して『ここからここまで下さい』って頼むの。念願が叶うわ」

「ざっけんな、デザートは一品(いっぴん)だ。厳選に厳選を重ねた至高の一品(ひとしな)のみがこの卓上にのぼることを許されるのだ」

 

 ちっ、と廻栖野は吐き捨てる。

 そしてジャンボサイズのパフェが運ばれて来た。

 

 廻栖野、なんて恐ろしい子……。戦慄して龍宮は震えた。

 

 財布のご機嫌を伺いながらファミレスの外に出たとき、澤村たちに出くわした。

 澤村はおもちゃを見つけた子どものように笑う。

 

「ハルカちゃんじゃん。何やってんの」



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Act.9 メンヘラーちゃんとマジキッチ

「ハルカちゃんの彼女? すっげ、かわいいじゃん」

 

 澤村が囃し立てる。廻栖野をかばいながら、龍宮は無視して立ち去ろうとした。しかし執拗に澤村が付きまとう。

 

「ハルカちゃんから俺に乗り換えない? 普通そうするよね、普通ならさ」

 

 廻栖野が鬱陶しそうな目をする。

 

「俺さ、君に一目惚れしちゃったんだよ。そこの腰抜けよか、俺の腰の動きの方がずっと満足させられると思うんだよね」

 

 これには取り巻きの二人も飽きれている様子だった。「澤村、下ネタはきついって」と苦笑いしながらたしなめるのはその一人、高林だ。

 

「ヘドが出るから消えて」

「うっせブス」

 

 手のひらを返す澤村の転身ぶりに高林が耳障りな笑い声を上げる。

 

「理不尽すぎるだろ、澤村」

 

 睨み上げるような三白眼は、廻栖野がキレる直前の顔だった。龍宮は「お前、本当にいい加減にしろよ」と澤村を牽制する。

 

「ハルカちゃんはどっか行っててよ、邪魔だからさ」 

 

 澤村が「三好」と声をかけた。表情が薄い男子生徒がダルそうな仕草で前に出る。

 

「俺、早く帰って映画見たいんだけどさ」

「どうせホラーだろ。夜にでも観てろよ。それより『メンヘラーちゃんとマジキッチ』でハルカちゃんをどっかやれ」

 

 三好が「そういう能力じゃないんだけどな」と呟きながら、龍宮に触れようとする。思わず、龍宮はその手を払い除けた。

 

「じゃあ鬼ごっこでもしようか。鬼は俺じゃないけど」

 

アルターポーテンス、感染経路を辿る愛憎劇(メイド・イン・ナイトメア)

 

 三好のすぐそばに大きなぬいぐるみが現れた。眼の部分にぽっかりと穴が空いたクチバシ付きの白いマスクを被り、犬のような垂れ耳とオーバーオールを着ているのが特徴的だ。けれど龍宮が目を見張ったのは、ぬいぐるみが右手に持つ赤い消防斧の存在だ。

 

 続いて三好がそのぬいぐるみの肩に「タッチ」する。途端に龍宮の肩が重たくなった。見ると瞼を施術糸で縫合された少女を象った西洋人形がいつの間にか乗っていた。

 

 消防斧の人形と少女のドールは赤い糸で小指が結ばれている。糸は長く、地面にとぐろを巻いていた。

 

「紹介するよ。俺の能力のマスコットキャラクターである、メンヘラーちゃんとマジキッチだ。以上」

 

 するとマジキッチが「ぶーん」と低いうなり声を上げ始める。

 

「殺さないように、ちゃんと柄で殴るようプログラムしろよ」

 

 高林の言葉に「うるさいな」と三好は唇を尖らせた。マジキッチの穴だけの目に赤色の光が宿る。

 

「十秒経ったか。いけ、マジキッチ」

 

「ぶーーん!」

 

 マジキッチが龍宮に向け、消防斧を振り上げて突進する。龍宮は廻栖野を抱え上げた。駆け出した直後、龍宮がそれまで立っていた場所にマジキッチの斧が降り下ろされた。地面が砕ける。

 

「おいおい、三好。ハルカちゃん、彼女を抱えて行っちまったぞ」

「不可抗力だよ」

「ずるいよな。三好には見えてんだろ、マジキッチの視界」

 

 三好は返事をせず、口角を上げて笑った。

 

 後ろから、マジキッチの「ぶーん」といううなり声が迫る。あまり速度は早くはない。ぬいぐるみである所為か、足が短いことが幸いしている。

 

「ハルカ先輩、降ろして! 私を抱えてたらいずれ逃げられなくなる!」

「黙ってろ」

「良いから落ち着いて聞いてちょうだい。あの人形はハルカ先輩をロックオンしてるの。私を襲うメリットはないのよ」

 

 廻栖野の言葉にハルカは冷静になる。マジキッチと距離が取れている内に廻栖野を下ろす。

 

「お前をあの三人のところに置き去りにすることはできないって思ったんだ。でも俺が手を引いて走っても、お前の脚じゃ付いてこれないだろ」

 

 嫌みではなく、廻栖野の能力の真髄は彼女の弱さそのものにある。廻栖野のステータスはお世辞にもあまり高いとは言えない。その代わり、頭脳と精神力はズバ抜けたものがあった。

 

「でも今は抱えてる方が、お前を危ない目に合わせちまうよな」

 

 廻栖野は、ばか、と呟いた。

 

 そのとき、メンヘラーちゃんの手が龍宮の左眼を撫でた。

 

 無機質な手が離れた感触がしたにも関わらず、視界が暗い。龍宮は左眼がある筈の場所に自分の手で触れてみた。何だこれ。肌が突っ張っている感じがする。少し触れていて予想がついた。三好の野郎、なんてことしやがる。龍宮は眉をしかめた。

 

「ハルカ先輩、左眼が」

 

 狭まった視界の中で廻栖野が真剣な眼差しで龍宮を見ていた。彼女が取り乱したり、悲鳴を上げるような子じゃなくて本当に良かったと龍宮は安堵している。

 

 廻栖野は冷静に、見たままの状況を龍宮に伝えた。

 

「赤い糸で縫合されてるわ」



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Act.10 赤い糸と電話

 ぶーん、というマジキッチのうなり声が聞こえてくる。

 

 必ず人目につくところにいることと、仮に澤村に見つかって何を言われても動かないよう廻栖野に念を押す。龍宮は去り際に「絶対、迎えに行くから待ってろよ!」と叫んだ。

 

 万が一、廻栖野の方にマジキッチが行かないよう、あえて声がする方に向けて敢えて突き進む。

 

 左眼は開けられそうにない。縫合されたとき痛みはなかったから、そういう効果を与える能力なのだろう。ジグザグと、まぶたが雑に縫い付けられている。メンヘラーちゃんを引き剥がそうと試みたが無理だった。

 

 マジキッチの視界に入り、龍宮は廻栖野がいない方に駆け出す。「追ってこい、くそ野郎」。マジキッチの足取りは心なしか嬉々としているように見えた。メンヘラーちゃんと繋がる糸を追尾してくることは間違いない。

 

「ぶーーーん!」

 

 消防斧を振りかざし、距離を詰めて来る。

 

 龍宮は排水溝から水を調達し、マジキッチがぶつかるタイミングで配置してみた。ぬいぐるみなら、水を吸わせて鈍化させることは可能か否か。結論としてはそう都合良くことは運ばなかった。マジキッチはぶるぶると水気を払い、俄然、突進してくる。

 

 しまった、この距離は近すぎる。回避しようと思ったとき、微かな違和感があった。マジキッチは斧を木刀のように構えている。剣の間合いを意識させられる所作だ。

 

「もっとこう、お前は雑に斧を振ってくる奴だと思ったよ、マジキッチ」

「ぶーん! ぶーん! ぶーーん!」

 

 上段に振り上げた消防斧を地面を這う糸もお構い無しに叩き込み、外れるや体勢を立て直して横一線。それを避けた龍宮に袈裟斬りを浴びせるマジキッチ。

 

「避けられないスピードではないな」

 

 龍宮は地面を這う赤い糸を拾い上げて両手で張り、消防斧を受け止める。能力で出した糸は切れないことはさっき確認した。刃に糸を巻き付けたあと、そのまま滑り込ませて、斧の柄の範囲に入る。右肩で柄を担ぎ、糸を左手に持ち変え、斧の動きを制限した。

 

「振り上げることも横に引くこともさせねえよ」

 

 マジキッチをショートレンジの右手で殴ろうとしたとき、メンヘラーちゃんが龍宮のワイシャツの右腕の肘と裾を地面に四方八方に渡って縫い付けられた。

 

「ぶーん!」

 

 気を取られた隙を突いて、マジキッチが力一杯、斧を振り払う。そして横に薙ぐ形で、確かに柄で横腹をぶん殴られた。

 

 服が破れて糸の拘束がほどける。龍宮は地面を転がった。メンヘラーちゃんが這う感触がして、また地面と縫い付けられては堪らないと、龍宮はよろめきながら立ち上がる。

 

「ありがとーよ、手加減してくれて」

 

 脇腹がずきずきと痛むが、立ち止まるのは危険だと思い、龍宮は走り出す。厄介なのはメンヘラーちゃんの糸の拘束によるアシストだ。どうしようか考えていたとき、「ぶーん」というマジキッチの耳障りなうなり声がした。

 

「脚が早くなった……?」

 

 メンヘラーちゃんとマジキッチをつなぐ赤い糸の量が減っている。

 

 なるほど、と龍宮は得心がいく。マジキッチは赤い糸を追尾してくる。距離が近寄った分、メンヘラーちゃんが糸を巻き上げ、それを縫合に転じる能力。

 

 龍宮は路地に入る。ゴミが散乱し、マジキッチの短い脚では足場が悪い。さらに龍宮は壁際に乱雑に積み上げられたビール箱を殴って崩した。マジキッチが空き箱の突破に苦戦している様を龍宮はほくそ笑んだ。しかし、逆に龍宮も赤い糸の範囲からは逃げられない。

 

 すると手の皮膚が張っている感じがした。まさかと思い、見やると右手の拳が縫合されて開かなくなっていた。むちゃくちゃに施術糸が飛び交っているが血は出ていない。

 

 龍宮はその手をじっと眺めた。

 

 なんでマジキッチは殴って来ないんだ。龍宮は疑問を持つ。『殺さないように、ちゃんと柄で殴るようプログラムしろよ』という高林の言葉が甦った。わざわざそんなことせず、殴らせれば良いだろう。あのとき三好が不機嫌になったのは、それが能力の条件に関わるからじゃあないか。龍宮はひらめく。

 

「鬼ごっこなんだ、これは」

 

 考えてみれば、メンヘラーちゃんとマジキッチは切れない赤い糸で結ばれているのだから、わざわざ追ってくる必要はない。間合いを意識させる消防斧の構え方も、マジキッチは踏み込んでほしくなかったのだ。だからメンヘラーちゃんは糸を大量消費して龍宮を地面に縫い止めた。

 

「マジキッチに俺が触れたら、鬼が移る。ゲームは終了する……のか?」

 

 やる価値はありそうだ。けれど、また地面に縫い止められるのは避けたい。

 

「ぶーーーん!」

 

 マジキッチのうなり声は怒気を孕んでいた。立ち止まってる余裕は無さそうだ。

 

 龍宮は水をかき集めながら駆ける。

 

×―×―×―×―×―×―×

 

 ファミレスで澤村たちはドリンクバーのみ頼んで、たむろしている。

 

「三好、ハルカちゃんはどんな様子だ」

「頑張ってるよ、龍宮。左眼と右手を縫われてるけど。あと服もところどころビリビリだね」

 

 そりゃ良いや、と澤村は肩を揺らす。

 

「そういえばハルカちゃんの彼女さ、あれレーラン生だね。肩に校章入りのワッペンを付けてたし、あのリボンの色は中等部の二年生だ」

「あのゴスロリって私服だろ。土曜なのに校章付けて何やってんのかね。つーか制服のこと熟知してんのはキモすぎるだろ高林」

「先輩にロリコンがいるんだよね。てかそれ言ったら、つるんでるハルカちゃんはどうなのよ」

「あいつは元からキモいって。カッコつけの腰抜け野郎」

 

 周囲のことも省みず、澤村と高林は声を立てて笑う。

 

「ああ、いよいよ追い詰めたね」

 

 三好が笑い声を遮るように言った。澤村が食い付いて身を乗り出す。「マジか。詳しく」。三好は、ウーロン茶を啜ったあと、マジキッチと共有している状況を伝える。

 

「見た感じだと高台のガードレール際だね。龍宮がそこにもたれ掛かってる。水の塊を携えてるけど」

「無理無理、ただの水で斧は止められないよ」

「マジキッチが切りかかった」

「ハルカちゃん死んじゃうんじゃないの」

「死んだらハルカちゃんの彼女は俺が慰めてやるんだ」

 

 ほんと最低だなお前、と高林は笑いを堪える。

 

 三好の視界には、『ぶーん!』と言ってガードレールを断ち破るマジキッチからの目線が見えている。ガードレールに寄りかかっていた龍宮の体がぐらりと傾く。伸ばした右手はすでに縫合されていて、何も掴めない。

 

「あのバカっ!」

 

 三好が柄になく、声を挙げた。いぶかしむ高林。澤村は眉をひそめた

『なあ、三好。お前、見てるんだろ』

 

 龍宮の声がマジキッチを通して聞こえてきた。三好は眼を丸くする。

 

『ホラー好きのお前の能力が、消防斧持った怪人に追い詰められる人間の姿を観れねえ仕様なわけがないよな』

 

 視界の中で龍宮は背面から落ちていく。それに伴い、糸が引きずられてマジキッチの体も中空に投げ出された。マジキッチは斧で壁面にブレーキをかける。しかし、身長一八○センチを越えるタッパーの男を支えてまで落下の勢いを殺すことはできない。

 

 それどころか龍宮は左腕で糸を手繰り寄せた。マジキッチの体がいよいよ宙を舞う。

 

空中(ここ)なら、何にも縫い付けられない』

 

 三好の腹部が、キュッと緊張する。落下の擬似体験。あり得ない浮遊感が気持ち悪かった。景色が高速で流れていき、目で追うものの処理速度が追い付かない。

 眼を閉じても共有された映像は途絶えない。がむしゃらに絵筆を走らせたような視界はどこまでも不気味だった。

 

 机に手を付き、三好は震えた。ウーロン茶がこぼれたことにも三好は気付かない。立ち上がった高林がなだめる。

 

 しかし地面が近付くに連れて三好の思考は先走っていく。路傍の石も雑草の一本一本も鮮明に見えた。少なくとも三好には、そのときそう思えた。

 

 龍宮の姿を視界に捉えた。クッションのつもりなのか、水の塊を背負っている。大きく振りかぶられる、糸で縫合された右の拳。

 

『右手は元から掴むためじゃなく、殴るために握り締めたんだ』

 

 左手で糸を引っ張られたマジキッチが龍宮に急接近し、視界いっぱいに拳が広がる。

 

『オールオーケーだ。ぶちのめす!』

 

 耐えきれず、三好は悲鳴をあげた。

 

 絶叫を聞き付けた店内にいる人間全員からの注目を浴びる。澤村たちは堪らず、三好を抱えて外に出ることにした。会計のときも眼を見開き、怯える三好の姿に店員が「救急車を呼びましょうか」と尋ねる。

 

 澤村は怒鳴る。

 

「良いから、早く釣りをよこせよ!」

 

 逃げるようにファミレスを飛び出した。

 

×―×―×―×―×―×―×

 

 龍宮は破けたワイシャツを脱いで、肩に担ぐ。下から仰ぐと、だいぶ高いところから落ちたことがわかる。

 

「よく助かったな俺」

 

 そう思いつつ、落ちたとき龍宮には漠然とした感覚だったが確かに、大丈夫だという手応えがあった。

 

 マジキッチは地面に突き刺さっていたが、しばらくして消えた。左眼と右手の縫合も同時に解除される。糸がくぐった傷は残っていない。

 

 龍宮はネクサスフォンを取り出し、廻栖野に電話をかけた。繋がらない。澤村たちが何かしたのかと思い、いてもたってもいられなくなったとき、メールが届いた。

 

『勝ったみたいね。

彼ら、悲鳴をあげて逃げていったわ。

いつものベンチのところで待ち合わせましょう。』

 

 なぜ電話に出ないかわからないが、龍宮は川沿いのベンチに向かう。

 

 隣り合う二つのベンチ。

 

 廻栖野はその片方に澄まし顔で座っている。傍らには赤い糸で結ばれた糸電話があり、ベンチのあいだの架け橋になっている。

 

 苦笑しながら龍宮は、もう一つのベンチに腰掛けて糸電話をとる。何も聞こえない。二人とも、耳に紙コップを当てていた。

 

 対応を間違えたらしい。龍宮は紙コップを口に当てて言った。

 

「メリーさん、このあとお食事でもどうですか」



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Act.11 源流と最初の一滴

 龍宮の前には相変わらず、泥水が浮いている。

 

『まあ、根性や努力でどうなるものでもないしな。とりあえず無理をしない範囲でトライ&エラー、そしてインターバル。無理なら明日の自分に丸投げだ』

「椎名さんってさ、『頑張れ』って言葉を意識的に避けてるよな」

 

 何気なく龍宮は口にした。椎名は少し無言になってから『まあ、嫌いだからな』と答えた。

 

『「頑張れ」と言う言葉は嫌いだ。その言葉を投げかけられるときにはたいていの奴は頑張っているよ。正直、人を追い詰める言葉だと俺は思う。それに代わる言葉を探すくらいの語彙はあるつもりだから』

 

 ケイが椎名は『変なこだわりを持って生きている』と言っていたことを思い出した。

 

『それに「頑張れ」って時々、命令形に聞こえるだろ』

 

「俺はまだ無理だなんて、言ってないっスよ」

『俺も君がもう無理だなんて思ってはいないよ。むしろタフな子だと思っている』

「だけど椎名さん、終電まで原稿待ちすることもあるって言ってたけど、俺をそこまで暇潰しに引き留めたことは一度もないよな」

『原稿の入りがここのところスムーズだからな』

 

 椎名さん、と龍宮は語気を強めた。椎名がたぶん嘘を吐いているであろうことを怒っているわけではない。それが彼の気遣いだとわかっている。ただ龍宮は表明したかった。

 

「俺はまだあんたの暇潰しに付き合える」

『難しいところだよな。その精神で、気付かず無茶されるのも不本意なのだよ俺は。だけど先伸ばしも歯痒いのは当然、か』

 

 独り言のように椎名が呟く。

 

『この件に関しては確かに俺が悪かった。俺がまだ他人事だった』

 

 椎名は電話越しに謝った。龍宮はそんな気はなかった。けれど、この人はきっと電話の向こうで頭を下げていると龍宮は思った。

 

『気が向かないが、そういうことなら致し方あるまい。本当は本人が気付くのが一番良いのだが、水について少し問おうか』

 

 泥水をため池に戻す。ペットボトルを傍らにおき、廃材の一つに腰を下ろした。

 

『質問は変わらない。君の周りに「水」はどう存在したか、どういう存在だったか』

「かと言って特別何かがあるわけじゃなく、つまらない解答しか俺からは出ないッすよ。水のイメージにしても川だと、霧だとか一般的なものばっかりだし」

 

 水は日常にありふれている。人目に付くようなものが、能力の構築に関わっているとは龍宮には思えなかった。

 

 すると椎名が、『俺の友達に小説家志望の者がいる』とおもむろに言った。

 

『そいつはイカれた奴で、現状、本当に人間(ひと)より小説のことを愛している。専門家にも精神構造が人間と異なると認められている狂人だ。小説を書くために人間と付き合っているといっても過言じゃない。そいつはよく人間(ひと)のことを「知識が詰まった肉袋」と呼んでいたよ』

「椎名さんてそういう奴を嫌うもんだと思ってました」

 

 軽蔑ではなく、意外だと龍宮は思った。

 

『幻滅したか? しかしそれは君がまだ俺のことをよく知らず、イメージにズレがあるからに他ならない。無理もないがな。俺は人間としては下等だよ。決して品行方正な人種ではない。清廉や高潔さからはかけ離れた生き物だ。なんなら俺は殺人鬼の言葉にだって肯定を示すこともある』

 

 話を戻そう、と椎名は続ける。

 

『そいつに言わせると、つまらない人間というのは存在しないらしい』

 

 ペットボトルから龍宮は水を口に含んだ。椎名の姿を見たことはない。けれど彼と話し込んでいると、龍宮は時々、目の前で講義している誰かの後ろ姿を想像することがある。熱っぽく身振り素振りを交え、学生を省みない架空の教師を思い描く。龍宮はその独りよがりな講義が嫌いではない。

 

『いるとすれば「自分をつまらない人間だと思い込んでいる人間」だと』

 

 椎名にしても、今話題に出ている小説狂いにしても、とうの昔に枠組みから外れてしまった人間なんだ。龍宮は腑に落ちる。だから彼らは誰よりも強く、そして立場が弱いのではなく、そもそも居場所が無いんだ。階級制度に当てはめられない例外たち。だから傷や痛みを恐れず、刃向かえる。

 

人間(ひと)は皆、自分が普通の基準で、他人は例外なく変な奴なのだ。客観的に自分が変かもと思っていても本気で修正できることは少ないだろ。同じ人生を送っている人間が一人たりともいない以上、話を突き詰めて聞くと、被っている面が多々あるにしても、必ずどこか「ズレる」ものだ』

 

 ケイが真似してはいけないと言った真意は聞けなかったが、多分、大きく間違っていないだろうと龍宮は思う。この人たちは己の破滅より、恐いことが別にある生物なんだ、と。

 

『 人間は故に「面白い」らしい』

 

 きっと彼らには正義も悪もなく、かと言って中立者でもない。(おのれ)しか存在していないのだ。

 

 龍宮は先程より少し多めに水を仰いだ。

 

『長くなったが本題だ。水で印象に残ったことはあるか。それをとっかかりにする。君が言った通り、水に関することなんて万人大差ない。だが、俺の友人の(げん)も一理ある。深堀していこう。情景だって構わない。思い付くままにまずは羅列してほしい。何が源流かなんて誰にもわからない。手探りで最初の一滴を辿るんだ』

 

「川」

『続けて。変わってることを言おうとなんてしなくて良い。俺からすれば、もう面白い』

「霧とか」

 

 椎名なら、どんなものを挙げても笑わないという確信があった。だから目を閉じて何も考えず列挙した。

 

 目の前に見い出せる「水溜まり、赤錆のたまったため池、泥」。

 ありふれた日常の「シャワー、水道、台所」。

 祖父の家で見た「雪」。

 冷たかった「井戸、夏、汗、木刀、風呂」。

 そこから溢れ出た水を目で追った「排水溝」。

 そう言えばここ最近、暑かった。「汗、アイスコーヒー、氷」。

 廻栖野がいてくれて良かった。「マジキッチ」。

 そしたら、「大丈夫だって、水が」。

 背中で感じたんだ「水しぶき」を。

 無心になって思いつくままに「霜、氷、雪、川、海、雲、雨」

 全部、巡ってる、水に「涙」も「川」も繋がってる。

 川で眺めてたな、「ビニール袋」

 何かを思い出したんだ、「白」いもの。何だっけ、「流れるもの」。

 そうだ、「水だけが知ってる」。

 ここに繋がってる。「水は巡る、じいちゃんが言ってたな、紙を流したんだ川に」。

 「悪いものは流してしまえって」。

 祖父の「冷気、氷挿拳」。

 

人形(ひとがた)流しか』

 

 不意に椎名の言葉が遮った。聞きなれない言葉に龍宮は我に返る。

 

「なんスか、それ」

『人を象った紙を川に流したんだろ』

「ああ、そうだった。子供のときにじいちゃんに促されて、何も説明してもらえなかったけど」

『ひな祭りに飾る人形も元々は川に流したんだよ。人形(ひとがた)に災いを移して川に流す、厄払いの一種だな。「水に流す」というだろ。人間は面白いんだよ。人命も文明も関係なく押し流す洪水を知っていながら、その中に災いを流すという機能性を見出だしたんだ。水は拒まず受け入れるから。時に都合よく、時に無慈悲に』

「じいちゃんが川には度量があるって言ってたな。悪いものは川に流してしまえって」

『水は循環そのものでもある』

「『水は巡る』って。『そのサイクルの中に流して、解かし、浄化する』。俺さ、そのあとからだよ、能力が使えるようになったのは」

 

 椎名は『今一度、水を集めてみろ。上手くいったら性質と方向性を検討しよう』と促した。

 龍宮の気分は高揚していた。

 

「それは水だけが知っている」

 

『悠河君は大丈夫だ。怯えていても、こんなに人の目を真っ直ぐ見られる子はそうはいない』

 

アルターポーテンス、起動。



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Act.12 ボイスレコーダーと起動

 澤村と高林は老朽化したビルの外階段に腰を下ろして煙草を吸っている。取り壊しが決まっており、立入禁止のお触れが出ているので、言いつけを守る良い子は寄ってこない。だから彼らにはうってつけの場所だった。

 

 三好はあれから数日、登校していない。

 

 澤村は目に見えて荒れていた。オイルライターのふたの開け閉めを何度も繰り返す。カチカチカチカチと。

 

「俺に恥かかせやがって、ほんといらつく」

 

 高林は、三好がやられたことはどうでも良いんだよなあ、とため息代わりに紫煙を吐く。高林は先輩の筒浦に秘密裏に撮っておいた廻栖野の写真を送る。筒浦からは上々の反応が返ってきた。

 

「なあ澤村、あのレーランの子にちょっかいかけに行こうぜ」

 

 澤村は口角を吊り上げて笑った。

 

×―×―×―×―×―×―×

 

 廻栖野哀は考える。

 強さはいつだって自分(わたし)が持っていないものだ、と。

 だから人間(ひと)は、他人(ひと)の中に強さを見出だす。

 

 校門から少し離れたところに、澤村と高林が立っていた。嫌がる清虚嶺蘭学園の生徒に執拗に構っている。

 

 廻栖野に気が付いた澤村が、やあ、と声をかける。

 

「その子を離しなさい。頭の中はマリファナ畑なの? 通報ものよ」

「そんなこと言わないでよ。だって君が構ってくれないから寂しくてさ、俺たち。これじゃあ浮気しちゃうよ」

「ストーカーには自分がモテないという自覚が足りてないって言うけど、本当ね。気持ち悪い」

 

 澤村が女子生徒に絡むのをやめる。

 

「今からハルカちゃんのとこに行くの?」

「あなたには関係ないでしょ。失せて」

「そんなこと言わないでさ、俺に乗り換えなって」

 

 それに、と廻栖野は不愉快そうに眉をしかめた。

 

「私はハルカ先輩の彼女ではないわ」

 

 余程、澤村の発言が癇に障ったらしい。高林は、おっかねーと冷や汗を垂らした。

 

「じゃあ、なおのこと俺と付き合ってよ」

「あなたたちにハルカ先輩に勝っているものがあるとは到底、思えないのだけど」

 

 澤村が、目を釣り上げる。

 

「ならハルカちゃんに勝ったら、俺たちに付き合ってくれよ」

 

 俺たちにって言っちゃダメだろバカと高林は澤村を内心、うんざりしていた。使い勝手が良いから、付き合っているが、そろそろ面倒になってきたなというのが高林の本音だった。

 

 だから廻栖野の解答は意外なものだった。

 

「良いわよ」

 

×―×―×―×―×―×―×―×

 

 川のそばのベンチで涼んでいた龍宮のところに、廻栖野と澤村、高林がやって来た。

 

「廻栖野。なんでそいつらがいるんだ」

 

 龍宮は怪訝な顔をして廻栖野を睨む。彼女はそっぽを向いていた。

 

「ハルカちゃんに勝ったら、俺たちと付き合ってくれるんだってさ」

 

 澤村はもう包み隠すことさえしない。

 

「本当か、廻栖野」

「ええ」

 

 心がざわつく。けれど龍宮はなんとか抑えた。「そうか」。龍宮は一拍置いて言った。

 

「なら俺は戦わない」

 

 澤村が「腰抜け」と挑発する。龍宮は黙っている。

 

「俺たちの不戦勝だな。ウェーイ」

 

 澤村が強引に廻栖野の手を引く。廻栖野がキッと澤村を睨んだ。

 

 物事には筋があると龍宮は考える。けれど今、それにかまけて廻栖野が連れて行かれて、その先はどうなる。考えるまでもない。焦燥や義憤は募り、火が着いたように龍宮はベンチから立ち上がった。

 ここで見過ごすことが正しいとは到底思えない。澤村の奴をぶん殴ろう。俺の流儀なんてかなぐり捨てる。そう思っていた矢先、廻栖野のボイスレコーダーが袖から落ちたのが見えた。歩み寄って龍宮が拾う。

 

 廻栖野の抵抗に対して、澤村が握る手に力を込めた。ほら行くぞ、と澤村が手に火を点して加速させる。足がもつれて廻栖野は転ぶ。 

 

「立てよ」

 

 抜け目のない廻栖野によって、一部始終がボイスレコーダーに録音されていた。ふざけんなよ、と龍宮は拳を握る。再生を続けると、『良いわよ』と廻栖野が言った場面の様子が流れた。

 

『だけど言っておくわ。ハルカ先輩の強さを、あなたたちは一度たりとも見てはいない!』

 

 水よ。

 

「立てよブス!」

 

 水よ。水よ。水よ

 

「澤村、手ェ離せ」

 

 澤村が「あ?」と高圧的な態度で、龍宮をねめつけた。

 

「廻栖野から離れろ。そう言ったんだ!」

 

 龍宮が川から水を集める。

 それはどこまでも透き通り、上流に向かって伸びていく道をのぞむことができた。

 

 アルターポーテンス、起動。

 

「流水神楽」



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Act.13 流水神楽の初陣とラビットファイアの陥落

 澤村が廻栖野の手を離す。龍宮に歩み寄りながら、澤村は宣う。

 

「戦わないって言ったり、急に能力使ったり何なのさ」

 

 ハル、まで言いかけたところで澤村の横っ面を龍宮の拳が捕らえた。「カヂャ!」と濁った声を挙げ、澤村の体が雑草の生えた傾斜を滑り落ちて行く。

 

 川の岸辺で止まった澤村は、石に火を着けて龍宮を迎撃するべく待機させた。

 

 監視役の高林から龍宮は廻栖野を奪い返し、一緒に傾斜を駆け降りてきた。構わず龍宮たちに向け、脱兎の如き火(ラビットファイア)で石を射出する。しかし龍宮の構えた水の盾を貫くことは出来ない。

 

 龍宮の後ろで見ていた廻栖野は、構築された水の力に目を見張った。

 

「バガな」

 

 腫れた頬で上擦った声を出す澤村。廻栖野に「待ってろ」と言い、龍宮は澤村に駆け寄って腹部に拳を繰り出す。

 

「ラビットファイア! 我が体を加速させ待避せよ!」

 

 澤村は自身に火を着けた。加速させて急激に後退し、回避する。龍宮はそれを追う。「くそが!」と澤村は火の着いた手で地面を殴った。

 

 壁にするつもりで地面を隆起させた。ラビットファイアはブースターではない。火を着けたとき、それを加速させて動かせる能力。しかし龍宮の動きは想像以上に速く、せり上がる地面に乗り上げた。

 勢いで意図せず跳ね上がる無防備な龍宮を澤村は逃さない。

 

「空中なら避けられねえよなあ!」

 

 石をがむしゃらに射ち放つ。しかし龍宮の集めた水にまたしても遮られる。

 

「何でだあ!」

 

 澤村の悲痛な叫びなど、意にも介さず着地した龍宮は距離を詰める。

 

 廻栖野からは見えていた。脱兎の如き火(ラビットファイア)のかかった石を受けた水の盾から、根や水脈を彷彿とさせる流動が龍宮を避けて流れていき、飛沫となって弾けるのを。

 

「水に流すアルターポーテンス」

 

 廻栖野が呟く。ダメだ、ラビットファイアはもう底が知れている。それに対し、龍宮の能力のポテンシャルは未知数だ。龍宮が軽く川から集めた水の量から察するにまだ構築の余地がある未完成のアルターポーテンス。

 ダメだ、と廻栖野は身震いする。ラビットファイアじゃ、太刀打ちできない。

 

「気持ち悪いんだよ、かっこつけ野郎が、俺に近付くんじゃねえ!」

 

 手当たり次第に澤村が地面を隆起させる。龍宮はためらわず、小規模な岩の渓谷に踏みいる。

 

「追い詰めた」と廻栖野。

 

「射程圏内だ」

 

 そう言って龍宮は澤村に接近する。澤村は両手に火を点して加速させてがむしゃらに龍宮に殴りかかった。

 

「ガードしろ、流水神楽」

 

 澤村のパンチはことごとく水に止められる。

 

「うつむいて生きていけば良いのに、何でお前はまっすぐに俺を見やがる!」

「お前が見てねえところで俺だってうつむいてるよ」

 

 龍宮が、まっすぐ澤村を睨む。

 

「お前が見てねえところで、色んな人に支えてもらって、ようやくここに立ってんだよバカ野郎!」

 

 疲労が見えたところで龍宮は懐に飛び込んで、ぶん殴った。ラビットファイアで作った土壁に挟まれ、背後をとった水の塊が澤村の退路を断つ。

 

「バカはてめえだ! まだ上に逃げ場があるだろうが」

 

 澤村がウサギのように跳ねる。

 

「ケツに火でも着いたかよ」

「あん?」

 

 飛び上がった先にも水の固まり。澤村の背が触れるや否や、勢いが殺され、水柱が立ち上った。

 落下する澤村に龍宮の渾身の右ストレートが迫る。

 

 澤村は「あ、あ」と声を失う。

 

 廻栖野はもう逆転の目はないと悟り、龍宮の死角になっている部分の澤村の火を堕天使の黄昏(ナパームダウン)に上書きできるか試してみた。成果に対して廻栖野は、三日月のような笑みを浮かべる。

 

「オールオーケーだ。ぶちのめす」

 

 澤村の腹部にのめり込んだ拳の衝撃が全身を駆け巡る。澤村は力なく倒れた。

 

 隆起した地面が、元に戻る。

 

 廻栖野が地面に伏せていた。土手の上に高林と、もう一人龍宮の見知らない金髪の男性が立っている。

 

「筒浦先輩、あいつが龍宮です!」

 

 高林が指差す龍宮を眺めて、筒浦

は顎をしゃくった。

 

「なるほど、確かに生意気そうだ」

 

 龍宮は水を集めて備えた。



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Act.14 重圧と地雷原、そして霧

 金髪の男、筒浦は水を集めて敵意を露にする龍宮の視線に気付く。

 

「お前たちさ、何、目上のもんに向かってガン飛ばしてんだよ」

 

 その瞬間、龍宮の体は不自然に重たくなる。廻栖野もこれを食らったんだ。龍宮はそう直感する。

 

 龍宮は歯ぎしりした。膝で腕を支えてようやく立っている。この重みは俺でもきついってのに、廻栖野にこれを? そう考えると無性に腹が立った。

 

「ざっけんなよ、てめえら!」

 

 重圧に耐え、なお龍宮の反抗心は高まる。しかし重さはさらに増し、いよいよ龍宮は膝から崩れた。

 

「俺の目につくところで敵意を向けたとき、それに反応して魁の牙(リベンジバイト)はそいつに加重する。敵意に対して噛み付く重圧の能力。わかったら、俺に逆らうな。おい、高林、あのレーラン生を連れてこい。俺が直々に上下関係ってもんを教えてやる」

 

 筒浦が舌なめずりする。

 龍宮の我慢は限界を迎えた。どいつもこいつも寄って集って当て付けみたいに廻栖野に背負わせやがって。やっとのことで流水神楽に手を伸ばす。

 

 水よ。

 

×―×―×―×―×―×―×

 

 椎名の提案で、龍宮は空に向かって石を投げ上げる。

 手のひらの先に水を集める。それを掲げて、落ちてきた石を受け止める。石が触れた途端、龍宮を避けて細い水の根が枝分かれしながら伸びていく。そして接地と共に飛沫に変わった。

 

『能力名は何だった』

「流水神楽!」

『どうやら現時点では力を水に流す能力のようだな』

 

 よほど嬉しいのか、龍宮は石を投げては水で受け止めを繰り返している。

 

『それは君の精神性が反映され、性質を方向付けられたものだ。名前がわかっていれば構築が独りでに進むことは、基本的にはない。どうする、少し改造するか』

 

 龍宮は水の支配を解いた。石が水と一緒に地面に落ちる。

 

「改造ってのはどうやるんだ」

『構築より簡単だ。ただアルターポーテンスを起動させ、どういう能力になって欲しいか、思考を組み立てるだけだ。認証されて上手くいけば変化する』

 

 龍宮は廃材に腰をおろして聞き入る。

 

『改造は君の意思で手が加えられるが、出力は下がる。例えば扱える水の量が減る、射程距離がさらに狭まるなどが考えられる。また君の望みを実現するための条件をアルターポーテンスが自動的に定めてしまうこともある。例えば、トリガー型のように発動条件がさらに厳密に限定・指定されるとか』

 

 龍宮はトリガー型と聞いて、任意のタイミングで発動できない代わりに一度に起動できる数量が多かったり、条件を満たせば遠隔発動できるカウンター系の能力が多い型だよなと、記憶から引っ張り出す。あとは能力者本人に意識がなくても起動できるという強みがあった筈だと、顎先に指をかけて考える。

 

『支配力を上げれば、さらに少量の水で力に干渉できるようになるかも知れない。また支配力が強ければ、相手が水を操作している場合、その支配権を上書きできることもある。まあ一長一短だな。それに、できれば応用が効く能力が良いだろう 」

 

『才能にもよるが、場合によってはサブの能力を構築するのも良いだろう』

「そういうのって、いくつでも作れるんスか」

『無理。出力は下がり続けるだけだから、いい加減なところで止めないと理論的には発動できるが、力が足りなくて起動しないという状態に陥る』

 

 まあ都合良くはいかないよな、と龍宮は渇いた笑い声を上げた。ははは。

 

『または一つの能力の効果を用途に応じてバラバラにするのも手だな』

 

 椎名の言葉を聞いて、スカウトマンの国木田のことを龍宮は思い出した。そういえばあの骸骨マスクの能力、死に至る七つの詰み(セブンスチェック)がそんな能力だったな、と。

 

 龍宮は頭を抱える。

 

「すぐには思い付かないっスね」

『急いで改造する必要はないから、しばらく流水神楽を使い、思うところがあれば手を加えるのも良いだろう。「水を媒介にして力に干渉する」、その基本から大きく外れなければ如何様(いかよう)にもなる』

 

 講義が〆に入ってきたことを龍宮は痛感する。

 

『まあ、こんなもんか。属性能力(エレメンタルフォージ)補正抗力(プロテクティブアーツ)に関しては学校でやると思うし。まあまた何かあればメールで連絡してくれ。対応する』

 

 見えないだろうけれど、龍宮はネクサスフォンを持ったまま、深々と頭を下げた。

 

「色々と面倒を見ていただいてありがとうございました」

『良いよ、君は俺の暇潰しに付き合わされただけだ』

 

 この人の性根のねじ曲がりようは筋金入りだ。龍宮は苦笑する。

 

『そうそう、これは言っておかねばならん』

 

 椎名はそう前置きをして言葉を続ける。

 

『もし君が、能力を間違ったことに使うことがあれば、俺が君を殺す』

 

 この人を嫌いになれないのはきっと祖父に似ているからだと龍宮は思う。

 

「そうだな。もしものときは、あんたが俺を止めてくれ」

『まあ、君ならどうせそんなことにはなるまい。じゃあな。おつかれ。またな』

 

×―×―×―×―×―×―×―×

 

 そういう能力にすれば良い。

 ここで立ち上がれないんじゃ、意味がない。今がそのときだ。

 

 流水神楽で集めた水が霧に変わる。龍宮を縛っていた重さは消え去った。

 

 立ち上がる龍宮を見て、筒浦が狼狽える。

 

「てめえ、何をした」

 

 龍宮は聞く耳を持たない。それどころではない。

 

「高林、お前も能力を使え! 一帯を地雷原にしてあいつを近付けさせるな。そんでさっさとその女を連れて来い!」

 

 高林が急かされるまま、土手の斜面を駆け降りる。下に着いたとき、高林は川から水を掌握する。

 

 アルターポーテンス、水面下の自尊心(スプラッシュマイン)

 

 高林の集めた水が降り注ぎ、辺りに染み込む。すかさず高林は廻栖野の体を抱き上げようと試みた。ズシリと腕に重みが伝わる。

 

 リベンジバイトを解除してもらわないと運べない。けれど、筒浦にどう伝えれば敵意があると認定されないか高林はわからなかった。今だって、事前に解除しておいてくれたら良いのにと考えている。気が付かないのかなあ、と。だが加重されていない。

 敵意ってなんだ。高林は思考の迷路に陥った。

 

「廻栖野に手ェ出すんじゃねえよ」

 

 龍宮がよろめきながら踏み出したその足下から、土砂や石礫を巻き込みながら水飛沫が立ち上る。

 

 空中に投げ出された龍宮は咄嗟に水を集めたが、僅かな噴出分しか集まらない。

 

 土手と同じくらいの高さだろうか。筒浦がほくそ笑んでいる様を、まざまざと見せつけられた。

 

 辛うじて集められた水でクッションにするが、気休め程度にしかならなかった。落下し、肩を強く打つ。幸い、折れてはいない。しかし巻き上げられた石の破片に傷付けられて至るところから出血する。

 

 おそらく今の流水神楽の性質は相殺に寄ってるんだ。圧倒的に水の量が足りていない。廻栖野のところに駆け寄りたいが、どこに水面下の自尊心(スプラッシュマイン)が埋まっているかわからない。

 

 地雷、か。 龍宮はトリガー型の能力だと当たりをつける。踏み込まない限り任意で発動できないが、代わりに水の跳ね上げる力にパラメーターを大きく割り当てて少量の水でもこの威力に底上げしてんのか。奥歯を噛み締めた。

 

 水を集めようと試みた。川から距離が離れすぎている。水際だから、地面に含まれているものを引き寄せるか? いや、水面下の自尊心(スプラッシュマイン)の支配下に落ちてる水がほとんどだ。

 

 手の打ちようがないかと思ったとき、龍宮は光明を見出だした。



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Act.15 逆鱗と決着

 手をかざし、龍宮は確かめるように一歩踏み出す。そして確信する。逆だ。集められないから良いんじゃないか。龍宮は迷わず、走り出した。地雷の位置を察知して避けられる。

 

 ハルカ先輩、と廻栖野が呟くのを高林は刹那に聞いた。

 

「俺が地面から水を集められねえところに、高林てめえの地雷はあるんじゃねえか」

 

 龍宮も水の支配者だ。水の場所は感知できる。それが出来て、引き寄せられないのはすなわち、高林に支配権がある水だからだ。

 そして今、標的は高林に絞っているから筒浦の魁の牙(リベンジバイト)は適用されない。

 

「ハルカ先輩、がんばれ!」

 

 涙ぐんで目を真っ赤にした廻栖野を見て、龍宮は偏屈者の言葉を思い出した。『「頑張れ」と言う言葉は嫌いだ』。案外、言われてみると悪いもんじゃないっスよ、椎名さん。龍宮は拳を握り締める。

 

 迫り来る龍宮に高林は恐れをなす。

 足手まといにしかならない廻栖野の体を土手に預ける。加重が解けていない彼女はその場に崩れた。

 刻一刻と迫る龍宮。高林は奥の手とは言えない、小細工を使うことにした。

 

 廻栖野のいない、反対側の斜面を高林は拳で打った。

 

 水面下の自尊心(スプラッシュマイン)は彼の射程圏内いっぱいの広範囲に地雷を仕込む場合、配置する場所はランダムになる(高林は位置を把握できる)。

 しかし分散して任意発動が出来ないなら、最初から狭い範囲に仕込めば良いことを狡猾な高林は把握していた。

 それが高林のすぐ近くの傾斜。彼は最初に能力を使ったとき、予め少量の水を仕込んでおいた。

 

「何をもたもたしてる高林、早くしろグズが」

「うるせえよ! 誰の所為だと思ってやがるロリコン野郎」

 

 高林は不意打ちで加重を食らった。「があっ!」。膝が震える。

 

「くそが」

 

 なんとか持ちこたえて高林は叫ぶ。

 

「俺の水は、すでに浸透している……! スプラッシュマイン!」

 

 土手の局所が弾け、岩の散弾が放たれる。

 

「俺はここまで地面から水を集めながら来たんだぞ」

 

 流水神楽は衝撃を水流に乗せて逃がす水の盾で防ぎ、進撃を再開する。高林の保険はもうなかった。加重されてそれ以上動くことさえかなわない。

 そして高林は諦めた。

 

「俺たちが踏んだのは虎の尾だったか。いや、龍だから逆鱗か」

 

 高林の顔面を正面からぶん殴る。雑草の蔓延る地面に叩き付けられ、短く唸ったあと、高林の体は傾斜に沿ってずり落ちた。

 

 斜面に沿って、廻栖野の元に向かう。水を集めて、しゃがみ、横たわる廻栖野の体に触れた。途端に流水神楽が霧に変わる。

 

「流水神楽『雲散霧消』。水をコストに能力の効果を祓うよう改造したら、相殺された水が霧になる仕様になった」

 

 なるほど確かに俺の意識を反映した能力だ、と龍宮は得心が行った。

 

「楽になった」

 

 廻栖野が泣き腫らした顔で力なく笑う。重圧を食らったとき、受け身を取り損なったのか額が切れて血が出ていた。龍宮は気休め程度だが、純水を集めて湿らせたハンカチを廻栖野に投げ渡す。

 

 龍宮は立ち上がり、筒浦をねめつけた。

 

「あとはてめえだけだ」

「俺に歯向かう者には重圧の牙が襲う」

 

 容赦なく龍宮の全身に魁の牙(リベンジバイト)の負荷がかかる。

 

「学習能力はねえのか、てめえには!」

 

 もう筒浦には微塵の余裕もない。

 

「俺に敵意を向けたら、それは加重となって、てめえに返る。それとも霧に変えながら、俺のところまで来るか。重さに逐一耐えながらこの急斜面を登って。それを俺が待つと思ってんのか。コストの水だってその都度集められるなんて舐めたこと考えてんじゃねえぞ。水が尽きたとき、加重のタイミングに合わせてぶん殴る。顔面の原形が無くなるまで何度でもだ。しばいて転がして、横たわるてめえの脇でその女をたっぷり犯してやる!」

 

 格上の自分が、目下の龍宮(ガキ)に負けるわけがないという慢心が筒浦にあった。

 

「この状況でそこまで言えるんだから、てめえは確かに大物だよ」

 

 龍宮は静かに言った。

 

「食らったのはわざとだ。流水神楽で祓っても、どうせまた重さに取り憑かれるんだからな」

 

 あとは上で撒き散らそう。水に流すのはそれからだ。龍宮は周囲から集められるだけの水を手元に引き寄せた。その中にはきっと廻栖野の涙も含まれている筈だから。「水よ」。

 

 俺に膝まずけ、と呟き筒浦は拳を握った。

 

 着々と流水神楽は構築されていく。

 

 筒浦は何一つ思い通りにならない現状に対し、強い憤りを感じている。「力に屈しろ」。肩を震わせて怒りを露にした。

 

 廻栖野はハンカチを抱きしめる。彼女はもう、筒浦に対して敵意の視線を向けていなかった。廻栖野の眼には龍宮の姿しか映っていない。

 

 水よ。

 

「目下のもんが逆らうんじゃねえよ!」

 

 筒浦の叫びは龍宮には届かなかった。

 

 水を集め終えた龍宮は加重を食らったまま、よろめきつつ三歩、四歩と後退して行く。その先に不発弾(スプラッシュマイン)があることを龍宮は感知していた。

 

 狭い範囲に仕込めばランダムではないという高林の罠。発動させられなかったその場所は、もし龍宮が不用意に廻栖野に近付けば、踏み込むであろう地点だった。

 

 回避した地雷を龍宮はわざと踏んだ。トリガー型は意識を失っていても発動する。水面下の自尊心(スプラッシュマイン)の反動を利用して、打ち上げられた龍宮の体は土手をわずかに飛び越した。

 

「俺を見下すな……」

 

 筒浦の体は小刻みに震えている。二度目の滞空で龍宮が見た筒浦の顔は目を見開き、怯えきったものだった。

 

「確かに土手を駆け上がるのは骨が折れそうだ。だが上から下に落ちるなら、いくら加重されようが関係ねえよな」

 

 筒浦の近くに着地する。前傾姿勢から、ダッシュをかける直前に流水神楽『雲散霧消』で魁の牙(リベンジバイト)の重圧を四散させた。

 放たれた弾丸のように龍宮は飛びかかり、再び鉛のような負荷をかけられた体で筒浦の片脚を捕らえる。腰から地面に落ちた筒浦が、引き剥がそうと龍宮を何度も蹴った。しかし這いずっていき、とうとうマウントポジションをとる。

 

 すかさず覆い被せるようにして筒浦の顔面に掴む。鼻が手のひらで押しつぶれ、両頬の骨とこめかみ、額に指がかかる。龍宮は手の甲にできたカサブタを見た。廻栖野が泣いているところを見たのは初めてだった。そう思うと龍宮の指先にいっそう力が入る。

 万力のように締め上げられた筒浦は両手で龍宮の腕に爪を立てるが、龍宮は気にもとめない。

 

「なあ、先輩よォ。あんたのリベンジバイトを利用して俺の加重に巻き込むってのは敵意ある攻撃じゃねえか?」

 

 凄む龍宮に、筒浦の心は折れた。わざと地雷を踏んだときに関わっちゃいけない人種だと心の底から理解した。

 

「加重に加重を重ねていったら、それはもう」

 

 筒浦には、今はもう後悔しかない。

 

「無限連鎖じゃね?」

 

 涙ぐんだ筒浦は堪らずに絶叫する。

 

「リベンジバイト、解除!」

 

 筒浦が握りしめていた手綱はたやすく振り払われた。筒浦の目には龍宮が、束縛を解かれた獣に見えた。

 

「オールオーケーだ。 ぶちのめす」

 

 威力を高めるために破城槌を力一杯、後ろに引くように龍宮の拳が徐々に遠ざかっていく。

 

 龍宮はぶちまけるように吼えた。

 

「歯ァ食いしばれ! 折れちまうよか、ヒビで済むんなら、ちったあマシだろ!」

 

 龍宮の快進撃の幕引きはその一撃だった。



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Act.16 制服とリボン

 遅れて廻栖野が堤防沿いの道まで登ってくる。筒浦をベンチまで運んだ龍宮が、ちょうど彼の体を無造作に放り出したところだった。

 

 一仕事終えた龍宮が、もう一方のベンチに腰を下ろす。

 

 廻栖野は恐る恐る歩み寄り、「ハルカ先輩」と声をかけた。珍しくしおらしい廻栖野は「あの」と言いよどむ。けれど龍宮にも言い分はある。彼は、静かに、けれど確かな怒気を言葉に込めた。

 

「廻栖野。二度とあんな約束(まね)するんじゃねえぞ」

 

 廻栖野は土で汚れたゴスロリ衣装のスカートを両手で握り締めた。震える声で「私は」と言う廻栖野の言葉を龍宮が遮る。「二度とだ」。

 

 廻栖野は観念する。彼女が手を離すと、スカートに寄ったしわがほぐれた。みっともないところをこれ以上見せられない。何よりも、龍宮から疎まれることを思うと彼女は胸が張り裂けそうになった。

 廻栖野は意を決し、真っ直ぐに龍宮を見据える。

 

「ええ、わかったわ。二度とあんなことはしない。だから私と仲直りしてちょうだい」

 

 素直な態度に龍宮は面食らった。「いや、わかってくれたら良いんだけどよ」。明後日の方角を向く龍宮に

廻栖野が大きく一歩踏み出す。

 

 龍宮の顔を胸に埋めて、廻栖野は両腕で包むように抱きしめた。柔らかい質感やら、良い匂いがするやら、汗で湿った肌が吸い付くやらで龍宮は慌てふためく。

 

「ごめんなさい。あなたがこんなに怒ってくれるとは思わなかったの。ひどいことをしたわ」

 

 母のことが頭を過って、龍宮は途端に冷静になる。

 

「良いよ。お前が無事なら」

「ありがとう。あなたの孤軍奮闘、とてもかっこよかったわ」

 

 廻栖野がどんな顔でそれを言っているか、龍宮からは見えない。ただ、思い浮かぶのは、いつかファミレスで見た微笑みだった。

 龍宮から廻栖野が離れる。

 

「傷の手当てをしなくちゃね。ケイさんから借りられるかしら」

 

 龍宮はベンチを立った。

 

×―×―×―×―×―×―×

 

 立入禁止のビルを目指し、澤村と高林はひとけのない道を歩く。高林は昨日は一日、軽い脳震盪で検査入院した。骨が折れた鼻にテープを貼っている。鉄の棒を穴から差し込まれた痛みは忘れられない。歯も欠けていたため削ることになった。

 なんだかんだで澤村が一番、軽傷だった。

 

 二人は無言だ。話題がない。今となっては龍宮のことを口にするのもはばかられた。

 

「筒浦先輩と連絡がとれない」

 

 独り言を言う高林に、知るかよ、と澤村は吐き捨てた。

 

 ふと、清虚嶺蘭学園の制服を着た女子がうろついているのを見つけた。目配せすると、水を得た魚のように二人は後を付ける。

 

 気付かれた。彼女の歩調が早まる。「なあ、待てよ」と澤村が下卑た声をかける。地の利は彼らにあった。

 

 少女は廃れたビルの外階段を駆け上っていく。ローファーが踏みしめるたびに赤錆がパラパラと落ちた。

 

 しめたと高林は思った。そこはいつもタバコを吸っている場所だ。その先は行き止まり。非常口は内側から鍵がかかっている。 高林が、はためく丈の短いスカートを目的に目線を上げる。階段の隙間から見えそうで見えない。まあ良い。これから全部、さらけ出してもらえば、と。

 

 追い詰められた少女が振り替える。風にそよぐ黒髪で顔は判然としない。彼女は澄んだ声でこう言った。

 

「懲りない人たち」

 

 軋む階段。直後に一度、重心が大きくずれた。さらに脆くなっていたのか、足元を踏み抜いた高林。危ういところだったと、今も心臓が落ち着かない。

 

 困惑する澤村たちを後目に少女が姿を消す。

 

 よろけた澤村が手すりに触れる。手すりは朽ちたように千切れ、そして落ちた。澤村は青ざめる。ただ事ではないと思った矢先に非常口に接続していた金属部分が、バチンと弾けるように折れた。破片が澤村の頬を掠める。断面は互い違いになり、噛み合わないまま、コンクリートの壁に寄り掛かる。勢いは止まらない。爪痕を残して削りながら階段が傾いていく。

 

 そのとき初めて外階段が崩れていることが認識できた。

 

 澤村と高林は肺の空気を出し尽くさんとするような悲鳴をあげた。

 

 高林は踏み抜いた床板から脚を抜けないまま、腰が抜けてその場にへたりこむ。

 

「水は仕込めない」

 

 澤村が脱兎の如き火(ラビットファイア)で一人脱出を試みるが、高林が「俺も、俺も連れ、見捨てないで」と脚を掴んで離さない。

 

「一人で死ね!」

 

 澤村は悪鬼の形相で叫んだ。全身に纏った火による加速で高林を振り切る算段だった。斜めに加速すれば、高林の足は穴に引っ掛かり、痛みで手放すに違いないと。

 

 そのとき澤村の炎が、紫色に変色する。「なんだ、これ?」。吹き出した澤村の汗が、老朽化した階段に染み込む。

 

「無駄よ。私のアルターポーテンスに上書きしたの。ラビットファイアより、火の支配力が強いことは検証済み」

 

アルターポーテンス、堕天使の黄昏(ナパームダウン) 

 

 異能の炎、ナパームダウンはもう物質を燃やさない。それは「強さ」を焼き払う力に変換されている。

 火で炙ることで、対象から「強さ」を焼却し、急激に弱体化させ続ける。

 

 強度を焼き払われた階段の支柱と接続部品は限界を迎え、崩落に向かう。

 

「高みから燃え堕ちよ。ナパームダウン!」

 

土煙が上がり、外階段の残骸を覆い隠した。誰の悲鳴も、もう聞こえなかった。

 

×―×―×―×―×―×―×

 

 登校時間前に龍宮は廻栖野から呼び出された。珍しいこともあるものだと、眠気と相談しながらベンチで横になっている。真新しいローファーが地面を打つ音がして、そばで止まった。

 

 龍宮は目をつぶり、体勢を立て直してから目を開けた。途端に龍宮の目が覚める。彼にしてみれば、それは信じられない光景だった。

 

「廻栖野、お前、それレーランの制服か」

「そうよ。今日だけ。あなたに最初に見せたかったの」

 

 廻栖野はいたずらっ子のように笑むと見せびらかすみたいにその場でくるりと一回転。丈の短いスカートが上品にひるがえる。

 趣味が良いと評した、チョーカーに改造された学校指定のリボンは規定に則った形になって、胸の上に澄ました様子で添えられている。

 

「どうかしら。似合う?」

「ああ。ゴスロリ(いつもの)も良いけど、なんか、こう、びっくりした」

「語彙が足りていないのね。お昼は辞書でも食べたらどうかしら」

「フルコースで貴様にも食わせるわ……」

「ありがとう。せっかくだけど遠慮しておくわ。今日はこのあと用事があるの。また誘ってね」

「用事? 珍しいな」

「趣味の時間なの。悪い方の」

 

 廻栖野はきびすを返した。

 

 龍宮は遠ざかる背中に「廻栖野」と呼びかけた。彼女は振りかえる。

 

「何かしら?」

「また明日、ここでな」

「当然よ」

 

 はにかみながら廻栖野は、上機嫌に歩き出す。



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