ビブロフィリアの駄作書庫 (負け狐)
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よく分かる!加工しやすい死体の作り方 第二十刷 1ページ

以前途中まで書いてあったのをサルベージ


 ペラリ、とページを捲る音が鳴る。その部屋の主は黙々と、表情を変えることなくその本を読む。

 が、ある程度のところまでいくと、溜息と共に本を閉じた。

 

「ゴミ」

 

 一言。声色は美しく、部屋の主であるその人物、女性の魅力を引き立てるであろうその口から発せられた言葉。それは短く、そして攻撃的であった。やれやれと肩を竦めた彼女は、しかし吐き捨てるような評価をした本を丁寧に背後にある本棚に仕舞いこむ。

 別段感慨もなく、仕舞ったそれを一瞥することもなく。彼女は本棚の別の本に視線を移した。背後ではなく、その隣。部屋を囲っている多数の本棚を眺め、少しだけ考えるように顎に手を当てた。

 

「あー……整理も飽きてきた」

 

 ぽつりと呟く。ガリガリと頭を掻き、その拍子に長い髪がさらりと流れるのを気にすることもなく、彼女はそのまま視線を足元に向ける。

 箱に詰められた大量の書物。それを見て、疲れたように彼女は溜息を吐いた。

 

「どうせ、これも」

 

 言いながらその中の一冊を手に取る。ペラリペラリとページを捲り、そして予想通りだと頭を振った。

 こんなものは見飽きた。そう呟きながら、先程仕舞った場所の隣のスペースにその本をねじ込む。再度椅子に座ると、目の前の机にぐだりと体を投げ出した。

 

「つまんねー」

 

 長い髪と少々低めな身長、それとは少し不釣り合いな女性らしい体つき。他人が評価するならば『可愛らしい』と称されるである女性、否、少女と言っても問題ない彼女から発せられた言葉は、またしても似合わないもの。目を細め、顔だけを前に向けると、何でこんなことをやっているんだかと一人ぼやいた。

 自業自得じゃないですか、とそんな彼女に声が掛かる。視線だけをその声の方向に向けようとした彼女は、しかし届かなかったので仕方なく顔を動かした。

 やれやれ、と呆れたように肩を竦める金髪の少女が立っていた。白を基調としたブラウスと薄い青のネクタイが几帳面な雰囲気を醸し出しているその少女は、つかつかと彼女の机まで歩みを進めると、はい、とカップをそこに置く。

 体を起こした彼女は、そのカップに入っていた液体を見て少しだけ顔を綻ばせた。

 

「ん。流石ガレット」

「はいはい」

 

 ガレット、と呼ばれた少女はそんな彼女の言葉を軽く流し、それでどこまで進んだのと問い掛ける。何を、というのは聞かない。分かり切っていることを聞くほど愚かではないのだ。

 

「半分、くらい、かなぁ?」

「……フィリア。貴女真面目にやっているの?」

「やってるさ。だから半分なの」

「……成程」

 

 やれやれ、とガレットは肩を竦める。自分用に持っていたカップの液体に口をつけると、彼女も箱の中の書物を一つ、手に取った。

 どれどれ、とそれを捲り、少し目を瞬かせ。パタンと閉じると先程フィリアが行ったのと同じように背後の本棚にそれを仕舞い込んだ。

 

「まだ読んでないんだけど」

「読む必要があるのですか?」

「ねーよ。けど、読まないのはあたしのプライドが許さない」

「……はいはい」

 

 取り出し、それを差し出した。うむ、と本を受け取ったフィリアは、しかし開いて一分も経たない内にそれを閉じる。

 うんうん、と頷くと、立って待ち構えているガレットにそれを差し出した。

 

「ゴミ」

「分かっていたでしょう?」

「さっきも言ったけど、プライドの問題よ。読まないで判定したら、三流以下になるじゃん」

「はいはい」

 

 肩を竦め、ちらりと箱を見る。恐らくここの本の殆どは今フィリアが発した言葉が評価になるに違いない。そんな分かり切った予想を立てたガレットは、やれやれと頭を振った。

 少し気分転換でもしましょうか。そう言ってフィリアに手を伸ばす。あん? とそれを眺めたフィリアは、逡巡するとまあいいかとその手を取った。

 

「どうせなら、読み直しがしたい」

「何ですかその読み直しって」

「マズいものを食べた後は口直し、ならゴミ本を読んだ後は読み直し」

「なら、目直しとかでいいのでは?」

「目直し、かぁ」

 

 まあどっちでもいいや。そんなことを言いながら、立ち上がったフィリアはううんと伸びをした。

 

 

 

 

 

 

 魔法使い、という職がある。書物などに書かれている華やかな、あるいは忌諱されるようなものではない、しかし知らない者は鼻で笑うような職業。ただし知っている者にとってはその力を喉から手が出るほど欲するほどの、そんな職業。

 で、あったのは少し前の話。デジタルの普及に伴い、魔法使いの希少性は段々と薄れてきた。成り方さえ知ってしまえば、割と簡単に片足を突っ込める、そんな職に成り果てた。

 しかしそれらは所詮にわか。未だに存在する本物と比べればやはりそこには絶対的な差が存在する。それを本人が自覚しているかどうかは別として。

 

「ガレット」

「何?」

「本、よこせ」

「ありません」

「つまり、騙した、と」

「人聞きが悪いですね」

 

 そんな『本物』の一人は喫茶店で現在ぶうたれていた。ふざけんな、と対面の少女に食って掛かり、はいはいと軽く流される。その拍子にテーブルの上のティーカップがガシャリと音を立てた。

 ちぃ、と見た目にそぐわない表情で舌打ちをしたフィリアは、そのまま頬杖をつきガレットを睨む。これで一体何の気分転換が出来るというのか。そんなことを述べた彼女は、変わらず笑みを浮かべているガレットを見て再度舌打ちをした。

 

「フィリア。もう少し女性らしい行動を取ったら如何です?」

「知らん」

「見た目はいいのに、もったいないですね」

「余計なお世話だ」

 

 三度目の舌打ち。残っていた紅茶を飲み干すと、やることないなら帰ると彼女は告げた。こんなことなら部屋で本の整理をしていた方がなんぼかマシだ。そんなことを思ったのだ。

 ちょっと待ちなさい、とガレットはフィリアを呼び止める。なんじゃい、と立ち上がりかけたフィリアが彼女を睨むと、もうそろそろだからと微笑み、述べた。その顔はとても穏やかで、フィリアを可愛らしいと表現するのならば彼女は美しいと表現するのが適切に思えて。

 ふう、と息を吐いたフィリアは座り直した。この顔は駄目だ。こいつがこの顔をする時は碌な事がない。ただ関わらないと余計に面倒になる。そんなことを連想し、不満気に紅茶のお代わりを注文した。

 

「理解が早くて助かります」

「言ってろ」

 

 四度目。ガレットから視線を外し、店内を眺める。別段変な場所があるわけでもないし、怪しい人物もいない。ならば、何か厄介事があるとすればこれからくる何か。

 盛大な音が鳴った。外から店内を、あるいは店内から外をある程度覗けるように誂えてあった窓ガラスが木っ端微塵に吹き飛び、一台の車がそこから生えた。それが外から突っ込んできた暴走車だと気付いた時には、既に店内はパニックになっていた。

 なにせその車は、そこで止まらず更にタイヤを回転させ始めたのだから。

 

「うへぇ」

 

 テーブルを薙ぎ倒しながら暴走車は唸りを上げる。逃げ遅れた客の一人がバンパーにぶつかり悲鳴を上げた。幸いなのはそこに追撃が来なかったことであろうか。

 衝立とぶつかり耳をつんざくような破壊音が響いた。そこにあった植木は鉢ごと砕け散り、暴走車のフロントガラスにぶち当たる。蜘蛛の巣のような罅が入り、運転手の視界を奪い去った。

 あるいは、眺めていた二人に運転手の顔を隠す役割を果たした。

 

「フィリア」

「え? 本気?」

「どうしてそんなことをわざわざ?」

 

 フィリアの問い掛けの答えになっていないようなその返し。だが、それで彼女は十分だった。まあそういうことなのだと理解した。

 それでも一応、とフィリアは視線を暴走車からガレットに向ける。

 

「これからの予定は?」

「気分転換ですけど」

「……さいですか」

 

 頭を振ると、フィリアは暴走車に視線を戻す。店内を破壊しながら、どんどんと勢いを増しながら、車は真っ直ぐに迫ってくる。危ない、という声が聞こえる。逃げて、という声が聞こえる。

 ああもう、と彼女はガリガリと頭を掻いた。やかましいな、と五度目の舌打ちをした。

 

「《少し、大人しくしては如何?》」

 

 ピタリ、とまるでそういう劇の一場面だったのかのように、その空間から音が消え去った。逃げ惑う人も、悲鳴を上げていた人も、彼女達を心配していた人も。

 目前に迫っていた車も、当たり前のように静かに佇んでいた。

 

「お見事」

「やかましい」

 

 そんな無音に響く一人の拍手の音。それを合図にしたように、今目の前の光景を理解した周囲の人達に動きが戻る。車が動かなくなったことを確認し、それから離れるように外へと逃げていった。

 周りを気にしない二人は、無造作に車に近付く。元々が再度動き出せば確実に轢かれる位置だったが、それよりも更に近くに。

 運転席のドアに手を掛けた。ガシャリ、という彼女達の来訪を歓迎しない音が鳴る。ふう、と息を吐くと、そのガラス窓を覗き込んだ。当然というかスモークガラス、中の人物の表情は伺えない。

 

「ガレット」

「私? フィリアがやればいいでしょう」

「ガレット」

「……はいはい」

 

 肩を竦めると、ガレットはゆっくりと右手を握る。ちらりと運転席のドアの取っ手を見、普通に鍵を使うタイプなのですねと呟いた。

 

「ということは、《その鍵はきっと私が持っている》でしょうね」

 

 はい、と右手を開く。先程まで何もなかったそこに、一つの鍵が握られていた。

 それを運転席の鍵穴に差し込み、回す。当たり前のようにロックを解除し、当たり前のように運転席は彼女達を迎え入れた。

 

「あれ?」

「どうしました?」

「いや、てっきりもぬけの殻だと思ってたから」

 

 運転席に座っているものを見てフィリアは目を瞬かせた。それは残念でしたね、とガレットは笑い、ハンドルの下に刺さっていた車の鍵を引き抜いた。先程彼女が持っていたものと同じ形をしたそれには、キーホルダーがくっついている。

 

「随分豪快な招待状ですよね」

「迷惑限りないんだけど」

 

 そう思うよね、と運転席に座ったままになっているものをツンと突付いた。それはされるがままに首が傾き、飛び出ている目玉がゆらゆらと揺れる。デロリと垂れたままになっている舌が、それとは逆方向に動いた。

 

 

 

 

 

 

「で」

 

 とある一室。そこでテーブルを挟んだ向かい側にいる男性に向かい、フィリアは文句しかないという表情のまま言葉を続けた。

 何で自分達は捕まっているんだ。そう述べると、男は盛大な溜息を漏らす。

 

「逆に聞くが、どうして捕まらないと思った?」

「何もしていないもの」

「うん」

「……そうだね。ビブロフィリアは百歩譲ってそうかもしれない。が、マーガレット・ベルンシュタイン、君は別だ」

 

 ピクリ、と涼しい顔をしていたガレットの眉が動く。心外だ、と言わんばかりのそれを見て、彼はもう一度溜息を吐いた。

 なあビブロフィリア、とその隣の少女を呼ぶ。その疲れたような声に反応したフィリアは、知らんとばかりに肩を竦めた。それで充分だったのか、彼はそうかと短く述べた。

 

「それよりもミナちゃん」

「ミナちゃんと呼ぶな!」

「じゃあキリエちゃん?」

「まずちゃん付けをやめてくれ」

 

 霧江水無月、紛うことなき成人男性である。色の薄い髪は彼がそういうことに無頓着であることを証明するかのようにボサボサであり、ヨレヨレのコートが更に情けなさを増している。不潔ではないのが幸いだが、それは彼の功績ではないのでプラスにはならない、というのがフィリアとガレットの評価であった。

 色々と疲れ切ったように項垂れた水無月は、話を続けていいだろうかと二人に述べた。

 

「今日の夕方、喫茶店に暴走車が突っ込んだ。被害者は数名、いずれも軽傷で済んでいる」

「あら、それはよかった」

「……車の狙いはマーガレット、君だったようだ。あの時間君があそこではなく人気のない場所にいたのならば、軽傷の被害者はゼロだっただろうね」

「不幸な偶然ですね」

 

 さらっとそう述べるガレットを見て、フィリアはやれやれと肩を竦める。これ見て何でこいつの方が常識人だと認識されるんだろう。そんなことを独りごちた。

 まあこのままでは話が終わらない。そう判断したフィリアは水無月に向き直る。それで自分達がここに拘束されている理由は何だ、と。

 彼女の最初の質問と同じようなそれを聞いた水無月は、しかし今度は真面目な表情で頷きそうだったなと返した。本題に入ろう、とガレットから奪い取った暴走車のキーを机の上に置いた。

 

「ビブロフィリア」

「なんじゃい」

「この招待状とやらは、どういう意図のものだい?」

「自分で調べられるでしょうが。何であたしに聞く」

「君の方が正確で素早いからだ」

「ちっ」

 

 今日何度目だ、とそんなことを思いながら、フィリアはキーホルダーを手に取った。タグのようなそれを眼前にかざすと、何かを睨むように目を細める。

 

「ったく、もう。《ありがたく読ませて頂きますわ》」

 

 タグが弾けた。文庫本程度の大きさになったそれは、手紙らしき文面が書かれている。

 マーガレット・ベルンシュタイン様、貴女に是非お会いしたい。つきましては、お近付きの印に粗品を送ります。喜んでいただけると幸いです。大体内容はそのようなものであった。裏にはご丁寧に地図がついている。

 

「粗品、か」

 

 水無月はそう呟き顔を顰めた。相変わらずふざけた輩だ。そんなことを吐き捨てるように続け、ジロリとガレットを睨む。嬉しそうな顔をしている彼女を睨む。

 

「マーガレット」

「何でしょう」

「あれはこちらで回収させてもらうが、構わないね?」

「構うに決まっているでしょう!? 何を考えているの!」

 

 バン、と机を叩いてガレットは立ち上がる。先程までの余裕の笑顔はどこにもなく、ただただ不満だと怒る等身大の少女の姿がそこにあった。

 ああ、これがもう少し違う理由だったのならば微笑ましかったのだが。そんなことを思いつつ、何度も言っているがと水無月はガレットに指を突き付けた。

 

「一応曲がりなりにもここは日本だ。人の死体を粗品だからという理由ではいそうですかと渡せん」

「ケチで狭量で、まったく最低」

「年若い少女の無残な死体を喜んで貰い受けようとする狂人よりはマシさ」

「あら、そうでしょうか?」

 

 どっちでもいい、とフィリアは思う。死体を喜ぶガレットも、死者を悲しむ水無月も。どうでもいいから、早く帰らせろ。それが今現在の彼女の偽りなき心境であった。

 そもそもここには本がない。暇を潰す一番の娯楽が存在しないのだ。二人のアホみたいな会話を聞くのはそろそろ飽きた。本を読ませろ。

 

「ミナヅキ」

「ああ済まないビブロフィリア、君にも聞きたいことはあるからもう少し――」

「ちょっと持ってくる。《こちらの本は如何でしょう》」

 

 彼女の手がブレた。そしてそれがハッキリすると、そこには一冊の本が握られている。ハードカバーの装丁がされたそれは、図鑑か、あるいはそれこそ。

 

「所構わず魔導書を呼び出すな!」

「だからちょっと持ってくるって言ったでしょうが」

「……ああ、そうだね。まだ一応言うだけマシか……」

 

 ガクリと水無月は肩を落とす。そんな彼を気にせず、フィリアはペラリとその本を捲った。数ページ読み、そしてげんなりした表情に変わり、しかしそのまま読み続ける。

 つまらないものを持ってきてしまった。何かを諦めたように彼女はそう呟いた。

 

「そう思うなら、読まなければいいでしょう?」

「今すぐ帰っていいのなら、あたしだってこんなもん読まんわい」

 

 ガレットの言葉にそう返し、彼女は目の前の彼を見る。つまらない本のページを捲りながら、それで聞きたいことは何だと口にした。

 ああ、そうだった。我に返った水無月はそんなことを呟きながら机の上の書類を手に取り、そして先程の招待状をそこに重ねる。そうしつつ、なら手短に聞くぞ、と彼女に述べた。

 

「犯人に心当たりは?」

「あたしに聞くな」

「君以外の誰に聞けと言うんだ」

「ガレット」

「本気で言っているのかい?」

「……勿論」

 

 思い切り視線を本に向けながら、水無月の問い掛けに間を開けながら。フィリアはそれだけを言って言葉の締めとした。どう考えても否定でしか無いそれを聞いた彼は、分かっているじゃないかと肩を竦める。面倒臭い、というオーラを全身から放っている彼女を見ながら、それでも、と言葉を続けた。

 

「いや、だからこそ、か。ビブロフィリア、今の頼りは君しかいない」

「知らん」

 

 バッサリと切り捨てる。まあ分かっていたが、と溜息を吐いた水無月は、どうしたものかと顎に手を当てた。魔法使い、とりわけ魔女と評される連中の中でも彼女は比較的まともで付き合いやすい相手だと彼は思っている。だから、こういう時はどうしても彼女を当てにしてしまうのだ。ちなみにビブロフィリアの世間の評価はすこぶる悪い。

 ともあれ、今回のように機嫌の悪い時のフィリアを宥めるのは骨が折れる。長いとは言えないが短くもない付き合いだからこそ、何とかする方法を思い付きそうで思い付かないのだ。

 

「今度、何か食事でも奢ろう」

「いらね。今のあたしは食い物で釣られん」

「……そうか。では、何か欲しいものを――」

「今すぐ帰らせろ。本読ませろ」

「まあ、そうなるよな……」

 

 はぁ、と水無月は再度溜息を吐いた。これは今日は無理かもしれない。そう判断した彼は、仕方ないと書類をまとめて封筒に入れた。ビブロフィリア、と目の前の彼女を呼ぶと、済まなかったと頭を下げる。

 ん? とそんな彼の行動に首を傾げたフィリアに向かい、水無月はまた今度にするよと苦笑した。

 

「ん。そういう物分りの良いところ、あたし好きだな」

「はいはい」

 

 んじゃ遠慮なく、とフィリアは立ち上がる。パタンと本を閉じ、固まっていた体をほぐすように伸びをし。手をヒラヒラとさせながら、部屋の扉に足を向けた。

 

「案外素直に帰すのですね」

「今は無駄なことに時間を費やす余裕はないのさ」

「あら、そう」

 

 クスリと笑うと、ガレットも同じように立ち上がる。まさか自分はこのまま残れと言わないよな、と目で訴えた彼女に向かい、水無月はふんと鼻を鳴らすことで返答とした。

 

「マーガレット」

「何でしょう?」

「君は碌な死に方をしないな」

「知っています」

 




勘を取り戻すリハビリも兼ねてます


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2ページ

まったりと


 それから数日。『粗品』の葬儀は滞り無く終わったという連絡を至極どうでもいいと流したフィリアは、自身の館にやってきた人物を見て目を細めた。ガレットならば相手にしなければいい。そういう気分だ、で流すことが出来る。が、こちらはそうはいかない。

 別にそうしてもいいが、その場合相手方が納得してくれないのだ。だから面倒だ。そんな感想を持って、彼女はあからさまに顔を顰めた。

 

「何よ」

「めんどい」

「だったら追い返せば?」

「……そーしたいのは山々だけど。怒るじゃん」

 

 はぁ、とフィリアは溜息を吐く。そんな彼女の表情を見て、来客の少女は目をパチクリとさせた。アンタが気を使うなんて、と思わず口にしてしまったことから、フィリアのその行動があまりにも予想外だったのだろう。

 

「あんさ、カスミ。あたしも別に自分の時間邪魔されなきゃ普通の対応くらいするし」

「アンタの場合、生活の九割が自分の時間でしょ」

「そ。で、今はたまたま残り一割。分かってんなら驚く必要ないじゃん」

 

 ふう、とカスミと呼ばれた少女は溜息を吐く。まあ確かにそうだけど、と苦い顔を浮かべた彼女は、じゃあ珍しく話を聞いてもらうとフィリアへ詰め寄った。

 めんどい。そう言ってフィリアは彼女の要望を撥ね退けた。

 

「結局変わらないじゃない」

「人のために動くとかマジだるいし。あたしはあたしのためにしか動きたくない」

「そんなことは知ってるわ。だから話を聞いてもらうとしか言ってないでしょ」

 

 はいはい、とフィリアは肩を竦めた。それで話とは何なんだと目だけで続きを促した。

 よし、と満足そうに頷いた彼女――霧江霞は、じゃあ遠慮なくいくけれどとフィリアの対面に椅子を移動させそこに座る。

 

「うちの学校の生徒が殺されたの」

「日本にしちゃ物騒だ」

「……報道されないだけで、案外珍しくなかったりするけどね、そういうの」

「あたしは関係ない」

「知ってるわよ。あ、でもこれはそうでもないか」

 

 どういうことだ、とフィリアは眉を上げる。どういうこともなにも、と霞はそんな彼女に向かい指を突き付けた。

 

「『粗品』にされたのが、うちの生徒よ」

「あたしは関係ない」

「……つまりマーガレットのクソ野郎に関する事件なわけね」

「ミナヅキから聞いてないの?」

「聞いてない。けど、あー、そういうことか。だから兄さん何も言わなかったのか」

 

 ガリガリと頭を掻きながら霞は表情を歪める。彼女の兄、水無月が話していない理由は警察の守秘義務的な意味合いの他にもう一つある。そちらに該当したのだと霞は判断したのだ。

 

「『知ったらきっと殴りに行くだろう』」

「……まあ、別に仲が良かったわけじゃないけど。でも、一応、クラスメイトだった。だから、きっと兄さんはそう思ったんでしょう」

 

 事実、今この場にマーガレットがいたのならばとりあえずぶん殴っていたに違いない。ああもう、と頭を掻く仕草によって霞のサイドポニーがサラリと揺れた。大きく息を吐き、そして吐く。その動作を行った後、気を取り直すようにして視線を再度フィリアに向けた。

 

「犯人に心当たりは?」

「あたしに聞くな」

「他の誰に聞けってのよ」

「ガレット」

「本気で言ってんならアンタの脳ミソの発酵具合を心配するわね」

「……ったく」

 

 兄と違ってこっちは随分とやかましい。そんなことを思いながらフィリアは溜息を吐いて手元にあった本を開いた。ペラリペラリとページを捲ると、少しだけ考え込むように目を閉じる。

 

「死体を作ることに躊躇いがないってことは、魔法使いの中でも『本物』寄りだ。それでもってガレットにわざわざプレゼントを用意するってことは、成り立て、あるいは力だけを欲しがる小物」

「前者を満たすには成り立てだとちょっと弱いわね」

「そうでもないさ。『向こう』寄りでなったばかりなら、そういうことに忌避感を持たないのも不思議じゃない」

 

 ふむ、と霞は何かを考え込むような仕草を取る。今言った条件に当てはまる者を探すのはそれほど難しくない。怪異に関する事柄ならば、その程度の浅さは隠していないも同然だからだ。

 ただ、と彼女は思う。この程度のことは兄、水無月が思い付かないはずがない。だというのに調査が順調である素振りは見せていなかった。

 

「実は隠蔽が上手だったのかしら……」

「隠し事が出来る性格ならそもそも『粗品』の素性がバレるわけないっつの」

「それもそうか」

 

 はぁ、と溜息混じりにそう述べたフィリアの言葉に、霞は同意するように頷く。そうした後、だったら一体全体どういうわけなのだと首を傾げた。自身の兄の所属している一部では警察の盲腸などと呼ばれている特異課、そこにこうしてきちんと情報が集まるということはモロバレと同義である。それは間違いないはずなのだが。

 

「あ、待った」

「ん?」

「この辺の情報、犯人が自分から流してるのなら、どう?」

「そーとーのバカだね」

 

 そう言いながら、彼女はその条件に当てはまるような存在を頭に思い浮かべる。わざわざそんなことをするということは、自分に自信のある証左。それでいて、マーガレットに敬意を払い彼女との接触を望んでいる。

 

「あいつと同業の魔法使いで、自意識過剰なバカ。ま、絶対知り合いにはいねー」

「知り合いなら普通に接触するでしょうしね」

「そうとも限らないのが魔法使いのアレな所以さ」

 

 そういう連中は基本門前払いをするので、自分の知り合いにはなりえないが。そう続けたフィリアは、流し読みしていたものとはまた違う本を手に取りパラパラと捲った。死体人形の作成法を記した書物であるが、又聞きの又聞きのそのまた又聞きレベルにまで劣化しているそれは、現代人の感覚で言えば怪しい水素水と変わりがない。そしてその程度の本ならば今の時代ごまんとある。

 

「さっきから何見てんのよ」

「ゴミ書物」

「……好きよね、そういうの」

「別に好き好んでゴミを読んでるわけじゃないやい。手当たり次第に読んだら七割以上はゴミなんだよこんなもん」

「ふーん」

 

 ひょい、と霞がその本を覗き込む。丁度章の始めの部分で、そこには見出しが少し大きめに記されていた。

 意中の相手に新鮮な死体を送る方法、と。

 

「……成程。ゴミね」

「一応ここは貴重なこの本の原本沿いとは違う独自部分なんだけどねー」

「あっそ。で、ここは面白いの?」

「原本に沿ってる部分の方がまだ読める」

 

 ほぼ丸写しだし。そう言いながら数ページ捲ったフィリアは、パタンと本を閉じそれを持ったまま本棚に向かった。ゴミ棚、と呼ばれる本棚のスペースにそれを押し込むと、彼女は首をコキリと鳴らす。

 

「ねえ、カスミ」

「あによ」

「さっきまでの条件を満たしてるバカの場合、次に取る行動ってなんだと思う?」

「はぁ? 自意識過剰なバカが、思い通りに行かなかった場合? そりゃ、自分のミスは認めないでしょうから、相手が悪いってことにして」

 

 もう一度、同じことをしようとする。そこまでを口にした霞は、勢いよく立ち上がるとこうしてはいられないと踵を返した。どこに行くつもりだ、というフィリアの問い掛けに、決まってるだろうと首だけを動かし返事をした。

 

「『粗品』になった、あの娘のところよ!」

 

 

 

 

 

 

 酷いものであった。ついこの間葬儀を済まされ納骨されたであろう墓石はひっくり返され立っていた場所にはポッカリと穴が開いている。その光景にあからさまな嫌悪感を示した霞は、ガリガリと頭を掻くと背負っていた竹刀袋のズレを直した。

 

「やった後のこととか考えねーのかねこのバカは」

 

 うへぇ、と白い物が見えるその穴を覗き込んだフィリアは、とりあえず片付けようかと霞を見る。その言葉に少しだけ悩む素振りを見せた彼女は、調査のしようがないことを確認し首を縦に振った。

 

「でも、アンタが率先してそんな事言うなんて」

「お墓って、ある程度整頓されてるじゃん。そういうのグシャグシャにされるの嫌いなんだよね、あたし」

「……わたし達と違う感覚なのが分かってある意味ホッとしたわ」

 

 一言二言フィリアが何かを呟き、それによって荒れた墓石が元通りになるのを眺めていた霞は、そこに向かって手を合わせる。クラスメイトではあったが、仲良くはなかった。そこまで話した記憶もない。

 だからといって、悲しくないわけがない。ましてや、死んだ後も都合のいい道具として扱われているのならば、尚更。

 

「で、どうする?」

「どうするって、勿論犯人を」

「だから、どうする?」

 

 犯人をぶちのめす、あるいはぶち殺す。どちらにせよ、そうするためにはどうするのか。それをフィリアは問うているのだ。そのことを認識した霞は、先程フィリアの館で話していたことを反芻した。自意識過剰なこの犯人は、次に一体何をするのか。

 

「ま、とーぜんガレットに届けようとするわな」

「そうね。今度こそきちんと喜んでもらわなくちゃいけないものね」

 

 だから同じものを用意した。これが正しいと思っているから、違うものを用意することを拒否した。

 直接会って、『粗品』を手渡しし、彼女の喜ぶ顔が見たい。そんな意気込みで行動しているであろう犯人を思い浮かべ、霞はぶん殴りたい衝動を必死で抑え込んだ。

 

「どうどう。で、どうする?」

「マーガレットはどこ?」

「自分で聞け」

 

 しっし、と手で追い払われたので、霞は唇を尖らせながらポケットからスマホを取り出した。通話アプリを起動し、今どこにいるのかとメッセージを送る。

 程なくして、通知の音とともに返事が来た。

 

「……特異課!?」

「自分からシチュエーション整えに行ったなあんにゃろう」

 

 自身の邪魔をした連中に鉄槌を下すと同時に、憧れの相手に今度こそ贈り物が出来る。それは願ったり叶ったりの状況であろう。何故そんなことになっているのか、を考えなければ、あるいは自分が恵まれているからなるべくしてなったのだと思考を放棄していれば、の話あるが。

 こうしちゃいられない、と霞は足に力を込めた。ここから特異課までバスで十五分。徒歩ならば倍以上。それでもとにかく足を動かそう。そんなことを考え。

 

「少しは考えろ単細胞」

「あたっ!」

 

 べし、とフィリアのチョップが炸裂した。脳天に叩き込まれたそれにより地面にへたりこんだ霞は、何するんだと若干涙目で彼女を見る。

 そんな霞を見下ろしていたフィリアは、溜息を吐きながら一歩、彼女に近付いた。

 

「勢いで行動するのはいいけれど」

「けど、何よ」

「《急がなくとも、目的地はすぐそこでしょう?》」

 

 ぐにゃり、と視界が歪んだ。突如マーブル状になった風景に思わず顔を顰める。が、それも一瞬。気付いた時には、二人は警察署の門前に立っていた。

 ぱちくりと目を瞬かせた霞は、信じられないものを見る目でフィリアを見る。何か文句あるのか、という目で睨み返された彼女は、そうじゃないと手をブンブンと振った。

 

「何でこんな協力的なのか、って」

「その理由を知ってどうすんのさ。言っとくけど、お前が聞いたら絶対理解出来ないっつーぞ」

「……ふーん」

 

 そこで霞は言葉を止める。じゃあいいわ、とばかりに視線を警察署の入り口に向けると、そのまま真っすぐ駆け出した。一見した限りでは何も異常は見られない。が、相手が魔法使いならば建物の中に一歩でも入ったら大惨事が待っている可能性もある。もしそうであった場合、出来るだけ急いで対処しなければ被害が拡大しかねない。

 入り口の自動ドアは問題なく開いた。が、周囲に人の気配がない。今の時刻でそんなことはありえないし、何より物音一つしない時点で異常である。

 

「流石に皆殺し、みたいなことをするほどバカではないっぽいね」

「……じゃあ、これは?」

「切り取ったんじゃない? 目的の部分だけを、ばっさりと」

 

 細かい部分は端折ったおかげで、こんな何もない空間になっているのだろうが。そんなことを言いながら肩を竦めたフィリアは、所詮あんなゴミ書物書いてる程度ならこんなもんかと吐き捨てた。

 

「ちょ、ちょっと待った! え? ゴミ書物?」

「そ。さっきあたしが見てたやつの作者だよ、こいつ」

「さっきって……あの、死体をプレゼントとか何とか書いてた」

「そそ。ほんとクソみたいなもん書くだけあって、やることが一々クソだわ」

 

 手近なソファーを蹴り飛ばす。盛大に吹き飛んだそれは、壁にぶつかると粘土細工のようにベシャリと潰れ広がった。細かい造形を省いているおかげで、一見そのままのようで本物に近付ける努力すら怠っている。それを証明するかのように、フィリアが軽く殴っただけで置いてあったテレビに穴が開き、崩れた。

 

「力込めなくてもこれだ」

「……歩いて大丈夫なんでしょうね」

「二階は止めといた方がいいかもね」

 

 幸い特異課は一階の端の端だ。床に穴が開き落下する心配は、恐らく無い。よし、と一気に目的地まで駆ける霞を見ながら、フィリアはダラダラと歩みを進めた。

 途中、窓ガラスを何の気なしに眺めてみる。うっすらと自分の姿が映り込むことすら無いのを見て、ホント駄目だな、と彼女は呆れたように溜息を吐いた。




いけるとこまで


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3ページ

設定のいい出し方が思い出せない


 扉に手をかける。思い切り握った取っ手がぐにゃりと曲がるのを見て、霞は手を離すとそれに向かって思い切り回し蹴りをした。吹き飛ぶどころか砕け散ったそれを見ることなく、彼女は特異課の部屋へと足を踏み入れる。

 

「あら、随分と豪快な入室ですね」

「マーガレット……」

 

 クスクスと笑う金髪の少女を一瞥し、そのまま視線をぐるりと回す。立っているのは、彼女と、怪しい男と、吊り下げられた死体の三人。それ以外の部屋の住人で動いているものは見当たらなかった。

 

「特異課の人達は……?」

「さあ? 私がここをどうにかしたわけではないですから」

「わざわざここに来ておいて何を!」

 

 詰め寄り、マーガレットの胸ぐらを掴む。ぐ、と苦しそうな顔をしたのを見て、霞はその表情を更に険しいものに変えた。どの面下げてそんな態度を取っている。そんな思いを口には出さず、しかし態度で示すかのように手に力を込めた。

 その瞬間、彼女の体は横薙ぎに吹き飛んだ。壁に激突し、しかし出来損ないの空間であったために突き破り外へと投げ出される。ごろごろと廊下を転がる彼女を見て、それを行った犯人である男は口元を三日月に歪めた。

 

「まったく。俗人が何を偉そうにしているのやら」

 

 そう言いながら男はマーガレットに近付く。お怪我はありませんか、と尋ね、彼女が笑顔で首を縦に振るのを見て同じように笑みを浮かべた。

 そのまま笑顔で男は彼女に話し掛ける。それは自分の魔法理論であったり、既存の組織に対する侮蔑の言葉であったり、己は間違った世界を正す存在であるという宣言であったりした。

 

「そのためにも、是非とも貴女の技術を教えていただきたいのです」

「あらあら。随分と熱心な勧誘ですこと」

 

 そう言って微笑んだマーガレットは、そこで視線を吊り下げられた死体に向ける。この間の『粗品』の少女の姿をしたそれは、最初に贈呈された時よりも随分と綺麗に整えられている。修繕したのですか、という彼女の問い掛けに、男はええ勿論と返した。

 

「これだ、と決めたものを送らねばと奮発しました。妥協をすることなく、もう一度同じものを用意するため少しばかり苦労しましたが」

「ええ。よく出来ていますね」

 

 微笑みを湛えたままそう述べるマーガレットを見て、男はその笑みを更に強くさせた。貴女にそう言ってもらえるとは光栄です。そんなことを言いながら、彼は『粗品』を彼女へと贈呈する。

 

「ありがとうございます。心ばかりの品を、確かにいただきました」

 

 す、とそれを受け取ったマーガレットは、『粗品』を上からゆっくりと眺める。視線を男から外し、違う場所を見る。

 

「――では、もう、特に用事はありませんね」

「は?」

 

 男が怪訝な表情を浮かべるのと、腹に衝撃が走るのが同時であった。もんどり打って倒れる男を見ることなく、マーガレットはそれをした人物に声を掛ける。

 

「カスミ。戻ってくるのが遅いですよ」

「やかましい! アンタがその娘を受け取るまで待ってたのよ」

「あら、優しいのね」

「……そんなんじゃない」

 

 ふん、と鼻を鳴らすと、霞は背負っていた竹刀袋の紐を緩めた。中身を取り出せるようにし、立ち上がる男を睨み付ける。

 痛む腹をさすりながら、男は憤怒の表情で霞を見た。ただの人間の分際で、と吐き捨てるように述べると何かを呟いた。

 

「《我が愛しき、美しき魔女よ》」

 

 机の影から何かが立ち上がる。それが何なのかを認識した霞は、先程とは別ベクトルの感情で男を睨んだ。マーガレットに似た何かが男の命令で動き出すのを見て、思わず彼女は一歩下がった。

 

「人形の加工技術は中々ですね。この『粗品』も、火葬されたのにも拘らずここまで再現するとは」

「言ってる場合!?」

「勿論」

 

 マーガレットは変わらず笑みを浮かべたまま、頑張ってくださいと無責任な応援を霞に与える。自分で何かをするつもりは一切ないというそのスタンスを見て、彼女はこの野郎と頬をひくつかせた。

 

「マーガレット! アンタね――」

「ほら、来ましたよ」

 

 マーガレットのようなそれが霞の胸に刃を突き立てんと腕を振りかぶっている。慌てて持っている竹刀袋を眼前に掲げると、互いがぶつかり合ってギャリギャリと音を立てた。人の姿をしているが、明らかにその構成物は人ではない。竹刀袋が千切れ飛ぶのを見ながら、彼女は腰を落とし押し戻すように足に力を込めた。

 

「貴様――」

「ああもう。入れ物破れちゃったじゃないの」

 

 半分ほどになったそれを投げ捨てると、霞は顕になったそれを正眼に構える。日本刀、と呼ばれる形状の武器を構える。

 そうしながら、ああそうそうと男に向かって声を掛けた。さっきから人のことを散々貶してくれたが、と目を細める。

 

「アンタ達みたいなのをぶっ倒すための資格持ち。『解決人』よ、わたしは」

 

 ちりん、と首に下げていた鈴を鳴らしながら、霞はそう言って口角を上げた。

 

 

 

 

 

 

 はん、と男は鼻で笑う。『解決人』だと名乗った霞を一瞥し、馬鹿にするように、見下すように口角を上げた。

 

「『魔法使い』のような、大多数に通用する名前を持たない弱小集団が寄り集まってようやく固有名詞を得た有象無象如きが、偉そうに」

 

 男の言葉に呼応するように、マーガレットのようなものは再度刃の生えた右腕を構え、霞に向かって突っ込んだ。男と同じような表情が浮かんでいるわけではないが、しかし彼女はそれを見て顔を顰める。

 理由は至極簡単なことで、相手の顔そのものが気に食わないだけである。

 

「マーガレットみたいな顔してるのが、悪い」

 

 突き出された右腕を刀で受け止め、そのまま捻るようにして切断した。手首を飛ばされた右腕は、しかし武器でいうならば刃先が少し無くなったに過ぎない。マーガレットのようなものは、霞のその動きに構わず追撃のために残った部分を横に薙いだ。

 その拍子に切込みを入れられていた部分が裂けた。肘と二の腕の辺りで輪切りにされた右腕が、勢い余って横に飛んでいく。当然霞にそれが当たるはずもなく、空間の広さも歪み始めた特異課の机に当たると纏めて潰れた。

 

「酷いじゃないですか。私の姿をしたものをそんな」

「だったら本物をぶった斬ってもいいのかしらね?」

「おお怖い。そんなことを言われたら、怖くて震え上がってしまいます」

 

 すすす、と自然に霞と距離を取る。本物のマーガレットのその行動を見ることなく、彼女は一歩前に出ると男の創った偽物の胴を薙いだ。ぱくりと服に覆われた双丘が上下に裂け、それより上の部分がバランスを崩して下に落ちた。ぐしゃ、と音が鳴り、粘土細工を叩きつけたように粘性の高い染みが床に広がる。

 

「何よ。アンタ、これすらこんな出来損ないなの?」

「随分と脆いようですね」

「本当よ。……ちょっとマーガレット、アンタが貰った『粗品』はどうなの?」

「答える必要は無いと思いますよ」

 

 ち、と霞は舌打ちする。言いたくない、という意味ではないだろう。隠してなどいないだろう。

 つまりは、自分の思った通りの状態だということだ。

 

「マーガ――」

「んあ? もう暴れてんじゃん」

 

 振り向き声を掛けようとした矢先、のんびりと歩いてきたらしいフィリアが到着した。歪み、広がった特異課だったのであろう部屋を眺め、胸から下だけが立ち尽くしているマーガレットだったものを視界に入れる。やる気のなさそうな言葉を吐いた後、それらを見てから改めて呟いた。

 

「ひっでぇなー。大丈夫なん?」

「見ての通りよ」

「ぜんっぜん大丈夫じゃねーわけね」

 

 あーあ、と肩を竦めたフィリアは、とりあえず残っていたマーガレットだったものの下半身を蹴り飛ばした。横にある机にぶつかり、ぐしゃりと何かが潰れる嫌な音がする。それを見て霞と同じ感想を抱いたのだろう。視線をマーガレットの隣に置いてある『粗品』に向けた。

 

「ガレット」

「はい?」

「それ、どうする?」

「……さて、どうしましょう?」

 

 マーガレットは笑みを崩さない。クスクスと口元に手を添えながら笑いそしてその指をゆっくりと『粗品』に近付ける。その顔にそっと触れると、これ以上は駄目だと言わんばかりに手を離した。

 

()()()()は、中々でしたね」

「見た目だけはしっかりしてんのね。んで、他は?」

「見ていられない。特に強度は大問題」

 

 そう言って溜息を吐き肩を竦める。本当にこれで自分が喜ぶと思ったのだろうか。そう続けながら自身の腰にあるポーチに手を掛けた。

 

「ガラス細工ならば手放しで褒めました。粘土細工ならばまあ、評価はしたでしょう。……砂の塊を手渡しされるとは、思ってもいませんでした」

 

 おかげで受け取るのに苦労した。ゆっくりと頭を振ったマーガレットは、そういうわけなのでと男の方を見もせずに言葉を紡ぐ。お前と話すことなど何も無い、と切り捨てる。

 ポーチから取り出した手袋をはめた。まるで手術を開始する医者のようにその手を掲げると、『粗品』の顔を両手で包み込むように触れる。至極あっさりと、それだけで『粗品』は首がもげ頭が彼女の両手に収まった。

 

「出来るだけ残してあげようかと思いましたが、これは無理ですね」

「全部作り直す気?」

「それ以外に方法はないでしょう。……ねえ、霞?」

「あによ」

 

 笑みを浮かべながら向けられたその視線を受け、霞の表情は曇っていく。何か文句あるのか、と言わんばかりのその顔を見て、マーガレットは笑みを一層強くさせた。

 予め敷いておいたシートの上に頭をそっと置く。ポケットから布と小さな刃物を取り出すと、それらを置いた頭に近付けた。

 

「うし。向こうは問題なさそう」

「……そうね」

「何拗ねてんの?」

「拗ねてない!」

「はいはい。んじゃ拗ねてないカスミちゃんには、あれだ」

 

 ほれ、と向こうを指差す。会話においていかれ、そして自分が用意した『粗品』をほぼ全否定された男が、そこでようやく我に返っていた。怒りに顔を歪め、ふざけるなと叫んでいる。呪文らしき言葉を紡ぎ、人の姿をした何かを数体生み出していた。特定の誰かである、という判断は霞には出来ない。知らない人物か、あるいは存在しないものなのだろう。

 

「さっきはマーガレットだったのに、心変わりが早いのね」

「黙れ。あんな物の価値も分からん女を模すなど、耐え難い屈辱だ」

「……ま、嫌な奴だしわたしもアイツ嫌いだけど」

 

 さっきの評価は合ってるだろうな。口には出さずにそう続け、霞は刀を中段に構えると人形の何かに一足飛びで近付く。そのまま横に刃を振るい、一体を真一文字に両断した。先程のマーガレットのようなものと同じように、あるいはそこいらの机のように、上下に別れたそれはべしゃりと原型を留めない染みに変わる。

 

「カスミも随分人殺しに慣れたもんだ」

「慣れるかっ! 人は、殺せないわよ」

「あっそ。そこら辺はやっぱ手慣れてるミナヅキの方が一枚上手かねー」

「人の兄を殺し大好きみたいに言わないで」

 

 そう言いながらもう一体を縦に切り裂く。本当に脆いなこいつら。そんなことを思いつつ、別の一体を蹴り飛ばした。隣りにいた人形の何かとぶつかったそれは、その衝撃で形が崩れ混ざりあった気持ちの悪いオブジェになる。

 切り裂かれた二体とは違い、それらはまだ動けるらしい。二人の人間がミックスされたようなそれが、腕と認識するのも難しい部分を振り上げ彼女を潰そうと襲い掛かった。

 フィリアはそれを眺めながら、それらの呪文の主であり今回の事件の犯人である男へと足を進める。霞を心配している様子は欠片もなく、むしろ野次を飛ばす始末だ。

 男は近付いてくるフィリアを見て思わず肩を震わせる。得体の知れない相手に驚きを隠せない様子を見せる。が、それを押し留めたのか、すぐさま表情を余裕そうなものに変えると彼女を見下すように笑った。あんな連中と共にいるような存在など、自分の敵ではない。そんなことを言いながら呪文を紡いだ。

 

「ん? 出来損ないの人形以外もやれるんだ」

「ほざけ!」

 

 会話から判断する限り、目の前の相手は曲がりなりにも魔法使いなのだろう。だが所詮それだけ。自分の記憶にこんな女はいない。ならば、精々無名の二流だろう。そう判断した男は確信を持って呪文を放つ。先程霞を吹き飛ばしたそれを、殺傷能力を高め、撃つ。

 

「ま、でも《そこに撃っても当たりませんわ》」

 

 バン、と机が一つ吹き飛んだ。フィリアのいる場所とはまるで見当違いのそこへ着弾したことで、男は思わず動きを止める。どういうことだと目を見開くと、今度こそと狙いを定め呪文を放った。

 が、それらことごとく狙いが逸れる。否、狙っていても実際に当たる場所は別になっている。

 

「な、何が起こっている!?」

「は? いやいや、ちょっとそれマジで言ってる?」

「何を……」

「え? 何お前、ひょっとして呪文構築からしてへっぽこなわけ?」

 

 うわ、と若干引くような動きをしたフィリアは、ガリガリと頭を掻くとどうしたもんかと天を仰いだ。説明するのもいいが、それはそれでとても面倒くさい。代わりに誰かやってくれないかな、と視線を動かすと、混ざった気色悪い物体を細切れにし終わった霞の姿が見えた。ちょいちょい、と彼女を手招きすると、怪訝な表情で駆け寄ってきた彼女の肩を掴む。

 

「カスミー、ちょっと呪文の説明して」

「何でよ!?」

「いやだって、こいつ呪文の使い方が本に乗ってる文章そのままなんだよ。って、あー、そういうことか。だから人形も見た目はそれっぽいのか」

「一人で納得してんじゃないわよ。てか分かったんならもういいでしょ」

「やだ」

「…………魔法使いの呪文とは、文章である。『そうである』、『そうなる』ために、そこに力を乗せ言葉を紡ぐ。火を生み出したくば、『そうなる』ための文章を。空を征きたくば、『そうである』ための文章を」

「うわ、かったい説明」

「だったらやらせるな!」

 

 がぁ、と叫んだ霞の頭をぽんぽんと叩きながら、フィリアはまあそういうわけだと男に向き直る。どうでもいいが、霞の方が背が高いので手を高く上げたため非常に間抜けであった。

 一体何を言っているのだと男は述べる、そんなことは分かっていると続け、だから呪文を使っているではないかと表情を歪めた。

 

「知ってる割には、文章出来てねーじゃん。お前のそれ、魔導書とかに乗っていたのそのまま使ってるっしょ」

「だから何だ? そんなものは当たり前だろう」

「……ま、そーだね。とりあえずやってみるか程度の魔法使いは、それが当たり前だね」

「……馬鹿にする気か!」

「うん。つっても、別にそれ自体はいいんだけどさ。態度がなー、後調子に乗った魔導書の出来もなー」

 

 馬鹿にしていない部分はどうやらなさそうである。霞もそれには同意するのか、やれやれと肩を竦めていた。

 勿論男は納得出来るはずもない。二流が偉そうに、と吐き捨てるように述べると、再度呪文を紡いだ。フィリア曰く、本に乗っているものを理解せずにそのまま使った。

 先程の焼き増しのごとく、それらの着弾点は狙った場所とは違う位置。何故だ、と顔を歪める男に向かい、本当に馬鹿だなぁとフィリアは告げた。

 

「だから文章なの。魔法の本質は文章。分かってないんだから、《少し、静かにしてくださいませんこと?》」

 

 男の呪文詠唱が止まった。パクパクと口を動かしているが、そこから声が出ることはない。精々がヒューヒューという呼吸音程度だ。

 

「まあ多分言っても無駄っぽいし、あたしも飽きてきたから、そろそろ締めるかー」

 

 そう言いながらコキリと首を鳴らしたフィリアの背後から声が掛かる。どうやらある程度作り直しを終えたらしいマーガレットが、椅子に座った少女の髪を梳きながら三人の様子を眺め微笑んでいた。

 

「もう、終わりにするのね。『本好きの魔法狂(ビブロフィリア)』」

「んぁ? ん、そーだね」

 

 フィリア、ではなくビブロフィリアと、彼女の異名を正式に述べたマーガレットに一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐに意図を察して頷くと男に向き直る。隣ではもう知らんと呆れた表情で霞が溜息を吐いていた。

 フィリアは男を見る。彼女を青褪めた表情で見ている男を見る。

 

「ま、そーゆーこと」

 

 ニィ、とフィリアは笑った。ビブロフィリアと呼ばれる魔法使いは笑った。現存する魔法使いの中で、とびきり強力で、とびきり狂人と呼ばれた五人。その一人である少女は、笑った。

 

「ま、次があったら、もうちょい謙虚に生きな」

 

 男の意識は、その言葉と同時に途切れた。




こんなもん、かなぁ……?


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4ページ

一区切り


 ご苦労さま、と水無月は笑う。特製の手錠と鎖で拘束された男は、特異課の床で適当に転がされていた。水無月も他の連中も何も言わないのは、既にいつものことと化しているからである。

 

「んで? こいつどーすんの?」

「何時も通りさ」

「余罪がなきゃ適当な罰金で済む感じなわけね」

「殺人罪なんだ。どう見積もっても懲役だよ」

「……ねえ、ミナヅキ」

 

 やれやれ、と肩を竦めた水無月に向かい、フィリアはちょいちょいと手招きをする。怪訝な表情を浮かべた彼の耳元に口を寄せると、何やらボソボソと呟いた。それを聞いた水無月は目を見開き彼女を見る。本気か、と目だけで問うていた。

 が、それもすぐに表情を戻す。聞くまでもない、と自分自身で判断したのだ。

 

「マーガレットはどうなんだ?」

「ガレットは多分その辺見越してわざわざここに来たんじゃない?」

「……だろうね」

 

 ちらりと向こうを見る。特異課の面々と霞が、改修、というよりも全面新規造形された元『粗品』を眺めていた。相変わらずですねぇ、と呑気に笑っている特異課の同僚を視界に入れ、それでいいのかと水無月は溜息を吐く。

 

「ミナヅキもあれくらいテキトーに生きりゃいいのに」

「僕だって出来ればそうしたいさ。一人ならね」

 

 ちらりと一人の少女を見る。まるで眠っているように見える元『粗品』の少女を見詰めながら、何とも言えない複雑そうな表情を彼女はしていた。

 

「カスミなら大丈夫でしょ」

「そうは思っても、見栄を張るのさ。兄だからね」

「ふーん」

 

 まあそれならそれでいい、とフィリアはそれ以上何も言わない。そいつが好きでそうやっているなら、自分の不利益でない限り知ったことではないのだ。そんなことを考えつつ、話を戻すかと彼に向き直った。同じように水無月もフィリアに視線を戻し、頭を掻きながら苦笑すると机に向かう。

 書類の入っている棚から一枚の紙を取り出すと、そこにペンを走らせた。途中で暫し止まる場面を挟みつつ、そこまで時間を掛けることなく必要事項を記入した書類が一枚出来上がる。

 

「ほら」

「ん、さんきゅ。日本は面倒だよねー」

「細かい部分も許可が必要ということは、逆に言えば是が出れば胸を張って行動出来るということさ」

「文句を言われる筋合いはねーってやつね」

 

 それでも言う奴は出てくるけれど、と水無月はフィリアに返す。それを聞いて、やっぱりただ面倒なだけじゃないかと彼女はジト目で彼を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 翌日。教室のドアを開け中に入った霞は、そこで何か違和感を覚えた。昨日の雰囲気と何かが違う。そんなことを思ったのだ。そして同時に、その違いにも気が付いた。

 同じなのである。昨日までと違い、いつもと同じ。クラスメイトが殺された、という事実でざわめきや淀んでいた空気が綺麗さっぱりなくなっているのだ。これまでと同じ、何も起きていない日常の教室に戻っていたのだ。

 そんな簡単に皆切り替えられるのだろうか。そんなことを思いながら、霞は自身の席にカバンを引っ掛け、朝のホームルームが始まるまで時間でも潰すかとスマホを取り出した。

 

「おはよう、霧江さん」

 

 ログボでも貰っておくか。そんなことを思いながらゲームのアイコンをタッチしようと思ったそのタイミングで声が掛かる。あまり聞き慣れないその声に顔を上げると、昨日も見た少女の姿がそこにあった。

 

「あ、え? お、おはよう?」

 

 目を見開き、立ち上がってしまいそうになるのを必死で押さえ、霞はとりあえず挨拶を返す。何でここに。そう続けてしまいそうになるのを飲み込みながら、ゆっくりと、慎重に言葉を紡いだ。

 

「め、珍しいね」

「あはは。うん、そうかも」

 

 そう言って微笑むクラスメイトの少女の表情に含みは見られない。夢でも幻でもなく、確かにそこに立っていることを感じさせた。同様に、何かが操っている偽物というわけでもないのは霞自身の目で確認した。

 

「でも、今日は霧江さんに挨拶をしなきゃって思ったの。不思議だよね」

「そ、そうね。不思議ね」

 

 今の自分は冷静さを欠いていると間違いなく断言出来る。この状況に心当たりがあるかないかで言えば間違いなくあるのだが、あまりにも不意打ちだったので反応が遅れたのだ。そしてそれを立て直し切れていない。

 そんな状態のまま適当に世間話を少しだけし、それじゃあとクラスメイトの少女は去っていく。その拍子に肩まで伸ばしている黒髪がサラリと揺れ、彼女のうなじが少しだけ見えた。そしてそれを見て、霞は再度動きを止める。

 そういう趣味があるというわけではない。そこにドキリとしたというわけではない。見えたその部分が彼女の予想を確信に変えるものであったので、思考が一瞬止まったのだ。どちらに文句を言いに行けばいいのか、迷ったのだ。

 

「あ、そうだ霧江さん」

「ふぇ? 何?」

 

 少女が振り返る。考えていたことを読まれたのかと思わず姿勢を正した霞は、しかし彼女が変わらず微笑んでいるのを見て力を抜いた。息を吐き、もう一度どうしたのかと彼女に尋ねた。

 

「これも、何となく言っておかなきゃいけない気がしたんだけど」

「うん」

「ありがとう」

「…………どういたしまして」

 

 ひらひらと手を振る。そうして今度こそ自分の席に戻っていく少女の背中を眺めながら、別にお礼言われるほどのことは何もしていないんだけど、と彼女はぼやいた。

 霞は一日中そんな調子であった。授業は殆ど聞いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 ドタバタと誰かがこの館にやってきたのだと確信させる音がする。そしてそんな音を立てるような来客は彼女の知る限りほんの一握り。

 

「リタ! リタぁ! いるんでしょ!」

 

 加えて、自分を異名のビブロフィリアではなく本名を、リタ・クレーメルの名を呼ぶ人物はこの地で該当するのは一人だけだ。はぁ、と溜息を吐きながら、目の前の扉を勢いよく開けるであろう人物を待ち構えるために本に栞を挟んだ。

 

「うっさいカスミ。あたしは読書中だぞ」

「知ってる、それはごめんなさい。でもそれはそれとしてアンタに聞かなきゃいけないことがあるのよ」

「……大体言いたいことは分かるけど、言ってみ?」

 

 本を脇に置き、頬杖をつく。ほれほれ、と手で促すと、霞は一歩前に出てビシリと指を突き付けた。観念しろ、と言わんばかりに眉尻を上げた。

 

「リタ、アンタ『書き換えた』でしょ!?」

「それが?」

「何勝手にそんな」

「ミナヅキから許可は貰ったよ。おめーに文句言われる筋合いはないさ」

「へ?」

 

 ほれ、と引き出しから書類を取り出し掲げる。周囲に影響のある特定の魔法を使う際に必要な手続きを済ませた証明書をひらひらとさせ、フィリアはニヤリと口角を上げた。手続き面倒だよね、と同意を求めるように眼の前の霞に述べながら、ついでにそれを彼女の顔に押し付けた。

 

「うっとうしい! っていうか面倒も何もアンタ達のそれは特異課の誰かが書いて渡すだけじゃないの!」

「一々何かすんのにそうしなきゃいけないのは超めんどい」

「しなきゃいいでしょ」

「やなこった」

 

 そもそも他のイカれた連中と違って許可を取る分自分は良心的だ。そんなことを続けながらフィリアは書類を再度引き出しに戻した。そうしながら、聞きたいことは終わったかと霞に会話の続きを促す。

 ぐぬぬ、と歯噛みしていた霞は、不満げに溜息を吐くと近くの椅子を持ってきてそこに座った。もう少し細かく聞くぞ、と宣言してフィリアの対面に腰を下ろした。

 

「あの娘、体は人形だったわよ。うなじのところうっすらと継ぎ目見えたもの」

「そら火葬されちゃってるし。そこまでまるっと『書き換えた』ら繋げるのが面倒じゃん」

「まあ、それはそうかもしれないけど……。中身はちゃんと本物なの?」

 

 不安そうな表情になった霞がそう問い掛ける。人形の体ということは、間違いなくマーガレットが昨日全面新規造形したあの姿を使っている。彼女が関わっている以上、霞としては安心出来る要素が無いのだ。

 そんな彼女の心中を察しているのか、まあそりゃそうだとフィリアは笑う。そうしながら、でも心配はいらないと人差し指をくるくると回した。

 

「中身はきちんと本物さ。あいつは人形のことで嘘は吐かない」

「他は嘘塗れなのに」

「しょうがねーさ。あいつは『人形好きの魔法狂(アガルマトフィリア)』だからねー」

 

 カカカ、とフィリアが笑い、霞は溜息を吐く。とりあえず信用してもいいのか、と胸を撫で下ろした霞は、ならば次の質問だと目の前の彼女に問い掛けた。面倒だから答えないは無し、と釘を差した。

 

「ま、今日は気が乗ってるから答えてやるよ。んで?」

「どこまで『書き換えた』の?」

「あの『粗品』になった娘が死んだって世間が認識してるって部分くらい。火葬して骨になった人間が生き返ったは日本じゃ通用しないじゃん?」

「他の国でも通用しないと思うけど」

「死体の処理とか管理が適当だと実は別人で押し通せたりする」

「どんだけよ……」

 

 ともあれ、人形の体で甦った元『粗品』の少女を復帰させるため、フィリアは彼女が何者かに殺され葬儀も済ませたという部分を魔法で『書き換えた』。だから今朝霞が教室に入った時は何時も通りであったし、その『書き換えた』部分に抵触していない少女の記憶はうっすらとであるが残り。

 

「あの娘に、今日挨拶されたのよ」

「そ」

「別に仲良くなかったし、そこまで話した記憶もないわ。でも、そうやって挨拶されて」

「ん」

「――ありがとうって、言われて」

 

 目を閉じる。別に感極まったわけでもなければ、この手の事件で感謝されるのが初めてというわけでもない。だが、それを当たり前だと流してしまえるほど、霞はまだ擦り切れてもいない。

 

「わたし、感謝されるようなこと、したかな……」

「少なくともおめーさんが動かなきゃ、あたしもガレットも出張ってねーからね」

「兄さんも頼んだでしょ?」

「あいつはお前ほどがっつりこねーのよ。最初にあたし一回拒否ってるから、余計に」

 

 そう言って笑ったフィリアは、だから胸張って自惚れてろと彼女の額を軽く小突く。痛い、と少し涙目になっている霞を見て大笑いしながら、先程脇に置いた本を手に取った。

 

「あ、ちょっとリタ! 話はまだ」

「終わり終わり。てかこれ以上何か聞きたいことあんの?」

「あるわよ。何で今回はそんなに協力的だったのかって」

「んあ?」

 

 本を開こうとしていた手が止まる。お前が動いたから自分達も動いた。そうフィリアが述べた部分に、霞はどうにも引っ掛かりを覚えたのだ。事件の最中にも同じことを聞いて、その時ははぐらかされたから、もう一度。そんなこともついでに考えたのかもしれない。真っ直ぐに彼女を見てそう問い掛けた霞は、フィリアの言葉をじっと待つ。

 

「お前には理解出来ないって」

「それでも」

 

 霞は揺るがない。はぁ、と溜息を吐いたフィリアは、とりあえず持っていた本で彼女の頭を叩いた。ぼす、と鈍い音がして、案外ダメージが大きかったのか霞は頭を押さえ悶えている。

 

「理由は、まあ、三つあるけど」

「いったぁ……え?」

「とりあえずこれがメインかな。あのクソ書物の作者の顔を見てみたかった」

「……成程、理解出来ないわ」

 

 言っている意味は分かる、理由としては納得出来なくもない。が、その心情はどうにも理解し難かった。百歩譲って事件性のない状況で普通の書物であったとしても、くだらないと一蹴した本の作者を見に行くことを霞はしないだろうと思うからだ。

 もういいか、と言葉を止めたフィリアを見ながら、彼女は続きを促すのを一瞬躊躇った。残り二つもこんな感じならば、聞くんじゃなかったと後悔しそうだったからだ。好奇心は猫を殺す、ここで終えるのが吉。

 それでも彼女は聞いてしまう。残りは何だと口にしてしまう。

 

「ん? 後は多分くだらねーよ?」

 

 が、フィリアの口から出たのはそんな言葉。言っても言わなくてもどうでもいいと言わんばかりの表情と口調。それがむしろ逆に聞きたいと思えてしまうほどのもので、先程の葛藤をどこかに追いやり霞は迷うことなく残り二つを聞いた。

 

「一つは、ま、あれだ。あたしをちゃんと名前で呼ぶやつの頼みを聞くのもたまにはいいかってね」

「うわ、気持ち悪っ!」

「はっはっは。次は見捨てるぞ」

 

 ついでに本の背表紙で二発目を放った。ごん、という小気味いい音が部屋に響き、痛みで思わず椅子から霞が転げ落ちる。フィリアはそれを見て楽しそうに笑っていた。

 

「……三つ目は?」

「その状況で聞ける根性はすげーな」

 

 涙目で椅子に座り直した霞は、微妙に身構えながら再度問い掛けた。吹っ切れたらしい。

 そのことをフィリアも理解したのか、持っていた本をまた机に置くと、ちらりと時計を見る。時刻はそろそろ夕方六時。頃合いだろうかと一人思考を巡らせた。

 それを見計らったようにフィリアのスマホがメッセージの通知音が鳴る。画面を覗き込み、望んだ通りの文章であったことを確認。適当にスタンプで返事をした。

 

「カスミ」

「ん?」

「飯食いに行くぞー」

「は?」

 

 立ち上がったフィリアは、そのまま部屋の扉まで歩みを進める。その行動についていけない霞は、しかし放置されるのも癪なので立ち上がりその背中を追いかけた。

 そのまま館から外に出る。夕焼けで赤く染まる空を見ながら、最後の一つはこれだとフィリアは笑った。何を言っているのか分からないと怪訝な表情を浮かべている霞に視線を動かし、満足そうにうんうんと頷いた。

 

「で、何よ」

「何が?」

「最後の理由!」

「だから、さっき言ったじゃん」

 

 館に一台の車が止まる。窓が開き、運転席から一人の男性が顔を出した。フィリアと、そして霞を見て、一人多いぞとその男性はフィリアを見やる。

 

「お、あたしは良くて自分の妹は駄目なん?」

「そんなわけないだろう……」

「え? 何? どういうこと? 何で兄さんが?」

 

 笑うフィリア、溜息を吐く水無月。そして状況についていけない霞。そんな三者三様の顔を見せている中、まあとりあえずとフィリアが霞を車に押し込めた。乗員が三人になった車は、じゃあ行くかと走り出す。どこに、という霞の質問に、夕飯だと残り二人が揃って答えた。

 

「何がどうなってるの?」

「だから、これなんだって」

「だから! 何がよ!」

「最後の理由」

「は?」

 

 車は走る。目的地がどこかはフィリアは知らないが、とりあえず不味いものを食わせる場所ではないだろうと楽観的に構えている。疑問符が頭に浮かんでいる霞を見ながら、楽しそうに笑っている。

 

「協力したら飯奢ってくれるって、ミナヅキが」

「……一番理解出来る理由なのが逆に悔しい……」

 

 一回断ったくせに、と水無月が苦笑しているが、がくりと項垂れる霞の耳には届いていなかった。




一件落着?


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ふしだらな男は魔女が管理する!(日本語訳版) 第三刷 1ページ

好き勝手書きます


 聞いた? というクラスメイトの言葉に、霞は首を傾げた。一体何を聞いたのやら。そんなことを思いながら尋ねると、知らないのかと友人の少女は詰め寄る。

 

「通り魔よ、通り魔」

「はぁ?」

 

 現代日本に通り魔、そんな摩訶不思議な存在がいるものか。そう言えればよかったのだが、通り魔自体は日本にいても別段おかしい存在でもない。何より霞にとっては通り魔以上に摩訶不思議な連中と関わっているため恐怖もあまりない。

 友人はそんな彼女の反応がお気に召さなかったのだろう。分かっていないようだから、と持っていた箸を霞に突き付けた。行儀悪い、と霞はそれを手で弾く。

 

「いやそれもどうなの?」

 

 二人のやり取りを眺めていたもう一人がそうツッコミを入れるが、そんなことはどうでもいいと二人揃って返されたことでもういいやと彼女は溜息を吐いた。それで、通り魔の話がどうしたの、と諦めた顔で軌道修正にかかる。どうやらこの三人の苦労人は彼女のようだ。

 

「あ、そうそう。何でもここ最近、なんだかワケ分かんない奴に襲われる被害が急増してるんですって」

「……ワケ分かんないんだけど」

「そうなのよ。ワケ分かんないらしいの」

「話噛み合ってないし」

 

 霞のツッコミへの返しは絶対間違ってるな、と苦労人は呟くが、まあもういいやと聞き役に回る。とりあえず続きを話せ、という霞の言葉に、少女ははいはいと頷いていた。

 

「えっとね。被害者は全員男なんだって」

「切り裂きジャックの逆バージョンか何か?」

「ジャック・ザ・リッパーってそんなんだっけ?」

「娼婦を狙って襲ったって話だったよ」

 

 ふーん、と述べる少女を見ながら、こいつの情報網絶対信用出来ないなと霞は思う。勿論いつものことで既に知っているのだが、再確認だ。

 

「それで?」

「ん?」

「続き、あるんでしょ? 志帆」

 

 どこまで話したっけ、と首を傾げる志帆を一発引っ叩き、霞は大きく溜息を吐いた。あはは、と苦笑するもう一人に視線を向け、げんなりした表情を隠しもせずに項垂れる。よくこんなのと幼馴染やれてるな。そんなようなことを言いながら、彼女は弁当に残っていた卵焼きを口に入れた。

 

「まあ、志帆の性格は慣れれば平気だし」

「朱里朱里、それフォローになってない」

「フォローしてないもん」

「酷くね!?」

 

 がぁん、とリアクションを取った志帆を笑いながら眺めていた朱里は、被害者が全員男だったというところまで話したのだと彼女に述べた。一瞬呆気に取られた顔をしていた志帆は、少しだけ不満げな表情をしたもののまあいいやと次の瞬間には表情を戻した。

 

「そういや、ジャック・ザ・リッパーって何かバラバラにしたりとかしたんだよね?」

「いや話戻しなさいよ」

「戻したってば。実は通り魔の被害に遭ったとされる男には共通点があってね」

「共通点? え? バラバラになったの?」

「だったらもっと大騒ぎになってるっつの! 朱里はそういうとこ抜けてんだよなぁ」

「志帆に言われると何かムカつく」

 

 それで、と朱里は続きを促す。紙パックのジュースを飲み干した志帆は、その言葉にうむ、と頷いた。被害者の共通点により、この通り魔は同一犯だと判断されたのだ、と述べた。

 

「その共通点ってのは」

「うん」

「全員ちんちん潰されてたんだって」

「ちんっ……!?」

 

 思わず叫びかけた朱里が慌てて口を塞ぎ顔を真っ赤にして俯く。女子高生が男性器の名称を大声で叫びかけたのだ、そうもなろう。

 一方あっけらかんと言ってのけた志帆はどうしたと首を傾げていた。

 

「アンタ本当にそういうとこアレよね」

「どういうとこだよ」

「教室で堂々とそんな言葉を口にするとこよ」

「そんな言葉?」

「……わざと言ってない?」

 

 ジロリと霞は志帆を見る。が、何か変なこと言ったっけかと首を傾げている彼女を見てこいつ本気かと戦慄した。

 もう少し恥じらいとか覚えたほうが良い。そう言いながら霞は志帆の肩を叩いた。

 

「何で私憐れまれてんの?」

「気にしないで」

「気にするわ! 理由を言え理由を」

「だから、こんな場所であんな言葉を」

「あんな言葉ってどんな言葉なんだって聞いてんの!」

「いや、だから」

「はっきり言わないでそんな上から目線とか、霞ホントそういうとこあるよね」

「…………だから! 教室で! ちんちんとか叫ぶなって言ってんのよ!」

 

 教室から音が消えた。皆今聞こえた単語を理解するのに暫し時間が掛かったのだ。

 次いで、わざわざ机を叩きながら立ち上がり注目されるような動きをした霞に視線が集まった。立ち上がったまま固まっている彼女を見て、あれは聞き間違いじゃなかったのかと教室にいた者が認識する。

 

「いや、私叫んでないし……。叫んだの霞じゃん……」

「霞……凄いね」

 

 教室でちんちんと叫んだ美少女を眺める友人の視線とクラスメイトの色々入り混じった視線が合わさり、霞の中で何かが弾けた。

 

「……愛知では、凄く熱いことをちんちんって言うのよ……」

 

 絶対無理がある。クラスメイトも志帆も朱里もそう思った。

 

 

 

 

 

 

「ぶっほぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

「どういう笑い方よ!」

 

 『本好きの魔法狂(ビブロフィリア)』ことリタ・クレーメルの書庫屋敷。そこの主である彼女は霞の話を聞いてまずしたことは大爆笑し椅子から転げ落ちるとそのままのたうち回ることであった。霞は霞で概要だけを述べればいいのにご丁寧に全てを語ってしまったことを今更ながらに後悔している。おそらく最初に気付くべきだったであろう。

 

「ふははは、んで、ふひひひひ、あたしに、ひゃはははは、何を求めて――」

「笑うか喋るかどっちかに、いや、笑うな! 喋れ!」

「ふひー、ふひー……あー、笑った笑った。まあこんだけ笑わせてくれたし、多少は話聞いてやるよ」

 

 立ち上がり埃をパンパンと払ったリタは、よっこらせと椅子に座り直すと霞を見ながらそう述べた。表情は笑みを浮かべたままであったが、とりあえず会話を続けてくれる気はあるらしい。霞は顔を真っ赤にさせたまま、ふてくされたような表情で口を開いた。

 

「その犯人、どうやったら捕まえられるかしら」

「んあ? そいつヤローばっか狙ってんでしょ? カスミ関係なくね?」

 

 少なくともその話を持ってきてくれた友人が被害者になることはない。少し前の事件のようにクラスメイトが死体となって送り届けられることもないだろう。そう考え述べたリタの言葉に、霞はふるふると首を横に振る。

 

「今はそうかもしれないけど、これからは違うかもしれない。そもそもわたしのクラス普通に男子いるし、男の友達もいるし」

「その男の友達の前でちんちんって叫んだの?」

「やかましい!」

 

 口元を押さえるが隠しきれなかった笑いが漏れる中、霞はざっけんなと机を叩いた。頼んでいる身でこの態度は自分でも確かにどうかと思う。思うが、それはそれでこれはこれだ。こういう時は自分に正直に生きるというのが彼女のモットーである。ちなみに案外モットーはコロコロ変わる。

 

「……それに、兄さんも、危ないかもしれないし」

「ミナヅキがチンコ潰されるほどの相手ならおめーさんは絶対勝てねーよ」

 

 言外に彼女の兄、水無月は心配いらないという意味である。それが分かったので、霞も唇を尖らせつつじゃあそこはいいと返した。

 とはいえ、それ以外の理由は未だ残ったままである。結局その通り魔を追跡する意思は消えていない。

 

「ま、いいや。あたしは動かんが手伝いくらいならしてやるよ」

 

 クスクスと笑いながらリタは自身の長い髪を弄ぶ。先端をくりくりとさせながら、それで他に情報はないのかと問い掛けた。

 

「え?」

「いやおめー、流石にちんちんの会話だけでどうにかは無理でしょ」

「そこは関係ない! ……んー、やっぱりそうか」

 

 ポリポリと頭を掻くと、霞は顎に手を当て何かを考えるように視線を彷徨わせた。せめて犯行現場が分かっていればよかったのだが。そんなことを思ったが、昼の志帆の口ぶりからして今日の会話が何事もなく続いていてもそれは出てこなかったであろうと肩を落とした。

 

「そうなると、見回るしかないかなぁ……」

「あたしは絶対やらんぞ」

「それは知ってる。というか、今回は完全にわたしの私情だしリタにそこまでしてもらおうとも思ってないわ」

「さよか」

 

 ぎしり、と椅子の背もたれに体重を預けた。普段無理矢理にでも巻き込むこいつがそんな態度だとそれはそれで調子が狂う。そんなことを思ったが、普段通りだったとしても彼女は同じ答えを返したので結果としては何も変わらない。単に気分的な問題である。

 

「よし、じゃあちょっと行ってくる」

「へいへい」

 

 椅子から立ち上がった霞は、ありがと、と述べると踵を返し扉まで駆けていった。パタン、とそれが閉まり足音が遠ざかっていくのを聞いていると、部屋が途端に静かになる。

 リタは小さく溜息を吐いた。読みかけの本をペラリペラリと捲り、やはりこの本も外れだなと結論付け。文字を目で追いながら別のこと考えた。

 

「通り魔っつっても、まずそれは本当に人かどうか」

 

 普通の人間の犯行ならば霞が負けることはないだろう。そうでなかった場合、相手が魔法使いないしはそういう怪異側の人間であった場合。

 

「……ま、あいつなら大丈夫か」

 

 そんなことを言いつつ、彼女は机の片隅に置いてあったスマホを手に取った。会話アプリを起動させ、目当ての相手にメッセージを送る。通り魔事件って知ってる? と。

 程なくして返事はきた。それを眺め、彼女はほんの少しだけ目を細める。

 

「ったく。しゃーねーな」

 

 パタンと本を閉じる。スマホを服に仕舞い、ハンガーに掛かっていた上着を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 とりあえず人気のない場所だろうか。そんなことを考えた霞は大通りから外れた道を散策していた。とはいえ、人が全くいないなどということは当然なく、別段歩いていて怪しい様子もない。

 

「んー」

 

 やっぱりもう少し情報を集めてからでなければダメかもしれない。そんなことを思い、今日のところは帰ろうと結論付けたその時である。

 こんな場所にどうしたの。そんな声を掛けられ、彼女は振り返った。

 年は二十前半くらいであろうか。大学生らしきその男は、笑みを浮かべながらこの辺は危ないよ、と霞に近付く。

 

「制服の女子高生とか、何? そういう目的?」

「そういう目的って……わたしはちょっと通り魔探してるだけなんで」

「は? 通り魔?」

 

 何言ってんだこいつ、という目を男はする。が、それも一瞬。このくらいの年齢はそういう事件に好奇心で首を突っ込むものだろうと判断したのだ。ふむふむ、と頷き、そして口角を上げた。そういうことなら、手伝おう。そう言って彼女の隣に並んだ。

 

「気持ちはありがたいですけど。男を狙うって話なんで危ないんじゃ」

「心配してくれるの? 優しいじゃん」

 

 そう言いながら霞の肩に手を置く。おっと、とその手をすぐに離すと、痴漢扱いは勘弁してくれよと笑った。

 

「……最初の声掛けの時点で割とそんな感じでしたけど」

「あ、バレた?」

 

 ジト目で男を見やる。が、男は別段気にした風もなく、それならそれでと霞との距離を更に縮める。

 

「いいじゃんいいじゃん。ね、俺と遊ぼうぜ」

「普通に遊ぶんなら考えますけど。絶対に違うでしょ?」

「お、そっちはオッケーなの? んじゃまあ今日のところは」

 

 顔を輝かせて霞の手を取った男は、だったら早速カラオケにでも行こうと足を踏み出した。連絡先も交換しようよ、と笑いながらそう述べた。

 霞は思い切り男を突き飛ばす。うわ、と急に押された男はバランスを崩して尻餅をついた。

 

「いきなり何を」

「逃げて!」

「へ?」

 

 霞は男を見ていない。彼女と男の間に出来た空間を睨み付けている。

 一体何を言っている、と立ち上がった男は彼女へと足を動かした。そして、その地面がぐにゃりと変な感触をしているのに気付いた。

 泥のような何かがそこにあった。間欠泉のように突如吹き上がった黒い何かは、そのままどこか見覚えのあるシルエットに変わる。

 

「へ、蛇の化け物……!?」

「どっちかというとミミズかしらね」

「冷静だね君!?」

 

 細長いそれの先端がギロリと光った。目があるということはやっぱり蛇か、そんなことを考えた霞は、足に力を込めると男の手を掴んで素早くその場から離脱する。数瞬遅れで、先程まで男の立っていた場所にそれがかぶりついていた。

 

「逃げてください」

「え? そっちは!?」

「多分狙いは男だけでしょうから、わたしはよっぽど大丈夫」

 

 そう言いながら視線を動かす。突如出現したこれのおかげで、カバンを置いてきてしまった。縫い直した竹刀袋に入ったものも、そこにある。取りに行くには目の前のこいつを通り過ぎる必要があり、その場合おそらく。

 

「いいから逃げてください! このままだと貴方のちんちん潰されますよ!」

「……分かった。あとごちそうさま」

 

 妙にいい笑顔でサムズアップした男は、全力で走る。黒い塊がそれを追わないように壁になっていた霞は、男の姿が見えなくなると小さく溜息を吐いた。

 

「さて、と」

 

 人ではないような気はしていたが、まさかこんな得体の知れない化け物だったとは。そんなことを思いつつ、霞は姿勢を低くし駆け抜ける。

 ぐるん、と黒い塊が霞を追いかける頃には、既に彼女はカバンに辿り着いていた。今度は破られないように、と素早く竹刀袋を取り払うと、鞘に入っていたそれを抜き放つ。

 

「何はともあれ、覚悟しなさい化け物。新進気鋭の『解決人』霧江霞が、アンタを見事にぶっ倒してやるんだから!」

 

 刀を構えた霞は、そう言ってニヤリと口角を上げた。

 

 

 



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2ページ

「ちーっす」

 

 警察署の窓際も窓際。盲腸以下だの存在価値ゼロだの散々ボロクソに言われている特異課の部屋に来客である。何だ何だ、とドアの開いた方向に視線を向けた特異課の面々三名は、その来客がリタであることを確認するとなんだ貴女かと表情を緩めた。

 

「あたしが自分で言うのもなんだけどさ。おめーさん達相当図太いよね」

 

 リタ・クレーメルの異名は『本好きの魔法狂(ビブロフィリア)』。現代に生きる魔法使いと呼ばれる者の中で頂点にして狂人、怪異そのものにすら数えられることもある存在『五大倒錯魔法狂(フィフス・フィリア)』の一人だ。その手の分野の人間であれば、積極的に関わろうとはせず、もし関わってしまったのならば出来る限り刺激しない、が暗黙の了解になるほどで。

 

「ま、いいや。実際地雷さえ踏まなきゃあたしともう一人くらいは平気だろうし」

 

 ちなみにそのもう一人とはマーガレットのことではない。勿論特異課は承知の上である。

 ともあれ、そんなことを言いつつリタは入り口から移動し空いている椅子に腰を下ろすと、特異課の部屋をぐるりと見渡した。現在いるのは三名、ここの総員は四人である。そしてこの場にいない一人が彼女のお目当ての人物なわけで。

 

「ちょい、おっちゃん、ミナヅキどこ行った?」

 

 自称特異課の華から差し出されたお茶を飲みながら、課長と書かれた手書きの札が置いてあるデスクに座っていた初老の男性に問い掛けた。男性はそんなぞんざいな物言いに別段気分を害する事なく、今丁度見回りに行っていると笑いながら返す。ふーん、とだけ述べたリタは、そこで会話を打ち切りお茶に口をつけた。

 

「……ん? 見回り? この時間で?」

 

 時刻はそろそろ午後七時。夜の見回りをするような部署ではないここで、そんな行動をする理由が見当たらない。そもそも普通ならばこの面子は帰り支度をする頃だ。

 ちらりと他の顔を見た。まあそういうことですよ、と肩を竦めているのが見え、少し目を細めた彼女は残っていたお茶を飲み干す。

 

「通り魔、意外と厄介なん?」

「あ、知ってるんですか」

 

 課長はそう言って笑う。用事それだし、とリタが返すのを聞き、それは申し訳なかったと頭を下げた。ならば水無月が来る前に少し資料でも見せようか。そんなことを言いながら、封筒を彼女の前に差し出す。

 

「ミナヅキはその辺口煩いかんなぁ。おっちゃんみたいに緩い方があたしはいい」

 

 笑いながらリタはその封筒を開ける。出てきた資料を眺めながら、ふむふむと小さく頷いた。

 出した結論は、なんだこれ、である。

 

「いやとっとと片付けろよ」

「それが出来ないのがお役所仕事の辛いところですねぇ」

 

 ははは、と課長は笑う。どういうことだと顔を顰めたリタは、しかし何となく事情を察し溜息を吐いた。本当に面倒な場所だ、とぼやいた。

 通り魔という名目である以上、それが超常的な存在であるという判定を下すのは最後の最後である。特異課はその最後の最後にようやく権限が手に入るため、今のところはただの警察官その一の役割しか貰えない。水無月の見回りも、交番の夜回りに間借りしただけなのだ。

 

「てか、あたしアイツに連絡したんだけど」

「おや、それは頂けないですね」

 

 ぶうぶう、と文句を述べるリタを見て課長は苦笑した。事件のことについて聞くためとりあえず押しかけてきたのだと思っていた彼はそこで少し考えを変え、しかしならばわざわざ来客時に不在になる水無月の行動の意図を探る。

 まあいいや、とすぐに考えるのをやめた。

 

「とりあえず、夕飯の出前取りますが、何か注文します?」

「ん? 奢り?」

「もちろん、霧江の」

「んじゃピザー」

 

 分かりましたと課長は笑い、残り二人にも同様の質問をする。じゃあ自分達もピザで、という返答を聞き、適当に大きいサイズのピザを三枚頼んだ。

 十五分ほどで宅配されてきたピザを各々齧りながら、リタがやってきた理由、通り魔のことについて雑談を始める。資料を見せたことで共通の情報は持っている。加えてリタはその手のエキスパート、困ることなど何もない。

 

「で、ビブロフィリアさん。実際どうなんですか?」

 

 三人の内の最後の一人、年若い警官がそう尋ねたが、彼女はそう言われてもなと頬を掻いた。正直割とどうでもいい。それが彼女の偽りない答えである。

 が、その答えを棄却したのも自分。霞が突っ走っていったので、フォローするかと腰を上げた自分だ。

 

「ぶっちゃけチンコ潰されただけなら、治療すりゃどうにでもなるっしょ」

「そこなの!?」

 

 自称特異課の華である女性のツッコミ。命に別状はなく、男性器だけが潰されている。その状況ならば、それを回復させれば被害者の問題はある程度解決なのは間違いない。

 

「いや治っても色々無理がありますって」

「そもそも簡単に治療出来るようならば苦労してませんしねぇ」

 

 課長が溜息混じりにそう述べる。手に持っていたピザの残りを口に放り込むと、コーラで流し込み大きく息を吐いた。そろそろこの歳でこれは重いな。ついでにそんなことをぼやいた。

 

「ってことは、やっぱ普通に潰されてるわけじゃないんだ」

 

 コクリと頷く。さっき渡した資料には載っていなかったかもしれないと机に戻った課長は、積んでいる書類からクリップでとめた紙束を引っ張り出し持ってきた。

 

「どれどれ、っておっちゃん、これさっきのとほとんど一緒じゃねーか」

「あれ? 私もボケてきたかなぁ……」

 

 まあいいやとペラペラ捲ると、二枚ほど違う書類が出てきた。一つは先程言っていた怪我の状態。調べた限り、本当にそこだけが潰れ、他の部分には怪我らしい怪我がなかった。そして、まるで何かに食い千切られたようにズタズタになっている。

 

「うげ。文字だけ見ててもひっでぇな」

「あれ意外。ビブロフィリアさんならダメ出しするとか鼻で笑うとかすると思ったのに」

「うんうん」

「おめー等あたしをなんだと思ってんだよ。見ての通り乙女だぞ」

 

 ふん、と胸を反らす。成程確かに腰まで伸びている髪はさらりと長く、手入れをしているのか自然にそうなったのか絹のように輝いている。横に流している左右の髪は頬の辺りでリボンを使い纏めて、左側のヘアピンと合わせともすればボサボサになりかねない長い髪を動きやすいよう留めていた。身長は少し低めだが体付きは女性らしく、足は長め、胸はそこそこ大きく形もいい。目付きは少々ジト目気味であるが、それが整った顔のアクセントになりミステリアスさを醸し出していた。

 成程見る限り確かに見た目は乙女であろう。

 

「そりゃ、あたしは見も知らん連中がどうなろうがどっかその辺で死んでようがどうでもいいさ。けど、悲惨な状態だって説明とか聞かされりゃそういうの抜きに酷いって感想くらいは持つっての」

「そこら辺は普通なんですね」

「あたりめーだろ。ガレットみたいな頭おかしいやつと一緒にすんじゃねーよ」

 

 同じ分類をされている以上そう考えてしまうのは極々普通なのだが、リタは気に入らないらしい。ふざけやがって、と唇を尖らせベシベシと資料を叩きながら、話を戻すぞと三人を睨んだ。ごめんなさい、と特異課の面々は素直に謝った。

 

「んで、この被害者なんだけど」

 

 本気で機嫌を損ねていたわけではなかったようで、表情を戻すとリタは再度資料を眺める。共通点は男であること以外にも、どうやら特異課独自の観点から見たものがあるらしい。

 それが。

 

「……一応聞くけど、ふざけてるわけじゃないんだよね、これ」

「まあ、一応は。霧江もそこは同意しましたよ」

 

 課長の言葉にマジかよと彼女は眉を顰める。まあいいやと呟きながら、とりあえずそこに記されている項目を口に出した。

 被害者は成人向け漫画、DVD、あるいはゲーム。その系統の物品を持っていた、あるいは購入していた男性である。

 

「つまりエロ漫画とかエロゲー持ってたからチンコ潰されたってこと?」

「改めて口にすると相当酷いですね」

 

 うんうんと若い警官は眉尻を下げながら頷く。別に悪いことをしているわけでもないのに。そう続けながら、同情するように天を仰いだ。

 

「シンジ、買ってんだこういうの」

「男だったらある程度買いますよ。後俺真司ですからまさし!」

 

 はいはい、とリタは流しながら視線を動かす。課長はその辺りを否定することはないらしい。年齢制限を守っているのならば問題はない。至極当たり前のことを口にしつつ、まあしかし、と視線をもう一人、自称特異課の華に向けた。

 

「いや別に不潔、とかキモい、とかそういうリアクションしませんから。期待されても無駄ですから」

「コトネってそういうの平気なんだ」

「私が、というか普通の成人女性は気にしませんよ」

 

 そう言って彼女は苦笑する。大体その資料作ったのは自分だ、そう続けながらピザを一枚手に取った。はむ、とそれに齧り付き、視線だけでリタに話の続きを促す。

 わざわざそれを聞いたということは、答えがあるのだろう。課長も真司も同様の思考らしいそんな意味も込めて。

 

「正直、これそっちも考えてるとは思うんだけど。そういうの嫌いな奴が犯人だろ」

「直接的に女性に何かをしている、しようとしている男性は襲われていないのがその証拠、といったところですか」

 

 課長の言葉にそうそうと彼女は頷く。つまり四人の意見は大体一致、その方向で操作をするべきである、というわけだ。

 とりあえずその辺を霞に教えておくか。そんなことを思いながらスマホを取り出したそのタイミングで、特異課の部屋の扉が開いた。ガチャリという音に反応し四人が視線を向けると、ここにいなかったある意味話題の人物でかつピザの代金を払ってくれる財布である水無月の姿が。

 

「見回りついでに、不審な女子高生を補導しました」

「不審じゃないもん!」

 

 そして隣には、捕まえられたらしい霞の姿もあった。

 

 

 

 

 

 

「違うの! あそこにいたのよ化け物が」

 

 特異課で本人の預かり知らぬところで水無月の奢りとなったピザを頬張りながら、霞は自身の兄と特異課の面々、ついでにリタへと弁明をしていた。水無月曰く、大通りから少し外れた路上で刀を振り回していたらしい。どう考えてもアウトである。

 

「で、その化け物はどんな形だったんだ?」

「黒い、影で出来た蛇みたいなミミズみたいな細長いでかいやつ。男の人にかぶりつこうとしていたから、間違いないと思う」

 

 ふむ、と水無月は頷きながらリタを見る。とりあえず事情を聞く前にここへと連れてきたが、その間に考えた言い訳という可能性もなきにしもあらず。そのため他の面々の意見を聞こうと思ったのだ。特異課の連中は霞に関するこの手の意見を募る場合は信用していない。九割方霞の味方をするからだ。

 

「黒いでけー蛇ねぇ」

「心当たりあるの?」

「あることはあるけど、カスミがデタラメ言ってる可能性もあるし」

「何で嘘吐かなきゃいけないのよ!」

 

 兄に捕まり警察署に連れてこられている状況の時点で大抵の人間はその場合の理由が思い浮かぶ。リタの視線でそのことを霞も気付いたのか、ぐぬぬと歯噛みしながら口を噤んだ。

 

「霞、それでその化け物はどうした?」

「……やっぱり狙いは男だけだったのか、わたしが一撃当てたらすぐに影に潜っちゃったわ」

「その後すぐに僕が来た、と」

 

 霞は視線を逸らす。あ、これ絶対違うな。部屋にいる皆がそう思ったが、そこに口を出すのは自分の役目じゃないと水無月を除いて言葉を飲み込んだ。

 

「霞……」

「違うの! だって影に潜って別の場所から襲ってくる可能性があったもん! まだ武器仕舞えないって思って、そのまま周囲を探索したから」

 

 どうやら抜き身の刀を持った制服姿の女子高生が路地を徘徊していたらしい。水無月の最初の説明に違わぬそれに、間違いなくアウトだと特異課の三人も口を閉ざした。

 はぁ、と溜息を吐いた水無月は、霞の頭を軽く小突く。もう少し考えて行動しろ、そう言って彼女の頭をわしわしと乱暴に撫でると、彼は視線をリタへと向けた。

 

「ビブロフィリア」

「なんじゃい」

「さっきの霞の言っていた化け物の心当たりは?」

「ミナヅキも分かってんじゃねーの?」

 

 こちら側の仕事長いだろうに。そう言って肩を竦めたが、分かった分かったと頭を掻きながらぐるりと周囲を見た。皆が説明を聞く体勢に入っていたので、面倒くさいと非常に嫌そうに溜息を吐いた。

 

「多分『影の使い魔(シャドウ・サーヴァント)』だ」

「それは呪文なんですか?」

 

 真司の言葉に、まあそんなとこだとリタは返す。影を媒体にして怪異を縛り自分の好きなように操る。そういう系統の呪文で、ただ使うだけならば文章に工夫もいらない。

 

「んでも、今回みたいにエロゲーやエロ漫画買ってる奴のチンコをピンポイントに狙うにはある程度独自の文が必要だとは思う」

「手練か」

 

 難しい顔で水無月がそう呟いた。特異課の面々はそれに反論することもなく、大変だと思い思いの溜息を吐いている。

 その一方で、霞はそれを聞いて上等だと拳を握った。丁度いい、と笑みを浮かべた。

 

「さっきは逃げられたけど、次はきちんとわたしがぶっ倒すわ」

「カスミ。おめーは術者も見付けてないのに何言ってんだよ」

「うぐ……」

 

 呆れたようなリタの言葉に霞は口籠る。そんな彼女を見て、リタはリタでニヤリと笑みを浮かべた。別にお前がぶっ倒すこと自体は否定してない。そう言葉を続けた。

 

「とりあえずやることは犯人探し。まあこれはミナヅキ達に任せりゃいいや。んで、その後ぶっ倒すのはカスミの役目」

「成程」

「成程じゃない」

 

 水無月が呆れたように会話に割り込んだ。が、リタのそれが仕事だろうという言葉には反論出来ず苦い顔を浮かべた。そうしながら、ならばそっちは見ているだけかと彼女を見る。

 

「あ? そのつもりならこんなとこ来てねーっつの」

「霧江。お前は頼りになる協力者になんという態度だ」

「課長。急に上司ぶるのやめてください」

 

 いきなり人を悪者にするなと言わんばかりに課長を睨み、ついでに真司と言音も睨んだ。

 今日この場で、霞を捕まえてここに連れてきてからまだそれほど時間は経っていない。だが、その短い時間の中で彼はもう何度目か分からない溜息を吐く。リタが協力してくれるのは非常に喜ばしいことではあるが、この状況はいただけない。が、これが対価だと言われてしまえば、水無月としても渋々であるが諦めるしかないわけで。

 

「まあピザも奢ってもらったし。ちったぁミナヅキの役に立ってやるよ」

「自分の意志ではないけれどね」

 

 キシシ、と笑ったリタは、じゃあ少し索敵でもしますかと指を回した。霞が交戦した相手の残滓を探るため、立ち上がると彼女の前に立ちその目をじっと見る。

 

「な、何よリタ」

「いいからいいから。《貴女の瞳に映る姿を眺めていましたの》」

 

 霞の目が光る。ぎゃぁ、と叫ぶ本人を気にすることなく、リタは彼女の目に映る映像を眺めた。成程こいつか、と黒い蛇のようなそれを見、そして霞が助けた男性を。

 

「お? こいつエロゲーとかエロ漫画とか持ってたん?」

「わたしが知るわけないでしょ! いいから目を戻してよ!」

「……カスミ、『影の使い魔』に攻撃当てたっつったよね?」

「そうよ! だから目を――」

「どんな感じだった」

 

 は、と霞の動きが止まる。どんな感じと言われても、と目が光った状態のままううむと腕組みし考え込んだ。しいていうなら、羊羹みたいな感じだったかも。そう述べたのを聞き、ふむふむとリタは頷く。

 

「何? 今ので何か分かったの?」

「全然関係ないことは」

「リィィィタァァァ!」

「冗談に決まってんじゃん」

 

 パチン、と指を鳴らし霞の目の光を止める。ペタペタと自分の顔を触る彼女を横目に、リタは水無月へと向き直った。彼に近付くと、今の自分の考察をそのまま述べる。一瞬怪訝な表情をした水無月は、しかし分かったと頷いた。

 

「んじゃよろしく。あたしは帰る」

「……ああ、また連絡するよ」

「あいよ」

 

 ひらひらと手を振りながら特異課を去っていくリタの背中を、ようやく落ち着いた霞はぼんやりと眺めていた。一体何が分かったのだろう、と首を傾げながら。

 

 

 



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3ページ

 数日経った。霞はその間も見回りをしていたが、結局芳しい成果は得られずじまいである。最初がたまたまで、その時に決着をつけていればと彼女は嘆くが、その辺りはどうしようもないことだ。なお愚痴られた人物、リタは知るかと一蹴した。

 

「でも、兄さん達も何かやってるみたいだし、進展はしてる、のよね?」

「さーてね」

 

 霞の言葉にリタは惚けたようにそう返す。その顔と言葉だけで既に丸わかり、勿論本人も分かっていやっているので別段気にしない。霞はそれを聞いてならいいやと椅子に体重を預けた。

 

「何だよ。自分から動いたくせに丸投げか?」

「そうじゃないわよ。リタが言ったじゃない。探すのは向こうの仕事、倒すのがわたしの仕事」

「だったら見回りしてんじゃねーよ。ミナヅキがこっちに愚痴ってくるからうぜーんだよ」

 

 兄妹揃って自分を何だと思ってるんだ。ぶつぶつと文句を言いながら、リタは持っていた本をペラペラと捲る。今日も今日とてつまらない本でも読んでいるのだろうか。そんなことを思いながら覗き込んだ霞は、そこに書いてあった文章を読んで顔を顰めた。

 近い、とそんな彼女の顔を押し戻しながら、リタはちらりとその表情を見る。案の定と言うべきか、それ面白いのと物凄く苦い表情を浮かべている霞が見えた。

 

「決まってんじゃん」

 

 パタンと閉じる。ひらひらとその本を掲げながら、彼女は立ち上がると部屋の書庫の一角を指差した。この書庫屋敷で明確に名前の付けられている本棚は一種類のみ。そしてその棚が今彼女の向かっている場所だ。

 

「ゴミ」

 

 てい、とそれをゴミ棚に押し込むと、リタは振り返りキシシと笑った。普段は全く面白くない、だが、これが今回に限っては楽しくなるのだ。そんなことを言いながら、自身の席に戻ると真っ直ぐに霞を見やる。

 

「意味分かんないんだけど……」

「そりゃそうだ」

 

 リタは笑みを消さず、彼女をからかうようにそう述べる。霞はそれが気に入らず、唇を尖らせると眼の前の少女を睨み付ける。勿論そんなことで動じる彼女ではない。はいはいと軽く流しながら、本の代わりにスマホを取り出した。

 

「電子書籍でも見るの?」

「本を読むなら現物。てか魔導書が電子書籍になってたらそれはそれでびっくりだよ」

 

 そう言いながらそれはそれでありだなとリタは呟く。何か余計な事を言ってしまったかもしれないと顔を引き攣らせた霞は、話題を変えるようにだったら何をしているのだと少々強引に彼女に問い掛けた。

 別にやらないよ、と肩を竦めたリタは、視線を霞に向けることなく会話アプリを起動しスクロールさせる。相手は水無月のようで、ポンポンと出てくる文章を目で追いながら口角を上げた。机の上に置いてあったそれを掴み、霞に見えないよう向きを変える。ふむふむと頷き、返事の代わりにスタンプを押すとやはり見えないようアプリを終了させた。

 

「何見てたのよ」

「さてね」

 

 む、と眉を顰める霞を見て、リタはその笑みを強くさせる。スマホを仕舞い込むと、立ち上がりハンガーの上着を手に取る。

 

「どこ行くのよ?」

「さーてね」

 

 スタスタと扉まで歩いていく屋敷の主。それを目で追っていた霞は、慌てて立ち上がると待ちなさいと彼女を追い掛けた。

 

 

 

 

 

 

 頭にハテナマークが浮いているような状態の男を見ながら、霞も同じく頭にハテナマークを浮かべていた。一体全体これはどういう状況だ。そんなことを思い、そして向こうもそれを口にしたことで何故か謎の一体感が彼女の中に生まれる。

 

「いえ、実は少しお聞きしたいことがありまして」

 

 そう言って頭を下げるのは水無月。きちんと警察手帳を見せたことから、職務の範囲内ということなのだろう。警察に事情聴取をされているという状況に近いこれを、男はどうにも受け入れられていない。まあそうだろうと水無月本人も思っているので、彼としては出来るだけ丁寧に対応したいと思っていた。

 

「最近の通り魔事件はご存知ですか?」

「え? ああ、はい。……知ってます」

 

 この間のあれを思い出したのだろう。顔を顰めながら、何と言っていいのか分からず微妙な返事になってしまっている。

 そんなことは先刻承知である水無月は、改め自身の所属を述べた。特異課である、と彼に告げた。

 

「特異課?」

「はい。妖怪や化け物など、所謂『そういうもの』の事件を取り扱う部署です」

「は、はぁ……」

 

 何いってんだこいつ、という顔になる。が、先程の質問を思い出し、彼はそういうことなのかと頷いた。この間見たあの光景を、夢や妄想、精神に異常をきたしたから見た幻覚などではないという話をするのだと結論付けた。

 だが、彼は普通の一般人である。そういう設定で近付いて精神異常者の治療に持ち込むという可能性も頭の片隅に入れていく。

 

「貴方は先日、通り魔を目撃したとこちらの彼女から報告されまして」

「え? あ」

 

 そこでようやく男は霞の顔を見たらしい。どうも、と頭を下げる彼女を見て、あの時のと目を見開く。そして、どうやらあの時見たあれは少なくともゼロから幻覚を見たわけではないようだと思い直した。

 同時に、彼女の口から出た『ちんちん』という叫びが男の中で木霊した。

 

「……この間はお世話になりました」

「は、はぁ……?」

 

 よく分からんと首を傾げる霞から、水無月へと視線を戻す。それで、一体何の話ですか。男がそう問い掛けると、彼は一枚の写真を取り出した。

 そこに写っていたのは黒く巨大な蛇のような謎の物体。間違いなく男がこの間見た化け物であった。

 

「これ……っ!?」

「『通り魔』の凶器を撮影したものです」

 

 ご存知ですか、と水無月は問う。それに頷いた男は、彼の質問に覚えている限り答えることにした。どうやら自分は正気であった。それが分かっただけでも価値があった。

 一通り聞いた水無月は手帳を閉じる。成程、と頷くと、スマホを取り出し机の上に置いた。画面が表示されているので思わずそれを覗いてしまった男は、思わず立ち上がりかけてしまう。が、トイレですかという水無月の声を聞いて我に返り、いえ大丈夫ですと座り直した。

 

「実は、貴方がよく通る道にこんな店があるのですが。ご存知でしたか?」

「……はい。まあ、自分も男ですから。多少はこういうのに興味もありましたし」

 

 本やグッズ、ゲームを取り扱うその店は、十八禁の品々も揃っている。が、それを踏まえても店自体は普通のグッズショップだ。にも拘わらず男の反応はこれ。まあつまりそういうことなのだろう。別に年齢制限に引っ掛かるわけでもなし、と水無月は思うが、ちらりと横を見ると女子高生が。

 仕方ないか、と彼は納得した。

 

「通り魔に襲われたのはここのお客だったそうです」

「はあ……。そう言われても、別に自分の知り合いでもないのでいまいち」

「でしょうね」

 

 そう言って水無月が苦笑する。スマホに手を伸ばすと、指で画面をスクロールさせた。表示画面が動き、そして男も思わずそれを目で追う。

 怪訝な表情を浮かべるのを見て、水無月は少しだけ目を細めた。

 

「ぶしつけな質問をさせてもらっても?」

「あ、はい」

「……恋人が、いたりは?」

「いえ。……彼女は、いませんよ」

 

 

 

 

 

 

 二人の間の机が噛み砕かれた。男の手を取ってその場から離脱した水無月は、白昼堂々とは中々エキセントリックだと苦い表情を浮かべる。机のあった場所には、黒く細長い巨大な物体が生えていた。

 

「霞」

「何よ兄さん」

「僕は彼の安全を優先する。あれの処理はまかせた」

「言われなくたって」

 

 口角を上げた霞は『影の使い魔(シャドウ・サーヴァント)』へと突っ込む。今日はちゃんと許可もある、と刀を鞘から抜き放った彼女は、そのまま真一文字に振り抜いた。サクリと上下に分断され、『影の使い魔』の上部分は地面に落ちる。

 影に戻ったそれは、地面から生えていた部分に重なるとウゾウゾと音を立てて再生した。

 

「な!?」

 

 ギロリと霞を睨んだそれは、しかし男に向きを変えるとそちらに伸びる。足に力を込め、一気に追い抜くと刀を進行方向へ構えた。ガバリと開かれた口のような穴と、彼女の刀がぶつかり合う。

 力を込めると、そのまま魚をおろすがごとく縦に裂けていった。左右半分になった『影の使い魔』は、べしゃりと地面に倒れると同時に影に戻る。そしてやはり最初の位置に影が移動していき再度蛇のような物を形作った。

 

「何よこいつ!?」

「そらそーよ。『影の使い魔』は呪文なんだから、術者が元気な限り何度も唱えられるっつの」

 

 いつの間にか水無月の隣に立っていたリタがそう言って笑っていた。そちらに振り向いて笑い事かと叫んだ霞は、体を伸ばしてくる『影の使い魔』を寸断し蹴り飛ばす。もはや当然のように影に戻ったそれは定位置に戻ると再生した。

 

「やってることはこないだのへったくそな人形を生み出してたクソ作者を一緒なんだけど。唱えている本人が眼の前にいないからほんのちょっとだけ面倒になってんだよなぁ」

「言ってる場合かぁ! ちょっとこれどうするのよ!?」

「別に今んとこ周りに被害もねーし、いいんじゃね?」

 

 ぐるりと辺りを見渡す。カフェテラスにいた人達はとっくに逃げ出し、特異課の誘導で周囲には人気がない。こういう気遣いしてやってるから偉いだろう、と口角を上げるリタを一瞥し、水無月はまあ今回は確かにその通りだと頷いた。

 

「わたしはどうすればいいの!?」

「倒せよ」

「分かってるわよ!」

「分かってんなら聞くなー」

 

 ちくしょう、と『影の使い魔』をぶった斬る。影に戻る前に更に細切れにし、欠片にまでしてしまった。が、それらが一箇所に集まり大きな影を作ると、そこから蛇が這い出てくる。このペースで延々と消滅させていればいつかは相手も音を上げるかもしれないが、しかしそれがいつかは定かではない。当然ながらそんな長い時間を掛ける余裕もない。

 

「どうすればいいってのよ……」

 

 前回のように相手が退却すれば戦闘は終わる。一瞬それを考えたが、術者が不明のまま二度目の逃走を選択された場合、犯人確保は非常に困難だ。出来ることならば、相手が戦闘を継続しているこのタイミングで決着をつけたい。

 だるま落としのようにぶつ切りにした『影の使い魔』を眺め、それが戻っていくのを確認しながら、霞は周囲を注意深く観察する。人払いをしているのだから、もしここに自分達以外の誰かがいればそれが犯人だ。自分、リタ、兄、そして目撃者の男。

 この状況で最も怪しいのはあの男。だが、そうであったのならばリタなり水無月なりが既に確保しているだろうと霞は頭を振った。そうしながら、その観点は間違っていないのではないかと思考する。

 

「影……影?」

 

 そういえば、と霞は視線を動かした。『影の使い魔』が再生する場所は決まってあの場所、水無月と男が座っていた席のあった位置だ。再生する相手を倒すのに集中していて気付かなかったが、冷静に考えれば明らかに何かがある。

 地面を蹴る。その勢いで影の中心点に肉薄した霞は、刀を振りかぶると一直線に振り下ろした。『影の使い魔』を真っ二つにし、そしてそこにある影も切り裂く。カフェテラスの床がザクリと裂けたが、まあそれは気にしないでおこうと彼女は頭から消し去った。

 

「やっと気付いたんか」

「分かってたんなら教えなさいよ!」

「いや、普通気付くじゃん」

「……」

 

 同じ場所で再生し続けているのだから、そこを怪しむのは至極当然。そう言われてしまえば霞としてもぐうの音も出ない。視線を逸らすと、それはともかくと影の位置を睨んだ。

 影が映る場所が歪んだことで、『影の使い魔』の再生が目に見えて遅くなった。よし、と口角を上げた霞は、出てきたそれを蹴り飛ばすと影の中心部を踏み砕く。床の破片が飛び散り、その一箇所に穴が空いた。真円を描いていた影がぐにゃぐにゃに歪み、地面にばら撒かれた影がそこに辿り着くことなくゆっくりと消えていく。

 残っていた部分で生み出された『影の使い魔』は、霞の斬撃であっさりと消滅した。

 

「よし」

「ほいお疲れー」

 

 ひゅん、と刀を振り鞘に収めた霞は、どんなもんだとリタを見る。はいはいと軽く流した彼女は、視線を霞から水無月に向けた。

 こくりと彼は頷く。男に視線を向けると、緊張した面持ちで姿勢を正した。

 

「大丈夫です、心配しないでください。――ビブロフィリア」

「あいよ」

 

 男を見る。上から下まで視線を移動させた彼女は、面倒そうに溜息を吐いた。まあ所詮こんなものだよな、と呟いた。

 ガリガリと頭を掻くと、こちらにやってきた霞を手で押し止める。ちょっと距離取っておくように指示しながら、視線だけで地面を見た。

 

「ったく。《貴女もご遠慮なさらずに、こちらでお茶でもいたしましょう?》」

 

 ギチ、と男の影が鳴った。人の形をしていた影がグニョグニョとひとりでに動き出すと、クッキーの生地を切り離すようにぶつりと離れていく。

 その影はゆっくりと盛り上がり、一人の人間の姿を作り出した。

 

「え? え?」

 

 霞はそれを見て目をパチクリさせる。何が一体どうなってこいつは誰だ。そんなことを思ったが、まあとりえずこれが犯人なのだということだけは理解したのでまあいいやと考えるのをやめた。

 

「ミナヅキ、後はよろしく」

「ああ。……通り魔事件と、この男性へのストーカー行為について。話を聞かせてもらいましょうか」

 

 そう言って彼は相手を見た。男の影に潜んでいたらしい、同じくらいの年齢の女性を、今回の騒動の犯人を、見た。

 

 

 



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4ページ

 何のことなのか。そんな風にとぼけることは不可能であろう。何せ彼女は男の影から出てきたのだから。全く無関係の人物ではないのは間違いない。

 水無月は男に尋ねる。彼女は貴方の知り合いですか、と。男は彼女をじっと見詰め、いいえと首を横に振った。

 

「……改めて、話を聞かせて――」

「何を言ってるの!? 私と貴方は、恋人、恋人でしょう!?」

 

 顔を俯かせたかと思ったら、すぐさま上げそう叫ぶ。その瞳は嘘を吐いているようには見えず、本気の発言であることが伺えた。が、男はそれを聞いても訳が分からないと首を傾げるのみである。

 

「そうね。二人の関係は秘密だったけれど、もう仕方ないでしょう? ここは素直に打ち明けるべきよ」

 

 そう言って彼女は微笑む。ゆっくりと足を踏み出し、男の手を取ろうとした。

 させるわけがない。水無月が男を下がらせ、霞はその間に割り込む。リタは二人を見て真面目だねぇと笑っていた。

 

「何? 邪魔をするの? 恋人同士が近付くことを邪魔するの? たかが警察と女子高生が?」

「邪魔するわよ。だって恋人じゃないでしょう? ただのストーカーじゃない」

「あたしが言うのも何だけど、カスミもう少し言葉選べよ」

 

 ぴきり、と女性の表情が変わるのを見て、リタはやれやれと肩を竦める。こういう場で犯人を刺激させないようにするのがちゃんとした警察で『解決人』ではなかったのか。そんなこともついでに思った。

 勿論リタはその両方に該当しないので、その辺りの配慮は無縁である。

 

「そう、そうなの。……お前も、私の邪魔をするのね。あいつらと同じように、彼にいかがわしい書物やゲームを見せ付けたアイツラのように……!」

 

 どこからか本を取り出した。それがパラパラと捲られると、彼女は開かれたページを指でなぞる。書かれている部分を反芻するように呟き、射殺さんばかりに霞を睨んだ。

 

「許さない。許さない、許さない……! 私のジャマをする奴は《みんなみんな、食われてしまえばいい!》」

 

 彼女の足元、そこにあった影が急速に広がり霞の立っている場所をも飲み込もうとする。慌ててそこから離脱すると、広がった影から先程と同じような『影の使い魔(シャドウ・サーヴァント)』が数体這い出てきた。

 それらは一斉に霞を睨む。ガバリと大口を開けて、彼女を飲み込まんと襲い掛かった。

 

「霞!」

「わたしはいいから兄さんはその人を!」

 

 一体だけならば受けきれる。が、それが二体三体と増えれば押さえきれなくなっていく。徐々に押され始め、ついに一体が彼女の腹へとかぶりついた。その拍子に霞は吹き飛び、それを追撃するように残りが空中の彼女へ群がっていく。

 

「おお、空中コンボ」

「……飛ぶなぁ」

「何でそんな反応なんですか!?」

 

 ガブガブと『影の使い魔』に食われていく霞を眺めながら、リタは呑気に、水無月は溜息混じりにそう呟いた。一般人である男の反応がある意味妥当で、そして彼はわざわざツッコミを入れられるほどには度胸があるのだろう。いい加減慣れてきたのかもしれない。

 どしゃりと地面に落ちた。あれだけ食い散らかされれば見るも無残な姿になっているのは想像に難くないが、しかし。一見すると驚くほどに彼女の体は綺麗であった。

 

「ったぁ……」

「かっこわりー」

 

 ゆっくりと立ち上がる。そんな霞をリタがケラケラと笑いながらからかい、やかましいと彼女は言い返す。そうしながら、コキリと首を回し再度女性を睨み付けた。

 

「霞。わたしはいいから何だって?」

「実際大丈夫だったでしょ!? ほらまだピンピンして――」

 

 水無月の言葉に思わず振り向いた霞は、再度『影の使い魔』の攻撃を受け吹き飛んだ。ゴロゴロと地面を転がり、追撃に数体が彼女の四肢にかぶりつく。さながら猛獣が仕留めた獲物を食べる光景であろうか。

 女性はそれを見て鼻で笑う。口だけの女が、自分と恋人の邪魔をするなどおこがましい。そんなことを思いながら、とっとと始末してしまえと本のページを一撫でしその手を『影の使い魔』へ向けた。

 

「……ん?」

 

 そのうちの一体の動きがおかしい。何だと怪訝な表情を浮かべた女性の目の前で、その一体が破裂した。思わず一歩下がった彼女の視線の先には、拳を突き上げながら立ち上がろうとしているサイドポニーの少女の姿が。

 

「やってくれるじゃないのよ……」

 

 突き上げた右腕の袖は破れてボロボロ。他の部分も地面を転がったせいで泥だらけである。そんな状態で立ち上がった霞は、動きを止めていた『影の使い魔』の一体を引っ掴むと別の一体へと叩きつけた。

 そうして出来た隙間を駆け抜け、先程の攻撃で取り落とした刀へと向かう。転がっていたそれを握り、すぐさま振り返るように振り抜いた。さくり、と彼女が以前そう表現したように羊羹を切るかのごとく影は切断され首が落ちた。

 

「今度は再生しないんだ」

 

 ちらりと女性を見る。消し飛ばされたものの代わりに、新たな『影の使い魔』が彼女の影から生み出されこちらに飛び掛かるところであった。成程そういうことね、と納得した霞は、今度はこちらの番だとばかりに足を広げ踏ん張り、刀を中段に構える。

 

「全部ぶった切れば、受ける必要もないわよね!」

「コイツ本当に何も考えてねーな」

 

 

 

 

 

 

「っどうだ!」

「やり切りやがったよこいつ」

 

 ゼーハーと肩で息をしながら霞が叫ぶ。その周囲には幾多の破壊跡とぶち撒けられた影がある。呪文で構築されたそれが、再生の発動がされないまま放置された結果であった。

 眼の前の女性は驚愕の表情で霞を見ている。ありえない、と引きつった口元を無理矢理手で押さえつけ戻すと、持っていた本のページを捲り始める。

 

「ない! こんな時にどうするかが、載ってない!?」

 

 だが、その手が本の最後まで向かってしまうと彼女はそんな悲痛な声を上げた。もう一度最初に戻り、そして猛烈な勢いでページを捲り、そして最後まで行き着く。それを数回繰り返すとへたり込んだ。そんな、ありえない。と呟きながら、それでもまだ呪文を唱えるように本の文章を指でなぞる。

 

「やめときなー」

 

 そんな彼女の手をリタが掴んだ。はっとした表情で顔を上げた女性の目の前で、リタはニヤリと笑うと持っていた本を取り上げる。溜息を吐きながらペラペラと捲ると、よくもまあこんなのを参考にしたなと呆れ顔でぼやいた。

 

「リタ」

「あん?」

「それ、そんなに駄目な魔導書なの?」

「ここに来る前に見せたじゃん。あれよあれ」

「ここに来る前……? あ、あの何か女をいやらしい目で見る男は規制するべきだとかいう」

「それそれ。ちょっとこじらせた魔女が書いたみたいで、いかに男を自分のものにするかみたいなことをこれでもかと捻じ曲げて書いてある」

 

 最終的に行き着く先が男の完全管理である。自分の都合のいいように改変した男が理想らしい。最後の奥付を見ながらそう続けると、リタはほんの少しだけ目を見開いた。

 

「お、これ結構古いやつだな。中々いい」

「内容はゴミなんでしょ? 何がいいのよ」

「魔導書は量産するほどマイルドになってくからねぇ。これくらいなら素人が使ってもそこそこの力を発揮出来るってわけよ」

 

 ちらりと女性を見た。純粋な魔法使いではないのだろうとあたりをつけたリタは、水無月に向かいそれでどうするのかと問い掛ける。何にせよ事件を起こしているのだから、連れて行かなくてはいけないだろう。

 

「ビブロフィリア。それで大丈夫なのかい?」

「んあ? まあ汚染されてるとはいっても元々ストーカー気質ではあったんじゃね? 知らんけど」

「まあ、うん……」

 

 どうですかね、と男を見る。一連に巻き込まれた彼は水無月の言葉に少し考え込むような仕草を取り、性格がもう少しまともだったらと小さくぼやいていた。

 そのタイミングで、女性が立ち上がる。へ、と霞がそちらを見ると、何やらブツブツと呟きながら焦点の合わない目を四人へと向けていた。既に持っていない本をなぞるように指を動かし、大きく息を吸い、吐く。

 

「あ、バカやめとけって。お前みたいな素人が魔導書のブーストも無しな今の状態でぶっ放したら暴走するぞ」

「う、るさい。煩い煩い! 《みんな、みんな、食われてしまえ!》」

 

 ばら撒かれていた影が再度集結した。彼女の目の前で巨大な塊となり、そして蛇の形を作る。太く大きなそれが鎌首をもたげ、メキメキと裂けるように大きな口を開くと、呪文の構成通りに動き出した。

 

「――え?」

 

 ()()()を食おうと動き出したのだ。一番手近な女性に頭からかぶりつくと、そのままバリバリと咀嚼した。ビクビクと痙攣していた彼女は、そのまま『影の使い魔』の体内へと消えていった。

 

「ほれ見ろ。言わんこっちゃない」

「言ってる場合じゃない! 人が眼の前で死んだのよ!」

「死んでねーよ。あれが何食うか知ってんのか?」

 

 思わず胸ぐらを掴んで叫んだ霞に、リタは涼しい顔でそう返す。ほれ、と持っていた魔導書を突き付け、これを読んでみろと押し付けた。

 だから近いってば、とそれを押し戻した霞は、とりあえず開かれているページを見る。『影の使い魔』の構成呪文の章で、これが一体何を糧とするのかが記されていた。

 

「性欲……?」

「書いた奴はよっぽどエロが嫌いだったんだな」

 

 男が性器を潰されていたのもそのせいだ。男にとって性欲の象徴でもあるそれを潰し、それ以外は五体満足にすることで自分の希望を叶えたのだろう。

 ならば咀嚼されたあの女性はどうなのか。彼女も性器を潰されるのか。そんなことを考え顔を顰めた霞に向かい、リタは楽しそうに笑った。心配するなと手をひらひらさせた。

 

「元々チンコ潰すのは失敗の状態だよ。体は傷付けずにそういうのだけ食っちまうのがこの呪文の本来の特性だ」

「え? でも……」

「そう思うんならさっさとぶった切れー」

 

 ぷに、と霞の頬を突く。あからさまに機嫌が悪いといわんばかりの表情をした霞は、分かったわよ、とぶっきらぼうに述べると刀を正眼に構えた。腹の中にいるであろう女性を傷付けずに、目の前の『影の使い魔』だけを真っ二つにする。そのための一撃を放つために剣を振り上げた。

 

「ど、っせい!」

 

 天から地へ。一閃された『影の使い魔』は、ほんの少しの間の後、ザラザラと崩れていった。元々女性の呪文で形作られた存在である。既に供給者のいない状態ではこれ以上の復活など望むべくなし。

 影の晴れたそこには、どさりと倒れ伏す女性の姿があった。駆け寄り様子を確認したが、確かに命に別状はなさそうで、霞は安堵の溜息を零す。

 

「あ、でも食われたってことは、やっぱり」

「元々そういうのが大きかったからあの状態になったんだろう。食われたことで正気になったかもしれないな」

「あ、兄さん」

 

 念の為、と水無月も女性の状態を確認する。ふう、と息を吐いた彼は、一応形式上仕方ないと彼女の腕に手錠をはめた。

 

「ビブロフィリア」

「なんじゃい」

「この様子だと、彼女は」

「んー。かもなぁ」

 

 肝心な言葉を口にせずにする会話に、霞は首を傾げる。二人は当然分かっているので、そんな彼女の様子を気にせず水無月は頭を掻き、リタは口角を上げ話を続けた。

 これからのことを頼むように彼は彼女に述べる。しょうがない、とリタは了承をする素振りを見せたが、差し出した手があからさまに何かを要求していた。勿論ただでやってもらえるとは思っていない水無月は、何が望みだと問い掛ける。

 

「これくれ」

「は?」

「あたしが持ってるのこれよりもっと後に刷られたやつなんよ。同じゴミなら少しでも魔力こもったやつの方がいいからさぁ」

「凶器をはいそうですかと渡せるか」

「んじゃ知らね。チンコの治療はそっちで勝手にやれ」

「ぐっ」

「普通の治療じゃ、絶対勃たなくなるなーあの連中。なにせ『影の使い魔』に食われたんだもんなー」

 

 ぐぬぬ、と水無月は唸る。確かにそれはその通りで、被害者の治療は今回は現代医学よりも魔法関連の治療の方が効率がいい。加えるならば心のケアも必要がない。

 が、それはあくまで目の前の少女が首を縦に振ってくれた場合である。彼女の協力が得られなかったのならば、現代医学でなんとかするか、別の魔法使いに協力を要請し彼女より効率が悪く彼女より面倒な交渉をしなければならなくなる。

 

「……被害者の心の傷も『書き換え』てくれるんだな?」

「あたぼうよ」

「…………そっちの本を持ってきてくれ。これと取り替えてそれを凶器だと言い張ろう」

「おっしゃー! さっすがミナヅキ、愛してるぜぃ」

「はいはい」

 

 はぁ、と肩を落とした水無月は、もうどうでもいいやと大きな溜息を吐いた。事件が解決したのでよしとしよう。そんなことを自分に言い聞かせ、話についていけなかった霞の頭をぽんと叩いた。

 

 

 

 

 

 

 ふうん、と書庫屋敷で一人の少女がカップを手にそんな声を上げた。少しだけ不満そうなその声色の主は、リタにカップを手渡すと近くにあった椅子に座る。

 

「私は完全に蚊帳の外でしたね」

「ガレットの出番は基本ねーよ」

「あら悲しい」

 

 よよよ、とわざとらしい泣き真似をしたマーガレットは、自分のカップに口をつけるとちらりと視線を机に向けた。今回の事件の顛末を記した書類を眺め、そしてその脇に置いてある手紙を見る。まあ確かに自分の出番は無かっただろうと目を細めた。

 

「そもそもおめーはこういう時人助けするような奴じゃねーし」

「よく分かっているではないですか」

「付き合い長いからなぁ」

 

 ふふ、笑うマーガレットを見ながら鼻を鳴らしたリタは、少しだけ視線を逸らし本棚を眺めた。まあ元々自分もここまでお節介焼きでもなかったような気もするが。そんなことをついでに思った。

 

「あら、フィリアは元々お節介焼きですよ。『五大倒錯魔法狂(フィフス・フィリア)』のくせに」

「好き勝手生きてるだけだっつの」

 

 うるさい、と再度鼻を鳴らしたリタは、そこで誰かが駆けてくる音を耳にした。こんな場所に走ってやってくる人間は現状一人だけだ。相変わらずやかましいな、と彼女はそんな足音を聞いて苦笑する。

 

「すっかりお気に入りですね。あの人達が」

「あ? そりゃおめーもだろ」

「フィリアには負けますよ」

 

 そう言ってクスクスとマーガレットが笑う。それに合わせるように部屋の扉が開かれ、霞がズカズカと二人のいる場所へと歩いてきた。いらっしゃい、というマーガレットの言葉に、ひらひらと手で挨拶を返す。

 

「もう少し静かに来れないんかい」

「う、ごめん」

「ったく。んで、用事はこれか?」

 

 机の上の事件の顛末書類と手紙を指差す。そうそうこれ、と目を輝かせた霞は、見せて見せてとそれを手に取った。水無月はその辺りは警官である以上妹であろうと見せることはない。そのため情報が欲しければこちらに向かうのが手っ取り早い、というわけだ。

 ともあれ、それを読んで今回の騒動のまとめを確認していた霞であったが、後半部分を読んでいくうちに段々と彼女の表情が曇っていく。書類を置くと、残っていた手紙を開き読み始めた。

 

「……」

「あら、どうしましたカスミ」

「どうしたもこうしたも……」

 

 手紙には写真が同封されていた。そこに写っているのはあの時の男性と、犯人であった女性。その二人が仲睦まじく手を繋いでいた。ちなみに俗に言う恋人握りである。

 曰く、『影の使い魔』で性欲を食われた女性は暴走時のことを殆ど覚えておらず、加えて憑き物が落ちたように真面目でおとなしくなってしまった。そしてその結果、つきまとわれていた男の好みに刺さったらしい。

 

「めでたしめでたし」

「ってことに、しとくしかねーわなこれ」

 

 微笑むマーガレット。アホらしいと肩を竦めるリタ。

 そしてその手紙を握り締めてワナワナと震える霞。三者三様の反応を見せつつ、しかし満足している者は一人もいない。そんな書庫屋敷の一幕である。

 

「納得、いかなぁぁい!」

 

 

 




一区切り


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特異課日報 六月 1ページ

気ままに書きたいものを書く感じで


「挨拶、ですか……?」

 

 ああそうだ、と彼の上司は告げる。かなり変則的ではあるが、ここ特異課へと配属されたばかりの新人の仕事としてはそこそこ妥当であろう。そんなことを述べながら、課長である中年の男性は彼に書類を手渡した。

 

「ついこの間、少しばかり厄介な人が引っ越しをしてきてね。霧江のような優秀な生贄が来たのはこれ幸いと」

「もう少し歯に衣着せてくれませんか?」

 

 転職したばかりなのに即座に辞めたくなる。そんなことを思いつつ、霧江水無月は溜息を吐いた。渡された書類を眺め、住所を確認し。

 一体何が厄介なのだろうか、と首を傾げた。資料によるとそこの住人は若い女性が一人。厄介と特異課がレッテルを貼るのだから、もう少し何か背筋に来るようなものを予想していたのだが。

 

「まあ、行けば分かるよ」

 

 そう言って課長は笑う。その時点で猛烈に行きたくなくなったが、仕事は仕事、何となく嫌ですと言うわけにもいかない。何より妹の進学のために収入が不安定な『解決人』ではなく安定する公務員となったのだ。多少の理不尽は飲み込まねばならない。

 それでも溜息の一つは許されるだろう。踵を返すと、では行ってきますと水無月は部屋を出た。そのまま車へと向かい、書類に記された住所へと向かう。

 辿り着いたそこは、思った以上に大きな屋敷であった。人が一人で暮らしているとすればいさかか大き過ぎる。そんなことを思わず思ってしまうほどだ。

 ネクタイの位置を直し、水無月は玄関であろう扉に立つ。どことなく西洋ファンタジーのような趣ではあったが、どうやら見た目だけらしい。扉の横に機械式の呼び鈴があるのを見付け、彼は少しだけ安堵した。

 呼び鈴を押す。少々のノイズと共に、そこに備え付けられているスピーカーから声がした。

 

『あん? 何だ? 新聞の勧誘なら間に合ってんぞ』

 

 資料の通り、若い女性の声。だがしかし、その口調はとても女性らしいとは思えなかった。粗暴で、ともすればチンピラのような口ぶりである。

 が、水無月にとってそれは別に関係がない。別段気にすることなく、自身の名前と、来訪の理由をそこで述べた。

 

『ケーサツぅ? 何でだ、あたし別に何もやっちゃいねーぞ』

「それは重々承知しております。今回は、こちらの特異課固有の仕事といいますか」

『……特異課? あー、何か空港で言われたな。くれぐれも暴れないでください、とか』

 

 向こうの女性の言葉に、水無月は思わず怪訝な顔をする。今の会話で、なぜ暴れる暴れないという話になるのだ。暫し考え込むような仕草を取ったが、しかし沈黙を続けるわけにもいかないと彼はそのまま呼び鈴のスピーカーへと。

 ガチャリ、と扉が開いた。思わずそちらに目を向けると、一人の女性が、否、少女と言っても差し支えない人物がこちらを見ている。明らかに日本人ではない美しい顔立ちをしたその少女は、腰まで伸びている髪を靡かせながらジト目気味の目を向けた。ふむ、と水無月を眺めると、まあいいやと踵を返す。

 

「とりあえず、立ち話もなんだから、入りなー」

 

 ひらひらと手を振る彼女の背中を見ながら、彼は我に返ったようにその扉をくぐった。

 

 

 

 

 

 

「んで?」

 

 わざわざ挨拶とかどういうことだ。そう尋ねた少女に向かい、水無月は苦笑しながら頭を掻く。実を言うと、自分も良くは分かっていないのだ、と正直に眼の前の彼女に述べた。

 

「はぁ? 何だおめーさん、つーことはあたしが何かも分からず来たんか?」

「はい。恥ずかしながら」

「……く、ははははははっ! 何だそれ、ばっかじゃねーの!」

 

 少女は盛大に笑い出す。椅子をギッタンバッタンさせながら、机をバンバンと叩きながら。何が可笑しいのか、ひたすら笑い続けた。そうしてひとしきり落ち着くと、彼女は改めて水無月を見る。

 

「そんな状態でも送り出されるってことは、機嫌を損ねないっつー確信を持たれてるのか、それとも、あたしを宥める程度には実力があるってことか」

「あ、あの……」

「おめーさん、名前は何だったっけ?」

「ああ、はい。霧江水無月です」

「ふーん、キリエ・ミナヅキねぇ……」

 

 何かを思い出すような動きをとっていた少女であったが、出てこなかったらしくまあいいやと視線を戻す。とりあえず挨拶は受け取った、と軽い調子で流した。

 

「で、仕事は終わり?」

「そうですね、多分」

「……あんさ、あたしが言うのもなんだけど。それで済ませて本気で大丈夫なん?」

「と、いうと?」

 

 水無月の言葉に、少女は小さく溜息を吐く。この部屋を見て何か思うことはないのか、と指を一本立てた。

 彼が通されたこの場所は、いうなれば図書室だ。部屋全体が本棚となっていって、そこにこれでもかと本が詰められている。まだ空いている本棚もあることから、増える予定もあるのだろう。

 問題は、その全てが普通ではないことだ。これは『魔法使い』やそれに連なるものが、怪異と共にある存在が執筆した魔導書。普通の一般人からすれば普通の本に見えても、一度開くと狂気に飲まれるものも一冊や二冊ではない。間違いなく日本では許可を取るだけで骨が折れる。

 

「本の所持については、許可を取っているんですよね?」

「そりゃあたしだからなー。ほぼ顔パス」

「なら、特に問題は」

「おい待て」

 

 今のツッコミ入れる場所だろ。そんなことを言いながら立ち上がった少女は、こいつわざとやってるんじゃないだろうかとただでさえジト目気味の目を更に細めた。対する水無月、そう言われても、と頬を掻くのみである。

 

「貴女が強力な怪異に関する人物だというのは分かってますけれど」

「いやそれで流すなよおめー」

「そう言われても」

 

 名前も聞いていませんし。そんなことを言いながら、水無月はバツの悪そうに視線を逸らした。最初に聞かなければならなかったそれを失念していたことに今ここでようやく気付いたのだ。

 少女は再度大爆笑である。だから最初に言ったじゃないか、と机をバンバン叩きながら笑い転げた。少女の服装はスカートのため、捲れたそこから下着が見えたが、成人している身として彼はそっと見なかったことにした。

 

「あー、笑った笑った。うっし、んじゃ自己紹介しとくか」

 

 ふう、と少女は息を吐く。そうしながら姿勢を正し、真っ直ぐに水無月を見た。

 

「あたしは『本好きの魔法狂(ビブロフィリア)』。魔法使い知ってんなら聞いたことあるだろ?」

「ビブロフィリア……? って、あの『五大倒錯魔法狂(フィフス・フィリア)』の!?」

「お、知ってた知ってた。そーそー。あたしが、その、ビブロフィリアだ」

 

 

 

 

 

 

 ビブロフィリアという異名は、本人が好き好んで名乗っているわけではない。ただ魔導書を集めることに熱中していたら、その過程で量産された被害者によって名付けられただけである。だから彼女の本名はもちろん存在し、そしてその名前、リタ・クレーメルという響きを割と好んでいるのも事実だ。

 それでも彼女は基本的にまずはビブロフィリアと名乗る。その方が、色々と融通がきくからだ。

 

「変な奴だったなぁ」

 

 ぎしり、と椅子を揺らしながらリタはぼやく。『本好きの魔法狂』の名前を知っていてもその姿を知らない輩は少なくない。だからそれそのものは別段興味を惹かれるものではなかったのだが。

 

「いや、待てよ。変な奴ら、か」

 

 特異課、というからには怪異を専門とするのだろう。そこで厄介な相手と言われれば警戒してしかるべきで、だというのにあの男は少々変わった気難しい相手程度の気構えでやってきていた。加えて正体を知っても接し方が大して変わらないときた。

 当然彼を送り込んできた上司にしろ先輩にしろ、分かっていてそうしたはずだ。生きる災害だの喋る破壊兵器だの、碌な噂のない『五大魔法狂』相手に。

 

「日本の警察が皆そんな感じ、なわけはないから」

 

 この街の特異課が、文字通り特異なのか。一人ケラケラと笑ったリタは、立ち上がると手近な本棚から魔導書を一冊取り出した。ペラペラとそれを読みながら、彼女はこれからの予定を立てる。まだ見ぬお宝を探してちょっと滞在するだけのつもりであったが、ひょっとしたら案外面白いことが起きるかもしれない。そんなことを考えた。

 

「ま、つってもあたしは面倒が嫌いだしー」

 

 パタンと本を閉じると、別の本を取り出す。それはそれとして自分から動く気力は湧かないのでとりあえず本でも読んでチャージするか。先程の意見をぶち壊すかのような、そんなことを考えた。

 そうして彼女が動き出そうかと再度考えたのは、それから一週間が過ぎてからだ。そういえばそんなこと考えてたっけ。ふと朝食を食べながら頭に浮かんだそれを、今日はたまたま実行する気分になっていた。

 ううん、と伸びをする。服を着替え、暇つぶしになりそうな本を一冊チョイスすると、それをカバンに放り込んだ。

 

「うし。じゃあ、《一度足を運ぼうと考えていましたの》」

 

 普段の彼女とはまるで違う口調で、一言を呟く。そこに込められた魔法の一節が、いとも容易く世界を捻じ曲げる。ぐにゃりと景色が歪み、彼女は自身の書庫屋敷から一瞬にして警察署の前まで転移していた。

 

「確か手続きしろ、だったっけか」

 

 あーめんどくさい。ポリポリと頭を掻きながら、警察署の受付へと足を運ぶ。特異課に行きたいんだけど、と告げると、一瞬目を丸くした後に場所を告げられた。

 なるほど、とリタは頷く。日本はこういう時手続きさえすれば文句を言われないのだ。そんなことを思いながら、彼女は廊下を歩き端の端にあるその部屋の入り口へと立つ。一応礼儀は守っとくか、と軽くノックをした。

 

「ちーっす」

 

 突然お来客に特異課の面々の注目が集まる。が、リタはそんなことを気にした様子もなく、部屋をぐるりと見渡した。別段何かしらの改装を施された様子もない。紛うことなき普通の部屋である。

 

「ひっでぇ部屋」

 

 これで怪異扱ったら秒で壊れるぞ。思わずそんなことを呟いて、次だ次とこちらを見ている面々を見た。

 中年の男が一人、若い女性が一人、若い男性が二人。それだけだ。机もその数と空いているものが一つだけ、間違いなくこれで全員だ。

 

「……大丈夫かこの街?」

 

 何か怪異絡みのことがあった時、ヘタをしたら滅ぶ。柄にもなくそんな心配を込めた言葉を口にしてしまったリタは、そこで男性の片方がこちらに近付いてくるのを見た。

 

「ビブロフィリアさん、この間はどうも」

「はいはい。……って、ん?」

 

 ガタガタ、と若い男女がドン引く。こっちは普通の反応だな、と思いながら、彼女は残る一人を見た。

 

「おっさん。あんたがここの責任者?」

「ええ、はい。私がこの特異課の課長を務めさせて頂いているものです」

 

 それで、今回の来訪の理由は何なのでしょう。そう続ける課長の言葉に、リタは目を細めることで返答とした。自分は大丈夫だと勘違いしているのか、それとも。

 よし、と彼女は決めた。先程の返答を翻すことにした。つかつかと課長の席の前まで歩いていくと、びしりと指を突き付ける。

 

「こないだ後ろのあいつに挨拶に行くように言ったのはあんた?」

「ええ。霧江ならば問題ないだろうと思いましてね」

「ふーん。でもあたし、貰ってないんだよね」

 

 ぴくりと課長の眉が動く。何をでしょう、という彼の言葉に、リタは当然だろうと言わんばかりに胸を張った。そこそこの大きさのそれが、服を持ち上げ双丘を形作る。様子をうかがっていた若い男性はおお、と目を見開いていた。

 

「挨拶に来るんなら、手土産の一つや二つ、あんじゃね?」

「手土産、ですか……」

「そ。あたし曲がりなりにも有名人だし? それぐらいやってくれてもいいんじゃないかな?」

 

 リタの言葉に、課長は考え込む仕草を取った。成程確かに、相手はある意味権力者。こういう時はご機嫌伺いの手土産を用意してもおかしくはない。警察としてはアレだが、ここは特異課、それくらいしなければ対処も出来ない。

 

「これは失礼しました。では近い内に何か」

「いや、今くれ」

 

 ざわり、と僅かしかいない特異課の人間が息を呑んだ。眼の前のこの少女は一体何を言い出したのか、とその動向を見守った。

 リタは笑う。思わず目を見開いた課長の顔を見て、してやったりと笑みを浮かべる。

 

「あたしは『本好きの魔法狂』。当然、手土産なら本だ」

「申し訳ありませんな。生憎と魔導書魔術書の類はここには――」

「無いなら、持ってくりゃいい」

 

 そこで言葉を止めると、彼女はぐるりと振り向いた。いざとなったら取り押さえる、と言わんばかりの表情をした水無月を見て、リタの笑みはますます強くなった。

 手をゆっくりと上げる。その動きで何かを行うと判断した特異課の面々は警戒態勢、あるいは退避を選択した。が、水無月だけは変わらず真っ直ぐに彼女を見ている。

 

「……おっさん」

「はい?」

「こっちだけ何か要求するってのもフェアじゃなかった。だから、こういうのはどう?」

 

 そっちの仕事を一つ手伝うから、それに使われた魔導書をよこせ。振り向かずに、水無月を見たまま、彼女はそう告げた。この提案を断る理由は無いはずだ、と確信を持ってそう述べた。

 

「……そうですね。挨拶の手土産、という名目ならば、上もお目溢ししてくれるでしょう」

「課長!?」

「よし、交渉成立だな」

 

 手を下ろす。ふう、と周囲の二人が息を吐くのを見て、リタは思わず吹き出してしまった。そうしながら、彼女は眼の前にいる男へと一歩踏み出す。

 

「そーいうわけだから。手伝ってやる。あたしが協力者とか、こりゃすっげーラッキーだかんね」

「……そうだといいな」

「お? 口調変わった?」

「もう、かしこまる必要もなさそうだからね」

「そーかいそーかい」

 

 その方があたし好みだな、と笑うリタへ、水無月は苦笑することしか出来なかった。

 

 



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